最強おっさん騎士、目覚めたら美少女騎士になっていました (koshikoshikoshi)
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最強おっさん騎士

 

「へ、ざまぁみろ、トカゲ野郎」

 

 渾身の一撃により斬り捨てられた異形のモンスター。真っ逆さまに落下していく小型ドラゴンを一瞥した男が、ガッツポーズとともに叫ぶ。

 

 その男は獣人。全身は銀色の体毛に覆われ、頭にはオオカミの耳。その手には、炎を纏った剣が握られている。

 

 そして、跳ぶ。石造りの教会からレンガのアパートの屋上へ。新たな獲物を斬るために。

 

 ぐぎゃー!

 

 だが、彼は先走り過ぎた。後ろから現れた別のドラゴンが、その背中を襲う。仲間の仇を討とうというかのように、巨大な爪を振りかざす。

 

 くっ!

 

 慌てて振り向くが、前のめりの体勢では防御が間に合わない。

 

 しまった!

 

 一閃。黒い剣が空間を走り、目の前のドラゴンが二枚の開きになる。

 

「すまないおっさん、助かった」

 

「調子に乗るな、小僧!」

 

 おっさんと呼ばれた無精ヒゲの男。こちらは人間だ。若造をたしなめる。

 

 

 

 獣人の若者とおっさん。ふたりの男が、剣を振りかざしながら都会の上空を駆ける。魔力を纏った剣。魔力によりブーストされた筋力。ふたりの戦闘力は、人類の常識を超越したものだ。

 

 しかし、そんな人間離れした二人の剣士をあざ笑うかのように、高層ビルをかすめて飛びかうトラックほどもある影。

 

「くそ、こいつらいったい何頭いやがる?」

 

 彼の炎の剣を器用に身体を捻って避けたドラゴンに舌打ちしながら、若い剣士が叫ぶ。

 

「そもそも、こいつら何のために、こんな都会の真ん中に現れやがったんだ?」

 

 それは、黒い剣を振るうおっさんも同様に抱いていた疑問だ。目の前のトカゲどもの動きには、目的のようなものを感じる。

 

「何かを探しているようにも思えるが……、ん?」

 

 明らかにドラゴンどもの動きがかわった。都会の夜空を無秩序に跳び回っていたいたドラゴン共が、突如うごきを変える。まるで誰かに導かれるように、特定の方向に向かう。

 

「……何かを、見つけたのか?」

 

 二人の男は、もちろんドラゴンの群を追う。

 

 

 

 

 

 新月。さらに灯火管制。普段は眩いばかりの灯りに彩られた街が、今夜だけは暗黒に沈んでいる。

 

 人々は家に閉じこもり、カーテンの隙間から恐る恐る夜空を望む。闇の恐怖に支配された都市の上空、ふたりの騎士が追うのは翼をもったモンスター。街を襲う青色の小型ドラゴンの群だ。

 

 二十年ほど前、人類は史上はじめて世界規模の大戦を経験した。それは、人類に悲劇と惨劇と、そして科学文明の時代の到来を告げた。

 

 鋼鉄の蒸気船が大洋を行き交い、航空機が大空を舞う時代。大陸間を電信網が繋ぎ、都市を覆うレンガやコンクリートの高層建築。電灯やガス灯の明かりが夜を照らす。

 

 だが、そんな科学技術の時代になっても、人類はモンスターの脅威から脱することはできなかった。

 

 この国は、列強国の一角、「公国」として世界に知られている。大洋の真ん中に浮かぶ島国の首都「公都」、世界でも有数の人口を誇る大都市が、異形のモンスターの群に襲われていた。

 

 街に響く悲鳴。乾いた銃声。機関銃の轟音。飛行機の爆音。そして、空を舞う無数の影。

 

 本来は北極圏に住むモンスター。その巨躯をもって人を襲い、口から冷凍ブレスを吐く青ドラゴン。やつらの大群は深夜、海を越え、忽然と現れた。

 

 もちろん、公国陸海軍は全力をあげて迎撃した。だが、公都は自国の首都であり人口密集地だ。いったん空から侵入されてしまえば、銃火器の使用は制限される。

 

 そんな市街地の中心部。ドラゴンに対し剣で戦うふたりは、近代的な銃火器をもって組織的に闘う公国軍の軍人ではない。彼らの武器は、常人には決してもちえない力。『魔力』だ。

 

 剣に魔力をまとい、さらに肉体を魔力で強化。ドラゴン等のモンスターから市民を護る、公国の切り札。彼らこそ『公国魔導騎士』なのだ。

 

 

 

 

 

 ドラゴンの一群を追うふたりは、公都中央部、巨大な建築物にたどりつく。

 

「ここは、……大聖堂?」

 

 その塔は、公国一背が高い建物だ。公都市民のシンボルともいえる存在。しかし、大戦で破壊され、現在は再建途中。人は居ないはずだが。

 

「トカゲ共、こんなところにどんな用があるっていうんだ?」

 

 一瞬、若い獣人の騎士の動きが止まる。ドラゴンは、その隙を見逃さない。

 

「凍気のブレスだ! 避けろ!!」

 

 だが、おっさんの警告は間に合わない。若造騎士が青ドラゴンのブレスの直撃を喰らう。全身が凍り付き、その場に倒れる。

 

 それを合図とするかのように、おっさん騎士の周囲に何十頭ものドラゴンが集まる。

 

「くそ、取り囲まれた」

 

 まさか、公都をおそったドラゴンのすべてがここに集まったというのか?

 

 無精ひげのおっさんが唇を噛む。

 

 どうする? 筋力をブーストしていた魔力もそろそろ限界だ。魔力だけじゃない。もともとの体力も気力も、そろそろ底を尽く。

 

 ちらりと後ろを見る。マヌケにもブレスの直撃をくらった後輩の騎士が仰向けに転がっている。ピクリとも動かないが、もともと頑丈な獣人だからまだ死んではいないだろう。しかし、このままだと時間の問題か。

 

 ぐぎゃーーーー!

 

 突進してきたドラゴンに対し、剣をふるう。残り少ない魔力を振り絞る。次々と吐き出されるブレスから逃げ回り、振り下ろされる爪を避け、そして目の前のドラゴンを斬る。斬る。斬る。斬……れない?

 

 鈍い音とともに、自慢の黒い剣が竜のウロコに跳ね返された。魔力の限界?

 

 くっ!

 

 ふと『撤退』という単語が頭に浮かぶ。

 

 ……だめだ。呑気に倒れたままの後輩をかついで、このドラゴンの包囲から逃げるのは、さすがのオレでも不可能だ。そして、こいつをここに置いて逃げるという選択肢はない。こいつはオレの後輩、……いや、息子みたいなものだ。見捨てて死なれると寝覚めが悪い。なによりも、こいつと仲の良いオレの娘が悲しんでしまう。

 

 なぁに、ちょっと時間を稼げばいいのだ。ここは公都のど真ん中。しかも、すべてのドラゴンがここに集まりつつある。ということは、あとほんの数時間も耐えていれば、同じくドラゴン退治に出動している同僚騎士や陸軍が援軍にかけつけるはずだ。

 

 その程度の時間を稼ぐ策は、いくらでもある。本当に最後の最後になったら、オレの命を度外視してこいつだけ守ってやればいいのだ。それほど難しいことじゃあない。

 

 おっさんは、すでに限界を超えた体力をぎりぎりまで振り絞り、跳ぶ。最後の一滴まで魔力を振り絞り、ドラゴンめがけて剣を振るう。たとえ斬れなくても、剣が折れても、それでも斬る。公都の中心部、大聖堂の天井の上を駆ける。

 

「へ、へ、へ、まさか公都のど真ん中で、市民や建物に一切気を使わず剣を振える機会がおとずれるとはな。魔力全開で剣をふるう機会なんて、訓練でもめったにないぜ」

 

 絶望的な状況の中、たとえ誰も聞いていなくても、精一杯の強がりを口に出さずにはいられない。おっさんは、そんな男なのだ。

 

 

 

 

 

 ん?

 

 彼を取り囲むドラゴンどもが包囲を解いたのは、その瞬間だった。一瞬、援軍かと思ったが、そうではない。

 

 なんだ?

 

 一頭のドラゴンが彼を無視して反対側の大聖堂の壁を破壊している。他のドラゴンもそちらに向かっていく。

 

 一息つける余裕が与えられたのはありがたいが、……トカゲどもは、なぜあんなところを?

 

 彼は目をこらす。その目に映ったのは、あり得ないもの。

 

 破壊された大聖堂の壁の穴から、人間が駆け出してきたのだ。おぼつかない足取りで必死に逃げる。ドラゴンの集団がそれを追う。

 

 人? 少年? どうして? 大聖堂には誰も居ないはずではなかったか? なぜドラゴンに追われているんだ?

 

 狼狽しながらも、自然に身体が動く。市民がドラゴンに追われているのなら助けねばならない。理屈など関係なく、それが公国騎士なのだから。

 

「あぶない!」

 

 逃げる少年の背後から、冷気のブレスが襲う。反射的に自分の身体をブレスの射線にねじ込み、少年の盾になる。小さな少年に覆い被さったおっさんの大きな背中を、凍気が直撃する。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 冷気に凍り付いた身体の下、自分がかばった少年の顔を見つめる。線の細い、小柄な体躯。男の子とは思えない可愛らしい顔。長い耳。メガネ。その顔には見覚えがある。

 

「……ルーカス殿下?」 

 

 

 

 

 

 公国は立憲君主制である。形式上とはいえ公国の君主は公王陛下であり、目の前の少年はそのひとり息子。公国市民ならだれでも知る、ルーカス公王太子殿下だ。

 

「公王太子殿下! いったいなぜ、こんなところに?」

 

 国際情勢の荒波に揉まれる公国を救う救世主とも言われる少年。その天才的な頭脳と未来を見通す的確な判断力はまるで異世界から転生してきたようだと噂される、市民にも大人気の王子様だ。おっさん騎士としては少々線が細くナヨナヨしているところが気になるが……。

 

「わ、私の事は放っておいて、逃げてください」

 

 おっさん騎士は、自分の主君である少年が発した言葉に対して、従わない。

 

「そんなわけにはいかんでしょう。オレは公国魔導騎士だ。あなたを命がけで護るのが、オレの仕事ですから」

 

 半分凍り付いた身体を無理矢理おこす。少年の前に立つ。壁となってドラゴンから護るために。

 

「ド、ドラゴン達が追っているのは私です! だからっ!!」

 

「だからも糞もない。ほら、オレが盾になるから隠れて!」

 

「わ、わ、私だけが青ドラゴン達に殺されれば、公国市民は護られるのです。そのために私は、公王宮から誰もいないここまでひとりで逃げて来たんです!! だから、あなたもはやく逃げ……」

 

「うるさい、黙れガキ!」

 

 今やおっさんは、本気で腹を立てていた。突然怒鳴られてビックリ顔の少年に向けて、がなり立てる。

 

「殿下にどんな事情があるのか知らんが、騎士がガキを見捨てられるわけないだろうが!」

 

 少年は、おっさんの剣幕に身体を硬直させた。そして、正面からおっさんの顔を見る。同時に大きく目を見開く。

 

「……も、もしかして、あなたは、騎士ウィルソン・オレオ?」

 

 なぜ、殿下が、一介の公国騎士でしかないオレの名を知っている?

 

 彼は、その疑問の答えを得ることはなかった。振り下ろされたドラゴンの巨大な爪が、彼の背中を引き裂いたのだ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)の朝

 

 

 その日、『彼』はいつものとおり目覚めた。ふかふかのベッドの中。カーテン越しの朝日が眩しい。

 

 そう、いつもと同じ朝。……のはずだった。

 

「もう朝か……」

 

 くそ。まったく寝た気がしない。

 

 『彼』は頭をふる。まだ脳味噌の中にモヤがかかっている。しかし起きねば。仕事にいかねば。その前にひとり娘のメルを起こさなきゃ。そして朝飯を……。

 

 意識が徐々に覚醒する。ゆっくりと頭の中の靄がはれてくる。

 

 

 

 

 がばっ!

 

 勢いよく起き上がる。

 

「あれ? オレ、どうして家に居るんだっけ?」

 

 彼は必死に記憶をたぐり寄せる。

 

 夢をみていたような気がするが、内容は思い出せない。夢のその前、昨夜ベットに入る前、オレは何をしていた?

 

 ……そうだ。昨夜、小型ドラゴンの群が公都に襲来したんだ。そしてオレは、ドラゴンを斬っていた。

 

 

 

 

 公都を襲撃する無数の小型青竜の群。もちろん公国は全力をもって迎撃した。公国陸海軍の対空砲火でドラゴンの大部分は撃ち落とされた。だがそれでも撃ち漏らされた残り、多数ではないが決して無視できない数の小型竜に、公都への侵入を許してしまった。

 

 彼は公国軍人ではない。所属するのは公国君主である公王陛下直轄の騎士団、彼は誇り高き『公国騎士』だ。剣と魔法を駆使して、公都に蔓延る近代兵器が通用しないモンスターや凶悪な魔法使いを叩き切るのが仕事だ。

 

 重火器がつかえない公都の空を我がもの顔で飛び回るドラゴンどもを駆逐するため、彼は仲間と共に徹夜で公都市内を走り回り、魔力を振り絞り、剣を振るったのだ。

 

 夜も明けようかという頃合い、公都中心部、大聖堂付近に集結したドラゴンの個体を数頭まとめて切り伏せたことは覚えている。そして、いつのまにか多数のドラゴンにとり囲まれ、剣は折れ、魔力も体力も尽き果て、ついに進退窮まったことも。

 

 

 

 

 あわてて自分の身体を確認する。あの状況で無傷で済むはずがない。

 

 あれ?

 

 しかし、……確認した自分の身体は、五体満足に思える。傷ひとつない。

 

 あのドラゴンどもとの死闘は夢だったのか? 夢にしてはいくらなんでも鮮明すぎる気がするが……。

 

 彼はほっと一息つくと、周囲を見渡す。そして気づいた。

 

 あれあれ?

 

 身体に傷はない。ないが、なにかがおかしい。

 

 いつもの部屋。オレの寝室。いつものベット。いつもと同じ。確かに同じだ。でも何かが違う。違うのは、……オレの身体?

 

 

 

 

 ベッドの上、毛布の中、身体に違和感がある。半身を起こし、さらに違和感が大きくなる。

 

 小さいのだ。自分の手も足も胴体も、すべてが小さい。

 

 とっさに鏡をみる。亡くなった妻が大事にしていた大きな姿見だ。鏡の中に居たのは、ベットの中で半身を起こした少女。……少女だと?

 

 おいおいおいおい。

 

 彼は自分に問い掛ける。オレは、誰だ?

 

 

 

 

 オレはウィルソン・オレオ。35歳。

 

 15歳の娘が一人。妻は10年前に亡くなった。

 

 職業は、誇り高き公国騎士。騎士団の中でも剣と魔法で魔物退治を専門とする魔導騎士小隊の一員だ。早いはなしが、オレは魔力と鍛え上げられた傷だらけの肉体が自慢のむさくるしい『おっさん』だ。

 

 しかし、鏡の中にいるのはどう見ても、少女。

 

 こちらを見詰める大きな黒い瞳。通った鼻筋。サクランボのような唇。無精ヒゲはどこにいった? そもそも顔が小さすぎる。くしゃくしゃの茶色の髪が、いつのまにか黒い髪のショートカットに。

 

 自分の目から見ても、かなりの美少女だろう。娘と、若い頃の亡き妻の次くらいには、可愛らしい女の子。

 

 そして、とにかく華奢。肩幅、腕、胸、腰、脚、すべてが小さくて細い。15歳になるオレの娘、メルよりも見た目は若い。若いと言うより幼い。どう見ても中学生くらいだ。

 

 これがオレだというのか? ……いやいやいや、それはないだろう。

 

 彼は大きく首をふる。しかし、鏡の中の少女も同時に首を振っていやがる。

 

 

 

 

 くどいようだが、オレは公国騎士だ。中世時代から現代にいたるまで剣と魔法で公国を護ってきた誇り高き公国騎士団の一員だ。

 

 オレの得意とする戦闘は、肉弾戦。鍛え上げた肉体を、戦闘時には自らの魔力でさらにブースト。得意の剣だけではなく、時には拳も蹴りも駆使して強大なモンスターを駆逐する。それがオレの戦闘スタイルだ。

 

 それが、……なんだこの小さな手は。細くて白い腕は。これではとても剣など握れない。

 

 ベットに入った時と、寝間着も替わっている。

 

 彼はいつも、下着一枚で寝ていた。起こしに来る娘に苦情をいわれても、それが習慣なのだからしかたがない。

 

 だが今、彼の寝間着は、ぶかぶかの丸首のシャツ一枚だ。下のズボンははいていない。

 

 シャツの裾から覗くのは、細くて白い素足。シャツの下をおそるおそる確認すると、下着は女物、というか女児用のパンツ一枚じゃないか。

 

 なんだこれは?

 

 

 

 

 

 しばらくの間、彼は口を開けたままポカンとしていた。茫然自失とはこのことだ。

 

 いったい何分間そうしていたのか、自分でもわからない。

 

 窓の外はすでに明るい。小鳥のさえずりが聞こえる。通勤する人々の喧噪。石畳を歩く馬のひずめといななき、馬車の車輪の音。ここ数年で一気に増えた自動車のエンジン音。やかましいクラクション。いつもと同じ公都の朝。

 

 ぱんっ! 

 

 両手で自分の両側の頬をたたく。なんとか我を取り戻す。彼は強大な魔力と剣を操る公国騎士だ。人類をはるかに凌駕した力を持つ大型ドラゴンやヴァンパイアと対峙したこともある。絶対絶命のピンチにおいこまれたことも一度や二度ではない。どんな状況でも冷静に対処することが求められている立場だ。

 

「と、とりあえず、家族に相談するべきだろう」

 

 しかし、さすがにこの状況は、彼の対処能力を超えている。

 

 幸いにして、今日は娘が家に居るはずだ。彼、ウィルソン・オレオは、唯一の家族である15歳の娘、メル・オレオに助けを求めるべく、寝室をでて台所にむかった。

 

 

 

 

「メ、メル!」

 

 リビングには娘のメルがいた。

 

 いたか。いてくれたか。

 

 肩まで伸ばしたさらさらの金髪。丸首のシャツに、下半身はスラリと伸びた素足。今のオレとほぼ同じ寝間着姿。いつものとおり寝起きが悪い。ボーッとした顔のまま、顔を洗っている。

 

 メルは公都のハイスクールに通っている。全寮制の学校だが、寄宿舎が家から遠くはないため月に一度は週末に帰ってくる。昨日も帰ってきていたはずなのだが、ドラゴンの奴らのせいで一緒に飯も食えなかった。

 

 いつも通りのメル、……だよな。よかった。

 

 ほっと一息つく。

 

 約一ヶ月ぶりに顔をみせた娘。いつもと同じ、たしかに男手ひとつでここまで育て上げた娘のメルだ。いつもは寝起きが極端に悪いクセに、今日はオレよりも早く起きていてくれた。

 

 オレは心の底から安堵した。自分の身にどんな異常がおころうと、たとえ世界が滅びたって、メルさえ無事でいてくれればオレは生きていける。

 

 

 

 

「お、おはよう、メル」

 

 だが、メルが振り向き口を開いたその瞬間、オレはまたもや唖然とさせられたのだ。

 

「おはよう。ウーィルおねえちゃん」

 

 な、……に?

 

「そんなにあわててどうしたしたの? ウーィルおねえちゃん」

 

 お・ね・え・ちゃ・ん、……だと?

 

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とひとり娘

 

 

 お・ね・え・ちゃ・ん、だと?

 

 

 

 朝っぱらから、いったい何度目の茫然自失なのか?

 

「おねえちゃん?」

 

 メルが、オレの娘が、父親であるオレに向かってふたたび問い掛ける。不思議そうな顔で。

 

「そんなにあわててどうしたしたの? ウーィルおねえちゃん」

 

 

 

 

 オレがおまえの『おねえちゃん』? オレは、おまえの父親だったはずだぞ。

 

「めずらしいね、おねえちゃん。着換えないまま起きてくるなんて。……昨日も遅かったの? あまり無理しないでね」

 

 朝からオレの心配をしてくれるのか。なんて優しい子だ。さすがオレの娘だ。……じゃ、なくて。

 

「ウ、ウ、ウ、ウ、ウーィルおねえちゃんって、オレのこと、か?」

 

「……なに言ってるの? おねえちゃん」

 

 オレを見るメルの視線が、あきらかに険しくなる。

 

「な、なぁ、メルよ。オレが、おまえの『ウーィルおねえちゃん』だとして、おまえの父は、……ウィルソンは、どうしたんだっけ?」

 

 おそるおそる娘に問い掛けた後になって、オレは後悔した。世の中には確かめない方がよいことも沢山あるのだ。オレは、こんなおっさんになるまでの人生の中、それを痛いほど学んできたはずなのに。

 

「寝ぼけてるの、おねえちゃん? お父さんは三年前ドラゴンに襲われて亡くなっちゃったでしょ?」

 

 ……やっぱり、聞かなきゃ良かった。

 

「お姉ちゃんはそれから私を養うために学校をやめて、騎士団にはいったんじゃない。……もう、ほらほら、はやく目を覚まして!!」

 

 そ、そうだったのか! こんな少女みたいな姿なのに、なんて立派な姉だ、ウーィルおねえちゃん。……って、オレのことか。

 

 ていうか、ウィルソンは娘ふたり残して死んじゃったのか。なんて酷い男だ、騎士のくせに。……って、これもオレのことか。

 

 

 

 

 

 あああ、オレは今おおいに混乱している。

 

 メルが幼い頃に妻が亡くなって、それから今日まで男手ひとつでおまえを育ててきたのはオレだったはずだ。そして、メルにウーィルなんて姉はいない。オレにウーィルなんて娘はいない。いないはずだ。メルはオレの、ウィルソンの、たったひとりの娘のはずだ。

 

 いったいこの世界はどうなってしまったんだ? これじゃあまるで、世界の過去の歴史が書き変わってしまったみたいじゃないか。

 

 頭がくらくらしてきたオレに関係なく、メルがいつもの朝と同じようにラジオのスイッチを入れる。いつもどおり雑音混じりの国営放送のニュース。たんたんとしゃべるアナウンサーの声。

 

 ここ数ヶ月、ニュースと言えば大恐慌のショックからいまだに抜け出せない世界不況に関わる辛気くさい話題か、そうでなければ大陸の列強国同士の小競り合いがいつ二度目の世界大戦に発展するかもしれないというキナ臭い話題ばかりだったはずだ。

 

 しかし、今日はドラゴンの話題一色だ。どうやら昨夜の小型ドラゴンの群による公都襲撃は、オレの夢ではなく現実におこった事件だったようだ。一般市民に死傷者がでなかったのはなによりだが、やはり公都の被害は甚大らしい。こりゃ騎士団への風当たりも強くなるかもしれないなぁ……って、やっぱり世界で変わってしまったのはオレの姿だけなのか?

 

「おねえちゃん、まだボーッとしてる! もう、今日は私が朝ご飯作るから、はやく顔洗ってきて」

 

 あ、ああ。

 

 いつまでも唖然としているオレに呆れて、メルがテキパキと朝飯の準備を始める。

 

 朝に弱いメルらしくない。おまえがガキの頃から朝飯の準備はオレがしていたはずなのに。たった数日でずいぶん成長したな、メル。父は嬉しいぞ。……っと、感動している場合ではない。

 

 どうする、オレ。どうすればいいんだ、オレ。この姿のまま、朝飯をくって、騎士として出勤するべきなのか?

 

 

 

 

 

 

「おーい、ウーィル! むかえに来たぞぉ」

 

 ノックの音とともに、ドアの向こうから野太い声がひびいた。

 

「あ、ジェイボスさんだ。今日は早いわね」

 

 声に応じて、メルがドアに向かう。

 

 そうだ! ジェイボスがいたか!

 

 ドアの向こうにいるはずの男。ジェイボス・ロイド。

 

 こいつは騎士団のオレの後輩、若手騎士だ。オレと娘だけで暮らすには無駄にでかくて部屋があまっている先祖伝来のこの家を有効活用するため、下宿として二階の部屋を貸している身寄りのない若造だ。

 

 オレは必要以上にメルと仲が良いこの若造は大嫌いなんだが、なぜかこいつはオレに懐いている。職場、プライベートにかかわらず、剣や魔導を鍛えて欲しいとしつこくオレに付きまとう。朝の通勤も一緒にいこうとわざわざ迎えに来やがる。とにかく鬱陶しい若造だ。

 

 だが、確かにジェイボスはアホで未熟者でうっとうしい脳みそ筋肉野郎だが、それでもいちおうはオレと同じ公国騎士だ。魔物退治の専門家であるエリート魔導騎士小隊の一員だ。こーゆー異常事態には強いはずだ。

 

 少女になってしまったオレのこの身体の件について、相談してみる価値はある。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と幼馴染み

 

「おーい、ウーィル! むかえに来たぞぉ」

 

 そうだ。ジェイボスがいた。

 

 確かにジェイボスはアホで未熟者でうっとうしい野郎だが、それでもいちおうはオレと同じ公国騎士だ。魔物退治の専門家であるエリート魔導騎士小隊の一員だ。こーゆー異常事態には強いはずだ。

 

 

 

 オレは我を取り戻す。勢いよくドアを開け放つ。その向こうにいる、オレを迎えに来た若造に問い掛ける。

 

「ジェイボス、ジェイボス、ちょっと来い。おまえに聞きたいことが……」

 

 しかし、オレの声はメルの悲鳴に遮られた

 

「キャー、ジェイボスさん。どうしたのそのケガ」

 

 ケガ?

 

 ドアをあけた向こう。確かに同僚の若造騎士ジェイボスがいた。オレの騎士団の後輩であり、二階の空き部屋を貸して下宿させてやっている居候だ。

 

 いつもどおり、きっちりと騎士団の制服を着こなした青年。一般人よりも明らかにでかい背丈。毛深い顔。犬の耳。オオカミ族特有の銀色の体毛。俺以上の筋肉の塊。

 

 ジェイボス・ロイドは獣人だ。普通の人間やエルフ族よりもはるかにでっかくて頑丈で力強い肉体を誇るオオカミ族だ。ちなみに我が公国においてオオカミ族は、あくまで法律上の建前ではあるのだが、人間やエルフ同様に国民としてのすべての権利が認められている種族だ。……現実はともかくとして。

 

 しかし、今日のジェイボスは、いつものジェイボスではなかった。……といっても、オレのように少女の身体になってしまったわけじゃぁない。

 

 ジェイボスは、全身包帯を巻いていた。腕を固定され、その他何カ所か骨折もしているようだ。見るからに痛々しい。

 

 

 

 

 

「うわーーー。じぇじぇじぇじぇいぼす。おまえ、どうしたんだ? 大丈夫なのか?」

 

 そんなジェイボスの姿を見て、メルにつづいてオレも悲鳴をあげてしまった。ちょっとかん高い、メルと同じくらい可愛らしい声で。

 

「あ? ああ。昨晩、公都に襲来した小型ドラゴンの群を迎撃しているとき、逆襲されてしまったんだが、かすり傷だから心配ないよ、……って、ウーィルおまえいっしょに作戦参加しただろ」

 

 そ、そうか。そうだったのか。確かに昨晩のドラゴン掃討戦は、オレはジェイボスとパートナーを組んだのだった。

 

 しかし、それはオレがウィルソンだった時のはなしだ。オレがこんな少女の姿になってしまっても、『ジェイボスとオレが共にドラゴンと戦った』と言う事実だけは、かわっていないのか? なぜオレにはその後の記憶が無いんだ?

 

「で、で、で、ジェイボスよ。オレ、昨晩、どうなったんだっけ?」

 

 ジェイボスがオレを見つめる。身長が違いすぎて見下ろされているのが気に食わないが、珍しく真面目な表情だ。いつもヘラヘラしたアホな若造なくせに、こーゆー顔をするといい男じゃないか。犬ころだけどな。

 

「昨晩はありがとう、ウーィル」

 

 は? なにが? 

 

 礼を言われる心当たりがない。ていうか、記憶そのものがない。しかしそんなオレにかまわず、ジェイボスがオレの頭に手をのせやがった。相変わらずでっかい手だ。いや、今の俺の頭が小さすぎるのか。頭から体温が伝わってくる。あたたかい。

 

「大聖堂でドラゴンの群に囲まれて、ブレスを喰らって動けなくなったオレを助けてくれただろう。俺がいまなんとか生きているのは、ウーィルが必死にオレを庇ってくれたおかげだ」

 

 えっ? そうだったの?

 

「オレは気を失ってしまったが、ウーィルのおかげで騎士団の仲間が駆けつるまで時間が稼げた。……メル、おまえのウーィル姉ちゃんはすげえ騎士だぞ」

 

 そ、そうだったのか。さすがだな、オレ。

 

 ジェイボスの暖かい視線とメルの尊敬の眼差しが眩しい。ジェイボスはともかく、娘からのこんな視線、久しぶりに浴びたような気がするぞ。

 

「な、な、なにはともあれ、おまえが無事で良かったよ」

 

 オレの正直な気持ちだ。ジェイボスは未熟者で鬱陶しい犬ころだが、いちおう同僚で後輩で居候で息子みたいなもんだしな。おまえが死ぬとたぶんメルが悲しむし。

 

 

 

 

 

 

「で、……どうしたんだ、ウーィル。聞きたい事って?」

 

 そ、そうだ。用件は別だった。オレのこの身に起こった怪異現象に比べれば、このワンコのケガなど些細なことだ。基本的に獣人は頑丈だからな。

 

「じぇ、ジェイボス。……オレの姿、どう思う?」

 

 少女に変わってしまった自分の姿がよくみえるよう、ジェイボスの前で両腕をあげる。華奢な身体をくるり一回転。寝間着かわりのシャツの裾が翻り、白い太ももが付け根まであらわになる。

 

「どう思うって、……いつも通りの寝間着姿じゃないか。あいかわらず成長しねぇな、ウーィルは」

 

 あ、あれ?

 

 ジェイボスはいつも通りのマヌケ顔だ。オレのこの姿をみて、まったく表情がかわらない。

 

「そうじゃなくて! なぁ、オレのこの状況を見て、ほかにはないのか?」

 

「ほか?」

 

「オレのこの身体について、いろいろあるだろう? 」

 

 オレはシャツの裾、太ももあたりをヒラヒラしてみる。

 

「……ウーィルの身体?」

 

 ジェイボスは、上から下までオレの身体を眺める。そのなめ回すよう視線に、なぜかわからないがオレの背筋に悪寒がはしった。反射的に腕を組んで胸を隠し、本能的に一歩下がってしまった。自分でも、どうしてそんなことをしたのかわからない。

 

 同時にジェイボスもオレから目をそらす。ちょっとだけ顔が赤くなっている?

 

「も、もう少し、肉をつけた方がいいかもな。特に胸と腰は。それじゃ妹のメルちゃんよりも幼く見えるぞ。 ……い、いや、あくまで世間一般であって、俺はウーィルはそのままでも十分だと思うがな」

 

 な、なにをいっているんだ、この犬ころ野郎は! こんなオレの姿を見て、なにも感じないのか?

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっとまて。まってくれ、ジェイボス。真剣に答えてくれ。……オレは、誰だ?」

 

「誰だって、……ウーィル、おまえいまさら何言ってんだ?」

 

 こたえてくれ。頼む!

 

「ええと。君は、ウーィル・オレオ。十六歳……」

 

 十六歳? この外見はどうみても十二歳くらいにしか見えないぞ。い、いや、メルの姉だとすると、たしかに十六歳じゃないと辻褄が合わんが。

 

「それ以外には? オレは、お前にとって何なんだ?」

 

「ウーィルは、親に捨てられ天涯孤独だったオレを拾ってくれた命の恩人、騎士ウイルソン・オレオの長女で、メルの姉で、ついでに公国騎士団魔導騎士小隊のオレの後輩で、オレの、……えーと、今のところ、……幼馴染みだ」

 

 

 

 

 オレは、天をあおぐ。

 

 オレがこんな姿になったのに、メルだけではなくジェイボスも違和感を感じていないとは。

 

 まるでオレが昨日から、それ以前から、ずっと小さな女の子だったような。そしてメルの姉だったような。

 

 なぜだ! この世界はいったいどうなってしまったんだ?

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)の生着換え

 

「なぁ、ウーィル、メル、ところでさ……」

 

 天を仰いでいたオレを、ジェイボスが現実に引き戻す。

 

「ふたりとも、そろそろ寝間着を着換えないとメルは学校、ウーィルは職場に遅刻するんじゃないか?」

 

 えっ?

 

 きゃっ。

 

 小さな悲鳴をあげたのはメルだ。今頃になって、ジェイボスの前で寝間着のままだということに気づいたらしい。

 

 あわてて自分の部屋に走る。学校の制服に着換えるために。

 

 

 

 

 

 ジェイボスの野郎がそんなメルの後ろ姿を眺めている。視線の先が固定された方向を確かめてみれば、ヒラヒラしたシャツの裾、そしてふともも。

 

「おい、ジェイボス。……おまえ、メルをいやらしい目で見ていたな!」

 

「み、みてない。なにも、見て……」

 

 ぼこっ。

 

 オレは、ジェイボスの尻に回し蹴りをいれてやった。

 

 しかし。……くそ。やはり、この少女の姿でこの筋肉野郎に蹴りをいれても、まったく手応えがないな。

 

 だが、ジェイボスは顔を赤くしている。ん? もしかして、蹴りが効いたのか?

 

「う、ウーィル、おまえ。そのきわどい格好でそんなに脚あげて蹴るなよ。……みえるぞ」

 

 なっ!? 

 

 咄嗟に顔が熱くなる。本能的にシャツの裾を抑えてしまった。

 

「うるさい。だまれ。この犬ころ野郎、……オオオオレも着換えてくるから、ちょっとここで待ってろ」

 

 

 

 

 

 いったいどうしてしまったんだ、オレは?

 

 オレと妻の寝室にもどってから、深呼吸をひとつ。頭をひやす。

 

 あらためて部屋を見渡す。ベッド。小さなクローゼット。大きな姿見。部屋の中はなにも変わっていない。

 

 そして、鏡にうつる小さな少女。

 

 ……変わったのはオレだけだ。漆黒のつぶらな瞳。黒髪のショートカット。なんどみても確かに美少女だ。

 

 オレがこんな少女姿になってしまっても、娘のメルと後輩のジェイボスはまったく違和感がないようだ。そして、オレが騎士団の一員だという事実は変わっていないようだ。

 

 ならば、オレは騎士団に出勤せねばならないのだろう。メルを食わすために。

 

 そして、職場に行くのにまさか寝間着のママというわけにはいくまい。着換えねばならない。騎士の制服に。

 

 

 

 

 

 まずは寝間着替わりのシャツを脱ぐ。

 

 鏡にうつった少女の裸体。女児用のパンツ下着一枚の少女。

 

 うわぁ。体型は少女どころか幼女に近い。メルよりも胸が平ら、というか全身凹凸が少ない。あきらかにメルよりも幼い。

 

 メルによればオレは『おねぇちゃん』らしい。ジェイボスによればオレは『十六歳』らしい。しかし、どう見ても十六歳のおねぇちゃんには見えないよなぁ。

 

 一応断っておくが、妻が亡くなって以来『オレ』はメルを男手ひとつで育ててきた。いまさら幼女体型の裸をみても恥ずかしかったり、ましてや興奮などしないぞ。

 

 い、いや、そんなことはどうでもいい。問題は、筋肉だ。

 

 この身体、全身細くて白くて柔らかくてプニプニしてシミひとつなくて、……騎士団に入団してから二十年間ひたすら鍛えた筋肉はどこへいった? 勲章代わりの身体中の傷はどこに行ったのだ?

 

 

 

 

 

 クローゼットの中の公国騎士の軍服は、当たり前のように女性用のものだった。しかも、サイズは最小だ。

 

「昨日までは、確かに男物だったはずだよなぁ」

 

 身体だけではなく、身体のサイズにあわせて服まで替わってしまうとは、不思議なこともあるものだ。だが、いつまでも目の前の現実から逃げていても仕方がない。着るか。

 

 まずは下着。……これ、女児用のシュミーズってやつか? メルが小学生のころ着てたのと同じじゃねぇか。

 

 こんなものを身につけるのは初めてのはずなのに、なぜか自然に着ることができた。自然にからだが動いたのだ。

 

 そりゃメルがガキの頃はオレが着換えてやっていたが、これじゃまるで自身が毎日身につけてるみたいじゃないか。

 

 ため息をつきながら、半袖の黒いシャツを羽織る。ひとつづつボタンをはめる。

 

 

 

 

 

 我が公国は亜熱帯の島国だ。気候は常夏といってもいい。ほとんどの国民は、日常的に肌の露出が多い。

 

 中世時代の公国騎士は、大陸諸国にならって普段から装飾過多な衣装や大仰なヨロイを身につけていたそうだが。……想像しただけでも暑苦しいよな。昔の騎士は大変だっただろうなぁ。

 

 だが、さすがに現在の騎士の制服は、それなりに合理的になっている。現代に生まれて良かった。

 

 ……うわぁ。袖からみえる腕が細い。シャツが黒いから、腕の白さがやばい。ついでに、最小サイズの制服であるにもかかわらず、それでも胸に余裕がありすぎる。

 

 はぁ。

 

 オレは、またしてもひとつため息をつく。

 

 鏡の中の少女は、上半身黒いシャツだけ。下半身は太ももどころか白い下着がぎりぎり見えている。自分でいうのもなんだが、かなりやばい格好だ。

 

 そして手に取る、……スカート。

 

 そういえば、公国の女性騎士の通常勤務時の制服はスカートだった。同僚の女性騎士はおっかない女ばかり、しかもたいていの場合は戦闘服姿だったから、意識したこともなかったが。

 

 くっそ。あしもとがスースーする。

 

 このスカート、どうしてもこんなにふわっとして、しかも膝丈しかないんだよ。女子学生みたいじゃないか。これで戦えるのかよ。

 

 ためしに一回転してみれば、裾がフワリと翻る。

 

 ……そもそも公国に騎士制度が確立した中世時代、騎士は男しかいなかったはずだ。女性騎士が誕生したのは、列強からの独立を維持するため公国が立憲君主制に移行し、公国軍が別に創設され騎士団の性質が大きく変化した近世になってからだ。要するに、この制服が制定されたのはつい最近ということだ。いったい誰が考えたんだ? オレはそいつを叩き切ってやりたい。

 

 革のベルトをしめ、革のブーツを履く。ちょっと暑苦しい黒いマント。よくわからんが、このマントが公国騎士の象徴なんだそうだ。

 

 

 

 

 最後に、剣。

 

 オレが手に取ったのは、代々公国騎士だった我が家の家宝。東洋から渡ってきたと言われる片刃の剣。斬れ味だけが取り柄。確かにオレの剣だ。……って、あれ?

 

 鞘をつかむ。長い。こんなに長かったか? いや、オレが小さくなったのか。

 

 目の前、鞘を水平に持つ。左手に鞘。右手に柄。そしてゆっくりと剣を抜、……けない。

 

 あれ?

 

 なんのことはない。腕が短かすぎて、両手を目一杯ひろげても剣が鞘から抜けないのだ。

 

 

 

 

 

 ……く、く、くくくく。

 

 おもわず笑いがこみ上げる。

 

 なさけない。腕が短すぎて剣がぬけないなど、騎士としてこれほど情けないことはない。こんな姿、同僚の騎士達に見せるわけにはいかないなぁ。

 

「おーーい。まだか、ウーィル。そろそろ本当に遅刻するぞぉ」

 

 ドアの向こうからジェイボスの声がきこえる。

 

 うるせーな。だまって待ってろ。女の着替えには時間がかかるんだよ。

 

 

 

 

 

 ふと、目の前を飛ぶ影。小さなハエだ。

 

 くそ、腕が短いのならば、……やってみるか。

 

 体内の魔力を意識する。よし、この身体にも確かに魔力はありそうだ。魔力の量だけならば、もとの身体にもひけをとらない。魔力の質がちょっと違うような気がするが、そこはとりあえずは気にしないでおく。

 

 精神を集中する。全身の筋肉に魔力を纏わせる。

 

 できる。オレにはできる。絶対にできる!

 

 自分に言い聞かせる。半生をかけてきた剣がオレを裏切るはずがない。たとえオレが少女の姿になったとしても、だ。

 

 腕が短くて鞘から剣が抜けない? ならば、そもそも初めから鞘を握らなければ良いのだ。

 

 ……いくぞ。

 

 右手で剣を握り、鞘から左手を離す。空中に鞘をおいたまま、間髪入れずそのまま身体だけ一歩前に出る。同時に身体を半回転。空中の鞘から右手だけで剣を引き抜くのだ。

 

 一閃!

 

 思い描いたとおりの軌跡で切っ先が走る。空中のハエにむかって。

 

 よし! しかし、まだだ。

 

 今度は剣を逆に引きもどす。いまだ空中にある鞘に向けて。

 

 

 

 

 

 カチン。

 

 剣が収まる。抜いてから一秒もたっていない。まるでなに事もなかったかのように、鞘は空中に静止したままだ。

 

 できた!!

 

 へ、へへへ。へへへへへ。こんな小さな身体でも、なんとかなるもんだな。

 

 不思議なことに、剣を操っている瞬間、剣も身体もほとんど重さを感じなかった。まるで羽のように動いた。

 

 なぜこの身体でこんなことができるのかはわからないが、ともかく剣はオレを裏切らない! ざまぁみろ!!

 

 オレは、オレをこんな姿にした理不尽極まりない神に向かって、心の中でアッカンベーをしてやったのだ。

 

 

 

 

「あいかわらず凄ぇな、ウーィルの剣は……」

 

 真っ二つになり地面に落ちていくハエの先、ドアを開けたジェイボスが目を丸くしている。

 

 あいかわらず、だと?

 

 おまえ『ウーィル』がどんな剣技を使う騎士なのか知ってるのか? 本人であるオレが知らないのに。……いやその前に、おまえ、ひとんちの、しかも女の子の寝室のドアを勝手に開けるなっていつも言ってるだろ。

 

「なあ、ウーィル。いつも思うんだが、その細くて小さな身体でそのクソ長い剣、どうやったらそんな素早く振り回せるんだ? 慣性とかどうなってるんだよ」

 

 ……オレが知るか。一番驚いているのはオレなんだよ。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)の生足キック

 

「きゃー、学校に遅刻しちゃう。お姉ちゃんがボーッとしているから」

 

「お、オレのせいなのか?」

 

 たしかに目覚めた直後から混乱していたオレのせいのような気もするが、オレにとって人生最大ともいえる非常事態だったんだから仕方がない。だが、だったらあんなにゆっくり朝飯を食わなくてもよかったのだが。

 

「だめよ。お姉ちゃんとジェイボスさん、ドラゴン退治から帰ってきたの朝方なんでしょ。ちゃんと朝ご飯食べなきゃ」

 

 ……なんてできた娘、じゃなくて妹だ。親として、いや姉として、オレは誇らしいぞ、メル。

 

「居候のオレまで朝ご飯ごちそうになっちゃって、もうしわけないね。美味しかった。メルちゃん、いいお嫁さんになるよ」

 

 ジェイボスのアホがへらへらと笑う。

 

 あんだ、てめぇ。メルに色目使うんじゃねぇよ!

 

 どかっ

 

 オレはジェイボスにいっぱつ蹴りをいれてやった。

 

「ウーィル! おまえ、朝っぱらから幼馴染みを何回蹴るんだよ!!」

 

 くそ、まったく平気な顔しやがって。やはりこの身体での蹴りはきかないか。

 

 ……こら、メルも、ジェイボスにあんなこと言われて赤くなるな!

 

 

 

 

 ハイスクールの制服姿、ちょっと大きな荷物を抱えたメルが、スカートを翻しドアから出て行く。白いシャツにリボン。膝丈のスカート。ちょこんとベレー帽をのせた金髪が、朝日を反射してキラキラ輝く。

 

 これから一旦寄宿舎にもどり、そのまま授業にでるという。

 

「じゃあわたし寮に行くね」

 

「ああ。身体に気をつけて。悪い男にひっかかるなよ」

 

「わかってるって! おねえちゃんは心配性だなぁ」

 

「小遣いは足りてるのか? 女の子は何かと金がかかるだろう?」

 

 メルの学校は、公国一の超名門校だ。正直なところ一介の騎士でしかない我が家の家計では、学費を賄うのもなかなかつらい。しかし、旧貴族や資産家ばかりの同級生の中で、娘に惨めな思いをさせるわけにはいかない。

 

「もう、お姉ちゃんは自分のことには無頓着なくせに、いつもいつも私のことばかり気を使って……。私なら大丈夫、奨学金もあるし、それにアルバイト始めたんだ」

 

「な、なに! アルバイトだと? いったい何をはじめたんだ! まさかいかがわしい仕事ではあるまいな!!」

 

「あ、もう行かなきゃ。いってきます!」

 

「ま、まて、メル、こら」

 

 メルはオレとジェイボスに向かって手を振りながら、大通りをかけていく。次に家に帰るのは、また数週間後だという。

 

「いってらっしゃーい、メルちゃん。気をつけてね」

 

 人の気も知らないで、ジェイボスのアホウが無邪気にメルに向かって手をふっていやがる。

 

「いつまでもヘラヘラしてんじゃねぇ!」

 

 オレはまたしてもジェイボスに蹴りを入れてやった。やはりまたしてもまったく効果はないようだが。

 

 

 

 

 

 

 さて。オレとジェイボスも騎士団に出勤せねばならない。戸締まりを済ませ、オレ達はいつも通り歩き始める。

 

 オレオ家は、公都の中でも中流階層が住む住宅街にある。公国騎士団の駐屯地まではそう遠くはない。よって、普段の通勤は徒歩だ。

 

 石造りの大通りは、朝っぱらから喧噪につつまれている。馬車や自動車がひしめく隙間を縫うように、通勤のサラリーマン、通学の学生、散歩の老人。多くの市民が行きかう。

 

 我が公国は、一応は列強の一角ということになっている。公都はその首都であるから、世界的に見ても賑わっている方なのだろう。オレは外国には行ったことないけどな。

 

 その公都の中心部、通勤途中のオレとジェイボスのふたりは、あきらかに人々の目をひいていた。

 

 

 

 

 

 公国騎士団は、数百年前より剣と魔法で公国市民を護ってきた、公王陛下直属の誇り高き戦闘集団だ。

 

 中世時代が終わり、市民階級を中心として編成されたより近代的な戦闘組織である公国陸海軍の設立、そして自治体警察組織の整備とともに、騎士団の存在目的は大きく変化した。とはいえ、いまだに騎士は公国市民の憧れの的、……であるらしい。メルの話によれば、公国の学生のなりたい職業ナンバーワンなのだそうだ。

 

 さらに、公国騎士の制服は必要以上に派手だ。公王陛下の権威を内外に示すためらしいが、実用性は二の次で格好良さ優先でデザインしたんじゃないかと思うほどだ。実際、騎士団の中でも実戦部隊ではない公王宮守備隊や儀仗隊、音楽隊などは、その派手さ、美しさ、格好良さにより、公国を訪れる観光客に大ウケだ。

 

 要するに、騎士はただでさえ目立つのだ。

 

 獣人オオカミ族であるジェイボスが、その騎士の制服姿でゆうゆうと歩く。いまだに獣人を差別的な視線で見る者も少なくはないが、それはそれとして美しい銀色の体毛にくるまれた見事な筋肉を誇るオオカミ野郎は理屈抜きでかっこいい。騎士ジェイボスが人々の視線をあつめるのはしょうがない。

 

 昨日までは、……オレがウィルソンだった頃ならば、そのジェイボスの隣をやはり騎士の制服の渋いおっさん(オレのことだ)が歩いていても、むさ苦しくはあってもそれほどの違和感はなかったはずだ。

 

 だが、いまジェイボスのとなり、いや三歩後ろをちまちま歩いているのは、あきらかに身体に合わない騎士の制服の小さな少女だ。

 

 騎士のコスプレした幼女であるオレは、市民からどのように見られているのだろう? 

 

 通りの向こう、街頭売りの新聞を片手にちらちらオレを見ているおっさんがいる。口元を隠しながらコソコソ話し込んでいるおばさん二人組は、オレと視線が合った瞬間わざとらしくうつむいた。あちらの女学生の集団は、オレを指さしながら何やらかしましい。

 

 気のせいだ、……よな? うん、気のせいにきまってる。あまり考えないようにしよう。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)の新聞デビュー

 

 公都中心部。ジェイボスと並んであるくオレ。

 

 きっかけが何だったかわからない。ふと、見えあげた景色に違和感があった。

 

 あれ?

 

 いつもと同じ通勤路のはず、だよな?

 

 いや、今朝からオレの身体がおかしくなったことを言っているわけではない。今のオレのこの少女の身体については、いまだに何が何やらわけがわからんが、とにかくそういうものだと納得はした。

 

 この違和感はオレ自身じゃなくて、……風景だ。通勤路の様子がいつもと風景が違う、ような気がするのだ。

 

 

 

 

 立ち止まり数秒間。360度周囲を見渡ししばらく悩んだ末に、違和感の正体がやっとわかった。

 

 ああ、そうか。いつも通勤の途中イヤでも視界に入る建物。街の中心部、公国でもっとも背の高い建造物であり公都のシンボルである、大聖堂の塔がないんだ。

 

「なぁジェイボスよ。大聖堂の塔って、……どうしたんだっけ?」

 

「ん? 何をいってるんだ? ウーィル」

 

 犬ころ野郎が不思議そうな顔でオレを見る。

 

 えっ? えっ? オレまたへんなこと言っちゃった? もしかして、公都に大聖堂の塔があったというのは、オレの記憶の中だけのことなのか?

 

 だが、ジェイボスの答えは違った。オレの想像の斜め上だった。

 

「昨夜お前が斬っただろ」

 

 はぁ?

 

「ドラゴンに囲まれたオレを助けるため、大聖堂の塔を叩き切って崩壊させてドラゴンの群ごと押し潰したんじゃないか」

 

 えっ? オレ? オレが斬っちゃったの? 大聖堂の塔を?

 

「覚えてないのか?」

 

 ……うん。

 

 

 

 

 た、たしかに、剣には多少の自信がある。魔力と腕力にもだ。魔力でブーストした腕力で先祖伝来のこの剣をふるえば、昨夜の小型ドラゴンが数頭程度ならなんとかなる。魔導騎士小隊に所属する騎士ならば、その程度はあたりまえだ。

 

 そして、石造りの大聖堂も、オレはその気になればたぶん斬れるんじゃないかと思う。さすがにやったことないけど。

 

 しかし、それは昨日までの『オレ』のはなしだ。この少女の身体になってしまったオレでも、そんなことができるのか? いやそれよりも、わが公都のシンボルであり公国市民の誇りでもある大聖堂を斬るなんて、公国騎士としてさすがにどうなんだ?

 

 ……オレはいったい、記憶の無い間に何をやらかしたんだ? もしかして、市民の皆様に恨まれたりしてないか?

 

 つい先ほど感じた視線、公都市民がオレにむけた不思議な視線。あれを思い出し、背中に冷たいものが走る。

 

 

 

 

 

「きしさま!」

 

 大通りに甲高い声が響いた。通りの向こうから舌足らずな幼女の声が呼ぶのは、……オレ?

 

 おばあちゃんと孫娘の朝の散歩だろうか。老婦人に連れられた幼女がオレに向かって駆け寄ってきた。オレになんの用なのかしらないが、そんなに一生懸命走らなくもいいのに。

 

 オレよりさらに小さな身体が必死に駆ける。足元がおぼつかない。案の定オレの目の前でつまずいたその幼女の身体を、おもわず抱き上げる。

 

 ……つもりだったが、オレの身体も大人じゃなかった。幼女の正面からの体当たりをくらってよろけてしまう。脚を踏ん張り、なんとか受け止める。

 

 オレの腕の中、見上げる幼女の無邪気な顔はどことなく幼い頃のメルに似ている。しかし、彼女も老婦人もオレは面識がない。ないよな。ないはずだ。

 

「えーと、お嬢ちゃん。オレ、じゃなくて私は確かに公国騎士だけど、何か用かな?」

 

「騎士のお姉ちゃん、大聖堂の塔を斬っちゃったの?」

 

 えっ?

 

 彼女のちっちゃい手には、なにやら紙が握られていた。街売りの今朝の新聞だ。その一面に大きなモノクロ写真。

 

 半分崩れかけた大聖堂を下から撮った写真だ。おそらく夜間、あきらかに光量が足りない、しかもブレブレの写真。それでも何が映っているのかくらいはわかる。塔の周囲を飛び交う何頭ものドラゴンと、空中でそれを迎撃する剣をもった少女騎士、って、……うわぁ、オレかよ。

 

 

 

 

 ちょっとみせて。

 

 オレは幼女から新聞をひったくる。両手でつかみ、凝視する。

 

『青ドラゴンの大群、公都を襲撃。公国騎士団が撃退するも大聖堂を破壊。死傷者なし』

 

 紙面最上部に特大の活字が踊る。その下、紙面の約半分を占める白黒写真。

 

 うわうわ。写真にうつるのは、大聖堂周辺を乱舞するドラゴン達だ。その真ん中に、カッと口をひらき今にもブレスを吐く直前のドラゴン。そして、空中でその首めがけ自分の身長よりも長い剣を振り下ろさんとする少女。一頭と一人の交わる視線。凜々しくて雄々しい表情。……自分でもちょっと格好いいと思ってしまった。

 

 この写真、状況から考えるに、おそらく現場はドラゴンの群と魔導騎士と陸軍が入り乱れ、ブレスと銃火器と魔法が乱れ飛んでいたのだろう。オレは覚えていないけど。そんな現場の直下で、こんな写真よく撮ったもんだな。新聞記者というのも命がけだなぁ。

 

 い、いや、問題はそこではない。写真の中のオレ、今と同じスカート姿だよ。それを地上から撮ってるから、スカートの中がやばい。細くて白いふとももの根元がギリギリまで……。

 

 これ、わざと危ないアングルを狙って撮ったのか? たとえ公国最大の新聞社といえども、公都の公序良俗を護る騎士としてこれは許せん。許せんぞ! 

 

 ……って、ちがう。おちつけ、オレ。真の問題はそこでもないぞ。最大の問題は、こんな写真があるということは、このオレが大聖堂をぶっ壊したというのは本当かもしれない、ということだ。

 

 

 

 

 

「……うん、お嬢ちゃん。オレが大聖堂こわしちゃったみたいだ。ごめんね」

 

 オレは幼女に謝る。頭を下げる。この幼女だけではない、公都市民全員に謝罪したい気分だ。しかし幸いなことに、少なくとも目の前の幼女はオレを責める気はなさそうだ。

 

「いいの。お姉ちゃんのおかげで公都はドラゴンから助かったって、おばあちゃんが言ってるわ」

 

 そうなの?

 

 おそらく幼女の祖母であろう老婦人の顔をみる。みるからに品の良いおばあちゃんが優しげに笑う。

 

「昨夜、公都の空を我が物顔で蹂躙するドラゴンどもの群を、私達は家に閉じこもりカーテンの影から震えながら見守るしかありませんでした。魔力で空を舞い剣でドラゴンを迎撃する魔導騎士様達の勇姿には、どれだけ勇気づけられたことか」

 

 ま、まぁ、それが騎士の仕事だしな。

 

「市民に死傷者がでなかったのは、そんな騎士の中でも最強の女性魔導騎士、……あなたが、自分を囮にしてドラゴンをおびきよせ大聖堂ごと一網打尽にしたからなんでしょ? 新聞にそう書いてあるわ」

 

 ん? そういう事になっているのか? オレやジェイボスが大聖堂に向かったのは、ドラゴンをおびき寄せるためというよりも、先にドラゴン達が大聖堂に集まっていたからその目的を探るためたっだような気がするが。その後、オレ達は逆にドラゴンに取り囲まれてしまい、そのあげくオレの記憶は途切れるわけだが……。

 

「た、たとえそうだとしても、結果として公都のシンボルである大聖堂が……」

 

「あんなものまた建てればいいのよ。どうせあの塔は先の大戦で帝国の軍艦の艦砲射撃で木っ端みじんにされたものを再建したばかりだし。……私達がドラゴンの犠牲にならなかったのは、あなたのおかげよ。ありがとう」

 

 おばあちゃんが丁寧に頭をさげた。

 

「ありがとう!」

 

 舌足らずな幼女もいっしょに頭を下げる。

 

 ふと周囲をみわたすと、多くの市民。通勤中のおじさんも、通学の女子学生も、新聞売りも、靴磨き屋も、皆いっしょにオレに対して頭をさげている。拍手をしてくれる人も居る。

 

 隣のジェイボスが、またしてもオレの頭にでっかい手をのせ、頭を撫でやがる。

 

 え、えへへへへへ。

 

 騎士になって約二十年。オレ、今日ほど騎士になって良かったと思ったことはないかも。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼

 

 その日の夜。公都の下町。善良な市民は決して近づかない治安の良くないあたり。

 

 公都の中心部方面を見れば、こうこうとした明かりが空に反射して眩しいほどだ。しかし、このあたりは薄暗い。電灯もガス灯もこのあたりにはほとんどない。月明かりに照らされた古い石畳はカビくさく、空気もよどんでいる。もちろん警察官なんて滅多にこない。

 

 そんなジメジメした狭いとおり、薄汚れた石壁を背に虚ろな目をした女が立っている。

 

 ねぇ、……どう?

 

 今日の客と見定めたのたのだろう、たまたま通りかかった男にそっと近づく。身なりが整った紳士の手を取る。そして、固まる。

 

 冷たい。男の手は、氷のように冷たかった。反射的に手を離そうとして、逆に握られる。凄まじい力。

 

 ひっ! 動けない。男の腕の力だけでは無い。とっさに見詰めてしまった男の目、人間とは思えない真っ赤な瞳に見詰められた瞬間、身体が動かなくなったのだ。

 

 鮮血のような瞳。ロウ人形のような白い肌。そして大きな二本の牙。

 

「あ、あんた、人間じゃ……」

 

「処女がよかったなどと贅沢をいうつもりはないが、もう少し上等な食事を楽しみたかったな。まったく、最近は警察や騎士団が五月蠅くて、こんな場末でなきゃ落ち着いて食事もできやしない。……とはいえ、おまえの身体は無駄にはしない。血だけじゃなく肉も骨まで喰ってやるから安心するがいい」

 

 恐怖に引きつり声も出せない女。その震える首筋に牙を突き立てようとした瞬間、男が顔をしかめた。

 

「動くな!」

 

 男の顔に強烈なライトの灯りが照らされたのだ。

 

 

 

 

 

「動くなと言っている。その女を離して手を上げろ! 撃つぞ!」

 

 ライトの逆光。男からは声の主が見えない。まさか騎士団か?

 

「ついに見つけたぞ、連続殺人鬼は貴様だな」

 

「張り込んでいた甲斐があったようだ」

 

 ……騎士団じゃない、公都警察だな。

 

 男が緊張を解いた。五人、みな銃をもっている。ふん、完全に取り囲まれたようだ。

 

「その目、牙、魔力、……まさか、貴様ヴァンパイアか」

 

 いまごろ気付いたのか? マヌケ共め。

 

 

 

 

 拳銃をかまえる警官達。唯一女性の警官が、一歩下がる。懐から別の銃をとりだし空にむけた。

 

「信号弾、うちます!」

 

 ヴァンパイアは極めて強力な魔物だ。公国に出現する魔物のなかでも、ドラゴンと並んで別格扱いだ。普通の警察官では太刀打ちできる相手ではない。

 

 ここ数ヶ月、公都を騒がす連続殺人鬼の捜査においては、早い段階からヴァンパイアの関与の可能性が疑われていた。したがって、もしヴァンパイアと遭遇した場合の対処について、事前に手はずが定められている。

 

 それが信号弾だ。決して小隊単位でヴァンパイアの相手はしない。照明弾により周囲に展開している他の警察部隊、あるいは特別に合同体制を組んでいる騎士団を呼ぶ。そして集団で取り囲むのだ。

 

「……まて。どうせこいつはただの操り人形だろう。我々だけでやれる」

 

「えっ?」

 

 信号弾を撃とうという手がとまる。なぜ手はず通りやらないのか。わけがわからない。しかし現場の指揮官の指示には従うしかない。

 

 

 

 

 ヴァンパイアは例外なく極めて強力な魔物だ。しかし、いわゆるヴァンパイアは、一種類ではない。この世界には二種類のヴァンパイアが存在する。『本物のヴァンパイア』と、彼らによって『操り人形』とされた存在だ。

 

 前者は文字通りのヴァンパイア。限りなく絶対不死に近い存在であり、人類にとって最強最悪の天敵といってもよい。

 

 一方で、後者はただ『本物』の命令を忠実にこなすだけの、言わば偽ヴァンパイアだ。力も知能も『本物』には遙かに及ばない。ゾンビの一種と言ってもよい。

 

 われわれ公都警察は、公国の自治体警察の頂点だ。公都の治安を守る誇り高き組織だ。しかし、今回の連続殺人鬼捜査においては、何度も犯人を取り逃がし、度重なる失態を重ねている。

 

 吹き上がる市民やマスコミからの批判。政府上層部からの圧力。公国騎士団による露骨な介入。崩れる面子。そして誇り。

 

 そうだ。操り人形でしかないヴァンパイアならば、私達だけで対処出来る。絶対にできる。

 

 指揮官は、口の中で何度も繰り返す。

 

 ここにいるのは公都警察の中でも精鋭だ。たとえヴァンパイア相手でも、騎士団などに借りをつくる必要はない!

 

 

 

 

「……おとなしくしろ。操り人形と言っても口をきく知能くらいは残っているのだろ? 貴様等の仲間のことを話してもらうぞ」

 

 警察官達はヴァンパイアの操り人形に銃を向ける。引き金を絞る。

 

 しかし……。

 

「ふ、ふふふ、はっはっはっは!」

 

 ヴァンパイアが笑い出した。まるで狂人のように声をだして笑い続ける。

 

「何がおかしい!」

 

「この私を捕まえるだと? 魔導騎士の連中ならばともかく、警察ごときが? 舐められたものだな」

 

 ヴァンパイアが女を離す。そして、一歩踏み出す。警官達の銃などまったく恐れていないかのように。

 

「抵抗するか!」

 

「ああ、抵抗させてもらう。だとしたらどうするのかね? 警察官のみなさん」

 

「なめるな!!!」

 

 パンッ!

 

 乾いた銃声が一発ひびく。逆上した若い警官が、警告なしでいきなり発砲したのだ。

 

 一般の警官がもつ拳銃にしては口径が大きすぎる特別製の銃弾が、至近距離から男の頭に直撃。顔の右半分が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 ヴァンパイアがもんどりうって倒れる。

 

 ぐっ、ぐわああああっ!

 

 悲鳴をあげ、大量の血や脳漿をまき散らしながら、地面でのたうちまわる。

 

「やった!」

 

「俺たち警察を舐めるからだ」

 

「……油断するな。やつらはこの程度では死なん」

 

 そう。普通の生物ならば、今の一撃で間違いなく即死しているはずだ。なのに、目の前の男は悲鳴をあげながら転げ回っている。まだ死んではいないのだ。

 

 

 

 

 警官達が固唾をのんで見守る中、ついに男が動きをとめた。うつ伏せのまま、上半身が痙攣をくりかえす。

 

「さ、さすがに、この様子じゃあ……」

 

「しまった! 死んでしまってはヴァンパイアの仲間についての証言を得ることができないじゃないか」

 

「でも、とりあえず連続殺人事件はこれでおわりでしょ? 市民も私たちも安心して眠れますよ」

 

 は、はははは。

 

 乾いた笑いとともに、警官達は胸をなでおろす。

 

「……えっ?」

 

 しかし、一瞬弛緩しかけた空気は凍り付いた。死んだはずのヴァンパイアが、向こうを向いたままゆっくりと上半身を持ち上げたのだ。地面に腕をつき、ぎくしゃくと立ち上がる。

 

 そ、そんな……。

 

 そして振り向く。そこには、つい先ほど半分吹き飛ばされた顔があった。いや、それは顔ではない。まるで握りつぶされグチャグチャに潰れたトマト。

 

 ひいぃ!

 

 そのトマトが、笑う。この世の物とは思えない壮絶な微笑み。

 

 半分ぶら下がった目玉が、ずるりと眼孔に引き戻される。はみ出した骨にこびり付いた真っ赤な肉の塊が、泡を吹きながらぐちゃぐちゃと膨らむ。しゅるしゅると血管が伸び、剥き出しの頭蓋骨を徐々に覆っていく。顔が再生しかけている。

 

 これがヴァンパイア……。

 

 全員があ然と見詰める中、指揮官だけがかろうじて声をだすことができた。

 

「な、何をしている。再生を完了するまでまだ時間がかかる。今のうちに封印するのだ」

 

 一人が踏み出す。公都警察の切り札、公王陛下から賜った宮廷魔道士製作のアンデッド封印用聖櫃を掲げる。

 

 えっ?

 

 男が消えた。常人の目では捕らえられない速度で動いたのだ。そして、指揮官が気づいたとき、手を伸ばせば届く距離に男が立っていた。

 

 目の前、ヴァンパイアの端正な顔が笑みを浮かべている。まるで普通の人間だ。

 

 か、顔の半分を吹き飛ばされて、もう完全に再生したというのか?

 

「おかえしをしなくちゃぁな」 

 

 男の手がのびる。動けない。その手が正面から顔を覆う。それでも動けない。そして……。

 

 ぐちゃ

 

 指揮官の顔が、真っ赤なトマトのように爆発した。その凄まじい握力だけで、握りつぶされたのだ。

 

 

 

 

「た、隊長!!」

 

「こいつ、本物だ。本物のヴァンパイアだ。ただの操り人形とは違う。捕らえるのは断念する。全員、撃て、撃ちまくれ!!」

 

「信号弾もうて はやく!」

 

「は、はい」

 

 女性警官が改めて信号弾を空に向ける。撃つ。

 

 甲高い音をならしながら空に昇った信号弾が、真上で炸裂する。公都の空がほんの一瞬、小さな光に照らされる。

 

 同時に、警官全員が拳銃を発射する。

 

 パン、パン、パン

 

 この距離ならば外さない。……だが、当たらない。

 

 おそい! 

 

 暗闇の中、人間の目では追うことすらできない速度でヴァンパイアが走る。ほんの一瞬触れられただけで、警官が血だるまにになる。肉片に変わる。

 

 

 

 

 あっ、あっ、あああ。

 

 女性警官は悲鳴もあげられない。

 

 あっという間に、残っているのは彼女だけとなった。ヴァンパイアが悠然と近づく。

 

 く、くるな!

 

 尻餅をつきながら、ずるずると後ずさりしながら、それでも必死に目の前に拳銃をむける。震える指で引き金をしぼる。ヴァンパイアが、その銃口を右手の平で塞ぐ。

 

「撃ってみろ」

 

 ぱん!

 

 ゼロ距離から発射された弾丸は、男の手の平から腕を引き裂いた。それだけではない。弾丸が貫通した腕が、煙を発しながら溶けおちる。彼女の拳銃には、銀の弾丸が装填されていたのだ。

 

 こ、この弾なら、再生は……。

 

「そうだな。銀の弾丸は、威力は弱いが再生にちょっとだけ時間がかかる。……でも、腕はもう一本あるんだよ」

 

 男の左腕が銃を掴む。人間とは思えない握力で、拳銃を奪い取る。

 

「再生するといっても、痛くないわけじゃない。だが、……処女の血を吸えば、おつりが来るさ」

 

 拳銃をもったままの左手一本で、女性警官を抱き寄せた。

 

「君は、オレの血肉になるだけでなく、オレの操り人形にしてやるよ。公都警察の中に手下がいると、いろいろと便利そうだ」

 

 あっ、あっ、あっ。

 

 逃げられない。ヴァンパイアの腕力のせいだけではない。真っ赤な目に見詰められ、身体に力がはいらない。まったく動かない。信じられないほど大きな牙が首筋に近づく。白い肌に触れる。

 

 

 

 

「まて!」

 

 ヴァンパイアの目の前、空から小さな影が降ってきた。それは、まったく音も無く着地する。

 

 なんだ?

 

 目をこらす。人? 黒髪の、……少女? ま、まさか魔導騎士? くそ、さっきの信号弾か!

 

「ヴァンパイアか……。このお子様幼女ボディの能力を試すには、格好の相手だな」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼 その02

 

 

「ヴァンパイアか……。この身体の能力を試すには、格好の相手だな」

 

 目の前に音も無く空から降ってきた少女。自分をヴァンパイアと知っていてなお、まったく恐れることなく微笑んでさえいる。

 

「ただのガキ、……じゃなさそうだな。魔導騎士か」

 

 小さな少女だ。どうみても中学生くらい。だが、黒いマント、黒いシャツ、膝丈のスカート、確かに公国騎士団魔導騎士小隊。その恐るべき魔力と剣をもって、公国に出現する魔物狩りに特化した武装組織。多くの魔物にとって天敵ともいえる存在として知られている。

 

 だが、自分はヴァンパイアだ。ただの魔物とは違う。いかに魔導騎士といえども、私の敵ではないはずだ。

 

「……魔導騎士といっても、所詮は人間だろ? オレの血肉になってもらうぞ」

 

「やれるものならやってみろ。……これだけの人間の命をもてあそんだんだ。覚悟はできているんだろうな」

 

 可愛らしい顔、鈴を転がすような声をしているくせに、平然とそう言い放つ。その大人を舐めきった態度がしゃくに障る。背中には長すぎる剣を背負っているものの、鎧すらみにつけていない。ヴァンパイアを舐めているのか?

 

「覚悟? 乳臭いガキの血でも好き嫌いせずに飲み干す覚悟なら、できているよ」

 

 言うと同時に、ヴァンパイアは抱きかかえていた女性警官の身体を、ウーィルめがけて投げた。

 

 女性とはいえ人間ひとり分の質量を、まるでぬいぐるみのよう片手一本で軽々と投げ飛ばす。ウーィルは、ほんの最小の動きでそれを避ける。そして、消えた。

 

 

 

 

 ヴァンパイアの腕力で投げ飛ばされた女性警官は、凄まじい速度で迫るレンガの壁を見た。この速度では受け身すら取れない。だが、死を覚悟し目をつむった次の瞬間、自分の身体がフワリとなにかに受け止められたのを感じた。

 

 水?

 

 空中に水の塊。訳がわからない。彼女の肉体は巨大な水滴に横から突っ込み、その勢いを減じた。そして落下。

 

 ずぶ濡れの彼女が目を開けると、男に抱きかかえられていた。目の前で優男が微笑む。

 

「大丈夫ですか? お嬢さん」

 

 優男は、公国魔導騎士ブルーノ・クアドロスと名乗った。水の魔法で彼女を受け止めたらしい。最初にヴァンパイアに襲われた女も、彼の足元にいる。

 

「き、騎士団? 魔導騎士? 助けて! おねがい、仲間がみんなあいつに。私が、私が、はやく信号弾を撃たなかったから……、私が……」

 

「落ち着いて! 誰のせいでもありません。……あなただけでも助けられてよかった」

 

 騎士ブルーノがそっと抱きしめる。深呼吸を三回。それだけで彼女は警官としての自分を取り戻した。

 

「ご、ごめんなさい。もう大丈夫。……あ、あの少女も騎士なの? でも、相手はヴァンパイア。本物よ。危険だから逃げるように言って!」

 

「心配いりません。我々は公国魔導騎士、ヴァンパイアごときに遅れはとりませんよ」

 

 

 

 

 

 

 女性警官を弾丸かわりに投げ飛ばしたヴァンパイアは、それがウーィルに命中する前に動いた。

 

 人間を遙かに超越した身体能力をもって、まっすぐに突進。まだ空中にある警官の身体の後ろから、ウーィルの顔面めがけて拳をたたき込む。

 

 相手はただの警官ではない、騎士だ。魔導騎士にだけは油断しないよう、あの方にもきつく指示されている。だから初めから全力で殺しにいく。……だが、渾身の力で振り抜いた拳は空を切った。

 

 消えた?

 

 月明かりの下、少女がいたはずの空間に闇だけが残る。きこえるのは風の音だけ。

 

 下か!

 

 足元に潜り込まれた。少女の小柄な体躯を視認する前に、真下から何かが爆発的に吹き上がる。ウーィルがヴァンパイアの顎を蹴り上げたのだ。

 

 ウーィルはもともと自他共に認める剣士であるが、剣による闘いにこだわってはいない。むしろ接近戦においては、自分の肉体も含めありとあらゆる物を武器として闘うことが、少女の姿になる前からの彼の性分だ。もともと得意だった魔力による筋力ブーストと、それに加えて少女の身体の人間離れした反応速度をフルに活かした蹴りが、ヴァンパイアの顎を下から撃ち抜いた。

 

 ヴァンパイアの端正な紳士面が、情けなく後ろにひっくり返る。

 

 

 

 

 騎士ブルーノに抱かれたままウーィルの闘いを見ている女性警官、かろうじてウーィルの動きを目で追うことができた彼女は、あまりの出来事に目を見開く。

 

 凄い! 何という速さの蹴り。私達が手も足も出なかったヴァンパイアの身体能力、それに真っ向から対抗できるなんて……。

 

 しかし、騎士とヴァンパイアとの闘いはそう簡単には終わらなかった。普通の人間なら、それがたとえ屈強な軍人であっても間違いなく一撃で昏倒するはずの蹴りを喰らってなお、奴は平気だった。絶対不死、最強最悪の人類の敵対種、それがヴァンパイアなのだ。

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼 その03

 

 

 ウーィルの蹴りにより後ろにひっくり返ったヴァンパイアの身体が、ぴょんっと飛び跳ねた。一瞬で垂直に立ち直る。ふたたびウーィルと正対する。

 

 一度だけ目玉がくるりと周るが、もとどおりの端正な顔。驚いてはいるのだろうが、しかしそれだけだ。まったく平気。少女はそのまま距離をとる。

 

「うんんん、ちょっと効いたかな。さすが魔導騎士、魔力で反射速度を強化しているのか? ……ちがうな。空気抵抗も慣性すらも無視したその動き。まさか、時間や空間を操る魔力とでもいうのか?」

 

「……さあな、この身体の能力についてはオレが聞きたいよ。なんにしろ、剣を使うまでもないとは、手応えがなさ過ぎるぞ」

 

「ほざけ。たとえ空間を操る魔力だろうと、私からみればちょっと素早いだけだ。そんな蹴り、ヴァンパイアにはきかないなぁ」

 

 わざとらしい挑発の直後、彼はふたたび前にでる。ウーィルにむけて腕を伸ばす。まったく無造作な動き。しかし、その速度はさきほどのウーィルの蹴りにも匹敵した。

 

 目の前にせまる拳。ウーィルは身体を後ろに倒して避ける。そして、腕をつかむ。飛びついて、足を絡める。

 

 

 

 

「か、関節技?」

 

 生き残りの女性警官が叫んだ。

 

 ウーィルは倒れながら腕の関節を極める。体重をかける。身長が倍もあるヴァンパイアが、コロリと転がる。

 

 くっ!

 

 ぼきっ!!

 

 一切躊躇することなく、ウーィルはそのままヴァンパイアの腕を折った。肘の関節そのものを逆に曲げた。闇夜の中、半ばめくれ上がったスカートからはみでた足の白さがなまめかしい。

 

「ぐわぁ」

 

「……オレはヴァンパイアにはちょっと詳しいんだ。おまえ、見たところヴァンパイア化してせいぜい五年目の若造だろ? これ以上痛い思いをしたくなかったら、さっさと降服した方がいいぞ」

 

 男の腕に絡みついたまま、少女がつまらなそうにつぶやく。

 

 

 

 

 

「人間風情がぁ! なめるなぁ!!」

 

 ヴァンパイアはまたしても立ち上がる。力尽くでウーィルが極めたままの腕を持ち上げ、振り回す。

 

 うそ!

 

 格闘技の心得がある警官が悲鳴をあげた。

 

 あんなことをすれば、腕が……。

 

 ぶち!

 

 関節が逆に曲がった腕が、完全に千切れる。自らの力で引きちぎった腕を、ウーィルごとぶん投げた。

 

「……へぇ、やるじゃん。それでこそヴァンパイアだ」

 

 平然と着地したウーィルが、スカートについた泥を落としながら微笑んでいる。自らの足元にある千切れた腕を、ブーツの踵で踏みつけながら。

 

 

 

 

 くんくん。

 

 ヴァンパイアが、自分の腕の千切れた肘の部分を自分の顔に近づける。すでに半ば再生しかけているその部分を、わざとらしく臭いを嗅ぐ。

 

 いったい何をしているんだ?

 

「へー、この臭い。……魔導騎士、おまえ処女だろ?」

 

「へっ?」

 

 ウーィルは、一瞬なにを言われたのか理解できなかった。数秒間、口をひらきポカンとするだけだった。

 

「技をかけられた瞬間にわかった。私は感触と臭いで処女を見分けられるのだよ」

 

 ドヤ顔でかたるヴァンパイア。

 

 そして三秒後、ウーィルの表情が劇的にかわった。魔物が何を言っているのか、やっと理解できたのだ。顔を真っ赤にして叫ぶ。

 

「うううううるさい。うるさい。うるさい。おまえには関係ないだろ。この身体は十六歳なんだから、あたりまえだ!」

 

 

 

 

 もともとウィルソンは、人とのコミュニケーション能力に問題があった。とりわけ異性が苦手だった。亡くなった妻と出会えたのは奇跡以外のなにものでもないと、今でも思っている。要するに、いい歳をして純情なおっさんなのだ。

 

 そんな純情おっさんの魂が、うら若い少女の身体にやどっているのだ。ヴァンパイアの下品な下ネタひとつだけで顔が真っ赤になり、挙動不審になってしまうのも、仕方がない。

 

「へぇ、……いい臭いだ。たまらない」

 

 ヴァンパイアは、そんなウーィルの様子が面白いらしい。ニヤニヤしながら、わざとらしく自分の腕の臭いを嗅ぎ続ける。

 

「やめろ! 嗅ぐな」

 

 その異様な光景に、少女が震えながらのけぞる。

 

「ばかやろう。へんたい! やめろ! やめてくれ」

 

 いつのまにか、ウーィルは涙目になっていた。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼 その04

 

「ば、ばばばばばかやろう。へんたい! 臭いを嗅ぐな! 嗅がないで!!」

 

 うわぁ、変態だ。変態が目の前に居る。変態のセクハラ野郎がこんなに気持ち悪いとは、この身体になるまで気付かなかった。

 

 ウーィルは自分で自分に驚いている。……なぜ、オレは半べそをかいているんだ? これじゃぁ、外見だけじゃなく中身まで少女になってしまったみたいじゃないか。

 

 

 

 

 驚いているのはウーィルだけではない。同僚ブルーノも同様だ。

 

 彼の記憶の中のウーィル、騎士の同僚としての彼女は、すくなくとも任務中はこんな少女っぽさ微塵も見せたことがなかった。

 

 両親を早くに亡くし、妹のために騎士として必死に働く少女。尋常ではない剣の腕と魔力、そしてドラゴンやヴァンパイアを前にしても決してひるまない胆力。その凜々しい姿には神々しささえ感じる。

 

 一方で、かつて同僚だったウィルソン先輩の血だろうか。彼女は、幼馴染みであるジェイボス以外の同僚とは、ほとんど無駄話をしない。他人とのコミュニケーションが得意な方ではない。

 

 それでいて、他人のイヤがる地味で面倒くさい仕事を淡々とこなす。まるでおっさんのように口ぶりで『やれやれ仕方が無いなぁ』などと嘆きながらも、同僚へのさりげない気遣いややさしさを決して忘れない。気が荒く常にささくれだった連中ばかりの小隊の中、彼女の存在は特別だ。魔導騎士小隊のキーマンと言って過言ではない。

 

 ウィルソン先輩がいたころは、彼がそうだった。無口で無愛想だが頼りになるおっさん。その先輩が殉職したとき、隊長をはじめとする隊員達の嘆き様はそれは凄まじいものだった。だが、今は娘であるウーィルがそれを引き継いでいる。小隊の同僚達はみな、彼女に特別な敬意を払いつつ、同時に自分の娘のように大切に扱っている。彼女自身はいまいちそれを自覚していないようだが。

 

 だから、騎士団一のプレイボーイを自認するブルーノも、決してウーィルには軽々しく手をだしたりしない。せいぜいが冗談で口説いてみる程度だ。任務においても、さりげなくサポートすると決めている。

 

 そんな『仕事ができるおっさん』のようなウーィルが、まるで小娘のように真っ赤になって半べそをかいている。ブルーノの記憶の中では、こんな彼女は初めてだ。その新鮮な姿が彼の琴線にふれた。

 

 もっとウーィルについて知りたい。そして、護ってやりたい。

 

 ブルーノにとって、女性にこんな感情を抱いたのは初めての経験だった。

 

 

 

 

「ウーィル、どいてください。その変態、私の魔法で黙らせてやる」

 

 同僚ブルーノが、いつになく真面目な口調だ。オレの記憶の中のこいつは、戦闘中でも常に優雅にふるまおうとするキザでイヤミな野郎だったはずだが。

 

「……大丈夫だよブルーノ。全世界の女性の敵、変態ヴァンパイアは、オレが自ら天誅をくだしてやるよ」

 

 狼狽から我に返ったウーィルが不敵に笑う。ヴァンパイアの顔色が変わる。

 

「なめるなよ、小娘」

 

 

 

 

 三度、ヴァンパイアが突進する。完全に再生したばかりの腕を伸ばす。

 

 対峙したウーィルは、剣をかまえた。上段。鞘に入ったままの剣を天に振りかざす。

 

 鞘のまま? 舐めているのか?

 

 ウーィルは、その場で振り下ろした。

 

 その勢いで、鞘がとぶ。まるでミサイル。凄まじい速度で正面から迫る。

 

 なに?

 

 しかし、……ヴァンパイアの顔面直前、それは停止した。再生したばかりの腕、親指と人差し指だけで、飛来した鞘をつまんだのだ。

 

「たしかに不意はつかれたが。残念だったな、……えっ?」 

 

 目の前の鞘から視線をあげた先、騎士はいなかった。そして、足元から何かが凄まじい速度で吹き上がる。

 

 また、下か? 同じ手を何度も!

 

 しかし、地面から吹き上がったのは、白く細い脚ではなかった。地面からまばゆい光の筋が走る。一閃した直後、彼の腕がなくなっていた。

 

 

 

 

 鞘を飛ばした瞬間、ウーィルの精神にスイッチが入った。自分でも何が起こったのかよくわからない。周囲のすべてが、もちろんヴァンパイアも含めて、スローモーションになる。

 

 同時に走る。騎士として、剣士としての本能。鞘を追い越す速度でヴァンパイアの懐に入る。

 

 至近距離から放たれた凄まじい速度の鞘を軽々と受け止めたヴァンパイアの身体能力は、たしかに人間離れしている。しかし、今のウーィルから見れば、単なるスローなおっさんに過ぎない。

 

 虹色に妖しく光る愛剣を、足元から振り上げる。まるで手応えなく簡単に断ち切られた腕が、ゆっくりと飛ぶ。信じられない量の鮮血が噴き出す。

 

 

 

 

「い、いまのなに? なにも見えなかったわ! 剣? 剣を振ったの?」

 

 あまりに現実離れした光景に、たまらず女性警官が座り込んだ。その気持ちはブルーノにもわかる。魔導騎士である彼にさえ、ウーィルの剣は見えなかったのだ。

 

 その剣により腕をおとされたヴァンパイアも同じだ。ポカンと口を開け、唖然とした表情のまま、肘から先がなくなった自分の腕と噴き出す鮮血を眺める。だが、それでも彼はヴァンパイアだ。すぐに平静を取り戻す。

 

「む、無駄だ。私は絶対不死のヴァンパイアだぞ。なんど斬ろうと腕などすぐに再生する」

 

 彼の言うとおり、すでに腕は再生を始めている。肘の切断面からグチャグチャと肉が盛り上がり、徐々に腕の形になりつつある。

 

 

 

 

 しかし、勝ち誇ったその顔は、一瞬で歪んだ。

 

 ヴァンパイアの視線が、意思に反して下に落ちる。

 

 なんだ? なにが起きた。

 

 自分で自分に何が起きたのか理解できない。自分の視線が勝手におちる。地面におちる。目の前に二本の脚がある。自分の脚だ。

 

 ここにいたって、彼はやっと気付いた。彼の上半身が、……上半身だけが、地面に滑り落ちている。いつのまにか、腰から上半身と下半身が切断されている。少女がふたたび足元に潜り込み、剣を横に薙いだのだ。

 

「む、む、無駄だといっているのに!」

 

 上半身だけで地面を這いずりながら、ヴァンパイアが叫ぶ。腰から下半身が再生しつつあるが、目の前の少女の顔をした悪魔からは逃げられない。

 

 ふたたび剣が振り下ろされる。袈裟懸けだ。上半身が肩から斜めに両断される。

 

「む、む、む、むだなんだよ。やめろ、やめてくれ!」

 

 上半身のそのまた半分だけでのたうつ情けない姿。しかし、ウーィルは容赦しない。再び右腕を斬る。左腕。そして首。バラバラの肉片に切り刻まれていく。

 

「再生力よりもはやくバラバラにすればいい。簡単なお仕事だな」

 

「やめてーー!」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と下っぱ吸血鬼 その05

 

 

「ウーィル、あぶない!」

 

 ヴァンパイアの不死身の肉体を、その再生力よりもはやくバラバラにしていくウーィル。

 

 その背後、ブルーノが叫んだ。ウーィルの死角、ついさっき関節技で引きちぎられた腕が、単独で動いているのだ。警官から奪い取った拳銃をウーィルに向ける。

 

 パンッ!

 

 乾いた音が反響するた。引き金が引かれたのだ。

 

 キンッ!!

 

 同時に金属音。振り向きざま、ウーィルが拳銃の弾を剣で斬ったのだ。

 

「拳銃なんてせいぜい音速以下の小さな金属片が飛んでくるだけだからねぇ。不意打ちでもない限り斬るのは簡単だよ」

 

 

 

 

「……うそ! ま、ま、魔導騎士って、みんなそうなの?」

 

 女性警官が絶句。そしてブルーノに問う。

 

「魔法で銃を無効化するくらいなら、僕もできますよ。もっとも、発射された弾を剣で斬ってしまうなんてまねは、彼女しかできませんが」

 

 言いながら、実はブルーノも舌をまいている。小隊の隊員全員、確かに演習では銃を持った敵を相手に似たような事はやっている。しかし実戦で、しかも今のはほぼゼロ距離からの不意打ちだ。それをやすやすと斬るのか。彼女の剣は、すでにウィルソン先輩を超えているんじゃないか?

 

 

 

 

 い、い、今のは切り札のつもりだった。それすらも、この少女騎士には通じないのか。

 

 ついに首だけになったヴァンパイア。口をパクパクさせながら、必死に声をだす。

 

「なななななんだ、オマエ。その反射速度は? 本当に魔力で空間を歪ませているのか? 鋼鉄の船が大洋をわたり、飛行機が空を飛ぶこの科学技術の世の中で、非科学的なことやってるんじゃねぇよ」

 

「その科学万能の時代にのこのこと現れた自称絶対不死のヴァンパイアが、何を偉そうに」

 

 淡々と彼の肉体を切り刻むウーィル。頭が、下半身が、腕が、足が、バラバラにされる。その肉片が集まり再生するたび、再びバラバラにされる。

 

「や、やめろ! 私は、真祖様にヴァンパイア化された由緒正しいヴァンパイアだ。人間共が文明を発展させる前から世界の支配者なんだぞ」

 

「変態のくせにえらそうな口をきくなと言っている。……さっきも言ったろう? オレはヴァンパイアにはちょっと詳しい。おまえがただの下っ端なのはわかってるんだよ」

 

 かろうじて残っている顔半分がさけぶ。懇願する。

 

「ま、まて。私はたとえ灰になっても再生する。無駄だ。いい加減あきらめろ。あきらめてくれ」

 

 しかし、ウーィルはきかない。

 

「灰も残さないよ。なんのために魔法使いがいっしょに来ているとおもう?」

 

 目の玉だけを必死にむけた視線の先、もうひとりの魔導騎士がいた。青年騎士は、すでに魔法陣を展開している。あれは氷結の魔法? しかも、なんという凄まじい魔力。この少女の剣は、この魔法陣を展開する時間稼ぎだったというのか。

 

「……眠くなってきた。さっさと終わらせようぜ、ブルーノ」

 

「そうですね」

 

 アクビしながらつまらなそうに剣をふるう少女。それを優しげに見守る魔法使い。発動寸前の巨大魔法陣の光を浴びながら、ヴァンパイアは声もだせない。

 

 この私が、どうしてこんなことに。氷に封じられては再生できない。すでに手足もない。に、にげ、られない。

 

 

 

 

 

 

「ま、まって。おねがい。……仲間が犠牲になったの」

 

 女性警官が、剣を振るうウーィルに哀願する。

 

 ウーィルは動きをとめた。

 

 公都警察の面子を立てて欲しいということか?

 

 横に居るブルーノが頷く。正面で戦ったウーィルの意思を尊重するというのだ。

 

 ふむ。 ……わかった。警察が封印はできるのか?

 

「こ、この聖櫃に封印して本署に持ち帰れば、……奴らの仲間について必ず証言させるわ」

 

 

 

 

 

 この世の物とは思えないほど血まみれの現場に、多くの警官と数名の騎士が集まっている。魔導騎士小隊の任務はとりあえず終了だが、公都警察の仕事はこれからが本番だ。連続殺人事件の後始末とヴァンパイアの扱いについては、面子をかけている警察に任せておけばいいだろう。

 

 警官達が殺された現場、女性警官が多くの警官に囲まれながら聴取されている。地面に座り込み、その様子をボーッと眺めているウーィル。本当に眠いのだろう。アクビ半分、小さな身体はゆっくりと船をこいでいる。

 

「未成年はもう寝る時間です。ウーィル、帰りましょう」

 

 ウーィルとブルーノも警察の事情聴取をうける必要があるだろうが、こちらは助けてやった側だ。明日にでも連中の方から駐屯地まで話を聴きにくるだろう。

 

「いや……、もう少しここにいる」

 

 目をこすりながら、ウーィルは答えた。

 

「あの変態ヴァンパイア、封印が完全かどうかを確認したい。それに警察も、偉いさんはオレ達を煙たがるだろうが、現場の連中は仲間の最後についていますぐ話をききたいんじゃないかな。現場検証やら事情聴取やらもうしばらく付き合ってやろうよ。あの女性警官ひとりじゃ荷が重そうだ」

 

 ……ウーィルらしい。

 

 ブルーノは、まったく意識しないままウーィルの頭に手をのせていた。まるで幼い子にするように頭を撫でていた。

 

「な、なにをするんだよぉ」

 

 やってしまってから、そんな自分に驚いた。しかし、ブルーノはやめる気にはならなかった。

 

「まぁ、いいじゃないですか。お疲れ様でした、ウーィル」

 

 ウーィルも、ブルーノの手を振りほどこうとはしない。

 

 ……そういえば、ジェイボス君がよく同じ様にウーィルの頭をなでていましたね。今なら、こうしたくなる彼の気持ちが理解できます。

 

「あ、ああ、お疲れ。まだ終わってないけどな。……おまえ変な奴だな、ブルーノ」

 

「ははは。まさに今、それを自覚してるところです」

 

「?」

 

 



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美少女騎士の妹と公王太子殿下

 

 

 公都郊外。全寮制の名門ハイスクール。

 

 ランチの後、一年生のメル・オレオは、寄宿舎同室のクラスメイトと談話室にておしゃべりの時間を楽しんでいた。

 

 ……この表現は正しくはない。

 

 正確には、おしゃべりしているのは一方的にクラスメイトの側のみ。メルはといえば、気もそぞろで上の空だったのだ。

 

 気になるのは、先週末のこと。実家に帰った際に久しぶりに会った姉のことだ。

 

 

 

 

 おねえちゃんの様子がおかしかった……。

 

 『おねえちゃん』とは、もちろんひとつ年上の姉『ウーィル・オレオ』のことだ。

 

 姉は、私よりもちっちゃい。見た目だけなら幼女といってもいい。そして可愛らしい。

 

 しかし、性格はといえば、見た目とは大違い。よくいえば落ち着いている。いつもぼーっとしている、とも言える。華やかさとかかしましさとかは全くの無縁、年頃の女の子とはとても思えない。端的に言って、外見は少女だが中身はおっさんくさい女だ。

 

 そんなおねえちゃんは、私たちの両親が亡くなったとき、きっぱりと自分の進学をあきらめた。亡き父からついだ剣の腕を活かして、そのまま魔導騎士になった。私を養うために、だ。

 

 いまでは、公都市民なら誰もが知る公国史上最年少にして最強の騎士だ。ドラゴンにだってヴァンパイアにだって絶対に負けない、すごいおねえちゃんなのだ。

 

 そんな自慢の姉の様子が、……おかしかった。

 

 たしかに、おねえちゃんは間の抜けている時がある。仕事以外の日常では、間が抜けているときの方が多いと言ってもいい。

 

 でも、先日のおねえちゃんのマヌケっぷりは、いつものマヌケ具合とは違った。寝ぼけていたというか、記憶が混乱して自分がいったい誰なのかわかっていないみたいだった。……まるで、目覚めたら自分が自分じゃなくなっていたかのような。

 

 

 

 

「えーと、メル・オレオさん」

 

 メルに話しかける声。しかし彼女には聞こえない。メルは腕組みをして考え込んでいる。いつの間にやら周囲の声など何も聞こえなくなっている。

 

 ……直前のドラゴン撃退の任務で、おねえちゃんに何かあったのだろうか? 大聖堂こそ破壊されたが、……いや、おねえちゃんがぶっ壊してしまったが、それ以外に大きな被害はなかったと新聞には書いてあったけど。

 

 おねぇちゃんの同僚のジェイボスさんに聞いてみようか。

 

「メル・オレオさん、きいてますか!」

 

 ……ていうか、あの日いらい、私もちょっとおかしいような気がするのよね。

 

 何がどうおかしいのか自分でもわからないけど、なんか記憶の順番がおかしいような。幼い頃から昨日までの出来事を思い出そうとすると、……特に私とお姉ちゃんとお父さんに関する記憶の中に、小さな違和感がたくさんちりばめられているような気がしてならない。

 

「メ、メ、メル・オレオさん、お願いです。ちょっとでいいので時間をいただきたいのですが……」

 

 ……強いて言葉として表現すれば、あの日を境に過去と現在の記憶の断絶があるような。いやもっと端的にいえば、あの日以来、過去の特定の記憶と歴史が書き変わったかのような……。

 

 これは、……もしかして魔法? 広範囲の人の記憶を混乱させる魔法なんて、聞いたことないけど。

 

「メル!」

 

 ひとりでブツブツうなっていたメルの肩がたたかれた。ビックリして顔をあげれば、さっきまでおしゃべりをしていた相手、クラスメイトのレンだ。

 

「ほらほら、同級生のルーカス殿下が、君に話があるみたいだよ」

 

「えっ?」

 

 レンが促す方向みれば、目の前に少年がいた。

 

 メガネ。長い耳。線が細い美少年。……ルーカス殿下?

 

 さっきから私の名を呼んでいたのは、殿下だったのか。

 

 

 

 

 ここは公国一の名門ハイスクールだ。旧貴族やお金持ち、外国からの留学生など、生徒達はいいところのお坊ちゃまお嬢ちゃまばかりである。だが、殿下はその中でも別格中の別格の存在だ。

 

 公国は立憲君主国であり、国家元首は公王陛下。ルーカス殿下はその息子。すなわち公王太子、次期公王陛下なのだ。

 

 ルーカス殿下が凄いのはその血筋だけはない。成績は学園一のぶっちぎり。同年代の市民とともに学ぶことが重要なのだという陛下の方針の下、普通にハイスクールに通わされているものの、すでに国立大学の研究室にも籍がある。なんと物理学の学位までもっている正真正銘の天才だ。

 

 また、陛下の補佐としてすでに国政の中枢に関わり、内閣や議会からの信頼も厚い。もちろん国民の人気も高い。そのパーフェクトっぷりは、まるで異世界から転生したようだとも言われる。

 

 そのルーカス殿下が、私の前にいる。なにか言いたげに、はにかんだような表情で。……私、どれくらい殿下を無視していたんだろ?

 

「は、はい。なんでしょう、殿下」

 

 私が返事をすると、ルーカス殿下はホッとしたように微笑んだ。……その笑顔の破壊力たるや! なんて可愛らしい!!

 

 殿下のお母様、すなわち亡き公王妃殿下は、エルフ族だった。つまり、殿下はハーフエルフだ。

 

 エルフの特徴である長い耳。整った顔立ち。そのうえ、輝くような金髪。理知的なメガネの奥の、見つめると吸い込まれそうな深緑の瞳。

 

 あいかわらお美しい。ここまで完全無欠の美少年って、世界でも殿下ひとりだけだろうなぁ。

 

「え、え、えーと、ミス・オレオ、さん。わ、わたしのお話を、きいていただきたいのです、が……」

 

 ……だが、完璧超人である殿下だけど、弱点がないわけじゃない。

 

 まず、身体が細すぎる。いや、身体だけではなく、全体的な印象として線が細いくて華奢。公王太子という仕事は過酷だろうに、あれで体力や精神力がもつのだろうか。

 

 それからもうひとつ。

 

 ひとつひとつの仕草というか、ふとした立ち居振る舞いが、いちいち女の子っぽいのだ。

 

 今も、ちょっとおどおどしながら上目遣いで私の顔を覗き込む仕草といったら、もう、母性本能を刺激しまくり。抱きしめたくなるくらい!

 

 わたし的には決して弱点ではないと思うのだが、公王太子として男らしさが足りないことを批判する人もいる。ていうか、決して少なくない。特に一部の保守系マスコミや旧貴族達。この学園は旧貴族が多いので、校内でも。

 

 ……バカバカしい話だが、もし殿下が本当に転生者だというのなら、前世は女の子だったにちがいない。

 

「あ、あのー、ミス・メル・オレオ。私の話をきいていますか?」

 

「は、はい。聞いてますよ、ルーカス殿下さま!」

 

「クラスメイトなんだから、『さま』はやめてください。……えーと、君のお父さ、……ではなくて、お姉さんは、たしか、公国騎士、だったと思うのだけど……」

 

 殿下がおねえちゃんの事を知ってる?

 

 公国騎士団は公王陛下直属の組織だ。中でもウーィルおねぇちゃんは魔導騎士で、エリート中のエリートだ。公王太子殿下と直接知り合いであっても決しておかしくないかもしれない、が。

 

「え、ええ。姉は公国騎士です。魔導騎士をやってますが、……それがなにか?」

 

 殿下は、慎重に慎重に言葉を選びながら、問いを続ける。

 

「あの、騎士オレオは、その、えーーと、……ご無事ですか?」

 

 は? 意味がわからない。

 

 目の前の、秀才おぼっちゃん殿下は何を言っているのだろう?

 

「え、ええ。週末に家に帰ったときは『無事』でした。……ドラゴン退治の後のせいか、ちょっとおかしなことを言ってたことをのぞけば、まぁ普通の様子でしたけど……」

 

 もしかして殿下は、お姉ちゃんがドラゴンを撃退した張本人だと知っていて、心配してくれたのだろうか。

 

 メルは、姉を誇らしく感じた。

 

「そ、そうですか。……さすが、ウーィル」

 

「ええ、そもそもウーィルおねぇちゃんにとって、ドラゴン退治ははじめてじゃないし。小型ドラゴンなんて敵じゃありませんから!!」

 

 って、あれ?

 

 言ってから気付いた。お姉ちゃんって、騎士になってから、まだ数年くらいのはず、……だよね。ドラゴンと戦ったことなんて、そんなにあるわけないのに、どうして私はそう思ったんだろ? お父さんじゃあるまいし。

 

 メルは自分の記憶があいまいな事を自覚する。

 

「ミ、ミスオレオ、どうしました? おかしな顔をして」

 

「……い、いえ、なんでもありません。と、とにかく、姉は元気でしたよ」

 

「それは、よかった」

 

 心底ほっとした表情の殿下。このプリンス様は、お姉ちゃんのこと、何か知っているのだろうか?

 

「あ、あの。ルーカス殿下は、姉をご存じなんですか? 一介の騎士ですが」

 

「え、ええ。……よーく知っています。『あの人』は、幼い頃から私の憧れの騎士でした。そして、ドラゴンから救ってくれた命の恩人でもあります」

 

 へぇ。さすがおねえちゃん。さすが最強の公国魔導騎士。公王太子殿下にここまで言われるとは、我が姉ながら誇らしい。

 

 ……って、あれ? しつこいようだが、姉は騎士になって数年のはずだ。殿下が幼い頃に、おねえちゃんが騎士だったはずがないのだ。いったいぜんたい、どうなっている?

 

「……騎士ウーィル・オレオには、いずれ正式にお礼をさせていただきたいと考えています。お姉様によろしくお伝えください」

 

 頬をすこしだけ赤く染め、うつむきながら恥ずかしそうに頭を下げる殿下。

 

「ええ? お礼、ですか? 殿下が、一介の騎士でしかないお姉ちゃんに?」

 

 まったくもって、わけがわからない。

 

 だが、メルが問いただす前に、殿下は走り去ってしまったのだ。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と魔導騎士小隊 その01

 

 オレが少女の姿になって数日後。

 

 公都中央。公国騎士団駐屯地の一角、魔導騎士小隊詰め所。いつも通りジェイボスともに出勤したオレがこの職場に到着したのは、例によって遅刻ギリギリだった。

 

「うっす」

 

 ジェイボスのいつも通りの低い声がひびく。仏頂面のうえ、まったく愛想のない口調で悠々と部屋にはいる。あらためて思うのだが、こいつ魔導騎士小隊の中では若造のくせに、ホント偉そうだよな。

 

「おはよう、……ございます」

 

 ちょっと鼻にかかったロリ少女ボイスは、ジェイボスの大きな背中に隠れるように入室したオレだ。

 

 数日前まではジェイボス以上に愛想がないことを自覚していたオレ、……というか愛想などというものに割くエネルギーがあったら淡々と剣を振っていたいと若い頃から思っていたオレだが、さすがに年頃の娘を持つ年齢になれば、こんな少女姿で無愛想にしても傍目から見て痛いだけだと自覚できる。だから、この姿になってからは、以前よりもちょっとだけ丁寧に朝の挨拶をすることにしている。

 

 そんなオレ達の目の前、決して広くないが煙草の煙で視界が遮られる部屋。雑然とした机が並び、いつものように十名ほどの騎士がやる気なさげにたむろっている。

 

 お茶をすすりながら新聞を読む者。制服をだらしなく着崩した者。朝っぱらから賭けカードしているふたり。ブーツを脱ぎ、机の上に脚を投げ出して居眠りする者もいる。端的に言って、むさ苦しい連中ばかりだ。彼らはみな面倒くさそうにこちらを一瞥したのち、とくに反応も示さずに視線を元にもどす。

 

 

 

 

 公国騎士団は、中世時代の騎士団の伝統を今に伝える、公王陛下直轄の組織だ。

 

 しかし、国家間の戦闘目的に特化し大規模に組織化された公国陸海軍と比較して、それほど大きな組織とはいえない。自治体警察とくらべても、かなり規模は小さい。

 

 魔導騎士小隊は、その公国騎士団の中でも少数精鋭のエリート実戦部隊だ。対モンスターや魔物との戦闘に特化した徹底的な実力主義ゆえ、他の部隊よりも規律は極端にゆるい。ひとことでいえば、みんなだらしない。ほんらい古き良き騎士の伝統を残すために存続する騎士団にあって、異例の部隊なのだ。

 

 ……ふむ。オレがこんな姿になってから既に数日。それでも、魔導騎士小隊の連中の反応は依然とはまったくかわらない。やはり騎士団でもオレは初めから女の子ということになっているらしい。

 

 オレはちょっとだけ安心したのだ。

 

 

 

 

「ジェイボスとウーィル、三分間遅刻ですね。ふたりともこれで今月五回目です。今日中に始末書を提出するように」

 

 気取った口ぶり。男にしてはちょっと甲高い声が気に障る。

 

 声の主は、みるからに神経質そうなメガネの男だ。きっちりと着こなした制服。七三にわけた髪。部屋の中でただひとり、姿勢良く座っている。もちろんデスクの上はタイプライター以外チリひとつ落ちていない。読んでいるのはなにやら外国語の雑誌だ。

 

 腕に自信はあっても規律という言葉を知らない連中の巣窟である魔導騎士小隊の中、唯一小洒落た紳士を気取る男。魔導騎士小隊副隊長、ノースだ。

 

「す、すいません副隊長。ちょっと寝坊しちゃって」

 

 オレはジェイボスの前にでて、あたまをかきながらごまかす。寝坊したというのは、本当だ。

 

 オレのこの身体。剣は以前と同様に振るえる。いや、単純な戦闘力ならば、おそらく以前よりも強くなった。だが、それでもやはり、この身体は少女、いや幼女のそれなのだ。

 

 オレ的には以前と同じ調子で騎士の仕事をしているつもりでも、このお子様ボディになってからあんまり無理がきかなくなった。正直言って徹夜はつらい。ちょっと夜更かししただけで、寝不足で起きられなくなっちゃうんだよなぁ。

 

「副隊長! ウーィルは昨晩警察と対ヴァンパイア共同作戦で徹夜……」

 

「黙ってろ、ジェイボス!」

 

 余計な事を言い出しそうなジェイボスに、一発蹴りをいれて黙らせる。ノースの野郎は、そんなこと承知の上なんだよ。それでもお小言をいうのが、この副隊長の仕事なんだよ。仕方ないんだよ。

 

「なにか言いたいことがありますか?」

 

「いえ、なにも」

 

「公国騎士は市民から注目される存在です。遅刻など論外。君たちは、騎士の自覚が足りないのではないですか?」

 

 ……前言撤回。くっそ。このメガネ野郎。嫌みったらしいやつだ。いつか斬ってやるぞ。

 

「それはそれとして、ウーィル・オレオ……」

 

 なんだなんだ? 副隊長のやつが雑誌から顔をあげ、正面からオレの目をみる。

 

「昨晩のヴァンパイア退治は見事です。それからもうひとつ。ここ数日忙しくて直接伝える機会がありませんでしたが、……先日のドラゴンによる公都襲撃が最低限の被害ですんだのは君のおかげです。ごくろうさまでした」

 

 へっ?

 

 いい歳したおっさんのくせにちょっと照れてはにかんだ後、視線を手元にもどすノース副隊長。

 

 あ、ああ。いやいや、気にするなって。

 

 ……なかなかいいやつじゃないか。このツンデレ副隊長。うん、オレは昔からこいつのことは嫌いじゃなかったんだ。ホント。

 

 

 

 

 

 

「ひょひょひょ、ジェイボスにウーィルは今日もなかよく同伴出勤か? おまえたち朝まで乳繰り合っているから遅刻するんじゃぞ!」

 

 席に着こうとしたオレ達に対して、パイプから妖しい煙を吐き出しながら声をかけてきたのは、白い髪、白いヒゲの老人だ。

 

 小柄の身体を黒いローブで隠した妖しいジジイ。そもそも騎士の制服を着用する気すらないらしい彼は、魔導騎士小隊の長老ことバルバリ爺さんだ。

 

 うわぁ、この爺さんの頭の中ではオレとジェイボスはそういう仲ということになっていたのか。やめてくれぇ!

 

「バルバリ爺さん、俺とウーィルはそんなんじゃねぇっていつも言ってるだろ! 俺達はただの幼馴染だ」

 

 ジェイボスが俺の前にでる。拳を机にたたきつける。

 

 お、めずらしいな、ジェイボスがこんなに怒るなんて。だがジェイボスよ、このジジイは小隊の若い者をからかうことを日課にしているんだから、そんなにマジになることないぞ。

 

「ああ、わかったわかった。そういうことにしておいてやるかのう。ひゃっひゃっひゃ」

 

 爺さんもこれ以上突っ込むことなく、パイプを吹かし始めた。

 

 ちなみにこのバルバリ爺さんは、もちろん先日までの『オレ』よりも遙かに年上だ。公国随一の神聖魔法使いであり、宮廷魔法使いとして先代公王に使えた後、騎士団の実戦部隊に復帰したという変わり種だ。妖しいジジイだが、現公王陛下も公太子殿下も彼にだけは決して頭があがらないらしい。

 

 

 

 

 ……ふう。オレは本日何度目かのため息をつく。

 

 小隊の同僚たちの態度がかわらないのは助かったが、朝っぱらから疲れてしまったぜ。と、自分の椅子に座ろうとした瞬間。

 

「おはよう。ウーィル」

 

 ひゃっ!

 

 唐突に、手を取られた。いや、握られた。

 

「ウーィル。昨晩はヴァンパイア退治たいへんだったね。僕が癒してあげるよ」

 

 それなりに剣の腕を磨いてきたオレの不意をつき、両手を握ることができる男など、この国に何人も居ないはずだ。それをやってのけたのは目の前の優男。

 

「うわーー。なにするんだ、ブルーノ」

 

 オレの両手を優しく握り、正面から見詰める男。青い長髪。長いまつげ。整った鼻筋。認めたくないが確かにいい男。

 

 ブルーノは魔導騎士小隊の同僚だ。ジェイボスの三歳年上で、水・氷系の攻撃魔法に関しては世界一かもしれないといわれる天才魔法使いであり、ついでに騎士団一の女好きでも有名だ。

 

 ……こいつの好みは大人の女だとおもっていたが。こんなオレみたいな少女も守備範囲だったのか?

 

 オレはとりあえず、いたいけな少女の手を握りしめ口説き始めたこの変態優男を一発ぶん殴ってやろうかとかまえる。だがその前にジェイボスが立ちはだかってきた。

 

「ブルーノ先輩、ウーィルの手を気安く握るのはやめてくれ」

 

 ジェイボスがすげぇ恐い顔をしてブルーノを睨んでいる。

 

「あれぇジェイボス君、ヤキモチかい? 君とウーィルはただの幼馴染みなんだろ? だったら何が問題なんだい?」

 

「う、うるさい。だめなものはダメなんだよ」

 

 ジェイボスを無視して、ブルーノはオレに迫ってくる。

 

「君の好みに合いそうないいお店みつけたんだ。今夜いっしょにどうだい? もちろん食事のあとのお楽しみも」

 

 うわ。近い、近い、顔が近いぞ、ブルーノ。いい加減にしろ。

 

 

 

 

 チャッ。

 

 後ろから金属音。まさかジェイボス、剣を抜いたのか?

 

「ブルーノ先輩。それ以上ウーィルに迫ったら、叩き切るぞ」

 

 ジェイボスの剣は巨大な両刃の剣だ。魔力で刀身に炎をまとい、獣人の腕力で振り回す。オレも、正直言ってこいつとはあまり正面から対峙したくはない相手だ。

 

 その巨大な剣が、ブルーノの目の前。鼻先につきつけられた。

 

 だが、騎士団随一の剛剣を突きつけられてもなお、世界一の攻撃魔法使いと言われる優男はまったく動じない。

 

「ふっ、おもしろい」

 

 落ち着き払ったまま懐から杖をとりだし、かまえる。

 

「筋肉バカのオオカミ君。僕とウーィルの恋路を邪魔する奴は、魔法の力で氷漬けにしてやろうか?」

 

「なんだと!」

 

 室内の気温が一気に下がり始める。同時に、ジェイボスの剣が炎を纏う。

 

 

 

 

 魔力を纏った炎の魔剣を操る筋肉獣人のジェイボスと、戦闘魔法使いのブルーノ。この二人が本気をだしたら、こんな詰め所、いやもしかしたら騎士団の駐屯所ごと吹き飛ぶ可能性もある。こんなくだらないことで、公都に被害をもたらす訳にはいかない。

 

 こ、こ、こ、このバカな二人をとめなければ。

 

 オレは自分で言うのもなんだが魔導騎士小隊のなかでも数少ない所帯持ちであり常識人なのだから。……といっても、どうすればいいんだよ?

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と魔導騎士小隊 その02

 

 ふ、ふたりをとめなきゃ。

 

 オレは、この身体で精一杯の大声をだす。

 

「お、おまえらいい加減にしろ」

 

 精一杯ドスを効かせたつもりだったのだが、またしても可愛らしい声になってしまったような気がする。

 

 だが、それでも止めねばならないのだ。バカな男ふたりの間に割って入り、必死に声を上げる。

 

「誇り高き公国騎士が、こんなつまらないことでケンカするn ……うひゃい!!!」

 

 おもわずへんな声がでた。しかも大声で。

 

 お尻を撫で上げられたのだ。マントとスカート越しとはいえ、その感触に一瞬全身が総毛立った。背中が反り返った。自分でもびっくりするほどに反応してしまった。

 

 当然のごとく、ジェイボスとブルーノもこちらを見る。

 

 

 

 

「ひょひょひょ。相変わらず細っこい腰じゃのお、ウーィル・オレオ。もう少し育たないと、元気な子がうめんぞい」

 

 お尻を押さえながら振り向くと、オレの後ろに居たのはバルバリのジジイだ。この野郎、いつの間にオレの背後に回りやがった。

 

「こここここのくそジジイ。……ぶったぎってやる!」

 

 反射的に背中の剣に手がのびる。オレはそれほど感情の起伏が激しい方ではない。どちらかという冷めた人間、というかいつもボーッとした無感情人間と言われることが多い。しかし、このときオレは自分のお尻を触られたことに逆上してしまった。怒髪が天を突いた。ついさっきジェイボスとブルーノに言ったことばなど、もはや頭にはない。

 

「そこを動くなよ、ジジイ、今この剣で二枚のひらきに、……あひゃん!!!」

 

 剣を握りながら、またしてもへんな声が出てしまった。今度は後ろから抱きつかれたのだ。だが、ジジイは目の前に居る。

 

 ななな、なんだ? だれだ?

 

「私はウーィルちゃんには成長しないでこのままでいてほしいっす。抱きつきやすいっすから」

 

 背中の剣を抜こうというオレを後ろからだきしめたのは、腰まである緋色の髪の女性騎士。

 

「ナ、ナティップ?」

 

 ここは魔導騎士小隊の詰め所。オレを後ろから抱きしめているのももちろん魔導騎士だ。魔導小隊でいちばんの新人、騎士団全体でも数少ない女性騎士のひとり、ナティップ・ソング。

 

 このナティップちゃん。オレと同じ女性騎士だが、オレとは違う。今のオレはこんなちっちゃくて華奢でちんちくりんの少女騎士だが、ナティップちゃんは根本的に違うのだ。制服の上からでもわかる。基本的にスレンダーなのに出るところは出て引っ込むところはひっこんでいる。要するにスタイル抜群な美女騎士なのだ。

 

 なのにこの娘、強い。接近戦に限れば魔導騎士小隊最強かもしれない。東洋から伝わるという拳法を魔力とミックスし、魔法障壁をまとった素手の拳や蹴りでオーガもドラゴンもドツキ回す恐ろしい娘。そのナティップちゃんが、自慢の怪力でオレに抱きつき離れない。

 

 あー、もしもしナティップちゃん。君、十八歳だよね。ジェイボスと同い年だけど、ハイスクール卒業しているから今年入団の新人騎士一年生だったよねぇ。

 

 オレ、今はこんな見た目だけど、大先輩に対してこの態度はあまりなんじゃあ、……あれ? ウーィルは十六歳だっけ? この世界では、オレとナティップちゃんどちらが先輩なんだ?

 

 そ、そんなことはどうでもいい。それよりも重要なことは、現在進行形でオレに抱きついているナティップちゃんはオレよりも背が高くて、オレの頭の後ろにナティップちゃんの柔らかくてたわわな胸が……。

 

「あたってる、あたってる、ていうか乗っかってるよ、ナティップ。こら、はなれろ」

 

 必死にじたばた暴れるオレ。しかしナティップちゃんは離してくれない。なんという馬鹿力だ。

 

「ウーィルちゃん。そんな冷たいこといわないで。数少ない女性騎士同士もっとなかよくしたいっす」

 

 な、仲良くするのはかまわんが、抱きつくのはやめろ。こら、ジェイボスもブルーノも、羨ましそうに眺めてないで、この娘を引き離してくれよ。

 

 

 

 

 

「はいはいはーい。魔導騎士小隊のみなさん! ここは小学校じゃないの。静かにして。他の真面目な部隊に示しがつかないでしょ」

 

 部屋に入ってきた女性が手を叩きながら大声をだす。部屋中にひびく。朝からだらけきった小隊の連中が、だらだらしながらも席に着く。もちろんナティップちゃんも例外ではない。渋々オレを解放し、自分の席に着いた。

 

 レイラ・ルイス隊長。女だてらに公国騎士団魔導騎士小隊を率いる女性騎士。公国成立時からの代々騎士の一族の跡取りであり魔槍の達人。先日までおっさんだったオレよりも五歳年上のおっかないおばさんだ。

 

 騎士団の中でも、オレを初めとして脳味噌の代わりに筋肉と魔力ばかりを鍛えてきたバカばかりが集まったのが、この魔導騎士小隊だ。基本的に政治的な駆け引きは苦手な人間ばかりだが、もちろん例外も存在する。それがノース副隊長とこのルイス隊長だ。

 

 魔導騎士小隊は公国騎士団の中でもかなり浮いた存在である。また公国陸海軍や自治体警察など国内の他の武力組織からはハッキリと邪魔者あつかいされている存在だ。政治的に足を引っ張ろうとあら探しをする連中はいくらでもいる。

 

 そんな連中から小隊を護っているのは、剣と魔法を駆使した闘いとは異なる次元の闘い、騎士団内部のみならず内務省や国防省や公王府を相手にした政治的な闘争のすべてを引き受けている隊長と副隊長なのだ。

 

 

 

 

「隊長、こころなしかげっそりしてんじゃないすか?」

 

 ジェイボスが隣の席に声をかける。本人は小声のつもりらしいが、部屋の全員にきこえているぞ。

 

「最近、ドラゴンやらヴァンパイアやら騒がしいですからね。昨晩も軍や警察幹部といっしょに官邸に呼ばれていたらしいですよ」

 

 ひそひそ声でこたえるのは魔法使いブルーノだ。ついさっきは一触即発の二人だが、基本的にこいつらは仲が良い。ジェイボスは、オレにひっついていない時は大抵ブルーノとつるんでいる。

 

「へぇ、じゃあ徹夜ってこと? しかも政治家のお偉方からの説教? 隊長って仕事も大変だなぁ」

 

 ジェイボスが呑気にいうとおり、確かにルイス隊長、顔がげっそりしている。

 

 ドラゴン襲撃もヴァンパイアの件も、撃退したものの被害ゼロというわけにはいかなかったからなあ。騎士団を嫌っている国防大臣や内務大臣に嫌味を言われたか? まさか陛下に叱られた? どちらにしろオレの不始末だよな。もうしわけない。

 

「……隊長、もう若くないんだから、無理しない方がいいのに」

 

 よせばいいのに、ジェイボスのアホが頭に浮かんだことをそのまま口にだす。当然のごとく、それは隊員全員に聞こえた。もちろん隊長の耳にも。

 

 きっ! 

 

 音が聞こえそうな視線。隊長がジェイボスを睨む。

 

「だれが若くないって!!!!!」

 

「やべ!」

 

 あわてて口をとじるジェイボス。

 

「ジェイボス! あんたそんな口をきくには百年早い!! ついでにウーィル! 貴方達のせいなのよ、わかってるの!」

 

 うわ。やっぱりオレにとばっちりがきた。

 

「えええええ? いや、そんなこといっても、相手はヴァンパイアですよ。一般の市民への被害なしで封印できたんだから、オレも警官達も褒めて欲しいくらいで」

 

「ちがうわよ! ウーィル、あなたがドラゴン退治に熱くなって、公都上空でみさかいなく暴れて、挙げ句の果てに大聖堂をぶっこわしたことよ!」

 

 レイラ隊長がオレを指さしながら、どなる。

 

 うへぇ。やっぱりそっちかぁ。オレ覚えてないんだけどなぁ……。

 

 

 

 

 

 魔導騎士小隊は朝っぱらから騒々しい。しかし、この程度の騒ぎはこの小隊ではいつもの事だ。

 

 みんなだらしなくて、獣人と魔法使いの暴力沙汰があって、変態ジジイがセクハラを働いて、副隊長が嫌味をいって、隊長がどなりつけて。基本的にいつもの小隊だ。俺がこんな見た目になってしまっても、何もかわらない。

 

 いつもどおり、隊長がテキパキと指示をだす。

 

「さぁさぁ過去のことはもういいわ。部下がしでかした後始末は私がなんとかします。出動要請があるまで予定通り訓練よ。バルバリーさん、いつも通り小隊の訓練仕切ってね。スケジュール通りでおねがい」

 

「ひゃっひゃっひゃ。了解じゃよ、隊長」

 

 やれやれ、……オレも徹夜明けで眠いんだけどなぁ。

 

 ぞろぞろと演習場へ向かう隊員達。オレも遅れてついていく。

 

「あ、副隊長とウーィルはこっち。私のオフィスに来てちょうだい」

 

 えっ、あれ? オレの訓練は?

 

「ウーィル。……あなたは今日一日謹慎よ」

 

「えええええ、いまさら?」

 

「そう、いまさら。形式上だけの処分だけどね。さすがに、ドラゴンの群を追いかけて、勝手に持ち場をはなれて大聖堂ごと斬っちゃった騎士を不問にはできないのよ。諸々の報告書とついでに始末書をつくるの手伝ってね」

 

 えええええっ? そんなぁ。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と始末書

 

 誇り高き公国騎士団。中でも公王陛下の盾として公都の治安を守り魔物を退治するエリート部隊としてしられるのが、オレ達魔導騎士小隊。

 

 オレはその魔導騎士小隊の中堅、……と自分では思っていたが、認めたくないがいつのまにかベテラン騎士と呼ばれる身になってしまったが、それはともかく魔力と筋力と魔剣であらゆる魔物をぶった切るおっさん騎士だ。……だったはずだ、ついこないだまでは。

 

 それが、それが、こんな少女の身体になったあげく、……謹慎処分と始末書だと?

 

 

 

 

「どうしてこんな目に……」

 

 オレは机の前で頭をかかえ、己の身に降りかかった不幸について嘆く。目の前には白紙のままの始末書&報告書が鎮座している。

 

 そもそもまったく記憶にない事件についていまさら報告書を書けだなんて、無茶だよなぁ。

 

 放心状態かつ傷心のオレに横から嫌味をいう男。

 

「気楽なものですね、ウーィル・オレオ。自分が何をやったのか、覚えていないのですか?」

 

 小隊副隊長のノース。メガネをずりあげながら、冷たくいいはなつ。

 

 うるせーよ、副隊長。オレは覚えてねーんだからしょうがないだろ。おまえ、『オレ』と同い年のくせに。同期のくせに。ずいぶんと偉そうじゃねぇか。……実際えらいんだけどな。

 

 こいつは魔力が半端ない。さらに実戦だけでなく、デスクワークも精力的に片付け、お偉方との面倒くさい折衝も得意。要するにオレの苦手なことをしっかりこなす、できる男だ。

 

 オレは、この手のデスクワークは苦手だ。これまでの人生おいて、できるだけ避けてきた。そのせいで出世しないのかもしれないが、それは仕方が無い。人には向き不向きがあるのだ。

 

 だからオレは昨日まで同期だったこいつ、ノース副隊長をちょっとだけ尊敬している。……本人には絶対に言わないけどな。

 

 

「ドラゴンを追って勝手に持ち場を離れたあげく、公都のシンボルである大聖堂ごと破壊してしまうとは……。あの塔は破壊されるたび何度も再建された公国のシンボルです。謹慎で済んでよかったというべきでしょう。あきらめて、おとなしくデスクワークをしていなさい」

 

 あー、わかったわかった。どうやらオレは本当に大聖堂を叩き切ったらしい。自分では全然おぼえてないけどな。反省してるよ。反省してまーす。

 

 しかし、メガネ副隊長はしつこかった。

 

「ウーィル・オレオ、本当に反省しているのですか? ……君の剣の腕は確かに凄まじい。もしかしたら、中世以来の歴代騎士の中でも最強のひとりかもしれない」

 

 えっ? そう? そんなにオレ強い? いやぁそんなに褒められると照れるなぁ。

 

「しかし、どうも落ち着きがない。騎士として、いえ年頃の女性として、恥ずかしくないのですか? かつての私の同僚、あなたのお父上である亡きウィルソンに申し訳ないとは思わないのですか?」

 

 なんだと? なんだその失礼な言い草は。絶対にいつか斬ってやるぞ、このメガネ野郎。

 

 ……といっても、こいつ、騎士にしては珍しく防御魔法の使い手なんだよな。ドラゴンのブレスだろうが重機関銃の弾丸だろうがすべて魔法障壁で弾き返す恐るべき男。

 

 オレの剣は、はたしてこいつに通用するだろうか? 懐に入りさえすれば絶対に負けない自信はあるのだが。

 

 って、……こいつ、いまなんて言った? 『父親のウィルソン』っていったか?

 

 

 

 

 

 

「ふーー、こんなものね。手伝ってくれてありがとう」

 

 わざとらしく首をポキポキ鳴らしながら、隊長がオレと副隊長をねぎらう。隊長と副隊長とオレ。三人がかりで、半日がかり。やっと始末書やら報告書やら書類の束が仕上がったのだ。

 

 レイラ・ルイス隊長がおおきく息をはく。自分の肩をトントンとたたく。ウェーブのかかった豪華なブロンドの髪から、いい臭いがする。その向かいの席、オレは立ち上がり両腕をあげた。中学生女子の平均的な身長しかない身体で、おもいきりのびをする。

 

 特に身体を動かしていなくとも、デスクワークはそれだけで肩と腰に来るよな。

 

 うーーん。

 

「ウーィル! はしたないですよ」

 

 うるせーよ、副隊長。なんで隊長には何も言わず、オレだけなんだよ。これくらいいいだろ! ……と言いかけたが、副隊長が冷たい目で睨んでいるのでやめた。少しでも早く謹慎を切り上げるため、ここは素直に従っておいた方がいいだろう。

 

「ご、ごめんなさい。気をつけます」

 

 素直に頭を下げる。形だけな。

 

「まったく。……素直にしていればそんなにかわいらしいのに」

 

 ん? 副隊長なんかいったか? あわてて、目をそらすメガネ。

 

「い、いえ。なにも。隊長もウーィルも大げさです。ほとんど書類を仕上げたのは私です」

 

「まぁまぁ副隊長。たよりになるわぁ。騎士団長や内務大臣への報告は私がやるから、まかせて」

 

 レイラ隊長が自分の胸をたたく。副隊長があきれたようにつぶやく。

 

「あたりまえでしょう。あなたが隊長なんだから」

 

 大変だな、隊長に副隊長。オレがいうのもなんだが、我が儘で自分勝手な部下達ばかりで苦労掛けてすまんね。

 

 それはともかく。

 

 レイラ・ルイス小隊長は由緒正しい貴族の家系。たしかこの姿になる前のオレよりも五歳年上。おばさん、と呼ぶと怒るが、世間的には若い娘とは決して呼ばれない年齢だ。ちなみに今は独身のはず。

 

 そして、お堅い副隊長は『オレ』と同い年。こちらは公国有数の大銀行の総帥一族の三男だったはず。こちらも独身。

 

 今の今までまったく気づかなかったが、このふたり意外といいコンビなのかもな。

 

 

 

 

「さぁ、どうぞ」

 

 隊長みずからいれてくれたお茶を三人で飲む。

 

 おお、うまい。

 

 他の隊員達は訓練中だ。オレ達だけお茶会しているのはちょっと申し訳ないが、まぁたまにはいいだろう。

 

 オレは意を決した。今だ。今しかない。聞くのだ。騎士団でのオレのことをよく知る二人に、ウーィルのことを。なぜかオレが知らないオレ自身のことを。

 

「えーと、隊長と副隊長。おふたりに聞きたいことがあるのですが……」

 

 できるだけさりげなく声をかけたつもりだったが、成功したかどうかは自信がない。

 

「なあに?」「なんです?」

 

「えーと『ウィルソン』って、オレ、……じゃなくて私の、えーと、父のことですよね? 父は、どんな騎士でしたか?」

 

 隊長と副隊長は、不思議そうな顔。おかしなことを聞くなぁといいながらも教えてくれた。彼らが知る『ウィルソン』と『ウーィル』の父娘のことを。

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と始末書 その02

 

 隊長と副隊長の思い出話によると……・

 

 ウーィル・オレオ、すなわち今の少女の姿のオレは、騎士ウィルソン・オレオの娘であり、メルの姉だそうだ。やっぱり。

 

 もともとのウィルソンは、騎士団でもずっと下積みだった。騎士になった当時から、剣の腕はたったが魔力が人並みしかなかった。腕力だけでは強大な魔物には対抗できなかった。だから魔導騎士小隊にははいれず、一般の小隊で訓練に明け暮れる毎日だった。

 

 運が向いてきたのは、妻とであってから。

 

 もともと人付き合いの悪い男として有名だったウィルソンの熱烈な大恋愛は、騎士団の中でも微笑ましくも生暖かい視線で見守られていたのだが、その頃からウィルソンの魔力がなぜか急激に上昇。娘が生まれた頃には、ついにエリート集団である魔導騎士小隊に抜擢されるほどに。

 

 

 

 ……ふむ。ここまでは、オレの記憶とそうかわりない。あの不器用な恋愛が、第三者からそんな目で見られていたとは思わなかったが。あと、『娘が二人』という点を除いて、だが。

 

 

 

 副隊長の話はつづく。

 

 しかし、順調に思えたウィルソンの騎士人生に、度重なる不幸がおそう。次女のメルがまだ幼いとき、ウィルソンは愛妻を亡くすことになる。

 

 その後、彼は男手ひとつで娘二人をそだてることになった。いつもひょうひょうと生きてるようにみえる男だが、娘が幼い頃はかなり苦労したそうだ。当時同僚だったレイラ・ルイスは、何かと手助けしていたらしい。

 

 

 

 あーー、オレの記憶では娘はひとりだけだったが、それでもメルが幼いうちは確かにいろいろと苦労した。レイラにはホント世話になった。居候のジェイボスにも、あいつ自身は手がかからない犬ころだったが、ガキのくせにいろいろ気を使わせたかもしれない。他の友人知人にも迷惑をかけた。同僚達にはいつか恩返しをしなければならない。

 

 

 

 

「……そして三年前、あなたも知っての通り、ウィルソンはドラゴンにおそわれて殉職します」

 

 沈痛な表情でかたる副隊長。

 

 二人きりになってしまったウーィルとメルの姉妹。父譲りの剣の腕と魔力をもった長女のウーィルは進学をあきらめ、騎士団に入団。そして直後、公国騎士団史上もっとも若く十五歳で魔導騎士小隊に抜擢。それが、昨年のことだそうだ。

 

 

 

 

 

 言うまでもないが、もちろん副隊長も隊長もウソや作り話をいっているようには見えない。

 

 へぇ。……『ウーィル』ってそんなに優秀で頑張り屋な娘だったのかぁ。ウィルソンの娘にしては出来すぎだよなぁ。

 

 ウーィルは、他人事のように思う。

 

 確かに『オレ』の記憶と部分的に辻褄が合ってないこともない。もしかしたら『ちょっとだけ歴史が違う世界にオレの魂が生まれかわってしまった』のかなぁ? しかし、だとしたら、もともとのウーィルの魂はどこへ行ってしまったんだ?

 

 

 

 ……いや、ちがう。

 

 ちがう。

 

 ちがうぞ。

 

 そんな歴史があるはずがない。冷静に考えてみれば『この身体を持つウーィル』が、『あの妻の娘』であるわけがないのだ。そんな歴史は絶対にありえない。

 

 つまり、……逆だ。歴史はあとから作られたのだ。

 

 オレがこの姿になった理由はわからないが、『こんな姿になってしまったオレが騎士として存在しても不都合が生じないよう、世界の歴史が塗り替えられてしまった』というのが正解なんじゃないか? しかも、そのねつ造された歴史には致命的な間違いがある。

 

 ……あくまでも、オレのオレとしての記憶が正しいのなら、であるが。

 

 うーん。オレの記憶と、この世界の歴史、どちらが正しいのか、自信がなくなってきたぞ。

 

 

 

 




 
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美少女騎士(中身はおっさん)はお酒が飲みたい

 

 ある日の午後。

 

 徹夜明けの任務から帰宅したウーィル。家には誰も居ない。メルは寄宿舎、次の週末までは帰って来ない。ジェイボスの野郎は誰かの護衛とかで、おそらく帰りは夜中になるだろう。

 

 さて、飯をどうしよう。支度するのも面倒くさいし、……出かけるか。

 

 

 

 オレと妻の寝室。クローゼットの中から適当に服を選ぶ。

 

 ちなみにあの日、オレがこの少女の姿になってしまった日、変わったのはオレの身体だけではなかった。どういう仕組みかしらないが、オレの姿にあわせるかのように、クローゼットの中の服もちょっとだけ変わっていたのだ。

 

 もっとも大きく変化したのは、下着の類いと騎士団の制服。それはもう見事にすべてが、女物になっていた。

 

 それ以外の私服については、少なくともぱっと見はほとんど変化なかったものの、サイズだけが身体にあわせて小さくなっていた。要するに、いまクローゼットの中には、サイズは少女だが見た目はおっさんの服しかないのだ。

 

 で、たったいま着換えたこの服も、まさにそれだ。オレがおっさんだった頃、慣れ親しんだ普段着だ。

 

 地味めの半袖のシャツ。ごくごく普通のダボダボ安物ズボン。それを両肩から吊りバンド。公国では一般的な労働者の格好だ、……と思う。ちょっとくたびれたビジネスマンといってもおかしくない、……はずだ。たぶん。

 

 

 

 もともとウーィルは、まったくと言っていいほど着る物に無頓着な人間だった。彼は騎士は自分の天職だと思っていたが、その理由の大きな部分は、公国騎士は制服が支給されるからだ。毎日の服装を考えなくてもよいと言うのは、彼にとって非常におおきなメリットだった。

 

 故に私服などほとんど持っていない。実はこのシャツだって、結婚前に妻とのデートに行く服がないと職場で悩んでいたら、当時同僚だった今の小隊長レイラが買ってきてくれたものだから、実に二十年弱前のものになる。襟や袖などところどころがすり切れているが、そんなことは気にならない。そもそも、オレが今から行くところは、この少女の身体では少々行きづらい。おっさん臭い外見の方がいいのだ。

 

 ……おっと、剣を忘れるところだった。

 

 オレは伝統ある公国騎士だ。騎士にとって剣は命の次に大事なものだ。公国において一般市民が剣をもって街をうろうろするのは法律違反だが、騎士ならば許される。たとえ勤務時間外でも、だ。

 

 とはいっても、やはり私服にこんな長い剣を持ち歩くのは目立ちすぎる。だからこんな時オレは、剣を釣り竿のケースに入れて肩に背負うことにしている。公都は港町であり、釣りを趣味とする市民は多い。決して不自然さはない、……はずだ。

 

 鏡をみると、……ブカブカのおっさんくさい服にくるまれ、長い釣り竿を背負った年頃の少女がいた。

 

 うーーん、大きな大きな違和感を感じるような気もするが、しかしいったいどこがおかしいのか自分ではわからない。

 

 仕方がない。顔については、大きめのベレー帽を目深にかぶれば隠せるだろう。うむ、完璧だ。完璧なはずだ。これで中身が少女だとは誰も気づかない、……たぶん。

 

 

 

 

 

 公国は、古くからの列強各国がひしめく『旧大陸』と、新興国が台頭する資源豊かな『南北の新大陸』、その間によこたわる大洋の真ん中にある亜熱帯の島国だ。そして公都は、大航海時代から交易の中継地として、そして海洋戦略上の重要拠点として、港を中心として繁栄してきた都だ。

 

 ウーィルが向かう店は、その港からほど近い斜面にあった。魚市場、インチキ臭いお土産屋、安いだけが取り柄の飲み屋、いかがわしい宿。坂を登る道沿いに雑多な建物が無秩序に並ぶ旧市街。行き交うのは、荒々しい漁師や港湾労働者、世界中からあつまった船乗り、そして水兵。まっとうな観光客やビジネスマンはあまり近寄らない一角。そこに、カウンターとテーブルがあわせて二十席ほどの小さな店。

 

 おそるおそる店のドアをあける。

 

 ビールジョッキを握りしめた騒々しい酔っぱらい達の視線が、ウーィルに集中する。店の中が一瞬静かになる。

 

 やべ。未成年だとばれた?

 

 彼がウィルソンだったころ、この店の常連だった。だが、この姿になってからこの店に来るのは初めてだ。

 

 公国においては、成人は十八歳と定められている。飲酒が許されるのも十八歳以上だ。今のウーィルは、十六歳ということになっているらしい。それどころか、見た目だけならせいぜい中学生。店から追い出されても不思議はない。

 

 ……だが、杞憂だったようだ。酔っぱらい達は、すぐに興味をなくしたように彼女から視線をはずす。店に騒々しさがもどる。

 

 ほっ。やはりオレのこの服装は正解だった。変装は完璧だ。

 

 いつもの席をさがす。港がよく見える窓際、二人用の小さなテーブル。……ラッキー! こんなに混んでいても、誰も座っていない。

 

「マスター、あそこの席、いいかい?」

 

 できるだけ低い声をだしたつもりだ。

 

「ああ。……いつものかい?」

 

「えっ? ……うん。そう、いつものを頼むよ」

 

 ふむ。意外なことに、『ウーィル』もこの店の常連だったみたいだな。自分でこんな店に来ておいてなんだけど、こんな未成年の少女がこんな店の常連ってのも、ちょっと問題あるんじゃないかなぁ? ……まぁいいか。

 

 

 

 

 

 ここはビールを中心とする酒と軽い食事を提供する酒場。いわゆるパブだ。

 

 場所柄、上品な客はいない。客の多くは見るからに労働者階級の者であるが、近所の他の店のように初めからケンカを目的に安酒を飲みまくる下品な客はほとんどいない。かつてウィルソンの目の前でケンカが起きたこともあるが、彼が力尽くで『仲裁』してからその客もおとなしくなった。そんなわけで、ここはこのあたりでは唯一の、その存在が奇跡的ともいえる、静かに飯が食える店なのだ。

 

 窓から港が見える。大きな外国船が何隻も。軍艦もたくさん。今もくもく煙を吐きながら入港してきたゴツくてでかいのは、連合王国海軍の戦艦か。お、あの船、妻が生まれた国の国旗だ。

 

 ウィルソンはこの風景をボーーっと眺めるのが好きだった。騎士の仕事で身も心もヘトヘトになったあと、大きな船が港を出入りする様子をみながら冷たいビールを飲んでうまい飯を食っていれば幸せだった。カモメの声とのどかな汽笛。客達の喧噪や政治議論の怒鳴りあいや酔っ払いの陽気な歌声も、彼自身はそれに参加する気はないがBGMとしてわるくない。

 

 独身時代は、暇さえあればここに来ていたものだ。結婚後はさすがにそうはいかず、妻が亡くなってからは男手ひとつで娘をそだてるためすっかりとご無沙汰になってしまった。最近、メルが手がかからない歳になって、ふたたび足が向いてきたその矢先、彼はウーィルになってしまったのだ。

 

「おまたせ」

 

 あいかわらず無駄に筋肉質のマスターが、愛想のない顔をしたままジョッキと皿をもってきた。

 

 そしてなにより、この店は飯がうまい。寡黙なマスターはむかし外国航路の船のコックをやっていたそうで、その日の気分によっては、よくいえば異国情緒豊かな、わるくいえば何だかよくわからない不思議な料理をだしてくれる。

 

 へぇ、今日の料理はソーセージとポテトか。帝国風料理のつもりなのかな? 美味そうだ。っとその前に、まずは喉を潤すべきだよな。

 

 オレはひとりでジョッキを掲げる。誰にというわけではない。強いて言えば『公国の平和を祈念して』 ……乾杯!

 

 

 

 

 

 くうううう。美味い。美味いぞ。やっぱり仕事の後のビールは最高だ。

 

 オレは、一気にジョッキをカラにした。

 

 炭酸が喉にしみる。キリリと冷える電気冷蔵庫の発明者には勲章をあげたい。そして、この甘さ。全身の筋肉に貯まった疲労一発で解消される、……って、甘さ?

 

 ぶぅううっ!

 

 オレは口の中のそれを吹き出した。ビールだと信じて飲んだその液体は、ビール特有の苦みがまったくなかったのだ。むしろ甘い。

 

「こ、こ、これ、砂糖入りの炭酸水じゃないのか?」

 

「……いつもの、と言ったろ? いつもと同じあんた専用の席に座り、いつもと同じサイダーを注文し、いつものように美味そう飲みほしたように見えたが、なにか問題があるか?」

 

 美味そうに? オレ、よりによって甘いサイダーを美味そうに飲んでいたか? 

 

 ……飲んでいたかもしれない。くそ、ビールだと信じて飲んだサイダーを一瞬でも美味いと思ってしまった自分が許せん!

 

 オレ、味覚も少女になっちゃったのか?

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)はお酒が飲みたい その02

 

「おい、あれを見ろよ!」

 

 店のカウンターの隅、ひとりの酔っ払いが大声をあげた。

 

 指をさす先は、窓際のテーブル。座っているのはウーィルだ。

 

「おいおい、この国ではあんなガキがこんな店で酒飲んでいいのかい?」

 

 連れの男とともに席を立つ。筋肉隆々のふたりの男が、そのガキに因縁をつける気まんまんだ。

 

 

 

 

「あんたら、連合王国の軍艦の水兵かい?」

 

 それを、となりの席にいた常連がとめる。

 

「ああそうだ。同盟国としてこの公国を護ってやっているのはオレ達だ。ありがたく思え」

 

 公国は、『連合王国』および地球の裏側にある『皇国』と三国軍事同盟を結んでいる。大陸の強大な列強国と対抗するため、同じ島国であり同じ立憲君主制である三国は利害が一致する部分が多いのだ。

 

 特に公国と王国は地理的に近いこともあり、公都の港には王国海軍の基地が設置され、多数の艦が母港としている。とはいっても、世界最強の呼び声高い海軍を擁する連合王国からみれば、旧大陸と新大陸の中継地点として地政学的に莫大な利用価値がある公国は、対等のパートナーというよりは保護の対象という意識がどうしてもある。

 

「わかったわかった。一杯奢るから、まぁ座れ」

 

 そんな傲慢な意識を隠そうともしない無礼な下っ端水兵に対して、それでもこの店の常連達は寛大だった。

 

「さっきオレがこの店に来たとき、空いているあの席に座ろうとしたら予約済みだと断られた。それなのに、今あの席にはあんなガキが座ってやがる。オレが許せねぇのは、それだ」

 

 おごりのビールを一気に飲み干した水兵が、周りの客にくだをまく。

 

「仕方ないだろう。この店のあの席は、あの人のものと決まってるんだ」

 

「はぁ? あきらかにガキの少女だろ?」

 

「……一応、あれでも変装してるつもりなんだ。本人はあれで未成年の少女だとバレてないと思ってるんだから、ほおっておいてやれって」

 

「変装? あれが変装だと? 誰が見たってガキだろう。おまえら公国人はそろってアホなのか?」

 

 周囲の客達を見渡してみれば、窓際の席でソーダ水を飲み干す少女の姿を微笑ましげにみてやがる。まるで自分の孫娘でもあるかのように。

 

 たしかにかわいらしいのは認めよう。オレの娘もちょうどあれくらいの年齢だ。顔の作りだけならば、オレの娘の次くらいにかわいいかもしれない。なぜか服装はおっさんだが、そのアンマッチが、なんというか、……萌える。

 

 だが、ここはパブだ。酒場だ。彼の故郷の王国では、パブと言えばロクでも無いおっさんの巣窟と決まっている。あんな可愛らしい少女が客としているなどあり得ない。絶対に許されない。オレの娘がこんな店にいたら、力尽くでも連れ戻す。いくらこの国が常夏で陽気な人間ばかりといっても、たがが外れすぎじゃないのか?

 

「あの娘はな、ただの娘ではないんだよ。……この店では、滅多にケンカが起きない。なぜだと思う?」

 

 は?

 

 話が飛びすぎて理解できない。

 

 たしかに彼の故郷では、労働者階級があつまるパブといえば、クソみたいな連中がクソみたいな酒をしこたま飲み、クソみたいに酔っ払い、挙げ句の果てにケンカ三昧なのが普通だった。この店の客たちを見渡しても、客層としては大差なく見える。それなのに、何故か皆おとなしく飯をくってる。

 

「ケンカだけじゃない。街を仕切るマフィアも、それに対抗する外国人ギャングも、過激な政治団体も、闘争好きな労働組合も、人間に敵意をもったエルフや獣人や魔物やドラゴンやヴァンパイアだって、このあたりに居ないとは言わないが、少なくともこの店ではけっして騒ぎを起こさない。なぜだと思う?」

 

「よ、用心棒でもいるのか?」

 

「まぁ、そんなところだ。彼女はたまたまこの店の常連なだけなんだが、ある意味世界最強の用心棒といってもいいかもな」

 

「意味がわからん。あのガキが、なぜ用心棒になるんだ?」

 

 どうみたってガキだ。しかも、小さくて華奢で触れるだけで壊れそうな少女だ。

 

「この国には騎士がいる。公王陛下直属の誇り高き魔導騎士が、剣と魔法で公国市民を護っている。だから、市民はみな魔導騎士を尊敬し一目置いている。……外国人にはなかなか理解できないかもしれないがね」

 

 騎士? 騎士だと? 王国にも王家がナイトの称号を叙任する制度はいまだに残っている。しかし、それはあくまで栄誉であって、軍事的な意味での騎士なんてものは中世時代の遺物でしかない。いくら公国が、魔力持ちの割合が世界平均の十倍以上、魔物やモンスターがいまだに数多く出現する『剣と魔法の国』だからといって。しかも……。

 

「……そ、そ、その騎士が、よりによってあのガキだってのか?」

 

「そうだ。あの娘は、父親の代から公国魔導騎士だ。そしてこの店の常連だ。不届きな奴が店で暴れれば、たとえ警察が手を出せない相手でも、あるいは魔力を持ったモンスターでも、あの娘が力尽くでたたき出してくれる! だから俺達は、この店で静かに酒が飲めるのだ!!」

 

 安パブで飲んだくれているいい歳をしたおっさんが、自国の騎士を褒め称える。顔を赤くして誇らしげに、騎士の素晴らしさを熱弁する。

 

 そのあまりの迫力に、王国から来た水兵はドン引きしている。彼が称えるその魔導騎士とやらは、どうみてもローティーンの女の子なのだ。

 

 

 

 

 

「こ、こ、これ、砂糖入りの炭酸水じゃないのか?」

 

 ウーィルは、ビールだと信じて飲み干した甘い炭酸水を噴き出した。

 

「……いつもの、と言ったろ? いつものサイダーだが」

 

 マスターが不思議そうな顔をしている。どうやらこの店の常連ウーィルは、いつもサイダーを注文していたらしい。

 

 だがしかし、そりゃウーィルはあきらかに未成年だが、それにしたってパブに来てこの料理を食いながらサイダーはないだろう。

 

「な、なぁマスター。オレは、確かにこんな見た目だが、実は大人、……に見えるわけないか。えーと、未成年なのは認めるけど、ちゃんと働いているんだ。立派で善良な社会人なんだ」

 

「……知ってる」

 

「え、知ってたの? な、な、な、ならば話が早い。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから、ビールを飲ませてくれないかな? マスターだって、仕事の後にビール飲みたくなることがあるでしょ? ねぇ、おねがい。一生恩に着るから」

 

 オレはマスターの袖を掴む。そして哀願する。上目遣い、もしかしたらちょっと涙目になっていたかもしれない。

 

「……わ、わかった。ちょっとだけだぞ」

 

 ついにオレの誠意(?)が届いたのか、マスターも納得してくれたようだ。いつもはむっつり無表情な彼の顔もちょっと赤くなっていたように見えるが、きっと気のせいだろう。

 

 なんにしろラッキー。頼み込んでみるものだ。オレは長くて太いソーセージを頬張りながら、ビールを待つ。

 

 

 

 

「またせたな。……飲み過ぎるなよ」

 

 小ジョッキを目の前に置かれる。なんだよ、もっとでっかいジョッキでもってこいよ。……まぁいい。まずはひとくち、っと。

 

 オレは恐る恐るジョッキに口をつける。ごくり。

 

 苦い! 喉の奥にホップの苦みがしみる。確かにビールだ。アルコールだ。これが飲みたかったんだよ、オレは。

 

 ごきゅ、ごきゅ、……ごきゅ、……あ、あれ? 

 

「どうした?」

 

「あ、あんまり、美味しくないの。なぜらの?」

 

「……ガキのくせに無理するからだろ。たった一杯で顔真っ赤にしやがって」

 

 そ、そんなばかな。おれはきしらよ! おとなのきしが、いっぱいのびーるくらいで、よっぱらうわけないのらよ!

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)はお酒が飲みたい その03

 

「……ガキのくせに無理するからだろ。たった一杯で顔真っ赤にしやがって」

 

 そ、そんなばかな。おれはきしらよ! おとなのきしが、いっぱいのびーるくらいで、よっぱらうわけないのらよ!

 

「酔っぱらってるじゃねぇか。だからソーダ水にしておけって」

 

 おおおおおせかいがぐるぐるまわってる。そんなばかな! たったいっぱいで? おれは、おれはおれはおれはいったどうなってしまったのら?

 

 

 

 

 

 すう……、すう……、すう……

 

 窓際のテーブルで、突っ伏して寝てしまった少女。ちいさな寝息が漏れる。マスターが自分のシャツを肩にかけてやる。

 

「お、おい。あんたが褒め称えていた魔導騎士様とやら、ビール一杯で真っ赤になって寝ちまったぞ」

 

「……まぁ、魔導騎士といっても身体はお子様だからなぁ」

 

 店の奥でくだを巻いている常連達が、ウーィルを肴に盛り上がる。一部の年長者は、まるで自分の孫娘を見るような優しげな目で彼女をみている。

 

「へっへっへ、あんなんで街の治安を守れるのかよ」

 

「こないだ公都に襲来したドラゴンの群を追い払ったのは、あの娘だぜ」

 

「は? さすがにそれはウソだろ?」

 

 彼の故郷である連合王国にも、まれではあるが現在でもドラゴンが出現することがある。小型ドラゴンであれば、そして本土に上陸する前に運良く海上で補足できればという条件付きであるが、世界最強を自認する王国艦隊が追い払うことも可能だ。しかし、空中を飛来しどこから現れるかわからないドラゴンを相手に、そうそう上手く事が運ぶとは限らない。

 

「ウソじゃないって。本当だ。ほれ、ちょうどあれくらいの大きさのドラゴ、ン、……だ? ああああああ?」

 

 ドラゴ、……ン?

 

 常連のオヤジと水兵が固まる。口を開き目を剥いたまま、ウーィルのテーブル、その先の窓を指さす。

 

 いったい何事かと他の客達もそちらを向き、同様に固まった。彼らの視線の先、先ほどまでウーィルが港を眺めていた大きな窓から、巨大なドラゴンの顔がこちらを覗いていたのだ。

 

 

 

 

 

 青ドラゴン。トラックほどの大きさ。先日公都を襲ったものと同じ小型種であろう。

 

「なんだありゃあ!」

 

「ド、ドラゴンっ!!」

 

「どうしてこんなところに」

 

「にげろ」

 

 決して広くはない店の中が悲鳴に包まれる。腰を抜かして動けない酔っ払いを、別の酔っ払いが引きずって逃げる。

 

 地球上におけるドラゴンの出現数は、ここ百年ほどで劇的に減少している。公国においても同様だ。しかし、如何に科学が進歩しようとも、ドラゴンが人類の脅威であることにかわりはない。大型ドラゴンの出現は国家レベルの災害であり、たとえ小型であっても、それはどこの国の人間にとっても本能的な恐怖の対象であった。

 

 たった一頭の小型ドラゴンにより、店の中が阿鼻叫喚の大混乱に陥る。

 

「おきろ、公国騎士ウーィル・オレオ!! ウーィル、おきるんだ!!」

 

 激しく肩を揺するマスターによって、ウーィルが目を覚ました。

 

「……なんら?」

 

「ドラゴンだ。逃げるぞ」

 

 マスターは、この非常時にあっても無表情を貫いている。そして客であるウーィルを逃がそうと最後まで店にのこっている。実に肝がすわった男だった。

 

 しかし、そんな彼に叩き起こされた美少女騎士は、いまだ酔っぱらっていた。

 

「へっ? どらごん? こないだきったよ?」

 

 マスターが指さすのは窓の外。そちらに目を向ければ、巨大な口。舌。そしてキバ。まさに冷凍ブレスを吐かんとする直前の青竜。

 

 あらほんとら。また、きっちゃうぞ! ……おっと、オレのけんはどこら?

 

「き、斬るのか? 酔っ払いのくせに。……って、剣は? この中か? どうせ釣り竿なんかはいっているわけないよな」

 

 マスターが、ウーィルが壁に立て掛けた釣り竿ケースの中から剣を取り出して渡す。ウーィルがそれを受け取る。立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。よろめく身体を、剣を杖代わりにささえて立ち直る。

 

「おいおい大丈夫か?」 

 

「なぁに、どらごんごとき、わたしにまっかせなさーーい!」

 

 どん!

 

 酔っ払い少女が、薄い胸を拳で叩く。

 

「うっぷ!」

 

 ウーィルの顔が青ざめる。胸の奥から酸っぱいものがあがってきたのを必死に耐える。

 

「大丈夫かなぁ。あー、騎士様。できれば、ドラゴンを斬るのは店の外でやってほしいのだが……」

 

 美少女魔導騎士が大聖堂ごとドラゴンの群を壊滅させた事件は、公国市民ならみな知っている。結果として犠牲者がでなかったこともあり、市民の多くはウーィルに好意的だ。彼女の行為を公国の誇りとはやし立てる者すらいる。だが、ドラゴンの巻き添えで破壊されるのが自分の店となると、話は別だ。できれば避けてもらいたい。

 

「だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶら。おみせをこわさなければいい、のよね。……さやをもって」

 

 マスターが鞘をもつ。柄を握るウーィルが三歩あるいて剣を引き抜く。ドラゴンはまだ店の外、窓の向こうに居る。もちろん剣は届かない。

 

 ドラゴンが息を吸う。胸が膨らむ。数秒後には喉の奥から白い冷気が吐き出され、店ごと破壊されるのは確実だ。

 

 ちょっととおいけど、……とどく。

 

 理由はわからないが、届くような気がした。鞘を飛ばすわけではない。この間合いから直接斬れるような気がしたのだ。酔っぱらったおかげでウィルソンとしての常識が引っ込み、ウーィルの肉体の意識が表にでてきたのかも知れない。

 

 わらしには、できるよ。うん。できる。

 

 その場で剣をかまえる。上段。頭の後ろ、大きく振りかぶる。

 

 かんたんらよね。くうかんごときればいい。

 

 ウーィルは剣を振り下ろす。まったく無造作に、上から下へ。まるでオーケストラの指揮者が指揮棒を振り下ろすかのように。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と青ドラゴン

 

 

 ウーィルが無造作に振り下ろした剣。その剣先が通過した空間が、ズレた。なにもない空間に垂直な黒い筋が引かれた。むりやり言語化するならば『空間の裂け目』というべきそれが、ドラゴンにむけて飛ぶ。

 

 斬れた!

 

 ウーィルは確信する。たとえ酔っぱらっていても、喉元まで酸っぱいものがあがってきていても、剣に関する感覚に間違いなどあるはずがない。

 

 すぱっ

 

 ドラゴンの顔の正面、音もなく縦に黒い線がはしった。そして背骨。尻尾へ。身体全体に一筋の黒い線。

 

 数瞬後、線に沿って鮮血が噴き出す。銃弾をも弾くウロコなど関係ない。見えない裂け目が通過した部分から真っ赤な血を噴き出しながら、ゆっくりと左右に別れていく。

 

 ドラゴン自身、自分に何がおこったのか理解できていない。左右の目玉がせわしげに動く。吐いたはずのブレスがでない。それ以前に、呼吸ができない。

 

 ぐ、ぐがぁぁぁぁ!

 

 やっとの事で吐き出した咆哮は、くるしげな音にしかならなかった。翼に力がはいらない。目の前の小さな人間めがけて突き出す左右の爪が、むなしく空中ばかりを掻く。左右に別れたそれぞれの脳がそれを自覚する前に、彼の身体はただの肉片と化した。ドラゴンの開きが、ゆっくりと地面に落下していく。

 

 

 

 おおおおおおきれたきれた。……へへへ。ざまーみろ!

 

 

 

「剣が届かない距離から、ドラゴンを斬っちまった」

 

 水兵が口をあんぐりあけたまま固まっている。

 

「さすが!」

 

「あの娘ならこれくらいやると思ってたよ、オレは」

 

「だから言ったろ。公国魔導騎士は凄いって」

 

 自分でやったわけでもないのに、なぜかドヤ顔で勝ち誇る常連の酔っ払い達。

 

「あっ!!」

 

 突如、少女の悲鳴がひびく。振り下ろした剣をそのままの姿勢、ウーィルだ。

 

 なんだなんだ?

 

「ああ! あああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 ウーィルが、剣をその場に取り落とし、絶叫してその場に座り込む。頭をかかえている。

 

「ど、どうした、騎士様?」

 

 涙目の少女が振り返る。

 

「わ、わらしの、そーせーじが……。まだいっぱいのこっていらのに」

 

 みれば、彼女の席、テーブルがきれいに真っぷたつに割れている。その上にあった皿、そして盛られていたソーセージが、綺麗にふたつにわかれ床に散乱していた。

 

「あーあ。しかたねぇな、騎士様、オレが奢ってやるよ。マスター、頼む。……あ、ソーダ水もな」

 

 王国海軍水兵が、やれやれと言った体で注文する。

 

「ありがとう! おじさん!!!」

 

 ウーィルが水兵に抱きついた。

 

「へ、へへへへへ、……役得?」

 

 て、てめぇ、外国人のくせに! 周囲の常連達の視線が痛い。 

 

 

 

 

 

 ドラゴン騒動によりすっかり荒れたパブ店内、常連達が自主的に片付け始めた。

 

「あーあ、坂の下の隣の店、真っ二つになったドラゴンの肉塊に屋根が押しつぶされてるぜ」

 

「運が悪かったんだろ、しかたがない。……逆にこの店は運がよかった」

 

 店の被害は、テーブルひとつ。そして窓ガラスと、壁に一筋の切れ目といったところか。

 

「常連達の日頃の行いがいいからな」

 

「……なぁ、あのドラゴン、なんでこんな店の中を覗いていたんだ?」

 

「誰かを探していたようにも見えたが……」

 

 まさか、騎士様をねらって? 復讐? ……まさか。あのトカゲにそんな知能があるとは思えないが。

 

「ていうか、……ドラゴンは、あれ一頭だけなのか?」

 

 中型以下のドラゴンは群で行動することが多い。人間の領域に侵入する場合は、特にそうだ。

 

 ウーーーーーーー。ウーーーーーーー。

 

 公都にサイレンが鳴り響く。空襲警報だ。

 

 公都市民の多くにとって、それは忌まわしい記憶を呼び起こす恐怖の象徴だ。つい先日のドラゴン襲撃事件の恐怖の一夜の記憶、あるいは先の大戦における帝国軍による艦砲射撃も、決して遠い昔の事ではない。

 

 バババババババ!

 

 おいおい、機関砲の音じゃないのか?

 

「港にドラゴンの群が!」

 

 あわてて港の方角を見下ろせば、埠頭の付近の上空に青いドラゴンの群が飛び交っている。さっきの一頭は、群からはぐれたものか。

 

「こんな真っ昼間から、なぜドラゴンの群が?」

 

 港のあちらこちらから、さらに停泊している軍艦からも、無数の機銃が空に向けて乱射されている。

 

 空を飛ぶドラゴンに対抗する手段が魔法しかなかった時代とは違う。公国の海軍は、連合王国ほどではないとはいえそれなりに強力だと言われている。列強各国にも決してひけをとるものではない。先の世界大戦では、通商破壊を仕掛ける帝国の海軍と渡り合った実績もある。対空兵装に関しても、飛行機が兵器として実用化されて以来めざましい発展を遂げている。

 

 しかも、港に居るのは公国海軍の艦だけではない。同盟国である王国の艦、いままさに入港しつつある巨大な戦艦からも、猛烈な対空砲火が撃ち上がる。

 

 さすがに昼間、それも軍港の真ん中だ。いかにドラゴンの群といえども、ほとんどが小型のものだ。強力な対空砲火の嵐に突っ込めば、バタバタと撃ち落とされる。港のあちらこちらに、ついさっきまでドラゴンであったばらばらの肉片が散らばっている。

 

 ドラゴンだって人間の領域に近づけばこうなることはわかっていたはずだ。なのになぜ昼間なのだ? なぜよりによって軍港の真ん中なのだ?

 

 

 

 

 

 店は港から続く斜面にある。港が大混乱におちいっている様子がよく見える。猛烈な対空砲火をくぐりぬけ、一団のドラゴンが地上に取り憑いたようだ。埠頭に取り残された人間を襲っているのか?

 

「あれは軍港の埠頭の先っぽあたりだな。……地上に取り憑いたドラゴンはたいした数じゃない。軍艦もたくさん停泊しているし、なんとかなるんじゃないか?」

 

 公都の市街まで被害が及ぶことはないだろう。……といっても、あそこでトラゴンに取り囲まれた人々は助からないだろうが。

 

 なんにしろ、ドラゴンあいてに一般市民ができることなどない。せいぜい震えながら家の中に隠れているだけだ。

 

「……よんでいる」

 

 へ?

 

 まだ赤い顔をしている美少女騎士が、港のドラゴンを見詰めながら何事かをつぶやいている。

 

「よんでいる。たすけを、……オレが、いかなきゃ」

 

「やめとけ、よっぱらい騎士様。いまから行っても間に合わない。それに、あそこは海軍の縄張りだろう。騎士様にはここで市民を守ってほしいのだが」

 

「だめだ! ……オレでなきゃ、だめなんだ。あいつを護ってやらなきゃ!」

 

 言うが早いか、ウーィルは走る。剣を握ったまま、窓から外に飛び出した。

 

 あっ、おい。よっぱらい、あぶない、……ぞ。

 

 ウーィルが空中に剣を投げた。信じがたいことに、剣が飛ぶ。あきらかに重力に逆らって飛んでいる。空中で大きな弧を描き、持ち主のところに帰ってくる。

 

 ウーィルがジャンプ。そのまま、空中の剣の上に乗る。まっすぐに空を駆ける剣。その上に立つ。まるでサーフィンのように乗りこなす。向かう先は港。ドラゴンの群の中、取り残された人々だ。

 

 

 

 

「……ホント凄ぇな公国魔導騎士。剣の上に乗っかって、空も飛べるんだ」

 

 水兵があきれたようにつぶやくが、周囲の誰もこたえない。みな、口をポカンとあけたままだ。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と青ドラゴン その02

 

 そこは公都の軍港、公国海軍だけではなく同盟国の軍艦が停泊している埠頭。そんな海軍の縄張りのど真ん中とも言える場所を、青い小型ドラゴンの群が我が物顔で飛び交っている。

 

「くそ、二十頭ほどに取りつかれた。こいつら真っ昼間から、いったいどこから現れやがったんだ?」

 

 そのドラゴンの群の中心、真っ赤な炎をまとった巨大な剣を振り回す騎士。大柄な身体、獣の耳、毛深い顔、オオカミ族である魔導騎士ジェイボスだ。

 

「そーじゃのぉ、おそらく雲のはるか上からこっそりと近づき、まっすぐにここに降下してきたのじゃろうなぁ」

 

 ジェイボスの大きな背中の後ろ、両手を天に掲げた老人が、巨大な魔法陣を展開している。白いヒゲ、長い杖、いかにも魔法使いというローブを着こなしているが、やはり騎士。最長老の魔導騎士、バルバリー。

 

 なるほどね。雲の上を飛ぶドラゴンを探知することは、いまだ人類には不可能だ。しかし、そこまでしていったい何を目的にこんなところに、……いや、いまはそれどころではない、か。

 

 目の前、不用意につっこんで来た一頭のドラゴンを袈裟切りにしたジェイボスが振り返る。

 

「爺さん、その『聖なる障壁』、あとどれくらいもつ?」

 

 バルバリーが展開している魔法陣は、半径十メートルほどの空間を覆い物理攻撃を無効化する聖なる障壁だ。耐えられる攻撃の強さに限界はあるが、相手が小型ドラゴンの爪やブレスくらいならば問題ない。障壁の後ろには、数人の人間が身を伏せている。

 

「うーむ。そう長くは保たんのぉ。あと10分、いや15分というところか。五十年前ならまる一日でも平気だったんじゃがなぁ、ひゃっひゃっひゃ」

 

 長老騎士が腰をさすりながら答える。一見していつも通りひょうひょうとしているようだが、同僚であるジェイボスにはわかる。このジジイ、かなり無理をしている。魔力は残り僅かしかない。

 

 まずいな。

 

 ジェイボスは唇を噛む。

 

 くそ、小銃や軽機関銃しかもたない警備の兵士達では、ドラゴンの包囲を外から突破できない。他の魔導騎士の応援を呼ぶか、……たった15分では無理だ。

 

 

 

 

 港の中でドラゴンの群に向けて猛烈な対空砲火を撃ちまくっている巨大な艦。連合王国海軍の戦艦は、単なる補給のために寄港したのではない。ジェイボス達でさえ詳細は知らされていないが、何やら重要な会議のために王国の大臣や科学者がたくさん乗っているらしい。魔導騎士ジェイボスとバルバリの任務は、それを出迎える式典に出席する国防大臣と国務大臣、そして公王陛下の名代である公王太子殿下の護衛だ。

 

 よくある任務だ。しょうしょう気になる点と言えば、騎士団を含む海軍・警察合同の警備体勢があまりにも大げさ過ぎるという点だけだった。

 

 公国と連合王国の同盟関係は極めて良好だ。同盟の反対派など、皆無とはいわないが圧倒的な少数派だ。敵対している帝国にしても、敵対してるからこそ、こんな公式の式典を妨害してはこないだろう。ジェイボスは国際政治に興味などないが、それくらいのことはわかる。

 

 なにしろ真っ昼間だ。しかも海軍基地の真ん中だ。これだけの警備体制をかいくぐり事を起こすなど、飛行機や潜水艦から奇襲でもないかぎり不可能だ。そして、そんな大げさなことをしでかしたら、それはすなわち二度目の世界大戦の始まりだ。

 

 まんがいち人類の敵対種である強力な魔物が潜り込んだとしても、バルバリの聖なる魔法とジェイボスの炎の魔剣があれば、たいていの場合は撃退できるはずだ。はずだった。しかし、まさかドラゴンが、しかも大群が、犠牲覚悟で空から攻めてくるなどとは誰も想定していなかった。

 

 公国と連合王国海軍の対空砲火により、青ドラゴンのかなりの数が空中で撃墜された。しかしもともとが大群だ。数十頭が生き残り、ジェイボス達を含めた式典参加者が取り囲こまれてしまった。地面からほんの数メートルの高度を保ちながら、交互に攻撃をしかけてくる。

 

 王国側の要人がまだ戦艦を降りていないのは幸いだが、こうなってしまっては軍艦の砲はこちらに向けて撃てない。包囲の中に要人が取り残されているのに、まさかこの至近距離から40ミリ対空機関砲をぶち込むわけにはいかない。

 

 今頃になってかけつけてきた海軍航空隊の戦闘機だって同じだ。そして、軍港の警備要員の小銃や拳銃などはそもそもドラゴン相手に役に立たない。式典参加者の命運は、今やドラゴンの環の中にいる魔導騎士ふたりに託されているのだ。

 

「なぁ、爺さん。……いざとなったら、俺は誰を護るべきだ?」

 

 相対するドラゴンの数が多すぎる。バルバリ爺さんの聖なる障壁がなくなったら、その後ろに隠れている要人全員をジェイボスひとりの剣だけで護ることは不可能だ。護る対象を絞らざるを得ない。

 

「殿下を、……ルーカス殿下を、頼む」

 

 脂汗をながしながら、やっとのことでジジイが声を絞り出す。任務に就く前から決まっていた答え。ジェイボスは、あえてそれを確認したのだ。

 

「で、殿下だけは、絶対に護らねばならん。我々の命にかえても……」

 

「……了解だ」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と青ドラゴン その03

 

「なぁ、爺さん。……いざとなったら、俺は誰を護るべきだ?」

 

「殿下を、……ルーカス殿下を、頼む。我々の命にかえても……」

 

 長老騎士バルバリが沈痛な表情で語る。ジェイボスはちらりと後ろを振り返る。彼の警護対象である公国公子殿下が、震えながら不安そうな顔でこちらを見ている。

 

 

 

 ルーカス殿下。代々の公王陛下と同じ黒い髪。漆黒の瞳。そして長い耳。ちょっと線の細い十五歳のメガネの少年。

 

 亡き公王妃殿下はエルフ族だった。すなわち、殿下はハーフエルフだ。その可愛らしい容姿から国民には人気があるが、一方で現公王陛下と比べてしょうしょう頼りないとの評判もある。たしかに外見だけならば、ジェイボスから見ても男らしさが足りないような気がしないでもない。たまに見せる仕草が女の子っぽいというか……。

 

 しかし、同盟国から招いた学者や大臣の出迎えを任されるということは、陛下や政府から信頼されているのだろう。殿下の同級生であるメルちゃんから聞いた噂だと、彼はかなりの変わり者だが学業成績はぶっちぎりトップだそうだ。特に科学の知識に関してはまるで未来か異世界から来たかのようだ、ときいた事もある。

 

 まぁ、殿下がどんな人間でも関係ない。騎士であるジェイボスの仕事は、彼を全力で護ることだ。命をかけて。

 

 一頭のドラゴンがジェイボスに迫る。足元を狙って剣を薙ぐ。……とどかない。翼を広げてさがりやがった。

 

 クソ。深追いはできない。ジェイボスが離れる隙をねらい、他のドラゴンが魔法陣を展開するバルバリ爺さんに迫る。爺さんがやられれば、後ろに護られた要人達は全滅だ。

 

 しかもこいつら、決して高度を上げない。空に舞い上がれば対空機銃で狙われるのがわかっているのか。

 

「くそったれ、トカゲのくせに統制が取れすぎている!!」

 

 どこかに指揮命令している者がいるのか。せめてやつらの目的がわかれば対策もあるのだが。

 

「そ、そろそろ、限界じゃ」

 

 爺さんが声を引き絞る。顔が土色だ。魔法陣が薄れていく。

 

 ……わかった。

 

 

 

 

 

 ひゃっ!

 

 まるで女の子のような悲鳴をあげたのはルーカス殿下だ。ジェイボスがその太い腕で殿下の腰を抱え込んだのだ。彼ひとりを抱えて逃げるために。

 

「ジェイボス、……儂が囮になる。殿下を頼んだぞ!」

 

 バルバリ爺さんの魔法陣がついに消滅した。取り囲まれた人々が、ドラゴンどもと直接相対する。

 

 えっ?

 

 ルーカス殿下が叫ぶ。

 

「ま、まってください! 私だけ逃げるなんてダメです。騎士様、おろして! 逃がすなら大臣さんを先に!!」

 

 だが、周囲の大人達がそれを許すはずがない。要人の中でもっとも偉そうな男が殿下を叱る。ジェイボスも顔を知る国防大臣だ。

 

「殿下、あなたの知識、見識、聡明さは公国市民全員の誇りだ。だから、つい我々はあなたがまだ子供だということを忘れてしまう。だが、……こういう緊急事態くらい、大人の役割を果たさせてもらいます。子供は素直に言うことを聞きなさい!」

 

 もしここで殿下を犠牲にして生き残ったとしても、公国市民はそんな大人を許してはくれまい。どのみち公国での政治家生命は終わりだ。ならば、大人として、紳士として、格好つけさせてもらおうか。

 

 常日頃は魔導騎士を厄介者扱いしている国防大臣が、ジェイボスに命じる。

 

「いけ、魔導騎士。殿下だけでも護って見せろ」

 

 言われるまでもない。ジェイボスが市街に向けて走る。ルーカス殿下を抱えて。

 

 

 

 

 

 ……しかし、ジェイボスの逃走は成功しなかった。

 

 くそったれがぁ! どうしてトカゲ共は俺ばかり追ってくるんだよ!!

 

 殿下を抱えたジェイボスが走れたのはほんの数十メートルだった。この場に居たドラゴンすべてが、例外なく逃げるジェイボスを追ったのだ。彼は埠頭の根元付近で再びドラゴンの群に取り囲まれ、ついに進退窮まった。

 

 こいつら、初めから殿下だけを狙っていやがったのか? トカゲにそんな知能があるというのか?

 

 既に『聖なる障壁』はない。すべてのドラゴンがジェイボスと殿下を狙って一斉に爪を振るう。前後左右から間断なくブレスが襲う。

 

 ぐがぁぁぁぁ

 

 殿下を背中に、ジェイボスが咆える。彼はつい先日、公都を襲撃した青ドラゴンの群に殺されかけた。ウーィルのおかげでなんとか命は助かったものの、二度目の失態は許されない。……いや、自分が死ぬのは構わない。恐くない。恐いのは、自分の任務を果たせないことだ。殿下を護れないことだ。

 

 くそ、くそ、くそ、くそ!

 

 必死に剣を振るう。冷凍ブレスから殿下を庇う。

 

 爪が腹に食い込む。ブレスによりすでに脚は凍り付いた。それでも剣を振るう。殿下を護る。

 

 身体が動かない。目が見えない。殿下はどこだ。まだ生きているのか。

 

「殿下ぁ!!!」

 

 魔力が出ない。剣がウロコに弾かれる。腕が痺れる。剣を取り落とす。くそったれ。目の前の少年に覆い被さる。背中にブレスの直撃。これで何度目だ。だめか。だめなのか。俺はここまでなのか。

 

 薄れつつある意識の中、脳裏に人影がうかぶ。これが走馬灯ってやつか。誰だ? メルちゃん? ウーィル? ちがう。……うそだろ? 死ぬ直前に思い浮かべる顔が、あんなおっさんだなんて……。

 

 

 

 

 スパッ。

 

 ほんの数メートル先、ジェイボスに向けとどめのブレスを吐こうとしたドラゴンが、唐突に動きを停止した。

 

 えっ?

 

 血で染まった狭い視界の中、黒い筋が空間を走ったように見えた。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、ドラゴンの首が落ちる。切断面から噴水のように鮮血が吹き出し、頭上から降りそそぐ。

 

「……んんんん、あれれ、じぇいぼす? なんれおまえがここにいるのら?」

 

 剣をもった酔っ払い少女が、空から降ってきた。

 

 




 
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美少女騎士(中身はおっさん)と青ドラゴン その04

 

 

 パブの窓から港へ飛んだウーィルは、まったく迷わなかった。

 

 自分でも何故なのかはわからない。そもそも、なぜ自分が空を跳べるのかもわからない。しかし躊躇はない。彼女には、声が聞こえていたのだ。必死に助けを求める声が。ウーィルは、その声に抗う気などまったくなかった。

 

 そう、……向かうべきは埠頭。助けるべきは声の主、ウーィルの主。倒すべき相手は、水の法則を司る守護者、青ドラゴンどもだ。

 

 

 

 

 空から見下ろす埠頭の上、人間がふたり小型ドラゴンの群に囲まれている。毛むくじゃらのでっかい男はよーく知っている。そしてその背中に庇われる少年。

 

 いったい何カ所負傷しているのか。血だらけのオオカミ族の青年がついに剣を取り落とす。膝をつく。その場に崩れ落ちる。絶望的な状況。とどめのブレスを吐くべく、ドラゴンが大きく口を開く。

 

 間に合わない!

 

 ウーィルは、乗っかっていた剣から跳び降りる。虚空に躍り出る。落下の勢いのまま柄を握る。空中でそのまま剣を振り下ろす。

 

 切っ先が空を走る。軌跡そって空間に黒い筋が走る。それがドラゴンめがけて飛ぶ。

 

 

 

 

 

 ああ、だめだ。身体が動かない。俺、まだ一人前ではないみたいだ。……ごめん、おっさん。

 

 それは、力尽きたジェイボスが目を閉じようとした瞬間だった。

 

 スパッ。

 

 ほんの数メートル先、ジェイボスにとどめのブレスを吐こうとしたドラゴンが、唐突に動きを停止した。

 

 無限にも思える数秒間の後、ゆっくりと、ゆっくりと、ドラゴンの首が落ちる。切断面から噴水のように鮮血が吹き出し、頭上から降りそそぐ。

 

 救援の騎士? 間合いの外から斬ったのか?

 

 ジェイボスは、一瞬遠くなりかけた意識を強引に現実に引き戻す。最後の力を振り絞り顔をあげる。目を見開く。

 

 誰だ? 誰の剣だ?

 

 彼の真上、眩しい太陽の光の中に人影が踊る。冴えない服装。だらしのないシルエット。黒くて長い剣。不敵な表情。

 

 おっさん?

 

 ……そうか。おっさん、やっぱり生きてたんだな。死んだなんてウソだったんだな。あんたが来たのなら、安心だ。

 

 ジェイボスの身体の力が抜けた。

 

 

 

 

 

 

「……んんんん、あれれ、じぇいぼす? なんれおまえがここにいるのら?」

 

 ちょっとかん高く、ちょっと鼻にかかったロリボイス。その姿はとにかく小さくて、華奢で、細くて……。人とドラゴンの血と肉片が飛び散るその場にはまったくそぐわない。

 

「き、騎士ウーィル?」

 

 そんなウーィルをキラキラした目で見つめているのは、ジェイボスの大きな身体の下から這い出してきた少年だ。

 

 さっきの助けを求める声の主、……だよね? オレはこの少年を助けるために来た、はずだ。

 

 ウーィルは少年の顔を見つめる。

 

 メガネ。耳が長い。全体的に線が細い。一見して女の子みたいな少年。

 

 ルーカス……殿下?

 

 

 

 ウーィルはこの少年を知っている。当たり前だ。彼は公国騎士だ。公王太子殿下の顔を知らないはずがない。

 

 しかし、頭の中の記憶と肌の感覚が繋がらない。不協和音を奏でている。あの日、オレがウーィルになってしまった日と同じだ。

 

 さっきの助けを求める声の主は殿下だったのか? なぜ、声が聞こえた? なぜ、助けなきゃと思った? 目の前の少年に対して感じる、この不思議な感情はなんだ?

 

「あ、あぶない騎士様!」

 

 叫んだのは殿下だ。

 

 どすんっ!

 

 背中に振りおろされた爪。ウーィルはほんの三センチ身体をずらし、余裕で避ける。

 

 おそい!

 

 振り向きざま、のろのろと動くドラゴンの首の下から剣を振り上げる。一閃。二頭目の首が飛ぶ。

 

 そのまま上に飛ぶ。自分でも信じられないほど高く飛べる。剣も身体も羽のように軽い。まるで自分の体重が無いかのように。

 

 空中でドラゴンと正対。目を見開き驚いた顔のハチュウ類。そのマヌケずらを正面から縦に割く。

 

 

 

 

 うっぷ!

 

 やばい。身体を動かしたらまた酸っぱいものがあがってきた。

 

 うぇぇぇ、気持ち悪い。これ以上空中を跳びまわるのは、いろいろとまずいような気がする。……ええい、めんどくさい。まとめて斬ってやる。

 

 ウーィルは下から上昇してきたドラゴンの背の上に着地。そのまま仁王立ち。トカゲ共が密集する空間めがけて再度、空間を斬る。裂け目を飛ばす。三頭まとめてバラバラの肉片にする。

 

「騎士ウーィル! うしろ!!」

 

 またもルーカス殿下の声。振り向けば、踏み台にしているドラゴンが首を後ろに向けている。自分の背中の上にいるウーィルに向け冷凍ブレスを吐こうとしている。

 

「そのまま体重をかけて潰しちゃえ!!」

 

 自分でもどうやったのかわからない。とにかくウーィルはもう動きたくなかった。だから殿下の声に従っただけだ。

 

 がくんっ

 

 ウーィルが乗っかっているドラゴンが落ちる。同じ姿勢のまま高度だけがガクンと落ちる。翼は健在だ。ドラゴンは必死に羽ばたいている。それでも垂直に落ちる。まるでウーィルの体重が一瞬にして山のように重くなったかのように。

 

 へぇ。不思議だなぁ。

 

 ウーィルは他人事のようにつぶやく。ドラゴンの様子を見るに、背中に乗ったウーィルの体重が重くなったのは確かなのだろう。そういえばさっき空を飛んだときは、身体が軽くなったような気がしたな。もしかしてこの身体、体重を自由に変えられるのか?

 

 ずしん。

 

 ドラゴンが地面に落下した。埠頭のコンクリートにめり込む。それでもドラゴンはあきらめない。この世界最強の生物としての矜持をかけて、渾身の力を込める。背中に乗る小さな人間を振り落とそうともがく。

 

 あきらめのわるい奴だな。

 

 ミシ、ミシ、ミシ

 

 だが、ドラゴンは動けない。背中に乗る少女の圧迫。ウーィルの体重はまだまだ増加していく。地面にさらにめりこむ。いったいどれだけの重量がドラゴンの背中にかかっているのか。

 

 ぎゅぎゃあああああああ!!

 

 ぐしゃ!

 

 イヤな音。そして断末魔の咆哮。最後のドラゴンが、ウーィルの体重によって潰されたのだ。

 

 さいご?

 

 視線を上にむけると、取り囲んでいたはずの無数の小型青竜どもはみな上空へ逃げていく。港にいる軍艦の機銃や大砲が、いままで撃てなかった鬱憤を解放するかのように轟音をたてて空中のドラゴン達を狙って撃ちまくる。

 

 ……とはいえ、飛行機と比較しても小さな目標がバラバラの方向に逃げていくのを狙っても、そうそう当たるものではないが。

 

 

 

 海軍、警察、騎士団。さまざまな制服の武装集団が現場に集まったのは、ドラゴンが去ってから30分ほどたってからだった。まずジェイボスなどのけが人が病院に搬送された後、それぞれの集団による現場検証がはじまった。殿下の前で自重はしているが、あからさまにお互いを牽制し合いながら。

 

 公都の港での突発的な大規模な戦闘、しかも連合王国海軍を巻き込み、よりによって狙われたのは殿下だ。後始末は政府をあげての大騒ぎになるだろう。

 

「ウーィル、ウーィル、ウーィル、やっぱり来てくれた!」

 

 ドラゴンの血と肉片にまみれた埠頭の一角。大人達の喧噪をよそに、少年はただただ泣いていた。サイズがあっていないブカブカの服装に長い剣をもった少女に抱きつきながら。

 

「はっはっはっはっは、きにすることはないれすよ。わらしはきしですからぁ」

 

 たったひとりでドラゴンの群を一蹴した少女騎士が偉そうに応じる。周囲の大人達は、そんな不思議な光景を遠巻きに見守るだけだ。

 

「……騎士ウーィル・オレオ。私はあなたに謝罪させていただきたいことがあります」

 

 ルーカスが、ウーィルの顔を正面から見つめる。

 

 ん? 礼じゃなくて謝罪? ジェイボスが殿下を護って死にかけたことかな?

 

「らいじょうぶ。あいつのことならきにしないでいいのらよ」

 

 ジェイボスの奴は重傷だけど命には別状ないって。ホント頑丈だよな、オオカミ族。

 

「ち、ちがいます。……いえ、騎士ジェイボス・ロイドには別の機会にお礼をさせていただきますが、私がいま謝りたいのは騎士ウーィル・オレオ、あなたです」

 

 真剣な顔の殿下。ちょっとかっこいいかも。

 

 ウーィルは、瞬間的に目の前のハーフエルフの男の子に見とれてしまったことに、自分でも気づいていない。

 

「あなたは覚えていないのでしょう。……それも私のせいなのですが、それも含めて、私はあなたに謝らなければならないのです」

 

 殿下が必死に言葉を選んでいるのがわかる。だが、まったく心当たりがない。パブで気持ちよく寝ていたのを、殿下の声で起こされた件かな? 

 

「お詫びをさせてください。できれば公王宮にお招きして、事情をすべてご説明した上で。……よろしいですか?」

 

 殿下がウーィルに問う。おそるおそるといった体で、ちょっと上目遣いで、……なんというか、こういうところはちょっと女の子っぽいというか、妙に色っぽいというか、護ってやりたくなるというか。

 

「ああ、もちろ……」

 

 胸をたたいたウーィルが、突然その場にしゃがみ込んだ。

 

 おえっぷ!

 

「ど、どうたんですか? 騎士ウーィル。顔色が真っ青! だいじょうぶですか?」

 

 き、気持ちわる、……おええええええ。

 

 騎士ウーィルは、胃の中のものをすべて埠頭から海に向かってリバースしたのだ。よりによって殿下に背中をさすられながら。

 

 





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美少女騎士(中身はおっさん)と始末書 ふたたび

 

 次の日。騎士団駐屯地。オレはデスクの前に拘束されている。目の前には白い紙。書きかけの始末書だ。

 

 こいつを仕上げないと、オレは決して解放されることはない。正面の席で、レイラ・ルイス隊長が鬼のような形相で見張っているからだ。

 

 

 

 

 

「き、気持ち悪い。レイラ、……隊長、ちょっと吐いてきていいですか?」

 

「だめよ。吐きたいのなら、そこに洗面器があるから」

 

 おまえは鬼か!

 

「じゃあ、せめて、水を、……水を、一杯だけでいいから」

 

「ダメだって言ってるでしょ! さっさと始末書を仕上げなさい!!」

 

 隊長が大声でどなる。そのかん高い声が、オレの脳みそにぐわんぐわんぐわんぐわん響く。

 

 ちょ、ちょ、頼むから、おおごえでどならない、で……。

 

「ウーィル・オレオ!!」

 

 レイラが机を叩きながら叫ぶ。これはもう怒号だ。

 

 お、おおごえをだすなぁ。あ、あ、あたまが、あたまがわれるぅ。

 

「未成年のくせにパブで酔っぱらったあげく二日酔いですって? 伝統ある公国騎士が? ふざけるんじゃないわよ!!」

 

 ご、ごめんなさい。って、さっきからなんども謝ってるじゃないか。今朝だって、こんな酷い二日酔いなのにずる休みしなかっただけでも褒めて欲しいくらいなんだけ、ど……。

 

「だまりなさい! しかも酔っぱらった姿を内外の要人達にさらすなんて、この騎士の恥さらしがぁぁぁぁ」

 

 そんなこと言ったって、昨日のことはほとんど覚えていないんだよ。マスターに無理言ってビール飲んだのはなんとなく覚えているんだが、その後このことは……。オレ、本当にドラゴン斬った? それ以外になんかヤバいことした?

 

 ばん!

 

 レイラが机に紙をたたきつける。街売りの新聞だ。例によって一面にでっかい白黒の写真。

 

 あー、空中でドラゴンの背中に乗って剣を振るってるこのちっちゃい人影、たしかにオレだわ。公式の式典だから記者が居たのは当然としても、よくもあの修羅場の中でこんな写真撮れたもんだな。……って、こんな写真撮られても別にいいんじゃね? 制服じゃないとはいえ一応騎士が活躍してるんだから。この写真のオレ、ちょっとかっこいいし。

 

「こっちの写真よ!」

 

 レイラが紙面の隅っこを指さす。小さな写真。

 

 ん? キャプションがついてる。

 

『ドラゴンを撃退し力尽きた少女騎士と介抱するルーカス殿下』?

 

 あーーー、殿下に背中さすられてるこのちっちゃいのもオレだわ。うん、殿下のお優しい一面が垣間見られる実に微笑ましい写真だよねぇ。

 

「なにバカなこと言ってるのよ! 現場にいる人間はみんな見ていたのよ、あなたが酔っぱらってゲロゲロ吐きまくる醜態を! 国防大臣も、国務大臣も、マスコミもね!!」

 

 い、いや、冷静になれ、レイラ。普通に考えて、ドラゴン襲撃の場に酔っぱらった少女なんているはずないだろ。写真を見た市民だってそう思うはず……。

 

「しかも、しかも、しかも、よりによって殿下に介抱させるなんて!! もーー、どうしてくれようか、このアホ娘!!」

 

 うわーーー、や、やめろ! 槍は持ち出すな!! おまえの魔槍はやばい。剣の間合いの遙か外から戦車の装甲すらぶち抜く衝撃波なんぞ喰らったら、さすがのオレも死んでしまう。

 

 

 

 

 

 レイラ隊長が激怒するのも無理はないのだ。いまだ脳みそ二日酔い状態ではあるが、オレだって頭の中ではそれを理解している。反省もしている。

 

 で、でもな。オレがあの時パブにいたおかげで、殿下を助けられたんだぞ。もしドラゴンのせいで殿下に何かあったら、それこそ公国騎士団最大の失態になったんじゃないのか?

 

「そりゃ、結果的に殿下がご無事だったのは感謝してるわよ。私だけじゃなくて、マスコミも好意的だし、公王陛下からは内々に感謝の意を賜ったし、それにほら、殿下から直々のお礼状まで届いているわ。だからこそ、あなたの処分も始末書だけで済むのよ」

 

 そ、そうか。それはありがたい。オレも二日酔いで苦しんでいる甲斐があったというものだ。

 

「だけど、それとこれとは話がべつ! ただでさえ風当たりの強い魔導騎士小隊なのに、足元をすくわれるようなネタをあたえてどうするのよ!」

 

 はぁ。

 

 レイラがひとつ大きなため息をついた。眉間の皺が目立つからため息はやめた方がいいぞ、……などと口に出せるはずもない。

 

「ウィルソンが、草場の陰で泣いてるわよ」

 

 はっ? ウィルソンはオレなんだが。

 

 ……まぁ、世間一般の父親なら、年頃の未成年の娘がひとりでパブに出かけて酔っぱらって醜態さらしたら、確かに泣くかもなぁ。もしメルが同じ事やったら、オレも泣く。

 

「あなた、ウィルがどれだけ二人の娘を大事にしていたのか、知ってるの?」

 

 そういえば、オレとレイラが若い頃、レイラはオレのことを『ウィル』と呼んでいたな。なんか懐かしいぞ。

 

 それはともかく。その『ウィル』が、メルをどれだけ大事に思っているのかは、オレも知ってる。メルはオレの宝だ。そりゃもう公国よりも世界のすべてよりも大事だぞ。

 

「そもそも、あなたみたいな年頃の娘が、どうしてあんな店にいくのよ。それもひとりで。 ……ねぇ、あのお店、ウィルに教えてもらったの?」

 

 あ、ああ。

 

 オレは曖昧に頷く。そういうことにしておいた方がよさそうだ。

 

 

 

 

 

「はぁ……。本当にあの男はバカなんだから」

 

 レイラがもうひとつため息をついた。あの男ってのはオレのことか?

 

「あのお店ね。ウィルが騎士団に入ったばかりの頃、たまたま私と彼が街に入り込んだヴァンパイア探索のチームを組んだことがあって、あのあたりの探索の時よくご飯を食べに行った店なの」

 

 そうだっけ? そうだったかもな。

 

「普通は女性づれであんな安パブにいくのはおかしいけど、まぁ仕事中だし、そもそも私は女性扱いされていなかったし」

 

 そ、それはすまなかった。

 

「でも、たしかに料理は美味しかったわ。それに、気を張りっぱなしで精神をすり減らしながらの仕事の合間に、とぼけた顔していつもひょうひょうとしているウィルの顔を見ながらの食事は、唯一ほっとできる貴重な時間だったの。彼といるのは楽しかった」

 

 もしかしてオレをバカにしているのか? まぁ、楽しかったのならば、なによりだが。

 

「……まぁ、私はいいんだけどね。でも、あとから聞いたんだけど、あの男バカだから、当時付き合い始めたばかりのあなたのお母さんも、デートのつもりであの小汚いパブに連れていったらしいわね。ねぇウーィル、娘としてどうおもう?」

 

 えっ? だめだったのか?

 

「つ、妻、……じゃなくて、母も、喜んでいた、……と聞いてますが」

 

「そうよねぇ。あなたもだけど、彼女もウィルと同じくらい変わった人だったわよねぇ。まさか私も、あんな朴念仁のアホ男に惚れる女が他にいるなんて思わなかったもの。油断したわぁ」

 

 へっ?

 

「あ! うそうそ。なんでもないの。今のは忘れて。……そうだ!」

 

 な、なんだ、急に大声出して。

 

「私、あなたたち姉妹のお母さんになってあげる」

 

 はぁ? 何を突然いいだすんだ?

 

「ウーィルもメルちゃんも、両親が居ないといろいろ大変でしょ? 私が母親代わりになってあげるから、なんでも頼っていいわよ」

 

 は、はぁ。それはありがたいけど、しかしオレはともかくメルには亡くなったとはいえちゃんと母親がいたわけで……。

 

「ウーィルが昼間から飲んだくれるようなダメ娘に堕落しちゃったのも、家に叱ってくれる人が居ないからだと思うの。だから私が母親代わりにビシビシ叱ってあげるわ」

 

 い、いえ、そーゆーの間に合ってますから……。

 

「そして二人の結婚式には、私が母親として出席してあげる。あ、その前に、すてきな結婚相手を見繕ってあげるわ。任せて!」

 

 あのー、俺達の前に、レイラは自分の結婚相手を捜すべきじゃあ……。

 

「だまらっしゃい! なにか文句あるっての、このアホ娘!!」

 

 い、いえ、ありません。……よろしくお願いします。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と女子学生

 

 ある日の職場帰り。

 

 ジェイボスの野郎は、たった数日の入院で娑婆に戻ってきた。さすがにまだ現場に出ることは許されず、地道なリハビリトレーニングとデスクワークの日々を送っているが。それにしても、あれだけドラゴンのブレス直撃を喰らっておいて、もうデスクワークが可能というだけで驚異的だよなぁ。

 

 とはいえ、肉体的には頑丈でも、精神的にはけっこう参っているようだ。一度ならず二度までもドラゴンに殺されかけた自分に対して、そうとう忸怩たる思いを募らせているらしい。

 

 あの若造は脳みそが筋肉でできている単細胞だからなぁ。人間がドラゴンに勝てないなんて当たり前なんだから、それで落ち込む必要などないと思うのだが。

 

 それはともかく。ジェイボスが実戦戦力として計算できないとなると、他の騎士に負担がかかるのは仕方が無いわけで、最近はオレもちょっと忙しい。買い物に行く暇もないくらいには。

 

 

 

 

 夕焼けが照らす石畳の広い道。道を急ぐビジネスマン。労働者。新聞配達の少年。靴磨き。馬車と自動車による大渋滞。

 

 このあたりは公都の中でもオフィス街であり商業地区だ。明るいうちならば、若い女性がひとり歩きしても問題ない程度には治安がよい。そのため、買い物の主婦や学校帰りの女子生徒の姿もたくさんみえる。

 

 だから、ちょっとブカブカな騎士の制服姿の少女、つまりオレがあるいていても、それほど目立つことはない。目立たないはずだよな?

 

 で、そんな街中でオレがなにをしているかというと、……買い物だ。たまたま久しぶりに早く帰れる今日を逃すわけにはいかないのだ。

 

 オレは女性用の洋服屋さんを覗く。

 

 十年以上前、妻に付き合わされたことがあるお店だ。自慢じゃないがそれ以来、この店に限らず女性服のお店などいったことがない。妻が死んだ後、メルの子供服はレイラ隊長に土下座して買ってきてもらっていたのだ。

 

 うへぇ。

 

 あたりまえだが、女性客しかいない。店員も女性だ。ていうかエルフだ。美人だ。店の中に入りづらいなぁ。

 

 

 

 

 実は、先日ドラゴンの群からルーカス公王太子殿下を助けてやった後、殿下からお礼状をもらったのだ。そこには、『是非直接お礼をしたい。ついては公王宮に飯でも食いに来てくれ』(意訳)と書いてあった。

 

 助けてやったのは騎士の仕事なんだからそんな気にすることはないと思うのだが、殿下の申し出を無下に断るわけにもいかないだろう。しかし、オレはそこで大きな大きな問題にぶち当たる。

 

 お礼状にはこうも添えられていたのだ。『非公式な場なので私服で来てね』(意訳)と。

 

 オレの身体が少女になってしまったあの日。かわったのは身体だけではなかった。周囲の人々の記憶。そしてオレの戸籍や、騎士団での公式の記録。まるで、オレがこの身体になってしまったことの辻褄を合わせるかのように、歴史が書き変わってしまったのだ。

 

 変化は物理的な事象にも及んでいた。あの日から、オレの私物はすべて女物になっていた。クローゼットの中がすべて女物になっていた。下着も含めて。

 

 歴史を書き換えたのが誰なのかは知らないが、よくぞここまで徹底したものだと感心する。しかし、だからこそ問題がある。

 

 オレは、もともとおっさんだった頃から、私服なんてほとんど持っていなかったのだ。あっても、いかにもおっさんの服ばかり。それがそのままサイズが変わって女物になっても、やっぱりおっさんの服なのだ。

 

 早い話が、殿下にお招きいただいたにもかかわらず、公王宮に着ていく服がない。

 

 先日パブに行った際に着た服は、ドラゴンの血とオレの汗とゲロの臭いが染みついている。……いや、たとえそうでなくても、あの格好で公王宮にいくのは、さすがのオレもどうかと思う。

 

 一瞬、メルの私服を借りようと思った。だが、父親が娘の服を借りるというのは、なんというかプライドというか沽券に関わるような気がする。だから却下だ。

 

 ……すっかり年頃の女の子らしい体つきになってしまったメルと、ちんちくりんなオレの身体のサイズが違うのは、今回の件には関係ない。関係ないぞ。

 

 しまった。店の入り口を前に逡巡しているオレが、通りをいく人々からジロジロ見られている?

 

 きょ、挙動不審だったか? いやいや、そんなばかな。きっと意識しすぎだ。いくらサイズの合わない騎士団の軍服で長すぎる剣を背負ったちんちくりん少女が何度も店の前を行ったり来たりしてるからといって、その程度で市民のみなさまから注目をあびるわけがない。ないよな?

 

 よし、店内に突入するぞ! ……脚が動かない。最初の一歩が出ない。突入後、店員さんにいったいなんて話しかければいいんだ?

 

 やはりレイラに頼るか、そうでなければナティップちゃんに付き合ってもらうべきだったか。い、いや、それはそれで、恥ずかしいというか、やはりおっさん騎士としてのプライドが……。

 

 ああ、オレはいま、人生最大の障害にぶち当たっている。

 

 

 

 

 

 

「おねぇちゃん!」

 

 いきなり後ろから袖を引っ張られた。肩で切りそろえた金色のさらさらヘアーの少女。

 

「メル!」

 

 白いブラウスに赤いリボン。膝丈のスカート。皮製のカバン。女子学生の制服姿。うむ、いつものとおり可愛いな、オレの娘。……だったはずなのだが、なぜかあの日いらい世間的には妹ということになっているが。

 

 公都には公立私立多くの学校がある。メルが通うのは、旧貴族やお金持ちが通う私立の名門パブリックスクールの高等部。代々の公王陛下の一族も通う公国一のお坊ちゃんお嬢ちゃん学校だ。ちなみに学費は、騎士の給料だけで賄うにはかなりきつい程度に高いぞ。

 

「お洋服買うの、おねぇちゃん?」

 

 店とオレの顔を交互にみながら、メルが嬉しそうに言う。そのキラキラした目はなんだ? どうしてそんなに嬉しそうなんだ?

 

 え、い、いや、その。

 

 なぜ口ごもってしまうんだ、オレは? オレの姿は今は女性だ。女性の服を買うのが恥ずかしいことなんてないはずだ。

 

「おねぇちゃん、騎士団のお仕事もいいけどもう少しおしゃれしなきゃ。私のことばかりじゃなくて、たまには自分のことも考えて!」

 

 そりゃ仕方が無い。妻が亡くなってから、オレの人生はメルと剣だけだ。それで十分だったし、これからもそうだ。たとえオレがどんな姿になっても。オレがおまえの父じゃなくて姉でも、だ。

 

「そ、それよりも、メルは外出なのか?」

 

 オレははなしをそらす。メルのことは愛しているが、年頃の娘との面倒くさい会話が苦手なのは仕方が無い。

 

「うん、お買い物。夕食までに寄宿舎に帰ればいいんだ」

 

 制服のスカートとともに、金色の髪が揺れる。うん。出会った頃の妻にそっくりだ。

 

「へぇ……。暗くなるまでまだ時間があるし、なんか甘い物でも食べていこうか」

 

 ここは商業地区。若い人向けの飲食店も多い。そして、オレはお給料もらったばかり。お小遣いもちょっとはある。娘と外食もたまにはいいだろう。

 

「お洋服は? 買わなくていいの?」

 

「いいよ。別に今日でなくても」

 

 店員さんに話しかける決心がつかないしな。

 

「わーい、おねぇちゃん騎士団はいってから忙しくて全然かまってくれなくて、いっしょに外食なんてひさしぶり!」

 

 そ、そうだったか。それはすまなかったよ。

 

 

 

 

 

「ねぇ、メル。どなた?」

 

 メルの後ろから、ひょっこりと顔をだす少女。

 

 おっと。メルだけじゃなかったか。ご学友が三人。そりゃそうだ。この年頃の女子学生がひとりで校外に買い物になんて出かけないよな。

 

 みんな同じ制服。みんな育ちがよさそうなお嬢様。ちなみにみんな今のオレよりも身長が高い。

 

「この方、メル様のお知り合い? 公国騎士団の制服ですわ、よ、ね?」

 

「うそ、こんな小さくて、とてもかわいらしい騎士様がいらっしゃるの?」

 

 かわいらしい騎士様って誰の事だ?

 

「そういえば、先日大聖堂を破壊してドラゴンの群を撃退したのは、私達とあまり年の変わらない女性騎士だったとききましたが、まさかこの方が……」

 

 あ、やべ。大聖堂ぶっ壊したの、こんな上流階級のお嬢様方にまで知られていたのか。

 

「ええ、わたしくの姉ですのよ。騎士団でも魔導騎士小隊のエリートですの。みなさまも、ごいっしょにお茶にいたしませんこと? おほほほ」

 

 なぜかメルが誇らしげだ。ていうか言葉使いがへんだ。このお調子者め。しかも、勝手にご学友も誘いやがった。

 

「お姉様? この方が? と、とても年上とは、い、……いえ、おかわいらしいお姉様ですこと」

 

「このお姉様がドラゴンを? と、とても信じられませんわ」

 

 ご学友が混乱しているようだ。この見た目だもんなぁ。

 

「こんなステキな騎士様とお茶をいただけるなんて、光栄ですわ!」

 

「え、えーと、みなさん。勝手に外食は校則違反では……」

 

「公国騎士様がお食事に誘ってくださるのに、お断りするわけにはまいりません。是非ごいっしょさせていただきます」

 

 あー、やっぱり、全員に奢るのか。オレのお小遣いが……。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と女子学生 その02

 

 オレとメルとご学友の女子学生達。オレ達一行はいま、日傘の下のテーブルにいる。

 

 公都中心部の繁華街。オシャレなカフェのオープンテラスだ。魔導騎士小隊の同僚ナティップちゃんに教えてもらったお店なのだが、まさか実際に店に来る機会があるとはおもわなかったぜ。

 

 

 

 うーん、道行く人々の視線を感じる。やっぱり目立つよなぁ、女子学生と女性騎士がお茶してると。

 

 それはそれとして、……おおお美味いぞこれ。オレの目の前にあるシロップたっぷりの小さなパンケーキとお茶。これ、いま公都の若い女性に大人気なのだそうだ。

 

 おっさんだった頃は甘い物はちょっと苦手だったのが、この身体になってからなぜか食えるようになったんだよな。ついでにアルコールも極端に弱くなっちゃったし、オレこの身体にひきづられて中身まで少女化しつつあるのか? 気をつけねば。

 

「どうだ? うまい、……ですか? お嬢様方」

 

 メルとご学友の皆様の顔を眺める。

 

「おいしい!」

 

 メルは満足そうにほほえんでる。自分の娘ながら、やっぱり美少女が美味しいものを美味しそうに食べている姿はいいものだ。

 

 その他の娘達は?

 

「おいしいですわ」

 

「おいしい!」

 

 おおむね満足そうでなによりだ。

 

「こんな街中の庶民のお店でお食事するなんて、初めてですわ」

 

 ……このお店、我がオレオ家の家計にとっては、ちょっと高級すぎるくらいなんだけどなぁ。

 

 

 

 

 現在の公国は立憲君主制であり、公王が君主として君臨するがその主権は憲法により大幅に制限されている。実質的な主権は自由選挙をもとにした議会にあり、貴族制は公式には存在しない。とはいえ、旧貴族の家柄は基本的にお金持ちであることに変わりはないし、有力な政治家も実業家も貴族出身が多いのは事実だ。

 

 この金髪縦ロールのお嬢様のご実家などは、わがオレオ家なんかとは比較にならないほどの本物のお貴族様でお金持ちなのだろう。

 

「ねぇねぇ、ご存じでした? あの噂!」

「ええもちろん。わたくし、耳を疑いましたわ」

「学年中大騒ぎですのよ」

 

 夕焼けにそまる大通り。パンケーキをほぼ食い終わりお茶をしながら、パンケーキとおなじくらいフワフワしたおしゃべりに花が咲く。

 

「あの方、別の殿方にも色目を使っているのですか?」

「そのうえ許嫁もいらっしゃるのですよね」

「それは、……修羅場ですわ」

 

 同級生の恋バナ、と一言でいってしまうには深刻すぎる話題で盛り上がっているらしい。旧貴族やら成金の子弟があつまる名門校なんだが、いろいろ大変なんだなぁ。メルはうまくやっていけてるのか?

 

「そうそう。パンケーキと言えば、旧市街にも美味しいお店がありましてよ」

「でも、あのあたりは治安がよろしくないと、うちの家令が許してくれませんの」

「召使いに買いに行かせればよろしいのでは?」

 

 おっと唐突に話題が変わる。短時間でコロコロ話題が変わりすぎて、いったい何の話をしているのかついていけなくなる。

 

「さきほどのお話し、それって、ストーカーじゃありませんこと?」

「しつこい殿方は最低ですわよね」

「お父様にいいつけて、我が家の権力と財力をフルに使って、ぎゃふんと言わせて差し上げますわ」

 

 あれれ? 前の前の話題にもどったぞ。あの話はまだ続いていたのか。

 

「そうそう、騎士様。騎士団のすてきな殿方をご紹介していただけないかしら」

 

 うわあ。テーブルの対面で学内恋バナに夢中になってたお嬢様ふたりから、まったく脈絡なく矛先がこちらに向かってきたぞ。

 

 な、なんか勘違いしているようですが、中世時代じゃあるまいし、いまの公国騎士は単なる国家公務員なので、名家のお嬢様方のお相手はちょっと……。

 

「いいえ、公国においては、いまだに騎士様はそれだけで名誉ですのよ」

 

「うらやましい、私もこんな凜々しくてちっちゃくてかわいらしいお姉様がほしかったですわ」

 

 だれがちっちゃくてかわいらしいだ。オレは君たちよりもかなり相当だいぶ大幅に年上なんだぞ。

 

「おほほほほほ。我がオレオ家は、代々武門の家柄ですのよ!」

 

 またメルが調子に乗ってアホなことを言い出した。おまえ、本物のお嬢様達に張りおうとするのはやめろ、無駄だから。我が家は代々平民だ。お前が生まれたのは、剣しか能がない筋肉バカの家柄なんだよ。

 

 ……まぁ、なにはともあれ、メルも友達と仲良くやっているようで、ちょっと安心したぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 ん?

 

 ウーィルは、お嬢様の中のひとりに目が向いた。

 

 メルがまったくもってお嬢様らしくないのはもともとだが(一番かわいいけどな)、お嬢様の中にもよくよく見ればひとりちょっと異質な娘が居るぞ。

 

 腰まで届く見事な銀髪かと思ったが、よくみればこれ白髪だな。そしてとても可愛らしい顔立ちも、もしかしてちょっと東洋系なのかな?

 

 にこっ。

 

 おっと目が合った。オレに向かって微笑んだ。見つめていたのバレちゃったか。

 

「はじめましてメルのお姉さん。そういえば自己紹介がまだだったね。ボクはレン・フジタ。メルの親友さ」

 

 こ、個性的な娘だな。名前もかわっているし。外国人?

 

「私は公国騎士、ウーィル・オレオです。いつもメルがお世話に……」

 

「おねぇちゃん! レンはね、寄宿舎では私と同じ部屋で、皇国からの留学生で、成績ではルーカス殿下と並んで学年トップなんだよ!」

 

 あ、ああ、そうですか。このボクっ娘。口調がちょっと妙なのは皇国からの留学生だからなのか。

 

 ちなみに皇国とは、はるか地球の裏側、東洋にある島国のことだろう。列強の中でも独特な歴史と文化を誇る国だと聞いている。もちろん行ったことなどないが。

 

 我が公国と連合王国と皇国、これら三つの島国は軍事同盟を結んでいる。先の大戦の折りには皇国海軍の艦隊がはるばる旧大陸まで派遣されてきたと聞いている。軍事的なものだけでなく、貿易や文化的な各種交流もお互いに盛んだ。

 

 とはいえ、皇国人の知り合いははじめてだ。あの国の人間はみんなそんな髪の色なのかなぁ。それに、あのブラウスの胸ポケットから顔を覗かせているのは……?

 

「……ああ、ボクのこの髪はちょっと特別なんだ。一般的な皇国人は、騎士ウーィルと同じ黒い髪をしているよ」

 

 わ! 心を読まれた?

 

「騎士ウーィル。君とは是非一度お話しをしたかったんだ。こんなところで会えるとは、やはりボクは運がいい」

 

 え? なに? どういうこと? 初対面だよね?

 

「そして、これは……」

 

 ウーィルの困惑などおかまいなしに、レンは自分の左胸を指さす。メルよりもちょっと慎ましやかな、そしてウーィルよりもかなり豊かな、おそらく年頃なりの平均的な膨らみの胸。その胸元、ブラウスの胸ポケットから覗いているのは、……白いネコ? 小さなぬいぐるみ?

 

 いくらなんでも、制服の胸ポケットに収まるサイズが、本物のネコのはずがない。だが、ウーィルの目には、それはどう見ても本物の小さな白い子ネコにしか見えない。

 

「ふふふふ。この子はボクの守り神さ。きっと君とはなかよくなれると思うよ」

 

 へっ? ……う、動いてる。小さな子猫が手で自分の顔を洗っているぞ。おお、いま確かにオレの顔をみた。子猫のつぶらな瞳。か、か、かわいい! 

 

「皇国ではね、白いネコは幸福を招くものと言われているんだ。……きみ以外の人間には小さなぬいぐるみしか見えないはずだから、この子のことは内緒にしていてくれないかな。頼むよ、騎士ウーィル」

 

 オレ以外には? そんな事がありえるの?

 

 まったくもって理屈も事情もわからないが、メルのお友達がそういうのならそうしてやろう。子猫かわいいし。……言うとおりにしてやるから、オレにもなでさせて!!

 

「えっ、なになに。おねぇちゃんとレン、なに内緒話しているの? 私もいれて」

 

 オレとレンさんの会話にまったく遠慮なく割り込んでくるメル。まったくレンさんの胸ポケットの子猫を気にしていない? 本当に、本当に、オレ以外にはただのぬいぐるみにしか見えないのか?

 

 

 

 

 

「きゃーーーーー!」

 

 会話を遮るように、悲鳴があがる。オレ達が茶を飲んでいるお店のすぐそばだ。

 

「こんどはなんだ?」

 

 オープンテラスの俺達のテーブルから目と鼻の先で、女性の悲鳴。オレは反射的に背中の剣に手をかける。

 

 まさか、貴族のお嬢様方をねらった騒動じゃないよな?

 

 見れば、大通りのど真ん中に人だかりができている。見るからに堅気じゃない若造グループが市民に因縁をつけているのか? 白昼堂々迷惑な話だ。

 

 ……面倒くさいなぁ。おっさんとしては、勤務時間外だし、娘やご学友といっしょだし、かかわりたくないなぁ。でも、……騎士の制服姿だしなぁ。見て見ぬ振りもできないかなぁ。

 

 仕方ない。

 

「あー、もうしわけありません、お嬢様方、メル。私はちょっと騒ぎを収めに行ってくる。すぐ帰るから、……ここから動かないでくださいね」

 

 立ち上がる。メルには叱られると思ったが……。

 

「おねぇちゃん、やっちゃえ!」

 

 あれ? 期待の目? さっきよりもキラキラしている。

 

「さすがおねえさま。正義の騎士ですのね」

 

 あれれ、ご学友のみなさんも?

 

「……君の力、見せてくれるかい」

 

 レンさん? その悪役っぽい上から目線のセリフ。君はいったい何者なんだい?

 

 なんにしろ、そんなに期待されるとやりづらいなぁ。……なんて思いながら、オレは騒ぎの中心に向かったのだ

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とやんちゃ小僧ども

 

 

 人だかりをかき分ける。

 

 騒ぎの舞台は、先ほどオレが入店しようとして躊躇してしまったあの店。ちょっと高級な女性用の衣料品屋さんだ。

 

 ……ああ、なるほど。

 

 オレは一目で事情がわかってしまった。騒ぎの中心に居るのは女性店員。それを三人組の若者が取り囲み、因縁をつけている。

 

 嫌がらせだ。

 

 若者は、みなボウズ頭で妙に体格が良い。格好からして大陸の帝国かぶれだな。内ポケットにナイフを隠している。……あらら、拳銃を隠しもってるのもいる。即席の訓練くらいは受けたことがありそうだ。

 

 そしてもうひとり。いや、もう一頭。

 

 普通の人間よりもはるかに大きな身体。ボロボロの服。鼻をつまみたくなる悪臭。知性の感じられない顔。もじゃもじゃな髪、牙、そして巨大なツノ。……オーガだ。

 

 両手と首につながれた鎖の先を、若者のひとりが握りしめている。番犬かわりなのか? いや、嫌がらせのつもりなんだろうなぁ。本当に頭の悪い連中だ。ていうか、よくそんなでっかいの、この繁華街までつれてきたな。店の前に停めてあるトラックでわざわざ運んできたのか? ご苦労なこった。

 

 一方、取り囲まれ嫌がらせをうけている店員の女性は耳が長い。エルフだ。

 

 

 

 

 エルフ。

 

 われわれ人類とはことなる種族。人類よりも圧倒的に少数だが、主に旧大陸の各国にそれなりの人口が暮らしている。

 

 とはいえ、平均寿命が人類よりも長いこと、風の魔力持ちの確率が高いことを除けば、外見も含めて人類と大きな違いはない。生物学的にはホモ・サピエンスの亜種とされ、人類との混血も可能だ。亡くなった公王妃殿下はエルフであり、現公王太子であるルーカス殿下はハーフエルフだ。

 

 エルフはもともと深い森に住む種族だ。それゆえ中世以前は、かろうじて人類の国家と棲み分けができていた。しかし、産業革命とともに森林が激減した結果、彼らは住処を失った。同様に住処から追い出された魔物やモンスターは絶滅へと向かい、エルフは流浪の民となった。もともと国という概念が希薄なエルフ達は、熾烈な列強各国の勢力争いの時代、一部の国では公然と迫害の対象となった。

 

 一方、大洋の真ん中にある島国、我が公国では事情がかなり異なる。公国は異世界への穴が開いているとも言われるほど、いまだに魔物やモンスターがどこからともなく多数出現する。開拓が進んだ海岸沿いをはなれれば、多くの魔物が跋扈し人々の侵入を拒む大熱帯雨林が広がっている。わずかとはいえ、エルフや獣人の住処が残されているのだ。

 

 ついでに、大陸ではすっかり激減した魔力持ちの人間が生まれる確率も、公国はいまだに世界平均の十倍にもおよぶ。これもあわせて、公国が現代の『魔法の国』と呼ばれる所以となっていたりする。

 

 そんなわけで『魔法の国』公国では、エルフ、獣人、さらに魔力持ちに対する社会的なアレルギーはおおくはない。法的にも差別はないことになっており、最近は迫害から逃れるため大陸から公国へ亡命するエルフや獣人もいるそうだ。

 

 もっとも、法的に迫害されないといってもそれはあくまで建前でしかない。さらに近年では公国内にも大陸の列強国の独裁者シンパも少なくない。血の気の多い若造共が、他国のマネをして社会的地位のあるエルフに嫌がらせしているときく。国際的なトラブルを嫌う当局の取り締まりが甘いから、連中がつけあがるのだが。

 

 

 

 

 ああ、面倒くさいなぁ。

 

 騎士団は公王直轄の組織。建前とはいえ行政府からは独立した武装組織だ。だからこそ、政治的なはたらきは苦手、というか民主主義を標榜する我が国においては政治的な武力行使の自制が求められる存在だ。特に魔導騎士においては、政治活動家のいざこざには絶対に首を突っ込むな、と普段から強く強く釘を刺されている。

 

 うーん。どうしようかなぁ。でも、あきらかに嫌がらせだよなぁ。後先考えずに問答無用でぶちのめしちゃっていいかなぁ。

 

 などと悩んでいたら、……お、ラッキー。野次馬の中に見知った顔を発見!

 

 ウーィルは、野次馬の一番後ろの男に声をかける。山高帽にステッキの一見紳士、だが目つきは厳しいおっさんだ。

 

「ねぇねぇ、そこのおじさん」

 

 いきなり声をかけたオレを、男はうろんな目でみる。

 

 しまった。オレ、いまは少女だった。過去の知り合いといえど今のオレの事を知っているとはかぎらない。

 

「……なんだ。魔導騎士の嬢ちゃんか」

 

 ほっ。

 

 この姿になったオレのことを覚えていてくれたか。理屈はまったくわからないが、よかった。ならば話が早い。

 

 

 

 

 

 一見紳士風のこの男。オレはこの男をよく知っている。実はこのあたりを仕切るマフィアの幹部だ。

 

 魔導騎士小隊は、公国軍や警察とは違う。オレ達が相手にするのは、基本的に人権をもたない生き物である魔物やモンスター、要するに人間ではないものに限られる。現行犯ならば別だが、犯罪者の逮捕権もない。

 

 だから、マフィアの連中にとって、警察は敵でも魔導騎士小隊はそうではない。ヴァンパイアやサキュバスなど人間の闇世界に紛れ込んだ魔物を追ううちに、好むと好まざるとにかかわらずマフィアと顔見知りになってしまう場合も少なくない。

 

「あんたたち、このあたり仕切ってるんでしょ? あの店からもみかじめ料とってるんでしょ? だったらあの小僧共なんとかしてよ。恩に着るから」

 

 そう、マフィアからすれば、魔導騎士は敵対しない程度に恩を売っておいて決して損はない相手、であるはずなのだ。普段ならば。

 

 だが、期待した返事はかえってこなかった。

 

「勘弁してくださいよ、魔導騎士の嬢ちゃん」

 

 ん? オレの頼みを聞いてくれないの? あんたのところの違法な売春宿でサキュバスを使ってるの知ってるんだけどなぁ。ガサ入れのついでに『勢い余って』あんたのビルごと組織まるごと物理的にぶっ壊しちゃったりするかもしれないよぉ。

 

「……あいつら、ただのやんちゃな小僧じゃないんです。バックには帝国シンパの枢密院の長老議員がいるんですよ。そのまた背後には帝国情報部の資金もでてるそうだし」

 

 え? ……あああ、聞くんじゃなかった。面倒くさい事を聞いちゃったなぁ。

 

 必要なことは伝えた、とばかりの風体でマフィア男はこそこそと去って行く。自分達の利害と関係ない部分では、面倒ごとに関わりたくないということか。大人だ。賢明だ。マフィアのくせに生意気だぞ、くそ。

 

 振り向けば、オープンテラスの娘とそのご学友達は、さっきよりもさらにキラキラした期待の目でオレをみている。

 

 あー面倒くさい。ホント面倒くさいが、……しかし、しかたがない。オレは正義の公国騎士だ。娘の期待に応えてやろうかね。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とやんちゃ小僧ども その02

 

 

「おいおいおい、この店ではこのオーガの子に服は売れないっていうのか!」

 

 高級ブティックの店の前。三人組の小僧がエルフの店員を取り囲み、因縁をつけている。

 

「も、もうしわけありません。当店ではオーガに合うサイズはご用意できませんので……」

 

「ふん、たまたまサイズ合うのがあるかもしれないだろ? 店内のすべての服、無理矢理こいつに試着させてみようぜ!」

 

「む、無理です。やめてください!」

 

「へっへっへ、……おまえエルフだろぉ? エルフのくせに、同類のオーガを差別するってのか?」

 

 もちろん、エルフとオーガは同類ではない。公国においては、エルフは獣人と同様、人類とまったく同じ市民権をもつ。しかしオークは人権などもたないモンスター扱いだ。

 

 連中がつれているオーガ。野生のオーガとは思えないから、軍用か鉱山採掘用のオーガ奴隷の払い下げだろう。オーガ奴隷なんて不経済きわまりないもの、今では公国全土でもほとんどいないだろうに、わざわざこんな嫌がらせのためにいったいどこから手に入れたのかね?

 

 まぁそんなことはどうでもいい。いいかげんオレも腹が立ってきたので、さっさと終わらせようか。

 

 

 

 

「えーと君たち。ここは往来だ。通行の邪魔だからどいてくれないかな?」

 

 おっさんなりに、慇懃に、かつ思いっきりドスを効かせたつもりだった。しかし、例によって第三者からみればかわいらしい声なんだろうなぁ。

 

 ああ?

 

 若者がきょろきょろするが、視線があわない。下を見て、やっと気づく。

 

「……なんだ、このちっちゃいのは?」

 

 失礼なやつだな。

 

「大勢で女性ひとりを囲むのはみっともないからやめてくれ、と言っているんだよ」

 

 オレの外見、そして声と似つかわしくない口調に一瞬驚いたようだが、男の表情はすぐに怒りにかわる。

 

「なんだとぉ! ガキが!!」

 

「お、おい。この制服、公国騎士団だ」

 

「騎士団? このちっちゃいのが?? まさか」

 

「……あの紋章、魔導騎士だぞ」

 

「そんなバカな。仮装、いやコスプレじゃねぇのか?」

 

 お、制服と紋章に気づいてくれたか。それは話が早い。わかったらさっさと帰れよ。

 

「ふ、ふん。公国騎士がエルフ共を庇うのか?」

 

 若造のひとりが、あきらかに強がりをいう。

 

「そうだよ。公国騎士は公国市民を護るんだ。彼女はエルフだが公国市民だ。……お前達は、帝国からお小遣いをもらっているようだな」

 

 なんだと!

 

 図星をつかれた若造が逆上する。手にナイフをもつ。拳銃を持ち出した奴もいる。オーガを繋いだ鎖をもった魔法使いが、杖をかまえる。

 

 あーーあ、ガキが。……もう引っ込みつかないだろうなぁ。

 

 

 

 

 小僧共のナイフと拳銃をみて、あつまっていた人々がざわめく。女性の悲鳴がひびく。

 

 当然のように、野次馬の大部分は少女騎士の身を案じている。しかし、少女はその可愛らしい顔に似合わぬ薄ら笑いを浮かべていた。しかも、それをまったく隠す気がない。

 

 ゆっくりと背中の剣をおろす。鞘に入ったまま、左手にもつ。その、場慣れした態度が、小僧共をいらつかせる。

 

「ガキのくせに調子に乗りやがって」

 

 ガキはおまえたちだろう、……って、オレもガキだった。だけど、オレは公国騎士だよ。魔導騎士だよ。それでも、……本当にやるの?

 

「時代遅れの騎士風情が、俺達の邪魔をするとどうなるかわかってるのか?」

 

 うん。たしかに騎士が時代遅れの存在であることは否定しないよ。たとえば組織的で機械化された軍隊相手の戦争では魔導騎士などほとんど役に立たないだろうし、政治的な目的をもった本気のテロを未然に防いだりは正直かなり苦手だ。オレ達の相手は基本的に魔物やモンスターであり、自慢じゃないが脳みそよりも魔力と剣と腕力をつかった力押しの任務が大部分なのだ。

 

 だけどな。君達は、そんな時代遅れの騎士の剣による力押しを、止められるのかな?

 

「……君たちの邪魔をするとどうなるの? 教えてよ。ほら、早くかかってきなさい。そのナイフと銃はおもちゃ?」

 

 小僧共は顔を真っ赤にして簡単に挑発にのってきた。アホだなぁ。

 

 

 

 

「この野郎!!」

 

 小僧のひとりがナイフで斬りつける。

 

 おお、少々ケンカ慣れしているようだ。もしかしたら専門家からナイフさばきの訓練を受けたことがあるのかもしれない。帝国情報部かな?

 

 だが所詮は素人。ていうか、一対一で正面から闘ってという条件付きならば、たとえプロの軍人や殺し屋でも魔導騎士に勝てる人間なんて世界でもそんなにいないと思うけどね。

 

 オレはナイフを簡単によける。

 

 ……そもそも技術以前の問題として、動きが遅すぎる。

 

 そのまま半回転して後ろ回し蹴り。側頭部にブーツの踵をたたき込む。

 

 自分より頭三つ分も身長が低い少女が、まさか頭を狙って蹴りを仕掛けるとは思わない。一撃で意識を刈り取られた小僧が、ゆっくりと倒れていく。

 

 

 

 

 

「う、動くな。撃つぞ!」

 

 もうひとりが拳銃をむける。

 

 へぇ。撃つの? 撃っちゃうの? 早く撃ちなよ。……どうしたの? 銃口が震えているよ!

 

「う、う、う、うるさい! 死ね!!!!」

 

 パン!

 

 乾いた音がひびく。

 

 瞬間。ウーィルの周囲の時間がとまった。銃弾の軌道がはっきりとみえる。

 

 うーん、本当にこの身体、時間や空間を歪ませる能力があるのかもしれないなぁ。

 

 キン!

 

 鞘のまま、剣で弾を弾く。余裕だ。

 

 オレ、全力を出したらどこまで素速く動けるのだろう? この身体の限界について、いつか試してみなきゃなぁ。

 

 

 

 

 銃を撃った小僧は目を見開く。口をあんぐり開けている。

 

 しんじられない。あどけない顔した少女が、剣で拳銃の弾を弾き飛ばした?

 

「あーあ、撃っちゃった。もう後戻りできないよ」

 

 ちょっと鼻にかかった甘い声。無邪気な口調。だが、小僧の耳には悪魔による死刑宣告にしか聞こえない。あわててもう一発引き金を引こうとした瞬間。

 

 え?

 

 少女が目と鼻の先にいた。コンマ数秒前、彼が一発目の引き金を引いたとき、彼女は数メートル先にいたはずなのに。

 

 そして目の前で微笑む。天使のような笑顔。

 

「う、う、う、うわー」

 

 錯乱した小僧が引き金を引く。

 

 撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。ほぼゼロ距離から、照準もつけず引き金を引き続ける。

 

 キンッ、キンッ、キンッ、キンッ

 

 だが、あたらない。すべての弾が弾かれる。剣の動きがまったく見えない。

 

「こんな往来で発砲しちゃったんだから、覚悟はできてるよ、ね?」

 

 息づかいが聞こえそうな距離に迫る美少女が、見上げながらウインク。

 

 ひ、ひぃぃぃぃ。

 

 恐怖の余り仰け反る。反射的に一歩下がる。振り向いて逃げ……。

 

 とん。

 

 逃げようとした小僧がその場に崩れ落ちた。少女騎士が剣の柄でみぞおちを突いたのだ。

 

 

 

 

 

 凶器をもった小僧ふたりが、あっという間もなくのされてしまった。残されたのは、魔法使いと奴隷オーガが一頭だ。

 

 オーガを拘束している鎖を握った若者の顔が、みるみる蒼白になる。ウーィルが視線を向けるだけで、ガタガタと震え出す。

 

「……なんだよ。人を化け物みたいに。こんな美少女と視線があったら、普通うれしいだろ」

 

 悪魔のような微笑み。だが、それに反応したのは微笑みかけた先の小僧ではなかった。

 

 

 

 がぁぁぁっぁぁ!!!

 

 付近のビルが震えるほどの咆哮。それまでおとなしくしていたオーガが、いきなり叫んだのだ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とオーガ奴隷

 

 がぁぁぁっぁぁ!!!

 

 オーガが叫ぶ。

 

 

 

 魔法使いの青年は駆け出しの魔物使いだった。特殊な魔導加工を施した首輪と鎖。それをとおして魔力により奴隷オーガを操っていたのだ。

 

 凶暴なオーガの本能を押さえ込むためには、繊細な魔力の行使が必要だ。だが、突如として目の前に降臨した悪魔のごとき少女騎士、ウーィルへの恐怖。それにより魔力がゆらぐ。制御が効かなくなる。オーガの本能が、魔力のくびきを断ち切った。

 

 

 

 

 

 オーガは自我を取り戻した。

 

 彼が鉱山奴隷にされたのは、人間の暦でもう五年ほど前のことだ。彼はもともと公国中央部の大森林の中に住んでいた。幼い頃に部族からはぐれ、森をさまよい闘いに明け暮れる孤高の一匹オーガだった。

 

 彼はオーガ族の中でも特異体質といえるほど体格と魔力に恵まれていた。大森林に住むヒト型モンスターの中でも最大最強だった。それが彼の誇りであり、さらにもっともっと強くなりたかった。

 

 自分の強さを確かめるため、周辺に住むオークやゴブリンの部族との殺し合いに明け暮れる日々。時には中型ドラゴンにケンカを売ったあげく、返り討ちにされ逃げ回ることもあった。それでもいつか必ず自分はドラゴンにすら勝てるようになると信じていた。

 

 しかし、そんな日常は唐突に終わる。

 

 森の中に、ニンゲンの集団がやってきたのだ。やつらは森を切り開き集落をつくった。狩り場を荒らし川を汚した。山肌に巨大な穴を掘り始め、煙を吐く巨大な鉄の機械が往き来するようになった。

 

 オーガを含め森の中の魔物達は、何百年も前からニンゲンに近づくことを嫌っていた。単独ではヒト型の生き物の中でもとりわけ弱々しいくせに、集団になれば強大で残忍になる。強力な武器と魔力を巧みに扱い、他の生き物に容赦がない。

 

 はじめに、たまたま人間労働者の集落近くを縄張りとしていたブタ面のオークどもが皆殺しにされた。ゴブリン達は、いつの間にかさらに深い森の奥に逃げてしまったらしい。

 

 誇り高きオーガは逃げなかった。彼は、ニンゲンもオークもゴブリンも平等に扱った。すなわち、不幸にも森の中でオーガに出会ってしまった者は、等しくバラバラにされ、彼の餌となったのだ。

 

 そんなオーガをニンゲンどもが見逃すはずがない。ある日、彼の巣はニンゲンの大きな群に包囲され、圧倒的な鉄と火薬と魔力により蜂の巣にされた。彼が生かされたのは、その強靱な生命力によりたまたま即死しなかったからに過ぎない。

 

 その日以来、彼はずっと首輪をつけられてきた。『魔物使い』の魔力によりもともと強くない思考力を根こそぎうばわれ、自我を失った。少ない食料で過酷な鉱山の中、ただ力しごとをする存在となった。

 

 だが、鉱山の経営者にとって、オーガ奴隷は期待したほど経済性がなかった。オーガに給料は必要なくても、今や貴重な存在である『魔物使い』の魔法使いを雇うためには極めて高給が必要だ。にもかかわらず、ちょっと油断すればオーガは他の人間の労働者を食ってしまう。日進月歩で進歩している機械、あるいは金さえ払えば黙って働く人間の労働者の方が遙かに安上がりだったのだ。

 

 彼は廃棄処分となった。

 

 しかし、ただ同然で払い下げられ処分される寸前、彼を引き取った人間がいた。

 

『卑しい魔物のくせに人間のふりをして金儲けをしているエルフに対して、奴らと同じ魔物であるオーガをつかって天誅を下す!』

 

 オーガを買い取った小僧どもは本気でそう考えていた。自分こそが公国の救世主だと。……もちろん、そのように吹き込んだ者が別にいるのだが。

 

 

 

 

 

 

 正気を取り戻したオーガ。数年ぶりに鬼の本性を取り戻した彼は、咆えた。

 

 全身全霊の咆哮。

 

 自分を奴隷にした人間に対する怒り。自分自身の弱さに対する怒り。世界のすべてに対する怒り。全身からあふれ出た怒りが一気に吐き出される。

 

 野生の本能と感情の高まりが物理的な力となる。莫大な魔力が空間に溢れる。空気が震える。地面が揺れる。

 

 その直後、石畳を巻き上げるほどの疾風。オーガの巨大なこぶしが、横殴りに振り回されたのだ。

 

 オーガに繋がれた鎖の端を握る魔法使いの小さな身体が吹き飛んだ。それはまるで枯れ葉のように舞い上がると、数十メートル先のレンガ壁にぶつかり、おちた。

 

 そして目が合う。

 

 彼の正面にいるとりわけ小さな人間。剣を持った雌。その顔に浮かぶ薄笑い。

 

 この自分のオーガとしての姿を見ても、力を間近で感じても、それでもなお余裕の薄笑いを浮かべるニンゲン?

 

 自分でも何故だかわからない。オーガの全身が総毛立った。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とオーガ奴隷 その02

 

 人間。

 

 ひ弱な生物。単独ではあわれなほどに、か弱い生き物。

 

 一方で、集団になると知恵が回る。鉄と火薬と魔力を駆使、凄まじい力を発揮する。その恐るべき力をもって、大森林に暮らしていた他のヒト型生物を根絶やしにした残忍な奴ら。

 

 そして、彼の意思を奪い数年間にわたり奴隷として使役した、狡猾な連中。

 

 

 

 

 オーガは見る。正面。手を伸ばせば届く距離。剣をもった、とりわけ小さな人間を。

 

 ここは人間の集落だ。奴らは集団になると手ごわい。だが、自分はオーガだ。矮小な人間がどれだけいるのか知らないが、一匹ずつ相手にしていけばいつかは殺し尽くせるだろう。

 

 彼は拳を握る。振り上げる。まずは目の前の雌。一撃で押しつぶす。

 

 しかし……。

 

 脚が出ない。

 

 一歩。たった一歩前へ踏み出せば、拳が届く距離。彼にとって必殺の間合い。

 

 だが、脚が動かない。その一歩を踏み出せない。脚だけではない。腕も動かない。腰が自然に引く。視線をそらすことができない。そして気付く。自分の身体全体が小刻みに震えていることに。

 

 なぜだ?

 

 小さな人間は、オーガをまったくおそれていない。身長が三倍もある自分を見上げながら、薄笑いをうかべている。こちらを見つめる黒い瞳にすいこまれそうになる。

 

 ここにいたり、彼はやっと理解した。

 

 恐れているのは自分の方だ。オーガとしての本能が、目の前の小さな雌におびえているのだ。

 

 ばかな。自分はオーガだ。誇り高き戦士だ。

 

 力尽くで腕の震えを押さえ込む。脚をむりやり前へ出す。一歩。もう一歩。そして拳を握る。力任せに両腕を振り下ろす。

 

 

 

 

 ドカン!

 

 数百年におよぶ公国の歴史を刻んだ大通りの石畳。オーガがふりおろした拳により、それが一撃で破壊される。

 

 ウーィルはほんの数センチさがっただけだ。完全に見切った拳がほんの鼻先をかすめて通過していく。

 

 ……さて、どうしようか。

 

 凄まじい風圧をまともに受けながら、ウーィルは頭を捻る。

 

 このデカ物を斬るのは簡単だ。しかし、メルやお嬢様の眼前、刺激の強い血まみれスプラッタは避けたいなぁ。……とはいえ、こんな街の中、これ以上暴れさせるわけにはいかないよなぁ。

 

 とん

 

 そして乗る。さりげなく踏み出した一歩。振り下ろされ、石畳にめりこんだ拳の上に。

 

 

 

 

 

 一瞬、オーガは何が起こったのかわからなかった。

 

 渾身の力をこめ振り下ろした拳。ちいさな人間を叩き潰した確信があった。

 

 しかし、石畳に半分めり込んだ自分の拳をみれば、いつの間にかその上に人間が乗っている。相変わらず薄笑いを浮かべながら、漆黒の瞳でこちらを見上げている。

 

 ……ふざけるな。

 

 怒りが激怒に変わる。オーガは人間を乗せたままこぶし振り上げ、……られない。

 

 な、……に?

 

 重い。ちいさな人間が山のように重い。人間は拳の上に乗っかっているだけだ。すなわち、拳にかかっているのは、人間の体重だけだ。だけのはずだ。なのに、怪力無双を誇る彼の腕が上がらない。

 

「ふん。意外と力がないんだな、オーガ」

 

 ちいさな人間が声をあげる。何を言っているかはわからないが、嘲られているのだけは理解できる。

 

 ぐおーーー!

 

 頭に血が上る。腕の筋肉に力を込める。全身全霊をもって腕を持ち上げる。

 

 すかっ。

 

 今度はあっけなく腕がもちあがる。一瞬にして人間の重さがなくなったかのように。

 

 人間め! どこに行った? 空へ跳んだのか?

 

 顔をあげる。空中、視線の真正面に少女がいる。黒い瞳が見つめる。黒いショートカットが風になびく。

 

 

 

 

 ウーィルは片刃の剣を裏返す。峰打ちだ。揃えた細い両足を折り曲げ、背中を反り、鞘に入ったままの剣を振り上げる。

 

 くっ!

 

 ひるむオーガにまったくかまうことなく、剣が振り下ろされる。半円を描く軌道の途中、真上に向けて鞘が飛ぶ。直後、瞬間的に剣の慣性質量が完全にゼロになる。

 

 物理的には絶対にあり得ない現象。ウーィルはそれを自然に、まったく無意識にやってのける。

 

 剣が一気に加速。大気を切り裂きあっという間に音速を超える。抜き身の刀身が虹色に輝く。衝撃波を引きずりながら、超音速で峰打ちの刀身が迫る。

 

 あ、あたまを守らねば!

 

 オーガは両腕を頭の前へ。間に、……あわない!

 

 息を飲んだその瞬間、凄まじい衝撃が襲った。

 

 剣がオーガの腕に衝突する直前、今度はその質量が爆発的に増大したのだ。まるで山のような巨大な質量の峰打ちが、防御した両腕をへし折る。莫大な運動エネルギーがそのまま脳天をぶん殴る。頭蓋骨を粉砕する。

 

 

 

 

 

 ドカーン!

 

 すこし遅れて衝撃波がとどく。そして……。

 

 ぐらり。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、オーガの巨体が倒れた。地響きをたてて、崩れ落ちる。

 

 ……どさっ。

 

 それを見届けた後、ウーィルは剣で天を指した。

 

 すちゃ!

 

 まっすぐに落下してきた鞘が、剣に収まった。

 

 

 

 

 ふう。

 

 ウーィルが一息ついた。

 

 まぁこんなものかな。オーガの全身はまだピクピク動いているが、しばらくは動けないだろう。目立った被害は、石畳と、……付近のお店のガラスが何枚かが衝撃波で割れちゃったか。

 

 周囲の野次馬は、みな唖然している。だが、ぶっ倒れたオーガとボロ雑巾のように転がっている若造どもを前にして、当事者であるウーィルは渋い顔だ。

 

 これ、どうしようかなぁ。とどめは刺したくないなぁ。警察にまかせたいなぁ。引き取ってくれるかなぁ。……ついでに、街中であばれちゃったから。また始末書かもなぁ。レイラ隊長、ごめん。

 

 騎士団駐屯地の方向を向き、そっと頭をさげた。

 

 

 

 

 

 あ! ……そういえばオレ、娘やそのご学友達とお食事中だったわ。

 

 唐突に思い出した。

 

 血は流さなかったはずけど、お嬢様達にはちょっと刺激がつよすぎたかも……。

 

 ウーィルはおそるおそる振り向く。メル達のテーブルに視線をむける。

 

「おねえちゃん、やったぁ!」

 

「きゃーー。メルのおねぇさま、すてきですわ!」

 

 えっ?

 

 なぜか拍手喝采が湧き上がった。

 

「さすが騎士様!」

 

 店の中だけではない。拍手が周囲に広がっていく。周囲に居た市民がみな拍手を始める。……ついでに、例によってなぜかメルがドヤ顔している。

 

 え、えへへ。……市民の皆様がよろこんでくれているようで、なによりです。

 

 

 

 

 

 

「……ふむ。君は剣と自らの身体の重さを自由に変化させながら闘うんだね。ついでに時間の進み方すら歪めているのかな? さすが『時空を司る守護者』だね」

 

 うわっ!!

 

 ウーィルのすぐ後ろ、耳元で声がした。

 

 おどろいて振り向くと、そこにいたのはメルの親友だという白髪の少女。レンさんだ。

 

「れ、レンさん。いつのまにここに。危ないから席からはなれないでって言ったでしょ!」

 

 ……ていうか、魔導騎士であるオレの後ろをとったのか? まったく気付かなかったぞ。凄いなこのお嬢様、いったい何者だ?

 

「ふふふ。凄いのはボクじゃない。この子さ」

 

 レンさんは、胸ポケットの子ネコを指さす。

 

 うわ。また頭の中を読まれた?

 

「この子はね、君とおなじ守護者なんだ」

 

 へっ? 守護者? このネコが? ていうか『守護者』ってなに?

 

 にゃぁ。

 

 レンさんの胸ポケットにおさまった小さなネコが応える。

 

 可愛い声。つぶらな瞳。このネコ、幸福を招く守り神とか言っていたような気がするが……。

 

「そう、守護者。異世界からきたボクをまもるために創られた、とても頼もしい存在。この子はね、ボクをまもるためにこの世界の法則をねじ曲げることができるのさ。……君と同じようにね」

 

 

 

 はぁぁぁぁ? 異世界? オレと同じ? 世界の法則をねじ曲げる?

 

 さっぱりわからない。オレには、このボクっ娘がいったい何を言っているのか理解できない。あたまの中をハテナマークが飛び回る。

 

 だから反応が遅れた。倒したはずのオーガへの注意がおざなりになってしまった。

 

 ぐおーーーー!!

 

 再び咆哮が再び響き渡る。

 

 なんだ? オーガが目を覚ました? ……しまった、油断した。打撃が足りなかったのか。なんて無駄に頑丈な奴だ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とオーガ奴隷 その03

 

 

「く、くそ。まさか魔導騎士がこの場に居あわせるとは……」

 

 ウーィル達からほんの数十メートル先、野次馬の環の後ろ。停車した車の中から騒ぎを見守っていた男が、苦々しくつぶやく。

 

 彼の任務は、公国国内に社会不安を引き起こすことだ。そして、帝国シンパを増やすこと。そのために、公国の若造どもをたきつけたのだ。

 

 ついさっきまで、任務は実にうまくいっていた。

 

 彼はいかがわしい店に出入りする若者達に取り入り、彼らの耳元でそっとささやいただけだ。

 

 君たちが職にあぶれたのはエルフどものせいだ。お人好しな公国市民は、狡猾なエルフにとっていい鴨だ。政治家も、公国軍も、財界も、陛下すらも、みんなエルフに騙されている。公国を救えるのは君たちしかいない、……と。

 

 なにも心配いらない、エルフ排斥を国策としている帝国がサポートしてやろう、……と。

 

 まずはお小遣いと薬を渡して手懐ける。ナイフや銃の訓練をしてやって自信をつけさせる。最後に、彼らが活躍できる舞台と小道具を用意してやる。

 

 作戦は極めて単純だ。だが、効果は大きい。……はずだった。

 

 帝国かぶれの小僧共が公都で狼藉を働く。国際的なトラブルを嫌って及び腰の警察を尻目に、彼らに解き放たれたオーガが街の真ん中で派手に暴れる。これにより、公国市民が決して一枚岩ではないことが内外に明らかになる。うまくいけば、人間とエルフの分断のきっかけになる。これは、現公王太子がハーフエルフである公国にとって、大きな社会不安につながるだろう。

 

 どうせ小僧共もオーガも使い捨てだ。本国は、公国の若者が勝手にやったこととシラを切り通すだけだ。とにかく安上がりな上、リスクがほとんどない。

 

 なによりも、ここは公国だ。この科学万能の時代に、今だ魔物が跋扈する野蛮で原始的な『魔法の国』だ。爆弾や銃器ではなくオーガを使ったテロだなんて、実にふさわしいじゃないか。未開の国でオーガがあばれたところで、国際社会も深刻なテロと受け止めることなどない。

 

 なのに、……『魔法の国』の象徴ともいえる魔導騎士が、まさかこの場に居合わせるとは!

 

 まったくもって運が悪いとしかいいようがない。……まぁいい。今回はおとなしく引き下がるべきだろう。手駒とする小僧はいくらでもいる。公国政権中枢部にも協力者はいる。本国が関与した決定的な証拠さえ残さなければ、この程度の陰謀は何度でも実行できるのだ。

 

 男は懐から杖を取り出した。手元で小さな魔法陣を描く。

 

 あの若造共にも伝えていないが、彼が用意した奴隷オーガの首輪には安全装置が仕込まれている。制御が不可能となったときに備えた自爆魔法だ。たいした爆発力ではないが、魔法陣により遠隔から起動させれば、オーガを含めて半径数メートルは吹き飛ぶだろう。

 

 証拠隠滅のついでに、あの魔導騎士にも死んでもらおうか。

 

 

 

 

 

 ぐおーーーー。

 

 ウーィルとレンのすぐ側を、再び咆哮が響き渡る。

 

 オーガが目を覚ました? ……しまった、油断した。打撃が足りなかったか。なんて無駄に頑丈な奴だ。

 

 オーガは腕で身体をささえ、すでに上半身を起こしている。立ち上がろうとしている。

 

 すげぇ体力、……というか執念だな。両腕が砕かれ、頭蓋骨が割れてるだろうに。

 

 半ば呆れているウーィルの目の前、オーガは震える脚で大地を踏みしめる。ついに立ち上がる。そして、にらみつける。射るような視線をむける。その先にいるのは、もちろんウーィルだ。

 

 ……こりゃ死ぬまでおとなしくならないだろうなぁ。気が進まないけど、トドメを刺さないとダメかなぁ。

 

「さがって!」

 

 ウーィルはオーガの視線を真っ向から受け止めながら、隣の少女に向けて叫ぶ。今度は峰打ちじゃない、本気で斬る。

 

 だが、レンさんはさがらない。かえって一歩前へでる。そして、ウーィルに微笑みかけた。

 

「心配いらないよ、騎士ウーィル」

 

 しれっとした顔。恐怖などまったく感じていないような。

 

「言ったろ? ボクは『運がいい』んだ」

 

 にゃあ。

 

 例によって胸ポケットのネコが応える。

 

 ……はあ? 『運がいい』?

 

 やはりウーィルは、レンが何を言っているのか理解できない。

 

 

 

 

 

 

 震える脚を気力だけで押さえつけ、オーガはついに立ち上がった。激痛に歪んだ視界の中、あの人間の雌がこちらを見ている。

 

 彼には本能的にわかった。自分はあのちいさな人間には勝てない。何度やっても絶対に勝てない。いまだに信じられないが、奴は強い。ドラゴンよりも強い。はるかに強い。

 

 それがわかっていても、彼に逃げるという選択肢はない。彼はオーガの戦士なのだ。

 

 自分はあの人間に殺される。間違いなく。ならば、……一撃でいい。たった一撃でいい。殺される前に、この拳をたたき込んでやる。

 

 オーガは腰を落とす。一歩だけ脚を前にだす。そして、渾身の力をこめて跳ぶ。

 

 着地と同時に、あの小さな人間めがけて拳を振り下ろすのだ。たとえ真っぷたつに斬られても、そのまま押しつぶしてやる。

 

 

 

 

 

 やばい。

 

 跳躍したオーガを前に、ウーィルは剣を握り直す。

 

 オーガが殴ろうとしているのはオレだ。避けるのは簡単だ。……しかし、今となりにはレンさんがいる。このままでは確実に巻き込まれる。

 

 ウーィルは剣を下段にかまえる。一撃を食らう前に懐に入りこみ、腕ごと切り落とす。それであの巨体が止められればよし。ダメならば、胴体まるごと細切れのミンチにしてやる。

 

 だが、……オーガの一撃はウーィル達に届かなかった。ウーィルが斬るまでもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 オーガは、着地した瞬間その勢いのまま拳を振り下ろすつもりだった。しかし……。

 

 つるっ!

 

 最初の跳躍から着地した瞬間、オーガが脚を滑らせた。

 

 なんという偶然! なんという『運の悪さ』!!

 

 彼の着地点にバナナの皮がおちていた。それに乗っかったオーガが、足を滑らせ見事にひっくり返ったのだ。

 

 勢い余ったオーガは、そのままスライディング。たまたま停車していた車に突っ込んだ。その巨体は車ごと中にいた魔法使いらしき男を押しつぶす。発動直前だった自爆魔法の魔法陣が、ゆらゆらと消えていく。

 

 

 

 

 

 へ?

 

 今度はウーィルがあ然とする番だ。

 

 そりゃ、たしかに公国は亜熱帯の国だ。バナナは身近なものだ。でも、そんな、マンガみたいな……。

 

「言ったろ? ボクは『運がいい』んだ」

 

 にゃあ。

 

 さきほど全く同じ口調で、まったく同じセリフをはくレンさんと白ネコ。

 

 運? 運だと? 今のを『運』の一言で、すますのか?

 

「そうさ。君が時空を司る守護者であるように、この子は運を司る守護者なんだ」「にゃあにゃあ」

 

 は?

 

「もうちょっと専門的な言葉でいうと、この子は波動関数の収束先を任意に選択することができる、……のだそうだよ」

 

 はぁ?

 

「……といっても、実を言うとボクもあまりよくわからない。別の世界の記憶があるといっても、もともとのボクの専門は歴史や政治だったからね。さっきのはルーカス殿下の受け売りさ。まぁ、要するに、この子がボクを守護しているかぎり、どんな状況であってもボクにとって都合の悪い未来が選択されることは絶対にないということさ。わかるかい?」

 

 さっぱりわからない。そもそも『守護者』ってなんだ? そのネコが『守護者』なのか? オレもそうなのか? そのネコが君を守護しているとして、オレも誰かを守護するのか?

 

「それをボクの口から言ってしまうのはちょっと野暮ってものだね。……いずれ、君にその力を与えた彼が説明してくれるんじゃないかな」

 

 ……オレに力を与えた彼?

 

「おねぇちゃん! やった! かっこいい!!」

 

 おっと、後ろからメルが抱きついてきた。お嬢様方が集まってくる。うやむやのうちに、レンさんとの訳のわからない会話は終わったのだった。

 

 

 

 

 

 ちなみに、パンケーキのお店は、オレ達のお会計を無料にしてくれた。今日だけではなく、今後も永久に無料にしてくれるそうだ。

 

 やっぱり善行はするものだよな。ラッキー。

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と始末書 三たび

 

 公国騎士団駐屯地。

 

 例によって例のごとく、オレは始末書を書いている。先日公都の繁華街でオーガと若造をぶっとばしてやった件についてだ。

 

「ウーィル・オレオ。先ほどからさっぱりペンが進んでいないようですね。よそ見ばかりして、本当に反省してるんですか?」

 

 腕を組みウンウン唸りながら始末書の文面を脳みそから絞り出しているオレに対して延々とイヤミをたれているこのメガネ野郎は、魔導騎士小隊副隊長ジェド・ノースだ。ちなみにレイラ隊長は、騎士団長といっしょに国防省だか内務省だかによばれているらしい。

 

 うるせぇよ。オレは剣は得意だがペンは苦手なんだよ。それでも逃げ出さずに頑張ってるオレに対して、おまえはそんなイヤミしか言えねぇのかよ。ねぎらいの言葉のひとつもあっていいんじゃないのかよ? 

 

 などと口にできるはずもなく、オレはやっとのことで書き上げた紙切れを副隊長に手渡したのだ。

 

 

 

 

 

「えーとぉ、……こんなもんで勘弁していただけませんか、ね?」

 

 オレは、メガネ野郎の顔をちょっと潤んだ目で、そして上目遣いに見つめてやった。オレなりに精一杯媚びを売ってみたのだ。なんてことない、中学生くらいの時のメルがお小遣いをおねだりする姿を真似をしてみただけだが。

 

 なっ。

 

 今の今まで怒りくるっていた副隊長がひるむ。一瞬呼吸が止まるのがわかった。もともとオレと同期、すなわち既にいい歳したおっさんであるノースが、ちょっとだけ顔を赤くしている。

 

 へっへっへ。作戦通り。オレの媚び売り作戦は成功したらしい。

 

 ……だが、こいつのクソ真面目は筋金入りだ。深呼吸を一回しただけで、通常モードに戻りやがった。そして、オレが提出した始末書をしげしげと眺めたあげく、きっぱりと言い放つ。

 

「ごほん。……なんですか、これは? 毎回毎回まったく同じ内容の始末書じゃないですか」

 

 なんだと!

 

 そ、そうは言っても、副隊長。こんな生産性のないくだらない仕事、真面目にやってられませんよ。始末書なんて、形式にさえしたがっていれば、内容なんて些細なことじゃないですか。

 

 ……いやその前に、あんた毎回オレが書いた始末書の内容なんてよく覚えてますね。自分でも書いた端から忘れているのに。その記憶力はもっと有意義な事に使うべきなんじゃないんですか?

 

 ギロリ。

 

 副隊長が睨む。

 

 しまった。口の中だけでつぶやいたつもりだったんだが、聞こえてしまったか? ……ええい、ついでだ。もうひとつ文句を言ってしまおう。

 

 副隊長! そもそもにして、どうしてオレが始末書を書かなければならないんですか? あの事件、誰が見たって正義はこちらにあるし。市民の皆様もオレに感謝してくれていたんだし。

 

「ウーィル・オレオ。あなたは公国騎士です。オーガだけならまだしも、公国市民に剣をむけることは許されません」

 

 いや、でも、奴らナイフや拳銃まで使ったんですよ。そもそも無許可で奴隷オーガを市街に持ち込んだ時点で違法だし。

 

「それを取り締まるのは警察の仕事です。そして、市街で剣を振るったあなただって、警察に逮捕されても文句は言えない立場なのですよ。……あなたは公国騎士団の中でもとりわけ目立つ存在なんですから、それを自覚してもう少し市民やマスコミの目を意識して欲しいものですね」

 

 副隊長がデスクに広げられた新聞を叩きながらウーィルに詰め寄る。白昼堂々、公衆の面前、公都のど真ん中で起こった、チンピラとオーガと美少女魔導騎士の大立ち回りが面白おかしく報じられている。

 

 えええ? これは正当防衛ってやつでしょ。それに、オレがやらなきゃ、あいつらに商店街は無茶苦茶にされていたんですよ?

 

「だまりなさい! 何度もいいましたが、あの件はあくまでもあなたとチンピラ小僧共の個人的なトラブルです。だから始末書が必要なのです。……いいですね。二度とこのような事はしないと騎士の誇りにかけて誓いなさい」

 

 ぴしり。音が聞こえそうな冷たい視線で副隊長が睨む。詰め所の中の空気が凍り付く。

 

 

 

 

 

 

 くっそ。この陰険メガネ副隊長め。……おまえ、もともと同期だったオレに対する思いやりとか、ないのか?

 

 おれがウィルソンだった頃、オレとノースでチームを組んだことも少なくない。力押し一辺倒のオレと、防御魔法と頭脳戦が得意なノースは、不思議と馬が合ったのだ。こいつ、若い頃から陰険でクソ真面目で潔癖症でメガネで几帳面でついでにむっつりスケベで巨乳好きな所を除けば信頼できて意外といい奴だったはずなのに。副隊長に出世した途端、これかよ。

 

 とはいえ、……だ。

 

 ノースの野郎は今や中間管理職だ。騎士団内外からの圧力を直接うけちゃう立場だ。オレがやらかしたことは、結果的に公国内での帝国情報部の活動を騎士団が邪魔してしまったことになるわけで、これに対してきっと帝国シンパのお偉いさんが圧力かけてきたのだろう。その重圧の中でノース副隊長様は、かわいい部下であるオレを守るため、なんとか『始末書』を落とし所にしてくれた、ってなところなんだろうなぁ。

 

 だから、心底イヤでイヤでしかたがないが、それでもオレは目の前の陰険野郎の言うことに従ってやるのだ。……上っ面だけだがな。ついでにもちろん、嫌がらせくらいはさせてもらうがな。

 

 

 

 

 

 はぁ。

 

 オレはわざとらしく、深い深いため息をついてやった。

 

 それだけではない。そのうえで、心底あきれた、そして失望したという目でノース副隊長の顔を見つめてやる。

 

 ……目の前で年下の女性にこれをやられると、大抵の男はプライドが傷付くはずだ。なぜオレがこんなことを知っているかというと、オレ自身が亡き妻と娘になにかとこれをやられて、しっかり傷付いたことがあるからだ。一回や二回じゃないぞ。

 

 思った通り、みるみるノースの表情がくもる。ズーーーン、と音をたてて落ち込んで行く。今にも地面にめり込みそうな勢いだ。

 

 へっへっへ。こいつは真面目でプライドが高い男だからな。数日は悔しくて眠れないだろう。ざまあみろ! ……今日のところはこれくらいで勘弁してやる。あんたの言うとおり、二度とこんなことはしないと誓ってやるよ。

 

「わかりました、副隊長。誓いま……『ちょっとまってください、副隊長!』」

 

 だが、ノースに詫びを入れようとするオレを邪魔する者がいた。ジェイボスの若造だ。

 

 

 

 

 

「ウーィルがそんな事を誓うわけありません! もしまた同じ状況に遭遇したら、ウーィルはまたエルフを護ります。もちろん俺も同じです。それが騎士ってもんでしょう!!」

 

 お、おい、ジェイボス。オレを庇ってくれる気持ちは嬉しいが、そんなに熱くなるな。余計なことをいうな。

 

「わ、わたしもそう思うっす。ウーィルちゃん先輩は間違ったことしてないっす」

 

 ナティップちゃんまで! どうして魔導騎士小隊の若手はこんなにすぐに熱くなるんだよ? 沸点が低すぎだろ。

 

 いいんだよ。たとえこの場で何を言ったって、どうせオレは副隊長の言いつけをまもるつもりなんてないし、副隊長だってそんなこと理解した上で説教してるんだから。

 

「そもそも、あの件でどうしてウーィルに処分がくだるんですか! まさか、帝国とつながっているという噂の枢密院議員とやらに圧力でもかけられたんですか?」

 

 あちゃあ。ジェイボスのアホ。この場でそれを口にするか。それは、副隊長にも、隊長や騎士団長にだって、どうしようもないことなんだよ。一番悔しいのは彼らなんだよ。

 

 ウーィルは、恐る恐るノース副隊長の顔を覗き込む。

 

 案の定、ノースの顔色がかわっている。メガネの奥の瞳に、怒りと、そして悲しみが入り混じっているのがわかる。

 

「騎士ジェイボス・ロイド。そしてナティップ・ソング。あなた達には関係ないことです。口をださないでください」

 

「関係ありますよ! 伝統ある騎士団の誇りはどこにいったんですか? 騎士として情けないと思わないんですか? 副隊長も隊長もいつからそんな腑抜けになったんですか?」

 

 ジェイボスとナティップちゃんがノースに迫る。襟首につかみかからんばかりの勢いだ。

 

「だまれ、若造! 貴様に何がわかる!!」

 

 ノース副隊長の堪忍袋の緒がきれる。

 

 ウーィルはおもわず背中の剣に手をかけた。アホなジェイボスがこれ以上アホなことを言い出すのを止めるためだ。いちど熱くなったこのオオカミ小僧を止めるには、腕力を行使するしかない。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と始末書 三たび その02

 

「伝統ある騎士団の誇りはどこにいったんですか? 騎士として情けないと思わないんですか!? 副隊長も隊長もいつからそんな腑抜けになったんですか!!」

 

 ジェイボスとナティップちゃんがノースに詰め寄る。始末書をかかされるはめになったウーィルを庇うため、襟首につかみかからんばかりの勢いだ。

 

「だまれ、若造! 貴様に何がわかる!!」

 

 無礼な若造に対し、ノース副隊長の堪忍袋の緒がきれる。懐から魔法の杖をとりだす。呪文を唱え魔法陣を描き始める。

 

 

 

 

 

 やばい! こんな怒り狂ったノースの姿を見るのは十年ぶりくらいだ。こいつがマジにキレたら、いろいろと大変なことになる。ナティップちゃんはともかくとして、脳みそに筋肉しかつまっていないジェイボスのアホをとめるには、腕力を使うしかない。

 

 ウーィルは反射的に背中の剣に手をかける。

 

 ……だが、ウーィルが剣を抜く必要はなかった。ノースの魔法も発動しなかった。その直前、魔導騎士小隊の詰め所の中、まったく別の魔法が発動したのだ。

 

 

 

 

 ひゅーー。

 

 室内であるにもかかわらず、突如としてどこからともなく風が吹き始めた。そして、部屋の中央部で渦を巻く。

 

 な、なんだ?

 

 常識ではあり得ない現象。室内の騎士達が何事かと構える。が、風はますます強くなる。一瞬にして強風に。そして竜巻に。

 

 大量の備品や書類が巻き上げられる。決して広くはない室内、目を開けていられない。あっという間に立っていることすら困難な強風。吹き荒れる渦の中心にいるのはノースとジェイボス。そしてナティップちゃんとウーィルだ。

 

「きゃーーーー」 「ぎゃーーーーー」

 

 かん高い悲鳴が複数、部屋の中に響く。女性騎士の制服は膝丈のフワリとしたスカートだ。それが、竜巻により巻き上げられたのだ。

 

 

 

 

 

 公国騎士団には、決して数は多くはないが女性騎士が存在する。だが、そのほとんどは公王宮守備隊や儀仗隊、音楽隊などの所属だ。実戦部隊である魔導騎士第一、二、三小隊に所属する女性騎士は、ほんの数名に過ぎない。

 

 神話の時代からこの島国の人々を魔物やモンスターから、あるいはバイキングや海賊から、魔導を駆使して守ってきたのは騎士団だ。しかし、大航海時代に列強の侵略に対抗するため近代的な国軍が整備されるにつれ、騎士団は戦闘集団としての役割を失っていった。現在残っている公国騎士団は、公王家の権威の象徴として、また古き良き公国騎士や魔導の伝統を今に伝えるための、要するに文化遺産的な役割をもつ組織といえる。

 

 であるから、現代の公国騎士団の中でも最も本流の部隊といえば、先述の公王宮守備隊や儀仗隊、音楽隊などだ。騎士の制服も、彼らの目的にそってデザインされている。過去の騎士の伝統を活かしつつ、南国風味で肌の露出が多い現代の公国の流行も取り入れてアレンジされたものだ。要するに、ひとことで言ってしまえば、戦闘力よりも見た目の格好良さ重視の制服なのだ。近代になってゼロからデザインされた女性騎士の制服は、特にこの傾向が強い。

 

 実際、女性騎士を含めた儀仗隊は、公国を訪問した海外要人に非常にウケがよい。市民や観光客に大人気の公王宮正門前の守備隊は、時間帯にかかわらずかならず女性騎士が含まれるようローテーションされている。

 

 もちろん、実戦部隊である魔導騎士には、専用の戦闘服が用意されている。しかし、特に第一小隊の魔導騎士達は、やぼったい戦闘服をあまり着用しない。公都に出現する神出鬼没なモンスターを相手にするには、市民の協力が不可欠だ。そのためには、市民に親しまれた目立つ制服の方が便利な場合が多いのだ。

 

 てなわけで、ナティップちゃんとウーィルも、普段の任務時にはスカートを着用していた。見た目はとても格好良く、可愛らしいが、決して戦闘には向いたものではない。……とはいっても、この二人をスカートの裾を気にせざるを得ないような事態に追い込める力をもつ相手など、滅多にいない。……はず、なのだが。

 

 

 

 

 

「ふぉっふぉっふぉっ。長年修行してきた風魔法、ついに魔法陣無しの無詠唱での発動に成功したようじゃのぉ」

 

 バルバリーのジジイの魔法か!

 

 騎士バルバリー。魔導騎士の最長老。宮廷魔道士として公王家に仕えた経験もある、神聖魔法の達人。

 

 その彼の魔法によりウーィルとナティップちゃんのかん高い悲鳴があがった直後、ノースもジェイボスも一瞬にして怒気が抜けた。ふたりの視線は、……いやその瞬間、部屋の中の騎士全員の視線が、一点に集中していたのだ。皆が凝視する先にいるのは、もちろん必死にスカートを抑える二人の女性魔導騎士だ。

 

 露わになったガラスのように白く子鹿のように華奢な脚はウーィル。そして、ナティップの健康的な色気に溢れる長い脚。どちらも世間一般の男の目を引く魅力的な光景であったが、魔導騎士小隊の男共に限ればどちらかといえば後者をみつめる者が多かったかもしれない。

 

「バ、バルバリーさん、室内でそれはやめて欲しいっす」

 

「さっさと風をとめろ、ジジイ!!」

 

 ウーィルに罵倒されたバルバリーは、口の中でもぐもぐ何ならつぶやく。直後、何事もなかったかのようにピタリと風がやむ。

 

 

 

 

 

「お、お、おまえらいつまで見てやがる! 仕事しろ仕事!」

 

 風が収まっても、騎士達はスカートに隠された脚を名残惜しそうに見つめている。

 

「ひゃっひゃっひゃ、ウーィルとナティップが入隊し同僚になった時からずっと使うチャンスを狙っておったのじゃ。なかなか使い勝手のよい魔法じゃのお。名付けて『神風の術』とかどうじゃろ、……なぁ副隊長、そしてジェイボスよ」

 

 気まずい顔で顔を背けるジェイボス。そしてノース。

 

 くそ。ジジィめ。あんたの得意なのは神聖防御魔法じゃなかったのかよ。その年齢で新たな属性の魔法を取得できるのかよ。ていうか、スカートまくりとか小学生かよ。エロジジイの執念恐るべしだな。しかし、……助かった。ジェイボスの代わりに礼を言うよ。ありがとう。

 

 

 

 

 

「はいはいはーい。魔導騎士小隊のみんな、静かにしなさい。……どうしたのこの部屋の惨状は? さっさと片付けて」

 

 間が良いのか悪いのか、レイラ隊長が帰ってきたのはちょうどそのタイミングだった。

 

「ほらほら副隊長、そんなに恐い顔しないで。ジェイボスも落ち着いた? ウーィルは、……『ギャー』はないでしょ、『ギャー』は。あなたもっと乙女らしい可愛い悲鳴をあげられないの?」

 

 うるせぇよ。レイラ隊長、見ていたんなら最初から止めに入れよ。

 

「止めようかと思ったんだけどね。……血気盛んな若い騎士の青臭ささ、じゃなくて若さ故の熱い血潮があまりに眩しくて、羨ましくて、止められなかったのよ」

 

 確かになぁ。最近のレイラは、魔物との闘いの指揮をとるよりも、予算や人員確保のため、そして魔導騎士小隊という組織を守るための国内外の敵と政治的な闘いの方が多いものなぁ。ジェイボスやナティップちゃんの騎士としての純粋な正義感を見せつけられたら、そりゃ眩しいかもなぁ。

 

「……隊長。すいません」

 

 ノース副隊長が隊長に頭を下げる。

 

「かまわないわよぉ、副隊長。あなたが熱くなるところなんて久しぶりに見られたし」

 

 そして、レイラは詰め所の中を見渡す。

 

「えーと、ジェイボスとナティップ。魔導騎士小隊が誇る最有望若手騎士の二人は、まだ今回の件に納得していないのね?」

 

「「……はい」」

 

 あ、あれ? オレには聞いてくれないの? 年齢だけならオレの方が二人より若手だぞ。なにより当事者だぞ。

 

「ウーィルはあの件に納得してるんでしょ? それに、あなた見た目はともかく精神がおっさんっぽいから、私はもともとウーィルを『若手』扱いしてないの」

 

 えええ? オレの精神おっさんっぽい? これでも見た目に合わせようと努力してるんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

「いい? いまから私がいうことは、独り言よ。だから、耳に入ったことは決して口外しちゃだめよぉ」

 

 と前置きののち、レイラは今回の件の顛末を語りだした。

 

 

 

 ウーィルがぶちのめした若造は、警察に引き渡された。そして公都警察は、例によって若造達をおとがめないまま解放するだろう。

 

 一方で、事件の後始末は騎士団に押しつけられた。すなわち、オーガの処分と、ウーィルが破壊した石畳の補修と、オーガがずっこけた際に偶然それに巻き添えをくらい病院送りになった市民への対応だ。

 

 

 

「……ひどい話だな、おい」

 

「ウーィル、あなたがそれを言う? 例によってあなたが市街地で暴れたせいなのよ? ……まぁいいわ、はなしはまだ続きがあるの」

 

 

 

 しかし、病院送りになった男の身元を調べてみればとんでもないことがわかった。男は帝国情報部の工作員だったのだ。しかも若造達にオーガを与え、事件をそそのかし、さらに公国政府高官とつながる証拠も大量にでてきた。出てきてしまった。とても隠匿できないほどの決定的な証拠が。

 

 ことここに至り、事件は騎士団の手を離れ、内務省の情報部に引き継がれることになった。もちろん今後の調査は極秘に行われる。そのため、国内の帝国シンパの勢力を油断させるためにも、表面上ウーィルは処分されることになる。

 

 

 

 

「……というわけ。わかった?」

 

「ウーィルの処分は表面上だけ、ということなんですね」

 

「納得したなら、さぁさぁ仕事に戻る!」

 

 ジェイボスもナティップちゃんも、わかったようなわからないような微妙な顔つきながら、とりあえず自分のデスクに戻る。

 

 そして、微妙な顔つきなのは、たぶんオレも同じだろう。

 

 うーん、もしかしたらこれもレンさんがいう『運が良い』ことなのかなぁ? それはともかく、そんな陰謀まがいな事にまきこまれる中間管理職はたいへんだねぇ。でも、極秘なのに、みんなに話しちゃっていいの?

 

「私の立場としてはね、部下の若い子達にきちんと納得してもらうことの方が大事なのよ。それに、ここだけのはなしだけど、我が公国政府の上層部はすでに帝国との融和はあきらめたみたい。同盟国である王国や皇国もね。だからこの件の秘密保持にも、そんなに気を使わなくてもいいんじゃないかな」

 

 それは、……大陸でもうすぐ二回目の大戦が始まるってことか? 公国もそれに巻き込まれると?

 

「そうかもね。でも、もし本当に戦争がおこるのなら、今度は新大陸や東洋まで含めた本当の世界大戦になると思うわ」

 

 はぁ。未来ある娘を持つ身としては、戦争は避けてほしいものだが。こればかりは、一介の騎士ではどうにもならんなぁ。

 

「それよりも、ウーィル!」

 

 レイラが思い出したように言う。

 

「あなた、ルーカス殿下からお食事に招待されたのって、たしか今日の午後よね? お洋服の準備はできてるの?」

 

 あ! ……忘れてた。

 

 




 
 
魔法とモンスターと架空の公国が存在する異世界ですが、科学や文化や世界情勢は我々の世界の第二次大戦直前の頃とちょっとだけ似ているという設定です。


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美少女騎士(中身はおっさん)とセーラー服

 

 ルーカス殿下からのご招待?

 

 あー、確かに今日の午後だった。今日の朝までは確かに覚えていたんだけど、始末書作成に神経を集中していたらすっかり忘れていた。

 

「なに呑気なこと言ってるのよ。たしか駐屯地までお迎えの車が来るんだっけ? 準備はちゃんとできているんでしょうね?」

 

 

 

 

 

 ルーカス殿下からのご招待というのは、港で青ドラゴンの群から殿下を護ってやったお礼に、公王宮でのお食事会にご招待された件だ。

 

 ……いや、準備といっても、公王宮へいって殿下と一緒に飯をくうだけだし。いまさら準備するものなんてなにもないけどな。

 

「着ていくお洋服は? ウーィル、あなたまともな私服もってないでしょ。ちゃんと用意したんでしょうね」

 

 あーーー、えーと、いろいろ考えたんだが、この公国騎士の普段の制服で行こうかと。さすがに礼装はやりすぎだと思うが、いま着ているこれって一応公務員の制服だし、世界中のどこの王様の前に出ても問題ないはず、だよな?

 

「だめよ。殿下からの招待状にも書いてあったでしょ。公務じゃないから私服で来て欲しいって。……あなた、まさか用意していないんじゃないでしょうね」

 

 い、いやいや、オレもな、服は買いに行こうと思ったんだよ。だけどな、なけなしの勇気を振り絞って洋服屋さんにいったら、あのオーガ事件だろ。結局あれから忙しく買い物に行けていないし……。

 

「なにやってるのよ、このアホ娘! 殿下からのご招待をなんだと思ってるの! あなた公王家に仕える騎士なのよ!!」

 

 えええ? 騎士が公王家に仕えてるって、そんなの形式だけだろう。オレ達公国騎士は国家公務員であって、仕えているのはあくまで『公国』のはずだぞ。

 

 ……しかし、オレの反論はレイラには聞こえていない。

 

「あーー、本当にもう! どうしよう? いまから買いに行く時間なんてないわよね。そうだ、ナティップ! あなたの私服ウーィルに貸してあげて」

 

「えっ? ウーィルちゃん先輩のためなら全然かまわないっすけど、けど、けど、その、えーと、サイズが……」

 

 ナティップちゃんがオレの身体の上から下まで視線を動かしながら、口よどむ。

 

 ……わるかったな。

 

 たしかに、ナティップちゃんは、手足が長くて出るところとは出て引っ込むところはきちんと引っ込んでいるスタイル抜群美女だ。ひいき目に見てせいぜい中学生ボティのオレとは、身長だけじゃなく何から何までサイズが違っている。

 

「じゃ、じゃあ、メルちゃんの服は?」

 

 同じだよ。自慢じゃないがうちのメルは15歳にしてはちょっとスタイルがいいぞ。オレみたいなちんちくりんとは違う。サイズがまったくあわないよ。

 

「メルちゃんが小学生の頃、私が買ってきてあげた服があるでしょう?」

 

 

 

 

 

 オレは衣食住のうち『食住』は一人でもなんとかなる。一人暮らしも長かったからな。しかし、『衣』については全く興味もなければ知識もない人間だった。自分の服などどうでもよかったし、他人の着ている服にも興味がなかった。特に女性の服装などまったくわからない。若い頃は妻が『せっかくオシャレしてもぜんぜん気づいてくれない』などとよく嘆いていたものだが、オレにはどうしようもなかった。

 

 その妻が亡くなってから、メルはオレが男手ひとつでそだててきた。しかし情けないことに、オレには、かわいい娘にいったい何を着せればよいのかさっぱりわからない。だから、たまたま同じ職場だったレイラに土下座して頼んだものだ。娘の服を買ってきてください、と。

 

 レイラが言っているメルが小学生の頃の服というのは、それのことだろう。

 

 ……たしかに、メルの小学生の頃の私服はまだあるはずだ。処分した記憶はないからな。しかしな、レイラよ。考えてみろ。たとえサイズがちょうどよかったとしても、あんな小学生用のヒラヒラした可愛らしい服を、公国魔導騎士が着るのはおかしいだろう。

 

 そもそも、娘が小学生の頃に着ていた服を、中年おっさんである父親が、……じゃなくて社会人の姉が借りて着るというのは、プライドが許さない。人間の尊厳に関わると思わないか? オレは絶対にイヤだぞ。

 

「なに偉そうに平らな胸を張ってふんぞり返ってるのよ! 見た目幼女が偉そうに!!」

 

 な、なにぃ! どこが平らだって? ……じゃなくて、『偉そう』とは何事だ? しかも二回も言ったな! 相手になってやるから表に出ろよ、このとしm……わぁごめんなさい。オレは何も言ってません! だからそんな怒らないで! 槍をもちだすのはやめて!! 

 

 

 

 

「はぁ。……考えてみれば、たしかに小学生のメルちゃんに買ってあげた服では幼すぎるわよね。でも、ど、どうしよう?」

 

 だから騎士の制服でいいだろ? もう考えるのも面倒くさいし。

 

「だめだっていってるでしょ! せっかくの殿下のご招待なのよ!!」

 

 確かに殿下のご招待だが、どうしてそんなに気合い入れなきゃならないんだ?

 

「いい? ウーィル。よく聞きなさい。亡くなった公王妃殿下は、もともとエルフ族のただの民間人の学生だったわ。その妃殿下が陛下に見初められたのは、お二人が学生時代の学園祭パーティの食事会だったそうよ」

 

 ほぉ。それが何の関係があるんだ?

 

「ウーィルも、殿下と年齢が近いんだし、しかもあなた殿下の命の恩人なのよ。一緒に食事すれば、もしかしたらもしかするかもしれないじゃないの!」

 

 はぁ? レイラ、おまえはオレに玉の輿を狙えと言ってるのか? おまえは年頃の知り合いにみさかいなく縁談を持ちかけるお見合いおばちゃんか?

 

 オレは呆れて何も言い返す気力がなくなってしまった。

 

 かわりに横から割り込んできたのは、またしてもアホのジェイボスだ。

 

「たたた隊長! ウーィルに玉の輿なんて無理。絶対に無理。しかも公王家なんてダメだ。俺は反対です。反対! 反対! 反対! 反対!」

 

 お、おい、ジェイボスよ。オレのためにそんなに熱くなるな。玉の輿なんてレイラが勝手に妄想しているだけで、絶対にそうなることはないから。それに、今のレイラに何を言っても無駄だ。ここは黙って好きなようにさせておいたほうがいいぞ。

 

「ジェイボスは口を出さないで! あなたウーィルと関係ないでしょ!」

 

「お、俺は、ウーィルの家族みたいなものだ!」

 

「家族? 家族なのね? ならば、ウーィルの幸せのために協力するのがあたりまえでしょ!」

 

 レイラ隊長のその一言で、ジェイボスは黙ってしまった。何も言えなくなった。

 

 『……この根性無しのヘタレおおかみが!』

 

 レイラ隊長が口の中だけで吐き捨てるようにつぶやいたジェイボスへの罵倒は、ウーィルには聞こえなかった。

 

 

 

 

「わかったわ。こうなったら私の実家のコネを最大限につかいましょう。我が家の古くからの馴染みに、公王家御用達の服飾店があるわ。私の父の名前を出せば今からでも無理をきいてくれるはずよ。さぁウーィル、いっしょに行くわよ! いそいで!!」

 

 うわー、やめてぇ。レイラの実家って、公国の旧貴族の中でも公王家に次ぐぐらいの名家じゃねぇか。オレのためにそんな権力やコネをつかうのはやめてくれぇ。

 

 力尽くでオレを連れ出そうとするレイラ隊長。必死に抵抗するオレ。地面にめり込むほど落ち込んでいるジェイボス。面白がって見ているだけのナティップら他の隊員達。

 

 

 

 

 

「騎士ウーィル・オレオ! お届け物ですよ」

 

 昼間っから無駄に騒々しい魔導騎士第一小隊。その詰め所のドアが開き、事務のおばちゃんが顔を出す。

 

 騎士団長を含む現役すべての公国騎士を入団時から知っている彼女は、駐屯地ではバルバリ爺さんの次に年配であり騎士団の影の支配者とも言われている。その彼女が手招きしたのは、オレだ。どうやら小包を届けてくれたらしい。

 

 オレに?

 

「ええ。上品そうなエルフの女性が駐屯地に直接届けてくださったのよ。あなたにお礼ですって」

 

 手紙と紙袋。差出人に心当たりがない。……まぁ、おばちゃんがチェックしたのだから、爆弾じゃないだろう。

 

「ウーィルちゃん先輩。この住所、大通りのブティックっすよ」

 

 ナティップちゃんが、オレの後ろから肩越しに手紙を覗きこんでいる。

 

 あー、なるほど。オーガ騒動のあった洋服屋さんか。たしに住所はあの辺かもしれない。

 

 手紙をひらくと、タイプライターではないじつに美しい手書きの文字。

 

 なになに?

 

『先日はありがとうございました。お礼に騎士様に似合いそうな洋服を見繕いました。いま公都の若い女性で流行っている服です。よかったら着てください」(意訳)

 

 へぇ。お礼なんて気にしなくていいのになぁ。

 

「ウーィルちゃん先輩! お洋服、お洋服っすよ! あけていいっすか? あけるっすよ!!」

 

 ナティップちゃんが、オレの腕の中から紙袋をもの凄い勢いでひったくる。そして開く。たたまれていた服を広げる。

 

 なにをそんなに興奮しているんだ、君は?

 

「だってウーィルちゃん先輩のために見繕われたお洋服っすよ! 可愛らしいに決まってるじゃないっすか! ……きゃー本当に可愛い!!!」

 

 シャツは半袖。胸元に赤いリボン。特徴的なのは大きな黒い襟。スカートは何本もプリーツがはいったフワリとした膝上の丈。

 

 こ、これ、たしかに可愛らしいけど、……海軍の水兵さんみたいだなぁ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とセーラー服 その02

 

「ねぇねぇどんな服、私にもみせなさい」

 

 オーガをぶっ倒したお礼にオレがもらったお洋服。それを強引に奪い取ったナティップちゃんのもとに、レイラ隊長までが集まってくる。

 

 あっらー、本当にかわいいじゃない!

 

 おいおいレイラよ。どうしてそんなに眼をキラキラさせているんだ? おまえ歳はいくつだ? 

 

 

 

 白い半袖のシャツ。特徴的なのは大きな大きな黒い襟。黒いスカートは何本も筋がはいった、フワリとしたおそらく膝より上の丈。

 

「これ、上だけ見ると、海軍の水兵さんっぽい服だな」

 

「セーラー服っすね。ウーィルちゃん先輩しらないっすか? いま公国でも若い女性のあいだで流行ってるっすよ」

 

 ナティップちゃんが答える。

 

 へぇ。全然しらんかったわ。

 

「もともとセーラー服が水兵の軍服に採用されたのは、世界最強をうたわれる連合王国海軍だそうっす。で、我が公国をはじめ各国の海軍にひろまったらしいっすよ」

 

 ナティップちゃんは物知りだな。

 

「連合王国では海軍の人気がとても高いので、いつのまにかセーラー服は一般の女性にも流行しはじめたらしいっす。王室の方々も公式の場で着用しているとか。で、いまでは旧大陸の列強や新大陸でも流行っていると雑誌で読んだっす。女子学生の制服にしている国もあるそうっすよ」

 

 ふーん。わが公国ももともと島国で海軍の人気も高いし、本人や家族がなんらかの形で海軍に関係している市民の数も多い。水兵風のファッションが流行してもおかしくないってことか。

 

「ウーィルちゃん先輩!」

 

 ん? どうしたナティップちゃん。そんな拳を握りしめて。

 

「殿下のご招待、この服でいいんじゃないっすか。きっとウーィルちゃん先輩に似合うっすよ。っていうか、いま着てみて欲しいっす。さぁすぐに着換えるっす。さぁさぁさぁさぁ更衣室へ行くっす。おっとその前についでにいっしょにシャワーも浴びるっす」

 

 こらこらこらこら。背中を押すな。なんだそのオーガ以上の馬鹿力は。その細い身体のいったいどこからでてくるんだ?

 

 

 

 

 

 てなわけで、オレはなぜかナティップちゃんと一緒にシャワーをあびて、その後セーラー服とやらを身につけたわけだが。

 

 純白の半袖シャツ。胸元の赤いスカーフ。極端に大きな黒い襟。

 

 もどってきた詰め所の中、オレはムキムキの魔導騎士達に囲まれガン見されている。……なんだこの状況? 恥ずかしぞ!

 

「噂によると、水兵さん達は遠くの音を聴き取るためにこの襟を頭の後ろに立てて、音を耳に集めるそうっすよ」

 

 ほんとかぁ? 海軍に知り合いがいないこともないが、そんな事をやってる水兵なんてみたことないぞ。

 

 それよりも、だ。これ胸元のV字が深すぎて、上から覗くと隙間から中の下着が覗けそうでやばいんだが。

 

「……それ、普通の女子ならそんなに胸元に余裕ないはずよ。ウーィルの胸が薄すぎるのよ」

 

 ため息をつきながら、レイラがつぶやく。

 

 なんだと、レイラ。もう一度言ってみろ!! ナティップちゃんも、哀れみの目で見るのはやめろ!!

 

 ふりむくと、詰め所の中の男共がみな同時に目をそらす。うんうんと頷いている奴もいる。……おまえらもそう思ってるのか!

 

 

 

 

 ちなみに、もらった紙袋の中にあったのは、このセーラー服の上下だけではない。可愛らしいサンダルまで揃っていた。

 

「このセーラー服? 元々が軍服なのに、裸足につま先がでるサンダルというのは、ただしいのか?」

 

「ここは公国っす。亜熱帯の国っすよ。サンダルのどこが悪いっすか?」

 

 たしかに、公国市民は普段から男女問わずサンダル履きは多いがな。しかし、仕事中の公務員とか、公式の場にはサンダルはあまりいないと思うが。

 

 それに何より気になるのは……。

 

「それよりもなぁ、ナティップちゃん。このスカート。ちょいと短すぎだと思うのだがな……」

 

 スカート丈は膝上10センチといったところか。お子様ならともかく、騎士として、いや社会人として勤務中の女性としてどうなんだ、これは?

 

「そんなことないっすよ。とても似合ってると思うっす。ウーィルちゃん先輩、ためしに回ってみるっす」

 

 言われるがまま、オレはその場で一回転。スカートがフワリと舞い上がる。

 

 うわぁ。やっぱりだめだわ、これ。ちょっと動いただけで、太ももまで丸見えじゃねぇか。さすがにこれじゃあ、魔導騎士の仕事はできない。

 

 ……と、振り向けば、詰め所の中の男共がみな同時に目をそらす。おまえら、どうしてこっちばかり見てるんだよ! 仕事しろ、仕事。

 

 

 

 

「ウーィルちゃん先輩。ここは公国っすよ。我が公国は、古くさい伝統に縛られた旧大陸の列強とは違う開放的なお国柄で、女性の社会進出だってすすんでいるっす。ウーィルちゃん先輩みたいな若い娘はもっと脚をだした方がいいっす。そんな細くて白くてきれいな足を国民の皆様の目から隠すなんてもったいないっす! 国の損失っす!!」

 

 ナティップちゃんよ、どうしてそんなくだらないことをそんなに拳を握りしめて力説しているんだ、君は?

 

 一方で、レイラはちょっと渋い顔をしている。

 

「うーーん、たしかに可愛らしいけど、伝統ある公国騎士が海軍風の服を身に纏うというのは、ちょっと気に入らないわねぇ」

 

 ああ、そういえば、レイラは軍隊嫌いだからなぁ。

 

「なに言ってるっすか、隊長? これは誰がみたって幼女が精一杯背伸びして憧れの水兵さんの格好している図っすよ! これが萌えないわけないじゃないっすか?」

 

 だからおまえはいったい何をいってるんだ?

 

「ふおっふおっふおっ、さすがに『幼女』は言い過ぎじゃのぉ。とはいえ、ウーィルは儂のひ孫と同じくらい可愛らしいのは確かじゃ」

 

 おいおいバルバリー爺さん、あんたのひ孫は小学生じゃなかったか?

 

 

 

 よいしょっと。

 

 オレは背中に剣を背負う。そろそろ迎えの車が来る約束の時刻だからな。胸元と足元が少々不安だが、公王宮にはこのセーラー服で行くといつの間にか決まってしまったのだから仕方が無い。準備をせねば。

 

「ウーィル! お食事会に剣は必要ないんじゃないの?」

 

 鞘に付けられた紐を肩から斜めにかけ、前で結んでいるオレに文句を言うのはレイラだ。

 

 あんだよ。オレにこんな服を着せた上に、まだおまえは注文があるのかよ。

 

「公国騎士が公王宮にいくのに剣を持ってて何がわるいんだ?」

 

 騎士の正装には剣、もしくは魔法の杖が含まれている。たとえ陛下の前でも、剣をもってるのが当たり前だ。ついでに、公国の法律において、騎士はたとえ勤務時間外でも武装が許されている。

 

「それはそうだけど、せっかく可愛らしい私服なのにそんな色気のない長い剣を背負っちゃって、いろいろと台無しだわ」

 

 え? そ、そうか?

 

「わ、わたしは、それだからこそ可愛いと思うっす! セーラー服、幼女、剣、……男の子なら絶対に萌えるはずっす! 殿下もきっといちころっすよ!!」

 

 ナティップちゃん、それはもういいから。

 

「ウーィル!」

 

 うわ! 突然両手を握ってくるな、ブルーノ。

 

「その可憐な姿を見てあらためてわかった。君こそ僕の理想の女性だ!」

 

 な、な、な、何を言い出すんだ? おまえは!

 

「かならず幸せにするよ。今すぐとは言わない。あと十年後、君が二十歳になって大人になるまでまつから!!」

 

 あほ。オレの中身は大人だ。身体だって十六歳だから、二十まではあと四年だ。……じゃなくて、おまえはなにを血迷っているんだ!

 

「ブルーノ先輩、……ウーィルの手を離せ!!」

 

 ジェイボス! おまえさっきまであんなに落ち込んでいたのにもう復活したのか? それよりも、毎度のことだがこの狭い詰め所の中で剣を抜くなって。そのうえ剣に炎の魔力を纏わせるな。

 

「あれれぇ、ジェイボス君。君はウーィルの家族なんだろ?」

 

「か、か、家族だからこそ、ウーィルの身を案じているんだよ!」

 

「ふっ。僕は公国一の魔法使いであるだけではなく、名家の出身で金もあるし、なにより君のようなヘタレの根性無しじゃない。ウーィルを幸せにできるのは僕だけど言っても過言ではないくらいだ。余計な心配はしなくていいよ『お・義・兄・さん』」

 

「あんたにお義兄さんよばわりされる筋合いはねぇ!!」

 

 

 

 

 魔導騎士達がそんなバカな騒動をやってる間に、時間は過ぎていく。そして、約束の時刻。

 

 公国騎士団の駐屯地の正門前、ついに公王宮から迎えの馬車が来た。四頭立てのむっちゃくちゃ豪華な馬車。騎馬隊の護衛まで付いている。

 

 ……あれ? 宮内省からの事前の連絡じゃ、あまり目立たないよう普通の自動車をよこすと言ってたよな、たしか。

 

 ていうか、これ現公王陛下に妃殿下が嫁入りしたときに使われた馬車じゃねえのか? どういうことだ?

 

 




 
 
現実世界の欧米で20世紀はじめくらいにセーラー服が流行ったのは本当らしいです。
 


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美少女騎士(中身はおっさん)と親バカ陛下(こちらもおっさん)

 

 騎士団駐屯地の正門前、目の前に停まった馬車を見上げながら、ウーィルはあ然としていた。

 

 ウーィルだけではない。公王宮へと出かける彼女を冷やかし半分で見送りに出ていた公国騎士たちは、みな口をあけ、ポカンとしている。

 

「こ、これがウーィルちゃん先輩のお迎えっすか? ずいぶんと豪華な馬車っすね」

 

 ナティップちゃんが見つめる視線の先にあるのは、四頭の馬にひかれた豪華な馬車。

 

 漆黒の塗装。上品で控えめな金色の装飾。そして優美な曲線で構成された車体。大きな窓。ドアには公王家の紋章。

 

「この馬車見たことあるわ。たしか現陛下と妃殿下の結婚式のパレードで……」

 

 あああ、そういえば。たしかに結婚式のパレードにつかっていた馬車だな。

 

 ……って、なんでそんな馬車がオレを迎えに来るんだよ! 事前の宮内省から連絡では、目立たないよう普通の車をよこすって言ってたぞ。そもそも今日はただのお食事会だろ。なんでこうなった?

 

 

 

 

 騎士団駐屯地の正門前にいるのは騎士と馬車だけではない。ここは公都の中心部だ。ビジネス街の真ん中だ。好奇心旺盛な市民達が、いったい何事かとおおぜい集まってきたぞ。ああ、カメラをかまえた新聞記者達も。

 

 あ然とする魔導騎士の集団をみて、馬車の御者のおじさんは苦笑いしている。馬車を先導する護衛の騎馬がオレ達に近づき、声をかけてきた。

 

「驚かれたでしょう。魔導騎士ウーィルをお迎えするのならどうしてもこの馬車がいいと、陛下が突然いいだして……」

 

 馬の上から困惑した顔で語るこの騎馬騎士、駐屯地でたまに見かける男だ。オレ達と同じ公国騎士。公王宮守備隊に所属する騎士だ。

 

 って、陛下ぁ?

 

 オレをご招待したのはルーカス殿下だ。陛下とお会いする予定はない、……はずだよな?

 

「ご存じの通り、陛下は少々茶目っ気がありすぎる上に、一度言い出したら聞かない方ですので……」

 

 騎馬騎士が、ため息をつきながらつぶやく。

 

 はぁ?

 

 

 

 

 

 馬車のドアが開く。執事のような侍従のような地味な格好のおっさんが降りてきた。

 

「君が騎士ウーィル・オレオだね。……お待たせてもうしわけない。どうぞ」

 

 オレの手をとり、馬車に乗るよう促す。

 

 ん? このおっさん、見たことある、……よな? オレだって公王宮には何度か行ったことがある。公王家の身近に仕える人間ならば、見覚えがあって当然なのだが。

 

「へ、へ、へ、へ、陛下ぁ?」

 

 おっさんを指さし素っ頓狂な声をあげたのは、魔導騎士小隊隊長だ。

 

 はぁぁぁ? 何言ってるんだレイラ。こんなところに陛下がいるはずが……。

 

 改めて男の顔を見る。ラフな黒髪。精悍な男らしい顔立ち。

 

 ……うわぁ! このおっさん、たしかに公王陛下だわ。

 

 あまりの事に声を上げそうになるオレ。おっさんは、茶目っ気たっぷりの表情で口の前に指を立てる。

 

「騎士ウーィル。早く馬車へ。マスコミが騒ぎ出すとやっかいだ」

 

 いやいやいや、マスコミや市民が騒ぎ出したら、それはあんたのせいだと思うぞ。

 

 

 

 

 

 さすが公王家御用達の馬車。外見だけではなく中身も豪華。

 

 足元はふかふかの絨毯。シートもふかふかで、サスペンションもふかふか。乗り心地抜群で馬車の中ということを忘れてしまいだ。ついでに、この見晴らしのよい窓は、防弾仕様なのだろう。

 

 だが、おそらく一生に一度しかないであろうこんな体験も、それを堪能する余裕は今のオレにはない。

 

 それもすべて、オレの正面に座るおっさんのせいだ。

 

 アンデルソン・アトランティーカ公王陛下。わが公国の国家元首であり、ついでに名目上とはいえオレ達公国騎士の主君。たしか年齢は三十五歳。もとのオレ、おっさんだったオレと同い年だ。

 

 そのおっさんが、オレをみている。公国国民の生命と財産に責任を持つ男、そのいかにも一国の元首らしいしかめ面。決して広くはない空間の中、至近距離から黙ってオレの全身を見つめている。

 

 性的でイヤらしい視線というわけではない。嫌悪感は感じない。だが、オレの中身をすべて見透かすような視線。もっと端的に言えば、まるで品定めするかのような視線。それをこの至近距離から浴びせられて、緊張しないわけがない。

 

「うんうん、なるほど。ふむ、ルーカスの奴なかなかやるではないか」

 

 口の中でなにやらブツブツ言い始めたぞ。 

 

 

 

 

「あ、あのぅ、陛下……」

 

 重い空気と沈黙に耐えきれず先に口を開いたのは、ウーィルだった。公王陛下がおだやかな笑顔でこたえる。

 

「これは失礼した。驚かせてすまないね、魔導騎士ウーィル・オレオ。こうでもしないと、二人きりで話す機会がつくれないと思ってね」

 

 陛下といえば騎士であるオレの主君なんだから、用があるならいつでも呼び出してくれていいんだが。

 

 オレは頭の中でそう思い、ちょっとだけ丁寧な言葉に変換したうえで口に出した。

 

「息子に内緒で、息子よりも早く君と会い、息子を驚かせたかったんだよ」

 

 息子というと、ルーカス殿下か。そういえば陛下は子煩悩で知られている。ひとり息子のルーカス殿下をネコかわいがりしていることは、国民皆が知るところだ。

 

「公王宮の前、君が私といっしょに馬車から降りてきたら、ルーカスの奴はおどろくだろうなぁ。楽しみだ」

 

 茶目っ気たっぷりの笑顔のおっさん。

 

 たしかに、自分が食事に呼んだはずの騎士がこんな馬車で、しかも父親と一緒に現れたら、そりゃルーカス殿下も驚くだろう。でも、いくら可愛い我が子だからといって、年頃の子をあまりいじると嫌われても知らないぞ。

 

「……ルーカスは、あまり人付き合いが得意なほうではない。その奥手な息子がここ数日、妙にソワソワしていてね。聞けば、命を救ってくれた騎士を公王宮に招待するというじゃないか。しかもそれは妙齢の女性騎士だという。親としては、そのお相手に会いたくなるのは当然だろう?」

 

 あー、オレも年頃の娘がいる身だからな。わからなくもないが……。でも、それはちょっと勘ぐりすぎじゃないかなぁと思いますよ。

 

「おっとその前に、私にはやらねばならぬ事があった。……騎士ウーィル。まずは礼を言わせて欲しい。先日はルーカスを守ってくれてありがとう」

 

 狭い馬車の中、わざわざ立ち上がって礼をいう陛下。反射的に立ち上がろうとしたオレを制して、頭を下げる。

 

「あ、頭をあげてください。殿下をお守りするのは騎士の仕事ですから……」

 

「もしあの場でルーカスの身に何かあったらと思うと、今でもこの身体が震えるよ。私だけではない。君のおかげで公国は救われたといっても過言ではないくらいだ」

 

 そんなおおげさな、……とは言えないな。この国の公王太子殿下だもんな。

 

 

 

 

 

 騎士団駐屯地から公王宮まで、ゆっくり歩いてせいぜい三十分。護衛を引き連れた馬車でも同じくらいか。ちょうど帰宅ラッシュで大通りも渋滞必至の時間だから、もう少しかかるかな。なんにしろ、それほど長い時間ではない。

 

 いかに陛下が茶目っ気たっぷりの人間だといっても、オレと息子を驚かせる目的のためだけに、こんな馬車を用意したわけではあるまい。そろそろ本題に入るのだろう。

 

「さて、ここからが本題だが、……魔導騎士ウーィル・オレオ。君の事は『ウーィル』と呼ばせてもらっていいかね?」

 

 オレの眼をまっすぐに見つめる陛下。妙に真面目な顔だ。

 

 は、はぁ。かまいません、が……。

 

「ではウーィル。……これから私の事は、『お義父さん』とよんでくれたまえ」

 

 ……はぁ?

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と親バカ陛下(こちらもおっさん) その02

 

「ではウーィル、私の事は『お義父さん』とよんでくれたまえ」

 

 はぁぁぁ? いいいいきなり何いいだすんだ、この人は?

 

「はっはっは、冗談だよ。冗談。……今のところはね。緊張しているようだから、場を和ませようとおもっただけさ」

 

 だ、誰のせいで緊張していると思ってるんだろうねぇ、このおっさん?

 

 ……まぁ確かに、ちょっとだけだが緊張はとけた。ていうか、こんなおっさんの前で緊張しているのがバカらしくなった。しかし、おっさんの悪乗りはとまらない。

 

「ところでウーィル。……君はルーカスのことをどう思う?」

 

 陛下の問いはド直球だ。

 

 どう思うって……。可愛らしいお顔しているし、異世界から転生してきたとしか思えないほど科学知識があるそうだし、公国の誇りという言う人もいるな。

 

「ほぉ。そうだ。そのとおりだ。君は若いのに男を見る目があるね。君の言うとおり、ルーカスは私の誇りなんだ。やさしくて繊細で頭が良くて未来のことを何でも知っていて何よりも亡き妻に生き写しの息子が、私は可愛くて可愛くて……」

 

 立憲君主制である我が公国の国家元首であるアンデルソン公王陛下。小さな島国である公国の独立と権益を守るため、強大な列強相手に一歩も引かないしたたかな外交手腕を発揮する名君として国際社会に知られている。その豪腕政治家の顔と、息子の事を誉められて相好を崩してニコニコしている目の前のおっさんの顔、同じ人物とはとても思えない。

 

「公王太子としての評価はいろいろあろうが、ひとりの男の子としてルーカスはこの国で、いや世界一出来の良い息子だと思っているのだよ、私は」

 

 このおっさんが国民から広く支持されているのは、そのあたりにも理由があるのだろう。政治には疎いオレも、騎士として、一公国市民として、ひとりの父親として、このおっさんには愛着がある。国を任せてもいいかと思う程度の信頼はある。

 

「だから最近は、あの純粋で繊細で朴念仁の息子にへんな虫がついたり悪い女に騙されたりしないか、それだけが心配で心配で……」

 

 だからこそ、だ。同じ年頃の子を持った親どうしとして、対抗したくなるのだ。このちょっとウザいほど親バカなおっさんに、意地悪のひとつも言いたくなるのだ。

 

 

 

 

 たしかにルーカス殿下が優秀で可愛らしいのは否定しないよ。しないが、うちのメルの方が百倍は可愛いいもんね!

 

 オレは心の中だけで対抗したつもりだった。大人だからな。だが、一部は口からもれてしまったらしい。

 

「メル? ああ、君の妹さんか。息子の同級生だったね。うん、確かに可愛らしい娘さんだ。しかし、うちのルーカスよりも可愛らしいとは、聞き捨てならんな。しかも百倍だと!」

 

 お、聞こえてしまったか。

 

「残念ながらメル・オレオ嬢は、学校の成績ではルーカスに及ばないようだね。うちのルーカスは、あの年齢にして国際的な数学や物理学の論文をいくつも書き上げているんだよ。学者達からは、まるで科学の進んだ異世界から転生してきたようだとさえ言われている。どうだい、凄いだろう!」

 

 狭い馬車の中、オレににじり寄り眼前でいかに自分の息子が凄いのかを早口でまくし立てる男。茶目っ気があるというか、ただの度を超した親馬鹿なんじゃないか、このおっさん。我が子自慢でオレに挑んでくる身の程知らずのおっさんには、一度敗北を知らしめる必要があるな。

 

 う、う、うちのメルなんてなぁ、母親が死んでからあの年齢で家事全般を完璧にこなしているんだぞ。頭でっかちなだけの誰かさんとは違う! 人間として立派なのはどっちかな?

 

「くっ! た、たしかに、ルーカスは家事などできないが。し、しかし、彼の頭脳は今や公国にとってかけがえないものだ。これは国家機密だが、帝国政府の暗号をすべて解読できる機械を作ったのはルーカスだ。君が先日オーガのついでに成敗した帝国スパイの指令書をすべて解読できたのも、帝国大使館の外交文書を読み放題なのも、彼らの潜水艦の位置をすべて把握できるのも、みんなルーカスのおかげだ! 君の家族が平和に暮らせるのは、ルーカスのおかげなんだ。ウーィル、君はメル嬢の自慢をする暇があったら、もっとルーカスに感謝の念をもつべきなんじゃないのかい?」

 

 なんだとぉ!! うちのメルはなぁ、メルはなぁ、えーーと、オレのかわりにご近所付き合いだって完璧にこなしてくれる。同級生にも大人気だ。ついでにケンカだって強いぞ。そこらへんの男の子には絶対に負けない。おたくの殿下はしょうしょうナヨナヨしすぎなんじゃないか? 

 

「まだ言うか! 確かにルーカスはケンカは弱いが、軍隊に多大な貢献をしているぞ。現在海軍が王国や皇国と共同開発している電波を使って遠距離の物体を検知する技術も、あの子が原理を提案したものだ。あと数年以内に、われわれは空中から飛来するドラゴンや航空機もいち早く検知できるようになるだろう。その他、砲弾の弾道を正確に計算する機械も、高射砲弾が空中の敵のすぐそばで確実に爆発する信管も、みんなルーカスの発案だ。どうだ、まいったか!」

 

 なにぃ。さっきの暗号の話の凄さはいまいち理解できないが、こーゆー武器の話ならオレでも理解できる。確かにそれは凄いことかもしれない。

 

 ちょっと気圧されたオレをみて、親バカおっさんがさらに図に乗る。暴走を始める。

 

「それだけじゃないぞ。ルーカスはいま、同盟国の科学者達をあつめて新兵器開発を行う超極秘の国家プロジェクトの中心的な役割も担っているんだぞ。あれが完成すれば人類の歴史は変わる。公国は帝国にも大型ドラゴンにも絶対に負けない。ルーカスはそのリーダーになるんだ!」

 

 口角泡を飛ばすとはこのこと。目の前のおっさんの顔をみれば、……くそぅ、勝ち誇ったドヤ顔に腹が立つ!!

 

 どうする? この親馬鹿おっさんにどうやって反論する? さすがのオレも、そろそろメルを誉めるネタが尽きてきたぞ。 

 

 し、しかし、おっさん。息子を自慢したい気持ちはよーくわかるんだがな。一介の騎士に対して国家機密をベラベラしゃべっちゃっていいのかよ。オレは公国の将来がちょっと心配になってきたぞ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下

 

 公王宮の正門玄関前。少年が落ち着かない様子で行ったり来たりを繰り返す。

 

 細身の身体、ちょっと長めの黒髪に大きなメガネ、目鼻立ちがすっきりとした美少年。もっとも目を引くのは長い耳。ハーフエルフだ。

 

 彼の名はルーカス・アトランティーカ。ハイスクールの一年生で十五歳。現公王の一人息子であり、公国の公王太子殿下だ。

 

 

 

 

「ま、まだかな。予定より遅れているようだけど」

 

 ルーカス殿下は正門の方向をちらちらと眺めながらつぶやく。

 

「……殿下。すこし落ち着きなされ」

 

 そわそわ落ち着かない少年に声をかけたのは、いかにも魔法使いというローブを着用した老人。魔導騎士バルバリー。最年長の公国騎士にして、かつて宮廷魔道士だった時代から公王家とは親しい仲だ。彼は、ルーカスが幼い頃から個人的な家庭教師もやっている。

 

「バルバリーさん。騎士ウーィル・オレオはちゃんと出発したのかな? 緊急の仕事が急にとびこんできたりとか……」

 

「ふぉっふぉっふぉ。それは心配無用じゃ。儂はウーィルが駐屯地を出発したことをしっかり見届けてからここに来たからの。ちょうど帰宅ラッシュの時間じゃから、しょうしょう時間がかかるのはしかたあるまいて」

 

 バルバリーは、ウーィルが駐屯地を出たことを確認した後、公王宮まで歩いてきたのだ。公都は人口の集中と自動車台数の増加が著しく、恒常的な道路の渋滞が大きな問題となっている。特に中心部、そしてこの時間帯は、どこへ行くのでも歩いた方が速い。

 

「バ、バルバリーさん? 騎士ウーィル・オレオは、どんなご様子でした? 私がご招待したのを迷惑がっていたりとか、してませんでした?」

 

 ルーカスが、バルバリーに尋ねる。

 

 上目遣い。見つめるのはどこまでも透明で澄んだ瞳。長いまつげ。その表情は、ひ孫までいるバルバリーをして、ドキッとさせるほど色っぽかった。

 

「……出発ぎりぎりまで同僚の女性騎士といっしょに着ていく服を選んでおったが、はしゃぎながら楽しそうな様子じゃったな」

 

 ウソは言っていない。

 

 それを聞いたルーカスは、ほんのちょっとだけ意外そうな表情をみせた。バルバリーには、それが意外だった。

 

「そ、そうか。それは、……楽しみだな」

 

 

 

 

 

 

 ルーカスが公国魔導騎士ウーィルを公王宮に招待したのは、港の埠頭で青ドラゴンから救って貰ったお礼をしたいから、ということになっている。それはルーカスの本心だ。

 

 しかし、それはウーィルを呼び出す口実でもあった、ルーカスは、礼の他にウーィルにどうしても話さねばならないことがある。

 

 だが、彼は基本的に人付き合いが苦手だ。学校にしろ公務にしろ、他人と必要以上の会話はほとんどしない。できない。

 

 決して他人との会話がきらいなわけではない。ただ、会話の中で何を話せば相手が喜んでくれるのか、とっさに思いつかないのだ。ただの世間話ですら、彼はどうしてもうまく会話を続けることができない。

 

 ウーィルを呼び出したからといって、いったいどうやって話を切り出せばいいのか、いまだに彼は悩んでいた。それを考えると、どうしても落ち着かない。

 

 来た!

 

 正門の方が騒がしい。ルーカスは顔をあげる。

 

 しっかりしろ! わたしはこの国の殿下だ。今日、彼女にすべてを話すと決めただろう!!

 

 ルーカスは背筋を伸ばす。彼女の前で、格好悪い姿をさらしたくはない。

 

 ……しかし、そんなルーカス殿下の決意がくじけるまで、ほんの数秒しかかからなかった。

 

 

 

 

 

 ルーカスがいる公王宮正面玄関から正門まで数十メートル。大通りから近づくひずめの音。

 

 ……ひづめ? どうして蹄? そして今きこえたのは、馬のいななき?

 

 えっ?

 

 あ然。正門の方向を見て、ルーカスは言葉を失う。

 

 ど、どうして、馬車が? 宮内省の人は、目立たないよう普通の自動車で迎えをだすと言っていたはず。

 

「バ、バルバリーさん? これはいったい」

 

「ひゃっひゃっひゃ。……陛下がどうしてもと、きかんでのう。ルーカス殿下がご婦人をご招待するのなら、ご自分の結婚式に使ったあの馬車を使えと、いつものように駄々をこねたのじゃよ」

 

 お、お父様ぁ!

 

 父の、公王陛下のいたずらっ子のような表情が目に浮かぶ。

 

 正門前、馬車のあとには多くの市民がぞろぞろ付いてきている。そりゃそうだ。あんな豪華な馬車と護衛の騎馬がいきなり渋滞中の大通りに現れれば、いやでも注目をあつめるに決まっている。

 

 そしてマスコミも。正門よりこちらへは入ってこられないが、それでも皆がカメラをこちらに向けている。写真を取りまくっている。フラッシュのあらし。

 

「これじゃあ見世物じゃないか! あああ、騎士ウーィルは絶対にあきれている。迷惑がっているにちがいないよ。バルバリーさん、どうしよう!」

 

「うひょひょひょひょ。……どうしようと言われてものぉ。まぁ、ウーィルは少々のことには動じない胆力があるというか、神経が図太いというか、繊細な殿下とは正反対な人間じゃからのぉ。彼女はこの程度のことは気にしないと思うぞい」

 

 

 

 

 玄関前に馬車がとまる。しかし、ルーカスは顔をあげることができない。

 

 ああ、こんな目立つ馬車に乗せてしまって、騎士ウーィルになんておわびすればいいのか。

 

 馬車のドアが開く。おそるおそる顔をあげる。次の瞬間、ルーカスを二度目の衝撃がおそった。

 

 馬車から現れたのは、ウーィルではなかった。それは、青ドラゴンから救われたあの日以来、何度も夢に見た美少女騎士の姿ではない。どうみても、……おっさんだ。それも身近な、よく知るおっさん。

 

「お父様!」

 

 あまりの驚愕。ルーカスの叫び声が裏返ったのも無理はない。

 

 どどどどうしてお父様が、騎士ウーィルの馬車に。

 

「どうしてって、……騎士ウーィルを向かえに行っただけだ。息子よ」

 

「だ、だから、どうして、お父様が?」

 

「はっはっは。騎士ウーィルと二人きりで話をしてみたかったのだ。私の立場上、こうでもしないとなかなか難しいからな」

 

 思惑通りおどろいている息子の顔をみて、心の中でガッツポーズをする公王。

 

「そ、そ、そ、そりゃあ、そうでしょうけど、けど、よりによって、今じゃなくたって……」

 

 あああ、なんてことだ。お父様のことだ。騎士ウーィルに対して、余計なこと有ること無いこと面白おかしくおしゃべりしたに違いない。穴があったら入りたいとはこのことだ。私はどんな顔をして騎士ウーィルに会えばいいんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 ルーカス殿下にとって三度目の衝撃は、その直後に来た。それは本日最大の衝撃だった。

 

 お茶目な父親の次に馬車の扉をくぐった小柄な影。

 

 ウーィル・オレオ!

 

 赤い夕日が世界を染める時間帯。暗い馬車の中からのぞく影。小さくて、細くて、華奢で、やさしげなシルエット。

 

 ステップの上。ルーカスが見上げる先に、その少女はいた。

 

 セ、セ、セ、セ、セーラー服?

 

 夕焼けにほんのり赤く染まった空気の中、眩しいくらい映える純白のセーラー服。鮮やかな赤いスカーフ。短いスカートからのぞく透明な細い脚。

 

 風に舞う黒いショートカット。漆黒の瞳。背中に身長と同じくらいの剣を背負った少女。

 

 天使……。

 

 ルーカスは声が出せない。身体が動かない。あまり見つめては失礼だとわかってはいても、少女から視線をそらすことができない。

 

「ん? どうしたルーカス。……ははぁ、騎士ウーィルがあまりに可愛らしくて、みとれているのか?」

 

 なっ! ば、ば、ば、ばかなことを……。

 

 しかし、ルーカスは否定できない。その通りだったからだ。目の前の少女があまりに可愛らしくて、この世のものとはおもえなくて。

 

 

 

 

「ほら、息子よ。いつまで見惚れている。おまえが騎士ウーィルをご招待したのだろう。手をとってあげなさい」

 

 少年は我に返る。あわてて手を差し出す。

 

「よ、ようこそ、ウーィル・オレオ、……さん」

 

 今日は騎士としてウーィルを呼んだわけではない。あくまでも私的な、個人的にお話しする機会のためのご招待だ。だから、精一杯親しみを込めたつもりで名前を呼んだ。

 

 なのに、……またしても声が裏返ってしまった。最初の挨拶は何度も何度も頭の中でシミュレーションしていたのに、どうしてこんな情けないことに……。

 

 握った手は、ビックリするほど小さかった。そして、あたたかった。

 

 ウーィルは、かろやかなステップで馬車を降りる。まるで羽のように着地する。

 

「ルーカス殿下。本日はお招きいただきありがとうございます」

 

 天使のような微笑み。ちょっと鼻にかかったソプラノボイスが耳に心地良い。

 

 ウーィルとしては、特にネコをかぶったつもりはない。青少年の前でわざわざおっさんの地をだす必要もないと、ただ形式的なあいさつをしただけだ。

 

「ウーィル・オレオさん。その、……父が、驚かせてしまって、たいへん申し訳ない、です」

 

 帰ってきた返事は、その姿から想像されるものとは少々異なる口調だった。

 

「いえいえ。確かにちょっと驚きましたが……。噂では聞いていましたが、陛下がこんなに楽しいかただとはおどろきました。しかし、おかげで実に有意義な楽しい時間を過ごせましたよ」

 

 苦笑いしながら答えるウーィル。まるで仲の良いおっさんの友達同士のような口ぶり。さきほどの天使の様な姿との落差。それがルーカスにはショックだった。

 

「お、お父様! いつの間にウーィルとこんなに仲良くなったのですか?  ふたりで一体なにをお話したのですか?」

 

「なに、ただの家族自慢合戦だよ。騎士ウーィルには、おまえの良いところをたっぷり教えておいてやったぞ。得意な科目から献立の好き嫌いから七歳までおねしょしていたところまで、な」

 

 あああああ。な、なんてことを。

 

 ルーカスは頭を抱える。

 

 これから、一体どんな顔をしてウーィルと話せばいいんだ?

 

 

 

 

 結局、食事中ルーカスはほとんどウーィルと会話できなかった。

 

 食後のお茶の時間、ルーカスは一生分の勇気を振りしぼる。だが、なんとか会話を切り出したその瞬間、部屋に乱入してきた者がいた。公王陛下とバルバリーさんだ。

 

 おっさんと老人としては、さっぱり会話がつづかない若い二人を盛り上げようと気を使ったらしいが、ルーカスとしては迷惑極まりない話だ。

 

 そして夜。魔導騎士といえど、一応ウーィルは未成年だ。そろそろ公王宮を出なければ、いろいろと噂も立つだろう。意を決したルーカスが、ついに声をかけた。

 

「……ウーィル・オレオさん」

 

 やっぱり声が裏返る。そのうえ必死の形相。さすがのウーィルも、その迫力にちょっと引くくらいの。

 

「は、はい。なんでしょう、か? 殿下」

 

「ほ、ほんのちょっとだけお時間をいただけますか? 二人だけになれる場所で」

 

「あ、ああ。かまわない、……ですよ。なんのお話しですか?」

 

「大事な、本当に大事なお話なんです。私達二人と、この世界の未来についての……」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下 その02

 

 公王宮の飯は、想像したほど豪華でも形式張ったものでもなかった。

 

 公国騎士は決して高給取りではない。旧貴族出身の者でなければ、普段の生活レベルは食事も含めて一般の公務員や庶民と大差ない。もちろん、オレオ家もそうだ。

 

 ウーィルは少女姿になる前から、ひとり娘のため食事の栄養にはできる限り気を使ってきたつもりだ。だが、主に経済的な問題により、それに加えて多忙により、基本的に質素で手軽な食事にならざるを得なかった。格式高い食事など食い慣れてはいない。

 

 だから、ルーカス殿下により公王家の飯にお呼ばれしたとき、ウーィルはちょっと緊張したのだ。いったいどんな豪華で面倒くさい飯を食わされることになるのかと。

 

 だが、ウーィルの心配は杞憂だった。

 

 ゲストもホストも若者であることを考慮してくれたのだろう。決して形式張らず、それでいて一流の食材を一流の料理人が心を込めて調理した料理の数々は、確かに美味かった。

 

 さすが公王宮の飯だ。メルも連れてきてやりたかったなぁ。

 

 長いテーブル。ウーィルはデザートのアイスクリームを口に放り込みながら、正面に座るメルの同級生を見る。

 

 繊細そうなメガネの少年が、チラチラとこちらを見ている。そして、目が合ったことに気づくと、意を決した表情で話しかけてきた。

 

「ウ、ウーィル・オレオさん。そ、そ、そのセーラー服、お似合いですね」

 

「は? ええ、えーと、こんな女性っぽい格好は普段から慣れないもので、動きにくくて……」

 

「そ、そうですか……」

 

 沈黙。

 

 うーん。いまいち会話がはずまない。さっきから何度も話しかけてくれるのだが、すぐに途切れてしまう。

 

 口を開くときの思い詰めた表情からみて、おそらくドラゴン退治の礼だけでなく、もちろんただの世間話でもなく、オレに対して何か特別に話したいことがあるのだろう。なのに、会話がつづかない。

 

 これまでの人生でも一二をあらそう美味い飯を食っているにもかかわらず、その点だけが小骨のようにウーィルの喉に引っかかる。

 

 

 

 

 他人との会話が苦手という点では、ウーィルもルーカス殿下と大差ない。だから、話したいことがあるのに話しかけられないというシチュエーションには、ウーィルも覚えがあった。

 

 きっと自分も、妻と付き合い始めた頃、こんな感じだったのだろう。

 

 だが、今の殿下の様子からみるに、彼が話したいことは、色恋沙汰とは違うような気がする。

 

 ていうか、もし色恋沙汰ならちょっと困る。オレがこんな身体だということも問題だが、それ以前にオレはまだ妻を忘れられない。そのうえ、年頃の娘も居る。いくらなんでも娘と同級生、しかも公王太子殿下とお付き合いなど、どう考えてもオレには無理だぁ。

 

 ……おっと先走り過ぎた。

 

 色恋沙汰でないならば、なんだ? おっさんとしては、青少年の相談事には、可能な限り乗ってやりたいもんだが。

 

 殿下が切り出せないのならば、本来は中身は大人であるオレが会話をリードしてやらないといけないのだろう。だが、繰り返すが、そして自慢じゃないが、オレも他人と話すの得意じゃない。こんな場合、いったい何を話せばいいのやら。

 

 無理矢理話題をさがす。

 

「そ、そういえば殿下、今日は学校はお休みですか?」

 

 今日は平日だ。メルも寄宿舎から学校に行ってるはずだ。

 

「え、そそそそうなんです。今日は公王太子としての公務ということでお休みをいただきました。学校だけではなく、寮にも外泊許可をもらってあるんです」

 

 へぇ。お勉強だけでなく礼儀作法やらもそれなりに厳しい学校のはずだが、やはり殿下は特別なんだなぁ。

 

 そんなオレの思いが顔に出てしまったのか、殿下がフォローを入れてきた。

 

「も、も、もちろん、私が公王家の人間だからといって、無条件で欠席が認められるわけではありません。重要な公務のために欠席する場合は、本来は宮内省から内閣をとおして学校に申請書をだしてもらうのですが、今日はウーィル・オレオさんをご招待するということで、お父様、……公王陛下から直接校長先生に特別の配慮をお願いしました」

 

 そ、……それはどうも。

 

 このお食事会って、そんなに重要な案件だったのか。小粋な会話のひとつもできなくて、本当にもうしわけない。だが、どうしたらいいのかわからんのだ。あああ、体力勝負のボディガードなら簡単なんだけどなぁ。

 

 

 

 

 結局、食事が終わっても、お茶をすすっても、陛下とバルバリー爺さんが部屋に乱入してきても、いつまでたってもオレ達の会話は盛り上がらなかった。オレの帰り際、決死の形相の殿下が口を開くまでは。

 

「ウーィル・オレオさん、おねがいです。お帰りになる前に、……ほ、ほんのちょっとだけお時間をいただけますか? 二人だけになれる場所で」

 

 殿下の声が完全に裏返っている。その迫力に、ちょっと引く。

 

 ふ、二人になれる場所?

 

「あ、ああ。かまわない、……ですよ。なんのお話しですか?」

 

「大事な、本当に大事なお話なんです。私達二人と、この世界の未来についての……」

 

 はぁ。

 

「ひょっひょっひょ、殿下、気持ちはわかるがのぉ、ふたりともまだ未成年ですぞ。まかりまちがって公王宮の中で不祥事など起きたら、最近はマスコミもうるさいからのぉ」

 

 バ、バ、バ、バルバリーさん! 騎士ウーィル・オレオの前で何てこと言うんですか!

 

「あー、父としては、お互いに同意の上ならば構わんと思うぞ。もしふたりの仲に反対する者がいたら、私が全力で叩きつぶしてやるからな」

 

「お父様も、黙って! お願いです。ちょうどあと一時間くらいなんです。お願いですから。私達のことはほおっておいてください」

 

 ふだん気の弱そうな殿下が、眉間に青筋を立てて怒鳴る。その超ど迫力に、さすがのおっさんと爺さんもたじたじとなる。

 

「わ、わかった」

 

 それにしても、一時間? 妙になまなましい時間だな。いったい何を……。

 

 

 

 

 

 殿下とふたりきりで廊下を歩く。案内してくれたのは公王宮の地下室。おそらく倉庫として使われている部屋の一角。

 

 壁に立て掛けられた大きな絵を額ごと動かすと、隠し扉があらわれた。いかにも頑丈そうな鉄でできている。

 

「へー、公王宮の中に、こんなところがあるんだ」

 

 仰々しい鍵穴にでっかい鍵を挿し込みながら、殿下が振り向く。

 

「ここに扉があることを知っているのは、公王宮でもほんの数人だけなんです」

 

 ギイイイ。

 

 ゆっくりと、扉がひらかれる。

 

 ゴクリ。ウーィルがツバを飲む音だ。

 

「ウーィル・オレオ、さん。……いっしょに来てくれますか?」

 

「そのまえに、これは陛下にもお願いしましたが、私の事はウーィルと呼んでいただけますか?」

 

 いちいちフルネームで呼ばれると、肩がこるのだ。

 

「あ、……うん。ウーィル。いっしょに来てくれますか?」

 

 もちろん。

 

 

 

 

 ドキドキしながら、扉をくぐる。

 

 そこはまるで魔王の城につながる地下迷宮、……ではなかった。実際に足を踏み入れてみれば、そこは大人二人が並んで歩ける幅のごくごく普通の廊下だ。壁はコンクリート。電灯もある。

 

「普通……だ」

 

 ウーィルのつぶやきを聞いた殿下が、くすりと笑う。

 

「あはは、ごめんなさい。変な期待させちゃった? この通路がはじめにつくられたのは中世時代らしいけど、目的はただの緊急避難用のものだし、最近は近代化もされてきちんと整備されているんです」

 

 ちょっとがっかりしたウーィル。しかし殿下の表情は緩まない。

 

「だけど、……この通路は、私とあなたが出会った場所につながっているんだ」

 

 は?

 

 

 

 

 地下通路をルーカス殿下とふたり、無言で歩く。殿下は正面を向き、真剣な顔だ。

 

 そんな殿下の横顔を眺めながら、ウーィルは馬車の中で公王陛下から伝えられた言葉を、頭の中で反芻していた。

 

「騎士ウーィル。ルーカスは命の恩人である君の事を信用しているようだ。そんな君に知っていて欲しいことがある。聞いてくれるかね?」

 

 はぁ。いいですよ。さんざん息子自慢したくせに何をいまさら。

 

「……実は、我が公王家には代々の言い伝えがあってね。公国が危機に陥ると、異世界の知識をもった転生者が一族に生まれ救いをもたらすと」

 

 その手の言い伝えって、どこの国の王家にもあるのでは。王権の正当性を示すためのおとぎ話でしょ。

 

「そのとおりだ。だが、この件についてはただの言い伝えではないんだ。なぜなら、私は実際に転生者を知っている。先代公王の弟殿下、ルデス・アトランティーカ。私の叔父だ」

 

 ああ、ルデス殿下。知ってます。絵が得意で変……。

 

 先代公王の弟君を変人よばわりしかけた事に気づき、ウーィルはあわてて口をつぐむ。

 

「いいんだ。たしかに叔父は変人だった。公国の政治にはまったく関わろうとせず、無人島に自分専用のメイドと二人きりで住みつき、風変わりな絵ばかり描いていた人だ」

 

 変人ルデス殿下が無人島に住んでいた話は全国民が知るところだが、自分専用のメイドなんて話は一般市民にとってははじめて聞く話だな。

 

「私は幼い頃からそんな叔父が大好きでね。彼がたまに公都を訪れるたびお話をねだったものだ。本人が言うには、叔父には前世の記憶があり、彼はもともとこの世界とは別の世界の絵描きだったそうだ。私は、文化も文明も異なる異世界の話を、いつもわくわくしながら聞いたものさ」

 

 へぇ、この世界とは別の世界なんてものが実在するのか。おとぎ話みたいですね。

 

「残念ながら、これはハッピーエンドのおとぎ話ではないんだ。先代公王が亡くなり私が即位した直後、叔父は話の続きを教えてくれた。彼がこの世界に転生させられたのは、実はある重要な使命のためなのだそうだ。そして、そのせいでいつも命をねらわれている。無人島に住んでいるのは市民を巻き込まないためだ、と」

 

 重要な使命?

 

「もちろん、すべては想像力豊かな叔父の作り話である可能性もある。だが、彼はこうも言ったのだ。自分はもうすぐ青ドラゴンに殺されるだろうと。しかし、彼が死んでも公王家の血筋にはまた同様の使命を帯びた者が生まれるだろう、と。公王として、その者を護ってやってほしい、と。……その数年後、実際に叔父は青い巨大ドラゴンに襲われて亡くなった」

 

 ……そうだ。ルデス殿下の住む島が巨大な青ドラゴンに襲われたのは、オレが騎士になった直後のことだ。ドラゴンの魔力による大爆発の衝撃波が数十キロはなれた公都まで響きわたったことを覚えている。

 

「そして、叔父が亡くなった直後に生まれたのが、……息子ルーカスだ。私は、息子ルーカスが、叔父と同じだと確信している」

 

 ルーカス殿下も転生者だ、と?

 

「ルーカス本人は、父である私にすら何も話してくれないよ。アレは、何でもできるが、何でもすべて自分で背負い込もうとする性格だ。あるいは『重要な使命』とやらに我々を巻き込みたくないのかもしれない」

 

 陛下はうつむきながら唇を噛む。息子が頼ってくれない自分が情けないのか。

 

「騎士ウーィル!」

 

 陛下が姿勢を正す。そしてふたたび頭を下げる。

 

「君のことは調べさせてもらった。始末書が多いことを除けば、その年齢で魔導騎士としての実績は申し分ない。剣の腕だけならば歴史上最強、ドラゴンにも負けないと騎士団上層部からのお墨付きだ。お願いしたい。息子を、……ルーカスを助けてやって欲しい。君の力で」

 

 異世界とか転生とか使命とか面倒くさそうだなぁ。でも、同じ年頃の子を持つ親としての気持ちは痛いほどわかっちゃうんだよなぁ。

 

「……オレは騎士だ。あらためて言われなくたって、殿下を守りますよ」

 

 ウーィルは、自分の薄い胸を叩く。

 

「ありがとう……」

 

 

 

 

 

「ウーィル。もうすぐ目的地ですよ」

 

 殿下の言葉に、ウーィルは我に返る。

 

 歩いた通路の長さはせいぜい数百メートルほどか。突き当たり階段を昇ると、また同じ扉。

 

 扉の向こうは、……廃墟? 大聖堂?

 

「そう、君が破壊した大聖堂の跡です」

 

 ウーィルがドラゴンの群ごと破壊した大聖堂の敷地。立ち入り禁止となっているものの、いまだ完全に片付けられてはいない。土台はもちろん、石造りの壁や柱の一部がところどころ残されている。

 

 再建についての方針がまだ決まっていないうえ、木っ端微塵にされた膨大な数の巨大な石材を処理するのに必要な予算と工数の目処が立っていないのだ。

 

「ドラゴンの群が公都を襲ったあの日、私は最初からわかっていました。あのドラゴン達は私を、私ひとりを狙っていたことを」

 

 え? ドラゴンが公都を襲った日って、オレがこの少女姿になったあの日のことか?

 

「だから、私はこの通路をつかって無人の大聖堂に逃げました。公王宮にいては、お父様や公王宮の人々を巻き込んでしまうと思ったから」

 

 えっ? えっ? それじゃぁ、あの時……。

 

「おもったとおりドラゴン達はここに集まりました。でも、結果として私は追い詰められてしまった。もうダメだと覚悟を決めた時、あなたに出会ったの。……騎士ウィルソン・オレオ」

 

 え? 

 

「で、で、で、殿下? オレがウィルソンだったことを知っているのですか?」

 

「知っています。……あなたをその姿にしたのは、私、です」

 

 えええええ?

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下 その03

 

「大聖堂で青ドラゴンの群に襲われてもうダメだと思ったそのとき、あなたに出会ったの。……騎士ウィルソン・オレオ」

 

 え? えええええ?

 

「で、で、で、殿下? オレがウィルソンだったことを知っているのですか?」

 

「知っています。……あなたをその姿にしたのは、私、です」

 

 

 

 

 沈黙。

 

 殿下が訳のわからないことを言い出した。信じられないが、……しかし、この少年がウソを言っていないことも、オレにはわかる。

 

「ウーィル。……信じていただけるかどうかわかりませんが、そして許していただけるとは思っていませんが、順を追ってご説明します」

 

 あ、ああ。説明してくれたまえよ。

 

 殿下がひとつ深呼吸する。そして、正面からオレの目を見る。

 

「私には、前世の記憶があります。こことはまったく異なる世界で、普通の学生として生きていました。ところがある日、事故に遭い、いつのまにかハーフエルフの赤ん坊としてこの世界に生まれていたのです」

 

 陛下の言うとおりだな。あのおっさん、だてに公王やってるわけじゃないようだ。父親としても立派なものだとおもうぞ。

 

「私をこのわけのわからない世界に送りこんだ存在によると、転生者の使命は、異世界の知識をもって審判をすること。『この世界が存続に値するか』について」

 

 ……ずいぶんと重い使命だな。

 

「『彼』はこうも言いました。使命を果たすための力として『転生者』には『守護者』を与える、と。私の場合は、この世界の者をひとり選び『時空の法則を司る守護者』に任じることができる、と」

 

 守護者? レンさんが言ってた『守護者』? もしかして、それが、……オレ?

 

 

 

 

 真剣な表情で見つめる殿下の瞳。みるみる曇る。涙があふれ出す。

 

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。自分勝手なことをしてしまってごめんなさい」

 

 ああ、泣くな。泣かないでくれ。

 

「私は、守護者同士の殺し合いにこの世界の人を巻き込みたくなくて、あの時まで守護者を決めないでいたの。自分一人が『水の法則の守護者』の手下ドラゴンに殺されれば済むと。でも、あの時、あなたが私を護ってくれて、私のかわりにドラゴンのブレスをあびてしまって、……そうしないとあなたが死んでしまいそうで、他にどうしようもなくて」

 

 目の前で泣き崩れる少年。中身おっさん少女としては、肩を抱いてやるしかない。……うーん、抱きしめているオレの方がちっちゃいから、いまいちサマになってないような気がするが。

 

「ああ、殿下。細かいことはさっぱりわからんが、別にかまわんよ。……ていうか、そうしないとオレが死んでたんだろ? 殿下はオレの命の恩人だ。礼をいうのはオレの方だろう」

 

「いいえ、いいえ、いいえ。……た、たしかに結果としてあなたの命を助けることになったけど、私は、私は、土壇場になってひとりぼっちで死ぬのが恐くなって、それであなたを巻き込んでしまっただけなの。それだけじゃなく、あなたをそんな姿にしてしまって、辻褄を合わせるために歴史を書き換えてしまって……」

 

 オレの腕の中、殿下がふたたび顔をあげる。長いまつげ。大きな瞳。メガネの中に大粒の涙。

 

「かまわんと言ってるだろ。おかげでオレはメルの側にいてやれる。……なによりも、オレは騎士だ。殿下を護るのは当たり前のことだ」

 

「ほ、本当に?」

 

 殿下がオレを見上げる仕草が、……なんというか、真剣な話をしているときに不謹慎かもしれないが、まるで女の子のようで妙に色っぽい。

 

 本当だとも。

 

 オレの返事をきいて、殿下はやっと笑ってくれたのだ。

 

 

 

 

 

 大聖堂跡の廃墟。いったい何分すぎたのか。

 

 説明されてもまったくもって訳がわからない。まだまだ謎なことばかりだ。だが、この少年はウソはいっていない。それだけは確信している。聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず後回しでいいだろう。今はこの少年を支えてやるのが、オレの仕事だ。

 

 不意に殿下が顔をあげる。涙の跡は残っているが、いつのまにかキリリとした表情。公王太子の顔だ。

 

「……そろそろ約束の時間です」

 

 懐中時計を見ながら、空を見上げる。

 

 へ? なんの?

 

 オレも空を見上げる。すっかり暗くなった夜空。天にあるのは満月。眩しいほどの月明かり。

 

「ウーィル。事前にひとつ、ひとつだけ、確認させてください」

 

 なにやら深刻な、思い詰めた顔。

 

「あなたは、……この世界が存続に値すると、思いますか?」

 

 はぁ? 唐突だな。

 

 だが、殿下の真剣な顔はかわらない。冗談ではなさそうだ。

 

「えーと。はい。……ロクでも無い世界だと思うこともよくあるけど、オレには出来すぎた娘がいる。仕事もまぁそれなりに楽しくやってるし、みんな一生懸命生きている。この世界もそう悪くないと思うよ」

 

 目の前のハーフエルフの顔が、ほっとした表情にかわる。

 

「よかった。ならば、……私を護ってください」

 

 へっ? 何度も言ったけど、オレは騎士だ。あらためて言われなくても、殿下を護ってやるよ。

 

 オレが返事をする前に、殿下がオレの手を握る。強く、強く。そしてふたたび空を見上げる。オレも見上げる。やっぱり月以外に何もない、が。

 

 ……来た。

 

 

 

 

 真上。満月の中に影。はるか上空。ひとつではない。なんだ? 青い。長い首。翼。尻尾。……ドラゴン?

 

 性懲りもなく、また公都を襲撃に来たのか?

 

 握られた手の平を通じて、殿下の体温を感じる。

 

 オレは反射的に右手で背中の剣を握る。着陸されると面倒だ。空中にいるうちに斬ってやるか。

 

 影の中でもとりわけ輝く個体。遙か高空からまっすぐに、猛スピードで降りてくる。徐々にディテールが見えてくる。鮮やかな青いウロコ。巨体。……巨体? でかい! これは小型ドラゴンじゃない。大型だ。

 

 大型ドラゴンを眼前で見るのはオレもはじめてだ。あ然として見守るオレの目の前、巨大なドラゴンが音も無くフワリと着地した。空中にはたくさんの小型青ドラゴンが舞っている。

 

 大型ドラゴンは、オレがぶっ壊す前の大聖堂と同じくらいの大きさだ。体長はゆうに五十メートルを超えるだろう。真っ赤な口から覗く凶悪な牙。ひとつひとつがトラックよりも大きな鋭い爪。全身を覆う青く輝くウロコが美しい。

 

 同じドラゴンでも先日公都を襲った小型ドラゴンとは比較にならない圧倒的な体躯。オーラ。そして魔力。大型ドラゴンによる襲撃は、たとえ列強国でもいまだに国家的な災いだ。

 

 くっ。こんなデカ物に公都まで乗り込まれて、海軍は何やってやがる。

 

「仕方ないよ、ウーィル。実用的なレーダーの配備と防空網の確立にはもう少し時間がかかる」

 

 咄嗟に背中の後ろに庇おうとしたオレを制し、あえて前に出る殿下。

 

 まっすぐ前を見る殿下の視線の先は、ドラゴンではない。いつの間にかドラゴンの隣に男が立っている。行儀良く座ったドラゴンが、長い首を男の前にのばし甘えるように頭をなすりつける。男はドラゴンを諫めるようにその喉の下をなでている。

 

 青い髪。細身で長身の男。だが、殿下とは印象がまったく違う。冷たい、まるで凍るような眼で、オレ達を見つめている青年。……いや、若く見えるが、こいつはオレの中身と同じくらいの歳だろ。

 

「ルーカス殿下。わざわざこの私を呼び出したということは、良い返事を聞かせてくれるのかな?」

 

 抑揚のない、まるで機械のような口調。

 

 それに対し、殿下は大きな大きな深呼吸をひとつ。そして口を開く。

 

「ええ。私は、……この世界を存続させたい。だから、あなたの仲間にはなれない。あなたを呼んだのは、それを伝えるためです」

 

 まっすぐに眼をみつめているのは、殿下にとって精一杯の虚勢なのだろう。握っている手が震えている。

 

 男がひとつため息をつく。やれやれ、といった体でふたたび口を開く。

 

「私とてできれば同じ転生者を傷付けたくはない。ましてや君のような若者をね。だから先日は手加減してやったのだが、この慈愛の心を理解してもらえなかったようだな」

 

「理解できない。理解したくない。本気で慈愛というのなら、あなたはなぜ人類を滅ぼそうとするのですか?」

 

「君も異世界からの転生者ならわかっているだろう。この世界の人類は、自ら滅びに向かっている。ならば早く滅ぼしてやることこそが慈愛だよ」

 

 殿下が握る手の力が強くなる。

 

「私のいた世界とあなたのいた世界は違うようです。私の世界の歴史では、この程度の危機は何度も乗り越えてきました。この世界の人々だって……」

 

「ふん。ならばしかたがない。しかし、その黒髪の少女が今代の『時空の法則の守護者』かね? 『水の法則の守護者』である私の大型ドラゴンに、その娘が勝てるとは思えないがね。十五年前、先代の時空の守護者の二の舞だ。……それでも、やるのかね?」

 

 殿下が振り向く。オレの眼を見る。

 

 ふむ。こまかい事情はわからんが、オレはこの青ドラゴンをぶった斬ればいいんだな? そーゆー事ならオレの得意分野だ。

 

 ゆっくりと、オレは頷く。いいだろう、やってやろうじゃないか。

 

 

 

 

 オレは背中の剣を降ろす。目の前のドラゴンが息を吸い込む。ブレスか? 大型ドラゴンのブレスはヤバイ。下手すれば一撃で都市が壊滅だ。そのうえ、こいつは水の法則とやらを司るらしい。……だが、その前にオレがその首を落としてやるよ。

 

 ジリ、ジリ。半歩づつ間を詰める。張り詰めた空気が凍りつく。

 

「まぁまぁそこの二人、……いや三人と一頭。落ち着きたまえ。こんな市街地で闘うこともないだろう」

 

 ふいに間の抜けた声。ウーィルは心臓がとまるかと思った。極限まで高まった緊張感の中、後ろからいきなり声をかけられたのだ。

 

 振り向くと、暗黒の夜空をバックにコントラストが眩しいほどの白髪の少女がいた。この娘は見覚えがある。メルの同級生にして寄宿舎で同室だというボクっ娘だ。

 

「レンさん……。どうしてここに」

 

 レンさんは、前開きの服に帯を巻いた見慣れない格好をしている。

 

「貴様、もうひとりの転生者。なぜここに現れた?」

 

 青い髪の男が驚いている。レンさんを知っているのか?

 

「いやな予感がしたのでね、寄宿舎をぬけだしてきたんだ。ボクの勘はよくあたるんだよ。ちなみにこれは浴衣といってね、ボクの祖国、皇国では一般的な寝間着さ」

 

 にゃあ。

 

 肩に乗った白い子ネコが鳴く。まるで挨拶であるかのように。

 

「騎士ウーィル。ルーカス殿下の守護者になってくれてありがとう。うん、ふたりの仲が良さそうでボクは安心したよ」

 

 レンさんが、殿下を背中に隠したオレと、オレの背中にすがりつく殿下を見て、ニヤニヤしている。

 

「ば、ばか……」

 

 殿下があわててオレから離れる。しかしレンさんはかまわず、ドラゴンと青年に顔を向ける。

 

「さて、……君もわかっているんだろ? ウーィルはね、歴代の守護者の中でもちょっと強いと思うよ」

 

 青年が目をつり上げる。レンさんは、自分の肩の上の白ネコの喉をなでる。

 

「そして、ボクの『運の法則を司る守護者』も、だ。……さて、どうする? いまここでふたりを相手にするかい?」

 

「き、貴様も、私に敵対するつもりか? 考えがまとまらないからと言うから、いままで見逃してやったのに。恩しらずめ!」

 

「はっはっは。ボクははじめからルーカス殿下の判断に従うつもりだったんだよ。君は冷徹な人間っぽいポーズをとっているわりに、つめが甘いというか、だまされやすいよね」

 

 レンさん、善良そうな顔をして、ひとを挑発するのが上手すぎだ。はるかに年上のはずの男が、顔をまっかにして逆上している。

 

「な、な、なんだと、ガキが!」

 

 ドラゴンが咆哮をあげる。公都全体が震える。巨大な翼を広げ、爪を振り上げる。

 

 その正面、殿下が持ってくれた鞘から、オレは剣を抜く。上段に構える。肩の上にレンさんの白いネコが乗っかる。

 

「君のドラゴンは確かに強い。これまでも何人もの転生者と守護者を葬ってきたらしいね。でも、守護者ふたりを同時に相手にしたことはあるのかな? ……もう一度きくよ。いまここでボク達を相手にするかい?」

 

「……く、くそ。今日のところは見逃してやる」

 

 いかにも悪役らしい捨て台詞をのこし、青ドラゴンは飛び去っていった。

 

 

 

 

「ウーィル」

 

 帰り際、レンさんが声をかけてきた。

 

「ボクは、殿下が本気で守護者を決めぬままひとりで死ぬつもりなのかと、ずっと心配していたんだ。だけど、君がいてくれるなら安心だ。……ルーカス殿下を頼むよ」

 

 オレの両手を握りながら、レンさんが頭をさげる。

 

「……レ、レンさん。殿下とは、どういうお知り合いなんだ? まさか、君も転生を?」

 

「ああ。ボクと殿下はもともと同じ異世界にいたんだ。いっしょに事故にあい、同時に転生してしまったのさ」

 

 へえ。世間は狭いもんだな。二人はどんな関係なんだ?

 

「ふふふ。前世でのボク達ふたりはね……」

 

「うわぁ、い、いわないでぇ!」

 

 叫ぶ殿下を無視して、いたずらっ子のような顔で笑うレンさん。

 

「双子の姉妹。そう、ルーカス殿下の前世は、ボクの姉さ。ちなみに姉はおっさん趣味だったんだ。元おっさんの騎士ウーィル、姉をよろしくね」

 

 姉? 姉ぇ? 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とイカ

 

 オレは今、船の上にいる。

 

 まことに残念ながら、プライベートな船旅ではない。休暇中でもない。そもそも客船ですらない。オレが乗っているのは沿岸警備隊の小さな警備艇だ。

 

 おええええ!

 

 一体これで何度目なのか。オレは甲板の手すり越し、朝食った飯と胃液がまじったものを海面に向けてばら撒いた。

 

「ウーィルちゃん先輩、船酔いっすか? いつも空中を飛んで剣をふるってるくせに、揺れに弱いのは意外っすね」

 

 そんなこと言ったって、自分で制御する加速度と強制的に揺らされるのとでは違うんだよ。ていうか、なんで君は平気なんだよ。

 

 今回の任務、オレとペアを組んでいるのはナティップちゃんだ。

 

「この国に移民してくる前に住んでいたのは海沿いの漁村だったっすから。よく小さな漁船にのってアルバイトしていたっす。……それにしてもウーィルちゃん先輩、花も恥じらう美少女乙女騎士なのに、ゲロ吐きまくりじゃ台なしっすね」

 

 美少女乙女かどうかはさておき、台なしなのは自分でもわかってる。船に乗り込んだ直後は俺達女性騎士二人組をさんざんチヤホヤしてくれていた沿岸警備隊のみなさんも、ゲロばっかりはき続けるオレを見る目がすっかり冷たくなってしまったような気がするし。

 

 でもな、こればっかりは仕方がないだろう。船がこんなに揺れるとは思わなかったんだよ。

 

 

 

 

 ここ数ヶ月、公都の沖の海域において、小型商船や漁船の遭難事件が相次いだ。運良く救出された生存者の証言はすべて一致している。巨大な生物により船が襲われたのだ。

 

 公国沿岸警備隊は、総力を挙げて巨大生物を捜索した。だが、広大な海域で神出鬼没に現れる相手を、そう簡単に見つけられるものではない。その間にも被害は続く。そこで白羽の矢が立ったのが、魔導騎士だ。

 

 木製の小さな近海漁船ならともかく、遭難した船の中には鉄製の商船もある。いかに身体がでかくても、普通の生物がこれを沈めるのは不可能だろう。おそらく魔力をもった魔物だ。ならば、魔物の専門家、魔力を検知する力がある魔導騎士に頼ろうというのだ。

 

 

 

 

 

 そもそも魔物とは何なのか。

 

 この世界一般的には、魔力をもつ生き物を魔物あるいはモンスターと呼ぶ。

 

 では、魔力とは何なのか。

 

 それはいまだ科学では解明されていない、人間の知る物理法則を超越した力だ。

 

 ならば、魔力を持った人間は魔物なのか? エルフや獣人は?

 

 中世時代から比べて激減したとはいえ、世界中の人類のうちいまだ数万人に一人は魔力をもつと言われる。公国ではもっと割合が多い。エルフではさらに多い。これを魔物扱いしないのはなぜなのか?

 

 逆に、ヴァンパイアやオーガなどヒト型の魔物は、なぜ人間扱い、いや『動物』扱いすらされずに『魔物』なのか。極めて魔力が強い人間の魔法使いとは、いったい何が違うのか?

 

 ……答えはない。この世界の誰も答えられない。あきらかなのは、人間とは、自分と他の生き物と魔物との間の境界線を自分勝手に引いてしまう身勝手な生き物だ、ということだけだ。

 

 とにかく、数は減ったとはいえ、いまだに魔物は確かに存在する。特に公国周辺には、何故かたくさん出現する。大航海時代以来、公国が列強国の脅威を排し独立を保てたのはその魔物達のおかげとも言えるが、多くの場合やつらは人間に迷惑をかけている。

 

 だからこそオレ達魔導騎士は、魔物退治のお仕事に事欠かないのだ。今日のこの任務のように。

 

 

 

 

 

 てなわけで、本日のオレの任務は謎の海中モンスター退治である。なぜオレのペアの相手がナティップちゃんかというと、オレが推薦したのだ。

 

 あれは数日前の話。ナティップちゃんが、公都の下水道に住み着いたゴブリン退治の任務を無事終了して帰還した後のこと。

 

 いつになくイライラした様子のナティップちゃんを、オレは一杯のみに誘った。飯のついでに愚痴でも聞いてやろうかと思ったのだ。

 

 まったくもってオレの柄ではないのだが、今の魔導騎士第一小隊に女性はナティップちゃんの他にはオレとレイラしかいない。レイラは管理職だし、一番年齢が近いのはオレ、ということになっている。彼女の愚痴を聞いてやれるのはオレしかいないだろう、たぶん。

 

「ウーィルちゃん先輩、聞いてくださいよ。今日のゴブリン退治!」

 

 オレが彼女を連れて行ったのは、旧市街にある行きつけのパブだ。女の子ふたりであんな小汚い店に行くのにちょっと抵抗があったが、オレは他におしゃれな飲み屋など知らないのだから仕方がない。ナティップちゃんも喜んでくれたし。

 

 で、大ジョッキのビールを一気に飲み干した直後、彼女は愚痴りだしたのだ。もちろんオレはサイダーを飲んでいる。

 

「せっかく陸軍との共同作戦に抜擢されたっすから、意気揚々と臭っさい下水道の中に乗り込んでみたら、出てきたゴブリンは小さいのがたったの五匹。しかも、兵隊さんの軽機関銃と火炎放射器で簡単にケリがついちゃって。……わたし、イヤミいわれたっすよ。『美人騎士様といっしょにハイキングできて楽しかった。今度は弁当を忘れないでくれ』って」

 

 ああ、はいはい。それはご苦労様だったね。でも、被害もなしで、よかったじゃないか。

 

「まぁ確かにそうっすけどね。でも、ウーィルちゃん先輩ばっかりずるいっすよ!」

 

 へ? なにが?

 

「先輩が任務で出張る時って、相手はドラゴンとかヴァンパイアとかオーガとか大物ばかりじゃないっすか。私はゴブリンとかスライムとか小物ばっかりっす」

 

 そんなこと言われてもなぁ。任務を割り振るのはレイラの仕事だし、ナティップちゃんまだ魔導騎士になって半年くらいだし、しかたないんじゃないか?

 

「あああ、私もデカ物を相手にしたいっす。イヤがる相手を力任せに蹂躙したいっす!」

 

 おいおいおいナティップちゃん。不穏な単語を大声で叫ぶのはやめて。周りの席のおっさん達がドン引きしているから。

 

 

 

 

 ……そんなナティップちゃんをたまには公都の外の任務に連れ出すのもいいかなぁと思ったオレが、今回の任務に推薦したわけだが。まさか自分が船酔いでノックアウトされるとは思わなかったぜ。

 

「どうですか、騎士様。魔物を感じますか?」

 

 沿岸警備艇の船長が、ダウンしているオレを差し置いてナティップちゃんに尋ねる。

 

「うーん、こっちから大きな魔力を感じるっす」

 

 船長がコンパスと海図を確認する。

 

「海軍が指定した立ち入り禁止海域まではまだ距離があるな。行ってみましょう。取り舵三十度、機関全速!」

 

 アイアイサー!

 

 船の方向がかわる。船体が盛大に傾く。またしてもオレは気持ち悪くなる。ナティップちゃん、あとは任せた。

 

 

 

 

 

 ふむ。魔導騎士といえども船の上ではごくごく普通の女の子なのだな。

 

 ブリッジの中。警備艇の船長は自分の孫娘とほぼ同じ年齢の女性騎士を見て、眼を細める。

 

 ……他の多くの公国市民と同様、彼は魔導騎士を尊敬していた。眼に入れても痛くない自分の孫娘を嫁にやるなら公国魔道士がいい、などと勝手に思っていたりするほどだ。だから、彼の船に魔導騎士が乗り込むと聞いたときには、すなおに嬉しかった。魔導騎士といっしょにモンスター退治ができるなど、警備隊の船乗りとして本懐のようなものだ、と。

 

 だが、実際に船に乗り込むという魔導騎士ふたりを目の前にしたとき、さすがに少々混乱した。

 

 その騎士は、騎士の制服でなければハイスクールの女子学生にしか見えない、若い女性だったのだ。スタイル抜群ではあるが、あまりにもすらりとしたその体躯。自分があと三十年若ければ間違いなく惚れていた魅力的な女性ではあるが、この身体でどうやって魔物を倒すというのか。

 

 さらにもうひとり。こちらの方がある意味ひどい。

 

 ハイスクールどころかどう見ても中学生、……いや小学生といっても世間では通るだろう。腕も脚も全身も何から何まで小さくて華奢な身体。ちょうど孫娘とおなじくらいの年齢にしかみえない少女。背中に背負った身長よりも長い剣は冗談なのか?

 

 このふたり(便宜上、以降『おおきい方の女性騎士』と『ちっちゃい方の女性騎士』と呼称する。おおきい、ちいさいが、身体のどこを指すかはあえてふれない)、本当にこれが伝統ある公国魔導騎士なのか? 時代はかわってしまったということなのか?

 

 ……あるいは、こんな者が送り込まれたということは、我が沿岸警備隊が騎士団に舐められているということなのか?

 

 

 

 警備艇のクルー達も、彼女達を前にして驚いたようだ。初めてふたりを目にしたとき、ちやほやする、というよりもヘラヘラと舐めきった態度があからさまだった。騎士への尊敬もモンスターへの気構えもあったものではない。無事に任務達成できるのか? 船長の心に不安がよぎった。

 

 だが、彼の憂いは杞憂だった。

 

 それは彼女達が船に乗り込む時のこと。クルーのひとりが、ちっちゃい方の女性騎士の手をとるふりをして、ヘラヘラしながら彼女の尻を撫でたのだ。

 

 動いたのは隣に居たおおきい方の女性騎士だった。彼女は、まばたきをする間もなくクルーの腕をねじ上げた。そして一切躊躇することなく海に投げ込んだ。

 

 その男の腕は、彼女の三倍は太い。体重も(推定値ではあるが)三倍はあるだろう。しかも、彼はかつてボクシングのヘビー級国内学生チャンピオンだった男だ。そのうえ、男が投げ込まれた海面は、船からはるか五十メートル以上離れた彼方。

 

 そして、おおきな女性騎士は笑顔のまま啖呵を切ったのだ。『私はともかく、ウーィルちゃん先輩に舐めた態度とってると、お前達全員海に投げ込むっすよ』と。

 

 クルー達の態度は一変した。さらに話を聞いてみれば、ちっちゃい方の騎士は、なにもかもちっちゃいにもかかわらず、おおきい方に輪をかけて強いという。その長すぎる剣をもって、先日公都に襲来したドラゴンを撃退したという。

 

 ふむ。このちっちゃい少女騎士は、公都に住む孫の命の恩人と言ってもいいかもしれない。

 

 船長は、魔導騎士に対する尊敬の念を捨てずに済んだことに胸をなで下ろす。

 

 同時に安堵したのだ。

 

 どんなに強い魔導騎士でも、揺れる船の上ではただの船酔い娘にすぎない。騎士団に、われわれ海の男の矜持を見せてやる機会もあるだろう。

 

 

 

 

 

「船長! いました!!」

 

 見張りがさけぶ。

 

 ブリッジの中、全員が同じ方向を見る。船の前方、水面のわずか下を同じ方向に巨大な影が走る。

 

 なんだ? でかい!

 

 身体をくねらせることなく、まっすぐに進む巨大な影が見える。あきらに船ではない。潜水艦でもない。もちろんただの生き物ではない。この船の全長は約三十メートルのはずだ。それと同じくらいあるんじゃないか?

 

「あ、あれっす。凄い魔力を感じるっす! ……船長、なんすかあれは?」

 

「わからん。わからんが、あんなのに襲われたら、小さな漁船ならひとたまりもなかろうな」

 

 大きいだけではない。速い。快速を誇る警備艇が徐々に引き離されていく。

 

「機関全速!」

 

「これでいっぱいです!!」

 

 くっ。

 

 エンジンが悲鳴をあげる。このままでは逃げられてしまう。

 

「前方機関砲、撃て!」

 

 海面に向けて機関砲が撃ち込まれる。しかし影はジグザグに走って逃げる。弾が当たった様子はない。そして潜る。海面から消える。見失ってしまう。

 

 船は減速、周辺を捜索する。

 

「まだ魔力を感じるっす。近くに居るっすね。船長さん、この船、爆雷とか積んでないっすか?」

 

「この船はただの警備艇だ。駆逐艦じゃないからのぉ……」

 

 左舷!

 

 見張りが叫ぶ。全員が振り向く。とてつもなく巨大な魔物が、海面を破り空中に踊り出した。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とイカ その02

 

 『彼』が生きていたのは、光のない暗黒の世界だった。

 

 いつ生まれたのか。いつからそこに居たのか。自分でもわからない。

 

 巨大な目玉に映るのは深海魚が放つ儚げな光だけ。聞こえるのは海流のうねりと悲しげなクジラの歌ばかり。

 

 彼は普通の生き物ではない。餌に出会う機会がほぼ皆無なこんな場所でも、母なる大地より魔力を吸収している限り死ぬことはない。

 

 深海。途方もない年月を、そこで彼はすさまじい水圧とただただ退屈な時間に押しつぶされながら、生きてきたのだ。

 

 あるとき、彼ははるか上の方角から、巨大な魔力と魔力のぶつかり合いを感じた。

 

 それは、人間の物差しで数千メートルにもおよぶ莫大な量の海水を透してさえ、凄まじい量の魔力だった。

 

 ……上にいけば、何かが居る。膨大な魔力をもつ何かが。それは、さぞかし美味いのだろう。

 

 それが、人間の暦で十五年ほど前の出来事であった。

 

 

 

 彼は、ゆっくりと、ゆっくりと、時間をかけて浮上した。

 

 十数年かけてたどり着いた海面付近は、思いのほか快適だった。

 

 無限に広い大海原。空から降り注ぐ眩しい光。騒々しい音。彩り豊かな生き物たち。

 

 残念なことに、あの時のような魔力を感じることは滅多に無かった。しかし食うものに困らない。なによりもここは刺激的だった。

 

 だから、彼はこの生活に満足していたのだ。……その日までは。

 

 たまたま近づいた島。騒々しい音をたてながら海面を走り回るやたら大きな者ども。明確に向けられた敵意。そして感じた、莫大な魔力。もしかしたら彼自身よりも強いすさまじい魔力。

 

 彼は飛びついた。魔力を喰らうために。

 

 

 

 

 

 

 ……イ、カ?

 

 水面を突き破り、ロケットのように真上に飛び出したそれは、どう見てもイカに見えた。

 

 イカ? 胴体だけで三十メートルのイカ? 腕の先まで測れば百メートルくらいあるんじゃないか?

 

 警備艇のクルーのみなさんも全員が呆気にとられている。ということは、あんなでっかいイカは海の男から見てもやっぱり珍しいということなんだろう。

 

 生物というはあまりに非常識な巨体が、水面を突き破りジャンプ。いや、それはジャンプというよりも弾道飛行と言うべきだろう。ジェット推進のように口から水流を吹き出し、その反動で一気に高度数百メートルまで巨体が飛び上がる。全身が強力な魔力で覆われた流線型のロケット砲だ。

 

「青白い顔して口から水流を噴き出すって、ウーィルちゃん先輩と同じっすね」

 

 船酔いで真っ青な顔をしたオレを、ナティップちゃんがからかいやがる。

 

「あほぅ! オレはゲロ吐いた反動で飛んだりしねぇよ! ていうか、女の子が下品なこと言うな!」

 

 それは船体のはるか上方を飛び越える。再び落下を始める。

 

「全員なにかに掴まれ!!」

 

 イカは凄まじい速度で水面に突入。信じられないほどの波しぶき。その反動で船が大きく揺れる。

 

 やーめーてー。ゆらさないでーー。

 

 オレは、ブリッジの床の上をのたうち回る。

 

「機関再始動! いそげ。あんなの相手にできるか。全速で逃げるぞ!!」

 

 オ、オレもそれが正解だと思うぞ、船長。そもそもなんなんだよあれ。普通イカやタコの化け物といえば、あの触手でウネウネと襲ってくるのがお約束じゃないのかよ。あんなジェット噴射で飛び上がって体当たりとか、どう考えても普通じゃないだろ。

 

 警備艇のエンジンがうなりをあげる。必死で逃げる。

 

 だが、イカは執拗に追ってくる。猛烈な速度で潜水とジャンプを繰り返し、機関砲で撃ってもあたらない。

 

 

 

 

 

 あまり知られていないが、もともとイカは、……魔力などもたないごくごく普通のイカでも、ごくごく普通に空を飛ぶ。

 

 この世界の生物のうち、魔力なしで、さらに滑空やジャンプではなく自力で地面から空にむけて飛翔可能なものは、それほど多くはない。

 

 脊椎動物では、鳥類の多く。哺乳類の中のコウモリ。そしてハチュウ類では絶滅してしまった翼竜。それだけだ。ちなみにドラゴンやワイバーンなどの魔物の飛行は、魔力なしでは不可能といわれている。

 

 無脊椎動物に目を向ければ、昆虫の多く。そして、軟体動物のイカだ。

 

 イカの飛行は生物界で唯一無二、翼の羽ばたきによる推力を利用しない独特の飛行だ。水を体内に吸い込み、漏斗からジェット水流を吹き出し、その反動を推力として海面からジャンプ。体側のヒレを左右に展開して揚力を得、さらにジェット水流は空中でも加速に使われる。

 

 しかも、ウーィル達を追う巨大イカはただのイカではない。その膨大な魔力をもって、ジェット噴射をブースト。まるでアフターバーナーのように凄まじい加速が可能な化け物だ。

 

 

 

 

「両舷全速! 舵をジグザグに取れ! 逃げ切るぞ」

 

 巨大なイカから逃げるため、船長は檄をとばす。

 

 ブリッジの中、さっきまで船酔いで真っ青だったちっちゃい方の少女騎士の顔は、いまや紫色になっている。……だが、もうしばらくは船から降ろしてやることは無理そうだ。可哀想だが我慢してもらうしかない。

 

「イカの化け物、いまだ追ってきます!」

 

 くそ。さっさと諦めてくれよ。

 

 船長が毒づく。

 

 このままでは、海軍の連中が侵入禁止海域に設定したあの島に近づかざるを得ない。

 

「船長、船をあいつに寄せてくださいっす。私があいつの背中に飛び移ってぶん殴ってやるっす」

 

 おおきい方の女性騎士がバカなことを言い出した。

 

「ばかを言うな。いくら魔導騎士だからって、そんな危険な事をさせられるか!」

 

「やってみなきゃわか……「船長!」」

 

 割り込んできたのは通信士だ。

 

「通信が入ってます。海軍からです」

 

 海軍? 助けに来たのか?

 

 ブリッジから右舷をみれば、いつの間にか公国海軍の駆逐艦がいる。……左舷の遠くにも。遙か前方にいる巨大な艦は巡洋艦クラスじゃないのか? 空には航空機もたくさん集まってきた?

 

 ……これでは艦隊に包囲されているみたいじゃないか。あの島をまもっていた艦隊なのか? いったい何があるというのだ?

 

「非常用チャンネルで緊急通信です。船長を出せと言っています」

 

 沿岸警備隊は、戦時には自動的に海軍の指揮下に入ることになっている。ゆえにたとえ平時でも常に情報交換を欠かさない。公国の海を護る男同士、互いに尊敬し協力し合う仲だ。だが、……いまはイヤな予感しかしない。

 

「いま取り込み中だと伝えろ」

 

「……て、停船命令です。『貴船は特別監視海域に接近しつつあり。停船せぬ場合は発砲する』と」

 

 なんだと! 海軍はあの化け物が見えないのか? この状況が理解できんのか!

 

 船長にはわけがわからない。たしかにここは海軍が設定した進入禁止領域だ。しかし、あの島で何が行われているのか、彼は全く知らされていない。

 

 期せずして、警備艇と駆逐艦がイカを両側から挟む形になった。駆逐艦は艦砲をこちらに向けている。

 

 船長が無線で怒鳴る。

 

「ばかやろう! 砲をむける相手が違う!! あの島に何があるのかしらんが、おまえの眼にはこのイカの魔物がみえんのか!!!」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とイカ その03

 

 駆逐艦の艦長は混乱している。

 

 海軍が設定した進入禁止領域は絶対だ。あそこで何が行われているのかについて彼は何も知らされてない。しかし、公国だけではなく、王国海軍や皇国海軍も含めた連合艦隊の司令部から、侵犯する者は場合によっては警告無しに撃沈するよう厳命されている。

 

 そこに突入してきたのが、目の前の警備船だ。何度警告しても従う気配がないが、しかしさすがに自国の沿岸警備船への発砲を命じるのは躊躇われた。

 

 そこに船長からの通信だ。

 

「ばかやろう! 砲をむける相手が違う!!」

 

 その声と口調には聞き覚えがあった。最後まで現場一筋のまま海軍を退役した、彼の大先輩だ。自分よりも遙かに年上の海の男に怒鳴りつけられ、駆逐艦の艦長は狼狽した。そして、やっと気付く。彼の艦と警備船の間を泳ぐ、異形の化け物の存在に。

 

「なんだ、あれは?」「不明です!」「とにかく、主砲を化け物に向けろ。照準は適当でいい、撃て!」

 

 イカの至近でいくつもの水柱があがる。そして、潜水。

 

「……やった、のか?」

 

「下から来るぞ、逃げろ!!」

 

 ふたたび無線機の中、警備船船長の怒鳴り声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「下から来るぞ、逃げろ!!」

 

 警備船の船長が叫ぶ。

 

「取り舵一杯!」

 

 しかし、イカのターゲットはこちらではなかった。

 

 再び、イカが凄まじい速度で水中から巨体が飛び上がる。全長数十メートルの巨大な物体が、上空百メートルまで上昇。そして駆逐艦めがけてトップアタック。

 

 まさか自分が狙われるとは思っていなかった駆逐艦が、慌てふためきながらも空中のイカに対して対空砲火を浴びせる。同時に、イカの身体全体が銀色に輝く。莫大な魔力で覆われる。

 

 さすがにこの至近距離、対空機関砲の直撃を喰らえばいかに魔物といえど無事ではすまない。しかし、イカの膨大な魔力による防御力は強大だ。しかもこの巨体。直撃を数発喰らった程度では痛くも痒くもない。

 

 巨大な質量と運動エネルギーを伴う魔力の塊が、真上から駆逐艦に突き刺さる。煙突から艦内に突入。そのまま機関を、そして鋼鉄製の船体そのものを貫く。

 

 機関を破壊された駆逐艦は沈黙。数十秒後、眩しいほどの閃光とともに一瞬で爆沈。大音響が海原に響き渡る。

 

 

 

 

 

「いわんこっちゃない」

 

 船長は見た。イカが駆逐艦に突っ込む直前、行きつけの飲み屋の丸テーブルほどもある巨大な目玉で、奴はこちらを見た。目が合った。

 

 奴にとって駆逐艦は邪魔だから排除しただけだ。理由はわからないが、奴の標的はこっちだ。次はこの船が狙われる。

 

 予想通り、きっかり五秒後、みたびイカが飛び上がる。銀色の巨大な凶器が空中に駆け上がる。

 

「総員、何かに掴まれ! 騎士様も……」

 

 警備艇の乗員が犠牲になるのは仕方が無い。しかし、魔導騎士ふたりは客人だ。しかも若い女性だ。彼女達だけでもなんとか逃がしてやらなくては。

 

 だが、船長は言うべきことばを失った。彼の視線の先、ふたりの少女魔導騎士がブリッジの窓から上空に飛んだのだ。

 

 

 

 

 

「ウーィルちゃん先輩。いつまでゲロ吐いてるっすか! あの非常識なイカ、私が一発ぶんなぐるからトドメを刺して欲しいっす」

 

 そんなこと言っても、……うわぁぁぁぁ!

 

 ナティップちゃんがオレの身体を問答無用で掴みあげる。そして、窓から上空に投げ飛ばす。

 

 いーーやーー。

 

 なんという怪力。オレの身体が宙を舞う。落下を始めたイカと猛スピードですれ違う。そして上空、オレは見下ろした。正面からイカに立ち向かおうと自らジャンプするナティップちゃんを。

 

 

 

 

 

 空中。イカの魔物はその巨大な目玉で目標を定めた。十本の脚を動かし姿勢を制御。ヒレ動かし軌道を修正。狙うのは真下。大きな音をたてて水面を走る固いもの。

 

 それが何なのか彼にはわからない。しかし、そこには魔力の持ち主がいる。彼にとって生まれて初めて見るほどの、強大な魔力。

 

 次の瞬間、視界の端、空中に小さな者を捕らえた。水中とは屈折率が違う空気中では、彼の巨大な目玉はハッキリものが見えない。

 

 すれ違ってから気付く。

 

 あれこそが、彼が求める魔力。

 

 すれ違いざま、彼は必死に長い脚を伸ばす。だが、すでに落下を始めている彼の手は届かない。

 

 そのせいで、彼は気づかない。目の前、落下する彼の正面に立ちはだかる別な者に。

 

 

 

 

 警備艇のクルー達、そして周囲に展開する海軍の軍艦に乗る水兵達は、全員が空を見上げていた。彼らのはるか上空、警備艇に向けて一直線に落下する巨大なイカを。警備艇からジャンプ、空中に踊り出した女性魔導騎士を。イカの頭のその先端を、正面から迎え撃つ彼女の正拳を。 

 

「このイカ野郎、どっちを見てるっすか! うりゃぁぁぁぁ!!!!」

 

 ナティップは空中で正拳をたたき込む。全身全霊全魔力を正拳に込め、イカの頭を正面からぶん殴る。

 

 魔力と魔力、運動エネルギーと運動エネルギーのぶつかり合い。そして衝撃。イカの頭、魔力によりダイヤモンドより硬くなったその先端がぐちゃりと潰れる。三十メートルほどもある巨体が上方に吹き飛ばされた。

 

「……やっぱり全力でぶん殴ると気持ちいいっす! あーすっきりした。ざまーみろっす。あとは、ウーィルちゃん先輩に任せたっす」

 

 涼しい顔で警備艇に着地するナティップちゃん。

 

 一方で、水兵たちはみな一様に口をあんぐりあけていた。

 

 ありえない。信じられない。……これが、これが、わが公国が誇る魔導騎士なのか。

 

 

 

 

 

 だが、魔導騎士による巨大モンスター退治はまだ終わっていない。

 

 ナティップの拳により上空に吹き飛ばされたイカ。その更に上空、剣をかまえる少女が空中で待ち構えていた。

 

 うわーーー、本当にあの巨体をぶん殴りやがった……。

 

 空中で眼をむいたウーィルに、イカの巨体が迫る。長い腕が空中でふりまわされる。

 

 ウーィルは眼を回している。平衡感覚はボロボロだ。それでも本能的に剣を握る。空中に鞘を置き去りに、剣を抜く。そして薙ぐ。

 

 スパッ!

 

 イカの巨体を空中で二枚に開く。そのまま回転、そして適当に剣を振る。

 

 スパッ!

 

 もう一回転して、三枚に。さらに一回転で四枚に。五枚。六枚……。

 

 数秒後、集結した艦隊の乗員すべてが食べても食べきれない量の膨大なイカ刺しが、海に落下していった。

 

 

 

 

 

 うひーー。

 

 直後、ウーィルは航空機とすれ違った。目の前の島の基地から発進したと思われる公国海軍の大型双発機。

 

 パイロットと目が合った。ウーィルの眼には、救いの天使に見えた。

 

 き、気持ち悪い。もうダメだ。オレはあんなに揺れる船には帰りたくない。乗せていってくれ。

 

 もともと激しい船酔いの上、ナティップちゃんの馬鹿力による超回転。とんでもない頭痛とめまいと吐き気により、ウーィルは正常な判断力をなくしていた。

 

 その目の前に大きな飛行機が通りかかったのだ。彼女は無意識に手を伸ばす。自分の体重と加速度を制御。翼の上に着地。そこに座り込む。

 

「た、たのむ。このまま、波のない、動かない地面に連れて行ってくれ」

 

 目を丸くしてしているパイロットを見つめ、必死に訴える。通じたかどうかはしらない。確かめる気力もない。そのまま彼女は、翼の上に横になったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 海軍航空隊のパイロットは冷静だった。そして腕は確かだった。

 

 突如として空中に現れた少女を翼に乗せたまま、彼女の船酔いを悪化させることなく、島の基地に無事着陸してのけたのだ。

 

「あーー、まだ地面が揺れているような気がする……」

 

 半日ぶりに揺れない地面に降り立ったウーィル。たくさんの人間が周囲に集まっているが、それどころではない。

 

 ……さて、と。これからどうしようか?

 

 まだ頭の中と三半規管はグルグル回っているが、それでも面倒くさい事になったことは理解している。

 

 レイラの怒号と始末書は確定として、……まずはどうやって公都まで帰ろうか。

 

 たしかここは、かつてなんとか殿下が住んでいた無人島のはずだ。なのに周囲にはたくさんの建物。たくさんの人々。周辺の海域には海軍の大部隊。我が国だけではなく、王国や皇国など同盟国の船もいた。

 

 きっと海軍の秘密基地か秘密研究所か、そんなところだろう。

 

 渋い顔をしてこちらに向かってくる偉そうな男達は、やっぱり海軍の制服を着ている。銃を構えている奴もいる。

 

 オレ、機密保持のため拘束されちゃうのかなぁ。面倒くさいからみんなぶん殴って逃げだそうかなぁ。でも、あまりトラブルにはしたくないなぁ。……ていうか、よく考えたらこの島も艦隊もオレとナティップちゃんがイカのモンスターから護ってやったようなもじゃねぇか。礼を言われるのならともかく、文句を言われる筋合いなどない、……よね? ないと思う。ないんじゃないかなぁ、たぶん。

 

 いまひとつ強気になれないウーィルの視線の先、滑走路の向こうから駆け寄ってくる少年の姿がうつる。

 

「ウーィル!! どうしてここに……」

 

 おおお、天の助けとはこのことだ。

 

 人垣をかき分け、目の前に現れたメガネの少年。線が細くて耳が長い。ルーカス殿下だ。 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と秘密基地

 

「ルーカス殿下。助けていただいてありがとうございます。おかげで逮捕されずにすみました」

 

「い、いえ。こちらこそ申し訳ありません。この島は、同盟国とともに新兵器を開発している秘密工場のようなもので、存在自体が極秘扱いなんですが、いくらなんでも公国魔導騎士であるウーィルをスパイ容疑で拘束しようなんてやりすぎです。最近、海軍や情報部もちょっと神経質になってるみたいで……」

 

 しきりに恐縮する殿下。

 

 だからぁ、殿下ともあろう方が、オレみたいな下っ端相手にペコペコしないで。周りでたくさんの人間がみてるんだから。

 

 

 

 

 

 期せずして謎の無人島(たくさん人が居るが)に着陸してしまったオレは、飛行機の翼から飛び降りた直後、海軍の連中に拘束されそうになった。

 

 オレめがけて駆け寄ってきた連中、完全装備のうえに目が血走っていたから、あのまま牢獄にぶち込まれていた可能性もあったと思う。あのタイミングで殿下と会えてよかった。……短気おこして全員ぶちのめしてやる前で、本当によかった。

 

 で、いまオレが何をしているかというと、……わけのわからない会議にでるところだ。

 

 オレは急遽、殿下の護衛役に抜擢されたのだ。そうすることで、島の保安に責任をもつ海軍にむりやり納得してもらい、拘束されずに済むらしい。なんたって公王太子殿下のお墨付きだからな。

 

「みなさん。この計画の立案者であり、実現のため同盟国の政府や科学者の力を結集することに尽力されたルーカス殿下がご到着されました」

 

 島の中心に建てられたでっかい建物の中、すでに数十人の人が集まった立派な会議室。殿下はもともとこの会議に出席するためにこの島に来ていたそうだ。

 

「お、遅れて申し訳ありません。本日は計画の最前線の現場で働くみなさんとお会いできて光栄です。よろしくお願い致します」

 

 急ぎ足で入室する殿下。立ち上がり、一礼する出席者達。ロの字に並べられた机。乱雑に積み重ねられた膨大な書類の束。壁沿いにいくつもの黒板。書き殴られた呪文のような数式。そして、殿下の後ろをついていくオレ。

 

「で、殿下? そのご婦人は……?」

 

「公国魔導騎士ウーィル・オレオさんです。私の秘書兼護衛をやっていただいています」

 

 

 

 

 

 そこにあつまっていたのは、公国だけではなく連合王国や皇国の軍服姿の軍人。白衣の科学者らしき人々。作業着のエンジニア。シャツにネクタイの連中は役人なのだろう。ひとことで言って雑多な人々だった。

 

 見た目、決して華やかな会議ではない。殿下が参加されるというのに、皆ラフな雰囲気だ。現場責任者による進捗会議というところだろうか。ちなみに、そのほとんどはおっさんだ。

 

 オレひとり、あきらかに場違いで浮いていることは自覚している。殿下といっしょに会議室に入ったオレは、出席者全員からもれなく二度見された。公国の人間はオレの制服をみて魔導騎士だと理解してくれたようだが、他国から来たらしい人々はみなあ然としている。

 

『……魔導騎士?』『人類最先端の科学技術を結集しているこの現場に?』『いまどき剣と魔法だって!』『しかもあの少女が?』『……まぁ公国だから』

 

 会議室の中、こそこそ話と苦笑いがさざ波のように広がる。

 

「みなさん静粛に! 我が公国では、魔導騎士は国民の誇りだ。彼女がいる限り、この島も我々も安全は保障されたと断言できる。……では、安心して会議を再開しよう」

 

 司会よりも偉そうに会議を仕切る、殿下の三つ隣の席のおっさん。おお、あれは我が公国の国防大臣じゃねぇか。普段は騎士団を目の敵にしてたくせに、心を入れ替えたのか?

 

 

 

 

 

 オレが座るのは、会議のオブザーバー的な役割をおっているらしい殿下の隣の席。だが、会議の内容そのものにはあまり興味がないので、……正直にいうと内容が理解できないので、あくびをかみ殺しながらボーッとすごすだけだ。どうせ国家機密なら、初めから聞かない方が気が楽だしな。

 

 とは言っても、いろんな単語が耳に入ってくるのは仕方が無い。

 

 『進捗の遅延』

 『真空管式計算機の不具合』

 『電力供給の不足』

 『危険物質の漏洩未遂事故』

 ……ここまでで印象深い単語はこんなものか。ほとんどが白衣組やネクタイ組の発言だ。

 

 あと、『莫大な量の複雑な計算を解くため、同盟三国の優秀な学生を集めてはどうか』なんてのもあったな。

 

 この島でいったい何が行われているのかは知らないが、どうやらあまりよい状況ではなさそうだという程度は、オレにもわかる。メモをとっている殿下も渋い顔をしている。

 

 窓の外、いつの間にか真っ赤な夕焼け。会議が始まってすでに数時間か。

 

 ああ、今日中には公都に帰れないのかなぁ。レイラに連絡はいってるだろうが、怒りまくってるだろうなぁ、……などと口の中だけで嘆いても、オレに構わず会議はすすむ。

 

 

 

 

 

『王国情報部によると、帝国でも同じ開発計画が進行していることは確実。しかも原料を入手のうえ精製工場は既に稼働しているという情報が……』

 

 それまでほとんど黙って聞いていた殿下がピクリと反応したのは、その時だった。

 

『我々の進捗がこれ以上おくれると、やつらが先に完成させる可能性が……』

 

 参加者のうち、軍服組の発言が増え始める。

 

『帝国以外の列強国、とくに北部合州国と南部諸州連合は?』

『我々としては、仕組みが複雑な爆縮型にこだわらず、単純な砲身型の開発を優先してでも、一刻も早く量産を開始するべきでは……』

『しかし砲身型には原理的に出力の限界が……。さらに次世代の融合弾開発を見据えれば爆縮型しか……』

『とにかく、完成次第、先制使用も視野にいれて準備を……』

 

 殿下が立ち上がった。

 

「ちょ、ちょっと、まってください! この計画の目的はアレの開発と実験のはずです。実際の使用に関しては、同盟各国政府による高度な政治的判断が……」

 

「殿下。計画当初より、我々の使命にはアレの開発だけではなく、効果的な使用法の提言まで含まれています。そもそも、悪化する一方の国際情勢の中、これだけ莫大な費用と要員を投入したものを今さら使わないという選択肢は、我々にはありません」

 

 口をひらいたのは王国海軍の制服を着た軍人だ。皇国の人間も同意するように頷く。

 

 他国の有力者に反論され、殿下は力なく席に着く。報告は続く。

 

『……標的としてすでに帝国国内の戦略拠点三カ所を選定ずみ』

『潜水艦による水中起爆で想定される敵被害は……』

『やはり空中起爆のための大型爆撃機、あるいはロケット兵器の開発が……』

『一気に決着をつけるためには、軍事施設よりも敵首都を含む大都市を標的とすべきとの意見が……』

 

 うーーん。話の内容はあいかわらずよくわからんが、……殿下の様子がおかしいぞ。顔が青ざめている。

 

 わっ。

 

 オレはおもわず声を上げそうになった。

 

 机の下。隣に座る殿下が突然、オレの手を握ってきたのだ。そして、本人とオレだけに聞こえる声、口の中でつぶやく。

 

「わ、わたしは、もしかして、とりかえしのつかないことを始めてしまったのかもしれない……」

 

 殿下の手が汗ばむ。僅かに震えている。わけがわからない。だが、良くないことなのはまちがいない。

 

「ど、どうしたんです? 殿下、顔色が悪いですよ」

 

「し、信じて、ウーィル。わたしがアレを作り始めたのは、あの青ドラゴンに対抗するため。そりゃ予算を確保して同盟国の協力を仰ぐために世界大戦の危機をあおったけれど、そんなのは口実で本当はこの世界を存続させるためのつもりだったの! 人間同士で使うつもりなんて……」

 

 ガタガタと震え始める殿下。オレはどうすればよいかわからない。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と秘密基地 その02

 

 

 先日の殿下とのお食事会。そして青ドラゴンとの遭遇事件。その時、殿下はオレに教えてくれたのだ。転生者とその守護者の使命について。

 

 

 

 

「私たち転生者とその守護者の使命は、異世界の知識をもって『この世界が存続に値するか』を審判することです」

 

「そ、それはまた、ずいぶんと、重い使命ですね。……で、で、『審判』って、具体的にはどうするんです? 殿下」

 

「簡単です。『この世界に存続する価値などない』と思えばいいんです。転生者全員がそう審判した瞬間、すなわち世界の存続を望む転生者がいなくなった瞬間、この世界は終わります。……『なぜ』なんて聞かないでくださいね。そうなっているとしか、私も聞いていないんですから」

 

 ふーむ。信じられないが信じるしかあるまい。オレをこんな姿の『守護者』にした『転生者』が目の前に居るんだから。

 

「じゃあ、あの青ドラゴンとその主のスカした野郎は……」

 

「彼は、世界は滅びるべきだと信じています。だから、十五年前、先代公王陛下の弟殿下を皮切りに、同意しない他の転生者と守護者を次々と襲っているのです」

 

「……転生者ってのは、何人居るんだ?」

 

「世界中で常に七人だと聞きました。誰かが寿命で亡くなると、新しい者が異世界から転生してくると。しかし、転生者は大人になるまで守護者をつくれず、審判にも参加できません。いま機能しているのは、十五歳の大人になったばかりの私とレン、青の彼を含めて四人だけです」

 

 なるほどね。世界の存続というのは決して盤石ではないということか。あの青ドラゴン、やっぱりあの場で斬ってやればよかったな。

 

「だ、だめです!! 私はモンスターの強さなどよくわかりませんが、あの青ドラゴンが別格なことはわかります。いくらウーィルでも、一対一で勝てるとは思えません。私には、……いえ、この世界の人類にだって、転生者や守護者に対抗する策があります。なければおかしい。だから、ウーィルはあいつとは闘わないでください。おねがいです!」

 

 あの時、殿下はそう言ってオレの両手を握ったのだ。

 

 

 

 

 会議は続いている。

 

 要するに、今この島で作っている秘密兵器とやらこそが、青ドラゴンに対抗する策、ということなんだろう。

 

「信じます。信じますよ。だから殿下、いったん退席しましょう。どこかで横になった方がいい」

 

「それは、……だめです。わ、わたしには、責任があります。あんなものを作り始めた責任を、この世界の人々だけに負わせるわけにはいきません」

 

 責任? 責任だと? こんな少年のくせに、いったい何の責任を負うというのだ? この世界のおとな達が、殿下になんの責任を負わせるというのだ?

 

 ……しかたがないなぁ。

 

 オレはそっと手を握り返してやる。オレがしてやれることは、これくらいしかない。

 

「じゃあ、その責任とやらを、オレにも半分わけてください。オレはあなたの騎士なんだから」

 

 殿下がオレを見つめる。大きなメガネの中、涙をこらえているのがわかる。

 

「あ、あ、ありがとう。ウーィル。ありがとう。ありがとう……」

 

 

 

 

 ごほんっ!

 

 国防大臣が咳払い。オレ達のコソコソ話が聞こえてしまったか?

 

 うるせーよ、大臣のおっさん。若者にはいろいろと事情があるんだよ。ていうか、この場にいるおっさん達。よくもまぁこんなに長時間、集中力が続くものだな。そろそろ休憩いれろよ。

 

 オレの思いをよそに、会議はますます白熱していく。

 

『複数の盗聴器が……』

『情報漏洩の疑い……』

『妨害工作の可能性……』

 

 どうやら計画の保安体制について話が及んでいるようだ。

 

『計画も終盤にさしかかり、分散した各地の工場の労働者の数が多すぎて管理しきれない……』

『つい数日前、最高機密を持ち出される寸前で逮捕したスパイは王国海軍兵士だった……』

 

 参加者全員の顔がくもる。さすがに全員の顔に疲労の色が浮かび始める。

 

「……一旦休憩にしましょう」

 

 議長のひとことで、参加者全員が一息ついた。

 

 国防大臣が吸いかけの葉巻を灰皿に押しつける。殿下がコップの水を一気に飲み干す。新しい水差しをもった若い水兵が、部屋の中央に向かう。連合王国海軍の水兵か。

 

 

 

 

 

「そこの水兵さん、……ちょっとまって」

 

 オレは、この会議室に入ってはじめて口を開いた。背中の剣は既におろしている。

 

 おっさんばかりの室内にいきなり響いた少女の声。ちょっと鼻にかかったロリボイス。その場の全員がこちらを向く。

 

 水兵の能面のような顔が持ち上がる。うつろな眼でこちらを見つめる。声をださずに笑う。そして、飛ぶ。

 

 

 

 

 

 本当の標的が誰だったのか、……大臣なのか、殿下なのか、あるいは科学者達だったのか。いまとなってはわからない。とにかく、水兵は飛んだ。部屋の入り口から会議の主要参加者が並ぶ机まで約五メートルの距離を、一気に飛んだのだ。

 

 信じられない速度。そもそもこの距離を飛ぶ人間などいない。一瞬の間。我を取り戻した保安部隊が拳銃を抜くが、間に合うはずがない。

 

 もともと軍人だった国防大臣は最後まで眼を閉じなかった。だから見えた。迫り来る水兵の青白い顔。赤く血走る目。口元の牙。突き出される鋭い爪。

 

 避けられない。

 

 ……影が走った。黒い影。影? それはまるで空間の裂け目。地面からそれが凄まじい勢いで吹き上がる。

 

 裂け目によって切断された水兵の腕が飛ぶ。吹き飛ぶ。腕から鮮血が噴き出す。

 

 そして目の前。いったいいつの間に現れたのか。剣を振り上げ、立ちはだかる少女。

 

 大臣は、崩れ落ちそうな腰を寸前で立て直す。必死に顔をあげる。こんな少女の目の前、紳士が尻もちなどつくわけにはいかない。

 

「……さすが騎士だな。ありがとう。あれはヴァンパイア、かね?」

 

「大臣もさすがですよ。……こいつはヴァンパイアの操り人形です」

 

 パンパンパンパン

 

 保安部隊の銃撃。水兵は、蜂の巣になった自分の身体を顔色ひとつかえないまま他人事のように眺める。そして、ふたたび顔をあげる。動く。まだある腕をのばす。今度は大臣の隣、少年に向けて。

 

 すぱっ

 

 水兵の首が飛んだ。ウーィルが剣を横に薙いだのだ。

 

 殿下を狙われて、一切の容赦などしない。

 

 胴体から噴水のように噴き出す鮮血が血柱となる。会議室の中、なにもかもが真っ赤にそまった。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その01

 

 車が止まる。オレの自宅の前。深夜だというのに、窓に明かりがみえる。

 

 ジェイボスか? そういえば週末にはメルが帰ってくると言ってたな。とにかく、帰宅した家に誰かが待っているというのは、いいものだよな。

 

 などとちょっとしおらしい事を考えてしまったのは、さすがのオレもそれなりに疲れているからなんだろう。

 

 

 

 

 

 信じがたいことに、あれだけの騒ぎがあったにもかかわらず、そして殿下と大臣の命が狙われたにもかかわらず、謎の秘密基地で行われた謎の秘密会議はその後も続行されたのだ。殿下が認めたんだから仕方ないとはいえ、一般市民の感覚としては非常識な話だよな。どんだけ重要な会議なんだ?

 

 で、もちろん殿下の『秘書兼護衛』であるオレも会議終了までお付き合いせざるを得なかったわけだ。会議の途中からあきらかに顔色が悪くなった殿下を放ってはおけないからな。

 

 結局、会議が終わりオレと殿下が解放されたのは、二日後の午後になってからだ。さらに、帰宅できたのはその日の深夜。とんだ超過勤務だぜ。

 

 

 

 

 それでも、オレと殿下は未成年と言うことでいろいろと配慮してくれた結果らしいけどな。

 

 伝え聞くところによると、オレが退治したヴァンパイアの操り人形の後始末とか、計画全般の保安体制の抜本的な見直しの会議とかは、いまだに島で続いているそうだ。ほんらい島の保安を預かる海軍と、魔物への対応なら任せておけとよせばいいのに『計画』への介入をもくろむ騎士団と、ついでに情報部や同盟国の思惑も絡んで、今もすったもんだのゴタゴタが現在進行形で続いているらしい。

 

 とはいっても、そのあたりの問題は、もちろんオレには関係ない。なんといっても下っ端騎士であるオレの任務は殿下の護衛が第一だからな。……管理職レイラ隊長、ごめん。

 

 

 

 

 ちなみに、島から公都への帰路は、もともとの殿下の予定では手っ取り早く飛行機で帰るはずだったらしい。しかし、強風により激しい揺れが予想されると言うことで、殿下の体調を考慮してキャンセルとなった。

 

 かわりに用意されたのは、なんと公国海軍が誇る新鋭巡洋艦。

 

 少しばかりの荒い波など、巡洋艦はものともしない。さすが沿岸警備艇よりも全長にして五倍以上、排水量にして数十倍もあるでっかい船はひと味違う。まったく揺れないし、もし再びイカの化け物があらわれてもこれなら負けないんじゃないかな。用意された部屋も豪華だったし、たった数時間しか乗らないのが残念なくらいだ。

 

 ……もともと殿下と同行していた宮内省のお役人が内緒で教えてくれたのだが、実はこの船を用意させたのは殿下の意向だそうだ。ルーカス殿下は、自分の体調ではなくオレの飛行機酔いを心配してくれたらしい。やるじゃないか、殿下。

 

 

 

 

 

「ウーィル。……ありがとう。あなたのおかげで、少し気が楽になりました」

 

 オレの家の前。横付けされた車のドアが開かれ、降り際のオレに殿下が声をかける。

 

 いやいや気にすることはないですよ。……って言うか、そもそもオレが殿下に送って貰うなんて、おそれおおいよな。

 

「こんな夜分、女性をひとりで返すわけにはいきませんから」

 

 そうは言っても、オレは殿下の騎士なんだが……。

 

「ふぉっふぉっふぉ。ウーィルよ、好意は素直に受け取っておくものじゃ。殿下も男の子じゃからの。女性の前で格好つけたい年頃なのじゃ」

 

 バッ、バルバリさん!

 

 顔を真っ赤にして殿下が叫ぶ。

 

「ひゃっひゃっひゃ、とはいえ、ウーィルもイカモンスター退治に引き続き慣れぬ会議で疲れたじゃろ。ゆっくり休め。殿下の護衛には儂がついているから心配ないぞい」

 

 バルバリ爺さんは、港から車に同乗してきたのだ。島で殿下とオレにいろいろあったときいて、急遽かけつてくれたらしい。

 

 まぁ確かに。ここから公王宮まで車でせいぜい三十分だしな。爺さんがいるなら安心か。

 

 

 

 

 

 その時だ。

 

 開いた車のドアの向こう。影が動いた。そして、光る。まばゆいばかりの閃光。

 

 車の中には殿下が居る。オレは反射的に背中の剣を握り、問答無用で斬った。

 

 鞘にはいったままの剣が一閃。それは十メートルほどの空間ごと、光の源を両断した。

 

「ひぃぃぃ」「カ、カメラが……」

 

 ……ひと?

 

 暗闇の中、目をこらす先にいるのは、確かにふたりの人間のように見えた。情けない格好で尻もちをつき、震えながら後ずさりして逃げようとしている。

 

 足元に散らばるのは、まっぷたつになったカメラの残骸?

 

 なんだ? お前ら。

 

「大衆雑誌の記者、パパラッチという奴らじゃな。ウーィルの家の前に張り込んでおったのじゃろう。それにしても、魔導騎士にいきなりカメラとフラッシュを向けるとは、命知らずな奴らじゃのぉ」

 

 はぁ?

 

「えっと、バルバリさん。どういうことですか?」

 

 バルバリ爺さんが、ニヤニヤしながらオレと殿下の顔を見る。

 

「ひゃっひゃっひゃっ。例の島に閉じこもっていたふたりが知らぬのも無理はない。ここ数日、公国市民のあいだでは公王家が結婚式用の馬車で女性魔導騎士を迎えた事件の話題でもちきりじゃ。おおかたゴシップ雑誌の記者が、公王太子殿下とお妃候補の仲睦まじいお姿のスクープ写真を狙ったんじゃろうて」

 

 は? 

 

 だ、だ、だ、誰がお妃候補だぁ?

 

「さいきん公国には明るい話題がないからのぉ。記者共も必死じゃ。殿下もウーィルも連中には気をつけろ。……もし秘密の逢い引きをしたい時には儂を頼るがよい。実はの、独身時代の陛下と亡き妃殿下がお忍びの密会の時には、儂が聖なる障壁をつかって世間の目から隠してやったものじゃ。なつかしいのぉ、ふぉっ、ふぉっ、ふぉ」

 

 バ、バ、バ、バ、バ、バルバリさん、いったいなにを……。

 

 ゆでダコのような赤な顔をした殿下。爺さんに向けて怒鳴った後、はっとした表情でオレを見つめる。

 

 正面から視線があった。騎士であるオレの主。そして守護者であるオレの主であるという少年。

 

 オレは、……オレは、どんな顔をすればいいんだ?

 

 オレがお妃などあり得ない。あり得ない、が、しかし、……しかしだ。無下に否定するのも殿下に失礼なような気がする。

 

 ああああ、こまった。本当に、どんな顔をすればいいんだ? 殿下になんて声をかければいいんだ? 頭の中が混乱している。やばい。ちょっと顔が赤くなってきたぞ。

 

 数分間の沈黙。

 

「やれやれ、前途多難のふたりじゃのぉ……。殿下、別の記者が来るとやっかいじゃ。そろそろ帰りますぞ。ウーィル、ゆっくり休めよ」

 

「あ、え、えーと、ウーィル! ま、また連絡します」

 

「あ、ああ。まってますから」

 

 ぎこちないやり取りを最後に、車は去って行ったのだ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その02

 

 殿下の車が去って行く。それを見送りながら、ウーィルは独りごちた。

 

 うーーむ。中身おっさんとしては、もうちょっとスマートに若者と接してやりたいのだが、殿下が相手だとどうも上手くいかないなぁ……。

 

 今まで感じなかった肉体的精神的な疲れを一気に自覚してしまった。今日はさっさと寝よう。

 

 我が家のドアをあける。そこは、勝手知ったる自分の家。……のはずだった。しかし。

 

 なんだ、これは?

 

 一目見て、あ然。その惨状に、ウーィルは声を失う。

 

 

 

 

 

 ここはオレの家。先祖代々の貧乏公国騎士、オレオ家だ。

 

 部屋数は無駄に多いが、リビングは決して広くはない。家具も少ない。そして、オレもメルも片付けや掃除はまぁそれなりにマメにやるほうだ。妻がうるさかったからな。

 

 要するに、……要するに、だ。オレオ家はいつも綺麗、……とまではいかなくても、散らかってはいないはずなのだ。

 

 なのに……、この床に散らばる大量の空の酒瓶は、なんだ?

 

 そのうえ、家族三人が同時に腰掛けるのがやっとの小さなソファの上に、……見知らぬ少女が寝っ転がっている。おそらくメルと同じ年代の少女がふたり。折り重なるように。

 

 ……い、生きているんだよな?

 

 おそるおそる近づく。気持ちよさげな寝息を確認して、ほっと一息つく。

 

 よくよく見れば、ふたりとも妙齢の育ちの良さそうな少女だ。スケスケのネグリジェから覗く白い肌、はみ出した長い脚がなまめかしい。

 

 んんん? この豪華な金髪縦ロールお嬢様には、見覚えがあるような……。

 

 

 

 

「ウーィル! おじゃましているよ!」

 

 振り向けば、キッチンのテーブルにも少女がひとり。グラスを掲げて陽気に笑っている。

 

 腰まである白髪をラフに束ね、前開きに帯の奇妙な寝間着。肩の上に小さな白ネコ。

 

「レ、……レンさん?」

 

「やっと帰ってきてくれたね! ボクは君と話したいことが沢山あったんだ、姉のことでね!」

 

 酒臭い!

 

 ああああ、レンさんの前のテーブルにも空の酒瓶が。

 

 こ、こ、これは、オレがこの姿になる前、気分のいいときにチビリチビリと晩酌していた秘蔵の高級スコッチじゃねぇか。うわぁ、一滴残らず飲み干されている!

 

「お、お嬢様方、いったい何を……」

 

「何って、パジャマパーティさ。留学生であるボクはまだこちらに知り合いも少ないからね、週末になっても寄宿舎にいるしかない。そんなボクを、メルが自宅にご招待してくれたのさ。そこからはトントン拍子、仲の良い貴族のお嬢様方も庶民の家に泊まってみたいと言い出して、夜を徹して恋バナを語り合っているうちに盛り上がり、いつの間にか酒盛りに……」

 

 ケラケラ笑いながら楽しそうに語るレンさん。

 

 うわぁ。いったい何本酒瓶をあけたんだ? 我が家に有るはずの無いいかにも高級そうなワインは、もしかしてお嬢様方が持ち込んできたのか。

 

 オレは頭を抱える。レンさんはともかく、彼女達の実家から怒られたりしないだろうな。

 

 そ、そういえばメルは? この騒動の元凶である我が娘は?

 

 

 

 

 

「おねーちゃん!!!!」

 

 背後から飛びかかる影。首に手を回し、いきなり全体重を預けてくる。

 

 うわっ!

 

 なんとか抱き留め支えてやれば、わが娘の真っ赤な顔がすぐそばで笑う。

 

「えへへへ、おねぇちゃーーーん、おかえりぃぃぃ」

 

 いつと同じ寝間着、上半身丸首のシャツだけの娘。やっぱり酒臭い。

 

 お、おまえ。オレだからなんとか支えられたけど、普通の人間にそーやっていきなり飛びついて抱きつくのは危険だからやめさない。

 

「おねえちゃんにしかやらないもん。あ、あとは、お父さんとジェイボスさん」

 

 あの犬コロもだめだ! 別の意味で危険だから絶対にダメだぞ!!

 

「えええええ? 自分ばっかり殿下と仲良くしてるくせにぃ」

 

 ……はぁ? なんのことだ?

 

 くっくっくっくっく。

 

 隣でレンさんが含み笑い。そして、両手で広げるのは、……雑誌? 公都でもっとも売れている週刊誌のグラビアページ?

 

「ウーィル。当人達はまだ知らないだろうけど、いま公都はこの話題でもちきりなんだよ!」

 

 見開きの大きな白黒写真。イマイチ不鮮明なのは、対象まで距離があるものをむりやり拡大したからか。

 

 ……ん? これはああああああ!

 

 目を見開き凝視。そしてオレは再び頭を抱える。

 

 それは、おそらく公王宮の正門の外から撮られた写真。百メートルほど先の正面玄関前に豪華な馬車が停まっている。

 

 たぶんルーカス殿下と思われる少年が手を取る相手は、……馬車から降りるセーラー服。

 

 そして、タイトルに踊る大きな活字。

 

 

 

『ルーカス殿下、お妃候補は美少女魔導騎士?』

 

『すでに陛下公認、婚約発表はハイスクール卒業後か』

 

『きっかけはドラゴン退治?』

 

『国内外、各界からお祝いの声あいつぐ』

 

 うわぁぁぁ。どうしてこうなった!

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その03

 

「ど、ど、ど、どうして、こうなったぁ!」

 

 オレの目の前にあるのは公都市民に大人気の週刊誌。白黒グラビアページのでっかい写真。

 

 結婚式用の馬車。オレの手を取る殿下。その上に踊る見出しは、よりによって特大の活字。

 

『お妃候補は美少女魔導騎士! すでに陛下も公認の仲!?』

 

 オレは頭を抱えるしかない。

 

 

 

 

「くっくっく、もう後戻りできないかもしれないねぇ。君ならばボクも安心して殿下を任せられる。よろしく頼むよ、騎士ウーィル」

 

 行儀悪く椅子の上であぐらをかいたまま、スコッチのグラスを掲げた白髪の少女が笑う。

 

 にゃぁ。

 

 肩の上で白ネコも笑っている。

 

「ま、まて、まってくれ、レンさん! そんな、他人事だと思って楽しそうに言わないでくれ」

 

 確かに、オレは殿下の『守護者』とやらになることを了承した。あの青ドラゴンから護ってやると約束した。世界を存続させるためにな。

 

 殿下と同じ『転生者』であるレンさんが、世界を存続させるためにオレが仲間になることを望むのは当然かもしれないが、しかしそれにしたってお妃なんて……。

 

「誤解しないでほしいな、ウーィル」

 

 どん!

 

 レンさんが、スコッチの残りを一気に飲み干したグラスをテーブルに置いた。すっかり目が据わっている。そしてジト眼でオレを睨む。

 

「ボクはねぇ、殿下ほど真面目じゃない。正直言って『転生者の使命』も『この世界の存続』もあまり興味はないんだ。あの青ドラゴンとその主がこの世界を滅ぼしたいというのなら、勝手にやればいいとさえ思っている。今のところはね」

 

 え?

 

「しかし、そのためにあの青びょうたん野郎が殿下を害そうというのなら話は別だ!」

 

 グラスを強く握る。ふたたび持ち上げる。残りのスコッチを一気に飲み干す。

 

「言ったよね。ボクと殿下は前世、別の世界で双子の姉妹だったんだ」

 

 あ、ああ。そんなことを言ってたな、たしか。

 

「双子と言っても、なぜかボクらの性格は正反対だった。姉は、幼い頃からとにかく生真面目で融通が利かなくてお勉強が大好きでついでに純情な女の子だった。一方でボクは、ほら、このとおり、ちょっと捻くれたいい加減な人間だから、よくケンカになったものさ」

 

 レンさんは、ちょっと遠い目をして天井を仰いだ。

 

「……でもね、ボクは細かいことでガミガミ怒ってくれる姉をなんだかんだ言いながら頼りにしていたのさ。一流大学に残って物理学者を目指して必死にお勉強している姉のことが誇らしかったんだ」

 

 ……たしかに、殿下はまじめそうだよなぁ。アレは前世からだったのか。

 

「転生前の事故だって、姉は運動神経皆無のくせにボクを庇おうとして、結果的に一緒に巻き込まれてしまったんだ。だから、ボクはこの世界で姉を護ってやらなきゃならないのさ。こちらの世界でボクを産み育ててくれた実家に無理をいって、わざわざ地球の裏側の公国まで留学させてもらったのもそのためだったんだ」

 

 ほぉ。たしかにあの殿下なら、身内のためなら平気で身を投げ出しかねないような気はする。

 

「……とはいえ、今はボクも殿下もそれぞれこの世界での立場がある。一生ちかくに居てやるのは難しい。だから、史上最強の魔導騎士との呼び声が高いウーィルが彼の守護者になってくれた時、ボクは本当にうれしかったんだ」

 

 そういうことか。……まぁ、殿下の身を護るだけなら、オレに任せておいて心配ないぞ。

 

「ははは、さすが美少女魔導騎士。そんな可愛らしい姿でも頼りになるね。ボクも安心だ」

 

 おお、安心してくれ。しかし、……しかし、だ。守護者をするのは問題ないが、……お妃は無理です。

 

「なぜ?」

 

 心底不思議そうな顔をしているレンさん。気のせいかも知れないが、白ネコも不思議そうな顔をしてオレを見ている。

 

 なぜって? ……レンさん、君はオレの事情を知ってるんだよね? 確かにオレの外見は美少女魔導騎士かもしれないが、中身はおっさんだぞ。君と同い年の娘もいるんだぞ? 君は、自分の大切な人が、こんな中身おっさんとおかしな噂を立てられて平気なのか?

 

「なにも問題ないよ。転生前から、姉の好みの男性は、頼りになる年上のひとだった。端的に言っておっさん趣味だった。そして、姉はいまや男の子だ。中身おっさんの美少女騎士とお似合いだと、ボクは思うけどな」

 

 えっ、えっ、ええええ? いや、そんな、しかし、……ちょっとまってくれ。

 

 オレは頭をふる。

 

 り、理屈はそうかもしれないが、しかし、しかし、しかし……。

 

「実際、身内であるボクの眼から見て、殿下はウーィルが好きだ。あれはベタ惚れと言ってもいい。ボクとしては、姉には好きな人といっしょになって幸せになってもらいたいのだが、……ウーィルはイヤかい?」

 

 えっ? い、いやってわけじゃ……

 

 

 

 

 

 

 

「おねーちゃん! なに難しい顔してレンとばっかりお話しているのよ!」

 

 頭を抱えたオレを正気にもどしたのは、酔っ払い娘だった。

 

 後ろからオレの首にぶら下がっていたメルが、いつのまにかオレの正面にいる。真っ赤な顔で頬を膨らましてオレを睨む。……息が酒臭い。

 

「それよりもねぇねぇねぇおねえちゃん、殿下との噂は本当なの? どうやって仲良くなったの?」

 

 興味津々という体でオレに迫るメル。いくらオレの方がちっちゃいからって、正面からオレの顔を両手の平で挟むのはやめなさい。

 

「い、いや、『仲良くなった』っていっても、単なる騎士と主君の関係だよ」

 

「きゃーーー、公王太子殿下と公国魔導騎士様の秘められた関係ですって! 禁じられた恋!! なんてロマンチックですこと」

 

 メルの同級生であるお嬢様、ソファの上で酔い潰れていたはずのネグリジェ娘達が、いつのまにか起きてきたぞ。

 

「騎士様、お気をつけあそばせまし。エルフであった亡き妃殿下はご成婚前に一部の旧貴族達から反対が激しかったとききます。何かとあら探しをされたり、嫌がらせをうけたとか……」

 

 あー、ご親切にありがとうございます。でも、そんな心配オレには必要ないですよ。

 

「きゃーーー、すてき。愛する人のためには多少の障害など力尽くで排除するということですのね。さすが魔導騎士様ですわ」

 

 え、いや、そう言う意味では……。

 

「何があっても私たちはお二人のお味方ですわ。邪魔するような輩は、私の実家の力をつかって全力で叩きつぶしてさしあげますことよ。一族郎党根絶やしですわよ」

 

 恐ろしいこと言わないでください。

 

「それよりも、お二人ともなにかと注目されるお立場ですのに、市民の目を逃れてどこでどうやって愛をはぐくんだのですか? 公王宮? まさか、このお家に殿下をお招きして? 殿下が学校をお休みになったときには、……ここで? ま、ま、ま、ままままさか、あのベットで?」

 

 ベットで愛をはぐくんでないから! それに殿下が学校サボるのは例の計画で忙しいからだから! ……血走った目をハート型にして、さらに鼻息があらくして、いったい何を想像しているのだ、このお嬢様は。

 

「おねぇちゃん! ふたりは恋人なんでしょ! 婚約したも同然なんでしょ! おしえて!! ど、ど、ど、どこまで、やっちゃったの?」

 

 メルよ。おまえ、年頃の娘なのにどうしてそうストレートなんだ? そんな物言いをどこで覚えてくるんだ? お父さんは悲しいぞ。

 

「ふふふ。ボクも知りたいな。あの奥手な殿下がどこまでやっちゃったのか、とても興味がある」

 

 レンさん! おまえもかぁ!!

 

「まぁまぁメルのお姉様、おちついて。パジャマパーティはまだ始まったばかり。私がもってきたお父様の秘蔵のワインはまだまだありますのよ。ご一緒にいかがですか?」

 

 え? お、オレは酒はちょっと……。

 

「公国魔導騎士様ともあろう方が、まさか私のワインを飲めないなんておっしゃられませんことよね」

 

「そうだね。酔っぱらえばウーィルも殿下とのあんな事やそんな事を教えてくれるかもしれないね」

 

 あんな事もそんな事もないから!

 

「えー、おねぇちゃん、いっしょに飲もうよぉ。飲んでくれないと、わたし週明け学校でルーカス殿下に会ったら『お義兄ちゃん』って呼んじゃうよぉ」

 

 うわーーーー。やめろぉ! 頼むからやめてくれ、メル!! 飲みます、飲みますからぁ!

 

 オレにとって地獄のパジャマパーティの夜は、まだまだ終わらないらしい。

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その04

 

 深夜の公都。騎士団の駐屯地、演習場の一角。

 

 ドカッ! グシャ! バキン!!

 

 肉が裂け骨が砕ける嫌な音が響く。大型のヒト型生物二頭が闘っているのだ。

 

 その片方はオーガ。以前、魔導騎士ウーィルによって倒され、その処分が騎士団に丸投げされた個体だ。

 

 騎士団では研究や演習に利用するため、小型ドラゴンなど数頭のモンスターを飼育している。たまたまモンスター飼育舎に空きがあり、オーガは処分保留のままそこで飼育されていたのだ。

 

 そしてもう一方は……。

 

「うぉりゃああああああ!」

 

 巨大なオーガの脳天めがけて、凄まじい速度で木刀を振り下ろす。筋骨隆々、オーガには及ばないものの人間ばなれした逞しい筋肉。銀色に輝く美しい体毛。オオカミ族の青年。魔導騎士ジェイボス・ロイドだ。

 

 ジェイボスが振るうのは、いつもの巨大な、そして魔力で炎を纏う真剣ではない。ただの木刀だ。魔力も使っていない。彼は、その肉体の力だけでオーガを相手にしているのだ。

 

 ドギャ!

 

 しかし、通用しない。木刀はオーガのぶ厚い筋肉により受け止められる。そのままへし折られ、さらに追い打ちの拳。

 

 ジェイボスは避けきれない。オーガのパンチをもろに喰らった肉体が、数十メートル吹き飛ばされる。

 

 力負けだ。いかにオオカミ族でも、腕力だけでオーガに敵うはずがない。

 

「ジェイボスさーん。もういいでしょー? 終わりにしましょーよ」

 

 魔物使いの魔法を操る騎士が、ジェイボスに哀願する。ここで飼育されている小型ドラゴンなどのモンスターは、すべて彼が世話をしているのだ。

 

「まだだ! もうちょっとだけ付き合ってくれ」

 

 肩で息をしながら、ジェイボスが立ち上がる。すでに全身傷だらけ。だが、闘志は萎えていない。鬼気迫る表情。背後にはどす黒いオーラが見える。

 

「えーーー、私もう勤務時間外なんですけどぉ」

 

「ジェイボス! いい加減にしなさい!!」

 

 演習場に、魔物使いとは別の怒声が響く。女性の声。魔導騎士第一小隊のレイラ・ルイス隊長だ。

 

「いつも言ってるでしょ! 訓練では決して無理しない! ケガでもしたら本末転倒よ」

 

 ジェイボスはドラゴンの群に半殺しにされ任務から離脱、つい先日復帰したばかりなのだ。

 

「ただでさえうちの小隊は万年定員割れで人手不足なんだから、ちょっとは隊長である私の苦労も考えてよ」

 

「隊長ごめん。俺は、……はやく一人前になりたいんだ」

 

 

 

 

 

 はぁ?

 

 レイラには青年騎士の言うことが理解できない。

 

 真剣でなく木刀で、しかも魔力を使わず腕力だけで力任せにオーガと闘うことが、一人前の魔導騎士となんの関係があるのか?

 

 そもそも人間という種が魔力や銃火器なしでオーガに勝てるはずがない。獣人であるオオカミ族だって同じだ。剣と魔力と、さらに知恵と勇気を使いこなしてこそ、魔導騎士の存在価値があるというのに。

 

「ウーィルはこいつを峰打ちの一撃で倒したと聞いた。俺はウーィルに勝ちたい。そして早く一人前になりたいんだ」

 

 ははぁん。このオオカミ小僧はあせっているのだ。年齢が近く、幼馴染みでもあるウーィルと自分を比べて。

 

 レイラ隊長からみて、ジェイボスはまだまだ若造だ。騎士団一の剛剣などと言われているが、言い方をかえればそれはただの力任せの剣とも言える。公国騎士団の歴史上でも一二を争う剣技をほこるウーィルと比べると、よくて半人前だろう。

 

 だが、若さは武器でもある。すでに中身が妙におっさん臭いウーィルとちがって、ジェイボスには剣技も魔力も精神的な面だって伸びしろは有り余る。上司からみて、そして大人からみて、そんなにあせって一人前にならなくてもいいと思うのだが。

 

「あんな規格外で人外の娘と張り合ったって勝てるわけないでしょ。あんたはもっと現実的な目標をもちなさい」

 

「じゃあ、……おっさんと比べてどうだ? もしおっさんが今の俺の剣をみたら、一人前と認めてくれるか? 隊長はどう思う?」

 

 おっさん? ……ウィルソンのこと?

 

 ウィルソン・オレオ。レイラの元同僚の魔導騎士。ウーィルの父にして、ジェイボスの育ての親だ。

 

 子供の頃に親に捨てられ、ボロボロになり野垂れ死に寸前だったジェイボスは、彼に拾われ命を救われた。ウィルソン夫妻は、ジェイボスを実の子と分け隔てなく育て上げた。

 

 そして、成長したジェイボスは育ての親と同じ騎士になることを希望し、ウィルソンは血の繋がらない息子の夢を叶えるために尽力した。だが、ジェイボスは魔導騎士となった姿を恩人に見せることはできなかった。夢を叶える直前、ウィルソンは任務中に殉職してしまったのだ。

 

 ウィルソンが若い頃から、すなわちジェイボスがまだ幼い頃から二人を知っているレイラの記憶では、ジェイボスはいつもウィルソンの後にくっついていた。家でも騎士団でも何をするときでも、それはまるで親ガモの後ろを子ガモがついて歩くように。師弟というよりも実の親子みたいだと、騎士団でも噂になっていたくらいだ。

 

 ……って、あれ? ウィルソンが亡くなったのって、ジェイボスが騎士になってからだった?

 

 レイラは自分の記憶が混乱していることを自覚した。

 

 あれ? あれれ?

 

 ……まぁいいか。いまは目の前でいつになく真面目な顔をしているこの若者の問いに答えてやらねば。

 

「ウィルソンねぇ。あなたもよーく知ってるでしょ。彼は力や技や魔力というより経験を武器にしぶとく闘う老獪なタイプだったわ。どちらにしろ、今のあなたじゃ追いつくのはまだまだ無理よ」

 

 ずーーん。

 

 目に見えて落ち込むオオカミ族の青年。自慢の銀色の毛並みもしおれて見える。

 

 ……うーん、こんな繊細な男だとは思わなかったわぁ。

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、オレオ家で催されていたパジャマパーティーは、……異様にもりあがっていた。

 

「まさか私のワインが飲めないなどといわないですわよね、騎士様」

 

 スケスケのネグリジェ姿の貴族のお嬢様が、ワインの瓶とグラスをもってウーィルに迫る。

 

「おねぇちゃん! 飲んでくれないと、わたし週明けの学校でルーカス殿下を『お義兄ちゃん』てよんじゃうよ?」

 

 実の娘がウーィルを精神的に追い詰める。

 

「ふっふっふ。そろそろ観念したらどうだい、ウーィル」

 

 レンさん。寝間着の帯がほどけて前が完全にはだけちゃって、いろいろと丸見えですよ。

 

「わー、わかったわかった飲みます。飲めばいいんでしょ? ……ひとくちだけよ」

 

 おそるおそる、ウーィルはワインに口をつけた。

 

 いい香り。……お? 意外と飲みやすい。いけるかも。

 

 さすがお貴族様の秘蔵の超高級ワイン。確かに美味い。

 

 ひとくち。ふたくち。みくち目が喉を通過した直後、それは起こった。

 

 ストン!

 

 ウーィルの腰がおちたのだ。

 

 あれ? あれ? どうして?  ……た、たてない。ひざとこしが……。て、てんじょうががぐるぐるまわっているろ!

 

「おねぇさま。これはパジャマパーティーですのよ、さぁさぁ騎士の制服はお脱ぎあそばして」

 

 気付いた時には、ウーィルは普段の寝間着姿にされていた。すなわち、メルと同じで上半身はシャツ一枚。下半身は下着のみの脚まるだしだ。

 

 そして、四人の少女に囲まれる。

 

「で、騎士様。殿下とはどこまでやっちゃったんですの?」

 

「おねぇちゃん、おしえてよぉぉぉ」

 

「素直に吐きたまえ、ウーィル」

 

 だ。だれか、たすけてぇ!!

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その05

 

 魔導騎士小隊の詰め所。ジェイボスは、隊長みずからいれてくれたお茶をすすっている。

 

「ジェイボス。あなた、本当に大丈夫? 最近顔色悪いわよ。港でルーカス殿下を護って青ドラゴンにやられて入院したあたりから?」

 

 最近のレイラは、会議会議でとにかく忙しい。今日もついさっきまで騎士団長とともに官邸に呼び出され、公国軍や情報部や警察など国内の治安維持関連の現場責任者会議に出席していたのだ。

 

 そんなわけで、彼女はあまり小隊に帰れない日々が続いている。小隊のメンバーの顔をみることができない日も少なくない。そのせいか、この獣人の青年は見るたびにやつれていくような気がする。

 

「まだ傷が痛むの? ちゃんとご飯食べてる? そもそも家に帰ってるの?」

 

 うっ。

 

 黙り込むジェイボス。彼はほとんど家に帰っていないのだ。職場でもできるだけウーィルとは顔をあわせないようにしている。

 

「どうして帰らないの? 暇なときはちゃんと休むことも仕事だって、いつも言ってるでしょ? ……ははぁん。ウーィルが殿下と婚約しちゃいそうだから、彼女と顔あわせられないの? 殿下に対抗するために、あせって一人前になりたいの?」

 

 ううううっっ。

 

 図星をついてしまったようだ。オオカミ男はうつむいてしまった

 

「わかりやすい男ね。……ていうか、本当にヘタレね、あなた」

 

「う、う、う、うるさい! 隊長には関係ないだろ」

 

「まずは本人と顔合わせて話をしなきゃなにも始まらないでしょうに。いい機会だわ。ちょうど私、オレオ家に行く用事があるの。今からいっしょに行きましょう」

 

 はぁ? どうして隊長が?

 

「実は私の姪っ子がね、ウーィルの妹のメルちゃんとハイスクールの同級生で仲良しなんですって。それで今晩オレオさん家に泊まりに行ってるのよ。パジャマパーティーだそうよ」

 

 隊長の姪っ子さんって、ルイス卿の?

 

「そう。ルイス家当主である兄の娘よ」

 

 ルイス家といえば代々公王家の直参騎士の由緒正しい名家。公国が立憲君主制になってからは造船や海運事業を興し、今や世界的にも有名な財閥だよな。

 

「姪っ子は世間知らずの箱入り娘で、お友達の家に一人で遊びに行くなんてはじめてなのよ。だから兄が心配しちゃって、たまたまオレオさん家が私の部下の家だと知って様子を見てこいって。……親バカよねぇ。名門ハイスクール在籍中のお嬢様があつまって、まさか酒盛りもないでしょうに」

 

 ははは、まさか。……でも、メルちゃんのお友達が来てるなら、やっぱり俺は今日は帰るのやめとくよ。

 

「うちの実家の車を回して貰ってるから、あなたもいっしょに行くのよ! これは隊長命令! ウーィルも例の海軍基地から帰ってきたって、さっきバルバリさんから連絡あったし」

 

 お、俺は、ウーィルとは……。

 

「自分の家でしょ! 今さらうじうじしない。一緒に行くわよ!」

 

 

 

 

 

 

「し、しんじてくれ! お、お、おれとでんかは、なんにもしてないんだってば! ほんとらろ」

 

 パジャマパーティーは、いつしか狂乱のサバトの様相を呈していた。

 

「うそです。殿下だってああみえても男性です。おねぇさまのような魅力的な女性を前にしたら、野獣のように襲い掛かるに決まっていますわ」

 

 ち、ちがう。きみたちはごかいしてるろ。あのおとこに、そんなどきょうあるわけない!

 

「それに、おねえさまだって。天下無双の魔導騎士様がお付き合いしている相手になにもしないなんて、そんなことあるはずがありませんわ」

 

 どういうりくつだそれはぁ。ひとをサキュバスみたいにいうなぁ。……ていうか、どうしてそんなにオレとでんかのことが気になるのら、きみは!!

 

「……わ、わたくし、実はひそかにルーカス殿下に憧れていましたの」

 

 え?

 

 金髪縦ロールのお嬢様の告白に、一瞬その場が沈黙する。

 

「だって、ルーカス殿下って、おやさしいしだけではなく、公務も勉学もとにかく全力で取り組むひたむきさといい、一般の市民に対しても決して偉ぶらない誠実なお人柄といい、もちろんお顔もお綺麗ですし……」

 

「わかりますわ。きっと殿下のお妃になられる方は、一途に誠実に愛していただけるに違いありませんわ。あああ、騎士ウーィルお姉様がうらやましい!!」

 

 ま、まぁ、まじめでいちずでせいじつなのは、おれもみとめるところらが……。

 

 まったく自覚しないまま、ウーィルは深く深く頷いている。

 

「わたくしの家は公王家に代々仕え、親戚関係でもありますし、普段から家族同士のお付き合いもさせていただいています。だから、わたくしは幼い頃から殿下のことはよーーく知っています。ずっと同じ学校に通い、ずっと殿下の事だけを見てきました……」

 

 は、はぁ。それは、なんといえばいいか……。

 

「なのに、……なのに、どうして」

 

 ウーィルが視線をあげると、金髪縦ロール嬢の身体からなにやらどす黒いオーラが噴き出していた。

 

「どうして私ではなくおねえさまなのかしら。どうしておねえさまだけが選ばれたのかしら!」

 

 縦ロール嬢がウーィルに飛びついた。ウーィルよりも遙かに女性らしい凹凸のある肉体が、ネグリジェのままウーィルの細い身体を押し倒す。

 

 な、なにを! や、や、や、やめるのら!

 

「こ、この細い手足が! 真っ平らな胸が! 幼児体型が、殿下をたぶらかしたのね。あああ、育ちすぎた自分の胸が憎いいいい!」

 

 ひいいっ、シャツをまくりあげるのはやめて! へんなところさわらないでぇ!!

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その06

 

 

「自分の家でしょ! 今さらうじうじしない。ほら、一緒に行くわよ!」

 

 公国騎士団魔導騎士小隊、レイラ・ルイス隊長は目の前でしおれている部下の肩をたたく。自分より二回り以上大柄な体躯を誇る普段は頼もしい部下であるが、今は身体がしぼんで見える。

 

 レイラとしては、旧知であったウィルソンの娘であるウーィルとメルちゃんには幸せになって欲しい。だから、ウーィルが本当に殿下のお妃になるというのなら、なんでも協力してやるつもりだ。自分の魔導騎士隊長としての地位はもちろん、もし必要なら実家の家名も財力もすべて使ってやる。出し惜しみするつもりはない。

 

 一方で、部下であるヘタレオオカミ小僧の気持ちも理解できる。できてしまう。

 

 ……あまりに身近にいたせいで自分でも気づかなかった恋心。それをやっと自覚した途端、ぽっと出の第三者に愛しい人をかっ攫われてしまったのだ。

 

 ああああああ、思い出しただけで心が痛い。

 

 レイラは身もだえる。ジェイボスの失恋が他人事とは思えないのだ。もう十年以上も前のことなのに、いまだに心が痛い。 

 

 ……って、私の事はどうでもいい。とうの昔に済んだことだし。と、とにかく、今は目の前のヘタレ小僧のことをほうってはおけない。私は隊長なのだから。

 

「あんたがウーィルのこと好きなのはウーィル以外はみんな知ってるんだから、もう開き直りなさいよ」

 

「み、みんな知ってる?」

 

「ええ。魔導騎士小隊どころか、公王宮警備隊も儀仗隊も音楽隊も含めたすべての騎士がね。……制服組の騎士だけじゃないわ。本省の背広組も事務職も出入りの清掃業者のおばちゃんも、ついでに駐屯地前の騎士団御用達の飲み屋の看板娘まで、みんなよーく知ってるわよ」

 

 ずーん。

 

 脳天にオーガのパンチを食らったかのような顔で口をパクパクさせているジェイボス。しかし三分間でなんとか我を取り戻し、自分の両頬を叩いた。

 

「あーー、わかったよ、隊長。俺がウーィルを好きなのは認めるよ。そう、ウーィルを他の奴にとられると想像しただけで、俺は耐えられない」

 

「そうそう。男なら負けるとわかっていても勝負に挑まねばならない時もあるわ。せめてウーィルに面と向かって告白して、そしてすっぱりあきらめなさい!」

 

「なんだよ、俺が殿下に負ける事が確定してるのかよ!」

 

 ジェイボスが鼻を膨らませて抗議する。しかし、こいつを応援してやりたい気持ちにウソはないが、……公平に見てやっぱり勝ち目はゼロでしょうねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

「こ、この細い手足が、真っ平らな胸が、幼児体型が、殿下をたぶらかしたのね。あああ、育ちすぎた自分の胸が憎いいいい!」

 

 ひいいっ、シャツをまくりあげるのはやめて! へんなところさわらないでぇ!!

 

 ウーィルが押し倒される。馬乗りになった縦ロール嬢の顔が近づく。オレオ家にウーィルの悲鳴が響く。

 

 や、やばい。このままではおれのていそうがやばいのら! ど、ど、ど、どうす ……ん?

 

 すう……すう……すう……。

 

 ねいき?

 

「ふっふっふ、寝てしまったようだ。彼女は学校でもここ数日ちょっとおかしかったからね。いきなりあんなにハイペースで飲みつづけたんだ、今日はそのまま寝かせておいてあげよう」

 

 た、た、たすかった?

 

 ウーィルは静かに寝息をたてる縦ロール嬢のしたから、よろよろと這い出す。

 

 このお嬢様は、自分の限度もしらないお子様のくせに、ちょっと飲み過ぎてしまったのだろう。とはいえ、オレももうそろそろ限界だ。胃からすっぱいものがあがってきそうだ。ていうか、あがってきている。もう限界だ。やばい。非常にやばい。たった数口しか飲んでいないはずなのに。

 

「お、おれとでんかのことはもういいのら。レレレレンさん! きみにいいひとはいないのかぁぁぁ? おしえてくれぇい」

 

 恋バナの標的を分散させるのだ。その隙にこの場を逃げ出そう。

 

「ボク? ボクは婚約者がいるよ。留学が終わったら皇国で結婚しなければならないんだ」

 

 寝間着の前をはだけた半裸の少女。ドキッとするほど白い肌。頬が上気した妙に色っぽいボクっ娘。酒瓶抱えた酔っぱらい娘の告白に、その場の全員がおどろいた。

 

 なぁにぃぃぃ?

 

 もちろんオレもおどろいた。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁ。ねぇねぇ、あいてはどんな人?」

 

 メル達のテンションが振り切れる。

 

「生まれた時から決められた相手さ。ボクの家は代々、巫女の家系なんだ。皇家に仕え、皇国の未来にかかわる神託を伝えるいわば国家の占い師。ボクはその能力を継いだ跡取り、……ということになっているので、それなりの家柄から婿をもらって女の子を産むことが義務なんだ」

 

「そ、そうなんだ。……相手を自分で選べないというのは、いやじゃないの?」

 

 不思議そうな顔でメルが尋ねる。

 

「まぁ、それは言っても仕方が無い。こんな捻くれたボクをそだててくれた親への恩も返さないとね。さいわい、相手は頭のいい方で、それほどいやじゃないよ」

 

 へぇ。……たいへんなんらな、れんさんも。

 

 

 

 

 

「……まぁいいや。確かに俺が殿下に勝てるとは思ってないさ。それに、自分でもうまく言えないんだが、俺がウーィルを好きなこの気持ちは、恋愛とはちょっと違うんじゃないかと思うんだ。家に帰らなかったのは、……ちょっと頭の中を整理したかったからだ」

 

 オレオ家に向かう高級車の後席の隣。意外とすっきりした表情で、ジェイボスは話を続ける。話の中身も冷静だ。

 

 恋愛とは違うって、……どういう気持ちなのよ?

 

「うーーん。むりやり例えるなら、今は亡きおっさんに対する気持ちと似ているかもしれない。……ガキの頃からずっと俺はおっさんに認めてもらいたかったんだ。一人前の男として」

 

 はぁ。

 

 レイラにはよくわからない。あいまいな返事しかできない。

 

 また、おっさん? 亡くなったウィルソンの代わりに、ウーィルに一人前の男として認めて欲しい、ってこと?

 

「俺自身も自分の気持ちに気付いたのは最近なんだけどな。……そうだ、隊長! 俺、どうしても確かめたいことがあるんだ。おかしな事きくけど。笑わないでこたえて欲しい」

 

 ジェイボスがこんなに真面目な顔をしたのを初めて見た。

 

 い、いいわよ。

 

「隊長は、おっさんが若い頃から知り合いだったよな? オレオ家に来た事も何度もあるよな?」

 

 ええ。家族ぐるみで食事したり、奥さんが亡くなった後はメルちゃんの面倒をみたこともあるわよ。……って、ほとんどの場合あなたも一緒にいたでしょ?

 

「そうだ。おっさんも奥さんも、俺を実の子とまったく区別なく育ててくれた。で、隊長。おっさんのいるオレオ家を訪ねたとき、そこに、……ウーィルはいたか?」

 

 えっ? いったいこの子は、何をいっているのだろう?

 

 レイラは呆気にとられる。ウーィルはウィルソンの娘だ。オレオ家にいけばウーィルがいるに決まっている。

 

 奥さんが亡くなった後、メルちゃんの面倒を見に行っことだって何度もある。当然メルちゃんのひとつ年上のウーィルも、……えっ? あれ? わたし、ウーィルの面倒をみてやった記憶が、ない?

 

 たとえばメルちゃんが風邪ひいて寝込んだとき、どうしてよいかわからずにただおろおろするばかりだったウィルソンのアホ面は確かに覚えている。そして、けなげに手伝ってくれたジェイボス。……ウーィルは?

 

 い、い、……いた、はずよね。いないはずないもの。ウーィルはウィルソンの娘なんだから。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、メルはどうなんだい? 好きな人はいないのかい?」

 

 お返しとばかりにレンさんがメルに問う。

 

 ウーィルの耳がぴくりと動く。全身全霊全力すべての魔力を動員して聞き耳を立てる。

 

「え? えーと、私はね」

 

 娘が頬を赤くする。

 

「好きな人、……いるよ」

 

 なにぃ!!!

 

 ウーィルが反射的に飛び起きた。

 

 だ、だ、だ、だ、だれだ!!!

 

「だ、誰ですの? 学園の方?」

 

「誰なんだい」

 

「他の人には内緒だよ。……お父さんやおねぇちゃんと同じ魔導騎士で、この家の二階に住んでる人なんだ」

 

 きゃーーー。騎士様ですって?

 

 へぇ、メルもおじさん趣味だとは意外だよ。どんな人なんだい?

 

 恋バナに少女達がもりあがるなか、ウーィルひとり全身をプルプルと震わせる。いつのまにか剣を握っている。

 

「えーとねぇ、逞しくて、身体が大きくて、頼りがいがあって、まっすぐで、純情で、ちょっとアホだけど、でもモフモフで、とても毛並みのいい人なんだ……」

 

 うつむき顔を真っ赤にしながら男の身体について語る実の娘。まだまだガキのはずだったのに、しっかりと恋する乙女の顔をしている。

 

 それを見たウーィルは激昂した。かのお気楽朴念仁なオオカミ野郎を除かねばならぬと決意した。

 

 あのいぬころやろうめ! たたききってやるからさっさとかえってきやがれ!!

 

「きゃーーーーー、騎士おねぇさまが様が剣を抜いたわ! なんて凜々しいのかしら」

 

「おやおや、ウーィル。……君も親バカだねぇ」

 

 

 

 

 少女達の酒盛りはまだまだ続く。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とパジャマパーティ その07

 

 

 ……た、たしかに。幼いメルちゃんとウーィルが同時に家にいた記憶がない。

 

 オレオ家に向かう車の中、レイラは必死に記憶をたぐり寄せる。しかし、どうしても思い出せない。

 

 でも、メルちゃんは昔からオレオ家にいたわ。それは間違いない。誕生祝いも贈ったもの。そして今だって。……も、もしかして、同時に存在しないのは『メルちゃんとウーィル』じゃなくて、『ウィルソンとウーィル』?

 

 頭の中がぐるぐるまわる。現実と辻褄があわない。

 

 そもそもウィルソンが亡くなったのはいつだった? 考えてもみなさい。もし彼が亡くなったとして、そのあと私は騎士を続けられる? 無理よ。絶対に無理。騎士団にいる意味がなくなるもの。ではなぜ私は今も騎士をやっている? ……本当に、彼は何年も前に亡くなったの?

 

 レイラの頭の中で、何かがつながったような気がした。もう少し、あとちょっとで答えにたどり着けそうな気がした。

 

 そうよ。ウーィルはいつ騎士になった? いいえ、いつ『現れた』? いつのまにかベテランのような顔をして魔導騎士小隊を支えている、あのおっさんくさい少女はいったい……。

 

 顔をあげる。横に座るジェイボスがこちらを凝視している。

 

「やっぱり隊長もそう思う、か……。安心したよ。俺だけの頭がおかしくなったわけじゃないってことだよな」

 

「あんたも、……なのね?」 

 

「ああ。……ということは、おっさんと血が繋がっているメルちゃんも、とうぜん気づいているかもなぁ」

 

 車がオレオ家の前に停車したのは、ちょうどその時だった。

 

 

 

 

 

 

「メル、もう告白はしたのかい? その人は君の事どうおもってるんだい?」

 

 誰もが聞きたくて聞けない微妙な問いを、レンさんがさらりとはなつ。その場に緊張が走る。皆の視線を集めたメルが、ちょっとうつむき加減のまま答える。

 

「えーと、……彼、他に好きな人がいるんだ。たぶんあの人にとって私は、二番目だと思う」

 

 なんだとぉぉぉ!!!!!

 

 ウーィルが剣を振り上げた。

 

 あのオオカミ野郎! メルをたぶらかすだけじゃなく泣かせやがって絶対に許さねぇぞ!!

 

 ウーィルの全身からどす黒いオーラが噴き出す。ショートカットの黒髪が逆立つ。怒髪天をつくとはこのことだ。

 

「メル。その人の一番になろうとは思わないのかい?」

 

 ひとり狂乱するウーィルにお構いなく、レンはマイペースだ。

 

「いいの。私は絶対に彼の一番になれないことはわかってるから。私の側にさえいてくれれば、それでいいんだ」

 

 ゆるさん、ゆるさんぞぉぉ!

 

 怒り狂うウーィルの目の前、オレオ家の玄関がノックされた。

 

 

 

 

 

 

 ドアをあけたジェイボスが見たものは、……桃源郷だった。

 

「きゃーーーーー、モフモフよ、モフモフのワンコがきたわぁ」

 

 半裸の少女達が、ジェイボスに群がったのだ。彼の両腕にぶら下がる。メルなどは首に両手をまわし抱きついている。

 

「こ、これは?」

 

 全身の毛皮をモフモフされる微妙な感覚。そこかしこにあたる柔らかい膨らみ。漂ういい臭い。自然と口元が緩む。

 

「えへへへ、ジェイボスさん!」

 

「こ、このお方がメルの思い人ですのね」

 

「たしかに、このモフモフはクセになるね」

 

 ジェイボスはわけがわからない。

 

「じぇいぼす! そこになおれ!!」

 

 ぎくりっ。

 

 声の先をみると、剣をかまえたウーィルがいた。今にも斬りかかってきそうな勢いだ。

 

「う、う、ウーィル、まて。よくわからんが、おちつけ!」

 

 頭に血がのぼっているウーィル。必死に諫めるジェイボス声などもちろん聞こえない。

 

「うるさい!! よくもおれのむすめをもてあそびやがって!!!」

 

 むすめ?

 

 怒りのあまりアルコールが脳みそで沸騰している。目がぐるぐると回っている。すっぱいものが喉まであがってきているがかまわない。ふらふらとおぼつなかい足元で、それでもジェイボスに迫る。

 

「まてって、……おまえ酔っぱらってるのか?」

 

 うるさいうるさいうるさい。きさまのようなはんにんまえのがきは、おれがじごくへおくってやるろ!!

 

 

 

 

 

 

 

「お父さん、いい加減にしなさい!」

 

 は?

 

 部屋に響くドスの効いた声。発したのはメルだ。呆気にとられる一同。ウーィルの動きもとまる。

 

「世界で一番慕ってた人がいきなり少女姿になっちゃったジェイボスさんの気持ちも、少し考えてあげなさい!」

 

 へ?

 

 あまりの迫力に、ウーィルは反射的に正座。そして、ジェイボスにぶら下がったままのメルを見上げる。

 

「で、でも、このわかぞうが……」

 

「口答えしない! ついでだからもうひとつ言っとくわ。魔法なのか呪いなのかお父さんの身に一体何があったのか知らないけど、私がお父さんの娘なのはかわらないからね。だから、……私は大丈夫。心配いらないの。だから、お父さんは自分の使命を果たしてね、……わかった? おねぇちゃん、返事は??」

 

 は、はい。

 

「はいはいはい、そろそろお開きよ。後片付けは私がやっておいてあげるから、みんなとりあえず寝なさい」

 

 オレオ家姉妹の会話を遮り、手を叩きながらレイラがパーティの閉会を宣言した。

 

「あれ? おばさま? なぜここへ? パジャマパーティーは、まだこれから……」

 

 意識を取り戻したレイラの姪っ子である金髪縦ロール娘が抗議するが、現役魔導騎士小隊長は反論を受け付けない。

 

「この下品な宴会のどこがパジャマパーティーよ! この酔っ払い小娘どもが!! だまって言うことをききなさい!!」

 

 モンスターですらビビる一喝。小娘達が逆らえるはずもない。すごすごとメルの寝室に向かう。四人で同じベットを使うのだという。

 

「れ、レイラ。あたまがわれそうら。もっとちいさなさなこえで……」

 

 ひとりのこりレイラに哀願する酔っ払いは、もちろんウーィルだ。

 

「あんたはぁ! 騎士のくせに小娘達と一緒になってなにやってるのよ! このバカ娘がぁ!!」

 

 ぐわあああああああ。あたまがわれるぅぅぅぅぅ!

 

 その場にぶっ倒れるウーィル。

 

「ちょっとジェイボス。このバカ娘、寝室につれていってあげて」

 

 へいへい。

 

 オオカミ男の逞しい腕が、華奢な少女騎士の体躯を抱き上げる。

 

 うううきもちわるい……。あたまがいたい……。おれはもんだめら、しにそうだぁ……。

 

 小さな口を半開き。よだれを垂らし表情を歪めながら、それでも天使のように愛らしい少女。

 

「ホント、しょうがねぇなぁ。……なぁ、おっさん」

 

「……なんら、こぞう」

 

「俺って、まだ一人前になれないのかな?」

 

「そんなことをおれにきくようだから、おまえはガキなんらよ。いちにんまえかどうかきめるのは、おれじゃない。だれでもない。おまえじしん、ら……」

 

「……そうか。そうだな。わかったよ」

 

 ジェイボスの腕の中、いつのまにかウーィルは寝息をたてていた。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味)

 

 

「ふう……」

 

 公王家の専用車。後部座席。少年はひとつため息をつくと、柔らかいシートに身を深く埋めた。

 

 時刻は深夜の入り口といった頃合い。車は公都中心部のはずれ、少年が通うハイスクールの敷地まで十五分ほどの位置。

 

「殿下、お疲れのようですね」

 

 少年の隣に座る護衛がねぎらう。彼は公王府直属の騎士だ。しかし、騎士といっても帯剣はしてはいない。地味なスーツに身を包み、懐にひそませているのは拳銃だ。シートの奥には自動小銃も隠されている。彼は、公国騎士団公王宮守備隊に所属する要人警護のプロだ。

 

「いえ、いえ、大丈夫です。心配いりません。……気を使っていただいてありがとうございます」

 

 少年は背筋を伸ばし姿勢を正す。が、誰の目から見ても、彼が無理していることはあきらかだった。

 

 

 

 

 ……公王太子だからといって、こんなか細い少年をこんなに働かせて大丈夫なのか?

 

 騎士は、あらためて自分の護衛対象であるルーカス殿下を横目でみる。

 

 さらさらの髪。長いまつげ。長い耳。まるで少女のような線の細い少年。

 

 であるのに、この一日で殿下がこなしたスケジュールは、過酷なものだった。肉体を鍛える事が仕事であり趣味でもある騎士の目からみても、かなりハードなものだった。

 

 ハイスクールの授業が終わったあと、公都郊外の国立大学へ直行。世界的にも有名だという物理学の教授(騎士は顔も名前もしらなかったが)の研究室にて、夕食をとる間もなく数時間にわたり次の論文について激しい議論。

 

 ……ちなみに、殿下と教授の議論について、騎士はまったく内容を理解できなかった。黒板一面に描かれた図や数式らしきものは、魔法陣、あるいは気味の悪い抽象画にしか見えなかった。

 

 その後、緊急の用件とやらで急遽むかったのは公王宮だ。食事は車の中で簡単なサンドイッチを食べただけ。もちろんご自身の寝室で休む時間などない。陛下とともに会議室に首相と国防大臣を迎え、なにやら重要な報告をうけたらしい。騎士は同席を許されなかったため内容は想像もつかないが、殿下の顔色を見るにどうせロクでもない国家機密なのだろう。

 

 で、やっといますべての公務から解放され、寄宿舎に帰るところだ。門限どころか消灯時刻もとうに過ぎている。

 

 今日だけのことではない。ここしばらく、いやハイスクールに入学してからずっと、殿下は日常はだいだいこんなものだ。

 

 ルーカス殿下が公国の未来を背負って立っているのは、騎士だけでなく公国市民すべてが知っている。殿下は公国の誇りだ。しかし、……彼は同年代の少年と比べてもあまり体格の良い方ではない。はっきりいってしまえば、ひ弱だ。あまり無理をして身体を壊しては元も子もない。

 

 それになによりも、彼はまだ少年だ。一般的には、遊びたい盛りといわれる年齢だ。

 

 騎士は、呑気に過ごすだけだった自分のハイスクール時代を思い出す。

 

 公王太子としての公務が多忙なのは仕方が無いとしても、少年にはもう少し遊ぶ時間があってもよいのではないか? 青春時代は一度しかないのだ。たとえば、恋人といちゃいちゃ過ごす時間だって必要なはずだ。

 

 そうだ!

 

 彼は膝をたたく。

 

 いっそ護衛役を、噂のお妃候補の女性魔導騎士にかわってもらおうか。

 

 彼女とは、駐屯地で何度か会ったことがある。騎士団の中でも目立つ存在だ。大聖堂をまるごと叩き切ったとか、ドラゴンを群ごとミンチにしたとか、もともと非常識な連中がそろった魔導騎士小隊の中でも際だっている。

 

 しかし、見た目だけならばたしかに可憐な美少女だ。殿下だって、自分のようなむさ苦しいおっさん騎士が側に居るよりも、常に手を伸ばせば触れる距離に彼女がいた方が嬉しいに決まっている。

 

 ……もちろん彼はわかっている。そんな事は不可能だ。お妃候補が常に殿下の側に居るなど、内外のマスコミにネタを与えるだけだ。ますます公務が滞り、殿下が忙しくなるだけだから。

 

 

 

 

 

 

「プロジェクト責任者より起爆実験の日程について以下の通り提案がなされました。連合王国ならびに皇国政府の同意はすでに得ておりますので、陛下のご裁可にて最終決定となります」

 

 それが、ルーカス殿下が陛下とともに内閣からうけた報告だった。もちろん最上級の国家機密だ。

 

 起爆実験、……か。

 

 ルーカスの頭の中、同じ単語が何度も何度も繰りかえされる。

 

 公国政府とお父様、そして同盟国である王国と皇国の政府が決めたことだ。いまさら私が何を言おうとかえられるものではない。

 

 途方もない費用が投じられた前代未聞の巨大プロジェクト。しかし、参加してくれた各国の科学者達、現場のエンジニア、管理した海軍、みなとんでもなく優秀で、しかも昼夜を問わず全力を尽くしてくれた。よっぽどの事がない限り実験は成功するだろう。

 

 ついに我々人類は青ドラゴン、……いやどんな転生者や守護者に対してでも対抗できる力をもつことになる。それだけではない。実験の成功を知れば、大陸の帝国や連邦も露骨な領土的野心を収めてくれるかもしれない。なんにしろ当面の平和は保てるだろう。なんとかギリギリで開戦に間に合ったのは僥倖だ。……僥倖? 本当に?

 

 ルーカスは首を振る。

 

 各国の政治家も、軍人も、計画に参加した科学者でさえも、いまだにアレを単に威力が強力なだけの大きな爆弾だと思っている。

 

 この世界の多くの人々はまだ気づいていないのだ。アレは、世界のあり方を永久に変えてしまうものだということに。

 

「私の名は、世界史に刻まれるかもしれない。……悪魔として」

 

 ぞくり。背筋に冷たいものがはしる。

 

 本当にアレが必要なのか? 他の方法はなかったのか? 計画が始動して以来、何度も何度も何度も自問してきた。

 

 レンと自分を執拗に狙う青ドラゴンに、どうやって対抗するか? 世界の法則すら支配する力をもった転生者や守護者から、未来の選択肢をこの世界の人々の手に取り戻すためにはどうすればいいのか?

 

 そして、近い将来確実に世界大戦に巻き込まれる公国を救うため、公王太子である私は……?

 

 しかたがない。アレしか方法はない。そもそも、私がこのプロジェクトを提案する前から、この世界の科学者達だってあの莫大なエネルギーを発生する物理現象の可能性を知っていた。たとえ私がなにもしなくたって、数年後には必ずどこかの国が完成させるだろう。

 

 ……今となっては、そう考えるしかない。

 

 

 

 

 ふと脳裏に顔が浮かぶ。ふたりの少女の顔。

 

 みき、……じゃなくて、転生後の名前はレン。多少捻くれてるが、基本的に呑気で人のいい妹。

 

 前世ではケンカばかりしていたけど、家族と共に過ごした日々は、いまとなってはかけがいのない時間だった。姉妹でまた、なにもかもわすれてお菓子を食べながら馬鹿話をしたいなぁ。

 

 そしてもうひとり。

 

 レンよりも幼くて小さくて頼りがいのある人。何があっても私を護ってくれると言ってくれた、中身おじさまの少女。……ウーィル。

 

 あのひとと一緒に居ると安心できる。なによりも、あの人なら私を赦してくれる。重圧を分かち合ってくれる。

 

「あいたいな……」

 

 ポロリと口にでてしまった。

 

 しまった!

 

 車の中。真っ赤になってあわてて左右に視線をふる。護衛の騎士と運転手さんは、聞こえないふりをしてくれた。

 

 こほん。

 

 ひとつ咳払い。背筋を伸ばし、シートに深く座り直す。

 

 ……ていうか、なぜ私は、レンとウーィルになかなか会えないのだろう?

 

 ふたりの事を考えているうち、いつの間にか深刻な問題は頭の中から消えてしまった。

 

 レンの顔は毎日のように学校で見かける。しかし、公王太子と留学生。男と女だ。同級生達の手前、なかなか話す機会はない。昔のような馬鹿話など不可能だ。

 

 それはわかる。理解できる。

 

 でも、でも、……ウーィルと会えないのはなぜ? ウーィルは私の騎士だ。私は彼の主だ。どうして一緒に居られない? おとぎ話では、お姫様と騎士はいつも一緒にいるはずなのに……。

 

 ……なんてことをボーッと考えながら、一方でルーカスは自分が子供のように屁理屈をこねているだけであることをわかっていた。深刻な問題から逃げているだけなのを自覚していた。でもやめられない。彼女なら、ウーィルならば、それすらも許してくれると確信している。

 

 そもそも、彼は私の守護者だ。いつも護ってくれるって言ってくれたじゃないか。騎士団のお仕事の都合があるのだろうけどさ、もう少し私の気持ちもわかってくれてもいいんじゃない? レンは守護者のネコちゃんといつもいっしょなのに、同じ転生者としてこれは不公平というものだ。ずるい!

 

 そうだ。ウーィルを私の護衛役にしてくれるよう、騎士団のバルバリさんに、……いいえ、お父様にお願いしてみよう!

 

 唐突にそんなバカなことを思いついた自分にあきれ、おもわず笑ってしまう。

 

 うん。うん。やっぱりウーィルだ。彼女の顔を思い浮かべるだけで、心の重荷が消えてしまった。私には彼女が必要なんだ。

 

 

 

 

 

 

 運転手がブレーキを踏んだのは、その時だった。殿下の顔から笑みがこぼれ、それに気付いた護衛の騎士が目をそらしてふたたび見て見ぬふりをしたちょうどその瞬間、かん高い音とともに車が急停止したのだ。

 

 寄宿舎まであと十分ほどの地点だろうか。公都中心部の官庁街を過ぎ、周囲は緑に覆われた広い林。門はまだ先だが、すでにハイスクールの敷地の中だ。この時間、人通りは極端に少ない。

 

「なにがあった!」

 

「女の子が……」

 

 騎士に問われた運転手が答える。

 

「女の子、だと? こんな時間? こんなところに?」

 

 窓を半分あける。停止した車の前方、ヘッドライトの中に女子の制服の人影が座り込んでいる。

 

 こんな時間に、ハイスクールの女子学生が?

 

「……絶対にエンジンを切るなよ! 殿下、伏せていてください!」

 

 騎士は自動小銃を手に、用心深く車の外にでた。

 

 

 

 

 

 このあたりは街灯も少ない。しかし、金色の満月の輝きが眩しいほど足元を照らしている。

 

「お、おい。大丈夫か?」

 

 座り込んでいる女の子の顔を覗き込む。そして、彼は息をのんだ。白い瞳はこちらを向いているが、口を開く気配はない。表情というものが一切ない。まるで死人のような顔。

 

「君はいったい……」

 

 後ろから叫び声。運転手の声だ。

 

「な、なんだ貴様!」

 

 とっさに振り向けば、エンジンがかかったままの車の横、制服姿の男子学生がドアを開け運転手に殴りかかっている。

 

 学生を装ったテロリスト? いつのまに、どこからあらわれた! ……殿下は?

 

 護衛対象を護るため、騎士は踵を返す。しかし走れない。さきほどの女子学生が脚にすがりついているのだ。

 

「はなせ! ……殿下!!」

 

 

 

 

 

 

「こっちよ」

 

 言われたとおり後部座席で伏せていたルーカス殿下は、いきなり耳元から声をかけられた瞬間、心臓がとまるかと思った。

 

 おそるおそる顔をあげると、いつの間にか隣の席に人が座っていた。

 

 ……仮面の少女?

 

 同じハイスクールの制服の少女。眼だけを隠す仮面を付けている。細い二本の腕が、いきなり殿下の首に絡みつけられた。そして、顔が近づく。正面から見つめ合う。

 

 !

 

「声を出したって無駄よ。護衛も運転手ももう寝てるわ」

 

「き、君は……」

 

 この瞬間ルーカス殿下にはわかってしまった。これから彼にどんな不幸が降りかかるのか。

 

「殿下。心配しないで、同級生のよしみで殺しはしない。あなたには私たちの仲間になってもらうわ」

 

 仮面越しにみえる少女の瞳は真っ赤だ。可愛らしい唇の端から、白い二本の牙が覗いている。彼女は、ヴァンパイアだ。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味) その02

 

 眩しいほどの満月。

 

 それをバックに、ルーカス殿下の眼前には妖しく微笑む仮面の少女。

 

 仮面越しにもわかる真っ赤な瞳。白い肌。赤い唇。そして、二本の牙。

 

「殿下、心配しないで。同級生のよしみで殺しはしない。あなたには私たちの仲間になってもらうわ」

 

 

 

 

 ルーカスは動けない

 

 彼は、ヴァンパイアに出会うのははじめてではない。海軍基地で命を狙われたこともある。

 

 しかし、あのとき襲ってきたのは本物のヴァンパイアではなかった。自分の意識をなくした操り人形でしかなかった。しかも、殿下は一人ではなかった。隣に、どんな時でも絶対に信頼できる魔導騎士がいた。だから、まったく恐怖を感じなかった。

 

 だが、いま目の前にいるヴァンパイアは操り人形ではない。確固たる自分の意思をもって彼を標的としている。本物のヴァンパイアだ。しかも、護ってくれるウーィルはいない。遮るものはなにもない。

 

「いいわねぇ、殿下。おびえた表情がたまらないわ。反抗したって無駄よ。この世界の支配者が誰なのか、あなたもすぐに理解できるようになるわ」

 

「わ、わたしを、操り人形にしようというの?」

 

「操り人形と言っても、いろいろなレベルがあるのよ。殿下はもっとも軽い洗脳で勘弁してあげる。身体的にはまったく人間のまま。普段は自分でも人形になった事に気づかないまま、ここぞというときだけ無意識に私の指示にしたがうのよ」

 

「わ、わ、わ、わたしにはいつも側に騎士がいる。宮廷魔道士だって。た、たとえ私が人形にされても、すぐに誰かが気付いて、自由に操ることはでき……」

 

 ヴァンパイアは人差し指をのばし、殿下の唇においた。

 

「心配無用よぉ、殿下。同級生だったあの子達がずっと昔から操り人形だったことに、まったく気付かなかったでしょ? あなたも同じ。周囲の誰も、あなた自身も気付きはしないわ」

 

 あの子達? 車の前に飛び出して止めた少女のことか!

 

「なんてことを……」

 

「ふふふ。覚悟はいい?」

 

 ヴァンパイア少女が微笑む。顔が近づく。殿下の首筋にむかって。

 

 に、逃げなきゃ

 

 しかし、身体が動かない。赤い瞳から目をそらすことができない。

 

 ああ。私はこの吸血鬼の操り人形にされちゃうんだ。こんな訳のわからない世界に転生させられたあげく、今度は人間じゃなくなっちゃうんだ。

 

 ……いやだ。たすけて! 誰か! 誰か! レン! ……ウーィル!!

 

 絶体絶命のピンチ。脳裏に浮かぶのは、やはりあの少女。

 

 そうだ。私の騎士、ウーィル! たすけて、ウーィル!! ウーィル!!!

 

 殿下が叫ぶ。必死に叫ぶ。

 

 しかし、声はでない。かまわずに少女が口を開ける。牙が首筋に触れる。全身が硬直したまま、涙だけがハラハラとこぼれ落ちる……。

 

 

 

 

 

「そこのヴァンパイアちゃん。……君は運が悪いねぇ」

 

 なに!

 

 ヴァンパイアの動きがとまる。振り向いて目を見開く。

 

 彼女の視線の先、同じ制服の少女が立っていた。満月の下、腰まである真っ白な髪がなびく。

 

「わざわざこんなところで殿下を待ち伏せたのは、万が一にも学園内にヴァンパイアが潜んでいたことを露見させないためだろうけど……。まさかここで門限破りの常習者であるボクと鉢合わせてしまうとは、君は本当に運が悪いとしか言いようがない」

 

 にゃあ。

 

 白髪の少女の肩の上、小さな白ネコがなく。

 

「なんだとぉ。……貴様、もうひとりの転生者か!!」

 

「…………へぇ。 『転生者』と知った上で、君は殿下を襲ったんだね。君は転生者でもその守護者でもないようだけど、いったい何が目的なんだい?」

 

 ヴァンパイアに対して、まったくおそれず普通に近づく白髪の少女と白いネコ。

 

「それだ。その態度がむかつくんだよ。おまえら別の世界から来たよそ者のくせに、自分達だけがこの世界の命運を握ってるかのような、そのでかい態度が!」

 

 ヴァンパイア少女の身体から怒気が噴き出す。膨大な魔力が爆発し、周囲の空間が覆われる。それは確かにこの世界の夜の支配者の力を具現化したものだった。

 

「なるほどね。たしかにその怒りは正当かもしれない。……でも、それを殿下やボクにぶつけられてもどうしようもないんだ。ボクらだって望んでこんな立場におかれたわけじゃない。ましてや、だまって君に血を吸われてやる義理などない」

 

 にゃいん。

 

 数メートルの間合いでレンが歩を止める。二人の少女が睨み合う。

 

「……『白の転生者』。そのネコが今代の『運の法則を司る守護者』だな。校内であえて見逃してやっていた恩も忘れて、私と敵対するつもりか?」

 

「似たような事をドラゴンとその主にも言われたことがあるよ。あいにくボクは恩知らずなんでね。……同級生だというのなら、仮面をとってくれないか?」

 

「力尽くでとってみろ。……知ってるぞ。代々の『運の守護者』の能力は、主である転生者の安全にかかわる事象にしか作用しない。つまり、直接おまえにさえ手を出さなければ、私が殿下をどうしようとおまえは黙って見ていることしかできない!」

 

 ヴァンパイアが再び殿下の首に両手を掛ける。

 

「レ、レン……」

 

 硬直した身体のまま、殿下が喉の奥から悲鳴を絞り出す。

 

「……さすがこの世界の夜の支配者、絶対不死を誇るヴァンパイアだね。なんでも知ってるようだ。でも、ひとつ忘れていることがあるよ。殿下は『黒の転生者』。その側にはいつだって彼がいるのさ。『時空の法則を司る守護者』がね」

 

 な、に?

 

 ヴァンパイアの目の前。車体越しに黒い裂け目が空間を走った。

 

 光速にも迫る速度の黒いカマイタチ。それに反応し咄嗟に身体を引いた反射神経は、たしかに人間離れした物だった。

 

 くっ!

 

 だが、まにあわない。ヴァンパイアは、自分が斬られた瞬間を見た。殿下の首に回していた両腕の肘から先が飛んだのだ。数瞬後、切断面から真っ赤な鮮血が噴き出す。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味) その03

 

 後部座席に座っていたはずの殿下は、いつの間にか空を飛んでいる自分に気付いた。見下ろせば、乗っていた車が縦に真っ二つに両断されている。

 

 一回転して着地。それなりの高度から落下したのに、まったく衝撃を感じない。そして改めて気付く。自分はいま、誰かに抱き上げられている。いわゆるお姫様抱っこ。見上げればすぐ目の前に顔。見知った少女だ。

 

 ウーィル!

 

「殿下、お怪我は?」

 

 やさしい笑顔。騎士は、すぐに視線をヴァンパイアに戻す。目を合わせてくれたのは一瞬だけ。だが、ルーカスにはそれだけで十分だ。

 

「へ、平気、です。ウーィル、ありがとう!」

 

 本能的に少女の首に両手を回す。ちからいっぱい抱きしめる。

 

 やっぱり来てくれた! ウーィル! ウーィル!! ウーィル!!!

 

「ちょ、ちょっと、殿下。動きにくいので、そんなに力を……」

 

「おやおやルーカス殿下。今の君はいちおう男の子なんだから、ウーィルみたいな可愛らしい女の子にいつまでもお姫様抱っこされたまま抱きついて甘えるのは、ちょっと恥ずかしいと思うよ、ねぇ?」

 

 にゃーん。

 

 いつの間にかレンと白ネコがすぐそばにいた。無我夢中でウーィルに抱きついていた殿下の耳に、ため息交じりの呆れ声が聞こえた。

 

 えっ? わたし、いつの間に抱きついて……?

 

「ご、ご、ごめんなさい。ごめんなさい、ウーィル。助けに来てくれて、あんまり嬉しくて……」

 

 フワリと地面に降ろされた少年は、顔を真っ赤にしながら自分よりも背の低い少女に頭を下げる。

 

「ははは、かまわないですよ、殿下。こちらこそ遅くなってもうしわけない」

 

 少女の方はといえば、まんざらでもない様子で頭をかいている。

 

 

 

 

 そんな初々しいカップルの様子を至近距離で見せつけられたのは、既に腕がすっかり再生しているヴァンパイア。彼女は、……キレた。

 

「おまえら! 転生者ども! いつまでイチャイチャしている! このヴァンパイアを無視するな!!」

 

 激怒のあまり、髪が逆立っている。

 

 しかし……。

 

「い、い、い、イチャイチャしていない。私たちはイチャイチャなんてしていないよ、ね、ウーィル」

 

「ボクは吸血鬼ちゃんと同じ意見だね。ふたりはイチャイチャしすぎだと思うよ、姉さん。見てる方がはずがしくなってくるくらいだ。ウーィルをここに連れてきたのはボクなんだから、まずはボクらにも一言くらい感謝の言葉があってもいいんじゃないかい?」

 

 にゃいにゃい?

 

「……オレは、なんと答えればいいんだ?」

 

「み、みき! ……じゃなくてレン! ネコちゃんも。わ、わ、わ、わたしはイチャイチャなんてしていません!! それよりも、レンとウーィルこそ二人でいったい何をしていたの? こんな夜中に!!」

 

 レンとウーィル二人の顔を交互にみつめ、問い詰める殿下。

 

「はぁ……。姉さん、嫉妬かい? ボクとウーィルは女同士だ。そんな細かいことを気にしてるようじゃ、ウーィルに面倒くさい女……じゃなくて男だと思われてしまうかもしれないよ」

 

 にゃにゃん。

 

 白ネコも頷いた。

 

「え? うそ! ……わ、わ、わ、わたしって、面倒くさい?」

 

 あわててウーィルに向き直る殿下。

 

「うーーん、ちょっと……」

 

 がーーーん。

 

 へなへなと、殿下はその場に座り込んでしまった。あわてて取り繕うウーィル。それを見てニヤニヤしているレン。にゃーん。そして……。

 

 

 

 

「うがーーーーーー! 貴様ら、ヴァンパイアであるこの私をどこまで無視して馬鹿にすれば気が済むんだ! 三人と一匹まとめて死にさらせぇ!!」

 

 怒髪が天をつき、ヴァンパイア少女が両腕をあげる。それにあわせて地面から赤いしぶきが湧き上がる。空中で渦を巻く。

 

 なんだ? ……血?

 

 それは血液。ウーィルに腕を両断された時に噴き出し地面をそめた膨大な血液が、まるで生命を宿したかのように空中に吹き上がったのだ。

 

 真っ赤な血しぶきは渦を巻き、それぞれ数十メートルもの何条もの鞭のように虚空をうねる。そして、少女を中心に伸びる。四方八方から殿下達を狙う。

 

「さすがに挑発しすぎたようだね。騎士ウーィル、あのヴァンパイアはやっぱり本物かい?」

 

 やれやれという体で、レンが尋ねる。

 

「ああ、そうだな。……あれは本物だ。おそらく吸血鬼になって数百年、公国の歴史を紐解いても一二を争う最強の化け物だろう」

 

「えっ? じゃ、じゃあ」

 

「安心してください、殿下。オレは魔導騎士だ。ヴァンパイア相手に少なくとも負ける事はない」

 

 ほざけぇ!!!

 

 何本もの血液の鞭が同時に弾ける。そして飛ぶ。無数の真っ赤な弾丸がウーィルに迫る。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味) その04

 

 ルーカス殿下は自分の目を疑った。

 

 視線の先に居るのはヴァンパイアを自称する少女。その背後、まるで何本もの鞭のように操られる真っ赤な血液の奔流。その先端が、弾かれ、千切れ、まるで無数の弾丸のように超高速で飛んでくるのだ。弾丸の照準の先は、殿下だ。

 

(こ、こんなことは、あり得ない。物理的にあり得るはずがない)

 

 ルーカスは物理学の研究者だ。学位ももっている。そんな彼の脳は、瞳に映る現実を受け付けることができない。明確な殺意をもって自分に迫る攻撃を前にして、ふたたびルーカス殿下はフリーズしてしまった。立ち上がる事すらできない。

 

(ウーィルがヤバイというほどの正真正銘の化け物? ドラゴンとかヴァンパイアとか、どうして私のまわりにはこんな化け物ばかり……)

 

 絶体絶命のピンチだというのに、まるで他人事のように思う。

 

「ボクらだって、普通の人間とはいえないだろうに?」

 

 やはり他人事のように呑気なレンの声が聞こえる。

 

「殿下、もともとこの世界に生きる人々にとっては、ボクや殿下やウーィルこそが極めつけの化け物かもしれないよ」

 

 ……そう、この世界にとって非常識な存在は、ヴァンパイアだけではない。ルーカスを護るべく立ちはだかるもうひとりの少女こそ、ある意味ヴァンパイア以上に常識を超越した存在だったのだ。

 

 ルーカス殿下を蜂の巣にするはずだった真っ赤な弾丸は、すべて空をきった。何もない空間をただ通過していった。ウーィルが、ルーカス殿下の首根っこを捕まえて、ふたたび跳んだのだ。

 

 うひゃあ。

 

 空中から少女を見下ろすルーカス。すでに恐怖は完全に消えている。

 

 そうだ。そうだ。そうだ。相手がどんな化け物であれ、ウーィルがいてくれるのならば絶対に安心だ。

 

 ルーカスがふたたび一息つく。しかし、そんな彼の視線の中、ヴァンパイア少女はニヤリと笑った。

 

「あーーはっはっは、バカのひとつ覚えみたいにピョンピョン跳び回りやがってぇ。こっちはそれを待っていたんだよ!」

 

 ヴァンパイアの嬉しそうな叫び声。その背後、ふたたび真っ赤な鞭が鎌首をもちあげる。血液の奔流がウーィル目がけて伸びる。凄まじい速度で距離をつめる。

 

「空中に跳んでしまっては、その異常な素早さも活かすことはできまい!」

 

 しまった。足場のない空中では、翼をもたない人間はただ慣性に従うしかない。重力による自由落下以外の運動はあり得ない。

 

 ルーカス殿下を抱えて空中を跳ぶウーィル。その速度は人知を超えるが、その軌跡は単純な運動方程式に厳密に従う。すなわち弾道飛行、放物線運動の未来位置を予測するのは簡単だ。

 

 ヴァンパイアが操る血液の鞭の先端が、ウーィルの身体を目指して伸びる。ドリルのように渦を巻く。

 

「ウーィル!」

 

 殿下の悲鳴。……しかし

 

 おおっと!

 

 まるで曲芸のように、ウーィルが小さな細い身体を空中で目一杯反り返る。同時に、ウーィルと殿下が空中でなぞっている軌道がかわる。まるで空間が歪んだかのように空中で速度のベクトルが偏向、空中で急ブレーキ!

 

 間一髪。ぎりぎりでかすめた血液の奔流が空を切る。そのまま森の大木を直撃。轟音とともに真っ二つにへし折った。

 

 ……ふう、あぶないあぶない。

 

 わざとらしく額の汗を拭うふりするウーィル。そのまま真下に落下する。

 

「そんなばかなことがあるかぁ! くそ、着地の瞬間ならどうだ!!」

 

 ヴァンパイアの鞭は一本では終わらない。すぐにもう一本が迫る。着地体勢のウーィルは、今度こそ避けきれない。

 

 

 

 

 ひいいいいっ!

 

 殿下のすぐ目前に迫る地面。そして真っ赤な鞭。ルーカスは目をつむる。

 

 バシン!

 

 ……だが、衝撃はこなかった。二本目の鞭も、ウーィルとルーカスには当たらない。

 

 恐る恐る目をあけると、目の前にあるのはズタズタに避けた大木。

 

 ウーィルに避けられた一本目の鞭がなぎ倒した大木が、『運良く』絶妙のタイミング良く倒れ、殿下達の盾になったのだ。

 

 ウーィルと殿下のすぐ前、肩に白ネコを乗せた白髪の少女が、呆れ顔でつぶやく。

 

「……ウーィル。君は誇り高き公国騎士だろう? ボクのような善良でか弱くて眉目秀麗な普通の女子学生を盾として扱うのは、ちょっとどうかと思うよ」

 

 ウーィルは初めから、レンの後ろに着地することを狙ってジャンプしたのだ。ちなみに、操り人形とされた生徒二人と殿下の護衛も、気を失ったままレンの後ろに庇われている。

 

「ははは申し訳ない、レンさん。……さすがにあのクラスの化け物を相手にするとなると、ひとひとり抱えたままではちょっとつらい」

 

 えっ?

 

 ウーィルの腕にすがりついていたルーカス殿下が、あらためて自分の騎士の顔をのぞきこんだ。

 

「わ、わたし、……重かった?」

 

 顔を青くした殿下が、不安そうに問う。

 

「へっ? い、いえ、全然重くないですよ。そうじゃなくて、えーと、えーと、あの化け物を相手に、大切な人に傷ひとつ付けずに守り抜くのはちょっと苦労するという意味で……」

 

 殿下の表情が一瞬にして変わった。ぱーっと笑顔になる。

 

「た、大切な人? 私が??」

 

 こんどは顔を赤くして、両手で頬を多う。全身をくねくねしている。

 

 はぁ……。

 

 その横で、レンさんが大きなため息をついた。

 

「姉さん。いいかげんにしなよ。本当にウーィルに『面倒くさい奴』だと思われてもしらないよ。……こんな世界に男の子として生まれてしまってずっと気を張って生きてきてやっと心を許せる相手に出会ったのが嬉しいのはわかるけど」

 

「がーーん。……やっぱり、わたし、面倒くさい?」

 

「だーかーら、姉さん、そーゆーのが……」

 

 

 

 

「お、おまえらぁ! 転生者共!! どうして闘っている間くらい緊張感を保つことができんのだぁ!!!」

 

 激怒したヴァンパイア少女が叫ぶ。

 

「えーーと、レンさん。怒り狂ったあいつを退治するまで、殿下のことを頼みます。殿下……心配いりません。私は負けませんよ、あなたの騎士ですから」

 

 自分で言ってからちょっと自分で照れるウーィル。その横、ちょっと頬を赤くする殿下。それを見て笑うレンさん。そして、ますます怒りに肩をふるわせるヴァンパイアの少女。

 

 ばっ!

 

 ヴァンパイア少女の両腕から、黒い霧が噴き出した。

 

 ……ちがう。霧じゃない。あれは魔力? 黒いオーラ? それが腕から下に展開する。まるでコウモリの翼のように。

 

「へぇ、さすが本物の化け物。……先手をとられると少々やっかいそうだな。いくぞ!」

 

 殿下をレンさんに託したウーィルが、みたび跳ぶ。剣先をヴァンパイアに向け、一直線に迫る。

 

「バカめ! 私のこの翼を見ても空中戦を挑んでくるか?」

 

 ヴァンパイア少女が上に跳ぶ。コウモリのように羽ばたき、ウーィルの一撃を避ける。

 

 必殺の一撃を避けられたウーィル。地面を蹴る。方向を変える。あり得ない速度でヴァンパイを下から追いかける。そして、剣を振り上げる。空間の切断面、黒い刃が空を走る。

 

「あまい!」

 

 少女が翼を広げ、身を翻す。

 

「うそ! ウーィルの剣を避けた?」

 

 避けただけではない。ヴァンパイア少女は、空中で視界から消えた。残像だけを残し、まるで空間を転移したかのようにウーィルの正面に現れる。そして、恐ろしい力で抱きしめる。

 

「こう近づけば剣での攻撃は無理だな、守護者! このまま空高く持ち上げて、あの転生者の目の前に落としてやるよ」

 

 牙が覗いた唇の端がつり上がる。

 

「……やってみろ」

 

 しかし、……持ち上がらない? ヴァンパイアが力の限り必死に羽ばたき、さらに魔力を全開にしているにかかわらず、ウーィルを持ち上げることができない。

 

「な、なにぃ? なんだこの重さは! いったいどういうことだ!!」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と殿下(ちょっとお疲れ気味) その05

 

 ヴァンパイア少女が空中でウーィルを抱きしめる。そのまま上昇し、高空から落下させるために。

 

 しかし、……持ち上がらない。ヴァンパイアが力の限り必死に羽ばたき、さらに魔力を全開にしているにかかわらず、ウーィルを持ち上げることができない。

 

「な、なにぃ? なんだこの重さは! いったいどういうことだ!!」

 

「ウーィルは時空の法則を司る守護者だといったろ、ヴァンパイアちゃん! 彼女は自分の体重を増やすことなど朝飯前なのさ」

 

 地面にいる白髪の転生者のしたり顔がむかつく。

 

「くそ、化け物め。いったいどんなカラクリで……」

 

 息がかかるほどの距離、自分よりも小さな顔の少女に向けて毒づく。

 

「化け物なのは否定しないよ。……と言っても、自分でもカラクリはさっぱりわからないんだけどな」

 

 説明できないことを本気で申し訳ないという顔のウーィル。その裏表のない真摯な表情にヴァンパイアが一瞬あっけにとられてしまった隙、ウーィルも両腕で自らヴァンパイア少女に抱きつく。

 

「なにをする気……」

 

 ヴァンパイアが驚愕に目を見開いた。すがりついた小さな少女が、一瞬にしてさらに凄まじい重さになったのだ。

 

「お、おちる! はなせ!!」

 

 だが離れない。少女はますます重くなる。そして、天地がひっくり返った。

 

 いったいなにをどうやったのか。瞬きする間もなく、空中でもつれ合った少女ふたりが回転し、ウーィルがヴァンパイアの上の位置をとった。翼をもっているのにかかわらず、空中でヴァンパイアが完全に翻弄されている。

 

「そう、ウーィルは慣性や重力の方向を制御できる。エネルギー保存則すら無視して時空を支配するウーィルが、ヴァンパイアなんかに負けるはずがないんだ」

 

 この勝ち誇った声は殿下か。ついさっきまで情けない顔をしていた坊やのくせに!!

 

「そのまま押しつぶしちゃえ!!」

 

 殿下の声に応えたのか、ウーィルの体重がさらに増加する。山のような重さがかかる。ヴァンパイアのすべての魔力を動員するが、それでも支えることができない。

 

 は、はなせ!

 

「悪いね。オレの主の命令なんでね、このまま潰れてもらうよ」

 

 まるで流星のように、絡み合ったままの地面に落下する二人の少女。ヴァンパイアが首だけを振り向き下をみる。見開く目の前、凄まじい速度で地面が迫る。なんとしてでも逃げなければ、間違いなく潰される。死力を振り絞っての抵抗。しかし。

 

 だめだ、にげ、ら、れ、……ない。

 

 

 

 

 いったいどれだけ慣性質量が増加したのか。ウーィルの落下のエネルギーを火薬の量に換算すれば、とんでもない数字になっただろう。

 

 ルーカス殿下とレンのほんの数歩先に、道路の幅よりも大きなクレータの中ができている。二人が無事だったのは、もちろん『運が良かった』からだ。

 

「「こ、これは、まるで……」」

 

 前世で双子の姉妹だったふたりの感嘆が一瞬だけハモる。

 

「……コロニー落としみたいな」「……イズナ落としのような」

 

 しかし、内容はまったく異なっていた。

 

「姉さん、あいかわらず例えがオタクだねぇ……」

 

「みき、じゃなくてレン、あなたの例えが古すぎるのよ」

 

 そこに、ウーィルが穴から這い上がる。騎士の制服はちょっと埃にまみれているものの、本人はまったく無傷のようだ。殿下がとっさに駆け寄り、その小さな手をとる。

 

「ウーィル、……ありがとう」

 

「いやいや、殿下が無事でなによりです」

 

「……ヴァンパイアちゃんは?」

 

 ちょっとだけ顔をしかめながら、レンが問う。

 

 ぐちゃぐちゃに潰れてしまっただろうか。ちょっと可哀想な気も……。

 

「あーー、すまない。逃げられたらしい。確かに押しつぶしたはずだが、穴の底には肉片も血の一滴も灰すらも残っていなかった」

 

 なぜか少しホッとした表情の元姉妹。それをみてウーィルは一瞬だけ不思議そうな顔をした後、表情を緩める。

 

 

 

 

 

「と、ところで、ウーィルとレン。……二人はどうして一緒だったの?」

 

 殿下がおそるおそるそう切り出したのは、ウーィルによってレンとともに寄宿舎まで送り届けられる途中のことだ。現場では、駆けつけた騎士団などが検証を始めている。

 

「皇国大使館に行ってたんだ。ボクは皇国政府に少しだけ顔が利くからね。大使夫人にお願いして皇国料理を一緒に作っていたんだよ。……ちなみにたまたま帰り路でウーィルと出会って送ってもらうことになったのは偶然さ。なんといってもボクは運がいいからね」

 

 どこに隠していたの知らないが、レンさんが布にくるまれた大きな四角い箱を目の前に掲げた。

 

「お重? わざわざ風呂敷に包んで……」

 

 レンさんに促され、殿下が蓋を開けると、……それは、横から覗いたウーィルの目には、緑色の葉っぱにくるまれたピンク色のツブツブの塊にしかみえなかった。不思議な香りがするこれは、皇国産のお菓子の一種なのか?

 

 不思議そうな顔のウーィルに、レンが解説してくれた。

 

「ウーィル。ボクと殿下が前世で暮らしていた世界はね、この世界とはかなり違っていて、魔法は存在しないが文明は百年以上すすんでいた。でも、こちらの世界の皇国は、ボク達の姉妹の前世の祖国となぜか文化も歴史もかなり似ているんだ。ボクはたまたまそんな皇国で生まれたから食べ物や風習にあまり苦労しなかったけど、公国に生まれてしまった姉さんは……」

 

「さ、さくら餅?」

 

 お重の中身を見た殿下が素っ頓狂な声を発する。

 

「そう、さくら餅。大好物だったろ? ……これを作るの大変だったんだよ。砂糖はともかく、小豆や餅米やなによりもサクラの葉っぱをこの公国で入手するのにどれだけ苦労したことか。たまたま和菓子作りが趣味だった皇国大使夫人に協力して貰わなかったら、不可能だったろうね」

 

 た、たしかに甘い物は大好物だし、美味しそうだけど、……どうして今日? 門限まで破って。

 

「何をいってるんだい。明日は、君がこの世界でうまれた誕生日だろ? お母さんの腕にはかなわないけど、前世からの大好物をどうしても明日までに食べて欲しかったんだよ、殿下、……じゃなくて、さくら姉さん」

 

 そうだった。最近あまりの忙しさに、月末に公王宮で自分の誕生パーティがあることすらすっかり忘れていた。

 

 はらはらはらはら。

 

 殿下の瞳から、涙がこぼれ落ちる。あとからあとから止めどもなく。

 

「あ、あ、ありがとう。……本当にありがとう、みき」

 

「『転生者』とか、『この世界の存続の審判』とか、姉さんは突然与えられた自分の立場を気負いすぎなんだよ。……誕生日を機に、そろそろ来訪者気分はやめて、この世界の人間の一人として生きていく覚悟を決めようじゃないか」

 

 ……うん。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と同僚女性騎士達

 

 公都。中世時代からの伝統を誇る公国騎士団の駐屯地。

 

 魔導騎士ウーィルはシャワーを浴びている。訓練終了後、女性騎士用のシャワー室で汗を流しているのだ。

 

「うーん、この身体。素早いのはいいけど、やっぱり小さすぎるよなぁ」

 

 ウーィルはふと身体を洗う手を止め、しみじみと自分の腕を見る。

 

 それは、あまりにも細く短く柔らかく、そしてか弱い。我ながら、とても剣を振るう者の腕とは思えない。この姿になる前、魔導騎士ウィルソンのゴツくて固くて毛だらけ傷だらけの腕とは大違いだ。

 

 一応ことわっておくと、オレは決していまのこの身体がイヤというわけではない。そりゃ突然こんな姿になった直後はおおいに混乱したが、前の身体のまま死んでしまうよりは百倍ましだ。

 

 さらに、どうせ元に戻れないのだから嘆いても時間の無駄でしかない、というのもある。なにより、この身体の能力、時空の法則を司る守護者とやらの能力は、魔導騎士としておおむね満足のいくものだ。ドラゴンにもヴァンパイアにも負ける気がしない。

 

 しかし、それでも不満がないわけでもない。

 

「もう少し身体が大きかったら、あのヴァンパイアをとり逃がすことはなかっただろうになぁ」

 

 この身体、一撃で相手を切り伏せるには最強だ。しかし、対等の素早さをもつ相手に間合いに入られて肉弾戦になってしまうと、どうしても力が足りない。手足が短すぎる。……もっとも、元のウィルソンの身体だったら奴とまともに闘えた、とも思えないが。

 

 結局、あのヴァンパイアの正体はいまだに不明らしい。学園には公王家の守護を任務とする騎士達が多数貼り付いているそうだ。だが、騎士とはいえ彼らはあくまで普通の人間だ。ヴァンパイアに対抗できるとは思えない。

 

「殿下のことが気に掛かる。あの男(?)、ちょっと頼りないところがあるからなぁ。本能的に護ってあげたくなるというか。いっそオレが24時間身近に貼り付いてやりたいものだが……」

 

 とはいえ、学園にヴァンパイアが入り込んでいるという事実そのものが秘匿されている状況で、魔導騎士が出張っていくことは難しいだろう。オレ達、悪い意味で目立つからなぁ。

 

 ……いや、でも、しかし、だ。別に、魔導騎士が公王家の人間を護ってやりたいと思うのは、当然のことだ。オレが殿下の側にいてやるくらい許されるのではないか? レイラに頼んでみるか? 殿下の側に居たいと訴えたら、レイラはどんな顔をする? きっと……。

 

「……ち、ちがう。ちがうぞ。オレが心配なのは殿下のことだけではないぞ。あそこにはメルもいるんだ。親として心配なのは当然だろ?」

 

 実際にレイラ隊長が聴いているわけでもないのに、ウーィルは言い訳を始めてしまった。声に出して言い訳せずにいられなくなったのだ。そんな自分がおかしくて、おもわず苦笑してしまう。

 

 まぁ、学園にはレンさんがいる。あのヴァンパイアもほとぼりが冷めるまで、そうそう無茶はできないだろう。

 

 

 

 

 

「ウーィルちゃん先輩! どうしてそんな渋い顔しながらシャワー浴びてるっすか?」

 

 うわ、ビックリした。

 

 隣のシャワーブースから覗き込む顔。ナティップちゃんだ。シャワーのしずく、濡れた髪が貼り付いた顔が色っぽい。

 

「な、なんでもないよ。……オレ、何か言ってた?」

 

「えーと、ヴァンパイアがどうとか、……殿下が心配だとか、いつも側に居たいとか、二人でいちゃいちゃしたいとか」

 

 うそだぁ!

 

 ナティップちゃんがにやりと笑う。瞳がキラキラ輝いている。……これはうやむやに誤魔化すのはむずかしそうだなぁ。

 

「あー、何も聞かなかった事にしてくれると助かるかなぁ。あとでパンケーキ奢ってあげるから」

 

「わかったっす。……それはそれとして、いつも疑問に思ってることがあるっす。ウーィルちゃん先輩、そのほっそい腕でどうしてあんな長い剣を振り回せるんすか?」

 

 その疑問はオレももっともだと思うのだが、その答えは自分でもよくわからんのだよ。……っていうか、子供じゃないんだから、ひとのシャワーを覗くんじゃありません!

 

「腕だけじゃないっすよ。腰も足も胸もなにもかも、まるで小学生みたいじゃないっすか」

 

 なんだと! さすがにそれは失礼じゃないのか?

 

 って、こらこらこら! どうしてオレがシャワー浴びてるブースに無理矢理入ってこようとしてるんだ、この娘は。

 

「まぁまぁそう水くさいこと言わないで。おなじ魔導騎士小隊の女性騎士仲間じゃないっすか。洗いっこしましょう、っす」

 

 うわぁぁ、狭い。狭いぞ。裸のナティップちゃんと密着状態だ。抱きつくな。オレの身体をまさぐるな。身長が違うからプルンとした胸がちょうど目の前にある。触れる。あたる。なんて柔らかい。擦れるぅ。

 

「えへへ、ウーィルちゃん先輩、ホントお肌すべすべプニプニで幼女みたいっすねぇ。……やっぱり公王太子殿下ってロリコンっすか?」

 

 なななにお言っているんだ、おまえわ。

 

 ナティップちゃんがちょっと腰を落とし、正面からオレと目線を合わせる。興味津々の瞳で問いかける。

 

「参考のため私だけに教えて欲しいっす。ウーィルちゃん先輩とあの殿下、二人きりでどんなデートするんすか?」

 

 そ、それを聴いていったいなんの参考にするんだ、君は?

 

「それ、実は私も気になっていた!」「私も」「私もよ!」「私もききたい!」「おしえて!!」

 

 うわぁぁぁ! いつの間にか、同じくシャワーを浴びていたはずの女性騎士が沢山あつまっている。もちろんみな裸のままだ。

 

 公国騎士団。実戦部隊に女性騎士は多くはないが、音楽隊や公王宮守備隊、その他事務方を含めれば、駐屯地内ではたらく女性はそれなりの数になる。

 

 そんな若い娘達がオレを取り囲み、みな聞き耳をたてているのだ。全員全裸で。

 

「ききき君たちは、いったい何をやっているのかね。女子シャワー室の中とはいえ、若い女性が裸のままうろうろするんじゃありません」

 

 オレはおもわず目をそらす。彼女達の裸体を見ることができない。

 

 女性の身体を見るのが恥ずかしい、……などと、この年齢になって言うつもりはない。そうではなく、彼女達の親の気持ちになってしまうのだ。

 

 たとえば、だ。見た目は女性だが中身がおっさんである人間。要するにオレみたいなのが他にいたとして、そんな野郎がメルと一緒にシャワー浴びるなんてこと、親として許せるか? オレなら絶対に許せねぇもん。

 

「そんな堅苦しいこといわないで。みんな同じ女性騎士仲間じゃないすか! さぁ、素直に吐くまで逃がさないっすよ? 殿下とはどこまでやっちゃったすか?」

 

 ナティップちゃん(全裸)が、オレの幼女の身体(全裸)をがっしりホールド。その周囲を若い女性騎士達(全員全裸)が取り囲む。

 

 やめてー。だれかだすけてー。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と騎士団幹部の苦悩

 

 女性騎士達がシャワー室で全裸でキャッキャうふふと戯れているちょうど同じ頃、同じ駐屯地にある騎士団長室ではその主が苦悩していた。

 

 公国騎士団のもっとも重要な任務は、公都の治安と公王家を守護することである。時代の移り変わりに伴い正規軍としての役割は公国陸海軍に、一般の犯罪対応は公都警察にその任を譲った。とはいえ、公王家の守護についてはいまだに騎士団の役割だ。永遠に騎士団の任務であるべきだ。公国市民も公王陛下もそう考えている、……はずだ。

 

 だからこそ、公王宮守備隊には騎士団の中でも精鋭が集められ、要人警護のため日頃から厳しい訓練を積んでいる。

 

 ……にもかかわらず、事件は起きてしまった。よりにもよって、ルーカス公王太子殿下が襲撃されたのだ。

 

 相手は数百年生きてきた本物のヴァンパイア。殿下の警護ついていた騎士はまったく相手にならなかった。たまたま魔導騎士がその場を通りかかり対処できたのは、運が良かったにすぎない。

 

 もともと護衛の騎士が想定していたのは、不慮の事故やテロリストの手から殿下をお守りすることだった。さらに常日頃から陛下や殿下が大げさな護衛を嫌っていたこともある。

 

 しかし、そんなことは理由にならない。ドラゴン襲来のような天災とはわけが違う。明確に殿下を標的とした襲撃が行われ、あわや成功しかけたのだ。これはあきらかに騎士団の失態だ。

 

 そして、犯人の正体はいまだに不明。このままでは襲撃は再び行われるだろう、確実に。騎士団として、そんなことを許すわけにはいかないのだが。

 

「……場所が悪すぎる」

 

 殿下をお守りするだけならば、なんとかなるだろう。相手がヴァンパイアとわかっているのなら、化け物退治を専門とする魔導騎士を使えばよい。そのヴァンパイアが強大だというのなら、大人数でお守りするのだ。なんなら魔導騎士第一第二小隊すべてを動員してもよい。行儀良く躾けられている公王宮守護隊と異なり無作法な魔導騎士小隊の連中を殿下は嫌がるかもしれないが、そこは非常事態ということで納得して頂く。しかし……。

 

「名門ハイスクールですものねぇ」

 

 ため息とともにつぶやきが吐かれる。団長とはことなる声。オフィスには、団長以外の騎士団幹部も呼ばれていた。そのひとり、魔導騎士第一小隊小隊長、レイラ・ルイスだ。

 

 件のヴァンパイアは、ルーカス殿下と同じハイスクールの学生に紛れている。公国最古の伝統を誇る全寮制の名門校だ。代々の公王家だけではない。名家の子女や、全国から選抜された優秀な子供達が集まるエリート養成校として知られており、海外からの留学生も少なくない。政財界の要職は卒業生によって占められ、彼らはみな母校に誇りをもっている。ゆえに、伝統と格式が重んじられ、その教育方針には公国政府ですら簡単には手を出せない。

 

 いまのところ、殿下が襲撃された件について、世間には明らかにされてはいない。同級生の中にヴァンパイアが紛れているなどと生徒達に知らせるわけにはいかない。

 

 しかし、殿下の警護にしろヴァンパイアの捜査にしろ、派遣した騎士により生徒達にけどられぬよう行うのは限界がある。さらに、学校側から騎士団に対して猛烈な圧力もかけられている。さっさと事件を解決し、騎士は校内から出て行けと。

 

「いっそのこと、正式に講師として魔導騎士を校内に常駐させるのはどうでしょう? もともとカリキュラムには護身術や魔導の実習もあったはずですし」

 

 みずからも同校の卒業生であるルイスが、思いつきを口に出す。

 

「ふむ。……それでいこう。その程度ならば、学校側も受け入れるだろう。誰が適任だ?」

 

 名門校のお坊ちゃんお嬢ちゃん相手に講師役を果たせるというと、ブルーノか。彼もあそこの卒業生だし、彼の魔力なら単独でヴァンパイアと渡り合えるだろう。あるいはナティップ。護身術の講師として生徒達に人気が出そうだ。少々品がないのが気になるが。

 

 ……しかし、相手はひとりとは限らない。操り人形があと何人いるのかわからない。そもそも放課後に寄宿舎で殿下が狙われては、講師ではどうにもならない。

 

 やはり講師では限界がある。でも、生徒の中に入り込めるような騎士なんて……。

 

 はっ! 

 

 瞬間、レイラ隊長の頭の中にひとりの少女の顔がうかんだ。おもわず顔をあげると、ちょうど同じタイミングで顔をあげた団長と目があった。

 

「……いるじゃないか、適任が」

 

「し、しかし、彼女だって魔導騎士ですよ! 講師ならともかく、いくらなんでもハイスクールの生徒にまじるなんて無理がありすぎ……」

 

「彼女ならば、外見だけならハイスクールの生徒として十分通用すると思えるが」

 

「た、た、たしかに今のウーィルは外見だけではなく肉体的には高校生でもおかしくない年齢ですが、……って、問題はそこじゃなくて! 彼女はすでにお妃候補として国内外で有名人です。生徒達にだって顔も知られています」

 

「髪の色を変えるとかメガネをかければわからんだろ」

 

「あなたアホですか! そんなわけないでしょ! それに、そんな小細工でたとえ生徒達を騙せたとしても、ウーィルと直接対峙したヴァンパイアを騙せるとは思えません」

 

「かまわん。ヴァンパイア退治も重要だが、今回の件に限ればもっとも重視すべきは殿下の安全だ。ヴァンパイアがウーィルの存在を認識し警戒して殿下に手を出すのをあきらめるのなら、それはそれで良いのではないか?」

 

「それは、……たしかにそうでしょう。で、で、でも、魔導騎士が学生として潜り込むなんて、学園側が認めるとは思えません。なにより、殿下とウーィルの仲をご存じの陛下がそんなことをお許しになるとは……」

 

「やってみなければわからん。宮内省へは私から直々に話をつけてみよう。君も一緒に来てくれ」

 

 殿下の安全と騎士団の名誉を護るため、騎士団長が藁をも掴む思いであることは理解できる。しかし、まさか陛下がこんなアホな案をオッケーするはずがない。レイラはそう考えた。

 

 だが、彼女はその日のうちに頭を抱えることになる。

 

 レイラの予想に反し、はなしはびっくりするほどトントン拍子で進んでしまったのだ。政府の関係省庁も学園も、結局はルーカス殿下の身の安全のためならばと首を縦に振った。

 

 最終的には、「学園には私から直接話を通しておこう。おっと、ルーカス本人には秘密にしておいてくれよ。学校でウーィルと直接出会った息子がどんな顔をするか楽しみだな。わっはっは」という陛下直々のお言葉で決着がついてしまったのだ。

 

 

 

 

 私がウーィルに命じるの? 「あなたは明日からハイスクールの生徒になるのよ。メルと同級生になりなさい」って? 私が?

 

 レイラ隊長の悩みは尽きない。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とクラスメイト達 その01

 

 ルーカス殿下やメルが通うハイスクール。昼食時の学生食堂は、生徒達の喧噪につつまれていた。

 

 寄宿舎の生徒達は、マナーの研修も兼ねた朝食と夕食は全員で揃ってお行儀よく食べなければならない。しかし昼食はビュッフェ形式だ。

 

 ここは公国一の名門校であり生徒のほとんどはお上品なお坊ちゃんお嬢ちゃんであるが、みなやんちゃ盛りで食べ盛り、青春真っ盛りのお年頃である。おもいおもいのメニューをトレイ一杯に載せ、仲の良い友達とおしゃべりしながらの食事が盛り上がらないはずがない。そんなわけでいつものとおり、今日も食堂は大混雑だ。

 

 そんな喧噪の中、ルーカス殿下はトレイをもったまま、ひとり途方に暮れていた。

 

「困ったな。空いてる席が、……ない」

 

 もちろん、食堂の六人がけのテーブルすべてが埋まっているわけではない。ところどころ空席はあるのだが、テーブルの他の席を占めるのは決まって仲良しグループである。楽しそうにおしゃべりしながら食事中の友人同士のテーブルに、相席をお願いしてひとり強引に切り込んでいく度胸は、ルーカスにはない。

 

……相席なんて、迷惑だよなぁ。ハーフエルフだもんなぁ。

 

 

 

 

 

 ルーカス殿下は純粋な人類ではない。エルフの母親の血を継いだハーフエルフだ。

 

 自分に前世の記憶があることに気付いてしまったあの日、ルーカスは百年も文明が遅れた異世界に転生したことに混乱した。世界の存続の『審判者』とかいう理不尽極まりない使命を押しつけられたことに怒りを覚えた。そして、一国の王子様であることに戸惑い、なにより男の子の身体であることに困惑した。

 

 そんなわけで、幼い頃の彼は自分が純粋な人類ではないことを意識したことなど、ほとんどなかった。より正確にいえば、意識する余裕がなかった。他の悩みが大きすぎたのだ。『こんな訳のわからない世界に無理矢理転生させられちゃったんだから、綺麗なハーフエルフとして生まれるくらいは役得として当然だよね』と鏡を見るたび能天気に頬を緩めていたくらいだ。

 

 だが、そんなルーカスも、この世界で成長するにつれ徐々に周囲が見えてくる。いつも彼の側で護ってくれていた母が病死し、溺愛してくれた父が公務に忙殺される中、次期公王である彼に対する周囲の目が好意ばかりでないことに気付いてしまう。

 

 エルフの血を引く者が君主などありえない!

 

 口にするのは、古い因習を引きずった旧貴族だけではない。保守的なマスコミも、一部の市民も、民主的に選ばれた政治家でさえも。

 

 

 

 

 ……負けるものか。

 

 公国は近代的で民主的な立憲君主制国家ということになっている。もしルーカスが公王太子の地位を投げ出すと言い出せば、それは可能だろう。父は落胆するだろうが、多くの者は上辺だけは慰留しながらも、心の底で安堵するだろう。人間とエルフの種族をめぐる国内の対立も、それで一時的に解消するかもしれない。

 

 だが、ルーカスは、自分の心が弱いことを知っている。だからわかる。この世界での両親の期待を裏切ってしまったら、その後の人生においてずっと大きな負い目になる。自分は立ち直れない。きっと、この世界の存続などどうでもよくなってしまう。その結果として、世界はなくなるのだ。

 

 だから、ルーカスは前世の知識を武器としてつかった。父を通して国の政策にむりやり介入し、彼が公王の地位を継ぐことに反対する者達を実力で黙らせてきた。父や母に恥をかかせないため、彼は24時間つねに気を張りつめてきた。

 

 ハイスクールでも同じだ。ハーフエルフである自分に対して、周囲の生徒達がよそよそしくても仕方がない。無理に仲良くなる必要などない。実力で黙らせてやればいいのだ。

 

 

 

 

 だが、ルーカスはひとつ重大なことを忘れていた。彼は前世の頃からとにかく真面目で、思い込みが激しくて、他人との付き合いが下手くそな人間だった。

 

 だから、気付かない。

 

 今も、きょろきょろするルーカスの視線が向くたびに、『隣に座らないか』と声をかけようとタイミングをはかっている生徒がいることを。それも、ひとりふたりではないことを。それぞれがお互いに激しく牽制しあい、不思議な緊張感につつまれていることを。

 

 もちろん、あわよくば公王太子に取り入ろうと下心満載の生徒がいないわけではない。しかしその大部分は純粋にクラスメイトと仲良くしたい者だ。まだ未成年であるにもかかわらず公国政府の多くの政策にかかわり、その名は同盟国や敵国にすら広く知られ、物理学者としても既に世界的な名声を得ており、当然のように学園でも成績はぶっちぎりでトップ(体育は赤点だが)。そんな優秀で真面目な孤高の美少年とお近づきになりたいだけなのだ。

 

 公国の若者世代では、エルフに対する偏見と差別は少しづつ、しかし確実に減少している。それは他ならぬルーカス殿下自身の功績といって間違いない。

 

 ようするに、……すべてはルーカスの独り相撲。少なくともハイスクールに限れば、彼はそれほど気を張り詰める必要など本来ないはずなのだ。だが、彼がそのことに気付くのは、もう少し時間がかかりそうだ。

 

 

 

 

「おーーーーい、ルーカス!」

 

 食堂全体に響き渡る声。そこにいた生徒全員が振り返る。この国の次期君主を、名前で呼び捨て?

 

「ここ空いてるぞ。早く来い!!」

 

 ルーカスもそちらをみる。食堂の緊張感が一気に高まる。

 

「い、いま行くよ、ガブ」

 

 生徒達が自然と道をあける中、ルーカス殿下は声の方向に向かった。

 

 殿下がガブと呼ぶ少年の名は、ガブリエル・オーケイ。寄宿舎でルーカスと同室の生徒である。

 

 声の主がガブリエルだとわかった瞬間、食堂内の緊張感が目に見えて霧散した。生徒達はみな納得してしまったのだ。「新大陸出身のあいつなら、無作法で空気が読めないのも仕方がない」と。

 

 

 

 

 

 ルーカスはガブリエルと向かい合う席に座る。六人がけのテーブルに座るのはこのふたりだけだ。

 

「おい、ルーカス!」

 

 ちまちまとまるで女の子のようにサラダを食べるルーカス殿下に対し、向かいの席に座るガブリエルが声をかける。その大声に、食堂に居た全員がふたたび視線を向ける。

 

「ど、どうしたんだい、ガブ。珍しく真面目な顔をして」

 

「いつもの俺が真面目じゃないかのような言い方はよしてくれ。……それはともかく、いまさらだけど、おまえ、それしか食わないのか?」

 

 ガブが殿下のトレイを指さす。そこに並ぶのはほんの少しのパンとサラダとスープ。

 

「ちゃんと食べてるよ」

 

「ばかやろう! そんなものは食べてるうちにはいらん。もっと肉を食え! 肉が嫌いと言うのなら、パンでもサラダでももっと量を食え!」

 

 そう言うガブのトレイの上にあるのは、山盛りのサラダ。そして肉、肉、肉の山。おそらく三人分くらい。

 

「わ、私と君では必要なカロリーが違うだろ!」 

 

 確かにガブと殿下では、同じ一年生だとは思えないほど見た目が違う。日に焼けた顔、がっしりとした体格、鍛えられた筋肉。決して太ってはいないのに、おそらくガブの体重は殿下の二倍はあるだろう。

 

「……もしかして食欲無いのか? おまえ、最近ちょっと疲れてるんじゃないか?」

 

「そ、そうかい? そんなこと、……ないと、おもうけど」

 

「昨日も寮に帰ってきたのは消灯後だっただろ」

 

「あ、ごめん。静かに帰ってきたつもりだったけど、起こしちゃった?」

 

「そうじゃなくて。俺はお前を心配してるんだ。実家の手伝いで忙しいのもわかるが、あまり無理するなと言ってるんだよ!」

 

 三度、食堂全体に響くガブの大声。

 

 一瞬の間。そしてルーカスが目を丸くする。

 

 公王太子としての公務を『実家の手伝い』と言い放つこの感覚は、新大陸出身ゆえのものだろうか。……いや、そんなことはどうでもいい。このいつも陽気でがさつで楽天的な少年が、この私の身体の心配をしてくれるなんて……。

 

「……なんだよ。俺がおまえを心配するのがそんなに変か? そりゃおまえにとっては同級生なんてみんな幼稚なガキに見えるんだろうが、それでも俺はおまえの親友のつもりだぞ?」

 

 また一瞬の間。そして、破顔。

 

「うん。うん。うん。そうだね。君は私を心配してくれたんだね。ありがとう、ガブリエル」

 

 いままで、善人ではあるけれど単なる年相応な単純でおバカな男の子だと思っていてごめんなさい!

 

 殿下と同室の新大陸から来た留学生。そして学園においてルーカスが気を許せる唯一無二、親友と言ってもよい存在。それが、ガブリエル・オーケイという少年なのだ。

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とクラスメイト達 その02

 

 ランチタイムの学生食堂。

 

 ルーカス殿下は、寄宿舎同室のガブリエル・オーケイと昼食を共にしていた。

 

「……そういえば、帰りの遅いお前は知らないだろうが、無人だったはずの俺達の部屋のとなり、昨日から業者いれて大掃除とかやり始めたみたいだぞ」

 

 え?

 

 ルーカスはガブの言葉に意表を突かれ、スプーンの手が停まる。寄宿舎の彼らの部屋の隣は、入学以来ずっと無人だった。学園創立以来の開かずの間だと噂する者もいる。むかし非業の死を迎えた生徒の怨霊がでるとか。

 

「ひょっとして、誰か転入してくるんじゃないか? お前なにかきいていないか?」

 

 ルーカスは何もきいていない。そもそもこの時期に転入生? まさか。

 

「ただの掃除でしょ? 長いこと部屋を無人にしておくと、カビが生えちゃうし」

 

「そうなのかなぁ。最近、学園の中でごっつい警備の人間、……公国騎士だっけ? とにかく、部外者をよく見かけるし、なんか学園中が騒然としている気がするんだが、関係あるんじゃないか」

 

「そ、そうかい? 気のせいじゃないかな」

 

 口ではそう答えながらも、ルーカスはガブリエルの意外な洞察力にちょっとだけ感心した。

 

 へぇ。普段の言動はがさつそうなのに、そんなことにまで気づいちゃうんだ。

 

 そして、心の中で手を合わせて謝罪する。

 

 ごめん。その騎士達は、たぶん正体不明のヴァンパイアから私を護るために学園に詰めているんだ。

 

 

 

 

 

「……で、ルーカスよ」

 

 突然、ガブリエルが声をひそめる。顔を近づける。妙に真面目な表情が実に彼らしくない。イヤな予感しかしない。

 

「な、な、なに?」

 

「騎士といえば、……おまえ噂のお妃候補の美少女騎士とは、本当に婚約するのか?」

 

 なっ!!

 

 ルーカスは、おもわずスプーンを取り落とす。その金属音に、周囲のテーブルの生徒達が顔を向ける。

 

「き、き、き、きみには、関係ない。ていうか、こんなところでする話じゃないだろ」

 

「でもおまえ、ここんとこ毎日帰り遅くて部屋で話もできないじゃないか。ん? もしかして、帰り遅いのはデートに忙しいのか? その彼女とはどこまでやっちゃったんだ?」

 

 な、な、なななななにをバカな事を!

 

 うわ! 周りの席の生徒達が、露骨に聞き耳を立てている! マスコミにへんな噂がたったらどうするの? またウーィルに迷惑をかけちゃうじゃないか!

 

 だが、ガブの妄想はとまらない。彼はルーカスとは逆の意味で周囲の空気を読めない。いや、読まない。そもそも空気なんて気にしない男だった。

 

「お相手はひとつ年上だそうだな。公国騎士って、俺達学生とは違うおとなの女性だろ? いろいろリードしてもらえたりするんだろ? いいなぁ」

 

 ウーィルはそんな女性じゃないってば!

 

「はっ。……もしかしてもしかして、おまえ、最近過労気味なのは、まさか騎士のお姉様とあんな事やこんな事をやりすぎて? ……なんて、なんてうらやましい!」

 

 大声でとんでもないこと叫ばないで! やめてぇ!

 

 こいつ、やっぱりばかだ。本当にバカだ。……いや、どの世界でもこの年頃の男の子って、そーゆーことしか頭にないのかもしれないが。

 

 ……自分もその年頃の男の子であることを思いだし、殿下はため息をつく。

 

 

 

 

 そんな少年達の昼食に、横から割り込む者がいた。

 

「……失礼。楽しそうな会話を中断させて申し訳ないが、ここ座ってもいいかな? 他に空いている席がないのでね」

 

 ルーカスとガブリエルが顔をあげると、目の前にトレイをもった少女。見知った顔だ。

 

 東洋風の容姿。腰まである白髪を後ろで無造作に束ねた少女。皇国からの留学生、レン・フジタ。

 

「ど、ど、どうぞ、ミス・フジタ」

 

 いかにもバツの悪そうな表情のルーカス殿下。それでもなんとか笑顔をたもったまま対応する。その様子を興味深げな表情で眺めるガブリエル。

 

 

 

 

 へぇ、ルーカスのあんな表情はじめてみるな。そして、自分の連れでもないのに、わざわざ椅子まで引いてやるんだなぁ。

 

 基本的に俺以外の人間との会話は苦手なくせに、女の子への対応はそつなくこなすんだよな、ルーカスは。さすが最近まで貴族制度が残っていた国の王子様。こういうところは俺も見習いたいものだ。

 

「私もよろしくて? ……って、レディが隣に座ろうとしてるのに、椅子を引いてくれないの?」

 

 えっ?

 

 いきなり声をかけられ、驚くガブ。いつのまにか、彼の隣にも一人の少女がいた。

 

「あ、ああ。気がきかなくてすまない」

 

 ガブがあわてて椅子を引く。すました顔をして座るその少女の顔をみて、彼の呼吸が止まる。

 

 ……メル・オレオ。

 

 肩で切りそろえたさらさらの金髪。整った鼻筋。笑顔。……男であるルーカスと比べるのは失礼かもしれないが、ハーフエルフにも負けないくらい綺麗な女の子。

 

 もちろん顔だけじゃない。彼女は、貴族だかなんだかしらないがお上品で気どった坊っちゃん嬢ちゃんばかりのこの学園の中、いつも明るくて誰が相手でも人懐こくてやさしくて裏表がなくて飛び抜けて笑顔がかわいい女の子。

 

 自分の視線がいつのまにか彼女を追っていることをガブリエルが自覚したのは、つい最近のことだ。それ以来、ふとした瞬間の彼女の表情、細かやかな仕草、決して見飽きることはない。

 

 そのうえ彼女は、つい先ほどまで話題にしてた、ルーカス殿下のお妃候補の妹であるらしい。

 

 ……ルーカスが親しくお付き合いしているという女性騎士は、このメルと似ているのだろうか? ルーカスは、ふたりでどんなデートをしているのだろうか?

 

 思春期真っ盛り、妄想力過多のガブリエルは、そこで思考が停止してしまう。妄想が爆発してしまう。食べかけの肉の山を忘れて、ただメルに見とれるだけだ。

 

「どうしたの、ガブ君? 私の顔になにかついてる?」

 

 不思議そうな顔のメルが尋ねる。

 

 ガブ君? メル・オレオが俺の名前を覚えていてくれたなんて……。

 

「い、いや、なんでもない。なんでもないぞ」

 

「ふーーん。それより、さっき殿下と楽しそうに何をはなしていたの? 私にも教えて!!」

 

 言えるわけないだろ!!!

 

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とクラスメイト達 その03

 

 

「どうしたんだい、殿下。ニヤニヤして」

 

 ガブリエルとメルの様子を横目で眺めながら、レンは隣の席のルーカスにだけ聞こえるよう、囁くような小声で問う。

 

「あ、いや、ガブリエルがね。いつもは何事も大雑把で豪快な男の子なんだけど、メル・オレオ嬢が隣に座った途端、急にうつむいて静かになっちゃったなぁ、って思ってさ」

 

「へええええええ! それは興味深い。でも、ボクもクラスメイトの恋は応援してあげたいけど、メルのお相手は彼ではちょっと難しいかもね」

 

 レンが、滅多に見せない年頃の少女っぽい表情になる。そんなレンに殿下もつられてしまう。

 

「ええ? なになに、それ、どういうこと? メルにはもう誰か決まった人がいるの? 私にもおしえて!」

 

「こらこら『殿下』。前世の口調に戻ってるよ」

 

 はっ。

 

 あわてて周囲を見渡す。正面のメルとガブも含め、ふたりの会話に注目している者はいない、と思う。

 

「……コホン。レンと話しているとどうしても昔を思い出しちゃって」

 

「はははは、ボクも同じさ。お互い気をつけよう。それはそうと、……昨晩もおそかったのかい? 本当に顔色よくないよ。ボクもちょっと心配だな」

 

 レンまでもが、いつにもまして真剣な表情をする。最近あまり眠れなくて、……とは口にしない。前世の妹に心配をかけたくない。

 

「ええと、国立電信電話研究所や電機部品メーカーとの打ち合わせがちょっと長引いちゃって……」

 

「ふむ。またまた殿下はなにか画期的な『発明』をしてしまうのかい?」

 

「えええええと、その、トランジスタを……。とはいっても、私も専門外だから、原理だけは知っていたけど、実際の量産方法についてはこの世界の技術者達の力を借りなきゃどうしようもなくて……」

 

「なるほどね。たしかあちらの世界でトランジスタが開発されたのは、第二次世界大戦終結直後くらいだったかな? ……しかし公国のような小さな国だけでは半導体産業を発展させるのは難しいだろう。開戦に間に合わせるためにも、ぜひ同盟国である東洋の列強、わが皇国も一枚からませてくれたまえ。ボクと君、皇国と公国は一蓮托生じゃないか」

 

 転生してもかわらないなぁ、レン。前世で姉である私に何かおねだりした時の表情と同じだ。

 

「ははは。初めからそのつもりだったよ、皇国の巫女様。その代わりと言っちゃなんだけど……」

 

「わかってるさ。つい先日世界に先駆け我が皇国で『巫女の予言』通りにカビから発見された抗生物質の精製と商品化に関しては、両国での共同研究ということにしよう」

 

「助かるよ。こちらこそなんとしてでも開戦に間に合わせなくちゃならないし」

 

……でも、これって、この世界の未来を決定しかねない重大な問題のひとつだと思うけど、こんなノリで簡単に決めちゃっていいのかなぁ。

 

「ふふふふ。ボクは生真面目な殿下がいま何を心配しているのか、手に取るようにわかるよ。でも、ボクらが異世界知識を使うのは、なにもこれが初めてじゃない。他の転生者達だって同じ事をやっているんだし、気にするだけ無駄さ」

 

 そ、そうかな。そうかもしれないね。そもそもアレの開発に比べれば……。

 

「それよりも、殿下。今日が何の日か覚えている、……よね?」

 

 え? えーーーと、なんだっけ。この身体の誕生日はもう過ぎたし、公王宮での誕生パーティは月末だし。

 

 ルーカスは、きょとんとした顔でレンを見る。

 

「やっぱり忘れていたか。我々にとって極めて重要な日、……皆既月食だよ。公国の標準時で今晩22時過ぎだ。守護者になってもらってから、ウーィルははじめてだろ、月食。もう話をしたのかい?」

 

 え? ……あっ? あああああ? そうだった。ま、まずい。すっかり忘れていた。

 

「ど、どうしよう。ウーィルに伝えなきゃ。いますぐ騎士団に電話すれば、……いや、今は仕事中か。電報の方がいいかな」

 

「ふふふ。その様子じゃあ、まだ知らないようだね、殿下」

 

 え? なにを?

 

「ウーィルに急いで電話する必要などない、ということさ」

 

 だから、それはどういう意味?

 

 いつものことだが、この前世の元妹は必要以上に遠回しのくどい言い回しをする。たまにイライラさせられるほどに。

 

 

 

 

 

「ちょっとちょっとレンと殿下。今度はあなた達ふたり? なに親しげに内緒話をしているの? 私にもおしえて!」

 

 ほら。さっさと重要なことを言わないから、向かいの席のメルが会話に割り込んできたじゃないか。

 

「ふふふふ。知っているかい、メル。今日の午後、転入生が来るらしいよ?」

 

 え?

 

 メルが驚く。もちろんガブも、そしてルーカスも驚いている。

 

「ええ? こんな中途半端な時期に? っていうか、なぜレンは知ってるの?」

 

「それはね。転入生が私と同じ皇国の出身、.......という設定になっているからさ。辻褄を合わせるために騎士団にいろいろと協力した皇国大使館から情報をもらったんだ」

 

 は?

 

 レン以外の三人が同時に首をひねる。その様子を見て、レンが笑う。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とクラスメイト達 その04

 

 夕方。授業の終わりのホームルーム。

 

 ルーカスとガブリエル、そしてレンとメルのクラスには、合計三十人ほどの生徒がいる。

 

 担任の女性教師からいつものとおりの連絡事項。そして、唐突に告げられた転入生の存在。

 

「こんな時期に異例ではありますが、みなさんに転入生を紹介します」

 

 一気にざわつくクラスメイト達。この学園にこんな時期に突然転入してくるなんて、いったいどんな事情があるというのか。

 

「授業は明日からですが、寄宿舎には今日からみなさんと一緒ということになります。お入りなさい」

 

 

 

 

 教室のドアを開き、ひとりの生徒が入ってくる。

 

 ……小さいな。この子がレンの言ってた転入生か。皇国からの留学生といってたけど。

 

 興味津々で身を乗り出す生徒達。全員テンションがあがりまくりだ。普段は野次馬的な感情を露わにしないルーカスも、この時ばかりは他の生徒と大差ない。

 

 転入生は、ゆっくりと教室正面に向かう。

 

 初見、女の子かと思った。とにかく小さくて華奢な体つきだが、制服は確かに男の子だ。……男の子、だよね?

 

 顔は伏せられてわからない。ショートカットの銀色っぽい髪は、染めたようにみえるけど。……え?

 

 ルーカスは目をこらす。どこかで見たことがあるような気がするのだ。

 

「彼は、国籍は皇国ですがお母様が王国人という複雑な事情があって、みなさんとはいろいろと常識が異なるところもあるかと思いますが、……と、と、とにかく、留学生ですから、学園生活になれるまではいろいろ気を使ってあげてください。……自己紹介、できますね」

 

 なぜかヒクヒクと頬を引きつらせている先生の横、少年(?)が、ゆっくりと顔をあげる

 

 えっ? えっ? えっ?

 

 体つきだけではなく、顔も小さい。すっきりとした目鼻立ち。とても東洋風には見えない。取って付けたような大きなメガネ。その奥、透明な瞳……。

 

「ウイリアム・俺王だ。ウイルとよんでくれ」

 

 鈴の音のような声。それにまったくそぐわないそっけない口調。憮然とした表情。

 

 

 

 

 ぶーーーー。

 

 それはルーカスとメル。転入生の顔をみた瞬間、ふたりの生徒が同時に噴き出した。

 

「ウーィル?」「お、おねえちゃん?」

 

 そしてもうひとり。ルーカスとメルの反応を見届けてから、お腹を抱えて笑い転げる少女。もちろん、レンだ。

 

「えっ、えっ、おねぇちゃん、その髪は? 制服は? メガネ? いったいなんのつもり?」

 

「ええええええ? ウーィル? どどどどういうこと? レレレレレンは、知っていたの?」

 

「はははは、本人に聞けばいいさ」

 

「そこの三人! 静かにしなさい。余計な事は言わないで、おねがいだから黙って!」

 

 先生が声を荒げる。他の生徒達があ然としている。

 

 

 

 

 

「で、では、オレオウ君の明日からの席はそこで」

 

 顔全体を引きつらせたまま先生が指をさす。それは、ルーカス殿下の隣の席だ。

 

 な、なるほど。昨日の不自然な席替えで私の隣がむりやり空席になったのは、このためだったのか。学園側も、よほどあわてて準備したとみえる。ということは、……公国政府や、もしかしたらお父様も承知の小細工なんだろうなぁ。

 

 転入生のオレオウ君は、無言のまま席に着いた。

 

「よ、よろしく。ウーィル。すぐ夕食だ。寄宿舎に案内するよ。……私を護るために来てくれたんだよね」

 

「……ウーィルってだれだ? オレは、皇国からの留学生、ウイルだ。メガネだし、髪だって銀色だろ」

 

 あいかわらず憮然としたまま殿下の顔を見ようともしない少女騎士、じゃなくて少年。だが、その横顔からルーカスは目を離すことができない。口元に笑みがこぼれるのをとめられない。

 

「ふふふ、そういう事にしておこう。……でも、いくらなんでも男の子というのは、小細工が過ぎるんじゃない?」

 

「オレもよくわからんが、騎士団や学園、最後には宮内省や陛下までまきこんで必死に考えた設定らしいぞ。オレの正体をできるだけ秘密にしたいのと、24時間殿下の側につけるために、だそうだ」

 

 やっぱり! 絶対おもしろがってるだろ、お父様。だけど……。

 

「そうか。24時間そばに居てくれるんだ……」

 

 うれしいな……。

 

 声に出すつもりのなかった言葉が、自然に声になる。そして、すこしだけ耳があつくなる。わずかに頬が赤くなる。

 

「……ああ。これからはヴァンパイアの心配なく、枕を高くして安心して寝られるようにしてやるぞ、殿下」

 

 あいかわらず正面を向いたままのウーィル。しかし、その憮然とした顔の頬も、少し赤くなっている。

 

「うん。よろしく」

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)とクラスメイト達 その05

 

 寄宿舎の食堂。三列の長いテーブルに着席した寮生達が視線を向ける先、寮長の三年生が転入生を紹介している。

 

「えー、食事の前に新しい仲間を紹介しよう。一年生のウイリアム・オレオウ君だ」

 

 生徒達がざわめく。紹介された転入生の少年は、まるで小学生のように小さかった。

 

 ちょっと不自然な銀色の髪。大きなメガネ。そして、背中に背負う不審な棒状の物体。

 

「ウイルと呼んでくれ。よろしく」

 

 無愛想かつ慇懃無礼。お子様のような体躯、少女のような声に似合わぬ不遜な態度に、特に上級生達から遠慮無く厳しい視線が投げかけられる。

 

「質問、しつもーーん」

 

 一番に手を上げたのは、お調子者で有名な二年生の少年だ。

 

「東洋の辺境から公国へようこそミスター・ウイル! ところで背中に背負った長い棒はなんですかぁ? まさかサムライの腹切り用ブレードじゃないですよねぇ」

 

 公国にとって、同じ島国であり立憲君主国である皇国は、貴重な同盟国だ。はるかかなた地球の裏側にある国ではあるが、その文化や歴史はそれなりに公国の人々にも知られている。とはいっても、その知識の一部が歪んだオリエンタリズムにより少々斜め上に偏向しているのは否定できないが。

 

「これはステッキだ。オレは王国人の血も入っているからな。……田舎者が知らないのも無理はないが、連合王国ではステッキは紳士の嗜みだ。男なら全員が常に持ち歩くものだ」

 

 ウソだぁ。……その場にいる全員が心の中で突っ込んだ。

 

 連合王国も公国の同盟国だ。今や大陸の覇権への野望を隠さなくなった強大な帝国に対抗するため、海洋国家による三国同盟の関係はますます強固になりつつある。距離的に近いこともあり、公国と王国、両国国民の交流は非常に盛んだ。もちろんお互いの文化はよく知られている。王国の学生が校内でステッキなど背負ってるはずがないということも。

 

 だが、お調子者はその突っ込みを声にはできない。他のほとんどの生徒達も同じだ。転入生の小さな身体から発せられる異様な迫力、どす黒く禍々しいオーラに圧倒されてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 食堂でしかめ面のまま黙って食事をとったウイルは、『誰もオレに話しかけるな』オーラを全開のままひとり自室に帰ろうとした。上級生も含め、ほぼすべての生徒がそのオーラを恐れおののき近寄らない中、無理やり捕まえたひとりの女生徒。

 

 メル・オレオ。彼女がウイルを強引に引き留め、談話室に連れ込んだのだ。当然のごとく隣にはレンもいる。ニヤニヤしながら姉妹(?)の会話を眺めている。

 

「ちょっとおねぇちゃん。どういうことなのよ!」

 

「おねぇちゃん、って誰だ? オレはウイル・オレオウだ」

 

「それはもういいから」

 

「……ちなみに、騎士団から依頼されて皇国大使館がでっち上げた戸籍では、『オレオウ』は『俺王』と表記されているんだよ」

 

 レンが得意気に裏話を暴露する。

 

「ほぅ。それはオレも知らなかった。皇国語は難しいからな。で、皇国の言葉で『俺王』ってどういう意味なんだ?」

 

「アイアムキングという意味さ」

 

「おねぇちゃんにピッタリじゃん。ところで背中のそれ、まさか本当に剣じゃないでしょうね? そんなの背負ったまま学園生活をおくるつもりなの?」

 

「ねぇウーィル。それ、杖の中に剣が仕込まれている、仕込み杖ってやつだろ?」

 

「オレは騎士だからな。しかもこれは任務だ。どんな形であれ帯剣するのは当たり前だろう」

 

「はぁ。お堅い学園がよくそんなもの許したわね。……じゃなくて。仕込み杖も、学生になりすますのも、任務なら仕方ないけど。だけど男の子のふりをするってどういうことなのよ。おねぇちゃん、一応女の子なのよ。男子寮の中に女の子がひとりなんて危ないでしょ!」

 

「オレに言われてもしらん。しかし男子寮といってもガキばかりだ。心配ないだろ」

 

「ガキって、いまのウーィルも16歳じゃないのかい。……とはいえ、確かにこの学校の男の子達がウーィルをどうにかできるとは思えないけどね」

 

「でも、でも、殿下の隣の部屋なんでしょ? あんなんでも一応男の子だし、同じ部屋にガブ君もいるし、他の部屋も男の子ばかりなんだよ」

 

「これこれメル。『あんなんでも一応男の子』なんて言い方はやめてあげなさい。あんなんでも一応この国の殿下なんだからね。彼は君のお義兄さんになるかもしれないんだよ」

 

「そ、そ、そ、そうだったわ。おねぇちゃん公王太子妃殿下になるんだから、なおさら気をつけなきゃ。男子寮で何かあったら大声上げるのよ! もし襲われたら斬っちゃっていいわ!!」

 

「おおおまえら、いったいなにを!」

 

 

 

 

 

 おなじく談話室。珍しく放課後に公務の予定がないルーカス殿下も、ガブリエルとくつろいでいた。決して盗み聞きするつもりはないのだが、転入生と女子生徒のひそひそ話がいやでも耳に入ってくる。

 

 いま、『あんなんでも一応殿下』と言ってる女生徒の声が聞こえたような気がしたけど、……きっと気のせいだよね。気のせいということにしておこう。

 

「おいルーカス!」

 

 口をとがらせたガブリエルが声をかけてきた。どうせろくなことじゃないんだろうなぁ。

 

「あの転入生、ちょっと生意気じゃないか? 入ってきたばかりのくせに、いきなり女の子達と仲良くやりやがって」

 

 やっぱり、ろくでもなかった。

 

「そんなにメルやレン達と仲良くしたいのなら、君の方から声をかければいいじゃないか」

 

「メル? レン? ルーカスおまえいつのまに女の子達をファーストネームで呼び捨てにするような仲になってるの?」

 

 しまった。

 

「あああ、そうかそうか。メル・オレオ嬢はおまえの義理の妹になるかもしれないんだもんなぁ。いいなぁ、殿下。おまえといい、転入生といい、自分達だけ女の子と仲良くして、うらやましいなぁ」

 

 この時代。ルーカスの前世の世界の歴史とくらべれば、文化のレベルはだいたい百年前に相当する。公国は他の列強と比較してかなり開放的なお国柄ではあるが、それでも学生の男女が大っぴらにお付き合いするのは世間体的になかなか難しい。特に、ここはお堅い名門校。新大陸から来た陽気なガブリエルでも、女の子に気楽に声をかけることなどできない相談だ。

 

「わ、わかったよ、ガブ。月末の公王宮での私の誕生パーティー、君も招待するから。それを口実にだれか女子生徒をエスコートすれば?」

 

「ほんとか? 剣と魔法の国の王宮でのパーティかぁ。食い物も美味いんだろうなぁ。……じゃなくて、誰を誘おうかなぁ?」

 

 ガブリエルは新大陸の資源豊かな新興列強国『南部諸州連合』の出身だ。彼の実家は、綿花や石油を扱う世界的な大貿易商の御曹司。たしか南北大陸の間の大運河の開発にもかかわってるはず。公国としても重要な取引先だから、もともと招待するつもりだったんだけどね。

 

「な、なぁルーカス。ミス・メル・オレオを誘ったら、いっしょに来てくれるかなぁ?」

 

 いまだに転入生(男子)との会話に盛り上がっているメルを横目に見ながら、ガブが問う。すがるような目がちょっと可愛い。

 

 もちろんもともとウーィルの妹であるメルにも招待状は送る予定だったんだけど。……でも、きっと、メルはパートナーとして別の人を選ぶんじゃないかなぁ。……とは口にだせなかった。

 

 

 

 

 そんなことよりも。

 

 ルーカスにとっては目の前にもっともっと重要な問題があった。

 

 月蝕。今晩の22時か。なんとかしてウーィルと二人きりにならなきゃ。……どうやって同室のガブリエルをごまかそう。

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と転生者 その01

 

 

 寄宿舎の自室。ふと時計を見ればもうすぐ22時だ。

 

「そういえば今日は月食があると新聞に書いてあったな。ここからも見えるかな?」

 

 ガブリエルが窓を開け放つ。明るい満月の光が部屋の中に射し込む。

 

 しまった。ガブをごまかす口実が思いつかないまま、こんな時間になってしまった。

 

 ルーカスは頭を抱える。

 

 うーーん、どうしよう? ……ええい、ここは無理にごまかさず、正面突破でいこう。

 

 

 

 

「ガブ。さっき誕生日パーティの招待状を送るといったよね。……そのかわりといってはなんだけど、ちょっと頼みがあるんだ」

 

「なんだ、ルーカス。親友の頼みならなんでもきいてやるぞ」

 

「ありがとう、ガブ。私、転入生のウイル君とお話をしたいんだ。隣の部屋にいくので、もし消灯に間に合わなかったらうまくごまかしておいて欲しいのだけど」

 

「は? かまわないが、……転入生との話なら俺も興味あるな。俺もいっしょに隣の部屋行ってもいいか?」

 

「い、いや、とても重要で個人的なことだから、二人きりにして欲しい。……お願いだ、ガブ」

 

 どこの国の風習なのか知らないが、顔の前で両手を合わせて哀願するルーカス。上目遣いに見上げるハーフエルフの瞳。……こんな顔をされて、断れる人間は世界でもあまりいないだろう。

 

「わ、わかったよ、親友。存分に話し合ってこい」

 

 

 

 

 いまどき決められた消灯時刻を律儀に守る生徒などほぼいないとはいえ、さすがにこの時間に部屋の外をうろうろする者はいない(門限破り常習犯である一部女子留学生は除く)。

 

 誰もいない廊下、ルーカスは隣の部屋のドアをノックした。

 

「誰だ?」

 

「開けてくださいウーィル。ルーカスです」

 

「……どうしました、殿下?」

 

 躊躇無くドアが開く。そこにいるのはルーカスよりも小さな影。怪訝な顔。そして……。

 

 うわ!

 

 ルーカスはおもわず悲鳴をあげた。

 

 うつむき気味の彼の目に最初に飛び込んできたのは、細くて白くてとにかく華奢な二本の脚。眩しい太ももがギリギリまで丸見えなのは、ウーィルがいつもの寝間着姿、上半身にシャツ一枚で下は下着のみしか着ていないからだ。ついでにメガネもしていない。

 

「ウウウウウーィル。なんて格好してるの?」

 

 目の前の半裸の少女をあわてて部屋の中に押し込む。ドアを閉める。

 

 

 

 

 

「お、おい、ルーカス。いま女の子がいなかったか!」

 

 ドアの外からガブリエルの声が聞こえる。見ていたのか!

 

「ば、ばかだなぁ、ガブ。ここは男子寮だ。女の子なんているわけないじゃないか!」

 

「ええ? し、しかし、きわどい格好した小さな女の子が確かに……」

 

「見間違いだよ見間違い! と、とにかく、私は転入生のウイル君と話があるから、しばらくふたりにしてくれないか! おねがいだ、親友!!」

 

「そ、そうか。おまえがそこまで言うなら、わかったよ親友」

 

 隣の部屋のドアが閉じる音が聞こえる。……納得してくれたか。ルーカスがホッと胸をなでおろす。

 

「ウーィル。ダメだよ、そんな格好でドアを開けちゃあ。ここは男子寮なんだから、誰かに見られたらどうするの?」

 

「シャワー浴びてたんだよ。……自分の部屋でどんな格好しようと勝手だろ?」

 

 憮然とした顔で見上げる少女。目一杯に胸を反らして腰に手をあて、眉を上げてちょっと頬を膨らませたその表情が、まるで年端のいかぬ幼女が精一杯に大人ぶって怒っているようで……。

 

 ……か、かわいい。

 

 おもわず口から漏れてしまった。

 

「なに?」

 

 ますます憮然とする幼女。それがますます可愛らしくて、微笑ましくて、いじらしくて、……ルーカスは目の前の幼女を両わきで持ち上げ、抱きしめてあげたい衝動を抑えきれない。

 

「ま、まて、殿下。 なんか目つきが変だぞ! なぜ、にじり寄ってくる? その広げた両腕はなんだ? オレをどうするつもりだ? ……そ、そもそも、何のためにこの部屋に来たんだ?」

 

 はっ!

 

 寸前のところで、ルーカスは正気に戻った。

 

 あ、危なかった。つい自制心をなくしてしまうところだった。

 

「過去形にするな。オレは今も危ないと身の危険を感じているぞ」

 

 いつのまにか仕込み杖を握っているウーィル。いつでも抜けるよう、逆手に構えている。

 

「うん、もう大丈夫。安心して」

 

「安心できないなぁ……。で、何の用なんだ、殿下。もうすぐ消灯時間。お子様は寝る時間だぞ」

 

「大事な話があるのです。私たちとこの世界にとって、とても重大なお話が」

 

「……以前にもこんな展開があったな。あの時は、巨大青ドラゴンと対峙することになったが」

 

「うん。根本的にはあの時と同じ話といえるかもしれません。でも今日はあのドラゴンだけじゃない、すべての転生者と守護者にかかわる特別な日。……ああ、もう月食が始まる。ウーィル、お願い。私の手を握ってくれる?」

 

 おずおずと右手を差し出すルーカス殿下。

 

 握ればいいのか?

 

 ウーィルがその手をとる。握る。お互いが指と指を絡める。たしかに体温を感じる。……その瞬間、二人の周囲の世界が反転した。

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と転生者 その02

 

 それは唐突に起こった。ウーィルがルーカスの手を握った瞬間、まったく唐突にふたりの目の前の風景が変わってしまったのだ。

 

 

 

 オレと殿下は平和な公都にいたはずだ。ガキ共の集うのどかな学園の寄宿舎にいたはずだ。それが……、なんだ、これは?

 

 ウーィルは魔導騎士だ。銃火器が通用しない常軌を逸したモンスターと対峙したことは何度もある。物理法則を逸脱した魔力を操る化け物と死闘を演じたことも数知れず。しかし、さすがにこんなことは初めてだ。まばたきした瞬間に、周囲の光景すべてが変わるなんて。

 

 いま、ウーィルの目の前にあるのは、……一面の灰色の荒野。無限に広がる暗黒の空。暗黒の闇にばらまかれた眩しいほどの星々。完全なる無音。

 

 な、なんだ?

 

 まったく生き物の気配のない荒涼とした世界。本能的にわかる。ここは死の世界だ。オレと殿下は、そんな無人の世界にたった二人きりで佇んでいるのだ。つい数秒前と同じ格好のままで。

 

 夢か?

 

 ……ちがう。なぜなら、握る手の温かさを感じる。繊細で小さくて頼りないが、それでも確かに生きている人間の温かみ。それを確かめるため、ウーィルが握る力をこめる。殿下が握りかえす。

 

「こ、ここは?」

 

 反響すらしない自分の声が、直接あたまの中に聞こえる。

 

「ここがどこなのか、実は私も正確なことはわかりません。でも想像はできます。……月面だと思います」

 

 月面? 月? えっ? どうして? いつのまに? いやそれより、月って空気も水もない世界だと雑誌に書いてあったぞ。

 

「ふふふ。……ウーィルでもそんな不安そうな表情をすることがあるんですね。ちょっと安心しました」

 

 隣の殿下が笑っている。頼りなさはいつも通りだが、その笑顔がなぜか安心させてくれる。

 

「あの眩しいのが太陽。そして逆光で見えづらいですが、あの小さな青い星が地球でしょう。……もともとこの世界で生まれた人間でこの光景をみたのは、ウーィル、あなたが唯一かもしれませんよ」

 

 くすくす笑いながら話す殿下。

 

 はぁぁぁぁ? 地球? あんなに遠くて小さいのか?

 

「もちろん、私達は実際に、地球から38万キロも離れたこの月面にいるわけじゃありません。人間がこんなところで生身で生きていられるわけがありませんから。これもまた想像ですが、おそらく私達の精神だけが仮想的にここに飛ばされたのでしょう」

 

 殿下は妙に落ち着いている。

 

「で、で、で、殿下はここに来た事があるのですか?」

 

「私がはじめてここに呼ばれたのは、15歳になった直後の月食のときでした。転生を自覚した直後から『知っていた』とはいえ、やはり実際にこんなところに呼ばれてしまった時はおどろきましたし、恐かった。でも、これからはウーィルがいっしょだから……」

 

 は?

 

 

 

 

 

 グオーーーーーーーー!!

 

 大地が震えるほどの咆哮。もちろん、音が聞こえたわけではない。雄叫びが脳みその中に直接反響し、身体が直接ふるえたのだ。ウーィルは振り向く。反射的に剣を握る。

 

 こんどはなんだ?

 

 無人だったはずだ。確かにオレと殿下以外はいない無人の世界だったはずだ。なのに、いつのまにか、いる。ほんの数メートル先に巨大な何かがいる。白と黒と灰色しかない世界に、場違いなほど青く輝く美しいウロコ。体長はゆうに五十メートルを超える巨大ないきもの。

 

 青ドラゴン! 先日公都で対峙した『青の守護者』か!!

 

 ドラゴンと目が合う。こちらに頭を向ける。縦長の瞳に敵意が満ちている。青色の胸が膨らむ。息を吸う。

 

 ブレス! この至近距離から奴のブレスを喰らえばただではすまない!

 

 咄嗟に殿下の身体を抱き上げる。お姫様抱っこだ。そして空中へ……。

 

「まって、ウーィル!」

 

 殿下がとめる。なぜだ?

 

「私たちも彼らも今ここにいるのは仮想的な存在にすぎません。物理的な実体はあくまでも地球です。……あの子のブレスも、ウーィルの剣も、ここではおたがいに攻撃はできないの」

 

 改めてドラゴンをみれば、いつの間にか隣に男が立っていた。何事か諫められたドラゴンが行儀良く座りなおす。長い首を男の前にのばし甘えるように頭をなすりつける。男がその頭をなでる。

 

 青い髪。細身で長身の男。凍りつくような視線で、オレ達を見つめている青年。

 

「あ、あいつも、ここへ?」

 

「そう。ウーィルも一度会ったことがあるはずです。青の転生者と、水の法則を司る守護者です」

 

 抱き上げられたまま吐き捨てるように言う殿下。すぐ近くの顔。ウーィルはその口調に変化におどろいた。口調だけではない。まるであのドラゴンと青年を呪い殺しそうな視線で睨む。

 

 見た目まるで女の子のような少年が、こんな表情もできるんだなぁ。

 

 この異常な状況で呑気すぎる感想だと、我ながら思わなくもない。それでもウーィルは殿下がみせたいつもと違う人間らしい表情に、ちょっとだけ安心したのだ。

 

 

 

 

 

 うひゃい!

 

 突然、ウーィルの背中が反り返る。殿下を抱えたまま飛び上がる。誰かによって、不意に後ろからシャツがまくり上げられたのだ。

 

 だ、だ、だ、誰だ?

 

 ウーィルの太ももと下着が丸出しになる。目の前、たった今まで殿下と睨み合っていた青髪野郎が、顔を真っ赤にして目をそらしている。それを無視してウーィルは振り返る。

 

 またしても何かがいる。ドラゴンとは違う。小さい。人間?

 

「おまえ新入りか! ちっちゃいな。『黒』の新しい手下、『時空の法則を司る守護者』なのか?」

 

 ガキだ。燃えるような赤毛のガキ。身長はウーィルと同じくらい。人懐こそうな笑顔。

 

「俺、バヤック。火炎の法則を司る守護者だ」

 

 火炎の守護者だと? このガキが、オレの後ろをとったのか? シャツをめくりあげやがったのか?

 

「おまえ名前は?」

 

 無邪気に名を尋ねるガキ。ガキの相手は得意ではない。どうしてよいのかわからない。

 

「ウ、ウーィルだ」

 

「へぇ、ウーィルか。おまえ強いのか? 先代の時空の守護者は、あの青トカゲにやられるくらい弱っちかったけどな」

 

 えっ? 先代?

 

「おまえ普段どこにいるんだ。先代と同じ公国か? 遊びに行ってやるから、一度勝負しろ」

 

 陽気なガキが一方的なおしゃべりをつづける。無邪気なのは間違いないが、その身体からは膨大な魔力を感じる。もしかしたら青ドラゴンよりも強力な。こいつは間違いなくただの人間じゃぁない。

 

「バヤックや、お姉さんに迷惑をかけてはいけませんよ」

 

 穏やかな声。視線をむければ、声同様に穏やかな表情の老婆がいた。ガキと同じく赤い髪。新大陸の先住民っぽいゆるやかな民族衣装を身につけている。

 

 あの老婆が転生者で、この赤毛のガキが守護者ってことなのか?

 

 

 

 

 

「そう。ジャディおばあさんとその守護者バヤック少年さ。いまこの世界が存続しているのは、このふたりのおかげと言っても過言じゃぁない」

 

 ウーィルは心臓がとまるかと思った。またしても後ろからいきなり声をかけられたのだ。

 

 ……オレ、この姿になってから簡単に後ろを取られてばかりだなぁ。

 

 振り向くと、真の暗黒色の空をバックにコントラストが眩しいほどの白髪の少女。メルの同級生にして寄宿舎で同室のボクっ娘だ。

 

「やぁ、ウーィル。数時間ぶりだね」

 

「レンさん……」

 

 にゃあ。

 

 肩に乗った白い子ネコが鳴く。まるで挨拶であるかのように。

 

「殿下、隣の部屋に越してきたウーィルとさっそく仲良くやっているようだね?」

 

 いまだにウーィルに抱きかかえられたままのルーカスに向け、レンがウィンク。

 

「でもね、殿下。学園内で堂々といちゃつくのは慎んでくれたまえよ。君たちは『男の子同士』ということになっているんだからね」

 

 レ、レ、レ、レン、なにを、わ、私たちはいちゃついてなんか……。

 

 顔を真っ赤にして反論するルーカス。だが、地面に降りようとはしない。ウーィルの首にしがみついたままだ。

 

「ふふふ、まぁいいか。ここは転生者と守護者以外に誰もいない。すきなだけいちゃいちゃしてくれたまえ。……話を戻そうか、ウーィル。15年前、ボクの先代とルーカス殿下の先代を皮切りに、つぎつぎと転生者達が殺された。あの青いドラゴンにね。そして最後に残った転生者が、ジャディおばあさんなんだ」

 

 

 

 

 

 

「なんだこの水トカゲ野郎! 性懲りも無く、また俺とヤロウってのか!!」

 

「ぐおおおおおーーーーー」

 

 レンさんが視線を移す先、赤い髪の少年と青ドラゴンが睨み合い威嚇し合っている。

 

「転生したボクらふたりが15歳になり、月面での審判に参加できるようになったのが一年前。それ以前の数年間、バヤック少年と青ドラゴンは何度も一対一で死闘を繰り返したそうだ。もしバヤック君が敗れ、ジャディおばあさんが殺されていたら、世界の存続を望む者はいなくなり、それはすなわち、……この世界は終わっていただろうね」

 

 そうなのか。……世界の存続って、想像した以上に脆いものだったんだな。

 

「……で、その『審判』ってのは、殿下とレンさんとおばあさん、そしてあのスカした青野郎の四人で行うのか?」

 

 確かこの世界に転生者は常に7人存在すると言っていたと思うが。

 

「他の三人も既に転生しているはずだけど、ここに呼ばれるのは15歳になってからさ。それまでは、今ここにいる四人ということになるね。……おっと、そろそろはじまるよ、ウーィル」

 

 なにが? 

 

 問い掛けにレンさんは答えない。白ネコとともに虚空を見あげるだけ。おばあさんと少年、青野郎とドラゴンも同じだ。

 

 そして、オレ。殿下は抱き上げたオレの腕の中から降りる気はないらしい。そのまま空を見上げている。首に回した腕に力が入る。

 

 やれやれとため息をつきながらも、正直いって別にイヤじゃない。オレもそのまま虚空を見上げる。

 

 さて、……いったい何が始まるというんだ?

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と転生者 その03

 

 月食とは、一年に数回の頻度でおこる、月面が地球の影により覆われる現象である。その時、地球から月を見上げる人々は、明るく輝く満月が端から徐々に暗くなっていく様を見ることになる。

 

 ……満月の夜ってのは基本的にヴァンパイア共が騒がしいと決まっているのだが、月食の時だけは逆に奴らシオシオになるのがおもしろいんだよな。殿下に聞いた話だと、殿下やレンさんの前世の世界では人類は既に月に進出済みだというが、もしこの世界のヴァンパイアが月面に来たら、奴らいったいどうなるんだろうなぁ?

 

 呑気にそんな事を考えながら、宇宙を見上げるウーィル。彼ら守護者と転生者達はいま、月面の中でも地球からみてほぼ正面の地点にいるらしい。すなわち、地球は常にウーィルのほぼ真上にある。

 

 そして、ついさきほどまで真空を通して目に突き刺さるほどの閃光を発し続けた太陽が、ゆっくりと赤黒く暗くなる。こちらから見て、太陽が地球の向こう側に隠されつつあるのだ。

 

 

 

 

 来た!

 

 太陽のほとんどが地球に隠され、はみ出した光により地球周辺の大気だけが明るく輝いている。まるでリングみたいだなとウーィルが思ったちょうどその時、殿下がつぶやいた。オレに抱き上げられたまま。宇宙を見上げたまま。

 

 ルーカスが見つめる方向、いつのまにか虚空に別の光が浮いている。

 

 オレも殿下と同じ方向を見上げる。そうするべきだと、……そうせねばならないと、なぜかオレは知っていた。自分でも理由がわからないまま、宇宙からゆっくりと降りてきた光の玉を見つめる。

 

 それは、もちろん太陽や星ではない。もっともっと近いものだ。しかし、光が強烈すぎて大きさはわからない。真空のため遠近感が狂っているせいもあるのだろう。

 

 

 

 

『異なる世界の知識をもつ転生者に問う』

 

 声が聞こえた。絶対無音の真空の中、頭の中に直接響いた。まったく根拠はないが、声を発しているのは光の玉だとウーィルは確信している。男の声にも聞こえるが、感情がまったく感じられない平坦な口調だ。

 

 

 

 

『赤の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

「もちろんよ」

 

 赤の転生者と問われて返答したのはジャディおばあさんだ。光の玉を見つめたまま、柔和だが毅然とした声。その様子を、ガキが誇らしげな顔で見上げている。

 

 

 

 

『青の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

「否! こんな世界などさっさと滅びるべきだ!」

 

 青と問われて間髪いれずに即答したのは、青髪のスカした野郎。同時に巨大ドラゴンが咆える。凄まじい咆哮が頭の中に響く。うるせぇよ、青トカゲ野郎。

 

 こいつらは、この世界にいったいどんな恨みがあるんだろうね?

 

 ……あと、どうでもいいけど、声の主は転生者達を名前ではなく色で識別しているようだ。誰だか知らんが失礼な奴だな、おい。

 

 

 

 

 

『茶の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

 ……沈黙。答える者がここにはいない。レンさんの解説によれば、茶色の転生者はまだ15歳になっていないということなのだろう。

 

 

 

 

『緑の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

 やはり沈黙。

 

 

 

 

『白の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

「……ボクはこの世界、それほど嫌いじゃないよ」「にゃー」

 

 白はレンさん。いつも通りのちょっと捻くれた言い回し。どんな時でもぶれないな、このボクっ娘は。

 

 

 

 

 

『黒の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

 六人目は黒。ルーカス殿下だ。

 

「存続する価値がある。絶対にある!」

 

 凛とした声。おおお、凜々しいじゃないか、殿下。君のそんな男の子らしい表情が見られておじさんは嬉しいぞ。……あいかわらず自分よりちっちゃい女の子であるオレにお姫様抱っこされたまま、そしてオレの首に抱きついたままなのは減点だが。

 

 とにかく、賛成する者がひとりでもいれば世界は存続するらしいから、今回はめでたしめでたしということだろう。ホント、殿下とレンさんが十五才になる前にあのおばあさんがやられなくてよかったぜ。

 

 

 

 

 

『金の転生者よ。この世界は存続に値するか?』

 

 最後の七人目。これも欠番……。

 

「……な、なによ、これ。やっと15歳になって、この世界を終わらせられるかと思ってたのに! どうしてこうなるよの!」

 

 へ? 七人目? 金? いつのまにここにいた?

 

 声を感じた方向に視線を向ける。オレだけではない。ここに居る転生者と守護者、全員が同時に同じ方向を見る。たったいまこの瞬間まで、誰も七人目の存在に気付かなかったのだ。

 

 そこにいたのは、金色の髪の少女。……ちがう。全身が金色に輝く美しい体毛に覆われた獣人、オオカミ族の少女だ。

 

「こんな世界、どうして存続させたいのよ! 私にはぜんぜん理解できないわ!!」

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と護身術の実習 その01

 

 魔導騎士ウーィルが偽学生生活を満喫(?)している学園。講堂に集合した一年生が車座になり、おもいおもいの姿勢で座っている。

 

 その中心、生徒達に語りかけているひとりの女性。といっても、学園の先生ではない。むしろ外見だけなら生徒と同じくらいの年齢に見える。

 

 お坊ちゃんお嬢ちゃんが集う学園にはまったく似合わない、黒いシャツにマントにブーツ。さらに腰にはサーベルを纏った姿。公国騎士だ。

 

「えー、一年生の皆さんはそろってるっすか? それでは護身術の実習を始めるっす」

 

 スラリとした長身の女性騎士。凛とした立ち振る舞い。腰まで伸びた緋色の髪を三つ編みにした東洋風の顔立ち。

 

「まずは自己紹介。私は公国魔導騎士、ナティップ・ソングっす。年はみなさんより二つ上。よろしくね、っす」

 

 彼女は、護身術の実習の非常勤講師として学園に招へいされた、……ということになっている。

 

 神妙な顔をして話を聞く生徒達。その様子をみてナティップはにこやかに微笑む。約一名、不機嫌そうな仏頂面で背中に仕込み杖を背負った不穏な少年(?)とは、あえて目を合わせない。

 

 

 

 

 

「さて、ご存じの通り、我が公国は魔物やモンスターの出現率が世界平均よりもずっと多いっす。さらに、みなさんはお坊ちゃまお嬢ちゃま。誘拐犯やテロリストに狙われることもあるかもしれませんっす。護身術を学んでおいて決して損はないっすね」

 

 生徒達の大多数は公国市民であり、公国市民は基本的に『公国騎士』という存在に好意的だ。憧れを抱いていると言ってもいい。ましてや目の前の女性は騎士の中でもエリート中のエリート、魔導騎士だ。若いから、女性だから、東洋からの移民の血が入っているからといって、バカにした態度をとるものはいない。みな、ナティップを真剣に見つめている。

 

 特に女生徒は、その多くが憧れの視線だ。若くしてエリート魔導騎士の地位を実力で勝ち取った女性に対する羨望の眼差し。あるいは、ナティップと同じ女性魔導騎士が、公王太子殿下のお妃候補として報道されているせいもあるかもしれない。

 

「さて、一般市民に可能な護身術といってもいろいろあるっす。まず手っ取り早いのはナイフや拳銃などの武器ですが、あぶない武器を違法に隠し持つのは学生である皆さんにはお勧めできないっす。魔法も有効な場合がありますが、まず魔力を持って生まれなかった人は魔法が使えませんし、多少魔力を持っていたとしても護身術として使えるレベルで使いこなすのはかなりの訓練が必要でしょう、っす」

 

 一方で、男子生徒達がナティップをみる視線は、ちょっと異なっていた。

 

 ある男子の視線は、一歩あるくたびフワリとしたスカートから覗くナティップの長い脚にむいている。別の男子は、大きく張りのある胸を凝視。そして、マントから覗いた二の腕。くびれた腰。濡れた唇。……ガブリエルなどは、ナティップの全身にかぶりつきだ。

 

 そんな男の子達の不埒な視線をかろやかにいなしつつ、ナティップは講義をつづける。

 

「そもそも、プロの犯罪者を相手にして戦うのは、素人のお子様では無理っす。たとえただのチンピラや物取りだとしても、理屈の通用しない相手はかえって危険。魔物やモンスターは言わずもがなっす。戦おうなんて思ってはいけないっす。……質問したそうな顔をしている男の子がいるっすね、どうぞ」

 

 ガブリエルを指さす。

 

「じゃ、じゃあ、悪漢に襲われたら、僕らはどうすればいいんですかぁ?」

 

 一歩間違えば失礼とも思われかねない、なれなれしい態度。しかし、それが不快にならない。それこそが、この少年の才能なのだろう。

 

 にっこりと微笑むナティップ。

 

「まず一番重要なのは、危険な状況にならないよう気をつけること。君子危うきに……、ってやつっすね。それでも危ない状況になってしまったら、皆さんがやるべきことは……」

 

 やるべきことは?

 

 ごくり。生徒達が生唾を飲み込む。

 

「大声をあげて助けを求める。そして逃げる!」

 

 は?

 

 拍子抜けした様子の生徒達。公国最強の騎士様に護身術をおしえてもらえると思っていたのに……。あっけにとられたままの者もいる。

 

「そうがっかりした顔をしないで。それなりに修羅場をかいくぐってきた魔導騎士のひとりとして断言するっすが、これこそが皆さんにとって間違いなく最強の護身術っす! まずはみんなで一緒に、大声をだす練習をしましょうっす。……みなさん、お上品な教育を受けてきたと思いますが、本気の大声だしたことがあるっすか? これが意外と難しいっすよ」

 

 

 

 

 

「それではみなさん、声を揃えて! きゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

『きゃぁぁ』

 

「ぜんぜん声が出ていないじゃないっすか! もう一度! ぎゃあああああああああああ!!」

『ぎゃあああああ』

 

「まだまだ! うぎゃああああああああああ!!」

『うぎゃああああああああ!』

 

「良くなってきたっすね。ぐわわわわわわぁぁぁぁぁ!!!」

『ぐわゎぁゎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』

 

 超名門校の講堂の中、悲鳴というより断末魔のような絶叫に満たされた中で、ナティップの講義は続く

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と護身術の実習 その02

「それではみなさん、声を揃えて! きゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

『きゃぁぁ』

 

「声が小さい! ぐわわわわわわぁぁぁぁぁ!!!」

『ぐわゎぁゎぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』

 

 ナティップと一緒に絶叫する生徒達。

 

 はじめこそは恥ずかしがる者、あるいは馬鹿にした態度をとっていた者もそれなりにいた。しかし、数を重ねるうち、いつのまにか全力で叫んでいる自分に気付く。絶叫なんて生まれて初めてという者も多いが、みな楽しそうだ。

 

 そんな生徒達の環の一番外側。意地でも環に入らないひねくれ者が数人いた。その中のひとり、白髪の少女が別の同級生に声をかける。

 

「やれやれ、これじゃ悲鳴じゃなくて断末魔だね。……やぁ、オオカミ族ちゃん」

 

 レンにオオカミ呼ばわりされた少女が、『きっ』と音がするほどの視線で睨みかえす。

 

「私には『ジュリーニョ・カトーレ』という名前がある!」

 

 黄金に輝く体毛。頭の上にけものの耳。まごうことなきなきオオカミ族の少女だ。

 

「ああ、すまない。ジュリーと呼んでいいかな。……ボクと友達になってくれないか? オオカミ族のジュリー」

 

「……なぜ私につきまとう。おまえも哀れな獣人に施しをあたえて自己満足に浸りたい偽善者か?」

 

「はっはっは。偽善者であることは否定しないけど、君に施しを与える気はないよ。さっきのは単なる会話のきっかけさ。……まさか同級生の中にお仲間がいるとはね。金の転生者、いやジュリー。君は今いくつなんだい?」

 

 殺気すら感じさせるオオカミの鋭い視線。他の同級生なら一撃でびびって黙らせることができるそれを、逆に正面から跳ね返すレン。ほほえみすら浮かべた余裕の表情のレンに、オオカミ族のジュリーは自分が受け身になっていることを自覚する。

 

「お、おまえと同級生なんだから16歳に決まっているだろ。……戸籍上ではな。本当の年齢は自分でもわからなかったが、月面によばれたということは本当はやっと15歳になったばかりなんだろうな」

 

 ふむ。レンは頷く。

 

 ジュリーニョ・カトーレ。獣人、オオカミ族の少女。あくまでも噂だが、慈善家にして好事家で有名なカトーレ卿が、植民地で経営している自分の鉱山を視察した際、現地のスラムで偶然拾いそのまま引き取られたと言われる。カトーレ家の養子になり正式に戸籍を得た時、生年月日に関しては適当にでっち上げたというところか。

 

「いろいろと複雑な人生を送ってきたようだね」

 

「ふん。訳のわからないこんな世界に転生させられたと思ったら獣人で、生年月日も生まれた場所も自分ではわからぬまま、ものごころついた直後に親に捨てられ文字通り泥を食んで生き延び辛酸を嘗めつくした生活の後、たまたま見栄っ張りで慈善事業好きの好事家に拾われた。そんな可哀想な同級生の身の上ばなしを聞きたいか?」

 

 学園には、少数ながら人類以外の生徒も存在する。エルフやハーフエルフが数人づつ。そして、獣人はたったひとり。ジュリーニョだけだ。

 

 否応なしに彼女は目立つ。同級生達からの好奇の目にさらされているといってもいい。必然的に、ジュリーはいつもひとりぽっちだ。

 

「いやいや。ボクや殿下だって転生してからいろいろとあったからね。身の上話はお腹いっぱいさ。それに、聞かされたところで何ができるわけでもなし。……念のため初めから言っておくけど、ボクは、世界を滅ぼしたいという君の信念を翻意させようとか、そのため君にこの世界の素晴らしさを訴えようなんて、これっぽっちも思っていないよ」

 

「……では、なぜ私に近づく?」

 

「ボクは隠し事が苦手なのではっきり言ってしまうとね、……打算さ。同級生である君と世界の存続をかけて殺し合いをするのは正直言って面倒くさい。水色ドラゴンをつれたスカした野郎が君に接触してくる前に、いろいろと君に恩を売って情を感じてくれる程度に仲良くなっておきたいな、てなところかな」

 

 何を言っているのかわからないという顔で、ジュリーは大きく目を見開く。

 

「おまえ、……ばかじゃないのか? 転生者として信念を貫くには、反対意見の者を倒すしかないだろう」

 

「そうだね。その通りだ。でも、おなじ寄宿舎の同級生からいつ闇討ちで襲われるかもしれないという状況が続くのは、さすがのボクでも疲れそうだ。せめて、勝負するなら正々堂々正面から、という確信を得られるだけでも、日常生活において精神的にかなり楽になるんじゃないかな。君だって同じだろう?」

 

「あいにくと、今でこそ安穏と生きているが、この姿に転生した直後からやるかやられるかの地獄のような環境には慣れている」

 

「ならばなおさら、せめてこの学園に居る間くらい、平和に過ごしてみないかい? ちなみに、これはボクだけではなくルーカス殿下の意向でもある。赤の転生者、ジャディおばあさんも同じだ。意味、わかるよね」

 

 

 

 

 

 ジュリーは正面の白の転生者をみる。その胸ポケットには、眠たそうな顔の白ネコ。

 

 視線をうつす。講義をつづける魔導騎士をかこむ生徒達の中のひとり、メガネのハーフエルフの少年と、その隣のいかにも不機嫌そうな表情の少年、……のコスプレをした少女。

 

 そして、月面で見た赤い髪の少年。

 

 ジュリーは獣人だ。普通の人間よりは魔力がある。他者の魔力を感じる力もある。三人(?)の守護者に、ドラゴンにすら匹敵する洒落にならない力があることくらいは見ただけでわかる。

 

 ……実際に月面に呼ばれるまで、あの場で世界の終わりを決められると思い込んでいた。この世界を存続させたいと願う転生者がいるなど想像すらしていなかった。

 

 なのに……。くそ! 例えひとりの転生者を倒しても、他の奴らに同時に襲われたら自分には対抗する術がない。自分が殺されるのは構わないが、この世界を道連れにできないのは癪だ。

 

「……わかった。私だってただ無闇に殺し合いをしたいわけじゃない。とりあえず次の月食までは休戦にしてやる」

 

「はははは、助かるよ。まずはお友達からはじめよう。ところで君は、まだ守護者はいないのかい? 守護者は、転生者にとって生死を共にする一生のパートナーであり、絶対に裏切らない存在だ。君も慎重に選んだ方がいいよ」

 

「おまえは、どうしてそのネコを選んだんだ?」

 

「ふふふふ。君も『知っている』とおり、転生者はこの世界の生き物をひとつ守護者として選ぶことができる。ボクのこの子はね、たまたま生まれた実家で飼われていたネコで、幼い頃からボクの唯一の友達と言ってもよい存在だったんだ。なのに、ちょうどボクが十五才になったとき寿命をむかえちゃって、どうしても別れられなくて、守護者になってもらったんだよ」

 

 それってただの成り行きじゃないのか? あまり慎重に選んだようには思えないが……。

 

「ただ、老ネコの姿のままだと、常に身近に居て貰うのは難しい。例えば学校とかね。だからポケットに入るこの姿になってもらったんだ。……これも知っていると思うけど、転生者は自分の守護者の姿をある程度自由に変えられるし、それに伴って不整合がおこらないよう歴史を改編することもできる」

 

 賢明だな。守護者が巨大なドラゴンだと、人里でいっしょに暮らすのは難しそうだ。

 

 ふと、月面で出会った青い髪の青年の日常生活を想像し、ジュリーは口だけで笑う。

 

 ……ん? ちょっとまて。え?

 

「な、な、な、ならば、あの黒の転生者と守護者の関係は? ウイル、だったか? あの時空の守護者は、なぜ今は少女の姿なんだ?」

 

 殿下とウーィル、交互に視線を向けながら、ジュリーニョは混乱している。

 

「え? は、ははははは。そうだった。転生者にはわかっちゃうよね、今は少女の姿だけどウーィルが元おっさんだったこと。殿下が彼を守護者にする際、彼を少女の姿に変えたこと。同時に、いろいろと辻褄を合わせるため歴史が改編されたことも」

 

 え? えええええ? それって、それって、それって……。

 

「思わぬところに食いついてきたね、ジュリー。……ジュリー? どうしたんだい、とつぜん息を荒くして」

 

 いったい何を想像したのか、ジュリーが顔を赤くする。頬を上気させ、頭から湯気をだしている。

 

 あ、あのルーカス殿下が、おっさんを少女の姿にしたというのか? そう望んだということなのか? あんな線が細いハーフエルフの男の子が、筋骨隆々の騎士のおっさんを少女化させただけではなく、絶対服従の守護者として側にはべらせて? なんて耽美な、……じゃなくて、いやらしい!

 

「ジュリー? ああ、そんなに目をキラキラさせて。頬を赤くして。よだれまで。……君の特殊な性癖はなんとなく理解できたよ」

 

 せ、せ、せ、性癖とかいうな!

 

「ははははは。あの二人にはかなり特殊な事情があるのだけど、……これは殿下に直接きいたほうがいいね。どうだい? 今度ボクら四人と一匹でお茶会でも。なんならパジャマパーティでもいいよ」

 

「な、な、な、馴れ合いごめんだ、……け、ど、一回くらいはいいかな。うん。そうしよう。お茶会とやら、いつやるんだ? はやくやろう。いつでも受けて立つぞ!」

 

「忙しい二人のことだからちょっと時間がかかるかもしれないが、なぁにボクにまかせておいてくれたまえ。……ああ、ボクも楽しみだ」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と護身術の実習 その03

 

「あ、あのぉ、騎士様?」

 

 護身術の実習は続いている。悲鳴の練習もひととおり終わり、全員が一息ついた頃。豪華な金髪縦ロールの女生徒がおずおずと手をあげた。

 

「はい、そこのかわいらしい女子。なんっすか?」

 

 実習講師、魔導騎士ナティップ。満面の笑顔で指名する。

 

「実はわたしくの叔母も魔導騎士ですの。今日はせっかく講師をやっていただいているのですから、悲鳴の練習ばかりではなく、魔導騎士様のかっこいい姿をみんなにも見せていただきたくて……」

 

 ふむ。この娘、たしか隊長の姪っ子さんだったっすね。ここはひとついいところを見せてあげますか。

 

「そうっすねぇ。……じゃあ誰か、直接稽古を付けて欲しい生徒さんはいるっすか?」

 

 美人騎士の問い掛けに、数人の男子が反応する。ナティップが指さしたのは、クラスいち大柄の少年だ。

 

「君、お名前は?」

 

「ガブリエル・オーケイです。騎士様」

 

 いつものお調子者の顔はどこへやら。精一杯姿勢を正したガブリエルは、それなりに好青年に見えない事も無い。

 

「いい身体してるっすねぇ、ガブリエル君。なにか格闘技やってるっすか?」

 

「ボクシングを少々」

 

 ガブリエルが構える。ナティップの正面、軽くフットワークをきかせながら、クラスメイトに見せつけるようにパンチをくりだす。

 

「おおお、やるっすねぇ。じゃあガブ君、本気で私に殴りかかってみるっす」

 

「え? 稽古するんだろ? リングの外でグローブも無しで、しかも女性に殴りかかるなんてできるわけないだろ」

 

「おーーー、さすが男の子、紳士っすね。でも、これも護身術の授業の一環っすからね。そう細かいことを気にせずに私に襲い掛かってみて欲しいっす」

 

 そう言って、ナティップは無造作にくるりと背を向けた。

 

 

 

 

「そうは言っても……」

 

 ガブはナティップの背中を見る。マント越しでもわかる、スラリとした身体の線。触れただけで折れてしまいそうな細い腰。

 

 本当に強い相手は、後ろを向いていても恐い。打ち込む隙が無いものだ。しかし、……この騎士のお姉さんの背中は隙だらけだ。パンチどころか、いきなり抱きしめることもできそうだ。こんな無防備な女性を、しかも背中から殴れるわけがないだろう!

 

 ……しかし一方で、このまま引き下がっても、やっぱり男として問題ありそうな気もする。クラスの全員が見ているのだ。おれが騎士のお姉さんにやられることを期待しているのかもしれないが、逆に返り討ちにして一杯食わせてやりたい気持ちも確かにある。

 

 深呼吸をひとつ。そして、ふたたびフットワークのリズムを刻む。しゅっしゅっ。息を吐きながら、空にパンチを繰り出す。

 

 周囲を取り囲むクラスメイト達を横目でみる。うん、メル・オレオは俺を見ている。やるぞ。

 

 ひゅん!

 

 ガブリエルは、魔導騎士に細い背中にむけてかるくジャブを放った。……が。

 

 すかっ!

 

 あれ? 

 

 拳が空間を素通りしたのだ。確かに当たったとおもったのに。

 

 頭の上にハテナマークを浮かべながら、ガブは攻撃を続ける。ワン、ツー。

 

 すかっ! すかっ! 

 

 やはり当たらない。なぜだ? 魔導騎士のお姉さんはフットワークすらつかっていないのに? ガブリエルは頭を捻る。

 

「なかなかいいパンチっすね。でも、もうちょっと本気で撃ってくれないと、一生あたらないっすよ」

 

 うわ!

 

 一瞬前、お姉さんはおれに背中を向けていたはずだ。それが、ほんの瞬きをする間に正面を向いている。にこやかな微笑みをこちらに向けている。

 

 本能的に恐怖を感じたガブリエルが、目の前にあるナティップの顔面に向けて左フック。

 

 もちろん当たらない。それでも、ガブは下がらない。顔を引きつらせながらも撃ち続ける。アッパー。フック。そして渾身のストレート。

 

 手応えあり、……ちがう。拳を受け止められた? お姉さんの左の手の平で、拳をつかまれた。

 

 腕が、動かない。小さくて柔らかい手の平。なのに、なんというばか力。これが魔力なのか? 魔力で筋力をブーストしているのか?

 

 ガブリエルは動けない。ナティップの右人差し指が、ゆっくりと彼のおでこの前へ。

 

 ニコ。女神のようなまぶしい微笑み。優しいデコピンをくらったガブリエルが、へなへなとその場に座り込んだ。

 

「あそこで恐怖に負けて後ろへ下がらずに、逆にラッシュ仕掛けてくるのはたいしたものだと思うっすよ。ボクシングのルールで闘えば、良い勝負だったかもしれないっすね」

 

 息を詰めふたりの勝負(?)を見守っていたクラスメイト達の緊張が、一気に解ける。もちろん、もともとガブリエルが騎士様に勝てると思っていた者などいるはずがない。しかしクラスメイトの多く、特に女子生徒は、彼のボクシング姿が意外と格好良いことに驚き、ただのお調子者ではないと見直していた。

 

 だが、本人は納得していない。恥をかいたと思い込み顔を赤くしたガブリエルが再び立ち上がる。そして、ひとりのクラスメイトに指を指す。

 

「じゃ、じゃ、じゃぁ。転入生! おまえやってみろよ! サムライの子孫なんだろ?」

 

 

 

 

 え? オレ? あほ、くだらないことにオレを巻き込むなよ!

 

 たった今まで興味なさげにアクビをかみ殺していたウーィルに、クラスメイト全員の視線があつまる。

 

「ど、どうする? ウーィル」

 

 隣の殿下が心配そうに視線を向ける。

 

 どうするったって……。うわ、ガキ共がみんなオレを見てる? これだけ注目されちゃったら逃げられないなぁ。適当に相手して適当に終わらせるしかないか。

 

「あららららら。君が私の相手してくれるっすか? 可愛らしいサムライさん。……制服きてるとホント小学生みたいっすねぇ」

 

 カチン。

 

 ニヤニヤと笑うナティップちゃん。もちろん彼女は事情を知っている。

 

 くそ、こいつ。正体を明かせないオレが反論してこないと思って遊んでやがるな。

 

「なぁ、オレはボクシングよりも剣が得意なんだ。木刀をつかってもいいか?」

 

「その背中の真剣を『真剣じゃない、ステッキだ!』」

 

「……ステッキな真剣をつかっても、私は全然かまわないっすよ。どうせ剣で私の動きについてこれるわけないっすからね」

 

 カチン。

 

「木刀で十分だ。ナティップちゃ、……じゃなくて騎士様が強いのは知っているからね。真剣もってるとつい反射的に斬っちゃいそうで、騎士様が危ないから」

 

「……それは誉めてるんすか? それとも、舐められてる? ウーィルちゃん先、……じゃなくてウイル君?」

 

「はははは。もちろん、トロくてかよわくいナティップちゃんの身体を気遣っているんだよ」

 

 カチン。

 

 

 

 

 二人の魔導騎士が放つどす黒い魔力オーラが講堂の中に満ちる。生徒達は訳がわからないまま、雰囲気に圧倒されて動けない。

 

「……う、ウーィル? まさか、こんなところで本気出さない、よね?」

 

 殿下の顔が引きつっている。

 

「もちろんですよ。これはあくまでも護身術の実習ですから。……ちょっと実戦形式なだけです」

 

「はっ、はっ、はっ、心配無用っすよ殿下。大事な生徒さんの顔に傷付けないよう、手加減してあげるっすから」

 

「……御託はいいから、そろそろはじめようぜ」

 

「いつでもいいっすよ」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と護身術の実習 その04

 

「な、なぁ、これ、護身術の実習だったよな?」

 

 講堂にあつまった生徒達。彼らがあ然とした表情で見つめる先では、エリート学園の授業とはとても思えぬ光景が繰り広げられていた。

 

 講堂の真ん中、実習講師として招へいされたはずの女性魔導騎士と転入してきたばかりの男子生徒のふたりが、実習そっちのけで対峙しているのだ。

 

 ひゅん。ひゅん。

 

 準備運動のつもりか。スラリとした長身の女性魔導騎士が空中にむけて拳を、そして蹴りを繰り出す。生徒達への自己紹介の際、自分は騎士だが剣よりも拳が得意だと笑顔で語った彼女の言葉に偽りなく、その速度は人間離れ、いや現実離れしていた。

 

 生徒達のほとんどは、彼女の動きを目で追うことすらできない。拳や蹴りが見えるわけがない。だが、蹴りのたびに講堂に反響するかん高い風斬り音を聴き、あるいは正拳突きから少し遅れて天井を揺らす衝撃波を実感すれば、素人だってわかる。その一発一発の凄まじい威力が。魔力によりブーストされた彼女の身体能力のやばさが。そして、公国魔導騎士という存在の異常さが。

 

 しかし、その凄まじい威圧を正面から受けている相手は、まったく動じていない。転入してきたばかりの同級生、ウイル・俺王だ。

 

「今の、蹴り、……だよな。魔導騎士様の蹴りも凄いが、どうしてあれを目の前にしてあんなに落ち着いていられる? あいつ、本当にサムライなのか?」

 

 ガブリエルがみまもる視線の先、同級生の中でも一際小柄な転入生の頭は、正面に立つ騎士の胸くらいしかない。その彼に向けて放たれる、凄まじい速度の蹴り、拳。だが、そのすべてを眼前にしながら、まるで少女のように微笑む転入生。その異様な光景に、ガブリエルの背中に冷たい汗が流れ落ちる。

 

 

 

 

 

 

「あーーあ。こうなるんじゃないかなぁ、と危惧していた通りになってしまったか」

 

 講堂の入り口付近。生徒達からは見えないよう物陰から実習(?)を見守るもうひとりの魔導騎士がいた。生徒の誰よりも大柄。全身銀色の毛並み。オオカミ族のジェイボスだ。

 

 ジェイボスは、講堂の真ん中でどす黒いオーラを放射しながら静かに対峙するふたりの同僚女性騎士を眺め、ため息をつく。

 

「だからナティップに講師役なんて無理だって隊長に言ったのに。……あまり俺は目立ちたくなかったが、一応お目付役ってことになってるから、止めるべきなんだろうなぁ」

 

 やれやれと言ったていで、ふたりを止めようと一歩踏み出すジェイボス。そして、とまる。

 

「ん? ……なんだ?」

 

 ジェイボスは窓から空を見あげる。頭の上の耳を空に向ける。全身の神経を上空に向け集中する。そして、舌打ち。

 

「また来たのかよ」

 

 

 

 

 

 

「さて、私は準備オッケーっすよ。そろそろ始めましょう。……本気出していいっすか? ウーィルちゃん先輩」

 

 騎士がつぶやく。それを聴いてしまった生徒の大部分は、訳がわからず呆気にとられる。

 

 今までの準備運動。あれで本気ではなかったというのか! 

 

 本来ならば「なぜ騎士様が転入生に対してそれほど気を使うのか」と疑問をいだくべきであろう。しかし、彼らにそんな余裕はなかった。「魔導騎士の本気」……その単語を耳にしては、目をそらすことができるはずがない。

 

 そして本気の魔導騎士と対峙している当人は、……笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 ふむ。これは一応護身術の実習だよな。悪人役の魔導騎士様を、たまたま木刀を持っていた善良な学生であるオレが撃退するという筋書きだよな。ならば、そろそろ護身術を実演してやらないと、授業にならないってわけだ。へへへ、しかたないよなぁ。

 

 ウーィルは下に垂らしていた木刀を構える。ゆっくりと振り上げる。上段。剣の下には、眩しいほどの笑顔。

 

「そちらこそ準備はいいのかな、騎士様。……いくぞ」

 

 ウーィルが前に踏み込む。残像を残しつつ。神速。木刀が空間を切り裂いた。

 

 女子生徒達が悲鳴をあげる。彼女達には、ウーィルの剣により女性騎士が縦に両断されたように見えたのだ。

 

 しかし次の一瞬、生徒達の目に飛び込むのは驚くべき光景。僅かに身体を反らしてギリギリで剣を避けた騎士が、逆に一歩踏み込んだのだ。そして、至近距離から転入生の顔に向けて正拳をたたき込む。

 

 剣を振り下ろしたウーィルの視界、衝撃波を引きずりながら凄まじい速度の拳が迫る。身体を縮め、かろうじて下に逃げる。

 

 ぶわっ

 

 かすめた拳の風圧により髪の毛が舞い上がる。おかまいなく、振り下ろした剣を床ギリギリで止める。ウーィルの上、見上げれば腕を伸ばしきった女性騎士の胸。密着した体勢。その無防備な脇腹に向けて、今度は剣を振り上げる。

 

 ひっ!

 

 またしても悲鳴。

 

 だが、それもあたらない。騎士が真上にジャンプ。跳んで剣を避けたのだ。

 

 渾身のストレートを放った直後の体勢から、どうすれば真上に跳べる? それなりに心得のあるガブリエルがポカンと口をあけている。しかも、小柄とはいえ転入生の頭の上を飛び越え、そのまま一回転するなんて。

 

 

 

 

 

 

 ほんの一瞬の攻防。クラスメイト全員が息をするのも忘れて見守る。レンとジュリーニョ、白の転生者と金の転生者も例外ではない。

 

「おいおいおい、あの女性騎士はただの人間だよな。獣人ですらないよな。黒の守護者が時空の法則を使わず手加減しているのはわかるが、それでもあの動きについていけるなんて、……あの騎士、人間の女のくせになかなかやるじゃないか。かっこいいぞ」

 

 ジュリーはあきらかに興奮している。隣のレンの胸元を掴みながら、早口でまくしたてる。

 

「そ、そんなに興奮しないでくれたまえ。……この国の魔導騎士は確かにちょっと普通じゃないから、君が見とれて憧れるのもわからないでもないけどね」

 

「あ、あ、あ、あこがれるわけないだろう。私が人間なんかに」

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と護身術の実習 その05

 

 ……すげぇな、ナティップちゃん。

 

 ウーィル必殺の初撃をかわし、空中で華麗に一回転。音も無く着地したナティップ。その華麗な身のこなしを目の当たりにしたウーィルが、口の中だけでつぶやく。

 

 オレがこの姿になる前、ウィルソンの頃なら良い勝負だったかもな。いや、勝負が長引けばスタミナで負けていた可能性すらあるぞ。

 

「さすがっすねぇ、ウーィルちゃん先輩。……そういえばわたし、ウーィルちゃん先輩の本気の本気ってのを見たことないんっす」

 

 自分の間合いの距離、正面からはなった渾身の正拳が難なくかわされ、さらに剣で反撃までされたナティップが、嬉しそうに笑う。

 

 あれ、そうだっけ? この姿になってからコンビ組んで仕事したことなかったか。

 

「ウーィルちゃん先輩ならばいいっすよ、私のすべてを見せてあげても。だから、ねぇ。……見せて? あなたの本当の強さを」

 

 ぞくりとした。

 

 妖しく微笑みながら唇を舐めるナティップちゃん。その姿は、妖艶だった。もの欲しげで、そして蠱惑的だった。自他共に認める中身おっさんのウーィルをして、おもわず背筋がゾクゾクするほど色っぽかった。

 

 この戦闘狂め!

 

 そして気付く。ここが学校だということに。思春期の青少年達が見守っているということに。

 

 あああ、いかん。いかんぞ。ナティップちゃんのこの顔は、ガキ共に見せてはいかんものだ。男の子達には目の毒だ。もちろんメルもだめだ。

 

 ウーィルの頭が一気に冷めた。今のいままでどこかへ行っていた『おっさんとしての良識』が突然よみがえる。

 

 どうする? 守護者としての力を使ってしまえばいかにナティップちゃんが強くても勝てるだろう。……たぶん。しかし、生徒達の前で魔導騎士を倒してしまうわけにはいかんだろう。かといって、露骨に手加減するのもだめだ。どうやってこの場を納めりゃいい?

 

 

 

 

 

 

 その時だ。講堂の外、あきらかに至近距離から爆音が響いた。

 

 エンジン音? 飛行機か? どうしてこんなところを……。息をのんで勝負の行方を見守っていた生徒達も、さすがに異変に気付く。

 

 学園は公都郊外にある。海軍の航空基地からは距離がある。通常の訓練でも、飛行機がこんなところを飛ぶことはない。

 

 バリバリバリバリ!

 

 今のはただのエンジン音じゃない。機関砲だぞ!

 

「ナティップ!」

 

 講堂に怒号が響く。驚いた生徒達が振り向く。そこにはもうひとりの魔導騎士がいた。獣人だ。

 

「ジェイボス先輩、いまの何っすか?」

 

「小型ドラゴンだ。海軍の戦闘機に追われて地上まで降りてきやがった」

 

「ドラゴン? 何頭っすか?」

 

「一頭だけだ。おまえも外に出ろ! 俺たち二人でやるぞ!!」

 

 目の前のウーィルとの勝負を放り投げ、ナティップがダッシュ。走りながら、同じく駆け出したウーィルに向けて言い放つ。

 

「『生徒さん』はここに隠れていて欲しいっす! ドラゴンは魔導騎士に任せて、他の生徒さん達を頼むっす!」

 

 そう言われてしまうと、ウーィルは立ち止まるしかない。袖を軽く引っ張られ、振り向くと殿下だ。

 

「試験稼働中の早期警戒レーダー網がさっそく役に立ったみたいだね。……小型ドラゴンなら、また青の守護者の手下だろう。金の転生者を偵察に来たんじゃないかな?」

 

 そ、そうか。まぁ、小型ドラゴンが一頭だけなら、あのふたりで問題ないな。

 

「……それにしても動きが早いね、青の彼は。もしかしたら、第五の転生者が十五歳になる前に、金の転生者を仲間に引き入れて一気に勝負をしかけてくるつもりなのかもしれない」

 

 殿下がつぶやく。その深刻そうな顔をみて、ウーィルの表情も曇る。そして見つめる。視線の先は同級生のジュリーニョ・カトーレ。金の転生者だ。

 

 

 

 

 

 

 

「お、おい。あれ、あの騎士。あれは獣人だよな」

 

 だが、深刻な顔した殿下とウーィルに見つめられる当の本人は、そんな自覚はまったくなかった。講堂に現れたもう一人の魔導騎士の姿に目を見開き、隣のレンを相手にまくし立てている。

 

「ん? 彼はオオカミ族で魔導騎士だ。騎士団一の剛剣使いとかで、公都では結構有名人だよ。知らなかったのかい?」

 

「わ、わたしがお父様に拾われてこの国に連れてこられたのは五年前。それ以来、礼儀作法や学問は厳しく躾けられてきたが、屋敷と学園以外はほとんど経験が無い。友達もいない。世俗についてはほとんど学ぶ機会はなかった。……この国では、まさか本当に獣人が騎士になれるのか? 他の人々はイヤがらないのか?」

 

「ああ、なるほど。この国でも獣人への差別がないとは決して言えないが、でも列強国の中ではかなり開放的というか、おおらかというか、いいかげんというか、それほど厳格なものではないみたいだね。最近は大陸諸国から獣人やエルフの亡命者も増えているそうだよ。そもそも公王太子殿下が純粋な人類じゃないし」

 

 したり顔でレンが解説。それを聴いたジュリーが黙り込んだ。

 

 

 

 

 

 ズシーン!

 

 ふたたび講堂に轟音が鳴り響いた。ドラゴンが学園の運動場に墜落したのだ。

 

「凄ぇ! 空中でドラゴンの正面から正拳をたたき込んで撃墜してしまうなんて!」

 

「その前に、女性騎士様を腕力だけで空中にぶん投げた、あの獣人の騎士様も凄いぞ!」

 

 窓から外を覗いていたのだろう。男子生徒達の叫び声が講堂に響く。生徒達から自然と拍手がわきおこる。

 

 

 

 

 

「ふむ、もう片付いたか。さすが魔導騎士だね。あのドラゴンが君の偵察だとすると、青髪のスカした野郎はおそらくすぐに次を送り込んでくるよ。対応を考えておいた方がいいな、……どうしたんだい? 何か考えごとかい? ジュリー」

 

「なぁ、この国の魔導騎士は実力主義なんだろ? さっきのオオカミ族も実力で成り上がったのか? この国では本当にそんなことが可能なのか?」

 

「ん? 君も魔導騎士になりたいのかい?」

 

「ちがう! ちがう! 私が言いたいのはそんなことじゃない。……私は、死にたくなかった。泥水をすすって生きる地獄の中、そんな理不尽な世界を私の手で終わらせるため、何としてでも15歳まで生き延びたかった。そのために、偽善好きな金持ち老人が気まぐれに差し出した救いの手を受け入れたんだ。見栄と自己満足のためだけに形だけの養女として飼われる立場を甘受してきたんだ。転生者としての矜持も、現世のオオカミ族として誇りも、すべて捨てたんだ。なのに……」

 

 ふむ。

 

 ジュリーの独白(?)を聞いて、レンは首を捻る。何を言っているのか。脈絡というものがない。おそらく本人も、自分が何を言いたいのかわかっていないのだ。

 

 面倒くさい娘だな。ある意味、殿下と似ているかもしれない。しかし、だからこそ放っておけない、か。

 

「………そうだね、ジュリー。君のお父様、カトーレ卿のことを、ただの偽善家で好事家で見栄っ張り老人だという人もいる。暗黒大陸で拾った獣人の娘を気まぐれでお飾りの養女にしたのも、見栄のためだと言う人もいる。世間のウケ狙い、お涙頂戴で勲章を狙っているという話もある。ボクには、それが真実かどうかわからない」

 

 ジュリーはうつむいた。そしてなにも言わない。しかし、わずかに眉間に皺を寄せ頬を膨らませたことに、レンは気付いた。

 

 ふむ、やっぱりね。そういうことか。

 

「ははは、すまない。言い過ぎた。でも、……これまではともかく、今となっては君は『お父様』の悪評なんて信じてはいないのだろう? いや、たとえ偽善だとしてもかまわないじゃないか。カトーレ卿が、獣人だって騎士になれるこの国に君を連れてきたこと、そのおかげでこの学園でボクみたいのと友達になれたことは事実なんだから」

 

 数分間の沈黙。言うべき言葉を必死に探しているジュリーが口を開く前に、レンがたたみ掛ける。

 

「ちなみに、さっきの獣人の魔導騎士。この国のスラムで野垂れ死ぬ寸前だったオオカミ族の子供を拾って騎士にまで育てたのは、おっさんだった頃のウーィルだ。……この世界はたしかに禄でもないけれど、そんな根っからのお人好しもいるんだよ。カトーレ卿を悪く言われて怒るということは、君だって内心ではわかっているんだろ?」

 

「……無駄だぞ」

 

 数分間の沈黙の後、やっとのことでジュリーが口を開いた。

 

「何を言われたって、今さらわたしはこの世界を存続させようなんて思わないからな」 

 

「はははは。ジュリー、君も転生者だ。魂は見た目通りの年齢じゃないのだろう? せっかくの二度目の人生なんだから、もっと気楽に生きようじゃないか」

 

「無駄だって! わたしは『この世界も捨てたもんじゃない』なんて絶対に思わないぞ! 思うもんか!!」

 

 はいはい。

 

 レンが笑う。頬を膨らませたジュリーも、いつの間にか笑っていた。

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と新型爆弾 その01

 

 それは、つい昨日のこと。学園での休憩時間。

 

「ウーィル。おねがいがあります」

 

 教室移動の際、廊下にてたまたま隣り合った体で、殿下がウーィルに話しかけてきた。

 

「なんです? 改まって」

 

 いつになく思い詰めたような殿下の表情が気になる。いつにも増して顔色が良くない。

 

「……もしウーィルが良いと言ってくれるのなら、いっしょに行って欲しいところがあるのです」

 

「ん? 月末の殿下の誕生日パーティのことですか? もともと護衛の任務は予定されていますよ?」

 

「誕生日パーティはもちろん参加して頂きたいのですが、今いっしょに行って欲しいと言ったのはそれではなく、新兵器の実験です。……って、え? 護衛? いま『誕生日パーティの護衛』といいましたか?」

 

 うつむき気味だった殿下の顔があがる。

 

「ええ。内外の要人が招待される公王宮でのパーティですから、騎士団あげての厳重な警備体制が組まれるはずですよ。もちろんオレも護衛として参加します。……そうそう、うちのメルまで招待していただいたそうで、ありがとうございます」

 

 殿下の誕生日パーティは、一応公王宮での公式行事であるが、殿下の私的なご学友も多数招待されている。いまだ正体が謎であるヴァンパイアが紛れ込んでいる可能性もゼロではないということで、いつにもまして厳重な警備体制が予定されているのだ。

 

「あ、あれ? 護衛? ウーィルが? なぜ? あれ? あれ?」

 

 しかし、殿下はなぜかあたまを抱えている。

 

「お、おかしいな。パーティでは、ウーィルは護衛じゃなくて招待状のリストに入れていた、……はずだけど。あれ? あれれ?」

 

 で、殿下? どうしました?

 

 ……最近いそがしすぎて、招待状のリストの確認ができていなかった? 私の頭の中ではウーィルを招待するなんて最初から決定事項だと思い込んでいたから?

 

 殿下が口の中でなにやらブツブツいながら唸っている。

 

「あーー、どうしました? 殿下?」

 

「い、いえ、もしかしたら手違いがあったかも知れませんが、……私としては、誕生日パーティにはウーィルにも参加して欲しいのです」

 

「あ、ああ。だから護衛として参加すると……」

 

「そうじゃなくて!」

 

 突然の大声。驚いた。殿下が声を荒げるなんて珍しい。周囲の生徒達も、何事かとこちらを見つめている。

 

「え、えーーと、ウーィルには護衛じゃなくて、……招待客として参加して欲しい、ので、す」

 

 最後の方、なぜか小声になり、顔を伏せる殿下。

 

「はぁ? それって……?」

 

「……イヤ、ですか?」

 

 おそるおそる、上目遣いで見上げる殿下。

 

「あ、い、いえ、イヤというわけじゃないのですが、……それって、一応確認させていただきたいのですが、それは同級生である『ウイリアム・俺王』として、ではないですよねぇ?」

 

「も、も、も、もちろんちがいます。実在する女性である魔導騎士ウーィル・オレオとして、です。……つつつつついでに、エスコート役は、私に、やらせてほしいほしいなぁ、なんて」

 

 ハーフエルフの美少年が、顔を真っ赤にしている。視線が泳ぎまくっている。

 

 はぁ。誕生日パーティの主人公でありホスト役の殿下が、自分の騎士を招待してエスコートって、……いいのかなぁ?

 

「もうひとつ確認させていただきたいのですが、騎士の制服じゃ……だめ、ですよねぇ」

 

「え? えええ? そこが問題? えーと、えーと、だ、だめではないのですが、できれば、……可愛らしいドレスなんて着てきていただけると、うれしい、……です」

 

「やっぱり、そうなるのか。……わかった。努力してみます」

 

 ふう。殿下の全身から力がぬけたのがわかる。安堵。そして、喜色満面の笑顔。

 

 この程度のことでそんなに悦ばなくてもいいのに。オレはあなたの騎士だから、あなたの願いは可能な限りかなえてやるよ。

 

 ていうか、最近の殿下の顔見ていると、とにかく護ってやりたくなっちゃうんだよな。オレこの人のためならなんでもしてやろう、てな感じで。……これ、まさか、守護者になったオレの脳みそに刻み込まれた強制的な本能みたいなものじゃなかろうな。そうだとしても今さらどうにもならんのだが。

 

 まぁいいや。それよりも、……目の前の問題だ。可愛らしいドレスだと? そんなものないぞ? どうする? どうやって買えば、いや作るのか? とにかく、いったいどうすればいいんだ? レイラにたよるか?

 

 そういえば、メルは? あいつ公王宮のパーティに着ていくような服なんてもってるのか? オレはともかく、娘に恥をかかせるわけにはいかん。絶対にだめだ。あああああ、どうする? どうすればいい? やっぱりレイラか。あいつに頼むしかないのか?

 

 

 

 

 

「あ! そ、そうだ。いいい今はこんな話をしている場合ではありません。……ウーィル、最初の話にもどりますが、私が同行をお願いしたかったのはパーティの件ではないのです!」

 

 腕を組んで考え込んでいたオレの両肩を、殿下の細い両腕ががっしりとつかんだ。殿下の方から直接接触してくるなんてめずらしいな。

 

 そういえばそうでしたね。……で、なんの話でしたっけ?

 

「そう、急な話で申し訳ないのですが、もし、……もしウーィルが同行していただけるのなら、あす私は学校をお休みして海軍の視察に行こうと思います」

 

「あす? 海軍が同盟国と合同で極秘の大規模演習をやるとかいう話だけはきいています。それを視察に行く大臣の護衛で魔導騎士の一部もかり出されているようですが、……殿下の予定にはなかったはずですよね?」

 

 もし殿下に予定があるのならば、殿下の護衛役であるウーィルに伝達されていないはずがない。

 

「ええ、もともと私が参加する予定はありませんでした。でも、昨晩からずっとずっと考えて、やっぱり私は出席するべきだと、この眼に焼き付けるべきだと思ったのです。結果を見届け、あんなものを開発してしまった責任を自覚するために。……ウーィルが一緒にきていただけるのなら、ですが」

 

 責任だと? いったいなんの? ……それにしても、えらい急な話だな。まぁ、警護任務ということならば、悩む必要もない。騎士の制服でいいのだろうし。

 

「で、どこに、演習の何を視察にいくんです?」

 

「さきほどウーィルが言ったとおり、あす公都から五百キロほどはなれた無人の珊瑚礁海域において、公国、連合王国、皇国の同盟国海軍合同の大規模演習が実施されます」

 

「公王太子殿下が、単なる演習の視察のためだけにわざわざ南の海まででかける、……わけないですよね」

 

「そのとおりです。演習というのは名目で、実際に行われるのは新兵器、……新型爆弾の起爆実験です」

 

 新型爆弾? 例の秘密基地の島で作っていたという、世界の歴史を変えてしまうという、アレか?

 

「そうです。飛行機で日帰りの強行軍になりますが、……ウーィル、いっしょに来てくれますか?」

 

「……わかりました。オレはあなたの騎士です。あなたの行くところにはどこでもついていきますよ」

 

 そ、そうですか。……では、おねがいします。

 

 ふたたび安堵の表情の殿下。しかし、さっきとは微妙に違う。なんというか、笑顔がちょっとだけ引きつっている。

 

 もしかして、内心ではオレに反対して欲しかったのか? 新兵器の起爆実験とやらを見たくはなかったのか?

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と新型爆弾 その02

 

 そんなわけで今日。

 

 オレは今、南海の珊瑚礁にいる。公国と新大陸の間、国際法上では連合王国領の無人島の近海だ。

 

「うぇぇぇ。まだ足元が揺れている気がする」

 

「ウーィルは、本当に飛行機が苦手なんだね」

 

 公都から海軍のでっかい飛行艇で数時間。窓の外、眼下に広がるのはひたすら青い海ばかり。それほど揺れはしなかったが、やっぱり気持ちのいいものではない。

 

 波ひとつ無い南の海。着水した飛行艇から小型のボートに乗り移り、待ち構えていたのはとにかくでっかい船だった。

 

「空路はるばる我が艦にようこそ、殿下。おつかれではありませんか?」

 

「いいえ。こちらこそ、急な視察をうけいれていただきありがとうございます」

 

 殿下とともに乗艦する時にこやかに出迎えてくれたのは、白いお髭のナイスミドルな海軍のおっさんだった。おそらく艦長なのだろう。

 

 吹きさらしのデッキの上、ウーィルは周囲を見渡す。

 

 艦隊、というには艦影がまばらだが、それでも大小様々な艦が水平線まで点在していることはわかる。軍艦だけではない。輸送船や、ニョキニョキと大量のアンテナを生やした船もいる。さらに公国海軍だけではなく、同盟国である連合王国や皇国の艦も浮いている。上空には何機もの飛行機が飛んでいる。

 

 そのど真ん中、ウーィルや殿下がいるのはひたすらただっ広い甲板だ。甲板の端っこ、ここからはるか向こうの先端部には、すでに同盟国の要人らしき人々が集まっている。そちらへ向かって歩くデッキの上、両側には何機もの飛行機が並んでいる。

 

 ……この船、航空母艦ってやつだよな。公都の港で遠目から眺めたことはあるが、もちろん乗り込んだのは初めてだ。たしか公国海軍にも数隻しかない虎の子のはずだが。

 

 歩を進めながらもの珍しげにキョロキョロしていたウーィルに、艦長の後ろについている若い海軍士官が声をかけてきた。

 

「魔導騎士のお嬢さん。公国海軍が誇る最新鋭空母にようこそ。女性がこの艦にのりこんだのは、あなたが初めてですよ。……珍しいものでもありましたか?」

 

 ふだん大地を這いつくばっているオレ達騎士にとって、航空母艦なんて見る物すべてが珍しいのは当たり前だ。……わかっててきいてるだろ、海軍野郎。まぁ、自分の船を自慢したい気持ちはわかる。すこしサービスしてやるか。

 

「乗艦を許可していただき、光栄です。……この船、滑走路が二本あって、一本は斜めなんですね」

 

 興味津々といった体で尋ねてやった。ウーィルが知識として知っている航空母艦は、公国のものにかぎらず、どれも正面をむいた滑走路が一本しかなかったはずだ。

 

「そのとおり、よくお気づきですね! この斜めの滑走路により、艦載機の着艦時の事故が大幅に減りました。また、着艦と発艦を同時におこなうことが可能なんですよ」

 

 やはり食いついてきたか。若い士官が自慢げに語り始めたぞ。

 

「さらに、艦載機を格納庫から移動させるエレベーターも、従来の空母のように滑走路の真ん中ではなく、舷側にあります。このためこの艦ではデッキを非常に効率よく使うことができるんです!」

 

 へぇ。エレベーターのことは言われるまで気付かんかった。

 

「そう、この艦こそ、同盟国もうらやむ世界最先端の技術を集めた航空母艦! そして、これらのアイディアを提案し、設計に盛り込むよう尽力したのは、誰あろうルーカス殿下なのです!!」

 

 誇らしげな顔の士官が見つめているのはルーカス殿下。公国軍の次の最高司令官になる事が決まっている少年だ。

 

 ほほぉ。よくわからんが凄ぇな殿下。さすが異世界からの転生者。

 

 オレも、隣をあるくハーフエルフの少年の横顔を見つめる。自分が誉められたようで、オレも悪い気はしない。

 

「わ、わたしは、軍事的なことは素人で、た、単に、基本的なアイディアを出しただけですから……」

 

 とはいえ、本人は恥ずかしそうにしているから、あまり褒めすぎるのはそろそろ勘弁してやってくれ。

 

 しかし、海軍による殿下への褒め殺しはこの程度では終わらない。ナイスミドルな艦長までが、はなしに割り込んできたのだ。

 

「私としては、当艦には『プリンス・ルーカス』と名付けることを提案したのですがね。公国海軍においては即位前の命名は前例がないとかで、国防省で廃案にされてしまいましたが」

 

 ……ウインクしながらこんなことを言い出するナイスミドルに対して、『もう勘弁して!』と言いたげな殿下の表情がおもしろい。

 

 この調子だと、殿下が即位した後に進水した軍艦に、本気で殿下の名前が付けられそうだな。オレ個人的には、殿下の名前を冠した軍艦って、平時ならともかく戦争が始まってまんがいち沈められたら縁起でも無いから、どうかと思うけどね。

 

 

 

 

 

 

 デッキに照りつける南洋の日差し。スーツ姿の殿下、騎士の制服のウーィルにとって、正直暑い。

 

 あーー、せっかく綺麗な南国の海の上にいるのに、仕事なのが残念だ。せっかくだから、水着で日光浴でもしたいよなぁ。

 

 口の中だけでつぶやいたつもりだったのだが、殿下には聞こえてしまったらしい。

 

「み、水着!? 見たい。ウーィルの水着姿。夏休みにはバカンスにでも誘って、……あっ! でも、この世界にはまだビキニなんてないんだよな。……公王家御用達の服飾店にお願いして作って貰おうか」

 

 こんどは殿下が意味不明なことをブツブツとつぶやいている。顔を真っ赤にしながら、……これはオレの直感だが、きっとロクでも無いことを想像しているんだろうなぁ。

 

 艦長に先導され、ウーィルと殿下はデッキの先端付近にたどりついた。簡易型のテントの下、椅子やテーブルが並べられ、人だかりができている。

 

 殿下の姿を見つけた大勢の人間が立ち上がり、一礼。軍服だけではない。袖まくりシャツにネクタイだけのおっさんや、白衣の人間もいる。

 

「殿下、おつかれですか? わざわざ飛行艇までつかって、ご自身がここにいらっしゃるまでもなかったのに」

 

 まず声をかけてきたのは毎度おなじみ我が公国の国防大臣。その隣には、護衛役の魔導騎士ブルーノがいる。大臣、このプロジェクトからみの秘密基地でヴァンパイアに狙われたからな。

 

 ……どうでもいいけど、『最新鋭の航空母艦』とやらの上、剣と魔法を使いこなす魔導騎士がふたりも並んでいるというのは、自分でいうのもなんだがちょっとアンマッチな光景だよなぁ。

 

「大臣もご苦労様です。……あれの開発プロジェクトを同盟国に提案したのは私です。最後まで見届ける責任がありますから」

 

「ルーカス殿下、お会いできて光栄です。あなたの提案から始まったこのプロジェクト、ついにここまで来ましたな」

 

 次は恰幅のいいじいさんと握手。このおっさん、新聞の写真でみたことがあるな。連合王国の大臣だったか首相だったか。

 

「ど、同盟国のみなさんのご協力のおかげです」

 

「そうそう。我が国の女王陛下が、是非殿下を別荘にお招きしたいと。ハイスクールの夏休みにでも、避暑にいかがですか? 婚約者である騎士殿とご一緒に婚前旅行と言うことで」

 

 えええ? こここ婚前旅行?

 

 おいおい殿下。いまのは外交的な辞令ってやつだろ? なに真に受けて真っ赤になってるんだよ。

 

「いやいや、殿下。夏休みは皇国にどうぞ。皇子陛下も巫女も是非殿下にお会いしたいと……」

 

 これは東洋人。皇国の軍服をきているおっさんだ。……皇国の巫女って、レンさんの実家のことか?

 

「は、はぁ。もちかえり、宮内省に検討していただきますので……」

 

 国際的な人気者だな、殿下。

 

 

 

 

 

 オレには詳細はよくわからないが、今日、ここで、例の秘密プロジェクトの実験が行われるらしい。

 

 なぁ、ブルーノ。実験の舞台は、ここから数十キロほど先に浮いている王国領の珊瑚礁。……だそうだが、そんな遠くの様子がここから見えるのかね?

 

「さあ?」

 

 肩をすくめるブルーノ。

 

「公国最強の魔法使いとも言われるおまえなら感じるか? 実験場とやらに、魔力を」

 

「いえ、感じませんね。そもそも、実験の詳細について、私はなにも知らされていませんので」

 

 ……そうだよなぁ。オレも含め現場の魔導騎士ごときが、極秘の国家プロジェクトの詳細なんざ知ってるはずないよなぁ。

 

「見えます」

 

 ブルーノに代わって答えてくれたのは、このプロジェクトの提案者だという殿下だ。

 

「……計算通りの出力なら、ここからでも強烈な閃光と、そして巨大なキノコ雲が見えるはずです。衝撃波も感じられるでしょう」

 

 こんな遠くから?

 

 ウーィルにはいまいち想像できない。それは、大型ドラゴンのブレスのようなものだろうか? あれはドラゴンの強大な魔力があってこそのものだが。それとも、火山の噴火のようなものだろうか? 純粋な科学技術だけで、そんなことを引き起こすことが可能なのだろうか?

 

 デッキの上、スピーカーからカウントダウンがはじまった。

 

 殿下がオレの手を握る。わずかに震えるその手を、オレは握り返してやる。……いったい何がはじまるというんだ?

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と新型爆弾 その03

 

 航空母艦のデッキの上、スピーカーからカウントダウンがはじまった。あと10分ほどで実験とやらがはじまるらしい。

 

 デッキにいる全員、いやこの海域にいる艦隊すべてに緊張がはしる。空を舞う何機もの飛行機が、実験場の島上空から離れ始める。

 

 ウーィルにもサングラスが手渡される。全員が、前方の水平線を見つめている。殿下に握られた手に力がこもる。震え始める。

 

 

 

 

 

「ここから30キロほど先、連合王国領の無人島の中央に建設された高さ50メートルほどの櫓の上に、新型兵器の二号弾が設置されています。私たちはこの世界の人類史上初めての光景を目撃することになるでしょう」

 

 ルーカス殿下がつぶやく。ウーィル以外には決して聞こえない小声で。

 

「二号弾? 初実験ではないのですか?」

 

「初号弾は皇国で建造され、いま地球の裏側、皇国領の無人島に設置されています。本日の実験は、皇国領での初号弾の起爆と、ここ連合王国領での二号弾の起爆が、同時に行われる予定なのです」

 

 なんでそんな面倒くさいことを。……どちらかが失敗してもいいように、ってことか?

 

「たしかに、それも理由のひとつではあります。初号弾の仕組みは単純でほぼ確実に起爆することがわかっていますが、二号弾以降は起爆方式が根本的に改良されており、こちらの成功率は90%ほどと見積もられています」

 

 ふーん。人類の歴史上前例のない新兵器なのに、そこまでわかってるのか。さすが殿下だ。

 

「大丈夫、きっと成功しますよ。……そして、あのくそったれのドラゴンを倒せる力となってくれるでしょう」

 

 ウーィルは、それほど深く考えて言ったわけではない。新兵器というのが『威力が強い爆弾』なのだろうということはわかるが、なぜ殿下がここまで恐れるのかウーィルにはいまひとつ理解できていない。それでも、目の前の若者を励ましたかったのだ。

 

 しかし、殿下は目をそらす。

 

「そうですね。いかに大型ドラゴンでも、それがたとえ青の守護者であっても、アレの直撃をうけて生きていられるとは思えません。……でも、わざわざ二カ所で同時に起爆するのは、実はドラゴンとは関係ありません。完全に政治の都合なんです」

 

 政治?

 

「公国、連合王国、皇国の同盟関係が確固たるものであることを世界中に示すため。そして、……三国同盟は地球上のどこであろうとも一撃で破壊する力を持つに至った、と宣言するためです」

 

 宣言? 誰に対して? ……決まっている。同じ人類だ。

 

「で、でも、殿下が計画を先導したんでしょ?」 

 

「たしかに、プロジェクトの立ち上げを主導したのは我が公国です。ですから、今日の起爆実験でも、王国と皇国の両国は最大限われわれを尊重し、たててくれています」

 

「ならば、公国の、……殿下の力で、人間に対して使用させなきゃいい」

 

「……世界中のだれからみても、実質的に計画を進めたのは連合王国と皇国、ふたつの大国です。資金的にも技術的にも、公国だけでは計画は進まなかった。同盟三国あわせてすでに六号弾まで完成しているアレの使い方に、今後わが公国はあまり口をだせないでしょう」

 

 殿下の表情がますます曇る。手の震えがとまらない。

 

(それでも私は、私は……)

 

 まるでうわごとのように、殿下が口の中で何度も繰り返す。

 

 オレは、なにを言うべきなのかわからない。

 

 

 

 

 ん?

 

 その場にそぐわぬ異質な魔力を感じたウーィルが振り向いたのは、ブルーノと同時だった。

 

 ……ドラゴン?

 

 艦隊のはるか後方、とんでもない高空。どこまでも青い空の中、その空よりも青い点が複数飛んでいる。あまりにも遠すぎて、さすがのウーィルにもよく見えない。大型じゃない。小型ドラゴンが……五頭か?

 

 カウントダウンが一時停止。空襲警報のサイレンに切り替わる。

 

「殿下。小型ドラゴンがこの海域に向かっています。艦内へ避難してください」

 

 水兵がデッキの上の要人達の避難誘導を始める。戦闘機の編隊が迎撃のため必死に上昇していくのが見える。巡洋艦や駆逐艦から花火のような対空砲火を打ち上がる。不安そうな顔のルーカスが、ウーィルを見つめる。

 

「……問題ないと思いますよ、殿下。我々を攻撃するつもりなら高度が高すぎるし、そもそも小型ドラゴン数頭でこの艦隊をどうにかできるとは思えない」

 

 ウーィルと共にルーカスが見上げた視線の先、一頭のドラゴンが対空砲火の直撃をうけ空中でバラバラになった。

 

「ルーカス殿下。あれが殿下のアイディアを元に我が国が開発したレーダーと近接信管の威力です。我が王国海軍の卓越した防空能力は、共通の敵、帝国の脅威に対抗する大きな力となるでしょう」

 

 王国の軍人が得意気に殿下に語る。満面の笑顔をむけながら。

 

 つづいて、ようやく高度をあげドラゴンに追いついた戦闘機の編隊が、機関砲で一頭を撃墜。

 

「あの戦闘機は我が海軍の新型ですな。殿下の仲介による同盟国間の技術協力によりようやく完成した過給器つきエンジンのおかげで、あの高度でも迎撃が可能になりました。実戦配備に手間取りましたが、今日に間に合ってよかった。もちろん、あの新型機は公国にも供与させていただきますよ」

 

 誇らしげなこの人は皇国の軍人だ。……そういえば、あの戦闘機、皇国の国旗がついている。わざわざ地球の裏側から新型戦闘機を運んできたのか。

 

 ……近いうちに、人間にとってドラゴンなんて脅威じゃなくなるかもしれないなぁ。

 

 

 

 



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美少女騎士(中身はおっさん)と新型爆弾 その04

 

 

 とりあえずこの艦は安全ということで、要人達の艦内への避難は一旦中止となった。みな、空の彼方を見上げ、残り三頭のドラゴンを眺めている。

 

「殿下。あれはまたしても青ドラゴンですね」

 

「……うん。きっと青の彼が実験を偵察しに来たんだ」

 

 戦闘機と対空砲火に追われながらも、ドラゴン達は撤退しようとはしない。実験場の島を遠巻きに、旋回するように飛び続ける。

 

 あのスカした野郎、どこまでも目障りな奴だな。

 

「なぁ、ブルーノ。あれ、墜とせるか?」

 

 のこり数頭のドラゴン、ここからではほとんど豆粒にしか見えない。

 

 魔導騎士ブルーノとウーィルの任務は、あくまでも大臣と殿下の護衛だ。だから、こちらを攻撃する気のない小型ドラゴンなど無理して撃ち落としてやる義理などないのだが。……ないのだが、同盟国の連中にだけ良い格好させておけないよなぁ。

 

「さすがにちょっと遠すぎて……」

 

 そうか、残念。

 

「一網打尽は無理かと。……でも、一頭くらいならなんとかなると思いますよ」

 

 我が公国最強の呼び声高い魔法使いがウインク。そして、自分の護衛対象に視線で尋ねる。国防大臣がうなずく。それを確認したブルーノが空に杖を掲げる。低い声で呪文を唱えはじめる。

 

 おおお!

 

 水兵達から歓声があがった。

 

 ブルーノの杖が、空中に金色の文字をなぞる。彼の頭の上、巨大な魔法陣が描かれる。強烈な太陽の下、金色の粒子を伴う円環が回転を始める。

 

 デッキの上に人々は気付いた。周囲の気温が急激に下がっている。赤道直下の濃密な大気が、白い霧に覆われる。キラキラ、キラキラ。航空母艦の飛行甲板のうえ、小さな氷の粒が吹雪となって舞う。

 

 いつのまにか、魔法陣からそそり立つように何本もの氷の槍が形成されている。眩しいほどの太陽に光を反射して白く輝く氷の槍の束。

 

 そして、杖が振り下ろされる。ブルーノが叫ぶ。刹那、氷の槍が飛ぶ。凄まじい速度で射出。最後尾のドラゴンに迫る。

 

 おおおおお、すげぇなブルーノ。冷気のブレスを操る青ドラゴンを、逆に氷の槍で串刺しにして撃ち落としたぞ。

 

 公国の水兵達は大歓声。王国と皇国の連中も驚いているようだ。

 

 いまや公国以外では魔法使いの数は激減しているそうだから、たしかにこんな大技めずらしいだろうなぁ。

 

 ……オレも、魔導騎士として一発いいところを見せてやるか。

 

 ウーィルは背負っていた剣を下ろす。さりげなく、ルーカスが鞘をささえる。

 

 

 

 

 おやおやウーィル、騎士としてそれはどうなんです?

 

 自分がつくった魔法陣がユラユラと消えつつあるその下、剣を抜いた同僚のウーィルの姿を見ながら、ブルーノはおもわず苦笑した。

 

 仮にも騎士が、自分の主君に鞘を持たせて平気な顔しているというはさすがに、……といっても、二人の連携があまりにも自然なせいか、誰も違和感を抱いていないようだが。それどころか、子供の騎士と従者ごっこのようで、かえって微笑ましい光景に見えなくもないのが、なんともこの二人らしい。

 

 長い鞘を抱えたルーカスを背中に護るように、ウーィルは構える。剣を振り上げる。

 

 周囲の人々が固唾を呑み、食い入るように美少女魔導騎士を見つめる。

 

 いったいなにをするつもりだ? ……まさか、剣で? こんなに遠くから?

 

 ふふふふ。公国最強の魔導騎士、ウーィルの力を目の当たりにした同盟国のみなさんがどんな顔をするのか、楽しみですね。

 

 

 

 

 いくぞ!

 

 ……すかっ。

 

 ウーィルは剣を振り下ろした。それは、見守る人々が想像していたような剛剣ではなく。むしろ、単なる気が抜けた素振りにしか見えない。

 

 だが、……次の瞬間、人々は目を見張る。ウーィルが振るった剣の軌道に沿い、黒い影が走ったのだ。それは空間の裂け目。暗黒の断層。

 

 それがドラゴン目がけて飛ぶ。空間を切り裂きながら光速で迫る。

 

 すぱっ!

 

 一頭のドラゴンが縦に両断された。

 

 遙か彼方、対空砲火も届かない空の向こう。二枚の開きにされたドラゴンが、音も無く海面に墜ちていく。

 

 

 

 

 

「やれやれ、とんだ邪魔がはいりましたが。……ドラゴンは残り一頭。戦闘機があれを撃墜次第、安全を確認。実験準備をやりなおしましょう」

 

 デッキの上、常識を超越した技を披露した魔導騎士の剣に対する拍手喝采は鳴り止まない。それを制して、国防大臣が声をかける。

 

 大臣がちょっと得意顔なのは、自国の騎士の力を同盟国に見せつけることができたからだろう。じっさい、ウーィルの剣を目の当たりにした同盟国の要人達は、国防大臣が声をかけるまでただただポカンと口を開いたままだった。

 

 しかし、そんな少々緩んだ雰囲気は、めずらしくきつい口調のルーカス殿下によって締め直された。

 

「……いえ、大臣。もうあのドラゴンは無視して結構です。いますぐ戦闘機を下がらせて、このままカウントダウンを再開してください」

 

 

 

 

 

 

 カウントダウン再開。生き残ったドラゴンは、ゆっくりと実験場の珊瑚礁に近づいていく。

 

「殿下。奴は実験とやらを偵察にきたんでしょ? わざわざ見せちゃっていいんですかね? なんなら、残り一頭も私が飛んでいって斬っちゃいましょうか?」

 

「ありがとうございます、ウーィル。でも、のこり一頭では、実験の脅威にはなり得ません。……ならば見せてやりましょう。この世界の人類が、ついに転生者や守護者にも対抗できる力をもったということを」

 

 10、  9、  8、

 

 スピーカーから歪んだ声。カウントダウンが続く。

 

(かつて青の転生者は、人は自ら滅びの道を歩んでいると言った。それは本当かもしれない。いや、他ならぬ私こそが、それを推し進めている張本人といえるだろう)

 

 何度も何度も繰り返してきた自問自答。ルーカスは激しく頭を振る。強制的に思考を中断する。

 

(確かにアレは人の自滅につながる力かもしれない。それでも、自らの選択による自滅の方が、異世界から来た『転生者』により滅ぼされるより百倍ましだ。私はそう信じる。……信じたい)

 

 7,  6,  5、

 

 おっかない顔をしているなぁ。

 

 ウーィルは、隣のルーカスの顔を見つめる。このハーフエルフの少年が、こんな顔をすることは実に珍しい。

 

「……殿下。わすれちゃいましたか?」

 

 中身おっさんの少女騎士は、我慢できずに口をひらいた。

 

 えっ? な、なんのことですか、ウーィル?

 

「言ったでしょ、オレにも責任をわけてくれって。そりゃあなたはいろいろと重大な責任を背負っているんでしょうけど、全部一人で背負う必要ないんです。あなたの目の前に居るこの私は、見た目こそこんな小さな少女ですが、中身は図太いおっさんです。そしてなにより、オレはあなたの騎士なんです。あなた一人くらいなら、平気で支えられますよ」

 

 4,  3、

 

 「……ウーィル」

 

 ルーカスは前を向いたまま、再びウーィルの手を握る力を込める。ウーィルは握りかえすだけではなく、指を絡めてやる。殿下の冷や汗を感じる。お互いの体温を交換する。

 

 2,  1、  起爆!

 

 一瞬の沈黙。

 

 カッ!

 

 水平線の向こう、この世界の誰も見たことのない閃光が出現した。

 

 

 



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ボーイ(?)ミーツ おっさん

 

 それは五年ほど前。ある雨の日のこと。

 

 

 

 

 ざーーー。

 

 細い細い糸のような雨が降りしきる中、ルーカスは傘も差さず立ちすくんでいた。目の前には花壇。鮮やかなハイビスカスの花が咲き乱れている。

 

 その日、公王宮は静まりかえっていた。

 

 正門は閉じられ、普段ひっきりなしに訪れる内外の要人も、政治家も、もちろん観光客やマスコミも含め、ほとんど人の出入りがない。ときおりあわただしく訪れるのは、公王家に極近い親族や友人のみ。

 

 公王宮だけではない。公都、いや公国全土いたるところに半旗や弔旗が掲げられ、多くの国民が悲しみに暮れている。

 

 昨日夜半、公王妃殿下、……ルーカスの母が病死したのだ。

 

 

 

 

 公式の国葬は5日後と決まった。つい先ほどまで、親族だけで最期のお別れをしていたはずだ。

 

 なのに、ルーカスは庭園にいる。

 

 いつ母の亡骸からひとりはなれたのか。いつの間に庭園に来たのか。ルーカスは、自分でも記憶がない。気がついたらここにいて、雨に濡れるハイビスカスを眺めていたのだ。

 

 ルーカスは、今の自分の感情がわからない。現実感がない。悲しさのあまり自分が狂ってしまったのか、とさえ思った。

 

 突然の妻の死に茫然自失の父。泣き崩れる他の親族。沈痛な表情の政府閣僚達。誰もが悲しみにくれながら、それでも大人達は、母を亡くした幼い自分に気を使ってくれる。

 

 こんな時、この国の公王太子である自分は、いったいどうすべきなのだろう。

 

 それが思いつかず。ただボーッと、雨粒が鮮やかな真っ赤な花を見ていた。雨粒が花びらから流れ落ちる様を、見つめていた。

 

 

 

 

 ふと、自分の周りの雨がとまっていることに気づく。見上げると黒いマント。ふりむくと、いつの間にか人がいた。

 

 大人の男性。見上げて目につくのが無精ヒゲ。身長だけならば父とそう変わらないはずだが。とにかく大きく見えた。

 

「……殿下。風邪をひきます。そろそろ中へ」

 

 低くもなく渋くもなく特徴のない声。しかし、とてもやさしい口調。安心できる。

 

 この制服は、騎士。公国魔導騎士だ。

 

 

 

 

 

 魔導騎士ウィルソン・オレオが、庭園にルーカス殿下の姿を認めたのは、偶然だ。

 

 公王妃殿下急逝の報道に、公国の全国民が驚き、そして悲しみにくれている。だが、騎士団に休みはない。混乱に乗じたテロを警戒し、対テロ、要人警護の訓練をうけた専門の公王宮守備隊の面々が、宮の周囲の警備を固める。

 

 さらに、魔導騎士も動員されている。理屈が通じない魔物相手が専門の彼らは、守備隊が見落とした警備の穴をひとつづつ潰しつつ、個々の裁量で宮の内外を巡回していた。そしてウィルソンは見つけたのだ。花の前で佇む少年を。

 

 雨に濡れる真っ赤な花。その前で僅かに震えながら立ちすくむ少年。

 

 メガネ。線の細い、小さくて、華奢で、まるで少女のような、ルーカス公王太子殿下。

 

 十歳にして公王陛下や政府の信頼あつく、すでに公国の公務の一部を担う存在。非公式とはいえ公都大学の研究室に出入りする資格を得、すでに国際的な学会に論文すら提出していると聞く。

 

 ひと言でいって天才。未来から転生してきたという噂すら、真実味がある。世界的な大恐慌。噂される二回目の世界大戦。国際的な危機的状況に翻弄される公国を救うと期待されている、我が国のプリンスだ。

 

 しかし、……十歳だ。ウィルソンの目の前のいるのは、ただの線の細い少年にしか見えない。

 

 殿下が見ているあの花は、公王妃殿下がよく世話をしていたものだ。母と子が庭園で泥だらけになりながら、仲睦まじく花の世話をしている姿は、政府広報映画、あるいはゴシップ雑誌の記事にもよく掲載されていた。公王宮にくることがあまりない彼でも、存在だけは知っている。

 

 ウイルソンがすぐ後ろにたっても、少年は気づかない。

 

 徐々に雨が激しくなる。このままでは風邪を引く。そろそろ宮の中でも殿下が居ないことに気づいて、騒ぎになるかもしれない。

 

 ……しかし、ウィルソンはわからない。母を失ったばかりの少年に、なんと声をかければ良いのか。

 

 彼は、繊細という単語とは対極の存在だ。立ち塞がる敵を筋力と魔力で叩きのめすことを職業としている人間だ。目の前の少年は、声をかけるだけで消えてしまいそうなくらい、儚げな存在に見えた。

 

 しかたがない。彼は黙ったまま少年の後ろに立つ。マントで雨を遮る。

 

 

 

 

 

「……殿下。風邪をひきます。そろそろ中へ」

 

 それは、ふたりの目が合ってから数分の沈黙の後、無精ヒゲの騎士がやっとのことでかけてくれた言葉。そして、おそらく精一杯のやさしい微笑み。

 

 だけど、私はここから動けない。

 

 ダダをこねるつもりはない。この騎士様だけじゃなく、他の多くの人に迷惑をかけるとわかっている。ただ、身体を動かす気力が湧いてこない。

 

 心の中は、自分でもおどろくほど冷静だ。自分の心理を分析する余裕すらある。なのに、身体が動かない。

 

 いまは誰とも会いたくない。話したくない。ここから動きたくないだけ。母が愛したこの花に、引き留められているような気がして。

 

 そんな自分を前にして、無精ヒゲの騎士様も動こうとしない。彼の体格ならば、強引に私の身体を抱えて宮に連れていくことも楽々できそうだが。私が自分から動くのを待っていてくれるのか。

 

 ……いや、違う。この騎士のおじ様は、私を前にして何を言うべきかわからないだけだ。単にどうすればいいのかわからず困っているのだ。

 

 ルーカスは、心の中で笑ってしまった。そして大人の男の不器用な優しさに甘えてしまう。

 

 

 

 

 

 ……エルフである母は、この花が好きでした。

 

 ルーカスの口が、本人の意思とは関係なく勝手に言葉を紡ぎだす。

 

「公都には緑が少なすぎるといって、父に無理に作ってもらった花壇なのだそうです」

 

 視線を花壇に戻す。雨がますます強くなる。

 

「母と私は、よくいっしょにこの花壇のお世話をしました。母によると、エルフは自然とともに生きる種族。ハーフエルフである私も、花の世話をすることで心身のリフレッシュになるでしよう、と」

 

 私は、まったく面識のない騎士のおじ様に、何を語ろうとしているのだろう? 自分でもわからない。でも、騎士のおじ様は何も言わない。黙って話を聞いてくれる。

 

「父は優しくて頼りがいのある人ですが、あくまでも公務優先です。次期公王である私に厳しくあたることもあります。私が、プレッシャーに押しつぶされそうになるたび、いっしょに花の世話をしながらなぐさめてくれたのは、母でした」

 

 雨はすでに土砂降りだ。騎士様がマントで覆ってくれるが、それでもメガネが雨に濡れる。真っ赤なハイビスカスが見えないほどに。

 

「母と一緒にたわいのないおしゃべりをしながら花の世話をするのは、とても楽しかった。この世界で唯一、本当の私に戻れる瞬間であるような気がして」

 

 ……ああ、そうか。いま、自分で口に出してみて、初めて理解してしまった。

 

 私は『本当の私』に戻りたかったんだ。

 

「幼い頃、……前世の知識を披露して父に誉めて貰うのは単純に嬉しかった。でも、いつの間にか政府や軍や周囲の人々から過大な期待されるようになって。マスコミに追いかけ回されたり、議会の一部から次期公王がハーフエルフであることが批判されたり……。私は公王になりたいなんて思ったこともなかったのに!」

 

 こんなことを今さら言ってもどうにもならない。自覚している。でも、とまらない。

 

「こんな文明の遅れた世界にむりやり転生させられて、しかも男の子の身体にされてしまって、そのうえ公王太子! 私の唯一の味方だった母がなくなったのに、大声で泣き叫ぶことすらできないなんて! 」

 

 それはほぼ絶叫だった。大きくなった雨の音に染みこんでいく。

 

 

 

 

 

 数秒間の沈黙の後、騎士のおじ様が無精ヒゲに囲まれた口を開く。

 

「殿下。一介の騎士でしかない私には、殿下の事情はわかるはずもありませんが……」

 

 驚いたルーカスが視線を向けた先、頭をかきながらおっさんが語る。つい口走ってしまった転生云々については、聞き流してくれるとありがたいのだけど……。

 

「私にも殿下と同じ歳の娘がいます。娘の母親は数年前に亡くなりました。その時、娘はオレの前では涙を流しませんでした。今の殿下と同じように、必死に悲しみに耐えていました」

 

 私と同じ歳の女の子……?

 

「オレはダメな父親ですが、さすがにこの時の娘の気持ちはわかりました。自分で言うのもなんですが、オレは極端な愛妻家でしてね。だから、妻が亡くなった時、娘の前でそれこそ狂わんばかりに取り乱してしまった。……娘は、そんな私の気持ちをおもんばかって、オレの前で泣くのを、取り乱すのを、必死に耐えていたのです。まだ十歳足らずのガキの女の子のくせに」

 

 おっさんの表情が、やや沈痛なそれにかわる。

 

「ああ、ご、誤解しないでくださいね。オレ、……私の言いたいことは、泣くことを我慢した娘の自慢じゃないんです。……えーと、オレは娘に気を使わせちゃう本当にダメな父親ですが、それを自覚したからこそ、格好つけることをやめたんです。そして娘に頼んだのですよ。オレと一緒に泣いてくれ、と」

 

 えっ?

 

「それから三日三晩、父娘で泣き続けました。悲しみを我慢せずに。……それで立ち直ったとはいいません。立ち直れるわけがない。でも、それでもなんとか、オレたちは現実を受け入れることができました」

 

 ルーカスを見つめる、無精ひげの照れた顔。その顔は、確かに頼りがいがあった。ルーカスがこの世界に生まれて初めて見るほどに。

 

「殿下。いいんですよ。悲しいときは泣いちゃって。男も女も関係ない。公王太子殿下が取り乱しちゃだめだなんて、誰が決めたんです。大丈夫、私は秘密を守ります」

 

 涙がおちた。一滴。一滴。メガネの奥から、次から次へと。止めどもなく。雨に流されるよりも速く。

 

 号泣。そして騎士様に力一杯抱きつく。泣きじゃくる。

 

 この世界に産まれてから、前世の記憶を取り戻してから、ひとりで何度も泣いた。でも、人前で、そしてこんなに声を上げて泣いたのは、これが初めだ。

 

 ルーカスは、ウィルソンの胸元で泣き叫ぶ。まるで女の子の様に。この世界に生まれてからのすべてのつらさ、悲しさを洗い流すように。

 

 

 

 

 いったい何分間そうしていたのか。ウイルソンを呼ぶ声が聞こえた。

 

「ウィル!」

 

 同僚騎士のレイラだ。息を切らせて駆け寄ってくる。

 

「こんなところでなにしているの?  緊急事態よ。ルーカス殿下の姿が宮中に見当たらないの。一緒に探しに……」

 

 ウィルソンが返事をすべきか迷っている間に、レイラはすがりついて泣きじゃくる殿下に気づいた。一瞬だけあっけにとられた顔。つぎに、なにもかも納得した顔に。

 

 そして微笑む。ふだんおっかないこの女騎士の、こんなにも優しい顔を見るのは、初めてかもしれない。

 

「……わかったわ。私から報告しとくから。殿下に風邪を引かせちゃだめよ」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 公国魔導騎士のウィルさん……。

 

 大きな胸に顔を埋め泣きつづけながら、その名が、その顔が、ルーカスの頭に刻み込まれた。

 

 

 



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