神社生まれの千香瑠様 (坂ノ下)
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ガーデンの噂
第1話 足りない皿 一.


 草木も眠る丑三つ時。虫の音さえ沈黙した夜の帳が降りた頃。

 都心部にそびえる壮麗な寮の中では、薄らと微かな灯りが人気の無い廊下を照らしている。

 不思議なことに、夏の夜に特有の蒸すような()だるような暑さが今宵は感じられなかった。むしろひんやりと冷たい空気さえ流れていた。

 しかしだからと言って、過ごし易く快適な夜というわけでもない。背中と腹の周りを撫で擦られるかの如き不快な感覚に襲われていたからだ。

 

 パリ――――――

 

 ふと、廊下に音が漏れ聞こえてくる。

 

 パリン――――――

 

 壊れ物でも落ちて砕けたのか、高く響く音。

 廊下の左右に並ぶ個室からの音ではない。出どころは、廊下をもっとずっと進んだ先にあった。

 不気味な事態に、今すぐ踵を返せと本能が警告する。

 ところが二本の足は先に先にと進み続ける。

 恐怖心と好奇心。理性と本能。それらがない交ぜとなって葛藤している内に、廊下の奥のドアの前までやって来た。

 調理室。

 ドアプレートの表示を確認もせずに、ドアノブへ手を掛けた。掴む時は恐る恐る、しかし掴んでからは躊躇せずにドアノブを回して引っ張った。引っ張ってしまった。

 

 パリン――――――

 

 より一層はっきり聞こえる破砕音。

 廊下と違って真っ暗なはずの給湯室に、ぼんやりと青白い灯りが人型の輪郭を描いていた。

 

「……ない」

 

 人型が声を発する。

 声と呼ぶべきか音と呼ぶべきか微妙なところだが、腹の奥底から凍えさせる形容し難きものだった。

 

「……足りない」

 

 曖昧だった人型の輪郭が急にはっきりしてくる。

 白装束に腰より長い黒髪。その後ろ姿がゆっくりと振り返ろうとする。

 立ち去るなら今だ。逃げ出すなら今だ。今しかない。

 けれども両足は根を張ったかのように動かなかった。

 

「一枚、足りない」

 

 振り返った()()の顔は、右半分が赤黒く腫れ上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛ーーーーーーっ! もうやだーーー!」

 

 部屋の中に幼子の悲鳴が木霊する。

 否、容姿と仕草こそ幼子のそれだが、身に纏っている物は高等部の制服だった。

 色素が非常に薄い灰色の長髪を震わせながら、幼い少女――――佐々木藍は赤毛の少女に抱き付くように縋り付く。

 

「何よー、これからがいいところなのにー」

 

 そんな藍の背中から明るい茶髪の少女が声を掛けた。台詞こそ残念そうだが、声色と表情はその限りではない。むしろ楽しんでいた。現に両手をだらりと垂れ下げて幽霊の真似事をしている。

 

「やだやだ! 怖いのやだぁ! 恋花の馬鹿ぁー!」

「だから怖いのはこれからだってば」

「知らない知らない! いーーーっ!」

 

 歯を剥き出しにして威嚇する藍に対しても、飯島恋花は飄々としたまま。余計に面白がって藍の方へと近付くぐらいであった。

 

「恋花、そのへんにしときなよ」

「だってぇ、反応が可愛いんだもん」

「可愛いのは分かるけど、やり過ぎ」

「ちぇーっ」

 

 恋花を嗜めたのは、藍を抱き留めているセミショートの赤毛の少女。

 絨毯の上に片膝を立てて座っているが、その状態でも彼女――――初鹿野瑤の体格の良さは歴然である。ついでに言えば、顔立ちも大人びている。高校生らしからぬ幼さの藍とは何とも対照的だった。

 

「恋花さん、今の話って『皿屋敷』の怪談よね?」

「そうそう、その怪談を現代風の都市伝説にアレンジしたものが今流行ってるのよ」

 

 小首を傾げて恋花に尋ねたのは芹沢千香瑠。

 長い茶髪をポニーテールに纏め、黒タイツに包んだ長い脚を横に崩して座る彼女は、瑤とはまた違ったタイプの大人っぽい少女だ。

 

「待ってください。アレンジにしても、違和感がありませんか?」

 

 よく通る声が会話に加わってくる。

 青みがかった黒髪のショートに意志の固そうな瞳。きっちりと折り目正しい正座。相澤一葉は藍と同じく高等部一年生で、他の三人とは学年が一つ下である。

 

「元々『皿屋敷』は皿の枚数が足りないことで死に追いやられた悲劇の怪談のはず」

「いやまあ、そうなんだけどさ」

「なのに、その白装束の人物が幽霊だと仮定して、幽霊自ら皿を割るというのはいかがなものでしょうか。何かしらブラックジョークの類なのでは? それにあれほど何枚も割っていては、不足分は一枚どころじゃなくなるでしょう。あるいは、もしや――――」

「あーっ、もう! 都市伝説に理屈を求めるんじゃないよ!」

 

 業を煮やした恋花が一葉に襲い掛かる。両手の指で両のほっぺを摘まみ、ぐにゅぐにゅと揉み始めた。

 

「これはこういう話なの。あんたはもっと柔らかくなりなさい。()()()ぐらい」

「い、いひゃい……。なめこは遠慮しておきます……」

 

 涙目になりかけたところで、一葉は恋花の指から解放される。

 また時を同じくして、藍もようやく落ち着いたのか、ぐずぐずと鼻を啜りながらも泣き止んだ。

 

「ねえ、千香瑠ぅ。()()()()()()って、なあに?」

「藍ちゃん、都市伝説っていうのはね。昔々の怖いお話の代わりに、今の人にも分かりやすく作ったお話なの。ビルの中やエレベーターの中の出来事だったり、機械やインターネットが出てきたり。大昔では考えつかない内容が特徴よ」

 

 千香瑠は優しく教え諭すかのように答えた。

 現代の怪談、それが都市伝説。インターネットを通じて急速に広まるという、情報化社会特有の性質を持っている。

 

「でね、この都市伝説版『皿屋敷』なんだけど、エレンスゲ(うち)でも秘かな噂になってるのよね」

 

 わざとらしく声のトーンを落として恋花がそう語る。

 流行に敏感で噂話の好きな恋花。この手のホラーも当然の如く嗜んでいるのだろう。

 ところが、そこにまたしても水が差される。

 

「感心しませんね、恋花様。よりによって私たちのガーデンでそんな流言が流行るなんて」

「あれ、一葉は幽霊とか心霊現象とか信じないタイプ?」

「無論です。私も娯楽としての噂話を全て否定はしませんが……。ガーデン内での流布は流石に見過ごせませんね」

「でもさあ、実際に見たって子も居るんだって」

「それは恐怖による錯誤の可能性が考えられるでしょう」

 

 食い下がる恋花に対し、一葉はきっぱり言い放つ。

 

「いいですか? 心霊現象というものは、プラズマの発光で説明がつくのです!」

「あっ、あかんやつだ、これ」

 

 察した恋花はそこで言いくるめるのを諦めてしまった。

 

 その後も暫くの間、部屋の中ではわいわいと賑やかな時間が続く。

 ふと、千香瑠は壁掛け時計に目をやり立ち上がる。

 

「もうこんな時間。そろそろお夕飯の準備しなきゃ。余ってる食材で……何を作ろうかしら」

「らんはハンバーグがいい! ハンバーグ!」

「あらあら、どうしましょうか?」

「ハンバーグにしよう! 瑤もハンバーグがいいよね!?」

「そうだね、ハンバーグだね」

「ふふふ、じゃあご期待通りハンバーグを作るわね」

 

 ここは東京六本木に校舎を構えるガーデン、エレンスゲ女学園。そのエレンスゲトップレギオンたるヘルヴォルのレギオン控室。

 部屋の端のハンガーラックに五着仲良く掛けられた白のジャケットは、彼女らがエレンスゲのリリィであることを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、ヘルヴォル控室に再び五人の姿があった。

 控室の中だというのに、全員が黒のインナーの上にジャケットを羽織り、更には待機状態のチャームまで傍らに置いてある。

 いざ出撃……というわけではない。一年生にしてヘルヴォルのリーダーである一葉の提案が原因だった。

 

「では皆様、準備はよろしいですね?」

 

 やる気に満ちた一葉の手には、小型のビデオカメラと設置式の集音マイクが握られている。

 

「一葉ちゃん、本当にやるの?」

「心配無用です千香瑠様。巷を騒がす幽霊とやらの正体、必ず暴いてみせますよ」

 

 困惑気味の千香瑠に対し、一葉は自信を滲ませる。

 一葉の提案とは、自分たちの手で噂の真意を確かめて騒動を収めようというものだった。

 

「よくそんな機器が借りられたね」

「事情を話したら割とあっさり許可が下りました。やはりガーデンとしても、学内が浮足立つのは快く思っていないようです」

 

 瑤が指摘した通り、一葉が持ってきたカメラもマイクもお遊びや気まぐれで使用許可が出そうな代物には見えない。

 本来ならこのような案件は風紀委員の仕事だが、一葉たちが自主的に動くなら止める理由も無いということか。

 勿論、ここ最近ヒュージの活動が低調でガーデンに余裕があるのも一因だろう。

 

「恋花はそれ、何を持ってきたの?」

「ふっふーん。十字架に銀のペンダントに塩の瓶。魔除けの定番っしょ」

「何か交ざってない? 吸血鬼じゃないんだから」

「そういう瑤は、何? そのタッパーの中身は」

「鰯の頭」

「夕飯の余りかい!」

 

 幽霊退治だと思って彼女らが用意したのがその品々。

 

「らんはね! らんはね! たい焼き三つ持ってきたよ!」

「夜食にすんの?」

「たいが三つで悪霊退散(たいさん)!」

「うーん、上手い。座布団一枚進呈しよう」

「藍、可愛い……」

 

 ジャケットの袖にすっぽり包まれた両手をパタパタと振ってアピールする藍。

 そんな藍の主張に恋花も瑤も乗っている様子。

 

「三人とも、遊びじゃないんですよ。そういった物ではプラズマをどうこうはできません」

「あんたはプラズマから離れなさい」

「プラズマ現象でなかったとしたら、噂話に便乗した誰かの悪戯でしょう。いずれにせよ、我々の手ではっきりさせるんです」

 

 恋花の突っ込みを受け流し、一葉はそう宣言した。

 ヘルヴォルのちょっと奇妙なオペレーション、開始である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 控室のあるガーデン本校舎からやや離れたエレンスゲの学生寮。寮もまた校舎に負けず劣らず立派な造りをしている。

 箱だけでなく中身も豪華だ。各学年ごとに、中々の広さと設備を備えた調理室が設けられていた。

 それに加えて本校舎の方にも、上位レギオンの控室にそれぞれキッチンが付属する。

 流石は都内でも有数の金満ガーデン。至れり尽くせりと言ったところか。

 

「各調理室の目立たない所にカメラとマイクを仕掛け、送られてくる情報をこの空き部屋でモニターします。異常が確認されたらいつでも飛び出せるよう、交代で備えましょう」

 

 一葉が立てた作戦は至ってシンプルなものだった。シンプルが故に、堅実とも言える。しかし堅実ながら、気の長い話でもあった。

 元は応接室か何かだったのだろう。そこそこの広さに、テーブルと幾つかの簡素な椅子のみ残る空間。

 その部屋に仮眠用の寝袋と夜食と暇つぶし用のレクリエーション用品を持ち込んで、ヘルヴォルは長期戦の構えを見せている。

 

「ねえねえ、皆でトランプやろうよー」

「えぇー、藍ってルール知ってるの?」

「前に一葉に教えて貰った。七並べ」

「それよりもジェ○ガにしよう。怪談並みにスリルあるよ~」

 

 藍と恋花は既にお泊り会モードだった。

 

「あまり大きな音は立てないでくださいよ?」

 

 二人に背を向けたまま窘めた一葉は先程からせっせと機材の準備を進めている。

 旧式の箱型だが、ちゃんと機能するモニター。集音マイクの受信機。そしてその二つから伸びる何本もの長いコード。

 一葉はテキパキと作業を終わらせ監視体制を整えた。

 

「ガーデンの寮の中での犯行ですから。外部の人間による犯行は考え難いでしょう。恐らくは内部の人間による愉快犯。であるならば、そう遠くない内に尻尾を掴めるはずです」

 

 それが一葉の分析だった。

 犯人が自分たちと同じエレンスゲのリリィなら、行動やアリバイをある程度は調べられるし、必ずガーデン内に犯行の痕跡が残るはず。

 今すぐには無理でも、やがては解決できる。一葉はそう考えた。

 

 モニターに映る調理室の映像に集中しようとしたところで、一葉は機材のセッティングを瑤と共に手伝ってくれた人物の異変に気付く。

 千香瑠だ。どこか浮かない顔で考え事をしているようだ。

 

「千香瑠様、安心してください。訓練や出撃に支障をきたさない程度にしますので」

「……えっ? ええ、そうね」

「我々リリィの本分は、ヒュージを倒して街を守ることですから」

 

 千香瑠の懸念を慮って一葉がフォローを入れる。

 それでもなお、千香瑠は何事か思案しているようだった。

 一葉は敢えてそれ以上追求せず、本人の考えが纏まるまで待つことにする。

 

 やがて遊び疲れた藍が寝袋の上に寝そべった頃、モニターに代わり映えの無い映像が流れ続ける中、千香瑠が口を開く。

 

「ここが空振りだったら、明日は校舎の方を当たるのはどうかしら」

「校舎といったら、レギオン控室のキッチンスペースですか? いや、しかし、わざわざそこを狙うでしょうか?」

 

 突然の提案に、一葉は顎に手を当て熟考する。

 普段からリリィたちが集う控室に侵入するなど、目立って仕方がない。夜間待機のリリィだって居るだろう。

 即答できないでいると、表情を引き締めた千香瑠が改めて口を開ける。

 

「毎日同じ場所を見張っていても、気付かれて警戒されるかもしれないわ。だから、ね?」

「……そうですね、その可能性もあるでしょう。分かりました。明日は校舎で張り込みましょう」

 

 熟慮した上での千香瑠の案を、一葉は最終的に受け入れた。いつも控え目な彼女がここまで主張するのだから、確信めいたものがあるのだろう。

 

 結果的に、この時の判断は間違っていなかったと証明された。ヘルヴォル控室のキッチンが何者かに荒らされた事実によって。

 

 

 




予告通り、ヘルヴォル長編小説始まります。

ヘルヴォルは五人で完成され過ぎてるため、何を入れても異物にしかならないのですが、逆に言えば五人だけでも話が回せそうなのが強みの一つですね。

とは言え本作品では相変わらず独自設定が盛り沢山です。

クロスオーバー要素については追々…


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第2話 足りない皿 二.

 幽霊騒動の調査を開始した翌日の朝、ヘルヴォルは自分たちの控室に起きた異変を目の当たりにした。

 それは軽く朝のミーティングを開こうと集まった時のこと。ミーティングといっても、昨晩の張り込みの疲労が多少なりともあるので、コーヒーを飲みながら談笑する程度の予定だった。

 その矢先に彼女たちが目にしたのは、キッチンの床に散らばる白い破片である。

 

「瑤様と藍は部屋の外を警戒! 千香瑠様と恋花様は室内の確認! 私はガーデンに報告してきます!」

 

 一葉が矢継ぎ早に全員へ指示を出していく。そこに迷いも躊躇も無い。

 次いで180度くるりと向き直って一葉は控室をあとにする。

 直後、背を向けた方向から、辛うじて聞き取れる声が耳に届く。

 

「酷い……。皆で買った、お揃いのソーサーが……」

 

 静かな、それでいて何故かはっきりと聞こえる千香瑠の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日から今日にかけて、マスターキー持ち出しの申請も実際に持ち出された形跡もありませんでした」

 

 歯噛みする思いで一葉が言う。

 

「廊下とその周辺に異常は無かったよ」

 

 沈着冷静な低い声で瑤が報告する。

 

「控室の中にも誰も居なかったし、窓はちゃんと全部閉まってた。異常なーし。あたしらのソーサーが五枚割られてた以外は、ね」

 

 最後に恋花が()()()()な口調で、しかし険しい眼差しを浮かべながら言い放つ。

 

「つまり、今朝私たちが訪れるまで、この控室は完全な密室だったということです」

 

 信じ難くも認めざるを得ない事実を、一葉が口に出して自分を含むヘルヴォル全員へ突き付けた。

 

 現在、ガーデンでの講義を終えた放課後。

 五人は事件について話し合うべく再び控室に集っていた。

 

「あれから、すぐに風紀委員が捜査し始めたんだけど。今のところ何も出てないみたいだね」

 

 眉間に皺を寄せ若干悔しそうな様子の恋花。彼女は現ヘルヴォル入隊以前、風紀委員長率いるレギオンに所属しており、風紀委員の友人たちが居るのだ。

 原則として、ガーデン内部の事件については、そのガーデンの風紀委員が捜査することになっている。即ちリリィに警察権を認めているのだ。さながら軍警察(ミリタリーポリス)の如く。

 

「それでどうするの? 一葉ちゃん」

「ヘルヴォルにも、引き続き本件について調査する許可が下りました。これまでのようなただの噂ではなく、今回は明白な実害のある事件ですから。ガーデンとしても本腰を入れて解決に動き出したようです」

 

 千香瑠の問い掛けに答える前に、一葉はまず現状を説明した。自分たちが動くか動かないかは別として、動く環境は整っている。

 本件において、実際の被害はカップの受け皿を五枚ばかり棄損されたというもの。だがそれはあくまで目に見える被害に過ぎない。

 重要なのは、エレンスゲ女学園のトップレギオンが使用する控室に、何者かが気付かれずに侵入したという点だ。ガーデンの沽券にも関わる事態と言えた。

 

「一葉ちゃん、提案があるわ」

「何でしょうか?」

 

 改まった調子で、決意を秘めた面持ちで、千香瑠が訴える。

 

「今夜から張り込みましょう。私たちの控室に」

「……理由を教えて頂けますか?」

「ちょっと信じられないかもしれないけれど。第六感、かしら」

 

 本人の言う通り、一葉は信じられなかった。いきなり第六感などと言われても、正直困惑せざるを得ない。

 しかし同時に、ただ切って捨てることもできなかった。本校舎の控室が危ないという、昨晩の千香瑠の懸念が見事に的中したのだから。

 相澤一葉というリリィは真面目だが、杓子定規というわけではない。むしろ臨機応変な行動を積極的に取るタイプであった。

 

「分かりました。『犯人は現場に戻る』とよく言いますが。新たな発見が得られるかもしれません」

 

 完全に納得してはいない。

 それでも一葉は千香瑠を信じて大きく頷いた。

 

「ふぁ~あ……また幽霊退治するの?」

「幽霊かどうかは分からないけどね」

 

 寝惚け眼の藍が欠伸をしながら聞いてきたので、傍に居た瑤は彼女の背中をさすりつつ答えた。

 

 実際、下手人は何者なのか?

 学園内部の犯行か?

 よそのガーデン所属のリリィの仕業か?

 あるいはもしや――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校舎一階に位置する宿直室を拠点として、ヘルヴォルは新たに監視体制を構築した。

 今度は空き部屋ではなく、正真正銘現役の宿直室だ。ガーデンが事態を軽く見ていたら、トップレギオンとはいえ借り受けることはできなかっただろう。

 

「配線、繋いだよ」

「受信機、感度りょーこー」

 

 瑤と恋花が機材のセッティングを終えた。

 一葉もまた、モニターのディスプレイに複数の映像が映ることを確認し終えた。

 部屋の隅では藍が自身の体にも匹敵する巨大なチャームを腕に抱き、カチャカチャと弄って暇を持て余している。

 千香瑠も当然チャームを傍に置いてはいるが、こちらは落ち着き払って絨毯の上で正座を組んでいる。

 

「チャームの出番が来なければ良いのですが」

 

 独り言のように一葉が呟いて以降、夜の宿直室に暫くの静寂が訪れた。

 ディスプレイには、ヘルヴォル控室の内と外、暗がりの向こうへと伸びる廊下、他のレギオン控室の扉近辺といった各所が映し出されていた。

 一葉は映像を注視しつつも、先日の恋花の発言を思い出す。

 

『あーっ、もう! 都市伝説に理屈を求めるんじゃないよ!』

 

『これはこういう話なの』

 

 本当にそうだろうか。事件の犯人が噂話を故意に流しているのだとしたら、皿を割るという行為にも何か意味があるのではないか。そこから手掛かりが見出せるかもしれない。

 そんな風に黙々と思考を巡らせていると、突然低い唸り声が部屋に響く。

 

「お腹減った……」

 

 どうやら藍のお腹に飼ってる獣が吼えたらしい。

 

「う~ん、食べちゃお」

「たい焼き、また持ってきてたんだ。それ食べたら幽霊をどうやって退散させるのかな~」

「チャームがあるもんっ。恋花にはたい焼き、あげないよ」

 

 二人のやり取りを耳に入れた一葉はクスッと笑みを漏らす。

 姉妹にして悪友。そんな言葉がこの二人以上に似合うリリィはエレンスゲにはそうそう居ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、何か音がしなかった?」

 

 千香瑠の問いに、一葉がハッとする。

 確かに気は緩んでいた。だが決してモニターから目を離してはいない。

 幾らか沈黙を挟み、今度は聞き逃さなかった。戸棚が軋む微かな音を。間違いなく映像の向こうから聞こえてきた。

 

「恋花様、瑤様、ここでモニターを続けてください。千香瑠様、藍、行きましょう」

 

 チャームを手にし、立ち上がり、指示を出して出入り口へ駆ける。

 仲間たちも各々指示通りに動き出す。

 まるで狙い澄ましたかのような、都合の良い襲撃。

 一葉は一抹の不安を覚えながらも、自分たちの控室へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井の常夜灯によってほんのりと最低限度の灯りに照らされる中、三人のリリィは校舎の廊下を走り抜ける。可能な限り音を立てず、可能な限り迅速に。

 そうして目的のドアの手前までやって来たところで、先頭の一葉がハンドサインで後続の二人を制止した。

 やはりドアは閉まっている。辺りに不審な形跡も無い。

 

「一葉、カメラに変化は無し。集音マイクも、今は異常無し」

 

 インカムによる通信で、宿直室に残った恋花が状況を知らせてくる。

 それを受けた一葉は突入を決断した。アイコンタクトとハンドサインによって千香瑠と藍にもその意を伝える。

 後方に居た千香瑠が前に出てきて控室ドアのドアノブを握り締めた。

 千香瑠に代わって藍がやや後ろに下がるが、いつでも突撃できる態勢を取っている。

 そして一葉が左手のチャームをドアに向けて突き出し、その瞬間を待つ。

 

 一葉の装備するチャーム、ブルトガングは尖った特徴の無い安定した機体だった。敢えて言うなら、故障率が低く耐久性に優れるという持ち味がある。

 藍緑色のボディパーツと鉛色の刃から成る至ってシンプルな構造で、変形機構は単純明快。故に堅牢。

 一葉もこの機体のことを信頼していた。

 

 そんなブルトガングの刃が向けられる前で、いよいよドアが開く。

 ドアノブを握る千香瑠が手を引っ張った直後、刃をかざした一葉の体が跳ぶように室内へ踏み入った。

 チャームを構えたまま、一葉が広々としたリビングを見渡す。誰も居ない。

 続けて突入した藍が仮眠室の扉を開ける。誰も居ないようだ。

 千香瑠がトイレとバスルームを確認しに行く。異常無いようだ。

 遠巻きにキッチンへも視線を向けるが、やはり無人だった。

 

「こっちは相変わらず何も映ってないよ。集音マイクの故障だったんじゃない?」

 

 訝しむ恋花の声がインカム越しに届いた。

 黙考する内、一葉は恋花の意見に同意するようになってきた。

 そんな油断があったがために、不意の変化は一葉の頭を一気に凍えつかせる。

 

「寒い……」

 

 藍が小さく呟いた。一葉だけの勘違いではないと証明された。

 5℃か6℃ほど気温が下がったような感覚に、武器を握る手や体重を支える脚が軽く震える。

 今は間違いなく夏のはず。なのに、蒸し暑いはずの空気がいつの間にか肌寒ささえ感じる始末。

 あり得ない。こんなことはあり得ない。

 そんな風に一葉は必死に自らへ言い聞かせるものの、腹の奥が底冷えし、喉の奥がチリチリと痛む。無駄な抵抗、と何者かに嘲笑されているかのようだ。

 

 ギィ、と金具が軋む音。

 聞き間違いではない。現にキッチンの戸棚が開いている。

 風の悪戯でもない。窓は完全に閉ざされている。

 ブルトガングのグリップを握る一葉の左手がより一層の力を込めた。

 

 しかし、そもそも、チャームの刃が通じる相手なのだろうか? 自分たちが相まみえようとしている存在は。

 今更ながら懐疑を抱く。

 そもそも本当に霊的な事象だとは思ってもみなかった。

 けれども、彼女らは立ち向かわなければならない。

 一葉が決意を新たにしたところで、ようやく()()は現れた。

 

「あ……っ」

 

 後ろの方で藍が息を呑み込むのが分かった。

 少し前までのお泊り会気分は跡形もなく霧散しているようだ。

 どんなに巨大で強大なヒュージを前にしても果敢に向かっていく小さな少女が、怪談相手に足をすくませている。それは恋花の語り手としての優秀さを示していた。

 

 リリィたちの前に現れたのは白い影だ。輪郭が曖昧で、いつ空気に溶け込んでもおかしくなさそうな、ぼんやりとした影。

 

「そこで、何をしているのですか」

 

 刃をかざしながらの一葉の問い掛けに、影は言葉ではなく行動で答えた。

 曖昧だった輪郭が徐々に浮かび上がっていき、明確に人の形を取ってきた。

 

「……っ!」

 

 今度は一葉も息を呑む。

 死装束を思わせる白い和装を纏い、腰よりもずっと長い黒髪を垂らし、ソレは佇んでいた。

 今まさに一葉たちの見ている前で、そこに現出したのだ。

 リリィの保有するレアスキルで似たようなことは可能かもしれないが、目の前のソレは違う気がした。理屈では説明できないが、本能が違うと訴えていた。

 ソレの表情は長過ぎる髪に隠れて窺い知れない。ただ、その髪が水に濡れて異様な雰囲気を放っているのは、離れていてもはっきりと分かった。

 

 ソレが何事か声を発している。

 はっきりとは聞き取れなかったが、黒髪の隙間から視線で射すくめられている感覚により、友好的でないのは明らかだった。

 

 ソレが再び言葉を発する。

 一葉たちが答えられないせいか、先程よりも音量が大きくなっていた。

 後ろの藍は未だ声を上げられない。だがそれは一葉自身も似たようなもの。

 

 そうして、ソレが三度(みたび)訴える。

 三度目の正直。今度はしっかりとその意が伝わった。

 

「――――――足りない」

 

 枯葉の如くしわがれたソレの両手には、予備のソーサーが握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのソーサーをどうするつもり?」

 

 一葉はハッとした。今の言葉は誰のものか?

 答えはすぐに分かった。千香瑠だ。千香瑠がソレの背後に立っている。

 一葉は困惑した。

 ソレも困惑しているようだった。

 

「貴方の皿はもう無いの。この世のどこにも無いの」

 

 本人以外が呆然とする中で、千香瑠は憐れむような慈しむような声で語り掛ける。

 ソレの全身が揺らぎ、輪郭がぼやけで薄らと半透明になり始めた。

 ところが、ソレがキッチンから消え去ることは叶わない。にゅっと伸びた千香瑠の右手に肩を掴まれていたから。

 

「だからもう、終わりにしましょう」

 

 千香瑠の左手がソレの口へと伸びていく。手の中にあるのはガラス瓶。恋花が洒落で用意していた塩の瓶。

 

「お塩つめつめ……お塩つめつめ……」

 

 超常の存在が拘束されて、口内へ塩を詰め込まれる。

 その異常な光景に直面し、涙目の藍は一葉にしがみ付いてブルブル震えている。

 正直、泣きたいのは一葉も一緒だった。ただヘルヴォルの隊長という立場が彼女を踏み止まらせていたのだ。

 やがてソレの体から淡い光が漏れてくる。

 

「も゛っ゛」

 

 苦悶の奇声と共に跡形もなく消え去った。

 初めに控室へ踏み込んだ時と同じ、ヘルヴォルの三人だけがそこに居た。

 最初と違うのは、千香瑠の右手がソーサーを一枚掴んでいる点か。

 

「はぁ……」

 

 自身の頬に左手を当て憂いを帯びた面持ちで溜め息を吐く千香瑠。

 

「また皆の分、買いに行きましょうね」

 

 彼女だけは絶対に怒らせないようにしよう。そう心に固く誓う一葉であった。

 

 

 



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第3話 祓魔のリリィ

「今控室で起きたことは、明日必ず皆に説明します」

 

 『皿屋敷』事件の直後、事態を把握できずに困惑していた四人の前で千香瑠はそう言った。

 恋花と共に別室でモニターしていた瑤には、何が起きたのか本当に分からなかった。カメラには最初から最後まで、一葉と藍と千香瑠しか映っていなかったのだから。

 もっとも、通信機から聞こえてくる三人の言葉から、ただ事でないことは十分に伝わっている。

 ちなみに一葉はガーデンに対し、見たままを報告していた。今頃上層部は頭を抱えていることだろう。

 何にせよ、詳細は今晩千香瑠が話してくれるはず。

 

 それはそれとして、今日のヘルヴォルは非番だった。

 昼下がり、ガラス張りのビルや大型商業施設が立ち並ぶ六本木の中心部。高層建築物に囲まれた開けた空間。一見するとレンガ敷きのような見た目の型押しアスファルトで舗装された大広場に、人を待つ瑤の姿があった。

 ベージュ色のシャツはネックラインが横に広く、鎖骨が露わになっている。下に穿く黒のカーゴパンツはゆったりとして着心地が良い。セミショートの赤毛を後ろでシニヨンに纏め、いつもは前髪で隠れがちな片目も今日はよく見える。

 エレンスゲの制服を纏っていない、リリィとはまた別の顔。そんな瑤が広場の片隅に立っていると、近付いてくる者が居た。

 生憎と瑤の待ち人ではなかったが。

 

「ねえねえ、お姉さん。今って暇ー? うちらと一緒に遊ぼうよ~」

「カラオケ行こう! カラオケ!」

 

 ガーデンではない一般の女子高校生か。制服をラフに着崩している二人組だ。午前で学校が終わり、そのまま遊びに繰り出したといったところだろう。

 

「いや、人を待ってて」

「その人も女の子? だったらさあ、2対2でちょうどいいじゃーん」

 

 正直な話、垢抜けた女の子二人に囲まれて瑤も悪い気はしなかった。

 しかし遊びの趣味は合いそうになかったし、何よりも今日は予定がある。

 

(こんな時、恋花なら上手く断るのかな? それとも意気投合して一緒に遊びに行くかも)

 

 瑤はコミュ力お化けの友のことを思い浮かべる。自分とは気質が正反対の彼女が居たら、今のこの状況にも嬉々として対応するに違いない。

 

「あのー」

 

 横からよく聞き知った声を掛けられて、今度こそ待ち人が到着したと知る。

 女子高生二人組は声の方角に振り向いて、ちょっとだけ目を見開いたようだ。

 

「うっひゃー、すっごい清楚系じゃん。これは勝てんわ」

「ざーんねーん。お姉さん、またねー」

 

 名残惜しむものの、女子高生たちは手をひらひら振って去っていった。

 二人組の方を不思議そうに眺めながら、待ち人である千香瑠が瑤の傍へと歩み寄って来る。

 

「すみません、お待たせしました」

 

 純白のブラウスと紺色のロングスカートに身を包んだ彼女は眩しい程に清楚であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が暮れる前に目的を果たし、瑤と千香瑠はガーデン目指して六本木の街を歩く。

 夕方に近い時間とは言え、夏ゆえに日は長い。気温もまだまだ高いので、彼女らは街路樹の木陰に沿うように歩道を進んでいる。

 二人とも中身の詰まった大きな紙袋を抱えていたが、それこそが今日待ち合わせた目的だった。

 

「瑤さん、買い物に付き合わせちゃってごめんなさい」

「平気。千香瑠こそ皆の分もご飯作るわけだし、買い出し大変でしょ」

「いいえ、私は好きで作ってるから」

 

 瑤は横に並んで歩く千香瑠に視線を落とす。170㎝オーバーという女性としてはかなり高身長の瑤と比べ、千香瑠は幾分か目線が低い。

 普段は一本に縛っている艶やかな茶髪を、今はストレートに下ろしている。それがまた千香瑠の持ち味を引き立たせていた。

 

(一葉だったらストレートに褒めるだろうし、恋花だったら何か気の利いた台詞でも言いそう)

 

 瑤は口数が少なく、口を開いたとしても話が上手い方ではなかった。

 しかしながら、人と話すことや人と接することが特段嫌いなわけではない。

 

「千香瑠、お嬢様みたい」

「……! ふふっ、ありがとうございます。でも百合ヶ丘には編入しませんよ」

「うん、知ってる」

 

 千香瑠は一瞬パチパチと瞬きしたが、すぐに目を細めて笑みを浮かべる。その様は、身贔屓であることを差し引いても、たおやかで、品があって、美しい。

 瑤は内心「街で自分ばかり声を掛けられて千香瑠が掛けられてないのはおかしい」と首を傾げていた。

 だがその内「高嶺の花過ぎてかえってちょっかいを出し辛いのではないか」と勝手に納得するのであった。

 

「お魚、安くなってて良かったわ」

 

 先程の買い出しの話を振られて瑤は小さく頷く。

 

「このところヒュージの動きが鈍いのと、関係があるのかも」

「ええ。小型ヒュージはまだ見かけるけど、大型はぱったりと出なくなったわね。一時の激戦が嘘みたい」

「これはこれで、不気味」

「そうね……」

 

 本来自分たちリリィが暇なのは良いことなのだが、手放しで喜んでばかりはいられない。

 状況が有利な時ほど気を引き締め直すべきなのだ。

 

「不気味と言えば。千香瑠、あの時のこと」

「分かってます。……お夕飯を済ませた後にしましょう」

 

 話している間にも、彼女らの学び舎、エレンスゲの校舎が見えてくるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は流れて宵の口。夕餉を取り終えた後の、団欒の時間。

 本日は非番ではあるが、翌日に向けたミーティングも含めてヘルヴォルはできるだけ会合の機会を持つようにしている。

 会合といっても、ただのんびり駄弁る時も少なくないのだが。

 

「ご飯美味しかったー。お魚、美味しかったー」

 

 リビングの絨毯で脚を崩して座る千香瑠の元へ、腹一杯で満足げな藍が飛び付いた。千香瑠の膝に上半身でもたれ掛かり、両足を絨毯の上で交互に上げ下げし始める。

 

「藍ちゃん、スズキのホイル焼きは気に入った?」

「うん! 一緒に入ってたジュワジュワのマヨネーズも好きー」

 

 瑤は千香瑠に羨望の眼差しを送る。藍の()()()になるのはいつもは自分の役目であった。

 とは言え藍本人がとても嬉しそうに顔を輝かせているものだから、瑤も釣られて優しい気持ちになってくる。

 

「瑤ってば、今日私服で街に遊びに行ったんでしょ?」

「そうだけど」

「声、掛けられまくりじゃなかった?」

 

 含みのある笑みを浮かべた恋花が尋ねてくる。

 実際、ガーデンの制服を着ていた場合は――同じリリィを除いて――ちょっかいをかけられることはあまりないが、リリィと気付かれない格好なら話は別だろう。

 

「まあ、そうだね」

「何人ぐらい?」

「男の人が二人、女の子が四人ぐらい」

「はぁ~、やっぱり美人は得だねえ」

 

 わざとらしく溜め息を吐く恋花。

 それに対して、瑤は一部勘違いが混ざっていることを指摘しようと試みる。

 

「別に、男の人はナンパとかじゃないからね。チラシ配りとか宗教の勧誘とかだから」

「女の子は?」

「それは、まあ、うん……」

「やっぱりナンパじゃないか!」

 

 そんなこんなリビングで憩いの時間を過ごしていると、キッチンの方から一葉がやって来る。

 ヘルヴォルにおいて、食事の後片付けは交代制だった。なお調理の方は本人の希望により、千香瑠偏重の交代制である。

 

「お待たせしました、皆さん。千香瑠様」

「全員、揃ったわね。……あの時の約束通り、お話しします」

 

 一葉の着席を以って、ヘルヴォル五人が揃う。

 円になって座る仲間たちを見渡して、千香瑠は慎重に言葉を紡ぐ。

 

「あの時私たちが控室で遭遇したモノ。あれは、怪異。そう呼ばれる存在です」

 

 そう言われて、他の四人はすぐに言葉を返すことができなかった。

 少々の間を置いて、初めに話に加わったのは、難しい顔をしながら首を傾げる藍だった。

 

「それって幽霊?」

「幽霊も含まれているわね。人の噂が大きく膨らんで、実体を得た姿。それが怪異」

 

 掻い摘んだ説明だった。これだけでは理解は困難だ。

 

「つまり、怪談とか都市伝説とか、そんなものが現実に現れてるってわけ?」

「そっくりそのままではないけれど。そういうことね」

「いや、でも。そりゃあ確かにあたしも今まで都市伝説の噂は幾つも聞いてきたけどさ。それが、余興や娯楽じゃなくて、実際に起こってるとか……」

 

 恋花は頭を押さえて軽く唸る。怪談話を楽しんでいた彼女でも、自分自身が物語の登場人物となれば、流石に動じざるを得ないのだろう。

 

「ずっと昔、このような超常の存在は度々囁かれていたそうです。それが科学文明の発達と共に人々から忘れられていき、空想上の産物と見なされるようになった。そして今、どういうわけか再び表に出始めたのです」

 

 千香瑠の口から語られるのは突拍子もない話であった。常ならば、聞き手がヘルヴォルのメンバーでなければ、一笑に付されてもおかしくない。

 ところが今は事情が違う。実際に不可思議な体験をしておいて、尚も「あり得ない」と現実逃避することはできなかった。

 

「千香瑠様。千香瑠様は何故そのような事情を知っているのですか? 何故あの怪異を撃退できたのですか?」

 

 千香瑠の対面の位置に正座する一葉が神妙な顔つきで問う。

 恐らくは、この場に居る誰もが一番気にしていた疑問だろう。無論、瑤も例外ではない。

 

「それは私が、神社の生まれだから」

「千香瑠様の故郷……甲州でしたね」

「ええ。甲州の、山奥にある小さな神社だったわ。それでも怪異については幼い頃から聞かされてきたし、修行も積んできたの」

「リリィとしての修練とは別に、ですか。それはかなりの負担でしょう」

「いいえ、そうでもないわ。リリィと巫女、意外に似通ったところがあって……」

 

 巫女として積んだ修行の詳細については割愛された。

 今重要なのは千香瑠が怪異とやらに、超常の存在に対抗できるという点だった。

 だがそれ以外にも疑問は残っている。

 

「千香瑠様のような方が、他にもいらっしゃるのでしょうか」

「勿論居るわ。東の桜ノ社と、西の鹿野苑。この二つのガーデンは元々そういった存在を祓っていた人たちなの」

 

 百合ヶ丘女学院と並ぶ鎌倉府5大ガーデンの一角、鎌倉府立桜ノ社女子高等学校。京都舞鶴市にある真言尼寺を前身とした鹿野苑高等女学園。

 千香瑠曰く、それらは時代の移り変わりと共にガーデンへと再編された怪異退治の専門家集団なのだとか。表に出てくるのはガーデンとしての役目ばかりで、かつての顔が取り沙汰されたことは無いらしい。実際、怪談・都市伝説などよりヒュージの方が明らかな脅威だった。少なくとも、これまでは。

 

「成る程、大方の事情は分かりました。未だ理解できない部分はありますが」

 

 一葉は正座したまま腕組みして考え込む。

 当たり前だが、ここに来て千香瑠の言を信じない者は居なかった。

 問題は彼女らのガーデン、エレンスゲがこの件をどう取り扱うか。こればかりは控室で話し合っていても詮無いことではある。

 

「ふーん、そっか。千香瑠がお化け退治の巫女かぁ」

 

 それまでの真剣な空気の流れを堰き止める恋花の発言。

 良きにつけ悪しきにつけ、こんな時は決まって彼女のムードメイカーとしての本領が発揮されるのだと、瑤は経験則から知っていた。伊達に長い付き合いではないのだ。

 

「じゃあさあ、巫女の衣装って持ってるの?」

「甲州から逃げる時に持ち出してきたけど……」

「せっかくだから見たいなー」

「ええっ?」

「千香瑠の巫女服、見たいなー」

 

 恋花がこれまたわざとらしく棒読みでチラッチラッと千香瑠を見る。

 見られた方は視線を彷徨わせて助けを求めるが――――

 

「よろしいのでは? 退魔の装束、我々も何かしら感じるものがあるかもしれません」

 

 一葉は至極健全な動機で賛成に回ってしまった。

 実を言うと、恋花ほどではないが瑤も興味がある。故に口を挟まない。

 そして藍は目を大きく開いて興味津々といった様子。

 こうなると千香瑠は断れないだろう。彼女に対して罪悪感はあるものの、今回は瑤も好奇心の方が勝った。

 

「…………分かったわ。寮の部屋に仕舞ってあるから、明日にしましょう」

 

 千香瑠が観念して頷いたところで、その日のミーティングはお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、講義の前の早朝ミーティングにおいて、昨晩の約束は実行されることになる。

 ヘルヴォル控室のリビングで待つ四人。その四人の待っていた人物が別室から現れる。

 

「とてもお似合いですよ!」

「はぇ~、やっぱあたしの目に狂いは無かったね」

 

 一葉が素直に称賛し、恋花が感嘆の声を上げる。

 

「千香瑠可愛い!」

 

 恐らくは衣装の持つ意味をよく分かっていないであろう藍。だからこそ純粋な気持ちが表れているのだ。

 

「あの、えっと……」

 

 着替えを終えておずおずと姿を見せた千香瑠だが、どう反応して良いか分からず立ち尽くしている。

 彼女が纏うのは袖の広い白衣(はくえ)だった。千香瑠の人よりも豊かな女性の象徴が前合わせを押し上げており、胸元が若干窮屈そうである。

 下半身を包む袴は濃い緋色で、千香瑠の人よりも長い脚を足首のすぐ上まで覆い隠している。

 それはオーソドックスと言っても差し支えない巫女装束。特筆すべき部分の無い、どこの神社でも見れそうな有り触れたものだった。

 ただ一つ、着用者と芸術的なまでにマッチしている点だけは、おいそれとお目に掛かれないことだろう。

 

「可愛い」

 

 瑤はほとんど真顔で呟いた。

 すぐ隣の藍と台詞こそ同じだが、外見上のギャップは如何ともし難い。

 

「可愛い……可愛い……」

 

 元々それほど豊富でもなかった瑤の語彙力が余計に失われていく。

 実際、濃い茶色の長髪を一本に纏め、淑やかで慎み深い所作の千香瑠は抜群に巫女装束が似合っていた。そんな彼女がヘルヴォルの皆から称えられて恥じらう光景は、下手な言葉では飾り切れないほど尊い。

 

「でも、腋は出てないのかぁ。ちょっと残念」

「恋花様、何を仰っているのですか」

「いやいや、巫女服に腋出しは外せないっしょー」

「本当に何を仰っているのですか?」

 

 一葉と恋花で、認識の隔たりは大きい。

 

「いいなぁ、可愛くて」

「私の、小さい頃の巫女装束も仕舞ってあるのだけど。藍ちゃんも着てみる?」

「本当? らんも着たい!」

「……っ!?!?!?!?!?」

「落ち着け瑤、座れ」

 

 無邪気な藍のお陰で千香瑠が元気を取り戻す。

 一方で恋花は元気になり過ぎた瑤を抑える。

 

 これがトップレギオン、ヘルヴォル。

 非日常に晒されても、超常にぶつかろうとも、その姿はそうそう変わるものではない。

 

 

 




「このカップリングは絶対にありえない。それはない」
「マイナーこじらせてんじゃねえ」
「そもそもこの二人接点あまりねえぞ!」



「同じレギオンに居る!」


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第4話 怪異新聞

 

 


 

 

        横浜ネスト撃滅、首都圏完全奪還に向け弾み

 

 先日、東京湾における海上交通の脅威であった横浜ネストが、巣の主であるアルトラ級ヒュージ諸共撃破された。

 これにより、横浜のみならず東京湾全体の物流が大きく改善されることが期待できる。

 作戦に参加したガーデンは地元のシエルリント女学薗の他に、相模原を国定守備範囲として担当する相模女子高等学館と、東京六本木に所在するエレンスゲ女学園だ。

 作戦は終始順調に推移し、他地域からの増援をネスト本軍と合流させることなく教科書通りの分断・各個撃破を実行できた。

 横浜ネストは横浜沿岸から遠過ぎず近過ぎない、ヒュージにとって絶好の距離に位置するネスト。

 今回、そのようなネストを攻略できるだけの戦力を結集できたのは、昨今ヒュージの活動が停滞気味だという事情によるところが大きい。

 あれだけ猛威を振るい続けてきたヒュージが何故今になって足を止めたのか。

 理由はともかく、これを好機と攻めに転じるべきだという意見もあれば、嵐の前の静けさに過ぎないと警戒する意見もある。

 いずれにせよ、事態の変化を見逃さぬよう、より一層の注視が必要となるだろう。

 

 


 

 

 テーブルの上、恋花は己の人差指を上下に動かし続ける。

 指の踊っている舞台は軽量のまな板……ではなく、小さな洗濯板……でもなく、板状のタブレット端末だった。

 タブレットのディスプレイには最新のニュース記事が映し出されている。

 

「んーーー」

 

 もう片方の人差指でテーブルをトントンと叩きながら、他に誰も居ない部屋で恋花は思索に耽る。

 急に大人しくなったヒュージたち。原因は判然としていない。恋花には「大攻勢の前の準備期間」という説が最も信憑性が高く感じられたが、それとて他説との比較に過ぎなかった。

 

「でもしっくりこないのよねえ」

 

 これが本音である。

 結局は推測の域を出ず、今の段階では検証の手段も無い。

 その上、このヒュージの異常行動は関東圏だけでなく、全国的な現象になりつつあるのだ。

 

 ふと、部屋の出入り口になる機械式のドアが真横にスライドした。

 入室してきたのは恋花の後輩にして、彼女たちヘルヴォルのリーダーだった。

 

「恋花様お一人でしたか」

「はいはい、お一人様ですよっと」

「では全員揃うまで待ちましょうか」

 

 いつもの控室、いつものリビング。

 恋花の向かい側に一葉が腰を下ろす。

 

「何を見ていたんですか?」

「これよ、これ」

「……ああ、先の合同作戦ですね」

「一応トップのうちらが呼ばれないなんて、おかしくない?」

「主攻はあくまでもシエルリントと相模で、エレンスゲの役割は支援でしたから」

 

 眉を顰めて不満げな声を上げる恋花に対し、一葉は仕方ないと言わんばかりに宥めようとする。

 

「ま、それはもういいのよ。こっちはこっちで大変だったし。問題なのは、その大変なことになった元凶の方ね」

「それについては……皆さん到着したので改めて説明します」

 

 残りの三人が出入り口をくぐったところで仕切り直しとなる。

 そうして早速、一葉の口から本題が語られることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結論から言うと、ガーデンは私たちの上げた報告をそのまま受理しました」

 

 ヘルヴォルメンバーが一堂に会したリビングにて。

 内容だけ見れば喜ぶべきものだったが、一葉の表情は硬く引き締まっていた。

 

「普通なら『そんなふざけた報告、書き直しだ!』って突っぱねられそうなものだけどねえ」

 

 ジト目で皮肉っぽい恋花の言葉に、他の面々も同感だと相槌を打つ。

 

「しかし、実際は長い協議の末に受け入れられた。これは、エレンスゲ上層部も怪異絡みの事件を認識していると考えるのが自然でしょう」

「その辺り、実際どうなの?」

 

 恋花に話を振られた千香瑠は少しだけ考え込んでから口を開く。

 

「十分、あり得るわ。桜ノ社や鹿野苑以外のガーデンも怪異に関わろうとしているかもしれない。程度の差はあるでしょうけど」

「実際、あんなことが起こってるわけだし。何も把握してませんって方が無理があるか」

 

 予想通りの答えに恋花は納得する。

 ただ納得と同時に、嫌な予感も覚えていた。

 

「また良からぬことに巻き込まれなきゃいいけど……」

「それは、杞憂でしょうね。怪異関連であの二校よりエレンスゲが進んでいるとは思えないわ」

「悪用しようと思ってできるものじゃないってこと?」

「ええ。仮にできたとしても、労力に見合わないわね」

 

 千香瑠の意見を聞いて安堵する恋花。

 実験と称して幽霊か何かにされては堪ったものではない。

 

「ガーデンの思惑はともかく。千香瑠様のお陰で無事に解決できたのは僥倖でした。ヒュージではありませんが、人に害を及ぼしかねないものなら私たちの出番もあるかもしれません」

「本気でヘルヴォルが幽霊退治しようって?」

「その時が来れば、ですよ。そうそう機会があるとは思えませんが」

 

 一葉が真面目な顔を崩して軽く笑う。

 確かに、恋花もあんな奇怪な体験を何度も味わうとは思えなかった。好奇心がそそられないと言えば噓になるが、そうそう面白い話が転がっているとも考え難い。

 そんな恋花の心情を慮ったのか、一葉が思い出したかのように話題を変える。

 

「ところで、次のシエルリントとの情報交換会、私たちヘルヴォルも参加ということになりました」

「マジ? よーっし、深顯(みあき)に何を持って行ってやろうかな」

 

 恋花は一転してウキウキ気分で笑みを浮かべた。

 

ヘルヴォル(うち)は横浜ネスト攻略戦に参加してないんだけどね」

「細かいことはいいんだって! 大体、トップレギオンを参加させない方がおかしい!」

 

 瑤の指摘も何のその。それぐらい楽しみだった。

 友好ガーデンだし、距離的にも大して遠くはないのだが。

 

「何? 深顯の所に遊びに行くの? やったぁ!」

「藍、遊びに行くんじゃないからね」

 

 軌道修正を図るべく窘める一葉だが、あまり効果は無いようだ。

 結局、情報交換会はともかくとして、その後の友との対面は遠足気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シエルリント女学薗とは、ヘルヴォルが所属するエレンスゲ女学園と友好関係にあるガーデンだ。鎌倉府5大ガーデンの一角で、横浜をお膝元とする。恋花たちも何度か直接関わったことがあった。

 シエルリントはエレンスゲと同様、マディック制度を導入していた。

 マディックとは、スキラー数値――――マギの出力――――がリリィの基準に満たず、チャームが扱えない者たちの名称である。

 

 両校による情報交換会の後、シエルリント校舎に程近いカフェで、ヘルヴォルは一人のマディックを囲んでいた。小柄な痩躯を黒尽くめの衣装に包んだ少女である。

 

「ふむふむ、怪談ですかー」

 

 左右の席を一葉と恋花に挟まれた少女は、両手でグラスを握りつつ相槌を打つ。ちなみにグラスの中身は黒一色の珈琲だった。

 

「そうそう、最近嵌まっててさー。深顯も何かその手の話を知ってたら教えてくれない?」

 

 恋花が肩と顔を寄せて気安く尋ねると、黒衣の少女――――道川深顯は声を低くし「うーん」と唸る。

 この場では藍の次に幼い容姿の深顯だが、その実、6個分隊30名に隊本部・救護班・整備班を加えた総員40名ばかりの黒十字マディック隊を率いる指揮官なのである。

 

「私ではお力になれないかもしれません。何せシエルリント(うち)では、たとえ幽世より来たる魑魅魍魎どもが蠢こうとも、黒暗(こくあん)の魔女たちが人知れず処理してしまうからです!」

 

 つぶらな瞳を輝かせ、鼻息を荒げ、深顯は妄想の世界を熱弁する。

 いや、妄想などではなく文化だ。シエルリントに根付く独自の文化だ。

 

「そうですか……。それは良かった」

「あ、でも、怪談じゃないかもですが、一つ気になる話はありますね」

 

 深顯のノリに当然の如くついていく一葉。

 そこへ、今度は至極真面目な情報がもたらされる。

 

「最近、うちの学生寮に差出人不明の新聞が届けられているんです。怪しいので、人の目につく前に寮長が回収しているらしいのですが。その甲斐もなく、寮の中では噂になってて」

「どのような新聞なのでしょう?」

「書かれている内容は特におかしくはないそうです。リリィを話題にした記事だとか。ただ、噂に尾びれ背びれが付いて、読むごとに一日寿命が縮まる呪いの新聞ってことになってますね」

「呪いの新聞……」

 

 一葉は深顯の話を反芻しているようだ。

 恋花としても、どこかで聞いたような内容である点は気になったものの、これだけでは何も判断できない。

 

「あのさ、深顯。その新聞、実物を確かめることってできる?」

「ええっと、実物を持ち出すのは無理ですが、写真を撮るぐらいなら可能だと思います」

「オッケー、それじゃあ写真をお願いしようかな」

「はい。撮れたらメールで送りますね」

 

 恋花はトントン拍子で話を纏めていった。怪談話も興味をそそられるものだが、深顯と話したいことは他にもあるからだ。

 ちょうどその時、カフェオレをストローからチュウチュウと吸っていた藍が、向かいの席から深顯たちの会話に割り込んでくる。

 

「お仕事のお話、終わった? だったら公園に行こうよ」

「公園? ひょっとして山下公園ですか?」

「あそこで千香瑠のお弁当食べて、ゴロンってするの」

 

 言葉足らずな藍の話に、最初はクエスチョンマークを顔に浮かべていた深顯。

 しかし、輝きに溢れる藍の表情と、両手をパタパタ動かしジェスチャーを試みる姿を目の当たりにし、深顯の顔も次第に綻んでいった。

 

「ふふっ。藍ちゃんもこう言ってることだし、早速場所取りに行きましょうか。ネストがなくなってから、人が増えたと聞きますし」

 

 千香瑠の言葉が後押しとなって、一行は席を立つ流れとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、ヘルヴォルの姿は再び鎌倉府にあった。今回訪れたのは、横浜市と鎌倉市の境界付近にある小さな町である。

 ただし、この日の彼女らは私服だった。その光景は有り触れた女学生を思わせる。大きなチャームケースが目立つ点を除けば、だが。

 

「あれですね」

 

 車道を挟んだ反対側に、一葉がお目当ての建物を発見した。それは何かの事務所みたいな平屋の建物だった。

 

「写メに映ってた新聞に、印刷所の名前が載ってるなんてね」

「お陰でここを特定できました。深顯さんには感謝しないと」

 

 恋花と一葉が頷き合うのは例の新聞について。

 いとも容易く送り主を見つけられそうで、助かると同時に不思議でもある。

 

「シエルリントのガーデンとしては無視を決め込み、学生寮のリリィたちは気味悪がって関わろうとしない」

「気味悪がってるんじゃなくて、あえて詮索してないだけなんじゃ……。闇の組織がどうのこうのとか言って」

 

 瑤の言葉を恋花が訂正した。

 実際、わざわざヘルヴォルが出張らなくても解決できたはずの案件だ。

 それでも今まで放置していたのは、実害が皆無だったからであろう。ただ何の変哲も無い新聞を送りつけてきただけのこと。寿命が縮む云々という話も、今のところ与太話に過ぎない。

 それよりも、恋花はエレンスゲがヘルヴォルに調査許可を出した事実に驚いていた。リリィが各々のガーデンに定められた国定守備範囲から出ていくだけで外征扱いになるのだから。

 ヒュージが大人しくて暇になったから、という理由だけでは説明がつかない。

 やはりエレンスゲも怪異絡みの事件に首を突っ込もうとしていると考えるのが自然ではないか。

 

「ともかく、新聞の送り主が現れるまで交代で張り込みしましょう」

「あいよ。ところで一葉、その手に抱えている本は?」

「長丁場に備えて、時間を有意義に使おうかと」

「それでこんなとこでも戦術教本? ()()()っちゃ()()()けどさあ」

 

 後輩にして我らがリーダーである少女の優等生ぶりに恋花は苦笑する。

 けれども無理に改めさせようとは思わない。これまでの付き合いで、ブレーキを掛けてやるべき部分とその必要が無い部分の塩梅が何となく分かっていたから。

 

「一葉、具体的にはどう監視するの?」

「そうですね……小さな町とは言え、幸いこの近辺は人通りも店舗も多いので、あちらとこちらのポイントで二人一組になって――――――」

 

 一葉が瑤の質問に答えて監視体制を組み立てていく。

 案件に対して、些か大袈裟な感もある。しかしこれが相澤一葉という人物だった。

 それに最初から徹底的にやってさっさと終わらせるという考えは恋花も嫌いではない。

 

 狙い通りと言うべきか、張り込みの成果が早くも翌朝に出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怪異新聞の正体を突き止めようと、ヘルヴォルが張り込みを開始した二日目の朝。

 恋花と一葉のペアは重要参考人の確保に成功した。両腕で大事そうに抱えている新聞の原本が決め手である。

 印刷所の手前、歩道の真ん中で前後を挟まれた重要参考人は一葉たちと年の変わらぬ小さな少女であった。

 

「やっぱり、ふーみんじゃん。遠目からでも分かったけどさ」

「あうう……」

 

 後ろから恋花に肩を叩かれた少女は動揺して言葉を詰まらせているようだった。

 彼女は二川二水。百合ヶ丘女学院所属のリリィであり、ヘルヴォルとは戦場においてもプライベートでも面識があった。

 

「二水さん、シエルリントに差出人不明の新聞を送っていたのは貴方ですね?」

「ええっと。は、はい。そうです……」

「シエルリントでは、読むたびに寿命が縮まる怪異新聞などという噂が流れているのですよ」

「ふええっ、すみませんっ」

 

 一葉から真っ直ぐに問われた二水は己の行為を認めた。小動物の如く縮こまっているのは少々気の毒に思えたが。

 

「でもさ、せっかく書いた記事なのに、匿名で送ったら誰が書いたか分からないじゃん。それって勿体なくない?」

「うっ、それはそうですけど……」

「そもそも、ふーみんは何でシエルリントに読ませようと思ったの?」

 

 恋花の問いに、二水はまた口ごもる。

 しかし間を置いて、ゆっくりとだがポツポツと語り始めた。

 

「ご存知の通り、反ゲヘナの百合ヶ丘と親ゲヘナのシエルリントは仲がよろしくありません。そこで、他愛のない話題から始めて、私たちの考えを知って貰おうかと」

 

 二水の言いたいことは分かる。

 エレンスゲもまた百合ヶ丘とは関係が悪い。ヘルヴォルの場合、ガーデンから睨まれながらもこうして二水たち一柳隊と懇意にしているのだが。

 

「でもねえ。記事の内容が、誰それと誰それが擬似姉妹(シュッツエンゲル)を結んだとか、誰それと誰それが付き合ってるとか。そんなんばかりなんだけど」

「い、いえ、だからこれは()()であって、その内ちゃんと百合ヶ丘のリリィとしての在り方とか紹介したりして……」

「ふーん? けど新聞を刷り続けるのだってお金掛かるでしょ。ちょーっと悠長過ぎやしない?」

「あー、えーっと……」

「まあそもそも、肝心の生徒(リリィ)の目に映ってないからね。この新聞」

 

 追及される度、二水はしどろもどろになっていく。

 可愛そうではあるが、しかし大事なことなので、はっきりさせておかなければ。

 

「恋花様、その辺りで」

「はーい」

「二水さん。やはりこの方法では目的を達成するのは難しいでしょう」

「そう、ですね。一葉さんや恋花様たちにもご迷惑お掛けしましたし。新聞を送るのは止めておきます」

 

 二水は眉を八の字に垂れ下げた残念そうな顔で承諾した。

 彼女の熱意や行動力は大したものだが、方法が些かズレていたと見るべきだろう。

 

 問題が片付いた頃、一時的に別行動を取っていた他の三人、藍と千香瑠と瑤がやって来る。

 全員が合流したのを見計らって、恋花が改まった調子で口を開く。

 

「さ~て、無事に怪談も解決したし。最後に皆でお昼食べて帰ろっか」

 

 明るくあっけらかんとそう言った。

 今はまだ朝なので、昼までどこかで遊ぶなりして時間を潰す必要がある。

 

「勿論ふーみんも一緒だからね」

「え、ええ。今日は非番なので大丈夫ですが」

「よし! 決まり!」

 

 一葉が異を唱えないこともあり、恋花は強引に昼の予定を決めてしまった。

 

「千香瑠様、念のためお聞きしますが、今回は本当に怪異の関与は無いのですね?」

「無いと思うわ。新聞の原本からも二水さんからも、印刷所からもおかしなモノは感じないから」

「そうですか」

 

 神妙な顔で尋ねた一葉は千香瑠の返事を聞いて「ふぅ」と息を吐き出した。肩の力も幾分か抜けたに違いない。

 ただそれでも、リーダーである彼女は警戒を完全には解いていないだろう。

 恋花は二水の肩を左手で抱きつつ、一葉の肩にも右手を伸ばす。

 

「なーに難しい顔してんのよ。まさか一葉、このまま東京にトンボ返りしようって言うんじゃないでしょうね」

「いえ、そういうわけでは……」

「だったら、これから町の中ゆっくり見ていくよ。ふーみんに案内してもらおっかな」

「はい。私もそこまで詳しくはないですが」

 

 恋花を中心に横並びの三人が歩き出した。

 その後ろから、微笑を浮かべた千香瑠と若干の呆れ顔をした瑤が続く。寝惚け眼の藍は瑤に手を引かれている。

 

 怪異の調査は空振りだった。

 しかし、こんな日もあるものだと、朗らかに前へ進む恋花の姿と晴れ渡った青空が暗に語っているようだった。

 

 

 



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第5話 人面犬

 昼間は人々の生活音が聞こえてくる住宅街も、日が暮れて暗闇にどっぷりと浸かってからは静まり返っている。

 道路の脇、民家の板塀付近に生えている街灯だけが周りの光景を照らしていた。

 街灯はぽつりぽつりと距離を置いて点在しており、もたらす灯りの範囲も狭い。だがそれでも、夜闇においては心強い光となる。

 そんな限られた灯りの下に一匹の犬が居た。野良犬だろうか。こちらにお尻を向けながら、頭をこすり付けるかのように電柱の根本にくっ付けている。

 ふと、気になった。犬が何をしているのか。

 万全ではない視界の状態で、目を凝らしてジッと見つめてみる。

 

 犬種は?

 本当に野良犬か?

 電柱の下に何かあるのか?

 

 疑問が幾つも湧き上がってくる中、突然に声がした。

 

「何見てんだよ」

 

 低い男の声。

 驚いて辺りを見回すが、人の影も形も見当たらない。先程までと同じく、民家の塀と道路のアスファルトが続くばかり。

 

「こっちだ、こっち」

 

 再び声がするものの、やはり影も形も見つけられない。他に人など居ないはず。

 その時、ある一つの馬鹿げた考えを思い付いた。本当に馬鹿げた内容で、こんな状況でなければ思いも寄らなかっただろう。

 その考えとは、今も電柱の下に留まっている犬が声の主だということ。根拠も証拠も何も無いが、他には考えつかなかった。

 一度思い付くと、不思議なことに段々と真実味を帯びているように感じてくる。

 だが中々勇気が湧いてこない。犬に近付いて確かめるための足が踏み出せない。座敷犬の如く小さな獣の後ろ姿に気圧されていたのだ。

 

「だから、こっちだよ」

 

 まごついている内に、犬が動いた。電柱の根元を見下ろしていた首を持ち上げて、ゆっくりと後ろの方へと回す。

 まるで金縛りにあったかのように全身が動かない。なので犬から目を逸らせない。

 夜の暗闇でも視界が利くのだろう。街灯の光を浴びてないこちらのことを、ソレは正確に見据えているようだった。

 振り向いたソレの顔とは――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

 

 恋花の話が全て終わる前に、鼓膜を震わす絶叫が轟き渡った。

 ここが防音機能のしっかりしたレギオン控室のリビングで幸いである。

 

「もーーーっ! 止めてって言ってるのにぃ! 恋花のばか! おたんこナスビ!」

「ありがとナスビ~。って言っても、噂の検証だから仕方ないっしょ」

 

 藍が瑤の膝の上に泣き付きながら、怪談の語り手へ悪態を吐く。

 吐かれた方は意に介さず平然としているが、事実、巷に流れる噂は怪異の確認のために知る必要があるので、彼女は何も悪くなかった。悪くはないが、ちょっとした悪意はあったかもしれない。

 

「ですが、これは少し問題ですね」

 

 すると、一連のやり取りを見ていた一葉が真面目な顔をして口を挟む。

 

「こうも怪談を怖がっていては、実際に怪異に遭遇した際に対応できるか不安です。『皿屋敷』の時は私も人のことを言えませんでしたが」

 

 一葉の危惧はもっともだった。

 ヒュージの動きが低調となり、ガーデンから対怪異の活動を認められた今、ヘルヴォルは積極的にこの手の事件に挑むつもりである。にも拘らず、レギオン最大火力の藍がこの有様なのだ。

 

「怪異に普通のチャームの攻撃が通用するとは限らないけれど。藍ちゃんはいつもの藍ちゃんの方が心強いわね」

 

 千香瑠がそう言うと、すかさず恋花が反応する。

 

「あ、やっぱり物理じゃどうにもならない奴も居るんだ。皿屋敷の時も、チャームは使ってなかったもんね」

「そこは怪談ごとに変わってくるわ。でも大体の場合、ただの力押しでは解決しないと思ってちょうだい」

「……あれ? 首根っこ掴んで塩を突っ込むのは力押しなんじゃ……」

 

 ふと思い出したかのように恋花は突っ込みを入れる。

 ところが、聞こえているのかいないのか、それとも聞こえなかったことにしたのか、千香瑠は藍の方に向き直る。

 

「藍ちゃん。藍ちゃんはお化け退治、平気? 夜にお外へ出れる?」

「う~~~、分かんない……」

「そう。そうよね。その時になってみないと分からないわよね」

 

 千香瑠に優しく共感を示されて、藍は少しだけ機嫌を直した。

 けれどもそれだけでは問題の解決にはならない。

 

「大丈夫。いざとなったら私のレアスキルがあるから」

「あ~、瑤のレアスキルかぁ。確かに精神を安定させる効果があるけど。こういうホラー系にも効くのかな?」

 

 藍に抱き付かれてどことなく上機嫌な瑤が自信を見せた。

 するとそれまで熟考していたであろう一葉がおもむろに口を開く。

 

「ともかく、予定通り明日の夕刻から『人面犬』の調査を始めましょう。藍の件は不安要素ではありますが……。元より何が起きるか分からない任務です。案ずるばかりでは切りが無い」

「オッケー、それじゃあ全員参加ってわけね」

 

 色々と茶化していた恋花だが、藍の参加はあっさりと当たり前の如く承諾した。

 それでもやはり、藍の気が完全に晴れることはなかった。怖いものは怖いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。青空が赤く焼け始める少し前に、ヘルヴォルは調査場所に集まっていた。

 エレンスゲの本拠地である六本木の南方、南麻布が今回の都市伝説の舞台である。

 現在、南麻布は閑静な住宅街となっていた。また記念公園を始めとした緑地も多く、都会の中のちょっとした憩いの空間と呼べるだろう。

 

「これまでの情報によると、『人面犬』が目撃された時間帯は19:00から24:00に掛けて。いずれも暗がりで、遠方だったため、詳細な姿は不明です。ただ四足歩行で形容し難い奇声を発していた点は共通していますね」

 

 一葉は手に持つスマートフォンに表示された情報をメンバー四人に伝える。

 今はまだ目撃時間には早いものの、あらかじめ現場を確認しておくのは悪いことではない。

 

「街中に堂々と出てきてる割に、証言がどれもおぼろげじゃない?」

「遭遇した途端に逃げられたり、目撃者の方が逃げ出したりしているので。近くまで寄って見た方は居ないようです」

「あちゃー、それは長丁場になりそうだ。夜更かしはお肌の大敵なんだけどなー」

「そうですね。では恋花様の綺麗な肌のためにも頑張って迅速に解決しましょう」

「そうそう、頑張ろう」

 

 恋花の軽口をいなして一葉が話を締めた。

 リリィたるもの、夜間出撃にも当然備えなければならない。

 ただ翌日の講義等に関しては、代替措置を取るなり免除するなり、ガーデンが当該リリィに対して配慮していた。

 

「二手に分かれて巡回しましょう。私と藍、瑤様は麻布通りを南下後に西進。恋花様と千香瑠様はここから北西に進んだ後に南下。記念公園にて合流しましょう」

 

 事前に決めてきたであろう巡回ルートと組み分けを一葉が発表する。

 藍はてっきり五人でわいわい言いながら探索するのだと思っていた。そのため急な話に不安が募る。

 

「皆、一緒じゃないの? らんは一緒がいい」

「大丈夫よ、藍ちゃん。悪さをするお化けが出たら、私がお仕置きしておくからね」

「千香瑠が言うとマジで洒落にならないんだよなあ……」

 

 恋花はそう呟いた後、千香瑠と共に北西に向かって歩き去った。

 続いて一葉が南に歩を進めたので、藍は瑤に軽く促されながら、渋々といった調子で進み始めるのであった。

 

 一葉が先頭で、瑤が最後尾で、中央に藍を配置した進軍隊形。

 これが戦闘時なら、ヘルヴォルで最も打撃力が高い藍を中心に据えた手堅いフォーメーションと言えるだろう。

 しかし今この時に限っては、藍を安心させるためという理由が大きいのかもしれない。

 そんな隊形で、片側三車線の大通りを横目に歩道を歩く。

 空が段々と薄暗くなってきた。時折、車道を行き交う車の眩いヘッドライトが視界に突き刺さってくる。

 特に異常も無く、時間が刻々と過ぎていった。だが藍にとっては妙に長く感じられる道程だった。

 

「ねえ、瑤」

「うん」

「よーうー」

「うん、ちゃんと後ろに居るから」

「うーーーっ」

 

 不安から、後方の瑤に特に意味も無いのに話し掛ける藍。その間にも周囲の警戒だけは怠らないのは、彼女のリリィとしての資質だろうか。

 

「人通りが減ってきましたね。噂の影響でしょうか」

 

 一葉が前方を向いたままそう言った。

 夜とは言え、閑静な住宅区とは言え、ここは首都東京なのだ。あまりに寂しい光景である。

 

「せっかくヒュージが大人しくなってきたのに、これじゃあ意味が無い」

「瑤様……。そうです、その通りです! 私たちリリィの使命は人々の生命と暮らしを守ること。このような状況は見過ごせません!」

 

 瑤の言葉に一葉は熱くなる。

 しかしその一方で、藍だけは置いていかれたような心境だった。

 

 お化けは怖い。

 恋花の語りの上手さもあるが、それ以前から藍にとってお化けは怖いものだった。

 ヒュージはいい。叩いてやっつけられるから。

 だが叩いてもやっつけられない、よく分からないモノは怖い。

 

 藍が気の沈んだまま歩いている内に、周りの風景も毛色が変わりつつあった。民家の立ち並ぶ光景から一転、前方に豊かな緑が見えてくる。合流地点に指定した記念公園だった。

 

「今日は空振りでしょうか」

「まだ初日だし。仕方ないよ」

「はい。最後に公園内を捜索しましょう」

 

 二人の会話を耳にして、藍はホッとした。実際は明日以降に問題が先送りになっただけなのだが、それでも安堵したのだ。

 ところが記念公園の入り口に到着したところで、藍の安堵は無に帰すこととなる。

 突如として軽快な掃射音が夜の公園内に響き渡ったのだ。

 

「ゲイボルグの銃声!」

「瑤様! 藍! 行きますよ!」

 

 いつもなら真っ先に駆け出すはずが、藍の足取りは重い。

 しかしこの先で待っている千香瑠と、ついでに恋花のために、藍は遅れて地面のアスファルトを蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが…………人面犬?」

 

 木々の生い茂る公園の中で、一葉たちはソレに遭遇した。

 一葉が構えるブルトガング、その砲口下部に取り付けられたライトが前方を照らす。

 そこに居たのは確かに四つ足ではあるが、犬より巨大な牛ぐらいのシルエット、鈍色の金属質な体躯、槍の如き鋭く角ばった四肢。そして顔の部分には目玉の代わりに菱形の青い光点が一つ。

 

「そいつ! 見たまんま、ヒュージよヒュージ!」

 

 ソレの更に向こう側から、恋花が叫びながら走ってくる。シューティングモードのゲイボルグを構えた千香瑠の姿もある。

 

「つまり、噂の正体はヒュージだったと……?」

 

 疑念と安堵が入り混じったような声を上げる一葉。

 そんな一葉の反応をよそに、藍は駆け出した。目の前のヒュージに向かって一直線に。

 

「ヒュージ? ヒュージだったの? お化けはヒュージだったの?」

 

 瞳を爛々と輝かせながら、口元には嬉々とした笑みを浮かべ。藍は両手に抱えたチャームを振り上げる。

 藍のチャーム、モンドラゴン。それは斧と呼ぶよりも、鈍器と呼ぶよりも、一振りの巨大な鉄塊という表現がしっくりとくる。使用者の小ささも相まって、より一層規格外染みて見えた。

 

「たぁーーーっ!」

 

 跳躍と共に振り下ろされたモンドラゴンは、横に逃げたヒュージの左前脚を捉えた。

 直撃こそ免れたものの、鉄塊に押し潰された脚は青い体液を撒き散らしながら、飴細工の如くひしゃげてぺしゃんこになるのだった。

 勢い余って地面に突き刺さったモンドラゴンを軽々と引き抜いて、藍は口角を持ち上げる。

 

「やっぱり! 叩いて潰せる! ヒュージみたいに! あはははははっ!」

 

 恐怖の対象だったものが打ち倒せると分かり、心底から嬉しくて楽しくて笑う。

 四肢の内、一本を失ったヒュージ――――スモール級ファング種アッシャー型は菱形の一つ目を光らせて熱線を放つ。

 藍が咄嗟にチャームを前にかざすと、盾となったモンドラゴンは至近距離で放たれた熱線を受け止める。

 そうして更に一歩、藍は前へと踏み込む。

 ヒュージは残る三本の脚を屈めて跳躍の体勢に入る。

 そのヒュージの頭上を抑えるように銃弾が飛んできた。恋花の牽制射撃だ。跳躍は実行に移せない。

 

「このーーーっ!」

 

 直後、横薙ぎに振るわれたモンドラゴンが敵の頭と胴体を打ち据える。

 ボールみたいに跳ね飛んだヒュージは土の上を派手に転がった後、小爆発と共に砕け散った。

 

「藍!」

 

 一葉が周囲に気を配りながらも藍の元に駆け寄って来る。

 その時、藍はすっかりいつも通りの藍だった。

 

「ふふふっ、あははははっ。らんがお化けやっつけたよ! ドーーーンって! あはははは!」

「いや、だからアレはお化けじゃなくてヒュージだって……」

「いいじゃん、この際どっちでも。藍が本調子に戻ったことだし」

「はあ……」

 

 一葉が訂正しようとするものの、遅れてやって来た恋花は一葉の方を制止する。

 実際、白い制服に青い返り血を浴びて高らかに笑う藍にとっては些細な違いであった。

 その後、戦いの余韻から仁王立ちしたままの藍の元へ四人が集まってくる。

 

「群れからはぐれたヒュージを暗がりで見間違えた。噂には尾びれ背びれが付き物ですが……。しかし、本当にこれで解決したのでしょうか?」

「一葉ちゃん、そのことなんだけど。ちょっと寄り道してもいいかしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の街角。電信柱の傍に、都会ではすっかり珍しくなった円形の青いゴミ箱が置かれている。

 辺りは静寂、周りに人の影も無い。

 にもかかわらず、突然の物音。

 出どころはゴミ箱だ。ガタガタとひとりでに揺れて、道路のアスファルトを叩いている。

 音自体は決して大きくないが、周囲の静寂のせいで際立っていた。

 そうこうしている内に、ゴミ箱の蓋が勢いよく外れて落ちた。

 

「ぷはーっ」

 

 中から出てきたモノは犬……ではなく、人……でもない。

 大きな口と大きくて細い目。頭からはCの字の突起物を生やし、丸っこい顔と胴体の二頭身。全身モフモフの綿毛に包まれたその生き物をカテゴライズするのは困難だろう。

 ただ確かなのは、子犬程度のサイズであり、当たり前の如く人語を操っていることだった。

 

「鎌倉ではおっかない巫女さんたちに散々追い回されたけど、ここまで来ればもう大丈夫!」

 

 ゴミ箱からのそのそと這い出たソレは着地に失敗し、硬いアスファルトの上にべちゃっと落ちた。

 しかしぶつけた顔が赤く腫れながらも、ソレは気にした風もなく二本の足で立ち上がる。

 

「それにしても、フフッ。この街は人が多くて脅かし甲斐があるなあ。ここで一杯怖がらせて、ゆくゆくは僕も鵺のような大妖怪に……。ウフフフフ」

 

 ソレは真っ黒な虚空を見上げて夢想する。周りに人影が見当たらないせいか、声を上げて笑う。

 

「ウフフフフフ」

「うふふふふふ」

「フフフフフフ」

「ふふふふふふ」

「フフフッ……?」

 

 違和感を覚えた直後、ソレは地面を蹴って飛び跳ねた。

 ところが首根っこを掴まれて宙ぶらりんになってしまう。

 ソレを捕まえたのは、白のジャケットを纏ったポニーテールの少女だった。気が付けば背後に立っていた。お淑やかな微笑を湛えているが、ソレを掴んだ左手は固く、決して緩みそうにない。

 

「ヒュージの騒動を隠れ蓑に街の人たちを脅かしていたのは貴方ね?」

「…………」

「人に悪さをする怪異は――――」

「僕チャーミー! チャームの妖精チャーミーだよ!」

 

 唐突に自己紹介する自称チャームの妖精。

 しかし少女はそれには答えず、制服のポケットから円形のケースを取り出した。

 

「怪異『人面犬』は、このポマード油で退治します」

「それは口裂け女……むぐっ!?」

 

 ケースごと人面犬の口の中へ放り込まれた。

 吐き出す暇も無く、今度はチューブタイプのポマードを少女の手で突き入れられる。

 

「油つめつめ、油つめつめ……」

 

 別に人面犬はポマードが苦手なわけではない。苦手ではないが、無理矢理に口へ詰め込まれては堪らない。

 黄色かった顔が次第に青くなり、やがて全身から光の粒子が湧き起こる。

 

「う゛っ、う゛もっ……」

 

 夜の街を脅かしていた人面犬はとうとう光となって消え去った。これで人々の安眠も守られるだろう。

 リリィとして、巫女として、やるべきことはそう変わるものではなかった。

 千香瑠はその場をあとにする前に、無手となった自身の左手を見つめる。

 

「人を脅かして大妖怪に……? どういうことかしら……」

 

 

 



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第6話 のっぺらぼう

 白みがかった日射しが地上に容赦なく降り注いでくる猛暑の日。

 ヘルヴォルは基礎体力作りの一環として、生存術訓練の一環として、ガーデン内の屋内プールを利用した水泳訓練を実施した。

 この訓練で最も成果を上げたのは藍であろう。当初こそ浮き輪装備で瑤に手を引かれながら泳いでいた彼女だが、今では単独で、犬と蛙を組み合わせた全く独自の泳法によってプールの端から端まで縦横無尽で泳ぎ回っていたのだ。

 藍は何事も経験不足なだけで、飲み込み自体は非常に良い。前々から気付いていたことではあるのだが。

 

 訓練を終えて、ヘルヴォルの面々はプール場に併設された休憩所で一息ついていた。

 長椅子に腰掛けているのは千香瑠。千香瑠の後ろで彼女の長い髪に櫛を入れているのは藍である。

 

「千香瑠の髪、さらさらできれーい。らんも千香瑠みたいなさらさらになりたいなぁ」

 

 藍は慣れぬ手付きながら、憧憬の眼差しでリボンを外した茶髪を梳いていく。

 

「ふふ、ありがとう。でも藍ちゃんや恋花さんみたいに、ふわふわな髪もいいと思うわよ」

「えーっ、らんはさらさらがいいー」

 

 隣の芝生は青い。

 微笑ましい駄々を口にする藍だが、そんな彼女の背後から忍び寄る人影が。

 

「何だよー。藍はふわふわ髪は嫌だって?」

「うん、さらさらの方がいい」

「あたしみたいな髪にならなくても良いのかね?」

「えぇーっ、恋花は別にいいや」

「何だってぇ!?」

 

 わざとらしくショックを受けた恋花は藍のくせっ毛へと手を伸ばす。

 

「そーれ、わしゃわしゃわしゃ――――」

「あっ、もー! 止めてよー!」

 

 キャッキャッと互いの髪を弄り合う。

 全員分の飲み物を持って戻ってきた一葉と瑤は、休憩所内のやり取りを見て目を丸くするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが、問題の公園」

 

 瑤の先導でヘルヴォルが訪れたのは街外れの小さな公園。六本木からそう遠くない都内某所に位置している。

 滑り台に砂場にブランコにジャングルジム。あとはベンチと公衆便所。特筆すべき点の見当たらない何の変哲も無い公園だった。

 

「いつもなら昼過ぎから子供たちの姿があるはずなんだけど。ここ最近はほとんど遊びに来なくなったって、近所の幼稚園の先生が」

「以前にヒュージの襲撃から園を守って以降、懇意にしている先生ですね」

「その先生が聞いた限りでは、どうも子供たち自身が嫌がってるみたいで。ただ、理由がよく分からない」

 

 一葉の補足を交えつつ、この場所まで来た理由を瑤が改めて説明する。

 街角に起きた些細な異変。一見するとリリィが、それもトップレギオンが関わるような案件には思えないが。

 

「それであたしたちが調査するって、ちょっと大袈裟過ぎじゃない?」

「いいえ、そうとも限りませんよ、恋花さん。子供というのは直感が鋭いものだから、この公園から何かを感じ取っているのかもしれないわ」

「何かって……千香瑠も感じるわけ?」

「残念ながら、今のところは……」

 

 傍目には本当にただの公園にしか見えない。

 ともかく外で立っているだけでは始まらないので、実際に足を踏み入れてみる。

 

「滑り台には異状を認めず。金具が外れているようなこともありません。まあ、もしそんなことがあれば使用禁止になるでしょうが」

「ジャングルジムにも、何も無し」

「砂場には、空っぽのビンが落ちてたよ! 危ないから捨てておこう!」

 

 一葉と瑤と藍が公園内の設備を調べていく。中の遊具も小さいので、調査はすぐに終わりそうだ。

 

「こっち、これ!」

 

 そんな中、ブランコの方に向かっていた恋花が声を張り上げた。

 

「ブランコがひとりでに動いてる! これはビンゴでしょ!」

 

 恋花の言う通り、二つあるブランコの内の片方だけが前後に動いていた。それも何かの拍子にちょっと揺れた、というレベルではない。あたかも人が乗っているかのように、ガッツリと動いていたのだ。

 その光景に注目した四人がブランコへと集まった。

 

「うーん、特に何も感じないわね」

「これは恐らく、微細な揺れと人が感知できないほど微弱な風によって生じた自励振動現象ではないでしょうか」

 

 大発見は千香瑠と一葉にすぐさま否定されてしまう。

 

「恋花、真面目にやってる?」

「恋花、ダメダメだー」

「ちゃんとやってるってば!」

 

 瑤と藍は疑いの目を向ける。

 これには流石の恋花も釈明せざるを得なかった。

 

 その後、調査を再開して幾らも経たない内に、公園内の全てを確認し終える。結局この時、当たりは引けず仕舞い。

 だが瑤はあることに気付いていた。ヘルヴォルが調べている間、公園に子供が一人もやって来なかった。

 改めて瑤は利用者の居ない公園を見回す。

 

「……寂しい」

「瑤様?」

「子供は遊ぶのが仕事だし、その笑い声を聞いて周りの人間は安心できる。だから公園がこんな有様だったら、寂しい」

 

 近場の車道から聞こえてくる車の走行音をBGMに、園内を見渡す瞳を細める。心から、本来の光景に戻って欲しいと願って。

 そんな瑤の姿が本当に寂しく見えたのか、恋花と藍が心配そうな顔をして傍まで寄り添ってくる。

 

「分かった分かった。あたしたちで解決してやろうじゃないの」

「らんも公園で遊ぶの好きだから、頑張るよ」

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、急なヒュージ出現の報を受けて討伐に当たったヘルヴォルは予定より遅れて件の公園に到着した。

 今回から距離を取って公園を監視する作戦に移行する。ちょうどお誂え向きに、営業中の喫茶店が近くにあった。

 学業帰り、任務帰りの一服を装えば、制服姿でも上手く溶け込めるだろう。

 

「ところで千香瑠、前から気になってたんだけどさ」

「はい?」

「怪異の気配を感じるって、どうやってんの? 髪の毛がアンテナみたいに逆立つとか?」

「それ、良いかもしれないわね。採用しましょう」

「えっ」

「こんな風に……恋花さん、妖気です!」

「やっぱ止めて。あと、あたしを親父枠にすんなし」

 

 ヘルヴォルは窓際のボックス席で雑談しながらも、遠目に公園の出入をチェックし続ける。

 出入自体は幾らかあった。ただし、外回りのサラリーマンであったり下校途中の学生であったり。いずれも短時間で出てきたあたり、公園内のトイレを利用しているだけだろう。

 そしてまた一人、来訪者の姿が見えた。今度は小学校低学年ぐらいの女の子だが、一人きりなのでやはりトイレか何かで長居はしないと思われる。

 

「お勘定、お願い」

 

 ところが、千香瑠はそう言って席を立ち上がると足早に出口へ向かった。

 この場を一葉と恋花に任せて瑤と藍も後を追う。

 ただ事ではなさそうだと、千香瑠の態度からはっきりと伝わってきた。今までの経緯により、彼女の判断は十分以上に当てにできる。

 

 店を出て、車道を横切り、公園内に入り込み、千香瑠は公衆トイレの前で立ち止まった。

 

「さっきの女の子が見当たらない。この中に居るの?」

「はい」

 

 瑤の問いに、千香瑠は即答した。

 しかし千香瑠が異常を感じたということは、その女の子も危険に曝されかねない。

 

「助けなきゃ」

「瑤さん、待って」

 

 走り出そうとする瑤を千香瑠の手が制止した。

 代わりにゲイボルグの先端が女子トイレの出入り口へと向けられる。

 一体何を――――

 そう言いかけた瑤の心境は、恋花と共に遅れて現れた一葉の叫びに代弁される。

 

「ち、千香瑠様!?」

 

 直後、ゲイボルグが眩い光を発する。

 それはトイレの中から女の子が出てくるのとほとんど同時で。

 

「外道照身、霊破光線!」

 

 千香瑠の澄んだ掛け声と共に、光が一直線に女の子へ伸びていく。

 

 何が何だか分からなかった。

 

 光を浴びて苦しみ出した女の子がみるみる内に膨張し、大人同然の体躯へと成長する。大きさのみならず姿かたちから全てが変容していた。それも僅か数秒の間に。

 瑤は何が何だか分からなかった。そこに蹲っていたのは藍よりも小さな女の子ではなく、小太りな大人の男性だった。

 

「正体を表しましたね」

 

 事情を把握しているであろう千香瑠。

 瑤は逸る気持ちを抑えつつ説明を求める。

 

「千香瑠、これは?」

「のっぺらぼう、という怪談があります」

 

 油断なくチャームを構えた瑤たち四人が耳を傾ける中、千香瑠はゆっくりと語り始めた。

 

「元々、夜道で顔の無い姿を見せつけて人を驚かせるお話でしたが、それが転じて他人の顔を奪い他人に成り済ます怪談に変化したのです」

「顔どころか、年齢も体格も性別すら変わってる」

 

 噂には尾びれ背びれが付き物。瑤はその言葉の意味を実感する。

 

「ねえねえ、あの人お化けなの? やっつけるの?」

 

 チャームを抱えた藍が嬉しそうに千香瑠や瑤に尋ねてきた。

 すると、千香瑠たちより先に()()()()()()が反応する。

 

「お、俺はっ、にん、人間だ。力を授かったけど、人間だ」

 

 小さな声でどもりながら喋るその男性はまだ若かった。20代前半といったところだろうか。

 一方のヘルヴォルは一葉が代表して前に出る。

 

「このような真似をして……何が目的なのですか」

「も、目的? そんなもの、無いよ。女子が女子トイレに入って何が悪い」

「それは、姿を変えていただけでしょう! 立派な犯罪ですよ!」

 

 悪びれた様子を見せない男に対して一葉は憤慨する。

 しかしながら、相手に効果は無いようで、それどころか鼻で笑う始末であった。

 

「フッ、見た目が女なら、いいじゃないか」

「上辺だけ取り繕っても意味がありません。女装して侵入するようなものでしょう」

「お、大袈裟だな。たかがトイレぐらいで」

「女性にとっては恐怖なんですよ。お手洗いに男性が入ってくるなどと」

「お、男は皆、犯罪者予備軍で、薄汚いから寄ってくるなって、そう言うんだな?」

「どうしてそうなるんですか……」

「あ、あんたらリリィだろ。リリィっていうのは女ばかりで固まってるから、男ってだけで不快な目で見たり、見下したりするんだ。そ、そうに決まってるっ」

 

 話は平行線を辿り続けていた。

 一葉の手法は相手に罪の自覚を促そうとするものだが、初めから開き直っている者には通じ難いだろう。

 

「ところで、のっぺらぼうは他人の容姿を奪う怪異」

 

 不意に、一葉の横で千香瑠が口を開く。

 

「奪う側が居るなら、当然奪われる側も居る」

「な、なに?」

「貴方に容姿を奪われた女の子は、どうなったのかしら? まさか――――」

 

 静かに問う千香瑠。

 男の息を呑む音がした。

 

「殺 し た の か し ら」

「違う!」

 

 弾かれたように叫ぶ。

 

「こっ、この子は、俺の()()たちの見た目の、データの、集約して、3Dでっ! だから、実在してないっ、殺してない!」

 

 冷や汗を滲ませて、たどたどしくも必死に弁明する。

 殺しというワードに反応しただけではないだろう。言外に放たれる千香瑠の圧がそうさせたのだ。

 

「そ、そもそも、何の罪になるってんだ。女の姿で中に入って、元に戻ったのは出てきた時。あんたらのせいで元に戻ったんだ。な、何の罪で訴えるんだ。妖術で化けたって警察に訴えるのか?」

 

 男は焦燥を誤魔化すかのように、早口で一息に捲し立てた。

 

「罪には問われますよ」

「は?」

「罪には問われます」

 

 一葉が確信を持った口振りで言う。

 

「貴方のその能力、恐らく()()の一種だと扱われるでしょう。男性の異能持ちなど前例がありませんが、現行法で裁こうと思ったらそうなるはず」

「…………」

「リリィがその力を振るえるのは、ガーデンに所属しているから。どのガーデンの統制も受けず、なおかつマギやレアスキル、異能の力をみだりに使えば処罰の対象になり得ます」

「…………」

「それに、日本の司法はそこまで教条的ではありません。貴方自身や貴方の家に捜査が及んで犯罪性が認められれば――――」

「それは、俺がオタクだからか?」

 

 途中で遮られる一葉の言葉。

 遮った静かな声に、瑤は違和感を覚えた。最初から挙動不審な男だったが、今は一際不審であった。直立したまま足元に目を落とし、小刻みに体を震わせていたからだ。

 

「オタクは犯罪者だから、捕まるって言いたいのか! あぁ! どうなんだよ!」

「いや、そこまで言ってませんが……」

 

 さっきまでの卑屈めいた半笑いの態度とは打って変わり、眉を吊り上げ声を荒げる。

 情緒不安定。この手合いはどんな行動に出てくるか予測がつかない。

 しかしながら、姿の見えない敵を探していた時点で、危険性については皆承知しているはず。

 

「大体、お前ら何なんだよ……。お前らみたいなババアの小便なんて、覗くわきゃないだろうが! 自意識過剰なんだよ!」

「あ、覗き自体は認めるんだ」

 

 恋花の煽りも無視し、男は吼え続ける。

 

「さてはお前ら、ロリッ子たちの若さに嫉妬してるな? だから俺の邪魔をするんだ。惨めな奴らだな」

 

 藍よりも更に幼い見た目の子供たちに嫉妬する。その感覚が瑤には理解できなかった。瑤がまだ若く、女だから感覚が違うのもあるのだろうが、もっと根本的な隔たりを感じずにはいられなかった。

 それでも瑤は、自身の信じるところに基づき意見する。その脳裏に浮かぶのは、藍と藍の所属する研究所(ラボ)のこと。

 

「小さな子供に性欲をぶつけるなんて、どうかしてる」

「うるさい! そんなの誰が決めた! 政治屋と役人どもが勝手に言ってるだけじゃないか! 俺は認めてねーぞ!」

「抵抗できない、抵抗すべきかどうかも判断できない。そんな子たちを身勝手な理由で傷付けることは、許されない」

「うるさいっ! うるさいうるさいうるさいっ! お前らリリィだって異常なくせに! 生物的に間違ってるくせに! 人の趣味にケチつけるな! この、男女(おとこおんな)がぁ!」

 

 まるで己の弱さを塗り隠すかの如き絶叫。

 瑤はすぐさま反論できなかった。

 そんな瑤に代わって口を開いたのは恋花だった。

 

「いい年して結婚してない彼女も居ないのは生物的に正しいわけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、恋花が泣かしたー」

「やっぱあたしのせい?」

「そうだよ。泣きながら逃げちゃった」

「ブラフで適当に言ったんだけど。正直、あそこまで効くとは思わなかった。でもあたしは謝らない」

 

 公園の隅っこで、藍と恋花がいつも通りの調子でやり取りする。

 近くの道路には警察車両が二台、公園内のトイレでは警察官が現場検証に当たっていた。

 下手人は逃走したが、安全確認のため110番に通報したのだ。

 

「一葉ちゃん、本当に逃がして良かったのかしら」

「……怪異の力は完全に失われていたのですよね?」

「ええ、それは間違いないわ。元の姿に戻った時点で、ただの人になっていた」

「では立件するのは難しいでしょう。本人の手前、あんな風に言いましたが。この状況で、異能を使って犯行に及んだと断定するのは困難です」

「そう……。怪異の存在はガーデンも政府も公には認めていないから、仕方ないのでしょうね」

「法整備の進んでいるヒュージ関連の事案のようにはいきません。ですが警察に不審者情報は出しておいたので、二度とここには近付けませんよ」

 

 街外れの公園で起きた小さな騒動は一応の収束に向かっていった。

 だが勿論問題は残っている。彼はどのようにして()()()()()()になったのだろうか。これを明らかにしない限り、根本的な解決には至らない。

 それは分かっているのだが、今の瑤には直近の問題が他にあった。

 

「何よ、瑤。おセンチな雰囲気出しちゃってさ」

 

 恋花が横から近付いてくと、瑤は遠い目で前を向いたまま口を開ける。

 

男女(おとこおんな)……」

「はい?」

「確かに背は高いし声は低いし目つきは悪いけど……おとこおんな……」

 

 瑤は口数少なく感情表現も控えめだが、決して苔むした巌などではない。何を言われても傷付かないわけではない。

 

「あんなの、ただの僻みじゃんか。真面目に考えることないって」

「そうだよ。瑤のお布団、凄いよ」

 

 恋花と藍が励ますものの、気分は晴れない。

 すると今度は千香瑠が傍にやって来る。

 

「見る目の無い人でしたね」

 

 彼女は瑤の真ん前に立ち、困ったような微笑を浮かべる。

 

「瑤さんの、皆を守ってくれる大きな体も、落ち着いた声も、凛々しい瞳も、私は全部素敵だと思うわ」

 

 極々自然にそんなことを言ってのけた。

 聞いてる瑤の方が顔が熱くなる思いだった。

 周りの皆も少しの間沈黙していたが、恋花を皮切りにして次々に口を開く。

 

「千香瑠も、一葉のことあんまり言えないよね」

「えっ?」

「千香瑠様! 今のは所謂、殺し文句ですよ!」

「ええっ!?」

「千香瑠ー、スケコマシなの?」

「藍ちゃん!? どこでそんな言葉覚えたの!」

 

 ここまできて自分の発言について顧みたのか、千香瑠の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。

 

「お、お願いだから、さっきのは忘れて? ね?」

「やだ、忘れない」

 

 先程顔を熱くされたお返しとばかりに意地悪を言う瑤。

 実際に忘れられそうにないので仕方がない。

 

 

 



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第7話 怨嗟

 とかく世界は不公平にできている。

 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。この世に存在する全ての差は努力の差によって決まる。

 遠く昔にそんな言葉が持て囃されたが、実際は違う。努力ではどうにもならないこともある。

 戦時下という点を差し引いても、この世界は残酷にできていた。

 

 

 

 

 

「たかし……せめて、せめて晩御飯の時ぐらい、下に降りてきて一緒に食べましょう。たかし……」

 

 うるさい、今更母親面するな。誰のせいでこうなったと思ってる。誰が産んでくれと頼んだ。

 

「たかし……貴方大学まで出たんだから。本当はやればできる子なんだから。たかし……」

 

 うるさい、恩着せがましいんだよ。親が子に教育を受けさせるのは恩なんかじゃない、義務だろうが。

 

「たかし、お前は今まで見てきた特撮番組や外国の漫画から何を学んできたんだ? お前の好きなヒーローたちは、母さんをぶったりするのか? たかし」

 

 うるさい、現実と空想を一緒にするな。チャーミーリリィを見てたら、魔法少女に変身するのかよ。

 

「たかし、来月からお前は防衛軍に入るんだ。実は父さんにちょっとした伝手があってな。予備役として入隊できることになったんだ。まあ、こんな御時世というのもあるが……。ともかく、色々と遠回りしてきたが、これでお前も国のために貢献できる。頑張るんだぞ、たかし」

 

 ふざけるな、何が国だよ。国が俺に何をしてくれた? 国なんて奪うばかりで、何もしてはくれないだろうが。

 所詮は両親(やつら)の世間体と、厄介払いのため。建前でどう取り繕っても、それは明らかだ。

 冗談じゃない。敷かれたレールの上を走る人生なんて。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。

 悶々と思い悩む日が続く中、ある夜、ソレは頭の中で語り掛けてきた。

 

『無理矢理、軍に放り込まれるだって? ああ、何ということか。可哀そうに。この力で助けてあげよう』

 

 声はそれっきり、一度きり。

 けれどもソレは本物だった。

 神の奇跡か悪魔の業か。そんなのはどちらでもいい。ただ自分が()()()()のは確かだった。

 この力さえあれば、この姿さえあれば、どうとでも生きていける。若くて、見た目の良い、女になれるのだから。更に万が一マギが発現すれば、ガーデンに転がり込めるかもしれない。

 そう、ガーデンだ。私立でありながら公金を投入され、この御時世に破格の待遇を受けているガーデンだ。

 メディアで彼女らの活躍が華々しく飾られる度、暗い感情が燻りのた打ち回る。

 ガーデンには女しか入学できない。女しかリリィになれないからだ。

 世界は、かくも不公平にできている。

 

 そんな中で、この力は失われた。白服を着たリリィたちのせいで。

 クソみたいな世界でようやく得られた救済が奪われた。ささやかな楽しみすら奪われた。

 

 ふざけるな、ふざけるな――――

 

 公園から逃げ出した先、どこかの河川敷で天を仰ぐ。

 

「どうせどこかで聞いてるんだろう? 俺にもう一度力をくれよ。今度はあんなチンケな力じゃなくて、このクソみたいな世界をぶっ潰せる力をくれよ」

 

 自分は選ばれた存在。こんなところで終わるはずがない。終わっていいはずがない。

 正当なる要求を、ソレは聞き入れた。

 途端に心の中で燻り続けていた感情が膨れ上がる。自分自身にも抑えきれない程に。

 

 憎い――――

 憎い憎い――――

 憎い憎い憎い――――

 

 家族が、街が、社会が、世界が憎い。誰も自分を助けてくれないし、誰も本当の自分を理解してくれないのだから。

 正しき怒りを胸に、自身を取り巻く軛を変えてやる。

 まず手始めに、法や道徳といった理不尽で縛ろうとしてくるこの国を裁く。

 

「日本、死ね」

 

 ぐつぐつと煮え滾った意識はそこで混濁へと沈んでいった。

 

 

 



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第8話 呪物

 東京都心部が騒然とする。住宅街の一角を多数の警察車両と警察官が取り囲んでいた。包囲の外縁には、少数ながら軍の車両も見受けられる。

 白昼の街中で突如として発生した集団昏倒事件。

 ガス漏れ事故だのバイオテロだの様々な可能性が検討された結果、警察と防衛軍はひとまず『ヒュージ等による攻撃』と判断した。

 そうなると、ガーデンにお鉢が回ってくるのは当然の帰結である。現に今、警察の包囲網の内側に、エレンスゲ女学園所属の二十名ばかりのマディックが陣取っていた。

 

「状況を教えてください」

 

 簡易テントが張られたマディック部隊の本部にヘルヴォルの五人が到着した。

 来て早々の一葉の質問に、マディックの指揮官が返答する。

 

「現時点で、ヒュージサーチャーの反応は確認されていません。これまでに何度か偵察を試みたのですが、300メートルも進んだところで原因不明の吐き気と目眩に襲われ後退しました。申し訳ありません……」

「ここは、ただの住宅街で間違いありませんね?」

「はい。強いて特徴を挙げるなら、富裕層や中流層の多い比較的高級な住宅街、と言ったところでしょうか」

 

 白昼の街中で起きた異変。場所が場所だけに慎重に事を進めるべきなのだが、急がざるを得ない事情がある。

 

「住民の避難状況は?」

「近隣住民の避難は済んでいますが、閉鎖地域内の住宅の内、十二世帯が逃げ遅れています。恐らくは、負傷しているか意識を失っているものと思われます」

「その十二世帯の位置データは分かりますか?」

「はい、そちらの端末に送りますね」

 

 マディック指揮官のタブレット端末から、恋花の抱えているヘルヴォル専用のタブレットへとデータが送信される。

 早速開いて見てみると、ディスプレイ上の地図に黒点が表示されていた。

 

「ほぼほぼ同心円状だね。逃げ遅れた家は」

「そして恐らく、円の中心部に元凶が存在する」

 

 恋花の発言を一葉が引き継ぐ。

 被害が広がっていないということは、元凶もその場に留まっている可能性が高かった。

 しかしこの十二世帯については早急に対応しなければ命に関わりかねない。原因が全く不明な以上、想定は厳しく見積もるべきである。

 無論、幾ら猶予が無いと言っても、闇雲に突入するような真似はしない。

 

「皆さん、場所を変えて様子を窺ってみましょう」

 

 一葉はそう提案すると、ヘルヴォルを率いてマディック部隊のテントから離れていく。その言葉は嘘ではないが、移動した理由はそれだけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千香瑠様、お加減はいかがですか?」

 

 民家の影に入ったところで一葉が尋ねた。

 先程から眉間に皺寄せ口をきつく結んだ千香瑠のことが気掛かりだった。

 

「大丈夫、私は平気よ一葉ちゃん。まさか、ここまで強い気配を感じるなんて……」

「やはり、怪異ですか」

「これは多分、呪い。それも個人単位でなく周囲に影響を与えるほどの強力なもの」

 

 呪いという単語を聞いても、一葉はさして驚かない。既に超常の存在と幾度か遭遇しているし、そもそもリリィの持つマギだって魔法という超常の力なのだから。

 ただそれでも、自分たち人間が制御していない得体の知れないものは脅威だ。

 

「それで、どうすんの? マディックの子の話を聞く限り、近付くだけでもヤバそうなんだけど」

「恋花さんの言う通り、このままでは私たちリリィでも接近は難しいわ。……だから、私のレアスキルを使います」

 

 千香瑠のレアスキル、ヘリオスフィア。ヒュージの力を削ぐと同時に、自分と周囲の味方のマギ結界を強化する支援用のレアスキルだ。

 

「物理的な攻撃だけでなく、呪いの類も防げるのですか?」

「ええ、巫女ですから」

「凄いです千香瑠様!」

 

 素直に称賛する一葉。

 その横で「それで納得するんかい」とジト目になる恋花。

 

「ただそれでも、元凶に近付くとどうなるか分からないから。皆、気を付けてね」

「迅速に事を成さなければならない、というわけですね。元よりその予定でしたから、問題ありません」

 

 方針が定まると、次は具体的な手順について。

 

「もうお話終わった? 終わったんなら、らんが一番に行くよ!」

「こらこら、待ちなさいって」

「何でー?」

「言ったでしょ? 何が起きるか分からないって。だから藍は真ん中ね」

 

 今にも飛び出そうとする藍の腕を恋花が掴み、引き留める。

 

「ええ。今回は状況把握しながらの進軍になるので、私が先頭、恋花様が左翼、瑤様が右翼、藍が中央。殿は千香瑠様にお任せします。『フォーメーション・きつねさん』です!」

 

 一葉の号令によってヘルヴォルは動き出す。

 恋花の「大きい声で言わないでよ~」という羞恥の悲鳴を残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では手はず通り、周辺部の警戒と、こちらからの連絡後に住民の救出と救急隊の誘導をお願いします」

「はい。ヘルヴォルの皆様もお気をつけて」

 

 一葉はインカム越しにマディック指揮官と通信を交わし、いよいよ異変の中心部へと足を踏み出す。

 がらんとした住宅区。主が立ち去り人気の無い民家の間を通り抜けていく。

 無人の街角に流れる空気が如何に奇妙か、ヒュージとの戦いの中で嫌というほど分かっていたが、不自然なまでの静けさは慣れないものであった。

 

「千香瑠様、そろそろ」

「ええ……ヘリオスフィア!」

 

 千香瑠のレアスキルが発動する。

 陣形を維持して進むヘルヴォル、一人一人の体を淡い輝きが一瞬包んでまた消えた。その輝きは、リリィ誰もが持つ不可視の防御結界を堅固なものにする。

 ヘリオスフィアの支援を受けて、両翼に展開する二人が索敵範囲を広げるためやや突出し始めた。

 

「民家に破損した形跡は見当たらない。本当にヒュージは居ないみたい」

「こっちも同じく。かえって不気味だねえ」

 

 瑤と恋花から立て続けに報告がもたらされる。

 一行は既に避難未完了の十二世帯が固まる地域に到達していた。

 横目に、玄関先で倒れ伏している住民の姿が映る。「後で必ず助けますから」と心の中で詫びつつ、一葉は更に前を目指す。

 

「少しだけ、体が重くなってきた」

「何かちょっと気分も悪いわ」

 

 瑤と恋花が今度は体調の異常を訴えてきた。

 一葉も似たようなものを感じ始めていたのだが、気のせいではなかったらしい。

 

「呪いの影響よ。元凶はこの先で間違いないわ」

「千香瑠様のお陰でこの程度で済んでいますが。時間を掛けず一気に行きましょう」

 

 不調を乗り越えヘルヴォルは歩みを続ける。

 目的地に辿り着いたのは、それから間もなくのことであった。

 どれが元凶なのか、迷う要素は少しも無い。近付いた瞬間、そこだと分かった。周りの家とは明らかに雰囲気の違う一軒家が目の前にあった。真昼の霧という不可思議な現象に包まれた家が。

 一葉は仲間たちにアイコンタクトで示し合わせる。「この家の周囲を確認した後、突入する」と。

 

「裏庭……異常無し」

「リビング……窓越しからは異常無し」

 

 早速、瑤と恋花が外周の斥候を試みた。

 然る後に正面玄関から一葉が侵入を図る。

 一般的な家庭より幾らか大きな、それ以外は何の変哲も無い一戸建て。ドアノブもまた特別な点の無い普通のドアノブだった。ちなみに鍵は開いている。

 ところが扉を開いた途端、一葉は驚きに目を見開く。

 

「千香瑠様、これはっ」

 

 真昼間のはずなのに、奥の部屋のカーテンは開かれているはずなのに、黄昏時の如く薄暗い。比喩でも何でもなく、本当に暗いのだ。

 

「間違いないわ。この家のどこかに元凶がある。すぐに見つけ出しましょう」

「その元凶とは何なのですか? どのような見た目なのですか?」

「それは、まだ分からないわ……。だけど実際に見たら気付くはず」

 

 顔に陰りを浮かべて千香瑠が言う。

 その言葉に従って薄暗い家の中を探索する。

 初めに目を引かれたのが、リビングで倒れ伏している一組の中年の男女。ここの家主夫妻だろう。意識は無いが、脈は正常。

 一葉は「あとで必ずお助けします」と心の中で詫びてから探索を再開した。

 

「藍ちゃんは大丈夫?」

「うーーー、気持ち悪いけど、平気。戦えるよ」

 

 千香瑠と藍のやり取りを背中で聞きつつ、周囲を窺っていく。

 この家、家具も調度品も良いものを使っているようだった。やはり裕福な家庭らしい。

 

 やがて探索は二階へと移る。

 階段を上り切った直後、もう一人の住人を発見した。

 二階の部屋の扉のすぐ外。仰向けに倒れていたので、近寄った一葉はその正体にすぐ気付いた。先日、公園に出没した()()()()()()()だった。

 

(あの時、身柄を確保できていれば)

 

 一葉は悔やむ。

 一般市民に対する捜査権など持っていないし、ヒュージ絡みでもないので無茶はできない。その上で、なお悔やむ。

 けれども、ただ悔やんでいたのは僅かな時間。一葉は彼の部屋と思しきドアを開ける。

 部屋の中、ど真ん中の床の上にソレは落ちていた。無造作に転がっていた。両手で持てる大きさの、寄木の四角い箱。

 

「絶対に触らないで!」

 

 後ろから千香瑠の刺すような声が飛んできた。

 一葉の足は、その場に縫い付けられたかのように動きを止めた。

 

「子取り箱」

「千香瑠様……?」

「呪物よ。女子供を呪い殺す、最悪の兵器」

 

 一葉の脇を通り抜けて部屋に踏み入った千香瑠が箱を見つめている。

 

「ですが、大人の男性も倒れていました。性質が変わっているのでしょうか」

「真似て作られた、模造品のようなものなんでしょう。威力もオリジナルよりは落ちてるわ。それでもこれだけ広範囲に被害を振り撒いている。放っておいたら、どうなることか」

「っ! すぐに、処理しなければ」

 

 焦る一葉だが、当然ながら方法など分からない。

 頼りになるのはやはり千香瑠だ。仕方ないことだが、怪異の件では彼女に頼り切りになっている。

 

「これ以上呪いが広がらないように、私がソレを無力化します。桜ノ社に応援を呼んでいる時間は無さそうだから」

 

 決意したようにそう言うと、千香瑠はまず初めに藍の方を振り向いた。

 

「藍ちゃんは私の後ろで、邪魔が入らないよう見張っていてね」

「千香瑠ぅ……」

「大丈夫よ。そんな顔しないで。街はきっと元通りになるわ」

 

 不穏を感じ取って眉尻を下げる藍へ、千香瑠は腰を屈め目線を合わせて語り掛けた。

 

「千香瑠様、私は何を」

「一葉ちゃんは、今から私がすることに動じないで。それから、成功するように祈ってちょうだい」

 

 無力。今の一葉は無力だった。

 何事にも適性というものがあるが、これはあまりにも無情に思えた。

 

 一方、室内にまで霧が入り込む異様な状況下で、千香瑠は行動を開始する。

 自身のチャーム、ゲイボルグの刃先を右手で触る。自ら手を切るために。千香瑠の白い掌から赤い血が僅かに滴る。

 今にも飛び出しそうな声を抑える一葉の前で、赤に濡れた千香瑠の右手が寄木の箱に伸びていく。

 箱の上から手を覆いかぶせた途端、千香瑠が目を閉じて口を小さく動かし始める。一葉には内容がよく聞き取れなかったが、それは祝詞の類であるように思えた。

 

 三分か四分か、それぐらいの時が流れてから、千香瑠の口が動きを止めた。

 しかし箱から手が離れていなかったので、一葉は安堵せずに周囲の様子に神経を尖らせ続ける。

 

「あ、ああ……駄目っ」

 

 悲鳴染みた千香瑠の呟き。

 気付けば箱から毒々しい紫の靄が漂っている。

 千香瑠と一葉と振り返った藍の見ている最中、靄は薄く広がり、天井にまで達し、更に拡散し続ける。

 

「呪いが、広がっていく……」

 

 千香瑠のその言葉で、失敗したのだと一葉は悟った。

 無力。

 レギオンの、ヘルヴォルのリーダーとして支持を飛ばし自らも動かなければならないのに。今の一葉は無力だった。

 千香瑠の嘆きを耳にしながら、ただ紫の靄を見上げることしかできなかった。

 

「……何か、何か来る?」

 

 藍の様子がおかしい。急にきょろきょろとし始めた。

 だが一葉には藍を気に掛ける余裕さえ無い。

 焦燥と自責の念に駆られる中、靄が部屋の窓をすり抜けていき、ついに家の外へと拡散…………しなかった。

 

「あら?」

 

 千香瑠の力ではない。彼女にとっても予想外らしく、大きく瞬きしている。

 やがて靄は広がるどころか、元いた箱の真上に集まり静止した。

 

「これなら、祓える!」

 

 千香瑠は箱に右手を乗せたまま、左手でゲイボルグを突き出した。

 槍の穂先は紫の靄を真ん中から穿ち、数秒を経て、靄を淡い光へと変えていく。

 それから更に十秒ほどして、千香瑠の右手がようやく箱から離れる。古ぼけた寄木の箱には赤黒い染みがこびり付いていた。

 

「除霊完了です」

 

 ついさっきまでの焦りは消えて、いつもの柔和な表情を浮かべる千香瑠。

 対照的に、一葉の顔には冷や汗が張り付いたまま。

 薄暗かった部屋はいつの間にか明るさを取り戻し、漂っていた白い霧も消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、一葉はエレンスゲの校舎内にて、怪異による集団昏倒事件が『新種のヒュージによる攻撃』と発表されたことを知った。

 事件の内容自体は隠さず報道されている。ただ、怪異の存在を世間にどう説明しようかと、当局が苦慮した結果なのかもしれない。

 ヘルヴォルは控室の中で、事件について話し合っていた。

 

「死者ゼロ。何名かは内臓にダメージを負って入院となってしまいましたが……」

「子取り箱に遭遇してこの結果は、奇跡ね」

 

 一葉は勿論、千香瑠の顔も決して穏やかではない。除霊直後はともかくとして、今振り返ってみるといかに危うい状況だったか改めて実感したのだろう。死者が出なかったのはあくまでも結果論に過ぎない。

 

「例の男性は、警察での取り調べ後に釈放されました。鎌倉から急遽駆けつけた桜ノ社の教導官も取り調べに立ち会っていたので、問題無いかと思われますが」

 

 そう言いながらも、一葉は不安を拭えないでいた。先の()()()()()()といい、今回の件といい、証拠不十分とはいえ放っておいていいものか。

 現行法上、呪いという行為自体で罪に問うことはできない。呪っている事実を本人に知らしめて精神的苦痛を与えた場合、罪になる可能性はあるが、今回のケースはおそらく当てはまらないだろう。

 怪異に関しては、ヒュージ関連法を準用するのが精々といったところか。

 

「ああ、それなら、今度桜ノ社のリリィたちが幾らか東京に分派されるみたいよ」

「本当ですか? 恋花様、耳が早いですね」

「ほんとほんと」

 

 対怪異の専門家である彼女らがやって来るのなら、ひとまずは安心できそうだ。

 しかしそれだけでは根本的な解決とは言い難い。

 

「あの箱、あの人が作ったの?」

「……可能性は低いと思うわ。ごく普通の、普通より裕福なぐらいの家庭だから。あれだけの呪物を作るなんて」

 

 瑤の問いに千香瑠が答える。

 まだ何も終わっていないというわけだ。

 

「あの時、変な感じだった。何か変だった。あの霧」

「藍ちゃん。ごめんなさい、それもよく分からないわ」

「何かね、西の方に飛んでった気がするー」

 

 藍は両腕をパタパタと上下に振って説明しようとする。

 既に事件直後に一度聞いた話ではあるが、やはり事態進展の一助にはなりそうにもない。

 だからと言って、千香瑠や藍を責められるものではない。当たり前だ。

 むしろ責められるべきは――――――

 

「なーに、また辛気臭い顔してんのよ」

 

 突然、一葉は恋花に頬を抓られる。恋花の指に大した力は入ってないが、驚いて顔を揺らしたために結構な痛みが走ってしまう。

 

「まあ考えてることは大体想像つくけど。勿論、一人で抱え込んだりしないわよね?」

 

 当然、一葉もその時が来たら皆に話すつもりだった。

 だが自分から切り出すのと、人に――――恋花に背中を押されるのと、こうも違うものなのか。

 心の中に渦巻いていたモノが軽くなった気がした。

 

「いえ、現状では怪異に対して千香瑠様お一人で対抗しているような状態なので。私たちも何らかの手段で戦力になれないものかと」

「そうだね。でもあたしの持ってきた塩は役に立ったでしょ」

「あれは塩の力?」

「たい焼きを食べさせれば、きっと満足して成仏するよ!」

 

 一葉が一言打ち明けると、恋花が瑤が藍が口々に言い合う。

 大して益の無い発言ばかりだが、千香瑠は楽しそうにくすくすと笑う。

 

「それじゃあ今度機会があれば、皆で修行でもしましょうか」

 

 千香瑠の提案に一葉は乗り気になり、恋花は「うげーっ」と顔を顰めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまた後日。

 鎌倉府横須賀市、陸上防衛軍武山基地に教育隊が駐屯している。

 現在、基地内の広いグラウンドでは、新たに予備役として入隊するべく数十人もの男たちが教練中だった。

 そんな中、ランニングに精を出す集団から一人だけ引き離されている者が居た。

 

「はっ、はぁ、はぁ……っ」

 

 その青年は息も絶え絶え。脚はガクついている。長年の不摂生が祟ったのだ。

 

「何で、俺が、こんなこと……」

 

 少し前のこと。気が付いたら数日分の記憶が抜け落ちてるし、何故か警察に取り囲まれて尋問されるし。

 その上、事情を考慮される余地も無く、予定通り父の差し金で防衛軍へと放り込まれてしまった。

 

「そこ、また遅れているぞ。あと五周追加だ」

 

 教官からもたらされる無慈悲な台詞によって、青年の不満が噴出する。

 

「くそっ、くそっ、くそがっ! 何でこんなこと!」

「おっ、随分と元気が良いな。じゃあ腕立て伏せ五十回も追加だ!」

「くぁwせdrftgyふじこlp~~~!?」

 

 

 

 

 

「日本死ねぇーーーーーー!」

 

 

 




ガーデンの噂 完



本章は言わば起承転結の起に当たる部分。
次章からタグにあるクロスオーバー要素が生きてくることになります。
ガールズラブ要素についても…



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西方外征
第9話 西の地


 東京、市ヶ谷に位置する防衛省本省。その会見室で今まさに記者会見が行われようとしていた。

 カメラを構えて居並ぶ報道陣と向かい合う形で、会見机の前に陸軍の礼装を纏い大佐の階級章を付けた軍人が立っている。精悍な顔つきに整った顎髭を生やした壮年の男性だ。

 

「防衛省、特異生物災害対策課課長の石川精衛(いしかわせいえい)です。本会見におきまして、昨今のヒュージ動静と我が軍の対応について説明させて頂きます」

 

 カメラのフラッシュを浴びつつ精衛は話を進める。

 

「まず初めに奪還作戦が進む中国地方について。広島及び島根へ進出したところで戦線は膠着状態が続いております。軍と各ガーデンは敵主力を厳島に誘引した上で、同地を決戦場と定めて戦力の結集を進めています。また、九州、四国、中部、東北、北海道地方についてはヒュージの活動が比較的低調であり、戦況は安定。そして最後に関西地方とここ関東地方。両地方では内陸部でのヒュージの活動こそ減少したものの、太平洋側からは依然としてヒュージの侵攻が続いております。関東の各ガーデンでは沿岸防衛に重点を置くことで一致しました」

 

 説明の合間に、記者からの質問が飛ぶ。

 

「全体的に見て、ヒュージの動きが鈍くなったように思えるのですが。防衛軍と各ガーデンはこの状況をどのように分析しているのでしょうか?」

「我が軍としては、現在の停滞をヒュージネストのマギ蓄積期間と捉えております。これは大方のガーデンも同様の考えです」

「ということは、いずれヒュージの攻勢が再開されると?」

「その可能性を考慮に入れています。ですが差し当たり、沿岸部はガーデンが、大型ヒュージの活動が見られない内陸部は防衛軍が優先的に対処することに決定しました」

 

 精衛がすらすらと淀み無く答えると、また別の記者から別の質問が来る。

 

「ところで石川大佐、近頃京都などの街中を騒がせている怪奇現象について、何か進展はありましたか?」

「……我々は一連の現象を新種のヒュージによる攻撃と睨んでおります。ですが今のところ実情を把握できているとは言い難く、更なる調査が必要となるでしょう」

 

 新情報を得られなかったせいか、記者たちの列から不満げなざわめきが起きる。

 けれども答弁者はそんな不満を意に介さないかの如く、粛々と会見を進めていった。

 

「国民の皆様には、今後もヒュージ警報に従い迅速な避難行動をお願い致します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、職員室に呼び出された一葉はヘルヴォル教導官のデスクの前に立っていた。

 部屋の端に設置された大型ディスプレイから防衛省の記者会見が流れる中、思い掛けない教導官の話に一葉の目が細められる。

 

「外征ですか。それも遥々、関西まで」

 

 リリィが所属ガーデンの国定守備範囲を越えて活動することを()()と呼ぶ。エレンスゲはこの外征を――――外征先の都合はお構いなしに――――積極的に展開していることで有名だった。

 

「しかし、外征の目的がヒュージ討伐ではなく、怪奇現象の解決というのは……」

「西の怪異退治は鹿野苑の担当だが、このところ頻発している怪異絡みの事件で手が足りていないようだ。一方の東京は桜ノ社の駐留によって平穏を取り戻している。加えて出てくるヒュージは小物ばかり。貴様らヘルヴォルを活用する場を見出さねばならん」

 

 黒髪を後ろで一本に束ねた20代半ばの女性が一葉の疑問に答えた。身に纏うのは軍服を思わせる白の制服。彼女はヘルヴォル担当の教導官である。

 それにしても、トップレギオンを決して短くない期間遠方に派遣するとは。学園の上層部も思い切ったことをするものだ。命令を聞いた直後、一葉は心底驚いていた。

 だがよく考えてみると、全く分からない話でもない。

 

「ガーデン周辺からヒュージの脅威が減って、代わりの戦果稼ぎとして見出したのが怪異というわけですか。ですが何故わざわざ関西まで?」

「桜ノ社と鹿野苑は担当範囲が重ならないよう配慮し合ってきた。ならば、混沌とした西の地へ介入するのは我々身軽な新参者が適任と言えるだろう。外征宣言も事前に出すから心配無用だ」

 

 それに加えて、エレンスゲと桜ノ社の関係が良好とは言い難いのも理由の一つに違いない。桜ノ社の担当範囲外で成果を上げて、ついでに鹿野苑へ恩を売ろうという思惑がありそうだと一葉は見ていた。口には出さないが。

 

「教導官殿、もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」

「言ってみろ」

「エレンスゲの怪異への干渉はラボの……ゲヘナの意向によるものなのでしょうか?」

 

 教導官は形の良い眉を一瞬ピクリと動かす。

 

「それを聞いてどうするつもりだ」

「いいえ、ただ気になったのです。怪異という得体の知れない存在を研究するのなら、ガーデンの影響が及ばない遠方よりも近場で実施するはずでしょう。今回の外征はそれと矛盾します」

 

 暫しの間、一葉に向かって鋭い眼差しが注がれた。

 しかし、やがて教導官の口がおもむろに開かれる。

 

「……外征はエレンスゲラボではなく、ガーデンの意向によるものだと言っておこう。そもそもラボは今のところ、怪異の研究にそれほど熱心ではない。優先度がヒュージやマギの方にある以上、手が回らないのが実情だろう」

 

 それを聞いた一葉は少しだけ安堵し、一礼して職員室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、あたしらは学園の点数稼ぎのためにこうして空の旅をしてるってわけ?」

 

 そう言って声と顔に不満を滲ませる恋花。彼女はガンシップの座席に深く腰掛けて、四点式シートベルトで体を固定している。

 各座席は壁を背にして配置されていた。中央の通路を挟み、向かい合う形で二列八席が並ぶ。ヘルヴォルは五人制レギオンなので、各々のチャームを持ち込んでもスペース的に問題無かった。

 

「よく分からない実験よりも、点数稼ぎの方がまだいいよ」

「まあそうなんだけどさ」

「それに向こうなら、エレンスゲの司令部も関係なくやれる」

「それはいいねえ。ま、こうなったら思う存分、京の街を楽しみますか」

 

 左隣の瑤に諭されるような形で、恋花はやる気になっていく。

 

「恋花様、観光ではありませんよ。それに拠点は京都市内になりますが、実際の活動場所がどこになるかはまだ不明です。到着後にガーデンから指示があるでしょう」

「結構行き当たりばったりじゃん。うちのガーデンらしくない」

 

 向かいの席から一葉に釘を刺された。

 通常、外征というのは何か明確な目標を定めて実施されるものなので、そういう意味でも今回の関西外征は異例である。

 

「皆、気を付けてね。京都は昔から魔を引き寄せやすい土地。出てくる怪異も強力なものが多いと聞くから」

 

 一葉の右隣に座る千香瑠が真面目な顔で注意を促した。

 

「ヒュージもお化けも、らんがやっつけるよ。京都にはどんなのが居るのかな?」

「……ふふっ、頼りにしてるわ藍ちゃん」

「あとそれから、たい焼き! 京都にもたい焼きがあるといいな!」

 

 千香瑠の右隣から、藍が身を捩って体を乗り出そうとする。シートベルトがあるのですぐに押し戻されてしまうのだが。

 

「たい焼き以外にも美味しい物は一杯あるんだよねえ。仕方がないからこの恋花様が教授してあげよう」

「恋花様、やっぱり観光目的じゃないですか」

「いやいや、任務の合間のちょっとした息抜きだってぇ」

「と言いつつ、事前にしっかりお店を調べていましたよね? パンフレットも何冊も持ってきて」

「うぐっ……」

 

 そうこうしていると、機内に着陸態勢に入る警告アナウンスが流れ始めた。東京から京都まで、ジェット推進のガンシップならば一時間足らずで移動できるのだ。

 機体を降ろす先は京都市の南西部、防衛軍保有の軍用飛行場だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガンシップは機体下部に兵員用のポッドを二つ横並びに吊るした輸送機である。

 トップレギオンのヘルヴォルには専用のガンシップが用意されていた。ポッド一つにつきリリィ八人が搭乗できるので、ヘルヴォルはもう片方のポッドに十分な物資を積むことができた。

 今回、期限を区切らない遠方への外征ということもあり、多くの物を持ち込んでいる。

 五人それぞれのチャームにその予備パーツは勿論のこと、弾薬、携行食糧、日用品。そしていざという時のための第一世代型チャーム詰め合わせポッドである。

 

「別に拠点を山奥に設けるわけではないので現地で購入しても良いのですが。備えあれば憂いなしと言いますから」

 

 駐機場での荷下ろしの際、一葉は何故か自信ありげにそう言った。

 

「だからって、寝袋やらテントやら持って行く?」

「着いてすぐ、山中へ出撃という事態もあり得ます!」

「そうならないことを祈ってるわ……」

 

 げんなりとした様子で恋花は物資の塊を見下ろしていた。

 

 飛行場から京都市街まで、そう離れてはいない。ヘルヴォルは学園がチャーターしたマイクロバスにより、陸路で現地拠点へと向かう。

 学園が用立てた拠点は京都市街の外縁部に位置していた。高級物件というわけではないが、十分な広さを備えたマンション。部屋の階層は利便性を考慮して一階。この3LDKの空間がヘルヴォルの西国外征を支えることになる。

 

「広いし市街に近いし、いい所ね。ただキッチンに最低限の物しかなかったから、持ってきて正解だったわ」

「ああ。千香瑠の私物、やけに多いと思ったら」

 

 合点がいったと頷いた後、瑤も部屋の感想を述べる。

 

「ここ、私もいいと思う。一階だし」

「え~? 見晴らしが良くないよ?」

「階段の上り下りをしないで済むから」

「瑤、おばあちゃんみたいー」

「おばっ……」

 

 藍の無邪気な一言に絶句する瑤。

 荷解きも終わり、皆がそんな風にお喋りを続けていた。

 

「ガーデンからは特に出撃命令は出ていませんね。取りあえず京都市内で待機です」

 

 ガーデン支給のスマートフォンを確認して一葉がそう言った。

 すると真っ先に反応したのは恋花である。

 

「そっかー。じゃあ巡回と地理の確認も兼ねて、街へ見回りに行くのはどうかなー」

「いいですよ」

「そう固いこと言わずにさぁ……って、いいの?」

「こんな時ぐらい構いませんよ。指示は部屋の中で待機ではなく、市内で待機ですからね。それにずっと籠りっぱなしというのは気が滅入るでしょう」

 

 ここに着く前は観光気分を諫めたものの、一葉とて息抜きを軽視しているわけではない。長期の任務になりそうなら尚更だ。

 

「やった! さっすが我らが隊長! すきすき~」

「はいはい」

 

 調子がいいんだから――――

 そう思いながらも、自分よりも小さく柔らかな恋花に腕へ抱き付かれ、一葉の頬は自然と緩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 碁盤目状に整然と区画された京の街では、都心部に近代建築が立ち並ぶ一方で、そこから少し離れれば昔ながらの木造建築が広がっていた。

 趣ある街並みはヒュージとの戦いでも失われていないようで。観光地区を歩いていると、石畳の道を人力車が駆けていく光景に出くわした。

 これも地元のガーデンの働きによる賜物だろう。

 

 午後三時頃。木造平屋が並ぶ入り組んだ道を、恋花は一人歩いている。元々は瑤と一緒だったのだが、今は別行動。その右腕には紙袋が抱えられていた。

 

「んっふふーん。掘り出し物、掘り出し物」

 

 鼻歌交じりで上機嫌。その理由は紙袋の中身にある。

 恋花も事前に駄菓子屋が豊富なのは調べていたが、商品のラインナップまでは把握していなかった。なので東京周辺の店と大きく様相が異なるとは思っていなかったのだ。これは嬉しい誤算である。

 恋花の戦利品、その一端。瓶詰の金平糖、水飴と砂糖を固めたカラフルな飴菓子、黒糖に漬け込んだ()()()米。

 東京でも探せば何とかお目に掛かれるものがあれば、初めて見るようなものもある。

 

「服の方、早めに切り上げて正解だったわ~」

 

 後ろ髪を引かれる思いで都心部のデパートをあとにしていた。そんな恋花の選択は正しかったと証明されたのだ。

 無論、服は服で次の機会にじっくり見に行くつもりである。今度は一葉を連れ出して、彼女に見繕ってやろう。本人は乗り気にならないかもしれないが。

 あるいは、最近お化粧に興味を持ち始めた藍のため、一緒にコスメを見て回るのも良いだろう。

 そんな風に上機嫌で今後の予定を皮算用していたところ、不意に後ろから声を掛けられる。

 

「お嬢さん、落とし物ですわ」

 

 恋花が振り返ると、こちらに向けて伸ばされた手の平に小袋が載っていた。恋花の抱える大きな紙袋の中に入っているはずのものだった。

 その手を伸ばしているのは、桃色のように薄い赤毛を腰までストレートに伸ばした少女。美人を見慣れているはずの恋花が内心で「おおぅ」と驚くほど端麗な容姿。こちらを真正面から見つめてくる切れ長の瞳は、微笑を湛えるにもかかわらず、畏怖の念すら感じさせる。

 

「ああ、ありがとねー」

 

 内心は内心として、恋花は笑顔で礼を言う。自身よりも頭一つ分ぐらい背の高い相手だが、勘で同年代と判断した。

 

 その後、更に話してみると、彼女もまた関東からやって来たことを知る。()()観光中とのことだ。

 一応、待機中の身なので、今の恋花は制服姿でチャームケースも背負っている。リリィだと容易に想像できるだろう。

 そんな恋花と自然体で話せる彼女も、ラフな私服姿とは言え、もしかしたらリリィかもしれない。

 恋花は極自然に彼女の誘いに乗って、近くの茶屋へ相席する。

 

「へぇ~、やっぱり貴方もリリィなのね。それも一年生」

 

 店先で、赤の布が敷かれた縁台に腰掛ける二人。

 恋花がアイスティーのグラスを傾ける傍ら、その一年生は三色団子の串を摘まんでくるくる回している。

 

「ちなみに、どこのガーデン?」

「フフッ、どこだと思います?」

 

 恋花の何気ない質問に対し、一年生は肩を寄せて聞き返してきた。

 当然距離は縮まり、互いのことが細かい所まで見えるようになる。

 

(睫毛なっが! スタイルすっご! 付けてる香水も……これ香水? センスいいわね)

 

 美人を見るとついつい目を引かれるのはリリィの(さが)であった。

 しかし顔や態度には表さず、恋花は相手からの出題に小首を傾げる。

 

「うーん……ちょっと特定は難しいね。関東ってだけじゃ。ただ、この夏の日射しでも涼しげな様子だから、猛暑に慣れてる東京都心のガーデンか、山間部のガーデンってところかな?」

「ふぅん」

「でも貴方みたいな綺麗な子が近くに居たら覚えてるはずだし。東京ではないかも」

「あらあら、それは口説いてくださってるのかしら」

「あはは、そう受け取ってもらってもいいよ」

 

 軽妙な掛け合いが心地好い。

 恋花と彼女は違うタイプの人間のようだが、波長は結構合うらしい。

 

「どうでしょう。お互いもっとよく知るために、お店を変えてお話ししませんか?」

「そうだねえ、時間はもうちょっとだけあるし……」

 

 腕時計に目をやりながら、恋花が肯定の返事をしようかと口を開く。

 ところが、横からその右肩に手を置かれた。隣に座る彼女の手ではない。

 

「申し訳ありませんが、我々には任務がありますので」

 

 驚いた恋花は声のした方を向く。

 一葉だ。

 一葉の物言いたげな視線に促されて恋花は縁台から立ち上がる。

 

「それは残念ですわ」

「ああ、うん。何かごめんね」

「いえいえ。ではごきげんよう」

 

 少しだけ落ち込んだ素振りの彼女に、恋花は軽く手を振った。

 別れの挨拶を終え、一葉にもう片方の手を引かれて歩き出す。

 

 石畳の道。二人が人混みの中を縫うように進んでいく。

 やがて先程の茶屋から十分に離れ、周りの人がまばらになってきたところで、先導する一葉の足取りが緩んできた。

 

「全く、軽率に知らない人に付いて行ってはいけませんよ」

「あたしは子供かい!」

 

 いつもの通りの軽口。

 そのはずなのだが、どうにも一葉の様子が少しおかしい。

 さっきからずっと前を向いたままで、こちらと目を合わせようとしないのだ。それに加えて恋花の右手もしっかりと握ったまま。

 

「ちょいちょい、痛いってば」

「っ! す、すみません!」

 

 そこでようやく一葉は振り返り、焦った顔で謝ってきた。

 

「すみません……」

「う、うん……」

 

 初めは揶揄ってやろうと思っていた。しかし一葉の反応に面食らって黙ってしまう。

 

(なんか調子狂うなあ)

 

 結局、帰り道に次回の買い物の話はできず仕舞いであった。

 

 

 



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第10話 渡る者の絶えない橋 一.

「ガーデンから調査指令が下りました」

 

 ヘルヴォルの仮拠点、マンションの一室のリビングにて、改まった一葉が四人の前で話し出す。藍だけは瑤の膝の上で船を漕いでいるが。

 

「最近、とある橋の付近でちょっとした諍いが頻発しているそうです」

「諍い?」

「内容は()()()()なのですが。共通しているのは、どうも痴情のもつれが原因なのだとか」

 

 瑤の疑問に一葉が答えた。

 ところがそれを聞いた恋花はソファの背もたれにグダっと背中を預け、露骨に呆れた顔をする。

 

「痴情のもつれって……。それも怪異の仕業だっての? 警察に相談した方がいいんじゃない?」

「それを確かめるための調()()指令です。それに、場所が場所なので」

 

 一葉の言葉に、千香瑠が目を細めて反応する。

 

「一葉ちゃん。その橋というのは、もしかして……」

「はい。ここから南、宇治川に架かる宇治橋です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇治川とは淀川水系に属する一級河川であり、宇治市から京都市に掛けて弧を描くように流れる川だ。

 そこに掛かる宇治橋は日本最古の橋の一つとされ、西暦646年の飛鳥時代に架けられたと言い伝えられている。

 とは言え、勿論現存する宇治橋は後年になって架け替えられたもの。歩行者用の歩道は当然として、片側二車線の車道も付いた立派な道路橋である。

 

 ヘルヴォルはその日の午前中から早速現地調査に赴いた。事件が起こるのは夕方から夜の間がほとんどだが、事前に下見しようという判断だった。

 実際に渡って一通り見て回り、今は橋の東詰にある茶屋で昼食を取っている。

 茶屋と言ってもその建物は大きく広く、食堂と呼んでも差し支えないぐらい。提供するメニューは茶や茶菓子だけでなく、軽食なども充実している。

 窓際の、件の宇治橋がよく見えるテーブル席にヘルヴォルは陣取っていた。

 

「何も無かったわね」

「何もありませんでしたね」

 

 千香瑠に続き、一葉が淡々と事実を述べた。

 怪異の気配は無かったし、物理的な異常も見受けられなかったのだ。

 

「らんもいっぱい探したけど、何も見つからなかったよ。あれだけ探したんだから、きっと何も無いよ」

「そうだね。凄いね。でも出っ張りを掴んで橋桁の下を動き回るのは、危ないから止めようね」

「うん、分かったー」

 

 瑤の注意も、もっともなこと。

 何せ、いきなり橋の欄干から飛び降りたかと思ったら、橋脚に取り付き、よじ登り、橋桁の下側に雲梯(うんてい)の要領でぶら下がって動き回り始めたのだから。

 下は川で、今は夏。リリィは落ちたぐらいで死んだりしない。それでも驚き心配するのは当然だろう。

 

「やはり、夜を待つしかないようですね」

 

 一葉はそこで一旦思考を中断し、昼食を頂くことにした。

 ざるの上に山と盛られた抹茶色の蕎麦は、そば粉に抹茶を練り込んだ茶蕎麦である。大盛を越えた特盛なのはリリィならば当然のこと。マギを操る彼女たちはカロリー消費が著しく大きいのだ。

 だがしかし、そんなリリィの事情を考慮しても、一葉の向かいに座る恋花の前には顔を顰めざるを得ない光景が広がっていた。

 

「恋花さん、本当にそれ全部食べるの?」

 

 千香瑠が信じられないものを見るかのように瞬きする。皆もその言葉に釣られて改めてテーブルの上を見つめる。

 そこには茶蕎麦は勿論のこと、茶団子に抹茶パフェに冷やしぜんざい、クリームあんみつ。更にこれらをたいらげた後、宇治金時のかき氷も頼むつもりらしい。

 

「いや、皆の言いたいことは分かるよ。でもさ、宇治に来てこれを食べないってありえないでしょ!」

「恋花、いつもそんなこと言ってるよね」

 

 瑤が事実で突き刺す。

 

「甘いものは別腹だから、大丈夫!」

「別腹ってどの腹ー? この腹?」

「やめろ! お腹を摘まむなぁ!」

 

 恋花と藍は、やいのやいのと戯れる。

 その様子を見た一葉は秘かに安堵していた。昨日の一件を、恋花が気にしていないように見えたから。あの時の自分はどうかしていたのだと、自分自身に言い訳して。

 店内の冷房が少し効き過ぎている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 西の空が赤く染まった頃、ヘルヴォルは新たな行動を開始した。それは再び橋に赴いて行われるものだった。

 宇治橋は幅広なだけでなく、全長155mと長さもある。それでいて高欄は桧造りと、風情も大切にされている。

 今も車道の往来は多い。その一方、今回の噂のせいか、昼までに見られた歩行者の姿はなくなっていた。

 

 ヘルヴォルが――主に主導したのは恋花――立てた作戦とは、至って分かりやすい囮作戦だった。五人の内の二人がカップルを装い橋を渡り、残りの三人が隠れて監視するという内容である。

 宇治川の東岸に広がる公園で、ヘルヴォルは準備を進めていた。

 

「私たちの方は用意できています。と言っても、着替えただけなのですが」

 

 大きめのショルダーバッグを肩に提げた一葉が千香瑠たちの前に歩いていく。身に纏うのはエレンスゲの制服ではなく、ブイネックの白シャツと青のハーフパンツ。

 五人は関西外征に当たり、当たり前だが制服以外にも何着か服を持参していた。

 

「作戦の性質上チャームを持参できないのは不安ですが、致し方ありませんね」

「まあ、そこは千香瑠にお任せしよう」

 

 一葉に続いて恋花も着替えた私服をお披露目する。こちらは黒いシャツの上にサマージャケットを羽織り、ボトムスには黄色のプリーツスカート。ハンドバッグを片手に歩く姿は、ちょっとだけ背伸びした女子高生といったところか。

 

「これでどこからどうみても、よく居る普通のカップルでしょ」

「ガーデンにはよく居そうだけど。普通とは……?」

 

 上機嫌な今の恋花にとって、瑤の突っ込みも気にならないらしい。

 

「うーん……。チャーム使えるのはいいけど。らんもお着換え、したかったなぁ」

 

 監視役の方に含まれた藍がカップル役の二人を羨む。

 囮は確かに私服だが、チャームを身に付けることはできない。

 

「それじゃあもし一葉と恋花で何も起きなかったら、次は私と藍でカップル役やってみようか」

 

 そんな瑤の一言で、場が一時沈黙する。

 そして次の瞬間、一葉と千香瑠と恋花が立て続けに口を開く。

 

「私の耳が遠くなったのでしょうか? 瑤様、今何と仰いましたか?」

「瑤さん、それは流石にいかがなものかしら」

「ちょっと眠ってろお前」

 

 残念ながら当然の反応だった。

 

「冗談なのに、皆して酷い……」

「おー、よしよし。らんが頭を撫でてあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今更だけど、宇治橋みたいな曰く付きの場所の調査を、鹿野苑はどうして後回しにしているのかしら。幾ら手が足りないとはいえ……」

「鹿野苑は怪異事件の解決においては、被害の軽重を鑑みて優先順位を決めているそうです。宇治橋の件は今のところ軽い喧嘩止まりで、刃傷沙汰までには至っていませんから」

「そう……」

 

 作戦開始前に交わされた千香瑠とのやり取りを一葉は思い出す。

 宇治橋。古くから伝承が語り継がれる地。

 そのエピソードとは橋姫伝説。カップルが被害を被っているあたり、何らかの関連があると見て間違いない。

 

(千香瑠様は宇治橋という場所を随分と気にしていた。被害が軽微だからといって、本当に一筋縄でいくのだろうか)

 

 橋の上を渡りながら考えを巡らせる。

 以前、千香瑠一人に頼り切りにならないための方策を立てねばならないと、皆の前で宣言した。だがそれを実行する前に今回の調査指令が下りてしまった。

 今のままで解決できる案件なのか。改めて懸念する。

 

 赤かった空は薄暗くなっており、横の車道を走る車のヘッドライトが酷く眩しい。

 そんな中、誰ともすれ違うことなく歩き続けていると、頬に突然軽く突き刺すような刺激が走る。

 恋花の人差指が一葉の頬肉に埋もれていた。

 

「もーっ、さっきから生返事ばっかりなんだから」

「す、すみません」

「一葉さあ、ちょっと考え過ぎなんじゃない?」

「いえ、ですが、大事なことなので」

「そんなこと言って。今にあんたの頭、爆発するわよ」

 

 隣を歩く恋花が冗談めかして笑い掛けてくる。

 

「何だかいつもと逆だよね。ヒュージ相手の時はあたしが悲観的に考えて、一葉はノリと気合でどうにかしようとするのに」

「そっ、そんな行き当たりばったりではありませんよ!」

 

 恋花の言を否定する。

 しかしそんな風に言われる理由を、一葉自身もよく分かっていた。

 いつもなら、ヒュージ相手ならば、常日頃からの特訓と練り上げた戦術が一葉の自信となっていた。だからこそ自分やヘルヴォルを信頼して迷うことなく突き進めた。

 しかし怪異が相手だとそうはいかない。一葉は怪異のことが何も分からず、戦闘も千香瑠に頼らざるを得ない。そんな状態にあるが故、頭を悩ませずにはいられなかった。

 

「心配なのは分かるけどさ。今回は調査任務なんだから、まずは囮をしっかりやらないと。ちゃんと恋人らしくしてないと、怪異も何も引っ掛からないぞー」

 

 そう言いつつ恋花が腕を絡ませてくる。

 ふわふわの茶髪が一葉の横顔に急接近し、甘い香りに鼻をくすぐられる。

 

 恋人。

 恋人。

 恋人――――

 

 一葉が頭の中でその言葉を何度も反芻していく。

 やがてその答えを導き出す。自らの意思だけで辿り着いたと信じて。

 

「恋花様はスタイルの良い方が好きなのですか?」

「んー? 何かそれっぽい話じゃん。まあ別に、そこまで気にしないかな」

 

 前を向いて歩く恋花は一葉の方を見ないで答えた。

 

「私は、恋花様は今のままがいいと思います」

 

 そう言って一葉は絡めた腕を一旦解くと、恋花の腰に右腕を回した。そしてそのまま橋の欄干側へと寄っていく。

 宇治橋の歩道には、途中、川の方へと出っ張っている少しだけ開けたスペースが存在する。橋姫を祀るためのささやかな広間だ。

 その広間へと連れていかれた恋花は背中を橋の欄干に預け、眼前には一葉の体が立ち塞がる。左右では、伸ばされた一葉の両腕が欄干を掴んでいた。ちょうど恋花の体を挟み込む形で。

 

「おー、雰囲気も出てきた。一葉もやればできるねえ」

「今のままが、いいです」

 

 先輩風を吹かせた言葉を意に介さないかのように、一葉の左手がウェーブがかった茶髪に触れる。髪の間に指先を差し込んで優しく()いていく。それが終わると今度は張りのある頬っぺたを包み込んだ。

 一方、恋花の腰を抱いていた一葉の右手はゆっくりとその位置を下げていた。腰から、なだらかな膨らみを描くお尻へと。

 ここにきて、悠然と構えていた恋花の顔がようやく固くなってきた。

 

「一葉……?」

「恋花様」

 

 桃色に薄く色付いたルージュを、一葉はじっと見つめる。薄闇の中でもはっきりとその形が目に焼き付いていた。

 頭に上った熱に急かされて、一葉が身を屈める。

 

「ちょいちょいちょーい! それはちょっとやり過ぎかなぁ! これ、振りだからね!? フ、リ!」

 

 焦った恋花は手の平で一葉の顔を受け止めた。

 ところがその次には、恋花の体は宙に浮いていた。両腕で抱き抱えられていたのだ。

 一葉は恋花の体を硬い石畳の床の上へ仰向けにそっと寝かす。

 

「うん、分かった。もう十分。怪異もきっとすっ飛んで来るよ。『いい獲物を見つけたぜ~』って」

 

 宥めすかせるような恋花の叫びをよそに、一葉の手がスカートの裾へ伸びた。手触りの良い布の下に隠された瑞々しい柔肌を繰り返し掻き撫でる。

 

「んもー、一葉ったら。いくら恋花様が魅力的だからって、がっつき過ぎでしょ~」

 

 なんて恋花が苦し紛れにふざけている間にも、もう片方の手がスカートを繋ぎ止めるホックに触れる。

 

「って、言ってる場合かぁ! だから、それ以上はマズいってば!」

 

 更には脚を撫でていた方の手が上に這い上がっていく。その先にあるのは太腿の付け根と、スカートよりも触り心地の良い薄布。

 

「ちょっ、ヤバっ、んっ……ひゃあ!?」

 

 顔を赤く染め上げ、平生とは違った声色で鳴く恋花。

 だが一葉の方は全く動じず、粛々と黙々と手を動かしている。そんな調子なので、遠くから聞こえてくる叫び声にも無反応だった。

 

「かずはーー-っ!」

 

 軽快な足音。

 次いで、横合いから受けた衝撃により一葉の体が跳び跳ねた。

 石畳の上で三回転ぐらいして、川の下に落ちることなく動きを止める。

 続いて一葉の耳に届いたのは他の仲間たちの声。

 

「二人とも落ち着いて。今は作戦中」

「一葉ちゃん! 恋花さん! 初めてが野外っていうのは、どうかと思うわ」

 

 体が痛む。

 うつ伏せの一葉は痛みを押して、埃まみれの顔を持ち上げる。

 一葉と同じく、着ている服に埃を纏った藍が心配そうにこちらを見ていた。その後方には瑤と千香瑠が同様の表情を浮かべて立っていた。

 彼女たち三人の傍で、恋花が欄干に寄り掛かって座り込んでいる。顔までは見えないが。

 

「えっと、これは……」

 

 ぼんやりと霞がかった一葉の意識が徐々に覚醒していく。それに伴い、現状を確認しようと状況把握に努める。

 先程の衝撃は藍の体当たりによるものだろう。それは察せたのだが、他のことは難しかった。囮として恋花と共に橋を渡っていたところから、どうにも記憶が曖昧だった。時間が幾らも経っていないはずなのに。

 

「これは、どういう状況なのでしょうか?」

 

 恥も何もあったものではない。一葉は仲間たちに問い掛ける。

 

「一葉ぁ、恋花に酷いことしちゃ駄目だよ……」

「いや、うん。何か様子がおかしいとは思ったんだ」

「一葉ちゃんは悪くないのよ? 悪くない。不可抗力だから」

 

 いまいち歯切れの悪い三人の発言では要領を得ない。

 だがそれでも、一葉は自分が何か過ちを犯してしまったのは理解できた。これで察することができないのはよっぽど鈍い人間ぐらいであろう。

 一葉は懸命に思い出そうとする。慌てず焦らず、呼吸を整えて。それから慎重に、覚えている範囲から記憶の糸を手繰り寄せていく。

 つい先程までの光景が、頭の中でおぼろげに浮かび上がってくる。

 ところが記憶が鮮明になるより先に、一葉の思考は急激な悪寒によって中断された。

 

「皆、橋の西を警戒して。一葉ちゃんと恋花さんは立てる?」

「は、はいっ」

「何とかね……」

 

 ダウンしていた囮役の二人は立ち上がり、千香瑠と瑤からそれぞれチャームを受け取った。

 ヘルヴォルは千香瑠と藍が先頭に陣取る形で橋の西方を睨む。

 狭い歩道。そう派手な立ち回りはできないだろう。周りの被害を考慮しなければ別だが、観光地のみならず交通の要所でもあるこの橋を落とすのは避けなければならない。

 

 気が付けば、車道を走る車の姿がいつの間にかなくなっていた。

 街中に居たはずなのに、寂寥たる原野にでも連れていかれた錯覚に陥ってしまう。

 

 カツ、カツ、カツと石畳を叩く靴の音が妙に甲高く聞こえた。

 

「おかしいわねえ。貴方たちが相手だと、私の力も調子が狂うみたい」

 

 夜闇の向こうから愉しげな女の声が響く。

 

 

 



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第11話 渡る者の絶えない橋 二.

 貴船の社に詣でて七日籠りけり。

 宇治の河瀬に行きて三七日浸かりける。

 長なる髪をば五つに分け、五つの角へ。

 顔には朱、身には丹。

 鉄輪を戴きて三つの足には松明燃やし、口に松明を咥え、頭より五つの火燃え上がる。

 面赤く身も赤なれば、さながら鬼形の如し。

 これを見る者は魂失い倒れ伏し、死なずということなかりけり。

 貴船の社の神力により、生きながら鬼となりぬ。

 宇治の橋姫とはこれなるべし。

 夜ごと京中を大いに脅かしける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 付近の車道にヘッドライトの光は見えず、エンジン音も聞こえてこない。まばらに設けられた街灯の灯火だけが夜の宇治橋を照らしていた。

 そんな薄闇の向こう側から石畳を叩く足音が近付いてくる。足音の間隔は数秒にも数十秒にも感じられた。だが実際にはもっと短いはず。明らかな錯覚だった。得体の知れない存在に対し、一葉の第六感が警鐘を鳴らしていたのだ。

 程なくして、暗がりの中に緑の球が二つ、ぼうっと現われた。

 

「おかしいわ。妬み嫉みを煽ったつもりが。魔法使いもどきって、皆こうなの?」

 

 球形の正体は瞳だった。夜闇に浮かび上がる緑の瞳。

 瞳に続いて顔と全身もはっきりと見えてくる。くすんだ金色のショートボブの、一葉と大して歳の変わらないであろう少女だ。黒い間着とスカートはともかくとして、ペルシアの民族衣装を思わせる上着は異質に映った。

 街灯の下で露わとなった少女は10メートルばかり手前で歩みを止める。

 

「貴方は、こんな時間に何をしているのですか?」

「またおかしなことを。こんな時間こそ、私たちの時間だというのに」

 

 一葉の質問に、少女は呆れたような声を出す。

 

「魔法使いとか……。リリィをそんな風に呼ぶ奴なんて、今時居ないわよ」

「あら違ったかしら。でもそう呼ぶのが一番近いかもね」

 

 恋花の指摘通り、魔法使いなどというのはリリィ登場時の呼び名だ。現在でも使っているのは、魔法少女チャーミーリリィシリーズの熱心なファンぐらいだろう。

 

「一葉がおかしくなったのは貴方のせい? だとしたら、随分悪趣味な怪異だね」

「ちょっと、人聞きが悪いわね。あれは本来の効果じゃないって言ったでしょう。貴方たちの魔力が干渉して変質したのよ。多分」

 

 瑤に追及された少女が心外だと言わんばかりに口を尖らせた。それから人差指の先に自身の金髪をくるくる絡めて弄り出す。

 

「第一、私の能力に人間を洗脳する力なんて無いわ。私がやっているのは、人間が心の内に秘めている感情を引き出す程度。他人を妬まない人間なんて、そうそう居ないからね」

 

 自らを卑下するかのような態度。そうかと思えば、逆に力を誇示する物言い。どちらが本心かは不明だが、いずれにせよ一筋縄ではいかない性格らしい。

 

「橋姫、なのね。本当に」

「……あら、そう言う貴方はまともな格好してるけど、巫女ね? 私を退治するつもり?」

「貴方の態度次第では、そうしなければなりません」

 

 皆の先頭に立ち橋姫と対峙する千香瑠が決意の表情で宣言した。ゲイボルグを握る両手にも力が込められている。

 しかしながら、一葉はまだ決断できないでいた。彼女にチャームを向けて良いものか。

 この身に襲い掛かるプレッシャーは普通ではない。ここまでの会話の通り、間違いなく超常の存在なのだ。

 だが彼女、橋姫は見た目が人と変わらぬ上に、意思の疎通が成立していた。話が全く通じないとも思えなかった。

 武器を交えなくとも、どうにかなるのではないか? その可能性を模索すべく一葉が口を開く。

 

「貴方の能力とやら、人に使用するのを止めてください。それが私たちからのお願いです」

「うーん……()()()()が変なことになってるから少し覗きに来て、ついでに能力も久し振りに試してみたのだけど。もう十分ね」

「では……!」

 

 穏便に済ませられると、身を乗り出しそうになる一葉。

 ところが橋姫は小首を傾げ、またしても自身の金髪を指で弄り始める。

 

「でもこのままただ引き下がるのも、癪よねえ」

 

 そう言って笑みを作る。

 くっきりとした大きな瞳に、整った顔立ち。誰が見ても愛嬌を感じるだろう。

 しかしそんな笑顔とは裏腹に、場の空気はぴりぴりと張り詰めていく。

 

「今日は私、荒事する気分じゃないから」

 

 白々しい前置きをしながら橋姫が右腕を真横に伸ばす。すると彼女の右隣に、淡い緑色をした光球が現れる。全高が人の胸元ぐらいある大玉だ。

 光球の後ろにまた同じ光球が、そのまた後ろに光球が、幾つも幾つも数珠繋ぎに連なっていく。あれよあれよという内に、7~8メートルに及ぶ一本棒となる。それはさながら、緑の大蛇のようであった。

 

「グリーンアイドモンスター。これが相手をしてあげる」

 

 橋姫の体がふわりと浮き上がり、そのまま夜の闇へ吸い込まれるように遠ざかっていく。

 けれどもヘルヴォルは彼女に構っていられない。先頭の光球が、大蛇の口がぱっくりと開き、こちらに向かって動き出したから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 古来より洋の東西を問わず、蛇は嫉妬心の比喩として描かれてきた。日本においても、江戸時代に刊行された『今昔百鬼拾遺』が蛇帯(じゃおび)なる妖怪を紹介している。

 また西欧では、緑は嫉妬を象徴する色。緑色の蛇の如き異形とは、まさしく妬み嫉みを表すものなのだ。

 

 

 

 

 

「たぁーーーっ!」

 

 緑の大蛇の突進に対し、千香瑠の横に居た藍が真っ先に飛び出した。

 巨大な鉄塊――――モンドラゴンを振りかざし、真正面から大蛇と激突。分厚い赤紫の刃が、真横から裂けた大蛇の口を袈裟懸けに斬り払う。

 彼我の速度が上乗せされて、その衝撃は相当なものになったはず。

 ところが大蛇は体をくねらせ後方へ方向転換したものの、応えた様子は見られない。

 

「藍っ! 一度下がって!」

 

 一葉はすぐさま指示を出す。

 藍も素直に従い千香瑠の元まで後退してくる。

 地面すれすれのところを浮遊する大蛇は宇治橋の上を縦横無尽に這い回っている。

 相変わらず車は一台も通らない。通行人の姿も無い。まるで橋自体が一つのコロシアムにでもなったかのようだ。

 

「もう一度! もっとすっごいのいくよ!」

 

 そう吼えると、藍がモンドラゴンの刃先を地面に下げて、同時に右足を後ろへ引きつつ体を半身の姿勢にする。全身のバネを使って渾身の一撃を繰り出そうというのだ。

 

「待って藍ちゃん! 恐らくアレには通じないわ」

「そうだよ。仮に通用しても、橋まで壊してしまうから」

 

 千香瑠と一葉が相次いで藍を引き留める。

 

「むーっ、じゃあどうやってやっつけるの?」

 

 頬を膨らませて不承不承ながら指示を聞く藍。しかし彼女の問いにすぐさま答えられる者は居ない。

 その間にも、遠巻きに旋回していた大蛇がこちらへ接近を試みてきた。それを瑤の放った銃撃が牽制し、大蛇は再び距離を取る。

 左右に高速で蛇行しながらヘルヴォルから付かず離れずの位置を保つ。既に何発もチャームの銃弾を浴びたはずだが、やはりダメージらしきダメージを負っているようには見えない。

 

「……橋の被害を抑えて倒す方法があります」

 

 今まで熟考していたのか、唐突に千香瑠が声を上げた。

 

「あの大蛇の源、負の感情とは正反対の感情をぶつけます。そうすれば滅せられると思うわ」

「具体的には、どうするのでしょう?」

 

 一葉に問われると、千香瑠は恋花へ視線を移した。

 

「今なら、恋花さんが適任ね」

「えっ、あたし? あたしで大丈夫なの? 千香瑠がやった方がいいと思うけど」

「こういうのは元々の気質も重要だから。陽の気が強い人が適しているの」

「そう? あたし、こう見えても色々考えてるんだけどなー」

「ふふっ、分かってます。だけど『空元気も元気の内』と言うでしょう? それに実際、皆元気づけられている。そうでしょう? 一葉ちゃん」

「ええ、その通りです」

「はいはい、そういうことにしておきますか」

 

 隊長の一葉と実行者である恋花が了承し、ヘルヴォルは大蛇討伐へと動き出す。

 

「私と瑤様と藍でチャームのシューティングモードにより敵を牽制します。撃破はできなくとも、嫌がらせにはなるようですから」

「そうね。その後は私が大蛇の抵抗を抑えるから、恋花さんに止めをお任せします」

「どうやって?」

「チャームで思い切り殴っちゃってください」

「ちょっ、そんなんでいいの? 本当に?」

「大丈夫です。ただ、そうね……。さっきの心境を少しだけ思い出して。それが負の感情に打ち勝つ力になるわ」

「……っ!? ~~~~~~っ!」

 

 千香瑠が最後にウインクしてそう言うと、恋花は真っ赤になって声にならない声で悶えた。

 そんなやり取りの間にも、ヘルヴォルは足を動かし陣形を変えていく。

 一葉をセンターに据え、三人が車道を含めた宇治橋の上に広く展開した。千香瑠とフィニッシュを担当する恋花はやや後方で様子を窺う。

 

「らんがやっつけたかったのにー」

「今回は恋花に譲ってあげて」

 

 未だ不満げな藍を瑤が宥める。

 だが不平を漏らしつつも、藍はチャームを操作し分厚い刃を後退させて、代わりに黒色の砲口を前方にスライドさせる。モードチェンジ。モンドラゴンの射撃形態だ。

 一方、相対する大蛇はと言うと、ヘルヴォルの作戦会議中にも橋の上を悠々と駆け回っていた。その光景、ぐねぐねと旋回する動きも相まって、遠目からでは宙を泳いでいるようにも見える。

 

「来ないからこちらから仕掛けましょう。ヘルヴォル、一斉射撃!」

 

 一葉の号令一下、三機のチャームが火箭を伸ばす。連続的な発砲音が夜の静寂を引き裂き、発砲炎が局所的な照明を作り出す。

 的はただでさえ大きい上に、横腹を晒す余裕を見せていた。故にヘルヴォルの放った砲弾は大蛇の全身を容赦なく打ち据えた。

 今度も撃破はならず。

 しかし大蛇は頭部を捻ってヘルヴォルへ向きを変えた。向かう先は右翼側に立つ瑤だ。彼女の弾幕が一番薄かったせいだろう。

 左右に小刻みに蛇行する突進。その大きく裂けた口が瑤を吞み込まんと上下に開く。

 しかし瑤は動かない。

 

「想定通りです!」

 

 一葉がすぐさまチャームをブレイドモードに移行し、横から大蛇に向かって跳躍する。マギで作った力場を蹴ってのジャンプはあっという間に中央から右翼への距離を詰めた。そうして真上から振り下ろされた刃が蛇の頭を捉える。

 見事なまでのクリーンヒットだった。しかしグリップを握る一葉の手に手応えはない。

 反撃が来る。大蛇が長い胴体を鞭の如くしならせて、横薙ぎの一撃を一葉へ繰り出した。

 上に跳んで難を逃れる一葉だが、空を切った巨大な鞭は勢い余って橋の表面を薙ぎ払う。舗装が抉れてアスファルトの残骸が舞い散り、車道と歩道を隔てる縁石が叩き割られた。もしも人払いが十分でなければ大きな被害が出ていたことだろう。

 

(ここまでやっても、三人では有効打を得られない。だけど敵を引き込めた)

 

 一葉の読み通り、大蛇はヘルヴォルの陣形のすぐ前まで迫っていた。おまけに大振りの攻撃が外れたことで無防備である。

 そこへ、一筋の閃光が奔る。光は大蛇の腹を穿ち、橋の欄干に縫い留めて動きを封じてしまった。

 正体は千香瑠のチャーム。槍型のチャームであるゲイボルグは投擲による攻撃を可能としていたのだ。

 

「恋花さん、今です!」

 

 千香瑠が合図するや否や、立射で撃ち続ける瑤の背後から恋花が飛び出した。一気に敵へ肉薄してチャームを振るう。

 恋花のブルンツヴィークは連撃重視で取り回しに優れたチャームである。その機体下部から銃剣のように伸びた刃が大蛇の頭を正確に補足した。上顎と下顎を繋ぐ口角を横から串刺しにする。

 

「信じるからね、千香瑠!」

 

 恋花は刃をすぐには引き抜かず、その場に踏み止まった。大蛇の口角を貫いたまま、チャームを両手で握り締める。

 さながら断末魔の如く、緑の巨体が上下に激しく揺れた。

 

「ぐっ……」

 

 チャームを保持する恋花の身にも相当な負荷となっているはず。現に低い呻き声が漏れている。

 そんな暴れ回る大蛇のすぐ傍に、千香瑠の影があった。

 

()ぁ!」

 

 裂帛の気合と共に、大蛇の腹に押し当てられた掌底が眩く光る。

 すると、あれほどのた打ち回っていた大蛇の抵抗が収まっていく。

 やがて緑の巨体が頭から崩れ出した。風によって散りゆく砂の城のように。跡には何も残らなかった。

 その後、ずっとチャームを握っていた恋花が地面に両膝を突く。

 

「瑤様、千香瑠様、藍、周囲を警戒してください。……恋花様、お疲れ様でした」

「ほんとだよ、もー。これしんどい……」

 

 一葉は自身も辺りに気を配る。

 しかし、どうやら杞憂で終わりそうだ。橋姫の姿は本当にこの宇治橋から消えていた。

 調査任務としては、目的を十分果たせたと言える。だが一葉としてはもう少し話を続け、できるなら交渉で解決したいという想いがあった。せっかくお互い言葉が通じるのだから。

 そんな中、一葉は瑤が片手で自身の体をぺたぺたと触っていることに気付く。

 

「瑤様? もしや負傷されたのですか?」

「そのはずなんだけど。突進をちょっと受けたから。でも、どこにも傷が無いんだ」

「それは、どういうことでしょう……」

 

 改めて周囲を見渡すと、派手に砕け散ったはずの舗装や縁石も無傷。ますますわけが分からない。

 訝しむ一葉たちの疑問に答えるのは千香瑠だった。

 

「あの大蛇を形作る光球には大した殺傷能力が無かった。初めから本気で事を構えるつもりは無かったんだわ、きっと。妖怪ゆえの余裕かしら」

「千香瑠様、その妖怪とは? 怪異とは違うのでしょうか?」

 

 無論、一葉も妖怪という単語自体は知っている。だがここで千香瑠が指しているのは、一般的に知られている()()()()()()としての妖怪ではないのだろう。

 

「人の噂が具現化したものが怪異なら、その存在が人の噂を生み出してきたのが妖怪。両者の判別は難しいけれど、出会った瞬間に分かったわ。彼女は妖怪だと」

 

 あの千香瑠がここまで警戒する相手。

 一葉は西国の地の底知れなさを垣間見る思いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日早朝、京都市街ヘルヴォル臨時拠点。

 

「申し訳、ありませんでしたっ!」

 

 リビングにて、体を90度曲げて頭を下げる一葉。土下座でもしかねない程の勢いがある。

 謝罪の対象である恋花はソファに腰掛け、若干ぎこちない表情で苦笑していた。

 

「あんなっ、あのようなことを!」

「あー、思い出したんだ。あの時のこと」

 

 昨晩、宇治橋で二人きりの時に起こった出来事を今更ながら思い出したのだ。妖怪の仕業とはいえ、軽く流せるようなことではない。少なくとも一葉にとっては。

 

「まんまと妖怪の術中に嵌まり、あろうことか恋花様を傷つけるような真似を」

「ま、まあ結局何事も無かったし。傷つけるってのはオーバーでしょ」

「いいえ、オーバーなどではありません! あの時、藍たちの助けが遅れていたら私は……私は……」

「だから、気にし過ぎだってば。もー」

 

 恋花の言葉が、一葉には自分に対する気遣いに感じられた。いつもの明朗快活な態度をそのまま受け取ることができなかった。

 あの時は靄がかかったようにおぼろげだった光景が、今でははっきりと脳裏に浮かんでくる。

 光景だけではない。あの時の感触、柔らかくすべすべとした人肌。あの時の香り、ほんのり漂う香水と汗の匂いと、前者二つに勝る柑橘類にも似た甘い香り。そられを思い出す度、一葉は言いようのない後ろめたさを覚えてしまう。

 

「何もそんなへこまなくても。あのぐらい、スキンシップの延長だって」

「ですがっ」

「それに、そんな、嫌とか不快とかってわけじゃなかったし……。あー、だから、あれよ。この件はもう終わり! 気にしないこと!」

 

 話は終わったと言わんばかりに、ソファから勢いよく立ち上がった恋花はすたすたとリビングをあとにする。

 一葉はこの時、恋花を引き留めることも、言われるがままに綺麗さっぱり忘れることも、両方ともできないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の午後。一葉と千香瑠は買い出しのため、街の中心部を訪れていた。

 必要な物――――主に食料品を買い揃えて帰宅の途に就こうかという時、一葉たちは見知った顔と出くわした。

 

「あっ……あーーーっ!」

「あら、奇遇」

 

 一葉が驚愕に口を開けるのも無理はない。

 白昼堂々、街の大通りを歩いていたのは昨日の橋姫だった。

 更に驚くべきなのは、彼女が人と腕を組んで体を寄せ合っている点。その澄ました顔を除けば、まるで恋人か何かのように見えた。

 そして橋姫の隣に居る人物もまた、見覚えのある顔。いつぞや恋花と意気投合していた桃色髪の美人である。

 

「フフフ、私たちこれからお茶しに行きますの。この日の出会いを祝して、ね」

「まあ、興が乗ったから。人間にしては豪胆なのよね」

 

 一葉の理解の範疇を越えていた。

 

「これは、一体何がどうなって……。千香瑠様?」

「敵意は無いみたい。昨日もあったかどうか怪しいけど」

「どうしましょう。我々は一体どうすれば」

「取りあえず、鹿野苑には知らせるべきだと思うわ」

「そう、ですね。うちの学園を通して伝えてみましょう」

 

 この後、鹿野苑高等女学園から橋姫に関して「手出し無用」と連絡が来るのに時間は掛からなかった。

 

 

 



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第12話 山籠もり

「鹿野苑は人命に関わる怪異のみを討伐する方針のようです」

 

 エレンスゲを通して知らされた情報を一葉が皆に説明する。

 地元京都のガーデン、怪異退治の専門家である鹿野苑高等女学園は宇治の橋姫を積極的に討つ気は無いらしい。

 

「無論、宇治橋は監視するそうですが。今のところは大きな脅威になる可能性は低いと見ているとか」

「確かに、街で出会った時は悪意が感じられませんでした」

 

 千香瑠がキッチンに立って洗い物をしながら一葉の言に頷いた。

 

「何よ、わざわざ橋まで行って大立ち回りしたのに。無駄骨じゃないの」

「それはどうかしら。私たちと戦った結果、満足したとも考えられるし……」

 

 今度はダイニングの椅子の上で口を尖らせる恋花に対しフォローする千香瑠。

 ちなみにこのヘルヴォル臨時拠点のキッチンは、ダイニングと対面するオープン型のキッチンだった。

 

「根本的な問題は、やっぱりガーデン間の情報共有にあると思う」

「そうそう、それなのよねえ。あたしら京都(こっち)じゃ完全に外様なんだし。出たとこ勝負じゃ空振りもするって」

 

 恋花の隣に座る瑤が指摘する。

 すると六人掛けのダイニングテーブルを囲んで会議が活発になっていく。

 

「エレンスゲは鹿野苑とは関係が悪くないのですが、逆に特別良いわけでもない。と言うよりも、関係が無いと言った方が適切でしょうか」

「まあ、今更じっくり仲を深めるのも難しいしね。あっちはあっちで忙しくて暇が無いだろうし。てか、忙しいからあたしたちが来たんだし」

「関東横断風紀委員会の会合によって関東地方のガーデンは連携が強化されてきましたが、地方を跨いでの連携についてはまだ課題が残りますね。こればかりは一朝一夕でどうにかできるものではありません」

 

 一葉が述べたように、ガーデン間の協力体制は必ずしも万全とは言えない部分がある。強引な外征がしばしば批判されてきたエレンスゲなら尚更だ。

 現場レベルでの連携に関しては、作戦に従事するリリィ個々の人間関係に依るところが少なくない。

 

「あーあ、鹿野苑の子たちと一緒になる機会があったら、ちょっとは違うんだけど」

「恋花だったら、すぐに仲良くなっちゃうね。ガーデンは案外そういう顔の繋がりが大事」

 

 付き合いが長いだけあって、瑤は恋花の横の繋がりをよく知っていた。

 

「ともかく現状で可能なことを実行していきましょう。差し当たっては、特訓で私自身の力を高めるのです」

「んー、ちへど吐くのー?」

 

 食後のたい焼きを頬張っていた藍が尋ねた。

 すると一葉は言葉で肯定こそしなかったものの、深い笑みを浮かべてみせた。

 

「以前にも少しお話ししましたが。怪異に対抗し得る力を身に付けるため、ヘルヴォルは山籠もりを敢行します!」

 

 テーブルの上に両手をついて、一葉が堂々宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電車とバスを乗り継いで、途中からは自らの足で、ヘルヴォルは緑あふれる山林の中を進んでいた。

 ここは京都府北西部。兵庫との県境に近い山間の地。

 

「大江山……。初めて来たけど、悪くない所だね」

 

 殿として最後尾を歩く瑤がそう言った。

 だが瑤の前を行く恋花にしてみれば、同意はし難い。

 

「冗談でしょ、真夏に山登りとか」

「山登りじゃなくて山籠もり」

「もっと悪いわ! も~、こんな何も無い所で……」

 

 チャームを構えつつ、周囲を警戒しつつもブーたれていると、前の方を歩いている一葉がフォローを入れてくる。

 

「特訓には中々適した場所ですよ、ここは。麓の町や山道近くには小型のエリアディフェンス装置が設置されているので、ケイブの心配は無いですし。ヒュージ自体も滅多に出ないとか。そのお陰で中腹辺りまでの登山道は整備されいるそうです」

「へー。霊験あらたかな山って聞いたから、もっと人跡未踏な僻地だと思ってた。言われてみれば、町からもそう遠くなかったね」

「特訓中に遭難なんてしていたら、目も当てられませんから……」

 

 怪異退治のための特訓。そのための山籠もり。

 五人はチャームだけでなく、背中に大容量の背嚢を装備していた。山に泊まり込むので当然の用意である。

 

「それにしても、よく学園が特訓の許可を出したわね」

「流石に橋姫の件で慎重になったのでしょう。まさか、あのような存在が居るなんて。千香瑠様の仰ってた通り、西国は私たちの想像を超えた土地のようです」

 

 訝しむ千香瑠と、当然だと頷く一葉。

 いつものエレンスゲならすぐにでも討伐続行を命じそうなものだが。今回の外征は異例中の異例なのだ。

 

「肝心の特訓内容ですが、千香瑠様監修の下で決定しました。楽しみにしておいてください!」

「え、何か怖いんだけど」

「取りあえずは、滝行ですね!」

「えぇ……」

 

 それから道中何事もなく山の中を歩き続けた。

 周りの緑が徐々に色を濃くしていく。広大なブナの原生林だ。

 一行は山の中腹に辿り着いていた。

 そんな中、細い山道から開けた空間へと出た。そこがヘルヴォルの目的地である。

 

「こんな所にお家があるよ?」

「あれは山小屋だよ、藍。登山者が休憩する所。私たちはここに寝泊まりするんだ」

 

 先頭の藍が声を上げると、その疑問に一葉が答えた。

 中腹には木組みの建物が二つ建っていた。新築同然、とは流石に言い難いが、雨風を凌ぐ分には問題無さそうに見える。

 あらかじめ山小屋を管理する市から使用許可を取っていた。ヒュージの危険は少ないとはいえ、今の御時世、中腹まで観光に来る一般人はほとんど居ないらしい。そういうわけで、許可は割とあっさり下りた。

 

「今日のところは荷解きと周辺の確認、夕食の準備に取り掛かり、特訓は明日の早朝から始めましょう」

 

 一葉の指示によってヘルヴォルの強化合宿……ではなく山籠もりが始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その山小屋はかつては休憩所のみならず、登山客相手の食堂としても機能していたようだ。物資を搬入する車道の方が整備されなくなったため、今では営業していない。だが寝泊まりするのには十分な物件だった。

 中は埃だらけだが、掃除すれば問題ないレベル。屋根が抜け落ちたり床板に穴が開いたりということも無さそうだった。

 当然食材は残ってないので、持ち込みだ。そのための重装備なのだから。それが尽きれば麓の町まで買い出しに行くか、自然の恵みを現地調達することになるだろう。

 そういった諸々の準備を済ませていると、すっかり日が落ちていた。

 

「一葉と藍は、お風呂に行ったね?」

 

 恋花は自身に割り当てられた部屋に瑤と千香瑠を招き、ベッドにどっかりと腰掛けて二人と向かい合う。

 お風呂と言ってもガスは無いので、底に鉄板を敷いた大きな木桶で作った即席の五右衛門風呂である。

 

「一葉と気まずいわー……」

 

 直球で本題に入る。

 椅子に座る二人は最初こそ無言で瞬きしていたが、すぐに話を理解したようだ。

 

「そんな風には見えなかったけど」

「いや、皆と居る時は別に普通なんだよ。でも二人きりになると、微妙にぎこちないと言うか何と言うか……」

 

 顔に疑問符を浮かべる千香瑠に、恋花が切実に訴える。

 だが実際、一見するとレギオンのリーダーとして卒なくこなしているように見えた。あの一年生の隊長は器用なのか不器用なのか、時々分からなくなる。

 

「やっぱり、宇治橋で恋花にしたこと気にしてるんだ」

「そうなのよねえ。もういいって言ったのに。どうしたもんかねえ」

 

 個人的な感情を抜きにしても、これは大きな問題だった。隊長と隊のムードメイカーがぎこちないというのは、レギオン全体にとっての懸念と言える。

 

「この特訓の間にどうにかするしかないね」

「うん。それで、何かいい方法思い付かない?」

「思い付かない」

「おいっ」

「逆に聞くけど、恋花は私がこの手の話に造詣が深いと思う?」

「思わないけどさぁ! 胸を張って言うんじゃないよ!」

 

 恋花が瑤に突っ込むと、それを見ていた千香瑠がくすくすと笑い出す。

 

「ふふっ、ふふふふ。恋花さんも、この手の話で悩むことがあるのね」

「んもーっ、皆もっと真剣に考えてよね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大江山は単一の山ではなく、幾つもの山々によって構成された連山である。三つの市町村に跨るほど広大で、峰の高さは山によってまちまちだ。

 そんな山々の中に滝がある。山道からそれほど離れておらず、見つけるのに苦労はしなかった。落差は約25メートル。切り立った大岩に囲まれた険しい滝である。

 朝早くからヘルヴォルの五人は滝の麓にある岩場の上に立ち、落水によって水飛沫を上げる滝の様子を眺めていた。

 

「怪異を祓う巫女の修業はリリィと似通った部分があります。マギ操作の訓練が近いでしょうか」

 

 千香瑠の監修による怪異退治の修業。それは至ってシンプルであり、ある意味ありきたりなものだった。

 

「まず皆さんには滝行を行なってもらいます。これは精神修養の面が大きいわ」

 

 そう言って千香瑠が落水先へ入るよう促してくる。

 

「ほ、本当にやるんだ……」

「恋花、諦めな」

「夏だからまだいいけどさあ」

「冬でもやりそうだけどね」

 

 愕然とする恋花と、達観した態度の瑤。

 なお今のヘルヴォルは制服姿ではなく、白色・半袖の訓練着を身に付けている。濡れても構わない格好というわけだ。流石に緑に囲まれた山奥で水着を着たりはしなかった。

 

「始める前にこんなことを言うのも何だけど――――」

 

 千香瑠の声、先程よりもトーンが落ちている。

 

「修行したからといって、必ず怪異を討てる力が身に付くとは限らないの。本来なら幼い頃から積み重ねていくものだから。でもこれしか思い付かなくて。ごめんなさい……」

 

 影の差した表情で詫びてくる。

 姉のように母のように皆を包み込み、しかし時には妹のように心配を掛ける千香瑠にこんな顔をさせて、それでも発展性の無い悲観論を吐き続けるほど恋花は人間が出来てはいなかった。

 

「しょうがない。避暑代わりに一丁やっちゃいますか!」

 

 踏ん切りをつけて水の中に足を沈める。そのまま水の落下点を目指して少しの距離を歩いていく。

 滝壺は大した面積は無く、膝上が浸かる程度に浅かった。滝行に集中するのならこのぐらいがちょうど良いだろう。

 

「あっははっ! 気持ちいいー!」

 

 水に入った途端、バシャバシャとはしゃぎ回る藍。滝の下に着いて勢いよく流水をかぶっては、また楽しそうに笑う。

 

「藍! 修行なんだから、もっと無心に! ……いや、これもある意味無心なのかな?」

 

 一葉が藍を叱りつつ自らも滝の下へ入っていく。

 そうして五人全員が揃うと、多少窮屈に感じるぐらいであった。

 無論、ただ滝に打たれるだけが滝行ではない。深呼吸をして両手で合掌し、へその下あたりで組んだ両手を上下に激しく振る。雑念を取り払う精神統一法の一種だ。

 これを強烈な水流を浴びながらやるのだから、中々ハードである。それも、水分補給を交えつつ三時間。リリィでなければ間違いなく低体温症で倒れているだろう。

 ちなみに本来の滝行で水に打たれるのはせいぜい十分程度である。

 

(これは、何? 苦行? 拷問?)

 

 冷水に肌を刺され続けて感覚が麻痺しかける中、恋花はこの理不尽に対する疑念を頭の中で堂々巡りさせていた。

 踏ん切りをつけたその勢いで最初の方は乗りきったものの、実際ずっと継続するのは辛いものがある。体力的に、ではなく精神的に。徒労ではないのか、という思いがどうしても拭いきれないのだ。

 修行を考案する前、一葉と千香瑠は鹿野苑にコンタクトを取って相談に乗ってもらったらしい。それによると、向こうのリリィたちも似たような修行法を採っているのだとか。

 何より、皆が千香瑠のことを信頼している。故に一見すると徒労のような行為でも、歯を食い縛って続けられるのだった。

 

(それはそれとして、やっぱりきっついわー)

 

 真夏で着ているものがすぐ乾くのは幸いである。濡れた長い髪を顔に貼り付けながら、恋花はつくづくそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝壺から山小屋に帰還した後、夕刻から夜にかけて実施された修行は、人によっては滝行より厳しいものがあった。

 五人全員横並びで小屋内の床板の上に正座。その上で何かしらの書物を読む修行なのだが。

 

「房総半島解放戦、幕張奪還戦、大磯海底谷ネスト攻略戦。以上の戦闘詳報を読み込みましょう」

 

 昼間の疲労も何のそのと、意気揚々とした一葉が紙の山をドサッと下ろした。A4用紙に文字がぎっしり詰められたその光景は、遠目から見ただけで目眩がしてくる。

 だがそれでも、修行とあらば皆で臨む。

 

「何だか有名どころばかり。一葉ならこれ全部に目を通してるんじゃない?」

「はい、そうですね。勿論それ以外にも用意してあります。新佐世保港防衛戦、下関要塞防衛戦、淡路島解放作戦等。これらは明日の夜にします」

「……よくそんなに持ってこれたね」

 

 瑤が色んな意味で感心する一方、げんなりと目を細める者も居た。藍だ。

 

「何でぇ、学校じゃないのに勉強しなくちゃいけないの?」

「修行だからね。あと、終わるまでは一言も喋っちゃいけないからね」

 

 一葉が説明した通り、読み込みは黙々と行われた。

 戦史や戦術の研究は恋花も得意とするところだが、じっと正座してやるというのは苦行と呼んで余りある。

 硬い床の上、痺れる両脚、息詰まる沈黙。

 慣れぬ空間から解放されたのは、入浴の時間が訪れてからのことだった。

 

 風呂場は屋外に設置されている。山小屋の裏手に、倉庫の中で埃をかぶっていたカーテンで囲いを作った手製の浴場である。

 体の凝りをほぐしながら、恋花は一人で浴場の中にやって来た。

 明日の予定は早朝から滝行、午後からチャームを用いた訓練、そして最後にまた戦闘詳報の読み込みとなっていた。

 

(問題はいつまでこれを続けられるのかってことよねえ)

 

 ガーデンから指示が下れば、山を下りて怪異なりヒュージなりを倒しに行かなければならない。そうでなくとも、この山で戦闘が発生する可能性が無いとも限らない。

 いざその時、自分たちは戦えるところにまで至っているのだろうか。

 服を脱ぐ手を止めてぼんやりとそんなことを考える。

 なので浴場を囲むカーテンの布が開かれた時、恋花はすぐには反応できなかった。少しの間、入り口で固まっている一葉と無言で見つめ合う。

 

「……す、すみませんっ! お先にどうぞ!」

「ちょっと待って!」

 

 慌てて去ろうとする一葉を反射的に呼び止める。

 

「どうせなら一緒に入ればいいじゃん」

 

(何を言ってんだ! あたしは!)

 

 恋花は口に出した直後に内心で焦る。

 しかし出してしまったものは仕方がない。

 

「で、ですが」

「何よ、藍とは入れてあたしとは入れないって?」

「いえ…………分かりました。ご一緒させて頂きます」

 

 そうして囲いの布が閉じる。

 二人して風呂桶の前に立ったはいいものの、そこから先が続かない。お互いに黙りこくり、入浴の準備も進まなかった。

 桶の真下で薪がパチパチと火の粉を上げて燃える音だけが浴場に響く。

 このままでは何も解決しない。そう思った恋花は腹を決めて一歩前に踏み出す。

 

「分かった、じゃあこうしよう。一葉も太もも触らせなさい」

 

 言われた方は一瞬だけポカンと口を開けていた。

 

「何を言い出すんですか! おかしいですよ恋花様!」

「おかしいのはあんたも一緒じゃい! 気まずいったらないのよ!」

 

 浴場の中にもカーテンで仕切りが設けられているので、別々に着替えることも可能だった。だが恋花は今ここで、目の前でスカートを脱ぐよう一葉に迫る。

 

「それで()()()()。そうでもしなきゃ、あんた納得しないでしょ。変なところで頑固なんだから」

「そんなことしても納得できませんよ!」

「ああ~、もうっ! めんどくさいなあ!」

 

 これまでのモヤモヤを晴らすかのような勢いで、恋花は一葉に飛び掛かる。

 

「太ももで手打ちにしてあげようって言ってんだから、有り難く呑みなさい!」

「嫌です!」

「このっ、強情っぱり! 意地を張るんじゃないわよ!」

「そういう問題じゃありません!」

 

 一葉の下半身を狙って組み付く恋花。彼女の両手を掴んで抵抗する一葉。

 狭い空間で揉み合っていたものだから、バランスを崩して二人とも倒れてしまう。

 一葉が尻もちを付いた一方、恋花は前のめりに地面へ突っ伏した。

 顔を上げた瞬間、恋花の目前に広がっていたのは一葉のスカートの中だった。

 

「あっ……」

「……なっ!?」

 

 一葉は慌ててスカートを押さえて立ち上がった。

 エレンスゲのリリィは基本的に自室のユニットバスを使う。また一葉は部屋に洗濯物を放り投げておくような性格ではない。そのため恋花はこれまで一葉の下着をまじまじと見たことがなかった。

 服に付いた土を手で払い、恋花もゆっくりと立ち上がる。そしておもむろに口を開ける。

 

「う~~~ん、65点」

「はっ? えっ、あの、何がですか?」

「いやー、安心したよ。もしも男物のトランクスでも穿いてたら、どうしようかと思ってたから」

 

 ニヤニヤと笑みを溢す恋花を見て、一葉の頬が赤く染まっていく。

 

「一葉も案外可愛いもの穿いてるんだねえ。うぷぷっ」

 

 少し前までの強張った空気を忘れて恋花は笑う。

 

「でもまあこれに驕ることなく、普段着の方もお洒落に気を遣って頑張ってくれたまえ」

 

 満足げに一人うんうんと頷く。

 暫く赤くなって俯いていた一葉だが、不意にその目線を恋花へ向けた。

 

「私が65点なら、恋花様はさぞ可愛いらしいお召し物を穿いているのですね」

「……んん?」

 

 不穏に気付いた時には遅かった。

 

「恋花様のも見せてください!」

「ちょっ」

 

 自分よりも肩幅の広い一葉に両肩をがっちり掴まれて、迫真の表情で迫られる。

 背後は囲いの布。退路は無い。

 

「見せてください!」

「おちっ、落ち着きなって!」

「私だけ不公平です! 恋花様!」

 

 じゃあさっき言った通り太もも触らせろ、と返す余裕が恋花には無かった。むしろ今の一葉には()()()となりかねない。

 狭い浴場で大騒ぎしていると、異変を察知したのか囲いの入り口が勢いよく開かれた。ヘルヴォル残りの三人だ。

 恋花は簡潔明瞭に事情を説明するものの――――

 

「恋花が悪い」

「これは、恋花さんが悪いわね」

 

 瑤と千香瑠にばっさりと斬り捨てられてしまう。

 

「ねえ、もう一度お風呂入るの? らん、もう眠たいよ」

「そうだね、もう寝よっか」

 

 寝惚け眼の藍が欠伸をすると、瑤はそちらに向き直り頭を撫でてあやす。どうやら本当に助けるつもりは無いらしい。

 

「恋花様、見せてください! 恋花様!」

「一葉ちゃんも恋花さんも、夜遅くならないようほどほどにね?」

「教育に悪いから藍は見ちゃ駄目」

「ん~、むにゃむにゃ……」

「恋花様!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これも橋姫の仕業かっ!!!!!」

 

 恋花の叫びが夜の山に轟く。

 

 これ以降、二人はようやく元の空気を取り戻すのだった。

 

 

 



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第13話 出会い

 まだ薄暗い早朝、鳥の囀りと虫の音をBGMに、大江山の山道をヘルヴォルは今日も行く。

 山中とは言え、車道が走っているのでリリィにとってはさして険しい道のりではない。歪にひび割れたアスファルトの舗装路も、かつては沢山の観光客を導いたのだろうと偲ばせる。

 特訓場所の滝を目指して五人は間隔を空けた二列縦隊で行軍していた。万が一の襲撃に備えてのことだ。

 

「ヒュージサーチャーに反応あり。方角は南南西。数は3ないし4。等級不明」

 

 早速その万が一の事態が訪れた。隊の後方につく瑤がスマートフォン内蔵式のヒュージサーチャーを見て情報を伝える。

 対ヒュージレーダーであるヒュージサーチャーにも色々とタイプがある。施設設置用の大型・広範囲のものや、携帯式の安価で低性能のもの。ちなみに、リリィが頭部に装備する髪飾り型のサーチャーは小型ながら高性能だが、高価で整備にも手間が掛かるのでヘルヴォルは基本的に使用していない。

 

「全隊停止。恋花様と千香瑠様は南南西を警戒。藍はちょっとそこで待っててね」

 

 隊の中央に位置する一葉が戦闘態勢に移行するよう迅速に指示を飛ばす。

 

「森の中を、この移動速度。飛行型ヒュージの可能性が高い」

「了解。では恋花様が牽制射撃を。千香瑠様と瑤様で狙い撃ってください。もしも撃ち漏らしたヒュージが接近してきたら、それは藍が相手して」

 

 瑤の報告に基づき流れるように隊形を修正する。恋花が前に出て、千香瑠が瑤の同程度に下がり、藍はブレイドモードのチャームを抱えてうずうずと出番の時を待つ。

 

「……確認しました。スモール級、リッパー種。三機ばらばらに突撃してきます」

 

 真っ先に敵を視認したのは千香瑠だった。彼女は目と銃口でヒュージを追いつつも、作戦通り発砲せずに待機する。

 その間にも敵影は見る見るうちに大きくなっていった。

 ヒュージ特有のメカニカルな鉛色の装甲。リング状の胴体から伸びる四肢代わりの鋭い刃。その刃で邪魔な木々の枝葉を紙切れの如く切り裂きながら、森の只中を低空で翔けてくる。

 

「恋花様!」

「はいよ!」

 

 一葉の合図と時を同じくして、恋花のブルンツヴィークが戦端を開いた。

 銃口が煌めく度に光弾の雨が放たれて、前方に広がる森へと降り注ぐ。発射速度に優れるビームのマシンガンは敵の予想進路を漏れなく制圧していく。

 標的が散らばっていたこともあって弾幕密度は薄い。それ故に恋花の射撃はヒュージたちの動きを多少鈍らせる程度にとどまる。

 だがその僅かな足留めで十分だった。

 続けざまに放たれた二条の光線が左右の敵を撃ち抜いた。瑤と千香瑠が一射で仕留めたのだ。

 

「残りは、らんのだね!」

 

 唯一残った中央のヒュージに向かって藍が駆け出した。

 ところが藍のチャームが振り上げられるより先に、森を突破してきたリッパー種にビームが叩き込まれた。一葉が構えるブルトガングの仕業である。

 

「あっ、あーーーっ! らんのヒュージ……」

「敵撃破。瑤様、新たなヒュージ反応は?」

「無いよ」

「了解しました。では戦闘態勢から警戒態勢に移行。移動を再開しましょう」

 

 そうしてヘルヴォルは何事も無かったかのように、滝に向けて歩き出す。

 言うまでもないが、この程度で修行を中断することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍、チャームのシューティングモードが実体弾とレーザーを使い分ける理由は覚えてる?」

「うん、らん知ってる。キラキラしたのを出せる方が楽しいよね」

「違うよ。これ最初の方で習ってるはずだけど。さては講義で寝てたね?」

「ね、寝てないよ! らん寝てないよ!」

「レーザーは高威力だけど、市街戦だと周りの被害を気にして使いどころを考えないといけない。それにヒュージの中には光学兵器を減衰させる装備を持った個体が存在する。一方で実弾兵器はマギの消費を抑えられる利点があるけど、予備の弾薬で荷物が嵩張る欠点もあるね。そんなわけで、第2世代型以降のチャームには実体弾とレーザーを切り替えられるものが多いんだよ」

 

 目的の滝が近付くと、一行は道路から外れて緑の中に分け入った。

 移動中、警戒もしているのだが、ずっと無口ではなく会話も交えていた。一葉と藍のお勉強会もそのうちの一つである。

 

「こうしてると、あれを思い出すよね。ほら、サガ女との合同訓練」

「ああ、そう言えばあの時も山岳戦の訓練で山の中を歩いたわね」

「時間が勿体ないからって山登りの合間に教本読ませるんじゃないよって感じだったわー」

 

 恋花と千香瑠が思い出話――――と言えるほど昔ではないが――――に花を咲かせる。

 エレンスゲ女学園と鎌倉の相模女子高等学館はガーデンとしての理念に似た部分があり、姉妹校提携を結んでいた。

 

「山でお昼を作る時にさあ、(あおい)っちがやけに張り切っちゃって。確かカレーだったっけ? 隠し味のソースがどうとか。フフッ、何だったのよあのテンションは」

「葵さん、元気にしているかしら。生徒会直属の特務レギオンだから忙しいんでしょうけど」

「彼女のお父さんならニュースによく出るね」

 

 話に加わった瑤がスマートフォンの画面を見せてくる。そこでは防衛省が会見しており、顎髭の壮年男性が軍とヒュージとの小競り合いについて釈明しているようだった。

 

 やがて水の流れ落ちる音が大きくなってきた頃、一葉は不審な光景を目の当たりにする。山林に囲まれた大岩の上に人影を見つけたのだ。

 一応は登山コースとなっているため、こんな御時世といえども、登山者が全く来ないとは限らない。

 不審なのは、その人物が小さな子供という点だった。

 

「……止まってください」

 

 一葉はすぐに駆け寄るような真似はせず、まずヘルヴォルへ停止を指示する。そしてそれから問題の子供について慎重に確認し始めた。

 藍よりも幾分か小柄で低身長。恐らくは初等部だろう。薄い赤茶のロングヘアーには大きな赤リボンを付けている。服装は白のノースリーブと紫のロングスカート。どこかのガーデンの制服ではなさそうだし、第一、チャームが見当たらない。

 

「そんなとこに突っ立ってないで、こっちにおいでよ」

 

 先に向こうの方から話し掛けてきた。その声は周りの空気から逸脱するかの如く気さくで、どこか不敵でもあった。

 

「貴方、山登りに来たのですか? 大人の人は一緒ではない?」

 

 一葉がそう尋ねても、女の子はわざとらしく肩をすくめるだけ。

 

「こんな所に一人で居たら危ないよ。お姉さんたちと一緒に山を降りよっか」

 

 今度は瑤が声を掛ける。優しく見えるよう努めているようだ。

 けれども女の子は大岩の上から腰を上げることなく、首をゆっくり左右に振った。

 

「こう見えて、あんたたちよりは長生きしてるんだけど。まあ信じられないか」

 

 女の子は自身の右腕を前に突き出した。ヘルヴォルの面々に見せるように。

 次の瞬間、突き出された肘から先が消えていた。その場には腕の代わりに白い霧が漂っていた。

 

「あの時、あそこで、子取り箱の除霊を手伝ってやっただろう?」

「貴方っ……!」

 

 女の子を見る千香瑠の顔が強張った。

 千香瑠だけではない。一葉たちも同様だ。

 目の前の少女、体の霧状化などという芸当ができるということは――――

 

「怪異、いえ、妖怪ね? 一体どういうつもりなの?」

「まあ、それはいいじゃないか。今重要なのはそこじゃない」

 

 千香瑠に問い詰められても女の子は飄々とした態度を取る。

 

「修行してるんだろう? 怪異を退治するために。そこの巫女だけじゃあ限界があるからねえ」

 

 どこまで把握しているのだろうか。訳知り顔で、こちらの考えを見透かしているかのように、少女は語る。

 

「でも今のまま修行を続けても、身になるのはずっと先の話。それこそ月単位でね。それだけでも大したものだけど、あんたたちはそんなに待ってはいられない。違うかい?」

 

 否定できる者は居なかった。承知の上での山籠もりであった。

 

「そこで、私が修行をつけてやろう。即席の妖怪退治屋……怪異退治屋か。そうなれるように鍛えてやる」

「……仮に、それが可能だとして。貴方にどのようなメリットが?」

「メリットはあるんだが。一から話すとなると時間を食うなあ。取りあえず、私の修業を受けるか受けないか決めないか?」

 

 一葉は至極当然の質問をするが、のらりくらりと躱されてしまう。

 実際、時間は惜しい。今はまだガーデンから指令は出ていないものの、いつ何時怪異が出現するかは知りようが無かった。

 目の前の少女、否、妖怪が怪しいのは言わずもがな。

 しかしながら、彼女の提案を一葉は一蹴しなかった。

 

「皆さん――――」

 

 一葉は妖怪の乗る大岩から一旦距離を取り、ヘルヴォル内で会議を始める。

 

「この提案、私は受け入れても良いと考えています」

「大丈夫? あの子が普通じゃないのはよく分かったけど、だからこそ余計に怪しいでしょ」

 

 恋花は一葉に疑問を呈した。

 確かに、顔を合わせたばかりで目的も分からない相手に特訓を頼むなど、あまりに突飛な考えだろう。

 

「子取り箱の除霊に加勢してくれたのが事実なら、修行を受ける意義は大きいと思います。残念だけど、私のやり方では時間が掛かってしまうから……」

 

 千香瑠は消極的ながら賛成に回った。

 

「あの子が私たちを欺く理由は無いと思うけど。でも怪異や妖怪は合理性だけで動いていない。私は賛成できないかな」

 

 瑤は反対の立場を取った。

 たとえ人外でも子供の姿の相手と敵対するのは辛いはず。しかし、それとこれとは話が別なのだろう。

 

「よく分からないけど、あの小っちゃい子、強い気がする。らんは一緒に遊んでみたいなあ」

 

 最後に藍が賛成の意を表した。

 そうして最後に決断するのは隊長である一葉の役割。

 

「修行を受けましょう。何かしら前へ進むものがあるかもしれません」

「一葉、本当にいいんだね? 相手が妖怪でも」

「はい。鹿野苑だって、怪異の全てを退治しようと考えてはいないのです。対立以外の道もあるのではないでしょうか」

「ま、ヒュージなんかとは違うからねえ」

 

 その決断に対し、恋花は念押しして最後には受け入れた。

 瑤も無言で頷いた。

 一葉は再び大岩の前に進み出る。

 

「修行の申し出、有り難く受け入れようと思います。それで、具体的にはどのような内容なのでしょうか?」

 

 すると妖怪は得意げに口角を持ち上げて、岩の上からひょいと飛び下りる。

 

「そう慌てなさんな。まずは名乗りから」

 

 少女の姿で堂々と胸を張りヘルヴォルを見据える。

 

「私はスイカってもんだ。よろしく、人間」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スイカと名乗った妖怪に連れられてやって来たのは、昨日に滝行を敢行した滝。ヘルヴォルの本来の目的地と同じ場所だ。

 ただし、そこに流れる水は昨日までと様相を異にしていた。

 

「これ、冗談でしょ?」

 

 恋花が口元を引き攣らせる。

 滝のてっぺんから滝壺にかけて、大量の水が鉄砲水の如き怒涛の勢いで流れ落ちていた。水面に落ちて噴き上がる水飛沫も、さながら津波のようである。

 

「スイカさん、何をしたのですか?」

「なあに、ちょっと水の流れを(あつ)めて凝縮させただけさ」

 

 真剣な顔で問う千香瑠に、スイカはあっけらかんとした様子で答えた。

 

「水の流れを、凝縮……。どういうことなのでしょう……」

「一葉、多分深く考えたら駄目なやつだと思う」

 

 瑤が一葉に諦観を勧めている。

 

「じゃあ始めようか、滝行を」

「マジで? あたしたち死んじゃわない?」

「へーきへーき。普通の人間より丈夫なんだから。それにこれぐらいやらないと、すぐには力がつかないぞ」

 

 信じられないものを見る顔つきで渋る恋花。

 しかしスイカの方針は変わらない。

 

「……分かりました。やりましょう、滝行を」

「おおぅ、言うと思った」

「ヒュージも怪異も待ってはくれません。焦るわけではないですが、道を短縮できるのならその方がいいでしょう」

 

 恋花は低く唸りながらも、一葉の選択を予測していた。だからこそのヘルヴォルだ。

 そういうわけで、五人は轟々と水飛沫や水蒸気の立ち込める中に入っていった。

 

 およそ三時間。それだけの時間を鉄砲水に打たれていたところ、滝壺から上がってきたヘルヴォルの姿はすっかり変わり果てていた。

 訓練着があちこちダメージを負って、ほつれ、破れかけて。真夏にもかかわらず、皆が一様に足と肩を震わせている。

 だが無論、特訓は始まったばかり。

 

「お次は、ここいらの石っころを砕いてもらおうか」

 

 元の常識的な勢いに戻った滝の畔で、胡坐を掻いたスイカは落ちていた石を無造作に拾い上げる。

 次の瞬間には、こぶし大の石が粉々に粉砕されて、風に巻かれて飛び去っていた。

 

「魔力……ああ、マギっていうのか。それを使えば出来るだろう」

 

 スイカが事も無げに言ってのけると、真っ先に飛び付いたのは藍だった。藍は手近な石を右手で掴むと、「ふん!」という掛け声と共に割ってみせた。

 

「こんなの簡単だよ! 流石らん!」

「はい、駄目ぇー」

「えーっ! なんで!?」

「割り方が大味過ぎるんだよ。もっと細かく砕くんだ」

 

 スイカの言葉通り、藍が砕いた石は三つか四つの大きめの破片と化していた。最初に見せてくれたお手本とは大違い。

 

「マギ操作の特訓ですか。これは、思った以上に難しいですね」

 

 続いて一葉が挑戦したところ、藍よりは破片が細かくなったものの、やはり粉々とはいかなかった。

 

「イメージとしては、石にマギを素早く二回ぶつける感じで」

 

 スイカのアドバイスを受けても、一葉たちはいまいち要領を掴めない。

 チャーム以外の物質を硬化させたり、身体能力を強化したり、そういったことにマギを用いる機会はよくあるが、物質にマギを流し込んで粉砕する経験など無かった。

 たとえ理論上は可能であっても、あまりに非効率である。ヒュージとの戦闘は勿論のこと、障害物の除去等においてもチャームや爆薬を使った方がずっと早い。

 

「千香瑠様は……成功ですね。流石です」

「私も、こういった修行は初めてよ」

「まあ千香瑠はマギの扱いが上手いからねー」

 

 恋花が褒めたように、ガーデンでの実技訓練におけるマギ操作技術は千香瑠がトップであった。エレンスゲでの彼女の序列の低さは実戦におけるメンタル面に原因がある。もっとも、今ではそれも覆ると思われるが。

 

 結局、五人で無数の石ころを破壊して、スイカのお手本通りにできたのは千香瑠だけだった。

 

「それじゃあ、いよいよその得物を使った修行にしよう」

「得物って、チャームのことでしょうか?」

「勿論そうさ。怪異ってのは本来特定の儀式を実行して祓うものだが、マギの込められたあんたたちの得物はある意味呪具とも言える。だからそいつでぶっ叩いて倒せるようになれば、一番手っ取り早いだろ?」

「成る程。もしそれが叶うのなら、有り難いことこの上ないですね」

 

 一葉が首肯すると、スイカは気を良くしたのか笑みを浮かべる。

 

「よし、早速そいつで私をぶっ叩いてみろ」

「…………はっ、いや、何をどうしろと?」

「チャームで私に打ちかかってこい。それが修行だ」

 

 とんでもない提案に、一葉のみならずヘルヴォル皆が固まる。

 当然だ。相手は幾ら妖怪とはいえ、子供の姿で武器も何も持っていないのだ。

 

「それは流石に、できませんよ……」

「何だい、私の体に傷でも付けられると思ってるの? そりゃ杞憂ってもんだ」

「そういう問題ではないのですが」

「ふぅん、私が妖怪だってこと、まだよく分かってないみたいだな」

 

 躊躇する一葉の見ている前で、スイカの右腕が白い霧に包まれる。霧はまたすぐに消えたのだが、その手に鎖が握られていた。

 もはやこの程度の芸当では誰も驚きはしなかった。

 

「私はこれを使うから。これなら文句ないだろ?」

 

 スイカは先端に三角錐の分銅が付いた鎖を両手で握り、挑発的に笑む。確かにお互い武器を持っているなら、リリィ同士でも打ち合いの稽古ぐらいはする。

 それでもヘルヴォルはチャームを振るうことを躊躇った。ただ一人を除いては。

 

「一番、らんが一番に行くよ!」

 

 小さな体が飛ぶように駆け出して、これまた小さな体に向けて躍り掛かる。巨大な鉄塊、チャーム『モンドラゴン』が避けもしないスイカを目掛けて上段から振り下ろされた。

 鈍い金属音の直後、嵐のような砂煙が巻き起こる。スイカの靴が、赤いリボン付きの可愛い靴が、地面を踏み締め後ずさったせいで。

 

「あの子、藍の突進を受け止めた……!」

 

 瑤が目を見開き驚く。藍のパワーもモンドラゴンの攻撃力も、抜きん出ているとよく知っているからだ。

 砂煙が完全に晴れた時、二人は膠着状態だった。両手でピンと引っ張られた鎖がモンドラゴンの刃を受け止めていた。

 

「ふむむむむむむ――――」

「おお、ちっこいの中々パワーがあるじゃないか」

「むむむむっ、らんの方が大きいっ」

 

 藍は真後ろへ跳んで一度間合いを取ると、モンドラゴンを構え直す。

 その巨大さゆえ、()()と呼ぶには大雑把。()()()と言った方が正確だろう。

 ただ先程に比べて幾分か刃を斜めに傾けた。

 

「やぁ!」

 

 再度の肉薄。

 二撃目は肩上から斬り掛かる袈裟懸け。

 しかしスイカはまるでヌンチャク術でも披露するかのように鎖を操り、またもや藍の攻撃を防いでしまう。

 そこからは息もつかせぬ攻防だった。連続して繰り出される鉄塊の暴風を、スイカの鎖が捌き続ける。時折蹴りや分銅の投擲で反撃するが、基本的にスイカの方は受け身の体勢を保っていた。

 

「考えを改めなきゃね。正直、見た目で舐めてた」

「そう、ですね……」

 

 その後、他の四人も全員がこの修行を受けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その晩。まだ完全に日が傾く前に、ヘルヴォルは早めの夕食を取ることにした。

 すっかり師と化したスイカも招き、中腹の山小屋へと帰還する。

 皆が疲労困憊。特に恋花と藍はグダっという効果音が聞こえてきそうなほど気力が無い。

 

「それで、これからどうするんだ? 今日はもうご飯食って寝るのか?」

 

 一人だけ平然としているスイカが広々とした食事スペース――小屋は元々食堂だった――の床板に腰を降ろしてそう言った。

 

「いいえ。タブレット端末を通してリモートで講義を受けた後、戦闘詳報を読み込みます」

「はぁ~、山の中まで来てご苦労なことだねえ」

「出席や単位に関してはある程度融通が利きますが、受けておくに越したことはありませんから」

 

 一葉が真面目に話していると、小さくて低い唸り声が鳴った。藍のお腹が悲鳴を上げたのだ。

 

「ねえ、ご飯まだぁ?」

「もうちょっと待ってね。千香瑠が作ってくれてるから」

「ご飯を食べなきゃお腹が空くよ。お腹が空くと力が出ないよ」

 

 瑤があやそうとするものの、藍の空腹は治まらない。

 ちなみに、今晩のメインディッシュはスイカが持ち込んだ猪の肉である。流石の千香瑠も猪の下ごしらえの経験は無かったので、そこは持ち込んだ本人も手伝っていた。

 

「お腹空いた……」

 

 不意に藍がゆらりと立ち上がる。何だか目の色が怪しい。

 

「スイカって、美味しそうな名前だね」

「は?」

「ちょっとだけ、らんに食べさせて」

「……は?」

 

 床の上で胡坐を掻くスイカに藍が伸し掛かる。

 

「何だお前!?」

「んちゅーっ」

「やめろ! 頬に吸い付くな!」

 

 一葉たちが呆気に取られている隙に、空腹で乱心した藍と抵抗するスイカがドタバタと揉み合いになる。

 

「二人とも、可愛い……」

「おい、でっかいの! ちっこいのを何とかしてくれ!」

「可愛い……可愛い……」

「おぉい!」

 

 千香瑠の夕食が運び込まれるまで、藍を拘束するはめになる一葉であった。

 

「このっ、ちっこいの! お前の方を食っちまうぞ!」

 

 

 



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第14話 夢

 ある晩、一葉は夢を見た。夢であることを夢の中で自覚する夢、いわゆる明晰夢であった。

 ただ一般に伝えられる明晰夢と違い、その場所では一葉の思い通りにならなかった。金縛りにあったかのように、指一つ動かせず声一つ出せない。

 ぼやけていた視界が段々とはっきりしてくる。

 そこは走行中の列車の中だった。薄暗い照明が点いたり消えたり、目が痛くなってくる。壁や天井は古ぼけており、一葉の他に乗客の姿は見当たらない。

 その時、一葉はようやく体を動かせるようになっていた。

 しかし夢は一向に覚めないので、取りあえず状況を確認することにした。

 

「どこに向かっているんだろう……」

 

 車内を見回してもそれらしき表示は見つからない。別の車両に繋がる扉もビクともしない。

 たった一人、薄暗く限られた空間に取り残された。不気味さよりも物寂しさが僅かに勝る。

 一旦座席に戻って思案し始めた矢先、一葉の耳に車内アナウンスが飛び込んでくる。

 

「次~は~活けづくり~活けづくり~」

 

 妙に間延びする声だった。

 だが問題なのは、声よりもその内容だ。聞き間違いだろうか、そんな駅名は聞いたことが無かった。

 困惑しきりのところ、一葉をゾワリとした悪寒が襲う。

 反射的に身を屈めると、頭上で何かが通り過ぎた。すぐさま視線を上げるが、窓ガラスが消え去った窓枠と、その向こうに広がる真っ暗な空間しか見えない。

 頭を下げていなかったら、あの暗闇の向こうに引きずり込まれていたのではないか。

 

「活けづくりにされるのは……私ってこと!?」

 

 開いた窓から離れて周囲を警戒する一葉。夢とはいえ、無抵抗でやられるつもりはなかった。

 生憎チャームは持っていない。やはり本人にとって都合の良い明晰夢とは違うようだ。

 そんな中で再び先程のアナウンスが流れる。

 

「次~は~えぐり出し~えぐり出し~」

「今度は何?」

 

 一葉がアナウンスに対して問い掛けてみるが、返事は返ってこない。

 その代わりに不可思議な光景が目に映る。前方の席の辺りから、スプーンらしき物体が二本飛んできた。誰の力も借りず、宙を飛んできたのだ。

 またもや頭を下げてやり過ごす。

 ところがスプーンはぐるりと旋回して一葉の方へと戻ってきた。

 狭い列車内。ほんとんど直線にしか逃げ場は無い。

 一葉は瞬時に決断した。目の前に向かって来る銀色の凶器に対し、自らの腕を振るうことを。

 

「いっ、つぅ!」

 

 まるで熱した鉄に触れたかのような激痛が一葉の左腕を襲う。夢なのに痛みがリアルなのは理不尽極まりない。

 だがその甲斐あって、スプーンは二本とも開いた窓から外へと飛び去っていった。

 

「はぁ……こんなことが続いたら、身が持たない」

 

 リアルな質感、リアルな苦痛。夢だから死んでも平気、などという思考は湧いてこなかった。

 前方の運転室に繋がるであろう扉を、体当たりしてでも突破しよう。そう決意して一葉は歩き出した。

 

「困りますねえ、お客さん。勝手に避けられちゃあ。もうじき地獄がお出迎えっていうのに」

 

 突然のアナウンスに、足が止まる。

 その直後、固く閉ざされていたはずの扉が開き、運転室の方から黒い影がやって来る。

 やや猫背で、背丈の割に腕が長く、頭の上に紺色の制帽を載せた()()。顔は黒塗りだが、目玉に当たる部分がギラギラと白く光っている。手には電動のドリルが握られていた。それも削岩用の極太ドリルだ。

 

「貴方が車掌というわけですか」

 

 一葉は相手から目を離さず後ずさる。

 すると異形の車掌が前に詰めてくる。

 

「次~は~挽肉~挽肉~」

 

 無神経に流れるアナウンス。その意味など、今更考えるまでもない。あのドリルで人間の挽肉を作ろうというのだろう。

 機械仕掛けの重低音を上げながら、鉛色の穂先が一葉へ迫る。

 狭い車内に逃げ場は無い。後ろの扉をどうにか蹴破るか、一か八か窓から飛び降りるか、あるいは目の前の異形と対決するか。

 一葉は決断を迫られた。

 考えている間にもドリルが近付いてきて――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「危ないですよ、そんな物を振り回しては」

 

 車掌の手からドリルが消えた。

 否、消えたのではない。傍らに立つ人物に取り上げられたのだ。

 

「千香瑠様!」

「はい、こんばんは」

 

 にっこり微笑む千香瑠がいつの間にかそこに居た。

 

「何故、千香瑠様が? ここは私の夢の中ではなかったんでしょうか」

「いいえ、合ってるわ。一葉ちゃんの夢にちょっとお邪魔してるの」

「そんなことまで可能なのですか!?」

「巫女ですから」

「流石です千香瑠様!」

 

 一葉と千香瑠が話している間に、車掌はじりじりと後ずさっていく。本能が「危険だ」と警告しているのだろうか。

 ところが、そんな車掌の背中は何者かにぶつかって止まる。

 

「おいおい、こんな列車なんて用意して。()に居た頃より随分と出世したみたいじゃないか」

 

 スイカだ。小さな妖怪の少女が、これまたいつの間にか車掌の背後で腕組みしていた。

 形勢逆転。今度は車掌が前後を挟まれ袋の鼠と化す。

 そこで改めて車掌の姿を見てみると、一葉はその正体が二足歩行した猿だということに気付く。

 その内、猿は「キィキィ」と力なく鳴き始めた。

 

「この物騒なドリルは預かります。他にも色々持っているみたいだけど」

「他人の都市伝説に乗っかるなんて、随分せこい真似するなあ。ん?」

「キィ、キィ……」

「少々、おイタが過ぎたわね」

「何とか言ってみろ! この猿ぅ!」

「キィ……」

 

 前門の虎、後門の狼。

 仕舞いには、猿の車掌は両手で頭を押さえてその場に蹲ってしまう。

 ついさっきまで命の危機に曝されていたにもかかわらず、不憫に思う一葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、一葉は夢の内容をしっかり覚えていた。

 寝泊まりしている山小屋にスイカが訪ねてきたところで、昨晩に体験した怪奇譚について皆に打ち明ける。

 

「そっか。大変だったね、一葉」

「ご飯は食べたいけど、ご飯になるのは嫌だなあ」

 

 瑤にしろ藍にしろ、千香瑠が他人の夢の中に入っている点について、もはや突っ込みすらしなかった。

 

「ちょっと気になることがあるんだけどさ」

「ええ、私もです」

 

 恋花と一葉が揃ってスイカの方を向く。どうやら似たようなことを考えているらしい。

 

「さっきの話を聞いてると、何だかスイカはその猿の怪異……妖怪かな? 妖怪がどこから来たのか知ってるみたいな口振りじゃん」

「更に言えば、スイカさんが私たちヘルヴォルの修行に付き合うメリットとやらに関係があるのでは?」

 

 二人して問い質すと、スイカは少しの間天井を見上げてから口を開く。

 

「妖怪がどこから来るのか、だったか。まあ気になるよなあ」

「まさか、異世界なんて言うんじゃないでしょうね」

「当たらずしも遠からず」

「マジか……」

 

 半ば冗談での発言だったのだろう。スイカの口から出てきた答えに、恋花は言葉を失った。

 

「その昔、超常の事象を科学によって説明付けられた妖怪たちは結界によって区切られた土地へと移り住んだ。こっち側の住民からは見えない、認識されない土地。厳密には異世界ではないんだが、似たようなもんか」

「私の夢に出た猿の妖怪は、そこの出身なのですか?」

「そうだよ。向こうの山、妖怪の山に居たケチな小妖怪さ。人間たちの中で流行ってた都市伝説に便乗して、あんな力を得たんだろう。私が釘を刺しておいたから、もうこっちに出てきたりはしないよ」

 

 スイカによってスラスラと話が進められていく。その中には彼女と一葉たちの間で認識の齟齬が生じていると思しき部分があった。

 

「マギによる防御結界なら私たちリリィも使うけど、それとは別物だよね」

「ああ、勿論。あの地を覆っているのは外の世界から物理的に切り離す結界と、もう一つ、概念の結界だ。外で幻想とされたモノ、実在を忘れ去られたモノが自動で流れ着く結界。それら二つの結界によって、あの世界は成り立っている」

 

 瑤が確認の意味で問い掛けると、スイカは当然と言わんばかりの顔で頷いた。

 

「……ですが、その話が事実だとするなら、ヒュージはどうなるのですか? 超常の存在でありながら、ヒュージは結界などお構いなしに我々の世界で活動しています」

「そう、そこなんだよ問題は。どうやらマギっていうのは私らの妖力や魔力とは微妙に違うものらしい。あいつらが結界の外で好き放題に暴れ続けた結果、人間の意識も変わっていった。『超常の存在を認めざるを得ない』ってね」

「それは、つまり、概念の結界が意味を為さなくなってしまうと?」

「ご名答。あいつらがこの世界に現れてから50年。ゆっくりと少しずつ概念の結界が綻んでいった。本当に小さな綻びだが、その僅かな隙間から漏れ出た連中が厄介だった」

「怪異、ですね」

 

 今度は、得心がいった一葉が頷く番だった。

 

「で、その綻びた結界を補強するために、強引だが手っ取り早い方法を取ったわけだ」

「もしや、スイカさんが私たちを鍛えようとしているのは……」

「儀式だよ。人間の手で怪異を討つことで、怪異を乗り越えることで、この世界から奴らの居場所を無くさせる。そういう術式を結界に組み込んだそうだ」

「不勉強で恥ずかしい限りですが、私には少し理解しかねるお話しですね」

「正直、私も詳しくは分からん。結界についてはな」

 

 実際、突飛な話であった。以前の一葉ならとても信じられない内容だ。

 しかし今は違う。幾度も怪異と遭遇してきたヘルヴォルにとって、受け入れられない道理は無い。現に起こっていることを否定していては、対処できるものもできなくなってしまう。

 

「まあ全員が全員、本気で外に戻りたがってるわけじゃない。元からあっちに住んでる連中は何だかんだ今の暮らしが気に入ってるからね。あんた達がやり合った橋姫だって、里帰り気分ではしゃいでただけだろう。その内、元鞘に収まるさ」

「うっ」

 

 宇治橋での出来事を思い出し、一葉が言葉を詰まらせる。

 すると、一連の事情を把握しているのか、スイカは少しばかりバツが悪そうに頬を掻く。

 

「あー……そう気にするな。橋姫の能力は真面目で純粋な奴ほど掛かりやすい……らしい」

 

 妖怪にフォローされて何とも複雑な気分。

 気を取り直し、一葉は声のトーンを上げる。

 

「と、とにかく! 早速本日の修行を始めましょう!」

「待って一葉。話が長いから藍が寝ちゃった」

「えぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜、山小屋のダイニング。リモート講義を受けるべく一葉がタブレット端末を操作していると、後ろから恋花と千香瑠の会話が聞こえてくる。

 

「千香瑠は知ってた? 異世界とか結界とかって話」

「御伽噺程度の認識でなら。それこそ崑崙山とか蓬莱山とか、オノゴロ島みたいな」

「要は眉唾ってことね……」

 

 怪異の出現など諸々の状況から考えると、スイカの主張もあり得ない話ではないと一葉は受け止めている。

 だが同時に、あの小さな妖怪が全てを包み隠さず語っているとは思わなかった。あの名前が本名かどうかも定かでない。

 その上で、この協力関係を続けても構わないと判断した。全て話せないのも、まだ出会ったばかりなので当然と言えば当然である。

 

「ガーデンには、妖怪と名乗る協力的な人物の修行を受けていると、事実を報告しています。今のところ、上は私たちの行動を容認しているみたいですね」

 

 タブレットの操作を終えた一葉が二人の方へ振り向いてそう言った。

 

「ほら、エレンスゲ(うち)は姉妹校のサガ女と同じで、利用できるものは利用するって方針だし」

「何かしら方針を示そうにも、できないというのが実状でしょう。怪異相手のことなんて」

「それで外征に出すっていうのもどうなの? こっちとしては、司令部やラボに口出しされないのは願ったり叶ったりだけど」

 

 恋花や千香瑠が言うように、ガーデンから過度な干渉を受けないのは良い。だがそれは同時に、自分たちが手探りで進まなければならないことを意味する。

 リリィには、状況に応じた臨機応変な対応が認められている。とは言っても、その認められる範囲についてはガーデンごとに幅があった。例えば百合ヶ丘は生徒の自主性に重きが置かれるし、逆にエレンスゲではガーデン側の統制が比較的強い。

 そういう意味でも今回のヘルヴォルの外征は異例なのである。

 

「ガーデンから強い統制を受けず、手探り状態。そんな状態だから、私たちヘルヴォルがスイカさんの協力者に選ばれたのかもしれません」

「そうね。怪異退治なら桜ノ社や鹿野苑が適任でも、あの二校は組織として当たっているから。ただ、私たちの場合は――――」

「千香瑠様の仰りたいことは分かります」

 

 外征先で右も左も分からないヘルヴォルが都合の良い手駒にされかねない。千香瑠はそれを危惧しているのだろう。

 

「ですが、何をするにしても対抗する力が無ければ始まらない。そこから先、どう動くかはヘルヴォル自身の目で見極めましょう」

 

 一葉がそう締め括ると、千香瑠は神妙な顔で、恋花は「仕方ない」と言わんばかりの顔で頷いた。

 何を敵とし、どのように戦うべきか。それを見定めるのは実際難しいのである。

 

 

 



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第15話 顕現するもの 一.

 連日に渡り大江山での修業は続く。晴れの日は滝に打たれてチャームを振るい、雨の日はリモートの講義を受けつつ書物を読む。

 山に籠ってから未だ十日ほど。それでもここでの時間はヘルヴォルにとって非常に濃密なものとなっていた。

 それはさておき、本日は修行を中断して皆で山を下りている。時には休息も必要であるし、食料等の必要物資も調達しなければならないからだ。山籠もりといえども、雲や霞を食べて生きていくわけにはいかなかった。

 

 大江山の麓の小さな町で、郊外をぶらぶらしていた藍は公園のベンチに腰を落ち着けた。

 腕の中に抱えた紙袋に右手を入れて、ごそごそと漁る。掴んだたい焼きに頭からかぶりつき、餡子の甘味に頬を蕩けさせる。

 夏の晴れた日。気温は決して低くない。だが風がよく吹くこともあって、藍はしっかりと休日を満喫していた。元気なことである。

 

「はーい、じゃあフットサルやる子は集まってー!」

 

 元気なのは藍だけではない。

 藍の眺めている前で、人差指を空に掲げる恋花の周りに何人かの子供たちが集まってくる。小学校高学年か、中学生ぐらいの女の子たち。

 初めて訪れたこの公園で、あっという間に打ち解けた。恋花最大の特質、コミュ強の賜物か。

 

「4対4でやろっか。ゴールは地面に線を引いて」

「お姉さん、フットサルってどうやるの?」

「基本はサッカーと同じだよ。まあ細かいところは気にしない気にしない」

 

 遊具が少ない代わりに敷地だけはやたらと広い公園だ。ボール遊びを想定しているのか、縁を囲うフェンスも付いている。サッカーや野球はともかく、フットサル程度なら出来ないこともないだろう。

 藍もたい焼きを食べ終わったら参加するつもりである。しかしだからと言って、焦ってたい焼きを詰め込むような真似はしない。それはたい焼きのたい焼き性を否定する行為だから。

 

「んぐ、んぐ……?」

 

 たい焼きを口内で咀嚼している最中、藍はベンチの隣に人が座ったことに気付く。

 こちらも小学校高学年らしき女の子だった。藍よりも大分小さい大人しそうな子である。

 その女の子は真横に居る藍に目もくれず、下を向いて何やら両手を一生懸命動かしている。

 

「何してるの?」

「…………」

「ねー、何してるのー?」

「……えっ、私、ですか?」

 

 女の子はようやく藍の存在に気が付いたのか、ハッとした表情で顔を上げた。

 

「これ、パズル、学校で流行っているんです。誰が最初に解けるか、交代でチャレンジしてて」

「パズル?」

 

 藍は首を傾げた。彼女の知るパズルとは、平面的なジグソーパズルのことである。

 一方で女の子が取り組んでいるのは立体パズル。両手の上に乗るぐらいの正二十面体だった。木製と思しき薄茶色をしている。

 藍と会話しながらも、女の子はパズルを弄る手を止めない。両手で撫でるように正二十面体の各面や角を動かしていく。カチ、カチと金属にもプラスチックにも感じられる音が鳴る。

 初めて目にした玩具を前に、藍の瞳は輝いていた。

 

「それ、貴方のパズル?」

「ううん、友達から回ってきたんです」

「じゃあその友達の物?」

「……友達も、友達から回ってきたって言ってました」

「ふーん? 変なの」

 

 またもや首を傾げる藍。

 

「……お姉さんも、パズル、やってみますか?」

「いいの?」

「はい。私、中々解けなくて。何かの動物ができるはずなんですけど」

「えーっ、これが動物になるんだ」

 

 俄かには信じられず、藍は瞬きをする。しかしより一層興味が湧いてきた。

 藍が女の子からパズルを受け取ろうとして右手を伸ばす。ところが一度はその手で掴んだにもかかわらず、パズルを取らずに引っ込めてしまう。

 

「やっぱり、いいや」

「……そう、ですか」

 

 女の子は藍の態度を疑問に思うこともなく、再びパズルに挑戦し始めた。一心不乱に没頭するその姿は、周りに誰も存在しないかのようだ。

 藍は藍で、先程の違和感について思い返す。

 

(嫌な感じ。よく分からないけど、何か嫌)

 

 あのままパズルを触っていたら、力を込めて壊していたかもしれない。

 このおかしな体験を、あとで恋花たちにも教えておこうと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藍と恋花が公園で子供たちと戯れている頃、一葉と瑤は町の中心にある駅前の広場で落ち合っていた。

 

「瑤様、どうでしたか?」

「北の府道は駄目だった」

「南側の国道も、通行不能のようです」

 

 休暇中にもかかわらず、二人が真剣な顔を突き合わせているのには訳がある。

 町の中で奇妙な噂を小耳に挟んだ。「だだっ広い平野部の道で土砂崩れが起きた」とか、「熊の群れが道路の真ん中で通せん坊をしている」とか。

 与太話としか思えないが、気になった一葉と瑤は町の散策ついでに少し調べてみた。休暇中とはいえ制服姿でチャームケースも持参していたので、リリィの身分を使って町役場や駐在所に尋ねたのだ。

 噂は一部分だけ真実だった。山あいの箇所で土砂崩れが発生して道が塞がっていた点である。

 

「山間部ですから、あり得ない話でもありません。ですが府道と国道、同時に起きるなんて……」

「ちょっと不自然だね。でも町の人はそんなに動揺してないみたい」

「この辺りは元々ヒュージの目撃例が僅かですし。田畑が多く食料備蓄も豊富と聞きます。それにまだ鉄道線が生きてますから」

 

 そう言いながら一葉は首を横に回して駅の方を見やる。

 やたらと広い駐車場。簡素だがゆとりある造りの駅舎。北の宮津湾と南の福知山市街地を結ぶ交通の要所と言える場所。

 

「だけど、鉄道線だっていつ何が起きるか分からない」

「はい。なので、折角の休日に心苦しいのですが……」

「皆で集まって話し合おう」

 

 あとを引き継いだ瑤の言葉に、一葉が頷く。

 トレーニングの鬼たる一葉といえども、休息の重要性はきちんと理解していた。自分自身の休息については考慮外だが。

 

 かくして一度は町中に散ったヘルヴォルが集結する。

 時は昼下がり。場所は、町役場に掛け合って公民館を貸してもらった。

 この町――大江町には常駐のリリィが居らず、たまに遠方のガーデンからやって来たレギオンに施設を貸すことがあるらしい。

 

「皆様、申し訳ありません。討議すべき事案が発生しました」

「知ってる。道が塞がれたってことでしょ?」

「ご存知でしたか、恋花様」

「ちょくちょく噂にはなってるね」

 

 和室12畳の大部屋にて、五人は車座となって話し合う。

 

「幸い町の方々は落ち着いていますが、不測の事態に備えるべきでしょう」

「応援が期待できそうなのは、京都市の鞍馬山環境女子と舞鶴市の鹿野苑。どちらもすぐには来れないと思うけど」

 

 瑤が近場で外征可能な京都ガーデンの名を挙げる。

 しかしそれら二校にも二校なりの事情があった。

 

「鹿野苑は唯でさえ昨今の怪異騒ぎに忙殺されています。鞍馬山環境女子は強豪ガーデンですが、京都南部のヒュージへの睨みと京都市街の守りがありますから」

 

 一葉の見立て通りなら、暫くの間ヘルヴォル単独で町を守らなければならない。

 ただ、いずれにせよ現状の土砂崩れだけで他所からレギオンが飛んで来たりはしないはず。そのまま何も起こらず、杞憂で済めばそれに越したことはないのだが。

 

「町で調査するにしても、問題が一つあります」

「山小屋を引き払う……山での修業を中断することになるわね」

 

 千香瑠が困り顔を一葉に向けつつそう言った。何故困り顔なのかというと、一葉の危惧を察したからだろう。

 

「僅かな修業期間で、正直、強力な怪異に対抗できるか疑問です」

「それは、ごめんなさい。私にも断言できないわ。前より力がついているのは確かだけど」

「千香瑠様が謝られることではありませんよ。ですがどの道、私たちは動かなければならない。今この町に居るリリィはヘルヴォルだけですから」

 

 全員――畳の上に寝そべってゴロゴロしている藍も含めて――から了承の返事を得ると、一葉はすっくと立ち上がる。

 

「私と千香瑠様と瑤様で山小屋を引き払ってきます。町での拠点は、このまま公民館を使って構わない、とのことです」

「それじゃあ、あたしは藍と留守番してるよ。もう一人のチビッ子によろしく言っといて~」

「ええ、見かけたらスイカさんに挨拶しておきますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一葉たち三人が大江山へ出発してから暫くの間、残る二人は大して動いていなかった。少なくとも藍にはそう見えた。

 

「ねえ、恋花ぁー。お化け探しに行かなくてもいいのー? 何か嫌な感じのパズルは?」

「ああ、例のパズルね。怪しいけど、手間が掛かりそうだから三人が戻ってからね。てか、まだ怪異の仕業だと決まったわけじゃないし」

 

 公民館の和室で、藍はスマートフォンを弄っている恋花に尋ねてみた。

 この公民館からほとんど動いていないのは事実。ただ恋花は電話であちこちとやり取りしているようだった。

 

「取りあえず、今実際に起きていることについて考えるとして。北と南の土砂崩れはそれぞれ近くの土建業者と福知山駐屯地の防衛軍が復旧することになってる。特に福知山の防衛軍部隊は後方支援がメイン任務の部隊だから、インフラの復旧もお手の物でしょ」

 

 脚の低い座卓の机上にスマホを置いて、恋花は藍に教え諭すかのように説明し始める。

 

「増援は、哨戒任務で鞍馬山環境女子のレギオンが明日の昼頃に来るみたいだから。まあそこは安心できるかな」

「ふーん、そっか」

「ただ、ね……。相手がヒュージならともかく、本当に怪異が襲ってきたらどうするか、よね……」

 

 割と楽観的な材料を述べた直後、今度は声を低くして話し出した。

 

「一葉もちょっと言ってたように、あの修行でどのぐらい怪異と戦えるようになったか分からない」

「らんが全部やっつけるよ!」

「チャーム振っても、攻撃が通るか分かんないでしょ。宇治の橋姫の時は、向こうに殺し合いする気が明らかに無かったからいいものの」

 

 依然として、千香瑠頼みになってしまうのではないかと危ぶんでいるわけだ。

 町全体を守らなくてはならない時、それでは厳しい。東京での子取り箱の一件は、ただ運が良かっただけに過ぎない。

 

「でも恋花、この前は一葉に『考え過ぎ』って言ってたよ?」

「あれはあいつが柄にもなく悩み過ぎてたから。逆に吹っ切れて元の突撃血反吐娘に戻ったら、またあたしが抑えてやらんとね」

「うーん、よく分かんない」

「要はバランスが大事ってわけよ」

 

 普段は、取り分け戦闘時は藍にも分かり易く話してくれる恋花だが、時折難しいことを言う。

 なので藍は藍なりに考えてみる。

 

「そう言えば前に瑤が『ふーふは正反対の性格の方がいい』って言ってた。それと同じこと?」

「……どういう文脈でそんな話をしたのか、瑤を問い詰める必要があるわねえ」

 

 目を細めて声も落とす恋花。

 恋花の様子を目の当たりにした藍はこれ以上その話題に突っ込むのを止めた。

 

「それで、らんたちはどうするの? 千香瑠が帰ってくるまでゴロゴロしてるの? 牛さんになっちゃう」

「勿論、動ける範囲で動くよ」

 

 恋花は慌てずゆっくりと立ち上がる。その緩慢な動作、火急の用件でないのは明白。

 藍もまたゆっくりと恋花の後に付いて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山間の町だけあって、大江町は長閑な所である。

 藍たちのガーデンがある東京や少し前に訪れた京都市に比べ、建物の背は低く数も少ない。人の数も疎らだ。

 しかし食べ物を購入するのに困りはせず、藍に不満は無かった。

 また、施設の一つ一つが広々としているのは良い点と言える。駅は勿論、駅前広場も広い。休憩所の屋根に立派な鬼瓦を葺いているのが特徴的だった。

 そんな大江駅を横目に歩いていると、藍の足取りが自然とフラフラ逸れていく。その先にあるのは駅舎の出入り口だった。

 

「ちょい待ち」

 

 恋花の右手が藍の襟を後ろから掴んだ。前進のため前へと振り上げられた藍の右足が宙ぶらりんになる。

 

「あ~、お饅頭ぅ……」

「はいはい、おやつはあとでね」

 

 たい焼きも勿論良いのだが、駅舎内の物産店に置いてある饅頭も良いものだった。こぶし一杯の大きさにずっしりとした重量感。薄皮の中にはこれでもかと餡子がぎっしり詰まっている。

 想像しただけで藍の口内に涎が出てきた。

 

「用があるのはこっちなんだよねー」

 

 恋花に半ば引っ張られる形で駅前を通り過ぎていく。

 老朽化しかかった石畳の道路を歩き、やって来たのは町役場。

 この役場もまた例に漏れず広い。二階建てで、屋根は年季ある瓦葺きである。

 正面入り口から中に入れば、多数の椅子が並んだロビーに出迎えられた。人の数は少なく、緊迫感や緊張感などは見られない。

 幾つもある受付窓口。その中の一つに向かって恋花が迷わず歩いていく。

 すると窓口に居た職員の中年女性がこちらに気付いた。

 

「恋花ちゃん、またお勤め? ご苦労様だねえ」

 

 恰幅の良いその女性は破顔して恋花たちを迎えた。役場の職員というよりは、観光地の案内人のような気安さが感じられる。実際、その役割もあるのだろう。

 

「そうなんですよ~。いやー、大丈夫だと思うんですけど。一応ね」

「まあこんな田舎だと、いざという時に中々助けが来れないし。恋花ちゃんたちが居てくれて良かったよ」

 

 いつの間に打ち解けたのか。恋花も負けないぐらいフレンドリーに接している。

 どうやら恋花のコミュ力が通用するのは同年代だけではないらしい。

 

「それよりも、随分と可愛らしいお友達を連れてるねえ。妹さんか何か?」

 

 恋花の斜め後ろに立つ藍へ、女性職員の視線が移った。

 

「はい、初等部の妹です」

「らんは高校生だよ!」

「ばれたか」

「妹でもないよ!」

 

 心外だ。藍は頬を膨らませて抗議する。

 服を掴まれ揺さぶられる恋花だが、舌をペロッと出すだけで意に介さない。

 その間、女性職員は一旦窓口から離れて奥のデスクへ。そしてまた恋花たちの前に戻って来る。

 

「あったあった。PR用のお土産だけど。二人にあげましょうかねえ」

「お饅頭!」

 

 まさかここであの饅頭に出会えるとは思わなかった。藍は飛び付くように二つあるうちの片方を受け取った。

 

「藍、ちゃんとお礼を言うんだぞー」

「ありがとーございます! ……はぐっ、むぐっ」

 

 礼もそこそこに、藍は早速饅頭にかぶりついた。恋花からペットボトルのお茶を手渡されつつ、ロビーの一番近い椅子へ座りにいく。

 藍が離れたところで、窓口前に残っている恋花は女性職員へ顔を少々近付ける。

 

「それで、あれから何か変わったことって起きてますかね?」

「いいや、特には。ただ、熊がどうのこうのって話があったから、猟師さんが町の外を見回ってるよ」

 

 恋花は目の前の女性職員と会話しながらも、役場内の様子に注意を払っていた。

 最初に出入り口の扉をくぐってロビーを目にした時から分かってはいたが、来訪者の姿は少ない。電話が引っ切り無しに掛かってくるわけでもない。

 つまり、町の住民の間にパニックの予兆すら生じていないということだ。

 それならそれで、調査する側にとってはやり易い。

 

「ああ、ごめん。電話だよ」

 

 女性職員が断りを入れて受話器を取ったので、恋花も窓口から離れて藍の傍へ行く。

 とっくに饅頭を食べ切りお茶を飲み干した藍は、横長のロビーチェアの上でうつらうつらと睡魔に抗っていた。ひと気の少ない時の役所独特の雰囲気が揺り籠の如き心地良さを提供しているのだろう。

 

「――――それは、見間違いか何かでは?」

 

 電話に向かって掛けられる小声を、恋花は聞き逃さなかった。

 

「目撃したのは猟師さんと駐在さん? それなら――――だけど――――」

 

 通話が終わり、受話器がゆっくりと下ろされたのを待って、恋花は再び窓口へ近付いた。

 

「何かあったんです?」

「……ちょっと奥で話しましょうか」

 

 顔を硬くした女性職員に促され、恋花は窓口から奥へ続く廊下へ移動する。

 ロビーチェアから飛び起きた藍もあとに続く。

 

 廊下を通って小さな会議室らしき部屋へ。

 中に入ったところで、女性職員は戸惑った様子で口を開く。

 

「電車の架線が千切られた。信じられない話だけど、鷹の群れに食い千切られたって……」

 

 

 



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第16話 顕現するもの 二.

 恋花と藍が麓の町に残る一方で、一葉と千香瑠と瑤の三人は寝床としていた山小屋を引き払うべく大江山を登っていた。

 道中、会話が少なく黙々と歩んでいると、山の景色が自然と頭の中に入ってくる。

 直接姿は見えなくとも、鳴き声や気配で分かる森の小動物たち。

 かつて「野生の動物がヒュージ化する」と真しやかに囁かれた時代があった。実際に、一部のガーデンでは敷地内の小動物を駆除している。

 その論が真実であれば、この山の光景はもっと違ったものになっていただろう。そうならずに済んで本当に良かったと一葉は思う。

 

「一葉ちゃん」

 

 歩く速度を緩めないまま千香瑠が話し掛けてくる。

 

「少し気になったことがあって。一葉ちゃんの夢の中に出てきたあのお猿さん、確か『もうじき地獄がお出迎え』って言ったのよね?」

「猿の発言と言っていいのかどうか。車内アナウンスがそう言っていました」

「その言葉、初めは列車に乗り込んだ人間を地獄送りにするって意味だと捉えていたのだけれど……」

 

 途中で言い淀む千香瑠。

 

「もしかして、これからどこかに地獄が生まれるって意味だったとか?」

「はい……」

 

 後ろを歩く瑤が続きを引き継ぐと、千香瑠はそれを肯定した。

 

「あの麓の町が、そうなると。しかし猿の妖怪はスイカさんが連れ帰っています。また別の妖怪なり怪異なりが現れるのでしょうか」

「私の考え過ぎなら良いんです。本当に偶然の土砂崩れなら。でも、もしもこの悪い予感が当たっているとしたら、相手はきっとただの怪異では済まないわ」

 

 京の怪異は大物ばかり。京都到着前の千香瑠による警告は、今では痛いほど身に染みていた。橋姫もそうだし、奇妙な協力関係を持つに至ったあの小さな少女妖怪もそうである。

 

「急ぎましょう」

 

 一葉の一言によって、三人は山道を登る足を速める。

 マギによる跳躍は使用せず。この段階で目立つ行動は躊躇われた。

 

 やがて仮住まいとしていた山小屋が見えてくる。

 小屋の入り口から幾分か離れた木の根元に誰かが立っている。

 

「ちょっとばかり早いご帰宅だなあ」

 

 子供みたいに小さな体から飛び出したのは、全てを見通しているかのような不遜な物言い。

 こんな時にこんな場所にやって来る者など、一人しか思い浮かばなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一葉たちは山小屋からの撤収作業に入っていた。

 持ち込んだ荷物を持ち帰り、使用していた設備を元に戻す。本来なら丁寧に清掃してお返しするのが一葉の流儀だが、今回は状況を鑑みて断念する。

 小屋でヘルヴォルを待ち構えていたスイカとは、手を動かしながらの会話になった。恩ある相手なのでゆっくり別れの挨拶をしたいところだが、やはり状況が状況なので仕方がない。

 

「山を下りるってことは、修行に満足したってことかい」

 

 小屋の広間にて、背負ってきた背嚢に荷物を詰め込む一葉に対し、傍で胡坐を掻くスイカが問い掛けてくる。

 

「いいえ、まだまだ不足だと思っています。それでも、今動かなければなりません」

「町がキナ臭いからか」

 

 スイカもまた事態を把握しているらしい。当然だ。彼女は今までもヘルヴォルの戦いを影から見てきたのだから。

 

「こっちの世界で怪異が暴れたら、貴方も困るんでしょう? 結界に影響するから」

「ん? ああ、そうだな」

「だったら、貴方自身で退治はしないの?」

 

 奥の部屋からやって来た瑤がスイカに尋ねた。

 修行の際に幾度となく手合わせしてきたヘルヴォルには分かる。彼女が見た目に反した底の知れなさを秘めていることは。

 

「前にも言ったけど、これは儀式なんだよ。人間の手で怪異を討つ。怪異を克服するってな。そうして概念の結界を補強しなけりゃ、イタチごっこだ」

「そう……」

「それに私らがこっちで力を使うのには色々と制限がある。人間の悪意を利用したり、都市伝説に乗っかったり、空間を異界化させたり。あるいは橋姫みたいに縁ある土地から恩恵をうけたり、な」

「恩恵?」

「ご当地パワーってやつだ」

「何、それは……」

 

 からからと笑うスイカを見て、一葉はどこまでが本気なのか判断しかねる。

 まさしく霧のように掴み所の無い少女だった。一見すると、その言動は豪快そのものなのだが、額面通り受け取れるような状況ではなかった。

 

「まあ、またちょっとは助けてやるよ。手助け程度はな」

 

 それに関しては嘘を吐いているとは思わない。実際に東京では助太刀してくれたのだから。

 あくまで主体は人間ということなのだろう。一葉もその点に異論は無い。

 

「一葉ちゃん、こっちは終わったわ」

 

 広間に千香瑠が戻ってきた。それは撤収の準備が完了したことを意味する。会話の最中に一葉も瑤も作業を終えていたからだ。

 一葉は板床の上で正座を解いて静かに立ち上がる。

 

「では、これで本当にお暇させて頂きましょう」

 

 不足を恥じて山籠もりに赴き、この小屋に泊まって鍛錬に励んできた。

 時間としては大したものとは言えないだろう。だがそれでも少しは愛着が湧くし、名残もある。

 とは言え、感傷に浸れたのはほんの僅か。一葉のスマートフォンが盛んに着信のアラームを鳴らしたせいで。

 

「はい、相澤ですが。恋花様、どうしました? …………はい、分かりました。火急的速やかに下山します」

 

 電話でのやり取りを経て一葉の表情が強張っていく。

 通話を終え耳からスマホを離すや否や、レギオンリーダーとしての顔を強く出す。

 

「麓で電車線が寸断され、町中に不審な生物が出没しているそうです。直ちに二人と合流しましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーーーっ、もう! あたしの馬鹿!」

 

 チャーム片手に駆けながら、恋花は自分自身に悪態を吐く。

 

「どうして、もっと早く気付かなかったんだ!」

 

 藍が訴えていた奇妙なパズルの話。あの話を、あの時ちゃんと聞いていれば、もっと的確な対応を取れていたかもしれない。

 暫く山に籠っていたせいで勘が鈍ったか。恋花の頭にそんな自虐が浮かぶ。しかし言い訳になど、なりはしない。

 

「恋花ぁ、あのパズルがどうかしたの?」

「いやー、パズルの都市伝説っていったら、一つヤバそうなのを思い出してね」

 

 後を付いてくる藍が不安そうに尋ねてきたので、恋花は頭を少しばかり冷やしてから答える。

 

「ただ、あたしが知ってるのは、パズルを組んでる人間が悪夢を見るってことだけ。その先に何が起きるかまでは分からない。お話はそこで終わってるのよ」

 

 恋花の知る都市伝説の内容は、夢を越えて現実で大きな異変が起きるわけではない。

 だが今この町には間違いなく何かが起きようとしている。

 元ネタの知識が役に立たない以上、取りあえずは対症療法で事に当たるしかなかった。

 

 町の中を南北に走る国道、その脇を恋花と藍は走っている。

 町の中でも外でも、田畑を見つけるのが容易な場所。その中で二人が向かうのは、人家からは離れた国道沿いに広がる田んぼ。その付近で熊を見たという証言が舞い込んできたのだ。

 ただの熊が相手なら猟師の出番。しかし、この期に及んで楽観的になれなかった恋花は状況把握と討伐に手を挙げた。

 

「さてと。この辺りのはずだけど……」

 

 徐々に走る速度を落として、やがてはゆっくりと歩いていく。

 片側一車線の道路の端から周りを広く見渡すと、見事に田畑ばかりが視界の中に広がってきた。

 こんな状況でさえなければ、長閑な風景だと肩の力を抜けたのだろう。

 

「くま、くま。くまを探せばいいんだね」

「熊が居るとは限らないよ。正直、何が出てきても驚かない」

 

 隣できょろきょろと周囲を見回す藍に、恋花は軽く忠告をする。

 もしも山籠もりの成果が出ているとするならば、事前に怪異の接近を感知できても良いのではないか。そんな虫のいいことを考えたりもした。

 だが現実はそうもいかないので、恋花は異常を見逃すまいと神経を研ぎ澄ませる。

 

「……居る。何か居るよ」

 

 藍の方が先に異常を発見した。

 一面に稲の緑が広がる中、一部分だけ黒い箇所があった。

 よく見ると、三つの黒い物体が蠢いているようだ。

 

「恋花、どうする? やっつける?」

「そうね。でも今すぐには撃たない。藍、ここからあっちの方に走っていって」

「川の方? 分かった」

 

 恋花が指差す先には町中に続く小さな川が流れていた。膝すら浸からない浅い川で、川幅もリリィなら容易に飛び越えられるほど狭い。

 何者かが()()()している場所は田んぼのど真ん中。そこでの戦闘を避けるのは、被害を考慮しているからというのもあるが、ぬかるんで足場の悪い田畑の上では戦いたくないという事情があった。

 

「あたしがチャームで撃ち始めたら、振り返ってぶっ飛ばしてやりなさい。それまではひたすら走って逃げること。いいね?」

「いいよー」

 

 恋花の指示を背に受けつつ、藍が一目散に走り出した。道路から外れ、草地を駆け、小川の畔を目指す。

 すると三つの黒い影が反応する。藍の方角に向けて動き出したのだ。四足歩行で、かなりのスピードを出して稲を掻き分けている。

 その光景を恋花は息を潜めて見つめる。

 藍が小川に近付くにつれ、初めは大きく開いていた影との距離がみるみる縮まっていく。

 小川のすぐ手前に到達した時、飛び掛かれば届きそうなほど両者は接近していた。

 

「よし」

 

 恋花は落ち着いてチャームの照準を合わせた。

 隠密の()の字も感じられない豪快な走りっぷりで、影たちの注意は完全に藍へと向けられていたのだ。

 照準を定める最中に、恋花は黒い影の全貌を目の当たりにする。

 それは確かに熊だった。正確には、熊のような姿をした何かと言うべきか。

 ブルンツヴィークの引き金が引かれ、白光に輝くレーザーが熊の一体を貫く。

 そして次の瞬間、くるりと振り向いた藍がもう一体の熊を巨大なチャームで殴り飛ばす。

 

「藍っ!」

 

 最後の一体が藍に飛び掛かり馬乗りになったため、恋花は思わず叫んだ。

 丸太の如き黒色の巨椀が、仰向けに転がされた小さな体へ振り下ろされる。

 普通なら目を背けるであろう光景。しかし恋花は見つめ続ける。

 すると次の瞬間、400㎏を超えようかという熊の体が宙に舞っていた。下敷きにしていた藍に蹴り上げられたのだ。

 そのまま地面に落下して地響きを鳴らした後、三体目の熊は起き上がる前にレーザーに撃ち抜かれてしまう。

 

「うーっ、いったーい……」

「はいはい、無事だね」

「背中が泥だらけ!」

 

 立ち上がり膨れっ面で自身の背中を払う藍の傍へ、周辺警戒しながら恋花が近付いていった。

 熊らしきモノの死骸は残っておらず、撃破から程なくして掻き消えていた。やはり怪異絡みなのは間違いない。

 急かすようで藍には悪いが、あまり悠長にしていられる状況ではなかった。

 

「恋花、これからどうするの?」

「……今は受け身に徹するしかないよ。あたしたち二人だけじゃ大したことはできないから」

 

 そう言いながら恋花はスマートフォンを取り出した。画面にはこの町の地図が映されている。

 

「町にあるシェルターは二つ。駅前と、小学校。まだ町全体に避難指示は出てないけど、小学校の方はいつでも駆け込めるよう準備してるみたい」

「らんと恋花で一つずつ守る?」

「初めはこの二か所を巡回して、いよいよヤバくなったら学校の方を守る。二人で両方カバーするのは、不可能よ」

「でも……」

「一葉にもそう伝えてあるから。急いで山を下りてくるでしょ」

 

 突き放した判断。一葉ならば絶対に難色を示すだろう。

 しかし現状、恋花には他の手段が取れるとは思えなかった。

 

 そうして二人は再び道路に沿って移動を開始する。

 町の方は未だに大きな混乱は起きていないようだった。逆にそれが、見えない存在から背筋を撫でられるかの如き不安となっていた。

 この都市伝説の大本・大ボスがさっきの熊程度の怪異だとは思えない。

 熊は倒せても、大ボスに対して自分たち二人が通用するのだろうか。千香瑠以外が対抗できるのだろうか。

 確かに山籠もりでの修行は辛かったが、期間的には僅かなものだった。

 

(修行の実感もいまいちだし。出たとこ勝負じゃ危険過ぎるのよ)

 

 端々が痛んだ道路を辿って町に戻る途中、小さな橋に差し掛かった。

 橋の下には川。先程の戦闘中にも見かけた小川である。

 橋を渡り切ったところで藍が川の上流の方を向く。

 つられて恋花も振り向くと、遥か遠方で黒い何かが川を下っている光景を目にしたので、また熊かとチャームを構えた。

 だが様子がおかしい。ソレは川を泳ぐように高速で近付いてくるが、この辺りは人の足首に水がかぶる程度の水深しかないのだ。それに対して、黒い何かは人よりも熊よりも大きく見えた。

 

「さかなー」

 

 藍が呟いた。

 距離がぐんぐんと縮まり、恋花もソレのシルエットを認識した。

 ソレは黒い魚だった。人を軽々と丸呑みできるサイズの魚。

 そんなものが、よく見れば泳ぐというよりも川の上を滑るように迫ってくる。

 

「確かに魚だけどさあ!」

 

 非常識が過ぎる光景に腹を立てながら、恋花は藍と共に発砲する。

 ブルンツヴィークから放たれた幾条ものレーザーが川面に突き刺さり、モンドラゴンの大口径砲が川底の土を耕す。

 チャーム二機による弾幕の中、魚は全身を左右にくねらせつつ前進を続けた。

 徐々に魚の顔もはっきりと見えてくる。ヤマメか何かだろうか。恋花はそこまで魚類に詳しいわけではない。

 

「――――っ」

 

 レーザーを突破してきた魚を前にして、恋花は真横へ跳んだ。

 案の定魚は泳いでいるのではなく超低空を飛んでいるようで、川から離れて陸上に立つ恋花たち目掛けて飛び掛かってくる。

 危なげなくすれ違った恋花だが、すぐにその目は驚愕に染まる。

 上下にばっくりと開かれた魚の大口に、藍の体が飲み込まれたのだ。

 恋花がすかさず銃口を向け、引き金を慎重に引き絞る。尾びれを狙った一撃は命中したが、魚の動きを止めるには至らない。

 遠ざかる魚の後を追う。足元に形成したマギの力場を踏み台に跳躍し、追い縋る。

 だが無情にも恋花は徐々に引き離されていった。更には魚が町とは違う方向へ舵を切ったことに気付く。

 足を止め、追撃を中止する。

 

「嘘でしょ……」

 

 一人立ち尽くす恋花は呆然とするのもそこそこに、スマホを取り出し操作する。

 ところが待ち望む声は聞こえず、代わりに電子音声の定型文が帰ってくる。

 すぐに瑤や千香瑠の方にも掛けてみるが、結果は同じだった。

 

「……繋がらない。もしかして、外と隔離されたわけ?」

 

 道路を塞がれ電車線を潰され、通信手段を断たれた。

 この町で一体何が起きようとしているのか。

 元の都市伝説を知る恋花は夏の真昼にもかかわらず、額に冷や汗を滲ませた。

 

 

 



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第17話 顕現するもの 三.

「事態は悪化しています。大江町に向かっていた鞍馬山環境女子のレギオンが、町に近付けないそうです。同じ場所を延々と回っていたとか、GPSが故障したとか。要領を得ませんが、すぐに応援に来れないことは確かでしょう」

 

 下山の最中、麓を目前に控えた所でスマートフォンを握る一葉がそう言った。

 

「迷わされたのかしら……。それで一葉ちゃん、その鞍馬山のレギオンと合流するの?」

「恐らく迅速な合流は望めないでしょう。私たちはこのまま町に下りて状況を確認します」

 

 千香瑠の問いに対し、一葉は優先順位を考慮した上で判断を下す。

 また、町の把握を優先したい理由はもう一つあった。

 

「駄目。やっぱり恋花とも藍とも、町役場とも電話が繋がらない」

 

 最後尾を歩く瑤の冷静な声が、好ましからざる事態を報告した。

 

「通信が遮断され、接近が不可能。町自体が隔離されてしまったのですね」

 

 一葉は危惧していた。このまま下山するのはいいが、果たして町の中に入れるのだろうか。自分たちも町に近付けないのではないか。

 そんな内心の疑問に答えたのは、「麓まで」と一葉たちについて来たスイカである。

 

「入れるよ、今のあんた達なら町の中に。巫女以外でもね」

 

 好奇心を湛えたような表情でヘルヴォルを眺めていた妖怪の少女。その顔がある時、急に真剣味を帯びた。

 

「問題はその後だろう。力不足だと自覚がある上で、あの町に行って何ができる? 巫女一人で町全体を守るなんて土台無理な話だ。それとも最低限、手の届く分だけ守るのか?」

 

 スイカの指摘はもっともだ。千香瑠のように怪異と戦うため、そう思って始めた山籠もりを中断したのだから。

 しかしながら、一葉の意志は下山を覚悟した時から変わっていない。

 

「それでも、私たちは行きます。日々の訓練も今回の山籠もりも、全ては人々を守るため。町が脅かされている今こそ行かなければ、本末転倒というものです」

「歯が立たなくても?」

「避難の時間稼ぎぐらいはできるでしょう」

「今度の相手はそんな甘い奴じゃないかもしれんぞ?」

「それでもどうにかしてみせるのが、私たちリリィです」

 

 そこでスイカは他の二人に視線を移す。

 

「一葉ちゃんがどうにかすると言うなら、きっとどうにかできるわ」

「一葉に同感。私たちは守るために戦ってる。それに短くともあんな修行をしてたんだから、勝機はあると思う」

 

 千香瑠と瑤の意志を聞くと、スイカは短く鼻を鳴らしてそれ以上何も言わなくなった。

 ただ依然としてヘルヴォルのあとに付いて来るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スイカの太鼓判通り、一葉たちは何の障害も無く麓の町に入ることができた。

 しかし一歩町の中に足を踏み入れた途端、青かった空が錆びついた赤に変わり、辺りにどんよりと重苦しい空気が充満する。

 

「ほーう、異界化しかけてるな」

 

 後に続くスイカが空を見回しながらそんなことを口にした。

 

「それは、どういう――――」

「こっちの世界に自分のテリトリーを作ろうとしているんだよ。それも、町一つ丸ごと飲み込んで」

「そのようなこと、一体何者が」

「……怪異『リンフォン』」

 

 一葉の問いにスイカが答えた直後、チャームの発砲音が響く。

 先頭を行く千香瑠がゲイボルグの銃口を前にかざしていた。民家の裏から飛び出してきた影を撃ち抜いたのだ。

 道路に崩れ落ちた影は熊の姿形を取っていた。

 

「気を付けて。ここはもう、私たちの知ってる町じゃない」

 

 千香瑠に促され、一葉たちは改めて警戒しながら大通り沿いに歩を進める。

 民家の庭、建物間の脇道、スーパーの駐車場。そこかしこで徘徊する熊。

 それに加えて、視線を上に上げれば、町中に走る電線や家々の屋根瓦を幾羽もの鷹が啄ばんでいた。食い千切られた電線は火花を飛ばしながら地面にだらりと垂れ下がる。

 

「町の人たちが見当たらない。避難したのかしら。瑤さん、藍ちゃんと恋花さんは?」

「呼び出し中のまま。電話に出れない状態なのかも」

「そう……」

 

 人の気配が消え、代わりに我が物顔で怪異が闊歩する場所。

 こんなものを作らせて良いはずがない。

 

「さっきの続きだが――――」

 

 スイカが再び口を開く。

 

「リンフォンが目指すところは、地獄だ」

「地獄とは、あの死後の世界の地獄のことですか?」

「ああ。勿論ここと本物の地獄を繋げようってわけじゃない。そんなことをすれば閻魔様が黙っちゃいないだろう」

「閻魔様?」

 

 冗談を言っているのか、本気なのか、一葉にはやはり分からない。ただスイカの表情は至って真剣に見えた。

 

「奴がやろうとしているのは、もう一つの新しい地獄の創造。まさに現世に顕現する地獄ってわけだ」

「これまでの怪異とは規模が違い過ぎる……」

「結界の外で、明確な目的の下に動く強大な怪異。私らはこれを五大怪異と呼んでいる」

 

 五大怪異。

 これほどの怪異が少なくともあと四体は存在する。

 いやそれ以前に、目前の敵リンフォンを本当に討てるのか。そんな今更な恐れを全く抱かなかったかと言えば、嘘になる。

 

「しつこいようだが改めて聞くぞ。アレとやり合う気か?」

「無論です」

 

 試すような物言いのスイカに、一葉は即答した。

 

「むしろ、ますます退けなくなりました。それにこの町には恋花様や藍が残っていますしね」

「一葉、その二人のことなんだけど。恋花は臨機応変に動くだろうから、前に連絡してきた通り小学校のシェルターを守ってるとは限らないと思う」

「そうですね。では我々は大通り沿いの敵を撃破しつつ駅前のシェルターを目指しましょう」

 

 一葉と瑤は早速具体的な行動について話し合う。ここまで来て引き返すという選択は端から考えられないというわけだ。

 

「道中、逃げ遅れた人が居ないか確認するのなら、分散して行動する必要があるわ」

「致し方ありません。幸いあの熊や鷹には普通にチャームによる攻撃が通用するので、千香瑠様だけにお任せする必要は無いでしょう」

 

 それは裏を返せば、怪異本体に対して一葉や瑤の攻撃が通じるかどうかは定かでないということでもある。だがこれで山籠もりの成果がはっきりするはずだ。

 

「では駅前で合流しましょう。ヘルヴォル、行動開始!」

「了解」

「了解しました。一葉ちゃん、瑤さん、くれぐれも無理はしないでください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人々を、力無き存在を守る楯。それが楯の乙女ヘルヴォル。

 一葉は今まさに盾としての真価を問われようとしていた。

 

「……どうやら私のところが当たりだったようですね」

 

 場所は駅前広場。

 千香瑠や瑤と別れた後、一葉は最短ルートで駅に向かった。まずは合流地点であるシェルター付近の安全を確認する必要があったのだ。ついでに言えば、後ろに付いてきていたスイカの姿はいつの間にやら消えている。

 そこで一葉が遭遇したモノ。それは端的に言って、悪魔だった。

 白目を剥いた、人とも猿ともつかない厳めしい顔。矢尻の如く尖った尻尾。蝙蝠によく似た巨大な翼。濃紫色をした四足歩行の体躯。極めつけは、ラージ級ヒュージに匹敵する全長10メートルを超えるサイズ。このような異形、悪魔と言わずして何と言えば良いのか。

 

(今、ここで戦わなければ。シェルターに害が及んでしまう)

 

 仲間たちとの合流を待っていられない。少なくとも時間稼ぎはしなければならない。

 一葉はチャームを悪魔の方へとかざす。

 すると悪魔の首がゆらりと動き、一葉を真っ直ぐに凝視する。

 

「ぐぅっ!?」

 

 体内の内臓を鷲掴みにされたかのような悪寒。首元を締め付けられたかのような息苦しさ。

 蛇に睨まれた蛙とはこのことだろう。

 ただし、この場に立っているのは唯の小さな蛙などではない。抗うための牙を研ぎ澄ませてきた蛙である。

 広場には悪魔の他にも熊たちが群れを成していた。

 しかし一葉は取り巻きを相手にせず、本命に向けてチャームの射撃を開始する。

 一葉を見下ろし威圧していた異形の顔に弾着の火花が咲いた。立て続けに五発。的が大きい上に避けようともしなかったので容易く命中したのだ。

 その直後、一葉は悪魔の声を聞いた。

 

「――――無駄ダ」

 

 目の前の異形が口を開いたわけではない。相変わらずしかめっ面で見下ろしてくるだけである。

 だが一葉は理屈ではなく感覚で理解した。合成音声のような単調な声が、目の前の存在によって紡ぎ出されていることを。

 

「――――人ハ儚ク脆イ」

 

 悪魔が尾を振るう。

 すると広場にあった東屋(アズマヤ)――柱と屋根だけで構成された休憩所――が軽々と吹き飛んで、広場と隣接する駅舎にぶつかった。

 コンクリート造りの駅舎の壁に大穴が穿たれ、舞い上がった屋根瓦があちこちに落ちていく。

 町の避難所、シェルターの入り口は駅舎の裏手にあったはず。

 

「それ以上は!」

 

 焦る一葉は発砲しつつ悪魔へ接近しようとする。

 ところが、取り巻きの熊たちが行く手を遮ろうと割って入ってきた。五頭、六頭、それ以上に数が増えていく。

 本命に傷も付けられなかった上、多勢に無勢。

 他の仲間たちも恐らくは町中を徘徊する熊や鷹に足止めを食らっているのだろう。

 

「たとえ一人でも!」

 

 一葉はチャームの刃を振るう。

 押し寄せる敵が薙ぎ払われるが、広場には次から次へと新手が湧いてくる。

 どこにこれだけの数が隠れていたのか。まるで本当にこの町が彼らの世界へと変質したようだ。

 熊の群れとの攻防を繰り広げている間に、一葉は悪魔からまた引き離された。熊たちに囲まれて広場の一角に追いやられてしまう。

 そんな一葉を尻目に再び悪魔の尾が高く掲げられた。

 

「邪魔を……するなぁ!」

 

 それは危険な行為だった。チャームを突き出した突進で包囲の一角へ強引に穴を空けると、シューティングモードへ高速変形させて悪魔に一発お見舞いした。

 尾の付け根に命中した一葉の一撃は、やはり効果が無いように見える。

 ところが悪魔は一度、ぴたりと攻撃の手を止めた。

 

「――――無駄ダ、無駄」

「何がっ」

「――――受ケ入レロ」

 

 耳障りな音声が頭の中に響いてくる。

 

「――――死ヲ、滅ビヲ、世界ノ始マリヲ」

 

 誘惑、あるいは慈悲。

 一葉を楽な道へと誘う悪魔の囁きだった。

 

『こんな山奥の町一つ、死守する意味があるものか』

 

『無理に自分たちがやらなくとも、地元のガーデン地元のレギオンが片付けてくれる』

 

 そんな考えが一葉の頭を過る。

 悪魔の教唆か、一葉自身の深層心理の表れか。どちらなのか一瞬悩む。

 しかしながら悩んだのは本当に一瞬のこと。チャームの引き金を引くことで一葉は悩みを振り切る。

 

「諦めません。マギが尽きチャームが折れるまで。私はリリィなのですから」

「――――ナラバ散レ」

 

 一葉の啖呵に反応して悪魔の尾が放たれた。鞭の如くしなり、槍の如く鋭利に、地面に立つ一葉の頭上から襲い掛かる。

 取り巻きである熊の群れを巻き添えにした尾の攻撃は一葉に躱された。

 だがまともに食らっていれば、リリィといえども唯で済む保証は無い。あの一撃で取り巻きが何匹も消し飛び、さっきまで一葉が立っていた地面は地割れでも起きたかのように穿たれていた。

 穂先を地中に突き立てた槍は一旦引き抜かれ、また一葉を襲う。連続して繰り出される刺突がチャームの刃に弾かれる度、熾烈な剣戟音が広場の中に木霊した。

 

(敵の注意が、駅舎から私に移った)

 

 その結果にひとまず安堵する一葉。

 しかし、それまでと比べて状況が好転したわけではない。

 駅前広場には相変わらず熊の群れが陣取っている。降り注ぐ尾の槍は、標的が気を抜いた瞬間に忽ち刺し貫いてしまうだろう。

 それでも一葉はチャーム――ブルトガングを構え続ける。

 藍緑色の機体は高速・大質量の連撃によく耐えていた。頑健さが自慢なだけはある。

 だが一方で、チャームを握る一葉の体は生身であった。ブルトガングが巨槍の突きをいなす度、グリップを握る手を通して激しい圧力が持ち主を襲う。

 

(恋花様は、藍はどこで戦っているんだろう)

 

 ふと町に残していた仲間たちのことを頭に浮かべる。

 決して余裕ぶっての行動ではない。むしろその逆だ。切羽詰まった厳しい状況だからこそ、大切な存在に思いを馳せるのだ。

 しかし結果として、それが仇となる。

 頭上からの刺突に意識が向いていた一葉の脇腹に、悪魔の前足が伸びた。太くて短い指と鋭い鉤爪を備えた前足が、尻尾による攻撃と同調して横薙ぎを放っていた。

 

「っ!?」

 

 満足に悲鳴を発することもできず、一葉の全身が真横に跳ねた。咄嗟にブルトガングを盾にしたものの、体に伝わってくる余波までは殺し切れない。

 地面に何度もバウンドした後、一葉はうつ伏せの状態で倒れ伏した。

 そこにわらわらと熊の一団が近付いてくる。本当に際限が無いのかと思えるほどの多勢である。

 今すぐに立ち上がってチャームを振るわなければ。そう頭では分かっていても、荒い息と両膝の痙攣が治まってくれない。

 やがて倒れたままの一葉はまたも怪異に取り囲まれた。

 

 

 

 

 

 ――――あの町に行って何ができる?

 

 脳裏に思い起こされる問い掛け。

 

 ――――町全体を守るなんて土台無理な話だ。

 

 一葉の答えはあの時から変わっていない。

 

 ――――それでもアレとやり合う気か?

 

 

 

 

 

 獲物に向かって突き出された熊の牙が頭ごと粉砕される。一呼吸置いて、獣の怪異は黒い煙を上げながら崩れ落ちた。

 鉛色の切っ先が、下から上へすくい上げるように突き出されていた。

 一葉は片膝を突いた体勢から、ゆっくりと二本の足で立ち上がる。口の中では鉄の味が滲んでいた。

 

「戦う、人々の楯として。かつて私がそうして守られたように!」

 

 怪異の大群相手に楯の心は砕けない。

 そんな一葉に向けて、悪魔の尾が矢となって伸びていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく吠えたな、人間」

 

 一葉を貫くはずの矢は途中で動きを止める。

 その代わり、幼き少女の嬉々とした声が異界の地に響いた。

 

 

 



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第18話 祓魔のレギオン

「よく吠えたな、人間」

 

 怪異の溢れる駅前広場に、嬉々とした少女の声が響いた。

 スイカだ。いなくなった時と同じように、これまたいつの間にか広場の片隅に立っていた。

 赤茶色の長髪を揺らしながら、スイカは広場の中を悠然と歩く。この場にひしめく怪異たちを歯牙にもかけないかのように。

 

「ちょっとは助けてやるって約束したからなあ。嘘は駄目だ、嘘は」

 

 やけに声の大きな独り言。

 そうして歩いているうち、スイカの身に異変が起きた。

 幼子同然の小さな体が着ている服と共に膨張していく。忽ちのうちに10メートルもの巨人と化して、悪魔に全く引けを取らない姿を見せる。

 更には頭だ。髪の毛の下から左右二本の角が生えた。木の枝みたいに捻じれていると同時に、頭のサイズと不釣り合いなほど長い角だった。

 

「スイカさん、その姿は……」

「フフッ。どうやら異界化したこの土地なら、私らが存分に力を振るっても影響なさそうだな」

 

 困惑する一葉の様子に気付いているのかいないのか、スイカは楽しげな顔で周囲を見渡した。

 一方の悪魔だが、こちらは振り上げた尾を停止させ、突然の闖入者を見つめたまま固まっていた。

 

「――――何デ」

 

 見つめたと言うよりも、睨みつけたと言った方が正しいかもしれない。

 現に悪魔は元々厳めしい顔に筋を何本も浮き上がらせ、興奮で赤く紅潮させていた。

 

「――――ドウシテ! ココニ鬼ガ!」

 

 悪魔の叫びをよそに、スイカが大木の如き巨腕を薙ぎ払う。それだけで辺りにひしめく熊の群れが弾け飛び、窮屈だった広場に開放感が戻ってきた。

 悪魔は一葉に向けていた尾の矛先を、より脅威であるスイカへと変更する。自在に伸縮可能な尾は一瞬でスイカの右腕を捕らえ、動きを封じようと幾重にも絡みつく。

 

「フンッ」

 

 だがスイカは拘束されたまま、右手で作った拳を真下に叩き付けた。

 次の瞬間、大地を激しく揺さぶる振動によって一葉は膝を突く。

 広場に残っていた取り巻きの熊たちは煙となって一掃される。

 悪魔は堪らず巻き付かせていた尾を離し、体勢を大きく崩して場内に生える木々を押し潰しながら転倒するのだった。

 

「さてと、助太刀はここまでだ。怪異退治は人間の手で締めなきゃな」

 

 振動が収まったところで、スイカが視線を落として言う。

 

「今のあんたらならアレを討てる。病も怪異も気から。修行の長さが全てじゃない。聞き分け悪く吠え続けたその意志があれば、模造品の地獄にも悪魔にも打ち勝てるだろう」

「スイカさん……」

伊吹萃香(いぶきすいか)

「えっ?」

「私の名前だよ。改めてよろしくな、相澤一葉」

 

 名を名乗るという行為が妖怪にとってどんな意味を持つのか。一葉には想像しようもない。

 けれども一つだけはっきりしていることがある。これまで山に籠って積み重ねてきた修行の日々は、短くとも意義ある時間だった。無駄ではなかった。

 ブルトガングを握る一葉の手により一層の力が湧いてくる。

 

「改めて、ヘルヴォル参ります!」

 

 転倒していた悪魔が体勢を戻し、一葉に向けて刺すような視線と殺気を放ってきた。

 そこへ発砲。

 ブルトガングから繰り出された弾丸を顔面に浴びて、悪魔は甲高い叫声を上げながらのけ反る。

 効いていた。今度は確かに一葉の攻撃が通じていた。

 

「――――小癪ナ、小癪ナ! 人間ガ、タッタヒトリデ!」

「一人ではありません」

 

 一葉の台詞の直後、悪魔の背に生える蝙蝠型の翼に砲撃が炸裂した。左右同時攻撃によって、濃紫色の巨体がまたもや大きく揺さぶられる。

 

「ごめん、一葉。遅くなった」

 

 大剣のチャームを構えた瑤。

 

「リンフォンの本体であるパズルを探していたの。町中に散らばっていたけど、全て破壊しておいたわ」

 

 槍のチャームを抱えた千香瑠。

 二人の仲間が左右別々の方向から一葉と合流を果たした。

 

「パズルが無ければ異界の門は開かない。あとは、ここに居る怪異を退治するだけよ」

 

 千香瑠からもたらされた事実に、一葉は驚くと共に勇気づけられる。

 悪魔にとっても無視できないことなのか、千香瑠へ警戒心を向けているようだった。

 

「これで三人です。三人なら――」

「待って」

 

 仕切り直そうとした一葉へ、瑤が突然待ったを掛けた。

 一葉は何事かと斜め後ろを振り向いて、そのまま視線をずっと後方へと移す。

 その先に見えたのは一匹の魚だった。川でも池でもない道路の上を、人間よりも大きな魚がこちらに向かって爆走していたのだ。

 熊や鷹の同類か、と一葉がチャームの銃口をかざす。

 

「ストップ! ストーーーップ!」

「……って、恋花様!?」

「待った待った、あれ、藍だよ! 藍!」

 

 息を切らせて飛び込むように広場へ入ってきた。その恋花が怪魚に人差指を指しながら盛んに訴える。

 訳が分からず一葉が戸惑っていると、低空を泳ぐように飛ぶ怪魚が失速して墜落した。

 固い地面にヘッドスライディングを披露した後、怪魚はピクリとも動かなくなった。そうかと思えば、いきなり上下に激しく跳ね出した。長い胴体が折れ曲がったり元に戻ったりを繰り返す様は、ちょっとしたホラーである。

 

「ぷはっ」

 

 怪魚の腹が割れ、中から現れたのは確かに藍だった。ただし着ている制服はヨレヨレで、髪は普段よりも更にボサボサで跳ね放題である。

 

「ら、藍! ちょっと、大丈夫?」

「…………」

 

 藍は身を案じる一葉の呼び掛けに反応しない。その代わり、今しがた怪魚の腹を掻っ捌いたチャームをカタカタと震わせ始める。眉を顰め、片手で鼻を押さえている。

 

「う~っ、くさい」

 

 怪魚に飲み込まれたまま揺らされ続けたのだろう。腹の中でどのような状態に置かれていたのか、藍の姿を見れば想像に難くない。

 

「くさい、くさいよぉ……」

 

 細められた藍の両目は金色に光っていた。彼女のレアスキル――ルナティックトランサー発動の合図だ。

 

「……らんは怒ったぞう!」

 

 今すぐにでも敵に向かって飛び出しそうな藍。

 そこで一葉は今取るべきだと判断した作戦を実行しようと口を開く。

 

「皆様、揃ったばかりですが、ヘルヴォル反撃開始といきましょう」

「あたし、思いっきり全力疾走してきたんだけど。人使い荒いわ~」

「では恋花様はお休みしますか?」

「冗談。町を散々引っ掻き回されたお礼をしないとね」

 

 恋花の軽いウインクを見て、一葉も軽く頷いた。

 

「目標をラージ級ヒュージ相当と認定。千香瑠様と瑤様の援護射撃の下、藍が突貫。私と恋花様で動き回って目標を攪乱。フォーメーション・シマリスさんです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 異界化し赤錆色に染まった空の下、複数の発砲音が轟き渡っていた。

 四つ足と翼を持つ異形の怪異に対し、四方からレーザーと実体弾が飛ぶ。

 怪異は首や得物たる尻尾を左右に振って対応しようとするものの、的が小さい上にちょこまかと動き回るリリィたちを捉え切れない。図体の大きさが仇となっていた。

 

「瑤様、千香瑠様、牽制を!」

 

 腰だめに構えられた瑤のクリューサーオールが電子の光を纏いながら極太の光線を放つ。光線は怪異の前足、そのすぐ手前の地面を薙ぎ払って敵の行き足を止めた。

 その一方で千香瑠のゲイボルグは怪異の尾を狙っていた。伸縮自在の凶器に射撃を当てるのは至難の業だろう。ところが千香瑠は尾の付け根――臀部(でんぶ)付近を細身のレーザーで集中的に攻撃し、怪異が尾を振るおうとする動きに掣肘(せいちゅう)を加え続けた。

 

「藍が前に出ます! 恋花様!」

 

 藍のレアスキルであるルナティックトランサーはマギと身体能力を大幅に強化する代わり、理性を薄めて戦闘狂と化す諸刃の刃。

 しかしヘルヴォルはそんな藍の突出さえも戦術に組み込み活かしていた。

 牽制射撃によって動きの鈍った怪異の側面に回り、恋花がブルンツヴィークのレーザーを掃射する。マシンガンの如くばら撒かれた光は怪異の脇腹や翼に突き刺さっていく。

 当然、敵もやられっ放しではない。千香瑠の掣肘を無視して、悪魔の尾が恋花の頭上に振り下ろされる。

 恐るべき速度で落とされた尾の穂先は広場の土を深く抉った。

 だが肝心の恋花は巨大な尾をすり抜けて発砲。引き抜かれた尾が再度襲ってくると、後方にステップしてまた発砲。

 

「こっちです!」

 

 更に恋花の反対側から一葉が射撃を加えることで、相手に的を絞らせない。

 そうしているうちに、一気に間合いを詰めた藍が巨大な怪異の足元から思い切り跳んだ。両膝のバネとマギの力場を用いた跳躍は藍の小さな体を弾丸と成す。

 怪異の足元から鼻先まで飛び上がり、藍は手にしたモンドラゴンで強烈なアッパーカットをお見舞いした。

 堪らず怪異は四肢をよろめかせた。全長10メートルに達する巨体からは濃紫の体液を滴らせている。傍目にも弱っているのは明らかだ。

 

「いける、いけるじゃん。あたしらのチャームが効いてるよ」

「その通りです。リリィとしての戦い方が通用するなら、私たちは負けません!」

 

 これまでの鬱憤が晴れるかのような優勢に、恋花と一葉が意気を揚げる。

 ほとんど千香瑠頼みだった怪異退治において、今初めてヘルヴォル全員がヘルヴォルとしてチャームを振るっていた。

 卓越した連携を前に押される怪異。しかし完全に膝を突く前にふらつく足取りを持ち直し、四つ足で埃の舞う地面に踏ん張った。

 

「――――見クビルナ!」

 

 咆哮と共に怪異が濃紫色の体表から無数の突起を作り出す。

 突起はぐんぐんと伸び、鞭のようにしなり、まるでそれ自体が意思を持つかの如く獲物を求めて動き出す。全身に触手を蠢かせるその様は、悪魔の容貌に恥じない異形の中の異形。

 怪異に半包囲を仕掛けるヘルヴォルに対し、触手が一斉に牙を剥く。あるものは槍となって鋭い突きを放つ。またあるものは鈍器となって殴りつけようとする。

 

「くっ、各自散開!」

 

 一葉は攻撃の手を止めざるを得なかった。チャームで斬り払っても斬り払っても、次から次に触手が伸びてくるからだ。

 

「うわっ、キモっ! これムリ! ムリだから!」

「恋花、実は余裕あるね?」

 

 恋花は悲鳴を上げつつも、小刻みにステップを踏んで触手の魔手を掻い潜っている。

 それに対して瑤はチャームの剛性を頼りに回避より防御に重きを置いているが、長く続けばやはり消耗は避けられないだろう。

 そして一番の問題点、藍はと言うと――――

 

「あははっ、何これー? いっぱい来るよぉ!」

 

 独楽か何かのように全身を使ってモンドラゴンを振り回し、触手を薙ぎ払っていた。

 最も怪異に近いが故に、最も多数の触手が襲ってくる。にもかかわらず、藍は一歩も退かずに戦い続ける。

 だがこのままでは、触手よりも先に藍のマギが尽きるのは自明。

 

「往生際が悪いですね」

 

 冷静であるが故に底冷えのする声。千香瑠だ。

 

「ヘリオスフィア!」

 

 暖かな千香瑠のマギがヘルヴォル一人一人を包み込み、防御結界を強固にする。

 すると襲い掛かってきた無数の触手が不可視のバリアに弾かれていく。

 これを好機と、一旦間合いを取っていた一葉が再び怪異へ接近し、大木の如き前足の肘にブルトガングの刃を突き入れた。

 バランスを崩した怪異は()()()を踏む。

 

「藍!」

 

 一葉に促されるまでもなく、藍はもう一度怪異の鼻先まで跳び上がっていた。

 悪魔を思わせる横っ面に、真横からモンドラゴンが振り抜かれる。怪異の首は横に90度曲がり、胴体も引き摺られて転倒した。

 倒れたまま起き上がってこない怪異に、一葉たちは銃口をかざして警戒する。

 程なくして濃紫色の巨体が粉末状に朽ち始め、それから赤錆びていた空が青色を取り戻す。ここでようやく一葉はリンフォン討伐を確信するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。

 戦禍に飲まれた町並みはすぐには直せない。それでもそこに住む人々は元の姿を一応取り戻しつつある。

 この日も町の中心部から外れた郊外の公園に、何人もの子供たちが集っていた。

 

「いや~今回はどうなることかと思ったわー」

 

 敷地の隅にあるベンチに座る一葉のもとへ、子供たちと遊んでいた恋花がやって来る。若干疲れを見せてはいるが、声や表情は晴れていた。

 

「特に藍が飲み込まれた時。あれは流石に焦ったね」

「ああ、あれですか……」

「おまけに一葉たちとは連絡つかないし」

「それは、申し訳ありませんでした」

 

 町一つが丸ごと異界化するなど想定しようもないのだが、恋花と藍を危険な目に遭わせてしまったのは事実である。

 

「ですが、それほど心配はしてませんでしたよ」

「あー、ひっどーい」

「お二人なら切り抜けられると信じていたので」

「褒められてる? でも何か納得いかないなあ」

 

 口を尖らせ不満を露わにする恋花。

 ところがすぐに両の目を細めて口角を持ち上げる。いかにも何か良からぬことを思い付いたかのように。

 

「この詫びは、精一杯あたしを労わることで果たしてもらおうか」

 

 そう言って恋花はベンチの空いている所、一葉のすぐ隣に座る。一葉の肩に頭から寄り掛かる格好で。

 

「いいですよ」

 

 少しだけ考えた後、一葉は了承する。

 そして恋花がまた口を開く前に、素早く彼女を抱えて自身の膝の上に乗せた。

 

「ちょっ、何!?」

「今日一日、私が恋花様のお布団を務めさせて頂きます」

「何言ってんの!?」

 

 驚いた恋花がジタバタともがくが、一葉の両腕に腰をしっかりと抱かれているため脱出は叶わない。

 

「いや、これはちょっと、流石にねぇ……」

 

 思わぬ反撃を食らってバツが悪そうな様子。

 そんな恋花の表情を正面から窺えないのは残念だが、代わりに一葉は彼女の首筋に目を止める。

 

「恋花様、うなじ綺麗ですね。何だか良い香りもします」

「恥ずい! 恥ずいって! さっきから何なのよ!」

「これもきっと、橋姫の仕業でしょう。仕方ありませんね」

「んなわけあるかーーー!」

 

 

 

 

 

 一方その頃、同じ公園内にてフットサルで遊んでいた藍と女の子たち。

 

「ねえ、藍お姉ちゃん。あれ何やってるの?」

「しーっ、見ちゃいけないよ。お昼から人前でイチャついてる駄目なカップルだから。皆は真似しないでね」

「はーい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五大怪異。早くも一つ倒して、あと四つか」

 

 町の外、大江山の麓へと続く道端に鬼の少女の姿があった。頭の角は消えていたし、体のサイズも人間の子供のそれである。

 

「皆が頑張った結果です」

「そうだな。でもあそこで片が付いたのは、あんたが事前にリンフォンの本体を見つけ出して破壊していたお陰なんだが」

 

 萃香と共に居るのは千香瑠。と言っても、別に見送りというわけでもない。怪異を討伐する間にまたちょくちょく会うだろう、とは萃香の弁だ。

 

「これで貴方の……貴方たちの目的である結界の強化は進んだのかしら?」

「勿論。まあ、人間の手で怪異を討つという儀式としては、今回のは文句の付けようがない大成功だ。私もちょこっと手を出したが、必要無かったかもね」

 

 そう言って萃香は屈託無く笑う。

 だが千香瑠の方にはまだ懸念があった。

 

「リンフォンのパズル。あれは本来一つのはず。あんな風に幾つも無作為に出回るなんて、考えられません」

「うん?」

「以前の、子取り箱の模造品の出どころもそう。大妖怪になろうとしていた人面犬もそう。怪異たちに何か違和感があるんです」

「怪異を焚き付けてる奴が居ると、そう思っているのか」

 

 千香瑠が断言できないでいたことを、萃香が口にする。

 

「残りの四つの中に、居るかもしれんな」

「…………」

「いずれにせよ、この調子で怪異退治を続けていけば、いつか当たるはずだ。だから期待してるよ、ヘルヴォル」

 

 そうして萃香は霧となって山の方に昇っていった。

 霧の如く神出鬼没な彼女のこと。本人の言葉通り、これからまた何度も会うだろうと予感する千香瑠であった。

 

 

 




西方外征 完



次章、怪異との戦いが激化していく中、物語の核心に入っていきます。


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五大怪異
第19話 海神様 一.


Victoria3とサムライメイデンやってたら投稿遅れました。


 東京都、市ヶ谷。防衛省本省11階、会見室。

 

「先日に生起した山形方面から仙台市へ侵攻するヒュージ群との戦闘を受けまして、陸上防衛軍東北方面軍司令部は戦力の再配置を施行しました。合わせて北部方面軍から一個歩兵連隊を増派し、内陸部の防衛体制強化に努めます」

 

 会見机の前に立ち、報道陣に向けて具体的な措置を説明する石川精衛。

 通常、防衛戦略に関する会見は防衛大臣か制服組トップである幕僚長が行なうのだが、子細については対ヒュージ戦略立案の責任者たる精衛が答弁することもある。

 

「石川大佐、スモール級数体程度がケイブも無しに市街地へ侵入できたのは、防衛軍部隊の準備不足によるものなのでは? 軍とガーデンの取り決めで、内陸部からの侵攻は前者が、沿岸部と河川からの侵攻は後者が担当するようになっていたはずですが」

「ご指摘の通り、本件にてヒュージの浸透を許したのは、必要な時に十分な火力を投射できなかったことが原因であると認識しております。対策として、各歩兵中隊間並びに歩兵部隊と砲迫部隊との相互支援体制を見直しております」

 

 記者からの質問は大抵が予想し得るものだった。なので返答も大抵は容易にできた。勿論、その返答に相手が納得するかどうかは別ではあるが。

 会見室がじんわりと熱気を帯びる中、また別の記者が発言する。

 

「昨今防衛軍の動きが鈍いようですが。これはガーデンへの補助金増額の煽りを受けて、軍の装備調達がままならないせいだと言われていますね」

「予算配分については多角的かつ総合的に判断されるものですので、一概にそれが要因だとは答えかねます」

「しかし原因はどうあれ、予算と縄張りの問題で軍とガーデンに摩擦があるのは事実ではないでしょうか? 強豪ガーデンのリリィを御息女に持つ石川大佐としては、板挟みでさぞ苦労されていることでしょう」

「ご心配、痛み入ります。ですが両者の対立は一面的なものであり、懸念は杞憂に過ぎません。従いまして、防衛軍とガーデンとの軋轢によって防衛政策に重大な支障を来す恐れは無いと申し上げます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏が過ぎ秋が訪れた頃合。

 依然として残暑が続くものの、近傍の太平洋から吹く海風が幾ばくかの清涼感をもたらしてくれる。

 京都からガンシップに揺られて降り立ったのは、同じ関西圏に属する和歌山県。その中でも南東部に位置する、海に突き出た漁港の町である。

 

「ここです。萃香さんの話によると、この地に五大怪異の一つが居ます」

 

 海岸線に程近い丘を登りながら、五人の先頭を行く一葉が言う。

 特定の目的の下に動く強大な怪異たち。京都においてその中の一つ『リンフォン』を撃破した後、ヘルヴォルは残りの怪異も討伐すべく動いていた。

 

「こっちは分かり易いよね。ほら、ちょと前に話題になってたじゃん」

「ええ。出現してから何の動きも見せず、実害があまり無いため今まで討伐を免れてきたそうですが」

 

 恋花と一葉が指しているのは過去の新聞記事の内容だろう。その際、記事の中では新種のヒュージと紹介されていた。

 だが怪異退治の当事者になったヘルヴォルにとって、表向きの報道内容は鵜呑みにできるようなものではない。

 

「まあまあ。着いたばかりですし、まずはお昼にしましょう」

 

 にこやかな笑みを浮かべながら千香瑠が提案する。

 実際、五人はそのつもりで行動していた。どこか適当な所で弁当を広げ、その後に見晴らしの良い場所から件の怪異を確認する予定である。

 

「何かあるよー?」

「……あれはお店だね。多分、飲食店」

 

 藍が小高い丘の天辺付近を指差した。

 釣られて瑤が目を向けると、そこには一般的な住宅より少し大きく屋根の平べったい建物が建っている。

 整備された道路が走っているのだから、何もおかしなことではない。現にここに来る道中にも民家がぽつぽつと見られたのだから。

 やがて一行は店の近くまでやって来た。海を一望できる中々有望な立地である。

 

「海鮮丼屋だって」

 

 瑤が店先に掛かっている看板を見ていると、店の裏手から人が現れた。店主だろうか。紺色の作務衣を着た愛想の良くなさそうな中年男性だ。

 

「悪いが今は休業中だよ」

 

 素っ気なくそんなことを言ってきた。

 

「このところ活きの良い魚が品薄なんでね」

「漁港の町なのに、魚不足なのですか?」

 

 一葉が疑問に思っていると、男性は溜め息を吐いて自身の頭を掻く。

 

「漁がやり難いんだ。海神様……いや、揉め事のお陰でな」

 

 それだけ言うと、話は終わったと言わんばかりに口をつぐんだ。

 ところが店に引っ込む直前、一葉たちの背負うチャームケースに一瞬視線を送ってきた。

 町の状況や男性の態度に引っ掛かった瑤だが、この地に着いたばかりでは推測しようもない。取りあえず今はお昼のことを考える。

 

「仕方ありません。海鮮料理は別の機会にしましょうか」

「えぇ~? 気になる。食べてみたいよぅ」

 

 一葉の言葉に、藍が不満げな声を上げる。

 

「今日はお弁当作ってきたから、原っぱにシートを敷いて食べましょう。ピクニックみたいでしょう?」

「う~っ……」

「藍ちゃんのために卵焼きも作ってきたのよ?」

「千香瑠の卵焼き! 食べるっ!」

 

 一転して喜色満面となる藍。

 幼い子供特有の変わり身の早さを見て、瑤が自然と口角を上げる。傍から見るとほとんど変化が無いように思われるが、瑤は確かに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 湾内とそこから広がる青い海原を見渡せる絶好の位置取り。

 ヘルヴォルは海岸付近の丘にお誂え向きの開けたスペースを発見し、敷物の上に荷物を置いて少し早めのランチを取っていた。

 五人が囲んでいるのは、重箱の如く幅も深さもある弁当箱の数々だ。箱に詰めやすい俵型のお結びが入ったもの、色取り取りのおかずが入ったもの、デザートのフルーツが入ったもの。全部合わせるとかなりのボリュームである。

 もっとも、リリィ五人分の料理を詰めるのだから、これぐらいは必要になるだろう。

 

「相変わらず手を抜かなさ過ぎでしょ。千香瑠には頭が上がらないわ」

 

 恋花が感心と畏敬の入り混じったような声を出した。

 千香瑠に頭が上がらないのは他の三人も大なり小なり同じである。胃袋を握られるということは、そういうことなのだ。

 

「ねえねえ、卵焼きは?」

「藍ちゃん、その前にお手拭きで手を拭きましょうね」

「拭いたよ!」

「それじゃあ、はい、あーん……」

 

 千香瑠の細い指に掴まれた箸が藍の口元へ伸びる。箸の先には山吹色が眩い卵焼き。弁当箱に入れて持ち歩いていたにもかかわらず、出来立てのようにも見えた。

 藍は待ってましたとばかりにかぶり付く。箸ごと噛み砕いてしまいかねない勢いで。

 

「はぐっ……美味しい、甘くてふかふかで美味しい!」

「ふふふ、他のおかずもちゃんと食べるのよ」

 

 藍は自らも箸を持ち、敷物の上に並ぶ弁当箱を見つめ始める。品揃え豊かなおかずに目移りしているに違いない。

 料理の製作者である千香瑠はそんな藍の姿に柔らかな眼差しを注ぐ。

 

「…………」

 

 一方、瑤は一連の光景を無言でジッと見つめていた。

 その視線に気付いた千香瑠が不思議そうな様子で瑤と視線を合わせたところ――――

 

「羨ましい」

 

 瑤の口から本音が零れた。

 すると千香瑠は合点がいったかのように顔を綻ばせ、箸で卵焼きを摘まんで瑤の方に差し出した。

 

「はい、瑤さんも……」

 

 美味しそうな山吹色を前にして、切れ長のツリ目がパチパチと瞬きする。思わぬ事態に面食らったのだ。

 そんな瑤の態度を目の当たりした千香瑠は固まった。勘違いに気付いたのだろう。白い頬がだんだんと朱に色付いてくる。

 

「藍に『あーん』ってするのが羨ましかったんだけど」

「ううっ」

「何で自分でしておいて恥ずかしがってるの」

「言わないでぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三人親子かよ!」

 

 緑の丘に恋花の突っ込みが轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹ごしらえを済ませたヘルヴォルはいよいよ敵情偵察に入る。

 今回、目標となる怪異は労せずして発見できた。何しろ逃げも隠れもしないのだ。今この時も、立っている丘の上から目視できる。

 町の沖合、湾を出てからそう離れていない地点。青い海にポツリと何かが浮かんでいるのが肉眼でも確認できる。双眼鏡を通して見ると、それは半球状の白い物体であることが分かった。

 

「大きい。まるで島だね」

「変な島ー」

 

 瑤と藍が見たままの感想を述べる。

 ヒュージに例えると、サイズだけなら間違いなくギガント級以上に達するだろう。

 

「二週間前、突如としてあの海域に出現したそうです。取りあえず新種のヒュージと見做したのは良いのですが。攻撃意図は勿論あそこを動く気配すら見せないので、近隣のガーデンも防衛軍も遠距離からの偵察に止めて討伐は先送りしています」

「他に戦力を回すところもあるし、下手に手を出して藪蛇は嫌だし……ってところかねえ」

「一応、出現当初は威力偵察まで行なわれたのですが、目標からの反応は無いし大したデータも取れなかったようですね。その点も本格的な攻撃を躊躇する要因でしょう」

 

 一葉と恋花が『島のような何か』改め『新種のヒュージ』改め『超大型怪異』を取り巻く状況について話し合う。

 

「一番ネックになるのは場所ね。怪異の方から陸地に近付いてくれない限り、私たちが空か海からアレに接近する必要があるわ」

 

 千香瑠が指摘した通り、目標はチャームの有効射程距離よりもずっと遠い位置に浮かんでいる。

 そうすると取れる手は限られてくるだろう。ガンシップかヘリ、あるいは船舶を手配しなければならない。

 

「まあ、小型で足の速い船が無難かな。今までが大人しくても、ずっとそうだって保証は無いし。的は小さい方がいい。それにもしかしたら()()を使わなきゃならないかも。あのサイズだし」

 

 恋花の意見に異論のある者は居なかった。確かに()()を使うなら、ガンシップやヘリのように着水したリリィを回収し辛い移動手段では難がある。

 加えて言うなら、ヘルヴォルをこの地まで運んできたガンシップは今すぐには使えない。彼女らを下ろした後、京都の飛行場に戻ってメンテナンスを受けているからだ。

 

「幸いこの町には漁港がありますし、船には困らないでしょう。学園の許可を得た後、一隻貸してもらえないかお願いに行きましょう」

エレンスゲ(うち)のことだから、レンタル代ケチったりはしないだろうね。それで、操縦者はどうすんの?」

「私がやります」

「マジ?」

「言ってませんでしたっけ? 大型二輪に普通乗用車、レシプロ機にガンシップ、それから小型船舶については操縦できると」

「ああ、そう言えばそんなこと聞いてたような聞いてないような……」

「流石に本職の方には及びませんが、あの程度の近海を進むぐらいなら問題ありません」

 

 自慢するでもなく、自然体で言い出す一葉。

 それに対して恋花は深く追求せずに軽く流すのだった。

 

「ではまず、地元の漁協にアポを取って船舶をお借りしましょう。もう少し近くで調査してから討伐作戦を立てるということで」

 

 一葉が当座の方針を打ち出した。少なくとも今の時点でそこまで緊急性は無さそうなので、まずは偵察優先にしたのだろう。

 皆も一葉の方針に賛成だった。

 賛成なのだが、瑤はふと思いついた疑問を口にする。

 

「ところであの怪異、何の怪異なのかな?」

「元ネタの話? う~ん、あれだけじゃ判断できないね。今までのパターンから言って、元ネタ通りじゃない可能性もあるわけだし」

「そうね。交戦までいかなくとも、もっと調べてみないと」

 

 恋花も千香瑠も正体についての言及は避けた。確かに現状では情報が少な過ぎる。

 ただ一つ、一葉が気を引き締めるべきことを言う。

 

「萃香さんは『強力な怪異だからと言って正攻法だけとは限らない』と仰ってました。あの巨体ばかりに目を奪われるべきではないのかもしれませんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海岸近くの丘を下りて港町を訪れたヘルヴォル。近傍にガーデンや軍の基地が無いせいか、地元の漁協からは丁重な対応を受けた。

 だがそれにもかかわらず、船を調達することができなかった。

 一葉が無礼にならない程度に理由を問うと、目を泳がせたり俯いたり、皆一様に決まりが悪そうな様子を見せる。海の男たちの振る舞いとは思い難い煮え切らなさだった。

 

「連中を……『青い竹』を刺激しかねない」

 

 やがて漁協の代表が言葉を濁しながらもそう言った。

 瑤はその名を聞いてピンと来なかったが、一葉は違うらしい。

 

「地方紙の報道で見た覚えがあります。確か、海洋生物保護を訴える環境保護団体だったはずですが」

「元々はそうだ。だがアレが現れてから何もかも変わってしまった」

「アレとはやはり、沖に浮かんでいる新種のヒュージのことですね?」

 

 一葉の確認に、漁協の代表は頷いた。しかしそれ以上のことはどうにも聞き出せそうにない。

 ヘルヴォルはひとまず別の方策を探るべくその場をあとにする。

 

 決して都会ではないが、寂れているわけでもない中規模の町。ざっと見る限り、目立った戦禍の形跡は無い。少なくともここ最近はヒュージの襲撃を受けていないようだ。

 ヘルヴォルの五人は町のメイン通りに沿って港を目指す。町の様子と漁協からの話を実際に確かめるために。

 瑤が異変に気付いたのは、港の入口部分に近付いてきた時だった。

 

「何だか騒がしいね」

 

 異変の原因は程なくして判明する。

 港の敷地のすぐ外側に張り付くように、20人ほどの人間が()()()していたのだ。彼らは手持ち式の看板を掲げ、頭部を含む全身を青の布で覆うという異様な風体だった。

 ヘルヴォルの存在に気が付いたのか、集団の発するざわめきが一層強くなる。

 

「帰れ、帰れぇ!」

「神聖な海に近寄るな!」

 

 お世辞にも歓迎されているとは言い難い。

 それでも情報を得るために一葉は青装束の集団に声を掛ける。

 

「あなた方は青い竹ですね? 我々はこの町の沖に浮かぶヒュージを調査しに来たリリィです」

「何が調査だ、罰当たりめ! 海神様に対して無礼だろう!」

 

 その台詞によって、瑤は大方の事情を察した。理由はともかく、彼ら青い竹はあの超大型怪異を神格化しているのだ。

 事前に港に集まっているあたり、町にリリィがやって来たという情報を掴んでいたのだろう。

 

「ですが――――」

「海神様の御威光により、この町の海からヒュージは消えた。罪深き人間を救って下さったのだ! 青い海を生き物の血で汚す愚かな人間を! 何と慈悲深きことか!」

 

 集団の代表と思しき男――目元以外は布で隠れているが声で男と分かる――は熱に浮かされたように信仰を語る。これでは環境保護団体ではなく宗教団体である。

 確かにヒュージの襲撃は減ったのかもしれない。だが彼らの認識は危険過ぎる。相手は怪異なのだから。

 

「待ってください。一時的にヒュージの活動が低調になったとはいえ、アレのお陰とは言い切れません。場合によってはヒュージよりも――――」

「まだ言うか! 不信心者が!」

 

 一向に話が通じない。

 更に悪いことに、代表者以外の青装束たちも囃し立ててくる。

 

「そもそもお前らリリィがヒュージどもをさっさと駆除しないから、奴らを追い払ってくれた海神様が崇められているんだろう」

「そうだ! 反省しろ!」

 

 あまりにも身勝手な物言い。

 だが一葉はそれについては反論しない。リリィとしての使命感ゆえか。

 

「そんなチャラチャラした格好してるからヒュージに勝てないんじゃないのか? 胸を強調して、スカートひらひらさせて」

 

 また別の青装束が言い掛かりをつける。その視線の先には千香瑠が居た。

 五人とも同じヘルヴォル標準制服を纏っているが、中でも特に美しい容姿と目立つプロポーション、淑やかな雰囲気を持つ彼女が槍玉に上げられた。

 

「何? 誘ってんの? いいよなあ君ら女は。男に媚を売ってりゃやっていけるんだから。いや~女だなあ」

 

 千香瑠は僅かに目を伏せ、口元をきつく結ぶ。本当なら耳を塞ぎ背を向けたいに違いない。

 そんな彼女と青装束との間に割って入るように、一葉と瑤が動く。

 

「何てことを! 人の容貌をあげつらうような真似して、恥ずかしくないのですか!」

「この子は貴方たちのために綺麗になったわけじゃない。勘違いは止めて」

 

 正義感の強い一葉が声を荒げた。

 普段は冷静で寡黙な瑤までも、静かな怒りを湛えていた。

 二人して千香瑠の前に立ち、青の集団に眼光を飛ばす。

 藍は仲間たちのただならぬ様子に、おろおろと混乱しているようだった。

 一触即発の状況下、場を取り成すことができるのは、恋花だけ――――

 

「まあまあ、ここは一つ穏便に……」

「胸が無い、男だな」

「ああン!?」

 

 恋花は激怒した。

 恋花は確かに胸は無い。

 胸は無いが、ファッションや髪には気を遣っている。

 容姿だって瑤や千香瑠には負けると思っているが、それなりに自信はある。

 故に男呼ばわりは甚だ心外であった。

 恋花は激怒した。

 必ずこの邪知暴虐のカルトどもを誅せんと欲した。

 

「こんの、もういっぺん言ってみろぉ!」

「落ち着いて恋花さん! 落ち着いて!」

 

 暴れ出す恋花を千香瑠が後ろから羽交い絞めにする。

 その光景を目の当たりにした瑤と一葉は逆に冷静さを取り戻すことになった。

 しかし結局、その場は話し合いなど到底叶わないまま物別れになってしまう。

 

 

 



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第20話 海神様 二.

 環境保護団体『青い竹』との接触は物別れに終わった。町の港を離れたヘルヴォルは作戦会議を開くため、宿にしている郊外のホテルへと戻ってきた。

 

「町のこの状況、明らかに異常です」

 

 自身と藍が泊まっている部屋の中で、一葉は集まったメンバーを前に話し出す。

 

「表向きあの怪異は新種のヒュージとされています。本来、ヒュージに対して利となる行為は厳しく処罰されるはず。組織的に行なっている場合は尚更でしょう。にもかかわらず、あの団体は大手を振って活動していました」

「それ以前に町の漁師さんたちへ脅迫や嫌がらせをやってるから、普通に捕まってないとおかしいのよねえ」

 

 一葉に乗じて恋花も事の異常さを語る。

 港での騒動時から頭を冷やしたようだ。少なくとも表面上は。

 

「町の人たちは彼らを恐れているのでしょうけど、警察が動いてないのはおかしいわね。ここにも駐在所はあるし、少し距離があるけど新宮(しんぐう)市には警察署もあるのに」

「ええ。私も千香瑠様と同じ疑問を持ったので署に問い合わせてみたのですが、『現状問題は無い』とか『適切に対処する』とか、はぐらかされてしまいました。これは県警本部の方も同様です」

「直談判は……多分無意味ね。それより今、町から離れるのは良くないでしょう」

 

 怪異それ自体よりも、人間の方に頭を悩まされることになるとは。

 

「もしや、萃香さんが『正攻法だけとは限らない』と言っていたのは、このことなのでは? 町の人たちや警察の不自然な態度にはあの怪異が関与しているのかも……」

「ちょいちょい。一葉、あんた怪異が人間を操ってるって言いたいの?」

「そこまでは言いませんが……。人の精神に何らかの影響を及ぼしている可能性は無いのかと思いまして」

 

 一葉とて恋花に突っ込まれるまでもなく、些か突飛な発想だという自覚はある。

 だがしかし、そう考えると状況的に辻褄が合ってくるのだ。

 

「洗脳まではいかなくても、人の思考を誘導したり、認識を改変させたりしているのかも。あり得ない話ではないわ」

「千香瑠まで……。でも、だったら、凄い広範囲に能力が届くってわけじゃん。それってヤバくない?」

「正直言ってヤバいわね。人間同士の争いが酷くなる前に、あの怪異を討つべきよ」

 

 目元口元を引き締めた千香瑠が断固とした口調で訴える。

 その点、ヘルヴォルに異論は無い。問題は方法論だ。

 

「ヘルヴォルのガンシップは私たちをここに下ろした後、京都の飛行場で整備を受けています。すぐには飛んで来れないでしょう。他のガーデンから借りるにしても、どう説得すべきか……」

 

 あの怪異は今現在、直接的な脅威にならないためガーデンからも防衛軍からも半ば放置の方針が取られている。その方針を覆して「ガンシップを貸そう」とは中々ならないだろう。

 

「どうにかして陸地の方に誘き出せないかな」

 

 瑤が提案する。こっちから出向けないなら相手に来て貰おうというわけか。

 

「難しいでしょうね……。ですが、検討する意義はあると思います」

「そうね。それに町や海を観察し続けたら、何か思い付くかもしれないわね」

 

 一葉と千香瑠が相次いで賛成し、取りあえずの目標は決定した。

 

「ねえ、まーだー? まだあの大きいのやっつけに行かないの?」

「そのために準備が必要なのよ。ま、楽しみは後に取っておきなさいってこと」

 

 逸る藍を恋花が宥めるのはいつも通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、一葉は皆でお弁当を囲んだあの丘を再び訪れた。ここからなら町に面する海を、そして悠然と沖合に浮かぶ怪異の姿を臨めるからだ。

 丘の頂上付近から双眼鏡を覗き込む。二つのレンズに映るのは、青い海原の只中に白い半球が生えた不可思議な光景。怪異は相変わらずその場から全く動こうとしない。

 

(本当に白いな。水飛沫や雲の白とは違う、生白い白)

 

 一葉は島のような巨体を眺めながら、少しでもその特徴を探ろうとした。

 しかし微動だにしない以上、得られる情報は限られる。

 どこか神秘的で、同時に言い知れぬ不安が込み上げてくる感覚。そんな極めて情緒的な感想ばかりが浮かんでくる。

 

(これではいけない)

 

 一葉は一度双眼鏡を下ろし、目頭を揉み解す。

 その後も首を回したり伸びをしたりと気分転換を図る。

 すると後ろの方から近付いてくる気配に気が付いた。別の場所へ調査に赴いているヘルヴォルの仲間たちではない。

 

「精が出るな」

 

 先日出会った、この丘に店を構える海鮮丼屋の店主であった。

 

「お邪魔しています」

「別に丘を登るのも海を眺めるのも自由だが……。しかし、あんたたちはまだアレを倒そうとしているのか?」

「勿論です。私たちはリリィですから、ヒュージを討つのは当然です」

 

 本当はヒュージではなく怪異なのだが、ややこしくなるので(おおやけ)の発表通りヒュージで通す。

 

「町の人間と話をしたんだろう? あのイカれた連中のことも見てきたはずだ」

「はい」

「町は厄介事を恐れてあの連中に抵抗しようとしない。漁を邪魔されてるっていうのに。本当に海神様とやらを刺激するんじゃないかって心配する奴も出てきてる。ヒュージにとっては、そんなの関係無いだろうに」

「……」

「当事者がそんな調子なのに、それでも戦うのか」

「そのつもりです」

 

 一葉が迷いなく言い切ると、彼女の三倍近く年を食っているであろう店主は目を細めた。

 

「結果的に、人間同士の争いに巻き込まれることになるぞ」

「人間社会に生きる以上、そういうこともありますよ」

「リリィがそこまで負う必要がどこにある?」

「ヒュージを倒し町を守るためなら、必要あります」

 

 危うい程に真っ直ぐな固い意志。かつての体験・記憶から培われたそれは、一葉というリリィを形作る土台でもある。

 自分よりもずっと若い娘の意志を目の当たりにして、店主は白髪の交じり始めた短髪を困ったような仕草で掻く。

 

「ガーデンってのは浮世離れ常識離れした所だと、口先だけの詰まらん奴らはよく言うが……。全くの嘘ってわけでもないみたいだな」

「はい……?」

 

 戸惑う一葉に、店主は一呼吸置いてから改めて口を開く。

 

「町の南に灯台があるのは知ってるよな」

「はい。我々の止まっているホテルのすぐ傍です」

「以前、設備点検に来た海保が灯台の投光器を付けた際、あのデカブツが反応したことがある」

「それはっ、本当ですか!?」

「少しだけだが、光に釣られて灯台の方に移動してた。ここから双眼鏡で見ていたから確かだ」

 

 非常に大きな意味を持つ情報だった。事実なら、怪異の動きを誘導し得ることになる。

 無論、裏付けや子細を詰める作業は必須だが、手探り状態の中で光明が見えてきた。

 

「ありがとうございます。仲間と共に作戦を練ってみます」

 

 一礼してから背を向けると、一葉は丘を下りようと歩き出した。別行動中の仲間たちと連絡を取るためスマホを取り出しながら。

 その去り際に――――

 

「リリィを送り出すってのは、こういう心境なのか……」

 

 風に乗ってそんな言葉が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルが集結したのは夕刻になってのことだった。場所はホテルの外、灯台に程近い海を臨む岸壁の傍である。

 

「海上保安庁からも裏付けが取れたよ。灯台の点検時、海上のヒュージが動いたかもしれないって。職員の勘違いかもしれないから軍やガーデンには通報していなかったみたい」

 

 一葉からの連絡を受けた瑤が問い合わせた結果を説明する。

 それにしても危機感が足りない。あるいは、これも怪異の精神干渉の影響だろうか。

 

「町の灯りには反応無いんでしょ? 当然太陽の光にも。ってことはつまり、一定以上強力な人工の光に釣られるってわけだ」

「恐らくは。だけどそんな怪異、ちょっと心当たりが浮かばないわね。恋花さんは?」

「あたしも聞いたことないかも。ま、怪談や都市伝説なんて一から十まで解説するようなものでもないし。後から尾ひれの付いたパターンもあり得るでしょ」

 

 恋花と千香瑠が正体についての考察を脇に置く。実際、これまでにも事前情報が当てにならない事態は起きていた。

 

「必要な機材と場所に関しては学園に連絡して都合をつけて貰いましょう。灯台と投光器をそのまま借りれるのが理想なのですが」

 

 怪異であり表向きは新種のヒュージであるアレの撃破なら、エレンスゲ上層部も賛成するはずである。一葉もそこは心配していない。

 問題は、灯台を管理する海保がすぐに許可を出すかどうかという点だ。場合によっては強力な照明とそれを設置する高所を別に見つけ出す必要が生じてしまう。

 

「アレを誘き寄せるにしても、場所に気を付けなきゃ町に被害が出るんじゃない?」

「恋花様の言う通りです。仮に灯台を使えたとしても、灯台の上で照明を操作するだけでなく、離れたポイントから怪異の速度や挙動を監視する役が要りますね」

「すぐに照明を切るよう指示を出す役か。これは責任重大だ」

「私がやりましょう」

 

 一葉はすぐさま宣言する。元より指示出しは自分が適任なのだから。

 

「らんは? らんは何をやるの?」

「陸地に誘い出せたら、可能な限り町に近付けさせないよう迅速に仕留めないといけないから。藍の火力とパワーが頼りになるよ」

「分かった。それまで力を温存するんだね」

 

 一葉が藍に教え諭すように言う。

 事実、あの奥の手を使用する前や使用中に、ある程度敵の動きを牽制すべきである。そのためには大型ヒュージとも真っ向から打ち合える藍の力が重要になるだろう。

 藍も自分の強みや役割は自分で理解できているようだ。

 

「あとは学園からの返答待ちかー。期待しないで待ってようか」

「色よい返事が得られなかった時のために、次善の策も練っておきましょう」

「と言ってもねえ……。灯台が無理なら、やっぱりヘリかガンシップでも用意してくれなきゃ」

「それはすぐには難しいので」

 

 一葉と恋花が頭を悩ませる。ヘルヴォルの作戦計画は大抵の場合この二人が中心となって立てられていた。

 ヘリでは能力的に心もとないし、ヘルヴォルのガンシップは未だ京都でメンテ中。他ガーデンに借りるにしても、やっぱり今すぐとはいかないだろう。

 いつ何時に何を仕出かすか分からない不気味な怪異を討たねば、という焦れる思い。必要な条件が出揃うまで耐え忍ばなければならない現実。それら二つの感情に揺さぶられているのは一葉だけではないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言って、一葉たちヘルヴォルが要請した灯台への立ち入りと投光器の使用は認められた。

 エレンスゲからその知らせが届いたのは、要請した次の日の正午。予想外の早さであった。

 ホテルでの昼食を急ぎ終わらせ、五人は一葉の部屋に集う。

 

「もっと時間が掛かると思ってた」

「いや、普通は掛かるよ!」

 

 瑤の言葉に対し、恋花が食い気味に突っ込んだ。

 

「和歌山を管轄する海上保安庁第五管区が許可を出したのは確かです」

「やっぱエレンスゲが強引な交渉をしたんだろうねえ。あ~また評判が落ちるわー」

 

 一葉はわざとらしく呆れる仕草の恋花に苦笑する。

 実際問題、国の機関ではない私立のガーデンが幅を利かせている現状を快く思わない人間は決して少なくはない。

 とは言え恋花の懸念は事実だが、エレンスゲの強引さが今回ばかりは怪異討伐に役立ったのもまた事実であった。

 

「一葉ちゃん、どうするの?」

「無論、すぐに作戦の準備に入ります。灯台での投光器の動作確認に、監視ポイントの確認。チャームのチェック。作戦開始は翌朝6:30とします」

 

 ひとたび条件が整ったなら、すぐさま実行に移す。ヒュージとの死闘を経て生まれた迅速果断な行動力はガーデンやリリィの強みの一つである。

 

「あっ、ちょっと待って。一つ提案があるんだけど」

 

 皆の前で唐突に待ったをかける恋花。

 四人の視線が集まるや否や、当の恋花は足早に一葉の部屋から出ていってしまう。

 残されたメンバーは首を傾げざるを得ない。

 

「これは何か企んでるね」

 

 瑤が確信めいた口調でそう言った。

 それから少しして、部屋の外の廊下からドタバタと足音が響いたと思ったら、出入り口の扉が勢いよく開かれた。

 

「恋花様、廊下はお静かに」

「ごめんごめん。それよりさ、これ!」

 

 一葉から注意を受けながらも、恋花は上機嫌な笑みを浮かべつつ持ってきた物を前に掲げる。

 

「それは、レギオン制服。それを着て作戦に臨もうってことね?」

「千香瑠ご名答~。ほら、大江町の時は着替える暇が無かったでしょ? だから今回は絶対に着ていきたいと思ってたのよねえ」

 

 標準制服と同じ大きな赤いリボン。シックな濃紫のジャケットに、左肩に煌めく黄金の肩章。

 大規模任務や重要な外征時に纏うヘルヴォル専用の隊服――――エレンスゲオーダーだ。

 トップレギオン『ヘルヴォル』を表すこの衣装は象徴としての意義も強い。故にガーデンからの指示があれば着用は義務となる。

 しかし自分たちの判断で装備することもできた。

 

「成る程、気を引き締めるのに打って付けですね。それに今回の相手、これを纏うだけの価値が十分あるでしょう」

「それもそうなんだけどさ。一葉は少し硬過ぎ。せっかく関西外征に持ってきたんだから、これ着て華麗に活躍したいじゃん。藍もそう思うでしょ?」

「えー? らんは別にどっちでもいい」

「何だよー、ノリ悪いなぁ」

「ご飯が美味しくなる服なら着たい」

「美味しくなる美味しくなる。美味しく感じるようになる、はず」

 

 多少の脱線はご愛嬌。

 怪異討伐に向けてヘルヴォルは動き出す。

 

 

 



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第21話 海神様 三.

 鉛色の空が日の出によって薄ら白み始めた頃、小高い丘の頂に立つ一葉は海の沖合を双眼鏡を通して睨む。

 その場に居るのは彼女一人。他の仲間たちは灯台とその周辺で各々の役割に務めている。

 時折、海から吹き付ける冷たい秋風が一葉を撫でた。青みがかった黒髪のショートが揺れ、濃紫のジャケットに備わる同色のマントが音を立ててはためく。

 

「動いています。真っすぐ、灯台方面に向けて。作戦通りです」

 

 通信機のインカム越しに、遠く離れた仲間へ状況を伝える。

 目標の監視自体は灯台からもできなくはないが、やはり情報の正確さと不測の事態への備えを考えると、他のポイントからの監視も必要だった。

 

「エレンスゲの強引な交渉ならガンシップを借りることもできたんでしょう。でもやっぱり陸の上で戦えた方が安心できるわね」

「そうですね、千香瑠様」

 

 自ら三次元的な機動が可能なリリィにとって、機上や船上での戦闘は利点だけでなく制限も多い。

 更に言えば、ヒュージと海の上でやり合うのは大きなリスクが伴う。水場はヒュージのホームグラウンドと言ってもいい。

 仮にヒュージが出現当初から積極的な海上通商破壊を仕掛けていたら、人類側の戦線はとうの昔に崩壊済みだと考えられているぐらいなのだから。

 

「これ、こっからだとよく分かんないんだけど。本当に怪異が釣れてるの?」

「本当ですよ。引き続き投光器の照射をお願いします」

 

 一葉に対して疑問の声を上げたのは恋花だ。彼女と瑤で灯台の中に入り、沖合の怪異に向けて投光器を作動させていた。

 ちなみに千香瑠と藍の担当は灯台下での周辺警戒である。

 監視が必要とは言え、一葉だけ配置が離れているのはやはりリスキーだった。

 ドローンの一機でも飛ばせば()の役割ぐらい果たせるだろうが、怪異を挑発しかねない。それにアレを崇拝する宗教団体……もとい、環境保護団体に気付かれて妨害を受ける可能性すらある。

 一葉が監視ポイントの丘にバイク等の移動手段を用意していないのも、例の団体とのトラブルを避けるため。町で調達すれば察知される恐れがあった。

 

「それにしても……」

 

 一体アレは何なのだろう。

 このところ怪談や都市伝説について勉強していた一葉だが、今回の怪異については見当もつかなかった。

 島のように巨大で生白い半球状の物体。広範囲にわたって人間の意識に干渉する能力があるかもしれない。

 そんな存在、千香瑠や恋花でさえ心当たりが無いのだから、物語上で語られていない要素なのだろう。

 

「……?」

 

 じっと監視を続けていた一葉はふと変化に気付く。灯台を目指す怪異の移動速度が先程より増していたのだ。

 見間違いではないかと何度も見返すが、やはり増速している。それもちょっとやそっとの増加ではない。この遠距離からでも明らかに分かるほど加速していた。

 

「恋花様、聞こえますか?」

「はいよ」

「投光器を切ってみてください」

「うん? 分かった、待ってよ」

 

 通信機での唐突な指示にもかかわらず、恋花は実行に移してくれた。

 それから更に暫く様子を見る。

 しかし怪異の動きは変わらない。さっきまでの沈黙が嘘のように、高速で陸へと突き進んでいる。

 

「緊急事態です。目標が大幅に増速しました。照明を中止しても止まりません」

「ええっ!? こっちに突っ込んできてるってこと!?」

「我々を明確な敵だと認識したのかもしれません。急ぎそちらに合流します!」

 

 一葉は通信を終えると、監視地点である岸壁に背を向けた。

 移動手段が無いゆえに自力で灯台まで辿り着かなければならない。あの怪異の速度だと、戦闘に間に合わせるにはマギによる跳躍が不可欠となるだろう。マギは温存しておきたかったがこの際仕方ない。

 

「見通しが甘かった。間に合えっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「急いでるのか?」

 

 丘を駆け下りようとする一葉に声が掛けられた。

 紺色の作務衣を着た中年男性。この丘にある海鮮丼屋の店主だった。

 

「ひょっとして、こいつを運転できたりするか?」

 

 男性が右手の親指で、自身の後ろの方を指す。その先には彼の営む店、そして店の脇に停められた一台のバイク。

 リリィが――身長制限こそあるものの――特例で諸々の運転免許取得試験を受けられるのは一般にも知られた話である。

 

「はい。大型自動二輪の免許を持っていますので」

「だったらこいつに乗っていけ。それで、俺たちの町をおかしくしやがったあのデカブツをぶちのめしてくれ」

 

 思わぬ提案に一葉は内心驚く。

 だが今は有り難い。躊躇せず首を縦に振る。

 

「ありがとうございます。事が済み次第お返しします」

「いや、無理に返しに来なくていい」

 

 バイクのキーを投げてよこしながら、店主がそんなことを言ってきた。

 一葉も今度は流石に躊躇する。

 

「いえ、そういうわけには……」

「こいつは、昔東京のガーデンで教導官をやってた娘が乗ってたんだが……。今はもう、うちには必要の無いものだ」

 

 店主は店の方にくるりと向き直り、一葉へ背中を向けた。表情を見られないように。

 

「だから、返さなくていいよ」

 

 それっきり、店主は口を閉じて押し黙ってしまった。

 一葉は目線を落として少しだけ逡巡しながらも、彼の背に一礼してバイクへキーを差しに行く。

 駐輪場所から押して歩き、丘を下る道に着いたところでエンジンを始動させる。するとバイクから重たげな音が威勢良く響き始めた。

 シートに跨ってそのまま走り出す前に、一葉はもう一度店主の背中に目を向ける。

 

「必ず返しに行きます!」

 

 エンジン音にも負けない声でそう宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い飛沫を高く上げ、波濤を掻き分けソレは来る。生白い体の上半分を海面から露出させ、海岸線にぐんぐんと迫って来る。

 全長100メートルを優に超えるその巨体は、陸地から見る者に対する圧力を刻一刻と増していた。

 恋花たちは灯台から離れた岸壁の上に陣取っていた。まず遠距離から砲撃を加えて様子を見る手筈である。

 海岸から距離があり、高所を取っているにもかかわらず、怪異からもたらされる威圧感は並ではなかった。

 

「タイミングは砂浜に上がってきた瞬間。フライングは無しだからね」

 

 皆にそう言う恋花の指にも自然と力が入る。チャームを握る指なので、力み過ぎはあまり好ましくない。

 恋花はそれを、軽い口調で喋ることによって和らげる。周りの人間のみならず、自分自身にとっても大切な行為であった。

 

「来るわ」

 

 千香瑠が短く言った。

 直後、水飛沫に混じって激しい砂埃が海岸に舞う。さながら局地的な砂嵐のようだ。

 

「攻撃開始!」

 

 恋花の合図を受け、まず二条のレーザーが海岸へと奔る。ゲイボルグとクリューサーオールが放った高出力砲だ。

 左右から同時に極太の光線を浴びて、上陸したばかりの怪異は爆煙に巻かれて前進を止める。

 やがて砂埃も煙も薄れてきた頃、ヘルヴォルはソレの姿をはっきりと視認した。今までも海面から露出した部分は見てきたが、全貌を目にするのはこれが初めてだ。

 丸みを帯びた体に、太くて長い二本の脚。顔や首は無く、胴体に目のような二つの窪みがあるが、眼球らしきパーツは確認できず。口も見当たらない。

 恋花はこの時、ようやく怪異の正体に思い当たった。

 

「ニンゲン」

「えっ? なに?」

「怪異の元ネタ。ニンゲンって怪異の都市伝説があるのよ」

「全然人間じゃないよ! らんたちあんなに大きくないよ!」

「そういう名前なの!」

 

 通信機越しに恋花と藍とで盛んに言い合う。

 だがその間にもヘルヴォルは次の段階に向け動いている。

 岸壁から飛び降りて砂浜に着地。藍を正面先頭、その後方に恋花、そして左右両翼に瑤と千香瑠を配した菱形のフォーメーションを組む。

 

「間合いは取ってよ! 下手に近付かないように!」

 

 事前のミーティングでも繰り返していたが、恋花が改めて注意を促した。

 大質量というものは、それだけで凶器足り得る。ただ動いただけでも、相手をする身からしたら気を配らなければならない。

 もっとも、そんな連中と散々やり合ってきたのが彼女たちリリィだ。

 今も四機のチャームが頻りに発砲炎を灯し、海岸に立つ怪異に砲撃を浴びせ続けている。

 現状、致命的な傷を与えられた形跡は無い。しかし同時に怪異からの目立った反撃も無い。

 水中での速度こそ目を見張るものがあったが、陸の上では見た目通り鈍重のようだ。僅かに身じろぎするものの、遠方から撃ってくるヘルヴォルへ距離を詰めようとする行動は取ろうとしない。

 

「よーし、そのまま大人しくしてなさいよ。一葉がこっちに来るまでね」

 

 恋花はブルンツヴィークのトリガーを引き絞りながら舌なめずりする。

 五人揃ってからが本番なのだ。それまでは時間稼ぎに過ぎず、あわよくば敵を消耗させるために攻撃を加えていた。

 そのはずなのだが――――

 

「……あれ?」

 

 恋花はふと違和感を覚え、トリガーに掛けた指を止めた。当然ながら銃口からのレーザーも止まる。

 無理に今、戦わなくてもいいのではないか? そんな考えが頭の中に浮かぶ。

 町を直接襲ったわけではないのに、倒す必要は無いのではないか? 考えれば考えるほど、指や手に込めた力が弱まっていく。

 他の三人もまた恋花と似たような状況らしい。皆してチャームを構える手が止まっている。

 気が付けば、怪異が鳴き声を発していた。

 いや、正確には鳴き声ではない。何故ならそれは耳から聞こえたのではなく、頭に直接入り込んできたから。もしも人間が超音波を知覚できるのなら、こういう風に聞こえるのではないだろうか。

 

「…………」

 

 恋花は戦意を失いかけた状態で改めて怪異を見つめる。

 生白い巨体には、やはり表情や感情といった類は読み取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん!」

 

 インカムから轟く大音量に、恋花は頭を殴られそうになる。

 

「一葉ぁ! あんた通信機に思い切り叫ぶんじゃないわよ!」

「先程から呼び出していたのですが、反応が無かったもので」

 

 遠い岸壁の上、藍緑色のチャームを握るリリィの姿があった。

 先程まで薄れていた戦意はいつの間にか戻っていた。

 

「皆、無事!?」

「……はっ! 寝てないよ! らん寝てないよ!」

「藍ちゃん、ぼーっとしてたのね……」

 

 千香瑠が他の者の安否を気遣う。

 

「千香瑠、これは?」

「怪異の精神干渉よ。町の人の意識に影響を与えていたのも、多分これ」

「千香瑠は平気だったの?」

「恥ずかしながら、一瞬干渉されそうになってしまったわ」

「一瞬なんだ……」

「神社生まれですから」

「神社生まれって、凄い」

 

 千香留も、静かに感心する瑤も、今は己のチャームをしっかりと握り締めている。

 

「千香瑠はああ言ってるけど、一葉は何で平気なのよ?」

「それは恐らく……いえ、きっと、熱い想いを受け取ってきたお陰です!」

「何言ってんだあんた」

「人の想いが、怪異の妖術を乗り越えたのです!」

 

 若干引き気味の恋花と熱く盛り上がる一葉。

 何にせよ、ヘルヴォル五人揃って反撃の時が来た。

 崖下に展開する四人は一葉を加えたフォーメーションへ移行しようと動く。

 ところがその前に怪異が先手を打ってきた。

 

 アァァァァァァァァァァァァッ!!!!!

 

 これまでとは様相を大きく異にする、獣めいた咆哮。

 そして咆哮の後、怪異の生白い胴体から幾条もの線が伸びる。

 

「一葉ちゃん!」

 

 崖上に線が向かうのを見て千香瑠が叫ぶ。

 線は切り立った岸壁に命中すると、硬い岩肌をいとも容易く砕き割った。

 幸い一葉は岸壁から飛び降りて難を逃れていたが。

 

「あれは水だね。超高圧の水。あの白い体の中に水を貯め込んでるんだ」

 

 怪異をつぶさに観察していた瑤が真っ先に仕掛けに気付いた。

 確かに高圧の水はとんでもない武器になり得る。

 

「搦め手が失敗した途端、実力行使に出るわけか。ヤラレ役のお手本だね」

「ではキッチリと成敗して差し上げましょう」

 

 恋花がいつもの余裕を取り戻すと、崖下に着地した一葉がその隣に並び立つ。

 そんな一葉と恋花の二人から目配せを受け、千香瑠が懐から一発の銃弾を取り出した。それこそが彼女たちリリィの切り札である。

 

「京都の霊水で清めてきたノインヴェルト戦術用特殊弾。役に立つ時がようやく来たわね」

 

 そう言って千香瑠は弾丸をゲイボルグに装填し、銃口を味方である藍へと向ける。

 放たれた一発は淡い光球となって戦場を翔けた。

 

「藍ちゃん!」

「はーい」

 

 藍のモンドラゴンに触れた途端、光球は赤紫の機体に吸い付くように受け止められた。千香瑠が放った時よりも光は大きく強くなっている。

 リリィが自分たちより遥かに巨大な敵を討つべく編み出した連携必殺攻撃、ノインヴェルト戦術。五人だから正しくはフュンフヴェルトだが、その性質は変わらない。リリィ全員のマギをマギスフィア(光球)に結集して敵にぶつけるのだ。

 

「じゃあねえ、次は……」

「藍、こっち」

「瑤だね!」

 

 藍が巨大なチャームを軽く振る。

 するとマギスフィアは砂浜を駆ける瑤の方に飛んでいき、頭上に伸ばされた大剣――クリューサーオールの刀身にキャッチされた。

 眼下で繰り広げられる光景に脅威を感じたのか、怪異『ニンゲン』が再び超高圧の水流を放つ。マギスフィアを保持する瑤を狙い、機関銃の如き勢いで間断なく撃ち下ろされる。

 水流の噴射口は一つではない。ニンゲンの胴体周り360度、全方位から放たれていた。

 瑤は忽ち水流に囲まれて移動を制限されてしまう。

 その状況を見て取った恋花は瑤から遠ざかるように走り出した。

 

「おーい、瑤ー!」

 

 呼び掛けると、すぐさまパスが回ってくる。ノールック、予備動作無しで。

 そうして送られてきたマギスフィアを、恋花がダッシュからのジャンプによって受け止めた。

 

「よし、じゃあ最後!」

「ここです恋花様!」

「ここって、どこよ!?」

 

 突っ込みつつも恋花は声の主を視認する。間にニンゲンの巨体を挟んだ反対側で、一葉がチャームを掲げていた。

 恋花のブルンツヴィークがパスを出す。

 低空を這う軌道でマギスフィアが奔る。

 狂ったように撃ち出された何本もの水流をくぐり抜け、ニンゲンの巨木みたいな脚の脇をすり抜けて、より一層成長した光球はついに五人目の元に到達した。

 

「人の心を弄ぶ怪異、許せません!」

 

 一葉がブルトガングで撃ち出した五人分のマギは、生白い怪異の体を貫いて眩い白光の中に包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、海を見渡せる丘の上。

 四人掛けのテーブル席に椅子を一つ追加して、白衣のエレンスゲ標準制服に身を包んだヘルヴォル五人がランチを楽しんでいる。店の中でも窓際で、見晴らしの良い特等席だ。

 

「いや~勝利の後の御馳走は格別だね~」

「恋花、さっきはラーメン屋がいいってゴネてたのに」

「昔のことは忘れたよ」

 

 瑤は肩をすくめて呆れ気味。

 女子高生が五人も集まって物を食べていたら多少は五月蠅くなるものだが、店内は今貸し切り状態だった。無論偶然などではなく、店の好意である。

 

「そう言えば例の環境保護団体ですが、港湾施設への不法侵入や漁船への建造物損壊罪などで主だったメンバーが逮捕されたそうですよ。組織としても壊滅状態だとか」

「それは……良かったわ。ニンゲンが討伐されて精神干渉が解かれたお陰ね」

 

 一葉から朗報を聞き、少しだけ複雑そうに目を細めて安堵する千香瑠。

 ところがこの話には続きがあった。

 

「いえ、どうやら町の人たちが警察に被害を訴え出たのは、私たちがニンゲンを討つ少し前みたいです」

「えっ? それって……」

「はい! 人々の意志が、怪異の妖術に打ち勝ったんですよ!」

 

 一葉が拳を握って熱く語る。

 先の戦闘中でも同じことを言っていたが、何も戦いの熱に一時的に浮かされていたわけではない。相澤一葉とはこういう人間なのだ。

 

「一葉ぁ、早く食べないと美味しいお魚もったいないよ」

「あ、そ、そうだね。ごめん」

 

 それまで一生懸命箸を動かしていた藍が一葉を注意した。さもありなん。彼女らの前に並んでいるのは海鮮丼なのだから。

 赤身や白身は勿論のこと、瑞々しいイクラ、プリプリの海老。それら海の幸が白米の上に円を描いて乗っかっている。

 地元にも海鮮丼自体は存在するが、やはり風光明媚な海のすぐ横で食べるのは一味違うというものだ。

 

「藍ちゃんは何がお気に入りかしら?」

「イクラ! 食べるとプチプチして、楽しくて美味しい。千香瑠も作ってー」

「そうねえ、いつもイクラ料理ってわけにはいかないから。代わりに似た味や食感のものを考えてみましょうか」

 

 戦い終わった海辺の町は以前よりも賑やかになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にすぐ返しに来たよ……」

 

 海鮮丼屋のカウンター裏で、店主の男が困惑半分嬉しさ半分の声で呟いた。

 彼の視線の先では、五人の少女が彼の作った丼へ箸を伸ばしている。

 当初、サービスで貸し切りを提案された少女たちは遠慮していた。だが店主からすれば、営業再開したばかりで他の客がすぐには見込めなかったので、大したことはしていないつもりである。

 

 不意に、店の奥から甲高い着信音が響いてきた。

 店主が「はいはい」と言わんばかりの仕草で受話器を取ると、今度はその受話器の向こうから高い声が響いてくる。

 

「ちょっと父さん! 私のバイク手放したって本当!?」

「電話でうるせえなあ……。あれは元々俺のだし、今でも名義は俺だ」

「だからってねえ。また使うことあるかもしれないし」

「大体な、教え子に手を出して左遷されるような奴に、乗せるバイクは無い」

「酷っ! ちゃんと責任取って、卒業後に結婚したじゃない」

「そういう問題じゃないんだよ!」

 

 

 



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第22話 閑話 市ヶ谷にて

 薄暗い大部屋の中、壁一杯に達しようかという立体画像(ホログラフ)が浮き上がる。

 それは日本列島と日本周辺の地図だった。地図上のあちこちには青と赤の光点が対峙するかのように表示されている。

 

「――――以上のように、一時は沈静化したヒュージの活動に再び活発化の兆しが見られます。現状ほとんどの地域では群れ単位の攻勢にまで至っておりませんが、少なくとも北関東においては注意を厳とすべきかと」

 

 陸上防衛軍大佐、石川精衛がそう説明を締め括ると、部屋の照明が灯って大部屋に明るさが戻ってきた。対照的に、ホログラフの地図は若干見え難くなってしまったが。

 

 ここは市ヶ谷、防衛省本省。地下三階に設けられた作戦会議室の一つである。

 

「怪奇現象に続いて、またヒュージ。元に戻っただけとも言えるが……」

「その怪奇現象とやらも、一部のガーデンが鎮圧に乗り出しているようだが。上がってくるのは雲を掴むような話ばかり。彼らの秘密主義にも困ったものだ」

 

 部屋の中央、長机を複数組み合わせただけの簡素な会議場。集ったのは陸・海・空の三軍から佐官と将官が合わせて十二人。言うまでもないが、三軍それぞれ四人ずつとバランスを取っている。

 

「全体方針として、我々はこれまでヒュージの停滞に対して警戒に徹していました。敵がいつ動き出そうとも、対応できるものと思います」

「大佐、ちょっと待ってくれないか」

 

 会議の場に、精衛の弁を止める者が居た。

 それまで発言していた精衛自身は勿論、他の将校たちも皆そちらに注目する。

 空軍の軍服に煌びやかな勲章をこれでもかと飾り立てた、痩躯の少将だった。

 

「先程の大佐の言葉には語弊がある。具体的には、警戒に徹していたという点だ」

田之上(たのがみ)少将、どのような語弊でしょうか?」

「実際には、一部のガーデンは警戒に徹していない。むしろここぞとばかりにネスト攻略に走っている。我が国の方針に反する行動であり、重大な問題だ。成功したから良いという話ではない」

「……少将もご存知の通り、ガーデンには国定守備範囲における作戦に裁量権が認められています。勝算ある攻勢は、その裁量の内かと」

 

 精衛はこの時点で田之上少将の意図に察しがついた。同時に、今回の会議が紛糾することも覚悟した。

 

「それだよ。その裁量が問題なのだ。各ガーデンの身勝手な振る舞いのせいで、我々防衛軍の戦略も支障をきたしかねない」

「仰ることは分かります。ですが――――」

「そもそも、自主に任せるに足る相手なのか? ほとんどのガーデンはチャームメイカーから後援を受けている。同時に、チャームメイカーはリリィやアーセナルの卒業後の重要な進路の一つである。従ってガーデンやそこに所属するリリィは、メイカーの犬と言っても過言ではないだろう」

 

 流石にここまで言われては、精衛も黙っているわけにはいかない。リリィの身内としての身贔屓が全く無いと言えば嘘になるが、しかしそれを差し引いても少将の言は乱暴なものに思えた。

 

「メイカーの犬……成る程、言い得て妙ですな。ならばラージ級以上が現れたらリリィを盾にし尻尾を巻く我々は、さながら『腰抜けの非国民』と言ったところでしょうか」

 

 精衛の反撃に、会議室がひりひりとした緊張感に包まれる。

 その時、上座に座る一人の将官が場の沈黙を破るかのように咳払いをした。この会議での最上位者になる海軍中将だ。

 

「双方、言葉が過ぎるぞ」

「これは申し訳ありません、閣下」

「はっ、失礼しました」

 

 中将の取り成しにより、張り詰めていた空気が少しだけ、ほんの少しだけ和らいだ。

 けれども状況は予断を許さない。その証拠に、少将は全く悪びれた様子も無く澄ました顔で再び口を開く。

 

「皆様方、『何を関係無い話を』と思われるかもしれないが。しかし関係はある。ガーデンやリリィに大量の補助金が注ぎ込まれている一方で、その分だけ我々軍が割りを食っているのだから。厳しい目を向けざるを得ない」

 

 もっともらしいことを言う。

 しかしそれはこの場で――――防衛軍の会議の場で論じるべき話ではない。至極当然だ。

 にもかかわらず少将の舌禍が制止されないのは、軍における彼の英雄としての立場と、軍の厳しい内情が関係していた。

 

「では何故、優遇されているはずのガーデンが戦力維持に汲々としているのか? 最大の要因は後方支援体制の脆弱さにある。では何故脆弱なのか? それはかつてガーデン設立黎明期、一般の工業学校の生徒をガーデンに編入させるという防衛省の案を、ガーデン側が蹴ったせいだろう」

 

 チャームをはじめとしたリリィの装備品を整備・保守する者をアーセナルと呼ぶ。アーセナルの中にはリリィも居るし、スキラー数値がリリィに至らないマディックも居る。それらに共通しているのはガーデンに属するという点、即ち女学生という点であった。

 

「工業学校生ということは、ほとんどが男子学生というわけだ。当然リリィにはなれない。しかしそれだけで自分たちの学び舎に寄せ付けないというのは……。悲しいかな、いつから我が国は差別推奨国家になったのか」

 

 大仰な仕草と口調で熱弁する少将。

 防衛省が過去にそのような提案をしたのは事実であるが、しかし問題も多い案だった。ガーデンに人材を投入し過ぎることになるし、将来の技術者の卵はチャーム関連以外においても有用なのだ。

 なのでガーデン側が難色を示したところ、防衛省は大人しく引き下がっていた。文科省にろくな根回しをしていなかった辺り、最初から本気ではなかったのかもしれない。

 ところがこの「ガーデンが男子生徒の編入を拒んだ」という事実は、一部の人間のプライドを酷く傷つけてしまったらしい。

 もっとも精衛に言わせれば、それはあまりに甘ったれが過ぎる。ガーデンもリリィも、彼らの感情を慰撫してあげる()()()()ではないのだから。

 

「少将、それは邪推です。単に編入させることでのデメリットがメリットを上回ると判断されただけでしょう。そもそも、どうしてそこまで共学に拘るのですか?」

「それが社会集団として健全な姿だからだよ。組織というものは、特定の属性を持った人間ばかり集まると、思考も何もかもが硬直化して偏ってしまう。現にその弊害が出ているはずだ」

 

 さも周知の事実であるかのように語る少将だが、精衛にはその弊害とやらがすぐには浮かんでこなかった。無論、現在のガーデンが抱える問題については幾らか認識しているが、少将が言及したがっている問題とは違う気がした。

 

「現状、軍とガーデンの連携が限定的なのは、リリィたちがマギを用いない我々の装備を見下しているせいではないのか。マギを扱える自分たちを高尚な存在だと思い上がっているせいではないのか」

「一体どこからそんな話が……。少将はどこぞのリリィの口から、そのような言説を耳にしたのですか?」

「まさか、あるわけないだろう。だが言われずとも察しはつくというものだ」

 

 主張の根拠がだんだんと怪しくなってきた。

 そんな()()を共有知識の如く語られても困る。

 

「それにしても、大佐はやけにガーデンの肩を持つな。石川精衛ともあろう者が、まさか身内を贔屓しているとは考え難い」

「…………」

「ならば男である大佐がガーデンを持ち上げる理由は一つ。それは男性性の嫌悪から来るものだ」

「だっ、男性性の嫌悪!?」

 

 また訳の分からない言葉が出てきたぞ、と精衛は唖然とした。

 

「リリィを神聖視するあまり、自分を含めた男という性を無意識に蔑視しているのでは? 進歩人を気取る欧米かぶれにはありがちな現象だ。解決するには……タイにでも飛んで手術することだな」

 

 とても省の外には出せない発言。

 今の少将の様は軍の将校というよりも、扇動家と称した方がしっくりくる。

 

「弊害はまだある。ガーデンは一般社会に対して閉鎖的で排他的であるがため、特殊な文化が醸成しやすい。リリィ同士の家族ごっこや恋人ごっこがその典型だ。思春期における一過性の錯覚をプロパガンダの如く美化するというのは、いかがなものか」

 

 少将が強い口調でそう断言すると、横から彼の部下に当たる空軍大佐が口を挟む。

 

「まあまあ、少将。そのぐらい良いではありませんか。過去には神聖隊という例もありますし」

「ふんっ。ヒュージどもに、フィリッポス2世ほどの慈悲深さがあればいいがな」

 

 話は脱線に脱線を重ね続けていく。

 会議は踊るとよく言うが、地雷原の上でタップダンスは遠慮願いたい精衛であった。

 

「何にせよ、ガーデンの自主独立性は百害では納まりきらん。彼女らは自分たちだけで戦っていると勘違いしているに違いない。例えば校舎の建築、あるいはチャームに使うレアメタルの調達。それら全てを自分たちで担えるならいざ知らず。ガーデンが不可侵の聖域などと、笑止千万。やはり国防を主導すべきなのは私企業ごときではなく、国軍たる我々――――」

「いい加減にせんかッ!」

 

 海軍中将の握った拳が机を思い切り叩き、熱弁を力尽くで遮った。

 当然ながら、他の者たちは開けていた口や開きかけていた口を瞬時に閉じる。

 

「政治の場で決まったことを、蒸し返すんじゃあない! 今更論ずるべきことか! 大体、我々は軍人だぞ! 軍人の本分を果たせ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警察予備隊、保安隊、自衛隊、国防軍を経て、紆余曲折の末に現在の防衛軍がある。

 国防軍時代、精衛は三佐としてリリィの部隊を率いていた。当時はガーデンの数もごく僅かで、軍の直接指揮の下に戦っていた。そんな時代である。

 

 ガーデンがその数を増やす際、防衛省は大量の現役・退役軍人を教導官としてガーデンへ送り込もうとした。「小銃を扱えるんだからチャームの教導ぐらいできるだろ」という無理筋な理屈を添えて。

 ところが精衛は実際にリリィを指揮した経験から、「できるわきゃねーだろ」と言わんばかりのレポートを上げていた。同時に「リリィを教えるのは元リリィか元マディックが適している」とも。

 時の政府はこの精衛の報告に着目し、防衛省の要求を却下した。

 精衛も、自分の意見が国政を左右したなどと自惚れたりはしない。だが結果を見れば、防衛省の大量の天下り先を潰した一助となっていた。謂わば朝敵ならぬ省敵である。

 実際、制服組はまだともかく、背広組の一部から蛇蠍の如く嫌われている自覚はあった。

 

「…………」

 

 会議の後、精衛は本省地下の長く殺風景な廊下を黙々と歩く。

 重要な扉の前に立哨が立っているが、それ以外はガランとした雰囲気の空間だった。

 精衛の脳裏に浮かぶのは、先程の少将とのやり取り。

 

(前線を知らないってわけじゃない。むしろその逆だ)

 

 田之上少将はパイロット上がりだった。若かりし頃、爆装のF-35を駆って数多のヒュージを撃破してきた。

 空中勤務時代の通算戦績、個人戦果だけでスモール級800体にミドル級150体。防衛軍において、間違いなく英雄と呼ばれるべき戦果である。綺羅星の如き勲章の数々は伊達ではないのだ。

 精衛も前線に居た頃、彼と彼の部隊には幾度となく助けられた。

 感謝した。

 尊敬さえしていた。

 

(なのにっ! それなのに……っ!)

 

 本当は分かっている。少将のあれはガス抜きなのだと。

 わざと極端な発言で馬鹿の振りをするのも、露悪的に振舞うのも、軍内部に燻るガーデンへの不満を和らげるため。()()があそこまで言ったのだから、と溜飲を下げさせるのが狙いなのだろう。

 だからこそ軍も少将の舌禍をある程度黙認しているのだ。

 精衛もそれは分かっている。分かっているのだが、やるせない。

 

(そこまでせざるを得ないほどガタガタなのか、我が軍は)

 

 あまりに危うい措置だった。対処療法に過ぎない上に、劇薬だ。

 劇薬などに頼らずに済むためには、精衛のような立場の者がリリィとの橋渡しを務めねばならない。それがまた難しい。

 拳を握った精衛の手には、己の爪が深く強く食い込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレベーターで昇った先は地上一階。開放的なロビーに来て、精衛は僅かながら気が晴れてきた。

 ロビーの中を見渡すと、休憩用の長椅子と机にタブレット端末を開いて仕事に勤しむ者や、コーヒー片手に寛ぐ者がチラホラ映る。

 しかし巨大省庁の本省の割には人の姿が少ない。部屋に籠って仕事中か、本省の外に出てお勤め中か。

 精衛もまた、暫しの間休憩したら自身のデスクに戻らなければならない。

 

 隅の方にある長椅子に腰を下ろしていた時のことだった。廊下の向こうから見知った顔が歩いて来るのを認め、精衛は立ち上がって近付いていく。

 

(つじ)! こっちに来てたのか」

「……石川か」

 

 精衛と同じく陸軍大佐の階級章。潔く丸めた禿げ頭に丸眼鏡の男である。

 顔を和らげた精衛に対し、辻と呼ばれた大佐は眼鏡の奥の細目を向けた。鋭い目付きだが、別に睨んでいるわけではない。精衛もよく分かっている。

 

「石川、お前まだ佐官のままなのか。とっとと将に上がればいいものを」

「無茶を言うな。そっちこそ上層部に噛み付いてばかりで、前線勤務のままじゃないか」

「生憎と私はエアコンが嫌いでね」

「この、捻くれ者め」

 

 二人は防衛大学校の同期。旧軍風に称するなら「俺・貴様の間柄」「同期の桜」というやつである。

 

「ところで今日はどうした?」

「装備の増強要請だ」

「そのために、わざわざ直接……」

 

 精衛は事情を悟って目を細めた。前線部隊の指揮官が本省に乗り込んで要請する。これで悟れないはずがないだろう。

 穏便にスムーズにいかなかったのは想像に難くない。それは辻という男の性格だけではなく、防衛軍の懐事情によるものだ。

 

「まあ、期待はしていないが」

「……済まんな。前線の将兵にはいつも苦労を掛ける」

「悪いと思うなら、早く昇進することだ」

 

 精衛は対ヒュージ戦略立案の責任者であるが、大まかな戦略を考えるのが主な仕事であって、個別具体的な作戦の詳細まで差配できたりはしない。

 むしろできなくて当然だろう。それは彼の役割ではない。大勢で分担して事に当たれる点こそ、軍隊を含む官僚組織の強みと言えた。

 それでもやはり、本省勤めの人間として負い目はある。

 

「辻はいつまでこっちに居るんだ?」

「明日の正午には市ヶ谷を発つ」

「そうか、例の件か」

 

 辻大佐の部隊に出撃予定があることを精衛は覚えていた。北関東における不穏な情勢に対処するためだ。

 だから「早過ぎる」とは口にしなかった。

 そんな精衛の意を察しているのか、辻大佐は居住まいを正し改めて宣言する。

 

「我々首都防衛隊は翌16:00をもって、埼玉・群馬県境に進出する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の晩、市ヶ谷某所の料亭。

 明日の事は明日の事として、二人の大佐は久方振りに酒を酌み交わしていた。

 

「う~っ、な~にが偏ってるだ、閉鎖的だ。娘の、葵のこと何が分かるって言うんだ」

「おい石川、飲み過ぎだぞ」

「頼まれたって教えてやらんがな!」

「そうか」

「だけど辻ぃ、お前には教えてやってもいいぞ。葵がいかに優秀なリリィか」

「いや、結構なんだが?」

「葵はなぁ、入学試験トップ合格で、生徒会直属レギオンのエースで、相模女子『妹にしたいリリィランキング』№1で――――」

「私の壮行会ではなかったのか……!?」

 

 

 




百合小説なのに今回おっさんしか出とらんぞ!


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第23話 霧 ー.

「北関東に大規模な濃霧と通信障害。気になりますね」

 

 和歌山から京都の飛行場に戻ってきたヘルヴォルはガーデンから急な指令を受け取った。

 一葉の見つめるスマホの画面には、霧の異常発生と霧に包まれた地域との通信途絶、事態把握と近隣のヒュージに対応するため防衛軍部隊が出動したこと、そしてヘルヴォルへの調査命令が記されていた。

 

「何か大事になってるけどさ、普通わざわざあたしたちを関西から呼び戻す?」

「付近のヒュージはスモール級とミドル級ばかりなので、今のところ本件にリリィは出撃していません。防衛軍とのそういう協定もありますし」

「それでヘルヴォルにお鉢が回ってきたってわけ? ヒュージじゃなくて怪異の調査なら、協定の例外って言い張る気だ」

「まあこの協定自体、ヒュージが再び活発化したら終了するという取り決めですけど。それよりどのガーデンも、沿岸部やネスト周辺の警戒を優先しているのが大きいでしょうね」

 

 飛行場内、ガンシップ発着場の機体の前で、恋花と一葉が指令の背景について推測し合う。

 現状ではヒュージが元凶か怪異が元凶か判断できない。しかしどちらにしても、ヘルヴォルが介入するに越したことはないだろう。少なくとも現時点で、他のガーデンが事態を重く見ている様子が無さそうだから。

 

「ところで萃香さんは、霧の怪異についてご存知ですか?」

「霧ったって、私じゃないぞ」

「いえ、それは分かってますが……」

 

 一葉の質問に鬼の少女はおどけて答えた。

 当たり前だが、今の萃香は人間の子供のサイズだし、頭の角も消えている。

 

「ま、行ってみれば分かるさ。百聞は一見に如かず」

「そうだけどさあ。心づもりってもんがさあ」

「ほら、早いとこ行った行った。必要になれば、またちょっとは助けてやるよ」

 

 ゴネる恋花のお尻を叩くように、萃香はヘルヴォルにガンシップ搭乗を促した。

 実際、緊急の指令だけあってあまり悠長にはしていられない。機体下部に吊り下げられた兵員ポッドのハッチから、五人のリリィは順番に乗り込んでいく。

 

「バイバイ、スイカ。また特訓しようね」

「またな。特訓は気が向いたらな」

 

 ごうごうとエンジン音が響く中、最後に乗り込んだ藍がハッチを閉めて、離陸準備が完了するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陸上防衛軍東部方面軍隷下、首都防衛隊。

 名称こそ「隊」ではあるが、その戦力は大きい。二個歩兵連隊を基幹に、砲兵大隊・偵察戦闘大隊・高射中隊・工兵中隊・通信中隊・その他支援部隊で編成される。さながらミニ師団と呼ぶべき混成部隊だ。

 現在の防衛軍では、広大な平野を守る北部方面軍と中国地方奪還を図る中部方面軍を除き、師団を編成していない。代わりに首都防衛隊のような旅団規模から大隊規模の混成部隊を多数作って分散配置している。そうでもしなければ、虫食いのように国土を侵食し、ケイブにより神出鬼没に出現するヒュージに対応できなかった。

 また、首都防衛と称している割に、彼らが東京都内で戦闘任務に就く機会は少ない。沿岸部から襲来する大型ヒュージは九人制レギオンを擁する東京御三家が担当するし、市街地に侵入してきた中・小型ヒュージは五人制レギオンのガーデンが対応することになっていた。

 マギを通さない防衛軍の通常兵器でヒュージを撃破しようと思ったら、火力の投射が重要なのだが、当然都市圏では運用し辛い。リリィの場合はいざとなったらチャームのブレイドモードがあるが、まさか兵士に「銃剣や円匙(えんぴ)でヒュージとやり合え」とは言えないだろう。

 では首都防衛隊の主たる任務は何かと言うと、内陸部、取り分け北関東から東京方面に向かって来るヒュージの迎撃である。重要だが普段スポットライトに当たらない地味な任務だった。

 

 埼玉との県境に程近い群馬の南端。鬱蒼と茂る山林はすぐ傍の大都市圏とは対照的な光景だ。

 そんな中、東西に走る河川と国道を臨む平地に濃緑の天幕が幾つも立っていた。

 天幕群の外周には鉄条網や土嚢が設置され、各所に遠隔操作式の無人銃座が銃口を光らせる。更に外周の木々の上には、巧妙に偽装されているが、各種センサーが鳴子の役目を担っていた。

 県境を越えた首都防衛隊の野戦陣地、その一角である。

 天幕の中に一際大きく天井の高いものが見える。内部では金属のケースや木箱が積み重ねられ、その前でタブレット端末を手にした二人の士官が話し込んでいた。

 

「軽MATが四基に擲弾発射機が二基、重機関銃が四挺。たったこれだけ……」

「市ヶ谷は『これ以上は出せぬ』と」

「重砲は品切れか? ヒュージ相手に、火力優勢は必須だってのに」

 

 需品科の士官である彼らが愚痴を零しているのは、装備品の増強要請に対する()()が芳しくなかったから。

 数の上でヒュージの主力を務める一般的なスモール級は歩兵の小銃でも撃破可能とされている。例えば防衛軍の主力小銃――――20式小銃の5.56mm弾の場合、装弾数の30発を全て当てれば倒すことができた。

 それは確かに事実なのだが、あくまで理論上の話。スモール級は小型ゆえに機動力が高い上に、数も多い。加えてミドル級が交ざれば小火器だけでは撃破困難となるので、機甲戦力か航空支援、あるいは砲兵戦力が必要となってくる。その中で一番現実的なのは、やはり砲兵戦力だろう。

 今も昔も、砲は歩兵にとって心強い友なのだ。

 

 野戦陣地内、また別の天幕にて。こちらは兵たちの宿営用天幕である。

 濃緑の帆布の下、二人の兵士が各々の折り畳み簡易ベッドの上に寝っ転がっていた。彼らはランタンの灯りを頼りに週刊誌や日付の三日遅れた新聞を眺めている様子。

 

「なになに、『国立ガーデン新設に係る調査・研究指示。教職員は軍から派遣か?』だとさ」

「えぇ……。霞が関には、まーだそんなこと考えてる連中が居るんですか」

「私立のガーデンは外国メイカーとなれ合ってるから信用できんってわけだろう。あほくさ。大口叩くなら、横須賀ぐらい日本だけで守ってからにしろよな」

「ガーデン作ってる余裕があるなら、こっちに15榴でも送ってくれませんかね?」

 

 首都圏配置の部隊だけあって練度こそ高いものの、士気はお世辞にも旺盛とは言い難い。過酷な割に誉の乏しい彼らの環境ゆえのこと。

 なお、彼らが話題に挙げた横須賀を守備しているのは聖メルクリウスインターナショナルスクール。校名が示す通り、主に欧州出身のリリィで構成される。百合ヶ丘とはまた違った華やかさを持つガーデンだ。

 メルクリウスは地元の安全を確保した後、大型ガンシップを用いた遠距離外征を積極的に展開していた。必然的に危険度の高い空挺作戦の機会が多くなる。

 だがそう言った過酷な任務の日々は、彼女らの絆をより固いものにした。

 メルクリウスには二人のリリィがペアになる『ミンネの誓い制度』なるものが存在する。これは他のガーデンが姉妹制度という名称で含みを持たせる中、直球で()()と称する制度であった。

 彼女らの直球さに憧憬する者も居れば、目を顰める者も居る。ただこの地で戦う兵士たちにとっては、どちらでもいい話だった。彼らの多くは何か崇高な理念のために銃を取っているわけではないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首都防衛隊、隊本部が置かれた大型天幕の内部は困惑と焦燥の空気が漂っていた。

 

「全くもって、奇怪だな……」

 

 副隊長を務める中佐の、途方に暮れたかのような呟き。本部に詰めている者たちは大なり小なり彼と同じ心境だろう。

 

「濃霧の中を徘徊するゾンビと怪物。まるでパニック映画じゃないか」

 

 偵察部隊の持ち帰った報告は恐るべきものだった。

 茫然とした面持ちで彷徨う人間たち。呼び掛けられると、唸り声を上げながら追い掛けてくる。空想上のゾンビのような話だが、実状が分からないので偵察部隊は発砲を控えて退却していた。無論、その正体について最悪のケースを想定してのことである。

 そしてゾンビの他にもう一つ、四つ足で這い回る恐竜みたいな化け物が確認された。こちらには小銃射撃を加えたのだが、手応えは見られなかったらしい。接触した部隊はやはり退却を選んだ。

 

「化学防護班は本当に()だと言っているんだな?」

「はい。BC兵器が使用された痕跡は見つかっていません」

 

 副隊長が確認の意を込めて問うと、幕僚の士官がすぐに答える。

 

「毒ガスでもウイルスでもない。ならば一体、霧の中で何が……」

 

 呪い――――――

 そんな言葉を、恐らくは多くの人間が思い浮かべたであろう。(ちまた)で噂の怪奇現象のせいで。

 だが実際に口にする者は居ない。あまりに不確定過ぎるからだ。

 

「方面軍司令部からは、変わらず『情報収集と住民の避難確認に当たりつつ臨機応変に周辺のヒュージを排除しろ』とのことだ。あのゾンビに関しては『情報収集して適切に対処しろ』とだけ」

 

 禿げ頭に丸眼鏡の将校、首都防衛隊隊長の辻大佐が言う。天幕の中心、作戦地図の広げられた机の前に立ち、地図上に散らばる駒を見つめながら。

 

「しかし隊長、確認されているヒュージ反応は全て霧の奥。その霧の中では通信が繋がらないため、住民がシェルターに避難しているかどうか、ここからでは確認できません。いずれにしても、あの徘徊する者たちをどうにかしなければ」

「副隊長の言う通りだ。が、現状では上から攻撃許可が下りん。上もアレらの扱いを決めかねている」

「……であるならば、仕方ありません。偵察部隊にどうにかして安全なルートを見つけ出して貰わねば」

 

 上が躊躇している理由は明白だ。もしもあのゾンビの正体が、住民の変わり果てた姿だとしたら? 既に死亡していると確認できるのならともかく、治癒の可能性があるとしたら? おいそれと攻撃許可が出せないのだ。

 もしも相手がヒュージだけなら話は早い。奴らとの長きに渡る戦いの中で、そのための法整備を進めてきたからだ。

 

 隊本部に重たい空気が流れる中、唐突に新たな通信が入ってくる。

 

「失礼します。隊長、リリィが五名、隊の指揮官に面会したいと」

「レギオンが出動したという話は聞いてないが。どこのガーデンだ?」

「エレンスゲ女学園。東京六本木のガーデンです。つい先程、外征宣言も確認しました」

「色々と悪評も流れているガーデンか……。分かった、会おう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首都防衛隊隊本部の隣の天幕に通されたヘルヴォルの五人。

 最低限の礼を失しない挨拶を述べた後、一葉は早速ここを訪ねた本題を口にする。

 

「結論から申し上げて、この霧の中を徘徊している者たちは地元住民の方々ではありません」

 

 その言葉に、簡素な長テーブルの向かい側に座る禿げ頭の大佐が無言で続きを促す。

 

「ウイルスや化学兵器等の散布が認められないことは事前に調査していたので、私たちは霧の内部に立ち入ってあのゾンビのような者たちの拘束を試みました。その結果、物理的に触れることはできたのですが、拘束後暫くして消失してしまったのです。それこそ霧のように」

 

 大佐の隣に立つ副隊長が低く唸る。

 

「リリィとはいえ無茶をする。しかしその話が事実なら、我々は幻影に振り回されていたことになるな……」

「念のため30人ばかりで確認しましたが、全て同様の結果に終わりました。また四つ足の未知の生物については、チャームによる攻撃後にやはり霧の如く消失しています。何らかの方法で生み出された幻と見て間違いないかと」

 

 突拍子もない話だが、頭ごなしに否定するような人間はこの場に居なかった。現にヒュージや怪現象が存在しているのだから、突拍子もないのは今更だろう。

 

「こちらの部隊にも確認させる。……損耗を恐れるあまり、積極的な接触を避けたのは失敗だった」

 

 大佐が表情を全く変えずにそう言った。

 彼に対して、一葉は改まった様子で意見をする。

 

「我々ヘルヴォルはヒュージ討伐に先立ち、当該地域における避難状況を確認しに行くつもりです。差し出がましいことを申し上げますが、あなた方もすぐに住民の保護に動くべきなのでは?」

 

 大佐はやはり表情を変えず、真顔のまま一葉の問い掛けに答える。

 

「君たちの情報の真偽とは別にして、直ちに動くことはできない。霧の中は依然として通信が不調の上、付近に展開するヒュージの総数や配置も不明。そのような状況下で不用意に隊を前進させられないからだ」

「仰ることはごもっともです。ですが事は一刻を争います。仮に住民が全て避難済みだとしても、いつまでもシェルターに籠っているわけにはいかないでしょう。霧の発生から既に少なくない時間が経っている以上、迅速な救援が必要です」

 

 間が悪いことに、霧の発生と前後してそれまで大人しかった沿岸部のヒュージたちが活発化し始めていた。当然近隣のガーデンがそれらの対処に追われている。

 故にこの場ですぐに動ける戦力はヘルヴォルの五人を除くと、彼ら首都防衛隊しか存在しなかった。

 一葉とて、防衛軍部隊に対するこの提案が出過ぎたものだという自覚は当然ある。それでも彼の地の人々を守るには、そうするより他に手が無かった。

 出しゃばりついでに、一葉は更に踏み込んでいく。

 

「辻大佐。貴方はかつて房総半島撤退戦において、ガーデンの支援を受けられない中、防衛軍の戦力のみで避難民を守り切っている。その際についた『防御戦闘の神様』という異名と栄誉は、敵に勝利したから手に入ったものではなく、市民の生命を救ったからではないのですか?」

「……よく覚えているな。そんな戦い」

 

 これまで怜悧な鉄面皮を維持していた辻大佐に、自嘲めいた色が滲み出した。

 

「ここ四半世紀以内の国内での戦闘は全て把握しているつもりです。あの時の貴方の勝利は奇跡でも神風などでもなく、迅速な火力の集中と防御陣地の巧みさにあると愚考いたしますが」

 

 そこまで言うと、辻大佐の代わりに隣の副隊長が口を開く。

 

「それだけ勉強熱心ならば、勿論分かっているだろう。君たちが物心つく前から軍はヒュージと戦ってきた。我々にとって奴らと相対するということは、万全を期してなお死線と隣り合わせにならざるを得ないのだと」

 

 結局、ヘルヴォルは単独で霧中への再突入を決行することとなる。

 ガーデンと防衛軍。指揮系統が異なる以上、こうなるのは承知の上だった。

 

 

 



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第24話 霧 二.

「嫌なことを思い出させてくれる……」

 

 首都防衛隊隊本部に隣り合う天幕の中。

 ヘルヴォルが退出し、副隊長以外の兵たちも遠ざけた後、辻大佐は口の端を歪めて独り言ちた。

 

「しかし隊長、先程はああ言いましたが。本当に彼女たちを支援しなくて良いのでしょうか? レギオン単独であの霧に侵入するなど、危険極まりない」

「不要だ」

「ですが……」

「我々の火力は無限ではない。マギなどという精神力と違ってな」

 

 副隊長の懸念にもかかわらず、にべも無かった。

 これは何も、ガーデンやリリィに対する当て擦りなどではない。本当に戦力や弾薬を温存する必要があるのだ。首都圏を守る精鋭部隊ですら、それだけ慎重でないと壊滅の憂き目に遭いかねない。

 情けない話だが確かに防衛軍の中には「ガーデンは戦略・戦術の素人で自分たち軍こそ戦いのプロだ」と自負する者も居る。実際に国防を担っているのは誰か、という現実から半ば目を逸らしながら。

 そんな恥知らずな主張もある面では間違っていないと言える。これまでの戦いで防衛軍の対ヒュージ戦術自体は確実に洗練されてきた。

 そう、()()は。

 だが計量的な戦力の差を戦術で埋めるのは苦肉の策、奇策の類である。足りないものを工夫で補うのには限度がある。戦争の常道としては、あくまでも保有戦力の時点で敵を優越するべきだ。

 奇策が作戦の前提となるのは危うい。ましてや、それを自分で誇るようなことは戒めなければならない。

 

「せめて通信状況が改善すれば、我々でも戦いようがあるのですが」

「偵察は続けさせる。だが本隊は現状維持だ。少なくとも状況が変わるまでは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルは住民の避難確認のため霧の中に進軍した。

 幸いなことに、ゾンビや怪物の幻影ともヒュージとも今のところ遭遇していない。

 心なしか、霧の白さも当初より薄れているようだった。周りを見渡せば、山間に広がる長閑な田園風景が薄っすらと映り込む。

 この非常時でなければ落ち着ける光景なのに、と残念に思う瑤だった。

 

「さっきの、テントの中での話なんだけどさ――――」

 

 不意に恋花が前を向いたままそう言った。相手は恐らく、彼女の後方を歩く一葉だろう。

 

「まあ確かに防衛軍にあんなこと言うのは、ちょっとマズかったかもしれないよ。でも言ってること自体は間違ってないと思う」

「上からの命令も勿論あるのでしょう。ですが、私たちリリィほどではないにせよ、部隊を指揮する将校には部隊規模に応じた裁量が認められているはず。そうでなければ神出鬼没のヒュージにはとても対応できませんから」

「そりゃまあ、そうだよねえ」

「だからあんな言い方をしてしまったのです。結局のところ、攻勢に出るタイミングは隊長判断になるでしょうから」

 

 あの大佐の実績もそうだが、防衛軍の真価は守勢にこそ発揮される。ゆえに攻勢に出る判断はどうしても慎重にならざるを得ない。

 一葉が後ろめたさを感じているのはそのためだ。彼女が提案した住民の保護には、当然ながら陣地の移動を伴うのだから。

 

「どちらにせよ、ヘルヴォルだけで住民の保護とヒュージの殲滅を両立するのは不可能かと。小型種ばかりとはいえ、数が多過ぎるし広範囲に分散しています。それに何より、この霧を生み出したであろう怪異の討伐も忘れてはなりません」

 

 一葉がこの地にやって来た本来の目的を改めて確認する。萃香の言う五大怪異の一角を探し出して討たねばならない。

 無論、今は住民の避難が優先事項だが。

 

「怪異の正体、まだ分からないんでしょ?」

 

 瑤が口を挟んだ。

 住民を守るにしても戦うにしても、敵の情報が無いのは厳しい。

 

「あっ、それそれ! 実は今回のこれと似たような話を見つけたんだよ」

「恋花さん、本当なの?」

 

 千香瑠が目を丸くした。彼女の方は未だ心当たりが無いらしい。

 

「うん。アメリカのとある田舎町が舞台で。あ、田舎って言っても、アメリカだから結構な広さの町なんだけど――――」

 

 ある日ある時、町全体を覆うように濃霧が発生した。そしてその霧の中から得体の知れない怪物たちが大量に現れた。怪物に襲われて次々に命を落とす人々。徐々に尽きていく物資。町の住民たちは生き残りをかけて結束するのだが……。

 

「それで? どうなったの?」

 

 話に引き込まれたのか、興味津々に問う藍。

 恋花は勿体ぶるかのようにゆっくりと続きを語る。

 

「結局、主人公が出会った人たちの殆どが死んじゃったのよ」

「やはり、怪物に襲われたせいですか?」

「それもあるんだけど……一番は疑心暗鬼になって人間同士で殺し合ったせい」

 

 一瞬、その場に沈黙が流れた。

 それから最初に口を開いたのは一葉だ。

 

「では今回ばかりは怪異の目論見も当てが外れましたね。怪物の幻影も見破ったことですし。シェルターの方も、きっとそんな事態には陥っていないはず」

 

 その言葉に場の緊張が緩んだ気がした。

 

「だけど恋花さんのお話、都市伝説や怪談というよりパニック映画みたいね」

「うん。て言うかそのものズバリ、大昔のパニックホラー映画」

「えっ?」

 

 千香瑠は瞬きして驚いた。一葉も似たような反応だ。

 ただし瑤だけは何となく予想が付いていた。

 

「そんなことだろうと思った」

「でもさ、実際今の状況ってパニック映画みたいじゃない? 大江町の時も似てるけど」

「まあ、映画が多くの人の目に留まって年月を経れば、怪異化する可能性もあるかもしれないわね」

 

 思い直してみたのか、千香瑠が恋花の言に肯定的になった。

 怪異の元ネタらしき物語に見当は付けたが、しかし一つだけ肝心な点が抜けている。

 

「でも怪物は幻だったんでしょ? らんたちは何をやっつければいいの?」

 

 霧を徘徊する者たちが幻ならば、怪異の本体は一体何なのか? どこにあるのか?

 誰も藍の問いに答えることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が真っ赤に染まり出した。

 相変わらずヘルヴォルは怪物の幻影にもヒュージにも遭遇していなかった。

 当然、怪異の本体らしきものにも出会っていない。運が良いと言うべきか、早期にケリを付けられず運が悪いと言うべきか。

 一方で確実に朗報と呼べることもある。これまでの道中、田園風景の中まばらに建っている民家に人の姿は無かった。同時に戦闘の形跡も無い。既に避難済みというわけだ。

 ただし一軒だけ例外があった。

 

「……あの家、まだ人が残ってるかも」

 

 最初に気付いた瑤が声を上げる。隣家から遠く離れた一軒家に灯りが灯っていたのだ。

 避難を促すべく、ヘルヴォルは家の門戸を叩く。

 若干の間を置いて中から住人が現れた。一葉たちが孫にも見える高齢の女性。一人暮らしのようである。

 

「突然お邪魔して申し訳ありません。我々は東京のガーデン、エレンスゲ女学園に所属するリリィです。現在、この辺りに避難命令が出ているはずなのですが……」

「どこにも行かないよ」

「えっ?」

 

 女性は背中こそ若干曲がり気味だが、足腰も口調もしっかりとしている。

 そんな彼女から返ってきた言葉に、一葉は最初戸惑った。

 

「この年になって、どうしてわざわざ逃げるんだい。どうせ死ぬなら自分の家の中で死ぬよ」

「お言葉ですが、年齢にかかわらず命を粗末にすべきではありません。幾ら思い入れのある場所だとしても」

 

 一葉は説得を続けるものの、上手くいかない。

 相手は自暴自棄になっている風には見えず、どちらかと言えば落ち着いている雰囲気だった。これは時間が掛かりそうだと瑤は思った。

 

「私のことは構わないから、あんた達だけで逃げなさい」

 

 そう言われて大人しく引き下がるほど一葉は素直ではない。ヘルヴォルの皆が知っていることだ。

 少し考え込んでから、一葉は女性に別のお願いをする。

 

「もしご迷惑でなければ、ここから去る前にお宅に上がらせてもらえないでしょうか?」

「はあ? 今から?」

「はい。もう少しだけお話をしたいと思います」

「あんたも大概、変わり者だねえ……。こっちは構わないけど」

「ありがとうございます! では失礼しますね」

 

 突然の行動。

 一葉にはいつも驚かされる。が、不快ではない。

 初めこそ呆気に取られながらも、瑤たちは一葉のあとに続く。

 

 内装もまた一般的な和風建築のお宅であった。一人暮らしのためか、物は少なめといったところ。

 上がらせてもらったのは良いが、これからどうするつもりなのだろうか? 瑤が疑問に思っている内に、五人は通された和室に腰を下ろした。

 家の事をすると言って奥の部屋に引っ込む家主を見送った後、まず最初に恋花が口を開く。

 

「皆気付いてる? 通信が、短距離なら繋がり始めてる」

「ええ。それから、霧も少しだけど薄くなってるわ。気のせいじゃない」

 

 恋花のあとに千香瑠が付け加えた。

 まだ特別何かしたわけでもないのに、状況が変わりつつあった。

 

「これなら防衛軍も動いてくれるかも」

「そうですね。ただヒュージと戦端を開くにしても、ここのご夫人には避難して頂かなくては」

「何か考えがあるんでしょ?」

「いえ、特には」

「行き当たりばったりかい!」

 

 思惑は無いという一葉の思惑に、恋花が切れの良い突っ込みを入れた。

 これは瑤も予想外。だが悲観はしていない。一葉のことだから。

 口ではともかく、内心では恋花も瑤と同じ気持ちだろう。

 

「ねー、お化けもヒュージも出ないならご飯にしようよー」

 

 うつ伏せで畳の上に寝転がった藍がそう言った。確かにそろそろ夕飯時の頃合ではある。

 

「藍ちゃん、人のお家でお行儀が悪いわよ?」

「ご飯はもう少しあとにしようね。ちゃんとリュックの中に持ってきてるから」

 

 千香瑠と瑤が窘め、宥める。ご飯といっても持ち込んだのは携帯性に優れた保存食だけなのだが、今回の任務の性質上仕方がないだろう。

 

 そんな風に暫く五人で話していると、襖が開いて家主の女性が戻ってくる。

 

「さてと。こんな辺鄙な家まで来て、何を話すんだい?」

「その前に一つ気になったことがありまして。ここに来る途中、仏壇が目に入ったのですが」

「ああ、あれね……」

「無礼ついでに、線香をあげることをお許し頂けませんか?」

「……本当に、礼儀正しいんだか厚かましいんだか分からない子だ」

 

 言葉こそ丁寧だがグイグイとくる一葉に対し、女性は怒りよりも困惑を覚えているようだ。

 

「ごめんなさ~い! 見ての通り厚かましい奴だけど、悪気は無いんです~」

 

 真面目腐った顔の一葉の横で、恋花が愛想良くフォローを入れる。やはり性格が正反対の者たちは相性が良いというか、バランスが良いらしい。

 

「まあ、いいさ。ここまで来たんだ。別に隠すような物でもない」

 

 そう言うと女性はくるりと向きを変えて廊下へ逆戻りする。

 その小さな背中のあとに後に続くと、目的の場所がすぐ傍にあることが分かった。

 そこは居間のようだった。一葉が見たという仏壇と、足の短い机と、座布団が一枚置かれているだけの空空間である。

 部屋の中に入ってよく見てみると、仏壇のすぐ手前の台に飾られた遺影に気が付いた。軍服を着た若い男性だ。防衛軍の服とは若干デザインが異なっていた。

 

「この方はご主人でしょうか?」

「そうだよ」

「自衛官だったんですね」

「今でこそ信じられないが、ヒュージがまだ珍しかった頃は、街中を行進しただけで『人殺しの訓練』なんて新聞に書かれたものだよ」

 

 日本列島にヒュージが本格的な侵攻を仕掛ける前。生物学者の忠告を無視した自称有識者たちがヒュージのことを「ちょっと凶暴な害獣」と称していた時代の話だろう。当然、ヘルヴォルのリリィたちは生まれていない。

 話を聞き終えてから、まず一葉が仏壇の前に正座する。

 マッチ――自前のものを持ち歩いていた――で蝋燭に火を付け、蝋燭から線香に火を移す。すると仄かに甘い木の香りがふんわりと漂ってきた。

 線香をあげる一連の所作は五人が順番に行なった。藍は見様見真似だったが、合掌し一礼するまで問題無く終了した。

 最後に蝋燭の火を消した後、仏壇の前から離れた一葉が居間の端っこに座る家主のもとに移動する。

 

「やはり、避難するべきです。私たちと一緒に来て頂けませんか?」

「またその話かい」

「国民の生命を守るのが自衛隊と自衛官の使命。ならば、ご主人もきっと避難されることを望むはず」

「…………」

「……若輩者が知った風な口を叩いて、申し訳ありません」

 

 謝りはするものの、一葉は依然として真っ直ぐ女性を見据えて答えを待っていた。

 

「戦おうが、逃げようが、どうせ死ぬ時は死ぬ。だったら旦那の死んだ土地で死にたいね」

 

 それから訪れる気まずい沈黙。

 ずっと続くかと思ったその沈黙は、意外にも早く終わりを告げる。

 女性が黙って首を左右に振ったところ、一葉がおもむろに立ち上がって口を開く。

 

「分かりました。では私たちもここに残ります!」

「……はぁ?」

 

 とんでもない宣言に、女性は間の抜けた声を上げた。

 瑤も耳にした瞬間に驚きはしたが、すぐさま「一葉らしい」と納得する。それは他の仲間たちも同様だろう。

 

「ご安心ください。野営の準備は整えてきたので、お隣の空き地にお邪魔します」

「いや、そういう問題じゃないだろう。何言い出して――――」

「いいねえ、いいねえ。ここを野営地とする! ってやつだ」

 

 いつもはストッパーを務める恋花も一葉の話に乗り出した。

 

「残念だわ。こんなことなら携行糧食以外にも、もっと持って来れば良かった」

 

 千香瑠だ。早速今晩の夕飯について考えている。

 

「もう暗くなるのに、帰らないの?」

「うん。今日はここでキャンプにしよう。時期的にちょっと寒いけど」

「キャンプ! キャンプする! らん寒いの平気だよ!」

 

 お次は藍と瑤が和気藹々と語り出す。

 若干わざとらしく思われるかもしれないが、少なくともリーダーである一葉は本気で野営を始めるつもりであった。そしてそれは今日出会ったばかりの女性にも伝わったようで。

 

「分かった、分かったよ。避難するよ。それでいいんだろう?」

「はい! ありがとうございます!」

 

 元気の良い一葉の返事を聞き、女性は力無く溜め息を吐いた。

 

「全く……。あんた達みたいな若いお嬢さんを巻き添えにしたら、向こうで旦那に合わせる顔が無いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから軽く食事を取って、女性に最低限の身支度をしてもらい、いざ出発となった。

 

「何とか一番近場のシェルターと連絡取れたよ。収容人数にまだ余裕があるし、地元のリリィが警備についてるって」

 

 先程まで通信機と格闘していた恋花が明るい情報をもたらしてくれた。

 幸い避難所は正常に機能しているらしい。

 

「群馬のガーデンと言えば、ガンシップを保有しておらず規模も小規模ですが、森林戦とゲリラ戦のエキスパートとして定評があります。シェルターの防衛に関しては取りあえず心配要らないでしょう」

「だったら私たちは、まずそこにお婆さんを連れていって、それから怪異とヒュージの討伐かしら?」

「そうですね。千香瑠様の仰った通りでよろしいかと。怪異に関しては居所と正体を探るところからになりますが」

 

 一葉が頷き方針を決定する。

 

「じゃあ、お婆さんは私がおぶって行くね」

「お願いします瑤様。私と千香瑠様が先行し、藍は瑤様とご婦人の護衛。殿を恋花様に務めて頂きます」

 

 敵情がはっきりしない中、取り得る最善の布陣。

 決めるべきことを全て決めたヘルヴォルは迅速に行動へ移す。

 

「では一足先に、私と千香瑠様で進路上の安全を確認しておきますね」

 

 一葉と千香瑠はチャームの切っ先で足元の地面に円を描く。すると円は淡い光を放ち、その場で跳躍した二人の体を遥か前方の空へと打ち上げた。マギによる力場の形成だ。

 迅速な移動にはマギの使用が不可欠。多少荒っぽいことになるだろう。

 だからこそ瑤は体格の良い自分が女性を背負おうと志願した。実は、お婆ちゃんっ子という理由もあったりするのだが。

 

「落ちないように、背中に掴まってください」

「……すまないね。こんなことになって」

 

 背中越しからバツが悪そうに謝る女性に、瑤は黙って首を左右に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 露払いのため先行した一葉と千香瑠は幾らも進まぬ内に、その役割に直面することとなった。

 

「これは……っ! 霧がついてくる!」

 

 ある時を境に薄らいできたはずの白い霧。それがあろうことか、部分的に濃霧となって一葉たちに迫ってきたのだ。

 チャームによる攻撃は効かない。霧に弾丸も刃も通るはずがない。

 二人はマギによる身体能力強化を以って霧と追い掛けっこするはめに陥った。

 

「一葉ちゃん、盲点だったわ」

「千香瑠様?」

「怪異が霧を生み出してるんじゃない。この霧自体が怪異だったのよ!」

「な、何ですってぇ!?」

 

 地を駆け、木々の合間を飛び跳ねながら、一葉はその事実に驚愕する。

 

「広範囲に広がり薄まっていたから、今まで気付かなかった。それがこうして存在と妖力が凝縮したことで、はっきりしたの」

 

 会話の最中にも、霧の怪異は執拗に追い掛けてくる。現れては消え、消えては現れ。一葉たちの行く手に先回りするように立ちはだかってくる。

 真っ白い濃霧の部分に包まれた木の枝が跡形もなく砕け散った光景を目にし、一葉の背筋から冷たいものが流れ出た。

 

「千香瑠様、何か対策は?」

「この手の怪異は火に弱いのだけど。でも……」

「マッチやライターならありますが、あの濃霧を包み込めるほどの火勢となると、可燃物が大量に必要です」

 

 しかし悠長に枯葉などを拾っている場合ではない。手当たり次第に火を放てば山火事が起きてしまう。

 八方塞がりか。

 そう思っていたところ、一葉たちは不意に開けた空間に出てきた。鬱蒼とした山林が途切れ、前方に川の畔が広がった。

 そしてまたも先回りしてきた濃霧が目の前に現れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火を放て!」

 

 耳に響いた声に従い、一葉は瞬時に取り出したマッチを擦って濃霧の中に投げ入れる。

 直後、空間が燃えた。濃霧の漂っていた場所に真っ赤な紅蓮の炎が巻き起こり、パチパチと火の粉が吹き荒ぶ。

 チャームを強く握り締め警戒する一葉をよそに、空中で燃え上がる炎の中から低く呻くような断末魔が轟いた。

 炎はやがて高度を失い、すぐ下の川の中に落下して燃え尽きていく。

 

「萃香さん」

 

 先程の声の主の名を呼ぶ一葉。

 

「いやー、ちょっと危なかったなあ」

 

 すると声の主は姿を見せず、声だけで会話を進めてきた。

 

「ご助力感謝しますが……。一体、何をしたのですか?」

「なーに、可燃物を引っ掛けてやったのさ。あんたがマッチを投げ込んだ瞬間に」

「可燃物? どのような――――」

「燃える水だよ、燃える水。私の瓢箪のね」

 

 まさか灯油ではないのかと訝しむ一葉だが、声はそれ以上は語らない。どこか楽しそうな声色なのが気に掛かるところであった。

 一葉は改めて周りを見渡してみる。

 また少し霧が薄らいだような気がした。当初こそ一寸先は闇といった状況であったが、今ではある程度遠方まで見通しが利く。

 一刻も早く他の仲間たちと合流し、今度はヒュージの動向を探らねばならない。

 

「あの怪異、これで終わりとは思えない」

 

 固い表情を維持していた千香瑠がそう呟いた。

 無論、聞き逃すことなどできない。

 

「ほーう、分かるか。流石は巫女」

「あれだけ広範囲に散っていた霧の怪異が、あまりに呆気なさ過ぎる。さっき倒したのは怪異のごく一部じゃないかしら」

 

 萃香が感嘆し、千香瑠が理由を説明したことで、一葉も危機感を覚えた。

 

「それが事実ならば、また一から怪異を探し出す必要がありますね……」

「いや、そうでもないかもしれんぞ」

「萃香さん? どういう意味ですか?」

 

 次の瞬間、首を傾げる一葉の耳に萃香ではなく恋花の声が響く。インカムに通信が入ったのだ。

 

「一葉ぁ! 千香瑠ぅ! ヒュージの群れが動いた! 凄い数! 数え切れない!」

 

 突然の凶報に顔を強張らせる。

 確か、当初確認された群馬県内のヒュージ反応はそこまで多くなかったはず。

 

「おかしいと思わないか?」

 

 またもや萃香の声。

 

「霧が濃い間は大した動きを見せず、今こうして霧が薄まった途端に暴れ出す」

 

 言われた通り、怪異とヒュージの行動には不可解な点がある。何らかの相関関係があるのではないか。

 

「もしや、この霧が……怪異がヒュージを操作している?」

「霧がヒュージの中に乗り移ってる。だから、空気中の霧が薄れてる」

 

 一葉の台詞を千香瑠が受け継いだ。

 二人の出した仮説が正しかったのは、次の萃香の言葉から明らかとなる。

 

「さて、乗り移られたヒュージ全てを倒せば倒し切れるだろうが。一体全体どれだけの数を倒せばいいんだろうね?」

 

 

 



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第25話 霧 三.

「ヒュージ反応増大! スモール級300、ミドル級50……まだ増えます!」

 

 群馬・埼玉県境。

 首都防衛隊隊本部がにわかに慌ただしくなる。通信事情が改善したと思ったら、施設設置式の大型ヒュージサーチャーが異常な事態を示したのだ。

 

「敵の予想進路は分かるか?」

「一部のヒュージは群馬県内の市街地へ。しかし大多数は南下を図っています」

 

 副隊長の問いに、サーチャーディスプレイの表示を睨む電子観測員が答える。

 南下。即ち埼玉県境を突破し、東京へと侵入してくる可能性があった。

 群馬内のシェルターの安全確保と埼玉方面の防衛。二つを同時に実現するには今動かなければならない。

 

「これより本隊はヒュージの侵攻を阻止すべく、敵集団に攻撃を開始する」

 

 隊長の、辻大佐の命令が下る。

 天幕内の喧騒が止む。

 

「各歩兵中隊、前進し敵を誘引。機動戦闘車中隊、右翼側面へ迂回機動。工兵中隊は事前計画通り、所定の斜面を爆破し切通(きりどおし)を封鎖、敵進路を限定せよ」

 

 命令は通信兵を通して各部隊に伝達される。

 人里離れた静謐な山林に戦火が吹き荒れようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陸上防衛軍の歩兵連隊には大隊が存在せず、複数の歩兵中隊によって連隊が構成されている。つまり連隊と言っても、実質はせいぜい大隊レベルの規模でしなかない。

 首都防衛隊の場合、二個連隊、六個中隊の歩兵戦力を有している。

 隊本部からの命令を受け、予備戦力とされた第6中隊を除く五個中隊が前進を開始した。

 なお本来中隊番号は連隊ごとに振られるものなのだが、部隊改編に合わせて一部の隊では変更されていた。

 

 現代の歩兵は自動車化歩兵だ。しかし戦闘においては降車して徒歩歩兵となる。

 冬に入り立てでまだまだ緑の残る山の中を、斑模様の野外戦闘服を着た集団が行く。一人一人が一定の間隔を保ち、全周に警戒の目を向けつつ、両手で黒色の小銃を構えて。

 彼らは歩兵中隊を構成する小隊の一つであった。

 

 ――――止まれ

 

 先頭に位置する兵が無言で手の平を掲げた。

 後続は歩みを止め、木の裏に身を隠したりその場で中腰に身を屈めたりする。

 一時の沈黙。

 やがて後方の空より、気の抜けるような間延びした音が響き渡る。そうかと思えば、前方に広がる木々の向こう側で爆発が巻き起こる。

 歩兵中隊隷下の迫撃砲小隊による準備砲撃だ。着弾地点、即ち部隊の進路上に敵が居る。

 幾度目かの炸裂音が鳴り終わった後、兵士たちの視界に立ち昇る黒煙が映った。

 

「10時方向! ファング種!」

 

 指揮官の吼えるような大声に、複数の視線と銃口が動く。

 枝葉が踏み潰される音、硬質な物体が擦り合うような音。それらを伴い、前方の木々の合間に銀灰色の物体が現れる。

 槍のような鋭利な四つ足で獣のように地を這うスモール級ヒュージ。スモールとは言っても、下手な熊などよりも大きい。そして脅威度と凶悪さは熊以上。

 そんなヒュージが三体、四体と続けて山林の中から出てきたところで、指揮官が新たな指示を下す。

 

84(ハチヨン)、榴弾、前へ」

 

 すると小銃より何倍も太い筒――――84mm無反動を抱えた砲手と弾薬運搬手が前に出てくる。片膝を突いた砲手が筒の口を向ける先は、言うまでもなくヒュージの先頭。

 奴らの銀灰色した金属の体には焼け焦げた跡が見られた。先程の迫撃砲弾によるものだろう。直撃ならばともかく、爆風や破片程度では仕留め切れない。

 だが群れの足並みを乱すぐらいはできたはず。

 

「てっ!」

 

 号令の下、無反動砲がその牙を剥く。大筒から白煙が吐き出され、弾頭が一直線に低空を翔ける。

 のそりのそりと未だ悠長に進軍していた先頭のヒュージが鼻っ面に一撃を受け、頭部をズタズタにされて地に膝を突いた。

 それを皮切りに、小隊の火器が一斉に火を噴く。

 乾いた発砲音を上げる多数の小銃、軽快な連射音の軽機関銃、再装填された無反動砲。

 銃声と弾幕が激しく飛び交う戦場を、ヒュージたちが駆け出した。ファング種最大の武器たる高い機動力を以って、防衛軍の前衛に襲い掛かる。

 突出したヒュージから集中砲火を浴びていった。

 無数の5.56mm弾で蜂の巣にされ、青い体液と体表の金属片を撒き散らして四つ足の怪物が息の根を止める。

 だが勢いの付いた物体はすぐには止まらない。

 

「がぁっ!?」

 

 不運な兵士の一人が、突っ込んできたヒュージの残骸に轢かれて地に伏した。

 

「敵発砲! 伏せ――――」

 

 また別の兵士は、ファング種の頭部で怪しく光る緑の光点からレーザーを撃たれ、肩を押さえて倒れ込んだ。

 負傷した者たちを健在な者たちが引き摺り下がらせ、残った者たちで弾幕を張り続ける。

 ここと同じような光景が各所で発生していた。

 少なくともこの時点では、全戦線においてヒュージの浸透を阻止できていた。相手がスモール級だけならば、歩兵科の装備でもどうにか対抗できるのだ。

 問題は、ヒュージが尽きるまで消耗に耐えられるのかという点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦線後方。砲兵大隊射撃陣地。

 木々の疎らな高台に10台もの大型トラックが鎮座していた。軍用車両の標準的な塗装色であるオリーブドラブの車体。荷台には車体に匹敵する長さの長砲身砲。霧のせいで薄らと白い空を向いたまま、10門の砲が沈黙を保ち続けている。

 

「ミドル級、判別急げよ」

 

 装輪装甲車改造の指揮通信車の中で、砲兵大隊指揮官が偵察結果を待ち侘びている。

 自走砲などの間接照準射撃には砲の()となる存在が必要不可欠だ。前進観測班やレーダー、ドローンによる空撮など、様々な情報を集約して照準を定める。

 

「偵察中隊より報告! ミドル級、テンタクル種と認む。現状、他種は確認できず」

「……よし、まずは現状の脅威を取り除く。目標、ミドル級テンタクル種A群、同B群、同C群。順次砲撃せよ」

「了解! 目標、ミドル級テンタクル種A群、同B群、同C群! 順次砲撃開始!」

 

 獲物が選定された。

 トラックのキャビン内部にて、乗員が目標の位置データ等をタブレット端末にタッチパネルで入力する。

 端末のデータに基づき、荷台で沈黙していた長砲身が重厚な駆動音と共に目を覚ます。仰角に微調整を加え、やがて位置を定めて再び静止する。

 それから一拍置いて、天を臨む10の砲口が閃いた。

 砲弾が放物線を描き、遥か前方の山林の中へと落ちていく。砲は休む間もなく照準を動かして、次なる目標に次弾を放つ。

 砲撃を何度か繰り返すと、砲身を下げて車体の上に寝かせる。息を潜めていた当初の状態に戻ったのだ。

 

「全車両、陣地転換。第二砲撃地点へ移る」

「了解! 第1射撃中隊、第2射撃中隊、第二砲撃地点へ移動します!」

「ヒュージの判別は忘れず継続させろよ。バスター種を見逃さないように」

 

 155mm自走榴弾砲を預かる指揮官は索敵と敵情収集を念押しした。

 砲兵部隊にとっての優先攻撃目標は一にバスター種、二にバスター種、三も四もバスター種で五にバスター種。

 防衛軍はそれだけ恐れていたのだ。長射程・高威力の砲撃武装を持つヒュージを。生身の歩兵は勿論のこと、機甲部隊や、場合によっては航空機にとっても脅威となり得るからだ。

 幸いバスター種の武装は直射のみ。障害物の向こう側にはその凶器が届かない。故に曲射ができる砲兵部隊の働きが重要になってくる。

 ただ難点なのは、ヒュージの強大な物量。とてもではないが、他種の敵に砲弾を出し惜しみする余裕などは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地上部隊の中で最も危険な役割の一つが偵察である。味方の支援をろくに受けられない敵勢力圏内に侵入し、情報を得る。軍事作戦において非常に重要な任務でもあった。

 古今東西、偵察部隊には優良な装備が与えられる。それは陸上防衛軍でも同じこと。

 偵察戦闘大隊は本部管理中隊の他に、軽装甲車やオートバイを装備して敵の外形的な情報を収集する偵察中隊と、機動戦闘車を運用して威力偵察を仕掛ける戦闘中隊で編成されている。

 もっとも、防衛軍にとって有用な機甲戦力である機動戦闘車に限って言えば、威力偵察に止まらない活用が為されていた。

 

 ヒュージの集団を側面から衝くべく山林を迂回する部隊がある。

 偵察戦闘大隊隷下、戦闘中隊の12両の装甲車両。彼らは舗装された道路を伝って途中まで進軍し、それ以後はアスファルトから土の道へと移行した。

 車体を支える八つのコンバットタイヤが地面の小枝を踏み潰し泥を跳ね飛ばしながら疾駆する。その歩みは迅速ながら、車両本来の足の速さには至っていなかった。

 

「前方に段差。各車両二時方向へ進路取れ」

 

 中隊長車が無線で変針を指示する。すると12両は速度をほとんど落とさず容易くルート変更を達成した。

 国土のあちこちに道路と鉄道を網の目の如く張り巡らせた日本。だがそれもヒュージとの戦闘で少なくないダメージを負っていた。

 舗装道路に頼れない状況ならば、不整地走破性の高い装軌車両が有用となる。それでも数の上での主力が装輪車両なのは、コスト面や整備面との兼ね合いであった。

 

「中隊長、間も無く会敵予想地点に到達します」

「中隊停止。16(ひとろく)各車、弾種榴弾、待機」

 

 12両が一斉に停止する。角ばった形状の砲塔から斜め上方に砲を突き出したまま。

 ひとろく――――16式機動戦闘車。制式化から既に30年以上の時を経た古株の兵器。幾度もバージョンアップを繰り返しながら、陸上防衛軍機甲科の要であり続けている。

 

「11時方向、ヒュージ群確認。スモール級30。その後方、ミドル級6」

「種別確認、急げ」

「…………ミドル級、テンタクル種クレシエンテ型。スモール級、ファング種ツイスト型と認む」

「中隊、距離1000で攻撃を開始せよ。ミドル級を撃破した後、スモール級の掃討に移る」

 

 静止した機動戦闘車の一群がジッとその時を待つ。

 そう時を置かずして、彼らの前方に異形の群れが姿を見せる。

 螺旋の如く渦巻き状の特徴的な頭部を持つ四つ足のスモール級。

 それらからやや遅れて、スモール級の五倍近いサイズのミドル級が後に続く。三日月形の胴体から、巨大な鉤爪みたいな三本脚を生やしたヒュージだ。

 敵はまだ中隊に気付いていない。その証拠に、進軍速度も進路も変える気配が無い。12門の砲が口を開けて待ち構える先に真っ直ぐ歩いてくる。

 中隊長は事前の予定通りに命を下す。

 

「ミドル級、各小隊集中、撃てっ!」

 

 16式の主砲――――105mmライフル砲が発砲する。

 砲身内部の施条によって回転を加えられた砲弾は抜群に安定した弾道を描き、三日月形の胴体に続けざまに突き刺さっていく。

 命中した多目的対戦車榴弾はオレンジ色の炎を吹かし、銀灰色の装甲を焼き焦がす。飛散した破片は三本脚の関節部分まで傷付ける。

 クレシエンテ型一体につき、一小隊四両の集中砲火。合計三体のミドル級が行き足を止めた。

 すると後続のもう三体は足を止めた味方に進路を塞がれ立往生。そこへ105㎜砲の第二射が襲い掛かり、先の三体と同じ目に遭うのだった。

 

「中隊、後進! スモール級、各個射撃!」

 

 三射目を放つ前に、中隊はバック移動を開始した。

 後ろ向きに、砲は前を向いたまま。その砲が向けられるのは、味方をやられて猛然と敵に向けて駆け出したスモール級の群れである。

 主砲による行進間射撃が、7.62㎜同軸機銃が、砲塔上部の12.7㎜重機関銃が、追い縋るスモール級たちを打ち据える。

 悪路を高速で移動しながらの射撃。にもかかわらず、高い命中率で敵の命を刈り取っていく。

 やがて最後のヒュージを撃破したところで、機動戦闘車はタイヤの駆動を止めて停止した。

 

「スモール級殲滅。周囲に敵影無し」

 

 つい先程まで戦場だった場所には幅広のタイヤによって何本もの轍が刻まれ、その上にヒュージの残骸があちこち散らばっていた。

 森の中に束の間の静寂が訪れる。しかし、それは本当に束の間のことだった。

 

「各車、被害報告」

「4番車、車体前部損傷。戦闘行動に支障無し」

「7番車、タイヤ損傷。修理可能」

「11番車、タイヤ損傷。修理可能」

「了解した。修理完了後、移動を開始する。攻撃目標は第5歩兵中隊前面に展開するヒュージ群。後背を衝く」

 

 完全な奇襲であった。機動戦闘車中隊の火力と機動力、更に事前の偵察活動を以ってすれば、ミドル級相手にも有利に立ち回ることができた。

 問題は、不意打ちは人類側だけの専売特許ではないという点である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首都防衛隊は局地的な戦闘には勝ち続けていた。

 作戦通り、一旦前に出た歩兵部隊は敵を誘引した後、野戦陣地まで後退して防御戦闘に徹する。そこに砲兵の支援と機動戦闘車の遊撃が加わり、順調に撃破スコアを積み上げていく。

 しかしだからと言って、決して楽観できる戦況ではない。倒す端からヒュージの増援が押し寄せてくるからだ。

 

「事前の想定よりずっと多い……。信じ難い話だが、あの霧がヒュージ反応を隠していたとしか思えない」

 

 隊本部の天幕。机上の作戦地図で戦況の推移を把握する副隊長が顔を顰めて唸る。

 現状、各歩兵中隊陣地は理想的なキルゾーンを形成しているが、弾薬には限りがあるし、兵は疲労する。

 

「4時方向、本部陣地に向かってヒュージ反応接近。スモール級、数は20」

「種別は?」

「詳細不明ですが、移動速度と移動経路からリッパー種と思われます」

「……森の中を這って飛んできたのか。だからレーダーに引っ掛からなかった」

 

 ヒュージサーチャーからの情報を電子観測員が報告すると、辻大佐は敵の動きとそれへの対処法について考える。

 リッパー種は戦闘ヘリに準じた速度を出せる飛行型ヒュージ。鋭利な四肢や胴体そのものを駆使した近接戦闘を得意とする。

 

「高射中隊に隊本部の16式をつけて迎撃させろ」

「了解。直ちに迎撃部隊を向かわせます」

 

 奇襲に備えた戦力は手元に残してある。だが当然ながら、それだって無限ではない。

 リリィのレギオンの場合、敵の中核である大型ヒュージを討って群れを瓦解させることができるが、防衛軍には不可能だ。リリィの個人戦闘能力の高さと小回りの利き易さは真似できない。機甲部隊なら敵陣への浸透はできても、ラージ級が一体でも交ざっていたら全滅しかねなかった。

 

「関東各ガーデンからの応援はどうなっている?」

「沿岸部のヒュージが活発化したことで、その対応に追われています。東京都横須賀の聖メルクリウスが先程外征宣言を出しましたが、出撃にはまだ時間が掛かるかと」

 

 戦いが続き、時が過ぎていく。

 時が過ぎるにつれて、隊本部に上がる情報に悲観的なものが増えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「12時からミドル級3! まだ来るのか!」

 

 連戦を重ねる偵察戦闘大隊所属の16式小隊の正面に、新たなヒュージが迫る。球形の胴体から生やした三本脚を盛んに動かして、ミドル級が横一列に並んで距離を詰めてくる。

 ヒュージの目に当たる器官だろうか。胴体前面に灯る三つの丸い緑光が光線を撃ってきた。それは16式の砲塔側面を撫で、鋭角的な装甲をドロドロに溶かしてしまう。幸い搭乗員には被害が無かった。

 

「ええいっ! オルビオごとき、仕留めて見せろ!」

 

 小隊長の発破によって、105㎜砲の射撃がテンタクル種オルビオ型に突き刺さる。

 胴体を穿たれ火花を散らし、あるいは脚を砕かれて地面に擱座する直径5メートルの金属球体。

 ()のヒュージは日本で最もポピュラーなヒュージであった。スモール級のものとミドル級のものが存在し、とにかく数を揃えて攻めてくる。

 砲火を浴びて仲良く黒煙を上げる三体のオルビオ型。

 その時だ。16式の乗員の一人が遥か前方に映る敵影を見つけたのは。

 

「バッ、バスター種! 11時方向!」

「後退っ! 下がれ、下がれ!」

 

 山間にのそりと現れたミドル級は、岩石から短い手足が生えた見た目をしていた。見た目通り、動きは緩慢だ。

 ところが突然そのミドル級の胴体が上下に分かれ、中から螺旋状に渦を巻いた黒色の砲身が伸びてくる。

 バスター種トリスケリオン型の280㎜熱線砲。その先端に光が瞬いた。

 直後、青白い熱と光の奔流が後退する16式に襲い掛かり、その車体を防弾鋼板ごと熱したガラスの如く溶かすのだった。

 

 

 

 

 

 また同時刻、戦線を支える金床たる歩兵陣地においても血みどろの激戦が繰り広げられていた。

 あちこちに点在する蛸壺壕を連絡用の塹壕で繋げた防衛線で、地中に身を隠した兵士たちが引き金を引き続ける。

 冷や汗や涙や小便や、時には血など。穴の中で様々な液体に塗れながら、彼らは際限無く向かってくる敵へ弾丸を送り続けている。

 蛸壺からヒュージに向けて小銃を一連射すると、お返しにレーザーが飛んできた。

 鉄帽(ヘルメット)を容易に貫くレーザーも、天然の土壁を盾にすればどうにか防げる。直射武器に対して塹壕は有効に機能していた。

 

「左翼、連絡壕に一体取り付かれた!」

 

 それは無線か肉声か。誰かの絶叫が轟いた。

 乱戦の最中、蛸壺と蛸壺の間を縫って一体のスモール級が連絡用の細長い塹壕まで浸透してきたのだ。

 戦斧のような形状の肥大化した頭部を持つファング種アッシャー型が、連絡壕の中で身を屈める兵士に飛び掛かる。

 銀灰色の下腹部に多数の小銃弾が撃ち込まれた。

 だが応戦虚しく、アッシャー型は四つ足で連絡壕を踏み抜くと、小銃を構えた兵士を頭部の鋭利な突起で刺し貫いた。

 

「穴を塞げ! ヒュージが集まってくるぞ!」

 

 更に厄介なことに、突破を許した地点に他のファング種までわらわらと寄ってくる。

 こじ開けた穴に後続の戦力を投入して突破を図るのは初歩的な戦術だ。彼らヒュージが戦術をどこまで理解しているかは定かでないが。

 

「あぁ……っ! くそっ! くそっ!」

 

 自身の蛸壺に肉薄された兵士が銃口を向けるものの、弾が出ない。咄嗟に小銃を棍棒代わりに振るってファング種の横っ面を殴る。

 勿論そんな抵抗は蟷螂の斧でしかない。ただ鈍い音が響いただけで、ステンレス製の銃身は呆気なく弾き返された。

 無慈悲に振り下ろされたファング種の前足が兵士の太腿を串刺しにした。

 

 あわや戦線崩壊――――

 

 その兆しが現れかけたところで、浸透したファング種の一体が銃撃を受け倒れた。

 突破された塹壕線の後方、二列目の塹壕線に設けられた三人用の大型蛸壺に、三脚架で地面に固定された無骨で凶悪な重機関銃が口を開けていた。

 小銃とは比較にならない重低音を唸らせ、12.7㎜弾がばら撒かれる。

 前進してきたスモール級の一団が次々に被弾し制圧されていく。

 それから後方の部隊が連絡壕を伝って前に出ることで、ほつれた防衛線が修復されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 県境を巡って一進一退の攻防が続く。

 戦いは消耗戦の様相を呈してきた。

 

「砲兵大隊、残弾二割を切りました」

 

 隊本部に送られてくる通信は、その場に居る者全てに厳しい現状を突き付けてくる。

 砲迫支援の有無は前線が流す血の量に直結する要素であった。

 

「隊長、防衛線を後退させますか?」

「いや、この状況で退けば全体が瓦解しかねない」

 

 辻大佐は副隊長の意見具申を却下した代わりに、机上の作戦地図を睨みながら思案する。

 

「車載の火器を下ろして予備の第6中隊に装備させ、臨時の火力支援部隊とする」

 

 少しして大佐の口から出てきたのは苦肉の策だった。

 隊本部所属の車両から重機関銃や擲弾銃を外して歩兵部隊の支援に充てる。

 とても重砲の代わりが務まるようなものではない。何もしないよりマシではあるが。

 そして何より、予備戦力まで投入することで、いよいよ後がなくなってしまう。

 

「了解、しました……。準備が完了次第、第6中隊を前に出します」

「まずは最も損耗の大きい左翼の第3中隊の支援。以後は適宜移動させる」

「機動戦闘車中隊はどうしますか?」

「今は呼び戻せ。また、出てもらうことになる」

 

 天幕内で報告と指示とが入れ代わり立ち代わり繰り返される。直接血が見えないだけで、そこで繰り広げられているのは紛れもなく死闘だった。

 

 兵が死んでいく。

 自身の命令で、兵が死んでいく。

 その感覚は己の四肢をもがれるかのようで、いつまで経っても慣れ切ることはない。

 

(この感覚を乗り越えられる者こそ、人の上に立つ器と言うべきなのだろう。私は違う。だから勝手に石川に期待して、自分はこうして前線に残っている)

 

 本省勤めとなれば、間近で人の死を見なくなる代わりに、前よりもずっと大きな責任が肩に伸し掛かってくる。

 現場主義と言えば聞こえは良いが、実態は卑怯な自己保身。その自覚があるがため、ヘルヴォルのリリィに過去の栄光を言及されたことが応えたのだ。

 

「偵察中隊より報告!」

 

 絶叫の如き通信兵の声が辻大佐の思考を中断させた。

 

「北北西、神流川方面よりラ、ラージ級を確認! ラージ級を確認!」

 

 

 




百合小説なのに今回戦争しかしとらんぞ!


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第26話 霧 四.

 重圧に大気が震える。

 振動に森が戦慄き、そこを住み処としている鳥たちが一斉に羽ばたき天へと昇る。

 山々の谷間を、鈍色の装甲を纏った異形が行く。下半身に備えた四角錐の三本脚は低空を浮遊し、下半身に比べてアンバランスなまでに巨大な上半身は多面体で構成されていた。全高15メートルに及ぶサイズも相まって、その姿はさながら宇宙怪獣といったところか。

 

「ラージ級、ウィッパー種アーレア型と認む。繰り返す、ラージ級ウィッパー種アーレア型と認む」

 

 偵察用ドローンから送られてくる映像を、離れた位置に身を潜める高機動車内の偵察要員が解析する。

 

「アーレア型、進路変わらず群馬・埼玉県境に向け南下。40分で我が方の第一防衛線に接触する見込み」

 

 浮遊する巨体は進路上の障害物を全く気にしない。枝が圧し折れ葉が舞い散り、木々が呆気なく倒れ伏していく。

 ヒュージの行動原理は今もって完全に解明されてはいなかった。一般的にはマギに引き寄せられると考えられているが、例外は少なくない。人口密集地を目指す者が居れば、過疎地に現れる者も居る。

 ただこのラージ級に関して言えば、埼玉から東京方面へ進出する可能性が限りなく高かった。

 

「……アーレア型、発砲!」

 

 偵察要員が映像の変化に気付いた時にはもう遅い。

 上半身の装甲の隙間に赤い単眼(モノアイ)が灯ったかと思いきや、同色のレーザーが放たれて映像を映し出すモニターの視界を覆った。

 ドローンが撃墜されたのだ。

 

「ハヤブサ04、シグナルロスト。空中偵察は危険と判断。以後は偵察警戒車による監視に切り替える」

 

 防衛軍がここまで警戒するのには無論理由がある。

 スモール級やミドル級は自分たちの装備でも何とか対抗できる。ギガント級やアルトラ級はほとんどが鈍足で小回りが利かない上、そもそもの数が少ない。

 だがそれらの中間であるラージ級は通常兵器の攻撃を受け付けず、なおかつそこそこ数が多く機動力もある。前線の防衛軍にとって最も厄介な存在がラージ級なのだ。

 そんなものが現れた以上、首都防衛隊は()()を迫られることになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「各歩兵中隊、第一防衛線を放棄せよ。遅滞戦闘を展開しつつ埼玉県内の第二防衛線まで後退。偵察戦闘大隊戦闘中隊は動ける16式で再編後、後退を支援。砲兵大隊は中央ヒュージ群に砲撃し攪乱。砲弾を全て使い切って構わん」

 

 偵察部隊からの報せを受け取った辻大佐が方針を転換するのにそう時間は掛からなかった。

 現状で退けば確かに戦線が瓦解しかねない。だがこのままラージ級に踏み潰されるようなことになれば、瓦解どころか文字通りに消滅するのは必至であった。

 古来より、退くのは攻め込むよりも難しい。引き際を見極めるのは指揮官としての重要な役割の一つと言える。

 

「本部機能も後方予備陣地に移転させる。副隊長は準備に掛かれ」

「はっ、了解しました。隊長は――――」

「移転完了後に私もここを引き払う」

 

 こんな時でも、こんな内容でも、辻大佐は落ち着き払って淡々と命令を下す。

 指揮系統が一挙に壊滅しないよう、別行動を取るのは理に適っている。ヒュージのような神出鬼没の敵を相手にするなら尚更だ。

 前線と後方という概念が過去のものから大きく変容していた。その弊害は、大所帯の大軍になるほど色濃く受ける。

 逆に言えば、少数精鋭部隊にとってはそこまで影響が出ない。ちょうどリリィたちが構成するレギオンのように。

 

「第二防衛線である程度足止めした後、そこも放棄する」

「ですが、それでは東京方面にまでラージ級の進出を許すのでは?」

「その前にメルクリウスの外征部隊が間に合うだろう。問題は、他の小物を掃討し切れず周辺市街地へ流入させてしまうことだ。副隊長、指揮を引き継ぐ際はその点をよく留意するように」

 

 まるで自分は指揮を執り続けられないとでも言わんばかり。

 だが辻大佐は別に()()()()()というわけではない。何が起きるか分からない、一寸先は闇なのが彼らが臨んでいる戦いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両脇を山林に囲まれた粗末な山道。一応舗装路ではあるものの、あちこちがひび割れたり抉れており、端の方は草がぼうぼうと生えるに任せきり。この上を車で走った際のお尻の惨状は想像に難くない。

 その悲惨な道路の脇に、オリーブドラブに塗られた3トン半トラックがエンジンを止めた状態で鎮座していた。

 幌に覆われたトラックの荷台部分では、防衛軍の兵士たちが肩を寄せ合って座っていた。「荷台に詰め込まれた」と言った方が適切だろうか。

 ある者は包帯の巻かれた腕を庇うように押さえ、またある者は銃口の潰れた小銃をお守りの如くがっしりと抱え込み、俯いてひたすら貧乏揺すりを続ける者も居た。

 多種多様な姿だが、ほとんど全員に共通している点もある。それは迷彩柄の野外戦闘服を汚しているということ。泥をかぶった跡や液体に濡らした跡がシミになっていたり、よく分からない植物の種が付着していたり。身綺麗にしている兵士は一人も見当たらなかった。

 

 そんな待機中のトラックからやや離れた地点に一時的な防衛線が構築されていた。敵に一斉に背を向ければいい的なので、幾らか踏み止まって戦う者も必要なのだ。

 もっとも、防衛線といっても余剰の土嚢を並べただけの有り合わせの代物であったが。

 

「ブリキどもは?」

「まだ見えん」

 

 木の幹を背もたれにして座り込む兵士が軽い調子で尋ねると、地面に伏せ撃ちの姿勢で軽機関銃を構える兵士がぶっらきら棒に答えた。

 袖にされた方は肩をすくめた後、野戦服のポケットをパンパンと叩いてタバコを探す。しかし何も見つからない。

 それから少しの沈黙を挟んでまた口を開く。

 

「もう来たか?」

「見えんっつってるだろ」

 

 先程と同じ調子で別の問い。返ってきた答えも、やはり先程と同じで素っ気ない。

 似たようなやり取りがさっきから幾度も繰り返されていた。気を紛らわせるための、意味は無いようで意味のある行為であった。とにかく何か喋っていないと、恐怖と絶望に飲み込まれそうだから。

 だがそんな誤魔化し、いつまでも効果が続くものではない。

 二人の兵士が話している間にも、ここではないどこか遠くで銃声が鳴り響いていた。一応、今のところ整然とした後退ができてはいるが、それでも突出してきたヒュージとの散発的な戦闘が生起していた。

 

「……もうお終いだ。俺たち全員、奴らに殺される」

 

 気に寄り掛かる兵士の口から、今まで押し止められていた本音がついにぶち撒かれた。

 無理もない。彼らのほとんどは、何か崇高な大義や理念のために戦っているわけではないのだ。

 生活のため、家族を守るため、ヒュージへの復讐のため。銃をぶっ放したいがため、というレアケースもあるかもしれない。

 ただいずれにせよ、このような状況下で彼らに虚勢を張り続けろというのは酷というもの。

 

「俺たち、超人でも何でもないんだ。どうしろって言うんだよ」

 

 ぶち撒かれた偽らざる本心に対し、軽機関銃手は地に伏せたまま後ろを見ずに口を開く。

 

「そうだな。こんな戦いがずっと続けば、きっとその内どこかで死ぬだろうな」

「…………」

「でもあの隊長の下でなら、どうせ死ぬにしても、ちっとはマシな死に方ができるんじゃないか?」

 

 それは畳の上で死ねるとか、苦しまずに死ねるとか、そういう意味ではない。

 自分たちの戦いが、犠牲が、少しでも意味のあるものになるはずだと、そう信じられるという意味であった。

 軍人は確かに公僕だ。奉仕する相手は国家と国民だ。

 だが実際に戦場で奮起する拠り所となるのは、一番身近な上司であり同僚であった。

 

「横、ズレろよ。俺は耳が良いんだ。先にブリキどもに気付ける」

 

 背もたれにしていた木から離れ、軽機関銃手の横でうつ伏せになって小銃を構える。

 自棄になっただけかもしれない。即席の覚悟など、ヒュージを前にすれば吹いて消え去るかもしれない。

 それでも首都防衛隊は士気を崩壊させずに踏み止まっていられた。

 

「……言ったそばから、来るぞ!」

 

 ヒュージサーチャーも、このような乱戦中では大した精度は望めない。携帯式のものなら尚更だ。

 故に最初にヒュージの接近を察知したのは、本人が自慢した通り耳であった。

 地面を踏み鳴らす音。木々を軋ませ押し倒す音。

 恐らくはミドル級が複数。歩兵だけでまともにやり合って勝てる相手ではない。

 しかしその場の兵士たちは上級部隊に通信を入れた上で、各々の得物を握り締める。

 徐々に大きくなる足音。比例するように兵士たちが感じる殺気も強くなる。

 ゴクリ、と唾を飲み込んだのは自分か、それとも隣の戦友か。

 

 緊張によって時間の感覚が狂う中、深い山林の向こうから銀灰色の化け物が見えるより前に、複数の砲声が轟いた。

 重砲でも迫撃砲でもない。ましてやミサイルの類でもない。それは彼らや彼らの戦友たちでは出し得ぬ砲声。

 

「こちらヘルヴォル、現着しました! ラージ級の迎撃に向かいます!」

 

 軍用無線に、凛然とした少女の声が飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左右から挟み込みように突進してくるスモール級のオルビオ型に、ブルトガングの砲口が唸りを上げる。

 右翼のオルビオ型が穿たれた装甲から火を噴く。一方で左翼のオルビオ型は獲物との距離を詰めた。

 鈍器、あるいは極太の鉤爪にも見える脚を振り上げて濃紫の装束に迫るヒュージ。

 そこでブルトガングのバレルパーツが回転し、鈍色の刃が前に突き出された。ブレイドモードへの変形だ。

 次の瞬間、三本脚の内の一本が斬り飛ばされた。その次には球状の胴体を袈裟懸けにされていた。

 

「あと一つは……上か!」

 

 頭上に視線を走らせると、そこには陽光を遮る黒い影。

 影は落下の勢いのまま、地上の少女へ鈍器を振り下ろす。

 甲高い金属音が山の中に木霊した。衝撃で辺りに砂煙が舞った。

 濛々と立ち昇る砂煙の中に居たのは、数メートルサイズの金属隗に押し潰された少女ではなく、チャームの腹で巨大な鉤爪状の脚を受け止めたリリィであった。

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 裂帛の気迫と共に相澤一葉はブルトガングを保持した両手に力を込めた。エレンスゲオーダーのマントを閃かせながら、受け止めていた大質量をそのまま空に向かって弾き飛ばす。

 球技のボールの如く放り上げられたミドル級のオルビオ型だが、空中で体勢を立て直して眼下の一葉を睨んだ。三つ目を思わせる三つの光点から大量の光弾を連射した。雨あられと降り注ぐ弾幕によって再び周囲は砂煙に包まれる。

 

 鈍重な外見にそぐわない三次元機動。各国の軍がヒュージ相手に苦戦を強いられる要因の一つであった。

 

 乱射を続けながらオルビオ型が地上への落下を始める。

 ところが空に白光が奔ったかと思いきや、その光に貫かれたオルビオ型の胴体は内部から爆発四散した。

 

「瑤様、砲撃命中です。周辺に敵影無し。皆さんも前進してきてください」

 

 一葉の無線連絡から少しして、山道脇にヘルヴォルのメンバーが集合した。

 砕け散って地面に突き刺さったヒュージの脚を目にした恋花が眉を顰める。

 

「こりゃ思った以上の乱戦だね。先にシェルターの方を見てきて正解だった」

 

 ヘルヴォルは怪異討伐後、地元群馬のリリィと協力して市街地に向かって来るヒュージたちを迎撃していた。

 その後は町の防衛を彼女らに任せ、敵本隊と防衛軍との最前線を目指していた。

 怪異を倒した後も、ヘルヴォルの方では通信状況が悪化したり改善したりと不安定だった。霧の怪異の名残か、はたまた単なる機械的トラブルか。何にせよ軍と接触するのが遅れてしまった。

 

「――――――感明送れ。LG(レギオン)ヘルヴォル。こちら――――――防衛隊隊本部」

 

 ノイズ交じりの通信が入る。あの時、天幕の中で会談した防衛軍指揮官の声だ。

 

「はい、こちらヘルヴォルリーダー。感不良。送れ」

「――――――付近の部隊から、ヒュージの配置状況を受け取れ。ラージ級までの経路を選定できる」

「了解、感謝します」

 

 一葉が軍の無線通話法に則り「終わり」の一言を発しようとした寸前、再び相手方から通信が入ってくる。

 

「――――――あれは我々では倒せない。虫のいい話だが……頼む」

 

 彼がこれまでの戦場で何を見てきたのか、どう感じたのか、そんなことは窺い知れない。だが今この時、彼の思いが自分たちと変わらないことぐらいは一葉にも十分に伝わった。

 

「任されました!」

 

 今度こそ通信を終えて、ヘルヴォルは自らの役割を果たすべく動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森の木を押し潰しながら、森に住む生き物を追い散らしながら、その大型ヒュージは悠々と進み続けていた。

 抵抗らしき抵抗は全く無い。首都防衛隊がラージ級との戦闘を避けていたからだ。

 もっとも、仮に抵抗したところで、消耗した彼らの装備と弾薬では有効な足止めになったか怪しいものだが。

 

「取り巻きは居ないみたい。他の群れとも距離が離れてる」

 

 遠方の尾根から双眼鏡で覗き込む瑤が目標の状況を皆に知らせる。

 

「防衛軍の対応能力を超えるぐらい広範囲にばらけてたみたいだけど。あたしたちの前では仇になったね」

「うん。ラージ級単体と随伴付きだと、戦い易さが大分違ってくる」

 

 上機嫌な恋花の言葉に、瑤も頷く。

 防衛軍の状況も厳しいようだが、ヒュージはヒュージでラージ級に取り巻きも付けないほど混乱しているらしい。

 

「一葉ちゃん、あのラージ級から明確に怪異の気配を感じるわ」

「あれも霧に乗り移られているのですね」

「恐らくはあの中に居るのが怪異の主人格。あれを倒せば残りは大した脅威にはならないわ。勿論、怪異抜きにしたヒュージはまた別の話だけど」

 

 千香瑠の言う通り、怪異の有無にかかわらず、この大規模戦闘の行方は予断を許さない。だからこそ早いところ方を付けねばならなかった。

 

「……っ! 避けて!」

 

 突然の瑤の警告。ヘルヴォルは地を蹴って跳躍する。

 直後に彼女らが先刻まで立っていた場所にレーザーが飛んでくる。

 

「どうやら相当目が良いみたいですね。ではこれよりヘルヴォルはラージ級と交戦を開始します!」

 

 空中でリーダーそう宣言する。

 すると真っ先に反応したのは五つの中で一番小さなシルエット。

 

「らんが、らんが倒すよ! いいよね、いいよね!」

 

 小さな両足でトンと着地すると、藍は返事を待たずにヒュージに向かって駆け出した。楽しそうな笑みを浮かべ、大きく開かれた瞳は金色に染まっている。

 そんな藍の姿を見た恋花は呆れ気味に後を追う。

 

「あーらら。藍ったらもうルナティックトランサー発動しちゃって」

「各自、藍を援護しつつラージ級を包囲。退路を断ちつつフィニッシュは藍に任せましょう。フォーメーション・ハチドリさんです!」

 

 巨大な鉄塊――――モンドラゴンを右手一本で握り締め、正面から真っ直ぐに突き進む。その後方から四人が山林の合間を縫って進軍する。それはまるで藍を穂先に見立てた槍、もしくは鋭い嘴のようであった。

 間合いが縮まってくると、ヒュージの迎撃も苛烈なものになる。胴体を構成する装甲のあちこちに開いた覗き窓のような隙間から、次々にレーザーを放っていく。

 赤い光線が幾条も幾条も途切れなく伸びる。視覚的にも圧倒的で、実際にからめ取られれば無論ただでは済まない。

 恐れるものなど無いと言わんばかりに走る藍の眼前に一筋のレーザーが迫る。それは振りかざされたモンドラゴンによって防がれた。だが藍の行き足は一時的に止まってしまう。

 

「斉射!」

 

 一葉の合図で藍以外の四人が一斉にチャームのトリガーを引き絞る。アーレア型の縦長の体に四人の砲撃が命中し、瞬く間に黒煙によって包まれた。

 その隙にヘルヴォルによる包囲が完成する。

 レーザーを受け切った藍が再び走り出す。

 煙が晴れて態勢を立て直したアーレア型。その胴体上部の装甲が部分的にスライドし、左右一本ずつ細長い鞭を展開していた。赤く光る刃を数珠繋ぎに伸ばした殺意の鞭だ。

 それを見た藍の顔はより一層輝いた。

 

「本気出したんだね! らんも本気出すよ!」

 

 藍は両脚をバネにして思い切り跳んだ。

 二本の鞭がグニャリとしなり、目の前に跳んできた敵を打とうとする。

 一本はモンドラゴンに弾かれた。もう一本は藍の左肩を捉えた。

 身に纏うエレンスゲオーダーの防御機能の上から小さな体に衝撃が加えられる。

 しかし藍は構わずアーレア型の胴体に体当たり。そこから落ちる前に、レーザー発射口の穴へ足を掛けてもう一度跳躍した。

 その間にも恋花が、瑤が、千香瑠が、巨体の全周に射撃を加えて他の発射口を潰していく。

 アーレア型の頭上まで跳び上がった藍は両手に握ったモンドラゴンを落下と共に振り下ろす。見事に正中線を捉えた一太刀はラージ級の分厚い装甲を断ち、内部構造を破壊した。

 

「らんたちが、勝った!」

「おーい、まだ油断すんなよー」

 

 恋花の忠告が聞こえていたのか、藍は鈍色の装甲を蹴って距離を取る。

 一方のアーレア型は浮力を徐々に失い、低空に浮かんでいた体を前のめりに傾けて転倒……しなかった。地面に落ちた短い脚で踏ん張って、生き残っていたレーザー発射口を藍に向ける。

 

「言わんこっちゃない!」

 

 そう叫ぶ恋花だが、悲壮感はあまりない。チャームを盾にした一葉がレーザの前に割って入ったからだ。

 ブルトガングの頑強な刃に光の奔流がぶつかる。飛び散った光が濃紫の衣装を焼き焦がす。

 レーザーの勢いに弾かれながらも、一葉は片手で藍の腕を掴んで離脱した。

 

「一葉! らんがふぃにっしゅだよ!」

「分かった、分かったから。気を付けてね」

 

 先程の一撃が最後の一矢だった。その後アーレア型は地面に倒れ伏し、二度と動き出すことはなかった。

 

 上を見上げれば、遠くの空に軍の輸送機よりもまだ大きな巨人機の姿。機体下部から複数の人影が降りていくのが分かる。周囲には銃砲撃の音と光が瞬いていた。

 

「メルクリウスの、方舟(ガンシップ)……」

 

 横目に入れた一葉が呟いた。

 戦いの趨勢は決しつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日に赤く染まった群馬の山では、戦闘終了後も別の戦いが続く。それは戦闘の後処理である。

 消耗した首都防衛隊に代わって、予備役部隊が遺体や装備品の回収に当たっていた。

 また、他の装輪装甲車よりも車体の長いNBC偵察車と、化学防護服に身を包んだ特殊武器防護隊が戦場の除染作業に従事している。ヒュージの体液はある種の有害物質だからだ。

 無論、全てを除染するには時間が掛かり過ぎるので、主だった道路付近と比較的人家に近い地域だけではあるが。

 

 作業の邪魔にならない離れた場所で、一葉は平らな石を椅子代わりに腰を下ろしていた。その手の中には一通の手紙。目を落とす一葉の口元は軽く緩んでいる。

 

「なーにニヤケてんのよ」

「あいたっ……恋花様」

 

 後ろからやって来た恋花に背中をはたかれる。

 後ろから近付いてきたのに、どうして表情が分かったのかと首を傾げる一葉。

 

「それ、誰から?」

「あの時、シェルターまで保護したお婆さんからです。地元のリリィの方がわざわざ手渡しで届けて下さったんですよ」

 

 手紙には言葉少なながらも、ヘルヴォルに対する謝罪と感謝、そして身を案ずる主旨の文章が達筆で書かれていた。

 そんな物を見てニヤけない一葉ではない。

 

「こう言う時、リリィになって本当に良かったと、そう思うんです」

「……そっか。あたしたち、結果を出せたんだ」

 

 恋花の目がどこか遠くを見ている気がした。

 

「結果なら、これまでも出せていますよ。エレンスゲの言う結果とは違う結果も」

「そうだった。これもリーダーのお陰だねぇ」

「私だけじゃあ、ありません」

 

 一葉は自身より小柄な恋花を抱き寄せ、両腕の中に包み込んだ。

 

「ちょっ、急になに!?」

「今回も中々の長丁場でしたから。頑張ったご褒美です」

「何の!? てか、頑張ったのは一葉もでしょ!」

「だから私にとってもご褒美です」

「~~~~~~っ!」

 

 プルプルと震える恋花の体。顔を一葉の首元に埋めているため、表情までは見えない。

 だが少しすると、一葉を思い切り押しのけて距離を取った。

 

「だからって、場所を考えなさいよ! 人が来たらどうすんの!」

「……それもそうですね。藍たちと合流しましょうか」

 

 二人は歩き出す。

 二人の手はどちらからともなく繋がれていた。

 一葉は気付いていたが黙っていた。恋花は気付いているはずなのだが、気付かないフリをしているようだった。

 

 迎えに来たガンシップの出発時間はまだ先だった。なので一葉たちの歩みはゆっくりとしたものだった。

 その途中、防衛軍の兵士がこちらに走り寄ってくるのが見えた。何やらこちらに手を振ってくる。遠目からでもはっきり分かる笑顔で。

 一葉には心当たりが無かった。隣の恋花を見るも、彼女は困ったような顔で首を左右に振る。同じく心当たりが無いようだ。

 やがてその兵士が息も切らせず二人の前に到着する。

 

「エレンスゲの方々、お久し振りです! その節はお世話になりました!」

 

 屈託の無い笑顔に、一葉にも負けない大音量の挨拶。

 やはり心当たりが浮かばない。

 一葉は素直に尋ねてみることにした。

 

「あの、失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」

「ほら、あの時の! 公園の()()()()()()ですよ!」

「えーーーっ! あのTS(トランスセクシャル)おじさん!?」

 

 恋花が目を見開き驚愕するのも無理はない。記憶の中の姿とあまりにかけ離れていたのだから。

 生白かった顔は健康的に日に焼け、ボサボサだった長い髪は短く刈り揃えられ、小太りだった体は筋肉質でがっちりとした体格へ。そして何より、卑屈だったその表情は快晴の空の如く澄み切っている。

 

「いやあ、見違えましたねえ」

「見違え過ぎだろっ!」

 

 のほほんとした一葉の反応に、恋花が突っ込みを入れる。

 そんな二人の様子を気に留めず、兵士は急に真剣な顔つきになる。

 

「その節は本当に申し訳ありませんでした。当時の自分は、全てを他人のせいにして腐り切っていた。恥ずかしい限りです。二次元の絵を指して推しだの嫁だの言ってた過去の自分を殴ってやりたい……! あれから防衛軍の先達に鍛え直されて、予備役として半人前ながら働かせてもらっています。過去の償いというわけではありませんが、世のため人のため、粉骨砕身尽くす所存です!」

「ひえっ、中身まで変わってる……」

 

 軍隊って怖い。怪異より恐ろしいものを見た。

 恋花が小さく呟いたのを聞き、一葉はただただ苦笑するだけだった。

 

 

 



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第27話 デュエル 一.

 東京六本木、天に向かってそびえ立つコンクリート建築が幾つも並ぶ大都心。

 その街が今、混沌の坩堝と化していた。道路のあちらこちらで渋滞が発生しているのもそれが原因だった。

 歩道と車道の区別なく疾走する人影が一つ。驚いた通行人が転倒したり、車がクラクションを鳴らしたり。騒然とする周囲に目もくれずに、ひたすら走り続けている。

 それを追い掛けるのは地元ガーデン、エレンスゲのヘルヴォル。

 

「都道319号を越えて、3丁目から5丁目方面に向かってる! このままじゃ追い付けない!」

 

 後方より追跡を続ける恋花が仲間に通信を入れる。

 手にしたチャームも今は出番が無い。既に何度か発砲したのだが、逃走者はまるで背中に目でも付いているかのように、紙一重で躱してしまうのだ。

 避難も済んでいない街のど真ん中で、あまり大威力の砲撃も使えなかった。

 

「こっちに戻って来た途端……何なのよ、もーっ!」

 

 足を動かしながら恋花は不平を吐き出した。

 市中の大捕り物に、ヘルヴォルは予想外の大苦戦を強いられていた。

 

 事の発端は警察への通報だ。信号も横断歩道も無視して爆走する歩行者が居ると。

 駆けつけた警察官が「自分たちの手には負えない」と悟るのに時間は要しなかった。

 現場に居たのは、横断歩道から走行中の車の上に飛び移ったり、民家の屋根伝いに駆け回るような常軌を逸した歩行者。ついでに言えば、明らかに人間離れした見た目をしている。

 一応、拡声器で呼び掛けて意思の疎通が不可能だと確認した後、警察は最寄りのガーデンへと応援要請を入れたのだった。

 

 そうしてヘルヴォルが現地に赴いた。

 周辺道路は警察によって規制される予定だが、未だ不完全。

 ヘルヴォルとしては、規制が完成るよりも早く解決したいところであった。出来るだけ道路交通に与える被害を抑えるために。

 しかし残念ながら、その目論見は崩れてしまった。逃げ回る目標を中々捕らえられず、既に大混乱をもたらしてしまった。

 

「はっ、はぁっ、はぁっ」

 

 それももうじき、決着が付く。

 

「ったく、やっと追い詰めた」

 

 恋花が目標を追い込んだ先、大通りから一本入った細い道を抜けた所。開けた空間のそこはマンションに付属する駐車場だった。

 お誂え向きに、付近に住民の姿は無い。すぐさま避難したのだろう。

 そこにヘルヴォルのメンバーが目標を囲むようにして現れた。

 厳しい顔をした一葉がソレに向かって前に踏み出す。

 

「街を混乱に陥れた狼藉の数々、許せません!」

 

 ソレは確かに2メートルばかりの人型だったが、決しては人ではない。

 全身白色半透明で、顔も頭髪も存在しない。全体を構成する輪郭が曖昧で、ゆらゆらと煙のように揺れて見えた。

 

「怪異『くねくね』!」

 

 

 

 

 

 都会から離れた長閑な田園風景に現れる怪異。

 その奇妙な踊りを遠目からでも見た者は皆、例外なく気が触れてしまう恐怖の怪異。

 目的も正体も不明。

 それが『くねくね』だ。

 

 

 

 

 

 ここは田畑も何も無い大都会。

 その姿を見ても、おかしくなったりしない。

 ただその恐るべきフィジカルによってヘルヴォルの面々は振り回されていた。

 

「追いかけっこはお終いです。観念しなさい!」

 

 言葉が通じているのかいないのか、くねくねは啖呵を放った一葉の方に振り向いた。顔も何も無いのでどちらが前か分かり難いのだが、仕草から判断できた。

 そのくねくねがヘルヴォルに取り囲まれる中で、両手を真横へ水平に伸ばし、腰をくねらせお尻を左右に振り始めた。踊っているのだ。それもかなりの速さで。

 

「何かめっちゃ煽ってくるんだけど!」

 

 恋花は憤慨した。今まであちこち走らされた恨みが噴き出した。

 一方、一葉は真剣な表情のままチャームを構えて更に一歩踏み出した。

 するとくねくねは踊るのをピタリと止めて、右足と右手の拳を後ろに引き、同時に左手の拳を前方にかざす。ゴングが鳴る直前のボクサーのように。

 

「何かめっちゃファイティングポーズ取ってるんだけど!」

「いいでしょう。お相手致します!」

 

 ブレイドモードのブルトガングを振りかぶり、一葉が仕掛けた。マギの力場を蹴って加速、機先を制して袈裟懸けを放つ。

 マギによって切れ味を増し、なおかつ重量で叩き潰すことも可能な無骨な刃。その一刀は、ヒュージに比べて防御に劣りそうな怪異を断ち切るかと思われた。

 ところがくねくねは一歩後ろに下がり、すんでのところで回避する。

 チャームを振り下ろした一葉が返す刀で逆袈裟を繰り出した。

 するとまたくねくねが体を引いて鋭い斬撃を躱す。1センチでもずれていたら、無防備な半透明の体は切り裂かれていただろう。

 そして一葉の三撃目。今度は突きだった。横に寝かせた刃が怪異の胸元へと伸びていく。

 この突きをくねくねは避けなかった。拳を作った左手の甲で下から刃を弾き、軌道を逸らしてしまった。直後に無防備な一葉のボディへと、くねくねの右フックが突き刺さる。

 

「かはっ……」

「一葉!」

 

 後ずさり膝を突く一葉。彼女の名を叫ぶ恋花だが、視線と構えたチャームは外さない。

 余裕の表れなのか、くねくねは追撃することなく、伸ばした右の手の平を「クイクイ」と上に上げてヘルヴォルを挑発していた。

 

「このくねくね、強い……!」

「腹立つ、こいつ!」

「一葉ちゃん恋花さん、ここは私が」

 

 そう言って千香瑠がゆっくりと前に出て来る。

 

「さっきのくねくねの踊り、マギを吸い取る効果があるわ」

「言われてみれば、心なしか体が重くなったような……。よく分かりましたね、流石千香瑠様」

「巫女ですから」

 

 くねくねに正対した千香瑠はチャームを握ってはいたものの、その切っ先は地面に向いていた。彼女自身も自然体で立っているだけで、これから戦おうという者の姿には見えない。それが却って貫禄を醸し出していた。

 

「おおっ、無手の構えってやつだね」

「恋花、適当言わない」

「千香瑠ー、次はらんと代わってねー」

 

 外野の声を無視し、構えも取らない千香瑠を侮ることなく、くねくねはファイティングポーズを取ったままステップを刻む。不用意には近付いてこない。前へ横へと行ったり来たりし、相手の出方を窺っている。

 それでも千香瑠が動かないでいると、くねくねが先に仕掛けてきた。ネコ科の猛獣の如く身を低く屈め、5メートル以上はあった間合いを瞬時に詰め、猛禽類の如く鋭い一撃を放つ。

 千香瑠を信頼していたが、それでも恋花は思わず目を逸らしそうになる。

 しかしリリィの優れた動体視力はその瞬間を見逃さなかった。

 

 バシィーーーーーーッ!

 

 身長2メートルの怪異が、千香瑠の平手に打たれて90度真横に吹っ飛ばされていた。

 

「ふぅ。除霊完了です」

「ひえっ、ビンタ一発で……」

 

 やっぱり千香瑠は怒らせないようにしよう。改めて固く誓う恋花であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~順調で何よりだ~。良かった良かった」

 

 港区内の公園広場。芝生の上にどっかりと豪快に胡坐を組んでいるのは、赤茶色のロングヘアーの女の子。ご機嫌な様子で大袋から取り出したスルメイカに齧り付く。

 ヘルヴォルもまた彼女――――伊吹萃香と共に公園の一角で車座となっていた。

 

「五大怪異の内、早くも三つ片付けたんだからなあ。こりゃ予想以上だ。……何かついでにもう一つ倒してたけど」

「あ、やっぱ『くねくね』はノーカンなのね」

「んー、まあ、アレはアレで結構な大物なんだけどな」

「そう?」

 

 少しだけ残念そうな恋花を見て、萃香は頭上の空を見上げながらフォローを入れる。

 

「怪異や妖怪ってのは、基本的に知名度で力が左右されるものだから。その法則通りなら、あいつの力は並じゃあないはずだぞ」

「確かに、くねくねって言ったら昔一世を風靡した有名怪異だからね」

 

 うんうんと納得する恋花。

 そこへ横から瑤が口を挟む。

 

「でも元になった話に比べて、力の方向性が違うような……」

「それはあれだ。イメチェンでもしたかったんだろう。あっはっはっ!」

 

 大口を開けて笑う。そしてそのまま萃香は何切れ目かになるスルメを口内に入れる。

 もぐもぐと口を動かし美味しそうに咀嚼する姿は外見年齢相応だ。食べている物が渋過ぎることに目を瞑れば。

 ヘルヴォルはヘルヴォルで千香瑠の作ったお菓子類を間食で持ち込んでいた。にもかかわらず、萃香の方を物欲しそうに見つめる者が居た。見た目で言えば彼女とどっこいどっこいの藍である。

 

「何それ、美味しいの?」

「スルメイカ、食ったことないのか? そりゃ勿体ないなあ。ほら」

「ありがとー。……むぐぅ」

 

 藍は受け取ってすぐに未知の味を探求しようと食してみる。ところが上手く嚙み切れない。やたら弾力があって藍の咬合力に抵抗してくるのだ。

 

「むぐーっ、むぐーっ……」

「ははは、そいつは特製品だからな。歯応えがあるだろう?」

「んーーーっ、ふんぬらばー!」

 

 とうとう藍が力比べを制した。スルメイカを噛み千切った勢い余って後ろにのけ反りそうになったが。

 それから口の中で何度も噛み締めていたが、藍の表情はあまり明るくはならなかった。

 

「ん~、何か塩辛い」

「おっと、お子様にはまだこいつは早かったかな。はははははっ」

 

 藍の渋い顔を余興として、萃香はどこかから取り出した瓢箪の口を咥えた。大きなお札が張られた不思議な感じのする瓢箪だ。

 それを見た千香瑠は血相を変えて萃香に詰め寄る。

 

「駄目っ!」

「おおうっ?」

「さっきからほんのりお酒の匂いがすると思ったら……。子供が飲んだらいけません!」

「私は子供じゃないよ~。あんたたちからしたらお婆さんだよ~」

「駄目ですっ」

「そんなー」

 

 匂いだけで酔ったのか、それとも一葉たちがやってくる前に少し飲んでいたのか、萃香はちょっとしたことでも可笑しそうに笑っていた。

 今も千香瑠に子供扱いされて飲酒を阻止されたにもかかわらず、怒っているようにも残念そうにも見えなかった。

 

「ま、まあここでは一般の方の目もありますし」

 

 一葉が両者を取り成すようにそう言った。

 現在、公園広場には他の利用者が疎らにしか確認できなかった。平日の昼間ということを抜きにしても少な過ぎる。

 さっきのくねくねの件があるため子供連れが外出を控えているのだろう。

 それでも全く人気が無いわけではないので、一葉の意見は正論だろう。

 

「ところで萃香さん、貴方がやって来た結界の中の世界というのはどのような場所なんでしょう?」

「おっ? こっち側に興味があるのか、一葉は」

「前から気にはなっていたのですが。先程の様子を見るに、未成年でも飲酒が可能な、我々の社会とは文化や法が異なる場所のようなので」

「だから私は未成年じゃないんだってー。いやまあ、未成年も飲んでるけど」

 

 結界内部の詳細について萃香は多くを語ってこなかったので、話せないこともあるのではないか。そう考えた一葉は駄目元で尋ねてみた。

 

「そうだなあ、何から話そうか」

 

 ところが本人の反応を見るに、一葉の杞憂らしい。単に聞かれなかったので話さなかっただけかもしれない。

 

「まず結界の境目には宴会場……じゃなかった、神社があるな」

「どんな間違え方?」

 

 恋花の突っ込みを気にせず萃香が続ける。

 

「湖の傍に吸血鬼の洋館があって、妖怪の巣食う妖怪寺があって、山には河童やら天狗やらが群れてる。あ、それから、竹林の中には宇宙人の屋敷があるなあ」

「待って待って、情報に追いつけない。もっと分かり易いのないわけ?」

 

 頭を押さえて話を遮る恋花に、今度は萃香も立ち止まって頭を捻る。

 

「ああ、なら普通の人間が住んでる人里の話をするか。里って言うか、町って規模だが。建ってるのは木造平屋ばかりだけど、中心部にはレンガ造りのカフェとか洋食屋とか、ハイカラなものもあるぞ」

「へーっ。じゃあ服はどんなの着てるの?」

「小袖や袴が多いな。和洋折衷も結構ある」

 

 恋花が話に乗ってきた。また彼女だけでなく、一葉たちも興味深そうに耳を傾けている。

 

「食べ物は?」

「基本和食だなあ。米に味噌汁に煮豆に大根の漬物。山の中でも色んな場所と繋がってるから、塩もあるしコーヒーや紅茶もある」

 

 どうにか部外者にも想像し易い話になってくる。一般人の生活文化についてはどこかで聞いたような内容であった。

 皆の思ったことを代弁するように瑤が口を開ける。

 

「まるで明治初期の日本みたいだね」

「いやー、全く同じってわけじゃないぞ」

 

 萃香が楽しそうに口角を持ち上げる。

 

「こっちじゃニホンオオカミも滅んでないし、トキは別に保護されてないし、聖徳太子は実在する。あと、女同士でやることやっても捕まらないな」

「明治でも捕まりませんよ!」

「そうだったか?」

 

 思いも寄らない話に一葉が突っ込む。

 

「鶏姦条例で男性同士の行為が間接的に違法化されましたが、それも十年足らずで撤廃されています。女性同士に関してはそのような事実はありません」

 

 一葉による訂正の最中、藍は首を傾げていた。きょろきょろして、目が合った千香瑠に対して問い掛ける。

 

「ねえねえ、千香瑠ぅ。やることって何?」

「えっ」

「何やるの? ねえ」

「ええっと……その……何のことかしら、瑤さん?」

「っ!? ああ、ええと……」

「瑤も分からないのー?」

「……後で一葉に聞いてみよっか」

「うん、聞いてみる」

 

 すぐ近くで――――一葉にとって――――とんでもないやり取りが為されていた。

 レギオンのリーダーとはいえ、一葉とて一応は高等部一年の学生なのだが。

 しかし幸いなことに、この問題は一時棚上げされることになる。萃香がまた別の話題を振ることによって。

 

「そうそう、それから忘れちゃいけないのがスペルカードルールだ」

「スペルカード?」

「別名『命名決闘法』とも言う。こっち側での問題解決手段。あんたたちが言うところの()()()()()で諍いを解決しようってルールだよ」

 

 萃香曰く――――

 

 一つ、無闇に人間を殺めること勿れ。

 一つ、腕に覚えのある人間は妖怪を退治せよ。

 一つ、完全なる実力主義を排し。

 一つ、華麗さと思念を尊ぶこと。

 

 無論これだけ聞いても全容は分からない。

 

「妖怪は人間に恐れられなきゃ鈍ってしまう。人間は妖怪を退治するにも命懸け。そこで妖怪退治をルール付きの決闘、ある種のお遊びに落とし込んだのがスペルカードルールってわけさ」

「成る程、つまりスポーツや格闘技のようなものだと」

「まあ飛んでくるのはボールじゃなくて、レーザーやナイフや岩なんだが。はははっ」

 

 言わずもがな、現代日本で決闘は法により禁じられている。こういった点差異からも、結界で区切られた時点で分岐した世界だということが窺える。

 

「想像するに、多種多様な種族が存在するため統一された法執行機関や治安組織が未発達なのでしょうか? そのために決闘法が導入された」

「ああ。広くて狭い世界だから。何もかも好き放題にはいかないんだよ」

「……ありがとうございます。興味深いお話しでした」

 

 萃香とは、稽古をつけて貰う代わりに怪異退治を請け負う形になっていたが、ここまで突っ込んだ話をしたのは初めてだ。

 萃香の言が正しいのなら、怪異を倒すことで双方の地を隔てる結界を補強できる。法や文化が違い過ぎる世界が不用意に接近するのは好ましくないだろう。

 

「それで、残りの五大怪異はどこに居るのですか?」

「おいおい、そう焦るなよ。せっかく地元に戻ってきたんだから、もうちょっとゆっくりすればいい」

「えっ?」

「焦らなくとも、向こうから暴れ出してくれるさ」

 

 一葉の問いを萃香は軽く受け流した。

 ヒュージが再び活発化した今、確かに休める時に休むのは大切である。

 他の仲間たちも萃香の意見に賛同しているようなので、一葉もお言葉に甘えることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鎌倉府横浜市。横須賀と並ぶ一大港湾都市のここは、鎌倉府5大ガーデンの一角、シエルリント女学薗の担当地域だ。

 港湾部の南方に位置する広大な緑は元々臨海公園だった場所。ヒュージの襲来以降は訪れる人も減り、今では都会の喧騒から離れた森林浴に打って付けの土地となっている。勿論、ヒュージの侵入に目を瞑ればの話だが。

 

「そろそろ目的のポイントだけど。何か見える?」

 

 緑の中を縦長の列を成して行く黒衣の集団。その中心部で亜麻色の髪をロングに伸ばした少女が通信機に呼び掛ける。

 

「……見えました。でも、おかしい。残骸です。既に撃破されたあとです」

「分かった。周囲を警戒して。確認しに行きます」

 

 通信を簡潔に終了すると、亜麻色の少女は周囲の少女を率いて歩く速度を上げた。

 彼女らはシエルリントの擁するマディック部隊、黒十字マディック隊。臨海公園に小型ヒュージ出現の報を受け、偵察に赴いていた。

 

 程なくして隊長の道川深顯が現場に訪れた時、確かに動くヒュージは見当たらなかった。木々の根元や草むらの中に銀灰色の体を横たえるばかりであった。

 周辺では長銃身のライフルめいた武器を構える隊員の少女たちが散開して警戒中。

 深顯は亜麻色の長髪を揺らしながら左右に視線を動かす。

 

「情報通り、スモール級が10体ほど。でもこんな短時間で討伐されるなんて……。他のガーデンのリリィがこの辺りに来てる話は無いわよね?」

 

 深顯の確認に対し、茶髪サイドテールでタレ目の副官が答える。

 正確には副官という役職ではなく隊本部付きのマディックなのだが、隊長の補佐と言う役割上、副官と呼ばれていた。

 

「はい。外征宣言も出ていませんし、非番でここに訪れているという情報もありません」

「と言うことは……導き出される結論は一つ」

「それは、一体?」

「何処かの特務レギオンによる極秘作戦っ!」

「な、何ですってーーーっ!?」

 

 などというやり取りを繰り広げていたところ、黒髪をアップに纏めたツリ目のマディックが近付いてくる。先程深顯に通信を返した第1分隊長だ。

 彼女は耳打ちでもするかのように深顯へ顔を寄せて口を開く。

 

「でも隊長、変なんです。どのヒュージもまるで巨大な鈍器に叩き潰されたか、引き千切られたような痕があるんです」

「……言われてみれば、そうね。こんなサイズのチャーム、聞いたこともない」

「逆に弾痕らしき痕は一つもありませんねえ。一発も撃たずに接近戦だけで殲滅したんでしょうか?」

 

 副官も加わって三人で話し合う。

 結論は出なかったが、いつまでもこうしてはいられない。ヒュージの亡骸は時間と共に崩壊してしまうからだ。速やかに検査へ回す必要がある。

 

「と、取りあえずガーデンに連絡! 指示があるまで警戒態勢で待ちましょう」

 

 工廠科所属の調査班を含む応援が到着するまで、黒十字マディック隊は奇妙な残骸に囲まれて過ごすことになるのであった。

 

 

 




御台場舞台、期待以上でしたね…
一部謎を明かしつつも続きが気になる引きで。
イルマ編も滅茶苦茶楽しみだけどやはり御台場も楽しみだ。





ところで次はゆずもみでアレをやるんですよね?
たかなほもやったんだからさ(日本人特有の同調圧力)


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第28話 デュエル 二.

 くねくね退治後、関西外征から戦いの連続だったヘルヴォルは交代で休暇を取ることにした。

 

「ちょっと横浜までお買い物に行ってきますね」

 

 その日は千香瑠が休みの番。料理道具や料理の本などを買うつもりである。比較的近場とは言え、わざわざ横浜まで。

 とは言え、今は昔のような東京信仰は薄れている。度重なるヒュージの襲来により、首都一極集中が半ば強制的に見直されたからだ。日本が抱えていた長年の懸案が国土をズタズタにした侵略者によって改善されたのは、皮肉としか言いようがない。

 そういうわけで、本日の千香瑠みたいに東京の外まで物を求めて出ていくのは珍しくもない光景だった。

 

「食べ物買いにいくの? らんも一緒に行っていい?」

「あら、それじゃあせっかくだから中華街にも寄っていきましょうか」

 

 同じく休暇だった藍も連れて、千香瑠は朝早くからエレンスゲのある六本木を後にする。

 都営電車で港区の浜松町駅に向かい、それから京浜東北線に乗り換えて横浜を目指す行程だ。何のトラブルも無ければ一時間も掛からず着く予定である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「藍ちゃん、この餃子は食べたことあるかしら?」

「ギョウザ? ギョウザなら食べたことあるよ」

「ふふっ、これは藍ちゃんの知ってる餃子とは少し違うのよ」

 

 買い物を一通り済ませた千香瑠たちは昼時になって中華街を訪れていた。

 最盛期は250件もの店舗が並んだ日本最大の中華街、横浜中華街。今でも100を超える店が営業する中、二人はとある北京料理店で昼食を取っている。

 

「この餃子はフライパンで焼いたりしないの」

「えっ? 焼かないでどうやってギョウザ作るの?」

「お鍋のお湯で茹でる水餃子っていうものなのよ」

 

 千香瑠が説明している間にも、アルバイトらしき女の子が平皿に盛った料理を運んでくる。頭にお団子を二つ作っているものの、服は洋服の上からエプロンを掛けた普通の格好であった。

 藍はその格好を見てキョトンとする。

 

「チャイナドレス着ないんだね」

「アイヤー、この子何言ってるアルか。チーパオ着て給仕する人間がどこに居るアル」

「そうなの?」

「あと大昔じゃあるまい、アルアル言う中国人も普通は居ないアル」

「居ないんだー」

「居ないアル」

 

 お喋りも程々にして、二人は料理を頂く。

 最初に箸を伸ばしたのは、ついさっき話題に挙げた水餃子。

 

「んー、このギョウザもっちりしてる」

 

 藍に遅れて千香瑠も口の中に入れ餃子の薄皮に歯を立てる。もっちりとした皮の中に包まれていたのは挽肉と、ネギやニラやレンコンといった野菜類。プリプリとした食感はエビだろう。甘辛のタレは豆板醤や生姜がピリリと効いて食欲を増進させてくれる。

 舌鼓を打ちながらも千香瑠は対面の席に座る藍の様子を窺ってみた。

 藍は言葉こそ無いが、黙々と箸を動かし食事に勤しんでいた。少なくとも気に入らない味ではないらしい。

 

(出会った頃はたい焼きにばかり興味が向いていたけど、今では色んなものを受け入れてる。私も腕を振るってきた甲斐があったわ)

 

 ちょとだけ自分の料理に自惚れる千香瑠であった。実際、それが許されるだけのものを彼女は作ってきた。

 そうして木のテーブルに並んだ料理が胃の中に収まった頃、新たな皿がやって来る。皿の上には黄土色の焦げ目が魅力的な焼き菓子が二枚載っていた。

 

「月餅アル。古代王朝時代、さる高名な仙人との賭けに敗れたカバの霊獣が目で食したという由緒正しきお菓子アル」

「そんな由来あったかしら……?」

「これはお店からのサービスアルよ。帰ったらしっかりうちの宣伝するよろし」

 

 謎を残しつつも、千香瑠たちは礼を述べて店を出た。

 藍は後ろを振り向きながら、服の袖に隠れた右手を振っていた。

 

 店のすぐ前の細道から、中華街の中心を走る大通りへと出る。

 藍が隣を行く千香瑠と手を繋ぎながら話し掛けてくる。

 

「美味しかったー。パリパリもいいけど、モチモチもいいね」

「そう。あそこを選んで良かったわ」

「そう言えば千香瑠は朝、何買ってたの?」

「新しい包丁と中華鍋とレシピ本。それと、ワンちゃんの写真集もあるわよ」

「本当?」

「東京に帰ったら一緒に見ましょうね」

 

 喧騒に溢れる歩道の上を並んで歩く。

 出発前は晴れていた空が、今ではは灰色に淀んでいた。

 生き生きとした熱気の漂う街だが、それはそれとして、冬の乾いた風はやはり身に染みる。千香瑠は空いている方の手で、羽織っているコートの襟を整えた。

 その時だ。街頭に立っているスピーカーからサイレンが鳴ったのは。

 

「千香瑠ぅ!」

「ヒュージ警報……」

「行こう! 千香瑠、行こう!」

 

 うずうずと武者震いする藍と目を合わせ、顔を引き締めた千香瑠は静かに頷いた。

 幸い、ほとんどの荷物は街のロッカーに預けていた。背中に背負う大きなケース以外は。

 着ているコートを取り払う。その下には白のエレンスゲ標準制服。

 背負うケースを展開する。中に入っていたのはそれぞれ黒色の槍と濃紫の鉄塊。ケースはチャームケースだった。

 

「ヒュージが出たのは近くの埠頭。急ぎましょう!」

 

 休暇中とはいえ、彼女たちはリリィであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横浜に複数ある埠頭の一つ。倉庫が建ち並び何台ものフォークリフトが鎮座する地へ、千香瑠と藍はヒュージの捜索のためにやって来た。

 

 そのはずだったのだが、二人は一発も撃つことなく一太刀も交えることなく埠頭を去っていた。

 二人が現在訪れているのは、海沿いからも市街地からもある程度離れた木造の小屋。個室が六つに大部屋のリビングが一つある中々大きな小屋である。

 そのリビングのテーブルにて、千香瑠と藍の向かい側に座る亜麻色の髪の少女が神妙な面持ちで頭を下げる。

 

「千香瑠様、藍様。ご助力感謝します」

「でもヒュージ、誰かにやっつけられてたよ?」

 

 藍の言う通り、彼女らが埠頭に駆けつけた時には既にヒュージは撃破された後だった。

 そこで深顯たちと出会い、こうして黒十字マディック隊の用意した拠点に招かれたというわけだ。

 

「深顯さん、この辺りで活動していたリリィは他に居なかったんですね?」

「はい。なのでどこかのガーデンの特務レギオンではないかと考えたのですが……」

「それにしてはあのヒュージの残骸、不自然だったわ。何かに押し潰されたような跡があって」

「そうなんです。一体二体ならともかく、全てがそうでした。千香瑠様、あのような行為が可能なチャームは存在するのでしょうか?」

「うーん……。打撃用のチャームは知ってるけれど、あんなヒュージの体を丸ごと叩き潰せるようなものではないの。藍ちゃんのモンドラゴンでもあんな風にはならないわ」

「だとしたら、新型機の実戦テスト? だから極秘で動いてる?」

「待って。仮にそうだとしても、この横浜でそんなことされて、シエルリントが全く把握してないって話があり得るかしら」

 

 不可解な事態に両ガーデンの人間が頭を悩ませる。

 千香瑠と藍のように、休暇で偶然居合わせたリリィの仕業というのは考え難い。それならそうと分かるからだ。

 リリィはガーデンに定められた国定守備範囲から出るだけで届け出が要る。守備範囲を持たないガーデンでも、遠方に外出する時はやはり同様だ。なので深顯たちシエルリントが調べたら突き止められるはずだった。

 口には出さなかったものの、千香瑠はリリィやヒュージだけでなく怪異の可能性についても念頭に置いていた。しかし残念ながら、現状では彼女にも判断できなかった。

 千香瑠は一旦、憶測で物を考えるのを中断する。

 

「現場をどうにか押さえるのが一番ね」

「はい」

「エレンスゲとシエルリント、両方のガーデンと一葉ちゃんから許可は取ったから。私と藍ちゃんにも出来る限り協力させてください」

「それは、非常に助かるのですが。お二人ともせっかくのお休みだというのに……」

 

 深顯が眉を曇らせ声の調子を下げる。

 幾ら友好ガーデンの知り合いとはいえ、遠慮するのは仕方がない。それは彼女のマディックという立場だけでなく、彼女自身の性格によるものだろう。

 

「フフフ、わくわくする」

「ら、藍様?」

「どんな人がやったんだろうね。きっと凄く強いよ」

「そう、ですね。我々黒十字マディックに課せられた使命は情報取集と偵察ですが、悠長なことを言ってられないかもしれません。よろしくお願いします」

「らんとどっちが強いかなあ? フフフフフッ」

 

 まだ見ぬ強者に思いを馳せて、藍は椅子の上で足をぱたぱたと動かしている。一見すると、子供ながらの危うい好奇心。

 だが千香瑠は藍の態度を窘めたりはしない。以前と違い、今の藍は死の恐怖を、死別の恐怖を味わったことがあるからだ。廃墟と化した遊園地での戦いで。

 あの経験がある限り、不要な危険は冒さないだろう。

 

「ではお二人はこの拠点の一室をお使いください。我々は分散して情報収集に当たっているので、部屋は空いています」

 

 深顯の隊は40人規模で――――リリィのレギオンと比べたら――――大所帯だ。だがこの場に居るのはその三分の一といったところ。

 

「そうそうそれから、今晩の夕食はカレーなんです! 千香瑠様たちには以前ご馳走になってますし、是非召し上がってください!」

 

 神妙な顔から切り替えて、深顯は年相応の明るさを浮かべる。

 

「さあさあ、早速!」

「隊長、まだできてません。早過ぎますよー」

 

 傍らに立つサイドテールの副官が深顯の空回りを止めた。

 それに釣られて千香瑠の目尻も柔らかくなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、再びリビングのテーブルに集まった千香瑠たちは机上に広げられた地図に目を落としていた。横浜一帯にフォーカスされたその地図には、幾つかの黒点と黒点を結んだ一本の折れ線が書き込まれている。

 

「我が隊が調査した、不審な戦闘跡の発見地点です」

「だんだんと海沿いに北上してるわね。街中に出ないのは、ヒュージを倒すことが目的だからなのかしら」

「基本的に住宅地域はエリアディフェンスで守られていますからね。昨日の埠頭に現れたのもケイブからの侵攻ではなく、()()()のヒュージみたいですし」

 

 横浜ネストは既にシエルリントのリリィたちによって攻略されていたのだが、それでもこの地が完全に平和となったわけではない。他地域から流れてきた小規模なヒュージの群れが襲ってくることがあった。

 

「それで、次の出現予想地点がここなのね」

「はい。この三ツ沢の可能性が高いと睨んでいます」

 

 深顯がやけに古風な万年筆で二重丸を記したその土地は、かつて住宅・商業地域だった所である。ヒュージとの戦闘により住民が出ていき、今ではすっかり人気の減った寂しい場所になってしまったが。

 

「海沿いではなく、内陸部ね」

「そこは私たちも悩んだんです。ただ、ここから北の埠頭は横浜駅の目の前で人目が多いので。今までの傾向から避けるんじゃないかと思いまして」

「確かに、ヒュージだけを倒して迅速に姿を消している辺り、あり得る話だわ」

「最低でも対象の正体を掴めれば良いので、不要な戦闘は仕掛けません。2個分隊に海岸沿いを監視させ、残りでこのポイントに張り込む予定です」

 

 千香瑠も深顯の方針に異論は無かった。こういった調査や偵察任務は彼女の方が長けているのは明らかだ。

 その後、地図を畳んだ深顯は左隣に立つ副官に目を向ける。

 

「皆揃ってる?」

「はい、隊長。海岸線を監視中の第5と第6以外は揃っています」

 

 続いて右隣に立つ第1分隊長の方を向く。すると深顯が問い掛ける前に、望む答えが出てくる。

 

AHW(アンチヒュージウエポン)の整備も済んでます。いつでも出れますよ」

「了解。では、千香瑠様と藍様さえよろしければ早速出発したいのですが」

 

 勿論、千香瑠は首を縦に振る。そのために横浜に残ったのだから。

 隣の藍がいまいち元気が無さそうなのは、朝早いから。だがそれもすぐにいつもの調子を取り戻すだろう。

 床板をキシリと鳴らせて千香瑠は立ち上がった。次いで傍に立て掛けていたチャームを手に取る。今度はケースに仕舞わず、抜き身のままで。

 

 千香瑠たちが外に出てみると、小屋の裏にある空き地には同じ黒衣を身に付けた少女の集団が五人ごとの列を作っていた。

 彼女らの列の前に、先程まで小屋の中で話していた三人のマディックが立つ。隊長と副官と第1分隊長。黒十字マディック隊の作戦立案はこの三人で行なっているようだ。

 

「昨今この横浜を騒がせている仮称(エックス)の捜索だけど、本日はこれまでの情報に基づいて割り出した地域に向かいます。対象に遭遇する可能性が高いので注意するように。繰り返し言っているように、Xに対して不用意な発砲は厳禁です。今のところはまだ、ヒュージを倒しているだけだから」

 

 Xというのは件の存在のコードネームだろうか。隊員たちの見つめる前で深顯のブリーフィングが続く。

 

「本作戦は、シエルリントの友好校であるエレンスゲ女学薗の御二方に協力して頂きます。各員、知と魔導のガーデンの名に恥じぬ働きを心しなさい!」

 

 同年代の少女と比べても低身長で痩せ型。流石に藍よりは上だが、千香瑠などと比べると大分幼く見える容姿。そんな深顯が数十名の部下に訓示を示す光景は本来なら不自然に映りそうなものだが、この黒十字マディック隊に関して言えば、不思議と様になっていた。

 

「部隊の一体感がそうさせてるのね」

「なーに?」

「皆とっても仲良しってこと」

 

 朝の微睡から完全に覚醒し切った藍に答えながら、千香瑠は改めてマディック部隊の編成を確認する。

 四個分隊20名の戦闘要員に救護班の4名、隊長と副官からなる隊本部2名が実地に赴く人員だ。整備班の4名はいわゆる『戦うアーセナル』ではないので拠点で待機する。

 訓示を終えて隊の半分を先行させた深顯のもとに近付いていき、千香瑠は小さめの声で話し掛ける。

 

「深顯さん、少しご相談が」

「あっ、はい! 何でしょうか?」

「もし戦闘になったら、私は深顯さんの指揮下に入るつもりなのだけど」

「ええっ? わ、私がリリィの方を指揮するんですか?」

「大人数の部隊指揮は貴方の方が適任です。土地勘もあるでしょうし」

「それは、そうですけど……」

「ただ、藍ちゃんに関しては細かな指示は難しいと思うの」

「そうですね……。藍様の戦いぶりはよく存じ上げています。無理に合わせようと考えない方が良いでしょう。ですが、それならそれで戦闘に組み込む方法もあるかと」

 

 深顯が幾つかの戦術プランを語ってくれた。

 細かな指示を受け付けない藍をフォーメーションに組み込むのはヘルヴォルも普段からやっていることだが、やはりマディックの部隊になると勝手が違ってくる。

 聞きに徹した千香瑠に対し、やがて話し終えた深顯は恐縮したように目線を下げる。

 

「な、何だか済みませんっ。出過ぎたこと言って」

「いいえ、やっぱり深顯さんにお願いして良かったわ」

 

 目を細めた千香瑠に真正面から褒められると、はにかんだ深顯は顔を崩し白い歯を見せる。

 元より表情がころころと変わる娘だが、千香瑠にはこの照れ笑いが一番可愛らしく思えた。

 

「隊長! そろそろ我々も出発する時間ですよ」

「えぁっ? ああ、そうだった。ごめんなさい」

 

 副官に呼ばれて我に返ったかのように驚くと、指揮官の顔に戻り号令を発するのだった。

 

 

 



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第29話 デュエル 三.

 エレンスゲ女学園とシエルリント女学薗。友好ガーデン同士で共にマディック部隊を保有するが、その運用思想には違いがある。

 エレンスゲは基本的にマディックを分隊単位の少人数で運用し、大規模作戦等では必要に応じて複数の分隊を結集させる。

 一方のシエルリントでは、黒十字マディック隊を見れば分かる通り、最初から小隊規模で運用していることが多い。

 これは普段からの作戦内容の差異からくるものだった。

 露払いや時間稼ぎなど、エレンスゲはマディックをあくまでリリィの支援要員として投入していた。

 それに対してシエルリントの場合、マディックのみでの威力偵察や警備任務を積極的に課している。無論、小型・中型ヒュージを相手に想定してのものではあるが。

 

「先行していた第3分隊と第4分隊が当該地域でヒュージを確認しました」

 

 拠点から作戦地域に向かう途中、1トン半トラックの荷台で深顯が現状を説明する。

 マディックもまた、リリィと同じく運転免許取得試験の年齢が引き下げられた存在だった。取り分けシエルリントのマディックは大人数での行動が多いため、中型免許の取得が推奨されているらしい。

 もっとも、こういった免許試験の要件緩和は彼女たちに限った話ではない。一般社会の間でも似たようなことは起きている。過去に運送業界のドライバー不足から中型免許の下に準中型免許を新設したように、ヒュージと戦争中の現在も人手の確保に迫られているからだ。

 

「数は今判明しているだけで15。そこそこ多いですが、いずれもスモール級ばかり。恐らくは相模原方面から流れてきた群れでしょう」

 

 相模原には鎌倉府5大ガーデンの相模女子高等学館がある。しかし彼のガーデンは西方の富士河口湖に根を張る河口湖ネストからの侵攻に備えて西の守りに重きを置いていた。なので小型ヒュージの討ち漏らしが出てもそうおかしい話ではない。

 

「我々の使命は仮称Xの調査ですが、しかしヒュージを発見した以上放っておくことはできません」

「そうね。居住区域に近付く前に撃破すべきだわ」

 

 千香瑠も迷わず深顯に賛同する。

 あそこは住民が少ないというだけで、全くの無人地帯ではない。大型ヒュージさえ居ないのなら、近くに居る彼女たちが対応するのが一番だ。

 それに、ヒュージある所に例の存在あり。何かしら掴めるのではないかという考えも千香瑠にはあった。多分、深顯も同様だろう。

 

 やがて、深顯たちを運ぶトラックが目的地に至る前に停車した。ここから先は徒歩だ。決して快適とは言い難い、荷台に揺られての旅は終わりである。

 まず最初に荷台の後部からマディックたちが降り立ち散開。然る後に千香瑠と藍、隊長の深顯と副官が降車した。

 周囲に見えるのは、家主の無い住宅の数々。住民がより安全な他地域に越していったため、ちょっとしたゴーストタウンと化した場所。

 ここでなら思う存分戦えるが、少し離れた所にはまだ人が住んでいる。やはり早めに片付けるのが正解か。

 

「ヒュージの群れはこの通りの先のバス車庫跡に留まっているそうです。先行部隊はまだ気付かれていないので監視を続けています」

「広い所に集まってるなら好都合ね」

「はい。私たちの使うAHW(アンチヒュージウェポン)は取り回しがよくありませんから……。とにかく、焦らず注意しながら迅速に向かいましょう!」

 

 千香瑠が深顯に頷いた後、部隊はゴーストタウンの奥を目指して移動を開始する。

 乗ってきたトラックとは暫しのお別れだ。道路の横に広がったスペース、バスの停留所跡に残ってもらう。

 軍からの払い下げ品であり、オリーブドラブからブラックに塗り直された1トン半トラック。千香瑠はその横を通り過ぎながら車体を一瞥する。藍はと言うと、実際に乗ったのは初めてなせいか、少しの間じっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人の街を十数名の少女たちが行く。幅広のバス通りを挟むよう両脇の歩道に分かれ、二本の縦列となって進軍する。

 道中、道路を横断する際は一人ずつ跳躍で一気に。それ以外の時は歩道横に立つ建物に沿うように速やかな歩行で進む。高く跳べば時間を短縮できるが、敵が潜んでいる可能性があるのでこうして地を這っているわけだ。

 千香瑠は隊列の最後尾から、道路の向こう側で同じく最後尾を務める藍の方を横目で見る。特に問題無く付いてきていた。次いで、改めて街中の様子に注意を向ける。

 

(ここで大規模な戦闘があったわけじゃないみたい。でもよく見れば、建物も道路も傷んでる)

 

 建ち並ぶ商店や会社事務所の前には落ち葉等のゴミが散乱し、足元の歩道や車道は所々舗装が削れたままだった。

 流石に蔦や苔が建物を覆ったりはしていない。まだそこまで時が過ぎてはいないのだろう。このまま人類が勢力を取り戻せなかったらその限りではないが。

 

 幸いなことに、千香瑠たちはヒュージと遭遇せずに先行部隊と合流できた。

 場所は報告にあったバス車庫近くのマンション。二人のマディックがマンションの上階からヒュージの動きを監視しつつ、残りが地上で待機していた。

 

「ヒュージの数ですが、あれから更に増えて30体になりました。でも近くでケイブは発生していません。バス車庫の後背にある崖の向こうからやって来ました」

「この辺りはまだ小型エリアディフェンス発生装置の範囲内だから。とすると、やっぱり相模原方面から来た群れか」

 

 深顯は四人の分隊長と副官、それに千香瑠と藍を集めて先行部隊の隊員から状況報告を受けていた。

 会議場所はマンションの一階にあるエントランス部分。あまり高級な物件ではないらしく、オートロックや監視カメラは見当たらないが、宅配ボックス付属のそこそこ広い空間だ。

 

「ケイブが無いなら焦る必要はありません。ここから逃がさないよう、包囲して確実に仕留めるのはどうでしょうか?」

「でもでも、自棄になったヒュージが突撃してきたら、私たちの薄い包囲じゃ破られるかもしれませんよ」

「そうね……。車庫の敷地の西側、この見晴らしのいい開けた所だけ包囲に穴を空けておいて、それから徐々に狭めていきましょう。西側にヒュージが集まってきたところで、待機していた藍様に出てもらうの」

 

 第1分隊長と副官、それに隊長の深顯が作戦を練っていく。

 当たり前だが、千香瑠は事前に黒十字マディック隊の指揮序列について深顯に尋ねていた。

 次席指揮官、即ち副隊長に当たるのは第1分隊長だ。黒髪をアップに纏めたツリ目の娘だった。そして三番目が副官、茶髪をサイドテールにしたタレ目の娘である。

 軍事組織において、副隊長と副官では役割が異なる。隊長から指揮を引き継ぐのは副隊長。一方、副官は指揮官の事務や雑務を補佐するのが仕事であり、部隊の指揮は執らない。

 もっとも、それは一般的な軍隊の話であり、彼女らのような小規模な隊はもっと柔軟に動いていた。現に副官である彼女、物腰柔らかで秘書的な雰囲気を持つ娘が第三席に位置するのだから。

 ちなみに千香瑠たちヘルヴォルの副隊長は恋花である。戦術理解の高い彼女は適任だ。ただし、より人数の少ない五人制レギオンゆえに、運用の柔軟性は深顯たちより更に高かった。

 

「千香瑠様」

 

 深顯に名を呼ばれて千香瑠は居住まいを正す。

 

「千香瑠様には、最も危険が予想される北側の包囲に加わって欲しいのですが」

「敷地後背の崖側ね。ヒュージの増援が増えるとしたら、ここから。了解しました」

 

 どこかに放棄されていたのを引っ張ってきたのか、エントランスの中央に置かれた机。その机上でバス車庫付近の見取り図に目を通しながら確認する。

 都合良くそんな図があるとは思えないので、マディックたちが即席で作ったものだろう。実際、手書きで書かれていた。端っこにデフォルメされた深顯らしき顔が描かれているのは御愛嬌だ。

 

「藍ちゃん、ちょっとの間だけ離れて戦うことになるけど、大丈夫よね?」

「うん。深顯たちがヒュージを集めて、らんがそれをやっつければいいんだよね」

「ええ、その通りよ。出番が来るまで待っててね」

「でも、初めかららんが行ってやっつけたら駄目なの?」

「そうね、藍ちゃんならあの数が相手でもへっちゃらでしょうけど。だからこそヒュージが逃げ出すかもしれないの。それに今見えてる敵だけが全てとは限らない。余裕がある時こそ確実な戦いをしましょう」

 

 藍への説明とは別に、千香瑠にはもう一つ懸念があった。深顯たちが元々探していた仮称Xのことである。

 

(これまで通りヒュージだけが攻撃対象で、人目からは隠れているのならいい。だけどもしこの戦闘に介入してくるようなら……)

 

 千香瑠はXの正体について、どこかの特務レギオンのリリィなどではなく、怪異の類ではないかと疑っていた。

 怪異であれば何を仕掛けてくるか分からない。その点でも、深顯たちが立案した慎重策に賛成であった。

 

「そんなことまで考えてるんだ。凄いなぁ、千香瑠」

 

 もっとも藍はと言うと、千香瑠がした説明だけで、納得どころか感心してしまったようで。

 

「考えたのは深顯さんたちよ」

「そっかー。凄いなぁ、深顯」

 

 トテトテと深顯の傍に近付いていき、自分よりも多少背の高い彼女へ抱き付いた。白い頬っぺたによる頬ずり付きだ。

 

「へぁっ!? ぷにぷに……じゃない、藍様、駄目ですよ!」

「でも深顯もぷにぷにだよ?」

「ぷにぷにじゃないですっ!」

 

 引っ付いた頬をむぎゅむぎゅと潰したり膨らましたりする二人。

 その場に居たマディックたちもさぞ和んだことだろう。千香瑠も勿論「あらあら」と微笑み顔。

 だがそんな中、千香瑠はふとあることに気が付いた。深顯と藍の斜め後ろに立つ第1分隊長から、熱視線が注がれていることに。

 

「…………」

 

 口元を引き締めたまま黙し、ツリ目もキリリと凛々しい。

 しかし千香瑠には分かった。これと似たようなものをしょっちゅう見ていたから。

 

(この子もしかして、瑤さんと同じタイプの子かしら?)

 

 美人は趣向も似るのだなあ、と一人納得する千香瑠である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして黒十字マディック隊+αの包囲作戦が開始した。

 千香瑠とマディック一個分隊五人がバス車庫の敷地を迂回し、ヒュージに悟られないよう後背に広がる小高い崖へと移動する。

 崖より奥は木々と草むらばかりで人家は見えない。ヒュージはこちらから流れてきた可能性が高いので、新手の警戒も必要だ。

 何事も無く位置に着いた千香瑠たちは崖上の茂みに身を潜めつつ、敵群の居る場所を見下ろした。

 かつてバス会社の営業所として使われていたコンクリートの二階建て。そこからやや離れた所に、大型車を10台は詰め込めるであろうバス用のガレージ。バスの入れ替えを行なうため広々とした敷地。

 そして肝心のヒュージは営業所とガレージの間、決して広くはない空間に固まっていた。

 

「見える範囲で20体……。少し少ないわ」

「残りはガレージの中です。ここが放棄された際、車両は全て持ち出されたみたいです」

 

 隣のマディックが千香瑠の疑問に答えてくれた。

 確かにバス用のガレージなら、スモール級ぐらい余裕で潜伏できるだろう。

 今見えるのはスモール級のオルビオ型だけ。密集に近い状態で、あちこちの方角を向いていた。

 

「まるで何かに警戒しているみたいですね。それとも、増援を待っているのかしら?」

「私たちが見張ってる時からずっとこの調子でした」

「そう。だったらどちらとも取れますね」

「私たちの役割は背後の監視と、下への支援射撃になります。千香瑠様には、初めは支援の方に加わって欲しいとのことです!」

「ええ、そのつもりです」

 

 刃をチャーム本体の下部に折り畳んだシューティングモードのゲイボルグ。そのグリップ部分を握り締め、千香瑠は射撃体勢に移る。チャームは普通の銃より大きく嵩張るので、伏せ撃ちではなく中腰の姿勢を取っていた。

 マディックたちも千香瑠と同様に射撃体勢に入っていく。彼女たちの得物は、制服と同じ黒色に塗られた長銃身のライフル。AHWと呼ばれるマディック用の武器である。

 型式番号AHW-11。深顯たち黒十字マディック隊が装備するAHW。シエルリントの主力チャーム採用メイカー、北欧フィンランドのリンヌンラタエレクトロニクス社が開発したAHWだ。既存の技術ばかりで作られた現行機であり、これと言って特徴的な機構は有さない。よく言えば堅実な機体と聞いている。

 一機のチャームと四機のAHWが茂みの狭間から突き出た形で、遠く離れたヒュージたちを睨む。一人は後方の山林を警戒する。

 その最中、千香瑠は横目でマディックの様子を窺ってみた。

 

(この子たちは、そこまで緊張してないようね。良かった)

 

 近くにリリィである自分が居るからだろうか、と千香瑠は安堵する。

 狙撃に過度な緊張は禁物なのだから。

 

 

 そうして千香瑠たちが身も息も潜めて少しした後、全分隊準備完了の確認が取れ、改めて隊長からの通信が入る。

 

「総員、作戦開始」

 

 深顯らしからぬ簡素で簡潔な号令が下された。

 直後、バス車庫の広々とした敷地に幾つもの発砲音が響き渡る。

 陣形を密にしていたヒュージの中に爆炎が立ち昇った。集中攻撃を受けた一体が火柱を噴き上げたのだ。その光景は遠方の千香瑠からもよく見えるほどだった。

 奇襲は成功と言っていい。ヒュージたちは建物とガレージの狭間の狭いスペースから逃げ出すように、我先にと散開し始める。

 そこへまたAHWの発砲音。突出した敵が何発もの射撃を浴びて体中から火を噴いた。

 

 AHWはリリィに比べてスキラー数値――――マギ出力に劣るマディックがヒュージに対抗するための武器。その出力の低さから単射しかできない。また構造上の理由と命中率を高めるために、銃身が長くなる傾向がある。それに加えて攻撃が通用する相手は、通常兵器と同じくミドル級までだった。

 しかしそんなマディックとAHWが運用され続けているのには訳がある。

 リリィほどではないにしろマギを扱えるマディックはリリィと同様に身体能力強化や防御結界を使えるし、リリィの支援系レアスキルの恩恵を受けることができた。

 AHWがラージ級に通じないのは火力の問題であり、今後の技術発展によっては解決できる可能性が存在した。

 エレンスゲはリリィと組み合わせることで、シエルリントはAHWの強化によって、それぞれの観点からマディックの運用法を模索していたのだ。

 要求スキラー数値の低いマディックの力が底上げされれば、ガーデンの戦力層は大分厚くなるだろう。

 

 

「第1第2第4分隊、前進しつつヒュージを追い立てなさい。第3分隊は、逃げる敵を優先して狙って」

 

 第3分隊とは千香瑠が同行している分隊のこと。

 深顯からの通信に前後して、崖上からの射撃が隊列を崩したヒュージへ降り注いでいく。

 千香瑠のゲイボルグもまた標的を定めていた。群れから離れて明後日の方角へ走り出した個体。その行き先を予測して、やや前方を狙いとする。

 直径3メートルほどの球状をした標的。一般的なオルビオ型だが、スモール級だけあって動きは速い。太い鎌のような三本脚を互い違いに前後させ、アスファルトの敷地の上を駆け抜けようとする。

 千香瑠はゲイボルグのトリガーを引き絞った。銃口から一条の光が奔り、狙い違わずオルビオ型の横っ面を撃ち抜いた。

 

「次」

 

 撃破した標的が地に倒れ伏すより先に、千香瑠はまた次の標的を探す。

 左右に視線を動かしていると、バスガレージの異変に気が付いた。裏側に亀裂が入ったかと思ったら、次の瞬間、派手な音を立ててコンクリート製の壁が崩れ落ちた。

 

「ガレージ裏、中の敵が出てきます」

 

 千香瑠の無線を受けて、マディックたちの射撃が壁に開いた穴へと集中する。

 弾丸が風を切り、壁の破片が当たりに飛び散り、薄暗いガレージ内に白煙が立ち込めていく。

 そんな攻撃の合間を縫って、中に潜んでいたモノが動き出す。コンクリートの瓦礫を押しのけ撒き散らし、中から外へと飛び出したそれは四本の足で舗装された地面に着地した。

 肥大化した頭部に、人など容易に噛み砕けそうな大きな前歯と丸みを帯びた耳を持つファング種。フィープ・ピープ型。

 まるで巣穴から這い出てくる鼠の如く、同型の後続がわらわらと湧いて出て10体となった。

 

「ちょっと厄介ね」

 

 千香瑠は小さく呟いた。

 スモール級の中でも機動力が高くパワーもあり、それに加えて群れでの連携を得意とするヒュージだった。

 鼠の群れは周囲を見回す。見回しながら両の耳を前後に震えさせる。レーダーアンテナの代わりだろうか。

 少しずつ前進して包囲の輪を狭めていたマディックたちに対し、鼠は上顎を開き前歯を見せつけて威嚇した。

 包囲の足が一旦止まる。

 その隙に鼠の群れが一斉に走り出した。マディックの姿が無い敷地の西側に向けて。

 

「作戦通り残敵が西に向かっているわ。漏れが無いよう追い立てつつ、できるだけ数を減らしてっ」

 

 深顯が指示を出すと、AHWによる追撃が激しさを増す。

 だが的はすばしっこい上、左右へ小刻みに蛇行運動しながら疾走していた。追い縋る弾丸を躱し、あるいは背に受けながらもひたすらに走り続ける。距離もあって有効打は中々出なかった。

 そこへ千香瑠は視線と共にゲイボルグを動かしていく。標的は群れの先頭を行く鼠だ。その未来位置を予測するために相手の足と自身の引き金を引く指の速さを考慮し、それから撃つ。

 後方からレーザーに射られた鼠は少しの間走り続けたまま、やがてバランスを崩して前のめりで盛大に地面に突っ伏した。

 倒れた鼠のすぐ後ろの鼠は咄嗟に進路を変えるのだが、そこへまた飛んできたレーザーに体を貫かれることになる。

 撃った所に、的の方からやって来たかのような光景だった。

 

「あとは任せるわね」

 

 戦いが始まってすぐに逃走を選んだヒュージに違和感を覚えつつ、千香瑠は作戦の推移を仲間に託す。

 残る敵が逃げたのはバス会社の敷地の(きわ)だった。このまま進めば民家の立ち並ぶ住宅区跡地に出る。街中で面倒な追い掛けっこをするはめになるだろう。

 あと一息というところで、ヒュージたちが更に行き足を速めて一目散に離脱を図る。

 だがしかし、大地を揺らして突進する先に人影が一つ。

 

「藍様! お願いします!」

「はーい」

 

 民家の影から、自身の身の丈に匹敵する得物を抱えた藍が姿を現した。

 

 

 




バトルものは長く続くと百合要素が薄くなりがちなのがネック。
なに?「たかなほは戦闘中でもイチャついてたぞ甘えんな」ですって?
それはそう…


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第30話 デュエル 四.

 深顯たち黒十字マディック隊と千香瑠の手から逃れたヒュージはフィープ・ピープ型が七体にオルビオ型が四体。

 それら残党はあと一歩で開けた敷地から抜け出せるといったところで、出番を待ち侘びていた藍の待ち伏せに遭っていた。

 この時、ヒュージは判断を誤った。当初の目的通り逃走を優先するなら、バラバラに走った方がまだ可能性があるというもの。ところが彼らはそうはせず、たった一人踏み潰して突き進めば良いと判断した。

 その結果が、今である。

 

「サーチャーにヒュージ反応無し」

 

 通信機からマディックの声が聞こえてくる中、藍は金属の塊や破片が散らばる中を無造作に歩いている。

 ついさっきまでヒュージを構成していた物体。銀灰色の装甲や黒いチューブのような触腕の束。それらは皆、藍のチャームによって解体され辺りに転がされたものだった。

 せいぜい十体程度のスモール級が、ヘルヴォルのメインアタッカーを腕尽くで突破できるはずがなかったのだ。

 

「もう終わりー?」

「そうね、今のところは。でもまだ注意しててね」

 

 不満そうな声を上げる藍に対し、通信機越しの千香瑠は宥めるかのような穏やかな声だった。

 実際、黒十字マディック隊の作戦行動はまだ終わってはいない。

 

「第2分隊、念のためガレージの瓦礫の下も確認して。残りは周辺警戒を。負傷した人が居たら、マンション一階の救護班のもとへ」

 

 深顯の指示が飛ぶ。

 ヒュージサーチャーといっても絶対ではないので確認は欠かせない。

 

「ん~~~」

 

 藍は千香瑠に言われた通り、首を振ってきょろきょろと周りを見回していた。

 ヒュージの姿は見えない代わりに、敷地を囲むフェンスの一角が破れていた。前からこうなのか、それとも先程の戦闘で流れ弾を浴びたのか。

 藍は何の気なしに破損したフェンスの方に歩いていった。方角で言えば北、裏手に崖が広がる側。千香瑠の配置場所とはまた違う場所である。

 何か強い力で捩じ切られたと思しき断面の、格子状のフェンス。その前までやって来たところで、藍は不意に動きを止める。

 

「…………」

 

 ふと気付いた違和感。

 それは第六感だとかマギがどうとか、藍には上手く説明できない。

 だが違和感が気配に代わるのに時間は掛からなかった。

 

「何か居る」

「藍ちゃん?」

「行ってくる!」

「藍ちゃん!」

 

 千香瑠にそう言うと、藍はフェンスを抜けて駆け出した。目の前に広がる10メートルもない崖へ、マギの力で一足飛びに飛び乗った。

 

「藍ちゃん、待って!」

「急がないと逃げられちゃうよ!」

 

 藍は躊躇せず草むらの中に分け入って、気配の方へと走り続けた。

 その直後、別件で無線が俄かに慌ただしくなる。

 

「ヒュージ反応です! 北側、千香瑠様の後方! 数は20以上! ミドル級含む!」

 

 サーチャーを監視していたマディックが事態の急変を知らせてきた。

 その時、深顯がすぐさま指示を出せないでいると、千香瑠が先に通信機のスイッチを押した。

 

「深顯さん、ヒュージの殲滅を優先しましょう」

「いえ、ですが、千香瑠様は……」

「藍ちゃんなら少しぐらいは大丈夫。それより居住区に近付かせないよう、速やかに倒しましょう」

 

 千香瑠の果断な提案。

 それを受けた深顯の息を飲み込む音が無線に入る。

 

「分かりました。第3分隊は千香瑠様を援護。第2分隊はこの場に待機。第1と第4で崖上に上がりヒュージを迎撃します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草に覆われた地面を蹴りつける藍の足取りは軽い。

 

「あったかい。きっと千香瑠だ」

 

 去り際、ヘリオスフィアを使ってくれたのだろう。藍を包むマギは普段よりも強く、毛布にくるまっているみたいに暖かい。

 背後から銃声は聞こえてくるが、前方にはまだおかしな物は見えてこない。

 走っている内にだんだんと木々の密度が増えてきて、街中の景色から遠ざかっていった。

 

「……ヒュージ?」

 

 視界の先に、藍は銀灰色をした物体を発見した。正四角形のブロックめいた胴体から四角柱の三本脚を生やしたラージ級。藍に気付いていないのか、背を向けている。

 実の所、藍が覚えた違和感はあれではなかった。だが目に入って放っておくという選択肢は彼女には無い。

 チャームを構えてそろりそろりと近付く。気付いてないなら都合が良い。周囲の枝葉が邪魔にならない所まで距離を詰めるために。

 

(硬いやつだ)

 

 後ろ姿を見た藍は思い出す。四角ブロックのヒュージはテンタクル種のヴュルフェル型。外見通り、堅牢な装甲を備えたヒュージである。

 そのヴュルフェル型が突然動く。だが背後からの敵に勘付いたわけではない。藍へ無防備に背を晒したまま、前に走り出したのだ。

 

「わ、わっ。待って~」

 

 藍も後を追い掛ける。

 エレンスゲの白い制服は緑の中でよく目立った。

 しかし一般的にヒュージはマギや熱探知を駆使して索敵する。視覚もあるが、色の違いについてはあまり反応を示さないと考えられていた。

 故にエレンスゲに限らずリリィの纏う制服の意匠は、敵に対してではなく傍に並び立つ同じリリィに対して意味を持つことが多い。

 

 程なくして前方を行くヒュージの足が止まる。

 藍もすぐに立ち止まる。

 杭のような脚を地面にめり込ませたかと思ったら、ヒュージが前に向かって跳んだ。跳んだ先にあるのは10メートル程の崖だった。

 

「えーっ?」

 

 突然の奇行に驚く藍。

 だが全高10メートルのヒュージは崖にぶつかる寸前、真下の地面に叩き付けられる。

 ヒュージを迎え撃ったのは巨大な手であった。手の形をした土の塊だった。

 よく見ると、崖だと思った物は小山の如き土壁だった。

 

「なに? なに?」

 

 目の前の光景を見てハテナマークを浮かべる藍だが、更に不可思議な事態は続く。

 金属の激しく擦れる音を上げつつ脚を駆動させ、立ち上がったヒュージが再び突進する。

 土壁に金属隗が激突して砂埃が辺りに舞った。しかし土壁は微動だにせず、後ろに倒れることもない。

 二本の土の手が左右からヒュージの体を挟み込んで持ち上げた。そのまま下に叩き付け、上げて、また叩き付けて。

 ヒュージの胴体中央に光る三つの光点からレーザーが発射される。続けざまに三連射、次いで三連射。ほぼほぼ密着状態で放たれたそれは土壁を貫通するが、ヒュージを掴み叩き付ける手を止めるには至らない。

 

(まるで怪獣映画みたい!)

 

 地響きを立てて繰り広げられる攻防。藍は無邪気に感動した。

 ヒュージが仲間割れするところなど見たこともなかった。そもそも片方は明らかにヒュージではないのだが。

 

 やがて化生どもの戦いに終わりが近付いてくる。

 ヒュージの胴体が上下に開閉し、中から何本もの黒色チューブパイプが飛び出した。ヴュルフェル型の触腕だ。

 触腕は土壁の体を打ち据え、土の両腕に絡み付く。そのまま力比べに移行した。

 ミシミシと金属音。金属がひしゃげる音だ。

 ブチリと不快な音。触腕が引き千切られる音だ。

 気付けば高さを増した土壁がヴュルフェル型の上から伸し掛かり、押し潰しに掛かっていた。

 上下左右に藻掻いていたヴュルフェル型の三本脚がその内動かなくなった。

 金属の残骸からゆっくりと離れた土壁に、藍は足を踏み出しながら話し掛ける。

 

「貴方がヒュージをやっつけてたの?」

 

 深顯と共に追い掛けていた一連の事件のこと。

 しかし返ってきたのは肯定でも否定でもなく、土の巨腕であった。ある程度長さを変えられるのか、藍の目と鼻の先まで伸びてきた腕が横薙ぎに払ってきた。

 

「わっ!」

 

 慌てて後ろに跳ぶものの、藍はますます好奇心を強めて再び前に踏み出していく。

 

「戦いが好きなの?」

 

 それは藍が何となく感じ取ったことだった。ちょっとだけ自分と似ているのではないかと。

 すると今度は土の拳が落ちてくる。

 自身の全身より大きな拳骨を、藍は横に跳んで躱した。

 

「お前では、ない」

 

 くぐもったような低い声が聞こえる。人のものとは思えないが、いつぞやのリンフォンよりは聞こえやすい声だった。

 

「らんじゃないの? じゃあ千香瑠? 千香瑠はとっても強いよ! でもらんも強いから、らんと遊んでよ!」

 

 藍は自慢げにモンドラゴンを高々と掲げる。高いと言っても、無論土壁よりはずっと低い。

 土壁がまた拳を振り下ろす。

 藍も今度は避けず、ゴルフクラブよろしく振り上げたモンドラゴンで迎え撃つ。

 両者の体格差は歴然。だが互いの一撃は拮抗し、少しの膠着の後に双方とも後ずさった。

 

「うーっ、手が痺れた……」

 

 グリップを握る両手への負荷に、藍は思い切り顔を顰める。

 一方の土壁は一度拳を収めると、黙して語らず真っ直ぐその場に立った。人間で言うところの「襟を正す」というやつか。

 

 土と岩石で構成されたその体には顔らしき部位は見当たらない。ただ太い両腕があった。足元は地面に埋もれているようだが、腕と同じく脚の長さも可変なのかもしれない。

 

 ようやく自分と()()()遊んでくれる気になった。藍は直感的にそう思った。

 チャームのグリップを力強く握り直し、身に纏うマギを高めていく。

 最高潮に達したマギは藍にレアスキルを発動させた。上下に開かれた瞳が金色に染まり、あらゆる身体機能を超常的なまでに上昇させる。

 藍は右肩の上にチャームを掲げ、同時に右足を後ろに引いて構えを取った。訓練で習った通りの型かは本人にはいまいち分からない。レアスキル『ルナティックトランサー』発動中のことだから。ただ体に染みついたものに従い手足を動かしていく。

 土壁もまた、地面に下ろしていた右手を持ち上げた。手に付着した砂をパラパラと落としながら、中腰の位置で拳を構える。彼にとっては中腰だが、藍からすると頭よりもずっと高い。

 

「いざ」

 

 その台詞と共に土壁は地面の上を滑るように前に出た。

 

「しょうぶ!」

 

 そう言って藍も地を蹴り駆け出した。

 勢い付けて飛び出した藍の前に拳が降ってくる。

 藍はほとんど直角に近い角度で右方向に跳ねた。身体構造も物理法則も無視するレアスキルの為せる業。

 地面を殴り付ける轟音と飛散する埃を横から浴びる藍へ、お次は土壁の左拳が飛んでくる。

 藍は右足での着地の直後、左足で地を蹴って再び右に跳ねた。またもや拳は空振りし、ボサボサの灰色髪を風圧で靡かせるに終わる。

 二本しかない腕を使わせた。今度は藍が仕掛ける番だ。着地した右足を軸にして90度くるりと敵へ向き直る。

 ところがそんな藍の足元を激しい震動が襲う。

 

「わあっ!」

 

 正面の地面から隆起した土の柱が藍を弾き飛ばした。小さな体が宙を舞い、そこに続けて何本もの土柱が取り囲むように伸びてくる。一本一本が意志を持っているのかと思わせる包囲網により、完全に閉じ込められてしまった。

 突如として形成された土の檻。それは中に捕らえた得物を押し潰そうと地中に戻ろうとする。

 その時、檻を構成していた土が弾け飛んだ。360度、全周が一辺に。

 崩れる落ちる土砂の中では独楽が踊っていた。自身の体を独楽にして、鉄塊を振り回す藍だ。

 

「うぅーっ……」

 

 回転を止めると、低く唸りながら左右に足をふらつかせる。視界がぐわんぐわんと揺れ、天と地が逆さまに見える。

 だが拳を振り上げた土壁が近付いきた途端、藍は金色の目を大きく見開いてチャームを構えた。

 ふらつく足取りのままに、左右へステップを踏んで間合いを詰める。不規則な動きで相手に的を絞らせず、巨腕を掻い潜って懐に潜り込んだ。

 モンドラゴンの横一閃が土壁の胴を打つ。

 間髪入れず後ろに回り込み、もう一度胴薙ぎが繰り出される。

 至近距離でちょこまかと立ち回る藍に対し、土壁の背から土の柱が隆起してきた。その一突きはチャームの腹を盾にした藍を防御の上から突き飛ばす。

 地面を転がり土塗れになった後、藍は二本の足で危なげなく立ち上がった。

 土壁は藍に背を向けたままで迫ってくる。この存在にとっては、背も腹も前も後ろも違いが無いのだろう。

 

「フフッ、楽しいね!」

 

 口角を上げて笑う藍は自らの足裏にマギを集める。そうして高々と、土壁の背丈の10メートルを優に超えて跳び上がる。

 空中で小回りの効かなくなった敵を迎え撃とうと、土壁の両手が頭上でがっちりと組まれた。一つの土塊となり、巨大な(ハンマー)の如く猛進する。

 振り上げ振り下ろされた槌の一撃をスレスレのところで躱し、藍のモンドラゴンが大上段から土壁の体に振るわれる。土の中にめり込んだ鉄塊は纏うマギをそのまま爆発させた。

 あちこちに土砂が降り注ぐ。藍自身も宙に放り出され、その辺りの草むらに墜落していった。

 

 藍が草や土の匂いと戯れていたのは僅かな時間であった。

 むくりと起き上がると、自分が戦っていた相手の方へ歩いて近付いていく。

 その時はまだ土壁は立っていた。胴体上部の中央が大きく抉れているが、土の体なら治るように藍には思えた。

 だがソレは再生することなく、前に傾き倒れていく。何せ10メートルの体だ。さながら倒壊する建造物のようだった。

 倒れたと同時に発生した砂埃の波が近寄っていた藍を襲う。

 

「わぷっ」

 

 藍は腕よりも長い制服の袖で口元を庇い、落ち着いてから土壁の方を見る。

 横たわる土壁は少しずつ崩れ始めていた。体を構成する土が重力に従ってぽろりぽろりと落ちていた。本当にただの土塊と化しつつあった。

 

「一人で戦っても楽しいよ。でも、皆と一緒に戦った方がもっと楽しいよ」

 

 無邪気で子供らしい藍の台詞。しかしだからこそ飾りに包まれることのない純粋な想いだった。

 

「そんなものは、ない」

 

 掠れる声で、消えゆく土の怪物が答える。

 

「変わる世界に、馴染めぬ者はっ……ただ、路傍の土に、果てるのみっ……」

 

 それっきり声は途絶えた。

 言っていることの意味が藍にはよく分からなかったが、無性に仲間たちが恋しくなった。

 遠くで聞こえた砲声も気付けば止んでいる。

 平穏を取り戻した林の中を冷たい風が通り抜けた。

 緑の草地の上、場違いなまでに積もった土の山から黄土色の砂が飛び立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして一人で飛び出しちゃったの?」

 

 腰を屈めて背の低い藍と目線を合わせる千香瑠。その眉は吊り上がっており、表情を険しいものにしていた。

 

「藍ちゃん、前に私の前からいなくなったりしないって、そう言ってくれたわよね? あれは嘘だったの?」

「うーーーっ、だって……」

「エレンスゲに帰ったら、一葉ちゃんから叱ってもらいますからね」

 

 まともに顔を合わせられないのか、藍は目を伏せて唸る。

 そんな彼女と向き合っていた千香瑠だが、ややあって背筋を伸ばすと、距離を置いていた深顯の方へ向き直る。

 

「深顯さん、ごめんなさい。ご迷惑をお掛けしました」

「いえいえ。こちらとしては当初の目的を達成できたので、言うことはありません」

 

 場所は一番初めに戦闘を行なったバス車庫の敷地。当然ながら、増援を含めヒュージは全て撃破済みだった。

 黒十字マディック隊当初の目的とは、ヒュージと戦闘を繰り広げていた存在を調査することだ。藍の手で撃破されてしまったが、藍と千香瑠の証言から怪異であるとされたため、一応目的は達成されたと言える。

 

「私たちの攻撃前からヒュージが警戒していた理由は、例の怪異でしょう。ラージ級を始めとした増援もそのためのもの。怪異自体については不明なことばかりですが、それはシエルリントの方で分析すると思います」

 

 怪異に対する方針はガーデンによって異なる。シエルリントは深顯の言うように調査や分析はするだろうが、更に踏み込んだ積極的な行動には出ないと思われた。それはヘルヴォルや鎌倉の桜ノ杜が果たすだろう。

 

「うーっ、千香瑠ぅ」

 

 自分から目を離した千香瑠の袖を藍が掴んだ。

 

「千香瑠ぅ、らんのこと嫌いになった? 嫌いになった?」

「……っ」

「うぅ……嫌いにならないでぇ……」

 

 千香瑠は目尻と口元を引き締め顔を強張らせている。だが彼女が無理をしているのは、その形の良い眉を震わせている点からも明らかだ。

 やがて堪え切れなくなった千香瑠は藍の体を抱き締める。

 

「藍ちゃん。藍ちゃんのことは好きよ? でも、私の前からいなくなっちゃう藍ちゃんは嫌いだわ」

「ごべっ、ごべんなざいっ、ごべんなざい……」

 

 べそをかき上手く回らない舌が言葉を絞り出した。

 うら寂しい街の跡地で、少女の嗚咽は今暫く続くこととなる。

 

 

 




今回の怪異については次回でも少し触れます。





ところでアサルトリリィヴンダー早速読んだのですが…
これアルテア様は横恋慕様ではなく、本当に周りが誤解してるっぽい感じですかね。

それよりも、千華様と冬佳様と貞花様が何かドロドロになりそうな予感が。
いや貞花様の性格からしてそれはないか?
ともかく色んな人間関係が明かされそうで楽しみですねえ。


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第31話 閑話 世界のどこか

 人界から遠く離れ、天にも達しようかという高山。真っ白な絨毯の如く空を覆う雲海よりもまだ高いその山は、真冬という時節も相まって、およそ一般の人間とは縁遠い場所となっていた。

 山頂よりもやや下った辺りで鼻歌が響く。壮麗かつ厳粛な周りの風景には似つかわしくない軽快な鼻歌だ。

 場違いなBGMの出どころは、山肌の一角をそのままくり貫いてきたかのような大岩の上で寝そべっている少女だった。赤茶色の長い髪から二本の立派な角を生やし、極寒の天空も物ともしないノースリーブと薄地のスカート。鼻歌はともかく、容貌は人間離れしていると言えた。

 

「んふふふふっ」

 

 岩の上で横に寝転がって片肘で頭を支え、瓢箪を咥えて内容物をごくごくと飲んでいく。

 頬が薄っすらと赤い。酔っている。酒を飲んでいるのだから、酔うのは当然だ。

 彼女、伊吹萃香は上機嫌だった。彼女の友が目の当たりにしたら訝しむぐらい機嫌が良かった。

 

「ふふっ。四つ、もう四つだ。五大怪異もあと一つ」

 

 幻想世界と現実世界を隔てる概念の結界。その補強のための、人間による怪異討伐の()()も終わりが見えてきた。本人たちの前でも述べたが、萃香の予想を上回るハイペースである。

 

「まあ本当は、『ぬりかべ』は怪異じゃなくて妖怪なんだが」

 

 結界内の世界でスペルカードルールが導入されて幾らかの時が過ぎた。世界を壊さない程度に競い合うこの制度は今のところ想定通りに機能していた。

 だがそういった()()()では足りない者も存在する。妖怪の本質――――人間の恐怖を糧とする性質を厳密に体現しようという者だ。

 初めから直接人間を襲うのではなく、不可思議な現象を起こし続けて疑念を抱かせる。そうして満を持して討伐にやってきた人間と果たし合う。

 鬼の萃香から見ても、妖怪譚として上出来な物語だった。85点ぐらいはつけてやってもいいと思った。ここまでくれば勝敗など些細な問題なのだ。

 もっとも、今の萃香たちにとっては人間に勝ってもらわねば困るのだが。

 

 体を霧と化せば、この地上のどこへでも行けるし見聞きできる。萃香の『密度を操る能力』の一端。彼女の友曰く「何でもできるインチキ」な能力だ。

 ただ萃香からしたらインチキはお互い様だろうと言いたいところである。

 これまで、暇潰しがてら萃香は霧状化して様々な物を見てきた。

 昨今――――50年は彼女にとって昨今――――外の世界を騒がせているヒュージ自体に大した興味は無い。だがヒュージを相手にする人間側の、兵法の変遷には関心を持っている。

 かつて、新潟の佐渡島に巣食ったヒュージを討伐した戦いがあった。その詳細が公表された直後、とある新聞社の電子記事に掲載された軍事ジャーナリストのコラムが物議を醸した。

 

『佐渡島に全く関係の無い中禅寺湖ネストの攻撃は戦線形成を全く無視した素人采配。民間組織と子供に戦略は立てられない。今すぐ軍に頭を下げて戦争のプロを招致するべき』

 

 これに対して新聞社に心無いコメントが多数寄せられた。

 

『ケイブがあるのに戦線もクソもあるか』

『迂回突破されたマジノ線かな?』

『大西洋の壁かもしれん』

『戦争のプロは日本を取り戻せましたか…?』

『ジャーナリスト()』

 

 大マスコミの権威を無視した誹謗中傷だ。

 ただ応援する声も少数ながら見られた。

 

『コメント欄閉鎖しないの偉いですねぇ~』

 

 コラムの是非はともかくとして、現役・退役の軍人だったらこの軍事ジャーナリストのような主張はしないだろう。彼らは従来の軍事常識がヒュージに通用しない事実を、その血を以って思い知った過去があるからだ。

 では対ヒュージ戦略においてどのように防衛戦略を立てているのかというと、各地のマギインテンシティを計測して判断材料としていた。即ち、マギ濃度が上昇した地域のネストでは大型ヒュージが出撃したりケイブが形成される可能性が高いということである。

 故に地理的に近くてもマギインテンシティが低ければ脅威度が低いし、逆に高ければ遠くても危険というわけだ。

 すると必然的に、人間の取るべき戦略は戦線の押し合いではなく敵戦力への打撃になる。

 萃香は以前、友と碁を打っている最中にこの話を振ったことがあった。

 

「何も目新しいことをしているわけではないわ。陸戦によくある陣取り合戦から、敵根拠地や機動戦力の撃破に変わっただけ。海戦での戦い方と同じでしょう」

「ああ、そう言えばそうか」

 

 なお碁は萃香の完敗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分と機嫌が良さそうね」

 

 他に誰も居ないはずの山の上で、女性の声が聞こえた。

 直後、萃香の目の前で空間に亀裂が入り、数十センチの隙間が開いた。隙間の向こうはおどろおどろしい紫色に塗り潰されている。

 声に若干責めるニュアンスが含まれていると気付いたが、萃香は意に介さず口を開く。

 

「私の思った以上に働いてくれるからね。ちょっとばかりだが鍛えてやった甲斐があるってもんだ」

「あらそう。貴方自身ももう少し働いてもいいのだけど?」

 

 既に酔いが回っている萃香は「ははは」と笑い、また一口瓢箪から酒を飲む。

 

「何だよー。お前さんだって、食うか寝るか冥界で亡霊と乳繰り合ってるばかりじゃないか」

「失礼な。結界の管理もしています」

「寝ながらできるだろ」

 

 軽口の応酬はいつものこと。

 無論、この友人が愚痴のためだけにわざわざ来るはずがないのは萃香にも分かっているのだが、顔を合わせてからいきなり本題に入るほどせっかちではなかった。

 

「ところで、件の儀式のことなのだけど」

「うん?」

 

 ようやく本来の用件が出てきそうなので、寝転がっていた萃香はゆっくりと起き上がって岩の上で胡坐を組む。

 

「このままいくと、あと一体じゃあ足りないのよ。結界の補強には」

 

 それを聞いた萃香は「やはり」とほくそ笑んだ。儀式の協力を二つ返事で引き受けた時から、こうなるんじゃないかと薄々感じていた。

 そして萃香が予見できたのだから、この抜け目ない友人が考慮していないはずがない。

 

「そうかそうか、足りないかぁ」

 

 萃香は胡坐を解いて立ち上がると、大岩の上から飛び降りた。華奢な体は二本の足で綺麗に着地する。

 

「儀式の怪異が足りないか。そいつは困ったなあ」

 

 亀裂の向こうの友に背を向け、山道とも呼べないぐらい足場の悪いボコボコ地面を萃香が下り始めた。その口角が持ち上がっていたのは酔いのせいではないだろう。

 

 

 



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第32話 祈り

 南関東から太平洋に向けて突き出た地。東京湾を挟んだ東京の反対側に、房総半島はある。

 そこは一度はヒュージの手に落ちながらも、今の高等部三年生リリィたちの尽力によって解放された土地だった。軍民問わず多くの人命が失われた場所でもある。

 そんな房総半島の西岸、東京湾を臨む岬の傍で戦没者慰霊祭が執り行われることになっていた。解放後すぐは慌ただしく先延ばしになっていたものを、ようやく実施できるのだ。

 解放が成ったとはいえ、勿論ヒュージの脅威が全くなくなったわけではない。今回の慰霊祭に当たって、地元ガーデンのみならず関東の他のガーデンからもレギオンが派遣されることとなった。エレンスゲ女学園トップレギオン、ヘルヴォルもそういったレギオンの一つである。

 

 慰霊祭当日に備えて事前に警備計画の打ち合わせの機会が設けられた。一葉もヘルヴォル教導官と共に東京湾を越えて現地に赴いた。

 打ち合わせ場所は、慰霊祭の会場から程近い海岸線に立つ二階建ての建屋。元は使われなくなった携帯会社の基地局があった建物だ。鉄塔を下ろし、内装を改修し、慰霊祭運営本部兼警備本部として活用中である。

 予定よりも大分早く到着した一葉は教導官に断りを入れ、現場付近の海岸線を見て回ることにした。会場自体は後で幾らでも目にする機会があった。

 そして一葉の他にリリィがもう一人。

 

「お久し振り、一葉さん」

 

 軍隊然とした紺色の制服に小柄な痩身を包んだ少女だった。サイドテールに結った群青の髪の上には黒い猫耳、否、ヒュージサーチャーが装着されている。

 

「ヘルヴォルは相変わらず元気そうで良かったわ」

「はい。葵さんも、息災のようで」

 

 石川葵(いしかわあおい)

 鎌倉府5大ガーデンの一角である相模女子高等学館の一年生リリィ。

 エレンスゲと相模女子は姉妹校同士であり、一葉たちヘルヴォルも葵とは交流があった。

 

「私はうちの隊長の付き添いついでに見に来たんだけど。一葉さんはこっちが本命だったっけ」

「そうですね。私たちヘルヴォルの担当はこの海沿いの地域なので」

「会場外周の警備がハゴ女で、場内の儀仗隊がイルマと御台場の共同。まあ解放戦での戦果を考えたら妥当なところかな」

「百合ヶ丘は今回は代表者の派遣だけで、レギオンは居ませんから」

 

 ハゴ女とは地元千葉のガーデン、羽衣女学園高等学校のこと。葵が一時期通っていたガーデンの一つである。

 大よその警備計画は既に書類として作成済みだった。ただ実地でまだ色々と詰める必要があるので、本日こうして集まった次第である。

 

「警備責任者は御台場のアキラ・ブラントン教導官なのよねえ」

「御台場らしい武闘派の方だと聞いてますね」

「この慰霊祭、完全にガーデン主導になったってわけ」

 

 会場となるのは県立の運動公園だが、政府関係者や軍関係者も出席するし一般来場者も多数訪れるだろう。そこまでの規模となると、慰霊祭の性質からしても警備の指揮は国が執りそうなものの、実際は違っていた。

 噂によると、軍とガーデン側で一悶着あったらしい。慰霊事業の所管官庁たる厚労省も絡んでいるとか。

 一葉自身は不確かな流言に流されるつもりはなかった。しかし今、普段は同級生に対して気さくで明るい葵が眉間に皺を寄せ難しい顔をしているのを見て、大まかな事情を察していた。

 

「いや、千葉市や遺族会がガーデンでいいって言ってるんだから、それでいいと思うのよ」

「それにネストは撃破しても、ヒュージの襲来が無いとは言い切れませんし」

「まあ、せめて警備任務ぐらい一枚噛みたいって考えも分からなくはないけど……」

 

 房総半島解放戦といえば百合ヶ丘の初代アールヴヘイムの活躍が有名で、ここ千葉では英雄視されている。

 だが光あれば影も差す。快く思わない者も存在する。

 防衛省本省に勤務する葵の父親――――石川精衛は対ヒュージ戦略立案以前にガーデン側との折衝を勤めていたのだが、そのせいで一部から裏切り者だの何だの陰口を叩かれていた。

 無論、精衛に対する罵詈雑言は完全に言い掛かりである。そもそもガーデンに対して強い権限を与えているのは国の判断なので、精衛がガーデン寄りに見えるのは国策に忠実な証拠とも言える。もっとも、自分たちの属する省庁こそが国だと考える人間にとってはその限りではないだろうが。

 

「ところで話は変わるけど、一葉さん知ってる? 何日か前の新聞の社説に、暗視装置の使えないリリィに夜間戦闘は難しいとか書かれていたのよ」

「それはまた、不思議な話ですね。マギである程度補助されるし、鷹の目やファンタズムなどのレアスキルは暗闇でも索敵できるのに。第一、ガーデンには夜戦装備もあるのですが。夜間戦闘記録を見ていないのでしょうか」

「そしたら別の新聞社が『夜戦も昼戦もろくにできない集団よりはマシ』なんて煽るものだから、そのまま新聞社同士で社説文通バトルが始まっちゃって」

「えぇ……。最近新聞を見てない間にそんなことが……」

 

 葵は笑いながら話していた。ただし苦笑いの類であった。

 

「どうも軍事戦略に一家言ある人は、私たちリリィを魔法が使える中世人とでも思ってる節があるわね」

「まさか、そんな」

 

 あり得ない、とは一葉も断言できなかった。チャーム開発初期の頃から「マギ技術は既存の科学技術を抑制する邪法」などという魔女狩り染みた言説が存在したからだ。だからマギを扱うリリィと科学技術の産物を相反するものと思いたいのだろう。

 すっかり暗くなった空気を変えるべく、一葉は話題を変えることにした。

 

「葵さん。今回の警備任務では、チャームはやはりそのトリグラフを?」

「ええ、そのつもり」

「マギクラウドコントロールシステムを用いた、円環の御手を擬似的に再現する第三世代機。楽しみですね」

「実際は言うほど都合良いものでもないの。親機のコアで間接的に子機のコアを操作してるから、どうしても出力が落ちるし」

「それは今後の改良によって克服できるのでは?」

「コアの出力自体が向上すれば。でもそうするとチャーム全体の性能が上がることになるし、どちらにしろ大きな優位性は無いわね」

「ふむ……。となると、やはり第三世代機開発の本旨は技術実証でしょうか」

「そうねえ。使いこなせれば強力なのは間違いないけど。次への布石って面が強いんじゃないかしら」

「次ということはつまり――――」

「でも現状での問題点が――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慰霊祭当日。

 細かく千切れた断片的な雲が漂うその日、東京湾を臨む運動公園に、ここ最近では類を見ないほどの大人数が集っていた。

 場内の両端には公園樹が列を成し、海岸の手前まで伸びている。その突き当り、潮の香りがより強い実感を伴うその場所に、石造りの慰霊碑が鎮座する。

 死者の霊を慰め鎮める儀。

 純粋に祈りを捧げるため、あるいは壮麗な式を一目見るため、訪れた人々は両端の公園樹の袂に並ぶ。

 そして会場の中央、海へと続く開けた道に20名ほどのリリィ。整然と二列を成し、一人一人が剣型のチャームを右手に握って切っ先を真っ直ぐ上に掲げている。二つのガーデンによる合同部隊だが、慰霊祭に合わせて統一の衣装が用意されていた。黒一色のジャケットとスラックスに金のボタンや肩章を付けた礼服だった。

 

 その頃、休憩室にて体を休めるヘルヴォルは大テーブルを囲みつつ、思い思いに過ごしていた。

 会場の様子はテレビモニターを通じ、警備本部建物の一室でも窺うことができる。

 暫くは現地で直接見れない分、一葉は儀仗隊の映像を食い入るように見つめていた。

 

「お弁当、貰ってきたよ」

「ありがとうございます、瑤様」

 

 しかし扉が開いて昼食が届くと配膳を手伝い始める。

 慰霊祭運営が手配した仕出し弁当は葬儀場でもよく見るような仕出し弁当だった。天ぷらや煮物や練り物等が重箱にぎっしりと詰まっている。リリィ向けにご飯もおかずも大増量したものだ。

 

「あたしエビ天多めのやつね~」

「らんはご飯山盛り!」

「どれも一緒だよ」

 

 恋花と藍の無邪気な要求に瑤が苦笑する。

 配り終えた一葉は席に戻り、弁当の蓋を開けながらまたモニターに目を移す。食べながら視聴するのは少々行儀が悪いのだが、早飯は戦士の必須技能である。

 

「こういった光景を見てると、甲州のことを思い出すわ」

 

 隣で一葉と同じくモニターへ視線を注いでいた千香瑠が静かに呟いた。

 

「千香瑠様の故郷の地、でしたか」

「大切なものを失ったけど、大切な思い出もある場所。今の私を作った場所よ」

 

 悔恨と郷愁がもつれたような憂いの横顔。

 甲州の過去について、普段はあまり喋りたがらない。千香瑠に限らずあの地の出身者には多い話である。

 

「祈れば、届くかしら」

 

 千香瑠はそっと目蓋を閉じた。

 

「はい、きっと届きますよ」

 

 一葉もまた箸を置いて目を閉じた。

 気休めかもしれないが、リリィならば誰しもがそう願うだろう。

 

 鎮魂の時間。

 

 それが終われば黙々と昼食を胃の中に片付けて。

 異変が起きたのはその直後のことだった。

 震えるスマートフォンを取り出した一葉は警備本部からの着信であることに気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここから南東20キロの地点でヒュージの集団を確認したわ。中核となるラージ級とミドル級は地元ガーデンのレギオンが対応してるけど、多くのスモール級がこっちに向かってる。貴方たちヘルヴォルは慰霊祭会場に急行して来場者の避難とヒュージの迎撃に加わってちょうだい」

 

 同じ建物内の警備本部に駆けつけたヘルヴォルに対し、警備責任者が状況説明を行なう。

 抜群のスタイルを黒のオーバーコートとタイトスカートに包んだ20代半ばの女性。御台場女学校のアキラ・ブラントン教導官だ。名前から察せられる通り、イギリス出身の日英ハーフである。

 

「当該ヒュージ集団はケイブを用いて侵入してきたのでしょうか?」

「そうね~。千葉のネストは撃破済みだから。途中までケイブで飛んできた可能性が高いわねぇ。ケイブの捜索・破壊も地元ガーデンが動いているわよ」

 

 一葉の質問に、アキラ教導官は鮮やかなブロンドのロングヘアを掻き分けてから、どうにも緊迫感の欠ける喋り方で答えた。人当たりが柔らかいのは良いことだから一葉は気にしていないが、中々に個性的な教導官だった。

 

「ああ、それと、会場内に居るイルマのハコルベランドは避難誘導後にチャームを換装しに行くから。うちのロネスネスと協力して事に当たってね~」

 

 かくしてヘルヴォルは各々の得物を手に、会場のある運動公園へと出発する。

 警備本部と現場はそう離れていない。リリィならあっという間の距離だろう。

 マギで跳躍しようという直前、瑤がふと口を開く。

 

「それにしても、御台場もイルマもこんな時によく強豪レギオンを出せたね」

「こんな時だからこそ、ですよ。今回の各校レギオン派遣は房総半島における戦力強化の意図もあるんです。ロネスネスとハコルベランドは慰霊祭終了後、東京に帰らず千葉県内を巡回していくのだとか」

 

 最近再び活発化してきたヒュージへの対応で、関東のガーデンはどこも浮き足立っていた。

 そんな状況だからこそ、東京御三家である二校は予定通り慰霊祭を開催して哀悼の意を示すと共に、レギオンを派遣しその雄姿を見せるべきだと考えたのだろう。

 

「ま、イルマにはまだシャイネスが居るし、御台場にはセインツとコーストガードが居るからねー」

 

 現場に着いたところで恋花がそう言った。

 本当にあっという間の距離だった。

 まずは会場内のリリィと合流しなければならないのだが、ヘルヴォルが動く前に向こうの方からやって来た。

 

「セインツ? 人違いではなくて? ここには居りませんわよ」

 

 挑発的な切れ長の瞳を向けてくる黒髪ロングのリリィ。その傍らには()()()()な視線の白髪ロングのリリィ。二人ともいつもの御台場制服ではなく、黒の儀礼服を身に付けている。

 

「きいたん、ういたん!」

「こらっ、藍。……(きいと)様、(うい)様、応援に参りました。現在の状況は?」

「ふぅ……。現在、予想会敵時刻まで8分と24秒。ヒュージの数は40から50。いずれもスモール級で、隊列を組まず順次接近中ですわ」

 

 LG(レギオン)ロネスネス隊長の船田純(ふなだきいと)は警備本部から随時もたらされる情報を教えてくれた。

 敵襲は近い。すぐにでも迎撃態勢を取る必要がある。

 

「分かりました。ではロネスネスの皆様もチャームの換装をお急ぎください。この場は一時、我々が食い止めます」

「いいえ、それは得策ではありませんわ。敵は算を乱すかの如く散らばって進軍しておりますのよ。食い止めるにも頭数が必要でしょう。ハコルベランドが避難誘導と換装を終えて戻って来るまで留まります」

「ですが、今のあなた方には第一世代機しか……」

「問題ありませんわ。慣れていますので」

 

 懸念する一葉をよそに、純は平然と答える。

 あまりに平然としたものだから、一葉はそれ以上止める言葉が出てこなかった。

 

「ならば、配置の方は如何しましょうか?」

「既にロネスネスが会場前面へ扇状に展開しています。ヘルヴォルは二手に分かれて隙間を埋めて下さるかしら」

「了解しました」

 

 一葉はその場で直ちに編成を決める。自身と千香瑠が右翼と中央の間へ。恋花と瑤と藍が中央と左翼の間へ。

 早速それぞれのポジションへ移動を開始する。

 

「じゃあね、ういたん。らんがヒュージやっつけてあげるからね」

「うふふ、頼りにしてるわ藍さん」

 

 純の姉、船田初(ふなだうい)がひらひらと手を振り、藍も大きく振り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 慰霊祭会場となる運動公園から見て内陸側には小さな森林が広がっており、車両の通行ルートを左右に分岐させていた。

 森の中にある高台には池に囲まれた旧軍の砲台跡。今では展望台として使われているその場所に、ロネスネスの司令塔が布陣して隊の指揮を執ることになる。

 森の奥まで入り込まれると厄介なので、迎撃ラインは展望台の前面に設定された。

 作戦の性質上、広範囲に散開する変則的なフォーメーションが採られていた。

 一葉はロネスネスのリリィを遠目に見る。彼女らが装備中の第一世代チャームとは、ヨートゥンシュベルト。第一世代機は皆そうなのだが変形機構が無いので、見た目通り剣の機能しか有さない。

 

(本来なら、予備兵装か今回のような式典装備として使うもの。だけど、御台場の場合は少し事情が違う)

 

 御台場女学校では高等部のリリィ一人一人にこのチャームを仕立てて貰える。また彼のガーデンでは西洋剣術を始めとした近接戦闘術が必修であり、ヨートゥンシュベルを用いた訓練も行われている。

 

(純様が「慣れている」と仰ったのは、そういうことなんだろう。確かに、御台場の方々なら近接戦闘でも、スモール級程度は問題にならないのかもしれない。それに会敵時刻だって、あくまで予想。チャームのコアを換装しに戻ってる間にヒュージに接近される可能性もある)

 

 火器があるのにわざわざ近接戦闘を選ぶのは愚かだと思われがちだ。取り分け葵の言うところの「軍事戦略に一家言ある人」は、御台場やそれに近しい校風の柳都女学館のことをイノシシだの土人だのと嘲笑していた。

 しかしリリィの場合、建造物への誤射の防止以外にも接近戦を選択する利点がある。より強力なヒュージ、より多くのヒュージの傍ではマギインテンシティが高まるが、これは敵方であるリリィにも活用可能であった。つまりヒュージの近くで戦うとリリィの攻撃力や防御結界が強化できるのだ。

 

「それに凛々しく剣を振るう姿はモテますわよ?」

「っ!?」

 

 不意に耳元から掛けられた声に一葉は身構える。

 反射的に振り返ると、艶やかな赤毛を靡かせたリリィがくすくすと笑みを零していた。

 

「し、思考を読まないでください!」

「あら図星? よそのガーデンまで来て品定めとは、真面目そうに見えてお盛んな方ですわ」

「いえ、そうではなくて……」

 

 ガーデン間の交流の場で見かけることは少ないが、彼女もまたロネスネスの一年生だ。

 

(ともしび)ィ! 隊列を乱さない!」

「違いますわ純お姉様。これは浮気ではありませんの。わたくしはお姉様一筋ですから」

「誰もそんなこと言ってませんわ!」

 

 通信機で隊長からのお叱りを受け、赤毛の一年生――――司馬燈(しばともしび)は本来のポジションへと戻っていく。

 これで本当に配置完了となった。

 程なくして、展望台に居る司令塔から通信が入る。

 

「敵第一波、来るわよ。例の如く報告より数が多い。ヘルヴォルは飛行型を、ロネスネスはそれ以外を優先的に狙ってちょうだい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 LGハコルベランドが迎撃ラインに駆けつけた時、既に八割方のヒュージが撃破されていた。

 

 

 



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第33話 憎悪

 円錐型の胴体後部から青白い炎を噴射して大空を縦横無尽に飛び回る。地上から打ち上げられるレーザーが眼前を掠め、近距離で炸裂した砲弾の余波で飛行体勢がぐらつくと、そのヒュージは旋回して高度を落とし始めた。

 円錐の頂点、即ちヒュージの頭部には上下に二枚のウイングが備わっている。それは刀の刀身の如く鋭利であり、頭部の回転によってプロペラみたいに大気を切り裂いていった。

 地上で這い回る敵を始末しようと、眼下に広がる森へ低空飛行でヒュージが迫る。高速の回転翼が木々の枝を薙ぎ払い、飛行経路に沿って風圧が粉塵を撒き散らす。

 獲物を捕捉し切れなかったヒュージが機首を引き起こした。一旦高度を上げ、再度急降下する腹積もりだろう。空を制するということは、戦場の主導権を握ることに直結する。

 ところが上昇し終える前にヒュージの体がぐらりと揺れた。

 全長2メートルの機体の上に、人影が飛び乗っていた。黒の儀礼服に剣を握ったリリィ、司馬燈だ。

 

「失礼」

 

 一言そう言って逆手持ちした剣を横に引くと、燈はすぐにヒュージから飛び降りた。

 一足遅れてヒュージが左右に蛇行し、既にいなくなった敵を振り落とそうとする。

 その結果、落ちたのはヒュージの頭部だった。プロペラごと胴体から泣き別れして彼方へ飛び去っていく。胴体は胴体でそのまま飛び続けたが、やがて空中で自ら起こした爆炎に包まれるのだった。

 一方の燈は落下していく最中、長い赤毛を靡かせながらネコ科の獣のようにくるりと身を翻す。すると難無く着地を決めて、何事も無かったかの如く立ち上がって剣を構えた。

 

「敵全滅を確認。新たなヒュージ反応無し。ひとまず終了よ」

 

 司令塔からの通信が入り、ロネスネスとヘルヴォルは後続のハコルベランドにその場を任せて帰投し始めた。

 

 そうして帰ってきた慰霊祭会場に、昼時まで詰め掛けていた人々の姿は無い。避難完了済みなので、残っているのは海岸線から応援に来た少数のリリィのみ。

 ここまで来ると、両レギオンの何名かはようやく肩の力を抜いたようだ。

 

「ういたんういたん! ヒュージ一杯やっつけたよ!」

「ええ、お見事でした。助かったわ藍さん」

「えへへっ」

 

 藍が初の胸元に飛び付いて戦果を誇る。視線を落とした初に褒められると、顔を綻ばせて素直に喜ぶ。

 初はそんな藍の腰にそっと両手を回してから、実の妹の方を振り返る。

 

「純、この子ちょっと御台場に連れて帰れないかしら」

「姉様、何を仰いますの……」

 

 すると今度は後ろから近付いてきた瑤と千香瑠が藍の両腕を抱き抱えて引き離した。

 

「上げないよ」

「差し上げません」

「あら残念」

 

 初は本当に残念そうな顔をして藍を見送った。

 これには妹も憮然とするばかり。

 

「姉様、人の娘を盗るのは盗人ですわ。幸い我がロネスネスにもチビッ子はおりますので……」

「ちょっと! 何でこっち見るのよ! 私はチビッ子じゃなーい!」

 

 純の視線にロネスネス司令塔の藤田(ふじた)槿(あさがお)が猛抗議。

 

「あっ、いや、別に初とギュっとするのが嫌ってことじゃないのよ? ごにょごにょ……

「誰もそんなこと言ってませんわ」

 

 ヒュージ迎撃を完遂したリリィたちは意気揚々と帰還した。敵を一体も逃すことなく、市民の避難誘導も完璧に果たした上々の結果である。

 ただ止む無きことだが、折角の慰霊祭は中止にならざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が傾き空に薄闇が染み始めた頃、ヘルヴォルはもう一度運動公園にやって来た。

 既に千葉県内の巡回に出立したロネスネスやハコルベランドの姿が無いのは当然として、公園や公園内の慰霊碑を訪れる一般人も見当たらない。

 ヒュージ出現に係る避難命令は解除され、公園も再び開放されたのだが、だからと言って慰霊祭を再開できるような状況ではなかった。

 

「やっぱり変だね」

 

 手元のスマートフォンを見ていた瑤が疑問を口にする。

 

「警備本部が集めた情報をコピーさせてもらったんだけど。ヒュージの発見と報告がやけに遅れてる。本当だったらもっと早く迎撃できたはずなのに」

「まあ、だからこそロネスネスもハコルベランドも式典装備で儀仗隊やってたんだし」

 

 恋花も横から瑤のスマホを覗き込んだ。そこにあるのは現状で判明している範囲、公開可能な範囲の情報のみだが、それだけでも不自然な点が見受けられたのだ。

 

「ここ房総半島は解放後、南部の館山基地を始め多くの観測所が防衛軍の手で再稼働していますからね。各地に小型エリアディフェンス発生装置も置かれているので、北西に位置するこの運動公園は地理的にも奇襲が難しいはずなんです」

 

 瑤と恋花の前方を歩く一葉がスマホの画面を見ないまま話に加わった。

 ケイブを駆使するヒュージ相手に()()は無いのだが、それを差し引いても今回の襲撃は急であった。

 

「いずれにせよ、後日分析結果が出るでしょう」

 

 そう言うと憶測で語るのを止めて、一葉は周囲の景色を見回した。

 慌ただしく避難が為された割に園内は散らかっていない。良いことだ。しかし人々が集まった痕跡が残っていないというのは、それはそれで物寂しい。

 そんな寂寥たる風景を補強するかの如く、海側から木枯らしが吹き付けた。風に乗った枯葉がひらひらと舞っているかと思ったら、一葉の視界を横切って公園の隅の方へ落ちていく。

 枯葉に釣られて視線を動かした先で、一葉は奇妙な光景を目にした。

 公園樹が建ち並ぶ裏側、園内からは目立たない場所に木の板が立っている。それだけならばまだともかく、板は二枚が縦横に組み合わされており、遠目からではまるで十字架みたいであった。

 

「少し見てきます」

 

 不審に思った一葉は木の板の刺さっている所へ歩いていく。

 他の仲間たちもその奇妙なオブジェクトに気付き、一葉の後を追い始める。

 近くまで来てみると、やはり十字架を模しているように見えた。板を縦横に紐で縛り、柔らかい土の地面に突き刺しただけの簡単な作り。似たような物が三つ横並びに立っている。

 一葉はその十字架を前に目を細め、次いで大きく見開いた。インクか何かで文字が描かれていたからだ。

 

『犬死に』

『税金泥棒』

『まぬけなリリィの墓』

 

 目を疑った。

 瞬きして確認し直すが、そこにある文面はやはり変わらない。

 

「は? 何これ、悪戯?」

「酷い」

 

 一葉の左右に出てきた恋花と瑤が非難の声を上げる。

 千香瑠に至っては後ろの方で口元を押さえて言葉を失っている。

 藍はそんな千香瑠の様子を心配したのか彼女の制服を掴んでいる。

 

「誰が、こんなことを……」

 

 一葉はそう呟いて辺りを見回した。

 慰霊祭中の園内は人が多く、こんな真似はできない。ヒュージとの戦闘中は避難命令が出されていたのでやはり不可能。

 となると、実行可能なのは命令が解除されたあと。つまり今からそう時間が経っていないはず。

 

 案の定、犯人は間も無く見つかった。

 公園の敷地の外で、同じような十字架を立ててスマートフォンからフラッシュを焚いている。

 二人組の青年だった。大学生か、ひょっとすると高校生かもしれない。撮影に夢中のようで一葉たちの接近に気が付いていない。

 

「何をしているのですか」

 

 抑揚を抑えた一葉の声に、二人組は一瞬ビクッと動揺するが、声の主の方を見てすぐに口の端を歪めて笑みを浮かべた。

 

「別に?」

「墓参り」

 

 悪びれもせずそう言ってすっとぼける。撮影に使っていたスマホを隠そうともしない。

 だが勿論、状況的に言い逃れは不可能だ。

 

「一体何のためにこんなことを。何が目的なんですか」

 

 一葉が問うても、返ってくるのは含み笑いだけ。

 なので質問を変えてみる。

 本当は、大方の察しは付いているのだ。ただその動機が理解できないだけで。

 

「SNSに投稿するための、悪ふざけでやったのでしょう? あまりに度が過ぎているっ」

 

 すると気に障ったのか、青年たちは逸らしていた目を一葉の方に向ける。

 

「あのさあ……。あんたら何の権限があって、他人の創作の邪魔してるわけ? 意味分かんないんだけど」

「創作って、ただの誹謗中傷じゃないですか! こんな、人の心を傷付けるようなものを……!」

 

 房総半島ではリリィや防衛軍の兵士は勿論のこと、多くの市民が命を落としている。犠牲者とその遺族を慰めるための場でやるようなことだとは、一葉にはとても考えられなかった。

 

「でもそれって貴方のお気持ちですよね?」

「お気持ち!?」

「何か傷付けてるってソースでもあるんスかぁ?」

 

 肩をすくめたり、わざとらしく溜め息を吐いたり。反省や罪悪感を微塵も感じさせない。明後日の方向性で清々しい態度だった。

 

「何だ? その背中にしょってる凶器で俺らのことも撃つ気か?」

「そんなことっ、しません」

「いやいや、創作物を燃やす人間はやがて人も燃やすようになる。誤射ってことにして気に食わない奴を消してもバレないんじゃね? 知らんけど」

「そんな真似は不可能です。チャームに搭載されるコアには戦闘記録が残るので」

「どうだかなあ。わざわざ善良な市民に難癖付けに来るぐらいだ。よっぽど余裕あるんだろ。知らんけど。補助金だが何だかで公金チューチューしてるんだから、ちゃんと仕事してくれよなー頼むよー」

 

 一葉には彼らの言い分が全く理解できなかった。慰霊の場を荒らす理由が何一つ出てこないからだ。

 長く続くヒュージとの戦争が人心を荒廃させた、というのも些か無理がある。

 

「てか細かいこと抜きにして、そもそも他人の慰霊碑やお墓の近くでふざけたりするの、人としてどうなの?」

 

 一葉の隣まで進み出てきた恋花が話に加わった。

 青年二人は無言で互いに顔を見合わせた後、向き直って口を開く。

 

「でも俺の墓じゃないから……」

「そこは『俺の親の墓じゃないから』だろ! 親の墓ならいいのかよ!」

「ぶははっ! ばれたか!」

 

 ツボにはまったのか、二人して手を叩いて馬鹿笑いし始めた。

 ヘルヴォルの面々が押し黙っていたため、他に人の気配が無いその場に笑い声が際立って木霊しているみたいであった。

 ひとしきり笑った二人は落ち着きを取り戻す。

 

「はぁ~~~っ、こんなしょうもないことでクレーム付くなんて、息苦しい世の中だなぁ」

「大体さあ、これ板に書かれた唯の文字なんだが? 文字が人を傷付けるって? 現実と空想の区別ぐらいつけましょうね~」

 

 今の一葉たちにできるのは、現に発生した出来事を慰霊祭警備本部と運営本部に報告するということだけ。

 

 後日、件の二人組は地元警察によって礼拝所不敬罪に問われることとなる。残念ながら法律は「知らん」では済まされなかった。

 

 

 



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第34話 国崩し 一.

 日本国において、ガーデンは一部を除き防衛省の所管に置かれている。

 ガーデンとそこに所属するリリィの作戦行動は防衛大臣の監督を受けるとされているが、実務上の都合から事後に為されるケースがほとんどと言って良いだろう。

 仮にその案件が高度な政治的要素を帯びる場合、防衛省ではなく、内閣府設置の審議会たる安全保障審査委員会が出てくる。従来のどの審議会よりも強い影響力を持ち、その提言は防衛軍やガーデンへの政府命令を容易に促す。国にとっては私立ガーデンを統制するための手綱となる機関である。

 もっとも、先の『鎌倉府人造リリィ脱走事件』において重大な判断ミスを犯した安保審査委はその権威と政治的立場を大きく失墜させていた。

 

 今回、千葉の慰霊祭警備に係る事後調査を務めるのは防衛省だ。安保審査委の失態云々を抜きにしても、特段の政治的事情が無いのでそれが妥当だろう。

 しかしながら、特段の事情が無いはずの調査は怪しげな雲行きを見せつつあった。

 

「……つまり、警備体制に不備があったと?」

 

 慰霊祭運営本部兼警備本部の建物内で、御台場女学校の若き教導官、アキラ・ブラントンはテーブル越しに調査員と相対していた。

 防衛省から派遣されてきた調査員は全部で三人。スーツ姿の男女二人は見た通りの()()()だろう。そしてもう一人は、制服組とは聞いていたが、陸軍ではなく空軍の人間が来るとは思いも寄らなかった。それも軍関係者でないアキラでも知っている有名人だ。

 

「ですが警備計画は事前に防衛省へ提出し、認可を頂いています」

「庁舎に籠ってばかりでろくに現場も知らない人間が認可したんだろう。まあ、あとから言うのも何だがね」

 

 まるで他人事のような物言いをする空軍の少将。認可の誤りを認めるということは、彼ら防衛省の責任をも認めることになる。

 また一方で背広組の二人は最初に形式的・事務的な聞き取りを済ませて以降、この少将に調査の場を譲って沈黙を続けていた。

 

「そもそも君たちの警備計画を見ると、ヒュージへの対処に偏っていて、人間へのそれは軽視しているように思えるんだが」

「十分考慮していると思いますが」

「成る程、ただの人間による犯罪ならば十分なのかもしれない。だが相手がただの人間でなければどうだろうか?」

「……と、仰いますと?」

「やれやれ、皆まで言わせる気かね? ご同類、リリィへの対処はできるのかと聞いてるんだよ」

 

 少将は薄い嘲笑のような笑みでそう問い掛けた。

 

「特段の措置を取る必要性を感じません。現状の計画で十分でしょう」

「ほほーっ、それはまた……。自分たちは無謬だと信じ込んでいるのか。それともあるいは、マスコミが報じないことは無かったことにされるのか」

 

 アキラは挑発に乗らず、感情を消した顔と抑揚を抑えた話し方で、普段生徒たちに見せるものとは掛け離れた態度で応じていた。

 リリィの対人戦闘について、日本を含む多くの国は「本来想定していない」と回答するだろう。国際的に()()()()とされている一部の国を除いては。

 それを以って、対ヒュージ戦闘への未成年者の投入に対する免罪符としている節がある。

 無論、建前はあくまで建前だ。例えば以前に人造リリィを捕獲させようとした時のように、必要があれば対人戦闘の起き得る命令も出す。

 だが基本的には、少なくとも国としては、始めから対人戦闘を前提としたリリィの運用は想定していないということになっていた。

 ただ実態は違う。御台場を含めた幾つかのガーデンは、違法実験を受ける強化リリィ救出を目的とした作戦を展開していた。アキラ自身、そのような作戦の責任者としての顔も持っている。

 政府も防衛軍上層部も、そういった水面下の動きは黙認するのが常だった。

 今の少将の言動はそういった上の方針に背くも同然のもの。にもかかわらず、背広組の二人は止めようともせず、居心地悪そうに座っているばかり。これだけで少将が持つ影響力の強さが窺える。

 

「現にヒュージとの戦闘後、チャームを所持したリリィから市民が脅迫まがいの対応を受けたという報告があるんだがねえ?」

「礼拝所不敬罪で取り調べを受けた者がそう証言したのでしょう。この件は当該リリィたちから聴取済みですが、我々御台場女学校も当該リリィの所属するエレンスゲ女学園も、問題無いと判断しています」

「ほほーっ、それはつまり、一市民よりも自分たちリリィの証言の方が正しいに違いないという判断か」

「正確に言えば、容疑者とリリィの証言を比較しての判断です」

「物は言いようだなあ。しかし、そういった君たちの思考の根底にあるのは『マギを操る自分たちこそ選ばれた存在である』というリリィ選民説ではなかろうか」

「私の勉強不足でしょうか? そのような言説は寡聞にして存じませんが。よろしければ提唱している学者のお名前を教えて頂けませんか?」

「学者なんて居ないよ。私が考えた」

「ではこのような場ではなく、防衛省倫理審査会にでも訴えたらいかがでしょう」

 

 軍どころか国自体に対して泥を塗りかねない舌禍が続く。

 だがアキラは少将がこういった言動を取っても不思議だとは思わなかった。彼の置かれてきた境遇を考えれば。

 

「時に少将、今までの発言は貴方自身の本心から来るお言葉なのですか?」

「……言っている意味が分からんな」

 

 嘲笑の顔を崩さない相手に、アキラは構わず続ける。

 

「パイロット時代の貴方の武勇は、軍の外にまで聞こえてきます」

「…………」

「数々の戦果を上げて防衛軍内で英雄視されたものの、貴方の戦死を恐れた上層部から地上勤務を命じられた。それにもかかわらずどうにかして操縦桿を握ろうとするものだから、空幕長直々の命令で基地警備隊に軟禁されたとか」

「さてね、昔のことは忘れたよ」

 

 とぼけてみせるその口が、嘲笑とは異なる意図で歪んだ瞬間をアキラは見逃さない。

 

「そんな現場主義の権化とも言うべき方が、前線で戦う者たちをあげつらって軍の名を貶めるのは、プロパガンダの神輿として担ぎ上げられたことへの意趣返しなのでは?」

 

 根拠に乏しい推論だ。推論だが、アキラは当たらずといえども遠からずと思っていた。

 

「……憶測であれこれと語られるのは不愉快だ。他に報告が無いなら帰らせてもらう」

「ありません。ですが本日の件は、ガーデンを通して防衛省に抗議いたします」

As you like(お好きにどうぞ)

 

 わざわざアキラの国の言葉で吐き捨てるように言うと、少将は椅子を引き立ち上がる。

 そのあとを追うように、背広組の二人も形ばかりの挨拶を述べて退室していく。

 

 一人残ったアキラは少しの間そのままジッとしていたが、やがて音も無く席から離れて部屋の出入り口へと向かう。

 冷たいドアノブにそっと手を触れ、次の瞬間には勢いよく扉を開けていた。

 そこでアキラは、驚き目を見開く金髪のリリィと対面する。ロネスネスとは別に、護衛兼警備本部要員として御台場から連れてきたリリィだ。

 

「く・れ・な・さ~ん? 私がお願いしたのは休憩室での待機であって、立哨じゃないわよん?」

 

 先程までとは打って変わって、甘ったるい声、甘ったるい表情で問うアキラ。

 一方、金髪のリリィ――――西郷(さいごう)(くれな)は自身の肩上に垂れる巻き髪を指で弄りながら口ごもる。口ごもりながらも喋ろうとしたところ、腰を抱かれて引き寄せられた。

 

「全く……。そんなに心配する余裕があるんなら、御台場に帰って特別訓練フルコース決定ね~」

 

 アキラの豊かな胸元に顔を埋められた紅は「う~う~」と唸り、ようやくの思いで脱出する。

 

「……ぷはっ! ち、違いますわ。特訓は望むところですが、聞き耳を立てようと思ったのではありません。偶然通り掛かっただけですわ」

「はいはい。あぁ~、可愛い生徒に愛されて幸せだわぁ」

「違いますわ! いえ、違わないけど違うんです! アキラせんせっ――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千葉の方では一悶着あったみたいだな?」

 

 千葉から東京のエレンスゲへと帰還した一葉は早速職員室に呼び出されていた。

 

「はい、事前に報告した通りです。……千葉県警から何かありましたか?」

「単なる確認程度のことだ。馬鹿者の戯言を真に受ける人間なんて、そうは居ない」

 

 軍服めいた白服を纏うヘルヴォル教導官はそう言って、千葉での一件について話を終わらせた。

 

「それより今後のことだが……我がエレンスゲは暫くの間、東京外への一切の外征を禁止する。無論、貴様らヘルヴォルもだ」

 

 予想外の話に困惑する一葉をよそに、教導官は先を続ける。

 

「先日の慰霊祭でヒュージが現れた際、千葉県各所に霧が発生している。それもかなりの広範囲に渡って。貴様らが群馬で遭遇したものと同一だと思われる」

「まさか……! では、ヒュージ発見の報が遅れたのも……」

「そうだ。各所で通信障害が発生したせいだ」

「やはり。本来ならロネスネスがチャームを換装する余裕ぐらいあったはず」

 

 腑に落ちた一葉は次に今後について考える。

 とは言え、既にガーデンとしての方針があるようだが。

 

「この霧が今度は東京に来ると、ガーデンは予想しているのですか?」

「群馬、千葉と来たんだ。東京に来ないとは考え難いだろう。故に総力で都内を固める」

 

 些か受け身過ぎるのではないかと危惧した一葉だが、それも仕方がないとすぐに思い直す。怪異の出現は大抵突然で、こちらから打って出るのは難しい。

 そもそも、あの霧の怪異はあの時確かに討ったはず。また別の何かが蠢いているのか。この関東に、この世界に何が起きようとしているのか。

 教導官から退出を促された後も、一葉は考え悩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日の講義を終えて、ヘルヴォルは学外での巡回に赴いた。

 場所は六本木から近い霊園。大都心にあって広大な敷地を有するその霊園は昔から何かと話題の尽きない場所だ。ヒュージ出現以前は心霊スポット的な認識を持たれていたが、今では純粋に死者へ祈るために訪れる者ばかりだろう。

 敷地内に何本もの車道が走り、街路樹の緑が溢れる景色。放課後、夕刻ということもあって、ただ厳かなだけでなく薄ら寒さすら覚える。

 だがそんな中でも来園者の姿がちらほらと見えた。小さな子供を連れた家族であったり、高齢の夫婦であったり。

 遠目には、黒一色の時代錯誤な学ラン姿も。コスプレか何かだろうか。神社に軍服姿ならばよくあるが、このような霊園では珍しい光景だった。

 

「うちが外征禁止だなんてねー」

 

 霊園内の道を見回っていると、恋花がそんなことを言い出した。

 

「で、どうする? 本当に都内に来るのを待ってるだけ?」

「そうですね……。以前に萃香さんもからも『待っていたらそのうち暴れるだろう』と言われていますが……」

「でもそれって大分、受け身じゃない?」

「ええ、私もそう思っていました。街へどんな被害が及ぶか分からないというのに。しかしだからと言って、こちらから怪異を見つけ出して先手を打つ手段も持ち合わせていません」

 

 一葉は職員室で抱いた懸念を口にした。

 これには恋花も腕組みして小さく唸る。

 

「んーーーっ。だったらさあ、萃香にもう一回怪異について聞いてみるとか」

「それがいいでしょうね。きちんとお願いしたら、何かしら教えてくれるかもしれません。そもそも五大怪異とやらの討伐は彼女の希望でもあるのですし」

 

 今までも要所々々で助太刀してくれた。なので最後の一体においても助力してくれる可能性は高いと一葉は考えていた。

 

「難しいと思うわ」

 

 意外にも千香瑠が異を唱えた。

 

「これまでも萃香さんは具体的な内容まで事前に話すことはなかった。もしかしたら彼女の言う結界強化の儀式には、そちらの方が都合が良いのかも」

「千香瑠様。ですが一生懸命説得すれば、分かってくれる可能性だってあるはずです。ヒュージなどと違って、意思疎通のできる心を持った相手なのですから」

 

 京の山で出会った妖怪の少女。決して長い付き合いとは言えないが、彼女と過ごした時間は濃い時間ばかりであった。稽古や戦闘中でなければ、自分たちとは少し常識が異なるだけのように思えた。

 千香瑠は顔に陰りを浮かべたが、すぐに何か吹っ切るように首を左右に振る。

 

「そう、ね……。そうかもしれない」

「元より私たちの世界の危機なのです。駄目なら仕方ありません。ただ試してみる価値はあるかと」

「ええ……。だけど一葉ちゃん、覚えておいて。怪異や妖怪には、きっと彼女たちなりの論理がある。彼女たちの心はそれに基づくものなのだと」

 

 憂慮を滲ませる千香瑠に対し、一葉は深く頷く。

 とは言え、そういった論理や常識の差異を埋め得るものは、チャームではなく言葉であると思ってもいた。

 

「ま、その前にあのチビッ子と連絡取り合う手段が無いんだけどね」

「恋花、空気読んで」

「何よー、事実でしょー」

 

 恋花が軽い調子で話の腰を折り、隣の瑤に咎められた。

 そのやり取りは一葉にとって、いい感じに肩の力を抜くのに十分だった。

 

「恋花様の言う通りですね。一番重要なことでした」

「いつも向こうからフラっとやって来るからねえ」

 

 やはり一つのことに悩み過ぎると他がおろそかになりかねない。一葉はそう反省する。

 

「ねえねえ、瑤ー。美味しいお菓子を用意したらスイカが来てくれるかもしれないよ?」

「ふふっ。そうだね、藍」

「うーん、そうかなあ。お菓子よりもお酒じゃない? この前の見てると」

「恋花さん? 何を言い出すのかしら」

「いっ、いやいや、あちらさんにはあちらさんなりの論理があってぇ……」

「それはそれ、これはこれです! お酒はいけません!」

 

 チャームを背に背負ったままヘルヴォルの巡回は続く。

 抜き身ではなくケースに仕舞っていることもあって、また彼女らのやり取りから醸し出される空気もあって、目に映る来園者たちは平生通りに祈りを捧げられているようだった。

 

 ところが霊園の中心部を過ぎた時、流れていた柔らかな空気は絹を引き裂くような悲鳴によって崩れ去った。

 一葉たちはその場で周囲を見回した後、互いに頷き合って悲鳴の方へと駆け出していく。

 辿り着いたのは街路樹を背にして広がる墓所の前。

 そこで五人が目にしたのは逃げ惑う人々の背と、明らかに異様な人影。その人影はボロを纏い、肌は紫っぽく変色し、頭髪が幾らか抜け落ちていた。くるりと一葉たちの方に振り返ると、瞳孔が白く塗り潰された目を向けてきた。

 あの時と同じだ。群馬で霧が発生した時と。

 ではあの時と同じで実態の無い幻なのか。

 それとも――――

 

「速やかに制圧します」

 

 一葉は決断した。

 群馬の件と一点だけ明らかに違う。それはここが都心の中で、一般市民が全く避難できていないということだ。

 背負っていたチャームケースを足元に下ろす。留め型を外すと、箱型のケースが展開してブルトガングの無骨な刃が露わになった。

 他の四人もそれぞれチャームを装備していく中で一葉は指示を下す。

 

「瑤様と千香瑠様は来園者の避難誘導を。恋花様と藍は私と共に不明体の迎撃を。避難完了まで、発砲は可能な限り控えてください」

 

 ヘルヴォルが改めて動き出す。

 一葉はまず最初に目の前の存在へ対処する。

 

「そこで止まりなさい!」

 

 警告に全く聞く耳を持たず、ソレは覚束ない足取りで走り出す。

 一葉はチャームの刃を返し、ボディ部分でソレの脚を打ち付けた。

 手に伝わってくるのは肉を叩く生々しい感触。あの時、霧が生み出した怪物の幻影からは感じなかった確かな手応えがそこにはあった。

 転倒して地に這い蹲りながらも、ソレは両腕を振るいながら向かって来る。

 一葉はチャームの背をソレの背中に振り下ろし、抵抗する能力を完全に奪い取った。

 

「恋花様も藍もあまり離れ過ぎないように。避難の援護を最優先で当たってください」

 

 遅れて通信を入れ、巨大霊園の中を駆けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道路脇に街路樹が並び、区画ごとに墓石が立つ園内は見通しが悪い。夕刻ならば尚更だ。どちらにせよ飛び道具は使い辛いだろう。施設への被害を考慮しなければ話は別だが。

 曲がり角から現れた不明体を、一葉は刃の腹で思い切り殴り付けて叩き伏せる。

 ここまでの道中、墓所に地面を掘り返されたような跡は見当たらなかった。幻でもないが、かと言って死者の骸が蘇ったわけでもないらしい。

 

(助かった。そっちの方がやり易い)

 

 普段から相手にしているヒュージも大概グロテスクなので、視覚的なショックは大して問題ではない。ただ故人とはいえ、本物の遺体に狼藉を働くのは並の神経にはかなり応える。

 

(でも、おかしい。今は霧なんて出てないのに)

 

 また一体、前方に見えたゾンビもどきを打ち倒しながら、一葉は現状に疑問を抱く。

 過去の戦いとは似ているようで、何かが決定的に違っている気がした。

 そしてまた一体、植え込みの緑の向こうに人影が見える。

 いや、違った。ゾンビもどきではない。それは先程見かけた古風な黒一色の学ラン姿だ。よく見ると同色の外套(マント)らしき物を羽織っている。

 

「そこの方、早く避難してください! 南側の出口から園外へ!」

 

 近くまで駆け寄ろうとした一葉だが、振り返ったその人物を見て足を止めた。

 帽章の無い学生帽を目深にかぶって目元は見えないが、口の端が吊り上がっていた。

 

「貴方は――――」

 

 チャームのグリップを握り直しつつ問い掛けようとしたところ、相手が口を開ける。

 

「諸君はこれまで我が秘術の実証に大変貢献してくれた。(まこと)ありがたい」

「何を、言っているのですか」

 

 右足を後ろに引き、チャームを構える。

 そんな一葉の耳に通信が入る。

 

「一葉、避難完了したよ。千香瑠が一足先にそっちへ向かってる」

 

 瑤の声だ。

 またそれと同時に恋花と藍が合流してくる。一葉の様子に気付いたのだろう。

 痩せ型の体を学ランとマントに包んだ男は話を続ける。

 

「感謝の意も込めて、この度は諸君らには種を明かそうと思う。そのためにこうして参った次第」

 

 次の瞬間、男の足元が光り出す。光は線をなぞり、線は円形の幾何学模様を形作る。

 そうして完成した図形の周りから人型が這い出してきた。霊園に蔓延るゾンビもどきより一回りも二回りも大柄の化け物だ。

 

「ちょっ、これマジ!?」

「わぁー、なになに?」

 

 恋花と藍もこの人物の異様さに気付いてチャームを構える。

 

「貴方がこの霊園を襲っている犯人ですか」

「いかにも。怪異『生物災害』。今の若人には毛唐の怪異の方が馴染み深いのではなかろうか」

「そんなっ、こんなこと!」

 

 悪びれもせずどこか自慢げな口調の学ランに、一葉は眦を吊り上げる。

 

「此度のことだけじゃない。のっぺらぼうに子取り箱にリンフォンに……。いずれも我が秘術で喚んだもの。覚えてくれているだろうか」

 

 一葉は絶句した。

 彼の言葉通りなら、これまでずっとこの人物の思惑に沿って戦い続けてきたことになる。

 しかし、実証と感謝というのはどういう意味か。お礼参りでもするつもりなのか。

 

「色々と尋ねたいことはありますが……。まず貴方は何者なのですか?」

「ふむ、『何者か』と。それは果たして哲学的な意味の問いなのだろうか。だとするなら、人であるとも言えるし怪異であるとも言える。あるいは全く別種の存在だと定義付けることも可能だろう」

 

 つらつらと不毛な論を並び立てるものだから、一葉の横の方で恋花が露骨に眉間を歪めた。

 男の方はちゃんと聴衆の不満を把握しているのか、やや芝居がかった調子で纏めにかかる。

 

「しかし諸君らが呼称に困るというのであれば、あえて名乗ろう。怪異召喚士(デモンサマナー)と」

 

 

 




本作では安全保障審査委員会を審議会としていますが、長が長官であったり本当のところはどういった組織なんでしょうね?
ただアニメ本編の描写を見るに、悪のゲヘナのシンパというよりは、一度下した決定を容易に撤回できない役人気質の強い組織に思えましたが。
そういうところは妙に現実的という…





それはさておき……ラスバレ!
イルマもメルクリウスもサングリーズルもネタが貯まってるのに、神庭が書きたくなったじゃないか!
今までメインとしては敢えて書いてこなかった彼のガーデンを出す時が来たようですね(連載終わらせてから)


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第35話 国崩し 二.

「しかし諸君らが呼称に困るというのであれば、あえて名乗ろう。怪異召喚士(デモンサマナー)と」

 

 怪異蔓延る大都心の霊園で、堂々とそう語る人物に相対するヘルヴォル。

 ついさっき実際に化物を呼び出してみせた。しかしだからと言って、発言全てを鵜呑みにはできない。取り分けあのリンフォンクラスの怪異を召喚したなどと。

 そんな一葉の思考をよそに、呼び出された二体の化物が襲い掛かってきた。異常に発達した上半身を揺らし猛然と走り来るその様は、映画などでよく見るゾンビとは一線を画している。

 その内の片方に向けて、一葉はブルトガングをシューティングモードに変形させた。既に霊園内の避難は完了したとの報告があったので、多少の発砲は可であると判断した。

 重い発砲音の後、一葉の右手から迫る化物が腹部に受けた衝撃で吹き飛んだ。ずっと後ろの植え込みの向こう側へ突っ込んでいき、そのまま見えなくなった。より巨大なヒュージを討つための火砲を浴びたのだから、そうなるのも当然だろう。

 そしてもう一体、左手の化物はと言うと、横合いからの射撃を受けてやはり吹き飛んだ。射撃元に目を向けてみると、ゲイボルグを抱えた千香瑠がこちらに接近中だった。

 

「ふむ」

 

 遠くの千香瑠に対して首を傾げるデモンサマナーとやら。

 その余裕に満ちた態度に恋花が噛み付く。

 

「てか何なのよ。サマナー? 召喚士? そのコスプレはマジでやってるわけ?」

「これは失敬。『生物災害』はお気に召さなかったと見える」

 

 恋花が声を荒げて注目されている内に、一葉が隙あらば取り押さえようと好機を窺う。

 だがそんな思惑を嘲笑うかのように異変が起きた。急に手や足が動かせなくなったのだ。

 

「くっ……」

「一葉ぁ、恋花ぁ、体が重いよ……」

 

 金縛りにかかったのはどうやら一葉だけではないらしい。

 背中に違和感を覚えていたため苦労しながら後ろへ視線を向けると、一葉は信じられない光景を目の当たりにした。自らの影から伸びた腕に体を掴まれているではないか。

 

「無駄だよ。怪異『かげおくり』。諸君らの影は支配させてもらった」

「かげおくりって、そういう話じゃなくない!?」

「物語の定義など、曖昧模糊なもの。さながら揺れ動く陽炎の如し」

「滅茶苦茶だ!」

 

 恋花が吠える通り、もはや怪談も都市伝説もあったものではない。

 首から上は動くものの、この状況は非常にまずい。

 しかし周囲に残っていたゾンビもどきは次々に撃ち抜かれていく。千香瑠だけは影に捕らわれることもなく、無事に一葉たちのもとへ合流できた。

 

「何たる耐性。これは大したものだ。同業か、神社仏閣の手合いか」

「動かないでください。貴方を拘束します」

「いや、実際褒めている。心から。よもやあの時甲州から落ち延びた娘が、ここまで成長しているとは」

「……は?」

 

 一葉の背にぞわりと冷たいものが走る。冷たい何かに撫で回されるかのような、不快と恐怖の混ざり合った感覚。

 直接関係の無い一葉でさえそうなのだから、当事者である千香瑠の心持ちに至っては想像も及ばない。

 

「霧によるヒュージの操作実験は以前から行われていたということだよ」

「…………」

「流石に群馬での一件のような大規模操作は初めての試みであるが。諸君らの協力によって実戦に耐え得るものだと証明できた。感謝、感謝」

「……っ」

 

 千香瑠はシューティングモードのゲイボルグを抱えたまま口元をきつく結んでいた。

 彼女の耳は、発される言葉を一言一句漏らさず受け止めていることだろう。たとえ彼女自身が望まない内容だったとしても。

 

「しかし、奇しき因縁とはかくあるか。死に損なった片割れが、今こうして我を討たんと相まみえる。これを天の意と言わずして何と言おうか」

 

 大仰な手振りを添えてそう語る。

 その熱弁が終わるや否や、千香瑠が動いた。ゲイボルグを銃砲から槍へと変えて、無防備に佇む学ラン姿に突きを放つ。

 だがその身を弾丸と化した千香瑠の切っ先は標的を捉えられない。接触した途端、黒衣の痩身は蜃気楼の如く揺らいで掻き消えてしまった。

 残ったのは、中空に響く男の声のみ。

 

「今日諸君らのもとに伺ったのは謝意と宣言のため。程なくして、我が()()()を披露しようという宣言の」

「待ちなさい! 何のために、何をするつもりですか! 答えなさい!」

 

 虚空を睨んで問い質す一葉だが、返事は無い。一方的な宣言だけ残して声は途絶えた。

 依然として霊園内に涌き出たままの化物たちも懸念すべきではあるが、その前に一葉は目の前で立ち尽くす千香瑠の背に手を伸ばす。

 

「千香瑠様」

「はっ、はっ、はっ、はぁっ」

「千香瑠様……」

「はぁ、はぁ、はっ……か、一葉ちゃん?」

 

 過呼吸にでも陥ったみたいに息を吐き出している。顔色がまだマシに見えるのは、興奮して息を荒げているせいだろう。何も安心材料にはならない。

 

「大丈夫、大丈夫よ。私なら」

「大丈夫とは思えません。落ち着ける場所まで退避してください」

「まだここには怪異が残っているでしょう? 霊園の外に出る前に退治しないと……」

 

 そうしている内に、避難誘導に当たっていた瑤が合流してくる。

 千香瑠を退かせてから園内の掃討に移ろうとした一葉の耳へ、突如としてけたたましい銃声の嵐が飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 六本木。エレンスゲ女学園一階職員室。

 

「――――以上が事の顛末となります」

 

 ガーデンに帰還した一葉は霊園での戦闘行為について教導官へ報告していた。

 

「残る怪異は、駆け付けた防衛軍第1歩兵連隊隷下の歩兵中隊によって掃討されました」

「分かった。ご苦労」

 

 早々に報告の場が終了しそうになったので、一葉は続けて口を開く。

 

「教導官殿、都内の防衛についてですが……」

「その件だが、先程房総半島沖と鎌倉沖でギガント級ヒュージが確認された。規模は不明だが群れも伴っている。我々エレンスゲは芝浦方面の巡回を強化し、埠頭から侵入してくるヒュージを迎撃する」

「待ってください。では本件の容疑者と怪異はどうするのです? 脅し(ブラフ)で済むとは思えない」

「防衛軍が対応するとのことだ。近頃どうにもやる気を出しているみたいでな。今回迅速に霊園へ展開したのもそのせいだ」

 

 思わぬ話に一葉は眉を顰めた。だがそう考えたら防衛軍部隊の展開の速さだけでなく、霊園内で躊躇なく発砲していたことにも頷ける。

 

「確かに霊園に現れた怪異は小銃で撃破可能でした。しかしあれ以上の戦力を持っているのは明らかでしょう。防衛軍だけでは危険です」

「先方が()()と言っているんだ。無理に首を突っ込む必要もあるまい」

「それでは群馬の時の二の舞ではないですか! 縄張りに拘泥していて対応できる相手ではありません!」

 

 一葉がデスクに詰め寄らんばかりに訴える。

 するとヘルヴォル教導官は椅子に腰掛けたまま「ふぅ」と一息吐き出した。

 

「相澤、貴様の言っていることは確かに正しいよ。正論だ。だが組織は正論だけで動いているわけじゃない」

「それは、どういう意味でしょうか」

「貴様の言う群馬の件。あの一件が軍の中で大層物議を醸したようだ。慎重策を取り過ぎたせいで、大将首のラージ級はともかくとして、それ以外の戦闘に関しても批判が集まった。美味しいところばかりを貴様らヘルヴォルとメルクリウスに持っていかれたからだろう」

「なっ……」

 

 当時実際に現場にて消極姿勢を非難した一葉は言葉を失った。

 あの時、一葉が積極策を主張したのはあくまで市民の安全のため。それがまさか組織の縄張り争いの引き合いに出されるとは。

 

「今もこうして都心の只中を装甲車両が巡回している。ヒュージではないゾンビもどきと犯罪者ぐらいどうにかできねば、元々疑われていた自らの価値を示せないというわけだ」

「では我々リリィは指を咥えて傍観しているべきだと、そう仰るのですか」

「好き好んで火中の栗を拾うことは無いと言っている。何にでもしゃしゃり出ていれば、それこそ一部の軍事評論家や愛国市民団体の言うような『人間を足手纏いと見下す選民主義者』となりかねんぞ」

「……積極外征を掲げるエレンスゲの教導官とは思えないお言葉です」

 

 今回のガーデンの決定はエレンスゲの姿勢と矛盾する。時に外征宣言も無しに他地域の戦闘に首を突っ込む姿勢とは。

 それは裏を返せば、軍がそれだけ意を決しており、ガーデンが忖度せざるを得なかったことの証だろう。

 

「前線で戦う者は皆、最も重要なことが何か分かっているはず」

 

 最後にそう言って一礼すると、一葉は職員室から退室するべく踵を返す。

 

「まあもっとも、ヒュージが交じっているなら話は別だが。ヒュージ相手なら大義名分も立つというものだ」

 

 出入り口を跨ぐ際、そんな言葉を背に受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後になって、この日出撃任務も訓練も無いヘルヴォルはレギオン控室にたむろしていた。

 リビングで戸棚の戸を開けてガサゴソと漁るのは恋花。中に頭を突っ込みかねない様子で何かしら捜している。

 

「あれー? おかしいな、クッキーってまだあったよね?」

「クッキーなららんのお腹の中だよ。美味しかったー」

「マジ? 全部食べたのか……」

「これで恋花のファスナーは守られたよ。良かったね」

「何だってーっ!?」

 

 恋花は急いで藍の寝っ転がるソファに駆け寄ると、とっちめるべく上から覆いかぶさった。

 藍は「キャッキャッ」とはしゃぎながら手足をバタつかせて抵抗する。制服のジャケットを脱いだ黒のインナー姿で、二人してソファの上を暴れ回る。

 

「大人気ないなあ」

 

 少し離れた場所で椅子に座って読書に興じる瑤が呟いた。

 

「クッキーならまた焼いてあげますよ」

 

 キッチンの方から顔を見せた千香瑠がそう言うと、二人の掴み合いはピタリと止まる。

 

「やった!」

「らんは動物さんがクッキーがいい!」

「藍はもう食べたでしょーが!」

 

 恋花が今度はキッチンの方へ駆けていき、エプロンを締めていた千香瑠の背中から抱き付いた。

 

「千香瑠ママ~、好き好き~」

「はいはい」

 

 恋花の背丈は藍よりも少し高い程度。千香瑠との身長差もあり、親子とは言わずとも姉妹のような光景だった。

 そんな恋花のインナーの襟ぐりを、後ろから瑤の手が掴んで軽く引っ張った。

 

「恋花、手伝わないなら邪魔しない。あ、あと私はクマさんクッキーがいい」

「お前もか! お前もママのクッキー狙いか!」

 

 そこに藍も加わり三人でわちゃわちゃやり出して、広い控室が更に賑やかとなっていった。

 千香瑠は笑みを零した後、彼女らに背を向けて奥の収納スペースに向かう。

 

(皆に、気を遣わせちゃってるわね)

 

 いつもよりオーバーに騒いで見えるのは自分の被害妄想だろうかと、千香瑠はそう考える。仮にそれが事実だとして、心遣いは嬉しくもあり、申し訳なくもある。

 千香瑠は悩みを振り払うかのように、クッキー作りに集中するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルを前に行なわれたデモンサマナーの宣戦布告から三日。それは実行に移された。

 

「新宿区に多数のヒュージ出現。総数不明。スモール級とミドル級の混成と認む。発生地点は市ヶ谷、防衛省付近と推定。LG(レギオン)オレンツァロは北上して麹町新宿通りに防衛線を張れ」

 

 ガーデンの作戦に従い芝浦埠頭の警備についていた最中、エレンスゲ司令部からの無線を耳にした一葉は確信に近いものを抱いた。これは怪異の仕業であると。

 

「ケイブではないでしょう。ケイブ反応があれば、多数のヒュージが展開する前に探知できるはず。そもそもあの辺りはエリアディフェンス発生装置の範囲内。ケイブは生成できません」

「だとすると、怪異が手引きした?」

「やっぱこの前のコスプレおじさんかねえ……」

 

 一葉の意見に瑤と恋花が続く。

 怪異が相手だとして、問題は誰がどのように対応するのかという点だ。

 

「新宿周辺は旧ルドビコ女学院の守備範囲です。今はルドビコとイルマなどのリリィが共同で担当していますが、あまり余裕はないでしょう」

「それに比べて、こっちはまだ大丈夫そうだけど」

 

 恋花が意味有りげにそう言った。

 無論、一葉にもその意図は分かる。

 

「行きましょう。怪異相手なら我々の出番です」

 

 一葉が千香瑠の両目を見据えて訴えると、一瞬視線を彷徨わせながらも頷きが返ってきた。

 そうして次はもう一つ、最大の問題点。エレンスゲ司令部が救援を認めるかどうか。

 一葉は若干の懸念を抱きつつも通信機のスイッチを入れる。

 

「こちら芝浦埠頭、ヘルヴォルリーダーよりエレンスゲ司令部へ。意見具申。市ヶ谷防衛省のヒュージ殲滅に向かいたいと思います。彼の地のヒュージは港区港湾部から進出した可能性有り。我々が対処すべきでしょう」

「こちらエレンスゲ司令部。港区からヒュージの浸透を許したという報告は無い」

「しかしケイブが発生したという情報も、他地域から浸透してきたという情報もありません。ならばこの港区からのヒュージだと考えるのが自然かと」

「暫し待て……………………LGヘルヴォルは市ヶ谷救援に向かえ。防衛省本省周辺のヒュージを撃破せよ。ただしそれ以上の戦線拡大は認められない。芝浦埠頭にはLGバシャンドレを増派する」

「ヘルヴォルリーダー、了解!」

 

 予想よりも簡単に許可が出た。やはり何だかんだ言っても戦果を拡大させたいのがエレンスゲの本音なのだろう。

 一葉たちは移動経路と周辺地域の状況を確認した後、バシャンドレに連絡を取って引き継ぎを行なう。彼のレギオンは恋花の古巣であり、現ヘルヴォルと理念を共有する部分があった。

 

「現在、防衛省本省は外部と連絡が取れない状況にあるようです。救援を急ぎましょう」

 

 予想よりも悪い事態にヘルヴォルの気は急くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりにはヘルヴォルは目的の場所に到着していた。

 広い敷地内に地下シェルターを備え、地上十五階建ての庁舎には大型の輸送ヘリでも離着陸可能な屋上へリポートが設けられている。庁舎の裏手に目を向ければ、商業店舗や技術研究所、訓練設備も見受けられた。

 対ヒュージ戦争の中で省機能を分散させたため、これでもコンパクトに収められている方だった。

 

「やはり内部との通信は繋がりません。省内に突入しましょう」

 

 庁舎前の広場に居たスモール級の群れを撃破後、一葉は中への突入を決断した。

 周囲からは依然として散発的な砲声が聞こえてくる。新宿のあちこちで戦闘が生起しているようだ。遠目にも黒煙が立ち昇る光景がはっきりと確認できた。

 市中の戦況に気を取られそうになりながらも、ヘルヴォルは迅速に庁舎の前へと移動する。

 本来ガラスの自動ドアで仕切られているはずの正面出入口だが、非常時につき頑健な隔壁が下りていた。

 中と連絡がつかない以上、開けてもらうことはできない。万が一を考えてヘルヴォルは火砲を使わずチャームの刃を突き立てて隔壁に穴を穿つことにした。

 

 時間は掛かるが堅実な方法で、ようやく子供一人がやっと通れる穴ができた。

 チャームを前方に突き出しつつ一葉が中に踏み込むと、幾つもの視線が降り注いでくる。

 そこはエントランスだった。

 周りの受付机や長椅子や柱の向こう側から銃口が侵入者を捉えていた。

 

「エレンスゲ女学園LGヘルヴォル、応援に参りました」

 

 濃紫のレギオン制服、エレンスゲオーダーを纏った一葉が宣言するや否や、エントランスに散らばっていた10名ほどの兵士たちが銃を下ろす。

 一葉はその軍人たちの中に見知った顔を二つ見つけた。

 

「お久し振りです、石川大佐、辻大佐」

「相澤君か……。息災で何より、などと言ってる場合じゃないな。応援感謝する」

 

 顎髭を蓄えた将校は防衛省における対ヒュージ戦略立案の責任者で、相模原の石川葵の父親でもある。一葉も東京のリリィとして何度か面識があった。

 また彼と同じ階級の禿頭に丸眼鏡の将校は東部方面軍隷下の部隊長で、ヘルヴォルとは群馬の一件において顔を合わせていた。本日はたまたま本省に呼び出されていたらしい。

 この場の最上位者は二人の大佐のようだ。

 代表して石川大佐が状況を説明してくれる。

 

「現在、確保できているフロアはこの一階のみ。ここからでも上階と地下との連絡は取れない。何らかの手段で通信が妨害されている。何度か二階に斥候を出そうとはしたのだが、スモール級ヒュージの群れに阻まれてしまった。今の我々の戦力では突破は不可能だろう」

「では、地下はどうなのでしょうか?」

「そちらは現状でヒュージの抵抗は確認できていない。より下層の様子は不明だが、少なくとも上階と違って臨戦態勢にはないようだ」

 

 予断を許さないのは変わらないものの、多少の希望は見えてきた。ヒュージとの戦いに備え、大臣室をはじめとした重要機能の多くが地下に移設されていたからだ。

 

「ところで相澤君、今回の襲撃はただのヒュージによるものではないのだろう? ケイブ反応は全く確認できなかった」

「はい、恐らくは」

「だとしたら、解せん。ヒュージの気まぐれではなく何者かの意図と仮定して。重要機能のある地下ではなく上階に戦力を集中させるなど」

「待ってください、石川大佐。上にも一つ、分かり易い重要設備があるはずです」

「……っ! それは、そうだが……。しかしあれ一つだけを破壊したところで大した意味は……」

「襲撃者の企みは不明です。ですが、我々の与り知らぬ大事(だいじ)があるのかもしれません」

 

 石川大佐は髭の生えた顎に手を当て考え込むが、さして時間を費やさずに決断する。

 

「このまま一階に留まっていても、いつ援軍が来るか分からない。我々は地下階の確保に向かう。君たちヘルヴォルには上階の偵察を頼みたい」

「了解しました」

 

 一葉は二つ返事で了承する。無論、可能なら偵察と言わず首謀者の捕獲・撃破を図るつもりであった。

 

「幸い襲撃は大臣不在の時に起きた。ただ間の悪いことに、都内の小学校のクラスが社会見学に来ていてね……」

「本当ですか!? つい先日、霊園であんな事件が起きたばかりだというのに……」

「中止にすれば威信に関わるという判断もあったんだろう。だが考えようによっては下手な街中より安全とも言える。結果的には裏目に出たわけだが」

「それで、その小学生たちは今?」

「非常時には地下にあるシェルターに避難させる手筈だ。これも我々が確認しに行くよ」

 

 石川大佐が顔を強張らせながらそう言ったので、一葉はひとまず自分たちの役目に集中することにした。敵主力の制圧下へ侵入するという大役に。

 しかしながら、まだこの場でやるべきこと、言うべきことが残っている。

 

「ではヘルヴォルは上階へ向かいますが……その前に一つだけ」

 

 一葉は辻大佐の方へ向き直る。

 

「辻大佐、群馬での件ですが、改めて出過ぎた真似をしたことをお詫び致します」

 

 あの時の行動は今でも間違っているとは思わないし、後悔もしていない。次に似たような事例が起きても、やはり似たような行動を取るだろう。

 だがそれはそれとして、相手に迷惑を掛けたのも事実である。もしかすると、そのせいで辻大佐は軍内部で微妙な立場に置かれているかもしれない。教導官からあんな話を聞いた後なので、一葉はそう考えざるを得なかった。

 

「もしも私の心配をしているようなら、不要だ。軍内部の諍いを外の人間が気にする必要などない」

 

 辻大佐は少しも表情を変えずにそう言った。

 すると彼の隣で石川大佐も大きく頷く。

 

「その通りだ、相澤君。そもそも辻が上層部に睨まれているのは、上の作戦指導にやたらと噛み付いているせいだから、今更なんだよ」

「フンッ」

 

 一方はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、もう一方は機嫌悪くそっぽを向く。

 これ以上、一葉には何も言いようが無かった。下手な取り繕いも気遣いも、むしろ失礼に当たるだろう。

 

「お時間を取らせてしまいました。では改めて、ヘルヴォルは上階の偵察、可能ならば奪還を図ります」

「よろしく頼む」

 

 二人の大佐を皮切りに、周りの兵士たちが一斉に手を頭の前にかざして敬礼するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つけた……あの巫女、見つけた……」

 

 ヘルヴォルの省内突入を見ていた者が一人。

 

「こ の う ら み は ら さ で お く べ き か」

 

 

 



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第36話 国崩し 三.

 一階から上に繋がる階段部分でヒュージの群れを一蹴した後、ヘルヴォルは二階の現状を目の当たりにする。

 

「ちょっと。あたしたちが今居るのって、市ヶ谷の防衛省だよね?」

「少なくとも東京ドームや国立競技場ではないね」

 

 引き攣った顔で呟く恋花へ、真顔の瑤が答えた。

 階段を上り終えた五人の前に、草がぼうぼうに伸び切っただだっ広い空き地が広がっていたのだ。

 上を向けば天井は見えず、代わりにどんよりと鉛色に曇った空が映るばかり。

 幾ら防衛省が広いと言っても、それはあくまで常識的なビルディングの範疇での話。内部にこんな大自然が広がっているなど夢にも思わない。

 

「千香瑠様、これは一体……?」

「しっ。何か聞こえてくるわ」

 

 一葉の台詞を遮る千香瑠。

 耳を澄ませば、空き地に反響する物音に気が付く。

 

 シャン――――

 

 金属がこすれ合うような音。

 

 シャン――――

 

 こちらに近付いているのか徐々にはっきりと耳の中に入り込んでくる。

 

 シャン――――

 

 やがてその実体がヘルヴォルの目の前に立ちはだかった。

 音を響かせていたのは一本の錫杖だ。それを握っているのは藁の(みの)で体を包み、編み笠を目深にかぶった何か。背丈は小さい。藍の半分も無いだろう。

 

「巫女め。恨み晴らしに来たぞ」

「その声、私があの時祓ったはず」

「今も、今もここに居るぞ……っ!」

 

 千香瑠に怨嗟を突き付けて、頭上の編み笠を脱ぎ捨てる。

 真ん丸の頭からCの字型の突起を左右に生やした怪異。

 一葉はその名を口にする。

 

「チャーミ(ry」

「人面犬!」

「いえ千香瑠様、あれはチャ(ry」

「人面犬よ」

「あっ、はい」

 

 かつて清めのポマードによって退治されたはずの人面犬が再び千香瑠へ牙を剥く。瞑っているのか開けているのかよく分からない両の目で。

 

「一度理不尽にも退治されたこの僕は、妖怪『油すまし』として蘇った! 暴虐の巫女め! あの時の恨み晴らしてやる!」

 

 瞑っているのか開けているのかよく分からない瞳のまま、人面犬改め油すましは前方の怨敵に向けて錫杖の頭をかざした。

 僅かな間を置いて、空の方から風を切る音が鳴る。

 落ちてきた。鉄のタライが。

 

「いったっーーー!!!」

 

 恋花の頭上に。

 

「ふざっ……ふざけんじゃないわよ!」

「恋花いたそー。らんが()()()()してあげよう」

「あれ、おかしいな? 外れたよ」

 

 チャ(ry油すましは錫杖を見つめながら、無い首を捻る。

 その隙に千香瑠は一葉から受け取ったマッチに火を灯し、真ん丸二頭身を包む蓑に向かって放り投げた。

 蓑は藁ゆえに、よく燃える。

 

「……あつっ」

 

 燃え過ぎだ。油を吸っているせいか、たちどころに全体へ回って文字通り火達磨と化す。

 

「あつっ、あつい! あっつい!!! あっつい!!!!!」

 

 だだっ広い草地をハチャメチャに駆け回ると、余計に火勢が強まり燃え上がってしまう。本人にとっては正しく地獄の業火と言ったところだろう。カチカチ山など生ぬるい。

 やがて躓き転倒した勢いで、油すましは草地の上を転がり回る。幸い草は湿り気を帯びていたようで、地面の土と併せて燃え盛る炎を和らげていく。

 鎮火した頃には、火達磨は土まみれの泥団子へと変化していた。

 そこへ千香瑠は物言わず歩いていく。土の茶色か焦げ目の黒か判別し辛い物体の手前で足を止め、無言で見下ろした。

 するとその変わり果てた油すましからすすり泣きが聞こえてくる。

 

「うっ、ううっ、どうしてぇ? どうして僕がこんな目ばかり……。酷いよぉ……」

 

 見るも無残な惨状。しかしながら、目だけは相変わらず瞑っているのか閉じているのかよく分からない見た目なので、いまいち同情心が湧いてこない。

 

「元はといえば、貴方が人々を脅かしていたせいでしょう」

「ううっ、もうしないよぉ……」

 

 冷たい声で追及する千香瑠に、油すましは呆気なく降伏した。

 

「これ以上悪さをしないのなら、私も矛を収めます」

「うううううっ。これからは、チャームの妖精としてやっていくよ……」

 

 寝転がっていた油すましは起き上がると、とぼとぼフラフラ何処かへ歩き去っていく。その背中は実際以上に小さく見えた。

 油すましの後ろ姿を見送ってから、千香瑠は一葉の方へ向き直る。

 

「ごめんなさい一葉ちゃん。勝手なことを」

「いいえ。退治してもまた復活しかねませんし。変に恨まれて付きまとわれるより良かったかもしれません」

 

 本当に恨みの一念で蘇ったのだとすれば、やり過ぎは逆効果だろう。厄介極まりない妖怪だ。攻撃面がアレなのが不幸中の幸いか。

 

「さあ、行きましょう。これだけの空間操作、さっきの油すましの仕業とは思えない。悪い予感がするわ」

 

 千香瑠は皆に先を促し、自ら先頭に立って歩き始めた。その姿はどこか危うくもあるが、心強さも抱かせる。

 だが他にも一つ、一葉は大きな()()()を残してしまった。

 

「千香瑠様、やはりあれはチャ(ry」

「油すましよ」

「ですが(ry」

「油すましよ」

「あっ、はい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は遡り、ヘルヴォルが二階へ進撃を開始した直後。

 あとに残った分隊規模の防衛軍兵士たちは出撃準備を終えつつあった。

 

「警衛司令との連絡はやはりつかんのか?」

「はい。依然として他の階層とも庁舎の外部とも通信不能です」

 

 通信機を操作する兵が辻大佐からの問いに答えた。

 その事実を受けて、年かさの曹長が精衛と辻大佐の前に進み出る。

 

「現在、指揮を執れる最上位者はお二人です。ご命令を」

 

 答えは決まっている。

 外にもヒュージが徘徊している中、増援をすぐには呼べない。この戦力では隊を分けるのも愚策。言うまでもないが、地下に避難したであろう社会見学の子供たちを捨て置く選択はあり得ない。

 

「省内は私の方が詳しい。私が指揮を執る」

 

 精衛は小銃を手に取りそう宣言した。

 すると横からもう一人の大佐が、精衛の同期が口を挟んでくる。

 

「フン、大丈夫なのか? 本省勤務で体がなまっていなければいいが」

「無駄な心配だ。第一、射撃の成績は私の方が上だった!」

「防大時代の話だろう! 何年前だ!」

 

 かくして僅か10名程度の救出隊が結成された。

 縦隊となって地下へ続く階段を下りていく。

 エレベーターは非常時ゆえに緊急停止中。そうでなくとも、あんな物に乗ってヒュージのど真ん中にでも降りようものなら、瞬く間に鉄の棺桶が出来上がるだろう。

 事前の偵察通り、階段を下ってすぐはヒュージに遭遇しなかった。無人の空間を、警戒しながら慎重に前進する。

 流石に本省を守る警衛隊だけあって、兵たちの練度は高かった。実際に銃火を交えずとも、動きや佇まいを見ていれば十分に分かる。精衛が指揮を執るとは言ったものの、実質的な指揮官は古参の曹長であった。

 だがそれでも、精衛が指揮を執るという形は必要だ。何か問題が生じた時に責任を取らねばならないのだから。そしてその責任の中には『エレンスゲ女学園のリリィという部外者に応援を要請した』というものも含まれる。

 

 地下の廊下を進んでいくと、やがてヒュージの残骸が目に付くようになった。まだ体細胞の分解は進んでいない。大きさからしてスモール級。多数の小銃弾を浴びて力尽きたと思われる。数は決して多くないが、戦闘が生起したのは間違いなかった。

 不意に、縦隊の先頭から甲高い連射音が響いてくる。

 

「何事か?」

「まだ動いていましたので」

 

 精衛の問い掛けに、瀕死のヒュージを介錯した兵士が答えた。

 それから部隊は何事も無かったかのように、ただしより一層警戒しながら進軍を再開する。

 金属隗の残骸に紛れて人間の遺体も目にするようになった。軍服のみならず、背広の人間も銃を握り締めていた。平時の省庁ではありえない光景だが、生憎と今は長く続く戦時である。

 残念だが今すぐには弔えない。

 精衛たちは血みどろの廊下を通り過ぎていく。

 そうしてとある部屋の前に来たところで精衛は目を見開いた。

 扉の横の壁に背中を預け、一人の将校が座り込んでいる。腹部を真横にざっくりと切り裂かれた状態で。誰が見ても息が無いのは一目瞭然だ。

 

「田之上少将……」

 

 同じ本省勤務の空軍将校だった。近くに小銃が落ちており、手の中に拳銃が握られていた。最期の最期までヒュージに抵抗したのだろう。

 精衛は亡骸に敬礼した後、部屋の扉に目を向ける。そこは小規模の倉庫だった。

 

「曹長、中を確認しよう」

「はっ」

 

 精衛の指示を受けて兵たちが周辺警戒を続けたまま足を止める。

 精衛はカードキーを用いて扉のロックを解除。然る後にまず兵士の一人が倉庫内に足を踏み入れる。

 倉庫と言ってもあまり大仰な物は仕舞われていない。事務用品等の比較的小物ばかりが目に付いた。

 そんな中で、身を屈めて寄せ合っていたのは二人の大人と三十人程の子供。シェルターまで辿り着けないと判断してこの場に籠城したのだろう。

 相手を刺激しないよう、精衛は努めて冷静に引率の教師と思しき男性へ話し掛ける。

 

「庁舎の見学に来られていた方々ですね?」

「は、はい……」

「この場に全員揃っていますか? 行方が分からない児童は?」

「はいっ、揃っています。皆居ます……」

「そうですか。ではもう暫くここでお待ちください。不自由ですが、今のところここが一番安全だ」

「はい……。あ、あの……最初に私たちをこの中に逃がしてくださった軍の方は? 空軍の方だと思うんですが――――」

 

 その後、精衛が倉庫から退室すると、外で待機していた辻大佐の視線が注がれる。

 

「石川、この階のヒュージは既に殲滅されたようだ。恐らく、ここより下層に侵入したヒュージはそう多いものではないだろう」

 

 精衛は改めて少将の前に立つ。しかし以前のように彼の口から皮肉が飛んでくることはない。永久に。

 

(子供たちを守ったのか……)

 

 背筋を正してもう一度敬礼する。

 政治に飲み込まれ、自らもその大きな()()()の一部となりかけていた少将だが、最期の最期で軍人の本分を果たしたのだ。

 

(こうなる前に、分かり合えなかったのか……)

 

 幾ら悔いても、零れた水は器の中に戻りはしない。

 分かり切ったことを考えてしまうのは人の弱さか。

 結局、今これから彼らにできるのは、使命を全うし本分を果たすことぐらいであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、二階を難無く突破したヘルヴォルは鉛色の空と海原の如き草原という大自然から一転、再び屋内風景に戻ってきた。

 コンクリート壁の廊下に明るい天井照明。確かにそこは屋内だった。

 ただ廊下は終端が見えないほど延々と続いており、無数の扉が延々と並んでいた。

 

「え、何? これは……」

「また空間操作ね。相当力のある怪異が居るみたい」

「これ扉を全部確かめろってこと……!?」

 

 千香瑠の言葉を耳にした恋花はげんなりと顔を歪める。

 

「恋花、ぼやかない」

「分かってるよ。やればいいんでしょ、やれば」

 

 瑤が扉の脇からドアノブに手を伸ばし、恋花が反対側の脇に立ってチャームを構える。開けた瞬間に何が出てきてもいいように。

 

「待って二人とも。少し時間を掛ければ、出口を特定できると思うわ」

「なーんだ。流石千香瑠ぅ~」

 

 総当たりの手間を省けると知り、恋花はホッとしてチャームを下ろす。

 瑤もまたドアノブを掴んでいた手を引っ込める。

 ところが次の瞬間、扉が思い切り開いて中から何かが飛び出してきた。

 

「のわーっ!?」

 

 真ん前に居た恋花は咄嗟にチャームを振り払う。

 チャームの腹で殴られた何か――――四つ足のスモール級ヒュージは突進の軌道を逸らされて、反対側の壁へと激突。直後に藍が振り下ろした一刀により撃破された。

 

「サーチャーにヒュージ反応が無かったとはいえ。油断するからですよ、恋花様」

「はぁ……。早いとこ正解見つけてよ……」

 

 一葉に咎められ、またまたげんなりとして溜め息を吐く恋花。

 哀願された千香瑠は自身で申告した通り、上に繋がる扉を探し当てるのだった。

 

 三階から四階へ。階段を全段上り切ったヘルヴォルの前にさっきと同じ光景が立ち塞がる。

 即ち、終わりの無い廊下に無数の扉。ただ二点、ヒュージに破壊されたはずの扉と壁だけは元通りになっていた。

 皆が動揺する。

 千香瑠は口を引き締めて何事か考え込んでいる。

 

「これってさ、繰り返していけばその内最上階に辿り着く……ってならない?」

「恋花、それは都合良すぎ」

「だよね」

 

 恋花と瑤は怪現象を前にして頭を抱える。

 そんな中、一葉はさり気なく千香瑠の横顔に視線を移した。いつになく静かな長考が気になっていたからだ。

 

「らんが部屋も扉も全部全部ドカーンってしていったらいいんじゃないかな?」

 

 藍が提案した。

 しかし生憎と恋花のお眼鏡には適わない。

 

「うん、それは最終手段ね」

「可愛い……」

「今可愛いポイント無かっただろぉ!?」

「ドカーンって、可愛い……」

 

 瑤と恋花の様式美のやり取り。

 作戦会議がぐるぐると堂々巡りを繰り広げていたところ、固く結ばれていた千香瑠の口が不意に開かれた。

 

「空間を操っている怪異が追い掛けてきてるんだわ。私たちが階を上がる度に、この迷路を追加で生み出してる」

 

 皆一斉に静まり返って千香瑠の話に耳を傾ける。

 

「だから、私が残ってその怪異を迎え撃ちます。そうすれば皆はすぐにでも次の階に進めるはずよ」

 

 予想していても、その提案は衝撃的なものだった。

 恋花はバツが悪そうに目を伏せ、瑤は表情こそ変わらないが同じ気持ちだろう。藍は全て理解しているわけではないだろうが、真剣に千香瑠の言葉を聞いている。

 

「千香瑠様、私には確かなことは言えませんが……。これだけの術を操る怪異、相当に強力な存在なのでは?」

「そうね、まず間違いなく」

「であるならば、その怪異の相手をしている内に、元凶との決着がつくこともあり得ます」

 

 元凶。この防衛省内で直接姿を見てはいないが、先日霊園で相まみえた人物が関わっているのは明白だろう。

 因縁浅からぬ者に借りを返す機会が失われるかもしれない。千香瑠の決断はつまりそういうことであった。

 

「構わない」

「千香瑠様」

「恥ずかしい話だけど、今あの人と向かい合って冷静さを保てる自信が無いの。霊園の時みたいになるんじゃないかって。それは絶対、足元をすくわれる原因になるわ」

 

 千香瑠は眦を下げて悲しそうに吐露する。

 その悔しさは想像するに余りある。

 だがそれでも千香瑠は自分が残ると決断したのだ。

 

「分かりました。それではこの場はお願いします」

 

 一葉が了承する。

 すると千香瑠の隣に居た藍が彼女の制服の袖をちょいちょいと引っ張った。

 

「らんも千香瑠と一緒に戦うよ。いいよね?」

「藍ちゃん……」

「うん、その方がいい。藍も千香瑠様のこと、お願いね」

 

 敵地と化した場所で戦力を分けるのは危険ではある。しかしあまり時間を掛け過ぎては省内の人間がどうなるか分からない。なので一葉は二手に分かれる案を採用した。

 

「あぁ~、まあしょうがないね。でもなるべく早めに追い付いてよね」

「千香瑠、藍のことお願い」

「恋花さん、瑤さんも気を付けて……」

 

 そうして千香瑠と藍に見送られながら、三人は最上階を目指して正解の扉をくぐる。今度こそこの迷宮に終わりが来ると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一葉たちをの背中を見届けて無限廊下と扉の迷宮に残った千香瑠と藍。

 程なくして、二人の周囲に変化が表れた。視界がぐにゃりと歪み、周りの壁、照明付きの天井、立っている床、それら全てがぼやけて変容していった。

 藍は異常な事態にそわそわと辺りを見回した。

 

「千香瑠ぅ……」

「大丈夫よ藍ちゃん。手を出して」

 

 千香瑠は平素と変わらぬ声で、傍らの小さな手をそっと握った。体温が高いお陰か、藍の手は温かかった。

 そうしている内に、彼女らの目に深い緑が映り込む。辺りを鬱蒼と生い茂る密林に囲まれた小道。その小道に二人は立っていた。またもや屋内から野外へと切り替わったのだ。

 

「これは、マングローブの木」

 

 左右を見渡した千香瑠は自分たちの置かれている状況とこれまでの怪現象から、敵の正体に見当を付ける。そして不用意に動かないのが得策だと判断する。

 どこか薄暗い空と得体の知れない鳥の鳴き声のせいか、遠くに聞こえる川の()()()()すら不穏なものに感じられた。

 二人はその場に立ったまま動かない。

 やがて二人の立つ小道の先に何かが現れる。

 2メートル越えの背丈のソレは全身が蛇の如き()()()で構成され、体色は深緑とドス黒い黒が混ざり合っているようだった。

 よく見ると、とぐろは小刻みに伸縮を繰り返しており、まるで心臓の拍動のようである。とぐろを全て真っ直ぐに伸ばしたら、どれだけの長さになるか想像もつかない。

 

「大丈夫よ藍ちゃん」

 

 千香瑠は自分自身に言い聞かせるように、もう一度藍の名を呼んだ。

 これだけの怪異を呼び寄せられる召喚士なのだ。相対した一葉たちに何を仕掛けるのか、不安がだんだんと広がっていく。自分で二手に分かれると提案しておきながら。

 そして、千香瑠の不安は他人のことばかりではない。こんな心持ちで、このような怪異を本当に祓えるのだろうか。

 

 

 




イルマの舞台はまだ見ていないのですが…
見たら「やっぱイルマ書きたくなった」とか言うかも(ダブスタ日和見クソ作者)


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第37話 国崩し 死.

 千香瑠と藍を残して上を目指す一葉たち三人は順調に階段を上っていく。時折襲ってくるスモール級ヒュージやゾンビもどきを蹴散らしながら。途中で妙ちくりんな空間に飛ばされることもなく、ひたすら最上階を目指して突き進む。

 特に大きな障害とぶつかることもなく、一葉たちは目的地の手前にまでやって来た。あと一回階段を上れば、その先は庁舎の天辺、屋上だ。

 ここに来てようやく彼女らの足が止まる。何かしらの術によって弄られたと思しき広々とした大部屋にて、黒衣と人物と相対した。

 

「そこまでです。今すぐに防衛省への攻撃を止めて投降しなさい、怪異召喚士(デモンサマナー)!」

 

 チャームを抱えた一葉が警告すると、学ランに黒色外套の男は学帽の下から覗く口元に薄い笑みを作った。

 

「よもや本当に現れるとは。諸君らが。奇妙奇天烈摩訶不思議。感動よりも困惑が勝るのが正直なところ」

「何もおかしなことはないでしょう。私たちはリリィです。ヒュージや、怪異に苦しめられる人々が居るのなら、飛んでいくのは当然です」

 

 召喚士はまた笑う。

 

「フフッ、フフフフッ。それは理想であって、(しん)に非ず。何故軍部の中枢がこうも呆気なく制圧せしめられたのか? リリィなる存在を疎んじていたからに他ならない。実際私は庁舎への初期攻撃にはヒュージしか使っていない。にもかかわらず、この場に居るリリィは僅かに諸君らのみ」

 

 一葉はすぐさま反論することができなかった。事実、ヘルヴォルの行動は軍から正式な救援要請が出る前に為されていた。

 ただそれでも、彼女らがやるべきことは変わらない。

 

「……それでも戦うのがリリィというもの。貴方の狙いは、庁舎屋上に設置されているエリアディフェンス発生装置ですね? それを破壊して市ヶ谷にケイブを呼び込むつもりなのですか?」

 

 防衛省本省の最上階付近にある重要設備と言えば、ケイブの生成を阻害する広域エリアディフェンス発生装置であろう。都市圏には必ず一つは設置されている。

 しかしながら、新宿エリアディフェンス崩壊事件で都庁の装置が破壊されて以降、従来の大型・広範囲の発生装置に加え、バックアップとして小型・狭域の発生装置を複数設置する体制へと改められていた。

 故に防衛省の装置を破壊しただけでは大した意味は無い。他に別の目的があるはずだと一葉は睨んでいる。

 

「否。そのような詰まらぬ雑事、無駄無意味。()の機械に手を加え、列島全土に怪異を振り撒くことこそ我が本意」

「なっ……」

 

 一葉は絶句した。

 事ここに至っては「そんなこと不可能だ」などと希望的観測を持てるはずがない。やると言うからには可能なのだろう。

 召喚士は一葉たちの様子を意に介さず自論を続ける。

 

「この日の本の地に怪異が蔓延り、日常と一体になる。これまで目を背けていた存在を、否が応でも直視せざるを得なくなる。ああ、何と素晴らしき世か。この地の欺瞞は打ち払われる」

 

 徐々に高揚していく声色は、喜びの感情をこれ以上ないぐらいに表していた。理解し難い思考だが、本人にとっては大変意義あることなのだ。

 だが無論、他の人間からしたら堪ったものではない。

 

「冗談じゃないわよ。今の世の中が欺瞞? 怪異を日常にする? 誰がそんなこと望んでんの。何の権利があってそんなこと決めてんのよ」

 

 恋花が声に棘を際立たせ、先程の演説を非難する。

 すると召喚士はそういった非難の言葉を待っていたかのように、揚々と口を開く。

 

「それがあるのだよ、私には。世を糺す権利が。かつてこの国から怪異召喚の秘術を邪法と断じられ、闇から闇へと葬り去られた私には」

 

 その振る舞いは喜びを超えて陶酔の域に達していた。自分を討ちに来た敵を前に、無防備極まりない。

 にもかかわらず、一葉は手を出せずにいた。チャームを握る手が、縛り付けられたかの如く動かなかった。

 左右の恋花と瑤に目配せするが、二人とも事情は同じらしい。

 

「大人しく下階で戯れていれば良いものの。巫女を欠いたまま私を討とうというのなら、蛮勇も甚だしい。禿頭の憲兵も、毛唐の進駐軍も、我が身を滅ぼすこと叶わなかったのだから」

 

 召喚士のその言葉に、一葉は己の置かれた状況を脇に置いて、千香瑠と藍の身を案じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜道の辻に潜んで人を惑わせる。

 その姿は千変万化。あらゆる形が正解とも言え、あらゆる形が不正解とも言えた。

 ただし体は天から地に垂らしてなお有り余るほど長大だった。

 

 古き伝承の存在と、今千香瑠たちは相対している。

 

「千香瑠ぅ、あれ何?」

「南西諸島に大昔から伝わる魔物、大悪霊よ。その名は――――」

 

 千香瑠は前方の怪異を見据えたまま藍の質問に答える。

 

「シチマジムン」

 

 俗な都市伝説の怪異たちとは違う。古くから言い伝えられてきた、歴史に名を刻むモノ。千香瑠たちはそのような存在と対峙しているのだ。

 勿論今までと同様、物語と全く同一の存在ではないだろう。良くも悪くも、あの召喚士の解釈によってこの世に顕現した怪異なのだから。

 とは言え油断は微塵もできない。名は体を表すと言うし、形を整えるのは重要だ。防衛省庁舎が魔境と化したのもこの怪異が原因と思われる。

 

「今ここで祓わなきゃ」

 

 千香瑠は決意する。

 そうしなければ、上階で黒幕と戦っているであろう一葉たちにも悪影響が及びかねない。空間を操り場を支配する力は至極厄介だ。

 槍型のチャーム、ゲイボルグを両手で握り直そうとする。ところが千香瑠の左手は金属のボディを抱える前に、小さくて温かい手に掴まれた。

 

「千香瑠、らんも一緒にやっつけるよ!」

 

 繋がれた手はブンブンと元気よく振るわれた。

 

「らんだけじゃないよ! 一葉も瑤も恋花も一緒に戦って、それでお化けもヒュージもやっつけよう! ここじゃあ、たい焼きが食べられないから。だから早くやっつけて、帰って皆でおやつにしよう!」

 

 隣でこちらを見上げてくる藍に、千香瑠は気付かされた。本当に震えていたのは彼女ではなく自分の方なのだと。

 手の平の熱は伝播する。熱は勇気となって心を癒し、震えを凌駕する力へと変わる。

 一度握り返してから手を離すと、千香瑠は今度こそ両手でゲイボルグを構えた。

 

「藍ちゃん、一緒に戦いましょう。勝って一葉ちゃんたちに追いつきましょう」

「うん。らんは何をすればいい?」

「あの怪異に、何でもいいから攻撃し続けて。その間に私が退治方法を見つけ出すから」

「分かった!」

 

 気持ちの良い返事と共に、モンドラゴンを抱えた藍が飛び出した。小道の先に立ち塞がる怪異目掛けて。マギで地を蹴り、距離はあっという間に縮んでいく。

 また同時に千香瑠もゲイボルグのトリガーを引き絞り、シューティングモードの銃口から実弾を一連射した。

 千香瑠の援護射撃は棒立ち同然の怪異に命中する。深緑と黒のとぐろの中に突き刺さった弾丸がバスッバスッといまひとつ手応えの感じられない音を立てた。それにより、とぐろを巻いていた怪異の一部が弾け飛ぶ。

 そこへ躍り掛かる藍。だがおかしい。詰めていたはずの距離が、いつまで経ってもゼロにならない。それどころかだんだんと遠ざかっている。

 

「藍ちゃん、一旦下がって!」

 

 千香瑠の叫びに前後して、無数にあるとぐろの一部が勢いよく伸びた。先端に蛇のような口を開き、鋭い牙を鈍く光らせ、小道の脇にある密林へ咄嗟に飛び込んだ藍を追い掛ける。

 藍は巨大な鉄塊を抱えたまま、マングローブの木々の隙間を器用にすり抜けていく。

 蛇の口もまた密林の中を縫うように進み、どこまでも伸びる体でどこまでも獲物を追い続ける。

 

(対策を、何か対策を……)

 

 千香瑠は大して効果の上がらない牽制射撃を続けながら、シチマジムンの伝承を思い出す。

 旅芸人の唄に退散した。日の出に鶏の鳴き声を受けて消え去った。そのような逸話はあるが、今この状況では参考にできない。退散させるのではなく、ここで確実に退治しなければならない。

 そこでもう一つ、シチマジムンがとある武芸者を恐れていた話に思い至る。その名を刻んだ石碑にすら恐れるのだとか。

 

(武芸者を恐れるぐらいだから、きっと刀槍が通用するはず。でも、どうやって近付けばいいの?)

 

 シチマジムンは空間を弄って藍の接近を妨害しつつ、同時に長大な身体を用いて一方的に攻撃するという芸当を見せていた。

 そんな相手に、どうやって槍の間合いまで詰めるのか。最も重要な問題を解決しなければならない。

 

「わわっ!」

「藍ちゃん!」

 

 考えあぐねている内に、藍が怪異に追い詰められる。蛇の口がモンドラゴンのボディと藍の制服の裾に噛み付いたのだ。

 藍を捕らえた蛇の如き体躯は、千香瑠の射撃によってすぐさま断ち切られた。

 ところが拘束を脱した藍の四方から石壁が迫る。地面から突如生えてきたのか、声を出す間も無く藍は瞬時に石の中へ閉じ込められた。それは正しく墓石のようだった。

 急いで藍のもとへと跳んだ千香瑠はくぐもった声を響かせる墓石に手を触れる。どうやら石自体にそれほど強い力は無さそうだ。

 

()っ!」

 

 気合一閃、掌に込められたマギが入れ物たる墓石だけを破壊すると、頭から砕石粉をかぶった藍の姿が現れた。

 

「うぅ~」

 

 藍はボサボサの髪を犬みたいに左右に振って、付着した石の粉を振り払う。

 殺傷力の無い術だが、一度閉じ込められたら内部から抜け出すのには難儀することだろう。

 

「追い掛けても逃げちゃう。これじゃあやっつけられないよ……」

 

 眉をハの字に曲げて困惑する藍。彼女の言う通り、追い掛けっこは分が悪過ぎる。空間操作で間合いを弄られ、無限に伸びる体から攻撃を受け続けるだけだった。

 今また小道の先を見れば、異形の怪異が更に遠のいて見えた。

 そしてまた怪異の体から二本の蛇がするすると伸びて、宙に静止すると左右に大きく裂けた口を開いた。

 危険を承知で千香瑠は勝負に出ようと決める。

 

「藍ちゃん、作戦があります」

「なーに?」

「合図したら、藍ちゃんはシチマジムンにブレイドモードで思いっ切り打ち込んでちょうだい。それまで私は攻撃を受けるだろうけど、絶対に合図を待ってね」

「……うん!」

 

 隣の藍に視線を落として説明する。返事を確認すると、再び前方の怪異へ視線を戻す。

 それから千香瑠は藍と距離を取るように横方向へじりじりと歩き出した。

 宙に静止していた二つの蛇の口が、それぞれ千香瑠と藍に襲い掛かった。

 

「ヘリオスフィア!」

 

 駆け出すと同時に千香瑠はレアスキルを発動させた。本人のみならず、周囲の味方のマギを高めて防御結界を強化する。

 千香瑠に向かってきた蛇はゲイボルグの一振りによって薙ぎ払われた。

 しかし五本六本と、次々に追加の蛇が飛んでくる。それらは空中を泳ぐように自在に旋回し、千香瑠の周囲を囲むように迫って来る。

 横合いからの強襲。蛇の一本が千香瑠の右肩を捉えた。牙は結界に阻まれて通らないが、動きを大きく制限される。

 そしてその機に乗じて、辺りを旋回していた他の蛇たちも順次牙を向けてきた。左腕、右足、左脇腹、チャームの銃身と、全身に噛み付き千香瑠を拘束してしまう。

 

「千香瑠! 千香瑠!」

 

 遠くでは藍がチャームを振るって別の蛇を打ち払いながら千香瑠の名を叫んでいる。だが助力に行く余裕は無いようだ。

 

(それでいいわ)

 

 藍を横目に見つつ、千香瑠は噛み付かれるがままになっていた。

 一方、牙が通用しないと分かったシチマジムンは拘束した千香瑠の体をふわりと持ち上げると、勢いを付けて真下の地面へ叩き付けた。

 顔面から土の上にダイブした千香瑠は手前にずるずると引き摺られ、そうかと思えばまた持ち上げられて、密林の木々へと叩き付けられる。大小の木の幹が次々にへし折られていき、上から落ちてきた枝葉が千香瑠の頭へ降り掛かる。

 千香瑠は無抵抗のまま蹂躙されていた。と同時に、チャンスを窺ってもいた。

 

(シチマジムン本来の能力は、人の方向感覚を狂わせるというもの。その力を、異界化したこの庁舎の中限定で空間操作にまで昇華させている。本来の性質から変わった力なら、どこかで隙が生まれるはず)

 

 能力の昇華と庁舎の異界化はどちらの方が先だと言い切れるものではなく、恐らく同時並行で進んでいるのだろう。それは成長性が計れないという点で脅威だが、安定性に欠くという欠点もあった。

 藍の動きを牽制しながら、捕らえた千香瑠をボロ雑巾の如く滅多打ちにする怪異。一度に何本もの蛇の体を操る技は見事だった。

 しかしながら、蛇の挙動に少しずつ雑さが表れてくる。ひたすら地面や木々に激突しても耐え続ける千香瑠相手に、攻撃が大味になってきたのだ。

 不意に、千香瑠の左腕を拘束していた蛇の口が外れた。それ以外に何本もの蛇がガッチリと獲物を捕まえていたのだが、千香瑠にとっては左腕一本で十分だった。

 自由になった左手が蛇の頭を掴む。

 

(ヘリオスフィアの真価は結界強化だけじゃない。負のマギを浄化してヒュージを弱体化させることもできる。それは怪異が相手でも同じ)

 

 手の平から直接ヘリオスフィアを叩き込む。

 シチマジムンはすぐに異変を悟ったのか、千香瑠の拘束を解いて蛇を引っ込め始めた。と同時に、千香瑠に掴まれている蛇を上下左右に暴れさせて振り落とそうとする。

 しかし千香瑠は掴んだ手を決して離さず、逆に蛇を引っ張り込んでシチマジムン本体を引き寄せようとする。

 早速ヘリオスフィアの浄化が効いているのか、シチマジムンは上手く空間を操作できないでいた。

 空中から地面に着地した千香瑠は両足で踏ん張りを利かせ、更に相手を引き寄せる。

 薄暗い中でも異形の姿がはっきりと分かる距離。間合いが10メートルを切ったところで、ようやく空間操作が機能した。幾ら引き寄せても、これ以上は距離が縮まらなくなった。

 ここぞとばかりに、一時撤収していた他の蛇たちが反撃に転じる。長い体を鞭のようにしならせて獲物を強かに打ち据える。

 

「……ぐぅっ!」

 

 防御結界越しとは言え、強烈な衝撃に襲われた千香瑠の口から苦悶の呻きが漏れた。頬を、肩を、脇腹を、太腿を、繰り返し打たれていく。それでも薄桃色の唇を噛んで耐える。

 あと少し。あと少しの距離を、どう越えるか。

 再び間合いを広げられる前に、千香瑠は動く。

 右手に握ったゲイボルグへでき得る限りマギを込め、右足を後ろへ引きつつ体を半身にし、力の限り投擲する。

 黒色の槍が低い放物線を描いて飛んだ。

 槍の穂先が向かう先、空中に亀裂が走ったかと思いきや、不可視の()()が音を立てて崩れ落ちた。ゲイボルグに込められたヘリオスフィアの浄化の力が空間操作を打ち破ったのだ。

 槍は当初の軌道に沿って目標へと命中した。無数の蛇がとぐろを巻いた異形の怪異へと。穂先から機体本体まで深々と突き刺さったゲイボルグが二、三歩ほど怪異に後ずさりさせる。

 直後、甲高い金切り音が轟いた。

 

「藍ちゃん今よ!」

 

 千香瑠が叫ぶと同時に、何本かの蛇からの牽制に手こずっていた藍が突進を仕掛けた。

 蛇たちは進路上に移動し妨害しようと試みるが、藍は待ち構える牙にも躊躇せず突っ込んでいく。

 そうして障害を薙ぎ倒し、モンドラゴンが敵を捉えた。大きく横に振られた鉄塊は黒と深緑のとぐろを根こそぎ吹き飛ばす。

 藍のフルパワーを受けたシチマジムンは宙を舞った。千切られたとぐろはバラバラと飛散し、残りのとぐろはスルスルほどけていく。

 これで終わり、にはならない。

 ほどけたとぐろが膨張し、爆ぜて、どす黒い波へと変じた。それは正しく波だった。波の如く周辺一帯を覆わんばかりに広がっていったのだ。

 波は当然、近くに居る千香瑠たちも飲み込もうとする。

 

「千香瑠! チャーム!」

 

 藍が投擲されたゲイボルグを拾い上げて千香瑠のもとへ走る。その背後には黒の波がすぐそこまで迫っていた。

 膝を突いていた千香瑠は力を振り絞って立ち上がり、走り寄る藍の体を真正面から抱き締めた。

 その直後に二人は頭から波をかぶって飲み込まれるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暫し大人しいが。もしや他人に心を砕いているのか。だとしたら、甚だ愚か。まず我が身を案ずるべきだろう」

 

 沈黙を続ける一葉たちを怪異召喚士が煽り立てる。

 とは言え、言い返している余裕は無い。チャームを握る腕が重いのに加え、胸の中を締め付けられるような圧迫感さえ生じていた。

 既に怪異による攻撃は始まっていたのだ。

 先程から視線を動かし怪異の姿を探しているが、それらしいものは見つからない。

 焦る一葉の内心を読み取り嘲笑うように召喚士が薄く笑う。

 ふと、学ラン姿の傍らに1.7メートルほどの物体が立っていることに気付いた。ついさっきまで、確かに何も無かったはずの場所に。

 その物体は左右に二本ずつ四本の腕を生やし、更には頭も左右に二つ付いていた。全身が土色に乾燥しており、まるでミイラのようだった。動いてはいない。ただそこに立っているだけだ。

 

「あぁっ……」

 

 ただソレがそこに居るだけで、胸の圧迫感が膨れ上がる。気道を押し潰されそうな感覚に、言葉が呻きとなって絞り出された。

 恋花と瑤の様子を確認する余裕も無い。だが左右から僅かに呻き声が聞こえてくるあたり、自分と似たような状態なのだと一葉は悟る。

 

「フッ、フフフフフッ。その有様では勝敗は明白か」

 

 召喚士がそう言った後、一葉はようやくまともに喋れるようになる。

 

「それは……一体……っ」

「怪異『両面宿儺』。この怪異には、これまでこの国に踏み付けられてきた者たちの怨恨が宿っている。正に我が国崩しに相応しい最高傑作だ……! フフッ、ハハハハハッ!」

 

 自信と嘲りに満ちた笑い声が大部屋の中に響き渡る。

 詳細を説明されずとも、その怪異の脅威は痛いほど理解できた。今まさに自分たちが身を以って知るはめになっていた。

 だからこそ、ここで仕留めなければならない。このようなものを外に出せばどうなるか。市井の人々が襲われたらどうなるか。恐ろしい結果になるのは火を見るより明らかだ。

 故に一葉は震える右腕を叱咤して、ブルトガングの銃口を持ち上げる。藍緑色の機体が小刻みに揺れる姿は頼り無い。それでも人々の脅威を取り除こうと、ブレる照準を必死に合わせようとする。

 

「無駄、無謀、無意味! 人間に両面宿儺は倒せない。怨恨の対象、日本人なら尚更に」

「それでも、それでも止めてみせます……!」

「ならば足掻くがいい。足掻いて、自ら傷を広げて、絶望の末に果てるがいい!」

 

 

 



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第38話 国崩し 五.

 防衛省本省庁舎15階。

 天井を一枚隔てた屋上にある広域エリアディフェンス発生装置を巡り、一葉たちは怪異の黒幕と相対する。

 だが形勢不利は如何ともし難い状況だった。胸の中を締め付ける圧迫が唐突に増し、何とか前にかざしていたチャームの銃口を下ろさざるを得なくなる。背中に寒気が走り、頭は対照的に高熱を帯びてくる。

 

「はぁっ、はっ……」

 

 息も絶え絶えに、杖代わりのチャームに半ばしがみ付く体たらくで、一葉は左右の仲間に視線を送る。

 

「恋花様、瑤様っ……」

 

 二年生二人は立つこともままならず、床の上に倒れ伏していた。小さな呻きと僅かな体の震えが、彼女らの生存を教えてくれる。

 刃も銃弾も交わすことなく、怪異『両面宿儺』はただそこにあるだけでこの惨状を生み出していた。

 

「ふぅん? 一人だけやけにしぶとい、いや頑丈だな。常人でもリリィでも、コレの呪いには抗えないのだが」

 

 怪異の横で黒衣の怪異召喚士が興味深そうに満身創痍の一葉を見やる。

 一葉とて、ほとんど気力で立っているようなものだった。気を緩めればすぐにでも膝を屈してしまいかねない。風前の灯であった。

 ただそれでも、重い身体と目蓋に活を入れて正面の敵を見据え続ける。

 召喚士はそんな一葉の姿を見て、盛大に溜め息を吐いた。

 

「果たしてそこまでして守る価値があるのだろうか。この世の中に」

「なん、ですって?」

 

 召喚士は両腕を左右へ大袈裟に広げるポーズを取る。

 

「私欲に塗れた為政者たち。面子ばかり大きくて役に立たない軍部。無知蒙昧にして手前勝手な民草。果たしてこんな国を守る必要がどこにあるのだろう」

「それはっ」

「否定はできまい。諸君らも散々見てきたはずだ。ただ見ない振りをして事実に蓋をしてきただけではなかろうか」

 

 思い当たる節が全く無いわけではなかった。

 軍とガーデンの軋轢に半分放任状態の政府、新興宗教に嵌まる人々。自分たちがヒュージと戦っている傍で、不毛な諍いが確かに起きていた。

 

「それは、一面的な見方に過ぎません」

 

 しかし一葉は彼の主張に首肯しない。

 

「他者を思い遣り、他者に尽くそうとする人たちも確かに存在します! この世の中には!」

「極々一部の例外を殊更に主張するのは虚言も同然。醜い我欲と保身こそが人間の真なる姿」

「貴方がそれしか知らないだけだ!」

「知らないとも。だが諸君らの十倍ほど生きている私が知らぬということは、即ち虚構なり」

 

 足元が覚束ない状態で、一歩も譲らない一葉。

 相対する召喚士は当初こそ余裕と嘲りに満ちていたが、少しずつ様子が変わってきた。

 

「先程から口を開けば空虚な綺麗事ばかり。どうやら君はLaw属性らしい」

「はい? ロウ?」

「童ならば、理想も夢想も許されるだろう。しかし何事にも限度がある。君の偽善は滑稽を通り過ぎて、不愉快千万」

 

 目深にかぶった学帽で表情は読み難いものの、明らかに気分を害していた。他人を小馬鹿にした物言いからも切れが失われていた。

 だが堪忍袋の緒を切られたのは彼だけではない。

 

「……ざっけんな」

 

 床に伏していた恋花がどうにか顔だけ上げてガンを飛ばす。

 

「一葉のしてきたことが、夢想とか偽善だなんて、誰にも言わせない。一葉の、私たちの想いはちゃんと形になってる……!」

 

 それは見栄でもはったりでもない。

 恋花の言葉を証明するべく一葉が続く。

 

「貴方は軍とガーデンが仲違いする隙を突き、ヒュージをばら撒いたようですが。リリィ不在の箇所で人は一方的にやられているのですか? そんなはずはないでしょう」

「…………」

「貴方が蔑んだ人たちは今も必死に戦っている。それに、これは私の推測ですが、貴方のヒュージ操作能力には限界があるのでは?」

「何故そう思う?」

「軍がリリィを疎んじているというのなら、防衛省襲撃にラージ級やギガント級を投入すればいいでしょう。チャーム以外で大型ヒュージは撃破不可能なのだから。しかし実際に庁舎の周りで見かけたのはミドル級以下でした。それに群馬の時だって。霧の怪異が操っていたラージ級は一体のみ。あれだけ大規模なヒュージの集団なら、ギガント級か複数のラージ級が率いるのが普通です」

「だとしたら、どうだと言うのか」

「ギガント級も満足に従えることができないのに、日本を征服するなど、それこそ無謀というものでしょう」

 

 一葉は自身に向けられる殺気を物ともせずに先を続ける。

 

「結局のところ、貴方の言う『欺瞞を正す』などというものは口実に過ぎない。ただ単に復讐がしたいだけなのですよ」

 

 そう言い切った途端、一葉は膝を突き、恋花は顔さえ上げていられず床に伏せた。

 両面宿儺の呪いが強まったのだろう。内臓を締めつられるような圧迫感が更に増す。

 ところが霞む視界の中で、黒衣の召喚士は光の奔流に飲み込まれていった。

 見れば、床に倒れて沈黙を続けていた瑤がクリューサーオールの砲口を前方にかざしていた。恋花と一葉の挑発によって生まれたほんの僅かな隙に、一撃を叩き込んだのだ。

 一葉にとっては意図せぬことだが、恋花は初めからこれを狙っていたのだろう。

 

「ふざけた真似を」

 

 眩い光の中から声が響く。

 高出力砲を浴びてなお、彼は健在だった。外套(マント)を盾にしたのか、背にボロ切れを纏った状態で。

 一方の瑤は先程の一発が限界だったのか、再び恋花と同様にチャームを手放し顔を伏せた。

 

「諸君らの類稀なる胆力に敬意を表して、一思いに始末を付けてあげよう」

 

 召喚士の宣言の直後、空中に二振りの曲刀が出現する。切れ味などとても期待できない土色の刀身だが、その禍々しさは遠目からでも感じられる。

 曲刀はそれぞれ恋花と瑤の方へ独りでに飛んでいくと、伏している二人の背中を斬り付けた。

 派手な悲鳴は上がらない。代わりにくぐもった呻き声が一葉の耳に入ってくる。

 

「これは失敬。呪いへの耐性だけでなく、身体も常人より頑健だったな」

 

 白々しい召喚士の発言と共に、曲刀が二人の背中から離れて浮上する。

 血の滲んだエレンスゲの制服へ、再び刃が下ろされるのは明らか。

 その光景を、スローモーションの如くゆっくりと視界に映す一葉の瞳。

 

「やめ、ろ……」

 

 体が動いていた。

 内臓をわし掴みにする圧力と、頭を侵す高熱はそのままで、一葉の体は動いていた。

 二本の足で床を踏み締め、チャームはしっかりと手の中に保持して正面の敵にブレることなく向ける。

 

「やめろっ!」

 

 常人でもリリィでも抗えない呪いを浴びた上で、一葉は戦意だけでなく戦う力をも取り戻した。

 

「あり得ない」

 

 そんな一葉を前に、立ち尽くす召喚士は否定の言葉を発する。

 

「あり得ないあり得ない」

 

 だが現実に一葉の体は動いていた。動いてチャームの砲口を怪異に突き付けていた。

 

「こいつは本当に……人間か!?」

 

 一葉が引き金を引きながら前へ駆け出す。

 棒立ちだった召喚士はそこで初めて後ろへと後ずさった。

 

「叩き潰せぇ!」

 

 絶叫の如き命令を受け、能面みたいな両面宿儺の顔が憤怒の形相に染まる。二対四本の腕には虚空から現出した曲刀や槍がそれぞれ握られていた。

 ただそこに立っていただけの怪異が動き出す。前進する一葉を迎え撃つべく床を蹴って跳ぶ。

 シューティングモードのブルトガングをブレイドモードに高速変形させながら一葉も跳んだ。

 両者が空中で矛を交える。

 左右から迫る刺突と斬撃に対し、一葉は横抱きに構えたブルトガングで受け止めようとした。しかし四手の攻撃全ては防ぎ切れず、肩や脇腹に傷を負ってしまう。

 着地の衝撃で、一葉の体から赤い血が滴り落ちた。血は床の上に落ちて鮮やかに広がっていく。それでも明瞭とした意識を保ち、四本腕の怪異を見据える。

 

(やはり相手の手数が多い。このままでは押し負ける)

 

 曲刀二本を手元で回転させる芸を披露しつつも槍の二本を油断なく構える両面宿儺を、一葉は冷静に観察する。

 砲撃では大したダメージを与えられないようだった。一方で斬撃は真面に浴びずに武器で応じた辺り、まだ通用する可能性はある。故に一縷の望みを賭けて剣で片を付けねばならない。

 勝ち筋を探っている一葉へ怪異が仕掛ける。

 

「くっ!」

 

 四本の腕から嵐のような連撃が繰り出され、ブルトガングの刃とボディを激しく打つ。

 後方へ押し込まれながらぎりぎりのところで剣戟を展開するも、一葉は体力とマギを徐々に削り取られていった。

 時間を掛ければ不利になる一方。そう判断した一葉は覚悟を決める。

 

「レジスタ!」

 

 レアスキルを発動してチャームの刃を研ぎ澄ませる。

 一太刀で討つ。

 しかしその覚悟は我が身を贄に刺し違える覚悟ではない。両面宿儺を倒しても、まだ召喚士が居るのだから。

 

「ここで私が勝たなければ、多くの人が怪異の犠牲になる! 恋花様も瑤様も!」

 

 勝って生き残るための覚悟だ。

 そのために敵の一挙手一投足を捉えようと、一葉は全神経を集中させる。

 幸い、四本腕の連撃に多少は目が慣れてきた。

 

「はっあぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 吶喊と共に怪異へ肉薄する。

 右の胸を狙う槍の穂先。これをすんでの所で躱す。

 左肩を狙う曲刀の袈裟懸け。これをブルトガングのボディで弾く。

 続いて左脇腹を狙う槍の突き。制服が裂け血飛沫が飛ぶ。だが致命傷には遠い。

 そこまでくぐり抜けた後、振り上げたブルトガングが目標を定めた。

 ところが最後で、両面宿儺の最後の一手が迫る。右横から水平に振るわれた曲刀が一葉の胴体を狙う。

 これは、避けられない。どうあっても避けられない。そう直感した。

 相手もまた必殺の一太刀を研ぎ澄ませていたのだ。

 胴体を真っ二つにされる未来図がありありとイメージされて、一瞬の内に死の予感が全身を駆け巡る。背筋に冷たい悪寒が走る。

 一葉は恐怖した。

 

(死ねない……死にたくない……!)

 

 恐怖が体を突き動かして、懐に入り込むべくより前へと踏み込む。

 

(皆っ!)

 

 間に合わない。あと一歩が足りない。

 それでも一葉は諦めない。生きるために。生きて大切な者たちと同じ時を過ごすために。

 

「恋花様ぁっ!」

 

 曲刀は、一葉に届かなかった。直前に物理法則を無視して明後日の方向へと軌道を変えていた。

 代わりにブルトガングが両面宿儺を袈裟斬りにしていた。

 猛き戦神の如く刃を振るった怪異は全身を粒子に変じてゆっくりと消えていく。風に流され崩れ落ちる砂城のように。

 何が起きたのかと、一葉は辺りを見回した。すると床の上にどこかで見た錫杖が落ちていることに気付く。

 

「あれは、油すましの……。あれを咄嗟に弾いたんだ……」

 

 見逃された借りを返そうとしたのだろうか。本人の姿が見当たらないので確かめる術は無いが。

 

「……恋花様! 瑤様!」

 

 ハッとして倒れている仲間たちに視線を向ける。

 呪いの元凶は討ったはずだが、二人とも浅くない傷を負っていた。

 

「私は、平気。それより恋花を」

 

 未だ立ち上がれないでいるものの、しっかりとした口調で瑤がそう促した。

 それならば、と一葉は恋花の方へ駆け寄った。

 恋花もやはり立ち上がれず、顔から床へ突っ伏したまま。ただし喋ることはできるらしい。

 

「あ~、私も大丈夫。大丈夫だけどさあ……」

「どうかされましたか!?」

「あんな場面で人の名前叫ぶとか、恥ずいんだけど」

 

 言われた一葉の顔は急激に熱くなった。無論、呪いのせいではない。

 

「えっ、あっ、あれっ? 口に出てたんですか!?」

「そりゃもうばっちりと」

 

 今更恥ずかしがることではないかもしれない。今までにも幾度か好意は伝えてきたつもりである。

 しかしこの極限の状況下、シチュエーションが一葉を普段とは違った心持ちにさせていた。

 羞恥で混乱しかけた一葉。そこへ助け船を出すのは瑤だ。

 

「一葉、恋花も平気そうだから、屋上のエリアディフェンス発生装置に急いで」

「そ、そうでした!」

「早く行ってくれないと、恋花も真っ赤な顔を上げられなくて困ってるから」

「何言ってんの瑤!?」

 

 唐突な指摘に恋花が狼狽する。それでもなお突っ伏したままなので、図星を突かれたのだろう。

 

「ふふっ、分かりました。恥ずかしがり屋の恋花様に悪いので、上へ急ぎます」

「一葉ぁ、あんたねぇ! さっきの録音しとけば良かった!」

 

 未だ敵を残しているにもかかわらず、今の一葉に恐れの念は浮かんでこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市ヶ谷はおろか、東京からも遠く離れたとある場所。人の気配から隔絶された地。放棄されて久しい廃墟。

 そこに怪異召喚士の姿があった。ボロ切れと化した外套を捨てた学ランのみの格好で。

 彼は両面宿儺が討たれた時点で防衛省から離脱を図っていたのだ。当然ながら目的であったエリアディフェンス発生装置の改造は果たせていない。全く取り繕う余地の無い敗走である。

 

「まあ、いいさ。次がある」

 

 それは負け惜しみなどではなかった。実際に150年も雌伏の時を過ごしてきたのだ。再び怪異を召喚する力を蓄えるまで、更に150年待つぐらいどうということはなかった。

 

「その時こそが、今度こそ我が国崩しが成就する時。この国が我が召喚術を否定した過ちを償う時……!」

 

 その瞬間を思い描き、召喚士はほくそ笑む。

 端から見たら皮算用も甚だしいが、本人にとっては勝算を些かも疑うところのない話であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次があると思ってんの? そんなんじゃ甘いよ」

 

 虚空から女の声が響いた直後、召喚士の体は潰れていた。比喩でも何でもなく、文字通り粉微塵に潰れていた。

 人間を縛る寿命の軛から逃れた存在が、一瞬で終わりを迎えた。腹に抱えた怨嗟の大きさの割に、呆気ない最後であった。苦痛が一瞬で済んだのがせめてもの救いと言えるだろうか。

 その場に残ったのは、宙に漂う白い霧だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市ヶ谷防衛戦から幾ばくかの時が流れた。

 受けた被害は決して少なくないものの、都内を混乱に陥れたヒュージと怪異を駆逐することに成功していた。

 その戦いにおいて中核の役割を果たしたと言っても過言ではないヘルヴォルは、五人とも病院送り――――藍だけはラボ送り――――となってしまう。

 強化リリィである藍の次に回復した一葉はある日、エレンスゲから離れて友好校のシエルリントに足を運んでいた。目的は彼のガーデンが抱える大図書館『ビブリオテカ』。取り分けマギ関連の資料においては世界一を誇るそこへ、一葉は怪異について探るために前々から閲覧申請を出していたのだ。

 友好校のトップレギオン隊長であるにもかかわらず、許可が下りるのに大分時間が掛かってしまった。一葉が閲覧を希望した資料はそれだけ機密性の高いものだったのだ。

 天井の高い吹き抜けの部屋、紙と電子の資料が混在する書庫で、一葉はシエルリントが蒐集した神秘の一端を知る。

 

(古くから伝承として伝わる物の怪の類。それを実体化して使役する技術を研究する者が居た。当局も初めは真面に受け取っていなかったが、大陸に渡ったその者が実験と称して墓場を荒らしたり小動物を惨殺する奇行に走り、遂には生きている人間にまで害が及ぶと本腰を入れて取り締まろうとした)

 

 まず最初に調べたのは、彼女らヘルヴォルが取り逃がした敵、怪異召喚士。そこには150年以上も昔に起きた事件について記されていた。

 

(その者は狂言者ではなかった。狂ってはいたが、狂言は吐いていなかった。既に怪異召喚の技術は一部形となっており、取り締まる側に被害が出た。それでも当時の東条英機関東憲兵隊司令官の命を受けた憲兵の襲撃を受け負傷。以後は行方をくらまし、戦後の連合国軍による追跡も振り切り今日に至る)

 

 歴史の研究をしている気分になりつつも、一葉は次に怪異の行方について探る。

 

(かつて確かに実在した人外たちが文明社会の前から姿を消してどこへ向かったのか。その答えは、世界中に散見される秘境・隠れ里と呼ばれる伝承にある。こちら側の世界と地続きでありながら、境界で隔てられて外からの侵入を拒んでいる。今もなお語られる怪談は彼の地から漏れ出た存在によるものだ)

 

 これが萃香が言っていた「結界に囲まれた土地」のことだろう。シエルリントの集めた資料はかなり事実に食い込んだ物のようだ。

 しかしながら、一葉は読み進めていく内に違和感を抱くようになっていた。

 まず一つ、その隠れ里についての詳細な資料が存在しないということ。人の手では調査する手段が無いと言えばそれまでだが、どうにも引っ掛かる。萃香の話を思い出しても、そこまで厳格な隔離が施されているわけではなさそうだった。

 そしてもう一つ、何故ここまで資料を集めておきながら、当のシエルリントは妖怪・怪異に対して明確なアクションを起こしていないのか。マギやヒュージ関連の案件へ集中しているためだとしても、些か不自然だ。

 

(桜ノ杜や鹿野苑のような怪異退治の技術を擁していないから? それとも、あるいは、ここの資料にも記されていない何か重要な事実が存在する?)

 

 一人黙考している内に、何故か背筋に薄ら寒い感覚を覚えた一葉は一旦思考を中断した。

 

「……ここまでにしておきましょう」

 

 そして無人の大図書館閉架スペースから逃げるように退出するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シエルリント校舎内のカフェテラスにやって来た一葉は明るい茶色のサイドテールへ声を掛ける。

 

「恋花様、お待たせしました」

 

 テーブル席に座ったまま振り返った恋花はミルクコーヒーを啜るストローから口を離した。

 

「おー、随分と熱中してたみたいじゃない」

「すみません。折角の機会だったので」

「ま、さっきまで深顯とお喋りしてたからいいんだけどさ」

 

 閉架資料の閲覧が許されたのは一葉のみだった。それも持ち出しや撮影、書き取り等は禁止という条件付きで。

 恋花は一葉の付き添い……というよりも、シエルリントの道川深顯と会うために付いて来たようなものだった。

 

「それで、どうすんの? もう帰る?」

「いいえ。ちょっと本の読み過ぎで頭が煮詰まってきたので、外に出て冷やしてこようかと」

「ふーん。あたしはもうちょっとシエルリントの中を見て回るよ」

「病み上がりなのですから、無理しないでくださいね」

「病み上がりは一葉も一緒でしょー」

「私は完全に回復してますから」

 

 恋花と再度別れた一葉は校門をくぐってガーデンの外へ出た。

 シエルリントの位置する金沢町はそこそこの規模の街だが、校舎の後背には広い森林地帯が広がっている。

 ランニングがてら森の中にまでやって来た頃には、体が温まると同時に冷風によって頭は冷えてきた。

 

「私の考え過ぎだろうか」

 

 一葉はそう思い直し、走るスピードを落とす。

 四方を森の木に囲まれた開けた場所。池の畔にあるベンチを見つけて一休み。

 石造りのベンチは古く、保守清掃が行き届いているとは言えないが、幸い耐久性に問題は無さそうだった。

 エレンスゲに残っている千香瑠と瑤と藍は今頃何をしているのだろうか。気分転換にそんなことを考える。

 皆の体調が万全になったら、ブランクを取り戻すための訓練メニューを実施しなければならない。

 途中から思考がワーカーホリックと化す。

 そんな一葉の前に少女が一人現れる。

 

「よっ」

 

 頭から二本の角を生やした少女が気さくに片手を上げる。

 直前まで気配は感じられなかった。彼女が突然なのはいつものことである。

 

「萃香さん」

「やることやり切って気が抜けてるんじゃないかと思ってたが、そうでもなさそうだなあ。いい(つら)してるよ」

「ははは。人からはよく『もっとメリハリ付けろ』と注意されるのですが」

「そりゃ正論だ」

 

 朗らかな世間話染みた会話から入る。妖怪と言っても、そういう部分は人間と大差ない。

 

「でもまあ、丁度良かったな」

「丁度良い? 何がですか?」

 

 萃香は多少の間を置き、勿体ぶるかのように話す。

 

「いやあ、五大怪異を見事に討ち果たしたお前さんたちには悪いんだが、結界補強の儀式がまだ不完全なんだ」

「では、まだ怪異を倒す必要があるのですね」

「そういうこと。そちら側での怪異の顕現を断つためにも、もう一仕事して欲しい」

「しかし、市ヶ谷での戦い以降、怪異騒ぎはパッタリと止まりました。宇治の橋姫も既に結界の向こうに帰ったのでしょう? 一体どこに討つべき怪異が……」

 

 一葉は首を捻る。標的は取り逃した怪異召喚士ではないかとも思ったが、最初に萃香は「五大怪異を見事に討ち果たした」と言っていた。ならばまた別の怪異のことを指しているのだろう。

 

「最後に一つ、打って付けの奴が残ってる」

「……やはり心当たりがありません。そんな大物の怪異なら、何かしら事件になっていると思うのですが」

 

 尚も考え込む一葉に対し、萃香は口の端を持ち上げた。

 

「目の前に居るだろう?」

 

 

 




五大怪異 完






イルマ舞台、シャイネスの密集陣形・統制射撃やハコルベランドの姫翠様以外全員前に出る脳筋突貫戦法など(活かせるかどうかはともかく)創作のネタになりそうな要素が盛り沢山でしたね…

ラスバレのテキストと立ち絵の紙芝居形式では妄想に限界があるので、やはり立体的な視覚情報があると助かります。


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鬼退治
第39話 衝撃


「目の前に居るだろう?」

 

 藍よりも幾分か小さな少女が発した言葉を、一葉はよく理解できなかった。

 伊吹萃香は妖怪だ。それもこの日本では最もメジャーな妖怪である鬼だ。それは分かっている。本人からそう聞いたし、力を振るう姿も何度か見ている。

 それでも尚、一葉は萃香の言っている言葉の意味を完全に理解できないでいた。

 

「いきなり何を言い出すのです。驚くじゃないですか」

 

 萃香は口角を吊り上げたまま。

 

「いやいや、冗談なんかじゃないよ。古代日本を恐怖の坩堝に陥れた()となれば、儀式の役者としては申し分ないとは思わないかい?」

「……やっぱり、冗談でしょう」

 

 一葉は萃香の言を認めない。にもかかわらず、体は腰掛けていたベンチから離れて自らの足で立っていた。

 そんな一葉の見つめる前を、萃香はゆっくりと横切るように歩き出す。

 

「たとえ認めたくなくても、お前さんは戦わざるを得ない。結界補強の儀式を完成させなければ今後も怪異が涌き出てくるだろう。こちら側だけでなく、そちら側を守るためにも必要なことなんだよ。前にも言ったはずだけどねえ」

 

 一葉の視界の真正面から右端へ、そこからUターンして反対の左端へ、歩きながら諭すように語り掛けてくる。

 萃香がピタリと立ち止まったところで、一葉は意を決して口を開く。

 

「できません」

「ほう、どうして?」

「貴方は今まで、何度も私たちを助けてくれたじゃないですか。怪異を退治するために。そんな貴方にチャームを向けるなど、できません」

「揺らいだ概念の結界を直すため、そのために人間による怪異退治の儀式が必要だった。お互い利があるから手を貸していただけのこと。これも言ったはずだよ」

 

 萃香の言う通りであった。

 互いにとって有益だからこその協力関係。その点は一葉も承知していたはずだった。

 しかし一葉の手は、ベンチの脇に置かれたチャームケースに伸びなかった。伸ばさなかった。

 いつまでも変わらぬ一葉の態度を前に、萃香は両の目を細めた。

 

「分かっていたけど、頑固だなあ。それなら仕方ない」

 

 呆れたようにそう言うと、萃香は自身の腰に吊るした鎖の一本を掴むと、その手を軽く上下に振った。

 直後、一葉が立っているすぐ横の地面が抉れ、石造りのベンチが粉々に砕け散る。鎖と鎖の先端に付けられた球形の分銅の仕業であった。

 

「これから森を出て、近くの町を破壊する。それが嫌なら今すぐそいつを抜くんだな」

 

 宣言と共に、萃香は一歩一歩前に踏み出す。その先に居るのは一葉であり、彼女の背後には森が広がっており、森を抜けると金沢の町がある。

 前進しながら萃香の右手がまたもや腰の鎖を掴んだ。

 ここに来て、遂に一葉はチャームケースを展開してブルトガングを手に取った。

 それを見た萃香は鎖を振るう。鎖に繋がれた分銅が一葉の眼前に迫るものの、ブルトガングのボディにいなされて標的から逸れた。

 続いて萃香が鎖を横薙ぎに払う。風を切る重低音と共に胴狙いの凶器が飛ぶ。こちらは一葉の跳躍によって空を切ることになった。

 真面な力比べなど不可能。そう判断した一葉は痺れかけた両手でシューティングモードの砲口を前にかざす。

 

「失礼します!」

 

 チャームの引き金が引かれ、発砲する。連射された実体弾が萃香の周囲に着弾し、忽ち土煙を噴き上がらせていく。

 射撃の最中にも一葉は立ち止まることなく、横方向に駆けていた。

 すると土煙の中から飛来物が飛び出してくる。小さい。だが銃弾の如く放たれたそれらは一葉の頬を裂き、肩先にめり込んで痛みに顔を歪ませる。

 肩からポロリと落ちた飛来物の正体は、砕かれた小石だった。

 

(どの間合いでも隙が無い……!)

 

 驚く暇も無く、土煙から萃香本体が躍り出る。彼女の手の指が小石を弾くようにして撃ち出す。

 進路上に石礫を放たれた一葉は直撃を避けるため立ち止まった。

 その隙を逃さず、萃香が猛然と突進を仕掛ける。

 

「くぅっ」

 

 一葉はブルトガングをブレイドモードに変形させて迎え撃つ。

 足元から肩先へ逆袈裟に軌道を描く無骨な刃。それに対するは、右手の五指を握り込んだ小さな()()()

 衝突の結果、一葉は競り合うことも叶わず後方に大きく弾き飛ばされてしまう。

 

「どうしたぁ! そんなへっぴり腰じゃあ、河童も殺せないぞ!」

 

 何度かバックステップを踏んで体勢を整える一葉へ、萃香が咆哮しながら追撃を加えてくる。

 鎖と分銅の投擲からの、肉薄してこぶしの連打。

 攻撃をいなしたり受け止めたりするブルトガングだが、本来高い剛性を誇るその機体が悲鳴を上げていることを、グリップを握る両手から一葉は痛いほどに感じ取っていた。

 

「そんなものじゃあないはずだ。ここまで怪異を討ってきたお前の戦い振りは、そんなものじゃあなかった! 相澤一葉ぁ!」

 

 攻撃の手を止めた萃香が右足を折り曲げ宙に浮かせる。かと思ったら、その場で草地の地面を踏み付けた。

 一瞬、一葉は体が浮かび上がる錯覚に襲われた。

 次の瞬間には足元が激しく揺さぶられ、辺り一帯が地獄の門でも開いたかの如き震動に包まれる。空地を囲む木々の何本かが唸りを上げて倒れていく。

 姿勢を低くし揺れに耐えていた一葉だが、折を見て慎重に立ち上がる。

 

「何か、何か他に手段は無いのですか?」

「無いね」

「……幸いにも、私たちはこうして言葉を交わして思いを伝え合うことができます。戦い以外の道を見つけられるはずなんです!」

「どうにもお前さん、勘違いしてるみたいだなあ」

 

 ふてぶてしい態度の萃香だが、一応、話には乗ってくれるみたいだ。

 

「妖怪が人の形をして人の言葉を使うのに、大した意味なんて無いんだよ。せいぜい人間を油断させて驚かせるぐらいか。あっ、あと人間の酒が飲み易いっていう大きな利点があるな」

 

 一葉の想いは伝わらなかった。いや、伝わった上でこれなのか。

 以前に千香瑠から忠告された「妖怪には妖怪なりの論理がある」という言葉の意味を、今まさに思い知ることになっていた。

 

「ともかく、人間の世界を守りたいなら剣を向けろ。今までやってきたように、な」

 

 それでも一葉は自身の信じてきたものを信じる。

 

「貴方が言いたいことはよく分かります。ですが、やはり私は諦めたくない」

 

 ブルトガングの刃を下に下げたまま、相手を真っ直ぐに見つめてそう言った。

 一葉の眼差しを受けた萃香は不機嫌そうに鼻を鳴らすものの、攻撃を再開してこない。

 

「一葉!」

 

 シエルリントの方角から聞こえてきた声に、一葉はすぐさま反応する。

 

「恋花様! 下がって!」

 

 ちゃんと通じたのか、木々の合間から恋花が顔を出すことはなかった。

 二人掛かりでも説得に応じるとは思えないし、力尽くでは尚更どうにもならないだろう。

 一葉が手詰まりに陥っていると、目の前で萃香の小柄な体がぼやけ始め、少しずつ空気中に溶けていく。

 

「今日はほんの挨拶だ。市ヶ谷での傷も癒えてないだろう。お前たち全員が万全となって、改めて挑んで来い。その時までに甘い願望を捨て切れないようなら、お前は大切なものを失うことになる」

 

 程なくして白い霧となり、姿も声も完全に消えてなくなった。

 その後に森から出てきた恋花が恐る恐る近付いてくる。しかし彼女は立ち尽くす一葉の様子を目の当たりにすると、チャーム片手に急いで駆け寄ってきた。

 

「ちょっと、一葉。さっきのって……」

「……対策を講じなければなりません」

 

 自分では分からないが、一葉は相当に酷い顔をしていた。彼女を案ずる恋花の表情がそれを物語っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。エレンスゲ女学園、ヘルヴォル控室。

 休息を経て、怪異との戦いで受けた傷から完全に回復した五人が揃っていた。

 しかし部屋の雰囲気は芳しいものではない。通夜・葬式と言ったら言い過ぎだが、どこか重たく苦しい空気が場に居座っている。

 リビングのローテーブルを囲んで沈黙する一同の中、最初に口を開いたのは一葉だった。

 

「このまま放っておくことはできません。彼女がまた何か仕掛けてくる前に、止めなければ」

 

 あの場には藍も千香瑠も瑤も不在であったが、一葉と恋花の様子を見てその話を疑う者など居なかった。

 

「具体的には、どうする? 戦うの?」

 

 瑤に問われた一葉は少しの間だけ目を閉じた後、答える。

 

「残念ですが、現状では話を聞いてもらえる余地は無いでしょう。なので彼女の望み通り、戦って制圧を図ります。結界に関して話し合うのはそれからです」

「それで満足してくれたらいいけど……。で、肝心の勝算は?」

 

 恋花の質問に、今度は千香瑠が答える。

 

「鬼の実力は、はっきり言って未知数です。あまりに伝承が多過ぎて。だけど彼女の伊吹という名が体を表しているとするなら、戦いは相当厳しいものになるわ」

 

 それはこの場に居る誰もが頷ける話であった。実際に萃香の力を垣間見て、彼女に鍛えられたこともあるのだから。

 

「千香瑠様の仰る通り。たとえ我々五人掛かりでも、無策で挑むのは得策ではありません。情報収集が先決です」

「あっ、それならちょっと当てがあるかも」

「当て?」

 

 恋花の発言に、一葉が意外そうな顔で視線を向ける。

 

「ほら、この前京都に行った時。そういう伝承とかオカルトとかに詳しい子たちと仲良くなったのよ。協力してもらったら、あの鬼っ子のことも何か分かるかも」

「恋花様。幾らその道に詳しいからといって、一般の方を巻き込むわけにはいきません。街での資料集めなどならともかく、そういうわけではないのでしょう?」

「いやいや、唯の一般人とも言い切れないのよ。あの鹿野苑と関係があるんだって」

「鹿野苑と……」

 

 かねてから西日本での怪異事件を解決していたという京都舞鶴のガーデン。鹿野苑高等女学園が絡んでいるとなれば一考の余地はある。

 

「取りあえず、会って話を伺ってみましょうか」

「よし、決まりだね」

 

 満足そうに頷く恋花。

 

「待って。京都に行くなら外征の許可を取らないと」

 

 そこへ横から口を挟む瑤。

 

「怪異騒ぎは収まったし、東京でのヒュージの活動もまた沈静化してきました。恐らく許可は下りると思いますが」

 

 そうは言うものの、念には念を入れて京都外征と怪異の情報収集の意義についてレポートを作成して提出するつもりの一葉であった。

 

「藍ちゃん、どうかしたの?」

 

 ふと千香瑠が藍を気に掛ける。

 藍は口こそ挟まなかったが、先程からきょろきょろと視線を左右させて落ち着かない様子であった。

 

「うん……。萃香と戦うのは楽しみだけど……。また皆でピクニックできるよね? またお外で美味しいもの食べたりしたい」

「……っ!」

 

 そんな藍のささやかな願いを叶える方法が、一葉には思い浮かばなかった。気休めの言葉を掛けることもできず、ただ唇を噛むしかなかった。

 

「そうね、また皆でどこかにお出掛けしたいわね。でも萃香さんも忙しいみたいだから、気長に待ってましょうね」

「うん、分かった」

 

 千香瑠のフォローで藍は幾分か元気を取り戻したようだ。

 しかし、本来ならばこれは一葉が真っ先に気に掛けるべきこと。少なくとも一葉自身はそう考えていた。

 にもかかわらず、すぐに藍を気遣えなかったのは、未だに一葉の中で割り切ることができないでいるせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(何て未熟な……。隊長の私がこのざまでは。ただでさえ彼女と戦う羽目になって、皆動揺しているというのに)

 

 解散後のレギオン控室で一葉は己を恥じた。皆が動揺している時ほど自分が悠然と構えて支えなければならなかったのだが、実際はこれである。

 幾度となく激戦をくぐり抜けて相応に自信も付いていたはず。それでも何があろうとも平静を保てるとは限らない。感情を持つ人間らしいと言えば聞こえは良いが、それが仇となる場面も存在する。一葉も頭では分かっているのだ。頭では。

 

「眉間にシワが寄ってる」

 

 不意に、眉毛と眉毛と間に冷たい感覚が奔る。

 眉間を指で摘ままれていた。横から伸びてきた手によって。

 

「れ、恋花様……」

「そんなんじゃすぐにお婆さんになっちゃうぞー」

 

 解散したはずの控室で、悪戯っぽく笑う恋花。

 今の今まで接近に気付かなかったものの、その意図は容易に察しが付く。一葉を心配してのことだろう。

 

「あんたはちょっと、しょい込み過ぎなのよ。幾ら隊長って言っても限度はあるし、できないものはできないんだから」

「……自分の限界も、人に頼ることの意義も、理解したつもりだったのですが」

「まあ、仕方ないよ。あんなことになるなんて思いも寄らなかったし」

「いいえ。想像して然るべきでした。萃香さんは妖怪で、自分たちの目的のために動いている。その点について知っていたのだから、私たちと衝突する可能性も考慮するべきだった。あの時、動じてしまったのは、未熟な私の感傷によるものです」

 

 少々自虐が過ぎるかもしれないが、事実である。山で稽古に励んだり、同じ釜の飯を食ったり、共通の敵と戦っていく内に、どこかで自分たちと萃香との根本的な差異を失念してしまったのだ。

 けれども恋花はそんな一葉に対し、変わらず笑みを投げ掛ける。

 

「だったら、あたしたちだって同じじゃん」

「えっ?」

「皆驚いてるし、悲しんでるし、腹も立ててる。同じような気持ちを共有して悩んでるあんたは、ちゃんとあたしたちの隊長をやってると思うけどね」

 

 恋花に慰められて、一葉は嬉しいと感じた。褒められて嬉しかった。隊長としてどうかと思いはしたが、それはそれとして、自分の感情に嘘は吐けない。

 

「もー、何よ。今にも泣き出しそうな顔なんかして」

「そ、そんな顔してましたか?」

「してたしてた。しょうがないから、恋花お姉さんが甘やかしてあげよう」

 

 恋花はそう言って一葉の頭上に右手を伸ばす。青みがかった髪を、幼子相手にするようにゆっくりと撫でる。恋花の方が背が低いので、少しだけ撫で難そうだ。

 この時の一葉は羞恥心やむず痒しさよりも、恋花の手の平から伝わる安堵と心地良さの方が勝っていた。

 最初はただ撫でられるだけだった一葉の頭が恋花の胸元へと落ちる。

 

「ひゃあっ!」

 

 両者の体格差もあって、突然抱き付かれた恋花は可愛い悲鳴と共によろめいた。

 

「ちょ、ちょっとー」

「……甘やかしてくれると言ったのは恋花様です」

「いや、だからって、本当に来られるとは思わないでしょ」

 

 文句を言いつつも引き離そうとはせず、背中に両手を回してさすってくれる。

 ガーデンに所属し、レギオンを統率し、リリィとして戦う。それは一葉にとって決して重りではないが、今この時は一切の役目を脇に置いて我が儘に振舞えた。

 

 

 



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第40話 幻想を探して

 交差式のシートベルトで座席にガッチリと固定した体が一定のリズムで揺れる。

 円形の覗き窓に映る景色は五割方が灰色の雲だった。

 機上の人となった一葉たちを運んでいるのはガンシップ。

 通常、ガンシップは翼下に懸架する二つの兵員ポッドに十六名程度のリリィと装備を収容できる。五人制レギオンを採用するエレンスゲの場合、複数レギオンやマディック部隊を帯同させて運用するのが基本だった。

 一レギオンで専用機の運用を許されたヘルヴォルの特別待遇が分かるというものだ。

 そんなガンシップを用いたヘルヴォル二度目の京都外征は、あっさりとはいかなかったものの何とか許可が下りていた。

 ただそれは妖怪退治よりも、鹿野苑の関係者と接触を持つ点に重きを置いているように一葉には感じられた。

 ガーデンとしても、接点が乏しい西国の他校から情報を得られる機会を活かしたかったのだろう。

 

「まもなく飛行場、飛行場。着陸態勢に入ります。ベルトの着用を確認し、揺れにご注意ください」

 

 今回の外征に思い巡らせていた一葉の耳が、機内無線のアナウンスを捉える。

 落ち着いた大人の女性の声。パイロットもまた機体と同じく、ヘルヴォルの専属であった。

 

「恋花様。確認ですが、件のご友人たちとは京都市南西部の西京区にあるカフェで落ち合うということで、よろしいですね?」

「そうそう。テラス席で待ってるって言ってたから、すぐに分かるでしょ」

 

 恋花が仲良くなったという鹿野苑の関係者は京都市内の大学に通う大学生らしい。

 いつの間にそんな人物と連絡を取り合える仲になったのか。恋花のコミュニケーション能力の高さが窺える。

 最初に萃香と出会ったのは京都府内の山中だ。その点からも、地元の人間から話を聞けるのは大きい。

 

「いやー、リンフォンの時はバタバタしてたし、状況が状況だから話せなかったけど。期待できるんじゃないかな?」

 

 恋花がそんなことを言っている間にも、ヘルヴォルを乗せたガンシップは徐々に高度を落としていく。

 これが戦闘機動時なら「舌を噛む」と警告されるところだが、幸い緩降下のため口の中で惨事が起きたりはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都市南西部の飛行場でガンシップを降りて、そこから陸路で目的地を目指す。

 京の街は札幌と同じく、隋・唐の長安城を手本として碁盤目状に整然と区画された官製の街である。

 ヘルヴォルが向かう場所はそのような碁盤目状の市街地からやや離れた郊外の土地。

 片側二車線の大通りに面した並木道の途中に、勾配の小さい黒色の陸屋根を備えたモダンな建物があった。集合場所のカフェだ。

 カフェの駐車場は一般車両なら悠々と並べられる程度には広い。また軒先には複数の丸テーブルと椅子が設置され、テラス席を構成している。

 開放的だが、それ故に時節柄まだ肌寒いであろうテラス席の一角に、お目当ての人物たちが居た。

 成る程、恋花の言った通りすぐに分かった。テラス席にはそれらしい年齢の女性が彼女らしか見当たらなかったからだ。

 一人はセミショートの黒髪の上に黒の中折れ帽を被り、羽織るケープも黒色だった。彼女は装丁の地味な分厚い書物へ静かに目を落としている。

 そしてもう一人は鮮やかで美しい金髪にナイトキャップめいた特徴的な帽子を乗せた異国の少女。纏う衣装も本人と同じく気品を感じさせる紫色のワンピースドレス。ペンを片手に、テーブルの上の冊子か何かを真剣に見つめている。

 二人の少女の内、黒髪の方が一葉たちの接近に気付いて視線を上に持ち上げた。

 

「初めまして。霊能者サークル『秘封倶楽部(ひふうくらぶ)』の宇佐見蓮子(うさみれんこ)です。こっちはマエリベリー・ハーン。大学生だけど、同年代だと思うから堅苦しいのは無しで結構よ」

 

 書物のページを閉じ、帽子を脱いで自己紹介をする。

 もう一人もペンを揺らす手を止め、難しい顔も止めて会釈をしてくる。

 ヘルヴォル側も恋花を除く四人が自己紹介を返すと、人数が増えてきたのでお店に頼んで屋内の広い席へ移ることにした。

 

 平日の午前十時とあって、店内の客入りは疎らである。元々大きな店舗で席数も多いので余計にそう感じるのかもしれない。郊外の大型店ゆえに為せる業だった。

 窓際の八人席で向かい合うヘルヴォルと秘封倶楽部。恋花だけは秘封倶楽部側に腰を下ろしている。

 

「ふふっ、可愛らしいリリィさんね。この子も飛び級かしら」

「……? らんは皆と同じ高校生だよ」

 

 注文したオレンジジュースのグラスを両手で握って飲む藍に、マエリベリー改めメリーが笑みを零す。

 蓮子もメリーも飛び入学によって大学生となっていた。関東や関西の大学ではそこまで珍しいことではない。蓮子が「同年代だと思う」と言ったのはそういう事情によるものだった。

 

「さてと、まずは私たち秘封俱楽部の活動について説明しましょうか」

 

 取り留めの無いやり取りの後に本題へと移ったのは蓮子である。

 

「恋花から大よそは聞いていると思うけど、秘封倶楽部は霊能者サークル。と言っても一般的なイメージにある降霊とか除霊とかは領分外で、超常的な現象や場所について調べているの」

 

 ヒュージやマギのような超科学的な代物が実存する現代にあっても、心霊現象は未だ解明されていないオカルトの領分。秘封倶楽部はそういった霊的な分野とは趣を異にするようだ。

 

「具体的にはどのような?」

「結界の調査よ。この世の中には、ある土地とまた別のある土地を区切る境界線が存在する。そういった普通では認識できないような結界の境目について解明するのが私たちの活動ってわけ。多分、色々経験してきたであろう貴方たちなら信じてくれるでしょう」

 

 一葉の質問に対して蓮子は躊躇うことなく自信を以って答えた。

 実際、彼女の話を頭ごなしに否定するつもりはない。ただ一点、疑問は抱いたが。

 

「待ってください。結界の境目なんて、見つけようと思って見つけらるようなものじゃない。貴方たちは一体……」

「あー……、私じゃなくてメリーだけなんだけどね。見えるのは。それでフィールドワーク中に鹿野苑に保護されることになったのよ」

 

 神社生まれの千香瑠が驚くということは、それだけ大層なことなのだろう。

 だが目の前の女子大生たちはそんな大層な行為をサークル活動として実施しているというのだ。

 

「ふむ……。それは一種の異能かもしれませんね」

「一葉ちゃん?」

「レアスキルに類別できない特異な能力、異能。スキラー数値とはあまり関連性がないとは言われてますが……。念のためお尋ねしますけど、お二人はリリィではないのですね?」

「それは間違いないわ。私もメリーも、学校で測定した時はマディックになれるかなれないかって数値しか出なかった。当然チャームなんて使えない」

 

 珍しいケースだが、あり得ない話ではなかった。

 それに異能を持っているならガーデンに保護されるのも頷ける。

 

「まあそういうわけで、私たちはリリィでもマディックでもないから、鹿野苑の関係者と言ってもそこまで深い関係じゃないの。ただ調査した結果をレポートして、有用だったらちょっとした報酬を貰ったり。調査場所によっては護衛して貰ったり。そんな関係。以前よりやり難くなった面はあるけどね」

「自由にさせ過ぎないぐらいが丁度いいわ。蓮子には」

「ちょっと、そういうこと言う? 危なっかしい目に遭うのは大体メリーの方でしょ? あの時だって――――」

 

 何やら別の話題へと発展しそうな様子。

 一葉もそれはそれで気になるが、しかし今日の目的とは違う。

 

「はいはーい、これで蓮子とメリーについては分かったでしょ? じゃあいよいよ本題に入ろっか」

 

 恋花が上手い具合に場を切り替えた。

 するとメリーが軽く咳払いをし、改めて一葉たちと向き合う。ここから先は彼女が主体で応じてくれるようだ。

 

「恋花からは『怪異について話がしたい』としか聞いてなかったけど。話せること、話せないこともあるでしょうし」

 

 メリーは瞬きを挟みながら薄紫の瞳で見つめてくる。

 

「それで、貴方たちは具体的に何の怪異を追ってるの?」

 

 作戦行動上話せない点を除き、一葉は秘封倶楽部に事のあらましを説明した。鬼を名乗る少女のこと、彼女と協力して怪異と戦ってきたこと、そんな彼女が突如として牙を剥いてきたこと。

 メリーにしろ蓮子にしろ、伊吹萃香という名が出たところに反応しているようだった。

 

「――――というわけで、我々ヘルヴォルは彼女が次に行動を起こす前に接触したいと考えています」

「接触して、場合によっては戦うと?」

「そうなるかと」

 

 一葉の言葉に、メリーは少々考え込んでから再び口を開く。

 

「まず、私たちは実際に鬼と接触したことはないわ。以前はその実存も信じていなかった。だけど……そうね、そちらの千香瑠さんは巫女だったのよね? 貴方は伊吹という名の鬼について、どの程度知っているのかしら?」

「はい。伊吹……伊吹童子が彼の日本三大妖怪とされる酒呑童子と親子関係にあったり、伝承によっては同一人物とされていることぐらいでしょうか」

「……鬼の伝承は日本中に伝わってる。その形は多種多様で、数も膨大。でも鹿野苑では鬼と接触した記録は勿論、存在を示す痕跡すら無い。一体どういうことなのかしら」

 

 意味深なメリーの物言い。

 一葉は今一つ真意を測りかねた。

 

「それは単純に鬼が我々の世界に姿を現さないだけ、という理由ではないんでしょうね」

「だとしたら伝承だってもっと少ないはずよ。でも実際は近世になっても新たな噺が創られている」

「むぅ……では何故……」

「これは私の推測なんだけど……。鹿野苑と、恐らくは鎌倉の桜ノ社も、鬼が実存する痕跡を敢えて残さないようにしているんだと思ってる」

 

 予想外の意見であった。

 当然、一葉はそう思う根拠をメリーに問う。

 

「どうして、そう思われるのです?」

「以前、能力の応用で結界の向こう側に入り込んだことがあるの。そこでは鬼は強大な妖怪とされていた。そして妖怪は人を襲い食らうものとされていた。実際、鬼相手じゃないけど私も追い掛けられたわ」

「つまり、そのような鬼と極力関わらないようにするための処置だと?」

「触らぬ神に祟りなし、とよく言うわね。鬼もしばしば信仰の対象になるし」

 

 

 メリーの推測は状況証拠に基づくもの。なので完全に肯定することはできない。

 だがその推測を信じるなら、一葉がシエルリントの大図書館で抱いた違和感に説明がつく。鬼や結界の内側についての詳細が記されていなかったのは、意図的に残していなかったから。そしてまた、シエルリントが積極的に怪異退治へ乗り出していなかったこととも繋がってくる。

 

(藪をつついて蛇を出す。逆鱗に触れる。ヒュージよりもよほど恐れていた……)

 

 各ガーデンの思惑は置くとしても、一葉たちにとっては困った状況であった。萃香に関する情報を集めに来たのに、鹿野苑に鬼の記録が無いのならそれも難しい。

 

「それでも、そんな厄介極まりない相手と、貴方たちは本当に向き合うつもり?」

 

 メリーに代わって蓮子がヘルヴォルに問うてくる。

 無論、一葉たちの返答は決まっていた。

 

「はい。どうやら彼女は私たちに用がある様子。それに人へ害を為そうというのを、放っておくことはできません」

「そっか。だったらいいよね? メリー」

「そうね」

 

 一葉から返事を聞くと、蓮子とメリーは何やら目配せし合った。

 

「鬼の手掛かりかどうかは分からないけど、結界の手掛かりならあるわ。京都の大江山の中に、結界の境目を見かけたことがあるの」

「それはっ……。私たちが萃香さんと初めて出会ったのも大江山。無関係とは思えません」

「彼女が酒呑童子という鬼と同一の存在ならね」

 

 メリーは鞄の中から取り出した大江山の地図をテーブルの上に広げた。その中に記されている赤丸が結界の境目とやらだろう。場所は三合目辺りだろうか。比較的低い位置にある。

 

「へー、こういうのって山の天辺とかがお約束だと思ってたけど」

「油断しちゃ駄目。山は高い所が危険とは限らない」

 

 恋花のもっともらしい感想に瑤が口を挟む。

 確かに高さで言えば麓から近くはあるが、同時に山道から外れた場所でもあった。

 

「本当によろしいのでしょうか。この地図を頂いても」

 

 地図へ手を伸ばすことに一葉は躊躇う。

 すると蓮子は一葉の躊躇する理由を正確に察したようだ。

 

「あー、まあ、確かに鹿野苑としては鬼と関わって欲しくはないんだけど。でもいいわ」

「何故です?」

「うちが不良サークルだから」

「こら、蓮子」

「冗談よ」

 

 得意げな顔でとんでもないことを言う相方に突っ込みを入れた後、メリーが一葉の疑問への答えを引き継ぐ。

 

「鹿野苑が危険視しているのは、対処する力を持たない者の妖怪との接触なの。だけど一葉さんたちはそうではなさそうだから。ただ一方的に拐かされる事態にはならないでしょう」

「成る程、その点は多少なりともご期待に沿えるかと」

「それに、やっぱり私たちも気になるから。秘されたものを詳らかにするのが、私たち」

 

 落ち着き払っていたかと思いきや、途端に好奇の色を瞳に宿す金髪の少女。

 こちらの姿が本来の彼女、いや彼女たちなのだろう。天才と呼ばれる人間は概して探求心の塊らしいが、この二人も例外ではないようだ。

 

「う~ん、やっぱり不良サークル」

「だから違うって。もうちょっと言い方が」

「じゃあ開拓者とか、探求者とか」

「悪くないわね」

「何だか、食い詰めたやくざ者が冒険家って名乗るみたい」

「それはやめて」

 

 目の前で軽口の応酬を始めた二人に一葉は呆気に取られる。恋花が「夫婦漫才」とぼそりと呟いたのは気のせいではないだろう。

 

「ともあれ、嗾けるような真似した私たちが言うのも変だけど、十分に気を付けてね。怪異退治の専門家である鹿野苑が危険視するような相手だから」

「お気遣い感謝します。ですが私たちはリリィ。危険を承知で為すべき時もあるので」

「ふふっ、中々正直ね」

 

 真剣な口調に戻って案ずる蓮子に対し、一葉もまた真剣に応じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道は拓けた。

 秘封倶楽部と別れたヘルヴォルは早速大江山へ発とうとするのだが、その前に腹ごしらえをしようと京の街に繰り出した。

 

「恋花様、お昼は何がいいですか? ラーメン以外で」

「ラーメン以外かよ! じゃあ、お寿司!」

 

 そういうわけで、お店で買ってどこか落ち着ける場所で食べることにした。

 

 回転寿司形式の寿司屋が感染症の流行や迷惑系配信動画の活躍で凋落していくのを尻目に、旧来の持ち帰り式の寿司店が復興を遂げるようになって久しい。

 特にここ関西では庶民向けのチェーン店が隆盛を誇っている。海の侵略者(ヒュージ)を以てしても、日本人の食への執着を抑えることは不可能だったのだ。神戸には海上戦を得意とするガーデンさえ存在した。

 パック入りの寿司セットをテイクアウトしたヘルヴォルは街外れの大きな公園をランチの場に決める。

 ベンチの上で、ナイロン袋の中に積まれたプラスチックのパックを取り出す。そこには色取り取りの多種多様な海の幸や、中には海ではない幸までもがシャリの上に乗っかっていた。

 藍はパックの一つを透明な蓋の上からまじまじと見つめた後、瑤のすぐ隣にちょこんと座る。

 

「瑤ー瑤ー、タマゴとイクラちょーだい?」

「うん、いいよ」

「代わりに、これ食べて」

「かっぱ巻き……。キュウリ、やっぱりまだ嫌いなの?」

「うん、きらーい」

 

 そんな二人のやり取りに、千香瑠が参入してくる。

 

「藍ちゃん。ちゃんとキュウリも食べないと」

「えーっ」

「キュウリを食べない悪い子は、河童がやって来て川の中に引きずり込まれちゃいますよ?」

「やだーーーっ!」

 

 藍が緑の悪魔と戦ったり戦わなかったりしているその横で、恋花は幸せそうにトロの握りを頬張っていた。

 以前よりも確実に高値となった遠洋魚類だが、それでも途絶えず供給されているのは、命懸けで捕り続けている人々のお陰である。

 

「美味しそうに食べますね」

「美味しいからね。このこってりとした脂がまた、もうっ」

 

 一葉の指摘にもほくほく顔で返す。

 正当な対価を受け取った上でここまで美味しそうに食べてもらえたら、捕ってきた者も調理した者も満足だろう。

 

「……分かっていたことですが、今回も相当な激戦になるでしょう」

 

 ふと弱音とも受け取れる言葉を漏らす一葉。

 実際、それは弱音の類だったのかもしれない。一葉本人に自覚が無かっただけで。

 

「ま、萃香がめっちゃ強いってのは前から分かってたことだけど」

「いざ本当に敵になると、応えます」

 

 一葉は自分でも驚くほど自然に弱音を吐き出していた。一度恋花に弱味を見せれたせいだろうか。

 

「本当にヤバくなったら逃げればいいし」

「そんな簡単に……」

「玉砕なんて御免だから、あたしは()()()()に逃げるんで。そこんとこよろしく」

 

 そんな身も蓋も無い言い方をされたものだから、一葉はかえって気が楽になった。多少は。

 

「恋花さんの意見はもっともよ。相手が逃がしてくれるかどうかを別にすれば」

 

 千香瑠も二人の会話を聞いていたようだ。

 

「ところで、私の別の悩みも聞いてもらえるかしら」

「どうかされたのですか、千香瑠様」

「藍ちゃんにキュウリを食べてもらいたいの。でもマヨネーズに頼ってばかりは、何か違うと思うし。他に妙案はありませんか?」

 

 予想だにしない相談だった。

 しかしすぐには一葉も思い浮かばない。と言うよりも、千香瑠に無理なら他の誰でも無理に違いない。

 

「あはは、ママは大変だねぇ」

「恋花さん? 恋花さんも他人事じゃあないんですよ?」

「へぇっ?」

「藍ちゃんの次に好き嫌いが多いんだから。いずれ恋花さんの食生活改善計画も立てないと」

「そんなっ、ママぁ……」

 

 恋花の力無い悲鳴は公園の空気に溶けて流れていく。

 

 

 




神庭のイベント良かった…
旧グランエプレのメンバーと生徒会メンバーがもうすっかり打ち解けていましたね。

ただ結局あの世界では女性同士結婚できるのかできないのか明言はされませんでした。
小説のネタに使えるかと期待してたのに…
ちなみに私の作品世界では、欧米や国連の圧力によって法制化されたため、日本の行く末を真に憂いて糾弾する義士たちがジオン残党ばりに涌き出ているという設定となっております(隙自語)


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第41話 傲り

 そこまで昔のことではないのに、再びその山に足を踏み入れた一葉は懐かしさすら覚えていた。

 車道も走る正規の登山ルートから外れ、獣道と呼ぶべき小道をヘルヴォルが進む。

 冬の登山は危険である。ただそれでも雪景色や静謐を求めて冬に登る登山家は存在するし、今回は頂を目指すわけではないのでそこまでの難度ではない。あくまで登山そのものの難度に限った話だが。

 大江山では昨晩降ったと思しき雪が斜面に雪化粧を施していた。朝方には既に止んでいたのだが、日が昇ってからも溶ける気配は見られない。くるぶしをすっぽり覆うほど積もった雪に多少の不便を感じながら、五人は秘封俱楽部からの情報を頼りに登り続ける。

 葉が散った木々の茶色に、地面の白。そんな中を行くエレンスゲオーダーの紫は周囲の景色にとても映える。こそこそ隠れる必要は無いし、むしろ彼女に会うのが目的なので問題は無かったが。

 

「ヒュージ、出ないねー」

 

 一本縦列の二番目を進む藍がそう言った。

 前回訪れた時は少ないながらも遭遇したが、今回は今のところ目撃数すらゼロだ。

 

「あの鬼っ子が全部倒してくれたんじゃないの?」

「それは希望的観測が過ぎますね」

 

 隊列先頭の恋花が前を向いたまま冗談めかして言うと、中央の一葉は否定的な意見を返した。

 

「あながち、間違ってないかもしれないわ」

「千香瑠様?」

「勿論、私たちのためではなく自分自身のために。私たちとの対立も含めて()()の一環だとするなら、邪魔されたくないでしょうし」

「そういうものなのでしょうか、妖怪というのは」

「彼女たちが儀式や形式に拘るのは、それが意味を持つからよ」

 

 後ろから千香瑠の戒めるような言を聞きつつ、五人はだんだんと目的の地に近付いていく。

 獣道からも外れ、いよいよ道なき道へと移った。これが夏場だったら鬱蒼と生い茂る緑に大いに苦戦させられていただろう。今が冬なのは不幸中の幸いである。地域によっては雪国の如く降り積もる京都で大した量が降らなかったのもまた、幸いである。

 

「地図によると、そろそろです」

 

 一葉は立ち止まって周囲に注意を促す。

 結界の境目と言っても、一葉には何か特段の変化を感じ取れるようなことはなかった。

 

「千香瑠様、何か分かりますか?」

「いいえ。少なくとも妖怪や怪異の気配はまだ無いわ」

 

 五人は縦列を解き、現在の地点で円陣を組む。はっきり言って戦い易い地形ではない。草葉が繁茂していない分、視界はまだマシではあるが。

 

「本当に、メリーと蓮子はこんな場所まで来たのかねぇ」

 

 恋花が周囲に視線を走らせながらそう零した。

 元々ヒュージの出現報告が少ない地域ではあるが、おいそれと一般人だけで立ち寄れる場所には見えない。

 五人が四方へ向けてチャームを構えていると、辺りに薄っすらと白い霧が漂い始めた。

 皆、チャームを握り直し気を引き締め直した。

 どちらの霧か? などと問うのは愚問であろう。

 十の瞳が見つめる中、山林の狭間に霧が集まっていき、小さな人型を成した。

 

「わざわざここまで来たってことは、腹を決めたのか」

 

 袖の無い服。鎖で体と繋がれた三つの分銅。赤茶色の長髪に、生き生きと伸びた二本の角。

 

「貴方を止めに来たのです。萃香さん」

 

 一葉がはっきりとそう宣言した。

 すると霧の如くぼやけていた人型の輪郭もまた、はっきりとする。

 

「止める? どうやって?」

「必要とあらば、チャームを以って、実力を行使させて頂きます」

 

 ブルトガングが、他の四機のチャームが萃香一人に向けられる。

 勿論本音を言えば、ここで止まって欲しい。そんな淡い期待を薄っすら抱くも、一葉は内心の内に仕舞っておく。

 一方で、萃香は五人を見渡した後に軽く笑む。

 

「フフフッ、それじゃあ試してみるといい。本気で鬼を止めるつもりがあるのなら」

 

 萃香の右手が自身の腰に吊るした鎖に伸びた。

 それを見た一葉はブルトガングのトリガーに指を添える。

 ところが萃香は鎖を掴まず、右手を勢いよく左右に振り抜いた。その軌道に沿って、赤みを帯びた光弾が宙に浮かび上がる。

 萃香の前方へ扇状に繰り出される無数の光弾。弾速は普通の銃弾などよりずっと遅いものの、視界一杯にびっしりと展開する弾幕は圧巻の光景だ。眩く輝く弾丸は、対峙する者に華やかさと威圧感を同時に植え付けていた。

 

「くっ、後退!」

 

 光弾が形成された時点で一葉は退くよう指示していた。

 萃香が作り出した弾幕は一見すると脅威に映るが、密度はそこまで高くない。扇状に展開するなら尚更だ。

 故にヘルヴォルは後方へ飛び退いて弾幕の隙間で躱すことにした。

 

「まだまだぁ!」

 

 しかし敵の後退は織り込み済みなのか、光弾が止んだ傍から萃香は投石を開始する。

 初めは小さな小石を指で弾き、次に握り拳サイズのものを手首のスナップをだけで放る。それらは先程の光弾よりも速く、弾丸の如き苛烈さで襲い掛かる。

 地面から拾う素振りは無い。掌で生成したかのように、矢継ぎ早に次弾が放たれていた。派手さは乏しいが、紛うこと無き弾幕だった。

 石つぶての弾幕の中を、ヘルヴォルはチャームを盾にしつつ凌いでいく。時折、捌き切れなかった石に制服の上から打たれるが、致命傷は回避できていた。

 徐々に散開気味となるヘルヴォルの陣形にあって、恋花は瑤の前方でブルンツヴィークを振るって弾幕をいなす。固まっていては、いい的だ。しかし今はこれで良い。

 

「皆さん、耐えてください!」

「耐えてばかりじゃジリ貧だぞ」

 

 萃香の忠告通りだ。実際、彼女は無尽蔵と思えるほど次々に弾幕を繰り出している。

 その萃香が不意に足元の地面へ右手を突き入れた。何か掴む仕草を見せた後、引き抜かれた右手には、彼女自身の体積を何倍も上回る大岩が乗せられていた。

 右手一本で萃香の頭上に掲げられた大岩が今まさに投擲されようとしたその時、一葉は好機を見出した。

 

「今です!」

 

 大技のため弾幕が途切れた隙に、瑤の前方を守っていた恋花が真横へ飛び退いた。

 後ろの瑤はチャーム、クリューサーオールの砲口に白光を瞬かせ、射線が通った瞬間にトリガーを引き絞る。

 巨大なマギの奔流、高出力砲が雪山の山林を翔けた。

 その一撃は萃香の掲げた大岩を穿ち、貫通箇所からどろどろに溶かしていった。

 

「おおっと」

 

 萃香は右手を振り上げたままバランスを僅かに崩す。

 それを合図に、防戦一方だったヘルヴォルが反撃を開始した。

 千香瑠のゲイボルグが実弾の掃射で牽制すると、一葉と藍、少し遅れて恋花が間合いを詰めるべく動く。

 巨大な鉄塊を携えた藍が正面から。嫌が応にも目を引かれることだろう。

 そして藍の右後方から一葉が追従し、左後方からは恋花が回り込むように駆ける。

 一葉たちの攻勢を目にした萃香は動かない。その場で足を止めたまま。弾幕を放つことさえ中断していた。

 そこにヘルヴォルの一番槍が放たれる。

 

「たぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 大上段に掲げられ天を指したモンドラゴンが重力と藍の膂力によって一直線に下降する。

 金属同士がぶつかる不快な擦過音。

 萃香の左手が、左手首にはめられた鉄の輪が藍の殴打を受け止めていた。

 そんな萃香の左側方から、無防備に腕を上げた左脇腹を狙う一葉のブルトガングが迫る。

 しかしながら、藍緑色のフレームと鉛色の刃で構成されるチャームの接近は飛んできた三角錐の分銅のせいで阻まれてしまう。

 萃香は鎖にも分銅にも手を触れていない。だが妖力なり念動力なりで触れずに操ったとしても、何も不思議ではなかった。

 似たようなことが萃香の右側方に回り込んでいた恋花の身にも起こる。立方体の分銅に誘導弾の如く追い立てられ、接近し切れないでいた。

 

「藍! 引いて!」

 

 連携攻撃の失敗を悟った一葉が叫んだ。

 しかしわざわざ後退するまでもなく、藍の体は萃香から引き離された。萃香の左手一本に押し返されたことで。

 

「がっかりだよ」

 

 藍を吹き飛ばした萃香は期待外れと言わんばかりの言い草で、一歩一歩ゆっくりと歩き出す。

 

「これは決闘じゃない。儀式だ。人の世が幻想を乗り越え、こちらとそちらの境界を確固たるものにするための」

 

 勿論一葉も分かっている。今までにも幾度か耳にしてきたのだから。そのために五大怪異と戦ってきたのだから。

 

「なのにお前たちときたら、未だに私を討つことを躊躇している。鬼相手に、慢心この上ない。慢心するのは妖怪の側だと昔から相場が決まってる」

 

 ゆっくりと、しかし着実に近付いてくる萃香に対し、ゲイボルグから連続した発砲音が鳴り響く。

 ひょいと体を横にずらした萃香の頬を実弾の火箭が掠めた。しかし子供然とした見た目の肌が鉛玉に引き裂かれることはなく、ほんの少し黒ずんだ汚れが付着しただけだった。

 

「巫女ならば十分理解しているはずだが。仲間の情が移ったか?」

「それはっ……。それだけじゃないけど、今は私も皆と同じ気持ちです」

 

 少しだけ戸惑いながらも千香瑠がそう答えると、萃香はわざとらしく首を左右に振った。

 

「だがお前たちは鬼を見誤った。その代償は高くつくぞ」

 

 それは脅しでも警告でもなく宣言だった。

 宣言を聞き終わるや否や、瑤と恋花が再び動く。

 高出力モードではないものの、それでも重いクリューサーオールの砲撃が棒立ち状態の的に命中する。

 よろけて後ろへ数歩ほど後ずさった萃香へ、鋭角的なブルンツヴィークのブレイドが振るわれる。

 ところが恋花の斬撃は目標を捉えることなく空を切ってしまう。萃香の全身が一瞬の内に霧散したのだ。文字通り霧と化すことで。

 

「なっ!? 全周警戒――――」

 

 一葉が言い終わる前に、藍の体が宙を舞う。目の前で突如として実体化した萃香に放り投げられていた。

 すぐさまチャームの砲口を向けた瑤に対しては、米粒状の小型光弾の群れが襲い掛かる。

 見れば、萃香の右手首から先が再び霧状化していた。霧状化させた自身の肉体を無数の光弾に変じていたのだ。

 剛性の高いクリューサーオールを盾にする瑤だが、その盾の上から間断ない被弾の衝撃に晒された上、盾を迂回してきた米粒弾を浴びてしまう。

 更に萃香の左手首からも米粒弾幕が放たれた。こちらの狙いは恋花である。

 恋花は小刻みに跳ねて軽やかなフットワークで回避を図る。

 ところが萃香の弾幕は逃げる獲物を追い掛けるように飛び回り、驚く恋花を追い詰めて打ち据える。

 あっという間に三人。三人が雪の上に伏していた。

 

「一葉ちゃん、援護を!」

「了解!」

 

 千香瑠が射撃しつつ駆け出したので、それに呼応して一葉も発砲する。

 二人の十字砲火は萃香の周囲に積もる雪と雪に隠された土の地面を激しく掘り返していく。精度は二の次だったが、距離がそう離れてないので少なくない命中弾を与えているはずだった。

 千香瑠が接敵するより先に、相手が動く。萃香を包む弾着の煙の中から分銅付きの鎖が飛び出してくる。

 避ける間もなく、一葉の構えるブルトガングの機体に鎖が幾重にも巻き付いてきた。

 

「燃えろ」

 

 萃香の声が響いた直後、鎖が赤熱する。

 

「あぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 熱は鎖にからめ捕られたブルトガングを伝って一葉の身を焦がす。

 視界が白黒に明滅し、絶叫して雪の上に転倒する中、それでもチャームを手放さなかったのはリリィとしての本能が為せる業か。

 四人。これで四人が膝を突いた。

 

「はっ!」

 

 そこへ、遂に肉薄した千香瑠がランスモードのゲイボルグを抱えて躍り出る。

 鋭い穂先は小さな鬼の肩口目掛けて突貫するが、霧から実体化した小さな右手のこぶしに遮られて狙いを紙一重で逸らされた。

 しかし次の瞬間、萃香の体は()()()に折れ曲がって吹き飛んだ。

 黒のタイツに包まれた千香瑠のしなやかな右脚が地面から離れてピンと伸びていた。

 まさか蹴り飛ばされるなどとは(つゆ)ほども予想していなかったのか、腹に直撃を貰った萃香は仰向けに倒れた後、立ち上がって「げぇーげぇー」と嘔吐し始める。

 

「はぁ、はぁ……。巫女ってのはどこの世界でもおっかないなぁ。お陰で今朝方飲んできた酒が腹の中から戻ってきたぞ」

「朝からお酒を飲むなんて……!」

 

 残心を解いて右脚を下ろした千香瑠はゲイボルグを両手で腰だめに構えている。

 

「だが、やっぱり駄目だ。今のお前たちじゃあ及ばない」

 

 どこからともなく取り出した瓢箪の栓を開けると、萃香は眉を顰める千香瑠の見ている前で喉を鳴らしながら中身を飲んでいく。

 そうして唐突に口の中に入れていたものを噴き出した。それは外気に触れた途端、火炎となって辺りの雪に降り掛かる。

 忽ちの内に積もっていた雪が溶け、土色の地面が露わとなった。

 

「行くぞ」

 

 一歩、萃香がまず右足を前に踏み出した。

 続いて二歩、左足を踏み出した。

 そして三歩。三歩目はその場で踏み出されることはなく、体ごと掻き消え霧となる。

 

「……そこっ!」

 

 千香瑠が真後ろへ振り向きざまにチャームを薙ぐ。

 ゲイボルグの刃が実体化した鬼の眼前を横切り、赤茶色の毛がハラリと落ちていく。

 反撃に繰り出される萃香のこぶしを、千香瑠は真横にステップして躱そうとする。

 余裕を以って回避できるはずだった。

 ところが萃香の右腕が、右腕だけが瞬時に巨大化。人の背丈を優に超える鉄拳が千香瑠の左半身をチャームごと殴り飛ばした。

 落下時に受け身を取った千香瑠が地の上を転がる最中、追撃を受ける。真っ赤に燃える紅蓮の如き光弾が連続で飛来し、炸裂して周囲に火の粉を撒き散らす。

 黒煙が薄れた時、千香瑠は膝を突いていた。

 これで五人。まともに立っていられる者は居なかった。

 

「ふーっ」

 

 萃香は軽く息を吐き出すと、五人が伏している中を所在なさげに歩き出す。

 そんな彼女の様子を、一葉は痛む体に鞭打ち顔を上げて何とか視界の中に収めていた。

 

「さてと」

 

 ピタリと立ち止まる。

 

「前に言ったよな? 次に相まみえる時に甘い願望を捨て切れなかったら、大切なものを失うと」

 

 萃香は倒れている五人を順々に見渡した。と言っても、本当に何か見定めているわけではないだろう。視線を動かしているのはポーズだけというのがありありと見て取れた。

 やがて視線を動かすのも止めると、またもや全身を霧状化させる。

 

「フフフフフッ」

 

 その場に意味深な笑い声を残す。

 皆が警戒する中、山の木を背もたれに座り込んでいた恋花を霧が覆う。

 

「えっ、ちょっ」

「恋花様! 逃げて!」

「何ぃ!?」

 

 霧が消え去った時、恋花も姿も消えていた。ついっさきまで言葉を発していたのに、痕跡を全く残さず居なくなった。

 

「恋花っ!」

「恋花さん……」

 

 仲間がその名を呼んでも返事はなく、ただ虚空に虚しく響くばかり。

 代わりに、同じく姿を消した萃香の声が返ってくる。

 

「相澤一葉。お前の信念も大したものだが、惚れた女一人守れない信念に果たしてどれだけの価値があるのかな?」

 

 一葉は己を蝕むダメージも忘れてふらりと立ち上がる。

 

「まだやり合う気があるというなら、相手をしてやろう。無いなら無いで、別に構わない。仕方ないから結界の件はまたゆっくり考えるとしよう」

「恋花様……」

「ただ一つだけ言っておくが、妖怪ってのは人を喰うものなんだよ」

 

 いつもより低い声色の鬼がどこまで本気かは分からないし、察しようと思う気も起こらない。

 

「ククッ、ハハハハハッ」

 

 山林に轟く笑い声の木霊を最後に、鬼の気配も完全に途絶えるのだった。

 

「恋花様……」

 

 一葉の呼び掛けに答える者は、やはり居ない。

 

 

 



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第42話 喪失のあと

 西の空が赤みを帯びた頃、大江山ではパラパラと雪が降り始めていた。

 山地や高地が大部分を占める京都府北部は豪雪地帯である。

 天気予報によると降雪量はそれ程でもないそうだが、予報とは往々にして当てにならないものだった。

 山中に取り残されたヘルヴォルの四人は山を下りた。途中、いつもの彼女たちらしくなく、会話はほとんど無かった。

 敗走という言葉がこれ程相応しいものはそうそう見られない。

 今のヘルヴォルが結成されて以降も敗戦の経験はあるが、今回の負けは悪い意味で格別の負けだった。故に下山の列は葬儀の列みたいな空気を醸し出していたのだ。

 

 やがて山を下り切った四人は麓にあるバスの停留所跡にやって来る。

 幾つかの長椅子と、それらを雨風から守るトタン屋根と壁。登山者たちのスタート地点だけあって、小休憩できるぐらいには広いスペース。

 ちなみに併設された自動販売機はまだ生きていた。バスの便こそ動いていないが、訪れる人が居るからだ。

 錆び付いた屋根の下、一番初めに口を開いたのは瑤だった。

 

「これからどうするの?」

 

 その問いに一葉はすぐ答えることができなかった。

 瑤の瞳に真っ直ぐ見つめられ、責められているような錯覚さえ覚えそうになった。

 一葉の反応を予想していたのか、瑤は返答を急かさずジッと待っている。

 

 ――――勿論、助けに行く。

 

 そう答えられれば良いのだが、許されない。許されるはずがない。

 レギオンの隊長として隊員全員の命をも預かっている以上、軽々しく口にできるはずがないのだ。

 なので一葉は当たり障りの無い回答を絞り出すしかなかった。

 

「今は、分かりません……。現状では、何も……」

「うん、それはそう。じゃあ聞き方を変えるね」

 

 瑤は尚も一葉を見つめたまま。怒るでもなく失望するでもなく、何かを期待している様子。

 それが今の一葉には重荷に感じられた。

 

「一葉はどうしたいの?」

 

 どうしたいか、などと決まっている。

 だがおいそれと口にはできない。自分が口にすれば、きっと他の皆も賛成すると確信していたから。

 沈黙する一葉に対し、瑤は続ける。

 

「ヘルヴォルを結成したばかりの頃に私が負傷した戦闘のこと、覚えてる?」

「はい」

 

 無論、忘れるはずがない。

 ヘルヴォルとヘレンスゲの改革という理想を掲げる一葉を信じて戦い、瑤が大きな傷を負った件である。

 

「あの時、私は一葉に賭けてもいいと思った。一葉を信じてみようと思った。今では恋花も同じ想いのはず」

 

 口だけでなく、行動と結果で皆の信頼を得た。一葉にもその自負はある。

 だが信頼されているからこそ、己の判断ミスがもたらす結果を恐れてもいた。

 

「だから、もし一葉が本当に諦めたんだったら、仕方ないと思う。私も諦める」

 

 瑤は躊躇なくはっきりとそう言った。

 瑤と恋花は親友だ。中等部時代から轡を並べて戦ってきた戦友だ。

 にもかかわらず、瑤は一葉に判断を委ねて諦めても良いと言っている。

 

(諦める……?)

 

 恋花を。恋花の笑顔を。恋花の温もりを。恋花への想いを。

 今ここで自分たちが諦めたら、それらを全て失ってしまう。二度と手に入らなくなってしまう。

 隊長としての責務と、仲間を更なる危険に晒すことへの忌諱と、恋花を失う恐怖。その三つが一葉の中でせめぎ合い、ない交ぜとなっていく。

 

「…………できません」

 

 結局のところ、最後は口に出してしまった。

 いや、瑤のお陰で口に出せたと言うべきか。

 

「諦めるなんて、できません! 諦めたくないっ!」

 

 一葉の吐露を聞き終えると、瑤はゆっくりと頷いた。

 

「やっと言った」

「……えっ?」

「判断を押し付けて、ごめん。でも一葉は真面目で頑固だから、あんな聞き方しちゃった」

 

 瑤が謝った。

 千香瑠と藍も、待っていたかのように口を開く。

 

「一葉ちゃん。一葉ちゃんだけに重荷を背負わせたりしないわ。あの子を、萃香さんを討つというなら、私も」

「らんも! 今度はらん、負けないよ!」

 

 一度口に出してみれば、何てことはない簡単なもののように思えた。

 ヘルヴォルは常に仲間と共に乗り越えてきたのだから。今回だって例外ではないはずなのだ。

 しかしだからと言って、みすみす勝算の低い戦いへとただ突っ込んでいくわけにはいかない。

 

「瑤様、千香瑠様、藍。ありがとうございます。落ち着いた場所で詳しく話し合いましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瑤さん」

「何? 千香瑠」

「こんなことあり得ないだろうけど。もしも、もしも一葉ちゃんが諦めるって言ってたら、瑤さんも本当に諦めてたの?」

「まさか。一人でも恋花を捜しに行ってた」

「まあ。それじゃあ、わざとあんなこと言ったのね。意地悪だわ」

「そうだね、意地悪だ。でも少しぐらいは意地悪してもいいでしょ?」

「……何だかちょっとだけ分かるわ。あの二人を見てたら妬けてくるもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 来た時より一人欠けた状態でヘルヴォルは京都市内の宿に戻ってた。

 一葉の宣言通り四人は早速作戦会議を開始する。

 

「もう一度秘封倶楽部のお二人に会って、助言を得たいと思います。そして可能なら、彼女たちを通じて鹿野苑の協力も」

 

 一葉の提案の内、前半はともかく後半は意外だったのか、瑤も千香瑠も驚いた後に渋い反応を見せる。

 

「一葉ちゃん、当然分かっていると思うけど、鹿野苑は鬼との接触を防ごうとしてる。私たちがお願いしたところで手を貸してもらえるかどうか……」

「ええ、勿論メリーさんから伺ったお話は覚えています。むしろ止められる可能性が高いでしょう」

「だったら何故?」

「ですが我々だけで鬼に対抗するのが難しいのも事実。なので鬼の脅威を説いて何とか協力を引き出そうと考えています。場合によっては、チャームのコアに記された戦闘記録を提示してみるのも有りかと」

 

 そう説明すると、渋い反応だった二人も深く考え込んだ。

 実際に鬼による被害――――リリィが一人拉致されたとあっては動いてくれる可能性も出てくるだろう。

 

「コアの記録を見るなら、うちのガーデンの許可も要るね」

「はい、瑤様。そちらも説得しなければなりません」

 

 むしろそちらの方が難題かもしれれないと一葉は内心思っていた。

 

「あとは我々ヘルヴォル自身の強化も必要ですね。彼女は、強い。想像していたよりもずっと」

「らんが必殺技考えよっか?」

「ふふ、それもいいかもね」

 

 大よその方針を固めたヘルヴォルはまず自分たちの傷を癒してから動き出すことにした。

 あれだけ()()()に拘ってきた萃香が攫った恋花へ今すぐに危害を加えるとは考え難い。これまでの彼女の言動から見ても明らかだ。

 それに、今度はより確実性を期さなければならない。リリィとしての務めを果たすために。失ったものを取り戻すために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反撃に向けて動き出したヘルヴォルは出だしから早速躓いてしまう。

 それは一葉と彼女の属するガーデン――――エレンスゲとの通信においてのことだった。

 

「今は動くな。京都市内で待機していろ」

 

 タブレット端末のディスプレイに表示された映像通信の向こう側で、黒髪を一本に絞った二十代の女性がそう告げてきた。

 

「教導官殿、『動くな』とはどういうことでしょうか? 先程報告した通り、飯島恋花の捜索・救出に当たらねばなりません。前回の戦闘で負った傷とマギは既に回復しています」

 

 一葉が表情を硬くして反論すると、画面の向こうのヘルヴォル教導官は首を左右に振った。

 

「言葉通りの意味だ。軽挙妄動を慎み、待機状態で次の指示を待て」

「……見捨てろと仰るのですか。これ以上の戦力の喪失を防ぐために」

 

 こうなることを、一葉もある程度は覚悟していた。

 エレンスゲ女学園は全体の損得を目に見える結果から判断する傾向が強いガーデンだった。

 一葉はどうにかして翻意を促そうと、拙いと自覚しつつ弁を振るう。

 

「一度ならず二度も敗北した私では説得力に欠けますが。しかし鹿野苑の協力が得られれば勝算はあります。ガーデン間の正式な作戦となれば、先方の重い腰を上げられる可能性は十分あります。ですから機会をください」

「駄目だ。命令は待機だ」

「……どうしても、動くなと?」

「……トップレギオンとして相応しい判断をしろ」

 

 命令が覆らない可能性も当然覚悟済みだ。

 

「分かりました。ではエレンスゲ女学園の生徒としてではなく、一人の人間として事に当たります」

 

 たとえ学園の改革という野心を捨てることになっても、諦めないと決めた。

 

「本件が解決した暁には――――」

 

 全ての責任を取る。

 そう言おうとした一葉の口が突然遮られる。

 

「たわけが! 待てと言ってるんだ!」

 

 これまで、無感動に意見を却下されることはある。冷たい視線で非難を受けたことはある。

 しかしながら、一葉は自分たちの教導官から声を荒げて感情的に叱られたことは一度もなかった。

 

「いいか! 絶対に早まった真似をするんじゃないぞ! 絶対にっ!」

「しかし!」

「……風向きが、変わるかもしれんのだ」

 

 ヘルヴォル教導官はそれ以上説明してはくれなかった。

 だがそれでも、常ならざる熱の籠った視線を見て、一葉は信じてみようと思った。

 

 それから三日後。ヘルヴォルの待機命令は解除され、鹿野苑との協力関係が正式に結ばれることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルは不良霊能者サークル秘封倶楽部ともう一度会合の場を設けた。

 ただし今度は郊外のカフェではなくヘルヴォルの宿泊する宿の一室で。そして秘封倶楽部は個人的な活動ではなく鹿野苑の使いとして出席していた。

 

「聞いたわ、恋花のこと。私たちにも責任の一端はあると思う。鬼の脅威について、もっとちゃんと伝えられていれば」

 

 テーブルを挟んだ反対側で、蓮子がバツの悪そうな顔を向けてくる。

 本人はああ言っているが、困難を知りつつも鬼退治を決断したのはヘルヴォル自身である。なので当然、責めを負うべきなのはヘルヴォルだ。

 

「いいえ。たとえ相手がどんなに強大でも、我々は動いていました」

「でも対策は講じるでしょう? 私たちも、今日はそのために来たんだし」

 

 自然な流れで本題へと移る。

 秘封俱楽部がヘルヴォルを訪ねてきたのは、鹿野苑が提供してくれる支援について説明するためであった。

 

「まずは行方をくらました鬼の居場所だけど。貴方たちは『報せ地蔵』って知ってる?」

「はい。鹿野苑のリリィたちが運用しているヒュージ粒子感知計測システムのことですね」

 

 蓮子からバトンタッチしたメリーの質問に、千香瑠が答えた。

 

「そう。京都府内3800箇所に設置した地蔵型の装置から遠隔操作でマギを放出し、ヒュージ粒子との接触反応を計測してヒュージを索敵する代物よ。これを妖怪の索敵にも応用しようというの」

「それは、可能ならば頼りになるわ」

「このシステムにはマギをぶつけられたヒュージを凶暴化させる副作用もあるのだけど、知性の高い妖怪には関係無いから」

 

 今現在、巷に溢れていた怪異騒ぎはすっかり鳴りを潜めていた。萃香を除いては。

 従ってその報せ地蔵に引っ掛かる怪異・妖怪は、ほぼ確実に萃香ということになる。

 

「ただし、もしも彼女が京都から離れていたとしたら、意味が無くなってしまう」

「ええ。妖怪は()()()のある土地に拘るものだけど、あの子はかなり自由に動き回っているみたい」

「その時は、私が手伝うわ。大江山にあった境目はもう閉じたようだから、私の目でまた結界の境目を見つけ出してみる」

 

 メリーことマエリベリー・ハーンは結界に生じた隙間を認識できる異能の持ち主であった。

 幾ら異能の持ち主とは言え、リリィやマディックでない人間に協力させるのは抵抗がある。それでも、その力に頼る必要があるのなら、吞み込まなければならない。

 

「はい、その時はよろしくお願いします。微力を尽くしてお守りさせて頂きますので」

 

 一葉が深々と頭を下げたのを見た蓮子とメリーは一瞬静かになるが、すぐにくすくすと笑い声を漏らす。

 

「ふふふ、恋花の言ってた通りの子ね」

「そうねー」

 

 メリーの台詞と蓮子の相槌に、一葉は気を揉む。

 

「うっ……。恋花様、何か変なことを言ってませんでしたか?」

「いいえ、ただ凄く固い子だったって。でも最近は柔らかくなってきたとも言ってたわねえ。大丈夫、褒めてたから」

「はあ……」

 

 蓮子は何か思い出しながらそう言うと、テーブルの上に出された紅茶のカップに口を付けた。

 居たたまれなくなった一葉も気を紛らわすかのように紅茶を口の中に流し込むのだった。

 ちょっとした小休止を挟み、本題が再開される。

 

「鹿野苑から貴方たちに提供される支援がもう一つあるの。チャームが一機」

「一機、ということは何か特殊な機能が搭載されているのでしょうか?」

 

 一葉が問うものの、蓮子は首を横に振って肩をすくめる。

 

「流石に私たちじゃあ現物を預かれなかったから、後日鹿野苑のリリィが届けに来るはずだけど。相当な代物みたいね。素人の私でも分かるぐらいには」

「成る程……」

 

 エレンスゲと鹿野苑との即席の協力体制。蓋を開けてみれば、鹿野苑側は情報や装備面での支援は行なうが、直接戦力は出さない内容となっていた。

 その辺りは一葉たち第一線のリリィには計り知れないが、ガーデン間で抜け目ない折衝が繰り広げられたのだろう。

 一見すると戦闘要員としてリリィを派遣しない鹿野苑が及び腰に思える。

 だがガーデンとしての性質も戦術も異質なエレンスゲとの協同が困難を極めるのは想像に難くない。

 結局のところ、平生からの交流が無い以上はこの程度の協力が無難なのだ。

 

「ありがとうございます。蓮子さん、メリーさん。お二人にはご迷惑をお掛けしたというのに」

「いや、私たちは何も……」

「鬼との件を鹿野苑が知ったということは、貴方たちにお咎めがいったのでは?」

 

 鹿野苑は元々鬼との関りを避けようとしていた。よって秘封俱楽部がヘルヴォルに大江山にある結界の境目を教えたのはガーデンの方針に反する行為と言えた。

 

「ああ、いいのいいの。前にも言ったけど、私たち鹿野苑に正式に所属してるってわけじゃないし。まあ確かにちょっと釘を刺されはしたけどさ」

 

 蓮子はさも何でもないかのように言ってみせた。

 しかしヒュージ溢れる戦時下のこの御時世において、それはとても肝の据わったことではなかろうか。

 

「とにかく私たち、ってかメリーの能力が必要な時はよろしくね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ、んんーーーっ」

 

 微睡から目覚め、大きく伸びをする。

 一番最初に恋花が感じ取ったのは、普段馴染みの薄い香りであった。ゴロンと寝返りを打っていると、それが畳の匂いであると気付く。

 横向きの状態で恋花は両の瞳を開ける。

 視界に映っていたのはこれまた馴染の薄い紙張りの襖である。

 完全に覚醒した恋花はすぐさま上体を起こして周囲を見回した。

 彼女が寝転がっていたのは八畳一間の和室に敷かれた布団の上。部屋は襖や障子で区切られている。

 上を見上げれば、天井に電気照明の類は無い。その代わり床の間に直方体の行灯が置かれていた。時代劇のセットかと錯覚しそうになる。

 京都市内の宿ではないし、勿論エレンスゲの寮でもない。

 

「…………ここ、どこ?」

 

 

 



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第43話 旧き者たち

 京都の大江山にて鬼と戦っていたはずの恋花。彼女は気を失っている間に見知らぬ和室へ連れて来られた。

 纏っていたエレンスゲオーダーのジャケットは室内のハンガーラックに掛けられている。

 

「こういうところは洋風なのね」

 

 チグハグさに突っ込みを入れながら恋花は濃紫のジャケットを手に取り羽織った。

 また、枕元には彼女愛用のチャーム、ブルンツヴィークも置かれている。手に取って色々弄ってみるが、特に異常はなさそうだ。

 チャームを構えたまま襖を開けてみると、短い廊下とその向こうの玄関が見える。障子を開いてみると、大岩が鎮座し木が何本か立った空間が映り込む。塀などで囲ってはいないが、この建物の庭なのだろう。

 恋花はすぐに部屋の外へ飛び出したりせず、一旦畳の上に座り込んで考え込む。

 

(状況的に考えて、あの鬼っ子に攫われたのは間違いないよねえ。でも監禁されてるわけでもないし、チャームも取り上げられてない。一体、何が狙い?)

 

 恋花は萃香の目的について思い出す。

 彼女の言が正しいのなら、人に妖怪を倒させ結界補強の儀式を完成させるために動いている。現に恋花のチャームはそのままだ。

 すぐに恋花をどうこうする気が無さそうなのは、ヘルヴォルの他のメンバーがやって来るのを待っているためだろうか。だとしたら相当に遠回しだし、まだるっこしい。

 

(そもそも、本当にここどこなのよ?)

 

 奇妙な現状に頭を悩ませていると、部屋の外からギィ、ギィと木の床が軋む音が聞こえてくる。

 廊下から何者かがこの和室に近付いている。

 恋花は庭に繋がる障子に背を向けると共に、チャームへ手を添えていつでも事に及べる態勢を整えた。

 足音を隠そうともしない辺り、寝首を掻く気はさらさら無いのだろう。かと言って害意が全く無いとも言い切れない。

 それから幾らも経たない内、廊下の軋む音が途絶えて襖がゆっくりと横に開いた。

 

「おや? ようやくお目覚めですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルと秘封俱楽部の会談から数日後、鹿野苑の支援の一つが一葉たちの泊まる京都市内の宿へと届けられた。

 何だかふわふわした感じの上級生リリィと真面目な下級生リリィが持って来てくれたのは、刀の形をしたチャームである。

 実際、国内メイカーの天津重工などによって刀を模したチャームが幾つか開発されていた。

 だが今回鹿野苑が用意したチャームはそういった物とは根本的に違う。刀を模したのではなく、本物の刀をチャームに改造した物だった。

 

「ドウジキリ……」

 

 一葉は両手の上にその刀を乗せて、神妙な面持ちで鞘に納まった刀身を見つめる。

 

「国宝をチャームに改造し、その上実戦に投入するなんて……」

「ヒュージに対して試行錯誤していた時代のこととはいえ、思い切ったわね」

 

 一葉と千香瑠はその発想よりも実行力に舌を巻いた。たとえ思い付いたとしても、本当に実現させようとは普通は考えないはずだ。

 

「そう言えば、国宝を保管してる国立博物館の所管官庁は文科省だし、鹿野苑を管轄してるのも文科省だったね」

 

 瑤が思い出したかのようにそう言った。

 日本において多くのガーデンは防衛省の管轄下にあるが、シエルリントや鹿野苑など一部は文部科学省の下に置かれていた。

 軍事機関としてのみならず、学術や科学技術の観点からもガーデン運営を評価するため。そのような御題目が掲げられる一方で、省庁間の駆け引きの結果だという批判も指摘されている。

 ただ実際のところはと言うと、対ヒュージ政策において文科省は防衛省に負けないほど積極果敢な面がある。

 文科省の役人たちはかねてから()()()()()()といったスピリチュアルな要素がヒュージ対策に役立たないか検討していたのだ。非科学的だと嘲笑して切り捨てた『軍事に一家言ある市井の自称有識者たち』とは違って。

 文科省のそういった態度は直接的に実を結ばなくとも、マギの解析やチャーム開発の黎明期に大きな助けになったと言われている。

 

「これは噂程度の話なんだけど」

 

 リリィたちの会話の最中、蓮子が前置きした上で加わってくる。

 

「今回の鹿野苑とエレンスゲとの協力を仲立ちした文科省がドウジキリの貸与を強く提案したんだって。ヒュージ相手には振るわなくても、謂われのある相手には通用するって証明したいのかもね」

 

 どこか嬉しそうに語る蓮子の前で、鍔の上部にマギクリスタルコアを搭載した日本刀を一葉はまじまじと見つめ続ける。

 

「本当に鬼に対抗し得る武器だとしたら、千香瑠様が持つべきではないでしょうか」

「いいえ、一葉ちゃんが使って。私にはこれがあるから」

「それは、大幣(おおぬさ)ですか?」

「お祓い棒よ。故郷の甲州から持ち出したものを家族から送ってもらったの。チャームじゃないからゲイボルグと併用できるし。妖怪相手なら少しは役に立つと思うわ」

 

 チャームよりも短い木の棒の先端から捩った白い布を何枚か伸ばした神道の道具。

 一見すると強力な武器には見えないが、千香瑠がああ言ったからには期待して良いのだろう。だんだんと神々しさすら感じられてきた。

 

「ふぁ~~~っ……」

 

 ふと大きな欠伸と共に、会議の途中で睡魔に敗北していた藍が目を覚ます。

 藍は自分の頭がメリーの肩にもたれ掛かっていることに気付いてパチクリと瞬きをした。

 

「あれー? どうしてメリーと蓮子が居るんだっけ?」

「もう、ちゃんと話したでしょう? 鹿野苑の報せ地蔵が京都府内を監視している間、私たちでも他の地域を当たってみようって。そのためにメリーさんたちに協力してもらうんだから」

 

 寝惚け眼の藍へ、仕方なく一葉が説明し直した。

 そしてその捜索地域については、まさに今これから話し合おうというところであった。

 

「流石に闇雲に捜すわけにはいかないから、何かしら鬼と関連性のある土地から当たるのが最善よね。私はやっぱり、最初に伊吹山を推すわ。ちょうど京都からも近いことだし」

 

 蓮子の提案に対し、誰もが納得したように頷いた。

 

「酒呑童子の本拠は文献によって大江山説と伊吹山説に分かれてるし、伊吹山のある滋賀県は京都府の隣だから、初めに向かう候補地として相応しいと思います」

 

 千香瑠も同意の理由をそう述べる。

 ただし、当たり前だが懸念が全く無いわけでもない。

 

「あまりに順当過ぎて、あの萃香さんが素直にそこで待ち構えているとは言い切れませんが」

「まあそれは考えていても切りがないでしょう。まずは実際に行ってみないと」

 

 一応懸念を挙げてみたが、一葉も反対ではない。

 結局、蓮子の提案した通り滋賀行きが決定したのだった。

 ちょうどその時、藍が再び口を大きく開けて欠伸をする。

 

「ふぁ……。決まった? 決まったら、恋花を捜しに、行こうね……」

「藍、昨日も遅くまで必殺技の特訓してたから」

 

 藍の隣を――――今回だけ――――メリーに譲った瑤がフォローする。

 以前の藍の発言を、藍本人は勿論のこと、一葉も真面目に考え許可を出していたのだ。

 そういうわけで、宿の居間を使って開催された会議の場で船を漕いでいても、メリーの肩を枕にしていても、当初の一葉を除いて強く咎める者は居なかった。

 

「ん~~~っ、むにゃむにゃ……」

 

 目を閉じて口をもごもごする藍。

 そんな彼女の柔らかい頬っぺたを左肩に乗せたメリーは体を揺らさないよう首だけ器用に回して蓮子に向き直る。

 

「ねえ、この子ちょっとうちに連れて帰れないかしら」

「やめてよね。潜伏の罪で捕まる前に他の罪でお縄になるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや? ようやくお目覚めですか」

 

 起き上がって布団から離れていた恋花の姿を見て、和室の襖を開けた人物は少しだけ意外そうな声を上げた。

 緑のベストと膝丈のスカートを纏い、白色に近い銀髪のショートヘア。肌は血が通っていないのかと錯覚する程に白い。表情や仕草に生気が感じられるので不気味さは無いが。見た目だけで言うなら、歳は中等部ぐらいだろうか。

 

「このまま寝ているようなら体を拭いてあげようかと思っていたところですが。手間が省けました」

 

 この緑衣の少女、状況的に考えてまず間違いなく萃香の関係者だろう。

 それにもかかわらず、世間話でもするかのような調子で恋花に話し掛けてくる。

 少女の話はあながち嘘でもなさそうだ。実際に湯を張った桶と大きめの手拭いを持参していたのだから。

 現状が全く掴めない中、恋花は一先ず彼女の調子に合わせることにした。

 

「う~ん、確かにシャワーを浴びたい気分かも」

「生憎シャワーはありませんが、お風呂なら沸かせますよ」

「ありがと~。あと着替えがあったら嬉しいなあ」

「仕方ないですね」

 

 その後、恋花は薪を燃料とする昔ながらのお風呂に浸かり、渡された昔ながらの襦袢に袖を通した。

 その途中、幾つか分かったことがある。

 ここは木造平屋の一軒家。それも恋花の常識からすると、相当に古めかしい様式の家である。

 今現在、恋花と少女以外に人の姿は無い。少なくともこの家を恒常的に使用している住人の痕跡は見られなかった。

 そして家の外について。濃い霧が出ているため遠くまでは見通せないが、近くに人家の影は確認できなかった。あるとしても、ご近所付き合いが億劫になるほど距離が離れているはずだ。

 

(まだ闇雲に外を出歩くべきじゃない。となると、あとはこの子か……)

 

 最初の和室の中で、恋花は改めて緑衣の少女を見やる。

 彼女がただの人でないのは外見からも明らかだ。幼さの残る容姿には不釣り合いな刀を二本腰に差し、すぐ傍には白く半透明な物体――――まるで人魂のような何かが付き従うように宙に浮かんでいる。

 見た目と実体が不釣り合いなのは恋花たちリリィも同様ではあるのだが。

 

「そろそろ空腹を感じる頃合なのでは? 粗食で良ければ出せますが」

 

 それとなく少女を観察していた恋花は当人からまたもや意外な提案をされた。

 

「いや~、至れり尽せりだね。もしかして貴方が作ってくれるの?」

「ええ。お客人のお世話を任されていますので」

「へぇー。ところで貴方ってやっぱり、萃香のお仲間?」

 

 恋花が流れで突っ込んだ質問を繰り出すと、少女は眉根を若干寄せて軽く唸る。

 

「うーん……あの子鬼の仲間ではないのですが。(あるじ)の命ですから」

「ふーん。何だか大変そうだね」

「あ、そう言えばまだ名乗っていませんでした。魂魄妖夢(こんぱくようむ)と申します。飯島恋花さん」

「じゃあ妖夢さん、ついでにもう一つ質問。ここって一体どこなのかな?」

 

 恋花が尋ねると、妖夢は何でもないことのように軽い調子で答える。

 

「ここは天界。天人が住まう天界の片隅ですよ」

 

 恋花は最初、己の耳を疑った。しかしすぐに部屋の障子を開けて外の様子を探ろうとする。

 辺りを覆っていた霧は既に晴れていた。

 視界に映る青い空に雲は見当たらない。

 だがよく見ると、空から雲が消えたのではなくて、自分たちが雲よりも高い位置に居るのだと気付く。

 今、恋花は足元の地面ごと空中に浮かんでいるのだ。当然恋花だけでなく、妖夢もこの家も浮遊していることになる。

 更に遠くの方に、表面に緑の木々を生やした大地が目に入った。無論これも天空に浮かんでいる。

 

「…………噓でしょ」

「ちなみにこの土地はあの子鬼が増長した天人との勝負に勝って得たものなんですけど、宴会だの弾幕ごっこだの騒いでいたので土地ごと切り離されたのです」

 

 唖然とする恋花をよそに妖夢は解説を続ける。この驚天動地の光景も、彼女にとっては日常の一コマであることが窺えた。

 妖怪に鬼ときて、今度は天界。目まぐるしく展開する状況に頭がくらくらしてくる恋花。

 

「ほんと、どうすんのよコレ」

 

 目の前の不思議な少女に聞こえないよう呟くのだった。

 

 

 



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第44話 突入

 ガンシップとは人員や物資を運搬するための中~大型航空機。そのVTOL性能によってインフラの寸断した僻地や最前線へ進出可能。ガーデンが運用する機体はレギオンの空挺作戦などにも投入される。

 今、ヘルヴォル専用ガンシップに珍しくガーデン外の人間が搭乗していた。

 

「近現代の都市伝説は時代時代に特有の要素が付加されることが少なくない。だけど意外にも空に纏わるお話は少ないのよね」

「空はUFOの領分じゃないかしら。だとしたら数的には多いと言えるわ」

「う~ん、微妙にジャンルが違う気もするけど」

「蓮子はそういうの、好きじゃなかった?」

「ただ飛んでるってだけの話はねえ……。UFOの中から別世界に飛び立てるんなら面白そう」

 

 ガンシップ翼下に吊るされた円筒の兵員ポッドの中、向かい合った座席に座る秘封俱楽部の二人がサークル活動について議論している。

 ポッド一つにつき完全武装のリリィ八名と彼女らを支える支援物資を積載できるのだから、ヘルヴォルに民間人が二名加わった程度ではどうということもない。

 

「さて、もうすぐ伊吹山上空に差し掛かります。予定通り麓の町からの探索でよろしいですね?」

 

 一葉が皆に、取り分け蓮子とメリーに対して確認するように声を掛けた。

 京都と滋賀は隣県同士。空路なら尚更時間が掛からない。懸念があるとするなら、途中通過する巨大な湖からヒュージが出没する可能性ぐらいだろう。

 

「ええ。近くで妖怪が活動しているとしたら、町に何かしら影響が出ている可能性もあるし。情報収集がてら寄ってみましょう」

 

 いきなり山に向かうのではなく、足元から固めていく。不良サークルを名乗る割に蓮子の方針は堅実に思えた。

 もっとも、今回は一葉たちエレンスゲのリリィと同行しているためだろう。

 方針に基づき先に近場の町に向かうべく、ガンシップが伊吹山の手前で旋回する。

 ここからやや南方に近年新設された軍民共用の空港があるので、まずはそこへ降り立つ予定だ。

 ガンシップのVTOL性能ならちゃんとした飛行場でなくとも離着陸できなくはないものの、それは非常時の緊急手段である。

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

 旋回の最中、円形の覗き窓から外を眺めていたメリーが切羽詰まった声を出した。

 VTOL機なので停止することも可能だが、一葉はまず状況を確認しようとする。

 

「何かあったんですか?」

「境目よ! 結界の境目!」

「どこに……って、もしや!」

「空の上よ!」

 

 メリーが指差したのは、有機ガラスで構成された覗き窓の向こう側、山頂付近に分厚い雲を纏った伊吹山の上空だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山の麓から程近い比較的平坦で開けたスペース。ガンシップを緊急着陸させた上で、一葉たちは伊吹山方面の空を睨む。

 

「……うん、やっぱり間違いない。境界の境目よ」

「う~~~、何も見えないよー」

「見えないけれど、そこにあるの」

 

 肉眼でとある空間を見上げて確信を得るメリーに対し、双眼鏡を構える藍はレンズを右往左往させている。

 一葉も藍と同じく何も知覚できないが、ここに来てメリーの異能を疑うはずもない。

 

「あそこをくぐるとして、どうやる?」

「そうですね……。細かな位置を指定してもらって、ガンシップで接近した後に我々だけで降下するというのはどうでしょうか」

 

 瑤の問いを受けて一葉が答える。ガンシップの性能ならば不可能ではないだろう。

 しかしこの案にはメリーが難色を示す。

 

「危険だわ。境目の先に地面があるとは限らないし、むしろこちら側と同じように空中へ出る可能性が高いと思う」

「それは、そうでした。リリィはマギインテンシティの高い空間では限定的に飛行できますが、向こう側に利用できるマギが十分あるか定かではない。帰る時も問題です」

 

 ではどうするのか。

 あまりに意味深で、あまりにインパクトのある境目なのだ。見過ごすのは少し勿体ない。

 

「ガンシップごと入ってみるのが一番安全じゃないかしら」

 

 メリーの一言で、ヘルヴォルのメンバーは一斉に彼女の方を向く。

 

「私たちには見えないのだけれど、あの境目はそんなに大きなものなんですか?」

「大きさはそれほど問題じゃないの。境目に触れさえすれば向こう側に行けるはず。私も流石に航空機に乗ったまま結界を越えた経験は無いから、絶対とは言い切れないけど。仮に侵入に失敗しても、それが原因で境目が消失することはないわ」

 

 千香瑠の疑問にメリーが答えた。

 それならば試してみる価値はあると一葉は決意する。

 

「分かりました。ガンシップでの侵入を実行しましょう。メリーさんに境目の具体的な位置を教えてもらって、その後お二人を近隣の空港に送り届け、改めて当空域で――――」

「それはお勧めできないわ」

 

 突然、蓮子が一葉の作戦説明を遮った。

 

「一葉さん、境目はいつまでそこあるのか分からないのよ? 大江山の時は運良く長時間残っていただけかもしれない。帰還を考慮するならメリーの能力が必要不可欠よ」

「いけません。ここから先、何が起こるか分からないというのに。お二人を連れ回すのは」

 

 ここまで協力させておいて何だが、妖怪が待ち構えているかもしれない結界の先へ連れて行くのは流石にラインを越えていた。二人はリリィでもマディックでも軍人でもない一般人なのだ。

 当然一葉は受け入れないが、蓮子も食い下がる。

 

「いいえ。貴方たちの目的を考えたら、やはり連れて行くべきよ。貴方たちは妖怪退治のために戦うのではなく、恋花を連れ戻すために戦うのでしょう? だったら少しでも帰還の可能性を高めないと」

「それはっ、ごもっともですが……」

「機体の外へ下手に出なければそこまで危険は無いと思う。私たち過去にも結界を越えたことはあるけど、その時みたいにほとんど身一つで渡るよりはずっと安全よ」

 

 一葉は悩んだ。

 鹿野苑との取り決めでは、直接戦力を送ってもらえない代わりに秘封俱楽部へ可能な範囲で協力を要請しても構わないとされていた。

 確かに結界については彼女らの力が欠かせないが、限度をどこに置くべきか。

 

「私もメリーも今までそれなりに危ない目に遭ってきたし、弁えてるつもり。だから足を引っ張たりはしないわ」

「そういう問題でもないのですが……」

「結界越えの経験者がいれば色々とスムーズにいくでしょう。自慢じゃないけど、学術として研究対象にもしてるしね」

 

 最終的に、一葉は秘封倶楽部へ条件付きでの同行をお願いすることにした。帰還可能性の点を重く見た結果であった。

 

「分かりました。ただし、くれぐれも不用意にガンシップから離れないようお願いしますね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして準備を整えたヘルヴォルは伊吹山上空にて結界越えに臨むこととなった。

 パイロットと細かな進路調整のために機体座席へ移ったメリーを除き、全員がポッドの中でその瞬間を待っていた。

 

「気流、風速安定。周囲に障害無し。まもなく予定空域に到達します」

 

 機内無線を通してパイロットの状況報告がポッドの中に響く。

 低速で慎重に事に当たれるのは高いVTOL性能を誇るガンシップの利点であった。もっとも、今回のような任務はそうそう起こるものではないだろうが。

 初めての事態ということで、ヘルヴォルのメンバーは口を閉じ顔を引締めている。

 その一方で、蓮子は興奮を滲ませるかのように両の瞳へ期待の色を浮かべている。

 

「通過」

 

 パイロットのその言葉の直後には、これといった実感は湧かなかった。

 しかしながら、ポッドの覗き窓から垣間見た光景により、一葉は否が応でも状況の変化を実感させられる。

 

「これは……雷雲!?」

 

 晴れ渡っていたはずの空の青は消え、周囲を鉛色の分厚い雲に包囲されていた。薄闇の中で断続的に明滅する明かりは稲光の明かりだろう。

 荒れ狂う雷雲の真っ只中をガンシップは飛んでいた。

 

「席から離れないでください。揺れますよ」

 

 こんな時にも沈着冷静な女性の声。

 わざわざ言われずとも、座席に体を固定するベルトを外そうとする者など居なかった。

 窓から機外の様子を窺う余裕も無く、一葉たちは衝撃と振動に備えた。

 上下左右に激しく揺さぶられる。これが遊園地のアトラクションなら楽しめそうではあるが、残念ながら金属の内壁の外は地上何百メートルかも分からぬ空の上であった。

 

 時間にしたら、僅かなものであったろう。

 実際の時間よりもずっと長く感じられた空のアトラクションはだんだんと沈静化に向かっていく。

 機内の揺れが元の程度に戻りつつあった頃、一葉は除き窓に目を向けた。その先では鉛色の雲が消え、代わりに鮮やかな群青一色が広がっている。

 

「皆っ、外を見て!」

 

 機内無線から今度はメリーの声。

 一葉はポッド内に設けられた外部モニターのスイッチを入れ、機外の状況を探ろうとする。

 モニターに映し出されたのは真っ青な空間。その下方に絨毯の如く敷き詰められた真っ白な雲海。そして――――

 

「岩が、大地が浮かんでいる……」

 

 それは文字通りの()()だった。宙に浮遊する大岩や土の塊の上に、緑が広がり木々が生えて川が流れている。

 そのような浮島が一つだけでなく複数個。サイズは様々で、大きなものになると人が住めるどころか町すら興せそうだ。

 

「蓮子さん、これは……」

「ごめんなさい、私たちにもさっぱりよ。少なくとも過去に訪れたことは一度も無いはず」

 

 返ってきた答えを聞いて、一葉は次の方針を考える。

 

「取りあえず、手頃な浮島に着陸しましょうか?」

「可能ならば、お願いします」

「いつでも飛び立てる態勢にして降りますから、ご安心ください」

 

 一葉が方針を示すより先に、パイロットからの機内無線が望む回答をもたらしてくれた。

 そうしてガンシップはそこそこ大きな浮島の一つへ低速で近付くと、徐々に高度を落としていく。

 ランディングギアの車輪が上下に揺れたことで、兵員ポッド内の一葉たちは着陸の瞬間に気付くのだった。

 

「ねえねえ、早く降りようよー!」

「まだ駄目よ、藍ちゃん。外が安全かどうか確かめないとね」

 

 藍が座席に座ったまま手足をバタバタさせ、千香瑠がそれを窘める。

 待ち切れない気持ちは一葉にも理解できた。こんな状況でなければ、一葉とて御伽噺の如き未知の浮遊世界に胸を躍らせていただろう。

 

「私が見てくるから、藍はもうちょっと待ってて」

 

 ポッド内の片隅にある専用ロッカーから白一色の防護服を取り出すと、一葉はレギオン制服の上から自らの全身をすっぽりと包み込んだ。

 どこのガーデンも化学防護服は保有しているし、ガンシップにも大抵積まれているものだ。ヒュージとの戦いにおいて防疫は重要な要素だから。それがまさかこのような形で役に立つなど、中々思い至らないだろう。

 

 通常の出入口とは別の二重構造の密閉用ハッチから機外に出た一葉は暫くの間、専用の機器を用いて検査に当たっていた。

 検査は思いの外、順調に進んでいった。

 

「大気の組成、問題無し。放射線等の有害物質も許容範囲です。出てきても大丈夫ですよ」

 

 一葉が無線を入れると、ポッドのハッチが勢いよく開かれた。

 真っ先に飛び出した藍は辺りを駆け出し、その後、遅れて降りてきた瑤と千香瑠の元へ、防護服の頭部分を外した一葉が歩み寄る。

 

「空の上とは思えないほど、普通の場所だね」

「ええ。全く息苦しくもないわ。本当に別世界に来たのね」

「仰る通り。ですがそれだけではありません」

 

 二人の見ている前で一葉はチャーム――――ブルトガングからマギクリスタルコアを換装したドウジキリの切っ先で地面に小さく円を描いた。

 マギを込めて作った円は眩く青白い光を放つ。

 

「この辺り一帯、マギインテンシティが異常に高いんです。まるでそこいらをアルトラ級が闊歩しているかの如く。私たちのリリィとしての力も、ここでは想定以上のものを発揮できるでしょう」

 

 マギインテンシティ、即ち空間の滞留マギ濃度。

 ヒュージは体外にもマギを放出するため、より大型でより強力なヒュージの存在はそれだけマギの濃度を高める。

 滞留マギはリリィも活用することが出来るため、大型ヒュージの傍では平生以上の力が引き出されるというわけだ。

 

「地面が浮かんでるのも、マギ濃度と関係があるのかな?」

「恐らくは」

 

 一葉は瑤の言葉に頷いた。

 勿論、マギ濃度だけでこの光景を説明するのは難しいだろう。もしそうであるならば、一葉たちの元いた世界でも()()が無いとおかしいことになる。

 ただし全くの無関係とも考え難かった。

 

「ともかく、暫くこの場で様子を見て、それから探索に向かいましょう」

 

 そう言って一葉は周囲の空を見渡した。

 ()()はガンシップが着陸したここだけではないのだ。見える範囲だけでも他に三つ。その内の一つは明らかに島ではなく大陸と呼べそうなほど巨大であった。

 そしてリリィの跳躍力は、マギインテンシティの高い場所において限定的な飛行能力にまで昇華される。

 

「そうね。もうすぐ日が沈みそう。朝になってから動くべきだわ」

 

 いつの間にか赤く染まり始めた周りを見て千香瑠も同意した。

 空の上でも、別世界でも、当たり前のように朝と夜とが入れ替わるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~、一度ああいうの、やってみたかったんですよね」

「ああいうの?」

「雷雲の中を突っ切るの」

 

 夜。機内から出てきたパイロットがガンシップの近くで焚き火を焚く一葉のもとにやって来る。

 ヘルヴォルは翌朝に探索へと出発するまで、交代で番を務めていた。

 

「初めはどうなることかと思いましたが、ガンシップ一機がまるまる着陸しても、浮島がどうにかなる気配はない。GPSを除いて機体に異常も見られませんし、離陸も問題ないでしょう」

「そうですか。マギ濃度の件も含めて驚かされることばかりです」

 

 パイロットの女性、学生時代はアーセナルだったそうだ。このような状況下では頼りになる。

 

「あ、驚くと言えばもう一つ」

 

 機体の中から更にもう一人、毛布をカーディガン代わりに羽織った蓮子が出てきて会話に加わった。

 

「ここ、位置的には長野県のちょうど県央に当たるみたい」

「え……? どういうことですか?」

「調べたの」

「どうやって……?」

「あれっ? 言ってなかったっけ? 月を見たら今居る場所が特定できるのよ」

「聞いてませんね」

「ちなみに星を見たら時間が分かるわ。今は22時28分と15秒ね」

 

 蓮子は遥か真上で瞬いている天然の灯りを指差しながらそう言った。これもメリーと同様に異能の一種なのだろう。

 彼女たち秘封倶楽部は単なる外部協力者にしては、ガーデンである鹿野苑との繋がりが――――当人たちの言に反して――――強いように思えるが、その異能を鑑みれば納得がいくというものだ。

 

「まあ勿論、私たちの知る長野とは別物なんでしょうけど」

「ええ。本当に空の上にこのような大地が浮いていたら、たとえ視覚的に隠せても何かしら影響が出ないはずがないですからね」

 

 結界を隔てた異世界と一口に言っても、実態は中々複雑らしい。

 そもそも一葉たちリリィにとって結界といったら、普通はマギによる防御結界のことを指す。オカルトや宗教用語としての結界についてはそこまで造詣が無い。

 

「欲を言えば隅々まで探索してみたいところだけど……」

「約束通り、ガンシップから離れないでくださいよ」

「分かってる。ていうか、流石に他の浮島まで跳んでみようとは思わないわ。リリィじゃないんだし」

 

 蓮子は軽く笑いながら肩をすくめてみせた。

 これだけマギインテンシティが高い地ならばリリィでなくとも跳べそうではあるが、マギを操る訓練を受けていない人間では流石に危険だろう。

 

「でも、結界の境目は一応探しておくべきかもね。来るときにくぐったものはまだ閉じてないみたいだけれど、出口は複数確保しておいた方が安心でしょ?」

「いざとなったら、地上まで降りて探してみるのもありですよ。燃料も食料も目一杯積んできましたからね」

 

 蓮子もパイロットの女性も自分たちにできる事を考えている。

 パチパチと火の粉が散る焚き火の前に座ったまま、一葉もできる事とするべき事を改めて振り返っていた。

 

 

 



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第45話 寄るべき場所

 地上の俗世から隔絶された天上の世界、天界。

 そんな天界の一角、鬼が天人から勝ち取ったという土地に連れて来られた恋花は鬼に協力する少女と共に過ごしていた。

 想像を絶する周囲の環境。何せ空の上に浮かぶ島の一軒家である。

 ただそこまで酷く不便な生活を強いられているかと言うと、答えは否だ。

 最も懸念していた食事に関しては、全て用意してもらっていた。

 

「心配せずとも、食べ物を口に入れたからといって、ここから出られなくなったりはしませんよ。黄泉の国じゃあないのですから」

 

 主から恋花の世話を命じられたという魂魄妖夢なる少女。

 恋花は彼女と接する内に幾つか気付いたことがある。

 まず、料理が上手い。和食中心だが。他人に出して金を取れるレベルだと恋花は感じた。普段から主のために腕を振るっているし、宴会がある時もよく調理を担当しているらしい。

 また、当初の印象よりも気さくな人物だった。恋花は雑談がてら彼女から色々な話を耳にした。

 

「元々この土地を所有していた天人は、大層厄介な人物で。地震を起こしたり神社を倒壊させたり、あの時は本当に大変でした」

「へぇ~、そりゃ災難だねえ。天人ってそんな凄いことできるんだ。どんな人たち?」

「修行を積んだり何かしらの功績を認められて天界に住むようになった人間ですよ。不老長寿で身体頑健、天変地異を起こせたり。あの天人は特別変わり者だったようですが」

 

 はっきり言って、恋花には理解し難い内容も多々あったのだが、今はそういうものとして呑み込んでおく。

 

「しかしまあ、ここ天界が退屈で暇を持て余していたというのは分かります。私も主の命が無ければ来ていなかったでしょう」

「妖夢のご主人様って、地上に住んでるの?」

「いいえ、冥界ですね」

「めい、かい……?」

「死後の世界です」

「それって地獄のことなんじゃ」

「地獄は罪のある魂が堕ちる場所。冥界に居る霊は基本的に善良な者ばかりですよ。私の主はそこで霊たちの管理を司っているお嬢様なのです」

「お、おう……」

 

 恋花はまた頭がくらくらしてきそうになったので、本題に移ることにした。

 

「あの鬼っ子、何だってあたしをこんな所に連れ込んだんだろうね」

「さて? あの性格だから、派手に暴れられる舞台でやり合いたいんじゃないでしょうか」

「隔離されてるって言っても、他の所に住んでる天人が何か言ってくるんじゃない?」

「また酔っ払いが騒いでる、ぐらいにしか思わないかと」

「えぇー、謎の信頼感」

 

 恋花には、この妖夢という人物が普通の少女のように思えた。

 刀を二本も差しているし、白色半透明の人魂みたいな奇妙な物体を引き連れてはいるが、話してみると所帯染みつつもどこか暢気な女の子といった感じであった。

 

「子鬼の思惑はともかく、私の役目は貴方のお世話と貴方を結界の外へ帰さないことですけどね」

「あたしってば軟禁されてるわけー?」

 

 恋花はわざとおどけるように驚いてみせる。

 閉じ込められているも同然なのは状況的に明らかだが、はっきりと口に出して言われるとやはり身構えてしまうものだ。

 

「退屈と言えば退屈な場所ですが、考えようによってはそこまで悪くないかも。天界の桃を食べ続ければ貴方も不老長寿になれますよ。多分」

「不老か~。ちょっと悩む」

「なので下手な真似をせず、ここで大人しくしててくださいね。私が助かりますから」

 

 台詞に反して、妖夢からはどちらでもよさそうな雰囲気が感じられた。主には忠実でもこの仕事には乗り気でないのだろうか。

 

「う~ん、『ここに居て』か~。可愛い子のお願いだから揺らいじゃうけど。残念、もう少し大きくなってからだねー」

「おや、それは奇遇ですね。私もどちらかと言うと、さらさらロングヘアの女性が好みなので」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖夢と「帰る・帰らない」の問答を繰り広げた次の日の朝。恋花は寝床としている質素な木造家屋を出て浮島の外の大空を見つめていた。

 

(……やっぱりだ。ここ、マギ濃度が凄く高い。向こうの大きな浮島まで跳べるぐらいには)

 

 軽くマギを使ってジャンプしてみたり、防御結界を強化してみたり、一人色々と試した結果そのことに気が付いた。

 恋花の視線が下に向けられる。真っ白な雲海が途切れた更に下の方に、ぼんやりと山の頂のようなものが見えた。

 そのような常識外れに高い山、少なくとも恋花の元居た世界には存在しない。ならば、たとえ天界からそのまま地上に降りたとしても、元居た場所に帰ることは叶わないだろう。

 どうなるかなんて保証は無い。端的に言って、無謀な賭けだ。

 

(それでも、ここにずっと居たって何にもならない)

 

 ヘルヴォルを、仲間たちを誘い出すための餌としてジッと囚われの姫を演じるのは性に合わない。

 恋花は起動状態のチャームを抱えたまま、浮島の崖ぎわに向かって足を踏み出す。

 

「やっぱり出ていきますか」

 

 後方から声を掛けられて、くるりと振り返る。

 驚いても怒ってもいないその声の主は妖夢であった。

 

「あちゃ~、見つかっちゃった」

「ふむ……。しかし、天界にずっと居なくとも、わざわざ()()()()へ帰ることもないのでは?」

 

 妖夢の提案めいた言葉に、恋花は疑問の表情を浮かべる。

 

「結界の外と違ってこちら側にヒュージなんてものは存在しませんし、仮に流れてきたとしてもどうにかしてしまうでしょう」

 

 ここにヒュージは居ない。

 ということは、ここ天界の空気中に溢れているマギはマギとは似て非なる代物なのだろう。ヒュージの発生要件はマギだけではないので断言はできないが。

 

「まあ妖怪とか妖怪みたいな人間は居ますが、多少は戦えるみたいなので、貴方なら問題ありませんよ」

 

 その物言いが引っ掛かった恋花は幾分か逡巡した後、妖夢へ突っ込んだ質問をぶつけてみる。

 

「妖夢って、何者?」

「何者、とは?」

「ただの人間じゃないっぽいし、かと言って妖怪とも違う気がする。貴方は一体何者なの?」

 

 すると答える側は平然としたままで。

 

「人間でないのは貴方のお仲間も同じでしょう」

「……あの子は、人間だよ。これからも一緒に遊んだり色んなことしたり、色んなこと教えてやって」

 

 恋花は今も自分のことを捜しているであろう仲間たちの姿を思い描く。

 

「―――――だからここには居られない。あたしの居場所に、ヘルヴォルに帰らないと」

 

 相手の目を真っ直ぐに見据えてそう言い切った。

 すると妖夢の口は恋花を否定するでもなく説得するでもなく、「ふぅ」と小さく息を吐き出す。

 

「あの子鬼に義理立てする筋合いは無いのですが」

 

 子供らしいストラップシューズに包まれた右足を後ろに引くと、妖夢は腰に差した長い方の刀の柄に手を掛けた。

 

「主命により、お相手仕る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高いマギインテンシティはリリィの攻撃力・防御力のみならず、身体能力も強化する。それは脚力や跳躍力も含まれており、恋花はチャームを抱えて浮島の上を駆け回っていた。

 萃香所有の平屋が建つだけの小振りな浮島。とは言え、二人で追い掛けっこする分には十分な広さである。飛び出すようにその場から離れた恋花が島内の木々や岩壁を駆使して逃走を図る。

 この状況で浮島の外へ跳ぶのは躊躇われた。聞けば妖夢もここの住人も普通に空を飛べるらしい。空中で後ろから追い撃ちされては目も当てられない。

 

「あっぶなっ!」

 

 視界のすぐ横を球状の白光が掠め、恋花は反対方向に跳んだ。

 後方から放たれた光弾だった。

 後ろでは、刀を構えた妖夢が地面の土を蹴り付けながら猛追してくる。

 

「本当もう、何なのよ!」

 

 恋花は後ろを振り返らずに愚痴を吐く。

 普段の妖夢は、悪く言えば、どこか能天気な雰囲気のある女の子だった。

 ところが一度(ひとたび)剣を交えると決まった途端、彼女を取り巻く空気が変わった。

 殺気、いや剣気とでも表現するべきか。ピリピリと肌を刺す感覚が刀を構えた妖夢から発せられたのだ。

 達人と呼ばれる者は闘志を他人に悟らせないとよく言われるが、彼女の場合は正反対。さながら辻斬りの如くその意を剥き出しにして襲ってくる。

 恋花は左右を見回しながら、どうするべきか必死に頭を回転させる。

 

(さっきからピタリとあたしの後に付いてきてる。多分、その気になったらあっちの方が速い)

 

 恋花は一戦交える覚悟を決める。

 そうすると、次は場所だ。視界の中に背の低い桃の木が林立する光景が映り込むが、捨て置く。障害物の多い地形では武器の差から妖夢の方が有利になるだろう。

 恋花は前方に見えた小高い岩石の上に飛び乗った。天界の地にはどういう意図で切り出されたのかよく分からない岩があちこちに鎮座していた。

 岩の天辺に飛び乗って、振り向きざまにチャームで発砲する。

 しかし連続して放たれたレーザーは目標にニアミスすらせずに虚しく無人の地面を抉るだけ。

 恋花の正面から消えた妖夢は右側方から大きく回り込むと、瞬時に距離を詰め直して刀を振るう。

 

「っつう!」

 

 チャームのボディを盾に一太刀を弾くと、グリップを握る手に鈍い衝撃が走った。その勢いに押されるように恋花が別の大岩へと飛び退く。

 妖夢は着地する相手を見据えながら、半身の態勢で刀の切っ先を下方に下げる。

 

「ようやくその気になりましたか」

「黙ってやられるわけにはいかないでしょ。あたしが勝ったら、脱出方法とか教えてもらうからね」

「そういう姿勢、良いですね。互いに斬り結べば大抵のことは分かるというもの」

「んなわけあるか」

 

 二人、別々の岩の上で対峙する。

 不意に、後ろに引いていた妖夢の右足がキュッと岩肌を踏み締めた。

 身構える恋花だが、()()相手は動かない。その代わり刀を右手一本で握り直し、腰にあるもう一本の短い刀を左手で抜いた。

 短い方は脇差(サイドアーム)と思っていたが、どうやら違うらしい。

 太刀と小太刀の二刀流。二刀流を実戦で用いるのはそれだけで巧者の証であった。少なくとも恋花の世界では。

 腰を落として身を屈め、靴の裏で岩肌を蹴って今度こそ妖夢が動いた。

 恋花のブルンツヴィークはブレイドモード。距離を取り続けて射撃だけで片を付けるのは、相手の機動力を見て半ば諦めていた。

 チャームを振って妖夢の斬撃をいなす――――

 そのはずが、次の瞬間には大岩の上から転げ落ちていた。

 

「ぐっ!?」

 

 何とか下の地面で受け身を取って態勢を立て直す。

 それから初めて恋花は気が付いた。すれ違いざまの一太刀を浴びて叩き落とされたのだと。

 天界の高いマギインテンシティに防御結界を強化されていなければ、どうなっていたことか。

 

「今のを耐えるとは。峰打ちの必要は無いようですね」

「いやいや、峰で十分! 十分応えたから!」

 

 刀を返す妖夢を見て焦ったように声を上げる恋花。

 先程の一撃、太刀筋はおろか使い手の動作すら目で追えなかった。まるで瞬間移動だ。

 追い掛けっこをしていた際にはあのような動きは見せなかった。どうやら短距離限定で発揮できるものらしい。

 

(元々まともな剣の腕じゃあ、お話にならないって分かってたんだ。だったら……)

 

 恋花はブルンツヴィークを両手で抱えると、あろうことか自分から距離を詰めていった。

 妖夢も大岩から地面へ飛び降りて受けて立つ。

 袈裟懸けに振り下ろされた太刀をチャームの刃で受け止める。逆袈裟に振り上げられた小太刀もまたチャームのボディで防ぐ。

 そうしてそのまま間合いを空けずに肉迫する。体当たりでもしかねないほどに、文字通りの近接戦闘を挑んだ。

 

(取り回しの良さで劣るチャームがあの刀に勝ってるものは、機体のサイズと防御結界。趣味じゃないけど、無理くりいかせてもらうよ)

 

 多くのチャームにはリリィの防御結界を補助する機能がある。初心者向きとされるグングニルが特に顕著だが、ブルンツヴィークにも多少の補助機能が備わっていた。

 相手の得物に比して表面積の大きなチャームを盾代わりとする。刃による斬撃は二の次で、機体を前にかざして相手の妨害を優先に立ち回る。

 ブルンツヴィークに適した戦い方とはとても言えないけれど、敵がヒュージでないなら定石通りいかないのは当然だろう。

 幾度か二刀を振るって恋花の守りを崩そうとしていた妖夢が、出し抜けに大きく跳躍した。

 

「しまった、つい熱が入ってしまった……」

 

 あとを追って跳ぶか迷った恋花をよそに、妖夢は空中に静止して太刀の方を大きく振りかぶった。

 

「今度はこちらの土俵で参りますよ」

「土俵って、剣術じゃないの?」

 

 最初こそ当惑したものの、恋花はすぐに萃香から聞いた話を思い出す。彼女らの世界では()()を披露する決闘が主流となっているらしい。

 見上げる恋花の前で、銀剣が一閃。振り下ろされた刃の軌道に沿うような形で無数の光弾が一瞬の内に現出する。

 白光を放ちながら地上に降り注ぐ弾幕を、恋花は横にステップして躱す。

 するとお次は横薙ぎに太刀が払われて、左右一杯に弾幕が襲い掛かってきた。

 最低限の跳躍で第二派も回避した恋花はブルンツヴィークをシューティングモードに切り替える。機体下部から前に突き出ていた刃が後退し、機体中央の窪んだ箇所から光が迸る。

 地の上をジグザグに駆けてレーザーマシンガンの弾幕を張っていく恋花。空には上がらない。マギインテンシティが高ければ飛べはするものの、御三家以外の東京のリリィは本格的な空戦の機会は少なかった。高層建築物を足場に跳ね回ることは多いが。

 それに比べて妖夢は瞬く間に高度を上げたり、中空にヘリの如く安定して静止したり、明らかに空戦慣れしているようだった。

 相手の戦場に付き合う必要は無い。恋花は点在する大岩の間を縫うように走り、それらを盾にしつつ反撃していく。

 

(いつもよりマギの消耗がずっと遅い。マギインテンシティが高いせいか。長期戦はできそうだけど……)

 

 被弾した大岩からパラパラと飛び散った石片を頭に浴びながら、恋花は次の手を探る。

 だが障害物を飛び出して何かしら動きを見せれば、空中の妖夢からは丸分かりだろう。

 結局、決め手に欠けるのは恋花も同じであった。

 そんな思考の最中、恋花は空中の光景にふと違和感を覚えた。

 

「…………?」

 

 常に妖夢の傍に付いて回っていた人魂らしき物体がいつの間にか消えていた。

 その直後、勘の為せる業だろうか、恋花はすぐさまその場から弾かれるように跳んだ。

 するとついさっきまで恋花が身を寄せていた大岩に、一瞬で亀裂が走る。

 刀だ。刀による斬撃だ。逃げるのが遅れていたなら岩の代わりに恋花が浴びていただろう。

 地上で岩を切り裂いた者は、妖夢。空中で弾幕をばら撒き続けているのも妖夢。

 

「びっくりしたー。へぇ、侍じゃなくて忍者だったとはね」

「それは分身じゃないですよ。半霊、私の半身」

 

 動揺を隠して軽口を叩くと、妖夢は当然のように種を明かす。

 初め恋花はユーバーザインでも仕掛けられたのかと思った。

 レアスキルみたいに、あるいはレアスキル以上に奇怪な能力がここにはごろごろしているのだと改めて思い知った。

 恋花の心境を尻目に地上の妖夢、否、半霊はボウッと揺らめいた後、元の幽霊の姿へと戻った。

 半霊はすぐに半身の元に帰らず、自らの体を弾幕の一つとして恋花を襲う。

 シューティングモードのまま前にかざされたブルンツヴィークに弾かれて軌道を逸らされる半霊だが、そのまま恋花の遠巻きを旋回して襲撃の機を窺い出した。

 無論、そうしている間にも上空からの爆撃は続く。

 直線的だが広範囲に間断なく降り注ぐ白色弾が周囲の岩を削っていき、一つ所に留まることを恋花に許さない。

 恋花は本来、一対一のデュエルは得意な方ではなかった。フェイズトランセンデンスを使えば別だが、このレアスキルは体内のマギを一気に放出して一時的に枯渇状態となってしまう。先行き不明な状況で使用するのはいよいよ最後の手段である。

 完全に抑え込まれた。

 ところが突然弾幕の雨が止み、半霊は恋花から離れて妖夢のもとへと戻っていく。

 

「今度は何?」

 

 頭上を見上げて訝しむ恋花をよそに、空の上から刀身を鞘に納める金属音が鳴る。

 

「私の役目はこれまでみたい。残念だけど、時間切れ」

 

 そう言って空中でくるりと向きを変えると、妖夢は何処かに向けて飛び去っていく。

 急な変わり身に当然恋花は困惑する。

 

「あっ、ちょっと待って! どこ行くのよ!」

 

 反応は無く、徐々に小さくなる背中。

 

「勝手に帰ろっかなー!」

 

 呼び掛ける声も虚しく響くだけ。

 やがて本当に一人取り残された。

 

「出口聞けてない……」

 

 元々、妖夢がやって来る前は自力で地上に降りようとしていたのだ。今こそ再開すべきなのだが、やはり釈然としないものはしない。

 その場に休息も兼ねて座り込む。

 理不尽に対する怒りも通り越してぼんやりしていると、耳元に何やらノイズが走る。念のため付けていた通信機が反応したのだ。

 恋花は呆けて頭を瞬時に切り替え聴覚に集中する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――――さまっ! ――――――恋花様!」

 

 妙に懐かしく聞こえる声だった。

 

 

 



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第46話 鬼退治

「ええっ!? じゃあ本当にここまで飛んできたわけ!?」

 

 空に漂う浮島の上、合流した恋花は一葉たちに驚きの目を向けた。

 

「ガンシップで動き回るのは流石に目立ち過ぎるので、置いて来ました」

「そっか。まあ、あたしも自力で降りようと思ってたんだけど。ほら、あっちの方にチラっと見えるやけに高い山」

 

 恋花の指差す方を見た一葉は頭を抱える。

 天に向かって突き出た常識外れの頂。ただの山であるはずがない。

 

「よかった。恋花が早まる前に間に合って」

「そうですね瑤様」

「何よー、二人とも人のこと何だと思ってんの?」

 

 一葉と瑤が目を合わせて頷き合うと、恋花は不満そうに口を尖らせた。

 

「ねえねえ、恋花はここに居たの? ここなーに? 何があるの?」

 

 藍が横から恋花の右腕を引っ張っている。

 ここに来る前、最初に着陸した浮島には自然の緑が溢れている以外、特に目ぼしいものが無かったため藍の期待が外れていたのだ。

 

「ここはねえ、悪鬼の根城だけあって、人を食らう恐ろしい怪物があちこち徘徊して……ってわけもなく、普通に家が一軒建ってるだけだったね」

「ふーん、そっかー」

「ちょこっと揉めたりはしたけど」

 

 気を落とす藍。

 しかし残念ながら、どちらにしてもこの世界をこれ以上冒険してはいられない。

 

「恋花さんを見つけるまで誰にも会わず妨害も受けなかったけど、早めに脱出した方がいいわ」

「同感です。長居は無用。着陸地点へ戻りましょう」

 

 千香瑠の言うように、ガンシップで派手に乗り付けておいて何も無いというのは不自然だ。

 一葉が先頭に立って元来た方向、浮島の崖際へ歩き出す。

 

「ひょっとして、あっちじゃ結構大事になったりしてる?」

「それはそうですよ。作戦行動中のリリィが拉致されたんですから」

「マジか……」

「大マジです。ちなみに鹿野苑を通して秘封俱楽部の蓮子さんとメリーさんにも同行頂いてます」

「あー、そうなんだ。あとで埋め合わせしておこう」

 

 一葉は恋花と現状について話しながらも足早に進んでいく。

 恋花が仕入れた情報によると、ここは天界と呼ばれる地であり、住人は皆ここから離れた一際大きな浮島に居住している。彼らは基本的にこの一連の騒ぎに不干渉とのことだ。

 ただ勿論、元凶である鬼が一葉たちヘルヴォルを放っておくはずがない。わざわざ誘拐なんて至極回りくどい真似をしたのだから。

 

 そして案の定、嫌な予感は的中する。

 足元が揺れた。

 重たい地響きが唸りを上げた。

 天に浮かぶこの島でただの地震など起きようもない。

 足を止めて全周にチャームを向けるヘルヴォルの前に、小さなシルエットが現れた。

 大岩を段状に幾つも積み重ねた意図不明な岩の塔。その天辺に立ち地上の一葉たちを見下ろしていた。

 地上三階建て程度の高さから飛び降りた萃香がヘルヴォルの方に向き直る。

 着地の瞬間、地震が起きたりとか地面が抉れたりとか、そういうことは起こらなかった。さっきの地響きは何だったのかと不思議に思う一葉だが、主題ではないので口には出さない。

 

「フフフフフ、役者が揃ったみたいだな」

 

 悪びれた様子も無く不敵な笑みと共に五人の前に立つ。

 チャームの柄を握る一葉の手に力が入る。

 

「あ~、あたしはこのまま帰りたい気分なんだけど」

「そう言うなよ。そんな物まで持ち出してきて、これで済むなんて思っちゃいないだろ?」

 

 乾いた笑みで出された恋花の提案はあっさりと却下された。

 萃香の視線の先にあるのは一葉のチャーム、マギクリスタルコアを搭載した刀。

 

「貴方の力に対抗するためのものです。恥ずかしながら、以前の私たちでは相手にもならなかった」

 

 一葉がそう答える。

 ある程度の力が無ければまともに話もできないだろう。妖怪とはそういうものだと分かってきた。

 

「ですが、刃を交えずに済むならそうしたい」

「フフッ、ここまで来てまだ言うか。ある意味期待通りだな、相澤一葉。いや、ヘルヴォル」

「まともな交渉が出来ずただ人を傷付けるばかりの性質をヒュージと見做すなら、これまでの怪異はともかく貴方がそうだとは思えないのです」

「だから、共存したいと言いたいわけか」

 

 萃香は「ふーん」と何事か考え込んだ後、唐突に話題を変えてくる。

 

「そっち側の一部の連中がこっち側の存在について伏せていたのは正解だったな」

 

 何が言いたいのか、一葉には察しがついた。シエルリントや鹿野苑のことを指しているのだろう。

 

「考えてもみろ。際限なく沸き出すデカブツどもと命懸けで戦っている一方で、大地が宙に浮かんだり暇を持て余して決闘やってる連中がいたり、そんな世界があると知ったらどう思う? 馬鹿馬鹿しくもなるだろう。全て投げ出したくもなるだろう。そういう意味でも、そっちとこっちは相容れるべきではないのさ」

 

 萃香の言うことは分かる。理解もできる。

 しかし理解はできるが、一葉は同意しなかった。

 

「私はそうは思いません。私たちの戦いが馬鹿馬鹿しく無駄であるなどとは。互いに住んでる場所が違うのなら、事情も違ってくるでしょう。自他を線引きして、それが不和や対立ばかり産むとは思いません」

 

 思うところがあっても、乗り越えることはできる。

 そんな一葉の主張に萃香は目を細める。

 

「あぁ、眩しいな。眩しい。何度足蹴にされても折れずに立ち上がり這い上がってくる。お前たちを選んだ甲斐があったよ」

 

 大江山で出会い、怪異を討つための技と道を教わり、時には直接助けられることもあった。

 

「そんなお前たちだからこそ、この儀式を担うに相応しい。嬉しいよ。私は嬉しい」

 

 言葉の通り、心底から待ち望んでいたかのような声と仕草。

 やはり妖怪の価値観を完全に理解することはできない。

 ただ彼女がヘルヴォルとの戦いを欲しているのだけは十二分に理解できた。

 

「人を食らう妖怪は、お前たちの敵だ。全力を出せ。お前たちの世界と信念のために」

 

 再び彼女らの立つ大地が揺れ出した。それはさながら人知を超えた存在の武者震いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く続いた揺れは、何か甚大な災禍をもたらすこともなく徐々に収まっていく。

 完全に揺れが収まると、萃香が動いた。最初の数歩だけ見せつけるかの如く緩慢な動作で、しかしそれ以後は思い切り地を踏み締めて弾かれたように飛び掛かる。

 標的は一葉だった。ヘルヴォルの中心に立つ一葉へ直線軌道で萃香が迫る。

 一葉はチャームを鞘から抜いて構えていた。

 

 本物の日本刀をチャームへと改造した『ドウジキリ』は、射撃兵装も変形機構を持たない単機能の第一世代型チャームだ。

 文部科学省の依頼により国産チャームメイカーの天津重工が改造を手掛けて、鹿野苑高等女学園が保有していた。

 過去の実戦テストによりチャームとしてヒュージに通用するのは証明済み。

 しかしながら、貴重な文化財を素材として供する割りに想定したような性能を発揮しなかったため、以降は類似の試みが為されることは無かった。

 

 萃香の突撃に対し、一葉は刀を真横に薙ぐ。

 瞬間、激しい衝撃に刀身が戦慄き、目の眩む閃光が眼前に迸る。

 衝撃に負けじと込めた力のせいでたたらを踏む一葉だが、萃香の突貫を見事に弾き飛ばした。

 

「フッ、フフフッ」

 

 空中で身を翻し距離を置いて着地した萃香は笑みを零すと、お次は鎖付きの分銅を三つ同時に投擲する。

 球体と三角錐と立方体を模った鉄塊が一斉に一葉を襲う。

 しかしドウジキリを正眼に構え直したところで、横合いから割って入ってきた小さな影が分銅を三つとも弾き飛ばすのだった。

 大型チャーム『モンドラゴン』を携えて一葉の前に颯爽と躍り出たのは藍だ。

 

「援護っ!」

 

 藍が対峙する相手へ駆け出すや否や、一葉の指示が飛ぶ。

 すると射撃兵装を持たないドウジキリを除いた三機のチャームが牽制の火箭を奔らせる。

 レーザーと実体弾が飛び交う中、肉迫した藍が巨大な鈍器を振り下ろした。

 並の存在ならば当たれば一溜まりもないであろう一撃を、真後ろへ大きく飛び退き避ける萃香。

 

「恋花に酷いことしたね。許さないよ!」

「ほーっ。許さなかったら、どうするんだ?」

 

 試すような口振りの萃香に対して藍は強い眼差しを向ける。その場でモンドラゴンを握り直す。

 

「こうする!」

 

 両の手でしっかりと握り込んだモンドラゴンを大きく振り回し始めた。

 大きな円を描いて回転する鉄塊は低音を唸らせ風を切り、段々と速度を増していく。 

 この地に来る前、藍が特訓していた必殺技。だがそれは一葉が想定していたものとは異なる様相を呈していた。

 

「これは……この世界のマギのせい?」

 

 本来なら、チャームをより強力に投擲するための技。

 ところが投擲せず振り回している内に、藍と彼女のモンドラゴンを中心に大気が渦を巻き始めたのだ。

 そうして生まれた小さな竜巻が萃香へと躍り掛かった。

 心底驚いたのか両目を大きく開いた萃香は竜巻に飲み込まれ、あっという間に空高くへと舞い上げられる。彼女のみならず、目の当たりにした藍以外の誰もが唖然とする。

 鉛玉や鋼の刃など形あるものはともかく、強風からはたとえ霧と化しても逃れられない。

 雲よりも高い天上の世界で、更にその上空に至った萃香が下方に向けて赤い弾幕を繰り出す。

 弾幕の赤は炎の赤だった。燃え盛る火球が降り注ぐ様は隕石の落下の如し。

 ヘルヴォルは密接気味だった陣形を散開させて弾幕の隕石群をやり過ごす。

 火球がそこいらの地面に落着して火柱を上げる中、一つだけ炎とは異なるものが落ちてきた。弾幕を繰り出した本人だ。

 浮島をかち割らんばかりの勢いで落ちてきた先は、恋花のすぐ前。

 濛々と立ち込める砂埃の奥からヌッと伸びた手が恋花に迫る。

 

「もうやらせない」

 

 しかし萃香の右手は恋花を捉えず、右方から盾となった瑤のクリューサーオールを掴んだ。

 

「覚悟……っ!」

 

 更に萃香の左手が、左方から千香瑠によって突き出されたゲイボルグの刃を受け止めた。

 

「今までのお返し!」

 

 そこへ恋花のブルンツヴィークが発砲。真正面の近距離から放たれたレーザーは両手が塞がり無防備な鬼の少女へ突き刺さる。

 幾条かの光線をまともに浴びた萃香は口の端から黒煙を吐きながらも、左右の手に掴んだチャームを持ち主ごと放り投げた。

 瑤は恋花にぶつけ、千香瑠は明後日の方向へ投げ飛ばして追い打ちの火球を放る。

 そんな萃香の背中から今度は藍がシューティングモードの砲撃を加え始めた。

 狙いの甘い藍では決定打には至らず、着弾による爆煙と土煙が目くらましになるぐらい。

 しかし、目くらましで十分だった。

 剣の間合いまで詰めた一葉の刃が袈裟斬りを見舞う。

 キンッ、と甲高い金属音。

 見れば、これまで投擲武器として用いていた鎖を自らの両腕に巻き付けて即席の防護手段とした萃香が居た。

 以降、一対一の熾烈な剣戟が展開する。

 体格と得物の長さから、リーチは一葉が上。身体能力は萃香に分がある。

 だがドウジキリの一太刀一太刀に打ち据えられる度、鎖は酷く傷付き摩耗していく。頑強な本来の見た目から掛け離れた鉄屑同然の姿に変わり果てるのに、時間はそう掛からなかった。

 

「あぁ、こんなのは何時(いつ)以来だ。この首が、今まさに切り落とされようとしている」

 

 火花散る剣戟の最中、萃香から漏れ出た声は興奮とも陶酔とも取れるものだった。

 一方で一葉の中では熱い想いと冷たい諦観が入り混じっていった。

 そんな中、萃香が至近距離での打ち合いを突然中止して後方へ大きく間合いを取る。

 

「非常に名残惜しいが、胸躍る時間はいつまでも続かない。そろそろケリをつけようか」

 

 そう言って萃香は自身の腹の前で両の掌を上下に重ね合わせた。すると手の中の小さな空間に黒い球体が現れる。

 握り拳サイズの球体は少しずつ膨らんでいき、初見の一葉に異様さと危機感を覚えさせた。

 

「あれを撃たせては駄目!」

 

 千香瑠の鬼気迫る警告を耳にして、一葉は弾かれたように前へと飛び出した。

 一葉の肉迫を援護するべく横合いからゲイボルグが飛来する。投擲を想定した槍型チャームはマギの助けを借りて、大気を貫く威勢で鬼へと向かう。機体色の黒とマギの光が合わさり、軌道上に黒色の稲光となって瞬いた。

 魔槍と交差する寸前、萃香はその場で首を軽く振る。

 すると大質量の物体同士が激突するかの如き衝撃音を上げ、頭部から屹立する鬼の角がゲイボルグを弾き逸らしてしまう。

 その直後、同じ方向からもう一条の光が奔った。

 光は萃香の脇腹に深々と突き刺さった。

 表情一つ変えず、しかし彼女の小さな体はぐらりとよろける。

 光を放っていたのは、千香瑠が実家から取り寄せたというお祓い棒だった。

 

「はっあぁぁぁぁぁ!」

 

 再度間合いを詰めた一葉による上段からの斬撃。

 萃香は黒色の球体を右手一本で掴み直し、ドウジキリの刃に向けて突き出した。

 こぶし大のサイズから数倍に膨れ上がった黒球。一葉は間近に来て初めてその正体に気が付いた。頭では信じられなくとも、直感がそう判断した。

 

(……ブラックホール)

 

 極小の重力異常。

 そこへドウジキリが振り下ろされる。

 黒球と交差した刀身は触れた先から暗黒の空間に飲み込まれていく。

 この瞬間、時が止まったかのようだった。

 世界がゆっくりと、スローモーションで流れていた。

 刀の柄を握ったまま離さない一葉の眼前に虚無の黒が広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗黒を越えて、鬼殺しの剣が奔る。

 上下に両断された黒球。その後ろの萃香は肩口から斬られ、鼻先の距離まで接近した一葉と視線を合わせて満足そうに目尻を緩めた。

 

「すい――――」

 

 名を口にしようとした一葉の目の前で黒球が爆発した。

 炎が四方八方へと飛び散り、遅れて立ち込めてきた煙に巻かれる。

 マギの結界と両腕で頭部を庇った一葉が辺りを見回すと、地面の上に落ちているのは自分自身だけだった。

 耳鳴りがする。

 その耳鳴りが治まり始めた時、近付いてくる仲間たちの呼び声で一葉は()()()()ことを知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルヴォルはガンシップの駐機場となった小島まで戻ってきていた。

 ここから更に結界を越える道程があるのだが、すぐには発たない。

 まず今でも結界の境目が健在か確かめるため、機内に積んでいた偵察用ドローンを飛ばしてそこから送られてくる映像をメリーに見てもらう。

 退路の確認が済むまでヘルヴォルはガンシップの周囲に展開して警戒することにした。

 もっとも、ここにきて他の何者かの襲撃がある可能性など一葉も低いと見ていたが。

 

「…………」

 

 崖ぎわに立ち、襲撃者はおろか鳥さえ見えない空に臨む一葉。

 手にするチャームはドウジキリからマギクリスタルコアを換装したブルトガング。元に戻った形である。

 

「…………」

 

 取り立てて変化が無いため、無言が続く。

 雲海よりも上に位置する天界の空は、憎たらしく思えるほどに晴れやかだった。

 

「よっと」

 

 軽い掛け声と共に恋花が一葉の隣に座り込んだ。後ろから歩いて来ていたのだ。

 

「真面目だね~。何も来たりしないってば」

「恋花様……」

 

 恋花がすぐ横の地面をポンポンと叩いたので、幾分迷った後に一葉は視線だけは空から離さずにゆっくりと腰を下ろす。

 

「あれだけ大騒ぎしたのに、本当に誰も飛んで来ないね。平和、いや平和なのか? こんなのが日常茶飯事なんて」

 

 沈黙する一葉を横目に、恋花はこの世界やこの世界の住民について()()()()()の如く言及していく。それは愚痴ではあったが、自身を攫った件への怒りや恨み節には聞こえなかった。

 

「でもまあこれで最後って思ったら、少しは名残惜しいかな。色々ぶっ飛んでて面白いし。だって空中都市でしょ? 空中庭園とか目じゃないじゃーん。ちょこっとだけ観光でもしていく?」

 

 冗談交じりにそう言ってニカッと笑い掛けてくる。

 普通はここまで気を遣われたら、申し訳なさで決まりが悪くなるものだ。

 しかしそれが恋花の場合、そのような負い目はあまり感じなかった。恋花の持つ気質の為せる業か、あるいは彼女に向ける一葉の感情によるものか。

 ともあれ、一葉は不必要に気負うことなく今現在の内面を露わにしようと口を開く。

 

「萃香さんを斬りました」

「うん」

「共に戦った仲間だったのに……。私は、仲間だと思っていたのに……」

「うん」

「斬った感触がはっきりと分かりました。今でも、この手が覚えています」

「うん……」

 

 できるだけ感情を抑えて冷静に振舞おうと努める一葉に対し、恋花は肩を寄せて静かに相槌を打つ。

 

「あれで良かったと、ああするべきだったと、頭では分かっているんです。だけどっ」

 

 一葉は自身の手でこぶしを強く握る。

 

「だけど、それでも手が震えてくるのは、本当は間違っているせいなんでしょうか?」

 

 口に出した次の瞬間、一葉は早くも後悔していた。こんな問いを投げ掛けても困らせるだけだろう、と。

 

「間違ってるのか正しいのか、あたしにはどっちとも言えないけどさ」

 

 ところが恋花はそんな一葉の腕を横から引っ張る。

 引っ張られた一葉も初めはビクリと体を揺らせて抵抗しそうになるものの、すぐに為されるがまま頭を恋花の胸元に抱き寄せられた。

 

「でも一葉や皆が来てくれたから、あたしは助かった。助かったんだよ。それだけじゃ……足りない?」

 

 頭上からそう問われると、一葉は顔を恋花に埋めた状態で首を左右に振る。

 他の誰かに許されるよりも、行ないを認められて称えられるよりも、ずっとずっと意味のあることだった。

 

 

 



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最終話 幕引き

 京都市内。

 一行は結界の向こう側から無事に帰還した。

 協力者として同行してくれた秘封倶楽部を、ヘルヴォルが京の街まで送り届けているところであった。

 

「さて、今回で空からの結界越えを実証できたわけだけど。次は海からか。神戸にでも行ってみる?」

「蓮子、その前に鹿野苑に提出するレポート書かないと」

「分かってる分かってる。でも夢美先生やちゆり先輩が知ったら悔しがるでしょうねえ」

 

 結界越え常連の不良サークルでも流石に天空の世界は新鮮だったのか、二人とも満ち足りた様子である。

 彼女らは何かに直接襲われたわけではない。が、たとえ襲われていたとしても似たような反応をするであろう。この御時世に野外へ出歩きフィールドワークに勤しむには、そのぐらいでなければ務まらない。

 

「結界探索も程々にしてくださいね? 妖怪にもヒュージにもそれ以外にも、色々居ますから」

 

 忘れず釘を刺しておく千香瑠。

 ガーデンの後ろ盾があるとはいえ、彼女らの活動は京都周辺に止まらないようだ。

 

「今度東京に来たら、うちに寄ってよね。埋め合わせに案内ぐらいするからさ」

 

 恋花はあっけらかんといった調子で見送る。

 これまでの京都行でもそうだが、彼女のコミュ力と交友関係はどこに行っても重宝しそうである。

 

「ほら藍、挨拶しないと」

「バイバイ、またね」

 

 瑤に促された藍は服の袖に包まれた右手を左右に振った。

 するとそこへ、メリーが腰を屈めて目線を合わせてくる。

 

「ねえ藍ちゃん、もうちょっと京都で遊んでいかない?」

「えーっ? やだ。帰る」

「京都には美味しいお菓子がまだまだ沢山あるわよ」

「う~~~っ…………やだっ。帰る」

「あら、残念」

 

 お誘いを断られて眉尻を下げるメリー。その傍らで肩をすくめる蓮子。

 彼女たちとも、一応のお別れの時が近い。

 

「蓮子さんメリーさん、ありがとうございました。あなた方のご協力が無ければ、どうなっていたことか」

「私たちのこと含めて筋書き通りって気がしないでもないけど……。でも、どういたしまして。秘封倶楽部としても、また一つ結界の謎に迫れたから有意義だったわ」

 

 真っ直ぐな感謝の言葉と共に頭を下げる一葉に対し、蓮子は若干視線を彷徨わせた後に応じた。

 そうして秘封俱楽部は京の喧騒に向けて去っていく。後ろを振り返らず前へと進んでいく様は、また次の活動に向かってひた走るようであった。

 暫く二人の背中を見送った後、ヘルヴォルも動き出す。

 

「それじゃあ、あたしたちも帰りますか!」

 

 音頭を取ったのは恋花だ。

 彼女がちゃんとこの場に居るからこそ、帰るという言葉の意味も()()()()であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガーデンへの報告とそれに対する聴取を終えて、一葉がヘルヴォルの控室に到着したのは夜の帳がすっかり下りた頃だった。

 聴取はメンバーそれぞれ別個に行なわれた。事の重要性を鑑みれば当然の処置だろう。一番長引いたのは、やはり隊長である一葉である。

 その一葉が扉の前に立ってすぐ、控室に違和感を覚えた。入口のロックが開いており、中の灯りも灯ったままだったのだ。

 本日はもう解散済みのはずなのだが。

 

「……先に帰ってもらって良かったのに」

 

 リビングのソファに脚を組んで座っている恋花を見つけて声を掛ける。

 すると恋花はソファの横まで歩いて来た一葉へ首だけ回して目を合わせてきた。

 

「どうだった? 教導官から絞られた?」

「別に絞られてはいませんよ」

「そっかー」

 

 エレンスゲのリリィを攫った鬼を撃破して全員生還した。ガーデンからしたら十分な作戦結果と言えるだろう。

 無論、恋花とてそんなことは分かっているはずなので、いつもの単なる軽口に違いない。

 

「これで結界が補強されて本当に怪異が出なくなるのなら、その分だけ桜ノ杜や鹿野苑のリソースが対ヒュージに回されるので、リリィ全体としても十分得る物があったと思います」

「うんうん、それはいいことだ。いいことなんだけどさあ……。ヘルヴォルからしたら、あたしが戻ってきただけだからプラマイゼロなんだよね」

「十分です。それに見返りを求めてのことではありませんし」

「う~ん……でもやっぱり、ちょっとぐらい報いがあってもバチは当たらなくない?」

 

 奥歯に物が挟まったかのような微妙な言い回しに一葉は首を傾げた。

 すると恋花が急に立ち上がってソファの隣に立つ一葉と同じ高さ――身長が幾分か低いので全く同じではないが――に並ぶ。

 次の瞬間、ふにっとした柔らかい感触。

 自身の頬っぺたから恋花の顔が離れていくところを目にして、一葉は何が起こったかのか把握した。

 

「助けてくれたお礼」

「れっ、恋花様!?」

「どう? 見返りがあって良かったでしょ~」

 

 悪戯が成功した子供のように笑う恋花だが、視線は一葉からずらしているし、顔はほんのり紅潮していた。

 

「恋花様……」

「いや~、滅私奉公の精神ばかりじゃねえ。ご褒美ぐらいあった方がモチベも上がるじゃんか。ま、今回は特に頑張ってくれたということで」

「恋花様、お礼が頬に接吻というのは、些か子供だましではないでしょうか?」

「は?」

「頬以外に所望します!」

「何だこいつ、急に図々しいぞ!」

 

 堂々たる一葉の要求に、恋花は口と目を丸く開けた。

 

「いやいやいや、えぇ……」

「恋花様!」

「なっ、何よ。一葉ってばそんなにあたしとチューしたいわけ?」

「はい!」

「おおぅ……」

 

 恋花は視線をあちこちへずらして挙動不審を隠せないでいる。

 頬以外のどこか、というのはお互いわざわざ明言しない。それは野暮というものだ。

 

「恋花様!」

「んっ、んんーーーっ、でもなあ……」

「恋花様……」

「分かった、分かったから! そんな構って欲しそうな犬みたいな顔で見つめんな!」

 

 押しに押した結果、遂に折れた。

 一旦一葉から少しだけ距離を取った後、恋花は軽く咳払いをする。

 

「じゃあ、目、閉じて」

「もう閉じてます」

「早いな!」

 

 視覚からの外部情報が途絶え、聴覚と嗅覚頼りで一葉はその場に立つ。

 そこへ触覚が加わった。右手首を軽く掴まれたようだ。

 それからやや間が空く。

 鼻腔から空気が流れる呼吸音のみが聞こえてくる。

 やがて一葉の口にそっと触れるような感触がした。唇の先端が軽く押されて僅かに形が変わり、すぐまた元へと戻る。

 だが期待していたものとは微妙に違った触感に、一葉は目蓋を上げた。

 すると目の前では、恋花が右手の中指と親指を重ね合わせてキツネのシルエットを模っていた。

 

「んっふっふ~、残念でした~。あたしとチューしようだなんて、一年早いっ!」

 

 キツネにつままれたような面持ちの一葉を見てニヤリと笑い、恋花がくるりと背中を向けてきた。

 しかしその直後、一葉の手に肩を掴まれて無造作に振り向いた。

 一葉はすかさず前へ進み出て屈み込む。

 

「もーっ、なに――――」

 

 恋花の抗議は最後まで言葉にならず、一葉の口の中へと消えていった。

 数秒の間、時が停止する。

 その後、息継ぎのために水中から脱する溺者の如く両者の顔が離れた。

 

「ぷはっ! ちょ、ちょっとぉ……」

「恋花様が悪いんですよ? あんな風に焦らすから」

「別に、焦らしてなんてっ」

 

 尻すぼみになる否定の言を遮る形で、一葉はもう一度口付けする。今度は両腕を背中に回してがっちりと抱き締めて。

 

「んふっ、んぅっ……」

 

 密着してきた体を押し戻そうと恋花が両の手の平で力を加えてくるが、その内勢いを失ってただ一葉の胸に添えるだけとなる。

 最初は白黒していた恋花の目もやがて目蓋を下ろし、また暫くして勢い良く開く。と同時に、とろけて一つにならんばかりの唇も「チュッ」と短く水音を鳴らしながら別たれた。

 

「んはぁ、はぁ、はっ…………はい、お終い! お終い!」

「……そう、ですね。もうそろそろ休まないと、明日に障りますね」

 

 程度の差はあれ互いに息を荒げつつ、取り繕うかのように締め括る。

 実際、明日は訓練や待機任務の予定こそ無いものの、座学の講義には出ることになっていた。

 

「はい解散解散!」

「分かりました。控室(ここ)の戸締まりはしておきますから」

「うん、じゃあまたね」

 

 一葉は最後の最後に、もう一度だけ恋花に顔を寄せる。

 

「続きはまた、恋花様のお部屋ということで」

「~~~~~~っ!?!?!?」

 

 百面相みたいになる恋花を見てくすりと笑む一葉。

 今夜はよく眠れそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い長い石造りの階段がある。薄らと雪が積もったその階段は途方も無く上へ上へと伸びており、変化に乏しい周りの光景と相まって、空の上まで繋がっていると錯覚するほどだった。

 だが実際には天まで届くよりも前に終点が設けられている。

 銀髪ショートで緑衣の少女――魂魄妖夢は空中を飛んでその終点に辿り着いた。

 石段部分の雪に足跡が見られないのは、そういう理由である。ここまで来る者たちは皆、妖夢みたいに飛んだり浮遊したりしてやって来るからだ。もっとも、花見のシーズンには風情を求めて地に足を着けることもあるが。

 石段の頂上に達した妖夢の前に、立派な塀に囲まれた広大な和風建築のお屋敷がそびえ立っていた。

 妖夢は躊躇うことなく門をくぐり、正面から屋敷の中へと入っていく。それもそのはず。ここは彼女が普段から暮らしている、彼女の主君のお屋敷なのだから。

 玄関から長い廊下を経て、妖夢はある部屋の襖を開く。そこは中庭に面した居間だった。

 

「ただいま戻りました。昼餉の支度をしてきます」

 

 時節柄ゆえに花を散らした大木を縁側の向こうに臨むその部屋に、妖夢の主は居た。

 襦袢にも死装束にも見えるデザインで、しかし明るい色合いやフリルをあしらった奇妙なバランスの衣装。纏うのは妖夢よりも幾分か年上に見える少女だ。新雪のような肌に桜色のミディアムヘアがよく映えている。

 ところがこの主、畳の上で膝を崩して座ったままうつらうつらと船を漕いでいた。

 代わりに、彼女の膝を枕に寝そべっていた金色のロングヘアが妖夢の方に向き直る。

 

「あら、お帰りなさい。お使いご苦労様」

(ゆかり)様、いらしてたのですか。では多めに作りますね」

「悪いわねえ」

「まあ誤差の範囲ですから」

 

 紫のドレスに身を包んだその客人は少女と称するにはやや大人びた風貌で、ともすれば見る者へ本能的な圧を感じさせるほどに整った容姿であった。もっとも今この時に限っては、膝枕という構図が台無しにしていたが。

 

「おーい、私にも酒をくれよぅ」

 

 中庭の方からまた別の声がする。

 風光明媚な庭石や庭木が絵画の如き光景を現出する中で、薄ら白い霧が不自然に漂っていた。

 妖夢は霧に対して当たり前のように話し掛ける。

 

「その()()でどうやって飲むんですか」

「その辺の宙に向かってぶちまけてくれ」

「食べ物飲み物で遊んではいけません」

 

 妖夢に()()も無く断られた霧は、顔も見えないのにヘソを曲げたのが有り有りと伝わるようだった。

 

「随分と派手にやられたわねえ、萃香。霧状化がもう少し遅れていたら、本当に死んでたんじゃない?」

「死ぬ気でやらなきゃ儀式の意味が無いだろう」

 

 結界補強の儀式の主導者たる八雲紫と実働者たる伊吹萃香。二人は友人同士である。

 ちなみに紫と妖夢の主もまた友――といっても萃香との関係とは毛色が大分違うが――なので、妖夢は昔から紫にも礼儀を払っていた。

 

「えっ? 儀式って成功してたんですか? でもこうして贄となる妖怪が生き残ってふわふわしてますよ?」

「ふわふわしてるのはお前さんのご主人様だろ」

 

 素朴な調子で素朴な疑問を口にする妖夢に向けて、萃香が突っ込みを入れた。

 

「重要なのは、人間が幻想を克服しようと抗いその意志を貫徹したということ。それにより幻想と現実を隔てる概念の結界は強固なものとなる。人間側の意識の問題であって、妖怪側の生死はあまり関係が無いのよ」

 

 紫の解説を聞かされた妖夢は何となく分かったような分からないような曖昧な状態で「はぁ」と気の無い相槌を打つだけであった。

 

「……とは言え、萃香も暫くはこのままね。相手が、相性が悪過ぎた。鬼斬りの国宝なんて」

 

 鬼ほどの妖怪になると、肉体をバラバラにされてもその内元通りに戻る。妖怪や神仏にとっての死とは、存在を否定されることなのだ。

 もっとも、何か謂れのある特別な武器の場合はその限りではないが。

 

「そうだよなあ、酷いよなあ。お陰でこのザマだ」

「親しくなった相手に自分を討たせようとする方が余程酷いでしょ」

「いやあ、何かしら強い情を抱えていた方が儀式の効力が強まりそうじゃないか」

 

 紫にチクリと指摘されても悪びれた態度を見せず庭に漂っている。

 

「まあ結界もこれであと五十年は持つはずよ」

「何だ、たったの五十年か。それまでにブリキの出来損ないどもが大人しくなってればいいが」

「心配は無用でしょう」

「未来視?」

「そんな真似はできませんわ」

 

 益体も無いやり取り。彼女たちの間では平常運転の光景だ。

 そんな中で萃香がふと会話を詰まらせる。

 

「にしても……いたたたっ。巫女にやられたところがまだ痛い」

 

 霧の姿なので痛がっていても見た目からはいまいち伝わらない。ただ台詞と声色で判別するのみである。もしも元の体がそこにあったら、脇腹辺りを押さえている感じだろうか。

 

「どこの世界でも、巫女ってのはおっかないもんだなあ」

 

 実感を伴ってしみじみと吐かれた萃香の言葉は、吹き抜ける風に乗って冬の寒空へと流されていくのであった。

 

 

 




神社生まれの千香瑠様 完



本作はヘルヴォルとエレンスゲの秘密についてはばっさりオミットして書き始めましたが、ラスバレの方は凄いことになってますね…

ともあれ無事に連載完結ということで、次回長編は神庭のお話になります。
ただその前に短編を上げる予定。
創作意欲を刺激してくるイルマが悪いんだ! 私は悪くねえ!


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