Worldgate Online ~世恢の翼~ (resn)
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『Worldgate Online』

 

 そのゲームは一人の天才から生まれたという。

 

 とある大国で、ある時突然世に現れた『アウレオ=ユーバー』という一人の天才科学者だ。

 

 その出自を知るものは不思議と誰もおらず、それまでほとんど目立った成果を出していなかった無名の者だった彼。

 

 そんな彼が忽然と出現し、一躍有名になったのは、停滞していた分野であった脳内の信号の解析を成功させ、魔法のような新技術によって、当時半ば夢物語と諦められつつあったフルダイブ型のVR機器を突如完成させてしまったことである。

 

 しかし、様々な分野で応用の利くはずのその技術を、彼は特定の分野で追求することしか興味を見せなかった。

 数々の画期的な医療関係の技術を世にもたらした後は、その利権を自身の目的に必要な最小限度だけ残しあっさり売り払ってしまった。

 

 莫大な資産を手にした彼はそのまま日本へと渡り、過去にゲームハード販売実績を持つとある企業の門を叩く。

 先進的なものを好む気風のあったその企業の援助を受けて、自らの資産を投げ打ちゲーム開発の会社を創設、新しいタイプのゲーム……フルダイブ型VRMMOの制作に没頭した。

 

 

 

 ――そうして、数年の月日が流れる。

 

 

 

 彼のもたらした新技術によってAR・VR技術が発展し、世の中が目まぐるしく変化していく中……彼の名前は流れの中に埋没していった。

 

 

 

 

 

 

 そんな彼の名前が再び登場したのは、あるゲームハードが発売された時であった。

 

 彼が再び世に出てくるまでの間、他社でもフルダイブ型VRゲームの研究は行われていたが、資金や技術の問題から世に出てきたものはいまいちパッとせず、半ば諦観の思いのまま、いつか夢のようなゲームが登場するのを世のゲーマーは待ち続けていた。

 

 そんな中での突如フルダイブ技術の基礎を作り上げた彼の名前を背負ったゲームハードの登場に、世の中は俄に期待を募らせ……そして実際に姿を現したソレは、そんな彼らの期待に報いるには十分、いや、期待を遥かに超えるものであった。

 

 機器の処理能力不足によるラグはほとんど存在せず、通信環境さえ十分であれば快適に動くハード性能。

 探索しきれない広大なフィールドを有する異世界、精巧で美麗な広く視界に広がる風景。

 同時発売された世界初のフルダイブ型VRMMORPG『Worldgate Online』と合わせ、こぞって買い求めようとするものが後を絶たなかったが、何故か制作者であるアウレオの意向により出荷数がかなり絞られ、数年単位の在庫不足に陥るほどであった。

 

 また、このゲームでは、公式から提供される素体をもとに、サイズ・体形・容量制限の範囲内であればどこまでもカスタマイズできるキャラメイクの自由度の高さなどから話題を呼び、人気に拍車をかけた。

 

 とはいえやはり素人が手出しするとそのほとんどは満足した出来にはならず、ごく一部を除き、公式で提供される素材(とはいえそれだけでも凄まじい自由度を誇るが)か、企業などが営利目的で作り上げ販売するデータを購入するしかなかったが。

 

 

 

 

 

 

 ――それから7年。

 

 そんな騒動も今や過去の出来事であり、ハードの普及は進み、開発ツールや基幹プログラムが公開されたことによって各社様々なフルダイブVRMMORPGを世に送り出し、新しい物好きが方々へと分散していった。

 

 そんな中で、最古参のVRMMORPGとして落ち着いた雰囲気を纏い始めた『Worldgate Online』であるが……ここ数か月で俄に活気を取り戻していた。

 

 初期は80であったレベルキャップが幾度かのバージョンアップにより徐々に解放され、今年初めの調整により上限は110へと上昇した。

 

 それと同時に電撃発表された「転生システム」の実装。これまでに習得したスキルはそのままに、高い成長補正を持った上位種族となってレベルを1へと巻き戻し、新しく追加された三次転生職へとクラスチェンジできる……という、昔のMMORPGではありふれた珍しくないものであったが……真に騒動が激化したのは、これまでと比較しても遥かに膨大な必要経験値という壁を乗り越え最初の転生職が現れた、実装から三か月後であった。

 

『ユニーク職』

 

 このゲームで最初に選択できる、人族、天族、魔族の三種の各種族の各職業ごとにそれぞれゲーム全体で一人だけに与えられる、ゲーム内で唯一自分だけの職業。

 最初の転生職へと至った者から報告されたその存在により、そうした「特別」に憧れるゲーマーたちはこぞって狂乱の様相でレベリング競争を始める。

 

 人気の狩場は瞬く間に怒声飛び交う修羅の地と化し、パーティ募集は効率第一。

 他者を蹴落としたい者も大量発生し、一時ゲーム内の治安が著しく悪化する羽目となってしまった。

 

 ……尤も、そんな中で栄冠をつかんだ者たちは、そのほとんどがそうした醜態を横目にストイックに研鑽を積んだ者たちで占められていたのは皮肉であったが。

 

 そんな騒動も、半年が経過した今ではおおよその職でユニーク職が埋まったことでなりを潜め、再びゲーム内では平穏が戻り始めていた。

 

 

 

 

 

 ……そんな中、まだ誰も到達しておらず、当人たちも半ば諦めのムードを漂わせながら死んだような目で狩りを続け、職業掲示板ではずっと葬式ムードが流れている職が存在した。

 

 それが支援職、とりわけプリースト系の回復職であった。

 

 

 

 他のゲームでは比較的人気職であることが多いその職だが、『Worldgate Online』においては何故か運営の悪意を感じるレベルで不遇であった。

 

 まず、VRMMOにおける支援職には致命的な欠点がある。「プレイしていて爽快感が無い」ということだ。

 特に、プリースト系列の回復職は、味方のHP管理や被ダメージの減少といった防的な支援を主体とするため、実際はやることは多い。

 しかし、その働きは目に見えて効果として現れることは少なく、役割は忙しい反面、非常に地味な縁の下の力持ちであり、自分の手で剣を振りたい、魔法をぶっぱなしたい、自分の体を動かして強大な魔物と戦いたい、そういう層には全く見向きもされなかった。

 

 一つのアカウントにつき一体のキャラしか作成できないことも相まって、常にプレイ人口調査では職別でワーストのトップを争い続けていた。

 

 さらに人口減少に拍車をかけているのが、このゲームではリアルの性別とは別の性別のキャラでプレイし難いことであった。

 

 やってやれないことはないが、このゲーム、というよりゲームハードは、購入が公式のオンラインショップによる受注販売しか存在せず、そのためには住民票の写しの提出が求められ、機器にはその情報がインプットされた状態で送付されてくる。

 

 健康上の理由とやらで、その機器では登録された際に設定された性別しか選ぶことができないようになっていた。

 

 運営では販売時の制限は付けたもののその後は自己責任という見解を示し、利用制限が設けられているわけではないので他者が使えないことはないが、では女性が自分の個人情報を入力された機器を他者に譲渡するかといえばもちろんそんな者は皆無である。

 

 つまり、このゲームでネカマをしようと思った場合、決して安くない機器の代金を用意し、ゲームに興味のない知り合いの女性に、「ネカマがしたいので代わりにハードを購入してください」と頭を下げるしかないのだ。これは酷い。壁が高すぎる。この段階で95%の者が挫折した。

 

 そうした理由によって、このゲームにおいてプレイヤーキャラの男女比は大きく男性側に傾いている。

 どうしてもネットゲームにおける魔法職、とりわけ支援職というのは女の子のキャラでプレイしたい者が多く、やはり男キャラであれば格好良く戦いたい、という願望によって支援職は敬遠されがちであった。

 

 では、女性ならどうかというと、そのほとんどは厳しすぎる育成難度にほとんどが挫折していくこととなる。

 このゲームには何故か他のMMORPGにはよくある経験値のパーティボーナスが存在せず、レベル差などを加味し修正され律儀に過不足なく分割された経験値がメンバー全員に分配される。

 人数が増えれば増えるほど、一体あたりの入手経験値量は加速度的に低くなっていくのである。

 

 そして支援職は総じて自己戦闘力は低く、ソロでレベルを上げようとした場合は相当格下の相手を選び雀の涙ほどの経験値を辛抱強く積み重ねていかなければならなかった。

 

 ゲームが続くことでプレイヤーたちの戦闘力や戦術が向上する中で、レベリングの中心はいかに早く大量の敵を効率的に倒すかというものに移行し、回復職を加えるよりその分アタッカーを追加し回転速度を向上させることが求められた。

 

 ダメージを受ける前に倒しきれるのであれば、回復職はただ立ってるだけのお荷物になってしまうことになる。

 

 逆に回復職の仕事が多いパーティとなると、それはつまりそのパーティの戦闘力がお粗末ということになってしまうのだが、そうした連中は総じてその責任を自分以外の他者、それも立場の弱い者に押し付けようとする。

 

 つまり……必死に状況を立て直そうと四苦八苦していた回復職にターゲットが向けられるのである。

 

 更に都合が悪いことに、とくに近年では、レベルキャップが100になった時から110が解放されるまでの間に数年の開きがあり、長い倦怠期の中で運営より安価で高性能な回復薬類が実装され、「プリースト系イラネ」という風潮の加速が進んでいた。

 

 

 

 では、そんな支援職は本当に需要が無いかというと、レイドボスなどのレベル上げが完了した後のエンドコンテンツにおいては必須と言えることもあって、需要と供給のバランスが反転する。

 

 苦難の果てに第一線級の能力を手に入れた支援職を待っているのは、血で血を洗う争奪戦である。

 他人の役に立ちたいと歯を食いしばってレベルを上げた先には、自分の奪い合いでギスギスした戦場と悪質なユーザーによる粘着、熱い手のひら返しという現実を目の前に、ここまで来たにもかかわらず、心折れてログインしなくなった者も多数存在した。

 

 

 

 余談であるが、女性用のプリーストの初期服は人口を増やしたい運営の意向なのか幾度か更新されており、ゲームでもユーザー人気投票衣装部門で上位の可愛さを誇ることで評判となる。

 

 それに釣られ、ファッションを楽しみたい初心者層がいつも一定数入ってくるものの……レベル上げで夢破れ、キャラを作り直し、自身で苦心して作り上げたかあるいは高い代金をはたいて購入した企業制作の物か、可愛らしいメイキングのキャラがデータの墓場へと消えていく様を、ユーザーたちは「公式ハニートラップ」と呼び、震えて眺め続けている。

 

 

 

 

 

 

 





選択できる種族について
人族……基本となる人。地味。生命力に優れHP補正が高い
天族……背中に羽根を持つ種族。攻撃性能低め防御性能高め。一定高度まで飛べる。
魔族……頭に角を持った種族。攻撃力高め。唯一青系の肌が選択でき、根強いファンがいる。


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地の底で

 

 

 相手の魔法詠唱の兆候を確認し、即座に岩陰に隠れてから5カウント。

 身を翻し飛び出すと、視線の先、崖下のだいぶ遠くに見える地下都市跡の中で、予想通り僕というターゲットへの視線が切れたため対象をロストした敵……豪華な鎧を身に纏い、漆黒の巨大な剣を持った、しかし四肢の所々の肉が崩れ骨や筋肉のむき出しになった無残な姿の一つ目の巨人……の魔法は発動に失敗し、詠唱時間に加えディレイ分の時間硬直状態に入っている。

 

  少しでもタイミングが早いと沈黙と気絶に加え補助効果をすべて消去などという致命的なデバフを受けるタチの悪い魔法が飛んでくる。

かといってタイミングが遅れると、今度は硬直の解けた相手から手痛い反撃を喰らうため、この瞬間は何度やっても背中がヒヤリとするが、どうやら今回も無事やり過ごせたようだ。

 

セスト(真言)シェスト(浄化の)ツェン(第10位) マーナ(魔力)ドロウ(流出)リーア(光よ)リーア(光よ)リーア(光よ)ディ・ヴィエーガ(光の剣よ) !」

 

 歌を紡ぐように僕の口から流れるソプラノボイスが、傍から聞いたら意味のない単語の羅列のような言葉を流す。

 これは魔法を使用する際の音声入力のコマンドワードのようなもので……最初は恥ずかしかったものの、慣れるといちいちコマンドやマクロのウィンドゥを眺める必要がなくなり視界を広くとることができるため、覚えている使用頻度の高い魔法はすべて何度も納得いくまで練習し、いつでも呼び出せるようにしている。

 

 この地下に引きこもって早一か月。

 

 何百何千と繰り返した詠唱は凄まじい早口で二秒足らずで唱え終わり、周囲に四本の光の槍が出現する。

 使用する魔法は【ディバイン・スピア】という、ほとんど攻撃手段を持たないスキル構成の純支援である僕の所有する数少ない攻撃魔法。

 二次職であるビショップの終盤で習得するこの魔法は、やや無視できない長さの使用後のディレイがあるものの、再使用可能になるまでのクールタイムは比較的短く、特定の属性の敵に対してのみ絶大な効力を発揮する。

 

 習得初期では1本しか出せない光槍は、スキルや魔法を使い続けることで上がる熟練度を最大まで伸ばすことで二本に、加えてレイドボスから入手可能なスクロールを二種使用しスキル限界突破をすることで現在の最大四本まで本数を伸ばすことが可能であり、ここまでやれば対アンデッドと悪魔、MPダメージに弱い精神生命体系統に対してのみ全職でもトップクラスのDPS(一秒あたりのダメージ量)を誇るという、プリースト系では破格の攻撃能力を持っている。

 それ以外の敵にはMPダメージしか効果はないという問題はあるが、アンデッド系の敵であれば非常に有効な攻撃手段だ。

 

 奴の硬直が終わるまであとおよそ五秒。

 システムのアシストに導かれ、射出された光の槍が自動追尾で標的に殺到するのを視界の端に収めつつ、ジリジリとディレイによる硬直が解けるのを待つ……今!

 

 再び動くようになった口で、新たな呪文の詠唱を始める。

 今度は【ソリッド・レイ】という、一度だけ物理ダメージを打ち消す魔法だ。

 代わりにごく短時間しか持続しない、敵の攻撃に合わせて使う必要のある防御魔法だが、詠唱が短くディレイがないという利点がある。

 

 詠唱が完了し、正六角形を多数組み合わせた光の格子で構成される防壁が前面に展開されると同時に、先ほどのディバインスピアが遠くの標的に命中し、敵のHPが数ドット程度わずかにだが減少する。

 

 続けて、【ホーリーブレス】の魔法により疑似的なHPを追加、耐久力を底上げしておく。

 

 ここでようやく硬直の解けた敵が、足元から岩を掴みあげたのが見え、杖を正面に構えて防御姿勢を取った。

 

 ――次の瞬間、眼前に凄まじい速度で飛来した僕の胴体より巨大なサイズの岩が、先ほどの防御膜に弾かれて砕け散った。

 

 ……ソリッド・レイの欠点は、高い衝撃属性を持つ攻撃に付随する浸透ダメージとスタン効果は防げないことだ。

 

 おそらくは一撃でミンチより酷いことになるであろう、その攻撃の直撃のダメージこそ無効になったものの……衝撃で僕の小柄な体は数歩後ろにある壁に叩きつけられた。

 

  先ほどホーリーブレスによって付加された追加HPは紙のように剥ぎ取られ、HPゲージが黄色を通り過ぎ赤みの濃いオレンジに染まる。

 全身が痺れ、膝を突きそうになるけれど、そこは前もって設置しておいた【レストフィールド】……地面設置、持続型の状態異常治癒魔法により即座に解除される。

 こちらはまだ、効果時間は余裕があるので再設置はいいだろうと判断する。その分次の相手の行動まで余裕があるが、欲張ると痛い目を見ることはすでに何度も身に染みてわかっている。

 今のうちに回復魔法でHPを全快し、やがて敵がクールタイムの切れた魔法の詠唱を始めた瞬間、再び視線を切るために岩陰に転がり込んだ。

 

 ……敵のHPはまだまだ半分以上残っている。

 

 目標まであと少し。そう逸る心を精神力でねじ伏せて、再び脳内でのカウントにだけ意識を集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……終わっ……た?」

 

 単調ながらも一歩間違えれば即座に崩れる一連の流れを幾度も幾度も気の遠くなる回数繰り返し……気が付けば眼下遠く、自分が所有する対アンデッド用攻撃魔法の射程ギリギリの場所でゆっくり崩れ落ちる巨人のアンデッドを見下ろす。

 精神的疲労にふらつく足元を両手で握った長杖に体を預けることで支え、頭上に燦然と輝くレベルアップのエフェクトを呆然と眺める。

 

 ……ステータスウィンドゥを呼び出してみると、レベル欄には現在の職である二次職『ビショップ』のレベル上限、110という数字が輝いていた。

 

 僕に付き合って一緒にレベル上げをする、と食い下がる妹と友人の提案を、自分たちのレベル上げを優先してほしいと断ってすでに半年。

 

  無事自分たちの望む職に就くことができたものの、レベル巻き戻りによって一緒に組むことができなくなったことを気に病む彼らにすぐ追いつくと約束して三か月。

 

  季節は冬から初夏に入り、彼らを待たせている焦燥感を覚えながら、まともにソロ狩りのできるアンデッド系の敵を求めて訪れた廃墟の古代都市のダンジョンにて不注意から落とし穴のトラップにうっかり引っかかった先は、未発見だった東京ドーム二つ分程度の広さの地下都市跡という隠し部屋であった。

 

 鑑定用のアイテムを使用して徘徊していた敵のレベルを見たところ、最高クラスの廃人たちがフルメンバーで狩りを行ってようやく獲物にするような、廃人御用達のエネミーの闊歩するエリアだったようだが……落下先の横穴を抜けた先は、緩めの傾斜のついた壁面の、なぜか存在した変な崖のでっぱりのような、十歩も歩けば端から端まで到達してしまうような、敵の侵入してこない小さな足場であった。

 

 たまたま調整ミスなのか、魔物たちは巨体が災いして洞窟の地下都市の建物の判定による移動禁止領域に引っかかりこちらに接近できず、何故か魔法の射程圏内ギリギリに出現するため攻撃が可能であった。

 もっとも近接攻撃が届かないだけで、偶に投げてくる投石に逃げ遅れたりすると、全力でかけた防御魔法の上からでも一撃でHPが真っ赤になるし、状態異常の魔法なんかも飛んでくるので、ここまで一度も死ななかったのは奇跡に近いギリギリのルーチンワークを要求されたけれども。

 

 おそらく本来は近接型の魔物なのだろうから、まともに相対した場合あっという間に殴り殺される未来しか見えない。単調なパターン狩りになっているのは遠くを攻撃する手段に乏しいためであろう。

 

  かなりグレーゾーンな方法で突破したが、実は最初に一度こうして1つレベルを上昇させた……させてしまった後、目にしたことのない桁の経験値が入ってきたことで自分のしでかしたことに恐怖を覚え、場合によってはアカウント削除も覚悟して運営には報告を行なった。

 

 結果、一度は厳重注意に一週間のアカウント一時凍結という、予想よりはるかに軽い処分の連絡が来たものの……何故かその日のうちにその処分は取り消され、そういう仕様だから問題ない、と上からの指示だということで無かったことになった。

 

  首を捻りながらも、罪悪感は残るがありがたく利用させていただき、人気職の本気の狩りに匹敵するペースでとうとうここまで来た。

 リアル時間でおよそ三十日と少し。いい加減カビが生えてきそうだ。

 

 あとはイベントさえこなせば、先に転生を済ませてその先で待っている妹と友人にようやく追いつくことができる。

  逸る気持ちで二人に今から街に帰ることを伝え、全てのプレイヤーが一日に一度だけ利用できる、任意の訪れたことのある街へと移動できるテレポートゲートを作動させたその時、連続でプレイ可能な時間の上限である八時間まで残り三十分しかないことを告げるアラームが脳内に響いた。

 

 

 

 このゲームには、健康に配慮ということで、二十四時間以内に八時間以上接続した場合、クールタイムを十二時間以上設けなければならないという制約が存在する。

 

 ……どうやら、今日は残念ながら時間切れのようだ。

 

 予想以上に時間が経過していたことに対する驚きと、目の前でおあずけを喰らった残念さを抱えながら、ゲーム内では久々に顔を合わせる友人の待つ街へと続くゲートへ飛び込んだ。

 



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姫様と呼ばれるプレイヤー

 

 北の大陸ほぼ全域を収める、ノールグラシエ王国。

 

 国土の大部分は雪と氷に覆われる極寒の地で、北部には何千年に亘り溶けたことのないという世界最大の氷泉が鎮座し、王都はその分厚い氷の上に存在するという不思議な立地をしている。

 

 何故、そのような構造なのか……一説では氷面を古い地下遺構が貫通しており、その遺跡を抜けた先、湖底には旧市街地が存在しているらしい、との情報がNPCの会話に存在する。

 なんらかの事情によって退去せざるを得なかった人々が、湖面の上に顔を出した遺跡の上に作り上げたのがこの国の王都ではないか、という設定である。

 

 この世界の現在実装されている四つの大陸の中では、魔道技術に秀で、希少な魔法を学ぶことができるイベントが存在するなど、魔法職が多く拠点にする地方である。

 

 そんな国であるが、国土の南の方は比較的温暖であり、大体日本でいう北海道くらいの気候となる。

 ゲーム内の季節はおおよそ現実とリンクしているため現在初夏に差し掛かった頃であり、ちらほら涼を求めてこちらに拠点を変更する者などで俄に人通りが多くなりつつあった。

 

 

 そんな北大陸の最南端、四大陸の中央に位置する島に鎮座する『アクロシティ』へと通じる大規模転移ポータルを備えた交易の街『コメルス』がある。

 

 この街の中央には転移ゲートを備えた広場があり、そこから南北に大通りが伸びて、その周辺に様々な露店が立ち並ぶ商業の街だ。

 ちなみに設定では裏通りの先には色町などもあるらしく、事実、路地を奥に奥にと進むと柄の悪いNPCが増え猥雑になっていくが、全年齢対応のこのゲームではそこまでしか実装されていない。

 大陸間の移動が容易な立地で、中央に鎮座する『アクロシティ』での商売は許可を受けるのが難しいこともあり、プレイヤーの露店で賑わう町となっている。

 

 

 

 

 

 ゲートを抜けて街に足を踏み入れた僕は、ゲーム内では一か月日ぶりの日光の眩しさに思わず目を瞑る。

 明るさに目が慣れ、視力が回復するまでじっと佇んでいると、周囲のプレイヤーの喧騒が大きくなっていくのが聞こえた

 

「……なぁ、あれ姫様じゃね」

「あ、ほんとだ。久しぶりに見たなぁ。今まで何してたんだろ」

「そりゃレベル上げだろ、支援職は大変って言うし……あー、それにしても小さくて可愛いなぁ」

 

 ……しまった、人前に出るのが久々すぎて、やたら目を引く自分の姿を忘れていた。

 

 

 

 そういえば姿を隠すための外套はここ最近の狩りで破損していて使用不可となり、故障アイテムとして装備から外れてインベントリに格納されている。

 現在の自分の姿は高レベルのビショップ用の装備の、フリルをふんだんに使用した『メイデンドレス』なる可愛らしい白いドレス姿。

 そんな目立つ格好を、人通りの多い中央広場で晒していた。

 

 視力が回復したころには時すでに遅く、周囲を見渡すとすっかり注目を浴びていた。

 何年経っても、一人の時にこれだけ視線が集中するのはどうしても慣れず、内心盛大に顔を引きつらせる。

 

「あ、姫様、俺たちこれからギルメンとレベル上げ行くんすけど、一緒にどう……っすか?」

 

 周囲から一斉にに集まる「何抜け駆けしてんだテメェ!」という圧力の篭った視線を受け、やや怯えたように声をかけてきた一人の男性プレイヤー。

 

  ごめん、もう終わってるんだ、と馬鹿正直に言うわけにもいかず、どうにか慌てて猫を被りなおす。

 

 ……ちなみに友人には「白ネカマモード」などと呼ばれているが、否定できないのが辛い。

 

「……えぇと、すみません、今日はもうプレイ時間制限ギリギリなもので」

 

 両手をおへその前あたりで組み、視点をやや足元に落とし、ややうつむき加減で申し訳なさそうにしゅんとしているように「見える」ように意識して返答すると、目の前のプレイヤーは周囲の視線が気になるのか焦って周囲を見回す。

 

「ああ、ご、ごめん、リアルだともう夜遅いっすもんね……それじゃ、また機会があったら協力するっすよ」

 

 しどろもどろになって謝罪する彼になんだか申し訳ない気持ちになる。

 下心の有無はさておき、根底にあるのは親切心なのだろうから。これで周囲に何か言われたりしたら申し訳ない。

 

「はい、今回は無理ですけど、もし次の機会があればその時はよろしくお願いしますね」

 

 顔を上げ、僅かに首を傾げてふわりと軽く微笑みかけ、呆けている彼に軽く会釈をして立ち去る。

 

 内心と言動が違いすぎてキモい? 世の中得てしてそんなもんだ諦めろ。僕は学校では「清楚なお嬢様」で通っている妹の真の姿を散々家の中で見知っているので早々に諦めた。

 

 公式のイベントに駆り出されるようになって、運営の人たちに「イメージを崩さない言動を心掛けろ」と口を酸っぱくして言われているのだからしょうがない。

 この縁で、リアルのほうでも専属契約を受けて仕事を斡旋してもらっている身なのだから、こちらに拒否権はないのだ。

 

 やや広めのスペースを見つけてとてとてと移動すると、そこで広場を振り返って背中の翼を広げ

 

「お騒がせして申し訳ありませんでした、それでは失礼します」

 

 と、スカートを軽くつまんで会釈し、翼をはためかせてふわりと舞い上がる。

 

 天族でも街中で飛んで移動するものはあまり居ない……普通に歩いたほうが楽だからだ……が、僕は事情があってこちらのほうが楽なのだ。

 街中で特に用もなく浮遊状態になるのはあまり周囲にいい顔はされ難いのだが、僕の「事情」は割と広く知られているため、周囲からは「気をつけてー」などの温かい言葉をかけられる。その声に、にこっと微笑み小さく手を振って返すと、目的の場所へ向かうため高度を一気に上昇させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回復職不遇の中に、プレイヤーの間で『姫様』とあだ名される有名な回復職のプレイヤーがいた。

 

 とはいえ、下心を抱えて接近してきた男を囲い、女であることを利用し周囲の男に貢がせるネトゲでよく居るアレではない。

 むしろ、彼女はちやほやされて囲まれるのはあまり得意ではなく、下心から接近する者たちより無償で贈られる物品は絶対に受け取らないことで有名であった。

 

 彼女を有名人足らしめているのは、キャラクターレベルとプレイヤースキル両面で、希少なエンドコンテンツにも耐えうる最高レベルの回復職であるということもあるが、それ以上にその容姿……アバターの完成度であろう。

 

 

 

 最初にその名が現れたのは、第一回の公式主催のアバターコンテスト。

 当初はどうせ企業制作の物が表彰台を占めるはずとプレイヤー全員がやや白けた表情で眺めており、事実、趣味の個人制作と、仕事として金と時間と人員を投入した企業制作ではその完成度の差は大きく開いていた。

 

 そんな中、彼女が現れた際は騒然となった。

 

 果たして、そのアバター制作にはいったいどれほどの時間と情熱を傾けられたのか。

 

 

 

   ――きめ細かく、さらさらと流れる腰まである白銀の長髪。

 

 ――妖精もかくやという、どこか現実味の無い儚げで今にも溶けて消えてしまいそうな繊細な顔。

 

 ――150cmあるか無いかぐらいの小柄な体躯は触れれば折れてしまいそうなほどに華奢で。

 

 

 

 滑らかできめ細かな白磁の肌も、一からテクスチャを描き上げたらしく、周囲と一線を画す質感を纏いながらもギリギリで世界観から浮かない……そういうレベルに収まっていた。

 

 天族の特徴である背中の真白い翼(驚くべきことに、そちらもパッと見では分からないが、至近距離で見比べるとふわふわ感がまったく違うというさりげない手が入っていた)も相まって、まるで天使が降臨したような可憐な様に周囲はただ食い入るように見つめていた。

 そんな彼女の仕草は楚々としてかつ非常に可愛らしく、どこかのお嬢様だと言われれば納得してしまいそうなほど。

 

 ……唯一欠点らしきものとして、足が不自由なのかどこかぎこちない歩き方が目につくが、それもまた庇護欲をそそると評判であった。

 

 

 

 

 

 また、男性の部でも一人のプレイヤーが注目を浴びる。

 

 先ほどの女性の部の少女と兄妹らしく、その作りは非常によく似通っていた。身長は170そこそことそこまで高くないが、中性的な容姿にはよく似合っていた。

 肩のあたりで切り揃えられた、癖の無いサラサラとした銀髪に縁取られた容姿は微かに先程の少女との類似点を残しながら、こちらは端正な貴公子然とした外見と立ち居振る舞いに、女性陣の羨望と男性陣の嫉妬の視線を一身に集めることとなる。

 

 二人でいる際の仲睦まじい兄妹そのものである振る舞いは、何人か気絶者を出すほどの破壊力があったと語られる。

 

 

 

 

 

 

 ……結果、並みいる企業制作のアバターを押しのけて男女の部双方を二人で独占。

 

 運営の思いつきにより、後日好きな国の王族であることを示す称号を授与され、こうして設定上でも公認の、北の大陸を占める魔法王国ノールグラシエのお姫様と王子様になってしまう。

 

 また、さらに後日、公式主催のレイドイベントにおいて重要な役にプレイヤーながら抜擢され、度々半公式キャラの扱いを受けることとなり、名実ともに「姫様」として扱われるようになっていった。

 

 

 

 こうした出来事でアバター制作者たちはいつか自分もと奮起し、様々な趣向を凝らしたアバターを制作するものが次々と現れ、以降ゲーム内の顔面偏差値が上がってしまったとも言われている。

 

 

 

 ――北の宝石姫、イリス・ノールグラシエ。

 

 

 

 北を舞台にした公式イベントの際には、一プレイヤーでありながら度々イメージイラストも飾ることもある、健気で儚げなお姫様。実は開発中の高性能AIを搭載したNPCだとか、そんな噂もちらほら散見されるが……

 

 

 

 ……そんな『姫様』の中身が僕であることは、本当に、本当に申し訳ないと思っている。

 



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お茶会

 

 前もってウィスパーチャットにより連絡していた待ち合わせ場所の、NPC経営の喫茶店。

 その上空に到着し、高度を落としてふわりと着地。その際浮き上がるスカートを押さえるのは忘れない。

 

 

 ーーふふふ、期待するのは解るがそう簡単に見せると思うなよ、こっちをガン見してた男ども。

 

 

 と、ちょっと照れた感じを織り交ぜて微笑みつつ、周囲の視線を向けてきているものに小さく手を振るなどサービスを振りまきつつ、裏ではそんな黒いことを考えながら目的の人物に居るテーブルに向かう。

 

 そこに居るのは赤色の髪の、引き締まった体つきの精悍な人族の青年。

 そして、やたら堂に入った所作で紅茶を啜っている、僕のキャラを数年だけ年長にして目つきを鋭くした感じの、王子様然とした天族の青年だ。

 

 普段はどちらも鎧を纏っているのだが、今は街中ということで、布製の鎧下だけを纏っている。

 青年のそのカップを傾ける様があまりに決まっているため周囲の女性たちの視線をほとんど集めているせいで、横で気まずそうにしている赤髪の青年の様子に、ついつい悪戯心が首をもたげ始める。

 

「お待たせしました、ソール兄様。お久しぶりです。レイジさんもご壮健のようで何よりです」

 

 軽くスカートを摘まんで膝を曲げ、微笑んで軽く会釈をする。

 頬杖を突いたまま鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして固まっているレイジとは対照的に、僕の意図に気が付いた王子様……ソールがニヤリと口の端を吊り上げ、立ち上がって軽く頬に手を当ててわずかに僕の顔を上に向かせる。腰に手まで回してるんだからノリノリだ。

 

「おや、イリス、久しぶりだね。また少し綺麗になったかな? なぁレイジ、君はどう思う?」

「……うぇ!? あ、うぅ、えーと、なんというか……」

 

 普段の僕らであれば、こんな風に気取った会話はしない。

 急につき合わされてしどろもどろになっているレイジに、追い打ちとばかりに僅かにコテンと首をかしげ、じっと目を見つめて続きの言葉を待つ。

 

 レイジはしばらく挙動不審に視線を彷徨わせ、あー、だの、うー、だのうめき声を漏らした後。

 

「だぁぁあああ! やめろお前ら、妙に様になっててマジで反応に困るんだよ!!」

 

 とうとう爆発してしまったレイジに、僕ら二人は堪え切れずに肩を震わせるのだった。

 

 

 

 

 

「で、レベルはどうなったの、『お兄ちゃん』?」

 

 ソールがそんなことを聞いてくる。

 王子様然とした容姿から出てくる言葉としては実に違和感半端ないけれど、こいつの中身は僕の妹の綾芽だ。

 

「ん、カンストした。今日はもう時間がないから、転生イベントは明日かな」

 

 口調は崩しつつ、周囲の目を考慮し上品な仕草に見えるよう心掛けながら紅茶を啜る。

 メニューを選んで精算を押すだけでストレージの所持金から料金が引かれ、待ち時間無しに目の前に現物が出現する手軽さはこのゲームの利点だと思う。

 味覚エンジンによって脳内で再生されたその味と香りは現実で口にするものと遜色なく、舌の上で十分に香りと渋みを味わってから嚥下する。

 ちなみに現在はパーティチャットに切り替えているため周囲に声は届いていない。仲良くお茶を楽しみながら談笑しているだけに見えているはずだ。

 

「……しかし、悪かったな、レベル上げに付き合ってやれなくて」

 

 申し訳なさそうに言うレイジ。半年前にすでに何度もやりあって結論は出したはずなのに、どうしても心残りになっているらしい。

 

「何度も言ってるけど、それは言いっこなし。仕方ないよ、競争、激しかったんでしょ?」

 

 ソールはタンク職の花形であるナイト系列。レイジは全職でもプレイ人口で1・2を争う剣士系列だ。何かと天才肌であるソールはしれっといつの間にかユニーク職となっていたが、レイジは本当にギリギリのタイミングだったらしい。そこに僕という足手纏いを加えていては、まず無理だったことは想像に難くない。

 

「ああ、実際、ソールが居なかったら無理だったろうな、空いてて美味い狩場を見つけてきたのもほとんどこいつだし、こいつじゃねーとあんな激しいペア狩りなんざ無理だ無理」

 

 当時のハイペースを思い出し、げんなりしている友人。

 当時は常に目の下にクマを作ってげっそりしていた。冬休みの間僕らの家に泊まり込んで二人レベル上げに没頭しているとき、大量のエナジードリンクの缶に埋もれて青い顔をしているのを発見した時は本当に死ぬんじゃないかと本気で焦ったものだ。

 

「ふふん、感謝なさい?」

「あー、はいはい感謝してますよっと」

 

 勝ち誇った様子のソールに、ふてくされた様子で乱暴にカップの中身を飲み干すレイジ。そんな気やすい様子に、ついつい頬が緩む。

 

 彼らの誘いを断って一人で行動を始めて以来、ゲーム内で一緒になっても何かと気まずい雰囲気が付き纏ってどこかギクシャクしていた。気にしなくてもいいと何度も言っていたのだが、どうにも彼らは僕を置いていくことに罪悪感が消えなかったようだ。

 

 そんな空気もようやく彼らに追いついたことで弱くなり、また以前の関係が戻ってきたことが嬉しくてたまらない。思わず頬が緩むのを感じつつ、僕はもう一口、お茶を楽しんでほっこりするのであった。

 

 

 

 

 

「しかし、お前……こっちでの言動、本当に女の子らしくなったな……さっきなんかも笑う際、口元に指を添えたりしてたが、あれ、無意識でやってるのか?」

 

 そんなことを急に宣う友人に、そういえば、確かにとふと気が付く。

 

「あー、うん、さすがに七年もやってると、咄嗟でも自然にそうなるね……」

「当り前よ、私の最高傑作が、雑な男っぽい仕草をするなんて絶対認められるもんですか」

 

 そう、僕たちの使っているアバター、つまり3Dモデルの制作は目の前の妹の手によるものである。

 当時13歳のはずの妹が、何かに憑かれたように分厚い専門書を片手に鬼気迫る表情で制作ソフトに向き合っている様は兄として非常に心配であったが。

 しかも時々どこか遠くを見て怪しい笑い声をあげているものだから尚更に。デュフフとかそんな感じの。

 

 テクスチャは妹がキャラ制作に要した三ヵ月の間、二人で議論に議論を重ね、何度も細かく調整し、重ねてみては気になる点を修正し……を気が遠くなるほど繰り返して僕が一から描き上げたものだ。

 

 そうして完成した僕の使っているこの『イリス』は、妹曰く「自分が全力で愛でたい理想の女の子を作った」のだそうだ。

 そして妹の使っている『ソール』は、僕の意見を取り上げつつこちらもまた妹が自分の好みを加えて作り上げたものだ。

 完成し、最初にお披露目した時の友人の呆けた顔はちょっと面白かった。

 

 

 

 ……本来であれば僕がソールを、妹がこのイリスを使っていたはずなのだが、どうして交換する羽目になったのかというと、「最初の職業選択を間違えた」としか言いようがない。

 

 お互い選んだ職業にまったく向いていなかったのだが、最初に選択した職業はそれ以降変えることができず、しかもキャラデリしてしまうと僕たちの三ヶ月の努力の結晶がデータの藻屑と消えてしまうということがあり、やむなく交換することになった。

 

 そう、仕方なかったのだ。妹のほうはノリノリだったが、僕は不承不承だったのだ。とてもとても不本意だったのだ。それだけは声を大にして言いたい。

 

 ちなみに、僕のゲーム内での言動については、妹の指導の賜物だ。

 

 過去にとある事件で幼少時に両親を失った僕たちは祖父母の家に引き取られたのだが、その祖父母というのが地元では少し名の知れた資産家であった。

 

 妹は当時5歳ぐらいの時から礼儀作法に厳しい祖父母に躾けられており、その妹より僕の受けた女性のふりをする演技指導はとてもとてもスパルタだった。特にVRでは些細な仕草から中の性別がバレる可能性が高いため、最初のほうはほぼつきっきりで演技指導が行われていた。

 

 ……何やら仲睦まじい様がとても微笑ましいとか周囲に言われていたが、実際はちょっとでも変な言動をしたら周囲の人からは見えないところで折檻が飛んできていたのである。

 その中には失敗続きでキレた妹に「ちょっと変なところを触られた女の子の反応の練習もしてみようか」と人の入ってこない密室で迫られたこともある。途中から記憶がないが。

 

 

 

「……ところで、レイジはいつまで僕の頭を撫でているつもり? 髪型をぐしゃぐしゃにするのは止めてほしいんだけど」

 

 そう、席に座ってからここまで、僕の頭はずっとレイジの手置き場になっている。

 

「っと、悪い、ちょうどいい高さで手触りがいいもんだから、ついな」

 

 などと言いながらなお一層強くぐりぐりと頭を揺さぶってくるレイジに、むー、と睨みつける。

 

 ……こんな仕草も、少し拗ねたように頬を膨らませ、やや上目遣いで睨みつける、なんていうのを自然にやってしまってるのがなんだかなぁ。

 もしかして妹に洗脳されてないかな? ちょっと不安になってきたんだけど。

 

 そんなバカなことを考えていた次の瞬間、ゾクリと背筋に悪寒が走る。

 レイジも同様らしく、ギギギ、と音のしそうな動きでソールのほうに顔を向けていた。

 

 ソールは一口紅茶を含んだ後、こちらに笑いかけてくるが……あ、目が笑ってない。

 口ほどにものを言って『それは私のための頭だから勝手に触るな』と主張している。

 隣ではレイジが冷や汗をダラダラと流しながらガクガク頷いて、そっと僕の頭から手を退けているため、きっと間違ってないだろう。

 

「そ、そうだ。転生イベントって何するか聞いておきたいんだけど」

 

 この突き刺すような空気は体に悪い。とりあえず話題を……というところで、そういえばずっと聞いておきたかったことを思い出す。もし何か戦闘でもあったら対策考えておかないといけないし。

 

「何するっていっても……特に何もないぜ? 変な真っ白い部屋にぽつんと変な本が置いてあって、開くと『力が欲しいか』的なことを聞かれて。職を選んだら一瞬目の前が真っ白になって、それで終わり……あ、レベル低下で今の装備は着れなくなるから、低レベル用の防具と防寒着は用意しとけよ、でないと外出た時に冷気ダメージで死ぬぞ……って、ソール、どうした?」

「え? ああ、うん」

 

 イベントの話になったとたん先ほどの威圧を引っ込めて黙り込んでいたソールが、もう一口紅茶を含んで舌を湿らせてから口を開く。

 

「……そのことで変な話を聞いたのよね。学校の友達の話なんだけど。彼女、弟がこのゲームにすっかりのめり込んで勉強しないってずっとぼやいてたんだけど……」

 

 なんだか物事をズケズケと言う所のある妹にしては歯切れが悪い。黙って二人で続きを促すと、諦めて話し始めた。

 

「なんでも、転生イベントが終わった後、急に成績が伸びたって言ってたのよね。それも急に学年でもトップクラスに。ずっとゲーム漬けで成績はいつも下のほうを彷徨ってた子がよ?」

「……偶然じゃない? 一段落がついて、ちゃんと勉強する気になったとかさ」

 

 おそらく一番可能性が高いのはこれだろう、という答えを挙げてみる。一部を除いてほぼユニーク職が出払った今、転生職になった後は特に急ぐ理由も無くなるのだから、そこで我に返って今までの遅れを取り戻そうとした、というのは不思議なことではないはずだ。

 

「多分そうだと思うんだけど……何か引っかかるっていうか」

「それじゃお前はどうなんだ? 成績上がったりとかは」

「無いわね。いつも通りよ」

 

 レイジの問いに、バッサリ切り捨てる。

 

「いつも通り何も問題ないもんね。ソールは中学からずっとトップ争いから漏れてないし」

 

 いつ勉強しているのかわからないけど、妹が成績を落としたことは過去に一度もない。天は二物を与えずって絶対嘘だよね。

 

「あーはいはいそうでしたね主席様。天才様に聴いた私が悪ぅございました」

「そういうレイジはどうなの、何か変わったこととかあった?」

 

 まさかぁ、という返答を期待しての発言だったのだが。

 

「…………」

 

 レイジは予想に反して、手で口元を覆い、何か考え事をするように悩みこんだ。

 

「……え、何かマジであったの?」

「ああ、その、なんだ……ほら、俺、うちで剣道やってるじゃん」

 

 レイジの家は剣道の道場だ。そのため小さなころから竹刀を振っており、公式戦には出ないもののかなりの実力を持つ。

 VRMMOではリアルでの経験というのは非常に重大な意味を持つ。まったくの素人と、剣による駆け引きの経験があるものでは当然後者のほうが同じステータスでも遥かに強く、その経験があるレイジはかなりのアドバンテージを持ってスタートしている。

 

「あー、いっつもあのおっかないじーちゃんに扱かれてべそかいてたわよね」

「そうしてうちに家出してくるのもいつものことだったよね」

「そのじーちゃんに勝った」

「「はぁ!?」」

「ちょ、ちょっと待って、レイジのお爺さんって警察に稽古なんかも付けてる凄い強い人だよね!?」

「え!? 玲史さん去年までボッコボコにやられてなかった!?」

「ああ、そうなんだけど……ってそこまで酷くねぇし! なんか、すげぇ太刀筋がゆっくりに見えてさ、行ける……! って突っ込んでみたら、こう、すぱん、と」

 

 そういって、胴を払うポーズをして見せるレイジ。

 

「……こっちで散々剣振ってたから、知らないうちに強くなってたとか……?」

 

 なんせレベルカンスト付近ともなると人外の動きをしてくる連中が相手だ、知らず知らずのうちに戦闘経験が積み重なって才能が開花した……なんてこともあるかもしれない。

 

「やっぱそう……かなぁ……」

 

 どこか納得いかない表情で首を捻るレイジに、僕たちは何か言い知れぬ不安を感じていた。

 

 

 

「っと、悪い! 転生イベント前のお前に言うことじゃなかったな。明日はログイン可能になるまでどうするんだ?」

「あー、えっと。明日は次に予定しているイベントの打ち合わせで、一度顔を出してほしいと言われているからそっちにいかないとかな。今度提出したイラストの修正点なんかも聞きたいし。だから夕方以降になると思う」

「私はその付き添いね。まあ、将来の職場見学にもなるし」

 

 祖父母が亡くなってすぐ、自分でもちゃんと稼げるようにとそれまで趣味で嗜んでいた絵を仕事にしようと発起し、細々とイラストレーターの真似事をしていた僕は、この縁で時々イメージイラストの仕事を貰っており、妹はまだ大学を2年残しながら、すでにこのゲームを開発・運営する会社に内定が確定している。

 なので結構こまめに訪れては、仕事についての勉強を始めているらしい。

 

「そっか、それじゃ明日は俺も講義ないし、ついていこうか。中には入れなくても車椅子を押すくらいはできるしな」

 

 確かに、レイジは体力があるし、ついてきてくれればとても心強い。

 

「それはありがたいけど……いいの?」

「ああ、任せとけ」

「それじゃ、帰りに荷物持ちも頼もうかしら」

「……お、おう、任せとけ」

 

 あ、これはついでに重いもの買い込む気満々だな。さすがにちょっと引きつったレイジ。ご愁傷様。

 そんな話をしているうちに、脳内に強制ログアウトまで残り五分のアラームが鳴る。

 

「っと、どうやら時間みたい……それじゃ、玲史、明日はよろしくね」

「私も落ちるわ、おやすみなさい、玲史さん」

「ああ、柳、綾芽ちゃん。また明日。……また一緒にパーティで遊べるの、楽しみにしてるぜ」

 

 僕たち三人は、軽く拳を合わせてそれぞれログアウトを実行、現実の世界へと戻っていった。

 

 





柳→ソール  綾芽→菖蒲→イリス 
キャラ作成後に交換したためそれぞれお互いの名前のキャラを使ってます。
レイジは本名。

主人公視点ではキャラ交換理由はこうですが、綾芽的には
「計画通り(ゲス顔」
となります


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Worldgate Offline 1

「大丈夫か……?」

「なんとか……外を見なければ……」

 

 背後からの声に、ぐったりしたまま答える。

 目を覆う水で濡らしたハンカチがひんやりと心地よく、先ほどまでの胃の中のぐるぐるしていたものはどうにか沈静化し、どうやら人の多い駅で大惨事を引き起こす心配はもうなさそうだ。

 

 そう。僕らの住む片田舎から都市部へ向かう電車の人込みで……酔った。電車に酔ったわけではない。電車という狭い空間にたくさんいる人に気持ち悪くなったのだ。

 

 

 

「ゲームの中なら平気なのにな」

 

 僕の座る車椅子を押しながら、玲史がそんなことを呟く。

 

 ……ちなみに僕の腰から下は、過去の怪我で重要な神経がやられており、思うように動かない。

 

 まったく動かないわけでなく、掴まり立ちであれば短時間なら立っていられるし、杖があれば家の中の短い距離であれば歩くこともできるが、やはり大部分は車椅子の生活だ。

 

「まぁ、それはね。今までのゲームと比べてずっと現実そっくりとはいえ、やっぱり多少なりともデフォルメされてる分、どこかで生身の体じゃないって認識してるんだと思うよ」

 

 『Worldgate Online』がいかに美麗なグラフィックだとしても、現実の事象を全てシミュレートするなんてものは無理がある。

 

 例えば雲一つとっても、いくつかの用意したパターンをランダムにつなぎ合わせて流すことで現実の雲に近寄せているだけであるし、地面の砂の一粒一粒、樹の葉の一枚一枚すべて個別に作っているわけがなく、ある程度はテクスチャ頼みの部分だって多い。

 

 キャラにしてもそうだ。触れるし、肌に触れれば柔らかく、体温も感じるかもしれないが、皮膚の下の組織の感触を再現しているのはせいぜい大きな骨くらいであり、血管などが透けて見えない分多少なりとも人形っぽさが残る。

 

 おかげで、あまり「人」を意識しないで済む分、『Worldgate Online』の中ではそれほど恐怖心は感じない。『イリス』のアバターを使っていると人が集まってくる上に視線が集中するというのに、内心はさておき演技は崩さず維持できる程度には。

 

 ……最近は余裕も多くなってきたため、もしかしたらこの体験も訓練になっているのかもしれない。

 

 なにより、『Worldgate Online』での感覚は、特に痛覚についてはかなり現実に比べて鈍く、斬られたとしてもせいぜいそこが痺れるような感じがする程度だ。たとえ同じことがあってもこっちなら大丈夫、それを知っている安心感はやはり大きい。

 

 

 

 

 ……僕は、生身の人間が怖い。

 

 過去に起きた、両親と、脚の自由を失ったこととなった強盗殺人事件。

 

 その後の入院中に、祖父が怒鳴り散らして僕らを連れ、この祖父母の居る地方に引っ越してくるまで続いた無遠慮なマスコミたちの取材のストレス。

 

 そのせいで、綾芽や玲史をはじめとした信頼している一部の知人を除いて、次の瞬間刃物を抜いて襲ってくるのではないか、という考えが消えないのだ。

 

 人が少なければまだ我慢できるが、学校や駅みたいな人の集まる場所は駄目だった。時間が解決してくれるどころか徐々に悪化し、ついには高校を中退してしまうくらいには。

 

 

 

 しかしそれも、『Worldgate Online』で人と交流を持つうちに徐々に慣れてきたようには思う。以前なら、傍に二人がいてもパニックを起こしていた可能性が高いのだが、今は多少具合が悪くなる程度で済んでいる。だから……

 

「そんな暗い顔をしない。これでもだいぶ良くなってきたんだ、きっとこのままいけばいつかそう遠くないうちにはきっと平気になるから。ね?」

 

 隣で俯いている綾芽の頭を手を伸ばしてぽんぽんとかるく叩く。

 僕の怪我は、強盗から逃げる際に転んだ綾芽を庇った際に刺されたものなため、自分のせいだと責めている節がある。気にする必要はない、当時は五歳だった妹は守られて当然の存在だったというのに。

 

「……別に気にしてないし」

「そう? ならいいけど」

 

 せっかくの美人さんなんだから、いつまでも僕の世話に縛られるのは可哀想だと思う。

 

 綺麗に切りそろえた黒髪を背の半ばまで垂らし、綺麗な所作で歩く綾芽は身内の贔屓目を除いても美人で、だからこそいい相手を見つけて早く幸せになってほしいとどこか年寄りじみたことを考えてしまう。

 

 ……ああ、でも、綾芽と玲史がくっ付いてくれたらそれは嬉しいかもしれないな、

 

 そんなことをぼんやり考えていると、目の前の信号が僕らの接近した瞬間点滅をはじめ、急に止まった車椅子に若干体が浮く。

 

「っと、悪い、行けば良かったか」

 

 もぞもぞと着座姿勢を直す僕に、気遣わしげな声がかかる。

 

「いや、大丈夫だよ。渡り切れなかった時のほうが怖いしね」

 

 大通りを走る車のスピードは遠慮も見られず、おそらく中央分離帯あたりで止まる羽目になっていたかもしれない。だから玲史の判断は間違ってはいない。

 ここの信号は待ち時間が長い。ぼんやりと車の流れを眺めながら信号が変わるのを待っていると、狭い場所に左折しようとする大型トラックの後輪が目の前に……あれ、近くない?

 

「危ねぇ!」

「うわ!?」

 

 後ろに居た玲史がひょいっと僕の座る車椅子を持ち上げて横に移動すると、直前まで僕の居た場所をトラックの大きな後輪が横切っていく。

 

 ……遅れて今のが命の危機だったと顔面が蒼白になってくるが、それよりも今のは……

 

「お兄ちゃん!? 大丈夫!?」

 

 僕の体をぺたぺたさぐり、怪我が無いかチェックする綾芽。

 

「あ、ああ、玲史が助けてくれたから……それより」

 

 先ほど窮地を救ってくれた玲史は、先ほどのトラックに我慢ならないようで、

 

「くそ、こっちは車椅子だぞ、もう少し内輪差気を付けろってんだ……!」

 

 と悪態をついていた。さっきの自分のやったことに気が付いていない……?

 

「っと、ああ、悪かったな、びっくりしたか?」

「そうだけど、そうじゃなくて! 今の……」

「玲史さん、腕とかなんともないの……?」

 

 僕らの若干焦った声に、訝し気な顔をする玲史。

 

「ん? さっきのが何…………っ!?」

 

 ようやく先ほどの自分がやったことに気が付いたようだ。あんな咄嗟に、いくら玲史が鍛えていて、いくら僕がヒョロいといっても、成人男性一人乗った車椅子をまるでパイプ椅子のように持ち上げるなんて。

 

「え? あれ? でも今全然重くなかったぞ?」

「か、火事場の馬鹿力ってやつかな……はは」

 

 昨日のお爺さんに勝ったという件もそうだが、やはり何か起きているのだろうか。

 一度は沈めた疑念が再び鎌首をもたげ始める気がするが……玲史のしてくれたことは何も変わらない。いつものように助けてくれただけだ。

 

「でも、助かったよ、玲史。いつもありがと」

 

 だから、遅れてしまったけれどもせめてきちんと感謝の気持ちは伝えておこうと。

 

「……お? おお」

 

 何故か暫く目をしぱしぱさせて、今度はごしごし擦る。改めてもう一度僕のほうを見て、何かぶつぶつ呟き始めた。いったい何をしているのか。

 

「……ちょっと、その反応は心外だな、僕はいつも玲史には感謝してるんだぞ?」

「あーいや、そうじゃなくてな、さっきお前が……悪い、なんでもない。さ、行くか」

 

 まるで幽霊でも見たかのような顔で、再び僕の車椅子を押して青信号に変わった横断歩道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、今の……なんで柳が……に見えたんだ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『アークスVRテクノロジー』……その会社は東北の某政令都市のやや郊外の目立たない場所に立っている。

 僕たちの関わっている『Worldgate Online』の運営はその所在地を明かしておらず、電話以外のやりとりはすべて親会社のゲームメーカーを仲介して行なっている。そのため看板などは存在せず、外観だけ見るとやや新しめのただの都市ビルの一つのように見える。

 尤も、地下にはとても高価な機材が大量に詰まった広いサーバールームが存在しているらしいが。

 

「それじゃ、俺はその辺の本屋でもぶらついてるわ。二時間くらいしたら来る」

「いつもごめんね、帰りに何か奢るよ」

「おう、お仕事頑張ってな」

 

 手を振って遠ざかっていく背中を見送って、よし、とかるく頬を叩き気合を入れ、インターホンを鳴らすと、すぐにがちゃりと音がする。

 

 

「本日約束していた玖珂ですけど」

 

 そこまで言った段階で玄関のほうがバタバタと騒がしくなり、一人のちょっとチャラそうなお兄さんが飛び出してくる。知ってる人だ。そしてちょっと苦手だ。

 

「玖珂くうううううん!!」

 

 僕の名前を叫びながら爆走してきた彼……緋上さんは、僕の車いすの直前で急ブレーキ、ぴたりと止まると腰を直角にまげてビシリとお辞儀をし。

 

「好きだ、結婚してくれ!!」

「こんにちは緋上さん。それはゲームの中のことですよね? お断りします」

 

 ぴしゃりと断固拒否。

 

「俺としてはリアルでも一向にかまわん!!」

「もっとお断りします!!」

 

 ……冗談だよね? 

 

 まったく、この人は悪い人ではないんだけど、すぐこういう悪ふざけをするから困る。ほら、隣の綾芽が怖い顔で……ちょっと待った目はまずいから、目は。

 こんな人でもアートディレクターなのだ、いきなり居なくなられたら非常に困ったことになる。何より僕らの上司だし。

 

 そうして騒いでいると、今度は奥のほうからパンパン、と手をたたいて、スーツ姿の優しそうな女の人が出てくる。こちらはプランナーの畠山さんだ。

 

「ほらほら、お仕事に来た子を引き留めちゃダメでしょ。いらっしゃい、柳君、綾芽ちゃん。大変じゃなかった?」

「は、はい、ありがとうございます……その、今回は結構大丈夫でした」

「ちょっと具合悪くはなったみたいですけど、もう落ち着いたみたいです……その、無理はしてないようです」

「ん、綾芽ちゃんが言うなら大丈夫ね」

「ちょっと!?」

 

 信用されてない!? いや、一回確かに無理して相談中に倒れたけども!

 

「そういえば、玖珂君はとうとうレベル110になったんでしたか?」

「あ、はい……その、すみませんでした」

 

 僕があのレベル上げに使用した場所のことだ。僕が報告し、処分を僕に言い渡したのは畠山さんだ。もっとも、すぐに社長自らの一声で白紙になったが。

 

「……まぁ、本当は褒められたものではないんでしょうけれど、『彼』が直々に良いって言ったらねぇ……」

 

 困ったものだわ、と頬に手を当てて溜息を吐く。

 ここを立ち上げた例の天才科学者……アウレオさんは、結構思い付きでこういった変更をすることがあるらしく、色々大変なのだそうだ。

 

「まぁ、『イリス』ちゃんは有名だから、スキャンダルは避けたかっただけかもだけどな」

「そ、それを言われると心が痛いです」

 

 本当すみません、と恐縮していると、ちょっとばつが悪そうに眼をそらす二人。

 

「なんか、悪かったな。あれのせいで色々面倒も増えただろ」

「それはまぁ……でも、今も結構楽しいですよ?」

 

 何せ、普通ならできないような経験も一杯してるし、仕事だって貰えた。最初はともかく今はそれなりに満喫している。

 

「だから、本当に感謝してます。ありがとうございました」

 

 座ったまま頭を下げる。顔を上げた時、畠山さんはなんだか照れたように笑っていたのだが……

 

「……緋上さん、どうかしました?」

 

 もう一人、緋上さんは口元を手で覆い、驚いたようにこちらを凝視している……この反応、今日二人目だ。

 

「い、いや、なんでもない、きっと少し目が疲れただけだ。そういや玖珂君のキャラって天族のビショップだよな。ていうことはとうとう……」

「ふふ、そうね。あれは彼直々の仕込みだから、とうとうお披露目っていうのは感慨深いわね。いったい何が起こるのか……今度のイベントの反応が楽しみだわ」

「あの、なんの話ですか?」

「「企業秘密です」」

 

 酷い、ここまで思わせぶりに話しておいて!

 

 

 

 

 

「……あれ、社長、開発室から出てくるの珍しいっすね、お疲れ様です」

 

 曲がり角でばったり遭遇した、ひときわ立派なスーツを着た人物に緋上さんが驚きの声を上げる。

 彼は社長……一時ニュースで何度も見た、アウレオ・ユーバー氏だ。

 間近でみると、この人は何気に結構体格が良い。その見事な銀髪と、綺麗に整えた髭を蓄えた容姿は映画俳優もかくやといった風情があり、纏う雰囲気も相まって、まるで本物の王様か何かのようだ。

 

「……ああ。こちらも一段落ついたのでな。……君が玖珂……プレイヤーキャラ『イリス』の子だったな」

「あ、はい、こうして会うのは契約をいただいた以来で……お久しぶりです」

「構わんよ、楽にしてくれたまえ……君には期待している、頑張りたまえ」

「……え? あ、はい、それは」

 

 突如肩を叩かれ告げられたその言葉に、目を白黒させる。だけど、期待しているという割には……彼の目には、僕は映っておらず、ここではないどこか遠くを見ているようで、背筋がゾクリとする。

 

「では、少し外に出てくる。会議の資料はいつも通り私のデスクのほうに置いておきたまえ」

 

 それだけ告げて、カツカツと靴を鳴らして建物から出ていく。

 

「……はぁー、緊張したわ」

「え? そうっすか? シャチョー、あれで結構話分かるぜ?」

「そういう態度取れるのは緋上君くらいだわ……すごくヒヤヒヤするんだから」

 

 畠山さんに僕も同意だ、さすがにあんなフランクに接する勇気は持てない。

 

「……あの、ちょっと気になったのですけど」

「ん、どうした、妹ちゃん?」

 

 ずっと黙っていた綾芽が、ふと挙手して発言する。

 

「私たちの所属しているノールグラシエの国王様って、あの人がモデルなんですか? 以前からイベントで間近で見るたびに気になっていたんですけど、なんだか少し面影が……」

「……そういえば」

「似てるっちゃ似てるっすね……」

 

 

 

 自分をモデルにキャラを用意しただけだろう、その一言が、何故か僕らの口から出てくることは無かった。後になって思えば、この時既に、ここにいる全員は何か得体の知れないものを感じていたのかもしれない。

 

 

 

 

 





主人公は、自覚はありませんが妹によく似た顔立ちの童顔の男性です。わりと美人さんです。


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Worldgate Offline 2

 

 初夏だというのに、いまだに雪の降り積もる長い針葉樹林の中。

 辛うじて見分けられる朽ち果てた街道の石畳を抜けたその先に佇んでいたのは、一軒の朽ちた建物だった。

 

 すっかり廃墟になったその神殿と思しき建物内では、そのボロボロの外観とは裏腹に、これまでの道中でこの身を苛んできた寒冷地の冷気ダメージは存在せず、敵の存在しない建物内を何事もなく進んでいた。

 

 そうして到達した最後の部屋に、ゲームでは何度も見かけるワープゲートが存在する。事前に聞いていたそのゲートを潜り抜けると、そこは何処までも真っ白な……床か壁かすら不明瞭なただひたすら真っ白な視界が続く不思議な空間だった。

 

 そしてすぐ目の前、台座の上には白紙のページが開かれた一冊の豪奢な本。それに触れてみると、血のように赤い文字がページの上に浮かび上がってきた。

 

 

 

 

 

 現在の体を捨て、新たなる力の解放を望むか

 

 望まない

 カーディナル

 聖者/聖女(Unique job)

 光翼族(Unique race)

 

 

 

 

 

「なんだこれ……ユニーク……種族?」

 

  そんな情報はあっただろうか。

  ひとまずパーティチャットを開き、徒歩三十分ほど離れた村で、この後約束している狩りの支度をしている二人に連絡を取る。

 

『どうした、何か問題でもあったか?』

「それが……ちょっと聞きたいんだけど、二人の転職の時って、選択肢って三つもあった? あ、もちろん転職キャンセルを除いてだけど」

『……』

 

  しばしの沈黙。やがて

 

『いいえ、確かに二つしか無かったわよ。通常ルートと、ユニークジョブっていうの』

『俺もだ。というか三つ目ってなんだ?』

「ええと、ユニーク種族、光翼族、って」

 

 実のところ、この存在には聞き覚えがある。

 

『……それってあれよね、時々イベントに名前出てくるやつ。ほかに何か情報は?』

 

 続きを促すソールの声に、一番下の項目にカーソルを合わせると、追加の情報がポップアップで表示された。

 

「……この種族を選んだ場合、種族・職業が専用のものに変化し、種族特徴が専用のものと置き換わり、以下のアビリティを追加で習得します……『世恢の翼』。世界の傷を癒し、あるべき姿に還す……って、これ」

『世界の傷って、あれだろ、一部のレイドボスのリポップの場所』

『それと一部ダンジョンの入り口ね……それを消す、ってどういうことかしら』

『まぁ、まさかダンジョン壊したりとかそういうのじゃないと思うけど……というか一プレイヤーが習得するようなモンにそんな悪質なもの仕込んでるわけないだろ、多分』

 

 そんなものがあったら、一人のプレイヤーに与える権限としては大きすぎる。

 

『そうね……でも、もしなんかすごい地雷だったとしても、私たちは絶対一緒にいてあげるから気にせず選んでも構わないわ』

『そうだな。それに、他にもしかしたらこういう隠し要素が色々仕込んであるかもしれないし、な』

 

 不安は、ある。

 しかし、どうなっても一緒に居てくれる。その言葉だけで、未知のものへの好奇心を優先する一歩を踏み出すには十分すぎた。

 

「そうだね……分かった、もしすごくアレだったら皆で面白おかしくネタにしようか」

 

 今まで報告の存在しなかった選択肢。その先に待っているものへの期待を胸に、僕は一番下、光翼族をタップした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――これが、全ての始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだよ、これ……」

 

 俺、緋上恭也は、目の前で起きていることに呆然としていた。

 

 最初は小さなバグだと思った。

 フィールドの小さなほつれ。ちゃちゃっと修正してそれで終わり、メンテが必要なほどのことではないと。

 

 しかし、とある起点……転生イベントの場所、通称『白の世界』から始まった綻びはあっというまに仮想世界全体に拡散し、現在すべての社内の機器がけたたましいアラームを上げている。

 スタッフが総出でどうにか食い止めようにもまるで追いつかず、ならば強制シャットダウンと思っても何故かあらゆる手段での試みがすべて弾かれる。

 

「クソ、聞こえるかサーバールーム! 電源だ、電源抜いちまえ!!」

『とっくに抜きましたよそんな物!?』

『何故だ! ブレーカーだって落としたっていうのに……!?』

 

 混乱と、阿鼻叫喚の坩堝に陥っているサーバールームに、舌打ちして受話器を叩きつける。

 

『コード:ワールドゲートを開始します。全ての非資格者より、生命力・魔力を徴収開始、終了次第順次強制ログアウト実行……完了しました。続いて対象・キャラクター名【イリス】改変開始……』

 

 全く知らない内容を告げる音声が部屋に響く。

 

「なんだ、これは……」

 

 モニターの一つを見ると、真っ赤に染まった世界でそこに存在するプレイヤーのHPとMPが凄まじい勢いのスリップダメージにより減少し、バタバタと倒れ伏す。彼らは倒れた端からログアウトの光に包まれ、ゲームから姿を消していく。

 

「っ、今すぐ今ログアウトしてる連中の機器のバイタルサインを……安否をチェックしろ、急げ!!」

「は、はい!」

 

 この異常事態だ、何が起こってもおかしくない。せめてプレイヤーの無事は……その一心で、祈るような気持ちで指示を飛ばす。

 

 

 そんな時、この非常時にやけにのんびりとした、普段通りの様子のまま入室してきた者がいる。

 社長、アウレオ・ユーバー。奴はなぜこんな状況を満足そうに眺めているのか。あまりに呑気な様子にかっと頭に血が上る。上司だとか知ったことか。

 

「おい、お前、何呑気に眺めて……!」

「……ああ、強制ログアウト中の者は心配はいらぬよ、多少はじき出されたことで軽い酩酊感はあるかもしれないが、人体に害は無いはずだ」

 

 こともなげに、なんでもなさそうに言い放つ。まるでこの事態が何か知っているように。

 

「……何を知っている」

「すべてを。この事態を作り上げたのはすべて私なのだから」

 

 

 そこからアウレオから聞いたのは、俺の知る常識からは遠く離れたファンタジーな出来事だった。

 

 曰く、自分はこの世界とは別の世界の住人であり、その世界から事故で飛ばされてきていたということ。

 

 曰く、その世界で起きている危機を解決するために必要な「者」を作り出し、連れ帰ることが目的だったこと。

 

 曰く、「三次転生職」というのはこちらの世界より厳しいその世界で適応できるよう、体を作り変える文字通り「転生」であること。

 

 曰く、そうして転生の準備段階としてこちらの世界でも若干能力の向上などの影響が出ているものが存在していたこと。

 

 曰く……

 

「……つまり、この『Worldgate Online』そのものが、私の作り上げたかの世界とこの世界を繋ぐゲートであり、そして私の悲願である、世界を修正する者……過去に滅びた光翼族と、それを守る戦力となる、向こうにしがらみの無い兵を生み出すための装置だということだ。理解したかね?」

 

 アウレオの前に一冊の本が現れる。あれは転生の間にあった白の本か。その無数のページが本から離れ、奴の周囲に漂い始める。なんなんだこれは。いつのまにこの世界はこんなファンタジーな世界になった。

 

『プレイヤー【イリス】改変完了。転送開始します。『Worldgate Online』内の有資格者、転送完了。続いてゲームの外の有資格者のサーチおよび転送開始……』

 

 様々な場所を映すモニターの中で、突然の異常事態に戸惑う、まだゲーム内で立っている者たち……三次転生職となっていた者たちの足元に魔法陣のようなものが出現し、次々と飲み込まれては消えていく。

 

「最後に、改めて紹介しよう。私の名は『アウレオリウス・ノールグラシエ』。君も聞いたことがあるだろう。『Worldgate Online』の中で、突如行方不明になったという……ノールグラシエ前国王。それがこの私だ」

 

 嗤うしかねぇ、俺たちは自分たちの作ったゲームの中の住人の指揮で、そいつの居た世界を作っていたとか。

 

「あいつ……『イリス』を……玖珂君をその目的のものに作り変えて向こうに連れていこうと思ったのはいつだ」

「……最初の、コンテストの時で見かけた時からだよ。こちらの世界に両親が存命しておらず、家族親類は妹が一人だけ。引きこもりでしがらみが少なく、こちらに未練も少なく、善良で、何より人の庇護欲を誘うあの容姿だ。あの時からすでに有力候補としてリストアップしてあった」

「……てめぇ!」

 

 思わず胸倉をつかもうとするが、奴の周囲に漂うぺージから帯のような影が伸びてきて、四肢を拘束される。だが、この言い草はいくらなんでも玖珂君が報われなさすぎる。言ってやらねぇと気が済まねぇ。

 

「あいつは……自分を拾い上げてくれて感謝してるって……ありがとうって、そう言ってたんだぞ……!!」

 

 それを、こいつは、危険な場所に送り込むために最初から仕組んでいたとそう言うのか……!

 

「ほう、それは好都合。ではここで恩を返してもらおうではないか」

「……この、野郎っ!」

 

 そんな激高する俺の足元にも、あの魔法陣が出現する。徐々に上ってくるその陣の下にあるはずの俺の足は、しかしどこにも見当たらなかった。俺の体が消えていく。

 

「そういえば、君も有資格者だったね。君は彼……いや、もう彼女か……に、相当入れ込んでいただろう? ぜひとも、君も彼女を守ってやってくれたまえ。では。私も失礼するよ」

 

 踵を返し立ち去っていくその背に手を伸ばすことしかできず、すぐに意識は闇に飲まれて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「畠山さん……これは、いったい」

「分からない……こんなの、分かるわけないじゃない……!」

 全てが終わった部屋では、全ての端末が無情にエラー画面を吐き出し続けるだけだった。

 

 

 

 

 この日、世界最初のVRMMORPG『Worldgate Online』は大規模な障害により長期間のサービス休止となった。

 

 そしてその同日、数百人規模の集団神隠しが発生し大騒ぎとなるが……その二つをつなげて考える者は、「現実」という常識の前にゴシップ扱いされ、憶測飛び交うネットの海を除き、やがて薄れ忘れられていくのであった。

 



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Worldgate Offline ……Restart

 

「……え、な、何……?」

 

 選択を実行したその時、画面に激しいノイズが走った。

 それは瞬く間にこの純白の世界に広がり、白いキャンパスに血で何かを描くかのように縦横無尽に深紅の幾何学模様が走る。

 思わず数歩後ずさりすると、ひとりでに浮き上がった目の前の本から、足元から、何条もの黒い影の帯のようなものが僕の四肢にまとわりつき、抵抗の暇もなく瞬く間に宙吊りにされてしまった。

 

「な、なんなのこれ、レイジ、ソール、何これ、どうしたらいいの!?」

『どうした、何があった!?』

『お兄ちゃん、落ち着いて、何があったの!?』

「は、放し……がはっ!?」

 

 拘束を逃れようとする胸に、腹に、全身に、ドスドスと闇色の帯が突き立っていく。

 何故かゲーム内には存在しないはずの痛みと衝撃に、存在していないはずの肺から空気が絞り出され、呼吸すらままならなくなる。

 

『どうし……おい、返事……!!』

『お兄……何が……!?』

 

 パーティチャットにノイズが混じり、徐々に何も聞こえなくなっていく。

 そして、僕の中で何か決定的なものが消えていく喪失感。空いた場所を別の何かが埋めていく充足感、それらを全て押し流すかのような苦痛。まるで、蛹の中で成虫となるため一度全身をドロドロに溶かしてしまう虫のような、全てを決定的に変えられてしまう悪寒。

 

「消える……僕、消えちゃう……たすけ……」

 

 消えていく意識の中、最後の力を振り絞りどうにか声を絞り出すも、すでに二人と繋がる線は崩れ去り、どこにも届かずむなしく消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、これ」

 

 目が覚めると、知らない天井だった。

 

 ……いや、知ってる。

 

 まじまじと見ていられる精神的余裕が無かったため少々自信はないけれど、つい先ほど通過した、先ほどまでいた転生の部屋、白の世界への入り口のある、北の国の外れにある古びた遺跡だ。

 

 ……つまり僕は無事転生後、急に寝落ちして今目覚めた、と。

 

 そういえば、最近は睡眠時間を限界まで削って、連続プレイ時間上限の許す限り、あのギリギリなレベリングに費やしていたのだから、よほど疲れが溜まっていたのだろう。それで転生完了したことで緊張が切れてふっと……ふっと?

 

 おかしい、そんなはずはない。

 

 このゲームは寝落ちして一定時間経過した場合、体調に異常ありとして強制的にログアウト処理が行われるはずだ。

 そして、世界初のVRMMORPGということで生活に関わるバグについてはかなり神経質に対処していたはず。

 

 つまり、「寝落ちしてゲーム内で目覚める」ということはまず起こるはずが無く……

 

 徐々に嫌な予感が背中をよぎっていく。半引きこもりの自分はそういう娯楽小説なんかもよく読んでいたし、一時は一大ジャンルを築いていたのも知っている。

 

 そして、どう頑張ってもメニュー画面すら出ない。

 

 操作ミスかと思い、もう一度試す。

 

 右手から左手に変えてもう一度。

 

 GMコールのボイスコマンドも試してみる……が、ウンともスンとも反応しない。

 

 どう考えてもアウトです本当にありがとうございました。いやいや、でもまさかそんな小説みたいな……

 

 おかしい、背筋のうすら寒さが止まらない。

 そういえば、寝転がっているこの床はやけに冷たい。

 きっとそのせいだ。だってここは北国で、しかも硬い大理石の床に横になっているのだから……

 

「……っ!?」

 

 がばりと跳ね起きる……が、脚に力が入らずペタンと座り込んでしまう。

 

 ……冷たい、ってなんだ?

 

 このゲームはそこまで詳細に再現していない。でなければ極寒の中ではすぐさま凍えて身動きが取れなくなってしまう。

 ゲーム内ではせいぜい、冷気ダメージ下に薄着で長時間とどまった際に発生する体温低下のバッドステータスが付いた際に、若干思うように動けなくなる程度だったはずで、実際に熱い寒いを感じるわけではなかった。

 

 幸いこの部屋は何故か少し暖かいため、至急どうなるというものでもなさそうだが、それでも現在の薄着では少々心もとない。

 

 そして、現在いわゆる女の子座りの状態にあるのだが、脚から、お尻から伝わってくる冷たさはやはり現実のそれとまったく遜色がない。

 

 呆然としていると、はらりと視界の端に虹色の輝きが横切った。

 細い糸のような……思わず手に取ってみると、極上の絹糸のようなさらさらとした手触りが伝わってくる。

 どこから垂れているのか確かめようと軽く引っ張ってみる……痛い。なるほどこれは自分の頭皮から垂れているらしい。

 

 なんとなしに、糸を掴んでいる自分の手を見る。それは、とてもよく見慣れた手だった。具体的には、「いつもゲームの中でよく見ている」手だ。

 

 しかし、白く透けるその肌の下には血が通っていることを示す朱色がうっすらと交じり、さらには血管が透いて見える。試しに手首のあたりに触れてみると、ふわっと柔らかく、しっとりとしたきめの細かい手触りの下に、腱などの硬い感触がする。

 はて、このゲームのアバターはここまで詳細に人体を再現していただろうか。

 

 ……そんなはずはない。

 

 このキャラクターのテクスチャは、僕が自分で作成したものだ。

 確かに妹と数か月がかりでとことんクオリティを追求したのは間違いないが、まさかそこまでした覚えは微塵もないし、ゲームを開始して以来何年もこの体と付き合ってきたのだ。今まで見えてなかったなど絶対にありえない。

 試しに軽くつねってみると……

 

「……痛っ!?」

 

 刺すような痛みに慌てて手を放すと、先ほどつねった場所が徐々に赤くなってくる。そういえば先ほど髪の毛を引っ張った際も痛かった。

 

 震える手で腰のポーチを探る。幸い、マジッグバッグとしての機能は失っておらず、その内容量には変化はないようだ。その中から普段から持ち歩いている手鏡(物陰を見たりなどに使うのであって、ナルシスト趣味があるわけではない)を取り出し、自分の顔を見る。

 

 

 

 ――簡潔に言うのであれば、絶世の美少女がそこに映っていた。

 

 

 

 年の頃は、まだ多分に幼さが残る十代前半くらい。

 

 肌は腕と同様透けるように白く、一方で頬はうっすらと桜色に染まり、その人形のように整った容姿を持つ少女が生の通ったものであると主張している。

 

 眉の少し下で切り揃えられた前髪は、緩く斜めに傾斜を付けてあり、右目は完全に出ているが、左目側は目の半ばくらいまで僅かに隠れる長さ。

 横髪は肩に触れる程度の長さで綺麗に整えられ、後ろは特に結ったりはせず、シンプルにさらりと流れ、腰下まで柔らかく覆われている。

 

 銀糸のカーテンに縁取られた小さな顔の中間、ぱっちりとした目は長い睫毛に縁取られ、顔の力を抜くと、ややまぶたが伏せられ垂れ目気味の穏やかそうな笑顔を浮かべる。

 その目の中央には薄いアメジストの瞳が潤んだように煌めいていた。

 

 鼻は高すぎず低すぎず、慎ましやかながら綺麗な線を描いでおり、やや小さめな唇はふっくらと愛らしい形で、化粧をしているわけでもなさそうなのにもかかわらず、薄桃色に艶めいている。

 

 総じて見て、「思わず庇護欲あるいは嗜虐心に駆られてしまいそうな儚げで可憐な美少女」といった風情だ。

 

 視点を下にずらしていくと、転職用の、裸体を晒すのを防ぐためだけにあった薄く頼りない危うい服の下には、150cmにも満たない小柄でいまだ幼げな、しかし少女から女性へと向かい始めつつある危うげなバランスの体形をした肢体。

 

 服に隠された胸部にはそれに非常に良く調和した、やや小ぶりながらしっかり存在している手のひらサイズの双丘があり、未だ成長途上のためかやや固めだが、表面はそれでもふにふにと心地よい手ごたえを返してくる。

 

 下のほう、脚の間の感触が無いのは気になるが、今ここで調べる精神的余裕はちょっと無いので後回しだ。

 ここまでのあらゆる感触がここは現実であると全力で主張しているというのに、ソレを正確に認識したらいよいよ死にたくなりそうだ。

 

 しかも、この顔にはとてもよく見覚えがある。「やるからにはゲーム内で一番を目指す」と意気込む妹に押され、ああでもないこうでもないと長い時間をかけて作り上げ、実際に第一回目のアバターコンテストでは並みいる企業の作品を押しのけ最優秀賞を授与し、その後数度にわたり優勝を経て最終的にはコンテストを出禁くらった。ゲームを始めて七年、廃人の一人に数えられる程度には付き合ってきた、いつもの『イリス』の美少女の顔であった。

 

 いや、こうして一層細部までリアリティが加わった結果、余計に現実離れが際立つ整った……あまりにも歪みなく整いすぎた顔がそこにあった。

 

 しかし……

 

「髪の色が、違う?」

 

 手に取った髪を角度を変えしげしげと見つめる。元は(質感には拘ったが)変哲もない白に近い銀髪であった、しかし今は、腰のあたりまで届く長い髪が、光の加減で何やら薄く虹色に煌めいて見える。

 

「これは、転生して種族が変わったせいなのかな……それに」

 

 なにやら背中が寂しい。天族の特徴である背の大きな翼が存在していない。

 

「どういうことだろう……無くなっちゃったのかな。でも、光翼族って言っていたのに、それは……んー?」

 

 試しに、ゲームの中で翼を動かしていた時を思い返し、背中……元は翼のあった肩甲骨あたりに軽く力を込めて、ああでもないこうでもないと暫く試してみたところ……

 

 

 

 突然、視界が光に包まれた。

 

 

 

 一瞬で、部屋の中がきらきらと幻想的な光の粒子に満たされた。

 まるで、東北の山地にある祖父母の家で、多数の数えきれないほどの蛍を見た時のような、いや、それを何十倍にしたような。

 また、ふわふわと光でかたどられた羽根のようなものも無数に落下してきており、うすら寂しい廃墟がまるで荘厳な宗教画となったかのような風情を醸し出している。であれば描かれるのは僕であろうか……すごく遠慮したい。 

 

 試しにひらひらと舞ってくる羽根を一枚手に取ると、触れた瞬間粒子になって散っていく。

 ギギギ、と、金属のさびた音が響きそうな緩慢な動作でゆっくり振り向くと、視界には眩いばかりの光を放つ3対6枚の翼がゆらゆらとはためいていた。そういえば、イベントで壁画を見に行った際にそこに描かれていたもの、こんな感じの翼だった気がする。

 

「は……はは……やばい、なんだこれ……」

 

 一層冷や汗が止まらなくなった気がする。

 きっと今鏡を覗いたら、先ほどのあどけない少女の顔が、盛大に引きつっていることは間違いない。

 

 このゲームの「光翼族」というのは、ゲーム内で時々会話に出てくる大昔に存在したといわれる種族。ある重要な役目を帯びていた、当時この世界で最も貴ばれていた種族と言われており……

 

 

 

 ――今はもう、とっくに絶滅した存在なのだ。

 

 

 

 この世界では、時折「世界の傷」なるものが開くと言われている。

 そこから発生するのが一部のダンジョンや、あるいはレイドボスなどの強大なモンスターだと言われている。

 光翼族というのはそうして発生した……傷の発生した世界そのものを、癒し、消し去る……という能力を持った種族という設定であったはずだ。

 

 もしかしたら転生ユニーク職になら何かあるのではないか? 

 やけに不遇な支援職系列に何か仕込んであるのではないか? 

 

 そんな疑問に駆られ、不遇だろうがなんだろうが歯を食いしばり耐えてきたし、まさかそのものが選択可能だと露にも思っていなかったため、実際に転生先の選択肢にその名前を見た時はわが目を疑いもしたし、リスク承知で選択した。

 しかし、それはゲームの中でならばただの優越感に浸る要素でしかなかった。ところが、もしここがゲームでなくなり、現実なのだとしたら……

 

「ヤバい、どうしようこれ……目立つってレベルじゃないぞ……」

 

 色々と不穏当な単語が脳裏をちらついては消える。目の前が真っ暗になりそうだ。ズルした罰がこれですか神様。ちょっと重すぎやしませんか。

 

 

 

 玖珂 柳、ゲーム内ではイリス。もしもゲームの設定が生きていた場合、北の魔法王国の宝石姫、イリス・ノールグラシエ。

 

 

 

 現在、転生直後のレベル1。

 身を守る力も無い自分は今、絶滅したはずの、古代種族の少女になってしまっていた――……

 



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着替えと検証と

 

 あまりの事態にしばらく呆然としてしまったけれど、いつまでも呆けているわけにはいかず、身だしなみを整え始める。

 何せ今のこの身は薄手の貫頭衣のようなワンピース一枚のみで、下着すら着用していない。このままではすぐに体温を奪われて身動きすら取れなくなってしまう。

 

 ゲームのようにメニューが出ない以上、自分で順に着込んでいかないといけないが、そのあたりは問題ない。

 転職後に着るために持ってきたプリースト系列初期服、「ルーキー・プリエステスドレス」をデザインしたのは僕らであり、何度か描いた『Worldgate Online』のイメージイラストで、イリスが着ていた回数が最も多かったのもこの衣装だ。詳細な設定資料も記載した関係でその構造も熟知している。

 

 ……と、そう思っていた時期が僕にもありました。女の子の服の複雑さと面倒さを甘く見ておりました。

 

 

 出るわ出るわ、ゲームでは全身の部位すべてセットでアイコン三つ四つだった衣装のセットは、すべての部位を取り出した時には小さい山のようになっていた。

 

 ちなみに、ゲームだった時は元の体よりは多少足腰がしっかり動くものの、現実の体の損傷と無関係ではいられなかったようで、かなり動作の制限があった。

 この体も同様で、なんとか立つ、歩く、という動作は可能かもしれないけれど、それ以外の行動を取れるかというと少々心もとない。

 どうしてもバランスが取れない以上座って着替えなくてはならないが、下着も纏わぬ裸体で廃墟の床に直に座るのは躊躇われたため、床にバッグから取り出した敷布を敷く。これも妹に「女の子のたしなみ」として持たされた一つだが、こうなってはありがたい。

 

 

 敷布の上に座り、片足ずつ下着に足を通す。最初はこんな小さい布切れがと思ったが、履いてみるとぴったりとフィットする肌触りのいい生地の感触に、何かから守られているような安心感とともに元男としてのなにかがガリガリと削れていく。

 

 続いてブラジャー。手に取ったそれを、着用するか悩み……視線を落とすとすぐ目に入るささやかなそこを見て、ぶっちゃけ必要なくね? と思ってしまったが……結局、この後歩くことも考えて着用する。擦れると痛いっていうし。

 

 ……付け方? 話題を振られた時のためにと実物を使用してばっちり仕込まれてますが何か?

 

 続いて取り出したのは黒いタイツ。ゲーム内では冷気ダメージを緩和する効果があり、さすがにこちらではそのような効果は無いだろうが、多少の気休めにはなるはずとやはり座り込んだまま履く。これは非常に難儀した。

 

 続いて指に引っかかったスリップ……これも必要かやや悩んだが、ゲームでは「魅せ」ることを重視した下着の上下は見るからに繊細で破損しやすそうなので、念のためこちらも身に着ける。替えの下着がいつ手に入るかわからない以上、余計な損耗は避けたい。

 

 

 ここまで着込んでようやく初期服に手を付ける。この段階でものすごくどっと疲れた。本当に女の子の身だしなみというのは手間の多いことだとその苦労を忍ばざるを得ない。

 

 ノースリーブのブラウスを着込み、フリルパニエと組み合わさったスカートを履く。膝上丈はかなり高いが、幾重にも重なったフリルにより下着はそうそう見えない構造となっている。

 その上から羽織る形でローブを着込む。その際に服に巻き込んでしまった長い髪を直すのに苦労するかとおもいきや、ほとんど手ごたえを感じずスルリと服の間から滑り抜けて手からさらさら零れる感触に思わず「おぉ……」と感動してしまった。

 やや薄手で、薄いクリーム色の、ところどころ金糸で刺繍の入った膝くらいの丈のそのローブは、下に履いたスカートよりは丈が長いが、腰のくびれのあたりから4つのスリットが入り、下のパニエによってふわりと広がり、そのスリットからパニエのフリルが覗く仕様となっている。

 

 袖はラッパのように広がっており、こちらも肘のやや下まであるスリットからふわふわしたフリルが覗く。まっすぐ腕を下に垂らすとちょうど指先だけフリルの山から頭を覗かせる寸法だ。前面の二列のボタンをきっちり留めて、仕上げに腰の後ろのリボンで腰回りを調節すれば完成だ。

 

 手鏡で、きちんと着られているかを確かめる。

 しっかりボタンを留めたブラウスと、その上に着たローブだけを見ると清楚な神官風の印象でありながら、スカートや袖などから所々見えるふわふわなフリルは硬そうな雰囲気をやわらげ、華やかな可愛らしさを醸し出していた。

 

 最後に、フィールドワークも考慮した、踝よりやや上くらいの長さの、厚手の底のショートブーツをこれまた苦労して履けば、準備は完了だ。

 

 どこか変なところはないかと立ち上がってその場でくるりと回ると、その動きを追いかけてスカートのすそがふわりと舞い上がる。

 

 ……駄目だ、ゲームならともかく実際に着ると可愛らしすぎてそれを着ているショックに目が眩む。

 

 急に恥ずかしくなり、寒冷地用の防寒具……フード付きのポンチョとかいうこれまた可愛らしい代物であったが……をそそくさと着込むと、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 外に出ると、やはり途端に冷気が肌を刺す。が、幸い今の時期であれば精々雪が積もり始める時期くらいの寒さであり、我慢できないほどではない。

 

 いくつか宝石が散りばめられ、金の輪のしゃらしゃらと鳴る、程々に華美な装飾の施されたこの体の身の丈よりはやや長い長杖を取り出す。

 見た目は立派だが、実はゲーム時代の装備品融合……見た目だけを別の装備に移すシステムで、外見だけ挿げ替えたもので、性能はせいぜい中堅レベルよりやや下、程度の性能しか持っていない。とはいえレベル1であろう自分には十分すぎる代物だが。

 

 試しに振ってみるが、特に違和感は覚えない。どうやら問題なく使用できそうだ。

 軽く、『ディバイン・スピア』を最低出力で放ってみる。おそらく身を守る数少ない手段であろうから、性能の把握はしておきたかった。

 

 結果……システムアシストがなくなったため、ホーミング機能は失われ、着弾のその時までしっかりターゲットを自分で捕捉しておかなければ、標的を見失ったミサイルのごとく不安定な軌道でどこかに飛んでいってしまうことが判明した。

 

 クールタイムは存在するが、ディレイは存在しない。代わりに、射出時に少々この体には抑えきれない反動があることも確認できた。

 

 MPダメージという特性は健在だが、この世界でのそれは思ったより有用だということも判明した。

 

 たまたま見かけたネズミに試し打ちしたところ、どうやらこの世界ではMPが著しく減少すると、体調に変調をきたし、ある程度以下まで消耗してしまうと昏倒してしまうようだ。

 昏倒したネズミに治癒魔法は効果が無く、『マナ・トランスファー』というMPを譲渡する魔法を試しに施してみたところ、すぐに目が覚めていずこかに逃げていったのでおそらく間違いないだろう。

 

 もし何かに襲われても、有効な攻撃手段となることが判明したのは、多少なれども精神的な余裕を持つことができるという意味で大きかった。

 

 一方で、これは自分にも言えることでもあり、MPダメージや魔法の使い過ぎは行動不能という結果を招くということで、魔法行使は慎重に行わなければならないようだ。

 特に、現在は大きく能力を減じているのだから、ゲーム時代のようにMP任せに支援をバカスカ飛ばすことは不可能になったと思ったほうが良さそうだ。

 

 また、ポーション類をはじめとする薬品類も、その性能を大きく減じていた。

 

 試しにMP回復アイテムであったマジックウォーターを一本飲んでみると、じわじわ魔力が戻ってくる感覚はあるものの……即効性の低下は顕著で、飲んだ直後にどうこうという変化はなさそうだ。

 また……これが意外と厄介なのが……液体である以上飲んだ直後は腹に溜まるということだ。この体の胃の容量は少なそうなので、そう何本もガバガバ飲むことは不可能と考えるべきか。

 

 

 

 

 

 とりあえず主要な魔法を一通り試し、一通り発動可能であることを確認した僕は、近くの町で待っているはずの二人に連絡を取ろうとする……が。

 

「チャットも……できないよね、当然」

 

 チャット窓などウンともスンとも言わないので早々に諦めた。であれば戦力のある二人がここに来るのを待つのが上策、なのだろうが……

 

「……もし、飛ばされてきたのが僕だけだったら……?」

 

 ぞわりと、嫌な考えが鎌首をもたげる。ただでさえ装備品にバッグ容量が圧迫されており、一度町で合流予定だった僕のカバンに食料や水はほとんど存在しない。

 数本のマジックウォーターと二切れのサンドイッチ、これだけだ。いつ来るかもわからない、居るかもわからない二人が迎えに来るのを待つのは……。

 

「……やっぱり二人任せにするのは駄目だ、行かないと」

 

 心細さを振り払うように、目の端からあふれそうになった滴を拭い取ると、覚悟を決めてゲームの時に元来た雪原へ踏み出した。

 

 

 

 

 ……慎重に検証したつもりだった。

 

 

 

 しかし、なまじゲームと同じ外観、多少変わったとはいえほぼゲームと同じ魔法。ゆえに、やはりどこか「なんとかなる」と、甘く見ていたのだろう。この世界が現実であるという意味を、この時はそれほど深刻に考えていなかった気がする。

 

 

 

 

 

 





小さい子供ってよく座ったり寝転がったりした状態のまま着替えますよね。
ちなみにイリスは「MP」っていう言葉を使っている時点でまだだいぶゲーム感覚です。


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広がった世界と、初戦闘

 

 白い雪の結晶がちらほらと空を舞い、木々はすべて降り積もった雪で白く化粧を施された、人の踏み荒らした跡の見えぬ一面の銀世界。

 そんな、まるでおとぎ話のような純白の幻想的な自然風景の中、僕は……

 

 

「疲れた……」

 

 この世の終わりのような顔で、手ごろな高さの倒木に腰かけて途方に暮れていた。

 

 

 

 

 

 二人と合流する手筈だった最寄りの街に向かっていた僕は、歩き始めておよそ一時間ほどで、すでに音を上げていた。

 

 というのも、この体、見た目通りに異様に体力が無いのである……と言いたいところなのだが、それ以上に僕がうまく歩けない、というほうがむしろこの状況を招いていた。

 元々、十歳にもならない幼少時に怪我によって車椅子生活を余儀なくされた僕は、ゲーム時代でもアバターであれば動かせることは動かせたが、脚の動かし方が人並みに上手く動かせなかった。背に羽根を持つ天族であったからこそ浮遊することである程度カバーできていたが、地面に降りるとその弱点が顕著に露呈する。

 

 最初は、現在妹の使用しているキャラを使用して前衛をやろうとしていたが、すぐに挫折した理由がそこにある。

 接近戦ともなれば地に足を付け立ち回らなければいけないが、どうしてもそれができなかったのだ。

 とはいえ、僕たち二人のアバターは長い時間を費やし二人で完成させた最高傑作であり、それ故に「適性が無い」と作り直す気力は存在しなかった。

 

 幸い……というのも変ではあるが、妹のほうは妹のほうで最初は「かわいいキャラで可愛くふるまって支援職でちやほやされたい」とかのたまっていたのはいいが、いざやってみるとあまりの不遇ぶりにイライラし始めていた。

 そもそも、もともと性格的に前に出て暴れるほうが好きだったため、支援特化ステにもかかわらず高頻度で我慢できずに飛び出して殴りに行く始末と、二人揃って散々な結果となっていた。

 

 キャラデリするくらいならとお互いのアバターを交換した結果、お互いの性格がそれぞれうまい具合にかみ合ってしまい、以降妹に「女の子から学ぶネカマ特訓」とかいう謎授業を受けて七年間も過ごしてきたのだ。

 おかげで女の子らしい……それも、この外見に見合った可憐な女の子らしい……言動は一通り妹からお墨付きをもらっている。今では意識せずとも自然に動けると言ってもいいはずだ。ちょっと男として複雑ではあるが。

 

 足が不自由な分少々ぎこちないところはあり、歩いているとよく躓いたりもするが、妹曰く「それも萌えポイントになるから問題ないわ!」とよく分からないことを言っていた。

 

 

 

 話が逸れてしまったが、ではなぜ苦手にもかかわらず自分の足で歩いているかというと、現在、転生し種族が「光翼族」となってしまったが、この種族は普段は人族と変わらぬ姿をしており、必要な時だけ翼を出すことができる。

 しかし逆に「翼を出しているときしか飛べない」という制約もついていた。あのやたら目立つ翼を。

 誰かに見られてそれが悪人だったりしたら奴隷コース待ったなしに違いなく、 それは御免こうむりたい。

 

 それに、試しに飛ぶ練習をしてみたものの、システムのアシストで飛びたいと思うだけで勝手に羽が動いたゲーム時代と違い、どうやらこちらでは自分で意識して羽を動かさないと飛べないらしかった。

 一応、少しだけ浮くことはしばらく練習してできるようになったものの、空を自在に飛ぶ、というのは相当練習しなければ無理そうと判断し歩いてきたのだが……

 

 

 

 

 

 そして一時間後。

 足りない筋力を強化魔法で補い、足の痛みを回復魔法でだましだまし歩いてきたものの、疲労の蓄積だけはどうにもならず、すでに足腰がガクガクになるまで疲弊していた僕は、今こうして途方にくれて座り込んでいた。

 

「……というか、隣町まで遠くないですか……ゲームの時は私の足でも徒歩で三〇分くらいでしたよね……」

 

 ぶつぶつ文句を言いながら、マジックバッグの中に眠っていたサンドイッチと、ドリンク代わりのマジックウォーターを口にしながら……やはり見た目相応に胃の容積が減っているらしく、食パン半分くらいの大きさのサンドイッチ一つで結構苦しくなっている……ここまでの道程を振り返る。

 

 現在、ゲームの時の距離の倍は歩いてきたはずなのだが、見渡す限り雪の積もった針葉樹林が広がっているだけだった。ひたすら木々と雪とかろうじて街道と分かる寂れた道しか見えず、黙々と歩くのは非常に骨が折れた。

 足元も、現実になった結果、不安定な場所も多数あり、何度か雪やその下に這いまわる木の根に足を取られ頭から雪中にダイブする羽目になった。汗と服の中に入り込んだ雪の解けた水でやや湿った衣服は肌に張り付き気持ち悪く、疲労の蓄積に一役買っている。

 

 広くなった世界相応にモンスターの存在する密度も低く、時折のんびりと草を食んでいるノンアクティブなものを数度見かけた程度しか遭遇していないのは幸運であるが。

 

 

 

 

 

 ――僕たちの遊んでいた『Worldgate Online』のウリの一つに「探索しきれない、冒険にあふれた広大なフィールドを」という謳い文句があり、事実実装されているフィールドを一周してみよう、という挑戦を敢行した者たちが言うには、徒歩で行動できるフィールド「だけ」の広さがだいたい北海道の面積と同じくらいありそう、とのことだった。

 そのためゲームでは一日一回のテレポートゲートをはじめとした様々な移動手段が充実していたが、こちらに来てからはその恩恵は失われていた。

 現実のものとなった今、実在する世界が一つの島程度の広さとは考えにくく、もしかしたら数十、下手をしたら数百倍……あるいはそれ以上……の広さに変わってしまっている可能性は高いのだ。

 

 

 

 ……というのを気が付いたのは歩き始めて一時間後、つまり今であり、その考えに思い至らなかった一時間前の自分を殴りたくなってくる。

 

 

 

 

 

 とはいえ、いつまでもこうして座り込んでいるわけにもいかず、町かせめて野営できそうな場所を探そうと立ち上がった時、何か遠くから……

 

「……悲鳴?」

 

 そう、誰かが叫ぶ、切羽詰まったような声が聞こえてきた。一瞬避けて逃げようかを考えるも、放っておくわけにもいかない、もしかしたら助けたら道を聞けるかもしれない、という打算からそちらに脚を向けようとした瞬間。

 

「……いっ、ぁあああぁ!?」

 

 全身を頭から足まで貫くような、激しい痛みが走り崩れ落ちる。

 

(痛い痛い痛い痛い! なんで!? 周囲には何も……!)

 

 何、なんだこれ、攻撃された!? しかし、どこか怪我をしたような感じは全くない。そうしている間にも全身を苛む苦痛はすぐに鎮静を始め、徐々に意識が鮮明に戻り、頭の奥にズキズキと引き裂かれるような痛みが残る程度まで収まった。

 

「はぁっ……はっ……はっ……行か、ないと……」

 

 自分でもよく分からないが、そちら、悲鳴の聞こえてきたほうに行かなければならないと、なぜか心の奥から衝動が湧き上がる。まるで何かに誘導されるように、自然と足が動き出した。

 

 

 

 

 

 ――すぐに、こちらに来たのを後悔した。思わず口元を押さえる。

 

 悲鳴の主は、居た。

 中年ぐらいと思しき男性が地面に力無く横たわっている。

 周囲の雪は深紅に染まり、その腹のあたりでは、大型犬くらいのサイズの、影でできたような不定形の犬のようなものが男の腹に鼻先を埋めている。

 時折びくびくと痙攣する男の腹からその黒い影が鼻先を放した際に、腹の中からズルズルと引き出される細長いものを、何であるか考えるのを思考が放棄した。認識してしまえば恐怖で立ってられなくなる気がする。

 

 ……しかし、男性の体は時折まだ動いており、もしかしたらまだ息があるかもしれない。

 

 生きたまま腹を割かれ貪られるという恐怖心はいかほどのものか、あまりの悍ましさに体が震える。こちらに興味を持たれたりしたら次に同じ目にあうのは自分であり、この体のやや薄いながらも健康的な脂肪に包まれた腹は白く柔らかく、いかにも美味そうに見えるに違いない。

 その光景を脳裏に描いてしまい手足から力が抜けそうになるが、へたり込んでしまえばその予想は現実のものになると叱咤し、切れて腔内に血が伝うのも構わず唇を噛んで堪える。

 

 あの魔物はおそらくゲームでは「ファントム」系と呼称されていたあれは精神生命体であり、ある特殊な状況で発生する、周囲の動物に取り付いて変質させ、それらの本能に忠実に行動する魔物だったはずだ。あれは……おそらく食欲か。

 

 幸い精神生命体であれば【ディバイン・スピア】は有効だと思い出し、杖を握りしめる。

 

 反動を抑えるため、一本の樹に背をもたれ、こちらに気が付かれていないうちに静かに詠唱を唱え終わらせる。体の中から決して少なくない量の何かが抜かれる感触とともに、万全を期すため注ぎ込んだ最大威力、4本の光の槍が出現する。慎重に狙いを定め、4本の光の槍を解き放つ。

 

 食事に夢中になっていた敵はその段階でこちらに気が付き振り返る。明確な敵意……あるいは食欲……をもつ目に体が竦むが、すでに放たれた槍を今気が付いたばかりの敵に避ける術はなく、外れたら次は自分、という恐怖心から高められた集中力に導かれた槍は狙いたがわず突き刺さり、ぎゃうん、といった悲鳴を上げて影が吹き飛んでいった。

 精神生命体系列の欠点……ゲーム内ではHPではなくMPが全損すると消滅する……により一声苦悶の声を上げた後、すぅっと消えていった。

 

 震える体をなだめすかし、周囲にほかの敵が居ないことを確認すると、倒れている男のほうに歩み寄り、怪我の様子を確認しようとして……すぐに目を勢いよく逸らした。

 喉の奥から熱いものがせり上がってきて、たまらず傍らの地面に吐き出してしまう。今度こそ膝から力が抜け、へたり込む。

 

 腹の中身が異様に少なかった。

 深紅の中にまず目に入る黄色い層。その奥にいくつか色の違う塊、時折ひくつく肉、目にしたのが一瞬だが、脳裏に焼き付いて離れない。もしかしたらしばらく悪夢で見てしまうかもしれない。

 だが、こうして蹲ったままでは救えるものも救えなくなってしまう。震える手で杖を握りしめ、震える喉と、早くしなければという焦りとで幾度かの失敗の後、たどたどしく詠唱を紡ぎあげる。

 

 【アレス・ヒール】。戦神の名前を冠したこの治癒魔法は、HPを大回復するとともに、体調を整え状態異常も同時に癒す魔法であったが、もしかしたらこの世界では失血にも効果があるかもしれない。

 その読みは当たったらしく、男の腹が時間を巻き戻すかのようにみるみる傷が塞がっていくと、徐々に青白くなっていた体に血色が戻り始める。

 

 無事に効果を発揮したのを確認すると、杖にもたれかかり倒れないようにして呼吸を整える。

 今だ激しい吐き気が胃の中をぐるぐるしているが、もう吐き出すものもないためこれ以上こみあげてくるものは無かった。

 

「……ん、俺は……あれ、どこも痛くねぇ!?」

 

 眼前の男が目を覚まし、身を起こしたようだ。

 それだけを確認した僕は、初めての戦闘の緊張と、間に合ったことによる安堵感から、ここまでどうにか張りつめていた緊張の糸が切れ、ずるずると体を支える杖から滑り落ちるように崩れ落ち、意識を失った――……

 

 





異世界での初戦闘。平和な国の引きこもりなもんでこれでもきっとマシなほう。


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世界の傷と世恢の翼

 

「…………おい…………嬢ちゃん、大丈夫か……おーい」

 

 控えめな呼びかけと、痛くない程度のチカラで頬を叩く感触に、闇の中からゆっくりと意識が浮上する。

 なんだろうと思いながら顔をあげると……すぐ目の前に、知らないおじさんの顔があった。

 

「~~~~~~ッ!!?」

 

 喉の奥から声にならない悲鳴が奔る。

 

「お、おお!? 嬢ちゃん、どうしただか!?」

 

 周囲を見渡しても……いつも傍に居てくれた頼れる二人は何処にもいない!? 

 

 玲史、綾芽、どこ!? 

 

 慌てて目の前の見知らぬ男から離れようとして……たまたま濡れた木の根を踏んだらしく、足元から地面の感触が、消える。

 

「きゃあ!?」

 

 立ち上がりかけたところで足の滑った体は後ろに倒れ、まだ柔らかな雪の中に、頭から突っ込んでしまう。

 

 数回、ぱち、ぱち、と目を見開き、なぜ雪に頭を突っ込んでいるのか、頭を包む冷たい感触に包まれながら思い出した。

 

「……大丈夫だか?」

「……はい、申し訳ありません……頭は冷えました……」

 

 おじさんの困惑した声に……ようやく冷静になった僕は、恥ずかしさから目をそらすのだった。

 

 

 

 

 

「……で、だ。お嬢ちゃんだよな、これ、治してくれたのは」

 

 彼……スコットさんと言らしい……は、血で染まった服の、腹の大穴を指さして聞いてくる。魔法で服は治らないけれど、その下から覗いている皮膚には傷一つない。

 

「……よかった、なんともないみたいですね。どうですか? 違和感とかありますか?」

「何も無ぇ。バッチリだ。正直助かるなんて思っておらんかったから、ほんとうに、嬢ちゃんは命の恩人だ」

 

 深々と、土下座のような姿勢で頭を下げてくるスコットさんに、慌てて頭を上げてくださいと頼む。年上の人に土下座はどうにも居心地が良くない。

 

「だけども……正直助かるべきでなかったんでねーかって思うんだ……罰があたったんじゃねーのかって」

 

 一転して暗く沈み、泣きそうな表情を見せたスコットさん。

 

「……罰、ですか?」

「そうだ……おら、悪いことしてるやつらが酷いことしてんの一杯見て見ねぇフリしてしまってなぁ……おっかねくて、やれることもやってこなかった罰でも当たったんじゃねぇがってな……」

「そんな……」

 

 目の前の人はとても悪い人のようには見えない。

 僕が気を失っておよそ十分、無防備なところを彼は傍で守っていてくれたわけだし、先ほどの醜態をさらした僕に気遣ってか一定の範囲内には入ってこないようにしてくれている。

 言動の端々にも心配げな様子が見えていて、このおじさんは本当に人が良いのだと思えた。

 

 ……なのに、そんな人が「自分は助かってはいけない」だなんて。それを言ったら僕らだって、厄介ごとを嫌って目の前の「悪い事」を見て見ぬふりは一杯してるのに。

 

 そう思ったら、思わず彼の手を両手で取ってしまっていた。

 

「……スコットさんは、それをいまもずっと後悔してるんですよね? だったら、きっとスコットさんは悪い人なんかではないです、自分を責めてるんですから」

「だけども……」

 

 ああ、手が震える。気付かれていなければいいな。だけど、思ったより取り乱さずに済んでいる。

 

「また次、こんどこそ勇気を出してみればいいじゃないですか……きっと、償う機会は他にもあるはずです、死ねばよかったなんて言わずに……あなたはこうして、生きているんですから……ね?」

 

 彼のごつごつした手を握り、精一杯元気づけようと微笑みかける。

 握った手から微かに脈を感じる。そう、生きているのだ。この世界の人はNPCじゃなく、それぞれの人生を歩んで、悩みを抱えてきた確かに血の通った人間なのだ。

 

「あなたが、生きていて、間に合って、良かった」

 

 確かに僕は、彼を助けることができたのだ。誰かに助けられることでしか生きてこられなかった、この僕が。

 

「……分かった、せっかく嬢ちゃんにもらった命だ、頑張ってみる。すまねぇな、年下の娘さんにこんな情けねぇとこ見せちまって」

 

 そうつぶやいて苦笑する彼に、僕は気にしないでくださいと笑いかけた。

 

 

 

 

「嬢ちゃんは、このあとどうすんだ?」

「その……少しやらないといけないことがあって、この先に……」

「そか……近くの町までは歩いてあと二刻ぐらいだけど、くれぐれも気を付けて早めに向かうんだぞ、こんな人の居ないところにいつまでも居ちゃなんねぇ。すぐに立ち去るんだ」

 

 そうして僕の身を案じた警告を残して別れを告げると、彼は森の奥に消えていった。

 

「……さて」

 

 こちらの用事を済ませなければならない。頭痛はだいぶ収まったものの、未だ僅かな鈍痛とともに、こちらへ行かなければならないという焦燥感は僕を苛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おら……スコットは、底辺の傭兵団の斥候だ……いや、「だった」と言うべきだか……。

 傭兵団なんて名ばかりのゴロツキの集まりで、依頼人をだまくらかして仕事は干され、食うに困ってこんな辺境で山賊なんかやってるろくでなしどもの集まりだ。

 おらは喧嘩なんてさっぱりダメだけれども、目とすばしっこさを買われて斥候役をやっていた。なのに、どうしてこうなったんだか。田舎でずっと畑仕事やってるべきだったって、今はそう思ってるけども、なかなか足抜けできねぇで悪事に関わってここまで来てしまった。

 

 だけども……変な化け物に襲われて、腹ぁ引き裂かれてもう死ぬかと思った時に、天使様がいらっしゃった。

 何故か目覚めたら、目の前にえれぇ綺麗な娘っ子が気を失って座り込んでるもんだから、せっかく拾った心臓また止まるんじゃねぇかって思ったくらい吃驚したわ。

 

 その天使様、いや嬢ちゃんはえれぇ良い子だった。最初こそ見知らぬ男に怯えてたし、話し始めた時も細かく手ぇ震えてて……まるで、団の連中に連れてこられて無体を働かれた娘っこみたいな反応だった。

 なのに、おらの悩みを聞いて、あまつさえこの手を取って、あなたは悪い人じゃない、次には頑張れとそう言ってくれた。生きていてよかったと、目の端に涙を溜めてまで言ってくれたのだ……おらに触れた手だって震えてたし、きっと怖かったろうになぁ。

 

 だけどきっと、あの嬢ちゃんだって本当のことを知ったら幻滅するにちげぇねぇ。それが怖くて言い出せなかったなんておらは本当に駄目な奴だ。

 だからせめて、おらはあの嬢ちゃんが安全に出ていけるようにろくでなしどもをどっか別の場所に誘導しねばなんねぇ。そのためには、服を調達しねぇと……こんな格好じゃ、「死にかけの人間も生き返らせられる神官様」なんて宝物をあのろくでなしにもって帰っちまうことになってしまう。

 それだけじゃねぇ、あの別嬪ようで、しかもどう見ても貴族様かどっかのいいところのお嬢さんにしか見えねぇ。

 自分らのことを棚上げして、そういう人らに恨みつらみを重ねたあの連中に捕まりでもしたら、どんな酷い目に遭わされるか……たしかこの先の山小屋に替えの服があったはずだ、それを……

 

「おい、持ち場離れて何してやがる」

 

 背中にかかった声に、ビクっとなる。いけねぇ、ここだとまだ足跡が……

 

「ほぉ……なんだその恰好はよ……ああ、嘘なんてついたら……分かってんだろうな?」

 

 ひたひたと頬を叩く長剣の刀身に、おらは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ……」

 

 森の中に、突如地面から水晶のような結晶が円形に生えた小さな空間が姿を現す。

 その部分だけ雪は存在せず地肌がむき出しになり、まるで別世界のような幻想的な景色が広がっていた……いや、これは。

 

「これ……やっぱり『世界の傷』ですよね……」

 

 そう、これは高レベル用のレイドボスやダンジョンなどでゲーム内でもよく見た……尤も、その際はもっとずっと広い空間をこの景色が覆っていたが……『世界の傷』と呼ばれる場所に、そっくりの景色だった。

 

 ――時折この世界には、こうした『傷』が開き、異界から侵食され様々な脅威が現れる……そういう設定だったはずで、つまりこの場所は実際別世界になりかけなのだ。

 

「でも、どうしてこんなところに、それもこんな小さい……ひゃ!?」

 

 一歩踏み込んだとたん、意識してないにもかかわらず、背中の翼がばさりと顕現する。

 途端に脳裏からあふれてくる知識。まるで、今まで忘れていたものを思い出すような……あるいは、今この瞬間インストールが完了したかのような。

 

「あれ……どうすればいいか、なんとなく解る……」

 

 ふらふらと、直径10mもない空間の中央に歩み寄る。

 導かれるままに両手をかざすと、その『世界の傷』本体である空間のひび割れがすうっと両手の間に現れる。

 

 苦しい。

 痛い。

 助けて。助けて。助けて。

 

 そう、世界が直接叫んでいるかのような感覚。

 その根源であるひび割れを、背の三対の光翼でそっと抱きしめるように包み込む。

 腕の中で、今まではただの痛みとしか認識できなかった、人ではない『なにか』が痛みに泣く声が聞こえる。

 

 ――そうか、だから呼ばれたのか。助けてほしい、その声を聴いたから。

 

『――ねむれねむれ 私の胸に ねむれねむれ 私の手に

 こころよき 歌声に むすばずや 楽しゆめ

 

 ねむれねむれ 私の胸に ねむれねむれ 私の手に

 あたたかき そのそでに つつまれて ねむれよや――』

 

 

 優しく、子供の背中を叩くように、あやすように言葉を紡ぐ。

 これ自体はなんの変哲もない、地球では有名な子守歌だが……それはこの翼を介し言霊となって癒しの力を纏い、『傷』に染みわたっていく。

 この世界に飛ばされてから今までの中で、最もすさまじい勢いで体から何かが抜けていく脱力感を覚えるが、それに合わせて腕の中のひび割れがゆっくりと少しずつ埋まっていき……やがて、ふっと消え去った。もう助けを求める声は聞こえてこない。

 

 その様子に安堵した僕は、がくりと下半身から力が抜け、その場に座り込んでしまう。

 しかしそこは、いつの間にかその空間だけ草が生い茂り、力の抜けた僕を柔らかく受け止めてくれているのだった。

 

 

 



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誤算と危機

 

 失った魔力を補充するために数本のマジックウォーターを飲み干し、多分体感で一刻ほどが経過した頃。

 ようやく体調に何も問題ない程度には回復したと判断し、元の街道を戻ろうとしたその時……来た道から、多数の足音が向かってきていることに気が付いた。

 

 森の奥から出てきたのは、それぞれ粗末な武装をした一目で真っ当な職とは思えない風体の男たち。

 剣呑な雰囲気に即座に踵を返して逃げようとしてもすでに遅く、向こうは最初から僕の存在を知っていたかのような動きで前方周囲を逃げ場を塞ぐように姿を現し、街道へと続く来た道は瞬く間に塞がれてしまった。

 

 

「へぇ、お嬢ちゃんか、えらい上等な治癒魔法使いっていうのは。これまたすげぇ綺麗なお嬢さんだな」

 

 中から進み出た禿頭のボスと思しき男の、明確に「お前を知っている」という発言に、眉を顰める。

 

「どうして、私のことを……」

「ああ、それはな……」

 

 にやぁ、と男の顔が醜く歪む。まるで獲物をいたぶるかのように。

 

「こいつが教えてくれたのさ、なぁ?」

 

 ばんと背を叩かれたたらを踏んで出てきたのは……出てきたのは。

 信じたくはなかった。この世界に来て出会ったのが一人だけの現状、他に居るはずは無かったのに。

 

「あ……そんな……嘘、ですよね……?」

 

 うらぎ、られた……?

 

 頭目と思しき一回り上の装備を纏った禿頭の男の陰に居た彼……スコットさんは、窺うように、申し訳なさそうにこちらを向いていた。そんなはずないですよね、と縋るように向けた目は、視線が合うととたんにふっと目を逸らす。

 

「あ、そ、そんな……」

 

 いやいやと首を振ってみるも、こちらを見ようともしない彼の様子は変わらない。

 次は勇気を出して頑張ってみる、そう苦笑いしていたおじさんは、僕のことをこいつらに教えたのか。

 

「すまねぇ……すまねぇ、嬢ちゃん……」

 

 こちらを見ずに呟く彼に、かっと頭に血が上る。

 

「煩い! なにも……何も聞きたくなんてない……!!」

 

 長い髪を振り乱して、杖を構えて詠唱を開始する。

 

 現れた4本の光の槍は、僕の拒絶の意志の表れだった。

 

 

 

 

「ぐぅ……ッ!」

 

 ギリギリと体が反動に軋み、四本の槍が再度射出される。しかし動き回る対象を同時に追うのは難しく、半数の二本は男たちに命中し、残り半数は誘導が切れ虚空へと飛び去っていく。

 けれども外したことを落ち込んでいる暇はない、踵を返して後退する。

 

「構うな! あの光はどうせ当たっても死にやしねぇ、一人でも追いつけばあとはどうにでもなる!!」

 

 ぎり、っと歯を食いしばる。

 敵の首領の言葉は正しい。予想以上に早く弱点が露出してしまった。

 四本の槍で相手を減らしては逃げているが……全力で自分に掛けた身体強化の魔法は、この弱々しい脚でも辛うじて時間を稼ぐぐらいの速度を与えてくれていたけれど、それでも体力差は著しく、じりじりと距離は詰まっている。

 引き撃ちはすでに三度。光の槍をまともに受けた奴らがあちこちに倒れているものの、その男たちの状態を見れば、こちらの攻撃の欠点は一目瞭然だ。

 

 ――どれだけ一撃で昏倒させる威力があっても、『ディバイン・スピア』に人を殺傷する力はない。

 

 最初こそ一撃で昏倒する光の槍の威力に、男たちは警戒の色を見せ、その怯んだ隙を突いて距離を離したものの……殺傷能力がないのがバレた以上、それはもう通じない。

 僕にできることは、こうして下がりながら接近してくるものを行動不能にして人数を減らすことだけだ。

 

 しかし、人数は向こうが圧倒的。

 それに僕の方は先程から異様に手足が重くなってきている。

 ひゅう、ひゅうと甲高い音をあげ、痛みを訴えている喉が苦しい。

 レベル1とはいえそのステータスは初期のものより遥かに高く設定されていたはずで、感覚から言って魔力はまだ数発分はあるはずなのだが、もうすでに手足の感覚がうっすら消え始めていた。

 

『…………マーナ・ドロウ……っ!? っリーア・リーア・リーア・ ディ・ヴィエーガ !』

 

 およそ三十秒のクールタイムが完了し、振り返って再度放とうとするも、予想より遥かに迫っている人影に一瞬集中が乱れた。

 辛うじて継続し、詠唱完了した『ディバイン・スピア』を放とうとし……その瞬間、先ほどのタイムラグで一瞬タイミングが狂った失敗を悟った。

 わずかに地に足がついていないまま放った『ディバイン・スピア』の反動で、軽い体はひとたまりも無く吹き飛ばされ、数回転がって……

 

「がっ!、あ、かはっ……っ」

 

 背中を木に強かに打ち、肺の空気が絞り出される、早く立ち上がって逃げなければいけないというのに、空気を望む肺がそれを許さず、喘ぐように酸素を求め、辛うじて息の戻った時には追っ手はすぐ目の前で手をのばしていた。

 

 

 

 ――ナイフを振り回す男の姿が、目の前に迫る追手の男に重なる。

 背中に灼熱が蘇り、腕の中で泣き叫ぶ少女の顔を見て、大丈夫となんども声にならない声で繰り返すその間も、背中は幾度も鋭い熱を生じさせて、すっと下半身から感覚の消えていく――

 

 

 

「――っ! やぁぁあああああッッ!?」

 

 その悲鳴は恐怖心を形にしたように、詠唱をすっとばし幾本もの槍を作り、でたらめに射出され、新たに二人の男を昏倒させる。

 

「ぐっ、うぅ……っ!」

 

 反動で体が木の幹にミシミシと押し付けられ骨が軋むが、しかしそれによって再度吹き飛ばされることだけは避けられた。

 

「……はぁっ、はぁっ、……逃げ、ないと……」

 

 樹を背によろよろと立ち上がり、再度駆けだそうとし……背が支えを失った瞬間、力を失った四肢は何も言うことを聞かず、為す術もなく雪の中に倒れこむ。

 

 

 

 ――ああ、そうか。

 

 先ほどからこの身を苛み、動きを阻害していたもの。これは……疲労だ。

 

 この世界で目覚めてからここまで来る中で、幾度も感じながらも魔法で誤魔化し続けたもの。

 もうすこし、慎重に考えなければいけなかったのに。『ディバイン・スピア』は『少々この体には抑えきれない』反動があったのは検証したはずなのに、その可能性を露とも考えていなかった。「HP」と「MP」をゲームの時同様分けて、それぞれ相互に影響を与えないものと思い込んでいた。

 僕が『少々』と思っていた魔法の反動は、知らぬ間にこの華奢な身を幾度も打ち据え、何度も危機を救うと同時に、そのたびにこの身を弱らせていたのか。

 

「ひゃは、つーかまえたァ! よくも手こずらせてくれたなぁ……!」

 

 とうとう一人の男に追いつかれ髪を掴まれて引きずり起こされるが、もはや力の入らぬ四肢はまるで言うことを聞かず、為すがままに気に後ろ手を取られて地面に押し付けられる。目の粗い縄だろうか、手首、新雪のような柔肌ををやすりのように削る何かがぐるぐると巻きつけられる感触がする。

 

 後ろから押さえつけられた体勢が、嫌が応にも『あの時』の記憶を呼び覚ます。

 

 ――やめて、あの時を思い出させないで。

 

 ようやく忘れられるようになったのに。ここで思い出してしまったらもう何も抵抗できなくなってしまう。その先には暗い未来しかないのに。

 

 しかし……一度開いた過去の傷より溢れる恐怖は、瞬く間に抵抗の意思を奪い、意識を黒く塗りつぶしていった。

 

 

 

 

 

 

「あぁぁああ……嬢ちゃん、そんな……」

 

 気を失いぐったりとしたその小柄な体が、下卑た男たちの手でぐるぐると拘束されていく。

 あの時笑いかけてくれた顔は今や雪のように血の気が失せ、ただ人形のようにその目を伏せているのが見えた。

 周囲ではその戦利品に沸き立ち、意識の無い嬢ちゃんの体を弄っている男たち。その光景に呆然としていると、がっと肩に置かれた手にびくっと体が跳ねる。

 

「お前のおかげで思わぬお宝が手に入った……感謝するぜぇ、また次もこんな感じによろしくなぁ?」

 

 頭の嘲笑の混じった笑い声が遠ざかっていく。

 そうだ、おらは我が身可愛さにあの嬢ちゃんを売り渡してしまったのだ。

 この身を癒し、命を救い、生きていてよかったと涙してくれた、可憐で心優しい少女を先の無い深い闇に突き落としてしまったのだ。

 

 あの逃げる前、こちらを見た時のショックを受けた顔。明確な拒絶。涙ながらに何も聞きたくないと突っぱねた少女の裏切られたその内心はいかほどのものだっただろうか……

 

 

 こんなことなら、頭に逆らって死んだほうがずっとマシだった。後悔はすでに遅く、ふらふらと、拠点から外れる小道に逸れ、あまりの罪悪感と生き恥と虚しさに、所持していた解体用の短刀で喉を突こうとして……

 

「だめだ……そんな、楽に死ぬなんて許されちゃいねぇ……」

 

 助けを、呼びに行かないと。死ぬのは、そのあとで、あの子の手によってでなければならねぇ。

 ただそれだけを思い、最初はずるずると足を引き摺るように、しかしやがて何かに突き動かされるように一心不乱に走り始めていた。

 



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暗中と光輝

 

 

 ――事件当時の記憶は、ほとんど残っていない。

 

 覚えているのは、突如団欒の中へ乱入してきた強盗に、自分と妹を守ろうとした両親が刺されたことと、最後に妹だけは守りたくて庇った背中を刺されたということだけだった。

 

 標的となったのは、ただの偶然だったらしい。

 

 後に警察から聞いた話によると、加害者は酒と博打で身を崩し、たまたま目に映った家に強盗に入っただけだという。

 

 運が悪かった……そんな、到底納得できない理由で、理不尽に大事な物が奪われた。

 

 次に目が覚めた時、下半身が動かなくなっていた。刃が脊椎を傷つけたらしいということだった。

 そして、その日以来知らない人を見ると、次の瞬間襲われるのではないかという不安に駆られるようになり、ついには学校にもいけなくなった。

 

 それでも、ゲームの中なら大丈夫だった。

 

 

 

 ――だけど夢の国は、今や現実へと変わってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーぅ、やっとお目覚めかい『眠り姫』さまよぉ」

「……ひっ!?」

 

 すぐ眼前の汚らしい顔と、酒臭い吐息の噎せ返るような臭気に、一瞬で意識が覚醒した。

 とっさに眼前の男を遠ざけようと上がりかけた脚が、じゃらりとした金属音とともに足首の金属の輪のような感触で止められる。

 何故か足以外は拘束されておらず、自由の利く腕で男の体を押し返そうとするも、この細腕ではまるで微動だにしない。

 

「おいおい、お前が王子様ーって柄かよ」

「じゃあ泥棒かぁ? 姫様、貴女を盗みに参りましたー、なんてなぁ」

「馬ぁ鹿それも似合わねぇよ、見ろよ姫さんすっかり怯えてんじゃねぇか」

 

 男たちの、いったい何が面白いのか、くだらない話にゲハゲハ馬鹿笑いする声に完全に囲まれている。

 動転する頭と、仰向けの状態のため思うように動かすことができない視界で周囲を見渡すと、どこかの粗雑な部屋のような場所に連れ込まれたのだという最悪な状況が目に入る。

 埃と黴、据えたような垢や汗、雄の臭いに鼻が曲がりそうになる。できれば触れたくもないような、よくわからないシミのこびりついた背の低いテーブルのようなものにあろうことか仰向けに寝かされ、揃って垢と汚れで不潔そうないで立ちの男たちに囲まれていた。その様子はどう見繕っても山賊のソレでしかなく、総じて好色そうな欲の滾った目でこちらを眺めている。

 思わずひっ、と息の詰まる音が喉から漏れると、「ひっ、だってよ、可愛いなぁオイ」とそれをネタにまたどっと盛り上がる。

 意識の無い間に剝ぎ取られたのか外套はすでに身に着けておらず、両足は軽く開いた状態で足首に繋がれた鎖で固定されているようだ。しかしそれでもまだ綺麗に身にまとってる服に束の間安堵しそうになるが

 

「それじゃ……始めるとしようか、なぁお前ら」

「待ってましたぁ!」

「辛抱たまらねぇぜ、見ろよ今まで見たことねぇ上玉だ!」

 

 おそらく頭目と思しき男の言葉に沸き立つ周囲。

 

「は、始めるって……なにを、ですか……?」

 

 と、思わず間抜けな言葉が口をついてしまう。

 言ってしまってから後悔した。そんなのは、決まっているではないか。今の僕は元の世界とは違う、可憐な少女の姿をしているのだから。

 だが、そうであってほしくないというまずありえない願望からついて出てしまった。

 

「ぎゃはは、何をだってよぉどんだけ初心いんだよ」

「決まってるじゃねぇか、なぁ?」

「まぁまぁ、大目に見てやれよ、世間知らずのお姫さんにゃ予想もつかねえんだろうよ」

 

 口々に騒ぎ立てる男たちの中、頭目の男が嫌らしい手つきで頬を撫でてくる。その感触に背中が泡立ち、気持ち悪さに吐き気がしてくる。

 

「本当は、どっかに売り飛ばすつもりだったんだけどなぁ」

 

 売り飛ばす、その言葉にびくりと肩が震える。

 奴隷売買という、元居た日本ではおそらく縁の無かった言葉が脳裏をよぎる。

 

 懇切丁寧に、震える僕の唇をねちっこくなぞりながら説明を始める頭目。もちろん親切心ではないのだろう、ただこちらの恐怖心をあおりたいだけだと目が語っている。

 お腹のあたりではもう片方の手でぷち、ぷち、と、一つずつゆっくりと上着のボタンを外されている感触がする。

 

「確かにお嬢ちゃんならいい金になりそうだったが……お前さん、高位の治癒術使いだろう? だったらよ……俺らで楽しむだけ楽しんで、奴隷にして、手元に置いてイロイロと『売った』ほうがずっと良い儲けになりそうだって、こいつらと話して決めたってわけよ……というわけで」

 

 全てのボタンを外された上着の前を開けられ、下に着たブラウスとスカートが露になる。俄に意気込みだす山賊の集団の喝采の中、ぐっと、男の両手がブラウスの襟にかかり……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何時間か、それとも数分しか経過していないのか。

 最初は反抗的な態度の罰として与えられていた責め苦が、本来であれば触れることも叶わぬ宝を「どうせ治せる」という事を免罪符に、思うまま傷つけ、手の内で泣き叫ぶさまを鑑賞することを目的にするところまで変化するまでそれほど時間はかからず、華奢な少女の体と傷口の開いた心を深く深く傷つけていた。

 

 

 

 

 

 元々体力のないにもかかわらず半狂乱になって暴れた体はもはや疲労で力尽き、ぐったりとしたまま、時折意思とは無関係にびくっと四肢が跳ねる以外ろくに動くこともできなくなって虚ろに天井を眺めていた。

 

 あれほど綺麗だった無垢な白い肌は、全身の所々に無残な傷が痛々しく腫れ上がり、輝くようだった髪はところどころ絡み解れ、中には面白半分に殴られ青々とアザになっている場所さえある。

 

 辛うじて手付かずの純潔も、最後の守りはつい先ほど剥ぎ取られ、このままでは奪われるのも時間の問題であろうが……それももはやどうでもいい。もう疲れた。疲弊した身は、全ての抵抗の意志を挫かせていた。

 

 こんなもの、痛くて苦しくて気持ち悪くて辛いだけではないか。いっそ意識を捨てて、何もかも放り出して人形になってしまったほうが楽ではないか。そうだ、そうしよう。こんな異世界転移なんであるわけがない、きっとここで眠りに落ちて目が覚めたら、いつもの部屋で、いつもの日常で……

 

 

 ――そういえば、綾芽と玲史はどうしているだろうか……

 

 ――二人とも、こちらに来てしまったのだろうか……

 

 ――怪我とかしていなければいいな、この世界で怪我をしても、もう近くに居られない僕はそれを治してあげることもできない……

 

 

 

 

 もう、一 緒 に 居 る こ と も で き な い ……?

 

 

 

 

 

 ……嫌だ。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌……!

 

「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 ぼろぼろと目から涙が溢れ、枯れたと思っていた喉が再び絶叫をあげる。

 

 ずっと、思っていた。

 僕は、二人の邪魔なんじゃないかって。

 

 綾芽も、玲史も、とても才能ある若者で、自分という枷から解き放たれればより高くへ飛んでいけるんじゃないかって、ずっとどこかで思っていた。

 

 だけど、こんな最低な状況になって、ようやく自分の中でそんな諦めなんてついちゃいないなんて本心に気が付いた。

 

 帰りたい。まだ、一緒に居たいんだ。

 

 なんだっていい、とにかくこの状況を逃れたい。

 そんな意志を受け、半ば暴走に近い形で背中からまばゆい光が放たれる。ギリギリで取り戻した反抗心によるその光は瞬く間に部屋を白く染め上げ、ニヤニヤと油断しきってこちらを凝視していた周囲の者の目を焼き、部屋に舞った光の羽根は、疲弊しきったこの体に触れるとふっと体に染みわたり、本調子には遠く及ばないながらも僅かながら体に力を蘇らせてくれた。

 

  最後の抵抗とばかりに今まさにのしかかろうとしていた男を突き飛ばす。その手は僕の胸の上あたりにあった頭目の顔を偶然押す形となり、突然の光に目がくらみ、油断しきっていた頭目は回避することができず……ぐちゅり、と、指先が何か柔らかく湿ったものを穿ち、潰す感触がした。

 

「ぎゃあああああああ!!、目、目がぁ!!」

 

 たまたま、指が眼窩に潜り込み、頭目の片目を潰してしまったらしい。それを認識するより早く、反射的にグリっとえぐってしまう。指に気持ちの悪い感触が付いてくるが、痛みに体が離れた親玉と、突然の出来事に固まる周囲の男たちの中で、わずかな間隙が空く。

 

「あああああああああ!!」

 

 なるようになれ、照準なんて不可能だ、スキルレベルだとか最大弾数だとか知るものか。恐怖に突き動かされるまますべて枯れ果てよとばかりに魔力を『ディバイン・スピア』に注ぎ込む。

 頭はガンガンに痛むし吐き気はひどく、体から穴の開いたバケツの中の水のように力が失われていくが、今やらなければ絶望しかないと、ありったけの力を込めて衝動を解き放った。

 無照準で全方位に放射された、否、無理やり発動させられた、ゲームのときの制限をまるで無視した無数の光の槍はそのいくつかが男たちを貫いて、バタバタと周囲で男たちが泡を吹いて昏倒していく、が。

 

「……このアマぁ!!」

 

 不幸にも、最も近くに居た頭目に命中しなかった。

 力いっぱい顔を殴られる。頭を揺さぶられ、口の中が大きく切れたのか血の味がする。痛みと衝撃で意識が飛びそうになるが、ぎり、と唇を食いしばって耐える。

 

 

 

 ……この世界はもう、現実になってしまったのだ。

 

 僕は今はもうどうしようもなく女の子であり、ここで諦めてしまったらきっと取り返しのつかないことになる。

 

 何より……きっと、あの二人は、傍についていなかったことを後悔するに違いない。

 特に綾芽は……普段は気丈にふるまっているが、あの子は僕が怪我をしたことを深く悔やんでいる。これ以上辛い思いはさせたくない。

 

 それに、ここで僕が消えてしまってもきっとあの二人は必死に探し出そうとするに違いない。それだけの関係は築いてきたと、疑うことなく信じることができる。

 だからこそ、この過酷な現実の世界で、その中で二人が傷ついてしまったら。命の危機に瀕してしまったら。考えただけで背筋が凍る。そんなときに、今の僕がいれば助けてあげられるのに。

 

 

 

 ――思い出せ、僕はなんだ。回復職に最も大事なものはなんだった。誰よりも、最後の瞬間まで、絶対に諦めないことじゃなかったか!!

 

 

 

「なぁ、ずいぶん面白いモン持ってるじゃねぇか、それならてめぇは今後俺らの「商品」を死ぬまで生み続けるだけの奴隷として、滅茶苦茶に……っでぇ!?」

 

 今度はもう容赦しないとばかりに殴りかかってきたその男の手が、意志一つで顕現した正六角形の組み合わさった小さな壁……『ソリッド・レイ』により阻まれる。

 

「馬鹿な……予備動作無しだと!?」

 

 思いがけぬ硬い壁を殴って腕を傷つけた頭目が目を剝く。

 

「負けない……負けてたまるか……!」

 

 力尽きる寸前の体に、意志の火が灯るのを感じる。

 

 いつもどこかで邪魔にならないようにひっそり消えたいという想いは、心の片隅にあった気がする。だけど今は……

 

「一緒にまた、冒険しようって……約束、したんだ……っ!!」

 

 それは他愛のない口約束だ。

 しかし、その言葉を支えに強い欲求が僕の中で燃え上がる。怖い、傷の開いた心は未だ尽きぬ悲鳴を上げ続けている。しかし、それ以上に。

 

 帰りたい。あの場所に。大好きな二人の間に。

 

 背中が燃えるように熱い。何かが体の中で嚙み合って、脳内に雪崩れ込んでくる知識。

 

「開け……開け『聖域』!!」

 

 瞬間、ぶわりと舞う翼が規則性を持って僕の周囲を舞い、それぞれ光を結びドーム状の幾何学模様を生み出す。僕の周囲の穢れを分解し、清浄な空気に包まれ、近くに居た男たちをドームの外へと弾き飛ばす。

 

「くそ、なんだこりゃ!? お前ら、囲んでぶっ壊せ!!」

「ダメです、びくともしやせんぜ!?」

 

 周囲で奴らが攻撃を仕掛けようとしているも、全て外縁で弾かれ接近できずにいる。

 しかし……だがしかし、これは攻撃手段ではなく、こうして時間を稼いでいる間も刻一刻と残り少ない魔力が目減りし続けている。維持できるのはもうそれほど長くない。そうなれば、抵抗する力のないこの身は今度こそ……

 

 

 

 

 ――大丈夫だ、そのまま限界まで持たせたまえ。

 

 

 

 

 朦朧とし始める意識の中で、何かが聞こえた気がした。視界の端に何か白いものがよぎった気がするが、維持に精一杯でそれどころではない。

 一分……二分。しかし、ここが限界だった。攻撃に移る余裕はなく、ついに尽きた魔力に無理やり持たせた体は限界を迎え、溶けるように背の羽根は輝きを失い粒子となって消え去り、『聖域』が儚く消滅する。

 

「へ、へへ、残念だったじゃねぇか、今度こそ抵抗はおしまいか、あぁ?」

 

 守りを失った体が再度台に押さえつけられる。眼前の、片方が空洞になってしまい、残る片目に宿る濃度の増した憎悪に竦みながらも、最後まで諦めてなるものかと睨みつけた瞬間。

 

 

 

 ――僕の視線の先、頭目の背後にあった部屋の出口のドアが……いや、出口のある壁そのものが、まるで目の前で崖崩れが起ったかのような轟音を立てて吹き飛んだ。 

 

「……間に合った……とは、到底言い難いな」

 

 土煙の中から現れたのは、燃える様に赤い髪色の、長身の青年で……よく知った姿だった。

 

「なんだテメェ!」

 

 彼は、怒声を挙げて飛びかかった山賊の中の一人の攻撃を半身をずらして避け、その頭を無造作に掴み、ぐしゃ、と、湿った音を立てて地面に叩きつけて黙らせる。

 げぱ、という奇妙なうめき声の後、それっきり動く気配がなくなった。台に寝かされている姿勢では視界外で男がどうなったのかわからないが、その様子に部屋の残った男たちは怯んだように後ずさる。

 

「その子な、俺の親友でさ。止めてくれないか? こういう鬼畜なシチュエーションは全くダメなんだよ……返してもらうぞ、できる限りの利子をつけてな」

 

 そのとても聞き覚えのある、飄々としながらも、その内には今まで聞いたこともないほどの怒気を帯びた声は。そして、つい少し前に別れたばかりだというのに、色々ありすぎてひどく懐かしいように思えるその姿は。

 

「悪い、遅くなった……もう大丈夫だ、安心して休んでろ」

「……ああ……本当に……遅いんだよ……馬鹿…………ごめん、任せた……」

 

 ゲームの時に無数の冒険を共にした、誰よりも頼りにしている仲間……レイジの声を聴き、安堵から緊張が切れた僕の意識は、最後にひとつ頬を伝う一滴の感触を最後に、闇に沈み込んだ。

 

 





『聖域』
クールタイム数日を誇る、光翼族のいわゆる切り札スキル。
守護魔法の極致、悪意のある相手を完全にシャットアウトし、内部に居る他者の怪我と魔力をすさまじい勢いで治癒する結界を周囲3m四方に展開する。ただし、維持に必要な本人の魔力消費量は恐ろしく多い。


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幕間:俺とあいつと

 

 ――最初出会ったときは、なんか見慣れない変な奴が居るなって、それだけだった。

 

 

 脚を折って入院していた地元の病院に、新しくよその病院から移ってきたあいつ。

 暇すぎて病院散策していて、たまたま入った他所の病室に居たあいつは、初見での印象としては、なんだか女の子みたいな奴だなという程度のものだった。

 

 しかし、ずっとぼーっとどこか遠くを見ていて、ぴくりとも表情を動かさない。

 話を振っても、ただ小さくうん、と頷き返すだけで、まるで興味が無いという態度があからさまで、ガキ特有の図々しさで絶対に笑わせてやると毎日遊びに行っては奇行に励む日々を送っていた。

 

「辛いことがあったんだよ。あの子は他人を信用していない、特に大人をな……しかし、同じ子供ならもしかしたら心を開いてくれるかもしれんのぅ」

 

 あの変な奴は、じーちゃんの知人の孫だという。

 見舞いに来たじーちゃんからそんな話を聞いた俺は、躍起になって色々やっては玉砕する日々を送っていた。

 気が付いたらあいつよりも先に、度々病院に見舞いに来ているあいつの妹と仲良くなって、一人っ子の俺は妹ができたみたいで悪くない気分だった。

 

 そんな生活をしていたある日、このへんじゃ見ない大人たちがやけにゴツいカメラを持ってやってきているのを見た。

 何かの悪者かとこっそり後をつけてみると、あいつの部屋に入っていって……すぐに、悲鳴のようなものが聞こえてきた。

 焦って飛び込んだ俺が見たのは、ベッド端で縮こまって震えているあいつと、そこに縋りついて威嚇しているあいつの妹。そして、そんな二人をニヤニヤと、醜悪な顔でカメラとマイクを向ける連中。

 あいつが、その男たちに怯えているのは明らかだった。怒りに頭が真っ白になった俺は、手にした松葉杖で殴りかかっていた。

 

 気が付いたら男たちは居なくなっており、俺は病院の関係者にしこたま怒られて、無茶した結果怪我が悪化して入院が延びた。親やじいちゃんには滅茶滅茶怒られたけど、最後には「よくやった」と褒められたのが子供心に誇らしかったのを覚えている。

 

 

 

 それから、あいつは俺が話しかけるとちゃんと反応を返すようになった。

 あいつの妹にもすっかりと懐かれ、一緒に談話室でテレビを見たり、三人で病院内を探検したりもした。

 俺の退院の日には二人揃ってわんわん泣かれ、おもわずもらい泣きして周りを困らせたりもして……だから、その翌月、隣のえらく大きな家に暮らす爺さんに連れられて、引っ越してきた挨拶に来たあいつと、その車椅子を押す妹の姿を見た時は、三人であの時三人で泣いたのはなんだったのかと笑い転げたものだ。

 

 あいつの家の爺さんは、その息子さんがどこからか拾ってきた、身元も定かでない異国の娘と結婚すると堅く主張することに腹を立て、最終的には口論になり勘当してしまったことを悔いていたらしい。

 そんな息子夫婦が知らぬところで凶刃により亡くなり、だいぶ経ってから届いた知らせに慌てて迎えに行った二人の孫がこの兄妹なのだそうだ。

 両親を失った二人は祖父母に引き取られ、こちらに暮らすことになったのだと。

 

 

 

 そうして友人となった俺たちは、いつも一緒に居ることが多くなった。

 

 ただでさえ容姿で目立つというのに、下半身の動かない、対人恐怖症を患ったあいつに奇異の視線を向ける奴は多かったが、俺が仲を取り持ったり、口論したり、場合によってはあいつを守って殴り合いなんかもした。

 あいつを友達だと思っていたのは絶対に間違いないが、今にして思うと、当時の俺の中には、多少は「俺が守ってやっている」という優越感を持っていたような気がする。

 

 そんな状況が変化したのは、高校1年の時だった。この時にはあいつの対人恐怖症はますます悪化しており、せっかく一緒の高校に通ったというのに接点も減っていた時期だった。

 

 始めにあいつの祖母が。続いて祖父が立て続けに亡くなった。

 

 子供二人では大変だろうと、俺の家族も協力して葬儀を済ませたあと、あいつとは数か月顔を合わせることはなくなった。

 そして……気が付いたら、あいつは学校に退学届を出して姿を消していた。なんの相談もなく高校を中退したあいつに、裏切られたような気がした俺は、ふてくされてこちらも連絡を絶ち、疎遠状態でその年が明けた。

 

 

 

 

 

 

「玲史!、なぁ玲史、見てくれ、これ!」

 

 そんな年が明けて間もないころ、やけに興奮した調子で久々にあいつの声を聴いた。仲違いしていた俺は、何事だと嫌々見に行くと……あいつはいたずらの成功したような目で、一冊の文庫本を得意げに俺に見せてきていた。

 

『イラスト:玖珂柳』

 

 その文字に何度か目をこすった俺は、戸惑いながら、なんだ、これ、とあいつに呆然と疑問を投げた。

 

 曰く、祖父母が死んでしまったことで、自立したいと思ったということ。

 

 あいつの祖父母はそれなりに地元では名の知れた地主で、晩年その土地の権利を、あいつら兄妹の住むバリアフリー化された離れ周辺を除いて金に換え、遺産としてあいつらに残しているためしばらく不自由は無いはずだった。

 しかし、あいつはそれに手を付けるのはなるべく最小限にするため、自分でもできる仕事を探していたのだそうだ。

 

 そこで目を付けたのが、元々引きこもっている間に描いていた趣味の絵で、何社にも売り込みし、ネットでも様々な活動を行い、ついに初オファーが来て挿絵の担当した本が発売されたのが今日だったのだ、と、最初に俺に見せたかったと照れたように語っていた。

 

 少しでも遺産を多く妹のために遺しておきたかった、そう語るあいつの横顔は、ハンデなんてものともせず力強く見えて、俺は負けたような気がした。

 おそらく、あいつを対等だと……色々と介助の手伝いをしているため、真に対等とは言えないのかもしれないが、俺の中であいつが対等の存在と認識したのは、これが最初だったのだろう。

 

 そうして交友を回復した俺たちは、そのしばらくあと、あいつとその妹に誘われて一緒のゲームを始めた。それが『Worldgate Onlin』だった。

 遅れて始めること二か月、初めてゲーム内であいつらのアバターを見た時は言葉を失ったが、その中身が入れ替わっていることを悪戯っぽい表情で妹のほうから伝えられた時は、その隣のあまりに可憐な様子で恥じらっているあいつを見て完全に絶句していた。

 

 

 

 

 

 

 ――それから七年。

 

 ゲーム内の伝手により、あいつがアークスVRテクノロジーに誘われ、時々あいつの描いたイメージイラストを見かけるようになっていた。

 俺は、高校を卒業し大学に入学し修士課程まで進み、あいつの妹が俺の居た大学に後輩として入ってきて……その間、ずっと一緒に冒険をしてきた。

 

 時には三人でレイドパーティに加えてもらい、強大なレイドボスと死闘を繰り広げたりもした。

 時にはああでもないこうでもないと頭を突き合わせて議論を白熱させながら無謀な挑戦なんかもした。

 

 ……気がつけば、トップレベルの廃人プレイヤーの中に数えられていたりもした。

 

 

 

 そして――あの今年初めのアップデートで俺たちは、とうとうあいつを置いて先に進まざるを得なくなった。

 しかしそれもついに、予想よりずっと早くあいつが追いついたことで、ようやく元の三人組に戻ることができた……はずだった。

 

 また一緒に色々冒険をしよう。そう、今まで通りの関係が続くと、ずっと俺は……俺たちは、思っていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『な、なんなのこれ、レイジ、ソール、何これ、どうしたらいいの!?』

「どうした、何があった!」

「お兄ちゃん、落ち着いて、何があったの!?」

『は、放し……がはっ!?』

「おい、何があった、大丈夫か!? おい!?」

 

 背後から聞こえるノイズと、くぐもった苦悶の声に背筋が凍る。痛覚のほとんど効かないこのゲームであり得るはずのない声音に焦燥が募っていく。

 

「どうした!? 返事をしろ、おい! くそっ、なんだってんだこれは!!」

「お兄ちゃん、何があったの!? 返事をして!」

 

 周囲では、まばらに居たプレイヤーが次々と倒れ、消えていく。

 

 空、いや、空間そのものが赤く染まり、やがてノイズが酷くなり、地面が徐々に闇に飲まれていく。

 

「は、はは……なんだってんだ、これはよ……」

 

 あまりにも想定外な事態に、もはや笑うことしかできない。

 

 そうこうしているうちに、足元と頭上に現れた魔法陣らしきものに、上と下から飲み込まれ……俺の意識は暗転していた。

 



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救出1

 

「……なんだ、こりゃ」

 

 中世風の、町というにはやや村のような雰囲気を醸す町中に立っていた。つい先程まで立っていた辺境の町の広場だと思うが……その規模が数倍に広がり、すっかり広くなった広場や建物や道。スケールが違いすぎて今一つ確信が持てない。

 

 

「……玲史さん、これは」

「ああ、綾芽、お前も居たのか」

 

 俺の横に、頭一つ低い銀髪の青年が並ぶ。青みかかったシャープな印象の金属鎧に左側だけ覆う外套、背中に背負った盾と腰に吊るした細身の剣。ゲームじゃ見慣れたソールだが、なんだか妙に質感にリアリティが増している。

 

「ええ、何か変な魔法陣に飲み込まれて……ところで」

「ん? どうした?」

「なんか、股間に変な感触があるんだけど……」

 

 脚の付け根あたりをモジモジさせて恥ずかしそうにする綾芽……いや、この恰好ならソールか。

 

「あー。そりゃその男の体なら……はぁ!?」

 

 うっかりスルーしそうになった、ゲームの中にそんなもん実装されてねぇだろ!? ていうか俺にもある、現実で慣れた感触だから気にするのが遅れたが、なんだこれ!?

 

「あるんだからしょうがないじゃない。どうにも動きにくいわね……それに、これ……」

 

 花壇の土をひと掬い掬ってぱらぱら落とす。

 

「……やけにリアルだな。こんな仕様無かったよな」

 

 風にわずかに流されて斜めに落ちていく細かな花壇の土と、土が付着したままのソールの手に、首を傾げる。試しに俺もひとつまみ摘んで鼻を寄せてみるが、しっかりと土の匂いがする。どのような演算をすればここまで現実そっくりに再現できるかさっぱりだ。ゲームが現実に。ゲームから異世界に。柳の趣味には娯楽小説もあり、そういう展開のものもよく見たが、まるでその時の状況そっくりだ。腰の横に括り付けた鞘に刺さったナイフを抜き……これもゲームではただの飾りで抜けなかったはず……手袋を脱いで軽く指先に傷をつけてみる。

 

「……いってぇ。それにこれは……血だな」

 

 鋭い痛みと指先のぬるぬるした感触に、ますます今の状況が異常であると告げている。

そんなことをしていると、ふと周囲に視線を感じ、周りを見渡すと、遠巻きに人がこちらを見て、時折何かヒソヒソ話している……まぁ、大の男二人が突然土いじりしたり指を自分で切ったりしていたら怪しまれもするだろうが、かといってゲームにこんな反応をするAIも無かったはずだ。

 

「おい、ソール。とりあえず移動するぞ……おい?」

 

 ふと横に居るソールを見ると、青い顔で心ここにあらずといった感じで何かぶつぶつ呟いている。

 

「……あー、とりあえず人気のないところに移動すんぞ、いいな?」

 

 こくりと頷いたのを見て、町の門の外にソールの手を引いて移動した。

 

 

 

 

 

「……クッソ広いな……なんだこれ。やたら感覚もリアルだし……なぁ、どう思う、これ」

 

 道は広く長く、そこを歩いている人も多種多様で、武装している俺らを訝し気にじろじろ見る者も居る。足元の雪は現実のように所々滑る場所もあり、ゲームではすぐだった出口を10分程度かけて町の外に出て、壁際、人通りの無いところまで移動して足を止める。先ほどから一言も発さないソールに不審に思いながらそちらを見ると。

 

「……おい、どうした?」

 

 青い顔で、泣きそうな様子のソールがいた。ゲームの中でこんな表情を見せたことはなく、ただならない様子に眉を顰める。いや、ソール……綾芽ちゃんが、リアルでこういう顔をすることは結構ある。こういう時は大体……

 

「……お兄ちゃんは?」

「……!?」

 

 その一言に、思わず自分をブン殴りたくなるほど動揺した。真っ先に考えるべきはそれだったはずだ。なのに、戸惑うばかりでそこに気が付けなかった。

 

「お兄ちゃん、もし転生完了していたら、レベル1に巻き戻っちゃってるよね……!? 私が『ソール』のままってことは、あの『イリス』のままの見た目で、純支援のステータスで!!」

 

 その言葉を聞き、頭に氷をぶち込まれたように冷えてくる。あいつは俺たちと行動する前提で常にステータスを組んできた。STRは初期値、VITもソールという優秀な盾役と常に行動していたため必要最低限。転生三次職といってもそのステータスは高い成長率に裏打ちされたものであり、レベル1の性能は初期値に多少の色を盛られた程度だ。このあたりの敵はさほど強くなかったと言っても十分脅威になる。そもそもこの世界に元のステータスが有効かも不明で、もし最悪、見た目通りの身体能力しかないとすれば『イリス』は肉体的にはこれ以上ないほど華奢で儚げな少女でしかない。第一、何よりあいつは有用な攻撃スキルなんてほとんど持っていないのだ。何を悠長に戸惑っていた、俺ら以上にあいつの状況は遥かに過酷なはずなのに。

 

 それに、こうなる直前の会話、あの時の柳……イリスの様子は尋常ではなかった。もし……もしこうだったら……考えは、悪いほうへ悪いほうへと向かっていく。

 

「……悪い、どうかしてた。まずあいつと合流しよう、方角は分かるか?」

「うん……こっち、急ごう」

 

 磁石で方角を確認し、俺たちは急いでその場を後にした。

 

 

 

 

 

 この体の脚力と持久力は凄まじく、みるみる景色が後方に流れていく。もうすでに2時間以上は移動し、その半分くらいは走っているのだが、疲労はそれほど感じない。先ほどの懸念、もしこの世界の身体能力にゲームの性能が反映されていなければ、という所は否定された形になるが、それは俺たちにとって安心できることではなかった。何故なら、ゲーム時のあいつのステータスが反映されるという事は、レベルの巻き戻り後であった場合、身体能力はそのあたりの一般人並みどころかそれを下回る可能性が大だからだ。

 しかし、それだけのペースで強行軍をしていても、目的の廃神殿は見えてこない。ゲームの時であればすでに5分位もあれば着くようなペースで走っているのに、だ。いったいどれだけ世界が広がっているのか、焦りばかりが募る。こんなことならついていけば良かった。そんな言葉が脳裏をよぎるが、それは隣を駆けるソールを余計に追い詰めるだけだ、間違っても口に出すわけにはいかない。

 

 そんなとき、流れていく視界に、ふと、左手の木々の間に人影が見えた気がした。体格の良い、壮年の男性のような。知っている顔だったような気がするが、思い出せない。

 

「……玲史さん?」

「悪い、今何か……」

 

 それどころではない、俺たちは一刻も早くあいつの身を確保しないといけないのに。しかし、何かが強く引っ掛かる。どうしても気になり、足を止めて、怪訝な顔をしながらもついてくるソールと先ほどの場所へ歩を進めると、そこにはやはり見間違いだったのか人の姿は存在しなかった。しかし、代わりに森の中には似つかわしくない……

 

「なんだこりゃ……本のページ……か?」

「真新しい紙ね……なんでこんなものが」

 

 真っ白な、何も書かれていない紙だ。根元から破り取られた跡がある。俺らが顔を見合わせていると。キン、と、遠くから硬質なものがぶつかる音がした。

 

「……聞こえたか、今の」

「ええ……金属音、誰かが戦ってる音ね」

「……すこし寄り道する。いいか?」

 

 どうしても、気になってしょうがない。まるで何かに誘導されているような、何か予感めいたものが俺の中に渦巻いていた。それはソールも同様だったらしく、一つ頷くと後ろについてきて、俺らは音のほうに急いで駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、『臆病な』スコットよぉ。どこ行こうってんだ、あぁ!?」

「お前が逃げたせいで俺らも祭りに参加できねぇんだけど、どう落とし前付けてくれんだ、なぁ?」

 

 おらが逃げて助けを呼ぼうとしていることなんて、当然ながら筒抜けだった。四人の追手に気が付いたのは、もう少しで道に出れるというところで、肩に鋭い痛みと熱い何かが流れる感触がした時だった。矢が刺さったことに気が付いた時にはおらは足がもつれて転んでいた。立ち上がった時にはすでに囲まれていて、逃がす気は毛頭ないようだ。早く面倒なことを終わらせて、向こうへ戻って下種な楽しみに興じたい。自分のことなどその邪魔をする取るに足らないものだと突きつけられ悔しさに奥歯が割れるほど噛み締める。

 

「……臆病だども、やんねきゃなんねぇこともある……死ねねぇ、こんなところで死ぬわけにはいかねぇ……!」

 

 まだ掴んでいたらしい短剣を構える。手も足も震えるが、ここを切り抜けなければあの子は……それだけはいけねぇ、今度こそ……今度こそ……っ!

 

「あー、何根性出してくれちゃってんの、お前が我が身可愛さに『売った』のが原因じゃねぇか」

「だけども! だからこそだ!……おらじゃ無理だから、だから……!」

 

 死ぬわけにはいかねぇんだ。矢の刺さった左腕は痺れて動かねぇし、四人相手にこんな短い短剣一つじゃどうにもなんねぇ、それでも……誰か……呼んで……っ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し森の中に踏み込んだところで、誰かが争っていた。何やら物騒な様子で、一人に対して武器を向ける四人の男と、肩に矢を受けて、それでも必死に食い下がろうとしている、何か思いつめた様子の傷だらけのおっさん。俺は……事情は分からないが、直観に任せ、後者を助太刀することを瞬時に決断する。

 

「そこのおっさん! 下がれ!!」

 

 普段使っていた一つのスキルを脳裏に浮かべる。とたん、風景がこれまで以上の……いや、まるで別次元の加速で一瞬で100mはあろうかという間隙を0に詰め、目の前で呆けてこちらを眺めている男を手にした大振りの剣で……片刃の大剣なので、刃を返して……全力で振り切った。

 俺の職……ユニーク職『剣聖』のスキル『神速剣』。システムは働いていなくてもその加速は健在で、速度と重量の乗った一閃は、俺の手に何かがバキバキと砕ける嫌な感触を残し、大の男を野球ボールか何かのように軽々と吹き飛ばす。男はしばらく転がった後、木に激突して倒れ伏した。当然ながら俺は元の世界で人に本気で武器を振った経験など殆ど無く、倒れてピクピクと痙攣している男に自分の行った事に膝が震えそうになる。が、今はそんなことを言っている場合ではないとソレは心の奥底にしまい込み蓋をする。

 

 もう片方、離れた場所で弓を構えた男のほうを見ると、そちらはソールの腕をまるで矢を番えるように限界まで引き絞って構え、虚空を突いた剣から放たれた雷撃、ソールのユニーク職『ナイトロード』のスキル『スタンピアサー』により、くぐもった悲鳴を上げ全身を硬直させ木の上から落下したのが見て取れた。本来であれば遠くにタゲが跳ねた際に電撃により行動を封じ、後衛を守りつつターゲットを奪い返すための技だが、どうやらこちらではそれ以上の威力を有しているようだ。

 

「加勢するぜ、おっさん」

 

 呆けているおっさんと男たちの間に立ちふさがる。内心冷や汗がだらだら流れているが、どうにか表に出さずに済んでいるようだ。瞬く間に二人が倒されたことで、周囲の残り二人が警戒し武器を構える。

 

「あ、あんたらは……」

「下がっていてください、これ、傷薬です」

「あ、あぁ……」

 

 ソールがおっさんを助け起こし、傷薬を手渡しているのを横目に確認しながら、俺は残る連中に向けて踏み出した。

 

 

 ――戦闘は、さほど掛からず終了した。一応ゲームでのステータスは確かに有効らしく、スキルの仕様も色々検証しなければいけなさそうな部分は多いものの、特に問題なく使用できるようだ。ある程度レベルの上がった三次職である俺らには、さほど大した敵ではなかった……心情的な部分を除いてだが。

 

「まぁ、こんなもんか。おっさん、無事……」

「剣士様、それと騎士様ぁ!!」

「おぉ!? な、なんだ、落ち着け、な?」

 

 戦闘が終了したとたん、後ろに下がっていたおっさんが必死の形相で俺らに掴みかかってくる。その尋常ではない様子に、思わず腰が引ける。

 

「そ、そんなごどより……あ、あんだら、そんなに強ぇなら、あの子を! おねげぇだ、あの子を助げてくれ……!!」

 

涙と鼻水に塗れた形相で俺らに詰めよってくるおっさん。切羽詰まったその様子と……『あの子』。その言葉に、俺は背筋が凍りつくような嫌な予感が止まらなかった。

 

 

 

結論を言うと、捕まったというのはまず間違いなくイリスだ。

全てを聞いて、まず感じたのは強い怒りだった。

 

「……てめぇ!?」

 

 カッとなった俺は、おっさんの襟首をつかんでギリギリと締め上げた。このまま縊り殺してやりたいと衝動に駆られるが、そこにそっと止める手が現れしぶしぶ力を緩める。

 

「待ちなさいレイジ。今はそれどころではない、彼に怒りをぶつけるのは私たちの仕事ではない。その怒りはもうちょっと後に取っておきなさい」

「だけどこいつは……!」

 

 正論だが、こいつが柳を……イリスを裏切って我が身可愛さに売ったんだぞ!

 

 そう続けようとした声は、隣のソールの表情を見て一瞬に冷えた。

 そんなソールは、つかつかと先ほど吹き飛ばした、木の下に仰向けに倒れている男の傍まで歩いていくと、無造作にその剣を躊躇いなく振る。たちまち、間欠泉のように激しく噴出した血が周囲を染めるより早く、残りの息のある連中にも三度、同じように剣を振りぬく。

 

「申し訳ありません、あとで目が覚めて背後を突かれでもしたら厄介でしたので。スコットさんでしたね。彼女は私たちが必ず助けます。案内を」

「……あ、あぁ……おねげぇします、こっちです……!」

 

 返り血すら浴びず迅速に「処理」を済ませ、真っ赤に染まった雪景色を背景にしたそのソールの怜悧な顔からは表情が完全に抜け落ち、目だけがギラギラと殺意を帯びていた。

 しかし、旧友の突然の凶行にも、今の俺は非難しようとは思えなかった。むしろ、それを中身は女の子であるソールにやらせてしまった自分が不甲斐なく感じる。いや、違う。正直なところ、俺がやりたかった。ここまで殺してやりたいという、元の世界では思いもしなかったであろうほどの激しい怒りを感じたのは初めてだ。そうだ。俺のこの怒りをぶつけるのはこのおっさんじゃねぇ、そのあいつを攫った連中だ。

 

おっさんの歩調に合わせる時間も惜しい。米の袋を担ぐように肩に担ぐと、おっさんの指示と足跡を頼りにできるだけの速度で走り出す。

 

待ってろ、すぐに助けてやる……だからどうか、無事でいてくれ。

いつの間にか、自らの意志で人を傷つけるという恐れから来る震えは止まっていた。

 

 





平和な暮らしをしていたはずの二人が躊躇いが無くなっているのは怒りのため。一時的な状態です。


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救出2


時系列が「暗中と光輝」直後まで飛びます


 

 怒りで腸が煮えくり返りそうだ。台に押さえつけられ倒れ伏すイリスは、頬が殴られて腫れ、全身も痛々しい傷が覆っている。元が白く透き通る肌色をしていただけに、あまりの痛々しさに気分が悪くなる。到底間に合ったとは言い難いが、本当に取り返しのつかない最後の一線だけは辛うじて無事、そういう非常に危ういタイミングだったらしい。

 

 

「馬鹿野郎、怯むな! そいつを助けに来たってんなら、人質に……!」

「ああ、悪いけど……それ、無理だわ」

 

 倒れているイリスの周囲に、突如、不可視の盾……ソールの魔法、『インビジブル・シールド』が展開される。直後、けたたましい破砕音を上げて、窓が粉微塵に砕け散る。

 

「いで、いでで!?……ぎぃあ!?」

「ぎゃあ、おかしら……がっ!?」

 

 イリスを避け、降り注ぐ砕片にたまらず頭を庇ったあいつを押さえつけていた取り巻きに、次の瞬間、窓から飛び込んできた人影……ソールが襲い掛かる。着地の衝撃を回転で逃しながら一人目、左の男の首を引き裂き、回転が止まった瞬間、即座に踏み出してすれ違いざまにもう一人の心臓を一突き。瞬く間に二人に致命傷を与えたソールが、あらかじめ外していたらしい左肩のマントをばさりとイリスの裸身に被せ

 

「……『フォース・シールド』ぉ!!」

 

 盾を、力いっぱいに床に突き立てる。やや先端の尖ったその盾は、石造りの床を穿ち、その盾を基点に、イリスを守るように防壁が張られる。『フォースシールド』。自身の盾の周囲に非常に耐久力の高い障壁を発生させるナイトロードのスキル。盾を手放してしまうというタンク職には致命的な欠点があるものの、要人の防御にはこれ以上ないほど強固で、これでもはや周囲の男たちはあいつに手を出せない。

 

 この屋敷に突入する際、見えた光にイリスの居場所は二階の一室であると把握済みだった。俺が正面から突撃し注意を引き付けている間に、ソールは裏に聳え立った崖から飛び込んで敵からイリスを隔離。策と呼ぶのもおこがましい力技だが、こいつ本当にタンク職かと思わざるを得ないさすがとしか言いようのない早業に、瞬く間に最大の懸案事項、あいつの安全は確保され、これでもう気兼ねする必要はない。突然の形勢逆転に誰も動けない中、俺とソールは悠々とイリスを背後に庇う位置でお互いの背中を預ける形で構えを取る。

 

「ここから一人も逃がすつもりはない。私のイリスを傷付け辱めたお前たちを……生かしておくつもりなど毛頭ない」

「同感だ、今更許しを請えると思うんじゃねぇぞ……!」

 

 先程のイリスの無残な様は目に焼き付いていて、今でも新たな怒りを沸々と湧き上がらせている。今この時は、武器を握る手に迷いも躊躇いも無く、この怒りを発散すべくお互い狙い定めた相手に猛然と飛び掛かった。

 

 

 周囲は瞬く間に阿鼻叫喚となった。縦横に駆けまわるソールの剣が閃くたび、あちこちで鮮血が舞い、断末魔の悲鳴が上がる。宣言通りこの連中を一人たりとも逃がすまいと、逃げようとする敵をあいつが優先的に狙っているのならと、俺は武器を構え交戦の意志を見せたやつを反応を許さず、あるいは構えた獲物ごと、切り伏せていく。瞬く間にそれなりの広さを持った部屋は血の海となり、立っている人間が一人また一人と急速に減じていく。

 

「相手は二人だぞ、何やってやがる!! くそ、なんでこんな辺境にこんな奴らが居やがる! ……イリス? そうかよ、こいつが噂に聞く『宝石姫』かよ……! どおりでやたら綺麗なお姫様かと思ったら、マジモンじゃねぇか……!!」

 

 聞き捨てならない言葉が賊の親玉の口から出る。宝石姫というのはゲームでの公式が押し付けた愛称みたいなものだったはずだ。それが、この世界でも知られている……まさか、あのゲームの中での出来事がこの世界にも何かしらの影響を与えている……?

 

「クソッ、しくじったぜ……そんな爆弾抱えた女なら遊んでねぇでさっさと犯っとくべきだった……そうすりゃせめてもの冥土の土産になったってのに……よお!!」

 

 破れかぶれになった親玉が、突然立ち上がって不意を突くつもりだろう、錆びた剣を手に襲い掛かってくる、が、あまりにも遅い。ゲームの時の一つのスキルの感覚を思い出し、脳裏に浮かべる。俺の剣が眩い闘気の光に包まれる。剣聖技、『閃華』。俺の習得していた技の中で、最大の威力を持つそれで迎え撃つ。軽く相手の剣の軌跡の内に体を潜り込ませると、すれ違い様にわき腹を浅く薙ぐ。見た目は軽傷に見えるが……これ以上は必要ない。

 

「がっ!?、だ、だがなぁ、この程度……で、……でぇ!? なんだ、こ……ぎっ、がぁ! ああああぁぁぁ!!?」

 

 先程薙いだ傷口から、その内に残してきた俺の剣に注いだ闘気が迸る。ぼこりぼこりと膨れ上がった傷口はみるみる爆散し、あとには大きく質量を減じながら上下に分かたれた奴の体が二つ、びちゃびちゃと粘着性のある音を発する塊をまき散らしながらどさどさと重たい落下音を上げて地に落ちる。その時にはすでに、その目には光は宿っていなかった。

 

「ひぃ!? お、お頭!?」

「ま、待ってくれ、降参する!! だから命は、命だけは……!」

 

 その凄惨な死に様に、周囲が一斉に腰を抜かし許しを請い始める。なんだかで、一人を無残に始末することで周囲の意気を挫く方法があると聞いたが、どうやら怒りのままに最大威力の攻撃を叩き込んだことで無自覚にそのような効力を発揮したらしい。あまりに身勝手なことを宣う男たちに吐き気がする。

 

「……いいだろう」

 

 ぼそりと呟いた声にほっとした空気が一瞬流れる、が

 

「あいつがやめてと言った際に、やめた奴だけ助けてやる」

 

 次の言葉で周囲が凍り付く。そうだろう、そんな奴がこの中に居るはずが無いし、わざわざ一人一人確認を取るつもりも毛頭ない。ああ、あまりに身勝手だ。過ぎた怒りはかえって冷静になるらしい。自分でも相当ヤバい目をしているのだろうなと何故か冷めた思考で考えつつ、未だ言い訳をしようとしているもの、他者に責任を擦り付けようとしているもの、逃げ出そうとしている者、全てまとめて順に斬り捨てた。

 

 

 全ての掃除が終わるまで、5分とかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 未だ眠ったままのイリスに、寒くないようにソールのものに加え俺の外套も取り出して包む。先ほど見つけたイリスのものと思われるポンチョも、汚れや損傷もさほどなさそうだったのでさらにその上に被せしっかりと包む。そのまま抱き上げると、まるで羽根のように軽く、ちょっとしたことで壊れそうなその体に、どれほどの責め苦を受けたのかを思うと心苦しくなる。なまじ容姿が完璧に整っているだけに、殴られ腫れた左頬が痛々しい。

 

 こうしてイリスを取り戻し、冷静になってくると、今までの自分たちの様がとても恐ろしいような気がしてきて、今更ながら人を殺したという事実が胸に圧し掛かって、手が震えてくる。こうも容易く人を殺めることをできる力を、つい昨日までは一般人だった自分が、ほんの数刻で自分が手にしたことが何か恐ろしいことに思えてならない。

 

 しかし……だがしかし、今腕の中で安堵したように寝息を立てている、この今では少女になってしまった存在の重さと体温を感じると、見知らぬ悪人を手にかけたことなど些末事に思えてくる。この力が無ければ、きっとこいつは失われていたのだから、と。決して間に合ったとは言い難い。柳の時の心的外傷を考えると、今どれだけ心に傷を負ったか不安になるが、それでもどうにか取り返しのつかないことだけは避けられたのだ。

 

「ああぁぁ……お嬢ちゃん……なんて惨いことを……おらは……おらは……」

 

部屋の外で待たせていたスコットのおっさんが、俺の腕の中で眠るこいつを見て崩れ落ちる。

 

「……それ以上自分を責めないでくれ、あんたのおかげで最悪の事態だけは免れた……感謝する」

「そんなことねぇ! そんな礼を言われるなんてあっちゃいけねぇんだ……すまなかった、本当にすまなかった……」

 

 そのおっさんの慟哭はなかなか止まらなかったが、その様子からこいつのことを案じていたのは間違いないのだろう。いつの間にかおっさんに対する怒りは消え失せており、ソールのほうを見ると、これ以上責める気はないと首を振って答えた。なれば、あとはすべてこいつ(イリス)の決めることだ、俺たちがどうこう言う問題ではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「すんません……厚かましい願いなんですけども……地下に、あいつらに連れてこられた娘っ子がまだ居るんです……そっちも助けてやっちゃもらえねぇですかね」

 

落ち着いたおっさんの言うには、近隣の町から攫われた者も居るという。もしかしたら、俺たちの飛ばされたあの町の者も居るのかもしれない。

 

「……もちろんです、案内してください」

「へぇ、こっちです」

 

 おっさんに案内されてやってきた地下は、酷い様だった。黴と血と獣欲の残り香で、まともに呼吸するのが嫌なくらい鼻を衝く悪臭が漂っている。中には明らかに「そういう用途」のものであろう器具も散乱し、その片隅、元は実験動物か何かを捕まえておくものであろう檻の中に、数人の若い女性が固まって震えて座り込んでいる

 

「……こいつは、救えねぇな」

 

 奴らの行為は多方面に渡っていたらしく、中にはひどく痣や傷になったもの、手足が変形しているもの、欠損のあるものすら居る。もしもっと遅れていたら、イリスもこの中に混じっていたのかと思うと今更ながら心臓が押しつぶされそうな恐怖が湧く。怪我だけであればこいつが目覚めていれば治すことも可能であろうが、かといって力尽き、やや青ざめた顔で静かに腕の中で寝息を立てているこいつを起こすわけにもいかず、目で「ここは任せろ」と言うソールに任せておく。相手が女性なら、あいつのほうが気配りできるだろうし、俺が見ていい物でもないだろう。尤も、今はどちらも男の体ではあるが。

檻の鍵を破壊し、戒めの手枷や足枷を破壊している間、おっさんと俺は扉の外に出ておくことにする。

 

「で、どうするんだこの娘たち。言っとくけど手持ちに着るものもねぇし、この外を町まで歩くのはいくらなんでも無理だと思うぞ」

「へぇ……町に戻って、町長にでも話せば迎えをよこしてくれると思うんですが……」

「とはいえ、彼女たちだけ残していくのもな……」

 

薄情なようだが、俺たちにとっての最優先はこいつであり、そして衛生面で不安のあるここから一刻も早く連れ出して落ち着ける場所に行きたいというのが本音だ。宿なりなんなりの安静にできる場所に着いた後でなら報告に行き、その後手伝うのも吝かではないが……

 

「それじゃ、おらが残って世話してます」

「……大丈夫か? お前だけだと、ほら、報復とか」

 

 このおっさんはそういう行為には加担していなかったらしく、食事の用意などの身の回りの世話なども行なっていたようで勝手も知っているらしいが、それでも捕まった娘らにとっては憎い賊の一味に違いなく、自由になればどのような目に遭わされるかは分かったものではない。

 

「……それも仕方ねぇと思ってます。おらがあいつらのやってることを見逃してたのは事実ですし、娘らが俺を殴りてぇ、殺してぇってんならそれも甘んじて受けるべき罪だと思ってます」

 

 それでも、覚悟の上だと言うおっさんに、俺に言えることはもう無いだろう。

 

「そうか……悪い、ここは任せる。なるべく早めに迎えをだすように言っておく」

「はい……嬢ちゃんのこと、よろしくお願げぇします」

「言われるまでもねえよ……ちゃんと、生きてこいつに謝れよ」

「ええ、わかっとります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、簡単な手当を済ませたソールと合流した俺らは、元来た道を引き返し最初のあの町に戻った。

 

 やはりここにも行方不明の者が居たらしく、山賊討伐と、捕まっていた娘たちのことを報告したところ、その被害に悩まされていた町長に感謝され、ただちに町の若者たちによる迎えの者が派遣された。

 

 

 

 そうして俺たちは、この件の礼にと部屋の一室を宿代わりに借りうけ……イリスが目覚めたのは、その三日も後のことだった。

 

 



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解決

 

「……う」

 

 ぼんやりと意識が浮かび上がる。

 知らない天井だ。寝かされているベッドは清潔で、陽光の元で干された物特有のふかふかの感触といい香りを伝えて来る。少なくともあの場所でないことに安堵を覚え、体を起こそうとして

 

「……いっ、くぁ……っ!」

 

 動かそうとした部分からびりっと痛みが走り、全身の力が抜け再びベッドに体重を全て預ける。気分は決して良くない。頭には靄がかかったようにぼーっとするし、魔力がまだ半分も戻ってなさそうな、体の中の何かが足りていない脱力感もあり、加えて全身から疼くようなじりじりとした疼痛と、熱っぽさを感じる。どうやら、全身熱を持っているのかコンディションは最悪らしい。

 

「……あ、お兄ちゃん、目覚めたんだ」

 

 入り口であろうドアから入ってきた人影……綾芽、いや、今はソールか。が、桶に組んだ水をこぼさないように小走りに駆け寄ってきた。

 

「……どうしたの、どこか痛い?」

 

 気遣わしげなその言葉にふるふると首を横に振る。また会えた……その思いが、胸を一杯にし、あふれた滴が優しく頬を濡らしていた。

 

 

 

 

 

 全身に巻かれていたらしい包帯と、その下のガーゼ類が外されていく。

 絞った柔らかな布切れで、傷口が痛まないように優しく体を拭き取られる。

 

 今の状況を対外的に見たら、イケメンの兄が思春期くらいの妹を裸にして全身を拭いているという中々にインモラルな光景なんだろうなぁと熱に浮かされた頭でぼんやりと考える。

 

「ごめんね……本当は傷薬を使ってあげたかったんだけど、それだと傷が残るかもしれないから……」

 

 自分が目覚めて回復魔法を使用するのを待っていたらしい。

 

 あれからすでに三日も経過しているということに驚く。

 

 何にせよ、治療だ。

 

 部分的に化膿している所もあるので、最初に浄化魔法『ピュリフィケーション』で全身を清め、その後念のため、高位の『アレスヒール』を使用する。みるみる全身の傷は嘘のように跡一つなく消え、もとの傷一つない白磁の肌が現れる。

 

 しかし、次の変化がすぐに表れた。急激に体温が上がったように気分が悪くなり、ふらふらと再び寝台に倒れこむ。

 

 怪我の治癒に少なからず体力を消費することと、もしかしたら病原菌を活発化させることもあるのかもしれない、今後は病人への使用は慎重に行なったほうが良さそうだな、とぼんやりと考える。

 

「……これ、薬。飲んで」

 

 予想していたらしく、あらかじめ用意していたらしい小さな錠剤が口に入れられた。固形のそれをゆっくりと匙で含ませられた水で嚥下する。

 

 乾ききった喉にややぬるめの水が心地よく、貪るように、次を催促すると、一口分ずつ、落ち着くまでゆっくりと水が口に含まされる。

 

 そうして人心地着くと、全身の疼痛が無くなったため多少楽になったが、それでも全身の熱っぽさはどうにもならず、顔に触れる手のひんやりとした心地よさに、たちまち睡魔に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の目覚めは、割とはっきりしていた。ベッドの左右には武装を解いた街服姿のソールとレイジが居り、それぞれ片手ずつ手を握り、それぞれ心配げにこちらを覗き込んでいる。

 

「良かった……目が覚めたか」

「お兄ちゃん、まだ具合悪くない、大丈夫?」

 

 深く安堵の意気を吐き出すレイジと、こちらを心配げに覗き込むソール。熱は引いたらしく、多少の気怠さは残るものの、特に問題はなさそうだ。

 

「……帰って……こられたんだ……」

 

 もう、駄目だと何度も思った。

 

 慣れない本物の血の通った少女の体のまま、知らぬ男たちの慰み者にされ、壊れていくのかと怖くてたまらなかったが、それでも僕はここに……二人のところに帰ってこられたのか。

 

 再度安堵と嬉しさの涙が頬を濡らし、たちまち嗚咽が止まらなくなる。

 

「ごめんね……一人にしてごめんね……!」

「ああ、悪かった……今度こそ、一人になんてするものか」

 

 すっかり体格の逆転したソールに優しく抱き止められ、嗚咽の止まらぬ背中をレイジが優しく擦る。

 

 辛かった。

 

 恐ろしかった。

 

 けれど、それ以上に心細かった。

 

 変わってしまった世界で、変わってしまった体。そのうえ、二人がこちらに来ているかどうかも分からない。

 

 連絡手段がない以上その疑念を拭うことは不可能で、もしかしたらもう会えないのではという不安。

 

 ――その不安が春の雪のように溶けていく。もはや自分の意志で感情はどうにもならず、しばらく、二人に抱かれたままわんわんと子供のように大泣きしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめん、もう大丈夫……ありがとう、二人とも」

 

 落ち着くと、先ほど泣いていたことが気恥ずかしくなってしまう。

 

「それで……」

「起きたばかりで悪いんだが……お前に、どうしても会いたいってのがいてな」

 

 途端、真剣な顔をする二人。僕に逢いたいという他の人。その言葉で脳裏に浮かぶのは一人しかいない。体がびくっと震え、手がかたかたと震えだす。

 

「無理だったら、言ってね……?」

「一応、言っておくと、こいつが俺らを呼んだから、お前を助けに行けた……それだけは、尊重してやってくれ」

 

 正直に言えば怖い。もしかしたら、顔を見た瞬間心無い言葉をぶつけてしまうかもしれない恐れに、決して短くはない時間逡巡する。……しかし、そんなレイジの言葉に……僕は、はっきりと首を縦に振った。

 

 

 

 

 入ってきた人影に、視界がぐぅっと狭まる。

 

 耳から入る音がやたら遠くに感じる。

 心臓がばくばくと早鐘のように打ち、だらだらと嫌な汗が伝い始める。

 全身の震えが止まらず、震えを抑えようと我が身を抱くも当然ながら効果は無い。

 呼吸が乱れ、息苦しさを感じる。

 

 二人以外の人物が視界に入ったとたん、逃げたくてたまらないのに、腰から下、下半身からすうっと力が抜けていく。もうこの体にあの傷は無いというのに。

 

 昔と同じだ。周囲の誰も……祖父母と、綾芽と玲史以外を拒絶していたあの時と……いや、あの時よりも悪化しているかもしれない。

 

 違うのは、脳裏に浮かぶのが包丁を構えた男だけではない。ニヤニヤと好色そうにこちらを見下ろすあいつらだ……怖い。たまらなく怖い。かちかちと、歯が鳴る音がやけに耳に響く。

 

「……おい、大丈夫か。無理すんなよ?」

 

 ……きっと、よほど酷い有様らしい。だけど、やらなければ。きっと、ここでこのまま震えていたら、彼は二人に追い出され、二度と会話する機会は無い気がする。

 

「だい、じょうぶ、話をさせて……?」

 

 心配げに、今は止めておくかと告げるレイジに、首を横に振る。

 

 確かに、たまらないほど恐ろしい。

 

 だけど……どれだけ怖くても、逃げては誰も救われない。

 

 怖くても、一歩踏み出さなければ彼は救われない。

 

 それにここには二人も居る。あの時とは違う、大丈夫、頑張れる。自らを抱く腕を、逃げようとする体をぎりぎりと押しとどめ、そっと床に足を下す。

 

 ――三日寝たきりというのは、相当体力を削り弱らせているらしい。わずかにも体を支えきれなかった脚ががくっと砕ける

 

「嬢ちゃん!?」

 

 慌てて抱き留めた、首を垂れていた人物……スコットさんの腕が触れたとたん、先ほどに増す恐怖感が背筋を駆け巡り、ひぅ、と悲鳴のなり損ねのような音が喉の奥から漏れる。

 

「あ……す、すまねぇ、怖がらせるつもりじゃ……」

 

 慌てて離れようとするその手を、咄嗟に掴む。震えはさらに増し、顔からは血の気が引いていく。駄目だ、まだ倒れるな。

 

「や、やめるんだ嬢ちゃん、無理は……」

 

 慌てて離れようとする彼の手を、両手で優しく包む。舌はカラカラに乾き、幾度か声を出すのに失敗するが、そっと肩に添えられた二つの手の感触に後押しされ、必死に喉に力を込める。

 

「痛、かった、です」

「……え?」

「……噛まれて、すごく……痛かった、です」

 

 傷は消えても、あの痛みは心の奥底にこびり付いている。言葉にするだけで、あの時の恐ろしさは容易く再生されてしまう。だからこそ。

 

「す、すまねがった、この通りだ……!なんだってする、殺してぇってんならそれも……!」

「なんだって、する……ということは……あなたへの罰は、全て私の一存でいい……あなたの不平不満は関係ない……ということですね?」

「もちろんだ! なんだって構わねぇ!」

 

 よし、言質は取った。

 

 「はい……それでは」

 

 あーん、と口を開く。

 

 この体の口は小さく、それほど大きく開かないが、これくらいであれば大丈夫だ。

 

「……? 嬢ちゃん、何を……っでぇ!?」

 

 かぷり、と、疑問符を浮かべるスコットさんの手、親指の付け根に力いっぱい噛みつく。ぎりぎりと力いっぱい。

 

「いででででで!? やめ、嬢ちゃんなにを……っでぇ!?」

 

 たっぷり10秒くらいか。噛みついていた歯を外す。この体の顎の力は弱く、かえって顎が痛い。肉を食い破るほどにはならず、ただ綺麗にそろった歯形が並んでいるだけだった。

 

「な、なにを……」

「痛かった、ですか?」

 

 小首をかしげ、問いかける。

 

「……いや、こんなもの、嬢ちゃんのあった目に比べれば」

「……痛かったですか?」

 

 僕の聞きたかったものはそんな言葉ではない、被せる様に、同じ問いを返す。今度は笑顔もつけて。尤も、青ざめて引きつったそれは大層出来損ないな気がするが。

 

「……いや、こんなもんでおらの罪は」

「…………痛かったですか?」

 

 上目づかいで、三度問いかける。じぃっと。じぃぃいいいいいっと、睨み続ける。

 

「……う、まぁ……痛がった……な」

「はい、では、これでもう水に流しましょう」

 

 ようやく、望んだ答えが聞けた。

 

 一度とはいえ同じ目に遭わせたのだからもう気は済んだ。

 気力を振り絞って笑顔を作り笑いかけると、数言、言葉を紡ぐ。スコットさんの体の周囲を舞った回復術の光が真新しい手の歯形……のみならず、全身の傷という傷を消し去っていく。

 

 ……そもそも、裏切られたと言うほうが間違いなのだ。

 

 多少の恩があったとはいえ、あの時のスコットさんは所詮数言交わしただけの他人で、裏切られたというのは「助けてやった」という考えに根付いた僕のエゴでしかない。

 

 なのに……それでも、彼は自分が傷ついても助けを呼びに行ってくれたのだ。

 

 まだ握った手を擦る。ごつごつ、ざらざらした手だ。引っ掛かりなくすべすべで、重い物も持ったこともなさそうな今の僕の手とは違う、この世界で生きてきた人の手なのだ。

 

 彼はNPCではない、ごく一般の、僕が思うほど善人ではなく、しかし僕が思うほど悪人でもない、ごく普通の人間なのだ。

 

 それが、自分の身を挺して助けようとしてくれたのだ。だから、僕の言いたかったのは恨み言ではない。

 

「……あなたのおかげで、また二人に逢えました……本当に……本当に、ありがとうございます」

 

 声が、どんどん掠れていく。必死に集めた喉の力は激しい勢いで削られていく。他者に触れる恐怖感が消えたわけではない。今も、気力を振り絞らなければ倒れそうだ。それでも……これだけは、伝えなければいけなかったのだ。

 

「嬢ちゃん……おらは……」

 

 ぽたぽたと、彼の目から大粒の滴が垂れる。最後の気力を振り絞り、どうにか笑顔を維持し微笑みかける。それが、僕の身を案じ、身を尽くしてくれた彼へのきっと最大限の礼なのだから。

 

「ほんに……ほんに無事で良かった……よがったよぉ……!!」

 

 

 ……あぁ、彼はこんなにも、心配してくれていたのか。

 

 僕を思って流された彼の涙に、胸の内に暖かいものが去来し、僅かに……ほんのごく僅かながら、心の傷が癒されていく、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 そうして彼の慟哭は、僕がついに限界を迎え卒倒し、慌てた後ろの二人にベッドに戻されるまで続いた……と、次に目覚めたときに聞くことになるのだった。

 



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僕と初めての……

 

 安堵の中で油断しきっていた。安全と思っていた中に、よもやこれほどの強敵が潜んでいるとは。

 

「はぁ……はぁ……くぅ……っ!?」

 

 荒い呼吸音の中に、まるで嬌声のような声が、食いしばった歯の間から漏れる。

 腹の奥の鳴動は幾度となくこの身を苛み、背筋を悪寒がぞくぞくと這いまわる。

 堪えようにも、その腹の奥の小さな臓器の中はすでに限界まで押し広げられて中身を詰め込まれ、限界まで満たされたソレは外に出る時をまだかまだかと腹の内より叩いて催促する。

 

 もはやわずかな刺激で破水しかねないのは疑いようがないが、このような人目に触れる可能性のあるところで腹の内の「それ」が解放された場合、自らの尊厳は千々に砕け、その恥辱は人目に触れればたちまち僕は再起不能に追い込まれるかもしれない。

 

 あの二人には何も言っていない。

 これだけは協力を仰ぐ気にはなれず、二人の目を避けてここまで逃げるように出てきたのだから。

 

 解決策はある。今まさに目の前にしたその扉さえ潜れば、この腹の内の物を人知れず処理することができる。させてもらえる。

 

 しかし、だがしかし、その扉をくぐることはまた自らの矜持の一つを打ち砕く敗北の宣言であり、入り口に救いの手を求めては拒絶する、を四半刻ばかり続けていた。

 

「ふぅ……ふっ……んぅ!?」

 

 しかし、度重なる責め苦はすでにこの脚をがくがく揺らし、すでに立っていることもままならない。

 せめて出口を押さえようと股を閉じてもこの体の脚は致命的太さが足りず、ただ空洞となるだけでわずかに抑えることも叶わない。

 慣れぬこの身では堪え方も分からず、先程から体内からこじ開けようとその腹の内の出口を責め苛む圧力に、全身から流れる油汗がぽたり、ぽたりと床に染みを作る。もはや決壊するのは時間の問題であり、脳裏には悪魔が囁き続けている。

 

 ――我慢するなよ、早く楽になってしまえ

 

 分かっている。どのみち最初から勝てぬ勝負であり、どれだけ拒もうとこの身では決して敵わず、最終的には受け入れ、その体内の物は外に吐き出すしかないということを。

 

 ――それでも、認めたくなかったのだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこ(女子トイレ)に入るということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛…………」

「……なぁ、いい加減に落ち着けって。その姿じゃ出して駄目な声になってんぞ」

 

 部屋に戻り、ベッドに逃げ込み枕に顔をうずめ地獄の怨嗟のようなうめき声を上げ続ける僕に、レイジの気遣わしげ……否、うんざりした声がかかる。

 

「ふんだ、どうせレイジには僕のこの葛藤なんてわからないよ……」

「そりゃなぁ……俺は今、心の底から男のアバターで良かったって思ってるけどな」

 

 ちなみに誇りをゴミ箱に叩き込んだ結果、ギリギリ間に合った。「そんな実践する機会のない知識まで要る!?」と当時は思わず突っ込んだ妹の手による女の子講義の結果として蓄えた、男が貯めこむ物としてはちょっとアレな知識により致命的なミスを犯すことは辛うじて免れた。

 

 女の子のお花摘み色々怖い。方向指示器様は偉大でした。限界まで貯めこんだそれを排出したその爽快感は、ちょっと変な声が出ゲフンゲフン。

 

 その際、否が応でも「そこ」を見て、あまつさえ触ってしまったわけで。そりゃ、見たことが無いわけではないですよ。妹がまだ小さい頃きりだけど。それが、この『イリス』のまだ幼いとはいえ10代半ばくらいとびっきりの美少女のソコをですよ?……まだ生えてませんでした。つるつるでした。ばっちりむき出しのそれを目にしてしまったんですよ? あまつさえ拭き取る際に触れてしまった場所がびりっと変な感じがしたなんてきっと気のせいだ。着替えの時? きつく目を閉じてました。

 

「うわぁぁぁああああああああああ!?」

 

 思い出して羞恥心が限界を突破し、起き上がっていわゆる女の子座りの恰好で、とりあえず手に掴んだ枕をバンバンと何度も力いっぱいベッドに叩きつける。

 

「お、落ち着け、な? 怪我に障るぞ、な? ていうか埃が立つからやめろ!」

 

 怪我……怪我……!?

 

 その怪我を負った際の僕の有様を思い出す。

 その可能性が脳裏に浮かび、ぴたりと枕を叩きつける行為を止める。

 

 ぎぎぎ、とレイジのほうを見る。顔に血が集まり、熱を持ってくる。目の端にじわりと涙が浮かぶ。その可能性を考えると顔を上げられず、自然と顔が下に下がり目だけでレイジのほうを見ることになる。なにやら顔を向けたとたんレイジが挙動不審に目を彷徨わせているがそれどころではない。肯定されたらどうしたらいいのかわからないが、かといって一度湧いた疑念はもう放置もしておけない。恐る恐るその疑問を口にする。

 

「………………………………………………見た?」

 

 言葉にして二文字。長い葛藤の末に口からでたその疑問に、刹那、バッと首がねじ切れる勢いで逸らされるレイジの顔。なるほど。Ye Guilty。

 

「……う」

「……まぁ、なんだ……不可抗力で」

「うわあああああああん!?」

 

 ばんばんと枕でレイジの頭を叩く。もはや感情が制御できない。あまりに恥ずかしくて自分の意志では止められない。

 

「痛……くはねぇけど、やめろ、やめろって!?」

「だってだってだって、どう反応したらいいのかわからないんだもん! とりあえずその記憶吹っ飛べええええ!!」

「無理言うな!? 大体、俺、お前の裸なんて何度も見てるだろうが! 何回風呂に入れたと思ってるんだ!?」

 

 ぴたりと手が止まる。

 

「……それもそうだね」

 

 そういえばそうだ。向こうではお風呂に入れられるくらい何回もしていたではないか。主に介助で。何を葛藤していたんだろう。きっと一時の気の迷いに違いない。そんな男に裸を見られて恥ずかしくなるなんて女の子みたいな。

 

「いや、言っといてなんだけどそれでいいのか……」

 

 なにやら呆れた声が聞こえるが、悩み事が解決しすっきりした僕の耳には届かなかった。

 

「……何いちゃついてるの、あんたら」

「「いちゃついてないし(ねえよ)!!」」

 

 買い物からいつの間にか帰っていたソールに、二人で全力で否定するのだった。

 

 ……してないよね?

 

 

 

 

 

 尚、後日、レイジはこの方法で誤魔化したことを後悔することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで……今後はどうする?」

 

 ソールが、買い出ししてきた抱えた荷物を各々に分配し、それぞれの物をマジックバッグにそれぞれ仕舞い込み……ソールの渡してきた紙袋に、大量の色とりどりの 小さな布切れ(女性用下着)が整然と詰まったのを見た時は意識が飛びかけた……人心地着いたところで真面目な話を切り出す。

 

「そうだね……僕の意見としては、もう少しここを拠点にしてこの世界に慣れるべきだと思う」

 

 これだけは今後の安全を考えて譲れない。できること、できないこと、その洗い出しを終わらせる前に旅をするというのは、やはり何があるかわからないので怖い、そう経験により思い知っている。この世界では臆病なくらいがきっと丁度いい。

 

「そうだな、俺も賛成だ。肉体的な強さはさておき……俺らはこの世界の人間より多分弱い」

 

 なんとなくわかる。例えばあの頭目は僕に目を潰された際もすぐに立ち直って襲い掛かってきた。一方で、僕のほうはと言うと少し殴られただけで竦み上がって何も抵抗できなかった。

 

 ――痛みに対する耐性。

 

 平和な元の世界で暮らしていた僕らには、この世界の人間と比べてそれがどうしようもなく劣っている。たとえ実力では優っていても、痛みで心折れてしまえば立ち上がれない。ゲームではHPが0にならなければどんな無茶もできたが、こちらではそういう無理はできない。ゲームとは違うこの世界での「戦闘」というものを、一から洗いなおさなければいけないのだ。でなければ、ついゲームの癖でうっかり死線を踏み越えかねない。

 

「……と言うと思って、町長に掛け合って、まずは簡単なものから色々困ってることをまとめて依頼として貰えるように頼んできたわ。向こうも自分たちではできない荒事を片付けてもらえると乗り気だし、私たちは路銀を貯めることができる。もちろん、条件なんかは問題が無いか確認済みよ」

 

 そういって懐から出したのは幾枚かの紙の束。渡されたそれを、レイジが受け取り僕は横からのぞき込む。

 

「いつのまに……まぁいい、助かる。……とりあえず、さしあたってはあの時あそこに捕まってた子らのケアだな」

 

 ぺらぺらと依頼のリストを眺めていたレイジが、一点を見つめて呟く。捕まっていた子らは、ひどく怪我をした子も居る。彼女たちの気持ちも今の僕は痛いほどよく分かる、できれば早く治してあげたい。

 

「体調は、多分もう大丈夫……外はちょっと怖いけど、頑張る」

「それじゃ、明日から少しずつ訪問して治療にあたるか」

「ん、任せて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、方針は以上として、俺からお前たち二人に言っておかなければいかんことがある」

「ん?」

「ふぇ?」

 

 その後も一通り今後の予定を決めた後、不意にレイジが今までに増して真面目な顔で切り出した。

 

「とりあえず、口調だ。本当に俺らだけの時なら大丈夫だろうが、できるだけ二人とも今の姿に合った言葉遣いを徹底してほしい。この世界の人間だけならまだしも、もし俺ら以外のプレイヤーが居て、それに知られたら厄介だ」

 

 つまり、元の性別……僕が男、ソールが女であったことを知られるなということか。確かに、僕は「姫様」として結構知れ渡っている。それが中身実は男でしたーなんてなったら。

 

「騙していたって責められるってこと?」

 

 ソールがなんだそんなこと、という風に返事をする、が、レイジは苦々しい表情で首を振って否定する。

 

「それもあるが、それだとまだ男の欲望ってのを甘く見てると言わざるを得ないんだよ。『イリス』が中身が男だった、ってバレるのがやばいんだ。『リアルも女』っていう暗黙の了解があったから、たまに言い寄ってくる奴は居ても、一定のラインを踏み越えてくる奴は滅多に居なかった。が、『実は男でした』なんてなってみろ。そのラインがぐっと下がる。特に、完全に女になっちまって、しかもシステムによる保護が無くなった今だと、な」

 

 ゲームの際は、異性に性的な接触を試みようとする者にはかなり重大なペナルティが科せられ、堅く保護されていた。そもそも全年齢……一応、名目上はR‐15とはなっていたが……対応のゲームであった以上、性的なものへのフィルタリングは厳しかった。人目のある場所で下着姿になることすらできないくらいには。

 

「例えばだ、女の子に『胸を見せてくれ』なんて言ったらそいつはただの変態だ、だから……まぁ、居ないとは断言できんが、そういう馬鹿はほとんどいない。けど、だ。こいつの見た目で「元は男だ」なんて言ってみろ。『元男なんだからいいだろ、俺の気持ちもわかるだろ』って頼み込んでくる馬鹿は確実に出る。断っても身勝手な不満は溜まる。許可すれば調子に乗って次はこっちも見せろ、次はヤらせろ、間違いなく要求はエスカレートしてくるはずだ」

「そうね……それに、『騙していた詫びを体で払え』なんて馬鹿を言い出す輩も出ないとは限らないわね」

「というか、出るな。間違いなく」

 

 二人の間でとんとん拍子で進む会話に、みるみる青ざめていく。性機能も怪しかった僕は男の時でも性欲の薄かったため、自分にはよく分からないが、「男」ってそういうものなのか。

 

「というわけで、お前は絶対に外では『イリス』の口調な。できればボロが出ないようにこれからは普段からもそう意識するべきだ。口調さえ直ればお前を仕草で男と看破できるやつはそうそう居ないはずだ。それと、ソールも今後はきちんと男で通せ。お前が女とバレた場合でも、じゃあどこから男のアカウントを手に入れたか、なんて考えれば馬鹿でもすぐに答えにたどり着く」

「……そうだな、分かった。では、これから私はこういう風に行こう」

 

 即座に男の……ソールが男を演じている時の口調に切り替える。あまりに切り替えが早い。

 

「というわけだ……大丈夫だな、『イリス』?」

「あ、うん、わかったよ……ん゛っ、ん゛っ」

 

 違う違う。これからは『イリス』で生きてかなければいかないんだって。脳裏でゲームの時の『白ネカマモード』をオンにする。ベッドに腰かけているためぶらぶらさせていた脚を揃えて軽く横に流し、背筋を正して両手を揃えて膝に置き、軽く首をかしげ、にこり、と軽く微笑んで

 

「……わかりました、では私も、これでよろしいですか、レイジさん、ソール兄様?」

 

 ……なぜ二人とも目を逸らすのか。

 

「……お前、ソール、どうすんだよこんな兵器作り上げやがって」

「……いや、こうリアルになってしまうと予想以上の破壊力だったな、正直すまん」

 

 こそこそ二人で会話する二人に、僕は頭の上に疑問符を浮かべるのだった。

 



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露呈

 

 おっかなびっくり部屋の外に出ると、まるで民宿のようないくつもの客室のある廊下に出る。ここまでは、まぁ用を足しに何度か出たことはある。二階にある部屋から階段を下り、久々に直に浴びる陽光に目を細めながら外に出ると、こじんまりとした、しかし手入れの行き届いた雰囲気の良い庭が目に入った。 部屋に居る時にレイジに聞いたところ、ほとんど人の訪れないこの町……というか村に近いらしいが、ここには宿屋が無く、外から来た人に町長の厚意で宿代わりに開放されている離れらしい。

 ……ここも、ゲームの時には無かった気がする。

 

「あ、おかみさん、お疲れ様です」

「おや、あんたたちかい。その子、外に出れるくらいに回復したのかい、よかったねぇ」

 

 そこで植木の手入れをしていた優しそうなおばさんと慣れた様子で挨拶をしている二人。ぼーっと後ろで見ていると、突然話を振られて背中がびくりとなる。

 

「あー、と。この人は、俺らの世話になってるここの管理もしてる、町長の奥さんのミランダ夫人。イリスは初めて会うよな?」

「事情は知っているし、気のいい方だから、安心して……どうした、イリス?」

「……顔色が真っ青だね。どこか体調が?」

 

 おばさんの手が伸びてくる。おばさんの? あれ、違う? ごつごつした男の人の……

 

「――――――っ!?」

 

 喉から声にならない声で絶叫が勝手に上がる。気が付いたら、ソールの懐に体を丸めて飛び込んでいた。

 

「……こりゃ、あんた」

「……すみません、部屋では私たちとしか居なかったので、てっきり大丈夫かと」

 

 頭では優しそう、良い人そうと思っているのに、体が自然と硬直している。

 

「イリス? 大丈夫、よく見てごらん。ほら、この方が君に乱暴するように見えるかい?」

 

 おそるおそる顔を向けると、痛ましそうな目でこちらを見つめるおばさん。

 

「……申し訳、ありません、失礼なことを……」

「いや、いいんだよ……辛かったんだねぇ……早く元気におなりよ?」

「はい……すみません。……少し、手を、お貸しいただけますでしょうか」

「ん?良いけど……って、ちょっとお嬢さん、無理するんじゃないよ!?」

 

 おばさんの手を取る。きゅうっと心臓が締め付けられるような感じがするが、なんとか大丈夫だ。おばさんの手は少し水仕事で荒れていて、土で少し汚れているが、ハーブだろうか、なんだかほっとする匂いがする。これは僕を傷つけない手。恐れなくてもいい。二人も大丈夫と言ってくれたではないか。何度も言い聞かせるうちに、徐々に動悸が収まってくる。

 

「……もう、大丈夫です。ありがとうございました」

 

 そっと手を放し、若干の苦笑いをしながらお辞儀をして礼を述べる。先程の震えは収まる。どうやら僕の中で「大丈夫な人」と区分けされたらしく、この人であれば、どうやら普通に対応できそうだ。

 

「……お嬢ちゃん、大丈夫なんだね?」

「はい。あらためて、暫くお世話になります、おばさま」

 

 にこりと軽く微笑んで頭を下げると、おばさんはようやく安心したように、無理するんじゃないよ、今日は何か甘い物でも用意してあげるから頑張っておいで、と送り出してくれた。

 

 

 

 

 

 深くフードを被って街中に出る。元のゲームであったころの辺境の町とは距離感も建物の数もまるで様変わりした町は道行く人影の数も段違いに多く、最初はおっかなびっくりだったが、こうして全身を隠して、周囲の視線をシャットアウトし、極力周囲の人を見ずに行動している分にはなんとか大丈夫そうだ。

 

「……やっぱりちょっと辛いか」

「無理だったら早めに言うようにね?」

「うぅ……ごめんなさい……」

 

 否、残念ながら、ソールの腕にしがみついてなければ今にも腰が抜けて倒れそうだ。この体になってから、やけに視線に敏感で、誰かがこちらに視線を向けるたび、ぞわりと背筋に悪寒が奔り手足が震える。特に、男性の物は時折動悸が激しくなり、呼吸が詰まる感じがする。やはり、かなり悪化はしている……が、それでも、まだこうして出歩ける程度だったことに、僕らは内心安堵していた。

 

 どうにか、最初の目的地に到達する。こじんまりとした一軒家は周囲にありふれたもので、おそらく普通の家族がごく普通に暮らしていたものだろう。しかし、しばらく手付かずだったのか庭には雑草が生い茂り、娘が行方不明な間の家族の心労が窺える。

 

「それで、まずここが一人目の被害者の家だが……大丈夫、なんだな?」

「はい……これは、私にしかできない仕事ですから。一応相手は女の子ですので、二人は外で待っていてください」

 

 その被害者の家族には二人が間に立って事情を話し、今は僕に気遣ってやや離れたところで心配そうに見つめている。本当はソールにも手伝ってほしいところではあるが、先日決めた通り僕らはきちんと今の体に沿って過ごすことにした以上、頼るわけにもいかない。

 

 案内された部屋の寝台には、一人の女の子が寝かされてた。年の頃は僕と……今の僕の体と同じくらいか。きっと元は素朴ながら可愛らしい子だったであろうに、顔の半分は包帯に覆われ、全身に包帯が巻かれ、さらに……右手が肘より先が見当たらず、痛々しい様で横たわっていた。

 行方不明になってから、およそ一か月……傷口の中にはすでに歪に塞がり、痕になってしまっている物も多い。このままであれば、きっと治療しても今後の人生に大きな影を残してしまうだろう。ゲームの時もそうだったが、プレイヤー以外の神官……治癒術の使えるものはごく希少で、大きな町にでも行かなければそうそう居ないらしい。それでも、これだけの大怪我を治療するのは並大抵ではないそうだが、そう考えると僕の治癒術の効果というのはかなり相当な物らしい。

 とはいえ、既に治り切った傷跡まで治療することはさすがにできない……今までの僕の力であったのなら。

 この時ばかりは、転生済みであることに感謝する。眠っている子を起こさないように、静かに背中の光翼を解放する。あまり人目に曝すわけにもいかず、このために、事前にご家族の方々には外で待っていてもらっていた。患者も、ごく弱い睡眠作用のある花の花粉で眠らせてもらっている。

 

 スコットさんを治療したあの時から、新たにいくつかの魔法が僕の中に芽吹いていた。いずれも、翼を出していなければ使用できないという欠点は検証済みなものの、その効果は折り紙付きだった。

 

「……汝、在りし日の姿に還れ……『レストレーション』」

 

 ぐっと、眩暈がするほど急激に、僕の内にある魔力が吸い上げられる。周囲に漂っていた光の粒が僕の両手の間に集まり、翼と同じ色に眩く輝く球体となる。それをそっと、横たわる少女の胸、心臓のあるあたりにそっと押し込むと……たちまち光は少女の体を覆い広がっていく。効果は劇的で、すでに塞がり傷痕になっている物ですら、溶けるように消えていく。まるで時が巻き戻るように……否、実際に巻き戻っているのだ。

 怪我をしたこと自体を無かったことにする、「治癒」ならぬ「復元」の魔法。一定以上の期間までしか巻き戻れないうえ、鍛錬の成果などの有用な物すらまで消し去ってしまうため、使用できる場所は限られるが、この場合には非常に有用だ。心の傷までは癒せないであろうが、少なくとも……僅かながらでも、この先を生きる希望の足しになってくれればいい……そう願いながら、全ての治療が終わるのを見守る。乱雑に毟られ所々禿げた髪も、抉られた顔の傷も、痛々しく欠けた腕もすっかり元通りになり、劣悪な環境で痩せた体も、完全とは言わないまでもある程度健康的な姿を取り戻す。そのすべてを見届けると、一息安堵の息を吐き、背中の羽を消し去って外で待つ皆に報告に向かった。

 

 

 

 

 その後も、治療中であれば、やるべきことがはっきりしているためか、発作のようなことは起きなかった。そんなことよりも、目の前の傷だらけの子がかわいそうで、早く治してあげないとという使命感のみが僕の心を支配していた。

 

 二人目、三人目も訪問し、すっかり外から見える外傷は元通りになり、喜び、涙する家族たちの様子に胸を撫でおろしていると、くらりと立ちくらみのような感じがした。かなり燃費が悪いらしく、大分消耗してしまったらしい。

 

「そろそろやめにしておこう、体力が戻るまでは無理はしないように」

 

 目ざとく察したソールが今日はもう帰るという提案をして、もう一件くらいはと言う僕の意見はあっさり二対一で封殺され、帰路に就いた。

 

 昼頃に宿を出たはずが時はすでに夕暮れ時に差し掛かりつつあり、各々仕事を終え、あるいは夕飯の材料の買い出しか。まばらだった道にもそれなりに人通りが増えていた。

 

「しかし、最初はどうなるかと思ったが……案外大丈夫そうで何よりだ」

「そうですね。まだまだ被害者の方もいらっしゃいますし、明日も頑張りませんと」

 

 むん、とばかりに両手を握り、気合を入れる仕草をする。上機嫌なためか、最初ほど周囲の視線は今はそこまで気にならない。

 

「ははは……何だか嬉しそうだね」

「あぅ……不謹慎だとは思ってるんですけど、こうして誰かの役に立てるということがとても嬉しくて…」

 

 思えば、僕は誰かを助けるということ自体に憧れていた気がする。多分、「Worldgate Online」でも、過酷だ、止めておけと周囲に言われながらも続けることができたのは、そのおかげなのかもしれない。何故なら。

 

「『向こう』では、誰かに助けてもらうことしかできませんでしたので」

「それは……」

「何度も言ってるが、俺たちはお前が大事だからやってたんだ、そういう風に思いつめるな、と何度も言ってるだろう」

「……はい。ごめんなさい、レイジさん」

 

 失敗した。また怒らせてしまっただろうか。こういう話をしてしまうと、レイジは何処か機嫌が悪くなる。しゅんとして視線を落として歩いて……

 

 これが、いけなかった。今日一日何事も無かったため、油断していた。

 

 たまたま、本当にたまたま、ふらふら定まらない足取りで歩いていた仕事帰りに一杯吹っ掛けた後であろう男の人にぶつかったのは。小さな僕のこの体では到底衝撃に耐えられず、簡単に吹き飛ばされ尻餅をつく。

 

「ってぇな、気ぃつけろ!」

「――っ!?」

 

 恫喝の声に、呼吸が止まった。全身の体温がすうっと下がったような感じがする。

 

「おい、オッサン、やめろよ、そいつは――」

「大体なんだぁその頭のもんは! 謝るときくらいこんなもの」

 

 抑える暇も無かった。止めようとするレイジの手はわずかに間に合わず、力任せにフードが剥ぎ取られ、その下の虹に煌めく銀の髪と、素顔が周囲に露にされる。

 

「――取、れ……お、おぉ……!?」

 

 眼前で呆けている視線が僕に突き刺さる。あれ、何で頬に風が当たるのか。ああ、フードが……あ。ああ。

 

「なぁ、あの子――」

「うわ、すげ――」

「どこかの貴族様か――」

「違うわよ、ほら、あの悪い奴らに捕まってたっていう――」

 

 視線が四方八方から刺さる。獣の欲に塗れた視線が、体中を這い回る。

 

 …………

 

 あれ? 僕は町に帰ったはずだったのではなかったか?

 何故まだあの薄汚い部屋に居るのだろう。

 町の人の

 山賊たちの

 好奇の視線が

 情欲に塗れた視線が

 きっちりと外套を纏った体に

 乱暴に曝け出された裸身に。

 

 見てる。どこを? 

 本来むやみに人目に曝していいわけがない場所を。

 いや、それはおかしい。

 だって隠すものはすでに無くて。

 いや、きちんと着込んでいる。

 あれ。あれ? あれあれあれ?

 

 手が伸びてくる。

 いや、だれも手なんてこちらに伸ばしていない。

 でも、だけど、手が。手が迫ってくる。無数の、無数の……

 何が? 

 ナニが?

 

 

 

 

 

 ――意識が、『僕』が、『私』から、ズレた。

 

 

 

 

 

「……ぅぅううあああああああああああああっっっ!?」

 

 誰かが叫んでいる。やけに声が近い……というか、これは、僕の声?

 

「ここでかよ!? おっさん、どけ!!」

「ち、違う、お、俺は何も……!」

「うるせぇ、どっか消えろおっさん!! イリス!? しっかりするんだ、ほら、フードはもう被せたから!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、反抗しません大人しく言うこと聞きます噛まないでやだやだやだああああああ!?」

「くそっ、こんな、やっぱり滅茶滅茶に悪化してやがる!? てめえらどっかいけ!! こっち見んな!!」

 

 僕の体が悲鳴を上げる。ガクガクと体が震え、心臓がおかしなリズムを刻み、ままならない呼吸でろくに肺に空気も取り込めないままよく分からないことを叫び続ける。

 

 なのに……『僕』は、ひどく冷静に『私』を見つめている……?

 

「畜生! 俺は周りのあいつらを追い払う! ソール! 舌噛ませるなよ!?」

「わかってる、任せた!」

 

 がくがくと叫び続ける僕の小さな口に、ソールの指が突っ込まれる。舌を噛ませないためだ。制御を離れた僕の口の動きでソールの指に傷がつき始める。

 

「大丈夫、大丈夫だ……ほら、私がいる、レイジもすぐ戻ってくる……な?」

「……ふーっ……ふーっ……」

 

 すっぽりと抱きすくめられ、小さな僕の体はソールのマントに完全に覆い隠される。ぽんぽんと背中を擦られているうちに徐々に呼吸が落ち着いてくる。ぎりぎりと噛み締めていた口から力が抜け、やがて、ぐったりと力が抜け、すーっと意識が消えていった。

 

 

 

 

 

 

 最後まで、なぜかこの状況を冷静に見続ける『僕』を道連れに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと、……落ち着いたか」

 

 ソールの腕の中にきつく抱きしめられた状態で、イリスがだらんと全身を弛緩させている。生きているのか不安になるほど、全身ふにゃふにゃと全く力が入っておらず、目尻から流れた涙の跡と、口の端の涎の跡が痛々しく、目は開いているもののその瞳には何も映してはいない。

 

 以前のこいつでも、ここまで激甚な反応を見せることは無かった。

 

 ここ数日、俺らと居る時は軽口を叩ける程度に問題は無かった。

 

 今日一日、多少の悪化は見られたものの、大きな問題は無かったからすっかり胸を撫でおろしていた。「多少悪化した」その程度に楽観視していた。

 

 

 

 

 ――だけど、まだ、『イリス』の負った心の傷なんて、姿を見せてもいなかったんだ。

 



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心的外傷

 

 悲痛な、女の子のしゃくりあげる泣き声が、部屋に嫌に響いている。

 

「ひっく……ごめ、なさい……兄様、兄様ぁ……ごめん、ひっく、なさい……」

 

 汚れた服を脱がせ、身を清めて新しく清潔な部屋着を着せている途中でようやく意識を取り戻したイリスが、ソールに抱き留められて泣いている。

 

 しかし……様子がおかしい。あいつ……柳がこんな泣き方をするだろうか。

 

 どう見ても、イリスの状態は演技ができるような状態ではない。ならば、この次々とあふれる大粒の涙を手の平でぐしぐしと拭い泣きじゃくる子供のような泣き方は、本当にあいつのやっているものなのだろうか。知らぬ他人のような……まるで子供の、10代に入って間もない見た目相応の普通の女の子のようだ。

 

 嫌な予感が、止まらなかった。

 

 

 

 泣き疲れて眠ったイリスをベッドに横たえ、廊下に出た俺とソール。先程から何か考え込んでいたソールが、先に口を割った。

 

「レイジが言っていた今までのイリスの状態と、さっきのイリスの様子を見て、一つ思うものがある」

「本当か?」

「……多重自己状態。専門分野じゃないし、ちょっと見たことがあるだけだから間違ってるかもしれないけど」

 

 そう前置いて語られたものは、こういうものだった。曰く、人は、状況や相手によって使い分ける複数の人格をもともと有しているものだという。しかし、同時に、異なった自己状態における複数の視点や感情状態を、同時に抱えることができる機能も俺たちの精神はもともと有しているのだという。そのため、大抵は、それらは認識や記憶が共有されているものらしい。つまり、人はみな多重自己状態というものがあるということだ。

 しかし、通常であればそれぞれの自己状態間の相互連結が容易に可能なのに対し、心的外傷を受けた場合、この行動が行われないことがある。強いストレスなどを受けた際に、自己の防衛のため、その共有された認識や記憶を断絶させ、「これは現実ではなく、自分に対して起こっていることではない」と、現実から逃避する別人格を作ることがある、というものだ。

 

「つまり、さっきのあの……まるで普通の女の子にしか見えないイリスは……あの時大きなダメージを受けた部分を『イリス』という女の子の物として切り離された人格……ということか?」

 

「そう、多分……主人格として表に出ているお兄ちゃんの部分は、『元が男だったから、自分がそんな目に遭うわけがない』 そう思い込んで他人事にすることで、PTSDを軽減してるんだと思う」

 

 思えば、外に出ずに俺たちとだけあっていた時のあいつは、あの時の記憶のことをそれほど気にした風ではなかった。それこそ、どこか他人事のように。

 

「でも、当時の状況……複数の人間に囲まれて視線が集中している状態に晒されてしまうと、恐怖心のほうが肥大して、それを抱えた『イリス』の人格部分が表面化して……」

「それで、あのパニックか……じゃぁ、それ以外の時は? あの状態になるまでにも、色々しんどそうにしていただろ?」

「それは……多分、慢性的なものだと思う。『お兄ちゃん』のPTSDは、それこそ十何年も苛まれてきたものだから」

 

 悪化はしたものの、あれはまだ今までの物の延長線上のものでしかない、と。つまり。

 

「今度のアレは、新しく負った別の心的外傷……ってことか」

 

 女の子になってしまった直後に……というよりも、変わってしまったこと自体もか。そのことを受け入れることもできないまま、逃げ場のない恐怖と絶望的な状況で痛めつけられ貞操を失いかけるという、突然加えられた強いストレスが、新たな心的外傷を作り上げてしまった、と。

 

「問題は……あれまで慢性化しちゃうと……まずいかもしれない」

 

 あの反応はとても凶悪なものだった。あれが恒常化して、常に心の休まらぬ日が連続してしまえば、いつ、心が限界を迎えるか分かったものではない。一度であれだけボロボロなのだ、すぐに力尽きるのは目に見えている。

 

「それに、『無事な部分』の大部分を占めているのが男の部分というのも問題なんだ。今はまだ自分の体を認め切れていないから、どうにかなっているけれど……今の『イリス』の体は完全に女の子だから。体機能も、多分体でやり取りされている化学物質とかも全部女の子の物。今の体に慣れれば慣れるほど、主導権は『イリス』の側に傾いていくんじゃないだろうか。危ういのは、不安定なのは、逃避先のはずの『イリス』の人格じゃなくて、お兄ちゃん……『玖珂柳』のほうの人格のほうだと思ってる」

「じゃぁ……このままだと」

「いつか『イリス』のものに全部置き換わってしまうという可能性があると思う……『玖珂柳』っていう人格は消えるか、分からないほど小さくなって、あの傷だらけの『イリス』だけが残ってしまう……」

 

 背中に冷や汗が伝う。それほど時間が残されているようには到底思えない。

 

「なら、どうすれば!?」

「分からない! 私が知りたいくらいよ!!」

 

 焦って答えを求める俺に、吐き捨てるように、激高してソールが叫ぶ。ぎりぎりと血が出るまで自分の指を咥えるソールは、本当に悔しそうだ。

 

「……悪い、一番心配してるのはお前なのに」

「こちらこそ、冷静さを失ってごめん……けど、一つ言えるのは、多分またあの症状が出るたび、どんどん『お兄ちゃん』の人格は飲まれていくと思う……それだけ、あのショック状態はイリスには強烈すぎる」

「つまり、あの症状を治すか……もうああいうことが起こらないように守るしか、俺たちにできることは、無いのか」

 

 最良は、意識の断絶を解消し元の正常な状態に回復することだが、それには一歩間違えれば取り返しのつかなく恐れが高く、俺たちには、どうやったら治療できるかなんてわからない。であれば……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつのまにか、一人で歩いていた。

 まるで氷のような質感の、結晶のような物体でできた建物。

 たしか……ノールグラシエ首都にある、王宮の離れの一つがこんな感じだったような気がする。

 目の前を、見た目20代後半から30代前半くらいの、体格の良い威厳のある男性が、誰かをエスコートして歩いている。

 こちらは10代のように見えるが、妹か、娘か。全体的な印象は先ほどの男性とあまり変わらないように見える。

 仲睦まじく歩く二人の視線が、不意にこちらを向く。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………どうして。

 

 どうして、あなたがここに居るんですか。

 僕の知っている姿よりずっと若いけれど、見間違えるわけがない。

 僕を庇って刺されたあなたの、それでも僕を安心させようと微笑んだあなたの顔は。

 ほとんど残っていなかった事件の記憶の中で、強く僕の脳裏に焼き付いているのに。

 

 ――母さん!!

 

 ――待って、どうしてあなたがこちらの世界にいるの!? 答えて!!

 

 

 必死で歩を進めるも、連れ添って歩く二人に追いつけない。

 母さんはゆっくり歩いているのに、なぜか距離が縮まらない。

 それでいて、付かず離れずの位置を維持したまま、まるでどこかに僕を誘導するように。

 

 

 

 

 

 

 ここは、どこだろう。

 長い長い、螺旋階段を下ってきたような気がする。

 真っ暗な闇の中に、小さな傷だらけの女の子が座っていた。

 膝を抱えて泣くその女の子からは、時折ひっく、ひっくとしゃくりあげるような声が聞こえる。

 

 ――ごめんなさい。

 ――何故、泣いているの。

 ――あなたを、消してしまうから。

 ――僕を?……君は、誰?

 ――私は……

 

 顔を見ようと、手を伸ばしたところで、ふと気が付く。

 見たことのある髪だ。仄かに虹を纏うそれは…… ()、いや、 ()

 気が付いたら、目の前に座っていたはずの女の子が居ない。

 

 

 

 ……居ないのは、()?  それとも()

 

 

 

 

「……あれ。ここは」

 

 いつの間にか、見慣れた天井の部屋に寝かされている。頬を、何か液体が伝い、枕を濡らしている感触がする。

 

 

 確か、帰り道に、誰かとぶつかって……以降の記憶が飛んでいる。

 どこか、不思議な場所に居たような気がする……しかし、目覚めると同時に記憶はみるみる霧散し、もはや何も思い出せない。

 

「……起きたか」

「レイジ……さん、それにソール兄様も。……どうなさいました、怖い顔で」

 

 暫く、何か言おうとしては、止めるレイジ。その歯切れの悪さに首を傾げていると、一つ大きなため息を吐いて渋々と語りだす。

 

「……明日からは、被害者の治療に回るのは休もう」

 

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 

「……休むって、なんでですか?」

「まったく依頼をこなさないわけにもいかないから、私たちは留守にすることも増えるだろうけど、ミランダさんにはもう伝えてある、イリスはしばらく安静にしてるんだ」

 

 目を逸らし、苦悩の表情で告げるソール。すでに、その方向で話が進められているようで。

 

「ま、待ってください、なんでもう決まったように話してるんですか!? 私が倒れたから? で、でも、ほら、もう特に問題は」

「問題は……あるんだ」

 

 ぎりっと拳を握りしめたソールの口から、僕の身に起きていることが、二人の口から語られる。

 

 ……何を言っているのかよく分からない。いや、分かるけれど、理解を拒んでいる。このままだと、『僕』が消える……?

 

「あくまで可能性の話だ。落ち着いたら、一緒に解決方法を探そう……だから、まだしばらくは安静にしていてくれ、頼む……お前の、ためなんだ」

 

 その言葉に、僕は呆然と頷くことしかできなかった。

 

 ――ごめんなさい

 

 誰かが、耳元で何かを言ったような気がした。



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不安とすれ違い

 

 外出禁止を言い渡されて数日は、何かしていた方が気がまぎれるだろうと気を利かせてくれたミランダおばさまのお手伝いをして過ごしていた。

 

 町の人たちが手分けして採取してきた薬草類をすりつぶし、塗布薬を作る。この町は主な産業を林業に頼っているため、打撲や筋肉痛などで需要が絶えないのだそうだ。また、工程の中で治癒術師が魔法を込めて作成したものは簡単な魔法薬となり、その効果も向上するとのことで、せっせと薬を作っているおばさまの横で、むむむ、と力を込めて念じて……本当にこれでいいのかなぁ? と首を捻りながら、魔力を込めていた。

 しかし後日、使用した者から驚くほど効果が覿面だったという評判と、使った人が感謝を述べていたという事をおばさまから聞いた時、つい頬が緩んでしまうのが我慢できなかった。

 

 また、空いた時間はおばさまに料理を教わったりしていた。ハーブを練りこんだ、某有名なカントリー何某のような柔らかめのクッキーは、帰ってきた二人にも好評で、なんとなく料理を食べてもらうのが好きな人の気持ちが少しだけ分かった気がした。

 

 

 

 お風呂は、この世界には魔法技術が発達しているため、ある程度の上下水道の整備が進んでおり、流石にすべての家にと言うわけではないが、この建物の一階にもきちんと存在していた。そういえば、ゲームの時もかなり広く普及していた。

 が、僕は未だに拒み続けている。自分の体を直視しようという気がまだ起きないのだ。幸い、僕の使用できる『ピュリフィケーション』は老廃物などもまとめて消し飛ばせるため、お湯で体を拭くだけでも体を清潔に保つには十分で、特に不便は無い……目隠しして、ソールにやってもらっているけども。

 

 

 

 そして、盗賊に捕まっていた女性たちの治療だけれど、こちらは僕の断固とした主張によりソールが折れ、「宿の方で一日一人まで」という条件で怪我の重い子から治療をしても良いこととなった。が。

 

「……大丈夫か?」

「……はい、私の望んだことですので……弱音なんて、吐いていられません」

 

 ベッドの上で濡れ布巾を目の上に載せたまま、自分でも弱々しいなと思う声で心配して声をかけて来るレイジに辛うじて答える。正直なところ声を出すのも辛い。あの日からずっと、不調が続いている。翼が出しにくくなっていた。使用しようとすると、途端に気持ち悪くなるようになってしまっていた。まるで拒絶反応を起こしたように。全身が、これは自分の体でないと攻撃しているかのようだ。

 そのため、治療後はいつも疲労困憊で倒れこみ、眠ってしまうことが多くなった。それでも宿に滞在していた近隣の子たちの治療はどうにか済み、何度も感謝を述べながら皆自分の村へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 地球で言う一週間が、依頼に毎日奔走するレイジやソールをよそに僕の周りだけ平穏に過ぎ、残る治療すべき被害者の子があと少し、と言う所で、レイジが、怪我をして帰ってきた。

 

「……あー、そんな泣くな、な? ほら、大した怪我じゃねぇっての」

「……ひっ……ひっく……でも……でもぉ……」

「悪かった、本当に心配かけちまって悪かったって……」

 

 自分でも不思議なほど動転して、治療はすでに済んだというのに未だに涙を流してしゃくり上げ続ける僕を、レイジが困ったように頭を撫で慰めている。

 たまたま見落とした、擬態した植物系の魔物に不意を突かれ、掠り傷程度の怪我を負ったのがきっかけだったそうだ。その魔物が毒を持っており、戦闘中に毒が回って満足に動けなくなり苦戦したのだと。

 楽観視していたと突きつけられた。レイジもソールも、この世界では最強で、無敵のヒーローなのだとどこかで根拠もなく安心していた。

 

 そんな訳ない、どれだけ強くても、HPなんていうもののないこの世界では人は簡単に死ぬのだ。それに、ゲームではここはかなり低レベル帯のレベル上げに使われる狩場だった場所で、温厚な動物の多いまだまだ「安全な部類」の場所だった。危険度なんて序の口もいいところで、より危険の多い場所なんていくらでもある。立っている地面が崩れていく気がした。無理だ、もう一人で安全なところで待っているなんて怖くてできない。

 

「二人とも……お願いです。今度は私も……連れて行ってください」

 

 思わず口から漏れた懇願は

 

「……駄目だ、ここで待っているんだ」

 

 ソールにすげなく却下された。

 

「イリスの為なんだ……お願いだ、分かってくれ」

「……っ!?」

 

 かっと頭に血が上った。またそれか、と。ここ最近はいつもそれだ、あれもダメ、これもダメ! 僕のためだと否定ばかり!!

 

「……分かりません! 全っ然、分かりません!! 今までは大丈夫でも、今回はとうとうこうして怪我して帰って来たじゃないですか!? 今度は二人とも動けなくなったら!? いつまでも帰ってこない二人を、不安を抱えて安全なところで待ってろって……そう言うんですか!?」

 

 気が付いたら、ヒステリックに叫んでいた。驚いたようにこちらを凝視するソールにちくりと罪悪感が湧くが、一度口に出してしまうと言葉が止まらない。これも体に引きずられてるのだろうか。僕の目から大粒の涙がぼろぼろと、小さい子供のようにとめどなく溢れてくる。癇癪を起した子供みたいだ。だけど、自分の意志ではどうにもならなくて。

 

「一人に、しないで……一人残されるのは嫌です……ずっと、知らないところで何かあったんじゃないかって不安で、辛いんです……もう一人にしないって、あの時言ったじゃないですか……っ!!」

「…………ごめん、それはできない」

「……っ!! もう、知りません!! ソール兄様のわからずや!!」

 

 乱暴にドアを叩きつけ、自分の部屋に戻って布団に逃げ込む。わぁわぁと嗚咽が止まらず、顔を埋めた枕はみるみる液体に湿っていく。

 強くならないと。あの二人が過保護になってしまうのは僕は弱いからだ。もう大丈夫だと、一緒についていけるのだと、二人に証明できないと、置いてかれていってしまう。二人に心配を掛けずに済むように強くならないと、そんな強迫観念が、僕を責め苛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、ソール。お前が心配なのも良く分かる……だけど、これでいいのか? あいつも、連れて行ってやった方が良いんじゃないか? この世界に慣れないといけないのは、あいつも……」

「そんなことは分かってる!!」

 

 思わず、テーブルを殴りつける。予想以上に力が入ってしまい、ばき、と皹が入った感触がした。分かっている、一人安全な場所で僕らを待つイリスが不安で押しつぶされそうなことも、先程の様子がまるでまた普通の女の子のようで。先程、激昂し冷静さを欠きながらも、私の事をなんと呼んだ? 「ソール兄様」と呼んでいたのではないか? こうして一人囲い込んで危険から遠ざけていることで、かえって負担になって症状が進行してるんじゃないか?

 

「わかってるのよ、そんなこと……だけど、今度またって思うと、どうしても……駄目なの」

 

 もともと、私は男になりたかった。そうすれば、今度は私がお兄ちゃんを守れるのに。あの事件で私を庇ったお兄ちゃんが、その後ずっと不自由な生活を送っているのをずっと誰よりも傍で見てきた。今度は自分が守る側になりたくて、一芝居打って兄のアカウントを奪って、今こうして『ソール』としてここにいる。

 

 確かに、慣れない男性の体に当初は苦労した。これがもしムキムキな筋肉質の体だったりしたら耐えれないかもしれないけど、今の私の体は私の理想で作った中性的な美少年で、最初は戸惑ったものの特に不便もなく、割とすぐに慣れて満喫していた。そう、私はこの世界に来て、「守る側」に回れたことを喜んですらいたのだ。

 

 ……だけど、お兄ちゃんは?

 

 私の身勝手で押し付けられた華奢な女の子の体で、今こうして苦しんでる。まるで昔の事件の時みたい。私のせいで、またお兄ちゃんが傷ついている。お兄ちゃんを守るための力が欲しかったのに、それを手に入れるために自分がやってしまった事で今はお兄ちゃんを追いつめている。本末転倒も甚だしい、こんなつもりじゃなかったのに。怖い。今度また何かあったら。前は辛うじて間に合った。でも今度は? 同じことがあったら次は間に合う確証は?

 

 分かっているのだ、頭では。こうして閉じ込めていても何も解決なんてしないんだ。なのに、立ち向かう機会をまたこうしてお兄ちゃんから奪っている。間違いだらけだ。本当に自分が嫌になる。ちょっと考えれば自分のやってることが悪手だなんてすぐに分かるのに。こうするべき、そうした方がお兄ちゃんのためだ、そんな案はいくらでも思いつくのに、自分の決断で何かあったらと思うとその選択を選べず、本人の意志も無視して、ただ危険から遠ざけることしか言えていない。

 

「……悪かった、お前の気持ちも考えてやれなくて。……が、明日までだ。明日の仕事が済んだら討伐系の依頼は全部終わる。そうしたら、ちゃんとあいつも連れてってやる。いいな?」

 

 強い目でそう断言するレイジ(玲史さん)に、私はただ頷く事しかできなかった。いや、そう決定してくれた事に、ただただ安堵していた。

 

 

 

 なんて、卑怯なんだろう、私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うへぇ、こりゃひでぇな……」

「凄いっすね……これを二人でやったんすか、あのお姫さんの騎士二人」

 

 山賊の使っていた館……昔は、後ろ暗い研究をしていた錬金術師の屋敷だったらしい。が、そこをねぐらとしていた山賊たちが居なくなったことで、何かに使えないかと調査しに来ていた男二人の見たその部屋は、簡単に言うと血みどろだった。すでに数日時間の経過したその部屋は鉄錆びた悪臭が噎せ返るほど充満し、掃除しようにも綺麗な場所を探すほうが難しい。

 

「もうこれ、焼いちまったほうがいいんじゃないっすか?」

「そうだな、もともとあんまりロクな噂の無かった屋敷だ、仮に掃除してもこんな所使おうなんて」

 

 ――ぱきり

 

「……いま、なんか割れる音したな?」

「も、もしかして崩れるんすかね、いやっすよこんな家に生き埋めなんて。さっさとこんな所……」

「ああ、戻って焼く方向で相談を……」

 

 ――――ぱき、ぱきん

 

「す……る……なん、だ、こりゃぁ」

 

 数度のまばたきの間の僅かな時間で、いつのまにか、部屋が結晶に覆われていた。あまりの視界の変化に呆然としていた彼は、「それ」に気が付けなかった。

 

「親方! 後ろ!?」

「何……うげぁ!?」

 

 全身に何かが噛みつき、群がる何かに埋もれ、その内でぶちぶちと何かを噛みちぎる嫌な音と、時折その奥から短いうめき声を数度上げたのを最後に声は聞こえなくなり、みるみる足元の床が真新しい赤い液体に塗れていく。

 

「ひ、ひぃ……!? あがっ!?」

 

 咄嗟に背を向け逃げようとしたもう一人の男の体に、次々と何か帯状の物が刺さっていき、そのたびにひくん、びくんを倒れることも許されぬまま体が跳ねる。

 

「し……にたく……ぇ、よぉ……」

 

 頭から股間までを一直線に、何か冷たい物が通過した感触がする。必死に手を伸ばした男が最後に見たものは、左右に分かれ倒れていく自分の視界であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、ありがとう……こんな綺麗に治してもらえるなんて……なんてお礼を言ったらいいか」

「いっ、いえ……伺うのが遅くなってしまい……申し訳、ありませんでした、し、失礼しますっ!」

 感激して被害者の女の子の母親が僕の手を取ろうとする。それだけであの嫌な手を想起してしまい、ついその手を躱してそそくさと逃げるように立ち去った。

 

 レイジもソールも、周りにはいない。一夜が明けて、僕は今、レイジたちが仕事で留守の隙をついて、一人宿を抜け出し被害者の家を回ろうと町を歩いていた。

 

 だけど……こんなに一人じゃダメだったとは思わなかった。小さな町ではすぐに噂が広まり、人々は先日の僕の醜態を知っている物も居るらしく、こちらを目にするとすぐに気まずげに、あるいは痛々し気に視線を逸らす。おかげでどうにか倒れずに済んでいるが、それでも最初の一軒でもうすでに疲労困憊し、人目から逃げるように、人気のない、それでいて大きな道からは離れていない路地裏に逃げ込んだ。

 民家の壁に背を預け、ずるずると地面に座り込む。意識が朦朧とする。二人と一緒に居た時に比べずっと強い反応で、精神を、体力を、みるみる削っていく。こうしてまた一人になってみると、どれだけ二人に依存していたのかが痛いほど良く分かる。

 

 強くならないといけないのに……こんなことじゃいけないのに……。

 

 焦りと不甲斐なさに涙が滲み、抱えた膝に顔を埋めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃ、可愛い子が行き倒れてる。大丈夫かにゃ、キミ?」

 

 どれくらい時間がたったのだろう、何だかおかしな口調で話しかけられていた。

 

 知らない声にびくりと背を跳ねさせて恐る恐る目を上げると、やや赤味を帯びた、桃色に近い銀髪を肩より少し下くらいの長さで切りそろえ、薄い青白い肌と、赤黒い角を持った、スタイルの良い……魔族の女の人がいつの間にか目の前まで接近し、覗き込んでいた。

 

 こちらと同じ高さに目線を合わせ、人懐こそうな、それでいて柔和な、人をほっとさせるような顔で覗き込んでいる。

 

 

 ――何で猫耳でも猫尻尾でもないのに猫語なんだろう? 

 

 

 ぼんやりと場違いなことを考える。

 

「うにゃ? 綾芽ちゃん家の姫ちゃんじゃん……大丈夫、立てる? それと、キミの妹ちゃんが何処にいるか知らない?」

 

 目の前の変な女の人は、まるで何でもない事のように、僕と、ソール(綾芽)の関係を知っているように、そう告げた。

 



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お話をしましょう

 

 突然目の前に現れた変な女の人が、僕とソール(綾芽)のリアルでの関係を知っている。

 

「……っ!」

 

 思わず立ち上がって逃げようとして……足に力が入らなかった。両足が踏ん張り切れずに、体が、後ろにどんどん傾く。やば、これ、頭……

 

「っと、危な!?」

 

 思っていた衝撃は来なく、代わりにぽよんと柔らかい何かに受け止められる。

 

「ふー、いきなり心臓にわるいことはやめてほしいにゃ」

 

その人に抱きすくめられて、目をぱちぱちさせていた。

 

 

 

「とりあえず自己紹介にゃ。私は綾芽ちゃんの高校の頃からの友達で、玲史先輩の後輩にゃ。ゲームではミリィって名乗ってたにゃ」

「あの……その口調は」

「あー、これにゃ? こういう口調してると直結厨が勝手にネカマって勘違いして寄ってこないからこうしてたら、そのうち癖になってたにゃ」

「は、はぁ……」

 

予想以上にどうでもいい理由だった。

 

というか、綾芽に友達が居るって知らなかった。そういえば、僕って玲史と綾芽の交友関係って殆ど知らない……?

 

「あ、ちなみにキミのことは全部綾芽ちゃんに聞いてるから大丈夫よ。それと誰にも話さないってちゃんと約束もするにゃ」

 

 ……まぁ、あの綾芽がその辺の信用ならない相手に変なこと言うとも思えないし、それなら大丈夫……かな?

 

「さて、自己紹介が済んだところで本題……と言いたいのだけれど、その前にやらないといけないことがあるわ」

 

 急に真面目な口調と顔になるミリィさん。

 

「今から、ちょっと触るわね、本当に駄目だったらすぐに言うように」

「……え?」

 

 腕が軽く引かれ抱き寄せられる。気が付いたら、その豊満な胸に顔を埋める形で抱擁されていた……どこがちょっと!? 邪な考えよりも、拘束されたことに手が、体がびくんと跳ねそうになる。怖い、怖い怖い怖……あれ?

 

 何かが優しく、背中を一定のゆったりとしたリズムで叩いている。あれ、それほど、怖くない……?

 

「そう、怖くない、怖くない。そんな怯えた目をして、きっと怖い目に逢ったんでしょう? 大丈夫、私はイリスちゃんを絶対傷つけないから。落ち着いてきたら、周囲の雑音から意識を逸らして、私の胸の音だけ聞きなさい……ね?」

 

 背中を叩かれてるうちに、徐々に気分が落ち着いてくる。言われた通りに、その音にだけ集中する。

 

 ……ああ、聞こえる。とくん、とくんと、一定のリズムで動く音。それに集中すると、周囲の音も、人の流れも、だんだん気にならなくなってくる。こうして優しく抱かれて、暖かな体温に包まれて、この音だけ聞いていると、なんだかまるで……。

 

 ふと、もう一つの音が聞こえてくる……これは、僕の心音か。あんなにおかしく脈打っているとばかり思っていた僕のそれは、いつも通り、そこで動いていた。

 

 あ、やばい、これ、心地い……――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う゛う゛う゛う゛ぅぅぅ……」

 

 気が付いたら結構時間が経ってた。途中の記憶がすっ飛んでる。事態を理解した瞬間顔に血液が集まって、目の端に涙も溜まってきている。

 

「にゅふふ……やっぱり小さくて可愛い子にこうするのは本当にいいわぁ……腕の中でもぞもぞ動く感触、無防備に母親を求めるようなそのいじらしさ、本当にたまんないわぁ……」

 

 なんだか満足げにうっとりしているミリィさん。どうしよう、恥ずかし過ぎて顔を上げれない。女の人の胸に抱かれてその心音で安らいで……最後はちょっと寝てたなんて、これって、まるで赤ん坊じゃないか。

 

「あ、あの……何だかいろいろ、すみませんでした」

「いいのいいの。役得って奴よ。それに、せっかくだからこの機会にもっと色々吐き出しちゃいなさい。人目のない処の方がいいわ、どこか借りてる部屋とかある?」

「えっと、一応、使わせてもらってる部屋があってそこなら……」

「よし、それじゃそこでラウンド2ね……拒否は却下、キミ、酷い顔してるもの」

 

 思わず答えてしまうと、有無を言わさずにずるずると、気が付くと自分の部屋まで引きずって連れていかれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの……どうして私は膝に抱かれてるのでしょう?」

 

 部屋に着いたとたん、ひょいっと抱き上げられた。女の人にお姫様抱っこされるなんて、恥ずかしさがヤバいけど……というか、そんなに軽いんだ、この体。今後はちょっと頑張ってご飯食べようかな。って、そうじゃなくて。動転して何か言おうにも頭が真っ白になっているうちに、ぽすんと座らされた。……ベッドの上に座ったミリィさんの膝の上に。

 

「気にしなーい気にしない。座り心地は悪くない? 自分では結構柔らかくていいんじゃないかなーって思ってるんだけど」

「それは、その……はい、すごく」

 

 どちらかといえばグラマラスなミリィさんの体が柔らかく全身を包んでいるため、それはもう……って、いやいやこれはどうなの?

 

「それに、これなら怖くなってもすぐにこう、ぎゅってしてあげられるじゃない?」

 

びくり、とその言葉に背中が震える。忘れていた恐怖がじわじわと戻ってくる。

 

「怖い、事、するんですか……?」

「そうね、確かに怖いと思う。キミがいま酷く怯えてる理由を話してもらうつもりだから。最初に見た時からずっと気になってたのよね、キミは今にも壊れそうだなって」

「……っ!?」

 

 とっさに振りほどいて逃げようとするが、すでにがっちり捕まっていて非力な体ではそれも叶わない。

 

「ごめんなさい、だけど逃げちゃ駄目。ちゃんと、その胸の内の悪い物は吐き出さないとダメよ」

「そんな、無理です、嫌! あんな事、思い出したくない……!」

 

 優しい人だと思ったのに、なんでそんな急に酷いことを言うの!? じたばたと逃れようとするのに、押しとどめるその腕はまるで外せない。

 

「それでも、やらせるわ。キミも、玲史先輩も、男だから解決法にばかり目が言って軽視しがち。綾芽ちゃんも、なまじなんでもできる子だから分からない。だから、多分、二人ともただ過保護にして腫物のように触れてこなかったんじゃないかな?」

 

息が詰まる。図星だった。まるで、見て来たかのように、ミリィさんの言うとおりだった。

 

「やっぱり……推測だったけど、大きく間違えては無かったみたいね。だから、キミはここまで辛い物を貯めこんでしまった。けど……誰かに話すっていうのは、キミたちが思っているよりも大切な事なのよ?」

 

 真面目な口調に変わって、まるで諭すかのように優しく囁く声。

 

「特に、特別怖いことがあった後は、それを自分の過去から切り離して断片化して考えちゃうから、時々ふとした拍子に思い出しては無性に怖くなるの。それはまだ終わってない過去だから。今のキミがそんな状態。だけど、それは本当はもう終わった事。キミは、もう助けられたからここに居るんでしょう? だから、たとえそれが怖い事でも、起きた出来事を「終わった物語」として整理して、きちんと自分の中に受け入れる必要があるの」

「で、ですけど……きっとすごく、取り乱すと思いますし、ご迷惑を……」

「いいの。その過程で怖がってもいい。泣いてもいい。ちゃんと誰かに聞いてもらって、「そういう事があった」っていう自分の過去にしてしまうの。だから……」

 

とんとん、とお腹を優しく擦る手の感触がする。なんだか、力が抜けていく。ジワリと涙が溜まっていく。良いのだろうか、弱い部分をむやみに見せるのは恥ずかしい事と思っていたけれど、隠さなくても。

 

「どれだけ時間が掛かっても聞いてあげる、一回で駄目だったら、また会いに来て聞いてあげる。だから……全部話しなさい?」

 

 

 

 

 

 促されるまま、全部話した。最初は恐る恐るだけど、一度話してしまうと堰が決壊したように止まらなかった。そうだ、ずっとこうして吐き出したかったのだ。元の世界の事件の事。妹の事。レイジとの出会い。ずっと一緒に居た話を諸々。それから、こちらに来た後の事。

 

 捕まっていた時のことは屈辱で、怖くて、辛くて、何度も意味が分からないほど言葉がおかしくなったし、沢山、沢山泣いた。

 

 今自分に起きている事。元の世界と性別すら変わってしまった身体。自分が自分でなくなるかもしれない恐怖に、これ以上ないほどみっともなく取り乱した。

 

 そして……このままでは、自分はあの二人の脚を引っ張ることしかできない、不要な存在になってしまうんじゃないか、そんな不安。にもかかわらず、話も聞いてくれない二人への不満や怒り。

 

 本当に、沢山みっともないところを曝け出したと思う。ずっと、二人が離れていくのが怖くて言い出せなかった自分勝手なことも沢山言った。だけど、そのたびに何も言わずただ抱きしめられ、優しく撫でられている度に、不思議と感情の波が落ち着いてくるのを感じていた。

 

 

 

 

 

 全て話し終わった時、すでに日は落ち掛け、西の空が赤く染まっていた。すっかり泣きはらして目の周りは真っ赤になってしまったけれど、話す前に比べると不思議とスッキリしていた。女性は解決方法じゃなく、誰かに聞いてもらう事自体を望むと何かで言っていたし、不合理だなぁと男だった時は思っていた。けれど、こうしてみるとなるほど、それは生きていく上での大切な知恵なんだなとそう感じた。

 

 

 

「……さて、イリスちゃん。キミは、二つ、悪いことをしたのは指摘させてもらうわよ」

「う……はい……」

 

 びくりと背を正す。特に昨日今日の事は、落ち着いた今になっては反省することだらけで、まるで悪戯がバレた後みたいにそわそわと落ち着かない。

 

「まず一個。無断で、外に出たこと。これは、方法はどうあれキミを心配していた人との約束を反故にした、言い方を変えればキミを心配している人を蔑ろにしたという事なの。これは良いわね?」

「はい……」

 

 いきなり姿が消えていたらそりゃ驚く。きっとすごく心配を掛けてしまう。僕は二人が心配であんなに押しつぶされそうだったのに、それを今度は僕が二人に与えてしまう所だった。そんなことも分からなくなっていたのかと罪悪感が半端ない。

 

「もう一個。感情に任せて、会話を打ち切ったこと。たしかにわからずやだったかもしれないけれど、あなたが本気を示すなら、それを何度でも話し合って、説得して、納得させなければいけなかったの。怒って切り上げたんじゃ、それは逃げたってことよ?」

「はい……おっしゃる通りです、今思うと本当に恥ずかしいです……」

 

 穴があったら入りたい。思い通りにならないからと癇癪を起こして自分を認めろって言っても、そりゃ無理じゃないか。ぐうの音も出ない。どうしよう、まるで頭が上がらない。

 

 ……あれ? 

 

 ふと思ったけど、この子、綾芽の友達ってことは実年齢だと僕より年下だよね? なにこれすごくお母さんっぽい。

 

 

 

「それじゃ、それを踏まえて、イリスちゃんはどうしたい?」

「……謝り、たい、です。そして、そのうえできちんと、今後の話を聞いて欲しい……です」

「うん、よし。それじゃ、戻ってきたらちゃんとできるわ……ちゃんとできるにゃ?」

 

 今更取り繕うように語尾を作り出したミリィさんに、思わずぷっと噴き出す。

 

「あはは……はい、戻ってきたら、ちゃんと謝って、ちゃんとどうしたいか話して、今度こそ、認めさせてみせます!」

 

 ひとしきり笑い、目の端に浮かんだ涙を指で払い、晴れ晴れとした気持ちで笑顔で快諾する……あれ、なんで横を向いてるんだろう。

 

「……こいつはやばいにゃ……綾芽ってば、何てもの作ってくれちゃってるのよ、もう」

 

 口元を抑え、明後日の方向を向いてぶつぶつ呟く彼女に、僕はだた頭上に疑問符を浮かべて首を傾げていた。

 

 

 

 

「……それにしても、綾芽ちゃんたち遅いにゃ。いつもこんな遅いの?」

「いえ、いつもは夕方になる前には……何かあったのかな」

 

じわりと不安が忍び寄ってくる。そういえば、外がやけに静かだ、今は仕事帰りの人で喧騒に溢れていておかしくない時間なのに。そんな不安に駆られた頃。

 

「……くぅ、ぁぁああ!?」

「イリスちゃん、どうしたの!?」

 

 突然、全身を鋭い痛みが貫いた。何か怖い物が近づいている悪寒がする。この傷みは覚えがある。あの、こっちに来て間もなく、森の中で……っ!?

 

 そんな時、俄に階下が騒がしくなる。誰かが階段を駆け上がってくる音がする。ドアが乱暴に開かれ、飛び込んできた慌てたミランダさんが息を切らせて叫んだ。

 

「お嬢ちゃん、ああ、よかった帰ってたのかい。早く逃げな……町に、町におかしな魔物が入り込んだって!!」

「……っ!」

 

 心臓がぎゅうっと絞られるような感じがした。

 

「あの、私は多少戦う術があります、避難する人の手伝いを……って、ちょっとキミ!?」

「ごめんなさい、私は、レイジさんとソール兄様を探してきます!」

 

 壁に立てかけてあった杖を取り、二人の手をすり抜け、自身に身体強化魔法をかけて街に飛び出した。あの二人がそうそう負けるはずがない。そう信じているのに、胸騒ぎは止まらず、どんどん酷くなっていった。

 





作中の行為はフィクションです故、真似なさらぬよう。


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浸食

 

 森の中で見つけた異様な破壊の痕跡。村の方へ続く、木々が黒く腐り落ち、周囲に僅かに何かの結晶のようなものが付着していたソレを追っているうちに、ソレと遭遇した。

 

 

 すでに場所は町の一角で、いくつかの家が無残に崩れ落ちている所で俺たちが駆け付けた。避難中と思しき町民の一団との間に割り込んだ俺たちが相対したのは、異様な化け物だった。

 

 ファントム系列……と思しき影のような黒い体を、水晶のようなものが覆っている。上半身と下半身は腹のあたりで分かれ、その中心にある結晶のようなものを軸に好き放題可動してくるため非常に動きを読みずらい。左腕を丸ごと覆った、結晶の寄り集まった剣は、傷ついた場所からじわじわと何かが漏れ出るような苦痛を伴った負傷を作ってくる。全身至る所から、そして付近の地面から、次々と湧いてくる帯状の影のような触手のようなものも相手にしなければならず、手数が全く足りていない。

 剣が重い。身に着けた鎧は決して重装備ではないが、今にも膝を着きそうな負担を与えて来る。そして、攻撃がほとんど効かない。結晶は硬くほぼ傷つかず、それ以外の部分はと言うとまるで斬っている手ごたえがない。ソールは光属性を持っている技のいくつかは効果があるようだが、到底決定打にはなりえず、時折空からちょっかいをかけて来る空飛ぶ口のような小さいのも相まって、ジリジリと追いつめられていた。

 

 

 

「レイジ! ソール!?」

 

 町はずれに到着した僕の目に飛び込んできたのは、信じられない、いや、信じたくない光景だった。あの二人が、傷に塗れて膝を着いている。

 

「い、今、回復を……」

「馬鹿野郎! なんで来た!?」

「イリス、逃げろ、早く!!」

「……嫌です! 私も……一緒に戦う! そう決めました!!」

 

 逃げない。説得というには土壇場過ぎる状況だけれど、自分のやりたいことを伝えるんだ。杖の先に光が灯る。二人の状態は普通ではない、まずはコンディションを万全に。

 

「範囲設定、完了、『レストフィールド』!!」

 

 二人の周囲に展開された光の陣が、二人に絡みついていた悪い物を溶かしていく。続いて、基礎のヒール。みるみる、二人の傷が綺麗に消えていく。

 

「二人の位置に合わせて陣はリキャストごとに張りなおします、進んで! 『ワイドプロテクション』! それと『ヴァイスエッジ』!!」

 

 僕を含め三人の体が薄い光の障壁に覆われ、二人の武器がアンデッドや精神生命体特効の浄化の力を纏って白く輝く。

 

「……わかった。それがイリスの意志なら、私はもう何も言わない」

 

 拍子抜けするほどあっさりと、ソールが許可を出す。

 

「全く、素直じゃねぇなあ。本当は、今日を最後にちゃんとお前も連れてく、そういう話になってたんだよ」

 

 その言葉に、目をぱちくりさせる。

 ……なんだ、二人とも、ちゃんと聞いていて、考えていてくれたんじゃないか。

 

「……二人とも、昨日は、ごめんなさい」

「私も……イリスの気持ちを考えていなかった。許してくれ」

「こちらこそ……悪かった。それに、正直言うと助かる。イリス、手伝ってくれ!」

「……はい!」

 

 杖を握りなおし、構える。震えはない。大丈夫、やれる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人とも、上空の『口』を減らします! カバーを!」

「ソール、頼んだ! こっちは10秒持たせる!」

「ああ、任せた。 さぁ、いつでも!」

 

 周囲に迫った影の触手。先ほどまでは攻撃の通じなかったそれも、今の白い光を纏ったレイジの剣は容易く切り飛ばす。そこから抜けてきた数本はソールが発動した魔法、『チェインバインド』により絡めとられ動きを止める。そっと背中を支えられたのを確認し、きっちり詠唱し最大出力を宿した魔法を解放する。

 

「『ディバイン・スピア』、リーア(光よ)リーア(光よ)リーア(光よ)!……()ぇ!!」

 

 光の翼をはためかせ、追加のワードを加えさらに本数の増した7本の光の槍が、上空を旋回している『口』を狙いたがわず撃ち落とす。以前の山賊の時に気が付いたが、この翼を出していると一部の魔法の性能が強化され、ゲームだった時の限界を超えることが可能であったのは検証済みだ。相応に反動は大きくなるが、それは後ろで補助に回っているソールが使用した防御魔法と本人に柔らかく受け止められ、体への負担は最小に抑えられる。

 

「……10秒後、レイジさんの周囲に再度『レストフィールド』展開します」

「両サイドの『触手』は制圧は完了した……レイジに協力して戦線を押し上げる、イリスも気を付けて」

「はい、ソール兄様」

 

 目線を交わし、ふっと二人で微笑み、即座に持ち場へ移動する。こうして肩を並べるのは本当に久々だ。じりじりと戦線は奴に向かって上がっていく。あと……目算およそ50メートル。

 

 

 

 

 奴の攻撃には呪詛効果があるらしく、傷を受けると能力がガタ落ちする。しかし、それは僕が居る限り、地面に設置した『レストフィールド』を軸に行動すれば問題ない。落ち着いて対処していけば、優勢を維持できる。深呼吸し、周囲の状況を改めて眺め……そんなとき、周囲をうろうろしていた『口』が、一斉にこちらに向けてかぱりと口を開くのに気が付いた。

 

「気を付けて、二人とも! 何か……!?」

 

 何か来る、そう警告しようとしたとき、気がついてしまった。

 

 

『ぎゃはははははああああああ!』

『すべすべ、すべすべだああああははははは!』

『もっともっともっとおおおおびえおびおびえてててみせせええええ!』

『あはははないてるないてるひめさまないてあはははは!』

 

 一斉に、不快な声で不協和音が放たれる。

 

「がっ!? なん、だ、これ……力が……!」

「く、そ……この音自体、呪いか……っ!?」

 

 目の先で、音をモロに受けた二人が膝を着く。

 

 心臓が、止まりそうだった。

 

 なんで、なんでここで、こんな時に、こいつらなんだ。

 

 奥の本体の『奴』の、一つしかない顔の赤い光と目が合う。そうだ、目だ。あいつの目には、見覚えがある。 あいつの周囲の小さい物も、その穢れた歯並びには見覚えがある。

 

「なん、で……そんな……」

 

 膝が一瞬で力を失い、ぺたんと座り込む。動悸が激しい。ぐねぐねと視界が歪む。

 

「馬鹿! 逃げろ!?」

「イリス、後ろ!」

 

「……っ!?」

 

 周囲に、好機とばかりに『口』が三体囲むように浮遊していた。

 

『ねぇねぇひめめめさままままあおぼうあそぼあそぼうぜぜぜ!!!!』

『いいこといいこといいこととおれらららららああ!!』

『ひひひひめさんんおいしおいしししかみたいかみたいかみたたた』

 

「いっ、ぁぁあああぁぁああああ!?」

 

 耳朶に直撃した声が、耳から脳を揺さぶり犯していく。思わず耳をふさいで目を瞑ってしまったところに、脚に、その表面を守る障壁に、いつのまにか忍び寄っていた影がしゅるりと絡みつく。景色が、突如流れた。

 

「きゃあああああ!?……あぐっ!?」

 

 何かに引っ張られ、束の間の浮遊感の後、全身を強かに打ち地面を何度も何度も転がる。大半の衝撃はプロテクションに防がれたが、急な動きに三半規管が悲鳴をあげ、ままならない体をよろよろと持ち上げる

 

「おおおおお゛お゛お゛っ、ぃい゛い゛い゛ぃりぃいいいすぅ、ちゃあああん?」

「ひっ!?」

 

 間近に、奴の顔があった。のっぺらぼうだった黒一色の顔に三日月型の赤い線が割れ、にちゃあ、と音がしそうな、やけに嬉しそうな粘ついた声が、僕の体を竦ませる。

 

「イリス! くそ、お前ら邪魔だ!!」

 

 叫ぶレイジの声が遠い。完全に、敵の真正面で孤立していた。

 

「あ、あああああぁぁ……」

「いい゛い゛いぃことぉして、ああ゛あ゛そぼうぜぇええええおおおひぃぃいいめぇぇえさまぁあああ!!」

 

 ずりずりと、座り込みへたり込んだまま少しでも離れようとあとずさる僕に、奴の体から無数の影のようなものが伸びてきて、みるみる手足が拘束されていく。辛うじて、薄紙のようなプロテクションの光が直接の接触は拒んでいるが、それを越してなお凄まじい悪寒が、恐怖が、危険を訴えている。これに直に触れたら駄目だと。

 

 そして、ぱき、ぱき、と障壁が軋み、耐久の限界の近いプロテクションが罅割れる音がやけに耳に響く。

 

「ひっ、あっ……ぷ、『プロテクション』!!」

 

 新たな障壁が体を包む直後、もともとあったほうの障壁が淡い光の欠片を残して宙に消える。

 だめだ、これ、持たない。張りなおしたはずの障壁が再び軋みをあげ、びしびしと亀裂が入る。

 

「や、ぁ……『ワイドプロテクション』!!」

 

 更に一枚。先程のプロテクションが、20秒も持たず砕け、さらに追加した障壁に影が襲い掛かる。

 

「そん、な、はや、早すぎ……ぁぁああ!?」

 

 ……『プロテクション』のクールタイムは、およそ1分、あと、40秒近く使用できない。『ワイドプロテクション』は1分半。全身を影が這いまわるこの状況では、『ソリッド・レイ』は僅かな足止めにもならない。

 

「ああああああ!? プロテクション! プロテクション!? なんで、なんで!?」

 

 間に合わない。間に合わない! 間に合わない!? 

 

 もはや最後の障壁は皹だらけで、レイジたちは遥か遠い!

 

 

 

 ぴしり、ぴしり、と最後の抵抗の音がむなしくカウントダウンのように耳を叩く。無限のように引き伸ばされた時の中、もはや、絶望してそれを眺めることしかできなくて

 

「あ……あ……」

 

 ぱきん、と、最後の障壁が宙に消えた

 

「うぁ!? やぁ、やだぁああああ!?」

 

 ぞろりと、ついに直に影が腕に、足に巻き付く

 

「いっ!? ぎぃ!? やぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっ!? ぁぁぁああああ゛あ゛あ゛あ゛っ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 

 瞬間、脳が許容量を超えた衝撃にスパークした。凄まじい悪寒が全身を貫く。冷たく重い何かおぞましい思念が触れた場所から流れ込み、体の中で必死に抵抗するこの体の浄化の力とぶつかり合い、衝撃に体が内部から痛めつけられ無秩序に激しく跳ねる。

 

 ――意識が真っ白に飛ぶ

 

 ――しかし次の瞬間には、衝撃で目覚めた。何度も、何度も。

 

 手足に絡みついていた触手が小さな体をいともたやすく宙吊りに持ち上げ、ためらいなく僕の中心へとぞわぞわと侵攻してくる。抵抗する暇もなく蹂躙するそれは、瞬く間に腕を拘束している物が服の裾へ潜り込み、胴体を服の下で嘗め回す。足の方も、膝を、太ももを、その上も。白い肌を余さず這いまわり、そのたびに肌を浸透してくるおぞましい何かがまるで僕の体全てを塗りつぶそうとしてくる。全身の皮膚から浸食してくる何かはあっという間に全身を飲み込んで、瞬く間に抵抗力を奪っていく。

 

 体は必死の抵抗をしているのに、絶え間なく全身を這いまわる影から送られてくるソレは総量が違いすぎる。儚い抵抗は容易く飲み込まれ、激しくビクビクと跳ねていた体は徐々に動きを鈍くしていた。力の抜けた体はぎりぎりと締め付けられ、みしみしと悲鳴をあげている。ぱき、ぴし、と、何かが罅割れる危険な音が体のあちこちから響いてくる。なのに、すでに痛みを全く感じない。

 

 体が、侵略者に屈服していく。まるで全身の血管という血管を血液から氷水に入れ替えられたような、冷たくおぞましい何かに占有され、もはや時折痙攣してわずかに跳ねる以外指の一本も動かせないほど暗く凍り付いている。

 

「……あっ……あっ……ひぅ!?」

 

 つ……と何かが触れてはならない場所に触れた背筋の凍る感触。ただ僅かに接触しただけで、今までと比べ物にならない勢いでおぞましい物が体に流入し、さらに深く深く体を穢していく。

 

 とうとう、儚く明滅していた光翼が数枚の羽根を散らせて消え、だらりと力なく垂れた腕から最後まで持っていた杖がからんと音を立てて地面に落ちた。抵抗する力が完全に消えたのを察したのか、ついに『そこ』に狙いが定められたのを、何故か感じた。

 

 ――まず、い、貫かれ……

 

 

 

 

 

「させるかあああああああああぁぁぁああ!!!」

 

 いつのまにか、禍々しい力場に覆われた剣に持ち替えたレイジが、僕を拘束していた触手を地面ごと切り裂く。僕を覆っていた影は瞬く間に消え去り、支えを失った体が地面に落ちる……前に、ソールに抱き留められた。

 

「ソール! イリスを連れて逃げろ!!」

「……すぐ戻る! ちゃんと……持ちこたえろよ!!」

 

 待って、レイジが……玲史が死んじゃうよ!?

 一人敵の中に残ったレイジの背中が離れていく。そんな、これじゃ二人を窮地に追い込んだだけじゃないか。やだよ、やめてよ、こんな、せっかく認めてもらえたのに。

 

「……レイ……ジィ……っ!」

 

 伸ばそうとした手は、僅かにも支えきれず重力に負けて落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……行ったか」

 

 手にした剣を構えなおす。

 

 普段は装飾気のない真っ黒な長剣だが、竜眼解放という機能を使用することで変形し、力場を纏った大剣へと変貌する――竜玉シリーズ『崩剣アルスレイ』。

 

 ゲームの時は、希少な竜系レイドボスから極々低確率でドロップする竜玉をもとに、やはりレイドボスの希少素材をふんだんに使用して作成する、ゲーム全体でも全武器種合わせて両手で数えるくらいしか所有する者の居なかった正真正銘廃人用の武器で、あのソールすら羨んだ俺の切り札だ。

 

 流石に、竜眼解放状態のこれであれば傷つけることが可能なのは確認できた。

 しかし、それで状況が好転するかというと否だった。

 

 この武器の欠点……威力を高める代わりに、所有者の体力を貪るのだ。現にいま、右腕に刺さった管が赤く明滅し、俺の体から何かが剣に流れている。

 

 ゲームであればHPだったものが、実際こちらでこうして使ってみると生命力そのものが削られていく危険な感じがする。今までで散々弱った体で、万全の状態でも苦戦した相手にどこまで食い下がれるか……

 

「……やるしか、ねぇよな」

 

 先程ソールに連れられて遠ざかっていく、僅かばかり名前を呼んだ弱々しく悲痛な声は未だ耳に残っている。あいつをこんな世界に一人残して消えるわけにはいかない。

 

 

 たとえ、どれだけ絶望的でも……最後まで、足搔いてやる。

 



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『イリス』

ソール→イリス→???の順に視点が変わってます


 

 十分に離れた場所で、腕に抱えたイリスを下ろし、民家の壁を背に座らせる。

 

 腕に抱いているときからずっと、生きているのか不安になるほど冷たく体温が凍り付いていた。

 顔色は青く、桃色だった唇も紫色に青ざめている。はだけた服の隙間から覗く肌には所々締め付けられた跡があり、中には骨折しているのか酷く腫れた場所もある。

 

 みすみす一人を危険に晒した。

 

 盾職としてあるまじき失態だった。

 

 痛々しい様に自責の念がぎりぎりと胸を締め付ける。

 

 マジックバッグの中から小指ほどの大きさの小さなビンを取り出す。いざというときのお守りとして常に持っていた『世界樹の滴』、ゲームの時でも最高クラスの回復アイテムだった。

 

 アンプル状のそのビンを折り、イリスの口に含ませようとして……意識の無いこのまま飲ませるのは不安だと思い直し、失敗して吐き出した場合の事を考え、止める。

 一部レイドボスのドロップ品で、ゲームの時はハズレ扱いだったとはいえ、今となってはとても希少な薬で、これを失敗したら他に今使えそうな物は持っていない。

 ならば少しも無駄にするわけにはいかないと、自分でその中身を口に含み、そのままイリスの口をぴったり覆う形で唇を重ねる。

 

 そうして、舌をイリスの小さな口に差し込み、舌の上に集めたそれを喉の奥に流し込む。

 

 一度吐き出そうと咳き込む気配があったが、跳ねる体を押さえつけ、舌で奥に押し込んで無理やり押しとどめる。やがて、こくりと喉が鳴り、間違いなく嚥下したのを確認してから、ようやく口を離した。

 

「……んぅ……くぁ……っ!」

 

 嚥下した直後、何かに耐えるような呻き声をあげ、イリスの体がぴくん、ぴくんと跳ねる。今嚥下した薬と、奴に流し込まれた呪詛が戦っているのだろうか。あとは……無事に効いてくれればいいのだが。

 ゲームの時と同じ効果とは限らない。奴に荒らされ乱れに乱れた衣服を直してやりながら、祈る気持ちで、苦し気に呻くイリスの容態の経過を見守る。

 

 ……その効果は、劇的だった。

 

 肌蹴た服の内に覗いていた、痛々しい痣が淡い光を放って消え、青ざめていた顔はすぐに血色を取り戻し始める。睫毛を震わせて、ゆっくりと、瞼が持ち上がる。

 まだ体の自由は戻っていないようで、のろのろと上がる小さな手が私の服を掴む。その焦りに揺れる目は、一人戦場に残った玲史さんへの心配故だろうか。安心させるようにその頭に手を載せる。

 

「心配しないで。私は玲史さんを助けて来る。体が動くようになったら、お兄ちゃんは町のみんなと一緒に避難して」

 

 頭を撫でながら告げると、びくり、と服を掴んでいる手が揺れる。

 

「聞いて。私達だけでは足りなかった。きっと、こういう事は今後沢山あるんでしょう。なら、一緒に戦ってくれる仲間を集めるの。きっと私達みたいにこちらに飛ばされた人はまだまだいる。信頼できる人も中にはきっといるはずよ」

 

 イリスがイヤイヤと首を振る。その縋るような目が己の失言を悟った。これではまるで死にに行くように聞こえただろうか。まったく、そんなつもりは毛頭ないというのに。相変わらず臆病なお兄ちゃんなんだから。

 

「安心して、まだまだやりたいことは一杯あるもの。お兄ちゃんを色々着飾りたいし、愛で足りないわ。抱き枕にして寝てもみたいし。一緒にお風呂もまだだし、お肌や髪のお手入れの方法も教えてない。お化粧のしかたも、スキンケアも。女の子の日が来たらお赤飯を炊く役目も誰にも譲るつもりはないし。こんなところで退場なんてしてられないわ。あいつを連れて必ず帰ってくる。だから……信じなさい?」

 

 ようやく、おそるおそる手が離れた。若干恐れのような引いたような視線が混じっている気がしたが多分気のせいだ。ああ、本当、こんなところでなんて死んでいられない。やりたいことは山積みだ。

 

「……なん……でも、してあげるから……お願い、ちゃんと……無事に……」

 

 ようやく、口も動くようになったらしく、弱々しく紡がれる言葉に、内心ガッツポーズを取る。

 

 よし、言質は取った。

 

 これで恥ずかしがって拒んでいたあれこれもこの言葉を理由に強制できる。絶対に履行させるのだ。帰ったらあれもこれもしよう、ああ、凄い楽しみ。やばい鼻血でそう。

 

「……その言葉だけで負ける気がしないわ。じゃぁ、ちょっと行ってくる!」

 

 あの無茶な馬鹿の襟首をひっつかんで、今度こそ一緒にいるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠ざかっていくソールの背中を眺める。

 

 嘘だ。

 

 死ぬつもりはないというのは嘘ではないだろう。

 だけど、勝てる見込みがあるとも思っていない。

 

 十何年も一緒に居たのだ、綾芽の癖なんて、本人が知らない物でも知っている。最後、左の頬を指で搔いた。あれは自信が無いのを誤魔化すときの癖だ。

 

 こんなところで座り込んでいる場合じゃないのに。さっきの、あっというまに無力化され、許容範囲をはるかに超えた苦痛に晒され、まるで紙屑のように純潔まで奪われかけた記憶は体に焼き付いており、自分が捕食される側でしかない事を思い知らされ、立ち上がることができない。

 

 レイジはまだあの場で傷つきながら戦っているのだろう。

 ソールも、勝てる見込みは殆ど無いのに、その場へと踏み出した。

 なのに、僕は、動きたくても、心が折れて動けない。

 

 

 この世界に来た時の記憶がふと蘇る。あの自分が作り変えられるような感覚。本当は、きっとあの時に僕は消え、『イリス』として生まれ変わっていたのだろう。ずっと目を逸らしていたけど、本当は『僕』がここにいることが本来の予定と違うのだ。

 

 ねぇ、イリス。君なら……『イリス』だったなら、二人を助けることができたのかな。

 

 僕は駄目だったけど、君に任せたら……本物の『光翼族』である君だったら、皆を助けてくれるのかな。

 

 もしできるなら……僕が消えたって構わない。僕の持って行ったすべてを返すから、お願い、助けてよ。

 

 

 

 救いを求め伸ばした手が、誰かの手に触れた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……真っ暗な闇の中に、小さな傷だらけの女の子が座っていた。

 

 膝を抱えて泣くその女の子から、時折ひっく、ひっく、としゃくりあげるような声が聞こえる。暗い闇の中で、その女の子は膝を抱えて泣いていた。その白い裸身は全身くまなく無残な傷に覆われ、弱々しく明滅する小さな光る翼は今にも消えてしまいそうだ。

 

 

 

 自分には無理だ、だから彼女に助けてほしい。そう思った。

 だけど、『イリス』は、こんな傷つきやすい小さな女の子でしかなくて。

 

 

 

 

 ああ、そうか。僕は、こんな小さな、儚い子にすべてを押し付けて、逃げようと、消えようとしていたのか。『僕』だけでも、『私』だけでも抱えきれるはずが無かったのに。

 

 ――ごめん、一人にしてしまって。

 

 女の子は、涙を流しながら首を横に振る。

 本来、僕ら二人分で持つはずだったものを一人で占有し、君をこのような暗い場所に押し込め、辛い物だけを押し付け続けたのは僕。謝る必要なんてないのに、消してしまってごめんなさいと泣き続ける君。

 

 なんとなく、理解する。君が、あの時消える僕を逃がしてくれたんだ。本来自分の物であったものを僕に明け渡して。

 

 ――僕は、君から奪った物を返しに来ただけ。

 

 ――だけど、そのせいであなたは消えてしまう。

 

 ――違う。これはもともと君のくれたものだ。そして……もともと、僕らに境界線は存在しなかった。

 

 君は、『イリス』を演じる僕から生まれた存在なのだろう。僕の思い描いた架空の女の子が、大勢のプレイヤーの望みを糧に、そうありたいと思った僕の意志で。だけどその本質は変わらず僕であり、故に消えるんじゃない、一つに還るだけなんだ。君も、僕も、きっと望んでいる物は同じで。同じ方向を向いて。同じものを見ている。僕と君が僕たちを分けてしまっただけで、元々は同じ()なんだ。

 

 ――だから……協力してほしい。二人を……玲史(レイジさん)と、綾芽(ソール兄様)を助けに行こう……一緒に。

 

 正面へと回り、手を差し出す。

 

 女の子が、一瞬ぽかんとした表情でこちらの手と顔を凝視したあと……ふわりと、花の綻ぶような微笑みを浮かべて手を取った。

 

 僕が、消えていく。

 

 僕が、彼女に変わっていく。今度こそ。

 

 怖くなんて無かった。まるで足りない場所が埋められていくようで、こんなにも……安心するなんて――…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――不思議な、感覚でした。

 

 元々の『僕』だった記憶は確かに存在し、それは全て自分の体験してきた事、自分のものだという自覚は変わっていませんでした。

 

 僕は僕。それはきっと間違いないのでしょう。

 

 しかし、同時に、『イリス』という女の子であるという自覚もこの胸には存在している。今までは、どうしても心のどこかで自分のものと思えずにいたこの体も、違和感なく受け入れていました。

 

 背中に、熱を感じました。全身、特に背中の感覚は鋭敏になっており、今までは不鮮明だった自身の中の力の流れを鮮明に感じとれます。

 軽く意識をするだけで、今までよりずっと自然に光翼が出現しました。ここしばらく身を苛んでいた違和感は完全に消え、今は自分の体の一部として自在に操れます。

 

 震えは、止まっていました。やるべきこと、やりたいこと。そして……やれること。それが、今はとてもよく見えます。

 

「……さぁ。二人が待ってます。助けに行きましょう――『私達』で」

 

 『私』は、未だ戦闘の続くその場所へ、最初の一歩を踏み出し始めました。

 




ここから、主人公視点の地の文の口調が変わります


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夜を斬り裂いて

 

「……く、っそ……おい、生きてるか」

「なん、とか……ね。そっちこそ、もう打ち止めかい」

「ああ、残念ながら……な」

 

 既に周囲は影に埋め尽くされ、背中合わせになって剣を支えに辛うじて立つ俺たちを完全に包囲していた。

 

 陽はとうに落ち、周囲は暗闇に包まれ、影である連中は視認が難しくなっている。

 

 剣に喰わせるような力など残っておらず、もはや有効な攻撃手段はない。

 

 ソールの方も、既に幾度かこちらを庇った結果盾が砕けて使い物にならず、着ていた鎧も大部分が破損し脱落している。お互い満身創痍で、この状態では逃げることすら難しい。

 

「ああ、そうそう……生きて帰ったら、イリスが看護師の格好で看病してくれるそうだよ」

「……おい、そういうことはもっと早く言えよ」

 

 あいつ、そういうコスプレとか苦手だからな。きっと凄く恥ずかしそうにしてるんだろうな。顔を真っ赤にして、涙目で。一瞬そんなイリスに色々お世話されている図が脳裏に浮かぶ。くそ、可愛いに決まってんだろこんちくしょう。

 

「はは……どうかな、ちょっとはやる気出たんじゃない?」

「ああ、まったくだ。死ぬわけにはいかないな……後悔で化けて出そうだ」

 

 とはいえ、恐怖を紛らわせるために軽口をたたいても、状況は好転しない。あいつは、ちゃんと逃げて、生き残ってくれるだろうか。きっと滅茶滅茶泣くよな……ああ、くそ、泣き顔しか思い浮かばねぇ。もっと、笑った顔も見たかったな……はは、何考えてんだ、親友相手に。俺はノーマルだっつうの。

 

 ああ、でも、そうか。

 

 こんな状況になって思い返してみると、きっと、初めてあいつのアバターを見せられた時に。

 

 もう、俺は……『イリス』という、架空の少女に……

 

 

 

 くそ、死にたくねぇな――……

 

 

 

 

 

「……?」

 

 いくら待てども、攻撃が、来ない。奴らは、こちらではなく別の方向を向いて……まさか。背中に嫌な汗が伝う。奴らが最優先で執着を向けていたものに思い当たるのは一人しかいない。ざっざっと、町のほうからたどたどしい雪を踏む足音。

 

 ――馬鹿野郎! さっさと逃げろ!!

 

 そんな叫びもすでに喉から発せられず、動かない体では奴らが殺到するそちらを見ることしかできない。

 

 やめろ、やめてくれ。先程の、瞬く間に目の前で蹂躙されていく小さな体と、それを許してしまった事の焦燥感は未だこの身に焼き付いている。このまま、ここで、あいつが……イリスが、嬲られ、辱められ、引き裂かれるのを見続けるなんて嫌だ、世界で何よりも嫌だ!!

 

 よろよろと、奴らを追う足が、しかしぴたりと止まった。それは隣のソールも同様らしく、呆然とその先を見つめている。

 

 予想していた最悪の光景は、起こっていなかった。影の触手も、周囲の小さいのも、どれ一体としてあいつを、イリスを侵す事ができていなかった。接近した影はたちまち崩れ去り、他の奴らも接近を躊躇って……いや、恐れてか? 遠巻きに様子をうかがっている。

 

 ゆっくりと、悠然と歩を進めながら、ぱん、とイリスが手を合わせる。その手をゆっくり離すと、どこから出て来たのか、白く清浄な光だけを集めて形にしたような荘厳な杖が手に握られている。一体何があった、存在感が今迄と段違いだ。なのに、浮かべる微笑みは、間違いなくあいつの物で……。

 

 イリスが、地面にその手にした杖を突き立てた。瞬間、周囲のすべてが眩くも柔らかい、不思議な光に包まれた。

 

 

 

 

 

 ああ……凄ぇ……綺麗だ――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「町の連中は、あらかた退散したっす、若旦……っと、町長」

「よし……すまないな、お前たちまで貧乏クジを引かせてしまって」

 

 辺境も辺境のこの町に兵士は存在しない。ここに残っているのは、町の若者の有志で結成された自警団の中でも、今まで戦闘に巻き込まれた怪我人のうち、あの化け物の攻撃による謎の症状によってまともに移動もできなくなっている者たちで、全員が避難している者たちの足枷となることを嫌い、志願して町民の逃げる時間を稼ぐ、あるいは奴の進路を逸らす捨て石になることを決意した者たちだ。

 

「何言ってんすか。それを言ったら町長こそ逃げりゃよかったじゃねえすか。あんたまだ親から立場引き継いで間もなくて若いんだし、奥さんだって待ってるだろうに」

「はは……家内には、本当にすまないと思っている……だが、私は若輩とはいえ町の皆の長を継いだものだからな……旅の若者に全部任せて、ハイさよならってのはなんか、こう……格好悪いじゃねぇか」

 

 視線の先で、まだ戦ってるであろう彼らの姿を思い浮かべる。何件も町中の懸案事項を片付けてくれた腕利きの彼らが、襲撃された町民の前に割り込んでくれなければ、損害はもっとずっと深刻だったのだ。とはいえ、旅の彼らにとっては何の縁もない知らない街の話だ。よほどのお人よしでもなければ危険を感じたら逃げるだろうし、それを責めるつもりはない。気がかりなのは、家内が見失ったという、彼らの連れの少女がまだ見つかっていないという事だが……。

 

「……嬢ちゃん達も見つからねぇんでしょう? 無事でいるといいんすけど」

「ああ、まったく……!?」

 

 突如、何かが爆発したような勢いで、町の方がまるで夜明けが来たように明るくなる。

 

「なんだ、あの光は!?」

「わ、わかんねぇ、何かの魔法っすか……ね……って、あ、あれ?」

「どうした、何があった!?」

「怪我が……なんか、全部なんとも無くなってるっす……」

「なん……だと?」

 

 見れば、周囲の諦めの表情に沈んでいた者たちも、戸惑ったように自分の体を見ている。この光を浴びた者全てが……では、この光は全て治癒術によるものだというのだろうか。しかし、あれだけ遠くからここまで効力を及ぼすような大規模なものなど聞いたことがない。それは、まるで……

 

 誰からともなく、膝を着いて光の方に向かって頭を垂れだした。中には、涙すら流して祈りを捧げる者まで居る。

 

 まるで、これは、今ではもう伝承の中にのみ語られる、かの……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「諦めなければ、きっと……!」

 

 背中が破裂しそうに熱い。ばきばきと、光翼がその出力を上げて、色が金から白へ、一層眩く白熱していきます。

 

「きっと……どんな闇だって、開ける……!」

 

 足りない。まだまだ、全てを出し尽くさないと。ぎりぎりと全身が軋み、何かが背中に引き集められていくのを感じます。まるで羽化するように、新たな光が背に生まれていきます。

 

 ああ、そうだ……これが、私の護りたいものを護るための、私の翼。

 

「――ここに、全ての傷、全ての呪縛、全ての悪意から救済を……開け……開け『聖域』……っ!!」

 

 夜明けのごとく夜の闇が切り裂かれ、眩い白光が世界を埋め尽くしていきます。左右対称の6枚の巨大な光翼の間に、さらに新たな小さめの4枚、合計5対10枚の翼がばさりと広がり、ふわりと、私の体が地から離れ、わずかに離れたところで滞空しました。周囲を取り囲んだ影たちがおびえたように後退し、二人に纏わりつき苛み続けていたはずの黒い靄が、あっさりと霧散して跡形もなく消滅していきます。

 

「何だ……この光、浄化なのか?」

「凄……あっというまに傷が。体力も魔力も……」

 

 呆然と、全ての傷と戒めから解き放たれ立ち上がる二人。万全の状態に復帰した二人に、胸を撫でおろします。

 

 以前の『聖域』より遥かに範囲は拡大し、直径およそ200mくらい。この範囲でならば。

 

「……私の前に、呪いの類の存在は許しません。さぁ」

 

 呆然と見上げる二人に、ふわりと微笑みかける。

 

「長くは、持ちません。そうですね……一分、程でしょうか――頑張って、二人とも!」

「……十分だ!!」

「任せろ!!」

 二人がばっと立ち上がり、各々の武器を構えます。その姿にすでに先ほどまでの弱気はなく、背中合わせに立ち、『奴』に向かってそれぞれの武器を突きつけ叫ぶ。

 

「「『リリース!!』」」

 

 たちまち、レイジの腕と足から線のような光が複雑な模様を描き、手足に妖精の羽根のような光を纏います。ソールの頭上に1m近い円環が浮かび上がり、眩い光を放ち回転を始めました。人族の上位種エインフェリアと、天族の上位種セレスティア。転生した上位種族にのみ許された、種族特徴解放。数日に一度のみの使用しかできませんが、全ての能力を大幅に上げる切り札です。

 

 手にした白光の杖を一振りする、それだけで二人の武器が私の翼と同じ色の光に輝き出します。周囲を舞う羽根が、二人に寄り添いまるで守るように舞い踊っていきます。

 

「『ルミネイトエッジ』『マルチプロテクション』。今度こそ……二人は私が守ります……!」

 

 どちらも、先の戦闘で使用していたものと同系統の魔法ですが、私の変化を受けたそれは、劇的に効力を向上させています。

 

「俺はちょっと用意に時間がかかる、先手は任せたぞ、ソール!」

 

 レイジの剣に再び生命力が流れ出し、刀身に封じられた機構が解放され、がしゃがしゃと無数のスリットが開き始め。

 

「了解、任された……!!」

 

 限界まで腕を引き絞り刺突に構えるソールの剣先に、エネルギーが渦を巻き始めます。

 

 敵の触手が一斉に二人に襲い掛かります。空を埋め尽くすほどの影の触手の雨。が、しかし。その全ては二人の周囲を舞う羽根が眩い光とともに弾き飛ばし、触れることも叶わず逸れて周囲の地面だけをむなしく抉り、いたずらに堆積した雪を巻き上げるだけに終わります。この羽根はその一枚一枚が『プロテクション』であり、無数に重ねられたそれはたとえ数枚吹き飛ばされたとしてもそうそう抜くことはできません……いいえ、抜かせはしません。

 

 それならばと、周囲の無数の口たちが一斉に、こちらを向きました。先程までの私であれば、きっと戦意を失っていたに違いありません……しかし、今は周囲がとても良く分かります。一つの気配が、私の背中を押している事を。その気配は、今まさにこの瞬間……相手が、一点に、一直線に集まるその時を待っていたのですから。

 

 私の背後に、闇から這い出てくるように忽然と、一人の人影が現れます。

 

「にゃははは!! 出っ番かな、待ってましたぁ!!」

 

 迷彩魔法で潜んでいた、機をじっと伺っていたミリィさんが、いつの間に解放していたのか、魔族の上位種族、ノスフェラトゥの特徴である、背の大きな蝙蝠のような翼をはためかせ、すでに詠唱を終わらせていたのであろう、複雑かつ巨大な魔法陣をバックに高笑いを上げて。

 

「『ライトニング・デトネイター』!! たぁっまやぁー!!」

 

 ――轟音。迸る電撃が、白の世界を紫電に染め、私を避け、私の周囲に全て殺到していた『口』たちをみるみる消し炭に変え、のみならず、二人の横を駆け抜けて直線状全ての影を飲み込み、奴のところまで一直線に道を拓いていきます。

 

「……あんた!? なんでここに!!」

「にゃは、姿を晒してもお二人の邪魔になっちゃうから、ずっと準備してスタンバってたにゃ、一網打尽にできる美味しいところを頂くために! 頂くために!!」

 

 ソールの驚愕したような問いかけに、盛大にドヤ顔をしたミリィさんがおどけて答えます。しかし……よく見ると、彼女の杖を握る手は血まみれでした。自分で指を噛んで堪えていた物らしく、はたして、ただ機を待って目の前で傷つく二人を見続けるのはどれほどの辛酸だったのでしょう。それでも、この時を信じて潜んでいてくれていました。

 

「ドヤ顔すんな腹立つ!! はぁ……助かった!!」

「貸し一つにゃ。いつか返してもらうのよ、具体的には街の一番高いスイーツで!」

「お前、こんな時に……まぁいいか、それくらい。おかげで奴が良く見える……まずは、その生意気な剣から貰い受ける!!」

 

 ソールの剣が、前方に複雑な模様を刻んでいきます。それは、瞬く間にソールの身の丈を超える巨大な光の陣を形作っていきます。

 

「道を圧し拓く! 『チェインバインド・ランページ!!』」

 

 ソールの足元が轟音を上げて爆ぜました。陣を潜り、闘気の奔流を纏った剣を手に、猛然と突撃するソールの背後から、無数の光る鎖が現れます。剣先より放たれる螺旋の奔流が、先程削られた空間を埋めなおそうと殺到する影たちを消し飛ばしながら、『奴』の剣になった腕と交錯し――

 

 剣に宿った白光が炸裂し、歪な剣は僅かな抵抗も許されずに、甲高い結晶の砕ける音を残して瞬く間に宙に溶け、破片一つ残さず消滅していきました。武器を失い無防備になったところで、後を追っていた鎖が『奴』を締め上げ拘束し、その動きを雁字搦めに封じていきます。その鎖によって一直線に結ばれた道にはもはや何の障害も存在せず、『奴』はただ不格好にその身を曝け出しているだけとなりました。

 

「お膳立ては済んだ、締めは譲ってやる……行け!!」

「それじゃ、道は開いたからあとはまかせるにゃ、センパイ!」

「……ああ、任された。いくぜぇ、『竜眼解放』……っ!!」

 

 レイジの剣の柄中央のスリットが開き内部の目のような結晶が露になり、力場が再展開されてレイジの持つ『アルスレイ』が本来の姿を現していきます。同時に、再び赤い触手が腕に伸び、レイジの体力を奪っていく。しかし、次の瞬間には光が舞い踊り、失われた体力をみるみる蘇らせていく。どれだけ消費しても、いくらでも補充して見せる……今は私がいます!

 

「……やっちゃってください、レイジ!!」

 

 私が力強く握り拳を突き出すと、ありったけの白光がレイジの剣に収束されていきます。『アルスレイ』の展開する力場が赤から白へ。臨界に達した剣は、りん、りんと鈴のような音をあげ、その身に宿した破壊力を早く解放させろと声を上げているようで。

 

「もう一回、吹っ飛びやがれぇ!!」

 

 神速の踏み込みから、貫き胴に振りぬかれたレイジの剣は、奴の中心である結晶を深く深く切り裂き……その剣の纏った白光が、まるで太陽のように敵を内側から焼き尽くし、炸裂していきました。

 

 

 

 

 

 何も見えない程の、眩い純白の世界。

 

 

 

 全ての光が収まり、白光の残滓がはらはらと雪のように降り注ぐ中、周囲がようやく思い出したかのように夜の闇を纏い始めた時、『奴』の姿はもはや、塵一つなく、完膚なきまでに消滅していました――……

 

 

 

 

 





 補足。レイジは『イリス』という架空の女の子に一目惚れし、自覚する前に中身が主人公と知って速攻失恋したのであって、BLではありませんでした。


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闇晴れて

 

「勝った……のか?」

 

 残心を解いたレイジさんが、呆然と、降りしきる光の粒子の見上げて呟きました。人の避難した町は争いの終わった今、完全な静寂に包まれ、雪で白化粧された町が降り注ぐ光で神秘的な情景を描き出しています。……もう、悪意は周囲には感じ取れません。

 

「ああ……私たちの、勝ちだ」

「……だはぁ、全く、きっついぜ本当に……もう駄目だ、一歩も動けねぇぞ」

 

 ソール兄様の勝利宣言を受けて、疲労困憊、という風情で地面の上に座り込むレイジさん。魔力のほぼ空になった私も、背中から翼が消え、再び足が地に着きます。魔力欠乏の具合悪さが途端に襲い掛かり、足元がふらつくけれど、今はそれどころではありません。

 

「レイジさん! 兄様!」

「うわ!?」

「っとと!?」

 

 半ば転ぶように二人の間に飛びついて、大きなその体を抱きしめます。今ここに居ると、その存在を、確かな体温を確認するように。

 

「生きてますよね!? どこもおかしなところはないですか!? 痛い場所は!?」

「お、お、落ち着け、落ち着けって!?」

「はは、大丈夫、僕らはちゃんと生きて、ここにいるよ。イリスのおかげだ」

 

 しばらく、二人の体をペタペタ触って怪我の有無を確認しましたが……どこにも、何も見受けられません。

 

「……あ……ぅあ――」

 

 全身くまなく確認してようやく安心できて、すとんと膝から力が抜けて、たちまち涙腺が緩む。安心から栓の抜けてしまったそこは、もう堪えが利きません。

 

「……わぁぁあああああ! よかっ、よかった、二人っ……ともっ……無事、でっ!」

「……ああ、悪かった。お前のおかげで俺らはまぁ、疲れてる以外は何ともないから、な?」

「ごめん、怖い思いをさせて、本当に悪かったから、ね?」

「……ぐすっ、絶対、もう、許さないです……!  本当に、死んで、しまう所だったじゃないですか……! 一人残されるのは、嫌ですよぉ……!!」

 

 大粒の涙がぽろぽろと零れるのはもう止めることはできず、しばらく二人にあやされながら子供のように泣き続けてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、大丈夫かい?」

「ぐすっ……はい、大丈夫……です」

 

 ぐしぐしと、手で残った涙を拭い去ります。

 ……分かっています、聞かれるであろうこと、逃げるわけにはいかないことも。

 

「……それで、落ち着いたところではっきりさせておきたいんだが……今は、『どちら』なんだ?」

 

 その言葉に、びくり、と体が震える。確かに私の中では決着はつきました、が、それが二人にも受け入れられるかというと自信はまるではありません。二人は、元の『僕』が消えないようにと頑張っていたのですから。それでも、言わなければいけません。それが一つになった私の責任ですから。

 

「……どちらでも、ないですし、どちらでもあるとも、言えます。私……『玖珂柳』の記憶も、経験も、感情も、全て私の中にある……私は私という意識は確かにあるのですが……同時に、私は『イリス』っていう自覚もありまして」

 

 一度、言葉を切る。この先は、告げるのが怖いです。しかし、黙っていることも、できません。

 

「つまり、以前の私の記憶全てを継いだ「イリス」っていう女の子……っていう、そういう存在なんだと……おもい、ます」

 

 じわり、と再び目に涙が浮かびそうになります、が、今それを零すわけにはいきません。泣けば、彼らはとりあえず認めてくれるでしょう。ですがそれはきっと、良心を盾に取った卑怯な行いですから。ぐっと唇を噛んで、悩んでいる二人の次の言葉を待ちます

  ……怖い。二人に拒絶されたらと思うと震えが止まらなくなりそうです。たとえ意識は自分だと言っても、今は口調も思考も特に意識せずともイリスの物になってしまっています。同一の存在だと言っても、やはり私はこれだけ『彼』のときから変わってしまっているのです。

 

「あー……」

 

 びくり、とレイジさんの声に体が震えます。続きを聞きたい。認めてほしい、拒絶しないでほしい。けど、聞きたくない。拒絶されたらと思うとこのまま何も言わないでほしい。二つの矛盾した感情が、頭の中でぐるぐると思考をかき回していきます。

 

 ……ふと、ぽん、ぽん、と、かるく頭に手を載せられる感触がしました。二つ。

 

「思い詰め過ぎ。そんな怖がるなって。ちょっと、今後どう呼べばいいか考えてただけだからさ」

「そうそう。特に私なんて、今後「お兄ちゃん」として今まで通り扱えばいいのか、それとも私が今後「お兄様」なのか、すごく複雑なんだぞ?」

 

 ぐりぐりと頭を撫でる感触に、ぽかんとした顔になってしまいます。

 

「安心しろって、お前を拒絶したりなんてしないさ。お前はお前、なんだろ?」

「そうそう、お兄ちゃんでも妹でも、大事な家族には変わりないし。それに……くく、レイジなんて、むしろ……」

「あ、おい馬鹿やめろ!! ぜってぇ言うなよそれ!?」

 

 ――認められ、た、のでしょうか……?

 

「だから、まぁ、なんだ」

 

 ぶっきらぼうに、何故か顔を赤らめているレイジさんと。

 

「今後も、よろしく、イリス」

 

 微笑んで、未だ頭をぽんぽん撫で続けているソール兄様。

 

 今度こそ、堪えきれませんでした。果たして今日はどれだけ水分を流したのでしょうか。せっかく乾いた目に再び滴が溜まっていき、みるみる風景がぼやけていきました。

 

「……はいっ、レイジさん、ソール兄様!!」

 

 涙は零れ落ち続けますが、顔は、安心と、受け入れてもらえたことによる喜びを抑えきれず、自然に笑みの形に変わっていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あー。こほん。感動の家族シーンは終わったかにゃ……」

「「「……あ」」」

 

 後ろからかかる気まずそうな声。いけない、すっかり忘れていました。二人の方も、完全に今思い出したというように気まずげに視線を逸らしています。

 

「やっぱり忘れられてた……せっかく駆け付けたのに……あんな大見得切って派手に登場したのに……切ないにゃ……」

「あ、えーっと……ごめんなさい」

 

 ああ、すっかりしゃがみこんで地面に落書き中です。本当ごめんなさい。

 

「うぅ、この寂しさは何か一つお願いを聞いてもらえないと癒されないにゃ」

「あ、ちょ、待っ」

 

 兄様が何か言いかけてましたが。

 

「はい、いいですよ。私にできる事でしたら」

 

 思えば、自棄を起こして一人町を彷徨っていたところを捕まって以来、今日はずっとお世話になってました。もしあの時出会っていなければ、二人を探しに行く勇気も出せず、今頃は……そう思うと、背筋が凍る思いがします。お礼に一つくらいは叶えてあげたいです。

 

「……本当に!? あとでやっぱりダメって言っても聞かないわよ!?」

「ひぅ!?……え、ええと、はい、今日はお世話になりましたので、構いません……よ?」

 

 がっと肩を掴まれ、素に戻って凄い勢いで食いつくミリィさんに、若干引きつつも答える。大丈夫ですよね……? まぁ、悪いようにはされないでしょう……多分。

 

「ああ、天使が居るわ……何が良いかな、あれもいい、でもこれも……いやいや、これだけの器量ならそうだ、新しく作ったあれでも……」

 

 何やら明後日の方向を向いて楽しげに考え事をしているミリィさん。どうやら機嫌は回復したようで、一安心です。

 

「ああぁぁ……知らない、私は知らないぞ……まぁ、本当に嫌がることはしないだろうしな……」

 

 ……ところで、さっきからちらほら口を挟んできている兄様は何をしているのでしょう?

 

 

 

「さて、そうしていても体も冷えるし、そろそろ……どうした、イリス? それにさっきから黙ってるレイジも」

「……あ、えっと、その……安心したら、腰が抜けてしまったようで……立てません」

 

 恥ずかしながら、腰から下がまるでぴくりとも動きません。だいぶ前から。この周囲の雪が先の戦闘で吹き飛んだり蒸発したりで無くなっていたことは幸運でした。でなければ、きっと今頃お尻が水浸しでしたでしょうし。

 

 ……ただ、綺麗に敷かれていた石畳も吹き飛んでしまって、修繕が大変そうです。

 

「わりぃ、俺も限界だわ……指一本動かせねぇ、疲れた……」

 

 四肢を投げ出し、今にも眠ってしまいそうな声のレイジさん。あの剣の使用に際して消費された生命力は癒せても、疲労だけはどうにもならなかったようで、こちらも辛そうです。

 

「しかたないな、誰か呼んで……」

 

 そう、ソール兄様が行動を起こそうとしたとき。

 

「――ああ、お二方!! それとあなたは家内と町の者の護衛をしてくださった……えぇと、ミリィさん、でしたか。それにお嬢さんも……良かった、皆さんご無事でしたか!」

「ひぅ!?」

 

 背後から突然かかった知らない男性の大きな声に、思わず変な声が漏れ、反射的に丁度声を掛けられた方向に居たソール兄様の影に隠れてしまいます。兄様の体の影から恐る恐るのぞき込むと、30代後半くらいの、力仕事に従事している方らしい、日に焼けた肌で、逞しく筋肉のついた、しかしながらどこか品のある男性が居ました。

 

「ああ、町長さん、ご無事でしたか。ほら、イリス。こちら、僕らが住居のお世話になっているこの町の町長の、ルドルフさん。ミランダさんの旦那さんだよ」

「あ……お世話になってます。……ごめんなさい、一度も顔も出さず……」

 

 もう何日もお世話になっているのに、一度も顔を合わせていませんでした……どうしましょう、凄く失礼なことをしていたのではないでしょうか。

 

「いえいえ……事情はお聞きしておりますし、レイジさんやソールさんにはこちらもお世話になってますから。貴女も、何やら優秀な治癒術使いという事で、町の者が何人か助けられたようなので、お気になさらないでください……それにしても」

 

 彼の視線が顔の方に向き、一瞬体がびくっと強張りました。

 

「これは、また……そのお嬢さんは、初めてお顔を拝見しましたが、ソールさんも大層端正な顔立ちの方と思いましたが、妹御とあって、なるほど家内の言う通り……」

 

 視線がこちらに集中したことで、思わず兄様の影にすすっと隠れてしまいました。悪い感情は感じられず、ただ褒めていただいているのは分かるのですが……やはり、まだ知らない男性の視線は少し苦手なままなみたいです。

 

「すみません、妹は、その、男性が苦手で……」

「おっと、これは失礼しました。確かに、年頃のお嬢さんをじろじろと見るものではないですね」

 

 ソール兄様のフォローに、申し訳なさそうに頬を搔きながら視線をそらす町長さん。どうやら誠実な方のようで、おそるおそる陰に隠れていた顔を出します。

 

「さて、先程こちらから見えた光といい、聞きたいことは多々ありますが……皆さんお疲れの様子なのでそれはまた後程にして……あの魔物は一体どこへ。どうも姿が見えないようですが」

 

 4人で顔を合わせる。そうです、私たちは勝ったのです。

 

 避難した人たちを呼び戻さないといけませんし、被害状況の確認や、町の修繕など、きっと町長さんである彼の仕事はここからが山積みなのだと思うと気の毒ですが、それでも、脅威は無くなったのです。

 

 ……おそらくあのアジト周辺にあるであろう『傷』の出現場所は気掛かりですが、今からというのは皆の状況を見ると難しいですし、私の中の感覚はすでに脅威は全く感じられず、おそらく数日であれば、また後日で問題は無いでしょう。皆にひとつ頷きます。

 

「ああ、本当参ったぜ。ただ、まぁ、もう心配は要らねぇよ」

「その件については、また交渉の機会を設けて頂きたく」

「家財を失わずに済んだのにゃ、ちょっとは色を付けてくれるとありがたいのにゃ」

「もう、皆さんてば。意地悪ですよ。すみません、皆も本気ではないと思うので、無理はしなくていいですからね?」

 

 それぞれ急におどけた口調で気楽に言う皆さんに、町長さんが目を白黒させています。

 

「あの、それは一体……もしや」

 

 誰からともなく自然と笑いがこぼれ、四人で口をそろえて言いました。

 

「「「「討伐完了です(だぜ)(だ)(にゃ)!!」」」」

 

 やはりクエストは報告までしっかりと、です!

 



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閑話:写真の中に

 

『討伐完了です(だぜ)(だ)(にゃ)!!』

 

彼らが、笑い合って言葉を放った瞬間を最後に、中継となっていた白い紙片の力が使い果たされ、夢うつつに違う世界を見ていた意識は引き戻され、私の今生きている世界へと帰還していた。

 

駅に併設されていた、寂れたネットカフェの一室。長い事椅子に座った態勢で固まっていた体はとても凝り固まっており、軽く体を伸ばすと体のそちらこちらからばきばきと音が鳴る。

 

「……どうやら、無事安定したようだな。一時は肝を冷やしたが……もう干渉する手段のない以上、あとは彼らの頑張りに期待するしかあるまい」

 

 私は、私を取り巻く事情により、直接向こうへ干渉することはできない。私がこの身で向こうへ渡ろうとすると、余計なものをこちらに呼び込む恐れが高いからだ。ゆえに、妥協の限界点として数枚、かの者の所持品に頁の切れ端を紛れ込ませ、些細な干渉……一瞬気を引いたり、内面世界への導入を手伝ったり……程度の事しか手助けできなかったが、それも全ての頁を使い切ったことでもはや干渉どころか様子を見ることも叶わない。

 

 ……ふと、自嘲する。なぜそこまで気にかけているのか。私の目的を考えれば、向こうに『彼女』を送り届けた時点で私の目的としては達成済みなのだ。極論、その辺の悪党の慰み者となろうが、それで向こうに種さえ撒けるのであればそれでいいとさえ思っていたはずなのだ。

 

 そもそも、向こうへ送り込む術式には対象の意識をこちらに都合よく書き換える、そんな記述さえ織り込んであった。しかし、かの種族への転生権を得るであろうプレイヤーがほぼ当確となった段階で、その記述は消去してある。他の術式との統合性も考えると、並々ならぬ苦労があると知りつつもだ。

 

 

 

 

 

 

 会社のビルのある場所から電車で駅4つ。そこから歩いて十数分。メモに記された住所へとたどり着く。同じ市の郊外の方にある、閑静な地区のはずれ。つい最近大地主が亡くなった際に手放されたという広い土地にはいくつものフェンスが並んでいる。大型商業施設に、老人介護施設。その他さまざまな建築ラッシュが進む中、その外れにぽつんと普通の民家らしき平屋が存在した。

 

 その入り口は厳重に封鎖されている。その家に住んでいた住人……まだ成人して間もない兄妹は現在世間を騒がせている、百人規模に及ぶ行方不明事件の被害者で、その行方はまだ掴めていない。また、この付近にはもう一人、すぐ近くの剣術道場の息子が行方不明だとのことで、付近の住民には不安が広がっているという。この近隣も、よく見れば、至る所に探し人の張り紙が張られている。

 

 封鎖しているロープを潜る。問題はない。周囲の警備はすでに抱き込み済みで、今この時間は全て出払っている。何故なら、ここに来た目的はこの家で調べることがあったからだ。

 

 

 

 

 プレイヤーの間で『姫様』とあだ名される有名な支援職のプレイヤーがいた。

 

 最初にその名が現れたのは、第一回の公式主催のアバターコンテスト。当初はどうせ企業制作の物が表彰台を占めるはずと専らの評判で、事実、個人製作と企業制作ではその完成度の差は大きく開いていた。そんな中。並居る企業を押しのけて優勝してのけた一人の個人製作のアバター。しかも、当時の制作者の年齢は13歳の年端もいかぬ子供だったという。

 

 弱冠13歳の少女が並居る企業のアバターを上回る作品を作り上げて来る。なるほど、よほどの才があれば可能かもしれない。事実、採用試験の応募書類と合わせて送られてきたモデリングデータは実に素晴らしく、彼女の高い才と研鑽の跡が見受けられた。今すぐにでも即戦力として採用したいくらいであった。

 

 しかし、それはあくまで今だからこそだ。では13歳の少女の初の作品が、それらの同一人物の手で作られた最近の作品ですら霞むほどの可憐さを備えているのはどういうことか。つまり……「元となったモデルが存在する」のではないか?

 

 ……そして、その心当たりはある。だいぶ幼く、また、いくつかの差異はあるものの、記憶の中の人物に、あのアバターはあまりにも似すぎているのだ。

 

 電子的に厳重にロックされたドアのキーをかざす部分に手を添え、数言呟くと、がちゃりと音がしてロックが解除される。ドアを開けると、段差の殆ど存在しない、至る所に捕まり立ち用の手すりの供えられた屋内が目に入ってくる。キッチンとリビングが一つになった広間を中心に、それぞれ隣接した部屋が周囲に備わっている構造のようだ。

 歩を進める。目的の部屋……和室らしき畳張りの部屋に、仏壇が鎮座しているのを見つける。掃除は欠かしてなかったらしく、手入れの行き届いたその仏壇の、しっかりと閉められたドアを開くと……すぐに、それは見つかった。

 

 数年前に事故で亡くなったという、この家に住む彼らの両親の遺影。そこに映っていたのは、紛れもなく探し求めていた『彼女』の姿だった。

 

「……ふ、ふふ、ははは……全て思い通りに動かしているつもりになりながら、よもやこんな近くに探していたものが存在していたと気が付かないとはな……なんと、なんと滑稽なことか……ふはははは!!」

 

 ずっと、探していたのだ。共に飛ばされたはずながら、いつまでも見つからなかった、手の内から滑り落ちていった『宝石』。それが、よもやこのようなすぐ近くに存在していようとは。あまりに拍子抜けするほどあっさりと見つかったそれに、もはや嗤うしかない。目の端から数滴、滴が流れ落ちる。

 髪は、だいぶ短くなった。腰まであった長いその髪は、肩口当たりで清潔に切りそろえられている。しかし、顔は不思議とあまり変わっていない。いつも童顔を気にしていたが、どうやら子供が出来、時が流れてもそれほど変わらなかったようだ。

 

 なるほど。こうしてみれば良く分かる。あのアバター、『イリス』のモデルは間違いなくこの女性……()()()に相違ない。

 

 一緒に備えられていた家族写真のほうも手に取る。そこには親子と思しき4人の姿が収められている。中央に微笑む妹と、それに寄り添い穏やかに笑う人の良さそうな黒髪の日本人男性。その、父親らしき人物のズボンを掴み、人見知りした様子でカメラに目を向けている、妹に似た面影のある、しかしアジア系の顔立ちの5歳くらいの黒髪の少女。そして。

 

 

 

 

 

 「妹」に肩を抱かれ、照れたようにそっぽを向いている……10歳に僅かに満たない程度の、私の妹によく似た面影のある顔立ちの、()()()()()()()()()を持った、一見少女と見紛う容姿をした少年が、その写真の中には佇んでいた――……

 



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小さな看護師さん

 

 「それ」から必死に逃げ惑うも、狭い室内ではたかが知れており、すぐに背中が壁にぶつかります。唯一の退路はじりじりと迫ってくる追手の後ろにしかなく、絶望的な思いが私の心を覆っていきます。もはや下がることもできずにイヤイヤと首を振る私に、追手……兄様が、『それ』を片手ににじり寄ってきます。

 

「ほら、別に良いだろう、そんな露出の多い服でもないんだし」

「それでも、そういうのはやっぱり恥ずかしいです……っ!」

 

 涙目で、兄様の手の内に掲げる『それ』を恐ろしい物のように見ます。

 

「そうか……『これ』が嫌なら、こっちにしようか……」

「何ですかその不自然にスカートの短いの……っ!」

 

 続いて兄様がマジックバッグから取り出したのは、異様にスカート丈の短い……なんですかそれ、そんなんで仕事できるんですか?ちょっと屈んだらパンツが見えちゃいますよねぇ!? というか……

 

「なんでそんなにインベントリに服が入ってるんですか……!」

 

 涙目で、疑問を口にする。そう。この二着だけではありませんでした。先程から、何着も鞄の中から出てきた服はすでに私のベッドの上にうずたかく積もっています……中には、絶対に勘弁してほしい非常に露出の高いものまであったように見受けられましたがっ!?

 

「はは、そんなことか」

 

 何でもないようなことのように、ソール兄様が爽やかに見える笑顔で言います。

 

「私は、イリス用にもう一つ専用のマジックバッグを用意したからな!」

 

 馬鹿だ。馬鹿がいます。お兄様は大馬鹿でした。

 

 そもそも、このマジックバッグというのは、希少なインベントリ容量を手軽に増やせる反面、レイドボスのドロップ品であるため需要に対し供給は著しく小さく、市場に流れて来るのも少ない上に、とても高額で取引されているのです。それなりに廃人と自覚していた私やレイジさんですら一つしか用意できなかったくらいに!

 

「だから、諦めて着るんだ、さぁ。ほら、あの時なんでもって言ったよねぇ?」

 

 若干理性がトんでるとしか思えない様子で迫ってくる兄様。仕方ありません、私も切り札を切らざるを得ないようですね。

 

「私、そういう言い方をしてくる人、嫌いです!!」

「……ぐはっ!?」

 

 効果は劇的でした。『嫌い』。そう言った瞬間、この世の終わりのような顔で膝から崩れ落ちる兄様。ふんだ、いい気味です。

 

「……ごめん、私が悪かった……だけど」

 

 つっと上げたその顔には、まだ希望は消えておらず、びくっと逃げようとします、が。

 

「……レイジ、これでお世話なんてされたら喜ぶだろうなぁ」

 

 その言葉に、ひくりと、私の顔が引きつりました――……

 

 

 

 

 

 

 疲労から部屋に戻る途中で意識を失い、目が覚めたら体が起こせなかった。

 全身を激しい虚脱感が襲い、全ての筋肉という筋肉が熱と痛みを以て責め苛んでくる。過労と、筋肉痛。正直人生でここまでの物は初めてだ。

 

 最初はイリスに治療を頼もうかとも考えたが、こうしたものは自然治癒に任せるべきと思い、心配そうに申し出るイリスにやんわりと断ってこうして大人しく寝ていると、何をしているのか先程からドタバタと激しい音がしていたイリスの部屋から聞こえて来る騒音が、パタリと途絶えた。

 

 静かになって、ようやく落ち着いて目を閉じ数刻。

 

「レイジ、入るぞ」

 

 控えめな呼びかけとノックの音に目が覚め、ドアの方を見ると、今まさにそっとドアを開き二人が入ってくるところだった。ソールのドヤ顔に、その傍らで俯いているイリス……が。

 

「……なんでリ〇ルナースなんだ……!?」

 

 思わずツッコミを入れてしまった。そう、問題はイリスの着ている服だ。ソールからナース服で看病してくれる、と聞いて真っ先に思い浮かんだ現代日本のそれとは全く違う、裾から僅かにフリルの覗く、膝丈くらいの紺色のワンピースに、清潔な白いエプロン、純白のヘッドピースは、薬局でよく見るメンソ〇ータムのマスコットキャラクターの衣装そっくりだ。

 

「ははは、似合うだろう?」

 

 いかにもやり遂げました、という感じの目線を送ってくるソール。

 改めてイリスの方をまじまじと見る。看護師服、となると、やはり仕事着という印象のあるため、小学生……よく言っても中学生並みな体躯のイリスには(可愛いだろうとは思うが)少々浮いている気がしたが、なるほど、これであれば幼くも清楚可憐なイリスであればよく似合っている。

 

 当のイリスは俯き、手を両足の付け根くらいで組んでもじもじと、しかし時折俺の反応を伺い、何か言葉を待つかのように、ちらちら若干涙を浮かべた上目遣いで見上げて来る……くっ、耐えろ俺の理性!

 

「くっ……悔しいが、グッジョブだソール。良く似合ってる。可愛いぞ?」

 

 言ったとたん、ぱあぁ……と顔を上げ、花の咲くような笑顔を浮かべるイリス。一瞬可愛すぎて意識が飛びそうになったが、思いとどまる。

 

 ……やはり、反応が元に比べてかなり女の子らしくなっている。元の柳であれば、「な、何言ってるんですか、馬鹿」みたいなことを言ってきただろうが、今のこの反応は素直に可愛いと褒められ喜ぶ少女そのままだ。こうした細かい部分で、元の演技を通した女の子らしさではなく、あぁ、今は本当に女の子なんだな、と実感させられる。

 

 ……そう、今のイリスの反応は、本当に女の子そのものだ。以前の柳の演技もそうそう元の性別を感じさせるようなものではない非常に完成された物であったが、やはりそこには演技であるがゆえに若干のフィルターが存在していたと、今のイリスを見ていると思う。表情の取り方、細かな仕草、感情の流れ、そういったものが本当に自然なのだ。

 

「それじゃ、私はミリィと今後の相談があるから席を外す。イリス、レイジの看病は任せたよ?」

「あ、はい、まかせてください!」

「ちょ、待っ……」

 

 小さく気合を入れるイリスに、ソールが手をひらひらさせて出ていく。……二人きりとかマジか。

 

「あ、いくら可愛いからって、泣かせるような真似をしたら……ネジ切るぞ?」

「しねぇよ馬鹿野郎!!」

 

 再度ドアを開けて、不穏な事を宣うソールに、怒鳴り返す。イリスは一人、話が解らず首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 耳元の髪を掬って耳にかけ、匙でひと掬い湯気を上げる器の中のどろっとした白い物をすくい、真剣な表情で口を窄めふーふーと冷ますイリス。普段は髪に殆ど隠れている白いうなじが眼前間近で晒され、ふわりと香る甘い匂いと予想外の色香におもわずドキリとする……落ち着け、落ち着け俺。

 

「ふー……ふー……はい、あーん、です」

「お、おう……んぐ」

 

 やべぇ、超恥ずかしい。確か作成時の設定年齢で13歳くらいのまだ幼げな、しかし超のつく美少女に、枕もとで粥をふーふーしてもらって、手ずから食べさせてもらう。世の男子諸兄には呪い殺されそうな非常に羨ましい境遇であろうが、どうしてもこそばゆすぎてぶっきらぼうになってしまう。

 十分に冷ました粥が口内に流れて来、ゆっくりと舌の上で味わう……優しいミルクの甘さが舌の上に広がっていく。

 

「……美味い」

「本当ですか!?」

 

 匙を握りしめ、ぱぁっと輝くような笑顔を見せるイリス。その喜びように、疑問が混じる。

 

「……もしかして、お前が作ったのか?」

「はい、ミランダさんに横で教えてもらいながらですけど……はい、どうぞ」

 

 そういえば、料理を教わってるって言ってたな。再度眼前によく吹いて冷まされた粥が付きつけられ、ぱくりと匙を口に含む。手作りだと思うと、先程よりも何倍も旨く感じるから不思議なものだ。

 

「ん、やっぱ旨いな。よくできてるぜ」

「……ふふ、ありがとうございます」

 

 照れながらも嬉しそうにはにかむ様子に、胸が温かくなる。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 うおぉおおおお!? なんだこれ、この状況! めちゃめちゃ恥ずかしいぞ!? 内心一人悶えながらも、差し出されるままに粥を口にする。

 

「……不謹慎かもしれませんけど」

 

 ぽつりと、そんな中イリスが「あーん」以外で口を開く。

 

「こうして、お世話するのが、なんだか嬉しいです。いつもはされる側でしたので」

「そ、そうか……」

 

 本当に、本当に嬉しそうに言うその様子を、直視できずに目を逸らす。

 

 二人きりになった後のイリスは、実に甲斐甲斐しかった。その一生懸命な様子は微笑ましく、ついつい目で追って眺めているとたまに視線に気が付いたイリスがふわっと微笑んでまた作業に移っていく。……さすがに、体を拭く際に背中だけでなく前まで拭こうとしたときは慌てて止めたが。こういう羞恥心はまだ足りないな……と戦慄しつつも、穏やかな時間が流れ、気が付いたら昼になっていた。

 

 

 

 

 

 

「……レイジさん」

 

 そんな時、ふとイリスの表情が陰り、不安そうな声が俺を呼ぶ。

 

「その、『崩剣アルスレイ』の事なんですけど……」

「……ああ、分かってる」

 

 正直、ここまで負担がかかるとは思っていなかった。なぜならば、装備レベル……この世界ではレベルの概念がないので、俺の実力か。それがまったく足りていないのは明白だった。なんせ、あれは元のゲーム内でもほぼ最上級の装備、転生でレベルの下がった状態でこちらに来た俺が十全に使えるとは思っていない。

 

「……しかし、無理をすればどうにか使えることが分かったのは僥倖だったな、いざというときの切り札には」

「止めてください!!」

 

 突然の怒声に、思わず驚いて言葉を止める。イリスは、目に涙を貯めてこちらを睨みつけていた。

 

「たったあれだけ使って、この状態なんですよ……もし、他に何か副作用でもあったら……」

「……悪かった、そうだな、あれは封印しよう……ごめんな?」

 

 心の底から心配そうに揺れるその目に、俺は、それだけ言うことしかできなかった。

 

 ――だけど、お前がまた窮地に陥ったら、俺は間違いなく、迷いなく抜くだろう。

 

 そう、確信をもって、口には出さずに考えていた。

 



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連行されるようです

 

 ――どうしてこうなったのでしょう。

 

「だぁ、あうー」

 

 私の腕の中で、小さな赤ん坊がご機嫌そうに微笑んでいます。

 ……あ、可愛い。いえいえ。そうではなくて。問題は、何故か町のお母さま方大勢に囲まれて、その方々が腕に抱いた赤ん坊を私が抱かされる順番待ちになっている事です。赤ちゃんは軽いですけど、こう続くとだんだん腕が疲れてきました。

 

「ありがとうございます、おかげでこの子もきっと元気に育ちます!」

「え、えぇと。どういたしまして……?」

 

 貼り付けた笑顔がすごく引きつってる感じがします。あれですか、地方を訪れたアイドルとか、人気のあるまともな政治家とか、こんな感じなのでしょうか。

 

「ありがたや、ありがたや……」

 

 長蛇の列以外にも、周囲にお昼の支度を終え暇を持て余した主婦らしき方々やご老人も集まって、中には結構な人数、手を合わせて拝んでる方も居ます。

 

「あ、あはは……」

「だー」

 

 赤ちゃんの手が、まるで慰めるように私の肩をぽんぽん叩きます。

 

 ……本当に、どうしてこうなったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 ――あの死闘の夜からもう三日。

 

 あのあと一日お休みして……一番疲労の濃かったレイジさんがベッドから起き上がれなかったためでした。

 その時色々着せられてお世話させられまして。いえ、お世話自体はいつものお礼で大歓迎ですし、いつもと逆の立場は楽しかったですけど、ああいうコスプレ? はちょっと恥ずかしいので遠慮させてほしかったです。

 ……まぁ、それは記憶の底に蓋をしておくとして、お休みして、さらに翌日、例のアジトまで行って、案の定発生していた『傷』を何事もなく修復して。その時、行方不明になっていた町の人の遺体……と言っていいものかどうか、酷く荒らされ損壊していた彼らを見つけた事を町長さんに報告したところ、数日中に人を派遣して遺品の回収と葬儀を行うそうですけれど。ちなみに、あの建物はもう使えない、というか使う気も起きないという事で焼かれることが決定しました。

 

 こうして、私を縛り付けていた悪夢のあの場所の件が、今度こそ完全に解決したのを自分の手で確認したことによって、すっかりあの件は私の中で過去に終わったものとなったらしく、大分フラッシュバックの危険も無くなって、今では周囲が同性……女性だけならばこうして顔を出していても何とか大丈夫になりました。

 

 そして、あの戦闘で装備の痛みの激しかった私たちは、一通りの痛んだ装備を町長さんに預け、それが帰ってくるまで出発も鍛錬もできません。修繕してもらっている間、さて何をしよう、という所で町の損壊した場所の復興作業の協力を申し出たのが今日の朝。

 

 ちなみに、レイジさんとソール兄様は、今も復興作業のお手伝い中です。二人とも周囲と一線を画した身体能力をもっているため、とても頼られているようです。ミリィさんは、忌まわしきあのコスプレの日に、色々体の寸法を測った後は自分のあてがわれた部屋から出てきていません。食事とかきちんと摂っているのでしょうか、心配です。

 

 では私はというと。意気揚々と……すみません嘘つきました。戦々恐々と現場に向かった私は、周囲の皆からやんわりと協力を断られました。まぁ小さい瓦礫も持ち上げれませんでしたからね……いえ、全身の力を振り絞って、腕をプルプルさせながらですが一応ちょっと浮きはしたんですよ。立ち上がれなかっただけで。周囲の生暖かい視線がとても痛かったです。

 手伝ってもらうなんて恐れ多い、手ぇ傷付けちゃ申し訳ない、とあれよという間に隅っこに退避……というか邪魔にならないように撤去された私は、たまたま通りがかった主婦の人に捕まりまして。そして気が付いたら町のおばさま方にあれよあれよという間に連れてこられたのがここ、教会前。といっても、小さい町だからかあまり民家と様子は変わらず、集会所とかそういう風情ですけども。

 

 ちなみに余談となるのですが、この地方、北大陸は、知恵と浄化の女神、アイレインの信仰が盛んです。現在の私の種族である光翼族も、遥か昔神代の時代に彼女の遣わした使徒だと言われています。ちなみに東方の諸島連合は精霊信仰、元の世界で言うアニミズム的な信仰が中心で、南方にいくと戦神アーレスの信仰が多くなると言われています。

 

 ……つまり、ここ北方の大陸で種族がバレた場合、私本当に信仰対象にされてしまう可能性高い……?

 

 うん、極力バレないようにしたいですね……

 

 さて、そこの教会では、町の子持ちのママさん方の井戸端会議が行われていました。そして、せっかくの機会でご利益にあやかりたいというお母さま方のたっての頼みによって現在ここで開かれているのが、この参拝会場です。

 

 原因は、先日のあれでしょう。町長さんの話によると、あの時の私の光は遠くで見ていた全ての人の傷まで治してしまっていたらしく、私が治癒術師というのは噂程度に広まっていたようなので、消去法で私の仕業に違いない、と、こうなったようでした。

 町長さんが、恩人が広めて欲しくなさそうにしていると箝口令を敷いてくれましたが、この程度はまぁ許してやってくれと、先程この有様を見て笑って去っていきました。

 

 ……正直、拝まれるとか居た堪れなさ過ぎて全力で勘弁してほしいです。私は元はただの一市民なので、この状況は中々に心に来ます。今すぐにでも逃げたいなぁ。でも、腕の中に人様の子供がいる以上そうもいきません。うぅ……

 

「でも、話には聞いていたけど、本当に綺麗なお嬢さんだねぇ。ねえあんた、弟の嫁に来ない?」

「やめなさいって。こんな綺麗な子、こんな田舎の野暮ったい男なんて似合わないってば!」

 

 違いない、と周囲に上がる笑い声。こうして赤の他人にそう綺麗とか、可愛いとか言われると、その、照れます。血の集まった顔が熱くなってきました。

 

「だいたい、ほら、連れの二人からしてレベル高いしねー。この町の男なんて眼中に入らないんじゃない?」

「あ、思った! クール系美少年と、ワイルド系美青年。どっちも強くて格好いいとか素敵よねぇ。ねぇねぇ、どちらかとお付き合いしてるの!?」

「ぅえ!?」

 

 いけない、ぼーっとしてたら急にこちらに向けられた矛先に、思わずちょっと聞かせられない声が出てしまいました。

 

「どちらと、言われましても……」

「「「ふんふん……!」」」

 

 周囲から一気に高まる圧力。あまりに興味津々な様子に若干引きます。

 

 ……まず、ソール兄様は……除外ですよね。兄妹ですし。あ、でも、この体の血縁関係ってどうなってるのでしょう。機会があったら調べてみたいですね。

 

 では、レイジさんは……

 想像してみます。レイジさんに恋して、告白して、OKを貰って。あちこちデートして、愛し合って、結婚して。いつしかこのお腹の中に新しい命が宿って、その大きくなったお腹を撫でながら、お仕事から帰ってきたレイジさんにおかえりなさいと言って……

 

 …………うーん?

 

「…………ちょっと、考えられないですね」

 

 長考の末、苦笑いして返すと、周囲から一斉に「はぁーーー……」とものすごい溜息を吐かれました。何故ここまで呆れられているのでしょう。うぅ、なんか遺憾です。

 

「可哀想にねぇあの兄さん……」

「まぁ、まだそういうお年頃じゃないと思えばチャンスも……」

 

 なにやら周囲でヒソヒソ言われてます。もう、なんなんでしょう。

 

「ところで、皆はお付き合いしたいとしたらどっち?」

「あ、私ソール様、あの端正な顔で微笑んで優しく声かけられたい!」

「わかるわー。今のところ、この子にしかあの笑顔向けないもんねぇ。でも、普段のクールな顔も捨てがたいわ」

「私はレイジ様のほうかなー。普段ぶっきらぼうでも、恋人になったらすごく優しくなりそう」

 

 恋話が始まってしまいました。ものすごい速度で流れていく会話(ログ)に、あっというまに周囲の流れからぽつんと取り残されてしまいました。

 

「……ママたち、元気ですねー」

 

 すっかり放置されて暇な私。ぼんやり俄に喧騒に包まれた周囲をぼーっと眺めています。ちなみに人気は若干ソール兄様の方が優位でしょうか。

 

「だぁう!」

 

 抱いた赤ん坊が、私のささやかな胸部の膨らみをぺしぺしと叩きます。あ、こーら、そんなところ叩いても私はおっぱい出ませんよ、もう。

 

「もうすぐ飽きて帰ってくるでしょうし、帰ってきたらごはん貰いましょうねー」

 

 ちょっとぐずりかけてますし、お腹空いたのかなぁ。お母さんは話に夢中みたいなので、抱き上げてよしよしとあやします。そういえば、出なくても口に含ませるだけで安心するって何かで言ってましたね。

 

 ……いえ、しませんからね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「温泉?」」」

 

 まだ昼も過ぎて間もない、日も高い明るい頃、レイジさんと兄様と一緒に帰ってきた町長のルドルフさんが、突然言い出した事……「温泉は好きか」という質問に、私たちは思わず声を揃えて疑問を口にしました。

 

「この近場に温泉が湧いている場所があるのです。設備は田舎なりに整ってますし、普段は町民の方が稀に湯治に行くのですが、今は皆それどころでは無いでしょう。夕方まで皆さんだけで使えるようにしておきますので、いかがでしょう?」

 

 なんでも、先日からの労を労いたいということから来た提案でした。非常にありがたい申し出ですが。

 

「それじゃ、レイジさんとソール兄様。行ってらしたらいかがですか? 今日の仕事は肉体労働でしたでしょうし、お疲れでしょう。私のことは構わず行ってらっしゃいませ」

 

 完璧にお姫様スマイルを決めて、優雅に踵を返して宿に引き返します。このまま優雅に立ち去りましょう。

 

「はい、ちょっと待ってねイリス」

 

 その脇の下にすっと手が入り、一瞬ですとんと兄様の腕の中に納まって抱きすくめられていました。周囲の女性からなにやら黄色い声が上がります……あれ?

 

「すみませんお兄様、兄妹とはいえ人目のある所でこれは少々紳士としていかがなものでしょうか?」

 

 顔を引きつらせながらも苦言を呈します。

 

「若い女の子がお風呂を嫌がって逃げるのもどうなのかな?」

「……うっ」

 

 周囲に聞こえない程度の小声でささやかれた内容に喉が詰まります。

 

「……魔法で、除菌や老廃物の浄化はしてますので不潔じゃないですもん」

「それとこれとは別。そろそろ、ちゃんとお風呂の入り方も実践しないと……ねぇ?」

「ひっ!?」

 

 あ、だめです、これ、久々の女の子の授業の激おこ版兄様です。逃れようとしても身体能力でかなうはずもなく、軽々とお姫様抱っこ……に見せかけて、抵抗がきっちり封じられて抱き上げられてしまいます。こっそり見えないように拘束魔法まで使ってやがりますねこの兄様の鬼畜!! 

 

「それに、あの時何でもするって言ったよねぇ?」

「あらお兄様、私あの一連の流れは大嫌いだと、以前申し上げたことがありませんでしたでしょうか?」

「さぁ、何の事かな」

 

  くっ、取り付く島もありません。どれだけお風呂に入らせたいんですかソール兄様。こうなったら、隣のレイジさんに助けを……

 

「あー……まぁ、それならお言葉に甘えさせてもらいます……」

 

 求めれませんでした。若干あきれ顔なレイジさんの顔を横目に、私は内心悲鳴を上げながら、ドナドナの牛よろしく運ばれていくのでした……

 



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温泉に行こう

 

 脱衣所の大きな姿見に、仄かな虹色の燐光を放つ銀髪の、顔を赤く染めた少女が、上着のボタンを数個外しては締め直し、を繰り返していました。

 

 はい、私です。

 

 今は町長さんの紹介の、町の近郊にある温泉の女性用脱衣室に居ます。

 

 兄様に、一度私はきちんと自分の今の姿を直視して現実を受け入れろ、とこちらに叩き込まれてからもう四半刻くらいでしょうか。兄様たちはもうすでに声をかけるのも面倒になったようで、先に体を洗い終えて湯船に浸かっているそうです。先程そう声を掛けられました。

 

 

 ……こうしていても埒があきません。いつかは諦めて通らなければいけなかった道で、とうとうその時が来たのでしょう。いい加減決心しなければなりません。姿見を前に、衣服を上から順に脱いでいきます。

 

 ボタンを外した薄手のローブがすとんと胴を通り抜け床に落ち、続いてサイドのファスナーを下ろしたスカートが床にぱさりと落ちます。上から一つ一つボタンを外していくブラウスの影からちらりと見える、恥ずかしさから桜色に染まった白磁の肌と、桃色の、胸を覆う下着に、見てはいけないものを見たように息が詰まります。しかし、手を止めるわけにもいかず、淡々とこの身を覆う布地を体から取り除いていきます。

 

 ぱさり、ぱさりと軽い布が床に落ちる音が断続的に続き、とうとう残るは腰回りと胸周りを覆う二つの布だけになってしまいました。

 

「う……」

 

 この時点で、すでに逃げ出したいです。鏡に映るのは、白く一切のくすみの無い珠の肌。体毛はとても薄く、まるで筋肉のついているように見えないまだ未成熟な肢体は手足もすらりと長く、細く薄いながら均整がとれており、腰にはなだらかなくびれも存在し、細い腰は少女から女性に向かい始めていることをささやかに主張しています。

 かるく腕周りやお腹周りに触れてみると、まるでマシュマロのように柔らかな健康的な薄い脂肪の弾力と、しっとりした肌理の細かな手触りと、ひんやりとしたやや低めの体温。指を滑らせたどこもがふわふわと柔らかく、まるで現実のものと思えない極上の手触りを指に残しますが、一方で触れられた部分は微かなこそばゆさをもってその触れている体が私の物だと伝えています。この体の皮膚は薄く敏感なようで、少しつーっと表面に指を滑らせると、その場所が僅かにぴくっと跳ねてしまいます。

 

「逃げちゃ駄目、逃げちゃ駄目、逃げちゃ……」

 

 念仏のように唱えながら、最後の二枚の布切れの内の上の方、胸を覆うソレの背後のホックをぷちりと外します。するりと細い肩からそれが抜け落ち、その奥に秘せられたその部位がとうとう姿見にその姿を現してしまいました。

 

「う、わぁ……」

 

 これまでは頑なに自分の目に映ることが無いようにしてきており、ゆえに、転移直後に薄布越しには軽く触れたことはありますが、それっきりでした。

 初めてまじまじと見る、姿見に映ったそこは、確かにまだ未成熟の蕾ながら、それゆえの背徳感を凝縮したような慎ましい可愛らしさを持っていました。直に触れる微かに膨らんだそこは以前同様芯に未成熟ゆえの硬さを残しつつ、直に触れるその表面の手触りは滑らかでほわほわと柔らかく、一度触れればいつまでも触っていたいような極上の感触を手のひらに残しています。先端の僅かに色づいた慎ましやかなその桜色は、見れば思わず愛でたくなりそうな愛らしさをつんと主張しています。

 全体的に淡く、繊細なそれは、思わず手を伸ばしたくなりそうなたたずまいながら、触れたら即散り散りになって消え去ってしまいそうな……ある種、ごく短い期間でのみ輝く氷像のような、儚げな美術品のような風情を醸し出しています。

 

 深呼吸をして、最後の腰回りの布の両サイドに手を掛けます。が、しばらくそこで葛藤に固まってしまいました。これを取り去ってしまえば、後に残るのは一糸まとわず生まれたばかりの姿のこの体。何も誤魔化しも効かないそれを一度目にしてしまえばもう後戻りはできず、これは自分、今の自分なのだと嫌が応にも認めなければいけません。

 

 が、しかし、いつまでも現実から目を逸らし続けるわけにもいかないのもまた事実で、それ故にこのような強硬手段で機会を設けられてしまった以上、兄様はここで逃げることは絶対に許さないでしょうし、次はどんな目に逢うのかと思うと震えも止まりません。目を瞑り、一気に足からその小さな布を抜き去ります。とうとう何一つ身に纏うものがなくなり、頼りなくすーすーとする裸身を、おそるおそる目を開けて確かめます。

 

 

 

 

 

 見ました。ばっちりと。詳細は省きますが、ただ一つ言えるのは、この体が著しく凶悪な変態(ロリコン)殺しだという事でしょうか……正直、ここまでと思っていませんでした。幻想的な危うさを備えたそれに誘導されるように、ふらふらと手が伸び……

 

 

 

 

 

 ――少し、私には刺激が強すぎました。

 

 それどころでは無い状況に陥っていた、以前のおぞましい体験の時にはただ嫌悪感ばかりで何も感じなかったため、完全に甘く見ていました。

 こうして平穏な中、自分の意思で触れたそこ。指先でごく軽く一撫でしただけのはずなのにたったそれだけで膝が砕け、激しい心音と鼓動は鳴りやみません。

 顔に大量の血が集まり酷い熱さを感じます。予想外の衝撃に、思わず堪える間もなく口から漏れ出てしまった恥ずかしい声に、込み上げて来るあまりの羞恥心から、ぺたんと座り込んだ体の、奥のほうが熱くなるような感じがするのはきっと気のせいです。

 

 が、この身を走った感覚は間違いなく自分の体であると嫌が応にも思い知らされました。もう触るのはやめておきます、だって怖いですから。

 

 自身の裸体で温泉に浸かる前からのぼせかけるというのも何やら自己陶酔な感があって自己嫌悪に駆られるのですが、私の記憶の積み重ねは女性経験皆無な男性のものであるため、どうか勘弁してほしい処です。

 

 

 

 

 

 ようやく頭も体も冷え、脱衣所を潜ると、こじんまりとしながら、思っていたのよりもずっと綺麗に整備された丸みを帯びた石を敷き詰めた浴室と、天然岩を組んで作られた浴槽が目に飛び込んできました。

 まだ日の高い空は澄み渡るように青い晴天です。山奥の秘湯を想定していた想像はいい意味で裏切られ、懐かしい元の世界の露天風呂そっくりなその光景に心躍ります。実のところ温泉は好きでした。祖父と祖母が存命の時はよく、一緒にレイジさんの家族も加えて様々な所に湯治に行っていましたので。

 

 この世界は、魔物を始めとした危険な環境により、元の世界程人類の版図は広くはありません。しかし高度に発達した魔道技術により、実のところそれほど劣らないどころか、都市圏となるとむしろ部分的には元の世界を凌駕する技術を備えています。各大陸の中央に鎮座するアクロシティなどは、『完全環境型の積層型閉鎖都市』などというほぼSFの代物です。

 

 そうした恩恵は、こうした末端の半分開拓拠点のような町にすら及んでいます。全ての家とは言いませんが、多少裕福な家になってくると上下水道の設備が完全に整ったものも珍しくはありません。ここも最低限ではありますがそういう場所の一つのようで、もとの世界の銭湯などに比べても不便はなさそうです。

 

 とてとてと、足元が滑らないように細心の注意を払い洗い場へとたどり着き、元の世界で言うシャワーと思しき魔道具の、スイッチの役割を果たしていると思われる石に触れると、手のひらから少々の魔力が吸収された感じがします。これは触れた者の魔力を使用し、内部に組み込まれた装置を使用してお湯を出すという物で、やはり広く普及しているらしいです。石に触れて少しして、ぶしゅ、とシャワーからお湯が……

 

「……ひゃぁ!?」

 

 ……冷たかったです。最初は冷たくてびっくりするのはこちらでも共通でしたか。

 

 すぐに暖かいお湯が出てきたのを手で確認し、スポンジにお湯を含ませます。ボディソープらしきものを少量取り、しばらく泡立てた後、十分に泡立ったそれでそっと体表を優しく擦ります。

 

 ……思えば、こうしてたっぷりのお湯を贅沢に使い体を洗うのは数週間ぶりです。思っていたより気持ちが良く、思わず鼻歌を歌いだしてしまいます。この体だと以前よりキーの高い歌でも問題なくこなせるため、元の体では歌えないような曲も歌えて結構楽しいです。魔法で浄化していた時と衛生面ではさほど差は無いはずですが、こうしていると、擦った部分からまるで疲れが流れていくようでした。

 

「で……お前はなんで、平然とこっちに入って来てるんだよ!?」

 

 ……浴槽に体を沈め、頭だけ出したレイジさんから突っ込まれました。ちなみに、兄様は涼しい顔で半身浴中です。そう、この温泉、混浴でした。入ってすぐは分かりませんでしたが、入り口部分こそ男女で分かれていましたものの、その境界を仕切る壁はすこし奥に行くとすぐに無くなり、自由に行き来できる、『凹』の形をした構造でした。

 

「あ、その……この広いお風呂で向こうに一人は寂しかったので……折角の温泉だったので、前みたいに一緒に入りたかったのですが……ダメ、ですか?」

「だからって、ちょっとは警戒しろよ! その体で男に見られるのは何とも思わねぇのか!?」

 

 その言葉に、顎に指をあて、少し考えます。まぁ、恥ずかしくないわけではないです。流石に前を見られるのは強く抵抗があり、今は洗い場に居るため背中を向けていますが、移動時は大事なところはタオルで隠していましたし。ですが。

 

「以前にレイジさん、『いつも風呂に入れてやってたから裸くらい何度も見ているから気にしない』って言ってましたので、気にしない事にしました」

 

 再び適当な鼻歌を歌いつつ、体を洗うのを再開します。私も早く温泉に浸かりたいのです。

 

「ぁあぁああ!! 言った、確かに言ったさ!! けどよおおおお!!? くっそ! 誰だそんなこと言ったやつ出てきやがれぶん殴ってやる!! 俺か! この野郎!!」

 

 ゴッ、ゴッ、と何か硬い物を岩に打ち付けるような音が背後からします。一体何が起きているのでしょう……

 

「まぁ、おちつけ、レイジ」

「なんでお前は平気なんだよソール!? いつもなら妹の裸を他の奴に曝せるかってキレてるじゃねぇかよお!!」

「その、なんだ。この前頑張ってたお前にご褒美と思ってな」

「拷問の間違いだ、馬鹿野郎!?」

 

 背後から激しい口論のような声が聞こえてきます。

 

「……レイジさん、こちらに居るとお邪魔でしょうか……それなら、すみません向こうに戻ります……」

 

 折角の広いお風呂に一人は寂しいですけど、それでレイジさんが休めないのであれば我が儘は言えません。

 

「ぐっ……邪魔とかそういうのじゃなくだな……お、お前はいいのか、俺だって男だぞ、そんな無防備な姿晒して怖くないのかよ!?」

 

 その言葉に、数度瞼を瞬かせます。確かに、あんなことがあってそれほど時間も経っていないですし、今の女性の体を男性の目に晒すのは何をされるかわからず怖いです、が。

 

「だって、レイジさんの事は信じてますから」

 

 首だけ二人の方に向けて、言います。あ、流石に言っててちょっと照れます。誤魔化すようににこっと微笑みを返します。

 

「……………………」

 

 あら。いつの間にか立ち上がっていたレイジさんが、固まって口をぱくぱくしてます。どうしたのでしょう。顔も真っ赤ですし、逆上せられたのでしょうか。

 

「……もう好きにしてくれ」

 

 レイジさんが、諦めたように明後日の方を向いてお湯に沈みました。

 

「……これは酷い。言われた方は嬉しかろうけど、同時に最大級にデカい釘刺されてるな……」

 

 呆れたような兄様に、私は頭上に疑問符を浮かべることしかできませんでした。

 

 

 

 その後、長い時間をかけ、兄様にも手伝っていただいて長い髪を洗い終わり、纏めてもらった後、ようやく念願のお風呂です。

 

「はふぅ……極楽です……」

 

 濁りの濃い乳白色のお湯を両手に抄ってみます。若干とろりとした粘性のあるお湯はさらさらと優しい肌触りで手を、腕を滑り、脇下をくすぐって湯船に落ちていきます。落ちていくお湯はきらきらと陽光を反射し煌めいて、周囲の雪景色の森と、開放感あふれる青空の下での久々の温かいお風呂は、全身がとろけてしまいそうなほど心地いいです。

 

「あんなに嫌がってたのに、入ってしまうと大丈夫なんだな……」

「いえー……もう、この体のことは諦めもつきましたのでー」

 

 手を組んで頭上に突き出し、んー、と伸びをします。ひとしきり体を伸ばした後、腕は自然とだらんと力が抜け、ぱちゃんと暖かなお湯の中に落ちます。

 全身の力が弛緩し、湯船の縁の岩に背中を預けてぼーっと思考を止めます。実際のところ、変わってしまった女性の体を直視する意気地がなかっただけの事であって、一度見てしまえばもうどうってことありませんでした。

 

 本当に、今までどうして意固地になってたのでしょう、この気持ちよさの方がずっと大事でしたのに。

 

「それにしてもー……おふろに入るのを面倒がるものは大勢いても、おふろに入ったことを後悔する者はほとんどいないって……ほんとうですねぇ……」

「……すっかり蕩けてるな」

「まぁ、『お兄ちゃん』だった頃も大の温泉好きだったからなぁ」

 

 何か言われているようですが、頭に入ってきません。疲れが全身から溶け出し、それを埋めるように代わりに幸福的な何かがこれでもかと染み入ってくるようでした。ふぅ。

 

 

 

「そういえば気になってたんだけど」

「……んぁ、なんだ?」

「なんですー? 兄様ー?」

「私たちの、ゲームの時は表示が無かった部分って、何を基準にこの体に構成されてるんだ?」

「下ネタじゃねーか!?」

 

 そういえば、確かに気になります。他の体の部位と違って、そこはゲームでは作れない部分ですし。

 

「……あ、でもー……レイジさんは向こうの世界のままですよねー……ずっと以前高校生くらいの時にお風呂で自慢されたことありますしー……」

 

 まさかそちらも向こうの体を反映しているのでしょうか。だとすると怪しいのは最初のログイン時の体格認識用のキャリブレーションでしょうか。ですがそうだとすると私とソール兄様は向こうと性別が違っていますが、その辺はどうなんでしょう、とぼんやり考えます。

 

「おい待てイリス、お前いまとんでもない事口走ってたって自覚してるか……? なんの話をしている……?」

「何って……お」

「言わせねぇぞバカヤロウ!! お前今の容姿本当にわかってるんだろうな!?」

 

 はて、私の容姿がなんだと……なんだと……

 

「……はぅあ!?」

 

 心地よさに緩み切り、惚けた頭が急速にはっきりし、ぼん、と音がしそうな勢いで、顔が真っ赤に沸騰しました! あ、ああ、私今、お、おお、お……! って言いそうに、あわわわわ!!

 

「あ、ああああの!! あの時は何を馬鹿なことをって思ってましたが!! その今のレイジさんの体になっても違和感ないって本当にすごかったんですね!!」

「止めろ馬鹿、慌て過ぎで余計取り返しがつかねぇことになってる!! ていうかその顔のその口からそういうの聞きたくねぇぞ!?」

 

 大わらわになっている私たちに、不意に、背後からぽんと肩に手が置かれました。振り向かずにも分るその黒い気配に、茹りかけていた思考が一気に冷え、温泉の中だというのにだらだらと冷や汗が流れ始めます。恐る恐る振り返ると。

 

「さて、何やら聞き捨てならないようなことを言っていたね……?」

 

 魔王がそこに居ました。

 

「……あの、ソール兄様、この手は。それに、顔が怖いです……よ?」

 

 絶対逃がすまいとするように、肩の手に徐々に力が入っていきます。ちょっと痛いくらいです。

 

「なぁイリス、そのキャラ作った時、初ログインはそれぞれ交換せずにしたよね……?」

「え、ええ、はい、まぁ」

 

 最初数日だけはそうでした……ね?

 つまり、兄様、いえ、綾芽が疑ってるのは、先程見てしまった今の私の『ここ』が……

 

「…………よし、見せなさい。確かめさせなさい。イリスの嫌がることはしたくないけど、今回は話が別だ。場合によっては私の尊厳に関わる」

「ひぁ!? ちょ、まっ、たす、たすけっ、レイジさっ……!!」

「……悪い、そうなったソールは俺にはどうしようもねぇわ」

 

 救いを求めて伸ばした手は薄情に叩き落されてしまい、あっさりと抱きかかえられ、岩陰に引きずり込まれた私は、抵抗を悉く封じられ全て見られてしまいました……

 

 うぅ、もうお嫁にいけません……

 



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弱点?

 

 イリスが、ソールに抱えられて視界から消える。

 

 だはぁ、と息をつき、お湯に体を沈め、ようやく岩に背中を預けて力を抜いた。

 

 ――正直、本気でヤバかった。

 

 極力目を外そうとするも、どうしてもその視線がイリスのほうに吸い寄せられていた。それだけ、あの白い幼い体躯は、しかし魔性ともいうべき吸引力を備えていた。

 忘れようにも目に焼き付いている。髪をまとめているため露になった細い首とうなじ。そこから垂れる滴は、そのハリのあるきめ細かな肌に弾かれ球形を保ったまま首筋、肩、そして胸元の微かな膨らみをつーっと滑り落ちていく。湯は結構濃度の高い濁り湯ながら、時折その陰からちらちらと桜色が見えているのだがあいつはまるで気がついた節が無い。

 

 歩いているときもそうだ。本人は隠しているつもりだったようだが、時折長い髪の陰からちらちらと見えるその臀部は控えめながらも可愛らしくぷりっとした弾力を感じさせ、細い太ももの隙間からは……いや、止めよう。

 

 そして、あいつはそのことをまるで理解していない。知識はソール(綾芽ちゃん)に仕込まれたとしても、そして今のあいつは「イリス」という女の子の意識だとしても、その記憶や経験は……今回の事で分かった、今も変わらず柳の物のままなのだ。ゆえに、まるで俺達へ対する警戒心が足りていない。

 

『俺を信じている』

 

 あの言葉が無ければ、下手すれば俺だって理性が吹き飛んで襲っていたかもしれない。しかし俺にはあいつの期待を裏切るという選択肢はない。その一心で、俺は理性の鎖を手放さずにいることに成功した。

 ソールが俺との混浴に何も言わなかったのも、今わざと辱めるようなことをするためにイリスを連れて行ってしまったのも、きっとそのためなのだろう。異性である俺らにもきちんと警戒心を持つように。……まぁ、多分。やべぇ、あいつの今までの所業知ってると自信無ぇ。

 

 ――いや、まぁ、前者はまるっきり不発だったが。まさかあそこまで気にしないとは思わなかった。

 

 本人だけは知らないが、実のところ、この町でのイリスの人気は非常に高い。悪漢に捕まって、酷い心の傷を負いながらも、他の娘の為に駆けずり回って大した謝礼も要求しない治癒術師の少女。普段は男性の居る場ではきっちりフードを被って顔を見せないが、先日の発作の際にその容姿が秀でていることは噂で知れ渡ってしまっている。これまた本人は気が付いていなかったが、今日の復興現場でも、あいつが後ろで見ている、それだけで現場の男たちの張り切りようは物凄かったのだ。そして、気が付いたら女性陣に連れていかれ、その場に居なかった落胆も相応に。優しくかわいい子が後ろで応援してくれている、それだけでやる気などどこまでも湧いてくる。男なんてそんなもんだ。

 

 辺境の開拓の町という事があってか、それともあの善良な町長夫妻の人柄か、あるいはその両方か。この町の人たちは仲間意識が強く、皆そのほとんどが暖かく、これは俺たちにとってとても幸運だった。しかし旅を続けるとなると全てが全てそうというわけではない。イリスの警戒心は幼少の頃の事件のトラウマの延長の物であり、女の子としてのものではない。自分を見る視線には敏感であっても、「自分という可愛い女の子」を見ている視線には鈍感というアンバランスさを抱えている。自分の今の姿が可愛らしい少女だという自覚は流石にあるようだが、ではその可愛らしい自分が男の目にはどう映るのかにはまるで無頓着なのだ。今後は女の子としての危機感を持ってもらわなければいけない。おそらく、今回ばかりはソールも手心を加えるつもりはないのだろう。

 

 

 

 ――お兄様、やめっ、これは流石に恥ずかしいです、前、前はっ!?

 ――残念だけど、今回ばかりは聞いてあげられないな、大丈夫、見せてもらうだけだから。『チェーンバインド』

 ――ひぁ!?う、腕が……!? 

 

 

 

 ……おい何やってんだ。大丈夫、だよな? 目的、忘れてねぇよな? なんか鎖のような金属ががちゃがちゃなる音がするんだけど!?

 

 

「にゃはは。先輩随分お疲れにゃ」

「ああ、本当……ってなんでテメェここに居やがる!?」

 

 何気なく返答した先には、いつの間にか別の人物がのんびりと湯船に浸かっていた。部屋に引きこもっていたはずのミリィ……いや。

 

 『仕立て屋ミリアム』

 

 イリスは知らなかったみたいだが、こんなでも、ゲーム時代はトップクラスの職人の集う有名ギルドのギルマスだ。放浪癖があり、滅多にギルド顔を出さない割に何故か人望厚いおかしなやつ。リアルでもコスプレイヤーだというこの大学の後輩は、趣味が高じてゲームでも服作りに没頭し、自分でも各地を巡りレア素材を集め、気に入ったプレイヤーキャラ、主に可愛い系の奴に自作の装備を押し付けては愛でて去っていく。怪談的な意味で有名と言えば有名なプレイヤー、それがこいつだ。

 

 ゲームの時、プレイヤーはメインの職業以外に、ゲーム中で取得して自由に一つ選択して装着できるサブ職業が存在した。イリスの『プリンセス』やソールの『プリンス』を筆頭に、入手条件が希少で特殊な物も存在したが、その大半は生産系の物であった。こいつの持っている物は裁縫士の上位版、自由に服をデザインし制作できる『ファッションデザイナー』なるものだった。確か全プレイヤーでも数人しかいなかったはずだ。

 

「ひどいにゃ、私一人に働かせて皆は仲良くお風呂なんて。声かけてくれても良かったんじゃないかにゃ」

「そ、それは謝る! が、なんでお前も普通にこっちに来るんだよ、お前は正真正銘100%女だろうが!!」

 

 そう、心は女でも体は男なソールや、柳の経験を抱えているため自覚の薄いイリスとは違う。こいつは元の世界でもこちらの世界でも、どちらでも女だろうが!?

 

「にゃはは、混浴もまた醍醐味、そんなこと言ってたら地方の秘湯巡りなんてできないにゃ。それにほら」

 

 自分の姿を誇示するこいつはイリスと違って裸ではなく、手を広げて見せたのは、水に濡れた薄いワンピースのような服だった。

 

「湯浴み着なんてもの、用意して見たのにゃ」

「……それ、もうちょっと早く披露してもらえなかったですかね、おい?」

 

 ついでにあいつにも一着くれてやってくれれば、ここまで悶々としないで済んだんですがね?

 

「まま、こんなものも用意して見たのにゃ、一杯いっとく?」

 

 そういって湯船の外から引き寄せた物……桶に入った酒のセットまで用意してやがった。満喫する気満々だこいつ。

 そういえば、こちらに来てからはついぞアルコールなど摂取する機会はなく、魅力的な誘いだった。が、昼間から酒、というのに向こうでの常識が忌避感を覚えるが……

 

 

 

 ――あ、あの、そんな顔を近寄せては、い、息がかかってくすぐった、ひゃあ!?

 

 

 

 

「ぐっ!? はぁ……くそ、少しだけな」

 

 少なくとも、飲んでた方が気がまぎれる。ただぼーっとしていると時折嫌でも耳に入ってくる向こうの音声は耳と……に悪すぎる。

 

「そうこないと……ささ、ぐぐいっと!」

 

 とくとくとく、と小気味よい音を上げてお猪口に注がれる日本酒……いや、こちらでは東方諸島酒だったか。僅かに黄色味を帯びた透明色の、なみなみと注がれたそれを一息に煽る。喉にかっと熱が灯り、胃の奥が熱くなる……悪くないな、これ。雪景色の晴れ空の下で温泉に浸かりながらうまい酒。ようやく俺の疲れも抜けていくような感じがする。

 

「……悪かったな、あんな依頼だしちまって。結構無茶だったろ」

「全くにゃ。『今のあいつに着れる、可能な限り性能の良い防具を作ってくれ』なんて。でもまぁ、どうにか納得のいく形にはなったと思ってるにゃ」

「そうか……助かる。いくら払えばいい?」

「にゃはは、水臭いにゃー。イリスちゃんの無事の為なんでしょ、今回はただでやってあげるにゃ」

 

 何とも気前の良い話だ。防具自体に使用する素材のほかに、装備条件を緩和する……この世界では強力な効果を持った装備を実力のない者が着用すると、その力に充てられて酷く「酔う」のだ。それこそ立っていられないほどに。それを緩和し、なおかつ性能を落とさないためには相応の素材と手順が必要となる。いくらこいつでも、ぽんと渡せるような材料費ではないはずだ。

 

 しかし、こいつはあっけらかんと笑い、自分の盃をあおる。盃を空にして空を見上げるその顔は、いつもの飄々としたものではなく、どこか憂いを帯びた真面目なものだ。

 

「……懐いてくれる子が先に死ぬのは、見たくないもの」

「……悪い」

 

 ……そうだった。こいつは過去に妹を亡くしていると綾芽から聞いていた。精神疾患からの、自殺で。こんなことになってしまったが、向こうでは小児専門の心理療法士を目指していたはずだ。コスプレ……服飾の趣味を始めたきっかけも、家でふさぎ込みがちなその子のために、好きだったアニメの服を作ってやったのがのが元だとも。

 

「……本当に、丁度お前が来てくれて助かった」

「ふふん、存分に感謝するがいいにゃ」

 

 真面目な謝礼に照れたのか、やや赤い顔でおどけた調子でふざけた表情が、すぐに真面目なものになる。

 

「……それに、予感がするのよ。きっと、私たちはあの子を失っていけないって。私たち全員の命より、多分あの子一人の方が……」

「価値は重い、か」

 

 言い淀んだ後を継ぐ。何となく、薄々感じていた。あの時の尋常ではなかったあいつ。あれだけ苦戦した相手が、まるで嘘のように容易く……ではないが、屠れるほどの常軌を逸した支援能力。尤も、あの時感じた圧倒的な存在感は現在は鳴りを潜め、今はどこかぽやぽやと天然気味な気の抜けた風情だが。

 しかし、それを抜きにしたとしても、予想通り三次転生職しかこちらに来ていないとすれば、プレイヤー中ではあいつはただ一人の純支援回復職となる。NPCにも居ないことはなかったが、二次スキル全てを収めているあいつに比べるとその能力は大きな開きがあり、その価値は計り知れない。

 

「だから、私は協力を惜しまない。あの子も気に入っちゃったしね」

「すまない……これからは、頼りにさせてもらうぜ、超越者《オーバーロード》、ミリアム」

「にゃはは、そっちの名前はまだ言われなれてなくて照れるにゃ……まぁ任せなさい、剣聖さん」

 

 お互い、まだ今ひとつ呼ばれ慣れていない職名で呼び合い照れ合うと、盃をちん、と軽くぶつけ合い、再びその中身を煽った。

 

 

 

 ――ひっ……あ、あの……そんなとこも……確認するんです……か……? ……んぅ!? やめ……っ そこ、やぁ!?

 

 

 

「――いい加減何やってやがる、こンっの、馬鹿野郎!!!」

 

 なんだかヤバいラインを割りそうになっていそうな岩陰の情事に、いい加減堪忍袋の緒が切れた俺の絶叫が森の中に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひっく、ひっく……もうお嫁にいけません……」

「だからなんで俺の隣に入ってくるんだよ……!」

 

 そう、こいつが戻ってきてお湯の中に入ってきたのは、よりによって並んで酌をしていた俺とミリアムの中間だった。もともとそこのスペースそんな広くねぇぞ、ここ。狭い場所に無理に割り込む物だから、右腕に押し付けられた柔らかくすべすべなこいつの腕の感触を感じ、理性をガリガリとやすり掛けしてくる。しかし、すんすんと泣いている少女を突き放すのも気が引けるため、居た堪れない思いをしつつ好きなようにさせざるを得ない。

 

「あらあら、にゅふふ、意識はしてないけど、結構独占欲はあるのかしらねー」

 

 なんかミリアムが一人で納得して頷いてる。なんだってんだ。

 

「悪かった、本当に、私が悪かったです」

 

 深々と頭を下げるソールに、イリスが、これまた珍しく、顔を真っ赤にして涙の溜まった目できっ! と睨みつける。本当に珍しい。これ、マジで怒ってるな。そそくさと俺とミリアムは酒を退避させる。

 

「……それで、気は済んだのかよ」

「ああ。これはこれでならどこから、っていう疑問が残るけど、少なくとも私達二人は、元の世界の初期登録時の物がそのままついてる説は無しだね」

「まぁ、お前が言うんならそうなんだろうな」

「だって……私、ゲーム始めた時にはもう『生えてた』もの」

「「ぶっ!?」」

 

 俺とイリスがそろって咳き込む。この馬鹿、なんて爆弾落としやがる!

 隣のイリスの細い肩がふるふると震えている。うつむいた表情は見えないが、なんとなく気持ちは察する。

 

「……兄様、それでは、なぜ私はあんなところまで見られたのでしょう……それならば、一目見れば十分でしたよね……納得のいく説明いただけますでしょうか?」

 

 ああ、隣から物凄い負の感情のオーラがゆらりと立ち上がるのを感じる。下手するとこないだの敵を凌駕してるかもしんねぇ。

 

「はは……ごめん、あんまり恥ずかしがる様が可愛かったもんで止まらなくなっちゃって……ほんっと、ごめん!」

 

 あまりにあんまりなその答えに、横から、ぷちん、と血管の切れる音を幻聴した気がした。

 

「ううううううううぅぅぅ……!! 兄様のぉ、馬っ……鹿ああぁ!!」

 

 次の瞬間、目に涙を貯めて激昂したイリスの手で、ソールに向かって大量の水しぶきが巻き上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レイジさん、それ、お酒ですよね。私も欲しいです」

「ダメだ」

 

 上目遣いに告げるその声に、即答する。そういえばこいつ結構酒好きだったな。弱いけど。

 

 ちなみに、先程からイリスは一切ソールの方を見ていない。意識的に無視しているらしく、何を言っても取り付く島の無い様子にソールは少し離れた場所でガチ凹み中だ。ざまぁ。

 

「いいじゃないですか、未成年じゃないですし」

「精神はともかくその体は未成年だろ。駄目だ」

「うー……」

 

 そっぽを向いたイリスの背中に、不自然な白い物がちらりと目に映る。それを見つけたのは本当にたまたま偶然だ。

 

「……おい、イリス、なんか背中に白いミミズ腫れのようなものが……いや」

「ふぇ?」

 

 ミミズ腫れにしては綺麗すぎるし、元の肌の色のように見えるというのは何か違う。少女の柔肌に怯みつつも、まじまじと見つめると……

 

「なぁ、こんな羽根みたいな模様、テクスチャ作成するときに描き込んだか?」

「え? なんですかそれ、知りませんよ……?」

 

 それは、模様だ。羽根のような左右に広がる図形に、周囲を囲む魔法陣みたいな何か。元のイリスの白い肌と変わらない色で、その存在を主張している……そうか、だから肌が上気して赤味を帯びている今になって見えるようになったのか。

 

「何ですかそれ怖い……あの、レイジさん、調べてもらってもいいですか……?」

「まぁ、悪い物だったら大変だからな。ほら、背中こっち向けろ」

 

 得体の知れないものに怯えるこいつに、安請け合いした……してしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひぁああ!?」

 

 背中に、つー、っと指が滑ったとたん、不意打ちの突然の刺激に脳裏が真っ白になり、変な声が抑えることができずに口から叫びとなって漏れてしまいました……何ですか、これ!?

 

「っと、悪い、くすぐったかったか。でもちょっと我慢してくれな、動かれるとちょっと調べらんねぇ……って、なんだこりゃ」

 

 つ……と背中に指が奔るたび、体がびくびくと軽く跳ねます。自分で触れれない場所だから分かりませんでした! こ、これ、ちょっと変です、マズいです!

 

「なぁソール、これ、魔術文字だよな? 複雑すぎて全く読めねぇんだけど」

「どれどれ……ん? いや、これ、もうちょっと古い……体系化される前の、旧魔道文明期のものじゃないか?」

「げ、マジか、あれクッソ難しいんだよな解読」

「……っ、ふぅ……っ 二人とも、ちょ、待って、ゃぁ……っ!」

 

 二人の指が、つ、つつ、と滑るたび、体の中の魔力が乱れる感じがします。私には見えない背中の模様らしきものを指がかすめるたび、さざ波のように体内の魔力が乱れ、全身に刺激がじわりじわりと広がっていきます……なにこれ、感覚がおかしい!?

 

「……っ! ……っ!?」

 

 背中を触れられるたび、体の表面を広がっていく無数の手で撫でまわされるようなこそばゆさ。『私』になって以来鋭敏になった……なりすぎた体内の魔力の循環の感覚が、中枢であるそこに触れられ乱れたその流れが全身の感覚を刺激する様を鋭敏に突きつけてきます。こらえきれず漏れそうになる声を漏らすまいと、指を唇で咥え、強く食いしばることで辛うじて耐えてますが……こ、これっ、まるで我慢のしようが分かりません……っ このままだとやばいです……っ!

 

「……いや、これ、旧魔道文明期の魔術文字でもないぞ、まさか女神アイレインの加護刻印か?」

「マジかよ、それだったら専門家に頼まねぇと、俺らにゃお手上げだろ?」

「ああ……決まった文法のある言語じゃなくて、図形自体で意味を示すものだからな……解釈が多すぎてとても手が……」

 

 議論に集中している二人はこちらの様子に気が付いてくれず、執拗に撫でまわされる背中の刺激に、体内で乱された魔力が思考を削り取っていきます。はじめは表皮だけだったそれは、徐々に体の奥へ奥へと熱を灯しながら浸食して……っ これ、このままっ、だと……っ

 

 先程の脱衣所でのあの感覚が脳裏を過ります。このじわじわとこの体を侵してくる熱の向かう先に思いついて、さーっと血の気が引きます。

 

「やっ、め……っ! こ、このままっ、だとっ、私っ、わたしぃ……っ」

 

 とうとう勝手に開こうとするのををこらえきれず、咥えていた涎でべとべとになった指が口から離れます。どうにか止めてもらおうとしても、何か話そうとすると途端に喉の奥から恥ずかしい声が止まらなくなりそうな予感に、もはや蚊の鳴くような声しか出せず、背後で議論に熱の入った二人の耳には届きません……っ!

 

「あ、あの、も、無理……やめっ……!?」

 

 とうとう、全身の魔力の流れを乱していくさざ波が体の芯、お腹の奥に到達し……その感覚の質が、まるで別物のように激しい熱となって体の奥深くの「そこ」に雪崩れ込んで……そんな、嘘っ!? ただ背中を触られてるだけですよ!? まるで背骨と直通のラインが繋げられたように、きゅう、と全身からお腹の奥に何か収束していくような。すでに限界線を超え、もはや止められない、取り返しのつかないところまで昇ってしまった、そんな感覚に全身が泡立ち……嘘、嘘うそウソ!? やぁ、こんなぁ!?

 

「この……真ん中のこの棒みたいなのは、この前のあの杖か?」

 

 レイジさんの指が、背骨の上を……も、本当、無理、これ以上、はっ……あぁっ!

 

「あー、お二人とも、そろそろやめないとイリスちゃんが大変なことに……あー、手遅れかにゃ」

「へ?」

「は?」

 

 ようやく我に返った二人。しかし、不意を突かれたレイジさんの指が、私の背骨の上の窪みを勢いよく滑り……

 

「――――ふゃあああああぁぁぁぁ!!?」

 

 ここにきて最大級の刺激に、ひときわ大きく、びくんっ!と背中が限界まで跳ね、背中から意志を離れてばさりと勢いよく何かが開く感触も、これまで貯めに貯めこまれ続けたものを吐き出すような全身を震わせる電流と熱に比べれば生易しく――

 

「うわっ!? 悪ぃ、大丈夫――」

 

 そんなレイジさんの声も遠く、不意に力が今度は逆に抜けていき、糸が切れたように全身を弛緩させ、お湯の中へ倒れこんで……私は、意識を手放しました。

 

 

 

 

 

 

 

 暫くして、逆上せて倒れたらしい私がミリィさんの膝枕の上で目覚めた時、二人はそろって土下座で頭を下げていました。

 

「なんっ……どもっ! やめてって、言ったのに……っ!」

「悪かった、本当に気が付かなかったんだ、悪気はなかった!!」

「ごめん、ほんとにっ、ごめんっ!!」

 

 ……ふん、すっごく恥ずかしかったんです、しばらく許してなんてあげないんですよ! もう!!

 

 





 背中触れてるだけですし……?
 羽根持ちの子は背中が弱くあってほしかったんです


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困惑の心

 

「……何で着いて来てるんですか」

 

 復興作業に賑わう町の青空の下、周囲の喧騒とは様子の違う険を帯びた私の声が響きます。きっと、今鏡を見たら、さぞ冷たい目をしているのでしょう。

 

「そりゃ……お前ひとりだけだと何があるか分からないし心配だから」

「……レイジさんと一緒の方が心配なんですけど?」

「ぐっ!?」

 

 

 一緒に居るのがどうしても気まずくて、当てもなしに町に飛び出したというのに、何故かぴたりとレイジさんが着いてきています。私程度の脚ではどれだけ急いでもわずかに離すこともできず、そもそもの歩幅も違いすぎるため、精々がのんびり歩いている、程度の歩き方のレイジさんが余計に腹立たしく無性にイライラします。

 

「何度も言ってるが、悪いとは、その、思ってるさ。まさかあんなことになるなんて思ってなくてな……」

「だからって、あんな、あんな……!」

 

 あの時の事を思い出すと顔が熱くなって、恥ずかしさに目からぽろぽろ涙がこぼれます。それを見てぎょっとうろたえるレイジさんですが、ささくれ立った感情の波は止めることができません。

 

「ほんっとうに! すっごく! 恥ずかしかったんですからね!! あんな、あんな……!! 二人がかりで、もうやめてって何度も言ってるのに、無理矢理……あんな恥ずかしい事!!」

「うわわわ、や、やめろ、その発言はヤバい、誤解される!?」

 

 大声で怒りをあらわに叫ぶ私。感情がまるで制御できません。レイジさんを見るたびにあの時の事を思い出し、あられもない声を散々聴かれてしまった恥ずかしさと、痴態を晒してしまった居た堪れなさに、つい攻撃的な態度になってしまっています。

 

 ……本当は、レイジさんに非はないと本心では思っているんです。

 

 背中にあるらしい模様を調べてほしいと頼んだのは私ですし、レイジさんも、まさか背中を触っているだけで私が……えぇと、あんなふうになるだなんて思ってはいなかったでしょうし。

 ですが、あのような失態を目の前で起こしてしまった事は拭えずに、ついこうして可愛くない態度を取ってしまっているという自覚はありますし、それを許してくれているレイジさんに甘えている事について自己嫌悪も感じています……

 

 しかし、何故かどうしても……あの事が恥ずかしくて目を合わせられず、素直に水に流して謝ることができずにこうして一日経過してしまいました。一体どうしてしまったのか、考えても全く分かりません。

 

 ……ソール兄様? 知りません、勝手に凹んで少しは反省すればいいんですよ、もう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、行商人がやって来たそうだね」

「ああ、それで子供たちが飛び出していったのかい」

 

 

 ついまた心にもなく辛く当たってしまったことに意気消沈し、あてもなくぶらぶらと歩いていると、何気なしに向けた街の人たちの会話に、そんな言葉が耳に入りました。

 

「……行商人か。今後の行き先の予定を立てるために話を聞くのも悪くない、か?」

 

 レイジさんも聞きつけたようです。どうやら興味もあるらしく……これは、仲直りのチャンスかもしれません。

 

「……あの、レイジさん」

 

 あぁ、きっと私は今拗ねた子供のような顔をしています。本当に嫌になります。

 

「ん? どうした?」

「……その、商人の方がどういったものを取り扱っているのか、見て、みたいの、です、が……」

 

 そこまで絞り出しながらもやがてぱくぱくと口を開閉させるだけで喉が無意味に震え、続きを中々口にできず、何故か素直になれません、どうしても目を逸らしてしまいます……が、これを逃したら次はいつ機会があるか。目をぎゅっと瞑って、数回すぅ、はぁと深呼吸し、震える声を叱咤して力いっぱい告げます。

 

「……付き合ってくれたら、今回の事は水に流してあげます!!」

「……うぇえ!? な、ななな!?」

 

 ……あれ? 何か間違えた気がします。うろたえている目の前のレイジさんの様子に、私ははて、と首を傾げるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、まぁそうだろうよ、知ってた知ってた」

 

 なにやら向こうでレイジさんが投げやりにぼやいてますが、私は目の前の小物類に夢中でした。町の広場に所狭しと広げられた、行商人達が広げている様々な商品たちの中の、元の世界ではあまり見かけなくなってきた、手仕事らしき一個一個少しずつ違う小物たちは目に楽しく、見たことのない素材もいくつかあります。

 

 ……以前はこういった小物にはあまり興味はなかったのですが、今はこうして眺めているだけでも何故か楽しいです。そういえば、味覚も変わってきた気がします。以前に比べて甘いものをよく摂りたくなるような……。逆に、辛い物と苦い物が苦手になりつつありました。ちょっと不安になってこっそりお腹周りを軽くつまんでみます……うん、ぷにぷにになったりはしてない……はずです。

 

 

 

 

 

 

 そうして、その商品の中の一個を手に取ったその時でした。何気なく手に取った、かすかに虹色のような輝きを帯びた青暗色の花の形をしたブローチ。見た目はとても綺麗ですが、それ以上になにか引っ掛かりを覚えて何気なく手に取った瞬間。

 

「……あ、れ?」

 

 視界が、ぐらりと傾き風景が流れ……いえ、これは、私が……

 

「危ねぇ!?」

 

 とさっと軽い衝撃を感じた次の瞬間、誰かに抱き留められました。突然目の前一面に広がる青空と、レイジさんの心配そうに見下ろす顔に、目を瞬かせます……一体、何が。

 

「どうした、どこか具合悪いのか? いきなり倒れてどうした?」

 

 心配そうな気遣わし気な声に、ようやく私の今の状態を把握します。そう――

 

「……私、倒れた……んですか?」

 

 身を縮ませて、小さくなってレイジさんに抱きかかえられていました。

 逞しい胸板と腕が、私一人の体重をまるでびくともせずに支えており、服越しでも分かるその力強さを、気遣わしげに抱き包まれた全身で感じます。

 

「……っ」

 

 あれ……なんだか心臓が少しバクバクと跳ねています……変、ですね?

 

「ああ、突然。どうした、どこかおかしいか?」

 

 そのレイジさんは、心配げに私の方を見るだけでどうやら気が付かれていないらしく、ホッとします。……何故私はホッとしているのでしょう?

 

「いえ、特には……あ」

「どうした!?」

「足が……動きません。これは、強化魔法が……切れてる、みたいです」

 

 正確には動かないわけではないですが、強化魔法が突然切れたことによる落差でそう錯覚していたみたいです。急激に落ちた脚の力では体重を支えることができず、こうして倒れた……と。

 

「……そうか、それならまぁ、大丈夫か。珍しいな、お前が効果時間を読み違えるの」

 

 そんなはずはありません。日常生活用と割り切り、効果を絞って持続時間に振り込んだそれは、本来なら三時間は持つはずでした。たかだか部屋を飛び出して数十分程度の今切れるなんてことは。

 

「つい先程部屋を出る際にかけたばかりの筈なのですが……いえ、今掛け直しますね。『フィジカル・エンハンス』」

 

 初級魔法故の数節の短い、使い慣れた詠唱を完了すると、いつものように私の体が一瞬ほの明るい魔法の光に包まれ……ませんでした。

 

 ――え? まるで……手ごたえを感じません……?

 

「あ……れ? 『フィジカル・エンハンス』……『フィジカル・エンハンス』!!」

 

 徐々に、声に焦りを帯びていきます。何度試しても、うんともすんとも言いません、そんな、今までこちらの世界で普通に暮らしていたのはこの魔法のおかげなのに、このままじゃ旅なんて……顔から血の気が引いていき、焦りの感情が、じわりと胸を浸食していきます。

 

 焦って何度も魔法を唱えている私に、背後から申し訳なさげな声がかかりました。

 

「あー、お客さん……多分、魔法が使えないのは、そのブローチのせいだと……思います」

「へ? あ、ああ、これですか」

 

 そういえば、商品を眺めていて手に取ったままでした。試しに、店主さんに返却してもう一度試したところ、今度は特に何事もなく使用でき、ほっと胸を撫でおろします。

 

「すみません……ご迷惑をおかけしました」

「いやいや、お嬢さんに怪我が無くて良かった。すみませんね、説明が遅れまして。普段から魔法や魔道具を生活の上で使用している方には注意しなければいけないのですが、よもやこのように都市から離れた場所に居られるとは思っておらず……」

 

 『魔消石』。それがこのブローチの素材の名称だそうです。近年新たに発見され、ここから程近く、都市部へと続く道の途中にある村のそばでも最近採れるようになったという、周囲の魔法をある程度打ち消す石。特に魔法大国を有するこの北大陸では、犯罪へと使用されることも考えられるため、一定量以上の取り扱いには国の発行する免許が必要な素材らしいです。それで、商人さんは申し訳なさそうにしていたのですか。取り扱う上で説明の義務もあるのだそうです。そしてこの魔消石は、主に、魔法に対する護身用のお守りとして用いられるのだとか。ですが最近、加工することで魔道具の素材としての活用法に注目され研究が進められており、採取できる場所においては特需に沸いているのだそうです。脆いため拘束具などの原料とはならないらしく、その点ではひとまずは一安心ですが、これは……

 

「あの、レイジさん、これはゲームの時は無かった……ですよね?」

「ああ、もしかしたらミリアムあたりは知ってるのかもしれないが……少なくとも、俺は聞いたことがないな」

 

 こそこそと話す私たち。あまりにも都合よく目の前に現れた、ゲームの時には存在しなかったと思われるつい最近発見された素材。

 

「……なんだか、嫌な予感がします」

 

 今は特に疑問もなく日用品にまで使われているみたいですが……何がどうとははっきりと言えませんが、どこかキナ臭い物を感じずにはいれませんでした。

 

 

 

 

 

「あー、それで、お客さん、お熱いのは結構なのですが……そろそろ、独り身には毒でして、続きはまた別のところでお願いできませんかね……?」

「はい?」

「へ?」

 

 思わぬ事を言われて周囲を見回すと……あれ、なんだか注目を浴びてます。中にはこちらを見て微笑ましい物を見る目でひそひそ話すもの、黄色い声を上げている女性……あ。

 

「ごごご、ごめんなさいレイジさん!?」

「い、いや、俺こそ悪かった!」

 

 未だに腕に抱き抱えられたままでした。ぺたんとレイジさんの腕から降り、地面に座りなおす私と、ぱっと離れるレイジさん。私は、熱くなった顔を周囲の視線からシャットアウトするようにフードの端をつまんで下ろしていることしかできませんでした。

 

「……?」

 

 とくんと、一つ大きく心臓が跳ねます。……やっぱり、私、どこかおかしくなったのかもしれません……。

 悪い病気でなければいいのですが。

 



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思わぬ苦戦

 

 それは、普段と変わらない平和からの突然の出来事でした。

 

 ミリィさん……正確には、ミリアムさんらしいですが。の仕事が終わるまで、暇を持て余した私たちは、森へ町で必要となる薬草を集めに来ていました。そんな時、「ゲームの時には」このあたりには出没しなかったはずの、小さな者たちから突然の襲撃を受けたのでした。

 

 

 

 

 

「悪ぃ、一匹そっち行った!」

「レイジ、下がれ、突出しすぎだ!!」

「だけど、奥の弓をやらねぇと!!」

「それでも一度下がってください、『プロテクション』効果時間限界です、戻って!!」

「……チッ!」

 

 ……不意打ちから始まった戦闘開始からしばらく。私たちの抱える『ある欠点』が、全ての歯車を狂わせている。そのような嫌な感じが積み重なり、私たちの中に焦りが募っていきます。

 

 それは、緑色の肌をした、人間の子供程度の体躯の、しわくちゃな顔と長い鼻……そう、ファンタジーでお馴染みである、ゴブリン……の集団でした。

 

 ゲームではやられ役となることが多い彼らですが、こうして相対すると確かな知性を持ち、互いに連携し弱点を補い合い、数の利を生かして状況に合わせて対処を変えて来る、非常に厄介な存在だと思い知ります。が、それでも……。

 

 奇しくもここは林の中に入り込んでしまって居るため、レイジさんの武器である大剣はその性能を十分に発揮できません。小さく素早い標的を相手に、斬撃の線による攻撃は著しく制限され、刺突による点での攻撃を求められる場面が多く、四苦八苦している様子です。

 

 ソール兄様の方は小回りが利きますが、それでも周囲を障害物に囲まれたこの場では全周囲の全てに気を張らねばならず、どうやらメインターゲットとなっているらしい私から離れる訳にはいかないため、攻めあぐねています。不用意に接近してきた数匹は即座に対処しているのですが、それで警戒され、向こうの戦法は粗末な弓矢や投石によるものに変化しています。それでも、隙を見せた相手に鎖や雷撃を浴びせじりじりと戦力を削ってはいるのですが、中々数の差を覆すほどには至りません。

 

「イリス、上だ!」

 

 レイジさんの叫びに、咄嗟に上方に手を掲げ、あてずっぽうで『ソリッド・レイ』を展開します。直後、手にびりびりとした振動とともに、力場が頭上、おそらく木の上から降ってきたゴブリンの棍棒を受け止め、一匹が弾かれながらも素早く距離を取ろうとします、が。

 

「逃がすか!」

 

 即座に巻き付いた、ソール兄様の『チェーンバインド』に足を取られ、地面へと叩きつけられます。衝撃により動きを止めたゴブリンに、ソール兄様が即座に追撃に入ろうとしますが……

 

「……くっ!」

 

 一瞬、その剣先がブレます。

 

 ……またです。先程から、レイジさんもソール兄様も、その動きに精彩を欠いているのが目立ちます。躊躇いで固まったその隙に、別のゴブリンが倒れたものを回収しようと引きずっていくのが見えます。

 

「くっ、『ディバイン・スピア』!!」

 

 その背中に、私の放った二条の槍が突き立ち、その二匹は昏倒します。すぐさまレイジさんが倒れた相手に止めを刺そうとしますが、その直前で剣先が鈍り、割り込んだ別のゴブリンにより弾かれてしまいます……またです。

 

「兄様、レイジさん、撤退します!目を守ってください!」

 

 敵の数を削れない以上、長引くだけ不利。『ワイドプロテクション』はリキャストが完了しておりまだ余裕がありますが、間に合わなくなってからでは手遅れです。それだけ告げると、私は二人がきちんと対処してると信じて詠唱を始めます。二秒程度で詠唱を完成させたそれを、全力で解き放ちます。

 

「『ピュニティプライト』!!」

 

 瞬間、目を焼く閃光が周囲の空間を埋め尽くし、突然の光に立ち尽くすゴブリンたちを置き去りに、私と、私を抱えた二人は、戦線を離脱したのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴブリンの群れ、ですか」

 

 町へ戻った私たちは、真っ先に町長さんへと先ほどの出来事を報告します。

 

「はい……それなりの、数で、準備不足もあって、撤退してきたのですが」

 

 たどたどしく、私が出来事の報告をします……ソール兄様もレイジさんも、先程の失態が堪えているらしく、所在なさげに佇んでいます。消去法で、私が報告を行うことになってしまいました。

 

「……彼らが積極的に人を襲ったとなると、相当数の群れの存在が考えられますか」

 

 顎に手を当て、眉間にしわを寄せて難しい顔で悩む町長さん。そう、彼らゴブリンは基本的に大人しく臆病で、少数で人を襲うことは殆どありません。しかし、相応の数が集まると狂暴化し、住人の大きな脅威へと変化します。食料を奪い、女性を攫い、その残虐性は恐るべきものとなります。

 

「確かに、それは由々しき事態です……が。ああ、すみません、先に言っておきますと、無理に討伐して来いというわけではありません。貴方がたの実力を知っているからこそ、僭越ながら申し上げますが、貴方がたであればそれでも対処可能だったのではないでしょうか?」

 

 その言葉に、二人が気まずげに目を逸らします。

 ……そう、たとえ不意打ちであろうと、地の利が向こうにあろうと、数が遥かに多かろうと、正直なところあの程度では二人の脅威となりえるはずが無いのです。が、結果はこの通り、隙をついて逃げ帰ってまいりました。

 

「……まぁ、貴方がたにも事情はおありでしょうし、下心ではないことは信用しております。商団の護衛の方々にも相談してみますので、よろしければまた後日、ご協力お願いできますでしょうか?」

「それは、はい、勿論……いいですよね?」

「ああ……大丈夫、今度はちゃんとやる」

「異論は無い……です。すみませんでした」

「いえいえ……私も、戦闘力だけを見て、貴方がたがまだお若い、という事を失念しておりました。申し訳ありません」

 

 ……やはり、見抜かれていましたか。

 

 

 今回の苦戦の原因は……つまるところ、「殺す事への忌避感」に他なりません。

 ゲームの時は、攻撃が当たれば血の出る「エフェクト」が発生し、攻撃によっては部位損傷「エフェクト」が発生し手足がどこかへ飛んでいくこともありました。が、それはあくまで演出でしかありませんでした。

 この世界は違う、死亡したら宙に溶けるように消えることはなく、相手を斬れば本物の血が流れ、千切れた手足は周囲に散乱し、光を失った濁った眼はこちらを責め苛み、乱戦の跡は血と脂の匂いの漂う血みどろの光景が広がります。

 

 今までは、害獣退治がメインだったらしく、それほど抵抗は無かったのでしょうが、平和な日本で暮らしていた現代っ子である私たちは、通常そういったことに不慣れなのは当然の事で……今回、相手が人間の子供のような体格の亜人……ゴブリンが相手だったことで、問題が露呈してしまった形となりました。

 

 

 

 血臭がこびりついて取れないような錯覚の中、湧かない食欲で無理やり胃に食物を収め、いつもより長い入浴時間を取った私たちは、皆無言のままそれぞれの部屋に戻りました。眠気は中々訪れませんが、それでもぼんやりと宙を眺めているうちに、いつしか意識は薄れ、うとうとと――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その物音に気が付いたのは、偶然でした。細心の注意を払って音を抑えた、鍵穴に鍵を差し込み、がちゃりと開ける音に、目を覚まします。誰かが私の部屋のドアを僅かに開けて、足音を殺して侵入してきます。鍵を管理しているミランダさんが変な相手に合鍵を渡すとも思えませんし、だとすれば物取りか、あるいは渡しても問題の無い……

 

「……ソール兄様?」

 

 その問いに、侵入してきた物はびくりと体を竦ませます。……違いますね、これは。

 

「……綾芽、ですね?」

「……っ」

 

 窓から差し込む月明かりに照らされたその顔が、今にも泣きだしそうに歪みます。そういえば、昔から何か辛いことがあると、私……いえ、『僕』のベッドに潜りこんできましたっけ。綾芽が高校に入学して以降は無くなったのですが……。

 

「ふふ、久々に、一緒のベッドで寝ましょうか」

 

 掛け布団の端をめくり、私が促すと、おそるおそる、といった様子で近寄ってきました。

 

「……ごめん、今回だけ、だから」

「遠慮なんてしないでいいですよ……はい、どうぞ?」

 

 脇に寄って開けたベッドのスペースに、今やすっかり体格が逆転してしまった、温かい体温が滑り込んできました。

 

 ベッドに入ったものの、お互い何も話さず、今では私は失ってしまった、ふわふわとしたソール兄様の羽根の感触を懐かしく感じながら、ただ背の体温だけを感じながら時が流れていきます。

 

「……怖い夢でも、見ましたか?」

 

 背中合わせになって触れた背中越しに、びくっと震えたのが分かります。

 

「……そんな子供じゃないし」

 

 拗ねた口調に、苦笑します。何事もそつなくこなす綾芽ですが、何故か嘘はあまり上手ではないのです。体を反転させると、こちらを向くように、優しく聞こえるように、しかし断固とした意志を込めて促します。やがて、諦めたように、しぶしぶとこちらに向き直りました。

 

「話して? すっかり体は縮んでしまいましたけど、以前のように胸を貸すくらいはできますから、ね?」

 

 その言葉に、じわりと『ソール』の端正な顔に、涙が滲みます。それを、優しく、胸へ掻き抱きます。

 

 

 

 ……しばらく、そのまま無言の時間が流れました。服の胸の部分がじわじわと温かい物に濡れていく感触と、お腹に呼吸の熱を感じながら、そのままじっと待っていると、やがて、ぽつぽつと、あきらめたように話し始めます。

 

「……人を、殺したの。一杯。この世界に来てすぐに」

 

 話し始めたのはやはりあの時の……『僕』が捕まっていた時の話でした。その時私は意識はありませんでしたが、何があったのかは聞いています。

 

「お兄ちゃんが危ないと思って、カッとなって。気が付いたら止まらなかった。一杯、一杯、倒れていて抵抗できない人も、逃げ出して背を向けた人も。なのに……」

 

 ――気が付いてあげれませんでした。いえ、薄々は気が付いていたのかもしれません。しかし、どこかで私は、それは二人の問題で、自分で乗り越えるべきものと他人事に思っていたのでしょうか。

 

「そんな、人を一杯殺したのに、人間みたいだからゴブリンは駄目って、今更、おかしいよね……っ!?」

 

 ――私は、私達の中で一人、この手を汚しておりません。そんな中で……私に、どんな慰めを言えるのでしょうか。綺麗ごとの言葉は脳裏を滑り、口から出るより前に喉のあたりを通過できずに消えていきます。ただ一つ、消えなかったこの言葉以外は。

 

「それでも……それでも、二人が戦ってくれたおかげで、また会えました。ありがとう、綾芽」

 

 ――それだけは、否定しないでほしい。私は、二人に助けられ、守られて今、こうしてここに居るのだから。

 

 

 

 

 

 

 以降、言葉はありませんでした。ただ、月明かりに照らされる中、控えめな嗚咽が微かに漏れるばかりで、だから、ただ、私はその頭を抱いて、眠りに落ちるまでそっと撫で続けることしかできませんでした。

 

 

 

 

 

 ……強く、なりたいです。敵を打ち倒す力ではなくても、誰かを、支えあげてあげれるように。

 

 窓から差し込む月明かりをぼんやりと眺めつつ、私はそう、思っていました。



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新しい出会い

 

「これは……随分人が多いな、大丈夫か、イリス?」

「なん……とか……」

 

 いつもは私達と、時折外食に訪れる村の人しかいなかった食堂が、大勢の人……それも、何かしら戦闘に携わる職業であると一目でわかる剣呑な雰囲気を纏った男性で混み合う様に、先程から血の気が引いている感じがします。人数の関係で宿は商人たちに譲り、自発的に外に天幕を張って寝泊まりしているという、商隊の護衛として来た傭兵団の方々らしいですが……

 

 ちなみに、ソール兄様はまだ先日の件を引きずっており、黙って後ろを着いて来ています。朝起きたら二人で同じ寝台で寝ていたという事で何か言われるかと思いましたが、レイジさんはその様子に察したようで、ただぽんぽんと頭を数回撫でて来ただけでした……多分、褒められたのでしょうか。

 

 どうにか食堂の隅に三人分の空きスペースを見つけ、集団から多少離れた場所に席について、私たちも食事を注文しました。しかし、食堂内にひしめき合う人数と、時折こちらに向く視線、柄の悪い声に嫌が応にも『あの時』を思い出してしまい、スープも喉を通らず、数度口を付けた以来いまだぐるぐるかき回しているだけです。

 

 

 

 

 

 

「しっかしよぉ、折角町について休めると思ったってのに、今度はゴブ退治だぁ? どこのどいつだろうなぁ、ゴブ程度をちゃんと片付けてくれなかったのは!」

 

 あまりにもわざとらしい大声に、ぴくり、と一瞬二人の手が止まります。その声の方に恐る恐る視線を向けると、数人の男性が、ニヤニヤとこちらを眺めていました。ぞわっと肌が泡立ちます。その視線が、まるであの時のあいつらのように見えて……

 

「……あいつらじゃない、忘れろ」

「……はい」

 

 そっと手に触れたレイジさんの手の温かさと呟きに、何かが開いてしまいそうだった思考がすっと平常を取り戻します。そう、あれはもう終わったのです。自分で全部最後まで見届けたのですから。

 

 ぎゃはは、と耳障りな下品な笑い声が聞こえますが、無視です。

 

 そんな私たちの様子に何が癪に障ったのか、つかつかと歩いてきた男性が、ばっと私のフードを取り払ってしまいました。

 

「……っ」

 

 ずれたフードから露になってしまった顔に、息が詰まります。周囲から囃し立てる声に泣きそうになりますが、ぐっとこらえます。レイジさんとソール兄様から剣呑な気配が立ち上りましたが、大丈夫、と目で制します。店で争いを起して迷惑をかけるのは本意ではありません、しばらく無視してやり過ごせば……

 

 

「ひゅう、何でこんな辺境くんだりまでと思ったが、すげぇかわいい子も居るじゃん。まぁちっと子供っぽいかもしれねぇけど」

 

 一言余計です。そんな態度で本当にひっかかる女の子が居ると思っているのでしょうか。いえ、そもそも同意を得る気など端から無いのでしょう。

 

「しかも腕のいい治癒術師だって? なぁ、正体不明の魔物から町を救っただとか知らねぇけどさぁ、こんな装備だけは立派な腰抜けな若造なんか見限って俺らのところに来ねぇ? 良い思いさせてやるぜ、色々と、なぁ」

 

 ぺらぺらと勝手なことを宣う男に、カチン、と、自分でも驚くほどその言葉が癪に障りました。あまりの腹立たしさに、恐怖とはまた別のものが体を震わせ、無意味にスープをかき混ぜていた匙がカランと食器とぶつかる音がします。

 

「……取り消してください」

「あァ?」

 

 気が付いたら、先程二人を制止したばかりだというのに、その私から抗議を口に出してしまっていました。傍らで二人の慌てた気配を感じますが、ここまでの流れで相当ストレスの溜まっていたらしい私の口は、一度吐き出し始めてしまうともはや歯止めが効きませんでした。

 

「……っ……今の、言葉を、取り消してください……っ!!」

 

 私の症状は、多少マシになったと言え、克服したわけではありません。眼前で見下ろすように凄まれて、今にも膝が崩れそうなほど震えます。だけど……感情が昂ぶって、恐怖より怒りで涙が滲みます。

 許せない……傷ついて、それでも戦ってくれた二人を。昨夜の、そのせいで震え、涙している綾芽の姿を。知っている以上、ただ見下したいがためにこんな卑劣な責め方をしてくる彼らなんかに、そんなことを言われるのは!!

 

 

「……二人は、ずっと、どんな時も、私をいつだって助けてくれました! 貴方達みたいな品性下劣な人に誹謗中傷される謂れはどこにもありません!!」

「……こっ、のっアマぁ!」

 

 言ってしまいました。激昂した男にぐいっと襟首が掴まれて足が浮き上がり、みるみる全身を支配していく恐怖心に腰から下の感触がすぅっと消えていく、久々の感覚。振りかぶった男の腕に、せめて頭を庇うように反射的に腕で抱え、次に来るであろう衝撃に備えぎゅっと目を瞑り……

 

 5秒……10秒……衝撃は、ありませんでした。恐る恐る目を開けると、その男の振りかぶった手は、いつの間にか背後に回ったソール兄様の手で押さえられていました。然程力を入れているようには見えませんがその手はびくともせず、ただ男の「クソッ、離せ!?」という声だけが食堂に響きます。

 そうこうしているうちに、私の体はあっさりとレイジさんの手によって奪い返され、その大きな体に包まれた安堵からようやく恐怖から来る震えがきます。

 

「……私たちが中傷されるのは構わないさ、君の言ったことはおおむね事実なんだから、粛々と受け止めようとも。さぁ、なんとでも言うがいい」

 

 そう言いながら私に背を向けるように体の向きを男と入れ替えると、次の瞬間、ドン! と凄まじい音を上げて男の体がテーブルに叩き付けられます。げほげほと、肺の空気を瞬時に吐き出させられ咳き込む男が落ち着くのを待って、兄様が言葉を続けます。

 

「だけど、イリスに危害を加えることだけは絶対に許さない」

 

 私の方からはその顔は見えませんが、そのいっそ冷静さすら感じる低い声に、押さえつけられた男は真っ青な顔でガクガクと首を縦に振り始めました。

 

 

 

 

 

「おぅ、何の騒ぎだこりゃ」

「だ、団長!?」

 

 騒然とし、一部が武器に手を掛けようとする剣呑な空気の中、呑気とも言える風情で来店してくる方が居ました。濃い茶髪をオールバックにまとめ、筋骨隆々としたその体は無数の傷跡に覆われた、一目で古強者と分かる覇気を内に宿したその人物。レイジさんが、胸に抱かれている私にしか聞こえないほど小さく「あいつ、できるな……」と呟いたので、おそらく相当なのでしょう。

 

 その彼の視点が一瞬、レイジさんに抱きかかえられている私の方で止まり、びくりと体が跳ねます。しかしその目は厳つい見た目とは裏腹に理知的な光を湛えており、にかっと男臭くもどこか人懐っこい笑顔を向けられたことで、やがてすっと警戒が抜けていきます……どうみても強面の大男なのですが、どこか安心する空気を持った不思議な人です。

 

 そんな私の様子を見届けたその男性は、再び厳しい顔で周囲の傭兵たちを睥睨します。

 

「んだこりゃ……おい新入りども、まさかとは思うがそっちの堅気の女の子に手ぇ出そうとなんてしてねぇよな……?」

「そ、それは、ちょっと脅かしてやろうと思っただけで……」

 

 しどろもどろになって弁明をしようとする男たちですが、状況を見れば一目瞭然なため、その声は弱々しい物です。

 

「はぁぁぁぁああああ……」

 大きく、とても大きくため息をついて上げられた目には、レイジさんの腕の中という安心できるここに居ても、それが自分に向けられているものでなかったとしても尚すうっと底冷えのするような怒気を帯びていました。

 

「……いいか、俺ら傭兵なんてのは評判が命なんだ、特に俺ら新参なんざ悪い噂が立っちまえばおまんまの食い上げなんだよ……分かったらとっとと嬢ちゃん達に謝れテメェらぁ!!」

「ひぃ!? すいませんっした!!」

「ほんのいたずら心だったんだ! この通りだ!」

 

 彼の一喝で、その場の方々が真っ青になって一斉に土下座せんばかりの勢いで頭を下げ、みるみる散らかった店内が彼らの手で片付けられていくのを、私たち(とキッチンに避難していた従業員の方々)はぽかんと眺めているしかできませんでした。

 

「いやぁ……本当、うちの若い者たちが申し訳ない。どこも怪我はありませんか? はい、お手をどうぞ」

「え? あ、はい……えぇ!?」

 

 いつの間にか傍らに立っていた、優し気な風貌の青い髪の青年が何気なく差し出した手。あまりにも自然に差し伸べられたため思わず取ってしまった私の手を掴んで、ひょい、と椅子の上に座らせられます。

 

「……これはこれは、かように愛らしい姫君にお目にかかれるとは。できれば今度御身に危機が訪れる事があれば、騎士として私の手でお救いする名誉を戴きたいものです」

 

 そうどこか演劇のような台詞回しで囁かれ、気障ったらしい、映画とかで見たことのあるような所作で私の手の甲を唇を寄せ、すぐに自然な感じに離されました……あ、直接口を手の甲に付けるわけではないんですね、これ。脳の許容量を大幅にオーバーしている出来事に反応できずにただそうぼんやり眺めていると。

 

「……?」

 

 気のせいでしょうか。顔を上げ始めてこちらを正面から直視した彼の目が、僅かに、ほんのわずかに驚愕の色を浮かべて見開かれたような気がするのは。

 

「……失礼しました。あまりに可憐で思わず見入ってしまいました」

「……へ? あ、はい……?」

 

 脳の処理は相変わらず追いついておらず、呆然としていると。

 

「……っの、馬鹿兄貴! また女の子にそんなことして失礼じゃないの!!」

「っだぁ!?」

 

 またも突然その背後から現れた、同じ青い髪をポニーテールに纏めた闊達そうな少女に殴り倒されて、床に這いました……大丈夫でしょうか。剣の鞘で殴られたように見えましたが。

 

「全く、何が騎士よ、昔の話だってのに……あ、君、大丈夫? 変な事されてない?」

 

 呆然としている間に、嵐のようにその少女にぺたぺたと怪我が無いか検められ、髪と襟の乱れを整えられて、気が付いたら元通りにフードをかぶせられてちょこんと座らせられていました。

 

 ……どうしましょう、私は今口説かれていたのでしょうか。ようやく活動を再開した私の脳が先程の一連の流れ……あるいはその言葉の内容をようやく理解してしまい、顔に血が上り、きっと真っ赤になっているであろうその顔を思わず伏せてしまいました。先程のお姫様扱いだった言葉が今更ながらとても恥ずかしく、顔を上げることができません。

 

「ったた……酷いなぁ、ちょっと挨拶しただけじゃないか」

「兄貴の、特に女の子への挨拶はね、常識からちょおおおっとだけ、ずれてるの! 前にもそれで女の子誤解させて問題になったのに、懲りてないの!?」

 

 ……あれ、何も口出しする暇がありませんよ? 何故かその女性の胸に抱かれ、フード越しに頭を撫でまわされているうちに周囲でみるみる流れていく姦しい展開に、レイジさんが未だ座り込んだまま、私を抱きかかえていたポーズのまま、ぽかんとしていました。喧嘩相手をいつの間にか取り上げられたソール兄様も、すっかり毒気を抜かれて唖然としています。

 

「っと、すまねぇなやかましい連中で。どうやらうちの調子に乗った新人が迷惑かけたようで、傭兵団『セルクイユ』団長として、謝罪させてくれ……すまなかった!」

 

 大柄な彼が、勢いよく頭を下げます。風が前髪を微かに揺らしたのは気のせいではないのでしょう。……棺桶、とは不思議な名前の傭兵団です。縁起、悪くありません?

 

「いえ……こちらこそ、売り言葉に買い言葉で、騒動を大きくしてしまい……すみませんでした」

 

 座ったまま、こちらも謝罪を返します。兄様も隣で頭を下げ、団長さんが店の修理費の請求に頭を抱え、これでこの場は水に流すこととなりました。

 

 

 

 ――そして、これが、私たちの初めての出会いとなったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再び、配膳された食事……今回は、団長さんの奢りとなりました。部下の迷惑をかけたお詫びという事で、お断りはしたのですが、どうしても気が済まないとのことでありがたく御馳走になることにしました。

 そうして食事を前に、改めて自己紹介を始めたところでした。

 

「さて。俺が、団長のヴァルターだ。こっちがそれぞれ第一、第二班長の」

「あ、ゼルティスと申します。先程は失礼しました」

「フィリアスです、よろしくね!」

 

 後を継いで名乗る同じ髪色の二人……よく似た顔立ちと、ずいぶん年齢が近そうな容貌に、思わず質問をしてしまいます。

 

「えっと……そちらは双子さんですか?」

「そうですよー? 君もそっちのイケメンさんとは兄妹よね、兄貴持ち同士色々あとでお話ししようね!」

「騒々しい妹ですみません……」

「むっ、それを言うなら兄貴は抜けすぎてるの!」

 

 困ったように温厚そうな顔で嗜めるお兄さんに、食って掛かる妹さん。そのやり取りに、以前の私達……『僕』と『綾芽』を思い出してしまい、微笑ましい物を見るような目線を送ってしまいました。

 

 

 そうして私たちの方も自己紹介が済んだ頃。

 

「それで……俺たちは、この町で今目撃されているゴブリンの集団の討伐の依頼を受けたんだが」

 

 その言葉に、態度には現しませんがレイジさんとソール兄様の二人から落胆の気配がします。おそらく先日の名誉挽回がしたかったのでしょうが、本職の彼らの手に仕事が渡った以上、もはや私たちにできることはない、そう思ったのですが。

 

「どうだろう、君達も手伝ってくれないだろうか」

「俺たちが……ですか?」

 

 予想外、というように、レイジさんが目を見張ります。

 

「そうだ……偵察の結果、正直想像していたよりも大規模な集団なことが分かった。で、このちょっと先の町でも、ゴブリンの大規模なコロニーが発見されていて、今問題になっているんだが、俺はこの件がここから流れてきた可能性……『指揮官』が率いて遠征してきた可能性を危惧している」

 

 彼らの特徴として、その集団が大規模になると、その内から指揮官となる個体が発生し、より大規模な数での行動と、統率の取れた動きをすることが知られています。この報告の規模であれば、もしかしたらリーダーが複数、あるいは……

 

「いずれにせよ、俺たちの手にも余る可能性が否定できない。だから、君達の手も借りたい、そういう話だ」

「しかし私たちは……」

 

 言いにくそうに、ソール兄様が口ごもる。昨日の今日でまだ立ち直っておらず、その目は自信なさげに揺れています……しかし、今のままで居る訳にも……

 

「失敗したのは聞いている。何、新兵だとよくあることだ」

 

 気にすることじゃない、反省は次に生かせばいいと、何という事の無いように告げられます。彼の目は、「挽回する機会は欲しいか」と、そう告げているようです。ソール兄様が私やレイジさんの方へと向けた視線に、私たちは頷きました。

 

「……では、私たちも受けさせていただきたいと思います。その、お気遣い感謝します」

「はて、何か礼を言われるようなことなんてあったか? 俺にはサッパリだ」

 

 おどけて肩をすくめて見せる彼に、くすりと笑みが漏れます。それを耳ざとく聞きつけた彼が、ぱちりとウィンクをしてきます……まるで映画俳優か何かのように様になっており、ちょっと格好いいかもしれません、このおじさま。私の中の『僕』が、将来こういう大人の男になりたかったなぁ、とぼやいていて、なんだか苦笑してしまいました……まぁ、無理でしたでしょうねぇ、客観的に見て。

 

 

 

 

「……出発は今日の11時。あいつらは夜行性で夕方から朝方にかけて活発な分、その時間帯からは活動が鈍い。班はまぁ、そのままでいいだろう。出撃するときは連絡係を残しておくからそちらに一言くれ」

「それじゃ、また後で」

「バイバーイ。あ、イリスちゃん、終わったら一緒にお風呂入ろうね!」

 

 それぞれ別れの言葉を告げ、彼らは嵐のように店を去っていきました。

 

 

 

 ……はじめはどうなるかと思いましたが、幹部だというあの三人はとても好意的な方々で、上手く収まったことに安堵の息を付きます。

 

「なぁ、ソール」

「ああ、分かっている……やるな、あれ」

 

 ……が、神妙な様子の二人の様子に首を傾げます。私の視線に気が付いたレイジさんが、後を繋げます。

 

「以前の傭兵崩れとは雲泥の差だ。あそこまで接近されるまで、足音を感じなかった」

 

 はっとしました。そうでした。私から見ると、あのお兄さん……ゼルティスさんの方は、突然傍らに現れたようで。それこそ、レイジさんに警戒される前に私をその腕の中から奪い、手を取って椅子に座らせた位には。

 

「……ああ、気に喰わねぇ、あんの気障野郎……っ!!」

 

 何故か、先程からレイジさんが不機嫌です。ずっと、時折恨めし気にゼルティスさんの方を睨んでいましたが……

 

「嫉妬深いレイジも意外だけど、それに気が付いてもらえないってのも気の毒だねぇ……」

「……?」

 

 やれやれ、と肩を竦め、可哀想なものを見るような目でこちらを見て来るソール兄様に、私はただただ頭に疑問符を浮かべるのでした。

 

「それはさておき……レイジは、戦闘になったら勝てる自信はあるか?」

「いや……正直、予想もつかねぇ。が、特にあのヴァルターっておっさんはちょっと自信ないな」

 

 私から見ると気のいいおじさま、という感じだったのですが、どうやら剣を扱う二人にはまるで別物に映っていたようです。フィリアスさんはちょっとわかりませんが、おそらく三人が三人とも、この二人にそこまで言わせる実力者。この世界の住人の侮れなさに、身の引き締まる思いがしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、相対して見てどうだった、あの少年らは」

 

 俺が話しているのは、先程あの子供たちに突っかかっていた、ガラの悪い男……の取り巻きの一人だった奴だ。今は変装を解いて、まるで冴えない年若い商人の下働きのような容貌となっている。新しく入ったばかりの奴をたかが初陣が済んだ程度で信頼なんぞしていない、入団試験は継続中……とまぁ、そういうことだ。

 

「問題外っすね。何をどうしたんだか能力自体はとんでもねぇもの持ってそうですが、その中身はとんだ甘ちゃんだ、戦場じゃ問題外もいい所っすよ」

 

 やれやれ、といった風情で肩をすくめた男は、次の瞬間真剣な表情となった。

 

「……って、最初は思ってたんスけどねぇ」

「ほう? 今は?」

「ぜってぇやり合いたくねぇっす。特にあいつ、銀髪のにーちゃんの方っすね。今はヘタレてても、自分の大事な物の為なら『どこまでもやる』タイプっすよあれ。今にも殺されるんじゃねぇかと冷や汗が止まらなかったスよ」

「……いいだろう。その答えが聞けなければ監査役をクビにしていたところだが、今回は大目に見てやろう」

「……はぁ……助かったッス」

 

 そうして、退室していった男を見送り、だはぁ、と一息つく。思い出すのは、先程の若者達……とりわけ、その中心にいた少女……いや。

 

「あれが『北の宝石姫』……聞いていたのと大分違うな。噂ではどんな状況でもピクリとも表情を動かさない人形のような姫だったと聞いていたが、さて」

 

 その名前が最初に出てきたのは、辺境の騎士伯の領地で静かに暮らしていた村娘が領主に見初められ、強引に召し上げられた、という騒動が始まりだった。その兄という青年の救助の求めから始まり、紆余曲折を経てその娘はよりによって行方不明の前国王の、これまた行方不明であった妹の血縁と判明、突如のスキャンダルに騒然となり……尚、その父親が検査で判明し、それがまた特大のスキャンダルとなりかねず秘匿されたのは関係者の秘密だ……領地は国の意向で強制的に領主交代し、少女の救出に協力したその甥の預かりとなり、その後国に引き取られていった娘の行方ははっきりしない。

 そして、この騒動の際も、その少女はずっと茫洋と、殆ど表情も変えず、周囲に流されていたという話だ。まるで感情の無い生きた人形のように。

 

 おっとりと、しかしころころ表情の変わる少女を脳裏に浮かべる。やや引っ込み思案ながら年頃の少女らしいその様子は、とても人形のような、と形容されるようには見えない。

 

 そして、不思議なことはまだある。容姿は当時描かれた肖像画……()()()()肖像画と寸分違わない……その背に天族の証である翼が消えていることを除けば、だ。

 

「今更になって文がどこからか届いたと思ったら……気にかけてやってほしい、ねぇ。なぁ、何をさせる気だ、アウレオリウス」

 

 紙一枚折っただけという雑な手紙をひらひらさせながら、俺は誰と無しに呟くのだった。

 



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私にその手を

 

 傭兵団に協力し討伐隊へ参加して、森へ分け入ってすでに一刻、私たちは、着実に戦果を伸ばしつつありました。もともと、単体での能力はレイジさんとソール兄様の敵ではなく、本来であれば苦戦するような相手ではないので当然です。しかし、ソール兄様の顔色は未だ優れず、歩む速度を落としていました。

 

「レイジさんは、平気なんですか?」

 

 話しかけても何でもないと答えるだけの兄様に、今は何も言うことはできず、先頭を歩くレイジさんに小走りに追いつくと、袖を軽く引いて問いかけます。

 

「ん? ああ、確かにこの前はちっとばかしビビったけどな」

 

 心配すんな、と頭をぽんぽんと撫でられます。先程までの戦闘を見ていても、レイジさんの方は、ほぼ調子を取り戻していました。しかし、それが無理をしていないか心配で、声をかけたのですが、どうやら取り越し苦労のようです。

 

 ……思えば、どんな時も、私……『僕』らを引っ張ってくれていたのはレイジさんでした。癖のように私の頭にいつものように置かれた手の大きさが、慣れない戦場に立つ緊張を和らげてくれます。

 

「俺はもう覚悟は済んだ。俺は自分の大事な物を優先する。そのために前に立ちふさがるやつらは俺が払う……いつも通り、な?」

 

 正面を見据えるレイジさんの目は何処までもまっすぐで……何故か、鼓動が激しくなったような気がして直視できず、ふっと目を逸らしてしまいました。

 

「俺は……お前を守るって決めた。それは変わんねぇよ」

「……え? 何か言いました?」

 

 ……そのため、最後だけ、尻すぼみに小声になった声で言ったため、聞き逃してしまいました。

 

「……いや、大したことじゃないから気にすんな。とにかく、俺は心配すんな、年上をちゃんと頼れ、な?」

「……ふふ、なんですかそれ。私とレイジさんは同い年じゃないですか」

「いいや、五月生まれの俺の方が十月のお前より五ヶ月も年上だ。それに、今は七月位で俺が一個上だし、なにより『イリス』は間違いなく俺より年下だ!」

 

 大真面目に、強硬に自分の方が年上であることを力説するレイジさんの様子に、私は思わず笑ってしまいました。

 

「それじゃ、お願いしますね。レイジお兄ちゃん?」

「お、おぅ……任せろ」

 

 ちょっと悪戯っぽく呼んでみましたが、予想していた呆れたような軽口は無く、そっぽを向いてぶっきらぼうな態度を取られてしまいました……どうやら、お気に召さなかったみたいです。反省ですね。

 

 

 

 

 

 以降も探索を続け、私とレイジさんの間に、どちらにもすぐにカバーできる位置にソール兄様が付く、という布陣で歩み続けていた私達でしたが……

 

「馬鹿野郎、ソール、気負い過ぎだ、下がれ! イリスと距離が!」

「なっ、しまっ……」

 

 それはほんのわずかな空隙。ざざっ、とゴブリンの数匹が、森に足を取られ僅かに離れてしまった私とソール兄様の間に割り込みます。そして、間が悪く……いえ、ここまで計算していたのでしょう、僅かに先に先行し弓兵を牽制していたレイジさんは遠く、そのタイミングは舌を巻くほど高い練度を見られ、『リーダーがいる』という予想を裏打ちするようでした。思わず敵影から距離を取ろうと後ろに下がったところで……

 

「きゃあ!?……あぐっ!」

 

 ガン、と頭に強い衝撃。チカチカと明滅する視界と揺れる頭。たたらを踏んだ私は、ふらふらと背中をたまたま倒れ込んだ先に生えていた木に預けることとなりました。タラリ……と、粘性の高い液体が、頭から一筋垂れる感触。朦朧としながら触れると、手にべったりとした液体の感触。その手は、血で赤く染まっていました。

 

「イリス! くそ、退けぇ!」

 

 道を遮るゴブリンたちに、魔法の鎖を放ち動きを止め、どうにか突破を試みるソール兄様の声が遠い。

 

 直接的なダメージこそ『プロテクション』が防いだものの、伝わった衝撃……ゲームの時の、いわゆる『浸透ダメージ』か……で僅かに薄い頭部の皮膚が裂けたのだと、遅れて理解する。頭がグラグラし、ちかちかと瞬く視界に、背後より忍び寄っていた、周囲よりさらにひときわ小さなゴブリンが、ふらつき動きを止めた私に、自分の成果を喜ぶかのようにニタニタと手を伸ばすのが見えました。

 

 ――そこからは、咄嗟の行動でした。

 

 思わず、手を伸ばしました。体格の差から、私の方が僅かに向こうの胸倉をつかむのが早く、私以上に小柄なその体を

 

「あああああぁぁぁぁぁああ!!」

 

 ――全霊の力で地面に叩きつけました。

 

 私がいくら非力で小柄と言っても、目の前のこの……子供、でしょうか。のゴブリンほどではありませんでした。思わぬ反撃に怯んだ小さなゴブリンは、抵抗する間もなく地を這います。すかさず、その胸をブーツの分厚い底で踏みつけ、起き上がろうとするのを抑え込みます。突然の私の行動に、視界の端で、私を一人では与しやすいとたかを括っていたのであろうゴブリン達のみならず、レイジさんやソール兄様まで固まったのがちらりと映ります。私自身ですら、今の自分の行動を、どこか夢うつつに見ている感じがします。

 

 ――分かっているのは、『これ』が狙っているのは私であり、私を連れ去り、二人の元から連れ去ろうとしている事。何が目的かなどとは考えたくもありません。なれば、『これ』は紛れもない敵。相互理解不可能な、敵。

 

「……『ヴァイス・フィールド』」

 

 ……自分でも、それは驚くほど平坦で冷たい声だった気がします。それは、ただの魔物避け、アンデッドや『魔素』なるものを取り込んで生まれてきた魔物や妖魔と呼ばれるもの、それらに不快感を与え接近を拒む、ただそれだけの初級魔法です、が。

 

「――――――ッ!!? GY、AAAHHHHHH!!!」

 

 身動きの取れない、逃げることもできない足元の『これ』には効果は覿面でした。今、この時、きっとこの足の下の小さな生き物は、激しい不快感に苛まれ酷く苦しんでいるのでしょう。私たちにとってはただの略奪者でしかない彼らの目的は私達とは相容れず、その存在は明確に『敵』と言えるものです。しかし、それはさほど慰めにはならず、罪悪感がちくちくと胸を刺し、自分の行為のあまりの不快感に喉から何か込み上げてきます。だけど、それでも。

 

「――『ヴァイス・ウェポン』……っ!!」

 

 私の杖、それも尖った石突に、ぽう、と仄かに光が宿ります。

 

 

 

 ……ようやく、私がやろうとしていることを理解したのでしょう。足元の『これ』の目に恐怖が宿り、直接敵へ飛び掛かった私の行動に意表を突かれ、流石に呆然としていたゴブリンたちが慌てて動き始めます。それを横目に、カタカタと震えの止まらない手で再度、しっかりと握りなおし……

 

 私は、その、恐怖で悲鳴を上げようとする子ゴブリンの口に、全体重をかけ、その鋭い石突を突き込みました。

 

「GYAAAAAAAYYYY!!」

 

 耳障りな声が、耳に刺さります。ごきり、と何かが砕ける嫌な感触を手に残し、足元の『これ』の顎が砕け、声にならない悲鳴をあげ、血反吐を吐いて暴れまわります。が、逃がすまいと、全体重をかけその動きを抑え込みます。

 

「……っ!」

 

 自分の手によって決して軽くない傷を負った『これ』の激甚な反応に、全身が、瘧を起したように震えだします。

 

 ……嫌、嫌です、やっぱり、『これ』だなんて思えない!

 

 こんなことやりたくない! 

 だって可哀想。

 こんなにも痛そうにしているのに。

 怖い。怖いんです。

 今すぐ戒めを解いて、もう許してあげたい。

 その傷を癒し、もうこんなことはしないんだよと森へ還してあげたい。

 

 ――だけど、それでも、だけど!

 

「あああああああああああ!!」

 

 迷いを振り切るように叫び、再度、杖を振り下ろします。非力な私であっても、『ヴァイス・ウェポン』は対象に触れるたびに衝撃を相手に叩きつけ、一度杖を振り下ろすたびに、ぐちゃりという湿った音と共にごきり、ごきりと新しい何かが砕け、ブチブチと組織の裂け潰れていく嫌な感触をこの手に伝えてきます。そうして一振りごとに、足元で徐々に弱くなっていく抵抗。次第に上がらなくなっていく悲鳴。

 

 ――消える。消えていく。命が、私の足元で、他ならぬ私の手によって。

 

「……っ!、――……ッ!?」

 

 視界は涙でほぼ利かず、喉は恐怖でカラカラです。

 

 ――だけど。これは、二人が通ってきた道なのです。私がそれを免れてきたのは、ひとえに私の能力が「向いていない」、ただそれだけで、この辛さを他の二人に押し付けて、今の今までこの手を汚さずに来たのです!

 

 そんな私に、我慢できずに飛び出してきた一体のゴブリンが襲い掛かってきます。目に涙を流し、半狂乱で襲ってきたこのゴブリンは、きっと足元のこの幼いゴブリンの家族だったのでしょうか。

 

 ……まだ、プロテクションの耐久には余裕がある。最初の一刀は甘んじて受けよう。そう思い身を晒した私にその刃が私に届く直前、その飛び掛かってきたゴブリンが、空中で上半身と下半身に分かたれ、吹き飛んで転がっていきます。

 

「……ごめん。私の、覚悟が足りなかった。そんなことをさせて、ごめん……!」

 

 再び、剣を強く握ったソール兄様が、それに一足遅れて追従するレイジさんが、猛然と周囲に襲い掛かります。十全にその力を発揮し始めた二人の奮戦に、これまでの苦戦がまるで嘘のように、みるみる数を減らしていく小さな襲撃者たち。

 

 

 森の一角が彼らの血に染まるころ、いつしか、私の足元の『彼』も、完全に脱力し、その体温を失っていました。

 

「……うっ……ぐっ!?」

 

 ついに、喉からせり上がっている物を圧しとどめることができず、膝を着き、杖を支えに体が倒れるのを辛うじて防ぎ、それをたまらず地面にぶちまけます。げほげほとせき込む喉を焼く、苦酸っぱい液体。朝、食欲が沸かなかったことを、感謝しました。

 

 ――ころした。わたしが、ころした。

 

 ……だけど、避けて通る事はできない。ここは、そういう世界なのだから。ふらふらと立ち上がると、ぐいっと涙を袖で拭い、未だ戦闘続く周囲をキッと睨みつけます。私は、私の仕事をしなければいけません。少し先で戦う二人の助けになるべく、流れる涙はそのままに、新たな呪文を唱え始めます。

 

 ――だけど、忘れないようにしなければなりません。ヒーラーとは、戦場ではきっと思っていた以上に残酷な役目だと。私が戦うという事は、傷ついた者を再び死地に送り出し、誰かを殺すという事を他者に押し付けることだと……それは、きっと忘れてはいけないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イリス……大丈夫?」

 

 未だにぽろぽろと涙を流しながら行軍する私に、ソール兄様の心配げな声がかかります。

 

「ぐす……平気、です、これは二人が乗り越えてきた道、私だけが……っ!」

 

  しゃくりあげながら告げる私の肩が突然掴まれ、真剣な表情の兄様が眼前で見つめてきました。

 

「……聴いて。私は、きっとこれからも『敵』を殺す。イリスにそんな顔をさせたくないから、できるだけ、イリスの分まで私が『敵』を討とう。もう、躊躇わない」

 

 違う、そんなことをさせたいわけじゃない。未だ嗚咽で声が出ない私は、せめて視線と、イヤイヤと首を振ることででそれを伝えようとするしかない。しかし、兄様は優しく微笑み、ぽんと私の頭に手を載せました。落ち着かせるように、優しく撫でながら。

 

「最後まで聞いて? ……だけど、イリスは今みたいに、それを悲しいと思うと知っているから。私がその手を汚すことを、きっと由とはしないから。きっと私は人を捨てずに居られると思う。その重みを忘れずに居られると思う。だから……どうか、イリスは、敵であっても命が消えるのを悲しいと思う、そのままで居て欲しい……それが、きっと私の為にもなるのだから」

 

 ふわりと、兄様に抱き留められます。まるで昨夜の逆のような、その優しい抱擁に、私は、もはや涙を殺すことはできませんでした……

 



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ゴブリンリーダー討伐戦1

 

 目線の少し先で、二人がゴブリン達と切り結んでいます。襲撃者である彼らはその戦力差に怯えているのか逃げ腰で、徐々に、徐々に後退し、やや背後で待機している私と距離を開けていきます。

 

「……スト……ルツ……ス……ロス……」

 

 ぶつぶつと、小声で口の中で唱える私。

 ……完成。待機状態で保持……来た!

 

「『ヴァイス・フィールド』!!」

 

 背後から飛び掛かってきた小さな人影に、今し方完成させた魔法を叩きつけます。

 効果範囲の奥深くまで入り込んでいた彼らは、ひとたまりもなく地に落ち、声もあげれぬまま苦痛と不快感にのたうち回ります。

 

「任せた、逃がすなよ!」

「当然!」

 

 すかさず、先程最前線で剣を振るっていたはずのレイジさんが私と彼ら……ゴブリンの間に滑り込み、次々と屠っていきます。同時に、奇襲が失敗したのを確認後即座に反転し逃げる今まで戦っていた彼らをソール兄様が猛追し、時に拘束魔法を飛ばしつつ一体残らず切り裂いていきます。

 

 取り逃がすわけにはいきません。私たちが、彼らの目的……私という『雌』を狙い、孤立させ攫おうとしている事を逆手に取っていることを伝えられるわけにはいかないから。

 

 故に、私を囮にし、あえて隙を作り誘われて出てきた彼らを各個殲滅する。私たちの取った作戦は功を奏し、私たちは着実に戦果を伸ばしつつありました。

 

 

 

 

 

 

 

 ――事は、1刻程前。

 

「「ダメだ!」」

 

 二人が、綺麗にはもって私の提案を拒否します。

 

「で、ですが、これが多分彼らを見つけるのに……」

「それは認めるが、君が危険すぎる」

「同感だ、俺もそういうのは嫌だ」

 

 私が提案したのは、つまり……私を囮にするのはどうか、ということでした。

 

 ここまでの交戦で分かったのですが、彼らはどうにも私を狙っている……というより、女性を、でしょうか。狙っている節を感じました……その理由は考えたくないですけども。

 

 元々傭兵団ということで男所帯であり、見かけた女性はフィリアスさんしかいません。そしてゴブリン達は優れた統率の下、巧妙に姿を隠し奇襲を仕掛けてきており、このままでは疲労の蓄積を免れ得ないと思うのです。そうなってくると、仕掛けられる側である私たちの方が長引けば長引くほど不利でしょう。何より今はじりじりと日も落ち、夕刻……もう少しで彼らの活発になる時間帯になってしまうと、そう思い提案したのですが……

 

 二人の強硬な反対に逢い、今に至ります。

 

「有効なのは認めよう、だけどこれは……」

「そうだ、これだとお前が怖い思いを……」

「いいえ、大丈夫です」

 

 そう、今は、驚くほど不安を感じておりません。なぜなら。

 

「レイジさんとソール兄様を、信じてますから」

 

 今やすっかり本調子を取り戻している二人に、私は疑いようのない信頼とともに微笑んだのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ついうっかりOK出してしまったけど、私はまだ認めてないからな」

 

 ふてくされたままの兄様が、紙に何かを書き足しながらぼやきます。

 

「安心しろよ俺もだ……しかし、効果があったことは疑いようがねぇのが悔しいな」

 

 その書き足された部分を難しい顔で眺めながら、レイジさん。私たちが眺めているのは、町長さんより借り受けたこの周辺の地図の写しです。

 

「ここと、ここ、それとここが交戦した場所で……」

「奴らが逃げたのは、この方向か」

 

 今まで幾度かの結果を書き記した地図には、交戦した場所と、ゴブリン達が奇襲に失敗した後に逃げようとした方向をその都度書き示しています。幾度かを繰り返し情報の集まった私たちは、その方向を確認していました。

 

「……ここだな」

「ああ、私もそう思う」

「はい。おそらく」

 

 三人の指が同じ一点を指さします。彼らの逃走経路の先にあるのは……今は住人が居なくなり廃村となった、この周辺の開拓村の一つでした。なんでもすぐに枯れてしまったものの鉱石が一時採掘できたというそこには、小規模ながら鉱山跡もあり、隠れる場所には困らないはずです。

 

 

 

 

 

 

 

「クッソ! ゴブ風情が……がぁ!?」

 

 

 目的の場所へ向かう途中、風に乗って、人の怒声が流れてきます。同時に、何か硬い物がぶつかり合う音と、争うような騒音。

 

「……聞こえたか、今の」

「ああ、すでに交戦状態にあるようだ……それも、大分不利な」

 

 ……本来であれば、向こうの本陣を偵察し、他の団員の到着するまで待機する予定でしたが、これでだいぶ事情が変わってきました。駆け足……足の遅い私をソール兄様が抱えて駆け足で向かった先、廃村では、すでに戦端が開かれていました。

 

 交戦中の彼らに気取られぬよう、木の陰に身を潜める私達。視線の先では、怪我を負った仲間を庇っているらしい、弓を携えた傭兵の一人と、剣持ちの二人。

 

「……見覚えのあるやつだな」

 

 不機嫌に呟くソール兄様。そう、その庇っている一人、アッシュグレーの髪色の弓使いは、私の胸倉をつかんできた、食堂で絡んできた彼らのリーダー格だった男でした。そして彼らの先に居るのは、屋根の上に陣取っている弓を携えたゴブリン達、それと……

 

「なんてこった……ハイゴブリンか、ありゃあ」

「ああ、それもリーダー個体だ……」

 

 彼らの相手取っていたのはただのゴブリンではありませんでした。呪術により強化された、上位種……全身の血のように赤い隈取と、鋼色の筋骨隆々の体をした、おそらくレイジさんより大きな個体でした。

 

 ――どうする? そう二人が目で私に問いかけてきます。

 

 ……正直、朝の件で彼らに良い感情があるとはとても言えません。ですが、その背に仲間を庇い必死に矢を番えて交戦しているその姿を見ると……

 

「助けましょう。今は、仲間です」

 

 迷いなく、言い切りました。

 

「……よし、それじゃどうする?」

 

 きっと私がそう答えるのに疑念を持っていなかったのでしょう、すぐに方針の相談に入ります。

 

「屋根の上の弓兵は、私がやろう」

「何か、良い手があるのか?」

「いや、そんな大層な物じゃないさ」

 

 にやりと、ソール兄様が不敵な顔で笑います。しゃん、と鞘を払い抜刀すると、背中の翼をはためかせて重力の軛から解き放たれていきます。

 

「もう、慣れた。システムアシスト有りとはいえ散々動かした体だからね。コツを掴めばなんてことはない。それじゃ、あのハイゴブリンは任せた」

 

 やれるか、とは聞きませんでした。その背の翼を一振りすると、みるみる空高くへと舞い上がっていきます。

 

「……毎度毎度、あいつは驚かせるな……よし、俺らもいくぞイリス。背中は任せた」

「はい、任されました!」

 

 私たちも、隠れていた木の陰から飛び出します。途轍もない速度でみるみる先行するレイジさん。そしてソール兄様はすでに最初の建物の上に到達していました。

 

 ……凄い。以前のあの夜の私はただ浮いていただけでしたが、ソール兄様のそれは全く別、自在に空を駆けて屋根の上の彼らに襲い掛かります。突然の予想外の方向からの強襲に、用意の整っていないゴブリン達は対処の間もなく蹴散らされ、どんどん屋根から地面へと力なく落下していきます。

 

 

 視線を下に戻すと、その時既にレイジさんはハイゴブリンの異様な姿の下にたどり着き、交戦を開始していました。

 

 

 

 

 

 

 今まさに振り下ろされようとしていたハイゴブリンリーダーの大剣が、ギリギリで間に合ったレイジさんの剣に弾かれ、その速度の乗った一撃にたまらず弾かれ本来の軌道を反れ、傍らの何もない地面に叩きつけられます。

 

「!?!?!?!?!」

 

 突如現れたかのようなレイジさんの存在に、リーダーが目を白黒させています。

 

「よぅ、『ゴブなんか』に随分手こずってるな、加勢するぜ」

「なっ、てめぇら、朝のガキ……っ!」

 

 彼らも一瞬色めき立ちましたが、現在の状況を思い出したのか、怪我人を引きずって下がります。そこに、ようやく追いつきました。

 

「今治します、『エリアヒール』!」

 

 とんと杖を地面に着いた瞬間、怪我をした彼らの足元から柔らかな光が包み込み、みるみる怪我を消していきます。

 

「これ、は……」

「すっ、げ……」

 

 みるみる塞がっていく傷に、荒事に従事しているはずの彼らが言葉を失います……落ち着いたら、この世界の治癒術の常識を学ぶべきかと思いました。が、今はそれどころではありません。

 

「立ち上がれるのなら立ってください。あのリーダーはレイジさんが抑えます……私を、守ってください。お願いします」

 

 わらわらと、周囲から敵影があふれ出してきています。ソール兄様も、レイジさんも手一杯な中、私には自衛能力はありません。なので、彼らに頼みます。素直に頭を下げられるとは思っていなかった彼らは、面食らっていますが……

 

「……チッ、仕事の為だ、お前の為じゃねぇぞ」

 

 今朝の彼が、真っ先に、動きだしました。矢を番え、最も接近していた相手に放ちます。その矢がまっすぐにその眉間に突き立つのを確認もそこそこに、次の矢を番える彼。その滞りの無い所作はその腕を示しており、思わずぽかんと見つめてしまいます。

 

「……ありがとうございます」

「うるせぇ! 戦場で治癒術師を守るのは常識だ馬鹿ガキ!」

 

 なんだか微笑ましい物を見るような笑顔で礼を言ってしまった私に、彼の怒声と共に放たれた矢が、再度別のゴブリンの眉間を射抜くのでした。

 

 

 

『パワーエンチャント』。『スピードエンチャント』。『コンセントレイト』に『リジェネレイト』。思いつくありったけの強化魔法を載せた彼らが、自身の能力の上昇具合に驚きながらも速やかに私に接近する敵を排除していきます。

 

 そうして連続で支援を飛ばし続けたことで息の切れた私の眼前に、すっと差し出された小瓶。

 

「治癒術師が魔力切れ起されたら迷惑なんだよ、飲め」

 

 ぶっきらぼうに私にそれを押し付けると、彼は素早く矢を番え、また一体のこちらに迫る影を撃ち落とします。……思ったんですが、この人たち、結構手練れです……よね? くぴくぴと魔力ポーションらしきものを飲みながらそんなことを考えていると、隣で矢を射続けている彼が口を開き出しました。

 

「俺らは、団の新人なんだよ」

 

 その言葉に、少し驚きます。ヴァルターさん達の件もありましたし、このレベルで新人、というのはきっと余程な人たちなのではないでしょうか。

 

「俺だって、地元じゃ多少自信はあったんだ。狩りで俺にかなう奴は居ねぇ。弓ならだれにも負けねぇって。だけど、調子に乗って門を叩いたら、ここじゃ並みもいい所だった。どうにか入団試験はパスしたけど、内心ずっと腐ってたさ」

 

 淡々と矢を放ちながら、独白を続ける彼。

 

「……悪かったよ、お前の仲間を悪く言って。それと、怖がらせて。男、苦手なんだろ?」

 

 ぼそり、と彼から謝罪の言葉が出ます。ぽかんとその姿を見ていると。

 

「ヴァイスだ、俺の名前」

 

 それだけ告げると、彼はすでにこちらを一顧だにせず離れていきました。

 

「……あ、てめぇ何一人で抜け駆けしてんだよ!?」

「うるせぇ、目の前に集中しろ!!」

 

 騒がしく、戦列に戻る彼ら。後ろからでも分かるほどに耳まで赤く染まった様子に、ふふっ、とこんな場所にもかかわらず笑みが漏れてしまいました。何か温かい物が、私の胸を満たしていく、そんな気がしたのです。

 

 

 一方のレイジさんは、というと、こちらは危なげのない戦いを見せていました。

 身体能力、ことに力と瞬発力ではハイゴブリンのほうに分があるようですが、それに対し、レイジさんは独特の歩法を駆使し、翻弄していました。

 

 元々剣術道場の跡取りであったレイジさん……玲史は、「全ての基本にして奥義」だと、子供時代は良く泣き言を言いに来るほどにみっちりと基礎の歩法の練習を積まされていました。日本では遠目であればなんとか目で追えるというほどであった足さばきは、こちらで「レイジ」という規格外の身体能力を有する体を経て、もはや私の目には追えないレベルの素早さ、鋭さを以て猛威を振るっています。右に飛び込んだかと思えば次の瞬間には左へ切り抜け、気が付いたら正面からぶつかり合ったはずが背後に居る、そんな彼をハイゴブリンは殆ど追えておらず、ほぼ一方的に攻撃を浴びせ続けています……が。

 

「くそ、やっぱ硬ぇなこいつ!」

 

 レイジさんが毒付きます。業物とはいえ中級レベルの装備であるレイジさんの剣では、ハイゴブリンの鉄のような肌を一息に切断することは叶いません。レイジさんの持つ『崩剣アルスレイ』ならば別でしょうが、副作用の有無を疑うとおいそれと使用は躊躇われます。レイジさんは、向こうの隙を掻い潜っては『ヴァイス・ウェポン』の白い光と共に、ガァン!と激しい音を上げながら、刺突を繰り返していました。その光が煌めくたび、ハイゴブリンの大柄の体がぐらりとよろけます。

 

 しかし、それも十数度。ついにその鉄色の体に、ぴしりと亀裂の入る音。鳩尾のあたりにひび割れができ、その隙間からごぼりと血が流れます。

 

 レイジさんの顔に獰猛な色が浮かびました。腰だめに構え、大きく捻り引き絞った構えを取ると、冷静さを欠いて振り下ろされたそのハイゴブリンの巨大な剣の腹に、目にも止まらぬ速さの一閃を見舞います。

 

 ガァァァアアアン!! と、一人の人の剣戟の生み出した音とは思えない大音量の金属の衝突する音と共に、ハイゴブリンの剣が跳ね上がります。それによって出来た一瞬の隙。流れるような流麗さで体に刀身を引き寄せ、片刃の大剣の峰を下にして、左手は狙いを定めるように、まるで発射台のように下に添え、右手は軽く柄頭を握ってぎりぎりと後ろに引き絞る。刺突の構えを取ったレイジさんの剣に、青白い光が灯っていきます。

 

 が、僅かにハイゴブリンの動き出すほうがその溜めが終わるよりも早い。どうにか体勢を立て直したその剣が、大上段から降り下ろされ……

 

 ――今!

 

「『ソリッド・レイ』!!」

 

 私の放った光の防壁が、その一撃を弾きます。渾身の力を込めたその振り下ろしが絶対防壁に阻まれ、跳ね上がった腕にその体は無防備な姿を晒しました。

 

「これで終わりだ……『閃華』ァ!!」

 

 神速の突きが瞬き、罅割れ、鉄壁を失ったハイゴブリンの胴に、蒼く輝く闘気を纏った剣が深々と突き刺さります。刀身の膨大な闘気は余すことなくその柔らかい内側に殺到し、どれだけ表皮が硬かろうと、その内側から炸裂する爆発に抗う術はなく、びくん! とその巨体が痙攣したのち、目や鼻から血を流して、その巨体が地響きとともに地に伏せました。

 

 その寸前、剣を引き抜き、血糊を一振りして振り払うと、丁度屋根の弓兵を全て掃討してきたソール兄様が傍らに舞い降ります。駆け寄り、両手を掲げた私の左右それぞれの手に、ぱぁん、と小気味のいい音を立てて私たちの手が重なりました。

 

 

 

「よし、あとは掃討だ、行くぞお前ら!」

 

 ヴァイスさん達、新人だという彼らは、逃げた残りのゴブリンを討伐せんと、逃げる敵影を追い始めていました。そう、まだ終わっていません。私たちも、彼らの後を追い始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……おかしいです。リーダーは討ったというのに、彼らの逃げ方には必死さが足りないような……まさか!

 

「待って、何かが変……!?」

 

 ぞわりと、背筋に悪寒が奔ります。『イーグルアイ』、視力強化の魔法を自分に。

 

 ……居た。どうにか見えた遠方に、先ほどまではいなかったひときわ巨大な何か。見覚えがあります。たしか最初期のレベルキャップの時から存在した、レイドボスの……その周囲に、木の上に、崖上に、先ほどまではいなかったはずの小さな人影が蠢いている。まるでこれは……

 

「釣り野伏……!?」

 

 ぽつりと、記憶の中にある、その戦術の名前が口を付きます。

 

「なっ!?」

「おい、お前たち下がれ……!」

 

 その言葉に新たな敵影に気が付いた二人が焦った声を出します。

 

 囮が相手を危地に引き込み完成する罠。まさか、このようなものまで使用してくるなど! 制止は一足遅く、後方に居る私達ですらすでに射程圏内に踏み込んでしまっています……!

 

「――っ!? 逃げてえええええぇぇぇぇぇ!!?」

 

 私の叫び声がむなしく響き渡ります。ひときわ巨大な、4m以上はあろうかという巨体のゴブリン……ゲームの時はレイドボスであった『ゴブリンジェネラル』の手が、振り下ろされると同時、周囲を取り囲んだゴブリンから、ひゅん、ひゅんと無数の風切り音が放たれます。見上げた空には無数の黒い小さな影……降り注ぐ、無数の矢が、私たちに殺到していました。

 

 瞬時に、私を抱え込み、地面に盾を突き立て姿勢を低くするソール兄様。同様に、私を隠すように大剣を盾のように突き立てるレイジさん。

 

 

 

 ……すでに数歩先へ駆け出していた、傭兵団の新人という彼らを守るものは、何もなく、ただ茫然と矢の雨にその身を晒そうとしている。

 

 

 

 ……また、目の前で命が消えようとしている。それも、今度は敵ですらない、先程ようやくまともに話もできた、人たち、の……

 

 

 

 考えるより先に、体が、口が、動いていました。

 

 

 

 ――この戦闘中、私たちは、リキャストの長いプロテクションは私の為にだけ温存しており、ワイドプロテクションは使用しておらず、レイジさんとソール兄様は保護を抜きで戦っていた。否、戦わざるを得なかったのだ。なぜなら――

 

 

 

「――『全ての害意を拒絶し、我らを守護する光、有れ』……」

 

 この世界で普段使われている体系の物とは違う、詠唱が、私の口からすらすらと流れ出る。

 

「……なっ!?」

「止めるんだ……『ここ』では!?」

「……『ワイドプロテクション』!」

 

 いつもの癖で、咄嗟に使えるよう体に覚え込ませたのが仇となり、反射的に、全て完成させてしまった詠唱。直後、無数の矢の雨が私たちの頭上に降り注ぎます。普通であれば、それは人がそうそう生存できるとは思えない飽和攻撃。

 

 ――しかし、その矢の雨の止んだ時、私たちの誰一人として、怪我をしたものはいませんでした。何故ならば、私たちの全員を、白く輝く光の薄膜が覆っていたから。

 

 世界が、輝く黄金の煌めきに包まれる。生けるものを祝福し、包み込む光に、宙に舞う無数の羽根。

 

 ――そう……羽根を出してる時にしか使用できない、光翼族の専用魔法。私にのみの使用できる魔法なのです、これは。

 

「なん……っ!?」

 

 背後からの光を訝しみ、振り返った彼らの驚愕の表情と声。とうとう、人目に晒してしまった。取り返しのつかない事をしたという焦燥感。

 

「嘘だろ、おい……」

「光翼……族……!?」

 

 彼らの視線の先、私のその背に、煌々と輝く翼が揺らめいていました。

 





 ヴァイスさんちょっといい人になりすぎたかも。
『魔法名』の表記の物は詠唱を省略してるのだと思ってください。


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ゴブリンリーダー討伐戦

 

 あれだけの矢の雨に晒されながら、誰一人無傷。

 その異常な結果に、狐に摘まれていたような顔をしていた彼らが、背後から照らす光に気付いて顔をこちらに向け、驚愕に変わっていくのは時間の問題でした。

 

「お、お前、その背中の……!?」

 

 こんな状況だというのに、彼らの驚愕の視線が私の背後に突き刺さります。

 

「話は……話はあとです、死にたくなければこちらに……急いで!」

 

 ついに周囲に晒してしまった光翼の事に焦りながらも、辛うじて絞り出した、半ば悲鳴のような私の声に、我に返った彼らがぎこちなくこちらへ駆け寄ってきます。

 

「正直お前たちを助けるなんて心外だが……『フォース・フィールド』!!」

 

 兄様の盾を起点に、私たちの周囲に結界が現れます。直後……

 

「きゃぁ!?」

「くっ……これは、恐ろしいな……っ!」

 

 半透明な結界越しに、ガガガッと無数の矢の雨が降り注ぎ、そのたびにチカチカと激しく明滅します。鼻先わずか十数センチ程度の場所で次々と跳ぜる矢が、たまらなく恐ろしいです。

 

 ――今はまだ防げていますが、だがしかし、このままではジリ貧となってしまう。私と兄様の魔力には限界があり、それは遠くないうちに尽きるでしょう。ワイドプロテクションの再使用時間はまだ一分以上。はたしてそれまでこの激しい攻撃に晒され急速に減っているであろう兄様の魔力は持つのか確証もなく、その時間が遥か彼方に感じます。いえ、それよりも……

 

 その危惧は、すぐに現実となります。ジェネラルの傍に控えていた、リーダー個体を含むハイゴブリン達が、こちらに向けて歩を進め始めました。当然、私達の魔力が尽きるまで待っているわけもなく、それに彼らの硬く強化された肌はおそらく私達と違い矢の雨をものともしないでしょう。

 

「……一か八かだが、次に矢が降り止んだら全力で後退しよう。ソール、お前はイリスを連れて最初に退くんだ」

「……レイジさん!?」

「……分かった」

「兄様も、なんで!?」

 

 それではまるでこの前の再現です、到底我慢できず、声を荒げますが、二人の目は揺るぎません。

 

「心配すんな、今度こそ死ぬつもりはねぇよ。お前さえ無事ならいくらでも立て直せる、分かってるだろ?」

「それは……でも……!」

 

 安心させようとしているのか、頭を撫でる手。周囲を見回すと、悲壮さをにじませつつも、レイジさんに同意し頷くヴァイスさん達三人。

 

 ――分かっています。それが正しいと、理性では理解してます。

 

 苦渋の末、それに頷こうとし……そして、その瞬間は訪れませんでした。

 

 

 

 

 

「第二班、構え! 目標敵右翼、焼き払え!!」

 

 突如、耳に届いたその声。背後の森より姿を現した女性……フィリアスさんの号令とともに、共に現れた魔術師の恰好をした傭兵から、右手の弓兵集団にいくつかの火の玉が数条、放たれていきます。

 

 ――着弾、轟音。

 

 そのたった数発の火炎の玉……確か魔術師系の職の中級魔法、『ラーヴァ・ボム』が右側崖上に居た敵陣ど真ん中にいくつか着弾し、向こうの弓兵の立っていた崖が高熱で真っ赤に溶け、そこに居た数十匹のゴブリンの弓兵たちの姿が消滅します。続いて、私たちの後方から放たれた火矢が、再度敵陣に襲い掛かり、次々と上がる炎に右往左往して統率が乱れます。

 

 

 

「第一班、左翼へ突撃開始、お前たち、可憐な姫君の救出戦だ、気張れよ!! 私に続けェ!!」

 

 その混乱も冷めやらぬまま、左手の森から突如矢のように飛び出してきた、二本の長剣を携えたゼルティスさんを先頭に、各々の武器を携えた六人の集団が、鋭い楔のように、左翼の敵陣に深く深く突き刺さります。接近する者を全て切り伏せ、怒涛のようにかき回し、取りこぼし逃れたゴブリン達も、後方から追従している第二陣に瞬く間に駆逐され敵の前衛の一角が削られていきます。

 

 

 

「すげぇ……これが、本物の、戦いを生業にした傭兵か……」

 

 あっという間に逆転した形勢に、私を庇った姿勢のレイジさんが呆然と呟きます。いつの間にか、私たちを狙う矢の雨はまばらになっていました。

 

「……これくらいでいいでしょう、一度後退して、先程の音で今こちらに向かっているであろう団長と合流、態勢を整え直します。皆さんも、さぁ!」

 

 敵の先鋒を切り崩し引っ掻き回して悠々と帰還してきたゼルティスさんの声に、我に返ったソール兄様が私を抱きかかえ、同じく我に返ったレイジさんも後退します。もちろん、一緒に居た新人の方々も。

 

「よし、兄貴たちは退却を始めたね。レニィとディアスは目くらましに派手な魔法を準備、その他は『爆矢』の使用を許可する……きちんと狙う必要はない、目くらましと威嚇になればいい!構え! 放てぇ!!」

 

 続いて、後方のフィリアスさんと共にいる、三名の弓を持った傭兵が矢を……歪に先端が膨らんだ矢を番え、放ちます。それらは、ゆらゆらと不規則な軌道を描いて敵陣、弓を構えたゴブリン達の眼前まで辛うじて飛んで……

 

 ――着弾、再度の轟音。

 

 落下した矢が巨大な音と衝撃、炎をまき散らして炸裂し、本来臆病な性格である通常のゴブリン達は右往左往を始めました。今度こそ、私たちを狙っていた矢は完全に降り止みます。続いて離脱しようとする私たちの背後で再度飛来した火球が炸裂し、私達とゴブリン達の中間で巻き上がった爆炎と砂塵に飲み込まれて完全に視界が途絶えます。その砂塵を煙幕にして逃げる私たちの先には、大きく手を振っている、束ねた蒼い髪を尻尾のように揺らすフィリアスさんの姿。

 

「無事で良かったよーイリスちゃん、それにお兄さんらも! あ、ついでに兄貴も。無事だね!」

「ついでって、お前なぁ……まぁいいか、援護助かったよフィリアス。それじゃ、撤退だ!」

「あ、待ってよ馬鹿兄貴ぃ……!」

 

 相変わらずこのような場でも緊張感のないようなやり取りを見せる、嵐のような二人に、私たちも、この場を後にしたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「約束通り、貴女の事を救う名誉を頂きたく、その危機に参上いたしました、可愛らしい姫……っ痛ぁ!?」

 

 未だソール兄様の腕に抱かれた私の手を取って、またその手の甲に口を寄せようとするゼルティスさん。そんな彼の手を、何故か不機嫌な顔をしたレイジさんが叩き落しています。そんな何故かギスギスした空気の中、呑気な声がかかります。

 

「よう、お前たち。ちょっと見ない間にずいぶん晴れ晴れとした良い顔するようになったじゃねぇか。先に始めてるもんだから冷や汗かいたぜ全く」

 

 そう言った彼……ヴァルターさんの視線が、つい、と私たちの背後に移動します。

 

「……大方、そっちの新人どもがうかつに踏み込んでなし崩しに戦闘開始だったんだろうけどな」

 

 先程から、一言も口にしていないヴァイスさんを始めとする彼らが、ジロリとヴァルターさんに睨まれ、悔しそうに拳を握りしめます。

 

「功を焦って本来の班を抜け出し勝手な突撃。あげくに味方を危機に晒したとなったら本来なら厳罰だが……」

「……異論は、ありません。全て、俺たちの勝手が招いたことです」

 

 自責の念に駆られるように、彼らを代表してヴァイスさんがそれだけ絞り出すように伝えます。

 

「……あの、彼らは」

 

 どうにか情状酌量をあげれないかと、おそるおそる発言しようとする私の頭を突然大きな手がぐりぐりとかき回します。

 

「分かってる。こいつらの顔見れば分かる、貴重な挫折を経験したんだ、生きて次の糧にすりゃいい。そこらに放り出しゃしねぇよ」

 

 にかっと余裕たっぷりに笑いながらのその言葉に、周囲一同ほっと胸を撫でおろします。

 

「とはいえ、何のお咎めなしってぇのも良くねぇ。よってお前らには一週間、野菜の皮むきを命じる。勿論お前たちだけでだ!」

「げぇ……!?」

「そ、そんなぁ……」

 

 たちまち涙目になる彼ら。傭兵団の食事ともなると、その作業量も大変でしょう。ご愁傷様、と内心で同情します。

 

 

 

 

「さて……おまえさんの『それ』も対処しねぇとな」

「……あっ、こ、これは」

 

 周囲で、ソール兄様とレイジさんの殺気立つ様子がわかります、が。

 

「まぁ、そっちは任せとけ。知人との約束もあるからな、悪いようにはしねぇよ」

「知人、ですか?」

「まぁ、追い追いな。時間が出来たら話してやるよ」

 

 私の疑問にあいまいな笑いを返した彼は、ぽんぽん、と軽く私の頭を叩いて、私の横をすり抜けて背後で動向を見守っている傭兵団の方々へ向き直ります。

 

 

 

「いいかぁお前ら! このお嬢さん達は、俺の友人たっての依頼によって、俺たちの客となった! 特にこの可愛らしいお嬢さんは、最優先の護衛対象と思え!! 当然、その情報は最重要の秘匿義務があると思って接しろ、いいな!!」

 

 ヴァルターさんの、大気をびりびりと震わせる怒声が、戦場に響き渡ります。あまりの声量に、思わず耳を塞いでしまいました。

 

「この決定に不満がある人は、私の呪縛《ギアス》によってこの事をを口外できない契約の上で、退団とします!」

 

 続いて報告するフィリアスさんのその声。呪縛《ギアス》とは、大事な契約の際に用いられ、その内容に反した場合術者の力量次第ですが手痛い制裁を行う、ゲーム時代ではプレイヤーには使用できず設定で名前のみ出てきた魔法です。

 

 ……異論を上げる者はいませんでした。そのようなことは些末事であると、ただ淡々と、各々の武器の具合を確かめ、敵とぶつかり合う時を今か今かと緊張感を高めています。

 

「はは、当然ですね、このようなむさくるしい所帯にこうして可憐な一輪の花が現れ、しかも私達の手で守れ、などという名誉を与えられたのですから!」

 

 おどけて声を張り上げるゼルティスさんの声に

 

「おぉよ、血生臭せぇ戦場に向かうにもそのほうがやる気が出るってもんだぜ!」

「まぁ、男なら一回くらいかわいい子を守って戦ってみてぇしなぁ」

「そうそう、俺らこんなだから、たまにゃ怖がられるんじゃなく嬢ちゃんみてぇな子に感謝されてぇしよ!」

 

 周囲から追従し、歓声と、賛同の声が上がります。私を抱えたソール兄様も、周囲から庇うように佇んでいたレイジさんも、その和気藹々とした雰囲気に、ぽかんとしています。

 

 ――この人達は、私を、私達を助けてくれる。

 

 そのことが、私の胸に何か熱い物が込み上げてきます。何故ならそれは、この世界で初めての事でした。町の皆さんは、良くしてくれています。町長さんやミランダおばさんには、感謝してもし足りません。ですが……こうして、俺たちが助けてやる、そう言ってくれた方々はこれが初めてで、私たちが自覚していたよりはるかに重く圧し掛かっていた不安に苛まれながらもこの世界で過ごしてきた私、いえ、私達には、ようやく見えた光のようでした。思わずぽろぽろと涙の流れてしまった私、それにつられて涙ぐんでしまったソール兄様やレイジさん。そんな私達三人を、ヴァルターさんは、まるで親類の子を見守るような優しい目で見つめていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴァルターさん率いる第三班と合流し、ヴァイスさんら三人は、私の護衛という形で私達と行動を共にすることとなり、これで六人で一班の全四班、総勢二十四人。態勢を立て直した私たちの眼前に、同じく混乱を収めて態勢を立て直したゴブリンジェネラル率いるゴブリンの群れが再度その姿を現します。その戦力差、単純な数ではおよそ五倍はあるでしょうか。

 

 ――あんま気張るなよ

 ――任せておけ、負けやしねぇよ

 

 最後尾で全体の補助と治療を受け持つことになった私を後ろから追い抜いていく彼らが、口々に私たちを勇気付けるように声をかけ、前線へ向かっていきます。彼らに報いるためにも、私にできることを全力でやりましょう。幸い、もはやこの場に隠蔽しなければならないものは無くなったのですから。

 

 決意を新たにする私の背に、黄金に輝く六枚の羽根が現れます。その光景に、周囲から、おぉ……と、どよめきの声が上がります。

 

「『我の英知解き放ち、遍く注ぐ光……有れ』……!」

 

 私の両手首を中心とし、ゆらゆらと廻る幾何学模様でできた光輪が現れます。

 

「『スペル・エクステンション』……皆に力を!!」

 

 私の口から矢継ぎ早に続々流れる呪文。

 

パワーエンチャント(筋力強化)

スピ-ドエンチャント(瞬発力強化)

コンセントレイト(反応速度強化)

リジェネレイト(治癒能力促進)

 そして『ヴァイス・ウェポン』

 

 次々発動させていく援護の魔法の光が、私の手の光輪を通過する際にまるで万華鏡を覗き込んだかのように煌びやかに拡散され、戦場を遍く満たして傭兵団の皆さんへと降り注いでその身体能力を底上げしていきます。

 

「はは、こりゃすげぇな!」

「ああ、負ける気がしねぇ、ありがとよ嬢ちゃん!」

 

 続々と、頼もしい笑顔で、軽い足取りで駆け出していく傭兵団の方々。

 

「姫、この戦闘に勝利を! どうか我が剣をご照覧あれ!!」

「この馬鹿兄貴の言うことは気にしないでいいよ! でも……大船に乗ったつもりでお姉さんに任せなさい!!」

 

 そんな他の傭兵団すら置いてけぼりにする勢いで駆け出す二人。それぞれ左右に分かれ、誰よりも最初に先頭へと到達したゼルティスさんの二刀の長剣、フィリアスさんの細剣と短剣が、最初の赤い華を咲かせます……この二人、先程も感じましたが本当に強いです。今の脚力、手際共に、レイジさんやソール兄様と遜色有りません……!

 

 右翼、左翼、それぞれへと迫るハイゴブリンリーダーが、それぞれ先陣を切るゼルティスさんとフィリアスさんと交戦に入りました。それに続いて、取り巻きのハイゴブリン達と傭兵団も交戦に入ります。

 そして、案の定、その上から降り注ぐ矢。彼らハイゴブリンの硬い皮膚には僅かな痛痒にしかならないが故の味方をも巻き込んだ一斉射は、予想通りです……!

 

「――『全ての害意を拒絶し、我らを守護する光、有れ……ワイドプロテクション』!!」

 

 私を中心に戦場へ波紋のように広がる光が、周囲の味方に光の防護膜となってその身を包みます。刹那、矢が雨のように降り注ぎます……だけど、しかし。

 

 それで血を流したのは、彼らの方でした。ゴブリン達の予想していたであろう血にまみれ地に転がる私たちの姿は存在せず、逆にその油断を突いて矢の雨に臆せず突貫した傭兵たちの手により、数体のハイゴブリンが、刃に貫かれて崩れ落ちます。

 

 

「……はぁっ! はぁっ……はっ……はっ……」

 

 一連の援護が、私の魔力を大きく削り、急速な疲労感に杖を支えに肩で息をつきます。そんな私に、背後から現れたヴァルターさんが、ポーションの小瓶を差し出してきます。

 

「よくやった。とりあえず嬢ちゃんのおかげで戦況は優位だ、今のうちに休んでおくんだ」

 

 開栓して渡されたそれを受け取り、必死に嚥下します。まだまだ私の仕事は増えます、バテている暇はありません……完全に、ヒーラーが自分一人という状況で戦線を支えた経験は、私にもないのですから。

 

「……それじゃ、俺も行ってくる、あとの指揮は手はず通りにフィリアスに」

 

 そうヴァルターさんが、共を数人だけ付けて、迷彩柄の外套を被って姿をくらまして向かうのは、奴らの後方、周囲に補助魔法を維持しているゴブリン……ゴブリンメイジの集団です。後方からの弓兵の撃ち合いが始まった事により頻度は減っていますが、完全に止まっているわけではありません。敵陣深くに切り込むため非常に危険な役回りでありますが……彼らの目には、確かな自信を宿し、気負いのようなものはありません。

 

「ああ、そうそう、連中は手先が器用だ、何を用意していても不思議じゃねぇ……くれぐれも、油断するなよ、それじゃまた後でな」

 

 そういって地を這うほどの低姿勢で音もなく駆け出し森の中に消えたた彼らに、私たちは、気を引き締めるのでした。

 

 

 ……今、この瞬間も、敵が迫っていました。その中でも、ひときわ強烈な殺意と、その内に見え隠れする背筋が泡立つような獣欲。『ゴブリンジェネラル』が、こちらを見ている。先程から、派手に援護魔法をばら撒いていた以上、その目に留められるのは当然でした。そして、彼らは強い子孫を残すため、特に魔力の高い女性を好んで狙う傾向があるとも何かで見たはずです。

 

 ……完全に、ロックオンされた、その確信に僅かに動悸が激しくなります。ゲームの時は最初期のレイドボスであり、最近では一般の野良パーティですら対処できる相手だったとはいえ、ここはゲームとは違う法則で動く現実、そして私たちはその時ほどの能力はまだありません。決して楽な相手などではなく、一瞬の油断もするわけには行きません。

 

 直衛として、私の少し前で待機していたレイジさんが大剣を抜き放ち、ソール兄様がその大盾を構えます。

 

 

 ――戦闘は、まだまだ始まったばかりでした。

 

 



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ゴブリンリーダー討伐戦3

 

 眼前に迫る矢の雨。それに正面から突っ込めと言うのは、流石に肝の冷える命令だった。が、この身に纏った守護の魔法はその効果を確かに発揮し、油断に気の緩んでいた向こうの数体の上位種を最初の不意打ちで仕留め切る、という僥倖を達成せしめ、趨勢は大きく私達へと傾いていた。

 

 本来であれば数人がかりで苦労して仕留める上位個体が紙のように蹴散らされ、敵側は浮足立っている。そんな周囲を流れる光景はまるでスローモーションのようにゆっくりと流れ、そんな中、普段と変わらぬように動ける今の身体能力は如何程に跳ね上がっているのか、本来であれば苦戦は必至であろう戦力差を容易く覆していた。

 

 

 

 

 

 私達第一班の役目は、速やかに敵に打撃を与えて回ることだ。そのため、団の中でも、とりわけ攻撃に秀でた精鋭の集められた班であり、光栄にも私は切り込み隊長としてその統率を任されている。

 

 まずは敵の指揮官の首を取る。向こうの指揮官はざっと見た限り、十数年単位の非常に稀に出現する、人の間では災厄扱いされる異形の巨体のゴブリンジェネラルと、その周囲に側近として侍っていたハイゴブリンリーダー……今回同行した彼らがそう呼んでいた……の二体で、その二体はそれぞれ右翼と左翼に展開した敵の部隊の統率に当たっている……そのうち一体に喰いついた。

 

 私が率先して敵陣を食い破って奥深くへと切り込み、その亀裂を他の物がさらに食い散らし蹂躙する。いつも通り、今回もそれは変わらない。だがしかし、今の私を止められるものなどありはしない。『姫』の補助魔法という加護によりいつもよりずっと軽い体は冴えわたり、すでに私はリーダーと切り結び合い、周囲では仲間たちが周囲の雑兵を千々に蹴散らしている。数での不利は明白だが、それでもこれだけの支援を受けて尚この程度の敵を相手に後れを取るような我々ではない。背後にて、あの神々しい翼をはためかせた可憐な姫が勝利と無事を祈っていると思うと、普段むさくるしい男所帯である私たちの意気も軒高というものだ。

 

 そしてなによりも彼女の治癒術の存在。はっきり言うと、彼女の扱うこの治癒術の効果は異常だ。本来治癒術というのは、その者の治癒力を高め、安全な後方で時間をかけてその傷を治すものだ。しかし彼女から飛んで来るものは、本来であれば戦線離脱は必至であろう怪我を負っても、すぐさま飛んでくる治癒の淡い光が、即座に戦闘可能な状態に復帰させる。

 これだけの効果を発揮する治癒術を扱う者は実のところ時折現れるが、その大体が「聖人」や「聖女」などと崇められ、教会に囲われてしまうことが殆どだが、話に聞く彼らと比較しても、彼女のこれは規格外な効果に思える。そして、何より彼女はそれを離れた場所へ複数人同時に行使している。

 

 その彼女は疲労の色が見えるためあまり無理はさせないよう厳命しているが、それでもその有無は精神的余裕に繋がり、どうしても戦場の中で行動不能になるのを避けるための安全マージンを取らざるを得ない普段とは段違いの実力を皆が発揮でき、結果として敵の殲滅速度を加速し負傷の軽減に一役買っている。

 

 

 

 右の剣が閃くたびに氷片が、左の剣が閃くたびに爆炎が戦場を舞う。敵の指揮官の激しい剣戟を右に左に切り払い、隙をこじ開けてはその硬い表皮に剣を叩きつける。戦闘開始時には身に着けていた向こうの防具は全て砕け、無様な半裸を晒しているが、その身に致命打はまだ叩き込めていない。なるほど、この敵は確かに部下には厳しい相手かもしれない、だが、今の私には対処できないほどの相手ではない。確かに敵の膂力と速度は凄まじいが、ただそれだけの事だ。

 

「ふふ、ふふふははは!!」

 

 顔が、喜色に緩むのを感じるが、止めることはできない。そう、私はとても嬉しい。嬉しいのだ。

 

 

 

 

 

 ――まだ幼かったその日、奥まった場所にある部屋で彼女を見たのはただの偶然だ。たまたま悪戯心と、突入していた反抗期故の僅かな反抗心で、近寄らぬようにと父にきつく言われたその部屋へ忍び込んだ私は、蒼い月明かりに照らされた、この世のものと思えぬ彼女の神秘的な横顔を、ただ茫然と見つめていた。

 

 僻地に隠れるように暮らしていたというその天族の少女の、このような状況にあって、幼いながらも人形のように動かない整った横顔。ただの村娘などと言われても到底信じられぬ、触れれば儚く溶けて消えてしまいそうなその様。まだ幼い少女に使う言葉ではない気もするが、ただひたすらに美しかった。この日、私は親の家を継ぐためと慢性的に騎士になる道を歩んでいた中で、初めて自分の意思でこの者に仕えたいと、そう思ったのだ。

 

 聞けば、父がいずこからか攫ってきたという。それを聞いた瞬間、我欲に幼気な少女をその毒牙にかけようとする父を許すことができず、その時から幼い正義感から行動を始めていた。

 

 清廉な騎士であった叔父への密告。子供だからと警戒されていないことを利用し、必要な情報を次々と集め内密に横流しした。そうして流された情報のいくつかが、父の失脚の理由の何割かに及ぶのだとか。そう、私は彼女のために、何のためらいもなく親を売ったのだ。

 

 家、約束されていた将来、全てを失ったが、それで彼女が束縛から解放され、慰み者とならずに済むのであれば、これでいいと思った。後に彼女の身元が正真正銘、仕えるべきであった姫君の出自であると発覚し、それを略取しようとした男の息子という烙印の押されたこの身では、その騎士になる道がすでに閉ざされていたことに涙もしたが、それでも後悔はしていなかった。

 

 家を失った私は、それまで培ってきた剣を頼りに、何故かわざわざ付き合ってついてきた妹と共に傭兵の門をたたき、転戦を繰り返す中で頭角を示してヴァルター団長に引き抜かれ、今の椅子についた。彼女の事はもう終わったことと、既に諦めていたのだ。しかし、たまたま立ち寄った町で偶然、朽ちていたはずのその夢は突如現実の扉を叩いてきた。

 

 

 

 

 

 ああ、私は今とても浮かれているのだろう。

 

 ――七年前と見た目が変わってない? 些細な問題だ。どうだって構わない。

 

 ――絶滅したはずの光翼族? 何も問題はない、剣を捧げる相手として、むしろ願ったりだ!

 

 団長は彼女の保護を考えており、今は同じ道を歩むであろう。しかし、その道が分かたれた場合、私は貴女の騎士となることも吝かではない。貴女が望むのであれば、私は迷わず貴女に剣を捧げ、貴女の騎士となろう。

 

 騎士の道は夢と消え、初めて剣を捧げたいと願った貴女は手の届かないところへと去ってしまった。そのはずだったのに、だが今こうして、貴女のために剣を振るうことができる。潰えたはずの夢が、今帰ってきた、その歓喜の前に障害など存在しない!

 

 

「今日この時に、私の前に立ち塞がった己の不幸を呪え!」

 

 私の滾る忠義の想いを糧にして、右の剣に激しい闘気が奔り、周囲に霜を下ろすほどの冷気となる。左の剣で、敵の攻撃を強引に払う。爆炎と衝撃に堪らず態勢を崩した我が敵……ハイゴブリンリーダーが、不格好にその胴を無防備に晒した。

 

 いくら皮膚が硬かろうが、削られ続ければいつかは貫ける。今までずっとこの瞬間のために、準備は整えてきた。冷気に、炎、全く異なる性質の攻撃に晒されてきたそこは、今やぼろぼろに罅割れている……貫く!

 

「『蒼の茨(エスピナス・アスール)』!!」

 

 鋭く、ただひたすら鋭く、貫き通すその一撃が、脆くなったそこを抵抗も許さず剣の根元まで貫通する。

 

「……散れ!」

 

 次の瞬間、剣に纏っていた闘気が全て敵の体内で氷の蔦と化し、柔らかい内側を突き破ってその体をズタズタに引き裂いて、みるみるその敵の命をを啜り氷の花が咲き、その命を完膚なきまでに貫き穿っていく。

 

 

 

 ――彼は、知らなかった。その技が偶然にも、彼が敬愛する姫と呼ぶ少女に侍る者が、つい先程同じ敵を屠るのに使用した技に非常に良く似た性質のものであるという事を。

 

 

 

 数秒後、二体居たハイゴブリンリーダーの片割れは、内部から無数に生えた氷柱にめった刺しにされ、内側から蔦と花に食い破られるような奇妙なオブジェとして倒れることも許されぬまま朽ちていった。

 

 

 勝利の余韻に浸っている暇などない。私が仕事を手早く消化すれば、彼女の負担はそれだけ減らせるのだから。次はあいつだ。反対側、敵右翼で未だ妹……フィリアスの切り結んでいる敵指揮官へ向けて、地を蹴り駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あはは……さすがにきついねぇ……」

 

 敵指揮官と切り結びながらぼやく。なんせ、指揮をしながら敵指揮官を抑えているのだ。褒めて欲しいくらい。幸い、足止めに徹している分にはそれでもどうにかなりそうだ。

 

 元々私達第二班は、味方の援護を目的とした魔法使いと弓兵中心の部隊で、単独行動を取っている団長の第三班を数人借りて戦線を維持しつつ、第二班は他の戦場に援護をさせている。そう、私たちの目的は戦線の維持。勝つ必要はない、ここでこちらの敵が他に流れないように食い止め、左翼へ突っ込んだ兄貴の第一班が向こうを食い破り、こちらに駆け付けるまで持たせれば……

 

「フィリアス! こちらは任せろ、お前は姫の援護へ!」

「って早っ!? え、もう倒したの!?」

 

 馬鹿兄貴が、疾風のように私の切り結んでいたハイゴブリンリーダーに斬りかかる。見れば兄貴の担当だった敵左翼は指揮官を失いぼろぼろに潰走し始めており、兄貴の部下が掃討にあたっている。私の見立てではもう少しかかるはずだったんだけど、いくら何でも早すぎない!?

 

 そうは思ったが、普段は穏やかな、しかし茫洋としており表情のあまり読めないその横顔に、おそらく私にしか分からないであろう嬉々とした色を見つけ、察した。

 

 あちゃー……めちゃめちゃ浮かれてる。そうだよねぇ、「お姫様」と念願叶って再会したんだもんねぇ。

 

 何年も前に一目だけ見た時とは全く違い、表情豊かで可愛らしいあの子を脳裏に浮かべる。

 

 ……うん、守れる。あの冷たく無表情だったあの子だったら兄貴のように何をおいても守ろうなんて思えないけど、今の表情豊かなあの子なら、私も守りたい。不安げに揺れていたその目はまるで小動物のようで、可愛い物好きなこの心を激しく揺さぶって、正直食堂のあのときも抱きしめて、その見るからにすべすべで柔らかそうな頬に頬擦りしたかったのを全力で堪えていたのだ。

 

 ()()()()()()()()()()、あの子を守りたいと思っていた。そのことに微かな疑念はあるが、悪い子じゃない、むしろ心優しい良い子みたいだからまぁ良いかぁ、とも思う。小さい子猫を思わず守りたくなるようなものだろう、うん。

 

 っと、いけない。お仕事に集中しなければ。気が付くと、後方からの矢はすでに止まっていた。どうやら向こうは団長がもう片付けたらしい。きっともうすぐ合流するであろう。

 

「第二班はここで第一班の援護を。速やかに片付けて合流せよ。第三班は私と共にゲストの彼らの援護に回る、第二班打ち方用意、第三班はそれに合わせて離脱を! ……放て!」

 

 私の号令に合わせて、今まさに離脱しようと反転した第三班の背後を追おうとする敵に矢と魔法が襲い掛かる。それで怯んだ隙に無事離脱した彼らを確認し、私もその背後に追従し駆ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ、まぁこんなものか」

 

 動かなくなった敵後衛部隊を見回す。ここまで侵入してしまえば、大した相手ではない。ゴブリンメイジに加え、背後の弓兵もあらかた始末した。援護もつぶしたことだしさっさと戻ってあいつらの援護を……

 

「……ん、何だ、こりゃ」

 

 敵の一体の遺体の、粗末な衣装から覗く、不自然な物体。手に取ってみると、まるで粘土のような……いや、まさか。

 

「こいつら、こんなものを……! おい、お前ら、急いで戻るぞ!」

 

 言うが早いか、地を蹴り全速力で来た道を戻る。

 

 誰に教わったか知らねぇが、こいつら……なんてものを用意してやがる!

 

 各々の役目を果たせば特に問題はない、その考えは、予想外の『これ』の存在で覆されてしまった。

 

「無事でいろよ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに私の魔力は半分を割ったでしょうか。ぜぇはぁと、荒い息をどうにか整えようと肺に酸素を必死に取り込みます。そうして体が揺れるたびに、何本も開けたマナポーションやウォーターでお腹の中がちゃぷちゃぷしているのを感じます……飲み過ぎました、苦しいです。これ以上は飲めません。きっと今私のお腹はぽっこり膨れているに違いありません、気持ち悪いです。

 

 『イーグルアイ』により強化された視力で、戦場の様子を俯瞰し、ある程度以上身動きの取れなくなりそうな怪我を負ったものに回復魔法を飛ばす。言うだけであればそれだけですが、これだけの人数を一人で、それもバフを維持しながら、その効果時間とリキャストをカウントしながら同時にこなす、というのは、魔力的にも肉体的にも大きく負荷をかけ、酷使された頭が微かにキリキリと悲鳴を上げ始めています。

 

 しかしそれも、先程から敵の後衛から放たれる矢が途絶え、敵の半数が潰走を始めたことでぐっと楽になり始めました。呼吸を整えながら眼前の戦闘を眺めます。

 

 

 

 上空からソール兄様の放った『チェーンバインド』が、ゴブリンジェネラルの腕に絡みつきます。本来は自分以外へと向かうターゲットを自分に固定するためのこの魔法のこの世界での特徴、「起点は発生地点から移動しない」という特性によって、今し方振り下ろそうとした剣を持った腕は途中で止まります。もっとも、それで留め置けるのは僅かな時間でしょうけれども。

 

「レイジ!」

「言われなくても!!」

 

 その時にはもうすでにチャージの完了していた『閃華』が、そのがら空きの鎧を纏った胴に突き刺さります、が。

 

「くそっ、硬ぇ!!」

 

 解放されたその闘気が、爆発となってゴブリンジェネラルの鎧の一部を砕き、表面を焼く……そう、表面です。この技は内部に浸透させてこそで、こうして外側で炸裂しても本来の効果は認められません。大剣を振り切った姿勢で硬直するレイジさんに、ニタリとゴブリンジェネラルの顔が喜悦に歪み、剣を手放した岩塊のような腕が振り下ろされます。

 

「まぁだだぁあああ!!」

 

 絶叫とともに上空から加速して飛び込んできたソール兄様が、レイジさんの傍らに矢のごとき勢いで降り立ち、着地の低姿勢から飛び上がるように鋭角を描いて剣閃が奔ります。

 

「爆ぜろ!! 『ライトニング・ヴェイパー』……ッ!!」

 

 地を這う位置から跳ね上がった刺突が、雷光をまき散らし、今拳を振り下ろそうとしたゴブリンジェネラルに先んじて、その胴に突き刺さります。僅かに食い込んだ剣先から目もくらむような雷光が迸り、ゴブリンジェネラルの巨体を焼く、その衝撃に数歩たたらを踏んで、後退します。

 

 ……?

 

 あれ、今、何か違和感が……まるで、先程のソール兄様の『ライトニング・ヴェイパー』の雷撃が、背後のゴブリン達に襲い掛かるのを庇うように、腕を広げてその身を盾にしたような……?

 

「……凄ぇ、一歩も引かねぇどころか、あの二人のほうが押してねぇか?」

 

 私の護衛としてこちらに接近する敵の排除に当たっていた傭兵の一人、その背後からの声に、我に返ります。そう、二人は目まぐるしく入れ替わり立ち代わり、お互いの隙を埋めるように間断なく攻め立て、あの巨体をじりじりと後退させています。

 

 ……しかし、その耐久力はやはり恐るべきもので、二人だけではいくら攻撃を重ねても、未だ有効打を与えられずにいます。私たちの役目は、この戦場で最も危険性の高いこの親玉をここに縫い付けておくこと。その間にゼルティスさんとフィリアスさんが周囲の掃討を行い、総力を挙げて最後にこの一体にぶつける。ゲームではレイドボスだっただけあり、十数年に一度と言われる頻度でしか現れないというこの存在は、この世界ではそれだけの戦力を挙げ事に当たらなければいけない脅威であるとのことでした。

 

「負けねぇ、いつか絶対……っ」

 

 鬼気迫る様子で、先程から私の傍やや前方に控えた傭兵の彼……ヴァイスさんの矢が、たたらを踏むジェネラルの背後から隙を伺っているゴブリン達を射抜いていきます……二人がジェネラル相手に集中できているのは、おそらく彼が牽制しているため、背後に控える敵ゴブリン達が余計な茶々を入れれずにいるおかげなのでしょう。役目の邪魔にならぬよう、今は心の内でだけ礼を述べておきます。

 

 形勢不利と悟ったのか、残った共を連れ後退しようとする敵。しかし、その後ろにはフィリアスさん率いる第三班の皆さんがすでに迫っています。

 

「グゥゥゥゥルルルゥゥゥアアアアアアアア!!」

 

 それを見たゴブリンジェネラルが咆哮を上げ、何らかの魔術らしきものを地面に叩きつけます。

 

「ぐあっ!?」

「がっ!」

 

 破れかぶれに……と、この時は思った、ゴブリンジェネラルから放たれた魔法……広域に電撃をまき散らす魔術師の初級魔法『スパーク』によく似たそれが大地とそこに倒れ伏すゴブリンの遺骸を嘗め回し、今まさに集結しようとしていたた第三班の一部を巻き込んで広がっていきます。大した威力は無いものの、その効果によって痺れたレイジさんやソール兄様を始め、付近にまで迫っていた傭兵の前衛数人が膝を着きます。

 

「レイジさん! 兄様!? 今、回復を……『レスト・フィ』……?」

 

 効果範囲外だったため無事な私は、彼らを戒める麻痺を解除しようと詠唱を開始し……その時、たまたま、本当に偶然目の合った彼……ゴブリンジェネラルの顔が、歪に歪んだような気がしました。何か愉悦を堪えるかのような……?

 

「……っ!? 『全ての害意を拒絶し、我らを守護する光、有れ……ワイドプロテクション』……っ!」

 

 背筋を奔った猛烈に嫌な予感に、反射的に使用魔法を切り替え、リキャストを終了し温存していたワイドプロテクションを発動します。強引な魔法行使キャンセルとそれに続く魔法使用で激しく魔力が乱れ、大きなロスを加えて残り少なくなりつつある魔力がさらに目減りする感覚にぐらりと視界が傾ぎますが、それでもやらなければいけないと本能が警鐘を鳴らしています。

 

「……っ! 総員、防御態勢!盾を持っている人は前に……」

 

 私の様子に気がついたフィリアスさんが、咄嗟に指示を飛ばし、傭兵の方々もすぐさま反応して対応しようとしています、か、それでも。

 

 同時に、周囲のゴブリン達の遺体の懐や腰布、衣服の裏から、ぽぅ、と青い光が立ち上ります。それはまるで先程の雷撃の色にそっくりで……

 

(……お願い、間に合って……っ!?)

 

 何が起きているのかも把握できぬまま、祈るように、広がっていくワイドプロテクションの光を見つめます。その光がレイジさんやソール兄様を包み、傭兵団の皆さんの間を走り抜け、傭兵団の最後尾、フィリアスさんのところに届いた、その瞬間。

 

 

 

 目を灼く閃光と、衝撃としか理解できない轟音が、私のすぐ眼前の空間、皆が戦っているその場を埋め尽くしました――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全身を叩く熱風が収まってようやく顔をあげたそこは、からん、からんと未だに瓦礫が降り注ぎ、大きく抉れ吹き飛んだ、土くれの地肌を晒す大地、つい先ほどまでと全く異なる光景が、眼前に広がっていました。これは……

 

「……爆、薬?」

 

 火薬ではない、爆薬。広がった衝撃波が周囲に壊滅的な被害を及ぼしたその光景に、呆然と呟く。

 

 突如炸裂したゴブリンの遺体によって、今まさに殺到していた傭兵団、フィリアスさんの率いていた第三班の大半が炎に巻かれ、衝撃に打ち据えられて倒れ、それより更に至近で直撃を受けたソール兄様とレイジさんはひとたまりも無い……はずでしたが、それでもどうにか間に合わせたらしい、兄様の『インビジブル・シールド』の魔法と、私のプロテクションの効果で、その周囲だけ地面は綺麗に残っており、二人とも五体満足で健在で、今もどうにか身を起そうとしています。

 

「被害状況を……」

 

 先の轟音の影響か、やけに遠くに感じる小さな音で、フィリアスさんが指示を出す声が聞こえます。

 

 その被害は周囲甚大で……だけど、皆生きてる!

 

「いま回復を……」

「駄目だ! 逃げろ!!」

 

 そんな皆を慌てて治癒しようとした私に向けて投げかける鋭いレイジさんの声に、思わず顔を上げた瞬間。

 

「……え……!? あぐっ!?」

 

 飛来した……砲弾のように投げつけられた、未だ帯電しているゴブリンの一体が私の纏うプロテクションに直撃し、その重量と、ゴブリンジェネラルの膂力で投げられた速度による衝撃でたまらず吹き飛ばされ、数回地を転がりようやく止まります。

 

「……う……っく……」

 

 倒れている場合ではない、回復が必要な人は沢山いる。しかし力の入らない足でよろよろ立ち上がろうとするも、あちこち叩きつけた衝撃と、体に走った手足を痺れさせる電撃、散々転がっておかしくなった平衡感覚のせいで上手くいかない。急いで起き上がらないと。こうしている間にも、皆が今危機に晒されてるというのに……しかし、そんな身を起そうとする背後から、かちゃかちゃと何か金具を外そうとするような音……が……

 

「おいガキ! 駄目だ、早くそこから離れろ!!」

「……え?」

 

 必死なヴァイスさんの声。顔を上げるとすぐ傍に、慌てて何かを服から取り出し投げ捨てようとする先程投げつけられたゴブリン。その手に持つ白い粘土のような物体が……その中に埋め込まれた筒状の何かが光を……放ち始め……

 

「……っ、あっ」

 

 何も、する暇はもう残されていませんでした。

 

「くそがぁああああああ!!」

 

 呆然と見つめる目の前で、どうにかその不吉に光る粘土を投げ捨てようとしていたゴブリンが、爆轟に飲まれ消し飛ぶ様子がスロー再生のように目に映ります。私の眼前に、飛び込んでくる叫ぶ人影。誰かに抱き留められ、地面に引き倒される感触……それが何かを確認する間も、ありませんでした。

 

 

 

 次の瞬間、眼前の誰かの体越しに炸裂した、閃光が、私を、私()を飲み込んで――……



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命の優先順位

 

 

 ――意識が浮上する。

 

 ……私は……何をしていたんでしょう。思考に霞がかっており、咄嗟に思い出せません。視界は何かに塞がれ、狭い場所に居るのか体が殆ど動かせません。そんな私の眼前で、ぱきぱきと罅割れた『プロテクション』が、淡い光を残して消滅します。

 

「……っ!」

 

 途端に、体に圧し掛かってくる重量。生暖かい体温と、硬く引き締まった筋肉の感触。これは、今、男性に圧し掛かられて……

 

「やっ……っ!?」

 

 一瞬で恐慌状態一歩手前まで恐怖心が募り、咄嗟にその上に居る人物を押しのけようとして。

 

 ずるり。

 

 何か、湿った感触を残して何かが剥ける様に滑り、手が虚空を掻きます。

 これ、は……直前の状況がようやくまともに再起動し始めた脳裏に再生され始めます。

 

 ――閃光。

 

 ――轟音。

 

 襲い来る衝撃波に、人二人分程度の体重など紙のように吹き飛ばされ、追ってきた炎に包まれて……

 そうだ、私は、あの時……

 

「……よう……目ぇ……覚めた、みたいだな……」

 

 頭上からの声。これは、つい今日から聞くようになった……そう、ヴァイスさんの。そこまで思い至ったところで、圧し掛かっていた重量が転がるように上から消え、夕焼けの西日が目を刺します。

 

「……はっ……やっぱ、ガキ、だな……硬ぇし、痩せてて抱き心地良くねぇし……がはっ」

「ヴァイスさん!!……ひっ!?」

 

 ようやく状況を把握し飛び起きた私の目に飛び込んできたのは、全身酷い火傷を負い、服が破れむき出しになった素肌のところどころが赤黒く焼け焦げ、至る所から血を滲ませている……つい数瞬前とは似つかぬ姿の、ヴァイスさんでした。

 

 私は、特にどこにも異常は感じません……これが、あの状況で一枚だけのプロテクションのおかげとは思えない。現に、一緒に巻き込まれたヴァイスさんはこのように無残な状況で。二枚の……二人分のプロテクションと、一人の人間の壁、それが、私をあの状況下で無傷足らしめた理由……!?

 

「い、いま治療を……痛っ!」

 

 慌てて手を伸ばすその手が、ぱしんと叩き落される。

 

「要ら、ねぇ……そんな事より……お前にゃ、やることがあんだろ……が、よ」

「そんな、このままだとすぐに……」

「うる、せぇ! 俺の仕事はてめぇを守る事……っ! テメェの仕事は……あっちだろ、がっ!」

 

 その剣幕で思わず目を向けた、血を吐くような声で指さしたそこでは、未だに戦闘が継続中でした。ゴブリンジェネラルは、苛立たしそうにまとわりつくソール兄様とレイジさんを引き剥がそうとしていました。それは、向こうも余裕がないということ。おそらく今のが起死回生の一手だったのでしょう……私を攫い、自分が逃げるための。しかし、その目論見も崩れて、ここを立て直せさえすればきっと皆が終わらせてくれる。

 

 だけど……あぁ、だけど

 

 最前線でどうにか食い下がるソール兄様は、片手一本で盾を操り……もう片手は、剣も握れずだらりと下がり、おかしな方向を向いてしまっています。そんなソール兄様をカバーしようと動き回るレイジさんが、突如胸を押さえ喀血しました。他の傭兵団の皆も似たような状況で……満身創痍、それが私たちの現状。

 

「……勘、違い……するんじゃ、ねぇ……俺は……足を引っ張りたくてお前を助けたわけじゃねぇぞ……っ!」

「……っ」

 

 ぎりっと、唇をかみしめて、立ち上がります。そうだ、私にはやらなければいけないことがある。ここの全員の命を預かる者として、選択しなければいけない義務が。

 

 ――どちらが優先か。

 

 決まっている。はっきり言って、ヴァイスさん一人の順位はそれほど高くない。この場で戦線を支える、まだ向こうで戦っている人たちの方が優先に決まっている。なぜならば、向こうが瓦解してしまえば残った私たちはどうにもできず、それまでなのだから。分かり切っている、ことです。ずっと、ずっと、ゲームの時からやってきたこと。だけど今度は、本当の……

 

「――セスト(真言)シェスト(浄化の)エレ(第11位) ファーネ(慈愛)フーシャ(包め)リーア(光よ)イーア(治癒を)リーア(光よ)リナーシタ(再生を)リーア(光よ)ラーファト(治癒を)……」

 

 分かる。分かってしまう。これで私の魔力は完全に打ち止めになります。余力はもうありません。二次職『ビショップ』時の最上位広範囲回復魔法。弱体したこの身では負担は大きく、しかし、今の状況を一度に打開するには使うしかありません。幾度も使用した魔法の効果範囲が私の脳内に幻視されます。詠唱完了まで数秒しかない中で、どうにか全員収めることができないか必死に探します。

 

 ……しかし、どうしても距離が離れすぎています。願いも空しく、私の口は無常に術を完成させようとしています

 

 ごめんなさい

 

 ごめんなさい、ごめんなさい!

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!

 

「……ギィス(抱擁する) アフゼーリア(女神の祝福の) ディレテ!(息吹) 『ゴッデスディバインエンブレイス』!!」

 

 荒れ果てた大地に、光の軌跡が幾条にも走ります。それは立体的な魔法陣を形成し、半球状に広がり、傷ついた者たちを温かく、柔らかく包み込んでいきます。焼け野原となった大地には緑が芽吹き始め、あらゆる怪我、不調をみるみる溶かしていきます。

 

 ……私と、ヴァイスさんの二人を除いて。

 

 私の全身の魔力は、無情にも、全てこの魔法に吸い上げられて、みるみる枯渇していきました。

 

 全身の力が急速に抜け、がくりと膝が落ちます。が、杖を支えにしてギリギリで堪えました。まだ、倒れるわけにはいきません。もはや殆ど五感も失われ、ひゅう、ひゅうと掠れるように弱々しく空気を吸い込む音だけが嫌に響きます。とうに限界は超えていることは明らかで、手足の感覚も既にありません。それでも、見届けなければいけない。皆を救うため、私は一人を切り捨てたのだから。

 

 ――でも、仕方ありませんよね……? 私は、これほど消耗するまで、限界まで頑張ったんですから……。

 

 

 霞む視界に、戦闘の様子が移ります。いつの間にか種族特徴解放したレイジさんとソール兄様が、先程の劣勢が嘘のように激しく切り結んでいます。その背後からは、元の機敏さを取り戻した傭兵団の方たちが、フィリアスさんの指示の下周囲の掃討と二人への援護を。

 

 頑張った。

 

 頑張ったんです。必死に。

 

 頑張ったのだから……諦める?

 

 今……この目の前で消えていく命を……諦める?

 

 

 

 ……嫌、です。

 

 ……諦めたくない。

 

 ……諦めたく、ない……っ!

 

 まだ、まだ残っているはず! 必死に、四肢から、搾りかすのような魔力をかき集める。足りない……足りない! でも、やらないと! 諦めない、絶対に諦めたくない! 諦めてたまるものか!!

 

 手の中に、淡く儚い光が灯る。足りない、これではまだ、まともに効果を発揮できるとは思えない。それでも……それでも! お願い、どうか、どうか……っ! もう少し、力を貸して、この体!!

 

「……おね、がいっ……だからぁ!! もうちょっとだけ、頑張らせてよぉお!!」

 

 みっともなく、駄々をこねるように泣き喚き絞り出した魔力が、かすかに『ヒール』を発動する兆しを見せるもう少し。あと少し!!

 

「ぅぅぅぁぁぁあああああああああ!!」

 

 喉が張り裂けても構わない、そんな叫びと共に強引に発動した『ヒール』の光が、ヴァイスさんを頼りなく包み込むのを目の端にとらえるのを最後に、私の意識は深く、深く闇の中へと沈んで――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……目、覚めたか……よかった」

 

 深々と、安堵のため息が横から聞こえてきます。これは……レイジさん?

 見慣れてきた、借りてきた自室の天井を背景に、ソール兄様の、心配げな顔が朧げながら見えました。ミリィさんの、怒ったような、泣いているような表情。全身に触れる感触は、真剣な顔をしているフィリアスさんでしょうか。

 

「今、手に触れてるけど、分かる? ……今度は足首。これ、何本に見える……視界は、まだ不完全みたいね」

 

 そんなフィリアスさんの手が、体の各部を軽く握ったりしながら質問してきます。一つ一つ答えていきます。感覚はちゃんとありますが、視界だけはぼやけてどうにも見えません。そして、全身に絡みつく激しい倦怠感。指一本動かせる気がしません。

 

「魔力枯渇だ。体が自衛の状態に入っている以上、体外に魔力を消費する行為は体が受け付けないだろう。通常の体調に復帰するまで数日は魔法は使えないぞ」

 

 離れた場所から……これは、ヴァルターさんでしょうか。

 

「戦闘は、もう昨日終わっている。嬢ちゃんは丸一日眠っていたんだ」

 

「……あの、人……はっ!?」

 

 そうだ、こうしてはいられない、怪我を治療しなければ。動かない体をどうにか動かそうとして、フィリアスさんに押し留められます。

 

「安心しなさい、ヴァイス君なら無事よ。ちょっと傷跡は残るかもしれないけど、命に別状は無いわ。他にも、全員無事。貴女以外はね」

 

 その言葉に、ふぅっと力が抜けます。良かった……本当に、良かった。

 

「全く……本当は、完全に魔力を全て使い切るなんて言うのは危険すぎてできないのよ、死んじゃってもおかしくないのに……お腹いっぱいポーションが詰まってたのが幸いだったかしら。でも、次は絶対やらないで」

 

 強く念押ししてくるフィリアスさんの声。あまりに真剣な声に、首を傾げます。

 

「そん、な、大げさ……」

「大げさなものか!!」

「そうよ、こんな……こんな無茶をしてっ!!」

 

 ドン、と頭の横に手が荒々しく置かれます。びくっと……というほど反応できませんでしたが、体を震わせる視線の先で、レイジさんが泣きそうな顔でこちらを見ており、ミリィさんも子供を激しく叱る母親のような怒り顔で睨みつけてきていました。

 

「落ち着け、二人とも。怯えさせてどうする」

「……悪い」

「……ごめんなさい」

 

 二人をたしなめたソール兄様の目がこちらを向きます……その目に浮かぶ色に、ぐっと言葉が詰まります。

 

「とはいえ、私も今回の事に関しては怒っている。大げさだなんて言わせない」

 

 深い溜息と共に、ソール兄様が疲れた声で続けます。

 

「……何度か、心臓が止まったんだよ、実際に」

 

 その言葉に、ひぅ、と息が詰まります。本当に、目覚めないところだったと。そこまで危ない事だったとは、思っていませんでした。今更ながら、血の気が引く思いがします。

 

「……ごめ……なさい」

「いや、謝るのはむしろこちらの方だ。これほどの無理をさせて済まなかった」

「とりあえず、休みなさい。今、酷い顔してるわよ、貴女」

「……はい」

 

 ヴァルターさんとフィリアスさんのその言葉にそう返事をして、皆が見守る中で目を閉じると、休息を渇望している体はすぐに睡魔に負け、意識は闇へと沈んでいきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから、ようやく身を起せるようになるまでに二日を要しました。ようやく近場での外出が認められ、強化魔法が使えないため不安定な足元を杖で支え、最初に向かったのは……目的の人物は、町の水場である井戸の傍らに居ました。

 

「……あの」

「ああ、起きたのか、良かったな」

 

 ぶっきらぼうに、皮を剥いている野菜の方から顔を上げずに答える彼……ヴァイスさん。

 

「野菜の皮むきは、今回の働きで免除になったって聞いたんですけれど」

「強制的に休暇取らされて、どうせ暇だから志願したんだよ……座れよ、杖ついてるやつに立たれてると居心地が悪い」

 

 乱暴に告げる彼の言葉に従って、そのあたり、手ごろな高さの石段に苦労して腰かけます。

 

「……魔力枯渇か。不便だな、それ」

「……慣れてます、ので」

 

 また、しばらく無言

 

「……傷跡、残ってしまったんですね」

 

 彼の顔には、左半分に所々、ケロイド状となった火傷跡が残されていました。致命的な怪我こそ私のあの時のヒールであらかた治せたらしいのですが、それも完全ではなく、大量のポーションで治療したとのことで、おそらく、服の下も……

 

「気にしてない。弓を引く分には何も問題ないそうだ、ならそれでいい……むしろ、命が助かっただけ僥倖だ、感謝しておく。」

 

 その言葉に、ふるふると横に首を振ります。感謝なんてされる資格はありません、何故ならあの時私は……

 

「……ごめん、なさい……っ!」

 

 泣かない、と決めたはずだったのに。ぽろぽろと、涙が溢れます。

 

「私は……あのときっ あなたの命を……っ」

 

 命を、数値で勘定してしまった。そして、彼の命を最下段に据えてしまった。身を挺して、ここまでの怪我を負ってまで助けてくれた彼を。あまりの罪悪感に、直視することもできず、止まることのない涙がぼたぼたと地に落ちていきます。

 

「あー……ったく、これだからガキは面倒なんだよ」

 

 ひっく、ひっくとしゃくりあげる私の目の前が、ふっと陰ります。

 

「ひぐっ……え……?」

 

 中指と、親指で輪を作った彼の指が……私の目の前に……え?

 

「……あだっ!?」

 

 突然おでこに軽い衝撃とびりっとした痛み。驚いて、おでこに手を当てて目を瞬きます……デコピン?

 急な出来事に混乱する私の前に、びしりと指が突きつけられます。

 

「いいか、お前は団の連中を全員助けた。そいつはお前にしかできないお前の仕事だ。ついでに俺もこうして生きてる。俺が怒ってるとしたら、後から聞いたその手段だが、まぁお前もこうして生きてた。それで何か足りないのか?」

「え……で、でもそれって結果論……」

「良いんだよ、結果論だろうが何だろうが。全員生きてこうして宴会の準備ができる。それでいいじゃねぇか」

 

 心底面倒そうに、頭をバリバリとかきむしって彼が話を続けます。

 

「ヴァルター団長が言ってたんだよ。誇れって。女を守ってできた傷は、勲章だって。だから、傷が残ったからって何だ、これで良いんだよ。どうせなら謝罪より前向きな物を寄こせっての」

 

 ずい、とこちらに押し付けられる野菜籠。驚いて涙が止まった眼をぱちぱち瞬きます。

 

「お前、飯作るの習ってるんだろ?」

「は、はい、簡単な物からですけれど。それが……?」

「それで何か作って出せよ、今晩のメシはお前が目覚めなかった分遅れた討伐完了の祝宴だってから、一皿でもお前が作ればどいつもこいつも喜ぶだろ」

「……わ、わかりました!」

 

 ぐしぐしと涙をぬぐい、籠の重さによろけながら、片手で杖を突いて体重を支え立ち上がります。やれることがあるのであれば、こうしてはいられない。

 

「それでは、あまり大したものは作れませんが、頑張りますのでっ!」

 

 そう言って、元来た道を急いで引き返します。

 

「……くそっ、本当に調子狂うガキだぜ」

 

 背後で毒づく声が聞こえ、苦笑します。出会いは最悪でしたが、彼も、しかし私が思うほど悪人ではありませんでした。胸を突いて出た思いを、振り返って、ちゃんと届くように大きな声で告げます。

 

「この前は、酷いことをいってすみませんでした! 貴方は、思っていたより素敵な方ですねー!」

「ぶっ!? な、なん……っ!?」

 

 何故か動転し手にした野菜を手から滑り音した彼に、思わず笑みをこぼしながら踵を返すのでした。足取りは、ずっとずっと、軽くなっていました。

 

 さて、約束してしまいましたし、何を作りましょうか。帰ってミランダおばさんに相談しないと。手にした野菜で作れそうなものをいくつか脳裏に浮かべながら、帰路へ就くのでした。

 

 

 

 そうして夕飯に供された私の作った山盛りのポテトサラダは、思ったよりずっと順調な売れ行きで、大盛況で皆さんの胃の中へ消えていったそうな。

 



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かしましいお風呂と、この世界での私の立場

 

 事の起こりは、ヴァイスさんと会話したその日の晩。

 

 私が自由に出歩けるようになった晩、開催された祝勝会に参加していた私達と、いつの間にか混ざっていたミリィさん……どうやらフィリアスさんと意気投合したらしいです……は、宴が進んで皆さんにお酒が入ってきたのを頃合いに、乱痴気騒ぎになった際に巻き込まれぬようにと、ヴァルター団長さんの心遣いによって私とミリィさん、団の数少ない女性であるフィリアスさんと、彼女に付き従い一緒に居た一人の女性だけ、宴の席から退散させられました。

 

 右腕をミリィさんに、左腕をフィリアスさんに拘束され、吊るされるようにしてなすがままに歩いていた私はきっと昔の宇宙人の写真みたいな感じだったでしょうか。あれよあれよと私達の借りている宿泊施設の女場の脱衣所に連れ込まれ、今進んでいる事態に気が付いたのは、周囲で三人がすでに下着姿になった頃でした。

 確かに、以前の温泉で自分の体を見ることには慣れました、が、それはあくまで自分の物だからです。未だに他の女性の裸体を見るのはまるでのぞき見しているようで罪悪感が激しく、そのあられもない光景に慌てて目を閉じ、後で一人で入るからと逃げようとした結果……

 

 

 

「あ、あの、一人で入れますので、また後で皆さんが上がった後で……なんていうのは」

「駄目です。転んで頭でも打ったら大変ですので。イリスちゃんのお兄様にもよろしく頼まれたので観念してください」

 

 謀りましたねお兄様!?

 すでに下着姿となり、髪を解いて自然に下ろしたフィリアスさん……こうして見ると、どこかのお嬢様らしい清楚な見た目のお姉さんですが、そのわきわきと手を蠢かせ迫ってくる様はとても台無しです。

 

「ほらほら、観念するにゃ、浄化魔法があるならともかく、使えない今、流石に三日もお風呂入ってないのは同じ女として看過できないにゃ」

 

 すでにすっぱりと一糸まとわぬ姿になったミリィさんの追撃の言葉に、うっと反論に詰まります……それは私もずっと気にしていました。殆ど寝ていたここ数日は、濡らしたタオルで拭いては居ましたが、毎日欠かさずお風呂に入っていた日本人の感覚として、そろそろ少し気持ち悪い気がしますし、匂いも気になっていました。

 

「精一杯、身の回りのお世話をさせていただきますね」

 

 救いを求めて最後の一人……以前戦闘中に第二班で見た魔法使いの一人、黒髪を肩のあたりで切りそろえた小柄な彼女を見ましたが、無情にも申し訳なさそうに頭を下げます、が、その手にはすでに髪とお肌のお手入れの用品の詰まった手籠を下げており、こちらも逃がす気はないと全身で主張しています。

 

 全員敵でした。

 

 あっという間に、身に着けていた簡素なワンピースがすぽんと胴から剥ぎ取られます。一対三、しかも一人はレイジさんやソール兄様並みの身体能力のフィリアスさんが相手となって、まるで抵抗できません。瞬く間に下着まで剥ぎ取られ、浴室に連行され、気が付いたら洗い場へと座らせられていました。

 

 

 

 ――どうしてこうなりましたか……っ!

 

 

 

 三人分のシャワーのような魔道具と、四、五人は入れそうな浴槽。こじんまりとした銭湯のような風情のそこで、ぼーっと何も目に映らないところへと視線を投げます……少し目線をずらすと、そこは天国(地獄)が広がっていますので、必死に目を逸らします。全員タイプの違う美女、美少女である三人が、その肌色を惜しげもなく晒している光景は、いくら性的情動の薄かったとはいえ、私になる以前の『僕』にとってもあまりに刺激が強すぎます。

 

「あぁ! 枝毛が出来てるにゃ……」

 

 悲痛な声が背後のミリィさんの口から洩れます。自分の髪……ではなく、私の髪のシャンプー中です。泡で包み込むように、ひと掬いずつ柔らかく包み込むように。あまりに丁寧に行われているため、現在他の方の倍近い時間こうして洗い場を占拠していますが……ということは、枝毛は私の髪でしょうか。それならそこまで悲しげな声を出さなくてもいいと思うのですけれど……

 

「あー……大変だったもんねぇ、痛んじゃったかぁ。レニィ、あとで……明日にでも毛先を整えてあげてくれるかな」

「はい、お任せください、お嬢様」

 

 大変……その言葉に、こちらに来てからの出来事に想いを馳せます。こちらに来てトラブルに次ぐトラブルで、しかもこの前に至っては爆発に巻き込まれるなんて経験もしましたので、流石にこの体も少々痛んだ部分が出てきているようです、というか……

 

「あの、でしたら邪魔でしょうし、短くして貰えると」

「「「それは却下 (にゃ)」」」

「えぇ……?」

 

 全員一致で否決されてしまいました。私の髪なのに、選択権は無いのですね……まぁ、私も『彼』だった時に……こほん、客観的に見て、こんな綺麗な長髪の子が短くするなんて言ってたら反対しそうですが……ゲームの際に見る分には良かったとしても、こうして現実になった世界では、腰まであるこの髪は日常でかなり邪魔になることも多かったので、残念です……

 

 

 

「それでは、御見足をお清めします。少し、足を上げますね……はい、私の膝の上に。くすぐったかったら言ってくださいませ」

 

 退屈と、人に体を洗われる心地良さに、ぼーっとしながら言いなりになっている私。背後では、ミリィさんが、長い髪を包む泡を、体になるべく落ちることのないように、手に貯めたぬるま湯ですすぐ様に丹念に落としています。

 フィリアスさんは隣の洗い場で自分の体を洗っていますが、つい先ほどまではそこにミリィさんがおり、フィリアスさんに髪を梳かれていました。何故か、かわりばんこらしいです。

 

 体の方は、先程一緒に居た黒髪の女の子……といっても今のこの私よりは年上ですが、多分『僕』だった時に比べると年下でしょうか……レニィさんが、その手指と柔らかな布でこれまた丹念に磨いています。自分の体の筈なのに、一人でできると伝えようとしたところ「仕事を取らないでください」とぴしゃりと諫められ、なぜか自分では何もさせてもらえずに、されるがままで奉仕されていることに罪悪感を覚えますが、それ以上に半端じゃなく心地良いです。ここ数日は濡らした布で軽く拭くだけだった肌が、丹念に磨き上げられていく感触が心地よい……体の前まで何もさせてもらえなかったのは結構な羞恥プレイでしたが……まるで数日の間に堪った澱が洗い流されていくようで……

 

 ようで……

 

 …………

 

 ……………………ふにゃあ

 

 ……はっ!? 少し意識が飛びかけてました!

 

 だめです、これ、すごく楽で、気持ちよくて、ダメな人になりそうです。っていうか。

 

「……あの、フィリアスさん?」

「ん? どしたの?」

「……この、レニィさんでしたっけ、その……」

「ああ、んふふー、どう、この子、洗うの上手で気持ちいいでしょ?」

「え、ええ、すごく……」

 

 先程からとても甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている彼女、その指使いは優しく、適度な力でまるで宝石を磨くように繊細な手つきで私の体の隅々まで磨き上げ、浄化魔法の使えないため数日分溜まってしまったであろう老廃物を丁寧にこそぎ落とし、磨かれた肌の上を適量のぬるま湯が洗い清めていく爽快感に、全身の筋肉を弛緩させていました。きっと、今の私の顔はだらしなく緩んでいるのだろうなぁと思いつつも、全身を優しくじんわりと覆う暖かさ、心地良さに勝てる気がしません。

 

 私のその言葉に、私の足の指の間をその細い指で磨き上げていたレニィさんが、顔を赤くしてはにかみながら「ありがとうございます」と軽く会釈します。

 

「その子、私の侍女の経験があるからねぇ。私がまだ傭兵になる前、子供の頃からの付き合いなの。家がなくなった時に、その子とディアスっていう執事だけ私たちについて来てくれて」

「お嬢様は、とても煩かったのでいつのまにか上達してしまいました」

「いいじゃない、こうして役に立ってるんだから」

 

 とても気やすい様子に、言葉以上の信頼関係を感じます。なるほど、そういえばゼルティスさんとフィリアスさんの兄妹は元は貴族の出だと、説明を受けていました。侍女という事は、彼女のほうもそれなりに良い所のお嬢様な可能性が高いと思われますが、となるとそんな彼女にこうして身を清めさせることを全て任せてしまっているこの扱いはまるで。

 

「なんだか……んっ……貴族のお姫様とかそういう扱いされてるようで恥ずかしいですね……」

 

 何気なく呟いた私の言葉に。

 

「「……え?」」

「……え? あれ?」

 

 フィリアスさんとレニィさんが、虚を突かれたような顔でこちらに振り返りました……何言ってんだこいつ、みたいな。いえ、それよりはずっと柔らかい雰囲気ですが、そんな表情で見つめられて身を縮めます。

 

「……何か変な事、言いました?」

 

 恐る恐る、上目遣いになってなにか不作法があったろうかと尋ねます。

 

「変な事と言いますか……」

「……だって、イリスちゃん、貴族のどころか、正真正銘この国のお姫様だし。ねぇ?」

「はい。『イリスリーア・ノールグラシエ王女殿下』……ですよね?こうしてお世話させていただき光栄です」

 

 その言葉が脳を滑っていき、たっぷり数十秒ほど経過した後。

 

「……………………え?」

 

 私の口を突いて出たのは、そんな間の抜けた声だけでした。

 

 

 

 

 

 

 宝石姫、魔法大国のお姫様、確かに、ゲーム時代はそういう設定が付与されていました。しかし。

 

「まさか……こちらでもそうだなんて思いませんでした」

「そうにゃぁ……ちょっと頭がこんがらがって来たにゃ」

 

 私たち転移組二人は頭を抱えます。よもや、こちらでもしっかり公的にそういう立場であるとは、一体どういう事なのでしょう。

 

「記憶が混濁している……という団長の言葉は本当だったのね。数年前から行方不明なのはちょっと上の方の貴族の間では有名だし、見た目はそのまま、種族は変わっている、なんてよっぽどのことがあったのは確かでしょうけれど」

「……姫様、おいたわしや……何でも、困ったことがあったら申し付けてくださいね?」

 

 涙を目の端に浮かべ、静かながら断固とした雰囲気で言うレニィさんに、ちょっと気圧されます。

 

「というわけで言うのが遅れちゃったけど。流石に女官とまではいかないでしょうけれど、レニィは今後イリスリーア殿下の侍女、付き人としてお預けしますので、好きに使ってあげてください」

「え、えぇ!?」

「だって、ねぇ、とりあえずイリスちゃんの身分は隠す方針だそうですが、一緒に行動する以上、もし何かの拍子に身分バレた場合、ひどい扱いをしていたなんて評判を万が一にも立てるわけにもいかないですし。保護したという名目を掲げるにしても最低限は体裁を整えておかないと。私も時間がある限りできるだけ護衛につきますし。なにより男所帯で一人にさせておくわけにもいかないでしょう?」

 

 私の立場が公的にそうなっている以上、もし万一何かがあった場合大問題となります。場合によっては全員処刑……なんてことになったらと思うと……

 

「そ、それは、そうですけど……」

「大丈夫、この子も了承済みだし、乗り気だから。」

「はい、またお世話させていただけるなんて……今度は、誠心誠意使えさせていただきます、殿下」

 

 ……あれ、今、『また』……って言いました? 何か引っかかりを覚えましたが、真剣な顔でこちらを覗いてくる彼女にやっぱり要らないという事もできません。

 

「そ、それでは……あまり無理をせずに、よろしくお願いします……ね?」

「はい、畏まりました」

 

 落ち着いた顔に、明らかな喜色を浮かべた様子に、それ以上の追求はできませんでした。

 

 

 

 

 

「ところで、接し方で少し悩んでるのだけれど、殿下として対応するのと、イリスちゃんとして対応するの、どちらがいいかしら?」

「えっと、できれば後者で……お姫様扱いはちょっと……」

 

 そんなフィリアスさんの問いかけに、私は反射的にそう答えます。少なくとも記憶は一般庶民の物である以上、お姫様扱いは精神が削れそうです。

 

「ん、了解です。よろしくねイリスちゃん。泡流すから目瞑ってねー」

「は、はい、こちらこそ……わぷ」

 

 ばしゃぁ、と体に残っていたお湯が洗い流されます。ぷるぷると水気を首を振って飛ばそうとしていると、濡れた髪の毛はミリィさんが手早く軽く水気を絞ってアップにまとめられ、すぐさまくるくると布が巻かれました。

 

 ようやく体が全て洗われ終わり、改めて鏡を覗き込むと、数日の寝たきり生活でくすんでしまった輝きを取り戻し、可憐な玉体を取り戻した姿が映っています……少し、痩せたでしょうか。お腹をつまんでみても、前より更に薄い気がします。もともと痩せすぎなのです、少し頑張って食べないとですか……ねぇ。

 

「ようやく隈も消えたようで、良かったですね、無事元気になられて」

「まだ、本調子ではないですけどね……ご迷惑おかけしました」

 

 後ろから私の肩に手を置いて、鏡を覗き込んでいるフィリアスさんの言う通り、ここ数日、衰弱から目の周りを覆っていた痛々しい隈は、すっかりその姿を消していました。こう見ると、外見上はすっかり回復したようです。

 

「よし、それじゃイリスちゃん、お風呂に運ぶねー。あ、レニィもお疲れ様、お世話は引き継ぐから、ゆっくり体を洗ってからこっちに来なさいな」

「はい、それではお言葉に甘えて」

「え、あの、このくらいの距離なら自分で……わひゃぁ!?」

 

 あれよという間に軽々抱き上げられて、驚いて足をバタバタさせますが、身体能力の差かまるで小揺るぎもしません

 

「だーめ、濡れて滑るところを杖も無い足の不自由な子に歩かせるなんてできないです。転んだら大変ですし。いいからお姉さんに任せなさい」

「うぅ……」

 

 すたすたと湯船まで運ばれる私。そういえば脱衣所に入って以来自分の足ですら歩いていないくらいお世話されっぱなしです。そんな葛藤をよそに先に足だけ湯船に浸かったフィリアスさんが、そーっと私の足先だけ湯に浸けます。

 

「……どう、熱くない?」

「大丈夫……みたいです」

 

 日本の熱いお風呂に慣れている身としては、少々ぬるめでしょうか。先日の温泉くらいの熱さの方が好みですが……

 

「そう、それじゃ入れていくわね」

 

 ゆっくり、ゆっくり、こちらの様子を伺いながら湯船に沈められていきます。そうして、肩より少し下まで湯に沈んだところで、ようやくここまで感じていた疑問を口にします。

 

「……なんで膝の上に抱かれてるんですかぁ!?」

 

 そう、私を湯船に浸からせる際に一緒に入ってきたフィリアスさんに、何故か腕の中にすっぽり包まれた形です。これ以上ないほど密着した裸体の感触。敏感な背中に、張りのある柔らかな感触を感じ真っ赤になって喚きます。

 

「いいじゃないですか、女同士減るものでもないですし。なんだか離したら小さくて沈んじゃいそうですし」

 

 うっ、と言葉に詰まります。確かに、この浴槽は私の体には少々深く、今の不自由な体では気を抜いた拍子に沈んでしまいそうで……彼女の言葉も一理ありました。気遣いを疑ったことを恥じ、渋々ながら引き下がります

 

「あー……なんだか丁度いいサイズで抱き心地半端ないですねー……肌理細かくてすべすべで張りもあって手触りも最高ですし……若いっていいなぁ」

「分かる、よーっく分かるにゃ……堪能したら変わってくれにゃ」

「あ、あの、やっぱり離してくれませんかっ!?」

 

 前言撤回です。ものすごく私利私欲混じりです!? 

 なんだか意気投合している二人に、このままでは二人に抱っこし回されると慌てる私を軽くスルーして、フィリアスさんがぎゅーっと後ろから抱きしめ体を押し付けてきます……胸、胸がっ!?

 

 ……胸、が。

 

 視線が、ミリィさんのそちらに誘導されます。細身ながらグラマラスでもあるその胸部は、圧倒的質量を以て視覚を攻撃してきます。

 

 自分の胸元に視線を落とします。……平原、ですね。よく言ってなだらかな丘陵地帯、くらいでしょうか。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 固まった私の方を見て、心配そうに声をかけてきた、ようやく自分の体を洗い終えて浴槽から移動してきたレニィさんの方を見ます。小柄な彼女……とはいえ、それでも私に比べれば身長はあるでしょうけれど、それでもこの中では一番私に背丈の近い……のその部分は、トランジスタグラマーというのでしょうか、しっかりと二つの山が自己主張をしています。

 

「あ、あの、なぜそのように涙目で睨まれてますか、何か粗相でも……?」

 

 怯えを浮かべ問いかけて来る彼女に、はっと我に帰ります……きっ、気にしてません、気にしてませんともっ!

 

「まぁ、ほら、そんな悲観的にならなくても、イリスちゃんはまだまだ今後成長すると思いますし。以前見たことのあるお母様の肖像でももう少しは……少し、は……」

 

 尻すぼみに消えていくフィリアスさんの声……なんでそこで黙るんですかっ!? 確かに、記憶の中にある『母さん』は見た目とても幼げでしたけど!

 

 ……いえ、落ち着きましょう、男性の記憶の方が強い私にとって、きっと小さい方が何かと楽です。そんな他の人と比べて悲観する必要なんてありません。冷静に考えたら全くないのです。

 

「……ま、何とかなるよ」

「だから、気にしてないですってばぁ!?」

 

 同情的な目を向けられ涙目になった私の絶叫が、浴室に響き渡るのでした……

 

 

 

 

 

 





 今まで何度か出てきた、「宝石姫」関連の話がようやく本人の耳に。
 あまりそこまでがっつりお姫様扱いはしないと思います……多分。

 余談。今回イリスの名前の伸びてた理由ですが、この世界のノールグラシエの王族は、魔法国家らしく、作中の詠唱に使われている言葉の、その人の象徴する属性の魔法に使われてる単語が名前の後ろにくっ付くことになってます。
 イリス『リーア(光)』 
 アウレオ『リウス(界)』 
 今回出てこなかった兄様はソール『クエス(雷)』という事になる感じです。


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宴の席で


 イリス達がお風呂に行っていた際、宴会に残っていた男性陣の話と、ジェネラル戦でイリスが意識を失った後の回想になります。


 

 イリス達女性陣が先に宿泊施設へ帰るのを見送った後、私達……私とレイジは、酒宴の盛り上がってきた宴会場の間を縫い、目的の人物……ヴァルターさんのところへと来ていた。

 

「……稽古をつけて欲しい?」

「ああ、あんたは俺達より強い。だから……俺達に戦い方を教えて欲しい。この通りだ」

 

 レイジの言葉に、私も合わせて二人で頭を下げて頼み込む。

 

「言っておくが、この前の戦闘の件はお前たちに落ち度はない、あんなもんを用意していたなんて誰が想像できるものでもないし、俺の采配ミスの責任だ。むしろお前たちはよく堪えてくれたと礼を言わなければいけないほどだから、気にすることは……」

「いえ、それもありますが……何かあった際に、もっと何かできたのではないか、と後悔したくないんです。できるだけのことはしておきたい、だから……」

 

 私達は、もっと経験を積まなければいけない。何が出てきても対応できるように。何故ならば、あれだけ苦戦したこの前の敵、ゴブリンジェネラルは、レベルキャップ解放前、最初期のレイドボスでしかないのだから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「『リリース』……っ!!」

 

 イリスの最上位範囲回復魔法の終了直後、頭上に光の円環を浮かべながら目の前の巨体に斬りかかる。あの小さな体が爆炎に飲まれた際は背筋が凍ったが、どうやら一緒に居た……業腹な出来事であったが、今朝のあの男がその身を盾に守ってくれたらしく、その彼は重傷を負って倒れている。そのことに感謝は尽きないが、その彼を放置してこちらに魔法を飛ばしてきたという事は、すでに魔力は残っていないのだろう。そうでもなければ優しいイリス(お兄ちゃん)が、そのような人を放置しておけるはずが無いはずだ。

 

 ……どれだけ心を痛めているのだろう。イリスはもう体力的にも精神的にも限界だ、これ以上長引かせるわけにはいかない。ここでもう終わらせなければいけない。

 

 ゴブリンジェネラルの反応は鈍かった。先程まで死に体だった相手が完治して襲ってきたのだから面食らうのもやむなしであろう。それでもこちらの攻撃を受け止めるが、不意を打たれバランスを崩したそのガードは種族特徴解放済みの今の私にはあまりにも軽い。

 

「ぜぇああぁぁあ!!」

 

 咆哮とともに、圧倒的な質量の奴の剣が、私の細剣に弾き飛ばされる冗談のような光景が映る。がら空きになった胴体に、今までを遥かに凌駕した雷光を蓄えた拳が突き刺さり、激しい音と光をまき散らして炸裂する。

 

「『エッジ・ザ・ライトニング』!!」

 

 体勢を崩した隙に新たな技を発動させると、私の携えた剣の刀身がみるみる紫の半透明な幅広の刀身に包まれ、そのサイズを大型化させる。雷光を纏った掌打に弾かれ、衝撃にたたらを踏んだ奴の体へと、紫電の封じ込められた長剣状の結界を纏った細剣をえぐりこむように突き入れる。効果中は現在の私の実力でも、高レベルの強力な魔剣並の切れ味の刃となる、つい最近脳裏に流れ込んできた新技だ。

 これは鋼線をより集めた極太のロープのような頑強な左腕で防がれたが、構うものか、そのままギリギリと力任せにネジ込むと、膨大なエネルギーを蓄えた刃が徐々に進み始める。

 ず、ずず、と、肉が焼ける匂いが充満する中、とうとう奴の体に刀身がめり込んだ瞬間、雷光を封じ込めていた剣の形を取っていた結界がその形を崩壊させ、ため込んだエネルギーを剣先一点に炸裂させ、奴の体内を迸り、灼く。その苦痛からであろう、耳をつんざくような咆哮が奴から放たれるが、ここで終わりではない。

 

「代われソールッ!!」

 

 雷撃に撃たれその体を跳ねさせて硬直した奴に向けて、そこへ飛び込んできた、こちらも種族特徴解放済みのレイジの剣が、先程の私の傷つけた腕へ薙ぎ払われる。

 

「まずは腕の一本も吹っ飛びやがれぇ!!」

 

 叫びと共に放たれたそんなレイジの剣が、とうとう鋼の皮膚を食い破り、皮膚、筋肉をぶちぶちと引きちぎりながら埋まっていった。

 

「ようやっと届いたぜ、デカブツ……っ!」

 

 ここまで散々溜まっていたらしく、狂暴な笑顔を湛えたレイジの剣から纏った闘気が放たれ、その傷跡は見る間に内側からあふれる青い輝きに飲まれその腕を巻き込んで炸裂した。今まで殆ど傷つけられなかった腕が半ばから千切れ跳び飛んでいく。ゴブリンジェネラルがここにきてようやく苦悶の声を上げ、手にした武器を滅茶苦茶に振り回す。

 

「弩、放て!」

 

 後方からフィリアスさんの指示が飛び、私たちが相手の武器の射程外に跳び退った丁度そのタイミングで、奴に矢の雨が降り注ぐ。そのほとんどは表皮で弾かれたが、そのうち数本は奴の体に突き立った……うわ、エグい構造しているなあの矢。内部が空洞になっているらしく、矢頭の方に空いた穴からだくだくと血が流れ、出血を強いている。 

 

 その後抜刀した傭兵たちが牽制し、できた隙を私達が突く。片腕を失ったやつの左半身側は隙が大きく、攻める機会はずっと増えた。

 

 行ける……そう思った瞬間だった。耳と、視界の端に、予想外の物が飛び込んできたのは。

 

 

 

 

「ぅぅぅぁぁぁあああああああああ!!」

 

 血を吐くようなイリスの、絶叫というには弱々しい慟哭。視界の端に、かすかにいつもよりずっと弱いヒールの光が瞬く……そんなバカな、確かにもう限界だったはず!

 

 目を向けると、淡い光に包まれている重症を負っていた今朝の男と、完全に力を失った様子で崩れ落ちていくイリスの体。限界を超えて治癒魔法を使ったことは明らかで、この世界で魔力を絞りつくしたらどのようなことになるのか私たちは知らず、想像もつかない。

 

「イリス! くそ、邪魔をするな……っ!」

 

 駆け付けようにも、目の前には強敵が居る。うかつに背を向けるわけにはいかない、焦りが生まれ始め、注意散漫になった隙に頭上から断頭台の刃のような剣が迫ってきていた……避けるのは難しい、耐えれるか? どうにか受け流そうと盾を構えたその時。

 

「そこまでです!!」

 

 凄まじい速度で駆け付け、一瞬で私の前に躍り出た彼……ゼルティス、だったか。が、その双剣で刃を弾き飛ばし軌跡を逸らし、土煙が舞い上がる……どうやら予想よりずっと早いが、周囲は掃討完了したらしい。

 

「……すみません、少し気を逸らしていました。助かりました」

「構いません……ここは私が。姫……妹御のところへどうぞ。そちらの彼と、あとフィリアスもついていってあげるんだ」

「し、しかし一人では……」

「そうだよ兄貴、さすがにそれは!」

 

 いくら何でも、私とレイジ、それと傭兵たちでようやく抑えていた相手を、主力である私達三人を欠いてと言うのは無謀に思え、フィリアス嬢が半ば悲鳴のような避難の声を上げる。

 

「いいえ、大丈夫ですよ」

 

 私達の反論をぴしゃりと跳ねのけ、笑みさえ浮かべ気負うことなく彼が告げる。

 

「……私が、最も頼りにしている人が間に合いましたから」

 

 次の瞬間起きたことは……正直、私の目ですら追いきれなかった。何か黒い影が飛び込んできたかと思った次の瞬間、黒と赤の暴風が吹き荒れ、奴、ゴブリンジェネラルが背面をズタズタに切り裂かれて苦悶の声を上げた、そうとしか認識できなかった。

 

「……よう、すまねぇ遅れちまった。以降、全員俺の指揮下に入れ」

 

 暴風……ヴァルター団長が、いつの間にか私達を背に庇うように立っていた。飄々と普段通りに話しているだけだが、その纏った闘気の密度に思わずぞくりと背筋が震えあがる。そして、その手に持っている戦斧。あれは……

 

「アルス……レイ……だと!?」

 

 呆然と呟くレイジの声に、私も同じ思いだった。禍々しい赤い光の刃を備えたそれは、レイジの持っているそれに形状以外そっくりだった。

 

「ん? こいつのこと知ってるのか? しかし少し違うな……『アルスノヴァ』。使うのは久々だが、こいつを俺が抜いたからには大船に乗った気で居な。それより、嬢ちゃんの方を頼む」

「は、はい、すみません、お願いします。行くぞレイジ」

「お、おぅ」

 

 若干後ろ髪をひかれながらも、彼の纏う空気は私達を離脱させるに十分すぎた。軽装かつ脚力で優るレイジが一歩先を走り、倒れ伏しているイリスの下へ急いで向かう。背後では、今まで以上に激しい戦闘音が再開された。

 

 不思議と……あの人が負けるなど、微塵も想像できなかった。

 

 

 

 

 

 

「息は……ある、か?」

 

 一足先にたどり着き、抱き起しているレイジ。フィリアス嬢はもう一人、全身に酷い火傷を負っている男にばしゃばしゃとポーションを惜しみなく投下している。

 

 レイジの腕の中で、あまりにもぐったりと力の抜けているイリスの様子に、嫌な予感が募る。、ひっ、ひっ、と、しゃくり上げるような呼吸をしている小さな体……違う、これは呼吸ではない!

 

「どけ、レイジ! それは違う、呼吸じゃない!!」

「んな!? あ、これがあれか!?」

 

 ……死線期呼吸。これはただ心臓が急に止まったせいで筋肉が痙攣し呼吸しているように見えるだけだ。

 レイジの腕からイリスの体を奪い取り、硬い地面に仰向けに寝かせる……やはり、胸の上下は見られない、口元に手をかざしても呼吸は感じられない。事態は一刻を争う!

 

「レイジ! 心肺蘇生頼む!」

「あ、あぁ、任せろ!」

 

 即座に、心臓マッサージに入るレイジ。武道をやっていたレイジは私達よりずっとこうした行為は反復練習を積んでいるはずで、私がやるより任せてしまった方が良い。それより、今はやらねばならないことがある。

 

 両手の間に、ぱりっと電光を発生させてみる……いけそうだ、元々『ソール』は雷属性を得意としている。攻撃技でしか使用していなかったが、こうして手の内に電撃を発生させるのは問題なさそうで、やろうと思えば細かく調節するのは可能そうだ。

 

 ……今私が試みようとしているのは、向こうの世界のAEDの再現だ。だが、電圧は? 電流は? どれくらいの力であれば、細胞を傷付けずに心臓の痙攣だけを止められる? 機械であれば自動で診断して判断していたものを、今は自分の勘と感覚だけで掴まなければいけない。

 

 幸い、何度か使用の講習を受けてはいた。そしてたまたま、『お兄ちゃん』が入院していた時に、相手が子供だと思って面白半分で医者の言っていた情報を記憶の片隅に覚えている。思い出せ、思い出せ……っ!!

 

「レイジ、代われ!」

「あ、あぁ。任せた!」

「フィリアスさんでしたね、周囲の視線を遮って! レイジも!」

「え、あ、うん、わかった!」

「あ、ああ、任せろ……!」

 

 矢継ぎ早に叫びつつ、フィリアスさんが、自分の外套を脱いでカーテン代わりに視界を遮り、目を逸らしつつレイジもそのまねをし自分の外套を仕切りにしたのを確認してから、イリスの上着を肌に傷をつけないように注意を払って剣を一閃し、切り裂く。

 この際丁寧に等と言ってはいられない、下のブラウス等も襟をつかんでボタンをぶちぶちとむしり取り、下着類も引き裂いて前胸部を露出させる。心臓の止まった体は不気味なほど青白いが、まだ体温は少し温かい。その右鎖骨下と左のわき腹の下に手を当てる。

 

 大丈夫。

 

 やれる。大丈夫だ。

 

 細心の注意を払い、両掌に魔力を微調整して集めていく。慎重に。ここをしくじるわけにはいかない。慎重に、慎重に調節を続ける……ままよ!

 

「……まだ、連れて行かせるものか! 帰ってこい!!」

 

 バチィ!! という激しい音と共に、ビクンとイリスの華奢な体が跳ねる。すぐさま心臓マッサージを再開させる……成功したかは、祈るしかない。どうか……どうか目を覚ましてくれ。一心不乱に心肺蘇生を続行する。そうしてしばらく圧迫を続けていると……

 

「……かはっ!? ……けほっ……かはっ……」

 

 手の下で小さく肺が震え、イリスが弱々しく咳き込んだ……掌の下で弱々しいながらも心臓の鼓動の再開も感じられる。

 

「成功……か?」

「……ああ、息は吹き返した……な」

 

 はぁぁ……と、二人で深く深く、ため息をつく。電撃で僅かに火傷した肌にポーションを振りかけ、未だぽろぽろと涙を流し、こん、こんと小さく咳き込んでいるイリスを横向きに寝かせ、呼吸しやすいようにしてやる。

 

 そこでようやく戦場を向くと、いつの間にか戦闘音は止まっていた。そちらも丁度完全に決着がついたらしく、ゴブリンジェネラルの巨体はヴァルターさんに真っ二つに断ち割られ、地響きを上げて地に沈んでいった。

 

 ……強い。それも、圧倒的に。レイジは今朝聞いた時には勝てるかわからないと言っていたが、今はそれを訂正せざるを得ない。……今の私達では、勝てない。

 

 彼に傷らしい傷はない。武器の差はあれど、それだけではないだろう。きっと、彼の今まで積み上げてきた技術、研鑽は私達よりずっと……ああ、そうだ。思い出した。確か彼は……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 目の前で飄々としながらも、こちらをどこか見定めるようにしている彼に、以前感じた疑問を叩きつける。

 

「……闘王ヴァルター。あなたは、魔導王アウレオリウスらと共に、『死の蛇』の討伐を成功させた偉大な戦士……英雄に数えられている一人、ですね?」

 

 ゲーム内では先王の治世の時の過去の出来事として語られていた、突如北大陸を襲ったという災厄。例の『世界の傷』から突如現れ、幾つもの街を瞬く間に焼き払った天災。その討伐を指揮した当時の国王と肩を並べて戦ったという、剣闘王にして傭兵王。 生きながらに物語で語られる存在だ。ゲームの時もイベントで何度か名前を目にしていた。信じられないが、この飄々としたオッサンの正体がおそらくそれだ。

 

「……随分あいつのことを他人事のように言うんだな。いかん、あいつの手紙にも信憑性が出て来ちまう」

「……え?」

「……いいや、なんでもない。それより、偉大とか英雄とか止めてくれケツが痒くならぁ。俺は、自由気ままな傭兵団の団長、他の生き方を知らない馬鹿、それ以上でもそれ以下でもねぇよ」

 

 本当に勘弁してほしいらしく、実に嫌そうな何とも言えない顔で拒絶した彼が、ふと沈痛そうな面持ちで話を続ける。

 

「……『死の蛇』に関しちゃ、討伐じゃなく撃退だがな。それも、こっちは散々にやられた上で、ようやく手傷を負わせて引かせた位だ。おかげで手塩にかけた団は壊滅、残った連中もほとんど離散して、今ようやくまた形になって来たところだよ……それがまぁ、ここだ」

 

 だから、『棺桶』(セルクイユ)か。こんな稼業ではいつどこで命を落とすかなんてわからない、それを彼が誰よりも理解しているから、棺桶に入る覚悟のある奴だけが蓋を叩けと。傭兵王などという通り名を持つ彼は、きっと誰よりも仲間を見送って来たから。

 

「あー、止めだ止め。せっかくの戦勝祝いが湿っぽくなる。……お前達くらいの実力者に鍛えてやるってのもおこがましいが、訓練相手になってやるのは構わんぞ。ただし……」

 

 どん、とエールのジョッキを自分とレイジの前に置く彼。

 

「覚悟を見せてもらおうか、俺に目にもの見せてくれたら面倒見てやるよ」

「お、おぉ? 良く分からねぇが……飲み比べだったら受けて立つぜ、これでも大学じゃ負けたことねぇから覚悟しろよオッサン!!」

 

 嬉々として飲み比べの挑戦に応じるレイジ。そういえば根が体育会系の玲史さんはこういう勝負事は大好きだったな……

 

「お、団長と飲み比べとは根性あるなあの若いの」

「馬鹿いえ、無謀ってんだよ」

 

 その勝負の成立に、周囲の傭兵たちが沸き立つ……馬鹿レイジ、すっかり余興に担がれてるじゃないか。しかも誰もレイジが勝つと思ってはいない。相対するヴァルターさんの顔には、意地の悪い色は見られない。おそらくこれはただのバカ騒ぎの口実だ。あきれ顔で肩をすくめると、こちらに気付いた彼はにかっと豪快に笑っている。

 

 まったく、これだから男ってのはもう。好きにすればいい、明日地獄を見ても私は知らない。

 

 そう、無関係を決め込んで、軽めの果実酒を自分のペースで舐め始めた。

 



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Clarte Iris (後書きに自作イラストのリンクあります

 

 ――知らない景色を眺めていた。

 

 簡素な木造建築で、甲斐甲斐しく世話を焼いている兄? と二人で穏やかな時を過ごしていた。そういえば、こうしているのはいつからだろう。生まれた時から暮らしているはずの家が、なぜかいつも空虚な景色に見えていた。

 

 

 

 

 ――知らない部屋を眺めていた。

 

 突然強引に連れてこられたのは、私の居た村とは違う、大きな街だった。

 その中でも特に大きなお屋敷の一室。物は少ないが、調度品の類は上質なもので、きっと高価なのだろう。

 見知らぬ一つ二つ上くらいと思われる女の子が、申し訳なさそうに、涙ぐみながら私の身の回りの世話をしていた。別に気に病まなくてもいいのに。

 

 

 

 

 ――知らない空を眺めていた。

 

 蒼く冴えわたる空に、浮かんでいるのは二つの月。何故か、ここは私のいる場所ではないだろうという漠然とした、しかし確信を抱え、ぼんやり眺めていた。

 ふと、何か物音がして、窓の外を眺めると、そこには青い髪の見知らぬ男の子が、驚きの表情を浮かべこちらを眺めていた。

 

 

 

 ――知らない天井を眺めていた。

 

 背には柔らかい寝台の感触。頻繁に顔を出していた、立派な服を着た男性が私に覆いかぶさっており、ああ、私は押し倒されているのかと他人事のように思う。

 

 でも、別に良いかな、と思った。好きにすればいい。この世界は私の世界ではないと、何故か心の片隅でずっと確信していたから。だから、されるがまま、ただぼーっと天井を眺めていた。

 

 最後の一枚の布が体から剥ぎ取られそうになる直前、いつだったか見た少年が、私を押し倒している男性を殴り飛ばしたのを何の感慨も無く眺める。暫く見ていなかった兄が、武器を携えた人たちと共に現れ、私の姿を見つけるなり、駆け寄って抱きしめられる。

 

 

 

 様々な場所を目まぐるしく転々とたらいまわしにされた後、何故か豪奢な部屋で、一目で高貴な身分とわかる上等な衣装の、悲し気な眼差しで私を見つめる男性と対面しており、気が付いたら彼の庇護下で何不自由ない生活を送っていた。

 

 

 

 

 ……違う。

 

 …………これは、私の……私の?

 

 それも違う気がする。そうだ、僕だ。この時はまだ『僕』だった。

 

 『僕』の世界ではない。ここではないどこかに、大切な人が居る、大切な日常がある。そんな気がする。そうだ。帰らないと。

 

『そうだ、まだ時期尚早だ。一度帰ってきたまえ』

 

 不意に、聞こえた声に、何もない中空に手を伸ばすと……誰かに、手を掴まれた。ああ、長かった。これでようやく帰れる……安堵と共に、その手に体を預け、バルコニーから宙へ身を投げ出した。

 

 そうして、『私』は一度、この世界から忽然と姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ちちち、と鳥の囀る声が聞こえる。

 

 シャッ、とカーテンがレールを滑り開く音と共に顔に当たる陽の光はとても眩しく、しっかりとした温かさを蓄えており、すでに日が大分高いことを私に伝えていた。

 

「……ふぁ」

 

 のそのそと体を起こすと、さらさらと体を伝い流れる細い髪。ふわりと香る花のような良い香りは昨夜入浴後に刷り込まれた香油だろうか。ぼーっと、ふわふわとした思考で周囲を見回します。すっかり見慣れた宿泊施設の自室。何かが流れる感触を感じ、そっと頬に触れると、指に透明な液体が付着していました

 

「……あれ……涙……?」

 

 そういえば、何か夢を見ていたような……しかし、目覚めた直後からそれはあっさりと輪郭を失い、濃度を失い、手に掴む前に逃げるように霧散し何も残りませんでした。

 

「おはようございます、イリスリーア様」

「わひゃう!?」

 

 突然の背後からの声に、びくりと体を震わせて掛布をかき集めて胸に抱きます。

 

 ……ああ、そうでした、レニィさんでした。今日から身の回りの世話という事でこちらに移っていたんでした。そんな彼女は何処から用意したのか侍従の服……メイド服ですね、由緒正しいロングのやつ。に身を包み、てきぱきと身の回りの雑事を片付けていました……状況を把握し余裕が戻ってくると、寝覚めの霞がかった思考が帰ってきます。

 

「御髪を整えさせていただきますので、こちらに」

「……あ、はい……」

 

 まだぽやぽやと眠気に揺れる頭をふらつかせ、言われるままに席に座ると、睡眠中に大分ぼさぼさになったその長い髪が、すぅっと優しく梳かれます。

 

「すごいですね、殆ど引っ掛かりません」

「……そう、ですか……? ふぁ……」

 

 髪を梳かれる感触が心地よく、再び睡魔が鎌首をもたげてきて、思わず欠伸が口から漏れます。

 

「大分快眠されていたようですが、お疲れでしたか?」

「あー……いいえ……久々にお風呂でさっぱりして……香油のいい香りに包まれてたら……って、あぁ!?」

 

 ようやく頭が再起動を始め、気が付きました。ずっと、この部屋に居たってことは……!

 

「み、見ました……!?」

 

 寝顔というどうやっても整えようのない顔を見られた、その羞恥心に顔に血が集まってきます。どうしよう、恥ずかしい顔だったら。涎とか垂れてでもしたら。不安になって、口元を拭います。

 

「……あぁ、なるほど。ご安心ください」

 

 にこりと微笑んで、彼女が告げます

 

「とても、愛らしい寝顔でしたわ」

「はうぅ!?」

 

 恥ずかしい顔でなかったのは幸いですが、そうストレートに告げられるのも恥ずかしいですよ……っ!

 

 

 

 

 

「……はい、綺麗に整いました、お疲れ様でした」

 

 髪を梳き終わり、ついでにと痛んだ毛先を整え終わり、どこか満足げに道具をしまい始める彼女をぼーっと眺めていた頃、バタンとドアが開き見慣れた人影が飛び込んでまいりました。

 

「あぁ、よかった、目が覚めたんだね……!」

 

 突然部屋に飛び込んできた……ソール兄様に、抱きすくめられます……なんだかこういうのも久々な気がします。

 

「良かった、いつまでも起きてこないから心配で……大分体調もよさそうかな……どこか調子悪かったり、痛かったりとかは……」

「……こほん。ソール様。たとえ兄君でも、節度は守っていただきませんと。寝間着姿の未婚の女性をべたべたと触るとは何事ですか」

「あ、あの、レニィさん? いつもの事ですし、私は別に気にしては……」

「なるほど、いつもの事ですか」

「「……ひっ!?」」

 

 ぎらりと、控えめだったはずのレニィさんの目がカエルを睨む蛇のそれに変わった気がします。もちろんカエルは私と兄様ですか。

 

「いい機会です。イリス様には淑女としての、ソール様には紳士としての、節度という物を……!」

「あー……ようやく苦言を呈してくれる奴が現れたのはありがたいんだが、悪い、それはまた今度にしてくんねぇかな……うぐっ」

 

 助け船は、続いてドアを潜ってきたレイジさんの方から降ってきました……なんでしょう、顔色が真っ青ですが大丈夫でしょうか。

 

「……昨日、飲み比べに参加させられてね」

「あぁ……二日酔いですか」

 

 こそこそと話す兄様の声に、納得です。すこし反省するべきでしょう、治癒は無しで良いですか。

 

「ミリアムの奴が呼んでたぞ……お前の服について相談だそうだ……前の服はもう着れないからな」

 

 ……そうでした。この前の戦闘で着ていたプリエステスドレスは、私の応急治療の際にもう着ることのできない状態になったらしく、戦闘用の衣服は無くなっていたのでした。

 

「……そういうことであれば、またの機会にしましょうか。では、お手を。ソール様とレイジ様は、下の談話室でお待ちください」

 

 しぶしぶと引き下がるレニィさんに、私と兄様はそろって胸を撫でおろします。その言葉に、逃げるように立ち去る兄様と、今にも倒れそうにふらふらと去っていくレイジさん……大丈夫でしょうか。不安しかないその背中を見送り、私たちは、ここ数日開かずの間と化していたミリィさんの部屋へ向かうのでした。

 

 

 

 

 

 

 扉を開けて飛び込んできた光景を、一言で言うのであれば……乱雑、それに尽きるでしょうか。型紙らしきもの、生地の切れ端、その他多種多様な裁縫道具たち。ここ数日引きこもっていた間の苦闘を示すように、部屋中に散乱されたそういった物たち。

 そんな中に、綺麗に片付けられた一角に、トルソー……たしか、使用すると対象の体形をそっくりコピーして立体化する魔法の奴です……に、一組の服が着せられていました。

 

「あの……ミリィさん、これは」

 

 疑問を口にしますが、そのサイズを見れば私用であることは一目瞭然で、思わず釘付けになりまじまじと眺めます。

 

「にゅふふ、驚いた? センパイや綾芽ちゃんに頼まれて作ってたものだけど、どう、可愛い?」

「……はい、とても」

 

 表面をそっと触れながら、その素晴らしい手触りにドキドキしながら答えます。全体的なシルエットは、今まで着ていたプリエステスドレスに類似しているでしょうか。しかし、カラーリングが暖色系だったそれとは異なり、白~青系統に纏められており、神聖さ清廉さがより強調されている気がします。

 

「ささ、着てみて着てみて」

「僭越ながら、お手伝いさせていただきます」

「は、はい」

 

 恐る恐る、その新しい服を身に着けるため、寝間着のワンピースとぱさりと床へと落としました。

 

 

 

 まず、下着類ですが……これはまぁ、特筆すべきことはありませんので割愛です。

 最初に、フリルをふんだんに使用したパニエ。以前の服同様、これもその構造により下着が衆目に晒されるのを防ぐ効果もあるようです。続いて、一番下に着るようになっているワンピース。幾重にも重なったフリルパニエでふわりとスカートが膨らみ、背部は加えてレースの生地がお尻を隠すように覆い、若干前より長くなっています。が。

 

「あ、あの、これ短すぎませんか……?」

「まぁまぁ、全部身に着けたらあまり気にならないようにしてあるにゃ」

 

 スカートは、かなり膝上丈です。とはいえ以前の服もこれくらいでしたが……何より、肩から背中にかけては大きく開いています。これだけ身に着けると、どこかの避暑中のお嬢様っぽくもありながら、かなり扇情的な風情を感じ思わずスカートの裾を抑えモジモジします

 

「ほらほら、恥ずかしがってないで次にゃ、次」

「このコルセットスカートですね。後ろを向いてください」

 

 コルセット、という言葉にギクリとします。良く聞くそれは悪名高い……ギリギリと締め付けるあれを想像し、蒼白になりますが。

 

「ああ、心配しなくていいにゃ、成長期の体には良くなさそうだから、そんな締め付けるデザインにはしてないし、アジャスター的な物と思ってほしいにゃ……第一、あまり必要とも思えないにゃ」

「そうですね、イリス様はとても細身ですから」

「あ、でも腰からお尻へのラインはちょっと成長途中ながらえっちぃにゃ」

「確かに……形はとても綺麗ですし、しっかり腰に括れも出来始めてますので、ウェストとヒップの差が……」

「あ、あの、そういうのはいいですから!?」

 

 何故か私のお尻の形の話に発展しそうな雰囲気に、顔を真っ赤にして慌てて抗議します。……あの、残念そうな溜息が聞こえたんですけど、二つ。じとーっとレニィさんの方を眺めても、澄ました顔でスルーされました。

 

 そうこうしているうちに、ワンピースの上からスカートが履かせられ終わりました。パニエによりふわっと広がる前垂れと、サイドから後方を覆うスカートは、ひざ下、脛のあたりまであり、時折スリットからフリルが覗く程度ですっかり下半身の露出は抑えられました。

 スカート丈が長くなったことで動きにくいかと思いましたが、不思議と羽根のように軽く、動きを阻害せず、心地良い肌触りの生地が脚を撫でます。……試しに軽くターンして見ると、ふわりと広がったスカートが綺麗な円を描いて回ります。

 

 ……ていうか、これ。スカートを履いた途端、脚が楽になったような

 

「ふふーん、脚力増加の魔術を付与してみたにゃ」

「レアエンチャントじゃないですかっ!?」

 

 ゲーム時代は行軍速度が上がる利点が大きく、高レベルのボス素材の必要なエンチャントとして物凄い高額で取引されてたやつです!?

 

「まぁまぁ、イリスちゃんには助かるでしょう?」

「それは……そうですけど」

 

 確かに、これであれば補助魔法が無くてもある程度代用として行動でき、旅をするうえでこの効果はとてもありがたいです。脱いだ時の落差が怖くなりますけど……。

 

「エンチャントは限界まで詰め込んだから、楽しみにしてくれてもいいにゃ。まぁまぁ、それより続きにゃ」

「はい、こちらの上着ですね……お手を失礼します……はい、降ろしていいですよ」

 

 そうして袖を通されたのち、前に回ってきたレニィさんに、襟のボタンを留めて貰います……これくらいならば自分でできるんですが、頑として譲ってくれません。

 

 神官服を思わせる清潔な白い襟。胸の下までを覆うショートボレロ風の上着。袖は以前の服同様にラッパのように膨らみ、そのスリットから内部の幾重にも重なるフリルが覗きます。やはりこちらも、前の服同様、指先だけちょこんと覗くような丈に調節されていました。

 

 全てを身に纏うと、やはり今までの服を踏襲しつつ、上位互換版、といった風情で、その出来栄えにため息が出ます。先程ワンピースだけだった時の煽情さは鳴りを潜め、清潔感のある青い装束が、清廉さ、可憐さを醸し出しています……元の服をデザインした身としては敗北感を感じつつも、喜色を隠せず姿見の前でスカートや袖を摘まんだり、時折くるりとターンしながら、様々な角度から眺めます。

 

「名付けて『クラルテアイリス』、気に入ってくれたかにゃ……って、聞くまでもないみたいにゃ」

「はい、あのようにはしゃいでらして……」

 

 何やら生暖かい視線と声を感じつつ、私はしばらく新しい衣装に心躍らせるのでした。

 

 

 

 

 

「あ、あの、ちょっと心の準備が……」

「いいからいいから、自信もつにゃ。ほら入った入った」

 

 一通り堪能し落ち着いた後、急に込み上げる恥ずかしさに俯く私を、ミリィさんとレニィさん、二人掛かりであっというまに談話室……レイジさんとソール兄様の待つそこへ連行されました。新しい衣服を纏った姿を見られるのが気恥ずかしく、俯いたまま押されるまま部屋に押し込まれた私を待っていたのは……

 

「……う、うぅ……?」

 

 しんと静まり返った部屋。に、似合ってなかったのでしょうか。沈黙に耐え兼ね、目をぎゅっと瞑った私に。

 

「イリスちゃん……かわいいっ!」

「きゃん!?」

 

 物凄い勢いで飛びついてきた女性……フィリアスさんに、あっという間に抱き着かれ頬擦りされていました。

 

「姫……っと、これは秘密でしたね。イリス嬢、その佇まい、この私の目にしかと焼き付きました。惜しむらくは私の語彙力ではこの胸の内を語り切れぬこと故……ただ一言で申し上げます。可憐です、我が姫」

「結局言ってんじゃない、馬鹿兄貴」

「……ぅ、ぁ……ありがとう、ございます……?」

 

 あまりに慣れぬ過剰な言い回しのゼルティスさんの賛辞に、顔が熱くなり、さらに深く俯いて礼を述べます……顔、上げれません。

 

「あ、てめぇ……! くっ、出遅れたが、まぁ、なんだ……似合ってる、ぞ?」

 

 そんな耳に届いたぶっきらぼうな感想に、ぱっと顔を上げると、照れた様子で目を背けているソファに横になっているレイジさんが居ます……おかしいですね、頬が緩むのを抑えられません……?

 

「あぁ、良く似合ってる……それで、ミリアム、性能面はどのように?」

「よく聞いてくれましたにゃ、えぇと……不自由な脚のサポートの脚力増加の他は、『魔力消費軽減』と、『リアクティブシールド』が一枚……これは、装備制限を抑えた関係で、一枚が限界だったから、過信はしないで欲しいにゃ。あ、あと……」

「……い、いや、十分だ」

 

 並べられた内容に顔が引き攣る兄様。私も驚きます。リアクティブシールド……一定以上の威力の攻撃を受けた際に、設定された枚数だけ障壁を展開するエンチャントで、特に普段攻撃に晒されない後衛職に人気があったはずです……もちろん、とても高価でした。装備制限を抑える加工をするのも非常にお金と手間がかかるため、果たしてこの一着に一体いくらの高額素材が……

 

「それと、アラクネクイーンの糸をメインに使ったから、若干の再生能力もあるはずだし、耐久性もセンパイの軽鎧並みかそれ以上にはあるはずよ?」

「ちょ、マジか!? ……痛ぁ!」

 

 驚きに急に跳ね起きたレイジさんが、頭痛に沈みます。背後では、私たちの会話に首を捻っていたフィリアスさんとゼルティスさんが、その挙がった名前に息をのむ気配を感じます。前衛の防具並みって、これ……

 

「あ、あの、いくらお支払いすれば……!」

「んにゃ? いいのいいの、気にしないにゃ」

「で、でも……とても支払いきれそうな額の物とは」

 

 尚食い下がろうとする私の肩に、ミリィさんの手が置かれます。その表情はとても真剣でした。

 

「じゃ、こう言いましょうか……これは、私たちの命を預けた代価よ。だから……絶対、自分を疎かにしないで。自己犠牲なんてもっての外。貴女は替えが利かないの」

「……っ! ……は、い」

 

 ……その言葉を、重く受け止めます。この衣装は、私が皆の命を預かっているという象徴であると。決して、先に倒れてはならないという覚悟を持てと言われた証だと。そう言い聞かせるのでした。

 





以前なろう投稿時にも掲載していた、主人公イリスのイメージイラスト二枚
https://17218.mitemin.net/i262784/
https://17218.mitemin.net/i339200/


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行動指針

 

 

「はい、あーん」

「あ、あーん……」

 

 口の中に放り込まれた柔らかな固体が、とろりと溶けて舌を包み込み、カカオの苦み、ミルクのまろやかさと共に濃厚な甘みが広がり……しかししつこさは無く、嚥下すると最後にふわりとオレンジリキュールの香りが余韻として残る。上質な生チョコレートの味がしました。

 

「どう、美味しい?」

「美味しい、ですけど……」

 

 先程から、あれやこれや、様々な甘いものを手ずから食べさせられています。いえ、それは良いんですけれど……

 

「なんでまた抱っこされてるんですか……!」

 

 問題は、何故かまた誰かの膝の上……今度は、ミリィさんの膝の上に抱っこされてることです……!

 

 兄様といい、フィリアスさんといい、皆、私を抱っこするの好き過ぎじゃないでしょうか。周囲を見渡すと、何故皆生暖かい目でこちらを見ていますかね……!?

 

「にゅふふ、『お願い』一つ聞いてもらう約束だったから、思う存分堪能させてもらうにゃ。はい、あーん」

「……うっ、や、約束でしたからね……むぐっ」

 

 舌に乗せたらすぅっと消えていく、カラメルとミルクの複雑に絡み合った味のこれは生キャラメルでしょうか……一体どこから入手してきたのでしょう。

 だらしなく蕩け切った顔で撫で回し猫可愛がりしてくるミリィさん。以前にひとつだけ言うことを聞くという約束が、よもや「自分の服で着飾った状態で半日愛でる」なるものだとは思っていませんでした……!

 

「……とまぁ、こういう奴だからな。可愛い服を作っては、可愛いと思った子に着させて、その代価に思う存分愛でる。そういう趣味嗜好の奴だよこいつは」

「……優しい人だと思ったのに、実は恐ろしい人でした……っ!?」

 

 兄様、そういう事は先に教えて欲しかったです……!

 

 それに、先程からひっきりなしに口に運ばれるお菓子。私は、餌を待つひな鳥のように口を開けて、彼女に運ばれてくるそれをパクつくしかできません。

 

 ……太りそう。あ、今はもう少し太るべきなんでした。ですが、お菓子で……というのはとても体に悪そうなんで葛藤しますけども。

 

 

 

 

 

 

「お、全員揃ってるな。嬢ちゃんは……また随分可愛らしい装いになって。似合ってるぞ」

 

 新たに姿を見せた大柄な男性……ヴァルターさんが、ぐりぐりと、首が揺れる強さで頭を撫でまわされます。背後でレニィさんが「あぁ、御髪のセットが……」と呟いていました。

 

 

「さて、歓談中すまないが、仕事の話だ。元々俺達の仕事は、この付近でゴブリン達の襲撃で大きな被害を受けた町へと運ぶ、材木の買い付けを頼まれた商隊の護衛、だったんだが」

 

 この町は伐採した針葉樹を木材へ加工し販売して成り立っていますので、時折こうして大量の材木の需要があると商隊の方が訪れるのだそうです。

 

 材木は、斬り倒した直後から建材に使えるわけではないですからね。暫く風雨にさらして灰汁を抜き、しっかり乾燥させて……伐採から木材として使用できるまで数年かかります。

 森林資源の豊富な地の利を生かし町単位で製材しており、常に豊富に在庫を確保してあるこの町の材木というのは流通上重要なのだそうです。

 

「あ、そろそろ商談も纏まったのね」

「うむ。明日から搬入して……そうだな、一週間後には出立予定だ。そのつもりで準備をしてくれ。ところで……」

 

 その目が、こちらに向き直ります。

 

「ソールクエス殿下、それとイリスリーア殿下。今後は如何様になさるご予定でしょうか……助けが要るというのであれば、なんなりと」

「え?」

 

 団長らしく指示を出していた彼が、突如首を垂れて敬うような態度へ変化した事に目を白黒させます。

 

「一緒に来るのであれば便宜は図りましょう。後ろ盾となっていただける方も思い当たるところがあります。そういう約束ですから……しかし、強制するつもりはございません。それを踏まえて、如何様になさるご予定でしょうか、考えておいてください」

「あ、あの、そんなに畏まる必要はないですから、頭を上げてくださいっ」

「そうです、殿下と呼ばれても……正直に申し上げますと、私達はその記憶を持ち合わせておらず、実感に欠けますので……どうか、普通にしていてください、お願いします」

 

 立場のある大人の方に首を垂れられ、上位者として敬われるという経験皆無な私達にとって、今の状況は非常に居た堪れません。

 

「ん……まぁ、それでいいなら……ゼルティス、フィリアス、お前たちもそれでいいか?」

「はい……少々残念ではありますが、ではひとまず友人として、接しさせていただきます」

「私も、昨日そう頼まれてるからそれでいいですよ。改めてよろしくね、イリスちゃん、それとお兄さん?」

「……助かります。どうにも、私たちは別の場所で暮らして居た記憶があるため、殿下と呼ばれてもいまひとつピンときていないもので」

 

 兄様の言う通り…確かに、ロールプレイとして王子様お姫様を演じた事はありますが、自意識としては一般庶民なため、実際に王族扱いされるというのはかなり精神的にきついものがあります。

 なので、こうして対等な扱いへと近づいた事に、私達二人は胸を撫で下ろしました。

 

 

 

 

 

 

 フィリアスさんが団を代表して商人たちとの打ち合わせに向かい、ゼルティスさんが団員へ今後の予定の説明にと名残惜しそうに出ていき、私達とヴァルターさんだけになったそんな頃。

 

「さて、話が反れましたが……私は、ついていくべきだと思ってる」

「ソール兄様?」

「そうだな、いつまでもこの町に留まっていると、お前の情報が何処から広まるか分からないし……それで、もし良からぬ考えの奴が引き寄せられでもしたら、かえって迷惑になるだろう……な」

「レイジさんも……そう、ですよね……」

 

 今回、傭兵団の方々が味方に付いてくれたのは、あくまで団長であるヴァルターさんが友好的、協力的な方だったからという部分が大きく、この身の事を知れば良からぬ考えを抱く者が現れる可能性も……いえ、その可能性の方がずっと高いのでしょう。

 最悪、この町が戦場と化してしまう、お世話になったミランダおばさん達を巻き込んでしまう可能性があると思うと、背筋が凍ります。それに……

 

「勿論それもある。しかし、それ以上に、私達は自分たちの周りで何が起きているかを知らなさすぎる」

 

 兄様が、苦虫を噛んだような顔で告げます。そう……急遽異世界に飛ばされた私達は、それがなぜ起きたのか。誰の、あるいは何の思惑なのかを全く知りません。

 それに、ここに留まっていては、周囲でどのような事が起こっているかを知る手段も限られてしまいます。

 

「まず、私達が欲しいのは情報だ。どうしてこうなったか……何故こちらに来ることになったのかという原因。そして、それを知っていそうな人となると……ひとり、心当たりがある」

「……緋上さん、ですね?」

「……なぁ、誰だ?」

 

 そうでした。所在が秘匿されている関係で、レイジさんは私達の中で一人、面識がありませんでした。

 

「レイジさんは会ったことが無いんでしたね。『アークスVRテクノロジー』で、私たちの上司だった方です……そして、同時にトッププレイヤーの一人にも名前を連ねていました」

「おい、何やってんだそいつ完全に開発側の人間だろ……」

「あはは……まぁ、私達も半分似たようなものでしたし……完全に仕事と切り分けてプレイされてまして、社の方でそれを把握したのは、本当に最近ですので……」

 

 苦笑交じりに答えます……本当、何時プレイしていたのやら。

 

「僕たちの推測通り、こちらへ来たのが三次転生職になった者たちだというのであれば、あの人がこちらに来ている可能性は高い。そして、開発の中枢に居るあの人が、あの時、何が起きたのかを僕達より知っている可能性は高い」

「そうですね……ですが、連絡手段がない以上どう接触を取ればいいか……」

 

 ゲームの時にあった遠隔チャットもフレンドリストもこちらには存在しません。ただでさえ、ゲームの時と比べ物にならないくらいに広がったこの世界では、偶然出会える可能性は限りなく低いです。何か手段を講じないと。

 

「……まぁ、コメルスか……ノールグラシエ首都まで行って待っていれば、いつかは出会える可能性は高いと思うけど……それより、私たちはここに居る、と向こうの耳に入れるのであれば、イリスの存在を風の噂でちらつかせればいい」

 

 つまり、私の名前が広がればそれだけ彼が聞きつけてこちらへ来る可能性は上がると。

 ……しかし、そのためには積極的に目立つ必要があり、よからぬ輩に聞きつけられる可能性も高くなります。当然そのことを兄様が失念しているとも思えませんが、レイジさんは眉間にシワを寄せ、難しい顔をしています。

 

「とはいえ、二人も懸念している通り、私達だけだとあまりにも危険すぎる、だから……」

「なるほど、ヴァルターさん達に協力して、同時に後ろ盾になってもらうのか。ちょっと体よく利用するみたいで申し訳ないが……」

「いや、お前達の戦闘力は俺たちにとっても魅力だ。協力関係というのであれば吝かではないさ……もちろん、客分のお前たちに無理もさせないようなるべく配慮するつもりだが」

「そう言っていただけると助かります……とはいえ、その、失礼ながら。一傭兵団では若干心もとないですけれども」

 

 申し訳なさそうに言いつつも、ヴァルターさんを見つめるソール兄様の目は、何かを見定めるかのように鋭い物へと変わっていきます。が、ヴァルターさんはそれをどこ吹く風と受け流し、面白がっている様子で向かい合っています。

 

「気にすることはねぇさ。事実その通りだ、田舎の一傭兵団でしかない俺達だけでできることなんざたかが知れてるだろうよ」

「……ですが、復興支援とはいえ、これだけの規模の団を率いて自分たちより少数の商隊の護衛だけが目的とは考えにくい」

「ほう?」

 

 興味深そうに耳を傾けていたヴァルターさんに、兄様が向き直ります。

 

「商隊としては、雇う人数が増えれば、それだけ経費もかさみます。それを自費で負担するというのを由とするとは思えません。それなら実力を拝見した感じ、多分ゼルティスさん、フィリアスさんの二人でもいればあの規模の護衛としては十分で、なにより……装備が、とてもただの護衛とは思えませんでした」

 

 確かに、完全武装の傭兵30人弱、しかも使用していた武器の中には、爆薬と思しきものを使用した矢なども存在しました……護衛としては、明らかに過剰戦力に過ぎます。となると……

 

「……つまり元々、護衛は後から受けた、用事のついで、オマケのようなものではないでしょうか? 元々、大規模な戦闘前提……各地で町を荒らしているゴブリン達の掃討という仕事に来ていた……でしょうか?」

「そうだ。それだけの依頼となると商人が慈善事業でやっているとも考えにくい……おそらく、私たちの居るここ……から最も近い……」

 

 ソール兄様の指が、広げた地図の、今居る現在地より少し東、国境を超え、先程の話にあったゴブリンによる被害に遭ったという町を通過し、ノールグラシエに入った先すぐの場所を指します……私達二人にとって、若干因縁がある場所でした。

 

「ローランド辺境伯領。あなた達の依頼者は、辺境伯、あるいはその配下の誰かですね?」

 

 その言葉を聞き、ヴァルターさんが、我が意を得たりと言わんばかりに頰を緩め相好を崩します。

 

「……ん、まぁ、別に隠している訳でもないしな。おおむね正解だ。直接の依頼者は、お前さんの言ったとおりだよ。ローランド辺境伯が俺達の今のパトロンだ」

「良かった、合ってましたか……正直、権力の後ろ盾というのは気が引けますが、私達がノールグラシエの末席に連なっている、というならば最終的には私達の立ち位置を明確にしなければいけないでしょう。しかし、今はまだ判断するための情報を仕入れる時間が必要です。勝手を言っているのは重々承知ですが……」

 

 そうして一呼吸置き、ヴァルターさんと真剣な表情で向き直ります。

 

「そこで……貴方を信頼して聞きますが、彼は、そんな私達の後ろ盾になってくれそうな方でしょうか?」

 

 その言葉に、一瞬、本当に一瞬だけヴァルターさんの表情が憐れむように陰ります。

 

「……そうか。本当に覚えてないんだな。まあ、俺が保証する。あの人は本当に清廉な、信頼できる方だ。特に、あなた方二人に関してならば、欲に駆られて手篭めにしようだとか、自分の立場のために利用しようだとか、そういう心配は恐らく無いだろう……何せ」

 

 ふぅ、と一息ついて、ヴァルターさんが続けます。

 

「……ソールクエス殿下。貴方がまだ存在を知られていなかった、ただの一庶民だった頃に、攫われた妹君……イリスリーア様を救出してほしいと助けを求めた際に立ち上がったのは……たまたま査察に訪れていた、前辺境伯の弟君の、当時まだ騎士団副総長であったあの方だからな」

 

 その言葉に、揃って息を飲む私達。ローランド辺境伯領は、私と兄様が半公式の扱いを受けるきっかけとなった公式イベント、その舞台になった場所でした。

 そして、今の話も聞き覚えがあります。何せ、そのイベントの導入が、おおむね同じ内容でしたから。

 

 

 

 ――辺境に隠れ住んでいた兄妹、その妹の方が、たまたま領主の目に留まり連れ去られた。その少女の兄の必死の願いと、親の所業に義憤に駆られ裏で暗躍していた領主の息子に協力し、たまたま付近に訪れていた領主の弟である騎士を説得しその助けを借りて救助するのを協力する。

 ……要約すると、そんな趣旨のレイドイベントでした。

 

 

 

 

 ゲームのイベントと同じ出来事が、実際に私達を当事者としてこちらの世界でも起きていた。その事実にうすら寒い何かを感じると同時に、この瞬間、何か見えない運命の輪が転がり始めた……そんな気がしました。

 

 

 





 主人公はこの話の間ずっとミリィお姉さんの膝の上です。


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ライバル

 

「……そう、来週には出発するのね……寂しくなるわね」

「……はい」

 

 この町から発つという事を決めた翌朝、その事をソファで休んでいたミランダさんに伝えます。この町に滞在してからずっとお世話になっていたおばさんは、最近体調がすぐれないらしく、よく寝込んでいることが増えましたが……それでも、調子を見て色々教えてもらっていた私は……お別れ、という言葉が脳裏を過ぎり、胸が締め付けられるような思いに駆られます。

 

「それで、あの……」

「ん? 何か教えて欲しい物でもあるのかい?」

「はい!……その……簡単な物でいいので、お弁当の、作り方を」

 

 レイジさんとソール兄様は、傭兵団の方々に稽古をつけてもらうとかで、朝早くに宿を出ました。なので、何かできることは……と考え思いついたのが、これでした……ただ、おばさんの体調が不安です。

 

「……ぷっ、なんだいそんな心配そうな顔をして! ふふ、良いよ、今日は体調も良いから、エプロン持って調理場においで」

「は、はい、お願いします!」

 

 

 

 

 

 

「それで、お弁当ですか」

「はい、レイジさんもソール兄様も、こうして頑張っていると聞いて、私にも何か……と」

「にゅふふ……イリスちゃんは健気ねぇ、うん、そんなところも可愛い可愛い」

「そ、そんなんじゃないですってば。くすぐったいです、もうっ」

 

 頬をつんつんと突いてくるミリィさんに、ちょっと怒ったふりして睨みつけます。杖で片手の塞がっている私の代わりに、大きなランチバスケットを手に下げたレニィさんと、一仕事終わって手空きだというミリィさんの二人と上機嫌で会話しながら、昼前の、昼食を求めちらほらと休憩中と思しき町の人の往来する通りを歩いています。

 

 ……さすがに、『クラルテアイリス』では目立ちすぎるため、危険な場所へ行くわけでもないためなるべく簡素な……それでも、ちょっとお高そうな物を押し通されましたが……簡素なワンピースに外套というあまり派手ではない格好です。

 

「言ってくだされば、私も多少はお力になれたのですけれど」

「ありがとうございます。でも、この町にいる間は……」

 

 出来るだけ、一緒に居たい。そんな気持ちもあったのでしょうか、わざわざ料理を教わりに行ったのは。

 

「……なるほど、イリス様は、お別れが寂しいのですね」

「……う、その……はい。自分でも不思議ですけど、なんだか無性に……」

 

 思い当たる節はあります。多分、私は色々教えてくれたおばさんのことを……

 

「そ、それより、急ぎましょう、早くしないとお昼終わってしまうかもっ」

「ふふ、そうですね、それだと折角頑張ったのに残念ですものね」

 

 変な方向に飛びそうになった思考をぱたぱたと追い出し、皆が訓練しているという町の外へと歩を早めるのでした。

 

 

 町の外、傭兵の皆さんのキャンプの傍らにある、森の伐採跡を利用した修練場所に行くと、丁度、レイジさんがゼルティスさんと対峙している所でした。周囲は各々の武器を置いた傭兵の皆さんに囲まれており、その視線の中心で刃引きをした剣を構えて向かい合っています。

 

「兄様!」

 

 にらみ合う二人の邪魔にならぬよう、座って休憩していたソール兄様の下へ駆け寄……れはしないので、できるだけ急いで杖を動かして寄っていき、小声で声を掛けます。

 

「ああ、イリス……と、レニィさんでしたか。付き添い、ありがとうございます」

「お礼を言われるようなことではないですよ、ソール様。これもお仕事ですので」

「そ……そうですか……」

 

 兄様も、私同様こうした扱いに慣れずギクシャクしています……やっぱり慣れませんよね。目が合った視線がそう語っており、思わず二人で苦笑します。

 

「それで、用事は……って、それか」

「はい、お弁当をミランダさんに教わって……まだ簡単なものですけど。でも、取込み中でしたね」

「いや、これが休憩前最後の手合わせだから、丁度いいタイミングだと思うよ」

 

 視線を、他の傭兵の方たちも見つめている先に向けると、剣を構えたまま微動もしない……いや、よく見たらぴくっとお互いの動きに反応しつつも、殆ど動けずにいる、レイジさんとゼルティスさんの二人。

 二人は額からだらだらと汗を流しつつ、それでもにらみ合ったまま殆ど動きません。

 

「実力が拮抗しているからね……下手に動いて隙を晒せば、その瞬間やられる。だからお互い動けないからああして睨み合いになってるんだよ……っと、動くな」

 

 そう兄様が呟いた直後、二人の姿が霞むような速さで動き、数度ぎんっ、ぎんっ、と、刃引きされた金属の刃の撃ち合う音が鳴り響き、また別の位置で一定の、お互いの刃の届かない距離で制止します。

 

「……すご……ほとんど見えませんでした」

「そうだね……けど、まだ向こうの方が少し上手かな」

「そうなんですか?」

 

 レイジさんが押されている、そのことに目を見張ります。

 

「ほぅ、よく見てるな。それに気が付いてるのは俺の団にもあまり居なさそうだが……嬢ちゃんも、弁当作りご苦労さん」

 

 背後から、大きな手が頭をぐりぐりと撫でてきます。この大きな手は……ヴァルターさんですね。

 

「……団長。せっかくセットした御髪を乱すのはやめてほしいのですが」

「おっと、悪いなレニィ……嬢ちゃんもすまなかった、ついな」

「いえ、構いません。それより……」

 

 再び、対峙したまま殆ど動きを見せない二人の方を伺います。

 

「向こうが気になるか……まぁ、そうだな。ゼルティスのは俺の仕込んだものだが、習った剣の基礎は騎士として培った物、どちらかと言えば対人向けのものだ。対してあの赤毛の兄さんの奴は、人間以外……魔物をメインターゲットにしたものだろう」

「そう……ですね」

 

 ゲーム時代は、人と戦うことはあまりありませんでしたから……対人戦PvPもあるにはありましたが、レイジさんもソール兄様も狩りメインで、そちらはあまりやっていたわけではなかったです。

 

「ま、その差だろう……これが討伐数勝負であればお前たちのところの赤毛の兄ちゃんの方が分があるんだろうがな。しかしそれだけでなく何か……っと」

 

 ギン、というけたたましい音を立てて、レイジさんの剣が若干跳ね上げられ、そこへ滑り込んだゼルティスさんの剣がぴたりと体……心臓の上へ突きつけられました。

 

「そこまで!!」

 

 そのヴァルターさんの宣言と同時、極度の緊張から解放された二人が額だけでなく全身から滝のように汗を拭き出し、二人揃ってへたりこみます。

 

「……くっそ、また負けた! お前、本当に強いな」

「いや、君の剣はどちらかというと自分より体格の大きなものを相手にする想定の物だろう……それでここまで拮抗されるとは、目を見張るものがあるね」

「……いや! それでも負けは負けだ! しかしこれで3勝5敗か……次は、負けねぇぞ」

「ふっ、いつでも相手になりましょう。私にとっても、君との手合わせはいい経験になるからありがたい」

 

 そう笑い合って拳を合わせる二人……この二人、昨日まで仲があまり良くなかったと思うんですけど。何時の間にかすっかり意気投合し、まるで少年のように笑い合う二人の様子に、ふふっと笑みが零れます。

 

「レイジさん! それと、えっと、ゼルティスさん。お疲れ様です、はい、タオルです」

「おっと、サンキュ」

「ありがとうございます。我が姫」

「あ、あの……姫は、やめてほしいです」

 

 駆け寄ってタオルを渡す私に、普段通り受け取るレイジさんと違い、胸に手を当て一礼して恭しく受け取るゼルティスさん。あ、あの、タオルを渡しただけで仰々しすぎませんか? こうしてお姫様に仕える騎士のような対応は、どうしても慣れません、恥ずかしい。

 

「おっと、では、僭越ながら、イリス嬢、と」

「……それでいいです」

 

 まだ、それも少し恥ずかしいですが、姫よりはいいかな……諦めの気持ちで、投げやりに許可します。

 

「はぁ……格好悪いところ見せちまったな」

「いえ、そんな事無いです! その……二人とも、凄かったです。格好良かった!」

「お、おぅ」

「はは……光栄です」

 

 ちょっと興奮して感想を伝える私に、照れた様子で汗をぬぐう二人。ちょっと浮かれ過ぎました、落ち着かなければ。

 

「二人とも、見せてもらったぜ。なかなかいい勝負だった……ゼルティス、また腕を上げたか?」

「いえ、自分と同じくらいの実力の良い勝負相手が居て、ちょっと熱が入ったせいだと。それと最近はとても調子が良くて……」

 

 そんなことを話しているときに、一瞬だけ、彼の視線がこちらを向き、ふっと相好を崩してまたヴァルターさんとの会話に戻っていきました……何だったんでしょう。

 

「それと、あー、レイジだったか。お前もなかなかいい感じだが……一つ気になってるんだが、いいか?」

「へ? あ、ああ、勿論……」

「お前と、あー、それとソール殿下もなんだが。どうにも、今の自分の能力が腑に落ちていない、というか……なんだ、元はもっとできたものが出来ずにいる、だいぶ能力が落ちてしっくり来ていない、みたいな印象を動きに感じるんだが……」

 

 その言葉に、レイジさんが息を飲みます。

 

「……そんな所まで見抜かれるとは」

 

 最盛期は……転職間際のレベルカンスト直前の頃でしょうから、その頃の感覚と比べると、転職後レベル巻き戻りの後の成長途上であった今はだいぶ二人にとっては動きにくい物なのかもしれません。もともと激しく体を動かさない私には実感ありませんが……それでも、私も当時と比べてすぐに尽きる魔力には苦心していますし……

 

「やっぱりか。まぁ詳しく聞くつもりはないが、どうにもぎこちないように見えてな。とりあえず、午後からは俺も少し見てやろう。さて、昼飯にしよう、嬢ちゃんがお前たちに食べて欲しくて用意してきたみたいだからな」

「あ、はいっ。流石に傭兵の皆さん全員分は無理ですが、多めに用意してきたので皆さんも一緒に……お口に合うかは分かりませんが……」

「そうですか、では、ありがたくご相伴にあずかります。私は妹を呼んできましょう」

 

 そう言って一礼して、フィリアスさんを探しに行く彼。

 

「……レイジさん、ずいぶんとあの人と仲良くなったんですね?」

「あ、あぁ、まぁな……悪い奴じゃないし、それに」

 

 レイジさんの目線が、気まずげにこちらを向きます、が、すぐに逸らされました。

 

「……俺、ぜってぇあいつには負けねぇから」

「え?」

「いや、悪い、忘れてくれ。俺、ソールと昼飯の準備手伝ってくるわ」

 

 突然の宣言に頭上に疑問符を浮かべていると、レイジさんが慌てたように、そそくさと敷布を広げバスケットの中身をセットしているソール兄様の方へと立ち去っていきました。

 

「はは、こっちの方も前途多難みたいだな、頑張れよ若人」

 

 そんな様子を面白そうに眺めていたヴァルターさんに、私は一人首を傾げるのでした。

 



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昼休みと、私の特技?

 

「……しかし、意外な奴が伸びてきたな」

「え?」

 

 彼の視線の先を見ると、少し離れたところで、周囲の喧騒をよそに弓の弦を引いている……未だに目にするたびに私の胸をチクリと罪悪感で刺す、後ろからでも目立ってしまう首のあたりの火傷跡は。

 

「あ、ヴァイスさん? ……って、あれやり過ぎじゃないですか、止めないと!」

「いや、ちょっと待て」

 

 視線の先に居たのは、ヴァイスさんでした。しかし、どうも様子がおかしいです。その様子は疲労困憊という体で、呼吸は荒く、腕を上げるのも難儀しているようなさまでした。

 明らかにオーバーワークで、慌てて休むように言おうとしたところ、ヴァルターさんに制止されました。

 

「もう少しだけ見守っておけ、これは……ひょっとするかもしれん」

「え?」

 

 その彼の腕が、すっと上がり、弦に矢を番えます……その動きが、余分な力が抜けたせいかここに来て尚あまりに自然体で綺麗な様子に、周囲でざわめいていた傭兵さん達の声が途絶え静寂と緊張感に包まれます。そして、残り少ないであろう体力で弓を引き……流れるような動きのまま放たれ……その矢が、闘気の光を纏ったのを目にしました。

 

 ゴウッ! という、風を切るという表現ではまだ生易しい、凄まじい音がしました。

 

 放たれた矢が目にも止まらぬ……異様な速度で空を駆け、目標である的を粉々に砕いたのみならず、その的を取り付けた木の幹を抉り……矢が、木に矢羽のあたりまで深々と突き刺さりました。

 ……これは、ゲームの時で言うスキルのようなものでしょうか。それも、相当な威力の物に見えます。

 

「な、ん……」

 

 当の本人は、自分自身眼前の光景が信じられない、そういった風情で呆然としています。

 

 そこまでを見届け、ヴァルターさんがそちらへ歩を進めたので、慌てて杖を動かしついていきます。

 

「よう、頑張ってるな新入り」

「だ、団長!?」

 

 驚愕するヴァイスさんを他所に、ヴァルターさんが周囲の状況をマジマジと観察します。

 

「たまーに、ふとした拍子に目覚めるのが居るんだよな。余計な力が抜けて、無意識に筋力以外の物で弓を引こうとした結果、全身に流れる気をうまく活用することに目覚めたんだ。それが時にはこう言った破壊力を……まぁ、ごちゃごちゃ細かいことはいいか、いわゆる戦技、ってやつだ、その感覚を忘れるんじゃないぞ」

「は、はぁ……」

 

 やはり先程のあれは、私たちの言うスキルみたいなものらしいです。こちらでは戦技って言うのですね。この威力と矢の速度は……確か、弓に『ストライクアロー』と言うものがあった気がしますが、それに近い気がします。貫通力と威力に秀でた、かなり高位のスキルだった気がします。

 

「ちなみに……『あいつら』もそれを使いこなしてるからな、追いつきたいのであれば今後そっちの鍛錬も励めよ」

「……! わ、分かりました!!」

 

 森で彼がレイジさんに助けられて以降、ずっとレイジさんやソール兄様に対抗心を燃やしていた事は、流石に私でも理解しています。それ故に追いつくための糸口を見出した彼の喜びようは、後ろで見ていてもよくわかりました。

 

「そういえば、お前には、客人を守り抜いた報酬を渡してなかったなって思ってな、ほれ、受け取れ」

 

 今思い出したと言わんばかりに告げ、これまでずっとヴァルターさんが肩に担いでいた包み……それも、かなりの大きな物を、あまりに気やすい様子でひょいっと投げ渡します。

 

「うわっ! っとと……重っ!?」

 

 何気なく受け取ったヴァイスさんが、その重量によろけます……あの、それをずっと担いであまつさえ忘れかけていたんですか、ヴァルターさん?

 

「ドレッドノート、っていう銘の魔弓だ。まだ使いこなすのは難しいだろうが、くれてやるよ」

「魔弓!?……あ、あの、引いてみても……?」

「おう、やってみろ」

 

 ヴァイスさんがそわそわとしながら包みを解いて広げた中から出てきたのは、大型の、複雑な機構を有した、それでいて優美な印象さえ感じる真白い弓でした。一目で、ただならぬ逸品だと感じます。が。

 

「あ? なんだこれ、引けねぇぞ?」

 

 さっそくその異様に太い弦に矢を番えてみたヴァイスさんの手が止まります。どれだけ力を入れても、ほとんど動かない様子でした。

 

「あー、魔弓は力で引くんじゃなくてな。さっきの一矢みたいに、闘気を弓に行き渡らせるようにして……」

「って、言われても……こ、こう……っくっ、それでも、重ぇ……!」

 

 弓の所々から淡い緑色の光が漏れ始め、額から脂汗を垂らしながらも、少しずつ、少しずつギリギリと引かれている弦。

 

「うわっ!?」

 

 しかし、とうとう手から力が抜け、指から滑った弦が矢を弾き……ばきばきと、木を貫通しながら森の奥へと消えていきました。

 

「…………」

「す、すごい、ですね……」

 

 あまりの威力に、絶句しているヴァイスさんと、辛うじて言葉を絞り出す私。引き切っていないにもかかわらずこの威力では、使いこなしたら一体……

 

「と、まぁ、まだまだ使いこなせないだろうが、こいつが使えるようになりゃお前は大型のモンスターでは貴重な戦力だ。励めよ」

「あ……ありがとうございます!」

 

 物凄い勢いで頭を下げるヴァイスさんに、ヴァルターさんはひらひらと手を振って戻っていきました。

 

「ヴァイスさん、良かったですねっ」

「あ、ああっ。もっと頑張らねぇと……!」

 

「……そこまでです」

 

 はしゃぐ私と決意を新たにするヴァイスさんの中間に、後ろに控えていたレニィさんが割り込んできました。その目は、ほかの人に向けるものより幾分厳しい物で、向かい合っているヴァイスさんが思わず引きつっています。

 

「イリス様、異性に対し距離が近すぎます。このような荒くれの集まる場の男にそう無警戒では、いつ狼に変貌した者に襲われるか。特に彼のようなのは危険です」

「し、しねぇよ!? というか、こんなガキは対象外だ!?」

 

 ガキ、という言葉に、思わず自分の胸元のあたりをぱんぱんと叩いてみます……否定できません。がっくりと肩を落とします。

 

「ほう……初対面の時、お仲間と一緒に彼女に迫っていたと聞きましたが……?」

「くっ、あのときはどうかしていたんだよ、俺はもっと……もっと……」

 

 突如言葉の勢いが落ちるヴァイスさん。その視線が一瞬対峙しているレニィさんの、その大迫力な胸に移り、すぐに僅かに顔を染めて明後日の方に逸らしたのは見逃せませんでした……ああ、なるほど、そっちの方でしたか。そういえば、以前も抱き心地がどうとか言ってましたもんね。

 

「……くっ! とにかく、そういう目ではもう見てねぇから放っといてくれ……畜生、何でよりによってこいつが……」

「まぁ、そういうことにしておきましょう、ですがくれぐれも……」

 

 っと、いけない、このままお小言が始まってしまえばお昼が遅くなってしまいます!

 

「そ、それより、皆が待ってますので、お昼にしましょう!? ほら、ヴァイスさんも良ければ一緒にっ」

「お、おぅ……」

「……イリス様がそう言うのであれば」

 

 しぶしぶと、二人が着いて来ているのを確認し、皆がお弁当を広げている場所に戻りました。

 

「ところで、レニィさんとヴァイスさんはお知り合いなんですか?」

「……遺憾ながら、家の方で少々付き合いが」

「こいつは俺の住んでたところの領主の娘だよ、くそっ」

 

 まさか傭兵団で再会すると思っていなかったと、悪態をつくヴァイスさん。この世界も、案外狭い物なんですねぇ……

 

 

 

 

 

 お弁当のの内容は、ハムや卵などの何種類かのサンドイッチに、お芋と塩漬けの肉を炒めた元の世界で言うジャーマンポテト。それと葉野菜を酢漬けにしたものを少し。本当はもっと野菜も入れられたら良かったのですが、少量に留まってしまっています。寒冷地であるこのあたりでは新鮮な野菜類は貴重なため、泣く泣く増やすことができませんでした。

 

「どうですか……?」

「ん、大丈夫、美味しいよ」

「……ま、まぁ、味付けは大体ミランダおばさんの指示の下、ですけどね」

 

 兄様の言葉に苦笑いして、頬を掻きながら白状します。そんな私の頭を、レイジさんがポンポンと撫でて来ます。

 

「それでも、実際に作ったのはお前だし、覚えたんだろ? 美味かった、次も期待してるぜ。ごっそさん」

「は、はい! また明日も用意してきますね!」

「お、おぅ……」

 

 レイジさんに褒められた事に、頰が自然に緩んでいく気がします。こうして自分が作ったものを褒められるのは、本当に嬉しいです。

 

「はいはい、ごちそうさま! ……兄貴、その、大丈夫?」

「ん? 何がです? ああ、彼らも仲睦まじいのは良い事ですね」

「あー……なるほど、そういう感情ではないのね……難儀だなぁ」

 

 やや離れた場所で、微笑ましい物を見る目でこちらを見ているゼルティスさんと、どこか呆れたようなフィリアスさんが会話をしています……何でしょう?

 そんな様子を首を傾げながら眺めていると、ゼルティスさんと目が会います。

 

「そういえば、姫」

「ひっ……姫は、止めてください……」

「っと、失礼しました。イリス嬢。先日のあのゴブリンの変種について、貴方達は何やら詳しかったようですが、良ければひとつご教授いただければと」

 

 ああ、この間の戦闘の時の。そういえば、こちらの世界では相当珍しいみたいですね、彼らの反応を見ると。ゲームの時は高レベルの狩場などでは珍しくなかったのですが、そういう部分もやはり違うようです。

 

「おぅ、俺もそれを気になってたんだ。なにやらお前たちは魔物の情報に詳しそうだが……ちなみに、一番詳しいのは?」

「それは……」

「まぁ、イリスだろうなぁ」

「え、私!?」

 

 お鉢が回ってきてしまいました。確かに、支援職は後方で俯瞰して周囲を見ている分、全体の指揮を任されることも多く、大体のエネミーの特徴は攻略サイトを熟読して記憶していると自負はしています……けど。

 

「それじゃ、嬢ちゃん。先日のあの変種ゴブリンの特徴を、こいつらに教えてやっちゃくれねぇか」

「あ、はい。まず、先に断っておきますと、文献での知識の為、実際とは食い違いのある可能性がある事を前提に聞いて欲しいのですが……」

 

 様々な部分がゲームとは全く異なるこの世界、ゲームと現実の差がある可能性を考え、保険をかけておきます……間違えてたら恥ずかしいなぁ。記憶の中から、攻略サイトの記述を思い出して脳内で整理していきます。

 

「こほん。あれは、私達はハイゴブリンと仮称していますが……ゴブリンの呪術師によって施術をされ、様々な強化を施された――」

 

 話しているうちに、興が乗ってきて、指をまるで指揮棒のように、手振りを交えてつらつらと特徴を説明していきます。

 

 

「――というわけで、私は使えませんけれど、高位の付与術師(エンチャンター)の使用可能な強化術式を解除できる魔法があれば、そうした効果を一時的に無効化できるため大分楽をできると思うのですが……そうでなければ、レイジさんや、えっと、ゼルティスさんみたいに、強固な表皮をどうにか切り裂いたのち、内部から破壊、が最も効果的な……手段だと……はい、そういうことで……はい……」

 

 説明が終わりに差し掛かるにつれて、今まで教師気分でノリノリに話していたことに気が付いて、顔に血が集まってきます。やっちゃった、やっちゃった!? やだ、凄い恥ずかしいんですけど!

 

「はは、照れるな照れるな、いい教師ぶりだったぞ……正直、ここまで詳しく対処法まで解説してくれるのは予想外だったが」

「うううぅぅうううっ……!」

 

 ばしばしと痛くない程度に頭をはたいてくるヴァルターさんですが、そう言われても、争い事を本業にしている人たちの前で説法を垂れたのかと思うと顔から火を噴きそうです……

 

「しかし、こう詳しいとほかにも聞いてみたくなるねっ!」

「そうだな……例えば……レッサードラゴンと、ドラゴン種の外見上のサイズ以外の差は?」

 

 フィリアスさんの発言に、ヴァルターさんが追加で質問をしてきます。が、このくらいなら……ドラゴンは有名なため、その特性、攻略法だけは広く伝わってますから。倒せるかどうかは別ですが。

 

「……えっと……レッサードラゴンに比べ、ドラゴンは知能がより高く、魔法等も高度に使いこなすことと……耐魔力でしょうか。相当の威力の物をぶつけないと、ドラゴン種には鱗で弾かれてほとんど効果が……でしたっけ?」

「はいはい! ブロブ種に粘液を浴びせられた時は!? あれ、ほっとくと服溶けちゃって大変で」

「あ、えぇと、さっと水洗いした後アルコールを霧吹きなどで数回シュッシュすれば、多分中和できるかと――」

 

 

 

 

 

 

 最初は広く知られているのもから始まり、徐々に質問がマニアックな方向へ進んできました。現在は、一つ目巨人(サイクロプス)族について、となっていますが……

 

「――というわけで、彼ら一つ目巨人(サイクロプス)族は、世間一般の巨人族の粗暴なイメージとは裏腹に堅気な職人気質の者が多く、彼らの繊細かつ強力な冶金技術によって製造された武具は非常に高品質、強力な魔剣も数多くあって……気難しい者が多いため難しいですが、もしその協力を得られれば、得難い一生物の装備が手に入でしょう」

「それは……ぜひ、可能であれば一本拵えて頂きたいものですね……ところで、もしや皆さんはお会いになったことが?」

 

 流石に戦闘に携わる者だけあって、ゼルティスさんが一つ目巨人の話に喰いつきます。その彼から発せられた質問に、思わずレイジさんと目が合います。

 

「ま、まぁ、あるというか……ないというか……」

「あ、あはは……」

 

 ……何を隠そう、レイジさんの所有する『アルスレイ』の素体である、竜眼の器である漆黒の刀身はその一つ目巨人の作ですので、会ったことがあります。が……その時のことを思いだし、羞恥に顔に血が集まってきました。ちらっと横目で確認すると、レイジさんは露骨にこちらから目を逸らしています……制作してもらうにあたって要求された条件にどうしても必要だという事で私も同行しましたが……その時の事は、誰にも、ソール兄様にも言っていません。

 

 ……そういえば、その『彼』もこちらに存在しているのでしょうか……?

 

「くくっ、堅気の職人気質、ねぇ」

 

 そんな中、ヴァルターさんが何かを思い出し、愉快そうに笑っていました……え、まさか。

 

「一応、そのつもりがあるなら伝手はあるから紹介は可能だぞ……まぁ、そっちの嬢ちゃんがいれば駄目とは言わないだろ」

「えぇと、その……まぁ、はい、あはは……」

 

 若干申し訳なさそうな色を含んだその言葉に、乾いた笑いが漏れます。ああ、これ、居る……やっぱりこっちにも居るんですね……とはいえ、力を借りれるのであれば心強いのですが……その時は、少し恥ずかしいのを我慢する覚悟はしておきましょう……

 

 

 

 

 

 最初は賑やかに始まったこのやり取りですが、幾つか質問に答えていくうちに、周囲に別の人たちも集まってきて、なのにだんだん周囲の口数が減ってきました。

 ……あの、趣旨が変わってきている気がします。どこまでであれば答えれるか試されているような……? 視点が集中していて辛いです。

 

「……こないだ見せてもらった服に使われてた糸の出所、アラクネクイーンの注意点、なんてのは流石に」

 

 どこか、疲れた様子のヴァルターさんの質問。少し、脳裏に情報を思い浮かべ、どう説明したらいいかを脳内で組み立てます。えぇと……

 

「あ、はい。まず、本体と触れている糸に、強力な吸精能力がある事でしょうか、大の大人でも、3分も触れていると昏倒して、10分程度で死に至ると。触れていることに気が付かないことも多いので要注意だそうです。それと、まず一体では行動していないので、側には大体側近が潜んで……」

「……もういい、十分だ……正解だ」

 

 何故かげんなりと疲れたように頭を抱え、ヴァルターさんが説明を遮ります。あ、でも、これも言っておかないと何かあると大変ですね。

 

「……それと、アラクネは人型の方だけですが、アラクネクイーンの場合、繁殖のため最悪どちらか潰れても大丈夫なように、人型だけでなく下半身の蜘蛛の方にも全身に分散した脳組織があるらしいです」

「……それは俺も知らなかったな……そうか、以前首を撥ねたはずの奴に後ろから不意打ちされたのはそういう事か……」

 

 がっくりと肩を落としたヴァルターさんに、頭上に疑問符を浮かべます。周囲を見回すと、ゼルティスさんやフィリアスさんを始め、最初は興味津々で話を聞こうと集まってきていた傭兵団の皆がどこか疲れたような乾いた笑いを浮かべています。

 

「……正直、何言ってるのか途中からさっぱり解んねぇ……」

「……奇遇ですね、私もです。どうして目撃例しかない筈の幻獣の習性まですらすら出て来るのでしょう……」

 

 ヴァイスさんとレニィさんが、ぐったりと項垂れていました。

 

「あ、あの、どうかしましたか……? 私、何かやらかしました……?」

 

 もしかして、何か間違っていたでしょうか。それともやっぱり調子に乗りすぎた……?

 

「い、いえ! 決してそのような! 素晴らしい知識に感服しているだけです!」

「ほ、本当凄いねイリスちゃん! ……ねぇ、あんたたち皆こんなの覚えてるの……?」

「い、いや、流石に私もここまでは……というか、私も妹がまさかこれほどとは思ってなかったです」

「……俺、もっと真面目にサイト見て勉強しとくんだったわ……こういうの、任せっきりだったからなぁ」

「……私も、それなりに自信はあったけど、素材ドロップとかはともかく、それ以外はここまでじゃないにゃ……」

 

 プレイヤー側のはずの皆にも、色々言われてます……あれ、これって普通じゃないんですか? 支援職ならできて当然、みたいにたまたま覗いた掲示板等で言われていたので、片っ端から必死に覚えていたんですけど。

 

 

 

「……まぁ、何にせよ、嬢ちゃんのその知識はありがたい。何かあったら知恵を借りるかもしれんから、よろしく頼む」

「あっ……は、はい!」

 

 そんな、大仰な物ではないと思うんですけども……ちょっと魔物に詳しいだけですし。

 

「このくらい大したことじゃないって思ってるな、その様子だと」

 

 まさに今考えていたことをぴたりと言い当てられ、びくっと肩が震えました。はあぁ、と、深いため息を一つついて、ヴァルターさんが真剣な顔でこちらを向きます。その目は本気で心配の色を浮かべているため、つい姿勢を正し言葉を待ちます。

 

「……一つ、言っておく。知識ってぇのは宝だ。今聞かせてもらった話だけでも、例えば本にまとめるとか、あるいはその知識を用いて新しい商売を始めるだとか、ざっと考えただけでも大量の活用手段はある。治癒術とか種族とかを抜きにしても、それだけで狙われる理由としては十分だ……あまり、迂闊に披露しないようにな。服飾の姉ちゃんもだ、いいな?」

 

「えっと……わかり、ました……?」

「にゃはは……了解、気を付けるにゃ」

 

 なるほど、何気なく披露していましたが……そもそも攻略サイトの知識とはいえ、それは無数の人の持ち寄った情報をまとめ、編集したものですから、ゲームの際は無数に集めれた情報でも実際に行おうとすればその労力は凄まじいのでしょう。これも、ある種の「知識チート」なるものになってしまうのですね。

 

「……まぁ、ミリアムはイリスよりはその点はしっかりしていて信頼できるから大丈夫だろ」

「ちょっと、レイジさん!?」

「というわけで、ちゃんと気を付けるんだよ、イリス?」

「兄様まで!?」

 

 頭を抱えて疲れたような様子でそんな失礼なことを言われました。二人とも、そんな言い方って酷いです! もう!

 しかも、周囲は一斉に頷いており、その様子に私は不機嫌ですと主張するように、若干はしたなく、乱暴に、サンドイッチを一つ掴むとがぶりと齧りつきました。

 





 ×乱暴に、はしたなくがぶりと齧りついた
 〇精一杯大きく口を開けてはむっとかぶりついた


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平穏

 

 すっかりと根を下ろしてしまったこの町からの出立を決めたあの日から一週間、私は、ミランダおばさんに可能な限り料理の教えを請いつつ、旅に必要な物を揃え、皆さんの鍛錬を見学し、時には交流を深めながら、平穏な日を過ごしていました。

 

 町の人達からは、出立を伝えると一様に残念だと惜しまれ、そのたびにここを離れるのだという実感が深まっていき、寂寥感に胸を締め付けられることが多くありました。しかしその中で、嬉しいこともありました。

 

 

 

 

 

 

 ある日、いつものように訓練しているレイジさんやソール兄様らにお昼を届けた帰り道、しばらく聞いていなかった懐かしい声に呼び止められました。

 そうして、急遽宿泊施設へ帰った後、レニィさんに庭にお茶の席を用意してもらい、こうしてその声をかけてきた人たちと対面しています。

 

「……結婚、ですか?」

「ああ、これも嬢ちゃんのおかげだ、本当に感謝してもし足りねぇ……」

 

 そう告げる久しい顔……スコットさんでした。そんな彼の背後では、どこかで見たような女性がぺこりと頭を下げています。20代前半くらいの、華美ではありませんが安心できる雰囲気の綺麗な女性。記憶を探りますが、中々思い出せません。

 

「本当に、ありがとうございました。あのような目に逢って、もはや普通の女としての幸せはとうに諦めておりましたが……おかげさまで、こうして綺麗な体で嫁ぐことができます」

「あ……あぁ!そうです、たしか近くの開拓村へと帰った……」

 

 その言葉に、ようやく思い出しました。随分と我ながら薄情ではありますが……あの時は私も精神的にとても追いつめられていたので、ごめんなさいと、心の中でだけ謝っておきます。

 

 彼女は、山賊の砦から助け出された女性の一人でした。手ひどい仕打ちにより、片方の眼球を失い、顔にも酷い火傷を負っていた……その他、全身の骨折や打撲等、攫われた女性たちの中でもかなり酷い傷を負っていた人です。

 しかし、そのような中であって尚他の娘の心配をしていた優しそうな方……今は、『レストレーション』によりすっかり快癒した女性でした。

 

「良かった、お二人とも、元気でやっていたのですね。それに、結婚って……」

「はは……何だか照れるだぁね……」

 

 なんでもあの後、今後の生活をどうするか悩んでいた所を彼女に請われ一緒の開拓村へ行った後、来歴を明かした上でそれでもと望む彼女の説得により受け入れられ、村の一員として狩りをしたり畑を耕したりしながら生活していたそうです。

 

 犯罪者へと落ちた底辺といっても、傭兵団に所属し斥候や雑用係をしていたていた彼の知識や技術の中には、追跡術や罠の作成技術などの村で重宝されるものもあったそうです。そして穏やかな気質でありながらなんだかんだで多少の戦闘の心得を有するという事で、気は優しくて力持ちな彼は人手はいくらあっても足りない開拓村にて今ではそれなりに頼りにされ、すっかり一員として打ち解けたのだとか。

 

 そうして、とうとう周囲に認められ、来月には結婚することが決まったそうです。

 

「彼女は、おらの恩人でもあるだよ。あの日、解放された娘っ子たちに、責任の一端はおらにもある、どんな目に逢されてもしょうがねぇと頭を下げたおらを、許してやるように娘っ子らに進言してくれたのがこの子だ」

「そんな……私の方こそ、あの地獄のような日々の中でも、あなただけは酷いことをせず親切にしてくれて……心配してくれて」

「お前……」

「あなた……」

 

 えぇと、二人の世界に入ってしまいました……ですが、幸せそうで何よりです。とりあえず、二人が帰ってくるまで、視線を逸らしながら紅茶を一口含みます。

 ……程よい渋みがちょうどいいです、お砂糖はそういえば入れてませんでしたが、なんだかすごく甘く感じるなぁと思いつつ、綺麗に晴れた空を眺めます。

 

 いつの間にか残雪は姿を消し、暖かな日差しが降り注いでいます。やがてこの町にもだいぶ遅い短い夏がやって来るのでしょう。しかし、今この時は周囲の気温が上がったような気がします……

 

 

 

 そうして一人景色とお茶を楽しんでいると、我に帰った二人が、揃って顔を赤らめぱっと離れました。はいはいご馳走様です。

 

「っと、すまねぇ嬢ちゃん」

「いえいえ、仲がよろしいようで何よりです……ご結婚、おめでとうございます、どうか末永くお幸せに」

 

 にっこり微笑むと、二人で仲良く赤面して視線を逸らしました。そんな初々しい様子に、頰を緩ませます。本当に、良かった。彼らは、きちんと自分たちの幸せを見つけて新しい道を歩んでいたのですね。

 

「そんな嬢ちゃんも、だいぶ雰囲気が変わっただぁね……」

「……? そうですか?」

 

 少し首を傾げます。自分では良く分かりませんが……

 

「んだ、だいぶ雰囲気が柔らかくなっただ。以前なら、こうしてゆっくり話す事も無理だったろうし……」

「ふふ……そういえば、最後に会った時には目を回してしまって、それっきりでしたね……あの時は、本当に失礼しました」

 

 あれから、本当に色々ありました。「僕」から「私」になって……滞在していたのは一月程度でしたが、いくつも慌ただしく過ぎ去った大変な出来事に想いを馳せながら、また一口お茶に口を付けます。

 

「にしても、後ろのメイドさんといい、嬢ちゃんの綺麗な仕草といい、こうしてると本当にどっかの姫さんみてぇだなぁ」

「……けほっ!? ごほっ、ごほっ……」

 

 不意打ちにそんな事を言われ、思わず咳き込みました。丁度お茶を飲み込んだ瞬間だったため、気道に入りました……けほっ。

 

「うわ、大丈夫だか!?」

「イリス様、こちらを」

 

 すかさず背後に控えたレニィさんが、口元をハンカチで拭ってくれます。

 

「すみません、大丈夫です……ちょっと急にタイムリーな事を言われて慌てただけです……」

「はぁ……よぐわかんねぇけど、すまなかったなぁ」

 

 まさか、「いやぁ、本当にお姫様だったみたいです」などど言う訳にもいきませんので、引きつった笑顔で曖昧に誤魔化すしかありませんでした……

 

 

 

「そんなわけで、出立しちまうまえに、礼だけでも言っておきたくてなぁ……ありがとなぁ、嬢ちゃん。それと、本当すまながった……!」

「このご恩は、一生忘れません、どうか、近くをまた立ち寄った際は遠慮なくお越しください」

「んだ……もし、何が困ってたら可能な範囲で力になるがらな? 遠慮せず来てくれな!」

「はい……はい! お二人も、どうかお幸せに……!」

 

 

 

 ――こうして、しばらく一緒にお茶をした後、彼らは帰って行きました。あの時の事はお互い辛い記憶ですが、こうして今では笑い合える、その事をとても嬉しく思いながら、時折振り返りながら去っていく背中が見えなくなるまで手を振り続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それから数日……そして出立予定日の前日。

 

 談話室で周囲で皆が固唾を呑んで見守る中、私は、眼前で静かに目を閉じて座っているヴァイスさんと向き合っていました。いつもは傷口を隠していた包帯などは取り除かれ、その無残な火傷跡を曝け出しています。

 

 その傷跡に手を掲げ、恐る恐る、(ことば)を紡ぎます。

 

セスト(真言)シェスト(浄化の)ザルツ(第三位)リーア(光よ)イーア(治癒を)ラーファト(生命の)ディレーテ(息吹を)……『ヒール』」

 

 使い慣れていたはずの、しかし随分と久しぶりのような気のするヒールの詠唱をそっと唱えます。ここしばらくはウンともスンとも言わなかったそれは、今、私の手の内で暖かな緑色の光を生じさせました。

 

 今朝目覚めた時に、暫くの間全く体内に感じることのできなかった魔力の流れが、まるで体から溢れそうなほど煌々と流れているのを感じました。慌てて皆を呼び……に行こうとしたところ、寝間着のまま部屋を飛び出しそうになったところをレニィさんに捕まり、しこたま怒られて、身の支度を整えた後。

 皆を集め、調子の確認も兼ねてこうして改めてヴァイスさんの治療を行うことになりました……ヴァイスさん、実験台にしてごめんなさい。

 

 そんな私の手から淡い光が傷口に染み入り、みるみる小さくなっていくヴァイスさんの傷跡……完全に元通り、とはいきませんでしたが、それでも目に見えて元通りの肌の割合が増え、目立たなくなっていきます。

 

「……終わりました」

「ふぅ、何度見ても本当にすげぇもんだな、こりゃ」

 

 多少跡は残っていますが、ケロイド状の部分がかなり通常の肌に近い綺麗な物になっています。だいぶ目立たなくなった傷跡を不思議そうに眺めまわしながら、感嘆の声を上げるヴァイスさん。

 

 ……ですが、正直なところ以前よりも効きが良い気がしています。治癒できる限界ラインもだいぶ広がっています。駄目で元々だったのですが、劇的な効果に兄様やレイジさんですら驚いています。かくいう私も。これは、私の治癒魔法の効力自体が上がっている……ということでしょうか?

 

「……あの、本当に『ヒール』で良かったんですか? 『レストレーション』のほうであれば、傷口を綺麗に消すことも可能ですけれど……」

「だから、何度も言っただろうが。それでここしばらくの経験を失うくらいなら、これでいいんだよって」

 

 『レストレーション』は、万能ではありません。問答無用で過去の状態に体を復元してしまうそれは融通が利かず、戦闘経験による成長や、鍛錬の成果さえも無かったことにしてしまいます……ヴァイスさんは、それくらいならば、多少傷を残すほうを選びました。

 

「ま、なんにせよ、これだけ目立たなくなれば大分見苦しくもなくなったろ。だから気に病むんじゃねぇぞ、これは俺の選択だ、俺がいいって言ってるんだからいいんだよ……ッテェ!?」

 

 ぽんぽんと、頭を叩こうとしたのでしょうが、私の方に伸びてきたその手が直前で別の手に叩き落されます。

 

「まぁ、元のただのチンピラから、傷跡のおかげでちょっと凄みの増した歴戦のチンピラ位になって丁度いいんじゃないですか?」

「おい、うっせぇぞこのアマぁ!!」

 

 しれっと手を叩き落としてぴしゃりと辛辣な評を下したレニィさんに、ヴァイスさんが牙をむいて食って掛かります。最近では、なにかとさりげなく近くで周辺の警戒をしてくれているヴァイスさんですが、普段からずっと傍に控えているレニィさんとたびたびこうしたじゃれ合いをしているのは恒例の光景になっており、思わず苦笑を浮かべ、そんな二人を眺めていました。

 

「それで、調子はどうかな?」

「あ、どうやら問題なく……というより、しっかり休息をとったおかげか、むしろ以前よりだいぶ調子は良い位です」

 

 以前と比べて、体の奥からこんこんと魔力が溢れて来るような感じがして、今なら、この前使用した最上位範囲回復魔法も、複数回連続使用できそうです。

 

「それなんだけどね、多分イリスちゃんの魔力、以前より大幅に上がってると思うのよ」

「……え?」

「それは、どういう事でしょう?」

 

 唐突に、フィリアスさんからもたらされた情報に、私とソール兄様が思わず聞き返します。フィリアスさんは、しばらくうーんと悩んだ後、まだ実例が少なく確証はない話だと前置きして話し始めました。

 

「魔力枯渇から復帰すると、体の防衛反応なのか、同じことが起きないようにしようとするのか、かなり強化される例が報告されてるの……私も、実例は初めて見たけど」

「ああ……骨折した場所が、完治後はより強くなっているとかそういう感じの」

「それじゃ、これを繰り返せば、もっと……あたっ! 痛っ! 痛い!? 皆さんなにするんですかぁ!?」

 

 魔力量が増えればこの前みたいな思いはせずに済む、より一層皆さんの役に立てると意気込んだ私の頭に、フィリアスさん、ソール兄様、レイジさんと、立て続けにそこそこ強い力で拳骨を落とされました。痛いです。涙目で頭を押さえて周囲を見回すと……

 

「冗談でも、そんなことは言わないで!」

「どれだけ心配したと思ってるんだ……!」

「今のは全面的にお前が悪い。ちったぁ反省しろ、馬鹿野郎!」

 

 真剣な三人の怒りを含んだ顔に囲まれており、息を飲みます。立て続けに責める声。周囲を見ると、皆呆れか怒りの表情を浮かべており、自分の言った事がどれだけ悪かったかを物語っています。

 

「う……ごめん、なさい」

「はぁ……反省したならいいです。そもそもあれだけ枯渇した状況からちゃんと還ってきた例が殆ど無いんですからね。実例が少ない意味をちゃんと考えてね? 無茶は絶対ダメですよ?」

「はい、気を付けます……」

 

 しょんぼりと肩を落とす私を諭すようなフィリアスさんの言葉に、安易な手段に走る考えがよぎった自分に嫌悪感を覚えます。しかし、間違えた道を進もうとした時に、こうして身を案じて怒ってくれる人がこんなにも居るというのはきっと幸せな事なのでしょう。そう思うと、こんな時なのに頰が緩んで来ます。

 

「……どうやら、反省がちょっと足りないようだね?」

「あっ!? こ、これは違くて……!」

 

 そうして、つい笑ってしまったのを兄様に見咎められ、お説教の時間が追加されました……うぅ。

 

 

 

 

 

 

「違うんです……決して皆の言っていた事を軽んじた訳ではないんです……」

「はは……災難だったな。まぁ、それだけ心配かけてたんだから授業料と思っとけ」

 

 とても長く感じたお小言が終わり、皆が解散してしまった後。三十分くらいも続いたお説教に萎びている私に、隣に腰かけたレイジさんが苦笑します……できれば、止めて欲しかったです。抗議の意味を込めてじとっ睨みつけると、レイジさんはうっとうめき声をあげて視線を逸らします。

 

「そ、それにしても……出発に間に合って、よかったな」

「……そう、ですね。明日の今頃には、もう……この町から、出ていくんですよね」

 

 なるべく考えないようにしていたのに、ふとその事を思い出してしまい寂寥感が胸を締め付けます。そんな私の心情を察してか、レイジさんは何も言わずに傍らで私の頭をくしゃりと撫で、それで無性に人肌恋しくなった私はそのまま彼の腕に頭を預けました。

 

 平穏な時間は瞬く間に過ぎ去って行き、この世界に飛ばされて初めてのお別れは、もうすぐそこまで迫っていました。

 



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出立

 

 まだ東の空も白み始めたばかりの早朝。

 

 真新しい「クラルテアイリス」に袖を通し、その上にいつものように外套を羽織ります。寝巻きを綺麗に畳んでマジックバッグに収納し……これで、もはやこの部屋で行う事は有りません。

 

「イリス様、忘れ物はございませんか?」

「あ、はい、昨夜のうちに確認は済んでます、大丈夫です」

 

 最後にもう一度、この一月と少しの間、寝泊まりしていた部屋を振り返ります。もともと一時の仮宿であることは承知の上でしたので、嵩張る様な物は何も増やしてはいませんでした。なので、片付けたとはいっても主に掃除であり、それほど風景が変わったわけではありませんでした。

 しかし、すっかり綺麗に清掃され、シーツやお布団は畳まれたその部屋は、もう帰ってくる場所ではないのです。その心境故か……同じ部屋であるはずなのに、どこか違う知らない部屋のような寒々しさを感じました。

 

「……さ、早く行きましょう。兄上様たちも下でお待ちしておりますよ」

「……はい。すみません、行きましょう」

 

 未だに背を引く未練と寂寥感を振り切り……その部屋を、後にしました。

 

 

 

 まだ吐く息が白い、澄んだ空気の朝。早い時間であるため見送りの人はそれほど多くありませんが、以前治療した娘達など、それでもまばらに見送りに来た人たちが見えます。

 

「皆さん、短い間でしたがお世話になりました。この町の為に色々と尽くしてくれたご恩は、決して忘れません」

「いえ、こちらこそ、色々と便宜を図っていただきありがとうございました。私たちにとってこそ、お二人……いえ、この町の皆さんは、恩人です。どうもありがとうございました」

 

 少し離れた場所で、ルドルフ町長さんと、私達の代表として兄様が別れの挨拶をしています。そして、私は……

 

「本当に……ありがとうございました……っ」

 

 少し、声が震えた気がします。涙声になってはいないでしょうか。まだ我慢しないと。お別れは、笑って終わらせようと決めたではないですか。

 

「寂しくなるねぇ……元気でやるんだよ。はい、これ持っていきな」

 

 ミランダおばさんから、結構な厚みのある纏められた紙の束、帳面を渡されます。

 

「これは……?」

 

 ぱらっと捲ってみると、最初に開いたページに書かれていたものは、料理のレシピでした。ぱらぱらと捲っていくと、そこにはたくさんの料理やお薬のレシピが手書きで書き綴られています。

 

「あの、おばさま、これは……っ!?」

 

 印刷ではない、まだ真新しい手書きのレシピ帳。これだけ書き記すのは、どれだけ手間がかかったのでしょうか。ばっと顔を上げると、おばさんは照れ臭そうに頬を掻きながら笑っていました。

 

「本当は、もっと色々教えてあげたかったんだけどねぇ……よかったら、持っていきな」

 

 思わぬ贈り物と、優し気に微笑むおばさんに、もう、我慢が出来ませんでした。どうにかずっと堪えようとしていた涙が限界を迎え、あふれ出して零れ落ちます。帳面を胸に抱きかかえ、その懐に思わず飛び込んでしまいました。おっと、と少しだけ慌てたような声が聞こえましたが、もう、止められません。

 

「私はっ……こうやって、色々教わったのはっ、初めてでっ……まるで、もう居ないお母さんと一緒だったみたいで……っ! 凄く、凄く……嬉しかったっ!!」

 

 まだ子供の頃に死んでしまった母さん。『僕』であったころ、たとえ身体的な理由で世話になる側の身であったとしても、兄として最後の意地として、こういう弱みを見せるわけには――綾芽の前で「寂しい」だなんて、言うわけにはいきませんでした。しかし、その思いはいつしか気が付かないうちに澱の様に底に溜まっていたのでしょう。

 

 だから本当に、嬉しかったし、楽しかったんです。まるで、もう居ない母さんに色々教わっているみたいで。永遠に訪れない筈の機会を体験できたようで。残ることは迷惑になることは重々理解しています。ですが、別れたくない、離れたくない。やっぱり寂しいです……っ!

 

 ――だけど、それは絶対に口にしてはいけない事。代わりに、しばらくその胸に抱かれて泣きじゃくります。拒絶はありませんでした。そっと回された手に、背中をぽんぽんと叩かれます。

 

 しばらくその振動に身をゆだねているうちに、徐々に落ち着いてきて、ひっく、ひっくとしゃくりあげるだけになってきました……そうすると、今度はやってしまったという羞恥心がむくむくと頭をもたげてきて、慌てて顔を離しました……鼻水、出てないですよね?

 

「ご、ごめんなさい、私ったら……迷惑ですよね、忘れてくだ……きゃ!?」

 

 今度は、逆に抱きしめられ、目を白黒させます。そっと顔を上げると、僅かに涙をにじませたおばさんの苦笑いにぶつかりました。

 

「そうかい……そんな風に思っていてくれたのかい。迷惑なもんかい、こんな可愛い娘なら大歓迎さ。それじゃ、またいつでも好きな時に遊びにおいで……「この子」のお姉さんとして、いつでも歓迎するからね」

「……え?」

 

 ふと耳に飛び込んできた言葉に、思わず涙に濡れた顔を上げます。そんなおばさんは、片手で自分の下腹部のあたりを抑えています……まさか。

 

「はは……私達は、今までどうにも子宝には恵まれなかったんですが……ここにきて、ようやくです」

「私も、正直30も過ぎて半ば諦めていたんだけどねぇ……きっと、貴女が連れてきてくれたのね」

 

 背後で、照れたように頭を掻く町長さんと、もう片方の腕で私を軽く抱いたままのおばさん。その会話の意味が、じわじわと浸透してきます。

 

「……それじゃあ、ここしばらく調子が優れなかったのは」

 

 ずっと伏せがちだったのも、食欲がなかったのも。では、初めて会った時にはすでに、そのお腹には……

 

「心配かけたみたいね……そうだ、お腹触ってみるかい? 貴女に祝福してもらえたら、きっと元気に生まれて来る気がするわ」

「はい……はい、是非!」

 

 涙を指で拭って、そっと、どうか元気に生まれ育って欲しいと祈りながら、促されるままにまだ何も変化のないその腹部に触れます。

 

 ……触れた感じでは、まだ何もわかりません。しかし、今この下では新たな命が育っているのだと思うと、生命の神秘というものを感じざるを得ません。

 そして、それは、今はまだでもいずれ近いうちには私も獲得するはずの体機能です。今はまだ全く実感は持てませんが、いつかは私もこのように新たな命をお腹に宿し、母親になる日が来るのでしょうか。

 

「……ここに、もう居るんですね。凄い……」

「そうねぇ……貴女も、いつか、こうして母親になるのでしょうね」

「……えっと、正直、私にはそういう時が来るのが全然想像できません……でも、本当に凄い」

 

 語彙力が低下している気がして情けないですが、それ以外言葉が出て来ません。

 

「だけど、こういうのは焦ったら駄目よ。一杯色々な人に会って、色々な物を見て、その中で本当に大切な人を見つけて……自分は大事にしないと駄目よ?」

「……はい」

「まぁ、心配しなくても貴女なら大丈夫かしらねぇ」

「……?」

 

 疑問符を頭に浮かべつつおばさんの視線の先を見ると、苦笑している兄様と、そっぽを向いて頭を掻いているレイジさん……って、周囲の皆が生暖かい視線でこちらを見てます!?

 途端に恥ずかしくなってぱっと離れます。感情が昂っていたせいですっかり意識から抜け落ちていましたが、ここには見送りの人が大勢いたのに、私はなんという痴態を……!

 

 そんな羞恥に駆られている私に苦笑しながら、レイジさんが私の肩を叩き、出立を促します。

 

「では、皆さん、お元気で。また今度来たときは、歓迎します」

「それじゃ、いつかまたおいで、今度は……三人で、待ってるからね」

 

 その言葉に、まだ完全に涙の止まっていない顔に精一杯の笑顔を作ります。これ以上、心配はかけたくはありませんから。

 

「はい……きっと、いつかその子の顔を見に来ます! その時は、この戴いたレシピもきっとマスターして、おばさまたちにも食べて頂きます、きっと……っ!」

「それじゃ……行くよ、イリス。今までお世話になりました」

 

 促され、商隊や傭兵団の皆さんを待たせている町の外への道を、歩き出します。周囲から投げかけられる温かい声、その中に混じる、「ありがとう」という感謝の声。

 

 気が付いたら衝動的に、外では人前では基本的にはずっとかぶっていた外套のフードを取り払っていました。朝日に照らされて、きらきらと淡い虹色に煌めく髪が視界の端で宙を舞います。左右で兄様やレイジさんが驚いていますが……それでも最後だけはちゃんと自分の意志で、フード越しではなく素顔で感謝を伝えたかったと、そう思ったんです。

 

 そして振り返った途端に、一斉に視線が集中します。今回だけは、恐怖心はありませんでした。お腹に力を籠め、できるだけ大きな声で、喉を震わせます。

 

「皆さん! 本当に……本当に! お世話になりました!!」

 

 深々と頭を下げると、しばらくの沈黙の後、またな、頑張れよ、様々な声援が飛んできました……って、誰ですか、「嫁に来てくれ」って言ったのは、もう!

 

 思わず、笑いが漏れました。その笑いの衝動のままに顔を上げて精一杯の笑顔を残し、今度こそ、私達はここを立ち去りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町を出て、商隊や傭兵の方々と合流した後、行商人の皆さんの厚意で宛がわれた馬車の座席の一角に私とレイジさんが隣り合って一緒に腰かけています。やや離れた場所には、私の面倒を見る様に仰せつかっているらしいレニィさんが、極力目立たないように静かに座っています。

 

 ちなみに、私達は今、護衛の傭兵団の馬車に挟まれる形で真ん中に配置された商人たちの馬車に居ます。治癒術の使える私は最も安全な場所を満場一致の賛成で宛がわれ、レイジさんとレニィさんはその護衛だそうです。こうして特別扱いしていただいた以上は、何かあった時は頑張らないと。尤も、その何かあった時が来ないのが一番なのですが。治癒術師は暇であるに越した事はないのです。

 現在兄様は傭兵の方々と打ち合わせがあるためヴァルターさんと最後尾の車両に同行しており、ミリィさんも戦力分配の関係でそちらに同乗しています。

 

 ……最初は誰がここに乗るかで(主に兄様とミリィさんとフィリアスさんの私を抱っこしたいガチ勢が)揉めていましたが、ひとまず一番騒がなかったレイジさんがヴァルター団長の鶴の一声でこの席を勝ち取り、休憩ごとに交代するということで落ち着いたようでした。そのため、時折同乗させていただいた商人さん達のちらちらと興味深げな視線を感じる以外、静かな時が流れていました。

 

「……いい人たちだったな」

「……はい。本当に……」

 

 ぽつりと呟いたレイジさんの声に、同意します。正直なところ、この一月は散々な目に逢ったと言っても過言ではない筈です。一杯傷つきました。辛い目にもたくさん逢いました。それでもこうして離れがたさを感じているのは、ミランダおばさんやルドルフさんを始め、多くの人が温かく迎え入れてくれたからでしょう。

 

 旅をしていくという事は、こういった別れも繰り返すことになるのでしょうか……そんな不安に駆られそうになった時、まるでそんな心境を察したかのようなタイミングで頭へといつものように大きな手が載せられます。先程の温かい気持ちと、寂しさがないまぜになった、複雑過ぎて自分でも処理しきれない感情がそれだけで静まっていくようで、素直にその腕に摺り寄せる様に体を預けます。

 

 ……ふと、こうして別れを体験した今になって、今更ながら気が付きました。私には、「あちら」の世界に未練はほとんどありません。親族と言えるのは綾芽しかおらず、友人と言える者も玲史しか居なかったから。ですが、家族を残してきた玲史さんは? 「僕」と違って向こうに友人も居るはずの綾芽は?

 

「……レイジさんは」

「ん? なんだ?」

「……いえ、何でもありません、ごめんなさい」

 

 ――聞けませんでした。いいえ、聞くのが怖かった。向こうの家族に会えなくて寂しくないかと、このような事態に巻き込まれて憤りはないのかと。そんな私の疑念を見透かしたかのように、軽くこつんと頭が叩かれます。

 

「言ったろ。俺は一緒に居るって。多分、ソールもな」

「……はい」

 

 材木の流通ルートであるという事で整備された、辺境という条件の割に驚くほどきれいに整えられている街道を進む馬車は思っていたよりも揺れず、ガタゴトと、穏やかな振動だけを伝えてきます。

 

 私達の宿縁の地であるノールグラシエ王国。その国境まで……あと、三日の予定です。

 

 



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夢の跡の君 -alone the world-

 

「御子姫様がまたお姿をお隠しになられた! 探せ、探せぇ!」

「いつもいつも、一体どこから姿を眩ますんですか、あの方は!?」

「知らん! ああ、もう、いつもちゃんと帰っていらしてくれているとはいえ、もし見えないところで危険な目にでも逢っていたら……!」

 

 まるでハチの巣をつついたような騒ぎを横目に、外壁に設置されているメンテナンス用通路に身を滑らせる。目的地へのルートは、得意げな顔をしてこの道を教えてくれた、意外とお転婆な『彼女』と何度も通っているうちに覚えた。

 複雑だが決まったルートを辿っていくと、外壁の一角にかなり昔の戦闘の後、修理する際に見過ごされていたらしい、人ひとりどうにか潜れる程度の小さな亀裂に潜り込む。小柄な彼女には容易く進めるそこも僕には少々きついが、それでも何とか通過出来ることについては、あまり体格に恵まれなかった事を感謝する数少ない事だ。

 そこを潜った先は外壁の外で……下を眺めると、遥か百メートルは下方にようやく地面が見えていた。迷わず宙に身を躍らせると、みるみる背にいつものように輝く翼の出現した感触。一振りするとたちまち風を掴んで上昇し、勢いよく空に身を躍らせた。

 

 彼女……先程『御子姫』と呼ばれていた少女は、何故かこうした抜け道を見つけ出すのがうまく、たびたび姿を眩ませることがあった。尤も、報告する義務も義理も無いので告げ口などはしていないし、僕も時々こうして使用しているので彼女とは共犯者の関係だ。

 

 ふと、眼下を覗くと先ほど出て来た建造物……山々よりも高く、直径で十キロメートル以上にも及ぶ巨大な塔……と言うには潰れた形の白亜の塔。『完全環境型積層閉鎖都市』と言うらしい、魔導科学の粋を結集して建造したと言う巨大な街。いつか訪れるかもしれない危機に備えた人々の最後の砦として建造されるも、その実態は自分達を尊き存在と信じて疑わない権力者と聖職者、自らを女神の使者の末裔と信じて驕った天族達の都市。

 

「……まるで、神の座を目指して砕かれた、神話の塔だな」

 

 憎々しげに吐き捨てると、その街……『アクロシティ』と人々が呼ぶ街を後にし、『彼女』が居ると思われる場所に向けて羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 ……探し人は、それほど時間が掛からずに見つかった。街を出て背中の翼で精々30分程度。この程度であれば特に疲労も無く、せいぜいちょっと遠出した散歩程度でしかない。

 

 探し人……彼女は、午後の陽気の中、日当たりのよい花畑で、多数の獣に囲まれて、あろうことかその中心ですやすやと熟睡中だった。

 周囲の獣たちも同様で、ぴったり寄り添って共に昼寝をしているもの、ただじっと彼女を見つめているもの、中には、眠る彼女の体をよじ登って大人しく遊んでいる小動物まで居る。そこにはただのんびりとした時間が流れているだけで、剣呑な空気は欠片も存在しない。

 

「……相変わらず、メルヘンチックというかなんというか」

 

 今必死に彼女を探しているであろう衛士達の苦労も知らずに呑気なものだな、と、普段は良く思っていない彼らにも流石に同情心を抱きつつ、呆れたため息を一つつくと、少し離れた場所に急降下気味に地に降り立つ。背中に輝いていた翼を消すと、ツカツカと荒い歩調で歩み寄る。

 

 僕の怒気を感じたためか、小動物が蜘蛛の子を散らすように去っていった。彼女の敷布団代わりにその毛皮を差し出していた巨大な狼……天狼などとも呼ばれる幻獣セイリオス――断じて、このような人里付近にほいほいと現れていいような存在ではない――が、迷惑そうに……腹立たしいことに、フンッ、と一つ鼻でため息らしきものをついてまた惰眠に戻る。

 あまりにもあんまりな態度にこめかみに青筋が浮き上がるが、周囲で様々な物が動いたのを感じたためか、呑気に寝ていた彼女が、「うぅん……」と悩ましい吐息を口から洩れさせて、その閉じていた瞼を震わせたため、慌ててその怒りを鎮める。向こうも、枕役に専念するらしい。僕たちがいがみ合っていると彼女が悲しむからだ。

 

 眠っていた彼女がぱちりと目を開くと、長い睫毛に彩られた澄んだアメジストの瞳と目があった。おもわずうっと後ずさると、淡い虹色の燐光を纏った長い銀髪がさらさらと滑り落ち、たちまちその整った顔を縁どるカーテンとなる。

 天上の美姫だのなんだのと民衆が騒ぎ立てるその整った容姿を、眠そうにふにゃふにゃと緩ませたまま、周囲をきょろきょろと見回したのち……

 

「……あ、――君、おはよー……」

 

 ぐしぐしと目じりに浮かんだ涙を手の甲で拭ってのんびりと宣う彼女にずっこけそうになるが、何とか気を取り直す。「今、怒ってるんだぞ」という気配をなるべく発散できるように腰に手を当て、もう片手で片目を覆い隠し、これ見よがしに大きなため息。やれやれと肩をすくめつつ睨みつける真似事をしてみる……が。

 

「あはは、何度も言うけど、似合ってないよーそういうの」

「うるさい。いつも探しに来る僕の身にもなれ……せめて、僕にくらいは言ってから出てってくれても良いだろうに」

 

 正直、彼女のサボタージュには怒りは無い。ただ、自分にすら言わずに出かけた事が面白く無い……自分で言うのも何だが、拗ねているだけだが面白くないものは面白く無いのだ。

 どかっと彼女の隣にわざと乱暴に腰を落とす。彼女はしばらくきょとんとした後……するりと僕の隣に滑り込んで来た彼女が、僕の腕を自らの腕と絡め、その柔らかな身体を、体重を預けて来た。

 

「でも、探しに来てくれるのよね。いつもありがとうございます、私の婚約者様」

「……ふん」

 

 ふにゃりと相好を崩して、嬉しそうに屈託のない笑顔を向けられてしまえば、惚れた弱みでもはや僕には何も言えなくなるのだった。

 

 

 

 

 

『ここへおいで 私はすべてを受け止めるから

 木漏れ日のような あたたかな光

 きっと 貴方の下で煌めかせるから

 

 怖がらないで 私にすべてを委ねて

 いっぱいに拾い集めた 希望の種

 きっと 貴方の下へ届けるから……』

 

 

 

 ……歌が、聴こえる。どこまでも優しく包み込むような、彼女の歌が。

 ぼんやりと薄目を開けると、そこには風に舞う花弁に彩られ、煌々と降り注ぐ蒼い月光を浴びて、きらきらと七色の燐光に照らされた髪を夜風になびかせた、どこまでも幻想的な……今にも消えてしまうのではないかと不安に駆られるその姿に、横になったまましばらくボーっと見惚れてしまう。

 

 ――もう少し風に当たりたいとせがむ彼女に付き合っているうちに、うっかり釣られて軽く眠ってしまったらしい。周囲はだいぶ暗くなっており、頭上には星が瞬き始めていた。慌てて跳ね起きると、こちらに気が付いた彼女はすぐ隣で、何が嬉しいのニコニコと上機嫌でこちらを見つめていた。

 

 すっかり遅くなっている、今更連れ帰っても弁明など無意味だろう。もう数十分遅れる程度何も変わるまいと諦めの心地で座りなおすと、彼女はそそくさと隣に腰を下ろし、こちらにその小さな肩を預けて来る。

 

「星、綺麗だね……街からだと天井が邪魔で見えないから、今日は得したかも」

「まぁ、その分街では大騒ぎだろうけどね……帰ったら、きっと女官達からお説教の嵐だ」

 

 目に浮かぶようだ。そのお説教は彼女が普段寝る時間を大幅に超えて、きっと明日は眠そうな顔で起きて来るのだろう。そうしてまた公務中に居眠りして怒られるのだ。

 

「うぇえ……やだなぁ、朝までこうしていたいなぁ」

「……それもいいんじゃない? 朝までと言わず、ずっと、二人で何処か、皆が君を知らない場所に行ってさ」

「……え?」

 

 肯定されるとは思っていなかったのだろう、僅かに驚いた顔で振り返ってくる彼女。しかし、実の所これは僕の本心だ。戻りたくなければ戻らなければいい。

 

「いっそのこと、こんな近場へ散歩じゃなくて、ちゃんとどこか遠くに逃げてお隠れ遊ばせてくれればいいのに……」

「そうはいかないよ。そんなことをしたら、皆困っちゃうんでしょう?」

「はっ、精々困ればいいのさ……何が『御子姫様』だ。本来なら、君はこんな外界の些末事に駆り出されたりするべきではなかったんだ」

 

 吐き捨てる。彼女はもう極僅か……どころか、現在確認されている最後の白光の翼持ちなのだから。彼女の家系にのみ時折現れる、特に高い能力を秘めた穢れなき純白の翼を持った『輝種』。本来であれば崇め奉られ、不可侵の存在として慎ましく穏やかに暮らしているべき、いや、事実そうなるはずだったのだ。歴代の彼女の祖先たちがそうであったように。

 

 それが出来なくなったのは、ひとえに僕達……光翼族の、長寿ゆえか、ただでさえ高くなかった出生率が著しく減少し、また昨今活発化していた『世界の傷』への対処の中で傷つき倒れ、その数を減らし続けていたせいでもある。

 

 だけど……彼女は、戦って良い人間ではないのだ。どれだけ彼女を守ると息巻いて戦っても、それで傷ついた人を思って彼女は人知れず涙を流してしまう。犠牲者が出るたびに、彼女は人目に触れない所で悲痛な慟哭を上げてしまう。ただ、誰よりも浄化と治癒に長けているだけの、誰よりも心優しい女の子でしかないのだから。

 

「その君が駆り出されるような事態になったのだって、人どものお偉いさんが装身具代わりに僕たちの仲間を手籠めにして、無暗矢鱈に血を薄めさせて来たからじゃないか。数が減って、新しく生まれなくなってからになって慌てて保護だのなんだの言いだして……いつも手遅れになってから騒ぎ出す。気が付くのが遅いんだよ、あいつらは」

「……ふぅ。君は、本当に人が大嫌いだよねぇ」

「当り前だっ! なぁ、本当に、一緒に逃げ出さないか? 君さえ望むなら、僕は何処にだって君を……っ!」

 

 続く言葉は、まるで泣き出す寸前のような彼女の指により押し留められた。

 

「……ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいけど、やっぱりできないよ。『お役目』を担う人がいなくなったら、平和に暮らしている人達も……ひゃっ!?」

「そんなことはどうでもいい! ……君さえ、ただ一つ頷いてくれれば、それで僕は何もかも差し置いて……っ!」

 

 思わず彼女の肩を衝動的に強く掴んで、声を荒げて柔らかな花畑に押し倒してしまう。花弁が衝撃で宙を舞い、すぐに冷静になって華奢な彼女を上から押さえつけるような体勢になってしまった事に気が付いて慌てていると、そんな中彼女は驚いたように目を見開いて……徐々に、その頬が桜色に染まっていく。だけど。

 

「……ごめんなさい、やっぱりできない。皆私を信じてくれて、だからこそこうしていい暮らしをさせてもらってるんだもの。食べる物、着る物、仕えてくれている人達……今までずっと皆に貰い続けてる私が、裏切る事なんてできないよ」

 

 また、いつものように、彼女は寂しそうに微笑むだけだった。そう、分かっている……何度も、何度だって……言い続けていても、優しい彼女を心変わりさせることはできなかったのだから。

 

 そう、最後のその時まで――……

 

 

 

 

 

 

 

 バサリ、と、乾いた紙の束が落下した音。存外大きな音で、浅い眠りに有った目が覚める。

 寝起きで状況の把握が出来ていない。周囲を見回すと、寝台の傍らの床に、明かり避けの代わりに被っていた筈の本が落ちていた。

 

「……夢、か。また随分と甘い夢を見たものだ」

 

 頭を振って身を起こす。周囲を見回すと、鉱山労働者の休憩室らしき粗末な寝台と簡素な机の部屋……尤も、僕が外から勝手に持ち込んだ本や実験器具でだいぶ散らかっているけれど。

 

 しかし、どうにも先ほどから、何か大きな物が暴れている様に細かな振動を感じる。なるほど、本が落ちたのはこのせいらしい。

 

「……騒がしいな」

 

 耳を凝らすと、ゴブリン達のキィキィと高い声で部屋の外が騒々しい。ここはゴブリンの巣穴にされた旧坑道だが、最初の時点で彼我の力関係をはっきりさせ、僅かな技術供与の代わりとして奴らに提供させた僕の部屋周辺には近寄るなと厳命したはずだが。

 

「……そういえば、ボスが死んで、死に損ないが帰って来てたんだっけ。せっかく最新の魔導爆薬の知識を与えたのに、所詮蛮族程度には過ぎた玩具だったみたいだね」

 

 やれやれと、カバンに自分の荷物を突っ込み始める。ボスがやられたとなると、じきにここにも討伐隊が来るだろう。せっかく馴染み始めた隠れ家を手放すのも惜しいけど、仕方ない。

 

 ――そう思っていた矢先、不躾にもドカドカと騒々しい足音を立て、ドアをけたたましく蹴り破って乱入して来る者が居た。

 

「アァ? 何デ人間ナンカガコンナ場所ニ居ルンダ?」

 

 踏み込んで来たのは、筋骨隆隆な、二メートルを優に超える背丈の、浅黒い肌をした……

 

「なんだ、トロールか」

 

 ただそれだけで、闖入者への興味を失う。トロール族といえば、高い治癒能力と筋力に秀で、基本的に自身の鍛錬に余念の無い、武人然とした連中の多い種族だが、横でぎゃあぎゃあ騒いでいるこいつは随分と礼儀がなっていないようだ。

 

 まぁ、嫌でも聞こえて来るためそのほとんどを聞き流した上での情報をまとめると、里を追われて彷徨って居たところ丁度良い所に自分より弱い奴らの集落があったから、奪い取る事にした、と。実に馬鹿らしい。

 

「……はぁ。まぁどこにでも、はみ出し者の落ち零れってのは居るものだからね」

 

 自嘲気味に吐き捨てると

 

「何ダトコノヒ弱なヒト風情ガ……ガッ!?」

 

 耳聡く聞き付けたトロールが激昂して拳を振り上げるが……それが振り下ろされることは決して無い。

 何故なら……敵対的な行動を取った瞬間、どこからともなく現れた闇色の大蛇が、瞬く間に雁字搦めに奴を締め上げ、その身体を完全に拘束していた。

 

「ああ、ありがとう、クロウ」

「ナ、何ダコイツハ……ッ! オイ、貴様、コイツヲ……」

「はっ、はぐれ蛮族風情が頭が高いんだよ……這い蹲れ」

「グァアッ!?」

 

 ギリギリと動きを拘束している蛇が、眼前のトロールの抵抗ごと、バキバキとその強靭なはずの身体を砕きながら跪かせる。その段になってようやくその目に恐怖の色を見せ始めた。ようやく見上げる姿勢を取ったそいつを路傍の汚物を見るような視線で見下し、ふと思いついたことを口に出す。

 

「さて、僕は夢とはいえ久々に『彼女』の姿を見てとてもとても機嫌が良い。だから、本来なら縊り殺してやるところだが、選択肢をあげよう。このままクロウの餌になる? ……それとも今の非礼を詫びて僕に頭を下げるなら、君に力をあげてもいいけど?」

 

 その僕の言葉に、しばし逡巡した後、思っていたよりも早く、渋々と言った感じではあるが頭を差し出す。そうだろう、どうせこういった手合いのプライドなどという物はこんなものだ、ちょっと餌をちらつかせるだけですぐに食いつく……毒の可能性も疑いもせずに。

 では、精々引っ掻き回してもらうとしよう……まぁ、正直どうなっても僕にとっては何の痛痒も無い、ただの嫌がらせ程度の気まぐれだけど。近くに、以前『魔導王』と共に僕に辛酸を舐めさせた奴らの内の一人が来ているらしいから、そいつを巻き込んでの嫌がらせにでもなれば万々歳だ。

 

 無造作に右手を中空に一閃すると、何も無いはずの空間から甲高い、水晶の割れるような音が鳴り響いた。

 

「……? イ、イッタイナニ……グッ、アァッ!?」

 

 突如鳴り響いた高音に疑問符を浮かべて顔を上げたそのトロールの瞳の奥から、水晶の結晶のような何かが生えた。それはみるみる頭部を、上半身を内側から食い破って覆っていき、そのたびに絶叫が鳴り響く。

 

「ま、それで生きて還れたら、きっと強くなってるよ……尤も、どれだけ自我が残っているかは保証しないけどね……さ、行くよクロウ」

 

 部屋の真ん中で激痛にのたうち回り踊り狂っている巨体と、周囲で右往左往している小さなゴブリン達を横目に、小さくなって寄ってきた蛇を腕に絡みつかせて部屋を後にする。

 

 背後でドアが閉まる際にちらっと背後を見た時、その部屋はすでに謎の結晶に覆われた異界と化していた。

 

 

 

 

 夜の闇に同化するような、暗い、昏い色に輝く、まるで食いちぎられたかのようにボロボロな三枚の翼を開き、夜の闇へ飛び立つ。南東……今は見えぬ遥か遠い忌まわしき閉鎖都市の方角を睨みつける。

 

「……ここまで回復するのに随分と、時間が掛かってしまったけれど……最も厄介だった『魔導王』は、この世界の外に放逐しそこへ縫い止めた……あと少しだ。今度こそ、貴様らを……『彼女』を……!」

 

 今はもう遥か手の届かぬ場所へと行ってしまった彼女の影を掴もうとするかの様に、その方角へ腕を伸ばす。しかし、想いは夢と共に指の間をすり抜け、星空に散って行った。

 

 代わりに残ったのは、胸の内に抱えた、この翼のように昏い怒りの火。それは、幾星霜の長い時を経ても尚、煌々と燃え盛っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――温かく、悲しい夢を見ていた気がします。不意に目覚めると、いつの間にか頬を涙が伝っており、それは拭っても拭ってもしばらく止まりませんでした。すっかり目が冴えてしまった私は、同じ天幕を割り振られた皆……女性であるミリィさん、レニィさん、フィリアスさんらを起さぬようにそっと外に出て、手ごろな岩に腰かけます。

 

 冷えた夜気は澄んでおり、赤く腫れて熱を持ってしまった目に心地良いです。周囲には離れたところで見張りについているらしき、たき火の明かり以外には何もない。そんな中、雲一つない夜空には、ここが異世界であると嫌が応にも証明する二つの月に照らされ、まるで宝石を砕いて散りばめたような一面の星空が広がっていました。

 

「綺麗……」

 

 夜になるとまだ吐く息も白く、寒さに寝巻の上に羽織った外套の前をぎゅっと握り、なんと無しに上空を見上げた際、思わず感嘆の声が漏れます。平らな岩の上に仰向けに寝転ぶと、森林地帯を抜けた今、視界を遮るものは存在せず、まるで星空に浮かんでいるかのようで……

 

(そういえば、こちらに来てから、こうしてゆっくり星空を見上げたことって無かったかもです……)

 

 自分たちがどれだけ余裕のない生活をしていたのかを思い知ると同時に……ふと、自分でも良く分からない寂寥感が胸を支配していきます。

 

 何だろう、と考えて、それが先程の夢の内容だったような気がします。今の私と同じ髪色を持った少女が、見知らぬ少年と仲睦まじく空を眺めている夢。私は……『私』は、一度も会ったことの無いはずのその二人に、どこか懐かしい物を感じていました。と言っても、『僕』の母さんとの思い出ほどはっきりしているわけではなく、どこか遠く遠く、霞の様に淡い、そんな懐かしさを。

 だけど、少女はどこか寂し気で、少年はどこか辛そうにしていたのが印象に残っており、その様子が、目覚めた今でも私の胸をギリギリと締め付けています。

 

「あなた達は……誰?」

 

 星空に手を伸ばし、散っていく夢の記憶を握りしめる様に拳を握ります。しかし、そんな行動は何の意味も持たず、みるみる指の間からすり抜けて夜空へと散ってしまう。

 

 だけど本能的なものでしょうか……あの二人が私と「同じ」者だという事を、なんとなく理解してしまう。そして……もう、居ないのだという事も。

 

「絶滅した種族……か」

 

 ――この広い広い空の下に、ひとりぼっち。

 

 側にはいつもレイジさんとソール兄様が居るから気にならないと思っていました。しかし、いざ突きつけられてしまうと、今まで意識もしなかったその事実が、まるで刃物の様に心に刺さってくるのを感じずにはいられませんでした。

 

「Rrha ki …… tie ……ni en nha……?

 Wa……a …… mea yor ……al……」

 

 その寂しさを埋める様に、夢の中の記憶をどうにか思い出そうとしながら、夢の中の『彼女』の歌をどうにか再現できないかと口ずさみます。が、知らない言語……おそらく、ゲームの時の旧魔道文明語でしょうか……その大半は記憶から零れ、虫食いのような歌詞と、メロディをたどたどしく口ずさむ程度しかできません。それでも、今は居ないであろう『彼女』の影を求めて、何度も、何度も、繰り返していました。

 

 

 

 

 

 

 ――暫く、そんな、感傷に浸っていると。

 

「……あっ、ぐぅ……っ! ああぁっ!?」

 

 突然の出来事でした。不意に全身を貫く激しい痛みに、思わず悲鳴を上げてしまい、体を丸めて痛みに耐えようとします……この痛みは、これで三度目。ここまでくると嫌でも何が起きたのか解ってしまいます。

 

 周囲では、動物ならではの感覚で不安を感じたのか、繋がれていた馬達が暴れ出し、俄かに騒然となる商隊。騒ぎに、それぞれ睡眠中であった傭兵団の皆が飛び出してきます。そして……

 

「イリスちゃん!?」

「イリス様……まさかどこかお怪我を!?」

「大丈夫……っ、です……っ!」

 

 先の悲鳴を聞きつけたらしい、慌てて飛び出してきた皆に、どうにか脂汗を垂らしながらも、怪我ではないことを伝えます。が、事はそれよりも重大かもしれません。

 

「……どこか、遠くで、『世界の傷』が新しく……開いたみたい、です……」

 

 傷みを堪えながら辛うじて告げた私の言葉に、周囲が息を飲んだのが伝わってきました。

 

 

 

 

 





 便宜上『彼女』の歌は日本語で記載していましたが、イリスの歌っている通り実際は特殊な言語によるものとなります。私に作詞の才能は無。

 今回のトロールの種の性質もですが、作中の魔物についての設定は、TRPG『ソードワールド2.0』より大きな影響を受けています。


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予兆と予感

 

 周囲をぐるりと囲んだ商隊の皆さんが固唾を飲んで、しかし若干の期待も含んで見つめる視線がぐさぐさと背中に刺さる中、妙な緊張感に気後れしつつもいつもの使い慣れた詠唱を紡ぎます。

 

セスト(真言)シェスト(浄化の)ザルツ(第三位)リーア(光よ)イーア(治癒を)ラーファト(生命の)ディレーテ(息吹を)……『ヒール』」

 

 詠唱が終わると同時、手の内に、ぽぅっと淡い光が生まれます。殆どが軽傷だったとはいえ、少なくない負傷者が発生した中、初期魔法とはいえども夜明け前から立て続けに治癒魔法を行使していますが……以前までと違い、今のところは特に疲労や倦怠感は感じてはいません。やはり、相当魔力が上昇しているのだと感じます。

 

 淡く光る両手を、患部……足を怪我したたため座り込んだ馬の、その前足へとそっと近寄せます。すると、腫れて熱を持っていたそこがみるみる何事も無かったかのように引いていき、痛みが消えたのを察した馬がしっかりと大地を踏みしめ身を起こします。

 

 商隊の荷馬車の馬である以上元の世界の競走馬のように繊細ではないでしょうが、それでも馬の脚の怪我というのは商人たちにとっても馬本人にとっても重大な事ですので、その様子に私を始め、周囲で固唾を呑んで見守っていた商人たちからも一斉に安堵のため息が流れました。

 

「……ふう、良かった。これで問題なく歩けそう。この先もよろしくね?……きゃ!?」

 

 何度か足踏みをして様子を確かめた後、その馬がお礼のつもりか鼻先を擦り付けるようにして甘えてきました。こちらが倒れないようにと気遣ったかのような優しい力加減ではあるけれども、胸のあたりをぐりぐりとされ、こそばゆさに身悶えします。

 

「あはは、あは、やめっ、くすぐったいってば……こーら、止めなさい、もう!」

 

 悪戯はやめてとほんの少し怒ったふりをすると、それが伝わったのか慌てて身を離してしゅんとしてしまいました。大丈夫、怒ってないよと機嫌が直るまで数回首筋を撫でてあげます。そうこうしていると、見守っていた一人、商隊の隊長だという恰幅の良い男性が皆の代表として前に出て来ました。

 

「おぉ……助かりました、もしかしたら、ここに捨てていかなくてはいけないのかと肝を冷やしましたが……おかげさまで、何事もなく進めそうですな」

「はい、ただし、一応大丈夫だとは思いますが、少しの間は様子を見て、休み休みゆっくりと歩かせてあげてください……それで、怪我人はこれで全部でしょうか?」

 

 昨夜の騒動……私が感じた異変を動物たちも不穏な気配として感じ取ってしまったらしく、繋いでいた馬たちが暴れてしまい、数名の商人と数匹の馬が怪我をしてしまったため私へとお鉢が回ってきました。

 最も怪我の酷かった人では、暴れる馬の脚を避け損ねて骨折してしまった方も居ましたが……そちらもすでに治療は終わっており、現在は何事もなく復帰されています。

 

「はい、おかげさまで。本当に、お嬢さんが居てくれてよかった……なんとお礼を言えばよいか……」

「いえ、こちらこそ、おかげさまで快適な旅路を過ごさせていただいてますので……これで多少でも恩をお返しできたのなら、私としても嬉しいですのでお気になさらないでください」

 

 長時間座っていたまま揺られていた事で、肉付きの薄いお尻が痛みはしましたが……しかし、クッションの敷かれた馬車の座席は、徒歩や直に馬の背に乗るのと比べると大分マシでしょう。

 

「いいえ! お嬢さんがいなければ馬や荷物を置いていかねばならなくなるところでした! できれば、この仕事が終わった後も是非私共と……!」

 

 ……なんだか、怪しい方向に話が転がってきました。

 

「す、すみません、連れと相談しなければいけませんし、それに私達にも目的があるためまずご期待には沿えないかと……」

「そこを何とか! お嬢さんの能力であれば、決して不自由させないくらいの報酬は約束を……!」

「はい、そこまでです。うちのゲストを勝手にヘッドハンティングしないでくださいね……今後、良好な関係を維持したいのであれば」

 

 ヒートアップして詰め寄ってきた商人さんに危うく肩を掴まれそうになったところで、すぐ後ろで、連絡役、兼、治療に残った私の護衛役だということで睨みを聞かせていたフィリアスさんがその手を掴んで止め、勧誘をストップしてくれました。

 

 助かりましたが、その瞳は剣呑な色を湛えており、なんとなく、あ、これイラっと来てるなというのが気配で感じます……普段は活発で優しいお姉さんみたいな方ですが、怒らせないように注意しましょうと内心誓うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――昨夜『世界の傷』の開いたのを感知した後。

 

 どうにか全身を貫く痛みの治まった私は、駆け付けたヴァルター団長にその事を伝えました。すると皆血相を変えて行動を始め、すぐさま傭兵団から周辺の偵察班が組まれあっという間に出払ってしまいました。

 

 私達はこちらに来た時からあの傷跡を消す手段を有していたため、今ひとつピンと来ていませんでしたが、本来あの『世界の傷』が発生した土地というのは、光翼族が姿を消した以降は対処療法として現れた魔物を討伐する以外の事はできず、封鎖され、人が近寄る事を禁じられる一大事なのだそうです。

 

 そう考えると、そうやって生活圏が徐々に狭まって来たこの世界において、いかに自分という存在が希少価値があるか、という事が重く圧し掛かってきます。

 

 協力を申し出たレイジさんや兄様たちも偵察班に加わり、現在このキャンプに残っているのは商人さん達と治療のため留まっていた私、それと護衛に残っていたフィリアスさんや、商人たちの護衛に残った数名の傭兵さん等だけだったのですが……夜も開けてもう既に一刻ほど経過し、日も上らぬ朝早くに出立した偵察班も既に探索を終えて戻ってきた方々がちらほら散見され、思い思いに朝食を摂り始めています。

 

 そんな中、一仕事を終えた私達も、塩漬けの干し肉を沸かした湯で煮込んで戻し、野菜を加えてさらに煮たスープの立てるいい匂いに包まれながら……先程の事についてお説教をされていました……うぅ、お腹がくぅくぅ鳴りそうです。

 

「駄目ですよ、イリスちゃん。商人相手に曖昧な返事ばかりで弱味を見せていると、いつのまにやら身売りさせられてた、なんてことになりかねないんですからね」

「い、いや、流石にそれは……そうなる前に気が付く、と、思うんです、けど……」

 

 皆、そんな悪そうな人には見えませんけれども……

 

「甘いです。砂糖菓子よりも甘いです。確かにノールグラシエは政策で先代国王の治世の時から奴隷売買を禁止していますが、売春まで禁止されているわけではありません。相手は口八丁が身上の商人、世間知らずのお嬢さんをだまくらかすなんて朝飯前、ほいほい契約書にサインしたらいつの間にか売春宿に……なんてことも可能性としてはあるんです!」

 

 その真剣な様子に、ここは元居た世界、元居た平穏な国ではなく、そうした危険はどこに潜んでいるか分からないという事を……いえ、女性の体の今となっては場合によっては元の世界でも十分にあり得ることでありますので、想像してしまい背筋を震わせます。

 

「……ま、まぁ、ここの商隊の皆さんについては、領主様の信任を受けて今回の仕事を受けている方々なので信の置ける者たちでしょうから、少し言い過ぎました。ですが今後は注意してください。特に、誰も傍に居ないときは」

 

 しゅんとしてしまった私に慌ててフォローらしき一言を加えたフィリアスさんが、思ったよりあっさりお説教を切り上げた事に……最近、お説教されてばかりでお小言慣れして来てしまってる気がします……はて、と首を傾げていると。

 

「……何だ、また何かやらかしたのか」

「わひゃう!?」

 

 突如背後から聞こえたレイジさんの声に、驚いて変な声が飛び出しました。

 

 

 

 

 

「とりあえず、周囲……この付近ではこれといった異常は無いみたいだ、というのが結論になった。お前の言う通り、発生源はかなり遠くだろうな……なぁ、まだ頭痛むんだろう、大丈夫か?」

「あ……はい。少しまだ痛みは感じますが、なんとか」

 

 昨夜のような激痛はすでに収まっていますが、まだ頭の芯に残るような感じでじくじくと鈍痛があります。フィリアスさんやレニィさんには顔色が悪いから休むように言われましたが、これはここ数回の経験上、『世界の傷』の近くに居る限りは収まることは無いでしょう。離れるか、あるいは異常を収めるか……いずれにせよ、すぐにどうこうできる物でもありません。

 

 そして、今回の感知範囲は感覚的には今までと比べて恐ろしく遠いです。まるで、何かがこちらへも呼び掛けているかのように、指向性をもってその存在を知らせて来ているような……そんな不思議な感じです。

 

「本当に、我慢できない程ではないですし、心配しなくて大丈夫ですよ?」

「そう……辛かったらちゃんと言ってくださいね?」

「そうだな、お前はちょっと我慢しすぎだ」

 

 尚も心配そうにする二人……傍から見ると、そんなに調子悪そうなのでしょうか……?

 

「っと、いけね、忘れてた、伝言があるんだった。ヴァルターさんが、話しがあるからちょっと俺らに集まって欲しいとさ。少し朝飯は遅くなるが、もうソール達も向こうに行ったから先に……」

 

 そんな時でした。何かがすぐ傍らの茂みをがさりと揺らしたのは。

 

「誰だ!?」

 

 即座にその音に反応し、レイジさんが剣を抜いて私を庇う位置に飛び出します。すぐ後ろでは、フィリアスさんも武器を抜いた音がします。

 姿を現さないその存在に痺れを切らし、レイジさんが何かが潜んでいる茂みを一閃します。その奥から現れたのは……

 

「ゴブリン! こんな場所に!?」

「待って!」

 

 その姿を見たレイジさんが剣を構えるのを、慌てて制止します。視線の先に居た者……ゴブリン達は、先日交戦した者たちに比べると身なりが良く、しかしよく見ると怪我だらけでした。兄弟かもしくは姉妹か……片方、庇われているやや小柄な方はどうやら脚を怪我しているらしく、恐らく今逃げ出さない、というよりは逃げ出せないのはそのためでしょう。

 

 その足を怪我している方を若干大柄な方が庇うように二人抱き合い、身を震わせてこちらを見つめているその瞳に浮かんでいるのは怯えの色。悪意は感じず、敵意も見られない……気がします。

 

「おい、イリス、危ないぞ!?」

「大丈夫……多分、この子らはホブゴブリン……悪さはしない子たちだと思うので、任せてもらえませんか?」

 

 

 ホブゴブリン……妖魔や蛮族に分類されているゴブリンとは違い、邪心に染まっておらず、こっそり人の家に入り込んで人知れず家事を行う彼らは妖精や家精へとカテゴライズされています。玄関先にお酒と少々の食料やお菓子、賃金などを吊るしておくと、家人の居ぬ間に家の清掃や庭の手入れをする存在として一部地域では重宝され、生活に溶け込んでいる存在です。

 

 その他にも、中には人里へ行商に現れ、山海の恵みの供給へも一役買っている者や、傭兵業を営み斥候や荷物持ちに従事する者も居り、人の生活圏でも比較的見かける機会は多いと言えましょう。

 悪戯好きでもあるためトラブルが起きることもありますが、それほど悪質な真似はせず、地方によっては受け入れられている存在ですが……しかしこの様子は何処からか逃げてきたように見えます。

 

「大丈夫、怪我の手当をさせてもらうだけだから……じっとしていてね?」

「あ、おい!」

 

 近寄ろうとする私を慌てて止めようとするレイジさんに、大丈夫、心配しないでと視線で制します

 

「……分かった、けど、危ないと思ったらお前を優先するからな」

 

 渋々と言った様子で、レイジさんが剣を下ろします。

 両手を上げて一歩一歩ゆっくりと接近し、安心させるように……果たして人以外に通じるかは分かりませんが……微笑んで見せると、彼ら(彼女ら?)の震えは収まり、訝しがりながらも多少の警戒を解いたようにじっとしています。

 

 そんな彼らの様子を見て、屈んで視線を合わせ、そっと前に出てもう一体の小柄なほうを庇っているホブゴブリンに触れます。一度ビクッと震えましたが、それ以上の抵抗はありません。その事を確認して、泥だらけなのを考慮し『ピュリフィケーション』で汚れを払って身を清め容態を確かめると、主な怪我はあまり鋭くない刃物による裂傷や、鈍器などによる打撲傷……明らかに、何かに襲われた戦闘の跡です。

 

 改めて『ヒール』を唱えると、その体から傷が消えていきます。驚いて自分の体を見ているその様子からすると、どうやら正常に効果を発揮したようです。流石に破れた服はどうにもなりませんが、体の方はこれで大丈夫。

 

「……さ、あなたも診せてください」

 

 もう片方、庇われていた若干小柄な方へも声をかけると、私ともう一体のホブゴブリンを数度見比べた後、おずおずと前に出て来ます。こちらも軽く容体を調べると、大体怪我の様子は同一でした。最も酷い脚の怪我の方は化膿しかけでしたが、それでも骨まではいってないみたいでした。

 

「……良かった、少し悪化してるみたいだけど、これなら大丈夫」

 

 先ほどと同じ様に、浄化と治癒を施します。急に楽になった脚の様子を確かめる様に数歩歩くと、ぱっと喜色を滲ませもう一体と抱き合っていました。その仲睦まじげな微笑ましい様子にホッと一息つきます。

 

「……うん、よし。それじゃ、気を付けてね? もう怪我しちゃダメですからね?」

 

 そっと、携帯食料……ドライフルーツなどを混ぜて硬く焼いたビスケットのようなもの……の包みを握らせ肩を叩くと、彼らは戸惑いながらもすっかり傷も癒えた身軽な足取りで遠ざかっていきます。見えなくなる直前、こちらを振り返りお辞儀らしきものをしてきたので、小さく手を振って姿を消すのを見守りました。

 

 そうして去っていく彼らの姿が消えるのを見送った後……そういえば、呼び出されているのを思い出しました。

 

「ごめんなさい、お待たせしました……レイジさん?」

 

 慌ててスカートの裾を整えて立ち上がり振り返ると、レイジさんはぼーっとこちらを眺めていました。

 

「あの、レイジさん……? あの!」

「……うわっ!?」

 

 あまりに反応が鈍いため、下から見上げる様な体勢で……身長差がかなりあるためやむを得ません……服のお腹のあたりを軽く引っ張ると、突如再起動したレイジさんがものすごい勢いで後ずさりしました。その勢いに、思わず目を丸くします。

 

「……あの角度で下から見上げて、服をちょこんと掴んで引っ張る……あざといけどあれで天然なのよね……恐ろしい子……!?」

 

 なにやら少し離れた場所でフィリアスさんがぶつぶつと呟いていますが、一体何なのでしょう。

 

「……っと、悪い、少しぼーっとしてた……しかしまぁ、躊躇いなく近寄るもんだから冷や冷やしたぞ。怖くは無いのか?」

「んー……悪い子たちには見えませんでしたし、それよりも痛そうで見ていられなかったからあまり……そういえば気になりませんでしたね」

 

 あの今朝の夢の、多様な種族に慕われ囲まれていた『彼女』を見ていたせいでしょうか。何者であれ、敵意の無い者に対する忌避感や恐怖感は不思議と薄れてしまっている気がします。

 

「……って、呼ばれてるのではありませんでした?」

「あ、悪い! ちょっと急ぐぞ!」

「ひゃあ!? ちょ、急には心臓に悪……っ」

「あ、こらー置いてくなー! それと女の子はもっと丁重に扱いなさーい!」

 

 ふと我に帰ったレイジさんが、ひょいっと私を抱え上げてものすごい速度で駆け出します。後ろを若干遅れて追ってきているはずのフィリアスさんの叱る声が徐々に遠ざかって……って、ちょと、速っ!? 人! 前に人がっ! ぶつかる!?

 

 自分の脚で走るものとは全く違う速度で左右に振られるのは酷く恐ろしく、胃がきゅーっと絞られるような恐怖心に冷や汗を流しながら、振り落とされないようにぎゅっと捕まっていることしかできませんでした。

 レイジさん的にはあれでもだいぶ余裕があったのだと分かったのは、だいぶ後、すっかり落ち着いてからでした。

 

 

 

 

「あー……すまん、俺が悪かった」

「うううぅぅぅうぅ……」

 

 人の行き交う商隊の縦に伸びたキャンプの前から後ろへ、たっぷり一分程度の恐怖体験を経てようやく下ろしてもらった時には、三半規管を滅茶滅茶に揺さぶられた恐怖で膝がガクガク震えていました。目の端に涙を浮かべながらレイジさんを睨むと、彼はバツが悪そうに謝罪しながら目を逸らします。震える足でヴァルター団長のいるテントへ入ると、やはりというか既に全員揃っていました。

 

「揃ったか……って、嬢ちゃん、顔色が物凄いことになってるが大丈夫か……?」

「ご、ご心配なく……ちょっと急な絶叫マシーン体験で心臓が破裂しそうですが、問題ありません……」

「そ、そうか? それじゃ、始めさせてもらうが……」

 

 若干引いていたように見えるヴァルターさんが、こほんと一つ咳払いをして話し始めます。

 

「お前達には、次の宿泊予定地である関所の宿泊施設で一泊した後は、別の馬車を借りて一足先に街まで行って貰いたい。商隊に同伴していると竜車に合わせないといかんから、どうしても先を急げないからな」

 

 改めて話し始めたヴァルター団長が、この場に呼ばれた面々……私達、転移組四人と、ゼルティスさんとフィリアスさん、ヴァイスさん、レニィさんに向けて発した第一声が、それでした。

 

 話の中に出てきた竜車というのは、牛や馬の代わりに、一頭でも大型の馬車並みの体躯を持つ、草食恐竜のような姿の亜竜に牽かせた車で、現在は買い付けた木材を運ぶ荷馬車を引いています。非常に強い力を持ち、穏やかな気性と牛よりは多少早く移動できることから重量物を引かせる際に非常に心強い存在ですが……やはり、馬車に比べるとその速度はだいぶ落ちてしまいます。

 

 ちなみに、一度休憩時にその荷を引く亜竜を見せて頂いたのですが……のんびりした動きで草を食んでいる愛らしさと、優し気な色を湛えた瞳に油断していたら、まるで座布団のような舌でべろりと舐められ、顔中べとべとになってしまったため実は少し苦手です……浄化魔法で綺麗にしたため大事にはなりませんでしたが。あと、あの時に後ろでお腹を抱えて大爆笑していたレイジさんは許しません。そのうち同じ目に遭わないかなぁ。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 

「嬢ちゃんの言っていた方向も俺達の進路にほぼ合致しているし、どうにもキナ臭い。一応向こうも領主の兵が増援として派兵されているはずだが、もし何かあったらそれだけでは心許ない。俺はこちらの指揮を摂らないといかんから、お前達は先にそちらに向かい、何かあったら独自の判断で対処して欲しい……できるか?」

 

 治癒術師の私に、剣士三人、タンク一人と魔術師二人に弓手の総勢八人。確かにこのメンバーであればかなり広くの突発事態に対処できるでしょう。

 元々分隊長として指揮を執る側であったゼルティスさんらは特に気負う様子もなく頷き、ヴァイスさんとレニィさんも問題ないようで、となると必然とその視線は私達4人に集中します。

 

「あー……本当は、嬢ちゃんまで駆り出したくはないんだが……事が『世界の傷』絡みとあっちゃ、頼らざるを得ない。すまないが、協力してくれるか?」

 

 あの傷跡による周囲への影響力は深刻です。今度向かっている町だけではなく、まだ先日出立してきた町からもそう遠くなく、いつ向こうまで牙を伸ばすか分かりません。であれば感知してしまった以上、放置することなど私にはできません。

 

 そして……今朝の、私と同じ髪色の『彼女』の夢を見た直後というこのタイミング。ただの夢と笑い飛ばすのは簡単ですが、どうしても引っ掛かりを覚えます。そして、何より件の方向へと感じる、どこか惹かれるような、郷愁にも似た自分でも良く分からない感情。

 

 使命感はあります。恐怖心も。しかし、それ以上に……何が待っているのかを見届けたい。

 

 私の左右にいるレイジさんと兄様に視線を向けると、私に任せた、とばかりに二人とも頷きました。背後を振り返ると、背中を押すかのようにミリィさんが私の肩に手を置きます。であれば。

 

「分かりました。これは私にも関わる事です。だから、私の方こそ……皆さんの力、ありがたくお借りします」

 

 そう、感謝の気持ちを込めて頭を垂れました。

 

 

 





 この後、「貴女の立場的に容易く人に頭を下げては云々かんぬん」とまた説教され、さらに朝食が遅れたとかなんとか。そして始まる貴婦人の礼のトレーニング。

 話中に出て来る亜竜は、モン〇ンのアプケロスみたいなのをイメージしていただければ。


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舞い降りる光

 

 ノールグラシエ南部最西端の町、ディアマントバレー。

 

 百年以上前に、王国最大の埋蔵量を誇る鉱山を有し、発掘拠点として労働者の宿場町から始まったその町は、山間の、深い渓谷の底を東西に塞ぐような形で発展してきた。

 そんなこの町の出入口は東西二つの門しかなく、その二点さえ死守できるのであれば侵略は困難という、辺境の町らしからぬ、特殊な立地から来る堅牢な防御を誇っている天然の砦であった。

 しかし、ここ数十年で鉱石を採掘し尽くしたかに思われ、閉鎖された坑道が増え、徐々に寂れつつあった……そんな中、近年新たに鉱脈が発見され、その中にはここ数年で需要が急増した『魔消石』が採掘されたことで再び俄に賑わいを取り戻していた。

 

 そのような特需に沸いて数年。突如湧いて出たゴブリン達にその町の産業の要である坑道が襲撃され、そこを足掛かりに町も襲われる事となる。

 組織的なゴブリンの度重なる襲撃の結果、長年徐々にダメージの蓄積してきた西門は、何処からか持ち出された爆発物によってついに大破した。

 

 そうした事態を重く見た、付近一帯を統治するローランド辺境伯の指示により派兵が決定し、町の兵力は大幅に拡充され、修繕の完了するまでの間の防備は万全に整えられた。

 

 ……はずだった。

 

 

 先の襲撃で半壊したその西門は、もはやその役割を満足に果たすことはできなくなっていた、が、それも踏まえて多めに領主から派兵された兵力は、十分に防衛可能なだけのものだった。

 

 ……ものだった、はずだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

  派遣された兵士達の到着以来、散発的な襲撃こそあったものの、数日前からそれもパッタリ止まっていた。ゴブリン達を統率していたリーダーが何処かで討たれたせいとまことしやかに囁かれる中、平穏な日々に、どこか気が緩んでいた感があるのは否めない。

 

 ……正直なところ、この町での駐留はあまり快適とは言えなかった。というのも、本来助力を請う立場であるはずの町長――成金趣味の鼻につくあまり好ましいタイプとは言えない人物だった――が、あまりにも非協力的だったのだ。時にはごろつきのような風体の男たちに難癖をつけられたりという事まであったくらいだ。

 

 しかしそんな日々も、資材が到着するのを待って外壁の修理が始まれば、あと一月もあれば領都へと帰還できると、やや緩い空気が流れていた。

 

 

 

 

 

 自分も、そんな中の一人だった。

 

 生まれは商家の三男、家業で自分が継げる物は無いだろうと、15で成人してすぐに兵士に志願した。特に深い目的や理想があった訳ではなく、ただ何となく格好良さそうだったのと、待遇が良かったからに過ぎない。

 それでも、嫌になる程に厳しかった訓練をそこそこ優秀な成績で終え、正式に辺境伯領の正規兵となって五年。現在では後輩から、そこそこ頼れる先輩と慕われる事も多くなった。

 恋人も出来た。決して物語のような出会いがあった訳ではなく、彼女もお姫様みたいな飛びぬけた美人というわけでもないごく普通の町娘だが、それでもある時すっかり惚れ込んで、幾度ものアタックの末に粘り勝ち気味に恋人になった。とうとう、今回の派兵から帰ったらと結婚の約束だってしてきたんだ。

 

 

 

 ――だというのに……この状況は、なんだ?

 

 

 

「ロニー! アンソン! まだ生きてるか!? 返事をしろ!!」

 

 つい昨日まで一緒にカードゲームに興じていた同期の名を呼ぶも、返事は無い。周囲から聞こえる声は、苦悶と助けを乞う声ばかり。

 

「くそっ! くそぉ……っ!!」

 

 これ以上下がることはできない、自分は町を、領民を守るために志願した兵士であり、今その背後には襲撃に怯え住民が震えて隠れている町がある。

 しかし、そんな矜持を嘲笑うかのように、数にものを言わせわき目も振らず一直線に多い掛かってくる連中に、じりじりと戦線が下がっている。

 絶え間なく襲ってくる無数の小兵に、一人、また一人と苦悶の声を上げて、その度に横に居たはずの仲間が見えなくなっていく。

 体力、集中力の減じた同僚に取りこぼしが増え始めており、横や後方から悲鳴や断末魔が聞こえて来る状況に、精神が追い詰められていく。

 

 横の味方はまだ居るのか?

 

 後ろは? いきなり背後から襲われたりしないよな?

 

 懸念は次々と湧いて出て来るが、かといって正面から目を離せば次に飲まれるのは自分だという恐怖心から振り返ることもできず、ただがむしゃらに槍を振るう。

 

 何だ、何なんだこいつらは。ただのゴブリン等の低級妖魔の群れじゃないのか……!?

 

 苦戦するはずが無い……はずだった。日頃の訓練通り、各々が力を発揮すれば、一体一体は雑魚でしかないゴブリンなど、多少数で負けていようが大した損害が出るはずはなかったのだ。違ったのは……

 

「なんで……っ! 何で……倒れねぇんだよおおぉぉおっ!!?」

 

 ――決定的に聞いていたのと違ったのは、目の前の小鬼共が、生気の無い暗い眼で、痛みなど存在しないかのように一直線に襲い掛かってくる事だった。

 

 何体自分の仲間が目の前で倒れようが、腕が飛ぼうが足が飛ぼうが、進める限り這ってでも襲い掛かってくる。必死に防戦するもその勢いは完全に抑えること敵わず、一体でも取り付かれると、他のゴブリン達が味方など気にもせずその取り付いた者ごと武器を突き立ててくる。

 敵の援護射撃もそうだ。矢の落ちる先がどれだけ混戦だろうが、たとえ自分たちが矢の雨に見舞われようが、ただただ前進しお構いなしに矢を敵の背後から降らせて来るため、結果こちらの前衛と後衛が長く離れてしまい、満足な援護も得られなくなってしまっている。

 到底、臆病な小鬼共に取れる戦術ではない。いや、戦術というのもおこがましい。これはただの、命をかなぐり捨てて目標へ吶喊するだけの狂戦士の所業だ。

 

 自分達は、一体何を相手にしている……!?

 こんなもの、まるで死兵の群れじゃないか……!!

 

 たちまち伝播した恐怖は容易く戦列を崩壊させ、泥沼の乱戦へと雪崩れ込んでしまった。

 

「くそっ! くそくそクソォ……っ!! ……がぁ!?」

 

 とうとう、ぱらぱらと敵の背後から散発されていた矢が肩に突き立ち、その衝撃にもんどりうって倒れる。肩の激痛に悶えている僅かな時間。顔を上げるとすでに小さな群れに囲まれていた。

 

「ひっ!? ひぃぃ!? や、やめっ……っぎぃ、あああぁぁあぁぁあ!!」

 

 恐慌状態で突き出した槍が、硬い殻のような物を貫いた感触が手に伝わってくるが、今度は肉と骨に絡めとられて抜くことが出来ず、慌てて抉って抜こうとするが焦りに震える手では一向にうまくいかない……次の瞬間、それに数倍する衝撃と、焼けた火箸を突っ込まれたかのような熱く鋭い痛みが全身を貫く。

 

「あっ……がっ……しに……く、ねぇ……」

 

 無数に貫かれた全身が痛みで誤作動を起こし、ビクッ、ビクッと痙攣して跳ねる。

 呻くごとに、喉の奥から熱い液体がせり上がってきて呼吸を困難にする。

 

 ――楽な仕事の筈だったじゃないか。嫌だ、街では恋人が待っているんだ。両親にも顔を出さないと。兄夫婦に子供が出来たと手紙に書いてあった。きっと色々物入りだろう、こんな場所で死ぬわけには行かないのに……!

 

 ずるりと体から武器が抜かれ、ごぽりと明らかに致命的な量の粘度の高い液体が流れる。意識が残っているのは幸運……いや、不運だった。秒ごとに、全身から熱と命が流れ出しているのを感じる。いやだ、まだまだやりたいことがあるんだ。死にたくない、死にたくない、死にたく……ない……っ!

 

 ――しかし、辛うじて頭が無事だから意識があるというだけで、もう助からないということも嫌でも理解してしまう。そんなものを実感させられるだけの生なら、いっそ意識なんて残らず、痛みと後悔に苛まれぬうちに一瞬で生を終えたかった。

 

 諦観が自分の世界から色を奪い、音を奪い、五感が薄れていく。にも拘らず、全身凍てついたようにただひたすら寒い。

 何て、運命だ。つい昨日までは順風満帆な筈だったのに、どうしてこうなった。

 

「……なぁ……俺、あんたに恨まれるような事……したかなぁ……女神さんよぉ……」

 

 己が運命に女神を恨みながら、とうとう頭へと目掛け振り下ろされる鉈が、まるで苦しみを長引かせぬよう介錯する慈悲の刃に思え、全てを諦めて目を閉じた。

 

 

 

 ――その視界が完全に閉ざされる直前、暗く染まっていく視界の端で、炎のような赤い何かが瞬いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 ……………………

 

 ……………………衝撃が、来ない。

 

 

 

「おい、まだ生きてるな」

 

 知らない声だ。もう閉じてしまえと誘惑してくる重い瞼をこじ開けてうっすらと目を開けると、燃えるような赤い髪を後ろで乱雑に束ねた、大剣を振りぬいた体勢の青年の背中が見えた。その奥には、首を、胴を刎ねられたらしく切断面から何か液体を噴出している無数の小さな体。

 

 ――これは夢だろうか。

 

 ――それとも、死に瀕してとうとう戦神アーレス様が迎えにでも来たのだろうか。

 

 まるで何かの英雄譚の様に凛々しい青年の背中に、そんなことを今にも意識の途切れそうな頭で考えていたら、パリンとガラスの割れた小さな音。

 青年が乱暴に瓶の口を割って開封した小瓶から乱雑にばしゃりと液体を浴びせて来る……傷薬だろうか……そんなもの、気休めにもならないだろうに何故……?

 諦観の気持ちでそんなことを考えていると、ぐっと襟首をつかまれ上半身を起こされ、引き寄せられた。

 

「いいか、諦めるんじゃねぇぞ、気をしっかり持て……大丈夫だ、死ななきゃ、助かる。あいつが来た」

 

 ――助かる? 

 

 ――どうやって? 

 

 この負傷ではもう、この場に都合よく、教会に囲われていると言われる聖女様でも通りがからぬ限り、助かりっこないというのに。

 

 しかし、額のつくような至近距離で強く告げた彼の、真っ直ぐ見つめる瞳は確信に満ちており、僅かに絶望から希望へと天秤が傾けるだけの力があった。世界に音と色がが戻ってくる。

 

 風を切る矢の音。間を置かず、高い所……外壁だろうか……から、何かが落ちるドサドサという音。

 いつの間にか自分から手を離し、目の前から消えていた赤髪の青年も、目にも止まらぬ速さで次々と周囲に血と炎の華を咲かせていく。ギャッ、という甲高い多数の敵の呻き声と、小柄な敵の集団がバタバタと倒れていく音が聞こえてきた。

 青年の後方では、狭い外壁の門に群がってつっかえていたゴブリン達の群れが、一直線に奔る紅蓮の炎と眩い紫電に飲まれ消し飛んでいく。このたった数度の瞬き程度の時間で、あまりにもあっけなく状況が好転していた。

 

 

 

 ――そんな中で、『それ』を見た。

 

 

 

 純白の羽根をはためかせて外壁を飛び越え、西へと沈みゆく夕日を背景に舞い降りて来る中性的な美しさをたたえた騎士鎧姿の青年。

 そして……その腕に大事に守られるかのように抱きかかえられながら、逆光の中でさえ尚、眩い暖かな光を煌めかせて祈りを捧げている、蒼い衣を纏う虹色の髪を持った美しい少女を。

 

『――ギィス(抱擁する)

 

 最初は、それが声とは認識できなかった。まるで超一流の職人が丹精込めて作り上げた楽器のような澄んだ音色だと。その可憐な小さな口が音を奏でるたび、周囲に温かい、複雑で巨大な光の陣が組み上がっていく。

 

『――アフゼーリア(女神の祝福の)

 

 視界を埋め尽くしていく、途方もなく巨大で複雑な立体的な光の陣に、理由もなく、何故か確信した。きっと帰れると。自分たちは助かったのだと。

 

『――ディレテ!(息吹)

 

 周囲が、眩い光に包まれた。だがしかし、眩しくはあっても目を刺すようなものではなく、むしろどこまでも優しく包まれていくような。全身が暖かな物に包まれて、苦痛が溶けて消え去っていく。

 

「あ……あぁああ……!」

 

 気が付いたら、その暖かな光に縋るように、手を伸ばしていた。もしも今動く事が出来たのならば、迷わず跪いて首を垂れていたに違いない。きっと、自分はこの光景を生涯忘れることは無いのだろうと確信できる。

 

 ――ふと、先程、女神様を恨んでしまった事を恥じた。なぜならば……その女神様は、こうして今目の前で、そんな自分にも救いの手を差し伸べてくれているではないか。

 

 乱舞する暖かな光の合間に時折見えるその少女と、偶然目が合った。取りこぼした命を悲しみ憂う色を湛えながらも、目の前で吹き返した命にほっとしたような、泣き笑いのような複雑な表情で見返す彼女に……目尻から、暖かな物が流れていくのを止めることはできなかった――……

 



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空疾る火

 

「………………――い、……きろ! おい!」

 

 肩を揺さぶられている感覚で、意識が覚醒しました……何か、夢を見ていた気がしますが、もはや思い出せません。えっと……今、何をしていたんでしたか……

 寝起きでぼやける視界には、何故か心配そうにこちらを覗き込んでいる皆が居ました。その様子に、首を傾げます。

 

「……とりあえず、イリスちゃん、はい、これ」

 

 そう言ってフィリアスさんが差し出したのは……ハンカチ?

 

「とりあえず、拭いておこう?」

 

 そういって頬を指さすので、思わず自分の頬に触れてみます……濡れた感触がしました。

 

「……え? あれ、これ……涙?」

「うん、今も寝ながら泣いてた……本当に、大丈夫?」

 

 ここ数日、目が覚めたらこのようになっている事が増えました。その時は決まって何か夢を見ていたような気がしますが……やはり、どれだけ思い出そうと思っても、散ってしまったその記憶は回収できませんでした。

 

 

 

「体調とかは大丈夫? 夜もあまり寝てないんでしょう?」

 

 ずっと続いている頭の鈍痛のせいで睡眠時間が短く、あるいは眠っていてもその質はだいぶ落ちているのは自分でも感じていました。そのため寝不足気味で、昼間にこうしてふとした拍子に浅い眠りに落ちてしまう事も多くなっています……が。

 

「本当に、少し寝つきが悪い以外は何も……ないはずですけども」

「そう、それならいいんだけど……どこか悪かったら、すぐ言ってくださいね?」

「大丈夫ですよ、ちょっと寝不足なだけですし……それを言ったら、御者をしてくれているヴァイスさんやレニィさんに申し訳ないですから」

 

 今、二人は御者台で交代で馬車を操っています。御者の経験があるのがその二人だけだったからですが、それ故に疲労度合いで言えば彼らの方が心配です。

 

「それで、今はどのあたりですか?」

「あ、えぇと、もう一個あの丘を越えれば、目的の街になるんですけど……」

 

 国境を越え、商隊と別れてから早一日。私達は、ようやく目的地である次の街に到着しようとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の丘を越え、下り坂の向こうにある目的地を目にし……

 

「――――っ!?」

 

 全員が息を飲みました。目的地であった町……その、渓谷を塞ぐように設けられた外壁に小さな影が群がっており、まるで灰色の壁が黒く覆いつくされているようでした。

 

「……おい、ありゃあゴブ野郎どもだ、襲われてるぞ!」

 

 この中で一番目のいいヴァイスさんが血相を変えて叫びます。私も『イーグルアイ』を自分にかけて様子を見ますが……すでに門は突破されており、あちこちに赤く染まって倒れている、黒い影に踏みにじられているのは……人?

 

「そんな……遅かった……っ!?」

「……いや、まだ突破されてさほど経っているわけじゃなさそうだ。急ごう」

「って言っても、これ以上速度は出せねぇぞ……」

 

 借りてきた馬車の車室の振動はかなり激しく、たとえ馬の方にまだ余力があったとしても、下手をすると馬車の方が分解あるいは転倒の恐れがあります。

 皆が焦っているそんな中、一つの手が上がります……レイジさんでした。

 

「そうか……分かった、俺は先行して、どうにか突破して中の連中を援護してくる。イリス、補助魔法を頼めるか?」

「……わかりました。一緒に、皆も。外に出たら翼を晒すわけには行きませんので、今のうちに済ませておきましょう」

 

 その言葉に頷き、可能な限りの補助魔法を現在馬車に居る皆に施します。以前のように補助だけで疲労することもなく、まだまだ余裕はあります。

 

 ……しかし、単身先行するレイジさんにはそれでも心許なさは残ります。行く先に見える小さな影は、それだけの数がひしめき合っていました。

 

「……気を付けて。無理はしないでください……ね?」

「ああ、任せろ。お前が来るまで出来るだけ助けて来る……だから、後ろは任せたぜ」

「……はい」

 

 心配する私を落ち着かせるように、ぽんぽんと数度頭を撫でた後、レイジさんが、幌をめくると馬車の後ろから飛び降り、そのまま爆発的な加速力で馬車を追い越してみるみる遠ざかっていきます。

 

「うっわぁ、もうあんな小さい。本当速いね、レイジさん」

「そうだね……あればかりは、もう私も敵う気がしないなぁ……大丈夫ですよ、イリス嬢」

「……え?」

 

 あっという間に遠くなっていく背中を見送っていると、不意に声がかけられました。

 

「彼は強い。いいえ、強くなった。彼と行っている模擬戦、最初数日は私と彼の対戦結果は私の方が優勢だったのですが……ところが、ここ最近の結果を含めるとだいぶ追い上げられてしましました。本当にもう、うかうかしていられませんね、困りました」

 

 本当に、困ったように苦笑するゼルティスさんですが……つまり、最近はレイジさんの方が多く軍配が上がっている……という事でしょうか?

 

「勿論、悔しいですからこのまま易々と負け越すつもりはありませんけどね……ですので、信じてあげてください。貴女の騎士様なのでしょう?」

「そ、そういうのではないです、ただの友人です!」

 

 その言葉は断固として否定します、私とレイジさんは、主従関係など無い、ただの……誰よりも信頼している、友人です……ああ、なるほど。

 

「……そうですね、私が信じないといけませんよね。ありがとうございます、ゼルティスさん」

「いえいえ……ああ、勿論私も貴女に一言請われればいつでも貴女の騎士として剣を捧げる用意は……ったぁ!? 痛いぞ妹よ!」

「うっさい、時間が無いのよ時間が。馬鹿言ってないで、私達も出る準備しましょ、馬鹿兄貴」

 

 またいつものように私の手を取ったゼルティスさんをフィリアスさんが張り倒し、幌馬車の荷物の方へ引きずっていきます。普段通りな二人のやり取りに、思わず苦笑が漏れました。が、そのおかげで少し、気分にも余裕も出て来ました。

 

「それじゃ、イリスちゃん、お兄さん、私達もそろそろ出ますね。外は任せてください。貴方達は町の人達をお願いします」

「ああ、任せておけ。私もイリスを抱えて空から突破する、この様子なら町中にも相当な被害になっていそうだ、君の力が必要になる……いけるな?」

「はい、兄様。エスコートお願いしますね」

 

 手を差し出すと、さっと掴まれ、そのまま片手で抱き上げられました。そのまま御者台に出ます。そこでは、ヴァイスさんが矢をつがえて集中を高めていました。その鏃に、ぽぅっと風の魔法が宿ります。

 そうして放たれた矢は、みるみる飛距離を伸ばすと、何かに誘導されて吸い込まれるように、はるか遠くで弓を構えていた小さな影を射抜きました。『エアスナイプアロー』……弓術以外に風魔法の資質が必要な技で、どうやらヴァイスさんは、僅かですがその資質があったらしいです。

 

「援護くらいはしてやる、さっさと行って来い」

 

 彼は、ぶっきらぼうに告げると、再び矢をつがえて狙いを定め始めました。

 

「ありがとうございます、とても頼もしいです」

「……ふん、仕事だからな」

 

 だいぶ打ち解けたとは思うのですが、相変わらず素直じゃ無い人だな、と肩を竦めると、そんな私達の距離を離すように兄様が体勢を入れ替えました。

 

「……どれだけポイントを稼いでも、妹はやらないぞ?」

「俺の守備範囲じゃねぇっつってんだろ! 良いから早く行けよ!?」

「そうですよ兄様、私みたいな子供を……なんて疑いは、ヴァイスさんに失礼です!」

 

 確かに初対面がアレでしたから兄様の警戒も分かるのですが……まぁ、流石にこれは冗談が過ぎます。第一私の見た目はかなり幼いので、それに懸想しているなんていう疑いはたとえ冗談でも大人の男性である彼に失礼だと、擁護します。

 

「あー、うん、それでいいや……」

「うん、なんか、すまない……」

 

 ……何故か投げやり気味になって放たれたヴァイスさんの矢が、また一体外壁上に陣取ったゴブリンを射抜きました。

 

「それじゃ、レイジも待ってるし、行くよ。しっかり捕まって」

「はい……大丈夫。お願いします」

 

 ソール兄様が私をしっかり抱きかかえ直すと、そのまま背の翼をばさりとはためかせて上空へ身を躍らせます。

 みるみる遠くなっていく地面……この状況でなければ空中散歩を楽しめたかもしれませんが、今は一刻を争う状況です。『イーグルアイ』で拡張した視線をまだ遠い町中へ向けて、いつでも魔法を行使できるように集中を高めていきます。

 

「……もっと急いでいたら、これ程被害が出る前に間に合ったのでしょうか」

「そうかもしれない、が、私達には未来を予知なんてできないんだ。なら今できることをするしかない……速度を上げる、しっかり捕まって」

「……はい」

 

 体に回す腕にぎゅっと力を籠めると、全ての景色が後ろへと吹き飛んでいくような勢いで、流れていきます。町へ入るまではもう間もなく。どのような凄惨な光景が広がっていたとしても、私は自分にできることをしよう。きっと大勢いるであろう負傷者を救うため、詠唱を開始しました。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 地を這うような低姿勢で疾走する。その足が一歩地を蹴るごとに、足元でびしりと硬いものが割れるような音と感触がするが、しかしその音はあっという間に後方へと置き去りにされていく。

 走るというよりは、「跳ぶ」ように。一歩で進む量は普通に駆けるよりもはるかに長い。肝が冷えるような速度で、景色があっという間に後ろへ吹っ飛んでいく。

 

 ――出発までの訓練の中で数日だけとはいえ試行錯誤した、強くなるために考えた中の一つの答え。

 

『スキルの効果を恒常的に使用できないか』

 

 今歩法に応用しているのは、自分の持つスキル『神速剣』使用時の移動方法。だがしかしスキルを使っているわけではない。それを参考にして、ただ己の肉体での力の入れ方や、地を蹴る足への闘気の集中や放出などをコントロールしているだけだ。

 

 スキルと言っても、それを使用している体は自分なのだから、再現できれば同じ効果を得られるのではないか……それを試行錯誤しながら実践した結果、スキル使用時ほどではないが、確かに同じようなことは可能だと確認はできた。そして、ゲームの時に再使用時間があったように何故か連続使用できないスキルと違って、こちらは体力や集中力が続く限り使い続けることが可能であることも確認している。

 

 尤も……通常の何倍もの速度で走るというのは中々に困難だった。スキルとして使用する際はある程度纏まったセットとして発動するが、こちらは全て自分で情報の処理……どのように体を動かしていくのかを自分の頭と体で考えなければいけない。最も効率的なマクロをかなぐり捨てて全て手動入力しているようなもので、疲労も負担もスキルの比ではない。現在の速度は、以前まで普通に走っていた時の比ではなく、最初は脳の反応速度が付いていかなかったために転倒したり木に激突したりでかなり回復薬の世話になりっぱなしだった。

 

 しかし、無数の失敗を重ね、模擬戦で実戦を想定した使用を重ね、その試行錯誤の成果として今ではある程度実戦で使えるレベルまで持ってきた。

 

 ……そして、単純に「移動速度が速い」ということは、それ自体が更なる効果をもたらしていた。

 

「邪魔すんじゃねぇ、退けぇえ!!」

 

 敵がこちらに気が付いて、最初の一体が剣を振り上げた時には、すでに懐の中へと飛び込んでいる。そのまま胴を薙ぐようにして駆け抜けると、その瞬間哀れな被害者の体は容易く両断され、上半身だけがまるで強い衝撃を受けたように宙に舞ったのみならず、速度の乗った剣の巻き起こす衝撃が数体巻き込んだ相手を吹き飛ばす。

 

 ――高速で動いていることによる速度、それ自体が破壊力へと転化されているのだ。

 

 そのまま、剣を構え直す。地面を先端が擦るように。摩擦で石の敷かれた補装から火花が散る。

 思い切り敵集団の目前へ踏み込む。止まるつもりは毛頭ない、ただ……蹴散らす!

 

「砲、閃……火ぁぁああ!!」

 

 地面を抉りながら、下段から上段へ斬り上げた剣先から炎が迸り、存分に助走の付けられ速度の乗った刀身から、ゴゥッ! と衝撃を伴って業火がが爆ぜる。

 

 ――二次職の時の中級のスキル『砲閃火』。

 

 やや離れた場所へ炎の斬撃を飛ばす、といういわゆる飛び道具だが、今までの速度を載せたその一撃は威力が通常の物の比ではなく、門前に群がっていた小さな影を飲み込んで突き進み、その間に居た者を消し炭へと変えて道を拓いていく。

 

 吹き飛ばされて壁が薄くなった先に、門の中、町が見えた――今なら行ける……!

 

 ぐっと膝を沈め、思い切り地面を踏み抜く。爆発的な速度で景色が吹き飛んでいき、未だ多数群がるゴブリンの群れを軽々と飛び越えると、ガリガリとブーツの底を石畳に滑らせて町の中に着地した。

 

 踏み込んでまず感じたのは……濃密な血の匂い。町の中は、地獄絵図だった。味方のどころか自分の命すら顧みない異様な様子のゴブリン達に蹂躙され、折り重なるように兵士たちが倒れている。その傷はいずれも深そうで、中にはまだ息のある者も居るが、もう助からないだろう……普通であれば、だが。

 生きてさえいれば、助けれられる。イリスがきっと助ける。であれば、俺にできることはそれまでに少しでも多くの命をこれ以上散らせない事だ。

 

 新たな闖入者の登場に、小さな影の何体かがこちらを振り向く……が、遅い!

 

「ぶっつけ本番だが、行くぜぇ!!」

 

 左足で一歩、踏み出す。もっとも手近な敵の一体の、その僅かに先へ。脚力と、足元で爆ぜる闘気に押されて一瞬でトップスピードへ駆け上がり、その途中に存在する敵をすれ違いざまに薙ぎ払う。

 止まらない。次は踏み込んだ右足で同じように地を蹴る。強引な力の方向の転換に、ぐっとすさまじい負荷が脚にかかるが、この『レイジ』の頑強な体はそれすらねじ伏せて駆ける。目まぐるしく変化する視界は酔いそうなほど激しいが、必死に情報を処理して最善の次を探す。

 

 ――もっと早く! まだだ、もっと早くだ……!!

 

 一足につき一殺。足元の地面が自分の足に蹴られて爆ぜるたび、別の場所でぱっと血の華が咲くが、その時にはもうすでに次の敵へ、さらにその次の敵へ。

 先読みに全神経を集中させた視界から、余分な情報とばかりに色が消え、世界がスローモーションで流れ始める。もっとも効率よく殲滅できるルートを必死に計算して脳裏に描き、無数の凶器を掻い潜って敵の群れの間隙を縫うように、その障害となるものを切り伏せながら蹂躙する。

 

 まばたき二つ程度の時間に、果たして幾度剣を振ったか……今まさに瀕死の兵士に鉈を振り下ろそうとしていた敵を斬り捨てたところで、残心の体勢で動きを止める。この時になってようやく、周囲で断ち斬られた矮躯が真っ赤な鮮血を噴き出しバタバタと倒れ伏していく。が、油断せず、構えたまま周囲を確認する。

 

 手近なところに既に敵影は無く、俺の周囲にはぽっかりと空隙が出来ていた。門から新たな影が迫ってきているが、まだ少し息を整える余裕はありそうだ。

 

 ……元々、剣士系列は比較的バランスの良い前衛職だったが、単体相手には強力な一方で、面での制圧力が弱いという欠点も持つ典型的なボスキラーなスタイルだ。今のような状況では、制圧力という点では少々心もとない。

 

 では、こうした多数に囲まれた状況でどうしたらいいか……と考えた結果、至ったのが……『できるだけ短時間に多くの一対一をこなせばいい』という、我ながら実に脳筋のような答えであった。

 

「……我流剣技、『疾風』……なんてな。さて」

 

 剣を振って血を払いお道化て見せるが、実のところ結構消耗は激しく、かなりの疲労感がある。動けないというほどではないが、ここからは普通に戦っていくしかないだろうな。内心舌打ちする。

 最後に斬り捨てた敵に、頭を割られそうになっていた兵士を背中越しに見下ろす。あちこちを貫かれ瀕死の重傷にしか見えないが、それでもまだ、息は残っている。

 

「おい、まだ生きてるな」

 

 それならば、少しでも、一人でも多く助けよう。あいつが、少しでも涙を流さずに済むように――……

 



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零れ落ちたもの

 

 私の治癒魔法が戦場を覆い、倒れていた人たちが、次々と狐に摘ままれたような顔で起き上がってきます。

 

 ……立ち上がることができたのは、半分ほど。残りの半数は、何も起きずに横たわったままです。覚悟はしていたつもりでしたが、実際に目の前に亡くなった方の遺体があるというのは堪えます。しかし、今はやらなければいけないことがあります。黙祷だけ捧げ、思考の隅へと追いやります。

 

「まだ、行ける?」

「……はい、流石に少し疲れましたが、あと範囲回復何回分かくらいは余裕があると思います」

「……よし、降りてからも、私からあまり離れないように」

 

 ソール兄様がゆっくりと地面へ降下すると、そっと私を地面に下ろしました。それに気が付いたレイジさんも一度合流します。

 

「レイジさん、大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。怪我ひとつ負ってないぜ……次はどうすればいい?」

「レイジは町に入り込んだ奴の掃討は任せていいか? 私は残っている兵と協力してこれ以上の侵入を防ぐ」

「おう、任せておけ!」

 

 二人はパンと手を合わせると、レイジさんは町へ、ソール兄様は反対側、門の方へと駆けていきました。私もそれに続きます。

 

「……指揮官殿はいらっしゃいますか!?」

 

 大声で呼びかけた兄様の声に、一人の兵士さんがが声を上げます。

 

「あ、ああ、隊長は私だ!」

「無事な兵を門前に集結させてください、外には私の仲間もこちらへ救援に向かっています、焦らずこちらへ向かってくるものだけ抑えてください。門内へと入り込んだ敵はレイジ……私達の仲間である彼と、弓を持った方で対処を」

「わかった、そうしよう!……加勢、感謝する」

「お怪我をした方は無理せず下がってくださいね?」

「……助かります。総員、聞いての通りだ、隊列を立て直せ!」

 

 我に帰った兵士たちが、配置につきます。門の外ではミリィさんとレニィさんの大火力の魔法が猛威を振るっており、敵の注意はそちらに向いているためかなり散発的な攻撃となっており……

 

 その掃討には、さほど時間はかかりませんでした。

 

 

 

 

 

「……もう、居ない……よな?」

 

 兵士の一人が、途切れた攻勢の中でぽつりとつぶやきます。見渡す限り、人以外の立っている存在は見当たりません。

 

「終わった……」

「勝った……凌いだぞ……!」

 

 

 徐々に、死闘の終焉を実感してきた兵士の皆が、ぽつりぽつりと歓声を上げ始めます。 門の外では、外から挟撃を仕掛けていた皆……特に、大勢の敵を強力な魔法で薙ぎ払っていた、ミリィさんとレニィさんが囲まれて身動きが取れなくなっていました。

 

 しかし、すぐにその声は萎み、生存者の確認を行うと、同僚の遺体の回収を始めました。

 ……大勢の人が亡くなっていました。それは、彼らとつい昨日までは一緒に居た方々なのです。その無念はいかばかりでしょうか。

 

「貴女のせいではありませんよ。むしろ、貴女がいなければこんなものでは済みませんでした」

「そうだ、君が来てくれなければおそらく私もここに居なかった……ありがとう」

 

 沈痛な面持ちで作業していた方々が、それでも傍を通る際私に気にするなと声をかけてきます。

 

「あの、何かお手伝いを……」

 

 そう言いかけて近寄ろうとしたところで、一人の兵士に止められました。確か、あの時レイジさんの傍に倒れていた人……だったと思います。

 

「いえ、貴女は十分に助けてくれました。これ以上その手を煩わせてしまっては私達も申し訳が立ちません……気にせずここは任せて休んでいてください」

「……はい」

 

 そう諭されては、もう何もできることはありませんでした。立ち去ろうと踵を返します。

 

「あの! ……私は、結婚も間近でこのような事になって、全てを諦めそうになっていたところで貴女に助けられました。おかげで、街で待っている恋人を泣かせずに済みました……本当に、ありがとうございます」

「それは……」

 

 振り返りかけた顔を彼の方へ向けると、精一杯、笑顔になるように頑張って、声を出します

 

「……それは、本当に良かったです。どうか、無事に帰ってお幸せになってくださいね?」

 

 それだけ絞り出すと、足早に立ち去りました。

 

 

 

 

 

 

 領都へと運ばれ、そこで葬儀があげられるという同僚の亡骸を見送る兵士たちの輪から外れ、所在なく立ち尽くしていると、誰かに肩を叩かれます。

 

「……思えば、目の前で誰かを助けられなかったというのは、こちらに来て初めてだ」

「……兄様」

「ここだと邪魔になる。少し席を外そう」

 

 そう言って手を引くと、外壁の影、誰もいないところへと連れていかれます。

 そうして、誰からも見えない所へ行くと、そのまま胸へと抱かれました。驚いていると、その兄様の体も僅かに震えているのを感じ、悔しいのは私だけなのではないと思い知ります。その背をあやすように軽く叩きながら、そっと声を殺して私も少しだけ泣かせてもらいました――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……兵士たちも言っていたが、やはりゴブリンの動きとしてはどう考えてもおかしい」

 

 落ち着いた私達は、戦闘のあった門周辺を見回りながら、先程の戦闘での内容を振り返り、首を捻っていました。

 

 ちなみに、真っ先に町へと飛び込んだレイジさんは、周囲を兵士の方々に囲まれ絶賛されて困った顔をしています。

 私の方はというと、遠巻きにこちらを見ている者たちが時折小さく「聖女様……」と言っている声が聞こえてくる恥ずかしさを必死にこらえています。兄様はそんな私の様子を苦笑して見ていました。

 

 閑話休題(それはさておき)。日の落ちた周囲では、戦場の後片付けの真っ最中で、ゴブリン達の遺体を焼く火が所々で上がっています。町の方では戦闘も止んだことで通りには町民たちも姿を見せ始めていました。

 

「……変な、動きでしたね」

「……ああ、これはまるでアンデッドのような……目の前で戦っているこいつらからは、自分の意志を感じなかった」

 

 戦術も何もあった物ではなく、とりあえず手近な敵を襲うような行動。おかげで二方面からの攻撃にてんでばらばらに襲い掛かり戦力が無秩序に分散したため、今回は非常に御しやすい相手でしたが……

 

 考え事をしながらその戦場に倒れたゴブリンの亡骸の一つの横を通り過ぎようとした時……ずきりと、頭が痛みました。もしやと思い、その亡骸をひっくり返して調べてみると……すぐに、異変が見つかりました。

 

「これは……」

「イリス、何か気になるものでも見つけた?」

 

 私の様子に気が付いた兄様が、上からのぞき込んできます。

 

「……兄様、これを」

 

 私が亡骸の着ている服を端を捲ってみると、そこには輝きを失って罅割れた何かの……以前に見覚えのある結晶体が体に埋まっていました。

 

「これは……そうか、あの時と同じ。通りでゴブリンにしては行動パターンがおかしかったわけだ」

 

 それは、いつぞや見た山賊のなれの果て……あの影の魔物の時にその体にあった物と同じような小さな結晶でした。という事は、この襲撃は数日前に発生した『傷』と関わりがある……その可能性が高そうです。

 

「あの、隊長殿、すみません一つお聞きしたいのですが」

「おお、貴方らは……おかげで、被害も最小で済みました。で、聞きたいこととは?」

 

 たまたま近くを通りかかった隊長さんに、兄様が声をかけます。周囲に指示を出していた彼は、それでも私達を見ると、快く応じてくれました。

 

「あ……あちらの方角には、何か変わったものや変わった事が無いかご存じないでしょうか?」

「……ああ、あちらですか」

 

 私の指さすその方角を見て、隊長さんが何か苦虫を噛みつぶしたような表情をします。

 

「……何か、あるんですね?」

「はい……そちらに一刻ほど進むと、ゴブリン共に占領された新坑道が。道中は大勢の人が歩いていたので道もすぐにわかると思います……しかし、この町を預かる町長の強硬な反対で、調査できずにいまして。現在領都の本部の方へ伝令を送っており領主様からの調査許可の返事待ちな次第で……そんな中、こういった事が起きてしまいましたが」

「……町長が、渋る? 町の主産業の坑道が奪われ、このような襲撃に晒されている中で、わざわざ領主の派遣してきた兵の協力を拒んで……?」

 

 それは、どうにも不自然な……こういった状況でさらに防備を固める要請ならともかく、そういう物でもなさそうです。

 

「……何か、見られて困るものでもあるのか?」

 

 ぶつぶつと、兄様が呟いていると、その横顔をまじまじと見つめていた隊長さんが恐る恐る声をかけます。

 

「あの……ところでずっと気になっていたのですが……もしや、貴方様はソールクエス殿下ではないでしょうか?」

「……ぐっ!? い、いや、何のことかな……?」

 

 ああ、兄様が動転しています……気持ちは分かりますが。そういえば兄様はあまりこの手の話を振られていなかったですからね……

 

「……すまない、こちらにも事情がありまして。このことはどうか極力内密にしていただきたく」

「は、はぁ……しかし、そのお姿は? それに、貴方様が……ということは、こちらのお嬢さんは」

「……あはは……すみません、こちらも事情がありまして」

「……はぁ」

「……詳しくはいつかそのうち話が行くと思いますので、どうか今はそっと胸の内にしまっておいてください」

「すみません、お願いします」

「あ、ああ、頭をお上げください、私のようなものにそのような! ……わ、分かりました、私の心の内に仕舞っておきますので、どうか……!」

 

 私が頭を下げると、隊長さんは焦ったように約束してくださいました。何とも説明しにくい以上、あまり変に広まっても困ります。こういう展開は今まで大抵は私に来るため油断していた兄様が、そそくさと自分のマントのフードを被ってしまい、その様子に苦笑します。

 

 

 

 

 そんな一時的に緩んだ空気の中、街の方がざわざわと騒がしくなってきました。心なしか、周囲の兵士さん達の空気がピリピリとしたものに変わっていきます。

 

「おお、これは……旅の方が加勢してくださったとは聞いていましたが、町を守ってくださり、感謝の言葉もありません……!」

 

 そんな中大声を上げながら、街の奥から、やたら羽振りの良さそうな衣装や装飾品を纏った中年位の男性がこちらへと歩いてきます。周囲を鷹揚にその視線が一瞬こちらを向いた際、ぞわりと背中に走る悪寒。ほんの一瞬でしたが、あれは私ではなく、私にかかる価値を図ろうとする、そういう視線でした。

 ぎゅっと兄様の方に身を寄せると、それに気が付いたようにさりげなく私を背に隠すように位置を変えました。

 

 ……あの視線は、怖い。だいぶ癒えたと思っていた嫌な記憶が脳裏をかすめ、膝が震えそうになるのをぐっと堪えます。

 

 そんな私達に、隊長さんが耳打ちしてきます。

 

「……あれが町長です……町の外から破落戸や何処の物とも知れぬ鉱夫を多数呼び寄せて侍らせており、評判はあまりよくありません、くれぐれもお気を付けを」

「……でしょうね」

 

 彼は、その身の周りに、周囲の者をを威嚇するように目を配らせている、明らかに堅気の物ではなさそうな者を侍らせて……しかし、先程の戦闘に戦力を出そうともしていなかった。

 

 場所が変われば人も変わる。前の町の人々が優しかったから次も、というわけには行かないという事を、今ひしひしと感じていました。

 



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問題発生

 

 この町に到着した日、後処理が一通り完了した時にはすでに夜も遅い時間だったため……隊長さんの好意で、外壁に併設された彼らの宿舎の片隅を借りて仮眠を取った後……

 

 

 私達は、この町の町長の呼び出しで、縦長に広がるこの町の中心部、富裕層の暮らす区域にあるその邸宅の前へと来ていました。

 ちなみに、私達と出会う前に一悶着あったらしいゼルティスさん等の傭兵団の皆は、今回は呼ばれていないため、今は兵士さん達に協力して今後の協議をしており、私とソール兄様、レイジさん、ミリィさんの四人のみです。

 

「流石に……初手でやらかして来るとは思わないけれど、いつでも逃げれるように。出されたものには手を付けないように」

 

 今日何度目かの兄様の忠告。念のため、先程毒や麻痺といった肉体的な状態異常への耐性を高める魔法を施して来ましたが、用心に越した事はありません。

 

 ……あの町長のこちらを見る目は、あまり友好的なものには見えませんからね。

 

 隊長さんの話を聞く限り、ゴブリン達の住処となっている坑道の件で何か良からぬ事を隠して居るのは明白です。おそらくその件について釘を刺しに来たのでしょう。

 あるいは、何らかの罠である可能性も否定はできません。

 

「……さて、こうしていても始まらない。イリス、それとミリィ、二人は絶対にレイジから離れないように。レイジ、頼んだぞ」

「ああ、任せろ」

 

 レイジさんが頷くのを確認し、兄様が扉……この時点ですでに成金趣味を見て取れる豪奢な扉のノッカーを叩きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 使用人に案内され、応接間に入ると、すでに館の主はそこで待っておりました。

 

 ……ここまで案内されただけでも、高価そうな柔らかなカーペットに調度品が大量に並び、とても主要産業が停滞しており困っている町の長の家だとは思えませんでした。

 

「良く来てくださった、旅のお方。ささ、どうぞ腰掛けください」

 

 過剰に友好的な様子で振る舞いながら、席に案内され、これはまた柔らかく体の沈む椅子に腰掛ける。しかし……

 

「……『居る』な……5人か」

「そうか……まぁ、対処出来ないほどではないか」

 

 小声で相談している二人。やはり手駒は配置されていたようです。

 が、それくらいであれば二人にとっては慌てる程ではないと。問題はお茶や空気に何か混入されていた場合ですが、そちらはよほどのことが無ければ対処済みです。

 

 町長の質問に私達が答える。若くしてどのようにして今の実力を身に着けたか。生まれは、住居はどこか。

 その大半は会話を一任された兄様がそれとなくぼかして語っていましたが、表面上は和やかに進む歓談ですが、その裏に見え隠れする内容は、何かにつけてこちらの行動を縛ろうとする意図が見え隠れしていました。

 

「……それで、話というのは他でもありません、先程のあなた方の武勇は拝聴しました、そこで、どうでしょう、私どもに雇われるつもりはございませんか?」

 

 どうやら、こちらが本題でしょうか。好きに動かれたくないから、自分の手駒にしよう、と。

 

「勿論報酬は……」

 

 提示された金額は、ゲーム時代のお金はデータの藻屑と消えており、前の町で報酬として受け取った分しか持ち合わせていない私たちにとっては確かにかなりの高額でした。

 おそらく以前彼らが滞在した際に居なかった私達を傭兵団の新入りと判断し、引き抜こうとしているのでしょう。それを可能にするだけの額ではあります、しかし……

 

 話の途中で、すっと兄様が手を上げて遮りました。

 

「お話の途中失礼ですが。そう言った話であればお断りします。町を守るため一時力を貸せ、というのであれば協力も吝かではありませんが、町を治める立場でありながらそのつもりも無い方に雇われるつもりはありません」

 

 突如、不躾とも言える兄様の言葉に、町長の額に血管の浮き上がったのが見て取れました。

 

「……貴方がたが勇敢で善良な若人であるのは素晴らしく思います、ですが、これはあなた方を腕の立つ傭兵と見込んでお話している……仕事を依頼しているのだよ、そのような私情で……」

「何か勘違いなされて居るようですが……そもそも私共は旅人で、傭兵でもありませんので」

 

 さらに言葉を遮って告げる。あくまでも私達の間にあるのは協力関係。厳密には傭兵団の一員ではありません。

 

「だ、だが先程はあの傭兵団の一員と一緒に居たではないか。以前逗留していた際はいらっしゃらなかったようですが……」

 

「彼らとは、個人的な友好の関係から、好意で旅路に同行させていただいているだけです。彼らの雇い主に謁見するために」

 

 その言葉を聞いて、ぐっと言葉に詰まる町長。私達の同行している傭兵団……「セルクイユ」の雇い主という事は、この地方の領主である……という事にさすがに気が付いたのでしょう。

 

 その客人に余計なちょっかいをかければ調査の及ぶ可能性がある……あるいは、私達がその『草』という可能性も存在する。そう思い至ったのでしょう。何か後ろ暗いものを隠している彼らには、交渉の続きを封じられたことになります。

 

 ……尤も、そのような事実はありませんが。幸い、ブラフでしかないその話に、昨日見せた私達の戦力が真実味を与えてしまっていたことになります。

 

 いざとなれば権力……さすがに私達の物を使用するのは危険度が未知数ですので、ここはヴァルターさんの背後に居る辺境伯様を匂わせてでも強気で行くつもりのようです。

 

 

「それに……」

 

 兄様が、一口出された茶に口をつけ――すぐに吐き出す。その目が、剣呑な色を帯びてすっと細められた。

 

「客に出す茶の中に夢見草の蜜とは、随分と独特な礼儀作法がお有りのようですね?」

「ぐっ……」

 

 夢見草……以前、私が羽根を隠して治療する際に使用した、睡眠作用のある植物です。が、その蜜は少々癖があり、兄様にはその僅かな違和感でも察知できるようで……やはり、盛られていたのですね。

 

 ……そういえば、綾芽は利き水とか利き米とか何故か得意でしたねぇ。

 

「どうやら、貴方がたには歓待されていないようです。私達に関わるのをこれっきりにして頂けるのであれば、この件は不問としましょう。それでは失礼します」

 

 兄様が椅子を蹴って立ち上がると、私達も皆で席を立ちます。

 周囲で殺気立つ気配がしますが、レイジさんが腰に下げた剣に手を這わせるとすごすごと引く気配。

 

「……私が許可しないと言えば、この町で宿すら取ることはできなくさせることは容易い。後悔されますぞ」

「さぁ、後悔なさるのはどちらでしょう?」

 

 

 そんな捨て台詞を兄様が思いっきり悪辣そうな王子様スマイルで返し、私達は町長を家を後にしたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁっ……そんな予感はあったけど、最初っから交渉のつもり無いじゃんあれ……」

 

 人の目が無くなったとたんぐったりとする兄様。綾芽が少し漏れて居ました。

 

「あはは……交渉役お疲れ様です……」

「うん、疲れた。だからしばらくこうしてて良いよね?」

 

 そう言うや否や、腕の中に抱きすくめられます。

 

「あぁ……癒やされるぅ……」

 

 そのままぐでんとした兄様に、苦笑しながらその背をポンポン叩き、好きなようにさせます。

 

「……しかし、思い切った事をしたなぁ、あれだと事実上の戦線布告だと思うぞ?」

「……ごめん。だけど、遅かれ早かれ連中が私達に手出しして来たのは間違いないはずだ」

「だなぁ……連中のイリスやミリアムを見る目、ありゃもうちょい隠せってくらい欲に滾ってたからなぁ」

「ですね……」

「だにゃあ……正直すごい気持ち悪かったにゃ」

 

 町長はおろかその背後に控える者まで、その視線は私達の値を見定めるかのように、不躾なものでした。

 

「この国は奴隷売買は禁止な筈だけど……もしかしたら何かパイプを持っているのかも知れない、くれぐれも、一人での行動はしないように」

 

 その言葉に、深く頷きます。

 

「……さて、俺達も、今後の宿を探さないとな」

「泊めてくれる宿が残っていればいいんだけどにゃー」

 

 そんな不吉なミリアムさんの発言に、暗澹たる思いで町を散策し始めました。

 

 

 

 

 

 

 ――数刻後

 

「……しかし、まぁ。予想以上に手回しが早かったな」

「ですね……どこももう門前払いでした……」

 

 すでに日も高くなって、沈み始めたころ、私達は早速途方に暮れていました……

 

 この町は谷間に流れる渓流に沿って大通りが通っており、その穏やかな流れの風景と音に、本来であれば心癒やされるのでしょうが、今はそれどころな心境ではありませんでした。

 

「仕方ねえ、もう一晩また隊長さんらに宿を借りれるように頼むか」

「……とはいえ、今日一日は兵舎の一角を借りるとして、その後はどうしたものかな」

「そうですね……どなたか部屋を貸してくれる方でも居れば良いのですが」

 

 今日の反応を見るに、望みはかなり薄い予感がします。町の人たちは昨夜の攻防の顛末を知っているため、町を守った私達に好意的ではあるのは幸いですが。

 

「……まぁ、昨日の英雄譚より明日の住処だよな。泊めると町長らに何をされるかわからなさそうな以上、期待薄だろうな……っと」

「なんだ、騒ぎか?」

 

 門の方で、兵士たちと誰かが口論していました。

 

「だから、姉ちゃんが攫われて、急いでるんだって! 頼む、だれか力を貸してくれよ!?」

 

 そのような剣呑な発言をする少年の声に、私達は顔を見合わせると彼らの元へ歩みを早めるのでした。

 

 

 

 現場では、隊長さんとゼルティスさんが、困った顔で、焦った様子の十歳から十二歳くらいの少年と口論をしていました。

 

「なんだ、町の子供か?」

「……いや、どうかな」

 

 兄様がなにやらぼそっと言っていましたが、どこか気になることがあるのでしょうか

 

「姉が攫われたって言ってたな……事情によっては緊急事態だし、話を聞いてみるか」

「ですね、事実ならすぐにでも助けに行かないと」

 

 そう頷き合って隊長さんの下へ接近する。と。

 

「ああ、すみません、皆さん、騒がしくして……」

「……!? なぁ、あんたら、腕は立つんだろ!? 頼む、助けてくれよ……!」

 

 私達を見つけた少年が、激しい剣幕で詰め寄ってきました。

 どうにか宥めて話を聞くに、彼はもともとこの地の人間ではなく、このあたりで一人行き倒れていたところをそのお姉さん……この町で薬師をしていた女性に拾われ、しばらく厄介になっていたそうです。

 

「だけど、姉ちゃんは今は薬が沢山必要だからって町の外に出て薬草を集めてたんだけど……いつまでも帰ってこなくて。探してたら、ゴブリンっぽい足跡が一緒に残ってて……!」

「その、私共も助けに行きたいのは山々なのですが、私どもは上からの許可がなければ町を治める者が禁止していることを無視して勝手に動くことがですね……」

 

 と、少年を宥めながら申し訳なさそうに告げる隊長さん。

 

「口惜しいですが、私共も同様です。流石に以前にも揉めて結果入るなと言われた場所に押し通るのは、団の方にも迷惑が……団長が構わん、行くというのであれば気にはしないのですが」

 

 とのゼルティスさんの声。もっとも、あの団長であれば、むしろよくやったと言いそうですけどね、と付け足しながら締める

 

 公職である兵士と、評判を落とせない傭兵団。どちらも、今ここに居る自分たちの一存では行動できない……となれば。

 

「あー、仕方ねえな、俺らが行くしかねえか……ソール、構わないか?」

「…………ああ、私も異論はない。ただし……後で話は聞かせてもらうぞ?」

 

 その言葉に、少年がビクッと肩を震わせ、視線を彷徨わせていました。

 

「兄様、何もそんな脅すような事を言わなくても……」

「……ふん」

 

 何が気に喰わないのか、不機嫌にそっぽを向く兄様ですが、助けに行くこと自体は反対ではないようです。

 

「まぁ、しょうがねぇな、俺とソールと……」

「あ、私はパス。潜入だと何一つ役立てないにゃ」

 

 火力特化の魔法職であるミリィさんはとにかく坑道などの狭い場所での行動には向いてないですからね。

 

「距離は取れないし、下手すると全員生き埋めだにゃ……」

 

 しゅんとしてしまいました。という事で、除外、と。

 

「となると、問題は……」

「ああ、だな……」

 

 レイジさんと兄様の視点がこちらを向きます。

 

「なぁ、イリス。みんなとここで待っている気は……」

「はい、無いですよ?」

「……だよなぁ」

 

 にっこりと即答した私に、レイジさんとソール兄様ががっくりと肩を落とします。

 普段であれば強硬に反対するはずですが……

 

「この中で、潜入任務に一番役立つのってイリスなんだよなぁ」

 

 そうなのです。ビショップには、周囲の者の姿を隠蔽する魔法が存在するため、こうした隠密行動には実は全職でアサシン系列、アーチャー系列に次いで向いているのです。

 

 ミリィさんも姿を消す魔法はありますが、こちらは自分のみしか対象にできず、しかも殆ど移動が出来ない、という欠点があります。

 代わりに姿を消したまま魔法の準備が可能という利点があり、クラス設計の差であってどちらが優れているというものではありませんが。

 

 今回ばかりは同行の可否の選択権は私にあるため、拒否はさせないのです。

 

 

 ということで、急遽その少年お姉さんを救助する作戦が決定したのでした。

 

 ……兄様が私の横で、悪い顔で小さく「よし、口実ゲット」と呟いていた事は見なかった事にします。

 

 



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少年プレイヤー

 

 私達を先導して歩く彼……漆黒の髪を一房後ろで束ね、質素な、この地方の一般的な少年の服装をした、助けを求めて来た少年。

 彼の言う「姉ちゃん」とは、彼の実の家族ではなく……一月程前に町の側で行き倒れており、どこから来たのかも分からなくなった彼を拾い、住居を提供し面倒を見てくれていた方らしいです。

 

 そんな身の上話を聞きながら、私達は彼の案内で、そのお姉さんが普段薬草集めしているという場所を目指し、町から離れた丘陵地帯を歩いていました。

 

「なぁ、こんなトロそうなねーちゃん連れてきて大丈夫なのかよ?」

「あ、あはは……」

 

 物凄く疑念の混じった眼差しがグサグサと突き刺さります。

 一応、事情は説明して、私の居る意味も言ったのですが……まぁ、信じられないのも無理は無いですよねと、自分で思って少し凹みました。

 

 実際、トロい事は否定できませんからね……

 

「まぁ、今回はできるだけ戦闘を避けての作戦だからな……大立ち回りする予定があるわけじゃないし大丈夫だろ……何かあったら、俺が担いで走るから心配すんな」

「はい、頼りにしてます。でも、お手柔らかにお願いしますね?」

「お、おう、任せろ」

 

 全力疾走されると目が回りますので、釘は刺しておきます……それが必要な事態になる事がないように祈っておきます。

 

「……なぁ、兄ちゃんと姉ちゃん、デキてんの?」

「そんなのではありません!?」

「そんなんじゃねぇよ!?」

 

 冷めた視線で急にぶつけられた質問に、思わずハモって叫んだ私達に、一人離れた場所で兄様が肩を震わせていました……

 

「……本当に大丈夫かよ」

 

 うぅ、少年の疑惑の視線が痛いです……

 

 

 

「しかし、なんだ。鎧無しだとなんか落ち着かないな……」

「そうだな……こんな軽装で外を歩くのは初めてだ」

 

 首を傾げている、普段の鎧を脱いで布の服に少しの皮防具だけ纏った二人。

 今回、潜入という関係上二人は装備を最低限にしか纏っていません。尤も、あくまで普段の装備よりは性能が落ちるというだけで、良質な素材をふんだんに使用された上等な装備ですが。

 私は服装こそいつも通りですが、いつもの杖は音が鳴るため、手にした杖はワンランク落ちる簡素なものです。

 

 いずれにせよ、戦闘力はだいぶ落ちています。なので戦闘は可能な限り避ける方針でいかなければいけません。

 

「それよりも、聞きたいことがある。あー……」

「名前? ハヤトだよ」

「ふむ……その響きだと、東方諸島の出か?」

「……知らない、覚えてないし」

「ああ、そういえば分からないんだったな」

 

 特に追及はせずに、流す兄様。その真偽は怪しくはありますが、言いたくなさそうな事を追及する事も無いのでしょう。

 

「ところで、君の探し人だが……あの町で薬屋を営んでいる人と言うと……東通りに店を構えているアイニさんか?」

 

 兄様の出した名前……「アイニ」というのは、ゲームの時の割と有名なNPCでした。

 時折プレイヤーにクエスト等も出してくる方でしたが、物腰が柔らかく、スタイルの良い美人でしかも優しいと、癒し系NPCとしてかなり人気投票上位に名を連ねていた筈です。

 日々の疲れに癒しを求めた人がわざわざここ辺境に入り浸っていたほどで、確かファンクラブ(専用スレッド)もあったような……

 

「……そうだけど、それがどうかしたのかよ」

「いや、聞いてみたかっただけさ、知っている人かどうか」

 

 警戒心をあらわにする彼に、肩をすくめる兄様。

 気になる事があるのか、先程から、かなり頻繁にハヤト君へ声を掛けていますが……まぁ、任せておきましょう。こういう事は兄様の方が得意ですからね。

 

 

 

 

 

 

 そうして、しばらく丘陵地帯を歩いた先の、人の往来により出来た道から僅かに外れた林の中。

 

「あった、これだ、この足跡。以前はこのあたりで薬の材料の採取をしてたから、多分間違いないと思う」

 

 ハヤト君の指さす先には、女性の物らしきやや小さめな足跡と、それよりも小さな子供位の足跡。

 雪解けのため、水気を多分に含んでぬかるんだ地面には、くっきりと足跡が残っていました。

 

「これは……確かに、女性の足だとこのくらいの大きさか。この小さな足跡はゴブリンの物に見えるな。だが……」

 

 連れ去られたとしたら、そこには違和感がありました。

 

「……争った、あるいは抵抗した形跡がありませんね……自分の足で歩いているのに」

「だな。無理やり連れ去られたってんなら、その人の足跡は無いか、あるいは抵抗してもっと乱れているはずだが…‥これは、真っ直ぐ特定の方向へ向かっている」

 

 誤解されがちですが、数が集まっていないゴブリン達は臆病でいたずら程度の悪さしかせず、中には先日出会ったホブゴブリンみたいに善良な者たちも居ます。

 最悪な事態は想定する必要はありますが、必ずしも危険な者ばかりではありません。

 

「……言われてみたら、今まで気が動転してて気が付かなかったけど……ってことは!」

「ああ、乱暴に連れていかれたわけじゃなく、もしかしたら何かしらの事情があって同行しているのかもしれないな……無事な可能性は上がったか」

「姉ちゃん……!」

 

 希望が見え、思わず駆け出そうとしたハヤト君を、兄様が捕まえます。

 

「待て、可能性が上がったというだけだ、この方向は例の魔物に占領された坑道跡、慎重に行動しろ、いいな」

「わ、分かってるって……」

 

 渋々と従った彼ですが、その歩調には焦りの色が濃く出ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――やはり、ただの子供とは思えないな。

 

 まだ気が逸っているのか、先を急ごうとするハヤトと名乗った子供。

 しかし、やはり違和感がある……歩く速度が速すぎる(・・・・)

 

 ここまで一刻程。子供では疲れも出てきていい頃にも関わらず、しかし、その歩みは、まぁ多少イリスの歩く速度に合わせているとはいえ、この小さな体で後ろにいるイリスとレイジを引き離すほど速い歩調だ。

 

 尤も、この世界の人間で、旅慣れていて歩きなれているのだとしたら別段不思議ではないのかもしれないが。

 

 ――一月前に、行き倒れている所を拾われた。

 

 時期的にはほぼ一致もしている。ここまでで、疑念が確信に変わるには十分な状況がそろっている。

 

 ……というより、既にだいぶ前から確信はしていたが。

 

「……おい、ハヤト」

「なんだよ、優男のにーちゃん」

「……お前、プレイヤー(・・・・・)だな?」

「――っ!?」

 

 目に見えて、目の前の小さな体がびくっと震えた。

 

「……な、なんで」

「まず最初に気が付いたのが、歩き方だ。武器を腰に隠し持っているな。重量軽減されていたゲームと違って、この世界では普通に重量がある……歩き方に、どうしても若干の癖が出るんだ」

 

 こいつは、丈の長いチュニックを羽織っている。隠すのは容易だろう。まだ重さに慣れていないのか、ハヤト少年の歩き方には若干の体幹のブレがあった。その違和感の元を考えれば、何かしらの武器を隠し持っていることは容易に想像がついた。

 

 それも、おそらくはただの子供には、不似合いな本格的な物だ。

 

「それと、さっきアイニさんの事を尋ねた時。一月も彼女と暮らしていて、その間一度も会ったことの無いはずの、町についたばかりの私達がその名前を知っていたことに何故疑問を持たなかった?」

「そ、それは……」

「知っていたんだろう、私達が彼女のことを知っているのは当然だと」

 

 なんせその彼女の知名度はゲームではかなり高い。私達を同じプレイヤーと認識している以上、知っていることに咄嗟に疑問を持つことは難しいだろう。躊躇ったのち、諦めたように小さく頷いた。

 

「ついでに、まだかなり若いだろう。向こうで幾つだ?」

「……そうだよ、中1だよ。ゲームを始めたのは小4の時」

 

 やはりか。ゲーム時はキャラ作成の際、あまり極端に現実の身長から離れて設定できなかった。例外は私達みたいにキャラ交換した場合だが。

 その後自分の身長に合わせ成長させるかは任意だったが、皆アバターの完成度が崩れるのを嫌い、それをした話は私の知る限りでは聞かない。

 

 この少年は、アバター作成の身長の下限ギリギリの背丈しかないため、現実の年齢も大体予想はついた。

 

「……まぁ、いきなりこんな世界に放り出されて、命を懸けて戦えって言われても難しいか」

 

 それも、小学校を出たばかりの子供に要求するには酷にも程がある。刺々しい態度も、事情を考えたら仕方ないだろう。

 

「……俺の事、弱虫だとか臆病だとか思わないのか?」

「いや、思わないな。むしろ順応できた私達の方が異端なんだろう」

 

 しかしそれも、そうせざるを得ない事情があったからだ。守るべきものがあって、我武者羅に戦いに身を投じた結果どうにか順応できた。

 ……もし、最初の町でイリス(お兄ちゃん)が何事も無く合流出来ていたら、私達もあのまま最初の町で普通に暮らしていた可能性は高い気がする。

 

「……逆に聞くけどさ。兄ちゃんたちは、何で戦えるんだ? 怖くないのかよ?」

「そうだな……怖いさ、私達も。割り切るまでだいぶ無様も晒したしな」

 

 特に、前の町でのゴブリンたちと戦った時は最悪だった。自分よりもずっと小さくなった、今は少女の胸の中で一晩中泣いたのだ、今でも思い出すと恥ずかしさに苦笑する。

 

「勿論今だって怖いさ……けど、この世界では戦わなければ守りたいものも守れない、だから必死に自分を奮い立たせて剣を取っている、それだけだ」

「兄ちゃんは大人だな……俺には、無理だよ、そんなの」

 

 悔しさをにじませたその様子に、今はそっとしておくと決めた。他者を殺す覚悟なんて、子供が持つべきじゃないから……ね。

 



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潜入開始

 

 気がついたら、一人でこの世界に居たこと。

 小学校を卒業してまだ間もない中で、突如独り放り出され、誰にも頼れず、所持金も無く、魔物や野盗から逃げ回りながら、経験の無い野宿を強いられて居たこと。

 

 そういった、こちらの世界に来てからの事が、少年……ハヤト君の口から語られました。

 

「……というわけで、俺もあんたらと同じ、プレイヤーなんだ。騙してて悪かったよ……」

 

 そうして、そんな中、体力と精神力の限界で倒れ、起き上がれなくなって居たところをアイニさんに拾われたそうです。

 

「こんな訳わからないガキを拾ってくれたアイニ姉ちゃんは大事な恩人なんだ……自分で戦うのが怖いから兄ちゃん達に頼むなんて情けないけど、お願いだ、助けて欲しい」

 

 ぐっと唇を噛んで俯いた彼。全て語り終え、気落ちする彼に、私は、思わず……

 

「大変、だったんですね……っ」

「うわっぷ!?」

 

 思わず、胸に掻き抱いていました。

 

「……ぶはっ!? 何すんだよ!? というかなんで姉ちゃんが泣いてんだよ……!」

「だって……」

 

 突然家族に庇護された環境から放り出され、どれだけ大変だったか。

 私は……今でも少し思い出すだけで震えが来るような酷い目には遭いはしたものの、すぐに頼れる友人達に保護され、信頼出来る人も増え、孤独ではありませんでした。

 

 それでも、たった半日にも満たない時間であっても独りの恐怖は未だ身に染みています。

 

 それを、若造である私の半分くらいしかまだ生きていない子が、何日も何日も強いられて過ごしていたなんて……

 

「大変だったよね……辛かったよね……」

 

 背の低い私よりもさらに低い位置に頭のある、その小さな体をもう一度そっと抱きしめると、彼はしばらくすると、微かに肩を震わせ始めました。

 

「……お姉さん、絶対、見つけて帰りましょうね」

 

 その背を軽く叩きながら、自らに言い聞かせる意味も含め呟いた言葉に、私の胸の中で彼は小さく頷きました。

 

 

 

 

 

 

 

 落ち着いた後、少年はイリスを避けるように私の側に避難して来た。

 気まずげにして頑なにそちらを見ないようにしているのを見ると、よほど女の子の胸の中で泣いてしまったのが恥ずかしかったと見える。

 

「クソ、調子狂うなぁ……なぁにーちゃん、あのねーちゃんいつもあんななのかよ、プレイヤーで有名な『姫様』っていや、もっとちゃんとプレイヤー間の距離を取ってただろ」

「あー……まぁ、あの時はあまりちやほやされて、いわゆる『姫』って言われないように警戒してたからな……」

 

 もちろん、ここで私の言う姫とは、問題あるプレイヤーの通称としての姫だ。その噂を避けるため、私達以外のプレイヤーとは特定の者とは極力公平に振る舞いつつもあまり親密になる事を避けていた。

 

 ……中身バレを避けるためでもあったけれど。今はその心配も無い……無くなってしまったが。

 自覚してるのかしていないのか、そのせいで、今回のように気を許した他者との距離感も近くなってしまっている。

 

「まぁ、お前がこっちに来て初めての年下ってのもありそうだが」

 

 現状、出会った人物全て自分を庇護対象に見ているため、逆に庇護する側の少年を余計に弟みたいに見ているのだろう……あ、ちょっとイラっとした。

 

 ……イリスは自分を20代だと思っているため、大幅に年下の少年を相手にしているつもりなのだろうが、一方で少年の精神年齢とイリスの外見年齢はほとんど差がない。さぞ少年には酷に違いない。

 

「え、あれで? マジで? 何才?」

「二十歳」

 

 私が。今は向こうが妹って事になってるし。

 

「マジかよババアじゃん……ひっ!?」

 

 余計なコメントをした小僧ににっこり微笑んでやると、急に顔を蒼褪めさせて黙り込んだ。

 はて、何故かは分からないが、これで良し。二十歳女性にババアとか言ってはいけないぞ?

 

 (何故か)そんなすっかり怯えた少年の様子に満足すると、話を続ける。

 

「今のあれは素だな……今度、説教しておかないといけないな」

「本当そうしてくれ……なんであんなに自分の見た目に無頓着なんだよ……なんか細い癖に柔らけぇし、いい匂いするし、何なんだよ本当」

 

 最後後半は独り言のつもりだろうが、残念ながら聞こえている。先程の感触を思い出しているのだろう、すっかり赤く染まった顔を逸らしてぶっきらぼうに言う少年。うんうん、純情な中学生にはさぞ毒だったろう……が。

 

 その肩に、ポンと手を置く。

 

「ああ、それと……イリスの行動にも間違いなく問題はあったが……くれぐれも、勘違いするなよ? ん?」

「……しねぇよ!? 怖ぇよなんでそんな顔がマジなんだよ! ……っ痛てぇ!? やめ、痛ぇよ!?」

 

 何やら私が手を置いた少年の肩がミシミシいっているようだが、何、気のせいだろう。

 

「手、出したら、分かってるな……?」

 

 私の言う事を理解してくれたのだろう、顔を真っ青にしてガクガクと頷く少年の様子に、満足して手を離した。これでよし。

 

「よし、じゃないです!」

「痛っ!?」

 

 突如、後頭部へ軽い衝撃。みると、いつの間にか近くに来ていたイリスが杖を構えて立っていた。

 

「全く、子供相手に何を凄んでるんですか、兄様の馬鹿」

 

 さっと少年を手の内に庇ってぷりぷりと怒っているイリスに……

 

「馬鹿……」

「子供……」

 

 私達は、それぞれ言われたことにがっくりと凹むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ここで間違いなさそうだが……」

 

 レイジさんが呟いて見下すのは、眼前に広がる、かなり開発が進んでいたのであろう、掘り進められて出来た切り立った崖に巨大な窪地。

 所々木組みの足場が設けられ、すり鉢状に掘られた窪地へ降りていけるようになっています。その外壁に点々と口を開けている採掘場。しかし……

 

「変だな……敵が見当たらねえ」

 

 その周囲には、予想していたゴブリン達の姿がまるで見当たりませんでした。周辺は、不気味なくらいに静まり返っていました。

 

「……昼間だから、まだ坑道内に徘徊してるのかもしれない。皆、気を引き締めて慎重に行くぞ」

 

 兄様が皆に釘を刺す。その場合、最悪狭い場所で交戦が避けられなくなるかもしれない。皆の顔に緊張が灯ります。

 

「ところでイリス、ここは……どうだ、『感じる』か?」

「……はい、間違いないと思います」

 

 先程から、私の頭痛は徐々に酷くなっています。間違いなくこの中のどこかに『傷』がある、そう確信する。

 

「そうか……だが、今回は見つけても後回しだ、傭兵団の皆が到着してから万全の状態で浄化する、いいな?」

「はい、何が出るか分かりませんからね……」

 

 もしかしたら、以前の町で遭遇したアレみたいな敵も居るかもしれない、そう言った場合、装備が万全の状態ではない私達では少々心もとない。

 そんな確認をしていると、先程から残っている足跡の側にしゃがみ込み集中していたハヤト君が立ち上がります。

 

「……間違いない、あの坑道の中に続いてる」

 

 ハヤト君が、採掘場を見下ろせる丘の上で足跡の追跡……彼のクラスのスキルなんだそうです……を行ってみたところ、その幾つもある坑道のうち一つを指しました。

 

『イーグルアイ』を使用し、強化した視力で確認すると、『崩落の危険、立ち入り禁止』と注意書きされ鎖と柵で封鎖されていた形跡。その封鎖はすでに破られていました。

 

「人の出入りの形跡は、確かにありますね」

「そうか……しかし私も知らない能力だが、隠密か探索者系の能力か?」

「……一応隠密系。それより早く行くんだろ」

「ああ、イリス、頼めるか?」

「はい、それじゃ……最初の合流ポイントはあの階段下で」

 

 目的地よりもまだ近く、窪地を降り切った場所に、階段を雨除けがわりに柵に仕切られ、資材置き場になっている場所がありました。そこを指定すると、魔法の準備を始めます。

 

 姿隠しと音消しの魔法。欠点は、私達にもその姿が見えなくなってしまうという点です。なので、使用前に安全そうな目標地点を決めておかなければ、最悪はぐれかねません。

 

「分かった、私が先行する、レイジ、お前はイリスを頼む」

「ああ、ここは足場が悪いからな、任せろ」

「それじゃ、お願いしますね」

 

 かなり上り下りが激しく、吊り橋のような足場が悪い場所も見受けられます。ここはお言葉に甘えましょう。

 

「ハヤト、君は……」

「あんたらの足跡なら追えるから、大丈夫。最悪自前もあるし」

「よし、では行くぞ」

「はい、『インビジブル』、それと『スニーキング』」

 

 私の詠唱が終わるたび、まずは私達の姿が見えなくなり、そして音が聞こえなくなりました。

 ひょい、と体が持ち上がったのは、レイジさんが抱きかかえたからでしょう。行ってと、多分袖のあたりをくいっと引くと、景色が流れ始めました。

 

 ……潜入任務、開始です。

 



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急襲

 

 幾度か魔法を掛け直しながら、目的の坑道をしばらく進んだ先。やや拓けた場所に出た私達は、一度皆の隠蔽(いんぺい)魔法を解除して小休止を取っていました。

 

「だいぶ進んだか……しかし、妙だな」

「妙?」

 

 (いぶか)しげにポツリと呟いた兄様に、首を傾げる。

 

「ああ……入り口の柵は腐食が激しくて、見た感じこの坑道が閉鎖されたのは相当に前っぽいんだが……綺麗過ぎる」

「綺麗、ですか?」

「そうだ、崩落注意とあった割にはあまり崩れた場所も無いし、通り道は……」

「あ……たしかに、ここまですごく歩き易かったです」

 

 まるで頻繁に人が通る為、踏み固められ、整地された道のように……私が、特に苦労しない程度には。

 

「それに、転がっている道具なんかもだな……鉄製品なんざすぐ腐食するもんだが、ここに転がってるやつは今すぐにでも使えそうなもんだ」

 

 そう言って、傍らに突き立っていたシャベルを無造作に抜き、その刃先を検分するレイジさん。

 数年単位で土に触れているにしては、地面に突き立っていたシャベルの錆はひどく薄い気がしました。

 

「考えられるとしたら、表の閉鎖はダミーで、実はまだこの中の開発は進んでいたかだが……まぁ、ここで考えていてもしょうがない、はやく進もう」

「はい、それでは……」

 

 再度、『インビジブル』を唱えようとした、その時。

 

 ドォォオオン! と、何かが爆破された様な轟音が坑道を揺らし、今まさに進もうとした道の壁が土煙と共に吹き飛んだ。

 

「なっ!?」

「敵襲!? バカな、見つかった!? それも壁越しに!?」

 

 咄嗟に構えた二人、その眼前の壁から、ぬっと二メートルは優に越えようかという巨大な人影が姿を現した。

 

 

 

 

 

 ――ゲーム時代のエネミーの感知方式は4タイプ、視力、聴力、それに霊体等に多い生体……そして

 

「魔法感知だと…!?」

「そんな、トロール族が!?」

 

 ――魔法感知。魔法発動時の魔力の揺れに反応し、襲ってくるタイプです。

 

 しかし、生物は基本的に視力と聴力であって、魔力感知は主に魔導機械系の物なはずでした!

 

「ってもバレた以上仕方ねえだろ、隙を見て逃げるぞ!!」

「あ、ああ、悪い!」

 

 真っ先に立ち直ったレイジさんに叱咤され兄様が前線へ飛び出す。一方、私の背後から悲鳴が上がった。

 

「ひっ、あっ……うわぁああ!?」

 

 ハヤト君が、自身の姿を隠す何らかの手段を使い、視界の隅から消えたのを確認しますが、それで良い、薄情なようですが、先に逃げて貰った方が都合が良いです。

 

「二人とも! 支援、フルでいきますよ!」

 

 背中に光翼を展開し、洞窟内が明るく照らされる。矢継ぎ早に魔法を唱えるたび、各種支援魔法の色とりどりの光に二人が包まれる。

 

 何せこの敵は……以前町で戦った「ヤツ」と同類だと、そう激しい頭痛が伝えていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――逃げた。

 

 ――また、逃げた。

 

 ――気がついたら、皆を置いて一目散に逃げ出した。

 

 向こうでは、まだ兄ちゃんたちが、戦ってるのに。自分と身長はさほど変わらない、いや、体格的には自分以下な姫様の姉ちゃんですら。

 

(何やってんだ、何やってんだよ、俺……!)

 

 だっせぇ、あまりにもカッコ悪い。

 兄ちゃんたちに、アイニ姉ちゃんを助けてって言って、無関係の兄ちゃんたちを連れてきたのは俺なのに、なんで自分だけ逃げてるんだよ、俺……!

 

 ゲームの時は、小学生ってバレるだけで、一部の周囲の目が変わった。態度が直に滲み出るVRMMOでは、その事が嫌でもよく分かった。

 何もしていないのに、迷惑プレイヤーと勝手に決めつけてくる目。

 あの侮った目、侮蔑(ぶべつ)の目、面倒な物を見つけたという目。目。目。目。粗探しをし、ミスを探し、何か見つけるとやっぱりなとでも言いたげに鬼の首を取ったように勝ち誇ってくる目。

 

 そんな目が大嫌いだった。子供というだけで、自分よりも結果を出せていなかった奴らが馬鹿にした目で見て来る。だから、負けたくなくて、必死に腕を磨き、レベルを上げ、効率を追求し、負けるものかと肩肘を張ってプレイして来た。

 

 技術面では目に見えての中傷はすっかり減ったが、しかし、今度は自己中年少プレイヤーとして有名になっていった。上等だと思った。ガキだからとこき下ろす事で自分達の方が上だと、年下に負けた事実から目を逸らすだっせぇ大人なんてどうでもいい。

 

 その事実を明確に突きつけられる形で、お前らはそんな子供に『このクラス』を掻っ攫われたんだからと。

 

 

 

 

 

 

 ――だけど、ゲームでどれだけうまく出来ても、それが、現実になってしまえばどうだった?

 

 見知らぬ他人には声を掛けれず、一人で買い物も出来ず、戦いになれば足が竦んで動けない。あげく、大事な人を助けに行く勇気も持てない。

 

 結局、お前は安全が保障された箱庭で粋がっていただけの子供だと、そう突きつけられた気がした。

 

 ――なんだ、やっぱりガキはダメだな……と。

 

 ――また、いつものように。

 

 

 

 

 

 ……悔しい。

 

 …………悔しい!

 

「くそ、クソっ、クソお!? 俺だって、俺だってぇ!?」

 

 何のためにレベルを上げたんだ。

 何のために人を蹴落として今のクラスを手に入れたんだ。

 上着に隠した武器の柄に触れる。これだって、子供の玩具(おもちゃ)なんかじゃない。れっきとした業物なんだ。

 

 襲撃された町で、兵士達の危機に颯爽(さっそう)と現れて瞬く間に敵を斬り伏せた赤毛の方の兄ちゃんを物陰から覗いていた。まるでゲームの主人公のようで、格好良かった。

 俺もああなりたかった。

 漫画やゲームの主人公に憧れ、何度も夢に見たはずなんだ。

 

 ――やってやる……

 

 ――俺だって、やってやる……っ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ、こいつ、一撃がとんでもなく重い!」

 

 二人がかりで必死に攻撃をいなすレイジさんとソール兄様。逸れた拳や脚が坑道の壁や地面を打つたび、ズズンと不吉な震度が走る……このまま交戦を続けていたら、持たない!

 

「チャフ、使います!」

「任せた!」

 

 念のため、鞄に一個忍ばせていた筒に手を伸ばす。

 

 ――魔力撹乱幕弾(まりょくかくらんまくだん)。プレイヤー間の通称『チャフグレ』。閃光と魔力を帯びた砕片を撒き散らし、特に魔法感知の敵を一時行動不能にする離脱用アイテム。

 

 その上部のピンを抜き、敵の頭上目掛け投げつける。

 

「目、注意!」

 

 叫ぶと同時、自分の目を庇う。きっと伝わったはずと信じます!

 

 瞬間、(つぶ)った(まぶた)の裏からでも感じる光が空間を満たします。

 

 三秒待って目を開けると、虹色にデタラメに輝く無数の砕片(さいへん)が舞い降りる中、敵のトロールが目を押さえて(もだ)えていました。

 

「よし、逃げ……」

 

 兄様が撤退を指示しようとした、その瞬間。

 

「うわああぁぁぁあああ!?」

「なっ!? 馬鹿、ハヤト、止めろ!!」

 

 兄様たちと敵を挟んで向かい合う位置に陣取った私の眼前、敵の背後に、霞が形を成すように姿を現したハヤト君が、半ば狂乱の様相で隠し持っていた武器……小太刀を振り下ろす。

 

 閃光としか認識できなかった、その軌跡。

 

 絶好のタイミング、十二分に気合いの乗ったその会心の一振りは、トロールの強靭なはずの筋肉を、頑強なはずの背骨を抵抗すら許さず断ち斬り、一拍置いて、真っ赤な鮮血が周囲の壁を真っ赤に染め上げました。

 

 ――隠密系、二次職アサシンのスキル『アサシネイト』

 

 自身が認識されていない相手に、全物理職中最高クラスの倍率を誇る威力の攻撃を叩きこむ、職の花形スキルだけど……今は!

 

「は、はは……や、やった、やったぜ! なんだ、やっぱり大した事ないじゃん……!」

 

 自分の攻撃の効果を確認し、確実に仕留めたという手ごたえを感じて喜声を上げるハヤト君の眼前で、背筋と脊椎を絶たれ巨体を支える事が出来なくなったトロールの上半身がゆっくりと傾いで行く。頭からの信号の消失した脚が、膝が崩れ、重量に引かれ倒れて行きます。

 

 一太刀で完全に命脈(めいみゃく)を絶った。間違いなく、そう、私達ですら、これでもう大丈夫と安堵しそうになるほどに最高の『アサシネイト』だったのです。

 

 

 

 

 

 

 ――敵が、真っ当な生き物でさえあったならば。

 

 

 

 

 

 

 その足が、ズン、と大地を再度踏みしめました。

 

「……………………え?」

 

 呆然とするハヤト君の眼前で、傷口からバキバキと「あの結晶体」が生えていき、瞬く間に傷を埋め(ふさ)ぐと、まるでブレストアーマーのように巨体の上半身を覆って行きます。

 

「う……あ……ひっ!?」

 

 敵の視線が、自分に痛手を負わせた小さな影……ハヤト君を睨みつけたままゆっくりとこちらへ振り返って来ます……だめ、タゲが跳ねた!

 

「 『チェーンバインド』!……ダメか!? 逃げろ!!」

 

 トロールの全身に兄様の魔法の鎖が絡みつくも、意にすら介さず引き千切ってハヤト君に向かって行く。

 普段のタンク装備ではない兄様のスキルは十分な効果を発揮できず、この中で最も大きな手傷を負わされた事で、敵から最大の脅威と認識されたハヤト君から怒りに血走った眼は離れません。

 

 想像を超えた出来事に固まる彼目掛け、胴体同様、ガントレットのように結晶体に覆われた拳が振り上げられて行くのが、スローモーションのように見えました。

 

 そんなゆっくりと流れていく時間の中、衝動的に、手が届く範囲内にあったその硬直した小さな身体をぐっと引き、自分の背後へと引き倒します。

 

「姉ちゃん!?」

 

 尻餅をついた姿勢で驚愕に見開かれたハヤト君の目。しかし、眼前に迫ってくる、敵の拳。引き伸ばされた時間の中、まともに当たれば致命的なそれを、どこか冷静な心持ちで眺めていました。

 

 ――大丈夫、私の装備なら、一回(・・)は耐えられる。

 

 次の瞬間訪れるであろう衝撃に備えて、ぎゅと目をつぶって頭を庇います。

 

「がぁっ!?」

 

 予想した衝撃は来ず、代わりにレイジさんの呻き声と、剣戟の音。

 恐る恐る目を開けると、そこにはいつもの背中が立ちふさがって居ました。

 

「やると思ったぜ、こ……っの馬鹿野郎が!!」

 

 再度振り上げられた敵の拳に、危険な輝きが宿る。咄嗟に、我武者羅(がむしゃら)に防護魔法を唱える。

 

「『ワイドプロテクション』!!」

 

 背中に、ばさりと翼の開く感触。周辺に魔法が行き渡り、私達の身体が防護膜を(まと)います。

 

「おおおぉぉぉあ!?」

 

 ギャリギャリと、防護膜を削られながらも、レイジさんがその攻撃を辛うじて受け流す。パキンと、危険な音が聞こえました。

 

「っ、『プロテクション』!!」

 

 咄嗟(とっさ)にレイジさんに守護を飛ばすと同時、古い方のプロテクションが砕け散ります、が、ギリギリで間に合った新しい壁が、ついにその一撃を受け流し切りました。

 

 ズズン、と、何かが爆発したような衝撃と振動。坑道全てが揺さぶられたような衝撃に、足元にビシビシと亀裂が走り、ふっと足元の支えが消え失せる……崩落する!?

 

「レイジさん!?」

 

 瞬く間に足元の分厚かったはずの岩盤は崩落し、完全に崩れて巨大な穴が口を開けた。底の見えない真っ暗な口を。

 慌てて羽根を広げ、体勢を立て直した時には崩落の中心点にいたレイジさんは、すでに大分下まで落ちてしまっていました。

 

 ――このまま落下したら、落下速度をどうする事も出来ないレイジさんは、確実に死ぬ。

 

 気が付いた時には既に、必死に彼の下へ飛んでいた。崩落した坑道の破片が降りしきる中、私は何故かゆっくり流れていく空間を、身体が勝手に動いているという錯覚をふと覚えました。

 周囲を冷静に俯瞰(ふかん)している自分と、その情報を元に必死に身体を動かす自分がいる不可思議な感覚。

 

 今まで練習はしていたものの、まだまともに飛んではいなかったはずの身体が、降りしきる破片をかいくぐり、一筋の雷光のようにみるみる落下中のレイジさんに追いすがっていきます。

 

「バカ、戻れ危険だ!」

 

 ただ落ちることしかできないのに、なんでこんな時まで格好つけているんだ、こいつは。知ったことか、無我夢中で背中の光翼を羽ばたかせ、必死にレイジに手を伸ばす。

 

「いいからっ! はやく掴まれ、レイジぃ!!」

 

 どこか夢現(ゆめうつつ)な気分の中で叫ぶ。

 何故か驚愕の色を浮かべたレイジさんが、思わずといった感じで私の手を握るのと同時、その手を両手で握りしめ、翼を羽ばたかせて落下速度を落とす。

 

「あっ……ぎっ……!?」

 

 ――凄まじい負荷が両肩にかかり、右肩からガコッと嫌な衝撃。一瞬で、現実感が帰ってきました。

 

「おい、イリス、もう十分だ!俺は何とかする、もうやめ……」

「嫌です!! 絶対、絶対に……! 離しませんからね……っ!?」

 

 脂汗がぼたぼたと顔を伝います。掠れた声が喉から漏れ、ボロボロと涙が流れる。今はアドレナリン過多なせいか痛みはそれほど感じませんが、細かく身体は震え、まともな状態ではないと危険な信号を発しています。だけど、この手だけは……!

 

「……っ、このまま、下に降ります……!」

 

 私の力では、レイジさん一人を持ち上げる力はありません。上に残された二人は心配ですが、無事を信じて歯を食いしばり、落下速度を抑えようと羽ばたきます。

 

「……おい、上!?」

 

 不意に、レイジさんの鋭い叱責の声。半ば朦朧(もうろう)とした意識で、何が、と上を仰ぎ見ようとした次の瞬間――

 

「……あぐっ!?」

 

 激しい衝撃に頭を撃ち抜かれ……全身から力が……意識が……闇に、飲まれ……

 

「イリス!? しっかりしろ! おいっ!? ……っ! ……っ!?」

 

 次第に何も聞こえなくなって行く。背筋の凍るような浮遊感の中、何かに包まれたような感触を最後に、完全に闇へと意識が沈んで行きました――……

 



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落ちた地の底で

 

「……――い、……きろ、おい!」

 

 ぺちぺちと、弱く頬を叩く感触に、ゆっくりと意識が浮上し始める。

 

(……寒い)

 

 全身の濡れた布が貼りつく感触が気持ち悪く、体温と共に体力まで刻一刻と奪われていくような感覚。

 

(……あれ、何、してたんだっけ……?)

 

 寒さでなかなか意識がまとまらない。それでも、記憶を辿るのに集中していると、徐々に直前のことが脳裏に浮かんできた。

 

 不意の遭遇戦。

 

 その最中に、足場が崩れ、落ちていったレイジさんを追って崩落の中に飛び込んで……

 

 頭に、衝撃を受けて、意識が暗転して…………!?

 

「――レイジさん!?」

 

 一瞬で曖昧だった意識が覚醒した。がばっと跳ね起きて――

 

「……い゛っ、あっ……っ!」

「馬鹿、無理して急に動くな!」

 

 体を動かし起き上がろうとした瞬間、感覚が失せていた右腕……その右肩から、脳髄まで貫くような鋭い痛みが走る。視界が明滅し、脂汗が額を伝う、そんな中、レイジさんにそっと、壊れ物を扱うような慎重な手付きで自分の膝に横たえ直させられました。

 

 心配そうに見下ろす彼の顔に、ひとまず安堵の息を吐く……良かった、二人とも、生きていた。

 

「……右肩は脱臼、それと筋断裂も多分。一応鞄に三角巾があったから腕の固定は済ませたが……馬鹿野郎、無茶しやがって」

「……レイジさんがそれを言いますか」

 

 じくじくとした痛みを耐えながら、ついつい口を尖らせ拗ねたように反論します。自覚はあったらしく、さっと顔を逸らされました。

 

「『やると思った』? そう言って割り込んできたあなたは、耐えきれる確証があって割り込んだんですか? 一人であの高さから落ちて、どう助かる気だったんですか? 『戻れ、危険だ』? 戻ったら、レイジさんはどうやって助かる見込みがあったんですか……っ!」

 

 いつもいつも、人には無茶をするなと言う癖に自分の安全は度外視する。人の事ばかりで、自分のことは棚に上げてばかり。いい加減イライラが溜まっていたらしく、つい攻撃的な口調になってしまった事に、言い終わってから途端に後悔が胸を覆っていく。

 

「今回はある程度速度が落ちた上で、下が水だったから辛うじて無事だったですよね?」

 

 私もレイジさんも全身くまなくずぶ濡れで、落下地点がたまたま深い水溜まりであったことを如実に物語っていました。視線をずらしてみると、すぐ目の間に、元の世界で一度だけ見た事のある鍾乳洞の地底湖のような光景が広がっていました。

 

「……それは……そうだな、悪かった」

 

 しゅん、と頭を下げたレイジさんに、罪悪感で怒りが急速に冷めていきました。

 

「……いえ、私の方こそ冷静さを欠いていました。ごめんなさい……それと、ありがとうございます……上での戦闘中も、こちらでも」

 

 それに、今までも……さすがに、その言葉は恥ずかしかったので飲み込みましたが。

 

「ですが、どうやって助かったんですか?」

 

 私が意識を失った時点で、まだかなりの高さはあったはず。意識を失う直前まで地面は闇の中で全く見えず、そのまま落下したとしたら、たとえ水溜まりの中に落ちたとしても、『プロテクション』込みでもただでは済まなかったはず。

 

「ああ、それは……」

 

 

 

 ――聞けば、あの後、私が意識を失った後。

 

 

 

 上から落下して来た瓦礫(がれき)に頭を撃たれた私ですが、私の着ている「クラルテアイリス」のエンチャントである、リアクティブシールドが展開したのを見たレイジさんは、そんな私を抱えてたまたま落ちてきた大きな瓦礫を足場に壁に跳び、剣を壁面に突き立ててそれをブレーキにして減速、下降。下の方に水溜まりが見えたから、そちらへ壁を蹴って跳んで着水し……そしてどうにか陸地に私を担ぎ上げ、今に至るのだそうで。

 

 その水溜りも、こうして落ち着いて眺めれば澄んだ真水ですが、落下中は当然そのような所まで考える余裕は無く、十分な深さがあるかどうか、あるいはもし普通の水では無かったら、そういう諸々全て一か八かの勝負だったそうで……

 

「……なんというか、びっくりする程に紙一重でしたね……」

 

 幸運に幸運を重ねた結果、助かったに過ぎませんでした。

 

 そもそも最初に岩に撃たれた段階で既に、普通であれは絶望的です。この服は、たしかに私の事を守り抜いてくれたらしいです。でなければ、現在こうして話している事も出来なかったに違いありません。

 

 ……ありがとうございます、ミリィさん。

 

 この服を作ってくれた、この場に居ない彼女に、内心で礼を言います。

 

「ああ、全くだ……自分で改めて言葉にして、今になって震えが来るぜ……普段遣いの剣も駄目にしちまったしな……」

 

 (かたわ)らを指差した先を追うと、見慣れたレイジさんの剣が、中程(なかほど)から折れて転がっていました。その半身も、刃は潰れ、(ひび)だらけでした。

 

「と言っても、上であの敵の攻撃を受けた時点でもう折れかけた感触は有ったけどな……それでも、最後までどうにか、俺とお前を守ってくれたよ……ありがとうな、相棒」

 

 こっちに来てからずっと使って来た剣に、愛着も湧いていたのか、少し寂しげに、剣に別れを告げるレイジさん。

 

「……とはいえ、全身びしょ濡れだし、身体も冷えてる。その肩を()め直すのは、どこか火を使って大丈夫な所に出てからだな」

「ここじゃ駄目なんですか?」

「……鉱山の奥だからな、火を付けた途端にドカン、は洒落にならないだろ。一応空気は入り込んでるみたいだから、中毒の方は大丈夫だろうが」

 

 それは、確かにゾッとしません。

 

「飛んで、元の場所へ戻るのは……」

 

 私が再度レイジさんを引き上げるなり、上にいるはずの兄様を呼んでくるなりしたら……そう思いましたが、レイジさんが首を振ります。

 

「あー……多分、それは無理だな……」

 

 そのレイジさんが上を指差す。その先には……

 

「うわ……ぁ。凄い、綺麗……」

 

 想定外の絶景が広がっていました。

 

 先程から、(あか)りが無くてもなんとかなっていたわけです。暗闇の中、よく目を凝らすと、天井一面、よく見たら床も、うっすらと蒼く発光した何かに覆われていました。

 

 きらきらと蒼く照らされ、幻想的な光景は、さながら、満天の夜空を見上げているかのような。

 

「……まるで、星空の中に浮かんでいるみたい。これは、この光は……?」

「……魔消石(ましょうせき)だ、多分その原石」

「……っ!?」

 

 以前、町で行商人の扱っていたのをうっかり触れたのを思い出しす。周囲の光、その全てがあの石……?

 

「イリス、魔法は使えるか?」

「えっと……『ライト』」

 

 最初級の、光で照らし出す魔法を唱えてみます……うんともすんとも言いませんでした。それどころか、全身に流れている筈の魔力の流れすら微塵も感じ取れませんでした。

 

「駄目みたいです……羽根も、出せそうにありません……」

「……だな、やっぱり無理か……となると、歩いて行かないと駄目、なんだが……」

 

 言葉を濁すレイジさん。そういえば、先程から私を膝枕した姿勢のまま、動こうとしていませんが、まさか……

 

「……もしかして、レイジさんも怪我を?」

「……ああ、落下した際に水面に叩きつけられた左側が、ちょっとな」

 

 言われてみると、レイジさんの左腕は、だらんと垂れたまま、先程から動かしていませんでした……言葉を(にご)していましたが、私を(かば)ったために、受け身も取れずに叩きつけられたことは想像に(かた)くありません。

 

「……多分折れてはいないんだが、罅くらいは入ってるな、これは……足はまだマシだが、多分足首を捻ってる……どうにか、お前を支えながらゆっくり歩くくらいなら、何とかいけそうだが」

「……ごめんなさい、こんな状況でお役に立てなくて」

「……あー、まぁ、生きていただけ儲け物だろ……助けに来てくれて、ありがとな」

 

 ニカッと笑う彼に、ようやくぎこちない笑みを返す事が精一杯でした。

 

 ……そういえば、落下中に何か不思議な感覚があったような気がしました。まるで自分の体を誰かが動かしているのを、外から俯瞰(ふかん)して見ているかのような……あるいは、必死に体を動かす中、外から誰かが見た光景を自分が見ているかのように感じていたような、不思議な感覚。

 

 あれは一体……夢の中の出来事のような曖昧な記憶で、拾い上げようとしてもうまくまとまらない。どうにか思い出そうとしていると。

 

「……さて、いつまでも景色に見とれているわけにもいかないな、そろそろ……」

 

 そういって、レイジさんが立ち上がり、私に手を差し伸べました。そうだった、とりあえず助かりはしたものの、現状はかなり切迫している事には変わりはありませんでした。

 

「……そうですね、上に残った兄様とハヤト君も心配ですし」

「まぁ、向こうはソールも居るし……あいつなら、そつなく逃れてると……信じよう。な?」

「はい……そうですね、早く戻って安心させないと」

 

 不安に覆われそうな心を叱咤し、その手を掴み、力の入らない下肢をどうにか起こそうとなけなしの力を込めたその時――

 

 

 

 ……――かしゃん

 

 

 

 ――遠くから、金属製の鉄靴(グリーブ)を纏ったかのような、足音が聞こえました。ぎくりと、緊張に固まる私たち二人。

 

「……静かに、今確かに足音がした……甲冑を着ているな、金属音がする」

「兄様では……ありませんね」

 

 今は、金属鎧は置いてきていますので、必然的に知らない誰か……あるいは何か、という事。私達は二人ともまともに戦闘できる状態ではなく、緊張が走ります。

 

 ――かしゃん、かしゃん、と確実にこちらに接近してくる足音。迷いない足取りは、おそらくこちらを捕捉済みです。

 

 レイジさんが、腰ベルトに括り付けていた短刀に手を伸ばす。

 

「そこでじっとしていろ、大丈夫だ……お前は、俺が絶対守る」

 

 レイジさんが、つっ、と、額から冷や汗を垂らしながら、ぎこちない動きで……相当、脚の状態が良くなさそう……私を背後に庇った。立ち上がる事も、魔法を使うこともできない今、私にできることは何もない。悔しさに、唇を噛む。

 そんな私を嘲笑うかのように、闇の中からとうとうソレが姿を現しました。

 

 暗がりから現れたのは、全身鎧を纏った……しかし、人にしては身長の小さな……

 

「くそっ! ゴブリンか……っ!」

 

 ぎりっと歯を食いしばった気配。レイジさんにとっては普段ならば恐れるに足らない相手でも、脚が封じられ、武器も失っている今では……っ

 

 そんな、全身鎧のゴブリンが、ゆっくりと手を動かす。

 

 

 

 

 

 ――両手を、上に。敵意は無いとアピールするように。

 

 

 

 

 

「――え?」

「――は?」

 

 予想外の行動に固まっている私達の前で、その鎧のゴブリンが兜の面頬を上げ……その顔は、間違いなくゴブリンのものでした……口を開き――

 

「驚カセテスマナイ、コチラニ敵意ハナイ、落チ着イテ話ヲ聞イテホシイ」

 

 不意に耳に飛び込んできたのは、若干片言ながら、どこかダンディとも言えなくもないバリトンの声。予想外の出来事に脳が理解を拒む。数秒後、じわじわと事態を把握してきた頭が、ようやく動き出す。

 

「しゃ……」

 

 自然と、私たちの喉の奥から、声が漏れました。

 

「「喋ったぁぁぁああああっ!?」」

 

 ――否、絶叫が漏れました。

 



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地下で蠢くモノ

 

 坑道の崩落にイリスとレイジの二人が巻き込まれる中、辛うじてハヤトを回収した私は、運良く……と言って良いものか、その崩落した瓦礫によってあの敵と分断され、難を逃れていた。

 

 だけど……来た道は埋まってしまい戻る事もできず、二人の安否も確認できない。そんな中、かすかに感じた空気の流れを希望に、二人の捜索と出口の探索を行っていた。

 

 ……ハヤト少年はまだ立ち直れていない。声を殺しながらも、いまだに涙を流しながらついて来ていた。

 

 

 

 ――当然、言いたい事はある。だけど、それを押し殺し、慰めるようにその頭に手を置いた。

 

 

 

「……気にするな。アレのような存在をお前と情報共有していなかった私達にも非はある。お前は、自分のできる範囲で最善の事をしようとしただけで、事実さっきの一撃は最高のタイミングだったのも疑いようは無い……『普通』の敵だったら、だけどな」

 

 そうだ、今回の件は、情報共有を怠った私達にも責任がある。以前に奴のような相手と交戦経験のあった私達と違い、こいつは、その存在すら知らなかったのだから。

 

「でも……っ!」

 

 だが、良かれと思って起こした行動が今の窮地を招いたという事実を、仕方がなかったと済ませられる程……こいつも、私も、成熟してはいない。

 

「本当は、兄ちゃんも思ってるんだろ!? お前のせいた、お前が悪いって!! だったら、そう言ってくれた方がずっと……っ!!」

 

 ――図星を突かれ、一瞬で頭に血が上った。気がついたら、その胸倉を掴み、壁に叩きつけていた。

 

「……そうだ……と、言って欲しいのか、お前」

「がっ……は……っ」

 

 ……自分でも、驚く程に冷たい声が出た。ギリギリと締め上げられた事で、呼吸を塞がれハヤトが苦しげな呻きを上げる。

 

「なら、お前のせいだ、お前が余計なことをしたからあの二人が崩落に巻き込まれたのだと、そう責められれば満足か……っ!?」

 

 私は聖人君子には程遠いという自覚はある。お前が悪い……内心、そう思っているに決まっている。

 どれだけ表面を取り作っても、胸の奥深くには、イリスとレイジが崩落に巻き込まれて落下した原因であるこいつに、恨み言くらいは当然渦巻いている。

 

 ……一時の情に絆されて、戦えない子供をこんな場所まで連れて来るべきではなかった。世話になった人が心配だからという子供に同情し、好きにさせた結果がこのザマだと。

 

 

 

 ――だが、そんな結果論で人を責めた所で、何の役にも立ちはしない。

 

 

 

 胸倉を掴まれ、睨みつけられて怯えた目をしたその少年の様子に、あっという間に頭に上っていた血が冷めた。怒りはすぐに罪悪感に変化していく。

 

「……馬鹿馬鹿しい、そんな無駄な事に労力を使うくらいなら、二人を探しに行った方がずっと良い。さっさと歩け」

 

 掴んだ襟を離し、突き飛ばす。これ以上やっていると、本当に取り返しのつかない所まで責めてしまいそうだ。

 

 分かっている、こいつの言っている事は。私も内心恨みがましく思っている。しかし、それを認めてしまえば、私は私をまた許せなくなる。

 

 ふぅ、と、一つため息をついて気を落ち着かせる。

 

「……お前は、私達の役に立ちたくて戻って来たのだろう? だったら、結果こそこうなったけど……ありがとう、な?」

「……うん」

 

 踵を返して歩きだすと、背後から慌てて立ち上がり、涙を拭ってついてくる気配を感じた。横目でチラっと見ると、目を赤く腫らしながらも、唇を噛んでこれ以上泣くまいとしているのが見えた。

 

 ……臆病ではあるが、やはり男の子だ。弱くは無いみたいねと思い、ふっと笑いが漏れた。

 

 ――そう、こんな状況だというのに、笑う余裕が何故かあったのだ。

 

「……それに」

 

 ハヤトが追いついた時、ポツリと呟きが口から漏れた。

 

「……それに、何だ、兄ちゃん?」

「……いや、何でもない」

 

 自分でも良く分からないのだ。私は……二人が生きていると、何故か確信している。

 

 あるいは心が折れない為の現実逃避であって、錯覚なのかもしれない。だがしかし、なぜか微塵も二人の生存を疑っていない。

 それどころか、おぼろげながら、おおよそどの方向に居るのかさえ何となく分かる気がするのだ。

 

(……まさか、ゲーム時代のパーティシステムの名残……か?)

 

 ゲーム時のシステムは完全に消えてしまっている。それは間違いなく初日に確認済みだ。

 しかし、システムは無くても、まるでパーティを結成しているかのように、もしかしたらその繋がりは残っているのかもしれない。

 

 今更ながら湧き上がるその疑問に、答えをくれる者は、当然ながらどこにも存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひらすら奥へ。探索を再開して既に半刻が経過し、だいぶ下へ潜ってきた頃。

 

「……こいつは」

「……なぁ、何だよこれ、やばくないか?」

 

 私達が今居るのは、元々巨大な地下空洞だったらしい切り立った崖の中ほどに伝う、人工的に整地されたらしき細い道のような場所の上。

 どうにか通行可能そうだと恐る恐る進んでいく中で、眼下の空間が仄かに明滅している事に疑問を感じ、目を凝らした先。

 

 そこに広がっていた光景は……

 

「……ゴブリン……には見えないな、あれはもう」

 

 おそらく別の坑道を潜った先であろう、眼下の広い空間。そこを埋め尽くしていた光っていた無数の影。

 

 細かな結晶にところどころ覆われ、まるで眠ったようにじっと蹲っていたのは、遠目からでも明らかにシルエットのおかしい、ゴブリンのようなサイズの何かだった。その数100は優に超えるであろう、無数の影だ。

 

 元は曲がりなりにも『亜人』と呼ばれ、異形ながらも人の形をしていたはずの彼等は、身体の所々が瘤のように膨れ上がり、中には四肢が増えているように見える者さえ居る。

 すでに人型すら保てていないそれは、もはや怪物(クリーチャー)と呼ぶべき物に成り果てていた。

 

「……なるほど、道中で全く遭遇しなかったわけだ」

 

 声が震えた。嫌な汗が顔を伝う。

 

 幸い、動き出す様子はない。今は見つかっていないからなのか、それとも本当に眠っているのか……あるいは、あれはまだ変化途中の(さなぎ)なのか。

 

「……まずいな、もし、あれが町に全て攻めてきたら、果たして今度は守り切れるかどうか……」

「兄ちゃん達でも無理、なのか?」

「……あとから、私達が世話になっている傭兵団の皆が来るから、合流すればまだ可能性は……いや、いくらなんでもこの数は抑えきれない……」

 

 そして、その場合無事に終われる確証も無い。間違いなく団員にも大量に被害が出る。

 

 

 

 ――この全てが、以前戦った奴のように、結晶に強化されているのだとしたら。

 

 

 その危険性は、身をもって熟知している。それが、下手をすればこの前のゴブリンジェネラル討伐戦の時並みの数が居るのだ。

 

 それは、もはやレイドボスどころではない。大規模戦闘……『レギオンレイド 』か。あるいは、小規模な戦争だ。

 

 以前のあの時はこちらの方が個々の戦闘力は上だったが、今回はむしろ分が悪い……例え町の全戦力を動員できても、到底足りない。

 ならば軍……それこそ、領主に掛け合って私兵でも投入しなければ。だが、今から呼びに行って、事情を説明して、助力を願って、準備を待って連れてきて……はたして、そんな悠長なことをしていて間に合うのか……?

 

 ――無理だ。どう考えても時間が足りない。大部隊を動かすのであれば、然るべき事情と、相応の準備期間が必要だ。

 

「……駄目だ、勝てる目が思い浮かばない、最悪、町を捨てるのも視野に入れないといけない……」

「……そんなに、やばいのか……あれ」

 

 呆然と眼下を見下ろすハヤト。あの町は、こいつにとってはひと月もの間お世話になった場所だ。それが、町を捨てなければいけないほどの窮地だと聞いて、心境はいかほどのものか。

 

 何か声をかけようとして、しかしなんと言えばよいのか分からず、言葉を飲み込んだその時。

 

「……あの、もし……?」

「――っ!? 誰だ……!」

 

 完全に眼下の状況に気を取られていて、注意力が落ちていた所に背後から突如かけられた声に、心臓が止まるかと思うほど驚いた、が、辛うじて声を押し殺せた。

 

 慌てて振り返った視線の先には……

 

「驚かせて申し訳ありません、私……」

「……姉ちゃん!?」

 

 ハヤトが、抑えた声で驚く。

 

 視線の先に居たのは、20代前半くらいの、ゆるく編んで一本にまとめた長く豊かな金髪を、肩から流して身体の前へ垂らした女性だった。

 

 おそらく聞いたもの皆美人と答えるであろう、華やかに整った顔を柔和に緩め、淑やかに微笑んでいる。

 緑を基調にした、まるでドレスのようなレースをふんだんに使用したローブの上に、華美になりすぎない程度に刺繍による装飾が施されたケープを羽織ったその姿……まるで某錬金術師のゲームの住人のような出で立ち。

 

 ……そういえば、薬屋なのも相俟って、NPC掲示板ではよく「~のアトリエ」とか揶揄されていたな……となんと無しにぼんやりと考える。

 

(何か、すごい敗北感が……)

 

 私達の使っているアバターは、自分達で好きなだけカスタマイズできたのだから……アバター制作に費やした努力と情熱次第とはいえ……私やイリスが類稀な美形なのはある意味当然だと言える。

 

 だかしかし、目の前のこの人はこの世界の住人。ゆえにこの容姿全て天然物だと言うのが信じられない。

 

 ……私も、元の世界じゃかなりの美少女だって自負はあったんだけどなぁ。何あのメロン。腰は細いし足長っ。スタイル良すぎでしょ。

 

 そんな内心の葛藤? などお構い無しに、目の前の彼女は、嬉しそうにほわっと表情を緩め、両手を合わせて話しかけて来る。

 

「……ああ、良かった。あなたも、ハヤト君も無事だったのね」

 

 心底ほっとしたように、私達の顔、それに怪我の有無をそれぞれ確かめて深く息を吐く彼女。

 ちらっと横目でハヤトを確認すると、何やら照れてそっぽを向いている……まあ、年上の女性に憧れる年頃であろう少年には、さぞ毒に違いないだろ、こんなお姉さん、と心底同情する。

 

「……あの、あなたは、ハヤトのことはともかく、私のことまでご存じなのですか?」

「ええ、その事もお話ししないといけませんが……ここは少々場所が悪いです、まずは他の皆と合流できるところまで移動しましょう。ついて来てください」

 

 そう言って踵を返し、足音を殺して移動を始めた彼女……ハヤトも姉ちゃんと呼んでいたし、ゲーム時代の外見とも合致する。私達の探し人であった、アイニさんに相違ないだろう。

 

 そして、彼女は「他の皆」と言った。普通に考えたらはぐれたイリスとレイジだ。

 

 ……そうか、無事だったのか。

 

 確証を得られた事で、安堵の息をつく。であれば、着いていくしか選択肢はない。

 

「あ、ガンツさん? ……はい……はい。二人とも、無事見つけました、いまから……はい、それでは」

 

 先を行くかのは、耳に手を当て、何者かと会話しながら進んでいる。おそらく『通話のピアス』という遠方の者と会話するための魔道具だ。

 

 ゲーム時代はそれぞれの町でレンタルでき、秘密の連絡を取りたい際によく使用されたが、現実となったこの世界ではそのような店は存在していなかった。

 

 商隊と行動を共にしている時に、その有用性から真っ先に、どうにか用立てて貰えないか相談を持ちかけたが、芳しい返事は貰えなかった。市場に出回っている様子も無かったそれを有している彼女は、一体……

 

「よかった、無事だったのか、姉ちゃん……だけど、あの様子って」

「ああ……どうやら、無理に連れてこられたわけじゃなさそうだな」

 

 ……どうやら彼女、見た目通り、ゲーム時の評判通りの優しくて綺麗なお姉さん、というだけの女性ではなさそうだ。

 

 

 

 

 

 




補足になりますが、イリス・レイジサイドでは言及が無かった通り、現状、パーティの感覚(仮称)を有しているのは、ソールだけです。


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亜人の賢者

 

「そろそろ……行くぞ?」

 

 緊張を孕んだレイジさんの声に、こくんと、頷きます。

 

 ぱちぱちと暖炉の炎の爆ぜる音。その近くに掛けられた、ずぶ濡れの服から、ぴちょん、ぴちょんと雫の垂れる音が、緊張感の漂う二人だけの空間にやけに大きく聞こえます。

 

 ……今は、服は全て乾かしている所で、下着まで含め暖炉の前に吊るしています。代わりに現在、私達の体を隠しているものは毛布一枚のみ。この場所……坑道の地下の休憩所……でしょうか。ここあった毛布を何も纏わぬ体に巻いているだけでした。

 

 そんなあられもない格好を晒していることに、恥ずかしさで逃げ出したくなりますが、今、そうするわけには行きません……今回は、私からお願いしたのですから。

 

 レイジさんの指示により、寝台に横になる私。これから行うことを考えると、今にも心臓が口から飛び出そうなほど波打っています。

 レイジさんも私同様にガチガチに緊張しながらも、そっとその手が私の手に重なる……びくっと、体が震えました。覚悟は決めたとはいえ、やはり、少し怖い。

 だけど、レイジさんは、そんな私の気持ちを黙って受け止めて、そんな固くなった私の手を優しく握りました。

 

「一応、やり方は知ってるけど……俺も、こういうことを実際にやった事なんて無ぇし、痛いと思うけど……良いんだな?」

「……は、はい……お願い、します」

「よし……それじゃ、これ噛んでおけ」

 

 手渡された布……ハンカチを、たたんで適度な厚さにすると、それを口に含んで食いしばります……覚悟は良いと、一つ、頷きます。

 

「……それじゃ、入れるぞ? ……力、抜いとけよ」

 

 そっと、レイジさんの手が、横になった私の肩にかかります。

 

「……いっ!? ~~~~~ッ!?」

 

 

 

 

 

 ――がこん

 

 一瞬だけ、痺れるような、それでいて鋭い痛みの後、肩から元あった場所に関節がはめ込まれた感触。同時に、肩に多少の自由が戻ってきました。

 

「……ふぅっ……ふっ……」

「……大丈夫か? 悪い、痛かったかやっぱり」

「……い、いえ……思っていたよりは……」

 

 目の端から垂れた涙を拭いながら身を起こします。

 肩は通常の滑らかな曲線を描いていましたが、赤黒く腫れ上がっており、いざ目にするとその惨状にくらっと目眩がしました。

 

「そ、そうか……それじゃ、さっさと治しちまえ」

 

 ひとつ頷くと、じくじくと苛む鈍痛を堪えながら、魔法を詠唱します。

 

「『ヒール』……!」

 

 赤黒く内出血していた肩に、癒しの光が集まり……みるみる痛みと腫れが引いていきます。

 

「……はぁっ……やっと、落ち着きました……」

 

 ようやくずっと苛んでいた痛みが消えたことに、調子を確かめる様に軽く手を握ったり開いたりし、肩を回したりしてみる……うん、大丈夫そう。

 

「すみません、お手数おかけして……レイジさん? 何故そっちを向いているんですか?」

 

 首を90度以上回して明後日の方向を向いているレイジさんに、首を傾げます。

 

「……自分の今の恰好を考えろ、馬鹿!」

「……あっ……す、すみません……!」

 

 ……忘れていました。

 膝を抱いて身を縮め、かなり際どい所までずり落ちていた毛布を、先程までは嵌めるために露出させていた肩より上に引き上げて全身を包む。

 

 ……顔に、ものすごく血液が集まっている気がします。顔が熱くて、まともにレイジさんの方を見れません。

 

(……あ、あれ、なんで……? 凄く恥ずかしい……)

 

 以前に一緒にお風呂に入った時は平気だったのに。一度意識しだすと、心臓がバクバクと煩くて止まりません。

 

「……あー……もう、いいか?」

「ひゃい!? ど、どうぞ……!」

 

 うわぁぁああ変な声が出ました……

 

 

 

 パチパチと温かみのある音を立てて燃えている暖炉の前、背中合わせに暖を取ります。

 冷え切った体をじんわりと温める炎に照らされて……私達は、よく分からないいたたまれなさに、ただお互いの背中の体温だけ感じ黙り込んでいました。

 

 ――沈黙が痛いです……っ

 

「……あー」

「なっ、何でしょう!?」

「いや、ただ……本当に、便利だな、って思って。回復魔法。普通ならその後を考えると、絶対にこんな素人の生兵法で嵌め直したりなんて事、了承しないんだけどなぁ」

 

 渋い顔でそんな事を言うレイジさん。周辺組織を痛める可能性があるため、本来ならもっと慎重に処置する物なんですけどね。

 

 そういった諸々を『ヒール』で再生したため、今ではすっかり元通り動きます。

 

「……でも、便利な反面、使えない時に困りますね」

「だな……」

 

 

 

 

 

 

 思い出すのは、ここに落下して来た時。魔消石の効果範囲の外に出てきた今でこそ、私達も快癒していますが、あの時の手詰まり感は、今思い返すと震えがきます。

 

 あの後、人語を喋るゴブリン……ガンツさんと名乗った彼が来なければ、どうなっていたか。

 私達は、その手助けと案内を受けて、近くにあったこの休憩所までどうにか移動してきていました。

 

 本来はゴブリンもホブゴブリンも、『妖魔語』と呼称される、私達には意味のあるようには聞こえない言語を使用している筈でした。

 彼は、長年人の中で暮らしていたため、いつしか人語を覚えて自由に扱えるようになっていたのだとか。

 

 何でも、長年に渡って人族を相手に傭兵……その多くは、荷物持ちなどのサポーターや、後衛を守るシールダーとして活動している……を営んでいた、歴戦の勇士だったのだそうです。

 ゲーム時代のNPCに、『ホブゴブリンヒーロー』というゴブリン系で最上位の使役モンスターが居ましたが……どうやら、彼はそれに当たるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

「で、だ。どう思う、ここに来る途中のあの光景」

 

 ここに向かってくる途中、ある程度までは、壁面全てが魔消石にびっしりと覆われた大空洞が広がっていました。ところが、途中から鉱石は見当たらなくなり、その代わりに出現したのはまだ最近組まれたものと思わしき木組みの足場。

 

「この坑道、だいぶ以前から崩落の危険のため閉鎖されていた……筈ですよね?」

「ああ……戦闘の結果本当に崩れちまったとは言え、それまで崩落した形跡は無かったけどな」

 

 ……しかし、実際はこうして採掘は続けられていました。

 

 以前に話した行商人の方は、魔消石の取引は厳密に国に管理されていると言っていました。

 そして、現在、新たな利用法の発見故の特需で非常に高値で取引されている、とも。

 

「……盗掘、ですか」

「……だな、おそらくあの羽振りの良さそうな町長が主犯か」

 

『ソノ通リダ』

 

 ――その時、声と共にガチャリと休憩室の扉が開きました。

 

 ドアを開けて入ってきたのは、私達を助けてくれた全身鎧のホブゴブリン、ガンツさん。

 

『ガ、ソノ話ハ皆ガ揃ッテカラニシヨウ、今ハ休養ニツトメルト良イ』

 

 彼は、律儀にこちらを見ないように私達を迂回して暖炉へ向かうと、その上に持っていた小さな鍋を置いて、その中身をかき回し始めました。

 

『……アア、安心シテクレテカマワナイ。コレハ人間タチノ残シテ行ッタ非常食ダ』

 

 漂ってきたのは、香辛料と、コンソメ……? の匂い。鼻孔をくすぐるその香りに、きゅう、とお腹が鳴りました。

 

 ………………

 

 な、なんでこんな格好の時に……!

 

 服というごまかしの防壁が無いため、やけに部屋に響いた気がするその音に、恥ずかしくなってレイジさんの方を盗み見ると……見るからに、俺は何も聞いていませんよと言いたげに向こうを向いていますが……その肩は微妙に震えているのが背中合わせの現状では嫌でも解ってしまう。

 

「……うううぅぅぅううっ!」

『……イライラスルノハ、ヨクナイ。コレ、飲ンデオクトイイ』

「あ、ありがとう、ございます」

 

 恥ずかしさに呻いていると、湯気の立つスープが注がれたカップが眼前に差し出されました。

 何でしょうかね、この紳士なゴブリン。良い声なのも相まって、妙に気恥ずかしい。

 一口すすると、ぴりっと舌に刺激の残る香辛料に、少し体が温まってきた感じがしました。ほぅ、と一息を付きます。

 

「――ぅあちっ!?」

 

 背後でびくっと震えたレイジさん、どうやら口の中を焼いたみたいで、ぷっと噴き出しました。さっき笑ったお返しです。

 

「……悪かったって……なぁ、回復貰って良いか?」

「ふふ、はいはい、顔をこっちに向けてくださいね……『ヒール』」

「ん……サンキュ」

 

 背中越しに、振り返った彼の頬に手を触れ魔法を唱えると、小さくぽぅと光ってすぐ消えます。火傷が治り次第、再びスープにがっつくレイジさんに、ふふっと笑いが漏れました。

 

『ヒトツ、訪ネタイノダガ』

「あ、はい、何でしょう?」

 

 突如そんなことを聞いてきたガンツさんに返事をしながら、いい感じに冷めてきたスープを口に含む。

 

『オ主タチハ、随分若イヨウダガ……モシカシテ、(つがい)カ? 席ヲ外シタホウガイイカネ?』

 

「「……ぶはっ!」」

 

 二人でそろって咽ました。ゴホゴホと気道に入ったスープを吐き出そうと咳き込む。

 

『フム、違ウノカ。随分ト仲睦マジク見エタカラ、テッキリ』

「違ぇ!?」

「違います!?」

 

 なんで会う人皆、そんな事を聞いてくるんですかぁ!?

 

「そ、そんなことより……あなたは、一体?」

『私カ? ……ソウダナ、オ前達ナラ構ワヌカ。私ハ……領主ニ雇ワレテイル、オ前タチノ言ウ、『草』ダ。主ニ魔物領担当ノ、ナ』

「そいつぁ……すげえ事してるな、領主様」

 

 友好的とはいえ、一応は魔物に分類されている亜人にそのような大事を任せているという事に、感嘆が漏れます。ですが、きちんと信の置ける者であれば、確かに有用かもしれません。

 

「……あの、貴方は、もしかして人間の女性と、ここに来ませんでしたか?」

 

 ふと、思いついた質問をします。

 

『……アイニ嬢ノコトデアレバ、ソノ通リダ』

「そうですか……良かった、危険があったわけではないのですね……」

 

 無理矢理連れてこられた訳ではない、と確定し、安堵します。

 

『……イヤ、私達モ、出口ニ通ジル道ヲ『奴』ニ塞ガレテ難儀シテイタ……怪我ノ巧妙トハイエ助カッタ、感謝スル』

 

 なるほど、あのトロールが徘徊していたため、それで帰ってこれなかったのですね……私達が救出に来たのも、無駄ではなかったようです。

 

 

『ム、スマナイ、連絡ダ』

 

 急に、耳に手を当てて何者かと話すガンツさん。

 

『……ソウカ、分カッタ、私達ハココデ君ラガ合流スルノヲ待トウ』

「……何かあったのか?」

『アア、安心シテイイ、良イ知ラセダ……君達ノ連レヲ、アイニ嬢ガ見ツケタソウダ。今コチラニ向カッテイル』

「本当か!?」

「本当ですか!?」

『合流ニハ、一刻ハカカル。ソレマデユックリ休ムトイイ』

 

 そう言って、ドアから出ていくガンツさん。

 

「……良かった……二人とも……あっ」

 

 気が抜けたせいか、くらり、と視界が揺れました。それどころか、妙に気怠く、くらくらと頭が揺れる。

 

「……お前、寝不足残ってるだろ、火は見ててやるから、寝とけ?」

「はい……すみません、そう、しま……す……」

 

 言い終わるのも待たず、ふっと、限界を迎えたように、あっさりと意識が闇に沈んでいきました――……

 



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そのままで居て欲しいと思ってるんだよ

「……ぃ、起きろ」

 

 微睡みの中、不意に呼ぶ声と軽く揺すられた感触。

 目を開けると……そこには既に服を身に着け終わったレイジさんが居ました。

 

「……ああ、目、覚めたか。そろそろソール達が着くらしいから、お前も早く着替えとけ」

「……あ……はい……分かりました……」

 

 ……?

 

 あれ……ぼーっとして、思考が纏まらない。

 ああ、そうだ、着替えないと……そう思って伸ばした手は、吊るした服へは微妙に手が届かず、仕方ないので立ち上がります。

 

「……っ!? お、俺は外で待ってるからな!?」

 

 バタバタと慌てて出ていくレイジさん。

 

 ……あ、そうか、下、何も着ていないんでしたっけ……でも、あんなに慌てて……変なの。

 

 ふらふらと定まらない頭を揺らし、立ち上がった際に落ちた毛布を横目に、暖炉の前に掛けてあったすっかり乾いた服を手に取りました……

 

 

 

 

 

 着替えているうちに、ぼーっとしていた頭も少しはっきりして来ました。多分。

 なんだかふわふわしている気がしますが……気のせい、かな?

 

「……ふぅ。こんなものでしょうか?」

 

 軽くターンしてみる。この「クラルテアイリス」を自分で全て着込むのは初めてでしたが、どうやらおかしな場所も無さそうです。

 

 ――ここのところずっとレニィさんに身の回りのお世話をされていたので、すっかり、人に服を着せられるのに慣れてしまっている気がします。着実にダメ人間になっていってそうで怖いです。

 

 ドアを開けて部屋の外に出ると、すぐ横にレイジさんが、腕組みして立っていましたが……何故かこちらに目を合わせようとしません。

 

「……レイジさん? ……どうか、なさいましたか……?」

「い、いや、どうかしてるのは俺じゃなく……ていうか、お前の方こそ大丈夫か……?」

「……?」

「……い、いや、いい、何でもない気にするな……どうやら、来たようだしな」

 

 レイジさんが指さした方向には、先頭を歩く見知らぬ綺麗な女性に先導され、それにぴったりとくっついて歩いているハヤト君と、こちらを見るなり駆け出した……

 

「――イリス!! 良かった、無事で、良かった……!」

 

 ……兄様に、ものすごい勢いで抱きしめられました。

 

「ひゃっ!? ……もう、兄様は大げさです……そちらも、無事で本当に良かった……」

「レイジも……無事で本当に良かった……」

「当然だ、そう簡単に死んでたまるかって」

 

 レイジさんと一つ拳を突き合わせ、すぐにまたぎゅうぎゅうと力を込めて抱きしめて来る兄様……本当に、良かった、またこうして皆揃って集まれて。

 そっと、気が付かれないように、目の端に浮かんだ涙を拭い取って、私もその背に腕を回しました。

 

 

 

 

 

 

 

 ひとしきり再会を喜んだあと、私達はお互いのことを話しました。

 ……驚いたのが、目の前のこのおっとりとした女性……アイニさんが、領主様に仕えている『草』……密偵の一人だった……ということでした。

 

 そうして、自己紹介が終わった後……

 

「……本当なら、もっと再会を喜びたいところだが……思っていたより、事態は深刻だ」

 

 再会を喜ぶのもそこそこに、兄様が全員を集めて、深刻な顔でそう切り出します。

 

「何か……あったんですか?」

「ああ……以前、前の町で戦った、あのおかしな結晶の生えた魔物を覚えているな?」

「……あの、山賊の方の遺体が変貌した、あれですね」

「まぁ、忘れたくても忘れられないよなぁ」

「あれと同じようなものが、今度はゴブリンを素体に大量に居た。今はまだ休眠中みたいだが……」

「……本当ですか?」

「マジかよ……」

 

 あれと同種の敵が……死力を尽くしてどうにか打ち勝ったあの敵と同じものが多数。

 少し寝ぼけていたような頭が、ようやくまともに起動し始めた気がします。

 

「……興味深いお話ですが。その話は、また時間のある時にしましょう……あまり、長居しているわけにも参りませんので。とりあえず、あの魔物たちの事ですが、その件については既に領主様に報告は済ませています」

「アイニさん、それは本当ですか!?」

「はい……ここに潜伏していたガンツさんが、早期に発見していたもので」

「ウム。異変ガアッタノハ、ツイ最近ダ。ソノ時点デ、異変アリト向コウニ連絡ハシテアル」

 

 であれば、まだ援軍には期待が持てる。しかし、それでも……

 

「ただ……領都から軍を……となると、間に合うかは少々微妙な所ですね……今から要請するよりはずっと早いとは思いますが、それでもその前に町が戦場になる可能性は否定できません」

「ということは、やはり町民は避難させたいところだが……」

 

 そこで私達の脳裏に浮かんだのは、今朝、面会したあの……到底、善人とは言えないような町長でした。

 

「……あのオッサン、素直に協力すると思うか?」

「……難しいな。というか無理だ。ここで見たと言ったら、僕たちが不正の証拠を掴んでいることも気が付くはずだ」

 

 明らかに誘拐目的であったであろう今朝の薬物混入に加え、この場での、採掘記録の報告が義務付けられている物資の盗掘、そして正規ルートを通さない販売。この部屋に残されていたその資料は、すでに二人が抑えており、領主様への報告も既に終わっていたらしいです。

 犯罪利用の可能性が高いその特性上、真っ当な目的に使われているとは考えられず、そのような場所へ大量に横流しを行っていたとなれば、町長としての罷免どころか、処刑まで可能性が見えてきます。

 

 だがしかし、それは内密に行われているために向こうは既に詰んでいる事を知らず、嘘だと突っぱねられるか……私兵を使って口封じに来るかもしれません。

 

 ……話をすれば分かる、という相手ではありませんでした。

 

「とはいえ、あいつを黙らせて、町人を逃がして、防備を固めるか……中々面倒なことになってんなぁ」

「……ですが、やらないといけません、よね」

「……だな」

 

 町全体の命が掛かっています。素知らぬ顔で、知りませんと立ち去るわけには行きません。

 

「あの、俺からも、頼みます……そりゃ、面白くない奴も一杯いたけど、それでもほとんどの町の人は、親切だったんだ。ずっと……世話になってた町なんだよ、俺にとっては」

 

 これまでずっと黙って聞いていたハヤト君が、真剣な顔で頭を下げました……そんな様子を、アイニさんが横から優しく見守っています。

 

「……そうですね、どこまでやれるかは分からないけど……頑張ろうね?」

「私も異存はない。帰って団長との交渉はあるが、その如何に関わらず、力を尽くすことは約束しよう」

 

 私と兄様の言葉に、ばっと顔を上げて嬉しそうな顔をするハヤト君……少しヒネていますけど、根は素直な良い子なんですよね。ちょっと、こう、母性本能を擽られるというか……

 

「……ただし、念のため言っておくが、私が協力するのはここに私達が探している異変の原因……『世界の傷』があるかもしれないからだ。そのために奴をどうにかしないといけない以上、戦力が多い方が都合がいいと判断したからであって……」

 

 そんな、喜色を露にしたハヤト君に指を突きつけて、兄様が何やら協力する理由を滔々と語り始めたました。その勢いにハヤト君が目を白黒させていますが……

 

「……また、素直じゃねぇなぁ」

「弟分ができて、嬉しいんですよね、あれ」

 

 元の世界で私の世話をずっとしていたせいか、あの子はあれで何かと面倒見たがりなのだ。私とレイジさんは、こそっと話しながら苦笑を浮かべ、肩を竦めました。

 

 

 

 

 その後、私達はアイニさんとガンツさんの案内で、盗掘者たちが荷物を運び出すための通路を使用して坑道を脱出しました。

 事情が事情だけに、表の坑道を頻繁に使うわけにもいかず、秘密の専用通路をあらかじめ用意していたみたいですが……そうした犯罪用のルートのおかげでこうして脱出できるので、複雑な気分でした。

 街道からは見えないように、丘の影に存在した切り立った壁面にぽっかり空けた口。そこを出た瞬間、ひんやりと冷たく澄んだ夜気が広がります。

 

「……っはぁ! やっと出られたぜ……外はすっかり暗くなってしまってたんだなぁ」

「……随分、長く地下に居たような気がするな。そうか、もう四半日は経過しているのか……」

「……そう、です……ね」

 

 新鮮な外の空気。皆、想い想いに数時間ぶりとなる外の新鮮な空気を吸い込んでいました。

 私も、ほっと一息ついた、その瞬間――目の前が歪んで見えて……あ……れ……?

 

「……い、イ……ス? どう……」

 

 あ……れ、レイジさんの、声が……遠――……

 

 

 

 

 

「……目、覚めたか」

「……え……私、どうして……」

 

 気が付いたら、レイジさんの背中の上に居ました。記憶が、途中で飛んでいます。

 頭がぼーっとする。感覚がふわふわして……だけど、寒い。とても……

 

「お前、熱出してぶっ倒れたんだよ……アイニさんの言うには、連日の寝不足に加えて体が冷えたのと、過労……帰ったら、お前はベッド行き確定な。患者用のベッドを貸してくれるってよ」

「そう、ですか……」

 

 どうやら、緊張から解き放たれた瞬間、一気に来てしまったようです。思えば、あの休憩室で目覚めてからずっと思考に霞が掛かっていたようで、不調を感じていた気がします。

 

「……レイジさんも一緒に落ちたのに、平気なんですか?」

「俺はお前と違ってきちんと睡眠はとってたし……まぁ、この体の体力に差もあるんだろうな」

「……なんか、ずるいです」

「そうは言っても、まさかこうなるなんて思ってなかったんだから仕方ないだろ……」

「そうなん、ですけどぉ……」

 

 でも、やっぱり体力のある身体が羨ましい。

 

「……なぁ、ずっと聞くか悩んでいたんだが……お前は、男に……戻りたいか?」

「……え?」

 

 不意に投げかけられたその言葉に、少し考え込みます。

 そういえば……元の体に戻りたいと、不思議と今まで考えたこともありませんでした。

 

 ……以前、このままこの体で過ごした先の未来、もしレイジさんと、一緒になったら……という所までを想像した事はありました。

 その時は……自分が子を宿す側という事が今ひとつピンと来ませんでしたが、嫌かというと……嫌悪は、そういえば無かったような気がします。

 

「……わかりません」

「……そうか」

「でも……戻れなくても、今の身体のままで将来を迎えても……それが嫌とも、感じないんです」

「…………そう、か」

 

 そのまま、彼はしばらく黙り込んで、黙々と歩き始めました。その歩みはどこか上機嫌なように軽く、その様子に首を傾げます。

 ……何だったのでしょう?

 

「……悪かったな、お前の様子がおかしいとは思ってたが、もっと気を付けるべきだった」

 

 ふと、語りかけられたその言葉に、首を振る。結局、体力云々は言い訳で、これは自己管理ができなかった結果なのです。

 

「私の方こそ、また、ご迷惑おかけしました……今度こそ、役に立てると思ったんですが……」

 

 自分の力が必要な場面で、舞い上がっていたようです。そして加減を見誤って、またこうして倒れて、迷惑を……

 

「……馬鹿か、お前」

「――あたっ!?」

 

 ネガティブな思考の海に沈みかけていると、こつんと、裏手に軽くおでこを叩かれました。突然の事に目を白黒させていると。

 

「……お前が居たから、俺はこうして助かったんだよ。良いから町に着くまで大人しく寝てろ、もう何日かすると忙しくなるんだからな」

「……はい、そうします」

 

 そのまま、大きな背に揺られ、無言の時が流れる。私一人担いでも小揺るぎもしない大きな背中が、歩くたびに一定の間隔で揺れます。

 

(……あ……なんだか、凄く安心……する……)

 

 力が入らないためぴたりと密着したその体温と、振動の心地良さに、いつしか寒気も忘れて夢の中へと旅立っていました……

 

「なぁ、イリス。俺は――……」

 

 最後、意識が落ちる直前に、レイジさんが何か言おうとした気がしますが……私の耳に、届く事はありませんでした……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……聞こえて……無い、よな……?」

 

 恐る恐る背後を確認すると、目と鼻の先にあるイリスの、熱に上気した顔。

 妙な色気を感じてしまい、慌てて視線を前に戻す。

 

 背後から聞こえてくるのは、すぅ、すぅと、静かな寝息のみ……

 

「はあぁぁぁああ……やっべぇ、つい言っちまった……」

 

 くしゃりと髪を搔きまわすと、先程口にしてしまった内容を反芻する。

 

「やっぱ、自分勝手、だよな……」

 

 今思えば、あの時からすでに熱に浮かされていたのだろう、地下での出来事……寝ぼけたこいつが立ち上がった拍子に身に纏っていた毛布が床に落ち、正面から直視してしまった……未成熟が故に怪しい色香を醸し出す、芸術品のような裸体を、必死に頭を振って思考から追い出す。

 

 その姿を見た瞬間、思ってしまったのだ――手放したく、ないな、と。そう思った瞬間、胸の内から押し出されるように口をついて出た言葉。

 

 ベッドで見た不安に揺れる潤んだ瞳。

 親しげに柔らかく微笑みかけてくる顔。

 今も背中に感じる柔らかな感触。

 頰をくすぐるさらさらとした髪の感触。

 鼻腔をくすぐる甘い香り。

 

 全て、手放したくない。ずっと、そのまま、自分の隣に居て欲しいと――思ってしまったのだ。

 

 はぁ、と深く溜息をつくと、今の発言は自分の中にだけ仕舞っておくことにして、気を取り直して先に帰ったソール達の後を追い始めた。

 

 



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長い夜

 

 

「……眠った、か?」

 

 熱に浮かされ、荒い呼吸をついている、ベッドの中のイリス。先程まではまだうつらうつらとしながらも起きていたのだが、アイニさんの用意してくれた薬を飲んだ途端、ころんと眠りに就いた。

 

 病気で弱気になっているせいか、眠りに就くまででいいから手を握っていて欲しい、と珍しく甘えるような発言に応じて、ずっと握っていた小さな手を……名残惜しさを振り切り、そっと布団の中に戻す。

 たったこれだけの事なのに、手の中の柔らかく滑らかな感触にずっと緊張しっぱなしで、やけに疲れた気がした。

 

 ――年齢=彼女いない歴舐めんな!

 

 ……思っていて虚しくなって来たので、話しかけても反応が無いのを確認すると病室から出た――

 

「手をつないだだけで動悸がするなんて、本当に初心だな、レイジ」

「うわっ!?」

 

 ――出た瞬間に横合いから掛けられた声に、心臓が飛び出るかと思った。慌てて二人「しー……」とジェスチャーして息を潜める。

 

「それで、おんぶして帰ってきた感想はどうだった? 柔らかかった?」

「おいやめろ」

 

 ニヤニヤと悪戯っぽい表情を浮かべて聞いてくるソール……いや、これは彩芽だな……に、辟易して言葉を濁す。

 ……今、必死に、背中に密着していた温かく柔らかい感触を忘れようとしているのだ、本当に勘弁してくれ。げんなりしながら二人で部屋を後にする。

 

「……しかし、ソール、以前のお前なら絶対こういう時は自分でやろうとしていたはずだよな、どういう心境の変化だ?」

 

 以前はあれだけ自分以外が触れる事すら嫌がっていたのに、最近のこいつは、何故かイリスの事を俺に任せたがる所がある。

 

「別に……『私の最高傑作』のイリスなら、他の誰かに任せるなんて気は全く無かったんだけどね。でも、『今の』イリスは、生きた一人の人間だから」

 

 ……良くは分からないが、ゲーム時代みたいにあまり束縛する気は今は無い、という事だろうか。

 兄離れ……この場合妹離れなのか? ……出来そうだというのなら、良い事なのだろう、多分。

 

「……まぁ、アンタになら、任せても良いかなって思えたからね……玲史さん?」

「は……? おい、今のってどういう……」

「これ以上は教えてやらん、自分で考えろ」

 

 それじゃ、私はアイニさんと話すことがある、そう言ってさっと立ち去ってしまったソールに、それ以上の事は聞けなかった。

 

 ……なんだってんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はアイニさんと話があると、レイジを先に詰め所に向かわせたところで、はぁ……と嘆息した。

 

 ――本当に、鈍いんだよな、玲史さん……いや、二人ともか。

 

 二人とも、自覚のあるなしはさておいて、お互いに好意を抱いていることは周りから見れば一目瞭然なのだ。

 

 その事に別に異論は無い。玲史さんの人となりは、今までずっと付き合ってきた幼馴染だからよく知っているし、一緒になれば、きっと大事にしてくれるだろうとも思っている。

 

 だから二人がくっ付いたら嬉しいなって思ってるのに……思ってるのに!! 進展遅すぎる! 何だあれ、思春期か!?

 

 これで二人とも私より五歳も年上なんだから本当にもう。いっそ全部私が言ってやれば解決な気はするが、それはなんか悔しいし。

 

 ……っと、いけない、気持ちを切り替えよう。がーっと叫び出したい衝動を、胸の内に無理やり収めた。

 

 

 

 病室になっている二階から降りる。

 診察室、兼、調合室になっている、一階の薬屋のカウンター裏にある部屋に続くカーテンを潜ると、目的の人物はのんびりと薬の調合らしきことをやっていた。

 

「あ、ソールさん。ごめんなさいね、一日お店を空けていたから依頼が溜まっていて……作業しながらで失礼します。妹さんは……」

「はい、頂いた薬が効いてきたみたいで、今はぐっすり眠っています……ありがとうございます、忙しいのに、寝床まで提供して頂いて」

「いいえ、それが私の本業ですから、お気になさらずに」

 

 にっこりと微笑んで、快く面倒を見る事を引き受けてくれるアイニさん。

 純粋に親切心から面倒を見てくれていると信じられる、あらあら、うふふと聞こえて来そうなその曇りない穏やかな笑顔は、途端に周囲が優しい雰囲気に包まれたようで……流石、人気の大人のお姉さんランキング常連。現実になると、半端無いな。

 

 

 

 ……ちなみに、この世界は、元の世界のように専門的な知識や技術の教育を受けた医師というのは少ない。

 

 居なくはないのだが、そのための専門の教育機関というものがごく限られており、非常に高い学費と、強力なコネが必要な……要するに、上位貴族や富豪の次男三男が通うような学校らしい。

 客層も大体そのあたりに絞られる……その仕事に就いていること自体がステータスとなるような、そんな職業だ。

 一部には、回復魔法や魔法薬は効果が優れている代償に、過剰に回復が促進されるため寿命が縮むという説があり、現状それを否定する証拠も存在しない。そのため、そうした物を気にする、出来れば長生きしたい貴族たちの中では需要があるのだそうだ。

 

 一方で市井に居る医師というのは、ほぼ開業医に自分から直接弟子入りし、その教えを受けて自分で名乗っているものが殆ど……つまり、特定の資格を持って従事しているのではなく、はっきり言ってしまえば自称だ。

 その技術はピンからキリまであり安定しない。故に回復魔法や魔法薬というものが存在するため需要が低く、さらには元の世界ほど多くない人口と、平均寿命の低さから、その地位というものはあまり高くない、らしい。

 

 なので、アイニさんのような錬金術師や薬師が、医者の代行のようなことをしていることが地方では殆どなのだそうな。

 

 ――閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「……それに、私の方こそ面倒事を押し付けてしまってすみません」

「いえ、これくらいはお安い御用です。確かに、資料はお預かりしました、間違い無く衛兵の皆さんにお渡ししますので」

 

 預かったのは、町長の不正を纏めた資料だ。隠蔽されているが、正式な監査官でもある彼女の捺印のあるこれがあれば、今まで領主の指示があるまで勝手に手出しできなかったあの町長を、処分までは行かなくても、拘留と権限の仮停止は可能になる。

 

 ……面立って行動できない彼女は、いつもは足のつかない手段で届けていたそうだが、今回はそれを私達が代行する形になる。

 

「……ところで今更なのですが、私達に正体を明かして良かったのですか?」

 

 何故、正体を隠さなければいけない筈の密偵でもある彼女が、あっさり私達にその身分を明かしたのかがずっと引っ掛かっていた。救出しに来た者たちへの事情説明、というにはあけっぴろげ過ぎる対応な気がする。

 

「あぁ、それは……」

 

 そっと、私の耳元に口を寄せた彼女。

 

「……実は、行方不明の()()()()()()()()によく似た兄妹を見た、という噂を聞いていまして」

 

 ゾクリとするほど妖艶に耳元で囁かれたその言葉に、ギクリと、肩が震えた。

 

「……は、はは、何のコトでしょうねー」

 

 内心冷や汗ダラダラで、どうにか言葉を絞り出した。私も秘密を知っているからあなたも秘密を守ってね、と。

 

 ……意外とおっかないお姉さんだった、この人……っ!

 

 そんな、戦々恐々とした状態で立ち尽くしていると、ふふっと、穏やかな笑い声が聞こえてきた。

 

「ごめんなさい、少し意地悪でした。実際は……この報告を領主様にした際に、もしそれに該当する者と会ったら事情を説明して構わないと言われていただけですわ」

「はぁ……」

 

 からかわれていた。くそぅ、これが人生経験の差か。

 

「という事は、領主様……ローランド辺境伯は、私達のことは把握しているのですね?」

「はい、お会いできる日を楽しみにしておられました」

 

 ……まさか、前の町……あの開拓地にも『草』が紛れていたんじゃなかろうな。考えて、怖くなって止めた。

 

 まぁ、良い。気を取り直して、話についてこれておらず、横で疑問符を浮かべていたハヤト少年の肩を叩く。

 

「さて、私達は今回の件を相談しに詰所へ行くけれど……ハヤト、アイニさんとイリスの事、任せたぞ?」

「……なぁ、なんで俺なんだよ。俺は、あの時……」

 

 やはり、未だに、結果的に二人を窮地に追い込んだ事を気に病んでいるらしい。

 良かれと思った行動が、結果的にそうなった……そのショックは中々に根深いらしい、が。

 

「何度も言うが、あの時のお前は、自分の持つ情報の中で最善の働きをしていたよ、自信を持て……な?」

 

 隠密系という事だけは分かっているが、それ以上の情報は頑なに開示しないこいつは、だがしかし私の知らないスキルを使って見せた、おそらく私達と同じ『ユニーク職』持ちではないかと私は推測している。

 

 この年齢で並み居るプレイヤー、その中でも比較的人気が高い隠密系でトップに位置するという事は、プレイ時間だけ、運だけではない何かを持っているはずだ。得てして、ユニーク職持ちは何かとそう言う所がある。

 

「確かに、お前は『臆病』かもしれない。けど……あの時、確かにそんな中で踏ん張って前線に帰ってきて見せたんだ。決して『卑怯』ではないと、私は信じてる。頑張れよ、少年」

「……うっせ、ガキ扱いすんな」

 

 軽く、頭をグリグリ撫でている私の手を払うと、少年は真っ直ぐに、私の方を睨み返して来た。

 

「……わかったよ、お前らの大事な姫様まで、俺が面倒見てやるよ……だから、兄ちゃんも気をつけてな」

「ああ、頼んだぞ」

 

 悪ガキのような笑顔を浮かべた少年に、私は小さく頷いで、店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――衛兵の詰め所の中にある会議室では、重苦しい雰囲気が漂っていた。

 

 ここに居る面々は、まず、私とレイジ。これは、直接現場を見た私達の意見を聞くためだ。

 レイジはイリスの元に残りたがっていたが、共に盗掘現場を見ていたイリスは起き上がれないため渋々と言った風情だ。尤も、それは私も同様なのだが……実際に結晶の魔物を見た中で来れるのが私しかいない以上は、まぁ、仕方ない。

 そして傭兵団の代表としてフィリアスさん、それに衛兵の代表者たちが一堂に会している中で、預かっていた書類の封が解かれた。

 

「これは……」

 

 パラパラと資料をめくっていた隊長さんの顔が、みるみる強張っていったのが良く分かった。

 

「……どうだ? これであの町長を黙らせる事は可能そうか?」

「いや……十分でしょう、直ちに準備して、身柄を確保しましょう。私兵の連中との交戦も予想されるので、できれば傭兵団の方々にも正式に依頼したいのですが」

「大丈夫、私達もいつでもいけます、分隊の責任者として、その依頼、承ります」

 

 レイジの疑問に隊長さんが肯定し、フィリアスさんが間髪入れずに快諾する。私達が出た段階で、この展開は予想して準備を進めていたのだそうな。

 

「……では、作戦開始時刻は――」

 

 そう、隊長さんが、言おうとしたその時――

 

 

 

 ――カン、カン、カン、と、異常を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

 

 

 

「――報告、報告! 魔物の襲撃です!!」

 

 血相を変えて飛び込んで来た衛兵の言葉に、私達の間に緊張が走った。

 

 どうやら、まだこの夜は明けないらしい――……

 



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悪意の襲撃

「魔物だと!?」

 

 一気に騒然となる会議室。当然だ、ようやく邪魔になりそうな町長を黙らせる算段がついて、今まさに、この町へ迫っている魔物の脅威にどう対処するべきかという事を話し合おうとしていた矢先の出来事だったのだから。

 

「もしや、魔物というのは体のどこかに結晶を纏った異形の怪物ではありませんでしたか!?」

 

 違っていてくれと祈りながら問う。あの魔物達だとしたら早すぎる、まさか奴らが侵攻を始める時期を見誤ったか……?

 戦うにしても、避難するにしても、何の準備もできていない現状では……レイジに至っては、今はとりあえず予備の心許ない武器を下げている位なのだから。

 

「え? い、いいえ、普段外で普通に見かける魔物ですが……」

 

 その言葉に会議室内にホッとした空気が流れかけるも、現状それどころでは無いと皆すぐに気持ちを切り替え、ガチャガチャと帷子を鳴らして外へと出ていく。私達も、それに合わせて並んで続いた。

 

「それで、魔物は何処から来た、西か、東か」

「そ、それが……両方です!」

「なんだと!?」

「西からは白狼(ホワイトファング)の群れが相当数、東からは飢えた雪豹(フロストパンサー)が数頭、と伝令は言っておりました!」

 

 隊長さんと伝令の衛兵が緊迫きた様子で会話を交わしている。

 

 両方動物系だが、特に東から来ている『フロストパンサー』は氷雪系の魔法も操る正真正銘の魔獣だ。『ホワイトファング』に関しては、若干毛皮に氷雪系への耐性がある以外は概ね通常の狼と変わらないが、数が多い場合その連携は侮れない。

 

 ただの野生の魔物が、それも別種の魔物が、このように示し合わせたタイミングで来るわけがない、だとすれば、何らかの手段で手引きした者が……

 

「……東の敵に関しては、現地の方々と協力して私とレイジで押さえます」

「でも、それだともし数が予想より多かった場合に対処が難しいですよね」

「そうだな……傭兵団の皆さんは、そちらに厄介になっているミリアム含む何名かでこちらに援護を寄こしてください。あとは衛兵の皆さんと協力してまずは西の安全の確保を優先して……」

 

 足早に歩きながら、隣を歩くフィリアス嬢と急ぎ配置を相談しつつ、ハチの巣をつついた様に飛び出していく衛兵達に続いて外に出ると……

 

「あれは……火の手が上がっているのか?」

 

 東の空がやけに赤く、明るい。

 だが、襲ってきている魔物はどちらも氷雪系だったはずだ。誰かが火の始末をしくじったか、それとも……

 

「……ん?」

 

 ふと、違和感を感じて視線を外すと、衛兵の一人がやけに具合が悪そうに、顔を青くして町の方を眺めていた。

 

「あの、そこの貴方、顔色が悪いようですが――」

「――ひっ!?」

 

 声をかけたとたん、ずさっと後ずさって怯えたような目を向ける彼……その怯えようは、魔物ではなく会議室から出てきた私達の方に向けられているようで……

 

「おい、お前、まさか……この騒ぎの何かを知っているな」

 

 そうだ、双方向から同時の襲撃など絶対におかしいのだ、()()()()()()でもしていたのでなければ……!

 

 動物系の魔物は、その辺りは比較的容易に誘導できる。餌や、薬品……魔物を使役する事を生業にしている者も少なからず存在しており、ゲームの時もペットを使役する事を専門とするアニマルテイマーも職として存在していた。

 

「ち、違うんだ、こんなつもりじゃ、俺、奴らがここまでするなんて思ってなくて……!!」

「君は……元々この町に駐留していた隊員だったな。どういうことだ?」

「や、やりたくてやったわけじゃない、家族が……言う事を聞かないと家族に手を出すって……!」

 

 問い詰める隊長さん。聞けば、元々ここに住んでいるこの男は、現在第二子が妻のお腹の中におり、その面倒を見るため年を召した親も同居しているのだと。

 町長の一派にその家族を人質にされ、協力することを断れなかったのだそうな。

 

 ……つくづく、下衆い連中だ。

 

「でも、自分が言われたのは、あんたらがここに来たら合図をしろ、それだけだったんだ……!」

「……嘘は言っていないようですね」

「そうか……事情は後で聞く、お前は詰め所の中で謹慎していろ!」

 

 憔悴した様子で私達が出てきた入り口の中へ戻っていく彼。あの様子では逃げ出したりという事は無さそうだ、が。

 

「あいつら……自分たちの町に魔物を引き込んで、火までかけたってのか」

「憶測になるが、そういうことだな」

「けどよ、そんな事をしたら、もうこの街には居られないだろ」

 

 誰が自分の町を危機に巻き込む長に支持をするものかと。今まで「まぁ、ずっとそうだったから」と強硬に反対してこなかった町の者たちも、今回ばかりは許すはずがあるまい……町に残っていれば、だが。

 

「……いや、違う。あいつら、元々次にゴブリン達が襲撃して来る前に、さっさと自分達だけ逃げ出すつもりだったんだ……混乱に乗じて、()()()()()()()()()!」

 

 先程見せられた資料の中には、すぐ南に行ったところにある港町から海路を使用し、極秘裏に西の大陸と何度か裏取引をしている可能性が示唆されていた。

 

 本来奴隷売買が禁止されているこの国と違い、商人の国である向こうはそういった商売も盛んであるとも。もし、そういった事にまで手を伸ばしているとすれば、その際、最も狙われそうなのは……

 

「――イリスか!」

「急ぐぞ、レイジ!」

 

 まさか大通りに面していて人目に付き、しかも患者も数名入院しているアイニさんの店に、曲がりなりにもこの町の名士が押し入るような目立つことはしないと思っていた。

 しかし、これだけ状況が混乱し、そもそも町に残るつもりが無いのであれば、おそらくどのような事でもしてくるはずだ。

 

 急いで駆けだそうとした、その時。

 

「――レイジ君!」

 

 走り出そうとしたその時、背後からかかっていた声に、思わず私とレイジが振り向いた瞬間、結構な勢いで飛来してきた細長い物体を、咄嗟にレイジが空中でキャッチする。それは……

 

「……剣? って、これ、ゼルティス……お前の愛剣じゃねぇか!?」

 

 そこに立っていたのは、駆け付けた皆の中から一人こちらに向かってくる青年……ゼルティスさんだった。彼は、いつも腰に佩いていた長剣のうち片方は既に抜いているが、もう片方は存在せず……それはレイジの手の内にあった。

 

「君は愛剣を失ったのだろう! 持っていきたまえ、普段の剣とサイズが違うのは諦めて欲しいが、それなりの業物だ!」

「……悪い、ありがたく借りるぜ、ありがとな!」

「勿論、貸すだけだからきちんと返しに来たまえよ、我が姫と一緒にな!」

「おいこら誰がお前のだふざけんなよ!?」

 

 気障ったらしく手で礼を取る彼に、怒鳴り返しながら剣帯の剣を入れ替えているレイジ……やっぱり、仲いいなこの二人。そうは思ったが声は出さずに、先に行っているぞとだけ告げ全速で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ズズン、とフロストパンサーの体が地に崩れ落ちる。

 

 所々で火の手が上がる夜の町……東区の、渓流沿いに作られた大通りの中ほどにあるアイニさんの店の付近まであと少し、と言う場所。

 しかし、私達二人はどうやら避難した怪我人の血の匂いを追ってきたらしい、その目的地に迫っていた魔物と遭遇していた。

 

 心臓を貫いたレイジの剣がズルリとその白い体躯から引き抜かれ、純白の毛皮を真っ赤に染めていく。その様子は確実に事切れており、再び起き上がる気配はない、が。

 

「ソール、もう一体、魔法詠唱中だ!」

 

 私達が発見した時、フロストパンサーは二体居た。一匹が前線に残って私達と遣り合っている間に、もう一体はすでに後方に下がってしまっている。

 およそ50メートルは離れた平屋の屋根の上、そのもう一体のスノウパンサーの足元には氷雪系の魔法であることを示す白に近い青色に輝く魔法陣が展開されている、が。

 

「させるかぁっ!!」

「ギャウン!?」

 

 私の剣から放たれた雷光がスノウパンサーを貫き、今まさに発動しようとしていた魔法を霧散させる。

 

 こいつ等の使う魔法には、広範囲を対象にした攻撃魔法『ブリザード』が存在する。

 避難所に程近い、このような場所で攻撃魔法を放たれるわけには行かないと、咄嗟に放った私の『スタンピアサー』が宙を駆け、狙い違わずその純白の毛皮を貫き、痺れによって詠唱を中断させると同時に、体の自由を失った敵が屋根を転がり落ちて地面に叩きつけられる。

 

「これで……二体目っ!」

 

 痺れて地に倒れ伏したスノウパンサーの首に、あっという間に距離を詰めたレイジの剣が落ちる。ごきり、と鈍い音がして、その白い巨体がビクン! と跳ねると……こちらもすぐにその動きを止めた。

 

 ここに来るまでにも既に数体の魔物を斬り伏せて、ようやくたどり着いたアイニさんの店は……

 

「くっ、遅かったか!?」

 

 踏み荒らされた庭に、蹴倒されたプランター。一目で何か騒ぎがあったと分かるほど、庭が荒らされていた。

 そんな中、玄関で呆然と座り込んでいた避難者と入院患者と思しき者達に、レイジが詰め寄る。

 

「おい、ここで何があった!?」

「あ、ああ……剣士様……町長の、町長の私兵のゴロツキ共が……」

 

 動転していて今一つ要領がつかみにくい話だったが、要約すると、突然の魔物の襲来で騒然とする中……

 

「急に踏みこんできた連中が、患者を人質にしてイリスとアイニさんを攫って行った……!?」

「……クソッ、あの野郎ども……っ!!」

「待て、レイジ! すみません、その時、アイニさんに拾われていた子供……ハヤト君は、その場に居ましたか?」

 

 すぐにでも飛び出そうとするレイジを制止すると、その時の状況の中で最も聞いておきたかったもの……連れ去られたであろうイリスとアイニさん以外でこの場に居ない()()()について質問する。

 

「へ? い、いえ……そういえば、ふと気が付いたら居なかったような……」

「そうですか……情報、感謝します」

 

 ふっと口の端を緩める。あの少年の場合、その場に居なかった()()()()()()のならばそれで良い。

 

「おい、ソール、早く追わねぇと……!」

「いや、奴らが何処に向かったのかもわからないまま追うのは却って良くない、ここより東は私達には地の利がないからな……それに……有った」

 

 ざっと周囲を探っていると、道路に一本、不自然な金属片が刺さっているのを発見した。

 抜き取って眺めてみる。黒い金属むき出しの細長く飾り気のない、武骨な金属製の箸のようなそれには、何か小さな赤い糸切れが結わえてあった……そういえば、ハヤトの身につけていたマフラーも、これと同じ赤色だったな。ふっと、こんな時なのに笑いが漏れた。

 

 ……人質を取られた時点で『相手に認識されない事』を優先したか。しかし、追跡しつつもきっちりこちらに分かるように情報を遺している。やはり、瞬時の判断力は中々光るものがある少年じゃないか。

 

 ――ますます、仲間に欲しくなった。

 

 以前、死を覚悟した時にイリスに言った事がある。『信頼できる仲間を集めろ』と。その想いは、無事にあの時の夜を切り抜けた今も変わっていない。

 あの少年は、粗削りながらもその期待を十分に満たしてくれる片鱗を見せてくれている。だから、欲しい。

 

 ……っと、こんな事をしている場合じゃなかったな。手元の金属棒をレイジに投げ渡す。

 

「……棒手裏剣、間違いない。レイジ、大丈夫だ、あの二人は優秀な護衛が追っている。この目印を追うんだ」

「護衛……そうか、姿が見えないと思ったら」

「私は残って町を守る……イリス達は、任せたぞ」

 

 幸い、ここに来るまでにスノウパンサーは何体か狩っている。騒ぎの規模的にあと2~3体くらいか、それくらいであれば私一人で、倒せないまでも十分に引き付けられる。

 

 ……元の世界基準で考えると、随分化け物じみた話だなと今更ながらに苦笑しながら、レイジの背中を押す。

 

「……ああ、行ってくる! あいつら絶対逃がさねえ……っ!」

 

 そう言い残し、あっと言う間に見えなくなったその背を見送る。

 ……こうしては居られない、自分の仕事をしなくては。近くを走って居た衛兵を捕まえる。

 

「魔物を見つけたら私に知らせろ、貴方達は消火活動と、逃げ遅れた町民が居たら薬屋に誘導してくれ!」

「あ、ああ、分かった!」

 

 それだけその衛兵に伝えると、未だ騒がしい場所へ向けて駆け出した。

 

 



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少年の戦い

 

 ガタガタと、林間の悪路に揺れる馬車の中。

 

「く、くくく、ははははっ」

 

 やった。やってしまった。これでもう後戻りはできない。

 元々、町長などというのも親から継いだだけで、それ程未練があるわけでもなく、いつかこのような辺境からの脱出を目論んでいたが……これでもう退路は無い。

 

 今回、主要産業である鉱山が占領された事で、この町にも町長という立場にもさっさと見切りを付けて逃げ出そうと少しずつ移動していた資産だが……それでも大半を置いていくことになったのには忸怩(じくじ)たる思いがある。

 

 ――と、最初はそれで躊躇(ためら)いはあったが、この数日で事情が変わってしまった。

 

 どう考えても真っ当な旅人ではない、傭兵団と共に町に入ってきたあの若者達。

 会話の先頭に立っていた青年の、座った肝と、こちらを探るような目。

 何も言ってはいなかったが、あれはきっと領主の息のかかった者で、とうとう調査の手が伸びて来たに違いない。

 

 そう悲嘆していると、突如もたらされた悪魔の囁き……西の大陸から商談に来た、闇商人の子飼いという者達から(もたら)されたのは、町を魔物に襲わせ、騒ぎに乗じて価値のあるものを奪って高跳びする、という物だった。

 

 大陸を渡る手筈は整っている、そうここ数年に渡る馴染みの彼らに告げられ、藁にもすがる思いで決行したが……町は彼らがいずこからか用意した魔物たちによって目論見通り大混乱に陥り、想いのほか事はうまく運んで、あとは南の港町までいけば逃げられる――!

 

 査察が入れば身の危険があるという事も確かに決行の理由だ。

 この北の国は非常に商売のしにくい国で、今まで取り扱ってきた商談の幾つかは密輸や人身売買等の法に触れているものもあり、捕まれば首が飛びかねない。

 

 しかしそれ以上に……今回新しく手に入れたあの少女達の事を考えれば、あの町の全てを捨ててもむしろ釣りが来るほどだと、今頃荷馬車の方で震えているであろう彼女らを思いほくそ笑む。

 

 方や町で評判の美人の薬屋。その美貌に幾度か娶る事を打診して来たが、その度にさらりとかわされて来た、そんな娘が今私の手中にある。

 

 あの美貌に加えて薬屋としての実力も確か。それだけでも、奴隷として売ればおそらくかなりの値が付く。それこそ、何年かは遊んで暮らしていけるだけの。

 

 だが、それ以上に――

 

 傭兵達と共に現れた若造の一向に居た、あの銀の髪の少女。

 病気だとかで臥せっていたあの娘を捕らえた際、初めは何か恐怖に駆られるように激しく抵抗していたが、闇商人から高い金を出して買った『あれ』を取り付けた途端に大人しくなり、すぐ昏倒して静かになった。

 

 ―最初、あの西門で一目見た時から、激しい衝動に駆られた――欲しい、と。

 

 未成熟ながら、成長すればどれだけの大輪の花を咲かせるであろうか分からないほどの可憐さに、教会に囲われていると噂される聖女もかくやというあの強力な治癒魔法。

 

 攫った当初は、然るべきところへ売り払うつもりであった。

 

 どのような場に出しても恥ずかしくないであろう容姿に、楚々とした仕草。

 希少な、教会に確保されていない治癒魔法の才。

 少女であるが故に、手籠めにして自らの子を宿させる事が可能だということも、その才を自らの家系に取り込みたい者達……特に貴族といった連中にとっては、いくら金を積んででも欲しがる逸材に違いない。

 

 未だ何者にも染まっておらぬ、所有者が如何様にも染め上げることが出来るであろうその蕾は、おそらく一生遊んで暮らせそうな大金となる……それだけの価値があの少女にはある。

 

 だが……だがしかし、それ故に手放すのは惜しい。

 この手で調教し、従順に仕立て上げる事が出来れば、どれだけの富を生み出す事か。

 このような辺境で小さな町の町長に甘んじる必要などない、富が集まる西大陸で一旗揚げ、一城の主となることもきっと不可能ではない。

 

 それどころか、もしもあれだけの才と容姿を継いだ子を為すことができれば、貴族や……場合によってはどこかの王家ともつながりを持てるかもしれない。それだけ、治癒魔法の才というのは珍重されるのだ。

 

 ――いや、そんな理屈は後付けだ。ただただ、あの少女が欲しい。あの可憐な少女を好きにできるとしたら、どれだけ私を満たしてくれるか……その湧き上がってくる欲望は、魅入られたと言っても過言ではない。

 

 あの少女が、私の下で、私の手で、その端正な顔を羞恥と恐怖、やがては快楽に歪める……本来であれば、触れることすら叶わぬであろう可憐な蕾を自らの手で手折り、未来を摘み取るという昏い愉悦。

 

 ……そんな妄想の未来に想いを馳せていると――いまいち表情と考えの読めない、闇商人から紹介された案内人だと言う男が、速度の落ちた馬車に入り込んで来た。

 

「……すみません、荷馬車が泥濘に嵌って動かなくなりました」

「……っ、馬鹿者、何をやっている!」

 

 ――役立たずどもが! 何の為の案内人だ!

 

 何のために財産の一部を捨てて急いで逃げてきたのか。もたもたしていたら、町の騒ぎを鎮圧して追手に追いつかれるかもしれない……やむをえん。

 

「くっ……荷物は後で回収すればいい、あの娘達だけでも連れていくぞ、こちらに引っ張ってこい!」

 

 荷を失うのは痛手だが、それでもあの娘達さえ確保していれば何とでもなる。

 

「私は、このような辺鄙な場所で終わるような者ではない、必ず逃げて、金を、権力を――っ!」

 

 

 

 ……そう、行く先を、欲望にぎらついた目で見据えていた――背後から見つめている、冷めた視線に気がつかないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――荷馬車の中、他の荷物の影に隠すように外から見えぬように置かれた、何か動物を閉じ込めておくような金属製の檻の中。

 

「……う……あぁっ……!? 嫌ぁ……っ!」

「……大丈夫、きっと助けてあげるから……ね?」

 

 力無く眠る、一緒に連れてこられた女の子を、私も両手首が縛られており思うように動けない中でどうにか胸に抱き、カタカタと小さく震えているその華奢な体を労わるように、ぽんぽんと背中を叩く。

 (うな)されている、腕の中で眠る彼女……イリスちゃん、あるいは……いいえ、そう呼ばれるのを望んでいないのなら、この名前は胸の内に留めておこう。

 

 今は、風邪薬に含まれていた鎮静作用の薬効によって眠りについているためこの程度で済んでいるけれど……起きていた時の様子は本当に酷い物だった。

 

 攫われた際……最初こそ必死になって抵抗していたが、男達が取り出した首輪のようなものを嵌められた途端に熱に上気していたはずの顔を蒼白にし、子供のようにぼろぼろと流れる大粒の涙を手で拭いながら、虚ろに「許して」「ごめんなさい」と譫言のように呟き出した尋常ではないあの反応。

 どこか定まっていない視線に、幼児退行したかのような言動……あれは何か心的外傷のフラッシュバックだろうか。すぐに高熱によって昏倒してしまったが、その様子は只事ではなかった。

 

 今も、時折魘されているけれど、両手足を拘束されている私には、少しでも落ち着けるように抱きしめてあげるのが精一杯。

 

 ……その細い首に嵌められた、分厚い重たい金属の首輪。指を這わせてみると、指先に、力が抜けていくような強烈な不快感と、くらりと眩暈のような物が走る。

 

(……なんて、(たち)の悪い造り。魔力を封じるだけじゃない、体内の魔力を滅茶滅茶に掻き回すように作ってある……抵抗する力と、意思を奪うために、か)

 

 それほど魔力が高いわけではない私ですらこれなのに、類い稀な治癒魔法を行使できるような才に満ちたこの子ならいかほどの負担か。ただでさえ病魔に侵されている体が、今この時も更に痛め付けられている事は想像に難く無い。

 

 ――錬金術を修めた者として、このような、ただ人を陥れて苦痛を与えるためだけの悪意の塊は、許容できるものではない。手元に必要な機材があればぶっ壊してあげるのに。

 

(精製して純度を高めた魔消石が混ぜ込んであるわね。こうした風に使用されるのが懸念されて、この国では厳しい流通制限があるのに……)

 

 魔法大国であるこのノールグラシエは、権力基盤を揺るがしかねないこうした物品に非常に敏感だ。実のところ多数の密偵の監視が各町に目を光らせており、そうそう国内で生産される事はない。

 

 ……とすると、手引きしているのは他国……おそらく西の通商連合の裏組織あたり。あの国は商人の力が強く市場の自由度も非常に高い一方で、巨大な犯罪組織が幅を利かせているという。

 

 なんとかして、逃してあげないと。彼女がもし本当に――なら、そのような連中の喰い物にされ、取り返しがつかなくなる事態だけは避けなければいけない。

 

 彼女の連れの一行と会話していた際の違和感を思い出す。

 

 ――辺境での騒動の顛末。人の居住地の間近で発生した『異常』にも関わらず、未だ現地では無事、普通に生活しているという。

 

 ――まるで、坑道に発生したという『傷』が消せて当然とでも言うかのような反応。もしそれが容易くできるのなら、この世界における人の生活圏はここまで狭くない筈だというのに。

 

 それが可能なのは――歴史上でも記録に残っている限り、現在に至るまで、()()()()()()()()()()()()()()

 

 一体何があったのかは分からないけれど、この子が私の予想通りの人物なら、本来あるべきはずの背中の()()が消え去っている、腕の中のこの子は――何て、重い物をこんな小さな体に背負ってしまっているのだろう。

 

 私がどうなってでも、どうにか、この子だけでも逃がす……そう決意していると――不意に、私達を積んだ荷馬車が、止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 マフラーの裏に仕込んでいた棒手裏剣をまた一つ引きちぎり、目立つ場所に投擲して再び走り去ろうとする二台の馬車に追従する。

 

 視界の両端を凄まじい速度で流れて行く木々。平地を飛ばして走る馬車に並走する速度で木々の合間を縫って走るのは恐ろしいが、それ以上に見失うことが怖い。

 少しでも足を滑らせたら落下するような足場を、必死に次に足を置く場所を判断しながら、飛ぶように移動する。

 

 

 

 脳裏に浮かんで消えない、俺と同じようにこちらに飛ばされて来た女の子。

 いつもふわふわとしている癖に、やたら親身にこちらの心配をして、そのくせ俺が危なかった時には躊躇いなくこちらを庇って危険に身を晒した姫様。

 そんな姫様が、男達に捕らえられた際に見せた、悲痛に泣き叫ぶ声が耳を離れない。

 

 それに、アイニ姉ちゃん。誰も信用できなくなって彷徨った末に倒れた自分を拾って、助けてくれた姉ちゃん。

 途方に暮れていた俺に、人並みの生活をさせてくれた。何も返せる当ても無い俺に、気にしなくていいと暖かい居場所をくれた姉ちゃんが居なかったら、きっともう……

 

 ――ああ、認めるさ、そうだよ、惚れてるよ! 多分あの二人、どっちにも!

 

 そりゃ、この気持ちは、学年で一番可愛い子に憧れるような、綺麗で優しい年上のお姉さんに憧れるような、一過性の浮ついたものかも知れない。

 だけど、話をしているとつい照れ臭さに生意気な態度を取ってしまうけど、それでも内心ではこれ以上無いってくらいドキドキする。

 

 ……なのに、このままだと、そんな二人が誰とも知れぬ者の所有物にされてしまう。

 奴隷――元の世界ではまるで馴染みの無いその言葉。吐き気がする。嫌だ、そんなのは我慢ならない。胸が黒い感情でモヤモヤする。

 

(――ごめん、姉ちゃんたち。きっと怖い思いをしているんだろうけど、絶対助けるから……!)

 

 それに、俺を信じてくれた兄ちゃんの期待も、今度こそ裏切りたくない。

 

 もう少し。もともと港町に鉱石を運ぶため、重い積み荷を詰んだ馬車が頻繁に行き交っていたために深く(わだち)の刻まれたこのルートなら、この時期であれば雪解けの水が溜まりずっとぬかるんだ道が続くと、以前アイニ姉ちゃんの薬草採取についてきた際に聞いている。

 

 あの荷物を満載した馬車は、見るからにキャパオーバー気味だ、あのような物で、あの細い車輪でぬかるみに突っ込めば……

 

 

 

 

 

 ――そして、その時は来た。

 

 読み通り、雪解けの水によって酷くぬかるんだ道に車輪を取られた荷馬車。

 

 いつ期が来てもいいように、息を潜めて限界まで荷馬車に接近する。

 潜んだ茂みから目と鼻の先……男達はしばらく何事か口論をしたのち、数人の私兵たちがその荷馬車に向かい、中から何かをごそごそと取り出していた。

 

 出てきたのは――手を拘束され、乱暴に引っ立てられるアイニ姉ちゃん、それと……ぐったりとしたまま担がれた、小柄な女の子には不釣り合いな武骨な金属の首輪を嵌められた、姫様。

 

(――くそっ!)

 

 これ以上、様子を見ているわけには行かない、状況的にも……心情的にも!

 

「その子は体調が優れないのですよ、もっと丁重に扱いなさい!」

「おい、うるせえぞ薬屋、黙って――」

 

 明らかに顔色が悪化している姫様。その様子が我慢ならないようで、囚われの身にも関わらず気丈にその扱いで口論しているアイニ姉ちゃんに向けて……姉ちゃんを引きずっている男の手が降り上げられた。

 ビクッと肩を震わせ顔をかばうアイニ姉ちゃん。

 

 気が付いたら、その、背後に潜んだ俺から見たら無防備に曝されている町長の私兵の背中に、意識が吸い寄せられて――

 

「――がぁっ!?」

 

 その、防具に覆われていなかったわき腹に、すっと短刀を差し入れた。

 

 ――予想以上に、手ごたえが無かった。一瞬外してしまったのかと。しかし、男の口からゴポリと吐き出された液体が、それを否定していた。

 違う。それだけ、手にしたこの刃が……命を奪う為に研ぎ澄まされた凶器が鋭かったのだ。

 

 必死に、男の腹に潜り込んだ短刀の刃を、こじって、抜く。ぶちぶちと、手元で何かが千切れる気味の悪い感触。

 

「ち、く……しょ……」

 

 ずるりと、男が地面に倒れ伏した。じわじわと、ぬかるんだ泥以外の何かが地面に広がっていく。

 

「――はぁっ……はっ……」

 

 ――人を刺した……明確な殺意をもって。

 

 ――もっと取り乱すかと思ったのに、案外平気だった。ただ……やけに月明かりが眩しいなと。周囲の様子が、倒れ伏した男の表情まで、見え過ぎるほどに良く見える。

 

 意外と、なんともないな……そんなことを冷静に考えながら、あっけに取られているアイニ姉ちゃんを尻目に、未だに呆然と状況が分かっておらずこちらを眺めているもう一人……姫様を担いだ男に、全力で踏み込む。

 

「――うわぁぁぁああああああああ!!」

 

 ――近くで、絶叫が聞こえる。煩い、誰だ……あぁ、何だ、俺か。

 

 どこか現実感がない世界で、ばちばちと帯電した、短刀を持たない方の手……右手を抜き手の形で男の腹に、突進の勢い全てを込めて叩きつけた。

 

 ずりゅ……指先に、そんな、生暖かくぬめった感触を感じながら、体内に雷撃を流し込まれて悶絶し崩れ落ちる男から姫様を奪って、後ろに下がる。

 

 ――軽い。

 

 その薄い寝巻き越しに感じる発熱で高くなった体温と、羽根のような体重を感じて、急速に現実感が帰って来た。

 身長は俺より少しだけ高いはずの姫様が……この体の性能もあるだろうけど、片腕で余裕で抱えられる位に、軽い。

 

(なんだよ、これ……こんな軽いのかよ、女の子って……くそっ、怖ぇけど、俺がやらないと……っ!)

 

 あの兄ちゃんたちと一緒に居たから、ついうっかりこの姫様まで強いものだと錯覚していた自分は、本当に馬鹿だ……っ!

 普通に考えたら純支援職の姫様より、俺の方が強いに決まってるじゃねぇか……なのに!

 

「ハヤト、君……?」

「――姉ちゃん!!」

 

 手足の拘束を切り裂いて解放した姉ちゃんに、意識の無い姫様を押し付ける。

 

「姫様をつれて、先に逃げろ! きっと気が付いた兄ちゃん達の誰かが追ってきてる!」

「で、でもハヤト君は……」

「いいから! 俺はここでこいつらを足止めするから、早く――!」

 

 掴みかかってきた男の懐に、小柄な体を滑り込ませて肘で打ち抜きながら、叫ぶ。

 

「――危なくなったら、気にせず逃げるのよ!?  約束ですからね!」

 

 躊躇いながらも、走り去る姉ちゃん――頼むぜ、二人とも、どうか無事に……

 

「あああ!? 何をやっているのだお前達、娘どもが……追え、逃がすな!」

 

 後ろで泡を食って喚き出したブタ野郎(町長)の怒声に追い立てられ、そちらを追おうとした相手の後頭部を蹴飛ばし、意識を刈り取る。

 絶対に追わせねぇ、そんな気持ちで男達の進路に立ちふさがると、そんな俺の心情を見て取ったのか連中が各々の武器を抜く。

 周囲を囲む、命を奪うための道具の輝き。どれか一つでもまともに受ければ、あっさりと死ぬ。

 

「……へ、へへ……」

 

 おかしな笑いが漏れる。笑うしかない。

 

(……怖ぇ……怖ぇよ、畜生……っ!)

 

 周囲を囲んでいるのは、人を殺す事にも慣れた傭兵たちだ。こっちはつい先月までただの学生だったんだ、怖ェに決まってんだろうが……!!

 

 だけど……だけど、俺がやらないと! 約束したんだ、今度こそ守るって……!

 

「貴様……行き倒れのガキか!? おのれ、住まわせてやった恩を忘れおって……!」

「あぁ!? テメェに世話になった覚えなんて一度も無ぇよこのブタ野郎!!」

 

 敵の後方からの罵声に良い感じにムカついた。少しだけ恐怖心が紛れたから、それだけは感謝してやる。

 腰のポーチから、人の形をした紙束……形代を抜き取り、周囲にばらまく。それは、みるみると……まるでいつか読んだ昔の忍者ものの漫画に出てくるような、俺と全く同じ姿をした幻影となって、起き上がってくる。

 

 今にも破裂しそうな心臓を必死に宥め、深呼吸する。

 

 ――そうだ、俺は漫画のヒーローだ、そう信じろ! 怖くなんて無ぇ、この程度、なんてことは無ぇ!!

 

「かかって来いよ、ド三下共がぁ! 『ニンジャマスター』ハヤト様が、相手をしてやるよ、こんチクショウがああああ――っ!!」

 

 それが虚勢でも何でもいい、自分を鼓舞するように、必死に、吠えた。

 



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剣軍

 

 ハヤトが点々と残した目印を辿り、必死に夜の森を走る。

 この体の有している高い夜間視力に加え、この世界は二つ月があり、そのどちらも円に近い形となっている今夜は光量は十分に存在し、視界には困らないが……それでも、まだか、まだ追いつかないのかと気が急く中で必死に林間の道を走っていた。

 

 ――そうしてしばらく走っていると、道の向こうから、小柄な人影が歩いて来た。遠目からでも鮮やかに夜の闇に映える金の髪と、銀の髪……あれは!

 

「アイニさん!……良かった、無事か! それにイリスも……!」

 

 歩いて来たのは、攫われた筈のアイニさん。その背にイリスを背負って歩いて来た彼女は、こちらに気がつくとパッと緊張に強張っていた顔を綻ばせた。

 

「ああ、レイジさん、よかった……こんな近くまでいらしていたんですね!」

「ハヤトのおかげです、あいつが目印を残してくれたから……イリスは、俺が預かります」

 

 イリスは小柄で軽いが、それでも一般女性には荷が重い。ここまで連れて来てくれた事に感謝を述べて左腕に抱く。

 薄い寝間着の布越しに感じる体温はさらに上がってしまっているような気がする。熱で上気した顔は絶えず汗を浮かべ、苦しげな呼吸音を上げている。

 そして……その、首に嵌った、重々しい首輪。たったそれ一つだけが華奢で小さい体躯には凄まじい違和感と背徳感で、痛々しさに唇を噛む。 

 

 ……そんな時。

 

「…………あ……れいじ、さん……?」

「……っ」

 

 いつの間にかうっすら目を開けていたイリスが、呆然と熱に浮かされた目をこちらに向けていた。

 

「……レイジさん……レイジさんっ……レイジさん……っ!」

 

 みるみる、くしゃりと表情を歪めて目から大粒の涙を零し始め、すがるように俺にしがみついて来る。その様子はまるで、いつかの心的外傷で幼児退行を起こしていた時に似ていて、震える手でどうにか抱き締め返す。

 

「ああ、俺だ、大丈夫だ……ちゃんとここに居る」

「……良かった……すごく……怖い夢を見て……でも、良かった、レイジさんが居た…………」

 

 ポロポロと涙を零しながら、ふにゃっと安堵したかのように笑うその様子は夢現(ゆめうつつ)を彷徨っているようで、目は焦点も定まっておらず、どうやら僅かに意識が浮上しただけのようだ。

 

「……そんな物はただの夢だ、安心して眠っていろ……な?」

「……は……い…………」

 

 そのまま、体力の限界なのか、またすぐスッと眠りについた。

 …未だ眠りながらも目の端から雫を滴らせているが……さっきまでよりはまだ、少しは安心したように穏やかな表情で眠っているのが救い……か。

 

「あの、彼女のその様子は何故……? その、言いたくないのであれば聞きませんが、何かの心的外傷の症状ですよね。一体、何が……」

「……そうだな、あんたならいいか。前の町で、山賊に攫われて、ちょっと……どうにか取り返しの付かなくなる事態には至らなかったんですが……」

「そう、ですか……それは、辛かったですね……」

「ええ……だいぶ人との交流も増えて、せっかく良くなってきたと思ったのに、またこんな……畜生……っ!」

 

 これで元の木阿弥に戻ってしまわないか、それが気掛かりだ。何せ、今回の状況は嫌が応にもあの時を想起してしまう事態だろうから。

 

「……ごめんなさい、私、預かっていた子をこんな目に……」

「……いや、アイニさんも、無事で良かった、です。巻き込んでしまってすみませんでした」

 

 この人も、連中に攫われた被害者だ。なのにこうしてイリスの事を気にかけて、危地から連れ出してくれた、感謝こそすれど、責めるような事は何も無い。

 

「それで、ハヤトの奴は……」

 

 先に助けに来たはずのあいつの姿が見えない。そして町長の私兵の追手の様子も見えなかった。

 隠密系は、特殊な状況下では無類の打撃力を発揮するが、姿を晒した状態での面と向かっての戦闘は、俺やソールの職に比べるとそこまででもない。ヒーラーとはまた違った意味でパーティ向けの職だというのに、まさかあいつ……

 

「それが、あの子、私達を逃がすために一人で残って……お願いします、あの子を……」

「あいつ……分かった、すぐに助けに――」

 

 ソールの奴が気にかけていた訳だ、思っていたよりずっと骨のある奴だった。

 しかし、イリスをこの手に取り戻せたのは全てあいつのおかげだ、このまま放っては置けない。アイニさんが来た道へ歩き出そうと、一歩踏み出そうとし……ぞわりと悪寒が走った。

 

「――悪ぃ!」

「きゃ!?」

 

 嫌な予感に、左腕にイリスを抱いたまま、同じく歩き出そうとしたアイニさんを右腕でひっつかんで飛び退る。

 

 ――カカッと、地面に突き立つ投げナイフ。明らかに俺を狙い撃ちにしたものだ。

 

「……外したか……中々勘は良いようだな。あまり面倒事は避けたかったのだが」

 

 木々の影から、滲み出るようにぞろぞろと現れた、明らかに剣呑な空気を纏った黒装束の連中。

 

 ……見えているだけで、七人。気配はそれよりも多く感じるから、何人か潜伏している……か?

 皆が黒いローブを纏って夜の闇に同化する中、顔を覆う、目の所にだけ穴が開いた飾り気のない仮面だけが白く浮かび上がっている。武装は鉤爪や短剣、鎖鎌とまちまちだが、総じて殺傷力の高い刃物で武装している。

 

 ……どう見ても、堅気の、まともな連中には見えなかった。

 

「なんだ、テメェ等」

「……その娘を、置いていけ。あるお方が、ぜひ一度お会いしたいとご所望だ」

 

 どこからか聞こえてくる声。おそらくリーダーか、何物かが一人代表で喋っているように聞こえるが、しかし、全員が顔が見えず、黒装束達の誰が喋って居るのかがわからない。

 しかし、そのような些末事より……その中に聞き捨てならない台詞があった。

 

「……あるお方?」

「あぁ、言っておくが、あの町長などのような小物ではないぞ。従わなければ、貴様達は我々を敵に回す事になる……尤も、その前にここで始末する事になるが」

 

 くい、と控えめに袖を引く気配。ちらっと視線を向けると、再度緊張を滲ませた顔でアイニさんが連中を睨んでいた。

 

「……彼らはおそらく、西の大陸の通商連合の暗部、通称『ヘイシーダ・マオ(黒猫)』と呼ばれる連中……最大手の闇組織です……最近、人事でゴタゴタがあって、幹部の多数がすげ変わったと耳にしましたが……」

「へぇ……そいつはまた、大陸を渡ってまでご苦労さんなこって。なるほど、こいつらがあのブタ野郎(町長)(そそのか)した真打のクソ野郎ってことか」

 

 だが、何故それがイリスを狙う?

 今の口ぶりでは、奴らの親玉はまるでこいつの存在を知っているみたいではなかったか。

 しばらくそんな事を考えていると……

 

「……矜持が邪魔で決めかねていると言うのであれば、こいつをくれてやる」

 

 何を勘違いしたのか、どさりと、眼前の地面に重たい音を立てて皮袋が落ちる。奴らの一人が投げ放ったものだ。

 

「……なんだよ、これは」

「旅人風情であれば数年は遊んで暮らせる額が入っている。命が惜しければそれを持って女を置いて、とっとと失せろ、ということだ」

「……へぇ」

 

 身をかがめて、その皮袋を手に取ってみる。

 

「れ、レイジ、さん……?」

 

 訝し気に背後からかかる声。しかし、俺は手にしたその皮袋を軽く放っては受け止めるという動作をなんと無しに繰り返す。

 

「……随分と気前が良いんだな?」

「それだけ、その娘には価値があると言う事だ、貴様のような一旅人が何も知らず連れ回しているのが宝の持ち腐れであるだけの」

「なぁ、そんな事を話して、俺が手放すのが惜しいと考え直したらどうするんだ?」

「命が惜しければ引け、と言ったはずだが? 足りないと言うのであれば……」

 

 ベラベラとよく喋る男の言葉を、手で制する。もういい、もう聞けば聞くほど耳障りになっていく戯言は十分に聞いた。

 

「く、くくく……ははははは!!」

 

 人って、許容範囲を超えて面白くねぇ事があると逆に笑うしか無くなるんだな。

 

 ああ、確かに遊んで暮らせるんだろうな。手の内に感じる重量は、間違いなく金貨が詰まってるのだと理解させられる。

 

 ――なぁ、だから、それがどうしたってんだ?

 

「ふっ……ざっけんじゃねぇぞクソがぁあああ!!」

 

 怒りのままに、宙に放り投げた皮袋に、抜き打ちで放った斬撃を放つ。鞘から疾った剣は炎を巻き上げ、一瞬で皮袋を灰に変え、中身の金色の塊を赤熱化させてびちゃびちゃと周囲の地面にまき散らした。

 

 その火力に、黒装束の男達の間に警戒が走る気配……けどなぁ、もう遅ぇんだよ、テメェらはキッチリ、獅子の尻尾を踏み抜いたんだからなぁ……っ!

 

「…………なぁ、テメェら……今更、『冗談でしたー』とかホザくんじゃねぇぞ――クッソつまんなかったからなぁ! 面白くもねぇ事は冗談って言わねぇんだよ!!」

 

 面白くねぇ。本っ当に、面白くねぇ!

 どいつもこいつも、コイツをカネになる、権力の足掛かりになる、そんな下種な考えで傷つける奴ばっかりで、本……っ当に、笑えねぇ!!

 

 ――もう、いい加減こういう手合いにはうんざりだ……!!

 

「……なぁ、アイニさん」

「……は、はい!」

 

 思った以上に冷たい声が出た。背後で青ざめていたアイニさんには悪いことをしたなと思うが……この腹の中で煮えたぎる感情は、どうやっても納めれそうにない。心の内で、怖がらせて申し訳ないと謝っておく。

 

「イリスに、この首輪をつけた連中は、あいつらで合ってるか?」

「……取り付けたのは町長ですが、その首輪を持って来たのは彼らで間違いない……と思います」

「そう、か……」

 

 すぅ、はぁ、と、いったん呼吸を整える。

 

 落ち着くためではない、そんなつもりは全く湧いてこない――怒りという熱で刃を鍛え、殺意を、研ぎ澄ませる為にだ。

 

「――剣聖技、『剣軍』」

 

 手を空に掲げ、ぼそりと、脳裏に流れ込んできた技名を呟く。すると――周囲に、半透明に輝く『剣』が一二本現れて、俺の周りを旋回するように円陣を組んで舞い降りてきた。それは、俺とその後ろに居るアイニさんを中心に滞空し、俺達を守るようにゆっくりと旋回を始める。

 

「……アイニさん、悪いけど……この剣の円の外には出ないでおいてください……外に居る連中は、誰であってもうっかり斬らない自信が無いです」

「は、はい、わかりました……」

 

 近くにいる事を確認し、手の内にいるイリスを抱え直す。二人を守りながらの戦い、それもイリスを抱えたままの戦闘だが……

 

「……愚かな。貴様の武勇は聞いているが、我々を相手に勝てると……」

「御託はいい、さっさとかかって来いよ」

 

 さて、さっきから代表で話しているごちゃごちゃうるせぇクソ野郎はどいつだろうな……まぁいいか、全部ぶった斬ってしまえば同じか。

 一人一人は動きを見るに相当の手練れなのだろう。それが相当な数。連中も街で俺らの戦闘を見て必要なだけの数は用意して来たのだろう……けどな!

 

「しゃぁ!!」

「……うっせぇんだよ!」

 

 先陣を切って鈎爪の男が一人、飛び掛かってくる。その一人を、無造作に掴んだ『剣』の一本で叩き切る。

 男は、鈎爪で空中で防御姿勢を取り……

 

「シャ……!?」

 

 その防御が、まるで紙のように抵抗なく断ち切られ、その先に居た男自体も頭から股間まで一刀両断したのち、手にした力場の『剣』が崩壊して消え去った。

 

 ――が、こいつは囮。空気の流れが別の方向から接近する影を伝えている。

 

「……ハヤトの隠行に比べたら、テメェなんか見え見えなんだよ!!」

 

 風すら感じず、攻撃の直前まで微塵も気配を悟らせなかった、坑道で一度見たあの少年の『アサシネイト』は、もっと鋭かった――!

 

 振り向きざまに、また宙から一本の『剣』を掴み、何もない――ように見える空間に向けて振り斬る。ぱっと血の紅が扇状に広がり、染み出す様に姿を現した黒装束がべしゃりと泥の中に倒れ込んだ……上下、真っ二つに断ち割られて。

 

 ――これは、性質としてはイリスの『ソリッドレイ』に似ているな、と、怒りに燃えながらもどこか冷えた頭で考える。

 

 違うのは、その性質が防御ではなく、攻撃に……鋭さ、殺傷力に特化している事。

 

 単分子カッター。元の世界にあったその言葉が脳裏に浮かんだ。

 闘気でできた力場ゆえに……物理的な刃ではないがゆえに限りなくゼロに近い極限まで薄く引き伸ばされた絶対守護領域が、たった一度だけの絶対的強度を以てあらゆる物質の分子の隙間に入り込み、苦も無く斬断する

 

 物理に対しての絶対切断能力。一本につき、必ずひとつの物を惨断する、致死の一二枚の刃。

 

 ――あと、十本。余裕でお釣りがくる本数だ。

 

 ざわりと、周囲から動揺した気配。おそらく容易く奪い取れるつもりで居たのだろうが、誤算に今更気がついても遅ぇ。きっと逃せばまたイリスを狙って来る――だったら、全員ここで……!

 

 一人、離脱しようとしたおそらく伝令に向け、その背に手を掲げると……俺の意志を受けた剣が宙を駆け、その背を、心臓を貫いてから崩壊し、星屑のような煌めきだけ残して消えていった。これであと九本。

 

 ――そうか、これ、手に持たなくてもこうやっても使えるんだな。

 

「しゃあ!!」

 

 危機を察した男の一人が、掛け声とともに俺とアイニさんに向けて何か短剣のようなものを投げてきた。

 何かの液体に濡れているように見えるのは、毒か……いずれにせよロクでもないものに間違いない。

 しかし、その間に割り込んできた『剣』が、それぞれその身に短剣を受けて崩壊し消えていく。

 あと、七本……いや、その男の首をたった今、回転を付けて飛翔していった『剣』が刎ねたから、あと六本だ。

 

 俺が考えるべきことは、まず第一にイリスにこれ以上の負担をかけない事。出来るだけ、動きは少なく、揺さぶらない様に。そしてそのために連中をできるだけ素早く消し去る事、この二つだけ。

 

 ――なんだ、単純明快、簡単な事だ。

 

 極限まで集中した思考に、視界から色が消え、灰色の世界が広がっていく。

 そんなモノクロの視界の中、色の無い世界を縫う様に縦横に奔る赤い線。まるで、ここを辿って行けと導く道筋のように。

 

 今度は三方向から同時に迫ってくる黒装束。微妙にタイミングをずらされた攻撃は、おそらくそう簡単に躱すことはできないのだろう、が。

 

 その中で、一番こちらに届くのが遅くなるであろう右手の男に、ゼルティスから借りた剣を鞘から抜いて投げつける。ぞぶりと音を立て肩に長剣を受けた男は衝撃にたまらず蹲った。

 それでも起き上がりまだやろうとするのは大したもんだが、これでこいつは少し出遅れた、後回しでいい。

 

 ――金だとか、権力だとか、そんな物の為に、そんな事のために好き勝手しやがって……!

 

 周囲に浮かぶ『剣』を一本握り、最初に繰り出された正面の男の攻撃……カタール、っていうんだったか。それを右から左へ横薙ぎに無造作に振るった『剣』で切り飛ばす。

 砕けて消える『剣』を尻目に、その『剣』を振り切った体勢の手の内に、さらに滑り込むように手の内に入り込んできたもう一本の『剣』を逆手で掴み、その無防備になった心臓に乱雑に突き込む。

 これで、あと四本。

 

 ――ふざけんな、誰にも渡さねぇ……渡してたまるか……っ!

 

 返り血を浴びる前にその体を蹴飛ばして後退し、若干左手から迫る黒服の男と距離を取る。ほんの極僅かな距離だが、それで十分だ。

 左手から迫る男の鉄爪の気配、背中越しに掴んださらにもう一本の『剣』を、全身を使って振り抜き、後ろでしゃがんでいたアイニさんの頭上をすり抜けて、その爪ごと右肩から左脇に、袈裟切りに断ち割る。

 何が起きたのかわからぬまま、下半身は大地を踏みしめたまま上半身だけをべしゃりと泥濘(ぬかるみ)に落下し倒れ伏したその男を尻目に、砕けた『剣』を手放し、物陰からこちらを狙っていた弓を持った男に手を差し向ける。同時に、背後に浮遊していた二本の『剣』が空を疾る。

 一本は同時に放たれた矢を砕いて虚空に消え、もう一本がその弓を構えた男の頭を、身を隠した木の幹ごと打ち抜く。

 あと一本……!

 

 ――テメェらが俺からコイツを奪うってんなら、俺はテメェらを絶対にぶった斬る……!

 

 最後に残った『剣』を、ようやく体制を立て直したばかりの、先程最初に借り物の剣を投げつけた右手の男に叩きつける。殆ど抵抗も無く真っ二つに断ち割られ、ゆっくりと左右別々に倒れていく男……これで、最後。

 

 不意に、猛烈に嫌な予感が背中に走り、とっさに倒れていく男の肩に刺さったゼルティスに借りた剣を引き抜いて、その嫌な予感に任せて逆手に掴んだ剣を背後の空間に突きこむ。手にかかる、鈍い肉を貫く感触と、何者かの体重。

 

「――ガッ……おの、れ……貴様のような、者など、聞いて……」

 

 ――この男だ、さっきから、五月蠅かった野郎は……!

 

「イリスは、どこにも行かせねぇ……こいつは――――俺のだ……っ!!」

 

 一度剣から手を離し、180度振り返って再度掴む。

 

「俺の女に、手ぇ出してんじゃねぇぞ、このクソ野郎がぁぁああああ!!」

 

 その柄を、全力で逆袈裟に振り抜く――!

 

 

 ……どしゃり、と、左脇腹から右肩までを切り裂かれた最後の一人が泥濘に沈む……周囲には、俺と俺が腕に抱いたイリス、そしてずっと後ろについて来ていたアイニさんだけしか動くものは存在しなくなった。

 

「――はあっ!! はぁっ、はぁっ……これで、全部、か……?」

 

 世界に、色が戻る。突如増大した情報量に軽い酔いのような症状が走り、酷使された脳がくらくらする。

 ごっそり闘気も持ってかれた。疲労と眩暈で吐き気がするが、腕にイリスを抱えているため気力で押し留める。

『剣軍』……この技、強力な分、消費が半端ないな、そうそう乱発できそうにない。

 

 腕の中のイリスに、一滴の血も掛かっていないことを確認し、ようやく安堵の息をつく。

 

「……悪い、女の人に見せるようなものじゃなかったな」

「……え!? あ、いえ、すみません、ぼーっとしていて」

 

 ……?

 なんだ? てっきり凄惨な光景に引いているかと思ったのに、その顔は何故かほんのり赤く、その眼差しには生暖かく見守るような色が滲んでいる気がする。

 

 って、こうしてる場合じゃなかったな。

 

「それより……」

「ああ、余計な時間を取られた、急いでハヤトの奴を迎えに行くぞ!」

 

 腕の中のイリスを気遣いながら、後ろからついてくるアイニさんを見失わぬように、再度夜の闇の中を駆けだした。

 

 

 

 

 

 




 ブチ切レイジさん無双回。最後のあれはテンション上がって思わず願望が口を突いて出ました。

 新技『剣軍』については本来は、周囲に浮いた剣を、剣聖将軍・足利義輝よろしく次々と使い捨てながら持ち替えて使用する技でしたが、片手が使えないため今回はこんな使い方。

 補足になりますが……今回の敵は、決して弱かったわけではなく、本来であればアイニさんを見捨ててヒット&アウェイに徹しなければ勝てない程度の相手でした。
 数に物言わせ、一人が押さえておいて他の者が仕留める……そんな戦闘に特化した集団でしたが、今回のレイジさんには防御の上から真っ二つにされるのでそれもできず……新技が酷かった。


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剣聖

 

「くそっ、このガキ、ちょこまかと……!」

 

 こちら目掛け振り下ろされた剣。だけど、その剣を振り下ろす男の背後にいる幻影に意識を集中する。

 

 ――俺の視点が、瞬時にズレた。

 

 俺の体が幻影の一体と入れ替わり、先程の男は今は俺の前で背中を晒しており、剣は元は俺の立っていた場所に居る幻影だけを切り裂いている

 

「くそ、またか、こいつ……っ!」

 

 苛立たし気に次の俺の影に向かおうとする男に、背後から飛び掛かる。

 

「っ……らぁ!!」

 

 全身をバネの様にしならせて回転を付け、その側頭部に踵を叩き込む。脳を揺らされた男が白目を剥いて崩れ落ちたのを尻目に、幻影を追加するべく腰のポーチに手を伸ばし、形代を引き抜こうと……

 

 ――手が、空を切った。

 

「……くそっ!」

 

 高価なインクと紙を使う触媒だ、使うなんて思っていなかったから、それほど用意してなかった、畜生!

 背後から斬りかかってきた男の懐に飛び込むと、その鳩尾に肘を叩き込む。

 

「――げはっ……このガキぃ!!」

 

 一瞬呻き声を上げて崩れ落ちかけたが、すぐに立ち直って振り下ろされた剣を慌てて背後に飛んで回避する。

 

「速さは大したもんだが、軽いんだよガキがぁ!!」

「うるせぇ、そんなこたぁ分かってらぁ!!」

 

 打撃主体で戦うには、この体はとにかく重さが足りていない。だから速さと道具を駆使しないとなんじゃねぇか、畜生!

 

 心の中で悪態を吐きつつ、マフラーから引き抜いた棒手裏剣に、懐から取り出した札を重ねて投擲する。

 

「――『炎雷符』!」

 

 カッ、と男の鎧に手裏剣が当たり、火花が散った……その瞬間

 

 ――ゴウッ!!

 

「ぎゃあああ!? 熱、あぢぃいいいい!?」

 

 男が、火柱に包まれて、毛や皮の焼ける嫌なにおいを漂わせてその場に転げまわる。

 

「このガキぃいいい!?」

「囲め、一気にやれ!!」

 

 ぞろっと群がってきたゴロツキ共をざっと見まわし、逃げ場が見つからないことをさっと調べると、覚悟を決めて印を組む

 

 ――向かってきているのは、三人。本当は、もっと巻き込めるタイミングでやりたかったんだけど、くそっ……!!

 

 傭兵崩れと侮っていたけれど、粗野な風貌と態度の割に予想以上に統制が取れていた。幻影をばら撒き撹乱する事で乱戦に持ち込んで、どうにか凌いでいたけれど、このあたりが限界かっ……!

 

 一斉に群がってきた敵たちに、背後に佇んで牽制していた幻影の最後の一体に意識を飛ばす……その際に、幻影の核、形代に刻んだ細工を起動させながら。

 

 ――『微塵隠れ』!!

 

 男達が幻影を貫いた…‥次の瞬間、かっと閃光を放ち、その幻影が炎と衝撃をまき散らし、男たちを巻き込んで弾け飛んだ。周囲は巻き上げられた土と煙に包まれその視界を奪っていく。

 

 ――よし、これで土煙に紛れて撤退を……そう思った瞬間。

 

「捕まえたぞこのガキぃ!!」

「――がっ!?」

 

 横合いから飛んできた蹴りに、たまらず吹き飛んだ。

 大柄な男の蹴りに軽い体は数回地面を跳ね、道の脇の木に背中から衝突してようやく止まる。

 

「……がはっ、げほっ!」

 

 強かに背中を打ち付け、咳き込んでいると、怒りに顔を赤く染めた男にむんずと襟首をつかまれ、宙吊りにされた。軽い子供の体はそれだけで足が地面につかず、ぶらんと抵抗が封じられてしまう。

 

 ――でもよ、俺相手に、服を掴むってのは、悪手だぜ……?

 

 蹴られた痛みをこらえて、服の裏に刻んだ印を、指先に闘気を込めて弾く。

 

「こんだけやってくれたんだ、ガキだって容赦は……うわっ!?」

 

 男の眼前で、俺の服……上着が、パァンと音を立ててはじけ飛んだ。

 その衝撃で思わず手を離してしまった男の足元に体を沈め、スキルを一つ脳内で弾く。

 

 二次職アサシンのスキル、『クローキング』。

 

 意識さえ逸らせば戦闘中でも使用可能というそれで姿を消して、突如手の内の感触が失せたことに戸惑う男の背後に回り込む……ほぼ、無意識に。何千と繰り返した、ゲーム中の癖で。

 

「……は? ガキ、どこに――」

 

 その無防備な背中に……思わず恐怖心から、ゲームの時の体にしみこませた流れの通り、この戦闘中封じていたスキルを解放してしまう――アサシネイトを。

 

 しまった……そう思った時にはすでに遅く、低い姿勢から短刀で放ったそれは、男のわき腹から入り、脊椎をばっさりと断ち割って、男の肩と首の間へと抜けた。

 月光に蒼く照らされた刃の軌跡が半月を描き、夜闇を大量の血飛沫が舞った。血の雨となって、びちゃびちゃと降り注ぐ。

 

「――がっ……ふっ……!?」

 

 何が起きたか分からない……そんな表情を浮かべながら、男が背中からどちゃどちゃと鮮血と内臓をぶちまけ、仰向けに崩れ落ちた。

 

「……あ……あぁ……っ」

 

 べったりと頬に付着した血の感触に、手が震える。やっちまった……できるだけ命を奪うのは避けていたのに、やっちまった……!

 

「うげ、ぇ……っ!」

 

 手の内に残る人間の体を切り裂いた感触に、周囲に充満する血と臓物の匂いに、思わず胃の内容物をその場にぶちまけた。

 げほげほと咳き込みながら、口元を拭って顔を上げると、その時既にほかの連中に取り囲まれていた。

 

 ――人の命を……なんて殊勝な理由なんかじゃない。最初に手に掛けてからずっと、覚悟も中途半端に殺したら、次は多分こうなるってわかってたから、殺さないようにしてたのに、なぁ……

 

「姉ちゃんたち、逃げ切ったかな……」

 

 ぽつりとつぶやいて、ぼーっと振り下ろされた刃を眺める。あ、これ、死んだ――

 

 

 

「させるかよ!!」

 

 ギン、と刃のぶつかり合う金属音。

 

「あ……レイジ兄ちゃん?」

「無事か、悪い遅くなった!」

 

 突然現れたレイジ兄ちゃんが、片手に姫様を抱えたまま……なんで抱えて戦ってんの、この人? ……瞬く間に、残った周囲の男たちを叩き伏せて行った。

 

 ――畜生、全然強ぇ、格好いいなぁ……

 

 クラスのせいだけじゃない。経験の差でもない。あの兄ちゃんは、それだけあの姫様が大切で、だからその為なら臆さず突っ込めるんだ。

 

 これが、中途半端と、本気の差、か。分かっちゃいたさ。最初から。敵わないなんて事は。

 

 ――だけど、俺も……いつかは、ああなれるかな?

 

「――ハヤト君……!」

「……あ、姉ちゃん、よかった、無事……」

「……無事で、良かった……っ!!」

 

 駆け寄ってきた姉ちゃんの無事を喜ぼうと思ったら……気が付いたら抱き着かれていた。疲弊した体が柔らかく包まれ、ふっと疲労が溶けていくような良い匂いに包まれる。

 

「もう、こんな傷だらけで、無茶して……危なくなったら逃げろって言ったじゃない、ちゃんとお姉ちゃんのいう事聞きなさい、この馬鹿……っ!」

 

 なんかすげぇ気持ちいい。だけどぎゅうぎゅうと抱きしめられて、呼吸が苦しい……けど、ちょっと待て、待ってくれ。この、苦しい原因……呼吸を阻害している、顔が埋まってる柔らかい物って、なんだ……?

 

「……うわぁああああ!?」

 

 自分の状態を理解した瞬間、ばっと、姉ちゃんの体を引き離した。まるで顔に全ての血が集まったかのように熱い。

 

「ぶはっ! ばっ……ば……っ!?」

 

 ――馬鹿じゃねぇの!? 姉ちゃんも、姫様も、なに思いっきり男を抱きしめてんだよ!?

 

 あ、やべ、頭に血が上って、意識が――……

 

「……ハヤト君……? ……ハヤト君!?」

 

 ――あー……俺、すげぇ格好悪ぃ……

 

 姉ちゃんの心配そうに呼びかける声をぼんやり聴きながら、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちたな……横目でちらっと見てたから、状況は把握している。

 

「ハヤト君!? ねぇ、ハヤト君!?」

 

 混乱したアイニさんに涙目で揺さぶられている、気絶したハヤト。でも、まぁ、うん。気持ちは痛いほど分かる。

 

「あー……確かにそりゃあ純情な青少年には毒だよなぁ……大丈夫っすよアイニさん、頭に血昇っただけですから」

「……そ、そうですか、良かった……」

 

 南無。

 

 そりゃ、この二つのメロンに顔埋めて窒息、は男として一度は体験したい夢だよなぁ……言葉にはしないがぶっちゃけ羨ましい。不意打ちで喰らったら頭に血昇って倒れるくらいはするよなぁ……と合掌する。

 

 それにしてもこいつ、思ってた以上に大事に思われてんな。

 さっきの心配そうなアイニさんの取り乱した様子は、普段からは想像も出来なかった。

 

 ……と、こうしてる場合じゃねぇんだった。

 

「さて、あとは……」

 

 残るゴミ掃除が残ってる。剣を構え直し、残る二人……へたり込んでいるブタ野郎(町長)とその背後にいた異国の服を着ていた男に向き直ろうとした、その時。

 

「ま、待て、貴様、私を置いて逃げるのか!?」

 

 慌てた声に振り返ると、そこには背を向けて森の中に駆け出した男の背中。その男を追いかけ、必死にブタ野郎(町長)もよたよたと走り出す。

 

「この野郎、逃がすかよ……!」

 

 追いかけようとして……逃げる男の向こう、そこに、誰かが居るのを見つけた。

 緑色のサーコートをフードまできっちり着込み、その下におそらくチェーンメイルで武装した姿。まるで洋画の騎士のような出で立ち。

 

 その影が、ゆらり……と揺らめいたかと思えば――いつの間にか、その影は、逃げる男の真後ろに居た。ちん、と、森の中に剣を鞘に納める音が響く……っておい、待て、待てよ……いつ抜いたんだよ!?

 

 次の瞬間、逃げていたはずの男がその速度を急速に減じ、最後に二歩、三歩と歩いたかと思うと……べしゃりと地面に倒れ、動かなくなった――首から上を、その手前、騎士風の男のすぐ背後に残したまま。

 

「……ははっ……嘘だろ……おい……」

 

 冷や汗が背を伝う。

 見えなかった。全く。剣を抜いた瞬間ですらも。

 

 もしかしたら、全盛期……二次職レベルカンスト時にであれば見えていたのかもしれないが、今の俺には全く見えなかった。

 

 ……全力の、ヴァルター団長と、同格……か?

 

「ひ、ひぃ……」

 

 町長が、あっさりと斬り捨てられた連れに腰を抜かしてへたり込んだ。

 

 その騎士姿の男の背後に、さらに数人の者たちがぞろぞろと姿を現す。立ち振る舞いを見れば分かる、全員が相当の手練れだと。全員のその服に刺繍された紋章を見て取って、もはや俺の出番は無さそうだなと、剣を納めて眠るイリスを抱え直す。

 

「……ディアマントバレー町長、ヨルゲン殿だな」

 

 先頭に立つ、先程の男がその口を開いた。その声は鍛えているもの特有の力強さを感じるが、僅かにしゃがれた様子は、男が相当に高齢な事を物語っている。

 

「お主には、禁制品の取引、奴隷売買、不当な税の徴収……様々な容疑が掛かっていたが……」

 

 すっと、その目が僅かに細められた。その瞬間、空気が幾分か温度を下げた……そう錯覚させる圧力が周囲に満ちる。

 

「今回の件でお主には、外患誘致、それに……不敬罪も追加となるであろう。抵抗すればこの場で処断する、大人しく従うのであれば法の裁きを受ける権利は保証しよう……しかし、二度と日の目を見ることは無いと思うがいい」

「ふ、不敬……っ!? なっ、何ゆえ……私は……そうだ、私は彼らに騙されていただけで……!」

 

 老騎士が、はぁ、と深く嘆息した。

 

「その話の真偽はもはやどうでも良い。お主は……手を出してはならないお方に、手を出した。弁明は聞かぬ、連行しろ!」

 

 その背後から現れた騎士姿をした者たちに、喚きながら引き摺られていくブタ野郎(町長)……って!

 

「待て、待ってくれ!? その前に鍵、鍵を持ってないか調べてくれ!!」

 

 イリスの首輪外さねぇと! 抱えたイリスの首にあるものを指さして引き留める。

 

 慌てて伝えると……イリスの首輪を見た瞬間、物凄ぇ殺気が騎士たち全員から発せられた気がしたけど分からなかった事にする……すぐに騎士達は、たった今泡を吹いて倒れたブタ野郎(町長)の全身を検分し、程なくして小さな鍵が出てきた。

 良かった……アイニさんが言うにはかなりヤバい物らしいから、一刻でも早く取り除いてやりたかったんだ。

 

「では、申し訳ございません、失礼致します」

 

 律儀にも意識の無いイリスに一言断りを入れると、老騎士が皆を代表して、恭しく、まるで壊れ物を扱うような丁寧さで俺の抱いているイリスの首輪に触れ、そっと鍵を差し込みカチリと回した。

 ガチャリと音を立ててようやく外れ落ちる首輪に、安堵の息をつく。

 

「さて……」

 

 全てを終えて俺と向き直る老騎士。

 彼は、そのフードを取り払うと、俺……ではなく、俺の抱える、眠っているイリスに跪いた。背後に控えていた騎士たちも、同様に。突然のその光景に、あっけにとられる。

 しかし、先頭の老騎士の顔を見て、背中に衝撃が走った。

 

 ――俺はこの爺さんを知っている。

 

 いや、ゲーム時代、ノールグラシエ所属のプレイヤーであれば、全員が知っているはずだ。

 

「……ノールグラシエ騎士団、『前』総長……アシュレイ・ローランディア……!?」

 

 口の中で、呆然と呟く。基本的に王都に居るはずの彼がなぜ、ここに居るのか……と。

 

 それは、ゲーム時代にイリスが半ば公式キャラに抜擢された際、そのイベント内でプレイヤー達に加勢し攻略に協力した騎士団の副総長、現在俺達の向かっているローランド辺境伯領の領主……の父君。

 息子が役職に就く際に、一つの家系に権力が集中することを危惧して自ら退陣し、以降は御意見役として籍を置いていると聞いた。

 

 俺みたいなゲームの称号ではない。王国最高の魔法剣士としての称号を有している、その人物。

 

 ――本物の『()()』だった。

 



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白の書

 

「当初の任務……不法入国者の排除は完了、これより我らは、王女殿下の護衛任務に就く」

 

 厳かに老騎士が指示を出すと、跪いていた周囲の騎士達はザッと立ち上がり整然と敬礼を返すと、キビキビと動き出した。

 

 その様子を呆然と眺めていると…ふと、視線を感じた。視線の元……老剣士は、じっと厳しい顔で俺を見つめていた。

 

 髪も、口周りを覆う口髭も真っ白で……すでに老齢に差し掛かっているはずなのに、引き締まり、がっしりとした体格には衰えは見られない。

 その眼光は全てを見透かしそうなほど鋭く、見つめられているだけでプレッシャーをひしひしと感じる程に力強い。

 

 ――もしかして、俺も不敬とかそういう事になる、のか……?

 

 そういえばずっと腕の中にいる、寝巻き姿のこの国のお姫様(イリス)。ずっと腕の中に抱いていたけれど……やべぇ、貴族社会の事なんざ分からないがアウトな気がする。

 不敬……そう言われて否定は出来ない。冷や汗を流しながら視線に耐えていると……

 

「ふ……どうやら、小僧の言っていた通り、筋は良さそうな若者だ。そう緊張するでない、お主に害意が無いことくらいは見れば分かる」

 

 厳つい顔を相好を崩し、まるで好々爺のような柔らかな表情になった目の前の老騎士に、ようやく肩の力を抜く。

 

「……って言われても、あんたにそんな風に睨まれると寿命が縮むぜ……」

「ふむ、これは失礼した」

 

 ――もうちょっと早く威厳しまって欲しかった、心臓に悪ぃわ……

 

「此度の王女殿下の救出と護衛……それと、これまでも守り抜いてくれた事、感謝する。若き剣士殿」

「ん? 俺の事、知ってるのか?」

「うむ、ヴァルターの小僧めは、私も個人的に連絡を取り合っておるからな。共に行動している王子や姫様が、記憶を失っている事も……お主らの事情は大体報告は受けている、安心するといい」

 

 ああ、なるほど……あのおっさんなら、こんな大物と知り合いでも全くおかしくないだろうなと納得する。

 しかし、あのおっさんを子ども扱いかい……

 

「……姫様は、一時は私共の所で保護していた故、私にとっても……その、不敬やもしれぬが、娘や孫のように思えてな……お主がずっと守ってくれておったのも聞いている、本当に、感謝する」

「い、いや、そんな大層な事は……いいから気にすんなって、俺としても、コイツを見捨てるなんてことはありえねぇからよ」

 

 ぽりぽりと頭を掻きながら、顔を上げてくれと頼む。俺は親友、今は……好きな奴を助けただけだから、お姫様を救った剣士扱いは……正直遠慮したい、背中が痒くなる。

 困っていると、救いの手は背後から現れた。

 

「お久しぶりです、アシュレイ様」

「これは……アイニ嬢も、壮健そうで何よりでございます……それにしても、密偵の真似事をしているとは聞いておりましたが、このような辺境にいらっしゃるとは貴女も随分なお戯れをなさっておられる」

 

 畏まってものをいう爺さん……元騎士団長の爺さんが頭を下げる。

 ……って、この人一体何者だよ。そりゃ綺麗な人だとは思うし、お貴族様って言われれば納得するけどよ。

 

「あー……あの、お知り合いで?」

「ええ、家族の関係で、少し」

「彼女……アイニ嬢は、先々代国王の側妃となられた方の妹御のお孫さん……現国王陛下の従姪じゃよ」

「……は!?」

 

 王族の関係者かよ!?

 

「……まぁ、その方は前々国王陛下が一目惚れして召し上げたというだけで、私自身は貴族でも王族でもはないですけれども」

「はぁ、それはまぁ……なんかすごいっすね」

 

 もうどうにでもなれという気分で投げやりに答える。なんだかもう、今日は色々ありすぎて許容量オーバーだ。

 そういえば、今朝に町長に呼び出されて、まだ一日経ってないんだよな……濃すぎだろ、おい。

 

「さて……姫様を夜風に晒しているわけにもいかぬ。お主たちは疲れておるだろう、姫様と共にその馬車を使うがいい、御者はこちらの若いのを出そう」

「それは……ありがたいですけど」

 

 正直俺も疲労でへとへとだ。ずっと走ってきて、しかもあの新技『剣軍』の消費ががっつりと効いている。

 

「でも、良いんですか? 意識のないハヤトや女の人のアイニさんはともかく、俺があんた達のお姫様の馬車に同席して」

「ふむ、本当はあまり望ましく無いのだが……アイニ嬢も同席するのであれば、私達は何も見なかった事にしよう、ここに居たのは旅の治癒術師殿で、姫様は依然行方知れずだと」

「ずいぶんと寛大なんだな、あんた」

 

 前騎士団総長、なんて言うからてっきり規律規律の堅物かと思ったが、厳しい外見によらず案外フランクな爺さんだ。ついつい、口調が崩れていく。

 

「むぅ、これでも一応忸怩たる思いはあるのだが……どうやら、お主が一緒のほうが安心らしいからな、仕方あるまい。だから……」

 

 ぽん、と肩に手を置かれた。

 

()()()()()頼んだぞ、そう、()()()()()、な」

「あ、ああ、分かった……わかりました、ハイ……」

 

 ぎりぎりと痛む肩に冷や汗を流しながら、何とか、そう言った。

 

 ――ああ、よくわかったぜ……この爺さん、孫が大事で大事で仕方ないとかいうアレだ。

 

 とりあえず、目の前で軽率な行動はやめよう、斬られる……そう、嫌な予感と共に心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、持ち主が連行されたためその場に残された、町長が逃走に使っていた馬車は、ありがたく俺らが使わせてもらうことになった。

 

「全くもう……アシュレイおじさまも、あっさりバラすんですから……」

 

 ぶつぶつと愚痴りながら乗り込んできたアイニさんが、しかしすぐにイリスの容態を確か始める。やはり悪化しているのだろう、その顔は少し厳しい。

 

「すっかり夜風に当たってしまって……体が冷えたせいか、症状も悪化していますね、これは……戻ったら数日は絶対安静ですね……」

「すみません、またお世話になります」

 

 心なしか折角下がり始めていた体温もまた上がっているようで、さらにあの首輪のせいで衰弱も激しそうだ。

 汗で額に張り付いた髪を剥がして払ってやりながら……改めて反対側の席に腰掛け、ハヤトを膝枕しているアイニさんの方を見る

 

「それにしても、仲いいんですね、ハヤトと」

「そうでしょうか? でも、一月も一緒に過ごしていましたし、もうすっかり一緒に居ない生活も考えられませんので、そうなのでしょうね」

 

 まるで、手のかかる弟を見守る優しい姉のような表情で、眠るハヤトを見つめるアイニさん。湿らせたハンカチで傷を拭う手つきがやたら優しいというか……もしかしてこの人……

 

「……年下趣味っすか?」

 

 気温が、何度か下がった気がした。

 ……あ、やべ、口が滑った。内心で考えてた筈の、言うつもりでなかった発言が口をついて出ていた。

 

 ギギギ、と音がしそうな動きでアイニさんの方を見ると……

 

「あら、そういう事を()()()()仰るのですね」

 

 ……あ、ヤバい地雷踏んだ気がする。

 言外に「黙れロリコン」と言われた気がしないでもないが、それどころではない。笑顔の筈なのに目を見ているだけで震えが止まんねぇ、なんだこれ。怖ぇ。

 

 そんな彼女は、俺の心境を知ってか知らずか、にっこりとどこかイタズラっぽい笑顔を向けてきた。目は笑ってねぇけど。

 

「ふぅ……それにしても……先程のレイジさんはとても情熱的で、私、少々その子が羨ましかったですわ」

「は……? 一体、何の……」

「えぇと……『こいつは、俺のだ』……でしたっけ?」

「……は!? なんだ、そりゃ……俺が!?」

「ええ、あと、『俺の女に手を出してるんじゃねぇぞ、クソ野郎』……でしたっけ? あら、私としたことがクソだなんてはしたない」

「待て、待て待て、ちょっと待ってくれ、それは咄嗟というかその時のノリというか……!」

「ふふ、照れなくても……私も、一度はこういうことを言われてみたいですわね」

「わかった、悪かった! これくらいで勘弁してくれマジで……!!」

 

 イリスもたまに意識が浮上してるかもしれないのに、今目覚められたら、俺は、俺は……!?

 

「あの、このことはくれぐれもイリスには……」

「ふふ、言ってあげれば喜ぶかもしれませんよ」

「勘弁してくれ……」

 

 元は同性の親友からそう言われても、こいつも困るだろ……というのは言い訳で、言ったら最後、何らかの形に関係が変わるのがまだ怖い。

 

「まぁ、尤も……『私は言わない』としか約束しませんけれど」

「ん? 何か言いました?」

「いいえ、何でもないですわ。それより……」

 

 急に居住まいを正したアイニさん。何か大事な話の気配がし、俺も釣られて背筋を正す。

 

「一つお聞きしたいのですが……その子は、『光翼族』で間違いない、ですよね?」

「……っ、何を……!?」

「……その反応、間違いないようですね」

 

 どうやらすでにこの事は確信していたようで、今のはただの確認だったらしい。

 目の前の彼女に特に驚いた風もなく、話が続く。

 

「では、お聞きしたいのですが……立派な装丁だけれど、中身は何一つ書かれていない真っ白な本、という物を見たことは無いでしょうか?」

「は? ……なんだ、そ……れ…………っ!?」

「……どうやら、あるようですね?」

「いや、待て、多分気のせいだ、そんなはずは……」

 

 ――ある。見覚えは、あった。

 

 ゲーム……『Worldgate Online』時代に、一回だけ、見た……()()()()()

 

 でも、あれは向こうのゲームの……「ゲームのオブジェクトのグラフィックデータ」でしかないはずだ、それが……

 

「……いや、やっぱり気のせいだと思います……それが、どうかしたんですか?」

「ええ……実は、私が暮らしていた場所を出て、こうして密偵なんてやっている理由でもあるのですが」

 

 少し、何かを言うのを躊躇った……というより、馬車の外の耳を気にしたか、この人? 

 

「それは、名をそのまま『白の書』と言います。ですが、盗まれたのです。厳重に封印されていた、私達の暮らしていた里から……二十五年前のある日、忽然と。それも、前国王……『魔道王』アウレオリウス陛下が謎の失踪をなさる、その数日前に」

 

 二十五年前。

 

 俺――いや、イリス……柳の生まれた前年。

 

 偶然と言ってしまえば、それまでの事。だけど……何かが引っ掛かっている。俺達の生まれた前の年、たしか何か大きな出来事があったはずなんだ。何か大事なことを忘れているような……どうしても、偶然とは言い切れない、何かモヤモヤしたものが、わだかまりとなって俺の中に残っていた。

 

 ――だがしかし、次に続く言葉が、そんな葛藤を吹き飛ばした。

 

「それは……最後の光翼族、『御子姫』と呼ばれた女系一族の、最後の一人の魂を封じた……光翼族を作り出す為の魔導器――そう、伝えられています」

 

 

 

 

 



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アウレオ・ユーバー

 

「光翼族を……作る?」

 

 それが可能なのであれば、おそらくどの国も喉から手が出るほど欲しいはずだ。それが、盗まれた……?

 

「とはいっても、誰も使用方法が分からずに、みな真偽を疑いながらただ惰性で保管していたらしいのですけれど……」

「なんだそりゃ。分からないって……あんたらの先祖が作ったものじゃないのか?」

「はい、お恥ずかしながら、預かりものだったんです。持ち込まれたのはもう数百年昔の旧魔導文明期。光翼族がその姿を完全に消した頃と言われています」

 

 その頃の話は、ゲームでも少しだけ見た。

 旧魔導文明期の末期、様々な権力者に縁談を強要され、多種族と交配が進み血の薄れた光翼族はその大半が翼を失っていた。

 そんな中でごく一部の力を残した者達が、世界の中心にある『アクロシティ』に保護されていた、と。

 

 そのため、各国の王族は、光翼族の血を引いているものが殆どだ。

 もっとも、極々薄く血を引いているだけで、種族特徴はとうに失われているらしいが。

 

 胸糞悪い話だが、だからこそ……その本の存在は危険だ。

 

「なんでも、『御子姫』様付きの騎士であった光翼族の方が、ボロボロになっても尚、それを抱えてふらりと訪れ、封印するように言って預けていったのだとか……」

「それは……まぁ、表には出せないだろうな」

 

 そんな物が公になれば、各国で奪い合いになる可能性が非常に高い。であれば……

 

「……なんでまた、あんたらの……その、里に?」

 

 自らの主か、それに類するであろう『御子姫』の魂を封じたとされる魔本。

 ……もしその話が本当なら、そんなに大事に抱えたその騎士とやらが、何の所縁もない特定の人の里に預けたりはしない筈だ。保管している者たちが欲に駆られれば、どのように使われるか。

 

「それは……申し訳ありません、まだ言えません……ただ、そうですね……あなたには、私の種族は何に見えるでしょうか?」

「は……? いや、そりゃ、人族だろ?」

 

 アイニさんにはソールみたいな翼もないし、ミリアムのように頭に角がある様にも見えない。であれば、消去法で……

 

「いいえ……私、いえ、私を含んだ里の数名は、血こそごく薄いですが、実は()()()()()()()()()()、という事はお伝えしておこうと思います」

「それって……まさか、あんたは……」

 

 人族に見えるが、しかし人族ではない者……その存在に、一人、極々身近に心当たりがある。それは……

 

「……まぁ、いいさ。言いたくないなら詮索は無しだ。あんたには借りもあるからな」

「はい、ありがとうございます、レイジさんがとても理解のある方で助かりました」

「しかし……そうなると、その使い方も分からない魔本の使用法を調べ上げ、誰かがイリスに使用した可能性がある……という事か」

「はい……信じがたくはありましたが、こうして、実際に本当に力ある光翼族が目の前に現れてしまうと、やはり関係性を疑ってしまいます」

「関係性……か」

 

 脳裏によみがえる、色々ありすぎてすっかり忘却していた記憶。

 

 

 

 ――ちょっと聞きたいんだけど、二人の転職の時って、選択肢って三つもあった? 

 

 ――ええと、ユニーク種族、光翼族、って

 

 ――な、なんなのこれ、レイジ、ソール、何これ、どうしたらいいの!?

 

 

 

 ……あの日、俺達の世界が変わってしまった日、確かにこいつの転職イベントの際に、異常はあったのだ。

 その後の流れですっかりと忘却の彼方に押しやってしまっていたが……こいつは、確かに、あの白い本の前で何かがあった。

 

 状況的には、考えられなくはない。いや、むしろ、それしか考えられない。

 

 ――その、『白の書』は、俺達の世界に――俺達の世界のゲームの中に存在していた……のか? 

 

 ――だったら、何故?誰が持ち込んだ?

 

「それで……何か、所在の手掛かりがあれば、教えていただきたいのですけれども」

「……悪い、俺一人じゃ頭がついてこねぇ。ソールとも一回相談して……返事は、それからでいいか?」

「はい……それと、くれぐれも内密にお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町に帰ると、すっかり騒動は鎮圧されていた。

 今は、各々の家へと帰るものや、周辺を慌ただしく事後処理で駆け回っている衛兵たちによる喧騒が夜の町を包んでいた。

 

 まだまだ暗いが、今は夜明けも近付いてきた時間帯……どうやら、有志による炊き出しなんかも行われているらしい。スープらしき良い匂いも漂ってくる。

 

 そんな中、イリスの事を診療所に送り、後をアイニさんと、やる気に満ち満ちた騎士達……まぁ、自分達のお姫様の護衛とか、気合いも入るよな……に任せてソールを探して周囲を見て歩いていると、一際強い存在感を放つ、ヴァルターのおっさんの背中を見つけた。

 

 ……そうか、後から来ていた傭兵団も、追いついて、合流していたのか。

 

「おっさん、来てたのか。思ったより早かったな」

「レイジ、戻ったか……嬢ちゃんも無事なようだな、よくやった」

 

 軽く拳を合わせ、再会を喜ぶ。

 正直、おっさん程の戦士に褒められるのは男としてすげぇ嬉しいけど……今はぐっと堪えて現状確認を優先する。

 

「そっちも、すっかり鎮圧は済んだみたいだな、被害は?」

「こちらも大した事はない、あの王子さんがほとんどの敵を抑え込んでくれていたからな……もっとも、そのせいでまた大変みたいだが……」

「大変……? 何かあったのか?」

「ああ、怪我とかじゃないから安心しろ。あー、なんだ、あの見た目で町民を守っての大活躍したら……まぁ、女達が放っておかないわな」

「あー……」

 

 つまりイケメン爆発しろ案件と。まぁ、中身は綾芽ちゃんだからご愁傷様だけども。

 

「それで、俺、あいつに大事な話あるんだが、レニィさんとフィリアスさんに、イリスの事任せていいか?」

「ん? おお、今呼んで……呼んで……」

 

 ヴァルターのおっさんが、言葉の途中で固まった。その視線は、俺の背後に固定されて……

 

 釣られて振り返って見ると、だいたい騎士達に指示を出し終えたらしい爺さんが、成長した息子を見るような目でこちらを見ていた。

 

「……おい、なんで師しょ……爺さんがここに居るんだよ」

「ふ、久しいな、小僧。あと、もう師匠は止めろと言った筈じゃぞ。お主に教えられる事などもう何も無い、対等に扱うと言った筈だろう」

 

 鉢合わせた爺さんに、珍しく焦った様子のヴァルターのおっさん。ていうかこの爺さんが師匠だったのか。

 

「………なに、少々、最近活動が活発になっていた鼠を叩き出しにな。巣は潰したが、まだしばらくは油断はできまい」

「……まあ。爺さんが居るなら丁度いいか。頼みたい事がある。騎士達も連れて来て居るなら尚更だ」

「ふむ……それは、王から預かった騎士達を動かすに足る事か?」

「ああ、足る事だ。この町の付近に『傷』が発生した、らしい。あんたらにも、最優先事項の案件だろう?」

「……詳しく聞こう、責任者の元に案内を頼む」

 

 剣呑な雰囲気が漂い始め、何やら難しい話を始めそうな二人にひとつ頭を下げてその場を後にすると、俺は目的の人物……ソールの姿を探す。

 周囲に目を走らせると、こちらに向かって来る兄妹……ゼルティスと、フィリアスさんが見えた。

 

「お、ゼルティス、剣、助かったぜ、ありがとな」

 

 剣帯に刺したままだったゼルティスの長剣を外し、返す。これのおかげで本当に助かった。

 

 ……換えのまともな武器も、早く何とかしないとな。『剣軍』は継戦能力が無さすぎる。

 

「ああ、レイジ君も、無事で良かった。姫も無事だったみたいで何よりだ」

「ああ……体調悪化でしばらくベッドの上だろうけどな」

「なんと、それは! ……あぁ、おいたわしや……」

 

 くっ、と俯いて歯ぎしりをしているゼルティスに、苦笑する。こいつ、本当に良い奴なんだよなぁ……変なやつだけど。

 

 とりあえず、自分の世界に入ってしまったこいつは放っておいて、隣で呆れているフィリアスさんの方に話しかける。

 

「そういう訳で、フィリアスさん、イリスの事を少しの間、任せても良いか? 俺はソールに急ぎの話があって。アイニさんの診療所にいる筈なんだが」

「はい、任されました。レニィも連れてすぐに向かうわね」

「悪い、あの人も一緒ならより安心だ、助かる」

 

 

 

 

 

 

 ソールは……まぁ、すぐに見つかった。

 

 

 完全に女性たちに二重三重に囲まれて、困ったようにどうにか抜け出そうとしているみたいだが、手荒な事も出来ずに参っていた。

 

「どちらからいらっしゃったの?」

「恋人はいらっしゃるの?」

 

 等々の質問責めに表面上ではにこやかに答えているが、辟易してるな、あれは。さっきから全く表情が動いて無ぇ。

 

 ……王子ってバレて無いのが救いか。

 

 しかし、まあ、周りの男の嫉妬の気配が殺気になってビリビリと伝わって来る。

 俺もゲーム時代はイリスの側にいたせいか専用の晒しスレッド(ファンクラブ)があったけど、外から見るとこんな感じなのか……他人事のように考えて眺めていると、ふとソールと目が合った。

 

「あ、ああ、戻ったか、レイジ!」

「おう、イリスも無事だぜ。それで、少し話があるんだが……」

「行こう、今すぐに! という訳で、申し訳ありませんお嬢さん方、私は彼と大事な話があるので、これで!」

 

 おー、すげぇ、大義名分が出来た途端に、少し乱暴に周囲の人の肩を押し退けて、囲いをさっくり潜り抜けてきた。

 

「……助かった、ありがとう」

「……大変だな」

「あぁ……フロストパンサーを五匹引き付けている方が遥かに楽だったな……」

 

 遠い目をして、心底疲れ果てたように呟いたソールの声に、苦笑を返す事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「――結論から言うと、私も、あの転職の間にあった本が『白の書』だと思う」

 

 その後俺たちは、今俺が帰って来た東門の外壁の上に移動し、今まで聞いた内容を話し合った。

 真剣な表情で食い入るように聴いていたソールが、一通り俺が話し終えてまず放ったのが、それだった。

 

「……ずいぶんと、断定したな」

「ええ、ようやく繋がった。まぁ、玲史さんは、あの人に会ったことがないから仕方ないだろうけれど……」

「あの人……?」

 

 首を傾げていると、ソール……綾芽ちゃんが、ポツポツと語り出した。

 

「……二十五年前。私がまだ生まれる前だけれど、お兄ちゃんと玲史さんが生まれた前年。その年の出来事で、関係のありそうなことは一つ、心当たりがあるわ」

「それは? 俺も何か引っかかっていたんだが、どうにも思い出せないんだよな……」

「無理も無いわね、実際に、表舞台で脚光を浴びたのは、さらに数年後だもの」

 

 こほんと一つ綾芽ちゃんが咳払いし、語り出した。

 

「その年は……私達が遊んでいたゲームの生みの親……不世出の天才、どこから現れたのかも定かではなかった彼……『アウレオ・ユーバー』氏が、初めて世に出て来た年ね」

「そいつは……」

 

 ある時ふらりと現れて、画期的なVR技術……基盤のレベルからこれまでとは全く違う新しい系統の技術が盛り込まれ、()()()()()()()()()()()技術をもたらした天才。

 そうだ。たしか、ふらりと現れて、基礎理論の論文を提出したのがその年だ。

 当時は「何をお伽話みたいな事を」と殆ど取り合って貰えなかったらしいが、彼は事実、その数年後にプロトタイプを完成させてしまった。

 

「時折疑問に思っていたの。あの人は、どこかゲーム内のノールグラシエ国王によく似ている気がする、と。ようやく合点がいったわ」

 

 俺たちの見た、『Worldgate Online』内に存在した、白の書と思しきオブジェクト。

 本と同時期に失踪した、前国王。

 

「まさか……おい、まさか、その、アウレオって奴は……」

「これは推測でしかないけれど……逆に、他に考えられない……緋上さんに会ったら、確認しなければならないことが増えたわね」

 

 固まってきた推測。ソールが……綾芽ちゃんが、一呼吸置いて……はっきりと、口にした。

 

「アウレオ・ユーバー。彼は……この世界の、『アウレオリウス・ノールグラシエ』……その人なんじゃないかと、私は思っている」

 

 

 

 




主人公たちの視点では、今回ようやくこの話が繋がりました


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一筋の希望

 

 ――お願い、返して、私の、私の――、返して――っ!

 

 私によく似た髪色の女の人が、多様な何らかの装置に埋め尽くされた部屋で、魔法か何かの装置に拘束されたまま、必死に手を伸ばして何かを掴もうしていました。

 逃れようと暴れる度、拘束されている部分が、白い肌が無残に赤く傷ついていくけれど、そのような事は瑣末事とばかりに、必死に――……

 

 

 

 ――貴様ら、よくも……よくも――を……! 呪われろ、貴様ら全て、呪われてしまえ――!

 

 また、別の場面。今度は、どこか近未来的な、金属と機械の一部らしきもので覆われた通路。

 怨嗟の声を吐き出しながら、傷だらけの男の人が、大勢の兵士らしき者達に囲まれ、それでもどこかで見たような白い本を必死に守りながら、囲いを突破しようと足掻いていました。

 

 

 

 私は……この二人を……知っている?

 あぁ、そうだ。この人たちは、だいぶ大人になっているけれど……以前、夢で見た……

 

 何故、あなたたちは私の夢に出て来るの?

 何故、私は……こんなに、あなたたちを見ていると、胸が苦しいの……?

 

 何故……何故……何故……ぐるぐると、とりとめなく回る思考――……

 

 

 

 ――そこで、目が覚めた。

 

 

 

「あ……れ……」

 

 目から流れる、涙の感触。ここ数日、よくあるように、拭っても拭っても止まらない。何故か、無性に悲しかった。だけど、この日は、いつもと少し違くて……

 

「うっ……あぁ……っ、あああ……っ!」

 

 よくわからない。今見ていた夢はすぐに散っていってしまったのに、嗚咽が止まらない。

 

 悲しい。以前の寂寥感とは全く違う、もっと、心臓をギリギリと鷲掴みにされるように……ただただ、悲しかった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれくらい、理由も分からず泣いていたでしょうか。

 

「……ひっく……ここ、は……?」

 

 ようやく少し落ちついて、涙を拭い周囲を見回す。

 

 そこは、アイニさんの診療所ではなく、個室……というか、立派な部屋……どこかのお金持ちな人の家の、客室みたいな部屋でした。

 

 朦朧とした記憶ではあるけど、最後に覚えているのはレイジさんの腕の中だったから……大丈夫だとは思うのだけれど、見知らぬ部屋に居る事に不安がむくむくと膨れ上がって来ます。

 

 首に触れてみる。冷たい金属の感触は無く、柔らかな自分の喉の感触に安堵の息をつく。

 ふと、枕元に呼び鈴らしき物を見つけ、試しに鳴らしてみます。ちりんと、涼やかな音が鳴り響き……ほとんど間を置かず、ドアが静かに開きました。

 

「……失礼します。よかった、目覚められたのですね?」

「……あ、レニィ、さん……げほっ」

 

 中に入ってきたメイド服姿の女性……レニィさんに、見知った人が現れた事の安堵に胸を撫で下ろす。

 呼びかけた声が酷く掠れている。喉が乾いていて、思わず咳き込んだ。

 すぐに彼女が水差しを差し出してくれたので、ゆっくりと喉を潤し、ようやく一息つきました。

 

「こちら、アイニ様から預かってきた、水薬になります。ゆっくりとお飲みください」

 

 そう言って差し出された、匙にひと掬い差し出された液体に口をつけると、甘いシロップの中に、苦かったり酸っぱかったりな、おそらく薬草のなんとも言い難い味が口に広がった。

 

 ……うん、微妙。

 

 元の世界の、子供用のシロップ薬を何回りかエグくした感じ……シロップに混ぜてこれだから、きっと元は凄い味なんだろうなぁと、ブルっと背中を震わせる。

 

「そんな泣きそうな顔をなされても駄目です、良薬口に苦しと言いますので。さ、もう一口」

「泣きそうになんてなってません……んぐ……」

 

 覚悟を決めて、一息に飲み込む。すぐに差し出された水で口の中を中和し、一息をつく。

 

 ……まだ、口の中が変な感じがします。

 

 誤解無きように言っておくと、『僕』だった時は薬なんて平気でした。この体の舌が鋭敏なのが悪いんです。誰ともなしに言い訳をしてみる。

 

「……あの、それで……ここは?」

「この部屋は、臨時の兵舎として接収された、この町の元町長の屋敷の……最奥にある賓客向けの客室になります。防犯上の観点と……まぁ、あなたを大事に思っているとある人々からの苦言対策のため、こちらへ移動させていただきました」

 

 尤も、私も彼らに賛成ですけど。そうボソリと呟き、話を締めくくった。

 

 ――とある人々?

 

 疑問符が浮かびますが、それよりも……

 

「あの町長さん、捕まったのですね」

「はい。既に王都へ移送され、そこで判決を受けることになります」

 

 良くても二度と陽の目を見ることはないでしょう……とは、レニィさんの弁。

 禁制品の売買に、奴隷売買。今回の、預かった町に火を放ち、魔物をけしかけた所業……弁護の余地は……私にも、流石にありませんでした。

 

「あ、騒動で怪我をされた方は? 私も、何か手伝いを……」

「駄目です」

 

 ニッコリと、しかし有無を言わさぬ明確な拒絶。取り付く島もないとはこのことでしょうか。

 

「だけど、何か……決して無理はしませんので」

「イリス様? 私、イリス様が無理をしたがるようなら、多少の無体は許可すると、お兄様に許可を頂いてますよ?」

「……大人しくしてます」

 

 彼女の手に縄が見えたのは、きっと気のせいでは無いですよね……渋々引き下がりました。

 

「ご安心ください、皆様の奮戦もあり、イリス様の手を煩わせる必要があるような怪我人は出ておりませんでした。もしそういった方が居れば、きちんとお伝えしていますので」

「そっか……良かった……それで、兄様やレイジさん達は?」

「隣室でお休みですよ。すぐにお呼びして来ます……と、言いたい所なのですが……」

 

 パサリと、肩にカーディガンが被せられる柔らかな感触。

 

「病床で寝間着なのは致し方ないとはいえ、淑女として、せめて御髪を整えるくらいはしてくださいませ。というわけで」

 

 ヘアブラシを手に、近寄って来るレニィさん。

 ……あ、れ? 今、視界が、ぐにゃりと歪んで……

 

「いま、御髪を梳かせていただきま……」

「――やっ!?」

 

 伸びてきた手に、ビクっと体が強張った。

 思わず頭を抱えてしまう。バクバクと心臓が早鐘のように脈打つ。

 

「あ……」

 

 違う、こんな反応するつもりは無かったのに。

 恐る恐る腕を下ろし、レニィさんの方を見ると……痛ましい物を見るような目。その様子は、心底心配してくれているのだと分かる。

 

 ――私、なんて失礼な事を。

 

「……いえ、ごめんなさい……お願いします」

「はい、では、失礼して……」

 

 どこか遠慮がちに、髪に触れる感触。大丈夫、これは、大丈夫な人。

 それでも、首に指が触れるたび、冷たい金属の首輪の感触が脳裏を過ぎり、ビクっと体が震える。

 ごめんなさい、レニィさん……せっかく良くしてくれているのに、怖がってしまい申し訳ない気持ちで一杯になる。

 そうこうしているうちに、髪が梳き終わり、邪魔にならないように緩く三つ編みにしてくれた所で、レニィさんが離れた。

 

「……今、ソール様とレイジ様を連れて参りますね。大切なお話があるそうで」

「あっ……はい、お願いします」

 

 さっと彼女が部屋から出て行き、部屋の扉が閉まった。途端、部屋が静寂に包まれる。

 

「……っはぁ! ……はぁっ……」

 

 レニィさんに悪いと思い、今まで全力で耐えていた恐怖心を解き放つ。

 しばらく忘れかけていたけど、やっぱり、他の人が怖い。また怖くなった。

 

「はぁ……もう、大丈夫だと思ったんですけどね……」

 

 なかなかに根深く居座るトラウマに、ため息をつく。

 

「本当……もっと、強くなりたいなぁ……」

 

 体力のある体のレイジさんと兄様の二人が羨ましい。背負われていた、大きくて暖かいレイジさんの背中の感触を思い出――

 

 

 

 ――ピタリと、石化したように体と思考が固まった。

 

 

 

 一人になった事で、じわじわと、熱に浮かされて以降の事が記憶に蘇ってくる

 

 裸を真正面から見られた。

 ぴったりくっついた状態でおんぶされて、安心しきって体を預けていた。

 眠るまで、手を繋いでいて欲しいと甘えた。

 

 ……どう考えてもアウトです!?

 

 それは、まぁ、体調不良で気が弱くなってましたけど……!

 あぁ、だけど、だけど、それだけなら私の不注意というだけだから、それだけならまだ、良かったのに……!

 問題は……問題は! 夢か現か曖昧な、朦朧とした意識の中、ふと耳に届いた言葉……

 

 ――こいつは――――俺のだ……っ!!

 

 ――俺の女に、手ぇ出してんじゃねぇぞ、このクソ野郎がぁぁああああ!!

 

 

(うわぁぁああああ!?)

 

 ボッと顔に血が集まる。顔面から火が出そう。

 捕まった恐怖なんてどこかに吹き飛んでいった。

 

(なんで、レイジさん、あんな、あんな……っ!?)

 

 半分夢の中だったから、あれが現実か夢だったのかは分からない。だけど……だけど!

 夢だったら、なんて痛い夢を見てるのよぉ……っ!?

 でも、でも、現実だったら……ねぇ、これ、どう反応したらいいの!?

 しかもしかも、困った事に……嫌じゃない、どころか、嬉し――

 

 ――って違ぁうぅぅうう!?

 

「ぅあああぁあぁあぁぁぁ……!?」

 

 必死に変な方向に流れそうな思考を鎮めようと、お布団に顔を埋め、一人煩悶としていると……

 

「――おい、入るぞ?」

「――っ!? ひゃい!?どうぞ!?」

 

 噛んだ、噛みました……!?

 

 慌てて掻きむしってボサボサになった髪を手ぐしで整えて、そういえば今の格好が薄手の寝巻きだったと思い出し、カーディガンの前を手で搔き合せた所で……ガチャリと扉が開いた。

 

「悪い、休んでる所邪魔するぞ……何で息切れしてるんだ?」

「なんっ、でもっ、ないです……っ、気にしないで……っ、ください……っ」

 

 ぜぇはぁと肩で息をしていると、後ろで兄様が肩を震わせていたので……とりあえず、枕を投げつけておきました。

 

 

 

 

 

 私、レイジさん……それと、私達しかいないため言葉を崩した兄様……綾芽。

 二人から今までの……『白の書』に記載された内容を共有した私は、とりあえず、あの転生の日の事を二人に知る限り伝えました。

 

 突然、本からあの白い世界へ縦横無尽に奔った真紅の幾何学模様。

 本から伸びた影に拘束され、全身を貫かれ、私という存在を書き換えられていくかのような感触。

 

 ――今までの忘れていた……恐ろしくて忘れようとしていたけれど、あれは明らかに異常でした。

 

「そうか、そんな事が……」

「私達の時とだいぶ違うわね……ごめん、もっと早く聞いておくべきだった」

「いえ……私も、今の今まで忘れていましたから」

 

 しかし、あの白い本が原因だとしたら……それが可能なのは、あのゲームの基幹プログラムを一人で制作した、あの人だけ。

 

「確かに……私も、彼がこの世界の人物、前国王アウレオリウスである可能性は高いと思います、が……」

 

 私も、話を聞けば聞くほど、そうとしか思えません。ただ、その予測には深刻な問題があって……

 

「前国王、天族でしたよね?」

「……それなんだよなぁ」

「そうなのよね……どういう事かしら……」

 

 ノールグラシエは、魔法王国と呼ばれるだけあり、魔法に秀でた天族の王家の国です。その直系である、前王アウレオリウスも、また。

 しかし、アウレオさんには、そのような翼はありませんでしたし、あったら向こうでは間違いなく大騒ぎです。

 

「……実は、そのアウレオって奴も、イリスと同じ後天的に光翼族になった……だったりとか……?」

「いや、まさかそんな……」

 

 レイジさんの疑問を、綾芽が否定する。私もそう、思うのだけれど……

 何故なら、もしそうだったら、そんなポンポン人を変化させれるのであれば、わざわざこんな回りくどい事をしたでしょうか?

 

「やっぱ、緋上って人を探すか、王都へ行ってみるしかねぇか……」

「だねぇ、ここで考えていても、これ以上の事は分からないか……」

「ですね……」

 

 そう結論がつき、この話題は終わりそうになりました。

 が、それよりも、気になる事があります。二人は、「光翼族を生み出す魔本」のインパクトで考えが回っていないみたいですが……

 

「……それより、ひとつ、大事な事を忘れてませんか、二人とも?」

「……ん?」

「もしアウレオさんがアウレオリウスその人だとしたら……あの人が、向こうに居るということは……」

「……あ」

「そうだ、気が別の方向へ向いていたせいで、すっかり抜けてた……不覚……っ」

「そうだ、そうだよな……!」

 

 あるいは、私達自身、何処かで諦めて考えないようにしていた事なのかも知れません。

 ですが……このアウレオさんに関する予測が正しければ、私達にとってこれ以上無い福音でもありました。

 

 あくまでも、可能性はある、というだけです。

 その方法は、まだ想像もつきません。

 今のアバターの体がどうなるか、という問題も存在します。

 

 だけど……それでも、可能性は0ではなくなった。それは、0とは無限の隔たりがあります。

 

 ――この世界から、私たちの世界へ行った者が存在するかも知れない……つまり!

 

「「「――元の世界には、帰れる……!!」」」

 

 顔を突き合わせた私達三人の、喜色が滲んだ声が重なりました。

 

 

 

 ――先の見えない異世界の生活に、一筋、蜘蛛の糸のような、希望が芽生えた瞬間でした。

 

 

 

 

 

 





 補足になりますが、綾芽は元の世界に殆ど未練がなく、玲史はこの世界でイリスが現実の存在になったことに舞い上がっていたため……結果として、玲史が家族を残して来ていることを気にかけていたイリスのみが気が付いたとかそういうの。


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姫と騎士

 

 元の世界に帰る方法があるかもしれない……そんな可能性が出て来た事に喜ぶ私たち。

 しかし、それはまだ雲を掴むような話で、今出来ることは、目の前の問題を、一つ一つ解決していく事だけ。

 

 差し当たっては、今この時も町に迫っている脅威を取り除く事……なのですが、私はその前に、まず体調をどうにかしろとベッドに強制収容させられました。

 

 皆が忙しく動き回る中、罪悪感に駆られつつ……しっかり休んで、二日が経過しました。

 

 

 

「どうですか……?」

 

 小さなガラスの棒をじっと見つめるレニィさんを、固唾を呑んで見守る。

 

「……どうやら、熱は下がったみたいですね」

「それじゃあ……!」

 

 体温計……元の世界の水銀の体温計と同じような物でした……を眺めていたレニィさんの言葉に、ぱっと顔を上げます。

 

「そうですね、今日から外出しても良いでしょう。お召し物を替えたら、ソール様達を呼んで来ます……あぁ、レイジさんも今は居るみたいですよ」

「そっ……!? そう、ですか、忙しくしていましたから、きちんと休んでいると良いんですけどっ」

 

 兄様は方々に指示を出すために、対策本部となっているこのお屋敷に詰めていましたが、レイジさんは防衛拠点設営の手伝いであちこちに忙しそうに走り回っていたみたいですし……

 

「ふふ……久々の外出ですし、今日はしっかりおめかししましょうか?」

「普通でっ! 普通で良いですからぁ!?」

 

 何やら楽しそうな彼女に、必死にいつも通りと要求する。

 うぅ、顔が熱いです……

 

 

 

 

 

 ――そうこうしながら着替えが済んで、レニィさんが二人を呼びに行っている間に、まじまじと今の服装を姿見で確かめる。

 現在の服装は、フリルが所々あしらわれた白いブラウスに、ロングのコルセットスカート。まだ肌寒いため、上にボレロも重ねてショールも羽織っています。

 髪型は、ハーフアップに小綺麗にまとめられて……あぁ、これは……

 

「……童貞を殺す服、って昔流行った奴ですね」

 

 清楚さを押し出したお嬢様風の出で立ち。今の容姿には実に似合っていると思いますけど、これは、ちょっと、恥ずかしい。

 いそいそと、いつものポンチョをを取り出して羽織ろうと……

 

「邪魔するよ?」

「……ひゃい!? ど、どうぞ……!」

 

 ビクッと肩を震わせて返事をすると、すぐにガチャリと扉が開き、ソール兄様が部屋に入って来て……私の出で立ちを見て、ニヤリと悪い顔をする。

 

「……あぁ、そうか、なるほど……ほら、レイジ」

「うわ!? 何すんだ、ソー……ル…………?」

 

 何がなるほどなんですか!

  なんて言う暇もなく、扉の影にいたレイジさんを引っ張り出して、私の前に押してくる。

 レイジさんは、文句を言おうとして、すぐ私を見て固まった。

 

 ……沈黙が、痛い! 早く何か言ってくれた方がマシです……っ!

 

「……あ……かわいい、ぞ? うん、すげえ可愛い」

「そう、です、か……」

 

 我に返ってようやく発せられたレイジさんのコメントに、それだけを絞り出して、俯く。まともに前を見れません……!

 

「ほら、見つめ合ってないで、早く行くぞ?」

「「誰のせいですか(だ)!?」

 

 私とレイジさんの反論が、綺麗にハモって響き渡りました――……

 

 

 

 

 

「とりあえず、今日は外に出ても大丈夫か、症状のチェック……それと、大丈夫そうなら設営中の防衛設備を見学しに行こう」

「まだ、何もさせてはもらえないのですね……」

 

 ようやく出れる……そんな喜びもつかの間、やはり私はお邪魔なようです。

 奥まった部屋にすっかり箱入りにされていても、廊下を歩き回る足音や窓の外の喧騒に、周囲が慌ただしく動いていることくらいは伝わっています。

 そんな中で一人休んでいるのは心苦しいのですが……

 

「当り前だ、病み上がりだぞ、お前は」

「あたっ!?」

 

 軽くレイジさんにおでこを小突かれました。

 

「事が起きてからが大変なんだからな、お前の役目は。特に、今回は敵がアレだから、代役は居ないんだからな」

「そうだ、君にできることは、その時のために体調を万全にしておくことだ。いいね?」

「……分かってるん、ですけど」

 

 おでこを押さえながら、不承不承了解します。

 

「それじゃ、外に行くけど……大丈夫そう?」

 

 その言葉に、体がビクッと跳ねる。

 あれだけ部屋から出て何かしたかったのに、いざその時になると、また拐われた時を思い出して脚が震えそうになる。

 僅かに、躊躇に足を止めたその時……頭に、いつもの手の感触。

 

「大丈夫だ、俺らが側にいる。近くにいる限り、お前に手出しなんてさせねぇよ」

「レイジさん……」

「……ん? どうかしたか?」

「い、いえいえ、大丈夫です、行きましょう!」

 

 あの半ば夢の中で聞いた言葉が脳内でリフレインしていて、まともに顔を見られない。慌てて早く行こうと促す。

 

 気がついたら、足の震えは止まっていた。むしろ、よくわからない羞恥心やらなんやらで心臓の鼓動が激しく、それどころじゃなかった。

 

「それじゃ、開けるけど……あー。まぁ、とりあえず……あまり、驚かないようにな?」

「……? 何がですか、兄様?」

 

 なにやら意味深な事を呟いて、廊下に出るドアが開かれた。数日ぶりに、部屋から出ようとして――

 

 ――ザッ!!

 

 一糸乱れぬ、とはこのことでしょうか。

 外に出た瞬間、そこ……出口に向かう廊下に整然と並んでいた、鎧を外した騎士服姿の方々……えぇと、十名近くの人たちが、一斉に騎士の礼の形を取ったため、驚愕で思わず足を止めてしまいました。

 

 そんな中、一人の白く立派な顎髭を蓄えた、逞しい体つきの初老の男性が一歩前に出ました……一通りの事情は兄様たちから聞いていますし、その姿には見覚えもあります。

 今は戦闘中ではないため、鎧下姿のその男性……アシュレイさん。アイニさんと同じくゲームでその姿を何度も見た人が、今、目の前に居ます。

 

 しかも……今度は、『イリス』の設定に深く関わっている方なんですよねぇ。

 

「……この度は、無事のご快復、おめでとうございます」

「申し訳ありません……どうやらご心配をおかけしたようで。おかげさまで、すっかりと。皆様が外を守っていてくださったおかげで、よく休めましたから」

 

 スカートを摘み、かるく膝を折って頭を下げ、目の前に並ぶ騎士の方々に、にこりと微笑んでみます……こんな感じでいいのでしょうか?

 

 今までも、主にレニィさん等によってお姫様扱いはされていましたが、今目の前に居るのは、皆訓練が行き届いていると見える騎士の皆さん。

 

 ゲームのイベントでロールプレイの一環として行われるものとは全く違う、本物のお姫様扱いしてくるその騎士達の様子に、自分が立っている所すら分からなくなってくる。

 どうすればいいのか分からないまま、とりあえず労ってみますが……背後に少し離れて追従しているレニィさんからは特に苦言もありませんでしたので、多分大丈夫なのでしょう。

 

 ……何人か肩を震わせたり、僅かに顔を背けたりしていましたが、大丈夫ですよね?

 

「それは良うございました。それで、危険が訪れる前に、できれば姫様にも避難いただきたいのですが……」

「すみません、それはお断りします」

「……と言うと思いましたので。この町を救いたいという姫様の要望は我らも承知しておりますので、御身をお守りするべく、我らノールグラシエ魔導騎士団、黒影騎士団一同、姫様の身辺の警護に当たらせていただきます」

「……え? あ、はい……よろしく、お願いします……黒影?」

 

 魔導騎士団――その言葉に、内心でなぜこんな辺境にと驚愕する。

 それは剣以外にも、魔法も高レベルで修めなければ入団できないノールグラシエの最精鋭ですが……魔導騎士団に、黒なんて、いたでしょうか?

 

 確か、ゲームで出て来たのは……首都の治安維持を目的とした『白光』、王都とアクロシティ最接近都市であるコメルスを繋ぐ、魔導列車の路線の治安維持を受け持つ鉄道警備隊の『青氷』、そして有事の際に各地に派遣される『赤炎』……この三つだけだった気がするのですが……

 

 そんな風に、現実逃避気味に思考が飛ぶ。本物の騎士に護衛されるんだという事に、ちょっと事態に追いつけていない。

 

 

「……申し訳ありませんでした、姫様の事情は我々も承知しているのですが、一応、最初だけでもきちんとしておかなければ面目が立ちませんので……よし、お前達、楽にしていいぞ」

 

 アシュレイ様の背後に控えていた、やや周囲より年上に見える方がそう指示を出すと……

 

「……っはぁ~……やっぱりこう、堅苦しいのは苦手っすわ」

「まぁ、俺らはそういうのが苦手でこうして辺境回りだからな」

「あ、私共はだいたいこういう連中なので、あまり気にしないで大丈夫ですよ姫様……あだっ!?」

 

 最後の一人は、にこやかにひらひらと手を振って私に笑いかけていたところを、姫様相手に気を緩め過ぎだと隊長さんに叩かれていました。

 

 突如砕けた様子の彼らに、目をぱちくりさせる。

 

「……失礼しました。彼らは実力は申し分ないのですが……このように、叩き上げの平民出身者や礼儀作法に難のある面々で構成された、防諜専門の特殊部隊なもので」

 

 そう言うアシュレイさんも、すっかり雰囲気が柔らかくなってしまっており、まるで孫を見つめるお爺さんのような目をしています。

 

「は、はぁ……でも、こうしていてくれる方がありがたいです、私は、その……」

「記憶が混濁している、平民のようなものとして暮らしていた、というのは報告で聞いております。皆も知っておりますのでご安心を……が、それよりも」

 

 胸に手を当て、万感の思いがこもったように、目の端に涙すら滲ませて頭を下げる、アシュレイさん。

 そうでした……私……『ゲーム内のイリス』は、身元が判明するまでしばらく彼の家の下に保護されており、後見人でもあったこの方は、祖父のようなもの……でした。

 

「よく……よくぞご無事で。こうしてまた元気な姿を見れて、嬉しく思います」

「……はい、ありがとうございます……アシュレイ様」

 

 ……ふと、元の世界の祖父母を思い出しました。

 厳格だけれど目の奥には常に優し気な色を讃えた祖父母と……目の前のこの初老の騎士が、重なって見えました。

 

 

 

 

 

 

 私の心的外傷の症状の程度のチェックのための外出。結論から言うと、若干の恐怖心こそあるものの、レイジさんやソール兄様と居る限りは問題なく出歩けそうでした。

 ただ、それは症状が軽いという訳だけではなく……

 

「……人、少ないですね?」

 

 町には、まばらにしか人が歩いていませんでした。

 人通りの少ない時間かとも思いましたが、それにしてはシンとした静寂が町全体を覆っている気がします。

 

「近いうちに来襲するであろう敵に備えて、住民には避難してもらっておるからな。体調の悪い者や幼い子連れの者、それと高齢な者などの、野外生活や長距離の移動に耐えれぬ者は東門の駐屯所や診療所などで対処してもらっているものの、それ以外の住民は、東にキャンプ地を設けて一時的にそちらに移っている」

「町全体を避難させたにしては、早いですね?」

「先の襲撃がありましたからな……言い方は悪いが、あれのおかげで住民に危機意識が芽生えたおかげでしょう」

 

 そう、複雑な表情で語る隣を歩くアシュレイさん。

 なお、兄様は逆側の私の隣を、レイジさんはすぐ後ろからついてきています。

 

 ……横じゃなくてよかった。今並んで歩いたら、変に意識してしまいそうで。

 

 それはさておき。

 

 一般市民を遠ざけた理由……それは、安全のためだけでは無いのでしょう。例えば……あまり見られたくない、そう、例えば()()()()()()()()()()()が戦闘に加われるように。

 

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちに、町の西門へと到着してしまいました。

 応急とはいえ修繕された門は今はまだ開いていますが、その前後には今までなかった柵が何重にも張り巡らされていました。

 

「……随分、物々しくなりましたね」

「正直足りないくらいなんだけどな。生憎材料も時間も足りてねぇ、急造なのはどうしようもねぇよ」

「何か動きがあれば、坑道に残ったガンツさんから連絡が来る手はずになっているんだけどね……幸い、今のところまだ動きは無いらしい」

 

 だけど、それは明日かもしれないし、あるいは今この瞬間かもしれない。改めて、体に緊張が走る気がした。

 

「それで、城壁の上から外を見たいのですが……」

「はい、それでは、御手を拝借を」

「え? あ、はい……お願いします?」

 

 さっと差し出された騎士の手を、思わず取ってしまうと、そのまま手を引いてエスコートされながら階段を上る。

 先程から、足場の良くない場所があるたびにこの調子で……この調子で……

 

 ……ううっ、後ろからのレイジさんの視線が痛いです……っ!

 

「ありがとうございます……あ、あの、兄様! それとレイジさん!」

「……ん?」

「……あ?」

 

 視線に耐え兼ねて声をかけます。目で騎士達に大事な話があるからと訴えると、彼らはすぐに察してくれて離れたので、レイジさんと兄様の手を引いてすこし離れた場所へ歩く。

 

「それで、何の話かな」

「えぇ……騎士団の方々なのですが……実質初対面の私に、やけに友好的だと思いませんか?」

 

 いくら自国の姫と言っても、私はこの世界では数年にわたり行方不明となっており、しかもここにいる私がその本人だとまだ確定した訳ではない。

 にも関わらず、彼らは私に対して非常に友好的だ。

 

「まぁ、ノールグラシエは、今は王妃様以外に他に女性の王族が居ないからね。可愛いお姫様が戻って来て、彼ら騎士としては夢にまで見たお姫様の護衛だろうし張り切っているんじゃないのか?」

「兄様、私、真面目に聞いてるんですけど」

 

 ……確かそれもありそうですが。

 確か、現国王陛下の娘であった方が南の大陸に嫁いで……これも、ゲームの時はイベントでした。ちなみに政略結婚ではありますが、話の内容はきちんと恋愛結婚でした……以来、兄様の言う通り、この国に「お姫様」は居ないですから。

 

 だけど、それとはまた違う気がします。

 

「……まぁ、心当たりはある。イリス、君は、自分のサブ職『プリンセス』の効果は覚えているか?」

「……え? あ、えぇと……モンスターテイム成功率上昇、周囲の自国所属のPCとNPCに対する常時能力向上バフ、それに……」

 

 変更できないメイン職業とは別に、自由に付け替えできるサブ職業。

 そんな中私が設定していた『プリンセス』で習得していくスキルを順番に思い出しながら、はっとする。そうだ、覚えていくパッシブスキルの中に、この効果があった。

 

「…………自国NPCの好感度初期値、それと上昇率アップ……です」

「……それだ。私の「プリンス」も、自国民に対する指揮効果向上と一緒に、それが付いている」

「では、その効果は有効だと……?」

「それは分からない……けれど、可能性としてはありそうだろう?」

 

 確かに、可能性としてはありそうです。しかし、もしもそうだとしたら……

 

「……なんだか、人の心を弄ったみたいでいい気分はしませんね」

「だな……けど、あまり深く気にしない方がいいんじゃないか? 正常に運営されている国の王子様お姫様なんて、そんなもんだろ」

「レイジさん……」

「確かにお前らにしたら複雑で、割り切るのも難しいだろうが……あの騎士達はお前らを敬愛して、守ろうとしている、それだけで良いだろ。それより、町を見て回るんだろう、早く行こうぜ」

「そうだな、いつ襲撃の報が来るか分からない以上、防衛拠点の確認は出来るうちにしておこう」

 

 まだ思うところはありますが……レイジさんの言う通り、気にしないべきでしょう。そう、どうにか割り切って、二人について行く。

 

 ……だけど、絶対に感謝の心を忘れる事だけは無いようにしよう、そう心に誓いました。

 



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Save the Queen

 

 改めて、視察に戻ろうと、踵を返した……その瞬間。

 

「イリスちゃあああん!」

「……わぷっ!?」

 

 突如、顔が柔らかいものに埋まって、視界がゼロになる。

 何かに拘束されてるかのように、体が動かせない……否、拘束されていた。

 

「ああぁぁ……この感触久ぶりにゃぁ……癒されるぅ……」

「むー! むぅー!?」

 

 じたばたと暴れてみても、体格差でがっちり抑え込まれているため引き離せない。

 意識が徐々に朦朧として来て、あ、やば、落ちる……そう思ったその時。

 

「はいはい、ミリアム、そこまで。それ以上やると騎士さん等に斬られるぞ」

「おっと、ごめんにゃ、久々に顔を見て、嬉しくてつい……本当にごめんなさい!」

 

 ようやく解放され、ぷはっと息を大きく吸い込んだ。

 

「……はぁ……はぁ……お、お久しぶりです、ミリィさん……」

 

 両手を合わせて平謝りしているミリィさんに、苦笑して声をかけました。

 

 

 

「……ところで、ここでは今、何をしているんですか?」

 

 周囲を見回すと、アシュレイさんと一緒について来た方々とは別の黒影騎士団の騎士たちが、外壁の上の足場に、チョークのようなもので何かを書いています。

 ミリィさんも、時折その陣の傍らに足を止めては、陣の中に手をついて、何かをしていました。

 

 昼間で周囲が明るいため分かり難いけれど、よく見ると、その陣の中についている手の周辺から光が発せられています。

 

「……あ、これにゃ? これは、防衛用の魔法補助の陣地、らしいにゃ」

「陣地?」

「そう、今私が触れていたのが、魔力を前もって一時的に貯め込んでおいて、術を行使する際にそこから魔力を引き出せる……簡易魔力タンクみたいなやつにゃ」

 

 そのような便利なものが……これは、向こうのゲーム時代には無かったものです。

 

「で、あっちのお兄さんらが今書いているのが、魔法の効果範囲とか、威力とか、そういった物を高める儀式陣。一人一人最適化が必要らしいから、後でイリスちゃんも自分用を登録してもらうにゃ」

「はぁ……すごいですね、こんなものがあるなんて。これ、私達でも作成できるのでしょうか?」

「んー……」

 

 何やら、芳しくない表情のミリィさん。何か問題が……?

 

「構成を覚えればできると思うけど、教えてくれるかどうか……それに、あのお兄さんらの使ってるチョークみたいなもの、あるにゃ?」

「え、あ、はい……あれがどうかしたんです?」

「あれ、一本、金貨3枚らしいにゃ」

「ぶっ!?」

 

 驚愕に、思わず噴き出した。後ろで、兄様やレイジさんも咽ている。

 

 ちなみに、硬貨は全て世界の中心、アクロシティで鋳造されているものが、世界共通の貨幣として流通しており、価値の低いものから順番に、青銅貨、銅貨、銀貨、金貨、ミスリル貨……となっています。

 そして、金貨三枚というのは、一般の人が働いて一月に稼ぐ額の平均になります。

 すっかり所持金の減じた私達では、あれ一本買えるかどうか……

 

「なんで、そんな高価な……」

「んー……あれ、魔石を砕いて粉にしたものを、同じく粉になるまで砕いた、魔力伝導性の高いミスリル鉱石と石膏を混ぜて固めたものらしい、にゃ」

「それは……高いのも納得ですね……」

「それを惜しみなく使用しているとは……流石、王都の騎士様は資金が豊富にゃ」

「ですね……」

 

 近くに居た兵士さんに、あなた達も持っているのか目で問いかけますが、苦笑して首を横に振られました。流石は大国の精鋭、お金あるんですね。世の中、世知辛いなぁ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、姫……おっと、イリス嬢、こちらに居ましたか」

 

 不意に、背後の階段から声をかけられ、振り返って見下ろす。

 階段を上って来るのは、ゼルティスさんとフィリアスさん、それと……傭兵団の、もう一人の魔法使いである、確か……

 

「そういえば、イリスちゃんは彼とあまり話した事は無かったですよね」

「あ、はい……すみません」

 

 フィリアスさんの言葉を肯定する。人見知り発動中だった私は、男性との会話を極力避けて居たために、傭兵団の皆さんには顔は知っていても話した事は無い、という方が沢山居て……彼もその一人でした。

 

「いいえ、イリス様の事情を鑑みると致し方ないかと。きちんと挨拶をしておらず、申し訳ございません。私はディアスと申します。以後、お見知りおきを」

「あ、はい、私のほうこそ、挨拶が遅れて申し訳ありませんでした」

 

 胸に手を当てて丁寧なお辞儀をする彼……その物腰と、清潔に切り揃えた黒髪をオールバックにし、乱れひとつなく整えたその容姿も相まって、その様子はまるで……

 

「……執事さん、みたいですね」

「はい、そうです。彼は元は私と同じく、執事として仕えていました」

「家名はあるのですが、今は名乗っておりませんので、どうぞお気になさらず、ディアスとお呼び下さい」

「な、なるほど……」

「それで、要件というのが……こちらなのですが」

 

 そう言って、彼が何かの包み……私の身長並みの長さ、1メートル半近くはあろうかという包みを、近くにあった台にごとりと起きました。

 

「……これは?」

「長さ、太さを見ると……剣、か?」

 

 兄様とレイジさんが、興味深そうに、包みを検分しています。しかし、これは……

 

「……呪われていますね」

 

 グルグルと布に包まれているそれには、何枚もの札を貼り付けていました。端を留めている金具には、魔消石が蒼く輝いています。

 そこまで厳重に封印しても尚、見ていると背中に冷や汗が垂れてくる。相当に強力な呪いな気がします。

 

「はい。町長の屋敷に残されていた物から使えそうな物品を探している最中に、荷物の奥底から出てきた物なのですが……」

「なんでも、事情を知っている人によると……昔、イリスちゃん達が行ったあの坑道、魔消石の採掘場に転がっていた物らしいです」

「あの場所に……?」

 

 私たちが落下し、レイジさんが剣を失った、あの場所。

 そういえば、何故あのような地下に、あれだけ綺麗なドーム状に拓けた空間があったのでしょう。自然にできた地形とも思えませんし、何かが掘り進めたか、あるいは……

 

 ――何かを閉じ込めていたか。

 

 そういえば、あそこの魔消石は全て、ドームの内部に向けてせり出していました。まるで、中に何かを閉じ込めておくためのケージのような……

 

「それで、お休み中だった所を申し訳無いのですが……解呪可能かどうか、伺いに参りました」

「え!? あ、ああ、はい、そうですね……」

 

 いけない、思考がおかしな方向へ飛んでいました。慌てて、ざっと包みを調べてみます。

 

 そうして、不意に気が付きました。この、体内に浸透し、力を奪っていくような感覚……この呪いの感触は覚えがあります。

 以前、私達が前の町で戦った、『世界の傷』から出てきた魔物の纏っていた呪詛の瘴気。あれと非常に似ているような気がします。

 

 ――だとすると、この物品を呪ったのは、『世界の傷』に関係する何か……?

 

「……少し難儀ですが、はい、大丈夫だと思います。今解呪しますね」

 

 解呪するのは問題なさそうです。早速済ませてしまおうと、包みに向けて手をかざします。

 

「……セスト()シェスト・ジス(浄化の第六位)

 

 前に掲げた両手の合間に、光が淡く灯る。

 

フーシャ(包め)リーア(光よ)カーズ(呪縛)ドレナス(消去)ナシン(無効)ヴァン(消失)……――アグ・リール(解呪)

 

 最後まで唱え終わると同時、包みを暖かな薄緑色の光が包み込んで、纏っている瘴気を絡め取って宙に消えていきます。

 

 周囲の者は皆、立ち上る浄化の光に目を奪われていた。そんな中……光を眺めていると……ふと、脳裏に流れ込んでくるものがありました。

 

 

 

 ――はい。それじゃ……私の権限で、あなたを、この剣の所有者……『御子姫の騎士(セイブ・ザ・クイーン)』に任命してしまいます。

 

 ――だ、大丈夫なのですか『――』様、そんな……勝手に重大な事を決めてしまって。

 

 ――あら、『――』は怖いの? それとも私を守る自信がないのかしら?

 

 ――そんなことはない、僕は、誰よりも、君を……!

 

 ――だったら良いじゃない、大丈夫、私がそうしたいって言えば、貴方ならだれも文句は言わないわ……これからも……いつまでも、よろしくね、私の騎士様?

 

 

 

 

 

 ……また、この二人。

 

 無邪気に、嬉しそうに……それでいて、悪戯っぽく笑って少年に剣を授けているまだ幼い少女と、そんな少女を困り顔で、だけどどこか嬉しそうに見つめている同年代の少年。

 今度は、今まで見た中でも一番若い。まだ、私くらい……あるいはもう少し年下の二人。これは……この剣に宿った、記憶……?

 

 

 

 

 

「……こいつは」

 

 不意に、沈黙から復帰したレイジさんの声が聞こえ、急速に現実へと意識が還ってきます。

 呪いが消えたその包みを外していくと、中から出てきたのは、繊細な装飾が施された白い鞘に収まった一振りの剣。

 やや大振りで、両手でも使えるようにと長めの柄を持った、いわゆる「バスタードソード」と呼ばれる剣でした。

 

 その見るからに業物、と言った風情に、周りから息を呑む気配が伝わって来ます。

 

「……すげぇな……って、イリス、何かあったか?」

「……いいえ、何でもありません」

 

 目の端に浮かんだ涙を拭い、乱れた平常心をどうにか取り戻す。それよりも、伝えるべきことがあります。

 

「……これは……この剣は、『セイブザクイーン』が一本、『白の叡智アルヴェンティア』……そう、呼ばれるもの、みたいです」

「イリス、知っているのか!?」

「はい……自分でも、よくわかりませんが、何故か、分かります……」

 

 そして、その名前が、やけに心をざわめかせる。まるで昔から知っている、大切な物かのように。

 

「ふむ……『セイブザクイーン』、か。その名前、耳にした事がある」

「アシュレイ様、それは本当ですか?」

「うむ……今は居ない光翼族、その中で『御子姫』と呼ばれる貴種が、自らを守護する騎士に授けていた剣……と、文献の中で見た事がある」

「……これが、その中の一本だ、ってか」

「私も、実際に見るのは初めてだが……む、抜けぬな」

 

 アシュレイさんが、柄を掴んで軽く抜こうとしているみたいですが、鞘からはピクリとも動きませんでした。どうやら、封印されているようです。

 

 ですが……なんとなく、どうしたら抜けるようになるか、解る気がする。

 

「……すみません、少しお借りしてもいいですか?」

 

 そう告げると、さっと脇に避けてくれたので、柄を握ってみる。

 瞬間……装飾だと思っていた金模様に光が走り、鯉口のあたりでガチャリと何かが開く音がした。

 

「これは……イリスに反応した、のか?」

 

 兄様が、呆然と呟きます。軽く手に力を込めてみると、ずっ、っと、鞘から動く感触。

 

「……どうやら、抜けるみたいです……そして、これは私が託すと決めた人であれば、多分普通に抜けると思います」

「何で、そのような事を……」

 

 兄様から投げかけられる当然の疑問に、首を横に振ります。

 

「ごめんなさい、私にも良く分からないんです……ただ、この剣を見ているとなんとなく解る、そうとしか言えなくて……少し、抜いてみますね」

 

 慎重に、鞘から少し剣を抜いて見る。

 中から出てきたのは、僅かに反りの入った、純白の刀身。その美しい刀身にはいくつか宝石……魔石が散りばめられており、非常に優美な物でした、が。

 

「……少し、刀身が傷んでいるな」

「魔石のほうも、すっかり力を失っているようだ」

 

 長年放置されていたのだとしたら、それもやむなしなのでしょう。ですが、それでもなお武器としての迫力はすさまじいものがあります。

 

「……しかし、このような損傷状態にあって尚、その辺の業物と呼ばれている剣にも、おそらく引けを取ってはおるまい」

「使用する分には、問題は無さそう……って事か」

「使うかは、封を解除したイリスに任せよう。どうやらイリスが託した相手にしか使えないみたいだしね」

「え、えぇ……?」

 

 待って、ちょっと待って!? それ、まるで物語とかで騎士を任命するみたいですごい恥ずかしい!

 

 だって、だって……『セイブザクイーン(女王を守りたまえ)』ですよ!?

 

「ほら、我が姫、渡したい人は決まっているのでしょう?」

 

 葛藤していると、そう、ゼルティスさんが私の背中を優しく押します。

 

 ……彼の言う通り、この流れになった瞬間から、誰に託すかは私の中で決まっていました。ただ、恥ずかしい、怖い……だけど。

 

 覚悟を決め、剣を鞘に戻して、鞘ごと抱きかかえる。そして……その人の前に立つ。

 何故かわからないけれど、ひどく緊張していた。自分の心臓がバクバクと激しく脈打っており、なかなか喉が言葉を発しようとしない。

 しかし、どうにか意思を絞り出し、告げます。

 

「……レイジさん。あなたに……この剣、『白の叡智アルヴェンティア』……託しても……いいですか?」

「え、あ……俺?」

 

「あ、あ、だって、今はレイジさんだけまともな剣を持っていないですし、形状も、以前の剣に近いですし、その……」

 

 拒絶されたらどうしよう、その思いから、必死にレイジさんに託す理由を捲し立てようとして……すぐに、声の調子が下がり……沈黙が、落ちた。

 

「…………駄目、ですか……?」

「い、いや、そんなことは無ぇ、ああ!」

 

 耳に届いた言葉に、パッと顔を上げる。

 彼は、視線を私から反らしながらも、私の抱えている剣を、受け取る姿勢を示していた。

 

「……わかった。確かに、この剣は、俺が預かる……少し、抜いてみていいか?」

 

 私の差し出した剣を掴み、そわそわと、新しい武器を振ってみたそうにしているレイジさんに、皆が頷きます。

 

 しゃら……っと涼やかな鞘走りの音を立てて抜かれた刀身は、長さおよそ1メートル。やはり先端まで真っ白な刀身は片刃で、日本刀よりはずっと幅広い。

 先端のほうから半ば辺りまでが両刃となっており、日本刀で言う、いわゆる鋒両刃造(ほうりょうじんづくり)と呼ばれるものでした。そして峰側の下半分ははまるで取っ手の様に隙間が開いており、そこも掴めるようになっています。

 

 ――力強くも優美な女王の剣。それが、第一印象でした。

 

「重心は……悪くねぇな、割としっくりくる、これなら慣れるのに時間もかからなそうだ」

 

 そう、数回素振りした後、満足した様子で鞘に納め、肩に担ぐ。

 

「けど、ほんの少しだけどまだ、俺のレベルが足りてねぇな」

「そうなんですか?」

「ああ、少し疲労感がある。まあ、気になる程では無いから心配すんな」

「まだ、完全な状態じゃないのに……」

「そうだな……万全の状態だと、一体どれだけのもんか……なんにせよ、気に入ったぜ、ありがとな」

 

 どうやらお気に召したようで、ぐしぐしと、上機嫌な様子で私の頭を撫でてくる感触に、ほっと一息つきます。

 

「それじゃ、他の場所も見に行こう。ハヤトが外でトラップ設置に協力していたはずだ、見に行こう」

 

 そう言ってソール兄様が手を叩き、次の場所へと先を促す。皆が歩き始めた中、僅かに出遅れた私の隣に、すっとレイジさんが並んで来ました。

 

「もう何度も言っているが……何があっても、俺はお前を守る。この剣に誓って、約束だ」

「レイジさん……はい、よろしくお願いします」

 

 その言葉に、よく分からないけれど嬉しさが込み上げて来て、思わず隣の彼に微笑みました。

 とくんと、一つ高鳴った胸に首を傾げながら――……

 

 

 

 

 





 クイーンよりプリンセスの方が正しいかもしれませんが……光翼族は女性優位の種族なので。


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覚悟

 

 門から外に出ると、こちらも初めてこの町に来た時に比べると、すっかり様変わりしていました。

 

 外壁のすぐ前には、幾重もの、尖った先端を外に向けた杭の柵が陣取っており、外に出てしばらく平野を歩くと現れるのは、外壁と並行に掘られた細長い穴……始めは塹壕かとも思いましたが、これは落とし穴ですかね?

 

 そんな傍に、この場には不釣り合いな、小柄な少年……ハヤト君が佇んでいました。

 

「ハヤト、そちらの進展はどうだ?」

「ああ、兄ちゃん達……と、姫様も。無事に元気になったんだな、良かった」

 

 兄様の声に振り返ったハヤト君が、私の存在に気がつきました。

 そうだ、レイジさんが言うには、彼は私とアイニさんが攫われた際に、身を呈して逃してくれたとの事でしたね。

 

「はい、おかげさまで……ハヤト君が助けてくれたって聞きました」

「いや……結局俺もレイジ兄ちゃんに助けられたし……」

「いいえ、それでもあなたが居なければ、こうしてまた皆に会えなかったかもしれなかったみたいだから……本当に、ありがとう。だけど、あまり無茶はしないでくださいね?」

 

 心の底からの感謝を込めて、にこりと微笑んでお礼の言葉を口にする。

 

「……別に大したことじゃねぇし」

 

 ……あら、すっかり照れてそっぽを向かれてしまいました。お礼を言われ慣れていなさそうなその様子が微笑ましいものに見えます……もし弟が居たら、こんな感じでしょうか?

 

「……ああぁぁあっ!! それで、進展だったな! まぁ、見ての通り順調に進んでるよ……っと」

 

 周囲の生暖かい視線に耐えかねたのか、突如大声を出して強引に話題を修正するハヤト君。そうでした。現状確認の途中でした。

 

 周囲を見回すと、兵士や傭兵団の方々だけでなく、町民の、有志による協力者……おもに鉱夫らしき筋骨隆々とした人たち……が、落とし穴をそこら中に掘っています。それなりに深く掘られた穴の底には無数の杭が敷き詰められており、明らかに殺傷目的のものです。そんな中ハヤト君は、手にした紙の札に何か書いては落とし穴の中に放り込んでいました。

 

「ハヤト、それは?」

「これ? 衝撃が掛かると爆発する符。兄ちゃん達に聞いた敵の話からすると効果は微妙だと思うけど、多少でもダメージと、足止めになれば幸いってね」

「……たしかに、以前の襲撃の際の連中の動きは意思の感じられない単調なものだったからな。倒すのは難しくても、歩みを遅らせることは可能かもしれない」

 

 今回は相手が相手ですので、落とし穴で倒せると楽観視はしていませんが……以前のように、ただひたすら目の前の敵を襲うだけなのであれば、その速度を遅くすることが出来れば上等、ついでに何体でも数を減らせれば万々歳……ということらしいです。

 

「それにしても……それも見た事の無いスキルだな」

 

 兄様が、ハヤト君の描いている符を興味深そうに見ています。かくいう私も少し気になっていました。

 

「……俺の職は、アサシンの上のユニーク職、『ニンジャマスター』。二次職のアサシンを少し攻撃的にしたスキル以外に、こうして色々な札とか作って攻撃や妨害とかもできるんだ……悪かったよ、隠してて」

「いいえ、それはお互い様ですから」

 

 私もまだ、彼に自分の事を隠しています。彼だけではない、この町の人、協力してくれている人全員に。

 止むに止まれぬ事情はありましたが……けれど、これから行われる戦いで、隠したままという訳には……

 

「あら、皆さんこちらに居たのですね。イリスちゃんも、無事に快復したようで良かったですわ」

 

 そんな事を悩んでいると、おっとりした優しい声が町の方から聞こえました。そちらを見ると、こちらに歩いて来る人影。

 

「あ、アイニさん。お薬、ありがとうございました」

「いいえ、それが私の仕事ですから……少し強めの薬を処方してしまったけれど、ごめんなさい、飲みにくかったですわよね?」

「それは……ええ、そうですね、とても。ですが、おかげでこうしてすっかり良くなりました、ありがとうございました」

 

 今も鮮明に思い出せるあの薬の味を思い出して、苦笑する。

 ですが、こうして大事になる前に復調できましたので、我慢して飲んだのも無駄ではありませんでした。

 

「……それで、アイニ嬢。診療所で負傷者の対応をしていたあなたがこちらに来たという事は、何か連絡ですかな?」

「ああ、はい、そうでした……こほん」

 

 一つ咳払いすると、すっと真面目な表情になりました。つられて私達にも緊張が走ります。

 

「領主様の率いる主力部隊は、三日後の午後、くらいに到着予定だと、連絡がありました」

「それは……まさか、辺境伯直々に?」

「はい、それだけ私達の報告を重く受け止めて頂けたようで、相応の戦力を率いて来てくださるようです」

 

 それは朗報でした。そもそも防備の必要な場所に領地を持つ辺境伯は、基本的に、人格、能力共に国王の信が厚く、そんな方が率いている者たちも同様に精強です。

 その辺境伯自らが兵を率いてきたという事は、相当な戦力と見ても良いでしょう。

 

 ……私達が居るせいかもしれませんが。現在のローランド辺境伯は、傍らに居るアシュレイ様の御子息で、一時は私達の後見人であった方ですし。

 

「……では、私達の主な仕事は、その救援が到着するまでの間、町を守る事ですね」

 

 無理に私達だけで勝つ必要は無い。予定通りであれば三日後、救援が来るまで可能な限り損耗を押さえて耐え凌げばいい。

 そしてここ、この町の西門は国境側に存在し、そのため外敵から守るに易い場所です。

 

「はい。敵襲より先に救援が間に合うというのが最善なのですが……ガンツさんの予想では、僅かに、向こうが動き出す方が早いのではないかと」

「ここに駐留している者だけでの交戦は、避けられないのですね……」

 

 であれば、私も自分の能力を隠し通すわけにはいかないでしょう。予想より早く訪れただけで、いずれ必要になる事でした。来るべき時が来た、というだけ……そう自分に言い聞かせる。

 

「心配なさるな。我ら一同、殿下の身は必ず守り通します、それが何が相手であったとしても」

「アシュレイ様、それは……ありがたく思います。ですが私は……」

 

 自分がお姫様だなんて自覚はありません。自分がそれに足る存在だとも思えてはいません。

 だけど、この先はもう後戻りはできなくなるのではないか、『イリスリーア』として彼らの助力を受けてしまえば、私は……この世界の、この国の王女『イリスリーア』という存在として固定されてしまう気がして、怖い。

 

 そんな恐怖心から来る震えを察せられてしまったのか、老騎士の無骨な手が、そっと肩に置かれました。

 

「……国王陛下より、お言葉を預かっております。『民を害するような事さえしないのであれば、今しばらく好きにやってみるがよい……ただし、どの道を選ぶにしろ、そのうちに、無事な顔を見せにだけは来るように』……そう、仰っておられました」

「陛下……そのような……私達の事、ご存じだったのですね」

 

 この国の情報網の優秀さは分かっていたつもりでしたが……あくまでも、つもり、だったらしい。すでにこちらの事を掴んでいて、その上で自由にさせてもらっていたようです。

 

「はい、以前は人形のようにただ言う事に従うだけであった殿下を、国王陛下は痛ましい物を見る様にしておりました。ですが、今は自らの意志で行動しているのならば、しばしの間、見守ろう……と」

 

 ……そういえば、いつだったかに見た夢をふと思い出す。

 

 何もかもが現実感が伴わず、空虚に過ごしていた日々の記憶。その末に、ここは私の世界ではないと、躊躇いも無く行方を眩ませた。この世界にも、心配している人は居たのに。

 記憶はおぼろげで、何故そのような記憶があるのかも不明瞭だけれど、きっとあれも本当にあった出来事だと……理由は分からないけれど、感じる。

 

 その夢の中に、悲しげな眼差しで私を見ていた、私の庇護者であった男性……彼が、現国王陛下だったのでしょう。

 

 そして今、自分勝手に姿を眩ませ、今でも自分の身の振り方も決めれない小娘を、答えが出るまで待っていると、そう言ってくれている。

 

 ――覚悟を、決めよう。王女なんて柄ではないし、権力に組み込まれるのはたまらなく怖いけれど……

 

「……手の空いている方々を、集めてもらえますか?」

「イリス……いいのか?」

 

 兄様が、心配そうに私の顔を覗き込んでいます。

 恐怖心は当然あります。だけど……初めてこの町に到着した時を思い出す。

 

 ――もしかしたら、躊躇っていなければまだあの時何かできたのではないか。被害を減らすことはできたのではないか、と。

 

 分かっています。あの時は、あれ以上のことはできませんでした。所詮は、たらればの話でしかありません。

 だけど……今度は、躊躇う事で助けられた筈の人を、助けられなくなるかもしれない。その方が、よほど恐ろしい。

 

 だから……迷いを振り切って、頷きました。

 

「はい。そもそも、出し惜しみできる状況ではありませんし、いざ何か必要な事態になるまでひた隠しにして、緊急時に無用な混乱を招くよりは……皆を信じ、全てを伝えましょう」

「……わかった。君が決めたのなら、私は止めない。申し訳ありません、アシュレイ殿。大事な話がありますので、兵たちを集めて頂きたいのですが……」

「……承知しました。皆の者、すまないが、どうしても手を開けれぬ者以外は皆大会議室に集めよ。これは私、『黒影騎士団団長代行、アシュレイ・ローランディア』の命である……と」

 

 その言葉を受けて、私の護衛をしてくれていた騎士たちが、方々に散っていく。

 

「……レイジさん。に……綾芽」

「……ん?」

「……何だ?」

「いざというときは……私を攫って、一緒に逃げてくれますか?」

 

 緊張に震える表情筋を抑え込み、どうにか笑顔の形を作ると、冗談めかして両隣に陣取る二人に告げる……祈りにも似た気持ちを圧し殺して。

 

「当然だろ、馬鹿野郎」

「絶対、一緒に行くからね」

 

 そう、当然のことのように言われ、ごん、ごん、と痛くない程度に軽く頭を小突く二つの感触に、不思議と顔の緊張がほどけ、自然に笑みが漏れるのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな卓が中央に設置された大会議室は、集められた衛兵達によってごった返していました。

 対面しているのは、私と兄様とレイジさん、それと立場上、この中で最高権力を持つアシュレイ様。

 そして、私達を代表し、兄様が衛兵の皆に事情説明をしていました。

 

「――今回の騒動、その原因は、この町の付近に発生した『世界の傷』にあります。以前の襲撃の際の、おかしな動きのゴブリンの群れ……あれもまた、その影響を受けた者達になります」

 

 以前、会議に集まった時には、突如の魔物の襲撃によって話しそびれてしまった……あるいは、士気面への影響を考えて話さなかったか……というその事を告げると、ぴしりと、会議室の中の空気が凍った気がしました。

 

「……で、では、それでは! この町は、放棄しなければ、ならないのではないですか……!?」

 

 衛兵の一人から、悲鳴じみた声が上がる。

 

 たとえ魔物達を倒しても、またいつかは新たな脅威が現れる。

 あるいは、周囲の生物を取り込み、変質させ、世界に仇為す敵へと変えてしまう。それは……人々も、例外ではありません。

 

 故に、『世界の傷』が発生したら、人はその一帯を封鎖し、逃げるしかない。そうしてこの世界は生存圏を狭め続けて来た。あれは、それほどの脅威です。

 

 ――対処できたはずの者達が、滅んでしまったから。ですが今は……

 

「……いいえ、その必要はありません」

 

 かぶりを振って兄様と二人、被っていたフードを取り払います。隠れていた顔が皆の眼前に晒され、周囲から感嘆の声が漏れる……うぅ、突き刺さる視線に腰が引けます。逃げたい。だけど、逃げちゃ駄目です……!

 

「……まさか……イリスリーア、殿下……?」

 

 誰かが呟いた一言に、ざわめきが沸き起こる。

 

「では、こちらの騎士様は兄君の……」

「本当だ、肖像画で……」

「だが、二人とも行方知れずだったのでは……」

「それに、姫様は天族のはず、ならば翼は一体……」

 

 際限なく広がるざわめきに、言葉が詰まります。けれど、両脇に控える兄様とレイジさんが軽く肩を押しました。そうだ、そのために、今、ここに残る事を決めたのだから。一度、瞳を閉じて、大きく深呼吸し……言葉を発します。

 

「……私達は、この数年間、別の人物、別の姿で、別の世界に居ました。それが、行方不明になっていた理由です」

 

 私がそう切り出した言葉に、周囲のざわめきが多くなりました。そのほとんどは、「急に何を言い出すんだ」と言いたげな訝しげなもの。

 

「……何を突拍子もない、と思われるのも、もっともです。ですが、それは事実で……向こうへもう一度渡る手段が見つからない以上、信じてもらうほかありません。ですが、今回皆様に話しておきたいのは、それとはまた別……この町の防衛に関わる話です」

 

 横に控えていたアシュレイ様に目線を送ると、彼が一つ頷いて、口を開きます。

 

「現在、領都から連絡があった。援軍が到着するのは三日後。そこまで耐えれば、私達の勝ちだ」

 

 その言葉に、安堵の空気が流れ始めるが、すぐにまた沈痛な物へと変化する。

 

「ですが、『傷』の方は? 大元が残っている限り、いずれまた……」

「……いいえ、そちらもどうにかなります。先程、私は天族だった筈ではなかったか、翼はどうしたのか、と聞かれましたね? ……その答えが、こういう事になります」

 

 そう告げて、目を閉じて背中に集中する。途端に、息を飲んだように静かになる周囲。

 ゆっくりと目を開けると……部屋に舞い踊っている無数の光の羽。

 そんな中、信じられないものを見た、そういう表情で固まっている皆が居ました。

 

「……殿下……その……翼は……っ!?」

 

 沈黙の中、最前列にいた衛兵の方が、絞り出すかのような声ででそう疑問を投げかけて来ます。

 

「……はい。今の私は数奇な過程を経て、『光翼族』となって、ここに居ます……重ね重ね、隠していて申し訳ありませんでした」

「この件は、できるだけ内密にお願いしたい。殿下の身柄は、私が一時的にお預かりしている。よって、もし何かがその身を害そうとするのであれば、私と我ら黒影騎士団が対処する、そう覚えておくといい」

 

 そう、アシュレイ様が釘を刺しますが、見た感じでは戸惑いこそあれ、そのような邪な考えを持つ者は居なさそうで、ほっと一息つきます。

 恐れていた事の一つ……私の正体を知った者が、よからぬ事を考えたりしないかという不安はありましたが、どうやらこの場では杞憂だったみたいでした。

 

「『世界の傷』自体は、この場を凌ぎ切った後、私達でどうにかする。だから、皆には町の防衛に全力を尽くし……私達を、『傷』の元まで送り届ける手助けをしてほしい……このとおりだ」

「どうか……皆様の力を、お貸しください」

 

 兄様と二人、頭を下げる。シン……と静まり返ったまま、何分にも感じるほど長い数秒が経過しました。

 

「……どうか頭をお上げください、ソールクエス殿下、イリスリーア殿下」

 

 不意に、掛けられた声。

 顔を上げると、何度か話をした衛兵の隊長さんが、目の前に居ました。

 

「元々これは、この町を守るというのは、私達がやるべき仕事。それに手を貸してくれるというお二人に感謝こそすれ、頭を下げさせるようなことはできません……私共こそ、どうか、お力をお貸しください。この通りです……!」

 

 隊長さんが頭を下げる。元々この町の衛兵だった者たちを中心に、周囲の皆も同様に。

 この場が人でごった返していなければ、平伏した者すら居たかもしれない、そんな様子でした。

 

「……分かった、共に、全力を尽くそう」

「だけど、これだけは約束してください……絶対に、無理はしないでください。生きてさえいてくだされば、私がなんとしてでも助けます……だからどうか、無事でいてください」

 

 手を組み、祈るように絞り出した言葉。この場の全員生き残るなんてことが難しいことくらいは分かっています。だけど、それでも……どうか死なないで、と。

 

 そしてそれは、私の想像を越えた劇的な効果がありました。

 

「……聞いたな、お前達! 聖女様、いや、姫様たってのお願いだ……皆、生きて、町を守り抜くぞォッ!!」

「「「「「おおおおぉぉぉおおぉぉおおおッ!!」」」」」

 

 その隊長さんの声に、一斉に上がる兵士たちの鬨の声。

 その声に驚いて、俯いていた顔を上げ、目の前の熱狂を呆然と眺めます。

 

 私が『イリスリーア』となる事で、他者の命が、私の言動一つで左右されるという責任が生じる事は怖い。

 向こうではただの一般人だった私に、これだけ多くの他人の命を背負う覚悟なんてあるはずも無い。今すぐ逃げ出したいのは変わりないです。

 

 ですが、そんな私にも、出来る事がある。少なくともこの場で、希望を与える事は出来た。意気軒昂な彼らの顔にはすでに悲壮さなど見当りませんでした。

 

「やれやれ……まったく男ってやつは」

「そう言うなって。こんな可愛いお姫様に頼られて、しかもこう心配までされちゃ、黙ってらんねぇのが男ってもんだろ」

 

 戸惑う私の後ろで、二人がそんな軽口を叩いている。

 

「そんなものかね……でも、責任重大だな」

「はい……だけど、私も覚悟を決めます」

「俺達、だろ? 皆で無事、切り抜けるぞ」

 

 あとは、希望を見せた責任を取るだけ。その耳をつんざく大音量の中、私と兄様とレイジさんは、顔を見合わせて、誰からともなく笑いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして、それから三日後の朝。

 

 丁度、救援が到着する予定のその日……一人、敵の動きを監視していたガンツさんから、奴らが動き出したという連絡が入りました。

 



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ディアマントバレー防衛戦線1

 

『敵ニ動キアリ』

 

 今朝、端的に告げられた、坑道内に残ったガンツさんからの連絡からすでに三時間。

 蜂の巣を突いたような騒ぎの中で進められた戦闘準備はとうに終わり、今は痛いほどの沈黙の中で、皆が固唾を呑んで、西門の外、敵の巣となった坑道のある方角を見つめています。

 背後にある町は住人が皆避難しているため今は人の気配は無く、戦えるものは皆がここに集まり、それぞれの持ち場で待機しています。

 

 部隊は大きく分けて二つ。

 

 直接戦闘を行う、傭兵団の方々や黒影騎士団の中でも接近戦が得意な人達、それと衛兵の皆で構成された、門の外で待機している前衛部隊。

 そのうち傭兵団の方々は、ヴァルター団長と、ゼルティスさんフィリアスさんの兄妹が指揮する二つの班に別れ遊撃を担当し、それ以外の騎士や兵士達は本隊として、全体の総指揮を任されたアシュレイ様が率いて門の防衛に当たります。

 

 そして、今、私の居る門の上に陣取っているのは、ミリィさんとレニィさん、そしてディアスさん、それと騎士達の半数の、主に魔法を得意とする方々に、ヴァイスさんをはじめとした弓兵の方々といった後衛部隊。

 兄様とレイジさんはその護衛としてこちらに残っており、こちらの指揮は兄様が担当する事になりました。

 

 その他、門内のバリケードを越えて大通りの先、元町長の屋敷には、文官や有志の医療知識のある人たちによる救護班。アイニさんも、薬師としてこちらに詰めているそう。

 

 ――総勢百人超。

 

 ゲーム時代のパーティは最大八人。それを三パーティ集めたものが、レイドボスの基本、同盟(アライアンス)の二十四人……そしてそれを四つ集めた大規模集団戦闘(レギオンレイド)の九十六人というのが私達の経験したことのある集団戦の最高人数。

 今回は、それすら超える人数での戦闘となり、未体験の戦闘参加人数に膝が震え、つい、杖を握る手に必要以上に力が篭もります。そしてそれは、指揮を任された兄様も同様……いいえ、私以上にその肩に掛かっているであろうプレッシャーに、纏っている空気がピリピリしています。

 そんな私達に、レイジさんは「何かあったらカバーする」と一声かけ、今は門の胸壁(きょうへき)の凹部分に浅く腰かけて背を預け、敵が現れるであろう方向をじっと見据えていました。

 

「見えた! 見えた、が……なんだ、ありゃ……」

 

 最も目のいいヴァイスさんが、遠方を望遠鏡で覗きこみながら顔を顰めました。同じく望遠鏡を覗き込んでいた人達も似たような感じです。

 

「おい、やめとけ、ガキが見るようなもんじゃねぇぞ」

「いえ、目を逸らしている訳にもいきませんので」

 

 私がしようとしている事を察したヴァイスさんが、制止しようとするのを振り切って、私も『イーグルアイ』の魔法で視力強化し、見てみると……

 

 ――そこには、ホラーゲームのような光景が、広がっていました。

 

 (こぶ)のように不自然に膨れ上がった腕に、子供の背丈はありそうな爪を持った個体がいます。

 

 両腕の他に、肩甲骨のあたりから、二対の腕を生やした個体。道中で調達して来たのか、つるはしやシャベルを武器代わりに持っている者もいます。

 

 また、表皮を突き破り、体の内からあの結晶体を生やしている個体も。あるいは、異様に発達した牙が口内を突き破って、涎をだらだらと垂らしながら歩く個体……あるいは……

 

 ――いずれも、肥大化した体に対して皮が足りずにあちこちで裂け、筋肉や血管、内部組織を剥き出しにしながらも、じくじくと体液を滴らせながら行軍してくる様子に、ひっと悲鳴を上げそうになったのを、辛うじて飲み込みました。

 

「言わんこっちゃねえ。大丈夫か?」

「だい、じょうぶ、です……っ」

 

 背中を擦られる感触。きっと、今、顔色は真っ青になっているに違いありません。ですが、もはや気圧されている猶予なんて無い、やるべきことをやらなければ。

 深呼吸し、気分を落ち着ける……大丈夫、いける。

 

「……それでは、まず、皆に補助魔法をかけておきます。この魔法陣、一つ使わせていただきますね」

 

 そう断りを入れて、最も手近にあった魔法陣……ミリィさんが『魔力タンク』と称したそれに足を踏み入れます。

 

「それは、構いませんが……一つだけでよろしいのですか? これだけの規模の戦闘では、相当に対象を絞らなければ、殿下の負担が……」

「いいえ、大丈夫です……多分」

 

 そう心配する騎士の一人に微笑むと、魔力を溜め込んだ魔法陣の中央へと陣取ります。陣が私に反応して光を発し始めたのを確認し、目を閉じて、自らの両手に集中しながら、詠唱を紡ぎます。

 

「――『我の英知解き放ち、遍く注ぐ光……有れ』……スペル・エクステンション!」

 

 詠唱完了と共に、私の両手に光輪がゆらゆらと廻り始めました。

 

 以前のゴブリンとの戦闘で分かったことがあります。私の能力は……味方が多ければ多いほど、強ければ強いほど、その真価を発揮する、こうした大規模戦闘向きなのだと。

 

パワーエンチャント(筋力強化)

スピ-ドエンチャント(瞬発力強化)

コンセントレイト(反応速度強化)

リジェネレイト(治癒能力促進)

 そして『ヴァイス・ウェポン』

 これらの以前のゴブリン討伐で使用したセットに加えて、今回は鎧姿の兵士たちが多いため、防具に障壁を纏わせ強度を引き上げる『エンハンスドアーマー(防具耐久性上昇)』の魔法も追加しておきます。

 それと、魔法戦も予想されるため、強力な魔法が相手だと気休め程度になってしまいますが、耐魔力を上げる『カウンターマジック(耐魔力強化)』も。

 

 足元の魔法陣から魔力を吸い上げて、私達の陣地全体を七色に輝く煌びやかな光が満たしていきます。それは、この場に居る兵士一人ひとりに行き渡り、浸透し、その潜在能力を解放していきます。

 

 そうして皆に強化魔法の効果が乗った事を確認した後……ふっと、足元の、内包していた魔力を使い切った陣から光が消えました。

 

「……ふぅ、流石にこの魔力タンク一つの中身だけで、とはいきませんね……ですが、これで大分戦いやすくなった筈です」

 

 足りない分は自前で補ったため軽い疲労感はありますが、それでも以前に比べれば格段に楽な負担でした。念のため、少しだけマジックポーションを口に含んでおきます。

 

「これは……体が驚くほど軽い。これだけの人数を対象に、これほどの……」

 

 呆然と呟いた(かたわら)に居た騎士。その一方で、私達のいる塀の下からも、ざわめきが広がっていました。

 

 ……事前に説明無しでやり過ぎたでしょうか。しかし、皆の生存率を高めるためにも、ここに手を抜くわけにもいきません。

 

「ははは、どうだウチの姫さんはすげぇだろ!」

「誰がお前達のだ傭兵、この方は我々の……!」

「あの、喧嘩はダメですよ!」

 

 外壁の下で、傭兵団の方と、騎士の方が言い争いを始めたので、胸壁から身を乗り出して諫めようとすると……彼らは全然険悪な雰囲気など無く、笑顔でこちらにサムズアップをしていました。湧き上がる眼下の人達の歓声……あれ?

 

「よし、嬢ちゃんの可愛い顔も拝んだな、やるぜお前らぁ!」

「うむ、あの御尊顔、しかと目に焼き付けた、皆、あの顔を悲しみに曇らせるような事はするなよ!」

 

 そんな事を言って、意気軒昂に声を上げる眼下の兵たち。いつの間に打ち解けていたのか、肩まで組む者まで居る始末。

 

「悪いな嬢ちゃん、こいつら折角の機会だからもう一回、姫さんの顔を拝みたいって言うもんだから……俺は止めたんだがな!」

「あ、団長一人だけ逃げるとか最低です! 『良いじゃねぇか、やれやれ』って乗り気で案まで出していたじゃないですか!」

「おい馬鹿、フィリアス、爺さんの前でおま……っ!?」

「ほう……後でゆっくりと話をするべきか、小僧……?」

 

 アシュレイ様の声がしたかと思うと、なにやら下からビシビシと殺気を感じますが、どうしましょう、今回ばかりはいい気味だって思ってしまいました。

 

「というわけで……ごめんねっ!?」

 

 最後に、フィリアスさんが謝罪をして、眼下の騒ぎがようやく収まりました。

 この間、ただ固まっていた頭が、ようやく働き始めます。

 

 ……()められました!?

 

 手摺(てすり)を掴み、プルプルと羞恥心に震えていると、無数の生暖かい視線がこちらに集中します……もうっ!

 

「き、きちんと無事に帰らないと、この件は不問にしませんからね!」

 

 苦し紛れに、そう怒ってますアピールをして(きびす)を返し持ち場に戻ります。

 そこでは、魔法部隊の皆が、すでに各々の儀式陣に入り、初撃の準備を進めていました。

 

「はは……また聖女扱いが捗るな、きっと」

「知りません、もう……っ!」

「……しかし、皆の緊張は解けた。そこまで考えての事だろう、感謝しないとな」

 

 そう、気が付いたら私も、膝の震えも吐き気も止まっていました。ええ、確かに止まっていました、けど……!

 

「……本当にそうでしょうか?」

「……多分」

 

 拗ねて口を尖らせる私に、苦笑混じりで返す兄様。

 ……だけど、雰囲気が和らいだのは、確かでした。それで皆が実力を存分に発揮できるのならば、恥ずかしい思いをするくらいは……くらいは…………やっぱり嫌です、うん。

 

「さて……私達は、向こうの反撃に備えるぞ」

「……はいっ!」

 

 攻撃魔法隊の射程に敵が入るまで……もう、あと僅か。ついに、戦端が開かれようとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵の行軍は、非常にゆっくりしたものでした……あるいは極度の緊張状態が、時の流れを遅く感じさせたか。

 

 ……ですが、その時は来ました。ようやく肉眼での視認が可能になったくらいの彼方、敵の最前列が、あらかじめ打たれた杭により付けられた目印……魔法の限界射程内へと踏み込みます。

 

「……よし、魔法隊、一斉に放て!」

 

 兄様の掛け声に合わせて、魔法隊の皆でタイミングを合わせるために、完成間際で待機していた魔法が一斉に解き放たれました。儀式陣によって強化された火球……以前も見た中位火炎魔法『ラーヴァ・ボム』が、ゆっくりとした軌道で狙い違わず敵最前列に吸い込まれていき……

 

「……――エルタリア(雷撃)スロウド(滅殺)ボーデル(迅雷)――デレイア(災厄の)ヴィステル(獣の)クエーサー(雷鳴)……っ! ここにゃ、『ライトニング・デトネイター』……!!」

 

 数瞬遅れて、ミリィさんから、周囲を真っ白に染め上げるほどに巨大な雷光が同じ地点へと放たれました。

 彼方、敵陣で轟音を上げて『ラーヴァ・ボム』が炸裂し、溶解した大地と炎が荒れ狂うそこに、膨大なエネルギーをその身に蓄えた紫電が縦横無尽に奔り、まるで蛇のように敵集団を打ち据えながらその間を駆け巡ります。

 

 ――しかし、それだけでは終わりませんでした。

 

 自然現象の炎ではありえないように不自然な動きで、雷光へと吸い寄せられるように炎が集まり、収縮し……次の瞬間、方々で、眩い光と、ここまで届くほどの熱気を放つ大火球が発生し、大地を更に灼きました。

 

 ――これは、『マナ・バースト』と呼ばれる現象です。

 

 特定の属性の、一定以上の魔力が、一点に集中した際に発生する現象で、高密度の魔力が混じり合って変性し、その場で炸裂する現象。

 

 この現象を起こすには、相当数の魔法使いがタイミングを合わせなければならず……本来であれば、この倍近い人数が必要になる筈ですが、そこは儀式陣による補助と、ミリィさんの最上級魔法で無理矢理に励起させたみたいです。

 

 今のは、多数の『ラーヴァ・ボム』の炎属性と、ミリィさんの『ライトニング・デトネイター』の光属性が混じり合った『核熱』のマナ・バースト。

 

 ……核熱、といっても、ニューでクリアな奴ではないのですが。そうだったらヤバいですし。

 

 それはさておき……炎はその熱と衝撃によって、炎耐性持ち以外にはほとんどの敵、大抵の生命体に対し安定した効力を発揮する為に使い勝手が良く、そのため最も多く使用されやすいのがこの『核熱』のマナ・バーストですが……

 

「……やりました、かね?」

「いいえ……これで済むような相手なら良いのですけれど」

 

 傍の騎士の呟きを否定し、身を乗り出して着弾点を凝視します。

 

 しばらくして、閃光と土煙が収まった時、その場には何も残ってはいなかった……とは、残念ながら行かなかったみたいでした。

 

「……全てではありませんが、かなり抵抗されましたね」

 

 ぎりっと、手摺を握る手に力が入ります。予想以上に向こうの被害が少ない。敵の周囲に、薄い膜のような物が見えました――抵抗魔法、ですか。

 

 ……どうやら仕留めきれたのは、ほぼ『核熱』の爆心地に居た相手と、当たり所の良かった少数、だったみたいです。

 

 よく見ると、敵の背後に何らかの術を行使している者たちが居ました。肩と頭に例の結晶を生やした個体が数体。おそらくあれが……抵抗魔法を使用している術者。

 

「あいつら、以前の襲撃で私らの使った魔法に対応した抵抗魔法を展開してるにゃ、雷と炎は効果が薄い、それ以外の属性にきりかえるにゃあ!!」

 

 私と同じく着弾点の状況を確認するため外壁から身を乗り出していたミリィさんが、状況をすぐさま把握して振り返り、そう矢継ぎ早に叫んでいます。

 その背後の彼方に、敵側の魔法の輝き……それを見た瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走ります。

 あれは……ただの攻撃魔法ではない、おそらく……呪詛!

 

「敵の反撃です、兄様!」

「ああ、イリス、頼む!」

 

 私の右手を、兄様の左手が握ります。『スペル・エクステンション』の光輪が、私だけでなく兄様の腕も飲み込んでいく。

 

「――『イージス』!!」

「――『セイクリッド・フィールド』!!」

 

 ぐっと魔力の目減りする感触に、二人で歯をくいしばって耐えます。

 同時に詠唱完了した私達の手から、広域拡大された防護魔法が放たれ、二重の障壁となって皆の前に展開されました。

 

「ぐぅ……っ!?」

「く……っ!」

 

 次の瞬間、無数の黒い火球がその障壁に着弾しました。その衝撃に後退しそうになった所を、兄様に支えられてどうにか持ち堪えます。

 

 一層目、兄様の放った『イージス』というナイトロード専用魔法が、敵の放ったおぞましい炎とぶつかり合い、それを受け流す。目がチカチカする障壁の輝きは、赤と黒が入り混じったもの。それは、敵のこの魔法が火と闇の属性の複合であるという証です。

 本来であれば、抵抗魔法は一つの魔法につき一つの属性であり、敵の放った魔法の属性を読んで使用するか、あるいは複数人で展開することで複数の属性へ対処するのが基本です。

 しかし兄様のそれは「属性問わずある程度防ぐ」という反則的な、さすが三次職と言わんばかりの性能をいかんなく発揮して、その破壊力を散らしていきます。

 

 そして、嫌な予感通り、貫通してきた呪いの瘴気が皆の頭上へと降りかかりますが、そちらは私の展開した二層目、毒や呪いといった状態異常ををシャットアウトする『セイクリッド・フィールド』によって全て消し飛ばされます。

 

 しばらく続いた炎と呪詛の暴風が、それでも徐々に勢いを弱めていき……やがて晴れました。

 

「今ので負傷した方は!?」

 

 必死に叫び、周囲を見回す……眼前での爆発と閃光に驚いて(つまづ)いた方が衛兵の中に何人か居るようですが、それだけ。

 

 ……良かった、怪我人は居ないみたい。ひとまず安堵の息を吐きます。

 

「よし、いけるな! 敵の魔法は私達が受け流す、魔法隊は気にせず攻撃魔法を集中、接敵前に少しでも奴らの数を減らせ!!」

「まかせるにゃ! 皆、くれぐれも属性干渉には気を付けるにゃ!!」

 

 兄様の指示に、皆が新たな魔法を詠唱開始します。

 ここでバラバラの属性に切り替え、相性の悪い属性が混じってしまうと効果が激減するためミリィさんが警告を発しますが、皆言われるまでも無く、歴戦の傭兵であるレニィさんとディアスさんは勿論、今回が初の共同戦線戦線である騎士たちの唱えている魔法も、揃って風属性。

 そんな中、一人使える魔法系統の違うミリィさんも、マナ・バーストが起きない代わりに他を阻害しない特性を持つ純エネルギー属性魔法を誰よりも早く詠唱し終え、巨大な魔法陣を頭上から前面に振り下ろし、叫ぶ。

 

「まずはその抵抗魔法から吹っ飛ばしてやるにゃ!! 『フォトンブラスター』ぁ!!」

 

 放たれた莫大な魔力の奔流が、敵を一直線に貫く極太のレーザーとなって大地に融解跡を描きながら、抵抗魔法を唱えていた後方の異形まで飲み込んで彼方と消えて行きました――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――後にディアマントバレー防衛戦線と呼ばれ、『世界の傷』の消滅が公式に確認され、人々の反撃の兆しとなったこの小規模な戦闘は……まだまだ始まったばかりでした。

 



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ディアマントバレー防衛戦線2

 

 ――あの後、魔法の打ち合いによる相手の損害はおよそ三割ほど。

 

 現代戦であれば多大な戦果だったかもしれません。しかし相手は補給も自身の命も省みない死人の兵も同然の集団で、この数字は戦果としては、はっきり言って心許ないです。

 

 更に途中、事前に用意していた落とし穴の地帯で向こうが手をこまねいている間に、追加で損害を与える事は出来たものの……死体を足場にして真っ直ぐ突撃して来た敵によって想定以上の速さで突破され、私達の前衛部隊と直接交戦に入ってすでに半刻が経過していました。

 

 一心不乱に前進してくる敵が自陣奥深くまで浸透している現状では、もはや味方を巻き込まずに大規模な魔法の行使は不可能。

 

 もう、こうなってしまえば、大規模魔法は迂闊に撃つわけには行かず、周囲は瞬く間に乱戦の様相を呈していました――……

 

 

 

 

 

 

 

「が、ぁっ!?」

 

 衛兵隊の人がひとり、敵の巨大な爪を受けて宙を舞うのが見えた。夥しい量の血をまき散らし逆袈裟に引き裂かれた体が、私達の居る門に向けて飛んで来る。

 普通なら致命傷、元の世界であれば私だって諦めたはずのその無残な有様ですが、それでも、強化された反応速度で辛うじて即死を避け、硬度を増している鎧がわずかにだが体を切り裂かれるのを遅らせたため、まだ間に合う……!

 

「――『アレス・ヒール』!」

 

 あの出血量ではただの『ヒール』では傷を治してもすぐに立ち上がれない、そう判断し使用魔法を切り替える。

 吹き飛ばされた兵士を眩い治癒魔法の光が包み込む。数回地面を転がって、ようやく止まった時にはすでにその傷が綺麗さっぱり消え去っており、狐に摘ままれたような顔でそれでも立ち上がった……ところで立ちくらみを起こしたようにふらつくのが見えました。

 

「傷は治っても、まだ失血の影響はあるはずです、下がって!」

「あ、ああ……」

 

 不調なまま前線にいたら、今度こそ致命的な一撃を受けかねない。必死に呼びかけると、一時的な眩暈の状態にある彼が門まで後退し、その開いた空隙はすぐに騎士の一人が代わりに埋めました。

 

 彼が後退した門の前では、全体の指揮を取るために門前に陣取っているアシュレイ様が居ます。

 いまはまだ少ないですが、防衛線を突破している者は存在しました。しかし、そうした敵は全てアシュレイ様が瞬く間に斬り捨ててくださっているため、今の所は幸いにも町に侵入した敵は存在していません。

 

 ――そして、予想外の幸いだったのが、アシュレイ様が治癒術を使えたという事です。

 

 重傷を受け、傷は治癒したものの、まだ不調を引きずっている兵達はアシュレイ様と共に門前を守って居ますが、その体は淡い治癒魔法の光に包まれています。

 アシュレイ様が言うには『護法陣』と言う技らしい、ずっと自らを中心に発生しているその魔法が、一時退避した兵達の回復を早めていました。

 私の物ほどの即効性があるわけではないそうですが、それでもその存在はとてもありがたいです。

 

 しかし、このまま続けば、すぐに治せる細かな傷では済まない負傷者は加速度的に増えていく。前線を支えている兵達が減れば、後ろへ抜けてくる敵もどんどん増える。どれだけ一人突出した戦力を示しているあの方でもやがては対処しきれなくなる時が来ます。

 

 視線の先には、必死に異形の敵に食い下がっている人達。

 

 ――膨れ上がった豪腕で繰り出される巨大な爪を、数人で必死に捌いている人達が居ます。

 

 ――人や亜人とはまるで違う機動性を持つ四つ足の個体を、どうにか取り付いて抑え込もうとしている人達が居ます。

 

 ――多腕から繰り出される武器を、カバーし合いながら必死に防ぎ続けている人達だって居ます。

 

 皆が皆、自分に出来る事を必死にこなしています。これ以上の要求は酷というもの。あとはどうか、回復できないような致命傷だけは受けないで、と必死に祈りながら回復する事しかできません。

 

 以前に開拓村で戦ったあの魔物程の強さは無く、レイジさんや兄様であれば、そこまでの強敵とは言い難い、のですが……

 

 近くに、重たい落下音。ちらっと目を送ると、蝙蝠の翼のような物を生やし、代わりに体がどこかしら歪にゆがんだ個体が、私を睨み据えて立っていました。

 

 狙われているのは私。そんな気はしていましたが、やはり間違いでは無かったようです。先程から幾度も治癒魔法を戦場に飛ばしているのです、きっと敵から見たらさぞ目障りに違いなく、それは当然でしょう。

 

 が、その存在を、無理矢理に意識から外す。

 

「させるか……っ!!」

 

 疾風の様に間に割り込んで来たレイジさんが、今まさに振り下ろされそうだった敵の武器……どこから拾ってきたらしき、錆びたフレイルを柄のあたりから斬り飛ばしました。

 壁の上は、レイジさんが守ってくれています。だから、このくらいなら大丈夫。信じて背中を任せます。

 

 しかし、こうした翼を生やした者、跳躍力を強化した者らが壁の上を襲撃したのは今回だけでなく、今までも断続的ながらかなりの頻度で存在しています。それ故に、レイジさんは後衛の護衛として、ここから離れることが出来ません。

 兄様も、後衛の護衛と魔法部隊への指揮があるため、同様にここからは離れる事は出来ません。

 

 ……やはり、厳しい。強化魔法でその能力は跳ね上がっているとはいえ、相手の方が個々の力はずっと上で、一般の衛兵の方で三人掛かりで一体抑えられるかどうか。

 騎士の方々は流石に王都の精鋭だけあって、ただ押さえておくだけなら一人一体でもなんとかできるみたいな感じですが、それでも単身で優位に戦えるのは、ヴァルターさんとゼルティスさんにフィリアスさん、それとアシュレイ様の四人くらいになってしまう。

 

 それに……敵の最後列、今も魔法を発動させようとしている、魔法を使うタイプの頭から角のように結晶を生やした魔物を見据える。

 

「やはり、あれが、邪魔……っ!」

 

 視線の先の、敵が展開中の魔法陣を睨み付ける。あの魔法のせいで、私と兄様の出来る事が制限されている。

 

 ――これまで通りなら、今回はギリギリですが兄様の『イージス』は間に合う。

 

 しかし、詠唱時間は見てから間に合うくらいに勝っているけれど、リキャスト時間が負けている。頭の中に乱舞する無数のカウントが、ここで都合良く向こうが魔力切れでも起こさない限り、次はリキャストが間に合わないと告げている。ギリっと、爪を噛む。

 

 しかし、無情にも、視線の先で敵の魔法が怪しく輝いた。もうすぐ、来る。

 

「……兄様、あと十五秒後、来ます!」

「大丈夫だ、行ける!!」

 

 先程、先んじてかけなおしておいた『スペル・エンハンス』に包まれた手で兄様の手を取り、再度皆の周囲に『イージス』と『セイクリッド・フィールド』を解き放つ。

 前線を再び二重の障壁が包み込んだ直後、衝撃と共に、あの黒い炎が前線で戦っている兵士達……否、敵を含めたすべてに襲い掛かった。

 

 向こうは自陣の損害など気にもしていない。このように、乱戦であろうが無差別に魔法を放ってくるのもこれで二度目……だけど。

 

 足元の、私用の儀式陣が不吉な明滅をした。兄様の物も、同様に。蓄えられていた魔力の限界が近い。

 これが無くなれば、今までのような広域をカバーする事はできなくなる上に、障壁の強度が落ちてしまう。猶予はもうあまり無い、早く敵の魔法を使う者を全て倒さないと……!

 

「……っ、ヴァイス、さん、いけますか!?」

「あ? ああ、けど視界が……いや、分かった」

 

 歯を食いしばって障壁を維持しながら、ヴァイスさんに声を掛ける。一瞬、まだ吹き荒れている敵の魔法に躊躇った彼が、それでも手にした大型の魔弓……『ドレッドノート』に矢をつがえてくれました。

 この日のために数本用意しておいた、魔法と親和性の高いミスリルの鏃を備えた通常よりも大きな矢。鉱山の町だったのが幸いし、町長が溜め込んでいた素材をありがたく借用して仕立てたものです。

 その矢が、注ぎ込まれる彼の魔力に応えるかのように、じりじりと引かれていく。

 このペースなら、放てるまでに引けるのには……あと十三秒。

 

 ――大丈夫、敵の魔法は、あと八秒でその効果を失う、

 

 

「レニィさん、もう一度、彼の矢に氷属性を!」

「え、ええ!」

 

 私の指示を受けて、レニィさんが魔法を詠唱し始める。

 

「……よし、敵が見えた、いつでも行ける!」

 

 丁度その時、敵の攻撃魔法の効果が終了し、視界が晴れる。それと同時に、レニィさんの魔法が完成しました。

 

「……『フリージング・エッジ』!」

「『エアスナイプアロー』! 喰らいやがれ!!」

 

 彼女が使用したのは、氷属性の付与魔法。それが魔弓へつがえられたミスリルの矢に吸い込まれ、矢が強烈な冷気を放ち始め白い靄が漂います。

 だがしかし、こうしたエンチャントの魔法は基本的には剣などに使用する為の物。剣と違い柄が無いため、矢をつがえた弓を支えるヴァイスさんの手を凍らせる……その前に、丁度引けるところまで引き切った矢から、ドン! とおおよそ弓が立てたと思えないような轟音を響かせて矢が放たれました。

 

「っし、ドンピシャ!」

 

 すでに着弾前から命中を確信したヴァイスさんの言葉通り、風と氷、二種の魔力を纏った矢が、遠方、さきほど魔法を使用し終え、前進を始めていた敵の一体の胸に吸い込まれ、その体を吹き飛ばしました。

 そして、その倒れた先で鏃に込められた魔力で全身を凍り付かせ、その動きを鈍らせていきます。

 

 それでも、まだ死んでいない。凍結で自由の利かない体をどうにか起こし、他の敵たちからだいぶ遅れてでも進もうとしています。

 

 ……だけど、それで十分。歩みを遅らせられたのなら十分です。

 

 チキチキと、時計の秒針のような音が幻聴で聞こえる。目に見える光景以外に、脳裏に無数の時計の幻影が見える。そして、その中の一つが、狙い通りの時間を差した…ような気がしました。

 

 次の瞬間、一体だけ後方に分断されたその敵の背後に小さな影が躍りました。それは、一閃の閃光を引いてその結晶の体を貫くと、またすぐに姿を綺麗さっぱり消し去りました。

 閃光……一人隠密行動で遊撃中のハヤト君の『アサシネイト』は、凍った体を粉々に打ち砕いて、今度こそ完全にその生命活動を根絶させました。

 

 全てのタイミングを、ハヤト君の『アサシネイト』と『クローキング』に合わせた一連の行動は成功です。

 もう、この工程も何度か繰り返していますが、前進する事しか頭にない敵は、背後でまた一体味方が排除された事に気付いた様子は無く、ほっと一息つきます。

 

「……よし、これで敵の魔法を使う個体はあと三体……いえ!」

「あと二体だにゃあ!!」

 

 胸壁の隙間から身を乗り出したミリィさんの放ったレーザー……純エネルギー属性魔法の、三次職『オーバーロード』の魔法だという、障壁貫通力と破壊力に優れた『フォトンブラスター』が、さらにもう一体の魔法を使用する敵を、周囲に固まっていた別の魔物ごと飲み込んで跡形も残さず消滅させ、彼方へと消えて行きました。

 

 ……だけど、本来は攻城用の魔法だというミリィさんのこの魔法は、リキャストが酷く長い。再使用まで……あと、十五分。

 

 脳内で再び、周囲の人の、必要な魔法や戦技の再使用が可能になるまでの時間のカウントが始まります……次は、何事も無ければ向こうの攻撃よりも早い。だけど向こうのあの黒い炎の魔法のリキャスト、詠唱時間は、おそらく兄様よりも少し早いから……

 

「すみません、兄様、次は……」

「分かった。騎士の皆さんは、抵抗魔法の準備をお願いします」

 

 攻撃の手が緩んでしまいますが、背に腹は変えられません。兄様が背後の騎士達にそう告げるのを横目に、私もまた別の魔法の詠唱を始めます。

 防衛線の一点が、劣勢になってきていました。乱戦状態がひどく、負傷者が激しい。幸いまだ欠損や死亡する様な重傷は避けている様ですが、このままでは抜かれて背後を突かれかねない。

 

「『昏き者は拒絶され、汝ら安息の地ここに……有れ』! ――『エンゼルハイロゥ』!!」

 

 魔法の発動した地点から、輝く幾条もの光の帯で出来た輪が爆発的に広がって、その場に居た敵のみを選別して乱戦の場から弾き出し、吹き飛ばしました。

 その周囲に広がる勢いのせいで攻撃魔法並の威力は発生しますが、これはどちらかといえば結界魔法。アンデットや精神生命体などを弾き、内部には治癒力を上昇させる場を作り出す魔法です。

 締め出され、前進できなくなった敵が虚しく光の輪を叩いている間に、もう一つの魔法を解き放ちます。

 

「――『エリアヒール』!!」

 

 私の治癒魔法により、劣勢だった一角が、薄緑色の光に包まれます。

 

 その間に、私の『エンゼルハイロゥ』で後方へはじき出された敵たちの集団に、劣勢を察知し駆けつけた遊撃班、ヴァルター団長の、禍々しい紅い刃を展開する戦斧『アルスノヴァ』が襲いかかり、まるで暴風が通過したかの様に血煙をあげて薙ぎ倒されていきました。取りこぼした敵は、追従した傭兵団の皆が剣を突き立て、とどめを刺していく。

 

 一方で、発動起点から広がるこの『エンゼルハイロゥ』の性質上、どうしても乱戦を抜けかけていた何体かは門の方へ吹き飛んでしまいましたが、それは最後の砦として最後尾を守っていたアシュレイ様に、瞬く間に両断されて地に沈んだのを横目で確認しました。

 

 これで、あそこはひとまずは大丈夫。他に負傷者の出ている場所を視線を走らせて確認し、危なそうな場所には『エリアヒール』を飛ばしていきました。

 

「――はぁっ……はぁっ……」

 

 流石に、息が上がってきました。肩で息をしていると、眼前に、小瓶が差し出されます。

 

「大丈夫か、イリス、あまり前みたいな無理は……」

「……んくっ……んっ……だいじょう、ぶ、まだ余裕はあります……っ!」

 

 すかさず口にあてがわれたマジックポーションのビン。貪るようにその中身を飲み尽くし、一息ついて前を見据えます。魔力よりも、渇きが辛い。喉を潤す液体自体が心地いい。

 

 本当に、無理をしているわけではありません。まだ大丈夫、以前の戦闘での魔力枯渇により死にかけた際に拡張された私の魔力は、このくらいであればまだ余裕があります。

 

 ――いいえ、むしろ好調なくらいです。

 

 それも……この戦闘が開始されて以降、徐々に調子は上がり続けている、どんどん背中の翼が熱を増していっている、そんな不思議な感じ。どちらかと言えば体力が続くかのほうが心配なほど。

 

 幸い、向こうの行動自体は単調です。ただ相手を力尽くで排除する事だけを目的とした動き。

 注意すべきなのは、以前坑道で遭遇したあのトロールですが、奴は……その全身を、まるで戦場に出てきた王であるかのように、甲冑のような結晶に覆われたその巨体は、何故か最後列から動こうとしていません。

 初めは何か策があるのかを疑いましたが、あれは違う。ただ、王様気分で後ろで踏ん反り返っているだけ。そこに、付け入る隙はありました。

 

 ――敵が勝手に慢心しているのであれば、その間に可能な限り味方に有利な状況に持っていく……!

 

 ハヤト君の『クローキング』は、再使用まであと三十六秒。

 ヴァイスさんの疲労的に、次に『ドレッドノート』を引けるのは……

 レニィさんの『フリージング・エッジ』は……

 

 味方だけではなく、敵の、今までの戦闘の中で割り出した危険な攻撃の再使用までの時間も。

 そうした時間が、無数の時計のイメージで脳裏に展開されている。

 

 今必要な敵味方のリソースの管理を、必死に全て脳内で並行して行う。

 不確定要素が多ければ上手くはいきませんが、今の敵は、行動パターンが非常に単純ゆえに、非常に読み易い。

 

 考える事の多さへのストレスにぎりっと爪を噛みながら、必死に戦闘管制を続け、脳内のカウントを回し続けました。

 

 ――目の前で、誰かを死なせない、今度こそ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イリスを襲おうと上空から飛来して来た一体を、また一体斬り捨てた。

 手にした白い剣、新しい相棒は、期待以上の切れ味を発揮していた。まるで、イリスを守りたい俺の意思に呼応するように。

 

 そんなイリスは……と、その様子を覗きこむと……

 

 ――普段の淑やかさはどこへやら、険しい顔をしたイリスが、爪を齧りながら据わった目で前を見据えている……あー、これ、完全にスイッチ入ってるな。

 

「……凄いわね」

「あ? 何がだ」

「イリス様です……多分、あなたの弓を引き切る時間に、私の魔法の詠唱時間、そして向こうで単独行動しているあのハヤトっていう子供の戦技の再使用可能な時間まで、完璧に把握してる」

「……それも、自分の仕事を完璧にこなしながら、か。ガキのくせにとんでもねぇ嬢ちゃんだな、マジで」

 

 先程までその犠牲になっていたヴァイスの奴と、イリスのメイド……レニィさんが、仕事の合間にそんな言葉を交わしていた。

 俺の方も、壁上まで突っ込んできた敵の排除はひと段落して、今は周囲の警戒中。

 

 ――本当は、前線の手伝いがしたくてウズウズしているが、こちらを守る重要性は分かっているし、イリスの近くを離れるつもりも無い。だから、少しだけ会話に加わった。

 

「間違っちゃいねぇよ、あいつは、何も見ずに脳内だけで無数のバラバラな数字をカウントできるからな」

「それは……本当ですか、レイジ様」

 

 普段は冷静な雰囲気のレニィさんが、驚愕を浮かべて聞き返して来るのへ向かって頷いた。

 

「ああ。その分突然の事態には弱ぇけど……今は相手が単調だから上手く噛み合ってるみたいだな」

 

 ――それは、ゲーム時代からのあいつの特技。

 

 並列……いや、二つ三つどころではない多重思考。

 しかもそのカウントが恐ろしく正確で、敵の行動まで読み切った際のルーチンワークにかけては精密機械のような精度を誇っている。

 ある程度パターン化されたゲーム時代では、後ろを任せるにはこれ以上ないほどに頼もしかった。ただ……

 

「ただ……あの状態のあいつは物凄えスパルタだからな、かなりシビアなタイミングを当然のように要求してくるから気をつけろよ……っと、仕事だ」

 

 なんせ、皆が最適な行動を取ることを前提とした指揮をしているのだ。ある意味では俺たち皆への信頼の現れだが、あれは結構大変なんだ。

 苦笑しながら、新しい相棒の白い剣を構え直す。話しているうちにまた一体、空飛ぶ個体が壁の上に降りてきたのを確認し、床を蹴る。

 

 あいつは、一人残らず生き残って欲しいと言い、今まさにその為に全力を尽くしている。だったら、俺のやる事は……

 

「頼むぜ、相棒」

 

 高速で流れていく視界の中、俺の言葉を受け、純白の刀身が輝いた気がした。

 

 

 

 





 この世界で国家間の戦争が起きた場合、まず最初に強力な魔法や兵器の撃ち合いから始まり、その時点で双方に大きな損害が出るのと、それ以前にどの国も共通の大きな脅威があるのとで、あまり大きな戦争は長い間起きてはいません。



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夢の跡の君 -この世界のあなたと-

 

 空気を切り裂く凄まじい音と共に、一条の矢が戦場の上を駆ける。

 

「これで、最後……っ!」

 

 外壁の縁を握りしめて見つめる視線の先で、また敵が一体、ヴァイスさんの放った矢に射られて吹き飛んだのが見えました。

 その先に待ち構えていたかのように出現したハヤト君の短剣が閃いて、敵の中でも攻撃魔法を使用していた『角付き』の最後の一体が、血の海に沈む。

 その立役者であるハヤト君は既に姿を隠し、その場から離れているはず。

 

「向こうに居る彼に、合図を送ります! 『ピュニティブライト』!!」

 

 私が頭上に放った信号弾代わりの閃光。事前の打ち合わせで、これが見えたら私達の所まで引き返す様に言ってありますので、これで大丈夫なはず。

 

「よし、三十秒後、敵後衛に向けて一斉射、行くぞ!」

 

 兄様の指示に、壁の上に待機していた騎士たちが、一斉に詠唱を開始しました。

 もう足元の儀式陣は消えかけており、これがおそらく最後の大火力魔法による攻撃……そして、向こうのボス、あの結晶の鎧を纏ったトロールも動き出すはずです。

 

 ここまで順調に来たのは、ひとえに相手にまともな思考能力が無かった事、そしてなによりも慢心のおかげというのが大きいです。

 しかしここからは相手のボス、どのような能力を有しているか分からない相手との直接のぶつかり合いになって来ます。

 

 ――ここからが、本番。

 

「ミリィさん、『ライトニング・デトネイター』行けますか!?」

「ちょっと、残り魔力はキツめだけど、なんとか行けるにゃ!」

「……お願いします!」

「がってんにゃ!」

 

 背後で朗々と紡がれる、魔法詠唱の多重奏。

 やがて完成した術により、壁の上に六つの翡翠色と、一つの紫水晶(アメジスト)色の魔法陣が展開されました。

 

 ――これが、敵のあのトロールに、交戦前に痛手を与える最後の機会……!

 

 次の瞬間、敵のボスを中心に、周囲を巻き込んで複数重ねられた強烈な竜巻が、雷光を纏って吹き荒れました。

 無数の風の刃が乱舞し、その合間を眩い紫電が駆け巡る。中には、小さな影……細切れにされ、黒焦げになった生物の体の一部らしきもの……ゴブリンから変貌した結晶の魔物の、成れの果てが空へと吹き上げられて行くのが魔法により拡大した視界の中に見えました。

 

「だけど、まだ……終わりじゃない……っ!」

 

 見つめる先で、空間が、軋む。マナ・バーストが起きる。

 

 キィィン!! という、甲高い音が戦場に鳴り響きました。空間が振動する衝撃がビリビリとここまで伝わってくる。

 

 マナ・バースト『分解』、内部に存在する物質を崩壊させ、対象の物理的な防御を貫通し、相手を完全消滅させるほどの……効果範囲は狭い代わりに殺傷力に優れたマナ・バーストです。

 

「これなら、倒せないまでも、少しは……!」

 

 交戦前に、少しでも痛手を与えておきたかった。できれば最低でも、手足の一本くらいは。

 なぜなら向こうは……脆くなっていたとはいえ、坑道の床を素手で砕いたほどの打撃力を有する相手なのだから。

 

 固唾を呑んで見つめる先、暴風によって巻き上がった土煙の晴れた先に立っていたのは……

 

 ――五体完全に満足なままの、その巨体。

 

「うそ、『分解』の直撃を受けて無傷にゃ……っ!?」

「いえ、いいえ! たしかに効いてます!」

 

 相手の結晶の鎧が、いくらか剥がれているのが見て取れました。それは、現在もその一部が輝きを失ってポロポロと剥離していっています。

 おそらくあれが、蓄えていた魔力を消費して何らかの守護魔法を展開し、魔法を防いでいる……?

 

「あれは……まさか『アブソリュート(A)マジック(M)リアクティブ(R)アーマー(A)』……っ!?」

「なんじゃそりゃあ!? イカサマにゃ! レベル詐欺も甚だしいにゃあ!!」

 

 絶対魔法反応障壁。高レベルのレイドボスが有していた、一定時間内に一定以下まで、魔法ダメージを防ぐ絶対障壁……まさかこんな物を……っ!?

 

 風と雷の乱舞する嵐を受けて、苛立たしげに敵のボスが攻撃の指示をだします。

 しかし、その指示を出す相手はもう潰しました。自分の指示に誰も従わなかった言葉で、ようやくここに来てそれに気が付いた鎧のトロールが、まるで怒っているかのように体をわななかせています。

 

 不意に、その目が合った気がしました。

 

 ――来る!

 

 敵が、大きく息を吸いこんだのが見えました。

 嫌な予感。そして、この世界に来てからずっと、そうした嫌な予感、背筋を這い回る悪寒が当たる確率は高いと、何度も身を以て思い知っていました。

 

「――『全ての害意を拒絶し、我らを守護する光、有れ……ワイドプロテクション』……っ!」

 

 咄嗟に私の放った魔法が、戦場を広がって、兵たちを包み込んでいきます。

 

 ――その代償に、自分の耳を塞ぐ機会を失ったという失敗に気がついた時には、すでに手遅れでした。

 

『グゥルアアアアアアアアアアアアァァァアアアアア!!?』

「〜〜っ、くぅ、あ……っ!?」

 

 ――凄まじい衝撃が、脳を貫き揺さぶった。

 

 急ぎ放った防護魔法が戦場の皆に行き渡った瞬間、耳をつんざくすさまじい轟咆が炸裂した。

 音の爆弾と言うべきそれが、耳を、鼓膜を貫通して脳に浸透した振動が、平衡感覚を奪う。

 かろうじて胸壁に手をついて倒れこむのは防ぎましたが、そこまで。ズルズルと、壁に沿ってへたり込む。

 

 ――きもち、わるい。視界が、回る……っ!

 

 だけど、この気分の悪さは、それだけではない。まるで脳を犯されているような壮絶な不快感に、全身を襲う氷水のように体を駆け巡る寒さ。

 

 全身から、力が、抜ける……意識が遠退く……これは、以前戦った敵と同……じ……

 

 呪……い…………?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――気がついたら、真っ暗な場所に立っていました。

 

 いえ、暗いだけではない。顔を上げると、一面、満天の星空。目が慣れて来ると、十分な光量が、空の月と星から降り注いでいました。足元ではさわさわと足をくすぐる感触。

 

 そこは、心地良い柔らかな風が吹く、草原の広がる丘の頂上でした。

 

「……ここ、は……?」

 

 ……見覚えは、うっすらとですが、ありました。

 いつか見た、少年と少女の夢。今の私と同じ、虹色の燐光を纏う銀色の髪を持った女の子が、少年と寄り添って星空を見上げていた、あの場所。

 

『――ごめんなさいね、大変な時に呼び出してしまって』

 

 いつのまに、そこに居たのでしょうか。

 彼女が私のすぐ目の前に居ました。私と同じ髪色の、夢で見た彼女。

 レースやフリルで飾られた、穢れの無い純白のドレスを身に纏い、柔らかく微笑んで(たお)やかに佇むその姿は、私なんかよりもよっぽどお姫様みたい。

 

 ……不思議な感覚。起きている時はすぐに霧散して、そのほとんどを忘却していたはずの夢の内容が、ここでは鮮明に思い出せる。

 

 彼女は、夢の記憶よりはだいぶ大人びていました。今は二十代半ば程に見えます。

 しかし、どこか、いまだに幼い少女のように悪戯っぽい色を湛えた、それでいて見る者を穏やかな気分にしてしまう柔らかな微笑みは……紛れもなく、あの夢の中で見た女の子でした。

 

『ふふ、ようやく逢えた。何度か、私の記憶にアクセスしていた子……よね?』

「アク、セス……じゃあ、やっぱり……ご、ごめんなさいっ!」

 

 つまり、あの夢は……彼女の記憶を盗み見していた……!?

 

 そうと知ると、とたんに申し訳ない気持ちで一杯になって来ました。

 

『あら、気にしなくていいわ。おかげでこうしてお話が出来るようになったんだもの』

 

 ですが、本当に気にしていない風に呑気に笑っている彼女に、ほっと一安心します。

 

『……それに、あなたにはその権利もあるからね』

「……権利? あなたは、一体……?」

『その話の前に、聞かせて欲しいのだけれど』

 

 それまでの笑みを引っ込め、真剣な顔になった彼女。

 

『あなたは、逃げようとは思わないの?』

「そんな、事……!」

 

 咄嗟に荒げた声が、すぐに尻すぼみになって消えていく。

 

 逃げたい。

 どれだけ取り繕っても、戦場に出るのは怖い。

 必死になって自分を鼓舞しても、ずっと、逃げたくて仕方がなかった。

 

 だけど……

 

「……出来ません、そんな、無責任な事……」

『何故?』

「何故……って……」

『彼らは、あなたにとって大して接点があるわけではないでしょう? 何故、この世界自体に馴染みの薄いあなたが、彼らの命に責任を持たなければいけないの?』

 

 ぐっと言葉に詰まる。

 たしかに、その通りです。今まで戦ってきたのだって、突き詰めれば、その時その時の話の流れでしか無かったはず。

 玲史さんと、綾芽と……この世界の人々に余計に関わらず、ただ元の世界に帰る方法を探す事に専念したって、構わない筈なのに。

 

 …………何故?

 

「何だか、嫌だから……でしょうか…………?」

 

 ……ただ、目の前の人を、見捨てたくなかった。そんな、捉えようによっては傲慢なわがまま。

 結局、考えてみても、出てきた答えはそんな漠然としたものだけでした。

 

『……あのね、これは忠告。あなたのそれは、きっとあなたをいつか辛い目に遭わせる。残酷な選択を迫る時が来るわ。それでも?』

「……はい」

『損な性分ね……まったく、誰に似たのかしら?』

 

 頰に手を当てて、困ったように苦笑する彼女。だけど、そこには、隠しきれない疲労と諦観の色が滲んでいます。

 

 ――きっと彼女もそうやって、たくさんの人の命を背負ってしまったのだ。彼女は優しすぎたから。

 

「……本当に、困ったものです」

『まったくよ……そんな所が似る必要はないでしょうに』

「……え?」

 

 徐々に小さくなっていった彼女の呟きが、うまく聞き取れませんでした。

 けれど、なにか聞き捨てならなかったような気がして、思わず聞き返しました。

 

『ううん、何でもない。さて、いつまでも引き留めていてはいけないわね』

 

 あっさりはぐらかされ、とん、と、額に彼女の暖かい指が押し当てられました。そこから、じんわりと伝わって来る、暖かい何か。

 

『私、――の名において、あなたを次代の御子姫に任命します』

 

 また、彼女の名前だけが聞こえませんでした。

 だけどなんとなく、半ば確信じみた憶測が湧いて来る。おそらく、彼女は、私の……

 

 そんな思考が明確に形を成す前に、彼女の指が離れていきました。どうやら、何らかの施術は終わったみたいです。

 

『これでよし。継承は成されました。これで、あなたの御子姫の力は今度こそきちんと目覚めたはずよ……もっとも、最初は一部の力しかうまく引き出せないと思うけどね?』

 

 慣れよ、慣れ、と、あっけらかんと笑う彼女。しかし、すぐに真剣な表情で、私の両肩を掴んで来ました。

 

『だけど、役目に囚われないで。自分を捨てるなんて馬鹿な事は、絶対しないで。私達みたいになっては駄目』

「……はい」

『うん、いい子いい子』

 

 優しく頭を撫でる感触が、心地良い。

 完全に子供扱いされているのに、不思議と反発心が湧いて来ない。むしろ、もっと触れて欲しい、甘えたい、そんな気持ちがこんこんと湧き上がってくる。

 

「……あの!」

 

 ずっと、気になっていた。

 白の書……()()()()()()()()を、封じた魔本。

 てっきり、その封じられた魂とは、目の前の彼女のことだと思っていました。

 

 だけど……違う?

 それなら、封じられていた魂は、誰?

 最後と言うからには、彼女の後にまだ誰か居た筈……それは、誰?

 

 彼女を見ていると、泣きたくなるほどの懐かしさと寂寥感を感じるのは……彼女を、どこか求めている気がするのは……何故?

 

「……あなたは、もしかして、私の……お母……」

『いいえ』

 

 被せるように、きっぱりと否定されました。

 ですが、そっと伸びてきて頰に添えられた彼女の手が、優しく私の顔を撫でています。まるで、私の存在を確かめるかのように。

 

『……あなたには、そう呼ばれるに相応しい、お腹を痛めて産んでくれた人が別に居るのでしょう? 私は……ちゃんと……できなかったから』

 

 そんな彼女の目には、涙が浮かんでいました。

 

 

 

 ――お願い、返して、私の、私の『赤ちゃん』、返して――っ!

 

 

 

「……っ!?」

 

 脳裏に浮かんだのは、少し前に見たあの夢の光景。

 今穏やかに話をしている彼女には似つかわしくないほど取り乱し、必死に手を伸ばしている、あの記憶。

 

「違う……違う! やっぱり、あなたもです! あなたも私の……っ!」

 

 止められない。激情に似た感情が、必死に声を紡ぐ。

 

「だって……あんなに、辛い、悲しい思いをしてまで想ってくれた人が、他人な筈はない、です……っ!」

 

 他人なんかじゃない、そんな風に思って欲しく無い。ひっく、ひっくと、嗚咽が止まらない。

 

『……そっか、あなたは、あの記憶も見ていたのね。それじゃ……ひとつ、お願いしていい?』

「……はい……はい、私に出来ることであれば、何でも……!」

 

 ……そう言って、彼女にされたお願いは……本当に他愛も無いものでした。

 

 本当に、困った人です。流れた涙をそのままに、どうにか微笑み返しました。

 そして、彼女の頼み通り……だけど万感の思いを込めて、()()()()を口にしました。

 

「……はぁ……これ、結構恥ずかしいですね……」

 

 それに、とても緊張しました。まさか、またそう呼ぶ事ができる人に会うなんて、思ってもみなかったから。

 

「……だけど、嬉しかったです」

 

 照れ笑いをしながら、率直に感想を述べると……彼女はとうとう、涙を零し始めました。とても暖かな涙を。

 

『……ありがとう、その言葉だけで、私は充分、救われました』

 

 それでも、泣きながらも、花が綻ぶような彼女の満面の笑顔にほっとして、私も笑います。

 

 そのまま、しばらく私を撫でていた手が……やがて離れて行きました。暖かな感触が消えて行く事に寂しさを感じますが……戻らなくてはいけません。私には、やらなければならない事があります。

 

 寂寥感を振り切って、一歩後ろへと下がる。たちまち、視界がぼやけ、世界が輪郭を失っていきます。

 

 

 

 ――ここは、夢。

 

 

 

 きっと彼女の事も、目が覚めたらほとんど忘れてしまうのでしょう。

 これは、ほんの僅かな間だけの、文字通りの夢のような邂逅。

 

 だけど……きっと、またいつか。

 

『それじゃ、またいつか会いましょう。それと……』

 

 不意に、彼女の声に、硬質なものが混じりました。

 

『アクロシティには、その中心に居る者達には気をつけて。彼らは間違いなく世界を守るために存在するかもしれない。だけど……それは、あなたを幸せにするとは限らないわ』

 

 その警告に返事をしようとしても、もう声すら出せません。代わりに、ひとつ、頷きます。

 

 彼女ほどの優しい人が、気をつけるようにと警告する程の事。

 おそらくここでの事は、帰ったらほとんど忘れてしまうのでしょうが、それでも僅かにでも覚えていられるように、強く心に刻み込みます。

 

『それじゃ……どうか、あなたの道行く先に、幸多からんことを。幸せにはなれなかった、私達の分まで――……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――会えて良かった。私の……可愛い…………

 

 

 

 

 

 

 

 



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ディアマントバレー防衛戦線3

 

 意識が急速に浮上しました。

 

 酷く頭が痛むけれど、なぜか呪いの効果は既に体から抜けているらしく、行動に支障はなさそうです。

 

「アシュレイ様を中心に、集まって防御を固めろ! 守護魔法の効果が終了した者は、下がって後退、魔法隊は少しでも数を減らすか足止めをして、援護を!」

 

 必死に周囲に指示を出す、切羽詰まった声。どうやら今は抱きかかえられているらしく、ぼやける視界の中に、必死に周囲に指示を飛ばす兄様の横顔が見える。

 

 ……そうだ、寝ている場合ではない……っ!

 

「……兄様、一体どうなって……?」

「イリス! 良かった、目覚めたか…… 」

 

 緊張の滲んだ顔に安堵の色を浮かべた兄様に一つ頷くと、ふらふらするけれど、どうにか上体を起こす。

 まだ少し霞む目で周囲を見ると、壁に取り付き乗り越えて来ようとする敵、肥大化した爪や脚力で跳躍してくる敵などを、レイジさんが中心となって凌いでおり……戦況がだいぶ変化していました。

 

「脳震盪を起こしていたんだ。意識を少しの間とはいえ失ったんだ、無理はするな」

「私、どれだけの時間、意識を失っていたんですか……?」

「ほんの二分も経っていない。ただ、前衛の一部があの咆哮で硬直(スタン)したり、中には呪詛受けて倒れ、前線が一瞬崩壊した」

「皆……は……怪我をした人は!?」

「大丈夫、君が最後に守護魔法を飛ばしたから、怯んだ隙に大きな負傷をした者は居なかった……戦線が、押し込まれてしまったのは痛いが……」

 

 ざっと視線を走らせ戦況を確認する。

 それでも、まだ耐えている、ギリギリの所でどうにか戦線を押し留めていました。

 敵の攻撃魔法がなくなった事で範囲攻撃の危険が薄れたことが幸いし、密集隊形を作って、アシュレイ様を中心に凌いでいました。

 問題は敵のボスですが、こちらは遊撃に出ていたヴァルター団長の一団が押し留めているようです。

 

 ただし、守る範囲を狭めて密度を上げ、門前の防御を固めた代わりに、手薄になった外壁に敵、ゴブリン達の成れの果ての怪物が取り付いているけれど……こちらも魔法を撃ち終えた黒影騎士団の方々が防衛に回った事で、押し留める事に辛うじて成功していました。

 

 ――良かった、まだ取り返しのつかない事にはなっていない。

 

 とはいえ、このままではいずれ崩壊するでしょう。ならば、私がすべき事は……

 

「兄様……レイジさんと一緒に、あのトロール……ボス戦の準備をしておいてください」

「イリス……?」

 

 兄様の訝しげな視線。私自身、よく分かって居ないのですが……何故か、なんとかなると、なんとかできると、そう確信をしていました。まだふらつく足で、立ち上がります。

 

 ――させない

 

 まるで何か優しい手のようなものに導かれるように、体が自然と動きました。

 何をすれば良いか、何となくわかります。両手を胸の前でぱん、と、柏手を打つように合わせます。

 

 そうして合わせた手をゆっくりと離すと、手の内に光が寄り集まって、以前一度だけあった()()()と同じように、白く輝く杖が現れました。

 それを掴み取り、カンッと外壁の床へと突き立てる。

 

 ――絶対に、皆を無事に生きて帰す……!

 

 街に恋人を残して来ている、という方が居た。

 親の面倒を見るために衛兵になった、という方もいた。

 もちろん仕事だから、お金のため、あるいはなんとなく流されて……そういう人も当然たくさん居る。

 

 それでも、彼らは誰かを守るために踏みとどまって戦っている。

 

 皆、守りたいもの、帰りたい場所があるというのなら……やっぱり、放り捨てて逃げ出すのは、嫌……!

 

「――ここに、全ての傷、全ての呪縛、全ての悪意から救済を……開け、『聖域』……!」

 

 私の体を中心に、癒しと浄化の空間が顕界しようと――

 

 ――いいえ、まだよ。ほら、あなたの秘める力は、まだそんなものじゃない。

 

 不意に、声が聞こえた気がしました。優しく私を導くような声が、聞こえた気が。

 

 ――あなたの力は、いわば呼び水。あなたが使える力は、権限は、その程度じゃない。

 

 様々な眠っていたパスが『何か』へと繋がっていくような、加速度的に体内を巡る魔力の流れが勢いを増して行く感覚。

 背中が、熱い。今にも弾けそうな程の力が流れ込み、どんどん集まって行く。

 

 ――さぁ、準備はできた。あなたが望むことを、素直に口にしなさい。

 

 私の……望みは……

 

「……――願わくば、ここの皆を……守る力を……艱難(かんなん)を払う力を……っ! 顕現せよ……『ガーデン・オブ・アイレイン』……っ!!」

 

 私の背負った周囲を照らす光が、金色から純白へと変化しながら、爆発的に広がって戦場を照らし出していく。

 

「……これは、あの時の……っ!」

「あの白い翼か!」

 

 背後から、レイジさんと兄様の驚く声が聞こえますが、今は体の内から溢れ出る力を必死に制御するので精一杯。

 

 空気が変わりました。清浄な空間が広がっていきます。

 その影響を受けて、荒野だったはずの大地が、みるみる草花に覆われて行く。

 それは、傷ついた者を癒し、呪われた者を清め……皆と斬り結んでいる結晶の怪物達を弾き飛ばしながらさらに広がって行く。

 

 ひとたまりもなく押し出され、吹き飛んでいく結晶の怪物達。中には、それでも前進を続けようとしたため、耐えきれずに砕け散り、周囲に血肉を撒き散らす前に浄化され、肉片すら残さずに消え去った者も居た。

 

 ――ごめんなさい。

 

 微かに、まだ残っていた思念が伝わってくる。怨恨や苦痛の中に、安堵が微かに混じった彼らの思念が。

 

 以前の山賊の遺体から生まれた以前の敵とは違い、まだ彼らは辛うじて生きているのだと、ここで初めて知りました。

 そして、ここまで結晶に侵された以上、終わらせる事でしか救えないという事も。これ以上、苦痛を長引かせないように。

 

 そうして、瞬き数度程度の時間が経過した頃には、私を中心に、およそ二百メートルの範囲の大地が白い花弁を風に舞わせる花に覆われていました。

 そして、兵の皆と敵との間にそれだけの、態勢を立て直せるだけの空隙が開いていました。

 

「……っ、皆、今のうちに態勢を立て直せ!」

 

 慌てて放った兄様の指示に、目の前の出来事に呆然としていた皆が、慌てて動き出しました。

 傷も癒え、呪詛も抜けたその動きは軽い。万全の状態へと復帰した皆が、瞬く間に再度防衛の隊列を組み直した。

 

 そんな中、それでも『聖域』内に耐えて残っていた敵の首領、あの結晶の鎧を纏ったトロールの目が、私に向いていました。

 完全にこちらをターゲットされた。これだけの事をして、これだけ目立っているのだから当然でしょう。

 

 その巨体が宙を舞いました。驚くべき事に、兵達を飛び越えると、私達の居る外壁の上に降り立つ。

 なんて身体能力。単純な戦闘力で言えば、きっと今までこの世界で戦った経験のあるどの敵よりも強力なはず。

 

 ――だけど、これで良い。

 

 すぐに、レイジさんと兄様が、私の前に立ち塞がりました。背後には、ミリィさんやレニィさん、ヴァイスさん……仲間達の気配。

 

「……騎士のみなさんは、ここから降りて下の方々の援護をお願いします。しばらく皆の援護に手を回し難くなりますので……どうか、皆を守ってあげてください」

「で、ですが……」

「大丈夫、自棄になった訳ではありませんよ……皆を頼みます、アルノルトさん」

 

 彼の目が、軽い驚愕に見開かれました。

 

「覚えて、いたのですか……このたった数日の間に、我々の名前まで」

「はい。壁上に居たのは他に、ジェラルドさん、ボルドーさん、ジュリオさん、オリヴァルさん……それと、ルパートさん、でしたよね? 頑張って覚えました……命を預けた方々ですから」

 

 もっとも、少数精鋭の彼らだったからこそです。

 これ以上居たらこんなに短時間では覚えられませんでしたけどね、と苦笑いし、行くように促す。

 

「……分かりました。殿下、ご武運を」

「はい……あなた方も、ご武運をお祈りしています。もう少しだけ、頑張ってください」

 

 騎士の皆が一礼し、外壁の上から飛び出して行くのを横目で見送りながら、目の前の敵、結晶鎧を纏ったトロールへと向き直ります。

 

 ……先程、力を解放した際に、東の方から接近している多数の生命の反応を感じ取れました……救援は、本当にあと少し。

 それまで、絶対に誰も失わせない。光の杖を一振りして、感触を確かめる。

 

「レイジさん、兄様……行けますね?」

「任せろ」

「いつでも」

 

 打てば響くタイミングで帰ってきた返事に、こんな時ですが、ふっと笑みが漏れました。

 

「というかね、正直、全体指揮なんてもうまっぴら御免! 私はこのほうが、分かり易くて良い……!」

「ふふ……兄様、お疲れ様でした。そういえば、レイジさん……こいつには、借りがありましたね?」

「あ? ……あ、ああ、たしかに……そうだな、こいつには前の相棒を叩き折られた借り、返して無ぇよなあ……っ!」

 

 ふと思い出した因縁に、少し悪戯っぽくレイジさんに笑いかけると、彼はにやりと獰猛な笑みを返してきました。

 

 ――大丈夫、負ける気はしない。

 

「この敵は、私達で抑えます……!」

「ああ!」

「任せろ……!」

 

 さぁ……あの時、坑道での戦闘のリベンジです……っ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……あれ? あの、領主様! 向こうで何かすごい光ってるんですけど!」

 

 同じ馬に同乗している小柄な少女が、東の方を差して騒いでいる。

 乗馬できないというため、前に乗せているが……幸い軽いため、私の愛馬にとっては大した重荷ではないが、暴れるのはやめてくれと嘆息し、彼女の指す方向へ目を向ける。

 

 そこには、巨大な白光の柱が天を衝かんとばかりに立ち昇っていた。

 

「……あれは……悪いものではなさそうだが……」

 

 なんせ、馬が全く怯えていない。軍馬故に訓練はしているが、それを差し引いても全く怖がる素振りは無いので多分大丈夫だろう。

 それどころか、眺めていると、ここまでの長距離の行軍の疲労が軽くなって行く気すらする。

 しかし、それでも何かが起こっていることは間違いなさそうだ。

 

「急ごう。すまないが、また力を貸してもらえるか?」

「はい、任せてください、頑張ります!」

「それは……ありがたいが、その……」

 

 ……正直、この全幅の信頼、それと自惚れでなければ若干の慕情の滲んだ彼女の視線が苦手だ。不快なわけではないが、ただただ苦手だ。

 

 頼られた途端、ぱっと顔を輝かせたこの少女。

 年の頃は、何故か言葉を濁すので予想だが、見た感じ十三か、十四か……少なくとも、まだ成人はしていないだろう。

 

 たまたま領地の視察で遠出した際に、たまたま遭遇した盗賊団を捕縛する事になり……そのアジトに捕まって監禁されていた彼女をたまたま助けて以来、何故か気に入られたらしくこうして付き纏われている。

 

 しかし……何故、十以上も年の離れた少女に懐かれているのか皆目見当もつかないため、困る。

 どちらかと言えば女子供には怖がられる顔と態度を自認しているため、なおさらだ。

 

 ……まぁ、良い。身寄りの無い少女が、危機的状況を偶然救った人間の庇護を求めているだけだろう。

 

 外見的には非常に見目の整った少女だった。良く手入れの行き届いた肩口あたりで切り揃えた金の髪に、シミひとつ見当たらない白磁の肌。容姿だけであれば、どこぞの御令嬢と思えるほどの。

 

 ……以前、僅かな間だけ後見を勤めた「あの方」に匹敵しそうだな、とは思う。

 

 盗賊団に捕まった経験からか男が怖いらしい(何故か私は平気らしいが)が、しかし一方で、どうにも羞恥心とか男に対しての警戒心が薄く隙が多いため、時々騒動を起こすために頭痛の種となっている。

 

 ――だが……彼女は、間違いなく優秀な少女だった。かけられる迷惑を清算しても尚、お釣りが来るほどに。

 

 今も彼女が紡いでいる、聞いたこともない詠唱。

 魔法技術についてはこの世界で最も……とは言わないが、おそらく中央で沈黙を守っている『アクロシティ』に次ぐであろう、このノールグラシエ王国の()()()()()()()であった自分にも、だ。

 

「……――ウヴェル(解放)ゴルド(重力)ツェンヴァ(超越)ラーナ(疾駆)―― ツヴァイヘンデル(勝利の)ヴェルク(道よ)バンシュ(拓け)!……『ウイニング・ロード』!!」

 

 空に橋が架かった。半透明な、突如空間に現れた橋が。

 それはぬかるんだ路面の森を飛び越えて、町の方へと一直線に伸びている。障害物を一直線に突っ切る事が可能だというこの魔法のおかげで、かなり移動時間は短縮された。

 

「よし。よくやった。騎馬の者は先行する……私に続け!」

 

 褒められて、腕の中で「えへへ……」と顔を綻ばせている少女に一言、飛ばすからしっかり掴まっていろ、と声をかける。

 

 密偵の報告では、あそこには、姿を隠されていた殿下達も居るという。

 

 ――どうか、ご無事で……!

 

 少女が私の胴にしっかり掴まったのを確認してから馬の横腹を蹴って加速、上空へ向かって掛かった魔法の橋を、配下の騎兵と共に駆け出した――……

 

 



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ディアマントバレー防衛戦線4

 

 

 

「……――し……丈夫ですか……少年、大丈夫ですか?」

 

 ぺちぺちと頬を叩く感触に、目が覚めた。

 

「あれ……俺は……」

 

 何で寝てたんだっけ。

 そうだ、たしか攻撃魔法を使うヤツの最後の一体を仕留めて、姉ちゃんたちの所に戻ろうとした瞬間に、なにか強い衝撃のようなものを頭に喰らって……

 

「……そうだ、戦闘中! 姉ちゃんたちは!?」

 

 がばっと跳ね起きて、慌てて周囲を見回す。

 

 ――なんだ、これ。

 

 周囲一面が、一面の花畑になっていた。ほのかに光る白い花弁が宙に舞って、やたらと幻想的な風景を作り出している。その光景は、現実の物とは思えない位に綺麗で……

 

「……え、あれ? 俺死んだの?」

「この光景では、そう思うのも無理はありませんが、そんなことはありませんよ」

 

 即、ツッコミが入った。

 

 先程から声のする方向へようやく目を向けると……確か、ゼル……なんとかっていう、傭兵団の隊長格だっていうあんちゃんがしゃがみこんでこちらを覗き込んでいた。

 

「さて、目が覚めたのなら、この花びら、二枚か三枚くらい食べておくといいですよ、疲れが取れます」

「……は? 花を?」

 

 そう聞き返した時には、既にあんちゃんはその辺に舞っていた花を一枚、口に放り込んでいた。

 

「これは、妹が言うには、『神草アイレナ』という希少な薬草……世界樹の滴と合わせて調合することで、『エリクシール』のベースとなると言われているものです。このまま食べても、疲労が取れて闘気が回復しますよ」

 

 本当は年にごく少量発見されるかどうかくらいの希少なもので、こんなに一面に実物が生えているのは初めて見ます、壮観ですねぇ……と、呑気な事を言って苦笑しているあんちゃん。

 半信半疑ながら、手近にあった花弁の一枚を手に取って、口に含んでみる。

 

「……甘い」

 

 それに、口の中でさらっと溶けていくように繊維が解れていく。花というより、まるで砂糖菓子かなにかみたいだ。そして、確かに疲労が吹っ飛んだ、気がする。

 

「さて、大丈夫なら行きましょうか」

「行くって、どこへ?」

 

 尋ねると、傭兵のあんちゃんが、親指である方向を示した。そこでは……

 

「……なんだ、あれ。イリスねーちゃん達なのか?」

 

 そこでは、多分レイジ兄ちゃんと、ソール兄ちゃんがもの凄い戦闘を繰り広げていた。目まぐるしく入れ替わり立ち代り、ポジションをスイッチしながら敵のボス、トロールだったものの機先を制し、隙をこじ開け、自分達の優位を決して手放さない。

 そして、剣が敵の拳と交差するたびに、激しく閃光が瞬いている。まるで、スポットライトの中で剣士二人が踊っているかのように。

 

 ふと、ゲーム中に聞いた姫様の固定パーティの、騎士と揶揄されていた二人の有名プレイヤーの噂話を思い出した。

 

 たった三人で、本来ならフルパーティ八人用のレイドボス狩りしていたとか、大規模戦闘(レギオンレイド)において、システムが様々な要因から弾き出す戦闘貢献度で、上位五名に与えられるMVP判定の大半を持っていかれるという愚痴とか……眉唾ものの逸話も山ほどあったけれど、あの猛攻を見ると、それも納得だと思う。

 

 だけどそれ以上に目を奪われたのが、その背後に控えて支援を続けていたイリス姉ちゃん。

 最初に見た黄金の光の翼にも驚いたけど、今はさらに羽根の枚数が増え、大きくなり、眩いばかりの白い光を放っていた。

 遠目でも、あの光を背負った姉ちゃんを見ると、大丈夫、なんとかなると、理屈ではなく思えてくる。立ち上がる気力が湧いてくる。宗教なんて全く興味は無かったけど……神々しい、っていうのはこういう事なのだろうか。

 

 兄ちゃん達二人も、実のところ完全に避けきれているわけではなく、何度もヒヤリとする場面があった。だけど、その度に何か守護魔法らしきものが展開しては砕けながらも、その攻撃を逸らしている。

 

 あれは……羽根?

 

 光る白い羽根……姫様の周囲、それと下で最前線で戦っている兵達の周辺にも、それが漂っているように見える。そして、その羽根の一枚一枚が、何らか力場を展開して、攻撃を弾いている。

 

 ……だけど、それが分かっていても、自分を砕こうと迫って来る敵の攻撃の前に、そうそう身を晒せるものだろうか?

 

「……一見、捨て身の猛攻に見えますが……あれは、違いますね。後方に控えている者が要所要所できちんと敵の攻撃を抑えてくれる……そうした信頼の上に成り立っている連携です」

「……すげえ。なんでそんな、信頼できるんだ……?」

 

 あれが、何年もかけて培ってきた、あの兄ちゃん姉ちゃんの信頼関係。果たして、自分にその中に入り込めるほど信頼出来るかっていうと……絶対に無理だ。少なくとも、一朝一夕には。

 

 ――やっぱり、敵わねぇな……

 

「……まったく。想い人が既に居るのであれば、せめて騎士としてお傍でお守りできればそれでいいと思っていたのに……これでは惚れ直してしまうではありませんか」

「……え?」

「ああ、彼らには、内緒ですよ」

 

 しー、と立てた中指を口に当てて、黙っていてくださいね、と、どこか手の届かないものを羨望の眼差しで眺める傭兵のあんちゃん。

 

 ……そっか、この人も、なのか。

 

「……はは、あんちゃんもドンマイだな」

「そうですね……私達は、同志ですね」

「失恋仲間って? 格好悪ぃ同志だなぁ……」

 

 馬鹿馬鹿しくなって、笑うしか無い。こんな強い大人の人でも、ままならないものなんだな……そう思うと、却って胸のもやもやがすとんと消し飛んだ気がした。

 

「とはいえ、男なら、意地は通すとしましょう……私は我が姫の助力へ行きます、君は?」

「……俺も、行く。当然!」

 

 にっと、二人で笑い合って、あんちゃんの手を取って跳ね起きた。

 

「では、玉砕した者同士……」

「ああ、行くぜ……っ!」

 

 あの敵のボスには借りもある事だし、あの時のリベンジもしなければ。

 姿を消して、未だここまで届く剣戟が鳴り響き続けている、あの壁上の戦場へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――強い。

 

 元々、この世界のトロール族は、恵まれた肉体と再生能力を持ち、自身の研鑽に余念がないにも関わらず、力試しは好きだが無用な争いや殺し合いは好まぬという、武人然とした温厚な種族です。

 それが何故このような結晶に取り付かれたかは分かりませんが……『世界の傷』の結晶に浸食された結果、鋼のような肉体はさらに強化され、なおかつそれを支える強靭な足腰から来る瞬発力は、巨体故の鈍重さを微塵も感じさせません。

 

 ――ゆえに、目の前の存在は、「堅い」「速い」「強い」、という、単純に個としての戦闘力が突出していました。救いは、狂化により理性が失われ、そこに「巧い」が存在しない事。付け入る隙はある。

 

 ……そのような事を考えていると、黒い影が彼、トロールの腕を覆ったのが見えました。

 

 以前戦った結晶の魔物は、影を多数の触手と言う形で操作するタイプでしたが、こいつは一点に集めて自身を強化するタイプ。その破壊力は想像を絶する物がありました。

 だから、自分で自在に操作可能な『マルチプロテクション』の羽根を、敵の拳と二人の間に何枚も滑りこませる。

 

 次の瞬間……空気が潰れて弾ける音がした。巨体に似合わぬ素早い踏み込みから、危険な黒い輝きを放つ敵の拳が放たれ、ソール兄様の前に展開した守護魔法に激突しました。

 

「……一枚……二枚……っ」

 

 パリン、パリン、と、以前の結晶の魔物の時はその攻撃を防ぎ切った筈の『マルチプロテクション』が、割れていく。

 

「……三、枚……っ!」

 

 さらに一つの障壁が砕け……そこで、敵の拳が止まった。

 

 しかし、その時には既に兄様は、敵の拳をすり抜けるように、敵の懐に飛び込んでいました。その手にした細剣は、今は紫電を纏い長剣サイズに輝いています。

 その後ろからは、挟撃の配置で既に攻撃態勢に入っているレイジさん。外壁の床を擦るように振られた剣から、刀身に劫火が捲き上る。

 

「爆ぜろ、『ライトニング・ヴェイパー』ッ!!」

「吹っ飛べやァッ!! 『砲閃華』ァ……ッ!!」

 

 雷光を纏った光速の刺突と、業火を纏った一閃が、敵の立っている場所で交錯し……

 

 ――ドン、と、光が爆ぜた。

 

 あらかじめ二人に付与していた『ルミネイトエッジ』が斬りつけた場所で炸裂し、結晶の鎧がまた少し砕けて宙に舞う。だけどそれだけでは終わらない。紫電と劫火が舞い上がり、敵のトロールを灼いていく。

 

 ……が、しかしまだ届かない。結晶鎧のトロールは、すでにあちこちに出来た傷から、血の代わりのように暗い闇色の煙を巻き上げながらも、その動きには微塵も陰りが見えません。

 

 そんな中、不意に攻撃が止みました。視線の先で、敵が大きく息を吸い込もうとしたのが見えました。

 

 ――あれは、駄目……っ!

 

 あの動きは見た。先程、私も意識を吹き飛ばされたあの咆哮の予備動作です。

 音によって脳を揺らし、無防備に受ければひとたまりも無く意識を失うほどの脳震盪を誘発するあの咆哮は、絶対にさせるわけにはいかない……!

 

 ――短い期間に二度、脳に強い衝撃を受けた場合……一度目の衝撃で脆くなっている脳組織を損傷し重大な障害、あるいは死に至る可能性のある……いわゆる『セカンド・インパクト』を誘発しかねない。

 

 もっとも、回復魔法の効果によって、その可能性はもしかしたら杞憂なのかもしれないけれど……生死が掛かっている以上、まさか試すわけにもいきません。

 ではどうすればいいか……あのモーションはとても無防備だ、ならば隙を与えなければいい!

 

「――マーナ(魔力)ドロウ(流出)リーア(光よ)リーア(光よ)リーア(光よ)ディ・ヴィエーガ(光の剣よ)! 『ディバイン・スピア』……!!」

 

 この領域は、光翼族を送り出したという女神アイレインの領域そのものを、一時的に借り受けて顕現させています。

 故に、この中では私の魔力が拡充され、使用する魔法も本来の限界を超越していました。

 私の周囲に、光の槍が生成する。今まで使用したことのあるものよりも大量の魔力を注ぎ込まれたそれは、眩く光を放っている……その数、十本!

 

「い……っけぇ!!」

 

 私の周囲から放たれた光の槍が、今まさに咆哮を上げようとした結晶鎧のトロールの、その空気をかき集め膨れ上がった胸へと吸い込まれて行きました。

 

 一発目、着弾。二発目も同様に。しかし、これでも足りない。魔法に反応して『AMRA』が展開し、弾かれていきます。

 三本目、四本目。まだだ、まだ届いていない。けど、諦めない……!

 五本目、六本目……七本目、今、一瞬揺らいだ!

 

「ミリィさん!!」

「……任せるにゃ、『フォトンソード・ランチャー』!!」

 

 ミリィさんの構えた手の前に、純エネルギー属性の魔力が凝縮された剣が六本、生成されました。それは彼女の腕の周りをまるでガトリングの銃身の様に回転を始めます。

 

 その間にも、私の光の槍が今も弾かれながらも障壁を叩き続けています。九……十本目! 今まで無敵を誇ってきた『AMRA』が、甲高い軋みを上げた……割れる!

 

「よっしゃあ、そのクソ忌々しい障壁ごと……吹っ飛ぶにゃああああ!!」

 

 ミリィさんの掲げた手から、凄まじい速度で一本ずつ、エネルギーの塊である剣が猛スピードで放たれました。

 

「DPSチェック、なんてぇ、大っ……嫌いにゃぁぁああああ!!」

 

 盛大な私怨を溢れさせたその絶叫に押されるように、剣がトロールの胸部、今まさに再度咆哮を上げようとした瞬間の胸に衝突し――今度こそ、貫いた!

 

『AMRA』は強力な障壁だけれど、ごく一点に連続して攻撃を加え続けられることに弱いという性質も持つ。だから、咆哮を上げようと足を止めた瞬間を狙って、二人で可能な限り攻撃範囲の狭く、多段攻撃である『ディバイン・スピア』と『フォトンソード・ランチャー』で一点を集中して撃ち続けたのです。

 

 結果……ミリィさんの剣が障壁を貫通し、纏った結晶鎧をも貫いて、剣がその体を貫通し吹き飛ばしました。衝撃に砕けた結晶の破片が大量に宙を舞います。

 

「やった!」

「っしゃぁ!」

 

 二人でガッツポーズする中で、吹き飛ばされた巨体がそれまで吸い込んだ息を強制的に吐き出させられ、咆哮を中断させられました。

 

 ――咆哮は、止めた。今はただ無防備な巨体を晒している……!

 

「レイジさん!」

「任せろぉっ!!」

 

 凄まじい速度で距離を詰めたレイジさんが、横をすれ違いざまに一撃……は加えずにそのまま横を通り抜け、外壁の端、断崖絶壁を駆けのぼり、瞬く間にかなりの高さまで昇ったかと思うと……その壁面を蹴って、宙に身を躍らせた。それに反応し、咄嗟に頭をガードしたトロールでした、が……

 

「……来い! 『剣軍』……っ!!」

 

 そのレイジさんの体の周辺に、半透明な剣が一二本出現しました。

 その中の一本を、『アルヴェンティア』を持っていない方の手で掴み取ると、落下の勢いそのままに、X字に叩きつけるように振り下ろし……

 

 ぱきぃ――ん、と、澄んだ硬質の物が砕ける音。剣を構成していた半透明な力場が、きらきらと細片を振りまいてすぐに宙に溶けて消える。

 

 しかしそれは、ガードした腕に、決して浅くない二条の傷を刻んでいました。

 

「ちぃ、魔法的な防御が掛かってるやつは一刀両断たぁ行かねぇか、だけどなぁ!!」

 

 ガッと、レイジさんの手が、周囲に浮いている剣の一本を掴み取った。

 

 ……あらかじめ用意してあった剣を次々抜き放って戦う将軍の話があったはずだけど、まさかそれ!? なにその技、格好良い、ズルい……っ!

 

「その腕くらいは……ここで置いてけやぁぁあああっ!」

 

 凄まじい勢いで、次々と周囲に浮かぶ剣を使い捨てながら、両手の剣で猛ラッシュを仕掛けるレイジさん。もはやその剣閃は私の目には追えず、パキンという破砕音が、多重奏で鳴り響く。

 あまりの手数に反応できず、ガード姿勢のまま執拗に狙われた敵の左腕がみるみる刻まれ、ボロボロになっていって……

 

 ――ザンッ!!

 

 一際鈍い切断音が響いた次の瞬間、巨大な腕が宙を舞った。

 

「次ィ! ソール、代われ!!」

「言われなくても……っ!!」

 

 あの技はとても消費が激しいらしく、レイジさんは十二本の剣全てを消費するとすぐ後退しました……が、その時にはもう、兄様がその背後から肉薄していました。無数の鎖と、雷光を伴って。

 

「戒めろ、『チェインバインド・ランページ』……ッ!」

 

 バジュウッ、と、背筋が粟立つような高圧の電流が瞬間的に流れる音を発し、兄様の、紫電を纏った剣がトロールの胸のど真ん中へと突き刺さる。鎧すら貫いて僅かに食い込んだ剣が形を崩壊させ、その全てを電撃として敵の体内へと叩き込む。

 これにはさすがにトロールもひとたまりも無く身をのけ反らせ、よろよろと後退し――その体を、倒れることは許さない、とばかりに、無数の鎖が締め上げて、その場に固定する。

 

「……ハヤト!! お前の番だ!!」

 

 刹那、背後から身を翻した小さな影。

 

「『アサシネイト』……っ!」

 

 いつの間にかここまで戻ってきていたハヤト君の短刀が、閃いた。

 右肩から左わき腹へ。奇しくもそれは、あの坑道でハヤト君が奴に与えた負傷と、全く同じ軌跡。鎧も、脊椎も断ち割って、まるで血しぶきのように奴の体から黒い影が周囲に飛び散り、地に落ちる前に浄化されて宙に消えて行きます。

 

「……あんちゃん、任せた!!」

「ふっ……任されました!!」

 

 即座に飛びのいたハヤト君の後を追従し、壁を駆け上ってきた人影がその勢いのまま、突っ込んで来る……え、ゼルティスさんまで!?

 

「咲け、『蒼の茨(エスピナス・アスール)!!』」

 

 ハヤト君の切り開いた傷跡に、ゼルティスさんの二刀が突きこまれる。次の瞬間、体内から突き破る様に、氷の結晶が生えました。まるで茨の棘の様に。

 

「では次、任せましたよ期待の新人君?」

「……うっせぇ! どいつもこいつも派手にバカバカぶっ放しやがって!!」

 

 そうしてゼルティスさんがトロールの頭を足場にして飛び退った瞬間、鎖と氷に絡め取られ、脊椎を絶たれて動きを止めたトロールの顔……左目に、ドッ……と、ヴァイスさんの矢が突き立った。

 柔らかい眼を貫き、眼下を貫通し、その矢は脳組織がある場所を貫いて……さらには駄目押しのように、あらかじめ炎の属性を付与されていたらしいその矢が、トロールの頭を炎上させる。

 

 ……しかし、それでも動きは止まらない。

 

「……チッ、これで死なねぇとか、本格的に生き物辞めてやがんなコノヤロウ……っ!」

「だけど、これで……真打登場、にゃ!!」

 

 障壁を砕いてすぐに、再度別の魔法を唱え始めていたミリィさんが、完成した巨大な魔法陣を眼前へと解き放った。

 

「今度こそ、ふっ飛ぶがいいにゃ……っ! 『フォトンブラスター』ッ!!」

 

 至近距離から放たれた純エネルギーの奔流が、満身創痍のトロールを丸ごと飲み込んで、崖へと突き刺さった。

 十数秒続いた閃光の奔流は崖を焼きながら少しずつ砕き、朦々と土煙を上げて……やがてゆっくりと収束して消えていった。

 

「……はぁっ……はぁっ……やった、かにゃ?」

 

 巻き上がった土埃が、徐々に収まってくる。そこには……

 

「……はは、冗談も、大概にするにゃ……」

 

 そこには、脊椎を断たれ、内臓をズタズタにされ、頭を焼かれても尚、ボコボコと傷跡から肉が盛り上がり、欠けた部分を影で補って立つ敵の姿がありました。

 

「……くそっ、なんてぇバカげた再生力だ、振り出しかよ……!」

「いいえ、鎧の大半はもう残っていませんし、だいぶ弱っているはずです。最初ほどの圧力はもうありません……それに」

 

 聴こえる。遠方、東側から接近してくる、音。

 

「……()()()()()()()!!」

 

 ――来た。

 

「――皆の者、敵を突破し、挟撃にて壁の向こうで戦っている同胞を援護せよ……総員……突撃ぃ!!」

 

 何者かの号令を受けて、鬨の声が背後から湧き上がりました。

 

 宙を駆けるように……いいえ、実際に宙を駆けて壁を乗り越えていった数多の騎兵が、私達の横を通り過ぎて次々に外壁の向こうの地面へと降り立ち、『聖域』を破ろうと横に広がっている敵たちの横を掠めていくかのような軌道で駆け抜けていきました。

 

「うわぁ、なんだか凄いのと戦ってますねぇ。それに……おお、姫様だ、姫様が居る。でも、なにあの羽根、うっわ綺麗……!」

 

 不意に、聴こえてきた、場違いな女の子の声。思わずそちらに目を向けると、一際立派な体躯の黒馬に乗った長身の男性が、前に少女を抱きかかえるように乗せたままやってきました。

 

 長めに整えた黒髪。眼光は鋭く、端麗な顔を厳しく引き締めた……黒騎士という表現がしっくりくる美丈夫。

 ぱっと見ではまるで物語の悪役の騎士のように恐ろしげですが……その実、誠実で実直な方だと知っているため、どうにかビクッとなるのは抑えられました。

 

 ――ローランド辺境伯、レオンハルト・ローランディア。この地の領主様で、こちらでは、短い間とはいえ、私……『イリスリーア』の後見人だった方でした。

 

「……イリスリーア殿下、それにソールクエス殿下。積もる話はございますが、今は後にしましょう……助力は、必要ですか?」

「いいえ。こちらは大丈夫、私には頼もしい仲間がついています。だから……皆を手伝ってあげてください」

「……はっ、その命令、しかと承りました。ティティリア、ここで降りて、背後からの援護を頼む」

「はい、領主様、任せてください!」

 

 ティティリアと呼ばれた少女がぱっと馬から降りると、その男性……レオンハルト様が、馬首を敵の集団の方へと返す。そんな中……

 

「……良い顔を、するようになりましたね」

 

 横目でこちらを見ながら、ポツリと呟かれた言葉。

 

「はい……大切な人、信頼できる人が、沢山できましたから」

「ふ、それは良かった……それでは、私も出ます。ご武運を」

 

 僅かに仏頂面の口元を緩めると、領主様……レオンハルト様が、未だ混戦続く前線へと駆け出しました。

 

「それじゃ、私も行きます。皆……特に姫様、()()()()()()()()()()()()、あとでいっぱい話を聞かせてくださいね!」

「……え? あの、貴方は……っ!?」

 

 掛けられた予想外の言葉に咄嗟に呼び止めようとするも、しかし、彼女は既に身を翻して城壁の外へと飛び出してしまっていました。

 そうだ、まだ終わりじゃない。話は、後でいっぱいできるのだから。気を取り直して、武器を構える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――このわずか数分後。

 

 敵の首領であるトロールはついにその巨体を地に沈め、以降二度と起き上がってくることはありませんでした。

 そして、これによって士気を際限なく上げた人間側の勢いはもはや止まることは無く……やがて後詰の歩兵も合流し、全ての敵を殲滅し終えるまでは、それほど時間も掛かることはありませんでした。

 

 ――負傷者は大勢いました。しかし、その死傷者は……ゼロ。

 

 こうして、最初は絶望的と思われたこの戦闘……後に『ディアマントバレー防衛線戦』と呼ばれる戦闘は、全員生還という、この規模の戦闘においては奇跡的な結果で幕を閉じました――……

 



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勝利の声は花散る中に

 

 ――目の前の一面に無数に咲き誇っていた白い花が、一斉に花弁を散らして風に舞い上がり、その姿を薄れさせていく……そんな幻想的な光景が眼前で繰り広げられていました。

 

 役目を終えた『ガーデン・オブ・アイレイン』の効果が消失していき、その影響で顕現していた花園は徐々に消えて元の荒野へと還り、聖域はまた閉ざされていきます。

 同時に、何か暖かな腕に抱かれているかの様な感触が離れていき、私の背中の翼も元の黄金色へと戻っていきました。

 

 剣戟の音はいつのまにか止み、もう聞こえてきません。

 

 そして……敵の首領であったトロールはだいぶ前に私達の手により地に沈み、念入りに私が施した浄化によってその体にもはや結晶は無く、再び動き出す様子は全くありません。

 

 今は、戦場全て、不思議なほどの静寂に包まれていました。

 

 ――勝っ……た……?

 

 そう認識したとたん、それまで張りつめていた緊張が一気に解けて、かくんと膝が折れました。

 転ぶ……そう思った瞬間、柔らかく抱きとめられる。

 

「おっと……大丈夫か? 疲れたか?」

「……いえ、安心したら、気が抜けて……あと、その、腰も……あはは……」

 

 恥ずかしい。あまりの締まらなさに、とりあえず笑ってごまかします。

 

 周囲の人達も、ようやく敵が居なくなったことを実感したのでしょう、徐々に、ざわざわと声が上がってきました。

 

「勝った……んですよね?」

「ああ、俺達の勝ちだ」

 

 後ろで支えてくれているレイジさんが、力強く頷きました。

 

「犠牲になった方は……?」

「それは、今ソールが確認しに……」

「いや、もう聞いてきた……味方の死傷者は、現時点で判明している限りでは……ゼロだ」

 

 一度下へ様子を見に行っていたらしい兄様が、翼をはためかせて戻って来て、そう教えてくれた。

 

 犠牲者、ゼロ。皆無事に乗り越えた。

 

「…………っ、はぁぁああ……っ」

 

 安堵から、大きなため息が出た。

 

「……良かった……本当に、良かった……っ」

 

 今度こそ、ずっと張り詰めていた物が切れ、支えてくれているレイジさんに体重を預けました。

 

 

 

 少しの間、そうしていると……ふと、ぱたぱたと階段を駆け上がってくる小さな音が近づいてきました。

 

「みんな、無事……みたいですね、良かった……!」

 

 姿を現したのは……先程、領主様と一緒の馬に乗っていたあの子……たしか、ティティリア、と呼ばれていた女の子です。

 身長は、私よりも少しだけ高い程度でしょうか。明るい金髪を肩あたりまで伸ばした、とても整った顔の可愛らしい女の子。

 まるで元の世界の制服のブレザーのような臙脂色の上着に、白いスカート。その上から右側だけ前面まで覆うような左右非対称のマントを羽織ったその姿は……確か、エンチャンター系二次職である『セージ』の職服、だった気がします。

 

「あの、あなたは……?」

 

 そんな彼女に声をかけようとしましたが、その時にはすでにその場には居ませんでした。

 

「領主様ー! こっち、こっちです!」

 

 私達の無事を確認して、すぐに踵を返した彼女がそう呼びかけた先から、一人の男性が階段を上って来ました。

 切れ長の瞳の特徴的な、基本しかめっ面みたいであまり表情を浮かべない顔。細身ながら華奢さは全く感じさせない体つき。

 黒い鎧を纏った姿はまさに黒騎士と呼ぶに相応しそうなその男性は、自らも最前線で馬上用の長剣を振るっていたにも関わらず、ほとんど汗もかいていなさそうです。

 

 ゲームだった時は「良い人だし美形なんだけど顔が怖い」、そういう評価が大半だったなぁ……と、苦笑が漏れそうになりました。いけない、いけない。

 

「ご挨拶が遅れました、不肖このローランド辺境伯レオンハルト、兵を率いて救援に参りました……ご無事で何よりです、両殿下」

 

 ビシッと敬礼を取り、しかし、すぐにその厳しく引き締めていた顔から力を抜き、ふっと相好を崩しました……多分。

 それでもその鋭い目つきは、まるで睨んでいるように見えますけれど……微笑んでいるはずです、多分。

 

「……本当に、ご無事で何よりです、イリスリーア殿下、ソールクエス殿下」

「あの……私達二人は……」

「記憶の混濁の件であれば報告は耳に入っております。色々と調べなければいけないことがあるという事も。ですが、そうした話は後に……人の耳の無い落ち着ける場所へ到着してからにしましょう」

 

 そうして、座り込む私と、そんな私をレイジさんと共に支えている兄様の前に跪いた。

 

「ですので……また、元気な姿を見られて良かった。今はそれだけで十分です」

「レオンハルト様……ありがとうございます」

 

 

 

 

 

「……さて、では、イリスリーア殿下には、やっていただかなければいけない事があります」

「私に……?」

 

 首を傾げる。そんな私を尻目に、レオンハルト様は、ツカツカと外壁の外側、皆が戦っていた側の縁まで歩くと、そこでこちらへと振り返りました。

 

「此度、皆が奮起し戦えたのは、そして生還できたのは、貴女様の存在があったからこそ……どうか皆に、勝利の宣言を」

「……ぅえ゛!?」

 

 驚いて変な声が出ました。

 彼はくっくっと、僅かに笑いを堪えながら、それでも断固として私にやらせたいみたいです。

 

「さぁ……皆に、元気な顔を見せてあげてください。姿が見えない貴女様が、無事かどうか気が気でないみたいですから」

「えっと、まだ心の準備が……」

 

 領主様が、そう促す。大勢の前に顔を出す事に躊躇うけれど……

 

「ほら、行くぞ」

「大丈夫、私らも一緒だ」

 

 渋っているうちに、レイジさんと兄様がそれぞれ私の手を取ってさっと立ち上がらせてしまう。そのまま外壁の縁へとエスコートされ外を覗き込むと……

 

「あ……」

 

 ――無数の視線が、こちらを見ていました。

 

 みな疲労の色こそ濃いものの、大半は、生き残って戦闘を終えた喜びの色を浮かべ、どうだと言わんばかりに誇らし気な顔をしているように見えます。

 視線が集中しているのに、怖くない。それどころか……嬉しい……うん、嬉しい!!

 

「お約束どおり、皆無事に生還いたしました……これで、開戦前の不敬は不問ですね?」

 

 前線で戦っていた騎士の一人……あれは確かウェーバーさん。女好きだから気をつけるようと、彼の同僚であるはずの騎士の方々から何度か指摘を受けたため、真っ先に覚えてしまった一人です……が、激戦にあちこちボロボロになったくたびれた様子で、それでも軟派に崩した敬礼を取りつつウィンクしながら宣ってきた。

 

「 はい……皆さん、本当に良く……良く、無事で……!」

 

 感極まって震えそうな喉を抑え込めるよう、大きく深呼吸をする。

 

「みなさんの力で、町は守られました……そして、全員、生き残ってくれて、本当にありがとう……私達の、勝利です!!」

 

 ――おおおぉぉぉォォオオオッ!!

 

 限界まで疲労していたはずの皆が、各々の武器を掲げ、ビリビリと大気を震わせるほどの鬨の声を上げていました。

 

 それ以上は、言葉に出来ませんでした。

 だから、嬉しさに頰を伝う涙はそのままに、頑張って笑顔を浮かべる。

 そこまでが、限界でした。兄様の胸に飛び込むと、さっとその外套に包まれ、視線を遮られた感触。

 

「……今度は、ちゃんと助ける事が出来たね……」

「はい……っ!」

 

 そう私だけに聞こえるように、喜色を滲ませて呟かれた兄様の言葉に、ただひたすら頷きました。

 

「皆、ご苦労だった。後始末は私達が引き継ぐ。皆にはゆっくり休息を取って欲しい。負傷者は……」

 

 レオンハルト様が、後を引き継いで指示を出しています。

 

 ――そうだ、まだ、私の仕事は終わっていない。

 

 そっと体をはなすと、涙を拭って立ち上がる。

 

「……もう、大丈夫なのか?」

「はい。行きましょう、坑道にまだある『傷』を浄化してようやく、ここでの役目は終わりです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――まったく、大したもんだ。

 

 眼前で繰り広げられている熱狂に、そんな事を思う。

 

 俺一人ではなんとか抑えるのが精一杯だった相手を、嬢ちゃんをはじめとした若い連中だけで倒しちまった。

 

 そして、味方全員が生還。この規模の戦闘でそんな話、聞いたことも無い。

 

 ――ただ、今回はうまくいったからこそ……今度また何かあった際に、折れたりしなけりゃ良いんだが。

 

 あの嬢ちゃんは、戦闘に身を置くには優しすぎて心配になってしまう。なまじどんな大怪我でも一瞬で癒してしまうために、救えなかった他者の死に敏感すぎ、臆病すぎる気がしてならない。

 

 そんな事を考えながら、熱狂から離れるように少し歩くと、探していた後ろ姿を見つけた。

 

 ――やっぱり、聞いておかなきゃいけねぇよな。

 

 気が重い。俺らしくは無いと思うが……避けられないと分かっていても、こういう日が来て欲しくなかったんだろう。

 

 そんな事を考えていると、目的の人物が、こちらを振り返った。

 

「お主か。見よ、このような光景は、私ですら目にしたことがない。長生きもしてみるものだ」

 

 その人物……師匠は、淡く輝く花弁が舞い上がり、宙に溶けて消えていく幻想的な光景を、目を細めて眺めていた。

 

「……師匠」

「もう、師匠ではないと言っておろうが」

「俺にとってはいつまでも師匠ですよ……何故、手を抜いていたんですか?」

 

 正確には、手を抜いてたというより、余計に出しゃばらず、後方からの支援と最後の砦役に徹していたのか、だ。しかも今回は、騎士団の制式剣のみを使用し、自らの主武装である腰に佩いた魔剣も抜いていない。

 それでも自らの仕事は完璧に全うしたうえで他者のフォローもこなしていた。他者の命を危険に晒すような手の抜き方をしていたわけではない。ないのだが……それでも、と思ってしまう。

 

「師匠。いえ、『剣聖』アシュレイ殿。あなたが、自らの魔剣を抜いて前線に出ていれば、まだもう少しはこの戦闘も容易かったのでは?」

 

 しばしの沈黙……目の前の光景をしばらく見つめていた師匠が、ようやく口を開いた。

 

「……それは買いかぶりというものだな。一人でできることは限界がある」

「それは、そうなんだが……」

 

 どれだけの剣の達人でも、例えば死を覚悟で複数の敵に取り付かれ、四方から剣を突き立てられれば死ぬ。どれだけ無敵の超人に思えても、一歩間違えれば死ぬときは死ぬのだ。

 

 あるいは……これは考えたくなかったのだが、()()()()()()()()()()()()のではないか、と。

 

「……馬鹿め、顔に出ておるわ。だが、おそらくお主の想像は外れておるまい……人は老い、病むものだ」

「……それは、分かっている……分かっていたさ」

 

 だけど……それでも、戦う術を与えてくれたこの人にすら衰えが現れ始める日が来るなど、考えたくは無かったのだ。

 

 が、だからこそ、聞いておかなければいけない。

 

「では、なぜ黒影騎士団などに。大きな戦も起きていない現状、そこは最も損耗率の高い部署だよな?」

 

 何故、師匠程の……昔はこの国の軍部のトップに居たほどの方が、このような日陰の外回りをしているのか。しかも聞くところによれば、それは本人たっての要望だったという。

 

「……体の動くうちに、国のために出来る事はしておきたくてな。特に、最近は不穏な空気が漂っておる。今回の件も、ここ一月で多数確認されている『放浪者』の件もそうだ」

「……放浪者、とは?」

「仮称だ。近頃、強力な戦技や魔法を持っているかと思いきや、精神的には戦闘慣れ……というより実戦慣れしていない、そんなどこかちぐはぐな者達が忽然と姿を現している。しかも、そのほとんどが、身元も過去も不明と来た」

「……心当たりはあるな」

 

 真っ先に思い浮かぶのはレイジと……あと、身元が明らかではあるが、ソール殿下やイリス殿下もか。あれだけ戦えながら、初めて会った際は精神的な躊躇からゴブリンにすら苦戦していた。

 

 一人や二人ならともかく、それが多数となると……やはり異常だ。

 

「……師匠は、それが悪い事の予兆だと思っているのか?」

「うむ、放浪者の方はさておき……なにやら話を聞くに、今回、それと少し前に西の開拓村でもこうした『世界の傷』が発生したらしいな」

「ああ、俺もいきさつを聞いただけだが……」

 

 ……一月足らずの間に、この狭い範囲に()()。精々が、四ヶ国合わせても数年に一件あるかという頻度だったはずの『傷』の発生数を考えると、偶然でなければあまりに早すぎる。

 

 だが……過去にも、短期間でいくつも発生する、そういう時が一度だけあった。それは、忘れもしない、『奴』の……

 

「……そのような事を聞いてくるという事は、お主。この戦闘で何か気になることがあったか」

 

 ぎくりとした。

 若い連中が倒してしまったあのトロールの事を思い出す。あれは中々に手強かった。対峙していて、あそこまで背中がヒリつくような戦闘は久々だった。

 

 ……しかし、それよりも、気になったことがある。

 

「ええ、まぁ……懐かしい匂いがした。最高に、忌々しいヤツの匂いが」

 

 具体的に何が、ということを言葉にできる訳ではないのだが……理屈とは別の場所、直感とか本能とか、そういうものが告げていた。あの忌々しい蛇の存在を。

 

「……『死の蛇』の事か。お主にとっては、戦友たちの仇だったな」

「ああ。今度出会う事があれば、今度こそこの手で……」

 

 グッと、拳を血が滲むほど握り締める。そうだ、あいつらの仇を取るまでは……

 

「だ~ん~ちょぉ~……っ!」

「……うおっ!?」

 

 突如背後から掛かった幽鬼のような声に、ばっと後ずさる。

 そこには、僅かに涙を浮かべた目でこちらを見上げる小さな影。

 

 ……なんだ、フィリアスか。

 

「馬鹿兄貴を向こうの支援に行かせたのって団長よねぇ……? おかげで、ものすっ……ごぉく、しんどかったんですけど!?」

「あ、ああ、悪い、すまんかった」

 

 思えば、二人でいるときは戦闘はゼルティスに任せて指揮に専念していられただろうに、それを向こうに送ってしまったから、こいつの負担は相当なものだったろうから拗ねるのも無理はない、反省だ。が……

 

「悪かった。お前なら大丈夫だと思って無理を言いすぎた、次からは気を付ける」

 

 手ごろな高さにあったその頭を、なんとなしにがしがし撫でながら言ってみると、険しい表情で睨みつけていた目がぽかんと丸く見開かれる。

 

「……え? 私なら大丈夫だと思ってたって、本当?」

 

 ……ん? そこに喰いつくのか? よく分からんが……

 

「当然だろう? 信用して無いならお前を副官なんかにしてないさ。少なくとも、今いる中で部下を安心して任せれられるのは、お前以上の奴は居ないと俺は思ってる」

 

 こいつは、戦闘センスや能力ではゼルティスに比べるとだいぶ引けを取るが、あいつはどちらかと言えば俺と同じ突撃馬鹿だからな……指揮を任せるなら細かく周囲を見て考えているこいつのほうが……

 

「……そっかー。それなら仕方ないなぁ……」

「……なんだ? 急にニヤニヤして。それより、撤収準備だ撤収準備。多分嬢ちゃん達は、このあと少し休んだら坑道に行くだろうから、そっちはお前とゼルティスに任せるぞ」

「あ、はい、分かりました! お爺様、すみませんが失礼します!」

「うむ、また今度、時間があるときにゆっくり話すとしよう」

 

 元気よく返事をして、師匠には一礼すると踵を返して嬢ちゃんらの方に向かったフィリアス。

 不機嫌だと思ったら、急に上機嫌になって……若い娘の考えていることはさっぱり分からんな、俺もオッサンになったんだな……としみじみと思う。

 

 首を捻りながら周囲を見渡すと……何故か、部下共がニヤニヤとこっちを眺めていた。

 

「隅に置けないっスねぇ団長」

「いまだ未婚なんすから、若い奥さん貰っちゃいましょうよ」

「馬鹿言ってんなよ、向こうは親と子ほども年齢離れてるんだぞ、こんなおっさんにゃ勿体ねぇよ」

 

 しかも才よし器量よしだ、釣り合うわけがない。

 正直言って団としては抜けられたら惜しいが……誰かと一緒になるならば、できればこんな血なまぐさい商売とは無縁の奴に嫁いで平和に暮らすべきだ。

 

「……やれやれ、こっちの方もちゃんと指導するべきだったか。とんだ粗忽者になりおって」

 

 背後からの声に振り向くと、肩を竦め、やれやれとため息をつく師匠。

 

 ……一体なんなんだ?

 

「そんな事より、俺達はこれから楽しい楽しい戦場の後始末だ、怪我してるやつぁさっさと嬢ちゃんに直してもらってこい!」

「えぇ!?今からっスか!?」

「横暴反対だー!」

 

 途端にブーイングが上がるが、無視だ無視。

 全く、一戦終わって気が緩みすぎだな、明日からの訓練は少し厳しくするか……そんな事を考えながら、仕事に戻るのだった――……

 

 

 



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ティティリアという少女

 

 あの後、町民が戻り始め歓喜に沸き立つ町を後にして、今回の異変の元凶である坑道へと向かう私達。

 

 レイジさんとソール兄様はいつも通り一緒ですが、最大火力として獅子奮迅の活躍を見せていたミリィさんは、先の戦闘での疲労と軽度の魔力枯渇により一足先に休んでしまいました。

 騎士達や、傭兵団の人たちも後始末に追われていて、同行しているのはゼルティスさんとフィリアスさんのみ。

 その他には、「自分の領地で起きている事を見届ける義務がある」と言って同行してきた領主様……レオンハルト様と、ほぼ同様の理由でアシュレイ様、本人の強い希望で同行を望んだアイニさん。そして……

 

 

 

「……えっと、あとで話そうねと言ったものの、何を話せばいいかな……」

「そう、ですね。えぇと……」

 

 きょろきょろと、気まずげに視線を彷徨わせては、ちらっとこちらの顔を見てすぐにうつむいてしまう彼女……ティティリアさん。

 領主さまが行くところには自分も、と言って同行してきた彼女ですが、私と彼女は馬に乗ることが出来ないため、町から持ち出してきた馬車……町長の使っていたクッション仕様の馬車なため、すこぶる快適です……に放り込まれ、今は二人で睨み合っています。

 

 ちなみに、レイジさんとソール兄様、それとゼルティスさんは馬を借りて、領主様やアシュレイ様と共に外にいます。

 アイニさんは馬車を御せるという事で御者を引き受けてくれて今は御者台に。フィリアスさんも、サポートのためそちらに居ます。

 

 なので、現在の馬車の中は私達二人のみ。折角なので、色々話を聞きたいと思ったのですが……

 

「……ごめん、こんな狭い空間で女の子と二人きりで一緒したことが無いから、緊張しちゃって」

「は、はぁ……同性ですし、そんな気にしなくても……」

 

 彼女はすっかり萎縮し、真っ赤になって俯いてしまっていますので、とてもそんな余裕はなさそうです。内心苦笑しながら、安心させるように微笑みかけますが……

 

「う、うん、そう、ですよね……同性ですもんね……」

 

 そう言いながらも、よりいっそう顔を赤らめて深く俯いてしまうティティリアさん。

 何でしょう、少なくとも外見上は同性である私に対する態度にしては違和感が……?

 

 首を傾げつつも、どうにか話題を探します。

 

「えぇと! ティティリアさんは、やっぱり向こう……日本から飛ばされて来たプレイヤーさん、ですよね?」

「……あ、はい! ゲームの時は、『エンチャンター』系列をやっていました!」

 

 とりあえず絞り出した質問に、飛びつくように答える彼女。

 ですが、その言葉……彼女のクラスに、予想はしていましたが少し驚きました。何故ならば……

 

「エンチャンター……私が言うのも何ですが……転生三次職まで来ている方、居たんですね……」

 

 プリースト系列と違い、攻撃的な補助をメインとするエンチャンターは、殲滅速度や確殺攻撃回数に関わってくるためまだパーティ需要はありましたが……あくまで、比較的、という程度でしかありませんでした。

 そのため、私達プリースト系同様に、なかなか転生三次職が現れなかった事で、掲示板がお通夜状態だった仲間でした。

 しかし、私が地下に引きこもってレベリングしていた間に、突破された方が出ていたようです。

 もっとも……それが原因でこの様な事に巻き込まれる事になったので、たまったものではないでしょうけれども。

 

「本当に、転生間もなかったんですよー……レベル一桁だったから本当苦労しました」

 

 う、その気持ちは痛いほど分かります。私なんてレベル1でしたし……

 

「それに私も、まさか純ヒーラーで転生している人が居るなんて思ってもみませんでした……」

「……ですよね。そして苦労して転生したら」

「この事態、ですからね……」

「「はあぁ……」」

 

 しみじみと、二人でネガティブな事で共感し……深々と、ため息を吐きました。

 

 ……

 

 …………

 

 ………………二人揃って黙り込んでしまいました。空気が、重い……っ! 何か話題、話題を……!

 

「……そ、そういえば、領主様……レオンハルト様とは、どのようにして知り合ったのですか? 随分仲がよろしいみたいですけれど……」

「う……変、かな?」

「いえ、別に変な事は無いと思いますよ、レオンハルト様は優しい方ですから」

「そう、です、よね……本当に紳士的で優しいんですよ……顔は怖いけど」

 

 そう言って、顔を赤らめてモジモジしている彼女……あら? これはもしや……?

 

「話すと少し長くなるんですけど…………聞きたい?」

「はい、とても! ……あ」

 

 反射的にそう答えてしまいました、が、すぐにしまったと思いました。

 

「あ、いえ違います! 話したくない事を無理に聞きたいわけではないわけでして……!」

 

 これではまるで人の恋話(コイバナ)にがっついているようではしたなく思え、慌てて弁明しようとしましたが……

 

「……ぷっ、くくっ、姫様慌てすぎ……っ!」

「あぅ……ごめんなさい……」

 

 笑われてしまいました。穴があったら潜りたい心境です。

 

「……はぁ、笑いました。良い感じに緊張も解れましたので、いいですよ、話してあげます……ただ、あまり愉快な話ではないですよ?」

 

 そう前置きして、彼女がこの世界に来てからの事を、ゆっくりと語り始めました……

 

 

 

 

 

 ティティリアさんの話によると、彼女が最初にこの世界に飛ばされた時に居たのは、このローランド辺境伯領の、私達が居た国境側の反対方向の端、小さな村の付近だったそうです。

 

「……あのへんな魔方陣に飲み込まれて、目を覚ましたら森の中だわ、ゲームだった時に比べるとやけに森は広くてなかなか出れないわ……それに、こんな体になってるわで、最初はすごい途方に暮れていたんですけども……」

 

 そうして何刻か森を彷徨った末に、たまたま小さな悲鳴が聞こえて来たのだそうです。

 

「そんな訳で、たまたま村から森の中に遊びに来ていた子供が、弱い魔物に襲われていたところに通りかかって……放っておけなくて必死に追い返して子供を助けたら、そのご両親にすごく感謝されて、事情を話したら、しばらく……半月くらいかな? 居候させてもらっていたんです」

 

 そこは細々と農業と狩猟で生計を立てていた村だったから、武器や身体能力を強化するのが得意な上、フィールドに影響を与え、作物の出来を良くする魔法もある(そのため一部の生産職には人気の職でした)エンチャンター系列のティティリアさんの能力は、村にとってはとても重宝したそうで、すぐに打ち解けたそうです。

 

「嬉しかったんです、私のおかげでいっぱい食べ物が採れた、作物がよく育っている、そう言って皆が笑ってくれたのが……私、リアルではちょっと色々あって引き篭もりがちだったから、お礼なんてあまり言われた事無かったから」

 

 ……だから、頑張りすぎてしまった。

 

 そう呟いた彼女の目には、まだ癒え切ってはいない恐怖の色を湛えて揺れていました。

 

「そんな事していたから、近隣に有名になっちゃったみたいで。食い詰めて他領から流れてきた大きな盗賊の集団に聞きつけられて、お金になると思われて……村が襲撃されてしまったんです」

 

 それでもまだ、彼女の付与魔法によって多少優位に戦えたらしいですが……多勢に無勢、彼女自身は戦闘能力は皆無で、盗賊団と平和だった農村の住民とでは、戦う事への抵抗感が全く違う。

 結果、多少相手に損害を与えることはできても撃退までは行かず、ジリジリと追い詰められていたらしい。

 

「みんなどうにか難を逃れ、全員一箇所に集まって立て籠もっていたんだけど……襲って来た奴ら、私を差し出さないと村に火を放つ、って村のみんなに言ったみたい。でも、みんなそんな要求は飲めない、私を差し出すつもりは無いって、戦ってくれるつもりだったんですよ? けど……避難先には子供もいっぱい居たし、私一人で済むのなら、それでも……って」

 

 そうして、村の人達の為に一人抜け出して、ついていく、協力する代わりに村には何もしないでほしいと、盗賊団に投降したのだそうです。

 

「そこには多少の打算もあったんです。奴らが欲しいのは私の能力ですから、素直に降って表面上だけでも協力的に振る舞えば、そう酷い目には遭わないはず、って」

 

 今思えば、平和ボケもいいところですけどね……と、苦笑する彼女。

 

「……だけど、今の私はこの体、この顔だっていう事を、本当に甘く見ていたと後悔したのは、その後すぐでした」

 

 そう呟いて、顔を青くして自分の身体を抱きしめる彼女。

 よほど丹精込めて作られたアバターだったのでしょう。今のティティリアさんは私や兄様にも引けを取らない、輝かんばかりの美少女です。

 そんな彼女がならず者達の手に落ちれば……どうなるかは、いくら私でも察します。

 

「……あの、顔色が悪いです、辛いのならもう止めましょう?」

「あ……ごめんなさい、こんな話聞かせて。でも大丈夫……まぁ、手遅れだったら立ち直れていなかったかもしれないけど、この通り無事だったから」

「なら、良いんですが……」

「というか、誰かに聞いて欲しかったのかも。領主様にはこんな話できないし。姫様に、女の子にこんな嫌な話を聞かせて申し訳ないけれど……」

「そう……分かりました、話して楽になるのであれば、吐き出してしまうといいですよ、最後まで付き合いますから」

 

 以前ミリィさんに言われた事を思い出す。彼女にも、きっとそうしてぶちまけてしまい、踏ん切りをつけるのが必要なのかもしれません。

 

「ありがと……それで、うん、多分あなたの想像通り。連中のアジトに連れ込まれた私は無理矢理裸にひん剥かれて、押し倒されて……ああ、こんな連中に好き放題されちゃうんだ……そう絶望した時だったの、領主様が来てくれたのは」

 

 彼女が連れ去られた後すぐ、結局約束など守る気は無かった盗賊たちによって村に火がかけられ……しかし幸運にも、たまたま視察中だった領主様がその火の手を見て駆けつけ、盗賊団を撃退したそうです。

 

 そして、村の人達が姿が見えないティティリアさんを助けて欲しいと必死に頼み、それを受けて数名の部下と一緒に盗賊たちのアジトを制圧に来てくれたのだそうです。

 

「本当に、格好良かった。色々な葛藤を吹き飛ばすくらい。気がついたら奴らはみんなもの言わなくなっていて、私は彼の外套に包まれた状態で抱き抱えて運ばれていて……アジトの外に出て、安心したら急に怖くなって、我慢できずにすがりついて随分泣いてしまったけど、ずっと落ちつくまで撫でてくれていて……」

 

 そう、その時の光景を思い出すかのように、手を組んで目を瞑り語る彼女は恋する女の子そのもので、とても嬉しそうでした。

 

 ――結局、その村に残る事は、再び同じ事になるのを恐れてできなかったそうです。なので、皆無事に再会できた事を喜ぶ村の皆に、惜しまれながらも別れを告げ、領主様に引き取られ、保護を受けるようになって……

 

「……でも、のうのうと養われているだけは嫌。だから領主様の仕事を手伝わせてもらうことにして……で、今回、こうしてくっついて来たのでした、はい、私の話はおしまい!」

 

 いやぁ、こういう話は思ったより恥ずかしいねぇと照れて頰を書く彼女。

 

 つまり……彼女にとって領主様は、私にとってのレイジさんやソール兄様のような存在なのですね。

 しかも、一人こちらに来て、恐ろしい目に遭って……そこから救い出してくれた人です、惹かれるのも無理はないのでしょう。

 

「……ティティリアさんは、その……レオンハルト様の事、お好きなんですね」

「……うん、はい。好き。大好き。何か役に立ちたいし、褒められるとすごく嬉しい。もしかしたら危ないところを助けられた事による吊り橋効果や刷り込みだったのかもしれないし……私にその資格があるかもわからないけど……私は、レオンハルト様が大好きって言う想いは、きっと本当」

 

 ……そうまっすぐ前を向いて言葉にするティティリアさんが、少し眩しく、羨ましく見えました。

 

「それじゃ、私も話したから次は姫様の番……って、言いたいところだけど」

「……また今度、ですね」

 

 結構長い時間話を聞いていたらしく、丁度その時、目的地に着いた馬車がその進行を止めました。

 

 

 

 

 

 

『オ主ラノ探シテイル場所ハ、ココダ』

 

 ガンツさんの案内で、連れてこられた場所。それは、採掘済みの坑道の一角を利用したと思しき、鉱夫の方々の休憩所であろう場所でした。

 外見は、ただの閉め切られた普通のドア。しかし、その内には濃密な異界の気配があると、近くに来た事で増した頭痛が、そう教えてくれます。

 

「……どうだ?」

「……間違いないです。それでは、開けますね」

「イリスリーア殿下、まずは私が……」

 

 ドアノブに手を伸ばしたところ、領主様が代わりに開けようとしてくれました。しかし、それを私が制します。

 

「いいえ、おそらく耐性は私の方がずっと高いと思いますので、皆さんは何かあった時、お願いします……ありがとうございます」

 

 心配して申し出てくれたことに感謝を述べると、おっかなびっくり、ドアノブに触れてみます。

 まずは指先で触れて……うん、なんともなさそうです。そっと握って、ドアノブを捻る。

 

「うわ……」

「これは、なんとも異様な……」

 

 すぐ後ろに控えていたゼルティスさんとフィリアスさんが、驚嘆に呻く。

 

 そこに広がっていたのは、やはり一面虹色に輝く結晶に覆われた部屋。

 それはまるで万華鏡のように、色とりどりの光を反射して幻想的な空間を構築していました。

 

「……これが、皆さんの言う『世界の傷』、それによって侵食された異世界、ですか……」

「見た目は、綺麗なんだがな……長く留まると、精神と肉体に変調を来たす、魔の領域なのでご注意を」

「実際、中に入ると気分が悪くなりました。多分、結晶の魔物が使っていた呪詛の類が充満しているんだと思いますので、迂闊に踏み込まないように」

 

 同じく目を奪われているアイニさんへ、領主様とソール兄様の警告が飛びます。

 

「あの、姫様は大丈夫なんですか? カンタマ(カウンター・マジック)します?」

「ふふ、ありがとうございます、ティティリアさん。大丈夫です、私はこの空間に対して耐性があるみたいですから」

 

 これは本当。種族の特性らしく、私には皆さんの言うようなものはこの空間からは一切感じません。

 

「そっか……でも、何かあったらすぐ言ってくださいね?」

「はい。その時は頼りにさせてもらいますね」

 

 そう言って、まだ心配そうながらも渋々引き下がる彼女に、安心させるように微笑んでみせます。

 

「……なぁ、あの子と随分と仲良くなったんだな?」

 

 そんな私達の様子に、レイジさんが疑問を口にします。

 

「ええ、馬車でゆっくりさせて貰ったから、いっぱいお話できましたから」

「そうか……まぁ、友達ができたみたいで良かったよ、安心した」

 

 ………………え、友達?

 

 ああ、確かに、友達という関係がしっくり来ます。そういえば、私に純粋に友人と言える人って、今までレイジさんだけだったような……ような……

 

 ……うん、この事は考えるのをやめましょう。今から大事な仕事があるのに凹むわけにはいきません。

 

「……では、始めます」

 

 気を取り直して、そっとこの空間の中心へと手を差し向けると、そこに空間の裂け目が可視化されて出現します。

 

「……あ、れ……?」

「どうした、イリス?」

「なんだか、『傷』の形状が……」

 

 今までの『傷』は、罅割れという言葉がしっくりと来る、まるでガラスにひびが入ったような形状をしていました。

 

 ですが、これは……

 

「……まるで、何か鋭い物で一直線に断ったような傷、だな」

「ええ……今まで見たものと、形状が少し違う……偶然でしょうか?」

 

 ……あるいは、何者かの仕業?  まさか、そんな……そうは思いますが、しかし脳裏を過ぎるものもあって否定しきれません。

 

「……考えていても仕方ありません、早く終わらせてしまいますね」

 

 そう皆に告げると、結晶に浸食された部屋へと踏み込む。これで三度目、もうだいぶ慣れてきました。そっと、傷を翼で包み込む。

 

 ――次の瞬間、流れこんできた負の感情に、体が跳ねた。

 

「……あ……ぅ……あぁああ……っ!」

 

 堪らず苦悶の声が口から漏れる。強烈な思念が、流れ込んでくる。

 

 ――憤怒

 ――憎悪

 

 そして――微かに混じる、悲哀。

 

「おい、大丈夫か!?」

「だい、じょう、ぶ……っ! すぐ、終わらせますので、待ってて……っ!」

 

 額に脂汗が滲む。

 

 この『傷』は、慰めなど求めていない。救いなど願っていない。

 世界を恨み、憎み、傷つけ……滅ぼす。ただそれだけを求める狂暴な意志。

 

 だから、その身で受け止め、抑え込む。このような物を野放しにしてはいけない。

 ギリギリと、腕の中で抵抗を続けていた怨嗟の意志が徐々に、徐々に小さくなって……やがて、消えた。

 

「――はぁっ! ……はぁっ、はぁ……っ」

 

 激しい疲労に視界が霞む。だけど、それ以上に……

 

 何となく、予感はしていた。

 覚悟も、していたはずでした。

 

 だけど、こうして直面してしまうと……その衝撃に膝から力が抜け、崩れ落ちました。

 

「何故……何故なんですか……どうして……あなたが……っ!?」

 

 だけど、同時に納得もしてしまいました。何故、この『傷』に、何か呼ばれているようなものを感じたのか。

 

 この『傷』を開いた者は……

 あのトロールを、異形化させて今回の件を引き起こした者は……

 

 朧げな夢の記憶の中に居た、皮肉屋を気取りながらも、優しく『彼女』にいつも寄り添っていたあの彼……

 

 

 

 ――多分、今では世界でただ一人、今の私の同族……光翼族でした。

 



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女の子、ふたり

 

「……落ち着いたか?」

「はい……ごめんなさい、取り乱して」

 

 すっかり赤くなってしまったであろう目元を拭う。

 今は、ぐずっている私を先導するレイジさんと二人だけ。他の方は、気を使って先に行ってしまっています。

 

「そうか、なら良いんだが……何があった? 何を見たんだ?」

「それは……」

 

 伝えないとと思っても、口に出そうとした瞬間なんと言えばいいか分からず喉に引っかかる。思考がぐちゃぐちゃで頭が回らず、考えが纏まりません。

 

「……ごめんなさい、今は私も訳が分からなくて……明日みんなに話しますから、少し時間をください」

「……そうか、分かった。まぁ今日はゆっくり休め、頭痛も消えたんだろ?」

「はい……」

 

 原因であった『傷』がなくなった事で、ずっと苛んでいた頭痛は消えていました。付近に異常の気配もなく……本当に、この地域で私にできることは、もうありません。

 戻ったら、レイジさんの言うとおり、ゆっくり身体を休めよう……本当に、疲れました。肉体的にも……精神的にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 町に帰ると、概ね戦場の後始末を終えた町では、避難キャンプから戻ってきていた町人達も交えて酒宴が開かれていました。

 このあたりは鉱山で働く鉱夫が多いため、仕事が再開できる目処が立ったのもあって、今朝襲撃に遭ったとは思えない程の熱狂と歓喜に包まれています。

 

 私は……酔った荒くれ達に絡まれて何か間違いがあってはいけないからと、戻って休む事を勧める女性陣の意見に従って、一回り挨拶をしたら早々に戻る事にしました。

 

 ……ただ、今は休みたかった。浄化魔法で身を清めるだけで済ませると、ふらふらとベッドに倒れこむ。

 考える事が多すぎて眠れないかと思いましたが、ここ数日ずっと苛んでいた頭痛が消えたせいか、あるいは身体は疲労に正直だったせいか……掛布を掛けたかも分からぬうちに、すぐに意識は深い眠りの底に沈んでいきました――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――夜中の三時。

 

 不意に目覚め、真っ暗な周囲を不審に思い時計を確かめると、まだ朝日も出ていない時間でした。早く睡眠に入った事で、変な時間に目覚めてしまったようです。

 耳を澄ませても、昼間の喧騒はもう聞こえてきません。どうやら祝勝会はすっかりお開きになったみたいで、シンとした静寂が町に降りているみたいです。

 

 ……そういえばレニィさんが、お風呂のお湯は張ったままにしてくれるって言っていましたね。

 

 あれだけ激戦を繰り広げたにも関わらず、昨夜はお風呂に入っていない事に気がついて気持ち悪さを感じる。浄化魔法で身は清めたとはいえ、精神的にはなんだか落ち着きません。

 隣室で休んでいるであろうレニィさんを起こすか迷いましたが……結局、皆を起こさないようにそっと部屋を抜け出すと、浴場へ向かって歩き出しました。

 

 

 

 

 

 ……そうしてたどり着いた、接収した元町長の屋敷の浴場。

 

 この館には二つお風呂があり、もう片方……使用人用の大浴場は今は騎士の皆さんらに開放されて男湯として使用されています。そしてもう片方、元の持ち主であった前町長が自分用に拵えたこちらの浴場が、女性用として使用されていました。

 向こうの大浴場よりは小さいけれど、それでも数人が脚を伸ばして入れるくらいに広く、一人で入るためにはいささか大きい浴槽が設置されています。

 脱衣所の構造的に、明らかに複数人で入るための物……何のためかは知りたくもないですけど……です。

 

 手早く寝間着と下着を脱ぎ去り、畳んで籠の中に入れ、浴室のドアを開けようとした時……

 

「……あれ? 誰か他にも居る?」

 

 私よりも先に一人先客がいるようで、脱いだ服が畳まれて入っている籠があります。このような時間に……私みたいに、変な時間に目覚めた方でしょうか?

 

「……失礼、します……?」

 

 恐る恐る浴室に入ると、ばちゃんと、何かが水に飛び込んだような大きな水音。ですが、見渡しても誰も居ません……いえ、浴槽に浮かんでいるのは……金色の髪?

 

「あの……何をしているんですか?」

 

 恐る恐る近付いた浴槽。中を覗きこんでみた先に居たのは……目と耳を塞ぎ、お湯の中に沈んでいるティティリアさんでした。

 

 

 

 

 

 レニィさんがどのように洗っていたかを思い出しながら、見よう見まねで髪を洗い流し、さっと身体を洗ってから浴槽に身を沈めます。

 長い髪は軽く絞って水気を切り、緩くねじってまとめてあらかじめ持参した髪留めでお湯に浸らないように留めておく。

 

 流石に、お湯を張ってからだいぶ時間が経っているため少し温くなっていますが、のんびりと浸かってボーっとしている分には丁度良い、かな?

 

 はふ……と、温めのお湯の熱が体に染み渡る感触に気の抜けたため息を漏らすと、隣で縮こまっていたティティリアさんが微かに身動ぎをしました……そんな緊張しなくても良いと思うのですが。

 

「あ……えっと、姫様……昼間、だいぶ辛そうでしたけど……大丈夫ですか?」

「はい……ぐっすり眠ったら、だいぶ落ち着いてきました。ご心配をお掛けしました」

 

 何か話題を探していたらしき彼女に、軽く微笑みながらそう伝えます。

 

「でも、ごめんなさい。帰りの馬車では私の話をする約束だったのに」

「え……いや、いいですよ、あの様子を見て無理強いは出来ませんって! でも、元気になったようで良かったです」

「そ、そんな酷い有様でしたかね、私……」

 

 軽く両手の指先を合わせ、顎先に当てて俯く。馬車内でもまだ少し泣いた気がしますので……ちょっと恥ずかしい。

 そんな風に照れていると……視線を感じました。

 

「……? どうかしましたか?」

 

 その様子に首を傾げながら尋ねると、彼女はバッと我に返ったように視線を私から外すと、正座の姿勢でお湯の中に座ったその膝を両手で抑え、その手を凝視するような状態で固まってしまいました。

 

「あっ、ご、ごめんなさい……姫様、前から思っていたけど、所作が綺麗ですよね」

「……え? そ、そうでしょうか……?」

「そ、そうですよ、今の仕草だってそう、振り返り方やちょっとした指の動き、首の傾げ方……おっとりしていそうな緩やかな動きなのに、指先まで意識の行き届いてる感じで……それが無意識にできているって、全然真似できる気しないもん。本当に、あなたも元はあっちの世界出身なの? 実はマジで最初からこっちの世界のお姫様だったりしない?」

「えぇ……自分ではそんなつもり、全然無いんですけど……あ、ありがとう、ございます……?」

 

 まくし立てるように言われた内容に、あまりのベタ誉めにちょっと照れます。

 

 正直なところ私の所作、特に立って行う物については……障害を持つものとしては、というバイアスが掛かっているとは思いますが、今回に彼女が言っていることに関してはそれは関係ないでしょう。

 

 だとしたら、その理由として考えられるのは……最大の要因は、七年間続けられた綾芽の女の子指導の賜物だとは思います。ですが、それだけではないでしょう。

 

 七年間。長いようには思えますが、あくまでも、最も学習能力の高い幼少期を含む十数年を生きた後での、たったの七年間に過ぎません。

 それだけの期間、何の下地もないままであれば、必死になって所作や立ち振る舞いの練習をしたとしても結局は付け焼き刃、すぐにボロが出るはずです。

 何故ならば……そこにはどうしても、育ってきた環境、どのようなものを見て、どのように躾られて来たか。そういった生まれてからの積み重ねによる影響が如実に現れて来るからです。

 それでも、ただ「女の子」を演じるだけであれば問題ないでしょうが、今彼女から言われているのは……「お姫様」としての所作や立ち振る舞いの事でしょう。であれば思い当たるのは……

 

「母の影響でしょうか。あの人はとても動きの綺麗な人でしたから」

 

 昔、祖父から聞いた話によれば、父の家系も昔の公家を祖とした古い家らしく、父もどこか育ちの良さを感じさせる人でしたが……母は、それと比べてなお、洗練された立ち振る舞いだったように記憶していました。

 そして、普段は優しい母でしたが、立ち振る舞いやマナーなどには非常に厳しい人でした。特に私……『玖珂 柳』は、日本人らしからぬ髪色と顔立ちをしていたために奇異の目で見られる事もあったので、そんな視線は弾き返せるようにと自信をつけさせるため、幼い頃から結構厳しく仕込まれていましたから。

 

 そんな、母という手本となる人を幼い頃から見て育ち、指導を受け、それが下地として積み重ねられてきたからこそ……生まれ育った環境という、両親から与えられたアドバンテージがあったからこそ……綾芽は厳しい祖父母の礼儀作法の指導も難なくこなし、私もたった七年で今の所作を身に付けることができたのだと思います。

 

「へー、姫様のお母さん、何者?」

「さぁ……髪色や顔立ち的に日本人ではないと思いますが、私にも、遠くから来たとしか教えてくれませんでしたから。今は……もう聞く事もできませんし」

「あ……なんか、ごめんなさい」

「いえ、気にしていませんよ、もう亡くなったのも十年以上前ですし、流石にこれだけ時間があれば、完全に気持ちの整理はついてますから」

 

 ばつが悪そうにしている彼女に、ニコッと微笑みかけて安心させる。たしかに事件へのトラウマこそ残っていますが、両親を亡くした事自体はもうすっかり立ち直れています。

 

「ところで……あなたは、なぜこんな時間に入浴を? 私も人の事は言えませんけれど……」

 

 それに、視線が先程からずっと彷徨っていましたので、不思議に思っていました。そのくらい、軽い気持ちで聞いたのですが……しかし、聞かれたとたんに、彼女は真っ青な表情で俯いて黙り込んでしましました。

 

「それ、は……その……」

「あの、言いたくない事であれば、無理には……」

「……いいえ、言います。でないと不誠実だもの。だけど……」

 

 何か悲壮な覚悟を決めたような表情で、顔を上げた彼女。

 

「軽蔑も罰も甘んじて受け入れる。だけどお願い、レオンハルト様にだけは言わないで……!」

 

 ギュッと固く目を瞑り、震えながら頭を下げる彼女。その剣幕に、パチパチと目を瞬かせます。

 

「わ、分かりました、言いません、約束します」

「ありがと……実は私……その………………」

 

 言うか言うまいか、逡巡を見せているティティリアさん。釣られて私も緊張してきました。しかし、迷いを振り切るかのように数度深呼吸した彼女は、意を決して口を開きました。

 

「私、元男なの! 中身は男プレイヤーなの! ごめんなさい!!」

「…………あー」

 

 カミングアウトされた内容に、つい、間の抜けた声が漏れてしまいました。

 

「お風呂も女の子と一緒に入るのはなんか悪いし、怖くて男側のお風呂なんて入れないし……だから人の少ない時間を狙ったつもりだったんだけど、まさか人が来ると思ってなくて……ごめんなさい!」

 

 すごい勢いでまくし立てたかと思えば、叩きつけるような勢いで頭を下げた。ばちゃん! と、激しく水面を叩いた音は、ティティリアさんが勢いよく頭を下げすぎたせいでお湯に頭を突っ込んだ音。

 

「……それは、ごめんなさい。憩いの時間を邪魔してしまいましたか?」

 

 せっかく彼女が気を使ってくれていたのに、そこに踏み込んで気の休まらない時間にしてしまった事を、申し訳なく思います。

 

「…………え? あれぇ? それだけ? もっとこう、怒るとか、恥じらうとか……無いの?」

「……たしかに驚きましたけど……ですが、こうして私と一緒にお風呂に入っていて、やましい気持ちなどはある様には見えませんでしたし」

「えっと、それは……罪悪感はありますけど、不思議と……最初は自分の体も直視できなかったのに、今では女の子にあまりドキドキしなくなったし……逆に、訓練中の領主さまの、ふと目に入った筋肉とかにドキっとしたりすることが増えて……」

 

 なるほど……今の身体に変わってすでに一月以上。恋をしてしまった彼女の内面は、すでにほとんどが女の子なようです。

 

 ――自分でなんと思おうと、誰が何と言おうとも、私や彼女の今の身体は紛れもなく女の子なのです。

 

 兄様の言うには、感情だって脳内や体内でやり取りされている物質の影響を受けますし、体構造がガラッと変わってしまっている以上はホルモンバランスも激変し、精神への影響が無いなどという事はあり得ないそうです。

 

 現に、ソール兄様は元の世界の綾芽だった時に比べずっと大雑把……もとい、あまり細かい事を気にしなくなっている気がしますし、私も兄様を『兄様』と呼ぶことに抵抗もほとんど無くなってきています。

 

 いわば、性別が変わるという大きな変化があった私達は、時間が経てば経つほど、文字通り体内から何もかもが、精神までもが変わっている……正真正銘の『女の子』になって来ている、という事。

 

 ……という考えは、余計な混乱を与えかねませんので、今は黙っておきます。

 

「じゃあ、私は別に気にしません……むしろ他の女の人は何故か私を抱っこしようとしてくるので、それに比べたら気楽なくらいです」

 

 特にミリィさんやフィリアスさんは、スキンシップが激しいですから……と苦笑する。

 

「安心して、悪気があったわけじゃないって分かってるから。誰にも言わないし、気にしていないですから」

「……許して、くれるの?」

「ええ、あなたも罪悪感があったから、皆に配慮してこんな時間に居たのよね。大丈夫、信じます……少しは気持ちも分かりますしね」

 

 最後だけ、聞こえない程度の声量で呟く。

 ええ、痛いほどよく分かりますとも。私も女性の方と入浴するのは多少慣れてきたとはいえ、まだ罪悪感がありますから。

 

 それに、どう見ても女性そのものな彼女のアバターで言われても……見た目通りの女の子にしか見えませんし、実感できないものですね。というより……

 

「その、ティティリアさんが領主様の事を話しているときって、正真正銘の乙女みたいですから……女の子としか思えないんですよね」

「そ、そうかな……そんなに?」

「はい、とても可愛らしくて、つい応援してしまいます」

「あ、ぅ……」

「さっきも、真っ先に心配したのが『領主様に知られる事』でしたしね。大丈夫、言いませんよ。私も応援しますから、頑張ってください!」

「……姫様、意外と意地悪です」

 

 そう拗ねたようにぶくぶくと口から泡を立てながら、真っ赤になった顔の半分くらいを水中に沈めてしまいました……うん、やりすぎましたね、ごめんなさい。

 

 

 

「ところで、その体の元になったアバターはご自分で? 随分と完成度が高そうですけれど、アバターコンテストで見たことは無いですよね?」

 

 有名どころの企業が制作して販売していたアバターは完成度は高いですがその企業ごとに一定の癖がありました。

 一応優勝経験者であり、コンテスト出禁となった代わりに審査員として駆り出されていた私は、それらをなんとなく把握しているつもりでした。

 

 しかし、彼女はそのどれにも該当してない気がします。だから、もしかしたら私達と同じ自作アバターかな、と思ったのですが……

 

「うん、自作。最初は姉貴が作って欲しいってんでちまちま用意してたやつだったんだけど……」

 

 折角のVR、どうせなら普段とは全く違う美少女になりきってみたい……そう、お姉さんに頼まれて、作っていたアバターらしいです。

 

「では、あなたがなぜそのアバターを?」

「それは……姉貴、ハード注文直後に海外出張くらって、泣きながら出ていった出張先の海外で、もうあんな会社のことなんて知るかー! ってキレて向こうで旦那作って帰って来なくなったから」

「それは……また、災難でしたね」

 

 そして豪快なお姉さんですね……

 

「で、手元には空いているハードが一個あるじゃない。聞いたら好きに使っていいよーって放り投げられて、じゃぁ勿体無いし……って」

「あぁ……『Worldgate Online』は、海外展開していませんでしたからね……」

 

 自分の国でもサービス開始してくれ、って言う打診は結構あったらしいのですけども。

 

 そして、ハードが需要に比べ供給が著しく少なかったため、新たに自分用を注文しようとしても数か月……もしかしたら一年以上は手が出ない可能性があったため、それならありがたく……という事らしいです。

 

「機器登録時の性別と同じアバターしか作れないって知ったのはそのあとでしたけれど、もともとこんな感じのアバターでVRの実況動画配信なんかもやっていましたので、ネカマ自体はほとんど抵抗も無かったです。むしろ面白そうとノリノリでしたね」

 

 そう言う彼女から聞いた配信者の名前は……うわぁ、知っている方でした。結構昔から居て、アバターも頻繁に改修されており、高い完成度で有名な方です。

 なるほど……年季がお有りだったんですね、あの界隈は黎明期からの流れで、こうした性別の違うアバターを使用する事にも非常に寛容でしたから。

 

「アバターも、3Dモデルをあれこれ弄り回す経験はいっぱい積んでいましたし……そこを見込まれて姉貴に『最高に可愛いやつ』って注文を受けて何ヶ月も掛けた自信作でしたからね、この『ティティリア』は」

 

 お蔵入りはもったいないじゃん? と苦笑する彼女に、ぐっと両拳を握ってこくこくと勢いよく頷きます。分かります、よー……っく、わかります……っ!!

 

「あ、分かってくれる? まぁ、姫様もそうだもんねー……最初はね、応募しようとしたんだ、コンテスト。だけど怖くなってやめたの。ほら、世間ってネカマはバレると蛇蝎のごとく嫌われて叩かれるじゃん?」

「そう、ですねぇ……」

 

 ネットゲームにおいて、男性が女性キャラを使用するいわゆる「ネカマ」に対しては、かなり冷たい視線が付きまといます。逆に、女性が男のアバターを使用する分にはほとんど悪意は向けられないんですけでも。

 

 とはいえ、旧来の、ディスプレイを見て遊ぶゲームにおいては私達の時代では理解も進み、騙して利益を得ていたとかでもなければ、一部特殊な方々以外にはあまり気にされないようになっていたのですが……そもそも異性のアバターを選べないという前提のある『Worldgate Online』では、それこそバレでもしたら大騒ぎでした。

 

 だから丁寧な言葉で当たり障りの無い対応を心掛けて、人に恨まれるような事はしないプレイを心掛けていたら……気が付いたら、逆に完全に女性プレイヤーと勘違いされていたそう。

 本当は、自分は中身が男性だと公言できればよかったのでしょうが……先程の理由から、フルダイブ型のVRMMOである『Worldgate Online』でそれを言うのは並大抵ではない覚悟が要ります。

 

 こっちはそんなつもりは無かったのにねー、と力無く苦笑するティティリアさん。

 

 ……私――『柳』の場合は、そもそもアカウントの入れ替わりを主導しているのが綾芽だったから、何かあってもすぐにまた入れ替われば無理やり誤魔化せますし、あまり深く問題視はしていませんでしたが……姉が海外に行ってしまっているティティリアさんの場合、そうもいきません。

 

「だから……許してくれて、同性って認めてくれて、本当に嬉しかった。ありがと、姫様」

「……いえ、それならよかったです」

 

 ちくりと、胸に棘が刺さる。

 実は自分も……そう言えれば、どれだけ良かったでしょう。

 だけど……今の私は、彼女に共感できないし、それはかえって不誠実だと思ってしまう。私は自分を明確に()()()()()()()()()()ので、あの時の事ももう「ネカマ」と認識できなくなってしまっています。

 だから……真に彼女の苦悩は分かち合えない……で……しょ…………う…………?

 

「……あ……あれ? ……え?」

「ん? なんかした、姫様?」

「い、いいえ、何でも……ないです」

 

 今、私は何て思いました……?

 

「…………~~~っっっ!?」

 

 ばしゃん、と慌てて浴槽に潜る。

 

 そうだ、私は何で平然としていたのだろう。私も今、一糸纏わない、ティティリアさんという美少女と一緒にお風呂に居たのに……綺麗なものを見る事に対するドキドキこそありますが、不思議なくらい平然としていました。()()()()()()()、と。

 以前はあれだけ躊躇っていたフィリアスさんやレニィさんらと一緒に入る事も、あっという間に慣れて、ほとんど気にしなくなっていました……()()()()()

 

 じゃあ、例えば、そう、例えばですよ?レイジさんと今のような状況で一緒していて、平然としていられるでしょうか?

 

 脳内で、シミュレートして……み……

 

 無理、絶対無理ぃ!? 男の人と……()()()()()()裸でお風呂なんて、絶対無理!!

 

 少し前までは全然平気だったのに……え、いつから? いつからこんな事になっていたの!?

 

 認識してしまった。今まで、考えないようにしていたのに、今明確に認識してしまいました。私は……私を、女性と認識している。もう、気がついたら、男だった時の感覚があまり思い出せない。

 

 ――そうだ……私は、女の子だ。

 

 そして、自覚がないままであれば意識しないで、目を逸らしたままでいられたのに。そんな私が、恋愛対象にしているのは……今は……っ!?

 

「う、ぁ……ああああぁぁぁあああっ!?」

「ちょ、何でいきなり乱心してるんですか、姫様、姫様ぁ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 ――結局、すっかり混乱し、のぼせる前にとティティリアさんにお風呂から連れ出され、衣服を身に付けさせられたところで……ようやく我を取り戻しました。

 

「……落ち着きましたか?」

「はい……取り乱してすみませんでした……」

 

 うん、何もありませんでした。ありませんでしたとも。

 さっき考えてしまった事は、心の奥底に沈めて鍵を掛けてしまいましょう。ほら、これで元どおり平静に……

 

「……ん? ああ、イリス、ここに居たのか、レニィさんが、お前が見当たらないって心配して……」

「――ひぁああっ!?」

 

 背後から掛けられた慣れ親しんだ声に、ビクン! と、全身が跳ねました……平静なんてありませんでした。

 いつも通りのレイジさんの声。そのはずなのに……何故か、咄嗟にティティリアさんを盾にして、その背中に隠れてしまいました。

 

 ……あれ? あれ? あれ? あれ!?

 

 上気し赤く火照った顔や身体を見られるのが恥ずかしい。

 下着と薄い寝間着を羽織っただけの姿を見られるのが恥ずかしい。

 なんかもう素肌を見られるだけで恥ずかしいです。

 

 ……あ、駄目です、自覚しちゃうとこれ、本当にダメ……!

 

「……どうしたんだ?」

「……さぁ?」

 

 二人とも、首を傾げているみたいですが……私は、バクバクと狂ったように脈打つ心臓に翻弄され、それどころではありませんでした――……

 



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黒い翼の光翼族

 

【本文(255行)】

 一晩休んで沈んでいた気も静まり、約束通り、昨日何があったかを話すために、屋敷の一室で座って皆が来るのを待っていた私達でしたが……

 

「来ないですね……」

「そうだな……」

 

 カチ、カチと一定のリズムを刻む時計の音。

 こつん、こつんと指でテーブルを打つ音。

 

 どこか緊張を孕んだ静寂の中で、それらの音がやけに響き渡ります。

 沈黙が辛い。頭の中はぐちゃぐちゃですが、何か話さないとと気が焦り、恐る恐る様子を探りながら口を開く。

 

「あ、あの……レイジ、さん……」

「……どうした?」

「……っ、いえ。なんでもありません……」

 

 どうしましょう、顔が全然合わせられません。なのに、視線がこちらを向いていないときは、ついついその横顔を目で追ってしまって……何ですかこれ、本当に、何ですかこれ……!

 

 ……どうにか元通りに戻りたいのに、結局また話しかける事に失敗し、がっくりと机に伏せる。

 

「……で? なんで二人とも、わざわざ私を挟んで乳繰り合ってんの?」

「そ、そんなんじゃ無いです……!」

「……何のことだ?」

 

 先程から机に頬杖をついて、もう片方の手でテーブルをコツコツと鳴らしている、とてもとてもとても不機嫌そうに言葉を吐き出した、私達の間に座っている兄様。

 その棘のある言葉に慌てて反論します。その奥、兄様を挟んで私と反対側に座ったレイジさんは何のことか分からないと、頭に疑問符を浮かべていました。

 

「しかし……遅いな」

「遅いですね……」

 

 気まずい空間の中、未だ来ない皆を待つ時間は、果てしなく長く感じました――……

 

 

 

 

 

 そんな時間がしばらく……時計を見ると十分も経過していませんでしたが……続いた頃、ようやく部屋のドアが開いた事に、私達三人から三様の安堵の溜息が漏れました、が……

 

「悪い、待たせたな」

「あれ、ヴァルター団長? それにほかの人は?」

 

 部屋に入ってきたのは、団長とアシュレイ様とレオンハルト様のみ。他の方の姿が見えません。

 

「悪いな、俺があいつらに頼んだんだ。とりあえず俺達だけに話して欲しい。心配しなくても、必要だと思ったら俺達からあいつらには伝えるさ」

「は、はぁ……」

 

 微妙に釈然としない物を感じつつも、促されるままに、昨日話せなかった事を話し始める。あの坑道で『傷』を浄化する際に見た記憶。

 

 ――あの場所にあった『世界の傷』は、生き残っていたらしき、闇を固めたように黒い翼をした光翼族によって、人為的に開かれたものであった。

 

 その事告げると、部屋に重苦しい沈黙が降りました。

 

「……それは……表立って公表はできませんね。私達だけを集めたのは英断でした……光翼族が『傷』を生み出して人々を害そうとしているとなれば、民衆は酷く動揺するでしょう」

 

 机に肘をつき、目元を両手で隠したレオンハルト様が、沈黙を破り、頭痛を堪えているかのような難しい顔でそう評する。

 何せ信仰対象にまでなっており、滅んだ今でもいつか現れる事を渇望されている程で、その影響力は、私自身が誰よりも強く感じています。

 それが、救いの手どころか敵として再び現れる……人々に与えるその衝撃は、いかばかりでしょう。

 

「……まぁ、言えないよな。先王……アウレオリウスの奴も、それを危惧して俺らに口外しないようにと厳命したんだからな」

「……え?」

「俺は……そいつに出くわしたことがある。黙っていて悪かったが、約束でな……尤も、事こうなってしまった以上はだんまりってわけにも、な」

「ご存知、だったんですか……」

 

 ヴァルター団長が、ばりばりと頭を掻きむしり、深くため息をついて……ようやく、口を開きました。

 

「ああ、そいつは……名前くらいは知っていると思うが、『死の蛇』と呼ばれている、とんでもねぇ化け物を従えた悪魔みてぇな奴だったよ」

「死の蛇……ヴァルター団長が昔、先王陛下と共闘して撃退した、あの?」

 

 北大陸を荒らし回って、ヴァルターさんが多くの仲間達の犠牲と共に撃退したという、災厄の怪物の名前。

 名前以外が殆ど不明でしたが、その傷跡は未だ根深く、壊滅させられた土地は今もなお封鎖されています。

 

 ……ちなみに、ゲーム時代には、その一部が『禁域』という名を地名に冠し、他とは別次元の難易度を誇るエンドコンテンツのレイドダンジョンとして存在していました。

 

「……なるほど、当時の生き残りの関係者は揃って口を噤み、あれだけの大災害だったにも関わらず、公開された情報が僅かだったのはそのせいでしたか」

 

 どこか得心がいったという様子で口を開くレオンハルト様。

 

「ただ……彼らは長命な種族ですが、流石に何百年も生きているとは考え難い」

 

 そう、光翼族は確かに人よりも寿命が長くありますが、それでも百五十年……長命だった者でも精々が二百年程度だったと言われています。

 それ以上は、代謝が人とほとんど変わらない以上、一日に十万個程度と言われている、日々脳細胞が壊れていく事は避けられないため、脳が持たないのだそうです。

 

「ですが、お二人が七年前と姿が変わっていないように、何らかの事情によってもし本当に当時の生き残りの光翼族が居たのだとすれば……我々を恨んでいるとしても不思議ではないでしょう」

 

 そう、沈痛な面持ちで語る。

 

 光翼族――女神の使徒、世界で最も尊ばれるべき種族、世界の癒し手。そう呼ばれて下にも置かれぬ扱いをされ、崇め奉られていた彼らでしたが……そこに自由はほぼ無いに等しく、その実、彼らの歴史の大半は隷属にも等しい物だったそうです。

 特に旧魔導文明期の末期にもなると、種の個体数が減り、希少性が増した事でその血が当時の権力者の一種のステータス的な扱いとなり略取され、最終的にはどうにもならないほどに数を減らして監視下に置かれ、緩やかにその姿を消していきました。

 

 その生き残りが居たとすれば、その恨みはいかばかりか……その片鱗を、私は昨日、身をもって思い知りました。

 

「はい……凄まじい怨嗟の感情でした……昏くて、怖くて……だけど、悲しい」

 

 一晩経った今になって思い出しても、血の気が引き、まだ少しカタカタと体が震えます。人は、これだけの恨みを溜め込めるのだろうかと。

 

 

 

 ――貴様ら、よくも……よくも――を……! 呪われろ、貴様ら全て、呪われてしまえ――!

 

 

 

 以前見た夢の中で聞いた怨嗟の声が、頭の中でリフレインする。

 僅かに記憶に残っている、夢の中の彼の激しい憎悪の感情。それは『傷』の浄化中に感じたものによく似ていて……その『死の蛇』が彼であるならば、きっとその憎悪は微塵も削れてはいないだろうと私は確信しています。

 

 そして、本当に彼であるならば……それはおそらく、私の……

 

 

 

「正直、その境遇については同情もするが……悪いが、俺は奴を見逃すつもりはない」

 

 思考の底に沈んでいた意識が、ヴァルター団長のその言葉で引き戻されました。

 ぱっと顔を上げそちらを見ると、私を見つめるその表情は言葉とは裏腹に心配げで、皆の前で黙り込んでしまった私が落ち込んでいるのだと思われたのでしょう。

 

「……たった一人の同族と敵対することになる嬢ちゃんには悪いとは思うが、俺たちだって、そんな過去の怨恨でむざむざ大人しく滅ぼされたいなんて思っちゃ居ないんだよ。悪いな」

「……いいえ、大丈夫です、ヴァルター団長。私も……同じ気持ちですから」

 

 心配しなくても大丈夫だと、首を振って答える。

 開拓村のおばさま達、傭兵団のみんな、それにこの町の人たちだってそう。まだたった二つの町を巡っただけではありますが、それでも多数の人々と交流を持ちました。

 今はもう、過去の出来事と関係のない人たちが、この世界では一生懸命生きています。過去に悲しい事があったからといって、今生きている人達が滅んでいいなんてことは思えない。

 

「本音を言えば……戦いたくはありません。ですが、話し合いができず、戦わなければいけない時は、私は……私も……」

 

 ――戦う。

 

 そう口にしようとした時――ふいに頭に置かれた手が髪をくしゃぐしゃにかき回し、頭をぐらんぐらん揺さぶられました。突然の出来事に呆然としていると……

 

「それを口にするのはやめとけ、お前には似合わねえよ」

 

 横から伸びてきた、レイジさんの手でした。気持ちが微かに落ち着くのと同時に鼓動が少し激しくなるというよく分からない事態に、あ……と声が漏れたきり、何も言えなくなる。

 

「……悪かった、あんまり思い詰めるな……嬢ちゃん、今、酷い顔していたぞ?」

 

 正面に視線を戻すと、飛び込んできたのはヴァルター団長の心配そうな顔。

 

「え、あ……そんな、酷い顔していました……?」

 

 私の言葉に、一斉に頷く周囲。

 慌てて、知らぬ間に滲んでいた涙を指で払うと、知らぬ間に強張っていた顔の筋肉をむにむにと手で解して、どうにか普段の形を作る。

 

「……ところで、その……『死の蛇』が開けたという『傷』は、今回のものだけなのか?」

「はい、おそらく。今まで見た他二つの『傷』は、形状はもっと複雑に罅割れた形でしたし、今回のようにこちらに呼びかけるような干渉はありませんでしたから」

「そうか……まだ積極的に行動してないのであれば良いんだが、居場所が掴めない、どこにまた現れるか分からないのが問題だな……」

 

 団長のその言葉に、再び黙り込んでしまった皆。

 

「……ん? 他に二つ?」

 

 そんな中、不意にレイジさんが、何かに気が付いた様に声を上げました。

 

「ちょっとまてイリス、俺らが見たのは前の開拓村と、今回、この二つだけじゃなかったか?」

「え? …………あ あぁ!?」

 

 しまった、直後色々あったせいで、すっかり言いそびれていました……!

 

「すみません、言ってませんでした! その、こちらの世界に飛ばされた直後にもう一つ、小さな『傷』を見つけて浄化していたんでした……!」

 

 まだ一人彷徨っていた時の事はあまり思い出したくない出来事で、レイジさんや兄様も積極的に触れて来ることは無いために、伝えるのを忘れていました。

 その後に見た二つの『傷』と違ってごく小規模だったせいか強敵もおらず、私一人でも対処できるファントム一体だけでしたので、すっかり忘れていました!

 

「父上……これは」

「……うむ。できれば、私もお二方が王都へ戻るまでは同行したかったのだが」

 

 急に、今まで以上に険しい顔で視線を交わすアシュレイ様とレオンハルト様。もしかして私、相当に大事なことをやらかしたでしょうか……?

 

「あ、あの……何か、気になることが……?」

「イリスリーア殿下」

「は……はいっ!?」

 

 びくっと体が跳ね、最近やけにされる説教を受ける時みたいに背筋を伸ばす……なんだかすっかりと怒られ慣れて、条件反射みたいになっている事に自己嫌悪です……

 

 しかし、予想したお叱りの言葉は無く、代わりに片膝を着き謝罪の姿勢をとったアシュレイ様に、目をぱちくりさせる。

 

「申し訳ありません、ソールクエス殿下、イリスリーア殿下。私ども黒影騎士団は、やるべきことが出来たため、護衛の任から外れさせていただきます」

「それは……西の辺境の調査ですか?」

「はい」

 

 兄様の言葉に頷くアシュレイ様。

 

 このローランド辺境伯領の西、私達が過ごした開拓村をも通り越えてさらに西に行った所には、未だ国境の曖昧な手付かずの深い針葉樹林、そして険しい山脈が広がっています。

 その森を越えた先には、僅かに帰ってきた冒険家の話によれば、少数の原住民や妖魔たちの集落が点在している極寒の地が広がっているとのことですが、厳しい環境に隔てられ、ほぼ未踏の地となっています。

 そして……誰も足を踏み入れないということは、そこで何が起きていても分からないという事。

 

「……わずか一日で行き来できるような距離での立て続けの異常、それも自然発生となれば、もしかしたら知らぬ場所で進行している何かがあるやもしれません。念のため、装備を整え次第皆を率いて調査に向かおうと思います」

「あの、でしたら、もしお手伝いできることがあれば、その旅に私達も……」

 

 一緒に……そう言おうとしたところで、すっと手で遮られました。

 

「気遣いはありがたく思います。しかし、あなた方にはあなた方の目的があるのでしょう? 後々にお手を煩わせることにはなるやもしれませんが、調査は私どもにお任せください」

 

 その目には、断固として、何が起こるか分からない辺境に私達を連れて行く気はない、という意志が見て取れました。

 

「イリスリーア殿下、父上の指揮下にある黒影騎士団の彼らは、こうした活動の専門家です、お任せしましょう」

「……分かりました」

 

 そう言われて無理にとは言えません、レオンハルト様に諭され、渋々と引き下がります。

 

「ですが、どうか必ずご無事でお戻りください。あなたは……私にとっても一時は祖父も同然だった方なのですから」

 

 本当は、当時の詳細は覚えていないため申し訳なさは募りますが……ですがこれも本心です。

 

「……勿体ないお言葉です。その命、しかと私の胸に刻みましょう」

 

 そう、ふっと表情をほころばせて見せたアシュレイ様に、私も肩の力をようやく抜くのでした。

 

 

 

「……ところでお主、レイジといったな」

「お、おぅ?」

 

 立ち上がり、部屋を出ていくかに思われたアシュレイ様ですが、突如足を止めてレイジさんへと話を振ります。急に声をかけられたレイジさんが、慌てて返事をする。

 

「戻ったら……お主、私に後見を任せる気は無いか?」

「俺が? なんで、また……」

「お主には見どころがある、粗削りな原石を私の手で磨いてみたい、そんな一剣士としての欲求とあとは……まぁ、孫同然に思っている可愛い姫様への老婆心だな……おっと、私は爺であったか」

「は、はぁ?」

「ふむ、ちと耳を貸せ」

 

 そう言ってアシュレイ様が、レイジさんの耳元で何かを呟いたみたいですが、生憎私達には聞こえませんでした。しかし。

 

「――ばっ!? な、な……っ」

「どうだ、悪い話では無かろう?」

 

 にやり、といかめしい顔に悪だくみをする少年のような笑みを浮かべるアシュレイ様。レイジさんの慌てぶりと言い、一体何を言ったのでしょう?

 

「……あ、ああ……確かに、そうだな……分かった、考えとく……ありがとな、爺さん」

「うむ、良い返事を期待しておるぞ」

 

 そう言って、今度こそ、アシュレイ様は部屋から出て行ってしまいました。

 

 

 

「……あの、レイジさん!」

「……ん? どうした?」

 

 顎に手を当て、ぼーっと何かを考え込んでいたレイジさんの目が、呼ばれてようやくこちらを向く……うぅ、直視できない……見られているだけで、緊張して、喉がカラカラになる。でも……

 

「……あの、れ、レイジさんは……さっき、アシュレイ様に、何を……言われたのですか?」

「それは……その……」

 

 少しの間、レイジさんは何かを迷うように視線を彷徨わせていましたが、すぐに、つい、と私から視線を外し、遠くを見るような目で口を開いた。

 

「お前はさ……この世界ではお姫様だろ? だから……もし帰れなかった場合、お前とずっと居たいのなら、相応の身分は必要になるのかなって」

「……え?」

 

 最後の方は聞き取れないような小さな声だったため、聞き逃してしまいました。もう一度聞き返そうとしましたが……

 

「……いや! 何でもねぇ、忘れてくれ! それより、出立の準備しねぇとな!」

 

 そういって、慌ただしく出ていったレイジさん。

 

 

 

 

 

 ――結局、その後お互いにギクシャクしてしまい、ほとんどまともに会話することができないまま……戦闘の後始末や出立の準備に追われる中、あっという間に二日が経過して、私達もこの町から出立する日となっていました――……

 



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紅い男

 

 お世話になった方々への挨拶も昨日のうちに大体済ませ、迎えた出立の日の朝。

 

 ヴァルター団長たち傭兵団の皆は、ずっと働き詰めだったためにもう数日ここで団員の休暇を消化してから領都へ戻るそうです。先の戦闘で魔力枯渇しかけたミリィさんも、まだ本調子ではないため同様に。

 そのため皆とは一時のお別れで、今はここにはいません。

 

 すでにレオンハルト様麾下(きか)の兵たちの大半と、補充要員としてこの町に派遣されていた衛兵の皆さんは先に領都へ発ち、今は領主様の護衛(という事になっています)の騎兵隊のみが同行するみたいです。

 

 そんな事情によって、思ったより閑散としている、集合場所である東門の前を、時折敬礼してくる方々に微笑み返し、小さく手を振りながら進んでいくと……

 

「あ、皆さんこっちです、こっちー!」

「ティティリアさん! あなたも一緒に行くんですか?」

 

 大きく手を振って呼んでいるティティリアさん。小走りに駆け寄ると、彼女が両手のひらをこちらに向けて掲げたので、軽くパチンと手を合わせ、そのまま指を絡めてその滑らかく柔らかな手を握ります。

 

「ふふ、いつもは領主様と一緒の馬に乗せてもらうんですが、今日は姫様も居るし……こっちも良いかなって。いっぱいお話できるといいね?」

「はい、私も楽しみです」

 

 両手を繋いではしゃぐ私達。順調に行程を消化しても七日間という長い道のりですが、彼女も一緒ならあまり退屈もしなさそうです。

 

「……本当に仲良くなったな、二人とも」

「それはもう。一緒に色々と秘密を共有した仲ですから、ねー?」

「はい、もうすっかりお友達です。ね?」

 

 レイジさんの言葉を受けて自慢げに言い、にっこりと微笑みかけてきた彼女に、笑い返す。

 この数日、一緒に町を散策したり、一緒にお茶をしたり……一緒に色々と……そう、()()()愚痴を言い合って、付き従っていたレオンハルト様の怜悧な御顔に冷や汗を掻かせたりした私たちは、そう、もう親友と言っても過言ではないはずです!

 

 ……ちょろい? なんの事でしょうね? あとレオンハルト様は本当にごめんなさい。

 

「というわけで……あまりニブチンなままだと、お姫様取っちゃいますからね、騎士様?」

「……は?」

 

 突然言われた事が分からないらしく、頭に疑問符を浮かべるレイジさん。って、ちょっと待って!?

 

「あ、あのぅ、それは……まだ心の準備ができるまで秘密に……」

「あー、ゴメンゴメン、分かったから、そんな泣きそうな顔しなくても、ね?」

 

 あわあわと誤魔化そうとしていたら、軽く抱きしめられ、落ち着かせるように背中をポンポンと叩かれました。

 

 ……泣きそうにはなってないですよ?

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……なぁソール。俺、なんかしたか?」

 

 そんな、首を捻って呑気な感想を漏らしている当事者に、私は頭を抱える。

 

「……私も、イリスはともかくレイジまでここまで鈍いとは思っていなかったな……」

「……何の事だ?」

「自分で考えろ……なんでお前ら二人とも、お互いの事になると途端に鈍感になるんだよ、もう……」

 

 ワザとやってんのか、いい加減にしろ。

 あまりのじれったさに、衝動的に頭を掻きむしる。イリスには秘密にしてほしいと言われたし、私も当事者間で解決するべきだと思うから黙っているが……いっそ全部暴露してやろうかと半ば本気で考えながら、私は諦めにも似た気持ちで皆について行くのだった……

 

 

 

 

 ◇

 

「ふふ、皆様、仲がよろしいようで何よりですわね」

 

 割り当てられたという馬車へと向かいながら談笑していると、不意に掛けられた、おっとりとした女性の声。これは……

 

「おはようございます、皆さん」

「あれ……アイニさんと、ハヤト君?」

 

 てっきりこのままお別れだと思っていた二人が、私達に割り当てられた馬車の外で、旅装で先に待っていました。

 それと……ハヤト君よりもさらに小柄な、外套を纏った人が一人……

 

「それに……ガンツさん?」

「ウム、私モ一度、帰ルコトトナッタ。アイニ嬢共々、ヨロシク頼ム」

 

 胸に手を当て、小さな体にも拘らず何故か様になっている貴族風の礼をする彼に、思わず私もスカートを摘まんで軽く膝を折る。

 

「色々事情もありまして、私達も領都に一緒に行くことになりました。これからも、よろしくお願いしますね?」

「……ってわけだから、よろしく」

 

 そういつも通りふわふわとした様子で語るアイニさんと、そっぽを向いてそっけなく言うハヤト君。

 お別れじゃない、まだ一緒に居られることが嬉しい。けれど……

 

「診療所の方は、大丈夫なんですか?」

「ええ、町の皆からは惜しまれましたけれど、それは領主さまが新たに開業したいという方を推薦してくださったので、お任せしてきましたわ」

 

 なるほど……きっと、町の男性の方々はさぞやガッカリしたのでしょうね。

 

 レイジさんと兄様が、長距離の乗馬での移動に慣れたいと言って馬に乗る事を希望したため、それ以外のメンバーで馬車に乗り込みます。

 

 最後に私も乗り込もうとしたその直前、ふと背後を振り返ってみると……レイジさんが騎乗用にあてがわれた馬の首を優しく撫でながら、「しばらくの間、よろしくな」と語りかけていました。

 この数日、暇な時間ができるたびに練習を繰り返していたようで……すっかり乗馬が気に入ったのでしょう。その様子に、ふっと笑みが漏れました。

 

 

 

「……全員揃っているようですね」

 

 座席に座ると、自分の馬にまたがったレオンハルト様が、こちらの様子を伺っていました。

 

「あ、領主様、バッチリです!」

「レオンハルト様、お手数お掛けすると思いますが、よろしくお願いします」

 

 腰掛けたまま頭を下げると、彼はとんでもない、と、僅かに表情を緩めました。

 

「勿体ないお言葉です。領都までおよそ七日間、長旅になりますが、何かあれば遠慮なくお申し付けください」

 

 そう言うと、手綱を操って窓から離れていく。

 

「では……皆の者、此度はこの町での任務ご苦労だった。私達も帰還するぞ!」

 

 彼が手を掲げ、よく通る声で周囲の騎兵さん達に声をかけると、レオンハルト様の号令に合わせて歩み始めた騎兵と共に、馬車が静かに動き出しました。門を出て、ゆっくりと視界から離れていく町を窓から眺める。

 

「姫様は、こっちの方に飛ばされて来たんだよね? この世界の領都は本当に大きな街だから、きっと驚くよ」

「街、ですか……少し怖いですが、楽しみですね」

 

 向かうは、領都ローランディア……今居るローランド辺境伯領の、文字通りの中心地。

 この世界に来て初めての、多くの人が暮らす栄えた都市となるのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――その男は、一言で言うのであれば……そう、とても紅かった。

 

 一八〇センチメートルは優にありそうな長身に纏うのは白いシャツに黒のスラックス。それだけであれば普通なのだが、その上に、所々革や金属で補強された、鮮やかな赤いコートをまるでマントのように肩に引っ掛け、何やら長い……身の丈を超えるような、棒状の何かの包みを肩に担いでいる。

 まるで遊び人の様に軽薄そうな表情を浮かべたその顔には燃え上がる炎のような紅い刺青が頬に刻まれ、しかしそれでも尚、何処か気品すら感じさせるように整った顔立ち。

 その顔は肩よりもやや長いところまで伸ばされた豊かな深紅の髪に縁どられ、さらにそれを、顔の左半分を隠すように、これまた炎のような模様の紅いバンダナによって包まれている。

 

 ……美男子なのはおそらく間違いないだろう。しかし、その風情は、あまり積極的に関わりたくないような類の者に見えた――

 

 

 

「なーなー、兄ちゃん、またあのバリバリー、ズドン! ってなるやつ見せてくれよー」

「嫌だっつの、タダじゃねぇんだぞ。あと俺は忙しいの!」

「なー、この髪染めてないってマジ? なんでこんな真っ赤なの?」

「いて、痛ぇ!? オイ引っ張んな、こら!」

 

 

 

 ――ただし、イタズラ盛りそうな年頃の少年数人にぶら下がられ、引っ付かれ、困り果てていなければ、だが。

 

 

 

 

「だぁあ……ようやくどっか行ったか、ハゲたらどうすんだ、小僧どもめ……」

 

 何故か面白がって纏わりついてくる少年達を振り切って、目的の場所……町の中心にある噴水広場に来ると、今日も落ち込んだ様子で噴水の縁に座り込んでいる、十歳前後の少女の元へと歩み寄る。

 

「おい、ちみっこ。まーだベソかいてんのか」

「……え?」

 

 ノロノロと顔を上げた少女の前にしゃがみ込んで目線を近くすると、泣き腫らしたらしく真っ赤になったその少女の目の前に、小さな黄色い果実のついた薬草を突きつける。

 

 ……このちみっこの母親の、持病の薬に必要な材料なんだそうだが、最近になって群生地に魔物が住み着いて採取できなくなり、薬が高騰して手に入れれなくなっていたんだとかなんとか。

 

「ほい、これ、探してたミクラマ草の実。これで良いんだよな?」

「え……おじちゃん、本当に採ってきたの? 大人のひとたち皆、あそこはもう魔物の巣だから無理って言ってたのに……」

「大丈夫、そいつもきっちり始末してきた。もう町の連中も取りに行けるはずだぞ?」

「ほんと!?」

 

 ぱぁっと笑顔を輝かせ、俺を憧憬の眼差しで見て来るちみっこ。

 

 ……ま、余裕ぶっこいて向かってみれば、正面から突っ込んだら流石にヤバい数の魔物ががひしめき合っていて、遠くから見た瞬間顔が引き攣ったけれど、それは黙っとくか。

 問題は予想外に消費した弾代だが……実は懐が寒いのを通り越して凍え死にしそうだが、それもそっと心の底に仕舞っておく。

 

 途方に暮れてべそをかいている少女の前を通りがかっちまったのが運の尽き。

 見捨てるのも後味が悪かったので、ぱぱっと採取してきたが……ちっと足止めを食ったが、ま、この笑顔が見れただけでも悪い気はしない、そういう事にしておこう。でないと精神衛生上よろしくない。

 

「ふっふっふ。まぁ、俺様はすごーく強ぇからな。あと、おじちゃんじゃなくてお兄ちゃんな?」

「うん、おじちゃん!」

「あら……」

 

 おじちゃんは確定なのね……がっくりと肩を落とす。確かに、『向こう』じゃアラサーだったけどなぁ……っと、落ち込んでいる場合じゃねぇな。

 

「ほら、それより早く母ちゃんに持ってってやんな」

「うん、おじちゃんありがとー!」

「おう、母ちゃん大事にしろよー」

 

 何度も振り返って手を振りながら走り去っていくちみっこに軽く手を振り返しながら、荷物を抱え直して再び元来た道に引き返す。

 

「やー、良い事した後は気持ちいいなー……いいなー…………って、何やってんだ俺ェ!?」

 

 十分に、少女に依頼の品を渡した広場から離れたところで、我に返って叫ぶ。こんな道草喰ってる場合じゃねぇし!?

 気が気でない、こうしている間にも、きっと転生したてのレベル1で飛ばされたはずの『彼』がどうなっているか。

 

 ……っていっても、なぁ。

 

「広すぎるんだよ……この世界……」

 

 ひと月かけてようやく、南大陸『フランヴェルジェ』から北大陸『ノールグラシエ』まで来たが……ここから先が手詰まりだ。

 あの日あの時に『彼』が居た地点を考えれば、何事も無ければこの国内どこかに居るはずと思うが……それにしたって広すぎる。

 

 何の情報も無しではどうにもならない。とりあえずは、転生の間のあった神殿を目指して西へ行ってみるしかねぇか……

 

 そう行動方針を決めると、そういえば朝から何も食っていなかったことを思い出した。

 その辺の道端の柵に腰かけ、何の肉か良く分からないが、とりあえず安かったので買い込んでいた謎肉ジャーキーを取り出して、齧る。途端に口に広がる燻製の香りの中に、香辛料と凝縮された赤身肉の旨味。

 

 しかしこのジャーキーもそうだが、野営用の干し肉……石のように硬く、塩辛いため煮込んでスープにでもしなければ食えたもんじゃない……もだいぶ残量が心許なくなってきた。いいかげん、どっかで金稼がねぇと自給自足の狩猟生活になりそうだ。

 

「はぁぁ……どっかでぽろっと情報流れてこねぇかなぁ……」

 

 が、しかし……このノールグラシエ王国の二番目に大きな都市である、交易都市コメルスを発ってやや西方、程近い場所にあるこの町の、住宅街の昼下がりはとても穏やかな時間が流れていて、耳に入ってくるのは子供の遊ぶ元気な声ばかり。もっちゃもっちゃと硬い肉を齧りながら、ぼーっと空を眺めて黄昏ていると……

 

「……なんじゃ、若いのが道端に座り込んで」

「……あ?」

 

 不意に背後からかかったしゃがれた声に、まさか自分のこの風体で話しかけられるなどと思っていなかったために、間抜けな声が漏れた。

 

 

 

 

 

「やー、助かったぜ爺さん」

 

 ガタガタと荷馬車に揺られながら、救い主……行商人だという爺さんに礼を言う。

 なんでもさっき俺があのちみっこに薬草を渡すのを見ていたらしく、たまたま目的地が同じで、西の方へ行くのだという事なので、護衛代わりに乗せてもらったのだ。

 

 ……情けは人の為ならずってのも、あながち間違いじゃなかったな。おかげで徒歩で何日も歩かなくて済んだ。

 

「爺……まぁいいか。ところで、どこまで行く予定なんじゃ?」

「どこまで行けばいいかな……とりあえず、ひたすら西だな」

 

 最悪、『彼』があの日に居たはずの、転生場所であった神殿までとりあえず遡って進んでみて、それで見つからなければまぁその時はその時だ。

 

「ってことは、ローランド辺境伯様の領か」

「そうそう、そっから先は進むかどうするか迷い中だ」

「そこから更に西って……そっちに行商してる儂が言うのもなんじゃが、その先は何も面白いモンは無いぞ? 海を渡って西大陸に渡ったほうがまだ……」

 

 そこまで語ったところで、爺さんがふと言葉を止めた。

 

「……いや……そういえば……もう半月以上も前の話なんじゃが、ちょいと所用で辺境の村に木材の買い付けに行ったときに、辺境にはずいぶんと不釣り合いな、えらい綺麗な娘さんを見たのぅ」

「……あ?」

「それと……その帰り、国境に向かう途中で後ろ……村の方がなんだか強く光ったと思ったら、スッと疲れや腰の痛みが綺麗さっぱり吹っ飛んだが……何だったんじゃろうな、あれは」

「それだぁ!!」

「ぬぉっ!?」

 

 爺さんが驚いてこちらを振り返ったが、こっちとしてはそれどころでは無い。詰め寄ると、その肩を揺さぶる。

 

「なぁ爺さん! あんた、そのローランド辺境伯領まで行くのか!?」

「あ、ああ……そのつもりじゃが」

「……頼む! 俺もそこまで乗せて行ってくれ! 何なら護衛代わりなんて言わずきっちり護衛もしてやる、報酬は最低限の食事だけで構わねぇ!」

「そいつぁ……儂としてもありがたい話だが、いいのかい兄さん?」

「ああ、頼む、この通りだ!」

 

 荷台に膝を着き、床に額が触れるほど頭を下げる。

 

「……まぁ、事情は分からんが、そういうなら。それと、正規の相場の護衛料はちゃんと払うぞ?」

「ありがてぇ!」

 

 ああは言ったものの、『こちら』に飛ばされた際に所持金は無くなって、今は手持ちの物から金になりそうな物を売り払って食いつないでいる身だ。あって困るものではないし、ありがたく貰う事にする。

 

「しかし、兄さんの担いでるその荷物……ものすごい長さじゃな、槍か?」

「……ん? これか?」

 

 爺さんが、俺の担いでいる包みを指さしてそう尋ねる。頼もしいズシリとした重量を肩に伝えて来る、俺の相棒。

 

「槍じゃねぇよ、もっとスゲェもんだ……ま、爺さんが腰を抜かすといけねぇから、出番がないのが一番だけどな」

 

 なんせ人に使うには威力過剰過ぎる。襲ってくる悪党に容赦する気も無いが、使わずに済むのであればそれに越したことは無いだろう。

 

 ……弾代がもったいないし。

 

「……なるほど、南大陸の兵器か」

「ん、分かっちまうか?」

「そりゃの……お主、魔族じゃろ」

「あー……バレてたか。そうだよ、ほら」

 

 髪とバンダナに埋もれるように隠した角を見せてみる。爺さんはあまり気にした風は無いが……

 

「……こっちではあんまり大っぴらにしない方が良いか?」

「いや、問題ないじゃろ。今時、天族だ魔族だで諍いなどそうそう起きんよ。ただ……」

「……ただ、何だ?」

「数年前、儂らの国の『宝石姫』様にしきりにプロポーズをしていた南の国の馬鹿王子のせいで、多少評判は良くないがのぅ……あ奴が姫様と同時期に失踪したせいで、当時は『あの野郎が攫ったにちげぇねぇ、ぶっ殺してやる!』と、それはもう酷い評判じゃったわ」

 

 やれやれ、と肩を竦める爺さん。

 

 ……マズい、めっちゃ覚えある。冷や汗が止まらない。

 

 これって、あれだよな。ゲームの時のイベントなんかで顔を合わせるたびに、俺がプロポーズしては即「ごめんなさい」と断られるのが一種のお約束になっていたんだが……なんでこっちで実際にあった事になってんだよ……!

 

「あー……あぁー…………」

「なんじゃ、変な顔して……まぁ、あまり期待はしとらんが、よろしくな兄さん。えぇと……」

「っと、そういや名乗ってなかったな。俺はスカーレット……スカーレット=フランヴェルジェだ、スカー、って呼んでくれ」

「…………ん? ……フラン……ヴェルジェ?」

 

 ……まぁ、気付くよな。南大陸と……そしてその全てを統べる大国と、同じ名を持つ者の出自など、(カタ)りでなければ他の可能性はまずありえない。

 

 ごくりと、喉を鳴らす。さっきの話の後だとおっかないけれど、折角こうして善意で馬車に乗せてもらった手前、ここで誤魔化すのもなんか嫌だ。

 

「……あー、その……多分。あんたの言う、南の馬鹿王子だ」

 

 ――この後、めっちゃ馬車から蹴落とされそうになり、必死に説得した。死ぬかと思ったぜ……

 



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穏やかな景色の中で


 若干、この次の話と時間が前後します。


 

 

 

「あの、アイニさん、これ……本当に、やらないと駄目、ですか……?」

 

 華美さよりも、質実剛健さを感じさせる城の一室。

 今は厳重に錠が施され、外から覗き見る事ができないように分厚いカーテンで締め切られている。それどころか、この階への立ち入りは一時的に禁止されたという厳重な警戒態勢が敷かれているそうです。

 そんな部屋で私は今、アイニさんと向き合って座らせられていました。

 

 ここで行われていたのは、私の身体検査です。この厳重な警戒は、万が一にも聞かれたくない会話や、流出させられない記録を扱うためだそうですが……そこにもう一つ、万が一にも不心得者に覗かれたりしないように、というのもあるのだそうな。

 

 しかし、もう半刻近くワンピースの裾を握りしめて俯いている私に、困ったように苦笑いしている気配を感じます。

 検査用に採血などもされていく中、最後に残ったこの案件。これが終わらなければ、彼女はこの検査を終えることが出来ません。

 私も、決してその仕事の邪魔をしたいわけではないのです。ですが……悪いと思うんですが、これは、本当、無理……っ!

 

「……ごめんなさい、恥ずかしいとは思いますけれど、これもある種、貴女を守るためでもあるの」

「……それは、解っているんですけど」

「ご安心ください……一応、これでもプロを自認していますので」

 

 スッと、彼女の雰囲気が変わった気配に、びくっと肩が震える。

 柔らかな笑みを浮かべているのは変わりませんが……纏っている空気は、職務に携わる者として断固として引く気はないという固い物。これ以上、迷っているのはアイニさんに失礼ですよね……

 

「…………分かりました」

 

 ふぅっ、と緊張を落ち着けるように、深く息を吐く。意を決し……ぎゅっと、硬く目を瞑り、スカートをそっとたくし上げました。

 今はその診察着代わりの薄いワンピースの下には下着を履いておらず、人前で、秘されているべき「そこ」が、何も守る物がなく外気に晒された感触に、ひっと小さな悲鳴が口から漏れる。

 

「それでは、失礼します……力を抜いてください」

 

 その言葉に、硬く目を瞑ったままふるふると首を振る。無理、恥ずかしくて死んでしまいそう……しかし、そんな私の状態を他所に、彼女の指がそこに触れ――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……落ち着きましたか?」

「はい……お手数お掛けしました……」

 

 未だに責め苛む羞恥心によって滲んだ涙を拭い、顔を上げる。いつまでも凹んでいるわけにもいきません、一つ深呼吸して気分を切り替えます。

 そうしていると、控えめなノックの音。そして、男性の声。

 

「失礼、もうよろしいですか?」

 

 そう扉越しに尋ねて来るのは、領主であり、この城……領都に聳え立つ、このローランディア城の主であるレオンハルト様の声。

 どうする? と目で尋ねるアイニさんに、頷きます。

 ちなみに服はすでに着替えを済ませ、今はきちんと下着を身につけた上にブラウスとロングスカートという普通の格好ですので、何の問題もありません。

 

「大丈夫です、レオンハルト様。どうぞお入りください」

「……では、失礼します」

 

 アイニさんが許可を伝え、ようやく入ってきたレオンハルト様は……すぐに跪いてしまいました。

 

「……その……イリスリーア殿下……色々と、お手数おかけして申し訳ございませんでした」

「いえ……必要なことだと、分かってはおりますので……大丈夫ですから、顔を上げてください」

 

 心底、申し訳ないと思っているらしい彼の言葉に、もじもじと指を合わせて俯いてしまう。

 

 ……ええ、必要な事なのはわかっています。

 

 貴族や王族の女性の純潔は重い。そして私は年単位で姿を隠していた王族の未婚女性で、しかも実際に悪漢にさらわれたりもしている以上、『それ』は重大な懸案事項で……最優先で確認するべき案件だったという事も。

 

 貴族……それも王族ともなると、その純潔というのは非常に重大事となってしまう。

 特にこの世界の王族というのは、「光翼族の血を継ぐ」存在であるため、その血統に疑念の余地が入り込むことを許されず、なおさらにその傾向が強い。

 実際、過去には未婚の王族がどこぞの馬の骨とも知れぬ者に純潔を奪われると……自害を求められ、あるいは公的には病死扱いの上で監禁され、一生を幽閉されて過ごす、などという時代も存在していたそうです。

 今はそこまでの事はしていないようですが……それでも、純潔を神聖視する風潮は根強いそうで、こちらの意思がどうあれ、「婚前交渉をした身持ちの悪いふしだらな姫」などという風評が立ってしまうと、いつどのような目に逢うかは分からないそうです。

 

 当然それだけのリスクが私の側にある以上、その貞操を害するというのは非常に重い罪なそうで……なんでも、合意無しでの無理矢理に事に及んだ場合、数代遡った一族郎党全て処分対象、それもそのほとんどが死罪という事になるらしく、その話を聞いて血の気が引く思いがしました。

 だから、その操を証明することが身を守る事でもあるというのは間違いではない……間違いではないのですが。

 

 だけど……それでも、同性とはいえ、あんな……あんな……っ!

 

 ……救いは、そこは流石はプロだけあり、アイニさんは何事も無かったかのように、表情も変えずに手早く済ませてくれた事でした……

 

「それで……ごほん、アイニ嬢、結果は?」

「はい、元々の脚の不自由を除いて、健康状態()()()()()()、行方不明になられる前と変わりませんわ」

「そ、そうか……ならば良い」

 

 頑なに、私と目を合わせようとしないレオンハルト様。私も今は、男の人と視線を合わせる気にはなれません。

 相当にぼかされていますが、要するにこれは、私が……であるという報告な訳で、いたたまれないです……

 

「この城に保管されていた魔力パターンともほぼ合致しましたし……遺伝子検査は王都での検査待ちですが、現時点でもイリスリーア殿下ご本人と断定してもよろしいでしょう。選定官の一人として、私が保証します」

「そうか……私も、君の発言を信じ、選定官の一人として認めよう。そう陛下に報告しておく。君もご苦労だった」

「いいえ、これが私が招集された理由ですから」

 

 そう言って微笑む彼女。

 馬車内で聞きましたが、彼女が診療所を人に任せ、私達と共に来たのは、こうした方面で私のサポートをするため……要するに、主治医代わりらしいです。

 

 

 

 ちなみに選定官とは、この国における次期国王を決める際、王位継承権を有する王族から選出される候補の推薦権と、投票権を持つ方々です。

 そのため、実はこの国では「王位継承権」を持つ王族は居ても、そこに「第何位」というものは存在していません。全てが(建前上はですが)平等に扱われます。

 

 以前は選定侯と呼ばれ、三つの侯爵家と、それに準ずる権限を持つ三つの辺境伯家の一族、それと女神アイレインを信仰する教団からそれぞれ代表で一人ずつの、合計七名が専任されていたそうですが、現在ではその範囲を広げ、民間(その殆どは都市部の長の事が多い)から数人と、騎士団の長、文官の長、継承権を持たない王族の遠縁からも一人が任命されているのだそうです。

 

 

 

 その選定官の中の一人、王族の遠縁枠であるアイニさんが、検査の結果私の魔力パターン……個人ごとに異なるらしい、体内魔力の波長と性質……が残っていた記録と一致したことを認め、もう一人、レオンハルト様がそれを確認された事で、私は正式に王室に復帰し、王位継承権を付される事になります。

 

 ……これが、果たして良かったのか悪かったのか。

 複雑な気分ですが、少なくとも、偽物が王族の名を騙ったと処断される事は無くなったと見て良いのでしょう。

 

「……どうかなさいましたか?」

 

 二人が事務的な会話を続ける中、すっかり黙り込んでしまった私に気が付いたレオンハルト様がそう声を掛けてきました。

 

「……え? あ、いえ……少し、考え事を。風に当たって来たいのですが、よろしいでしょうか?」

「それでは、部屋を出て右手の階段を上った先にあるバルコニーへ出るとよいでしょう。今日はよく晴れていて、風も穏やかです。丁度良い温かさですよ」

「ありがとうございます……少し、行ってきますね」

 

 護衛をするため動き出そうとしたレオンハルト様を、大丈夫と視線で制し、部屋を後にしました。

 

 

 

 

 

 階段への道は……まるでこの体が覚えているかのように迷いなく足が動き、すぐに到達しました。

 

「……イリス? もう検査は終わったのかい?」

 

 いざ、階段を登ろうとしたその瞬間、反対側の廊下から慣れ親しんだ声がかかりました。

 

「あ、兄様も検査は終わったみたいですね」

「ああ、何事も問題なく、『ソールクエス殿下』であることが証明されたそうだ」

 

 やれやれ、と嘆息する兄様。

 そんな兄様も目的地は同じらしく、自然に差し出されたその手を取り、エスコートされながら階段を上り始めます。

 

「これで、お互い王位継承権所持者、正真正銘の王子様、お姫様だそうだ……はは、参ったね……今までも殿下殿下と言われて少しは慣れてきたつもりだったけれど……」

「とうとう、本当になってしまったんですよね」

 

 どうにか、苦笑の形を作る。

 階段を上った先の廊下を、のんびりと二人で歩く。この階は、物見台と、山肌に併設されたこのローランディア城の屋上、ルーフバルコニーがあるだけなので、とても静かです。

 

 ……何故か、そのことを知っています。隣の兄様も同様らしく、その歩みには迷いがありません。

 

「バルコニーはここか。ほら、段差があるから足元には気を付けて」

 

 外へと続く出入り口から先に外に出た兄様が、ひょいと私の手を取って、外……良い風の吹いているバルコニーへと引っ張り上げてくれました。

 

「わぁ……」

「凄い景色だな……」

 

 外に出ると、そこに広がっていたのは屋上に設けられた空中庭園。そして……山の麓、斜面を利用して建てられたこのローランディア城は高い場所にあり、ここから街の様子を一望できます。

 そのため、このバルコニーからは街を全て見渡すことができ、人の営みと、街を囲む大河。そしてそこより更に外に広がる穀倉地帯の生み出す絶景が広がっていました。

 

 小走りに柵まで駆け寄ると、手摺を掴んでその光景を覗き込む。

 丁度、街では住人がお茶を楽しんでいるであろう今の時間。初夏の日差しはさほどきつくも無く穏やかに体を温め、静かに吹いて優しく髪を揺らす風がとても心地良い。この風景も相まって、気持ちの良い時間が流れていきます。

 

 だけど……その穏やかなはずの光景が、何故か私の心を騒めかせる。それは兄様も同じようで、どこか遠い眼をしてこの光景を眺めていました。

 

 今、何よりも私達を戸惑わせるのは……

 

「なぜでしょうか、この景色を懐かしく感じるのは……」

「そうだな……」

 

 ――そう、何よりも私達を戸惑わせるのは……私達にとっては異世界であるはずの、そして初めて立った場所であるはずのこの場所を……まるで以前にも知っていたように、なぜかひどく懐かしいと思ってしまうこの心でした――……

 

 

 

 

 

 

 





 一体何があったのかはご想像にお任せします……
 制度については、参考にしているものはありますが、独自のものになりますので注。


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優しい場所

 

 もうすぐ目的地である領都へ到着すると言われてから一刻ほど。

 しばらく、このノールグラシエ王国を南北に分断している、(そび)え立つ連峰を背景に、見渡す限りの麦畑が続く穏やかな道を進んでいました。

 時折すれ違う畑仕事へ向かっていると思しき荷馬車の荷台から、興味深そうにこちらを覗き込んでくる子供に軽く手を振ってみたりしながら、馬車に揺られていると……

 

「わぁ……あれが、領都……!」

 

 目的地であった領都らしき建造物が見えてきました。

 まず真っ先に見えたのは、山の斜面を利用して建てられている白亜の城。

 しばらく進んでいくと、一面の麦畑の景色を割り開き、巨大な都市部の外壁が見えてくる。

 そしてその手前には、壁に沿うように大きな川が流れています。

 

 この領都ローランディアは、背後、北に険しい山々が聳え立ち、東西にその山脈から流れて来て合流する二本の川に囲まれた立地をしています。その出入り口は、東西二本ずつ存在する跳ね橋しかなく、守るに適した町の防衛に主眼を置いた作りになっているらしいです。

 

 そうした戦闘を視野に入れた造りは流石に国境付近の領土らしいのですが……一方で、その立地を巧みに利用した外観は、それ自体がまるで一個の絵画のように美しい、そんな街でした。

 

 ……そういえば、今までバタバタしていたためにそれどころでは無く、しばらく筆を持っていませんでした。時間が出来たら画材を集めて、久々に何か描いてみるのも悪くないかな……そう胸が躍ります。

 

「どう、イリスちゃん、すごいでしょ」

「はい、ティアさん! 凄い、綺麗です……!」

 

 背後で自慢げにしているティティリアさんに、興奮冷めやまぬまま返事をする。

 

 ……ちなみに、ここ数日でティティリアさんとはとても仲良くなっており、今では彼女は私のことを姫様とは呼ばず名前で呼ぶようになり、私も、彼女の要望で名前を縮めて呼ぶようになっていました。

 

「さて、イリス様、ここから先は外套のフードを」

「あ……はい、そうですね」

 

 反対側に座っていたアイニさんから、顔を隠すように促され、いそいそと、外套のフードをしっかりと目深に被ります。

 ここローランディアでは、一時ここで暮らしていたらしい私の顔は広く知れ渡っていますので、今までの町と違って、顔を見られればおそらく一発でバレます。

 まだ「イリスリーア殿下」としての真偽が不確かな現状、極力騒ぎになるのを避けたいと、正体を隠しておくことになっていました。

 

 そうこうしているうちに、巨大な架け橋を渡り、外壁の門へと到着していました。

 先頭を行く領主様の姿を見た兵の皆が敬礼を送る間を抜けて……メインストリートへ。

 

 ……あ、れ?

 

「……ここ……すごく、見覚えがある」

「……ん? そりゃ、だいぶ広くなってるけど、ゲーム時代も拠点の街だったからじゃない?」

「それは、そうなんですが……そうじゃなくて、もっとこう……郷愁? 凄く、懐かしいような……」

 

 まるで、実際にここに住んでこの光景を見ていたかのような……そんな、不思議な感覚に首を傾げるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「はぁ……」

 

 もう何度ついたか分からないため息が漏れる。

 

「どうした、レイジ。溜息なんかついて」

「いや……ここまで、ほとんど話が無かったなと思って」

 

 ちらっと馬車の方を見る。窓からちらりと見える、金髪の少女と楽しげに話しているイリスの姿。

 

 ……ここの所、ずっと避けられている気がする。

 

 会話は事務的な報告の時くらいで、それも必要な話が終わればすぐイリスが俯いてしまい、何か理由を見つけてはそそくさとどこかへ離れていってしまう。

 かと言って……俺の目の届かない場所には行かないし、時折向こうを見ると、高確率で目が合う。だから嫌われているわけではないと思いたいが……しかしその後バッと逸らされるため、疑問符が頭の中に踊りっぱなしだ。

 

「俺、何か避けられるような事しでかしたか……?」

「あー……まぁ、別に嫌われた訳ではないから安心しろ、な?」

「そうなのか? まぁ、お前が言うならそうなんだろうな、サンキュ」

 

 こいつが、イリスの事で何か見落としたり見誤ったりはそうそう無いはずだ、そのソールが断言するのなら……そう自分に言い聞かせると、頬を叩いてひとまずのモヤモヤを振り切る。

 

 先を見ると、いつのまにか街を抜けており、先頭を進む領主様が、その入り口でこちらに気がついた衛兵と会話中だった。

 

「お帰りなさいませ、レオンハルト様」

「ああ、皆も留守中ご苦労だった」

「それで……こちらの方々は?」

 

 俺達、見知らぬ者の存在をいぶかしむ衛兵に、内心冷や汗を掻きながら頭を下げる。

 

「心配いらない、彼らは私の客人だ。先に伝令は遣ったと思うが……」

「あ、はい、承っております。言われた通り、部屋の支度も滞りなく」

「うむ、では……予定通り、少しの間人払いを頼む」

「はっ!」

 

 ビシッと敬礼を返し、衛兵たちがそれぞれの持ち場へと戻っていった。

 兵たちの手を借り、馬車から降りて来る女性陣の様子を視界の端でとらえながら、俺達も馬を降りる。さっと手綱を預かってくれた兵たちに馬を任せ、領主様に続いて入城した。

 

 ちなみに、ハヤトはこの時点で「城の中とか堅苦しそうだから、馬の方を手伝って来る」と兵士達について厩舎の方へ行ってしまった。

 ……直前、アイニさんと何か目配せしていたように見えた気がするが、あの人は「あら、まあ」と微笑んだきり何も言わないし、聞きだせる気はしないので諦めた。

 

「へぇ……こうなっているのか」

 

 景観を意識してだったのだろう。外観は美しく見えたその城は、中に入ると落ち着いた質実剛健な内装をしていた。

 

「さて、それではアイニ嬢、殿下たちのことは頼みます」

「はい。ではソール様、イリス様、疲れておられるとは思いますが、私について来てください」

 

 そう言ってさっと二人の手を取るアイニさんに、戸惑いながらイリスとソールが引っ張られていく。

 

「あ……あの、どちらへ?」

「心配なさらないでください、ちょっとした検査ですわ」

「は、はぁ……」

 

 そう戸惑った様子を見せながら、アイニさんに穏やかながら有無を言わさず連行されたイリスとソールが、廊下の先に消えていく。

 ティティリアというらしい女の子も、何やら領主様と意味ありげな視線を交わすと「自室の様子を見てくる」と姿を消してしまい、あれよあれよという間に俺一人、領主様と共にこの場に取り残された。

 

 ……さて、俺はどうしたらいいだろうか。残った者同士話をしようにも、領主様の鋭い目つきはまるで怒りを湛えているように見えて、話しかけ難い。そう途方に暮れていると、ポンと肩を叩かれた。

 

「さて……特にやることも無いのであれば、君はすこし私に付き合ってもらいたい。構わないかな?」

「あ……はい、大丈夫ですけど」

「よろしい、ではついて来たまえ」

 

 そう言って歩き出す領主様の後を、慌ててついていく。

 

 

 

 

 

 ――階段をいくつか上り、どうやら城内の関係者の部屋などが並んでいるらしき場所を抜け、渡り廊下を通過して……離れのひとつ、他よりも少し豪華な廊下へいつの間にか迷い込んでいた。

 おそらくは、辺境伯家のプライベートな一角らしい建物へと連れてこられていたらしい。

 

「あの、領主様……一体、俺をどこへ……」

「レイジ君、と言ったね」

「は……はい!」

 

 突如かけられた声に、ぎくりと背筋が伸びる。

 

 そんな領主さまは、こちらのそんな様子などお構いなしに、立ち並ぶ部屋のドアの一つに手を掛け、扉を開いた。

 そこは……書斎だった。おそらく領主様の物なのだろうが、蔵書量が半端ではない。

 しかも、歴史に経済学、政治情勢について……お堅いタイトルの並ぶ部屋。

 見るからに真面目で誠実そうなこの人は、この領地を運営するために、勉学も妥協していないのだろう。

 

「父上は出立前、君に何を言っていたか……もし良ければ聞かせてもらえるだろうか」

 

 そんな書斎の棚……主に、歴史書のようだ……の一つの前に立ち、何かを探すように、綺麗に整頓されて並ぶ本の背表紙をなぞりながら、領主さまがそのようなことを言った。

 

「それは……」

 

 そうだ、もしあの提案を受け入れることになった場合、この人は無関係ではないのだった。あの老剣聖の実の息子なのだから。

 

「もし俺があいつの……イリスの傍にずっと居たいのなら、自分の養子とならないか……そう、言われました」

「……やはりですか。っと、ありました」

 

 そう言って、領主様は本の一冊を抜き取ると、手と視線で、ローテーブルを挟むように配置されたソファの一つに座る様に促したので、恐る恐る腰かける。上物らしいそのソファは、体重をかけると柔らかく体が沈みこんだ。

 

「さて、本題に入る前に、一つあなたの気持ちを確認させてもらいたい」

 

 領主様が、本をテーブルに置くと、口元で組んだ両手で隠すようにして、真剣な表情でこちらを見つめながらそう口を開いた。

 その目は一切の冗談を含んでおらず、その鋭い目つきに、ごくりと固唾を呑む。

 

「レイジ君……君は、あの子……イリスリーア殿下をどうしたい?」

「それは……っ」

 

 聞かれるとは思っていた。

 この人は、何故かこちらに一時期存在していることになっているイリスの、一時の親代わりを務めた人だ。

 そんな人が、王族の家系であり、一時は娘同然の関係だったあいつに付き纏っている俺の存在を疑問に思うのは、当然なことだ。

 

 だけど、どうしたいか……俺は……

 

「俺は……あいつが望むのならば、何だって……」

「違いますね」

 

 びしりと、発言をシャットアウトされた。領主様の強面の顔の、切れ長の瞳が、まるで何もかもを見透かしたようにこちらを射抜く。

 

「そのような当たり障りのない言葉など必要ない。もう一度、お聞きします……()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 俺は……

 俺は、どうしたい?

 

 ぐるぐると思考が回る。

 だから……難しく考えるのは、辞めた。

 

「……俺は……あいつの傍に居たい」

 

 ぽつり、と言葉が漏れた。一度口にしてしまうと、次々と衝動が沸き上がってくる。

 

「そうだ……あいつから離れたくない、誰にも渡したくない……あいつは、俺のだ、俺が……他の誰でもない俺が! あいつを幸せにしてやりたい!!」

 

 思わず立ち上がり、衝動のまま叫び……そこで、我に返った。

 

「あ……あれ、俺、すんません!」

 

 

 やっちまった。侯爵相当の権力を持つ大貴族の前で、その国の王女を、一介の剣士が「俺のだ」などと、不敬に処されても文句も言えない。

 慌てて頭を下げる。ダラダラと額から冷や汗が零れ落ちた。

 

「……ふ、ふふ、心配しなくてもいい……良い答えです」

 

 しかし予想に反して、領主様は俯いて、口元を隠したまま肩を震わせていた……これはまさか、笑ってる……のか?

 その様子に、はぁっと肩の力を抜く。何年か寿命が縮んだ気分だった。

 

「でも、あいつはお姫様で、俺はそういうのは特にないですけど……そういうの、やっぱり周りが認めないんじゃないですか?」

「それなのですが……実のところ……君は、既に彼女の隣に立つ資格は得ているのですよ」

 

 そう言って、先程取り出してきた本を捲り、あるページでその手を止めると、本を開いた状態でこちらへ見せる様にテーブルの上に置いた。

 

「こちらは、現在まで残っている光翼族の資料の中で、最も信がおけると言われた書籍です」

 

 見てごらんなさい、そう勧められて、本を手に取る。そこに記されているのは……

 

「……これは、アルヴェンティア、ですか?」

 

 今の、俺の愛剣。イリスから託されたその剣の挿絵が入れられた文書だった。

 

「セイブザクイーン。あなたが、あの子から託された剣です。この文献が確かなのであれば……その刃を抜く資格というのは……その代の御子姫が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、です

「……それ、は?」

「あの子が、あなたを選んだ……という事ですよ。既にね」

「あ……え? ちょっと待て、それって……!?」

「もっとも……本人にその自覚があるかどうかは分かりませんけどね。本当にその立場に立てるかどうかは、今後の貴方の努力次第です」

「そうか……ああ、そうだな」

 

 避けられている事が不安だったが、今でも剣はきちんと抜ける。

 この剣を俺が抜けるという事は、あいつは俺の事を、少なくともずっと一緒に居ることを認めている位には信用しているという事で、今後そういう仲に進展させれるかは俺次第、と。

 その事が分かっただけでも、今は十分だ。

 

「だけど、それだけを根拠に、他の人達が認めるんですか? その、王様とか、貴族の人達とか」

「はい。この書によると、元々、敬われながらも殆ど主権というものを認められていなかったらしい光翼族ですが……御子姫の一族の事についてだけは、本人の意向が最優先とされていたそうです。少なくとも、建前上は」

「それは……なんで、また」

「彼女たち一族の遺伝形質が……何故かは不明ですが、()()()()()()だからです」

 

 たとえ他種族と交配しても、その御子姫と呼ばれた一族の子は、必ず光翼族の女性となる。

 そんな一族が突如現代に復活した理由は不明だが……イリスがその性質を保持している可能性は高い。

 

 あるいは、それはこの世界の護り手としての種の存続を維持するための機構なのかもしれない。だからこそ、彼女達の一族は、崇め奉られ、大事に大事に護られてきた。

 

 それが、彼ら光翼族の最後の妥協できぬライン。

 その存在だけは不可侵を認めさせ、絶対に他の民には好きにさせぬというのが、彼らの最後の支えであったらしい。

 それをどうにか説き伏せ、それが無理と見るや強引にでも自らに当時の御子姫を嫁がせようとした大国が一つ、完全に彼らに見放されて一切の助力を受けることが出来なくなり、滅んだ事すらあるという。

 

「ゆえに、彼らが滅んでしまった今も、各国上層部にその思想は連綿と継がれています……御子姫、侵すべからず、と。そして、それは……国の意向よりも優先されます」

 

 だから、彼女が誰かを伴侶としたい、というのであれば、それを外野が却下することは()()()()不可能である、それがたとえ王であっても……という事だそうだ。

 

「勿論、彼女を自分の家に、血筋に取り込みたい者はこの国に限らず大勢いるでしょう。周囲の者がそれで納得するとは限りませんし、数百年ぶりに現れた今も通用すると楽観的には思えません。しかも、それが名もない一般人とあれば、風当たりは相当なものだと思います」

 

 それはそうだろうと思う。喉から手が出るほどに欲しいであろうその血を引くものを、ただの一般庶民にかすめ取られたなど、プライドの高い特権階級の者が許すとは思えない。

 

「しかし父上の養子となって当家の一員となるのであれば……一応は、文句も言えないだけの地位の後ろ盾があれば、その場は黙らせることも可能でしょう。その後守り抜けるかはあなた次第です」

「あの……なんで、そこまで……」

「勿論、家の……この辺境伯家とその領地の隆盛の為です。私は自分の家を、この辺境伯家を盛り立てる義務がありますから。我が家の養子が姫様と婚姻を結ぶのであれば、安泰というものです」

 

 その言葉に、一瞬で頭が沸騰しかけた。まさかあんたもか、あんたですらも、あいつを駒にするのか、と。

 しかし、その俺の様子……多分イリスの事で怒った俺の事を見て、僅かに嬉しそうな表情を浮かべた領主様に毒気が抜かれ、その熱が霧散した。

 

「……と、いうことにしておいてください。一時の間だけ親代わりになった事で情が移ったからといって、できれば政略ではなく本当に愛した者と結ばれて幸せになって欲しい、などと不敬なことは言えませんから」

「領主様……」

「……ああ、父上の提案を受ける決心がついたのであれば、兄と呼んでくださっても構いませんよ?」

「それは、その……考えておきます」

 

 苦笑しながらそう伝えると、それで領主様は満足げに頷いてみせた。

 

「あの子も、あなたには全幅の信頼を寄せているようですし、私としても異論はありません……が、少し勉強もしておくべきでしょうね」

 

 そう言って、胸ポケットから何かを出して、テーブルの上に置いた。それは……真鍮製の、鍵。

 

「この部屋の鍵になります。ここにある本は自由に読んで構いません。それに、私も時間がある時であれば、知りたいことがあれば教えましょう」

「あ……ありがとう、ございます……!」

「この先、あの子にはきっと様々な思惑が付き纏うでしょう……どうか、これからもすぐ隣で、あの子を助けてあげてください」

「はい……勿論です、その役目だけは絶対誰にも譲るつもりはありませんので」

「ふ……言いましたね? ですが、その役目にだけは……まだまだ、私も居座るつもりですけれどもね?」

 

 く、くくっ、っと、どちらからともなく笑いが漏れた。

 

 良かった……ここは、本当に、あいつに優しい場所だった――それが、たまらなく嬉しかった。

 



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昼下がりの一幕

 

 

「あの、どこか変だったりは……」

「問題ございません、自信をお持ちくださいませ」

 

 自分の格好を確認していると、背後に控えていたメイドさん……領主様の付けてくださった侍女の人が、微笑みながら太鼓判を押してくださいました。

 

 今の格好は、豪奢なお姫様のドレス……ではなく、良家のお嬢さんに今流行りだという、赤のチェックのロングスカートに、初夏物のやや薄手のブラウス。

 なんでも、今ではたとえ王族であっても、物語などのいかにもお姫様ー、みたいなドレスは、よっぽど重大なパーティなどでしかお目にかかれないらしいです。

 

 おかげで、思っていたより気楽な格好でいられて、私の足取りは軽いのでした。

 

 ……結構なお値段はするんでしょうけれども。手触りとか凄い滑らかで心地良いですし。

 

 

 

 そんな私は、小さなバスケットを手に、離れの一室に向かって歩いていました。

 中に入っているのは、昼食の時間になっても姿を現さなかった、レイジさんへの少し遅めのランチ。

 

 最近、書斎に籠っているか、練兵場で汗を流しているかのどちらかなレイジさんは、最近は根の詰め過ぎで昼食すら取らない日もあるらしい。

 だから、領主様に厨房を借りていいと許可を貰い、久方ぶりに料理に挑戦してみました。

 かなり自分では自信作です。試食に協力してくれた兄様やティティリアさん、料理長のおじさんも給仕のお姉さんも、太鼓判を押してくれましたし。忙しそうだった領主様は、一切れ、切り分けたものを残しておきました。

 

 美味しいと言ってくれるかな……そういう不安はあるけれど、その足取りは、軽い。

 

「……レイジさん、喜んでくれるかな……」

 

 今回はこちら……離れの領主様の書斎で勉学に励んでいると聞いて、お昼ご飯を持ってきたけれど……

 

 

 

 

 目的の場所へは、すぐにたどり着きました。ここにきて、心臓がバクバクと跳ね始める。

 それでも、ぐっと息を飲んで決心を硬め、コンコン、と軽くドアをノックする。

 

「失礼、します……」

 

 ドアノブに手を掛けると、鍵のかかっていないノブは問題なくがちゃりと動きました。そっとドアを開けると、目的の人物はすぐに見つかります。

 こちらに背を向ける形で腰掛け、本に没頭しているように見えましたが……よく見ると、僅かにその頭が船を漕いでいます。

 

 そっと前に回ってみる……どうやら本を読んでいる途中で眠りに落ちてしまったようで、膝に開いたままの本を載せた状態で、静かに目を閉じていました。

 

「あの、レイジさん……?」

「んぁ……あ、悪い、寝てたか……」

 

 ふぁ……と大きな欠伸をして、再度また本に取り掛かろうとした彼の手を、そっと止める。

 

「あまり根を詰めるのも良くないですよ。もうお昼過ぎです、何か食べないと」

「あ、ああ、悪いな」

「いいえ、レイジさん、最近頑張ってますから」

 

 そう言いながら、テーブルにバスケットの中身……葉物野菜とベーコンを具にした、元の世界で言うキッシュのような料理を取り出し、皿に盛っていく。

 これは、以前にミランダおばさまから頂いたレシピを見ながら、厨房を借りて作ったものです。

 後ろでハラハラと見守っていた料理人の方々には悪いことをしましたが、正直に言うと、誰かのために料理を作るのは楽しかったです。

 

 そうして、テーブルの上には持ってきたキッシュと、レイジさんにはこれだけでは足りないかなと思い、用意して来た丸パンを数個にチーズやピクルス。それに水筒に詰めてきたお茶……レイジさんはあまり甘いものは好まないけれど、今回は勉強中な事を考え少しだけお砂糖入り……が並ぶ。

 ただし、一人分だけ。私の前には、お茶だけだ。

 

「……俺の分だけか? イリス、お前は喰わないのか?」

「はい、その……なんだか、今朝から妙に食欲がわかなくて。一応味見で少しは食べましたので、私には気にせず食べてください」

「そうか……それじゃ、いただきます」

 

 レイジさんが、手を合わせてそう宣言したのち、フォークを取って三角形のキッシュの先端を削り取り、口へと運ぶその様子を、私はぎゅっと手を握って見つめる。

 

「……うめぇ!?」

「ふふ……きっとレシピが良かったんですよ。この世界には向こうみたいなコンソメとかの顆粒のスープも存在しましたし、案外簡単でした」

 

 褒められたのが、美味しいという言葉が嬉し過ぎて、思わず謙遜してしまう。

 とはいえ実際、レシピ自体は案外お手軽で、野菜とベーコンを炒め、卵生クリームと混ぜてパイ生地の型に注ぎ、チーズを載せ、オーブンで焼く……簡単に言えば、それだけです。

 

 もっとも、難しい部分……オーブンの調節や焼き加減を見るのは厨房の人達に手伝ってもらったので、それを考えればもう少し難度も上がるのでしょうが……自分で調理を行った部分は本当にそれほど難しくはありませんでした。

 今後、どんどん難しい物にも挑戦していきたい所ですが……また、領主様に頼んでみるつもり。

 

「いや、それでも旨い物は旨い。サンキュな」

「……ふふ、どういたしまして」

 

 しばらく、かちゃかちゃと食器が鳴る小さな音だけが部屋に響く。

 

「勉強、大変ですか?」

「まぁ、自分でやるって決めた事だしな。泣き言を言ってはいられないさ。そっちは、ソールと一緒にマナーの勉強だったか」

「はい……やっぱり、ゲームで通用するレベルと、こちらの要求レベルは全然違いますね……」

「はは……まぁ、お互い頑張るしかないか」

「そうですね」

 

 お互い、苦笑しながら頷き合う。

 

「そういえば、お前は相変わらず外出禁止なのか?」

 

 不意に気が付いたように、口の中の物を飲み込み、聞いてくるレイジさん。

 

「はい、まだ……もうすぐヴァルター団長達、傭兵団の皆さんも帰って来ますので、フィリアスさんが戻ったら良いと言われましたが」

 

 ショッピングに行きたくてウズウズしているティティリアさんが随分不機嫌そうでしたと、少し笑って話すと、そうか、と微笑んで聞いている彼。

 

「その時は、俺も遠慮なく呼べよ? 護衛くらいしてやるし、俺も気分転換になるから大歓迎だ」

「はい、頼りにさせてもらいます」

 

 私が、マナー勉強の成果とばかりに澄まし顔でそう言うと、何が面白いのか自分でも分からないけれど、二人で同時に吹き出してしまいました。

 

 思えば、ここ数日で久しぶりにまともに会話した気がします。お昼、作って本当に良かった。

 そんな事を考えながら、自分のカップを傾けつつ、食事に没頭しているレイジさんを眺める。

 

 窓から差し込んでくる初夏の昼の日差しはそれでもまだ柔らかく、吹き込んでくる風は丁度良い涼を与えてくれる。

 

 そんな穏やかな時間がのんびりと流れていくうちに……不意に、ふらっと、眠気が襲ってきました。

 この感覚には覚えがある。もう既に手元が怪しい。カップをソーサーに戻すと、それはついに抗いがたいものとなって、私の意識はすぅっと闇へと沈んでいきました――……

 

 

 

 

 

 

「……い、起きろ……おい!」

 

 軽く揺さぶられる感触と声に、再度意識が浮上する。

 

「ああ、良かった、目覚めたか……おい、大丈夫か? 揺すってもなかなか起きないから心配したぞ?」

「あ……すみません、眠ってしまいましたか」

「大丈夫か? 食欲もないって言ってたし、また何か調子が……」

「いえ、そんなことは……」

 

 嘘だった。本当は……昨日あたりから、突然の睡魔に襲われ、急に深い眠りに落ちるようになった。

 かと思えば夜に眠れなくなるなど、睡眠周期が不安定になっている。

 一度など、散歩中に突然眠りに落ち掛けて、側に兄様が居なければ倒れそうになったくらいだ。

 

 だけど……目の前で心配そうな顔をしているレイジさんに、伝える事は出来ませんでした――……

 



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不調の原因

 

 その日の朝、いつものように目覚め、傭兵団と共に帰還し、侍女の役目に復帰したレニィさんに起こされて。

 そんな、最近ではすっかり普通になった朝。

 

「ん……あふ……」

「また、寝不足ですか?」

「んー……いつも通りの時間には床に就いたのですが、眠りが浅くて……」

 

 そのせいか、どうにも体に倦怠感がある。

 かといって、お世話になっている身でダラダラしているのも憚られ、いつも通り身支度を整えてもらおうと目を擦りながら起き上がり、寝ぼけた頭でそれでもいつも通りに身体能力強化の施術を行おうとして……

 

「……あれ?」

「どうなさいましたか?」

 

 寝ぼけた頭に、突然冷水をぶっかけられたような気分。

 さーっと血の気が引いていくのが分かる。

 

「……魔法が……使えない」

 

 ぼそりと私の呟いた言葉に……部屋の空気が、凍りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、随分と蜂の巣を突いたような騒ぎだったけどよ」

「あはは……ひとまず、何も無くて良かったね、イリスちゃん」

 

 街を歩く私達。

 ティティリアさんの「街へ行こう!」という提案を受けて、私と彼女、いつも通り傍に付き従っているレニィさん、それに護衛のレイジさんとフィリアスさんは、なるべく目立たなさそうなカジュアルな服へと着替えて領都の散策へ来ていました。

 

 ……私は、一応フード付きです。

 この体になって初めて着ましたね、パーカーは。

 なにげに初めてな、短いスカート……それでも膝丈少し上くらいまであるけれど……も、なんだか新鮮でした。

 

「それで、どうなったんだ?」

「はい……生憎、アイニさんが今は所用で領都に居ないので、詳しいことは分からないのですが……」

 

 アイニさんが居なくても可能な簡易的な検査になってしまいましたが、しかしその結果は特に問題はありませんでした。

 ただ、普段は自在に開け閉めできている蛇口が、今は何らかの理由により一時的に閉じているような状態らしいですが……

 

「魔力自体は、問題ないそうです。ただ、こう……体が、魔法を使う事を拒否している? そんな感じらしいです……」

「拒否? 以前の魔力枯渇の際にあった、自己防衛の本能が働いて云々のあれと一緒か?」

「一緒のようで……違うような……」

 

 私自身、このような事は初めてで良く分かっていないため、首を捻ります。

 

「……なんにせよ……ティティリアさんが居てくれて、本当に良かったです」

 

 ひとまず、同じ魔法を有しているティティリアさんに施術してもらう事で、今はこうして事なきを得て、皆で街へ出かけるのはお流れにならずに済みました。

 

「ふふん、エンチャンター様々でしょう?」

「はい、自分で掛けるよりも調子がいいみたいです」

 

 効果だけでなく調整も細かく効くようで、流石は本職と言うべきか、今はいたって快適に歩行できています。

 

「ま、分からないものを考えていてもしょうがない、折角の街だし、楽しみましょ」

「そうですね、イリスちゃんは何か見たいものとかある?」

「あ、それじゃ……」

 

 この街へと到着した時に、欲しいと思ったものがあったのを思い出し、そのことを告げました。

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました、良い買い物が出来ました」

「いやいや、フィーちゃんの知り合いなら、大歓迎だよ、またおいで」

 

 露店のおばさんに、お辞儀をして店を後にする。

 胸に抱えた真新しい包装の中身は、様々なカラーの色鉛筆と、クロッキー帳。

 どこか取り扱っている店が無いかフィリアスさんに聞いたところ、連れて行って貰った露店で満足な品質のものが手に入り、ここのところ不意に沈みがちだった気分が今はすっかり浮上していました。

 

「良かったわね、欲しい物があって」

「はい、おかげさまで。大人気ですね、フィリアスさん」

「あはは、まぁねぇ。元々私は、この町でも有名なおてんば娘だったからねぇ」

 

 おかげで、私の方はあまり注目されずにいて、大助かりです。

 きっと、この効果も期待しての護衛の人選なのでしょう。ですが……

 

「あの、こういうことを聞いていいのか不安なのですが……」

「ん?」

「何か、私に思う所とかは無いんですか? その……本当は、ここの領主の娘という立場だったのを……私のせいで、取り上げられたんですよね?」

 

 私は覚えていないとはいえ……彼女の父親が失脚し、フィリアスさんが伯爵令嬢の地位を返上することになった原因は、私の……『イリスリーア殿下』の拉致監禁事件です。

 ある意味では元凶ともいえるはずなのに、こうして良くしてくれているフィリアスさんの心境は如何なものなのだろうかと不安に駆られての発言でした、が。

 

 フード越しに、私の頭に、ぽんと優しく手が乗せられました。

 

「あはは、無い無い。悪いのはどう考えても色惚けてやっちゃいけないことをしたうちの父親だったし、まぁ……伯爵令嬢なんて、今では未練も無いしね」

「そうなんですか?」

「うん、きっと貴族なんて肩書のままじゃ想う事しかできなかった事も、今なら気兼ねなくぶつかっていけるし」

 

 どこか、今は居ない人を想っているかのような、とても少女らしい彼女の横顔。それは、まるで恋する乙女のようで……

 

「……団長さんの事ですか?」

「……ぶっ!?」

 

 なんとなしに呟いてみた直後、突如げほげほと咳き込んだ彼女に、驚いて目を瞬かせる。

 

「な……なん……っ!?」

 

 すっかり真っ赤になって口をパクパクし、こちらを見つめるフィリアスさん。頼れるお姉さんという認識でしたが……今は、なんだか可愛らしく見えました。

 

「はぁ……イリスちゃん、たまに変なことには聡いよね……自分の事には鈍感なくせに」

「え?」

「いーや、何でもない! ……秘密よ、良いわね?」

「は……はい……」

 

 その剣幕に、コクコクと頷く。

 

 ……本当は、傭兵団(ヴァルター団長とゼルティスさん以外)の間では皆が言っているんだけどな……そう思ったのは、秘密にしておくことにします。

 

 

 

 

 

 のんびりと東西の門を繋ぐメインストリートを散策した後、私達は噴水や水路に彩られた中央広場の一角、フィリアスさんのお勧めだという喫茶店へとやって来ていました。

 

 その景色の良い広場沿いのカフェテラスへと通された私達は、各々の注文を終え、テーブルには女の子勢が大量に頼んだ色とりどりのケーキが並んでいます。

 

「イリスちゃん、本当にお茶だけで良かったの?」

「あ、はい。どうにも食欲が無くて」

 

 そんな中、私の前には、レモンティーが一つだけ。

 そのカップ脇に添えられているレモンを、はしたないだろうかと思いつつも、なんと無しに摘まんで、かぷりと齧る。

 

 ……なんだかこの数日、酸っぱい果物を齧っていると落ち着くんですよね。食欲不振は継続中で、なんだかお腹が重い気がして、常に軽い吐き気がある状態がずっと続いている。

 

 甘い物にはとても心惹かれているのですが……カロリー豊富そうなそれを目にした途端に気持ち悪さがこみ上げてきたため、ケーキは断念しました。

 

「それにしても、傭兵団の皆さんも、戻って来たばかりでもう街に居ないなんて、忙しいですね」

「そうだねー、私はイリスちゃんのおかげで、こうして休み気分で堂々とお茶してられるけど」

 

 あっけらかんと、自分のケーキにフォークを差し入れて、削り取った先端、クリームたっぷりの塊を口へ入れて、身もだえているフィリアスさん。

 

「んー、たまにはこういうのも食べたいもんねぇ、傭兵団じゃこんな凝った甘い物なんて縁ないし」

「本当本当、こっちにも、こういう美味しい物が一杯あって本当に良かったわ……」

 

 しみじみとそんなことを言っているフィリアスさんとティティリアさんに、お茶だけで済ませている私とレイジさんは顔を見合わせて苦笑する。

 

「しかし……ディアマントバレーに派遣されてた兵士たちと傭兵団の合同演習なんて、何でまた?」

 

 女の子に囲まれて、一人居心地悪そうに……というか、何故か冷や汗をダラダラ流しながら、周囲を、道行く人々を忙しなく警戒して紅茶を啜っていたレイジさんが、ふと呟いた疑問に、私も頷いて便乗する。

 

「あー、まぁ、原因は、イリスちゃんと、このもう一人ちみっこいお嬢ちゃんよ」

「……えぅ?」

「……ふぇ!?」

 

 こちらに急に話を振られたことに驚いて、レモンをかじかじしていた口と手を止めて、ぱちぱちと目を瞬かせる。

 フォークを握りしめ、眼前に並んでいた幾つもの甘味に打ち震えていたティティリアさんも、突然話題を振られて目をぱちぱちしていた。

 

「あんたらねぇ……もうちょっと、自分の力の重大さを理解した方が良いわよ?」

「え?」

「私達の?」

 

 二人、向かい合って首を傾げ、フィリアスさんに向き直って首を傾げる。

 

「……まるで双子みたいに息ぴったりね、あんたたち……」

 

 何故か、口と鼻を押さえてあらぬ方向を向かれました。

 

「えー、こほん。あんたらの、得意なことは?」

 

 どうやら気を取り直したらしく、改めて私達の方へと向き直り、そう聞いて来るフィリアスさん。

 

「えっと、治癒魔法です」

「強化魔法ですよ?」

「レイジさんとかミリィさんに比べて、地味……ですよねぇ?」

「だよねぇ。イリスちゃんはともかく、私なんて縁の下の事しかできないよ?」

 

 そんな私達の様子に、何故か頭痛を堪えるかのような彼女。

 

「……いい、あなた達二人の力っていうのは、言い換えれば、ほかの人に『普段よりもよりずっと高い力を発揮させる』っていう類の力なの。それに慣れちゃったらどうなると思う?」

「えっと…………自分の、力を過信する?」

 

 少し考え込んでから、恐る恐る発した私の言葉に、彼女が、我が意を得たりとばかりににっこり笑って頷く。

 

「そう。なまじ直接的な効果が見えないから、本当は支援魔法の効果で底上げされた能力のおかげで勝てていた敵だったとしても、まるで自分一人の力で勝てていると思い込んでしまう。そうなると……支援が無い状況になった時、力量差を読み違えて大変なことになりかねないの」

 

 最悪、命にかかわるんだからね、と締めて、ケーキを口に運ぶフィリアスさんに、流石に私達も神妙な顔をする。

 

「……あまり、他人事じゃなかったですね。私も、今朝まで自分が魔法も装備の助けもないと何もできない、っていうのも忘れてましたし」

「そういうこと。というわけで、今は皆、本来の自分の力というのを思い知るため、団長特製メニューで鍛えなおしている最中です。やー、本当私こっちのお仕事振られてよかったわ」

「僭越ながら、私も同意見です……きっとあの野良犬も、戻ってくる頃にはバッチリ躾けられている事でしょう」

 

 とあっけらかんと笑うフィリアスさんに、控えめな所作で自分の分のケーキを片付けながら、しれっとこの場に居ないヴァイスさんに毒を吐いているレニィさん。

 

 ……傭兵団の皆さん、それと兵士さん達……ご愁傷様です……

 

 そう、今は遠い彼らに、そっと無事で戻る様に祈りを捧げるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、イリスちゃん、もうお会計して行くぞー……?」

 

 呼ばれる声に、ふっと意識が浮上する。どうやら、また居眠りをしていたようだ。

 

「お、起きた起きた。ほら、行くよ、今度は洋服見に行こうって話してたんだけど、大丈夫? もうレイジさんに送ってもらって先に帰る?」

「あ……ごめんなさい、私も行きま――」

 

 慌てて立ち上がろうとした……その時。

 

 ――ぬ゛る……

 

 立ち上がろうとした脚……太ももから、ぬるりとした粘度の高い感触。ぺたりと何かの液体で貼りついた下着が、凄まじい不快感を発している。

 

「どうしたの?」

「あ……何でもないです、先に行っていてください」

「そう……? それじゃ、なるべく早くね」

 

 そう言って歩いていくのを確認して、そっと物陰に移動する。

 

「え……? 一体、何……が……?」

 

 恐る恐る、他の人には見えないようにスカートをたくし上げる。そこには……

 

 幾条かの、腿を伝う赤黒い筋。

 太腿より上、そして下腹を覆う小さな衣服はまだらに赤く染まっていて……

 

 その予想もしていなかった赤色の光景に、くらりと頭が揺れ、浮遊感と共にぐらっと視線があらぬ方向を向いた。

 

 ――あ、これ、落ちる……

 

 不思議とどこか冷静な思考が、倒れそうな自分を自覚した。

 

「……イリスちゃん!?」

 

 こちらの様子に気が付いたらしき、ティティリアさんが叫ぶ声が聞こえたのを最後に、赤く染まったスカートの下を見た私の意識はその現実を拒絶し、真っ黒に塗りつぶされて、すっと離れていきました――……

 



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訪れ

 

 目覚めは、控えめに言って最悪でした。

 

 下半身に、ごわごわした感触。

 一緒に残されていた書置きを見て、処置はレニィさんが済ませてくれたのだと知り、安堵しつつも申し訳ない気持ちで一杯でした。

 

 そして、倒れる前の紅い惨事を思い出してしまい、恐る恐る寝間着の裾を捲ってみると……そこはすっかり綺麗に清められており、ほっとしました。

 しかし、下着の内側に何かが取り付けられているのを見て、再びくらりと来てベッドに倒れ込む。 

 

 ――いつか来るのだろうとは思いつつ、ずっと目を逸らしていたけれど……とうとう来てしまいました。

 

 むしろ、こちらに来て一月以上はとうに経過していますので、未だに来ていなかった事の方が奇跡的なのかもしれないけれど……ここの平穏な生活に慣れたとたん一気に訪れたらしく、とにかくお腹を中心に体のあちこち痛いわ気持ち悪いわで、起き上がる気力も湧いて来ません。

 

 結果……目覚めてからずっと、枕を抱いてベッドに突っ伏している羽目になっていました。

 

 

 

 ――ゲーム時代、色々女の子の知識を綾芽に叩き込まれていたけれど、こればっかりはデリケートな部分なので、指導の中で一切触れられていない。

 

 もしこの手の話題になったら、曖昧に笑うか、俯いて黙り込んで言葉を濁してやり過ごせ、それで誤魔化せる、むしろ進んでこの手の話題に加わるほうが怪しまれる……そういう指導だった。

 

 だから……「これ」に関しては、本当に何もかも未知の領域でした。

 

 

 

 

 そうして一人ぐるぐると悩んでいると……コンコンと、控えめなノックがされた。

 

「ごめんなさい、大事な時に出かけていて」

 

 そう言って静かに部屋に入って来たのは、所用で出かけていたアイニさん。

 本職のお医者様の登場に、安堵から不覚にも涙が滲み出てきました。

 

「大丈夫……には、見えないわね」

「……アイニさぁん……何ですかこれ、痛くて、気持ち悪くて、死ぬ……」

「大丈夫、死にはしないわ……でも、結構辛そうね……」

 

 安心させるように、ゆっくりと背中を叩く感触。それだけで、少しだけ落ち着けた気がする。

 

「……ごめんなさい、年齢的にてっきりもう来ているものだと思い込んでいたものだから。あらかじめ説明しておくべきでしたわね」

 

 そう言いながら、テキパキと私の身体のあちこちに触れ、検温などもしていく彼女。私は、黙ってされるがままになっていました。

 

「いくつか、質問するから正直に答えてね?」

 

 そう言って、何かメモを取りながら質問してくるアイニさんに、一つ一つ答えていく。

 最初は難しそうな表情だった彼女も、問診が進むうちに安堵の表情を浮かべてきた。

 

「……うん、病気とかではなさそうね。症状が重いのは多分、ここ最近のストレスや不規則な生活が原因ね。夜遅くまで起きていたり、逆に昼間眠ってしまったり、ご飯を残したりしていたでしょう?」

「……はい、どうにも夜に眠りが浅いし、食欲も無くて」

「そう……だとしても、食べられそうなものだけでも食べておかないと駄目よ?」

「今後、気を付けます……」

 

 諭されてしまいました。

 優しいお姉さん風の物言いだから怖くはないけれど、それだけに申し訳なさがあります。

 

 ……ストレスの方も、心当たりはありすぎます。

 こちらの世界に来てからずっと、心的な負担は掛かりっぱなしで……だからこそ、この領都へ到着してからの数日の生活は、穏やか過ぎるくらいでした。

 

「本当はあまり良くないんだけど……甘いものはどう、食べれそう?」

「無理です……」

 

 甘いもの自体は食べたくて仕方ないけれど、口に入れる気は全く起きない。

 その様子を見て、アイニさんは何か、お茶……ハーブティ? らしきものを淹れ始めている。透明なガラスのポットに、黄緑色の液体が少しずつ溜まっていくのを、横になりながらぼーっと見つめる。

 

「……どちらかと言えば食べたくなる人の方が多いんだけど、個人差はあるから……どうやら、イリスちゃんは来ると食欲が無くなるタイプだったみたいね。これはどう、飲める?」

 

 その言葉にのろのろと体勢を変え、ベッド端に腰かけると、差し出されたお茶らしき物が注がれたカップにそっと口を寄せてみる。

 

 カップの中に入っていたのは、やはりハーブティー。

 匂いを嗅いでみると、爽やかな檸檬のような香りに、若干のツンとした生姜の刺激……気持ち悪くならない、大丈夫そう。

 口にしてみると、すっと鼻を通る爽やかな香りの中に、ぴりっとした僅かな辛み。それと仄かな蜂蜜の甘味が、胸をほっとさせる。

 

「……大丈夫、いけそうです」

「そう、良かった。今は初夏だから、こまめに水分を取るように。でも冷たい水はあまり飲み過ぎないように。いくつか調合してティーバッグにしたものがあるから、気分が悪くなったら飲んでみて。それと、本当にダメな時のために、薬も置いていくけど、これは一回飲んだら六時間は飲まない事」

 

 そう言って、次々と薬の包みを、その一つ一つに服用の方法や注意点を記載したメモを貼り付けながら、枕元の台へと置いていく。

 

「それと、治癒魔法は禁止。これは正常な体機能による生理的現象だから、それを、無理矢理魔法で止めても、あまり良いことになるとは思えません」

「はい……もっとも、今は何故か、一切使用出来ないんですが」

「それも、今の体調の影響でしょうね。教会に囲われている『聖女』って呼ばれている人達も、似たような症状が出るって聞くわ。体の方が、安全装置を掛けているんだと思います」

 

 うっかり使用してしまわないように、と。

 たとえそれが他者に施術しようとした際であっても、自分でも治癒魔法の光に触れますから、若干の影響を受けますからね……

 

「それと……これね」

 

 アイニさんが、手に持ってきたポーチから取り出したのは……綺麗な薄い布に包まれた、折りたたまれた何か。

 元の世界では実物は見たことはなかったけれど、CMなどで見覚えがある物によく似ている。

 

「それって……」

「ええ。今あなたが履いているショーツにもセットしてあるみたいだけど……しっかり自分でも使い方を覚えておくように。結構頻繁に交換が必要ですからね」

 

 そう言って渡されたそのシートを、まじまじと眺める……それは、とても薄かった。

 こんなもので大丈夫なのかと心配になりましたが、中には錬金術師が苦心して作り上げた吸水性の高い粉末が仕込まれているらしく、見た目以上に長持ちするらしいです。

 

 ……スライムの体組織を構成する粘液から保水成分だけを取り出した粉末らしいです。ちょっと気味悪く思えてしまいました。 

 

 そしてこれが……今は薄手の物ですが、多い時用や夜用など、また別の種類が結構あって、本当に大変なんだなと心底痛感する羽目になりました。

 

 とはいえ、薄いと言っても股間とショーツの間に一枚余計なものが挟まっている、ごわごわとした感触は、どうにも気持ちが悪い。これが数日続き、しかも毎月訪れるという事に、酷く陰鬱な気分になっていく。

 

「……という感じだけど、分かったかしら」

 

 そうこうしているうちに説明が終わり、実際にそれ用の下着に取り付けて、すでに血をだいぶ吸っていた今のそれと取り替えて……講義が終わり、そのシート一式の詰まった小さなポーチみたいなものが渡されました。

 

「はい……ありがとうございます」

「イリスちゃんは初めてだから、それほど多くは無いと思うけど……足りなくなる前に、すぐに言うように。それと、漏れてこなくても一定時間置きと、夜の就寝前には交換するように。良いわね?」

「はい……色々と、ありがとうございました」

 

 これで少ないんですか……先程処理する際に目にしてしまったシートの惨状を思い返して更にげんなりしながら、自分の体についてのお勉強は終わりました。

 

 

 

 

 アイニさんは、隣の部屋に控えているから何かあったら言うように、と呼び鈴を置いて退室し、再び一人静かな部屋に取り残される。

 

「身体が、子供を作る準備が出来た証……かぁ……」

 

 凄く変な感じがする。

 元の世界に居た時は……まだ()だった時は、自分の子供を作る事すら諦めて居たのに。

 

 それが、今は自分のお腹で赤ちゃんを育てることの出来る身体になっている……なった、という事にまるで実感が湧かない。

 

 今は実感は無いけれど……いつかは、子を宿すその日が来るのだろうか。

 未だ重苦しい感じがする下腹に触れながら、そんな空想を……

 

「――っ!?」

 

 跳ね起きた。心臓がバクンバクン鳴っている。

 

「――何で、私、なんて事を考えているの……?」

 

 脳裏に自然と浮かんで来たのは……レイジさんに支えられている、お腹の大きくなった自分。

 以前にも、話の流れから似たような想像をしたことはありましたが、その時はまるで想像もできなかった事が、今は……

 

「……寝よう」

 

 ぼすんと再び寝台に体を預け、考えるのを止めて逃避するように眠りに落ちるのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 ――不意に、かちゃかちゃとなる陶器の音に、再び目を覚ます。

 

「……ああ、悪い、起こしてしまったか」

「……兄様?」

「うん、夕飯を持ってきたんだけど……どう、食べられる?」

 

 その言葉に外を見ると、すでに窓の向こうの景色は赤から黒に変じ始めており、だいぶ日が傾いていました。どうやら数時間眠ってしまっていたらしいです。

 

「もうこんな時間……はい、食べます」

 

 あいかわらず気分は悪いけど、それでも今は少しだけ落ち着いている。

 アイニさんも少しだけでも食べた方が良いと言っていたので、ちょっとだけ頑張ってみようと体を起こし……

 

「……あれ?」

 

 そこに並んでいるメニューに吃驚する。

 テーブルに並んでいるのは、鶏肉と大根の煮物。お醤油と生姜の香りが空きっ腹に程よい刺激を与えて来る。それと……

 

「お赤飯?」

 

 懐かしい、日本の料理。

 小豆と共に炊かれたご飯が、器に盛ってありました。

 

「はは……まぁ、女の子の日が来たら私が……って約束だったし、有言実行ってね」

「あ……じゃぁこれ、兄様が?」

 

 いつぞやの結晶の魔物と戦って一度敗北を喫した際に、朦朧とする意識の中でそんな事を言っていた気がする。

 

 あれ、本気だったんですね……と思わず苦笑が漏れた。

 

「でも、よく材料がありましたね?」

「うん、この前街に出た時に、東の諸島連合の行商人が餅のようなものを取り扱っていてね。もしかしたらと思って聞いてみたら餅米みたいな物があったから、少し売ってもらったんだ」

 

 そう私を席へと導き座らせながら、兄様。

 箸を取り、目の前の煮物、抵抗感が少ない大根から箸を入れる。

 よく煮込まれているらしく、すっと箸で切れたそれを、恐る恐る口に含む。

 

「あ……この味」

「どうかな……自分では、よく出来たと思っているんだけど」

 

 とても、覚えのある味でした。

 良く具材の味が滲み出た汁を一杯に吸った大根はほんのり柑橘の酸味があり、思ったよりもさっぱりしていて、あまり抵抗なく飲み込めました。

 

 この味は……

 

「これ……もしかして、お婆ちゃんの?」

 

 遠い記憶の中、日本の祖父母の家で食べていた鶏肉と大根の煮物の味にそっくりでした。

 

「……ふふ、どうやら上手く出来ていたみたいね。私も、始めてが来た時はこのメニューだったのよ」

「そうなんですか……うん……美味しい。綾芽、ありがとう、すごく美味しい」

 

 自分でも制御出来ないほど感情が不安定で、ぽろっと涙が溢れたけれと、箸は止まりませんでした。

 お赤飯も、懐かしさに思ったより食が進み、久方ぶりのまともな食事にほっと一息をつきました。

 

「……結構、大変みたいだね、その身体」

「はい……綾芽の時はどうだったんですか?」

「私は……結構重めだったかな、もしかしたらうちは家系的にそうなのかもしれないね。でも、イリスは案外落ち着いているね、私の時はイライラが酷かったんだけど」

「それは……まぁ、これでも元は20代ですしね」

 

 一度思春期を終えているせいか、心理的にブレーキが掛かって周囲に当たり散らそうとする気は今のところ起きてはいなかった。

 

「……そう、だよね。お兄ちゃんは、社会人の男の人だったんだもんね」

「綾芽……?」

 

 不意に、向かい合っていたその顔が翳る。

 

「……本当は、おめでたい事なんだけれど……この場合は、ちょっと複雑だね」

「……複雑、ですか?」

「イリスは、なりたくて女の子になった訳じゃないからね……だから、お祝いしてもいいものか、無神経なんじゃないかって、ふと考えてしまってね……」

「……気にしないで、私はもう、受け入れているし、この世界に来たのだって綾芽のせいじゃない」

「……うん」

「それに……皆が元の世界に戻ったときに姿が戻っているかどうかは分かりませんが、私は……私だけは少なくとも、もうこの姿から戻ることは無いと思います」

 

 それは、確信。

 この身は肉体も、精神も、あの元の世界に居た時とは違ってしまっているという確信。

 

「それは……あの転生の時の事?」

「はい……あの、おそらくは白の書を前にした際に、私ははっきりと自分の存在が書き換えられていくのを感じていました。そして今はもうこの体であることにも違和感はありません……コレは、ちょっと堪えましたけど」

 

 そうお腹を指差して苦笑する。

 その私の表情を見て、兄様は一つ、そうか、とだけ零し、空いた皿を集めて席を立つ。

 

「それじゃ、そろそろ失礼するよ。ゆっくり休んで、早くレイジにも元気な顔を見せてやりなよ、凄く心配そうにしてたから」

「あっ……この事は、レイジさんには……?」

 

 無性に、男性には知られたく無かった。その中でも特に彼には。

 

「大丈夫、知らせてないよ、男には知られたくないだろうと思って」

「そう……良かった」

「それじゃ、今度こそ……おやすみ、イリス」

「はい、おやすみなさい、兄様」

 

 パタンと静かに閉じられた扉。

 それを見届けて……私も、この日はもう休養に努めることに決めて、就寝の支度をするのでした。

 



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幻獣の仔

 

 初めてが訪れたあの日から、二日が経過していた。

 日課となっていた勉強などは、私の体調を鑑みてか、この数日の間は全てキャンセルとなっている。

 

 ……まぁ、無事に子を為せる体で居ることが、お姫様の最大の仕事だからなんだろうけども。

 

 レニィさん以外にも侍女が数人体制でサポートに付いており、殆どの事を自分でやらせてもらえない過保護っぷりでした。

 手厚い……手厚すぎるサポート体制に、自分の立場を再確認してげんなりしつつも、色々と楽なのは確かなので、厚意に甘えて自堕落に過ごしていました。

 

 昨日……二日目、は出血量、症状ともに酷く、まともに起き上がることもできずに一日を部屋で過ごし……

 一夜明けた今日、多少は楽になっており、にもかかわらず部屋に引き籠っているのも気が引けたため、軽い運動がてら、外に散歩に出てきていました。

 

 

 

 ――そんな事情により、広いローランディア城の周囲、綺麗に手入れの行き届いた庭園を散策中の事でした。

 

「……?」

 

 近くからふと、何かが聞こえた気がしました。

 

「どうかなさいましたか?」

「いえ……今、あちらのほうから、動物の泣き声のようなものが……」

 

 空耳かもしれません。しかしどうにも気になって、そちらへと歩を進める。

 その先は、綺麗に整備された庭の一角、崖際にある薔薇園。よく手入れされ綺麗に整えられたその中へと踏み込み、予感に任せて迷路のようなそこを急ぎ足で抜けると、そこには……

 

「……あれは……子犬?」

 

 もっとも奥まった場所、崖際に、白いふわふわとした……犬のような生物が横たわっていました。

 犬のような、と言ったのは……その背に翼が見えたことと、その体毛がまるで刃のように突き出しており、しかも淡い黄金色に輝いていたからです。

 

「これは……まさか、そんな……」

 

 その子犬のような生物の姿を見たレニィさんが、息を飲む気配がしました。

 

「知っているのですか?」

「はい……イリス様、お離れください。これはおそらくセイリオス……その幼体です」

「……セイリオス(光り輝くもの)?」

「はい、時代の変わり目に現れる者、不吉の前兆……そう呼ばれるとても獰猛な幻獣で……その目に、直死の力を宿すと言われています」

 

 セイリオス……確か、体毛が陽光の下では黄金に、月光の下では銀色に、暗闇では漆黒に変化する他、心を許した者の前では柔らかく、敵対した者の前では刃のように鋭くなるんでしたか。

 

 私もこうして見るのは始めてですが、しかし……不思議と、何か……そう、夢の中で見たような気がする。たしか、いつか見た夢の中のあの人が一緒に居た……

 

 悩んでいると、ふと、その輝く仔セイリオスの毛皮に赤い物が付着しているのが見えた。

 纏う光でわかりにくいですが、よく見れば全身傷だらけで、翼もおかしな垂れ方をしている。

 

 ……もしかして、崖から落ちてきた?

 

 あの子の奥にそびえる絶壁の上を見上げる。可能性としては、あり得そうです。

 

「でも……この子、怪我をしています、放ってはおけません」

「いけません、イリス様!?」

 

 慌てて制止しようとするレニィさんでしたが、振り返り、彼女へ心配しないでと微笑んでから歩み寄ります。何故か大丈夫という確信がありました。

 こちらに気付き、「ぐるる……」と唸り声をあげているその子を怖がらせないようにとしゃがみこみ、視界を遮らないようにそっと低い位置から手を差し伸べると……仔セイリオスは、最初は警戒しつつも私の指をふんふんと嗅ぎ始める。

 

「大丈夫、怖くないですよ……」

 

 そのまま暫く、静かに声を掛けながらそのままで居ると……ふっと、その体毛から鋭さが消え、ふわっとした子犬のような物へと戻る。

 

 同時に、緊張が解けたのでしょう。ぱたりと倒れそうになったその小さな身体を受け止めて、そっと抱き寄せる。

 抵抗は無かった。むしろ、甘えるように胸へと顔を摺り寄せて来るその様子に、ふふっと小さく笑いが漏れる。

 

「……ほら、大丈夫だったでしょう?」

「……驚きました、子供とはいえ、そんなすぐに幻獣が懐くなんて。確証がおありだったんですか?」

「いえ……ただ、最初に見た時から、この子は怖がっているだけで、敵意があるわけではないと思いましたので」

 

 それと、もしかしたらサブ職『プリンセス』の効果の中にある、テイム確率上昇の効果も何かしらの影響があるのかもしれないな……というのは、心の中にだけとどめておきます。

 

 そうしてすっかり警戒を解いた仔セイリオスに、傷を癒そうと手を伸ばし……はっと、今は治癒術が使えないことを思い出した。

 

「ああ、でもどうしよう、今治癒魔法が使えないんでした……」

「……こちらを」

 

 レニィさんが、手提げ袋から、柔らかなタオルを出して渡してくれる。

 おそらく、私の……が何らかの拍子で漏れた際の為に用意してくれたものでしょうが、ありがたく受け取って、怪我になるべく障らないように包んであらためて抱き直す。

 抵抗するかとも思いましたが、案外と素直に包まれ抱かれてくれたので、ほっと一息ついて踵を返した。

 

「あの、どちらへ?」

「……どうしましょう? アイニさんの所に……は、お城の中に入れていいものか……」

 

 とりあえず、この薔薇園を出て……そのあと、どうしたらいいだろうか。

 

「でしたら、とりあえず、庭に居を構えているガンツさんの所に連れて行ってみては?」

「あ、それが良いかもしれませんね、ありがとうございます、レニィさん」

「いえ……」

 

 ちらちらと、腕の中で眠る子犬のような幻獣を見ているレニィさん……もしかして、実はこういう小動物がお好きなんでしょうか?

 

 今、ガンツさんはこの庭園の端、庭での作業に従事する人のための小屋で過ごしていたはず。

 彼ならば。私の月のものが終わり治癒魔法が戻る前の少しの間、面倒を見てくれるかもしれないと、そちらへと歩を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、居た……ガンツさん、と……」

 

 目的地であった使用人用の小屋

 その前の庭に設置された石のテーブルには、数人の人達が席に着き談笑していました。

 そして、そこに居たのは……

 

「……レイジさん? それに兄様も?」

「おう。もう体調はいいのか?」

「本当はまだ少し……それよりも、何故レイジさん達もここへ?」

「それは……まぁ、素振りだな。暫く勉強ばかりで鍛錬をサボっていたし、気分転換がてらに」

「私もその付き添いだ。暫くずっとさせられていた作法だ何だという座学がここ数日流れたおかげで、久々にいい汗をかいた」

 

 ばつの悪そうな顔で苦笑するレイジさんに、何やら満足げに汗を手拭いで拭っている兄様。

 

「コノ若者達ガ、ナニヤラ根ヲ詰メスギテイタノデナ。茶ヲ馳走シテイタ」

「はは……美味かったぜ、サンキュな」

「ご馳走になりました」

 

 見れば、レイジさん達の傍らにある丸テーブルには、よく冷えているらしき汗をかいた細長いガラスポットに、茶色の液体が半分ほど満たされています。

 これは……この色、この容器。まるで……麦茶?

 

「それで、どうした? まだ具合悪いんなら、寝ていた方が良いんじゃないか?」

「それなのですが……こういう事情でして」

「……おぅ?」

「……へぇ?」

 

 仔セイリオスを包んでいたタオルを少しずらして見せると、驚きの声を上げた二人が興味深そうに覗きこんできます。

 

「さっき、庭で倒れているのを見つけたんです。それで、私は今は治癒魔法を使えないもので……2~3日でいいんです、ガンツさんにどこか、この子が休める場所を貸してもらえないかと」

「フム……使ッテイナイ物置ガアル、ソコニ寝台ヲ用意シテオコウ」

「ありがとうございます……!」

 

 快く引き受けてくれたガンツさんに、礼を言います。

 彼は、キニスルナとだけ言うと、すぐに準備のため、奥へと引っ込んでしまいました。

 

「それじゃ、私はアイニさんを呼んでこよう」

「なら、俺はこのチビが喰えそうなものを厨房に行ってもらってくるわ」

「では、私は毛布か何かを用意してきます」

 

 そういって、あっという間に方々へ散っていく皆。

 

「あの、私も……」

 

 そう言って何か手伝おうとしましたが……

 

「お前は、そのチビについててやれ、今のところお前にしか懐いていないんだ、そのお前の姿が見えなくなったら、チビが不安がるだろう?」

 

 そうレイジさんに言われ、結局、仔セイリオスを抱えたまま一人ぽつんとその場に残ることになってしまいました。

 

「……それもそうですね。皆さんが戻ってくるまで、大人しくしていましょうか」

 

 もう一度、腕の中の仔セイリオスを抱きかかえ直し、そのあたりにあったベンチへと腰かける。

 そして……ふと思い出した言葉を口ずさむ。

 

「……Was yea …… mea …… en fwal. Ma …… ga k…………a yor syec…………」

 

 それは……以前よりは、何故か少し分かるようになった「夢の中の彼女」の子守歌。

 まだ分からない部分も多く、そのほとんどはメロディを口ずさむだけだけれど……それでも、少しだけ苦しげな息を吐いているこの子が、少しでも安らげばいいな……そう思い、なるべく起こさないように小さな声でそっと、その子守歌を紡ぐのでした――……

 



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この子どこの子?

 

 ――意外に、というのも失礼なのですが。

 

 流石は家精……家の守護妖精であるホブゴブリンと言うべきでしょうか。

 所々に綺麗な野花やハーブが活けられ、その良い香りが漂う、予想を遥かに超えて清潔な環境を整えられている、居心地の良い雰囲気のガンツさんの小屋の中の一室。

 

 大人しく私に抱かれている仔セイリオスのお腹に、時々直接軽く触れたりしながら聴診器を当て、真剣な顔で聞き耳を立てているアイニさん。

 その様子を眺める皆の表情も硬く、周囲は緊張を孕んだ静寂に包まれています。

 

 そんな中……聴診器を耳から外し、ふぅ、とアイニさんが息をついた。

 

「……はい、終わりました。私も幻獣の子供を診たのは初めてですから、正直なところ自信がある訳ではありませんが……」

「ありませんが……?」

 

 ごくりと息を呑む私達に、彼女はふっと笑って告げた。

 

「内臓には特に異常無し、消化器官へのダメージは見受けられません、もう食べたり飲ませたりしても大丈夫ですよ」

 

 そう太鼓判を押すアイニさんに、周囲で固唾を見守っていた面々……私と、レイジさんにソール兄様、それとレニィさんとガンツさん……は、ふぅぅううう、と大きく息を吐いて胸を撫でおろした。

 

「ただし、外傷は多数ありますから、イリスちゃんが復調してこの子の治癒するまでは、安静に。とりあえず止血と消毒は済ませました。翼も右側が骨折していましたが……こちらは、イリスちゃんの魔法が戻ったら対処するのよね?」

「はい。ありがとうございました、色々忙しい所を」

 

 城に詰めているお医者様としての仕事もあるアイニさんに、こうして足を運んでもらったことは申し訳なく思う。ですがそんな彼女は、何か微笑ましい物を見る目で私の方を見ていました。

 

「いえいえ、どういたしまして……ふふ、ちょっと元気も出たみたいね」

「え……そうですか?」

「ええ、貴女は、どうやら傍に助けないといけない何かが居ると、元気になるのかしら」

 

 そうかもしれません。

 何せ、ここでの暮らしはほぼ、自分の事ばかりしていました。

 人に何かをしてもらうだけの立場だったので、申し訳なさが、心の中にいつの間にか降り積もっていたのかもしれません。

 

「そんじゃ、水と、調理場から拝借してきた肉はここに置いておくぜ」

「はい、結構ですよ。もっとも、食欲は無さそうですから食べるかどうかは分かりませんが」

 

 そうアイニさんが言う通り、仔セイリオスはレイジさんが器に盛って置いた食べやすい大きさに切った肉や水には見向きもせず、私の腕の中で眠そうにうつらうつらとしていました。

 

「イリスちゃんも、一度部屋に帰って休んで……って言うつもりだったんですが、そのつもりは無いみたいですね」

「えぇと……はい、すみません」

 

 レニィさんとガンツさんの用意してくれた寝台にそっと仔セイリオスを下ろし、そのすぐ横の座席を確保した私に、ふぅ、とアイニさんがため息をつく。

 

「まぁ、看病くらいは認めましょう。ただし、七時の夕食の時間までです。良いですね?」

「……はい、分かりました」

 

 ローランドとしても、まさか自国の姫の部屋に幻獣の仔を寝かせることも、外の掘立小屋で休ませることも、もっての外なのだろう。これ以上の譲歩は無理だろうと諦め、素直に頷く。

 

「それにしても……最大級に希少な幻獣の子供ですか、一体どこから……」

 

 レニィさんの疑問に、皆が黙り込む。

 発見した場所を鑑みれば、裏手の山なのでしょうが……これだけ街に近い場所にこのような高位の幻獣が生息していれば、噂くらいはありそうな物なのに。

 

「それは、まぁ、おそらく裏の連峰でしょうね」

 

 不意に、入り口から聞こえてきた声。

 そこに居たのは、忙しいはずの領主様でした。

 

「そうなのですか? 私もそういった話は聞いた事が無いのですけれど……」

「ええ、かの幻獣とは、先祖代々不可侵の取り決めを行って……かの幻獣の存在を秘匿し、棲家に人を入れず、穏やかな生活環境を提供する代わりとして、山側、裏手の鎮護を担っていただいているのです。その子はおそらくそこから来たのでしょう」

 

 アイニさんの疑問に、領主様が答える。

 そういえば、この城の裏手のいくつかの山は立ち入り禁止だと聞いた気はしますが……てっきり防衛上の理由かと思っていましたが、そういう事情もあったのですか。

 

「……それ、私達に言っても良かったのですか?」

「ええ。本当は、このことは秘密なのですが……先日、そのセイリオスから念話が届きました。どうやら貴女の存在を聞きつけて、会いたがっているようです。その仔がここに居る理由は不明ですが……」

「私に……?」

「ええ、珍しい事ですが……案外、貴女の背中の()()を、感じ取っているのかもしれませんね」

 

 背中……つまり、私の種族の事。

 そういえば……いつか見た『彼女』の夢の中でも、その幻獣の姿があったような気がします。

 

「なぁ、その親の所へ連れて行って、俺達は危なくは無いのか? たしか結構獰猛な種族だったよな?」

「ええ、大丈夫でしょう。相当に年齢を重ねた個体らしく、口は悪いですが、かなり温厚な方でしたよ」

 

 レイジさんの疑問に、太鼓判を押す領主様。

 であれば、やはり会っておきたい。何より、もしその方がこの仔セイリオスの親であるのならば、やはりきちんと親元へ帰さなければいけない。

 

「あの……私の調子が復調したら、この子を帰しに行きたいのですが」

「……まぁ、そのくらいは良いでしょう。鳩を使って伝えておきますので、奥深くまで行かなくても会えるでしょう。ただし、伴を必ず連れて行くように」

「あ……ありがとうございます!」

「いえ。準備だけはしっかりとお願いしますね。伝えるべきことは終わりましたので、私は公務もありますので、これで」

 

 そう言って出ていく領主様。

 

「ふぅ……それじゃ、出立は三日後くらいにしておくか。大丈夫だ、お前はちゃんと送り届けてやるからな、チビすけ」

 

 そう言って、レイジさんが私に撫でられている仔セイリオスに手を伸ばす。

 次の瞬間。

 

 

 

 ――かぷ

 

 

 

「「「あ」」」

 

 私と、兄様と、レニィさんの声がハモった。

 私だけでなく、兄様やレニィさんにも大人しく撫でられていた仔セイリオスが――何故かレイジさんの手にだけ、見事に噛みついていた。

 

「――――いっ……てぇぇええええええ!? な、何で俺だけ!?」

 

 慌ててその口から手を引き抜くレイジさん。

 そんな様子を、あらあら……と、どこか落ち着いた様子で眺めていたアイニさんが、医療道具の詰まった鞄からいそいそと消毒用エタノールを出し、手早く傷口を診ていく。

 

「だ、だ、大丈夫ですか!?」

 

 ずっといい子だったから、まさかレイジさんが噛まれるとは思っていなかった。

 レイジさんの手から流れる赤い液体に、半ばパニックになりながらアイニさんへと尋ねる。

 

「まぁ、破傷風などは怖いですが……幸い、伝承によればセイリオスの唾液には治癒の力もあるそうですので、大丈夫でしょう。一応消毒も済ませましたし、あとはイリスちゃんが回復したら診てもらってくださいな」

 

 そう言われ、周囲に再びほっとした空気が流れる。

 

「はぁ、良かった……もう、無暗に誰かを噛んでは駄目ですよ?」

 

 軽くこつんと拳を当て、少し厳しめに言うと、仔セイリオスはしゅんとしてしまったので改めて軽く撫でてやる。子供といってもそこは幻獣、人語はまだ喋れないものの、きちんとこちらの言葉を理解しており、どうやら賢い子のようで一安心……

 

「ってぇ……初めて犬に噛まれたぜ……って、悪かった、悪かったって!」

 

 どうやら「犬」と言う言葉が気に入らなかったらしく、仔セイリオスがレイジさんに唸り声を上げる。

 その様子に、噛まれたばかりなレイジさんは、慌てて距離を離した。

 

「レイジさんは、むしろ動物に好かれる方でしたからねぇ」

 

 基本、向こうの世界に居た頃のレイジさんは、初対面の犬なんかには大体懐かれていました。

 だから、こうして邪険にされたのは私も初めて見ます。

 

 そして、その仔セイリオスといえば……

 

「……フンッ」

 

 そう、鼻を鳴らすように一つ息を付いて、レイジさんから目を逸らして私の手にすり寄ってきました。

 仔犬のようなこの子だから、そんな様子も愛らしくはあるのですが……あまりにもあんまりな態度に、レイジさんも流石にびきっとこめかみに血管を浮かべていました。

 

「……こ、この野郎……っ」

 

 わなわなと、怒りに身を震わせるレイジさん。

 ですが、これは訂正しておかなければ。

 

「野郎なんて、言ってはだめです。この子、雌ですよ?」

「……へぇ、ほぉ、ふーん」

 

 ジト目で仔セイリオスを眺めるレイジさんに……本人には悪いですが、少し苦笑してしまいました。

 



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間話:天狼と蛇

 

 終の住処と定めた、山の中腹にある鍾乳洞の中。

 いつものように夢現にあった意識が、不意にはっきりと覚醒した。

 

 懐かしい者の気配が、こちらへと近付いて来ている。

 いや……厳密には、知っている者……今は手も届かぬ彼女と、全く同じというわけではない。しかしとても良く似通った、その魂の波長だった。

 

 

 

 

 麓に暮らすヒトの長と、何年かぶりに言葉を交わして早数日。

 ここ数日ずっと眠っていたためにだいぶ強張っていた首を上げる。

 

 

 ――我は、ただの年老いた一頭の幻獣、セイリオスだ。

 

 何百年か昔は、世界の守護者たる種族を束ねる御子姫……()()の契約獣として傍に控えていた事もあったが……それも、もはや遠い過去の話。

 

 だというのに、この幾百年の時を経て、よもや再び()()の後継者と相見(あいまみ)える機会が得られようとはと、年甲斐もなく心が昂っているのをこの数日ずっと感じていた。

 

 そういえば……何やらここ数日静かだと思ったら、自身の現身(うつしみ)……我が娘が、どうやらいつの間にか姿を消していたらしい。

 

 

 

 ……天狼とも称される、竜種とすら並び数えられる最上位の幻獣『セイリオス』。

 

 その生態系は人にとっては謎に包まれているが……実は、生殖によって増えることは滅多にない。

 彼らは自らの死期を悟った時、自身の力と資質の大半を譲渡した自らの分身たる『子』を作り上げる。

 そうして後の世へと残すのが、彼らセイリオスの生態だった。

 

 そして……例に違わず子を残した彼女も、もはやその寿命は長くない。

 

 

 

 

 我が子は……反応を探ると、だいぶ離れた場所、人里に程近い山の入り口あたりに居た。

 どうやら今は、かの者……ついに現れた、()()の後継者の下へと赴いていたらしい。

 ()()について話したことは無かったはずだが、その存在を嗅ぎ取って、縋る思いで尋ねに行ったのだろう。

 

 

 

 ――我の身体の治療を頼むために。

 

 

 

 もはや思うように体は動かず、今では数日眠っては偶に目覚め、また眠る……そのような生活を送っているこの身だ。

 故に、たとえ世界最高の治癒の力を持つ者を連れて来たとしても、この体は……老衰に蝕まれたこの体はもう元に戻ることは無いだろう。

 だが……それでも、我が身を案じてくれる、我が子の気遣いは嬉しい物だ。

 

 

 

 

 ただしそれが――このようなタイミングでさえなければ、だが。

 

 

 

 僅かに揺れた空気が、髭をくすぐる。

 だが、それは待ち望んでいた来客が立てた波ではなかった。

 

 ……全く、本当に最悪だ。

 不躾にも巣穴に入り込んできたその人物……フードを目深に被った男の顔を、ちらりと目だけで一瞥して……フンッ、と忌々し気に短く鼻息を吐いて、元の眠る姿勢を取る。

 

「……は、相変わらずだな、犬っころが。年老いても人の神経を逆なですることだけは一級品だな」

 

 さして気分を害した風もない……自分の方が上位であると確信している傲慢さ故の態度で、男が文句を言う。正直、相手をするのも億劫だが……

 

 ――はぁ……幾星霜の果てに、久々の待ち人が現れるのを待っていれば……随分と、懐かしい顔の招かれざる客が現れたな。

 

 視線の先に居る、一人の男。

 一見すればどこにでもいそうなちっぽけな存在に見えるが……見たままの存在ではない事は、相対すればよほど鈍い者でも無ければ一目瞭然だ。

 

「ふん……懐かしい獣臭い匂いがすると思えば、そちらこそ、まだ生きていたとはな」

 

 ――貴様こそ、随分と嫌な匂いがするようになったものだ。

 

 本当に嫌な匂いだ。

 世界を壊す、蛇の匂い。

 

 ――我は、昔から貴様の事が大嫌いだった。

 

 そんな自分の言葉に、眼前の男が皮肉げに嗤い、口を開く。

 

「知ってるよ、そんな事。お前はいつもいつもいつも、彼女にずっとベッタリだったくせに、側にいる僕には全く警戒を解かなかった」

 

 ――そうだな……実のところ、貴様のことは、能力と……あと、彼女の敵になることはない、という点においてだけは認めてはいたのだが。

 

「へぇ? 初耳だね」

 

 心底意外そうに言う男。

 

 当然だ。私はこの男が大嫌いだったのだから。

 何故ならば……彼女が、誰よりも――自分よりも、この男を慕い、信じていたから。

 詰まるところ、嫉妬していたのだ。幻獣である自分が、ヒトであるこの男に。

 

 それは……まだ若い時は決して認めることはできなかったが、今であればよく自分のことが分かる。

 

 全て、この男を認めていたからに他ならなかった。

 

 ――だが……同時に、貴様は危ういとも、ずっと感じていた。貴様の彼女に向けている視線は、偏執的に過ぎた。彼女が居なくなれば、恐らくはろくでもないことをしでかすに違いないと。そして、それはどうやら……間違いではなかったようだな。

 

 そう吐き捨てる。

 

 尤も……この男の想いも分からないでもない。

 自分ですら、あの当時はこのような世界、壊れてしまえと荒ぶっていたのだ。

 

 だが……だが、それでも、これだけは、この在り様だけは認めるわけにはいかない。

 

 こいつは、彼女の最後の願いすら、自分の妄執のために踏みにじった。それだけが、どうしても許せなかった。

 

 ――よりにもよって、貴様、そのような物に身をやつしたか……!

 

 

 そう荒ぶる思念を叩きつけて、病床のセイリオスが吠える。

 それに反応し、男の首に巻き付いていた黒い蛇が、しゃあ、と声をあげてこちらも威嚇を始める。

 

 しかし……男の手がその頭をひと撫ですると、不承不承ながらも元の態勢へと戻り、目だけでセイリオスの様子を伺い始めた。

 

「それで、どうする? ここで僕を止めて、世界を救ってみせる?」

 

 おちょくったようなその言葉に、一つため息をついて怒気を霧散させた。

 

 ――やめておこう。こちらは隠居の身だ。今更人の世に関わるつもりはない。だが……あまりにも目に余る行動を取るのであれば、この衰えた身で少々無茶をせねばなるまいよ

 

「……昔ならともかく、今更僕に勝てるとでも?」

 

 その言葉に、黙り込む。

 悔しいが、男の言葉に間違いはない。もはや、自分ではこの男は止められないだろう。

 

 往時の力は、何割も残っていない。

 直死の力を持つという魔眼も、死を呼ぶという咆哮を上げる声帯も、もはや小さな分身へと受け継がれ、殆ど無いも同然だ。

 

 老いという終焉を間近に控えた自分と、人を捨て、生物である事すらも捨てた眼前の男では、まともに勝負にもなるまい。

 

 だが、それでも――

 

 ――貴様は小賢しい小僧だが、どうにも自分の事ばかりで分かっておらんな……貴様以外にも、大事な物を守ろうと死に物狂いで立ち向かってくるものが居る、という事を。

 

 それは、かつてはこの男も持っていた、この男を支えていた強さであったはずなのに。

 

「くだらない。その程度で……たかが少しの人間がちょっと死に物狂いになったところで、この僕が止められるものか」

 

 そのまま、双方黙り込む。

 てっきりこの場で何百年の因縁に幕を降ろされるのかと思ったが、どうやら本当に偶々訪れたらしい。男はこの死に損ないにトドメを刺すつもりではなかったようだ。

 

 だからこそ……遠くから接近してくる我が子とその連れの気配に、忸怩たる思いで舌打ちする。

 

 目に留まりさえしなければ……この男は興味すら持たなかっただろうに……と。

 

 

「ああ、なるほど、そうか……これが、君の言う客か」

 

 気付かれた。

 気がついた以上、この男はあの存在を、まだようやく育ち始めたばかりの少女の光を見逃しはしないだろう。

 

 咄嗟に飛びかかろうとしても、老いたこの身が動くより早く、蛇のように笑うその男の姿が空に浮かび上がった。

 

 襤褸切れのような、まるで虚無を表すかの如く黒く輝く三枚の背中の翼で。

 

 もやはこちらに興味は無いと言うように飛び去るその影を、恨めしげな唸り声を鳴らしながら見つめる。

 

 ――なんという、運の無い当代か……先代の彼女はむしろ、逆に何事も運で乗り切る様な娘だったというのに。

 

 やれやれと病身に鞭を打って、重い腰を上げる。

 何が出来るかは分からないが、微かに感じる、懐かしい匂いによく似た者の下へと馳せ参じるために。

 

 ようやく芽生えた希望を、摘み取らせないために。

 

 

 

 

 





 この作中におけるセイリオスは、発する声に死を招く力があるため普段は口を開かず、念話で会話しています。読みにくかったら申し訳ありません。


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Fatal Encounter

 

 仔セイリオスを拾った日から二日後。

 

 朝目覚めると、お腹の違和感がようやく消え去り、体調がすっかりと復調していました。

 すぐに魔法も何ら問題なく使用できるようになっていることを確認した私は、目覚めて身だしなみを整えてもらった後、まず真っ先に、ガンツさんのところで預かってもらっている仔セイリオスのところへと赴いていました。

 

 兄様やレイジさん、レニィさんらの、ここ数日間代わる代わる仔セイリオスの面倒を見ていた面子が固唾を呑んで見守る中……私の『アレス・ヒール』の光が静かに収まっていく。

 

「……どう? どこか痛い所はある?」

 

 見た目では、翼の骨折などによる変形も、今ではすっかり綺麗になっているけれど……幻獣を対象に使用するのは初めてなので、不安が残ります。

 

 施術を終え、私が尋ねると、仔セイリオスは不思議そうに自分の体をあちこち動かし、折れていた翼を舐めたりして状態を確かめると……一声、おんっ、と元気な鳴き声を上げました。

 

 ――どうやら、大丈夫ならしいです。

 

 皆がほっと一息ついていると、仔セイリオスが机から飛び降りて、私のスカートを咥えて引っ張り始めました。まるでどこかに来て欲しいかのように、切羽詰まった様子で。

 

「ん? どうかしたの?」

 

 その必死な様子に、しゃがみこんで頭を撫でながら聞いてみる、と――

 

 

 

 

 ――気が付いたら、覚えのない風景を眺めていました。

 

 そこは、どこかの洞窟の中。

 二匹の狼……一頭は見上げるほどの巨体で、もう一頭は中型犬の子犬くらいのサイズの……私達のところに来た、仔セイリオス。

 

 であれば、大きなそのセイリオスはお母さんか。

 二匹は、ぴったりと寄り添って、穏やかな時間を過ごしていた。

 

 狩りの仕方。

 過去の物語。

 

 その他、色々な事を親から子へと、伝えながら。

 

 しかし……それもやがて、陰りを見せる。

 親セイリオスの方は日に日に目覚めている時間が減っていき……やがて、数日に一度くらいしか目覚めなくなる。

 

 そんな様子を傍で眺め続けた仔セイリオスは……やがて、何かを見つけたように宙を……親セイリオスに近寄ってはならぬと教えられていた人里の方を眺め、何かを決心したように洞窟の外へと歩き出した。

 

 目覚めぬ親を、心配そうに何度も振り返りながら――……

 

 

 

 

 

「――ス様? どうかなさいましたか、イリス様?」

 

 肩を揺さぶられた感触に、はっと我に返る。横を見ると、心配そうに肩をゆすっていたレニィさんの姿。周囲を見回すと、皆の視線がこちらへと集中していました。

 

 しかし、今見えた映像は……

 

「……これは、あなたの記憶?」

 

 今見えたものについて問いかけると、仔セイリオスはきょとんとした様子で首を傾げる。

 しかし……間違いないでしょう、今の映像は、この子の体験した記憶です。

 この子は……

 

「そう……あなたは、お母さんを助けてくれる人を探して、こんなところまで来たのね……」

 

 そうして、自分と出会った。

 おそらくこの世界でも有数の治癒術の使い手であり……おそらくは、()()()の力を継いだ私の存在を嗅ぎ取って。

 

「でも……」

 

 肩が震えた。

 鼻の奥がツンと痛む。

 

 

 この子の思念を辿って見えた親セイリオスの様子を見る限り……その症状は。

 私の頬を伝った滴が、仔セイリオスの鼻の頭に落ちる。

 

 ――折角、決死の想いでこんなところまできたのに、私には……何もできない。

 

「……ごめんなさい……私にも、どうしようもないと思います……」

 

 その言葉に、きちんと私の言っている事を理解しているのであろう仔セイリオスが咥えていた私のスカートをゆっくりと離し、項垂れる。

 

 本当は、どうにかしてあげたい。

 だけど、こればかりは本当に、何者であっても、どうやっても無理なのだ。

 

 

 

 ……その親セイリオスの症状の名は――老衰。

 

 

 

 こればかりは……全ての存在が持っている天命だけは、私にもどうする事も出来なかった。

 唯一、出来ることがあるとすれば……

 

 そっと、仔セイリオスの小さな体を抱き上げ、胸に抱える。

 

「だから……帰って、側に居てあげて、最後を見送ってあげましょう?」

 

 私のその言葉に……仔セイリオスは、寂しそうに一つ、クゥン、と泣き声を上げた――……

 

 

 

 

 

 映像にあった親セイリオスの様子を見るに、もう残された時間はほとんど無いはずです。

 だから、一日……いえ、一時間でも長く一緒に居させてあげられるように、今すぐにでもこの子を送り届けてあげたい。

 善は急げと、レオンハルト様に事情を話しに行くと……

 

「……あら? ヴァルター団長?」

 

 ノックして入室した領主様の執務室には、もう一つ、大きな男性の……ヴァルター団長の姿がありました。フィリアスさんから、傭兵団の皆は領都の兵士の一部の人たちとの合同演習で遠出していると聞いていましたが……

 

「おう、今帰還したぞ。何やら深刻な顔をしているが、席を外した方が良いか?」

「いえ、できれば一緒にお願いしたいです。行かなければならない場所が出来てしまいましたので」

 

 そうして、訝し気な表情をする領主様とヴァルター団長に、事のあらましを説明しました。

 

 

 

 

 

「……という訳で、ごめんなさい、レオンハルト様、それとヴァルター団長。私も一緒に行ってあげたいのですが……」

 

 当の親のセイリオス本人からも、会いたいと言われているみたいですし……おそらく、向こうも死期を察してそう言っているのだろうから。

 

 それに……別れの前に、色々な話を聞けるかもしれない。

 裏の連峰を住処にしているという親セイリオスは……夢の中の()()の、仲間だったみたいだから。

 

 だから……じっと、私が全てを語り終えるまで、静かに聞いてくれていた領主様の返事を待つ。

 

「駄目……とは言えませんね。すぐに出るおつもりですか?」

「はい……私と兄様と、あとレイジさんの三人で。私と兄様の二人の翼で空を飛べば、レイジさん一人くらいであれば連れて行けますし、道程は大分短縮できると思いますので」

 

 その私の言葉に、領主様が悩みこむ。

 

「……駄目、でしょうか?」

「……まぁ良いでしょう。ただし、私も陸路で後から追います。ヴァルター団長、申し訳ありませんが、あなたも私と共に来てはいただけないでしょうか……あまり、事情を知らぬ者を入れたい場所ではありませんので」

「おう、任せろ。それに、どうにも気になることがあるからな」

「気になること……ですか?」

 

 どこか歯切れの悪い団長の言葉に、首を傾げて尋ねます。

 

「ああ、なんか、うまく言えないんだが……どうにもキナくせぇ予感がする」

「キナ臭い?」

「何て言えばいいか……良く分からん。気のせいかもしれんが……あまり先走るなよ?」

 

 その言葉に、わかりましたと頷きます。

 曖昧な、感覚的なものであっても、歴戦の兵である彼の言葉は……私にも、何か不安を感じさせるには十分でした。

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、私と兄様で協力しレイジさんも連れて、ある程度の高度まで飛行して……高原地帯まで一気にショートカットしてきた私達。

 

 風光明媚な草原を、私達三人と、私の肩のあたりをぱたぱたと翼をはためかせて浮遊している仔セイリオスは、のんびりと歩きながら親セイリオスの待つ巣穴へと向かっていました。

 

「しかし……イリスも、いつの間にか飛べるようになっていたんだね」

「はい、あの坑道が崩落した日からでしょうか」

 

 無我夢中で落下するレイジさんに追いすがった、あの坑道での一件。

 今思い出しても肝が冷える記憶だけれど……おかげで、空を飛ぶコツはつかめた気がします。

 そして、最近ようやく練習を始めて……こうして自在に飛べるようになったのはつい最近……私がここ数日苦しめられていたアレが始まる直前くらいでした。

 

「あぁ……あの時は、本当に助かった」

「ふふ、いえいえ、こちらこそ」

 

 二人で照れながら笑い合う。

 あの日、あの地底湖に落ちた後、兄様たちと合流するまでの話は……他の誰にも話していない二人だけの秘密となっていました。

 

 そんな私達の様子に、兄様が首を傾げていました。

 

「……まぁ、順調に進展しているようでなにより……かな?」

 

 何か、良く分からないことを呟きながら。

 

 

 

「それにしても、景色の良い所ですけど……」

 

 高原地帯であるこの場所はあまり背の高い樹木は生えておらず、代わりに視界一杯に広大な青空と草原が広がり、色とりどりの高原植物が大地を覆っています。

 その風景は、昔テレビで見た外国の山の景色のようで、とても清々しい景色が一面に広がっていました。

 

 しかし……人の手の入らぬ地であるため、とにかく足場が悪く、歩くのも一苦労でした。

 

「こうも足場が悪いのもな。イリス、ここ、足元が沢になってるから注意な」

 

 先導し、足元を確かめながら歩いてくれているレイジさんがそう言って、ひょいっと草の中に潜んでいた清流を飛び越える。

 ……レイジさんだから気軽に飛び越えましたが、私には少し、間隔がありすぎました。

 

「おっと、それでは姫様、お手を拝借」

「もう、兄様!」

 

 おどけて手を差し伸べるソール兄様と、それを苦笑して眺めながら同じく手を差しだしてくれるレイジさん。

 その二人の手を握り、ひょいと沢の向こうへと引っ張り上げられた――その時だった。

 

 

 

「へぇ、本当に()()んだ。道理でこの前『傷』を開けたはずなのに、ろくに騒ぎも起きないと思っていたら」

 

 

 

 ――不意に聞こえてきた知らない声に、私達の動きが硬直する。

 

 そこには……忽然と、一人の二十代半ばくらいに見える青年の姿があり、私達の向かおうとしていた方向から歩いて来ていました。

 

 ――いつから、そこに居た?

 

 分からない。全く分かりませんでした。

 ここは見晴らしのいい高原で、接近を見逃す筈がないのに。

 

 でも、確かについ一瞬前まで、こんな人はこの場には居なかったはずだ。

 

 まるで突然フィルムの中に挟み込まれたように、本当に突然……何度思い返しても、誰も居なかったはずのそこに、何の予兆もなく忽然と姿を現していました。

 

 そして……今の今まで認識できなかったというのに、その姿を認識した瞬間から、体の震えが止まらなくなる。

 

 腹を空かせた猛獣の巣に踏み込んだ、などまだまだ生易しい。

 まるで、竜の鼻先に裸で立っているかのようだった。

 冷や汗が止まらない。

 対面している圧力だけで、窒息しそうなほどの息苦しさを感じる。

 

 本能が、全力で警鐘を発していた――コレに比べれば……今まで戦ってきた相手は、全てが他愛ない相手でしかない、と……!

 

「てめぇ、何者だ!?」

「いつの間に……っ!?」

 

 咄嗟に私を庇って、兄様とレイジさんが前に出てそれぞれの武器を抜く。そんな二人ですら武器を持つ手が震えており、顔色がひどく悪かった。

 

 だけど、私は……

 

「あなたは……そんな……」

 

 何らかの認識阻害が掛かっているのか、二人は気が付いていないようだけれど。

 その男の背に伸びる、黒いもの……真っ黒に染まった、ボロボロな三枚の光翼を呆然と見上げていた。

 

 

 

 ――そいつは……とんでもねぇ化け物を従えた悪魔みてぇな奴だったよ

 

 

 

 以前の街で、ヴァルターさんの言っていた言葉が、脳裏に蘇る。

 夢の中の()()の傍にいつもいた、その男性の面影が、確かにある。

 

 

 

 そんな――黒い翼の、光翼族。

 

 

 

「…………死の、蛇……っ!!」

 

 呆然と、その名を口にする。

 ヴァルター団長の言っていた、最悪の災厄。

 たった一体で、幾つもの町や村を滅ぼし、ノールグラシエ前国王が率いる討伐隊や、以前のヴァルターさんの傭兵団を壊滅させた、化け物。

 

 ――それが、今ここに、目の前にいる……!

 

「あ……? って、こいつが!?」

「なんだと、くそ、こんな誰も居ない時に……っ!!」

 

 呆然と口にした私の言葉に、二人もようやくその背にある翼に気が付き、焦った声を上げる。

 

「逃げて!」

 

 足元で唸り声をあげている仔セイリオスに叫ぶ。

 現時点で、最も付近にいてかつ戦力になる人を瞬時に思い浮かべる。

 

「逃げて、誰か……さっき、私と一緒に大きな人が居たでしょう!? あの人を……助けを呼んできて、お願い!」

 

 そう必死に懇願すると、想いが通じたのか、何度か躊躇いを見せながらも仔セイリオスが飛んでいった。

 

 これで、あの子が戦闘に巻き込まれることは無くなったことにだけは、内心そっと胸を撫でおろす。

 あわよくば、領主様やヴァルターさんが来てくれればいいのだけれど……

 

 

 

 ――それまで、三人で持ちこたえられるの?

 

 

 

 浮かんできたその疑問に、ぞわりと肌が粟立った。

 

「……二人とも! ここはどうにか耐え凌ぎながら下がって、ヴァルター団長たちと合流を優先で……っ!」

 

 震える声で出した私のその指示に、敵から目を離さずに二人が頷く。

 しかし二人のその表情も固い。

 余裕ぶってこちらを見下ろしている『死の蛇』だが……その嗜虐の色を浮かべた目は、獲物を逃がすつもりはないと雄弁に語っていた。

 

 そして……ここを離脱した後は?

 ヴァルター団長や領主様、ローランディアの軍と合流できたとして、勝ち目は?

 何より、街に逃げ延びたとして、そこが……戦う力のない人が大勢いるそこが戦場にならないという保証は?

 

 思考が滑る。

 悪い事しか思い浮かばない。

 絶望的な予感が広がっていく。

 

 男は、そんな私達の焦る様をまるで楽しむかのように、愉悦の表情を湛えて悠然と佇んでいた。

 いつのまにかその傍らに、まるで闇を集めて固めたような、巨体な影の大蛇を侍らせて――……

 



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暴虐の『死の蛇』

 

 ――眼前の敵には、勝てない。

 

 そう即座に判断し転進しようとする私達。

 だけど、動き出そうとしたその瞬間。

 

「良い判断だ、だけど……逃がさない、やれ、クロウ」

 

 男の指示に、いつの間にかおよそ五メートル、見上げるほどの大きさに膨れ上がっていた大蛇が大口を開け、その口腔内に闇が生まれた。

 みるみるサイズを拡大したそれは、傍目から見ても分かるほど濃厚な呪詛の気配を周囲一面に漂わせ、大蛇周囲の草花を枯らしていく。

 

「二人とも! 私の後ろに!!」

 

 そう叫ぶ兄様の声に私とレイジさんが盾の影へと飛び込んだ直後、大きく口を開けた影の大蛇の口から、昏い闇が放たれる。

 

 ――まるで呪詛を限りなく凝縮したような、(おぞ)ましい闇の閃光が……

 

「させるか……! 『フォース・シールド』……っ!」

 

 兄様が地面に突き立てた盾から不可視の障壁が展開され、闇と激突した。

 それでも衝撃を押し殺すことが出来ず、突き立てた盾にもたれかかり支える様にして保持する、が……

 

「ぐぅ……っ!」

「きゃぁ!?」

「うわ……っ!?」

 

 三者三様の悲鳴が響いた。

 眼前が、衝撃で拡散した闇で包まれる。

 轟音と、激しい振動。

 

「……なに、これ……苦しい……っ!」

「瘴気が、濃すぎるんだ……っ!」

 

 拡散した瘴気が散り、周囲へと充満する。

 肺に入り込んだそれが激しく体内から攻め立て、胸に激痛が走る。

 そんな中……

 

 ――ピシッ

 

 そんな音が、この衝撃がぶつかる轟音の中で、不意に大きく鳴り響いた。

 

「馬鹿な……破られる!?」

 

 幾度も私達の危機を救ってくれた、絶対の筈だった障壁。私達の眼前で、その障壁に、ピシ、と亀裂が入った。

 使用者である兄様の魔力が続く限り、どのような攻撃をもはじき返すと信じていたその障壁が、割れ始めていた。

 

「……くっ!」

 

 咄嗟に兄様が、懐から一枚の札を出す。

『月光の魔符』……魔法などの威力を軽減する守護魔法が込められた使い捨ての呪符を手と口で破り捨てると、構えていた盾がぽぅっと淡い光に包まれる。だがその光は、目の前で荒れ狂う闇に対してあまりにも儚かった。

 

 ミスリルが混ぜ込まれたインクで印字されたそれは最高級品であり、一枚で一般家庭のひと月の給与が吹っ飛ぶほどの値段がするはずのその呪符だが……それでも僅かに侵攻を押し留める程度の効果しかなく……

 

 『フォース・シールド』が砕けると同時に、黒い蛇が吐き出し終えたブレス。

 ついに砕けた障壁を飲み込んで爆風が巻き起こり、私達三人はひとたまりもなく飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 酷く長く感じる時間の中、全身を刺していた瘴気の爆風が、晴れる

 身体が重い。

 ミリィさんのくれた様々な耐性を持つ装備に加え、元々の呪詛耐性自体が高いはずの私でさえ、まとわりつく闇を押し留めきることが出来ずに酷い脱力感を感じていた。

 

 ならば……同じ状況下に居た他の二人は……?

 

「……兄様、レイジさん……っ!」

 

 がばっと跳ね起き、他の二人の安否を確認しようとして、息を飲む。

 

 

 

 ――景色が、一変していた。

 

 

 

 ついほんの先程まで高原植物が生い茂り、多様な花々が咲き乱れる風光明媚な景観を見せていた高原は……その一部、私達の周囲一帯が荒れ地と化し、瘴気があちこちに残留する禍々しいものへと変化していた。

 

 その中で、ある一か所――大地に突き刺さった砕けた盾の背後、まるで爆風を免れたかのように残った緑の大地。その先端で……いつも私を守ってくれていた兄様が、倒れ伏していた。

 

「……兄様!」

 

 慌てて駆け寄り、必死に治癒魔法を施す。

 

「……駄目だ……早く、逃げ……」

「黙って、綾芽、今治すから……!」

 

 朦朧としながらも絞り出されたその言葉を、無視して治癒魔法を唱える。

 

 ……効きが悪い。

 

 全身に纏わりついた瘴気が、治癒魔法の光を妨害していた。

 それでも、必死に何度も『ヒール』を重ね掛けしているうちに、徐々にだけれど怪我が薄れて来る。

 

「さて、結構頑張ったけれど、これで一人。それじゃ、力尽きた者にはご退場願おうかな?」

「くっ……!?」

 

 聴こえてきた男の言葉に、咄嗟に倒れた兄様を庇い、回復魔法を維持しながら腕の中に抱え込む。

 薄紙程度の抵抗にもならないだろうけど、それでも服のエンチャントがあるから一回くらいは……そう覚悟を決め、来るであろう衝撃に備える。

 

 そんな私の眼前で男の手から黒い炎のようなものが放たれ……その間に割り込んできた人影、レイジさんの放った何かによって分かたれて背後へと抜けていった。

 

「させるかよ……!!」

 

 先程の余波によってあちこち血を流しているレイジさんが、それでも私達の前に立ち塞がる。

 その周囲には、以前にも見た不可視の力場の剣が、その周囲を回転しながらレイジさんの指し示す先、男へと向けて大気を貫き震わす轟音を上げながら順に射出されていた。

 一本一本が、放つレイジさんの足が僅かずつ後退するほどの勢いで射出されている十二本の力場の剣。しかし……

 

「嘘だろ……素手で……っ!?」

 

 何らかの魔法らしき闇を纏った腕で、まるでハエでも払うかのように面倒くさそうに剣を払いのける男。

 

 だけど一二本目、最後の一本の『剣軍』が射出されると同時、その剣にすらも追いつくような速度でレイジさんが飛び出した。

 抜き打ち気味に鞘から抜かれ放たれた、レイジさんの手にした『アルヴェンティア』が、鞘の中で光となって可視化するほどに込められた闘気によって眩く輝く。

 

 その一瞬……男が何かに驚いたかのように目を見開かせ――レイジさんの剣を撃ち払おうと振りかぶった腕が止まり、隙が生まれた。

 

「喰らいやがれ、『リミティションエッジ』……!!」

 

 

 会心のタイミングで放たれたレイジさんの剣。

 男が一瞬、呆然とした表情を見せて固まっている中……跳び上がって体重と重力加速まで載せられ、全身全霊をさらに超えた力で振り下ろされた剣が、その頭へと叩きつけられる。

 

 

 

 まるで鋼鉄の壁を叩いたかのような音と共に、その剣が直撃……したかのように見えた。

 

 

 

「……へぇ……今のはちょっと痛かったな」

「……なん……だと……っ!」

 

 つぅ……っと額から垂れてきた自らの血を舐め取って……その程度にしか効いていないように見える男が、軽い調子で宣う。

 

「ああ、いくら何でもまともに食らったわけじゃないし。いや、ほら、全力で振り下ろされた刃物を生身で受けて無事とか、生物としてどうかと思うし、そんな訳ないだろ?」

 

 そう何でもないことのように軽い調子で言う男の周囲にはうっすらと、黒い六角形がいくつも張り合わさったかのような力場が浮かんでおり、それがレイジさんの刃を阻んだという事を理解する。

 

 そして……レイジさんの渾身の一振りですら、()()()()()()()()()()()()()()()()、でしかないという事も。

 

「でもさ……痛い物は痛いんだよ……なあっ!!」

「この……っ! 『閃――』……」

 

 追撃を加えようと、振り被ったレイジさんの白い剣が、男に摘まれる。

 それだけで、まるで空間に固定されたように刃が空中に制止する。

 

「な……んだと!?」

「刃物で人を殴打してはいけないって、習わなかったか、人間……っ!!」

 

 男が、脚を振りかぶった。

 足先に集まっていく闇に、レイジさんが咄嗟に剣から手を離し、闘気を拳に集中させ……

 

「――がぁあ!?」

 

 しかし、男の足がレイジさんの身体に叩き込まれる方が僅かに速かった。

 蹴り飛ばされたレイジさんの身体が、冗談のように宙を舞って私達の側へと落下する。

 

「……レイジさん!?」

「……がはっ!? げふ、がっ……は……っ!?」

「そんな……そんなっ!?」

 

 ごほごほと咳き込むたびに大量の喀血をしている様は、明らかにあばら骨を何本もやっており……治癒するまで、到底立ち上がれそうにない。

 そして……まるで炎が燃え移るかのように、その体に纏わりついていた影が、レイジさんを覆ってしまい、その体が力無く崩れ落ちた。

 

 残るは、直接戦闘力の無い私だけ。

 強力な範囲回復も、詠唱の時間が確保できない以上使うことができない。

 

「さて……頼みの騎士様たちは二人とも戦闘不能だけれど、どうしようか?」

 

 薄ら笑いを浮かべるその男に、ビクッと体が震えた。

 

 ――強い。ここまでなんて……っ!

 

 これが、前国王とヴァルター団長が多大な犠牲の元に撃退した、大陸全土を震撼させたという災厄。

 思い上がっているつもりなんて無かったけれど、それでも、数体の強敵を相手に勝利を収め、知らないうちに舞い上がっていたらしい心が急速に冷えていく。

 

 ――勝てない。

 

 すぅっと足元から全身へと這いあがってくるそれは、絶望感。

 

「さて……それで、君はどうするのかな?」

 

 へらっと笑ってそう語り掛けて来る男の目には、酷薄で嗜虐的な色が浮かんでいる。

 だけど……手段は、ある。

 二人を癒し、助けを待つ時間を稼ぐ手段は……ある。

 使えるのは数日に一回、しかも維持には私の消耗が激しいが……一縷の望みを賭け、使わざるを得ないと判断する。

 

 必死に、今にもへたり込んでしまいそうな脚を叱咤してお腹に力を込め、叫んだ。

 

「……開け『聖域』!!」

 

 私を中心に展開した『聖域』が、見る間に広がって傷ついた二人を、その纏わりついていた呪詛を吹き飛ばしながら取り込む。

 幸い、男に蹴り飛ばされたレイジさんは私のすぐ側へ飛んできているため、展開範囲は最小限で済ませられる。

 

 全力を込めていても、以前よりも格段に上昇している私の魔力はまだまだ余裕がある。

 今の魔力が流れ出すペースであれば、一時間はなんとか持たせられるはずだ。

 このまま、二人が快癒し目覚めるか、救援が来るまで……

 

 そう、必死に自分へと言い聞かせながら『聖域』を維持していると、睨みつけていた視線の先で、男が――嗤った。

 

「……っ!?」

 

 その表情に、ぞわりと悪寒が背中に奔った。

 

 ――この状況に……誘導された……!?

 

 そうだ、先程絶対の守護だと思っていた兄様の『フォース・フィールド』が破られたばかりではないか。

 

 自分の失策に気が付いたと同時に、男の手が、『聖域』に触れる。

 

 

「……あ? ……え?」

 

 ぞろりと、何か不快なものが体に触れたかのような違和感に、呆然と声が漏れた。

 だけど、そっと視線を下ろしてみても、確かに何にも触れられてなどいない。

 それは……まるで、撫でまわされているかのような感触。

 

 そう……眼前で、男が私の『聖域』へと触れているように。

 

「…………あ、あぁ……っ!?」

 

 次の瞬間、全身に何か異物が、悍ましい液体のような物が染み込んで来るような錯覚に、思わず悲鳴が漏れた。

 

 ――浸食。

 

 そんな言葉が、苦痛に明滅する思考の中で脳裏に浮かぶ。

 私の色に輝いているはずのその『聖域』の外縁部、男に触れられている場所が、黒と金のまだら模様を描いているのが視界の端に見えた。

 

「……ふん、ずいぶんと脆弱な『聖域』だ。指導者も居なければこのような物だろうけれど」

「いっ…………ぁぁぁああ、あ、あああっ!!?」

 

 探るように表面を撫でまわしていたその指が……まるで粘土に指を突っ込んだかのように、ずぶ、と男の指が聖域に沈み込む。

 

 その瞬間――まるで、身体の芯に異物が挿入され、かき回されたような感触が、全身を下腹部から脳天まで貫いた。

 

「く、くくっ、どうしたんだい? 必死に拒まないと、どんどん引き裂かれていくよ、なぁ?」

「ぅあ!? あぁぁああ!?」

 

 まるで弄ぶかのように、ぐりぐりとかき回される聖域へと潜り込んだ指。

 その度に、背中に、翼の付け根に激しい痛みが走り、びくっ、びくっと背中が仰け反る。

 

 小さかった亀裂は、男が力を込めるたびに罅割れが広がり、びし、びし、と壊れていく聖域。

 その度にみちみちと、身体が引き裂かれ、身体の中心へと穿たれてていくような感触が全身を襲い、膝が震えて折れた。

 

 そんな時――

 

「…………て、めぇ……イリスに、手を……っ」

 

 背後で倒れ伏しているはずのレイジさんの、譫言のような微かな呟きが、背後から聞こえた。

 その声に、今、私の後ろには二人が居る、今回は私が護らなければいけない番なのだと思い出した。

 

 ――そうだ、私が……私が二人を守らないと……っ

 

「う、ああぁぁぁあああ――っ!!」

 

 手が震え、過負荷に腕の血管が爆ぜ、薄い皮膚を突き破り紅い液体が舞った。

 なけなしの気力を振り絞って、必死に『聖域』を維持する。

 

 荒れ果てていたはずの大地に白い花が芽吹き始め、突き刺さっていた男の指が、輝度を増した障壁に少しずつ押し戻され始める。

 

「……へぇ」

 

 ただ、関心したような男の声。

 

「頑張るじゃないか。そんなに、後ろの二人が大事?」

「あたり、まえ、です……っ! 絶対、負けない……っ!!」

 

 ぼたぼたと額から汗を流しながら、キッと眼前の男を睨みつける。

 

 虚勢だ。

 勝てる気など、全くしない。

 だけど……諦めるにはいかない。

 そのために、ここで全部絞りつくすことが必要だったとしても……!

 

「全く……馬鹿な奴が末裔に、なったものだ!!」

 

 男の手に、何か……いつの間にか仔蛇サイズとなっていた影の蛇が、まとわりついていた。それを目にした瞬間、迸る嫌な予感。

 

「くっ……『ガーデン・オブ・アイレ――』」

 

 咄嗟に聖域を強化しようとその名を呼んで……その私の言葉が終わるか終わらないかという時。

 

「――ぇ……ぁ……?」

 

 手の内から、掲げた杖の感触がズレた。

 

「あ……あぁ……っ!?」

 

 手の内にあったはずの愛用の錫杖は、両手の間で半ばから断たれ二つに分かたれており――

 

 その事を認識した瞬間、私の周囲の世界が――聖域が、無数の破砕音を奏でて罅割れた。

 

 そしてさらにその次の瞬間――周囲を覆う真っ白に罅割れた『聖域』が、網の目のように……あるいは、私を捕まえるケージのように、黒い炎に包まれた。

 

「――――――ッッッ!?」

 

 

 悲鳴は、声にならなかった。

 

 魂が割り開かれ、引き裂かれるかのような。

 私という存在を穿ち、その中を蹂躙するような。

 

 まるで、乙女の薄膜を無惨に破り、好き放題中を蹂躙されているかのように。

 まるで、希望や尊厳などを轢き潰しながら、大事な場所をぐちゃぐちゃに掻き回されるかのように。

 

 もういっそ死にたい、死なせてと願いそうになるほどの喪失感、絶望感を孕んだ凄まじい悍ましさが、心と身体を蹂躙し――

 

 

 

 そうして――『聖域』が、一片も残さず焼失した。

 

 

「はぁ……はぁ……っ、そん、な……っ」

 

 『聖域』が、力任せに切り裂かれ、燃やされて消える。

 そんな事が、できるなんて。

 

「……ぅ、がは……っ!?」

 

 無理やり『聖域』が破られた余波で、全身の魔力の経路という経路が混乱して体の中を暴れまわり、視界が歪み、激しい嘔吐感が込み上げ、たまらず吐き出した。

 体中を暴走する魔力が体内を傷つけていたらしく、胃液と血液が混ざった赤い液体がぼたぼたと地面を濡らす。

 

 魔力はまだ残っていても、もはや身体が全く言うことを聞いてくれない。

 抵抗の意思が折れ、先端の装飾部を失った杖の残骸にもたれながら、ズルズルとへたり込んだ。

 

「さて……クロウ、その娘を捕らえろ」

「ぃ、ゃ……来ないで……」

 

 伸びてきた手と、いつのまにか三匹に増えていた影の大蛇。

 それから逃れようとしても、震える脚に力が入らずに、尻餅をついてしまう。

 それでもどうにか距離を取ろうとして、後退する。

 

 抵抗しようという気すら、全く湧いて来ない。

 身体が、心が、魂までもが、眼前の男に屈服してしまっていた。

 

 だが……当然ながらそんな私よりも蛇の方が速く、右足に、両手に纏わり付いた。

 

「や、ぁ、嘘!? 服、入って、来ないで……あぁぁああ!?」

 

 肌の上を這い回って登ってくる大蛇が衣類と肌の間に滑り込み、全身を直に舐め回して這い上がって身体中を締め上げた。

 守護の下から直に触れている蛇から流れ込んでくる冷たい感触に、たまらず悲鳴が溢れた。

 

 そんな私の体が、ギリギリと身体を締め上げる大蛇に釣り上げられ、足が地面から離れ宙に磔けられる。

 

「嫌、嫌だ……っ、やぁっ、何か入ってくる、離して、お願……」

「少し……黙れよ」

「あ……ぐっ!?」

 

 首に男の指がかかり、力が少しずつ込められて、呼吸できずに呻き声だけが漏れた。

 

 ――寒い。

 

 まるで全身が凍っていくかのよう。

 

 以前、最初の町で、結晶の魔物に侵食された時みたいに。

 

 いや、あの時を遥かに上回る勢い、密度をもって体内に侵入してくる冷たい感触に、あの時よりも成長したはずだったこの身体がまるで抵抗もできないまま、体の感覚が失せつつあった。

 

「……っと、クロウ、力を緩めろ。そんなペースでは、無力化する前にその娘が死んでしまう」

 

 そんな言葉が聞こえてくると同時に、ふっと全身に掛かっていた圧力が緩む。

 しかし、それでも尚、絶対に逃がさないとばかりにガッチリと固められた全身に、ドクン、ドクンと一定のペースを刻みながら緩やかに流れ込んでくる悍ましい穢れ。

 

「……やっ……あっ……あぁ……っ」

 

 その度に体が痙攣し、体内をのたうつ穢れに責め苛まれる苦しさから、喘ぎ声が抑えきれずに口の端から漏れた。

 

「安心するといい、どうやって使用法を突き詰めたか知らないが、あの本……道具で作った紛い物だろうけど、一応同類のよしみで、殺しはしないよ……」

 

 そう言って首に掛かった手から力が緩められた。

 必死に酸素を取り込もうとする私の頰に、嫌に優しく触れる手の感触。

 

 その突然の優し気な手つきに、戸惑う私の眼前で……その男の口が、酷薄な笑みを浮かべた。

 

「だけど……ここで、君のその身体を犯し尽くし、穢し尽くしてやる。ヒト共が、また君のような者が現れたからと、くだらない希望など抱けないようにな……!」

「うぁ……そんな、だ、め……っ、やめ、あ……ぁぁあ……っ!?」

 

 まるで、死刑宣告のようだった。

 そんな私の懇願を他所に、全身に絡みついた蛇から、首と頰に触れている男の手から、執拗に注ぎ込まれ続ける穢れ。

 

 全身の魔力の流れていた経路が、相反する力に占領され、何も感じる事が出来なくなっていく。

 

 逃げないと。

 でないと私が、私にできることが……私が皆の中に居ることができる意味がまた、無くなってしまう。

 

 ……嫌、それだけは、嫌!

 

 そんな衝動に突き上げられ、抵抗しようとする意思がまた僅かであっても湧いたその瞬間――そんな想いも虚しく、淡く明滅していた翼が……ついに、ふっと消えた。

 

 目の前が、真っ暗になっていく。

 世界が、色と音を失っていく。

 

 もう、全身に何も力が感じられなかった。

 からん、と杖の残骸が手から落ちた音すらも、遥か遠かった――……

 

 



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夢の跡の君 -リィリス・アトラス・ウィム・アイレイン-

 

 ――私ね、自分さえ頑張ればって、そうすれば、後に生まれて来た子達はもう、こんな想いをしなくて済むのならって、ずっと頑張って来たんだよ。

 

 

 

 機械に繋がれた彼女は、そう、微笑みながらこちらを見下ろしている。

 ずっと隣にあったはずのその存在が……今はもう、手も届かない。

 

 

 

 ――だから、これでいいの。私がこうする事で、皆がもう同じ思いをしなくて済むのなら、私の目的は達成されるの。

 

 

 

 そんな筈があるものか。

 自分が何もできずにむざむざと捕らえられている間、ずっと、ずっと彼女の泣き声が聞こえていたのに。

 

 だけど……今の自分には、手の内にあるこの存在を連れて帰るのが精一杯だった。

 手の内にあるそれ……生まれて来るはずだった彼女の後継者の魂を封じたという、魔導器。

 

 死に物狂いで奪って来たそれは、平穏だった日々を全てを狂わせた元凶で……しかし、決して失うわけにはいかない。せめて、信頼できる誰かに預けるまでは。

 

 

 

 ――その子の事は辛かったけど、大丈夫。きっと君がいつか救ってくれるって、信じているから……ね? さ、早く行って?

 

 

 

 背後で、隔壁が降り始めていた。

 彼女が最後の自由意思でこじ開けた、唯一の脱出口。

 

 

 

 ……いつか、迎えに来る。

 

 

 

 どうにか、絞り出すようにそう告げて、彼女へと背を向ける。

 

 あるいは、余計な希望を与えてしまうのは残酷だったかもしれない。

 だけど……言葉にしなければ、ここで諦めてしまう予感がしたから。

 

 

 

 ――うん、待ってる。

 

 

 

 いつもの待ち合わせの約束をする時のように、微笑んで返事をする彼女。

 

 嘘だ。

 

 自分も、そしておそらくは彼女も、そんな言葉は信じちゃいない。

 

 それでも……立ち止まることは許されず、もはや自分の背よりも低い所まで降りてしまっている隔壁を潜り抜け、部屋の外へと脱出する。

 

 ……その声が聞こえてきたのは、そんな後だった。

 

 

 

 ――だ、よ……

 

 

 

 それは、隙間から漏れて来る、一人になった彼女の声。

 もう、僕に聞こえていないと思っているからこそ出た、彼女の本心。

 

 

 

 ――嫌、だよ……!

 

 

 

 聞き耳を立てるのは躊躇われたが、彼女の真意を知りたいと考えてしまい、足が止まってしまった。

 中から聞こえて来たのが……慟哭だったから。

 

 

 

 ――三人で、いっぱい色々な物を見たかった、色々美味しい物を食べたかった……!

 

 

 

 ああ、そうだな。君は意外と食いしん坊だから、娘にまで買い食い癖がつかなければ良いんだけど。

 

 

 

 ――おかあさんに……なりたかった……っ!

 

 

 

 僕としては、君はボーっとしていて、なのに落ち着きがなくてガサツだから、ちゃんと母親をやれるか、正直ずっと心配だったんだけど。

 それとも……子供が産まれたら、変わって行くのだろうか?

 

 

 

 ――親子三人で、色々と旅してみたかった……()だけじゃない、()()()()も……!

 

 

 

 あぁ、行きたいな……こんなクソみたいな場所に縛られず、広い世界をあちこちに飛んでいくんだ。

 

 外の世界も……向こうは隔絶されたこちらよりも時間の流れが早いらしいから、僕たちには思いもよらない程文明が発達していたりするのだろうか。

 

 あぁ……どれもこれも魅力的で……でも、どれにも手が届かない。

 

 僕に力があれば……戦う力、魔法の力、それだけじゃない、発言力や、政治力、社交力、その他僕らの居た世界を変えられるだけの力があれば……叶えられたのだろうか。

 

 

 

 ――ごめんね……――君……

 

 

 

 隔壁が降りる直前、隙間から聞こえて来た、彼女の声。

 

 あるいは、都合のいい幻聴だったのかもしれない。

 

 ……だが、そうだとしても、たしかに聞こえて来たのだ。

 

 

 

 ――ずっと……ずっと……大好き、だよ…………

 

 

 

 それが……最後に聴いた、彼女の声だった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……――あ……ぁ…………」

 

 ぼんやりと、意識が浮上する。

 

 

 相変わらず蛇に絡め取られた体は宙に固定されており、手足はだらんと完全に脱力したまま、ぴくりとも動かない

 何も、感じない。

 ただ意識がある……そんな状態。

 

「……目覚めたか。お前もツイていないな、気を失ったままでいれば、目覚めた時には全ての力を失って終わっていたというのに」

 

 力無く首を振る。

 私の内部から、何か決定的な物が砕かれる予感。

 破滅の手が、とうとう私の最奥の私という存在を作っていると感じる()()に触れ、握られた悪寒。

 

 だけど……何も、できない。

 

「ははは……っ! 悲しむ必要は無い、どうせそんな力を持っていたって、いつかヒトはお前を利用しようと喰らいつき、しゃぶり回すんだ! どうせ、ロクな事にはならないんだ!!」

 

 

 頭を掴まれているため、右目は男の手によって塞がれているが、左目は男の指の隙間から、その様子を捉えていた。

 

 

 

 ――ああ、なんで、この人は…………こんなに辛そうな顔をしているのだろう。

 

 

 

 今この瞬間も私という存在を好き放題搔き回し、壊しているはずの彼が……ひどく、悲しそうに見えて仕方が無かった。

 

「だったら……ここで、そんな力、二度と使えないようにぶっ壊して――っ!?」

 

 ぎりっと、捕まれた何かへと力が加わるような、致命的な感触。

 圧倒的な喪失の予感に、意識が遠のいて――

 

 

 

 ――うーん……こんな事になっちゃってたかぁ。彼ってば、思い詰めるタイプだったからなぁ。ごめんね、でも大丈夫、私が守るから。

 

 

 

 沈んでいく闇の中に、不意に、光が生まれた。

 

 

 

 

 ――こーら! いつも言っていたでしょう? 女の子を苛めちゃダメだってば。

 

 

 

「苛めてなんて居ない! 僕は……え……?」

 

 男が、何かの声に反論する。

 まるで、打てば響くかのように。

 長年連れ添っていた相手との会話のように。

 

 彼自身がその事に一番驚いており、私を責め苛んでいた手が、思わずといった様子で蹂躙を止める。

 

 

 

 ――そのつもりが無くても、君はいぃっ……つも、不機嫌そうにしていて顔が怖いんだから、もうちょっと優しく接しないとっていつも言っているでしょう?

 

 

 

 何故か、この状況でもなお、どこかほわほわと軽い……だけど、まるで母に抱かれているかのように暖かい声が、聴こえた気がした。

 

「……そんな……嘘だ、こんな幻聴――ぐぅ!?」

 

 呆然と上擦った声で呟いた男が、突然呻き声を上げた。

 その声と共に、捕まれていた頭から離れていく圧力。

 

 私の額、以前夢の中で()()に触れられた場所が熱を持ち、光が周囲に放たれた。

 その光に弾かれたように、男の手が私の顔から離れていった。

 

 同時に、精神と魂を描き回していた感触がふっと消え失せ、解放される。

 

「……――ぅ、くぅ……っ!」

 

 呼吸はままならず、身体は碌に動かせない。

 だけど……寒さが和らいで、微かに感覚が帰ってくる。

 何かに抱かれ、温められているように。

 

 

 

「馬鹿な……何故君が、そこに感じられる……何故、君がその女を守る……!」

 

 愕然とした様子で、私達に向けた敵意も、先程までの狂想もなく、まるで普通の少年のように叫ぶ男。

 

「何故だ――()()()()!?」

「…………リィ……リス……?」

 

 朦朧としながらも、先程聞いた名前らしきものを口にしながら、必死に顔を上げる。

 半ば意識の落ち掛けた中、視界の先には……朧気に見える、背中を向けた彼女の姿。

 

 

 

 ――うん、リィリス・アトラス・ウィム・アイレイン。『アトラスのアイレインの娘リィリス』なんて仰々しい名前だけど、それが、私の名前だよ。

 

 

 

 思い出しました。

 幾度か、夢の中で見たあの人。

 それが、今、消え入りそうに弱々しい光ながら、こちらの世界で今、私の目の前に居ました。

 

 

 

 ――間一髪だったけど、また逢えたね。もう大丈夫。

 

 

 

 その言葉に……未だ拘束されたままにもかかわらず、不思議と安堵が広がっていく。

 

 

 

 ――私はあまり長くいられないけれど、あの子も来てくれた。本当に……あの子には、最後の時まで助けられちゃったな。せっかく静かに眠りにつく所だったのに、ごめんね。

 

 

 

 そう言って振り返った彼女が、ほわっとした笑顔を見せた気がした――次の瞬間、私を戒めていた影の蛇が、突如飛来した無数の針のようなものに穿たれて拘束が緩む。

 

 

 

 ――ゥオオオオォオォォオオオオオ!!

 

 

 

 凄まじい咆哮が、あたり一面へと鳴り響いた。

 

 対象にされていないのは分かっているのに、それでも本能で体が竦む、狼の……いや、その程度では何百集まろうと比較にもならないほどの迫力を帯びた雄叫び。

 

 その声に魂を削り取られたかのように、身体を拘束していた蛇の一体がどろりと形を崩し、まるで液体のように身体を伝い流れ落ちて、離れていく。

 

 そこにいつの間にか立っていたのは……一匹の巨大で荘厳な狼。

 全身を針のように逆立てた毛皮を震わせ、ばさりと広げられた翼が、傘のように私を男から守っていました。

 

「……あな、たが……?」

 

 あの、仔セイリオスのお母さん?

 

『そうだ。あの子の事を助けてくれたことを感謝する、次代の御子殿』

 

 思念が伝わって来る。流石は幻獣の王というべきか、老いなど感じさせない、凛とした意思でした。

 

『もはやこの死に損ないには大したことはできぬが……その借りだけでも、逝く前に返すぞ……っ!!』

 

 その思念と同時に、私の全身を戒めていた残り二匹の蛇が、無数の槍と化したその体毛に貫かれて形を崩し、離れていく。

 

『そこの(わっぱ)、起きているな、死ぬ気で受け止めろ……!』

 

 

 

 支えを失った体がずるりと倒れ込みそうになった所を……何か、巨大な口のようなものに咥えられた、と理解する間もなく、身体が宙を舞う浮遊感。

 

 影の中から咥えてもぎ取られ、後方へと投げ飛ばされた……そう気が付いたのは、すでに放り投げられた体が落下に転じた頃でした。

 

「ぐぅ……っ、イリス……っ」

 

 投げ飛ばされた先、何者かに……辛うじて意識を取り戻していたレイジさんに抱き留められました。

 二人でもんどりうって地を転がり……そこで、私を庇うように覆い被さって倒れたレイジさんの身体から、再度力が完全に抜ける。

 

 慌てて、全く自由の利かない体を元居た方向へと向けると、そこでは再び大蛇の姿となった影と取っ組み合う、黄金に輝く巨狼。

 

 もつれ合いながらお互いの身を喰いあう、凄惨な戦闘がそこで繰り広げられていました。

 

「……やめ……て……!」

 

 劣勢なのは……明らかに、セイリオスの方。

 その身体には、どうやら私をこちらへと放り投げたのが精いっぱいらしく、黄金の毛皮は見る間に赤く染まっていく。

 そして、その体には影の大蛇が絡みつき、動きを封じられてしまった状態で、どうにかまだ動く首から上だけで抗っていました。

 

 それも見る間に弱々しくなっていき、もはやどんどん生命力が抜け、天寿を全うする瞬間がすぐ間近に迫っているのが明らかだった

 

 そんな中……こちらへ向けて、赤い尾を引きながら落下してきた細長い物体が、側へと転がる。

 

 それは……セイリオスの、右前足。

 あの仔セイリオスの、お母さんの、身体の一部。

 

「もう……やめて……っ!!」

 

 想いが流れ込んでくる気がした。

 同じ想いでこの光景を眺めている、彼女の想いが。

 その想いを乗せ、動かないはずの喉を震わせて、叫ぶ。

 

 

 

「――『もう、(pauwel)止めて( slepir)』……ッ!!」

 

 

 

 かっと熱を持った額から再度光が広がって……影の大蛇が、その動きを止めた。

 

 拘束が解かれ、自由を取り戻したセイリオスも、残る三本の足でよろよろと立ち上がり、こちらを庇うように場所を移動する。

 

「……馬鹿な。何故だ……何故リィリスも、お前も……僕の邪魔をする! お前だって、この世界を怨んでいるだろうに!!」

 

 激昂し、周囲へ怒鳴り散らす男。

 その様子は、まるで親に置いていかれそうになっている子供のように感じられました。

 

『――愚か者が……彼女に託された者を、自身の――を犯そうとする程に(めくら)になり果てたか、この……戯けが……っ!!』

「……は?」

 

 セイリオスの言葉に、男が硬直した。

 

『――やはり、気付いて居らなんだか……少し、冷静になれ、馬鹿者が』

 

 そんなセイリオスの言葉に、男が愕然とした様子で、ヨロヨロと数歩後退する。

 

「……そんな……馬鹿な、そんな筈は……その女が、僕とリィリスの……?」

 

 その目が、がっちりと私の方を凝視した。

 その内に秘めていた狂気がすうっと引いていき、理知的な光が宿ると共に、驚愕と慚愧の念に、顔を僅かに歪める男。

 

「じゃあ、僕は一体、今、何を……したんだ……?」

 

 取り返しのつかない事をしてしまった……そんな様子で呆然とこちらを見ている彼。それは、まるで私の背後にある何かを私を通して見ているようで……

 

 

 

「――『雷隼(レイ・ヘリファルテ)』!!」

 

 突然、後方から聞こえてきた、裂帛の気合の声。

 私とレイジさんの横をすり抜けて、激しく雷光をまき散らす塊が宙を駆けて行く。

 

「ぐう……っ!?」

 

 不意を突かれた形になった男が、咄嗟に手の先に展開した障壁によってその雷光を背後へ受け流した。

 

「……そういや、この地にはお前が居たな。人間風情が意外にやるじゃないか、副総長様……?」

 

 再び怨嗟の雰囲気を纏った男との間に、一人の男性が立ち塞がる。

 ゆったりとした服の、だが動きやすさを確保した衣装を纏い、本来両手持ちなはずの大剣を片手で易々と構えたその姿は……初対面の戦場において一度だけ戦う姿を見た事のある、この地の領主、レオンハルト様でした。

 

「遅れて申し訳ありません、御身をこのような目に逢せた我が不徳、責めは後で如何様にも……だが、今はっ!」

 

 そう言って、手にした剣を眼前の地面へと突き立てて、何かの詠唱を始める。

 

「――加速(アセラ)増加(オグム)循環(キルク)――疾風迅雷(エアダルモルニア)……」

 

 レオンハルト様が詠唱を進めるたびに、その周囲へと幾つもの魔法陣が、まるで取り囲むように展開されていく。この魔法は、私も見たことが無い。もしかしたら、ゲームには無かった魔法……?

 

「――フル・インストール……っ!!」

 

 自身の周囲に浮かんだ紫色に輝く魔法陣から、レオンハルト様へ向かって紫電が伸び、その身に纏っていく。そんなレオンハルト様が、全身に雷光を纏い飛び出した。

 

 ……速い。

 

 レイジさんの全力疾走よりも疾く、それはまさに迅雷でした。

 そんなレオンハルト様が、逆手に持った大剣の柄を男へと叩き込む。

 

「こっ……のっ、たかが人間風情が……っ!」

 

 衝撃で数歩退いた男へと、さらに一歩踏み出したレオンハルト様が、逆手に持った大剣の柄頭に手を添えて、猛烈な勢いで男へと刺突を叩き込んだ。

 

 固まっていた男は反応できず、ガァン、と鋼鉄を思い切り叩いたような音を立て、その体が障壁ごと吹き飛んでいく。

 

「ちぃっ、貫けんか……! だが……貴様はここで散れ……っ!!」

 

 大剣をまるで棒きれのように軽々と振り回し、矢をつがえるように引き絞った構えを取ったレオンハルト様。

 その大剣に、全身に纏っていた紫電が集中する。

 それは眩い光を放ち、勢いを飛躍的に増して視界を、周囲の空間を灼いていく。

 

「我が領を踏み荒らし、殿下達に狼藉を働いた報いを受けろ……ッ! 『(レスピラシオン)(・デル)吐息(・ドラゴン)』……ッ!!」

「おのれ、この程度で――……」

 

 私の身の丈ほどはあろうかという径の紫電の閃光に、それでも防ごうと手を伸ばした男がひとたまりもなく飲み込まれていった。

 

「……どうだ!?」

「いいや、まだだ……っ!!」

 

 新たな咆哮が、頭上から聞こえて来る。

 

「ぅおらぁああああああああっ!!」

 

 領主様の放った雷光が薄れ、ようやく見えてきた人影へと向けて、まるで流星のような赤い光をたなびかせて降ってくる大柄な人影。

 

 その手にした光が一直線に男の人影へと振り降ろされると、男が周囲に纏っていた力場が粉砕され、その背後何十メートルも衝撃を疾らせて、ようやく止まった。

 

「が、はっ……クソ、サイクロプス謹製の『竜殺し』か……っ!」

 

 ついに、男にダメージが入り、肩から胸を切り裂かれた彼はその口から赤い血を吐き出す。

 

 降ってきた、私達が手も足も出なかった男を傷つけたそれは……以前見た際よりも禍々しい紅い光を帯びた『アルスノヴァ』……ヴァルター団長だった。

 

「ようやく……ようやく会えたぜ、この蛇野郎が……っ!!」

 

 怒りに髪の毛を逆立てて、背後に居る私達にですらビリビリと感じ取れるほどの闘気を溢れさせているその様子は、豪放快楽ながらもどこかほっとするような雰囲気を持っていたヴァルター団長とは似ても似つかず……まるで、鬼神のようでした。

 

「なんか随分と腑抜けてやがるが……好都合だ、貴様はここで……死ねやぁぁあああっ!!」

「こ……の……っ!」

 

 まるで狂戦士のように飛び出したヴァルター団長の戦斧が、初めて焦りの色を浮かべた男の首へと迫る。

 

「……だ、めぇっ!?」

 

 思わず私の口から漏れた懇願の声。

 これだけの事をされたのに、不思議なくらい彼が目の前で傷付くのが見ていられなかった。そして――

 

 

 

 ――お願い、やめて……!

 

 

 

 私同様、制止の懇願の声が聞こえた気がしました。

 次の瞬間、再び周囲に疾る、先ほど私を救ってくれた暖かな光。

 

「……なっ!?」

 

 ヴァルター団長の持つ『アルスノヴァ』から、紅い光がふっと消え、目測の狂ったその戦斧が空振った。

 

 驚愕の色を浮かべながらも、それでも後退したヴァルター団長。

 どちらも傷付かなかった事に……自分でも不思議なほど、安堵を感じていました。

 

「……さすがに、死にぞこないとはいえセイリオスの成体、それにお前達二人同時に相手は少し骨が折れるか」

 

 そんな視線の先で、男の胸元の傷が綺麗に消え去る。

 若干ぼろぼろになった服から泥をはたき落とし、男が背を向けた。

 

「……ここは見逃してやるよ。だけど、今度また僕の前に姿を現したら……もう、見逃すとは思わないことだ」

 

 そう言って、子蛇のようなサイズへといつの間にか戻った影を腕に纏わりつかせ、ばさりと翼を広げる男。

 ヴァルターさんはそのあとを追いたそうにしていたけれど……私達の方をちらりと振り返ると、忌々し気に戦斧を下ろす。

 

「ああ、それと……忠告なんて、こんなことをしてやる義理はさらさら無いんだけどね……」

 

 ふと、思い出したとでもいうように……こちらを、朦朧としたままの私の方を真っ直ぐに振り返る彼。

 

「……アクロシティにだけは近寄るなよ? お前が人で居たいというのならな」

 

 それだけ吐き捨てて……今度こそ、彼、『死の蛇』と呼ばれた人は何処かへと飛び立っていってしまった。

 その背中が見えなくなって、圧力が消えたとたん、張り詰めていた緊張の糸がついに切れ、意識がぼやける。

 

「イリスリーア様、お気を確かに――!!」

 

 必死に呼びかけているレオンハルト様の声もあっという間に遠くなり、今度こそ意識が落ちていく。

 そんな朦朧とした中で、感じた疑問。

 

 

 

 

 

 ――去り際、最後に見せた彼の顔が……どこか、寂しげに見えたような気がしたのでした――……

 



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果ての子守歌

 

 頬に、僅かに湿った柔らかいものが触れる感触に、意識が戻る

 

「う……」

 

 気を抜けば閉じようとする瞼を、難儀しながらもどうにかこじ開ける。

 薄く目を開けると、まず目に入ってきたのは白い毛で覆われた小さな脚。

 視点を少し上にずらすと、仔セイリオスが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

 どうやら先程の頰への感触は、この子が舐めていた物らしい。

 そして……それ以外にも、温かい、ふさふさしたものに包まれている感触がした。

 

「ここは……」

「……良かった、目覚められましたか……ここは、ローランドの城の庭です、ご安心ください」

 

 頭上から、レオンハルト様の声。

 どうにか首を動かすと、ここ数日ですっかり見慣れた景色。

 どうやら、意識を失っているうちに運ばれて帰ってきていたらしいです。

 

「他の皆は……?」

「ソール様とレイジ君は意識がまだ戻らず、部屋で寝かせています。そちらは今はアイニ嬢が診ていますので、任せましょう。ヴァルター団長は『死の蛇』の追跡に、あの後すぐに発ちました」

 

 もっとも、何も得られるものは無いでしょうが……そう締めくくるレオンハルト様。

 

「そうだ、二人の治療をしないと……」

 

 二人とも、酷い怪我を負っていた。聖域も途中で破られてしまったため、まだ治療が必要なはず。

 

 ……そう気は急くのに、体に力が入らず起き上がる事ができない。

 

『待て、まだ無理だ』

 

 それでもどうにか起き上がろうともがいていると、襟のあたりが何かに咥えられ、元どおりふさふさとした物に寝かせられてしまう。

 そして、背後から聞こえてくる厳かな、しかし今にも消えてしまいそうな声。

 

「あ……一体、あなたは何を……!」

 

 ようやく、自分の体に起きている事に気がついた。

 体内から、澱の様に積もった冷たく昏い感触が抜けていく。

 その進行に合わせ、徐々に身体に力が戻って来ている。

 

  体内の毒が、抜き取られ、吸い取られていくように。

 

 今自分の身に行われている事が、浄化ではないのはすぐに分かった。

 これは、私の体内に溜まった瘴気が抜き取られ、別の場所に移動されているだけ。

 

 別の場所……つまり、私を抱くように横たわっている、セイリオスの体に。

 

『じっとしていろ……お主の体の瘴気を全て抜き切るには、時間がギリギリという所だからな、あまり問答している余裕はない』

「だけど、それじゃ、あなたが……!」

 

 いくら人よりもずっと頑強な幻獣とはいえ、寿命間近で、決して軽くはない手傷まで追った身体で持つはずが無い。

 必死に止めようとするも未だ体はまともに動かせず、何より向こうにその気がまったくない。

 

『……我の時間はもともと殆ど残っておらん、なれば、大差はあるまいよ』

「だけど……」

『あと僅かの命で、()()()の残したお主を助けることが出来る……永き生の果てとしては、なんとありがたい事よ』

 

 そうこちらを見つめている彼女の目は優しく、それだけで、何も言えなくなってしまう。

 

『故に……好きにさせてくれぬか? 言葉も、できれば謝罪のもの以外が良い』

「……ありがとう、ございます」

『うむ……それでよい……』

 

 そう言って、黙り込んでしまうセイリオス。

 どうやら、私から瘴気を抜き取る事に専念しているらしい。

 

 そんな時間がしばし続く。

 

『……ブランシュ、だ』

「……え?」

『我の名前だ。リィリスが付けたものだがな。出会ったときは昼間だったからな、毛皮が白かったんだ。安直だろう?』

 

 そう苦笑して言う彼女、ブランシュ様。

 だけど、その様子を見れば、彼女がその名をいかに大切にしているかが良く分かりました。

 

『……悪いな……色々話してやりたいことはあったのだが、どうやらそれももう無理なようだ』

 

 ふと、そのような事を彼女が漏らしました。

 その彼女の言葉に首を振る。これだけ恩を返しきれない程に助けてもらったのに、これ以上の事を望むなんでできない、バチが当たってしまう。

 

『だが……行き先を示す(しるべ)くらいは残して行くとしよう。退屈凌ぎに聞いておけ』

「……標、ですか……?」

『うむ……この大陸の首都、人の暮らす大きな街よりさらに北へ行くと、人の立ち入らぬ霊峰がある……そこに、一頭の竜が居る』

 

 竜……ドラゴン。

 言わずと知れた幻獣の王で、中でもエルダーと呼称される者となると、神聖視されるほどの存在。

 

『とても老いた竜だ。もうすでに空も飛べず、食事さえも麓に暮らす竜信仰の信者達の僅かな供え物だけで済ませ、ごくまれに目を覚ましてはまたすぐ眠る……そんな日々を繰り返している老骨だが……この世界が作られた時から生きているという』

「世界が作られた時……?」

 

 この世界が作られた、とはどういうことだろう?

 星が生まれた時……という事は無いだろう、その時点で生物が発生しているわけが無いのだから。

 

『気が向いたら、会いに行ってみると良い……()()……リィリスも、一度話をしたことがあるそうだ。もしかしたら、何か聞けるかもしれぬ……』

「あの人も……解りました、心に留めておきます」

『うむ……終わったぞ』

 

 話をしている間に、私の体内から瘴気を抜き取り終えたらしい。

 体を起こしてみると、酷いだるさこそあるけれど、問題なく動かせる。

 

『調子はどうだ? 力の方は、問題ないか?』

「少し待ってください、試してみます」

 

 一つ呪文を唱え、問題なく手の内に現れた治癒の光をセイリオスへと触れさせてみる。

 ぱっとその体が燐光に包まれるのを、固唾を呑んで見守る。

 

「……どう、ですか?」

『ああ、暖かい光だ……そして、この感触もリィリスによく似ている……』

「……そうなのですか?」

『だが……うむ、お主の光の方が優しいな。あの娘は、どうにも天真爛漫過ぎてせわしなかったからな、安定しなかった』

「な、なんだか彼女のイメージがどんどん崩れていく気がします……」

 

 私の中で、彼女はおっとりとしており、周囲をほっとさせるような穏やかな気質の、聖女然とした人というイメージだったのだけれど……実は、結構おてんばな人?

 

『ふ……あの娘は、一見するといかにも聖女らしく見えるらしいが、実際は周囲を振り回す天才だぞ?』

「そ、それは意外ですね……」

『うむ、本当に、ギャップの酷い娘であったわ……』

 

 そう言って、目を細めるブランシュ様。

 その様子は穏やかで、どうやら苦痛を和らげる役にくらいは立てているらしいが、しかし……

 

「傷の治りが悪い……」

 

 というか、ほとんど塞がる気配が無い。

 穴の開いたバケツに水を注ぎこんでいるかのような、そんな手ごたえ。

 

 ……これが、寿命。

 

 生命力が尽きている以上、傷が治ることはもう無いのでしょう。

 もはや、私に出来ることは少しでも安らかに旅立てるよう、見送る事のみ。

 

 仔セイリオスも、それを分かっているのでしょう。

 傍に寄り添って、じっと母親を見つめている。

 

 そんな様子を外から眺めていたレオンハルト様が、傍に寄ってきて、最敬礼を取る。

 

「……では、私もこれで失礼しましょう。長い間、この街の背後を守護してくださった貴女に、感謝を。お疲れ様でした」

『なに……我も、人を疎んでいたところに、静かで良い寝床をずっと提供してもらった……代々のお主たちの献身には感謝している』

「……勿体ない、お言葉です」

 

 そう言って、一礼して立ち去るレオンハルト様。

 残されたのは、私と仔セイリオスのみ。

 

『次代の御子よ。我に恩を受けたと思うのであれば、一つ最後に頼まれてくれぬか?』

「……私にできる事であれば、なんでも言ってください」

『この子を、頼む。まだ独り立ちには少し早い故、側で共に学ばせてやってくれ』

「はい……わかりました、責任を持って、お預かりします」

『感謝する……お前も、聞いていたね?』

 

 その言葉に、隣に座る仔セイリオスが、しゅんと項垂れる。

 

『……母とは、ここでお別れだ。彼女と共に行くが良い……』

 

 その言葉に……仔セイリオスは顔を上げ、一つ、おんっ、と小さく鳴く。

 その様子を満足そうに見つめて、白い巨体がゆっくりと目を伏せ、横たわった。

 

「……ブランシュ様?」

 

 

 

 ――呼びかけに、もはや返答は無かった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――お疲れ様、ブラン。最後まで、助けてくれてありがとう。

 

 声が、聴こえた。

 懐かしい……本当に、懐かしい声。

 

『あぁ……そうだな……リィリス、君にも感謝を……おかげで、良き……生であった……向こうで、また逢おう‥…』

 

 ――うん、でも……ごめんね? 私は、まだそっちには居ないから、少し待たせちゃうかも……

 

 その言葉に、内心目を見張る。

 

『そうか……お主は、そうだったのか……』

 

 ああ、今、もう少しだけ行きたくないな、と思ってしまった。

 ほんの僅かにでも時間があれば、あのどこか頼りない御子と、一途すぎて暴走している阿呆に、この言葉を伝えることが出来たというのに。

 

 だが……それでもその言葉は、彼女を失ってからのここ数百年ただ空しく生きていた末に聞いた、紛れもない吉報であった。

 

『それは……最後に朗報が聞けたな……しばらく、枕にされずにゆっくり眠っていられる……』

 

 そんな憎まれ口に、彼女がくすくすと笑っている。

 とても……とても、懐かしい空気だ。

 

 ――おやすみなさい、ブラン。また逢う時まで、良い夢を。

 

『あぁ……しかしすぐには来なくていいぞ……我は……日向ぼっこにでも興じているとしよう……天上というからには、さぞや向こうの日差しは気持ち良かろう……ゆるりと待っているから……のんびりと来るがいい…………』

 

 そうして、瞼を閉じる。

 

 歌が、聴こえた気がした。

 

 周囲に懐かしい子守歌が響く中……意識は、ただ静かに深い眠りへと落ちていった――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 ――すっと、その白い毛皮に包まれた巨体から力が抜けた。

 

「……逝って、しまいましたね」

 

 私の腕の中で、仔セイリオスが、クゥン、と小さな鳴き声を上げる。その小さな身体を、抱きしめる。

 

 まるで何か良い夢を見ているかのように、穏やかな表情で目を閉じた彼女……ブランシュ様は、今度こそ……もう目覚める事は、ありませんでした――……

 



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未だ癒えぬ傷跡

 

「イリスちゃん……大丈夫、イリスちゃん?」

 

 控えめに肩を揺さぶられる感触に、酷く浅い眠りから目覚めた。

 重い瞼をどうにか持ち上げ、顔を上げると、僅かに寝癖がついた髪が頰を滑り落ちた。

 

「あ……すみません、寝てしまっていましたか……」

 

 椅子に座ったままベッドに突っ伏して寝ていたせいで、体の節々が痛みを訴えていた。

 すっかり強張ってしまっていた体を伸ばし、居住まいを正す。

 

「また、一晩中こちらに居たのですか。レニィさんがおかんむりでしたよ?」

「アイニさん……ごめんなさい、休まなければいけないというのは分かっているんですが……」

 

 何度も休むよう言われて部屋に戻っても、結局は落ち着く事ができなかった。

 だから、こっそりと自分に割り当てられた客室を抜け出しては、こちらの部屋へと訪れていた。

 何故ならば、ここには……

 

「まぁ……他に代われる人が居ないのだから、仕方ないとは思うんですが……先に貴女が体を壊したら、意味は無いんですからね?」

「はい……もう一度治療をしてみたら、今度こそ部屋に戻って眠りますので……」

 

 ちらりと、今まで頭を預けて伏せていた寝台へと目を移す。

 そこには……未だ目覚めず、時折苦悶に顔を歪ませるレイジさんとソール兄様が、横たわっていました。

 

 

 

 

 

 てきぱきと診察し、点滴を替えているアイニさんの様子を、寝不足で上手く働かない頭でぼーっと見つめる。

 

「二人とも、負傷自体はもうすでに元通り完治しています。これならば、眠っている間の筋力低下以外、何らかの後遺症が残ることも無いでしょう」

「そうですか、良かった……」

 

 ほっと、安堵の息を吐く。

 

 二人が倒れてから、すでに三日。

 

 心身ともに弱り切っていた私は、ブランシュ様を看取ってすぐに昏睡し、目覚めた時には丸一日が経過していました。

 

 その後、目覚めた後からずっと二人のところに通い詰め、つきっきりで看病と治療を行っていた事が幸いし、二人の体にはもはや傷一つ残っていません。

 

 

 

 ――二日。私がつきっきりで治療して、肉体の治療が完了するのに二日も要してしまった。

 

 

 

 普段であれば一瞬で治るはずの怪我でした。

 しかし今は、二人に対しての治癒の光の効果が妨害されており、思うように治療できずにいました。

 

 そして、二人が未だ目覚めないのは……

 

「……こんなに……瘴気が強いなんて」

 

 あの敵……『死の蛇』の操っていた瘴気は、私の治癒魔法よりも強力だったようだ。

 

 それでも継続して治癒と浄化の魔法を施すことによってその効力を弱め、無理やりに治癒魔法を届けさせることによって少しずつ、少しずつ治療して……ようやくここまで回復させたのだけれども。

 

 しかし……傷は癒えても、まだその体内に根深く潜む瘴気を除去しきれていませんでした。

 そのせいか、二人は未だに昏倒したまま、目覚める気配がありません。

 

「私が、『聖域』を使用できれば良かったのですけれど……」

「……やはり、駄目ですか」

 

 そのアイニさんの言葉に、苦々しい思いで頷く。

 

 あれからすでに三日。

 

 本来であれば十分に再使用可能なはずの『聖域』は、あの日以降全く展開できなくなっていました。

 

 そしてその原因は……あのように『聖域』が破られ、その反動を受けて苦痛に晒された事が、恐怖心として心の奥底に残ったためではないか……との事でした。

 

「……使えないものは仕方がないです、今は出来る事をしないと」

 

 頰を叩いて気合いを入れ、ベッドの上の二人へと向き直り、深呼吸を一つすると、口を開く。

 

 

 まず最初に唱えたのは、対象数を複数へ変更する補助魔法。

 対象指定型の魔法を範囲魔法へと変換し、範囲魔法は効果範囲を拡大する『スペル・エクステンション』もありますが、効力が多少なりとも拡散してしまうために今回は使えない。

 なので今回使用しているのは『マルチターゲット』という、単体を対象とする魔法を同時に複数人へと使用するためのもの。

 

 両手の内に白く光る魔法陣が現れ、次に発動する魔法の対象数が二人に変更されたのを確認し、改めて解呪魔法を唱え始める。

 

「……『イレイス・カーズ』……!」

 

 両手に灯った解呪魔法……直接対象に触れなければならないという、効果範囲が著しく狭い欠点を抱える代わりに、私が有している中で最も強力な浄化の力を持つその光を、両脇のベッドに横になる二人の胸のあたりにそっと近付けていく。

 

 ――その途端。

 

「……ぐっ……うぅぅ……っ!」

 

 両手に灯した解呪の光が二人の体に触れるか触れないか……といったところまで接近した時、その体内から滲み出して来た蛇のように蠢く闇が、激しく白黒に点滅する閃光を発しながら私の治癒魔法とぶつかり合った。

 

 今までは、この闇を削り取るので精一杯だった。

 

 しかし今回は、その小さな蛇のような闇の幾つかが消滅し、幾度も試みてようやく二人の体に届いた浄化の光がその触れた周辺に巣食う闇を吹き飛ばし、溶かしていく。

 

「もう、少し……っ!」

 

 ずっと、治療は進んでいるのか不安で仕方がありませんでした。

 

 しかし、もう少しだとようやく今回で確信できた。

 急いで更に力を込めようとした時……視界が、ぐらりと揺れた。

 

「……そこまでです。午前中はもう休んでください」

「……っ、はぁっ……はあっ……はっ……はっ……」

 

 私の額から、汗が滝のように流れていた。

 上位治癒魔法を倍掛けするというのは、自分で思っていた以上に体力の消耗が早かった。

 

 ……こうなると、二人よりも遥かに多量の瘴気に侵されていた私を助けてくれたブランシュ様は、いったいどれだけの労力とを費やし、どれほどの苦悶を耐えていたのか……尋ねることも叶わぬ今となっては、想像を絶する苦行だったに違いないとしか予想できません。

 

 それでも……今回は、手ごたえがありました。

 あと少し、今日中には浄化し切って二人を助けると、決心を固める。

 

「意気込みは結構ですが、せめて午前中はしっかりと休みましょう? 二人は私が診ておくから……ね?」

「はい……ありがとう……ございます……」

 

 実際、目眩がする上に凄まじく瞼が重い。

 大人しく自室へと戻ろうと、ドアノブに手を掛けようとした時……

 

「……口惜しいですね。こうした時、イリス様のように治癒術を使えない私は、ただこうして経過を診察している事しかできません」

「アイニさん?」

 

 ぽつりとつぶやかれた声に、思わず振り返る。

 その視線の先では、穏やかなその顔に僅かな陰りを覗かせた彼女が居ました。

 

「……私の家系の遥か先祖は、貴女のように治癒の力を持っていたそうです。それが、何故失われてしまったのか……もしその力が今私の手元にあれば、と……自分ではどうにもできない患者を前にするといつも考えてしまいます」

 

 目線は眠る兄様に向けたまま、その汗で額に張り付いた前髪を除けてやりながら、滔々と語るアイニさん。

 その目には……私の見間違えでなければ、悔しさのようなものが滲んでいました。

 

「……だめですね、言っても詮無い事です。私には治癒術が使えない、であれば私の力が……錬金術や、医術が必要になった時のために備えておくだけです。さ、早く休んで来てくださいな?」

 

 そう、いつもの柔らかな笑顔で休息を勧めるアイニさん。

 しかしその言葉は、まるで自身に言い聞かせるかのようでした。

 

 

 

 

 

「あ、姉ちゃん」

「……ハヤト君?」

 

 ドアを開けて廊下に出ると、そこには行儀良く座っていた仔セイリオス……落ち着いたら、名前を付けてあげないと……と一緒に、しゃがみ込み、その毛皮をわしゃわしゃと撫で回しているハヤト君が居ました。

 

「こいつ、大人しいなー。実は嫌がっているとか、無いよな?」

「あ……うん、大丈夫みたいです」

 

 仔セイリオスからは特に悪感情は感じない。

 むしろ、目を細めてじっとしているのを見ると、どうやら気持ち良いらしいです。

 

 それより……

 

「その、格好は……?」

 

 久々に姿を見たハヤト君は、今は仕立ての良い半ズボンに白いシャツとベストという、このお城で働いている年少の男性の使用人……従僕の格好をしていました。

 

「はは、ここで手伝いをするなら……って渡されたんだけど、似合ってねぇよな……」

「いえ、そんな事はない、格好いいですよ?」

 

 ――ただ、まだ少し服に着られている感はあるかな?

 

 と、思ったのは黙っておく。

 

 プレイヤーであり、アバターの再現である彼の容姿は……ソール兄様など、華のある者が近くに居たためあまり目立ちませんでしたが……かなり整っています。

 

 やや浅黒く日焼けした肌に、漆黒の艶のある髪。

 いつもはややボサボサな髪にしっかりと櫛を通し、一房だけ長い後ろ髪を綺麗に束ねて肩から前へと垂らしたその姿は……こうして見ると、オリエンタルな雰囲気を醸し出す美少年でした。

 

 きっとあと数年経って身長が伸びれば、女の子が放って置かないんじゃないかな……と、そんな事をぼんやり考える。

 

「……そう言う姉ちゃんは、さっさと寝たほうが良いな。すげぇ顔してるぜ?」

 

 こんな感じに……そう言って彼は顔をしかめ、眉間に皺を寄せて目の下を引っ張り変な顔をしたもので、思わず吹き出してしまいました。

 

「……ふ、ふふ……っ、そっ……そんなっ、変な顔でしたか……っ」

「ああ、変だ変。隈も浮いてるしな。だからさっさと部屋に帰れって」

 

 そう言うと、どうやらエスコートしてくれるらしく、明後日の方向を向きながらもこちらへと手を伸ばすハヤト君。

 一人では途中で眠ってしまいそうな気がするので、ありがたくその手を取ると、こちらへ飛んできた仔セイリオスをもう片腕に抱いてついていく。

 

 このイリスの身体よりも若干背の低い、その彼の背中を微笑ましく眺めながら、部屋に向かう廊下を歩いていると。

 

「……?」

「ん? 何かあったか?」

 

 部屋に戻る途中、ふと、窓から見える景色の中に違和感を感じ、立ち止まって外を覗き込む。

 

「あれは……大弩砲(バリスタ)……?」

 

 以前空中庭園に出た際は見かけなかった、無骨で巨大な弩。

 それが無数に、庭に並んでいるのが遠目に見て取れた。

 

 ……その向きを、城の背後、山の方へと向けて。

 

 しかし、その事に疑問を感じるも、眠気に支配された頭はまともに働かず、ハヤト君に何でもないと言うと、再び部屋に向かい歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、二日ぶりに自室のベッドへと横になった私でしたが――その、体が沈み込むような柔らかさに、ひとたまりも無く睡魔に負けてから、ほんの数時間後。

 

 突如城内に鳴り響いた警鐘の音に、再び叩き起こされる事となるのでした――……

 



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二人が居ない今

 

 領都ローランディアの最奥に鎮座する、ローランディア城。

 その城は背後に聳える山の斜面を利用して建城されており、険しい断崖の先には自然豊かな高地が広がっている。

 しかし……そのような立地に在りながら、ここ数百年に渡ってローランディアの街は、背後の山々からの魔物の進行に晒されたことは、歴史を紐解いても数えるほどしかなかった。

 

 それは……その地に強大な幻獣、セイリオスが自身の縄張りとしていたために、他の獰猛な肉食動物などが立ち入ることが無かったためだ。

 

 では……その主たるセイリオスが居なくなれば、どうなるか。

 突如所有者の居ない空白地帯が現れれば……何が起きるかは、実際のところ、人間も自然界も変わらない。

 故に……それは、当然の予想の下、起こるべくして起こったのだった――……

 

 

 

 

 

 

 ようやく眠りに就いたと思ったのも束の間。

 日の高さからして、正午を回ったか否か……そんな時間に鳴り響いたローランディア城の屋上にある警鐘。その音に、否応無く跳ね起きる羽目となりました。

 

 そんな中、部屋に響く控えめな、いつも聞きなれたノック音。しかし、今回はほとんど間を置かずに開かれる。

 

「イリス様、緊急事態につき、失礼……っと、すでにお目覚めになっておられたのですね」

 

 そう言って部屋へと入室してきたレニィさんが、すぐさま私の身支度を整えてくれる。

 

 いつもの空色の法衣……ではありません。

 あれは今、先の戦闘での損傷によって修復中。

 なので今着せられた衣装は、多少の守りの力が付与されたローブ……ミリィさん渾身の作であるクラルテアイリスには格段と劣るとはいえ、それはれっきとした戦闘用の衣装でした。

 

 そんな衣装へと袖を通され、髪をさっと梳かれ、何かが目の下へと塗られる。

 身支度が済み次第、付き添う彼女と共に真っ先に向かったのは、レイジさんとソール兄様の病室。

 しかし、すでに移送されたらしく、そこは既に何者も居ませんでした。

 

 そして、階下の練兵場から周囲に指示を出す大きな声が聞こえ、目的の人物がそこに居ると判断し、足早にそこへと向かう。

 

 

 

 練兵場に入ると、そこは戦闘準備を進める兵の方々の怒声が飛び交っていました。

 

 そんな中、一通りの指示を出し終えたらしく、あたりの様子を伺っている長身黒髪の男性……レオンハルト様を見つけ、その周囲で忙しそうに走り回っている方々を避けて駆け寄ろうとする。

 

 すると、こちらに気が付いた、彼のすぐ横に控えていた、長い金色の髪を持つ小柄な人影……ティティリアさんが、こちらへと駆け寄って来ます。

 

「イリスちゃん、もう起きて大丈夫なの?」

「……は、はい、もうだいぶ……」

「……うん、あまり大丈夫そうじゃないね?」

 

 ここまで歩いてくる中で多少息も切れていたせいか、あっという間に強がりは看破されてしまいました。

 

「……それも、解っているつもりです、だから大丈夫。ね? それより、レオンハルト様は今、大丈夫でしょうか?」

「っと、ごめんね。領主様ー!」

 

 ぱたぱたと、レオンハルト様を呼びに行ってくれるティティリアさん。

 その声を受けて、彼はすぐにこちらへと来てくださいました。

 

「レオンハルト様! この騒ぎは一体……?」

「イリスリーア殿下……お加減は、よろしいのですか?」

「大丈夫……と言うのは簡単ですが、正直まだあまり……」

 

 魔力残量は体感で三分の一。

 体力も、集中力もだいぶ落ちているだろう。

 

 それに、装備も問題だった。

 

 愛用の錫杖はあの時へし折られた際に完全に力を失い、廃棄することになって、今手元にあるのは初心者用に毛の生えたような心許ない杖。

 

 ずっとこの身を守っていた衣装……クラルテアイリスも、破損がそれなりに酷く、現在はミリィさんの下で修復中。

 

 あらゆる面で、戦場に立つには……あまりにも心許なかった。それが、紛れもない事実。

 

 今までも無理に大丈夫と言っては迷惑を掛けてばかりだったから……先程もティティリアさんに即座に看破されたのもあって、正直に告げる。

 

「では、殿下も安全な場所へ……」

「……いいえ、無理はしません、だから私にも何かさせてください……!」

 

 それでも、ただ守られているのは耐えられない。

 必死の気持ちを込めて見つめていると……諦めたように、彼はひとつため息をついた。

 

「……ふぅ。言っても無駄でしょうね」

「……ごめんなさい、わがままを言って」

「いいえ、他者のために何かをしたい、という殿下のご気性は、尊い物です。だから……可能な限り尊重したいと思っていますが、無理だけはしないでいただきたい」

 

 その、怖いほどに真剣な表情で見つめてくる彼に……こくんと、頷く。

 

「……いいでしょう、信じます」

 

 ふっと表示を緩めた彼に、ほっと一息をつく。

 

 ……正直、彼は元々眼力が強い感じのクールなタイプの美形なので、真剣な表情で見つめられると実際怖いのです。

 

 

 

「では、現在の状況ですが……北の連峰で起きている縄張り争いによって、興奮した魔物達が雪崩れ込んできています。それを私達は暴走(スタンピード)、と呼称しています」

「それは……あそこを住処にしていた、ブランシュ様がいなくなったからですか?」

「はい……あの方の寿命の話を聞いて、その可能性は真っ先に考えて対策は取って来たつもりですが……」

 

 言葉を濁す彼。

 

 ブランシュ様が亡くなられてから、まだたったの三日。おそらく想定外に早いであろう日数に、何か不穏な物を感じます。

 さらに、準備を始めた時点では、本来であれば彼女の天命が尽きるまで、もっと猶予もあったはず。

 

 この襲撃が、予想外に早いものだったのというのは、想像に難くありませんでした。

 

「次の縄張りの主さえ決まれば、自然と収まっていく現象です。自然に生きる者達も、人の街を好き好んで襲うようなリスクはそうそう犯しませんから……本当は、その仔セイリオスに縄張りを継がせられれば良かったのですが」

 

 突如話題が向いたことで、私の背後について来ていた仔セイリオスが、首を傾げていました。

 その頭を軽く撫でてやっていると……

 

 

「ハヤト君……と言ったな」

「は……はいっ!」

 

 すぐ側に控えていた、小姓の衣装の上から愛用の小太刀を佩き、随所にホルダーなどを巻いて戦闘用に武装したハヤト君が、呼ばれて進み出てくる。

 

「君も志願して手伝ってくれるそうだな。どうか、彼女の護衛を頼む。気心の知れた君の方が彼女も気楽だろう」

「……わかりました、やります」

「頼んだ。レニィ嬢も本当であれば殿下に付いていて欲しいのだが……すまないが、今回はこちらに来て欲しい」

「私も、ですか?」

「ああ。飛行系の魔物の姿も確認できているので、君達と共に来たミリアム嬢に別の場所……門の方から街の防衛を頼んでしまった以上、貴重な攻撃魔法の使い手を遊ばせてはおけぬ状況だ」

 

 私の身近な所でも、編成が進められていました。

 

 

 

 ……ノールグラシエの魔法兵団の主力となっている魔法は、以前に傭兵団の魔法部隊も使用していた『ラーヴァ・ボム』という炎系統の中位魔法です。

 

 射程、効果範囲共に取り回しが良い上に、炎の性質上たいていの対象を相手に一定の効果が見込めるという、非常に使い勝手の良い魔法なのですが、弾道が重力の影響を強く受ける……発射後、落下していくという欠点があるため、特に今回のように都市上空での対空攻撃には向いていません。

 

 一方で、ミリィさんが得意とする魔法には、弾速に優れ直線の攻撃が得意な雷や純エネルギー属性の物も多く、今回の件には適任です。

 

「了解しました、では……イリス様、また後程。どうかご無事で」

「はい……レニィさんも、どうかお気をつけて」

 

 一礼し、自分の配属された場所へと立ち去っていくレニィさんの背中を見送る。

 その背が見えなくなるまで手を振っていると、レオンハルト様に呼びかけられ、慌てて居住まいを正して振り向いた。

 

「……この城は、今回の件に関しては最前線です。市民などの退避拠点は、砦としての機能を持つ東西の門へと移される事となっています。西門へは私の方から衛生兵を派遣しますので、殿下はアイニ君の居る東門で、負傷者の救護に当たっていただけますか?」

「……わ、解りました。」

「よろしくお願いします。向こうへは、()()()()()()()()()()()()も移送されていますので」

 

城内で保護されている負傷者……それは、私の知る限り、二人しかいません。

 

「……はい、お気遣い感謝します」

「では……私も、これで。失礼します」

 

 ビシッとノールグラシエ騎士団の敬礼をして、慌しく部下への指示に戻った彼の背中に一礼し、踵を返す。

 

 すでに案内の方が用意されていて、こちらへ、と先導する初老の使用人の方に手を引かれ……何か後ろ髪引かれるものを感じながら、拠点へ移動する非戦闘員や物資輸送用のキャリッジの片隅へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 静かに、街中を進むキャリッジの中。

 

 もう、大分遠い記憶のように感じますが……以前街へと遊びに来た時には人々の喧騒で賑やかだった街が、今はシンと静まり返っていました。

 

 住民の大半が避難した街。人の気配はちらほらと感じますが、残っている者も皆、家屋の中に退避しているようです。

 そんなメインストリートには、それぞれの持ち場に立つ兵士達以外に人がおらず、出したままの屋台だけが立ち並んでいます。

 

 そして……街中に点在する、据付の弩弓をはじめとした防衛装備。

 私がここ数日部屋に籠っている間に、事前に備えをしていたという街はその様相からして変わり果てていました。

 

「……レオンハルト様、それとティアさん、どうか無事で……」

 

 レオンハルト様の実力は、先日の戦闘で十二分に承知しています。

 元王国騎士団副総長であり、まだまだ若く現役なまま退団したという彼の実力は、レイジさんと同等以上……いいえ、おそらくはヴァルター団長の領域に近い、という事も。

 

 そして、彼の周りを固める兵士たちも精鋭揃いなのは、ここでの生活の中でそれなりに交流もあり、十分に理解していました。

 

 懸念されるのは、私と同様に自身での戦闘能力をほぼ持たないティティリアさんだけれど……彼女も、レオンハルト様の傍に居ればきっと大丈夫。

 

 ――分かっている。

 

 彼らは常日頃から厳しい訓練に励み、有事の際には最前線となるこの辺境伯領の最精鋭であり、弱っている今の私が心配する事すら烏滸がましいのだという事は。

 

 分かっているのだけれど……こうして戦闘になっているときに、最前線に残ることが出来ないのが、なんだかとても……

 

「……悔しい、な」

 

 何かしていないと、胸が張り裂けそうなほどの焦燥感を感じている。だから何かしたいのに、何もできない。

 

「姉ちゃん?」

「……え? あぁ、ごめんなさいハヤト君も。なんだか手間を押し付けさせちゃったみたいで」

「いや、別に……それは、いいんだけどよ」

 

 視線を彷徨わせていたハヤト君が、意を決したように私の手を掴んだ。その突然の行動に目を白黒させていると……

 

「……不安なんだろ? あの兄ちゃんたちが傍に居ないのが」

 

 そう、ハヤト君に心配げに声を掛けられる。

 彼に握られた私の手は……カタカタと震えている事に、今更ながら気が付く。

 

 そこでようやく、焦燥感の正体を理解した。

 

「……うん、そうかもしれませんね」

「姉ちゃん?」

「ハヤト君は、知らないんでしたよね。私、二人と離れて自分一人だけの時に、あまり良い思い出が無くて……なんか、いつも運が悪いみたいなんですよね」

 

 思い出して震えそうになるのをどうにか誤魔化して、苦笑してみせる。

 

 

 

 こちらに来てすぐ、山賊に攫われたこと。

 二人に合流した後、外に出してもらえなかった時の鬱屈した気持ち。

 

 ポツポツと、彼に会う前にあったことを語っているうちに、焦りの理由を確信できた。

 

 こうして今、二人と離れていると、どうしても嫌な事ばかりを思い出してしまう。

 だから……恐怖を別の事で紛らわせたかったのだ、と。

 

 

 

「そっか……姉ちゃんも、大変だったんだな……」

「……駄目ですよね、もっとちゃんとしないと。二人に心配ばっかりかけてしまいます」

 

 一つ、深呼吸をする。

 

 話をしているうちに、はっきり自覚した胸のつっかえを吐き出せた事で、気分はだいぶ上向きになっている。

 今は、自分のやるべき事……負傷者が現れた時に備えて、少しでも体を休めておかなければ。

 

「……ありがとう、少し落ち着きました。ハヤト君が一緒に居てくれて、本当に良かった」

「お……おぅ……俺じゃあ兄ちゃん達が居る時ほど安心はできないかもだけど、うん、任せろ」

「ふふ……ええ、頼りにしていますね?」

 

 礼を言われ慣れていないのか、ぶっきらぼうに言うハヤト君に、思わず笑いながら返事をする。

 真っ赤になってそっぽを向いてしまった彼に……私は、首を傾げるのでした。

 



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領都防衛1

 

「……じーさん、生きてるかー?」

 

 隣で、不機嫌そうに黙りこくっている爺さんに恐る恐る語り掛ける。

 今はこうして手綱を握っているが、先程までは少し体調を崩して臥せっていたのだ。気が付いたら心臓止まってました、はちょっとシャレにならない。

 

「あいにく、まだお迎えは来ておらんわい。さっきはお主のせいで死ぬかと思ったがのぅ」

「事前に警告はしただろうが! 耳塞げよって!」

「バカモン、軽い調子で言いおって、あれではあそこまでの音だとは思わんだろうが!」

「こっちも、咄嗟で余裕無かったんだよ!」

 

 二人、怒鳴りあって息が上がり、ぜぇはぁと息を吐く。

 

「はぁ……まさか、()()()()に街道で遭遇するとはなぁ……なぁ、この辺だとよくあるのか?」

「まさか。あんなのは、儂もこの辺りでは初めて見たわ。もっと西に行けば偶に見かけるらしいがのぅ」

「……そうかい」

 

 つまり、いつものツイてない案件か。

 我ながら、不幸体質過ぎて世を儚みそうになり、はぁ……と深い溜息をつく。

 

「……まぁ、何にせよ、無事にローランド辺境伯領まで到着できたのはお主のおかげには違いない。感謝する」

「……よせよ、俺だって、目的地まで乗せてもらった上に、護衛料までもらってるんだ、この上礼まで言われたらむず痒くて駄目だっての」

「く、くく……」

「はは……」

「お主、本当に損するタチじゃのぅ」

「そ……そうか? そんなことは無いと思うんだが……」

「なんにせよ……助かった、感謝する」

「あぁ……無事着いて、本当に良かったよ」

 

 二人相好を崩し、笑いあう。

 そこには最初、俺の出自を告げた際のギスギスした空気は無い。

 数週に渡り寝食を共にした信頼感が、好き放題口喧嘩できる気安い空気を醸し出していた。

 

 あー、居心地良いわぁ。別れるのつれぇわー。

 この関所を抜ければ、領都まであと数時間。場合によってはそれでお別れかー、つれぇわー。

 

 つれぇわー……あー……

 

「…………で、だ。なんだ、この状況」

「うむ……儂にもわからん」

 

 現実逃避の茶番を止めて、今の現状だ。

 俺たちは今……領都目前の最後の関所で、足止めをくらっていた。

 

 周囲では、自分たち同様に関所を通過待ちの人々でごった返している。

 しかし、その関が解放される気配はない。

 

「ところで……()()め、こっちの方に逃げて来た気がするんじゃが……」

「かっ……関係無いね、きっと! よしんば関係あったとしても、正当防衛だ!」

 

 それに、()()を撃退したのはせいぜい数刻前だ。

 そんな短時間で、ここまで厳重に交通規制がかかるとも、ましてやこれほど立ち往生の人々でごった返すとも思えない。多分。きっと。

 

 冷や汗をかきながら主張するも、爺さんはジト目でこちらを見続けている。

 

「……分かった、何があったのか聞いてくる……」

 

 その視線に負け、俺は渋々と馬車を降りて衛兵の姿を探しに行くのだった……

 

 ……どうか、今度()賠償金とかありませんように、と祈りながら。

 

 

 

 

 

「あの、サーセン、これって……何の混雑ですかね?」

 

 佇んでいる衛兵の一人が、手が空いたのを見計らって尋ねてみる。

 すると、兵士の鎧を着たその男が、辟易した様子で振り返り、心底面倒そうな顔を向けてきた。

 

 ……まぁ、似たような奴に何度も捕まって、嫌気が差しているんだろう。

 

「お前は……行商の護衛か。どうしたも何も、この先魔物が活発化しているせいで特別警戒宣言中だよ。しばらく街道の封鎖は続く予定だから、さっさと宿でも探した方が良いぞ」

「……魔物の活発化?」

「詳しくは知らん。私もこの仕事に就いてそれなりに長いが、こんなことは初めてだ。そら、行った行った」

 

 やや年かさの、中年〜壮年くらいの衛兵がそう言って、けんもほろろに追い返されそうとする。

 

 何か、嫌な予感がした。

 よくわからない不安に突き動かされ、食い下がる。

 

「俺は、見ての通り戦えるっス。協力するから通してくれねぇっすかね」

「……その包みは槍のようだが、残念ながら今回はそういうのが役に立つような事態じゃないんだよ。なんでも飛竜の目撃情報が……」

 

 ――飛竜、と言った。

 

 俺のせいじゃねぇよな……?

 そう、背中をヒヤリとした物が伝ったが……飛竜……空飛ぶ相手ならば、余計に自分は役に立つ。

 衛兵の発した単語に好機を見つけ、畳み掛けようと口を開こうとした、その時。

 

「すみません、私達も通していただけませんか?」

「だから、駄目だ……って……」

 

 俺の背後から聞こえた声に、鬱陶しそうに返事をしかけた衛兵の声が、止まる。

 

 つられて振り返ってみると、そこに居たのは、青い髪をした青年だった。

 その腰には二本の長剣が吊ってあり、そこそこ……いや、相当に使い込んでいるように見える。

 

 しかし、その割にはどこかボンヤリとした雰囲気だが……その顔は整っており、物腰も柔らかく爽やかで、遠巻きにこちらを窺っている女性の視線を集めているのが見て取れた。

 

 ……なんか王子様っぽい奴が来た。くっそ、イケメンとか滅べばいいのに。

 

「……ゼル坊ちゃん?」

「はい、お久しぶりです。ヨゼフおじさんも、元気で何よりです」

「おーおー……立派になってまぁ……今は、名の知れた傭兵団で立派にやってるんだって?」

「ええ、今回もその仕事の一環で外出していたもので……ですが、事情が変わり、私たちだけこうして一部の仲間を連れて戻って来ました」

 

 その背後には、同様によく使い込まれた武装を纏った一団。

 

 ……青髪の兄ちゃんだけじゃない、こいつら全員、結構やるな。

 

 ざっと見回して、そう思う。

 立ち振る舞い、雰囲気……そういった物から、彼等が並々ならぬ集団だとなんとなく察する。

 

 ……ところで、なんか、クソでけぇ弓担いだチンピラっぽいヤツにめっちゃ睨まれてる気がするんだが。

 

 まぁ、俺の担いでいる武器を察した弓使いには、今までもだいたいそんな顔されたんだが。

 修練を積んだ彼等にとっては、どうにも邪道に思えてならないらしい。

 

 が、だからって睨まれる筋合いはねぇぞこの野郎……そんなことをぼんやりと考えながらガン付け返していると……

 

「……ところで、そこの赤毛のあなた」

「……あ?」

 

 どうやら交渉が纏まったらしいリーダー役の青年から、突然声をかけられた。慌ててガン付けるのをやめる。

 

「あなたも、腕に自信があるとお見受けします。それに、この先に用事があるとも。よければ、一緒に来てくれませんか?」

「……いいのか!?」

「ええ、戦力は多いに越したことはありません……それに、その獲物……南の国に最近出回っているという噂の、アレですか」

 

 流石に傭兵団、この世界ではまだ流通の少ない武器種だというのに、ライバル職のあの弓使い以外にもアッサリと見抜かれた。

 

「……おっと。まぁ、隠すような事じゃないしな。そうだよ、べつに持ち込み禁止じゃねぇよな?」

「ええ、大丈夫です。その包みの中身がアレならば、是非協力してください。きっとこの先で必要になるでしょうから」

「ああ、願ったりだ。よろしく頼む」

 

 そう言って、差し出された青毛の兄ちゃんの手を、握り返す。

 

 そうして、ここまで一緒に来た爺さんとまた後に領都で会おうと約束すると、再び出発した。

 

 

 

 それから更に三刻ほど。

 進む先にようやく見えてきた、その領都には――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――ここは、領都ローランディア東門の屋上。

 

「イリスちゃぁああん!」

「……わぷっ!?」

 

 

 門の上で待機中だというミリィさんを訪ねて、外へ出た瞬間――突如、顔が柔らかいものに埋まって、視界がゼロになりました。

 

「良かった、よかったにゃあ~……無事、目覚めたのねぇ……!」

「わ、わかりました、わかりましたから、むぐっ、放してください……っ!」

「おっと、ごめんにゃ、無事なのをこの目で確認して、嬉しくてつい……本当にごめんなさい!」

 

 ようやく解放され、ぷはっと息を大きく吸い込む。

 ……何だか、ものすごい既視感です。

 

「……はぁ……はぁ……ご、ご心配おかけしました……」

「ううん、でも、本当に無事で良かった……」

 

 そう言って今度は優しく抱き留められ、心底心配を掛けていたことを改めて思い知ります。なので、大人しくその抱擁に身を委ねました。

 そのまま、しばらく彼女に為すが儘ににされていると……ようやく抱擁から解放されたかと思えば、彼女は私の背後……傍にずっと控えて護衛をしてくれていた、ハヤト君の方へと興味深そうに駆け寄っていきました。

 

「それで……こっちの少年は、ディアマントバレーの時の少年……ふむふむ、こうしてみると中々……エキゾチックな美少年小姓……ありにゃ!」

「は!? な、なん……っ!?」

「お姉さん、君の事気に入ったにゃ!」

 

 そう、今度はがしりとハヤト君の肩を掴むミリィさん。

 突然年上の美人なお姉さんに捕まった彼は、真っ赤になってドギマギしているみたいです。

 ですが……ミリィさんの気に入った、というのは……いけません。それはつまり……

 

「少年! ……女の子の恰好に、興味は無い!?」

「ばっ……あるわけねぇだろっ!!?」

 

 真っ赤になって、まるで悲鳴のように上擦った声で叫ぶハヤト君。

 ミリィさんはたまに私に向けるのと似たような目をしていたので、そうだろうと思いました。そっと後ろで苦笑します。

 

「できるだけボーイッシュな方向で纏めるから! ね、駄目かにゃ!?」

「そもそも俺は男だっつーの、女の恰好なんてできるか!? くそっ、俺は周囲の見回りに行ってくる!!」

 

 そう言って、ミリィさんの腕を振り切って、『クローキング』で姿を消してどこかへと行ってしまいました。

 

「あらら……振られちゃったにゃ」

「それはそうですよ、後でハヤト君に謝ってあげてくださいね?」

「うむ、了解にゃ」

 

 たはは、と苦笑しながらそう言う彼女に、ちょっと怒ったふりをしていたのを止めて、つられて苦笑する。

 しかし、すぐに真面目な顔に戻った彼女に、こちらも居住まいを正します。

 

「それで……『クラルテアイリス』の修理は、まだちょっとかかるにゃ。本当は早く直してあげたかったんだけど……」

「いえ……それよりも、折角作ってくれた衣装だったのに、破損してしまって、ごめんなさい……」

 

 服自体の破損に、力を失ったエンチャントの再構築。

 折角あれだけの物を作ってくれたのに、申し訳なさが募ります。が……

 

「謝る事なんてない、あれは自信作だけど防具は防具。着ているイリスちゃんが無事ならオッケーにゃ……ね?」

「……はい、ありがとうございます」

 

 まったく気にした風もなく、優しく頭を撫でるその手に……ふっと、表情を緩めて笑いかける。

 

「それに、完成したあの時から比べてイリスちゃんの能力も上がってるにゃ。ここらで一度、レベルに合わせて性能もあげておきたかったから……もう少しかかるけど、待っていて欲しいにゃ」

「はい、楽しみにしていますね」

「それに……あの素材の方も、使用の目途はついたにゃ」

「……そうですか。どうか、お願いします」

 

 あの素材……ブランシュ様の――セイリオスの白く輝く体毛。

 最高峰の幻獣である彼女のそれは、非常に優れた性能を持つ、幻の防具素材でもあります。

 どうか、有効活用してほしい―――そんな彼女の願いにより、あらかじめ領主様が採取していたそれも、今はミリィさんの手元に素材として存在しています。

 

「とりあえず、生地に織り込んだりして節約しながら使って……三人分の外套、それと綾芽ちゃんのためのサーコート(甲冑やチェインメイルの上から羽織る、熱吸収を抑えるための上衣)は作れると思うにゃ。肝心の鎧の方はまた別に頼むから、そのあとだと思うけど……」

「ミリィさん、その……自分の分も作って良いのですよ?」

「ふふん、その点は抜かりないにゃ、きっちり自分用もローブ一着分、確保してあるにゃ」

 

 そう、自信満々に言う彼女。

 高い打撃力を持つ反面、防御面に不安の残る魔術師の彼女なので、そのあたりが心配でしたが……どうやらきちんと考えていたようで、心配は杞憂に終わってほっと一息つきます。

 

「やっぱり、戦力や装備の増強は急務?」

「はい……あれを目の当たりにしてしまうと、今のままではとても……」

 

 今後、どんどん戦闘が激しくなっていくかもしれない。

 そろそろ、兄様やレイジさんを始めとしたプレイヤーの皆も、こちらに来た時のままの装備では役に立たなくなっていくのではないか……そんな予感をひしひしと感じています。

 

 ……こちらへ来た皆が元々着ていた装備というのは、その辺の店で売っているものと比較してもだいぶ上等なものではあります。

 だがしかし、これらはあくまでも、転生によってレベルダウンしたために着れなくなったメイン装備の代用品……間に合わせなのですから。

 

「布系防具はミリィさんが居てくれますし、武器についても当てはありますが……」

「となると……防具職人ね」

「はい……どなたか心当たりはないでしょうか?」

 

 彼女がギルマスを務めるギルド。生産職の集まるそこに、もしかしたら伝手が……と思いましたが……

 

「んー……こっちに来ている中に、多分いないと思うのよね……イチから探していく事になるかにゃぁ……」

「そうですか……」

 

 なかなか、上手くはいかないものです。

 とはいえ、元々があわよくば……という話でもありましたので、気分を切り替えていかないといけません。

 ここはまだ戦火に巻き込まれてはいないけれど、領主様を始めとした皆はもうすでに戦闘に入っているのですから。

 

「それで……戦況は、どのように?」

「んー、向こう、お城周辺をはじめとした山の側はだいぶ前からちらほらと小競り合いは起きているみたいにゃ。時々魔法の光が瞬いているのも見えるけど……うまく抑え込めているみたい。そっちも、特に怪我人も運ばれてきていないのよね?」

「はい……今のところ、小さな子供が環境の変化で体調を崩したのが二件、それと、ちょっとしたトラブルによる軽傷……だけです」

 

 それも、こちらに詰めているアイニさんをはじめとした医師や薬師の皆さんで対処済み。

 最前線はすでに開戦している一方で、こちらはまだ平和なものでした。

 

 本当は、この間にレイジさんとソール兄様の治療も進めたかったのですが……

 

「……慌てない、慌てない。二人の症状は、安定しているのよね?」

「……はい」

 

 ぽんぽんと、宥めるように撫でられる。

 どうやら、焦りが顔に出ていたみたいです。

 

「なら、大丈夫、二人とも君を置いたままどっかいったりは絶対しないにゃ、信じてあげよう?」

「……そう、ですね。ありがとうございます、ミリィさん」

「にゅふー、お姉ちゃんって言っても良いのよ、ほら、ほら!」

「い、いや、それはちょっと……」

 

 時折忘れそうになりますが、向こうでは彼女は綾芽の……妹の同級生です。

 さすがにそれをお姉ちゃんと呼ぶのは、ちょっと……と、苦笑します。

 

「むぅぅ……イリスちゃんのいけずー……」

「なんと言われても、今でこそ私はこの体ですが、向こうでは年上だったんで――」

 

 拗ねるミリィさんにツンと澄まし顔で返していた、その時――視界の先の空が、光に包まれました。

 

「ねぇ、イリスちゃん、今の光……」

「あれは……黄色の信号弾?」

 

 山に潜み、魔物の動向を監視していた山伏の人からの信号弾。

 門の胸壁に手をついて、身を乗り出した視線の先には、未だに黄味がかった光が瞬いています。

 呆然とその光を眺めていると、横から人の……隠行を解いたハヤト君も気配。

 

「――姉ちゃん、今の!」

「ええ、黄色は……たしか、『想定外の危険、注意されたし』……でしたよね?」

 

 私の言葉に、頷く二人。

 ちなみに赤ならば『すぐに街から退避しろ』……だったはずです。

 

「一体、何が……」

「どうにも、嫌な予感がするにゃ」

 

 二人が言い合うのを聞きながら、じっと山の方へと目を凝らしていると……山の方からいくつかの影が、こちらへと向かって来ているのが見えました。

 

「あれは……鳥?」

 

 それにしては、大きすぎる気がする。

 自身にイーグルアイの魔法を付与し、視力を強化する。

 ハヤト君も何か視力強化系のスキルを使用したらしく、真剣な表情で同じ方向を見つめていた。

 

「いや……違うぞ、あれ……鳥じゃねぇ」

 

 呆然と呟く、ハヤト君の声。

 強化された視界に飛び込んで来たのは……

 

 鱗に覆われた長い巨体と、槍のように鋭く長い尾。

 前足は無く、代わりに飛膜の張った大きな翼。

 そして……竜の頭。

 

 あれは……!

 

「……ワイバーン!?」

 

 しかも……何があったのが、空腹かなにかで凶暴化している様子が見て取れる。

 そんな影が、一匹や二匹ではない。

 山の向こうから……同じ姿の影が、次々とこちらへと向かって飛んで来ていました――……

 



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領都防衛2

 

 ――飛竜種。

 

 蛇の胴に蝙蝠の羽根、竜の頭を持つことで有名なワイバーン種を始めとした、亜竜に属するものの中で最もメジャーな存在。

 

 彼ら飛竜種の多くは基本的に、さほど遠くない場所に雌雄それぞれの集団を作り、別れて生活している。

 というのも、自らの子孫を残すという本能故か、雄は自分の(つがい)の雌の子以外の幼い個体を喰い殺してしまうため……ある程度子が育つと、雌は子竜と共に一箇所に寄り集まり、雄を近寄らせないという。

 

 だが一方で、繁殖期になると雄たちはそれぞれの巣を作り、餌を狩っては貢ぐことで雌の気を引こうとする。そのため、繁殖期には危険度が格段に跳ね上がる。

 

 しかし、それ以外は基本的には他の魔物と同様……わざわざ人里に降りてきて集落を襲う事など、群れを追われた『はぐれ』を除いて滅多に存在しない……筈だった。

 

 

 

 そんな飛竜種の中に、フロストワイバーンと呼称される、雪に覆われた地域を生活の場とする種が存在する。

 

 基本的な生態は、通常のワイバーンとほとんど差異はない。外見も、通常緑色をしているのに対してこちらは鱗が青みがかった白色だというのと、身体のところどころに羽毛が生えている程度。

 最大の特徴は、口から吐くブレスが、炎ではなく氷雪属性……吹雪を発生させるフリーズブレスな事くらいだろう。

 

 だが……その目撃例は、非常に少ない。

 

 何故ならば、時折大陸北部にも姿を見せる彼らの足跡を追跡したという、一人の冒険家の手記に記載されていたフロストワイバーンの生息場所は……未開の地、ノールグラシエ西方に広がる大針葉樹林の抜けた先、特に厳しい環境に晒されている極寒の山々だったのだから。

 

 決して、こんな人里近い場所に出現するような存在ではない筈だったのだ――……

 

 

 

 

 

 視線の先、最前線である城のあたりで、また一体の飛竜が激しい雷光纏う光線に飲み込まれました。

 以前にも見た、レオンハルト様の攻撃と思しきそれをまともに受けた飛竜は黒焦げになって墜落していきます。

 

 城周辺にはティティリアさんの魔法によって縦横に半透明の足場が走り回っているらしく、その上を駆け巡る最精鋭の兵士の人たちが果敢に交戦し、今はまだ戦えているのが見て取れました。

 

 だけど……空を舞うその巨体。その数が多すぎる。

 

 

 

 ――竜と違い、ワイバーンは群れで行動する。

 

 だから、単体での能力は格段に劣っても、状況によっては竜種よりもはるかに厄介な存在と化す。

 そして……今が、まさにそれだ。彼らは飢えており、ちょうど一飲みにできる手ごろなサイズの生物――街の人々を完全に餌として認識しているのだから。

 

 街は現在、悲鳴や怒号があちこちから上がっており、詰めかけた人々への対応もままならず、混沌の中にある。

 今はまだ様子見で上空を旋回しながら、時折先走った個体が襲撃してくる程度で済んでいるが……奴らを街に下ろしてしまえば……きっと、弱肉強食を体現した惨劇がそこで起こるのは間違いなかった。

 

 

 

 街中の大弩砲(バリスタ)が稼働し、そのワイバーンの巨体を近寄らせぬよう威嚇射撃が行われていました。

 それを援護するように、そして極力町中に被害を与えないように、ミリィさんを始めとした外壁上に陣取った魔法兵団からも攻撃魔法……主に風魔法……が舞い跳んでいます。

 

 そんな中、自身の『イーグルアイ』によって強化された視界に移る敵の姿に、私の頭の中には、一つの疑問がぐるぐると渦巻いていました。

 

 

 

 ――何故、(メス)の個体だけなのだろうか。

 

 ワイバーンの雌性体(しせいたい)は、卵を温めるために地上にいる事が多いせいか、(オス)と比べると脚部ががっしりとしているらしい。

 そして、卵を狙ってくる敵の威嚇あるいは撃退、そして雛への給餌のため、顎と翼の棘が発達しているものが多いと言われている。

 今街を襲撃しているのは、そのほとんど……いや、全てがその雌の特徴に合致しているのです。

 

 つまり――今街を襲撃しているワイバーンは全て雌。不自然なほど、雄が居ない。

 

 

 

 ……そんな疑問に、僅かな間でも意識が持っていかれていると……不意に、襟首が掴まれた。

 

「……姫様、失礼します!」

「――きゃあ!?」

 

 次の瞬間、屋上で私やミリィさんの護衛についていた兵士の一人……まだ年若い方だ……に、床に引きずり倒された。

 

 一瞬パニックに陥りかけるが、すぐにそんな事態ではないと気が付いて、どうにか平静を取り戻す。

 私を引き倒した若い兵は、どうやら私を抱えているのと反対の腕で盾を構えているらしく、その兵士の前から分かたれるようにして……猛烈な吹雪に私の周囲が包まれていた。

 

 気紛れにこちらにターゲットを移し飛来したワイバーンの一体に、ブレスを浴びせかけられている……そう、眼前、覆い被さっている兵士の一人が苦悶の表情を浮かべていた事でようやく事態を把握した。

 

「あなた、何という無茶を……!?」

「平気、です……頭を出さないで……!」

 

 ぐっと、ローブ付属のフードを目深に被った頭を男の人の大きな手で掴まれて、頭を引っ込めさせられる。

 守護魔法を……と思うも、『プロテクション』はミリィさんに残しておかなければならず、今は先立って付与してある『エンハンスドアーマー』によって強化されているその兵士の盾が保ってくれることを祈ることしかできない焦燥感に、唇を噛む。

 

「イリスちゃん! この、浮気してんじゃないにゃ、トカゲ如きがぁ!!」

 

 詠唱を終えたミリィさんの、その手の先に描かれた巨大な魔法陣から放たれる眩い雷撃が、吹雪を吐いていたワイバーンを貫いて空へと抜けていく。

 全身を高圧電流に貫かれた事で、周囲を包んでいたブレスが止まりました。

 

 硬直したワイバーンが高度を落としたところで、その首に先端にフックを備えたワイヤーらしき物が絡みついたのが見えた次の瞬間、ひらりと飛び乗ったハヤト君がその背を駆け上がり、手にした短刀で、その首を半ばまで断つ。

 

 頸椎を断たれ、力を失い門の外へと落下していくワイバーン。

 その背からハヤト君が飛び降りると、危なげなく門の上へと着地し武器を構えなおしたのが見え……ようやく安堵の息をつきました。

 

「イリスちゃん、大丈夫!?」

「だ、大丈夫です、この兵士さんが庇ってくれましたので……立てますか?」

 

 私を庇った事でブレスを直に受け、ぐったりと倒れている兵士さんに肩を貸して起き上がらせる。

 

「は、はい……申し訳ありません、姫様を押し倒すなど、とんだご無礼を……」

「いいえ、悪いのはこの緊急時にボーっとしていた私です。無礼なんて、とんでもない……!」

 

 かぶりを振ってどうにか平常心を取り戻すと、笑顔を作って頭を下げる……気安く頭を下げるなと、またレニィさんから怒られそうだけれども。

 

「危ないところを庇っていただいて、本当にありがとうございます。傷口を見せてください」

「は、はい……」

 

 何故か心ここに在らずといった様子とロボットみたいな仕草で、しかし素直に、盾を持っていた方の腕を見せてくれる兵士さん。

 

 その腕は……酷い状態でした。

 全体がくまなく凍り付き、重い凍傷も見られる。飛んできた氷のせいか、纏う鎖帷子も所々千切れ、あちこち裂けていました。

 

 ……急ぎ治療しなければ、このままでは切断しなければいけない事になる。

 

「今、治療します、そのままじっとしていてください」

 

 一言断り、その腕に右手を(かざ)す。

 

 すると、すぐに彼の腕から凍結した氷が剥がれ落ち、その下にあった怪我だらけの腕が、元の健康的な姿へと再生していきました。

 

 狐に摘まれたように、傷の消えた自分の腕を握って具合を確かめている彼を見て、ふぅ、と安堵の息を吐く。

 ふと、額になにか小さな熱を感じた気がして、空いた左手でそこを押さえながら。

 

「良かった、これで大丈夫……どうしました、ミリィさん?」

 

 顔を上げると、何故か驚愕の表情でこちらを見下ろすミリィさん。

 

「……イリスちゃん、今、何を……? いえ、今はそれどころじゃないわね」

「……?」

 

 かぶりを振って未だ戦火の広がる方向へと向き直るミリィさん。

 その様子に首を傾げつつも、彼女と同じ方向へと目を向けると……

 

「うぅん……ちょっと、目立ち過ぎたかにゃ……?」

 

 軽い口調とは裏腹に、緊張を孕んだミリィさんのその視線の先には……今の雷光を見てこちらを高脅威目標とみなしたらしく、ワイバーンが三匹飛来して来ているところでした。

 俄かに騒然となる周囲。門の前の行列から、その接近に気がついた者達の悲鳴が次々と聞こえて来る。

 

「こうなったら、私も全開で……っ」

「だめにゃ!!」

 

 上空でブレスを吐く体勢にある三体のワイバーンの姿に、自粛を破って守護魔法を街に飛ばそうとすると、鋭い制止の声がミリィさんから飛ぶ。

 

「ここは()()()()()()……!」

「でも……!」

 

 眼下、門の下には、この事態に慌てて門へ避難してきた、家の中に閉じ籠っていた人達がひしめき合っています。

 

 

 この街の人々には、私の事はたまたま居合わせた『聖女』であると領主様が説明しており、その正体を知りません。

 

 兵士の方々も、流石に私が『イリスリーア』だという事は知っていますが……以前共に戦った一部の人を除いて、それ以上のことは知りません。

 

 私が全力で支援すれば、彼ら皆に守護魔法を行き届かせられるのに……しかし、そのためには背中の翼を晒さなければならない。

 

 

 

 ――今度こそ、情報統制は不可能であろう、一般人の人々が沢山いる、この中で。

 

 

 

 今までは、傭兵団や軍人という、命令系統がしっかりした人達、それも信頼に足る人々しか居なかったため、大丈夫でした。

 

 しかし、今度はそうではありません。今ここで正体を晒せば、一般の人々の中で話が広まって行くことを防ぐ手段は、無い。

 

 だけど……余裕はまだあるのに手を抜いて、そのせいで皆が傷つくなんて耐えられない。

 そんな葛藤の中で、無情にも、頭上のワイバーンの一体がブレスを放つ体勢に入った。

 

 そして……その視線の先に、見えてしまった。

 

 

 

 ――まだ小さな乳児らしき子を咄嗟に胸の内に抱き込んで守ろうとする、母親らしき女性の姿を。

 

 

 

「……っ、させ、な……ッ!!」

 

 気がついたら、もう無視はできなかった。半ば反射的に身体が勝手に動く。覚悟を決め、『ワイドプロテクション』を周囲に放とうとした、その時――

 

 

 

 ――まず鳴り響いたのが、ズドン、という音を何倍にも激しくした豪砲の音。

 

 ――そしてほぼ同時に、バジュウッ! という、間近に雷が落ちたような、空気が焼け焦げるような身の毛がよだつ音が重なって聞こえました。

 

 

 

「……な……っ!?」

 

 呆然と見つめる先では……今まさにブレスを放つところだったワイバーンのうち一体の頭が無くなって――いいえ、横合いから飛んできた『何か』によって、一瞬で爆ぜるように吹き飛んだらしい。

 その光景を見た他の二匹のワイバーンも……正体不明の、自分達の仲間を一撃で絶命させる攻撃を警戒してか、攻撃を中断して高度を取っていきます。

 

「……っ、はぁ……っ! どうやら、美味しい場面には間に合ったらしいな……!」

 

 唐突に、背後から聞こえてきた軽い調子の声。

 振り返った先、門内部へと続く階段のところには……やたらと細長い箱型の棒を手元で回転させ、肩に担ぎなおした人物が、いつの間にかそこに佇んでいました。

 そして、その棒……筒の先から立ち上る煙が、先程の一撃は彼の手によるものだと如実に表しています。

 

「よ、久しぶり。元気だったか?」

 

 呑気に挨拶するように、片手を上げて門の上を歩いて来るその人影。

 

 全身真っ赤な人だ。

 中途半端に羽織った真っ赤なコート。

 同じく真っ赤な髪と、片目を隠すようなバンダナに、頬を覆うファイアパターン。

 

 派手な格好だけれど……その表情には、とても見覚えがある。というか、イベントなどで何度も一緒しているので、良く知っている。

 

 彼は……

 

「……緋上、さん?」

 

 それは……当面の目標として私達が探そうと思っていた人物であり、元の世界での上司。

 

 アークスVRテクノロジーの、『Worldgate Online』開発チームのAD(アートディレクター)……緋上恭也、その人のアバターでした――……

 

 

 

 

 

 





 ようやく合流……!
 飛竜の生態の設定は独自のものです。自分の子孫を残させるために子を殺す、っていうのは、身近な所ではツキノワグマなんかもやる現象です。


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魔弾の射手

 

 

 突然現れた、赤毛の派手な格好をした男性。

 

 おそらく先程のワイバーンを一撃で絶命させた武器であろう、その肩に担いだ物体の異様さに、周囲のざわつきが大きくなりました。

 

 それは……身の丈程もある長さの、とても細長い箱のような形をした巨大な筒。

 

 側面に何らかのレバーと、両手を使用して保持するためのグリップが迫り出しているけれど……外見の印象は、少しSFチックな意匠の黒光りする箱……でしょうか。しかし担いでいる彼の手元に引鉄(ひきがね)を確認できるため、やはりあれは銃器なのでしょう。

 

 銃というよりも、砲と言った方がしっくりくるそれを担いだ赤毛の男性が、こちらに歩いて来ます。

 私の周囲の兵士さん達がその動きに警戒し、私を庇うように動こうとしました。

 

 けれども……大丈夫、心配いりませんと、それを視線で制します。

 

 それらを意に介さず私の傍、兵の一人が剣を抜くか抜かないか、と言う所まで近づいてきた彼は……

 

 がばっと、その場に跪きました。

 そして……こちらに手を伸ばし、胸に手を当てて、口を開く。

 

「……結婚してくれ!」

「ごめんなさい、お断りします」

 

 ――周囲が静まり返りました。

 

 彼の発言に間髪を容れず、深々と頭を下げながらもきっぱりと放った私の言葉に、周囲の人々が固まります。唯一、事情を知っているミリィさんのみが、「あっちゃー、やっちゃった」、とでも言いたげな様子で苦笑していました。

 

「っかぁー……これだよ、この一刀両断な感じ。これでこそ玖……っと、イリスちゃんって感じがするわー」

「……まったくもう。こんな時でも相変わらずですね……お久しぶりです、緋上さん」

「おう。お前も無事で、本当に良かった」

 

 そう言って、今のやり取りなどまるでなかったように私の頭をぐりぐりと撫でながら、気さくに話しかけて来る彼。

 

 ――こんな状況なのに、この人は相変わらずだなぁ。

 

 空にはまだ無数の飛竜が飛び交っているのに……と、思わず苦笑が漏れました。

 

「大丈夫ですよ、皆さん。彼は私が行方不明になっていた時に随分とお世話になった方で、ちょっとだけ独特のノリではありますが、信頼できる人です」

「は、はぁ……」

 

 そう、周囲に笑いかけながら伝えると、戸惑いを見せながらも、ようやく周囲から緊張感が霧散しました。

 

 しかし、彼はすぐに真面目な表情を作ると、こちらの耳元へと口を寄せ、周囲に聞こえないような声量で話しかけて来ました。

 

「それで……綾芽ちゃんと……あと確か幼馴染だっていう子は? 一緒じゃないのか?」

「それは……あの、それ、は……」

 

 ――突如、未だ眠りから覚めぬ二人の話題が振られたたことで動揺してしまい、声が震えた。

 

 この数日で、心の内に溜まりに溜まっていたものが、彼の登場で……仕事の上司としてだけでなく、兄貴分として……それなりに親密な関係を築いていた彼の登場によって、水を溜め込みすぎた水門が決壊するようにして、目からぽろりと零れ落ちた。

 

「あれ……そんな場合じゃないのに、おかしいな……あれ?」

 

 ぐしぐしと目を擦っても拭っても、次々と零れていく滴。

 

「……何か、あったんだな」

 

 ぽん、と優しく頭に手が置かれる。

 その手付きが、なんだかレイジさんとそっくりに思えて……ふと、思ってしまった。

 

 

 

 ――そういえば、しばらく頭を撫でられていないな。

 

 

 

 そう、思ってしまったが最後、心の片隅に追いやることで忘れようとしていた感情が、破裂してしまった。

 

 ……限界だった。

 

 もはや、零れ落ちる涙は止まりそうになく。

 

「……ぇ……っ、ぅえ……っ!」

「ちょ、ま……イリスちゃん?」

「ぅわぁぁあああ……っ、あああ…………っ!!」

 

 戸惑っている緋上さんの胸へと飛び込んで、しばらく……子供のように泣きじゃくってしまうのを、止める事はできませんでした……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……落ち着いたか?」

「……ぐすっ……すみません、こんな時に……」

 

 周囲には相変わらず飛竜が旋回しており、気を利かせてくれて明後日の方を向いている周りの人々は、今も警戒中。落ち着くと、今度は恥ずかしいやら申し訳ないやらで、急にいたたまれなくなって来てしまいました。

 

 

 

 少し前の戦闘のあらましと、それによって負傷した二人が、未だ目覚めない事。

 

 しゃくりあげながらも、どうにか語り終える。

 それらを聞いた緋上さん……ゲーム内では『スカーレット』と名乗っているらしい……は、話を聞いている間ずっと、私を落ち着かせるように頭を撫でてくれていました。

 

 ――なんだか、いつも一緒の二人が居なくて不安な中、兄貴分だった彼が現れた事で安堵したせいか、随分と自分が子供っぽくなってしまった気がします。

 

「……そうか……大変だったな」

「あはは……本当に……今回は、いつもよりもさらにひどい目に逢いました……」

 

 どうにか苦笑の形を作って、そう返します。

 おどけていないと、顔を覗かせそうになる寂寥感と恐怖心に耐え兼ねて折れてしまう気がしたから。

 

 ――ちゃんと、笑えていると良いのですが。酷い顔になっているのではないかと、気が気ではありませんでした。

 

「ふぅ……俺じゃあ、代わりにはなれないかもしんないけどさ……綾芽ちゃん達が目覚めるまで、好きに頼ってくれ。俺は、全面的にお前の味方だから……な?」

「……はい……はい……っ」

 

 その言葉にまた、少しじわっと涙が出て、慌てて拭う。

 

 元とはいえ兄として、あまり弱みを見せたくない相手である綾芽。

 いつか、きちんと横に立てるように、対等になりたいと思っている相手である玲史。

 

 内心そんな想いがあるために、つい甘えることを躊躇ってしまう二人相手と違い……自分よりも年齢も立場も上で、年の離れた兄のような存在である緋上さんにはついつい甘えてしまいそうになってしまう。

 

 ――しっかりしないと……そう、涙を拭い、軽く頰を叩いて気合いを入れ直す。

 

「しっかし……イリスちゃん、随分と雰囲気が変わったな、なんかマジで女の子っぽくなったというか……」

「……?」

「い、いや、何でもねぇ! それより……」

 

 聞き取れないような声量で呟き、何故か慌て始めた彼に首を傾げていた……そんな時、俄かに周囲がざわつき始めました。

 

 空を見上げると……どうやら痺れを切らしたらしく、数匹の飛竜がこちらへと突撃を試み始めていました。

 そのため、迎撃を再開した大弩砲(バリスタ)の巨大な矢が、空を再び舞い始めているのが見て取れます。

 

「さて……それじゃ、まずはこの状況をさっさと片付けて、二人を目覚めさせないとな。イリスちゃん、耳を塞いで、だけど俺の後ろから離れるなよ?」

 

 そう言われて素直に耳を両手で塞ぎ、数歩後退します。

 そんな私を横目で確認すると、銃の側面にあるレバーを引くスカーレット……スカーさん。

 

 ジャコンと音がして、銃側面からマジックペンくらいの大きさの空薬莢が宙を舞い、すぐに重力に引かれて床に落ちました。

 すぐさま彼の手が、腰に幾つも括り付けた弾丸のケースに伸びたかと思うと、そこから出てきたのは、新しい一発の銃弾。流れるようにその新たな弾が銃に装填され、レバーを戻し薬室が再び閉じられました。

 

 ――魔導銃。

 

 自分たちの居た世界で言う雷管の代わりに、薬莢の底に仕込まれた魔法を撃鉄に仕込まれた起爆術式で励起させ放つ、ゲーム内でもかなり新しい武器カテゴリーに位置する武器……いいえ、兵器と言っても差し支えの無いそれ。

 

 使用できるのは、アーチャー系列の特殊分化職『ガンナー』系列のみ。

 そのクラスの取得には、アーチャー系列の二次職後半まで育てるのを前提条件として受諾できる、希少な素材を気が遠くなる個数要求される鬼畜難易度で有名な、魔導銃作成クエストをクリアする必要がありました。

 

 しかも……『転生』のようにレベルこそ下がらないものの、それまで鍛えてきた弓の技能を全て捨てて一から育て直さなければならず、非常にハードルの高い職。それがガンナーでした。

 

 その入手条件から、同系列のアーチャー系からは『途中で別の道へと逸れていった者達』として非常に確執があり、某掲示板でも頻繁に諍いが起きていたりした……というのは余談です。

 

 ですが……その取得の際に作成し、以降相棒となる魔導銃には、初期のハンドガンタイプをはじめとして、二丁拳銃やライフル等、様々な物を選択して強化可能らしいのですが……彼が持つような、対物狙撃銃すらも遥かに凌ぐようなサイズの物は、見た事がありません。

 

 なので……それはおそらく、彼専用の物。何故ならば、彼は……

 

「ガンナー三次ユニーク職『魔弾の射手(デア・フライシュッツ)』、その力、見せてやるぜぇ……っ!」

 

 バチっと、周囲で空気が弾け、帯電したスカーさんの髪が、逆巻くのが見えました。

 魔道銃に幾条かの線……弾体加速用の魔道回路が輝き、その先端にいくつかの小さな魔法陣が灯る。

 その魔法陣は、視線の先、二十メートルほどの一定間隔を置いて空中に投影され、ある方向へと伸びて行く。

 

 一体それは何を……と思った瞬間――

 

 

 

 ――耳を塞いだ手すらも貫通する、轟音が炸裂した。

 

 

 

 銃声だけではない。

 放たれた弾体が銃の前に展開された魔法陣を潜った瞬間――眩い光と、雷鳴のような音を鳴り響かせ、さらには空気が潰れ、限界を超えて貫かれた音がそれに覆い……網膜に焼きつくほどの一筋の雷光だけ残して、消える。

 

 ほぼ発射と同時としか認識できないその刹那。

 どうやら弾丸の経路だったらしい、転々と設置された魔方陣に誘導されるように、今まさにこちらに向けて急降下中であったワイバーンの胴体が……その胸のあたりがぽっかりと抉られるようにして、円形に爆ぜた。

 

 グァ……と、そんな呻き声だけを残し、心臓と肺の大半を失ったその巨体が力無く落下していくきます。

 

 

 

 ――即死でした。硬い鱗に守られた、高い生命力を持つはずのワイバーンが。

 

 

 つい一瞬前までは空を自在に駆けていたその巨体が力無く地に墜ちていく様に、ちくりと胸が痛みますが……だからと言って、素直に喰われてやるわけにもいきません。ぐっとローブの胸のあたりを掴んで堪え、せめて目を逸らさないようにその様を見届ける。

 

「……すっげ」

 

 ぽかんとその光景を見つめ、中には感嘆の声を上げる、ハヤト君をはじめとした周囲の皆。

 私も、正直同じ気持ちでした。

 

 破壊力自体は、ミリィさんの大火力魔法に軍配が上がるでしょう。

 ですがこれは……一点突破の貫通力、殺傷力という点では、彼が上を行っていました。

 

 ()()()()()()()()()()物理アタッカー中での最高DPSを誇る職……それが、ガンナー系列。

 そして、彼はその栄冠を引き継ぐ三次ユニーク職。その破壊力は恐るべき物でした。

 

「……ってぇのが、今の俺の基本能力だ。戦闘面ではある程度頼ってくれていいぜ、特にこういう場面ではな」

 

 そう言って、上空を仰ぎ見るスカーさん。

 そこでは、ワイバーン達の動きに変化が起きていました。

 

 今までは一体がやられたらすぐに様子見に戻っていたワイバーン達が、退いていかない。

 それどころか旋回していた数匹がその進路を変えて……次々と、こちらへと、あるいは街中へと、向かって来ていた。

 

「……奴さんらもマジなようだからな、こっからが本番だ……イリスちゃん、辛かったら、門の中に……」

「……いいえ、もう大丈夫です」

 

 私を気遣っての彼の言葉に、だけど私はかぶりを振る。

 無理はするつもりはないけれど、動いていなければ押しつぶされそうで、何もせずに隠れて震えている事の方が、ずっと怖い。だから……

 

「早く終わらせて、街の皆を安心させ……眠っている二人を目覚めさせてあげないと。スカーさん……お願いです、力を貸してください」

「……ああ、合点承知だぜ!」

 

 再び、がしゃりと排莢音。そして……床に空薬莢が落下した澄んだ金属音。

 それが、本格的な領都防衛戦の始まりを告げるかのように、やけに大きく響き渡りました――……

 



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再起

 

 

「真っ赤なあんちゃん、この方向、赤い屋根の建物の裏!」

「よし、ナイスだ坊主! いっけぇええ!!」

 

 外壁から街の屋根に降り、索敵と観測手の役割をしていたハヤト君の誘導により、スカーさんの持つ砲が轟音を上げて弾丸を吐き出しました。

 

 途中、中継点として設置された小さな魔方陣が角度を変えることによって弾道を曲げられて飛翔した弾丸が、建物の陰に消える。

 

 次の瞬間、これだけ離れていても耳を劈く咆哮……ワイバーンの悲鳴が上がります。

 

「……やったか!?」

「……いや、ダメだ、翼には当たったけど、致命傷じゃない、来るぞ!」

 

 切羽詰まったハヤト君の叫び声。

 

 次の瞬間、土煙を上げて曲がり角を曲がり、片翼を引きずったフロストワイバーンの巨体が現れました。

 重傷を負った事で怒り狂い、血混じりの泡を吐きながら、門入り口の方に居る避難者の方へと突っ込んで来ます。

 

 その進路には……不運にも、混乱状態にある人込みに押し出されて転んだと思しき、ワイバーンの大きな口では一飲みにされそうな、十歳と少しくらいに見える女の子の姿。

 

「チィッ、もう一発……」

「いや、俺が!」

 

 慌てて弾丸を再装填したスカーさんを制し、ハヤト君が姿を薄れさせながら、ワイバーン目掛けて屋根から飛び降ります。

 

 ――一閃。

 

 落下しながら放たれたハヤト君の『アサシネイト』が奔り、ワイバーンの首が夥しい量の血を撒き散らしながら宙を舞った。

 

 その光景に思わず口元を押さえるけれど、どうにか堪えます。

 周囲からは、荒事慣れしていない人々のパニックに陥りかけた様子の悲鳴があちこちから上がっており、吐いている場合ではありません。

 

「ハヤト君、大丈夫!?」

 

 慌てて門の下を覗き込む。

 

「……大丈夫だ、この子も傷一つ無ぇ!」

 

 そこには、頭を失いながらも慣性で突っ込んで行ったらしい巨体から少女を抱えて逃れたらしい、ハヤト君の姿。

 女の子は放心状態でハヤト君を見上げて居たけれど……その言葉通り、二人とも大きな傷は無さそうで、安堵の息を吐き出します。しかし……

 

「クソ、建物の陰に降りられた、上からだけじゃ対処し切れねぇぞこれ!」

 

 別のワイバーンに照準を定めていたスカーさんが、忌々しげに舌打ちしながらスコープから顔を外す。

 その視線の先には、今降り立ったワイバーンの尻尾と翼だけが、家々の間からチラッと見えました。

 

「避難が終わらないと、強力な魔法だと街の人まで巻き込みかねないにゃ……!」

「てぇかマジ、数が多いな!? どうやら奴さんら、腹が減って我慢ならなくなったらしいな……っ!」

「……っ」

 

 見上げる彼の視線の先、次々と街へと降り立つワイバーン達。そのうち一体に照準を合わせ直し、再びスカーさんの砲が火を噴いた。

 照準違わずそのワイバーンは落下しましたが……弾丸を再装填する間にまた数匹、街へと降りてしまっています。

 

 中にはこちらに向かって来ている個体も居るけれど、そちらは今のところ、外壁上に設置された大弩砲(バリスタ)や魔法によって取り付かれるのを防いでいますが、しかし迎撃に手一杯で、下にまで対処し切れていない。まだ住民の避難は完了しておらず、眼下ではその巨体から逃げ惑う人たちの姿。

 

 それに、翼や尻尾などが周囲を建物に当たり、老朽化で脆くなっているものはそのまま崩落したりもしている。もしかしたら、その下に取り残されてしまった人達も居るかもしれない。

 

「助、け……ないと……っ」

 

 ――だけど、私が行って何ができる?

 

 このままここに残って、救護に当たっていた方がいいのではないか?

 それに、無理はしないという約束をして来たのに、それすらも反故になってしまうのではないか?

 

 こんな時、レイジさんが居てくれれば、先頭に立って道を示してくれるのに。

 こんな時、ソール兄様が居てくれれば、背中を押してくれるのに。

 

 ぐるぐると思考は周り、最適が何かわからずに彷徨う。

 視野が狭まって、自分がどこに立っているかが分からない。

 

 

 

 ――私は、一人では、こんなにも何も出来なかっただろうか。

 

 

 

 無力感で、手足から力が抜けていく。

 視界が暗くなり、音が遠ざかる。ぐらりと、身体がゆっくりと傾いで……

 

 そんな身体が、誰かに優しく支えられました。

 

「迷っているのであれば……貴女が、為したいようにするといいですよ、我が姫?」

「え……」

 

 ぽんと、優しく肩が叩かれる。

 振り返ると……そこには、今は外に出ているため街に居ないと思っていた顔がありました。

 

「……ゼルティスさん!」

「はい。貴女とこの街が危機と聞いて、僭越ながら馳せ参じました」

 

 ここは私の故郷でもありますしね、と穏やかに微笑む彼。

 

 眼下でも、動きがありました。

 街の人々に襲い掛かるワイバーン達。

 しかしその前に躍り出る人影が、その進行を食い止めていました。

 

「あれは……」

 

 それは……見覚えのある顔ぶれ。『セルクイユ』第一班、ゼルティスさん麾下の最精鋭部隊でした。

 先日以来、死の蛇を追い遠征に出ていたはずの彼らの参戦を、呆然と見下ろす。

 

「ったく、何辛気臭ぇ顔してんだ、ガキが」

「……ヴァイスさん!?」

 

 不意に、すぐ横から聴こえてきた別の声。

 いつのまにか傍らに立っていたヴァイスさんが、巨大な弓……『ドレッドノート』を引き絞り、放った。

 その矢は狙い違わず上空のワイバーンの一体の眼窩を貫いて、射抜かれたワイバーンはそのまま力なく壁の外へと落下して行きました。

 

 ……いつのまにか、使いこなせるようになっていたのですね。

 

 以前の戦場……ディアマントバレーの戦場では必要に迫られて辛うじて引いていたその剛弓を、今の彼は自在に操っているように見えます。男子三日会わざれば……と言いますが、彼の姿は少し前よりも、随分と逞しく見えました。

 

「おら、上の奴らは押さえといてやる、とっとと行くなら行けよ」

「……ふふ、彼はこんなことを言ってますが、貴女と、幼馴染のレニィ嬢が心配で団長に直談判して強引にこちらに来たんですよ?」

「ちょ、まっ……隊長、なん……っ」

 

 悪戯っぽく笑ってそう告げるゼルティスさんと、その発言に泡を喰って噛みつくヴァイスさん。

 その内容に驚き、ぱちくりと目を瞬かせ、首を傾げて尋ねます。

 

「……そうなんですか?」

「……チッ、悪ぃかよ」

「いいえ……ありがとうございます、頼もしいです」

「……ふん」

 

 思わず漏れた笑みと共に礼を告げると、そうぶっきらぼうな嘆息を一つ残して、彼はまたすぐに次の目標に対して狙いを定め始めました。

 そんな様子を眺めて、ゼルティスさんはやれやれ、素直じゃないですねといった感じで肩を竦めて来たので、思わず笑ってしまう。

 

「こちらだけではありません、西門には、フィリアスが第二班を率いて向かいました。あの子であれば、決して無理せずに誘導と防衛をこなしている筈です」

 

 状況が、どんどん変化していました。

 未だ街は混乱の最中にあるけれど……それでも皆、街を守ろうと頑張っています。なら、私にできることは……

 

「貴女の、望むままに。私と私の部下達が、貴女の手足となります」

「勿論、俺もな」

 

 隣で穏やかに微笑むゼルティスさんと、こちらを振り返り、にっと笑いかけて来るスカーさん。

 

 何をしたい? お前の望みは何だ?

 そう尋ねて来る彼らの視線。

 

 ――私は、どうしたい?

 

 視線を彷徨わせると、こちらを見つめているミリィさんも、鍵縄によって外壁上へと戻って来ていたハヤト君も、同意するように頷きました。

 

 ふと、くい、くいっと下から私のローブの裾を引っ張られる感触。

 見下ろすと……そこには、ちょこんと白いふわふわの毛皮……危険なので門の中で預かってもらっていたはずの、仔セイリオスが居ました。

 

「ああ、その子もどうやら貴女の下へと馳せ参じようとしていたもので。姿は小さくても、立派なナイトだ」

「……そっか」

 

 しゃがみ込み、その手触りの良い毛皮を撫でる。

 

「置いて行って、ごめんね? あなたも……助けてくれる?」

 

 その問いかけに、おんっ、とひとつ、元気な吠え声。その微笑ましい様子にふっと表情が緩みました。

 

 ――ああ、こんなにも……助けてくれる人が居る。

 

 思考の靄が晴れ、視界がクリアになった気がしました。

 

 どうやら、あの手酷い敗北で臆病になり、知らず識らずのうちに、恐怖と無力感から来る倦怠に絡め取られていたらしいです。

 

 もう、大丈夫。

 私一人ではないのだから。

 

 ひとつ深呼吸をして、昂りかけた胸の鼓動を落ち着ける。

 

 

 

「行くのか?」

「はい……打って出ましょう。街の皆を少しでも多く助けに行きます」

 

 スカーさんの問いに、彼の方へと真っ直ぐ視線を合わせて返事を返します。

 

「おそらく、レオンハルト様も、街へと襲撃されているこの状況に対処しようと動いているはずです」

 

 実際、ローランディア城付近へと降り立ったワイバーンはすでに鎮圧されているようで、時折瞬く魔法の光や、障害物を飛び越える様に宙に掛かっている光の橋は、徐々にこちらへと接近してきています。

 

「私達も、こちらへ避難してくる街の人や交戦中の兵士の方々を援護しながら、この門付近へと降りてきた敵を掃討しながら、西門を目指します。大変かもしれませんが……皆さん、お願いします」

 

 そう、自分のやりたいことを伝え、頭を下げる。

 

「迷いは、吹っ切れたみたいだな。いいぜ、手伝ってやるよ」

「ふふ、レオンハルトの叔父さんにはきっとこっ酷く怒られるでしょうね。ですが……お付き合いしますよ。皆で一緒に怒られましょう」

「あはは……覚悟しておきます」

 

 あの人が怒ったら、怖そうだなぁと苦笑します。

 だけど……もう決めたのだ。気を引き締めて、何をすればいいのかに思考を巡らせる。

 

「ヴァイスさん、ミリィさん。二人は上空に警戒を」

「ちっ……仕方ねぇな、やってやるよ」

「街に向けてぶっ放す訳にはいかないもんね、任せるにゃ」

 

 ヴァイスさんは相変わらず不機嫌そうに言いながら弓に矢をつがえて、そっぽを向いてしまいました。

 そんな彼にミリィさんは肩を竦め、苦笑しながらそう言って、こちらも精神集中に入ります。

 

 そして、そんな二人を守るため、盾を構えた兵士の皆が防備を固めてくれました。

 

「ハヤト君、スカーさん。道を切り開くのは、お任せします」

「分かった!」

「ああ、任せとけ」

 

 そう言って、すれ違いざまに親指を立てた握り拳をこちらに突き出して駆けて行く。

 ハヤト君は、持ち前の身軽さで。

 スカーさんは雷光纏って……『イオノクラフト』という移動スキルだそうです……軽やかに宙を駆け。

 結構な高さのあるはずの外壁を飛び降りて、街の屋根上へと勢い良く飛び出した二人。その姿が、瞬く間に小さくなっていきます。

 

「ゼルティスさん……傭兵団の方々と共に、皆を守っていただけますか?」

「はい、お任せください、我が姫」

「それと……申し訳ないのですが、抱えて降りて貰ってもいいでしょうか……?」

 

 私は一人では、ロープがあっても門の上から直接降りる事は難しいのをすっかり忘れていました。

 勢いのいい事を言った直後にこれです。羞恥に顔が熱くなるのを感じながら、頭を下げます。

 

「ええ、勿論。では……我が姫、失礼します」

「イリスで良いですよ、ゼルティスさん……お願いします」

 

 律儀に騎士の態度を貫こうとする彼にちょっとだけ苦笑しつつ返事をすると、ひょい、と片腕で抱え上げられました。

 

 身体の芯がヒヤリとするような浮遊感。

 

 彼は私を片腕に抱えたまま、胸壁に吊るされたロープをもう片手で掴み、滑り降りました。

 降り立ったそこは……未だ狂乱状態にある、逃げ惑う人々のすぐ近く。

 こうして間近で見ると、ここに居る人々は大怪我こそない物の、逃げてくる途中でついた物なのかあちこち負傷している人は居るようでした。

 

「行けますか?」

「……大丈夫、やれます」

 

 気遣わし気に尋ねて来るゼルティスさんに、一つ頷いてその腕から降り、杖を構えます。

 そして避難してくる人々の流れを逆らうように、ゆっくりと歩を進めながら、呪文を紡いでいく。

 

「……――ギィス(抱擁する) アフゼーリア(女神の祝福の) ディレテ!(息吹) 『ゴッデスディバインエンブレイス』……!」

 

 私を中心に、門前で混乱状態にあった人々を包み込むように、巨大な広範囲治癒魔法の陣が描かれていき……次の瞬間、眩くも暖かな、治癒の光が一帯に炸裂しました。

 

 ――少し、過剰だったとは思います。

 

 ですが、狙いは、この場をまず収める事。

 周囲の皆は狙い通り、何が起きたか分からずに、今までの喧騒が嘘のように静まり返っていました。

 

 ――聖女様だ。

 ――あれが……協力してくださっているという

 

 うっ、と呻き声が少しだけ漏れました。

 思わず、外套のフードを引き下ろす。耳に届いた声に羞恥心を刺激され、ちょっとだけ逃げ出したくなったのを堪えます。

 

 周囲からひそひそと囁かれるその声にいたたまれない物を感じながらも……今ならば、こちらの言葉をきちんと聞いてくれそうだと気を取り直す。

 

「……子供と、体の不自由な人を優先してください! 慌てず、兵の方々の指示に従って、落ち着いて避難を!!」

 

 そんな注目を浴びる中、必死に声を張り上げて指示を出す。

 その効果は劇的で、混乱の静まった人々は協力し合い、兵士たちの指示に従って先程までよりも速いペースで門内に避難を始めました。

 

 

 

 ――レイジさん、ソール兄様、もう少しだけ待っていてください。すぐに終わらせて、助けますから。

 

 

 

 未だに手に馴染まぬ間に合わせの杖を、それでもぐっと握りしめる。大丈夫……やれる。

 

「兵の皆さんは、避難者の誘導と護衛、自分の役目に専念してください。皆さん……力を、貸してください……っ!」

 

 おお! という鬨の声と共に、私達は、未だ混乱の最中にある街へと踏み出しました――……

 



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領都防衛3

 

 おかしい。

 不可解だ。

 こんな筈ではなかった。

 

 そんな思考が、グルグルと回る。

 

 小さき獲物だった。

 しかし、沢山居る。

 丁度一飲みにできるサイズのそれは、鱗も、棘も、殻も無い。とても食べ易そうだ。

 

 そう、意気揚々と襲い掛かった結果……待っていたのは、大量に飛来して来る、鱗を突き破る煩わしい棘と、致命の威力を秘めた礫、それに身体を焼く閃光。

 

 果たして、この細かな凹凸の激しい不可解な土地に住む、この小さな生き物は、見た目通り容易く得られる食料なのか……そう疑問に駆られ始めていた。

 

 

 

 ――彼女らは、野生の獣である。

 

 欲しているのは憎き者の血ではなく、腹を満たす肉だ。故に、割りに合わぬ狩りは避けたいというのが当然というもの。

 

 そして、彼女らは、それを見誤った。

 

 あるいは、雄の個体が居れば……主に遠出して食料を得て帰るのを役目とする彼らが居たのであれば、そもそも手出ししようと考えなかったかもしれない。

 

 ()()()ならばともかく、巨大な巣を作り、大きな群れを成したこの小さな生き物……「人」に手を出せば、手痛いしっぺ返しを喰らうと、数千年に渡る経験を本能に焼き付けられた、彼らが居たのならば、だ。

 

 ……だが、不幸にも、もはや彼らは居ない。

 繁殖期であるというのに、何順も季節が廻っても、何故か姿を見せなくなった彼らは。

 

 故に、求愛の貢物は途絶え、足りぬ糧を補うため代わりに乱獲された住処(すみか)の近隣の獲物は尽きた。

 ならば別の場所から……というには、周囲に強力な縄張りの主がひしめき合う辺境は優しくない。

 もし万一、竜や巨獣の縄張りでも荒らそうものなら……そう考えると、慣れぬ外の世界へと出る事を余儀なくされた。

 

 だが、日の沈む方角には、()()()()()()

 故に、日の出る方角、深く広大な森を超え、新天地を目指した。

 

 そして……何故か縄張りの空隙がある場所を見つけた。

 

 周囲には強力なライバルは居ない、他愛無い知恵少なき獣ばかりだ。

 

 近場には良質な餌場を見つけた。

 

 楽園を見つけたと、狂喜した……それが、ほんの僅か前。

 

 おかしい。

 不可解だ。

 こんな筈ではなかった。

 

 どれだけ後悔しても……つまるところ、これは経験不足であり、自分達の住処の外を知らぬ彼女達は手出しする相手を間違えた……それを彼女達が理解して立ち去るまでにはまだ、幾分かの時間が必要であった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……っ!?」

 

 ハッと、顔を上げる。

 何か見ていたような気がするも、もはやボンヤリとしか覚えていなかった。

 

 まるで、居眠りしている時に不意に落下したような錯覚に襲われる、あの感覚。慌てて周囲を見回す。

 

 ――意識が、落ちていた?

 

 周囲の状況が、間を飛ばしてしまったかのように変化していました。

 直前の記憶は、新たなワイバーンの一体と交戦状態に入った所だったはず。

 だが今は……そのワイバーンは、傭兵団と兵士の協力により、巨獣用の巨大なボーラー(ロープの両端に錘を括り付けた投擲武器)に脚を絡め取られ、ネットに翼を絡め取られ、大地に縫いとめられ、動きを封じられているところでした。

 

 ……不意に、そのワイバーンと、視線が交差しました。

 

「あ……」

 

 その姿が、何故か無性に憐れに思え、思わず手を伸ばしかけた所で……その首に兵士達の槍が、傭兵達の剣が、突き立つ。

 

 強靭な飛竜の骨格も、脊柱の継ぎ目に無数の鋭利な刃を突き立てられてはひとたまりもない。

 そのワイバーンは……最後にひとつ憐れな声を上げると、ズン、と地響きを立てて、完全に脱力した。瞳が、みるみる白く濁っていく。

 

 その光景に思わず身体を竦め、目をギュッと瞑ってしまい……

 

 ――いけない、こんな時にぼんやりとしていては。

 

 かぶりを振って、気を取り直す。

 視線を上げると……更にもう一体、曲がり角からワイバーンが巨体を覗かせた所でした。

 

 

 

 

 市街地へと降りてから、すでに一刻が過ぎようとしていました。

 

 皆、戦い詰めで決して少なくない疲労が見え隠れしていますが……それでも、街の中心部までもう少しという所まで来ていました。

 

 ……決して、この進行は速くはありません。

 

 それでも、門から程近い場所に居るワイバーンを順に一体ずつ撃退し、人々が避難してくる事が出来るスペースを少しずつ拡げていく事に成功していました。というのも……

 

 ――襲撃の勢いが、緩んできている?

 

 街を闊歩する飛竜の巨体と遭遇する頻度が、密度が、徐々に下がってきているような気がする。

 仲間が幾体もやられたせいか、上空にまだ多数控える飛竜達も、飢餓から来る暴走状態から幾分冷静さを取り戻し、戸惑っているのか動きが鈍り始めたように見えました。

 中には、地上から逃げるため、飛び立つ存在もちらほらと。

 

 ――お願い、退くならば、早く……これ以上無為に命を散らさずに、早く退いて……!

 

 杖を手が白くなるほど強く握り締め、そんな祈りを捧げるように念じる中……不意に、風に乗って小さく聞こえてきたものがあった。

 

「今のは……子供の、悲鳴……!?」

 

 バッと顔を上げ、周囲を見回す。

 それらしいものは、見える範囲には存在しませんが……それでも、間違いなく聞こえました。

 しかし、今この場は新たなワイバーンの相手に手一杯で、様子を見に行く余裕は無いでしょう。

 

 ――放っては、置けません。

 

 ひとつ決心すると、近くで指揮を執っていたゼルティスさんの袖を引きます。

 

「ゼルティスさん、少しここをお願いしても良いですか?」

「イリス嬢? いかがなされました?」

「子供の声がしました。すぐに戻りますので……」

「ですが、一人では……ああ、いえ」

「はい、この子が居ますから」

 

 そう言って、足元について来ていた白い毛皮……仔セイリオスの方をちらっと見て、笑いかける。

 

 ――護衛は居ますから。

 ――この子も一緒なのに、無茶はしませんから。

 

 そんな二つの意味を込めて見つめると……彼は、ふっと表情を緩めて頷きました。

 

「そうでしたね、そちらにワイバーンはもう居ない筈ですが、くれぐれもお気をつけて」

「はい、ありがとうございます!」

 

 頭をひとつ下げ、まるで私を守ろうとするかのように斜め前を走り出した仔セイリオスを伴って、悲鳴の聞こえた方角へと駆け出しました。

 

 

 

 

 息を切らせながらも、曲がり角を二つ、三つと曲がった先……

 

「……居たっ!」

 

 向かう視線の先には、一人の兵士。そして、彼に庇われるようにして、その足元には……まだ小さな女の子が、蹲っていました。

 

 さらに先には、数匹の白い毛皮を纏った狼……白狼(ホワイトファング)数匹。

 

 動きの素早い魔物だから自信は無いけれど、『ディバインスピア』で気絶させる……?

 そう考え実行に移そうとしたその時、視線を感じました。

 

 それは、仔セイリオスの物。気のせいでなければ、その目は自分に任せろ、と言っているように思え、頷きます。

 

「……お願い!」

 

 私の声と同時に、私の前を走っていた仔セイリオスが、その足を早めた。そして……

 

 ――ガァァアアアアアァウッ!!

 

 それは、とてもその小さな体躯から放たれたとは信じられないほどの、大気をびりびりと振動させ、耐えがたい本能的な恐怖を呼び起こす咆哮――『死の咆哮』。

 セイリオスの声帯の持つ特殊能力であり、幼体のものですら、死を幻視するほどの恐怖を狙った対象に与える。

 

 兵士と女の子を避けるように放たれたその咆哮に、ひとたまりもなく恐怖心を喚起されたホワイトファング達は皆が地に伏せ、その場で動かなくなりました。

 

 元々、狼は臆病な生き物です。

 おそらくここに現れた事自体、縄張り争いの混乱によって迷い込んだだけなはず。

 そんな彼らは根源的な死の恐怖に晒されて、すっかりと戦意を喪失したらしい。

 

「……行きなさい。もう、街に入って来ては駄目」

 

 そう告げると、弾かれたように反転し、逃げ去っていく群れ。

 その様子にホッと一息を付く。そして、まるで自分は役に立つだろう、と自慢げにこちらを見ている仔セイリオスに笑いかける。

 

「はい、とても助かりました、ありがとう、ね?」

 

 おんっ、と一つ、先程の大迫力の咆哮が嘘のように嬉しそうに吠えると、尻尾を振りながら駆け戻ってくる仔セイリオス。

 その毛皮を、感謝を込めてわしゃわしゃと撫でてやり、すぐに行き先に視線を向ける。

 

 そこには……少女を守っていた兵士。

 そして、狼に囲まれ、しかし突如脅威が立ち去ったために呆然と座り込んでいる、まだ十歳前に見える少女。

 

 その少女の傍に、視線を合わせるようにしゃがみ込む。

 

「大丈夫ですか?」

「あ……せいじょ、さま?」

 

 そう呼ばれるのはなんだか気恥ずかしいけれど、頷いておく。

 その程度の事で少女が少しでも安心できるならば、ちょっと羞恥を感じるくらいは些細な事です。

 

 ざっと、少女の様子を検分する。

 所々擦過傷があり、血も滲んでいるためとても痛々しい様子ではありますが……指先がやけに傷付いている以外には、ひとまず大きな怪我は無いみたいでした。

 ジワリと地面に広がっている沁みは……まぁ、こんな小さな子が狼に囲まれたのでは仕方がないでしょう。それが血ではなくて、本当に良かったと思いました。

 

「うん、大丈夫です、今傷の手当てを……」

「ぅ、ぁっ、ああぁぁんっ!?」

「……きゃっ!?」

 

 しかし……女の子はそんな私を見て、くしゃりと顔を歪め、泣き出した。かと思ったら、突然胸に飛び込んで来たため、勢いを支えきれず倒れそうになって、思わず悲鳴が漏れました。

 

 少女のそれは、安堵などではなく……もっと切迫したもの。

 

「……おか……さんがっ、あの下……にっ」

 

 そう泣きじゃくりながら少女の指差した先に、息を飲んだ。

 そこは……倒壊した家屋。その下に、少女の母親が居るという。

 

「あの、下に?」

 

 私の問い掛けに、頷く少女。

 

「そんな、どうしたら……」

 

 まず瓦礫を撤去しなければ。

 しかし、変に力を加えたら、崩れて下に閉じ込められている少女の母親は……

 

 どうしたら良いか葛藤していると……不意にチリっと、額の一点が熱く熱を生じさせた。

 同時に……急に情報を大量に流し込まれたかのように鋭い痛みが頭に走り、なんと言葉にすれば良いのか分からない、不思議な感覚に見舞われました。

 

 それは、実際に見えているわけではない。

 しかし、脳裏にまるでレーダーの光点の様なものが感覚として認識できる。

 見えていないのに、()える。なんとなく分かる、という不思議な感覚。

 

 赤く点滅している様なそれは……少女が指差す倒壊した建造物の下。

 

 ――生きている!

 

 この光点の赤い点滅は、限りなく危険な状況であっても命までは失った訳ではない……理屈ではなく、そう感じました。

 

 そして居場所が掴めるならば、手はあった。慌てて魔法を編み始める。

 

 ――それは、ゲーム時代は一次職の終盤に蘇生魔法と共に習得する、戦闘不能者を蘇生可能安全圏へと引っ張るために使われる、ただそれだけの魔法。

 

 蘇生魔法がこの世界に無いため、すっかり存在を忘れかけていた、この魔法。

 だけど現実である今、それはまさに、神の奇跡……『魔法』のように、人を救う力として顕現する。

 

サフォール(誘導)クリク(移動)コルプス(肉体)……私の下へ、来て、『レスキュー』!!」

 

 カッ、と、周囲が光に包まれました。

 眩い光の中、ズシリと、腕の中に人間ひとり分の重みが現れます。

 

 途端に、服に染み込んでくる、生暖かくぬるりとした液体の感触。

 

 すぐに、ざっと全身を検分する。

 五体は満足です。しかしあちこちに大きな裂傷があり、身体を突き破っていたり圧迫していた瓦礫が無くなったせいか、出血も激しい。

 身体も、骨折したり潰れたりで、骨が皮膚を突き破ったり変形している部分もある。

 そしてその身体はじっとりと冷たく、呼吸も浅く早い……出血性ショックを引き起こしている。

 

 

 

 ――だけど……生きている!

 

 

 

 不幸中の幸いか最大の懸案事項……頭部、脳は無事だと、安堵の息を吐いて、次の魔法の支度を始める。

 

「おかぁさ……っ!?」

 

 そのあまりの惨状に、傍に居た少女からひっと悲鳴が漏れた。

 当然でしょう、身内……母親が、変わり果てた姿でここに居るのだから。

 

 そんな少女に、安心させるように微笑んで、告げる。

 

「……大丈夫、生きてさえいれば私が……助ける!」

 

 そう言って、再び詠唱準備に入る。

 

 だけど、このままでは血が足りません。

 通常のヒールでは、傷が塞がっても体力が保ちそうにない。ならばと、上位回復魔法を唱え始める。

 

「……『アレスヒール』!』

 

 腕の中で、女性が光に包まれた。

 全身の怪我が嘘の様に消え、みるみる顔に血色が戻っていく。

 

「…………きれい」

 

 何か少女が呟いたのが聴こえてきた気がしますが、今は術の制御でそれどころではありません。

 

 やがて光が収まると……すっかり怪我の消えた女性が意識を取り戻したらしく、薄っすらと目を開け、フラフラと上体を起こしたのを見届けて……ようやく、ふぅ、と息を吐き出しました。

 

「良かった……大丈夫ですか?」

「……聖女、様……? あの、私は一体……生きて……?」

「はい、もう大丈夫です。まだ、しばらくは倦怠感があると思いますが……あと少し頑張って、慌てずに、避難してください」

 

 その言葉に、今の状況を思い出した少女の母親が、ふらつきながら立ち上がる。

 

「うそ……すごい、あんなひどいケガだったのに、なおっちゃった……」

「さ、あなたも、お母さんと一緒に避難を」

 

 そう言って、なにやらぽーっとこちらを眺めていた少女にも手を(かざ)す。

 少女の体から細かな擦過傷が消え、服についた汚れや、座り込んだ股のあたりを濡らしていた液体が消失した。

 戸惑いながら自分の体を見回している少女から視線を外し、もう一人……所在なさげに立っていた兵士の方へと振り返る。

 

「あなた、後はお願いしても良いですか?」

「は……はい!」

 

 あっ……と、聞こえて来た予想外に若い声に驚く。

 見ると、彼はまだ少年と青年の境目のような、新米と思しき兵士でした。

 驚愕冷めやらぬ表情が若干曇っているのは……狼を自らの手で撃退できなかった悔しさ故でしょうか。だけど……彼の働きが無ければ少女はとうに狼に引き裂かれていたはずで、その母親の発見も不可能だったでしょう。

 

「……あなたも、ありがとうございます。あなたが踏ん張っていてくれたおかげで、二人も助ける事ができました」

「……私、が?」

「はい。あなたの、おかげです。この二人の事、あとはお任せしますね」

 

 そう告げて立ち上がり、ローブの裾に付いた埃を払う。

 そこでようやくフードが外れていた事に気付いて、いそいそと被り直す。

 

 と、丁度その時、私が来た方角から声が掛けられました。

 

「イリス嬢、この辺りのワイバーンは一通り撃退しました、次に向かいます!」

「はい! どうやら小型の魔物も入り込んでいるみたいです、そちらも警戒を!」

 

 呼びに来た彼……ゼルティスさんに返事をしながら、ざっと周囲に意識を飛ばす。

 まだ額には熱が灯ったままで、あのレーダーのような不思議な感覚は残っていました。

 

 他に、大きな負傷をした要救助対象は……居ない。ホッと一息をつくと、こちらを待っているゼルティスさんの方へと駆け出します。

 

「もう大丈夫、お手数お掛けしました」

「はい。皆は一足先に、職人通りまで行っています」

「そこを抜ければ……街の中心部ですね」

「ええ、そこまで行けば叔父さんとも合流できる筈です。さぁ、どうぞ」

 

 差し出された手を取ると、さっと抱き上げられました。

 折角なのでありがたく楽をさせてもらい、自分の状態の把握と休息に務めさせてもらいます。

 魔力は……心許無くはあるけれど、まだまだ大丈夫。

 

 

 抱えてられて走る振動に身を委ね……次の交戦までのほんの僅かな時間であっても少しでも休息を取るために、瞼を閉じました――……

 



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収束間近

 

 「では、私は叔父さんのところに行って、状況を聞いてきます。また後程」

 

 そう言って去っていくゼルティスさんの背中を見送った後、今自分の居る周囲を見回します。

 

 ……私とゼルティスさんが職人通りに辿り着いたとき、すでにその場での戦闘はほぼ収束していました。

 そのままメインストリートを抜け、現在位置は街の中心部に位置する中央広場。以前遊びに来た時に入った喫茶店がある場所です。

 

 領都を挟んで流れる河川から引かれた水は、背後の険しい連峰から流れ込む、冷たく澄んだ雪解けの水。

 その豊かな清流を用いて噴水が設けられ、周囲を巡るように整備された水路によって美麗な景観が作られている、領都の憩いの場であるその広場。

 

 ……しかし今は、傭兵団の皆と、城側から合流した兵士の方々……武装し、疲弊した人々でごった返していました。

 

 以前遊びに来た時とはまるで違う、剣呑な雰囲気。

 気圧されそうになりましたが、自分の仕事はきっちりとこなさなければならない。

 ローブのフードを被り直すと、その人混みの方へと足を進め、一度大きく息を吸い、口を開く。

 

「怪我をされた方はこちらに集まってください! 重傷の方、動けない方が居れば、優先的に治療しますので申告お願いします!」

 

 そう喧騒の中で必死に声を張り上げると、大小さまざまな傷を負った人々が寄ってきます。

 重傷者は……ここに居る限りでは居なさそうで、ほっとしました。

 もっとも、そうした負傷者はどこか安全な場所に搬送されただけかもしれませんので、後で聞いておかなければ。

 

 

 

 そうして一か所に集まった人々に『エリアヒール』を数度に分けて繰り返し、骨折など大きな負傷をした人には個別で治療を行い……大体終わったかな? と思ったその時。

 

「……イリスちゃん!」

 

 不意に、横合いから声が掛かりました。

 あまりこの場にそぐわぬ、花の咲くような明るく涼やかな声。

 思わずぱっと振り返ると、人混みの間から飛び出して来た小柄な女の子……ティティリアさんが、飛び付くように私の手を取りました。

 

「良かったぁ、怪我はないですか? なんでこんな無茶したんですか!?」

「それは……ごめんなさい。だけど……ティアさんも、無事で本当に良かった」

 

 主力部隊に同行し戦闘続きだったであろう彼女は、ややくたびれた様子ではありますが、ざっと見た限り怪我らしい怪我は見当たりませんでした。

 それでも細かな擦過傷などは見受けられたので、傷が残らないように軽めの『ヒール』だけは使用しておきましたけれども。

 

 疲労はだいぶ激しそうですが、こうして元気な姿を見れたことにほっとして、思わず表情が緩む。

 それは彼女も同じようで……私怒ってます、と言うように顰めていた顔が、私に釣られたようにふにゃりと緩みました。

 

「ま……まぁ、私はずっと領主様にくっ付いていましたからね……」

 

 何故か照れ臭そうに顔を背け、頬を掻きながら、そう言う彼女。

 

「そ、それはどうでもいいんです! それよりも……さっきあんなこと言っておいてなんだけど、協力してほしいの」

「協力、ですか?」

「うん、少しだけ休憩したら、この後は西門まで一気に行く予定みたいです。だから今のうちに補助魔法をかけ直したいんですが……イリスちゃん、たしか魔法の効果範囲を拡大するのがありましたよね? あれ、お願いしたいんですけど」

「それは、構いませんが……どこか、人目に付かないところを探さないと」

 

 あれは光翼族の固有の魔法。このあたりはもう避難が終わり人は居ないけれど、それでも周囲にはちらほらと兵士の方々の姿が見えます。

 中には、以前ディアマントバレーで一緒に戦った人――事情を知っている人も見受けられますが、それはほんの一握り。

 この大勢の中で翼を曝け出すことを躊躇っていると……

 

「ああ、なんだ、そんな事?」

「……え?」

「要は、周囲から見えなければいいんですよね? なら……ほら、こっち」

 

 なんだか分からないまま彼女に手を引かれ、連れていかれたのは……建物の間にある、狭い袋小路のようなスペース。

 気がついた時にはもうそこに押し込められ、まるで「壁ドン」みたいな体勢で密着していました。

 そしてこれは、この体勢は……

 

 ――うわぁぁああ!? 柔らかいものが、柔らかい感触が胸のあたりにぃ……っ!

 

 心の準備も無しに放り込まれたこの事態に、心の中で絶叫した。

 抱き合って密着したような体勢なため……彼女の、私とは違って大き過ぎず小さ過ぎず、手頃なサイズの「それ」の感触が全力で自己主張をしています。

 そして、ふわりと漂ってくる、僅かな汗の匂いに混じった甘い女の子の匂い。

 

 ……危うく、パニックを起こしそうになりました。そんな内心の動揺をなんとか圧し殺し、引きつっているであろう笑顔を貼り付けて、尋ねる。

 

「あの……ティアさん……? い、一体何を……?」

「要は、周囲から見えなければいいのよね、任せて」

 

 そう言って、何か魔法を唱え始めたティティリアさん。

 耳元で囁かれ、吐息が耳朶を掠めるたびにこそばゆさにぴくっと指先が跳ね、思わずぎゅっと目を瞑る。

 

 ……変な声、出なくてよかったです。

 

 そんなほんの数秒の筈なのに、何十秒にも思えた時間の後。

 

「……グラド(大地)シルド(防御)クレエ(創出)……アルスクリエ(地盾)、『ストーンウォール』! ……っと、こんなもんでどうかな?」

 

 恐る恐る目を開く。

 気が付けば、袋小路の入り口が石壁に塞がれていました。

 ……ちょっと、いえ、かなり密着しなければいけないような狭い空間でしたけど。

 

 続けて何やらごそごそと彼女が動くたび、強く押し付けられた女の子の体の柔らかさを全身で感じてしまい、くらっと意識が飛びかけますが……彼女の方はというと真剣そのものな表情で、まるで天幕のように脱いだ外套で上を塞いでいる。

 

 こうして即席のブースとなったこの中は、すっかりと周囲からは見えなくなってしまいました。

 

 ――あー……そうですよね、これで良いんですね。

 

 バクバクと暴れていた心臓を、どうにか落ち着ける。あっさりと解決策が眼前に展開され、思わず苦笑しました。

 

「あ……ごめんなさい、触られるの嫌だった?」

「い……いえいえ、お気になさらず!! あはは……」

 

 ピンで外套を留めている途中、ふと思い出したように彼女が気まずげに尋ねて来たのに対し、ブンブンと必死に首を振って応える。

 

 ――私こそ、本っ当に、ごめんなさい……っ!

 

 私の為にこうして場を整えてくれていたのに、邪な考えを抱いていたのを心底恥じ入ります。穴があったら入りたいとはこの事でしょうか。

 

「そう? なら良いけど……よし、出来ました。お願いしても良いですか?」

「は、はい……っ! わ……『我の英知解き放ち、遍く注ぐ光……有れ』……!『スペル・エクステンション』」

 

 気を取り直して詠唱を始めると、すぐに私の背から放たれる黄金の光。そしてそれはすぐに、共に舞う虹の輝きに彩られます。

 

「……はい、準備完了です、いつでもどうぞ?」

 

 そう言って虹の輪に包まれた両手を彼女の方に差し出すと、するりと彼女の指が絡められました。

 そのまま軽く握られたので、こちらもそっと握り返します。

 

 繋がれた私達二人の手が、虹の輪に包まれました。これで、準備は完了です。

 

「それじゃ、お願いします……っと、これ、結構照れ臭いですね」

「ふふ……ええ、本当に」

 

 二人、指を搦めてお互いの両手を握り、その細い指の滑らかな感触と伝わってくる温かさに、二人揃ってドギマギしながら苦笑し合います。

 

「それじゃ……始めますね」

 

 そう宣言して先に詠唱を始めたのは、彼女。すぐ目の前にあるその桜色の口が、涼やかな音色を奏でて力ある言葉を紡ぎ始める。

 

「……マーナ(魔力)ナヴァハ(鋭刃)カンジェント(切断)……ブローヴァレスタ(断刃)! ……宿れ理力の刃、『フォース・エッジ』……!」

 

 彼女の魔法が解き放たれ、狭い空間内に虹色の光の粒子が舞い踊りました。

 

 エンチャンター二次職、セージにおいて習得できる、攻撃補助魔法『フォース・エッジ』

 理力の刃の名の通り、効果対象の所持する武器に魔力の刃を纏わせ、どんなボロボロの武器でも鋭い切れ味を発揮させる魔法です。

 ゲームの時の効果は対象の所持する武器の攻撃力を向上させ、さらに切断魔法属性を纏わせるという物ですが……以前いくつか見せてもらった時に彼女に説明されたのですが、この世界では、ゲームだった時の説明文以上の効果を発揮します。

 何故ならば……魔力の膜に覆われるため、本来ならば刀身にまとわりついて邪魔をする血や油脂もひと払いで飛ばせ、刃こぼれも防ぎ、効果中は切れ味が落ちないのですから。

 

 

 

 ――ちなみに、彼女の職は三次転生職『調律者(ハーモニクサー)』と言うらしいです。

 

 他者や周囲の空間を自分の意のままに調整し、非常に強力な強化魔法や、場そのものを操る魔法を自在に行使する、付与術師(エンチャンター)の最高峰。

 いくつか使用できる魔法も教えられたのですが……例えば、『反応速度と筋力を一時的に限界近くまで増強する代わりに、後々酷い筋肉痛になる』など、強力な反面、非常にデメリットの大きな対ボス用の物が多く、今のところ地形操作系の魔法しか使っていない……らしいです。

 

 今ここで使うと、数刻後には全身の痛みでまともに動けないゾンビの群れの誕生だと聞き、冷や汗が背中を伝いました。

 この戦闘が始まった最初期から私が彼女と一緒に居れば、回復魔法も併用しながら使用した可能性は高いですが……そこまでする必要性を感じない時にまで、兵士の皆をこき使ってまで無茶をする必要はないですよね、はい。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 

「えーと、これで良いのかな? いつもより確かに消費は多いけど、思ったほどじゃなくてなんだか実感が……」

 

 自身無さげに言うティティリアさんですが……周囲、壁の外からは兵士の方々の、突如一斉に補助魔法が武器に宿った事によるざわめきが大きくなっていますので、大丈夫……だと思います。

 

「た、多分……それでは、次は私が」

 

 一言断りを入れて、改めて自分の魔法を唱え、解き放つ。

 

「……『エンハンスアーマー』!」

 

 入れ替わりに続けて放った私の魔法が、周囲の人々の防具に付与され、その強度を高めます。

 

 ……これ、相当に地味な作業ですね。なんせ私達には、壁の外で何が起きているのか分からないのですから。

 

 

「……『パワーエンチャント』!」

「……『リジェネレイト』!」

「……『スピ-ドエンチャント』!」

 

 その後も交互に、ティティリアさんが身体能力上昇系、私が防御・治癒力上昇系と、お互いの得意分野でそれぞれ使用可能な補助魔法を思いつくまま放ち続ける。

 一通り唱え終わり、私が翼を消した瞬間、私達を囲んでいた石壁が崩れて砂となり散っていきました。

 

「あー! 疲れたぁ! もうすっからかんですよ!」

「ふふ……お疲れ様でした、ティアさん」

「……イリスちゃん、結構余裕? どんな魔力してるのよ……」

 

 そう、若干むくれた様子で腕を組んで体重を預けて来る彼女に、そんなことは無いんですけどね……と苦笑しながら肩を貸し、そのへんの花壇の縁へと腰かけます。

 周囲では、各々水分補給などの休憩も終わり、先行していた方々との入れ替わりのために兵士の皆さんの動きが慌ただしくなっていました。

 私達も休息のため、マジックバッグから取り出したマナウォーターを二人で飲みながらそんな様子を眺めていると……不意に、頭上から声が掛かります。

 

「おっと、居た居た。おーい、イリスちゃん、なんか領主様っぽい人が探してるってよ」

「あ、スカーさん、お疲れ様です」

 

 屋根の縁から除く紅い髪。

 背にした家屋の屋根からこちらを覗き込んでいたのは、この周囲の警戒に出ていたスカーさんでした。

 そんな彼は、こちらの姿を見つけると、軽やかに眼前に降り立ちます。

 

 その瞬間……ティティリアさんと組まれたままだった腕に伝わる、びくっと体を震わせた感触。それは私のものではなく……

 

「っと……そっちの可愛らしい嬢ちゃんは、初めましてだな?」

「ひっ……」

 

 そう、息を詰まらせて、さっと私の後ろに隠れてしまうティティリアさん。

 背中に伝わるカタカタと震える手の感触が、只事ではない様子を物語っていました。

 

 ……男の人が苦手、と以前に言っていましたからね。

 

 気持ちは大いに分かるため、振り返って軽く抱き、落ち着かせるようにその背を叩きます。

 

「大丈夫です、こう見えて親切でいい人ですから……というか、兄様やレイジさんは平気でしたよね?」

「それ、は……二人とも真面目で優しそうだし……本当は、なぜかソールさんはあんまり男って感じがしないから大丈夫だけど、レイジさんの方は少し苦手……でもイリスちゃんがすごく信頼してるのが見て分かったから我慢できたんです……」

 

 涙を浮かべ訥々と語る彼女に、あー……と凄く納得しました。

 そして二人と比べると、スカーさんは格好からして派手で、一見するとかなり遊んでいるように見えますからね……

 

 震える彼女を宥めすかし立ち上がらせると、初対面の女の子に怯えられ、困ったように立ちすくむ……ちょっとショックも受けているらしい……スカーさんに、苦笑する。

 

「ごめんなさい、彼女は、その……」

「…………あー、いや、こいつは俺が悪かった。怖がらせて悪かったな」

 

 どうやら察してくれたようで、スカーさんは広く間隔を維持したまま、私と、私に抱えられて歩くティティリアさんに追従してきました。

 

 そうして、兵士達の間を進んでいくと……

 

「ティティリア。それとイリスリーア殿下」

 

 こちらに気が付いた領主様が、会話をしていた兵士の一人にかるく手を上げて制し、こちらに歩いてきます。

 

「先程の補助魔法は、貴方がた二人の物ですね。感謝します……ティティリア、大丈夫ですか?」

 

 そう言って、私の腕の中で震えるティティリアさんを一瞥する。

 その目は……痛ましい物を見る時の、憐憫が僅かに浮かんでいました。

 

 ですが、領主様に褒められたのが効いたのでしょう。

 彼女はそれでもぐっと顔を上げて、弱々しいながらもレオンハルト様に微笑み返して見せました。

 その様子に領主様と二人、ほっと一息をつきます。

 

「……これより私達は西門へと進みますが、お二人の支援のおかげでこちらの戦力は十分に余裕はあります。逃げていくワイバーンも増え始め、もう事態もだいぶ収束を見せていますので……女性の護衛をつけます。殿下は彼女と共に、負傷者の救護をしながらゆっくりといらしてください」

「はい。レオンハルト様達も、お気をつけて」

 

 言外に、その子を頼みます……そう告げている彼の目に、はっきりと頷く。

 それに、ここから先はもう私達の出番はほとんど無いだろう……そう、だいぶ逃げ去ったらしく、飛竜たちの数がすっかりと減った頭上の光景を見て、感じます。

 

「……ありがとうございます。おかげで、領民の被害を最小に抑えることが出来ました。この地を預かる者として……最大限の、感謝を」

「い、いえ、そんな……こちらこそ、少しでもお世話になっている恩返しができたのなら……」

 

 頭を下げる彼に、慌てて両手を振ります。

 元々世話になりっぱなしですので、感謝されるのはむしろこちらの方で……

 

「――ですが」

 

 スッ……と細められたその眼光の圧に気圧されて言葉の続きが吹き飛び、まるで蛇に睨まれた蛙のように全身が強張ります。うっ、と呻き声が漏れました。

 

「……落ち着いた後に、ゆっくりと()()いたしますね」

「……………………はい」

 

 僅かに口元を曲げた笑顔で……ただし目は笑っていない……告げられた言葉に諦めの心地で一つ頷くと、レオンハルト様は踵を返して前線へと行ってしまいました。

 

 ――ドナドナされていく子牛の気分とは、このようなものでしょうか……

 

 彼が私達の護衛にと残していった女性の兵士達から向けられる奇異の視線の中で……私は、この後待っているであろう今回のお説教は、果たして何時間くらいだろうかと、長々とため息を吐き出しました。

 

 

 

 ――だけど、このような些末な事を呑気に考えられるのも、もうすぐこの騒乱も収束するからです。

 

 視線の先には、人の街を襲う事のリスクを察したのか、食事を諦めてちらほらと空へと逃げ帰って行くワイバーンの姿。

 

 この暴走(スタンピード)は、もう終わる。

 そう思えば現金なもので、気分の方もすぐに軽くなっていきました。

 

 先程の、負傷者を感じ取った不思議な感覚は、まだ続いています。

 近くに急を要する負傷者はいない……それも、今私の心に余裕を与えてくれているのでしょう。

 

 そういえば……最初に感じた熱さこそないものの、額にまだ微かに熱が残っています。

 しかし手で触れてみても特に熱などは無く、首を捻る。

 

 ……先程ティティリアさんにまだ余裕がありそうと言われましたが、思えばこの額の熱を感じるようになってから、魔法行使の負担があまり気にならなくなっていた気がします。

 

「……どうしたの?」

「いえ……なんだか、額に違和感があって」

 

 怪訝そうなティティリアさんの視線の中、腰のマジックバッグを漁り、一本の手鏡を取り出します。

 そして、綺麗に整えられ、切り揃えられている前髪を手で搔き上げて、手鏡を覗き――

 

「これ、は……」

「イリスちゃん、どう……って、何これ、光ってる……?」

 

 私の額には、目を凝らさねばわからぬ程度のごく淡い輝きですが……翼と、杖を組み合わせたような小さな紋章のようなものが、描かれていました。

 

 そして、この描かれている場所は……今、朧気ながらも思い出しました。

 それは……以前ディアマントバレーで見た夢の中で、あの人……リィリスさんに触れられた場所でした――……

 

 

 

 

 



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世界の果て

 

 ――あの後、戦闘はまもなく終結しました。

 

 

 フロストワイバーンをはじめとした魔物たちは、すでにほぼ逃げ去ったか討伐が完了。

 

 私とティティリアさんが西門へとたどり着いた時には、すでに皆戦闘を終えて、状況確認と事後処理に奔走しているところでした。

 

 ゼルティスさんの言っていた通り、フィリアスさんの指揮する第三班の援護を受けた西の防衛担当の皆は、住民を含めた被害を出来るだけ抑える事に成功していました。

 

 それでも、街全体で負傷者が数百人。

 死者は五十を超え、行方不明者……所在が確認できていないだけならば良いのですが、中には瓦礫の下敷きになったか、あるいは……も、まだ相当数居るらしく、その確認で奔走している方々の怒号が飛び交っていました。

 

 もっと早く行動していれば……そう思ってしまう事はありますが、それは言っても詮無い事。

 だから、今出来る事をしよう。そう思い、私もただひたすら、重傷者の応急手当に走り回りました。

 

 

 

 

 

 ――それから、数日が瞬く間に飛びました。

 

 

 

 すでに復興は始まっており、街にはどうにか普段の生活が戻り始めています。

 

 領主であるレオンハルト様は今も兵や役人と共に、書類の処理や街中の視察に飛び回り、まともに寝る間もない程に忙しそうにしていました。

 

 

 

 ティティリアさんは、そのお手伝い。

 新たに街の外に張り巡らせる予定の、魔物除けのまじないの構築に、朝から晩までかかりきりです。

 

 毎晩すっかりくたびれて帰って来るため、日本人の性として、できれば毎日お風呂には入りたいけれど、今にも眠ってしまいそう……そんな葛藤する彼女を、私とレニィさんとで面倒を見るのが日課となっていました。

 

 

 

 他の皆も似たようなもの。

 

 ただ、スカーさんだけは……一応、他国の王族扱いなため……対外的な問題から協力をやんわりと断られ、手持ち無沙汰にしているみたいですけれど。

 

 そんなわけで、彼は今、自発的に私の護衛をしてくれていました。

 

 

 

 そして、私は――

 

 

 

 

 

 今、私が居るのは、ローランド城の一室。

 こちらへと戻された、レイジさんとソール兄様の眠る部屋。

 

 部屋の隅で見守っているアイニさんやレニィさん、スカーさんらの前で、よし、と一つ気合いを入れ、詠唱を始める。

 

「……『イレイス・カーズ』……!」

 

 両手の内に灯る、破呪の光。

 それが両手に灯ると同時、またも額に熱を感じました。

 そして……手の内の光もまた、今までよりも熱く灯っている、ということも。

 

 ――きっと、今度こそ大丈夫。

 

 そっと、その光を寝台に横たわるレイジさんとソール兄様、二人へと近付ける。

 

 ――行ける……!

 

 今までと違う手ごたえに、そう確信する。

 これまでは激しく抵抗され、まともに解呪できなかった闇が、一気に光に溶けて消えて行く。

 

 やがて、破呪の光は静かに消え……途端に、ドッと疲労感が押し寄せてきました。

 

「…………はぁっ」

 

 張り詰めていた息を、大きく吐き出す。

 手ごたえはありましたが……呼吸を整えながら、そのままじっと推移を見守ります。

 

 一分……二分……永遠にも思えるような時間が流れ……そして。

 

「……ん、ぅ?」

「……レイジさん!?」

 

 呻き声を一つ上げ……薄っすらと、レイジさんが目を開きました。

 

「……んだ、こりゃ……一体、ここは……なにが、どうなって……!」

「だ、大丈夫ですから、そのままで!」

 

 慌てて、まだまともに動かないであろう身体を起こそうとするレイジさんを寝台の上に押し留める。

 

「あの『死の蛇』と呼ばれていた人は、あの後すぐに居なくなりました。みんな大丈夫ですから、ね?」

「…………そう、か……なら、良かった。お前は無事、なんだよな?」

 

 そのレイジさんの声に、頷く。

 

「うん……大丈夫、私は大丈夫ですから……レイジさん達のほうが大丈夫じゃなかったんですから、今はゆっくりと休んでください」

 

 そう言うと、彼はようやく安堵したらしく、力を抜いて寝台へと身を委ね、その目を伏せました。

 

 隣の寝台では、すっかり顔色も良くなったソール兄様が、すぅすぅと静かな寝息を上げており……こちらも、もう大丈夫そう。

 

 

 

 そのまま、無言な時間がしばらく流れます。

 

 結局、数分間そんな時が流れて……もう眠ったかなと思った頃に、沈黙を破ったのは、他ならぬレイジさんでした。

 

「……悪かった。俺はまた、守ってやれなかった……」

「うぅん、そんな事は無いです。私は二人にも、みんなにも、助けられてばっかりで……」

 

 本当に、色々な人に助けられたと思う。

 

 残り少ない命を賭して救ってくれたブランシュ様の事。

 皆の助けを借りて、領都を守った事。

 その最中、駆けつけてくれた緋上さんの事も。

 

 話さなければならない事は沢山あるけれど、今は。

 

「ゆっくりと休んで……この先を考えるのは、それからにしましょう?」

「あぁ……そうだな……次こそは、負けねぇ」

 

 横になったまま、上へと伸ばした手を握り締めるレイジさん。その顔に浮かぶ表情に、私は……

 

「……悪い。少し、一人にして欲しい」

「……はい、今はゆっくりと休んでくださいね」

 

 ……その、今にも悔しさで泣き出しそうな表情を前に……私は頑張って、とも、無理をしないで、とも言えませんでした。

 

 臥せっている二人を残して、いつのまにか退室していたアイニさん達に続き、部屋の外へ出る。

 

 後ろ手にドアをそっと閉じた……その直後。

 

 

 

 ――……っくしょ……ちく、しょおおおぁぁああ!?

 

 

 

 今出てきた部屋から聞こえてきた、必死に抑え込み、しかし抑えきれなかった感情が漏れ出たような泣き叫ぶ声と、ベッドに拳を叩きつけるような音。

 

「……イリスちゃん。聞いてやるな、行くぞ」

「…………はい、分かっています」

 

 スカーさんに促され、後ろ髪を引かれるものを感じながら、手を引かれるままに歩き始める。

 

 ……レイジさんもきっと、男として、そんな泣き叫ぶ様子は見られたくないに違いない。気持ちは、痛いほどよくわかります。

 

 そして、今は誰にも邪魔されずに、やり場の無い感情を吐き出す時間が必要だ、という事も。

 

 だから、今はそっとしておこう……大丈夫、レイジさんはきっとまた立ち上がる、そう信じている。

 

 だから私は、その時が来たならば、隣で支えられるようになりたい。

 

 そんな想いを抱きながら、部屋を後にしました――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――道無き荒野に、二つの影。

 

 周辺に目立った植物は見当たらない、大きな岩塊が転がる荒れ果てた大地。

 ここは、人々が、辺境と呼ぶ地の北西に位置する外れ、人の住まぬ魔物と幻獣たちの棲家……の、はずだった。

 

 そのような、ただ何もかも喰い荒らされたような荒地の中。

 

 大きな影と小さな影が、転がる岩塊を足場に、飛ぶようにして肉食獣すらも置き去るような速度で駆けていた。

 

「……何も、居らんな」

 

 僅かにしゃがれた、しかし未だ覇気のある初老の男性の声で、小さな方の影がぽつりと呟いた。

 

「モウ、十数度ハ季節ガ巡ルクライ前カラ、コノアタリハ大体コノヨウナモノダ」

「そうか……斯様(かよう)な昔からもう、異常は起きていたのだな」

 

 ただそれだけ苦虫を噛み潰したかのような声で発した後、また二人黙り込み、黙々と荒野を駆け抜け続ける。

 

 そんな中……先導していた巨体の影が、急な登り勾配となる直前で、立ち止まって振り向いた。

 

「見テモライタイト言ウ場所ハ、コノ丘ヲ越エタトコロダ」

 

 力強くも落ち着いた、ズシリとした重低音で響く……訛りは強いが、それは紛れもなく、人の間でもっとも広く使用されている標準交易語だった。

 その言葉を発したのは、隆々とした肉体を持つ、三メートルを超える巨躯の大男……トロール族の青年。

 

 そして……それに続いて足を止めたのは、初老の男……人族の『剣聖』アシュレイ・ローランディア、その人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――あの日、ディアマントバレーを発ち、国境を抜けてから……もうすでにひと月以上が経過している。

 私たち黒影騎士団の面々は、深く広い針葉樹林帯を抜け、辺境の北西部へと踏み込んでいた。

 

 大陸の果てをねぐらとする強大な魔物、幻獣……そうした怪物たちの目から逃れながら西へ西へと進んだ先でたどり着いたこの場所。

 

 立ち寄ったトロール族の集落が、たまたま以前あの鉱山街で戦ったトロールの出身地だったらしい。

 もしかしたら埋葬する場所もあるだろうかと保管していたかの敵の遺髪を返却すると、予想外の歓待を受けた。

 

 その生活は決して豊かとは言えないであろうに、あまり多くない家畜の羊を一頭潰し歓待の宴まで用意してくれた彼ら。

 武を尊ぶ彼らにとって、たとえ落伍者とはいえ旅先で還らぬ者となった同胞に対し、我ら黒影騎士の行為はそれほど恩義を感じる行いだったらしい。

 

 結果……数日の滞在が認められ、ここまでの道中で皆疲弊した身体を休養させてもらえる事となった。

 

 

 

 ――そんな中。

 

「すまんな、こうして案内までしていただいて」

「構ワヌ。コチラコソ、同門ガオ主ラニ迷惑ヲ掛ケテシマッタウエニ、遺髪マデ届ケテモラッタノダ、コノクライハ恩ヲ返サネバ、先祖ニ顔向ケデキンカラナ」

 

 こちらの地方で何が起きているのかを聞きたい。

 

 そう告げたところ、案内役として手を挙げたのが、一際大きな黒い体躯と獅子のような頭髪をした、若者のリーダー的な立ち位置にいるこの青年だった。

 

 見て欲しいものがある……そう言われ、集落を発ってさらに西へ半日ほど。

 

「ソレニシテモ……翁ヨ、主ハ随分ト体力ガアルナ。マサカ人間ガコウモツイテ来ラレルトハ」

「ふっ……なに、常日頃から、戦場では走れなくなった奴から死んでいくんだと、若い連中を扱いている私が、易々とバテる訳にはいかんからな」

 

 そんな部下達は、休息を邪魔するのも悪いと置いて来た。

 

 幸い、今は重い装備を纏わぬ軽装に剣を佩いただけの格好だ。

 このペースであれば、半日といわず一日ついていく事も可能だろう。

 

 ……と、ついて来ようとした者数人に、一刻ほど進んだところで伝えたところ、彼らは顔を引攣らせて引き返して行ったが。

 

「フム……見レバ御老体ラシカラヌ程、鍛エ上ゲラレテイルノガ立チ振ル舞イヤ雰囲気カラモ伝ワッテ来るル。モシ良ケレバ戻ッタラ一戦手合ワセヲ……」

「それは構わぬが……まぁ、戻ったらですな」

「オット、申シ訳ナイ。強キ者ヲ見タ際ノ、我々ノ悪癖ユエ、許シテホシイ」

「うむ、まぁ、気持ちは分からんでも無いな」

 

 苦笑し、同意する。

 こうして剣の世界にいると、時折、強者を前にすると無性に剣を合わせてみたいというのは一種の性のようなものだ。

 かく言う私だとて、年甲斐も無い欲求に駆られる事は、いまだにあるのだから。

 

「ソレニ……コウシテ東ノ者タチニ現状ヲ見テモラエルノハ、我々トシテモ願ウ所ダ……今後ヲ考エル上デナ」

「……ふむ?」

「ット、モウ丘ヲ越エルゾ、何ヲ見テモ腰ヲ抜カサナイヨウ覚悟ハイイナ、翁ヨ?」

 

 会話しているうちに、いつのまにか丘の頂上まで来ていた。

 その最後数歩を登りきり、拓けた視界。そこには……

 

「これ、は……っ!」

 

 

 

 ――何も、無かった。

 

 

 

 まるで、鋭利なナイフで切り取ったかのように……そこには、真っ直ぐに……あまりにも真っ直ぐに、断崖と、海が広がっていた

 

「……なんだ、これは」

「アア、ソノ崖ヲ超エルナヨ……()()()()

「……なんと?」

「言葉通リダ。ソコヲ越エテ崖下ノ探索ヲシヨウトシタウチノ若者ガ数人、ソノ瞬間ニ完全ニ消滅シタ」

 

 その言葉に、ただただ絶句する。

 人々のあずかり知らぬ場所で、そのような事態が進んでいたとは……

 

「……我ハ、翁ニ……イヤ、客人皆ニ謝罪セネバナラン」

「……む?」

「オ主達ヲ歓待シタ理由ダガ……ソコニハ、善意ダケデナイ、打算モアッタノダ」

「ふむ……打算とは?」

「……コノ場所ハ徐々ニ広ガリ、我々ノ領土ニモ迫ッテ来テイル」

「広がっている……それはどのように?」

「今スグニドウコウ、トイウ訳デハナイノダガ」

 

 そう前置きし、青年が語り出す。

 その表情と声音には、先祖代々からの土地を離れねばならぬ無念がにじみ出ているようだった。

 

「……今ノママ進メバ、モウ十トイクツカ季節ガ巡ル頃ニハ、ドウナッテイルカ分カラン……将来族長ヲ継グコトトナッテイル身トシテハ、先ノコトダカラト手ヲコマネイテイル猶予ハナイ」

「それは……結構なペースだな」

「ダカラ、我々ハ……人ノオラヌ端ノホウデ良イノダ、東部ヘノ移住ヲ希望スル」

「ぬ、ぅ……」

 

 移民。

 

 簡単に、安請け合いはできない。

 たとえ人同士であっても、大勢の、それまで居なかった人々が入ってくるというだけでも、職にあぶれる者の増加やそれに伴う治安の悪化、食料の備蓄の問題など、社会情勢上その影響は非常に大きい。

 

 しかし、今回は彼らトロール族の集落の者達、せいぜい数百人規模であり、そうした問題はあまり心配無いとは思う。

 だが、また別の問題が大きい。彼らは人族、天族、魔族……世間でいわゆる「ヒト」と区分されている者ですらないのだから。

 

 そして、その戦闘力も、平均的な人の水準の遥か上……一般的な人々にとっては、化け物、怪物……そういった領域にある存在である。

 

 彼らに敵意が無いと言っても、近くに暮らしているというだけで、周辺住民の不安は計り知れないであろう事は想像に難くない。

 

 ……だが、彼らの誠実な人柄と言うのも、数日の滞在を経て信に足るものだとも思っている。

 無下にしたくはない。なるべく力になりたいとは思えるのだ。

 

「無論、タダデ土地ヲ寄越セナドトハ言ワヌ。受ケ入レテモラエルノデアレバ、ソノ恩二報イルタメ、我々一同、有事ノ際ハ必ズヤ、オ前達ノ爪ヤ牙トナル事ヲ誓オウ……誇リアル我ラガ祖先ノ御霊二誓ッテ」

 

 そう言って跪き、両拳を大地に付けて深々と頭を下げるトロールの青年。

 

 この格好も先程の言葉も、彼らにとって最上級の、相手への敬意を示す物であり、それだけ彼らも必死なのだ。

 であれば……無下にする訳にはいかぬよなと、完敗の心地で苦笑する。

 

「……分かった、その言、確かに私が陛下へと届けよう……すまんな、事が事だけに、私一人で決定することは出来ん。だが、この件は持ち帰って相談しておこう。貴殿らの望む回答を返せるかは分らんが……」

「ソレデ構ワナイ。感謝スル、人族ノ翁ヨ!」

 

 バッと、喜色を浮かべた表情でようやく頭を上げた青年の手を取り、握る。

 

 思えば……温厚ではあるが排他的な彼らトロール族と、こうして友誼を結べる日が来るなどと、果たして先日までの自分は予想できただろうか。

 

 ――それを言うのであれば、あの鉱山街で再会した姫の事もそうか。

 

 そう考え直し、ふっと笑う。

 変化を認めたがらぬ頭の固い老骨が、ぼんやり立ち止まっている間に……もはや変化は始まっていたのだ、と。

 

 

 

 ――辺境で、静かに進行していた異変。

 

 今この世界で起こっていることは何なのか、未だ得体は知れない。

 

 何にせよ……運命の輪はすでに転がり始めているのだという事は、もはや疑いようが無いように思えるのだった――……

 



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出生の秘密

 

「……汝、在りし日の姿に還れ……『レストレーション』!」

 

 手の内に生まれた眩い光を、眼前の怪我人……片腕を失った男性の胸元へと押し込む。

 すると、眩い光と共に欠損部分が元通り健康だった時の状態へと巻き戻っていきます。

 

 光が治まるまでその様子を見守り……やがて、怪我など無かったように五体満足の姿へと戻った彼に、ほっと一息をつきました。

 

「……うん、外傷は無し、内臓にも異常なし、っと」

 

 容体もしっかりと確かめて、その結果に満足する。

 手早く荷物をまとめ、眠っている……あらかじめ夢見草の蜜を飲ませられ、寝台に寝かせられていたその男性を置いて、部屋を後にしました。

 

 

 

 ここは、中央広場から少し奥まった場所にある、日本で言う公民館のような建物。

 

 現在は領主様のはからいによって、臨時の診療所として使用されていますが……その利用者の大半はすでに容体も回復し、自宅へと帰って行きました。

 傷病者でひしめき合っていたひと月前と比べると、建物の中を歩いている患者はもう、まばらにしか見えません。

 

 とはいえ、まだ多数の人の目があるのは変わりません。白く薄い夏用のローブのフードを被り、人目を避けながら外に出る。

 

 外に出た途端に目を灼く、燦々と降り注ぐ陽光。

 私の虹彩は紫色……かなり薄い青に血の色が透けたその目はあまり強い光に耐性が無く、眩しさに目を細め、ローブを目深にかぶり直します。

 

 

 

 ――季節は初夏を過ぎ、真夏へと移り変わっていました。

 

 

 

 真夏と言っても、比較的標高の高い場所にあるこのあたりは日本の高温多湿な気候と比べるとだいぶ涼しく、吹く風もからりと心地いい。

 そんな心地良い空気を思い切り吸い込んで、緊張していた体を伸ばすと、んっ……と声が漏れました。

 

 以前使用した時はかなり消費の重かった『レストレーション』ですが、今ではそれほどの負担ではありません。

 

 ……といっても、流石に連続で五人は、少し疲れましたけどね。

 

 まだまだいけそうだとは思うけれど、領主様から「一日五人までです。それ以上は認めません」とスケジュールの段階からがっちりと組まれてしまっているため無理も言えません。

 

 

 

「……お、そっちは終わったか」

 

 不意に、横合いから声が掛かりました。

 

 そこに居たのは、今日は護衛として付いてきていたレイジさん。

 一緒に外で待っていた仔セイリオスと相変わらず仲が悪いようで……どうやら待っている間ずっといがみ合っていたらしく、しょうがないなぁと苦笑します。

 

「また喧嘩していたんですか、もう……」

「違ぇし。そいつが一方的に嫌ってくるんだよ」

「はいはい……おいで、スノー?」

 

 そう私が呼ぶと、嬉しそうに駆け寄ってくる仔セイリオス。

 

 本当は「スノードロップ」という名前にしたのですが、皆スノーと短縮して呼ぶために、そう覚えてしまったみたいです。

 

 そんな、飛びついてきたスノーを抱き上げる。

 ふかふかな毛並みを堪能させて貰ってから、レイジさんへと向き直ります。

 

「レイジさんは、身体は大丈夫ですか? 無理していませんか?」

 

 彼はこのひと月、復興の手伝い以外の時はずっと、練兵場に入り浸りで自分を苛め続けていたと聞いていました。

 

「大丈夫だって。ほら、こうして今日は訓練も休んでるだろ? 一応休む事も考えながら……」

「嘘。言っても聞かないから、レオンハルト様に今日一日練兵場を出入り禁止にされたって聞きましたよ?」

「……うぐっ」

「全くもう……訓練は大事ですけど、過労は良くないですよ。見ていれば分かるんですからね?」

 

 服の上は頬に湿布を貼っている位だけれど、服の下は打撲や擦過傷、筋肉痛で大変なことになっているというのが……じっと見ていると、なんとなくわかります。

 

 ――最近、注視した相手の怪我の状態や体調、そういったものがぼんやりだけれど見えるようになっていました。

 

「……悪かった」

「はい、よろしい。治してしまいますから、すこしだけじっとしていてくださいね」

 

 そう告げ、レイジさんへと手を翳す。

 それだけでみるみる彼の傷は体から消えていきました……ただし、筋肉痛以外。

 

 ――これも、前の戦闘時から明らかになった変化です。

 

 今の私は、傷を直したいと考えながら手を翳すだけで、ヒール相当の治癒魔法が使用できるらしい。

 

 また、イメージ次第でかなり応用も効くようになり、今みたいに体表の怪我だけを治す、みたいな事も出来るようになっていました。

 

 ……あまりに自然と出来るようになっていたせいで、指摘されるまで気がつかずにやってしまっていたのですが。

 

「なぁ、筋肉痛は……」

「ダメです。筋を痛めたわけじゃないみたいだから、それは自分の治癒力で治すべきです」

 

 それに、魔法で治してしまうときっとまた無茶な自主トレとか始めるに違いないんですから。

 ツンとすまし顔で突っぱねると、彼は気まずげに頬を掻いていました……少し意地悪が過ぎたでしょうか。

 

「う……まぁ、確かにな。サンキュ」

「いいえ、どういたしまして。だけど今度からはちゃんと言ってくださいね」

 

 指を突きつけながら、少し怒ったようにして言う。

 

「……わ、分かった」

「うん、よろしい。約束ですよ?」

 

 彼は戸惑ったようにしながらも頷いたので、表情を崩します。

 

 そのまま、二人並んで街を歩く。

 こうして二人で出かけるのも本当に久しぶりで……まるでデートみたい、と思ってしまいかけた思考を、慌てて頭を振って霧散させる。

 

「……何やってんだ?」

「な、なんでもありまひぇん……!」

 

 ――か、噛みました……っ!?

 

 慌てて痛む口元を抑える。

 

「……ぷっ、くっ、くくっ……お前何やって……うわっ!?」

 

 レイジさんが、そんな私の様子を腹を抱えて笑おうとしたところで、スノーがその膝裏に体当たりする。

 

 ……あら、つんのめりはしたけど、転倒はしないというなかなか絶妙な力加減。

 

「人のミスにそんな笑うからです。ありがとうねー、スノー?」

 

 私の横にピッタリ寄り添って歩くスノーに笑いかけながら告げると、おんっ、とどこか誇らしげにひと吠え。その微笑ましい様子に、ついつい表情も緩みます。

 

「お前なぁ……はぁ、まぁいいか。もう、大丈夫みたいだな」

「あはは……心配、おかけしました。でも大丈夫です。悩んでも仕方のない事ですしね」

 

 ひと月前、どん底まで落ち込んでいた数日を思い出す。あの時は、本当に酷かったと自分でも思う。

 苦笑しながら、再びゆっくりと歩き始めた。

 

「……自分の生まれなんて、どうにもならないことですから。そりゃまあ、びっくりはしましたし、しばらく悩みましたけど……ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――話は一月前……レイジさんとソール兄様の、解呪の済んだ日の翌日。

 

 

 

「本当に、ごめん。タンク職である私が真っ先に戦闘不能なんて、絶対にあってはならなかったのに……」

「だから、そうやって自分を責めるのは駄目ですってば」

 

 目覚めてすぐ、ソール兄様はずっとベッドの上で自分を責めるような事ばかり言っている。

 レイジさんはというと、こちらはもう起き上がっているけれど、窓際の椅子に腰かけて外を眺めながら何かを考え込んでおり、その表情は昏い。

 

 二人のその様子に……はぁ、とため息をつきながら、枕もとで林檎の皮を剥いていると。

 

 コンコン、と控えめなノックの音。

 どうぞ、と私が代表しつ声を掛けると、ドアが開きました。

 

「よ、邪魔するぜ」

 

 そこに現れたのは、今はいつも羽織っていた派手なコートを脱いで楽な格好をしている、真っ赤な髪の青年。

 

「あ、緋上さん」

「お久しぶりです。今回はおに……イリスに力を貸してくれたようで、本当にありがとうございました」

 

 そう、深々と頭を下げるソール兄様。

 レイジさんは……何やら不機嫌そうにして、そっぽを向いていましたが。

 

「よしよし、綾芽ちゃんと親友君、二人とも元気になって良かったな」

「はい、おかげさまで。緋上さんは?」

「いやぁ……何やらちょっと前から城中がやけにバタバタしていてなぁ。邪魔にならないように避難してきた」

「そうなんですか? 私、ずっとここに居たから良く分からなくて」

「んー……チラッと耳にした会話だと、来客の予定がどうの、らしいけどな。詳しくは分からん」

 

 昨日、二人に施術して以降ずっとこの部屋にいたから、外の様子は知りませんでした。

 何かあったのだろうか。あとで誰かに聞いておかないと……そんな事をぼんやり考えていると。

 

「……それに、話すべきこともあるからな」

「っと、そうでしたね。緋上さんは、こちらに飛ばされた時は会社の方に?」

「ああ。その辺の話も、ここいらですり合わせておこう。イリスちゃんたちは、この事態をどこまで把握している?」

「えっと、私達は……」

 

 今まで集めた、あまり多くはない情報を、一つひとつ挙げていく。

 

 ゲームの中にあった『白の書』の事。

 元の世界のアークスVRテクノロジー最高責任者、アウレオ・ユーバーが、こちらの世界の人物ではないか、という予想。

 

「……そうかぁ、もうそこまで知ってたか」

「それじゃ、やっぱり……」

「その通りだ。アウレオの奴が、この世界、この国の前国王『アウレオリウス』当人だと……俺は転移直前に、会社で奴に直接聞いた」

「やはり、そうでしたか……」

 

 自分を拾い上げてくれた恩人だと思っていたのに、あの人が……という気持ちも少しはありますが、やはりという気持ちの方が強い。

 

 それに、悩む前に聞いておかなければならない事もあります。

 

「…彼がどのようにして向こうの世界に行ったかなどは、聞きましたか? もしそれが私達にもできる方法なら……」

「……いや。悪いな、期待には応えられない。奴も、向こうへと言ったのは事故……あるいは何者かにしてやられたんだそうだ。その時一緒に居た妹と一緒に……らしい」

 

 そう言って彼は、手にしていた本をぱらぱらと捲る。

 わざわざ領主様の許可を得て借りて来たというそれは、この国の王族の肖像画や写真を収めた王族年鑑らしい。何故そんなものを……と思いながら眺めていると、その手が止まり、こちらへと見せるようにテーブルに置く。

 

「彼女なんだが……君たちは、見覚えがあるか?」

 

 そう言って本に掲載されている写真、緋上さんが指した場所に映っていたのは……

 

「……っ!?」

「……そんな!?」

 

 私と、兄様の驚愕の声が重なる。

 そこに映っていたのは、天族の象徴である真っ白な翼のアウレオさん……まだ二十代くらいの前国王アウレオリウスと。

 そして、並んで微笑んでいる、十代半ばくらいに見える、翼の無い女性……とても見覚えのある、忘れられるはずのないその人は……

 

「…………母……さん……?」

 

 絞り出すように、声が漏れた。

 記憶の中にある母とは髪の長さは大分違ったけれど……差異はその程度。それはまぎれもなく、向こうの世界での母親だった。

 

「……やっぱりお前らの母親か。奴も、なんとなくそうじゃないかと思っていたみたいだったからな」

「え、じゃあ、私達って……」

「元々、こちらの世界の人間の子供……なの?」

 

 血筋云々はゲームの時の設定が反映されているだけだと、深く気にしていなかった。だけど、これは……

 

「そういうことだ、ついでにイリスちゃん……柳君は、元々お母さんの連れ子だったよな?」

「え、ええ、私達は異父兄妹でしたから……」

 

 向こうの父は、それでも綾芽となんら遜色のない態度で接してくれていました。

 だから、血の繋がりが無いことなど、言われない限りほとんど忘れられていたのですが……

 

「君の母親が向こうに飛ばされたのは、君を身籠っているとき……君に関しては、完全にこちらの世界の人間の血を引く子だそうだ」

「……そう、ですか」

 

 我が子同然に育ててくれた義父とただ血が繋がっていないだけ……そうだと思っていた。

 なのに、二十年以上も過ごしたあの世界自体が、自分の世界ですらなかったなんて。

 

「ちなみに……父親が誰だというのは、聞いていますか?」

「……それは、その……」

 

 口籠るスカー……緋上さん。

 しかし、その視線が私から逸らされ、一瞬だけ写真の方……前王の方へ泳ぐのを、私は見逃さなかった。

 

 ――つまり、私は。この身を生み出した、私の両親は……?

 

「……話がこれで終わりなら、少し外を歩いてきます。色々と考えたいこともありますので」

「ああ……今日はここまでにしよう。悪かった、少し性急過ぎた」

「いいえ……いつかは知る事でしたから」

 

 そう言って立ち上がった時、それまで黙って話を聞いていたレイジさんも窓際から腰を上げる。

 

「……俺も行く。護衛は要るだろ?」

「…………はい、お願いします」

 

 どうにかそれだけ言って、逃げるように沈黙が支配した部屋を後にする。

 少しの間だけでいい、向こうの世界とこちらの世界、そして家族について考えたくなかった。

 だから……家族というくくりの外に居るレイジさんがついてきてくれる事に、内心とても安堵していました――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――恩人だと思っていた……それだけのはずだった人が、実の父親だった。しかも今回の件の黒幕。

 

 それを知ったあの時は、自分の周囲の世界が壊れたような気がして、酷く落ち込んでいました。

 

 そうして自分の出生の秘密に悩んだことは悩んだのですが……すぐに、応急処置だけで済ませていた重症患者の再生治療のお役目で忙しくなり、それどころでは無くなってしまいました。

 

 ――いいえ、違いますね。あの時は、仕事に逃げ込んでいました。

 

 魔力欠乏に至る直前まで治療に奔走し、夜は食事すらそこそこにベッドへと飛び込み、疲労に任せて泥のように朝まで眠る。

 

 そんな、周囲に呆れられ、ついには見かねた領主様からスケジュールを管理されるようになった荒れた生活を数日。

 

 しかし、忙しさにかまけていたせいであまり悩まずに済んだせいでしょうか。

 時間経過により少しずつ余裕が出て来るにつれて、生まれた時の事を悩んでもしょうがないな、と悟ってしまっていました。

 

 ――尤も、会ったら最低でも一発……いいえ、母さんの分も合わせて二発くらいは殴ってやるつもりですけれど。

 

 そう、拳をぎゅっと握って改めて決心を固めます。それだけは譲れません。

 

「……おい、なんか不穏な空気を発するのは止めろ?」

「……はっ、すみません、ちょっと漏れてました」

 

 慌てて咳ばらいをし、気分を落ち着けます。

 

「それで……今日はどうするんだ?」

「そうですね……今日はもうお仕事も無いですし、このあたりで少し……いいですか?」

 

 そう言って、荷物からクロッキー帳を少しだけ取り出して見せ、伺いを立てる。

 

「それじゃ、俺は何か飲み物でも買ってくるよ。スノー、イリスの事は任せたぞ」

 

 そのレイジさんの言葉に、スノーがフン、と鼻を鳴らします。

 それを見たレイジさんのこめかみに、血管が浮かんだのが見えました。

 しかしスノーはさらにこちらとの距離を詰めて寄り添ってくれたので、異論は無いみたいです。

 

 ……素直に協力すればいいのに、本当に仲悪いなぁ。

 

 やれやれと思いながら、中央広場の端、木陰となっており日光が和らいだ場所にあったベンチへと腰かけます。

 

 

 

 ――あの暴走(スタンピード)からもう、ひと月が経過していたのですね。

 

 

 

 ここ、中央広場でクロッキー帳を広げるのは一週間ぶりだけれど、以前描いた時とはまた違う景色となっていました。

 

 たとえば……向かいに建っているカフェはあの騒乱で一角が破壊され、先週はまだシートに覆われていたはずでした。

 しかし、今は綺麗に掃除され補修され……どうやら崩れた部分を元通りにするのではなくカフェテラスに改装してしまったようです。

 営業再開したらしきその店には、すでに昼下がりにもかかわらず数人の客の姿があり、談笑しているのが見えました。

 

 ひと月前は皆、今後の生活の不安から、暗い表情で炊き出しに並んでいたのに、今ではこうしてすっかりと日常の風景が戻って来ていました……今日は兵士の皆がやけに忙しそうなのが気にはなったけれども。

 

 現在の街は皆忙しそうで、目深にフードを被ってベンチに腰かけているこちらの事など、誰も気にしていません。

 

 いえ……困ったように歩いている若い兵士さんを追いかけ、何かを嬉しそうに話しかけていた小さな女の子がこちらに気づきました。

 ぱっと明るい顔で手を元気に振って来たので、ふっと表情を緩めてこちらも小さく手を振り返す。

 

 その手にバゲットらしきものが入った紙袋を抱えていたから……お母さんのお使いでしょうか?

 

 その光景になんだか嬉しくなり、いそいそとクロッキー帳を開きます。

 パラパラとページをめくり、目的の絵を見つける。

 そこには、一週間前にここで描いた風景が、紙いっぱいに広がっています。

 

「ふふ……さて、描き直さないとですね」

 

 一週間前と変化があった部分を消して、そこに新しく今の風景を描いていく。

 

 こうして何度か描き直しをしていたために、すっかりと紙がヨレヨレになってしまっていました。

 しかし、このボロボロな箇所の分だけ復興したのだと思うとなんだか嬉しく思え、ふふっと笑い声が漏れました。

 

 

 

 そんな風に平穏を喜びながら、描き直した跡を指先でなぞっていると……

 

「……ほほぅ、お嬢さん、中々上手じゃあないか」

「え……きゃ!?」

 

 突如背後から掛かった声に、慌ててクロッキー帳を抱きかかえる。

 

 横を見ると、まず目に入ったのは白い翼。

 いつの間にかベンチの後ろに居た体格の良い天族の男性が、こちらを覗き込んでいました。

 

「おっと、申し訳ない! 驚かせるつもりはなかったんだ、許してほしい、お嬢さん」

「は……はぁ」

 

 そんな彼は、こちらが驚いたのを見て慌てて両手を振って謝罪していました。

 

 ……スノーは、こちらの様子チラッと見ただけで、すぐに日向ぼっこの体勢に戻っている。

 

 という事は、いつのまにか背後にいたこの方は、特に警戒の必要な人ではないのだろう。

 スノーは悪意に敏感だから、何か問題があればこんな風に大人しくしていない。

 

 驚いてバクバクと暴れていた心臓も落ち着いてきたので、顔を上げて、声を掛けてきた男性の顔を見ようとして……

 

「…………へ?」

 

 その顔を見て、固まる。

 

 知っている顔でした。

 といっても、直接の面識があるわけではありません。

 しかし、ゲーム時代に……私の立場上、他のプレイヤーと比べて間近で見る機会が非常に多かった……よく見知った顔でした。

 

「何やら少し前にトラブルがあったそうだが、すでに復興作業も随分と進んでいるようだ。この街は治める者も、住人も、中々に気概があり優秀らしい」

「え、ええ、そうですね……」

 

 生返事を返しながらも、頭は大混乱だった。

 

 ――え? でも、あれ……!? なんでここに……!?

 

 しかも、周囲を見回しても誰も供も見当たらず、一人で。

 予想外過ぎてうろたえていると、様子に気が付いたレイジさんが必死の形相で駆け寄ってくる。

 

「おい、そこのあんた、何の……」

「レイジさん、駄目!」

 

 その男性の肩を押しのけようとしたレイジさんの手を、慌てて止める。

 私の剣幕に驚いたように硬直したレイジさんのその手を、両手で包んで下ろさせた。

 

「大丈夫だから。この人……()()()は、大丈夫」

「……お前がそう言うなら」

 

 しぶしぶ引き下がった彼の様子に、ほっと一息つきます。変に手を出したら、後々どんなことになるか……

 

 恐る恐るその男性の方を見ると、彼は気にした風もなく微笑んでいました。

 

 その口に、しー、と口元に人差し指を立てながら。

 

 ――ああ、そういうことですか。

 

 きっと抜け出してきたのだろう。そういえば、そんな所のある方だったと苦笑する。

 どおりで周囲に人がついていない訳だと納得しました。

 

 

 

 

「おっと、あまり長居をするとレオンハルトの奴に怒られるな。すまないが、私はこれで失礼するよ」

「あ……は、はい、お気をつけて!」

「ああ、ありがとう……元気な姿を見ることができて良かった。また後で会おう、()()()()()()

 

 そう気さくに言って、彼は立ち去ります。

 

 ――そういえば、ひと月前からずっと、誰か来客を受け入れる準備のためにお城が随分とバタバタしていましたが……うん、この為だったのなら納得でした。

 

「……何だったんだ、あれ?」

「あは……ははは……」

 

 訝し気なレイジさんに……私は、ただ乾いた笑い声を上げるのでした。

 



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王の来訪

 

 あの後どうにか気を取り直し、街からローランドの城に戻ると……レオンハルト様が執務室に来るようにと言っていたと、レニィさんから伝えられました。

 

 やはり、()()()の件ですよねぇ……と思いながら、もうすっかり勝手知ったる城内を歩く。

 

 使用人の人たちが忙しそうにする中、貴賓室のある区画へ近寄るにつれて、人は少なくなっていきました。一方で、すれ違う皆の間に漂っている緊張感は、進むにつれて強くなっていきます。

 

「……なぁ、俺も一緒で大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ、多分……」

 

 何か普段と違うその城内の雰囲気に、急に不安になって来たらしいレイジさんがおっかなびっくりといった様子でついてきます。

 ですが、気持ちは分かります。おそらくこの先で待っているのは……そう思うと、私も頭の中で、ここに来て学んだ作法を何度も確認しているのですから。

 

 

 

 そうこうしていると、いつの間にか目的の部屋……レオンハルト様の執務室へとたどり着いていました。

 緊張に暴れる心臓を押さえこみながら、そのドアをノックすると……

 

「……どうぞ、お入りください」

 

 中から掛けられたレオンハルト様の声に、レイジさんの方をちらりと見る。彼が頷いたのを確認してドアノブを捻り、ドアを開きます。

 

「……おお、来たか!」

 

 ドアを潜るなり、即座にかかる大きな声。

 部屋の中では、一目で最上級の品質のものだとわかるローブを着込んだ壮年の男性が、とても嬉しそうな表情で私達を出迎えました。

 

 後ろでレイジさんが「あれ、さっきの……」と呟いたのが聞こえましたが、私は内心の緊張から来る震えを隠しながら、それでもどうにか淑やかにスカートの裾を摘まみ、軽く膝を曲げて頭を下げる。そつなくレイジさんも私に続き、慌てて頭を下げようとして……

 

「はは、構わぬよ、頭を上げなさい。堅苦しい会合ではないのだから楽にしてもらいたい……折角堅苦しい王城から離れたのだしな」

 

 そう茶目っ気も織り交ぜて言う彼に、ほっとしながら顔を上げて微笑む。

 

「……お久しぶりです――叔父様」

「うむ……本当に、息災で何よりだった――よくぞ無事戻ってくれた、イリスリーア」

 

 そう人の良さそうな顔で破顔する彼に、私もつられて微笑む。

 

 ――本当は、先程お会いしましたけどね?

 ――すまない、それはレオンハルトの奴には黙っていてくれないか。

 

 困ったような苦笑いを浮かべた彼と、目線でそんな感じのやりとりをしながら。

 

 

 

 ――彼の名は、アルフガルド=ノールグラシエ。

 

 私達の叔父であり、先王アウレオリウスの弟。そして……この国の、現国王陛下でした。

 

 

 

 

 

「……本当に、本当に無事で良かった、イリスリーア」

 

 そう言って、もう何度目か、ぐりぐりと大きな手で私の頭を撫でるアルフガルド陛下。

 

 見た目は、おおよそ魔法王国の国王という肩書きに似つかわしくない、がっしりとした体格の壮年の男性。そんな方が、私の無事を喜び瞳を潤ませていました。

 

 先王アウレオリウスは、決断力と行動力に優れ、その知性を以て果断な統治を敷く賢王だと言われていました。

 一方で、そのあとを継いだ彼、アルフガルド国王は、名に『ガルド(守護)』を付されただけあり、とても人情に厚い方として有名で、民の安寧に心血を注ぐ仁の王だと、専らの評判……だったはずです。

 

「ソールクエスもそうだが、すっかりと表情豊かになったようで何よりだ、きちんと笑えるようになったようで、うむ、良きかな良きかな。私はとても嬉しく思うぞ」

 

 そう、嬉しそうに頷いている国王陛下に、先に入室してソファへと腰かけていた兄様が苦笑していました。

 

「申し訳ありません、私達は当時のことは……妹のみならず私にも色々と気にかけていただいたのに、本当に申し訳ないと思っているのですが……」

「あぁ、そうだった、記憶はほとんど無いのだったな。もっとも、当時のお前達の様子を思い出すと、致し方ない気もするのだが」

「そうなのですか?」

 

 兄様の言葉に対して同情の色を浮かべ語られる陛下の言葉に、首を傾げ聞き返す。

 

「うむ、七年前のお前達は常に心ここに在らずという様子で、正直なところ人形かと思えるほどの……」

 

 そこまで言って、言葉を切る陛下。

 今の自身の発言に気まずそうに咳払いすると、ニッと人好きのする笑顔を浮かべ、改めて口を開きます。

 

「だが……うむ、今のお前達はすっかりそんな様子は無い。私はそれを嬉しく思う……改めて、よく帰ってくれた」

 

 そう言って、破顔する陛下。

 

 ――国王というよりは、気のいい親戚のおじさんみたい。

 

 そんな印象を受ける陛下に、私と兄様はどこかくすぐったい物を感じ、視線を合わせて苦笑するのでした。

 

 

 

 

 

 

 私達が揃ったところで……丁度ティータイムに当たる時間だったため、素早く使用人の方々によって準備が整えられ、お茶会となりました。

 

 上座に座る陛下の左右に私と兄様の席が設けられ、その後ろではレニィさんが甲斐甲斐しく世話をしてくれています。

 ちなみにレイジさんも快く同席を認められ、今はレオンハルト様の隣でガチガチに緊張して座っていました。

 

「……ところで、陛下は何故、このような所へ?」

 

 出されたお茶で一口喉を潤してから、ようやくその問いを口にする。

 いつかは会いに行くつもりでしたが、てっきり王都の方に居ると思っていたので、よもやこのような国の端の領地で会うとは……と思っての発言でした。

 

 ところが、その事を訪ねたとたん、周囲が困ったような空気に包まれました。

 

「……近いうちに陛下がお見えになる予定だ、と伝えたはずなのですが」

「……え?」

 

 困惑したように言葉を発したレオンハルト様。その言葉に、目を瞬かせる。

 

「伝令があったのは一月前、あの暴走(スタンピード)の数日後だったのですが……その様子では、やはり覚えてはおられなかったみたいですね」

「あ……ごめんなさい、あのあたりの時期だと、しっかり聞いていなかったかもしれません」

 

 丁度、私が仕事に、レイジさんが修行に逃げていた時期ですね。

 ということは、私達が気をそぞろにして聞いていなかっただけ……現に、兄様はきちんと知っていたみたいですし。

 

「いえ、こちらこそ、落ち着いた後にもう一度きちんと話しておくべきでした」

「そんな、とんでもない! レオンハルト様こそお忙しかったでしょうに……」

 

 それこそ、私達など比較にならないような激務を連日こなしていた彼に、落ち度などあろうはずがありません。慌てて、頭を下げようとする彼に気にしないように言います。

 

 

「それで、陛下の目的ですが……この夏に西大陸との境界にある『闘技諸島イスアーレス』にて開催される、大闘華祭(だいとうかさい)へ来賓として顔を出す為ですよ」

「…大闘華祭、ですか?」

「うむ、そうだ。今回のこのローランドへの来訪は、可愛い甥や姪の顔を見に来た……と言いたいところなのだが、正直に言うとそれはついででな。四年に一度のその大祭へと参列するためのついでに立ち寄ったのだ。このあたりが、会場に最も近い我が国の領土だからな」

「イリスリーア殿下は、大闘華祭についてはご存知ですか?」

「え、っと……」

 

 レオンハルト様の質問に、この世界について勉強した中にあったはずの記述を、どうにか頭から絞り出しながら考える。

 

 

 

 この大闘華祭というのは、ただの大きい闘技大会……という訳ではありません。

 確かにそうした面は強いですが、その本質は豊穣祈願に近かったりします。

 

 この世界で主に信仰を集めているのは、女神アイレインと、戦神アーレス。

 

 そのうち、春と秋をアイレインが司り、夏と冬を戦神アーレスが司ると言われています。

 

 春にアイレインが生命の種を撒き。

 夏にアーレスが活力を与える。

 秋にそうして育った作物をアイレインが収穫し。

 冬となり休養に入った大地をアーレスが護る。

 

 そうして、交互に役割を分担しながら人々を見守っている……というのが、この世界で信奉されている宗教の中で語られているのです。

 

 そして、毎年ひとつずつローテーションで各季節の対応した大祭が行われているのですが、どうやら今年は夏……大闘華祭、となるみたいです。

 

 ――と、そこまで考えたところで、不意に疑問が頭をもたげました。

 

 四季がある……つまり、この世界には地球と同じように、地軸が若干太陽に対し傾いているはず。

 にもかかわらず、北のノールグラシエと、南のフランヴェルジェが同じ季節が流れている、というのは一体……

 

「……イリスリーア?」

「……あ、申し訳ありません、少し考え事でボーっとしてしまいました」

 

 黙りこんだ私に怪訝そうな視線を向けた陛下。コホンと咳払いして、気持ちを切り替える。

 

「えぇと……その祭事についての知識については、ここで学んだ中にあったので大丈夫です。四季の大祭は確か慣例として、賓客を各国から招致しているんでしたよね?」

 

 それは決して国家君主や元首である必要は無いのですが、ノールグラシエはこれまた慣例として毎年、国王陛下を含めた王族数名が参列しているという話だったはずです。

 

 ちなみに、南のフランヴェルジェも、私達同様に王族が。西の通商連合も、選挙により選ばれた政治のトップが参列する慣例となっています。

 残る東方諸島連合からは王族こそ参加しないものの、滅多に人前に出てこない「巫女」と崇められる立場の女性が参列したりなど、結果として四国全ての重要人物が集う事となり、その盛大さは推して知るべし、でしょう。

 

「そういうことだ。今年は私だけでなく、王妃と私の息子も同席する予定だが、所用があってな。私だけ一度こちらに立ち寄り、向こうで合流する予定だ」

「それは、遠路はるばるお疲れ様でした」

 

 王都からコメルスの街を繋ぐ魔導列車と、船を乗り継いでも、王都からここまで一週間は掛かります。

 その道程を労いながらも、陛下の目的を聞いてから、どうにか同行させていただけないかを考える。

 

 ……正直なところ、闘技大会にそれほど興味が有るわけではありません。ですが、たしかあの島には……

 

「それで……どうだろう。ソールクエス、それにイリスリーア。お前達が良ければ、一緒に……」

「「行きます!」」

 

 私とソール兄様が、陛下の提案に食い気味に答える声がハモりました。

 レイジさんは場が場なため後ろに控えていますが、この話題が出てからずっとそわそわとしているのが傍目からでも分かります。

 

 そんな私達の勢いに、陛下が驚いて目を瞬かせていました。

 

「そ、そうか? では話が早い。お前達の分も準備させよう。お前達……特にイリスリーアが一緒に来てくれるとなれば、我が国の参加者も奮起するだろうからな……」

 

 我が国に、今はお前以外の姫はおらんからな、と苦笑する陛下。

 

「それと、他に同行させたい者がいれば、早めに伝えてくれるとありがたい」

「良いのですか? ならばそうですね……知人に、優秀な服飾職人の者がいます。彼女にも声をかけてみたいのですが」

「ほう……確かに、そのような人物であればあの島はさぞ良い勉強になるだろう、良い、是非連れて来なさい」

 

 兄様が、同行させる者たちについて、早くも交渉を始めていました。あちらは任せて大丈夫そうです。

 

 ちなみにレイジさんも、陛下に護衛として随伴するレオンハルト様と同行することが既に確定しているらしく、一緒に行ける事に安堵します。

 

 

 

 ――私達が興味津々な理由、それはこの大闘華祭の会場となる場所にあります。

 

 この大闘華祭は、夏の間に戦神アーレスの与えてくれた活力へと感謝し、夏の役目を終える彼へ自分たちの武を披露し楽しませよう……というもので、やはりメインとなるのは闘技大会であり、当然、そこには世界各国から強者が集まってきます。

 

 しかし……不敬な話ですが、私達が興味をそそられているのはそれとはまた別のことです。

 闘技大会を目当てに人々が集まるということは、そこにはそうした人々を対象とした商売をする者達……すなわち武具職人が、その培ってきた技術と日々の研鑽を披露するために、()()()()()()集まってきています。

 

 結果……大闘華祭の舞台となる闘技場のあるあたりには腕利きの職人が集まり、街となり、やがてそれはその地域の名産となりました。

 

 それが、闘技諸島イスアーレス。

 

 北と西大陸の中間地点にある大きな島を中心とした群島の街であり、闘技場を中心に発展し、およそ戦闘に関わる全ての技術が集う島。

 

 そしてそこは……装備の大半が先の戦闘で損壊した私達が、どうにか空き時間を確保して行きたいと思っていた場所なのでした。

 



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闘技諸島の姉妹

 

「……っ!? …………んぁ?」

 

 ガタンッ! という音。

 何かから落下するような感覚と共に、意識がぼんやりと浮上し、のそのそと頭を上げる。

 目に飛び込んで来るのは、机いっぱいに散乱している図面の紙束や型紙。

 

 ……どうやら、依頼された防具の設計図を引いているうちに根を詰めすぎてしまい、描き終わると同時に座ったまま眠ってしまったらしい。

 

「……って、図面!?」

 

 せっかく書いた図面が涎で読めなくなってしまったら大ごとだと、慌てて身を起こし……背中から、パサリと軽い音がした。

 背後に落ちたものを拾い上げると、それは……

 

「……毛布?」

 

 どうやら、眠ってしまっている間に誰かが掛けてくれたようだ。

 誰が……などとは考えるまでもない。それができるのは一人しか居ないのだから。

 なんとなしに視界の端、棚に掛けてある槍を見る。

 

 ゲームの時は相棒として、命を預けてきたはずのその武器。だけどこの世界へと来て、今の生活を得て……それ以来、私は一度も触れていない。

 しかし、埃も被っておらず綺麗に磨かれているその穂先は、明らかに誰かが手入れをしているのを示すもの。

 

 誰か……というのも決まっている。

 工房ならばまだしも、その工房の隣室……仮眠用の簡易ベッドまで持ち込んで、半分私室と化したこの作業室にまで人を入れたりした覚えは無い。

 それは、こちらで面倒を見てくれている師匠ですらも例外ではない……もっとも、あの人にここは狭すぎて入れないのだけども。

 

 ただ一人……一緒に暮らしている、義理の妹を除いて。

 

 なんとなしに、愛槍……だった物を棚から外し、手にとってその刃を確かめる。

 

 綺麗に磨かれたその刃は、まるでそれを手入れしてくれた者……共に暮らしている義理の妹の性格を表しているようで、ふっと笑みが漏れ――

 

 

 

 ――今更になって姉貴面をして、何のつもり?

 

 

 

 不意に脳裏に響いた言葉に、全身が強張った。

 いくつかの過去の光景が、脳裏にフラッシュバックして……

 

 

 

 ――あ、お姉ちゃん、今日は朝早いんだね、なら一緒に……

 

 ――ついて来ないで。私は、あんたを妹だなんて認めた覚えは無いから。

 

 

 

 まるで子犬のように必死に後ろについて来ようとする少女を、冷たくあしらう醜い自分。

 

 一年前に再婚した父親の、結婚相手の女性と一緒に新しい家族となったその子の事を、本当に嫌いだったわけではない……と思う。

 ただ、あの時の自分は、揉め事から理不尽に部活を退部させられたばかりで荒れた生活をしていた……不良だったのだ。

 恨みも相応に買っている自分の近くに、こんなスレていない小動物のような子が居て、厄介ごとに巻き込んだら申し訳ないと思い突き放していただけだ。

 

 だった、筈なのに……

 

 

 

 ――見ろよ、さんざん粋がっていた女帝様も、どうやら妹ちゃんには甘いらしいなぁ!?

 

 ――違う……私は、その子なんて何とも思っていない、だからその子には……っ!

 

 ――へぇ、そんな反応しといて興味ないって? だったら、確かめてやるよ!

 

 ――嫌ぁ!? お姉ちゃん! お姉ちゃん!!

 

 ――やめなさい! やめてぇぇえええっ!?

 

 

 

 男数人がかりで地面に組み敷かれ抵抗できない中、視線の先で、粗野で野蛮な男たちに衣服を引き裂かれ毟り取られていく、小さな少女の身体。自身ではなく、自分の行いによって巻き込まれたその少女の受けている暴虐に、心が砕けそうな程に軋んだ。

 

 ……強くなった、と思っていた。

 

 子供の頃から武術をやっていて、特に薙刀に関しては、手頃な棒切れがあればたとえ男相手でも制圧できる程度の腕前はあるという自信はあった。

 それに加え、ある日を境に急に身体能力と反射神経が上がり、男だろうが大人だろうが、たとえ真っ向勝負であってもまるで負ける気がしなくなった。

 

 だからといって、決して自分から手を出した事は無かった筈だ。だが、ムカつく奴を見つけるたびに、片っ端からぶっ飛ばして回っていた。

 

 まるで正義の味方になったようで、良い気分だった。

 

 

 

 ――そんな私に以前叩きのめされ、私に恨みを持っていた連中が……この一年ですっかり見慣れた、今は一つ屋根の下で暮らす少女を人質にして、目の前に現れるまでは。

 

 

 

 時折何かを録音しどこかに送っているのが気になり尋ねたら、歌手になるのが夢なんです、と照れながら言っていた、可憐だが引っ込み思案な少女。

 

 親の再婚により突然家族となった、男勝りと言われ続けていた自分とは似ても似つかぬ女の子らしい女の子。

 

 荒れていた自分の側にいる事で、危険に巻き込みたくなかったから突き放していたつもりだったのに。

 だけど、側に置くにも突き放すにも中途半端だったせいで、自分に恨みを抱いていた者たちに目をつけられた。

 

 結果的に、最悪な形で巻き込み傷付けてしまった。

 

 

 

 ――お前のせいだ。

 

 ――お前のせいだ。

 

 ――お前の、お前の、お前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前のお前の……

 

 

 

 ――――そうだ、私の、せいだ。

 

 

 

「……うっ、ぐっ……」

 

 まるで呪いのように、全身に絡みついて来る自責の声。

 喉の奥からせり上がってくる酸っぱい感覚に、慌てて槍を棚に戻して両手で口元を抑え、必死に嚥下する。

 

「――っ、はぁっ、はあ……はぁ…………」

 

 しばらく蹲って堪えているうちに、ようやく落ち着いた吐き気。かぶりを振って、近くに見当たらない義妹を探そうと立ち上がる。

 

 

 

 ――結局……あの子の女の子としての尊厳が、眼前で千々に散らされるという取り返しのつかない事態になる寸前で、救いの手は訪れた。

 

 私とあの子の足元に現れた奇妙な陣に包まれて、私たち二人はこの世界……たまたま同じ物をプレイしていたからという理由で渋々一緒に遊んでいた、VRMMOの世界に居た。

 

 だけどそれ以来……私は、この槍を満足に振れていない。

 

 飛ばされる直前にあんな事が無ければ……私は今もまだ、こちらの世界でも独り善がりな正義感を振りかざし、怖いもの知らずにこの槍を振り回していたのだろうか。

 

 それとも、慢心の果てに、あの時みたいに守りたいと思う者まで巻き込んで……今度こそ救いは無く、碌でもない結末を迎えていたのかもしれない。

 

 

 

 幸いだったのは、レベルキャップ解放前の暇を持て余した数年間、暇つぶしに鍛えていたサブの制作スキルが、どういう原理かこちらでも有用だった事だ。

 昨夜、図面を引き型紙を取っていたのもそう。現実でそのような作業をした経験はもちろん無いけれど、こちらでは何をすれば良いのかが、まるで身体が理解しているようにできる。

 

 おかげで、途方に暮れていたところを助けてくれた、今では師と仰いでいるその人……と言っていいのか分からない種族だけれど……が、私の持つ防具製作スキルに目をつけ、工房兼住居であるこの家を借りる仲介をしてくれ、仕事もいくつか斡旋してくれた。

 

 こちらに来てから、すでに三カ月。

 

 初めは修繕や手直しばかりだったけれども、そのうち新規製作の依頼も来るようになり……今ではそこそこの評判を得て、妹と日々暮らして行くには充分な稼ぎを得ることが出来るようになっていた。

 

 

 

 だけど……私はどうやら勇気というものを、あの時に全て忘れて来たらしい。

 

 もう槍を取る事も、あの日跳ばされて来たこの『闘技諸島イスアーレス』から一歩も踏み出す事も、出来なくなっていた。

 

 

 

 

 

「うわ、眩し……」

 

 工房から外に出ると、すでに日はかなり高くなっており、強い陽光が目を刺す。どうやらかなり寝坊したらしい。

 

 義妹はすぐに見つかった。

 というのも、あの子は毎朝日課として、ボイストレーニングと歌の練習をしているから……風に乗って聞こえて来る歌声を辿って行くだけで良い。

 

 そうして少し歩くと、中心街のある島を見下ろす事ができる丘の上に、その少女は居た。

 

 儚げな雰囲気。

 物静かで淑やかな言動。

 背に天族の白い翼を持つその姿は、まるで本当の天使のよう。

 

 そんな、自分とは似ても似つかぬ、血の繋がらない妹の姿。

 

 その可憐な容姿はアバターだから……と言いたいが、あの子は義理の姉という身内贔屓な視点を差し引いても、元々がかなりの美少女だ。

 髪色を薄い赤色の混じった銀髪に変え、少し肌色を髪に合わせ修正した以外には、実はほとんどリアルから弄っていない。

 

 初めはその可愛らしさに嫉妬もしたけれど……部活や道場でバリバリ薙刀を振り回していた自分と、芸能人志望のあの子では、元から土俵が違うのだろうとすぐに諦めた。

 

 ただ、どこか遠くを見つめて歌い続けるその姿は、朝日に彩られて幻想的な雰囲気を醸し出しており……今にもふっと宙に消えてしまうのではないかと、そんな恐怖心が胸を過ぎった。

 

「あの」

 

 だからだろうか。もっと見ていたいという想いと裏腹に、そんなぶっきらぼうな声が口をついて出たのは。

 

「あ、お姉ちゃん、おはよ……」

「お腹空いたんだけど」

 

 パッと振り返って口を開きかけた義理の妹に、そんな言葉が口を付いて出る。

 

「あ……ごめんなさい、もう出来ているから、温め直しますね」

 

 こちらを振り返った時は喜色が浮かんでいたその顔が強張り、すぐに表情を曇らせて俯いてしまう。

 

 その様子にチクリと罪悪感が頭をもたげるが……だけど、今更どうやって姉の顔をすれば良いのかが、どうしても分からない。

 

 

 

 ――何で、この子はあんな事があったのに、こんな私に健気に付き従うのだろう。

 

 

 

 パタパタと家の方へ駆けていくその背中を見送って……はぁ、と溜息をついた。

 

「……またやっちゃった……本当、私は馬鹿だ」

 

 あの子は引っ込み思案なりに必死に歩み寄ろうとしてくれているというのに、なぜ自分はこうなのだろう。本当に、素直になれない自分が嫌になる。

 

 自己嫌悪に駆られながら、義妹を追って戻ろうとした――その時、遠くの空に華が咲いた。

 

「あれは……そうか、もうお祭りが始まるんだっけ」

 

 たしか、あの花火は迎え入れる来賓――各国の代表の入島を知らせる物。

 まだ本祭の開始には数日早い筈だけれど、どうやら気の早い王族様がもう辿り着いたらしい。

 

「……お祭り、か。折角だから、あの子も誘って見に行ってみようかな」

 

 いまだギクシャクし続けている義妹と、距離を縮める良い機会かもしれない。

 でも、どうやって誘おう……そんな事に今度は頭を悩ませながら、ふわりと朝餉の良い香りがしてきた家へと歩を進める。

 

 その足取りは……(ハレ)の日の始まりに当てられたのか、少しだけ、軽くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 





 ちょっと間話的な話でした。
 転送された者の中には、ゲームではなく現実世界から跳ばされた者が居たり、危険な場所に出て行けずに街で職を得てひっそり暮らしている者も居る……そんな中の二人。今章での重要人物でもあります。



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イスアーレスの休日①

 

 ――大闘華祭まで、あと五日。

 

 かなりの猶予をもってノールグラシエを発った私達を乗せた船は、三日ほどで目的地である闘技諸島イスアーレスへと到着しました。

 

 てっきり市街地のある本島の船着場へと向かうと思ったのですが……実際に船首を進めたのはその隣、大闘華祭の舞台である、島一つ丸々使用した巨大な闘技場の下。

 

 その闘技場の一角、海へ向け口を開けていたトンネルを潜ると……眼前に飛び込んで来たのは、まるで秘密基地みたいに秘されていた、広い船着場。

 吹き抜けとなったそこには、今はまだ私達の船しかありませんでしたが、もう数日もすれば招待客の船でいっぱいになるのだとか。

 

「すごい……こんな場所に入港するんですね」

「うむ。来賓専用の、宿泊施設へと直通の船着場だな。防犯上のため、一般には公開されていないらしい」

 

 そう解説してくれるアルフガルド陛下……陛下と呼ぶとしょんぼりしてしまいますので、以降は叔父様と呼びます……に、先に降りなさいと目でうながされました。

 係員の手を借りて、地面に敷かれた見るからに高級そうな真っ赤な絨毯へと、おそるおそる足を下ろす、と……

 

 

 

 ――ドォォォオン……

 

 

 

「ひゃっ!?」

「な、何だ!?」

 

 絨毯に足を着いた瞬間に至近……すぐ頭上でいくつも鳴り響いた爆発音に、思わず身を竦める。

 咄嗟に私を庇おうとしたらしい、すぐ後ろを付いてきていた兄様と二人抱き合うような形になった私達の頭上。恐る恐る吹き抜けとなっている天井から空を見上げると……そこにはいくつもの花火が、空を彩っていました。

 

「おっと、どうやらイリスリーアが一番乗りだったらしいな、はっはっは」

 

 豪快に笑いながら、タラップを降りて来る叔父様。

 

「大丈夫、これは最初にこの船着場に来賓を迎えた際に、来賓の受け入れが始まったという事を示すために放たれる花火です。そういう慣例なんですよ」

 

 そう耳打ちしてくれた、背後に付き従うレニィさん。

 見ると、叔父様は悪戯っぽい顔でこちらを見つめている。その横には、やれやれと頭を抱えているレオンハルト様。

 周囲の係員の人達も、何故か微笑ましいものを見守る生暖かい目でこちらを見ており……

 

「……謀りましたね叔父様!?」

「ははは、お前達二人はこうした行事は初めてだからな、最初の一歩は譲ってやるつもりだったのだよ」

 

 そう、むくれる私の頭をポンポンと軽く叩きながら降りてくる叔父様。それに続いて、同じ船に同乗していた皆も降りて来る。

 

 今回同行しているのは、まず陛下の連れて来た護衛の騎士や、身の回りを世話する侍従が数名。

 それ以外には、私達の主治医であるアイニさんと、側付きのレニィさん。

 私と兄様の友人として同行の許されたミリィさん。

 レオンハルト様の身の回りの世話役にと猛アピールの末にとうとう折れさせ、今は侍女の姿で彼の背後に控えているティティリアさん。

 

 それと……

 

「あー……やっと……陸か……」

 

 最後に、そう死にそうな声と顔色でフラフラと降りて来たのは、船旅による船酔いで完全にダウンしたレイジさんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まったくもう、叔父様ったら」

「はは……まぁ、随分と心配を掛けていたみたいだからね、嬉しいんだろう」

 

 出会ってからこっち、すっかり気のいい親戚のおじさんといった風情になってしまった陛下は、何かとあのようにこちらに構おうとします。

 

 ……実際に血縁のある親戚だと知った今では、少し複雑な気分ではあっても悪い気はしませんが、それはそれです。

 

「ほら、用事があって出てきたとはいえ、せっかくのお祭りなんだ。そうむくれていないで楽しもう?」

「……それもそうですね」

 

 今、私たち二人が居るのは、来賓用の宿泊施設も内部にある闘技場……の外、お祭りを目前にし俄に活気づいている、街へと続く道。

 せっかく街の中を散策する事ができるのですから、いつまでも臍を曲げていては勿体無いと、一つ深呼吸をして気分を切り替えます。

 

 

 

 お忍び中である今の格好は……私はまるで避暑地でお嬢様が着用しているようなひらひらした白いワンピースに、上から羽織った薄手のパーカー。

 兄様も腰に帯剣している以外はシャツにスラックスという、いつもと比べるとだいぶラフなもの。

 

 船から降りた私達は、流石というか物凄い豪華な……元の世界においてはテレビなどでしか見る事ができなかった最上級スイートルームのような、普通に宿泊したら果たしていくら掛かるのか想像もつかない部屋へと通されました。

 まずはその部屋に荷物を降ろし、あらかじめ目的があると皆に相談し外出許可を得ていた私と兄様は、すぐに街へと繰り出していましたが……

 

「しかし……これは、人が多いな」

「さ、流石に四年に一回のお祭りですね……」

 

 道を見渡す限りの人、人、人。

 その様子は、まだ両親の健在だった幼少時に住んでいた、日本の東京を思わせる人通りでした。

 

 一方で、街のあちこちに警邏中と思しき衛兵の方が立っており、治安の方はあまり悪くはなさそうなのが幸いです。

 

「レイジさんも来れたら良かったんですが……」

「ああ……まさかあんなに船に弱いとは……」

 

 そのレイジさんはというと、あの後完全に酔いでダウンしてしまい、ベッドに篭ってしまいました。後でアイニさんが薬を持っていくと言っていたので、大丈夫だとは思いますが……

 

「……そういえば、兄様と二人で街中を歩くのは、こちらに来て初めてですね」

「ああ、そういえば……そういう役目は全部玲史さんに譲っていたからなぁ」

「……え?」

「いや、何でもないよ。では、今日は一日私とデートしてくださいますか、お姫様?」

「はい、今日はエスコートよろしくお願いします、王子様?」

 

 そうおどけて手を差し出す兄様に澄まし顔で返答し、直後耐えきれずに二人でぷっと吹き出しながら、その手を取ります。

 

 最近は、レイジさん並みかそれ以上に思い詰めている節があった兄様なので……このお祭りの空気のためかリラックスした様子に内心安堵しながら、人で混み合う街を歩き始めました。

 

 

 

「しかし……凄い街だな。いや、市街地にはまだ入っていないのか」

「ここ、闘技場と街を繋ぐ橋なんですもんね……」

 

 のんびりと歩いている今の場所。

 一見すると街の大通りなのですが、実はここ、幅が数百メートル、長さが一キロメートル以上は優にあるという、本島と闘技場を繋ぐ大橋なのです。

 その両端にはまるで商店街のように店舗が立ち並び、今は観光客だけでなく、大闘華祭に参加するつもりらしき武器などを背負っている人達で賑わっていました。

 その人の流れの速さと多さに目を回しそうになっていると……

 

「なぁ、広場で氷菓子の屋台をやっているらしいぞ」

 

 不意に、すれ違った私より少し年下らしき少年達の会話が耳に入りました。

 

 耳聡く聞きつけたその言葉。氷菓子……そういえば、こちらの世界に来てからアイスクリームの類は食べていないです。

 今の季節は夏真っ盛り。日本のような蒸し暑さはないとはいえ、ノールグラシエと比べるとこのイスアーレスはかなり暑い。

 そのため、アイスクリームいいなぁ……と一度生まれてしまった欲求には抗い難く、後で寄って貰おうと思い、腰のポーチの中の重みを確かめる。

 

 

 

 大きな買い物をしようという予定もあり、相応の額は用意して来ました。

 

 当然ながらその全所持金がこの小さなポーチの中に入るわけもなく、中身はお祭りを楽しむ用に分けておいたもの。大金は、兄様の持つマジックバッグの中です……屋台などでいきなり金貨なんて出されても、お店の人が困るでしょうしね。

 

 ――これらの資金は、領民の治療にあたった謝礼としてレオンハルト様が用立ててくれたもの。

 

 本来、私クラス……はまず居ないそうですが、欠損の治癒が可能な程に強力な回復魔法を頼むには、『聖女』を抱えるアイレイン信仰の教団に多額のお布施が必要ならしいです。

 

 むしろお世話になっているのは私達だから、お金は貰えない……はじめはそう断っていました。

 

 しかし、もしローランド辺境伯領に行けば無料で治療してくれるなどという噂が流れでもしたら、それが下手をすると教団との軋轢となる可能性がある……そう怖いほどの真顔で懇々と説かれては断れませんでした。

 

 そして、今回に関してはそうも言っていられない程に資金が必要なため、結果私達が折れ、ありがたく使わせていただく事になり今に至ります。

 

 そんな事を思い出していると……

 

「イリス、ちょっとこの店に入って見よう」

「あ、はい」

 

 少し先で兄様が指した店……橋の中程にあるその店は、この辺りで一番大きそうな武具店。

 そこは、あらかじめ評判の良い店を聞いてきた際に、真っ先に名前の上がった店にでした。その店先で呼んでいる兄様に、慌てて追いつく。

 

 

 

 今回わざわざお忍びで街に出てきた理由……それは、破損した装備に代わる、新しい防具を仕立ててくれる人を探す事。

 

 それと、ゲーム時に知り合った、()()()()()()の居る場所を探す事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――店内を見て回り、一刻ほど。結論として、私達の望む物はここでは手に入りませんでした。

 

 店員も親切で店内の雰囲気も悪くなく、整然と並ぶ職人の手による数々の防具は見るからに高品質で、不満などがあるという訳ではないのです。

 

 ただ……

 

「ここなら……そう思ったが、やはり駄目だな。いや、決して腕が悪いという訳ではない、質は上等なものなんだが……」

「お眼鏡に叶う物は、ありませんでしたか?」

「ああ……前の鎧に匹敵する物は手に入る。そこは流石に闘技諸島といったところだが……」

 

 以前の鎧……あれは、転生でレベルダウンしたため転生前の装備に比べるとだいぶグレードを落とした、いわば繋ぎの装備でしたが……それは、あくまでもゲームの時の話。

 この世界においては、一般的には希少とされる素材を惜しみなく投入して製作した逸品であり、そうそう代用品が手に入るようなものではありません。

 

 にもかかわらず、ざっと私の素人目で見回した感じでも、それに匹敵すると思われる鎧は確かにある。

 それだけこの店は凄いのだと思います。ただ……今私達が求めている要求レベルが、もっと上なだけで。

 

「……前と一緒では、駄目なんだ」

「そう……ですね」

 

 苦々しく吐き出された兄様の言葉に、同じく忸怩たる思いで頷く。

 私達が欲しているのは、以前よりも上の……あの『死の蛇』にだって対抗できる装備。

 

「やはり、誰か職人を探してオーダーメイドで頼むか、あるいは……」

「どこかで見つけて来るか、ですね……」

 

 深い遺跡の奥に安置されていたり、伝説級のエネミーが守っていたりするプレイヤーの憧れ、過去に技術や魔法の粋を集めて作られた遺物(レリック)などのような物を。

 とはいえ、この世界でゲームの時のような大規模集団戦闘など望める訳もない。

 となると、やはり職人……それも、ミリィさんのようにスキルカンスト級のトップクラスな……を探さなければならない。

 

 ゲーム時のプレイヤー倉庫の中身があれば……そう思いはしますが、無いものは無いのだから仕方がありません。二人、はぁ……とため息をついた――その時、背後から、ドンッ、という強い衝撃。

 

「――きゃっ!?」

「危ない!」

 

 突然何者かにかなりの勢いでぶつかられ、よろけた所を兄様に抱きとめられました。

 

「っと、ごめんよ姉ちゃん!」

 

 そう言って走り去っていく、十代前半と思しき少年。

 

「大丈夫か?」

「えぇ、大丈夫。ありがとうございます」

「いや……それよりも今の少年……」

 

 その兄様の呟きに、ふと気がつく。

 

 ――あれ? どこかで見たような格好と声……?

 

 そう、訝しげに去っていく背中を眺めていると……

 

「そうか、あいつ……!」

 

 兄様が何かに気づいて動き出そうとした、その瞬間。

 

「……うわ!?」

 

 視線の先、その走り去ろうとする少年の体が不自然に宙を舞い、地面を転がりました……まるで、誰かに足を掛けられたように。

 

「ってぇな、何すん……ぅげぇ!?」

「何してんの、はこっちの台詞。お祭りの場でそんな事をされると、私達の評判に関わるのよ」

 

 そう言ってうつ伏せに倒れた少年の背中を踏みつけ、身動きを封じてしまったのは、艶のある長い黒髪をポニーテールにした長身の女性。

 ややきつめな印象はあるものの、和風美人という言葉の似合いそうな方でした。

 

 彼女が有無を言わさず少年の上着のポケットを探ると、そこから出てきたのはどこか見覚えのある硬貨袋。それを確認した彼女が、ようやく追いついた私達の方へと振り返りました。

 

「すまない、助かった!」

「いいよ、気にしないで。君、やられたね。腰のポーチ破けてない?」

「え……あ、本当です……」

 

 頭を下げて礼を言っている兄様に、ひらひらと手を振りながら硬貨袋を渡している彼女。

 その言葉に慌ててポーチを探ると……そこは、鋭利な刃物で断たれたような切れ口の穴が空いていました。という事は……スリ?

 

「やっぱりね……少し前、財布の在り処を探ったりしなかった?」

「あ……あぁ、た、確かにしました……!」

 

 つい先ほど、氷菓子の話を耳にした際にポーチの中身を探りました。思えば今彼女に踏みつけられ動きを封じられているその少年は、その時の少年と同一人物です。

 

「なら、その時に目が付けられたんだね。嬢ちゃんみたいなボーっとしていて育ちの良さそうな子は格好のカモだから、気をつけなよ」

「ぼ、ボーっとした……」

「……その通りだ、注意を怠っていた。ありがとう」

 

 突然ディスられ、しかも兄様も全くフォローしてくれない事にショックを受けましたが、実際にやられた以上文句も言えず、心の中で地面に「の」の字を書きます。

 

「さて、こいつはどうする? 特に何も無ければ私から衛兵に突き出しておくけど……」

「ま、待って! 衛兵は許してください、弟が腹を空かせて待っているん……ぎゃ!?」

 

 必死になって頼み込む少年に、無情にも更に強く圧を掛けてその背中を踏み込む彼女。

 その苛烈な行動に目を丸くしますが……その彼女はというと、心底呆れたと言うように口を開きました。

 

「はぁ……つまんない嘘吐くなよ、お前。ゲラルドのおやっさんとこの悪ガキだろ? もし何かやらかしたら遠慮なくふん縛ってくれって、おやっさんに頼まれてるんだよね」

「ぐっ……くっそ、親父の同業者かよ……!」

「おおかた祭りで遊ぶ金欲しさに観光客のお嬢さんを狙ったんだろうけど……まぁ、狙う相手を間違えたね」

 

 そう言って、私のほうを見て頭のあたりを指差して見せる彼女……走った際にパーカーのフードがはだけていたらしく、慌てて被り直す。

 

 ――どうする?

 

 そう問いかけて来る彼女の目、それは私達の事情や立場を理解しているらしき物でした。

 

 私達の今ここでの立場は、各国から招待された賓客です。

 すっかり観念したようで、がっくりと項垂れているこの少年は、知らなかったとはいえそんな私達の財布に手を出した事になります。

 たとえ少年だったとしても、然るべき場所に突き出せばしばらく……少なくともこの大闘華祭が終わるまでは、その身を拘束される――などという程度で済めばまだ温情ある措置でしょうか。

 

 ですが……その少年が可哀想だからという訳ではない、利己的な理由ではありますが……それでは私達も連れ戻されるでしょうし、今日は目的を達成できなくなります。なので……

 

「……わざわざ大事にするよりは、普通に衛兵の方にお任せしたいです。私達もまだ街でやりたい事がありますから」

 

 あとは、これに懲りてスリなんて辞めてくれるといいんですが……へたな相手に手を出して、もっと危ない事態に巻き込まれるような事になる前に。

 

「甘いなぁ……ま、君らがそれで良いならいいか。どうやら私の連れがもう衛兵を呼んできたみたいだからね。あとは任せて、そうだな……この先の広場にアイスクリームの屋台があるから、そこで落ち合いましょう」

「……そうだな、そうさせて貰う。すまないが後は任せた」

「あの、ありがとうございます、おかげで助かりました」

 

 そう礼を言い、この場を離れるように促す彼女のその好意に甘え、私達二人はそそくさとこの場を後にするのでした――……

 

 



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イスアーレスの休日②

 

 あの後、スリの少年の処遇を助けてくれた女性に任せ、人目を避けるように大橋を抜けて広場へと出た私達。

 そんな、大橋と隣接した広場にはあちこち屋台が立ち並び、大勢の人の喧騒で包まれていて、まだ本祭開始は数日先だというのに、すっかりとお祭りの様相を呈していました。

 

 

 

 そんな中、待ち合わせ場所に指定されたアイスクリームの屋台の脇にあった、空いているベンチに腰掛ける。

 そうして人心地ついてから、持ち歩いているソーイングセットを取り出して、破かれたポーチを応急処置で縫い合わせます。

 

「大丈夫? 代わろうか?」

「ん……大丈夫、綺麗に切られているから、私でもなんとかなりそうです」

 

 念のため端切れを当てて、丈夫さ優先で縫い合わせておきます。元々、座ってできるような作業は積極的に手伝っていたので、このくらいの作業であれば鼻歌交じりにこなせます。

 なので繕い物をしながらすぐ目の前、小気味の良いヘラの音が聞こえて来るアイスクリームの屋台をちらちらと眺めてみる。

 

 

 

 まだ昼にはだいぶ早い時間にもかかわらず、すでに小さな行列ができているその屋台。それは、不思議なアイスクリーム屋さんでした。

 

 どうやら魔導具で極低温に冷やしているらしい磨かれた石の上に、柔らかいクリームを流し込み、果実やクッキーなどをヘラで混ぜこんで薄く伸ばす。

 それがやがて冷えて固まったところにソースらしきものを垂らし、ヘラでこそぐことによってクルクルとロールした形に整えていき、カップへと詰めていく。

 最後にその上に果物やクリームを添えて、ようやく完成らしいです。

 

 そんな不思議なアイスクリームがみるみる仕上げられていく、その手際に見とれていましたが……

 

「……こういうの、()()()()にもあったな」

「え、そうなんですか?」

「うん、一回だけ、友達に連れられてこういうのを出す店に行った事がある。でも、こちらに全く同じものがあるんだな……」

「へぇ……どんな食感がするんです?」

「ああ、それは……」

 

 興味津々で尋ねる私に、兄様が説明しようとしたその時。

 

「っと、居た居た。おまたせ、他の荷物なんかは大丈夫だった?」

 

 私達が来た大橋の方向から、先程助けてくれた女性の声。

 そちらを見ると、先程の黒髪の女性が、もう一人の女の子と一緒にこちらへと歩いて来ていました。

 

「あ、はい、大丈夫です。どうもありがとうございました」

「なら良かった。あの悪ガキは、きちんと衛兵に任せて来たから……まぁ、数日は大人しくしているでしょ」

「すみません、何から何までお任せして……」

「気にしなくていいよ。元々、私達もあの悪ガキが何かやらかしたら頼むって言われていたからね」

 

 そう言ってパタパタと手を振り、気にしないように言ってくれる彼女ですが……不意に、その表情が真剣なものになりました。

 

「それで……あなた達、北大陸の姫様と、そのお兄さんの王子様よね?」

「……やっぱり、分かってしまいますか?」

「そりゃまぁ、あなた達は有名だしね。そっか、貴方達もこちらに来ていたのね」

「そういう君は、私達と同じプレイヤーだな?」

「ええ。私は桜花、お察しの通り『Worldgate Online』の元プレイヤーよ。そしてこっちが……ほら、あんたも挨拶してよ」

 

 そんな彼女……桜花さんの影に隠れるようにして佇んでいた、薄桃色の混じった銀髪の、白い翼を持つ天族の女の子。彼女がさっき衛兵を呼んできたという、桜花さんの連れなのでしょう。

 

 ざっと見た感じ、年の頃は中〜高校生くらいでしょうか。

 私よりも少し背が高いくらいの小柄な体型は華奢に見えますが……今は普通の街娘が着るようなロングスカートのワンピースですが、そんな服の上からでもわかるほどにスタイルが良いです。

 目立つのが嫌なのか、上から夏用の外套を羽織っていますが、しかし……そのフードの一枚下にちらっと見えた顔は……控えめに言って、儚げな雰囲気漂うものすごく可愛い女の子でした。そんな彼女が、口を開く。

 

「あの……こんにちは……」

 

 その控えめな声が聞こえてきた途端――周囲の空気が変わった気がしました。

 

 ――なんて、綺麗な声。

 

 一瞬、それが声と分からなかった程のその声。

 鈴の音を鳴らすような、というのはこのような感じでしょうか。涼やかに、軽やかに、聞く者の耳へと浸透してくるその声に、聴いているだけで思考が蕩けて来る感覚。

 

 そんな声に当てられて、ぽーっと呆けていると。

 

「あ、あの……大丈夫ですか?」

「……え? は、はい、大丈夫です!」

「……あぁ、すまない、少しぼーっとしていた」

「…………ごめんなさい、またやってしまったようで……ごめんなさい……」

 

 おずおずと掛けられた声に慌てて私達が返事をすると、かえって申し訳なさそうに頭を下げる彼女。

 

 その声は相変わらず綺麗ですが、今度は先程のような魅了されるようなことにはならず、普通に聞くことが出来ました。

 

 しかし、そんな彼女は目に涙まで浮かべ、ごめんなさい、ごめんなさいと頭を何度も下げています。

 

 ……明らかに、先程の声には何かの力が働いていたのだと感じました。

 

「やめな、そんなペコペコ頭下げるのは」

「あ、はい、ごめ……じゃなくて、えぇと……」

 

 若干厳しさのある桜花さんの言葉に、女の子は困ったように左右に視線を彷徨わせた後、結局何も言えずにぺこりと頭を下げ、その様子に桜花さんは頭を抱える。

 

「……はぁ、私が悪かった、紹介はこっちでやっとくから無理しなくていいよ」

「……ごめんなさい、お姉ちゃん」

 

 申し訳なさそうに謝る桜花さんに、さらに恐縮してしまうキルシェさん。

 

 この二人……なんだか、ぎこちない感じがします。

 お互いがお互いを気遣っている節はあります。どうにか歩み寄ろうとしている様子も見て取れます。

 しかし……まるでお互いがお互いを傷つけるのを恐れるかのように、ぱっと離れてしまう、そんな印象の二人……ハリネズミのジレンマ、という言葉を思い出しました。

 

「この子はキルシェ、私の……義理の妹よ。今はちょっと、クラスの能力を制御するのに苦戦中でね……練習中だから、あまり話さなくても許してあげて」

「は、はい、それは勿論ですが……」

 

 先程の、僅か一言で魅了されたような感覚がそうなのでしょうか。

 喋る、声を発するだけで周囲に影響を及ぼしてしまう能力を有するクラスには心当たりはありますが……これほど強力なものは聞いたことがありません。

 

「……それよりも! 私ら、君の財布を取り戻してあげた恩人だよねぇ?」

「……あの、お姉ちゃん……?」

 

 重くなってしまった空気を払うように、突然そんな事を言い出した桜花さんに、慌てて止めようとするキルシェさん……あぁ、なるほど。

 

「ああ、助けられたのは事実ですから、是非私達からもお礼をさせて欲しい」

「よしよし、話が早くて助かるね。大丈夫大丈夫、一割寄越せとか言わないから」

 

 桜花さんは、謝礼をしようと改めて硬貨袋を取り出した兄様を手で制し、屋台の方へ向け親指で指します。

 

「代わりに……奢ってくれればいいよ。それで恩の貸し借りは無し、どう?」

 

 そう、一つウィンクしながら提案してくる彼女からは、重い空気を払うと同時に、もう恩だなんだという話は終わりにしようという気遣いの色を感じ、私達二人、ふっと表情を緩めます。

 

「……ふっ、それならばお安い御用だ」

「はい、私も食べてみたかったので、是非一緒に食べましょう」

「お、言ってみる物ね……それじゃ、ありがたくご馳走になるわ」

 

 そう言って、私達の背中を押すようにして列の最後尾へと並ばせようとする桜花さん。

 

「もう……お姉ちゃんってば……」

 

 そう、困ったような視線を送っているキルシェさんですが……そんな彼女も、おそらく興味津々だったのでしょう。背中の羽を嬉しそうにパタパタしながらついて来ていたので、思わず吹き出してしまうのでした。

 

 

 

 

 

「ほら、チョコミントお待ち!」

「わぁ……可愛いですね、これ」

「はは、そんなお嬢ちゃん達も可愛いから、少しトッピングに色をつけといたぜ」

「あら……お上手ですね? でも、ありがとうございます」

 

 ふっと微笑み、軽く会釈してアイスとクリームがたっぷり盛られたカップを受け取る。

 

 私が頼んだチョコミントは、たっぷりのチョコチップがちりばめられたライトグリーンのロールアイスの上に、さらにたっぷりの生クリームとチョコレートソース、そして砕かれたクッキーが散っていて、見た目からもう楽しいと思える可愛らしさとなっていました。

 

 そんなカップ一杯に詰まったロールアイスの一本を、生クリームと共に一口、匙ですくって口に運ぶ。

 

 途端、爽やかなミントの香りがまず鼻腔を抜け、次に薄く層のようになったアイスクリームがさらりと溶け、口の中一杯にクリームの滑らかな感触が広がって……

 

「わ、わ……美味しい……!」

 

 それに、食感も面白いです。たまらずもう一口頬張って……ふと、疑問が頭を過ぎりました。

 

「あの、このような手の込んだ氷菓子は初めて目にしましたが、これは一体どのようにして思いついたのですか?」

「おっと、それは秘密……って言いたい所なんだがなあ」

 

 次の注文分のクリームを混ぜ終え、薄く伸ばしたそれが固まるのを待つ間、店員のおじさんが少しバツの悪そうな感じで話をしてくれます。

 

「これは、誰が考案したのかサッパリ分からないんだ」

「……分からない?」

「ああ。ある日突然、西にある通商連合の商人ギルド総本山の前に店が出来てな……目新しさで広まったと思ったら、あとはまぁあちこちに店舗だ屋台だと広まっていたんだよ」

 

 それも、元々同じ商いをしていた者達を次々と傘下に加えながら。実際このおじさんも、元は別の氷菓子を扱う店で仕事をしていたらしい。

 とはいえそれは決して無理強いではなく、給与や待遇も以前よりぐっと良くなっており、実際に商いをしている方々も納得のうえとのことです。

 

 そんな屋台のおじさんの話を聞いていると……

 

 

「……西じゃ、最近はそんな感じで色々新しい物が広まっているみたいだよ。なんでも、新しく商人ギルドの幹部になった新顔が相当な遣り手だって話だけど……」

 

 そう、桜花さんが補足を入れてくれました。

 それで不都合を被った訳でもなし、新しい商売が次々と生まれ市場が活性化しているそうで、商人の国である通商連合では概ね歓迎されているのだそうな。

 

「けど……なんかさ、このアイスクリームもそうだけど、元の世界にあったものに似た物が多い気がするんだよね」

 

 そう、しかめっ面で締める桜花さん。キルシェさんも同じ疑問を抱いているらしく、その後ろでコクコクと頷いています。

 

 ――もしかして、日本から来たプレイヤーが関与しているのでしょうか。

 

 ……そうして思案いる間に、他の皆の注文したアイスクリームも次々と完成してきました。

 

 桜花さんはバニラとチョコレートの二色、キルシェさんはストロベリー。こちらも、生クリームたっぷりです。

 

 そして、最後に受け取ってきた兄様は……

 

「お、あんたはバニラ一色なんだね」

 

 シンプルな白いロールアイスに、白色の……練乳を使用したソースとチョコレートソースが掛かった物。

 それを見た桜花さんがそう話しかけると、兄様は若干むすっとした感じで自分の分を食べ始めていました。

 あれは別に不機嫌な訳じゃないのです……ただちょっと、嗜好に煩いだけで。

 

「兄様は、アイスはいつもバニラしか食べないんですよねー?」

「別に、そういう訳じゃない。ただ、私はアイスクリームは口溶けや舌触りを楽しみたいから、余計なものは混ぜたくないだけだ」

 

 若干拗ねたようにそっぽを向き、また自分のカップから掬ったアイスクリームを頬張る。

 不機嫌そうに見えますが、今の兄様の食べるペースならば、どうやらこのアイスクリームは兄様のお眼鏡に適ったようです。その様子に苦笑しながら、一口分、スプーンに救ってその前へと差し出してみる。

 

「そう言わずにほら、たまには違う味も良いと思いますよ、私のも一口どうぞ?」

「……貰う」

 

 すると、素直に私の差し出した匙を口へと運ぶ。

 

「……どうですか?」

「…………うん、たまにはこういうのも悪くない」

「そっか、それは良かっ……ふぐっ!?」

「ふふん、お返しだ」

 

 突如仕返しとばかりに口の中へと放り込まれた冷たい塊。すぐに、濃いミルクの味とバニラエッセンスの香りが口いっぱいにふわりと広がる。

 

 ――だけど……一口の量が多いですよ……っ! きっと兄様のその身体には丁度いい量なんでしょうけど、この体の口は小さいんですからね!!

 

 くくくっ、と肩を震わせて笑っている兄様にそう視線で抗議しながら、口いっぱいに含んだ甘いアイスクリームをどうにか減らそうと四苦八苦していると……

 

「…………あんたら、兄妹仲いいねぇ」

 

 呆れたような声が桜花さんから掛かりました。

 見れば、彼女はまるで苦虫を噛みつぶしたような表情でこちらを見ています。

 

「なんだか、二人とも恋人みたい……」

「……そうか?」

「……そうですか?」

 

 こちらは何故か顔を真っ赤にしたキルシェさんの言葉に、別に兄妹ならこれくらい普通では……と、ふたり揃って首を傾げる。

 

「……普通、なのかな、お姉ちゃん……?」

「んな訳あるか。この二人がちょっとアレな感じに仲が良すぎるだけでしょ……」

 

 何だか呆れられているような雰囲気がします……そんなにおかしいでしょうか?

 家族ですし、こうしてシェアするくらい普通じゃないでしょうか……そう頭に疑問符を浮かべながら、また一口、今度は自分のアイスクリームを頬張るのでした。

 

「んっ、んっ……それであんたら、さっきあのでっかい店……『天衝堂』の前でなにやら苦い顔をしていたようだったけど、何かあったのかい?」

「あ、それは……ここで暮らしているのなら、教えて貰いたい事があるのですが……」

 

 実際に数ヶ月ここで過ごしている彼女達ならば、何か知っているかもしれない。なので、私達が今、強力な防具を探している事を二人に説明する。

 

「なるほど……あの店でも物足りない、ねぇ。あそこはこの街の商工会共同の直営店で、ここいらの腕利きの職人はほとんどが契約して納品しているから、それより上を探すのは相当骨が折れるわよ?」

 

 あとは、コスト度外視で一点ものを仕立ててもらうしかないよ、と締める桜花さん。

 やはり、というか……結局は、私達が先程出した結論通りでした。

 

「そっか……なら、まずは最初の予定通り()()()を探そうか」

「そうですね……彼なら、だれか良い人を紹介してくれるかもしれませんからね」

「……ん、誰か探しているの?」

「あ、はい。ゲーム時代にお世話になったNPCの鍛冶師なんですが、こちらの世界にも居ると聞いたので」

 

 この街に居ると教えてくれたヴァルターさんからも、紹介状はもらっていますので、絶対にどこかに居るはずなのですが……と悩んでいると。

 

「あー……」

「……ん? 何か知っているんですか?」

「知っているというか、まぁ、ねぇ。その……探している鍛冶師って、もっ…………の凄く、体が大きい人だったりしない?」

「え? ええ、それはもう、山のように大きな人ですが……」

「お姉ちゃん、それって……」

「ああ、だよね……その人なら、多分居る場所は知ってるよ」

「本当か!?」

「本当ですか!?」

 

 桜花さんの発言に、思わず詰め寄る私達。

 

「え、ええ。だけど、今はちょっと出かけてるかなぁ……昼下がりあたりまでには帰ってくると思うんだけど」

 

 数日はかかると思っていたのに、あっけなく転がり込んできた彼の情報。やけにその動向について詳細に知っている桜花さんに、疑問が湧いてきます。

 

「あの、あなたは一体……」

「えっと、あんたらが探しているその鍛冶師ね……」

 

 私達の食いつく勢いに引き気味だった彼女が、匙に掬ったままだったアイスを口に放り込んで飲み込み、気を取り直して口を開きます。

 

「……私の、お師匠様なのよ。一つ目巨人(サイクロプス)の刀鍛冶『ネフリム』……私は彼の弟子、みたいなものだよ」

 

 そう、気まずそうに頬を掻きながら言う桜花さん。

 

 街に出て、まだ一刻ほど。

 唐突に手に入った有力情報……というより、もう限りなくゴールに近い突然の出来事に、私と兄様は二人、かえって呆然とするのでした――……

 

 

 

 





・サイクロプス
ギリシャ神話に登場する、卓越した鍛冶技術を持つ単眼の巨人。ウラノスとガイアの間に生まれた子達。ヘパイストスの下で助手として働いていたとされる。キュクロプス、とも。



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似ている/似ていない二人

 

 私達が探している一つ目巨人の鍛冶師は、桜花さん達が居を構えているのと同じ島に工房を所有しているらしい。

 そのため、案内してくれるという彼女の言葉に甘え、街の郊外、その島へ渡る橋へと続く道を歩いているのだったが……

 

「それで、桜花さん。話とは?」

 

 話をしたい……そう言う彼女に誘われて、私たち二人はイリスをもう一人……キルシェさんに任せ、少し先行して歩いていた。

 

「えっと……参考までに聞いておきたくて。あんたたちが何で強くなりたいのかって。あ、別にあんた達を疑っているわけじゃないのよ? けど、一応ね」

「疑う……という事は、何かあったのか?」

「うん……その、ね」

 

 まだ少しとはいえ人通りがあるせいか、声を潜め、周囲を気にしながら語り始めた彼女。

 

「……これは、この街に居る別の元プレイヤーから聞いた話なんだけどね。なんでも、有力なプレイヤーを強引に勧誘して回っている集団が居るらしいの。勧誘されたっていう彼は、随分とキナ臭い匂いを感じたから断ったらしいけど、未だにしつこく声を掛けてくるらしいわ」

「なるほど……それほど遠くないうちに、そういう手合いも出てくるだろうなと思ってはいたけど……」

 

 自分達が居たのはあくまでも辺境の一地方であり、あまり元プレイヤーも居なかったためにそういう話は無かったが……人が集まる場所へ飛ばされたのであれば、そうした互助集団を作るという流れは当然だろう。

 

 ……自分達だって仲間を集めようとしているのだから、他人事ではないのだけれど。

 

「……もしそうなら、師匠を紹介するわけにはいかなかったんだけど……あんた達は心配ないかな、ごめんね」

「いや、教えてくれてありがとう、私達も気をつける」

「うん、なら良かった。まぁ、あのお姫様の様子を見れば、連中の仲間だって心配してなかったけど」

「はは、違いない」

 

 苦笑しつつ、同意する。

 それこそあの子の立場や知名度を用いれば、人を集めるのは容易だろう。

 しかし、あいにく本人にはそうした野心は見当たらず……どころか、その手段に気がついていない節すらある。

 

「……それで、私達が強い装備を求める理由だったな。話せば長くなるから、直接関係のある最近の話だけになるけれど……」

 

 そう前置きして、これまでの出来事をざっと説明する。

 

 あの『死の蛇』との、戦いとも呼べないような戦い。

 そこで思い知った無力と、いざ次に相見えた際に今のままでは駄目だという事。

 

「……そう、そんな事が……それで、強い装備を探しているんだ」

「ああ。もちろん装備だけじゃなく、私たち自身が強くならないといけないのは分かっているつもりだけれども……」

 

 どちらかを突き詰めるだけでは足りない。

 特に、今後もイリスを守っていくのであれば。

 

 世界で唯一の……あの、『死の蛇』を除外してだが……光翼族。しかも、その中でも御子姫と呼ばれる貴種。

 

 今は正式にノールグラシエ王家との血縁関係が認められている。主権国家の継承権を有している以上は、相当に手出しし難くなったに違いない。

 

 しかし、それでも狙ってくる者達は居るだろう。

 あるいは……そうした国家の枠組みを鼻で嗤うような何者かも居るかもしれない。

 

 そういった連中から今度こそ守り抜くためには、ありとあらゆる手段を模索しなければならないという予感があるのだ。

 

「……凄いね、あんた達は」

「……え?」

「その『死の蛇』だっけ……すごいヤバい奴だったんでしょう? あんた達は立ち向かって、それで……全く歯が立たなかったのよね?」

「そうだな……数か月、この世界で築いてきた自信や慢心。それを全てまとめて薙ぎ払われた思いだった」

 

 特に、イリスよりもレイジさんよりも、私は何もできなかった。

 初手で塵芥のように吹き飛ばされて、目覚めた時には既にすべてが終わった後のベッドの上だったあの悔しさは、今でも心の内に燻り続けている。

 

「なのに、あんたはまだ諦めてない、立ち上がろうとしている。私には……そんなことはできない。あんたらみたいな目に遭ったら、もう安全な場所から出たくないって思うよ?」

「いや……私達には優秀なヒーラーがいる分、まだ君や他のプレイヤーに比べ余裕があるだけで……」

「そうだとしても、怖くないの? 特にあんたなんてタンク職でしょう? 真っ先に死ぬかもしれないのよ?」

「それは……」

 

 ……当然、怖い。

 

 たとえ致命傷を負っていようとも、イリスが居れば治療してくれるだろう。

 しかし、即死してしまえばその加護は届かない。次は目を覚ます事はないかもしれない。

 

 だけど……それ以上に、障害に苦しむお兄ちゃんを見守ることが、そして眼前でイリスが傷付いていくのを眺める方が、ずっと怖かったように思う。

 

「そうかもしれない……だけど、それで次にまた同じような事があって、また守れなかったら……私は、その方が怖いんだ」

「……っ」

 

 私の言葉に、桜花さんが顔を歪めた。

 気の強い、サバサバした女の子だと思っていたけど、その表情はまるで泣き出すのを堪えているようなものに見えた。

 黙り込んで、黙々と歩き始めた彼女へなんと声をかけて良いか分からず……ただ数歩後ろを追従する。

 

 そうして数分……ようやく、彼女がその口を開いた。

 

「分からないよ……何で逃げないの? あんたは、何のためにそうまでして戦うの? 元の世界に帰るため?」

「……それ、は」

 

 そうだ、と普通に考えれば答えたはずの問いに、しかし私は咄嗟に答える事ができなかった。

 

 ……正直なところ、元の世界の事など言われるまで考えていなかった。

 

 元の世界に帰るため?

 本当にそうだろうか。いや、私は……

 

「……多分、私は元の世界に帰りたいとも、あまり思っていないんだ」

「……え?」

「レイジ……こっちに一緒に飛ばされたもう一人の仲間は、どうかな。あいつは向こうの世界に家族を残しているから、きっと心の片隅では帰りたいと思ってるんじゃないかな。イリスも、そんなレイジを向こうの世界に帰してやりたいと思っている節はあるように見える」

 

 そして、あの二人は戻るにしろ残るにしろ、きっと一緒に居たいと願っているのだろうと思う。

 もちろん一緒に居たいと願っているのは私も同じ。しかし私には一つ、二人と違う点がある。

 

「……だけど、私にはそういう執着は無い。両親も祖父母もとうに他界して、私にはイリス以外の家族は居ない。仲のいい友達や知り合いは……まあ数人くらいは顔が浮かぶけど、それだけの関係でしかない人しか思い浮かばない。我ながら薄情だと思うけどね」

「……なんか、ごめん」

「いや、気にしてはいないよ。私の方こそ元の世界へ戻りたいプレイヤーを裏切るみたいで何だけどね……私は、向こうの世界にはもうほとんど縁という物が残っていないから」

「……向こうの世界には? それじゃ、まるで……」

 

 彼女は何かを言いかけて、しかしすぐ気まずそうに口を閉じる。

 だが……何を言おうとしたかは、なんとなく解る。

 

 ――まるで、こちらの世界での縁はあるかのようだ、と

 

 実際、そうなのかもしれない。母がこちらの人間だと知ってしまって以降、もう、私達の居場所はこちらなのではないのかと、ふと考えてしまう事が増えてきている。

 

「さぁ、どうだろう……私に言えることは、イリスが帰りたいというのなら万難を排してでも連れて帰るつもりだし、そうでなければこちらに残る。いずれにせよ……私が生きている限り絶対に、イリスを一人にだけはしないつもりだ」

 

 そして、戦う理由なんてそれだけあれば十分……なんて、我ながら、相当に病んでいるなぁと苦笑する。

 

「……どうして、そこまであの子の事を?」

「ん……イリスの脚が悪いっていう話は、多分知っているよね?」

「う、うん、『姫様』は脚が悪いっていうのは、有名な話だったから」

「あれ……先天的な物じゃなくて、私のせいなんだよ」

 

 結局、どこまでいっても私の始まりの場所は、多くの物を失ったあの時なのだ。

 お兄ちゃんだった頃から、イリスはもう気にしないように言い続けているけれど、私にはどうしても気にせずには居られなかった。

 

「そのせいで沢山の苦労をしてきたのもずっと側で見てきたし、そのたびに大した事をしてあげられない自分に歯痒い思いもしてきた」

 

 そして、その度に私の心を苛むのだ――これは、お前のせいなんだぞ、と。

 

「だけど……今は違う、今の私には守る手段がある、それが嬉しいとも思うし……同時に、だからこそもう言い訳もできないって思うんだ」

「……言い訳?」

「ああ……()()()()()()()()()()()()()()()、ってね」

 

 だから、やれる事はやっておきたい。

 鍛錬もそう。今、強い装備を求めるのもそう。

 今度こそ、後悔しないために。

 

 

 

 語り終えると、痛いほどの沈黙がしばらく私達の間を流れていた。

 

「……はじめは私達は似ているなって思ったけど、やっぱり違うね、私達は」

 

 そんな気まずい空気の中で、ぽつりと語り始めた桜花さん。

 

「私は駄目だよ。また同じ事があったらと思うと、脚が竦んでもう一回立ち上がろうなんて思えない」

 

 訥々と、この世界に飛ばされる直前の出来事について語る彼女。

 

 元の世界では、とある事情からやさぐれており、不良だった事。

 突然家族になった義妹に、ずっと冷たく当たっていた事。

 

「嫌いだった訳じゃないの。あの子は可愛くて、優等生で、私と違って周りからも愛されていたすごく良い子で、立派な夢だってあって……私なんかと関わるべきじゃないって、そう思っていただけ」

 

 そこまで言って……まるで、溢れそうな胸の中の激情を吐き出すように、深く深く、ため息を吐く。

 

「……そう、思っていた筈だったのに」

「……え?」

「ううん、何でもない。それで……ずっと避けていたつもりだったんだけどね。どうやら私に恨みのある連中に目をつけられちゃったみたいで……」

 

 あの、こちらに飛ばされた日。

 男達に攫われた義妹が、彼女の眼前で暴行されそうになったその時……気がついたらこちらの世界へと飛ばされていた、と締めくくった。

 

「……そうか、そんな事が」

「その後遺症なのか、あの子は意識して抑えないと、ただ喋るだけでクラスの能力を発動してしまう。オンとオフの切り替えができなくなってしまった。今でもずっと練習しているのだけれど……」

 

 初めて声を聴いた時のあれの事だろう。

 自己防衛本能が、無意識に周囲に魅了の効果を発揮してしまうのだとか。

 

「私には……もう、どの面下げてあの子の姉だなんて言えばいいのか分からない、姉だなんて言う資格は無いのよ」

「でも君は、それでもあの子を守ろうとしたんだろう? だったら、やはり姉の資格が無いなんて事は……」

「違う!」

 

 突如激昂したその声に、思わず足を止め、振り返る。

 視線の先で彼女は、まるで瘧のように体を震わせ、頭を掻き毟るような尋常ではない様子を見せていた。

 

「違う、違うのよ! あの時乱暴されそうになっているあの子を前に、私が真っ先に思ったのは、違う……私は、あの時……っ!!」

 

 今度こそ、ポタリ、ポタリと涙を溢れさせた桜花さん。それ以上は、圧し殺すような慟哭によって、言葉になっていなかった。

 私は、ポケットからハンカチを取り出してそんな彼女に渡すと、落ち着くまでただ静かに横を歩く。

 

 

 

 ……そうしてしばらく歩いていると、ようやく落ち着いた彼女は、涙を拭って顔を上げた。

 

「……ごめん、聞かなかった事にして。多分、聞いたら私のことを軽蔑すると思うから」

「……分かった。ごめん、辛い事を話させて。だけど、その時に君がなんと考えてしまったとしても、私は君を軽蔑なんてしない……と思う」

「……え?」

「君はその事で、こうしてずっと苦しんでいるのだろう? だったら、それは一時の気の迷いだ、決して本心なんかじゃ無い……そう信じるよ」

「……何それ、ちょっと言ってて恥ずかしくない?」

 

 そう泣き笑いの表情のまま返事をして、それっきり、口を閉ざして黙々と歩き出した彼女。

 そのまま十分程無言で歩いた後……不意にぽつりと、口を開いた。

 

「……やっぱり、あんたは強いと思うよ」

「そうだろうか……?」

「うん。硬くて、鋭くて、強い。だけど……」

 

 口ごもる彼女。しかし、声を発さずに動いたその口は……

 

 ――たった一つの目的のために硬く鋭く鍛えた刃は、脆いのよ。

 

 そう、言われた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……なんだか、向こうは深刻な話をしているみたいですね」

 

 市街地を離れ、離島へと続く橋へと向かう途中の、のどかな街道。

 その道を私達よりも数百メートル先を行っている兄様と桜花さんの間に、重苦しい空気が立ち込め始めたのが私達の場所からでも見て取れます。

 

「……お姉ちゃん、一度思い込んだらとことん思い詰める質だから……」

「あはは……分かります……私の兄様も同じなので」

 

 もう何年も、怪我の事は気にしなくても良いと言っているのに、全く聞いてくれない頑固な綾芽の顔を思い出して、苦笑する。

 

 しかも、最近は『ソール』になった事で、さらにその強迫観念が増した気がします。

 正直に言うと、そうしてこちらの事を想ってくれるのが実は少し嬉しかったりするのだけれども……それはそれとして、少しは自分の事もちゃんと考えて欲しいという兄心もあるので複雑です。

 

 それにしても……

 

「広場ではてっきり仲が良くないと思っていたんですが、キルシェさんはお姉さんの事……好きなんですね?」

 

 私の問いに、白い顔を耳まで真っ赤に染めて頷くキルシェさん。

 

「うん……不良ぶっていたけど、実際に自分から悪い事なんて何もしていないし……私を遠ざけているのは分かっていたけど、それでも、困っているときはいつもどこからともなく現れては助けてくれていたんです……えっと、それとそれと……」

 

 ――あの、桜花さん? 妹さんを大事にしていたこと、全然本人に隠せていなかったみたいですよ?

 

 頬を染めて両手の指を絡め、恋する乙女のようにお姉ちゃん自慢を延々と続けるキルシェさんの様子に、内心で砂糖を吐きながら呟く。

 

「それで、それ、で……」

 

 嬉しそうに色々と語ってくれていたキルシェさんでしたが……やがて、沈んだ表情でトーンダウンしてしまいました。

 

「……どうか、なさいましたか?」

「うん……お姉ちゃんは覚えていなかったみたいだけど、親の再婚で家族になる前に、一度助けられてるんです。まだ中学生だった頃に、すこしタチの悪そうな高校生の男の子に囲まれて……」

 

 そんな時にたまたま声を聴きつけて助けてくれたのが、当時まだ部活少女だったという桜花さんだったたらしい。見知らぬ年下の少女を助けるために飛び込んだ彼女が、手にしていた袋に入ったままの長刀を振り回し、撃退してくれたのだ、と。

 しかしそれが原因となり、他校……それも実はスポーツの名門校の生徒だったらしい……の男子と喧嘩をしたという事を、レギュラー争いをしていた同じ部活の子に散々誇張した形で噂を広められてしまい、退部へ追い込まれてしまったのだと……後に家族として再会した後に聞いたのだそうです。

 

「私を助けてくれたことが、結果的に原因になって不良になってしまったんだと知って……ずっと謝りたかったんだけど、もうその時には避けられていて中々言えなくて……そうしているうちに、こんなことになってしまって」

「そうだったんですか……早く仲直りして、ちゃんと謝ることができると良いですね?」

「……う、うん、頑張る!」

 

 そう、胸元で両拳をくっと握るキルシェさん。どこか子犬を連想するその様子に、思わず頬が緩みます。

 

「それで……最初会った時に口数が少なかったのは、別に心的外傷がどうの、という訳ではないのですね?」

「……うん。ちょっと怖いのは確かだけど、生活に支障があるようなものじゃないんです。ただ、ちゃんと意識して話さないと、うっかり力を使ってしまうから……です」

 

 それも、初対面の人には顕著だけれど、慣れた相手に対しては大分マシなのだという。

 初めて会った時に比べるとすっかり口数が増えたその様子を見るに、どうやら私の事も受け入れてくれたらしいと嬉しく思います。

 

 しかし……声を媒介にした能力。それを可能とする職には、思い当たる節がありました。

 

吟遊詩人(バード)系列……ですか。三次転生職まで来た方、居たんですねぇ……」

「それ、純ヒーラーの姫様にだけは言われたくない、です」

「……ですよね」

 

 若干むくれた様子の彼女に、苦笑しながら返答します。

 ですが……バード系転生三次職というそれだけで、本当に驚く事なのでした。

 

 

 

 彼女が属していたというバード系列職、それは私達ヒーラー系列とはまた違う意味で、厳しい職でした。

 とはいえ、それは決して能力的に不遇という訳ではなく、使いこなせれば全職でも屈指の能力を発揮できるであろうスペックを持っている職ではあったのですが。

 

 ただし……重ねて言いますが、使()()()()()()()、です。

 

 

 

 私達魔法職が使用する魔法と言うのは、遥か昔、旧魔道文明期の後期に体系化されたという『力ある言葉』を複数の組み合わせて使用するもので、その文節が長くなればなるほど、強力な『力ある言葉』を組み合わせれば組み合わせるほど、その効力と消費魔力が増大していくものとなっています。

 

 その構成は……まず、詠唱開始のコマンドワード『セスト』。これを唱えることによって世界へと私達の意志と魔力が接続され、詠唱待機状態に入ります。

 

 続いて、魔法の形式の選択。これは職ごとに違っていて、私の場合は『シェスト(浄化)』がそれに該当します。

 

 そして次はその魔法の位階……言い換えれば、どれだけの魔力量を消費するかの大体の目安の選択です。これは『イン()』から、二次職では最大で『エレ(11)』まで存在していました。

 

 最後に、魔法ごとに定められた『力ある言葉』の羅列である詠唱を紡いでいく事で、ようやく魔法は発動する……という仕組みになっていくのです。

 

 

 

 ちなみに、私の光翼族の専用魔法はまた違う形式で扱っているのですが、それはこうしたきちんと系統だった物とは違う、祈りに似たようなものなので、私にもうまく説明はできません。

 

 そして……バード系列の使用する魔法――『呪歌』も、それに似た性質を有しているのです。

 他の魔法のように『力ある言葉』を組み合わせるのではなく、歌そのものに力を織り込んで紡ぐ魔法。

 その効果範囲や効果制御の細やかさは他種の魔法と比べて圧倒的に優れているのですが……一方で、同じ曲でも使用者ごとに効果が安定しないという欠点がありました。

 

 そこに関わってくるのは、音程の正確さや歌唱力……だけでなく、その歌に込められた感情までが関わってきていると言われました。

 ゲームのシステムに感情が関与するなどそんな馬鹿な……という声も多かったのですが、そうとしか説明できない現象が多々発生していたために否定もできなかったのです。

 

 当然、そのような職をまともに扱える者などそうそう居らず、使用者の資質に大きく左右されるうえに人前で歌うというハードルの高さも相俟って、プレイヤー人口も極々少数だったはずです。

 

 ただ……『呪歌』以外の()()()()()()、クラス能力を十全に使いこなせる者だけが使用できる()()()()もあって、ゲームやアニメなどの歌姫に憧れて足を踏み入れ、志半ばで散っていく人々は多かったんですけどね。

 

 

 

「……お姉ちゃんには、ちゃんと制御できるようになって自衛できるまで、周囲には秘密にしろって言われました」

「まぁ、そうでしょうね……私も心底、そうするべきだと思います。本当に。マジで。ええ」

「えっと、姫様……?」

 

 突然肩に強く手を乗せて力説する私に、あっけにとられているキルシェさんですが、私は桜花さんの言葉に全力で同意します。彼女がそう言うのは無理もないのです。

 その存在が明るみに出れば、間違いなく彼女は様々な者から狙われることとなるでしょう……それは、私自身が誰よりも身をもって思い知っています。

 

 何故ならば――バード系列は……使用には多々制約が有るものの、私達プリースト系列以外に唯一、()()()()()()()()()()()()()()()()()、なのですから。

 



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魔導甲冑

 

 あれから暫く四人で他愛もない話をしながら歩き、今はすでに日もだいぶ高くなった昼の時間帯。本島の隣にある島へ橋を渡って向かった私たちは、そこで……

 

「こちらの野菜類は、どうすれば良いですか?」

「それは……サラダにするから、洗って適当に千切ってくれればそれで……ドレッシングは、この前作ったのがまだあるから大丈夫」

 

 ……私とキルシェさん二人、彼女たちが暮らす住居のキッチンにて、昼食の支度をしているのでした。

 

 

 

 

 

 事の発端は、まだ桜花さんのお師匠様が帰ってくるのはだいぶ先で、昼食をどうしようかという話になった時でした。

 

「……それじゃ、話したいこともあるし、お師匠様が戻るまでまだ時間があるから、うちでお昼にしない?」

 

 そう提案した桜花さんの一声によって私たちは今、桜花さんとキルシェさんの住んでいるという町外れの工房へと来ています。

 

 兄様と桜花さんは到着するなり、話があると二人で工房へと入ってしまいました。

 一人リビングに取り残された私は、いたたまれなさからキッチンで調理しているキルシェさんの手伝いを申し出たのですが……

 

 

 

 

 

 

「キルシェさんは……こうした事に、とても手慣れていますよね?」

 

 私は先程のサラダ用の野菜は既に皿に盛りつけ終えて、今はカジキマグロに似た魚の切り身に片栗粉を打ちながら、テキパキと動いているキルシェさんの仕事ぶりを眺めています。

 

 先程までは海老の背腸を取っていたはずの彼女ですが、今は大蒜(にんにく)、トマトなどをそれぞれカットしています。その包丁の音は滞りなくリズミカルで、見る間に下ごしらえが完了していました。

 

「……子供の頃から母に仕込まれていましたから……それに、最近始めたばかりにしては姫様だって上手です」

「い……いえいえ、まだまだ勉強中です……」

 

 私の視線と言葉に、照れ臭そうにはにかむキルシェさん。

 そんな彼女に褒められて、なんだか私も照れ臭いです。

 

「……この辺りの料理は、元の世界の地中海あたりに近い……です」

「そうなのですか?」

「うん……ここの料理は、とにかくオリーブオイルとトマトと大蒜が一杯使われているんです」

 

 大蒜の良い香りの漂ってくる、お米を炒めてカットトマトとスープを流し込み火にかけた薄手の大鍋。

 その上に下処理の済んだ海老や貝などを乗せながら、彼女が言う。

 

「そういえば、この辺りは陽射しはありますが空気はカラッとしていて、大体元の世界でいう地中海あたりの気候に似ていますものね……実際に行った事はありませんけど」

「はい。島だから魚介も豊富。元の世界のレシピも応用できて、食べ物には困らなくて助かりました」

 

 彼女はそんな話をしながらも、別のフライパンで炒めていた玉葱に先程残しておいたカットトマトを投入し、いくつかの調味料と混ぜ合わせると、作業がひと段落したのかようやく動きを止めてこちらを向きます。

 

「……話は変わりますけど、大丈夫?  お姉ちゃんのお師匠様、結構仕事を受ける人を選ぶみたいですけれども……」

 

 心配そうなキルシェさんの声。

 腕利きの職人によくある例に違わず、私たちが会おうとしている彼も受ける仕事内容には煩く、基本的には一見さんお断りです。

 しかし抜かりはありません。それを踏まえて知り合いであるというヴァルターさんから、紹介状を一筆したためて貰ってきました。

 

「はい、知り合いから紹介状を預かって来たから、たぶん大丈――」

「私がちょこちょこと発散するのを手伝っていましたが……今、結構()()()()()()()……よ?」

「……うっ」

 

 彼女がボソッと呟いた言葉に、言葉に詰まる。

 思わず、熱したフライパンに粉を打ち終えた魚の切り身を投入していた手が止まります。

 

 ――せっかく考えないようにしていたのに。()()()()が、彼にはある事を……っ!

 

「姫様ならあの人も気にいるだろうし、私としても、す……っごく、ありがたいですけど、ね」

 

 何故か嬉しそうに、ニコニコ微笑んでいるキルシェさん。その様子はまるで……『やった、共に恥ずかしい思いをする道連れができた』そんな思いが、ありありと浮かんでいるように見える物でした。その笑顔を見た私は……

 

「……用事を思い出しました。一応目的も済んだので、あとは兄様に任せて私は先に宿に帰って……」

 

 彼女には悪いと思いましたが、包丁を置いて踵を返し、その場を後にしようと――した瞬間、まるで行動を予測されたように、ガッと肩が掴まれました。

 

 おそるおそる振り返ると、そこには普段の可憐な様子などどこかへと吹き飛んだ、完全に据わった目のキルシェさん。華奢な彼女の一体どこにこんな力が……そう思うほどの力で掴まれた肩が、まるでミシミシと悲鳴を上げている幻聴が聞こえます。

 

「……駄目、逃がしません」

「…………はい」

 

 鬼気迫る彼女の言葉に、私はがっくりと肩を落として観念するのでした。

 

 

 ああ、弟子を取るようなタイプの人では無かったはずでしょうに、なぜ桜花さんを弟子にしているのかと思いましたが……

 

 

 

 ――さてはあの人、私と似た系統の容姿(一部部位を除く)をしているキルシェさんに釣られて、ホイホイ弟子入りを許しましたね!?

 

 

 

 あの変態(ロリコン)サイクロプスったら、本当にもう……そう、内心で悪態を吐くのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……で、桜花さん。見せたいものというのは?」

「ああ……まだ師匠からは作ってもいいって許可は貰えていないんだけど……えぇと、どこに積んだったかな……」

 

 そう言いながら、桜花さんは棚の奥をごそごそと漁っていた。

 

 そうして暫く何かを探していたかと思うと、やがてその手に古めかしい、しかし堅牢な造りの細長い箱を手に取って戻って来る。

 彼女がいつのまにか手にした小さな鍵を、その箱に取り付けられた鍵穴に差し込むと、かちりと音がして、その蓋が開いた。

 

 中に入っていたのは……

 

「……設計図?」

 

 長さ一メートル程度の、巻物のように巻かれた紙。

 相当な長さがありそうなそれ。封を解いてわずかに広げられたそこに描かれていたのは、何かの設計図のようなもの。

 

「……いわゆる秘伝書、さ。私が、勉強用として好きに見ていいって師匠から言われた物の一つよ」

「……それは、私が見てもいいのか?」

「大丈夫よ、一目見ただけで暗記できるようなもんじゃないからね」

 

 そう桜花さんが若干どや顔交じりで言い、作業台へと広げた設計図。

 

 ……彼女が暗記は無理と言ったのも仕方ない。そこにはびっしりと、無数の注釈によって埋めつくされた一つの全身鎧の図が記載されていたのだから。

 

「何……だ、これは……?」

「どう、驚いた?」

「ああ……驚いたなんてもんじゃない。この鎧は……複数の素材による積層装甲に、質量保存のエンチャントを各所に用いた……変形機構、だと……? 何だ、この恐ろしく複雑だというのに洗練された設計は……」

「旧魔道文明期、一つ目巨人たちが編み出した冶金術と魔道具技術、それらを結集して作られた鎧……『アルゲースの魔導甲冑』っていうらしいよ」

 

 その彼女の言葉も、ろくに頭に入って来ない。

 ただ、呆然とこの設計図を食い入る様に見つめていた――いや、魅入られていたのかもしれない。

 

「これが、鍛冶の神の眷属とまで噂されるサイクロプスの技術……凄い、物理防御と魔法防御の両立、それに防具としての性能と、常時着用を可能にするオールタイムアーマーとしての機能性の極限の追求。こんな物があったなんて……」

「ふふ、どうやらお眼鏡に適ったみたいで良かったよ。これが、私があんたの探し物に提示できる最高の選択肢。そして……」

 

 そこで一度目を閉じて、一つ深呼吸する桜花さん。

 再び眼を開けた彼女の目は、真っ直ぐに私を射抜いていた。

 

「そして……たぶん私の全力、()()()()()()()()()()()()()私に制作できるかもしれない限界、最高の鎧だと思う」

「カンスト……? じゃあ、君は……」

「はは……師匠には、お前は迷いがある、それでは道を極めるなど不可能だー、って怒られてばかりだけどね」

 

 たはは、と困ったように頭を掻いている桜花さん。

 しかし、制作スキルカンストとはつまり……衣服と鎧という差はあれど……ミリアムと同クラスの生産職ということ。

 サイクロプスに見込まれ弟子入りした時点で相当な技術を持っているのだろうとは思ったが……とんでもない、彼女はおおよそ考え得る中で最上級の防具職人だ。

 

 まさかそんな逸材と偶然知り合えるとは……望外の幸運に唖然とする。

 

「もちろん、単純な性能じゃ、あんたの二次職の時のレベルカンスト装備を越えるものはできないよ? だけど……これなら、きっといい所まで迫れると思うんだ。どうかな?」

「あ、ああ……正直、これ以上の物は奇跡的な幸運でも無い限り、望めないだろう……な……」

 

 おそらく現状では入手不能であろう、伝説クラスのエネミー素材を途方もない量使用した、以前の防具はこの世界では手に入らない。

 

 だが、これならば……希少なレアメタルが大量に必要そうだが、なんとかなりそうだ。

 

 そして何よりも、彼女の存在が希少だった。

 私たちの探していたサイクロプスの刀匠ネフリムはあくまでも刀鍛冶であり、鎧に関しては門外漢だったはずだ。おそらく彼女以上の職人は、もうそうそう見つからないだろう。

 

「……私は、師匠からこれの制作許可をなんとしてでも貰う。あんたの鎧……私に作らせてくれない?」

「それは、願ったりだけど……桜花さん、何故そこまでしてくれる? 私たちにそこまで良くしてくれる理由など無いだろう?」

「うーん……何でだろうね、自分でもよくわからない。っと、善は急げ、今のうちに採寸してしまうから少しだけ動かないでね」

 

 そう言って私の手足や胴回り、様々な寸法をメジャーで測っては紙にメモしていく桜花さん。

 しばらく、静かな時間が流れ……

 

「……よし、採寸終わり。もう自由に動いていいよ」

 

 そう言ってメジャーを巻き取り片付けながら、彼女はポツリと呟く。

 

「……多分、あんたが羨ましかったからじゃないかな」

「羨ましい……?」

「あんた達は凄いよ。憧れそうなくらい。だから……そんなあんた達の力になれるなら、私ももう一度、立ち上がれる自信が持てるかもしれない……そう、なんとなく思ったんだよ。それに……」

「……それに?」

「あんたはあのお姫様のためだったら、自分の命を簡単に投げ出してしまいそうに思えたから……放っておけないよ。あ、もちろん防具職人としてだけどね」

 

 自分の発言に照れたのか、目を逸らし頰を掻きながらそう言う桜花さん。私は……思わずその手を取り、口を開いていた。

 

「……ありがとう、桜花さん。私は是非とも君にこの仕事を頼みたい……君に出逢えて、本当に良かった」

「ばっ……」

 

 思った事を素直に告げてみると、なぜか桜花さんが硬直した。首を傾げていると……

 

「馬鹿じゃないの、あんた!?」

 

 なぜか怒られた。

 

 一体どうしたことだろうと首を捻ったそんな時、ダイニングの方から皿を並べる音がカチャカチャと耳に届く。同時にふわりと鼻を突く、大蒜とオリーブオイルの良い香り……どうやら昼食ができたらしい。

 

「え、えっと……向こうも準備できたみたいだし、ほら行くよ! あの子の料理は美味しいから、冷めたら勿体ないからね!」

「あ、ああ……」

「それで、昼ご飯食べたら、師匠に制作許可くれるよう、ついでにたんまり蓄えてる中から材料を譲ってもらえるように交渉しに行くからね!」

 

 そうまくし立て、私を引き摺るようにダイニングへと戻る彼女。その横顔は何故か赤く染まっていたが――その表情からは少しだけ迷いが晴れ、元気が戻った様に見えた気がした。

 



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巨人の刀匠

 

 皆が揃った卓へと運ばれたのは、大きな平鍋のパエリアに、カジキマグロ……によく似た魚……のムニエルに玉ねぎとトマトたっぷりのソースを掛けた物、それと大きなボウルに盛られたシーザーサラダ。

 

 見た目にも彩り鮮やかで、加えて部屋中に立ち上るオリーブオイルと大蒜(にんにく)による良い香りに、お腹が空腹を訴えます。

 

「どうぞ……おかわりもいっぱいありますので、遠慮しないでね?」

 

 そう言いながら、甲斐甲斐しく皆にパエリアを取り分けてくれるキルシェさん。

 皆に皿が行き渡り、揃って「いただきます」をした後、辛抱たまらず具の海老と一緒にご飯を掬って口に運びます。

 

 ……しっかりと下処理された魚介は臭みも無く、ぷりぷりと心地よい食感と芳醇な旨味が口内に広がります。

 ちょうど良い加減に炊かれたご飯も魚介と野菜の旨味を良く吸って、一口ごとに混然一体となった味の奔流が襲い掛かって来て……

 

「……凄い、美味しいです!」

「そ、そうですか……?」

「ああ、是非とも後でレシピを教えて貰いたいくらいだ」

 

 兄様も、大絶賛していました。

 それを聞いたキルシェさんは、真っ赤になりながら、「それじゃ、メモ用紙を取って来ます」と、パタパタと自室へと入って行ってしまいました。

 その様子を見て、兄様が私の耳元で小声で話しかけて来ます。

 

「キルシェさんは、なんだか上機嫌だな?」

「ふふ、それは先程、兄様と桜花さんがしていた会話の声が大きかったからですね」

「ん? ああ、聞こえていたんだね」

 

 やや離れて座っている桜花さんを横目で確認すると、彼女は黙々と、自分の器によそわれたパエリアを口に運んでいます。ですが先程工房の方から聞こえてきた、慌てたような声。

 

 ――あの子の料理は美味しいから……

 

 その桜花さんが発した声が聞こえた途端に、キルシェさんに浮かんだとても嬉しそうな顔。

 それは、慕っている義姉に褒められた事への喜びが溢れんばかりで、おそらく尻尾が生えていたらぶんぶん振っていた事でしょう。

 

「……ほんの少しだけ、お互い素直になればいいんですけどねぇ」

「全くだ……けど、それはあの二人の問題だからな」

 

 そんな風に二人こっそりと話し、内心で、はぁ、と溜息をつくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後もつつがなく食事は進み、卓に並んだ料理が全て私達の胃の中に収まった後。

 食事を終えて案内されたのは、桜花さんの工房の裏手にある岩山を、ぐるりと回り込んだ先でした。

 

 人里離れた場所ながら、人々によって踏み固められたらしき道を進んでいくと、その山肌にぽっかりと空洞が口を開いていました。

 

「これは……洞窟ですか?」

「昔は大きな坑道だったらしいけどね。鉱石を掘り尽くして廃坑になっていたところを広げて、自分の住処にしたんだってさ」

 

 やる事が豪快だよね、と笑っている桜花さん。

 ですが、周囲は石材で補強され、所々魔導具の光が灯った坑内は明るく、換気が行き届いているのか息苦しさなども感じられません。

 そして太陽の光もほとんど差さないその洞穴内部は、カラッと涼しく、とても快適な環境でした。

 

 そんな中、ふと、外壁に掛けられた薄い真鍮製のプレートが目に飛び込んできます。

 

「……あ、こんな場所に、『ネフリム刀剣工房』って書いてありますけども……看板?」

 

 しかも、その看板には精緻な細工まで施されており、製作者の技術の高さがこれだけでも見て取れます……しばらく手入れしていないらしいため、土埃を被ったままでしたけれど。

 

「あー、それねー。師匠が言うには暇潰しに作ってみたらしいけど、こんな誰も通らない場所なんかに看板掲げても意味ないよねぇ」

「暇つぶしって……」

「ま、時間感覚が違うからね」

 

 肩をすくめ、やれやれと呟く桜花さん。

 なんせ向こうは何百年、何千年と生きると言われている巨人種です。そんな彼にとっては、これだけ手の込んだ看板も、ただの暇つぶしの工作なのでしょう。

 

 そんな事を考えながらもしばらく洞窟を進むと、やがて広い空間に出ました。

 

 その空間は広さもさる事ながら、中に設えられたあらゆるものが巨大でした。

 炉や金床を初めとした鍛冶道具をはじめ、棚も道具も明らかに人間が使用するには適していない大きさで、まるで自分が小人になってしまったかのように錯覚してしまう。

 そんな中、入口を潜ってすぐの場所に、人間相手のものと思しきカウンターが存在しているのが不思議でした。

 

「あ……こちらは、私が店番のお手伝いをさせて貰っています」

「あんまり客居ないんだけどねー、お眼鏡に叶う客じゃないとすぐお師匠が門前払いしちゃうから」

「は、はぁ……」

「それで……あなたのお師匠様は、まだ戻っていないのか? 見当たらないようだが……」

「んや、居るよ。多分……資材庫かな、こっちこっち」

 

 そう私達を先導する桜花さんに続いて、工房から繋がる巨大なドアの一つ……の右下にある、人間用と思しき小さなドアを潜ります。そこには……

 

「う、わぁ……」

「凄いな……金属の貯蔵庫みたいだが、何という量だ」

 

 はるか高く、十メートルを優に超えるような棚には、金属のインゴットらしきものが整然と並べられていました。

 しかも鉄だけではなく、様々な輝きを放ち、中にはただのインゴットでしかないにもかかわらず、強い魔力を感じさせるような物まで。

 

「鉄、金、銀、銅にミスリルも。おおよそ今でも入手可能な金属は網羅してあるって言ってたかな」

「へ、へぇ……」

 

 歩く中で不意に目の端を掠めた、複雑な波紋模様が入った金属……現代では製法が遺失したという物に似ている気がします……を横目で眺めながら返事をする。

 

 ……これだけでも、大変な財産なのではないでしょうか。

 

「あとは、見た目は銅みたいなのに、やたら魔力を感じる金属なんかもあってさ……試しに少し触らせて貰ったけど、引っ掻いても叩いても齧っても、全然傷つかないの」

「銅……ですか?」

「いや、師匠は違うって言ってたけど、教えてくれなかったんだよね。現物もすぐに取り上げられて、手の届かない場所に仕舞われちゃったし」

 

 それは齧ったからじゃないかな……そう思いつつ、同時に別の疑問も浮かび上がります。

 銅に似た……強い魔力を秘めた金属……それってまさか……

 

「……あ、あの、それってまさか、オリハル……わぷっ」

 

 疑問を口にしようとした途端、急に立ち止まった桜花さんの背中に追突してしまいました。

 

「……だ、大丈夫?」

「……らいじょうぶ、です」

 

 鼻を打ってしまい、痛みを堪えながら、心配そうに気遣ってくれるキルシェさんに返事を返します。

 

 ……何を言おうとしていたんでしたっけ?

 

 朧気に浮かんだ言葉が霧散してしまい、首を捻ります……何か重要な事だと思ったのですが、どうしても思い出せません。モヤモヤしたものは感じますが、しかし思い出せないならば仕方ないと気分を切り替えます。

 

「っと、ゴメンね。でもほら、あそこに師匠が居たよ」

 

 そう言って、一方を指差している桜花さん。その指し示す先には、おそらく立ち上がったら十メートルはありそうな巨体が座り込んでいました。こちらに背を向けているその巨大な影は、何かに集中しているためかこちらを振り向く素振りもありません。

 

「桜花さん、彼は一体何を?」

「ん……多分、今日採取してきた鉱石の精製中みたいだね」

「精製? 炉も無しにどうやって?」

「ま、見ていれば分かるよ、ほら」

 

 

 その胸のあたりに掲げた両手の間には、何か黒い鉱石らしき塊。

 それが次の瞬間、不意に黒い炎のような物に包まれて……やがて、ドロリと形を崩して真っ赤に溶け落ち、足元に置いていた砂の台のような物に流れていきました。

 

「……あれが、一つ目巨人(サイクロプス)にだけ秘伝として伝わる『黒炎』だよ。あれがあるから、師匠はどんな金属も自在に加工できるんだ」

「……文献で聴いたことくらいはあるが、あれがそうか」

 

 望む不純物を全て消し去り、極めて高い精度で金属を取り出す、太古の鍛冶の神が編み出したという魔法の炎……それが、彼らの使う黒炎。その炎を自在に操れるため、彼らは神々の子孫なのではないかと言われています。

 

「羨ましいよね……、私達がいかに良い金属を精製しても、あの人の冶金術には敵わないってんだから……さて!」

 

 一通り作業を終えたのを見届け、桜花さんが奥へと駆け足で向かっていくのを慌てて追いかけます。

 

「師匠ーっ! ねぇ、お師匠ー、しぃしょーっ!!」

『あん……?』

 

 桜花さんの声に、その巨体がのそりと立ち上がり、振り返ります。

 

 浅黒い肌に豊かな白髪と顎髭。知っている者でなければ恐れをなして逃げ出すであろう強面(こわもて)

 その顔の中央、種族の最大の特徴である単眼が、ぎょろりとこちらを捉えます。

 

 そして彼が口を開いた途端、その巨体に相応しい、まるで雷鳴のように腹の奥を震わせる重低音が、ここまでビリビリと聞こえてきた。

 

『なんだぁ、桜花じゃねぇか。祭りの日にまでこんな穴倉に来てねぇで、ちったぁ遊びに……む? そちらの方々は……』

「あ、こっちはお客さんで、師匠に頼みがあるからってんで連れて……」

「ど……どうも」

 

 軽くスカートの裾をつまみ膝を曲げ、頭を下げる。横では兄様も頭を下げています。

 そんな私達二人を、彼……私達の探し人、一つ目巨人のネフリム師が訝しげに覗き込む。

 

 少しの間そうしていると……彼はその大きな単眼を数度瞬きしたのち、厳つい強面を嬉しそうに崩しました。

 

『……お、おぉ……もしやそなた……イリス嬢ではないか!』

「あ、ど、どうも……お久しぶり……です?」

『うむ、うむ、よくぞ来てくれた、壮健なようでなによりだ。ようこそ小さなお嬢さん。我が工房へ』

 

 そう、やや気取った様子で歓迎の意を示す彼に、私達は安堵半分、疑問半分の心境のまま苦笑しました。

 

 安堵は、ヴァルターさんの紹介状を出すまでもなく、どうやら問題なく話を聞いてくれそうな事。

 

 疑問は……どうやらこちらの世界の彼も、ローランド辺境伯家の関係者などをはじめとする今まで出会った幾人かのように、何故か私達の間には面識があるらしい……それがはっきりとした為でした。

 



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刀匠との対談

 

 桜花さん達を工房に残し、商談用の部屋へと案内された私たち。

 対面の床に直に胡座をかいて座ったサイクロプスの鍛冶師……ネフリム師が、真っ先に口を開き話を切り出しました、

 

『それで、わざわざこのような異形の鍛冶師を訪ねて来たってぇ事は、やはり武器が要り用か?』

「はい。私の剣と、イリスの杖を打っていただきたくて参りました」

 

 ネフリム師の問いに、兄様が返答する。

 以前の『死の蛇』との戦闘の際に、『アルヴェンティア』という稀なる剣を有していたレイジさんを除き武器を失った私たち。

 今回彼を訪ねた最大の目的は、その失った武器の代わり……そして、より上等な装備を鍛えてもらう事です。

 

 その言葉に、ネフリム師は若干の渋い表情をした後、口を開きました。

 

『そうか……剣であればいくつか見繕ってやるのは構わねぇが、杖……魔導器の方は専門外だから間に合わせになるぞ?』

「はい、お願いできるのであれば」

「それに、間に合わせなどと、とんでもない。ネフリムさまの魔導器作成の技術は素晴らしいものです。その腕を見込んで、どうかお願いします」

 

 そう言って私が頭を下げると、彼は照れた様子で頬を掻いていましたが、どうやら満更でもないらしい様子でした。

 

 それに、私が言ったことは嘘ではありません。専門ではないとはいえ、彼の魔導器作成技術は武器製作のために研鑽を積んだものです。

 こと武器の形を取る魔導器作成に関してであれば、他に並ぶ者の居ない技術者だというのも……彼が制作しレイジさんが所有するあの『アルスレイ』の事もあって……私たちはよく知っているのですから。

 

 ……そう、あの魔剣についても、主目的の一つです。

 

「それともう一つ……いえ、二つですね」

 

 そう言って兄様のマジックバッグから取り出したのは、真っ黒い剣と、鞘に入ったままの白い大剣……レイジさんから預かって来た『アルスレイ』と、『アルヴェンティア』です。

 

『……これは……こっちの黒いほうは見覚えがあるな、これは我の作った魔剣か』

「はい……事情がありまして、今の私達はこの剣を打ってもらった時ほどの力がありません。そのためこの剣の力を十全に振るう事ができず……あなたの傑作、すでに完成形である品に手を加えろという失礼を承知でお願いしたい。少しでも使用時の負担を軽くできるように、リミッターを設けて欲しいのです」

 

 そう言って、膝に手をついて深く頭を下げる兄様。私もそれに倣い、(こうべ)を垂れます。

 

 それは、渾身の一振りをデチューンしろという、最高峰の職人に対してあまりにも失礼な要求。

 今この場で叩き出されてもおかしくないという覚悟で、二秒、三秒と沈黙だけが流れていく時間を固唾を呑んで耐えます。

 

 ……そうして、ようやく動きを見せたネフリム師の表情は……しょうがねぇなぁ、と苦笑じみたものでした。

 

『それは、まぁ……このシリーズは我もちぃとばかしやり過ぎてしまったかな、と思わなくもなかったから、構わんが……わざわざそんな手間ぁ掛けてまでして、わざわざ使う必要があるものなのか?』

 

 完全な状態の性能が未知数なアルヴェンティアはともかく、アルスレイに関しては……神に等しい力を持つ真なる竜を討伐し、その力を組み込んだ武器など、人の領域で暮らしていく上では完全にオーバースペックです。

 

 過剰な威力に、過剰な代償。それは文字通りの日常では不用な(ドラゴンスレイヤー)技術(スキル)

 

 しかし……

 

「はい……きっと、必要になります」

 

 訝しげな彼の言葉に、はっきりと告げる。

 それは、確信めいた予感。

 

『……ふむ? 何やら事情があるみてぇだな。で、こっちの白い剣の方は?』

「こちらは、純粋に修繕をお願いしたいのです。入手した際にはもう、破損していましたので」

 

 そう告げて、兄様がこちらに目線を送る。

 それに頷き、私とレイジさんにしか抜けないその白い剣を鞘から抜き、台の上に置きます。

 

『これは……この剣は!?』

 

 鞘から抜き放たれたアルヴェンティアを見た瞬間、ネフリム師が卓へと飛びつき、その刀身を大きな単眼で凝視していました。

 

『……これは、間違いない、伝承にあるセイブザクイーンが一本か……!? この剣を抜けるという事は、イリス嬢、お主はもしや……』

 

 呆然と呟く彼の声に、頷く。

 

 頼みごとをする彼に隠し事をするのは憚られ、実際に見てもらうべきだと思い、羽織っていたパーカーを脱いで背中に意識を集中させます。

 もうすっかりと慣れたもので、望んだ瞬間私の背中から光が生まれ翼を形作り、その余剰分が薄暗い洞窟内を眩く染め上げました。

 

 ……近頃、この翼の光がやや白味が増してきた気がします。

 

『おぉ……これは紛れもなく、伝承に残る光翼族の光……まさか、我が生きている間に目にする事があろうとはなぁ』

 

 興奮気味に私の姿を見つめていた彼は……しかしすぐにその目に憐れみの色を浮かべ、口を開きました。

 

『分かっているたぁ思うんだが……いつまでも、隠しおおせるものではないぞ?』

「……はい、分かっています」

 

 事実、まだ確たる証拠こそ出回っていませんが、最近、街での噂の中で、光翼族の話が囁かれている事が少しずつ増えて来ていました。

 

 たとえ実際に目撃した兵士達に箝口令を敷いても完全に情報をシャットアウトする事は難しいでしょうし、実際に異変を解決した事実がある以上は、その場で何かがあったという憶測は当然飛び交っていたはずなのですから。

 

『ならば、我からは何も言うまい。だが……正体を隠すか、あるいは露見してでも信念に従うか、その選択を迫られる覚悟はしておくように、な』

 

 そのネフリム師の言葉に、頷きます。

 今まで隠してこられたのは、偶然と幸運に恵まれたからであり、今後もそうであるとは限らないのだから。

 

『ふぅむ……事情は分かったが、しかし解せん。わざわざこの剣を修繕し、アルスレイをまともに使用できるようにリミッターを設けて欲しいなど……お主達、何を相手に戦おうってぇんだ?』

「それは……」

 

 ……私たちの今までの戦いを、彼に話して聞かせる。

 

 数度の『世界の傷』によって変質した怪物達。

 本来の生態とは異なる、おかしな動きが見られる魔物達。

 そしてなによりも、あの『死の蛇』との出来事。

 

 そうした物を話し進めるにつれて、彼の顔には真剣な色が深まっていきました。

 

『むぅ……各地で頻発する異常に、復活した『死の蛇』とな。お前さん達が大変な事に足突っ込んでしまってるってぇことは良くわかった、我の力が要るというのならば、力を貸そう』

「……よろしいのですか?」

『うむ、世界に何やら不穏な空気が立ち込め始めているってのは、我も薄々と感じてはおった。いくら偏屈な職人気質の連中ばかりな我らとて、世界の行く末に無関心という訳ではない。それに……』

 

 そこで一度言葉を切った彼は、優しく、気遣わしげな色を湛えてこちらを見た後、言葉を続けるます。

 

『頼み主が光翼族で、それを守護するのに力を貸して欲しいとあっては、断るなどできまいよ。できる限りの協力は惜しまぬつもりだ』

「で、ではこの件は……」

『ああ、任せてもらおう。この仕事、このネフリムがしかと引き受けた。いくつか足りぬ素材があるためその調達を頼むことになるが……』

 

 そう、巨大な体躯、厳つい顔にもかかわらず穏やかさすら感じさせる優しい笑みを浮かべ、力強く頷くネフリム師。その返答に、ここへ来た目的が無事達成できた私達も、ほっとひと息つきます。

 

『……それで、できれば、そう、できればで良いのだが』

 

 ……来た。

 

 予想は出来ていたため心の準備はしていましたが、流れが変わった事を察し、ビクッと肩が震えました。

 

『その礼にと言うのもなんだが……少しだけで構わねぇ、我の望みも叶えてくれんかのう……?』

 

 そう言った彼の顔は……今までの威厳などどこへやら。デレっとした様子で、だらしなく緩みきっているのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ。本当にあの人は、相変わらずですね」

 

 深くため息をつきながらワンピースの肩紐をずらすと、ぱさりと乾いた音を立てて床に落ちる。

 下着姿になった途端、外気に晒された薄い肌を洞窟内の涼しい空気が撫で回し、思わずぶるりと身体が震えました。

 

 頼みごとをする立場なのはこちらであり、その要件を快く引き受けてくれた返礼としては相当に容易い部類の要求ではあるので、彼の望みを叶えるのは(やぶさ)かではない。吝かではないのですが……

 

 

 

 ……今、私達が居るのは……無数の服、それも女児や少女物の衣装にあふれたファンシーなドレスルーム……信じがたい光景ではありますが、ここもネフリム師の工房の中にある一室なのです。

 

 

 

 ゲーム時、最初に彼の頼みごとを引き受けた時には、その『巨人の刀匠』という厳つい肩書から連想するにはあまりにギャップのある趣味嗜好に膝から崩れ落ちたものです。

 どうやらこちらでも変わらずだという事に、はたして安堵すればいいのか、あるいはまたも崩れ落ちればいいのか……いまひとつ分かりません。

 

「あの、姫様? いくら夏でもここは気温も低めですし、早く着替えないと冷えますよ?」

「分かっています、分かっているのですが……」

「大丈夫ですよ、あの方は、いやらしいことは絶対しませんから」

「ええ、それは分かっていますし、理解していますけどもぉ……」

 

 とはいえ、渋っていても先延ばしにできるわけでもなし。

 渋々と備え付けの椅子に腰掛け、選んできた服とセットになっていた、可愛らしいフリルとレースに彩られた少女物のガーターベルトとストッキングに脚を通し始めます。

 

 

 

 ……あのネフリム師は、重度の可愛い物、というよりも、可愛い少女好き(ロリコン)なのです。

 

 ただし、彼にとっての可愛い少女と言うのは、あくまでも見て愛でる物。その信念は正しく(YESロリータ)(・NOタッチ)です

 事実ゲーム内でも指一本触れられたことはありませんし、キルシェさんの話を聞く限りこちらの世界でもそれは変わらないようでした。

 

 が、それはそれ。ゲームの時はイベントでやや過激な格好をした時ですらまだ抵抗感は薄かったけれど、生身となった今では恥ずかしくてたまらないのです。

 

 ――彼は、あくまでも刀鍛冶。

 

 だというのに、己の職に関係無くただ好きなだけという一点で、有り余る器用さ(Dexterity)の暴力でもってこの場にズラリと並ぶ少女用の衣装を作り上げたその情熱と執念はいかばかりでしょうか。

 

 ……ここに、ミリィさんだけは連れてきてはならない。

 

 きっとロクなことにはならないという確信と共に、そう心に強く誓いました。

 

 

 

「……姫様は、『Worldgate Online』の時にお姉ちゃんのお師匠様に面識があるんですよね?』

「ええ、まあ。あの人は、レイジさん……えぇと、今日は来ていないもう一人の仲間の武器を作ってもらうクエストの、重要人物でしたから」

「ああ、宝石姫を守護する二人の『騎士様』の、もう片方ですね?」

「……その呼び名は改めて言われると恥ずかしいので、ちょっと……」

 

 ちなみにレイジさんは、私の渾名である宝石姫にちなみ、『紅玉髄(カーネリアン)の騎士』なんて呼ばれることもありました。そして、その名はレイジさんや私にとっては恥ずかしさでのたうち回るくらいの黒歴史です。

 

 そんなことを思い出してしまいげんなりとしている私を見て、キルシェさんはおかしそうにくすくすと笑っていました。

 

「……キルシェさんは、案外楽しそうですね」

「そうですか? んー……そうかもですね」

 

 さほど抵抗感もなさそうにフリルパニエとスカートを身につけ始めながら、彼女が苦笑します。

 

 ……というか、普通に一緒について来たものだからスルーしてしまいましたが。そもそも彼の頼みの対象は私一人なので、彼女が今ここに居るのは自主的なものなんですよね。

 

「将来夢が叶ったらこういう服を着たりもするかもしれませんし、予行練習と思えばあまり気にならない、ですかね」

「……歌手になりたがっていた、って聞きましたけれど」

 

 どちらかといえば物静かで奧手な印象のある彼女ですので、正直意外な夢ではあります。

 ですが桜花さんの話を聞く限り、それはふわっとした願望ではなく、真面目に目指している夢らしいです。

 

「うん……養成所なんかにも通わせてもらっていましたし、最近……ここ数か月は歌もトレーナーさんが吃驚するくらい上達して、もうちょっとで話がまとまっていたかもしれなかったんですよ、これでも」

 

 そう、照れながら笑うキルシェさん。

 だけど、その顔がすぐに翳ります。

 

「でも、そのせいでお姉ちゃんは罪悪感を感じてしまっているみたいで……お姉ちゃんは何も悪くない、どうしようもない事なんですけどね」

 

 それでも、恐怖心から自らの武器を持つことが出来なくなった桜花さんは、元の世界へと戻るために行動できない事を気に病んでいるように見えるのだと。

 

 そう言ったきりキルシェさんは黙り込んでしまい、気まずい沈黙が部屋を支配します。

 

 

 

 それにしても……ふと、自分の胸部をぺたぺたと触ってみて、続いて目の前で着替えの最中のキルシェさんのほうを眺める。

 

 ――何故、私が出逢う女性達は揃いも揃ってスタイルの良い方々ばかりなのでしょうかね……!?

 

 私の手に伝わる、片手ですっぽりと覆えてしまえる程度でしかない慎ましやかな膨らみの、辛うじて柔らかな感触。

 視線の先で着替えているキルシェさんの、今は惜しげもなく晒された肢体のある一点……小柄なはずなのに豊かに実っている、可愛らしい水色の下着に包まれたそこを、心の奥から湧き上がってくる負の感情を乗せて凝視します。

 

 時折サイズを確かめてくれているレニィさんは、これでも少しずつ育って来ていると言ってくれていますが……記憶にある母親の体型を思い出してみると、怪しいところです。

 

 この体の元となったアバターを作成したのは綾芽ですが、そのモデルは綾芽の記憶にある最も可憐な女性……母だったと聞いています。

 

 事実、私の容姿に残るその母の面影は姿見を見ているとよく分かるのですが、そんな母は二児の母とは思えぬほど、とても可愛らしくスレンダーな体型の女性でした。

 

 その遺伝子をこの体が受け継いでいる可能性がある以上、期待はできない気がします。

 

 後の望みはもう一人の母とも言うべきあの人ですが……まぁ、うん。記憶に朧げに残るあの人の姿から、そっと目を逸らします。

 

 ……やはり、大きなほうが好まれるのでしょうか。

 

 そういえば、以前うっかり見てしまった、玲史さんの部屋のベッドの下の引き出し……の下の隙間にあった()()()()()は、大きな女性が多かったなぁと、暗澹たる気持ちで考えます。

 

「……あの、姫様、なんでそんな絶望感に満ちた目でこっちを見ているんです……?」

「……あ、いえっ! なんでもありません、ええ!」

「なら良いんですが……いつまで下着姿でいるのもなんですし、早く着替えてしまいましょう……ね?」

「そ、そうですね……あはは……」

 

 何故かすっかり怯えてこちらを見ているキルシェさんに笑って誤魔化し、あらかじめ並ぶ衣装の中から選んで来た服を手に取ります。

 

 

 着る衣装は任せるという事だったので、私は遠慮なく最も露出の少なそうな衣装……黒いワンピースと白く清潔なエプロンで構成された、古式ゆかしいロングスカートのメイド服を選びました。

 

 コスプレのようで恥ずかしいことは恥ずかしいですが、露出はほぼ無いだけずっとマシです。

 

 立ち並んだ衣装の中には、精緻なレース編みで作られた、ほとんど透けている薄手のベビードールと下着のセットだとか、大事な場所を申し訳程度に毛皮で隠しているだけのデンジャラスでビーストな衣装だとか……しかも、小さな少女用のサイズなため犯罪臭が半端ありません……もありましたが、見なかった事にしました。

 

 あれを、今のアバターではない生身で着る勇気はありません。

 

 

 

 

 ――ちなみにキルシェさんが選んだのは、まるでどこかのお嬢様のような、精緻なフリルで彩られたロリータファッションでした。

 

「だって、ほら、たとえフリでも……本物のお姫様を従えて身の回りの世話をしてもらえる機会なんて、すごく貴重じゃないですか」

「……えっと、私は自意識が庶民なので、そんな大層なものでは無いですよ?」

 

 そう、屈託無く笑いながら言う彼女に、苦笑しながら返す。

 

 ……最初は清楚で儚げな女の子だと思いましたが、彼女、なかなかどうしてイイ性格をしている子だなと思うのでした。

 

 



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巨人族の伝承

 

【本文(180行)】

『うむ、うむ、やはり可憐な少女に着せる上で、下心が透けて見えるような丈の短い破廉恥なメイド服など邪道! 本来の作業着の目的に忠実、かつ慎ましやかで清楚なロング丈こそ至高よ……!』

「え、えぇと……喜んでいただけたのでしたら、良かったです……?」

『うむ、我、大歓喜である!』

 

 感激に涙すら浮かべんとする勢いで、彼……ネフリム師は、私の周囲を位置を変え角度を変えて、手にした機械……自作したというカメラのような魔導機のシャッターを鳴らし撮影を続けています。

 

 そんな彼に苦笑しながら、厨房から持ってきた茶器で紅茶を淹れる。ローランド滞在中に行われた様々な指導の中で、お茶を淹れる事に関してもみっちり仕込まれたので、こうした事には少しだけ自信があります。

 そんな所作もたいへんお気に召されたようで、お嬢様風なロリータ衣装を纏ったキルシェさんの前にお茶を出した時などは、少しそのままで、と何枚かツーショットを撮られたりもしました。

 あまりに嬉しそうにしてくれるので、つい、本職であるお城の使用人として働いている方々の動きを思い出しながら、写真映えが良くなるようにサービスなどもしてしまいました。

 

 ……ちょっと楽しいかも。

 

 自分の所作一つでこうも喜んでもらえていると、なんだかモデルになったような気分で、少し癖になりそうでした。

 

 そうしてお茶会を演じたり、お嬢様に扮したキルシェさんの髪を結ったりと、色々な主従の真似事をして……最後には少しだけ悪ノリしてしまい、抱き合って二人で少しだけ淫靡な……といっても、ボタン一つ二つ外した程度でしたが……ポーズを撮って撮影会は終わりました。

 

 ちなみ撮影後、ネフリム師は天を仰ぎその大きな目を手で覆って……

 

『……おおぉぉぉ』

 

 と呻き声を上げています。どうやら感極まってしまったみたいですが、これでおそらく頼みごとは達成で良いでしょう。

 

「ふぅ……恥ずかしかったです……」

「でも、姫様も後半は結構楽しんでいましたよね?」

「そ、そんな事は…………ある、かも、ですね……」

 

 撮影のためにノリノリで胸元付近まで外してしまったワンピースのボタンの事を思い出し、慌てて上まで閉め直しながら、悪戯っぽい表情でこちらに笑い掛けるキルシェさんになんとか返答します。

 

 そんな彼女も、僅かに火照った胸元がちらちらと覗く、かなり際どい場所まで外したボタンや、ホックとファスナーを緩めたスカートを直しながら……って。

 

 今更ながら、なんて事をしていたんでしょうね、私たち……!!

 

 撮影中の雰囲気に流されての悪ノリは、落ち着いた頃に反動として返ってくる。

 そんな苦い教訓を得て、このネフリム師の趣味への協力は終わりました……この日は。

 

 

 

 

 ――そうして後から襲ってきた羞恥心に悶えのたうち回るのも、どうにかひと段落して。

 

 ネフリム師用の特注のカップ……私が抱えるくらいの大きさですが、それでも彼が持つとまるでコーヒーのクリームの容れ物のようです……に紅茶を注ぐと、改めて真面目に相談をする雰囲気となりました。

 

『……魔導鎧を作る許可が欲しい、ね。ま、良かろう。やってみるといい』

「良いんですか、お師匠様!?」

 

 真っ先に発見したのは、桜花さん。

 兄様の鎧を作らせて欲しいという彼女の頼みは、あっさりと許可されました。

 

『ああ。今まで許可を出さなかったのは、お前は技術はあるがどこか真剣さが無かったからだ。そんな浮ついた奴に秘伝であるあれらを任せる気はさらさら無かったんだが……』

 

 そう言って、カップの中身を煽ってから、真っ直ぐに桜花さんの方を見て……その厳つい顔を、ふっと緩めました。

 

『ちったあ目に光が戻ったみてぇだから、及第点にしといてやる。材料は貸しにしてやるから、やってみろ』

「あ……ありがとうございます!」

 

 がばっと立ち上がり頭を下げる桜花さん。

 一つの懸案事項が問題なく片付いたことで、周囲の空気もホッと和らいだものになりました。

 

「……私からも一つ、ずっと聞いてみたかった事があるんです」

『ふむ?』

 

 そんな中、次に手を挙げたのは兄様でした。

 ネフリム師が話を聞く体勢になったのを確認し、すこし躊躇いを見せた後、口を開きます。

 

「……今から話す内容が、おかしな事であると言うのは承知の上です。ですが……あなたは、レイジにあの剣、アルスレイを打ったという記憶を間違いなく有していますよね?」

『勿論だ、あの設計は我のオリジナル、他の誰にも打つことなど……』

「それは、いつの事ですか?」

『……む?』

「私達は七年前に失踪し、行方知れずだったはずです。そして、他の方々の話を聞く限り、それ以前にはそもそも武器を必要とする状況とも無縁でした」

 

 ……これは、今までも何度か引っ掛かりを覚えていたこと。

 

 私達の存在の事もそう。そもそも本来、私達はこちらの世界には居ない筈なのです。

 ですが、こちらの世界では、私や兄様、それと今はここに居ないスカーさんなどのごく一部の人について、まるで当たり前のように元々この世界に居た事になっている。

 

 特に、彼……ネフリム師は、ゲームの時にNPCとして存在していたことで交流こそありましたが――いま兄様の告げたように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、のです。

 

「では……私達は、いったいいつ、どこで出会いましたか?」

『……ふぅむ……我とお主たち、いったいどこで出会ったか、か。それは……………ぬ、ぅ?』

 

 そんな兄様の問いに、ネフリム師は、何かを考え込むような仕草を見せ……すぐに、頭に疑問符を浮かべ始めました。

 

『……む? むむ? ……そう言われてみれば、確かに我らが出会っているはずが無いな……?』

「……ですが、あなたは私達の事を以前から知っている風でした」

『うむ。お主達に会った記憶、依頼された記憶、剣を打った記憶はある。不思議な話だが……たしかに会った事は無かった。しかし、たしかに会った事があるのだ。これはどういう事だ?』

 

 今更まであった人々にも、私たちの過去の記憶を有している人々はいました。

 ですが、今回のネフリム師の反応は、今まで会った人達の中で、初めてのもの。

 

『ぬぅ……さっぱりわからん。だが、合点がいった物もある。何故、本来であれば作れたはずがないものを作れたのか、と』

 

 そう言って、彼は指先でコンコンと、卓に置かれた『アルスレイ』の柄、核が収められている場所をつつきます。

 

『このアルスレイに用いられた竜眼の事だ。これに組み込まれているのは正真正銘、真なる竜の魔眼から採取した最高品質の物……そんなもんをどっかから狩って来てみろ、世界が騒然となるぞ』

 

 竜殺しなど、まずこの世界では物語の中でのみ語られる夢物語。

 事実、傭兵王が片目だけとはいえ持ち込んだ際は騒然となったからな……と、遠い目をして語るネフリム師。

 

『だが、何故か事実としてこれは存在する。どっかで真なる竜が狩られたなんて話は無いにもかかわらず、だ。ついでにこれが実在する以上は、我がこの剣を打ったのは妄想でもなんでも無い、事実ってぇわけだ……こっからは我の想像だが、構わねぇか?』

 

 そのネフリム師の言葉に、皆が頷きます。それを確認し、彼から発せられた言葉は……

 

『どっかで、書き換えられたんだろうよ、世界の歴史ってぇやつそのものが』

「いや……まさか、そんな……」

 

 流石に、兄様もそんな馬鹿な、という反応を返す。

 そしてそれは私も、たぶん唖然とした表情をしている桜花さんやキルシェさんも同様でしょう。

 

『って、言いてぇだろ?  だが、お主らヒトの間ではとっくに失伝したみてぇだが、我らみたいな長命な種族には伝わっている話があるんだよ、これが』

 

 まぁ、物語を聞くくらいのつもりで聞いてくれ……そう前置きして、ネフリム師が語り始めました。

 

『この世界が今の形となる以前、この世界はもっと広い世界であり、この世界はそこの一つの大陸でしかなかった、ってぇ話だ』

「大陸……ですか?」

『うむ、そしてその大陸全土を治めていた当時の国では、高度な魔法と、()()()()を用いる事によって文明が栄えていたのだそうな。硬く、しかし柔軟に伸びてさまざまな加工ができて、なんでも加工次第では光を蓄えたり重力を操ったりもできたとか何とか……それ自体が優秀な魔力炉、兼、魔力タンクになるなんてとんでもねぇ特性もあって、まぁ、我ら鍛冶に携わるような者には夢のような金属だわな』

 

 そう語る、ネフリム師。

 たしかに信じがたい金属ですが、この話を聞いて、私は思いました。

 

 ……やはり似ている。私達が元いた世界の伝承の中にだけある、()()()()()に、と。

 

「それは、実際のものなのですか?」

『ある。ちぃっとばかりだが、実物も我は有しておる』

 

 ふふんと、自慢げな顔で胸を張るネフリム師ですが、すぐに真剣な顔へと戻り続きを語り始める。

 

『……だが、その国は貪欲に文明を発展させ、最終的に触れちゃいけねぇ世界の真理の扉を開いちまったって話だ。あらゆる生命の魂の記憶が集まり、世界の情報が記され、過去や未来に至る運命が編纂され記録される、全知へと至る場所……』

「……集合的無意識、アカシック・レコード?」

『我ら巨人族の間では、アーカーシャと呼ばれておる。その国の文明はついにそれに接触し、操れるまでになった』

「それは……そんな事が?」

 

 兄様の訝しげな言葉。

 それが可能ならば、無いはずの物を『ある』事にするなど、容易くできるでしょう。

 ですがそれは、世界を好き勝手に歪める行為です。その歪みを修正するのに、果たしてどれだけの代償が必要か、想像もつきません。

 

 ……と、思ったのですが。

 

『別に、今だって我らが使っている魔法だって似たようなもんだろ。世界を書き換えて自分の好きなように操ってるって点では』

「た、確かに……規模は全然違いそうですが、言われてみれば……」

 

 確かに、見方を変えれば、私たちは普段から何気なく似たような事をしていました。であれば、そうした技術が極まれば、不可能な事では無いのかもしれない。

 

『欲しいものはなんでも手に入る。死も恐れるものではなくなり、あくせく働く必要も無くなった。そうして、全知全能に手を掛けた彼らは更に急速に栄華を極め……』

「ですが、そのようなもの、人の手には……」

『ま、当然だわな。そんなもん、人どころか我ら物質界に生きている連中には手に余る物だ。めでたく禁忌に触れた文明はしばらく栄華を堪能したのちに、ある時一夜にして滅亡。同時にこの世界は元の世界から隔絶され、残った者たちは罪を背負い生きる事になりました……って締められて終わりだ』

 

 ……私たちの世界の、例えばバベルの塔の話などに見られるように、高度に発達した文明がある時不意に消滅する、という話は神話などでは良くある話です。

 

 しかし、これは……この話は、視点が知っているものと違うけれど、()()()()()()()()

 

『とまぁ、我が知っているのはこの程度だ。どうしても、我らは自分の興味ある分野の知識に偏っちまうからなぁ』

「いいえ、とても興味深いお話でした。ありがとうございます」

『あとは……ずっと生きている爺さんが居れば、もっと詳しく知っているだろうよ』

 

 それは、心当たりがあります。以前、今後の指針の助けにとブランシェ様に聞いた……

 

「北に住んでいるという、エルダードラゴン……ですか?」

『おお、そいつだ。ま、興味あるなら訪ねてみるといいんじゃねぇか?』

 

 私の言葉に、ネフリム師が、我が意を得たりと頷きます。

 

 ……やはり、この大闘華祭が終わったら、次の目的地は王都、そしてそのエルダードラゴンの元へ向かうべきですね。

 

 そう今後の道程を頭の中で組み立てます。

 幸い、今は陛下たちと行動を共にしています。上手くいけば王都へ帰還する際に便乗させてもらえるでしょうから。

 

 そんな皮算用をつけていると、次に口を開いたのは桜花さん。

 

「ねぇ、お師匠。その文明で使用されていた金属って、以前見せてもらったあのクッソ硬い銅みたいな色のやつ?」

『……ああ、そうだ。だがあれは使わせねぇぞ、あれしか無いのもあるが、それ以上に軽々しく利用して良いようなもんじゃねえ』

「分かってるよ! ただ、気になっている事があっただけだって」

 

 その言葉に、私も思うところがありました。

 隣をちらっと見ると、兄様も同様らしく眉を顰めており、どうやらこうした話には詳しくないらしいキルシェさんが一人、不思議そうな顔を浮かべていました。

 

 一夜にして世界から隔絶された大陸。

 そこで栄えていた文明で使用されていた、力ある金属。

 

 これは、私たちの世界にもある()()()()()()()()に、酷似している、と――……

 



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事件

 

『では、頼まれた剣の改良案は、明日までに用意しとおく。時間があればまた来い』

「ありがとうございます。明日は、レイジさんも連れて来ますね」

『おう、あの若造か。そいつは楽しみだ』

 

 そう言って、和かに見送ってくれるネフリム師。なんでも、一端の剣士と刀剣について語るのが好きなのだそうな。

 

「鎧の方も、この後製作に入るからね」

「すみません……お祭りの時に大変なことを頼んで」

「いいのいいの、これは私の為でもあるんだから」

 

 隣で同じように見送ってくれている桜花さんが、兄様と談笑していました。

 

「それよりも……あんたらも、街中ではもう少し気をつけなさいよ?」

 

 そんな中……ふと、真面目な顔に戻って口を開いた彼女。その目が、真剣な色を帯びて私の方へと向きました。

 

「これは、こっちで知り合った奴に聞いたんだけど……元プレイヤーに声を掛けまくっている集団ってのはどうも、何らかの有名な奴に積極的に付き纏っているらしいからね」

「うん……特に姫様は居ると分かれば間違いなく対象になるから気をつけて」

「……そうですね、気をつけます」

 

 桜花さんが告げた内容に、キルシェさんが追加で釘を刺してくる。

 そんな二人に苦笑しながらも、素直に警告を受け取って、工房のある洞窟を後にしました。

 

「すんなり事が進んで、良かったですね?」

「ああ、正直もう数日は掛かると思っていたからな……あまり長い滞在する訳じゃなかったから、本当に助かった。仲介してくれたあの二人に感謝だな」

「ええ、本当に……」

 

 この街に居るのは、せいぜい二週間くらいでしょう。場合によっては後でまた来訪しなければならないかもしれないと覚悟していましたので、初日から依頼が完了できたのは本当に助かりました。

 

 レイジさんが一緒に来れなかったのは残念でしたが、街へと繰り出して正解だった……そう考えて、ふと思い出した。

 

「……そういえば、レイジさんの方はどうなったんでしょうね」

「まぁ、あまり心配しなくともただの船酔いだし、薬飲んで少しは良くなったんじゃないか? あるいはもう元気になって出歩いているかもね」

「そうだと良いのですが……」

「何にせよ、有益な情報も手に入って出だしは上々、幸先の良いスタートって所だね」

「ええ……このまま、何事も無ければ良いのですけども」

 

 夕刻も近づいて来て、ますます人の賑わいが増し始めた市街地の方を見て、そう何となしに呟いくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「うえ……まだ地面が揺れてる気がするぜ……」

 

 アイニさんがくれた薬を飲んだら、気持ち悪いのは大分和らいだ。なので、まだ若干足元がふらつくのを押して、街へと出てきたのだが……

 

「まぁ、やっぱり合流は無理があったか……あいつら、一体どこまで行ったんだ?」

 

 すでに本島はあらかた一巡りし、立ち寄りそうな店の中もチラッと覗いてみたが、結局見つからなかった。

 

 目立つ二人だからと軽く考えていたが……どうやら見込みが甘かったようだと、建ち並ぶ屋台と人の波を眺めて深くため息をついた。

 

 ……と、その時、聞き捨てならない音が耳に飛び込んで来た。

 

「今のは、悲鳴……か?」

 

 遠くから微かに聞こえてきた、絹を裂くような声。すぐに、その方向がザワザワと騒がしくなってきた。

 どうにも、只事ではなさそうだ。二人が巻きこまれていないと良いんだが.……そんな不安に駆られながら、騒ぎの方へと踵を返した。

 

 

 

 中央広場から少し外れたの酒場の前。騒ぎの中心だと思われた場所へ来ると、すでに周囲には一重二重と野次馬が集まっていた。

 

「なぁ、何があった?」

 

 手近に居た野次馬達に尋ねてみる。

 

「刃傷沙汰だよ、なんでも刺されたらしい。

「闘技場目当てで荒っぽい奴らが多い島だから、これくらい日常茶飯事さ」

「とはいえ、こんな厳重な警備だから大丈夫だと思ったんだが、おっかないねぇ」

 

 怖いと言いながら、どこか他人事の感があるその住人達。

 その言葉に、怪我人が出ているんだろうが、と心の中で悪態をつきながら、気になって人の輪の中心へと掻き分けていく。

 

 倒れ込んでいたのは、まだ若い……おそらく自分と同年代らしき青年。

 その傍には半ばあたりまで血に濡れた短刀が打ち捨てられている。青年の腰の後ろあたりが真っ赤に染まっているということは、そこに短刀が刺さっていたのだろう。

 

 また、その青年の顔は蒼白で、泡を吹いて痙攣しているようだった。

 その様子が明らかに普通ではなく、駆け寄ろうとするが……人混みを抜けてたどり着いたそこでは既に衛兵が怪我人の応急処置に当たっており、最寄りの教会に運び込むための指示を出している。

 

 このイスアーレスは闘技場がある関係で、治療院でもある教会が多数あり、治癒術師も常に詰めている。

 事前に聞いた話によれば、なんでもこの時期は教団の『聖女』とやらも数名派遣されているらしく、ならば任せておけば大丈夫だろう。

 

 ホッと一息ついた、その時……

 

 

 

 ――あれ、闘技大会の参加者だよな?

 

 ――ああ、受け付けで……いや、一般試合で見た気がするぞ。

 

 ――確か、最近の試合でちょっと活躍していた人じゃない?

 

 

 周囲のざわめきの中から聞こえてきた声。

 

 大闘華祭が行われていない時期は、見世物として闘技試合が開かれていると聞いていたが、どうやら刺された男は現在売り出し中の選手だったらしい。

 

 確かに、倒れている男は鎧こそ着ていないが、自分と同じように鎧下を着込み、それなりに使い込まれているらしい剣を帯剣もしている。

 

 剣も腰のポーチも見た感じそのままで、物取りという風情でもない。

 闘技大会参加者という事はある程度腕に自信があるだろう。それを、往来で誰にも見咎められる事なく背後から刺す……?

 

 そんな疑問が頭を過ぎった時。

 

 

 

 ――それに気が付いたのは、偶然だった。

 

 

 

 野次馬の輪の最も外縁部。

 なんて事はない、地味で痩せぎすな中年男性だ。服装からすると、ただの一般市民に見える。

 

 それが……この状況の中、ふっと凄惨な現場から目を逸らし、人のいない方角へと歩き出した。

 

 

 

 ――まるで、自分の仕事が済んだのを確認し、立ち去るように。

 

 

 

「……あいつ……っ!?」

 

 これは、ただの直感だ。

 だが、確信に近いものを感じた……あいつが犯人だ、と。

 

「悪い、ちょっとどいてくれ!」

 

 重なる人垣を掻き分けて、その背中を追う。

 視線の先、男は街の中心から逃げるように、早歩きで曲がり角の先に消えていった。

 

「野郎、逃すか……っ!」

 

 本来、これは自分と無関係な青年が刺されただけであり、犯人を取っ捕まえるのは自分の仕事ではない、衛兵達に任せればいい筈だった。

 

 だが、逃げていく男から……その纏った雰囲気から、何かとても癪に触る物を感じたのだ。

 それは以前、どこかで関わった事があるような匂いを発している気がする。そしてそれは、自分達にとても良くないものだった気がすると。

 

 その何かに突き動かされ、駆ける速度を上げる。

 

 そうしていくつか曲がり角を曲がったあたりで、向こうのペースが上がった。おそらく追っている自分に気がついたのだろう。

 ならばもうコソコソと尾行する必要はなく、あとは脚力勝負。ならば、自分の得意分野だ。

 

 ……なら、絶対に逃がさねぇ!

 

 そう前を走る男を睨みつけ、勢い良く石畳を蹴って全力で駆け出した。

 

 

 ◇

 

 ――この瞬間、レイジの頭からは一瞬、下手人と思われる者を追いかけること以外が頭から吹き飛んでいた。

 

 そのため、偶々その空隙の時間、怪しい男を追うその姿を見られており……その後を尾けられていた事に、この時は気付くことが出来なかった――……

 

 ◇

 

 

 

 

 

 いくつか曲がり角を抜け、しばらく追走し……やがて、海に面した島の外縁部、別の島へと続く大橋の下で、逃げていた男は壁に腕をついてへたり込み、荒い呼吸をついていた。

 

 長く走ったせいでバテたのか……いや。

 

「おい、お前、さっき、事件現場から逃げたよな。悪いが俺と来てもら……」

 

 そう、声をかけて手を伸ばした瞬間――首筋にチリっとした悪寒を感じ、咄嗟に飛び退った。

 

「……シャァアッ!」

「ちぃ……このっ!?」

 

 突然振り返った男の、その振り抜かれた手に光る短刀を、紙一重……いや、かなりの余裕を見て大きく躱す。

 続けて間髪を容れずに、飛び退った所を狙って投擲された短刀も、同様に。

 そんな男は、先程の疲弊した様子は無く、汗ひとつかいていない……やはり、演技だったのだ。

 

「……チッ、若造だと思ったら、貴様のような鼻が効く小僧は面倒だから嫌いだ……!」

「そう言うテメェは、やっぱり犯人か」

「もう確信しているのだろう? 言い逃れが無駄ならば、仕方ない……小僧、貴様にはここで消えてもらう……!」

「はっ……やれるもんなら、やってみやがれ!!」

 

 剣はイリス達に預けてしまったため、護身用として借りてきた金属製の警棒を腰から抜く。

 

 いつのまにか、酔いは吹き飛んでいた――否、別の酔いに上書きされていた。ヒリつくような殺気を受ける緊張感、命の遣り取りの予感という酔いに。

 

 

 

 奴が持つ短刀。おそらく、あれで傷を受けるわけにはいかないと本能が警鐘を発している。

 

 あの拳二つ分くらいの長さの片刃の短刀は、つい先程の事件現場で倒れていた青年の、その傍に転がっていた短刀と同じ物だ。

 本来、止血の準備が整う前に刺された刃物を抜くのは失血が増えるため、あまり良くない。

 しかし、荒事慣れしているはずであろうこの街の衛兵があえて傷口から抜いたのであれば、それはあの場で抜かなければならなかった理由があったという事。

 

 おそらくは……毒。

 

 荒事慣れした衛兵達が慌てる程の致命的なものではなく、さりとて捨て置けるような程の他愛もないものでもない、そんな毒。しかも即効性だろうとあたりを付ける。

 

 微かな負傷も許されず、しかも装備もなく、体調も万全ではないという重なった悪条件。

 しかし、それでも自分は落ち着いている……それだけの余裕はある。

 

「こちとら、ここの所化け物みてぇなオッサンらに、みっちり(しご)かれてたんだからな……!」

 

 それに……チラッと、今来た街の方を見る。

 

「どうした? 今更命が惜しくなったか?」

「いいや、別に? テメェ程度にそんな事ぁ……必要無ぇよ!」

 

 話の途中で、地を蹴って飛び出す。

 同時に向こうも短刀を構えるが……その姿はここのところ訓練相手をしてくれた人達に比べると隙だらけで、全くなっちゃいねぇ。

 

 そう確信した、その時。

 

「ふっ……己の力だけでどうにかできるという慢心、やはり若造だな……!」

 

 迎え撃つ構えを見せた男が口元を歪めた瞬間、背後の頭上から現れた新手が、真っ直ぐにこちらへ飛び込んでくる気配。

 

 

 

 ――完全に不意を突かれた、もはや二方面からの攻撃を両方完全に躱す暇は無く、あとは毒の餌食となり成す術なく……と考えているんだろう、が。

 

 

 

「……はっ……この程度、わかってたぜ!!」

 

 後ろの新手を無視し、気を足に込めて舗装が砕けるほど強く踏み込み、更に正面の男に肉薄する。それと同時に……

 

「……ぅおらぁぁああ!!」

 

 更に別の人間の、裂帛の気合いが篭った叫び声が、橋の下に反響して鼓膜を叩く。

 次の瞬間、背後の敵の更に背後から突然飛び込んできた影が、凄まじい勢いを載せた飛び蹴りによって、短刀を構えて飛び掛かってきた人影を悲鳴をあげる暇すら与えずに吹き飛ばした。

 

 それを横目で確認しながら、もう一人のほうの懐にとびこんで、手にした警棒でその胴を払う。

 

「――がっ、ふ……っ!?」

 

 防御の薄い腹部を強打され、血反吐を吐きながら男は地に崩れ落ちた。

 ほぼ同時に……背後を突いてきた黒服の男が、地面に叩きつけられ拘束された音が聞こえてくる。

 他に、敵の気配は無いのを確認する。どうやらもう大丈夫だと判断すると、残心を解いて警棒を肩に担ぐ。

 

「はっ、伏兵を忍ばせた程度で慢心しやがって、さっきの言葉、そっくり返してやるぜ」

 

 体をくの字にして地面に突っ伏した男に、そう吐き捨てた……もう聞いちゃいねぇな。

 

「んで、そっちは……流石だな」

 

 振り返ると、もう一人の乱入者の方……黒服を纏った、いかにも暗殺者然としたその人物は、後から飛び込んで来た人物によって地面に組み倒され、両腕を極められて呻いていた。

 

「ふっ……ふふ、ふはははは……っ! なんとなく飛び込んでみたが、どうやら危なかったみたいだな、貸しひとつだぞ、『剣聖』の!」

 

 そんな黒服を拘束している男が、高笑いを上げて勝ち誇った様子でこちらに声を掛けてきた。

 

 ……うっわ、超殴りてぇ。

 

 満面のドヤ顔に、そうは思ったがぐっと堪える。それでは向こうの思う壺なのは、ゲームだった頃に重々身に染みていた。

 

「馬鹿野郎、てめぇが居たのは、ついでに首突っ込んで来るのは最初から織り込み済みだ、貸しなんかねぇよ」

 

 もっとも、気がついたのはこの場に着いた後なのだが、それでマウントを取られたら癪なので黙っておく。

 

「……やっぱりこの街に居やがったか、戦闘馬鹿が。久しぶりだな、『拳聖』の」

「おう。お前も無事で何よりだ、再会できて嬉しいぞ『剣聖』の」

 

 そう、男臭い顔に人懐っこい笑みを浮かべたのは……金色の派手な髪をツンツンに逆立てたオールバック、革で所々補強されたズボンに、上半身が丈の短いジャケットを羽織っただけという、ほぼ半裸に近い格好の男。

 

 その体は決して大柄とは言えない中背で、全身はぱっと見では細身ながら、鋼のように盛り上がった筋肉を纏っている。

 それは……極限まで無駄な贅肉を削ぎ落として軽量化されたアスリートのように。

 

 

 

 こいつはプレイヤーネーム『斉天(せいてん)』。

 己の肉体と気功を用いて戦う修道僧(モンク)のクラス……その三次ユニーク転生職『拳聖』のクラスを有するバトルマニアだ。

 

 あと、強いて言うのであれば、馬鹿。

 いや、実際は頭が悪いわけではないのだが、その頭脳の容量をほとんど戦闘方面に割り振った一点特化型の馬鹿だ。

 

 そんな奴だが、何故か俺をライバル視しており、事あるごとに対人戦(PvP)を強要してくるため俺は少し苦手だった。

 

 

 

 ……そして、こいつは転移が起きる直前の『Worldgate Online』において、ある意味では最も有名なプレイヤーだったりする。

 

 何故ならば、こいつは()()()()()()……全プレイヤーで最も早く三次転生職へと到達し、ユニーク職の存在を皆に公表した奴だったのだから――……

 



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黒猫の影

 

 最初の一人目。

 WgO最強の男。

 戦闘狂。

 

 人懐っこい笑みを浮かべている眼前の人物……斉天(せいてん)を指す言葉は、他にもいくつかある。

 

 身長は俺よりも少し低いくらい。

 キリッと太めな眉と、やたらと眼力の強い双眼を戴いた顔はやや男臭さが強いものの、十分に美男子の範疇であろう。その不敵な表情はまるで少年のように感情豊かにころころと動き、どこか愛嬌を感じさせる……普段は。

 特徴的な逆立つオールバックの金髪は、昔見たアニメの、野菜の名前をした異星人への憧れでキャラを作ったせいなのだという。

 

 その当人の性格を一言で言うのならば……最強厨。

 

 陽気で人の善い性格と裏腹に、自身を育て、強者へ戦いを挑み、そして勝つことに喜びを見いだすバトルジャンキーだ……とはいえ、それはルールに則っての勝負の事で、普段は無闇矢鱈に噛み付いたりしない案外と理知的な人物なのだが。

 

 しかもこいつの場合、鍛錬以外にも、研究や装備収集などの努力を惜しまない……しまいには、なんでもリアルでも総合格闘技に手を出していたとか……という、根っからの廃人プレイヤー……いや、いっそ戦闘民族だ。

 

 そして、ゲーム内におけるPvPの大会での最多優勝回数保持者でもあり……『Worldgate Online』において最強のプレイヤーは誰かと聞いたら、真っ先に名前が挙げられる、俺だってこいつの名前を挙げる、そういうプレイヤーだった。

 

 もっとも、日本人の気質なのか、往々にしてPvPには興味が薄い者が多い。俺らみたいなPvPに興味がない狩り専門プレイヤーが大多数だったため、一概には言い難いが……

 

 

 

 いずれにせよ、そんな来歴のプレイヤーであり、この闘技諸島に居を構えているのは予想に難くない事だった。

 

「お前なら、この街に滞在しているんじゃないかと思っていたが、やっぱり居たなこの野郎」

「うむ、この街ならバトルの機会には困らんからな、充実した日々を送っているぞ!」

「見事に満喫してやがんな、てめぇ……」

 

 晴れやかな笑顔さえ浮かべ、こちらの世界に飛ばされた今の状況に満足している事を示す斉天の、あまりの変わらなさに呆れていると……

 

「……何を……っ、呑気にくっちゃべっているのだ貴様ら……ぐぅっ!?」

「あ、悪い、忘れてたわ」

「貴様ぁ……っ!」

 

 斉天に拘束されていた黒服が、苦悶の表情を浮かべ脂汗を垂らしながら、額に青筋を浮かべて抗議してくる。

 とはいえ放置していたら面倒な事になりそうだ。とりあえず、俺は自分が気絶させた方の男を縛り上げる。あとは衛兵にでも突き出しておけばいいだろう。

 

「き、貴様ら、このような事をしてただで済むと……!」

「ガチで殺しに来ておいて、今更何言ってんだ。おい斉天、落としていいぞ」

「おう」

 

 そう言って斉天が、顔色を青くして抗議する黒服の首に腕を回し、力を込めると、男は呻き声を上げて、呆気なく昏倒した。

 

 その慌てぶりに疑問を感じなくもないが……ひとまず周囲に新手の気配は無く、この時の騒動は終結した。

 

 

 

 

「……で、だ。一体こいつらは何なのだ?」

「お前、知らずに飛び込んで来て拘束してたのかよ……」

 

 事件の下手人である中年男を引きずって、追いかけて来た道を戻る最中。そんな今更な斉天の質問にがっくりと肩を落とす。そんな斉天は黒服の方を担いでついてきているので、無関係というわけにもいくまい。

 

「はぁ……さっき、通りで事件があっただろ」

「む、通り掛かっただけであるが……闘技大会参加者が刺されたという奴であるか。正々堂々とリング上で戦わず闇討ちとは、実に嘆かわしい事だな」

「その下手人だよ、多分な。さっさと衛兵に引き渡しに行くぞ」

「なるほど、そういう事なら是非も無い、喜んで手伝うぞ!」

 

 よほどこいつらのしていることが腹に据えかねたらしく、俄然やる気になった斉天と共に、目覚めて暴れられないうちに、サッサと衛兵隊の詰所に連行するのだった。

 

 

 

 

 

 ――そうして衛兵に男たちを引き渡し、謝礼と多少のお小言を貰って解放された時には、すでに一刻以上が経過していた。

 

 

 

 彼らが簡単に調べたところ、やはり奴らが持っていた短刀には毒が仕込まれていたらしい。それも、西大陸の方で主に出回っているもの。

 

 ……というところまでは、ノールグラシエ王家の護衛としてここに来ているローランド辺境伯、その関係者という自分の立場を利用して聞き出せた。

 

「……西大陸、か」

 

 毒などで動きを阻害し、複数人で仕留める……おそらくそんな戦術が基本であろうこの連中の手口には、見覚えがある。

 

 これは……

 

「何か心当たりがあるのか、剣聖の?」

「ああ。西の通商連合の暗部……『黒猫(ヘイシーダ・マオ)』って言ったか。以前に戦ったんだが、そいつらに似ている気がする」

「ふむ、その組織の工作員であるか」

「確証は無いけどな、似てるってだけで。だが、そうなると……」

 

 あの連中だとしたら、捨て置くわけにはいかない。

 以前遭遇したディアマントバレーで起きたあの襲撃の事は、今でも思い出すだけで沸々と腹の奥が煮えくり返ってくるのだから。

 

「どうかしたのか、剣聖の? 随分と穏やかでない顔をしているが」

「ああ……そいつらだとしたら、以前にイリスを狙ってきた事があるんだよ」

「なんだとっ!?」

 

 ものすごい勢いで食い付いてきた。

 そういえば、こいつはイリスの大ファンだったな……と、ふと思い出す。

 

「俺は、こいつらを捨て置くのはマズいと思っている。斉天、お前も何か掴んだら、俺にも教えてくれないか?」

「むぅ……何故参加者を狙ったかは分からんが、こちらでも気をつけておこう」

「ああ、頼む。お前は馬鹿だが頼りにしているぞ」

「馬鹿は余計だ!」

 

 打てば響くようなその返事に思わず笑いながら……ふと、気になった事を口にする。

 

「ところで……お前も大闘華祭に参加するんだよな?」

 

 疑問ではなく、確認だ。四年に一度の闘技大会など、こいつが黙っていられなさそうだが……

 

「無論だ! くくく、聞いて驚け……俺はこちらに来てからいくつかの大会を制し、フレッシュマンの部のシード枠で参加する事となっているぞ!」

「へぇ……凄えじゃねえか。いくつか大会制覇したのか、流石だな」

 

 腰に手を当て、胸を張って自慢する斉天だが、実際に凄い事なので今回は素直に称賛する。

 

 

 

 大闘華祭は、新人……フレッシュマンの部と、熟練者によるエキスパートの部の二種目に分類されている。

 

 だが、その二つの部門はただフレッシュマンの部だから低級だという訳ではなく、これはあくまで「過去の大会において入賞経験があるか否か」という分類らしい。

 

 いずれも強者揃いなのは流石にエキスパートの部だが、その性質上、参加者の情報はほとんど出そろい研究し尽くされていて、それを踏まえた駆け引きが展開されている。

 一方でフレッシュマンの部は玉石混合、データの不揃いな強者も大量に紛れており、決して油断はできない……らしい。

 

 

 

 要するに、実力がどうであろうと斉天は大闘華祭に初参加となるため、フレッシュマンの部にしか参加できない……という訳だ。だが、シード権を持つという事は、それ以外の試合でよほどの功績を挙げたという事になる。

 

「それで……お前は出ないのか、剣聖の?」

「ああ。今回はこっちで世話になっている人の元で、護衛の仕事でな……悪いな、期待に添えなくて」

「むぐ……であれば、仕方ないな……」

 

 そう残念そうに言う斉天。

 だが正直に言えば、俺自身としてもできれば出場して己の実力を試してみたかったので、残念ではある。

 

「今回は仕方ねぇさ。代わりにお前が頑張ってくれよ。応援くらいはしてやるからさ」

「……うむ、そうだな。任せておくがいい!」

 

 そう自信満々に請け負う斉天だったが……ふと、嫌な予感が脳裏を過ぎる。

 

 今回の事件の被害者も、一般参加の大会で良好な成績を残してフレッシュマンの部に参加するはずだった青年だ。

 もし、『黒猫』の目標が有望な大会参加者なのであれば、斉天も狙われている可能性があるのではないか?

 

「ただ……なぁ、一人で無茶するんじゃねぇぞ」

「はは、まさかお前に心配されるとはな。明日には槍でも降るのではないか?」

 

 不意に口をついて出た苦言は、そう笑い飛ばされた。

 だが、ただでさえ多い手数を更に気功によって強化し高い火力を発揮するモンク系列職は、対単体で無類の強さを発揮する一方で、持久力の低さと攻撃範囲の狭さから、集団戦がやや苦手だった。

 

 こいつが三次転生職『拳聖』となった事でその辺りの欠点がどうなったかは分からないが、それでも奴らみたいな集団で襲ってくる相手は苦手な部類のはずだ。

 

「……くれぐれも、身の回りには気を付けろよ。なんかされたらすぐ連絡しろ、怪我や毒ならイリスに治療を頼んでやるから」

「お、おぅ、わかった……お前にそう真剣に心配されると、調子が狂うであるな……」

 

 今度は不承不承ではあるけれども、どうやら納得してくれたらしい。

 さて、そろそろ宿に戻るか……そう、踵を返した時。

 

「あ、レイジさん!」

「レイジ、お前起きていたのか」

 

 背後から、よく聞き慣れた声。

 どうやら、話しているうちにメインストリートまで戻って来ていたらしい。宿泊施設のある闘技場へと帰る途中らしい、見慣れた二人……イリスとソールがこちらに歩いて来ていた。

 

「悪い、心配かけたな。そっちは……なんか良い事があったみたいだな、成果はどうだった?」

「ああ、ネフリム師は無事コンタクト取れたよ。装備の方も面倒見てくれるそうだ」

「それと、気になる話も聞けました。後で情報共有しますね」

「そうか……こっちも、気になる事があった。どうにも気になる連中が動いているみたいだ」

「……同じ件かはわからないけど、こちらでも、不穏な動きをしているプレイヤーの話を聞いた。どうも、少しキナ臭い空気があるな」

「そうだな……ん?」

 

 そう並んで会話していると……ふと、俺の隣に居たはずの斉天がやけに静かな事に気がついた。

 隣を見ると……こっそり立ち去ろうとしている金のツンツン頭の後ろ姿。

 

 ……何やってんだ、あいつ。

 

「あら? あなたは……」

 

 そんな俺の様子に気がついたイリスの目が、こっそり立ち去ろうと移動していた斉天を捉えた。

 その瞬間、斉天の身体がビクッと跳ね、慌ただしく振り返り、ガチガチな直立不動の姿勢になる。

 

「あ、その……ひ、ひひ、姫様においてはご機嫌麗しゅう……」

「……斉天さん! あなたもこちらに来ていたのですね、元気そうでなによりです」

 

 テンパっておかしな言葉遣いになっている斉天をよそに、イリスが知人の無事を喜び相好を崩す。

 

 ……俺に頻繁に突っかかって来ていたため、ほぼ一緒に行動していたイリスやソールとの交流もそれなりにあった。そしてイリスの中では、戦闘さえ絡まなければ悪い奴ではない斉天への好感度はかなり高く、再会を本当に嬉しそうにしている。

 

 しかし、無邪気に向けられているイリスの笑顔から真っ赤になって顔を背けている斉天は、先程までの傲岸不遜はどこへやら、すっかり純情な青少年みたいになっていた。

 

「あ……もしかして、斉天さんも大会に参加されるんですか?」

「あ、あ、はい……」

「では、私も応援していますね、頑張ってください!」

 

 両手を合わせ笑顔を振りまき、知り合いが大会に参加しているという事を喜んでいるイリス。

 そんなイリスを前に、斉天はしどろもどろになって、どうにか会話しようとしているが……駄目みたいだな。そして、その様子に気がついているのかいないのか、イリスは久しぶりに会った顔見知りに嬉しそうに話しかけ続けている。

 

 ……斉天の奴、もう「あっ、はい」しか言えてねぇじゃん。

 

「……レイジ、助けなくていいのか?」

「面白いから、もうちょっと見てようぜ」

 

 呆れたようなソールの言葉に、自分でも意地の悪い表情をしているんだろうなと思いつつ答える。

 そんな斉天はといえば、先程からチラチラと助けを求めるような視線をこちらに送っていた。

 

 まぁ、無理もない。

 斉天は、戦闘であれはどこまでも男女平等な奴なのだが……リアルでもゲームでもストイックに自己鍛錬に明け暮れていたせいで、とにかく女性、それも可愛い女の子に免疫がない。

 特に、イリスみたいな戦闘から縁遠そうなタイプ相手だと、ああしてどうすればいいか分からずにフリーズするのだ。

 

 大ファンなのだが、実際に話をするのが最大級に苦手だとは……難儀な奴。

 

「……剣聖の、おい剣聖の」

「……何だ?」

 

 ついに逃げ出してきた斉天が、俺の腕を取って、小声で話しかけてくる。

 

「何だ、何なのだあれは。正直俺には無理だ、勝てん。ゲームの時よりも可憐さが増しておらんか……?」

「あー……こっちに来て、短期間とはいえお姫様としての修行させられたからな」

「なんだと……それで、以前よりも(しと)やかというか(たお)やかというか……気品のようなものが端々に滲んでいるのか」

 

 納得した、と、絶望感すら漂う顔で頷いている斉天。

 

 実際、ローランドの城に滞在中様々な習い事を受けさせられた今のイリスは、指先まで意識が行き届いているかのようにその所作が洗練されており、行動の端々に華やかさのような物を感じられる……フードを目深に被って変装していても、隠しきれない程に。

 それが、自身の魅力にいまひとつ理解がなく、無頓着に接してくるのだ。その破壊力は推して知るべし。

 

「剣聖の、お前はよく平然としていられるな。正直この点においては尊敬するぞ……」

「ふふん、まぁ、俺は付き合い長いからな」

 

 実際は、ふとした仕草にドキッとする事も多く、言われる程平然としているわけではない。

 しかし、その辺の我慢にかけては誰よりも一日の長があると自負している俺は狼狽えない。余裕ぶって斉天に勝ち誇ってみせる……が。

 

「……やれやれだな。レイジのバーカ」

「……は?」

 

 何故かソールにそう蔑んだ目で吐き捨てられ、首を捻るのだった。

 



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斉天

 

 ――大闘技場内にある、来賓用の居住エリア。

 

 その中でも私たちノールグラシエの者に割り当てられた区画の中の、国家間の内密の話もあるであろうといくつか用意されている、小さな応接間(サロン)の一つに私とレイジさんは居ました。

 

「大変な事になってしまいましたね……」

「ああ……すんなり観光、とはいかないもんだな」

 

 私からは、ネフリム師から聞いた昔話について。

 そしてレイジさんからは、昼間の事件の顛末を、それぞれ情報交換する。

 

 昔話についても気になる箇所はあるものの、今どうこうできるような話ではないため、自然と話の中心はレイジさんの遭遇した事件についてになりました。

 

 

 

 話を聞くと、ノールグラシエ出身の大闘華祭参加者も数名被害を受けており、いずれも動機は不明。事が事なので陛下の下にも話が来ていたそうです。

 

 負傷者は皆、すでに教会の診療所にて治癒術師達の手により処置されて、命の危機は皆脱したそうですが……使用された毒の後遺症によって、大会参加は絶望的だそうです。

 

 ならば、私が治療を……と名乗り出ようとしたのですが、やんわりと断られました。

 私がしゃしゃり出て教団の面目を潰すような事があれば、彼らが何と言ってくるか分からないのだそうな。

 

 

 

 そんなわけで……昼間と比べピリピリとした厳戒態勢の中、私たちは暇を持て余してサロンでだらだらとしているのです、が。

 

「……兄様、遅いですね」

 

 明日もキルシェさん達やネフリム師に会いに行くための許可をいただきに、兄様が陛下やレオンハルト様の元へと談判しに部屋を出て、すでに一刻は経過しています。

 

「やっぱり、そうそう許可は出ないよな……最悪、俺一人別行動で会ってくるが……」

「約束した手前、心苦しくありますが……それも、致し方ないかもしれませんね」

 

 嘆息し、空になったレイジさんのカップに香茶を注ぎ直そうとしたその時――ガチャリと、ドアが開かれた。

 

「ただいま。遅くなってごめん」

 

 そう言って部屋に滑り込んできたのは……

 

「兄様! それで、外出許可のほうは……?」

「うん、かなり渋られたけれど、一応許可は貰えたよ。ただ……」

 

 そう言いながらテーブルに着き、私が差し出した兄様用のカップを受け取り香茶で唇を湿らせた後、苦い表情で口を開く。

 

「…実質、明日が最後の外出できる日になるだろうね。明日の夕刻頃にはアルフガルド陛下の奥方様……王妃様と、そのご子息である王太子殿下も入場なさるそうだから……」

「あんな事件があった以上、なるべく護衛対象には分散してほしくない……ってわけだな?」

「うん。それでも大事な約束があるからと頼み込んで、ようやく許可をもらったんだ。ただ、明日は護衛として必ずレイジと……それと、ミリアムも同行させるようにってさ」

「う……ま、まぁ、仕方ありませんよね……」

 

 ネフリム師と彼女が一緒になった時にどのような事になるのかは想像するのも恐ろしいですが、事情が事情です。

 事件が発生した中で無理を言って外出するのですから、できるだけ慎重に行動しなければならないと、気を引き締め直す。

 

 そんな時……コンコンと、控えめなノックの音。

 

「……ご歓談中、失礼します。こちらにレイジ様はいらっしゃいますか?」

 

聴こえてきたのは控えめな女性の声……確か、陛下の連れてきた女官の一人。

 

「あ、ああ? レイジは俺だが……」

「衛兵の者が一人、伝えることがあると言ってこちらに来ております」

「衛兵……?」

 

 レイジさんが、こちらをちらりと振り返る。

 

 現在、私と兄様という、王族の二人のプライペートな時間の最中に衛兵を連れて来るというのは、よほど緊急事態なのでしょう。

 しかしレイジさんも護衛としてここに居る以上、私達に許可なくドアを開けるわけにもいかず、兵を入れるわけにもいかない。

 そんなわけで視線によって伺いを立てているレイジさんに、二人で頷く。

 

「わかった、今出る」

 

 わざわざ市街地担当の衛兵が使いを寄こしたと言われて、真っ先に思い浮かぶのは、レイジさんが昼間に遭遇したという事件の件です。

 

 なので、ドアから顔を出し外に居る者と何事かを話していたレイジさんの方に、私たち二人も聞き耳を立てていると……

 

「……なんだって?」

 

 不意に、はっきりと聞こえてきた驚きの声。

 

「……昼間捕まえたあの二人が……詰所の牢の中で毒殺された……!?」

 

 ――その言葉が、いやに大きく部屋の中に響いた気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――イスアーレス本島の隣、住人もあまり居ない離れ小島の端。

 

 人気の無い、明かりといえば天から降り注ぐ月光しか存在しないような道で、一人の男が歩いている。

 

 男の名は、『斉天』。

 ここ数ヶ月の間に忽然と現れ、通常開催の闘技大会をいくつか瞬く間に制覇した、期待の新星。

 

 まだ、少年を抜け出したばかりの年頃に見える青年。しかしそんな彼の戦いはそんな若さに満ち溢れ、力強く清廉だった。

 いかな相手であっても正面から真っ直ぐ迎え撃ち、そしてねじ伏せるその正々堂々威風漂う戦いぶりに、あっという間に彼は闘技場のヒーローとなった。

 

 また、ただ強いだけでなく、どこで学んだのか……どうしたら試合を魅せられるか、そうした興行的な感覚も持ち合わせているらしく、彼は観客を楽しませる事も忘れていなかった。

 要所要所で放たれる派手かつ強力な技の数々は、観戦している人々は魅了していき、そのファンは瞬く間に増えていった。

 

 一方で、戦闘とは無関係な場では見た目相応な年齢らしい初々しさも見せ、女性の観客に囲まれ、真っ赤になって右往左往しているところも何度か見られ、それが可愛いとギャップがウケている部分もある。

 

 いずれにしろ……今回の大闘華祭、フレッシュマンの部における下馬評にて、順当に進めば彼が勝つと言われる、それだけ際立った戦績を叩き出した文句無しの優勝候補筆頭。

 

 

 

 ……そんな彼が、自分達の目的の邪魔になるのは明白だった。しかも今日、彼の関与によって二名の構成員を始末せざるを得ない事態となってしまった。

 

 

 

 ――もはや妨害など生温い。厄介の種となる前に確実に始末しろ……そんな指令が()から入ったのが、つい先程。

 

 

 

 あの金髪の男が街の郊外の人も寄り付かないような場所で野営をしているのは、すでに掴んでいる。

 相当額の賞金を得ているはずなため、宿代が無いという事は無いだろう。よって金が無いというよりは……まるで、襲われるのを待っているかのようだった。

 

 街を抜け、もはや周囲に人も居なくなったと言う所で……視線の先で、金髪の男が足を止め振り返った。

 

「……なぁ、居るのであろう? 出て来るがいい、ここまで来れば他の人にも迷惑がかからないであるし、相手をしてやるぞ?」

 

 事情が分かっているのかいないのか、そう、まるで試合前の準備運動みたいな気軽さで屈伸運動を始めている青年。

 

「……ふん、我らの存在に気づいていながら、わざわざ一人でこのような場所へノコノコとやってきたのか」

 

 仲間の一人が隠していた姿を見せながらそう発言すると同時に、その周囲に控えていた他の者達も、姿を現す。

 

 その数……六人。

 

 彼らは、昼間捕まった者達……下級工作員の連中とは違う実働部隊であり、皆が皆、一対一ならば闘技大会参加者相手でも圧倒できる手練れ揃い。

 確かに、相対する男は強い。だが、それを踏まえた上で十分な戦力を投入した。

 

 だというのに……男はその佇まいから余裕を崩さない。相手の力量を読めぬ馬鹿か、あるいはここのところ負け知らずだったせいで、十分に対処できるという慢心を起こしたか……そう、判断する。

 

「御託はいい、さっさとかかってくるがいい。こっちは散々殺気を浴びせられて、いい加減我慢の限界だったのだよ」

「そうか……待たせて済まなかった、それでは……やれ、お前達!」

 

 そう、会話をしていた男が指示を出した瞬間、六人が皆各々の武器を構える。

 それを見て、金髪の男も同じく構えのようなものを取った――その瞬間、その背後から姿を現した七人目の、手にした短刀が夜の闇に閃いた――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――事は、ものの数秒で片付いた。

 

「……なんだ、この程度か。他愛無い」

 

 冷たい夜気に晒される中、期待外れだとでもいうような色を帯びたそんな声が響く。

 噎せ返る血臭の中、それを気にした様子も見せず淡々と佇むその男もまた、血まみれ……返り血に全身を濡らしていた。

 

 その周囲には――すでに物言わぬ、()()()()()

 

 いや……果たして、それを人影と言っていい物か。

 ある者は、手足があらぬ方向にひしゃげ、全身の至る所から朱に濡れた白い骨を晒し。

 ある者は、何かが爆発したように胴体の半ばがごっそりと消え、上半身と下半身の一部を転がし。

 ある者は……ある者達は、まるで混ざり合ったかのように、明らかに一人分ではない手足を生やした肉の塊として転がっていた。

 

 他にも首があらぬ方向に曲がった者や、外傷こそ見当たらないにもかかわらず、大量の血を吐いて倒れ伏す者……皆、陰惨な有様で血の海に沈んでいる。

 

 そしてそれが、まるで怪獣が暴れた跡のように至る所で地肌がむき出しとなった荒野に、前衛的なオブジェのように転がっているのだ。

 

 

 

 ――そう……転がっているのは、私と同じ組織に属する者たち。

 

 ただ一人だけ立っているのは、必殺を期して抹殺に臨んだはずの、ターゲットであった斉天とかいう男だった。

 

(……化け物……か……っ!?)

 

 その全てを一部始終見ていた私は、ただ、その血まみれの彼に見つからぬように、岩陰に息を潜めて震えていた。

 

 ……本来、我らには実行部隊の他、その者達が仕損じた際に、対象の油断をついて事を済ませ、その場を隠蔽する万が一のための始末役が一人同行している……それが、私だ。

 

 ――だが、()()を?

 

 冗談ではない。あれだけ暴れまわりながら、奴は一片も油断などしていない。隙などどこにあるというのだ。

 

 ヒーローだと?

 ふざけるな、そんなもの、被った表皮一枚だけでしかないではないか。これは……この男は獣、いやそれすら生温い、魔獣か、あるいは悪鬼の類だ。

 

 勝てない――ならば情報を仲間に持ち返る事を優先するべきだ。そう判断……否、自分にこの場から離れるための言い訳をして、踵を返――

 

「――見ぃつけたァ……ッ!!」

「……っ!?」

 

 ――そうとした瞬間、背後から頭を掴まれて、宙に持ち上げられた。逃げようとする足が、ただ虚しく宙を蹴る。

 

「……いつ……の、まに……っ!?」

「いや、何か随分と、血の匂いがしたもんだから、なぁ……?」

「や、やめ……あ、がぁぁああアあアアぁ――ッ!?」

 

 激痛と共に、耳を介さず脳に直接響く、聞こえてはならないはずの固いものが割れる音。

 真っ赤に染まっていく視界の中、不意に夜闇に爛々と光る、金色の瞳と目があった。

 狂気に染まったようなその目……それは、先程までの暴れ様から、一つの存在を連想させた。

 

 ……狂戦士。そう、血に飢え、何者が阻もうと全て叩き潰し、決してその歩みを止めぬバーサーカー。

 

 己の任務の完全失敗を悟ったその瞬間……私の意識は、消えた。

 

 ◇

 

 

 

「…ぬぅ……しくじった。情報を吐かせるのを忘れていたのである……」

 

 興奮のまま自分のしでかした事に、頭を抱える。

 我に返り、気がつけば襲撃者最後の一人も、もはや話を聞き出せる状態ではなくなってしまっていた。

 

「しかしまぁ、西の特殊部隊と聞いていたから期待しておったのだが……存外、大したことはなかったであるな」

 

 右手に握っていた、砕けて中身を滴らせている()()を放り捨てながら、誰となしに呟く。

 

 明らかに堅気のものではない殺気を感じたため期待していたのだが、いささか拍子抜けだった。

 襲撃者への失望と共に、昼間再会した剣聖の姿を思い出す。

 

 ――奴と戦いたい。

 

 昼間は事情に納得して退いたものの、その渇望は未だに胸中にグルグルと渦巻き続けている。

 

 あの男に固執する理由……それは、奴が()()()()()()()()()()()()を所持している事が確認されている、唯一のプレイヤーだからだ。

 

 どうやら今は意図的に()()を封印しているようだが、無理もない。ここはゲームではなく、万一傍に居る者を傷付けでもしたらもはや取り返しもつかないのだ。

 理解はできる。だからこそ、自分もこのような人の居ない僻地以外では封じ手としているのだから。

 

 だが……お互い理性という(くびき)から解き放たれ、闘争本能に身を任せるまま思う存分に闘えたら、どれだけ楽しいだろうかとふと衝動に駆られるときがある。

 

「といっても、向こうにその気は無いであるからなぁ……」

 

 あの剣聖のを本気にさせる方法は、いくらでも思いつく。例えば、奴はいつも共に居る少女をとても大切にしている。彼女に危険が及ぶような状況であれば……

 

「って、いやいやいや!? 無い無い、それは絶対に駄目だろう!?」

 

 うおおお! と雄叫びを上げながら、おかしな方向に飛びそうになった思考から逃げるように、真っ暗な海へと飛び込んだ。

 夜になってもまだほのかに暖かな夏の海は、まとわりつく血臭を瞬く間に洗い流してくれる。

 しばらくそうして水中に潜り、滅茶苦茶に泳いで衝動を発散して……やがて疲れて手足から力を抜くと、海面に浮上した。

 

「……はぁ……はぁ……いくら何でもそれをやったら俺はただの悪役だろ、うん」

 

 アニメで見たヒーローに憧れて強くなったというのに、そんな道を踏み外すわけには行かない。それは憧れを穢す行為だ。

 

 それに……そもそも、自分にはそのような事は無理だ。弱者をいたぶる趣味は無いし、それが可愛い女の子ならば尚更だ。傷一つ付けるのすら躊躇われる。

 

 躊躇われる……筈なのだ。

 

「……まったく、血に酔いすぎであろうが」

 

 まさか、自分のような者にまで分け隔てなく接してくれ、その可憐さに心奪われたあの少女に、たとえ一瞬であろうとも危害を加えようとするなど、我ながら血迷いすぎにも程がある。

 自分の阿呆ぶりに呆れて呟きながら、全身の力を抜いて波に身を任せる。真夏の、丁度良い冷たさの水が、昂ぶった心をクールダウンさせてくれる気がした。

 

 そして頭上には、元の世界では見られなかったような満天の星が広がっており、こうして水に浮かんでいると、心静かに考えごとが出来そうだった。

 

 

 

 ――思い出すのは、この世界に来ての数ヶ月間。

 

 これまでに何人かの同じ境遇のプレイヤーとも会話し、そしてそのほとんどは、このような事態に巻き込まれた事を嘆いていた。

 

 だが……自分は違った。自分だけは、何の迷いもなくこの事態を喜んでいた。

 

 

 

 ――『Worldgate Online』というゲームは非常に感覚がリアルだったが、痛みは現実と比べて遥かに鈍い。

 

 それも当然で、リアルと同じ痛みを感じるゲームなどあってはならない。ましてやその中で斬った張ったなどは問題外だ。

 故に、『Worldgate Online』には……いや、全てのフルダイブVRゲームには痛覚を緩和する処置が施されていた。そのため、自分は設定で痛覚緩和処置を最低値にしていたけれど、それでもせいぜいが軽く叩かれた程度の痛みしか無く、それがずっと不満だった。

 

 対して、こちらの世界では殴られれば痛いし、斬られれば血だって流れる。

 

 皆が恐怖に立ち竦む、そんな突然突きつけられたリアルの中……逆に喜んで足を踏み出した自分は、やはりどこかおかしいのだろうか。

 

 ここイスアーレスに、ホームタウンにしていたこの闘技諸島に立っている事に気がついた俺は――まず真っ先に、闘技場に駆け込んだ。他の事に興味を示さずに、まずは自分の居場所、闘いの場を求めた。

 

 あとはもうひたすら戦いだ。戦って、戦って、戦って戦って戦って戦って……気がつけば、すっかり有名人になっていた。

 そうして今の暮らしに慣れ、ようやく落ち着いてきた頃、不意に虚無感が襲ってきた。

 

 今まで戦いの中で下してきたこの世界の者達は、危険の中に身を置いて自身を鍛えてきた者たちの筈だ。

 対して、自分は『Worldgate Online』という安全な箱庭の中で力を得た。この身体は、元の世界の身体とは比べ物にならないくらいに強いというのに、だ。

 

 

 

 ――それは、不正(チート)と何が違うのだろう。自分は、この力を誇っていいのだろうか。

 

 

 

 それは、自身の根幹を揺るがす疑問だった。

 

 ならば……同じ条件の、同じ境遇の者と戦ってみたい。それも、この世界と向き合い、覚悟を決めた強者に。

 そうすれば、自分は本当に強いのか、それとも本当は弱いのか、知ることができる気がしたから。

 

 そう思った時に、真っ先に思い浮かんだのがあの『剣聖』の、だったのだ。

 

 そうして今日の昼間にようやく再会できた時、本当に嬉しかったのだ。

 

 どんな体験をしてきたのかは分からないが、きっといくつもの困難を打ち払いここまで生き延びて来たのであろう奴の目は、他に出会った大半プレイヤーとは違い……覚悟が完了している者の目をしていたから。

 

 だが、奴は自分とは違い、傷付く事も傷付ける事も覚悟した上で、己をしっかりと律していたのではないかと思う。その力を振るう理由をしっかりと見据えているように見えた。

 そして、それはその後合流した、ゲーム時代『姫様』と呼ばれていたあの可憐な少女を見る奴の目を見て確信した。

 

 俺は……それが、たまらなく羨ましかった。

 だから知りたいと思ってしまったのだ。奴が、この世界でどれだけ強くなったのか。

 

「はぁ……やはり、俺はお前に相手をしてほしいぞ、剣聖の」

 

 何かふとした拍子に、戦いが避けられない出来事でも湧いてこないものか……そんな都合の良い願いを考えながら、揺れる波に身を任せて目を閉じるのだった――……

 



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怒りの火

 

「……どうして、こうなってんだろうねぇ」

 

 私……桜花は、現在不機嫌のどん底に居た。

 

 上機嫌のまま徹夜で魔導鎧の設計図を書き上げ、充実感に満たされながら朝日を浴びに外に出たまでは良かった。

 

 よもや、そこに最悪が待ち構えているなどと、その時は露とも思っていなかったのだ。

 

 眼前には、数人の男達。

 容姿はどいつも男前揃いだが、それもそのはずで、この連中は元プレイヤー……作られたアバターが現実となった姿なのだから、美形が多いのはまぁ当然だろう。

 腰に下げている獲物は、殆どが剣士系の刀剣類など。人口が最も多くレベリング向きな職なので、この世界に飛ばされた者も多いからこれも妥当だろう。

 

 だが、どれだけ顔面が良い男に囲まれていようと、気分は最悪を通り越したさらに最悪だった。何故ならば……

 

「ていうか、なんでそこまで毛嫌いされないといけないわけ?」

「同じ境遇同士、助け合おうって何か間違った事言ってるか、俺ら?」

「自分は稼ぎがあるからって、お高く止まってんじゃねーよ」

 

 背後から聞こえよがしに聞こえてくる、ヒソヒソ話とも言えないような身勝手な不平不満の声に、青筋が浮かびそうになるのを必死でこらえる。

 

 後から本来の交渉役だという少年が慌てて駆けつけてくるまで、この連中は武器をチラつかせながら脅迫まがいの主張をしていた。今更どの口で自分達の正当性を主張するのか……と、この連中が居るだけで、フラストレーションがうなぎ登りだった。

 

 ――プレイヤーを強引に勧誘して回っている集団が居るらしい。

 

 そんな話をしたのは、つい昨日の事だったか。

 よもやその翌日に、その集団に自分が絡まれるなど、思っていなかった。

 そしてその連中が、予想を遥かに超えて反吐が出るような連中だとは、夢にも思っていなかったのだ。

 

 

 

 

 

「申し訳ございません、桜花さん。彼らにはよく言って聞かせますから、せめて話だけでも……」

 

 そんな冷え切った空気の中、必死に頭を下げているのは、鳥類の頭蓋骨のような不思議な意匠の仮面を被った少年。おそらく仮面の下はこれまた絶世の美少年であろう雰囲気があるが、今はダラダラと冷や汗を流して頭を下げ続けているので台無しではある。

 

 ……ちょっとくらいなら話、聞いてあげようかな?

 

 あまりに哀れっぽい少年の様子に、そう思わず考えてしまいそうになるが、生憎と話を聞いても考えが変わる事はもう有り得ない。

 

 

 

 

 

 

 ……ゲームだった頃、トップをひた走る廃人連中などというのは、基本的にひたすらストイックな連中だった。そのほとんどが仲間内で交流が完結しており、それ以外には無関心で同じグループ以外との交流は少ない。あの半公式で愛想を振りまいていたお姫様(イリス)みたいなのは、きわめて特殊な例だった。

 

 一方で、そうしたトップグループが拓いた道を追う者たち……いわゆる準廃と言われる者はピンキリで、中には自尊心が強く他者を見下し邪魔したがる、非常に厄介な害プレイヤー連中もごく一部紛れているものだ。

 

 辺境に居たという姫様一行は元プレイヤーの動向に疎かったようだが……自分のように静かに暮らしている者もいれば、傭兵ギルドなどで名を上げた者、商売で成功した者もそれなりにいるらしい。三カ月も時間があれば、ほとんどの者はこの世界が紛れもない現実だと受け入れ、それぞれの生活というものを確立しつつあった。

 

 一方で、その現実から目を逸らし自分勝手にふるまっている、あまり良いとは言い難い評判の者達もおり……目の前の者達がどちらかなど、言わずとも分かるであろう。

 とはいえ一応彼らも三次転生職まで到達した者達である以上、ある程度の実力はあったのだろうが……

 

 自分より弱い者を見下したがる者。

 自尊心ばかり高い割に、自分で判断し行動するのが苦手な者。

 英雄譚の主人公である自分を夢想し、しかしその中身が伴っていない者。

 

 そのような連中が、棚ぼたで手に入れた自らの力をひけらかす権利は主張し、しかし色々と煩わしい責任を果たすつもりは毛頭無い、危険を冒して新たな道を歩む度胸もない……そんな連中だと、見た目だけならばご立派なその顔に浮かべた覇気のない表情、曇りきった目を見た途端に理解した。

 そして……そんな連中の力の矛先は、安全な場所で、抵抗する力の無い者達へと振るわれるのだと、時代遅れのスケバンなんぞを数年やっていたせいで嫌というほど知っている。

 

 そんな、こちらの世界に迎合出来なかった者達。そうした者達を囲い込み、利用するための手駒としている者が居るという話も、噂では聞いている。

 

 そして今、どこから私の噂を聞きつけたのか、ゾロゾロと雁首揃えて来訪してきたのは……不運な事に、そんなプレイヤー連中だった。

 

 

 

 

 

「はぁ……本当、しつこいね。私はあんた達に協力はしない、あんたたちにくれてやるものなんて何も無いよ」

 

 様々な好条件を提示して尚も食い下がろうとする少年に、はっきりと告げてやる。

 

 何も私だって、同郷の者たち相手にふっかけたい訳ではなく、必要があれば実費ギリギリで依頼を受けてやっても構わないと思っている。少なくとも今朝までは思っていた。

 

 もしも、最初に現れたのがこの少年であればまだ話を聞くくらいはしただろう。

 だが、ろくでもない連中に散々聞くに耐えない自分勝手な主張を聞かされた今は、そんな気はとうに失せていた。

 

「私達プレイヤーのため? 協力しろ? 笑わせるんじゃないよ、あんた達が何をやったって言うの? ロクでもない連中で群れて粋がっているだけじゃない」

「そ、それは……」

 

 黙り込む少年。

 それも当然で、眼前の連中のほとんどは、掲げているお題目通り実際に元の世界に帰るための手段を探す活動をしている訳ではない。

 群れを作り、こちらで得たちょっとはマシな顔と力をひけらかしているだけの、私にとってはただの同郷出身のチンピラグループという印象だ。

 そしてそんなことは重々承知だからこそ、少年の言葉も歯切れが悪いのだろう。

 

「……こいつら、あんたが来る前に私に向かって何て言ったと思ってるの?『お前達のために活動しているんだから、お前、俺たちのために働け』よ?」

 

 こちらが荒事から遠ざかり生産職をやっていると見るや、ならば自分達が保護してやるから作ったものを自負達に寄越せ、それもタダでときた。

 時折胸や腰を舐めるような視線から考えるに、きっと()()()()()()も多分にあるだろう。

 

 後から来た少年が仲裁に入るまで、自分たちに都合のいい事ばかりのたまう奴ばかりでお話にもならなかったのだが……そんな少年の苦労も理解できず、後ろで不満げな視線を、自分たちの意に添わぬ交渉を続けている少年にぶつけている者達に、もはや心底呆れ果てるしか無い。

 

「そ、それは謝ります、とんだ失礼を……」

「あんたに謝って貰う必要はないわ、別にあんたには怒ってなんていないもの」

 

 少し優しい口調を意識して掛けたその私の言葉に、期待交じりに顔を上げる少年だが……生憎と、そんなものに応えてやる義理は無い。

 

「だけど、今の生活を捨ててまで、後ろの連中みたいなのの仲間に入るなんて……絶対にゴメンよ、それで話は終わり。とっととそいつら引き取って帰れ……!」

 

 そう、言いたいことを吐き捨てて、工房に戻ろうとした……その時。

 

「……ふざけんなよ、お前!」

 

 ついにキレた一人が、足音を荒げて私の前に出る。

 

「はっ……こんな女一人を大勢で囲んで粋がってる連中なんかに、何を期待しろって? 助けてって頼むならもっとマシな奴に頼むわ、お前なんかお呼びじゃないのよ」

「なん……だと……俺たちは……!」

「善意で言ってやってるのだとでもいうの? 何様?」

 

 目に思い切り蔑みの感情を込めて睨みつけながら吐き捨てる。

 どうやら図星だったらしく、ぐっと言葉に詰まる目の前の男。

 

「気づいていないみたいだから教えてあげるけどさ。今のあんたら、悪党……いや、精々が悪党の使いっ走りにしか見えないのよ。少し自分のやってることを振り返ってみた方が良いんじゃない?」

 

 プレイヤー間で助け合う組織の一員として、皆を元の世界に帰る方法を探す……そんな免罪符を掲げている彼らは、自分達の行いを鑑みない。何故ならば、自分たちは巻き込まれた不幸な人々を救うヒーローで、人の為に自分達は活動している……自分たちが正義だと、そう信じているのだから。

 

 なるほど、知らぬ世界で爪弾きにされたのであろう彼らにとって、自分が正義であると保証してくれる者の存在に縋るのは自然の事なのかもしれない。

 

 そんな彼らを裏で牛耳っている者が何を考えてそのようなことをしているのかは知らないが、その事を承知の上での扇動しているのであれば……いずれにせよ、性格悪いったらありゃしない。

 

 いずれにせよ、もう言う事は言ったと、あらためて立ち去ろうと踵を返した、その時。

 

「畜生……畜生、このアマぁ!?」

 

 次の瞬間、背中に強い衝撃。

 激昂した男に胸ぐらを掴まれ家の壁に叩きつけられたのだと気付くには、若干時間がかかった。

 

 ――しまった、言い過ぎた。

 

 物事をずけずけと言う自分の性分は理解していたが……そりゃ、心の拠り所の免罪符を否定されれば、こうしてキレられるのは当然ではないかと今更ながら思う。だが、私が間違っているとは思わないし、こんな連中にまで引くつもりはない。

 

「……っ、何、フラれたからって今度は暴力で従わせる気? ダッサ……っ」

「こっ、の、……っ!?」

 

 衝動のままに、男の腕が振りかぶられる。

 次に来るであろう物を予想し体が竦むが……それでも矜持だけは捨てるつもりはない。キッと、迫る拳を睨みつける。

 

 ――衝撃。

 

 脳裏に火花が散り、視界が揺れた。

 時間を置いて頰が熱を持ってくる。口内の錆臭い匂いは、口の中も切ったか。だが……

 

「ぐ、ぅ…………はっ、こんなもんか。随分と軽い拳ね……っ!」

 

 所詮、喧嘩慣れしていないゲームオタクが力を得て増長しただけの……素のステータスから来る身体能力はともかく……技術自体はお粗末な腰も入っていない拳だ。

 口の中の血をべっと吐き捨てて、殴った側の癖に、女の顔を殴った感触に今更怯んでいる眼前の男を睨みつける。

 

 とはいえ、事態はマズくなった。

 仲間の一人が一線を越えた、実際に暴力を行使したという事実が、周囲に嫌な空気を伝染させる。これで連中の、「女を殴るなんて、男として……」という心理的な枷が外れたのは間違いなかった。

 

「やめろ! だからやめろって!! 私たちは喧嘩じゃなく、勧誘に来たんだぞ!?」

 

 一人、必死に場を納めようとしている少年。

 だが、増長し自分の側が正しいと思っている連中が、その程度で止まるはずもない。

 

 そんな様子を冷めた目で眺めながら、さてどうしたものかと考える。

 脳裏に浮かぶのは、あの妹以外には無愛想な王子様。今日会う約束をしていた時間はそろそろなので、もう少し耐えればあの王子様達が来てくれるだろうけれど……

 

「……白馬の王子さまを待ち焦がれるようなガラかなぁ、私」

 

 はぁ……と溜息をつき、もう二〜三発は殴られる覚悟をした、その時。

 

 

「……お姉ちゃん!?」

「……え?」

 

 聴こえるはずが無いと思っていた声が不意に耳に届き、全身の血管に氷水が流し込まれたかのように、さっと思考が冷えた。

 

「あの、お姉ちゃん、これは一体……その頬、どうしたの……?」

「キルシェ……!? 馬鹿、来るな、逃げろ……!」

 

 すぅっと光が消えたように見えるその義妹の目に、内心で舌打ちする。

 今朝は作業の準備があるからと、先にお師匠様のところに行っていた義妹。だから今度は巻き込まずに済むと思い、油断していた。

 

 ――ああ、本当に、タイミングが悪い。今だけは駄目だったのに……!

 

 そんな私の焦りと裏腹に、周りの者達が動き出していた。状況が、秒で悪化していく。

 

「へへ、なんだよ、そんな顔もできるんじゃねえか。よし、そっちの女を捕まえておけ!」

「やめろ、お前たち! その子には……その子にだけは手を出すな!!」

「おっと、行かせねえぞ、妹が大事なら大人しく……」

「そうじゃない! この……っ、離せ、お前たちなんかに構ってられないんだよ!!」

 

 慌てて義理の妹に駆け寄ろうとして意識を外したせいで、男たちの一人に捕まってしまう。

 その隙に他の奴らが、まるで立ち竦んだように硬直したあの子に群がっていく――そんなあの子の周囲に渦巻いている物にも気付かずに。

 

「もう止めるんだ、何か変だ、退くぞ……!」

「うるせぇ、幹部だかなんだか知らねぇが、この役立たず! 無理矢理だろうがなんだろうが、こいつらを連れて帰ればどうとでも……!」

「違う! 何か様子が……」

 

 一人正常な思考を残しているらしい交渉役の少年はあいも変わらず仲間達を押し留めようとしているみたいだが、ここまでに増長してしまった男たちは止まらない。

 

「くそっ、離せ!! ああもう、何やっているんだ、私は……!」

 

 本当に、自分が嫌になる。

 これではまるで、あの悪夢の日の再現ではないか。

 それが、本当に駄目なのだ。最悪だ。このままでは取り返しのつかない事になってしまう。

 

 あの日とは違うのは、この世界でのあの子は無力な少女ではないこと。

 そして、あの子は、あの日のトラウマによって、今は()()()()()()()()()()()()()()()()()という事。

 

 ――マズい。

 

 この状況は、あまりにも不味い。

 

「駄目だ……逃げろ、早く!」

「ハッ、逃すわけ……」

「違う! 逃げろ……()()()()がさっさと逃げろ、早く!!」

 

 状況も分からずニタニタと嫌な笑いを浮かべ、こちらを拘束している男を必死に振り解く。

 どうやら基礎筋力はこちらが上回っていたらしく、僅かに拘束が緩む。それを機に、掴まれた場所から布が破ける音がするのも無視して無理矢理に振り解き、拘束から脱出する。

 

「それ以上は駄目だ、止め……っ!」

 

 必死に叫びながら、今度こそ守らなければと、義妹に向かって必死に伸ばした手は……

 

 

 

「……ねぇ、あなた達?」

 

 

 

 もう少し……あと数歩と言う所で。

 

 

 

「お姉ちゃんに……何、してるんですか――ッ!!」

 

 

 

 今度もまた届かずに、普段とは全く違う、昏い瞳で男たちを睥睨する少女の怒声と共に、世界が赤色に染まった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 イスアーレス到着二日目の、まだ涼しく爽やかな空気の流れている朝。

 既に祭りの準備で忙しそうにしている人々が行き交う街の外れ、桜花さんの工房のある島へ向かう橋の上を、私達は歩いていました。

 今日は、予定通りレイジさんとミリィさん……それと、急遽同行する事になったティティリアさんも一緒に。

 

「……でも、よく休みが取れましたね?」

 

 そんな疑問を口にする。ティティリアさんはレオンハルト様の側仕えとして来ているため、特に今は忙しいのではと思ったのですが。

 

「はい、私もそう思ったのですが、今日はイリスちゃ……姫様についていけ、ついでに羽根を伸ばしてこいってレオンハルト様が言ってくれました!」

 

 そう楽しそうに語る、今はメイド服を脱ぎ、オフショルダーのサマーニットとミニスカートというラフな格好をしたティティリアさん。

 

「そうですか……でしたら、申し訳ありません。今日行くのは、遊べるような場所では無くて……」

「ううん、私は姫様たちと一緒に出掛けられて嬉しいですよ、ちょっと巨人の武器工房ってのも興味はあるし」

「なら良いのですが……」

 

 視線が背後、ニコニコと上機嫌に私たち二人の様子を眺めているミリィさん……こちらはキャミソールにホットパンツ、その上にサマーカーディガンを羽織っているという、そのスタイルを見せつけるような格好です……に移ろいます。

 

「……ん? 私が何かしたかにゃ?」

「い、いえ……」

 

 楽しそうにしているティティリアさんに水を差さぬよう、この先待ち受けているであろう事について話すのはやめておきました。

 

 ……教えて逃げられでもしたら、せっかく一人増えた分、負担が分散するはずだったのが無くなってしまいますから、と、腹黒いことを考えたわけではありません。ありませんとも。

 

 そんな談笑をしながら、目的地である桜花さんの工房へと向かっていた、その時。

 

 

 

 ――突如、閃光が、空を灼いた。

 

 

 

 驚いて皆そちらの方角――今まさに私達が向かおうとしていた、桜花さんの工房のほうへと視線を向ける。そこでは……轟々と、凄まじい火柱が天を衝いて立ち上っていた。

 

 ざわざわと、その光景を眺める人々の間から、不安そうな声が広がっていく。

 

「……レイジさん!」

「ああ、急ぐぞ、しっかり掴まってろ!」

 

 すぐ後ろに控えていたレイジさんが、私の呼びかけに間髪おかず意図を察し、サッと抱え上げてくれる。途端に、高速で背後へと流れ始める風景。

 

「王子様、急ぐなら、道を作るからちょっと担いでください!」

「分かった、舌を噛むなよ!」

「ちょ、ずるいにゃ、私だって後衛職にゃぁああ!」

 

 レイジさんが私を、兄様が魔法の詠唱を開始したティティリアさんを抱え走り出し、その後ろをミリィさんが少し遅れて、飛行魔法『フリーフライト』で飛翔しついてくる。

 

 人込みを迂回する暇すら今は惜しい。

 兄様に横抱きに抱えられたティティリアさんの創り出した、光で編まれた仮想の橋を駆け抜け、一直線に目的地……未だ勢い衰えぬ火柱の方へと。

 

 

 

 

 ティティリアさんの魔法によるショートカットと、レイジさんの全力疾走もあり、十分と掛からずたどり着いた炎の出所は、やはり昨日訪問した桜花さんの工房。

 

「キルシェさん、桜花さん! 一体、何……が……!?」

 

 目的地に到着すると同時に二人の姿を探して叫んだ声が、眼前の光景に圧されて尻すぼみに消える。

 

 二人はすぐに見つかりました。桜花さんは家の壁を背に座り込んである一点を呆然と凝視しており、やや離れた場所に倒れ伏している数名。それに……

 

 

 ――聴こえてきたのは、歌。

 

 それは、まるで、純粋な怒りのみを残し、他の全ての感情を削ぎ落としたかのような、美しくも心の底から本能的な恐怖が湧き上がってくるような、(ウタ)

 

 その発信源に居るのは……

 

「……キルシェ、さん……!?」

 

 呼びかけに、彼女は答えない。

 虚ろな瞳で宙を見据え、ただ怒りの歌を吐き出す機械と化したように。

 そんな彼女を守るように、炎に包まれた翼を広げ周囲を睥睨しているのは、巨大な火の鳥。

 

「――唱霊獣(しょうれいじゅう)……『タナトフローガ』……!?」

 

 呆然をその名を零した私の視線の先で、天を衝くような業火を巻き上げて、巨鳥が翼をはためかせた。

 

 

 

 ――バード系列の、隠された真の力。

 

 本来であればいくつもの呪歌を重ね、それによって人々から引き出された場の感情の振れがピークに達した時に、その撚り集められた感情を糧にして顕現する強大な存在――その名を『唱霊獣』。

 

 そして今、眼前に顕現しているのは、『動』の『怒』の感情を司る、最も扱い難いと言われる凶暴な一体。

 

 全てを飲み込む怒りの劫火の化身が、ひときわ大きな産声を上げたのでした――……

 



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怒りの灯

 

 ――唱霊獣(しょうれいじゅう)、タナトフローガ。『動』の『怒』の感情を司る一体。

 

 唱霊獣というのは、バード系列の二次職以降で稀に顕現(けんげん)させることができる、いわゆる召喚獣みたいな存在でした。

 

 しかし……狙って顕現させる事はほぼ不可能と断言されるほどに困難。

 

 その出現には、内部的に存在したと言われる『静・動』と『喜・怒・哀・楽』の二つの隠しステータスが、一定範囲……バード職の使用する『呪歌』の効果範囲内にて規定値を上回る必要があったと言われています。

 

 ……言われていた、という曖昧な表現。

 

 実のところ、その数値の計算は困難を極め、明確な出現条件は確立されていなかったのです。

 

 高位スキルが乱舞するようなレイドボスですら滅多にお目にかかることがない一方で、ストーリーイベントの要所要所であっさり顕現した報告があるなど、その予測は困難を極め……最終的には、『やっぱりこれ、ガチでプレイヤーの感情を読み取ってるんじゃない?』と、攻略サイトの解析班から顕現条件の絞り込みについて匙を投げられた程でした。

 

 

 

 

 

「イリス、レイジ、この状況は……!?」

「うわ、唱霊獣!? 私、初めて見ました!」

「ふう、やっと追いつい……って、なんにゃぁ!?」

 

 私達に続き到着した兄様と、珍しい現象に若干興奮気味なティティリアさん、それとやや遅れて飛来したミリィさんも、軒並みこの状況に唖然としています。

 

「どうする、イリス? こっちはロクな装備も今は無いぞ?」

「そう、ですね……ですが、この暴走状態を放っておくわけには……」

 

 タナトフローガがキルシェさんの魔力を受けて顕現している以上、彼女の魔力が尽きれば、収まるでしょう。

 ですが……それまでに果たして、どれだけの被害が広がるか。そして事が済んだ後、彼女の心にはどれだけの傷が残っている事でしょうか。

 

 しかしこちらは、戦闘になる事を想定しておらず、今は護身用の最低限の物だけと、ろくに装備もありません。

 私はほぼ完全に私服、レイジさんと兄様は借り物の警棒とレイピアしか武器が無く、多少の耐火性能がある外套を羽織ったくらいで鎧も無い。

 

 ミリィさんはちゃんとした自前の杖を持っているのですが、今回の相手は暴走しているキルシェさん。まさか彼女ごと吹き飛ばすのは論外で、この状況ではミリィさんの魔法は強力すぎて、これもまともに使用できるものではありません。

 

 ですが……今の装備でも、止めるだけならば。

 

「……うん、大丈夫、やれます。幸いあの唱霊獣『タナトフローガ』は、私も何度か見たことがあります! まずは……ミリィさん、ティアさん、遮蔽物を!」

「ガッテンにゃ!」

「任せて!」

 

 即座に、私の意を察して詠唱を始めてくれる二人。

 

 あのタナトフローガは、とにかく火力が高く攻撃範囲が広い。

 一方で唱霊獣の特性として、最優先は術者の保護のために動き、特に指示がなければ術者の側から移動する事は無く、現在指示を出せる状態ではないらしいキルシェさんから離れて行動する様子もありません。

 

 味方であった時はとても頼もしかったのですが……こうして相対するのならば、この広い庭は問題外。まずは遮蔽物が無ければ話にもなりません。

 

「……グラート(冷気)コルリス(噴出)クロクル(遮断)……ティスカトゥーガ(氷壁)、『アイスウォール』にゃ!」

「……グラド(大地)シルド(防御)クレエ(創出)……アルスクリエ(地盾)、『ストーンウォール』!」

 

 二人の魔法により、あちこちの地面から、周囲に次々と生える巨大な氷と石の壁。

 直後、二人の魔力の動きに反応して行動開始したタナトフローガを中心に、激しい炎の嵐が吹き荒れますが、その創り出された壁の影に飛び込み身を隠してやり過ごす。

 

 そんな遮蔽の向こうで、熱気と共に、こんなにも分厚い壁ですらもいくつか融解し、砕ける音が響きました。

 

「……っ、ミリィさんは、このまま防壁をいっぱい作ってください! ティアさんは……」

「私、フィールドの火属性を減衰させる魔法あるけど……この辺一帯を囲むように、あちこち動き回って陣を設置しないと駄目なの!」

「では、それをお願いします、レイジさんは彼女をお願いします!」

「わかった……危ないと思ったら無理すんなよ?」

「大丈夫です、キルシェさんに、人を……友達を傷つけた負い目を背負わせるわけにはいきませんからね」

「そうか……よし、行ってくる!」

 

 私の返事に満足そうに頷いて、ティティリアさんと合流し離れていくレイジさん。その入れ代わりに私の側に来た人影は……

 

「部下の不始末は、責任者である私の不始末。彼等は逃げてしまいましたが、私は微力ながらお手伝いします」

「……君は?」

 

 傍に控えていた兄様が、訝しげな視線を向ける。

 

 男性としては小柄な、不思議な意匠の仮面を被っている、額に魔族特有の角を持った少年。

 彼の言葉に周囲を見渡すと……確かに、転がっていた様々な装備を纏った人たち……おそらく、元プレイヤー……の姿が、見当たらなくなっていました。

 

「シン、と申します。ウィザード系列の三次転生職『アークウィザード』ですので、そちらのミリアムさんほどではありませんがお役にはたてるかと」

 

 そう、若干複雑そうな視線を、チラッと背後で自分の詠唱に集中しているミリィさんに向けながら言う彼。

 

 通常の三次転生職とユニーク職の間には少なからず確執が存在し、しかも二人は同種族の同系統職という事で思うところはあるのでしょうが、それでも彼の目は真っ直ぐでした。ならば……

 

「……助かります。なら、抵抗魔法を任せていいですか? 纏っている炎の火勢が増したら、すぐに強力な全周囲攻撃が来ます、兆候を見落とさないようにお願いします」

「……! ありがとうございます、精一杯やらせていただきます!」

 

 味方への属性魔法を軽減する抵抗魔法を任せる……この炎吹き荒れる状況において、それは命綱の一本を任せるということ。それを任された……この場では信頼すると私が言外に伝えたのを察した彼は、嬉しそうに自分の役目を果たしに行きました。

 しかしこちらとしても、ミリィさんが壁の増産に手一杯な以上、抵抗魔法が使えるもう一人の魔法使いの存在は、とてもありがたいものでした。

 

 あとは……傍で、私に『インビジブルシールド』の魔法をはじめとした各種守護スキルを施してくれている兄様です。どうしますか、と視線を送ると……

 

「……ごめん、私は少しのあいだ戦闘から外れる」

「この状況で、どちらへ?」

「決まっている、私は盾役だからな。ならば、やる事は一つ……」

 

 そう言って、未だそこだけほとんど炎に巻かれていない工房……その壁にもたれかかって座り込んでいる、桜花さんの方を指す。

 

「……敵対心(ヘイト)稼ぎだよ」

 

 そう、悪巧みをしているのが透けて見える笑顔を見せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――まただ。

 

 ――私はまた、何もできなかった。

 

 それも、以前と全く同じシチュエーションで。

 これでは何も反省していない。何も成長していないではないか。

 いや、それ以上に、むしろ悪化している、本当に私は、なんて駄目な――

 

 自己嫌悪に沈む中……ふと、頰に触れた暖かな感触。

 顔を上げると、淡い緑の光に包まれた手で、殴られた私の頰に触れている、端正な顔をした王子様。

 

「手酷くやられたな。痛むか?」

「これ……治癒魔法?」

 

 殴られて腫れていたであろう頰が、光に触れている場所から痛みが引いていく。

 

「つい最近、使えるようになったんだ。本当に初歩のものだけで、効果もあの子の物には遠く及ばないけどね」

 

 そう言って、背後で懸命に指示を飛ばしている女の子……あのイリスというお姫様を、優しげな目で見る王子様。

 

 そんなお姫様は……可憐で、小柄で、儚げで、ぽやんとしていて、頼りなくて、全く強そうには見えなかった女の子は、今は眼前の猛威に対して一歩も引かず、氷の壁の合間をたどたどしく駆け回り光の槍を放ちながら、敢然と指示を周囲に飛ばしている。

 

 防具なんて纏っていない、ヒラヒラしたワンピース姿の女の子が。

 そんな子が炎に満ちた戦場に立っているなど、滑稽な光景に違いないはずなのに、まるでそんな可笑しさを感じない程に、あのお姫様は輝いて見えた。

 

 

 

 ……私も、ああなれたら良かったのに。

 

 

 

 私よりもずっと大変な目に遭ってきたと聞いている彼女達だというのに、何故それでもこんなに強くあれるのだろう。憧憬と嫉妬が入り混じった物が腹の中から湧き上がり、情けなさにじわっと涙が滲んだ。

 

「……何をしているんだ、君は。はやく立て、妹を止めに行くぞ」

 

 強い、責めるような口調で声を掛けられるとともに、ぐいっと腕が引かれる。だけど、私は……

 

「……無理だよ、私には。また届かなかった。私は、あんた達みたいに強くはなれないんだよ!」

「……何?」

「分かってたさ、もう今更姉だなんで言う資格なんて無いって、そんなのは、ずっと……――ッ!?」

 

 突然、グイッと首元が締められ、体が浮かび上がり、無理矢理立たされた。そして……

 

 ――パァン、と、耳元で響き渡る、何かを叩く乾いた音。

 

 頰に受けた衝撃と、じわじわと浸透してくる熱に……自分が、目の前のこの王子様に襟首を掴まれ、頰を張られたのだと、ようやく気がついた。

 

「私達は特別に強くなんてない! イリスが、私達が、今までどんな思いで……ッ!!」

「な……ん……」

 

 突然激昂した彼。その目に浮かぶ色は、紛れも無い……燃え盛るような、怒り。

 しかし、その怒りはすぐに目から失せ、代わりに……

 

「……くだらない、そんな言葉、君から聞きたくなかった」

 

 一転し、冷め切った目で冷たく言い放つ、彼。

 その態度に……カッと頭に血が上る。

 

「じゃあ、どうしろって言うのさ! 前も! 今回も!! 私のせいであの子を危ない目に合わせて、今更どんな面で姉貴面しろって……!?」

「そんなもの……!」

 

 一層グッと力を込められた王子様……ソールという男の腕に力が込められ、吐息がかかるような至近距離の眼前に、その端正な顔が近づく。

 その目は、再度の激情に爛々と燃え盛っており、ゾクリと恐怖が背中を滑り落ちた。

 

「大事なら、何度失敗しようが、何度凹もうが、まだ取り返しがつくなら何度だって手を伸ばせばいい! 駄目かもしれないって、出来ることをしない言い訳をしている間に、出来ることがあるだろう!?」

 

 その剣幕に、思わず怒りを忘れ、言葉に詰まる。

 そこには……紛れもなく、私に対する怒りの感情が込められているように思えた。

 

「……言う事は言った、あとは勝手にしろ」

 

 そう言って、乱暴に私の服を離し背を向ける彼。

 だが、去り際にもう一度振り返り……

 

「だけど、その程度で諦めるなら……君には、がっかりだ」

 

 そう、吐き捨てて、今度こそ眼前の炎の海に駆けて行った。

 

 

 

 言い返せなかった。何も。

 彼に対して言い返したいのに、そのことごとくが喉でつっかえ、口に出す事ができなかった。

 

 何故かは分かっている。

 全て、向こうの言う方が正しいからだ。

 

 だが、それでも……

 

「…………ふざ、けんじゃ、ないわよ……っ!」

 

 理屈でも、道理でもない。

 ただ、感情で――お前に、そんな事を言われる筋合いは無いと、遅れて再度怒りが込み上げて来た。

 

 ならば、自分がするべき事は何だ?

 あの男を見返すには、何をすれば良い?

 

 そう考えた時、自然と自分の工房に飛び込み、その奥にある自室の奥、槍を掛けている壁の前へと駆け込んでいた。

 

「いいわよ、やってやる、やってやろうじゃない……!!」

 

 怒りに任せ、槍に伸ばした手が……その柄を掴む寸前で、まるで見えない壁に阻まれたように静止した。

 

 

 

 ――お前のせいだ。

 

 ――お前のせいだ。

 

 ――お前の、お前の、お前のお前のお前の……

 

 

 

「――うっ……るさいッ!!」

 

 責め立てる内側からの声を黙らせるように、全力で壁に額を打ちつける。

 

 脳が揺さぶられ、ぬるっとした液体が鼻梁を伝うが……それでも、脳裏で私を苛んでいた声は止んだ。

 

 ガッと、躊躇いを振り切って槍の柄を勢いよく掴む。

 途端に激しい吐き気に見舞われるが……

 

「……ふ、ふふ、ふふふ……っ!」

 

 それ以上に、沸々と湧いてくるのは怒り。

 それは、身体を竦ませる冷たいものを逆に焼き尽くし、熱を発生させ、身体の隅々まで力を行き渡らせる。

 

 ――ああ、たしかにアンタの言ったことは正しいだろうさ。だけど、だけどさ……っ!!

 

 深呼吸を、一つ。

 思いの丈を全て込め、一息に吐き出した。

 

「何、がっ!  君にはがっかりだ、よ、あンの気障(キザ)男ぉぉおおおおおぉッッッ!!」

 

 怒りに突き動かされるままに、棚から引き千切るように愛槍を捥ぎ取ったのだった――……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「お待たせ、ここからは私も戦線復帰するよ」

 

 やるべき事は済んだとばかりに清々しい表情で戻って来た兄様を……私は、氷の壁の陰に身を隠しながら、ジト目で見つめる。

 桜花さんが、工房の中に駆け込むまでの一部始終を横目で見ていましたが……

 

「兄様、何もあんな……」

「だが、効果覿面だっただろう?」

 

 一際分厚く密集して立ち並ぶ氷の壁の影で、隣でジトっとした目で責める私にそう言って、壁の向こうにいるタナトフローガ……それを従えるキルシェさんを視線で指し示す兄様。

 

 その巨鳥の目は、まるで仇でも見るようにがっちりと兄様の方を捉えており、今も身を隠している氷壁の向こうから、荒れ狂う炎に別の氷壁が砕かれている破砕音が響いていました。

 

 しかし……アレが暴れ始めてからも、桜花さんが居る方向、工房のある側には今のところ飛び火はしていません。暴走しているとはいえ、どうやらキルシェさんの目的が桜花さんを守るため、という根本的な部分は変化がないのでしょう。

 

 故に……そんな桜花さんに手を上げた兄様に対して、彼女の怒りの矛先は集中していました。

 

「……呆れました。タゲ取りに桜花さんを利用するなんて」

「いや、まぁ、それはあの人に喝を入れる副産物だったんだけどね……まいったね、予想以上だった」

 

 半眼で見つめる私に、そう悪びれもせずに肩をすくめて語る兄様。

 

「……大丈夫ですか?」

「……ん、何が?」

 

 不意に、私の口をついて出た言葉に、とぼける兄様。しかし私自身何を指しての言葉だったのか分からず、それ以上追及もできませんでした。

 

「それより、目の前の問題をどうにかしないとね。『ディバイン・スピア』の方は?」

「私の魔力にはまだまだ余裕がありますが、キルシェさん本人への攻撃はほとんど防がれて、なかなか……」

 

 先程から隙を見て放っているものの、そのほとんどはタナトフローガの放った炎に落とされて、有効打は与えられていません。

 

「なら、イリスは反対側からとにかく打ちまくるんだ、今の状況ではそれが一番有効な攻撃だからね」

 

 私の『ディバイン・スピア』は、相手に怪我すら負わせない非殺傷魔法。しかも魔力を削るため、あのタナトフローガを顕現させているキルシェさんだけ昏倒させ、無傷で無力化できる可能性が高い攻撃手段です。

 それでもやり過ぎて魔力欠乏状態にしてしまう恐れはありますが、万が一やってしまっても、私には『マナ・トランスファー』による魔力譲渡という、それを補填する手段があります。

 

 つまり、今回の状況に限って言えば、私が唯一のアタッカー。

 

 そして、向こうのターゲットは兄様にしっかり固定されており、今はもう私の事は眼中にありません。確かに良い手だったんでしょうけども……!

 

「……後で、話がありますからね!」

「はいはい、それより、慣れない攻撃役に夢中になって()()を忘れないようにね?」

「分かってます!」

 

 それだけ言って、ターゲットを引きつける兄様から離れるように壁を縫って移動し、ディバインスピアの詠唱を始める。

 

 こちらは、装備もほとんど無く、攻撃も自由にはできません。状況は、圧倒的に不利ですが……

 

「……キルシェさん、絶対、絶対に、止めますから……!」

 

 氷の壁から飛び出して、そう語りかけながら放った光の槍が、炎を貫いて飛翔しました――……

 



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唱霊獣タナトフローガ戦

 

 「黒星……招来……ッ!」

 

 掲げた手から、螺旋を描いて六つの漆黒の球体……『黒星』が現れ、私の周囲を旋回する。

 それと同時に、タナトフローガがこちらへと炎を渦巻かせて放ってくる、が。

 

「その程度……! 喰らえ、黒星!!」

 

 左手の動きに合わせて周囲に漂っていた黒星が流れ、掲げた手の前で、まるで盾となるように回転する。その黒星の周囲の炎が霧散……否、吸収されて姿を消し、炎の津波は左右へと流れていく。

 

 

 

 黒星……その正体は、魔力によって構成された炎など、魔法による現象にのみ影響を与える高重力場。

 その力場に絡め取られた炎は吸収され、圧縮の後に黒星の奥底で消失する。

 

 

 

「……よし、このくらいであれば、なんとか行けるな」

 

 この一月で新たに習得した技が、予定通りの効力をきちんと発揮した事にホッと胸を撫で下ろす。

 決してこれは万能ではなく、一度に許容量を超える魔力を受ければ飽和し崩壊する。例えばミリアムの『フォトンブラスター』など高密度に収束した魔法相手では、ひとたまりも無く纏めてかき消されるであろう。

 

 だが、今回に関しては指向性の薄い炎が相手だ。自分に迫るものへと対処する分には、許容量には十分に余裕があった。が、それでも迫る熱量はかなりのもので、ジリジリと肌を炙る痛みが襲ってくる。

 

 ――長引くと、少し不味いかな?

 

 そう、後でイリスの治癒魔法のお世話になることも考え始めた時――

 

 

 

「あんだけ人に言いたい放題言ったんだから……しゃんとしろ、この馬鹿野郎……ッ!!」

 

 怒声と共に、私の眼前に一本の槍……片刃の、グレイブという種類の奴だ……が突き立った。

 その槍は地面に突き刺さると同時に私を守るように激しい旋風を巻き起こし、炎を吹き散らしていく。

 

 これは確か、ランサー系二次職『ドラグーン』の、『タービュランス』というスキルだった筈。という事は……

 

「ありがとう、助かったよ、桜花さん」

「フン……その、どうせ来ると信じてたって感じのスカしたツラ、気にくわないね」

 

 そう不機嫌そうに歩いてきて、地面から槍を抜き取り構えた桜花さん。

 そんな彼女が、腕に抱えていた金属板……円盾(ラウンドシールド)を、私に叩きつけるように投げてよこす。

 

「一応ミスリル製だから、そこそこ丈夫だと思うけど。工房の隅っこで埃被ってた習作だから、過信しないでよね」

「あ、ああ……助かる、使わせてもらいます」

「……フン」

 

 そう、怒りも隠さずにそっぽを向く彼女。

 よく見れば、手や膝はまだ少し震えている。しかし、その負けん気の強そうな顔は、彼女の戦う意思を何よりも雄弁に語っており……

 

「……ま、及第点かな」

「は? 偉そう、ふざけんな気障(キザ)男、これが終わったら色々言ってやりたい事があるから覚悟しておきなさい」

 

 そう憎まれ口を叩いた彼女の顔は、不機嫌そうにこちらを睨みつけてきているが、その口は僅かに笑っているように見え……

 

「わかった、覚えておこう」

 

 そう、苦笑して返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 世界初のフルダイブVRMMO。今でこそフルダイブVR慣れが進んだことで、問題は滅多に起きなくなったが……その初期の戦闘は、散々なものだったと聞いている。

 最初のフィールドに徘徊している雑魚敵の野犬ですら、リアルなスケールで迫って噛みついてくるのだ。実際に犬に追われた経験のある者ならば分かるであろう、その恐怖心に耐えられなかった者達が、次々と心身の不調を検知され強制ログアウトされたと聞く。

 

 ……だが、それでも、ゲームだった頃は安全が保障された怖さだったのだ。

 

 

 ――怖い。

 

 少し戦っただけで、ひしひしと思い知る。この世界の戦闘がここまで恐ろしいだなんて、予想はしていたけれども実際は遥かに予想以上だった。

 

 迫り来る炎は、CGではない本物。今は各種防護魔法に守られているけれど、一歩間違えてまともに受ければ皮膚は焼け爛れ、その痛みは想像を絶するものになるに違いない。

 

 こうして前線で槍を振るってようやく、その怖さが分かった。

 そして、自分よりも一歩先で剣を振るっている王子様は、いや、彼の仲間たち皆は、このような恐怖を耐えてここまで来たのだ……と。

 

 

 

 

「ブレス、来るぞ!」

「分かってる……!」

 

 散発的に吹き荒れる炎と違い、収束された火球のブレスは、氷壁の陰では凌ぎきれない。

 氷の破片を撒き散らし蒸発させながら迫り来る火球を、槍を構えて迎え撃つ。

 

「っの、吹っ飛ばせ、『ヴォーテックスシールド』……っ!」

 

 風を纏わせた槍を手元で回転させ、絡め取った火球を右へ受け流す。続いて迫る二射目の火球を、無理矢理体勢を変えて左に。

 しかし、大きく体勢が崩れ、迫る三射目に対処が遅れ、火球が眼前へと迫る。

 当たる……そう背筋にヒヤリとしたものが流れた瞬間、飛び込んで来る人影。その影が横殴りに火球を殴り飛ばし、迫っていた火球は明後日の方向、海の方へと消えていった。

 

「あ……ありがと」

「いや、こちらこそ、負担が分散してだいぶ余裕ができた、感謝してる」

 

 そうフッと笑いかけ、すぐに前に立つ王子様。

 

 

 

 私の『ランサー』系列職は、攻撃的な印象と裏腹に、攻撃力はそこそこ。

 その本質は、敵を束縛したり、攻撃を受け流すなど様々な風を操り攻撃を防ぐ、ゲームだった頃はどちらかといえば回避盾……タンクのロールに近い職だ。

 そのため、防御手段は豊富にある。あるのだが……

 

 

 

 目が霞む。

 息が上がる。

 覚悟してきたつもりだったけど、実際の命がかかっている戦闘は恐怖心が凄まじく、極度の緊張状態からガリガリと体力が削られる。

 

 そんな、こっちはいっぱいいっぱいだというのに、眼前に立っている王子様ときたら至極冷静に、タナトフローガの羽ばたきによって生み出され、視界を埋め尽くすほどに迫ってくる炎をいなしていく。

 

 ……悔しいけれど、この王子様は、自分よりずっと強い。いや、違う、実戦という場慣れしている。

 

「あんた、涼しい顔してるように見えるけど、一体いくつ修羅場潜って来てんのよ……っ!」

 

 負けたくない……その一心で必死に食らいつくも、その背中は遠く、フォローに当たるのが精一杯だ。

 これは私の問題なのに、最前線を任せざるをえない。その悔しさに唇を噛んだ、その時。

 

「……怖いよ、これでもね」

「……え?」

 

 全くそんな風には見えない涼しい顔で、迫り来る津波のような火焔を、黒い球体みたいなもので受け流しながら、そうポツリと呟いた王子様。その声に、思わず振り向く。

 

「……初めて人を斬った時は、怒りに駆られていたから何とも思わなかったけど……時間をおいて、とても恐ろしくなった」

「……それ、は」

 

 人を斬った。

 平和な元の世界の日本にいる限り、まず体験する事ではないだろう感覚。

 今は戦う意思を持ってこうして出て来たが、あくまで助けるために槍を取ったのであり、人を殺す覚悟なんて持てないし、自分には想像もできない。

 

「敵に負けて、酷い負傷を折った場所は、時折痛むことがある。もう完全に治っているのにね」

 

 それも、当然だ。

 いくらあの奇跡のような治癒術が使えるお姫様がいると言っても、治癒術では身体の傷は癒せても、心の傷は癒せないのだから。

 

「今でも、時々夜中に怖くて目が覚めるよ。明日こそ、本当に死ぬんじゃないかって」

 

 その声に、震えは見られない。何故、そこまで淡々と語っていられるのだろう。

 

「イリスも……以前私たちが倒れた時から、たまに夜中に起き出して来るんだ。私達が目覚めない、怖い夢を見たせいで眠れないって」

「あの子が……なんだかホワホワしていて、そんな風には見えないけれど」

「はは……イリスは、本当に臆病だよ。だから、私やレイジは夜、ちゃんとあの子が寝ているか見て回るのが日課になってしまったし、そんな日は……私やレイジの姿を見つけると、心底ほっとした様子で言うんだよ」

 

 ――ああ、良かった。ちゃんと居てくれた。

 

 そう、目に涙まで浮かべ、心底安堵した表情で。

 そんな日はもう眠れず、諦めて皆で談話室で身を寄せ合い毛布にくるまって、朝まで時を潰すのだと……そう炎の猛威を振り払いタンクとしての仕事を淡々とこなしながら語る王子様の横顔は、ひどく悲しげだった。

 

 

 

 ――変わらないんだ。彼らも、どれだけ敢然と戦っているように見えても、その実、常に恐怖と戦っている。

 

 知ってしまえば、先程、自分は弱くて彼らは強いのだから仕方が無いと腐っていたのが恥ずかしく思えて来る。そして、彼が怒ったのも仕方が無いと。

 

 でも……だからこそ、知りたい。

 

「――どうして、それでも武器を取るの?」

「……さぁ、他の皆の事は分からないな。だけど……私達三人の事であれば」

 

 その表情に、緊張が走ったのが分かった。

 視線の先で、これまで以上に勢いを増した炎を纏う巨鳥が、今まで留まっていたキルシェの元を離れ上空へと舞い上がる。

 

「私は、この狭い私の世界の誰も、失いたくないから……って事だろうね――来るぞ!」

 

 対峙しているタナトフローガの動きが、変わった。

 仰け反るようにして開いたその嘴の前に、いくつもの魔法陣が灯り、折り重なっていく。

 それは瞬く間に巨大な立体魔法陣となり、その内部に激しい……だけでなく、肌をぞわつかせるような凄まじい悪寒を感じる力が膨れ上がっていく。

 

 そんな中……

 

「……っ!? 駄目、私はそんな事、望んでない!!」

 

 まともな意思が残っていなかったように見えた義妹の叫ぶ声が、炎の嵐の中から聞こえて来た。

 

「キルシェ!? 正気に戻ったの!?」

「……お姉ちゃん!? 駄目、逃げて、止められないの……『エモーショナル・フロウ』が発動しちゃう!!」

 

 術者であるあの子が……おそらくは、大量の魔力を急激に吸い上げられたせいであろうか……正気に返り、必死に力を押さえようとしても、すでにトップギアのまま暴走している唱霊獣の力を抑え込むには時既に遅く。

 

「駄目だ、あんたら、逃げ……ッ!?」

 

 咄嗟に、周囲で戦闘中の皆に警告を飛ばす。

 元々、うちの義妹は何故かやたらと唱霊獣を顕現させやすく、そのコンビとして一番長いあいだプレイして来た自分は、誰よりもその危険性を把握していると自負している。

 

 

 

 ――エモーショナル・フロウ

 

 それは、唱霊獣それぞれが有する、最大の必殺技。

 中でも、最も火力に特化したタナトフローガのそれは、遍く存在を許さぬ炎――万物必滅の意志を示す怒りの炎。

 

 死の概念の神の名を冠したその炎、名を――『タナトスブレイズ』と呼んだ。

 

 だが、私が言葉を失ったのは、その炎に臆したからではない。

 

「……イリス、来るぞ! 合わせろ!!」

「――分かって、ます!!」

 

 叫ぶ王子様の声に、間髪を容れずに返ってくる可憐な少女の声。二人、大声で合図を送る王子様とお姫様。

 まず王子様に不可視の盾……確かプリーストのプロテクションの魔法……が張られるのに続き、同調して詠唱を始めた二人に、唖然とする。

 

 ――まさか……あの『タナトスブレイズ』を真正面から受け止めるつもり!?

 

「ちょ、無茶ですよ!? あぁ、もう!」

 

 何のつもりか協力していたらしい、プレイヤー互助組織の中で唯一まともな会話が成立していた彼……シンとかいう名前の少年が、悪態つきながらそんな王子様に抵抗魔法を飛ばしていた。

 

 けど、その程度じゃ焼け石に水だと舌打ちする。

 慌ててその襟首を取っ捕まえて下がらせようとして、目が合った。

 

 ――大丈夫、任せて。

 

 そう、視線で語っているのを感じ取った、次の瞬間。

 

 

 

 上空から、世界を炎の色で真っ赤に染める、眩い熱線が放たれた――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ赤に染まった世界の中、私が見たのは、円を描いて飛び出したあの王子様が操る黒い球体と、二重に張られた魔法障壁。

 それが上空から放たれた熱線とぶつかり合い、激しい爆発を引き起こしてから、果たして何秒、あるいは何分が経過したのか。

 

「……っ、気障野郎、大丈夫!? ねぇ!?」

 

 立ち上る砂塵と水蒸気の向こう、爆心地に、慌てて呼び掛ける。

 果たして、あの中心に居たあの王子様は、無事なのか……祈るような気持ちで数秒……

 

「……はぁ……はぁ……ああ、大丈夫だ……っ」

 

 息も絶え絶え、そんな様子で砂塵の中から姿を現した王子様が、ほとんど溶け落ちてその役目を果たせなくなった円盾を傍らに投げ捨てる。

 

「……っ、はぁああ……良かった……でも、本当に受け切るなんて……」

「何という事はない……あれは『炎』と『呪詛』の複合属性、ならば今自分に掛けられている補助魔法の効果と、私とイリス二人分の障壁があれば耐えきれる筈……そう過去の経験からほぼ確信していたから」

「……だからって実践する、普通?」

「退いて誰かにタゲが飛んで、無防備に食らう可能性よりはずっとマシだろう。それより……油断するな」

 

 息を切らしながら立ち上がり、剣を構え直してあの子……キルシェのいた方向を凝視する王子様。

 

「でも、向こうは大技を使い終わったんだから、もう……」

「……いや、それは……どうだろうね」

 

 半信半疑のまま槍を構えた私に、歯切れの悪い様子で返事を返す王子様。その様子に訝しみ、視線を追った先には……

 

「……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 地面に座り込み、完全に常軌を逸した様子で、謝罪の言葉を壊れたレコードのように発し続ける義妹の姿。

 

「ごめんなさいごめんなさい! 嫌、いやぁ……こんなの、今度こそ嫌われる……こんな迷惑ばっかり掛けて、どうしたら……っ!?」

「あ、あの、キルシェ……?」

 

 もう消えると思っていたタナトフローガを未だに従えたまま、虚ろな目で譫言(うわごと)を呟き続ける義妹に、思わず恐る恐る声を掛ける。すると、義妹はその細い肩をビクッと震わせて、顔を上げた。

 

 おどおどとこちらの様子を窺っている普段とは全く違う、感情を剥き出しにした顔。

 そこには、大半を占める混乱の他、怯えの中に、まるで縋るような必死な色が見えた。

 

 そんな様子がちくりと胸を刺し、やっぱり私に姉なんて……という後悔が今更ながら再び湧き上がって――思わず、視線を逸らしてしまった。

 

 それは何という事はない、いつもの罪悪感と劣等感から来る、いつもの癖。

 それが大失敗だったと――すぐに思い知る事になった。

 

「あ……あのね、キルシェ……」

「………………何で?」

「……へ?」

 

 どう声を掛けたものか迷っていると、先程と一転し驚くほどトーンダウンしている声。

 訝しんで視線をキルシェの方に戻し……喉の奥から、ひっと情け無い声が漏れそうになった。

 

 はらはらと涙を溢しながら、瞬きもせずにこちらを見つめているその昏く沈んだ瞳にあるのは、飽和し、重苦しく粘度を増した……紛れもない私への怒り。

 

「何で、なんで、なんで? 私、すごく迷惑掛けて、こんな酷い事をしてしまっても、お姉ちゃんは何も言ってくれないの?」

「あんた、何を……」

「……邪魔なら邪魔って……嫌いなら、嫌いって言ってよ! そうしたら、諦めもつくのに、希望だけ持たせるような事しないでよ!!」

「ちょ、ちょっと待っ、あなた、何……っ!?」

 

 ぼたぼたと、大粒の涙をとめどなく溢しながら、まるで癇癪を起こした幼子のように泣きじゃくり叫ぶキルシェ。

 

「叱られてもいい! 嫌われても構わないから……私の方、ちゃんと見てよぉぉおおおおぉぉ……ッ!!?」

 

 今まで以上禍々しい輝きを増したタナトフローガの焔が、再び勢いを増して燃え上がった。

 それは……今も泣き叫び、涙を拭い続けている義妹の、今まで抑圧し続けていた心の叫びを体現しているかのように。

 

 

 

 ――あぁ、そういえば、あの子をきちんと正面から直視したのって、最後はいつだったかな……そんな事を振り返ってみる。

 

 ……記憶が思い当たらない。

 

 もしかして私、家族になってから今まで一度も、あの子の事、きちんと見てなくない?

 

 そんなあの子の方は……思えば、引っ込み思案なりに必死に、私の役に立とうと頑張ってくれて、距離を縮めようとしてくれていたのに、だ。

 

 

 

「……うっわ、最低だ、私」

 

 思わずポロリと口をついて出た言葉。

 

「……桜花さん、君さぁ。なんか予想外の理由で、ものすっ……ごく怨まれているみたいだけど?」

 

 そう、引き攣った苦笑を浮かべながら言ってくる王子様。

 

 ――うん、ごめん。私も今、ものすっ……ごく驚いてる。

 

 そう、呆然としながら返した私の言葉は、爆炎と閃光に掻き消されていった――……

 



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届いた手

 

 唱霊獣が一度は沈静化し、このまま終わるかと思われたのも束の間。

 再度勢いを増して吹き荒れ始めた火の海。

 

 皆が辛くも退避したのは、朧げに感じる皆の生体反応が教えてくれました。

 しかし、私自身はどうにか氷壁の裏に逃げ込んだは良いものの、退避する機を逃してしまった。

 

 背後から断続的に迫る氷が砕ける音に、震えそうになる体を抑え込む。

 けれど、その音は止むことなく徐々に近づいており、それはもうすぐ後ろまで迫っていました。

 吹き荒れる炎の範囲外に逃れているミリィさんが必死に壁を増産し続けているのは把握していますが、それも間もなく追いつかなくなるという事が、私の計算で弾き出された結論。

 

 

 

 ――分かっているたぁ思うんだが……いつまでも、隠しおおせるものではないぞ?

 

 

 

 頭の中に、昨日ネフリム師に言われた言葉が蘇ります。

 

 先ほど使用した『プロテクション』のリキャストは間に合いそうになく、あとは……プレイヤー互助組織の彼、シンさんの目に晒す不安はあるけれど、それ以外の手は無くなるかもしれないと覚悟をしておく。

 

 ……ううん、大丈夫。こういう時、きっと……

 

 そう何度も自分に言い聞かせて、迫り来る炎の恐怖に耐える。

 あと三枚、二枚……これ以上は耐えられない、そう判断し、ギュッと目を閉じて、『ワイドプロテクション』の詠唱を始めようと口を開いた――その時。

 

 ザッ、とすぐ眼前から地面を蹴る音がして、思わず顔を上げる。そこには……

 

「――砲、閃、火ぁぁああああっ!!」

 

 屈んで遮蔽物の陰に身を隠した私のすぐ前に、いつ間にか現れたレイジさんの姿。

 裂帛の気合いと共に、彼が手にした『剣軍』の一本が視認不可能な速度で振り抜かれました。

 

 あまりにも速い剣閃が、迫る炎を吹き散らし円形に削り取ったように見えた、その直後。

 

 ――ゴウッ、と、凄まじい炎と衝撃が吹き荒れる音。

 

 振られた剣から一拍遅れてようやく放たれたレイジさんの『砲閃火』の炎が、私の背後から迫っていたタナトフローガの炎とぶつかり合い、吹き散らしていきました。

 

 その威力は、ゲームだった頃の同じ技とは段違い。

 炎が炎を押し返すという不思議な光景を呆然と眺めていると、ひょいと抱え上げられ、一足飛びに熱気の外へと連れ出されました。

 

「悪い、遅れた……大丈夫だったか?」

「はい……はい、きっと来てくれると思っていました」

 

 私の事を抱えたまま心配そうに見下ろす彼に、まだちょっと心臓がバクバク言っていますけれど、と苦笑しながら伝える。

 

「そうか……良かった、炎の中に見つけた時にはヒヤッとしたぞ」

「ごめんなさい……ですが、ティティリアさんの方は?」

 

 そっと地面に下ろされながら、疑問を口にする。

 レイジさんは、ティティリアさんの術の構築の手伝いに行っていたはず。それがこうして戻って来ているという事は……

 

「ああ、あっちも大丈夫だ、向こうも準備は終わった」

 

 その言葉と同時に、周囲に幾本もの天を衝くような蒼い光が立ち昇る。その中心には……

 

「『水克炎縛陣』……ッ!!」

 

 その光の中央、このような状況下で尚いまだに火の手の回っていない工房。

 その屋根の上に陣取るティティリアさんが叫びながら印を切り、その手を床に叩きつけると、たちまち周囲に蒼い光が走り、幾何学模様が描かれていく。それは瞬く間に炎を鎮め、吹き散らしていきました。

 

「イリスちゃーん! 水の地脈の力で炎を押さえてますが……あ、あんまり長くは抑えきれないですからねー!?」

 

 そうこちらに叫び、歯を食いしばり、術を維持してくれているティティリアさん。

 しかし、炎が弱くなってもまだ本体は暴れ回っており、簡単に接近出来そうになありません。

 

「っても、どうすれば良い……!?」

 

 散発的に振り回した翼から矢のように放たれる、炎で構成された羽根を斬りはらいながら、私の前に立ち塞がっているレイジさんが、背後の私に尋ねて来る。

 

「私は……キルシェさんを助けたい、です」

 

 今の私は、凝視した相手のコンディションを識る事が出来るようになっています。

 そんな私の目から見た現在のキルシェさんは、暴走する唱霊獣に際限なく魔力を吸い上げられている状態。

 刻一刻と減り続ける魔力と、悪化し続けているコンディション。このままではすぐに、魔力枯渇で倒れる事は明白でした。

 

「そいつは分かってるが、そうは言っても……っ! こんなん近寄れねぇぞ、どうする?」

 

 私に向かってくる炎を斬り払い続けながらレイジさんが再度問いてくる。

 火力は抑えても、まるで自棄を起こしたようなそのタナトフローガの攻撃密度は高く、接近は不可能。ならば遠隔攻撃ですが……

 

「……私が、全力で『ディバイン・スピア』を放ってあのタナトフローガの動きを止めます。ちょっと深く集中しますので、その間はお願いしますね」

「あ、ああ、それは良いけど……非殺傷魔法なら術者を狙ったほうが楽じゃないか?」

 

 確かに今ならば狙いやすくはなったと思いますが……その言葉に、苦々しい思いで首を振る。

 

 こうして相対し観察していて分かった事ですが、あの唱霊獣は全てが全て術者の魔力で構成されている訳ではありません。

 その体は世界に満ちる魔力で構成された存在……この世界における『精霊』と呼ばれるものに近く、おそらく、呪歌と術者の魔力はその体を構成するための設計図と、周囲から魔力を収集するための核の役割を果たしていると予想しています。

 

 そして、そんな術者と唱霊獣では、後者の方が内包している魔力は大きい。それも、圧倒的に。

 故に、術者を昏倒させ、核を維持できなくしたほうが効率はずっと良いのですが……

 

「……いえ、キルシェさんの魔力はもう危険域ギリギリですから、それはあまり推奨できないんです」

 

 私の視界に映っているキルシェさんは、今はもう倒れていないのが不思議な程の状態。

 まだ余力のある時ならばともかく、今ここに私の『ディバイン・スピア』など打ち込もうものならば、彼女を以前私が倒れた時並みに危険な状態に晒しかねません。

 

 ……というのが、理屈での理由。

 

「それに……やっぱり、妹を救うのは、お姉さんの役目だと思うんです」

 

 視線の先で、逃れていた上空から降りてくる兄様と、その腕に抱えられていた……桜花さん。

 そんな桜花さんの目は……決意を湛え、真っ直ぐに義妹を見つめていたのでした。

 

「だから……私はそのアシストに徹しようと思うんです。それがきっと、あの二人の為だとおもいますので」

「……()()()んだな、あの化け物を?」

「はい、必ず()()()()

 

 正面から見つめ返す私に…レイジさんは少し黙り込んだ後、頷く。

 

「わかった。お前のやりたいようにやれ、俺が……必ず、守ってやる」

 

 くしゃりと私の髪を撫でながら呟かれたその言葉に、私は深く頷き、詠唱を紡ぎ始めるのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「うわぁ……」

 

 眼下一面に広がっている、炎の海。

 辛うじて工房までは届いていないけれど、これでは降りる場所も無い。

 

 ……何故、このように上空から眺めているかというと。

 

「あ、ありがと……」

「どういたしまして。でも、この後どうしたものかな」

 

 そう眉を顰めた王子様の横顔が、やけに近い。

 今私は……王子様に抱えられて、空を飛んでいた。

 

「イリスは……レイジがついているから大丈夫だろう。それに……」

 

 大地に蒼く光る陣が走り、炎の勢いが急激に削がれた。

 タナトフローガの纏っている炎も勢いを弱め、その奥に居るあの子の姿がようやく見える。その様子は……

 

「……あの子、弱ってる?」

「魔力枯渇の兆候だな……あのままでは、命の危機もある」

「そう……だったら、止めてあげないとね、お姉ちゃんとしては。っと、助けてくれてありがと、降ろしてもらえる?」

 

 そう告げた私に、王子様が僅かに驚いたように目を見開く。

 

「……何?」

「てっきり、また凹んでいると思ったんだけど」

「凹んでるわよ? 自己嫌悪バリバリだし、本当に自分が嫌で嫌で仕方ないわ」

 

 できる事ならば、今すぐ自分を百回は殴ってやりたいほど、胎の内にはぐるぐると腹立たしい思いが渦巻いている。

 

「だけど……あんたが言ったのよ。凹もうが失敗しようが、大切なら何度だって手を伸ばせ……って」

 

 本当は、そこまであの子が大切なのかは分からない。

 だけど……まだ何も始まってすらいなかったのだ、私達は。

 なのに、これで終わりなんて……よく分からないけれど、とても嫌だと思ったのだ。だから――

 

「――とりあえず、あの子を連れ帰ってから凹んで悩む事にする……!」

「……ふ、ふふっ、良いね、嫌いじゃないよ、そういうの!」

 

 そう腹を抱えて笑い出した王子様に、そのままあの子の正面へと下ろされる。

 

「なら、あと少し頑張るとしよう。どうやら向こうもその気みたいだからね……っ!」

 

 そんな、義妹を挟んだその向こう側。

 

 昨日は居なかった赤毛の剣士に守られている、極度の集中状態であるらしいあのお姫様。

 その彼女の虹色の燐光を放つ銀髪を舞い上げる、物理的な現象を誘発する程となって渦巻いている濃密な魔力に息を呑む。まるで後光のようにぼんやり光って見えるその周囲に、次々と現れる巨大な光の槍。

 

 ……って、私の知ってるあの魔法(ディバイン・スピア)と違くない!?

 

 ゲームだった時に見たことがあるあの魔法に比べ、眩さも巨大さも段違いな光の槍が、ゲームだった時の限界本数のはずの四本を超えてさらに増えていく。

 

「ディ……バイン……ッ!! スピアぁぁあああ!!」

 

 可憐な声で絶叫をあげた姫様の周囲に、最終的に八本もの光の槍が現れて、その小さな体が浮き上がるほどのノックバックと共に、まるでミサイルのような勢いで一斉に放たれる。それは、狙い違わずタナトフローガに突き刺さり……ついにその姿が、僅かに傾いだ。

 

 宿主の魔力を受けて顕現している唱霊獣は、精霊に近しい存在であるがために、魔力を減衰させる攻撃に弱い。

 まだまだ倒せるほどではないが……それでも、大技を放った直後に自身の属性を戒められ弱った唱霊獣に対して、その攻撃は一時だけでも動きを止めさせることに成功していた。

 

 放ち続けられていた炎の矢が止まる――決定的な、隙が生まれた。

 

「桜花さん、彼女を止めるのは任せても構わないな?」

 

 そう言って王子様が目線で指し示した先には、未だに子供のように泣きじゃくっているあの子の姿。

 

「……勿論、私が止めるわ、だって、あの子は私の妹で、私はお姉ちゃんだもの!」

「ああ、良い返事だ……!」

 

 彼の目を真っ直ぐに見つめて頷く私に、王子様がそう言ってフッと笑うと、彼の周囲に漂っていた黒星の一つがその場を離れて巨鳥の方へと飛んでいく。それに続き、雷光を纏った剣……負荷により既に刀身が半ば融解し、もはや使い物にはならないだろう……を、投げ放った。

 タナトフローガの眼前に飛翔した黒星に、王子様の放った雷剣が突き刺さる。

 

 瞬間――その黒星は崩壊し、眩い光を放って炸裂した。

 

「道はこちらで拓く! 君は……君の守りたいものを!!」

「……お願い!」

 

 王子様の横を抜け、一直線にあの子の下に駆ける。

 だが、このままでは向こうの立ち直るほうが早く、炎の海へと突っ込むことになるであろう。が、それでも頭から最短距離で突っ込む。

 

「……キルシェ!!」

「……お姉ちゃん? 今更、何のつもり……!」

 

 眼前、私の呼びかけに反応したキルシェがノロノロとした動きで涙に濡れ、暗く濁った瞳を上げ……

 

「……っ!?」

 

 その表情が、驚愕に強張った。咄嗟の行動か、こちらに放たれかけた唱霊獣の炎も止まる。

 それもそうだろう、私は今――手に愛槍を持っていない、完全に丸腰なのだから。その槍は……

 

「チェインバインド……ランページ……ッ!!」

 

 槍は、あの子に向けて振るうために持っていたわけでは無いと、王子様の横を抜ける際に地面に突き立てて手放していた。

 そんな私の横を、駆け抜ける紫電。失った剣の代わりにと私の手放した槍を取り、構えた王子様が、のたうつ雷の鎖を従えてようやく動き出そうとしたタナトフローガの下へと奔った。

 眼前でみるみるうちに絡め取られ、身動きを封じられていく唱霊獣。もはやあの子までの間に、何の障害も存在しない。

 

 

 

 ――さぁ、道は拓いたぞ、あとは君次第だ。

 

 

 

 そう言いたげなスカした笑顔をこちらに向ける彼に、心の中で頭を下げる。

 そして……必死に手を伸ばし、逃げ出そうとする義妹の腕を、咄嗟に捕まえた。今度こそ、しっかりと。

 

「あ……」

「……ごめん、あんたの言うとおり、私ときたら、あんたの事しっかりと見ていなかった。駄目なお姉ちゃんでごめんね」

 

 軽く引っ張ると、それだけで大した抵抗もなく倒れこんできた小さな身体。

 それを、もう逃がすまいと捕らえ、抱き締めた。

 

 

 

 ――なんだ、こんな簡単な事だったんだ。本当に……本当に、私は馬鹿だ。

 

 

 

 二人の間を無限に隔てているように感じていた距離は……本当にただの勘違いでしかなく、実際は私が望めば零になる程度でしかなかったのだと思うと、おかしさに、自然と笑いが込み上げてきた。

 

「もっと早く、こうしてあげれば良かっただけなんだよね……遅くなったけど、でも、やっと届いたよ」

「…………お姉、ちゃん……っ」

「うん……まだ私をそう呼んでくれるのね、良かった……」

「おねぇちゃぁぁあん……っ!!」

 

 わんわんと大声で泣き崩れたその小さな背中を、子供にするように優しくトントンと叩いて、あやしてあげる。

 

 

 

 ようやく届いた手。

 あれほど荒れ狂っていた怒り劫火の化身は、いつのまにか、姿を消していた――……

 

 

 

 

 

 





ティ「あなたがイリスちゃん第一なのは薄々分かってましたけどもぉ、こんな場所に一人置き去りにしてくれた事、あとでぜぇったいにレオンハルト様経由で断固抗議しますからねレイジさんのバーカッッッ!!!!(涙目」


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真・アルヴェンティア

 

 あのタナトフローガとの戦闘を終えて、周囲の被害を確認し終えた後。

 結局は桜花さんの工房の庭が丸焦げとなった程度で済み、他に被害らしい被害は無かったことを確認した私達は、これ以上の騒ぎを避けるために……先に帰ったシンさんと、周囲の見回りをしてくると言って飛び立った兄様を除き……すぐにネフリム師の工房へと避難して来ていました。 

 

 事情を察してくれたネフリム師が応接室を貸してくれ、今日の分の彼の頼み(コスプレ)を終えて、ようやく人心地ついて――今に至ります。

 

 応接室に二つあった複数人がけのソファのうち、片方は私とティティリアさんが撮影用に。

 もう一つには……

 

「お姉ちゃーん、えへへ……」

「はぁ……全く、すっかり甘えん坊になっちゃって」

「いいの、今までの分も取り返すんだから」

「はいはい……」

 

 昨日のような余所余所しい雰囲気は微塵も無くなった桜花さんとキルシェさんが、背景に百合の花を撒き散らしそうなくらいぴったりと寄り添って、戯れ合っていました。

 

 呆れながらも、満更でもなさそうに義妹の頭を撫でている桜花さん。

 その手が優しく動くたびに、キルシェさんの頭、薄桃色の髪の間から生えた、髪と同色の毛皮に包まれた()()が、ぴく、ぴくっと震えている。

 

 ……そう、猫耳です。

 

 比喩でもなんでもない猫耳が、彼女……だけでなく、私とティティリアさん、ついでにキルシェさんに押し切られた形の桜花さんの頭から、生えているのです。

 しかも、頭髪に合わせて毛皮のカラーを自動調整し、感情に合わせて動く機能にも完全対応。

 

 ……これもネフリム師の作品である、リアルに動く魔導器の猫耳と猫尻尾。何という技術の無駄遣いでしょう。

 

 そんなことを、眼前でにゃんにゃんしているキルシェさん達を砂糖を吐く思いで眺めながら、なんとなしに考えます。

 

「それに、この子達の維持にも必要なことなんですから、協力してください、お姉ちゃん?」

 

 そう、とても楽しそうに言うキルシェさん。

 そんな彼女の周囲には、長靴を履き、ラッパや太鼓などを構えたファンシーな猫人……『動』の『楽』の唱霊獣である、ケット・シーの集団、その名も『猫人鼓笛隊』というそのまんまな存在です……が、楽しそうに歩き回り楽器を奏でていました。

 

 

 

 

 ――タナトフローガとの戦闘後、退避したネフリム師のこの工房にて、私が『マナ・トランスファー』で魔力を分け与えることで復調し目覚めたキルシェさんが、周囲を見て状況を理解し……

 

「本当に、迷惑をかけて申し訳ありませんでした。せめて治療くらいはさせてください……!」

 

 そう土下座せんばかりの勢いで、心底申し訳なさそうに申し出てくれたのに対し、それが彼女の罪悪感を軽くしてくれるのであればと私達は快く応じました。

 

 そうして呼び出してくれた、この猫人鼓笛隊。見た目や名前こそアレですが、ゲームだった時には支援能力に優れ、周囲に自己判断で範囲継続治癒魔法(リジェネ)をはじめとした支援をばら撒いてくれるという、とてもありがたい存在でした。

 現在もその能力を遺憾なく発揮しており、音楽と共に流れて来る暖かな力が、全身の疲労をゆっくりと癒してくれているのでした。

 

 

 

「でも、驚きました。こんなにあっさりと、意図した唱霊獣を呼び出せるなんて……職の能力か何かですか?」

「うーん……それもあるけれど。この子のユニーク職『歌姫』は、唱霊獣の扱いに特化したクラスみたいだから」

 

 『歌姫』……それが、キルシェさんの得たバード系列のユニーク転生三次職の名前。

 ちなみに、桜花さんもまた、『槍聖』というユニーク転生三次職だったそうです。

 

 もっとも……二人ともまだ転生後それほど育っておらず、どのような能力傾向なのかはまだ良くわかっていないのだそうですが。

 

「でも、どちらかと言えばこれはこの子の資質ね。この子、やけに唱霊獣に好かれる質だったから」

 

 そう、相変わらずキルシェさんの頭を撫で続けながら、桜花さんが教えてくれます。

 そんなキルシェさんは褒められて嬉しいのか、彼女の腕の中で顔を耳まで赤く染めて俯いていましたが……その口元は、嬉しそうにはにかんでいました。

 

 ……よかった、これでもう彼女達の問題は大丈夫そう。

 

 仲睦まじい二人の様子に、ほっと胸を撫でおろします。

 

 

 

 

 

 そんな私達の今日の衣装は、ロリータファッション。

 私が黒を基調とした最もオーソドックスなゴスロリ、横に座っているティティリアさんは、それと対になる、白を基調とした白ロリ。

 キルシェさんはなんと、着物を基調とした和ゴス風の衣装でした。

 相変わらず、抵抗感のまだ薄い物を選んできた訳ですが……

 

「あの……ティアさんは、突然巻き込まれた割には全然平気そうですけれども……」

 

 そうなのです。今日初めてここに来て、なし崩しにネフリム師の趣味に巻き込まれた筈のティティリアさんは、最初こそ大量の少女向け衣装の山を前にして呆然としていましたが……

 

 

 

「ティアちゃん、もうちょっと、イリスちゃんに顔を寄せて……いっそくっ付くくらい寄ってもらえるかにゃ?」

「……えっと、こうで良いでしょうか?」

「うんうん、バッチリにゃ! ついでにもうちょっと蠱惑的な感じにイリスちゃんに手を回してもらえると……」

「はい、わかりましたー。ごめん、ちょっと触りますね……っと、こんな感じ?」

 

 ……と、まぁ、そんな感じに、多忙なネフリム師の代理として撮影役を引き受けてパタパタ走り回っているミリィさんのリクエストに、そつなく対応していたのでした。

 

 

 

「私? 私はほら、配信なんてしてるとこの程度は日常茶飯事でしたし」

「ああ、そういえばVR動画配信者でしたもんね……」

「はい、こうしていると当時を思い出して、結構楽しいですよ」

 

 そう、にこやかに笑う彼女。

 たしかに、ティティリアさんはこうしたコスプレに関してはプロのようなもの。

 良かった、これならば巻き込むために黙っていた事も怒ってはなさそう……そう思っていたのですが。

 

「それじゃ、イリスちゃん、ティーちゃん、次はソファに横になってポーズ取って見るにゃ!」

 

 そんな指示が、撮影しているミリィさんから飛ぶ。

 次の瞬間、ティティリアさんに手を取られたかと思うと、もう片方の手で肩を押され、ソファに優しく倒されました。

 突然視界が天井を向いた事に目をぱちくりと瞬かせていると、そんな私に覆いかぶさるように、どこか嗜虐的な表情を浮かべたティティリアさんが覗きこんで来ます。

 

「あ、あの、ティティリアさん……?」

 

 戸惑っている私の頰や唇を、彼女の細く白い指が撫でる。

 

「でも、黙っていた事は後でよ……っく、話し合いましょうね、イリスちゃん?」

「……はい」

 

 とても怒っていました。ごめんなさい。

 

「いい、いいにゃ……二人とも、すっ……ごく可愛いにゃ……はぁ、はぁ……っ」

 

 そう言って、パシャパシャとネフリム師から預かった画像記録用の魔導器のシャッターを切りまくっている彼女……興奮し、だんだんヤバい人の様相を呈してきたミリィさんに、皆の視線が集中する。

 

 

 

 ……何故、この人は普段から「にゃ」って言っているのに、この場の女性陣でただ一人猫耳を付けていないのだろう?

 

 

 そんな疑問で、皆の心が一つとなるのでした。

 

 

 

 

 

 

 撮影もひと段落し、手持ち無沙汰にしていたレイジさんの淹れてくれていたお茶で喉を潤していると。

 

「……なぁ、イリス。ちょっと聞きたい事が……その、あるんだが……」

「はい、何ですか?」

 

 何故かこちらから視線を逸らしたまま、言いにくそうにそう切り出してきたレイジさん。

 その様子に首を傾げつつも、続きを待つ。

 

「……う……その……耳はまあ分かるんだ。カチューシャに仕掛けがあるんだろうから。だけど……その動く尻尾は、どうやって繋がっているんだ?」

 

 そう言って、私のスカートの裾からはみ出している、フサフサな長毛種の猫尻尾を指差すレイジさん。

 

「あ、これは腰のあたりにシールで貼り付けているんですよ」

 

 病院などで見かける電極みたいなシール。その中央に、小さな魔石が据えられているものでした

 なんでも貼り付けた者の魔力を感知する事で、その時の感情を読み取りリアルに動くのだそうです。

 

 ……本当に、技術の無駄遣いですよね。

 

 時に思うがままに、時に自分勝手に動くフサフサした猫尻尾をフリフリと揺らしながら、ため息を吐きます。

 

「そ、そうか……それなら良いんだ、うん。安心した」

「……?」

 

 何故か歯切れ悪くそう言って、赤面しながら私から目を逸らしたレイジさんに、再び首を傾げる。

 

「……おやおやぁ? レイジさん、ちょっとイリスちゃんでエッチな想像したでしょう?」

「なっ、し、してねぇし!」

「あ、それとも、好きな子にそういう事したい願望でもあります? きゃー、イリスちゃん逃げてー」

「おい聞けよ!?」

「……いくらなんでも、そんな落ちないサイズの物を準備なしに挿れたりしたら痛いですよ。私達がこんな平然としているわけないじゃないですか、常識的に考えて」

「急に真顔になって諭すように言うんじゃねぇよ! てめぇ、さては屋根の上に放置した意趣返しか!? あと、なんでそんな詳しいんだよ!!」

 

 何故か私をレイジさんから引き離すように腕の中に抱え込み、悪戯っぽい表情でレイジさんに話しかけるティティリアさんと、それに慌てて怒鳴るレイジさん。

 その様子に、再度首を傾げ、横に居るティティリアさんに聞く。

 

「……エッチな想像、ですか?」

「んっとね、レイジさんが疑ってたのは、多分この尻尾がイリスちゃんのおし……」

「わぁぁあああ!! や、やめろ馬鹿、余計なこと吹き込むな!!」

 

 なぜか取り乱したレイジさんに耳を塞がれ、抱き上げられて、逆にティティリアさんから引き離されてしまいました。

 

 ……この二人、ティティリアさんの男性恐怖症の発作が起こらないくらいに打ち解けた筈なのに、何故かよくこうしていがみ合っているんですよね。

 

「あの、一体……」

「知らなくて良い! お前は知る必要のない事だ!!」

 

 ぜはー、ぜはー、と息を切らせ、真正面から真剣な顔で言い含めてくるレイジさんに、これ以上聞く事はできなさそうだな、と諦めます。

 

「……はぁ。全く、その子、元はあなたと同年代なんですよね? 初心なネンネじゃあるまいし、過保護過ぎませんか?」

「初心なネンネだからだよ……っ!」

「ま、迷い無く言い切りましたね……でも否定できない……」

 

 その間も二人はしばらく言い合いをしていましたが、耳をすっぽりレイジさんに塞がれていた私には何も聞こえませんでした。

 ですが、何となく酷いことを言われているような気がしてむすっとしていると……

 

「はぁ……ったく。それよりも、この技術、お前の脚に使えないのか?」

「あ、そうでした。それは私も気になったので、説明を聞いた時に一緒に聞いてみたのですが……」

 

 もしかしたら、装身具で私のハンディキャップを解消できるかもしれない……そんな希望から、真っ先に頼んでみました。しかし……

 

「結論から言うと、これは外部に擬似神経によって動かせる部位を増設する技術らしく、私のように内部に問題がある症状の治療に使用するのは難しいそうです」

「そうか……魔法や装備の助けなしに道具を使って歩けるようになればと思ったけど、難しいもんだな」

「そうですね……例えばタイツ状の衣服にして、強化外骨格のような形で脚全体をぴったりと覆うようなものにするのであれば、手間や費用の関係で今すぐに、というのは難しいらしいですが、いつかは可能かもしれないと。ただ……」

 

 その場合は脚全体を覆う端子と、体を支える力を発生させる人工筋肉的なものが必要らしく、このままでは現実的では無いそうです。

 

 ……という結論を伝える。

 

「時間が出来たら何か考えてみてくれるそうです。ですが、一年や二年の話ではないでしょうし、滞在中には無理ですね」

「そうか……まぁ、仕方ないか」

 

 そう、二人でしみじみとため息をついていると……

 

『すまん、待たせたな。ようやく準備ができた』

 

 この工房の主、ネフリム師が、ちょんと器用に白い包みを指先に乗せてやってきました。

 

 ……朝から随分と回り道をした気がしますが――ようやく、本来の今日の目的に入れるみたいでした。

 

 

 

 

 

 

 

『それで……まずはほれ、修繕を頼まれていた武器だ』

 

 そう言って、卓上にやけに丁寧にそっと置かれた、ネフリム師が摘むように持っていた布に包まれている白い大剣……アルヴェンティア。

 

 よほど剣が腰に無かったのが落ち着かなかったのか、早速確かめようとしたレイジさんを、ネフリム師が慌てて止める。

 

『待て待て、その布はまだ取るな、まだ修繕は済んでおらん』

「……は? まだって、直したんじゃねぇのか?」

『直したとも。だが、まだ肝心の仕上げが済んでいないのだ』

 

 その言葉に、皆で首を傾げる。

 

「あのー……その布って、記憶違いじゃなければ、魔力を遮断する素材で織られてるやつですにゃ? 魔石の加工なんかで使われる……」

『おお、よく知ってるじゃねぇか』

 

 ミリィさんの言葉に、ネフリム師が頷く。

 

 魔石……何度か名前が出てきましたが、基本的には魔力と親和性の高い宝石類の総称です。

 砕いて触媒に使われたりもする以外に、これに特殊加工を施す事で、特定の魔法を付与(エンチャント)する事が可能です。

魔法を付与した場合、以降は劣化して壊れるまで魔力を通すだけで、繰り返し記録された魔法を発動させるようにする事が出来るため、魔導器の核として使われる事が多いのです。

 しかし、加工後まだ何も付与されていない無垢な魔石は、時に周囲の魔法を吸収して使い物にならなくなってしまう事があるため、特殊な布に包まれて保存される……のだと、こちらで習った内容の中にあった筈です。

 

「では、アルヴェンティアがその布に包まれているのは……」

『そうだ、これは今、周囲の魔法の影響をモロに受ける不安定な状態にある。ちぃとばかし、他の魔力に当てるわけには行かなくてな』

 

 そう言って、ゴホンと一つ咳払いをしたのちに、ネフリム師が語り始める。

 

『この剣は、光翼族の創り出した特殊な流体金属でできておってな。刃を研ぐだけならばこの工房の砥石でも可能だが、修繕となると……』

「……難しいのですか?」

『うむ。これに関しては、かの者達も秘匿しておったから、その技術がいかなる物であるかを今も伝えておるものは、世界でも数人と居るまい』

「……という事は、ここからあらためて、そのいずれかの人を探し出さないと駄目なのですか……?」

 

 世界中から、本当に居るかも定かではないその数人の内の誰かを探し出す……途方もない話だと思ったのですが。

 

『……ふふん、真っ先に我の下へと持ち込んだお主達は、本当に運が良いぞ』

「……では!?」

『うむ、何を隠そう、その中の一人が我だ』

 

 そう、ドヤァという擬音の付きそうな様子で胸を張るネフリム師。

 

『そこで、修繕の代わりと言っては何だが頼みがあるのだが……』

 

 サイクロプスの刀匠からの頼み。

 その言葉面に、皆に緊張が走ります……私と桜花さん姉妹以外の、事情を知らない皆に。

 

『……このあと、もう一度くらいは着替える時間もあろう? ならば、できれば次はもう少し攻めたものを選んでくれぬか! 例えば水……』

「……わかりました、やります」

『着……とか……って、マジで!?』

 

 何故か狼狽えている、発言者のネフリム師。

 ですが、これはもう、昨日から覚悟は済んでいたのです。

 

 ――レイジさんやソール兄様の為に自分が出来る事があれば、何だってすると。

 

 もっとも、相手が趣味に多少の問題はあっても信頼できるネフリム師が相手だからではありますが。

 

「はい……レイジさんの剣を直していただけるのでしたら、私にできる事であれば……恥ずかしいですが、水着でも何でも着ますし、撮影も……」

『い、いや、本当に頼みたかったのは別……』

「おいイリス、お前こういうの苦手なのに、そんな無理する必要は……」

「いいえ、レイジさんはいつも身体を張って助けてくれているのですから、そのレイジさんのためなら、少しの間恥ずかしい思いを少しする程度、何という事はありませんよ」

「イリス、お前……そうか、ありがとな」

 

 そう礼を述べて笑いかけてくるレイジさんに、私も微笑み返します。

 

 

 

『む、むむぅ……渋ったら改めて本当の頼みを明かす、ちょっとした冗談のつもりだったのだが……どうしてこうなったのだ……』

「にゃはは、あの子らはちょっと真っ直ぐすぎるからにゃぁ。今はブレーキ踏むであろうソールも居ないしにゃ」

『ぬ、ぅ……もはや嘘でしたと言える雰囲気ではないのぅ……』

「まぁまぁ、向こうも乗り気みたいだし、ラッキーと思っておけば良いにゃ。ふふ、ふへへ……」

『お、お主は……』

 

 

 

 何やら遠くで不穏な気を発するミリィさんが、ネフリム師と話を弾ませているようですが、大丈夫……多分。

 

 

 

 

 

 

 

『……よし。では包みを解くぞ。くれぐれも、周囲で魔法の類を使わぬように、な』

 

 そう念押しして、皆が注目する中で、ネフリム師が刀身を包んでいる布を慎重に剥ぎ取ります。

 

 そこに現れたのは……見た目には、文句の付けようもなく綺麗に修繕された、アルヴェンティアの鏡のような真白い刀身。

 

「綺麗に治っているように見えるのですが……」

『見た目だけであればな。実際はまだ、補填部分と刀身が馴染んでおらん。強度も漆喰くらいしかないだろう。そもそも、変に衝撃を加えるだけで形を失って崩れるが』

 

 そう言われて、興味本位で刀身に触れようと伸ばしていた手を慌てて引っ込める。

 

『この素材、名を「ルミナトロープ」と言う通常は液体の物質なのだが、少々厄介な性質でな。光翼族が込めた祈りによりその存在を固着……この場合、剣という形を取るわけなのだが』

「あぁ……それでこのアルヴェンティアは、柄から鍔から刀身の先まで、全部削り出したように一体になっているのか」

『うむ、そういう事だ。それで……破損を埋めるだけならば、失ったルミナトロープを継ぎ足してから研ぎ直してやればいい……とはいかんのだ』

「と、言うと?」

『……今のこのアルヴェンティアは、私が可能なところまで修復したのだが、剣という存在で固着した部分と、何物でもない無垢なルミナトロープがまだらに混じり合った非常に不安定な状態なのだ。このままでは、剣という存在で固着できなくなり、崩壊して崩れ去るであろう』

「……えぇと……マヨネーズを作ろうと思ったのだけど、このままでは油分と卵が分離してよくわからない液体になってしまう、みたいな感じですか?」

『…………間違ってはおらんな』

 

 あ、すごい微妙な顔をされました。ごめんなさい。

 

「それで、どうすれば良いんですか?」

『何、簡単な事だ。ならば、新たな祈りを込めて、新しい剣として存在を再固着してやれば良い。これを託す相手のことを思って、魔力を込めながら祈るのだ』

「レイジさんを……思って……」

『以前より強くなるか、弱くなるか……全てはお主の想い次第。やるか?』

「……はい、やります」

 

 今度こそ、そっと刀身に触れ、目を閉じる。

 

 

 

 ……なんとなく、どうすれば良いのかが解る。

 

 

 

 深く深く集中する中で、次々と浮かんでくるのはこの世界に来てからのレイジさんの姿。

 傷ついて、傷ついて、それでも常に側に居てくれて、前に立ってくれるその背中。

 だけと、その体は何度傷ついて、怪我をして、ボロボロになって。

 その光景がいくつもフラッシュバックする度に、胸が抉られるような痛みが走る。

 

 

 

 ――どうか、レイジさんを守って欲しい。

 

 

 

 この剣は「セイブザクイーン」……私を守るための剣だと言うけれど、それだけでなく、持ち主であるレイジさんの事も、どうか守って、必ず帰ってくる手助けをして欲しい。

 

 そう、ただひたすらに、一心不乱に祈り続ける。

 

 ただ、ひたすらに――……

 

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 ………………

 

 

『……――い! もう良い、祈りを込めるのを止めぬか!』

 

 不意にネフリム師から慌てたように声を掛けられて、いつのまにか何処かに飛んでいた意識が帰ってくる。

 

 周囲を見回すと、周りでは皆、心配そうにこちらを覗き込んでいました。

 

『全く、どれだけの想いを込めるつもりだお主は。パンクしないかヒヤヒヤしたぞ』

「あ……やり過ぎてしまいました?」

『うむ。それだけ、お主がその坊主を想っているという事なんだろうがな、はっはっは』

 

 そう大笑いするネフリム師ですが、言われたこちらは恥ずかしさで顔も上げられません。

 

「……と! とりあえず、剣の方は!?」

 

 慌てて置かれたアルヴェンティアの方を見る。

 そこには、純白の刀身に、薄く私の髪色に似た虹色の光を散らしたような燐光を浮かべた、僅かにその様相を変えた剣が鎮座していました。

 

『……うむ、完全に固着しておるな。もう大丈夫だ』

「も、もう持って大丈夫なのか?」

 

 修繕の済んだ愛剣を前に、ウズウズとした様子で急かしているレイジさん。

 どうか、そんな彼がガッカリするような事になっていませんように……そう、祈るように思う。

 

『うむ、イリス嬢のお前に向けた想いの結晶だ、受け取ってやるといい』

「あの、ネフリム様!?」

 

 明らかに面白がっている調子のネフリム様に抗議する私を他所に、レイジさんが剣を手にする。

 

 手にした瞬間、眼を見張る彼に、駄目だったろうかと焦る。

 しかし、レイジさんは無言のまま剣を構え、横一文字に一閃した。

 途端に、虹色の軌跡が周囲に燐光を撒き散らし、周囲を、幻想的な色で染め上げる。

 

「すげぇ、持っているだけで力がひしひし伝わって来る……それに」

 

 そのままいくつか型を取りながら剣を振るレイジさん。

 その顔が徐々に喜色に染まっていくのを見て、ようやく安堵の息を吐きます。

 

「……負荷を感じない。間違いなく前より強化された筈なのに、妙にしっくり来るというか、逆に体が軽くなると言うか……まるで、俺のために作られた、俺の体の一部みたいだ」

『ふむ、ふむ、なるほどのぅ……』

 

 その様子を見ていたネフリム師の視線が、私の方をチラッと見る。その視線は、面白がっている色が浮かんでおり……

 

『いやぁ、若者の青春は老骨にはちと甘すぎるわい』

 

 そう、わざとらしく呟かれた彼の言葉に、自分でもわかるほど、ボッと頭に血が上ったのでした。

 そんな、顔も上げられない程の気恥ずかしさに俯いていると……ポン、と頭に置かれた大きな手。

 

「ありがとう、な。これで、俺もまた戦える……たとえ相手が()()()だったとしてもな」

「……あまり、無茶な事は」

「大丈夫、解ってる。お前が俺の為に、剣に込めてくれた想いの事は、しっかりと伝わって来た……だから、ありがとうな?」

「……はい、どうか存分に、使ってあげてください」

 

 自然と顔が緩んでいくに任せて笑顔を見せ、改めて、彼に託しました。

 

 ――私の想いが、きっと彼を守り抜いてくれますように。

 

 そう祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 周囲の被害を確認しておく……そう告げて別行動していた私は、今、上空からあのシンと言うプレイヤー互助組織の少年を尾行していた。

 はじめは連中の滞在先でも掴めたらと思い尾行していたが、その足は、どんどん見覚えのある場所へと向かっていく。その行く先は……

 

「……大闘技場?」

 

 私達も滞在している、今は本祭の準備で関係者と来賓以外の立ち入りが禁止されている大闘技場へと、迷い無い足取りで進んでいく少年。

 その姿はとうとう入り口に到達し……何かパスらしき物を提示すると、何事もなくその中へと姿を消して行く。

 

 自分達、ノールグラシエの関係者にあのような特徴的な仮面を被った美少年は居ない。

 なれば……運営側の関係者とは考え難いため、どこか別の国の関係者か。

 いずれにせよ……

 

「これ以上、追跡は無理、か」

 

 他国のプライベートエリアに、アポ無しで踏み込む訳にはいかない。後で正規の手順を踏むか……今、出来ることは無いだろう。

 

 そう判断し、皆の元へ戻ろうと翼をはためかせ高度を上げようとした――その時。

 

「……ん?」

 

 はじめに感じたのは、視線。

 

 だが、今の自分は結構な高度に滞空している。

 人はえてして頭上への警戒は薄くなりがちだ。平穏な時ならば尚の事。あるいは誰かに偶然見咎められたのだろうか……そう思った瞬間。

 

「――ッ!!?」

 

 次の瞬間――まるで心臓を掴まれたような悪寒が体を貫いた。

 冷や汗が、手足の震えが止まらず、何もしていないのに呼吸が詰まる。

 

 その凄まじい圧力を感じたのは、ほんの一瞬。

 だが、忘れもしない。それは以前……僅か二月弱という少し前に感じたものと、同種のもの。

 

 

 

 ――あの、仔セイリオスを帰しに行った時に遭遇した、『ヤツ』と同じ感触だった。

 

 

 しかし……

 

「……居ない、か」

 

 安堵しながら……安堵()()()()()()()()、呟く。

 どれだけ周囲を見回しても、その姿は見当たらなかった――……

 

 

 

 

 



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新たな刃

 

 ――いつも助けてくれているレイジさん達のために、自分にできる事であれば何でもやります。

 

 先程そう答えた覚悟は本物で、決心はしていたはずでした。が。

 

「……やっぱり、撤回できないでしょうか」

「まだ言ってるのかにゃ……」

 

 着替えを手伝ってくれていたミリィさんが、今日何度目かの私の弱音にため息をつく。

 そうこうしているうちに……時間切れを告げるように皆の待っているドアの前に到着してしまう。

 

 もうこうなっては退路はありません。覚悟を決めて、ドアを開く。

 

「えぇと……着替えました、けど……ひっ!?」

 

 着替えを済ませ、部屋のドアを開いた瞬間……待っていましたとばかりに中に居る皆の視線が全て突き刺さるのを感じ、ビクッと体が震え、思わず一歩下がってしまう。

 

「へぇ……良いじゃないか。この水着の見立てはミリアムが?」

「んーにゃ、元々そこのおっちゃんがイリスちゃんが来た時のために用意してたっていう奴にゃ」

 

 真っ先に口を開いたのは、少し前に外から戻って来ていた兄様。その問いに、そう答えるミリィさん。

 

 私の為にと周到にも用意されていたのは、所々青系統のリボンなどで装飾を施された、薄く透けるベビードール風の飾りのついた可愛らしい水着でした。

 

 ――そう、確かに可愛いのです。その点で不満は全くありません、私自身、鏡の前でちょっとはしゃいでいたくらいなのですから。

 

 ですが、問題はこの肌の露出の多さなのです。まさかのビキニタイプであったその水着の布地は胸と腰、大事な場所を僅かに覆うだけで、なだらかに膨らみ始めている胸元や、普段外気に晒す事はない(へそ)、付け根まで剥き出しになった脚などが、普段と比べあまりにも頼りない。

 大事な部分の生地の質感と厚みはしっかりとしています。ですが身に着けた感触としては下着姿と大差ない。そんな姿を皆に見られているみたいで……

 

「うぅ……っ、落ち着きません……」

 

 特に最近はお姫様としての教育を受けさせられ、みだりに人前で素肌を晒してはならない等の事を口を酸っぱくして言われ続けていたために、凄まじい抵抗感があります。

 

「大丈夫、大丈夫。すっごく可愛いから、ね?」

 

 後ろに居たミリィさんに、グイグイと背中を押されて部屋の中心へと押し出されてしまう。

 

「ほら、見てもらいたい人も居るんじゃないかにゃ?」

「見て貰いたい……人……」

 

 決して今言われた事に関係がある目的があっての事では無いのですが……なんとなしに、視線を彷徨わせる。

 

 ……あれ?

 

 一人、居るはずの人が見当たらない。どうしたんだろうと、その姿を探して周囲を見まわしていると――……

 

 

 

 

 ◇

 

 ――考えが甘かった。

 

 水着姿を見られるらしい、ラッキー。そんな内心で呑気に喜んでいた数分前の自分を呪うくらいに。

 

 生まれてからの年数と同じだけ女っ気の無い人生を送り、七年間初恋を拗らせ、今はそんな初恋の少女が容赦なく身を寄せ、接触してくるたびに否応なく感じるその柔らかな感触から生じる悶々とした想いを心の奥底に沈めて来た。

 

 ……思えば、良く耐えていると思う。褒められても良いのではなかろうか。

 

 そんな身に、いざ実際に目にする少女の水着姿という艶姿は、あまりにも刺激が強すぎた。

 大袈裟過ぎるだろうこのDTと思われるかもしれないが、ちょっと待って欲しい。

 

 

 

 ――イリスは普段、肌を異性に晒す事はまず無いのだ。

 

 

 

 この島に来てからは夏の装いのおかげで比較的薄着で居るのを拝めたが、普段はこれだけ身近に居る俺でさえ、せいぜいが時々太ももちらっと拝める程度というくらいにガードが堅いのだ。

 そんな少女が、今は惜しげもなくその白い肌を晒している。羞恥によって顔どころかその華奢な肢体までうっすらと朱に染まり、少しでも皆の視線から隠れようと身を縮め、目に涙を浮かべて所在なさげに佇むその姿は……本人にはそのような意図は全くなかろうが、そんな姿はひどく背徳的で扇情的だった。

 

 そもそも……イリス本人は、自分の身体について貧相とよく卑下するが、実際にはどうか。

 

 確かに、全体的に幼い雰囲気はある。

 しかし、その胸は小ぶりながらも形の良い、柔らかそうな膨らみがしっかりと存在している。

 また、その細い腰は緩やかな曲線を描いてほっそりと(くび)れており、男性に比べやや広い骨盤と、ぷるんと弾力がありそうなお尻の丸みは女性らしいボディラインを形成し、おそらく本人が思っているよりも遥かに健康的な艶めかしさを発しているのだ。

 

 それは、紛れもなく二次性徴途中にある、少女から女へと変化していく過渡期、その危ういバランスの元に形成されたもの。

 その可憐さを讃え付けられた『宝石姫』の異名に恥じぬ、『幼げな少女』というものを最上級の造形で形作られた、稀なる生きた美術品と言っても過言ではないだろう。

 

 ましてや俺は、その玉体を数度……しかも一度は、イリスの意識が怪しかった時の事故とはいえ、何も遮るものなど存在しない至近距離の真正面から……直視してしまっているのだ。

 

 思春期を終えてまだ間もない、女性経験など無い青年()の脳裏には、その姿が未だに鮮明に焼き付いており……

 

 今の身体のラインが全て露わになった姿を前にして、その僅かな布地の下にある白いなだらかな丘の頂点に色付いた桜色や、愛し合ったもの以外決して目にする事はない筈だった無垢な秘所……その光景がフラッシュバックするのをいかに抑えきれようか。いや、抑え切れまい。

 

 ベッドに……いや、それすらまどろっこしい。今すぐそこのソファに押し倒したい。

 その震える細い肩から、僅かな布で儚く秘された場所を守るその小さな衣装、それを肢体に繋ぎ止めている肩紐を落として剥ぎ取り、生まれたままの姿を曝け出させ、今でさえ耐え難い羞恥に揺れる顔をさらに深い羞恥の色に染めたいという昏い欲望が沸々と湧き上がり、今にも理性が塗りつぶされようとしている。

 

 

 

 ――と、ここまで考えておよそ十秒。

 

 

 

 故に、俺は……俺が今やるべき事は……

 

 それを一秒で即決し、躊躇わずに実行に移すのだった――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

「う……おおおぉぉおおおおおオオォォォ……ッッ!!?」

 

 ――ゴッ!!

 

 突然、部屋に咆哮が響き渡ったかと思うと、そんな鈍い音を立てて部屋が揺れました。

 

「……何やっているんですか、レイジさん!?」

 

 音がした方を見ると、何故か息を切らし、頭を血で赤く染めたレイジさんの姿。

 パラパラと壁の石膏版が砕け落ちているのを見るに、どうやらあの音の原因は、レイジさんが壁に頭突きをしたせいらしい。

 

 ……というか、いや、待って? 出血量がかなりヤバいんですけども!?

 

「……大丈夫だ。頭は冷えた」

「何が!? 冷えるどころか、倒れますよ!?」

 

 虚ろな目で、淡々とそう宣うレイジさんに堪らず叱りつける。

 ぼたぼたと流れ落ちる真っ赤な鮮血は、出血量が多くなりがちな頭の怪我というのを差し引いても洒落にならない程で。

 

「問題ない、俺は冷静だ」

「そんな事言ってる場合ですか!? ああ、もう、治療するからじっとしていてください!」

 

 慌ててレイジさんを屈ませてその頭を胸の前の高さに下げさせて、傷口を改めた後に『ピュリフィケーション』で清め、手を翳して傷口を塞ぐ。

 

「……隙間……谷間……いや、俺は何も見ない、俺なら出来る、クールになれ……っ!」

 

 何やらとても小さな声でブツブツ呟いていますが、やはり頭を強く打った影響が……?

 そんな焦りの中で治療を終え、再度『ピュリフィケーション』で血糊を消して……ようやく人心地ついて、座り込む。

 

 なんだかドッと疲れました……

 

「はぁ……はぁ……本当に、何をやっているんですか……っ!」

「わ、悪い……」

 

 今度こそ冷静になったようですが、頑なに横を向いたまま目を合わせようとしないレイジさん。

 そんな様子に肩を竦めて、立ち上がり顔を上げると……何故か、皆が生暖かい目でこちらを見つめており、首を傾げます。

 

「な、何でしょう……?」

「いや……姫様も罪な女ねって」

「……??」

 

 何故か呆れたようにそう言う桜花さんと、その隣でコクコクと頷いているキルシェさんに……釈然としない物を感じながら首を捻るのでした。

 

 

 

 

 

 そんなひと悶着も終わり、周囲から降り注ぐ「かわいい」の声に、私は……

 

「……もう、無理……」

 

 いたたまれなさに耐えかねて、腕で胸を覆い隠し、皆の視線から逃げるようにソファの背もたれの陰にしゃがみ込む。できる事ならば、このまま小さくなって隠れてしまいたい。

 

「あはは……イリスちゃんは普段から滅多に肌を出さないから、耐性が無いからにゃあ」

「そうは言っても……」

 

 男だった……「柳」という男性だった頃は上半身裸になろうが気にしていなかったはずなのに。

 今は胸が覆われている分、男性用水着より露出は少ないはずなのに、肌を見られるだけで無性に恥ずかしい。

 

「しょうがないにゃあ……はい、これ羽織れば少しはマシかにゃ」

「はい……ありがとうございます……」

 

 そう言ってミリィさんに渡されたパーカーを、ソファの陰でもぞもぞと着込む。

 撮影したいだろうからとジッパーはお臍の上あたりまで軽く上げて……裾に水着の下がほとんど隠れたのを確認し、人心地ついてソファの陰から出て行く。

 

 

「……中途半端に隠れている水着がパーカーの裾からチラチラ見えて、これはこれで余計に……って、気づいてないんだろうなぁ」

「……レイジ、その感想、黙っといてろよ?」

 

 

 何やらレイジさんと兄様がヒソヒソと声を潜めて話している事に、首を傾げるのでした。

 

 

 

 

 とはいえ、しばらくすればある程度は慣れて来るもので。

 時折ポーズを求められてはそれに答えつつ、周囲の皆が労いと共に用意してくれるお茶を飲みつつ、のんびりとした時間が流れて半刻ほど。

 

「んー……」

「ミリィさん、どうかしたんですか?」

 

 難しい顔をしてカメラの魔導器を覗き込み、そこに写っている画像を睨むミリィさん。その真剣な様子に、私もそこに写っている画像を覗き込む。

 

 そこには……たしか、グラスに注がれたお茶を飲もうとストローに口を付けようとした瞬間に後ろから呼ばれ、振り返ったところを撮られた時の写真。

 

「……何か違うんだよにゃぁ……」

 

 首を捻るミリィさんですが……自画自賛になりますが、たしかこの時は突然呼ばれ振り返ったため、顔はきょとんとこちらを見ており、幼さが協調された可愛らしい写真になっていると思います。ただ……

 

「……背景、じゃないですか?」

 

 水着という開放的な衣装に対し、洞窟内、薄暗い室内というシチュエーションが致命的にマッチしていない。

 

「そう、それにゃ! イリスちゃん、外に出て撮影しない!?」

「そ、それはちょっと……」

「まだ朝の件で野次馬に来た一般人がうろついていたからな、やめておいた方が良いだろう」

「そ、そっか……なら仕方ないにゃ……」

 

 そう助け船をくれたのは、つい先程まで外に出ていた兄様。その言葉に、流石に渋々といった様子でミリィさんが引き下がる。

 

『ふぅむ……お主らは、闘技場内の貴賓室に寝泊まりしているのだったな?』

「はい。それがどうかなさいましたか?」

『聞いた話では、宿泊の来賓向けのプライベートビーチが中の一角にあるらしいぞ? その水着はそのまま譲渡するので、そちらで撮影すれば良いだろう』

「そ、それは良い事を聞いたにゃ! 戻ったら速攻で行くにゃ、イリスちゃん!」

「え、えぇ……?」

 

『ただし……後で我にも画像をくれんか?』

 

 そう、強面をデレっとした表情に崩したネフリム師に、皆の白い視線が刺さる。

 

「任せるにゃ、最高の一枚を絶対にゲットして進呈するにゃ、同士ネフリム!」

 

 ……訂正。ミリィさんを除く皆、でした。

 

 

 

『さて……もっと堪能していたかったが、今日はあまり時間がないのだったな。そろそろ本題に移るとしよう』

「……今更真面目な顔でそう言われても」

『本題に移るとしよう』

 

 思わず口をついた私のツッコミをさらっとスルーして、威厳ある声で話を勧めるネフリム師。

 普段からきちんとこの威厳を保ってくれていれば、文句なしに尊敬できる刀匠なんですけども。

 

『まずは……イリス嬢の依頼のこれだな。過去の習作だが、お主は魔力は有り余っているのだから、ある程度の頑丈さと軽さ優先の方が良かろう』

 

 そう言って、傍に用意してあった包みを卓に置くネフリム師。

 

「そういえば……イリスちゃんは平気なの? その、私に結構な量の魔力をくれたのに……」

「あ、はい。この位ならば、全然問題ないですよ」

 

 心配そうに尋ねてくるキルシェさんに、安心させるように笑いかけながら答えます。

 

 ……実際、私の魔力はこの一月で驚くほどに伸びました。その魔力量は、決して少なくない魔力量を有しているであろう後衛三次転生職であるキルシェさんを、魔力枯渇しかけた状態から「マナ・トランスファー」の魔法によって魔力を譲渡し復帰させても尚、余裕がある程です。

 

 と、そんな話をしているうちに、包装が解かれました。

 中に入っていたのは、私の身の丈以上はある、先端に輪っかと十字架を組み合わせたような意匠を持つ錫杖でした。

 

『重さはどうだ? きちんと持てるか?』

「あ、はい……問題なさそうです。以前の杖よりも軽いくらいで」

 

 数度軽く振ってみて、率直に感想を述べます。

 

「……あれ? これは……ただの杖ではないですよね?」

 

 ふと気になったのが、先端の輪状のパーツ内部にある十字架のモチーフの先にある何かの発振器らしき物と、輪の側面から迫り出した小さな翼のような突起の下に開いている、何かの排出口みたいなスリット。これは……

 

『ああ、それは……我は根っからの武器職人だからな、ついこのようなものを作ってしまいたくなるのだが、気になるのであれば別の物を用意するか?』

「いえ、問題ありません。いざという時に、こういう物が手元にあれば心強いですし……」

『ならば良かった。だが、決して過信するでないぞ。そもそも、お主がそのような物を前線で振り回すような事態なぞあってはならんのだからな』

 

 その言葉に、新たな杖を手にしたことで浮かれそうな気分を引き締めて、頷く。

 

『さて、次に……ソールとやら、待たせたな。お主の分だ、持っていくが良いぞ』

 

 そう言って、ネフリム師がごとりと卓に置いたのは、大小二本の包み。

 そのうち一本、大きな包みが捲られて、中から出てきたのは……黒い鞘に納められた、やや細身の長剣でした。

 

「……ん? この形状……」

 

 兄様が、その剣を見て、訝し気な声を上げる。

 その言葉によく見てみると……鍔に、何か球形の物を収めることができそうなスロットがあります。そして……それは、私達の知っている形状の物。

 

「これは……まさか、レイジのアルスレイや、ヴァルターさんのアルスノヴァと同じ……?」

『いや、改良型だ。その二作がやり過ぎたと反省し、力場の展開方式を変えてみた試作品だ。出力そのものは落ちるが、代わりに核となっている竜眼無しでもきちんと普通の剣として使えるようにしてある』

「普通って……いや、これ、そのままでも物凄い業物じゃないですか?」

 

 あっけに取られている兄様の言葉に、同調してコクコクと頷く。

 優れた刀剣は、素人目にも感じ取れる凄みのようなものがありますが、この剣のそれは、これまで見て来たものの中でも相当に上位の存在感を放っているのです。

 

『そりゃそうだろ。竜相手でもやり合えるのを目指したドラゴンスレイヤー、生半可ななまくらじゃ刀身が持たねぇ、相応の力に耐え得るガワが必要なんだからよ』

 

 なんという事もないようにさらっと述べるネフリム師に……この方が本当に世界でも最高峰の職人であると、否応なく実感します。

 とはいえレイジさんのアルスレイは、変形機構と頑丈さの両立のため鋭い刃を持たせる事はできず、未展開状態では剣の形をした鈍器ですが。

 

『銘を、アルスラーダと言う。持っていけ、核になる竜眼は嵌っていないが、それでもきっとお主の力になるだろう……勿論、竜眼が手に入ったなら組み込んでやるから持ってくるといい』

「……ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」

 

 恭しく受け取って、そっとその剣……『アルスラーダ』の鞘を払う。

 その刀身を眺め、そっとその刃先に指を沿わせ……一枚の懐紙を取り出して刃の上に乗せたかと思うと……

 

「……ほぅ……これは……」

 

 感嘆のため息を漏らす兄様。

 直後、ひらひらと床に落下した白い物は……つい先程兄様が刃の上に乗せた、()()()()()()()()懐紙。

 こちらはアルスレイとは異なり、その細身の刀身自体が冴え冴えとした光を放つ、鋭い刃を備えているようでした。

 

 それを確認すると、続いてゆっくりと構えを取り、横に、縦に刀身を閃かせ、続いて私の目では追い切れない突きをたぶん数回放って……新たな武器を検分していた兄様が、満足げに顔を上げる。

 

「長さ、軽さ共に私には丁度いい。ありがたく使わせていただきます。それで、もう一本の包みは……」

『おぅ、構わねぇから開けてみな』

「……ん?」

 

 どこか愉快そうに、様子を見ているネフリム師。

 その様子を訝しみながらも、兄様がその包みを捲る。

 そこにあったものは……

 

「……え!?」

「ちょ、まっ……」

 

 私とレイジさんの口から、驚愕の声が漏れました。包みを開いた兄様も、完全に絶句し固まっています。

 何故ならば……そこにあったのは、私の手首から肘くらいまでの長さの、小型の盾のようなナックルガードを備えた、やや湾曲した形状をした漆黒のショートソード。

 しかしそれは、柄から鍔まで……おそらくは鞘の中に隠れている切っ先の尖端まで……一切継ぎ目もなくまるで一枚の黒曜石から削り出されたような形状をしていました。

 

「まさか……それも……」

『お、やはり嬢ちゃんには分かるか。こいつが我の元に伝わっていて、その研究ができていたからこそ、我は先程の白き剣の修繕方法を知っていたのだ。そう、これは……』

 

 ネフリム師が種明かしせずとも、分かる。

 私の知らない私の記憶が教えてくれる。その剣を知っていると、解る。その剣の銘は……

 

「……黒の極炎……『アルトリウス』……っ!?」

 

 それは……レイジさんのアルヴェンティアと同じ物……紛れも無い、()()()()()()()()()()()でした――……

 



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ネフリムの頼み

 

「『黒の極炎アルトリウス』……これを、ソールクエス・ノールグラシエに託します」

「……うん、確かに、私が預かった」

 

 私が宣言すると、捧げ持った剣……アルトリウスの鞘に走る赤いラインに光が瞬き、同時に私の中で今まで欠けていたピースが嵌るような感覚。

 この剣の所有権が確かに兄様へと移ったのを確認し一つ頷くと、その手が私の腕の中から剣を抜き去りました。

 

 その軽く弧を描く片刃の刀身は……やはり、柄と同じ、夜空のような澄んだ黒。

 

「……どうですか?」

 

 順手、逆手と何度か手の内で弄び、感触を確かめている兄様に問いかける。

 そんな兄様は、何度か持ち方を確認した後、剣に魔力を込めるように集中すると……ゴウッ、と、刀身から、その名の通りな黒い炎が吹き出しました。

 

「……うん、悪くない。二刀を操るとなるとちょっと慣れは必要だけど……普段は盾を持つから使う機会は少ないだろうけど、火力が必要な時にはありがたく使わせてもらうよ」

「そうですか……では、その剣についてはお任せします」

「ああ、任された」

 

 ホッと一息ついて笑いかける私に、微笑み返す兄様。これで、この件は問題ないとして。

 

『さて……これで後の問題は、こいつだな』

 

 そう言って、卓の端に置かれている『アルスレイ』を指差すネフリム師。

 

『このアルスレイなどに使われている力場の刃は、その核になっている竜眼の本来の持ち主……竜種の使用するブレスの原理を真似たものだ……というのはお主らに言ったか?』

「いや……初耳だな」

『ってぇことは、竜気……いや、竜眼から説明が要るか?』

 

 そう尋ねるネフリム師に、おずおずと挙手します。

 

「あの……僭越ながら、私が」

 

 幸い、個人的興味から調べていたので大丈夫……な、はず。

 ネフリム師が「やってみろ」と頷いたのを確認し、頭の中で整理した情報について、口にします。

 

「そもそも、『竜気』とは何か。いえ、それ以前に竜眼の役目とは何かについてなのですが……」

 

 そう前置きして、話しはじめる。

 

「竜種……竜眼を有する高位の竜種には、二つ、特殊な固有の能力があるんです。『Worldgate Online』プレイヤーであれば、分かると思うのですが……」

「おう、一つは代名詞でもあるドラゴンブレスだよな」

「もう一つは、魔眼……魔法を打ち消すアレだな」

 

 私の言葉に、すぐさま返答を返すレイジさんと兄様。

 私たち三人はそれなりに竜種レイドボスとの戦闘経験も……主にレイジさんのアルスレイ作成の素材集めのために……あるため、その習性は熟知しています。

 

 竜種は、人族の使う魔法の源となる力とは別種の力……人の間では「竜気」と仮称される力を振るいます。

 そんな竜種の代表的な能力は、体内の器官に溜めた竜気を口から放つドラゴンブレスですが……もう一つ、特殊な能力を秘めた魔眼、特に竜種のものは特別に『竜眼』と呼ばれるものを有しています。

 

 

 

 ……この世界の竜種は種の特徴として、その魔眼で見た空間の魔法を消し去る、いわゆる「凍てつく波動」と呼称される能力を両眼に備えています。

 

 例えばスノーが……『セイリオス』が備えている死を呼ぶ魔眼や声帯と同じような、グレーター以上の高位の竜種固有の能力なのです……が。

 

「多分、ほとんどの人は、あの竜種の魔眼が魔法を消去する能力だと思っているのでは、と思うのですけれど……」

 

 私の言葉に、竜種について少しでも知っている皆が頷きます。

 

「ですが、ここからは私が興味本位で調べた文献からの想像になるのですが……一つ、気になる論文があったのです。著者は……アウレオリウス・ノールグラシエ前国王陛下、です」

 

 複雑な思いは胸の奥に仕舞いつつ、その名を口にする。

 名前に『界』の単語を与えられたアウレオリウス前国王陛下。

 そんな彼は、歴史上でも屈指の空間魔法の遣い手だと言われていました。

 

 そんな彼が、竜の扱う力について研究した、その内容。その中に、次のような一文がありました。

 

 曰く……『あの眼は、魔力を消去するのではない。その眼で観た空間を変質するのだ』……と。

 

 

 

『魔力のある世界』から、『魔力の無い世界』へ。

『ある』ものを『ない』ものに変化させ、その差分をエネルギーとして自らの内に蒐集する。

 

 

 そこに、余分な力を消費する術式は何も必要なく、全ての魔力はロス無く彼らのブレスを使用するためのエネルギーへと変換される。

 

「指定した空間内の魔力の相転移。それが、竜眼の力で、そうして取り出した力が竜気である……と。合っていますでしょうか?」

『……お、おぅ。それで問題無い。嬢ちゃんは勉強熱心だな、感心感心!』

 

 何故か冷や汗を流し、目を逸らしているネフリム師が、私の言葉を肯定してくれました。

 

「良かった……見栄を切ったのに間違えていたらどうしようかと……」

『……ていうか、我より詳しいな、イリス嬢……』

 

 何やらブツブツと呟いていたネフリム師ですが、すぐに咳払い一つして、語り始めます。

 

『で、つまり竜眼ってのは嬢ちゃんの言った通りの物な訳だ。剣に組み込んだ竜眼は装備者から生命力や魔力を吸い上げ、一度ここで竜気に変換し刀身を形成する訳だ』

「では、使用する際の負担が大き過ぎるのは……」

『それは、今アルスレイに使用されているエルダードラゴンの竜眼では坊主にとって容量が大き過ぎるため、際限無く力を奪われて昏倒してしまう訳だ。ここまでは良いな?』

 

 その言葉に、私達三人が頷く。

 

『ではどうすれば良いか……解決策は簡単だ。もっと容量が小さな竜眼に差し替えてやれば良い。そうだな……グレーター級であれば十分であろう』

「ま、待ってくれ!? そんな事をしたら……!」

 

 レイジさんが、慌ててネフリム師の言葉を遮る。

 この案は、レイジさんにとって到底受け入れられない物ですから、それも当然でしょう。何故ならば……

 

『そうだ。そうしてしまうと当然武器としての性能は落ちる。お主達としてはそれもいざという時に困るのであろう』

「そう、だな……それだと、持ち歩く意味が無い……な」

 

 その言葉に、レイジさんが頷く。

 実際に振るうレイジさんとしては、いざという時の切り札となるままにして欲しいのでしょう。ただ性能を落とすだけならば、アルヴェンティア一本あれば事足りるのですから。

 

 ……という理屈は理解できるのですが、心情的には危険があるならば使わないで欲しい。そんな不安が顔に出ていたのでしょう。

 

『そんな顔をするな、ここからが我の出番であろう?』

 

 

 こちらを見つめているネフリム師が、任せておけと一つ頷きます。

 そう言って、傍らから引っ張り出してきた巨大な紙束。

 そこには、『アルスレイ』と思しき剣の設計図が、無数の注釈に囲まれて描かれていました。

 しかし……

 

「……ここ、形が違うな」

 

 そう言ってレイジさんが指差したのは、まさに竜眼が収まっている鍔の部分。

 

「これは……スロットが、増設されている……?」

 

 元あった竜眼を収めるスロットの横に寄り添うように設けられた、その一回り小さなそのスロットに、首を捻り、ネフリム師の方を見る

 

 そんな彼は、ふふんと一つ自慢気に笑うと、口を開いた。

 

『故に……補機として、もう一つ竜眼を組み込んでしまおうと思う。元の竜眼への回路のオンオフを自在に切り替えられるようにしてな』

「……できるのか!?」

『おう、できるとも。これによって通常時でも今のまでより小さな負担で起動させる事ができる他……理論上では、こちらの小さな方に溜めておいた竜気を利用して、多少の時間であれば最大稼働時の負担を大幅に軽減出来るはずだ』

「……マジか!?」

「凄い、凄いですよ、ネフリム様……!」

『フフ、ハハハ、そうだろうそうだろう、讃えるが良いぞ! という訳で話の続きだが』

 

 私たちの賞賛に気を良くし、高笑いするネフリム師でしたが、すぐに真面目な表情に戻り話を続けます。

 

『加工自体は数日もあれば可能だ。そうだな……大闘華祭の決勝前日、決勝前夜祭あたりまでには完成させておこう……だが』

 

 上機嫌にそう述べたネフリム師ですが……突如その調子を落として真顔になる。

 

『だがしかし問題がある。肝心の適合する竜眼が今、手元に無いのだ』

「…………オイ」

 

 半眼になったレイジさんが、思わずという様子でツッコみました。

 部屋の皆もその言葉にがっくり肩を落とし、テンションが下がったのを明確に感じます。

 

「……もしかして、私達に集めて欲しい素材というのは」

『うむ、改造に使用する竜眼だ』

「っても、一体どこにそんなのが居るってんだよ……」

 

 グレータードラゴンなんて、一体どこに居るのやらです。

 それ以前に、今この世界は竜種がらみのトラブルも聞かず、その関係は距離を取った良好を維持していますので、討伐する理由も無いどころか、むしろ手出し自体憚られます。

 

『別に、倒して入手するだけが手段ではあるまい。現存する物を手に入れて来れば良いのだから』

「アテがあるのか……!?」

『ある。というか、今まさに始まる大闘華祭の上位入賞者への褒賞の中で選択できるのだよ』

 

 竜種の能力による区分で、下からレッサー種、通常種……その次となるグレーター種までであれば、過去に少数ながら討伐記録もあり、必要となる竜眼も少しは出回っているのだと、ネフリム師は言いました。

 そして、なんでも上位入賞した者には、賞金に加え、副賞として用意された中から一つ選択して貰うことができるのだと。

 その中に、高価な武具や道具、換金可能な宝石類などと比べるとあまり人気は無いものの希少な素材もあり、中に竜眼もあるのだそうな。

 

 ただし問題は、ネフリム師の言うには、選択可能となるのは……フレッシュマンの部であれば、ベスト4以上。

 

『そこで……実は、な。こちらが本来の頼みだったのだか』

「……本来の?」

 

 聞き捨てならない言葉が聞こえました。

 つまり、私が恥ずかしい思いをしたのは……そう、ずっと高い位置にあるネフリム師の単眼を、ジトっと見つめる。

 

『……すまん。言おうとした時には既に、お主ら二人で盛り上がっておって言える空気では無かったのだ。だからその禍々しい気配は引っ込めてもらえぬだろうか』

 

 バツの悪そうな顔でそう目を逸らしたネフリム師に、ひとまず怒りを抑えて睨むのをやめました。

 

『我は亜人ではあるが、一応この街では割と古参な正規の居住者であり、それなりに発言力のある立場に居る。今大会でも賞品として何点か作を提供しておるしな』

 

 なんでも、大闘華祭の運営委員会幹部の末席に、彼も居るのだそうです。

 

『……ここ数日、参加者が襲撃されており、出場を辞退せざるを得なくなった者が数人発生してしまったのだ』

「あぁ……昨日のあれか」

『む、知っているのか?』

「ていうか、その下手人をふん縛って衛兵に突き出したのは俺だからな」

『そうか……世間は狭いもんだ。それで、目的は不明だが……被害に遭ったのがそれなりに有力な選手である事を考えると、何らかの理由があって上位入賞を目論む者達による、陰謀の気配を感じざるを得ん』

「その線はもちろん疑いましたが……名声のためにしては、リスクが高すぎる気がしませんか?」

 

 現在この街は厳戒態勢の警備下にあります。

 事が発覚した場合のリスクを考えると、多少ズルをするには割に合わない筈です。

 

『……最悪を想定して言う場合、考えられるのは……決勝前夜、あるいは大会終了後の二度ある祭事の場で、何者かを送り込み、何か企んでいるのではないかと。上位入賞者は、慣例として祭事に参加する事になる。()()()()()()()()()()()、な』

「それ、は……」

『何かやらかすには、絶好の機会であろう? しかも、昨日捕まった下手人は、西の犯罪組織の可能性が高いらしいではないか』

 

 その言葉に、実際に事を構えたレイジさんが黙り込む。

 しかし、長年続いてきた由緒正しい祭事なため、怪しいからと証拠もなく一存で勝ち上がって来た者を排除する事も、私達が出席を辞退する事も難しい。

 

 当然、そのような場で何があろうものならば、威信に関わります。そのため最大限厳重な警戒下で行われる祭事に、わざわざ手出ししてくる者はそうそう居ないでしょう。

 

「……それでも尚、実行するような理由でもなければ、ですね」

 

 その兄様の言葉に、部屋の皆の視線が私の方へと集中するのを感じました。

 

『……うむ。もし、もしもだ。そなたの存在が露見していた場合……その目的は、そなたの身柄かもしれぬ』

 

 かもしれない、という言葉と裏腹に、ネフリム師、そして事情を熟知しているレイジさんと兄様は、半ば確信しているみたいでした。

 

 そう……私の存在というのは、()()()()()()()()のです。

 しかもレイジさんが言うには、実際に彼らは以前、私を狙って来ていたのですから。

 

『頼みというのは、お主らの中で腕に自信がある者に、空いた枠に代理出場してもらいたいのだ。もし何か企てている者がいた場合、大会の中から排除するために、な』

 

 初めは、普通に代理を立てる予定であり、私達を巻き込む予定ではなかったのだと頭を下げるネフリム師。

 しかし、生半可な者を代理に立てても、結局は同じ事になる可能性がある。それでは意味が無いのだ、と。

 

『特に、フレッシュマンの部に出場できる主な身元のはっきりとしている有力選手で、まだ参加が決定していない者は、もはやこの街にはほとんど残っておらん』

「それは……そうでしょうね……そもそも腕に覚えのある方々は皆、参加目的で集まった人たちでしょうから」

 

 四年に一度、この世界における最大の武の祭典。

 武芸者ならば皆憧れるその舞台なのですから。

 

『そこに、お主らが現れたのだ、実力も、身の保証も問題ないお主らが……な』

 

 

 そこまで言って、ふぅ、と深く息を吐く彼。

 その表情は真面目そのものな、沈痛なものでした。

 

『この街には、人では無い我を受け入れてくれた恩がある。愛着もある。我とて、この度の大祭が無事に終わる事を、一住民として願っている。そのための協力なら惜しまん……頼む、手を貸して欲しい」

 

 そう言って、頭を下げるネフリム師。

 

 

 

 

「……俺は出る」

 

 真っ先に声を挙げたのは、やはりというかレイジさんでした。

 

「もちろん、連中の企みは必ずぶっ潰す。けど、元々俺は興味があったんだ。今の自分がどこまで通用するか試したいって」

 

 しかし、レイジさんがここに同行したのは、私達の護衛として同行したレオンハルト様の付き添い。

 故に、興味はあれども抑えていたのは、そのずっとウズウズしていた様子を見ていればすぐに分かりました。

 

 ですが、事情が変わり、参加する事が私達を守る事に繋がるかもしれないとなった今は、おそらく許可は下りるでしょう。

 

「というわけで……勝手なことを言って悪いが、俺は……」

「大丈夫、止めたりしませんよ。レイジさんの思うままに」

「……いいのか?」

「それは、まぁ、心配ではありますが……」

 

 試合といっても、たとえ治癒術師が常に側に控えていると言っても、やる事は武器を用いての真剣勝負です。

 怪我をするのではないか、そんな心配に不安を感じない訳ではありません。でも、それ以上に……もしかしたら、闘技大会に出られるかもしれない。そんな流れになってから、レイジさんがそわそわしているのはすぐに分かりました。

 

「レイジさん、目がとても楽しそうですから……どうか、存分に。応援しています、頑張って」

「……ああ!」

 

 そう、力強く頷いたレイジさん。

 その、まるでお祭りを前にした少年のように生き生きとした様子を微笑ましく思っていると……もう一つ、手が上がりました。

 

「なら、私も出よう」

「……兄様?」

 

 レイジさんと違い、その発言は驚きでした。

 兄様……綾芽は、こうした見世物としてPvPを行うのはゲームだった時から苦手だと思っていたのですが。

 

「……別に、私はレイジみたいにバトルマニアって訳じゃないけど、こんな話を聞いたら黙ってはいられないから、ね」

 

 そう言って微笑むと、私の頭に手を置き、グリグリと撫でる兄様。

 

「あとは……祭事に呼ばれるのは、決勝前夜祭が最終日に優勝争いをする二人、後夜祭は上位三名なのだろう? ならば斉天さんも出るのだから、彼に協力を求めれば良い。私ら三人で当たれば、そうそう取りこぼしは無いはずだ」

「そうか、あいつが居たな。気は進まないが……」

「だが、頼りにはなるだろう?」

「……仕方ねぇ、それで行くか」

 

 ガリガリと頭を掻いて、不承不承頷いたレイジさん。どうやら方針はまとまったみたいです。

 

「それに……」

「……兄様?」

「いや……なんでもない。竜眼、できれば私の分もここで手に入れておきたいからね」

「あ、そうでしたね……兄様も、頑張ってください」

「ああ、任せて。三人で、表彰台を独占するのも楽しそうだ」

「もう、世界中から腕に自信のある方々が集まっているんですからね、そんな事を言って足元を掬われても知りませんよ?」

 

 そう少しだけ怒ったふりをしながら窘めると、兄様は苦笑し肩を竦めました。

 

『では、早速必要なものを見繕わなくてはな』

「あ、そうだよ、防具! 頼まれた奴はまだだけど、今師匠の工房に保管されてる中から良いのを選んであげるわ、キルシェも手伝って!」

「あ……はい、お姉ちゃん!」

 

 ネフリム師の言葉に、大事な事を思い出したと慌てて部屋を飛び出し、装備保管庫へと向かう桜花さんと、そんな彼女に助力を求められ、嬉しそうに後ろを追いかけて行ったキルシェさん。

 

 のんびりリゾート気分で居たこのイスアーレスの日々は今、俄かに慌ただしさを増し始めたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、騒然となる中で。

 

 ――もし、あの視線が本当に()ならば、私は……

 

 そんな呟きは、誰の耳に入る事もなく、周囲の談笑に紛れて消えていくのだった――……

 



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小さな来客

 

 大会に参加するため、必要な防具を一通り見繕ってもらい、準備を万端整えた後。

 

 桜花さんとキルシェさんは自分の工房に残るとまたトラブルに巻き込まれる可能性を危惧し、向こうの工房から生活必需品や仕事道具などをこっそりと回収し、ネフリム師の工房に寝泊まりすることとなったようです。

 

「さぁて、これから大仕事だから、忙しくなるわよ。キルシェも手伝ってくれる?」

「はい、おねえちゃん。私にできることなら何でも言ってね」

 

 そう仲睦まじく作業へと戻っていった二人の様子は、もう何も心配なさそうでした。

 

 そうして三人に別れを告げ、大闘技場の宿泊施設に戻ってきた私達ですが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日のお小言も……長かったです……」

「今日()、っていうあたりがもう、叱られ慣れてる感じがして一体何なんだろうな……」

「悪気があるわけじゃないのに、どうしてこう巻き込まれるのかな……」

 

 ぐったりと、各々疲労した様子で椅子に腰掛ける私達三人。

 

 大闘技場内の宿泊施設で待っていたのは……「また危険に頭を突っ込んだのか」という半ば諦めにも似た顔のレオンハルト様によるお説教でした。

 最終的には、友人となった方々を救うためやむを得なかった、と認めては貰えたのですが、最近すっかりとお説教慣れしてしまっている気がします。

 

 そうして一通り絞られた後、そろそろ後詰めで来る予定の王妃様たちとの顔合わせのために、プライベート用らしい比較的質素なドレスへと着替えさせられて――ようやく一息ついた頃にはすっかりと夕刻……今は真夏なため、まだまだ明るいですが……になっていました。

 

 日も傾いてきたため、暑さは昼間よりもだいぶ和らぎ、海から吹いてくる風がお説教で煮詰まった頭に心地良い。

 

 

 

 

 

 ――大闘技場の裏手、一般の入り口の存在する方の反対側には、海に面した断崖に沿うように建造された外壁のすぐ内側に五本の塔があり、それが私達来賓用の宿泊施設になります。

 

 各塔はそれぞれ五階建てで、各国とアクロシティにそれぞれ割り当てられているのだそうです。

 その二階からは闘技場の貴賓席に、一階からは外へと通じる通路にと共有スペースを介して繋がっている以外に、お互いの行き来はできないようになっていますが……一応、あらかじめアポイントメントを得れば他国の塔へとお邪魔することは可能らしいです。

 

 

 

 そして、今私達が居るのはその中の東から二本目、ノールグラシエ王国の宿泊施設として割り当てられている一棟。その屋上の庭園に設えられたガゼボ(西洋風の東屋)内でした。

 

「……それで、俺の方は領主様から参加許可は取れたぜ。最初は難しい顔をしていたが、事情を聞いて、まぁ、仕方ないかって感じだったけどな」

 

 とはいえ、欠員補充という形の飛び入り参加になってしまいますので、諸々の手続きで数日かかり、正式登録は大会ギリギリになってしまうのだそうです。

 そしてその間は何度か手続きに立ち会わなければならないとの事で、あまりこの大闘技場から離れる事も出来ないそうだと、ウンザリとした様子で紅茶のカップを傾けていました。

 

「私の方も、叔父様は渋ってはいたけれど、問題なく。明日からはレイジ以上に手続き手続きと煩そうだけどね」

「それは、まあ、一国の王子様が突然闘技大会に出させろ、なんて言い出せば大変でしょうね……」

「まぁ、精々放蕩王子の我が儘とでも思ってもらうさ、それで油断でもしてくれれば儲けものだろう」

 

 肩を竦めてやれやれと嘆息する兄様にそう指摘し、もうすでに大わらわであろう運営委員会の方々の苦労を偲び、苦笑します。

 

「ですが、意外ですね……もっと説得も大変かと思ったのですが」

 

 アルフガルド陛下は、長いこと行方不明になっておりようやく帰ってきた私達が戦いに出る事を快く思ってはおりません。それだけ心配してくれている親戚がいる事は嬉しく思いますが……だからこそ、説得には開催ギリギリまで掛かるかと思っていましたが。

 

「そうだね……向こうもだいぶ悩んだみたいだけど、一応理由はあるみたいだよ」

「理由……ですか?」

「うん。なんでも、いずれ来る次期国王を選定しないといけない時に向けて、特に私に関しては、何か実績を残させて国民の印象を向上させておきたいんだそうだ」

「私は、別にそのような事は言われてはいませんが……」

「それは、イリスは血統も資質も問題は……いや、有るといえば有るけれど、ほんの少し昔までは別段珍しいことでもなかったらしいから。だけどほら、私の生まれは……」

 

 そう語り始めようとする兄様でしたが……不意に、背後から視線を感じました。

 

 ……あまり人に聞かれたい内容の話ではないため、兄様の話を手で制すと、ほぼ同時に気が付いたレイジさんと兄様。

 

 視線の出どころは、レイジさんの背後、下の階へと続く階段の方。

 

「あれは……」

「……子供?」

 

 若干戸惑いながら、現れた人物を窺う二人。

 

 ……二人が気が付くのが遅れたのは、視線に敵意や害意などが微塵も感じられなかったからでしょう。

 

 振り返った先、階段に沿って設けられた塀の影からこちらの様子を窺っているのは、小さな人影でした。

 隠れているつもりなのでしょうが、まだ小さな白い翼がバッチリとはみ出しており、その様子につい頰が緩みます。

 

 そんな影は、私達が気が付いたのを察し、慌てて頭を引っ込めてしまいました。

 

「……大丈夫ですよ、どうぞこちらへいらしてください、一緒にお茶にしましょう?」

 

 兄様は私に任せる事にしたらしく傍観の姿勢。

 レイジさんは何かを察したらしく、従者の体裁を取り、席を立って私達の背後に控えています。

 なので私が席から立ち上がり、なるべく優しい調子を心掛け、笑いかけながら告げると、その小さな影が遠慮がちに姿を現しました。

 

 恥ずかしそうにしながら階段の方から出てきたのは、身形(みなり)の良い、まだ小さな天族の少年。

 年の頃は、小学校の低学年くらい。おそらく、六歳か七歳あたりでしょうか。

 

 再び微笑みかけると、ぱぁっと表情を明るくして、やや小走り気味に駆け寄ってきました。その様子がなんだか親鳥を追いかける雛鳥みたいで……

 

 ……あの? この子すごく可愛いんですけど?

 

 この場に居る天族の少年となれば、自然とその出自は予測可能ですが……そういえば、アルフガルド陛下は道中でもずっと、うちの息子が可愛いと親馬鹿発言を繰り返していましたが、それも納得でした。

 

「は……初めまして、イリスリーアおねえさま、ソールクエスおにいさま!」

 

 僅かに息を切らせて私達の傍まで来た少年は、まだ若干舌足らずさが残る声でそう言って、緊張しながらも、年に似合わぬ大人びた所作でお辞儀をする。

 その所作は幼いながらも貴公子の片鱗を感じさせるものですが、その背にあるまだ小さな白い翼が、動きに合わせてぴょこんと動くのが見えました。

 

 ……先程も思いましたが……かっ……可愛い……っ!

 

 ふわふわで柔らかそうな銀色のくせっ毛に、崩れなく綺麗に整った顔。元は軍務についていたためにどちらかといえばがっしりとした体格のアルフガルド陛下と比べると、繊細で華奢な印象を受ける体格。

 元々の美少年ぶりもさることながら、所作の端々に漂う品の良さ、そして利発そうな物腰は、その育ちの良さと、惜しみなく愛情を注がれて育てられてきた事を如実に表しています。

 

 そんな少年の少し背伸びしたような挨拶の所作に、胸がキュンと締め付けられるような感じと共に、微笑ましいものを見る時の暖かな気持ちが胸の中に広がります。

 思わず抱きしめて頬ずりしたくなる衝動を辛うじて抑え、なんとか優しげな微笑みだと思う形に表情を維持する。

 

 ……うん、大丈夫。私は優しいお姉さんです。よし。

 

 母性本能が暴走しておかしなことをしでかしそうな内心を宥めすかし、口を開きます。この小さな少年がこれほど礼儀正しく挨拶をしたのですから、きちんと手本になれるように振舞わなければ。

 

「ええ、初めまして。イリスリーア・ノールグラシエと申します」

 

 軽くスカートを摘み、軽く膝を曲げて礼を取って告げると、あまり堅苦しくなって緊張させぬように、なるべく柔らかくを意識して微笑んでみせる。

 背後に立った兄様も同様に名乗り、小さな来客へと礼を取る。

 

「それで……あなたがアルフガルド陛下のご子息ですね? もしよろしければ、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「は……はい! 僕は、ユリウス・ノールグラシエと申します。まだ魔法名は貰っていませんが……お二人に会えると父様に聞いて、ここに来るまでの間ずっと楽しみにしていました!」

 

 そう言って、まだやや緊張した様子ながらも、屈託のない天使の笑顔を見せる少年……ユリウス殿下。

 

 それが、現国王陛下アルフガルド様の実子であり、続柄的には私達の従弟――ノールグラシエ王国王太子殿下との、初めての出会いでした――……

 

 



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現王と先王

 

 ユリウス殿下が来訪し、お茶をしながらせがまれるままに今までの出来事を話して聞かせていると、再び階下から誰かが上がってくる、数人の人間が石階段を蹴る足音が聞こえてきました。

 

「すまない、待たせたな。ユリウスは……そうか、やはり先にこちらに来ていたか」

「いらっしゃいませ、叔父様。それと……」

 

 陛下に続き、手を引かれて階段を上って来たのは、サラリとした絹糸のような薄金色の髪を後ろでアップにまとめ、上質ではあるが華美過ぎない品の良いドレスを纏った、天族の女性。

 やや大柄な陛下の隣に立っていても見劣りしない、女性としてはやや長身な……造形としては美人系な容姿をした方なのですが、柔らかく垂れ気味な目を軽く細め微笑んでいるせいで、むしろ可愛らしい印象を受ける。

 年齢は既に三十代も半ばになる筈ですが……そんな様子をあまり感じさせない女性でした。

 

 事前に、その人物については詳しく聞かされています。彼女はアンネリーゼ・ノールグラシエ。アレフガルド陛下の伴侶、私達の国の王妃様にあたる方です。

 

「あ、おとうさま、おかあさま、申し訳ありません……どうしても早くおねえさま方にお会いしたくて」

「そうですね、黙って先に行ってしまったのは良くありませんでした。ですが……気持ちは分かります」

 

 ふっとユリウス殿下に微笑むと、ゆっくりと歩いて来る王妃様。私たちの前まで来ると、私と兄様を交互に見つめた後……その手を私たちへと伸ばして来る。

 

「……本当に、七年前に会ったままの姿なのですね……いえ、少しだけ大きくなったかしら?」

 

 そう私と兄様の頬を撫で、存在を確かめるかのように身体に触れていた王妃様でしたが……次の瞬間、私たち二人、その両腕に抱きしめられました。

 

「本当に、無事で良かったわ。おかえりなさい、ソールクエス、イリスリーア」

 

 感極まったようなその言葉に……私たち二人は、少し照れながら告げるのでした。

 

 

 

 ――ただいま、と。

 

 

 

 

 

「……そろそろ宜しいでしょうか、アルフガルド陛下、アンネリーゼ王妃殿下」

 

 不意に、更に階段の方から聞こえて来た女の子の声。

 陛下達に続いて姿を見せたのは……やや気の強そうな目をした、まだ幼い可愛らしい女の子でした。

 

 こちらは下ろせば腰まではありそうな明るい金髪を、頭の左右で束ねたいわゆるツインテールに結っています。

 身に纏った服は、所々フリルやレース、金糸による刺繍をあしらわれた、白を基調としたローブ。その所々には、十字架と円を組み合わせたようなマーク……アイレイン教団のシンボルが象嵌されていました。

 

「あ、アンジェ! きみもこっちに来ていたんだ!」

「え、えっと……こほん。ユリウス殿下も、ご機嫌麗しゅう……」

 

 そんな彼女に、嬉しそうに屈託の無い笑顔を向けるユリウス殿下。その様子に彼女は少し頬を染めて動揺を見せましたが、すぐに気をとりなおしたらしく、ツンとした澄まし顔を見せて会釈しました。

 

「貴女がイリスリーア王女殿下ですね? お噂はかねがね。なんでも素晴らしい治癒術の使い手であらせられるそうですね?」

 

 そう言って、スカートの裾を摘んで一礼する、純白のローブの女の子。

 

「いえ……私も日々、自らの未熟を痛感する日々で。貴女は?」

「私は、アンジェリカと申します。アイレイン様を信奉する教団で、光栄にも『聖女』の末席に置かせていただいてます」

「……えっ!?」

 

 ニコッと、控えめに微笑んだ彼女……アンジェリカちゃん。そんな彼女の言葉に、目を見張ります。

 聖女……アイレイン教団の誇る、高い治癒魔法の才を有する少女たち。

 見出された者は親元から離れ、彼らの総本山で修行と奉仕の日々を送っていると聞きましたが……まさか、このように幼い子まで居たなんて。

 

「彼女……アンジェリカ嬢は、ユリウスの許婚でもある。どうか仲良くしてやってくれ」

「は、はい……」

 

 ……許婚。

 

 日本にいた頃は縁遠い単語でしたが、流石に王族ともなれば、まだ幼い時分からそういうのもあるのですね。

 

 彼女の見た目は、ユリウス殿下と同じか、いくつか上くらい……少なくとも、十は超えていないように見えます。ですがこの堂々とした立ち振る舞いに、端々に自らの役職に対しての自信のようなものが見受けられます。

 

 ……こっちの子供は凄いです。負けてはいられませんね。

 

 年長者として恥ずかしく無いようにしなければ。そう、ひとつ気を引き締める。と。

 

「……負けませんから」

「……え?」

 

 ボソリと呟かれた、その言葉。

 見ると、アンジェリカちゃんはこちらに敵愾心みたいなものが篭った視線を真っ直ぐに向けていました。

 

 ……そうですよね、こんなに幼い頃から修行を積んでいる彼女にとって、ポッと現れた私は認め難い存在なのでしょう。

 

 その睨むような視線に、これは仲良くなるのは大変そうだ、そうゴクリと唾を飲んでいると。

 

 

 

「ねぇ、アンジェ。お仕事、すぐに忙しくなるんだよね?」

 

 救いの手は、すぐ傍から。

 ユリウス殿下がアンジェリカちゃんに話しかけると、彼女はすぐに頬を染め、視線を彷徨わせ始めました。

 

 ……やだ、この子もユリウス殿下同様に、凄く可愛いです。

 

 仲良くなれそう。先程思った感想を即座に翻します。

 照れながらも満更でもなさそうなその様子にふっと頬を緩めると、何を笑っているんだとばかりに睨まれてしまいました。ごめんなさいね?

 

「え、ええ、そうね……明後日には、大会でのお仕事の打ち合わせらしいから……」

「なら今のうちに、いろんなものを見に行かない?」

「え、ええ……と……」

 

 所在無さげに周囲を見回すアンジェリカちゃんの目が、並んで二人を見守っている陛下と王妃様を捉えます。

 

 その目は……戸惑いつつも、期待に揺れているもの。

 

 そんな様子を二人もきちんと理解しているらしく、陛下が相好を崩しながら頷きました。

 それを見て、一瞬花のような笑顔を浮かべたかと思えば、すぐに澄まし顔に取り繕ったアンジェリカちゃん。

 

「で……殿下がそう言うのなら、一緒に行ってあげても……」

「ほんとう? よかった! それでは、おとうさま、私はアンジェと少し探検に行ってきてもいいですか?」

「ああ、行って来なさい」

「明るいうちに戻って来るのですよ? アンジェリカ嬢、ユリウスの事を頼みます」

 

 陛下と王妃様が頷くと、ユリウス殿下は嬉しそうにアンジェリカちゃんの手を引いてエスコートし、階段を降りていってしまいました。

 

「レオンハルト、あの二人の護衛は任せたぞ?」

「了解しました。レイジ君、君も来なさい」

「あ、ああ……それじゃ、ソール、こっちは任せた。また後で」

 

 陛下の指示でレオンハルト様とレイジさんも席を立ち……気付いたら、この場には私と兄様、国王夫妻だけが取り残されているのでした。

 

 

 

 

 

 そうして幼い二人が連れ立って降りていってしまったのを見送り、私と兄様、陛下と王妃様の四人、テーブルを囲んでお茶を再開します。

 

「ふふ、なんだか微笑ましい二人でしたね」

「ああ、あのアンジェリカという子はどうやら素直になれないみたいだけれど、ああも殿下に無邪気に押されれば形無しだな」

 

 兄様と二人、初々しいユリウス殿下とアンジェリカちゃんの様子を思い出して談笑する。

 幼い二人の微笑ましいやり取りを思い出すだけで、頰が自然と緩みます。

 そんな私達の言葉に、陛下もそうだな、と頷く。

 

「ああ、本当に……許婚同士、うまくやっているようでなによりだ。まだ幼いのに許婚の話を受けてくれたアンジェリカ嬢には、感謝せねばな」

「でも、二人とも満更でもなさそうで、将来安泰そうでなによりです」

 

 そう、何気なく発した言葉ですが……

 

「そう、だな……」

 

 途端に表情を曇らせる陛下。その様子に首を傾げると、彼は重たい様子で口を開きました。

 

「私は……あの子に王位を継がせたいとは強く思っておらんのだ」

「……叔父様? それは、どういう……」

 

 普段から、陛下がユリウス殿下をべったりと溺愛しているのを見ていたので、てっきり跡を継いで欲しいのだとばかり思っていましたが……その顔は、苦渋を滲ませたものでした。

 

「……勿論、あの子が自らの意思で目指すというのであれば、全力で支援するのもやぶさかでは無い。教えられる事は全て教えよう。しかし、そうでなければ、自分の好きな道を歩んで欲しいと思っていたのだ」

 

 尤も、今代は王家の子が少ないため、そうもいかんだろうがな、と苦笑するアルフガルド陛下。

 

「……すまんな、もしそうなった場合、お主らに皺寄せが行くというのに、勝手な事を言ってしまった」

「いえ、それは気にしておりませんが……よろしければ、理由を聞いても?」

 

 言い淀んでいる陛下に首を傾げ尋ねると、陛下は少し悩んだのち、語り始めました。

 

「私の来歴は、知っているな?」

「は、はい……先王、陛下の兄であるアウレオリウスが王位を継いだ後、魔法騎士団『白光』の団長を務めていた、と」

 

 魔法騎士団でも、特に生え抜きの精鋭。実力以外に高い教養や礼節を求められる、王都守備隊の最エリート集団。

 さらにはその選考には一定以上の容姿まで求められるという……騎士団の顔となる、いわゆる親衛隊だ、と。

 

 そして、選定において王位は兄へと譲ったアルフガルド陛下は、そこで先王アウレオリウスの治世のサポートに徹していたと言われています。

 

「私は、それで良かったのだ。兄上が行方不明になどならなければ、一生をその補佐として捧げるつもりだった」

 

 大きなため息を吐いて、改めて続きを発する。

 

「私は……あまり、良き王ではないからな」

「いえ、そんな事は決してないと思います! 陛下は仁君として、民の評価も……」

「そうだな、民たちがそう評してくれているのは、本当に有難い事だ。ただし……()()()()()()()()()()、と続くがな」

「それ、は……」

 

 思わず口籠もってしまう。

 

 ……それは、この国の近代史を学ぶ中で、何度も実感させられてしまった事。

 

 

 

 先王アウレオリウスの功績は、王位に居たのが十八歳からおよそ十五年程度と然程長いわけではないにもかかわらず、多岐に渡ります。

 

 その中で最も大きなものは、さらにその先王、私から見るとお爺様の治世の時に計画が頓挫し宙に浮いていた、王都とアクロシティ最接近都市コメルスを繋いでいる、大陸縦断鉄道を完成させたことでしょう。

 

 まだ年若い先王アウレオリウスは、幼少時代から、その才によって周囲の期待を一身に集めていたそうです。

 そんな評判を妬んでいたさらに彼の先代の王は、まだ年若い彼に、その困難さから工事の止まっていた計画を押し付けて王都から離してしまった。

 

 皆が無理だと、そのような任に飛ばされた優秀な王子に憐れみの目を向けたそうです。

 何故ならば、王都とコメルスの間には、北大陸有数の広さで広がる『世界の傷』の影響を受けた土地――『硝雪の森』という、存在している全ての物が……降り積もる雪の一つ一つですら……鋭利な結晶でできているという最大級に危険な『禁域』が広がっており、当初の計画ではどうしてもその付近を掠めざるを得なかったのですから。

 

 ところが彼が任に就いたその結果……彼は様々な計画の修正、そしてネフリム師の同族、気難しいはずの一つ目巨人(サイクロプス)の協力まで取り付け、困難極めると言わしめたその任を成功に導いてしまった。

 

 そんな彼の鉄道敷設の任は、縦断鉄道完成前に先王が病で伏せった事で行われた、新たな王位選定で圧倒な支持をもって王位に就いた事で終了しました。

 しかしそれすら見越して既に完全な計画の道筋が出来上がっていた工事は、彼の手を離れても問題なく進み、程なくして王都の民の悲願であった鉄道は完成しました。

 

 当初は人材の流出の懸念により批判も多かったらしいのですが、通行上のボトルネックとなっていた箇所が解消された事で、人の往来は増加。

 以前と比べ気軽に王都へと足を伸ばせるようになった事で……実はこれを見越してあらかじめ都市整備も同時進行していたそうですが……観光業なども発展し、雇用の増加と流通の流動化で、多大な経済効果もあったそうです。

 

 それ以外にも、例えば今では国全土へ目を光らせている防諜組織の育成を始めた事や、魔法技術の研究促進、軍で使用されている魔導器の統合整備計画の見直し……その活躍は多岐に渡り、今もその成果は活かされています。

 

 そして何よりも……『魔導王』とまで称され、次元すらも断つと噂された、強大な魔導の力。

 あの『死の蛇』との戦いにおいて最前線で指揮を執り、撃退に導いた最大の功労者である彼は、誰よりも強い王として絶大な支持を集めていました。

 

 

 

「王才で、私が兄上に勝つ日が来ることは無い……私は割と早い段階で、その事を誰よりも理解していた。だから王佐の立場で兄上を支えようと軍務について、サポートに徹しようと思っていたのだが……結局はその兄上の失踪によって王になってしまった。儘ならぬものだな」

「あなた……」

「あの時はアンナ、お前にも本当に迷惑をかけた。まだ幼い姫であった時分に結婚を申し入れた時には、元々王妃になる予定など無かったところだったのに、突然降って湧いた妃の立場、良くこなしてくれていると本当に感謝している」

「いいえ、私はあなたの伴侶となると決めた時より、どこまでもついていくと決めたので苦ではありませんでしたわ」

 

 二人しばらく見つめ合って、二人の世界を形成している陛下と王妃様の熟年夫婦。

 その様子に、私と兄様二人、砂糖を入れすぎたような心地で香茶を啜っていると。

 

「……ごほん、失礼した」

 

 ようやく帰って来た陛下が、照れた様子で茶を飲み干すと、改めて語り出す。

 

「結局のところ、私は『今あるものを守る』ことしかできぬ王だ。兄上のように国の将来を見据え、新しいことを考えて動く事は出来ぬのだ」

 

 陛下がそう自らを評価する。

 それは間違いなく自らを過小評価しているのですが……それを指摘しても、きっと届かないのでしょう。

 

「いや……今後、この国を継ぐ事となる者は皆、その比較の洗礼を受ける事となる。兄上は……イリスリーア、お主の父は、そういう存在なのだ」

「陛下……」

 

 ――優秀すぎる前任が居たことによる、周囲から向けられる容赦の無い比較。

 

 きっと陛下は、常にその比較に晒されながら今まで国を治めてきたのでしょう。その心労は果たしていかばかりだったのか、私達には想像もつきません。

 そして……それは誰よりも、その困難を知っているという事。まだ幼い我が子をそのような茨の道に歩ませるのを、陛下は渋っているのでしょうか。

 

「……あなた、悲観的な見方ばかり吹聴するものではありませんよ?」

「む? お、おお、そうだったな、そのような、プレッシャーを与えるような事が言いたかったわけではないのだ」

 

 そんな重くなった空気の中で、王妃様が陛下をたしなめ、私の手にそっと触れる。

 

「貴女も、その出自に思う事があるせいで否定的になりがちでしょうけれども……それはあくまでも一面。貴女のお父様は、それだけ立派な人物であったということでもあるのですよ?」

「王妃様……そうですね、ありがとうございます」

 

 それは、私が自分に流れている血を誇ってもいいのだという、王妃様の気遣いでしょう。

 だから、大丈夫です、と一つ頷いて見せます。

 

「その……若輩者である自分が、陛下にこういうことを言うのも恐れ多いと思うのですが……今あるものを守るのも難しい事だと思います。ですから、国全てを守ろうと励み、実際に安定を維持できている陛下を私は尊敬できる王だと思っています」

「そうですね……確かに、先王アウレオリウスは素晴らしい王だったのかもしれませんが、目標とするべきなのは叔父様の方だとも思えました」

 

 訥々と語る兄様に追従し、私も陛下の事をそう評します。

 

 重責に潰れる事なく、人のためにと苦心し続けられる仁の王。

 そのような中にありながらも、家族の将来を憂い思いやる優しい方。

 ずば抜けた資質は無くとも、やはり彼は、名君と呼ぶに足る素晴らしい王だ……と。

 

「そうか……そうか、お前たちがそう言ってくれるか……ありがとう。すまんな、若者に愚痴るような事をして」

 

 そう、どこか安堵したように肩の力を抜き、頭を下げるアレフガルド陛下。

 顔を上げた時に浮かべていた、僅かに目の端に涙を滲ませたその笑顔は、どこか憑き物が落ちたように晴れ晴れとしているものでした――……

 

 



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集いの茶会①

 

 ――大闘華祭まで、あと三日。

 

 

 

 

 

「……スリーアさま……イリスリーア様」

 

 軽く肩を叩かれて、微睡みの中にあった意識が浮上する。

 今何をしていたのかが分からず一瞬混乱しますが……すぐに、化粧台の上に開かれた数々の小瓶から、女官の方々に化粧を施されていたのだと思い出します。

 

「あ……ごめんなさい、眠ってしまっていましたか?」

「いいえ、ほんの数分です。お化粧、終わりましたよ」

 

 そう言って、鏡を眼前に掲げてくれる彼女。

 いつも付き従っていた、側付きのレニィさんではありません。

 彼女は陛下が連れてきた女官の一人で、主にメイクや服飾の世話をしてくれる方です。

 

「イリスリーア殿下は元がよろしいですからね、要望通り最小限に留めましたが、いかがでしょう?」

 

 その侍女の言葉に、姿見を見つめていた私は、はー……と感嘆の吐息を漏らします。

 

 私が理解できる範囲で行われた化粧は、目元にブラウンのシャドーを、頰に僅かに朱を差して、口に薄く桃色を引いた程度。

 

 それでも、薄っすらと施されたお化粧は、普段とは違った少しだけ大人びた雰囲気を、まだ幼さが多分に残る私の顔に与えてくれています。

 

 

 

 ――私は、お化粧に関してはあまり詳しくありません。

 

 元々、この世界の化粧品は贅沢品であり、一般にはあまり浸透していないという事。

 加えて、元がお化粧とは縁がなかったためにどうにも抵抗があり、どうしても積極的に手を出そうと思えなかった事。

 あとは……世の中の女性にはこう言うと恨まれそうですけれど……必要性を感じなかった事。

 

 それらの理由のため、せいぜいが目の下の隈を隠した時くらいしか自分で化粧した事はありませんでしたが……これほど雰囲気が変わるものならば、簡単な物だけでも覚えていた方が良いのでしょうか、と姿見を凝視しながらぼんやりと考えます。

 

 

 

 そして……今の髪型は、左右で編まれた三つ編みを後ろで結ったハーフアップに整えられています。

 また、今朝からああでもないこうでもないと大騒ぎの結果着せられたのは、白を基調としたパーティドレスでした。

 上半身は胸元と背中を大胆に出す構造で、それだけでは露出が高く扇情的になってしまうため、セットと思しきボレロを羽織り、さらには非常に薄いショールを腕にかけられます。

 ゆったりとしたドレープを持つスカートは背面に向かうほど丈が長くなっています。そしてその周りを繊細な刺繍の施されたレースがふわりと覆っており……一体幾らになるのだろうかと、根が庶民な私は、眩暈がする思いでした。

 

 初めて着た本格的なドレスに内心とてもビクビクしていますが……しかし、これはまだ序の口なのでしょう。

 本祭が始まったら一体どのような衣装を着せられるのか、今から戦々恐々とするのでした。

 

 

 

 ――何故、こうしてお化粧までされて着飾っているのか。それは、昨夜の通達に理由がありました。

 

『明日の昼、二階のホールにて来賓の方々の懇親を兼ねた茶会を開きます』

 

 参加は自由との事ですが、特に初参加である私達は顔見せくらいはしておいた方がいいだろうと言われ、こうして参加する事となったのでした。

 

 

 

 

 

 そうして、着替えを終えた私達。

 共に茶会の会場へ向かっているのは、アルフガルド陛下とユリウス殿下、私と兄様。そして、付き添いとしてレイジさんとアンジェリカ嬢です。

 

 王妃様は明日以降……本祭開始に向けた準備の陣頭指揮に忙しく、レニィさんも同様。レオンハルト様はそちらの護衛に残っているためこの場には居ません。

 

 そんな訳で、会場へ向かう螺旋階段を下っているのですが……

 

「イリスリーアおねえさま、とてもお綺麗です!」

 

 そう言って、目をキラキラさせて私の格好を褒めてくださるユリウス殿下。

 昨夜、夕食後に殿下が眠ってしまうまで、せがまれるままに色々と話をしてあげていたためか、すっかり懐いてくれた様子に思わず頰が緩みます。

 

「そうですか? ありがとう、ユリウス殿下も、すっかり貴公子然としていてご立派ですよ」

「そ、そうですか? だったら嬉しいです」

 

 褒められて、少し照れながらもぱぁっと嬉しそうな笑顔を見せるユリウス殿下。

 私同様、皆それぞれ公の場に出るための装いをしていますが……礼服に身を包んだユリウス殿下はとても可愛いらしく、抱きしめたくなるのを堪えて、笑顔で内心を隠します。

 

「く、悔しいですが、イリスリーア殿下がお綺麗なのは認めますわ……決して、綺麗なドレス着れて羨ましいな、とか思ってませんからね!」

「あ、あはは……ありがとう、アンジェリカさん」

 

 視線に込められて突き刺さる敵意に苦笑しながら礼を述べると、彼女はプイっと顔を背けてしまいました。

 若干不貞腐れているのは、彼女たち『聖女』は公の場における正装として、いつものデザインと同じ法衣を着用しなければならないため着飾る事が出来ないからでしょうか。

 

「はは……まぁ、プライベートでの制限は無いのであろう? 我が妃がアンジェリカ嬢のドレスも張り切って用意しておったから、後で着てやりなさい」

「あっ……ありがとう、ございます……陛下」

「ははは、何、その方が王妃も喜ぶからな」

 

 陛下とユリウス殿下たちのそんな微笑ましいやりとりを眺めながら、水入らずに入り込むのも憚られ、歩む速度を緩めて若干後ろを歩いていたレイジさんと兄様に並びます。

 

「……その、なんだ。イリス、そのドレス、似合ってる……います」

「あ……ありがとうございます。レイジさんも、よくお似合いですよ?」

 

 ぎこちない口調で褒めてくれるレイジさんに、ふっと頰を緩めて賛辞を返します。

 今のレイジさんはレオンハルト様が用意してくれていた礼服を着ており、櫛目を入れて整えられた髪と、首元を飾るクラバットを落ち着かなさげに弄っていました。

 お互い、賛辞に照れ臭さを感じ苦笑しあっていると……

 

「レイジ、そこはきちんと『イリスリーア殿下』だ。イリスも『さん』ではなく『様』を使うように」

「あ……ごめんなさい、つい」

「わ、悪ぃ……ごほん、申し訳ありません」

 

 兄様のダメ出しに、慌てて呼び方を頭の中で改めます。

 ついつい普段の呼び方をしてしまいますが……レイジさんが王女である私のことを呼び捨てで、私が異性であるレイジさんに対しに『さん』付けで親しげに呼び合うのは、今の身分ではアウトなのだと口を酸っぱくして言われているのでした。

 

 ちなみに、兄様は私にもレイジさんにも、呼び捨てのままで問題ありません。ちょっとズルいと思うのでした。

 

 

 

 そうこうしているうちにたどり着いた、会場である二階の共用スペースにあるホール。テラスに面した広間には軽食を乗せたテーブルが並べられ、すでに何人かの人達……皆、いずれかの国の要人とその従者です……が思い思いのグループを作り談笑しているようでした。

 

 部屋に踏み込んだ途端に、集中する視線。

 参加予定者は事前に通達が回っているはずで、私達が参加するという事は周知されている筈です。

 流石は皆、とても高い地位にある方々という事で、多少騒つく程度で済んでいましたが……その興味深そうにこちらを観察する視線に、思わず怯み、足が止まりました。

 

「私は明日からの打ち合わせがあるから少し離れるが、その間ユリウスの事は頼む。ユリウス、お兄様方と、アンジェリカ嬢の言う事をよく聞いて、いい子にしているのだぞ?」

「はい、いってらっしゃいませ、おとうさま」

 

 そうユリウス殿下に見送られ、離れていく陛下。

 同時に、明日以降の打ち合わせのためでしょう、何人かの方がテラスの方へと向かって行き、若干視線が減ったことに安堵の息を吐きます。

 

「それじゃ、私達は何か食べていましょうか」

 

 アンジェリカちゃんがそう言ってユリウス殿下の手をしっかり握り、仲良く果実類が盛られた皿の並ぶテーブルへと向かったので、私達も二人の後をついていきます。

 

 ……動くのに合わせ、ちらほらと、興味深々な視線が四方から突き刺さります。

 

 ですが、皆遠慮、あるいは牽制しあっているようで、誰も近寄っては来ません。

 時折「何と可憐な…」などと賛辞が耳に入り、恥ずかしさで顔に血が集まって熱くなってくる居心地の悪い思いをしていると……

 

「イ、リ、ス、ちゃぁぁあああん!!」

「……ふぎゅっ!?」

 

 そんなピリピリとした空気をまるで障子を蹴破るがごとく引き裂いて、突如聞こえてきた猫撫で声と共に……むぎゅっと柔らかな感触に包まれ、視界が暗転しました。

 

 慌てて絡みついてくる柔らかな体を引き剥がすと……そこに居たのは、ゲームだった頃に見知った方でした。

 

「……ぷぁっ! お、お久しぶりぶりです、桔梗さん。ですが、いきなり抱きつくのはやめてください」

 

 抱きついてきたのは、見た目の年齢は二十歳に届くか届かないかのあたりの女性。

 鴉の濡羽色のロングヘアに、日本の巫女服に似た衣装。その姿は清楚可憐な巫女を思わせますが、その衣装の胸部を大きく盛り上げているのは、豊満な二つの膨らみ。

 

 ……またスタイルのいい人が周りに増えた!

 

 内心、そんな忸怩たる思いを感じながらもそっと心の奥底へと押し込んで、笑顔を作る。

 

「こうして顔を合わせるのは、ユニーク職発見の騒ぎ以来ですねぇ」

「うんうん、貴女もこちらに来ているって聞いて、ずっと心配していたのだけどぉ……無事なようでなによりだわぁ」

 

 ニコニコと、周囲を脱力させるような緩い笑顔を振りまく彼女。

 

 彼女……桔梗さんは、私達と同じくコンテスト受賞の功績で公式から役職を得ていたプレイヤーです。

 東方諸島連合の中でも「巫女」と呼ばれる催事を司る役職の女性の一人で……東のプレイヤーを代表する、トッププレイヤーの一人です。

 

「……その装いを見るに、あなたもこちらの世界では、ゲームだった時の役職が適用されていたのですか?」

「そうそう、困ってしまいますよねぇ。私の場合、気がついたらログアウト前にスクリーンショトの撮影していた泉の中で溺れていて、周りはみんな巫女様ー巫女様ーと大騒ぎでしたものぉ」

 

 そう言って、悩ましい仕草で頰に手を当て、はぁ……と溜息を吐く彼女。

 

「しかし……桔梗さんは、今の役職にすっかり馴染んでいますよね?」

 

 先程も、私達を発見するまでは他の巫女の方々と談笑していたようですし、すっかりと溶け込んでいるように見えました。

 

「そうですかぁ? でも、最初は戸惑いましたが、慣れるとこういう敬われる生活も悪くはないと思いましたぁ。お勤めは大変ですが!」

 

 彼女の役職である巫女は、諸島連合においては北や南であれば候〜公爵家の姫君に相当する、れっきとした貴人です。

 

 東の諸島連合は、小さな部族の集まりで出来た国です。

 そんな諸島連合では、今もまじないや祈祷が政治の上でも重要な意味を持ち、彼女達は国の管理する催事殿にて崇め奉られてお役目に従事しているのです。

 

 また、諸島連合の長……各主要部族の長老たちは国から外へ出る事も無いため、その代理として、また国の顔として、こうした祭事では外に出るお役目もあります。

 

 故に、突然祭り上げられて大変なんだろうなぁと思っていると。

 

「この仕事は何より出会いが無いのです。快楽が無いのです。事あるごとに慎みだ礼節だ、貞淑がどうので欲求不満ですし! くぅ……ッ!」

 

 ……違いました。心配して損しました。

 

 私が白い目で見つめる先で、そう言ってぐっと拳を握り歯ぎしりまでして悔しがる彼女。

 ぷりぷりと不満をこぼしている彼女ですが、外見だけであれば黒髪ロングの大和撫子風な容貌なため、ギャップが激しいです。

 

「……ソールクエス殿下はまだ決まった相手は居られないのですわよねぇ? 他国の王子様との縁談であれば偉いお爺様がたも文句は言わないでしょうし、私などはいかがでしょう。ここはひとつ、両国の架け橋として……ね?」

「……申し訳ありません、大層魅力的なお誘いなのですが、今はまだ私も先の知れぬ立ち位置の身、身の振り方も固まらぬうちにそのような申し出をいただいてもご迷惑になりかねませんので、今この話は前向きに善処させていただく、という事で」

「……相変わらず、ソールさんはイケズですねぇ」

 

 胸に手を当て微笑みかけながら、慇懃な言葉遣いでさらっと拒絶した兄様に、桔梗さんが口を尖らせます。

 

「なら、なら、ユリウス王子殿下はぁ?」

 

 突如矛先を向けられて、隣で私とアンジェリカちゃんに挟まれて呑気にフルーツポンチを食べていたユリウス殿下が、邪悪な気配を察してビクッと震え、私の陰に逃げ込んできました。

 

 かわいい。いえ、そうではなくて。

 

 姉……従姉弟ですけども……として、怪しい人との交流には賛同しかねます。

 

「かぁいいよねぇ、ねぇユリウス殿下、どう? お姉ちゃんと一緒にいい事……ひっ!?」

 

 兄様と二人、その先は言わせませんよ、と微笑みかけます。後ろでは、アンジェリカちゃんが殿下を庇うようにして威嚇していました。

 

「ユリウス殿下に粉をかけるようなら、あまり気は進みませんが、あらゆる権限を活用してでも貴女を遠ざけますけれど?」

「あら、イリスリーアお姉様、気が合いますわね。私も婚約者として、教団に掛け合って何か制裁を進言するのも吝かではないですわ」

「じ、冗談よぉ…………ごめんなさい」

「はい、ではそういう事で」

 

 何故か真っ青な顔色でしたが……素直な謝罪に、ふっと表情を緩めます。

 

「やめといた方がいいぞ。こいつ……げふん、イリスリーア殿下は新しくできた可愛い年下の家族に、心底惚れ込んでいるから」

「そうねぇ……ご忠告、ありがとうございますぅ」

 

 何やらレイジさんに諌められ、諦めと疲れの浮かぶ表情でガクガク頷いている桔梗さん。一体、何でしょうね?

 

「でも、私はいつでもウェルカムだからぁ。勿論イリスちゃんもよ、東は同性婚も認められていますからねぇ」

「はいはい……」

 

 流石に他国のお姫様と同性婚は駄目じゃないかなぁと思いつつも、どうでもいいから流しておきます。

 

 面食いで、バイセクシャルで、ロリコン&ショタコンで……ついでに、今回は口には出していなかったけれども腐女子であり、さっきも並んで立っているレイジさんと兄様を見る目が少し怪しかったですが……とにかく色々と業の深い恋多きな人なのは相変わらずのようで、深く溜息を吐きます。

 

 

 

 

「さて、若いもん達で盛り上がるのも結構だが、俺らも混ぜてもらいたいんだが、いいか?」

 

 そう、背後から新たな声が掛かりました。

 気さくに崩した口調に、燃える炎のような深紅の逆髪の、魔族の男性。

 その姿を見て、桔梗さんとのやりとりで緩んでいた気を慌てて引き締めます。

 

「まずは……不肖の弟がそっちで世話になっているらしいな、そのことについて礼を言わせてくれ」

「いいえ、緋か……スカーレット殿下には危ない所を助けてもらいました。感謝こそすれど、迷惑などという事はありませんわ」

「そ、そうか? だったら良いんだが……」

 

 全く、あいつと来たら数年ぶりにちょっと顔を出したと思ったら、その日の内に居なくなりやがって……そうぶつぶつと言っている彼。

 

「あらためて……本当であれば真っ先にお伺いしなければいけませんでしたのに、ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。私、ノールグラシエ国王アルフガルドの姪、イリスリーア・ノールグラシエと申します……フェリクス()()()()

 

 そう告げて、ドレスの裾を摘まんで膝を折り、一つ軽く微笑んでみせる。

 

「ああ、気にすんな。俺らも今来たばかりだし、第一ここに滞在する間は無礼講だ。それに……可愛い妻の従姉妹なら、俺にとっても身内みたいなもんだろ?」

 

 そういってパチっと小粋にウィンクして見せる彼の名は、フェリクス・()()()()()()()()

 この世界では、スカーさんのお兄さん……気のいいお兄さんといった言動ですが、南大陸の諸侯をまとめ上げている巨大国家、フランヴェルジェ帝国皇帝陛下でした。

 

「それに……ほら、挨拶するんだろ?」

「はい……」

 

 皇帝陛下に促され、しずしずと皇帝陛下の後ろから出てきた、白い翼を持つ天族の女性。

 年の頃は……三年前、南へと嫁いでいった時点で十六歳なため、まだ二十歳前だったはず。

 私よりは少し短めの、さらさらとした絹糸のような長髪を綺麗に切りそろえた合間から見えるのは、白磁の肌と、息を飲むような美貌。

 

 ぱっと見では、表情に乏しく、冷たい印象を受ける女性です。その怜悧な美貌と冷たい態度、優れた凍結魔法の才から、『氷の女王』の異名を持つ彼女ですが……

 

「ソールクエス王子、イリスリーア王女、お会いできて光栄でひゅ」

 

 ……噛んだ。

 

 もつれたどころじゃなく、思いっきり舌を噛みましたよ、この人。

 

 ガリッという音まで聞こえてきた気がするその盛大な噛みっぷりに場の空気が凍りつく中、彼女は無表情のまま口を抑えており、その目にはじわりと涙が浮かんできます。

 その様子に、思わず苦笑の形のまま固まってしまう。

 

「まったく、何緊張しているんだよ。ほら、『宝石姫』なんて渾名されていたが、優しそうないい子じゃねぇか」

「で、でも……初めて会う従姉妹ですし、何か失敗でもして嫌われたらと思うと……(わたくし)、ショックから立ち直れなくなってしまいます……」

 

 その、クールな美少女と言った容姿と裏腹に、人見知りする子猫のような態度。

 女性としては比較的長身なため分かりにくいのですが、よく見ると彼女の立ち位置は、常に少しだけ陛下の背中に隠れている形になっています。

 

 彼女は……なんというか、とても気弱で人見知りなのでした。

 ゲームだった時に、両想いだったにもかかわらずその人見知りを遺憾なく発揮して逃げ回る彼女と、それを追う皇帝陛下との仲を取り持つイベントもありましたが……すっかりポンコツキャラとして人気を得てしまったのでした。

 それが彼女……アルフガルド陛下の長女、イーシュクオル皇妃殿下なのです。

 

「イーシュクオルおねえさま!」

「ユリウス?」

「はい、おねえさま、お久しぶりです!」

「そう……この一年と少しの間で、随分と大きくなりましたね」

 

 そう言って、駆け寄ってきた歳の離れた弟を優しく抱き締めるその姿は、『氷の女王』という異名からは程遠いように見えるのでした――……

 



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集いの茶会②

 

「……落ち着かれましたか?」

「はい……申し訳ありません、お見苦しいところをお見せして。それと……ごめんなさいね、善意で言ってくれた事でしたのに」

 

 まだ舌が痛むのか、冷たいハーブティーを口の中で転がしながら、イーシュクオル皇妃殿下。

 ちなみに謝罪については……先程その舌を治癒魔法で治療しようと思ったのですが、当の本人からなぜか固く拒否された事に対してでしょう。

 

「いいえ、気にしていません。それで……私も、ユリウス殿下のようにイーシュお姉様、とお呼びしてよろしいでしょうか?」

「……! ええ、ええ、私もイリスちゃんって呼んでいいですか?」

「はい、喜んで」

 

 笑いかけながら頷くと、ぱぁっと明るい表情で……いえ、あまり表情は変わっていないのですが、雰囲気で喜んでいる彼女。

 

「ソールクエス殿下も……ソール君、でいいかしら?」

「あ……はい、イーシュ姉様」

 

 兄様が珍しく戸惑いながらも愛称で呼ぶと、彼女はほんの僅かに表情を緩め、微笑を浮かべました。

 普段が無表情な分、その微笑みはギャップも相俟って、思わずドキッとします。第一印象はとても綺麗な方でしたが……今では、可愛らしい方だと思えるのでした。

 

 

 

 

 ちなみにこの会は、お茶会とは言いますが、人数の関係で実際には立食形式のパーティです。

 しかし私は、今着用している白いドレスを汚すのが怖いため、お茶だけいただいています。

 兄様はそれにわざわざ付き合ってくれているのですが……なぜかフェリクス皇帝陛下とイーシュお姉様も、時折軽いものを摘んで口に運んでいる以外は、私と同じようにお茶だけなのです。

 

 

 

 ――本当は先程まで、給仕の方々が果実酒を配っていたのですが、今は私達のところへとお酒類を勧めに来る人は居なくなりました。おそらくは、つい先程の出来事が理由なのでしょう。

 

「申し訳ありません、お酒はちょっと……」

 

 果実酒を勧めて歩いていた給仕の方に、そのように申し訳なさそうに言っていたイーシュお姉様。

 それを受けて皇帝陛下が何事かを給仕の方に耳打ちすると、彼は慌てて謝罪し離れていき……一体何を言っていたのか、以降は酒類を配っている方々は寄り付かなくなりました。

 

 

 

 ちなみにユリウス殿下とアンジェリカちゃん、幼い二人組はとりあえず食欲に忠実らしく、二人仲良く甘味の沢山並んでいるテーブルのところへと行ってしまい、いまは少し離れた場所にいます。

 桔梗さんはどうやらそちらが気になるようで……少しアレな所はありますが、基本的には子供好きで面倒見の良い方なのです……大皿のプディングを器に取り分けてあげていたりと、細々な面倒を見てくれているようで一安心でした。

 

 皇帝陛下はというと……

 

「レイジ君と言ったな。見れば見るほど俺たちフランヴェルジェ皇帝家に多いのと同じような髪色だが……本当に、無関係なのか?」

「違う……んっ、違います、これはただそう設定しただけで……いや、何と言えばいいのか……」

 

 予想外にフランクな皇帝陛下に、レイジさんが距離感を掴めずにしどろもどろになって返答しています。

 どうやら鮮やかな真紅の髪色はフランヴェルジェの皇帝一族に良く現れる色らしく、レイジさんのその真っ赤な髪が気になるらしいのですが……キャラメイク時にはそこまで深く考えていなかった部分だけに、説明に困っているようでした。

 

「おっと、悪い悪い、困らせるつもりじゃあなかったんだ。うちは……その、先代皇帝が色を好む質だったからな、疑ってしまった、許して欲しい」

「い、いえっ! 気にしておりませんので……!」

「全く……情熱的と言えば聞こえがいいが、あちこちで浮名を流すものだから、市井に与り知らぬ皇家の血筋が何人いるのやら……」

 

 よもや頭を下げられると思っていなかったらしく慌てているレイジさんを他所に、頭痛を堪えるような仕草で溜息を吐く皇帝陛下。その苦労を偲び、心の中でお疲れ様と同情します。

 

「勿論、俺はイーシュ一筋だけどな!」

「きゃっ!? へ、陛下……その、このような場で、そのようなお戯れを……!」

 

 だというのに、唐突に傍に居たイーシュお姉様を抱え上げ、イチャつき始めた皇帝陛下。

 

 ……途端に同情する気が失せてきた気がします。

 

「それに……お言葉はとても嬉しいのですが、何もそのように一筋を貫かずとも、私とて王族の出です。世継ぎのため側室を迎える重要性も理解はしていますので……」

「だが、お前との間に沢山の子を設ければ、その必要も無いだろ?」

「……あう、ぅ………………が、頑張ります……」

 

 ……なんなんでしょうね、これ。

 

 人目など憚る様子のない、むしろ見せつけるかのような態度のフェリクス皇帝陛下に抱かれ、ドレスから露出した首筋や肩に口付けされながら、このままでは死ぬのではなかろうかと心配になるほど顔を真っ赤に染めたイーシュお姉様。

 困っているみたいではありますが、満更でも無い様子なのが本当に……事前に聞いていた話では、いつまでも新婚気分が抜けぬ夫妻だとため息交じりに言われているのも納得でした。

 その二人の世界を作っている二人に……この場に、あえて言葉にするのであれば、「ケッ!」と吐き捨てるような感じの視線が集中しているのがヒシヒシと伝わって来ます。

 アンジェリカちゃんなどは、少し離れた場所で、ユリウス殿下の耳を塞ぎながら、顔を真っ赤にして俯いてしまっていました。

 

 ……これは、子供の情操教育に悪いのでは?

 

 そんな思いがむくむくと膨れ上がり、いい加減止めるべきだろうかと思い始めたその時。

 

「おっと、これはこれは……ノールグラシエ王国が誇る美姫が二人揃い踏みとは、華やかで良いですなぁ」

 

 空気を読まぬ……あるいは最大限読んだ結果でしょうか……新たな声が、横合いからかかりました。

 

 ……助かりました!

 

 そんな思いで振り返った先。

 陽気な雰囲気のその声の主は……恰幅の良い、優しげな顔立ちをした金髪の中年男性。その姿は事前に最低限顔を覚えておくようにと言われ、教えられた人物の中にあったのを思い出し、気を引き締めます。

 

「ソールクエス殿下、それとイリスリーア殿下にはお初にお目にかかります。私は通商連合国の代表として、首相の任に就かせて頂いております、フレデリック・ウルサイスと申します。以後お見知り置きを」

 

 そう挨拶を述べて兄様と握手したのち、そっと差し出した私の手を取って、白いレースのフィンガーレスグローブに包まれた甲に口を寄せる彼。

 

「フレデリック首相、お初にお目にかかります。すでにご存知かとは思いますが、私はソールクエス・ノールグラシエと申します」

「同じく、イリスリーア・ノールグラシエと申します。若輩の身ではありますが、以後お見知り置きの程をお願いいたします」

 

 私と兄様が挨拶をすると、彼は人の良さそうな笑顔を浮かべ、若干大仰な仕草で礼を取ります。

 

「これは両殿下とも……初の公式の場にもかかわらず、なかなか堂々たる振る舞い、私感服いたしました」

 

 そうニッと笑った彼に、どうやら各国の主要な方々への挨拶は無事済んだのを感じ、私たちも内心ホッと一息吐くのでした。

 

 

 

 

 

 

「それで……そちらの方は?」

 

 目線で、先程からフレデリック首相の背後に控え、頭を垂れていた付き人の男性を示します。

 

「おっと、忘れていた。紹介しよう、最近ウチの商工会でめきめきと頭角を示している、見込みある若者だ。こういった場に出るのも勉強になるかと思い連れて来た。名をフォルスと言う」

 

 首相の紹介を受け、身を起こして一礼する彼。

 やや細身の体つき。身長はやや長身。薄いプラチナブロンドの長髪を片側で緩く結って肩から流し、その顔には銀のスクウェアフレームの眼鏡。

 

「……? あなたは……」

 

 不意に既視感を感じました。

 その姿に、どこかで見覚えがあるような……いつだったか、同じように誰かに紹介された事があったような気がして……

 

「……あ」

「どうか、なさいましたか?」

「あなた……そうです、確か『アルスレイ』の素材集めのために流通ギルドを頼った時に、協力してくれた……!」

 

 

 それはまだゲームだった頃。

 希少な素材が大量に必要だった『アルスレイ』の製作は、当然ながら私たちだけの力では不可能でした。

 しかしそれに使用するような希少な素材は、主にレイドボス攻略ギルドが自分たちで利用するために独占し、市場にはほとんど出回りません。

 そのため頼ったのが、行商人プレイヤーの集まってできた最大手ギルド……海風(シーブリーズ)。そのギルドで人の良さそうな団長から「うちで一番のやり手だ」と紹介されたのが、彼でした。

 

 結果、その手腕と人脈によって、予想よりもずっと早く目的の物を調達してくれたため、良く覚えています。

 

 ……つまり、彼は元プレイヤーです。

 

「……覚えて、おられたのですか」

「それはもう、随分と助けられましたから。どうかなされたのですか?」

 

 意外、とでも言うように目を見開く彼に、首を傾げながら聞き返す。

 

「い、いえ……たった一度の、短い間の依頼でしたから、驚いてしまいまして」

 

 咳払いして、失礼しましたと再度頭を下げる彼。

 

「なんじゃ、お主、イリスリーア殿下と知り合いだったのか」

「えぇ、まぁ……多少の縁がありまして。もっとも当時はそのような事を知らず、よもやこのような場で再会するとは思いませんでしたが」

 

 フレデリック首相の質問を、飄々とはぐらかす彼。どうやら余計な詮索をされたく無いらしいので、私も曖昧に微笑んでそれに習わせていただきます。

 

「普段はこちらでも継続し海風(シーブリーズ)商会を引き継いで運営していますので、御用命の時はなんなりとお申し付けください」

「あ……はい、何かあったらよろしくお願いしますね」

 

 私の返答にひとまず満足したらしく、ふっと目を細め笑って下がる彼。

 

「……っ!?」

「……イリス、どうかした?」

「い……いえ、なんでも……」

 

 ――彼が笑った瞬間、その目の奥の光に何か背筋が粟立つものを感じたのは……気のせいでしょうか?

 

「あ、あの……それで、お聞きしたかった事があるのですが!」

 

 そんな不安を払うように、おそるおそる挙手して言うと、皆の視線がこちらへと集まります。

 

「これで、四つの主要国家代表である皆様とはこうしてご挨拶出来たわけですが……もう一つの塔の方々は、どちらに?」

 

 この大闘技場に併設されている、来賓の居住スペースである塔は、()()

 残る一つを使用しているはずの方々……()()()()()()()()()来賓の方々が、見当たりません。

 

 私の疑問に、同じことを考えていたのか、同じゲームから転移させられた桔梗さんもコクコクと頷いていました。

 

「あぁ……あいつらか」

 

 不機嫌そうに言ったのは、フェリクス皇帝陛下です。

 

「連中は来ねぇよ、今回だけじゃ無く毎年な。何をしているのやら、そんな暇は無いんだとよ」

「この世界の調停者への配慮として、一応慣例として用意はされておりますが……もう何十年も使われた事は無いそうです」

「彼らは、下界の下々の祭りになど興味を示しませんからな。一体何を考えているのやら、です」

 

 口々に、不満を述べるこの世界の方々。どうやら居ないのが普通なのだとの事でした。

 

「ですが……私も行商人の伝手で聞いただけなのですが、最近は何か動きがあったようで、剣呑な空気が増しているようですよ」

「それは、本当か?」

 

 フレデリック首相の発言に、眉をひそめるフェリクス皇帝陛下。

 

「ええ、確かな筋からの情報です。行方不明になっていた方々が相次いで発見された事といい……一体、何が起き始めているのでしょうね?」

 

 フレデリック首相の投げかけたその疑問に、自分の弟という心当たりのある皇帝陛下が苦虫を噛み潰したような表情をし、当事者である私と兄様、桔梗さんはお互い視線を交わし無言を決め込みます。

 

 

 

 ――アクロシティにだけは近寄るなよ?

 

 

 

 以前、朦朧とする意識の中で聞いた、あの『死の蛇』が残した言葉が脳裏に蘇ります。

 

 いまだ沈黙を守るアクロシティ。そこで今、何かが動き始めているという不安がもたげてくるのを、否応なく感じずにはいられませんでした――……

 



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女性になるということ

 

 あの後、次々と挨拶に来る他国の来賓の方々と顔合わせして……ようやく夕方近くになって解放された頃には、笑顔の表情が顔に張り付いたようになってしまっていました。

 

 食欲が残っている訳もなく、そのまま軽めの夕食を済ませて向かった浴室で、私は共に来たもう一人の女性と、湯浴みの支度をしているのでしたが……

 

 

 

「お疲れ様、イリスちゃん。初めての社交の場は大変だったでしょう?」

「本当に……疲れました……」

「わかります、わかります。(わたくし)も、本当に苦手で……」

 

 共に同行してきた彼女……イーシュクオル皇妃殿下は、自分の側付きの女性に衣服を脱ぐのを手伝ってもらいながら、同じ苦労を分かち合える人が出来たとばかりにうんうんと頷いていました。

 

「ですが、イーシュお姉様とフェリクス皇帝陛下が付きっ切りで側に居てくれたから、あのくらいで済んだのですよね? ありがとうございました、お姉様」

「それは……その、こんな私でも社交の場では先輩ですし、お姉様ですから……ね」

 

 あの茶会にて、国力の関係上最も発言力を有していたのがフェリクス皇帝陛下、次点がアルフガルド陛下です。

 そのうち皇帝陛下夫妻が私達の側に居て目を光らせていてくれたため、変に絡まれたりはせずに初顔合わせが穏便に進んだのは間違いないでしょう。

 笑顔で礼を述べると、真っ赤になってしまったお姉様。やっぱりこの方は可愛いなと、私もレニィさんに衣服を脱がされながら、暇な間なんとなしに思います。

 

 

 

 ……何故、フランヴェルジェに嫁いだ彼女が私達ノールグラシエの来賓スペースの浴場に居るかというと。

 

 久々に会った姉と一緒に居たいというユリウス殿下たっての希望により、今夜一晩こちらに泊まっていくとの事で……一種の里帰りのようなものでした。

 この後、姉弟二人で一緒に眠るのだとユリウス殿下は大喜びでしたが、流石に入浴は共にできないという事で……そちらは、イーシュお姉様の希望により私にお鉢が回ってきたのでした。

 

 なのですが……

 

 

「あんまりまじまじと見られると……その、恥ずかしいわ」

「あ……ごめんなさい、つい」

 

 無意識に一点を凝視していた事に、言われてようやく気が付いて、慌てて目を逸らします。

 

 既に女官の方に服を脱がされ、清楚な白いレースの下着姿のイーシュお姉様。

 その肢体は、女性の体型に黄金比を出した場合こうなるのではと思えるほど均整の取れた、とてもお綺麗でスレンダーな玉体でした。

 

 ただ一点……服の上からは分からない程度ではありましたが、お腹が、僅かにポッコリと膨らんでいた事を除いて。

 

 

 

 

 

 お互い、洗い場でお付きの方の手によって化粧を落とし身を清めてもらい終えて、やや温めの浴槽に半身を浸し、ほぅ、と一息ついて。

 

「その、イーシュお姉様は……妊娠なされておいでだったのですね。ご懐妊おめでとうございます」

「ええ、ありがとうございます。今、大体一つ季節が巡った頃らしいですわ」

 

 顔を赤く染め、モジモジと答えたお姉様。

 大体……妊娠三から四ヶ月らしいとの事でした。

 

「それで、先程はお酒も治癒魔法も拒否されたのですね……」

「ええ、ごめんなさいね。治癒魔法は……」

「分かっています。初期の胎児には、悪影響が出る可能性があると言われているのですよね?」

 

 妊娠後半、安定期に入り完全に胎盤が形成された後は大丈夫なのらしいのですが……それ以前では、治癒過程で急速に細胞分裂を促進する治癒魔法はどのような悪影響が出るか定かではなく、厳禁なのだ、と。

 

 ……今思えば、あのお茶会の時点で気がつくべきでした。お姉様は、腰の締め付けが緩く、体型が出にくいドレスを纏っていたのですから。

 

「本当は、国に残るべきだったのでしょうけれど……貴方達が戻って来たと聞いて、どうしても会いたかったものですから」

「イーシュお姉様……」

「ですので今回ばかりはとわがままを言ってこちらに来たのですけれど、帰国したら正式に懐妊が公表されて、出産に向けた静養に入る事になっているの。なのでこれは、最後の自由な時間ね」

 

 そう言って、私の頭を撫でるお姉様。その表情は少しだけ寂しげでした。

 

「前は会えませんでしたけど……本当に、よく無事で。こうして会えて嬉しいわ」

 

 そう、ふっと微笑んでくる彼女に、気恥ずかしさから目を逸らし、指を弄びます。

 初対面がアレでしたが……この方、こうして落ち着いて会話をしていると本当にお綺麗な方なので、物凄く緊張するのです。

 

「それで……この事は、アルフガルド陛下達には?」

「大丈夫、先程、夕食後に報告してきましたわ。きっと今頃は夫婦二人、水入らずで祝杯をあげているのではないかしら?」

「あー……お二人にとっては初孫ですものね」

「ええ、そうね。でもそうなると、ユリウスは七歳でもう叔父さんになるのかしら」

 

 そう、クスクスと笑っているお姉様。

 その様子に、ふと膨れ上がっていく疑問。

 

「……お姉様は今、幸せですか?」

「……そうね」

 

 私の口をついて出たその質問に、少し考え込むお姉様。そのままゆっくりと十数えるか位の沈黙の後、口を開きました。

 

「……怖いかと聞かれたら、怖いですわね」

「……そうなのですか? 皇帝陛下とあれほどに仲睦まじかったので、少し意外です」

「ご、ごめんなさい、昼間はお恥ずかしい所をお見せして……ですが、私もやはり怖いですわ。こんな私がきちんと母親になって、次代の国を担う子供を育てられるかという先の不安、それに……」

 

 ふぅ、と憂いを帯びた溜息を吐いて、膨らみかけのお腹を摩るお姉様。

 

「この、お腹の中の命を、ちゃんとこの世に送り出してあげられるのか、という不安。私の些細な失敗で、この子の命は消えてしまうのだと思うと……どうしても、怖くなってしまいますわ」

 

 そう言って、お腹に触れているお姉様。

 あなたも触ってみる? というように微笑みかけられたので、頷き、おそるおそる壊れ物を扱うように触れます。

 

 ……まだ、そこに子供がいるという事は触れても分かりません。ですがその膨らみは、確かに中に新しい命がある事を物語っているのです。

 

「……それでも、イーシュお姉様は逃げずに産むと決めたのですよね」

「ええ、そうですわね」

「それは……私達、王族女性の、義務なのだからですか……?」

 

 どれだけ敬われていても、最終的には王族女性の最大の役目というのは……国益の為に嫁ぎ、その先で血統を後世に残す事です。

 その点、嫁ぎ先が想い人であったイーシュお姉様は、とても幸運だったと言えます。

 

 私も、今はまだそういう話はありませんが……今のまま『イリスリーア』として国に属する限り、そう遠くない未来、もう数年もすれば彼女と同じように、誰かに嫁いで子を儲けることを求められるのでしょう。

 

 そして……これは自惚れなどではなく、客観的な視点で見てですが……容姿、家柄、そして……種族。あらゆる観点から見て、私には嫁ぎ先が無くてあぶれるという事は、まずありえないでしょう。

 事実、今日挨拶した各国要人の方々から向けられる視線には粘つくようにまとわりつく、欲望混じりの視線も多かったのですから。

 

 ……もっとも、それで少し気分を悪くして休んでいた私に、人類間の情勢が安定している今のこの世界ではあまり政略的な結婚は重視されていないから安心しなさいと、アルフガルド叔父様は言ってくれましたけれども。

 

 

 

 それでも、嫁ぎ、子を産むことは当然求められます。だから、怖くても逃げてはならない事なのかと思っての言葉でした。しかし。

 

「……いいえ、それは違いますわ」

 

 ぽん、と頭に手が載せられ、濡れた髪を指で優しく梳かれる感触。

 

「私は、決して義務だからとは思っていないわ。あの人ね……私が子供が出来たみたいって言った時、泣き出してしまったの。それはもう号泣でしたわ。ありがとう、ありがとうって何度も言いながら」

「それは……ごめんなさい、ちょっと想像できません」

「でしょう? ですから、私も驚いてしまって」

 

 そう、当時を思い出したのか、表情を緩め遠くを見ているお姉様。

 

「だけど、あの時にもう心は決まっていたのでしょうね。私は……必ず、この子を産んでみせると。だって、こんなにも、愛する人に望まれて宿った命なんですもの」

 

 そう、膨らんだお腹をさすりながら語るお姉様の顔は完全に母親の慈愛に満ちたもので……彼女は、本当に愛し愛されてこれから母親になるのだと、眩しく思ってしまうのでした。

 

 

 

「……大丈夫?」

「……え?」

「顔色が悪いわ、どこか具合でも悪い?」

「い、いえ! 少し考え事をしてしまっていただけで!」

 

 なんとなしに、自分の下腹部に触れる。

 すっかりこの身体にも慣れて、気にならなくなっていたはずなのに……今はこの手の下、薄くも柔らかな脂肪の下にある、そのほんの数ヶ月前までは無かった筈の臓器の存在を、酷く意識してしまっていました。

 

 

 

 ――ここに、新しい命を宿せるのですよね……私も。

 

 

 

 今まで、理解はしても実感は無かったその事実。それを突きつけられたようで、今更ながら震えが来る。

 

 

 

 ――本来、イーシュお姉様は、()()()()()()()()のです。

 

 七年間の空白の時間。その間に、二つ年下だったはずの彼女は私を追い抜いて、五つ年上となっていました。

 

 それ以前に、彼女は「柳」だった頃の自分より……それどころか、綾芽よりも年下の少女なのです。

 

 

 

 そんな彼女が、こうして母親になろうとしている。

 それは……欲に滾る悪漢に襲われても、少女になったのだと自認しても、生理が来ても、どこか漠然としていてずっと先の話だと思っていた『子を成す』という事を、何よりも明確に、現実感のある物へと変えてしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その日の夜。

 

 皆が寝静まっても目が冴えてしまい眠れそうになかった私は、たまたま巡回中だったらしいレイジさんを捕まえて頼み込み、人気の無くなった談話室に来ていました。

 兄様はなぜか自室にいらっしゃらず、事情を一通り知っているレニィさんが、万に一つも間違いが無いか、隣室で監視も兼ねて休息を取っています。申し訳ない気持ちで一杯になりながら、ソファの上で体育座りしていると。

 

「で、今日はいつもの悪夢って訳じゃないんだよな。一体どうした」

「……ごめんなさい、色々と考えてしまって眠れなくて」

「色々?」

 

 テーブルにグラスやドリンク類を並べ、夜更かしの支度をしているレイジさんをぼんやり眺めながら……なんとなく、呟く。

 

「レイジさんは……子供、欲しいですか?」

「……ぶっ!? な、な、な……っ!!?」

 

 

 グラスを取り落としそうになったのを慌ててキャッチし、こちらを見て口をパクパク開閉させているレイジさんに首を傾げ……すぐに、今の発言が不味かったのだと思い至りました。

 

 これではまるで……私がレイジさんとの子供を欲しがって誘っているみたいじゃないですか……っ!

 

「ち……違うんです、そういう事ではなくて!」

 

 思わずレイジさんの服の胸のあたりを両手で掴んで、揺さぶりながら訴えかけます。

 

「あ、危ね!? グラス落とす、落とすから揺さぶるな!」

「そ、そんなふしだらな事を考えていた訳ではなくて! 意見、意見を聞きたかっただけで……!!」

「わ、わかった、分かったから落ち着け、な!?」

 

 パニックに陥った私が落ち着くまでしばらく時間がかかり……ようやく落ち着いた時、視界の端で何事かと様子を伺いに来ていたレニィさんがやれやれといった表情で扉を閉めるのを、真っ赤になって見送るのでした。

 

 

 

 結局……絶対に口外しないと約束をし、先程のお風呂での会話について話をして、ようやく誤解が解けました。

 

「なるほどな……あの人のお腹の中に子供が……そうか、それで意識しちまったのか」

「はい……急に、子供を作れてしまう身体なんだって実感が湧いてきて、怖くなってしまって」

 

 出産において、女性側の負担というのは男性とは比べ物にならないほどに大きい。それは万人が認める当然の事実です。

 そして、それは出産を終えるまでは勿論、出産後も様々な後遺症を残すことがあると聞きますし……最悪、死に至る事もあります。

 

 そういった恐怖も勿論ありますが……それ以上に、私には自分が母親になるという事が分からないのです。

 

 それは、まだ幼い時分に両親を亡くした事もありますし……ほんの数ヶ月前まで、母親になるなんて夢にも思ってもみなかったせいでもあります。

 

 私は……どうしても、良い母親になれるというビジョンが全く湧かないのです。

 

「……まぁ普通、男から女になって子供を産めるようになるとか、ありえねぇ筈だったからな」

 

 そのレイジさんの言葉に、頷く。

 

 

 

 ……実際は、そうした可能性は研究中ではありましたが存在しました。

 

 地球の、私達が暮らしていた時代では、十数年前からの技術革新によって、それまで不可能……精々が、早産の胎児を生命活動が行えるようになるまで保護するのが精一杯……と言われていた人工子宮の分野で、万能細胞による体外受精の臨床試験が始まっていました。

 それにより、これまでは子を諦めざるを得なかったような人――不妊の人や、性別適合手術を受けた人の中から選ばれた希望者を対象とした試験が間近になっていたのでした。

 

 しかし、それはあくまでも元々子供を欲しがっていた人のための代理出産を目的としたもの。

 私の場合、自分の意思とは無関係に、自分のお腹、自分の卵子で子を宿すことが可能な普通の女性となってしまっているため、それとはまた別の話です。

 

 

 

 だから……私にはそこまで考えて女性として生きる覚悟が無かったのだと、思い知らされてしまったが故の恐怖でした。

 

「だけど、イーシュお姉様は『愛する人に望まれた子だから頑張れる』と言っていました。なので、男性側の意見を聞いてみたかったんだと思います……私は、そういった情動はありませんでしたから」

「あー、そういやそうだったな、柳の時は……」

 

 気まずそうに言うレイジさんに、頷きます。当時は、そういった事は自分にはもう不可能だと諦めていたのですから。

 

「子供……子供かぁ……ちょっと待ってくれ、俺だって全く考えた事無かったんだ、考えを纏めるから」

 

 レイジさんが悩みこんでしまったため、それを待つ間少し喉を潤そうと、手近にあったビン……黄金色の、しゅわしゅわと発泡している液体が入っているそれをグラスに注ぎ、口を付けます。

 

「……?」

 

 首を傾げる。口内に広がったのは、炭酸飲料みたいな発泡をする林檎の味の液体。

 だけど、何か別の……苦味?

 口内に広がっていく匂いも、何か違う物が混ざっているような……?

 

 何だろうと首を捻りますが、味は美味しかったので、一息に飲み干します。

 

 そんな風に時間を潰していると……バリバリと頭を掻き毟り、あー、とかうー、とかしばらく葛藤を見せていたレイジさんが、やがて真剣な表情でこちらに向き直る。

 

「……っし。返事は纏まった。いいか?」

「は、はい!」

 

 その怖いくらい真剣な表情に、慌ててもう一杯注いで半分ほど空にしたグラスをテーブルに置き、背筋を伸ばし目を見て話を聞く体勢を作ります。

 

「……まずは、悪い。お前が悩んでいるのを見ると、男の欲望ってのは本当に自分勝手なんだなって思うんだが、それを承知で言うのなら……」

 

 そこで、一度言葉を切るレイジさん。

 大丈夫、続けてと目線で促すと、彼は何度か躊躇ったのち、意を決したように口を開きました。

 

「……やっぱり、いつかは子供も欲しい。好きな娘が自分の子供を産むのを承諾してくれたら、男としては何よりも嬉しいに決まってる。俺も……男だからな。」

「……そうですよね」

「だけどそれは……今のイリスみたいに、そうやって悩んで、それでもなお受け入れてくれると言ってくれたから、大切にしたいと思うし尊いんだと思うんだ……と、俺は思う。焦っても、ロクな事にならないんじゃないか?」

 

 ……そういえば、以前……最初の人里を離れる際に、ミランダおばさまからも似たような事を言われた気がします。

 

 人に同じ事を言われてようやく思い出すなんて、私は進歩してないなぁと、不意におかしく思え、思わず脱力してしまいました。

 

「……なら、今のまま、中途半端なままで良いのでしょうか?」

「ああ、良いんじゃないか、別に。覚悟なんて、そういう『この人の子供なら良い』と思える相手が出来た時に自然と決まるもんだろ……その、多分」

「そうですね……そうだと良いですね……」

 

 私に、あの時のイーシュお姉様のような慈愛の表情が出来るほど、誰かを愛する事ができるかどうかはまだ分かりませんし、自信もありません。

 ですが、まだ焦って結論を出す必要は無いと言ってもらえただけで、どこか安堵したような気がするのでした。

 

 

 

 ――そう、ほっとしたのも束の間。

 

 落ち着いた所で、不意に胸に引っかかるものがありました。

 

「……レイジさんは、そのような……将来、できれば自分の子供を産んでほしいと思っている女性が居るのですか?」

「……………それは、まあ……居る」

 

 長い沈黙の後、こちらから百八十度目を逸らしたまま、絞り出すかのような小さなレイジさんの返事。

 その返事を聞き、何故か強く思ってしまいました……嫌だな、と。

 

 そんな醜い感情が湧いて来た事に驚いて、慌てて先程置いたグラスを取り、残っていた黄金色の中身を飲み干す。

 

 

 

 ――何故、嫌だと思ってしまったのでしょう?

 

 

 

 レイジさんは、実はローランドのお城の女中さん達に、とても人気があります。

 兄様と一緒に練兵場で稽古していた時などは非番の見物人が大勢居て、そんな彼女達から黄色い声を上げられていたのも遠巻きながら見ていました。

 私が知らないだけで、そういった仲に進展している女性の一人くらい居ても、不思議では……

 

「……っ」

 

 再度湧き上がる黒い感情。考えれば考えるほど、思考がまとまらなくなっていく。

 

 だからなのでしょうか。レイジさんの肩に頭を預けるという、普段は絶対に自分からはしないような事をしたのは。

 

「……イリス? どうした?」

「…………では、駄目ですか?」

 

 おかしい。

 

 先程から、妙に身体が火照っている。

 視界がぼやけて、よく見えない。

 訳もなく、涙が滲んで震えが止まらない。

 頭がふわふわして、思考が定まらない。

 

 ……今、自分が何を言っているのかがよく分からない。

 

 ただ、横にあるレイジさんの身体に体重を預けながら、まるで自分の物ではなくなったかのような口を動かしているだけ。

 

「その、将来子供を儲けたい相手……私では……駄目ですか……?」

「い……いや、待て! お前、自分が何言ってるのか自分の胸に手を当てて冷静に考えろ!?」

 

 そう言われ、ふと自分の胸に手を当てて……

 

「……その、ごめんなさい。レイジさんのベッド下にあった本に載っている女の人とは全然違って、胸も小さな幼い体型ですから、好みじゃないとは思うんですが……」

「違うそうじゃない。というか聞き捨てならない事聞いたんだがちょっと待って? 頼むから!」

「……でも! もう数年もすれば、少しは成長すると思うんです! ……駄目、ですか?」

「い、いや、駄目も何も、そもそも俺は……って違ぇ! とりあえず一回離れてくれ!!」

 

 ひどく慌てたレイジさんに、接していた身体が引き剥がされましたが……

 

「……きゃっ!?」

「うわ、危な……っ!?」

 

 二人で被っていた毛布が絡まって、もんどりうってソファへと倒れ込んでしまうのでした。

 

 

 

 ――レイジさんが、私に覆い被さるような形で。

 

 

 

「わ、悪ぃ、今退け……うわっ!?」

「ん……っ!?」

 

 絡まった毛布によって、慌てて飛び退こうとしたその身体が更に私の方へと倒れ込み、完全に押し倒され、抑え込まれるような形となり、目と鼻の先にはレイジさんの顔。

 

「ぁ……」

「……っ!?」

 

 ぼんやりとその顔を眺める私。

 ゴクリと、レイジさんが唾を飲み込んだ音も、どこか遠くに聞こえます。

 

 寝巻きがはだけ、素肌が晒された胸元や脚に外気が触れて肌寒く感じるのに、逆に顔はまるで火が着いたみたいにとても暑い。

 汗が頰を伝い、首筋へと流れていくのがこそばゆい。

 胸を締め付けるような息苦しさに、呼吸が乱れる。

 

 なのに……その全てが遠くに感じられ、思考がどんどん朦朧としていく。

 

 そんな中、はー、はー、と荒いレイジさんの吐息だけ、耳元からやけに大きく聞こえてきます。

 

 徐々に……躊躇いつつも、引き寄せられるように徐々に、私の唇にレイジさんの唇が迫ってきていました。

 

 不思議と……逃げようとは全く思えなくて、目を閉じる。全身からふっと力が抜ける。

 

 自分の物ではない吐息が触れる。もう、あと少しで、お互いの唇が重な……

 

 

 

「……ぉぉぉおおおおおぁっッッ!!?」

 

 

 

 ……りませんでした。

 

 

 

 

 

「あっ……ぶねぇぇええっ!? 今のはヤバかった、良く耐えた俺ぇ!?」

 

 ぜぇはぁと、離れた場所で荒い息を吐いているレイジさん。

 近くにあった熱が離れて行ったことが無性に悲しくて、手を伸ばしてももはや何も触れず、目にじわりと液体が湧き出てくる。

 

「お前も、頼むからふざけてないですぐ止めてくれ、今回のは本気で洒落に……なら……」

 

 両眼からポロポロと、次から次へと頰へ零れ落ちる雫。それは制御が利かず、一向に止まろうとしない。

 レイジさんが私の方を見て固まっていますが、それが無性に面白くなくて……

 

「なん()止めるんですか、レイジさんの馬鹿ぁっ!!」

 

 バン! と、子供の頃に癇癪を起こした時のように抑えきれない衝動を、ソファに叩きつけて起き上がる。

 

「私はぁ、真面目に言っているん()す! 何()逃げるん()すかぁ!」

 

 バンバン、とイライラをソファに叩きつけながら、なぜか逃げるようにソファ上を遠ざかっていくレイジさんを追いかける。

 しかし狭いソファはすぐ行き止まりで、その引き締まった筋肉に覆われた胸の中に潜り込み抱きつきます。

 途端に霧散していくムカムカした衝動。代わりに満たされていく安堵感。あと、なんだかおかしくてたまりません。

 

「た、頼む、離れてくれ、この密着はマズい……!」

「ふふふ、()めーれすぅはなれませんー、逃げちゃ駄目()すからねぇ、あはは」

 

 腕の中のレイジさんの身体がガチガチに硬直しているのが面白くて、その逞しい太腿を自分の太腿で挟んで振り落とされないように固定し、ぴったりと身体を密着させるように押し付けて抱きつきながら、笑い転げる。

 

「……ま、待て、いくらなんでも変だぞお前、いったい何を飲んだ!?」

「何って……テーブルにあったリンゴジュース、()すけどぉ……」

「なん……だと……!?」

「あ、()も、なん()か変な味がしましたねぇ、あはは」

「くそ、それか……っ! 性別変わっても相変わらず酒癖悪いなお前ぇ!!」

 

 先程の衝動から一転し、ふにゃふにゃする頭で答えると、急に慌て始めたおかしなレイジさん。

 しかし次の瞬間、しなだれかかるように寄り掛かっていた身体が突然無くなり、代わりにソファに優しく横たえられました。少し本気を出した彼に、あっという間に引き剥がされたのだと遅れて理解し、ムッと頰を膨らませます。

 

「そんな顔をしても駄目だ、いいか、ここでおとなしく寝てろよ! いいな!?」

「……? はぁい……」

 

 言われた通り、柔らかなソファに身体を預けて目を閉じる。

 

 そういえば……何故、眠れなかったんでしたっけ。

 目を閉じた瞬間襲って来た睡魔に意識を持っていかれながら、変なの、と首を捻ります。

 

 

「レニィさん、来てくれ! イリスが間違えて酒飲んだ!」

「お酒!? 何故そのような物があったんですか!?」

「悪ぃ、俺が昼間の残りの果実酒(シードル)を自分用に分けてもらったやつ、こっそり持ち込んでたんだが、間違えて飲んじまったみたいだ……!」

 

 

 遠くで誰かが何やら口論している声を聞きながら……そっと、先程吐息が触れ、しかしそれ以上をお預けされた唇に、指先で触れてみる。

 

 ……何故、これほどまでに残念に思えているのでしょうか。

 

 寂寥感にぎゅっと寝間着の胸元を握り締めながら、いよいよ耐え難くなって来た睡魔に身を委ねる。

 

「……レイジさんの……馬鹿……」

 

 なんとなくそんな事を呟きながら……私の意識は、ふわふわとした感覚に溶けていくかのように、真っ暗に塗り潰されていくのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ちなみに、その翌朝。

 

 可憐な少女の声に似つかわしくない、この世の終わりを見たかのような絶叫が、爽やかな夏の朝空の元に響き渡り、その後、半日の間来賓の一人が自室に引き籠って出てこなくなるという事件が起きるのだが……それはまた、別の話。

 

 

 

 

 

 





 余談ですが、レイジさんは初めてイリスのアバターを見て一目惚れしてしまった際に、自分はロリコンではないと自分に言い聞かせるため巨乳系のグラビアに傾倒していた時期があります。


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互助組織の長

 

 ――もう二刻ほどで日が変わる、そんな夜も更けた時間帯。

 

 

 普段は夜寝静まるのが元いた日本よりずっと早いこの世界だが、今は祭りの直前という事で、出店の明かりや道を行き交う酔客で賑わっていた。

 

 そんな中……私は一人、当てもなく人を探して彷徨っていた。

 

 

 

「……やはり、居ないか」

 

 探しているのは、数日前に視線を感じた気がした『死の蛇』と呼ばれるあの男。

 あの日以来、気がつけばその姿を探して周囲を探っている時がたびたびあったが……ならばとこうして街に繰り出してみてもそれらしき人物はおらず、今のところその影すら掴めない。

 

 もしかして、あの日感じたものは単なる気のせいだったろうか……そんな希望的観測が頭を過る。

 

 今日はもう戻ろう。そう思い、踵を返す。

 

 

 

 ――その声に気が付いたのは、偶然だった。

 

 

 大闘技に戻って来た時、入り口方向から外れた場所から聞こえて来た、どこかで聞いた覚えがある何か話し合っている声。踵を返し向かったそこに居たのは……

 

 

「あなたは……」

「おや……これは奇遇ですね、殿下」

「殿下はいいです、ソールで構いませんよ。その方が私としても落ち着きますので。確か……フォルスさん。それと、シンと言ったか」

「は……はい、先日はご迷惑をおかけしました!」

 

 緊張した様子で深く頭を下げる、シン少年。

 彼が同行しているという事は、このフォルスという元プレイヤーが……おぼろげに予想していた事が、確信に変わっていく。

 

「彼……シン君は、私の部下です。商会の運営には一人では手が回らないので、彼には私の腹心としていろいろと動いてもらっています……まぁ、素直すぎるのが玉に瑕ですがね」

「す、すみません……」

 

 そう苦笑するフォルスさんと、恐縮して縮こまっているシン少年。その間に、確かな信頼関係があるというのが見て取れた。

 

 だが、問題は……

 

「……なぜ、こんな時間にこのような場所に居る」

 

 今居るのは、闘技場の横、来賓居住区である塔が見える人気の無い場所だった。

 

「何とは……いざという時の避難路の確認ですよ。私たちは、首相の補佐として来ていますので、万が一の時は彼の安全を確保しなければいけませんので」

「……まぁいい、信じましょう」

 

 横に居るシン少年を見ると……彼も、緊張気味ながら頷いていたのでひとまず納得しておく。

 

「場所を変えますか。こんな場所で話をしていると、あらぬ疑いを掛けられかねませんから」

「……わかりました」

 

 別に、ついていく必要も無いのだが……こちらとしても、聞きたいことがあったため、先導する彼らにおとなしくついていく事にした。

 

 ……そっと、丈の長いチュニックの下にある重みを確かめながら。

 

 

 

 

 

 連れてこられたのは、大橋を渡った先の本島にある、一軒の酒場。

 お祭り前でごった返している店内を進んでいくと、先頭を歩いていたフォルスが店員に何事かを語り、手に紙幣を握らせているのが見えた。

 

 そうして、案内されたのは……店の奥にある個室。落ち着いた内装の、しかし質の良いソファとテーブルが設えられた部屋だった。

 

「ここは、商談などに使われる防音設備のある部屋です。さ、どうぞ」

 

 そう言って通された部屋。

 その中心に据えられたソファの片方に、腰を落とす。

 

「ソールさんはアルコール類は?」

「私は……元々あまり飲まないので、お茶だけで構いません」

「では、そのように」

 

 そう言ってフォルスが何年か注文すると、案内してくれた給仕の女性が立ち去っていく。

 

 ……注文の中に時間の掛かりそうなメニューが何点かあったのは、人払いか。

 

「まずは……同じプレイヤー同士、無事こうして出会えた事を喜びましょうか」

「……そうですね。それで……あなたは本来のギルドマスターではなかったですよね? ギルド海風(シーブリーズ)の、元のギルドマスターは?」

「……彼は、こちらへは来ていませんでした」

 

 そう、鎮痛な面持ちで水の注がれたグラスを握りしめるフォルス。

 

「元々あの方は、あまりレベル上げには興味のない、のんびりとした方でしたからね。さまざまな場所を旅してきたあなたに聞きたかったのですが、『こちらに飛ばされたのは、三次転生職を習得した者だけ』……で、合っていますか?」

「……はい。今まで出会ったプレイヤーに、三次転生職以外の者を見た事はありません」

 

 その言葉に頷く。

 そのようなことは、百も承知だったのだろう。フォルスは、まぁそうでしょうね、と相槌を打つ。

 

「やはりですか……では、彼は間違いなくこちらには来ていないでしょう。やれやれ、彼が居れば、私も裏方としてやりたい事だけやっていればいいから楽だったんですけどもねぇ」

 

 そう言って、肩を竦め戯けてみせる彼。

 

「まぁ、私の愚痴はさておき、こちらに来なくて済んだのであれば、ギルドマスターにとっては幸運だったんでしょう」

「ああ……そうですね、本当に」

 

 飛ばされずに済んだのなら、それに越したことは無いはずだ。特に、そのギルドマスターのように温厚で人が良い人物であれば。

 

 

 

「私も、聞きたいことがある」

「ええ、どうぞ」

「プレイヤー互助組織……と私たちは呼んでいたのですが、それは貴方たち、海風商会の事で間違いないですね?」

 

 それは、質問というよりは確認。

 そもそも横でハラハラした様子で私たちの話を聞いているシン少年が居るのだから、既に確定したようなものだ。

 

「ええ。そういえば、昨日の顛末はシンから聞いています。どうやらご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありませんでした」

 

 存外素直に頭を下げられて、拍子抜けする。もっと傍若無人に振る舞う組織だと、どこかで思い込んでいたなと内心で苦笑しながら。

 

「あの! いまでこそ問題が目立つかもしれませんが、元々、海風を互助組織として再編したのは、それが必要だったからに過ぎなかったんです」

 

 たまりかねたのか、そう弁明するシン少年。

 

「ええ、彼の言う通り。私たちのいた西大陸は、分断されホームに戻れないプレイヤーが多かったですから……三カ月前、こちらに飛ばされた初期の頃は本当に酷いものだったんですよ」

「それは……苦労、お察しします」

 

 突然異世界へと飛ばされて、混乱の坩堝にあった元プレイヤー達。

 特に、他三大陸に比べて西大陸を拠点としているプレイヤーというのは決して多くない。ゲーム内での国勢調査では、所属プレイヤー数においては南北二大陸はおろか、東にもかなり水を空けられた最下位だった。

 

 にもかかわらず、西大陸に飛ばされてきたプレイヤーが多かったのは、西の通商連合国には行商ギルドが数多くあり、取引や探し物にはもってこいな国であったからに過ぎない。

 

 つまり……彼らは、元いた集団から分断され、孤立してしまったような状況にあったのだろう。

 

 頼れる者も失って、混迷を極めていた西大陸のプレイヤー達。

 彼らを御するには、早急に受け皿となる組織が必要だった。たとえそれが急速に膨れ上がる脆く拙い薄弱なものであっても。

 

 そして……それを成し遂げたのが、彼が再編したギルド『海風』、改め海風商会だったのだ。

 

 

 

「……ですが、新参である私たちが利権の付きまとう市場に新規参入するというのは、予想よりもずっと困難でした」

 

 元の世界にあってこちらの世界にはない、商売になりそうな物の知識を切り崩しながら、じわじわと旧来の勢力の末端を取り込みながら成長して来たが、それも限界であり、組織内にも嫌な空気が蔓延し始めていると、苦々しく言うフォルスさん。

 

「今でこそ私は首相に取り入って、便宜を図ってもらう事ができるようになりましたが……同時に、これ以上は頭打ちとなっているのも事実です。今後は、切り崩されていくのは私たちの番でしょうね」

 

 実際、眼前の彼らをはじめとした優秀な者たちには、勧誘の話が何件か来ているらしい。

 今はまだ居ないが……やがてその勧誘に負け、一人二人と抜け始めれば、あとは転がっていくように瓦解するだろう。

 

「そうすれば、引き抜きの声が掛からないような者たちは、再び路頭に迷う事は想像に難くありません……通商連合は、良くも悪くも実力主義、利権主義ですからね、自分達に益の無い不要な者を養ってくれるような、優しい国ではないですから」

 

 そこまで言って、膝に手をついて頭を下げるフォルスさん。

 

「無理を承知でお願いします。ソールさん、あなたも……協力してはもらえませんか?」

 

 

 

 ――やはり、というのが感想だ。

 

 

 プレイヤー相手に次々と勧誘していると聞いてからやがて自分たちにも声が掛かるだろうとは思っていた。

 

 ここまでの、彼の対応は誠実そのものだ。

 だが……

 

「皆を纏めるには、象徴が必要です。それも強い求心力を持つ者が」

「あなたが自分でやったらどうですか、代表なんでしょう」

「私はそんな器ではありませんよ。それは理解しているつもりです」

 

 そのような、しおらしい事を言う彼だが……

 

「一つ聞きたい。あなたが欲しいのは……本当に、私の協力か?」

 

 私の態度が急変したのを察して、二人に緊張が走ったのが見て取れた。

 

 たしかに、今の私にはノールグラシエの王子という地位がある。

 

 私もレイジも、実戦経験と共にそれなりに実力を磨いてきた。こちらに飛ばされてきたプレイヤーの中ではおそらく最強に近いレベルであろうという確信もある。

 

 だが、それでも自分達は、そこまで強い影響力があるとは思えない。

 

 そして……もう一人、プレイヤーにも、こちらにも強い影響力がある少女が自分達の中には居るのだ。

 

「やはり、あなたは話が早い。そうです、私は……彼女、イリス嬢の協力が欲しい」

「……で?」

「そして……この世界に飛ばされたプレイヤーで、その位置に座るに相応しい者は、彼女しか居ない」

「イリスを、お前たちの傀儡に据えるつもりか……!」

「ええ、彼女には、それだけのカリスマが有る。私は、そんな彼女こそが……彼女……こそが……」

 

 そこで、突然言葉に詰まる彼。

 

「……イリ、ス……? 何だ……私は、彼女を……」

「……フォルスさん?」

 

 突如言葉を切り、虚ろな目で何かブツブツと呟いているフォルス。

 その怪訝な様子に、隣にいたシンがその袖を引いて、声をかけている。

 

「私は……そうだ、私は……」

 

 頭を振り、グラスの水に口をつけて、平静を取り戻したような彼。その様子に違和感を感じるが……

 

「っと……失礼しました。どうか、ご一考を」

「悪いが、断る」

 

 被せ気味に、その提案を断る。

 答えは、ここに訪れる前、初めから決まっていた。

 

「先程、裏方で居たかったと言っていたな……嘘をつくな、お前のような目をした奴が、そんなもので満足するタマか」

 

 最初に気が付いたのは、初対面、あの茶会の時。

 すぐ隣にいたイリスが、ごく僅かながら怯えの表情を見せた時からずっと疑っており、だからこそ気が付けた。

 

 穏やかな紳士の顔は仮面。その目は、自尊心と虚栄心を奥底に潜ませている事に。

 

「お前は、あの子にどう協力させる気だ。ノールグラシエの貴人が突然西大陸の商会の代表に就いたと言われて、はいそうですかと周囲が納得するとでも思っているのか?」

「それは……」

「お前が上に行くために必要なのは、実績、財力……それに、()()か。大国である北のお姫様が降嫁してきた新興の大商人なんて、実に大衆受けしそうだな? ()()()()()()()()()()()()()()()()も、十分に狙えそうだと思わないか?」

 

 その私の攻め立てる言葉に、黙り込む二人。

 

「やはり、お前の狙いはイリスを組織に縛り付け、なし崩しに自分の手中に納める事か。ならば、今この時からお前たちは私の敵だ」

「……交渉は決裂ですね。では、仕方ありません。話は彼女に直接……っ!?」

 

 その言葉は、最後まで言わせなかった。

 反応できなかったのか……あるいはあえてしなかったのか……その首筋に、ピタリとアルトリウスの刃を添える。

 

「――黙れ」

 

 ただ一言、ありったけの怒りを込めて、それだけを告げる。

 

 

 

 たしかに、イリスに直接話を持ちかければ、あの子は無視できないだろう。

 

 イリスには、今回のこちらに飛ばされた件が、自分という光翼族を作り、送り込む為のものであったという負い目がある。

 そこに他の元プレイヤーのためという事を強調され説得されてしまえば……最悪、思い詰めた末にこんな話であっても乗りかねない。

 

 ――つまりこの話は、向こうがその事を知ってか知らずかはさておき、イリスにとって最も弱い部分を突かれる致命的(クリティカル)な話題なのだ。

 

 だが……そこに、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「他の有象無象のプレイヤーなんか、路頭に迷おうが知ったことか。私は、あの子が幸せならそれでいい。そして、それはお前たちの所には存在しない」

 

 それを与えられるのは……もう、ただ一人しか居ないのだから。それを邪魔する連中は、私が消す。

 

「ソールさん、それは流石に……!」

「大丈夫です、シン。これは本気ではないみたいですから……まだ、ね」

 

 僅かに蒼白な表情を見せ、冷や汗を浮かべながらも少年を制すフォルス。

 

「ええ、()()、ですけれど」

 

 一つ気が変われば、いつでもその喉を掻き切って、この部屋を鮮血で染めてやる。そんな殺意を乗せ呟くと、彼は降参とばかりに両手を上げた。

 

「なるほど……私は、どうやらあなたを見誤っていたようです。理知的で理性的な方だと思っていましたが……どうやら、誰よりも激情家だったようですね」

 

 諦めたように肩を竦めるフォルス。

 何とでも言えばいい。その首にピタリと刃を這わせたまま、至近距離まで詰め寄り、嗤ってみせる。

 

「フォルスさん、あなたは一人っ子ですか?」

「そうですが、それが何か?」

「なら、教えてあげますよ。古今東西、兄というのは妹の交友関係にはとても煩いものなんだってことを」

「おっしゃっている事がよく……」

「大した事でははない。ただ……」

 

 剣に伝わった怒りにより、アルトリウスの刀身から黒い炎が吹き出しそうになるのを抑えながら、耳元へと口を寄せ、囁く。

 

 

 

「こういうことだ……お前なんぞに、大事な妹はやらん、と」

 

 

 

「……覚えておきましょう」

 

 絞り出すように彼が告げた言葉にひとまず満足し……首筋に沿わせていたアルトリウスを腰の鞘に戻す。

 

「是非、そうしてください。自分達の事で精一杯だった私たちと違い、この世界で他のプレイヤーのため奔走したあなたは尊敬に値します。なので、本気でその素っ首を落とすような事はしたくないですから」

 

 ニコリと笑ってみせ、暗に、場合によってはやるぞと仄めかし、下がる。

 

「突然の無作法、失礼しました。できれば良い関係を築いていけると良いですね」

「……あなたは、恐ろしい方ですね。予想よりも、ずっと」

「お互い様でしょう?」

 

 釘を刺すことはできた。

 しかし、彼らの持ちかける話がイリスに有効であるという事も、おそらく彼は理解しただろう。

 

 

 

 ――つまり、これは痛み分けだ。

 

 

 

 違いありません、と苦笑する声を背中に受けながら、私は個室を出て、酒場を後にするのだった。

 

 大勢の人でごった返している筈の大闘技場へと向かう大橋だったが……何故か、真っ直ぐ早足で歩いている私に衝突する者は、誰も居なかった。

 



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合流

 

 ――大闘華祭、開催二日前。

 

 

 

 この日は、朝からドタバタとした騒動から始まりました。

 目覚めた直後から、昨夜やらかしたという事に真っ青になり……特にレイジさんに合わせる顔が無く……部屋を閉め切って、ベッドの上であーうー悶えて気が付けば数刻。

 周囲の人に多大な迷惑と心配を掛け、ついにはユリウス殿下の泣きが入った呼びかけに罪悪感が羞恥心を上回ったこと、それと……頼みたいことがあると、()()()()に言われたことでようやく引きこもりを止めたわけですが……

 

「陽が、もうあんなに高い……もう昼過ぎなのですね。本当に、申し訳ありませんでした」

「いいんです、こうして出てきてくれたのですから。イリス様、もうお加減は大丈夫ですか?」

「ええ……本当に、ご迷惑をおかけしました……」

 

 心配げに顔を覗き込むレニィさんに、頷く。

 

 朝の目覚めは、最悪の一言でした。今朝目覚めた時、待っていたのは、ガンガンに痛む頭と微かな吐き気。それと……酔った勢いでやらかした、という事実でした。

 

 ……元の世界の頃よりも更にお酒に弱い身体だと、この時初めて、身を以て知る羽目となったのです。

 

「私、二度とお酒飲みません……」

「それは極端だとは思いますが……周りに信頼できる人が居ない時は、口にしない方が良いですね」

「うぅ……やっぱり、相当酷かったんですね」

 

 がっくりと項垂れながら、歩を進める。

 後ろから兄様と並んでレイジさんがついて来ていますが……今はまだ、とてもその顔を見れそうにありません。そしてそれは、レイジさんも同様みたいです。

 

「なぁ、昨日の夜の事だけど……」

「忘れてください」

「お、おう……いや、俺も忘れた方が良いかと聞こうと……」

「忘れてくださいお願いします」

 

 背後から聞こえてきたレイジさんの声に、極力心を殺した平坦な声で答える。

 

 ……詳細まではっきりと覚えている訳ではありません。

 

 ですが、間違いなくアウトな発言をしたというのだけは何となく覚えています……怖くて何を言ったかは聞けませんが。

 

 そして……何故か、兄様の機嫌が悪い。それも、ものすごく。

 外見はニコニコと微笑んでこそいますが、ほとんど話をしようとしない。あれは相当怒っているときの綾芽だと、背後からのちくちくと突き刺さる圧力に今にも胃が痛みだしそうです。

 

「それで、ハヤト少年と、スカーレット様の乗る船はいつ到着予定でしたか?」

 

 悶々としながら歩いていると、後ろに控えていたレニィさんが、そう尋ねて来ます。

 内心助かったと思いながら、事前に打ち合わせていた今日の予定を思い出す。

 

「えぇと……事前に聞いていた予定では、今日の昼下がりに到着予定の連絡船でこちらに来るとの事でしたが……」

「なら、あれじゃないか?」

 

 兄様の指差した先では、今まさに一隻の船が港に入って来たところ。その船首には、ローランド辺境伯領と、このイスアーレスのシンボルが印された旗が立っているのが見えました。

 

「そのようですね。少し急ぎましょうか」

 

 そう言って差し出されたレニィさんの手を取って、少し歩を早めます。

 

 

 ――今日は、後から来ることになっていたハヤト君とスカーさんの二人と合流する予定の日なのでした。

 

 

 

 

 

 連絡船の並んでいる港は、お祭りを観に来島したばかりの観光客でごった返していましたが、合流は問題ありませんでした。

 というのも、ハヤト君の方がすぐに私達を見つけてくれた……というより、私達がとても目立つ集団だったからでしょう。

 

「しかし、見つけるのが簡単で本当に助かるぜ。そうして見るとイリス姉ちゃん、本当にお姫様なんだなぁ」

「そ、そうでしょうか……どこか変だったりはしませんか?」

「全然、むしろ様になり過ぎて、違和感無いくらいだ」

「それは言い過ぎじゃないかな……」

 

 私としては、内心ではいつボロを出さないか冷や汗ものなのですけれど……そう思いながら、自分の姿をあらためて眺めます。

 

 

 

 今日外出するためと私が着せられたのは、ふんだんにレースが使用された、ややクラシカルな雰囲気のオフショルダーのドレスと、腕に薄手のショール。

 

 私だけでなく、兄様もレイジさんも各々仕立ての良い服を着せられて同行しているため非常に目立ち……特に王子様然とした兄様などは、その視線が向いた先にいた女性から黄色い声が上がるなど、非常に目立っていました。

 

 そんな私達が、使用人らしきレニィさんに隣で日傘を差させ、護衛の兵士の方を周囲に従えているのです。その様子はどう見ても貴族か何かにしか見えないため、今も、ここまでの道中でも、明らかに注目を集めていました。

 そんな視線に晒されて、私は内心震えそうになっているのを微笑んで誤魔化しているので、かなりいっぱいいっぱいです……こちらの世界に来たばかりの頃と比べると、随分と改善したとは思うのですけれども、やはりまだまだらしい。

 

 

 

 そんな事を煩悶と考えていると、ハヤト君の背中から、ひょっこり顔を出した白く小さな影。それはハヤト君の肩を蹴って、私の胸に飛び込んで来ました。

 数日だったはずなのに随分と懐かしく感じる、フサフサと柔らかな毛皮の感触。胸元に甘えるように鼻先を押し付けて来るその様子に、ふっと頰を緩めます。

 

「ごめんなさいねスノー、置いて行って。ハヤト君も、面倒見てくれてありがとうございます」

「いや、まあ動物は好きだし……お前とも仲良いもんな?」

 

 ハヤト君の言葉に、おんっ、と尻尾を振りながら返事をするスノー。この二人は元々仲が良かったですが、この数日ですっかり打ち解けたようで何よりです。

 そんな様子を微笑ましく思いながら、久しぶりの手触りに癒され、堪能させてもらっていると……

 

「っと、居た居た。良いねぇ、お姫様は華があって。良く似合ってるぜ、そのドレス」

 

 そう軽口を叩き、ハヤト君の後ろからのんびりと歩いて来るのはスカーさん。長物を背負っているため、人が密集する中を歩くのが大変なようでした。

 

「ところで……イリスちゃん、今日はなんでそんなお嬢様然とした格好で、護衛付きで来たんだ? てっきりお忍びで来ると思っていたんだが」

 

 お姫様扱い、あまり得意じゃないよな? と首を捻っているスカーさんに、そうなんですけどねと苦笑します。

 

「それは……色々あって、もうお忍びでの外出はさせて貰えなくなってしまったもので」

「……あまり往来で話す内容じゃないからな、また後で落ち着いてから説明するわ」

 

 私の後を継いで、実際の大会参加者襲撃事件の当事者であるレイジさんが告げる。

 

「なので……実は、今回外出してきたのはノールグラシエ王家のお仕事も兼ねていたりします」

「……仕事?」

「ええ、その、外交というか……これはスカーさんに関係ある話なんですが……まあ、あと数秒で分かると思います、ごめんなさい!」

 

 申し訳なさに手を合わせ頭を下げる私に、首を傾げるスカーさん……その後ろからヌッと現れた手が、逃がさんとばかりにその肩を掴みました。

 

「……っ!?」

 

 慌ててその手を振り払おうとするスカーさんですが……次に聞こえて来た声に、固まります。

 

「よう、愚弟。久しぶりだなぁ? 数年ぶりに会ったというのに、一刻と待たずに姿を眩ませたあの時以来か?」

「……これはこれは……兄上、何故ここに……?」

 

 引き攣った笑顔を浮かべ、ギギギ、と錆びついた音が出そうな様子で背後を振り返るスカーさん。

 

 そこには……こちらはアロハシャツのような涼しげな服装とサングラスという出で立ちの、正真正銘お忍び中のフェリクス皇帝陛下。それと、青を基調とした花柄のサマードレスを纏い白い麦わら帽子を被ったイーシュお姉様が居ました。

 

 ……完全に、夏真っ盛りの島を満喫する格好でした。それ故に、スカーさんも気がつくのが遅れたのでしょうけれども。

 

「ああ、この服か? それはまぁ、せっかく遠出したんだ。皇帝だって羽根を伸ばしたい時くらいあるさ」

 

 そう、驚いただろうと笑う皇帝陛下。

 スカーさんはその様子を呆れたように見つめた後、はぁぁああ、と深いため息をつきました。

 

「……やられたぜ、イリスちゃんもグルだったか」

「という訳で、ごめんなさい。お二人のエスコートだったもので……」

 

 本当にごめんなさい、と再度頭を下げます。

 ですが、今回このような協力をしたのも理由があります。

 

「それに……スカーさんにも協力して欲しくて。その、お姉様は今……」

 

 こっそり、お姉様のお腹には赤ちゃんが居るのだという事情を耳打ちします。

 今お姉様には万が一に何かあっても治癒魔法が使用できない以上、できるだけ信頼できる人に付いていて欲しかったのです。

 

「あー……そういう事情か、それはしょうがねぇな……」

 

 頭をバリバリ掻いて、不承不承ながらも逃げようとするのを止めるスカーさん。

 

「わーったよ、兄上、俺の力で良ければお貸ししますよ。ただし、このお祭りの間だけですからね!」

「そうか、助かる! では、早速お前の分の部屋を用意させよう!」

 

 そう言って、嬉々として背後に控えていた使用人を伝令に出させるフェリクス皇帝陛下。

 

「……ごめんなさいね、スカーレット殿下。苦労をかけて」

「い、いや、気にしなくていいっすよ、それよりもお身体を大事にしてください、その……義姉上」

 

 年下の義姉に、若干照れながら告げたスカーさん。

 そのスカーさんの言葉にお姉様は少し驚いたように目を見開き……すぐに、嬉しそうにふわりと笑みを浮かべます。

 

「ええ……ありがとうございます」

 

 絶世の美少女であるお姉様に微笑みと共に礼を言われ、タジタジとなっているスカーさんですが……こちらは大丈夫そうでした。あとは……

 

「ごめんなさい、ハヤト君。あなただけ別行動になってしまうのだけれど……」

「いいよ、スノーの面倒を見る奴も必要だろ?」

「ええ……あなたも、一緒にいてあげられなくてごめんね?」

 

 そう、腕の中にいるスノーに言うと、気にするなとばかりに頰を舐められました。

 

 ただの子犬であれば、連れて行っても大丈夫なのでしょうが……スノーは、この世界でも最上位に位置する幻獣の幼生体。流石に、各国の貴賓の集まる場所へは連れて行けません。

 

「それに、姉ちゃん達の泊まってるところって、お偉いさんが泊まる場所だろ? そんな所に一緒に泊まれって言われなくて、むしろホッとしてるから」

「……ありがとう、ハヤト君」

「それじゃ、何処か宿を探して来ないと……っても、今から空いてるところなんてあるかな?」

「あ、それは大丈夫、こちらの知り合いに頼んであるから……」

「知り合い?」

「ええ、そろそろ来るはず……」

 

 そう周囲を見回すと、周囲をキョロキョロ眺めている見知った二人の姿がありました。手を振るとすぐにこちらに気が付いて、駆け寄ってきます。

 

「っと、居た居た。おまたせ、お姫様」

「イリスちゃん、ソールさん、レイジさん、こんにちは」

「こんにちは、お忙しい中に急に頼みごとをして、ごめんなさい」

「気にしないで。これくらい、お安い御用よ」

 

 待ち合わせていたのは、桜花さんとキルシェさん。

 客室くらいはあるとの事で、今回ハヤト君の宿の世話をあらかじめ頼んでいたのでした。

 

「それで……この子を泊めてあげればいいのね?」

「あ、はい、お世話になります……あの、イリス姉ちゃん、この人らは?」

「彼女達は、桜花さんとキルシェさん。私達と同じ元プレイヤーです。桜花さんは防具職人でもありますので、そういった事にも相談に乗ってくれると思いますよ」

「ええ、任せておいて。あ、武器の方が興味あるなら、師匠を紹介するけど」

「マジで!? あ、あの、お願いします!」

 

 武器、と聞いて目を輝かせ出したハヤト君。このあたりはやっぱり男の子だなぁと、微笑ましく思いました。

 そして、職人として気になるのか……早速、どういう物が欲しいか相談し始めたハヤト君と桜花さん。

 彼の装備も強化しておきたかったのも、桜花さんにハヤト君の面倒を見てもらう理由の一つでした。

 

 その間、キルシェさんはというと……

 

「わ、この子可愛い……あなたも私達の所にお泊りするのよね、よろしくね?」

 

 こちらは相好を崩して、私の抱いているスノーの頭を撫でていました。スノーの方も満更ではなさそうに尻尾を振っていますので、こちらも大丈夫でしょう。

 

 ……人懐っこいのは良い事なのですが、少しだけ、私達と別れ自然に戻る時、ちゃんと野生に還れるのか心配になるのでした。

 

 

 

 

 

「そういえば、一昨日からずっと気になっていて、姫様に聞きたかったんだけど」

 

 ハヤト君を桜花さんの工房に送り届ける道中、不意に桜花さんがそう切り出します。

 

「はい、なんでしょう?」

「王子様の『黒星』と、レイジさんの『剣軍』……だっけ。あれ、凄い性能のスキルだけど、ユニーク職って育ってきたらあんなのを皆も覚えるのかな?」

「分かりませんが……そうかもしれませんね」

「へぇ……姫様も、何か凄いスキルとかはあったの?」

 

 その言葉に、ギクリとします。

 どうにか誤魔化せないか、そう思って彼女の方を向くと、そこには興味津々と言った様子の目。それも、桜花さんを挟んだ向こう側に並んで歩いているキルシェさんも合わせた二対。

 

 ……これは、言うまで解放してもらえないなと諦めのため息をつきます。

 

「その、あるには、あったのですが……」

 

 なんとなしに指先を弄りながら、渋々と答える。

 

「そうなのか? 俺は初耳だぞ?」

「私もだ。一体いつの事だ?」

 

 このスキルについてはずっと秘密にしていたため、さらに話に加わってきた、後ろに居た二人からのそんな声にビクッと肩が震えます。ですが、こうして話題になった以上、もう隠してはおけないでしょう。

 

「えっと……二人が目覚めた直後あたりに、頭に知識が流れ込んできて……」

 

 習得して、すでに一月あまり。

 本能的に、そのスキルが非常に強力な物だと理解してはいるのですが、今まで使用した事はありません。というのも……

 

「使用条件がいくつか有るのですが、それが厳しくて……」

「……厳しい?」

「ええ。一つが、転生三次職……いえ、()()()()()()()()()である事」

「ああ、エインフェリア、セレスティア、ノスフェラトゥの三つ?」

「はい。皆さんは『種族特性解放』のスキルを持っていると思うのですが……最低限、それを有する者でないと、器となる体がもたないと思うのです」

「それは……たしかに凄そうね」

 

 上位種……と呼称していますが、正確には先祖返りに近い物らしいです。

 大昔、まだ古代文明が繁栄していた頃、三種族の中に少数ながら存在していたという魔法適正が極めて高い人々。それが、先程桜花さんが挙げた三つの上位種族。

 

 実は今でも時折、そうした因子を潜在的に秘めた人々というのは稀に生まれるのだそうです……もっとも、その殆どが生涯気付く事もなく、類稀な才能を持つ人としてその生を終えるらしいのですが。

 ですが、私を除いた三次転生職の皆は、限定的ながらその上位種の力を解放できるのです。それが、何度か二人が使用した切り札である『種族特性解放』です。

 

 それを使用できる器。それが最低条件という時点で、破格の性能である事は予想がつきます。

 

「それともう一つが、私が心の底から信頼している人、です」

「へぇ……なら、あの二人なら問題ないんじゃない?」

 

 桜花さんの言葉に、頷く。

 おそらく私が『セイブザクイーン』を預けたレイジさんとソール兄様であれば、この条件も問題ないでしょう。

 

 ですが最大の問題は、この二つではなく、残る一つなのです。

 

「それで、問題なのはもう一つ、最後の条件の方なんです。使用する際に、その……まく……触と、……液交……必要で……」

 

 最後、あまりの恥ずかしさに尻すぼみになる言葉。

 

「ん? 何?」

「だから、その、発動に……………………相手との()()()()と、()()()()が……必要なんです……」

 

 辛うじて絞り出し声に出した、その使用条件。

 

 ――周囲が、シンと静まり返った。

 

 沈黙が辛い。下腹のあたりで両手を組んで俯く。

 顔を上られそうにありません。きっと今、真っ赤なんだろうなと思う程に顔が熱い。

 周囲から、数秒の時間差で噴き出す音、咳き込む声がいくつか上がりました。

 

「え、ちょ、それって……」

「き、キスで、キスで大丈夫ですからね!?」

「そ、そっか、吃驚した……なら、性能の確認にちょっと試してみた方が良いんじゃない? ほら、そこに惚けて突っ立ってるレイジさんにでも協力してもらって…………」

「無理です、絶対無理!!」

 

 桜花さんの言葉に、食い気味に叫んで必死に首を振る。

 脳裏にフラッシュバックするのは、断片的な昨夜の記憶。今そんな事をしたら、恥ずかしさで死んでしまいます。

 

「あー、よしよし、ごめんね、あんたには無理よね……ま、姫様には随分ハードル高いのはよく分かったわ」

 

 桜花さんの同情混じりの声に、顔も上げられないまま頷きます。

 

 

 

 ――ですが、そう遠くない未来、必要な時がきっと来るでしょう。そのため与えられた力なのだと、そんな予感がするのです。

 その時になって、恥ずかしいなどと言ってはいられません。躊躇わず使用できるように、心の準備はしておかなければ……そう思うのでした。

 



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約束

 

 ――大闘華祭まで、あと一日。

 

 

 

 この日の大闘技場は、朝から喧騒に包まれていた。

 というのも、今日は大会のトーナメント表の発表の日だからだ。が……

 

「うわ、もうこんな居るのか」

 

 思わずそう呟く。

 

 発表場所である大闘技場の入り口ホール。

 そこに踏み込んだところ、中にはホールを埋めつくさんばかりの人。それも、皆武装している者たちばかり。

 

「こいつら全部、参加者か」

「ああ、すごいな。一体何人居るんだ」

 

 少なくとも数百は下らないであろうその人の群れに、この闘技大会の規模をあらためて思い知らされる。

 

「さて……あいつは何処にいるかな」

 

 そんな中、参加者の中から探しているのは、自分達の目的のため、協力を仰ぐ人物。

 目印となる金色のツンツン頭は……案外、すぐに見つかった。どうやら俺たちよりも後に来たらしく、入り口から入ってくるところだった。

 

「居た居た、おーい、斉天! と……」

 

 目的の人物……斉天に続き、もう一人の人物が中に入ってくる。それは見覚えのある人物だった。

 

「これはこれは、ソールクエス殿下、それと……君は確か、イリスリーア殿下の護衛の」

「……フレデリック首相? どうしてこちらに?」

 

 先日、茶会の時に見かけた西の通商連合の長。

 各国の来賓は……当然イリス達も……この日ばかりはトラブルを避けるために来賓居住区から出てきていないため、よもや一国の代表である彼が顔を見せるとは予想外だった。

 

「いや、なに、我が国から登録されている若者が、優勝候補と評判だったものでな。一度顔を見ておきたかったのだよ」

「きょ、恐縮です」

「はは、そんな固くならずとも良い、この大会の間、主役は君たち選手の方なのだからな」

 

 その筋肉で硬く引き締まった背中をバンバンと叩きながら、なかなか気持ちの良い青年で、私は嬉しく思うと、好々爺然として笑っているフレデリック首相。

 そんな彼に対し反応に困っている、戦闘以外はからっきしな斉天が、助けを求める仔犬のようにこちらを眺めていた。

 

「……申し訳ありません、そろそろトーナメント表が発表される時間でして」

「おっと、申し訳ない。若者たちと話すのは楽しくて、つい時間を忘れてしまう。悪かったね、健闘を祈るよ」

 

 おそるおそる告げた俺の言葉に、特に気分を害した様子もなくそう言って立ち去っていくフレデリック首相。その気さくな様子に……俺と斉天は二人、内心で安堵の息を吐いた。

 

「ふぅ……助かったぞ、剣聖の。それと兄君殿。礼儀作法なんぞ分からんから、一体どうしたらと困り果てていたのだ……」

 

 そう、げっそりした様子で宣う斉天だったが……すぐに、俺たちがこの場に居る理由に気がつき、顔を上げた。

 

「それで……そうか、お前も出るのだな、剣聖の」

「おう、なんかそういう事になった。当たった時はよろしく頼むな」

「……う、うむ」

「……どうした?」

 

 普段のこいつなら、俺と戦えるかもとなればそれこそ大仰に喜ぶと思っていたのだが、どうにも歯切れが悪い。それとも、平常時、素面の時はこんなものだろうか。

 

「……いや、何でもない。ただ、どんな心変わりかと思ってな」

「ああ、それなんだが……」

 

 ソールに目配せすると、任せた、と頷いたのが見えた。

 

「……斉天、お前も関係者だからな、こちらの事情は全部伝える。その上で……できれば、お前にも協力して欲しい」

「……言ってみろ、剣聖の」

 

 聞く態勢を取り、先を促す斉天に……俺は、自分達が頼まれた内容について一通り説明をするのだった。

 

 

 

「……なるほどな。なぜ急に心変わりをして飛び入りで参加したのか、気にはなっていたが……そういう事か」

 

 斉天は、俺たちがなぜ参加する事になったか……先日の事件もあり、もしかしたら何か不審な者が大会に紛れている可能性があって、それを排除するためだ……という事を説明すると、得心がいった、とばかりに頷いた。

 

「ああ。それで、お前にも協力して欲しいのだが」

「おう、良いぞ」

 

 即答した斉天。

 本当に大丈夫か、という視線をソールと二人送っていると、斉天は胸を張って答える。

 

「要は三人で表彰台を独占しようということだな!」

「……ま、まぁそれが出来れば一番だな」

「なぁに、我らであればやってやれなくも無いさ」

 

 自信満々に答える斉天。

 勝負に絶対は無いとはいえ、実際に闘技場で戦いに励み、実績を出している斉天だからこそ、説得力はある、が……

 

「それは、トーナメント表次第だな。出来れば三人バラけていると良いのだけれども」

 

 そうソールが冷静に指摘する。

 もしも俺たちが序盤にぶつかってしまい、誰かが早く敗退すれば、それだけ取り零しもあるかもしれない。

 

 その指摘に二人黙り込んでいると……喧騒が更に増し始めた

 

「どうやら、始まったみたいだな」

 

 そう言ってソールが指した方向、ロビー正面にあるモニターに光が灯ったかと思うと……それは瞬く間に巨大なトーナメント表になっていった。

 

「……すげえな、この対戦表」

 

 ぽかんと、口を閉じるのも忘れて、正面ロビーホールに設置された巨大モニターに映し出された表を眺める。

 

 

 

 大闘華祭が行われる大闘技場は、ベスト8の試合に使用される中央リング以外にも、八つの小リングが周囲に配置された、その名に恥じぬ巨大な施設だ。

 当然、その威容に見合った収容人数が初めに踏み込むロビーも、相応の広さを持っている。

 

 にもかかわらず、その入り口正面の壁一面に広がるモニターですら手狭に感じる程に、びっしりと参加者の名前が記されている。

 そして、必死に自分の名前を探してごった返している参加者も、相応の人数がひしめき合っている。

 

「ふふん、フレッシュマンの部の参加者が、だいたい千人ほどだからな。エキスパート部門は参加資格で絞られるため、それほど多くはないが……」

「なるほど……それだけの人数が予選無しでトーナメントでぶつかるのだから、こうもなるか」

 

 むしろ、世界中から集まっている事を考えれば少ないくらいかもしれない、か。

 

「千人……ってことは大体、十回くらい勝てば優勝か」

「む、出場を渋っていた割にはやる気ではないか、剣聖の」

「別に、渋っていた訳じゃないさ。できれば参加したかったけど、仕事があるってんで諦めていたんだが……お、あった。俺は……第二ブロックか」

「私もあったぞ、どうやら第一ブロックみたいだな。レイジとは準決勝まで当たらないようだ」

 

 そう、ホッと一息ついているソール。

 俺達の主目的は、襲撃事件を起こした連中と繋がっている不審者がもし紛れていた場合に、それを排除することなため、序盤で潰し合いとならなかった事は僥倖だった。

 

「我は第四ブロックだった。どうやらお前達とは決勝まで当たらんらしい」

「そうか……俺らと当たるまでに負けたりすんじゃねぇぞ?」

「ふはは、その言葉、そっくり返してやるわ。お主らどちらかと決勝で相見えるのを楽しみにしているぞ」

 

 呵々と笑って言い返してくる斉天。

 

「言ってろ。俺だって……今回だけは、絶対に譲れない理由があるんだからな」

 

 俺の言葉に、事情を知らぬ斉天は首を傾げ、薄々ながら察していたらしいソールはなんとも微妙な様子で苦笑していた。

 

 だが……この大会は、俺にとって重大な意味を持つ事になった。それは今朝、領主様……レオンハルト辺境伯に呼び出された事が発端だった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 対戦表の発表が行われた、その夜。

 

 大会前夜である今、大闘技場の外で夜通しの前夜祭が行われており、外の祭りの喧騒はここまで届いている。

 そんな中……私はレイジさんに二人で話がしたいと呼び出され、二つの満月からさえざえとした月光が降り注ぐ屋上へと来ていました。

 

 月光を背に、海の方向を眺め佇んでいたレイジさんはすぐに見つかりました。

 

「あの、レイジさん、話とは?」

「あ、ああ……明日から大会が始まるから、話しておきたい事があったんだ」

 

 そう言って、海が見える方へと招くレイジさんに促されるまま、隣に並ぶ。

 

 しかし、なかなか話には入らず、遠くから聞こえてくる喧騒を背景に、沈黙だけが流れる。

 

 横目にレイジさんの方を窺うと、彼は真剣な……あるいは緊張した様子で、正面を見つめていた。

 その表情をしばらくじっと見つめていた事に気がついて、慌てて目を逸らし、話題を探す。

 

「それで、その……対戦表、見てきたんですよね?」

「ああ。ソールとは準決勝、斉天とは決勝まで当たらない。そして……ざっと眺めた感じでは多分、あの二人が最大のライバルだと思う……爪を隠した鷹でも潜んでいない限りはな」

「なら、三人ともうまい具合にバラけたんですね?」

「ああ、まぁ……意図的にバラけさせられた気がしないでもないけどな」

「確かに……少し出来過ぎですものね」

 

 レイジさんと兄様を参加者にねじこんだのは、大会運営側であるネフリム師です。

 その目的上、裏でそのくらいの工作であれば行われていても不思議ではありません。

 

「もちろん、そんなのは組み合わせだけで、あとは当然、勝つも負けるも自分の実力だ」

「そうですね……特にこの大会は戦神様に奉納するものですから、不正には厳しいとの事ですし」

 

 入場時には魔法が付与されていないかのチェックが魔導機により自動で行われ、薬物の使用も禁止。不正発覚は即退場……各国の威信に関わることもあり、厳戒態勢の中で行われるらしいと、陛下から聞いていました。

 

「それで、お前の方は今日はどうしていたんだ?」

「私は……ユリウス君とアンジェリカちゃんの付き添いで、プライベートビーチに行っていました……その、撮影機械を預かっているミリィさんも一緒に」

「ああ、あのサイクロプスのおっさんの。律儀に守る必要もないだろうに」

「そうもいきません! たしかに、ネフリム様も大事な事を黙って約束させた事については怒ってますけど、約束は約束です。明日以降はもう時間も無いですし……」

「はは、お前は本当に、変なところで生真面目だよな」

「むぅ……」

 

 苦笑するレイジさんにムッとしてみせて……そこで言葉が切れ、再び沈黙が降りる。

 

「……とうとう、明日から始まるんですね」

「ああ……そうだな」

 

 そう言ったまま、レイジさんはそわそわしながらもなかなか続きを話そうとしない。

 しかし、数分にも感じた沈黙の後……何か小さく呟いて自らの頰を張ったレイジさんが、こちらに向き直る。その様子に私も緊張しつつも向き直り、聞く態勢を取ります。

 

「イリス……大会の前に一つ、頼んでいいか?」

「は、はい、なんでしょう?」

 

 その真剣な表情に、激しく高鳴る心臓をどうにか宥めすかしながら、続きを促します。

 

「今まで黙っていたけど……俺、レオンハルト様に、名前だけでも構わないから、ローランド辺境伯家の養子にならないか、と打診されていたんだ」

「そ……そうなんですか!?」

「ああ。本来ならそうそうありえない事らしいんだが……『剣聖』の爺さんと、レオンハルト様には種族特性解放した所も見られてるしな」

「ああ、ディアマントバレーの時ですね……」

 

 あの時は私も翼を出して戦っていたため、あまり話題には上りませんでしたが……太古の時代に居なくなった上位種の先祖帰りで、その力を引き出して使用できる人材となれば、貴族の方々が自分の家に取り込みたいと思うこともあるでしょう。

 

「あ、でも確かに、辺境伯領に入ってから沢山勉強してましたもんね。あの頃からレオンハルト様はそのつもりだったんですか」

「ああ、まだ何も実績がないから、もっと色々とやってから……という予定だったんだけどな」

 

 それには、一月や二月で済むような事ではないでしょう。民や同じ貴族達に認められるまでに、あるいは何年の時間が必要か……

 

「だけど……この大会で優勝となれば、その実績としては十分だ、って言われた」

「それって……」

「俺が最後まで勝ったら……優勝したら、ローランド辺境伯家で正式に、養子に迎えてもいいと言われた。それくらい、この大会での実績は名誉な事らしい」

「受けるつもり……なんですか?」

「……ああ、そのつもりだ」

「それは、どうして……レイジさんは、元の世界に」

 

 言いかけたところで、口籠る。

 未だに聞けていない事……本当は、家族も居る元の世界に戻りたいのではないのかという疑問が、その先を言わせてはくれませんでした。

 

「何度も言ったろ。俺は、どうなるにせよお前の側に居るって」

 

 黙り込む私の頭に乗せられた、すっかり馴染んだ手の感触。

 

「貴族の権力なんて、正直どうでもいいんだ。ただ……この話を受ければ、お前に……『イリスリーア』に手が届く。その必要最低限の資格を得られる」

「……え?」

「この国では、()()()()()()()()()()には、基本的には最低でも伯爵位以上が必要となる。養子であれば信用の関係で、もっと上が……だけど、辺境伯は実質、更に伯爵位よりも一つ上、侯爵家相当の地位だそうだから、条件は満たせる」

「あ、あの、待ってください、何の話……っ!?」

 

 頭が追いつかない。

 私は今、何を聞いているの?

 

「俺は、優勝する。そして、お前に……『イリスリーア』に……」

 

 怖いくらい真剣な表情で、真正面から対面しているレイジさんが言葉を紡ぐ。

 だけど、あまりに衝撃的で、上手く頭が働かない。だというのに心臓の鼓動はうるさいくらいで、頭の中は真っ白だった。

 

「……悪い、先走り過ぎた」

 

 混乱していると、そうレイジさんが呟いて、深呼吸を始める。その様子に、ひとまず私も少し落ち着いて、改めて聞く態勢を整える事ができました。

 

「よし、言うぞ」

「は、はい、どうぞ」

 

 ゴクリと息を飲みながら、頷いてレイジさんの次の言葉を待つ。

 

「……俺が優勝したら、一昨日の続きを、今度はちゃんとさせてくれないか?」

 

 耳まで真っ赤にしながら、そう言い切ったレイジさん。

 

 一昨日……私が、間違えてお酒を飲んだあの日。

 あの時、しようとしていた事というと……たしか、もつれ合ってソファに倒れ込み、結果的にレイジさんに押し倒されたような体勢になって……

 

 

 

 至近距離に、その顔が。

 

 

 

「……っっっッ!?」

 

 瞬間的に、顔に血が上り、思わず唇を手で覆う。

 あの続きというと……それを了承するという意味くらい、いくら私でも分かる。

 

 そして……なぜレイジさんがそれを望んで来た、という事も。

 

「……ダメ、か?」

 

 今になってその瞳に不安を浮かべながら呟いたその言葉に……小さく、首を振る。

 

 ダメじゃない、と、横に。

 

「……わかりました。優勝したら、あの時の続き……ですね」

「……良いのか!?」

「ええ……本当は私の立場としては、自国民の皆を応援しないといけないから、特定の一人に対してこう思うのは、あまり良くないんでしょうけど」

 

 多分に照れの混じった苦笑を浮かべながら、頷いてみせる。

 

 恥ずかしいけれども、決して悪い気分ではありません。

 むしろ……嬉しいと感じている自分が居るのが分かる。だから、胸のあたりで手を組んで、素直な気持ちで願います――戦神アーレス様、どうか彼に勝たせてあげてください、と

 

「レイジさん、どうかご武運を。あなたが優勝するのを、観客席から祈っています」

「ああ……ああ、約束だ!」

 

 嬉しそうにそう言って、まるで少年のように笑うレイジさん。

 その様子を微笑ましく思うと同時に……何か見えない物が変わってしまったような、漠然とした不安がジワリと湧き上がります。

 

 

 

 今までの居心地の良い関係が変わってしまうかもしれない事が不安で、お互い目を逸らして抑え込み続けた、私たちの関係。

 それがこの日とうとう動き出し、変化し、転がり始めた。そんな予感がするのでした――……

 



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大闘華祭

 

 ――大闘華祭、開催当日。

 

 

 

 

 ……とうとう、この日が来てしまいました。

 

 来賓席への入り口の前、そんな憂鬱な気分で見下ろすのは、すっかり着飾らされた自分の格好。

 

 レニィさんをはじめとした、私があまり着飾るのは苦手だと知っている方々が比較的簡素に仕上げてくれたそうですが、それでも結い上げる過程であちこち花や飾りを添えられた頭は重く、首が引きつりそう。

 

 そして……纏っているドレス。ベースとなるのは大きく肩を露出したフィッシュテールのドレス。白から青へ、グラデーションが施された様は繊細で、これだけでも相当な品なのでしょうが……

 

 そこからさらに、繊細なレースがふんだんに施された、透けるほど薄いオーバースカートやボレロ、ショールを幾重にも重ねられ、頭にはサークレットと一体化したヴェールまで。ふわふわと幾重にも重ねられたその様は、まるで花のよう。

 

 いったい幾らするのか、恐ろしくて聞けませんでした。

 

「…本当に大丈夫でしょうか。華美過ぎて浮いていたりなどは……」

「ふふ、大丈夫ですよ。よく似合っています、イリスリーア」

「おねえさま、とてもお綺麗です!」

 

 優しく称賛の言葉をくれた王妃殿下と、キラキラとした目で絶賛してくるユリウス殿下。二人掛かりで褒めちぎられ、これ以上何も言えませんでした。

 

 それに……

「それに……この大会はあなたにとっても大切な意味を持つ事なのでしょう?」

「あ、ぅ……」

 

 レニィさんを通じて昨夜の事情を知っている王妃殿下に、耳元でこっそり耳打ちされ、赤くなって俯く。

 

 ローランド辺境伯家がレイジさんを家に迎え入れようとしていることは、陛下も王妃様も承知しているらしい、という事は、昨夜の出来事の後にレオンハルト様から聞きました。レイジさんが何故、その話を受けるつもりなのかも承知している、とも。

 

 つまり、私が気付いていないうちに、すっかり外堀は埋められているのでした。

 

「……私も陛下も、あなたが決めたことを邪魔するつもりはありません。頑張りなさい」

「……はい、ありがとうございます」

 

 その心遣いに、頭を下げる。すると、まるで子供にするみたいに頭を撫でられました。

 

 

 

 

 

 そうこうしていると……

 

『……ノールグラシエ国王陛下、ならびにそのご家族の皆様の御入場です。皆、礼を以ってお迎えください』

 

 そんな厳かな言葉と共に、待機していた入り口のドアが開く。

 そこには、あらかじめ整列していた騎士達。彼らが作る道の中、ゆっくりと歩き出す陛下を先頭にして会場入りします。

 私は内心腰が引けまくりなのですが、そうと察せられないよう細心の注意を払い、そのあとに続く。

 

 

 ゲートをくぐった瞬間、歓声に包まれました。

 見渡す限りの観客と、空気を震わせる歓声。

 

 陛下や王妃殿下が、歓声を上げる観客席に向けて手を振っているのを見て、その真似をして軽く手を振ってみる。すると……

 

「あれが、行方不明だったという……」

「何て可憐な……まるで、花の精のよう……」

 

 ざわざわと聞こえて来る会話と、それをかき消すようにワッと上がる大歓声。その勢いに、思わずビクッと手を引いてしまう。

 

「はは、イリスリーアの人気はすごいな、私も少し嫉妬してしまうぞ」

「ええ……ですが、少々固いですわね。今後もこうした機会が増えるのですから、慣れていかなければなりませんよ?」

「が、頑張ります……」

 

 そう縮こまっていると、さらに歓声。どうやらこれは、王妃殿下の横で元気に手を振っているユリウス殿下に向けてのものらしく、周囲から「かわいー!」等の、主に女性からの黄色い声。

 

 幼いながらも堂々とその歓声を受けているあたりに、ずっとそういう教育を受けてきた殿下との差を痛感します。

 

 そうこうしているうちに、到着した貴賓席。

 他国の来賓も既に入場し終えたようでした、

 

『それでは開催の挨拶を、フランヴェルジェ帝国皇帝、フェリクス・フランヴェルジェ皇帝陛下にお願いいたします。観客の皆様、跪礼を以って拝聴お願いいたします』

 

 そう紹介され、フランヴェルジェ帝国からの来賓席から、正装を纏ったフェリクス皇帝陛下が進み出ます。

 

「えー……では、慣例に従い、この大闘華祭開催における挨拶は、この私から述べさせていただきます――」

 

 朗々と、挨拶を述べ始める皇帝陛下。

 ふと、イーシュお姉様の方を見ると……彼女はまるで恋する乙女のような、ポーっとした様子で皇帝陛下の晴れ姿を眺めていました。はいはいご馳走さまです。

 

 そして……その側に控えている、こちらも正装のスカーさん。こちらの視線に気が付いたらしく、苦笑しながら手を軽く振って来たので、微笑んで返します。

 

 

 

「――話が長くなってしまったが、本日の、いや、この大闘華祭の主役である諸君ら選手一同の日頃からの鍛錬の成果を惜しみなく披露し、悔いなく戦っていただける事を願い、開会の挨拶とさせていただく。諸君らの健闘を祈る!!」

 

 

 

 そうしているうちに、開会の挨拶が終わりました。

 フェリクス皇帝陛下がその力強く締めると、会場が雄叫びに包まれ、大気がビリビリと振動する。

 

 

 こうして――四年に一度の武の祭典、大闘華祭が幕を開けたのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

『では、記念すべき最初の一戦の方、入場をどうぞー!』

 

 司会進行らしき少女の声に、舞台へと続くゲートをくぐると、携えた剣に何かがまとわりつく感覚。

 

 これは、武器に力場を纏わせて、その武器の殺傷力を落とすための魔法だと、事前に説明を受けていた。

 そして、この魔法を大人しく受け入れるか、大会側の用意した刃引きの剣を利用しなければ失格になる、とも。

 

『第一戦。最初を飾るのは、ソールクエス選手!!』

 

 しかし――まさか最初の試合から出番だとは。そこに、一番目立つ場所を提供しようという忖度の存在を感じて苦笑しながら、会場へと歩を進める。

 

 通路を抜け、リングに入ると、全周囲から降り注ぐ歓声。

 

『お気付きの方もいらっしゃいますと思いますが……彼は、ノールグラシエ王国の貴賓席にて観戦なされている、イリスリーア王女殿下の実のお兄様であらせられます! 気品のある所作、怜悧な美貌は、まさに王子様。私、こうして眺めているだけでもドキドキしてしまっています! キャー!!』

「……あ、あの?」

 

 若干暴走気味な司会のお姉さんに、声を掛ける。

 彼女はすぐに自分の失言に気が付いたように、コホンと咳払いすると、何事も無かったように司会を再開した。

 

 しかし、会場内、四方八方から降り注ぐ主に女性方の黄色い声と……少数、男性らしきブーイングの声が混じっている事に、若干引き攣った苦笑を浮かべる。

 

『そして――相対するは、東の諸島連合出身、ゲンサイ・ヒラガ選手ー!! いやはや、今の会場の空気はゲンサイ選手には少し申し訳ない気もしますが、どうかそんな空気に負けず、存分に力を振るっていただきたい所存です!!』

 

 その紹介で反対側から姿を現したのは……何というか、剣客だった。

 

 若干洋装のアレンジが入っている袴にブーツ。腰には打ち刀。漆黒の髪を後ろで纏めたその姿は……やはり、剣客だ。

 

「はは……さすがに、王子様は凄い人気でござるな」

 

 ……ござる?

 

 語尾が気になりはしたものの……彼の、元の世界で言う和装に近い格好と腰の刀を見ると、なんとなくしっくり来てしまう。

 

 そんな彼は人の好さそうな笑みを浮かべ、ぐるりと周囲を見回している。

 困った風に見えるけれど……その実、殆ど動じていないのが、物腰を見ているとなんとなく解る。

 

 ……この人、かなり強いな。

 

 決して油断できるような人物ではないと、気を引き締め治す。

 

「なんというか……申し訳ありません、このような雰囲気にしてしまって」

「何、気にしないでござるよ。このような事で精神を乱すのであれば、拙の精神修養が至らなかったというだけの事。そして何より……」

 

 ゲンサイが、納刀したままの刀を腰溜めに構えた。その瞬間、周囲に漂う氷のような気配……殺気。

 

「拙は、貴殿を王子様などとは思いませぬ。一角の剣士と見込み、獣……いや、鬼と相対したつもりでお相手仕る……!」

 

 王子の道楽と思って貰えたら御の字……そんな楽観など吹き飛んだ。ビリビリ伝わって来るこの殺気は、微塵もこちらに対する侮りなど存在しない。

 

 そして……それでこそ面白いと思ってしまっている私は、すっかりレイジに毒されているらしかった。

 

 

 

『それでは……第一戦、始め!!』

 

 戦闘開始のゴングと同時、恐ろしいほどの低姿勢で飛び出してくるゲンサイ。こちらの視界から隠すような形で抜刀された白刃が閃く。

 

 ――疾い!

 

 半歩後退し、紙一重でその刃の圏内から逃れる。

 振り切ったところを反撃に移ろうとして……足を、止めた。

 

 ゲンサイの刀は――既に、鞘に収まっていた。

 

 もしも踏み込んでいれば、おそらく斬り捨てられていたに違いない。

 

「成る程。誘いに乗ってこないとは、意外と戦い慣れしていますな……ですが、来ないのであればこちらから行きますぞ……!」

 

 そう言って、攻勢に出るゲンサイ。

 剣閃の鋭さもさることながら、体勢を立て直して次の行動に移るのが恐ろしく早い。その圧力はまるで荒れ狂う波濤のようだ。

 

 こちらに来たばかりの頃……いや、あるいはひと月前の自分では、勝てなかったかもしれないな、と思う。

 

 しかし……ヴァルター団長や、レオンハルト様という世界最高峰の戦士に散々稽古を付けてもらった今であれば、まだまだ余裕をもって見える。十分にいなせる。

 

『おぉっと、ゲンサイ選手、ものすごい猛攻です! ソールクエス殿下は防戦一方か……!?』

 

 そんな司会の言葉に、ふっと口元を緩める。

 

 ――そろそろ、やられっぱなしは面白くないな……っ!!

 

 ゲンサイが猛攻の切れ間を狙い踏み込む。

 

 ――ドンッ、と地を蹴った足元が爆ぜる。瞬時にその刀の軌跡の内側へと身を滑り込ませ、その軌道を逸らす。ゲンサイが一度退こうと刀を引き戻そうとした瞬間、させないと右手のアルスラーダで抑え込む。

 

「……ぬぉっ!?」

 

 ――キンッ!

 

 そのまま、巻き取るように絡め取り、弾き上げる。

 激しく金属ぶつかり合う音を上げてゲンサイの持つ刀が弾かれ、眼前の剣士が無防備な姿を晒した。

 

 ――その首に、左手のアルトリウスをスッと添える。

 

「勝負あり。ですね?」

「……で、ごさるな。この勝負、拙の負けでござる」

 

 そう言って、刀を落とすゲンサイ。その様子に、ふぅ、と息を吐く。

 

『し、失礼ながら、あまりに早すぎる攻防で、私よく見えなかったのですが……第一戦、制したのはソールクエス殿下! その実力、たしかに本物です!! しかし、初戦に相応しい、素晴らしい試合を演じてくれたゲンサイ選手にも、惜しみない拍手をお願いしまぁす!!』

 

 ワッと上がる歓声と、会場を揺るがす万雷の拍手。

 視線を貴賓席に移すと、イリスが身を乗り出すようにして、興奮した様子で嬉しそうに拍手をしているのが見えた。

 

 成る程、あの斉天さんが闘技場に立つ理由が、少し理解できた気がする。確かにこれは気分が良い。

 

「ふぅ、初戦敗退とは悔しいでござるが……負けた相手が貴殿で、悔いは無いでござるよ」

「ええ、私も……貴方が最初の相手で良かったと思っています。おかげで慢心が吹き飛び、背筋が伸びる思いをしました」

「そ、そうでござるか? であれば、良かったでござる」

 

 先程の冷気すら漂う殺気はすっかり霧散し、照れながらもニッと人懐っこく笑うこの若侍に手を貸してやりながら、気を引き締め直す。

 

 ここは、世界から強者の集う場所。決して油断はできない……と。

 

 武の祭典は、まだまだ始まったばかりであった――……

 



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新たなる力

 

『さぁて、Bブロック一回戦も、ぼちぼち中盤に差し掛かっていりました!では、次の選手……レイジ選手、お願いします!!』

 

 割れるような大歓声の中、闘技場へと踏み込む。

 暗い場所から明るい場所に出たため、一瞬目が眩み……それが収まった時に見えたのは、全周囲をぐるっと囲む、大勢の観衆。非日常の世界に迷い込んだような感覚だった。

 

 そんな中、貴賓席でイリスが、嬉しそうに拍手している。軽く手を上げて答えると、気がついて笑ったのが見えた。

 

「……意外と、緊張しないもんだな」

 

 むしろ、気力は充実し、精神的にも驚くほど落ち着いており、周囲がよく見える。

 

 ……負ける気がしない、とはこういう事か。

 

『そして、今回は解説に、特別に東の諸島連合から、巫女、そしてご本人も剣士であらせられる、桔梗様にいらしてもらっていまぁす!』

『はい、こんにちは皆様。私、一応巫女の末席をいただいています、桔梗、と申します』

 

 そう言っておっとりと挨拶し、典雅な礼をしたのは……見た目()()ならば清楚可憐な黒髪美人、元プレイヤーの桔梗さんだった。

 

『ちなみにぃ……現在恋人募集中、いえ、何だったら身体だけ求められる関係というのもぉ……!』

『はぁいそこまでよ! 色々危ないですから自重してください!?』

 

 そう言って、司会席で身をくねらせている桔梗さんと、そんな彼女を羽交い締めにして抑えようとしている係員。

 

 ……何やってんだ、あいつ?

 

 すげーな、完全に放送事故じゃねーか。

 あ、東の貴賓席から「あの色ボケ女を連れ戻せ!」って怒声が聞こえたぞ。

 

『えー、お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした』

 

 背後から「あっ、そんな、縄で縛るなんてぇ……でもこれはこれでっ」と聴こえてくる声をサクっとスルーしつつ、何事も無かったように進行する司会のお姉さん。

 

『入って来ている情報によれば、彼は今日最初の試合で素晴らしい勝負を見せてくれた、ソールクエス殿下のご友人との事。そして、イリスリーア王女殿下も含むお二人の、護衛でもあるそうです! これは期待できそうか!?』

 

 わぁぁ、と上がる歓声。ソールの名前が出た際に女の子の黄色い歓声が上がったあたり、どうやら向こうにはすっかりファンが付いてしまったらしい。

 

『そしてそして、更に! 非公式ですが、なんと、イリスリーア王女殿下と、恋仲であるとの噂が! そのあたり、ご本人に聞いてみましょう!!』

『……へ?』

「ちょ、まっ!?」

 

 完全に予想外の流れに、思わず声が出た。

 モニターに映し出される、イリスの姿。

 まだ状況が掴めていないイリスは、数回左右をキョロキョロし……ボッ、と真っ赤になった。軽く組んだ両手指先を顎に触れさせ、俯いてしまう。

 

 ……は? ふざけんな、可愛いかよ。

 

 普段と比べずっと手が込んだ様子で着飾られたその姿はただでさえ可愛いのに、殺す気かコノヤロウ。

 

 そんな事を考えていると、イリスはしばらくそのまま左右に目を泳がせた後……上目遣いで、呟く。

 

『……あの、ノーコメントで』

『はぁい可愛らしいリアクション、ありがとうございましたぁ!!』

 

 耳まで真っ赤にしたイリスが画面からフェードアウトする。

 

 ……てか、あの司会の姉ちゃん滅茶滅茶楽しそうだな!?

 

 そんな事を考えていると、周囲から聞こえてくるのは先程と一転し……罵倒。それも、ほぼ男から。

 

『おぉっと、これは凄い、凄いブーイングです! レイジ選手に向けて、モテない男たちからブーイングの嵐です!!』

「……あとで覚えてろよこのクソ司会!?」

 

 完全にアウェーと化した会場に、思わず元凶である司会へと怒鳴り返すのだった。

 

 

 

 そうこうしているうちに、反対側から対戦相手が出て来ていた。

 

 すっかり会場の興味から外れ、地味な扱いを受けている彼は怒り心頭という様子で、手にした剣を苛立たしげに振り回しながら歩いてくる。

 

 ……うん、なんかごめん。だけど、こっちもブーイングを一身に受けているのだから許してほしい。

 

「……はっ。女にキャーキャー言われて良いご身分だな……! だが、みっともなく這いつくばらせてやるから覚悟しやがれ……っ」

「あー、そいつについては謝る。だが……二つ目、俺を倒すってのは無理だ」

 

 俺の言葉に、さらに頭に青筋を浮かべる男。それを冷静な心境で眺めながら、構える。

 

 左手に掴んだアルヴェンティアの鞘を腰だめに構え、右手は柄に添える程度。

 膝が地面につく寸前くらいまで姿勢を落とし、刀身は相手の目から隠すように体を捻りつも、視線は真っ直ぐ相手へと。

 

 周囲の喧騒も、全て意識から外れる。

 静寂の世界の中、相手の姿だけが、筋肉一つ一つの動きまでよく見えた。

 

 ――いわゆる『ゾーン』状態。そこに入れた事を、どこかで冷静に自覚していた。

 

 

 

 そんな中で鳴り響く試合開始のゴングと同時、男は全力で飛び出した。

 

 ――否、飛び出そうとした。

 

「あ……げ、ぇ……っ!?」

 

 飛び出そうとしたその瞬間、男の膝が砕け、がくりと膝をつく。

 その腹には、一文字に細いもので殴打された跡。

 

 彼は……ついに、対戦相手が既に背後に、剣を振るい終えた残心の姿勢でいる事すら気付くこともなく、意識を闇に落とした。

 

「悪いな……今の俺は、これまで生きてきた中で最高に絶好調なんだ。誰にも負けるつもりは無ぇんだよ」

 

 左右にアルヴェンティアの刃を振るい、鞘に納める。

 チン、という小さな鞘鳴りの音で、まるで時間の流れを思い出したように、会場が歓声で包まれた。

 

『す……凄い、これは何という……!一瞬! 相手が動く暇すら与えない、一瞬の決着!! まるで、名に聞く剣聖の再来のような、凄まじい圧勝――ッ!!』

 

 ブーイングからまた一転、司会のお姉さんの声を皮切りに、耳が痛いほどの大歓声に包まれる場内。

 

『……今の技はぁ……っ!?』

『ご存知なのですか桔梗様!?』

『ええ、あれは″抜打先之先(ぬきうちせんのせん)″、私にも覚えのある技ですがぁ……そんな、何故彼が……』

『では、彼は桔梗様と同門の方なのですか?』

『……いえ、決してそのような事は……それに私の知るあの剣技はカウンター技、あのように高速で踏み込む技では無いはず……』

 

 困惑している様子の解説の声を聞きながら、控え室へと戻る。そこには、入り口で待っている人影があった。

 

「……初戦突破おめでとう」

「ああ、何も問題なく、だ」

 

 入り口で待っていたのは、一番最初に白星を上げたソールだった。その顔は、呆れた、という苦笑を浮かべている。

 

「レイジ、少しテンション上げすぎじゃないか?」

「はは……悪い、ついな」

「はぁ……まったく、いきなり初戦から披露するとは」

 

 ソールが言っているのは、先程の技。

 ここ一月、ヴァルターのおっさんや領主様に教えを請いながら鍛錬した、その成果。

 

「だが、使えると証明できたな……『複合昇華戦技』、いけそうだ」

 

 確かな手ごたえを感じ、まだ感触の残る拳を握りしめる。

 

 先程使用したのは、剣聖の『神速剣』に、剣士系の特殊分化二次職……()()二次職の『抜打先之先』を取り入れた複合技。

 

 自分達がスキルと呼んでいたものは、成長と共に自然と使用法が分かるもの。まるで……ゲームでレベルアップ時に技を覚えるように。

 

 では、他の職の技は使えないのか……その答えが、これだ。

 

 自動では覚えない。

 だが、鍛錬の先に習得はできる。

 

「名付けて、我流剣聖技、虚空閃(こくうせん)会者定離乃太刀(えしゃじょうりのたち)……ってところか」

「……男の子は、そういうの好きだよなぁ」

 

 苦笑しながらソールが掲げた手に、パァン、と勢い良くハイタッチする。

 

「それじゃ、もうしばらくしたら斉天さんの様子も見に行こうか」

「ああ……そうだな」

 

 俺とソール、どちらが最後まで残ったとしても、きっと最後に待ち構えているのはあいつだろう。

 

 ――絶対に、負けない。たとえソールや斉天が相手でも。

 

 そう、決意を新たにしながら、会場に背を向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「勝った! おねえさま、レイジさんが勝ちましたよ!」

「ええ、そうね……良かった、本当に」

 

 嬉しそうにはしゃぐユリウス君に、内心私もそうしたいのを堪えて笑いかける。

 どうなる事かとハラハラしたけれど……結果は二人とも圧勝。しかも、レイジさんに至ってはだいぶ調子も良いみたい。

 

「凄いなぁ……僕も、鍛えたらあんな風に強くなれるでしょうか?」

「あら……ユリウス君は、レイジさんが憧れなの?」

「それは……勿論、ソールクエスおにいさまも尊敬しています、あの手際は本当に華麗で」

 

 あの時を思い出したのか、興奮気味に話すユリウス君。

 

「ですが、僕も男ですから。あんな風に力強い男になりたいです。そして……」

「アンジェちゃんを守りたい?」

 

 私の言葉に、真っ赤になって頷く彼。

 

「……おねえさま、意地悪です」

「ふふ、ごめんなさいね」

 

 少しむくれてしまったユリウス君に謝罪します。

 ですが、女の子を守りたいという彼は、まだ小さくても男の子だなぁと微笑ましく眺めていると……

 

 

「――っ!?」

 

 ――視線を、感じた。

 

 ただの視線ではない。強く、悲しい、怒りを湛えた視線。それは、以前ローランドの裏山でも感じた……()()()のもの。

 

 無数の観客のひしめく会場の中を、身を乗り出して必死に、視線を感じた方向を探す。

 

 

 

 ――居た。

 

 

 

 これだけの観衆の中から、見つかるなんて思っていなかった。

 しかし、まるで目が吸い寄せられたように、その姿は私の視線の先にあった。

 

 闇で染められたような、漆黒の髪。

 深い悲しみを湛えた、真っ直ぐこちらを貫く金の瞳。

 

 ひと月前の遭遇とは違う。今は何の認識障害も存在しない、素のままの()()()の姿がそこにあった。

 

 動悸が激しくなる。

 視野が、ぎゅうっと狭まる。

 喉がカラカラに乾いて、唾の飲み込み方すらわからなくなる。

 

 あの日、与えられた苦痛が蘇り、体が震える。

 

 怖い。たまらなく怖い。

 

 だけどそれ以上に……話をしたい。

 

 なのに――彼は、ふっとこちらから視線を外し、会場の外へ通じる出口へと消えていってしまった。

 

 

 

「あ、おねえさま。どこへ――」

 

 気が付いたら……否、考えるよりも先に、私は立ち上がり、貴賓席から飛び出しているのでした――……

 



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あの人の影を追って

 

 ――何という事をしてしまっているのだろう、私は。

 

 貴賓席を飛び出し、脚に絡まるスカートに四苦八苦し走りながらも、後悔が湧き上がってくる。

 

 突然飛び出してきたせいで背後ではちょっとした騒ぎとなっており、出遅れた護衛の方々は、まだ混乱の中で出足が遅れているみたいでした。

 レオンハルト様が、所用で席を外している陛下に付いて行ってしまっていなければ、あっさり捕まって今頃はもうお説教が始まっていたんでしょうけれども。

 

 ――だけど、たとえ正気の沙汰では無いと言われても、私はあの人と話さなければならない。そんな衝動に突き動かされ、必死に脚を動かす。

 

 そんな中、違和感を感じ周囲を見回す。

 

 ……人が、居ない?

 

 確かにこのあたりは一般の観客席の裏側であり、特に三階にあるここは迷い込みでもしない限り一般の人が使う通路ではないけれど、それにしても一階庭園にすら居ないというのはあまりにも人が居なさすぎる。

 

 ……違う。周囲に満ちるあの人……『死の蛇』の気配に当てられて、本能的に、無意識にこちらへ来るのを拒んでいるため入ってこない、いえ、もっと強く……近寄ってこられないんだ。

 

 そんな事を考えながら走っていると、吹き抜けとなっているホールの闘技場裏の中庭から、通路の影に消えて行く、あの人の後ろ姿、その黒い外套。

 

「待っ……て……っ!」

 

 気が付いたら、三階にあるこの廊下から、吹き抜けへと体を躍らせていた。

 二十メートル以上の自由落下に、ひゅっと下腹が浮き上がる様な浮遊感。

 それを、一瞬だけ発現させた翼で落下速度を落とし、中庭へと着地する。

 

(見られてない……ですよね)

 

 周囲に誰も居ないことは、例の脳内に現れる生体反応で確認済みでした。皮肉ですが、彼の人を寄せ付けない気配に感謝する。

 

 脚が疲労でもつれそうになるのを堪え、あの人が消えた出口へと飛び込んで、その姿を探す。

 

「……はっ……はっ…………そんな……」

 

 すっかり上がってしまった息を切らせながら、呆然と呟く。

 

 ……居ない。

 

 確かにこちらに来たはずなのに、視線の先には真っ暗な廊下が続くだけで、その姿は影も形も存在しませんでした。

 

 

 

 

 

 呆然としていると、ざわざわとした声が、遠くの方から聞こえてきました。どうやら、あの人の気配で離れていた人が、戻って来たらしい。

 

「あ……戻らないと……」

 

 我に返り、自分がどれだけ危うい事をしたかをようやく思い出す。

 急がないと……そう、踵を返した時。

 

「――きゃっ!?」

「おっと……あれ、姫様?」

 

 振り返った瞬間、ドンっ、と誰かにぶつかる。

 衝撃で倒れそうになったところを、誰かに支えられ転倒を免れました。

 

 呆然としている間に、周囲確認を怠っていたのに今更ながら気がつきます。

 

「何、何? 本当に姫様じゃん。なんでこんなとこに居んの?」

「うわ、ドレスすげぇ。汚していないよな、大丈夫?」

 

 気がつくと、三人連れの男の人達に囲まれて、廊下の壁を背に囲まれてしまっていました。

 発言からすると、どうやら元プレイヤー……それも、帯剣しているという事は大会の参加者なのでしょう。

 

「あ、もしかして上で観てるのが暇になってこっちに来たの?」

「い、いえ……すぐ戻らないと……」

「いーじゃんいーじゃん。せっかくだから、俺たちと一緒に観戦しようよ」

 

 彼らの一人が、私の白手袋に包まれた腕を取り、引っ張り始める。

 

 

 

 ――そうだ、今はゲームの頃のハラスメント警告という絶対の盾は無いのだ。

 

 

 

 途端に恐怖心が湧き上がって来るけれど、それ以上に、彼らのその気安い様子に血の気が引く思いがした。

 

「ダメ、です、戻らないと……本当に!」

 

 この人たちは悪意で言っているのではなく、むしろ気遣ってくれているのは分かります。ただ、彼らはゲームの延長の感覚で居る。

 

 彼らにしてみれば、同郷の、同じゲームプレイヤーの中の有名人でしかないのだ、私は。

 だから、今の状況がどれだけ危ういかを分かっていないのだと思い至り、頭から血の気が引いていく。

 

 ――私が、大国である()()()()()()()()()()として紹介された、その意味を。

 

 そういう存在として、この世界の歴史に刻まれているその意味を知らず、ゲームのプレイヤーとしての『姫様』の延長として接している、この意味に思い至り、ぞっと悪寒が走る。

 

 

 

 ――流石に、お祭りの場であるこの場で、いきなり無礼打ちとはならないでしょう。

 

 ですが……誘拐、あるいは誘拐未遂であっても、まず間違いなく厳罰に処される……と。

 

 

 

 だけど、浮かれている彼らに、言葉が届いていない。どうにかしないとと考えているうちに、力負けして引き摺られ始めていた。

 

「……そこまでにしておくが良いぞ」

 

 奥、私がさっき来た中庭の方から聞こえてくる声。

 入ってきたのは、金色のツンツン頭の……

 

「……な、お前は……っ」

「イリス嬢は、お主らが心配でやめろと言ってくれているのだぞ。この現場、兵に見咎められでもしたらどうなると思う?」

 

 乱入してきた彼……斉天さんのその指摘の言葉に、ようやく冷静になった彼らが、今の状況が誘拐と捉えられかねないと気がついたらしい。

 

「……い、行くぞ」

「あ、あぁ……」

 

 渋々、といった様子で立ち去っていく元プレイヤーの人達。その様子に、ほっと息を吐きます。

 

「……どうもありがとうございました、斉天さん」

「いや……うむ、たまたま声が聞こえてな」

 

 助けてくれた彼の正面に立って頭を下げ、礼を述べると、途端にしどろもどろになる彼。

 レイジさんが言うには照れ屋なのだと言う、その様子にちょっと癒されて、フッと強張っていた表情が緩む。

 

「いえ……これでもし、あの方々が捕まっていたらと思うと……本当に、助かりました」

「ぅ、その……間に合って、良かった……な」

「ええ、おかげさまで」

 

 しどろもどろになって、それでも気遣ってくれる彼に、笑いかける。

 

「ですが今回は、姫様も悪いと……その、俺も思う……ます」

「ええ……重々承知しています……」

 

 それでも、会って話がしたかったのだ。

 例え、誰もが正気の沙汰ではないと言っても、私にとってあの人は、もう一人の……だから。

 

「さて……その、送り届けたいところなのだが、生憎と我もそろそろ……」

「あ……ごめんなさい、私の事はお気になさらずに、早く会場に向かってください」

 

 斉天さんは、まだ自分の出番を迎えていません。この後試合があるので、いつまでもこのような場所にいるわけには行きません。

 

 とはいえ彼が居なくなれば、私もまた一人になってしまいますが……おそらく、上階から飛び降りてショートカットしてしまったせいで、兵の皆も、見つけるのが遅れてしまっているのでしょう。

 今は幸いと言っていいのか、これ以上無いくらいに目立つ格好ですので、中庭に座っていれば気付いてもらえると思いますが……

 

「そ、そうは言ってもだな……」

 

 困ったように頭を掻く彼に、何と言ったら良いか考えていると……

 

「……ひゃっ!?」

 

 私の胸に、白い毛球が飛び込んで来た。

 その毛球が私の胸にスリスリと身を擦り付けてくるこそばゆさに身悶えしていると、直後、上から小さな影が飛び降りてくる。

 

「あ、居た居た、ねーちゃん!」

「……ハヤト君?」

 

 となると、腕の中の毛玉はやはりスノーらしい。その背中と思しきあたりを撫でてあげると、そのふわふわの身体を摺り寄せてきます。

 ほっと息を吐く。私の護衛も兼ねた小姓としてローランドのお城で働いていた彼ならば、兵の皆とも面識と信頼があり、とやかく言われるような事は無いはずです。

 

「急に居なくなったって兵士のにいちゃんが言ってたから、スノーに匂いを追って貰ったんだ。まったく、何やってんだよ」

「ご、ごめんなさい」

 

 こちらを覗き込むように叱ってくるハヤト君に、しゅんと小さくなる。全面的に私が悪いので、何も言えません。

 

 ――実は彼、観客席側からこちらを護衛する指示をレオンハルト様から受けている、立派な護衛なのだということを昨夜始めて聞きました。

 

 当然、とっくに彼の耳に話は届いているわけで……もうこの時点で気は重いのですが、大勢の騎士さん兵士さん達に迷惑を掛けたのですから、何でも受け入れるしかないでしょう。

 

「ふ、どうやら迎えが来たようであるな。であれば、我はこれにて」

「あ、斉天さんも、どうもありがとうございました。試合のほう、頑張ってください」

「……礼には及ばぬのである……我は、望みのためならば道理も捨てる、破廉恥な男であるからな」

「……斉天さん?」

「……なんでもないのである。その、姫様も……気を付けるがいい」

 

 そう言って、どこか陰のある表情で走り去っていく彼は、これ以上何も声を掛ける暇もなく闘技場の入り口へと消えて行ってしまいました。

 

「ほら、早く戻るぞ?」

「……ええ、ごめんなさい」

 

 そんな彼に後ろ髪引かれつつも、先導してくれるらしいハヤト君に急かされて、また何も起きないうちに元の貴賓席へと戻るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「あーあ、せっかく姫様とお近づきになるチャンスだったのになぁ」

「……ドレス姿、可愛かったな。それに近くに居るとすごくいい匂いがした」

 

 ポーっと浮かれ調子でそんな事を話す仲間達の声を、上の空で聴きながら歩いていた。

 

 いつか、あんな可愛い子と仲良くなって……そんな妄想に耽った事も、勿論何度かある。

 

 そんな憧れの存在が間近、目と鼻の先に居た事に浮かれていたが、すぐに先程、電光掲示板らしきものに映った少女の姿を思い出す。

 憎き『紅玉髄(カーネリアン)の騎士』との関係の話題を振られた時の、彼女の乙女な表情を思い出し、はぁ、と溜息を吐く。

 

 ――そうだ、紅玉髄の騎士だ。

 

 何だよあれ……とその試合を見て思った。同じ元プレイヤーでありながら、自分達とはまるで別次元の強さだった。

 

 生活のため闘技場に登録し、そこそこ勝っていた。こちらの世界では、自分は結構強い部類だと思っていたし、このアバターは現実の自分と比べずっとイケメンなためちょっとモテたりもした。

 こっちに骨を埋めるのも、悪くないなと思い始めていたりしていた。少なくとも、向こうで冴えないオタクとして一生を終えるよりは。

 

 そこに、冷水をぶっ掛けられた気分だ。

 あの紅玉髄の騎士と自分を比較すると、まるで物語の主人公と、その他大勢の脇役ではないかと、今では暗澹たる思いがする。

 

「お前、そろそろ試合だよな?」

 

 そんな声が掛けられて、ハッと我に返る。

 

「あ、ああ、うん……」

「そんじゃ、俺らは観客席で応援してっから、頑張れよ!」

 

 そう言って別の道を行く仲間達と別れて、重い足取りで控え室へと向かう。

 

「はぁ……俺にも、あの紅玉髄の騎士みたいな力が有ればなぁ……」

 

 そんな事を呟いた、その時。

 

「――力が、欲しいか?」

「……は?」

 

 いつのまにか、通路の壁に寄りかかって佇んでいたフード姿の怪しい人影。

 

「あ、ああ、欲しい。けど、何だあんた……」

「ならば、くれてやる。ただし……」

 

 男の手が伸びてくる。フードの下から、蛇のような金色の瞳が見えた。この時になって、ぞわりとした感覚が全身を走る。

 

 嫌だ、怖い。

 しかし、体は金縛りに遭ったみたいにまるで動かない。

 

「この大会の間……その体、貸してもらうぞ」

 

 そんな男の呟きを最後に……意識が、ぷっつりと途切れた。

 



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最大の壁

 

「それで、何か言う事はございますか、イリスリーア様」

 

 座る私の前に立つ、腕を組んで立っているレオンハルト様のいっそ静かとも言える声に、ビクッと肩を震わせる。

 

「いいえ……全面的に、私が悪うございました……」

 

 無断で飛び出して、多数の人に迷惑を掛けました。

 斉天さんが来てくれたおかげで事なきを得ましたが、そうでなければ一体どれだけの騒ぎとなっていたか……

 

 そんな訳で私の心情的には、むしろ「私は皆様に多大なご迷惑をお掛けしました」とプレートに書いて首から下げていたい位です。

 

「……今回は無事だったから良かったものの、もし御身に何かあれば、護衛が詰め腹を切らされる事だってあり得るのですよ」

「はい……」

 

 (たしな)めるようなその言葉に、ますます小さくなる私。

 

「……まぁ、今は(はれ)の舞台。あまり衆目のある場所で叱りつけるのは外聞が良く無いので、ここまでにしましょう」

「では……!」

「今夜、宿泊施設に戻ったら続きにしましょう」

「はい……」

 

 もの凄く怒ってます。

 背後から、ゴゴゴ、と地鳴りのような音が聞こえるのは気のせいでしょうか。

 

「はぁ……それよりも、次の試合が始まるぜ?」

 

 そう言って助け船を出してくれたのは、今日はもう試合は無いためこちらに戻って来たレイジさん。

 ちなみに兄様も隣に居るのですが、こちらもレオンハルト様並みに怒りの気配を湛えているため、直視できませんでした。

 

 レオンハルト様は、やれやれ、仕方がないですねと肩を竦め、苦笑しながらこちらの様子を静観していた陛下と王妃様の傍へと戻って行きました。

 

「イリスリーアお姉様、勝手に出歩くのは、めっ、ですよ?」

「……ごめんなさい、ユリウス君。その通りですね」

 

 隣のユリウス君が、ちょっとおかんむりな様子でそう叱って来ます……案外、これが一番心にキます。

 

 そんな事を考えていると……

 

『……それでは、次の一戦です! 知っている方は知っているでしょう、一般大会の覇者、優勝候補である斉天選手と同時期にデビューした、期待の新星、ハスター選手です! 同期にスターが誕生した煽りを受けて今ひとつ話題に欠けていましたが、この大闘華祭の晴れの舞台で下克上なるか――ッ!?』

 

 そんな司会のお姉さんの紹介と共に姿を現す、次の選手。

 

「あ……あの方は……」

「知っている奴か、イリス?」

「は、はい……元プレイヤーの方で、一応面識があるのですけれど……」

 

 続いて出てきたのは……先程遭遇した元プレイヤーの一人。ですが、その雰囲気が……何か、違和感を感じます。

 

「……ほう。あの者、あの場にての落ち着きようと佇まい、なかなかやるみたいですね」

「そう……なのですか?」

 

 レオンハルト様の感心したような呟きに、聞き返す。

 

「ええ、足運び、重心の移動、ただ歩いているだけでも相当な腕だと思います」

「へぇ……」

 

 レオンハルト様は実直な方です、生半可な相手にはそのようにベタ誉めしたりしないでしょう。

 だからこそ……何か、凄まじい違和感がする。あの時出会ったあの方は、失礼ながらそのようには見えませんでした。

 

 ――発している気配が、全く違う。

 

 先程までは元日本人らしい……えぇと……呑気な感があったのとはまるで違う、乾いた荒野のような荒々しさと、凍てついた氷河のように冷たい雰囲気。その様子は、見ていると寒気すら感じる程。

 

 それはまるで、()()()のような……

 

『それでは……バトル・スタート!!』

 

 そんな事を考えているうちに、カァン! と鳴り響く戦闘開始のゴングの音。

 その音が鳴るか鳴らないか……というタイミングで、飛び出していくハスターと呼ばれた男性。

 

 対戦相手の方はその駆け引きもない吶喊に反応が遅れ、気がついた時にはハスターと呼ばれた方はすでに肉薄していました。

 

 慌てて振り下ろされた対戦相手の大剣を、剣の腹を狙って打ち払う。

 

 ――ギィン!!

 

 会場の喧騒すら搔き消す、耳をつん裂く金属がぶつかり合う音。

 

 一体どのような膂力があれば出来るのか、大剣がまるで玩具のように標準的な片手用の剣に弾かれる。

 その冗談のような出来事に目を丸くしている対戦相手の腹に、一片の容赦も無く脚を叩き混むと、ひとたまりも無く血反吐を吐いて蹲る対戦相手。その前のめりになったところにさらに背中を踏み付け、勢いよく地面に這い蹲らせる。

 

 その首に剣を突きつけ……これにより、勝敗は決しました。

 

 

『し……試合、終了……勝者、ハスター選手……!』

 

 暴行とでも形容できそうな一方的な戦い。

 驚愕に固まりながらも、どうにかプロ根性を発揮して、司会のお姉さんが勝負の決着を告げます。

 

『ど、どうした事でしょう。どちらかといえばマナーの良い、紳士的な筈のハスター選手でしたが、この荒々しい戦いぶりは……』

 

 司会のお姉さんが、呆気にとられながらも解説しています。

 

「……戦い方自体は荒っぽく見えるが、やるな」

「ああ……元プレイヤーであれば、例の互助組織の回し者かもしれない、警戒しておかなければならないな」

「まさか、斉天以外にもあんな元プレイヤーがいるとはなぁ」

 

 難しい顔で、先程の戦闘について語り合うレイジさんと兄様。

 ですが……私はそれ以上に、豹変した彼を見ていると胸の奥がザワザワとする物を感じているのでした。

 

 それはまるで……『世界の傷』を目の前にした時のように――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

『それでは、本日最後の試合です! トリを飾るのは、やはりこの方……一般大会王者、斉天選手! 満を持しての登場です!!』

 

 盛り上がりが最高潮となる会場。

 周囲からは「斉天」コールも巻き起こっており、あいつの人気の程が窺える。

 

「す、凄いですね……」

 

 その大音量の歓声に、イリスが横で驚いた顔をしている。

 

「さて……あいつはどれだけ強くなったんだろうな」

「気になりますか?」

「ああ……ずっと闘技場で戦いに明け暮れていたらしいからな、おそらく戦闘経験の数ではあいつが上だ」

 

 密度は負けていないけどな、と肩を竦める。

 そんな俺の様子に、クスっと苦笑したイリス。花の精のような衣装も相まって、その背後に花が舞って見える。その笑顔が妙に照れ臭くて、慌てて会場の方へと目を戻す。

 

「それに…彼には、あのハスターという元プレイヤーに勝ってもらわないといけないからな」

「ああ……そう言えばそうだったな」

 

 真剣に会場を見据えているソールの言葉に、浮かれた気分をどうにか宥めすかす。

 

 斉天は、順調に勝ち進めは準決勝であのハスターという男との対戦となる。ここまで見てきた感じでは、俺たち三人以外では彼が一番の難敵に思えた。

 そこであいつが負けでもしたら、そこで俺たちの計画は頓挫するかもしれないのだ。

 

 そんな事を考えていると、斉天が姿を現わす。

 

 しかし……歓声が、戸惑いのざわめきに変わる。

 それもそのはず……奴は、あまりにも物静かだったからだ。

 

『はぁ……彼はどちらかといえばサービス精神旺盛な、剽軽なところのある選手ですが……流石にこの舞台は緊張しているのか!?』

 

 戸惑いながらもそう実況している司会のお姉さん。だが……

 

「……違うな」

「ああ……野郎、絶好調じゃねぇか」

 

 あれは、緊張などしていない、むしろ逆。

 

 纏っている気配は、確かに静かだ。まるで、凪の海のように。

 

 だが、その圧力の密度は半端ではなかった。

 自分達のいる所ですらビリビリと肌で感じるプレッシャー。

 

 ――今の奴が纏っている気配の小ささは、荒れ狂う力を圧縮して押し込めたため。その様は、まるで臨界寸前の炉心のようだ。

 

 何となく、そう思えた。

 

 

 

『それでは……本日最後の試合、バトル・スタート!』

 

 カァン、とゴングが鳴る。

 これまで以上の歓声が会場を包み…

 

 ……十秒……二十秒…………時間だけが経過していった。

 

 時間の経過と共に熱狂は消え、困惑のざわめきの比率が高くなっていった。

 

 リング上に、動きは無い。

 斉天はただ、静かに目を閉じて、ピクリとも動かず構えらしきものを取っているだけだった。

 

 ――そう、それはあまりにも、一切の微動すらない静止。まるで石像となったような。

 

 だが一方で、対峙している相手の顔色は悪い。

 闘技大会参加者だけありそれなりに実力者のはずだが、顔を真っ青にして脂汗を流し、剣を持つ手が震えている様は、完全に呑まれている。それはまるで、蛇に睨まれた蛙のように。

 

「う……うわあああぁぁッ!?」

 

 耐えかねた対戦相手の男が、叫び声を上げて斉天に飛び掛かる。

 全身全霊で振り下ろされる刃を前にしてもなお斉天は身動きもせず、目すらも閉じたまま。

 まさか本当に、石になっているのだろうか……それほど反応を見せぬまま、迫る刃が触れる、その寸前。

 

 動いた。いや、動いた……という事だけ、なんとか理解できた。

 先程から半歩だけ、前に出た斉天。

 腰を落とし、対戦相手の懐に飛び込んだ体勢でまたもや止まる。

 だが……完全に白目を剥き、口からごぼりと泡を溢れさせ、ズルリと崩れ落ち倒れ伏す相手。

 

『あ……えっと、斉天選手の勝利……です……?』

 

 司会のお姉さんが戦闘終了を告げるが、そこには疑問符が踊っていた。だが事実、対戦相手は倒れ伏したままピクリとも動かず、起き上がってくる様子はない。

 

 あまりに呆気なくついた決着に、ざわつく周囲。

 見栄えが無さすぎる試合内容に、派手なチャンピオンを期待した観客の中には、ブーイングをしている者すらいる。

 

 だが――はたして、その中の何割が、何があったのかを()る事が出来たのだろうか。

 

 動作は、必要最低限。

 見ようによっては、とても地味に映っただろう。

 だが……それは、極限まで無駄を削った結果に過ぎない。それほどまでに研ぎ澄まされた、()()()()の掌打。

 

 それは……先の俺の試合に対しての、奴の意思表明だと、俺は何となく思った――我が、お主の最大のライバルだ、と。

 

「……どう、彼に勝てそう?」

 

 ソールが茶化して言うが、その額には薄っすらと冷や汗をかいている。

 かく言う俺も、気を強く持っていないと呑まれそうだ。それだけ、今の奴は強い。だが……

 

「……勝つさ、必ず」

 

 ただ それだけを呟いた。

 



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変な人

 

 レオンハルト様は、有言実行な方です。

 なので、後で説教だといえばそれは決定事項であり……楽な服装に着替えての夕食後、気が抜けたところで呼び出され。

 

「……うぅ、やっと解放されました……」

「お疲れ様でした」

 

 すっかりとヨレヨレになった私を、部屋から出てすぐのところで出迎えてくれたレニィさん。

 

 ……お説教が始まってから、今までで最高記録の二刻以上が経過して、ようやく解放されたのでした。

 

「明日もあるのですから、早く湯浴みを済ませて休みませんと」

「そ、そうですね……もう皆さん済んでいるでしょうし……付き合わせてしまって、ごめんなさい」

「いえ、それが侍従というものですから」

 

 そう、生真面目に言って追従する彼女に苦笑しながら、お風呂へと向かうのでした。

 

 そうして、辿りついた浴室の脱衣所。

 そこに、対面から丁度現れた人影がありました。

 

「あっ……」

 

 思わず声を上げる。

 バッタリと出会ったのは、まだ小さな女の子……アンジェリカちゃんでした。

 

「も、申し訳ありません、イリスリーア殿下もまだだとは思っていませんでした、どうぞごゆっくり」

 

 そう言って、踵を返そうとするアンジェリカちゃんでしたが……

 

「ま、待って!」

 

 ――思わず、その手を掴んで引き留めてしまっていました。

 

「あ……あの、イリスリーア殿下?」

 

 腕を掴んだまま固まった私に、怪訝な目を向ける彼女。何か言わないと……そう焦った末に出た言葉は……

 

「せ……せっかくですから、アンジェリカちゃんも、い、一緒に……っ!」

 

 咄嗟に口をついて出たその言葉に後悔したのは、その数秒後、彼女が顔を少し赤らめて「で、ではお言葉に甘えて……」と返答した後でした。

 

 

 

 

 

 ――どうしてこうなってしまったのでしょう。

 

 気まずい空気の中、服をレニィさんに脱がせてもらいながら、内心でこっそり涙します。

 

 どうしても意識してしまうのは、自分以外の人が服を脱いでいる衣摺れの音。

 

 たしかに『イリスリーア』として暮らすようになって以降は、レニィさんを始めとしたお世話係のお姉様方が毎回一緒ですし、ティティリアさんとなどは何度も一緒してますが……前者はお仕事として割り切れますし、ティティリアさんは同じ境遇という事であまり罪悪感は感じませんでした。

 

 正直、女の人とお風呂くらい、もう慣れたものだと思っていました。

 

 

 

 だけど、これは……

 

 

 

 横目にチラッと見ると否が応でも目に飛び込んでくるのは……キャミソールタイプの下着を纏う、まだ小さな、しかし確かに女性になり始めの女の子の、あられもない姿。

 

 しかも、『聖女』見習いとしてアイレイン教団で世俗から離れて禁欲生活を送っている彼女たちは、非常に貞操観念が強いという。

 それは、絶対に素肌を晒さないぞという雰囲気を醸し出している彼女達『聖女』の法衣からも見て取れます。

 

 当然の事ながら、その肌を()()に晒すなど、将来伴侶となった方以外には絶対にあり得ないこと。

 

 そんな穢れ無き乙女の白い柔肌が今、私の眼前で惜しげもなく晒されている。それは……私が同性だから。

 そんな彼女の肌を見ているのは、何か覗き行為をしているみたいな背徳感があり、いたたまれません。

 

「……何か?」

 

 そんな私にジロリと人睨みし、さっさと下着も脱ぎ捨ててしまい浴室へと向かう彼女でしたが……

 

「……あっ」

「危ないっ」

 

 ふら……と倒れて来たアンジェリカちゃんの小さな体を、咄嗟に受け止める。ぽすん、と胸に抱きとめるような形になった彼女を覗き込むと……

 

「ご、ごめんなさい、少し足がふらついて……」

 

 そう、頭を振りながら申し訳なさそうに言う彼女ですが……その目が、微妙に焦点がブレています。顔色も、少し悪い。

 

 有り体に言うと……とても疲れているように見えます。

 

「レニィさん、私はもう大丈夫、彼女をお願いしてもいいですか?」

「はっ……ですが、イリスリーア様は……」

「大丈夫、自分でできるところまでは自分でやってみます」

 

 毎日やってもらっているのを見て覚えたから大丈夫、と頷いてみせる。それよりも、アンジェリカちゃんの方が心配です。

 

「……確かに、アンジェリカ様は酷くお疲れの様子……わかりました、お任せください」

「え、で、ですが……」

 

 事態を把握出来ておらず、目を白黒させているアンジェリカちゃんを、レニィさんがさっさとエスコートして浴室へと消えて行きます。

 

「もう少し、早く気が付いてあげれば良かったですね……」

 

 何百もの試合が行われた今日。それはつまり、負傷者も多数居たはずで。

 ならば……救護班である『聖女』の一人として来ていた、まだ幼い彼女が、疲れていないわけがないのでした。

 

 

 

 

 

 どうにか自分の体を洗い終え、髪だけはアンジェリカちゃんのお世話を済ませて戻ってきたレニィさんにやってもらい、浴槽……一足先に半身浴をしていたアンジェリカちゃんの隣に身を沈める。

 

「……自分の従者に人の世話をさせて、自分のことは自分でやろうとするなんて、変なお姫様」

「あ、あはは……だって、一般庶民でいた時間の方がずっと長いんですもの」

 

 いわずもがな、私の記憶の大半は二十年以上を過ごした地球のもの。お姫様になったのなど、ここ数ヶ月でしかありません……それを考えたら、良くやってると思うんですけど。

 

「だとしても、隙が多いのは如何なものでしょうか? たとえば昼間、司会の人にからかわれた時。あのくらい、サラッと流せるようにしてください。下手したら王室スキャンダルじゃないですか?」

「うっ……分かっているのですが、中々……」

 

 視線が痛い。半公認みたいなものだから叔父様にも王妃様にも特に何も言われなかったのだけれど……と、言い訳しようとする私をジト目で見てくるアンジェリカちゃん。

 はぁ……と一つ大きく息を吐いて切り替えて、そんな彼女に苦笑しながら、そっとその頭に手を乗せる。

 

「な、何を……」

「大丈夫、そのまま力を抜いて」

 

 ちょっとムッとした気配の彼女にそう言って、『マナ・トランスファー』の魔法を行使する。

 

「あ……これ、魔力?」

「ええ……アンジェリカちゃん、軽い魔力不足の症状がありましたよね?」

「うっ……」

 

 私の言葉に、今度は先程とは逆に、ばつが悪そうに目を逸らしている彼女。そんな彼女に、体が驚かないようにと時間をかけてゆっくり魔力で満たしていく。

 

「……初日は人数が多いですから。次からはこんな失態なんて……」

 

 ブツブツと、そっぽを向きながら言っている彼女。

 

「……私も、何か手伝いに行けたら良いのですが」

「やめてください恨まれますよ」

「あはは……みんなそう言うんですよね……」

 

 アンジェリカちゃんもそうですが、彼女たち『聖女』は幼い頃から修練を重ねているため、プライドが高い方が多いそうです。

 そのため、ポッと出のお姫様に自分達の仕事場で大きな顔をされるのを良い顔をしない、との事は聞いていました。

 

「だけど、疲れた時はこのくらいならしてあげられますので……遠慮せずに言ってくれると、嬉しいです」

「…………変な人」

 

 そう呟いたきり、黙り込んでしまうアンジェリカちゃん……ちょっと、お節介がすぎたかな。そう思い始めた頃。

 

「……ですが、ありがとうございます」

 

 そう、そっぽを向きながらも恥ずかしそうに呟いた彼女に、思わずふふっと笑ってしまうのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――本当に、変な人。

 

 

 

 幼い頃から教団に迎え入れられ、修行させられていた私は、自分で言うのも何だけど、同年代の子たちと比べて精神的に早熟な……言い換えると、可愛げのない子供だと思っている。

 

 生意気だ。

 お高くとまっている。

 

 ……まだガキの癖に。

 

 何回、そんな声を浴びせられた事だろう。

 中には、『聖女』という最高峰の治癒術師お仕事で連れていかれた先で、つい先程ありがたそうに手を合わせていた中の一人がそんなことを呟いたのを聞いた事すらあり、それは私の中でいつまでも、棘のように刺さっている。

 

 だから、舐められないように、侮られないように、必死に勉強もしたし、大人の話にもついていけるよう教養を高めたりして……そんな話がノールグラシエの王家の人達に伝わって、今はこうして将来の家族候補として収まっている。

 

 

 

 ……変な人達だな、って思う。

 

 

 

 偉い人の筈なのに、近所のおじさんみたいな陛下。

 

 子供と侮らず、一人のレディとして扱ってくれる、かといって怖いとは思った事のない王妃様。

 

 そして……無邪気に「アンジェは凄いんだねぇ」と真っ直ぐな目を向けてきて、会うたびにちょこちょこ後ろをついてくる、一つ年下の王子様――私の婚約者。

 

 ここに来てはじめて会ったソールクエス殿下は……よく分からない。

 格好いいとは思うし、いつも優しくはあるけれど、時折とても怖い雰囲気になる事があって正直言うと苦手。

 

 

 

 ――だけど……その妹、今隣に居るこの女は、もっとよく分からない。

 

 治癒術師としての実力は……正直言って、かなう気がしない。というより、そもそも底が見えない。

 

 例えば……魔力を譲渡する魔法は、あまり使われない。何故ならば、変換効率がとても悪いから。他の人の回復魔法一回分の魔力を賄うために、同じ魔法三回分の魔力を使って譲渡する人なんて居るはずが無い。

 なのに……私の魔力量は人よりかなり多いはずなのに、枯渇間近だったはずのそれは、この女が譲渡してくれた魔力によって、今はすっかりと万全に近い状態になっている。

 

 それだけ大量に魔力を譲渡したはずのこの女は、あろうことか全く疲労の色を見せていないんだけど、何なの? というかあまりにも自然過ぎて見逃すところだったけど、さっき手をかざしただけで魔法使ってなかった?

 

 と、色々と突っ込みたい所はあるのだけれど、そういった話はひとまず置いておいて。

 

 

 

 巷では『宝石姫』なんて呼ばれているだけあり、とても可愛らしく綺麗な人だと思う。まだ幼さが残っているけれど、きっと将来成長したら、傾国の佳人と呼ばれるに違いない。

 だけど、中身はというとどこかふわふわしていて、見ていてどちらが年上かと思いたくなるほど頼りない。

 

 なのに、気が弱そうなくせに、きつい言葉をぶつけても苦笑しながらこちらに構ってくる。

 

 どれだけ悪態をついても、変わらず優しい色を湛えた目でこちらを見ている。

 

 そして……今みたいにお礼を言ったりするだけで、何故そんなに嬉しそうに笑うのだろう。

 

 

 

 ――もしお姉ちゃんが居たら、こんな感じなのかな?

 

 

 

 そんな事を、流れこんでくる心地良い魔力の流れに意識を蕩かされながら考える。

 あ……でも、このイリスリーア殿下はノールグラシエ王家の一員だから……

 

「……あ、そっか。将来、本当にお姉様になるのよね」

「……ん? どうしたの?」

「な……なんでもないっ」

 

 ボソリと呟いてしまった私に、頭に疑問符を浮かべながらこちらを覗いているイリスリーア殿下。失言に気付き、慌てて首を振る。

 

 だけどその将来は――悪くないな、と思ってしまったのだ。しかしそのまま認めるのは癪なので。

 

「……イリスリーア殿下は、何というか。無自覚天然のタラシですよねって」

「……え、ぇえっ!?」

 

 何となく呟いた私の言葉に、あたふたと慌てているイリスリーア殿下。その様子に、ぷっと吹き出しながら、溜飲を下げる。

 

 ……ああ、私は本当に可愛くない子供だと思う。

 

 だけど……それでも受け入れてくれる人々が居るのだから、別に良いかな――今では、そう思えるのだった。

 



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加護の紋章

 

 二人揃ってすっかり黙り込んでしまい、そのまましばらく『マナ・トランスファー』を続けていると……今までじっと施術を受け入れていたアンジェリカちゃんが、私の腕を軽く掴みました。

 

「……もう大丈夫です、ありがとうございました、イリスリーア殿下」

「そうですか? なら、良かったです」

 

 私の方でざっと見ても、今では彼女のコンディションは全快といかなくてもだいぶ良くなっており、あとはゆっくり休めば大丈夫でしょう。

 

 そう判断して、ほぅ……と息を吐きます。

 

「それで……公的な場では仕方がないにしても、普段は殿下、って言うのはやめませんか?」

「え、ですが……」

「殿下というのは、いまだに慣れなくて……それに私は、アンジェリカちゃんと仲良くなりたいのですが、駄目ですか?」

 

 そう言う私の言葉に、アンジェリカちゃんは少し考え込み……すぐに、頭を上げて口を開きました。

 

「それでは、私のことはアンジェでいいです。殿下の事は……お姉様、とお呼びしても?」

「えぇと……か、構いませんが……何故にお姉様?」

「私たち『聖女』の間では、親しい年上の同業の方はそう呼ぶのが通例となっているので……駄目ですか?」

 

 年若い女性だけのコミュニティで、お姉様呼びが通例になっているの、この(聖女)達……!?

 

 そんな事を愕然としながら考えているうちに、返事が無い事に不安そうな顔をしていくアンジェリカ……アンジェちゃんに、慌てて頷く。

 

「え……ええ、構いませんよ? そこはかとなく怪しい百合の花園の気配がするのが気になりますが、ええ!」

 

 深く突っ込んだら底なし沼に沈められる気がして、慌てて承諾します。

 

「それでは……よろしくお願いします、イリスリーアお姉様」

「え、えぇ。よろしく、アンジェちゃん」

 

 何かイケナイ道へと踏み外したような気まずさを感じ、若干頰が引き攣っているのを自覚しながらも、どうにか笑顔を作ってそう返すのでした。

 

 

 

 

 

「そういえば……教団の方に会う機会があれば、聞きたい事があったのですけれど」

 

 入浴中という事で、以前は有耶無耶になってしまった事があったのを、ふと思い出す。

 

「聞きたい事……ですか、お姉様?」

「ええ、その……以前、背中に模様みたいな物があると指摘された事があって」

「背中、ですか。少し見せてもらいますね」

「はい、お願いします」

 

 そう言って、僅かに横を向いてアンジェちゃんの方へと背中を向ける。

 しばらく、ふんふんと見つめていた彼女でしたが……

 

「これは……」

「え、な、何か変なことがありました……?」

 

 背後のアンジェちゃんから、息を呑む気配。

 その様子に、不安が湧き上がりますが……

 

「いえ……ごめんなさい。ちょっと見たことも無いようなくらいに立派なものだったので、驚いてしまって」

「そ、そうなのですか……?」

 

 とりあえず悪い事ではないらしいと、胸をなでおろします。

 

「これは……アイレイン様の加護紋章ですね」

「加護……紋章?」

 

 ゲーム中でも、時折『加護刻印』なる文字が出てきました。

 それは、今に伝わっていない時代の文字とも、女神アイレイン、あるいは戦神アーレスが直接記した痕跡とも言われる、力ある神秘の文字。

 

 ですが、加護紋章というのは聞いた事が……いえ、どうでしょう。何かが頭の中で引っかかっている気がします。

 

「はい、非常に複雑に編まれた加護刻印で……稀に、生まれた時から刻まれている者が居るため、これを持っている子供は神様に祝福された子だと言われています」

「へぇ……」

「武技の扱いに長ける者、優れた名品を生み出す者、様々な人が居るらしいのですが……ほとんどの人は、そうと気付かずに居るらしいです。そしてその中でも、私たち聖女の持つものは特別に『聖痕』などと呼んだりしていますね」

 

 そう、ちょっとだけ誇らしげに解説してくれるアンジェちゃん。

 

「それでは、アンジェちゃんにもこういった物が有るんですね?」

「はい……というか、『聖女』は皆持っているんですけどね。ほら、私の場合はここに」

 

 そう言って自分の胸元、左鎖骨の下あたりを示すアンジェリカちゃん。

 たしかにそこには、お湯に火照って赤くなった肌に、白い模様のようなものが浮き出ていました。

 

 ……と、そこで小さな女の子の胸を凝視してしまっていた事に気付いて、バッと顔を背けます。

 

「……なんで赤くなっているんですか」

「ご、ごめんなさい……」

「……まぁ、このように体の様々な場所に浮かび上がるのですが……それが、イリスリーアお姉様の場合は背中だったため、自分では見られなかったんですね」

 

 何せ、見ることができる状況が限られています。私の場合はお風呂に何枚かの手鏡でも持ち込んでいなければ、自分では見られないでしょう。

 

「では……これは、特に害のあるような物ではないのですね」

「はい、むしろいくつかの戦技や魔法をある日突然使えるようになったり、技能を行使する際に必要な魔力の管理を代わりにやってくれるので行程を省略できるなど、色々と恩恵があるんですよ」

「それは……」

 

 思い至る節がある。思い出した。

 

 

 

 ゲームだった頃、(ロール)を決める際に転職担当のNPCから『紋章を身体に刻む』という言葉があった事を。

 もしかしたら、その時点で私たちの身にこの加護紋章が刻まれており、三次転生や、この世界に来た事で活性化したのではないでしょうか?

 

 こちらの世界に来てからは、私たちも、新しい魔法や技能を成長に合わせてふっと使い方が思い浮かぶ事があります。

 それに、魔力を集めるのを代行してくれるというのは……もしかして、魔法使用後のリキャストがあるというのはこれが原因なのではないでしょうか?

 

 

 

「……ごめんなさい、私もこれ以上詳しい話は分からなくて……」

「いいえ、とても参考になりました。ありがとうございます」

「あとは……もっと詳しく知りたいのであれば、教団で色々な事を教えてくれた先生が居るのですが……もし本部がある王都に行ったら、紹介しますね」

「うん、ありがとう、アンジェちゃん」

 

 色々と教えてもらえ、いくつか腑に落ちた事もあり、アンジェちゃんに礼を述べます。

 

「べつに、このくらいはいつでも聞いてもらえれば……」

 

 照れてそっぽを向いてしまったアンジェちゃんを、可愛いなぁとほっこりした視線で眺めていると、そんな私の視線に気付いたアンジェちゃんはコホンと咳払いして再度こちらに向き直ります。

 

「それにしても……そこまで大きな加護紋章は見た事が無いです」

「そうなんですか?」

「はい、私たちのものは大体が手の平くらいのサイズなのですが……お姉様のものは、これくらい」

 

 そう言って私の背中に指を滑らせて、その範囲を教えてくれるアンジェちゃん。それは、背中全体を覆うほどのものでした。

 

「ただ……くれぐれも、気をつけてくださいね? これは、私たちに力を与えてくれる一方で、弱点でもあるんですから」

「弱点、ですか?」

「そうです。全身の魔力の経路に繋がっているんですから。例えば……」

「――ひゃんっ!?」

 

 つつ……と背中を滑った細い指の感触に、ビクッと体が跳ねました。

 全身に波及する、甘い疼きに似た感触。まるで麻痺したかのように、体の制御が乱れる。

 意識とは無関係に飛び出した自分の恥ずかしい声に、愕然とします。

 

「な、何、今の……」

「ちょっと指先に魔力を集めて、触れただけですよ」

「そ、それにしては……」

「ええ、だから全身に繋がっていると言いましたよね? ここを魔力的に乱されると、全身が痺れたみたいに言う事を聞かなくなるんです。あとは副作用に……」

 

 そう言って、ポッと顔を赤らめて目を逸らすアンジェちゃん……ちょっと、小さな女の子に何をしでかしたんですか、私の見知らぬ聖女のお姉様がたは……!?

 

 そう戦慄するも、今はそれどころではない。以前にレイジさんや兄様に触れられた時よりも、さらにずっと強い刺激。このままではまずいと思うのだが……

 

「みだりに人前で晒してはいけないと言ってもイマイチ理解できない後輩に、躾けるための方法として私たちに伝わっているのですが……えい」

「は、ぁ……っ!」

 

 幼い彼女には似つかわしくない、何かにゾクゾクとしているような恍惚とした表情を見ており……危険だと判断し逃げようと腰を浮かせたところに、再度背中から全身を痺れさせる刺激。

 

 すっかり腰が砕け、身動きが取れなくなった私の耳元に、アンジェちゃんが耳朶に吐息がかかるくらいに口を寄せる。

 

 それは……何か絶対にヤバいスイッチが入っていそうな、幼い少女らしからぬ妖艶さを備えていました。

 捕食者に睨まれたような本能的な恐怖から、ヒッと小さな悲鳴が私の口から漏れ出ました。

 

「うふふ、良い反応。ちょっと楽しくなってきてしまいました。イリスリーアお姉様、ずいぶん可愛らしい声を上げるのですね?」

「ひぁ!? や、め……っ」

「大丈夫ですよ、やり方は年長のお姉様方から、しっ……かりと教わっていますから、限界はわきまえています。壊したりとかは無いですから」

「あなた達、んっ、小さな女の子に、何教えてるんですかぁ……っ!?」

 

 楽しそうにそう言いながら、立ち上がれない私の背中に嬉々として指を這わせる幼いアンジェちゃんの様子に、疑念が確信に変わっていく。

 

 

 

 彼女たち『聖女』は、外界から隔絶され、禁欲生活を送っている方々。

 

 故に――その乙女の情欲が狭いコミュニティの内向きに発散されている、ヤバい類の百合の花園の住人なのだと……っ!

 

 

 

 そんな事実に直面し、私の中で(おごそ)かな響きの『聖女』というイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。

 

「弱点と言いましたよね? なのに無防備に人目に晒しているからこうなるのですよ、理解しました?」

「しました、しましたから……ぁん……ッ!?」

「大丈夫です、やっている事はごく弱い治癒魔法ですので、悪影響は残りませんから」

「そういう、問題では……んぅっ」

 

 もう手足に力は入らず、抵抗すらできない。

 助けを求め、偶然このタイミングで自分の湯浴みを終えたらしきレニィさんに手を伸ばすも……

 

「……どうやら、お二人ともすっかり仲良くなられたようでなによりです。私は外で待機していますので、湯あたりしない程度にごゆっくり」

 

 そう言って、自分の身を清め終わった彼女はさっさと出て行ってしまった。

 しかしその呆れと憐憫の篭った目が、雄弁に語っています――巻き込まれるのはゴメンだ、と。

 

 

 

 そうして、嗜虐的な笑みを浮かべているアンジェちゃんがようやく手を止めてくれたのは……数分後、息も絶え絶えとなり、私の中に「この世界の聖女怖い」という新たなトラウマが刻まれた頃なのでした――……

 





 聖女の人たちは、恋愛の自由は一応認められています。ただ、出会いがほとんど無いために、大抵はある程度の年齢になると身請けの申し出のあった者の中から相手を選んで嫁いでいくのがほとんどです。

 ……が、稀有な能力を持つ彼女達のその相手は大抵が貴族等の有力者であるため、聖女たちが日々研鑽を積んでいる中には花嫁修業も含まれています。
 そして……彼女達の中でお互いの手取り足取り実践の中で脈々と受け継がれてきた夜の「そういう事」の、あの手この手の手管が伝承されており、純潔を守りつつもその手腕は……

 ――これは以前、お互い見初め合った上で身請けして家庭を築き、幸せに暮らしていたとある貴族の男性の言葉よりの抜粋である。彼は、怯えと共にこう言ったそうな。

「普段は貞淑で、文句のつけようのない素晴らしい妻です。だけど、夜は魂ごと全て持っていかれそうなほどにエグい、恐ろしい」

……と。


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祭の裏で

 ――その後も、大会は順調に進んでいました。

 

 二日目、三日目もつつがなく試合が終わり……レイジさんも、兄様も、特に危なげなく勝ち上がりました。

 

 

 そして、四日目。

 

 トーナメントが進み、強者が選りすぐられてきたため一戦にかかる試合時間が伸びていく、そんな中。

 既に今日の試合も半数が消化された頃、ひときわ大きな歓声が大闘技場を沸かせていました。

 

『――勝者、レイジ選手! 本日もその圧倒的な強さで、試合を制しました! まさに破竹の快進撃!』

『うむ……彼は聞いた話では、最初は参加する予定は無く、トラブルにより欠けた参加者を補うための飛び入りでの参加だとの事だが、このような逸材が埋もれていたとは、いやはやなんとも』

『一足早く明日への切符を手にしたご友人であるソールクエス殿下共々、今大会の台風の目として素晴らしい活躍でしたね。私、ちょっとファンになってしまいそうです』

『他にも同じく危なげない勝利を重ねている、Cブロックのハスター選手や、Dブロックの王者斉天選手といい……今大会は、正に珠玉の集う大会と言ってよかろう。彼らであれば、きっとエキスパートの部でも立派に上位争いに参加できたであろうな』

『……との事でした。解説は、東の諸島連合にて剣術指南役をしており、本人もエキスパート部門に参加予定の剣豪、リュウエン師です、ありがとうございました!』

 

 そんな解説を背中に受けながら、控室へと消えていくレイジさんの背中。

 今日も無事試合が終わった事に、ほっと胸をなでおろすのでした。

 

 

 

 

 

「今日もお疲れ様でした、二人とも」

「格好良かったです、ソールにいさま、レイジさん!」

「はは……ありがとう、ユリウス殿下」

「ありがとうございます、殿下」

 

 ユリウス君の出迎えに、兄様はポンポンと頭を撫でてやりながら、レイジさんは照れながらも臣下の礼を取りながら、その無邪気な賞賛を受け止めている。

 

「それで……イリスは言ってくれないのか?」

「あ……えぇと……」

 

 期待が込められたレイジさんの視線に、恥ずかしくなって指先を以て遊び……意を決して、口を開く。

 

「……格好良かったです」

「……お、おぅ。言っといて何だが、照れるな」

 

 そう頭を掻いているレイジさんに、自分が言ったくせにと苦笑していると、ゴホンと咳払いの音。

 パッと顔を上げると、そこには呆れたような兄様の視線がありました。

 

「はいはい、ご馳走さま……そんな事より問題は、この先だな」

 

 その言葉に、浮かれ気分を引き締め直します。

 

 明日残る選手は、六十人ほどにまで減少します。

 大会参加総数の二十分の一程までに絞られた対戦相手はそれだけ精鋭揃いでしょう。

 

「……そろそろ、当たるかもな」

 

 レイジさんの呟きに、兄様と二人頷きます。真偽は不明ですが、もしかしたら大会参加者内に紛れているかもしれない刺客。

 本当にそういった者が存在し、順調に勝ち上がってきているのであれば、次か、その次あたりには三人の内の誰かとぶつかってもおかしくありません。

 

 それに……

 

 再び、会場からワッと上がる歓声。

 リングの方を見ると、選手入場口から一人の剣士が入場してくるところでした。

 その戦い方こそ荒々しくも、確かな技術に裏打ちされた実力者として、この三日ですっかり人気を獲得したその選手……ハスターさん。

 

 

 一見乱暴に見えるけれど、レイジさんが言うには相手の出鼻を正確に挫き、思うように行動させていないのだとか。

 

 今日も、ほぼ一方的に対戦相手を打ち据えており……最後に、凄まじい勢いで弾かれた相手が場外、リング周囲を囲む塀に激突したところで試合終了の鐘が鳴りました。

 

 観客も慣れたもので、静まり返っていた初日とは違い、ワッと歓声に包まれる場内。

 しかしそんな声にも表情一つ変えない彼は、特に気にした様子もなく控室へと消えていきました。

 

「……やっぱり、あいつ強いな」

「ああ……もし彼がプレイヤー互助組織の刺客だとしたら、少々厄介だな」

「そう、ですね……」

 

 ですが……直感ではありますが、なんとなく違う気がします。彼から感じる雰囲気は、むしろ……

 

「……どうした、イリス? 何か気になる事でも?」

 

 考え込んでいると、レイジさんが声を掛けてくる。その声にハッと顔を上げると、二人とも心配そうにこちらを覗き込んでいました。

 

「……そうですね。二人には話しておきたい事があります」

 

 そう、二人の方を真っ直ぐに見つめて言いました。

 

 

 

 護衛の総責任者であるレオンハルト様に、一言、少し席を外したいと告げる。護衛としてレイジさんが一緒ならば良いでしょう、と今度はきちんと許可を貰って、会場を後にします。

 

 三人で貴賓席を抜け出して中庭へと出てきた私達は、中央を彩っている噴水に腰掛けます。

 私がドレス姿なため凄い注目を浴びますが……大会優勝候補と名高い二人が睨みを効かせている現在、皆は遠巻きに眺めているだけで寄っては来ません。これならば水音によって、あまり大きな声を出さなければ周囲には会話が聞こえないはずです。

 

「……それで、話とは?」

「はい……正直、私自身、なぜこんな所にと半信半疑なため、言うか迷っていたのですが……」

 

 先を促す兄様にそう前置きしてから、大会初日、私が貴賓席を飛び出した時の事……()()()を見かけた時の事を語ります。

 

「……何だと!?」

「しー、レイジさん、しー!」

 

 話を聞いた途端、ガバッと跳ね起きたレイジさんを、慌てて引き留める。ただでさえドレス姿の私が噴水で談笑しているために遠巻きに注目を集めているため、これ以上目立つのは遠慮したいところです。

 

 それを察してくれたみたいで、ばつが悪そうに、座り直すレイジさん。今度は声を潜め、口を開きます。

 

「……奴が、『死の蛇』がいるかもしれない?」

「はい……私の勘違いでなければ、ですけども。ごめんなさい、もっと早く相談しておくべきでした」

「あー……まあ、どうせお前の事だから、試合のある俺たちに心配かけたくなかったとかそんなんだろ」

「あ、あはは……」

「まぁ……大会初日、なんで貴賓席を飛び出すなんて真似をしたかも、納得した」

 

 レイジさんのジト目に、笑って誤魔化します。

 

「はぁ……責められるべきは私もだな。私はイリスの言っている事を信じよう。あいつは……多分、どこかに居る」

「……兄様?」

「私も……一度だけ、奴の視線を感じたからな。あの時は気のせいと思ったが、イリスもとなれば勘違いではなさそうだ」

「……お前ら兄妹揃って、自分で抱え込む癖をなんとかしろよ」

「う、ごめんなさい……」

「そこは、申し訳ないと思っている」

 

 一人蚊帳の外だったことに不機嫌そうにして言うレイジさんに、二人で謝罪します。

 

「それじゃ、あのハスターって奴は……」

「ええ……あの人が関与しているのでは、と私は疑っています。以前会った時とは、あまりにも別人過ぎますので……」

「確かに……聞いた話では、大会前の彼の情報は、今の彼とは似ても似つかぬ物だったからね」

 

 そう兄様が言うと、皆黙り込む。

 しばらくして最初に、絞り出すように口を開いたのはレイジさんでした。

 

「はぁ……もしそれがマジだった場合、居るか分からない刺客よりも、ずっと厄介事じゃねぇか?」

「一応聞いておきたいんだけど……『傷』の気配は無いんだね?」

「はい、そちらは気配すら全く感じませんので、大丈夫だと思います」

「そうか……それだけは救いだね」

 

 再度、重い雰囲気の中で黙り込む私たち。

 そのまま、皆が何かを考えこんでいると……

 

 

 

「……おや、イリスリーア姫ではありませんか。どうなさいました、深刻な顔で」

 

 思索に耽っていたところに、突然かけられた声。

 

「あ……フォルスさん?」

「ええ、奇遇ですね。皆さんも休憩中であらせられましたか。宜しければ、ご一緒しても……」

 

 そう言って、近寄ってくるフォルスさんでしたが……

 

「……行くぞ、イリス」

「きゃ!? に、兄様? 何を……」

 

 まるで彼から私を逃すように、有無を言わさず私の手を取って立ち上がらせると、引きずるように歩き出してしまう兄様。

 

「痛っ! 痛いです、もう少しゆっくり……っ」

 

 手袋の上から握られた腕に痛みが走り、その乱暴とも言える行動に、小さく抗議しますが……

 

「……あいつとは関わるな」

「で、ですが、これはいくらなんでも失礼では……」

「ダメだ、関わるな。レオンハルト様以下護衛の皆にも、イリスと二人には絶対にさせるなとそう伝えてある」

「な、何故そんな……待って、答えてください!」

 

 私がそう抗議しても兄様は怖い顔をしたまま取り付く島もなく、ただ手を引かれるまま、貴賓席へと連行されてしまうのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 少女がドレスの裾すら見えなくなってようやく……こちらを牽制していた赤毛の青年が、剣の柄から手を離し、踵を返して立ち去っていく。

 

 そうしてその姿が無くなって、やっと全身に纏わり付いていたピリピリとした重圧が消え失せ、安堵に深くため息を吐く。

 

 それは……傍に居たシンも同様だったらしく、こちらも胸をなでおろしていた。

 

「……物凄い警戒でしたね。無理に近寄っていたら、多分レイジさんに斬られましたよね、あれ」

「……まぁ、仕方ないでしょうね。問答無用で排除されないだけまだ冷静でしょうか、彼らも」

 

 やれやれ、と肩を竦める。

 あの二人に実力行使されたら、到底叶う気がしなかった。

 

「けど、あの二人が怒ると、本当に同じ日本人の元プレイヤーとは思えません。怖すぎです……」

「……ええ、本当に。一体どれだけ修羅場を潜り抜けてきたんでしょうかね」

 

 青い顔をして、震える声で語るシンに同意する。それくらいには、見知った元プレイヤー達と、あの姫君の騎士二人の間には乖離があった。

 

 ……完全に、見誤っていた。

 

 それは今回のエンカウントの事だけでなく……大会での活躍も含めてだ。

 

 あの斉天というプレイヤーは、頭のネジ何本か吹き飛んでいるのは元々わかり切っていた事なのでともかく、問題は出場者が空白となった中に滑り込んできた、あの二人が想定外過ぎた事だ。

 

 

 

 ……フォルスは、元プレイヤーの大半の事を、実のところ現時点では『戦力』としてはあまり信用はしていない。

 

 自分たちは、突然この世界へと拉致された被害者だ。

 

 そして、アバターの身体は能力こそ高いものの、その中身は根本的には平和ボケした日本人のそれであり、日夜危険と隣り合わせで暮らしていたこの世界の戦闘技能者に比べると……特に精神的な面において、現時点ではあまりにお粗末な者が多い……そう、思っていた。

 

 あのチャンピオンのように、簡単にこの世界に順応できた者こそ、日本で暮らしてきた者としてはおかしいのだ。

 

 

 

 そして……

 

「……ハスターさんは、相変わらずですか」

「はい……こちらの予定は、ことごとく無視されています。というより、まるで私たちの事なんて知らない別人のようで……」

 

 チッ、と舌打ちする。

 あの斉天という『Worldgate Online』最強プレイヤーの勧誘が失敗に終わった以上は、彼は配下の元プレイヤー内でもトップクラスの実力者であったというのに、おかげで色々な目論見が御破算になってしまった。

 

 こうなると……当初の予定は破棄し、別の手段も考えなければいけなくなりそうだ。

 

「……シン、あれは届きましたか?」

「は、はい、こちらに……」

 

 そう言ってシンが取り出したのは……掌に乗る程度の小箱。しかし……その箱には魔消石が埋め込まれ、その上から厳重に封印が施されていた。躊躇いがちに差し出されたその箱を受け取り、中身がある事を確かめる

 

「だけど……なんで今更、そんなものを持ち出すんですか」

 

 そう問うてくるシンの目は、忠実な腹心である彼にしては珍しく、自分に対する批難の色が濃い。

 

「……必要になったからです。何か問題でも?」

「だって、非人道的に過ぎるからと、()()の破棄を決めたのはフォルスさんじゃないですか! それが、何で……!?」

「私たちの居場所を作るために必要な事です。言ったはずですよ」

「だからって……!」

 

 なおも抗議しようとする声を背に受けながら、話は終わりだと無視してその場を後にする。

 

 

 

「最近、おかしいですよ、フォルスさん……」

 

 そう小さく呟いた声は……ただ虚しく、喧騒の中へと消えていった――……

 

 

 

 

 

 

 




正直に伝えてしまうと、馬鹿正直に話を聞きに行ってしまいそうなお姫様なため、護衛一同は彼と接触させない方向で合意しました。


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忠告

 大会五日目。

 

 俺は今……とても困っていた。

 

 今は自分の試合中。しかし……問題の対戦相手、ここまで勝ち上がってきた者としては非常に珍しい、フラニーという少女へと目を向けると。

 

「ひっ……」

 

 そう小さな悲鳴をあげ、今にも崩れ落ちそうなくらいに震えて涙を浮かべる少女に……内心で、ダラダラと冷や汗を流していた。

 

 そう……何故か今、俺は対戦相手の女の子にやたらと怯えられているのである……!

 

 

 

『……動きませんね、レイジ選手。解説のイリスリーア殿下、いかがでしょう?』

 

 そう言って司会のお姉さんがマイクを向けたのは、ちょこんと解説席に座らされている……今日はドレスではなく、ややカジュアルな風情のブラウスとボックススカートという出で立ちをしたイリス。しかし……

 

『知りません……レイジさんのバーカ』

 

 そうむすっと頬杖をついて、半眼でこちらを眺めている解説席のイリスが、最後に小さく呟いたのがマイクに拾われてこちらまで聞こえてきた。

 不機嫌ですと全力で主張しているその様子に、司会のお姉さんが苦笑して肩を竦めるのが視界の端のモニターに見える。

 

 

 

 そんな、なぜか不機嫌なイリスの声に、俺はさらに冷や汗を浮かび上がらせるのだった。

 

 なんにせよ、このようなまともに武器……両手に抱えている双剣……を構える事もままならない女の子を攻撃するのは、いくらなんでも憚られる。

 

「あー……怖いなら、無理せずリタイアしてもらえると、俺も助かるんだが……」

 

 気まずさに頭を掻きながら、ゆっくりと近寄っていく。

 それに合わせてジリジリ後退していく少女だったが……すぐに、リング端、壁に背中が当たってそれ以上は退けなくなる。

 

 途端、観客から湧き上がる罵声。

 なんかもう、ブーイングも聴き慣れちまったな……自分に落ち度は無いはずなのに。そんな事を考え、げんなりしていると。

 

 

 

 ――くすっ

 

 

 

 そんな笑い声と同時に、激しい嫌な予感に駆られ咄嗟に剣を構えた。

 

 ――ギギンッ

 

 二つ続けて流れる金属音と、手に伝わる衝撃。

 眼前の、へたり込んでいた少女の攻撃だと気づいた時には、彼女は既に打ち合った剣を基点とし俺の頭上を一回転、背後に着地したのを気配により察知する。

 

 それを理解するよりも早く、咄嗟に振り返り、続けて繰り出された剣を受け止める。

 辛うじて間に合ったが……背中が、硬い壁にぶち当たる。状況は一転、壁際へと追い込まれたのは俺の方になっており、チッと舌打ちする。

 

『おおっと、ここでフラニー選手、化けの皮を脱ぎ捨てたぁ! その不意打ちを辛くも防いだレイジ選手は流石ですが、これは不利な体勢に追い込まれたぞ!』

 

 司会のお姉さんの言葉が耳に届く。

 

 そんな俺の眼前には、先程の弱々しい様子などどこへやら、うまく騙しおおせた事によるとものであろう愉悦の表情を浮かべた、フラニーという対戦相手の少女の顔が間近にあった。

 

 ……というかこの子、さっきまでと雰囲気が違い過ぎて正直引くんだが。マジでつい先程まで、殺気も戦意も微塵も感じらなかったってのに。

 

『どうするレイジ選手! よもや可愛い女の子の泣き落としに負けたなどと、愛しいお姫様に語る事は出来ないぞ!?』

『あ、あの、待って、私たちはべつにそういうのでは……!』

 

 何が嬉しいのか、司会席の柵に片足を載せ、身をのりださんばかりに熱が入った様子の司会のお姉さん。

 そんな彼女を、イリスが顔を赤く染めながらどうにか制そうとしている様子が、ギリギリと押し込まれる中視界にチラつくモニターから見える。

 

「うっせぇこの馬鹿司会! 前々からずっと思ってたが、てめぇ俺に恨みでもあんのかよ!?」

 

 あまりに楽しげなその司会のお姉さんの様子に、思わず司会席へと叫ぶ。

 

『はい! 連日の司会続きでせっかくのお祭りに遊びにも行けませんので、リア充滅べばいいのにって思いながら司会してますので!!』

「おもっくそ私怨じゃねぇか、ざけんなっ!?」

 

 怒りと共に振ったアルヴェンティアの勢いに、キンッと金属音を残して重みが消えた。

 

 吹き飛ばされた勢いで高く跳躍した少女が、空中で軽やかに宙返りを披露しながら、スタッとリングへと舞い戻る。

 

 短い上衣の裾から健康的な脚線を見せて宙を舞うその様子に、湧き上がる拍手と……主に男性からの熱い声援。

 見れば、不機嫌にしていたはずのイリスも彼女の軽業に目を輝かせ、熱心に拍手をしていたのだから彼女の身の軽さは相当だ。

 

「てめぇ……思いっきり猫被ってやがったな」

「あはは、当然じゃないですかー。これでもこの三カ月の間闘技場で頑張って生活してたんですから、色々と芸も身につけるってもんですよ」

 

 さっきまでの怯え顔などまるで面影すらなく、けらけらと笑っているフラニーと言う少女。

 

 こいつは……事前情報から分かっている。こちらの世界に転移後、斉天らと同じくこのイスアーレスを拠点とし、闘技場で生計を立てていた一人で――あの『海風商会(シーブリーズ)』所属の元プレイヤーだ。

 

 よもや、斉天やあのハスターには及ばなそうではあるものの、これだけ戦える人材が居るとは……

 

 そんな驚きを感じ、商会の元プレイヤーの印象を上方修正しながら、フラニーから距離を取り、構え直して仕切り直す。

 

「怯える女の子におろおろ困っているレイジ君、可愛かったですよ、あはっ」

「ぐっ、ぬっ……」

 

 ――女って怖ぇ……!

 

 そう戦々恐々としながらも剣を構え、脚に力を込めて飛び出す。

 

「……っ!?」

 

 こちらの踏み込みに、反応こそして見せるが……まだ俺にとって、少女の動きは遅い。

 懐に飛び込み、反応が間に合っていないその身体へ攻撃を叩き込もうと剣を振りかぶった瞬間……ビクッと身を竦ませ、怯えの色を見せた少女に思わず剣筋がブレる。

 

 

 

 ……本当は最初から、演技だなんていうのは百も承知なのだ。

 

 それでも怯える女の子相手に刃を向けられず、つい手を緩めてしまうのは、日本男児たるものかくあるべしという祖父の教えから来る条件反射なのだ。ついでに童貞の習性なのだ。

 

 

 

 そうして僅かにテンポが狂った所を突かれ、サッと身を沈ませる彼女を取り逃がす。

 空振った隙を突かれ、下から抉り込むように繰り出された彼女の双剣を、慌てて引き戻したアルヴェンティアの刀身で受け止めた。

 

「おやおやぁ? 動きが鈍いようですが、どうかしましたかぁ?」

 

 煽るように宣いながら、鋭い踏み込みから繰り出される双剣。その片方を右手のアルヴェンティアで弾き、押さえ込みつつ、もう片方は手首を掴んで止める。

 

 密着に近い状況での鍔迫り合いの中、間近に迫る少女の顔。天真爛漫、かつ妖艶に微笑みながら、彼女が囁く。

 

「あ……もしかして、女の子を傷つける訳にはなんて思ってくれてます?」

「……ぐっ」

 

 図星を突かれ、呻く。

 

 次の瞬間、鋭く繰り出された少女の蹴り。

 その足元、頑丈そうな戦闘用ブーツの爪先から鋭利な金属が顔を覗かせているのを確認し、咄嗟に少女を突き飛ばして顔を逸らし回避する。

 

 ピッ、と頬に走る小さな痛み。同時に、つうっと液体が垂れてくる感触。

 

「ありゃ、避けられた」

 

 そう言って踵に触れ、靴に仕込まれた仕掛けを仕舞いながら、軽い調子でそう呟く少女。

 その様子に……ふぅ、と一つ大きく息を吐く。

 

 先程から、ずっとペースを握られ続けているのは理解している。だから、この辺りで一度リセットしよう。

 

 女の子を痛めつけるのは気が引けるから躊躇うのだ。ならば……と、アルヴェンティアを傍らの地面へと突き立てる。

 

「ん? 降参?」

「はっ……な訳ねぇだろ。剣無しで相手してやるって言ってんだよ」

「……私程度、剣無しで十分だと?」

「ははっ……分かってんじゃねえか、もうお前の底は見えた」

 

 最大限、憎らしく見えるように、首を逸らし見下すような姿勢で挑発してみる。

 それが癪に触ったらしい少女が、少しムッとした表情を浮かべ、突っ込んでくる。

 

「そのムカつく面、ボコボコに凹ませてやるわ……ッ!」

 

 フッと、少女の姿が消えた。

 正面からの突撃と見せかけて、チラッと左に視線を流しつつ、右へ――そう見えた瞬間、その場に少女の姿は忽然と消えていた。

 

 ――少なくとも、大多数の見物人にはそう見えていたのだろう。

 

 パンッ……と、()()()()伸びてきた少女の腕を軽く叩き落とす。

 

「なっ――」

 

 驚愕に目を見開く少女の顔。

 

 

 ――なんという事は無い、少女が消えたように見えたのは、ただのフェイントだ。

 

 視線でこちらの視線を誘導し、その反対側へと抜ける……と思い込ませておいて、更に反対側、こちらの意識の死角へと、小柄な体もフル活用した低姿勢で滑り込んだのだ。

 

 たしかに、生半可な相手では少女が消えたように見えたはずだ。三重に仕込まれて、しかも高さまで利用したため見失いやすい巧みな技ではあったが……それでも、落ち着きさえすれば今の俺には見えている。

 

 

 

「あっ……」

 

 呆気に取られている少女の胸倉を掴み、足を払う。

 宙に浮いたその体を……

 

「……がっ!?」

 

 振り回し、床へと頭を打たぬよう注意を払って背中から叩きつける。

 それでも、背中から叩きつけられた少女は衝撃で肺の空気を吐き出してしまい、呼吸が詰まる。そこに……胸郭を押し潰すように、膝で踏み付けた。

 

「がっ、ふっ……!?」

 

 今度こそ、肺の空気を全て絞り出された少女が苦しげに呻いた。

 

 膝下で、少女の胸が上下するのに合わせ、ひゅー、ひゅーと少女の喉が掠れた音を上げる。

 そんな様子を尻目に……傍らの床に突き立つアルヴェンティアの刀身のその峰側、持ち手となっているところを掴む。

 

「けほっ、けほっ……女の子を踏みつけるなんて、サイッテー」

「はっ、こかして踏みつける、徒手空拳で相手を無力化する基本だろ」

 

 苦しげに呼吸し、目尻からポロポロと涙を零しながらも悪態を吐くのは見上げた根性だが、それだけだ。

 

「けほっ……レイジさん……ひっどーい、剣士じゃなかったんですかぁ……?」

 

 胸を圧迫され、苦しそうにしながらも憎まれ口を叩く少女を尻目に、アルヴェンティアを地面から抜く。

 

「生憎、うちは今でこそ剣道道場だが、爺さんは昔ながらの実践剣()道場の師範なんでな。古武術の流れを汲んでる以上、体術だってみっちり仕込まれてんだよ」

「うわ……リアルチート野郎だ……」

 

 アルヴェンティアの切っ先を、未だ悪態を吐くフラニーの喉元へと突きつける。

 

「で、俺の勝ちだな?」

「あーあー……はいはい……負けですよーだ」

 

 不貞腐れ、抵抗を止めて床に四肢を投げ出しながら発したフラニーのその言葉を受けて、会場内に試合終了の鐘が鳴り響いた。

 

『決着! 今回は危なかったようですが、レイジ選手の勝利です! しかし、見事に女の子の武器をフル活用し食い下がってみせたフラニー選手も、手段はともかく素晴らしい健闘でしたー!!』

 

 わっと、会場に響く拍手と歓声……自分に向けたブーイングも聞こえるが、無視する。

 

『それではイリスリーア殿下、勝者のレイジ選手に何かおっしゃる事はございますか?』

 

 司会のお姉さんの言葉に、皆の視線がモニターへと集中する。

 

『あ、では……今日も、無事の勝利おめでとうございます』

 

 そう、花が綻ぶような微笑みに、自分だけでなく周囲の観客までホッコリした表情で、モニター内で語るイリスに魅入っていた。

 

『ですが……女の子の胸を踏んだ事、後で少しお話ししましょうね?』

「……お、おぅ」

 

 そう、冷気すら感じるその笑顔に、自分だけでなく周囲の観客すら、つい先程とは一転し寒気を感じたように青い顔をしていたのだった。

 

 ……やべぇ、なんか知らんがめっちゃ怒ってる。

 

 なんでそんな怒っているのか首を傾げながらも、カクカクと頷く。

 

 

 

 さて、控室に戻ろうか……そう思い立ち上がって、対戦相手の少女に手を差し伸べようとした、その時。

 

「あ、これはシン君からの伝言なんだけど」

 

 いまだ寝込んだままの少女が、すれ違いざまにポツリと声を掛けて来る。

 シン……あの、商会の長フォルスの側近である少年か、と足を止めて耳を傾ける。

 

「身の回りには注意しろってさ。本来疑わなくていい人にも気をつけろって言ってたわ」

「……わかった、サンキュ」

 

 礼を述べつつ、いまだケホケホ咳をしている少女に手を貸して起こしてやる。

 

 あいつ、何のつもりだ……そうは思ったが、あの少年は小細工を弄するタイプには見えなかった。むしろ嘘をつくのさえ苦手な部類に見える。

 

 果たして本当に善意の忠告なのか、それとも何者かの罠なのか。

 どうしたものか、とりあえずソール達と相談しなければと思いながら、選手控室へ続くゲートをくぐる。

 

「お疲れ様でした」

「ああ、サンキュ」

 

 係員の男性が、入場の際に掛けられた武器のデバフを解除する為に寄って来る。

 いつもの事なので、大人しく施術を受けようとして……ふと、違和感を抱く。

 

 

 

 ――誰だ、こいつ?

 

 

 

 いつもの係員ではない。

 

 いや、人物は同じだ。

 しかし、漠然とではあるが、目が何か違う。

 

 まるで――どこか、ここではない遠くを見ているかのような。

 

 そう直感した瞬間、体が動いていた。

 

「……あがっ!?」

 

 係員の男が苦悶の声を上げるのが聞こえて、ようやく自分が何をしたのか理解する。気がついたら係員を投げ飛ばし、床に抑え込んでいた。周囲がざわめき、非難の声が上がる。

 

 だが……それも、俺が極めている係員の手からこぼれ落ちた物を目にした者から順に、沈黙へと変わっていく。

 

 

 

 それは、大会を運営する側である係員が選手に向けていい物のはずがない……一本の、抜き身の短刀だった――……

 

 

 

 

 

 




 どことは言いませんが、フラニーさんの「ある部位」はイリスよりだいぶ豊かです。


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禍つ石

 

『申し訳ありません、ただいまトラブルのため協議中との事で、大会の進行を一時中断しております。ご来場の皆様には誠にご迷惑を……』

 

 遠くから聞こえてくる、館内放送の声。

 もうすでに何度も繰り返された放送の中……俺を始めとした一部選手が、事情の説明を求め詰め掛けた医務室では、皆、深刻な表情で顔を突き合わせていた。

 

 

 

 係員が参加選手を襲撃するという、前代未聞の不祥事。

 この事態を受け、実行委員の者が数名と、何があった時のためにという事で教団の聖女数名を交えて、俺を襲おうとした男が担ぎ込まれた救護室へと集まっていた。

 

 そこには……

 

 

 

 

「あー……ぅう……」

 

 男は、あの後はずっと宙を見つめたままだった。

 そこにまともな意思の色は見受けられず、意味の無い呻き声だけを上げ続けている。

 

「一応、聞いておくが……以前からヤバい薬に手を染めていたとか、無いよな?」

「ありえません。彼は普段非常に真面目な青年で、大役を任されだことを嬉しそうに家族に語っていたのです。それがこんな……」

 

 戸惑っている、この事態を受けて話を聞きに来た大会運営の職員。しかし、この状態では話など聞けるわけも無く、どうしたものかと頭を悩ませていた。

 

「……くだらないな。このような遠巻きな議論をしている間に、さっさと原因でも探したらどうだ」

「あ、おい……!」

 

 突然、無造作に寝かせられている男に近寄って行ったのは……まさかのあのハスターという男。

 そいつは、躊躇いなく男の服に手をかけると、ビリビリと力任せに引き裂いた。

 

 そこにあったものに……皆一様に絶句する。

 

「これは……結晶?」

 

 そこには……胸の中心、体に埋め込まれたように生えている、禍々しい紫色をした結晶体。

 そして……そこから男の体に放射状に根を張った、まるで血管のように隆起した肉だった。

 

「どうだ、いかにもという感じだろう?」

「お前……なんで分かった?」

「別に。何か嫌な気配がしただけさ」

 

 そう言って肩を竦めるハスターだが、周囲からの疑念の目はますます増していた。

 しかし……当人は、そのような物は一切気にしていないとばかりに平然としている。

 

 ……何のつもりだ、こいつ。

 

 もし、懸念通り『死の蛇』に操られているのだとしたら、この行動の意味が分からない。

 騒ぎを起こす目的ならば、疑いを持たれるリスクを冒してまでこちらに助言する理由など……

 

 そこまで考えて、ふと頭を過る疑念。

 

 ――そもそも、この街において『死の蛇』は敵なのか?

 

 それ以前に、何故ここに居る?

 こちらに何かちょっかいを掛けてくる様子は無く、イリスが言うには、今のところ周辺に『傷』の気配も無いという。

 

 もしかしたら、何か他に、この街に来る理由が……?

 

「そ、それよりも……か……解呪を……」

 

 考え込んでいると、おずおずと上がった幼い少女の声が聞こえ、顔を上げる。

 

 職業意識からか、皆より一足早く立ち直った女の子……アンジェリカが、一歩前に出る。

 それに我に返った治療班の聖女達が、動き出そうとした。

 

 しかし……その手が、横合いから伸びてきた男の手……ハスターの奴に止められる。

 

「やめておけ、小娘。お前では……お前達では無理だ」

「なっ……!?」

 

 無礼とも取れるハスターの態度と行動に、抗議しようとするアンジェリカ。だが、奴はさっくりそれを無視し、先を続ける。

 

「今この会場には、ノールグラシエの姫がいるだろう。彼女を呼んでこい、他の者では手に負えん」

 

 ハスターが無愛想に放った言葉に、俺は頭を抱える。

 

 これでは、なるべく教団を刺激するのを避けていた目論見が全てパーだ。

 実際その言葉に、プライドを踏みにじられた聖女達が、キツい目でハスターを睨みつけていた。

 

「おい、お前……」

紅玉髄(カーネリアン)の騎士か。何をしている、さっさと呼びに行けよお前の仕事だろう」

「……チッ、後で話を聞かせて貰うからな」

 

 忌々しいが、今は向こうの言葉の方が正しいと思い、救護室を後にする。

 

 部屋を出る際に振り返って見ると……奴はただ、元どおりに腕を組み壁に寄りかかると、あとは知らんとばかりに目を瞑っているだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 先輩のお姉様方は、このただならぬ状況に呑まれて尻込みしているらしく、遠巻きに眺めているだけ。

 

「……イリスリーアお姉様が来るまで、出来る事はしておきます」

 

 ここで指を咥えて見ているだけなんて、ごめんだった。

 それでは私達が普段修行に励んでいるのは、一体何のためなのだというのか。苦しんでいる人を救うための力として、清い心を持つ私達に与えられた奇跡なのだと教えられてきたのに。

 

「アンジェ……やめておきましょう、彼が言う通り、イリスリーア殿下が来るまでは……」

「そうよ、何か……すごく嫌な予感がしますの。ね?」

 

 そんなお姉様方の様子に、はぁ……と溜息をつく。

 

 ――そんな事は、私だって感じているんだから。

 

 あの、明滅している光を眺めているだけで、バクバクと動悸を起こすほどに嫌な予感はしている。

 だけど……同時に、あれは速やかに滅さなければいけないという焦燥感があるのだ。

 

「……やめておけ、と言ったはずだぞ?」

「ふん、これは私たち聖女の仕事です、外野にとやかく言われてたまるものですか」

 

 不躾な、確かハスターと呼ばれていた男に、プイッとそっぽを向く。

 

「……イリスリーアお姉様は嫌いにはなれないし、悔しいけれど、きっと治癒魔法では敵わないんでしょう。ですけどね」

 

 ただ呆れたように見つめて来る不躾な男をひと睨みする。彼は相変わらずやれやれと肩を竦めただけで、その仕草にカチンと来た。

 

「……それでも、私だってこういう時のため、いっぱい修行して来たんですから」

 

 勝てないからといって、だからってみすみす負けたくはない。

 そんな想いを胸に、ベッドに寝かせられている男の人の、胸に埋まっている結晶体へと手を掲げる。

 

「……度し難いな。どうやら潜在的な資質は()()()()()()()()有るみたいだが、君のその程度の接続権限でどうにかできるものか」

「……?」

 

 セツゾクケンゲン?

 何の事だろうと疑念を抱くも、すぐ切り替えて集中を始める。

 

「……治癒と浄化を司る、我らが女神アイレイン様。どうか私に治癒の奇跡をお恵みください。セスト(真言)シェスト(浄化の)ツェン(第10位)……」

 

 何千何万と練習した、女神様に捧げる祝詞と詠唱。

 淀みなく唱え終え、手の内に確かな浄化の光が灯ったのと……男の胸で沈黙を守っていた結晶体が、ひときわ強い輝きを放ったのは、全くの同時だった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 急遽、診てほしい者が居る。

 

 そう言って貴賓席に駆け込んできたレイジさんに手を引かれるまま、付き添いとして兄様とティティリアさん、あとは「アンジェが居るから」とついて来たユリウス殿下と共に、救護室へと向かう。

 

 救護室まで、あと曲がり角ひとつ……事態が動いたのは、そんな時でした。

 

 

 

 

 

「――嫌ぁぁああああッ!?」

 

 救護室近づいたとき、聞こえてきたのは……悲鳴。

 この声は……

 

「……アンジェ!?」

 

 声を聞いて、真っ先に飛び出したユリウス殿下。

 私とティティリアさんも、彼に続いて駆け出す。

 

 今の声……尋常では無い様子の、幼い女の子の悲鳴は、紛れもなくアンジェちゃんの物でした。

 

 

 

「今の悲鳴は……!?」

 

 バン、とドアを開けて部屋に飛び込む。

 そこでは……

 

「あ、ぎ……ッ! 嫌、イヤ、いやぁ……っ! 何かが、私の中に入って来てる……っ!?」

 

 髪を振り乱し、半狂乱で泣きじゃくっているアンジェちゃん。

 その、強く握りしめている右腕、その先の手のひらに怪しく輝いている、紫色の結晶体。

 その周辺の肉が、ぼこ、ぼこっと不気味な蠢動をする度に、彼女は苦悶の悲鳴を上げていた。

 

 ――まさか……寄生、されている!?

 

 私の『眼』にも、結晶体周辺だけ彼女の魔力が乱れ、おかしくなっている事がはっきりと分かる。

 そして、それは腕の上方へと、どんどん侵食している事も。

 

 ――あれは、マズい。

 

 そう直感し、慌てて駆け寄る。

 

「アンジェ! 落ち着いて、大丈夫だから! おねえさまも来てくれたから!」

 

 私の横を追い越すように真っ先に飛び出したユリウス殿下が、アンジェちゃんに抱きつくと、宥めるようにその背を叩き始める。

 しかし、得体のしれない物が腕に寄生しているという、大人びているとはいえまだまだ幼い彼女には酷な事態。

 結果、恐慌状態へと陥っている彼女には届いておらず、未だに暴れ続けている。このままでは治療できないどころか……下手をすれば、彼女自身を傷つけてしまう。

 

「誰か、口を!」

 

 ただそれだけの簡潔な指示に、しかし荒事慣れした周囲の者は、舌を噛まないようにしろという事だと察してくれ、手早くアンジェちゃんの口に布切れを含ませ、轡を噛ませていく。

 

 その直前、たまたまその涙に濡れる目と目が合い、こちらを認識したアンジェちゃんの口が、声も上げられぬまま動いた。

 

 ――た、す、け、て……と。

 

 

 

「ティティリアさん、カンタマ(カウンターマジック)、至急!!」

「え……あ、うん、了解!」

 

 ティティリアさんと私、二人でアンジェちゃんを中心とした周囲へ、魔法抵抗力を上げる強化魔法を重ねて付与する。

 これが呪いに属する物ならば、抵抗力を上げれば侵食を抑えられるのではないか。

 そう考えての事だったが……目論見通り、少しだけ侵食速度が落ち着いた様子を確認し、一つ頷く。

 

 ……大丈夫、対処は間違えてない。

 

 彼女の様子からそう判断し、治療を進める。

 

「あ、あの、イリスリーア殿下、いったい何を……」

「話は後にしてください。それよりも、彼女の腕を固定して!」

「は……はい!」

 

 私の指示に、様子を固唾を飲んで見守っていた聖女の一人が暴れるアンジェちゃんを抑え込み、結晶に寄生された手を晒すように固定してくれました。

 

 ……ごめんなさい、手荒にして。

 

 内心で、きっと苦痛を覚えているであろう幼い女の子に謝罪する。

 だけど、今は一刻を争う事態なのだと言い聞かせながら、私の方もアンジェちゃんの小さな手に重ねるようにして、手を翳す。

 

「兄様、いまからこの結晶体を剥離しますので、剥がれたら滅してください。アルトリウスは?」

「大丈夫、ちゃんと携えてきた。任せて」

 

 そう言って兄様が抜き放ったアルトリウスの黒い刀身から、黒い焔が湧き上がるのが見えた。それを確認し、私の方も詠唱を開始する。

 

「……『イレイス・カーズ』!!」

 

 全開で放った破邪の光が、部屋を真っ白に染め上げる。

 

 どうやら新たな標的にこちらを定めたらしい結晶体が、うぞうぞと細い血管のような触手を伸ばして来る。

 しかし、それは全て清浄な光に阻まれてこちらに近寄る事もできず、少しずつズル、ズルッとアンジェちゃんの手から剥がれて出てくる。

 

「……っ、これは……っ」

 

 そんな光の中で、僅かにピリッと感じる『傷』を浄化する際によく似た感覚。

 

 まさか、これは……そう考えている間にも、徐々にではあるけれど、アンジェちゃんの手から結晶体が、その手に食い込んでいた根ごと引きずり出されてくる。

 

 ぽた、ぽたっとその手から滴る真っ赤な血。きっと激痛が走っているのだろう、苦悶の様子を浮かべるアンジェちゃん。

 

 そんな彼女を少しでも落ち着けようと、真っ青な顔をしながらも離そうとしないユリウス殿下にふっと微笑みながら、施術を続ける。

 

 結晶体は今もなお抵抗するように、触手状の根を振り回しているが……その最後の一本が、ついにズルリと、小さな手から離れた。

 

「……兄様!」

「ああ!」

 

 私が言うよりも僅かに早く動き出した兄様のアルトリウスが、未だ明滅していた結晶体を素早く断ち割ります。

 しばらくビチビチと暴れていたそれですが……やがて、完全に灰も残さず焼き尽くされ、消滅しました。

 

 最後に……血で真っ赤に染まったアンジェちゃんの手の傷を治癒魔法で塞ぐ。

 

 すっかり元の姿を取り戻した自分の手を確認したアンジェちゃんは、気が緩んだのか、ふっと意識を失い崩れ落ちました。

 

 容体を確認すると、今はもう穏やかな呼吸を取り戻している。その事を見届けて……ようやく、ふぅ、と息を吐きます。

 

 

「これで、もう大丈夫。あとは彼女を静かな場所で、ゆっくり休ませて……」

「僕がアンジェに付いてる!」

 

 アンジェちゃんを支えたまま、きっぱり主張するユリウス殿下。その目には、今は片時も離れまいとする強い意思を感じました。

 

「……ええ、お願いね、ユリウス殿下。それと兄様は……」

「分かっている、この子らには私が側に控えていよう……さ、殿下。行きましょう」

 

 そう優しげにユリウス殿下に語りかけ、ぐったりと意識を失って脱力しているアンジェちゃんを抱え上げる兄様。

 ユリウス殿下はその目に浮かんだ涙をぐっとぬぐい、兄様の後ろに付いて部屋から出て行きました。

 

 その様子を横目に……私はもう一人、寝台に寝かせられ、虚ろな目で宙を眺めている係員の人の診察を始めます。

 

 さっと浄化魔法を施し、触手が根を張っていた傷を癒す。しかし……こちらは相変わらず、心ここに在らずという様子に変わりはありませんでした。

 

 ……もし治療が遅れていたら、アンジェちゃんも……あのしっかりもので気の強い女の子も、こうなっていたのだろうかと、背筋に嫌な汗が伝います、

 

「……負荷に耐えかねた心が、ぶっ壊されているんだ。治るかどうかはそいつの精神力次第だな」

 

 背後から、不意に掛けられた声。

 振り返ってみると、すっかりこの場には興味無くなったと言わんばかりの、あのハスターという選手が退出しようとしているところでした。

 

「待て、お前。一体何を知っている、お前は……誰だ?」

「……邪魔だ」

 

 彼の肩を掴み問いかけるレイジさん。

 しかし、彼はその手を鬱陶しそうに払うと、そのまま歩き去ってしまいました。

 

 

 

 取りつく島もない、とはこの事でしょうか。

 完全に興味を無くしたらしきハスターさんはあっという間に立ち去って、皆、やれやれと肩を竦めあいながら徐々に解散していきます。

 

「係員の皆様も、ここは私に任せてお仕事にお戻りください。皆、待っているのでしょう?」

「え、ええ……では、お任せしてもよろしいのでしょうか……?」

「はい。もっとも、あと私にできる事は無いので、看病するだけですけれども」

 

 そうふっと笑いかけると、彼らは不承不承ながらも部屋から退室していきます。この後運営の方々で安全確認をして、あと少しで大会も再開するでしょう。

 

 最終的に残ったのは、護衛として付き従うレイジさんとティティリアさん……それと、かなり遠巻きにしてこちらを眺めている、聖女のお姉様方だけ。

 

「お疲れさん……で、結局あれは何だったんだ?」

「それは……推測なのですが」

 

 何故ここに、と思いはします。

 ですが……だれかが持ち出していた可能性、というのは十分にあり得る話でした。

 

「……以前、ディアマントバレーで交戦した『傷』の魔物に付着していた結晶体の残骸……それを素材とした()()、です」

 



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小さな翼の目覚め

 

 今日の試合も恙無く終わり、夕暮れ時の今は、明日の予定のアナウンスが繰り返し放送されています。

 

 私はといえば、運営の方へと引き継ぎするまでは医務室に詰めていましたが……結局、最初に寄生されていた係員の方が目覚めることはありませんでした。

 

 もう良いから休んでほしいと言われ、自室へと帰る途中……アンジェリカちゃんが目覚めたと報告を受け、急いで彼女がいる客室へと向かっているのでした。

 

 

「すみません、アンジェちゃんの意識が戻ったと聞いて……」

 

 そっと、部屋の中を覗き込む。

 

 そこには……困ったように佇んでいるアイニさんと、おろおろとしているユリウス殿下。そして……

 

「ま、魔法が使えなくなっちゃったら、わた、私はぁ……っ!」

 

 大粒の涙目を手で拭い、年相応の子供のように泣きじゃくっている、アンジェリカちゃんがいました。

 

 

 

 

 

「魔法が使えない、ですか……」

 

 私の言葉に……どうにか泣き止んだものの、まだひっ、ひっ、としゃくり上げているアンジェリカちゃんが、こくりと頷く。

 

 目覚めてからこの方、いつものように治癒魔法を使用したくても、ウンともスンとも言わないのだとの事でした。

 

「体に異常は特に見当たらないのですが……」

 

 そう、困ったように言うのは診察を担当したアイニさん。

実際、私から見ても彼女の診断ミスとは考えられないくらいに、アンジェリカちゃんは健康体です。

 

「おねえさま、どうにかなりませんか?」

「そう、ですね……」

 

 ユリウス殿下の言葉に、考え込む。

 ざっと見た感じでは、魔力が無くなったとかそういう事はありません。

 ただ……腕の方に、魔力が通っていない。まるで、先程寄生されたあの出来事を恐れているように。

 

「これは……イップスか」

「「……いっぷす?」」

 

 背後から、レイジさんの指摘。

 聞き慣れない、若干間の抜けた響きのある言葉に、アンジェリカちゃんとユリウス殿下が同時に首を傾げる。

 

 

「ああ。何か大怪我をしたり、恐ろしい目に遭った際なんかに起きる事があるんだが……」

 

 その体験の恐怖心から、本来できていたはずの事が急にできなくなる。

 例えば大怪我をした際に、完治しているにもかかわらず体の一部をうまく動かせなくなったり、恐怖心のフラッシュバックにより、特定の条件下で体が硬直したりなど、いままで問題なく行えていた事ができなくなるという症状が現れる事がある、と。

 

「あり得ますね……先程の出来事は、聞いた限りではあの場にイリス様が居なければ大惨事になりかねない事でしたし……」

 

 話を聞いていたアイニさんが、レイジさんの予想を肯定するその言葉に、うっと呻く。

 あの時は私も慌てており、ほとんどアンジェリカちゃんに配慮できていませんでした。

 

「私も、スピード重視でかなり乱暴な治癒を行いましたからね……痛かったですよね?」

「べ……別に大した事無かったわよ……」

 

 そう強がっているアンジェリカちゃんでしたが……その顔は蒼白で、自身の体を抱く腕がカタカタと震えている事からも間違いなく嘘でしょう。

 

 もうあんな目には遭いたくない。

 そんな深層心理が、彼女に魔法を使うことを拒否させているのだという可能性は、十分にありそうです。

 

「であれば……もう大丈夫なのだと、アンジェちゃんがその身で実感すれば大丈夫でしょうか……?」

 

 ぶつぶつと、時折アンジェリカちゃんの体の状態を検分しながら呟く。

 

「……うん。やって、やれなくはなさそうです」

 

 今の自身の能力を踏まえて短いながらも熟考し、そう判断します。

 

「ちょっと、お姉様……何をするつもりですか?」

「私の魔力をアンジェちゃんの強張(こわば)っている経路に通して、強制的に再起動させます!」

「待って、何それ怖い!?」

「大丈夫、今度は優しくしますから!」

 

 そう自信満々に言う私に……彼女の疑わしげな目線がザクザク突き刺さるのでした。

 

 

 

 結局……アンジェリカちゃんは、渋々ながら施術を受ける事になりました。

 決め手が私を信頼してくれた訳ではなく、ユリウス殿下に励まされたからだというのがちょっと悲しかったのですが、それはそれ。

 

「いいわ、やって頂戴」

 

 そう、ギュッと目を瞑って、あの時寄生された方である右手を差し出すアンジェリカちゃん。

 ちなみに、左手はユリウス殿下が心配そうにしながら握っています。

 

「では……行きますね」

 

 そう断りを入れて、『マナ・トランスファー』の時と同じ要領で、アンジェリカちゃんの右手に魔力を満たしていきます。

 

 ゆっくりと。

 慎重に。

 

「……どうでしょう、痛いとかは無いですか?」

「だ、大丈夫です……なんだかじわっと暖かくなってきた感じで」

「そう……それでは続けますね」

 

 そうして、ゆっくりと上の方へと魔力を巡らせていく。

 それは、肘を超え、二の腕を通り過ぎて、胴体、アンジェリカちゃんの加護刻印がある胸元へ……

 

 

 

 ――規定値以上の接続権限を有する者への接触を確認。一部権限を該当人物へと限定的に貸与します。

 

 

 

「……へ?」

 

 突如、頭の中にそんな機械的なメッセージが流れました。

 

 いや、実際には全く違う言語だったのですが、なぜかそのような意味がはっきりと分かる状態で直接脳内に流れ込んできた感覚。

 

「え、あ、あれ? ちょっと待っ……きゃあ!?」

 

 次の瞬間、勝手に背中へと集まってくる力に慌てるも、すでに手遅れ。制御する間など一切なく、私の背中から光翼が展開してしまいました。

 

「嘘……お姉様、その羽根って……」

 

 惚けたように、私の背中に生えた光翼を眺めているアンジェリカちゃん。

 まずい、教団関係者にバレた……そんな考えが頭を過ぎります。

 

 しかし、事態はそんな余裕が許される状況ではありませんでした。

 

「ってお姉様、待って! 私こんな大きな魔力扱った事なんて……」

「わ、分かってるんですが、止まらなくて!」

 

 まるで高いところから低いところへと流れて行くように、繋いだ手から移動していく私の魔力。

 その量に、アンジェリカちゃんの背中がビクンと跳ねました。

 

「何これ、背中……熱……ぃ!?」

 

 そう苦しみだして、蹲るアンジェリカちゃん。

 その背中から……まるで弾けるように光が舞ったのを、私は呆然と眺めるしかできませんでした。

 

 

 

 ――ひらひらと、宙を無数に舞う黄金の羽根。

 

 

 

 それは……酷く既視感のある光景で、ギギギ、と錆びついた音がするような動きでアンジェリカちゃんの方に目を向ける。

 

 そして、部屋の中の皆が、凍りついた。

 

「な……何、そんな幽霊でも見た……ような……」

 

 私たちの視線に釣られ、自身の背後を振り返ったアンジェリカちゃんが、なんとも言い難い表情を浮かべ、石化した。

 そしてその目は……先程の私と同様に、錆びついた音がしそうな動きでこちらへと向けられるのでした。

 

「えっと……私にも理解できてないのですが……その……」

 

 縋るような視線に耐えかねて、そっと、こちらを直視しているアンジェリカちゃんから目を逸らす。

 

「…………ごめんなさい」

「な……なんて事をしてくれたんですかぁ!?」

「いっ、いや、私もこんなことになるなんて思っていなくて……!」

 

 背中に()()()()()()()()()()()を纏いながら、アンジェリカちゃんが私の襟首を掴み、ガクガクと揺さぶってくる。その顔色は真っ青で、目には涙まで浮かべていた。

 

「こっ、こここ、これっ、ばば、バレたら私どうなるんですか!?」

「お、落ち着いて! 深呼吸をして、背中から息を吐き出すようなイメージで力を抜いてですね……」

 

 そう言って、お手本を見せるように羽根を消して見せる。アンジェリカちゃんも、そんな私の真似をしてみたのですが……

 

「き、消えませんよお姉様のバカぁ!?」

 

 私の背からは光翼が消えた一方で、アンジェリカちゃんの背中は変わらず輝きを放っていました。完全にテンパって、パニックを起こしているアンジェリカちゃん。

 

 その気持ちはすごくわかります……!

 

 思わず最初の頃を思い出して、しみじみとそんな共感を覚えてしまう。はい、ごめんなさい現実逃避ですね。

 

 そんな収拾がつかない空気になりかけていた時……救いの言葉はのんびりと流れました。

 

「わぁ、アンジェ、すごく綺麗だよ」

「え……そ、そう?」

 

 嬉しそうにそう宣うユリウス殿下の屈託のないその言葉によって瞬時に泣き止み、かわりに今度は顔を真っ赤にして、私の襟を離すアンジェリカちゃん。

 ちょろいなぁこの子、ついでにユリウス君大物だなぁと内心で思いつつ、乱れた襟元を正します。

 

 何はともあれ……とりあえず翼が生えた事によるパニックが収まった事で、アンジェリカちゃんの背中の光がゆっくりと消えていった事に、一同揃って安堵の息を吐くのでした。

 

 

 

 

「なるほど、お姉様がまさか光翼族だったなんて……むしろ納得したわ。どうりで勝てる気がしないわけよ」

 

 ふん、とベッドの上で腕を組み、そっぽを向いているアンジェリカちゃん。

 

「ごめんなさい、この事はくれぐれも内密に……」

「言える訳ないでしょ、私だって他人事じゃなくなっちゃったんだから」

「う……」

 

 すっかり私に対しては不機嫌になってしまったアンジェリカちゃんに、申し訳なさからシュンとなります。

 

「しかし……何故アンジェリカ嬢に羽根が生えたんだ、今までこんなことは無かっただろう?」

「聖女様ってぇのが何か関係あるのかね?」

 

 後ろに控えている兄様とレイジさんが、そんなことを呟く。

 確かに……今まで無かった事なため、私もそれは気になっていました。

 

「……こうなっては、黙っている訳にはいきませんね」

 

 そんな中で、先程から難しい顔で何か考え込んでいたアイニさんがふと口を開く。

 

「それで、アンジェリカちゃん、あなた……まさか『ティシュトリヤ』の町の子?」

「……え? いえ、私は……母は幼い頃に亡くなりましたが、ひとところに定住せず各地を転々としている人だったらしくて」

 

 アイニさんの突然の質問に、戸惑いながらも答えるアンジェリカちゃん。

 なんでも彼女が生まれて以降、母親と死別し教団に拾い上げられるまで、ひと所に長く暮らしていた事は無いのだそうです。

 

「でも……なんとなくですが、小さな頃に母から聞いた故郷の名は、そんな響きの地名だった気がします」

「そう……ごめんなさい、酷な事を聞いて」

「いえ……」

 

二人の間に、若干気まずげな沈黙が降ります。

 

「それで……ティシュトリヤでしたか、それはいったい?」

 

 知らない地名が出てきた事に、私は思わず尋ねます。背後では、レイジさん達も興味深そうに耳を傾けていました。

 

「はい。私の故郷で、イリス様たちのお婆様の故郷でもありますわ」

「それって……」

 

 後ろに控えていたレイジさんが、心当たりがあるように呟く。

 

「ええ、レイジ様にはそれとなく話したことがありましたね。所在地はノールグラシエ首都より北西の辺境。血が薄れて翼を失った私たち、()()()()()()()()が、肩を寄せ合って暮らす町ですわ」

「それじゃ、私は……」

「ええ、多分その町出身の女性の子でしょうね」

 

 自身の出生の秘密に呆然とするアンジェリカちゃん。

 

 その彼女に眠る血を、限定的にとはいえ私がうっかり目覚めさせてしまった……これは、そういう話だったのでした。

 

 

 

 

 

 その後色々と調べてみて、分かった事がいくつか。

 

 まず、アンジェリカちゃんの光翼は、私が触れてからしばらくの間……だいたい一刻ほど出せるようになるらしい事。

 

 光翼を出している間は、アンジェリカちゃんの治癒魔法もだいぶ強化されているらしいという事。

 治癒魔法に関しては、私と比べてもさほど遜色のないレベル。

 魔力欠乏の危険性は無視できませんが、なんと私が有する広範囲治癒魔法『ゴッデスディバインエンブレイス』すら使用できるかもしれません。

 

 ただし……

 

「絶対に使用しないで。少なくとも、もっと成長して魔力が増えるまでは」

 

 ざっと、私の知る治癒術は伝授しましたが、感触としては第十一位階までは使用可能そうでした。しかし、第十一位階以降は実際には使わないようにと釘を刺します。

 彼女が本来使用できるのは、辛うじて第十位階までの魔法。この時点で、彼女の才というのは眼を見張るものがあるのだそうです。

 

 しかし……それだけに、まだ幼いアンジェリカちゃんにとってそれは多大な負荷がのしかかるはずです。

 先日のお風呂の時から薄々思っていましたが、実際、聖女としての仕事を終えた彼女の疲労は、他の聖女のお姉様方と比較してもかなり多いように感じていました。

 

「な、なんでよ。いざという時に、これがあれば……」

「…………死にますよ?」

 

 私の本気の言葉に、顔を蒼くしてひっと小さく悲鳴をあるアンジェリカちゃん。

 

 死というものに対する恐怖心に敏感になる年頃の彼女は、すっかり怯えてしまう。

 少し怖がらせ過ぎてしまったかな……そうは思いましたが、今の彼女の魔力では間違いなく命を削る事になりますので、心を鬼にします。

 

 

「……わかったわよ! それに、どうせお姉様の力を借りないと使えないんでしょ!」

 

 すっかり拗ねてしまいましたが、きちんと約束をしてくれたので一安心するのでした。

 

 

 

 そうして結局、夕食もそこそこにして色々とアンジェリカちゃんの体を調べているうちに、すっかり夜も更けてしまっていました。

 

「それじゃ……私たちもそろそろお暇しますので、ゆっくり休んでくださいね」

 

 そう微笑みかけ、レイジさんらを促して部屋を後にします。最後、ドアを閉めようとした時。

 

「……助けてくれて、ありがと」

 

 そう、ベッドの上の素直じゃない女の子が呟いたのを、私の耳はしっかりと拾い上げていたのでした。

 



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殲滅者

 

 ――六日目は何事もなく進行し、今は大会七日目。

 

『残り十六人の猛者たちの戦いも、三戦目! 次に登場するは今大会の台風の目、レイジ選手です!』

 

 すっかりと慣れてしまった、歓声七割に対しブーイング三割くらいの喧騒の中を割って歩き、リング中央へと進み出る。

 

『対するは、通商連合国において凄腕の支える者達(ブレイサーズ)ギルドメンバーとして有名な、白虎(バイフゥ)選手です!』

 

 支える者達(ブレイサーズ)ギルド?

 

 確か……西大陸にある民間の依頼斡旋所、創作でいう「冒険者ギルド」的な物だったかと、学習した知識の中から記憶を引っ張り出す。

 

『白虎選手は、前の試合にてすでに勝利を収め、明日は同様に勝ち上がったソールクエス殿下との対戦が決まっている、青龍(シャオロン)選手のお兄さんとの事ですが……果たして優勝候補との声が高くなって来たレイジ選手の壁を超え、兄弟揃って準々決勝へ進む事ができるのでしょうか!?』

 

 その紹介と共に、対面する入場口から出て来たのは、鍛え上げられた身体を持つ、中年らしき男。

 小さな丸いサングラスをひっかけたその姿は胡散臭いの一言だ。

 

「あ、どーもどーも。いやぁ照れるぜ、こうも声援を浴びるのは」

 

 歓声の中、人懐っこそうな笑顔でぺこぺこして頭を下げ歩いてくる、その飄々とした様子にふっと口元が緩みかけるが……

 

 ――違う。こいつは……

 

 それは、男が発する雰囲気の違和感。

 それを俺が感じ取ったという事を、向こうも感じたらしく、ヘラヘラとした笑いがすっと引っ込む。

 

「……なんだ、小僧。もう分かってますって顔だな」

「そりゃ、まあな。おっさん……不自然なくらい殺気が薄すぎるんだよ……わざとらしいくらいに」

「はぁ……全くこれだから鼻の効くガキは嫌いなんだ。大体何だ、せっかく優勝候補の何人か間引いたってのに、代わりに来たのが小僧らみたいなのだと完全に薮蛇なんじゃねえかねぇ」

 

 大仰な仕草で天を仰ぎ、面倒くせぇと肩を竦めそう言う男。

 

 ――こいつだ。

 

 元々の、自分たちが、大会に参加することとなった目的。こいつと、すでに勝ち上がって明日ソールとぶつかる弟とかいうやつが、『黒猫(ヘイシーダ・マオ)』の刺客に違いない。

 

「そうか……見つけたぜ、やっとな……!」

「小僧、そういうお前らは、やっぱ大会側の回し者みたいだな」

 

 俺の呟きに、男……白虎がスッと目を細める。

 

「だったら……ブチのめしてこの辺りで退散してもらうしかねぇなァ!!」

 

 人の良さそうな雰囲気から一転、獰猛な肉食獣じみたそれへと、男の雰囲気が変わる。

 ビリビリと叩きつけられる威圧感。心なしか、白虎の体が一回り大きく膨れ上がったように感じた。

 

『おおっと、白虎選手ここに来て隠し球か!? 気のせいでしょうか、一回り大きくなったように見えますが!?』

 

 驚愕を滲ませた司会のお姉さんの声。観客からも、多数のどよめきの声が上がる。

 

 ……いや、見えるんじゃない。血流量を上げ筋肉を膨らませるパンプアップという技術があるが、おそらく似たような原理で実際に筋肉が肥大しているのだ。

 

 もっとも……ただ筋繊維が膨らんだだけならばいいのだが。

 嫌な予感をひしひしと感じる中、試合開始のゴングが鳴った。

 

「……俺は、暗示とか催眠とか、そういう類いにやたら弱い体質でなァ。事前に薬物も併用した自己強化の暗示をガンガンに効かせて来てんのよ」

「暗示……薬……だと?」

「言っとくが、薬物検査はキッチリとパスして来てっから反則とか言うなよ、とっくに薬は抜けてんだから……なぁ!」

 

 俺が辛うじて対応できるくらいという鋭い踏み込みから繰り出される、相手の獲物……二本のカタールによる攻撃を、両手持ちしたアルヴェンティアで受ける。

 

「く、ぅ……っ!?」

 

 しかし……殺しきれなかった勢いにより足から地面の感触が消え、何メートルも吹き飛ばされた後、衝撃を殺し転がるように着地する。

 

 ――なんつぅ、馬鹿力だ!

 

 飛ばされた距離を見て、ヒヤリとしたものが背中を伝う。

 厄介なのが、力だけではなく技術もそのままらしいことで、上がった筋力に振り回されている様子もない。

 

「くっそ、これで反則じゃないとか汚ぇだろ……っ!」

 

 

 再度追いかけて来た白虎の刺突を、両手で構え、傾けたアルヴェンティアの刀身で受け流す。

 それでも力負けして数歩たたらを踏む。

 その隙に迫る二刀目を……体が地面に倒れこむのに逆らわず重力に身を任せ、さらに転がるように距離を取る。

 そのまま片手で地面を叩き、反動で身を起こすと改めて構え、仕切り直す。

 

 つまり、こいつは前々……おそらく大会開始よりもずっと前に仕込んでいた暗示が、薬がとうに切れた今もなお効力を発揮していると。

 このような限界以上の力を発揮させる技、体への負担も相当な物のはず。そのような体で何週にも渡り日常生活を送っていたなど……

 

「そんなもん、普段から命削ってるようなもんじゃねぇか、死ぬ気かよ!?」

「はは、違ぇよ、んな訳ねぇだろうが! 普段は『俺、最強!』って暗示を、別の『まぁそこそこイケてんじゃね』って程度の暗示でさらに押さえ込んでんのさぁ!!」

 

 言っている事は馬鹿みたいでも、中身はとんでもないことであり、男の言葉に唖然とする。

 いくら暗示の類いに親和性のある体質だといっても、それは。

 

「そ、そんな、バカな事が……っ!」

「できたから、今の地位までのし上がったんだ……よォ!!」

「ぐ、ぅ……ッ!?」

 

 一息に三連打打ち込まれた打突を、剣の腹で受け止める。

 

 ――速いし、重い。

 

 技術と速度では負けているつもりは無いが、とにかく(STR)が違う。

 暗示で強化されているという筋力が半端なく、向こうだけが全力のバフを受けているようなものだ。

 

 今はまだなんとか追いつけてはいるが、反撃に転じる暇がない。リミッターの壊れた達人というのは、ここまでの物か。

 

 しかし……吹き飛ばされた事で距離が開いた。

 身を沈め、腰だめに構えたアルヴェンティアを、踏み込みと共に解き放つ。

 

 ――会者定離乃太刀(えしゃじょうりのたち)

 

 凄まじい金属同士のぶつかり合う音が会場に鳴り響いた。

 

「……おー、怖ぇ怖ぇ、ヤベぇ技だな、こいつぁ」

 

 ――止められた!

 

 舌打ちと共に、飛び退る。

 

「スピードも鋭さも大したもんだ。だが……パワーが足りねえな!」

「喧しいわこのチート馬鹿力が!」

 

 男の言葉に怒鳴り返す。めちゃくちゃグレーゾーンな手段で勝ち誇られるのが、ここまでマジでむかつくとは思わなかった。

 

「さて……諦めて棄権してくれると、こっちとしては面倒が無くて嬉しいんだが?」

「はっ、嫌だね。こっちだって負けらんねぇんだよ」

「あぁ……なるほど女か。可愛いもんなぁ、あのお姫様?」

 

 ちらりと、男が視線を貴賓席の方へ向ける。その嘲笑うような顔と言葉に、ピクリと手が揺れた。

 

「まだまだ小便臭え初心っぽいガキだが、いーい女だよなぁ。ありゃきっとベッドの上で泣かせたら、相当ソソる顔で鳴いてくれるぜ」

「……………………あ゛?」

 

 よし、殺そう。

 そう決心しアルヴェンティアの柄を握り直す。が……

 

「けどな、てめぇらガキの騎士様ごっこの景品にはもったいないんだってよォ、あの姫さん。上の連中はどうしても欲しいらしいぜぇ?」

 

 その男の言葉に、上がりかけた手がピタリと止まる。

 

「……()()?」

 

 てっきり、裏で糸を引いているのは『海風(シーブリーズ)商会』だと思っていたが……本当にそうだろうかという疑念が、今ここで脳裏によぎった。

 

「おっと、口が滑っちまったか。だけど、ここで口を封じちまえば問題無ぇよな」

 

 男が何か言っている。だが……

 

「どうやら……聞かないといけない事があるらしいな」

 

 こちらとしても、どんな手を使っても勝たなければならなくなった。

 ゆっくりと息を吐き、古い空気を吐き出して新鮮な空気を肺いっぱいに取り込む。

 

「ハッ、やれるとでも……」

「ああ、やれるさ」

 

 とはいえこのままでは危ういのは間違いない。腹をくくり、奥の手の準備をする。

 

 ――どの道、斉天とやりあう時には必要になる可能性はあったんだ。予行演習には丁度良い……!

 

 今まで使用を封じていた技能……ゲームだった時は『サブ職』のカテゴリに属していたスキル群を叩き起こす。

 

 かちり、とスイッチが入った感覚。

 

 使われていなかった脳の一部が起動を始めたような開放感。

 

 すぅっ、と背景から色が消えていく。

 音声が、雑音として処理され排除される。

 極度の集中により余計な情報が排除された中、相手の手元でゆらゆらと揺れているカタールの軌道が、赤い軌跡となって見え始めた。

 

 

 

 ――さぁ、目覚めろ()()()。全ての敵を殲滅しろ。

 

 

 

 意識を持っていかれそうになる、そんな内からの誘惑を、精神力でねじ伏せる。

怪訝な顔でこちらを見つめている白虎に、指を三本立てて見せた。

 

「三十秒だ」

「……はぁ?」

「三十秒で、てめぇをぶっ倒す」

 

 そう、宣言する。

 男の額に、怒りによって血管が浮き出たのが見えた。

 

「……上っ等だゴラァ!? やってみせろやァ!!」

 

 視界に、ぶち切れた白虎の方から発せられる、無数の赤い線が舞った。

 乱雑なように見えて、その実複雑な軌跡を描くものの全ては高度な連携で連なっている二本の線。

 その線の上を正確に沿って滑るように、男のカタールが宙を滑り出す。

 

 そう……この俺だけに見えている赤い線は、奴がこの後繰り出してくる攻撃の軌道だ。

 

 右からの、鼻先を狙った一閃。

 左からの、突き……と見せかけて鳩尾狙いの肘。

 下がった頭狙いの、両手の交差斬り。

 

 時間にして一秒にも満たない刹那、ほんの一息に繰り出された男の攻撃は……俺の体に髪の毛一本すら触れず、空を切る。

 

「……は? がァッ!?」

 

 極薄い紙一重で避けられた感触の無さに男が呆けた瞬間、俺の振るったアルヴェンティアの峰がその胴に吸い込まれるようにめり込んだ。

 

「がはっ、げはっ……な、なんだテメェ、その動き……!?」

 

 内臓を傷付けたらしく血反吐を吐き、動揺した男の両手からそれでもまたも伸びる、赤い線。

 

 ――攻撃予測線。

 

 様々な要因から弾き出される、相手がこの後繰り出してくるであろう確率が最も高い軌道を前もって視覚化して見せられているのがこの赤い線だ。ただし……

 

「……っ」

 

 びりっと、こめかみに走る内からの鈍痛。予想はしていたが、このスキルは、脳へ負担を強いる。だが……まだまだ、この程度ならば問題ない。

 

 そんな白黒と赤しかない視界の中、赤い線の空隙を縫うようにして、白く輝く線が俺の剣から奔る。

 

 ――最適攻撃曲線。

 

 それに導かれるように……白虎の攻撃の隙間を潜り抜け、再度その胴を払うようにアルヴェンティアを叩きつけながら、交差し後ろへ斬り抜ける。

 

「が、は……っ! この、ガキィ……ッ!!」

 

 意地か、普通であればすでに倒れているはずの攻撃を受けた白虎がそれでも血を吐きながら立ち上がる。それを見て、俺は剣を上へと掲げ、叫んだ。

 

「剣……軍……ッ!!」

 

 俺の周囲を旋回し現れる七本の光剣。

 次の瞬間、それらの剣から七条、最適攻撃曲線の光輝が視界を乱舞した。

 

 男の右手が上がった瞬間、俺の右手が掴んだ『剣』がその刀身を叩き折る。

 ならばと男が左手を上げようとした瞬間、俺の左手が掴んだ『剣』によって、その刀身は叩き折られていた。

 ならば……そう男が足を上げようとした瞬間、その靴から俺に向かい新たな赤い線が伸びる。

 しかし、その爪先から鈍色の切っ先が覗いた時には、その太腿の腱を俺が新たに掴んだ『剣』が正確に刺し貫いていた。

 体重を支える事が出来なくなった脚。支えを失った男が崩れ落ちる。

 それでも、まるで闘争本能に突き動かされるように上がりかけた男の両腕。それも、先んじて肩を掠めた新たな二本の『剣』により、鎖骨が断たれその手が力を失って不発に終わる。

 

「……は?」

 

 全ての四肢から血を噴き出し、その動きを一瞬で封じられた男が、理解できないというように呆けた顔を見せる。

 その脳天ど真ん中に、最後の一本の『剣』を……

 

「――駄目、そこまでです、レイジさん……っ!!!」

「――ッ!?」

 

 音が消え去ったはずの世界の中で、遠くから聞こえて来たイリスの叫びに我を取り戻す。

 一瞬で白黒の世界は色を取り戻し、最後の『剣』は男の頭を貫く寸前で霧散した。

 

「はっ……はっ……」

 

 まるで今思い出したかのように滝の如く流れる汗と、荒い呼吸が漏れる。

 

 ――今のは、ヤバかった。完全に意識を奪われていた。

 

 このサブ職を使用中、色覚や聴覚に始まって、戦闘に不要なものは次々と削ぎ落とされていく。

 最終的には、余計な思考力すら削ぎ落としただ最適な手順で敵を討つ殲滅者へと。

 

 三十秒で終わらせられるのではない。

 三十秒しか、自我を持たせられないのだ。

 

 ゲームならば、失敗してもネタで済んだ。

 だが、現実となった世界においては……取り返しのつかないリスクと引き換えに力を引き出すという、危険きわまりない存在。

 

 それが、『殲滅者』というサブ職――俺が、この世界で封じて来た力だった。

 

 

 

 引き留めてくれた声が聞こえて来た方を見る。

 観客席を隔てた遠くにある貴賓席では、手すりから身を乗り出していたイリスが、心底ホッとしたように安堵の息を吐いて、手すりに崩れ落ちるのが見えた。

 

 もう大丈夫だと、軽く手を挙げ礼がわりにすると、改めて対戦相手へと向き直る。

 

「で……続けるか?」

「はっ、このザマでどうやってだよ」

 

 跪き、両腕をだらんと垂れさせたまま、白虎は皮肉げな表情を浮かべる。

 もはや、四肢の一本たりとも動かせないらしい。諦めたように首を垂れ、ふて腐れていた。

 

「あー、やっぱ薮蛇……いや、この場合龍の尾でも踏んだのか? くだらない結果だねぇ……」

 

 悪態を吐いたのち、黙り込む白虎。慎重に近寄り様子を見ると、どうやら失血により意識を失ったらしい。

 審判に首を振ると、急ぎ担架を呼ばせる。話してもらわなければならぬ事はまだあるため、ここで死なれるわけにはいかない。

 

 

 

 そうして慌ただしくなる中、そこでようやく試合終了の鐘が鳴り響いたのだった――……

 

 

 

 

 

 





 実は普段完全に封じられておらず、キレてる時とかに僅かに効果が漏れ出てたりしました。


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悪魔を制する者

 

 

『大会八日目、第一試合、ソールクエス選手対、青龍(シャオロン)選手の一戦は、激しい殴り合いの様相を呈してきました。一体、どちらに戦神様はほほ笑むのか――!?』

 

 司会のそんな声を意識の隅に、一息の間に眼前の男から繰り出される無数の拳を両手に携えた二刀で辛うじて捌き続ける。

 

「拳で刃物を弾くって、どんな仕掛けなんですかね……っ!」

「鍛錬だ」

「はは、ご冗談を……!」

 

 眉も動かさずに淡々と答える男……青龍(シャオロン)の言葉に、そんなことがあってたまるかと毒づく。

 

 おそらく、レイジの戦ったあの白虎(バイフゥ)と原理は一緒だ。

 

 ――薬物による、自己暗示の強化。

 

 この男の場合は、通常よりもはるかに多くの気を扱えるとかそんな類だろう。

 そうして集めた闘気を全身、ひいては両拳へと集中し、攻防一体の鎧として纏っているのだ。

 

 ……とはいえ、魔法により刃引きされているとはいえ、拳で剣を迎え撃つなどまともな胆力では不可能だろう。

 

 それを可能としているのは、ひとえに先程彼の言っていた鍛錬から来る、自信。

 

 事実、対峙しているこの寡黙な男は、わずかにでも気を抜けば呑み込まれそうなほど強い。

 

「……仕方ないな、次にレイジと当たるまで取っておきたかったんだが」

 

 順手に持ったアルスラーダと逆手に持ったアルトリウス、二本の剣を体の前に構えて、今まで人前で披露した事のない魔法を、紡ぐ。

 

 ――お借りしますよ、レオンハルト辺境伯。

 

 心の内で盗用について謝罪し、唱える。

 

「――加速(アセラ)増加(オグム)循環(キルク)――疾風迅雷(エアダルモルニア)――フル・インストールっ!!」

 

 カッ、と紫電の閃光が走る。

 私の周囲に展開したいくつかの魔方陣から伸びてきた雷光が、体の周囲に纏わりついてくる

 

「ぐっ、うぅ……ッ!」

 

 予想はしていたが、かなりキツい。体がバラバラに爆ぜそうだ。

 

 全身にビリビリと刺激が走り、普段使用されていない細胞が内から湧き出る高圧の電流に刺激され、目覚めていく。

 

 そうして……視界全てが、閃光へと包まれた。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 兄様の体が、無数の雷光に絡め取られていく。

 その光景に周囲の観客……主に女性の方々……から悲鳴が上がりますが、私は、あれに見覚えがありました。

 

「あれは……レオンハルト様の……」

 

 ちらっと彼の方を見ると、レオンハルト様は私の視線に気付き、苦笑しました。

 

「ええ……間違いないでしょう、私のオリジナルの魔法『フルインストール』を模倣したものです。見た感じでは完璧ですけれど……いやはや、いつの間に」

 

 称賛とも呆れともつくような表情を浮かべて、そう語るレオンハルト様。

 

「しかし、あの魔法は諸刃の剣。発動中は常に電撃が自らの体を灼き、その術者の耐性によって強化の限界値が大きく変わって来ます。そして殿下の耐性は……」

 

 レオンハルト様は、やれやれと頭を振って、それから続きを口にした。

 

「……私よりも、ずっと高い。上昇幅は私よりもずっと上です」

 

 そう呟いたレオンハルト様。

 その視線の先には……高圧の雷光を蓄え、帯電し光を放つ銀髪を逆立てた、兄様の姿があったのでした。

 

 

 

 ◇

 

 ――なるほど。反応速度が上がるとはこういう事かと、冷静さを維持した頭でなんとなく考える。

 

 意識がやけにクリアで、世界がゆっくりに見える。

 体のレスポンスが向上し、思い通りに、否、思うよりも早く体が動く。

 全ての反応速度が向上し、あらゆる物がよく見える全能感。

 

 そんな視界の中で、今までよりもやけにゆっくり動いているように見える、対戦相手である男の姿。

 

「そのような虚仮威しなどに……っ!」

「ならば、虚仮威しかどうかその身で試してみれば良い……!」

 

 体全体で突っ込んでくるようなその打突を、こちらも大きく踏み込みながら、両手の剣で払う。

 

 ガァン! という金属が打ち合うような硬質な大音を上げ、青龍の拳と私の剣がぶつかり合った。

 しかし……今回は、こちらの速度が段違いに速い。その速度が載った衝撃力は個人が踏ん張って耐えられるようなものではなく、勢いに押されて青龍の鍛え上げられた身体が吹き飛んでいく。

 

 このままでは、壁に激突して戦闘不能……おそらく会場のほとんどの人はそう思ったのだろう。

 

 しかし、私には見えた。器用に空中で身を捻った青龍が、壁に着地する体勢を整えていたのを。

 

 ――逃すか!

 

 即座に地を蹴って、吹き飛んでいく男へと追い縋る。

 

「む、ぅ……ッ!?」

 

 驚愕に目を見開く青龍。

 それでも構え直した技量は流石だが、壁に着地直後、再度ぶつかり合い別方向へと飛んでいく青龍を、今度はノータイムで壁を蹴って追い縋る。

 

 

 

 

 ――ここからの戦闘を、観戦していた観客達はこう語った。

 

「まるで、雷の龍が小石を追いかけ回しているようだった」と。

 

 

 

 

 

「お……のれぇ!!」

 

 会場を縦横無尽に駆け回り幾度かぶつかり合った後……ズダンッ! という凄まじい踏み込みの音と共に、ボロボロになった青龍がそれでも大地に踏みとどまり、私を正面から迎え討つ。

 

「ぐ、ががっ、ぐぅ……ッ!?」

 

 激突した箇所から激しい雷光が明滅し、私が纏う電撃が男の体を貫く。

 

 ……しかし、男は倒れなかった。私の吶喊は、その意地によって止められた。

 

「が、はぁっ! ふ、ふはは、止めたぞ、我の勝……」

「いいや」

 

 勝利宣言しようとした青龍の顔が、私の両手にあるものを目にして驚愕に歪む。

 

「充電完了……私の勝ちだ」

 

 バチバチと、未だ衰えぬ……否、目を焼くほどの白光と化した雷光を湛えた、私の両手にあるアルスラーダとアルトリウス。

 その二刀を弓を引き絞るように構えて……引いた力を解き放つように、再度飛び出した。

 

「チェインバインド……!」

 

 バジュゥッ、という雷光が大気を焦がす音を上げ、地を蹴った体は瞬時に相手に迫り、切り裂く。

 

 それだけでは終わらない。背負ったいくつもの魔法陣からまるで電磁投射砲のような速度で放たれ追従する鎖達が、吹き飛ぶ事も許さずに青龍のその体を戒め固定した。

 そんな拘束され、激しい雷撃により体の自由を縛られたところへと、雷光を纏って反転し躍り掛かる。

 

「クロスッ! ランページ……ッ!!」

 

 体を独楽のように回転させながらの、空中からの強襲。

 右肩から左脇へと抜けた、刃を返したその殴打は青龍をひとたまりもなく吹き飛ばし、数度地面を転がったところで漸くその動きを止めた。

 

「ぐ……がっ……」

 

 それでも一瞬起き上がろうという執念を見せるも、結局は小さな呻き声だけ上げて、全身から煙を上げ、白眼を剥いてうつ伏せに倒れ伏した青龍。

 

 それを見届けて『フルインストール』を解除し、貴賓席のイリスへ向けてまるで剣を捧げる騎士のようにアルスラーダを掲げてから、刃を払って鞘に収める。

 

 チン、という音で動き出したのは――流石プロというべきか、司会のお姉さんだった。

 

『け……決着ぅ!! 激戦を制したのはソールクエス殿下、昨日のレイジ選手にも勝るとも劣らない、凄まじい必殺技により、完全勝利です――ッ!!』

 

 興奮した司会のお姉さんの決着コールにより……シンと静まり返って固唾を飲んでいた会場が、割れんばかりの大歓声に包まれるのだった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――その夜、西の通商連合関係者に割り振られた宿舎の一室。

 

 

 

 

 

「クソッ、やられた! なんなんだあの二人は……!」

 

 激昂したフォルスさんが、ヒステリックに机の上にあるものを放り投げて叫んでいた。

 

 無理もないのだと思う。今回のソールさんの勝利で、こちらが紛れ込ませた手札は全て排除されたのだから。

 

 しかし、そんな憤懣に駆られているフォルスさんと裏腹に、私は安堵していたのだった。これで、もう彼が悪事に手を染めずに済むと。

 

 ……たとえそれが、商会が立ち行かなくなる事に繋がるのだとしても。

 

「フォルスさん、もうやめましょう、ね?」

 

 どうにか宥めようと、おそるおそる声を掛ける。

 すると……彼は、今ようやく私の存在に気付いたように、怪訝な目をこちらに向けてくる。そして……

 

「そういえば……どうやら、君も私の邪魔をしてくれたらしいですね、シン?」

「……っ」

 

 その言葉と憎々しげな視線に、ビクッと体が震える。

 

 非人道的な物品……出所不明の、異質な魔物の体組織の一部を元にフォルスさんが錬成した、取り付いた対象の自我を制限して自らの僕とする、仮称『魔神の種』を大会関係者に使用して邪魔なレイジさんやソールさんを排除しようとしたあの一件。

 

 レイジさんの対戦相手であるフラニーさんを通じ、彼に警告を届けさせたのは確かに私だ。

 その結果、イリスさんの協力もあって無事無力化できたと居合わせていた彼女に聞いた時は、ほっと一息ついたものだけど……

 

 

 

 ……そういえば、あれ以降フラニーさんを見ていない。とても嫌な予感がした。

 

「フラニー君が、君にあの『紅玉髄(カーネリアン)の騎士』に忠告するよう頼まれたと、自供してくださいましたよ?」

「フォルスさん……? あなた……彼女に何を……っ!?」

「何……少し腹を割ってお話をしてもらっただけですよ」

 

 ドッ、ドッと、心臓がうるさく鳴り響く。

 まさか、そんな……そう信じたかった事が、すぐに当の、この世界に来てしまった時から最も信頼していた()()だった人の言葉によって、粉々に打ち砕かれた。

 

「ああ、でも……少々その話を聞いた()()は、欲求不満を募らせていたかもしれませんね? おっと、そうすると割ったのは腹ではなく股でしょうか?」

「な……何という事を貴方は……ッ!?」

 

 あまりにも下衆なその物言いに、ギリっと、杖を握る手に力が篭る。彼の言うそれがどのような意味か、察せぬほど初心ではない。

 

 全て吐いたらしい彼女を責める事など出来はしない。きっと、自分の身に同じ事が降りかかったらのならば、泣いて許しを請いながら全てを吐露していたであろう事は想像に難くないのだから。

 

「彼女だって、あなたが守ろうとしていたプレイヤーなのに、どうして!?」

「必要だからです。何、どうせ仮初めのアバターではないですか」

「戻れる保証なんてどこに……いや、それよりも、たとえ戻れたとしても心に傷は残るんですよ!?」

 

 

 必死に訴える。しかし、フォルスの目にはもはや、自身の行いがおかしいという疑念はどこにも無かった。

 

 良心の呵責なく。

 善悪の区別無く。

 自分の邪魔になったのだから、そうしたのだと。

 

 

 

 ――駄目だ、もはや言葉では届かない。

 

 ギリっと唇を噛み、万一に備えて懐に忍ばせていた紙片を握りしめる。

 詠唱保存の札。自分の給与数ヶ月分は優に掛かる使い捨てのその紙片は、規定の文字数までの詠唱をあらかじめ仕込んでおく事で、魔法の発動を短縮する魔法補助具だ。

 

 ……あるいはもうずっと前から、届いてなかったのかもしれない。

 

 分かっていたのだ。

 こちらに来てひと月ほど経過したころ、通商連合の上役から声がかかり、実権を握っている有力者の元へ出入りするようになってからというもの、日に日にその表情は険しくなり、彼は少しずつおかしくなっていた事は。

 

 ――分かっていた、はずだったのに。

 

 しかし、きっといつかは元に、と楽観していた結果がこの事態ならば、責任の一端は自分にこそ存在する。

 

「間違っていました、私はあなたを力ずくで止めるべきだった! 今のあなたは、絶対におかしい!!」

 

 断罪し、左手に札を、右手に杖を向けて残る終盤の詠唱を始める。

 

 これが何の詠唱か、きっと彼は分かっている。これで諦めてくれれば……!

 

 

 

 しかし……そんな都合の良い祈りは虚しく、彼はただつまらなそうにこちらを睥睨し、ただ言った。

 

「……ふん、くだらない真似はよせ」

 

 どうせ、お前には何もできない。そう言われたような気がした私は……

 

「……嵐風(トルム)冷気(グラット)吹雪(ヘイル)鋭刃(ナヴァハ)――裂氷刃(トランティスカレスタ)! ――フィンブルッ!!」

 

 

 全ての迷いを振り切るように、詠唱が完了した。

 

 部屋全てに一瞬で霜が降り、宙に無数に現れた絶対零度の氷剣が、雨のように対象へと降り注ぐ。

 

 触れるだけで凍てつかせる刃が砕け爆ぜる音は三十秒以上経過してもなお鳴り響き、濃密な霧が部屋の中全てを真っ白に染め上げていく。

 

「……ごめんなさい、フォルスさん……私は……っ」

 

 第十三位階、対単体用最上位氷結魔法『フィンブル』。

 

 魔法が発動する瞬間にフォルスも何か詠唱していたようだが……剣の形に押し留めた冷気によって体内まで浸透し、大型の魔獣すら一撃で芯まで凍てつかせ砕くこの魔法に、生半可な対抗魔法程度で人が耐えられる道理などない。

 

 ――それだけの、殺意ある魔法なのだ。

 

 杖に縋り付き、膝をつく。

 決めたのは……彼を殺すと決めたのは自分で、間違っていたとは思わない。それでも……涙が溢れ、嗚咽が漏れた。

 

「やれやれ……まさか、君にここまでの殺意を向けられるとは流石に予想外でしたね」

「…………え?」

 

 聞こえて来るはずがない声に、思わず顔を上げた瞬間。

 

 

 

 ――霧の中から飛び出して来た『何か』の鋭く並んだ牙が、ぞぶり、と肩に食い込んだ。

 

 

 

「……は……ぇ……?」

 

 初めは、痛みを感じなかった。

 

 しかし、呆然としている間に、鋭く並んだ歯によってブチブチと、衣服……厚手のローブやその下に身につけていた下着のストラップごと――柔らかな肉が引き千切られた。

 

「――――ッッッ!!?」

 

 次の瞬間襲ってきたあまりの激痛に、悲鳴すら声にならなかった。

 意識が残ったのは奇跡か、あるいは……不運だったのか。

 

「ぅあ゛っ、あぁあああ゛っ……ッ!?」

 

 過剰な激痛で神経が焼け尽き、視界が白く明滅する。焼け付くような痛みは、気を抜けばいまにも意識が飛びそうになるほどに精神を削り続けていた。

 そんな地獄のような痛みにのたうち回る間も、吹き出すおびただしい鮮血が、右半身をぐっしょりと濡らしていく。痺れて動かなくなった手から、杖が転がり落ちた。

 

 

 朦朧とする意識、霞む視界の中で辛うじて頭を上げた先。

 霧の中から現れたのは……巨大な段平を携え、半身を凍てつかせた、捻れた角を持つ巨大な悪魔と、それに付き従う数匹の漆黒の獣。

 

 さらにその背後から悠然と姿を現したフォルスは……全くの無傷だった。

 

 

 

 ――悪魔を制する者(デーモンルーラー)

 

 

 

 その名の意味を理解して、心臓が握り潰されそうな程の恐怖が襲って来る。

 

「フォルス、さん……ッ!」

 

 思わずその名を呼ぶ。先に手を出したのはこちらだといえ、長年の付き合い故に情くらいはと、あるいは期待する甘え故だったのかもしれない。しかし。

 

「君は良い同志だと思っていたのだが、残念だ、星露(シン・ルゥ)……始末しておけ」

 

 何の感情も映さぬ冷たい目で、まるで興味が失せた玩具を棄てるようにそう告げると、背を向けて歩いて行ってしまうその背中。

 

 それとは対照的ににじり寄る巨大な悪魔と獣達に、冷たい汗が背中を伝う。

 

 ……勝てない。

 

 完全に見通しが甘かった。通常の転生三次職とユニーク職の間に、これ程の隔絶があるなんて。

 

 ならばせめて、誰かに伝えなければ。

 出血と痛みに朦朧としながらもそう判断し、背を向けて駆け出すのだった――……

 



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思わぬ助っ人

 

 ――準々決勝までの日程がつつがなく終わり……今はもう、あちこちから夕餉の香りが漂う時間。

 

「ねぇアンジェ、戻ろうよ。一人じゃ危ないよ」

「ごめんなさい、少しだけだから。ちょっと風に当たりたい気分なんです」

 

 大闘技場の中庭……来賓用の、一般の人は入ってこない区画にある中庭に、私……アンジェリカと、ユリウス殿下は居た。

 

 

 

 あの事件のあと、大人しく寝ているようにと言われ、ノールグラシエ王家の方々の厚意により宛てがわれていた部屋。

 私は今、安全なその部屋を抜け出して、ふらりと外に出ていた。

 

 陽が落ちた後の夜風は涼しく、悩み事をしばらく忘れていられる気がして、噴水側に座りこんでいたら……まさか、ユリウス殿下が探しに来るなんて。

 

「この前のこと、気にしているの?」

「……ええ、まぁ」

 

 功を焦り、先走った結果、大勢に迷惑をかける大失態をしてしまった。

 

 自分が人間でなかったというショックも、もちろんある。いきなり光の羽根が生えた戸惑いや不安は、筆舌に尽くしがたい。

 

 しかし、それ以上に……

 

「ごめんなさい……ちょっと、自分の素直になれなさが情けなくて」

「おねえさまのこと?」

 

 ユリウス殿下のその言葉に頷く。

 

 元々、あの人は一国のお姫様だと言うのに無礼な口をきいている、という罪悪感はあったのだ。

 ところが今回はそれどころではなく、自分たち教団において信仰対象足りうる尊き存在であると判明した。

 

 だと言うのに……感情的になり、更なる失礼な発言を重ねてしまったという事が、信心深いと自負している自分としてはありえない事で、今更ながらとても自己嫌悪しているのだった。

 

「気にしなくていいと思うけどなぁ。おねえさま、むしろアンジェと仲良くなれたって喜んでたよ?」

「あ、そ、そうなの……」

「うん、アンジェに遠慮がなくなって、新しい妹ができたみたいで嬉しいって」

 

 なら、いいのかな……?

 ゆるゆるな光翼族様に不安を感じつつも、少し楽になる。

 

「それで……ユリウス殿下は戻らなくていいのですか? 皆心配すると思うのですが……」

「アンジェが戻るなら僕も戻るよ。僕はアンジェのことが心配なんだ」

 

 ストレートな年下の婚約者の言葉に、しばらくパクパク口を開閉させる。

 顔が熱くなってくるのを自覚しながら、はぁ、と諦める。

 

「分かった、分かりました、戻ります! ……って、あれ?」

 

 私がそれに気付いたのは、偶然だった。

 建ち並ぶ塔、その三階あたりの窓から、何か黒い塊が地面に落ちていく。あれは……

 

「大変、塔から人が落ちた!」

「えぇ!?」

「もし怪我をしていたら、助けないと!」

「待って、一人じゃ危ないよ!」

 

 二人、慌てて先程人が落下した塔へと向かう。

 どこかの国の宿泊施設である塔、その下には……

 

 息を飲む。こういった修羅場慣れしていないユリウス殿下にいたっては、顔を真っ青にして口元を押さえている。

 

 倒れている人は……暗い中でもわかるくらい、濃密な血の匂いを漂わせていた。

 だが……聞こえてくる呻き声が、その人物が生きている事を物語っていた。

 

「酷い怪我……今治療を……」

「アンジェ、危ない!!」

 

 その倒れている血塗れの人に治癒魔法を施そうとして、ふらふら近寄ろうとした瞬間、切羽詰まった様子のユリウス殿下に突き飛ばされた。

 そのまま地面に押し倒し、覆い被さるように密着する殿下に混乱しかけるも……すぐに、ギャリギャリという金属が擦れ合う音と、暗闇に散るオレンジ色の火花に、喉元まで悲鳴が上がって来た。

 

「……おい、ちみっ子ども、大丈夫か!?」

 

 聞こえてきたのは、前に一度だけ街で聞いた気がする声。

 

 黒い金属で編まれた鎖帷子の上に、東方風の上衣を着込み、真っ赤なマフラーで口元まで隠した、自分やユリウス殿下より少し背の高い少年の背中。

 手にした短刀から僅かに煙が上がっており、どうやら傍の地面にめり込んでいる段平(だんびら)の軌道を逸らしてくれたのは彼らしい。

 

 その出で立ちは、まるで……

 

「……え、忍者? なんで忍者!?」

「アンジェ、驚くよりまず立たないと!」

「あ、そ、そうね……」

 

 東方の密偵兼暗殺者なはずの忍者が、自分たちを守っている。

 その事に混乱しかけるも、今はそれどころではないと慌ててユリウス殿下と支え合って立ち上がる。

 

「だけど、逃げろって言っても……」

 

 殿下を庇うようにして、周囲に視線を巡らせる。

 地面から水が湧き出すように現れた黒い犬が、周囲を取り囲むように集まっていた。

 

 周囲を囲まれているため、どうやって逃げたらいいのか……そう思った時。

 

 ――ガァウッ! という、猛獣のような吠え声と共に飛び込んでくる、ひとつの小さな影。

 

 周りの黒犬よりもさらに黒い、闇を凝縮したような小さな生き物が、その一角の黒犬の喉元に食らいつき、さらに全身から伸ばした針のようなものでズタズタに引き裂いたのが暗闇の中で辛うじて見えた。

 

 ボロボロになったその黒犬は……すぐに、闇に同化するように影も残さず消えてしまう。

 残ったのは、自分たちを守るように立ち塞がっている、ふわふわな真っ黒な体毛をした大型犬の子犬みたいな生き物。

 

「おまえ達は、スノー……えっと、その黒いのについて行って逃げろ!」

「でも、お兄さんは!?」

「俺はあっちに倒れてる人を回収していく、さぁ行け!」

 

 そう言って、転がりざまに怪我をしていた人を担ぎ、悪魔から離れる忍者のお兄さん。

 

「……へ? え、あ、こいつ……うわっと!?」

 

 忍者のお兄さんが、倒れていた人を背負った時に何かに驚き、一瞬反応が遅れギリギリで悪魔の段平をかわした。

 

「ちょっとあなた、本当に大丈夫なの!?」

「も、問題ない、少し驚いただけだ!」

 

 たまらず呼びかけた声に、怒鳴り返してくる忍者のお兄さん。

 

 だが……どうやら悪魔の狙いはその倒れていた人らしく、忍者のお兄さんは人一人担いで攻撃を避けるのに精一杯らしい。

 

 自分たちは、こと戦闘においては邪魔にしかならない。

 後ろ髪引かれる想いをしながらも……黒い生き物の先導の元、殿下の手を握ってこの場を離脱するのだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 小さな背中が二つ、闇の向こうへと消えていった事に安堵する。大柄な悪魔が振り回している巨大な段平に巻き込まれでもしたら、目も当てられない。

 

 ちみっ子が二人、抜け出して外出していたのは領主様たちは初めから承知しており、俺は護衛を頼まれて姿を隠して付き従っていたのだが……

 

「……ったく、こうも見事に厄介ごとに巻き込まれるなんて、イリス姉ちゃんみたいにトラブルを惹きつける特殊能力でもあるのかね、ノールグラシエの王家ってのは!」

 

 心配なのは黒犬が何匹か追っていった事だが……ここまでに何匹か撃退した感触からすれば、大した強さではない。そちらもスノーであればうまく対処してくれるだろう。

 

「あとはこっちが逃げ切れればいいんだけどな……っ」

 

 明らかにこちらに狙いを絞っている悪魔が、振り切れずにいた。

 

 幸いにして、悪魔の動きはさほどではない。だが、離脱しようとしてもおそらくは影を渡り、回り込まれてしまうのだ。

 

 舌打ちしながら、逃げ回りながらその巨体に巻きつけていた紐のその端に、小手の指に仕込んだ火打ち石を打ち鳴らし、着火する。

 シュボ、っと暗闇の中オレンジ色の火線が走り、立て続けに爆発音が鳴り響く。

 

 ――爆導索。特殊な調合を施した爆薬を染み込ませた芯に油を染み込ませた糸を巻きつけ、火の回りをよくした導火線に、多数の爆雷符を括り付けたものだ。

 

 威力もさることながら、至近距離で炸裂する火炎と煙は目くらましにもなる。

 よし、と駆け出そうとしたところで……

 

「……うわ!?」

 

 まるで意に介さずこちらに向き直った悪魔の段平が、進路を塞ぐように振り下ろされる。

 見れば……あちこち焼け焦げてはいるが、大したダメージは与えられていなかった。

 

 振り切れなかった。

 そう判断し、再度飛び退る。

 

 じわりと、焦りが胸の中に広がっていく。何故ならば……

 

 ――マズいな、この人、かなり危ない。

 

 あっという間に背中を濡らしていく、滑る液体……血液。

 そのおびただしい出血は、明らかに危険な様相を呈していた。

 

 耳元で聞こえてくる、喘ぐような浅く早い呼吸は、たしか出血性ショックの重篤な段階じゃなかったか、と領主様につけてもらった講義の中、応急手当ての内容から記憶を引っ張り出す。

 

 急いでさっきの聖女の女の子に合流し、診てもらわなければならない。

 だというのに、この悪魔はどうしてもこの人を逃すつもりは無いらしい。

 

 ――人を背負ってさえいなければ、取れる手はあるってのに……っ!

 

 胸中で毒づく。

 かといって、放り出すのは男として絶対に無理だ。

 そう、こんな状況下ではあるが背中に感じる()()()()()()()()()()の感触に、状況も弁えずドギマギとしながらも覚悟を決める。

 

「本当、俺ってこんな役回りばっかりだよな……っ!」

 

 逃げ足が信条な忍者だというのに、誰かを守って逃げられない状況での正面からガチンコ勝負が多すぎる。

 

 そんな愚痴を吐き出して、一気に離脱しようと脚に力を込めた――その時だった。

 

「……ッ!?」

 

 全身の鳥肌が一気に立つような、絶望感に似た圧力。

 

 上空から悠然と降りてきた、ひとつの人影。その影は、対峙している悪魔の向こう側に降り立った。

 

 バサリと、その背から広がる黒いボロボロな三枚羽。

 そして……この場に立っているだけで、空気が震えている気がする圧倒的な魔力。

 

 気を失っているはずの背負った人物が、まるで怯えるようにひとつ大きく震えたのを背中で感じる。

 

 ――こいつが、姉ちゃん達が遭遇したっていう『死の蛇』。よりにもよってこんな時に。

 

 

「……フン」

 

 つまらなそうにこちらを一瞥し、鼻で嗤う声。

 その手に、見ているだけで震えが止まらないほどの禍々しい力が集中していた。

 

 ――まずい、これ、死ぬ。

 

 そう覚悟し、たまらずグッと目を瞑る。

 

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 ……………………

 

 

 

「……あ?」

 

 一向に攻撃は飛んでこない。

 もしかして、痛みすらなく、気付く間も無く死んでしまったのだろうか。

 そんな考えに、おそるおそる目を開く。そこには……

 

「何をしている小僧、その女を治療するんだろ、さっさと行くぞ」

「……え、あ、ああ」

 

 先程の男……『死の蛇』が、こちらの様子など興味なさそうに吐き捨てる。

 

 ――まさか、こいつに助けられた?

 

 いや、そんなまさか……そうは思うも、眼前の男からはもう敵意が感じられない。

 

「それと、あの童共々闘技場に戻るのはやめておけ。それ以外でどこか匿える場所に心当たりがあれば、案内しろ」

 

 こちらの返事など聞く耳持たず、さっさとこちらに背を向けて、先程の子供達の逃げた方向へと歩き出してしまう男。そこからは、先程の威圧感は微塵も感じなくなっていた。

 

 そして……

 

「なんだ、こりゃ」

 

 先程の悪魔は、まるで空間ごとえぐり取られたように円形に削り取られて肩から上と両脚だけ残し、転がっていた。

 

「助かった……のか?」

 

 なぜ男が助けてくれたのかは、全く分からない。

 不信感も、当然だが、ある。

 だが……今はそれよりも助けなければならない人が背中にいる。そう思い直して、慌てて駆け出すのだった。

 



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蛇の目的

 

「戻るのは止めておくんだな。目撃者であるお前……は自力でなんとかできても、そっちの子供二人は消されるぞ」

 

 思わぬ助っ人として現れた黒ローブを纏う男は、あまり興味なさそうにしながらもそう助言してくれた。

 半信半疑ながらもその言葉に従い、王子様や聖女様を連れ出す罪悪感を感じながら、大闘技場から抜け出した俺達。

 

 そうして祭りに賑わう街を抜け、人目を避けて逃亡した俺達は……街外れ、桜花姉ちゃんの工房まで逃げて来ていたのだった。

 

 

 

 ちなみにスノーは、文を持たせてイリス姉ちゃん達への伝令に行ってもらった。

 

 二人は俺といる。

 任せて欲しい。

 

 たったそれだけの、他者が見てもおそらく分からないであろう伝言だが、姉ちゃん達なら伝わってくれるはずだ。

 

 

 

「……それで、私たちのところに連れてきたって訳なのね」

「ごめん、桜花さん。ほかに思いつかなくて……」

 

 完成間近の二組の甲冑の前で、腕組みして呆れたように言うこの家の家主である桜花姉ちゃん。

 目の下にクマを浮かべた桜花姉ちゃんのその不機嫌そうな言葉に平謝りするが、しかし、彼女は俺の隣、同行者の方を向いて困ったような顔をする。

 

 そこには……

 

「ごめんなさい、おねえさん……」

「迷惑をかける事は申し訳ないと思うわ、だけど……お願いします」

 

 ちみっ子二人、しかも片方は王子様という顔触れに申し訳無さそうに言われ、さすがに放り出す気にはなれなかったらしい。

 バリバリと頭を掻き毟り、諦めたように、はぁ……とため息を吐いた。

 

「……って言っている場合じゃないみたいね、まぁ、仕方ないか。私はこっちに篭りきりだし奥の部屋のベッドは空いてるから、汚していいよ、使いな」

「ありがとう、桜花姉ちゃん……!」

「「ありがとうございます!」」

 

 礼を言って、頭を下げる。

 隣の二人も、揃った動作でペコンと頭を下げた。

 

「いいわ、急いでるんでしょう。キルシェ、案内してやって頂戴」

「うん、お姉ちゃん。それじゃ、みんなはこちらにどうぞ」

 

 そう言って案内してくれるキルシェ姉ちゃんに案内されて、移動するのだった。

 

 

 

 

 

 どうやら本当に使っていないらしく、余計な物がない、作業室の仮眠ベッド以上に殺風景な部屋に案内された俺達。

 

「それじゃ、急いで治療するから早く寝かせて頂戴」

「おう、頼む」

 

 仕事モードに入ったらしく険しい顔をしているアンジェリカの指示に、そっと背負っていた人物を寝台に寝かせる。

 

「あの、私も治癒ならお手伝いできるのですが……」

「大丈夫、でも長丁場になるから交代が必要になったら頼んでも良いかしら」

「う、うん……」

「ユリウス殿下、さっきのお姉さんに頼んで、お湯を沸かして貰ってきてください」

「うん、わかった!」

 

 テキパキと指示を出しているまだ幼い女の子に、気圧されているのは年上のはずのキルシェ姉ちゃんの方。

 小さな聖女様のその様子は、場馴れした落ち着きを感じさせるものだった。

 

「はぁ……まだ子供なのに、聖女様ってすごいなぁ」

「あの子は特別気が強いだけじゃねぇかな……」

 

 関心というか恐縮というか、目を白黒させているキルシェ姉ちゃん。

 その言葉に、俺はユリウス殿下にまでビシビシ指示を飛ばしているその様子を見ながらしみじみそう呟くのだった。

 

 

 

「とりあえず、消毒が必要ね。まったく、あの人はサラッと教えてくれたけど、この魔法の有用性が本当に分かっているのかしら……」

 

 ブツブツ呟きながら、『ピュリフィケーション』の魔法でベッドに寝かせた人の身を清めるアンジェリカ。

 イリス姉ちゃんに教わったというその魔法は、こちらの教団には無かったものらしい。

 

「そんな凄いのか、その魔法? 綺麗になるだけじゃ……」

 

 たしか第四階位くらいだし、割と初期の方で覚える簡単な魔法、っていうイメージだったんだけど。

 

 ……と、思った通りに言ったら、やれやれと呆れた顔をされた。

 

「あのねぇ、たったこれ一つだけの魔法で、傷口も器具も完璧に消毒できるのよ?」

「お、おぅ……そいつは凄い……のか?」

「凄いなんてもんじゃないわよ。私たちの活動も、この魔法一本あれば劇的に楽に……」

「ねぇアンジェ、まずはこっちを何とかしないと」

 

 だんだん愚痴がヒートアップしてきたアンジェリカに、伝言を桜花姉ちゃんに伝え終えて戻って来たユリウス殿下の指摘が入った。

 

「っとと、そうだったわ。全く……仕事の邪魔をしないでよね!」

「いや、まあ……悪い」

「いいから、麻酔が効くまで、もし暴れ出した時のために押さえつけておいてください!」

 

 そう言って、悪用されぬよう教団に極秘で伝わるという、ごく弱い麻痺と催眠複合の麻酔魔法を唱え始めたアンジェリカ。

 なんで怒られたんだと理不尽に感じつつも、俺はこの場で一番立場が上の少女に言われた通りにするのだった。

 

 

 

 

 しばらくして、麻酔が効いたのか深い眠りに落ち、僅かな胸の上下しか見られなくなった怪我人。

 消毒を終え、血糊を拭き取った後の様子は、それは酷いものだった。

 

「うげ……」

 

 刺激の強い光景に、ユリウス殿下の目を塞ぎながら、呻く。

 

 逃げながら止血は済ませているため出血は収まっていたが……特に酷いのは、獣に食い千切られた様相の右肩。

 腕が繋がっていた事すら奇跡的だったようで、ごっそり欠損した肉の間から途中で砕けた骨が顔を覗かせ、繋ぎ直された血管が微かに脈打っているのすら確認できた。

 

「……あれ、この人」

「ん、キルシェ姉ちゃんの知り合いか?」

「う、うん……」

 

 その時、ガチャリと扉が開き、湯を張った桶を抱えた桜花姉ちゃんが部屋に踏み込んで来る。

 

「その子はたしか、プレイヤー互助組織の子だね。前にキルシェを助けた時に協力してくれた奴……まあ、恩人と言ってもいい奴だよ」

 

 そう言って、怪我人の顔を覆っている、何かの鳥類らしき頭骨でできた仮面を取り払ってしまう桜花姉ちゃん。

 そこには……プレイヤー独特の整っている顔があった。

 

 今は血に染まっているが、元は艶やかであろう銀の髪。苦悶に歪んでいるが、おそらく平時は穏やかそうな様子だろうやや垂れ気味の目に、桜色の小さな唇。その顔は、間違いなく女の子……それも相当に可愛い部類……だった。

 

「この方、男装していたけど、女の子だったんですね」

「ま、力を手にして浮かれた野郎どもの中で暮らすには必要だったんだろうね、魔法職なら尚更さ」

 

 たしかに、いくら強いといっても魔法使いでは、突然複数の前衛職から真っ向から押さえ込まれたら反抗できないだろう。

 

 そんな事を解説しながら、桜花さんは抱えて来た鋏……防具に使うなめし革だって裁てるゴツい奴だ……を、じゃらんと音を立てて鞘から抜きはなった。

 

「ほらほら、治療には服を脱がせないとなんだから、男子はさっさと外に出る」

「お、おう……それじゃ後は任せる」

 

 俺とユリウス殿下は、あっさり部屋の外に摘み出されてしまった。

 

「……追い出されちゃった。どうしよう、忍者のおにいさん」

「そうだな……」

 

 見上げてくる幼い王子様の問いかけに、うーん……と悩む。

 

 正直、やらなければならない事は分かっている。気は進まないが。

 

 ……やっぱ、話聞かないと駄目だよな。

 

 けど、めちゃくちゃ気難しそうだよなぁと、気が重くなるのだった。

 

 

 

 

 

 本当に味方か分からない相手のところに子供を連れてくるのはさすがに憚られ、ユリウス殿下には落ち着けるよう茶を出してやって、リビングに置いてきた。

 

 さて、あいつは……と周囲を見回す。

 その姿は、案外とすぐに見つかった。

 

「よっ……と」

 

 軽く飛び上がって片手で屋根の縁を掴み、足を振り子のようにして反動をつけ、ひらりと屋根上へ飛び上がる。

 そこには……腕を組んだまま闘技場の方角を見つめ、煙突に背を預けたまま微動だにしない黒ローブの男の姿があった。

 

「見張っててくれたのか?」

「……」

 

 返事はない。完璧に無言。

 狼狽えるな、このくらい予想通りだ。

 

「一応、礼を言っておく。助かった」

「別に助けたわけじゃないよ」

 

 間髪入れぬ男の言葉に、ぐ、と言葉に詰まる。

 予想はしていたが、取りつく島もない。

 

「……い、いや、でも助かったのは事実だし」

「礼なんて必要ない。こちらにも事情があっただけで助けようとした訳じゃない」

「ああ、ハイハイ、そうですか」

 

 礼くらい素直に受取りゃいいのに。

 そうは思うのだが、向こうも照れたりした様子が無いので、どうやら興味ないというのが紛れも無い本心らしい。

 

「で? 事情ってなんだよ」

「お前が知る必要は無い」

「てめぇ……」

 

 そんな苛立ち混じりに呟く俺をちらっと見ると、やれやれといった様子で肩を竦めた。

 

 ……いちいちイラつく野郎だなこの野郎。

 

 そう喉元まで出掛かった言葉を、寸前でグッと堪えた事を褒めて欲しいくらいだ。

 

「そうだな……わざわざ説明するのも億劫なんで、ただ一つ、簡潔に事情だけ伝えてやるとするなら」

 

 いや、ちゃんと説明しろよこんな会話してる方が面倒だろうが。

 

 そう思ったが……そんな内心の愚痴は、次に語られた言葉によってどうでも良くなってしまった。

 

 

「――このままいけば、お前たちの大事なあの『御子姫』は、お前達の手から溢れ落ちる事になるぞ」

「……は?」

 

 御子姫……たしかイリス姉ちゃんの事だったはず。

 それが……居なくなる?

 

 そんなまさか、今は姉ちゃんの周囲には兄ちゃん達二人だけでなく、領主様や、元は強い騎士だったという陛下、それに色々な人が周囲を囲んで守っているというのに。

 

 だがしかし、フードの中、闇から覗く男の金色の目は、その未来を確信した真剣なもの。

 それに……そこに僅かに見える感情の色に、俺は次の言葉を発せられなかった。

 

「僕にとってそれは面白くない。だから……それを止めるために来た。今はただそれだけ信じておけばいい」

 

 そう呟いた『死の蛇』の目は……気のせいか、話に聞いていたよりも幾分穏やかに見えたのだった――……

 



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剣聖 vs 騎士王①

 

「それでは……いってらっしゃいませ、二人とも」

「ああ」

「行ってくる」

 

 私の言葉にそれぞれ緊張した様子で返事をした二人が、それぞれ歩き出す……()()()()()()()()()()()()へ。

 

 そんな二人を、通路の先に姿が消えるまで見送った頃。

 

「……イリスリーア殿下、そろそろ貴賓席へ」

「……はい」

 

 背後に控えていたレニィさんと数名の騎士に促され、すっかり慣れてしまった貴賓席への道を戻る。

 

 そこには、心配そうな顔をしたアルフガルド陛下とアンネリーゼ妃殿下が、そわそわとしながら待っていました。

 

「おお……戻ったか、イリスリーア」

「やはり、二人の事が心配ですか?」

「はい……ですが、二人が承知の上で決めた事なので、きちんと見届けるつもりです」

 

 その真っ直ぐ彼らの方を見て告げると、王妃様が、私のことを労わるように軽く抱きしめてくれます。

 

「全く……これだから男性というのは困ったものです。私達の心配など御構い無しなんですから」

 

 昔はあなたもそうでしたねと、横にいるアルフガルド陛下に視線を送る王妃様。

 そんな視線に困ったように目を逸らしているアルフガルド陛下に思わず苦笑しながら、私も自分の席に着く。

 

 その陛下たちとの間が、妙に寂しく感じられた。

 本来、そこに居るはずのユリウス殿下の姿が無く、椅子が一つ空席なせいだ。

 

「それで、陛下、王妃様……その、ユリウス殿下の事は……」

 

 昨夜、ユリウス殿下とアンジェリカちゃんが、姿を消した。

 

 騒ぎの中でもたらされたのは、スノーが届けてくれた、ハヤト君からの無事を知らせるメッセージと……何か事件に巻き込まれて戻れないという事。

 

 スノーにはそのまま子供二人の護衛を頼んで戻ってもらい、今はこうして何事も無く続けられる武の祭典へと出席していた私たちでしたが……

 

 それでもやはり、実の子が行方知らずな陛下たちは心ここに在らずという様子でした。なので心配して声を掛ける。

 

「うむ……確かに心配だが……」

「あなたの信頼する子が護衛についているのでしょう、ならば信じます」

 

 そう毅然とした態度で答える王妃様でしたが……それでもやはり、お二人に滲む心労は隠せていませんでした。

 

「いけませんね。ユリウスの事を実の弟のように可愛がってくれている貴女も……いえ、貴女こそ心配事が私達などより多いでしょうに」

「彼らは……やはり、本気でぶつかり合うつもりなのだな」

「ええ……一度決めたら譲らない人達ですから」

 

 そんな二人の労りの言葉に、苦笑して返す。

 丁度、そんな時だった。

 

『――大変長らくお待たせしました、大闘華祭、フレッシュマンの部もいよいよ大詰め、準決勝となる今日ぶつかり合うのは……まずは今大会を良い意味で荒らしてくれたこの二人、ソールクエス殿下とレイジ選手だぁ……ッ!!』

 

 司会のお姉さんの声と共に、会場が熱狂的な声援に包まれた。そんな中、選手入場口から姿を現わす二人。

 

 ――本当に戦うのだ、あの二人が。

 

 そんな実感と共に胸を締め付けられる思いがして、ギュッと服の胸元を握って動悸を鎮めようとする。

 

 二人の間に流れるのは、今は信頼ではなく緊張した雰囲気。

 

 そのいつもと同じはずなのに違う二人の姿を、貴賓席の手摺を手が白くなるほど握りしめて、身を乗り出すようにして眺める。

 

 

 

 ソール兄様……綾芽はPvPが好きではないため、てっきり「お互い消耗し合うのは無駄だ」と言い出して、適当に見栄えの良い闘いを演じて退場するつもりだと思っていました。普段ならばそうした筈です。

 

 だけど……先程纏っていた張り詰めた空気が、今日は本気で戦うつもりなのだと語っていました。

 そして……それを、レイジさんはどこか嬉しそうに受け止めていた事も分かった。

 

 

 

 だから、見守る事にした。聖女のお姉様方の所に出向き、この試合後の治療だけは私にやらせてほしいと頼み込みもして。

 

『それでは……双方、気合い充分と言った様子ですので、早速始めていきましょう! 準決勝第一試合……レディ、ゴー!! ってきゃあ!?』

 

 司会のお姉さんの掛け声に被せるように、試合開始のゴングが鳴る。

 

 それとほぼ同時に……炎と雷、異なる属性を纏って目にも留まらぬ速さで飛び出した二人がリング中央でぶつかり合い、発生した熱と突風に会場中から悲鳴と歓声が上がるのでした――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

 立て続けに鳴り響く、刃がぶつかり合う激しい音。

 剣が振るわれるたびに巻き上がる旋風と、それに乗ってまるで精霊がダンスをしているように踊り狂う火花と閃光。

 リング中央に止まり、一息に無数の剣閃を交えるような二人の闘いは、双方が一歩も引かぬ意地と意地の張り合いの様相を呈していた。

 

 

 

 

 

 私は、単純に剣で戦った場合、強いのは向こう……レイジの方だと思っていた。

 そして実際にこうして真剣勝負となり、その予想は間違えていなかったと痛感している。

 

 ――やはり、強い。

 

 長剣と短剣、取り回しの良い二刀のこちらの方が小回りの効く筈なのに、レイジは大剣を器用に操って、うまくいなしていく。

 

 こうして相対していると、レイジの戦闘センスというのがいかに非凡なのかがよく分かる。

 どれだけ激しく切り結んでいても、僅かに隙をみせるとその間隙を縫って、こちらの想定外の鋭い攻撃が飛んでくる。

 ここまで、そのせいで何度かヒヤリとするような場面があり、それは徐々に間隔を狭めて襲ってきていた。

 

 ――怖いな、本当に。

 

 今はまだ対応できているが、徐々に、こちらの攻撃パターンを見切った行動が増えてきている。

 先程まで有効だった攻撃パターンは数秒後には使えなくなる。徐々にこちらの手が潰されていき、行動の幅が狭まっていく。

 

「……本当、お前は大した奴だよ、レイジ……ッ!!」

 

 レイジが、僅かにこちらが追い遅れた隙に、こちらの剣の射程外へと退がるように軸足はそのまま後ろへ踏み込む。

 同時に引いたレイジの『アルヴェンティア』に、チロチロと紅い炎が灯ったのが見えた。

 

「っ、『ライトニング・ヴェイパー』……ッ!!」

「『砲、閃、華』ァッ!!」

 

 咄嗟にこちらも剣を引き、雷光纏う刺突を繰り出す。同時に放たれたレイジの剣が、猛火を纏いぶつかり合った。

 

「……くッ!?」

「……うわ!?」

 

 お互いの中間で激しくぶつかり合った雷と炎が衝撃に耐えかねて炸裂し、極小規模の核熱マナ・バースト反応を生じさせた。その眩い閃光と高熱を伴う衝撃波に、吹き飛ばされるようにレイジとの距離が離れる。

 

『おおっと、両者吹き飛ばされた! 双方一歩も引かぬ猛攻でしたが、これは一度仕切り直しか……!?』

 

 視界のお姉さんの声が、遠い。

 絶え間ない剣戟と、極限まで集中を強いられた事で、まだ始まって数分だというのに息が上がり始めていた。

 

 こうして離れて対峙しているだけなのに、額から滝のように流れる汗が止まらない。

 

 一手ミスれば即負ける……そんな強迫観念にも似た重圧が、ただ対面しているだけで、体力を削っていく。

 

 先程とは打って変わってシンと静まり返った会場は、ビリビリと振動すら感じそうな緊張感に支配されていた。

 

 

 

 

 ――何故、こんな辛い思いまでして、こんなマジになって戦っているのだろう。

 

 

 

 不意に、首をもたげてしまう疑問。

 分かっているのだ、ここで疲弊するのもさせるのも、得策ではないのだと。

 

 レイジとイリスの恋路は、自分も応援している。自分たちが戦う必要が、どこにあるというのだ。

 この後控えているのが斉天さんでもハスターという彼でも、きっと苦戦は必至であろう事が予想される以上、こんな試合適当に流して素直に通してやるべきなのだという事は、重々承知のはずなのに。

 

 だが、今の自分は、自分でも思っていなかった渇望に突き動かされていた。

 

 

 

 ――勝ちたい。この人に。

 

 

 

 ずっと自分たちの先頭を進んできた背中。

 その背中を超えたいという強い欲求が、闘争本能となって心を焦がす。

 

 あるいはそれは、自分が守りたかった相手を任せる事に対する、意地と嫉妬から来る最後の抵抗……つまり「妹はやらん!」という奴なのかもしれない。

 

 無意味だ。

 非合理的だ。

 

 理性は、この闘いに対して全力で非難の声を発している。だが……そんな理性を、今だけは圧し殺す。

 

「むざむざ負けたいわけじゃないんだ、私も……!」

 

 睨む闘技場の対面から、七つの光輝が生まれる。

 その輝きに、否が応でも顔が引き攣るのを感じた。

 

 ――あれは……レイジの『剣軍』!

 

 視界に映る光り輝く七本の剣、その威力は何度も目にして嫌というほど知っていた。

 

 故に……それを目にした瞬間、叫んでいた。

 

「――来い、『黒星』!!」

 

 私の周囲に出現した、六つの黒い球体。

 

 それらが宙を飛翔し、複雑な軌跡を描き迫ってくる、レイジの放つ光剣とぶつかり合った。

 

 だが……剣軍七本に対し、黒星は六つ。

 残る剣軍の一本はどこに……と考えるより先に、叫ぶ。

 

「『エッジ・ザ・ライトニング』!!」

 

 手にした剣が雷光の刃を形成する。

 同時に、剣に合わせて突っ込んできたレイジが左手に構えた『剣』を、こちらも左手の『アルトリウス』を軸に作成したばかりの、形成途中の雷光の刃で迎え撃つ。

 

 

 

 ――閃光、そして衝撃。

 

 

 

 立て続けに炸裂した『剣軍』と『黒星』がぶつかり合った結果として巻き起こる衝撃が、その時たしかに、大闘技場を揺るがしたのだった――……

 



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剣聖 vs 騎士王②

 

 

 立て続けに会場を揺るがす、黒星と剣軍がぶつかり合い、対消滅する衝撃。

 

 観客席から無数の悲鳴が上がる中、その七つの衝撃の中心で、私の左手にあるアルトリウスを軸に形成された『エッジ・ザ・ライトニング』と、レイジの左手の『剣』がぶつかり合い、八つ目の衝撃が私達の中間で炸裂した。

 

 身体を叩く衝撃による痛みに耐えながら、それに乗じ距離を取……

 

 ――ったら、負ける。

 

 それは、直感。

 だが、絶対的な敗北の気配に、ぐっと下がりかけた脚を叱咤し踏み止まる。

 

「『スパイラル・チャージ』……ッ!!」

 

 理屈も、何もあったものではない。こんな物はただの、直感任せのブッパでしかない目標も何も無いがむしゃらな突き。

 しかし、螺旋を描いて雷光を纏う、抉りこむような刺突の先で、衝撃を突き破って突っ込んで来るレイジの姿が現れた。

 

 その驚愕に見開かれた目がすぐに鋭く細められ、アルヴェンティアを構えるレイジの腕が、矢のように引き絞られる。

 

「『イグナイテッド・チャージ』……ッ!」

 

 全く同じ軌跡、同じ軌道で放たれた、こちらのドリルのように穿ち進む雷光の逆回り、リーマーのような螺旋を描く爆炎。

 

 ぶつかり合い、両者拮抗したその一撃はお互いに絡み合い、喰い合い、やがて消えた。

 だが、それでも私たちは止まらない。間近に迫ったお互いの顔に向けて、頭を振り下ろし……

 

 ――ガンッ、と凄まじく痛そうな音が、会場に響いた。

 

 一瞬意識が飛びそうになるほどの衝撃。

 

 視界の端に小さく映るイリスが、顔を青ざめさせ口元を覆っているのを見るに、どうやらそれほど遠くまで音が聞こえていたようだ。大したものじゃないかと思考の隅で考える。

 

 しかし、まだ止まるわけにはいかない。

 仰け反った反動で、さらに頭を振りかぶり、全く同じ動作をしているレイジに向けて、再度振り下ろす。

 

 ――ガキィン!! という、おおよそ人体がぶつかり合ったとは思えない硬質な音が響いた。

 

 しかし、それは額に闘気を集中させた結果。

 額が破れ粘性のある液体が鼻梁を伝うが、一発目よりむしろダメージは小さい。

 

 だからこそ、見えた。目と鼻の先にあるレイジの目、そこに浮かぶ色に。

 

 ――楽しいな。

 

 そんな、このような殴り合いをしているというのに、子供が遊んでいるような真っ直ぐな目。

 その目に苦笑を浮かべつつ、三度目の頭突きに備えて振りかぶり……

 

「『インビジブル・シールド』……ッ!」

 

 振り下ろす……そのギリギリ直前に展開した私の魔法障壁に、レイジが目を剥いて振り下ろしかけた頭突きを止めた。

 

 ――あいにく、私はレイジみたいな熱血漢じゃない……!

 

 倒れる最後の時までこのままパチき合うなんて、痛そうな真似は絶対にゴメンだ。

 

「負けてから、『正々堂々正面から全力でぶつかったなら悔いはない』なんて、真っ平御免なのよ、私は……ッ!!」

 

 吠えながら、足の止まったレイジの、魔法障壁の陰という死角……足元からすくい上げるような、左右二連の斬撃。

 

 慌てて飛んで避けたレイジが、空気が弾ける音を鳴らしながら宙を蹴って離れていく。

 

 

 

 …………え? 何それ?

 

 

 

 私みたいに背に翼がある訳でもないのに、エアダッシュとか始めましたよこのお兄さん。

 

 呆気にとられかけるも、離れてくれるのならば好都合だと瞬時に気を取り直して詠唱を始める。

 

 

 

 ――きっと、その時の私の顔は……まるで「計画通り」とでも言いたげな悪い顔をしていた事だろう。

 

 

 

「……――エルタリア(雷撃)スロウド(滅殺)ボーデル(迅雷)

 

 詠唱が進む。

 その私が唱えている魔法に、上空に居るレイジの目が驚愕に見開かれ、慌てて突っ込んで来るが、もう遅い。私の背に、複雑な魔法陣が拡がった気配を感じた。

 

「――デレイア(災厄の)ヴィステル(獣の)クエーサー(雷鳴)……『ライトニング・デトネイター』……ッ!!」

 

 ――閃光。

 

 人の背丈を優に超える紫電の束が、会場を真っ白に染め上げ、一斉に放たれた。

 

 

 ――前衛職には使用出来るはずがない、二次魔法職の最高位攻撃魔法。それは当然、タンク職である私に使用出来るものではない……筈だった。

 

 実際、職の恩恵で自動的に習得した物ではない。レオンハルト辺境伯から『フルインストール』を模倣する過程で、一から魔法理論を学び覚えた成果の一つ。

 イリスから聞いた加護紋章による補助の無い、全てマニュアル操作の大魔法だ。

 

 収束が甘い。

 ロスが多い。

 魔力伝導効率が悪い。

 

 他にも問題点を挙げればキリがないだろう。

 辛うじて起動できたというだけの、本職であるミリアムが見たら、鼻で笑うであろう程度……おそらく威力的には本家の十分の一もあればいいほうであろう、その魔法。

 

 だが……広範囲に突き進むその閃光を、空中で逃れられる術はない。

 たとえどれだけ劣化していようが、人一人気絶させるには十分すぎる威力を持ったその閃光が、レイジを飲み込んだ。

 

 ――勝った。

 

 そう、高揚感と僅かな後悔が胸に去来した、その時だった。

 

 閃光……八条の、まるでレイジを中心とし蜘蛛の脚のように広がった閃光によって、雷光が千々に引き裂かれたのは。

 

 

 

「……今日二度目の……剣……軍……?」

 

 呆然と、上空に居るレイジが振るったアルヴェンティア以外の、七閃の光剣を眺める。

 

 雷光に飲まれる瞬間に『剣軍』を呼び出して、その剣を前方に円錐形に並べて雷光を凌ぎ、弱まった瞬間を狙って切り払ったのだと、そんな理論的なことはすぐに理解した。

 確かに魔法の力場であり、本質的には防御魔法に近いあの技ならば、理論的には可能であろうという事も、理解できる。

 

 だが……それは、あまりに信じがたいことでもあった。

 

 

 

 レイジの切り札である『剣軍』は、再使用までの時間が長い。それは、私の『黒星』と同じ、だいたい丸一日。

 故に、もうあれが来る事は無いと、先入観によってすっかり思いこんでいた。それはまるで、私が『ライトニング・デトネイター』を隠していたのと同じように。

 

 よく見れば、その『剣』一本一本はとても短い。長さもまちまちで、最長でもせいぜいショートソードくらいしか無い。

 それは、レイジがこの技を加護紋章の補助なしで、マニュアル起動した事を示していた。

 

 ……だが、ただ一閃をアルヴェンティアを含め一瞬で八回。

 

 雷光を切り裂くため、ただそれだけを行うには、十分だった。

 

 何という事はない……私は、先程のだまし討ちと全く同じ事をレイジにやり返されたのだ。

 

 

 

 ――敵わないなぁ……

 

 

 

 そんな事を考えるも、戦闘はまだ終わっていない、慌てて構え直す。

 

「ソールッ!!」

「っ、レイジ……ッ!!」

 

 こちらを飛び越えて、背後に着地するレイジ。

 慌てて振り返り、剣を振るう。

 その時にはもう、視界の隅にはこちらに迫って来ているレイジの姿があった。

 

 

 

 ――静寂。

 

 こちらの剣は、レイジの両肩を貫くかなり手前で止まっていた。

 対してレイジの大剣は……こちらの喉元、紙一重の位置に、切っ先を固定していた。

 

「……参った、私の負けだ」

 

 これが殺し合いならば、私が先に動こうがレイジの剣は私の命を奪うであろう。完敗だと苦笑して、両手の剣を手放し降参する。

 

「私に勝ったんだ。絶対に次も勝てよ、レイジ」

「……ああ、わかった」

 

 レイジに向けて拳を突き出すと、額から血を流しながらもニッと少年のような笑みを浮かべ、ごつんと拳を合わせて来るレイジ。

 

 

 

 ――終わった。

 

 人前で、人間相手に戦う事の緊張から解き放たれた解放感と、等量の悔しさから、全身から力が抜けて座り込む。

 

 今回は特別だ、もう、こんな事はやりたくない。

 やはり私はPvPは嫌いなんだと思い知った。

 

 

 

『決着ーッ!! 凄まじい、お互いの意地がぶつかり合うような両者譲らぬ大激戦でしたが、制したのはレイジ選手ーッッ!!』

 

 興奮気味な司会のお姉さんの、試合終了のコール。

 同時に、会場を今大会で最も大きな拍手が埋め尽くし、私の大会は終わりを迎えるのだった――……



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前夜祭①

 

 準決勝第一試合が終わり、激戦を終えて貴賓席へと戻ってきたレイジさんとソール兄様の二人。

 その治療がひと段落し、双方とも大きな怪我が無かった事に、安堵の息を吐きました。

 

「……どうですか? まだ頭が痛いとかは無いですか?」

「いや、大丈夫だ」

「……平気」

 

 そっぽを向き、ポツリと呟いた兄様に、レイジさんと顔を見合わせて苦笑する。

 

 すっかり拗ねていますね、これ。

 

「……もう、こういうのはこりごりです。見ていて気が気ではなかったんですから」

「ああ……悪かった。だが、守りたかった奴を他者に任せるには、どうしても必要なんだよ、納得できるけじめってのがな」

「……」

 

 レイジさんがそんな事を言いますが、それに肯定も否定もせずに黙り込む兄様。

 しばらくそっとしておけと言われ、言われた通りにします。

 

「っと、始まるな」

 

 レイジさんが、リングの方へと視線を向ける。

 釣られて私と兄様がそちらを見ると、丁度選手入場のゲートが開いたところでした。

 

『それでは、準決勝第二回戦! ハスター選手と、斉天選手の入場です!!』

 

 司会のお姉さんの言葉に、会場が、歓声で揺れます。

 

 

 

 ……しかし、その声が戸惑いと共に、徐々に小さくなっていき、最終的にはザワザワとしたざわめきのみになっていきました。

 

 というのも……

 

『これは……どうした事でしょう。ハスター選手が現れません!』

 

 リングに上がったのは、悠然と腕を組み、対戦相手の登場を待つ斉天さんのみ。

 

 その対戦相手であるハスターさんは……いつまで経っても、この場には姿を見せませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――結局、あの後ハスター選手が現れる事はありませんでした。

 

 レイジさんとソール兄様の一戦により、会場の熱気が高まったところにこの展開です。

 当然ながら、観客席から不満の声が飛び交うまま、試合は斉天さんの不戦勝で決勝進出が決定しました。

 

 

 

 そんな消化不良のまま……今、私は、夕方に控える決勝前夜祭への出席のため、自室に缶詰となっていました。

 

「いやー……驚いたねぇ、まさか準決勝で試合放棄なんて」

「……そうですね、何かあったのでしょうか」

 

 今は私の髪を梳いてくれているティティリアさんの言葉に、私自身、戸惑いながら答えます。

 

 ユリウス殿下とアンジェリカちゃん、それにハヤト君が姿を消したのと、何か関連があるのだろうか……そんな事を、髪を梳かれながら考える。

 

 ――もし、あのハスターという人が、()()()と何か繋がりがあるのなら。

 

 てっきりこの大会に何か目的があるのだろうかと疑っていたのですが、そうではなかったのだろうかと拍子抜けした気分でした。

 

 ……なんだか、嫌な流れを感じる。

 

 大会に潜んでいた刺客の方々は皆捕縛済みだというのに、まだ何かが潜んでいるような、そんな漠然とした不安。

 

「……さまー、ねぇ、イリスちゃん?」

「……え? あ、すみません、ボーっとしていました!」

「大丈夫……?」

 

 心配そうにこちらを覗き込むティティリアさんに、大丈夫と笑ってみせる。

 

 気がつけば、私の長い髪は頭の左側、前髪が長い側で花などをあしらいつつ結われていました。

 最後に留め金でヴェールを被せられ、ティティリアさんが、よし、と一つ頷きます。

 

「それで……髪の方は終わりました。それじゃ今日最後の大仕事、頑張ってきてね」

 

 そう言って立つのに手を貸して、エスコートして部屋から連れ出してくれるティティリアさん。

 

「そ……そうですね、式典なんて緊張しますけど」

「それもあるけど……それよりほら、レイジさんに綺麗って言ってもらわないと」

「あぅ……」

 

 今の服装は、やはりというか手の込んだドレス。

 透けるほど薄い、僅かにプリズムがかったグラデーションの生地を何層にも重ねてふわりと広がるスカートは、まるで花のよう。

 

 上は胸のあたりまでしかなく、胸元と肩、そして背中を大胆に露出している。

 しかし、肘上までを覆う白い指貫グローブと、肩周りの露出を補うように掛けられた、ふわりと柔らかく揺蕩うショールが、ともすれば扇情的になりかねないのを押さえてくれていました。

 

 雰囲気的には、初日に着たドレスに近いでしょうか。

 

 それからしばらくはもっと普通な装いが続いたので、随分と久しぶりな気がします。

 

 

 

 式典列席者の控え室の入り口は、厳重な門によって塞がれていました。

 その門の開閉のためのドアキーパーが、左右に二人。

 そして、その中心に立っている、一人の女性。その姿には、見覚えがありました。

 

「あ、あなたは……司会の?」

「はい、司会進行を務めさせて頂いてます、シルヴィアと申します。こうして闘技場外で顔を合わせるのは初めてですね?」

 

 今はきちんとしたフォーマルなドレスを纏う彼女が、胸に手を当てて、上品にニコリと笑いながら声を掛けてくる。

 

「……やっぱり、こっちの方がいいかな?」

 

 しかし、私がその豹変に戸惑っていると、すぐに相好を崩していつもの彼女へと戻ってしまいました。

 

 その変化に……正直、ホッとしたのでした。

 

「いやぁ、でも来賓の方々も、みな気さくな方々で本当に良かったです。見ての通りあまり静かにしていられないタチなもので」

「ふふ、おかげで大会も楽しく拝見できました。ありがとうございます」

「ならば良かったです、司会冥利に尽きるというものですね……とと、中でお待ちになるのですよね?」

 

 こほん、と一つ咳払いする彼女。

 

「ノールグラシエ王国、イリスリーア・ノールグラシエ王女殿下のご入場です」

 

 そう彼女が告げると、左右のドアキーパーの男性が、扉を開けてくれる。

 祭儀殿とその待合室に続く重いドアが、ゆっくりと開かれていきました。

 

 そこには……すでに集まっていた、正装に身を包んだ各国の来賓の方々の姿。

 

「おお、来たかイリスリーア」

「お疲れ様。ドレス、よく似合っているわ」

 

 真っ先に気付いて声を掛けて来たのは、やはりというか、ノールグラシエ国王夫妻。

 

「お久しぶりですわぁ」

 

 そう、どこか妖艶さ漂う口調で話しかけて来たのは、東の諸島連合代表である巫女の一人である桔梗さん。

 彼女は今、背後に控える同僚の巫女達と同じく、正装である白衣と緋袴に加え、催事用の飾り千早まで着込んでいました。

 

「おお、来たかイリスリーア王女」

「お疲れ様、イリスちゃん。あと少し、お互い頑張りましょうね?」

 

 そう言ってにこやかに近寄ってきたのは、お互いの腕を取り合って仲睦まじく歩いて来る、フェリクス皇帝陛下とイーシュお姉様。

 

「それで……お姉様、調子の方は……」

「ふふ、ありがとう、心配してくれて。おかげ様で落ち着いているわ」

 

 花が綻ぶような笑顔を浮かべたイーシュお姉様の様子に、ホッと息を吐きます。

 

 そのまま、しばらくお姉様と雑談していると……

 

「おっと、どうやら主役の一人がお出ましみたいだな」

 

 フェリクス皇帝陛下のそんな声に、彼の視線を追って見る。

 

 そこには……紅い儀典礼服を纏い、儀礼用の剣を腰に佩いて、髪をオールバックに整えたレイジさんの姿がありました。

 

「ほら、行ってやりなよ、お姫様?」

「ひゃ!?」

 

 フェリクス皇帝陛下にトン、と軽く背中を押され、数歩前、レイジさんの目の前へと押し出されてしまう。

 

「おっと、大丈夫か?」

 

 よろけ掛けたところを、支えてくれるレイジさん。

 そのいつもと違う出で立ちに、バクバクと心臓が暴れ出し、言葉に詰まる。

 

「……やっぱ似合ってねぇよな?」

「あ、いえ……その、格好良かったもので」

「そ、そうか……?」

 

 照れながらなんとかそう口にする私に、同じく照れながら返すレイジさん。

 周囲からの微笑ましいものを見る視線に気付いて、慌てて背筋を伸ばし、澄まし顔を取り繕う。

 

「レイジさん。改めて、決勝進出、おめでとうございます」

「ああ、サンキュ。しかし……まさか正装しないといけないなんてなぁ」

「ふふ、催事の中の一つなんですから、仕方ないですよ……その、本当に格好いいですよ?」

 

 そう微笑みかけると、レイジさんは照れて目を逸らしてしまう。そんな彼の隣に寄り添って、アルフガルド陛下のところまで戻る。

 

 途中、恨みがましくフェリクス皇帝陛下にひと睨みするのは忘れない。もっとも、軽く笑って流されてしまいましたが。

 

「ところで……ソールは? 一緒じゃないのか?」

「……え?」

 

 その途中で言われて、そういえば姿が見えない事に気付きます。

 

 あと居ないのは、西の通商連合代表であるフレデリック首相と、もう一人の決勝進出者である斉天さん。

 しかしその二人は、少し遅れて式典ギリギリになるという通知がありました。

 

 しかし……兄様には、そうした通知はありません。

 

「私も、てっきりレイジさんと一緒に居るのだと……」

「いや、俺も……治療してもらったあの後に『少し一人にさせて欲しい』と言われたきり、会っていないぞ?」

「そんな……」

 

 ここまで、次々と出てくる行方不明者。

 まさかその一人に兄様まで……と不安が鎌首をもたげてくる。

 

「……まだ前夜祭までは時間がある。そのうちふらっと現れるさ」

 

 そう、励ますように言うレイジさん。

 

 

 

 

 

 

 しかし……その後もソール兄様が現れる事は無く、三位決定戦の両選手不在のまま、大闘華祭決勝前夜祭は始まってしまうのでした――……

 



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前夜祭②

 

 ――結局、遅れていた斉天と西のフレデリック首相が会場に現れても、未だにソールは姿を見せなかった。

 

 結局、三位決定戦の二人が姿を見せないという事態の中で止むを得ず開始された式典も、最後の宣誓だけとなる。

 

「……ここまで勝ち上がってきた強き戦士、レイジ。斉天。双方とも、アーレス神の名において、正々堂々と己の力と技の限りを尽くし戦うと誓いますか?」

「……ああ、誓う」

 

 司会進行役だというアーレスの教団の偉い人の言葉に、胸に拳を当ててきっぱりと断言し、頷く。しかし……

 

「……」

「……斉天?」

 

 もう一人、いつもであれば何も考えず頷く筈の斉天が、黙り込んだまま口を開かない。

 その様子に訝しみ、横目で様子を伺うが……斉天は、どこかここではない場所を見つめるように、虚空を眺めていた。

 

「……斉天選手?」

「あ、ああ、すまん。我も誓おう」

 

 司会進行に促され、慌てて答える斉天だったが……

 

 大勢の人前に立って、緊張した?

 本当にそうだろうか、もっと何か、悩み事がありそうな様子に首を傾げる。

 

 その間も式典は粛々と進み……やがて、話の終わりとともに、決勝前夜祭が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 決勝進出した二人の宣誓を終えて、会場は催事殿から、ホールに設置されたパーティ会場へと移りました。

 

 堅苦しい儀式とは裏腹に、この決勝前夜祭そのものは、無礼講のお祭り騒ぎでした。

 

 会場で行われているのは関係者や来賓、あとはエリアを区切られてこそいるが、ここまで戦って来た選手達のうちの上位入賞者を交えての立食パーティー。

 

 合わせて大闘技場の外でも多数の花火と共に様々な屋台が開かれ、まさにお祭りの様相を呈しているらしいです。

 

 はじめは、明日三位決定戦をする筈だった二人の不参加によって、微妙な空気が漂っていましたが……闘技大会で栄えているこの街は、街ぐるみでお祭り好きならしく、今ではすっかり宴の雰囲気一色となっていました。

 

 

「しかし、まぁ……無礼講だというのに、各国の皆さんは真面目ですなぁ」

 

 視界の端では、真っ先にお酒の入った西のフレデリック首相が、アルフガルド陛下やフェリクス皇帝陛下と談笑していました。

 

「はは、まぁ我々が率先して羽目を外してしまっては、下の者が苦労しますからね」

「申し訳無い。願掛けでしてね、今は私もなるべく酒類断ちをしているもので」

「そうかぁ……私は、皆仲良く朝までぶっ倒れるほど羽目を外して見たくなる時がありますよ」

「はは、それは威厳もあったものではないですな」

 

 何やら盛り上がっている国家主席三人。

 

 レイジさんや斉天さんの方はというと……こちらは主賓という事もあり、次々と訪れる客への挨拶に追われているみたいです。

 

 

 

 そんな彼らを横目に、手持ち無沙汰となった私は周囲に侍る護衛の騎士様に目配せし、少しだけ会場を抜け出すのでした。

 

 

 

 

 

 

 街の喧騒を見下ろす事の出来る、会場外のテラス。

 今は人気の無いそこに出てきた私は、脳内に、周囲の生体情報を示す光点が浮かぶマップを呼び出す。

 

 

 ――こちらに飛ばされた際にパーティを組んでいたせいか、レイジさんとソール兄様は、青い光点で見えます。

 

 ゆえに、もしかしたら兄様の位置も引っかかりはしないかと思ったのですが……

 

 

 

「流石に、そう上手くはいきませんね」

 

 今ひとつだけ付いている青い光点は、ホールに居るレイジさんのみ。はぁ、と溜息をつき、マップを消そうとして――

 

 

 

 ――それに気付いたのは、本当に偶々だった。

 

 

「……えっ」

 

 脳内展開されている、無数の生命反応の光点が………まるで凪いだ池に雨粒が落ちて波紋が広がるように、変化していく。

 

 健康体を示す白から、何らかの異常が発生したことを示す緑へと。そして……それは自分たちも例外ではなかった。

 

「くっ、……ひめ……さま……」

 

 背後で護衛をしていた騎士が呻き声を上げて崩れ落ちる。咄嗟に振り返って駆け寄ろうとして……頭が、ぐらりと揺れた。

 

 ……催眠ガス!?

 

 咄嗟に状態異常回復魔法、そして状態異常耐性付与魔法を唱え、自身に睡眠に対する耐性を付ける。

 それでもまだ僅かにふらつく頭を抱え、元の会場へと戻ろうとした……その時でした。

 

「これはこれは……皆と同じく眠っていただけたら楽だったのですが、一人夜更かしとは悪いお姫様だ」

「……フォルスさん」

 

 カツン、カツンと靴音を上げて、会場へ続く道を塞ぐように暗がりから姿を現したのは、銀の長髪をした眼鏡の青年。

 その姿を確認し、右手で左手……その手首にある銀のブレスレットに触れる。

 

「あなたが、このような事をしたのですか」

「ええ……とはいえ私の身分では会場には入れませんでしたが、()()()()()()の方に手伝っていただきましてね」

「協力者……?」

 

 訝しんで呟くも、流石にそれを教えてはくれそうにない。諦めて、次の質問を投げる。

 

「何故、このような事をしたのですか?」

 

 下手をしなくても、発覚すれば首が飛ぶであろう狼藉。そんな事がわからないような彼ではないはずなのに。

 

「あなたと、話がしたかったのですよ」

「……私と、ですか。これほどの事をしでかして?」

「それくらいしなければ、貴女の周りの騎士様たちが許してはくれなさそうだったもので」

 

 やれやれ、大事にされていますねと肩をすくめるフォルスさん。

 

「……いいでしょう、聞いてあげます」

 

 警戒は解かず、一定の距離を保ちながら、告げる。

 

 そうしてフォルスさんから語られたのは、彼がこちらに飛ばされてからの数ヶ月の奮闘の歩みでした。

 

 

 

 

 

「……こちらからの話は以上です。どうか……貴女に協力して欲しい」

 

 語り終えた彼の、その一見真摯に見える態度に、キュッと唇を噛む。

 なるほど、レイジさんと兄様が、頑なに彼が私と接触するのを拒んだ訳だと理解した。

 

 

 

 この集団異世界転移の原因となった私には、責任があるのかもしれない。

 

 それは、ずっと負い目に思っていたのは確かで、故に彼の言葉に賛同してしまいかねないと……そんな心配をされるのも、もっともです。

 

 だけど……

 

「……お断りします」

 

 西大陸へ飛ばされた元プレイヤーの現状。

 

『海風商会』が現在置かれている窮状と、それが失われた際に出てくる先の見通しが立たない人々の事。

 

 だからこそ、まだ勢力を打ち立てる事ができる見込みのある西大陸に、こちらに飛ばされた元プレイヤーの拠り所となる地を作りたいという、その話。

 

 その言葉は、確かに私の心を揺らしたのは事実です。

 

 しかし……

 

「成績から言って、会場にいて然るべきの筈の、あのフラニーという方が居ません……彼女は、今どこに?」

 

 私の問いに、黙り込む彼。

 

「それに、彼女が警告した、人に寄生する石。材料をどう言った経緯で入手したか分かりませんが、それを精製したのは貴方ですね、『悪魔を制する者(デーモンルーラー)』?」

 

 ゲームだった時に、噂に聞いた事がある。

 ウォーロック系、二次職ネクロマンサー。その先にある転生三次職は、ついに異界の悪魔さえ支配下に置いていた…と。

 

 

 

 ――その名を『悪魔を制する者(デーモンルーラー)』と言う。

 

 そしてそれが目の前の彼であるという事も、()()最初から知っていた。

 

 

 

 私の言葉に、フォルスさんが眼鏡の奥でその切れ長な目を見開く。

 

「……知って、らっしゃったのですか。てっきり、貴女にとって私は一度依頼を受けただけの関係でしかないとばかり」

 

 その言葉に私は、はぁ、と溜息をつく。

 

「……あなたは真摯に、迅速に、こちらの無理難題を解決してくれましたから。優秀な人と認めていたのであれば、調べもします」

「……っ」

 

 ぐっと、何かの感情を飲みこんだかのように表情を歪める彼。

 

「……ですが、何故私が関係していると?」

「あの石を浄化した際に感じた嫌な気配……あれは、あなたが周囲にずっと侍らせている()()()()にそっくりでした」

 

 私の言葉に、どうやら図星だったらしい彼がピクッと手を震わせた。

 

 ……だから、アンジェリカちゃんの治療をしたあの時からもう、私にとって彼は敵だった。あの非人道的なアイテムの一件。この一点において、私は彼を許せない。

 

「巻き込んでしまった元プレイヤーに対して責任を取れというのであれば……今は無理であっても、必ず取ります」

 

 一つ深呼吸をして、右手指先に触れているブレスレットに、魔力を通す。

 

「だけどそれは、あなたの元ではありません」

「……貴女は、直接の戦闘力は無い純支援職のはず。共も無く一人で勝てると……お思いで?」

「……っ」

 

 彼の背後に姿を表すのは、犬や、蜥蜴や、その他様々な姿をした怪物……彼の使役する悪魔たち。

 

 一方で……周囲にはもはや起きている者達の気配はなく、シンと静まり返った会場内には、駆けつけてくれる者の存在は期待できそうも無い。

 

 それでも……

 

「はい、そうですか……と認める訳には、いきません!」

 

 手始めに飛び掛かってきた、犬の姿をした漆黒の影。

 それに向けて、左手に触れていた右手を、まるで鞘に収まった刀を抜くように、振り抜く。

 

 光が、奔った。

 

『ギャン!?』

 

 交差した犬が、真っ二つに絶たれ、後方へと飛んで行った。

 

「はは……貴女には驚かされてばかりだ。よもや、そのような物を用意していたとは」

 

 またも驚きに目を見開くフォルスさん。

 その視線の先、私の手の内には、一本の錫杖。

 

 先端から、瞬い光で形作られた四つの翼と槍の穂先のような尖角を放出している、錫杖。

 

 普段は私の手首でブレスレットに変化している、この錫杖。

 これは、所有者の魔力を刃に変換する、ネフリム師謹製の魔導杖……銘を『アストラルレイザー』と言う。

 所有者から魔力を吸った分だけ切れ味を増すその武器は、人並み外れた魔力を有する私が手にした事で、私が振ってですら敵を一刀の元に切り捨てられる破格の攻撃力を発揮していました。

 

 

 ――そもそも、お主がそのような物を前線で振り回すような事態なぞあってはならんのだからな……

 

 

 

 脳裏に蘇る、この錫杖を譲ってくれたネフリム様の言葉。

 

 ……本当に、こんな事態が来る事などあって欲しくはなかった。

 

 武器はどれだけ強かろうが、振るうのはただの非力な小娘でしかない。

 ただ一体、様子見に繰り出された雑魚を、ただ一体斬り捨てただけで、極度の緊張感ですでに滝のような汗が流れ、息が上がり始めているのですから。

 

 それでも……

 

「ええ、このような物に頼ってでも、全力で抵抗させてもらいます……っ!!」

 

 光の翼を広げて宙へと舞い上がり、十を超える光の槍をかざして……私は、そう叫んだのでした――……

 



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前夜祭③

 

 戦闘開始直後、私は騎士たちが倒れているテラスを避けるため、背中の羽をはためかせて戦場を誰もいない中庭へと移していた。

 

 各種強化魔法を身に纏い、過負荷で悲鳴を上げる体と反射神経を『治癒力向上魔法(リジェネレイト)』で押さえつけながら、そこで活路を切り開こうと抵抗し始めて……すでに数分が経過していた。

 

 

「……驚きました、随分と戦い慣れていらっしゃる」 

「……舐めないでください、私はずっと、誰よりも、最前線を見つめ続けて来たのです」

 

 ふぅ、ふぅ、と荒い息を吐く私を意外という表情で見つめるフォルスさんを、真っ直ぐ睨みつけ、反論する。

 

 常に前線の動向を注視している中で、味方のみならず敵に対しても、彼らが何を理由にどう動いているのかを、ずっと見つめ続けて来たもの……それが、私達、前線を支える純ヒーラー。

 

 攻撃にも参加できず、陽動にもなれず、自らの身すら人任せにして守護されながら、それでも他の人の動きを睨み、前線に立ち続けるのが私達(ヒーラー)の役割。

 

 

 

 ――それが、私の戦闘経験となっている。

 

 

 

 だが、それでも……こうして抵抗できているのは、こちらの利が多いからに過ぎない。

 

 悪魔には、私の魔法はだいたい有効打となる事。

 向こうは、私を傷付けるわけには行かず、攻めきれない事。

 

 そして……私の脳内に展開されているレーダーが、魔力反応を示す光点を()()()見せてくれている事だ。

 

 

 夜の闇に沈む影の犬。

 その姿は視覚的には見えないが、移動する魔力自体は常に捉えている。

 

「……そこですっ!」

 

 私の意思を受けて、放たれる二本の光槍。

 それは今まさに影から飛び出して来た犬の頭と腹を穿ち、瞬時にその体を構成する禍々しい魔力を消し飛ばす。

 顕界できなくなり消えていくその犬を尻目に、二体、三体と時間差で飛び出してくる同じ犬を撃ち抜いていく。

 

 次の瞬間、背後に現れたのは、犬よりやや大きな魔力反応を持つ、両手が鎌となった魔物。

 こちらは、急に出現した。恐らくは短距離転移能力を有しているのだろう。だが、それも……

 

「……『エンゼル・ハイロゥ』!」

 

 先置きするように設置された、爆発的に広がる結界魔法。

 姿を現した瞬間に眼前に現れたその結界に反応できなかった魔物達は、強かに全身を打ち据えられて壁に衝突する。

 

 起き上がれずにいるその魔物に駆け寄り、手にした『アストラルレイザー』でそれぞれ両断する。

 

 二体の鎌の手を持った魔物は、先程の犬と同様粒子を撒き散らしながら、影のように消え去った。

 

「……はーっ……はーっ……」

 

 呼吸音に、ひゅう、ひゅうという音が混じっている。

 酸素不足で意識は朦朧するし、肺は痛いくらい酷使している。

 

 それでも、滝のように流れる汗をぐいっと拭い、続いて現れた一際強大な存在感を放つ、正面、巨体持つ悪魔を睨みつける。

 

 それは……一本一本が私の背丈を優に超えそうな双剣を手に、一歩一歩威圧するように近づいて来ていた。

 

「……『ディバイン・スピア』、いっ……けぇっ!!」

 

 周囲に残っている光槍を、ほぼ同時に最大速度で射出する。

 しかし……瞬時に悪魔の持つ双剣が振るわれ……一瞬で、その全てが切り落とされた。

 

「……チッ」

 

 舌打ちして、さらに十本の光槍を呼び出す。

 再度放とうとした瞬間――双剣の魔神は、すぐ眼前に存在した。

 

 ――疾い!?

 

 魔神の一刀で、纏っていた『プロテクション』は薄紙のように切り裂かれ、薄い光の破片を撒き散らして霧散した。

 続いて伸びてきた手を……

 

「……『ソリッド・レイ』!」

 

 咄嗟に放った一度きりの絶対守護障壁が、その手を弾き飛ばす。その反作用を利用して、私は宙へと舞い上がった。

 

「『エンゼル・ハイロゥ』……!」

 

 不浄なる者を弾き出す、結界魔法。

 それを魔神の頭上から……相手を押し潰すように発動させる。

 

 目論見通り、地面へと縫いとめられる双剣の悪魔。

 しかし、流石にそれだけで倒すには至らず、『エンゼル・ハイロゥ』の効果が消えてもなお、魔神は五体満足で起き上がろうとしていた。

 

 ――だけど、それで十分!

 

 足が止まった悪魔の肩に降り立つ。

 そこで杖を振りかぶり、先端を悪魔へ向け突き刺す。

 

「『不浄で哀れなる者共を、あるべき場所へ帰す裁きの光、有れ』……聖撃(ホーリー・インパクト)……ッ!!」

 

 滑るように動く私の口が、あっという間に祝詞を奏で終え、背中の翼がバサリと今までより大きく広がった。

 

 まるで、一帯の光が全て杖先の一点に凝縮されたかのように、周囲全ての光を搔き消すほど瞬い閃光が生まれ……次の瞬間、一帯を揺るがす衝撃と共に、闇を切り裂く光の柱が天まで立ち昇る。

 

 

 

聖撃(ホーリー・インパクト)

 

 新たに開花した、光翼族専用魔法。

 極々至近、接触状態でなければ使用できない代わりに、破格の威力をごく限定的な一点に炸裂させる、私の有する魔法で初の、純粋な攻撃魔法。

 

 

 

 その威力は、強靭な双剣使いの悪魔の右腕を付け根から半ば吹き飛ばしており、外殻が破られた悪魔は内部から体を構成する魔力を漏れ出させていた。

 

「――、ホーリー・インパクト!」

 

 再度、閃光が夜を灼く。

 だが、まだ止めない。

 

「――、ホーリー・インパクトッ!!」

 

 先程よりも早く詠唱を終え、三度閃光が夜を灼いた。

 だが――

 

 ――キィィン……ッ

 

 各種補助魔法により様々な加速が施された喉が、もはや高音にしか聞こえない音を上げ、一瞬で詠唱を完了した。

 

「ホーリー……インパクト……ッ!!!」

 

 枯れた喉から絞り出すような絶叫と共に、夜が四度目の、一瞬だけの夜明けを迎える。

 

「……はぁ、っ……は、あっ……ッ!」

 

 汗は滝のように流れ、声はもう霞んでいる。

 だが……光の治まったそこには……

 

「……バカな……純支援ヒーラー相手に、悪魔……いや、魔神である一柱が、負けた……?」

 

 愕然とした様子のフォルスの声。

 

 悪魔の巨体はもはやそこには無く、残滓のように、紫色の光が漂うだけだった。

 

 それを尻目に、空いた包囲を飛び出して、皆がいるはずのホールへと、残る力を掻き集め、翔ぶ。

 

 もう、少し。

 

 あと少し、あの扉さえ。

 

 あれさえ潜り、皆を起こしさえすれば、この事態を打開できる。

 

 

 

 ……はずだったのに。

 

 

 

「――あ、ぐっ……!?」

 

 横穴から飛び出して来た、硬質で質量が大きな何かに、無理矢理に横へと吹き飛ばされた。

 地面に衝突間際、周囲を覆う『プロテクション』が火花を散らし、ようやく止まる。

 慌てて飛び上がり姿勢を整えて周囲を見回すと、そこに居たのは……

 

 ところどころ緑色に光るエネルギーラインを走らせた、鈍色の硬質で冷たいボディ。

 複雑怪奇な機動で迫る、多脚を備えたその姿。あちこちからモーター音を鳴らしながら、ガチャガチャ、ギシギシといった感じの音を発しながら動くそれは……

 

 ――機械!?

 

 さっと、顔が蒼ざめるのを感じる。

 機械系エネミー……その種に共通して備わる特性は、()()()()()()

 

 あらゆる点で有利を取れた先程の悪魔たちとは真逆、私の……天敵。

 

 距離を……そう思って下がった背中に当たる、硬い石壁の感触。

 

 ――しまっ……

 

 声を上げる暇も無かった。

 こちらが止まったと認識した瞬間、眼前にはすでに、一匹の鋼鉄の蜘蛛が飛び掛かって来ており……

 

「かっ……はっ……」

 

 胸を打ち付ける衝撃に、呼吸が詰まる。

 

 だが、それはただの体当たりなどではなく……周囲、寄りかかっている石壁に、硬いものが突き刺さる音。

 それと同時に、飛び掛かって来た鋼鉄の蜘蛛が、その沢山の脚で抱きつくように壁に固定されてしまった。

 

「離し……て……っ!?」

 

 暴れても、私の力では鋼鉄の蜘蛛はまるでビクともしない。

 しかも、一本、また一本とモーター音が唸るたびに、その多脚が壁に突き立ち、私の動きを封じていく。

 その本体後部から新たに伸びてくるアーム、その先端にあるものに……ひっ、と声が漏れた。

 

 あの、蒼い輝きが混じる金属には、見覚えがある。

 まずい、逃げないと……そう焦る私の視界に、一つの人影が見えた。

 

「いやはや……彼がきちんと自分の役目を果たしていれば良かったのですが、イリスリーア殿下はとんだお転婆姫ですな」

「あな……たは……」

「やはり、暴徒捕縛用オートマトン、念のためにとスタンバイしておいて正解でしたか」

 

 くっくっと喉を鳴らして笑いながら、近寄ってくる人影。

 呆然と眺めながらも……心の何処かでは、やはりという気もするその人影。それは……

 

()()()()()()()()……やはり、あなたが協力者……!」

 

 人の良さそうな顔をした、恰幅の良い体型の彼。

 しかし……今は、その目がただ人を値踏みするような冷たい商売人の……いや、違う、利益を尊ぶ商売人ではなく、むしろ淡々と何かの目的を遂行する、何らかのエージェントのような……

 

 ――そこまで考えて、ハッとする。

 

 この、機械兵器の出所は……西ではない。

 これだけの機械技術を持つのは、南のフランヴェルジェ帝国か、あるいは……

 

「そういう、事……っ、フォルスさんの裏で糸を引いていたのは……西の通商連合というのは……っ!」

「……やれ」

 

 ただ一言の指示。

 それだけで、私が何か言うよりも早く……首に、ガチャリと冷たい金属の輪が掛かる感触。同時に、ガクンと下肢から力が失われた。

 

「あ……ぅ……」

 

 自分の仕事は終わったとばかりに、機械の腕から解放される。

 

 だが……脚はストンと重力に負け、床に座り込んでしまう。魔法は、もはや紡ごうとする端から消えていく。

 

 もう、抵抗できない……そう認識してしまった瞬間、ここまでの疲労に屈して、意識を手放してしまうのだった――……

 

 

 



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暗躍する者たち

 

 ――イリスが一人、孤軍奮闘していた頃。

 

 イスアーレス片隅、治安の悪い区画にある、小さな安宿。

 数日前から貸し切られ、宿屋の主人は握らされた金でどこかに旅行に行ってしまい、管理されず放置されていたその宿で、何やら一悶着が起きていた。

 

 

 

 

 

 どさり、と床にまたひとり、人が倒れる。

 

 その男は、貫かれた左肘と右肩を押さえ、「いてぇ……何でこんな目に……!」と泣き言を言っていたが、その顎先を軽く蹴って意識を刈り取る。

 

「ふぅ。これで全員片付けたか」

「……すげぇ、全部一人でやっちまいやがった……」

「別に、油断し切って堕落した連中なんかを何人倒してもね……」

 

 そう言って、両手に構えた剣を一振りして血糊を払うと、階段へと向かう。

 

「いや、でもこいつら、それなりに実力はあるだろ……これでも一応、元プレイヤーだろ……?」

「だからこそ、自分がやられる側になった時に脆いのさ」

 

 ふん、と吐き捨てる。

 部屋中には、死屍累々と横たわる男たち。その全てが、こちらに来てからロクに働きもせずにいた類の元プレイヤー……こちらの世界の者からは『放浪者』と呼ばれる者達だ。

 手足を貫かれ、痛みに苦悶の呻き声を上げている者たちもいるが……死ぬような怪我をした者は居ないというのに大袈裟な、と冷めた目で見下ろす。

 

 彼らの処分はすでに手筈は整っており、この後来る予定の衛兵隊に任せるとして。

 

「目的の救出対象は……こっちか」

「ま、待ってくれよ、()()()()()!」

「……いちいちビビって足を止めないでくれるかな、()()()()?」

 

 うんざりした気持ちで、背後から付いてくる青年……準決勝の場についに姿を現さなかった筈の彼、ハスターに若干の苛立ち混じりの声で告げる。

 だが、闘技大会の時の荒々しい雰囲気は、今の彼には全く無い。

 

「私達の存在を嗅ぎつけられる訳にはいかないって、『あいつ』も言ってたよね? 急ぐよ」

「あ、ああ……すまん」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる彼に、フン、と嘆息して踵を返す。

 

 目的の部屋……二階一番奥の部屋まで来ると、無造作にガタついたドアを蹴破る。

 

 そこには……

 

「君は、外で見張り。いい?」

「あ、ああ……」

 

 素直に部屋の外で待機する彼を確認し、部屋に踏み込む。

 

 ……酷い状態だな。

 

 すえた性的な匂いに顔を顰めながら、ハンカチで鼻と口を覆い……そこで眠っていた女性の様子に、さらに顔を顰める。

 

 ――やはり、下の男たちからはその逸物を切り落として来るべきだったろうか。

 

 そんな物騒な事を考えながら、荷物から清潔な布巾を取り出して、水筒の水を含ませる。

 意識の無い女性の……特に、下肢の方を重点的にざっと拭き清めてやり、ハスターが気を利かせてその辺の部屋からかっぱいできた、まだ清潔そうなシーツをばさりと被せてやってから、詠唱を始める。

 

「……リーア(光よ)イーア(治癒を)ラーファト(生命の)ディレーテ(息吹を)……『ヒール』」

 

 ぽぅ、と手元が淡い緑色に輝き、それは女性の身体をみるみる覆っていく。

 全身から細かな傷が消えていき……そろそろ全快かなと思ったその時。

 

「……っ!?」

 

 ガバッと、自分の体を抱くようにして跳ね起きた眠っていた女性……彼女は、フラニーという、数日前のレイジの対戦相手だった子だ。

 

「誰、あいつらの新顔!?」

「……大丈夫、安心してくれ。私達は、シン……星露(シンルゥ)さんの頼みで君を助けに来た」

 

 警戒心も露わに噛みつかんばかりの勢いで威嚇する彼女に、両手を上げて敵意が無い事を示し、事情を説明する。

 

「……そう、あの子の。あなたは……姫様の騎士サマの、王子様の方?」

「……ソールだ。騎士様も王子様もやめろ」

 

 散々自分を辱めた「男」という存在に、剥き出しの警戒心を見せる彼女だったが……さらに鞄から取り出した、適当に見繕ってもらった女性用の服を放り投げながら、言う。

 

「それに……大丈夫、安心して、私の中身は女だから」

「……へ?」

 

 警戒を忘れ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でポカンとする彼女。

 

「え、でもあんたは男で、リアルでは女で……あの、姫様って、まさかとは思うけどリアル……」

「……いや、このアバターは、兄から譲ってもらったものだし。()()()はちゃんと女の子だよ」

 

 私は嘘は言っていない。イリスは、もう自分が男に戻る事はないと薄々察していたみたいだから。

 

「それで……どうする? もう嫌だ、戦いたくないというならば、このまま外に誘導するからどこへでも逃げ去って構わないが……」

「フン、決まっていますよ……フォルスさ……あの鬼畜メガネ野郎のメガネを粉々に叩き割るまで、絶対に逃げてやるもんですか」

 

 目に昏い炎を灯しながら、地の底から響いてくるような怒りに満ちた声で宣う彼女。

 その様子に、一つ頷く。怒りは戦意の火を煽り、恐怖を吹き飛ばす。後でどう転ぶかはわからないが、少なくとも今は気持ちで当たり負ける事はないだろう。

 

「なら、早く着替えてきてくれ。なるべく早くここから離れたい」

 

 そう言って、途中で見つけていた彼女の装備を返却しながら、部屋を出る。

 

 そのまま、数分待っていると……

 

「……お待たせ」

「ん、着替えたならすぐ出るぞ。衛兵とかち合ったら厄介だ」

 

 着替えて来た、今は普通の町人のような格好になったフラニーさんの姿を一瞥し、早く出るぞと先を促す。

 

「……なんか、ピリピリしていない、彼?」

「……そうだな。だけど仕方ねぇよ、今、王子様はお姫様が心配で心配で仕方ないみたいだしな」

「そうなの?」

「ああ……情報によればちょうど今頃、向こうが襲撃されているんだと……」

「おい、急いで脱出するぞ」

 

 後ろで駄弁っているハスターとフラニーの二人に、ついつい苛立たしげに言う。

 

 ……彼らの言う通りだ。できる事ならば、今すぐ大闘技場に戻ってイリスを助けに行きたい。

 

 だが、それでは本当に救う事は出来ないと言われてこのような事をしているのが、本当に面白くない。

 

「全く、あんな奴の言う事を聞かないといけないなんて……!」

 

 そう愚痴りながら思い浮かべるのは……レイジとの試合後、一人になりたいと闘技場から外へ出た時の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「旦那、おーい、姫様の騎士、『金剛石(アダマス)の騎士』様よー」

「その名前で呼ぶな……っ!」

 

 ひとり館内をうろうろしていた時、不意に廊下の曲がり角の向こうの物陰から掛けられた声に、咄嗟に飛び出して声の元へと飛び掛かり締め上げ……その予想していなかった顔を見て、目を瞬かせる。

 

「ぐぇ、わ、悪い、そんな嫌いだとは……ギブ、ギブ!」

「あ……お前は?」

 

 それは、見た顔だった。

 

「たしか、ハスターだったよね。準決勝をボイコットして、何やっているの君?」

「待った、待ってくれ、それ本当によくわからないんだ、気付いたらなんか勝ち上がっていて、俺にも何がなんだかで……」

「……本当らしいな。それで、何の用?」

 

 吊るし上げていた襟を放してやり、発言を促す。

 

「あー……とりあえず、悪いようにはしないからついて来てくれないか? あんたと話がしたいから呼んできてくれって言われててさ」

「……話?」

 

 罠かもしれない。

 そうは思ったが……こちらを陥れようというのであれば、顔が知れてしまった彼を使いに出すのは考え難い。

 

「……わかった、連れて行ってくれ」

「ああ、こっちだ」

 

 人目を避けるように、闘技場を出て、街の郊外へと進んでいくハスター。

 目的地は案外遠く、小一時間ほど追いかけた先には……ひとりの、黒いローブ姿の人影が一つ。

 

 その姿を確認した瞬間……私は地を蹴って飛び出し、その首筋に剣を向けていた。

 

 いや、違う。本当は斬るつもりだった。ただ、男の周囲に展開された薄紙のような障壁に止められただけだ。

 

「やれやれ……いきなりこれか。これじゃおちおち話もできやしない……それとも、これが正式な作法なのかな、天族の餓鬼」

「……ならば、そのフードを脱いで名乗れ……何故ここに居る、『死の蛇』」

 

 私の言葉に、はぁぁ……と心底面倒そうな溜息を吐いてから、案外素直にフードを取る男。

 

「これで、ちょっとはまともな話になるのかな、天族?」

「そうか……以前会った時は姿がおぼろげでうまく認識できなかったが、それが『死の蛇』、お前の姿か」

 

 まるで色素が抜け落ちたような白い髪に、浅黒い肌の美青年。

 眼だけがまるで蛇のような縦に長い瞳孔を持つ金色をしており、見ていると背筋に寒気がしてくるが……それだけだ、以前感じたプレッシャーは存在しない。

 

 そして、彼は……

 

「僕は……リュケイオン・アトラタ・ラシェ・アイレイン……これで満足か、天族の騎士?」

 

 そう、名乗ったのだった。

 



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真実

 

 リュケイオンと名乗った、黒ローブの男。

 対峙して肌で感じるそのプレッシャーは、確かに以前辛酸を舐めさせられた相手に相違ない。

 

「……お前が『死の蛇』本人なのは理解した。だが、あの黒い蛇は何処にいる。片方が手駒を潜ませたままで交渉なんて御免だぞ」

「はぁ……そんなもの、街の外に待機させて別行動に決まってるだろ、クロウを連れて街中に入れる訳ないじゃないか、もうちょっと考えろ餓鬼」

「……ほんっと、いちいちムカつくなお前……!」

 

 虫でも見下すような視線で嫌味を吐いてくる男に、額に青筋が浮かぶのが自分でも分かる。

 しかも、こちらのことなど歯牙にも掛けていないから、何を言っても暖簾に腕押しなのが本当に腹立たしい。

 

 ……そんな余計な事を考えていたのが間違いだった。

 

「さて……早速だが、邪魔するものは排除しないとな」

「なっ、お前、やっぱり騙……!」

「ちょ、旦那、話が……!」

 

 瞬間、男から放たれる圧倒的な魔力。

 咄嗟に私が剣を抜くよりも早く、後ろでハスターが何か叫ぶよりも早く――リュケイオンと名乗る男も含めた私達は、昏く禍々しい闇に飲み込まれるのだった。

 

 

 

 

 

 

 空を、一台の鳥のようなものが旋回していた。

 だが……それはよく見ると、硬く冷たい金属の体を有しており、生命ではないことが見て取れた。

 それは……人気の無い岩場に忽然と現れた、断面が鏡のように滑らかな窪みの周囲を何か探すようにぐるぐると旋回すると、やがて諦めたように、空高く舞い上がっていったのだった。

 

 

 

 

 

「……こんなものでいいか」

 

 そう言ってバサリとローブを翻し、右手を払うリュケイオン。

 途端に、私達の周囲を覆っていた魔力……隠蔽の魔法が消失し、重圧が無くなる。

 

「ふぅ……あれはまさか、偵察用の機械か?」

「そうだ、どうやらお前を探していたみたいだな。見つからないうちに離れるぞ」

 

 そう言って、先導するように岩陰を迂回する男。

 先程の一撃は、あの機械からの追跡を撒くための一手だったらしく……その攻撃に紛れて追跡を脱した私たち。助けられたという事自体に釈然としないながらも、その背を追う。

 

「分からない……何故、お前が私を助ける、答えろ」

「はん、それが助けられた奴の態度か?」

「あいにくと、何の下心も持たずに助けてくれたなんて信じられるほど、純粋じゃないんでね」

「ふん、分かっているじゃないか」

 

 だが、今ここで話している場合じゃない。

 そう言って口を閉ざし先を歩く男に、私たちはとりあえず付いていくしかなかったのだった。

 

 

 

 そうして、半刻ほど。

 

「ここは……桜花さんの工房じゃないか」

 

 海沿いの岩場を回り込んでしばらく歩き、たどり着いたのは……見覚えのある工房だった。

 

 そんな時、庭で遊んでいた子供が顔を上げてこちらを見るや否や、すぐさま飛びついてくる。

 

「あ、ソールおにいさま!」

「おっ……と。君は……ユリウス殿下?」

 

 それは、数日前から行方知れずとなっていた少年だった。聞けばアンジェリカや、今は出掛けているがハヤトもここにいると言う。

 

 ユリウス殿下は、今は簡素ではあるが仕立てはいい、少し裕福な一般人が着るような服を纏っていた。これは追っ手を警戒しての事なのだろう。

 

「なるほど。ハヤトの案内か、ここに居るのは」

「はい……すみませんでした、ご心配をお掛けして」

「いや、まぁそれは構わないんだが……そうか、無事で良かった」

「はい! ……えっと、ハヤトお兄さんと、あの人に助けて貰いました」

 

 頭を撫でてやると嬉しそうに笑った少年が、そっと「あの人に」とリュケイオンを指差す。

 そんな少年の様子に、警戒は解かないまでも少しだけ肩から力を抜く。

 

「はぁ……分かった、協力するかどうかは話を聞かせてもらってからにする」

「……ふん、最初からそう殊勝にしていれば良いんだ。もっとも……お前に選択の余地があればいいけどな」

 

 彼はそう愛想なく言うと、さっさと工房内に入っていってしまうのだった。

 

 

 

 

 この工房の本来の持ち主は、私達が依頼していた仕事の最後の仕上げのため、ネフリム師のところへと出掛けていて留守らしい。

 

 そんな家主のいない家を、我が物顔で歩く男について行くと……奥まった一つの部屋へと案内される。

 

「あ、ソールさん……」

「あ、お姫様のお兄さんの方じゃない」

 

 案内された部屋に入ると、そこには生意気そうな少女……アンジェリカの姿。

 さらにはもう一人……見覚えのある人物がベッドの上におり、治療を受けていた。

 

「君は……たしか、シンと言う海風商会の……その怪我は?」

「あはは……フォルスさんに、見限られてしまいました」

 

 力なく俯くシン。

 剥き出しの下着姿のその肩は包帯でぐるぐる巻きにされていて、痛々しい様相だった。

 

 ――と言うか、女の子だったんだな。

 

 意外と言うよりもむしろ納得しながら、そんな事を考える。

 

「ま、仕方ないだろ。あの親分、ついにおかしくなってんだろ?」

「はい……何とか止めたかったんですが、申し訳ありません……」

 

 ハスターが、すっかり落ち込んでいるそんなシンを慰めていた。向こうは任せるとして……

 

「それで……ちゃんと話してくれるんだろうな、何でお前が私たちに協力なんてするのか」

「ああ、そうだな……そこの聖女、お前は」

「あーはいはい、餓鬼は邪魔だから席外してろって言うんでしょう、分かってるわよ!」

 

 何か言われる前に、プリプリと怒って部屋を出ていってしまうアンジェリカ嬢。その様子を見るに、さぞこの男は失礼な事を言いまくったのだろうと容易に想像できた。

 

 

 

「まず、お前を助けた理由は簡単な事だよ……戦力が必要だったのさ」

「……『死の蛇』なんて大層な渾名が付いてる災厄のお前が?」

「そうだ。たしかに敵を倒そうとするだけならば、僕にはお前たちなんて必要ない、僕だけで充分だ」

「……あー、はいはい、そうですか」

 

 自信満々というより、ただ事情を述べているだけだという様子のリュケイオンの言葉に、肩を竦める。

 

「だけど僕は今、姿を見せる訳にはいかない。それだと本命を逃す事になる」

「……という事は、やはり海風商会の裏に何か居るんだな」

「当たり前だ、それだけならわざわざ僕が出張ったりするものか」

 

 そう言って、テーブルに拡げられた地図に視線を落とす。

 

「……まず、大前提となる事だけどね。特に天族の餓鬼、お前は僕に協力せざるを得ないんだよ、絶対に」

「……私が?」

「そうだ。何故ならば連中の目的はただ一人、御子姫を自分達の手にする事だからね。そして、僕はそれを裏で操っている連中に用事がある。協力できると思わないかい?」

「……分かった、話を聞く。続けろ」

 

 全部が全部信用した訳ではないが、イリスが狙いだと言うならば話は別だ。渋々と、リュケイオンの言葉を促す。

 

「娘……シンとか言ったな。お前たちの船の、事を成した後の逃走予定ルートは分かるか?」

「あ、はい! 予定では、ここを……」

 

 そう言って、船の形をした駒を西大陸側へと動かすシン。

 岩場を抜けるように進むそのルートは、なるほど、何かしらやましい事情を抱えた者が使いそうなものに見える。

 

「……やはりか」

「予想していたのか?」

「ああ、僕はそこの男……ハスターと言ったな。お前が大会で暴れて僕の分の疑いを引き受けてくれている間に、別行動して敵の情報を探っていた。敵の布陣なんかもね」

「おい待てこの野郎」

 

 いいように陽動と囮に利用されていたとあっさり告げられて、ハスターが怒りの滲む声を出す。

 しかし、当然とばかりにさっくり無視したリュケイオンは、暖炉脇に転がっていた薪を魔法で削り出し、手元に駒を新しく作って、地図上に配置していく。

 

「それが……こうだ」

 

 言いながら、次々と置かれていく駒。それは先程の海風商会の船を示す駒の周囲を囲むようにして、次々と増えていく。

 

 その数が十を超えたあたりで、リュケイオンを除いた皆の顔がみるみる引き攣っていく。

 

「いや、いやいやいや、待てやアンタ、何個置く気だよ!?」

「……事実だ」

 

 二十程の駒を置いたあたりで、ようやく手を止めるリュケイオン。

 

「……待ってください、この包囲された『海風商会』の船は、どうなるんですか?」

「連中は、そんな木っ端の人間なんぞなんとも思っていない。まぁ……こうだろう」

 

 顔を真っ青にし、震える声で尋ねるシン。

 それを聞いたリュケイオンは、そんなどうでも良さそうな返事をすると――無常にも、海風商会の船の駒を粉々に叩き潰した。

 

 ……ここまで積荷を運べば、あとは用済みという事か。

 

「そんな……フォルスさん……」

「おっと……大丈夫か。」

 

 ショックから、ガクリと膝から崩れ落ちるシン。

 その体をハスターが支えたのを横目に、私は疑問を返す。

 

「この新しい駒は……何を指している?」

 

 流石に、小舟とかそんなチャチなものでは無かろう。その大半はおそらく、元の世界で言う駆逐艦か、巡洋艦か……できれば戦艦とか言われなければいいな。そう思いつつ、おそるおそる尋ねた。

 

 そして……そんな望みは、次の言葉で裏切られる事となった。

 

 

「飛空戦艦だ」

「ひく……っ!?」

 

 思わず、絶句する。

 

 多数の砲と対地攻撃兵器を備え、装甲を纏って空を駆ける空中機動要塞とでも言うべきその名前。

 完全に、想像の斜め上だ。飛空戦艦など、南のフランヴェルジェが数隻所持しているかくらいの超兵器だ。

 

 それが……二十。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、もはや何の冗談だと言うのか。

 

「待ってください、西はたしかに国家の中枢は富豪や豪商の集まりで、経済的には主要四ヶ国で最も富んでいますが、軍事国家ではありません! なのに、一体どこからこれだけの量の兵器を調達してくるんですか!?」

 

 シンが、悲鳴じみた声を上げる。

 離反した身とはいえ、自分が居た場所、自分が居た組織がただの使い捨ての駒だったと聞いたその顔は、悲痛な色を帯びていた。

 

 それでも気丈に事態を把握しようとする彼女に……

 

「……ああ、そうか。まだそんな誤解をしている段階からか、面倒だな」

 

 バリバリと頭を掻いて、心底面倒臭いといった様子のため息を吐きながら宣うリュケイオン。

 

 私とハスターがムッとする中で、彼が改めて口を開いた。

 

「まず、お前たちは一つ勘違いしている。あの西大陸は、独立国家などではない」

 

 そう行って、卓上に置いてあったナイフを取り、地図の中央に突き立てるリュケイオン。

 その場所は……この世界の中心に座する、未だ沈黙を守る完全環境(アーコロジー)型積層閉鎖都市が鎮座する場所。

 

「西の通商連合と呼んでいる都市国家、その実態は……ただの出先機関、()()()()()()()()()()()だ」

 

 まるで何という事もない事実であるというような、淡々とした口調で……そう、私たちに告げられたのだった――……

 



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暗躍パーティ始動

 

「……なるほど。となると、あの『黒猫』とか言う犯罪組織の連中の本当の雇い主というのは……」

 

 合点がいった。

 元々、新参ゆえに勢力拡大に困っているという『海風商会』が、彼らを従えているという事に違和感を感じていたのだが……

 

「あいつらの雇い主は、通商連合そのもの、ひいてはアクロシティという事になるのか」

「それじゃ……フォルスさんが変になっていったのって……」

「……可能性は高いな。何か吹き込まれたのかは知らないけど、商会を隠れ蓑に自分達の思惑どおり行けばよし、駄目でもあいつにやらせて、自分達は罪をなすりつけて美味しいところだけ戴く……なんとも胸糞悪い連中だ」

「そんな……それじゃあ、私は何のために……」

 

 震える声で呟いた星露に、正直に思った通り告げる。ショックに打ちひしがれる彼女だったが……

 

「なら、チャンスなんじゃねーの?」

「……え?」

「操られているだけなら、戻す手段だって何かありそうな物だろ」

「あ……!」

 

 ハスターの言葉で、彼女の目に生気が戻る。

 思わぬハスターのファインプレーにふっと笑い、すぐに気を引き締めた。

 

 

「というわけで……私達の今後の方針は、だけど」

 

 地図上で、壊れたために新しく用意した、海風商会を示す駒を動かしながら解説する。

 

「イリス誘拐後、逃走するこの船を途中で捕まえる、と。こちらへ来るアクロシティの飛空戦艦たちについては……」

 

 ちらっとリュケイオンの方を見ると、彼は頷く。

 

「ああ、任せろ。こっちは僕の望む客だからね、受け持とう」

「本当に勝てるんだろうな。やっぱりダメでしたなんて言うなよ?」

「はっ、お前なんかに心配されずとも、役割はきっちりこなしてやるよ」

「はいはい、せいぜい私たちのために時間稼ぎよろしくな」

「「……フンッ」」

 

 腹立たしく思えて仕方がないその顔から、顔を背ける。

 全く、こんな事情でなければ、絶対にこんな奴に協力なんてしないというのに。

 

「……お前ら二人、本当仲悪いのな」

「あはは……大丈夫でしょうか……」

 

 そんな私達二人を、残る二人は苦笑して眺めているのだった。

 

「それより、会場の皆に危険は無いんだろうな?」

 

 イリスを助けられても、他が全滅でした、では洒落にならない。

 

「ああ、連中も、()()()()世論まで必要もなく敵に回したくはないだろうさ。それだと民衆の支持はガタガタ、各国を打倒したとしても統治は立ち行かなくなるだろうからね」

 

 やけに「できれば」という部分を強調して言うリュケイオンの言葉。

 

「なるほど……つまり奴らは、自分達が、悪者……新参者の野心家の商人に攫われたお姫様を助けた英雄、という筋書きに持っていくつもりなのか」

「ああ、世界にとっての重要な存在を守れなかった各国への糾弾も視野に入れてるだろうよ」

 

 そうして、自分達の元に『御子姫』を置いておく世論向けの口実とする訳だ――ということまで考えて、胸糞が悪くなる思いがする。

 

「……タチの悪いマッチポンプだな」

「それが、あの連中のやり口だ、分かったかよ天族」

 

 そう苛立たしげに吐き捨てるリュケイオンだった。

 

 

 

 

「なぁ、やる事は分かったけどよ、なんでこんなまどろっこしい事をするんだ? わざわざ一度指を咥えて見てなんていないで、先に姫様を助けに行けば……」

 

 ハスターの言葉に、リュケイオン以外の面々が呆れた表情をする……星露でさえも困ったような顔をしているのだからよっぽどだ。

 

「……え、俺、何か変なこと言った?」

「くく、まあ僕としてはその案で暴れ回っても構わないんだけどね」

「やめてくれ、頼むから」

 

 意地の悪い笑みを浮かべているリュケイオンを制する。こいつが暴れたら、きっとこの島がなくなってしまう。

 

「多分、君は勘違いしていると思う。たしかに向こうは各国との戦闘は避けているが、アクロシティは四国……まぁ実質は三国だけど……を相手取っても、自分達が負けるとは思っていないんだよ。ただ、今なら楽な手段を取れるから、面倒を避けたいだけで」

 

 そこで一度リュケイオンに視線を送り、確認を取る。

 彼は軽く肩を竦めただけだったが……どうやら間違っていないようだ。

 

「もし、奴らの計画を先に潰した場合……予測される動きは、こうだ」

 

 いちいち説明するのも億劫だったが、駒の配置を変えて見せる。

 

 飛空戦艦の駒二十機は……大闘技場やイスアーレスの街を包囲するように取り囲んだ。

 

「これって……」

「ああ。あの場から連れ出せなかった場合は、今度こそ強硬手段に出るだろうね」

 

 呆然と地図を見ているハスターに、頷く。

 その結果、戦場になるのは街中や、各国貴賓のいる大闘技場だ。おそらく被害は甚大なものになるだろうし、世界中が大混乱となるのは想像に難くない。

 

「それに……その場合、戦う以前に街全てが人質になる。そうなったら、イリスは戦わない道を選ぶだろうね……」

「そ、そうなのか?」

「ああ……」

 

 なんせ、あの大闘技場だけでもイリスにとって致命的な、イーシュクオル皇妃殿下がいる。

 仲良くなったあの皇妃殿下のお腹には、子供が居るという。

 そんな彼女を戦火に巻き込ませる事は……きっと、あの子には無理だ。

 

 そこに、更に何万もの無関係な街の人の命が乗れば……きっと、立ち上がれはしまい。

 

「だから……心底癪だけど、私達はこいつの思惑どおりに動いて、こいつにこの艦隊を相手にしてもらうしか選択肢は無いって事だ」

「はは、よく分かっているじゃないか、王子様?」

 

 忌々しげに、「計画通り」とでも言いたそうな悪どい顔をしているリュケイオンを睨みつける。

 

 完全に手のひらで踊らされているのは腹立たしいが、だからこそ協力を得られたのだから僥倖だったのだと無理矢理に自分を納得させ、深々と溜息を吐き出した。

 

 

 

「さて、方針は決まったが……手勢が足りないな」

 

 向こうには、フォルス以外にもまだまだ多数の「放浪者」が控えているはずだ。殲滅ならまだしも、救助となると少々手に余る。

 

「あ、だったら頼みたい事があるんですが……」

 

 そんな私に向かって挙手したのは、ここまでおとなしく話を聞いていた星露だった。

 

「とりあえず、あの忍者の子……ハヤト君に、信頼のおける商会の人達に宛てた、今回の顛末をしたためた手紙を届けて貰っているんですけども」

「ああ……なるほど、出掛けているのはそのためだったのか」

 

 たしかに商会の人間をこちらへと取り込めるならば、向こうの戦力を削いだ上でこちらの数も増やせる。

 あとは、元プレイヤー達を取りまとめていた彼女の人を見る目を信じるしかない。

 

「それで、私達にやって欲しい事とは?」

「はい。ほかにもう一人、戦力としても期待できそうな人……フラニーさんを助けて欲しいんです」

「フラニー……ああ、レイジとやり合ったあの女の子か」

「はい……彼女、フォルスさんに不利益を与えられたという事で、酷い目に遭っているらしくて……もしかしたら、助けたら協力してくれるかもしれません」

 

 たしかに、あの娘ならば戦力としては申し分無い。

 問題は、戦う意思があるかどうかだが……それは、彼女の心の強さに期待するしかないだろう。

 

「……そうだな、その価値はありそうだ。場所は分かるか?」

「は、はい! 恐らくですが、フォルスさんがあらかじめ取っていた団員用の宿のどれかじゃないかと。場所は……」

 

 イスアーレスの地図に、いくつか丸をつけていく星露。

 

 

 

 ――こうして、奇妙な混成パーティが暗躍を始めたのだった……



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アクロシティの蠢動

 

「……君……おい、起きろ、レイジ君!」

 

 

「あれ……フェリクス皇帝陛下?」

「ああ、目が覚めたか……大丈夫か? 状況は理解できるか?」

「状況……? って、何だこれは!?」

 

 眠っていた場所は、決勝前夜祭の会場の床。

 いまだ礼装のまま、気付けば窓の外はもう、薄っすらと日の出が始まっていた。

 

 これが一人だけならばまだしも……今、周囲には同じような状態で眠りこけている者たちが死屍累々と倒れていて、明らかにまともな状態ではない。

 

 向こうで、アルフガルド陛下を起こしているイーシュクオル皇妃殿下の姿を視界に収めながら……フェリクス皇帝陛下へと疑問を投げかける。

 

「……やられたよ、まさか会場内にガスを仕掛けているとは、明らかに内部の者の手口だ」

 

 なんでも、フェリクス皇帝陛下は奥さんに毒や薬物による状態異常を防ぐ指輪を持たせていたため、真っ先に目覚めたイーシュクオル皇妃殿下に起こされたのだという。

 

 そして……その時にはもう、このような事態となっていたと。

 

 

「そうだ、イリス!?」

 

 声を張り上げて呼ぶも、返事はない。

 周囲を見回しても、どこにもその姿は無かった。

 

「イリス! どこだイリス、どこに居る!?」

 

 会場内には、その姿は見当たらない。

 嫌な予感に駆られながら、会場の外へ出ようとする。

 

 だが……

 

「……なんのつもりだ?」

 

 ひとりの人影が、その道を阻んだ。

 その人物を、ギリギリと歯が軋むほどに睨みつける。

 

「何のつもりだって……聞いてるんだよ、()()!!」

 

 ガッと胸倉を掴み、揺さぶる。

 だが……斉天は何も言わず、ただ入り口の前から動こうとしなかった。

 そんな時……別の出入り口から、モーター音と金属音を響かせて、一機の四足歩行の機械が部屋へと乱入してくる……その前を歩く、一人の男に付き従うように。

 

「無駄ですよ、彼は私の協力者ですからね、くくっ」

「……なんのつもりだ、フレデリック首相」

 

 真っ先に前に出たのは、防御魔法に長けるアルフガルド陛下。おそらく何かあった際に、皆を護るつもりなのだろう。

 

「緊急の事態によって、今大会の運営は、ここからは我々通商連合……否、我々()()()()()()が取り仕切らせていただきます。同時に皆様には、安全のためこの大闘技場から出ないようお願いします」

 

 慇懃無礼な様子で、頭を下げるフレデリック。

 

「もし出ようとした場合……この会場はすでに私たちの配備した警護が取り囲んでいますが、()()()()()()()()()()()()()ので、くれぐれも軽率な行動は謹んでいただきたい」

 

 そんな脅しでしかないフレデリックの言葉に、ざわざわと騒々しくなる周囲。

 

「……貴様等、西の通商連合自体が傀儡だったという訳か。だが、アクロシティとてこのような祭場に、そのような兵器を持ち込むとは断固許し難い。何事か説明頂けるのだろうな?」

「あなたの行いは、明確な他国の要人への敵対行為です、即刻このような蛮行はやめて、我々を解放しなさい」

 

 アルフガルド陛下とフェリクス皇帝陛下が、険しい顔で詰め寄る。

 

「しなければ……どうだと言うのです、フェリクス皇帝。()()()()()()()()()()を抱えて」

「貴様……っ!?」

 

 見下すようなフレデリックの言葉に、フェリクス皇帝陛下が気色ばむ。

 しかし……苦々しい表情で睨みつけるだけで、それ以上進めていない。

 

 その理由は……すぐ背後にいる、真っ青な顔をしたイーシュクオル皇妃殿下の存在のせいだと言うのは、見ていると明らかだった。

 

「かつては『氷の魔女』などと恐れられたお妃様も、今はただの無力な小娘でしかない……その腹に子を宿している今、全ての魔法も使えず、治癒魔法も受けられず、身を守る術も無い。違いますかな?」

「ぐ、くっ……」

「むしろ、先程あなた達を無力化する際に、子に悪影響を与えぬ手段で眠らせた事を感謝して欲しいくらいですよ」

「……貴様……絶対に許さぬ……っ」

 

 怒りを無理やり収め、床を殴るに留めた皇帝陛下の自制心は、驚嘆に値する。

 だが……皇妃を溺愛する彼には、万が一にも彼女を危険に晒す事は出来ないだろう。

 

「では、イリスリーアはどこだ、その姿が見えぬ以上、黙ってここに居ろなどという事は聞けぬ」

「ああ、彼女は賊に攫われました」

「何!?」

「なんだと!?」

 

 俺と陛下の声が重なる。

 

「ですがご安心下さい、もう既に、アクロシティから救援隊が奪取に向かっていますから……ですが、どうしたものでしょうか?」

「何……?」

「いえいえ、仁君と言われたアルフガルド陛下も随分と人が悪いと思いまして……ようやく現れた()()()、それも頂点に座する()()()を自分の所だけで隠していたのですから」

 

 わざと強調するような、フレデリックの言葉。

 

 ――この野郎!?

 

 内心で毒突く。これまで隠してきたことを暴露されて、ギリギリと歯ぎしりをする。

 

 だが……そのフレデリックの言葉に、周囲のざわめきが大きくなる。

 

「……それ以前に、あの子は兄の忘れ形見であり、我がノールグラシエの子だ!」

「ですが、攫われてしまいましたねぇ、世界的に希少な、誰よりも尊び守護すべき彼女を? アクロシティからは、貴国らに彼女を守っていけるかという疑念が持ち上がっています、いやいや、残念です」

 

 ブチン、と頭の中で何かが切れる音がした。

 

「――てめぇが、言うんじゃねぇぇえええッ!!」

 

 手元に武器は無いが、それでも周囲に『剣軍』を呼び出して、会場を入り口からフレデリックの下まで最大速度で突っ切る。

 

 怒りのままに、その僅かに驚きの表情へと動き出した顔に叩き付けようとして……

 

 

 ――ギィン!!

 

 横から放たれた衝撃に、『剣』が細片となって砕け散った。

 

「『金剛掌』……お前のその剣は厄介だが、同じ原理の技ならば防げよう」

 

 ピッタリと付いてきていた斉天、その両拳には、『剣軍』と同じ力場の壁が張られていた。

 

「斉天てめぇ、そこを退けぇぇえええッッ!!」

 

 二本の『剣』を掴み、交差して振り抜く。

 まだだ、小揺るぎもしていない。さらに二本の『剣』を叩き込む。

 斉天の拳の『金剛掌』に、罅が入った。更に二本の『剣』をその隙間に捩じ込むようにして突き立てる。

 更に一本。もはや斉天の両手を覆っている『金剛掌』全体に罅の入ったその中央へと向けて、残っていた最後の『剣』の一本を叩きつけた。

 

 俺と斉天の中間で砕け散る、二つの力場の破片。

 

 そして……そこまでだった。

 

 更に『剣』を求める手が、空を切る。

 だがそれでも……振りかぶった拳を、構える斉天の、ガードの形を取っている腕へと叩きつける。

 

「さっきから、何のつもりだてめぇ……ッ!」」

「……すまんな。我は、どうやら相当な不義の者だったようだ」

 

 ギリギリと拮抗する腕の向こうで、申し訳無さそうに目を逸らしている斉天。

 

 仲間だと信じていた男のそんな姿に、更に激昂したその時――

 

「そこまでにして貰いましょう。レイジ君、君に好き勝手動かれると困るのですよ。だから……君が、明日の決勝を辞退なされたら、この子達をこの闘技場へと解き放ちます」

 

 そう言って、フレデリックが背後に控えている明らかに戦闘用に見える四つ脚の機械の脚を叩く。

 

「暴徒殲滅用オートマトン。すでに、『私以外の全て』を攻撃対象として設定され、相当数が中に配備されています……稼働したらどうなるか、わかりますね?」

 

 それは……逆らうならば、ここで虐殺を行うという宣言。この大闘技場……あるいはこの街も……全てを人質とされたような物だった。

 

「それでもというならば、どうぞ? ただし……何処にいるかも分からぬ姫君のためにと、君とそこの斉天君と戦っている間に、いったい何人の方が亡くなるでしょうねぇ?」

「そん……な……」

 

 詰んでいる。

 

 個人の力がどうとかではない。動いているのはもはや、自分一人ではどうしたら良いのかも分からぬ最悪な事態。

 

 無力感に、力が抜けた。立っていられずに、ガクリと膝をつく。

 

 

 

「さて、残る東の見解は如何かな?」

 

 視線を受けた、東の巫女達の先頭に立つ桔梗さんが、その視線を受けて肩を竦める。

 

「……ま、どうしようもないって事は分かったわぁ。大人しくしているわよぉ」

 

 そもそも、東の有する戦力は四国中最低だ、単独で何が出来るわけもない。

 桔梗さんは諦めのような台詞を呟くが……次の瞬間、濃密な殺気がその体から放たれた。

 

「だけどねぇ……私ゃ自他共に認める好色家だけど、あんたみたいなゲス野郎だけは絶対にお断りだよ、オッサン」

「はは、これは手厳しい」

 

 口調も荒く、人を刺殺できそうな圧で睨みつける桔梗さんの視線も、歯牙にも掛けず受け流し、踵を返すフレデリック。

 

「では……次の決勝、楽しみにしていますよ。くれぐれも一方的な試合などという冷めたものを見せてくれないよう願っています」

 

 哄笑を上げながら、部屋から去っていくフレデリックの足音。それに合わせて会場を取り囲んでいたオートマトンの気配も遠ざかっていく。

 

「……貴様等、断じて許さぬ。今後、今までと同じ良好な関係を再び結べるなどと思うなよ……!」

「この件、この専横、決して看過できぬ。我が国は、断固抗議を貫くからな、アクロシティ……!」

 

 部屋の空気も歪まんばかりの勢いで睨みつけるアルフガルド陛下とフェリクス皇帝陛下の視線の先……その姿は、部屋の外へと消えていった。

 

 そして、斉天も……項垂れている俺の横を通り過ぎて、去っていく。

 

「……恨んでくれて、構わない」

 

 ただそれだけの言葉を残して。

 弁明もなく、ただ立ち去っていってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 結局……あの後、大した解決策もなく、皆が暗澹とした表情で部屋へ戻っていった。

 

「ちっく……しょぉぉおおお!!?」

 

 誰もいない部屋に、虚しく声が響き渡る。

 

「また、俺は肝心な時に……何が守るだ……クソぉ!!」

 

 また何もできず、むざむざと大事な少女を攫われた。誰に対しての怒りかも分からないほどグチャグチャな頭のまま、手近なところにあった花瓶を掴み……

 

「……あ?」

 

 衝動のまま投げつけようとして……窓に、何かが居る事に気付いた。

 白い、ふわふわとした生き物。それは……見覚えのある。

 

「……スノーか? 何でここに……」

 

 ふらふらと、手を伸ばす。

 あるいは、何でもいいから縋りたかったのかもしれない。

 

 だが……

 

 

 

 カプッ

 

 

 

 スノーは机に、口を開いて何かを落とし……そのまま、俺の手に噛み付いた。

 

「――ってぇぇえ!? 何しやが……何だ?」

 

 スノーが落としたものを、手に取て見る。

 一通の封筒。そこには、ソールのサインが入っていた。

 封を開けるのももどかしく、中身……折りたたまれた便箋をを取り出して、その内容を確かめる。

 

『まず、私の方は無事だ』

 

「え……」

 

 中身を見て、急に眼前が開けたような錯覚に戸惑う。とにかく、急いで手紙に目を通していく。

 

『ハヤト達とも合流できたし、いくつか戦力の当てもできた。だから、こちらについては安心して欲しい。イリスの事も事態は把握しているし、奪還の準備も整っているから安心してくれ、こちらで何とかする。お前はとにかく、自分と来賓の人達の事だけに集中して欲しい』

 

 逸る気持ちを抑えながら読み進めていくうちに、すでに救出計画……というか、連中の動きをすでに掴んでいて、イリスが一度攫われる事すら織り込み済みだったという。

 

 以降、計画の概要がつらつらと書き連ねてある。

 

 問題となるのは、奪還後にこちらが危険になる可能性。それをどうにかして、イリスが帰ってくる場所を守る、それが俺の役目だ、と。

 

「はは……ははは、なんだよこれ、俺一人絶望してて、バッカみてぇ」

 

 一人肩肘張って、駄目だったからと絶望していた先ほどまでの自分を笑うしかない。

 心の何処かで、一人であいつを守っている気がしていた。

 

「ソール……そうか、あいつも動いていてくれたのか……それに、ハヤトや、桜花さんとキルシェさんも……」

 

 こんなにも頼れる仲間が居たというのに、情け無くなって来るが……同時に、迷いも晴れた。

 

 

 

 たしか、フレデリックの主張は『御子姫』という世界的な要人を護る力がノールグラシエに存在しない、故に今後はアクロシティがその役目を担うという物。

 それをもって世論を味方につけようというのが、連中の目論見だ。

 

 ならば……そのノールグラシエの王族であるソール……()()()()()()殿()()指揮下の者達がイリスを先に救出してしまえば、連中の主張は自ずと破綻する。

 

 

 

 あとは、こちらだ。オートマトンが徘徊する中で可能な限り速やかに観客を避難させて、要人達も離脱させる。

 

 だが……敵に比べてこちらの確実に動員できる戦力は少ない。

 

「考えろ……何か、何か良い方法が……」

 

 こちらの戦力は各国の護衛以外に、一緒に来た元プレイヤーの俺と……()()()()()()()()()()()()()、それと()()()()……

 

 ……ここで、ふと閃いた。

 

 可能な限り防衛箇所を減らして戦力を集中させ、安全な脱出路を作る方法。

 

「……いける」

 

 力技だが、『魔弾の射手(貫通攻撃特化)』、『超越者(広域攻撃魔法特化)』、そして『調律者(戦場コントロール特化)』が御誂え向きに揃っている今ならば、不可能ではないはずだ。

 

 頭の中に、そこまでの道筋を描きながら、手紙の最後の一文に目を通す。

 

『追伸……それと、必要だと思い、ネフリム師からの預かり物もスノーに持たせておいた。改造は済んでいるが、肝心のものはまだ組み込んでいないから、決して無理はするな……また、必ず無事三人で再会しよう』

 

 スノーが背負っていた、布で包まれた包み。

 手にとってその重さを確かめて、頷く。

 

 

 

 ――あとは、俺がきちんと奴に勝てるかだ。

 

 

 

 先程までの無力感はもう、どこにも無かった。

 

「斉天……てめぇが何のつもりかは知らねぇが、明日は必ず、ぶん殴って目ぇ覚まさせてやる……!」

 

 皆で、生きて帰るために。

 そのために必要な事を必要な者達へと伝えるため、俺はひとまずペンを手に取るのだった。

 

 

 

 

 

 ――そして、夜が明ける。

 

 この日……後に、この世界の大きな転換点となったと言われるようになる長い一日が、今始まった――……

 



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竜王顕現

 

「……いっ……た……っ」

 

 腕が、自らの体重によって伸び切る事を強要され、手首に体を吊るす鎖と繋がっている輪が食い込む痛みに目が覚めた。

 

 両手を戒める鎖はどうやら壁に打ち付けられているようで、高い箇所で吊るされた腕は僅かに下ろす事も出来ず、まるで喉を晒されているような、どうしても吊るされたような格好で吊り下げられていた。

 

 どうにか楽な姿勢にと色々試しても、脚が動かない以上、体勢も変えることができない。

 

 苦痛に顔を顰めながら、周囲を見回すと……ここが知らぬ船室で、私は今体を吊るされるような格好でベッドの上へと座らされており、体に伝わる揺れからここが海上である事をなんとか理解した。

 

 そして……部屋の隅に備え付けられた机の所に、じっとこちらを見つめている男性の姿も。

 

 

「やぁ、目覚めたかい?」

「フォルス、さん……っ」

 

 いっそ穏やかですらある彼の様子に、ギリっと歯をくいしばって睨みつける。

 

「こんな事をして、本当に先に道が続いていると思うのですか!?」

「ああ、続くとも、君が私のものとなれば……」

「そんな事で、どうにかなる訳がないって、あなたなら分かりませんか!?」

 

 ずっと感じていた違和感。

 

 私が、彼のものと公言すれば、周囲もそれを認め、思う通りにいく……

 

 ……そんな事は、絶対にあり得ないのだ。

 

 状況を見れば、これが誘拐だというのは明らかだ。

 そんな中で私がなんと言おうが、ノールグラシエは、いや、他の国だって信じはしないだろう。

 

 アルフガルド陛下も、フェリクス皇帝陛下も、私の自由を尊重しようとしてくれている。

 だが……国としてはどの国も、私が自国へ来る事を望んでいるのだから。

 

 故に……このような状況で私がそれを望んでいると言っても、笑い飛ばされ、その上で全力を以って潰されてしまうだけだ。

 

 そして……彼が、そんな事が分からないような人物ではないという事も、知っている。

 

「い、いや、私はそれをうまく行かせてみせる。そうしなければ……」

 

 不意に、彼の余裕が崩れ、様子がおかしくなる。その様子に確信した……彼は、やはり何かされていると。

 

「望みが叶わないとでも、誰かに言われましたか?」

「そうしなければ……え?」

「誰かにそう言われ、最初はあなたもバカな事をと思ったのではないですか?」

 

 私の目線に気圧されたように、彼が数歩後退する。

 

「い……いや、違う、これは私の考え……私が? こんな、稚拙で杜撰な計画を……? こんな事のために、君を……?」

 

 やはり、彼は何らかの暗示の支配下にある。

 だがそれは完全ではなく、自分の()()()()()()()()()()()()()に、その支配が不安定になっているようだ。

 

 彼を豹変させた『それ』は……おそらく、対象の意思決定に関わる部分に作用するような何か。

 

 

 

 例えば……公平であるべき闘技場の検査員が、何者かの指示で選手であるレイジさんを襲ったような。

 

 例えば……今、彼が私に、自分の意のままに添うように何かしようとしているような。

 

 例えば……以前、ディアマントバレーでの戦闘で結晶を埋め込まれたゴブリン達のような。

 

 ――では……その与えられた暗示が、本人の意思に沿うものであったら?

 

 

 

「そうだ……私は、君が……君を、この手にするために……!」

「だめ、正気に……!」

「正気だとも!」

 

 叫びかけて、彼の眼に浮かぶ乱心とは違う、剥き出しの本心から来る執念の色に、呼吸が詰まる。

 彼は先程までとうって変わり、今は実際の彼の想いが増幅され、暴走しているのだと理解してしまった。

 

「たとえ君にとっては一回だけ一緒に仕事をしただけの、何の関係もない一プレイヤーという存在だとしても、ずっと君にまた会いたかった! 自分の想いを聞いて欲しかった! たとえそれが叶わない願いだって!!」

 

 

 ――彼が胸の奥に秘めていた、それ自体は決して悪ではない想い。

 

 だが今回はそれが全て悪い方へと働き、彼は頭を掻き毟り、胸のうちに溜め込み続けた()()()()()()()によって何かを振り切ったように、ポケットの中から取り出した物。

 

 

 

 ――そう、『それ』とは今、眼前の彼が上衣のポケットから取り出した……青い結晶体。

 

 

 

「それは……い、嫌!」

 

 アンジェちゃんの時に見た、あの結晶体。それが、徐々に私の剥き出しの胸元へと近付いて来る。

 

 だが……それは私の肌の目前で、その怪しい輝きの色を落とした。

 

「あぁ……そういえば、魔消石の影響を受けるんだったね……仕方ないから、これは外してあげないとね……」

 

 強すぎる感情によってかえって平坦になった声色で囁きながら、かちゃかちゃと、私の首に掛けられている首輪に何かしている感触。

 やがて、私の首から首輪が外れる感触と共に、からんと投げ捨てられた金属の輪。

 

 首輪が外れ、魔力が自由になるのと同時に、僅かな時間の中で必死に魔力を彼が狙いを定めている胸元へと掻き集め、侵食を抑えるための防壁を築く。

 一方で、ほんの少しの魔力を分けて目に配分し、彼の体調をスキャンする。

 

 

 

 ――視えた。やはり、予想通りの物がそこにはあった。この事を誰かに伝えなければならない。

 

 

 

 伝えなければならないのに……しかし、その時間は無かった。私が()()を視るのとほとんど差もなく……ついにあの結晶体が体へと触れる。

 

 ぞわりと、思考を掻き乱し、理性を塗りつぶすような強烈な不快感。

 

「あ、あ、あ……い、やぁぁあああ!?」

 

 ぴと、と、見た目に反して嫌に暖かいその結晶体。

 そこから、ズッ……と魔力を集中し抗する私の体内へ潜り込もうと、何かが表皮を這いずる感触。

 

「お願いです、やめて、やめて、それは嫌……っ!」

「……っ!」

 

 ふるふると、胸を這い回る悪寒に首を振る。たまらず私の目から溢れる涙を目にして、一瞬彼の目に躊躇と共に正気の色が覗くが……

 

「……違う、こんなつもりじゃなかったのに……ごめん……っ」

 

 彼の、何かに抗うように涙を零しながらも、それとは裏腹にさらに強く押し付けられる手。

 

 ズッ……とごく僅かに肌へ食い込んだ何かの感触に……たまらず、私は悲鳴を上げるのだった――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「ソールあんちゃん、お帰り! 無事で良かった!」

 

 フラニーさんを救出し、向かった作戦予定地点最寄りの港町。

 そこには、すでに仲間集めに奔走していたハヤトと、桜花さんと星露(シンルゥ)、そして…二十人以上はいる武装した『放浪者』、元プレイヤーの者達と共に待っていた。

 

「これは……よく集めたな、これだけの人数を」

「ああ、事情を知った人達が、自発的に協力してくれる人を集めてくれてさ」

 

 そう言って、集まった人たちを紹介するハヤト。

 そんな中から一人、皆の代表のように、真面目そうな青年が歩み出る。

 

「シンの……彼女の頼み通り、可能な限り協力はする。だけど……そのかわり、頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと?」

 

 聞き返し、先を促す。

 すると彼は、言葉を選ぶようにして続きを話し始めた。

 

「まずは、謝罪を。謝って謝りきれるものでは無いが、我ら『海風商会』が陰謀の隠れ蓑として、君達に多大な迷惑を掛けていたと聞いた」

 

 そう言ってちらっと星露の方に視線を送る彼に、星露は頷く。

 

「……確かに、ここ最近の旦那はおかしくなっちまったと思ってたさ。だけど……あの人は、途方に暮れていた俺たちに、居場所をくれた恩人なんだ」

 

 その彼の言葉に、賛同の意見が背後の者達から上がる。

 

 

 

 食うに困って、不当に安い見返りで割りに合わない仕事をさせられていたところを解放してくれた。

 

 悪人に騙されて、奴隷に落とされそうだった時に助けてくれた。

 

 何をしたら良いか分からず、浮浪者に身をやつしていた自分を見つけ出して、居場所をくれた。

 

 

 

 他にも口々に、皆、フォルスに助けられたのだと言う、『海風商会』の元プレイヤーたち。

 

「分かってる、あんたらの姫様を攫っていった、憎い相手だってことは、重々承知の上で、頼む!」

 

 そう言って、頭を下げる彼……いや、彼ら。

 

「なんだって協力する、だから……虫のいい事かもしれないが、あの人も救ってくれないか!」

 

 そう告げたきり、頭を上げようとしない彼ら。

 ちらっと、この中では最も彼に恨みを抱いているであろうフラニーさんへと視線を送る。

 

「……二人ともきちんと連れ帰ったら、あんたらの姫様を一時間でいいから貸して?」

 

 あのメガネ男を死なない程度に死ぬほどボコって、姫様に回復してもらって更にボコって、それを三回くらいで手打ちにしてあげる。

 

 そう告げて、ふいっと明後日の方を向くフラニーさんに、私とハスターがやれやれと肩を竦めた。

 

「で、では……」

「ああ……そこまで言われたんだ、最大限善処するつもりだ」

「……ありがとう!」

 

 それを皮切りに、次々と礼を述べる彼ら。

 思っていた以上に人望があったあの男に内心驚いているが……それよりも、今は別の問題がある。

 

「だが、どうやってこの人数を目的の船まで運ぶ……?」

 

 数人であれば、キルシェさんの唱霊獣で運ぶ手段が取れたが、流石にこの全員は……そう思ったが。

 

「それは、こちらで手配できましたのでご安心ください」

 

 突然、横合いからかかる驚くほどに綺麗なソプラノの女声。

 港の方から歩いてきたその声の主、キルシェさんが引き連れて来たのは……この港を拠点とする船乗りの若者たち。

 

 闘技場の運営組織と契約を結ぶ、送迎のための船を運航する外部委託を受けている者だと、彼らは名乗った。

 

「それが、何故ここに?」

「……ある人に、あんたらがきっとここに来るから助けてやって欲しいって頼まれたんだ」

「ある人……?」

「名前は……明かせねぇ。そういう約束なんだ……だけど、手紙を預かってる」

「手紙……?」

 

 若者から、受け取った封を開き、中の便箋を拡げ、目を通す。

 

 

『まず、貴兄がこの手紙を受け取った時には、俺はすでに、貴兄らを裏切っているのであろう。

 

 言い訳をするつもりはない。許しも請えるような立場ではない。色々と理由はあるが、そんなものは全て後付けの理由でしかない。

 俺は結局のところ、自分の欲求を優先して裏切った最悪の不埒者だと、誰よりも俺自身が分かっている。

 

 だが、これだけは信じて欲しい。

 俺は、姫様に不幸になって欲しい訳じゃない……だから、言えた義理ではないのは重々承知の上で、頼みたい。

 

 どうか……必ず姫様を助けてくれ。敵になった俺の代わりに』

 

 

 

「これは……」

 

 思い当たる節は、一人しか居ない。

 

「どんな因縁があるかは知らんですけど……あの人は、たしかに俺たちを楽しませてくれて、この闘技島を好きだって言ってくれた俺たちのチャンピオンなんです。そんな彼の、土下座までされての頼みです、俺たちも協力させて欲しい」

「……そうか。わかった、協力感謝する。どうかその腕を貸して欲しい」

 

 こちらから、彼らに頭を下げる。

 

「……ああ! 皆、出航準備に取り掛かれ!」

 

 それを受けて、彼らはすぐに船……闘技場で使用されている、船の左右に備えた水車で進む高速仕様の小型魔導船へと乗り込み、その動力へと火を入れた。

 

 

 出航まで、まだ少し時間がある。

 

 その間にと、桜花さんに引き摺られて歩いた先には、一件の宿。

 

「ここは?」

「今日一日、貸し切った私達のセーフハウスよ」

 

 そう言って、ドアを開けて入ったホール。

 その中には、二人の小さな影が座っていた。

 その人影のうち一つは、こちらに気づくなり立ち上がって、こちらへ駆けて来る。

 

「ソール兄様!」

「ユリウス殿下……それに、アンジェリカ嬢も」

 

 桜花さんの家で匿っていた、二人の子供。

 それが、なぜここに……そう目で問いかける。

 

「……だって、もしイリスリーアお姉様に何かあったら、私の力も必要でしょ。ここで待機してるから、早く連れて来なさいよ」

「ああ……二人とも、ありがとう」

「……あんたに素直に礼を言われると、調子狂うわね」

 

 何やらぼやいているアンジェリカ嬢に苦笑していると。

 

「和んでないで、あんたはこっち。急いでるでしょ」

 

 そう言って、またも乱暴に引き摺られるように桜花さんに連れ込まれた、宿の一室。

 その中央には、布が掛けられているトルソーが鎮座していた。

 

「あんたならちゃんと分かっていると思うけど……この作戦、あんたは絶対に途中で脱落しちゃいけないよね」

「ああ……分かっている、覚悟はしているつもりだ」

 

 今回の件、イリスの救出と合わせて、それを『ノールグラシエによって成し遂げた』という事を喧伝する必要がある。

 そのために誰よりも先陣を切り、誰よりも確実に生きて帰らなければならない。

 

 それが……敵を黙らせる、必須条件となる。

 

 ソールクエスという()()()()()()()()()()()()が、イリスリーアという自国から生まれ落ちた御子姫を助ける……そんなストーリーが必要なのだ。

 

「だから……持って行って」

 

 そう言って、部屋の中心に佇む包み、そこに掛けられている布を勢いよく取り払う桜花さん。

 

「もう一対、あんたの相棒に拵えたのと並んで……私の、最高傑作よ」

 

 そこに鎮座していたものに言葉を失った私に……彼女はそう、自慢げにドヤ顔するのだった。

 

 

 

 

 準備を済ませて、皆が待つ埠頭へと行くと……私の姿を見つけたハヤトが真っ先に駆け寄ってくる。

 

「へー、ソールにいちゃんの新装備、格好いいじゃん」

 

 そう言って、少年らしいキラキラとした目で見上げてくる。その視線に、ちょっと気後れし頰をかく。

 

「はは……立派過ぎて、ちょっと気後れするな」

「何言ってんのよ、王子様なんだからそんくらい派手でも似合っているわよ」

「格好いいですよ、ソールさん」

 

 口々に褒め称えてくる仲間たち。

 

 今、私の格好は……ついに完成した、桜花さんの鎧を纏ってすっかりと様変わりしていた。

 

 やや青味がかった白銀の、首を守るゴルゲットやポールドロン(肩当て)を備えたキュライスと、腰には下肢を守るタセット。

 

 そのキュライスを覆うのは、鮮烈な青のサーコート。さらにポールドロンからは同色のマントが靡き、タセットからはやはり同色のチェインメイルスカートが伸びる。

 

 指先から肘までを纏うヴァンブレイスと、脛までを守るグリーブも、やはりキュライスと同じ白銀。

 

「いやはや、すっかり総大将にふさわしい出で立ちですなぁ、王子様」

「やめてくれ、ここでは皆と同じ一プレイヤーさ」

 

 先程の、海風商会のリーダー格の男にちゃかされて、うんざりと手を振る。

 

 そんな中……桜花さんが、更に一つの大きな包みを抱えてきた。

 

「ついでに、これはおまけ。一緒に、これも持っていって」

 

 そう言って彼女が差し出したのは……彼女の身の丈の半分以上はあるだろうかという、鋭い先端を持つ十字盾。

 

 その構成する金属の表面は、波打つかのような不思議な模様がびっしりと入っていた。

 

「あんたに前に貸した盾、あんまり役に立たずに壊れちゃったからね……悔しかったから、あんたに相応しいと思えるだけの物は打ったつもりだよ」

 

 物理的な衝撃に強く硬い金属と、抗魔力性能が高いが柔らかいレアメタルの金属、二つ重ねた板を叩いては伸ばし、折りたたんでまた叩いて伸ばしを繰り返して鍛えたという、多重に折り重なった薄い層による複合積層素材。

 それを原料として鍛えた自慢の逸品だと、胸を張ってみせる桜花さん。

 

「桜花さん……ありがとう。鎧共々、また悔しがらせられるくらい使い倒してやるよ」

「はは、あんたはもう……うん、防具はそれで良いよ、それであんたが無事帰って来られるなら、それこそあたしら防具職人の本懐ってもんさ、遠慮なくぶっ壊してきな!」

 

 さ、あんたの仕事だよ、王子様。

 そう言われて、集った元プレイヤーたちの前へと押し出される。

 

 その視線を前に、一度、深呼吸をする。

 演説なんて、柄じゃ無い。

 

「私は、多くは言わないし、その時間もない。だから……ここに集まってくれた皆、協力を申し出てくれてありがとう……皆、連れて帰るぞ! イリスも……フォルスの馬鹿野郎たちも!」

「……っ」

 

 視界の端で、一人暗い表情を見せていた星露が、ハッと顔を上げた。

 

「そ……そうです、向こうに就いた皆も、一緒に帰りましょう、今度こそ、今度こそ皆の力を合わせて!」

 

 咄嗟に声を張り上げた星露さんの声に、そうだ、そうだと一つ一つ増えていく鬨の声。

 

 やがて、湧き上がる歓声と、渦巻く()()

 

 そうだ、これが欲しかった。これで、準備は完全に整った。

 

「キルシェさん……お願い、できる?」

「うん……イリスちゃんのためだからね、頑張る」

「大丈夫、あんたならできるよ。なんたって、私自慢の妹だからね」

「お姉ちゃん……うん、やる! やってみせる!!」

 

 私と桜花さん、二人に背中を押され、埠頭に立つキルシェさんが、歌を紡ぐ。

 

 朝の静寂の海に響き渡るそれは、抗いの歌。

 理不尽に抗おうとする、絶対に屈しまいとする反抗の歌。

 

 そして……やがてその足元に、光が灯った。

 それは、唱霊獣が顕現する兆し。だが、それは以前のタナトフローガの時と比べ、かなり大きく、眩い。

 

 そんな中、ふと、キルシェさんが歌を止める。

 否、この場に集まった者達の想いを束ね、紡ぎ、その歌はすでに完成した。

 

 喜怒哀楽、いずれにも属さぬ独立した、前に進むための想いを具現化し、顕れる唱霊獣の長。

 

 ゲーマーならば、誰もがその隣で戦う自らの姿を夢想したであろう、その存在の名は――

 

 

 

「――来て、唱霊獣…………『バハムート』ぉ!!」

 

 

 

 両腕を天に掲げたキルシェさんの叫びを受けて……私達、日本人には最も有名なその唱霊獣が、元プレイヤーたちの歓声を受けながら巨大な翼を広げ、咆哮を上げるのだった――……

 



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突入

 

 

 ――頼まれた物は、全部用意した。

 

 そうメッセージを送ると、その日のうちに訪れた彼女は、中身を確認して驚愕していた。

 

「ありがとうこざいます……まさか、これほど早く用立ててくれるなんて……『海風商会』団長さんの推薦通り、あなたは本当に凄い方なんですね」

 

 そう、ふわりと笑いかけられて……私は、思わずその眩く輝かんばかりの笑顔から、顔を背けてしまう。

 

「別に……凄くなんて無いです。私はこうして効率的に準備を整えるのが人より得意ですが、自主性に欠ける人間なんで」

 

 彼女と目を合わせる事もできず、背を向けながらブツブツと呟く様の、なんと無様な事だろう。

 

 言われた事しか出来ぬ、マニュアル人間。

 

 そんな劣等感に凝り固まった自分が、凄いわけがないのだと、自らに言い聞かせる。

 

 

 

 ――おまえは、やれば出来るくせに何故か役に立たない。本当に使えない子だね。

 

 

 

 それは、いつも母に言われていた言葉。

 

 ヒステリックな性格をしていた母は、いつもいつも、何をして欲しいかを自分から言うことは無かった。

 その一方で何か間違えたり、自分の思い通りにならなければ、すぐに叱責、時には暴力が飛んでくる。

 

 おまえは普段は、自分の思った通りに動かない奴だとそう言われ続けていた。

 

 ……クソ喰らえだった。

 

 何故、自分の意思もまともに伝えもしない奴のために、こちらから何をして欲しいかを先読みして、あくせくと動かなければならないのか。

 

 幼い頃からそんな反抗心を抱くようになり……結果、自分から動くなんて嫌だ、そう無気力に思うようになってしまった。

 

 

 

「なるべく面倒な責任を負いたくないし、気楽に人から指示される立場に居たい……それが私というか人間ですから」

 

 

 自分から誰かのために動くなんて嫌だ、嫌悪感が湧き上がって来る。

 

 人の為になんて嫌だ、出来ない。

 対価無しに何かをしてやるつもりなんてない。

 

 今回だって、ギルドマスターから頼まれたからで、きちんと報酬も貰ったから……そう思っていたのに。

 

「いいえ……あなたは、こうして難しいはずの頼みごとを、こんなに早く、立派にこなしてくれたじゃないですか」

 

 目線を合わせない私に、諭すように優しく語りかけてくる彼女。

 

「人のために動けないなんて嘘。あなたは、頼まれた事は誠実にこなしてくれました。本当は人の為に何かできる、優しい方です。だから、あまり卑下なさらないでください……本当に、ありがとうございました」

「あなたは……」

 

 思わず振り返って……初めて、まともに見たその姿に、息を飲んだ。

 

 すぐ間近で微笑みを浮かべている、その可憐な姿。

 

 

 

 その姿が、最大限に可憐に見えるよう作られた偶像(アイドル)だという事は分かっている。

 その中身がどのような人物か分かったものではない事くらい、分かっている。

 それが、公式のイメージから外れないように取り繕っているだけの可能性が高い事も、分かっていた。

 

 

 

 ……だが、自分ですら卑屈になっていたにもかかわらず、そんな自分を肯定してくれた可憐な少女。

 

 自分の中で新しい想いに芽生えた時……その時にはもう、彼女は後ろ姿しか見えなかった。

 

 

 

 ――また、逢いたい。

 

 いつかまた逢えたならば……そう思いながらも代わり映えしない生活を送っていだ最中……それは、起きた。

 

 何が起きたのかは分からない。突如、よく分からない魔法陣に飲み込まれたその直後、世界は一変していた。

 

「何だ、何だよこれ!?」

「だれか、返事を……なんでチャンネル開けないんだよ!?」

 

 広場の中で、周囲の人々から不審なものを見るような目が集中する中で、パニックに陥っていた、先程まで一緒の『Worldgate Online』のゲームの中に居たはずの者たち。

 

 そこからの行動は、やはり自分らしく身勝手なものだった。

 

 まずは、自分の生活基盤を整える。

 自由競争経済が築かれているらしい西大陸で、競争に負け、傾きかけていた商店の店主に取り入ってその経営を立て直し、実質的にその経営権を手中へと収めた。

 

 あとは、搾り取れるだけ搾り取っておさらばだ……こんな状況で、人の事なんて考えていられるか。全て見て見ぬ振りをして、それを元手にどこかで安全で割のいい仕事を見つける。

 

 

 ――それで、良かった筈なのに。

 

 

「へぇ、行く場所が無い? なら、いい仕事を紹介してやるよ」

「え、でも……」

「いいから……来い、ってんだろうが、なぁ!?」

「……ひっ!?」

 

 路地裏から、たまたまそんな声が聞いてしまった。

 

 最初は無視しようとしたのだが……よりにもよって、その少女は。元プレイヤーの特徴である、やたらと容姿が整っているその女の子は。

 

 ……彼女と同じ、銀髪だったのだ。

 

 

 

 脳裏にチラついたのは、彼女の姿。

 

 ――あなたは、本当は人の為に何かできる、優しい方です。

 

 脳裏に響く、彼女の声。

 

 それが、少女の窮地を黙殺して、無視して立ち去ろうとする足を止めさせてしまった。

 

「……分かったよ、そう言うならば、やってやるよ……やってやればいいんだろう!?」

 

 ヤケクソのように叫び、元来た道を引き返す。

 

 目下の問題は、こちらに連れてこられたプレイヤー達の、この世界の知識と居場所の無さ。

 だから、現実となったこの世界では、騙され、足元を見られ、クソみたいな立場に貶められていく。

 

 だったら……そうならないように、その居場所を作ってやる。とりあえず手始めに、先程騙されて連れて行かれた銀髪の少女からだ!

 

 それが、本当に私が始まった瞬間だった。

 

 

 

 

 ――だった、はずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 唱霊獣『バハムート』のその巨大な翼は伊達ではなく、目的の船……『海風商会(シーブリーズ)』の船は、すぐに見つかった。

 

 すぐ後ろをついてきていた主力を乗せた魔導船に合図を送ると、バハムートは速度を上げて先行する。

 

「キルシェさん、敵船右舷の砲台が、突入部隊の脅威になる。排除できる?」

「はい、任せてください!」

 

 そう言って、バハムートの騎首を船へと向けさせるキルシェさん。

 同時に、周囲に集まってくる魔力が無数の炎となって、その巨大な翼の羽ばたきと共に放たれる。

 

「行って、バハムート……『インパルス』、撃てぇ!!」

 

 放たれた火球が指向性を持って、右舷側の砲台へと複雑な軌跡を描いて殺到する。

 

 次の瞬間……それら砲台が、まとめて爆炎に包まれた。

 さらに、ついでとばかりに水を掻く右後部の水車に当たり、その動きが止まる。

 

「よし……キルシェさんは、この後船にギリギリまでバハムートを寄せて、ハヤト達を船へと送り届けて。そのあとは、甲板のどこかに陣取って、降りた皆の援護を」

「分かりました、みなさん、無理はなさらずに」

 

 キルシェさんが、頷いて船へと寄せ始める。

 

「ハヤトは姿を消してイリスの捜索、いけるな?」

「任せろ兄ちゃん、こういう仕事は俺の本領発揮だぜ」

「桜花さん、フラニーさん、それとハスターは僕と甲板で敵を引きつける。皆、準備は?」

「はいはい、任せときな」

「ええ、いつでも」

「ああ、大丈夫だ」

 

 それぞれ頷く三人に、よし、とこちらも頷く。

 

「それじゃ、僕達も行こう。星露さん……覚悟は、良いんだね?」

「はい……私、前は短絡的な手段を取ってしまいましたが……今度こそ、話をしたいんです。もう、こんな事はやめようて、何回だって」

「……わかった」

 

 真っ直ぐに船を見つめている星露さんを横抱きに、先陣を切ってバハムートの首から宙に身を踊らせる。

 浮遊感に身を強張らせた星露さんに苦笑しつつ、背中の翼を広げ風を掴むと、ぐんぐんと近づいてくる海風商会の魔導船。

 

 ある程度まで接近したところで、星露さんが浮遊魔法を展開した事を確認してその体を離し、腰から剣を抜く。

 

 まだ甲板で、予想外の襲撃に右往左往しているフォルスの元へ残った元プレイヤーたち、その一人にターゲットを絞り……

 

「『エッジ・ザ・ライトニング』、はぁぁあああっ!!」

 

 手にした剣が、紫電を纏い巨大な長剣となる。

 それを、落下の勢いのまま……切っ先だけ掠めるようにして、甲板へと叩きつけるように振り下ろしながら着地する。

 

 ――ピシャァァアアッ!!

 

 まるで、落雷のような音が船上へと響き渡る。

 不幸にもターゲットになった元プレイヤーは……雷撃に撃たれ、全身を焦がしながら倒れ込んでいた。

 

「な、なんだぁ!?」

「そんな……敵襲、敵襲ー!!」

「ひぃ、竜が上に……!?」

 

 ろくな統率も無く、さらに蜂の巣を突くような騒ぎに包まれる甲板。

 そこに、甲板上空を掠めて飛んだバハムートの背中から、ほかの皆も無事降りてくる。肝心のハヤトの方も、即座に自身の姿を隠蔽して物陰へと身を潜ませていた。

 

 そうこうしているうちに、拙くはあるが周囲を包囲し始める海風商会の者達。その姿を睥睨し……声を上げる。

 

「私は、ソールクエス・ノールグラシエ。北の魔法王国王子である! 不当に()()()()()()()()()()()()()()()()よ、貴様らが()()()()()()()()()()()、イリスリーア()()殿()()、力尽くでも()()させてもらう!!」

 

 私のわざと大仰に張り上げた言葉に、周囲が再びざわつく。

 

 心底PKを楽しんでいるような輩でもなければ、大多数のプレイヤー……特に一握りの強者を夢見てトップグループに属しているような者たち……は、自分が悪党になりたいとは考えていない。

 

 ところが、私が大仰な名乗りを上げた事で……ただ有名プレイヤーの一人を自分たちの陣営に引き込んだだけだと思い込み、よく分からずにただ上からの指示に従っていただけの彼らも気付いたはずだ。

 

 ……自分達が、いつのまにか一国のお姫様を攫った大罪人となっていた事に。

 

「姫さまを、誘拐?」

「どういうことだ、自分達は、ただ……」

 

 ざわつく周囲。

 自分達が何をしたのか、それをようやくながらも薄々察した彼らの士気は、すでにガタガタに崩れ落ちかけていた。

 

 あとは……

 

「姿が見えないと思ったら……やって、くれますね……『金剛石の騎士』……っ!」

 

 船室から、忌々しげな声を上げながら登ってくる、目的の人物……フォルス。

 だが、様子がおかしかった。顔色は悪く、まるで頭痛をこらえているかのように頭を抱えており、動きも随分とふらついている。

 

「フォルスさん、もうやめましょう! あなたはいいように利用されているんです!」

「星露……あなたも、そちらにつきますか。いいでしょう、纏めて始末してあげます……!」

「フォルスさん!?」

 

 必死に呼びかけている星露さんの声も虚しく、その手に漆黒の鎌を取り出して、多数の犬型の影を周囲に呼び出すフォルス。

 

 やはり……奴をなんとかしなければ、数の不利はますます開くばかりか。

 

 そう、明らかに正気を欠いている様相の彼を睨みつけ、星露さんを背に庇う。

 

「……どうやら、一度殴って目を覚まさせないと駄目らしいな」

 

 いいな? と、彼女に目配せする。そんな彼女は蒼褪めながらも、しっかり頷いた。

 

 こうして……船上での火蓋は、切って落とされたのだった――……

 



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船上決戦

 

 私達が六人しかいないのに対し、フォルスの側は士気は低いとはいえ、元プレイヤーだけでざっとその四倍。私達の戦力は圧倒的に少ない。

 

 だが……それでも抑え切れている理由は、背後に陣取った『バハムート 』から放たれる、無数の火球。

 

「ひいぃ……」

「こんなの、どうしろって言うんだ……!」

 

 魔導船の甲板は燃えにくいよう出来ているが……それでも船のあちこちから立ち上る火は、向こうの足を止めさせて、ただでさえ少ない士気を根こそぎ削るには十分だった。

 

 

 そんな中で……私は甲板中央で、フォルスの手にした大鎌と斬り合いをしていた。

 

「いい加減目を覚ませ、お前は騙されている! お前のしたかった事はこんな事か!?」

「五月蝿い! お前なんかに、無条件で彼女の側に居られる事が保証されているお前なんかに何が分かる!?」

「ぐっ!?」

 

 常人離れしたその膂力に吹き飛ばされ、やや離れた場所へと着地する。

 

 悪魔を召喚する能力がメインかと思えば、とんでもない。

 力、反射速度、共にこちらと大差無い。後衛職とは思えぬ、一線級の前衛職と比べても遜色無い、信じられない身体能力だった。

 

 その理由は……おそらく、体の各所に纏う瘴気。

 

「それは……まさかお前、自らの身に悪魔を降ろしているのか……!」

 

 それは、自らの精神と肉体を侵食させるのさえ厭わない、狂気じみた行為。

 

「……残念だよ。方向性さえ間違えていなければ、お前は尊敬に値するプレイヤーだったろうに!」

「黙れ、そして消えろ、『金剛石の騎士』……ッ!!」

 

 凄まじい速度で首めがけ振るわれる、フォルスの大鎌。

 それを十字盾の凹部分で引っ掛けて止め、その懐へと飛び込む。

 

「その名で……呼ぶな!!」

「がっ、あああぁ!?」

 

 雷光纏うアルスラーダの刃で、鎧に守られているわけではないその胴を払う。

 肉とは全く違う、硬質な感触。

 どうやらこちらも何かを憑依させており、信じられぬ防御力だが……しかし、纏う雷光までは防げず、全身に走る電撃に焼かれながら吹き飛んだフォルスが、ズルズルと床に座り込む。

 

 だが……その瞬間、私の周囲の空間から飛び出してくる、黒い影の猟犬。

 

「危ねぇ!」

「背後にも気をつけなよ、総大将!」

 

 ハスターの剣と、フラニーさんの短剣が、私の首を狙って襲い掛かる猟犬を斬り伏せる。

 

「すまない、二人とも。助かった」

「どういたしまして。だけどどうするんだい、このままだとジリ貧だよ」

 

 視線の先には、再び猟犬を再召喚しているフォルス。

 

「あのダンナ、こんな強かったなんて聞いてないぜ」

「全く、戦力を召喚する奴が個人でも強いなんて、つくづく腹立たしい野郎だこと」

 

 そんな軽口を叩いている二人だが……ずっと前衛として向こうのプレイヤーを抑えていた疲労は顕著であり、息も上がっている。

 

 だが……

 

「いや、二人ともよくやった。本命のご到着だ」

 

 フッ、と二人に笑いかける。

 次の瞬間……鬨の声と共に、右舷、左舷、双方から甲板の上へと飛び込んでくる、私達の側の元プレイヤーの姿が現れた。

 

 

 

 私達が注目を集めている間に、息を潜め左右から奇襲を掛けた仲間達。

 

「お前たち……なぜそちらに居る!」

 

 自分の部下だったはずの者達が、私達の側に居る。

 その事が信じられないように、愕然とした表情をするフォルス。

 

「そんなん、決まってんでしょうが大将!」

「あんたをぶん殴って目ぇ覚まさせてやるためだ!」

 

 そう叫び、雄叫びを上げながらフォルスの元に残った元プレイヤーたちと交戦を始める後詰の部隊。

 

 その勢いに、すでに士気が底辺だった向こうの元プレイヤーたちはたまらず瓦解し逃げ惑う。

 

 在るものは後続部隊に倒されて気絶し、あるものは茫然と座り込んだまま拘束され……もはや、私達が加勢せずとも趨勢は決しただろう。

 

 そして……甲板の上で繰り広げられるその光景は、彼の心を折るに十分だった。

 

「私は……何の、ために……」

 

 ついに私の眼前で、力無く鎌を持つ手をだらんと落とすフォルス。

 そんな彼の周囲では、強制力を失ったフォルスの支配から解き放たれた影の猟犬達が、待ってましたとばかりに獲物を求め飛び出し――

 

「がっ!?」

 

 立て続けに巻き起こる雷がフォルスの周りへと雨のように降り注ぎ、周囲に侍らせている魔物達を打ち据える。

 

 そして、そのうち一本がフォルスへと直撃し、彼も崩れ落ちる。

 

 だが……それを行なった星露本人は、まるで自分も同じ雷光を受けたかのように、泣き出す寸前の表情をしてフォルスへと切々と語りかける。

 

「……もう、もうやめましょう……ねぇ、フォルスさ………っ!?」

 

 涙ながらに語りかける星露だったが……その言葉が途中で、息を飲んだような引き攣った呼吸音と共に、止まる。

 

「あれは……!」

 

 フォルスの破れたローブの下、脇腹のあたりにちらっと見えた、紫色の光。

 

 あれは……見覚えがある。

 

 あれは――以前にアンジェリカ嬢に取り憑いた、あの紫色の結晶体。

 

「そんな……フォルスさんに、あれが?」

「成る程な、それが奴かおかしくなった理由か……!」

 

 星露の話を聞く限り、以前のフォルスはまだ皆の事を考えて行動するリーダーとして、真っ当な人物だったと言う。

 

 それが変貌した理由が……彼の身を蝕んでいる、これだったのだ。

 

 

 

 星露ががっくりと膝をつき、目の前の光景を呆然と眺める。

 

「そんな……私はずっと側に居てこんな事にも気付かずに、何という事を……」

「泣くのは後に! でかいの来るぞ!?」

 

 ハスターが、慌てて座り込む星露を助け起こそうと駆け寄る

 彼の言う通り、今まさに奴はふらふらと、まるで幽鬼のように立ち上がるところで……その目は、もはや狂気に呑まれていた。

 

「いいでしょう……皆敵になるというならば、全て吹き飛ばしてあげます……出て、こい……『フェンリル 』!!」

 

 怒りのあまり、かえって平静となった声で語るフォルスが腕を掲げた瞬間、巨大な、禍々しい紫色の魔法陣がその前に展開される。

 

 同時に、彼の体の表面、肌が幾箇所も裂けて血煙が舞うが、まるで何かに吸収されたように、幻のように消え去った。

 

 そして……

 

 

 ――ぉオオォォォ……ン!!

 

 

 

 身の毛もよだつ遠吠えを上げて、人の腕ほどの太さを持つ幾重もの鎖に雁字搦めにされている、青と白で彩られた巨大な狼が姿を現した。

 

「クッ、ハハハッ、自身を代償にしても一瞬だけ顕現させるのが限界な終末の魔獣、その分威力は折り紙付きですよ……ッ!!」

 

 血みどろになりながらも、壊れたように哄笑を上げながら、その巨大な狼に指示を出すフォルス。

 それを受けた狼の口に、臨界を超えた冷気が収束し、バチバチと雷光を湛えて白く輝き出す。

 

「ねえ、あれ、ヤバくない!?」

「分かっている、私の後ろに! 他の者たちは、狙いは私だ、射線には決して入るな!!」

 

 咄嗟に叫ぶ私の声に、元々背後に控えていた星露や、さらにその後方でバハムート に守護されているキルシェさん以外にも、桜花さんやフラニー、ハスターの三人はすぐさま指示どおり移動する。

 

 だが……

 

「ひ、ひぃ……っ」

「た、助け……っ」

 

 射線上に残されて居る、逃げ遅れたフォルス側の元プレイヤーが二人。

 

「チッ……下がってろ!」

 

 舌打ちし、腰を抜かしているらしい二人の襟首を掴んで後方へと放り投げる。

 同時に、手にした十字盾を眼前の甲板へと突き立てる。

 

「『インビジブルシールド』……『フォースシールド』……ッ!!」

 

 立て続けに、二つの防御スキルを展開する。

 

「援護します……!」

 

 そんな星露の声とともに、周囲へと展開される対冷気魔法のフィールド。

 

 これで三重。だが、それでもなおフォルスが喚んだ『フェンリル 』の魔力は圧倒的だった。

 

「くはっ、ハハハハぁ!! 何もかも貴様のせいだ『騎士王(ナイトロード)』、だが、これを耐えられるものなら……耐えてみせろォ!!」

 

 何か吹っ切ってはいけない物を吹っ切ってしまったようなタガの外れた叫びを上げ、自身の血に塗れたフォルスの手が私達へと向けて振り下ろされる。

 

 同時に放たれる、全てを凍てつかせる輝く(ブレス)に……

 

「黒星……招来、『ウェイクアップ』……ッ!!」

 

 前方一点集中の『黒星』を展開、さらにもう一つの呪文を唱え……直後、私たちはその『フェンリル』の吐息に呑み込まれるのだった――……

 

 



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船上、決着

 

 フォルスの呼び出した『フェンリル』が消え去った時……船上の様子は一変していた。

 

 ただの余波だけで、真夏だというのに甲板を真っ白に覆い尽くした霜。

 

 そして……ブレスの直撃した甲板前部は、無数の氷柱に覆われ、ズタズタに引き裂かれた氷結地獄と化していた。

 

「……は、ハハハッ、アハハハ、どうですか、これが私の力、私のォ……!」

 

 甲板の上、全て白く凍りついた絶対零度の空間の中で、常軌を逸した哄笑を上げながら、勝ち誇ったように宣っている、霧の向こうに居るフォルス。

 

 だが……

 

「私の…………あ……ぇ……?」

 

 不意に、ポロポロと、フォルスの目を伝う涙。

 

「そうだ、星露、星露はどうした、そこに居るのか……? 私は一体、何を……していたんだ……?」

 

 一転し、動揺も露わにするその姿に、周囲も戸惑っているみたいだった。

 

 だが……

 

 

 

 

 

「生憎だが、まだ終わって居ないぞ、フォルス……!!」

「な……っ!?」

 

 瞬時に懐へと飛び込むと、フォルスは驚愕の表情を浮かべていた。

 だがそれは、すぐに別の表情となり……

 

「少し眠っていろ……この、馬鹿野郎!!」

「ぐ……ふっ!?」

 

 咄嗟に反応できず棒立ちしているフォルスの鳩尾に、雷光を纏う『アルスラーダ』の柄を叩き込む。

 フォルスは一度呻き声を上げると……そのままズルズルと膝をつき、以降起き上がってくる様子は無かった。

 

 倒れる前、最後に見えた表情は……諦観と、安堵。そう見えたのだった。

 

「え……あれ、金剛石の騎士……だよな?」

「えっと……総大将、なんです?」

 

 敵味方、両陣営からザワザワと上がる戸惑いの声。

 それも致し方なし、今の私は、頭をすっぽり覆うアーメットまで備えている、フルプレートアーマー姿なのだから。

 

 三重のシールドと『黒星』、それらと併せてこの鎧のおかげで、あの『フェンリル』の吐息すら正面から耐え切るという堅牢さを発揮したのだった。

 

 鎧各所に仕込まれた特殊な格納のエンチャントにより、普段のブレストアーマーから『ウェイクアップ』のコマンドワードで一瞬で変化する。

 これが、桜花さんに頼んで作ってもらった、『アルゲース魔導甲冑』の真の姿だった。

 

「フォルスさん……!」

「おっと、治療が済むまで絶対に起こすなよ?」

「は、はい、すみません……」

 

 思わずといった様子で咄嗟にフォルスに駆け寄り、介抱する星露へと釘を刺しておく。まだ先程見えた結晶の影響下にある以上、彼はまだ危険な存在のままだ。

 

 フォルスは彼女に任せるとして、周囲を見回すと……フォルス側の『海風商会』所属プレイヤーのほとんどは、先程のフォルスが呼び出した『フェンリル』の攻撃にすっかり呆然としている間に拘束され、無力化されていた。

 

「ふぅ……どうやら、戦闘は終わったみたいだな」

 

 すっかり騒ぎの沈静化した中で、背後から掛かる声。

 

「ハヤト、無事だったか。イリスは?」

「大丈夫、ちゃんと見つけて連れてきた、今は階段のところに座らせているよ。ただ……」

「ただ……」

「……まぁ、実際に見てもらうほうがいいか」

 

 そう言って先導するハヤトについていくと……

 

「イリス!」

 

 船室へと降りる扉を開いた直後、下り階段に座っているのは見知った、だがなによりも見たかった後ろ姿。

 

 こちらに気付いて振り返ったその体を、鎧で痛くしないように優しく抱きしめる。

 

「兄様……本当に、ご心配をおかけしました。助けに来てくれて、ありがとうございます」

「うん……遅れてごめん。無事でよかった、本当に……だけど、それは、何?」

 

 

 体を離し、イリスの一点を凝視しながら問いかける。

 

 階段に膝を揃えて座っているイリスには焦りの様子は無い。

 だが……その胸元の開いたドレスの、露出した胸元中央、心臓直上。そこには……いつか見た、禍々しい紫色の結晶が根を張っていた。

 

「イリス、その胸の結晶は……」

「大丈夫です、侵食は止まっていますから。他には何もされていません」

 

 そう言って私を安心させるように微笑むと、イリスは首に鈍く光る金属の輪に触れる。

 

「なんでもこの結晶も魔法の物品で……魔消石の効力下では活動が止まるらしくて、この首輪のおかげで、今は何ともありません」

 

 そう語るイリスに、今は何か無理に耐えている様子は無い。どうやら本当に大丈夫なようだった。

 一瞬その痛々しい様子には動揺したが……はぁぁ、と深々と安堵の溜息を吐く。

 

「でも、よくそんな事をしてくれた人が居たね?」

 

 目的を考えれば、そのままイリスの自我を奪って自分の傀儡にした方が事は楽だった筈だ。

 魔力こそ封じられるとはいえ、まだ首輪のほうがずっとイリス側にだけ都合が良かっただろうに。

 

「……石を植えられた後、一度正気に返ったフォルスさんがつけてくれました」

「そうか……」

 

 奴も、あの結晶のせいで……あるいは、これまでの自身の所業による罪悪感もあるのだろうが……暴走していた節がある。

 そんな中、一瞬でも支配に抗ってイリスを助けたというならば、あまり責めるのも酷だろう。

 

 もっとも――フラニーさんと一緒に、私も一発くらいは殴り飛ばすが。

 

 それだけは決して譲らないと心に決めつ、魔法を封じられ歩けないイリスの軽い身体を横抱きに担ぎ上げると、皆へと次の指示を出していく。

 斉天と戦う事になっているレイジの方は心配だが、何はともあれイリスの治療をしなければ何もできない。

 

「近くの港町に、アンジェリカ嬢が待機している。彼女に頼んで解呪してもらう」

「はい……その、彼も一緒に」

「分かっている。星露もそれで良いな?」

 

 私の言葉に……顔を涙でぐしゃぐしゃにした星露が、しゃくり上げながらもこくんと頷くのだった。

 

 

 

「それで……大将はもう居ないが、お前達はどうする、続けるか?」

 

 周囲を睥睨して尋ねる私に、皆、ぶんぶんと首を振って降参の意を示すフォルス側のプレイヤー達。

 

「それで……あの、俺たちは一体どう……」

「安心して欲しい。私たちは、事が大事になる前に納めるために来たんだ。イリスが無事だった以上は悪いようにはしない」

「では、俺らは……姫様を誘拐した罪とかそういうのは……」

「ああ、お前たちを利用した者の存在もある、重罪とはしないと約束する。それでは船を操作できる者は、港町に向かって……」

 

 戦闘はこれで終わり。

 皆、緊張感から開放されて、安堵した……その瞬間だった。

 

 

「皆さん、伏せて!」

 

 突然、船上に響き渡るキルシェさんの警告。

 直後、『バハムート』の口からブレスが放たれたかと思うと、飛来した何かを上空で撃ち落としたらしく、立て続けに炸裂する衝撃と、激しい揺れ。

 

 ――ついに来たか!

 

 空を仰いだ先の光景。

 その異様な様を見て、腕に抱いたイリス共々息を飲む。

 

「あれが今回の件の全ての黒幕……アクロシティ……なの?」

 

 呆然と呟いた、イリスの震え混じりのか細い声。

 無理もない、イリスは私達と違って、相手の戦力についての事前情報は無いのだから

 

 だが……私だって、その事前情報が間違いであって欲しかった。

 

 眼前に広がる景色いっぱいに浮かぶのは……流石にイリスがいるこの船を直接攻撃はしてこないものの、次々と雨のような威嚇射撃を行なっている、巨大な黒い船体。

 

 それらは事前の情報に違わず……二十隻の飛空戦艦が、こちらへとゆっくり進軍しているのだった――……

 



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死の蛇クロウクルアフ

 

 眼下に広がる、無数の巨大な飛空戦艦の群れを、ただ感無量に眺めていた。

 

 ――長かった。

 

 この世界の一部に穴を開け、そこを住処とする鼠のように引きこもっている『奴ら』には、今までずっと手出しも叶わなかった。

 

 故に、たとえ間違えた手段にまで手を染めてさえ何もできず、これまでただ無為に指を加えて眺め、腐り続けた幾万の日々。

 

 だが……今、連中は自分達が望んだ存在を前にして、我慢できずに巣穴から這い出てきた。今ようやく、始めてこちらの前にその尻尾を覗かせた。

 

 

 ――さあ、戦いを始めようか。

 

 

 そう語りかけるような相方の目に……僕は、宙に身を躍らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「あれが……アクロシティの……」

 

 腕の中で、震えるイリスの声を耳にして、抱く手に力を込める。

 

「大丈夫……対策は、用意してある」

 

 それは、どちらかといえば自分へと言い聞かせる言葉。

 

 

 

 だが、本当に()は、あれに勝てるのか?

 

 人個人はどれだけ鍛えようと、強力な兵器には勝てない。故に兵器には兵器をぶつけるのだから。

 

 あるいは……スカーさんとミリアムが居れば、一隻くらいは頑張れば墜とせるかもしれない。

 だが……あの数は、戦うまでもなく分かる。無理であると。

 

 そんな、もはや個人がどれだけ武勇を誇っていようと関係無い、暴力を体現したような存在を相手に……『死の蛇』などと畏怖を込め呼ばれる奴だとて、果たして本当に敵うのだろうか。

 

 周囲の者も、武器を構えようとすらしない。そんな絶望感が、船上を覆い尽くした――その瞬間だった。

 

 

 

「さあ、出番だぞ。真の姿を表せ、クロウ……いや、『クロウクルアフ』!」

 

 

 

 このような状況の中で、上空からやけに大きく聞こえた、奴……リュケイオンの声。

 

 次の瞬間、突如上空から降ってきた、眩く輝く()()()

 艦首を貫通するように、黒い光が飛空戦艦の巨体を貫き、爆炎を上げて船体を傾け、先頭の飛空戦艦が海へと堕ちていく。

 

 そんな光景を背景に、上空には三枚の黒い光翼を持つ男と……一匹の、巨大な魔物が雲を割り、姿を現した。

 

「あれが……」

「死の蛇……その本体か……」

 

 思わずといった様子で呟いたイリスに、呆然と返答を返す。

 そこに在る、ただ見上げているだけでプレッシャーに膝を屈しそうになる、その威容。

 

 

 ――それは、おかしな魔物だった。

 

 

 見た目は、長い首と巨大な胴体、そして翼を持つ、全て真っ黒な影のようなもので構成された威風堂々たる竜。

 

 ……少なくとも、私には()()()()()()()筈だ。

 

 だが、なぜかその確信が持てない。

 竜の姿をしている筈なのに、ふと世界をのたうつ巨大な蛇にも、天空を覆う巨鳥にも思えてしまう。

 

 こちらから向こうを見た際の認識が、絶えず変化して安定しない、そんな気持ち悪さ。

 

 そんな魔物を従えたリュケイオンが、その手を掲げ、アクロシティの飛空戦艦達へと振り下ろす。

 

 

 

 同時に起きた出来事は……まるで、この世の終わりのような光景だった。

 

 その竜の口から上空へと放たれ、途中で無数に拡散し雨のように降り注ぐ……黒いのに眩いという、矛盾した無数の光。

 

 その雨に晒されて、抗うのも絶望的と思われた飛空戦艦たちが、あちこちから炎を上げてその隊列を崩した。

 

「あの人は……!」

 

 私の腕の中から身を乗り出すようにして、そんな光景の中心、リュケイオンを食い入るように見つめているイリス。

 だが……そのリュケイオンの手が、今度は私たちへと向けて掲げられ……

 

 ――余計な者が紛れ込んでいるな、やれ。

 

 そう、奴の口が動いた気がした。

 そして、竜の口が、こちらへと向く。

 

 

 

 ――それだけで、死んだ、と思った。

 

 それでもイリスだけは……そう思い、その小さな身体へと覆い被さる。

 

 次の瞬間、放たれる閃光に思わず目を瞑った瞬間、船が激しい揺れに襲われた。

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 ……………………

 

 

 

 何も、起きる気配がない。

 

「……大丈夫」

 

 鎧に包まれていない二の腕のあたりの服をちょいちょいと引く感触と、同時にかけられたイリスの言葉に、恐る恐る目を開ける。

 

 

 

 周囲には、同じように身を守ろうと咄嗟に伏せた者達。

 だが……先程の余波にまだ船体が揺れている以外、これといって変化は無い。どうやら、船は本当に無傷ならしかった。

 

 

 慌ててリュケイオンの方を見ると……そちらは、もはやこちらには興味が無いとばかりに、飛空戦艦の群れと相対していた。

 

 クロウ……『クロウクルアフ』と呼んでいた、あの魔物の口から再度放たれた閃光に、また一隻、飛空戦艦が船体から爆炎を上げて落下していく。

 

 そんな、まるで蜻蛉でも落とすかの様な圧倒的な力が振るわれる光景を、呆然と眺めていると。

 

 

 

 ――さっさと行け。

 

 

 

 最後にちらっとこちらに……あるいは、私が抱えているイリスに……視線を送ったリュケイオン。

 その目は何故か、普段よりも幾分優しさを湛え、そう語っていた……そんな気がした。

 

 

 

「皆、船は無事だ、早く港へ逃げるぞ!」

 

 我に返って私が飛ばした指示に、皆が恐怖に突き動かされるように起き上がり、進路を変えるために散らばっていく。

 命が掛かるこの状況下でもはや皆、敵も味方も区別なく……一刻も早くこの場から立ち去りたいというように、最大速度で離脱していく魔導船。

 

「……あの」

「皆まで言わなくていい、それよりも、早く君の治療をしないと」

 

 

 何か言いたげなイリスの言葉を制し、分かっていると頷く。

 

 

 ――助けられた、な。

 

 

 去り際、こちらに向けられた攻撃。

 あれは、アクロシティに余計な口実……結託し、奴らを、そして世界を滅ぼすつもりではないか……そんな言い掛かりをつけられないようにわざと行なったのではないかと、今になって思う。

 

「全く……やり辛い相手だな、本当に」

「兄様、あの人は……」

「さて何のつもりだったのか……今回は、味方だったけど」

 

 ――次は、あれと戦わなければならないかもね。

 

 そう口から出掛かった言葉を飲み込む。

 

 向こうが『世界の傷』側の存在ならば、きっといつかまた……今度こそ敵として……相見える予感がする。

 

 それは十分承知しているのだろう。どうやら、奴と何か関係があるらしいイリスは、その顔を曇らせていた。

 

 だが……私達には、立ち止まっている時間が惜しい。

 

 イリスの胸に鈍く光る、紫色の結晶を指差して言う。

 今は侵食は止まっているそうだが、それもいつまで持つか保証もなく……何よりも、その姿はあまりにも痛々しい。

 

「……早く()()を解呪して、レイジを助けに行こう。あいつは闘技場に一人残って、皆を守るために頑張っている筈だから」

「……はい」

 

 そう……この日はまだまだ、始まったばかりなのだから。

 



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和解と、反撃へ

 

 

 遠くから、『死の蛇』とアクロシティの飛空戦艦の戦闘音が響き渡る中。

 ちょっとした騒ぎとなっている港町へと戻った私達は、治療のため、兄様の確保していたセーフハウスである宿屋へと駆け込みました。

 

「これは……あの時の……」

 

 私の胸に埋まっている結晶に、診察していたアンジェリカちゃんが青い顔をする。

 無理もありません……彼女は一度、これをどうにかしようとして酷い目に遭っているのですから。

 

「……ごめんなさい、酷だとは思うのですが、他に頼れる人を知らなくて」

「……いいわ、やる。前とは違うんだから」

 

 そう言って、私に触れるアンジェリカちゃん。

 その背中に、みるみる輝く翼が現れました。

 

「……はい、いつでもいいわよ」

 

 そう言って、先に詠唱を始めるアンジェリカちゃん。

 

 

 今は、首輪の魔消石の効果で侵食がストップしている……という事は、これを外した瞬間から再侵食が始まるのだ。

 

 すう、はぁ、と何度か深呼吸をして……

 

「それじゃあ……外すよ?」

 

 首輪を解錠するための鍵を構えた兄様の声に、私はハンカチを咥え、頷く。

 カチリと首輪のロックが外れた感触と共に、首から重みが消失した。

 

「……んんっ!?」

 

 次の瞬間には心臓直上で、体内に潜り込もうとする不快な感触を、ぐっと呼吸を止めて堪える。

 同時に、アンジェリカちゃんの破魔の魔法がその元凶である結晶を捉えた。

 

「くぅ……アンタ、よくこんなの涼しい顔で解呪してたわね……!?

「アンジェ……ちゃん……大丈夫……っ?」

「誰にものを言ってるのよ……患者は、大人しく治療されてなさい……っ!!」

 

 滝のように汗を流し、悪態をつきながら、いっそう翼を輝かせて必死に解呪魔法を維持しようとするアンジェちゃんでしたが……少し、分が悪そうに見えました。

 

 そんな時……後ろで推移を見ていたユリウス殿下が歩み出る。

 

「……アンジェ、僕も一緒にやる」

「え……ユリウス殿下? 一緒にって……」

「うん。前に姉様がやっていたのを見た時から気になっていたんだけど……なんとなく、できる気がするんだ」

 

 そう言って、アンジェリカちゃんとは反対側の私の傍へと座り込むユリウス殿下。

 目を閉じて、私の方へと手を掲げながら、口を開く。

 

セスト(真言)シェスト(浄化の)ツェン(第10位)……」

 

 ユリウス殿下の小さな口から紡がれる、先程のアンジェリカちゃんの唱えた魔法と一字一句違わぬ魔法の詠唱。

そして……それは確かに効力を発揮しようとして、ユリウス殿下の両手の中へと光が灯ります。

 

「ユリウス殿下、どうして……」

「アンジェが頑張っているのを見て、なんとなくこうかなって……!」

 

 思わずといった様子で呟いたアンジェリカちゃんの声に、初めて使用する魔法に真剣な表情で制御しながら、ユリウス殿下が答える。

 

 ユリウス殿下の手に灯ったのは、確かに第10位階『イレイス・カーズ』の解呪の光。

 決して思いつきでほいほいと使えるものではないそれを、私達は愕然と眺めていた。

 

 

 

 ――ノールグラシエ王家の人間は、何か特化した魔法の才を持つ事が多く、それは幼い頃から発露し始める。

 

 

 

 それが、アルフガルド陛下が言うには、ユリウス殿下の場合は今までどうしても見つからずにいたらしいのですが……今ユリウス殿下が放つ光を見れば、もはや一目瞭然でした。

 

 それなりに高度なはずの解呪魔法を、数回見ただけで使えるという、聖女達に勝るとも劣らない才覚。

 

 なるほど、まだ幼い王子が負傷者が大勢いるような場所へ行く機会など無かったのですから、判明しようがないわけで……ユリウス殿下の今まで分からなかったという適性は、私と同じく治癒魔法だったのだ。

 

 流石にまだ、光翼族として覚醒しているアンジェリカちゃんには及びません。

 だけど……それは、アンジェリカちゃんを助け、均衡を崩すには十分でした。

 

「上等だわ、ユリウス殿下。先輩として、あとでいっぱい指導してあげる……!」

 

 殿下の補佐を受け、どこか嬉しそうに更に力を込めるアンジェリカちゃん。その意を受けて、光翼が更に眩い光を放つ。

 やがて……均衡がアンジェリカちゃんの側に傾いて、ズルっと何かが引き抜かれる感触と共に、私の胸にあった結晶が体から離れ、浮く。

 

「ソール兄様!」

「ああ!」

 

 ユリウス殿下の声に、即座に放たれた兄様の『アルトリウス』の刃が閃いた。

 真っ二つに切断され、黒い炎に焼かれ……やがて、結晶は灰となって散っていきました。

 

 それを見届けて……はぁあ……と皆で深々と溜息を吐く。

 

「……ふう。ありがとう、二人とも」

「姉様、無事で良かったです……!」

「ふん、これで前の貸し借りは無しだから」

 

 感極まった様子で抱きついてきたユリウス殿下と、照れてそっぽを向いているアンジェリカちゃん。二人の頭に手を伸ばし、撫でる。

 

「アンジェ、お姉様、僕、役に立ちましたか!?」

「ま、まぁまぁね。もっと色々勉強が必要そうですけど!」

「あはは……ありがとうユリウス殿下。アンジェちゃんも助かりました」

 

 自分が魔法を使えた事に興奮している殿下と、そんな彼に対し先輩ぶってツンツンしているアンジェリカちゃんに苦笑しながら、感謝の気持ちを伝える。

 

「さて。イリス、いける?」

「はい、もう大丈夫です」

 

 兄様の言葉に、もう一人、意識を失ってソファに横たえられている人物……フォルスさんへと向き直る。

 

 もう一人結晶に侵された人は居ましたが……もう怖くもなんともないのでした。

 

 

 

 

 

 ――流石に……私も復帰し、治癒魔法使いが合わせて三人も居るのだから、フォルスさんの解呪は瞬殺でした。

 

「はぁ……お姉様とはなんかもう、張り合うのも阿呆らしいわね……」

「お姉様、流石です!」

 

 子供達の称賛に少し照れながら、手早くフォルスさんの様子を見る。

 解呪できたとはいえ、即座に助けられた私やアンジェちゃんと違い、長く支配されていた彼に、どのような影響が残っているか……

 

 そう心配しながら、彼の額に張り付いていた髪を避けていると。

 

「……心配しなくても、体の調子はすっかり良くなりましたよ。精神的にはボロボロですけどね」

「あ……目を覚ましていたんですか?」

「うん、ついさっき……はは、こんな事ならいっそ、永久に目を覚まさなければ良かったのに」

 

 自虐的に言いながら、フラフラと起き上がる彼。

 

「全く……私とした事が、秘めていた思慕をまんまと利用されてあのような醜態を晒し続けていたなんて……消えてしまいたい、という気持ちを心底理解しました」

「あの、フォルスさん。私は……」

「ああ、分かっています。貴女と紅玉髄(カーネリアン)の彼が恋仲なのは見ればわかりますし、今更私の思いが通じるなどと、思ってはいませんよ」

 

 恋仲、とあらためて言われ、顔が熱くなったのが分かります。

 そんな私の様子を見て、困ったように苦笑するフォルスさんでしたが……

 

「まぁ一応、通過儀礼としてやっておきましょうか……イリスさん、一緒に仕事した時から、ずっと貴女に恋焦がれていました」

「……ごめんなさい」

「はい、これ以上ないくらい明確な答えをくださって、ありがとうございます。おかげでかえってスッキリしました」

 

 そう言って、皮肉っぽく、だが憑き物が取れたように笑うフォルスさん。おそらくはこれが彼の本当の顔だったのでしょう。

 

 

 

「それで……もう入って大丈夫ですよ?」

 

 私がそう、扉の向こうにいる人物に向け声を掛けると、待っていたとばかりに勢いよく扉が開く。

 

「……フォルスさん!」

 

 部屋に入ってくるなり、体力の限界らしく再び横たわったフォルスさんへと縋り付く影……星露さん。

 フォルスさんは、その星露さんの肩に薄く残った跡を見て、沈痛な面持ちで目を逸らす。

 

「……傷、少し残ってしまっていますね。本当に申し訳ありませんでした」

「本当ですよ……もし元の世界に戻れなかったら、ちゃんと、責任は取ってもらいますからね」

「……ええ、分かっています」

 

 

 ポロポロと大粒の涙を流している星露さんの涙を指で拭ってやりながら、穏やかな顔で答えていたフォルスさんでしたが……すぐに、表情を引き締めて次に入ってきた人物にも声を掛ける。

 

「そちらの、フラニーさんもですね。謝って謝りきれるものではありませんが、本当にすみませんでした」

「あはは、やけに殊勝で気持ち悪いですねー……後で、好きなだけ殴らせて頂戴?」

「……ええ、覚悟しておきます。ですが、今はまだその時ではありません」

 

 若干顔を引攣らせながら、彼は頷く。

 だが、すぐにその表情を引き締めました。

 

「星露、商会の元プレイヤーの中で、まだ戦意のある者たちに伝えてください。私達もすぐにイスアーレスに戻って、事態の収拾に当たります……散々私や部下たちを良いように使ってくれたアクロシティにも、借りを返さなければなりませんからね」

「は……はい!!」

 

 真剣な……リーダーの顔へと戻り、くっくっと悪そうな笑いを漏らすフォルスさん。その様子に、星露さんが嬉しそうに外へ飛び出していきました。

 

 それを見送った後……こちらを振り返るフォルスさん。

 

「……君たちも、私達を許す事は出来ないと思うし、無理に許して欲しいとも言わない……最後には、きちんと罪は償う。だけど、今だけは君達の味方として共同戦線を張らせて欲しい」

「ふん……今更だな。こっちは人手が足りないんだ、精々役に立ってもらうぞ」

「ここからは、いっぱい頼らせてもらいますね?」

 

 私達の返事に、フォルスさんはどこか泣きそうな、だけど嬉しそうな笑顔を見せました。

 

 そう言って私達三人は、和解の証として拳を打ち合わせる。

 

「……よし。それじゃ、私達は行こう。船はいつでも出航できるようスタンバイしてもらっている……まだ、やる事はある」

「ええ……行きましょう、兄様」

 

 まだ少し怠い体を叱咤して、身体強化を施術し直して立ち上がる。

 

 

 

 向かうは……今、レイジさんが一人で戦っているであろう、大闘技場。まだまだ、今日という一日は始まったばかりでした――……

 



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静寂の決勝戦

 

 ――大闘華祭、フレッシュマンの部の決勝戦。

 

 もう一つ、エキスパート部門はどちらかといえばエキシビション色の強いため、祭りの実質クライマックスと言って差し支えないはずのこの一戦は……今年に限っては、興奮とはとても程遠い、重苦しい空気に包まれていた。

 

 

 ピリピリとした雰囲気が、大闘技場内に充満している。

 

 特に、フランヴェルジェ帝国とノールグラシエ王国、二大国の貴賓席からは殺気立ったものさえ感じられている。

 

 しかも、穏健で知られている両国の盟主、フェリクス皇帝とアルフガルド王が揃って視線で射殺さんばかりに西の通商連合の席を見据えているのだから……今にも二大国から西へと戦線布告せんばかりのその様子に、観客達は肝を冷やし、明らかにおかしな会場の様子に戸惑いを見せていた。

 

 一方で、普段はその柔らかな笑みや可憐な様で会場の空気を和らげてくれていた『ノールグラシエの宝石姫』イリスリーア王女殿下の姿が見当たらない。

 

 さらにはユリウス殿下やその婚約者である聖女アンジェリカ嬢らの可愛らしい華の姿も見当たらず……ならばとイーシュクオル皇妃ら姿のある花々はといえばこちらも難しい顔で居るとあって、事態の異常さを更に強調していた。

 

 

 

 

 

 そんな異様な空気の蔓延する中、既に決勝のリングに入り決勝が開始されるのを待っていた俺は……目を閉じてざっと気配を探る。

 

 ――やはり、居る。

 

 最近になって、イリスが周囲の生命反応を、ソールが自身の麾下の者達を察知できる『視界』を得たように……俺は、集中すればまるでゲームの画面端にあるレーダーの如く、かなり遠くの気配まで察知できるようになった。

 

 その中で、会場には姿を見せていないが、闘技場外縁部からは例の機械兵器と西の手勢らしき者が徘徊している気配がある。

 

 これは……観客を逃がさないためか。

 

 すでに封鎖されたらしい出入り口に、顔をしかめる。どうやら連中は、俺を足止めするために本気で無関係な観客を利用するつもりらしい。

 

 ……が、その首謀者、西の通商連合の貴賓席の様子も何やらおかしい。

 

 

 今朝までは不敵な様子を見せていたフレデリック首相だったが……今は、何やら頻繁に伝令がそこへ足を運び、その度に機嫌が悪くなっているように見える。

 

「……どうやら、()()()()()()()()は上手くやったみたいであるな」

「……斉天?」

 

 予想外に聞こえてきたのは、俺と同じくすでに入場し、精神集中していた斉天の声。

 そんな奴がポツリと漏らした呟きに、思わず頭を上げると……斉天は何故か、ホッと安堵したような表情を浮かべていた。

 

「……まさか、お前……街の人を」

「勘違いしないで欲しい、この一戦は俺の意思である。俺がお前達を裏切ったのは紛れもなく事実。俺が嬉しかったのは……これで、お前が気兼ねなく戦えるようになった事にだ」

 

 街の人を人質にされ……そう思い浮かんだ予想は、本人によって即座に否定された。

 

 

 確かに、斉天の様子はとても強制されて戦いの場に出た者とは程遠い。

 その表情は今はもう静かに凪いでおり、まるで沙汰を待つ罪人のようにも、超然と自らの先行きを見つめる聖者のようでもあった。

 

 ――まったく、不器用な奴だよ、お前は。

 

 優しいくせに、自身の戦闘衝動を上手く消化できず、心では自らを罰し続けているくせに、進む事を止めはしない。

 そんなどうしようもなく不器用な友人の様子に一つ苦笑して……すぐに、真剣な顔で対峙する。

 

「まぁ、いいさ、付き合ってやるよ。俺がやる事は変わらねえ、お前を踏み越えて皆を助ける、それだけだ」

「……かたじけない」

 

 俺の言葉を聞いて、軽く頭を下げた斉天。

 それっきり……揃って無言となり、試合開始を待つ。

 

 

 

やがて……時間となり、スピーカーの電源が入った音が会場に鳴る。が……

 

『決勝戦、斉天選手、対、レイジ選手……なんですが、えぇと、私、なんと言ったらいいか……』

 

 普段のふてぶてしいトークとは全く違う、泣きの入った司会のお姉さんの戸惑い混じりの声に、ざわざわと観客にざわめきが広がる。

 

 だが……今の異常事態を巻き込まれた当事者として理解している彼女に、いつも通り振る舞えというのはあまりにも酷だろう。

 

「あー、司会のお姉さん、シルヴィアさん……だったよな!」

 

 俺は彼女の様子を見かねて、司会席へ向けて声を掛ける。

 

「無理に司会をする必要はねーよ。ただ……勝利者インタビューのためのマイクだけは準備しといてくれ!」

『は……はい!』

 

 あからさまに安堵した様子で返事を返す彼女の様子に、ふっと表情を緩め、すぐに引き締め直す。

 

 そして……背負った『アルヴェンティア』を鞘から引き抜き、構えた。

 同時に、斉天も今までは使用していなかった武器……腰に吊るしていた、龍を模した意匠の、刃を備えた手甲を握り込む。

 

 

 ――おい、あの剣……

 

 ――うそ、真剣!?

 

 ――保護魔法はどうしたんだよ?

 

 

 

 デバフを纏わぬ正真正銘の真剣が放つ刃の輝きに、周囲の観客の戸惑いの声がさらに多くなる。

 中には本物の人を斬るための刃を目の当たりにして、蒼褪めている者もちらほらと見受けられ、いよいよもって今この会場が異常事態の只中にあると気付いたのだろう。

 

 その様子に、普段はこの闘技場で観客を楽しませるために戦っていた斉天は、苦々しい顔をする。

 この街でずっと過ごしてきた奴には、俺なんかよりも思うところがあるのだろう。

 

 

 だが……もはやすでに、出入り口はフレデリック麾下の者達に封鎖されている。

 

 来賓や観客達を無事逃がすためには()()()()()が、そのためにはまず、目の前の斉天をなんとかしなければならない。

 

 俺が、まずは目の前の最大のライバル……『Worldgate Online』最強と言われた男に勝たなければ、全ての目論見が崩れ去るのだ。

 

 ――全く、酷い作戦もあったもんだ。

 

 前提条件の厳しさに苦笑するが……やらざるを得ない。

 

「まず、言っとく。()()が俺の敗北を望んでいることなんかは重々承知しているが……俺は、街の人が人質になっていようが、みすみす負けるつもりなんか無ぇからな」

「承知の上だ。奴らには、勝負に対してそうした無粋は許さん、場合によっては即座に貴様達の敵になると伝えてある……俺が望むのは、お前との全力を尽くした闘争のみだ」

 

 そう言って、軽く腰を落として構えらしきものを取る斉天。

 それを受けてこちらも剣を構え、ジリジリとすり足で距離を図りながら対峙する。

 

「……やっぱ、お前は馬鹿だよな」

「返す言葉もないであるな……いざ、参る!」

「ああ……お望み通りにぶっ飛ばしてやる!」

 

 二人、同時に一気に距離を詰める。

 シンと静まり返った会場に響くは、二人の武器がぶつかり合った甲高い音のみ。

 

 

 

 そうして、皆が固唾を飲んで静まり返り、開始のゴングすら鳴らぬ静かな決勝戦が……ついに、幕を上げたのだった――……

 



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剣聖vs拳聖

 

 ――大闘技場の、メンテナンス用通路。

 

 天井付近の壁に沿って設置された、眼下に試合中の会場全体を見下ろせる、この場所。

 

 そんな場所に、俺……スカーレット=フランヴェルジェは居た。全ては、昨夜回ってきた作戦の、重要な役割を果たすために。

 

 誰もが現在繰り広げられている決勝戦の様子に釘付けとなり、誰も目を向けないその一角に腰掛けて、黙々と自分の仕事の準備をしていると……不意に、横合いから声が掛かる。

 

 

「あにゃ、先客がいましたかにゃ……えぇと、イリスちゃん達の上司で、帝国の皇子様な色男さん?」

「そう言うあんたは、あの子らの友達か。あんたももうスタンバイかい?」

「うむ、そうにゃ。いやはや、レイジさんもなかなか無茶な要求しますにゃ」

 

 そう言って、猫耳も無いのに何故か猫言葉の魔族の女性……たしかミリアムという名前の彼女が、通路の床に、チョークみたいなもので何かを描き始めた。

 

 円を起点にした、複雑な幾何学模様。魔法陣らしきものを何やらメモに目を落としながら書き進めている彼女を横目に、俺は手にしていた、いつもの弾よりもだいぶ長大な弾丸へと意識を集中し、内部に魔力を込めていく。

 

 ――事前にやっておければ良かったんだけどな。

 

 流石に、このサイズの弾に魔力を充填し持ち歩いていたら、見咎められていただろう。

 

 ごっそり減っていく体内の魔力に疲労を感じながらも、手は止めない。

 

 しばらく黙々とお互いの作業に専念していると……先に終えた彼女が、ある一点を指差した。

 

「狙いは……あそこでいいにゃ」

「あそこ……貴賓席と観客席の境目だな」

 

 彼女が指差した箇所……一般客席と、各国来賓が座っている貴賓席の間には、安全上の観点から座席が存在しないかなり広いスペースが存在する。

 確かにあそこならば、きっちりと指向性を持たせて撃ち抜けば、両サイドに被害を与える可能性は低そうだ。

 

 何より、隣接しているのがノールグラシエ王国の席の側。普通ならば貴賓席の間近など狙いたくないが、今回は別だ。

 何故ならば……おそらくこの会場で最も安全な場所、それはアルフガルド陛下のいるあの貴賓席なのだから。

 彼が、ゲーム内のイベントでたびたびNPC参戦し猛威を振るった通りの実力ならば、あそこにいる、防御魔法に長けた陛下の守護によって、被害を最小限に防ぐことも期待できる。

 

「問題は、外に人が居ないかだが……」

「観客は、奥の通路には居ないにゃ。さっき、連中が立ち入り禁止にしているのを確認したにゃ。その後ろはもう断崖絶壁と海のみ、何の問題もないにゃ」

「ああ……なるほど、自分達の戦力を待機させるためか。そりゃまた好都合だ」

 

 ぶっ放す条件はクリアとして、残る問題は……

 

「あとは……レイジさんが勝つだけにゃ」

「ああ……」

 

 眼下で繰り広げられている、けたたましい鋼が打ち合う音の鳴り響く、激しい戦闘。

 戦況は……見た感じ、レイジの坊主の方がやや不利か。

 

「坊主でも苦戦するとか……あの斉天とか言う奴、流石『Worldgate Online』最強は、伊達じゃねぇな」

「あれで全力とも考えにくいにゃ。何か、隠していそうでもあるし……」

「だが……レイジの坊主も落ち着いている。一概に不利とも言えねぇな」

「そうなのかにゃ? 後衛の視点じゃこのレベルの近接戦はよく見えないんだけど」

「ああ。手数差で反撃の機会は少ないが、攻撃を確実に届かせているのは坊主の方だ」

 

 今のところ、手数で圧倒しているのがあの斉天とかいう奴で、防御に分があるのはレイジの坊主という所か。

 

 さて……どう転がるにしても、自分達に今できる事はその時が来た時のために完全に準備を整えておく事だけだ。

 

「信じさせてくれよ、坊主」

 

 未だ激しく動き回る双方の戦闘を見つめながら……新しく取り出した弾丸へと、再度魔力を充填し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 誰もが固唾を呑んで見守っている、決勝戦のリングの上。

 

 そこに立つ二人が、本来楽しませるべき観客を置き去りにした速度でぶつかり合うその様は、まるで万華鏡のよう。

 しかしそこに瞬くは輝石(ビーズ)などではなく、鉄がぶつかり合う火花の赤と、宙を舞う血の赤。

 

 だが……それでもお互いに未だ大きな傷は無く、薄皮一枚のみを斬らせた薄氷のような均衡で攻防は続いていた。

 

 

 

 

 

 ――やはり、『最強プレイヤー』は伊達じゃねえ。

 

 拭う事も出来ず流れるままの頰から流れる血が、口に入った鉄錆臭い味に、内心で舌打ちする。

 

 向こうの全ての攻撃が、恐ろしくコンパクトかつ早い。

 静止状態から瞬時に最高速まで乗るために、緩急が激し過ぎてタイミングを計るのが困難だ。

 

 それでも、半ば勘を頼りにして繰り出される斉天の手甲を弾き返し、頻度は少ないながらも反撃を繰り出す。

 

「ははは、やはりお前ならばと思ったが、期待通りだ! 楽しいぞ『剣聖』のぉ!!」

「やかましいわ戦闘馬鹿が!」

 

 鉤爪のような形に曲げられた斉天の掌に、ゴッと炎が灯る。

 

 それとほぼ同時に、俺も半ば勘のみで体を横に投げ出し、身を伏せて、剣を腰だめに構える。

 

「――炎龍爪!!」

「――砲閃火ァ!!」

 

 お互い低い姿勢から繰り出した炎と炎が俺と斉天の中間で絡み合い、喰い合い、やがて限界を迎え熱風を撒き散らして炸裂した。

 

 その衝撃に距離が離れるも……吹き飛ばされた先で、二人同時にピタリと構えを取る。

 

 

 シン、と静まり返る会場。

 これが普段であれば、直後盛大に歓声が巻き上がったのであろうが……今は、剥き出しの闘志、お互いの体に付いた傷から滲む赤を目にした観客達は、これが本当に危険な真剣勝負なのだと察し、息を飲んで静まり返ったままだった。

 

 そのまま、ジリジリと摺り足で間合いを詰めていく。

 それが、お互いに攻撃可能範囲内に入ったその瞬間。

 

「――オーラブレードッ!」

「――リミテイションエッジ!」

 

 斉天が組んだ両手から、まるでビームサーベルのように闘気の刃が伸びる。

 同時に同じく可視化できるほどの闘気が俺の持つ『アルヴェンティア』を包み込み、眩い光を放ち出す。

 

 ――ガァァンッ!!

 

 まるで重機がぶつかり合ったような、けたたましい音を立てて……俺たち二人は、鍔迫り合いの形で静止した。

 

 

「いちいち付き纏って来て……ウゼぇと思ってはいたが……戦闘においては、俺はテメェを尊敬していたんだぜ……!」

「それはそれは……随分と、嬉しい事を……言ってくれるな……っ!」

「けどな……今のテメェのザマはなんだよ……!」

「ぬ、う……!?」

 

 俺の言葉に、怪訝な顔をする斉天。

 

 ――今大会、斉天は圧倒的な強さで勝ち進んで来た……と、思っていた。

 

 だが、それは本当だろうか?

 

 遊びがない。

 余裕がない。

 

 それはつまり……追い詰められていたのではないか?

 

「てめぇ、さっきはあんな事言ってやがったが、やっぱ弱みを握られて嫌々戦ってやがんな?」

 

 おそらくは……やはりこの街の人々を人質にされれば、断れなかったのだろう。この男は、観衆にやたらと甘いところがあるのだから。

 

 そして……その中で、イリスの事も気にかけていてくれたに違いない。

 

「……何の事であるか。俺は、お前と闘いたいという身勝手な欲求のために……」

「はっ、嘘言ってんじゃねぇよ。じゃあ、なんでそんな()()()()()()()()戦ってやがる」

「な……ん……っ」

「こうやって剣を合わせてるとな……テメェが不本意で嫌々戦ってますって、バレバレなんだよ……ッ!」

 

 斉天が、驚愕に目を見開いていた。

 

 だが、ずっと付き纏われていた俺はそれなりにこいつとの付き合いも長い。こいつは、根が単純な分、慣れたら何を考えているか読みやすい奴なのだ。

 

 

 

 ……斉天という男は、天性のチャンピオンだ。

 

 だがそれは、決して強いというだけではない。公式主催のPvP大会で何度か見た事があるが、こいつが戦っているのを見るのは……()()()のだ。

 

 戦闘狂であるのは、否定はしない。だが、決してそれだけではない物を、こいつは持っている筈なのだ。

 

 自分が全力を尽くす事で相手の力も引き出して、結果として周囲まで楽しませてしまうエンターティナーの才能、それがこの男、斉天の本当の才能だと、俺は思っていた。

 

 

 

 だから……今みたいな観客を置き去りにした独り善がりな戦闘は、こいつの本気ではない。本気であるものか。

 

「何か話題にされたくない事がある時、やたら平静を装いながら好戦的な事を言うのは、お前の悪い癖だぜ……ッ」

「……っ」

「図星を突かれると、黙り込むのも……なっ!!」

 

 鍔迫り合いの状態を、斉天が一瞬怯んだ隙に裂帛の気合いを込めて弾き飛ばすと……

 

「喰らいやがれ、会者定離乃太刀(えしゃじょうりのたち)……ッ!!」

 

 引いた勢いを反動として踏み込み、腰に構えた『アルヴェンティア』を振り抜く。

 

 が、しかし。

 

「……ちぃ、浅いかッ!」

 

 直前で、体勢を立て直した斉天が身を引いたのが見えた。ピッ……と斉天の胸に赤い線が奔るが、それだけだ。

 即座にカウンター気味に繰り出された斉天の拳を刀身の腹でガードするも、十メートル以上は吹き飛ばされたのち、着地する。

 

 ビリビリと、手に響く衝撃。

 それは、今までと比べてあまりにも強かった。

 

「……まいったな、こうなる前に決着付けたかったんだが」

 

 対斉天用の秘策その一、動揺を誘ってその隙に……というつもりだったのだが、もはや瓦解した。

 改めて向き直った視線の先、斉天の様子を見て、顔が引き攣るのを感じる。

 

 ――どうやら、暖機終了みてぇだな。

 

 ゆらりと体を起こした斉天だったが、その様子がおかしい。そして俺は、その理由を知っていた。

 

 

 

 ――狂戦士(ベルセルク)

 

 

 

 全プレイヤー内で斉天ただ一人だけ持つ、『最多PvP戦kill数レコード保持者』のみが取得クエストを受けられた、最上級レアサブ職業。

 

 加速された血流がその鋼の体を赤銅色に染め、白目は充血し殺意を漲らせて爛々と輝いて、吐く息は熱く蒸気となって立ち上る。

 

 ヒッ、と観客席最前列から観戦している者の悲鳴が聞こえた。それくらいに、今の斉天の様子は人間離れしていた。

 

 ここまで伝わってくるのは、ビリビリと物理的な振動まで伴う殺気と重圧感。

 

 その様子を見て……このままでは絶対に勝てないと悟る。

 

 

「やっぱ、やるしかねぇよな」

 

 僅かに躊躇った後……腰に下げていた漆黒の剣――『アルスレイ』を抜く。

 すぐに刀身から伸びて来た管が腕に食い込んで、まるで穴の空いたバケツのように、体力が剣へと向けて流れ出していく。

 

 ――まだだ、これだけでは届かない。

 

 アルスレイの刀身に展開した禍々しく赤い力場の刃を軽く振って様子を確かめた後、頭の中のスイッチを一つ入れる。

 

 ――さぁ、目覚めろ殲滅者(スレイヤー)

 

 世界から色が消え、自分と相手の事以外は思考の端に置いやられた。

 

 

 

 

 こうして……本来ならば神聖な奉納試合だったはずの決勝戦は、狂戦士(ベルセルク)殲滅者(スレイヤー)、二大最()サブ職によるぶつかり合いへと移行していくのだった――……

 



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狂戦士vs殲滅者

 

 会場内に立て続けに響く破砕音と、観客の悲鳴。

 

 狙いが逸れた剣閃が床の石畳を断ち割り、拳が地面を穿ち……会場を引き裂き荒廃させながら繰り広げられ続ける、二人の戦士が繰り広げているにしてはあまりにも異常な戦闘。

 

 

 

 そんな中で、ほとんど戦闘衝動に飲まれた思考の隅、小さくなってしまった自我の中で思う。

 

 ――俺は、この力が大嫌いだ。

 

 念願叶ったこの一戦……だがそれは予想に反し、あまりにも高揚とは程遠いものだった。

 

 

 

 その退屈の理由は明白だ。今、この身を動かしているのが……おそらく、『狂戦士(ベルセルク)』な為だろう。

 

 増大した筋力。

 鋼のように頑健な体。

 加速し、鋭敏になった感覚。

 そして……殺意を察知した際の、限りなくゼロに近い反射速度。

 

 人を超え、獣の力を宿すこの能力は、確かに強い。だが.……そこに、選択や駆け引きは存在しない。

 

 高い身体能力と、最適化された行動。

 それによって行われる戦いは、果たして戦いと言っていいのだろうか。

 

 そして……これは今眼前で剣を振るう『剣聖』のが持つ『殲滅者(スレイヤー)』にも同じことが言える。

 

 

 

 ――これは、ただのお互いの命を懸けただけの、性能比べ以外の何なのだろうか?

 

 

 

 どちらも必中必殺の攻撃を繰り出しているというのに、なまじ当たれば即死、あるいは戦闘不能の危険があるために、『狂戦士』も『殲滅者』も回避行動を取る。

 

 お互いの能力があまりに高すぎるのも相俟って、お互いに激しく攻撃を繰り出しているにもかかわらず、どちらも紙一重でお互いに当たることが無いという拮抗状態に陥っていた。

 

 ……否。

 

 あの、『剣聖』のが抜き放った二本目の剣。

 おそらくは、手数の差をカバーしたくて持ってきたのだろうが……この身を動かしている『狂戦士』の野生の勘が、あれだけには触れてはならぬと判断して弾く事すら阻んで大きく避けている、あの禍々しく紅いオーラを纏う剣。

 

 だが、あのようなものが使用者に何も影響を与えないなどという事はなく、向こうの消耗の方が明らかに激しい。

 

 このまま行けば遠からず、この均衡はこちら側に崩れるように傾くだろう。

 

 ――ああ、やはり、奴でも無理なのか。

 

 そんな、失望にも似た思考が脳裏を過った。心のどこかで、奴ならばこの先の風景を見せてくれると身勝手な期待していたため……その失望が、俺の上に大きくのしかかる。

 

 

 

 そして不意に、『剣聖』のがその動きを緩やかに減じ……立ち止まった。

 

 限界……ならばひと思いに、この戦闘に幕を下ろそう。

 

 そう思った瞬間、俯いたままの『剣聖』のの頭へと、その拳を振り下ろした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 がらん、がらん……と、金属が床を転がる音。

 

「な……に……?」

 

 呆然とした様子で呟いたのは……斉天の方だった。

 

 

 

 

 

 疲労により朦朧とした思考の中、斉天の拳が迫るその時……まるで時が止まったかのように、一瞬がとても長く引き伸ばされて感じた。

 

 ――ああ、これは……無理か。

 

 万全の状態で互角だったのだ、先に体力が尽きた俺が、今から逆転できるわけも無……

 

 ――本当に?

 

 ここで終わり……それを、俺はよしと思っているだろうか。

 

 

 

 ――否、断じて否だ。

 

 

 

 脳裏に浮かぶのは、あいつの……イリスの顔。俺はまだ、あいつのためにまだ何もしちゃいない。

 

 思い出せ……あの日、『死の蛇』に為す術なく打ち倒され、目覚めた日を。

 

 胸を引き裂く後悔に慟哭し、悔しさと共に、次は負けないと誓った事を。

 

 

 

 負けてたまるか……そう歯を食いしばった瞬間、目の前の灰色の世界に、突然色が戻った。

 

 遅々として動かない須臾(しゅゆ)の時間の中で、それでも必死に体をひねり迫る拳の軌道から頭を逸らし、合わせて腕を振り抜く。

 

 そうしてギリギリで繰り出された拳を避け、すれ違いざまに振り抜いた俺の『アルスレイ』が……斉天が繰り出した拳、その装着した手甲を、半ばから断ち割っていた。

 

 

 

 

 そして……がらん、がらん、とけたたましい音が、耳を叩いた。

 

 ――見えた。

 

 当惑しながらも向かって来る斉天を他所に……俺は今、視界いっぱいに乱舞している真っ赤な攻撃予測線を、やけに静かに凪いだ心持ちで見つめていた。

 

 すでに疲労が激しい身体では、その全ての攻撃を払うには至らないだろう。

 ならば……スッと歩を進め、その隙間へと体を滑り込ませ――後方へ抜ける。

 

「……ぐぅッ!?」

 

 すれ違いざまに振るった剣。傷こそ浅いが、斉天のその鍛えられた腕から血が爆ぜる。

 

 俺が発動させていた『殲滅者』の効果は、今も続いたままだ。もしこれが切れたが最後、斉天の拳は俺の身体を砕くだろう。

 だが『殲滅者』の能力はそのままに、今の俺は静かに澄んだ心でその行動を律し、己の意思で剣を振るっていた。

 

 

 

 ――『バーサク・コントロール』

 

 

 

 以前、領主様のお屋敷にあった過去の剣豪が書き記した指南書を読んで学んだ中の一つ、如何なる状況下にあっても、極限の平静状態を保つこの技能。

 

 まだまだ修練の最中であるそれは、成功するかは賭けだったし、事実一度は暴走状態になった『殲滅者』だったが……疲労から力が抜けた事と、絶えず責め立てて来る左手に持った『アルスレイ』が、俺を正気に引き戻し、留め置いてくれていた。

 

「なぁ斉天、お前のその『狂戦士』はたしかに強いし、怖いよ」

 

 力強く、疾く、躊躇いも無い。

 ただ破壊するという衝動の権化が、怖くないはずがない。

 

「けどな……やっぱり、今のお前は弱いぜ」

 

 全て投げ打ち獣となって、相手を壊すだけの能力(ベルセルク)

 最適解を選択させ続け、相手を壊すだけの能力(スレイヤー)

 

 

 ――どちらもただ、それだけしかできない行き詰まりの力だ。故に……

 

 

 

「来い、『剣軍』!!」

 

 俺の周囲に舞い降りる、七本の力場の剣。

 七本全てを出し惜しみせずに斉天を照準、『剣』が、一斉に奴の方へと切っ先を向ける。

 

 その動きに合わせ、斉天の拳にあの『金剛掌』とかいう力場に覆われた。

 こちらの七本の『剣』全てと、同等の強度を持つその拳。また以前みたいに叩き落とされることは想像に難くない。

 

 ――だが、それでも奴の意識は一瞬だけだとしても、俺から逸れる。

 

 その瞬間には、俺の姿はすでにそこには無い。

 射出のため宙に留まり、動き出す直前の『剣』をその場に残したまま、俺自身は『殲滅者』によって上がった身体能力、無駄を排した身のこなしで斉天の背後を取っていた。

 

 それでも、咄嗟に俺の殺気に反応して振り返る斉天。

 

 ――()()()()()()()()()斉天。

 

 繰り出される奴の拳が俺の頭の横を掠め、俺の繰り出した『アルヴェンティア』の切っ先が、その肩を掠めた。

 

「――しまっ……ぐっ、あ!?」

 

 自分の行動が信じられないように、驚愕に目を見開いた斉天。その四肢を……ほんの刹那の時間差で背後から()()()()飛来した『剣』が貫いていった。

 

 

 

 ……故に、こんな駆け引きにあっさりと引っかかる、脆く儚い力。最凶のサブ職などと言っても、その程度のものでしかないのだ。

 

 

 

「ぐっ、ぅ……っ!?」

 

 それでも、斉天は金剛掌の力場が残る両手でガードを取ろうとするも……それを続けて振り抜いた『アルスレイ』の、真紅の力場が構成する刀身が、薄紙のように斬り裂いた。

 

 そのまま、振り抜いた両手の剣を再度振るう時間も惜しかったために、両手の剣を手放して拳を握りこむ。そして……

 

「あとは任せて……ちぃと眠って、頭を冷やしやがれええぇぇっ!!」

「ごはぁ……ッ!」

 

 その顔面を、俺の全身全霊を乗せた拳が撃ち抜いた。

 十数メートルは転がった後にようやくその体が止まり、仰向けの体勢でダウンする。

 

 

 

 シン……と静まり返る会場。

 

 斉天はそのまま何度か起き上がろうとする動きを見せるが……鋼鉄の手甲にガードされた全力の拳が顔面にクリーンヒットした衝撃は、到底人体が耐えられるものではない。

 

 どうやら脚に来ているらしく、数回起き上がるのに失敗したのちに……やがて諦めたように脱力した。

 

「はっ、今回は……俺の勝ちだぜ、斉天」

「ああ……俺の負けであるな……『拳聖』が拳でノックダウンさせられたならば、言い訳もしようがないであるな……」

 

 見下ろし、ニッと笑って見せる俺に対して、いっそ清々しいとばかりに、仰向けに寝転がったまま笑っている斉天。

 

 奴は意識を朦朧とさせながらも、しばらく苦笑していたが……その顔が、すぐに深刻な色を帯びた物となる。

 

「……皆を頼む、剣聖の」

 

 そう最後に呟いて……がくりと、斉天のその体から力が抜けた。

 

「……ああ、任された」

 

 そんな斉天に一つ呟いて、疲労に身を任せて座り込みたがる体を叱咤しながら、先程手放した剣に手を伸ばす。

 

 

 

 俺がすべき事……その本番は、まだまだこれからだった――……

 



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道を拓く

 

 

 

 

『え、えぇと……レイジ選手の勝利……なのでしょうか?』

 

 戸惑いを見せながら、今まで黙っていた司会のお姉さんが、俺の勝利を恐る恐る告げる。

 だが……優勝者が決まったというのに、会場はただひたすら静寂が支配していた。

 

「あー、司会の姉ちゃん、マイク借してくんねえかな!?」

『え……ま、マイクですか……ひゃ!?』

 

 戸惑いながらも返事をした司会の姉ちゃんだったが、その途中で可愛らしい悲鳴と共に声が聞こえなくなる。代わりに聞こえてきたのは……

 

『うふふ、新チャンピオンさん、こちらがご所望かしらぁ?』

『あ、あの桔梗さん、マイク返して……』

『いいから、いいからぁ。派手なマイクパフォーマンス、期待しているわねぇ、はぁい!』

 

 いつの間にか放送席へと入り込んでいた、妖艶に着崩した巫女装束の女の人……東の貴賓席に居たはずの桔梗さんが、司会の姉ちゃんから奪ったマイクをこちらに放り投げた。

 抜群のコントロールで投げられたそのマイクは、吸い込まれるように俺の手に収まる。

 

 

 

 ……チラッと、西の連中の席を見る。

 

 てっきり何か妨害があるかと思ったが……見えたのは、奥へ逃げるように退出していく背中のみ。

 

 おそらくは……奥に控えている物騒な連中に、指示を出しに行ったのだろう。だがそれならば、こちらにとっても好都合だ。

 

 

 

 ――俺が欲しかったのは、この瞬間。

 

 会場内の観客は、俺たちに対する人質……というだけではない。俺たちも含んだ全てが、イリスを従わせるための人質でもある。

 

 だが……それを告げて皆に逃げろと呼びかけたとて、おそらく集団恐慌を起こしている間に鎮圧されるのが関の山だろう。

 

 だから……俺は、今の状況を得るために、本気の斉天に勝たなければならなかった。

 

 この、皆が未だ衝撃から覚めやらぬまま、全ての意識が(新チャンピオン)へと集中しているこの瞬間――俺の言葉が絶対の影響力を持つ、この僅かな時間が、俺には必要だったのだ。

 

 

 

『あー……皆、今から俺が話す事を、落ち着いて聞いて欲しい』

 

 会場に設置されたスピーカーからきちんと声が流れているのを確認し、皆へ語りかける。

 会場の視線が全て俺へと集中し、その一挙手一投足を見逃すまいとしているのを感じながら、続ける。

 

『まずは……そうだな。皆、この決勝について変だと思っていたと思う。ただ……斉天は、あなた達のために戦っていた。それだけは信じてやって欲しい』

 

 皆を頼む……それが斉天の頼みだったのだから。

 

 だから、俺は観客席にいる人々へと、頭を下げる。

 どうか、自分達の愛したチャンピオンを信じて欲しいと。

 

『その上で……どうか、俺の頼みを一つ、皆に聞いて欲しい』

 

 そんな固唾を呑んだ観客達の視線が集中する中で、俺は手を挙げて、スタンバイしているスカーさんら、仲間達に合図を送る。

 

 視界の端で皆が動き出したのを確認し……最後に、俺の言葉を待つ観客へと、語りかけた。

 

『今から道を拓く。守ってみせる。きっと、街まで無事送り届けてやる。だから皆……どうか、俺を、俺たちを信じて、()()()()()()()()()()()!!』

 

 

 

 

 次の瞬間――会場内に、耳をつんざく魔獣の咆哮が、破砕音と共に会場内へと響き渡ったのだった――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

「はは……あの坊主、マジでやりやがった!」

 

 決勝戦……最大の障害であった『WGO最強』が倒れ臥す光景に、俺は若干の興奮と共に喝采を上げながら、自分の仕事のための準備を進める。

 

 ――あいつが約束を果たしたんだ、期待に応えねば、年長者として失格だろ。

 

 用意していた特注の弾丸を薬室(チャンバー)へと装填し、目標の場所へと照準を合わせる。

 

 そして……観客席に語りかけていた坊主の手が、頭上へと掲げられた。作戦開始の合図だ。

 

「言っとくが、こんな物騒なもん、俺だって全力でぶっ放した事なんか無ぇんだ、どうなっても知らねえぞ!? 」

 

 周囲を漂っていた多数の電磁場加速の魔方陣が、銃口の前に、まるで延長した銃身(バレル)のように一列になって並ぶ。

 

「行っ……けええぇえッ! 『ハウリングシュート』ォッ!!」

 

 そこへ放たれた弾丸は、その魔法陣を通過するたびに速度を増し……最後の一つを通過したのとほぼ同時に、音さえ置き去りにして闘技場外壁へと着弾、一切抵抗を許さず貫通した。

 

 

 

 ――上から見ると、完全な円形ではなく、東西に若干引き伸ばされた楕円形をしたこの闘技場。

 

 奥に宿泊施設や催事場がある東側、四分の一ほどは来賓席であり、北東と南東にある観客席出入り口を挟んで西側……街から最寄りの入り口側、四分の三程が一般の観客席となっている。

 

 

 ――観客席からの出口は、北東と南東の二つだけ。

 

 ――しかも、その後大闘技場から出られる街へ続く出入り口は、西にしかない。

 

 ――来賓用の港はあるが、そちらも船を抑えられてしまえばそれまでだ。

 

 

 そんな中で放たれた弾丸は、北東側の出入り口、貴賓席と観客席を隔てる誰も居ない空間へと着弾した。

 

 通常の弾よりも、容量の大きな術式を封入できるその弾丸。だが、そこに込められた術式は、ひどくシンプルなもの。

 

 曰く――『壊れるな』、ただそれだけ。

 

 だが、ただひたすら込められたそのシンプルな指示は、分かりやすく強力だった。

 たとえ大気摩擦により溶け落ちようが、一定距離を進むまでは決してその姿を崩してはならない……そんな属性が付与された弾丸は、何重もの電磁加速を受けてなおも耐え、音の数十倍もの速度へと達する。

 

 いくらこの大闘技場の石壁が頑健といっても、決して壊れない超音速の弾丸を阻む事など出来はしない。

 ほとんど抵抗もなく貫通し、弾丸は壁の外へ飛び出したが……事態は、それだけでは終わらない。

 

 やや遅れ、ぶち破られた空気の壁の揺り戻し……衝撃波が、弾丸が通り過ぎた空間をなぞるように吹き荒れて、進路上のものを打ち砕いていく。

 

 だが事は、これだけでも収まらない。

 

 指向性を持って砕かれた石壁の破片は、同じ方向へと向かうベクトルを与えられ、さながら散弾銃の弾丸のようにはじき出されてその先へと衝突する。

 

 さらにその破片が進行方向の壁を砕き、それがまた更に……と放射状に広がっていき、連鎖的に崩壊していく大闘技場の一角。

 

 すさまじい破砕音が止んだ時……大闘技場北側の出入り口は完全に吹き飛ばされて、その先、陽を受けて輝く青い海を覗かせていた。

 

 

 

 ――この中から、観客達を逃すのは困難極まりない……ならば、出口を増やして逃げればいい。

 

 

 

 そんな、あまりにも乱暴な策を聞いた時は、しばらく開いた口が塞がらなかったことを思い出し……思今更ながら、笑いが込み上げてきた。

 

 

 

 ……だが、注文通りに道は拓いた。

 

 そこまでの推移を見守って、先程から背後で準備をしているお嬢さんへと呼びかける。

 

「よし、こっちはブチ抜いた! あとは頼んだぞ嬢ちゃん!!」

「おっけー、ここからは私の役目にゃ!!」

 

 外へと拓けた脱出路。

 

 だが、その崩落跡から姿を現わす、冷たい異様を放つ金属製の蜘蛛のような物体――難を逃れた奥に潜んでいた機械兵器達が、瓦礫を踏み越えて会場へと雪崩れ込もうとしていた。

 

 ――だがしかし、こちらの第二の矢はすでに準備が完了しているのだ。

 

「……――ウヴェル(解放)グラート(冷気)シャイア(閃光)ヴァロータ()――ヘイル(凍てつく)コーロス(界の)ティスカライルオン(氷結の閃光)!! いっけぇ、『グラシェリア』ぁ!!」

 

 後ろでずっと魔法の詠唱をしていた魔族のお嬢さんが、頭上へと捧げた手。そこに灯った冷たい風を放つ光球から、眼下へと眩い光が薙ぎ払われる。

 

 閃光と、凍えるような突風が吹き荒れ……しかしそれは、すぐに鎮まった。

 

 代わりに、俺の『ハウリングシュート』の跡を塗りつぶすようにして光線が通り抜けた場所は、そんな僅かな時間で凍てつき、氷壁で左右を囲まれている極寒の銀世界へとそのテクスチャを張り替えていた。

 

 当然……中に入り込もうとしていた、機械兵器たちをその内へと抱え込みながら。

 

「よし、バッチリにゃ!」

「んじゃ、あとは他の奴らに任せて俺らはレイジの坊主の援護行くぞ!」

「うむ、ガッテンにゃ!」

 

 任せろ、とばかりに頷くお嬢さんへと頷き返すと、管理通路から、宙に身を踊らせる。

 

 北側は塞いだが、南の観客席出入り口からはまだ健在なオートマトンが入り込もうとしており……眼下では既に、赤毛の坊主が斬り込んで連中の侵入を抑えている。

 

 ――全く、頑張りすぎだ。

 

 疲労は激しいだろうに、最前線へと誰よりも先に飛び込んでいるその彼の姿は……きっと、英雄と呼ぶに相応しいのだろう。

 だが……俺はそんな英雄(生贄)なんぞ望んじゃいない。それでは、本当に守りたかった物が……

 

 

「妹分の女の子の笑顔を守れなくなっちまうからな……ッ!」

 

 喋りながらも空中から放った雷光纏う銃弾は……堅牢な装甲を持つはずのオートマトン、その比較的薄い上部装甲を撃ち抜いて、紅い炎の花を咲かせるのだった――……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 拓かれた、解放への道。

 だが、それはまだまだ人が歩むには険しい、獣道でしかない。

 

 それを道として整備は……私の役目。

 私が失敗したら、この会場全ての人の命が危険に晒されてしまう。

 

 ――怖い。

 

 今更ながら、その背負っている命の重みがのしかかって、体を戒めていく。

 

 

 

 それに……皆、まるで暗黙の了解のように口にしないけど……この先に待っているのは、きっと()()なんだよ?

 

 しかも相手は、この世界に流通している統一規格の貨幣の製造を一手に引き受けていて、各国を結んでいる転送装置(トランスポーター)網の管制権限を持っていて、四つの国をまとめて相手取れる戦力を隠し持っているらしくて、この世界を守っているらしい……そんな文字通り、名実共に世界の中心にある国と、敵対するんだよ?

 

 私は……どうしてこのようなところまで、来てしまったのだろう。

 ただ、配信の来場者数に一喜一憂しながらも、日々面白おかしく騒いでいた日々は、あまりにも遠かった。

 

 

 

 ――どうして……イリスちゃんも、レイジさんも、皆こんな重圧に耐えられるの……?

 

 ワンミスが命を失う事に繋がる、周囲の人々の命を預かるイリスちゃんは、いつも戦っている時はこんな気持ちなのだろうか。

 

 この状況を作るため、『WGO最強』に挑み勝たなければならなかったレイジさんの重圧は、きっとこの比じゃなかったはずだよね。

 

 同じ元プレイヤーなのに、友人なのに、今はその背中があまりにも遠くに感じる。

 

 ……本当は、分かっている。

 

 他の人の背中が遠く感じるのは、皆の中で私一人だけ、自分の足で歩けていないからだ。私だけが、嘆いて座り込んでいるからだ。

 

 今だって……レイジさんに、スカーレットさんに、ミリアムさんに、何で自分の役割を成功させてしまうの、これじゃあ失敗したら私のせいじゃないかと、恨み言が脳裏を過って離れない。

 

 渋々と詠唱を紡ぐ口が、まるで砂を含んでいるようにカラカラだ。

 

 それでもやらなければ……そんな考えが頭の中をグルグルと周り、思考をかえってかき乱す。

 

 

 

 ――嫌だ、誰か、助け……

 

 

 

「……ティティリア」

「え……?」

「案ずるな……後ろには、私が居る。君は私が守っている」

 

 優しく肩に置かれた大きな手と、耳元で掛けられたそんな優しい言葉に、思わず涙が溢れそうになった。

 

 きっと彼は、そんなつもりで言ったのではない。

 これはただ、雇用主として、自分の配下の責は責任者である自分の責だと、きっとそれだけの気休め言葉。

 

 なのに……現金にも、私はそれを嬉しく思っていた。

 

「……――ウヴェル(解放)ゴルド(重力)ツェンヴァ(超越)ラーナ(疾駆)!」

 

 ――今はまだ、これでいい。

 

 先程までが嘘のように、詠唱に力が篭り、強く力ある言葉が流暢に紡がれていく。

 

「―― ツヴァイヘンデル(勝利の)ヴェルク(道よ)バンシュ(拓け)!……『ウイニング・ロード』!!」

 

 今の私にとって、なんと名前負けしている魔法だろうか。それでも、私は最後まで唱え切った。

 

 華美ではあるが無骨な大闘技場が、光のリボンで煌びやかにデコレーションされていく。

 今までの恐怖と不安から来るざわめきが一転し、今は驚きの歓声をあげる観客の人たち。それを成したのが自分だと思うと、こんな自分でも少しだけ誇らしく思えた。

 

 会場に張り巡らされた足場に、はやくも機を待ち構えていた兵士の人たちが、避難誘導を始めている。

 

 ――大丈夫、この勝利の道は、私が思うがまま、街へ安全に送り届けられるよう完璧に敷設された。きっとみんな、逃げ切れるはずだ。

 

「……ねえ、レオンハルト様。私、レオンハルト様をお慕いしています」

「む……そ、そうか」

 

 照れたような、困ったような、煮え切らない返事。そんな様子に、クスリと笑みが漏れた。

 

 まだまだ相手にされていると言うには程遠いとしても……最初の頃、『年頃の娘がそのように軽々しく言うものではない』と至極冷静に諭されていた時と比べれば、確かに前進している気がした。

 

 ――だから今はまだ、これでいい。

 

 ひとつ満足して頷くと……これから戦いに赴くであろう、先を歩く皆をサポートするために、新たな詠唱を紡ぎ始めるのだった――……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――なるほど、レオンハルトが絶賛するだけはある、見事な魔法だ。

 

 会場内を縦横無尽に駆け巡る、魔法によって編まれた外へ続く非常通路。それを成し遂げたまだ幼い少女に、私、ノールグラシエ国王アルフガルドは心の中で賞賛を送る。

 

「よし、道は拓かれた! 我ら魔法騎士団は、このまま観客の誘導と護衛に当たれ!!」

「第一、第二班は観客の誘導を。第三班は防護魔法展開、以後私が指揮を取ります、流れ弾は決して通させないようにしなさい!」

 

 私の指示を引き継ぐように発言した我が妻アンネリーゼが、近衛の騎士の一部を連れて民衆の護衛へと向かう。

 今でこそ王妃として前線を退いた身ではあるが、元は私が魔法騎士団『白光』の団長だった時代の副官……紛れもなく武官の出である。任せて問題は無いだろう。

 

 私は避難誘導を進める残った騎士の指揮を取りながら、そんな妻の姿を見送っていると……我々と同様に護衛の近衛を引き連れて、現れた若者二人。

 

「……アルフガルド国王陛下!」

「フェリクス皇帝。ここは私たちに任せ、観客の先導をお願いします」

「それは……だが、しかし」

「お父様……」

 

 躊躇いを見せるまだまだ若き皇帝と、その横で不安そうにこちらを伺っている、嫁いで行った愛娘。

 無理もない。彼がこの中で一番立場が高いはずの身でありながら、誰よりも先に退避しろと言われているのだから。

 

 だが……そんな二人を安心させるようにふっと表情を緩め、背を叩いて先を促す。

 

「フェリクス皇帝陛下、あなたは未来の担い手を守らねばならんのでしょう。ここは我々にお任せを……娘を、頼みます」

「アルフガルド国王陛下……分かった。その頼み、しかと承った」

「イーシュクオル、どうか無事でな。お前の体は、もはやお前だけのものではないのだから……わかるな?」

「……はい、お父様」

 

 二人の返答に、満足して笑いかけ、その背を押す。

 

 帝国式の敬礼を返し、手を取り走り去っていく彼らの姿を見送り……今、闘技場の南端、真に最前線で奮闘している赤毛の青年の方へと視線を送る。

 

「若者よ、決して無駄に命を散らすでないぞ……私は、イリスリーアが泣くところなど見たくはないからな」

 

 ポツリと呟くと……すぐに、自分がやるべき役目の為、踵を返すのだった――……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――喝を、入れられてしまったな。

 

 まだまだ若輩であるという事を改めて認識し、くすぐったく思いながら、妻の手を引いて駆ける。

 

「陛下、剣を」

「ああ、ありがとう」

 

 傍に控える兵の一人が捧げ持った包みから覗く、銃の柄のような物体を右手で握り、抜く。

 そのまま左腕で妻の体をさっと抱き上げると、貴賓席の手摺に足を掛け、妻が首に腕を回して頷いたのを確認した後、眼下に広がる魔法の足場へと身を翻す。

 

 一瞬の肝が冷える浮遊感の後……光で編まれた道は、音もなく、まるでクッションが衝撃を吸収するように、柔らかな感触で宙に体を支えてくれた。

 

「はは……足元が不思議な感触だ、なかなか面白い体験だな!」

「あ、あの、陛下……!?」

「ああ、分かっているとも!」

 

 楽しんでいる場合ではない。拓いてもらった脱出路から外に向かうため駆け出そうとしたちょうどその時……妻が見上げていた方から、いくつかの影が飛び込んで来た。

 胴体の各所や数本の足から火花を上げているが、それでもまだ生きている多脚式の機械兵器……アクロシティ製だというオートマトンとか言う名らしい兵器が転がり落ちてくる。

 

 周囲の観客から上がる悲鳴。だが……

 

「はっ……我がフランヴェルジェ帝国の技術を侮られては困るな!」

 

 腕の中の妻に一つ目配せし、そっと足場に下ろすと、空いた手で、剣――銃のような柄をした、刀身が中心から二つに別れている独特の形状をしている――のモードを近接に切り替えて、トリガーを引く。

 

 すると、分かたれていた刀身が合わさった次の瞬間、刀身が赤く発光を始めたのと同時に、周囲にキィィン……という、バンシーの泣き声もかくやという甲高い騒音が響き渡った。

 

「総員、高周波ガンスレイヤー構え! 我らで先陣を切り、退路を露払いする!!」

 

 指示を受け、追従している周囲の近衛も俺と同様に抜剣する中で、誰よりも早く先陣を切り、行く道を阻むオートマトンへと斬りかかった。

 

 

 

 ――我らフランヴェルジェ帝国は、機械兵器開発で周囲より優位を取って発展してきた、どこよりも兵器開発に力を入れてきた国……それはつまり、どこよりも機械兵器への対抗手段が進んでいる国でもある、という事だ。

 

 

 対装甲用の電磁波振動剣という機構を備えた、近接・射撃両用の携行兵装――制式採用型高周波ガンスレイヤー『カレトヴルッフ参式』。

 内部機構によって赤熱化し、超高速で振動する刃が、頑健なはずの機械兵器の外装を、火花を散らしながらまるでバターのように切り裂く。

 

 その後も散発的に落下してくるオートマトン達も居たが……それは全て、俺と同じように近衛たちが携えた赫刀によって刺し貫かれ、機能停止していく。

 

 ――なるほど結果論ではあるが、観衆が逃げる道を拓く露払いとして、我々以上の適任もいまい。

 

「さて……私に、貴女を安全な場所までエスコートする栄誉を頂けますか?」

「はい……信じています、陛下」

 

 気取って手を差し出した俺の手を、そっと微笑みながら取る最愛の妻。

 この手は、決して離さない、絶対に守り抜く。俺はずっと前にそう決意したのだと思い出せたから、もはや迷うまい。

 

 

 皆が駆け出し、散発的に現れる敵性存在を駆逐していくのを眺めながら……俺は一度振り返る。

 

「よう、新チャンピオン!!」

 

 もう一つの主戦場、南側の入り口で奮戦している彼。決勝ですでに満身創痍なはずの赤毛の青年へと向けて、声を張り上げる。

 

 そんな場合ではないのは承知の上……だがそれでも、言わずにはいられなかった。

 

「君に受けたこの恩、俺は決して忘れん! 生きてまた会おう……死ぬなよ!!」

 

 たとえ彼の耳に届かないとしても、そう感謝の言葉を告げて、踵を返す。

 最後、ちらっと見えた彼の顔は……気のせいでなければ、フッと笑ったように見えた――……

 



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持久戦

 

「何故だ、何故こうも上手く事が運ばない……!」

 

 行き場の無い憤懣に靴音を高く響かせながら、大闘技場の地下にある港、その一角へと運び込ませたコンテナへと向かう。

 

 ……既存の戦力だけでは、もはや抑えきれないだろう。

 

 北側に配置していたオートマトンは、そのほとんどが壊滅。僅かに無事だった機体も電磁場で異常を来しており、まともに動くものは真っ先にフランヴェルジェ皇帝とその親衛隊に排除された。

 

 帝国の親衛隊の手にしていた武装……たしか新型の『カレトヴルッフ』と言ったか。

 情報は入って来ていたが、よもや、未だ発表前の機密事項である武装を持ち込んでおり、こうもおおっぴらに使い倒すとは想定外だった。

 

 南側は……新チャンピオンの青年を中心に、完全に抑え込まれている。

 

 そして……最大の誤算が、あの魔法の足場だ。人の往来など出来るはずがない北の断崖絶壁が観客の避難路になるなど、想定外にも程がある。

 

 ……認めよう。窮鼠は、見事に猫を引きずり倒して見せたのだ。

 

 

 

 だが……そのまま逃げると思っていたイリスリーア王女殿下は、ソールクエス王子や協力者たちと共に、わざわざこちらへと向かって来ているらしい。

 

 あの剣士と恋仲だという様子だが、見捨てて逃げられなくなるのであれば、それは欠点と言って差支えなかろうに。

 

 人というのは時に何という不合理を侵すのか。本当に……

 

「………?」

 

 不意に……自分が今思ってしまった事、僅かに湧き出て来た感情に、首を傾げる。

 

 

 よもや私が彼らに対し――と思うなどと。

 

 

 甘い連中の中に長く居たせいだろうか、どうやら良からぬ影響を受けてしまったらしいと、かぶりを振ってコンテナの中へと踏み込む。

 

「……保険として用意した物でしたが、まさかこれさえも使用しなければならないとは」

 

 忌々しげに舌打ちしながら、正面に鎮座する巨大な物体、その一角の側面に設けられたタラップに足を掛ける。

 

 こうなっては、穏当にとは行くまい。

 ならば……たとえどれだけ犠牲を出そうが、アクロシティからの要請通りにあの娘だけは連れ帰る。

 

 それが……それだけが、()()の末端として据えられた、自分の存在する意味なのだから、そこに疑念など無い。

 

 ――そう、たとえ、無辜の民をどれだけ犠牲にしようとも、他に優先する事など無いのだ。

 

 人の良さそうな言動も、良き為政者としての振る舞いも、それが民を従わせるのに都合が良いからと与えられた人格(キャラクター)でしか無い。

 

 そしてそれは、私にとって、必要であればいつでもかなぐり捨てられる程度の価値しか無い。

 

 

 タラップを上りきり、上部ハッチから操縦席へと滑り込む。

 スイッチをいくつか操作すると、待機状態にあった機体の動力機関はすぐに唸り声を上げ始め、赤い光が操縦席内部を照らす。

 

 

 

 ――自分は、どこまで行っても支配された道具。

 

 それが……生まれた時から傀儡として育てられた、()()『ウルサイス』の宿命なのだから――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ほんの一瞬だけの、意識の空隙。

 まるでコマを飛ばしたような感覚の中、まだ十分に離れていたはずのオートマトンの鉄の爪がすでに眼前に迫っていた。

 

「――やべっ!?」

 

 あまりにも遅いタイミング、慌てて剣を構えようとしたところで……爪が頭を刺す寸前、横からの衝撃を受けたらしいそのオートマトンが、視界内から吹き飛んでいく。

 

「ボーっとしてんな、無理なら無理で先に退いていろ!」

「わ……悪い、大丈夫だ!」

 

 危なかったところを救ってくれたスカーさんに礼を述べつつ、上がった息を整えるため深呼吸する。

 

「くっ……そ……っ!」

 

 目が霞む。

 斉天との戦闘で、大きな負傷は無かったとはいえ血を流し過ぎた。

 それらの傷は、斉天を回収していく際に聖女の姉ちゃん達が遠巻きながらも治癒魔法を飛ばしてくれて、ある程度は塞いでくれたものの……応急手当てでしかないそれは激しい戦闘の中でいくつか開いて、再び血を流している。

 

 

 

 ――やっぱ、イリスの回復魔法が異常なんだよなぁ……!?

 

 

 

 遠距離からポンポンと強力な治癒魔法を飛ばすイリスにすっかり慣らされていたが、本来、治癒術師は後方安全な場所で治療するのが普通なのだという常識を、今更ながら思い出す。

 

 

 

「ねぇ新チャンピオンさん、もう下がって休んだ方がいいんじゃなぁい?」

「と言っても、桔梗さんは俺の代わりには……ならないだろ!」

 

 刀を携えて背中を守ってくれている桔梗さんが、心配そうに声を掛けてくれたその時、さらに出入り口から現れた数台のオートマトン。

 

 その前部に備えられた機銃の銃口がこちらを見据えているのを確認するよりも早く、ふらつく体を押して俺は皆の前へと飛び出す。

 

「頼む、『幻楼の盾』……ッ!」

 

 手にした『アルヴェンティア』を掲げ、闘気を集中させる。

 次の瞬間、刀身に埋め込まれた魔石が輝き、前方に白く、淡く輝く(もや)のようなものが生まれる。

 

 ほとんど同時に、けたたましい発砲音と共に殺到するオートマトンから放たれた無数の弾丸。

 だが……それは俺が展開した靄の中へと突っ込むや否や、突然その速度を落とす。

 

 

 

 ――これが『幻楼の盾』……迫り来る物体に抵抗を与えてその勢いを減じる防壁、真の力を発揮した『白の叡智アルヴェンティア』の能力。

 

 

 

 そして……これは、守るべき御子姫が近くにいるほどに、力を発揮する特色を持っている。

 

 斉天との戦闘中にはほとんど役に立たなかったが、今になって右肩上がりに効力を増している……それこそ、今まさにイリスやソール達がこちらへと急いで向かって来てくれている証左となる。

 

 ――もう少し、もう少しだけ保たせてみせる。

 

 そう思う事で力を取り戻した左手で、『アルスレイ』を握り締める。

 

「う、らぁ!!」

 

 疲労を押して振り抜いた『アルスレイ』の力場の刀身が、宙に漂っている弾丸を飲み込み、即座に消滅させた。

 

「まぁ、私にレイジさんみたいに前衛を張れと言われても、ちょぉ……っと難しいのは、確かにそうなんですけどぉ!」

 

 剣を振り抜いた俺と入れ替わるように、前に出る桔梗さん。キンッ、と鯉口を切った音と共に、赤い線が()()疾る。

 

「秘剣……『散華夜叉ノ太刀』、なぁんて」

 

 戯けながら、チン、と納刀した瞬間、オートマトンの脚に斜めに線が入り、ズルリと地面に滑り落ちる。

 直後……床に落下した衝撃からか、その中身を晒しながらオートマトンの胴体が縦一文字、真っ二つに分かたれた。

 

 ほぼ同時に放たれた二閃の斬撃は、オートマトンの頑丈な装甲を紙のように切り裂く、あまりにも鋭い切れ味を持っていた。

 

 それもそのはずで……彼女は、剣士系特殊分化職『サムライ』。攻撃力に特化した刀系武器に加えて各種攻撃補助魔法とエンチャント魔法も使用可能な、攻撃特化職。その中でも、ユニーク職である『侍大将(サムライマスター)』保持者。

 

 更にはその手にした刀は『有須零時(アリスレイジ)』……何やらファンシーな銘ではあるが、俺が持つアルスレイと同じ、竜眼を備えた竜殺しの妖刀なのだから。

 

 だが、同じフルスペックの武器を振るいながらも、彼女はもはや疲労困憊な俺と違い、まだまだ余裕がありそうだった。

 その理由は、腰だめに構えた鞘と、普段は柄に触れず、柄尻の前でだらんと垂らされた手にあった。

 

「まったく、機械は反応が少なくてあまり斬り甲斐がないから好きではないのです、け、れ、ど、もぉ……ね?」

 

 そんな事を言いながら、オートマトンの只中に突っ込んだ桔梗さんの手が、柄に触れた。

 

「まぁ、おカタい殿方は嫌いではありませんけども。『月下睡蓮』……ッ!」

 

 嫋やかに、流れる水のように、まるで舞って遊んでいるかのように……頭の片隅で、その身のこなしが美しいとそう思った刹那、彼女の周囲を円を描いて疾ったのは冷たい赤光と、次の瞬間には脚を斬られた事を思い出したように、次々と擱座するオートマトンの群れ。

 

 それを確認するより早く彼女は後退し、俺とポジションをスイッチする。

 

 

 

 ――居合を得意とする桔梗さんは、刀の柄に手を触れている時間が極端に短い。

 

 一瞬で終わる攻撃の、その瞬間だけ刀に触れるものだから、極限まで体力を吸い上げられるのを抑えられているのだ。

 

 ただしその代償に……攻撃を防ぐ手段が無い。刀とは元々防御には向いていない武器だというのに、更に常に抜いておける訳ではないというハンデを桔梗さんは持っている。

 

 全ての自身へと向けられた攻撃は、回避しなければならないというリスクを負っている。

 

 もっとも……恍惚の表情を浮かべ、妖艶さを滲ませながら嬉々として刀を振るっている彼女は、それすらも楽しんでいる様子だったが。

 

 

 

 

 そんな超攻撃特化型の剣士である桔梗さんゆえに、どうしても互いの代わりはできないのだ。

 

 だが……その打撃力が、今は有難い。

 

「……やっぱ、桔梗さん大会に出てたら良いとこまで行ったんじゃねぇの?」

「やぁねえ、そんな事したら男が寄り付かなくなっちゃうじゃない。私は、殿方に守られる可愛い女の子でいたいのよぉ」

「よく言うぜ、最大手PKKギルドのギルマスのくせに……」

「あ、し、しぃぃいっ、それ言わないでぇ!?」

 

 

 あざとく可愛らしい事を言う桔梗さんにボソッと突っ込むと、分かりやすく慌てる彼女。

 

 

 

 彼女……東の巫女という立場にある桔梗さんには、裏の顔があった。

 

 赤ネームは殺せ。

 

 初心者狩り死すべし慈悲は無い。

 

 斬っていいのは、斬られる覚悟がある奴だけだ。

 

 汝ら罪あり YE GUILTY。

 

 

 そんな規律を掲げて活動していた、ギルドとは名ばかりの、世にも物騒な同好の士が集まった最大手辻斬りサークル……(SIN)殲組。

 

 その中心人物である彼女が、夜な夜なPK可能エリアで赤ネーム(PKの通称であり、本当に赤い名前が表示されているわけではない)を求めて千早と狐面という姿で徘徊しているのを知っている俺としては、彼女に今更可愛い子ぶられても失笑するしかない。

 

 曰く――良心が痛まず、気兼ねなく辻斬りできるからPKKをやっている。

 

 たまたま現場に居合わせた俺に、彼女はそんな事を恍惚の表情を浮かべて宣った事を、俺は忘れていないのだ。

 

 

 

「とはいえ……結構まずいわねぇ」

 

 再度姿を現す敵オートマトン。

 それを見た桔梗さんが、チラッと背後、援護射撃を飛ばしてくれていたスカーさんとミリアムの方を見る。

 

「おい、坊主! 悪い、そろそろ用意した弾が尽きる!」

「魔力も、そろそろ打ち止めにゃあー!」

 

 背後から飛ぶ切迫した声。その声に、内心で舌打ちする。

 無理もない、最初の一手で、二人とも相当に消費した筈なのだから。それでも殿(しんがり)に付き合ってくれた事に、感謝しているくらいだ。

 

 だが……観客の避難はだいぶ進んだが、それでもあと四分の一程がまだ中に残っている。

 せめて、彼らが安全に逃げられるまでは持ちこたえねば……そう、震える膝を叱咤した、その時。

 

「待て……何の振動だ?」

 

 弾丸を装填しながら周囲の警戒をしていたスカーさんが、不意にポツリと呟く。

 

「こいつぁ……下からか!?」

 

 そう、皆避難してもぬけの殻となった貴賓席に、銃口を向けた、その時だった。

 

 

 まず始めに起きた変化――貴賓席の床が真っ赤に染まり、すぐに溶岩のように溶け落ちた。

 

 その直後、闘技場を上下に貫いたのは、眩い光の柱。

 

 それが収まった時……貴賓席はすっかりと消滅しており、消失し大穴が開いた天井からは青空が覗いていた。

 

 

 それは……よく、ロボットアニメなどで馴染みのある、()()()()を否が応でも連想させた。

 

「……()()()、にゃ!?」

「荷電粒子砲、ってやつだな。それも相当に大物の……上がって来るぞ!」

 

 流石に顔を蒼ざめさせたスカーさんが声を荒げ、警戒を促した直後……床の大穴から、まるで蟹の足のような鋭い爪を備えた脚が八本、床を掴む。

 

 そして……ゆっくりと姿を現したのは、白と紫の装甲。蟹のような機体の正面には先程のものらしきビーム発振器を、背後には巨大な尻尾のような砲塔を持った、蠍のような形状をした異形の巨体。

 

 見上げるほど高く、広いはずの大闘技場の一角を占有する巨体は、小さめの船舶くらいはあるだろうか。それは、まるで小さな要塞のようだ。

 

 そして……その正面、まるで目のような発振器に、再び光が灯る。

 

「畜生、ソイツを連射できんのかよ……!」

 

 流石に無駄と思いつつも、咄嗟に前に立って『幻楼の盾』を展開する。

 そんなこちらを嘲笑うかのように、頭上から新たな声が掛けられた。

 

「ふふ、ははは、その通りです!」

「てめぇ、フレデリック!!」

 

 機体のハッチが開き、そこから頭を覗かせた人物……それは紛れもなく、今まで姿を見せなかった西の首相、フレデリック・ウルサイスの姿だった。

 

「散々予定を狂わせてくれましたが、それもここまでです。さあ『ドゥミヌス=アウストラリス』よ、邪魔立てする連中共々、薙ぎ払ってしまいなさい!!」

 

 勝ち誇ったフレデリックが、掲げた手を振り下ろした瞬間……荷電粒子の閃光が再度、世界を満たしたのだった――……

 



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選択の時

 

 

「あの光は……」

「闘技場の方ですね……皆、大丈夫でしょうか」

 

 一通り皆の治療を終えて、戦意がまだある『海風商会』のメンバーを乗せイスアーレスへと取って返す船の上……そんな私達の前方に見えてきた大闘技場では、今まさに異変が起きていた。

 

 その天井を突き破り天を貫く光の柱に、船員の皆が騒然となり、船首に立って先を見据えていた兄様も、その光景に顔を顰めます。

 

「随分と大変な事になっているな……無事だといいんだが」

「急ぎましょう。空を飛ぶのは兄様の方が早いです、先に行って皆を助けてあげてください」

「……良いんだね?」

 

 心配そうにこちらを見る兄様に、一つ頷く。

 今まで沢山の猶予を貰ったのだ、決心はできている。

 

「はい……もう、隠しておける状況でもないですから」

 

 以前ネフリム師に言われた、選択の時。

 思っていたよりは少し早かったけれど、今がその時なのでしょう。

 

「……分かった。あまり気負わないで、私は……私達はいつも一緒に居るから」

「ええ……では、行きましょう」

「ああ……『リリース』!」

 

 兄様の掛け声と共に、種族特徴解放によってその背の翼が三対に増える。

 合わせて、私も背中に光翼を出現させ、宙に浮かび上がる。

 

 途端、背後から聞こえる人々の騒めきをあえて意識しないようにして、ここまで船を出してくれた船員達へと感謝を込めて笑いかける。

 

「お世話になりました。皆様も、どうかお気をつけて」

 

 この後、他の戦力となる方々を街へと送り届ける手筈となっている彼らの無事を願いつつ、すでに先行した兄様を追って高度を上げる。

 

 ぐんぐんと流れていく景色。急速に眼前へと迫る大闘技場では、どうやら火の手が上がったらしく、煙が上がっていた――……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――視界一杯が、光の奔流に呑まれた世界。

 

 昔見たロボットアニメの中で、主人公の少年が視界一杯のビームに晒されるシーンがあったが、これは……あまりにも恐ろしい、そりゃもう戦いたくないと言いたくなるわと、場違いな事が脳裏をよぎる。

 

 そんな、まともに浴びれば即座に消し飛ぶ破壊の光は……だがしかし、外側へ逸れていき、俺たちに触れる事なく後方へと流れていく。

 

「……陛下!?」

「ふ、はは……若者達に任せてばかりではと思ったが、なかなかこれは……!」

 

 閃光に臆さず俺たちの前に立ち塞がった背中……それは、観客の誘導の指揮をとっていたはずの、アルフガルド陛下だった。

 

 円錐……笠のように編まれた堅牢な魔法の障壁が、受け流す角度を調整し観客へ余波が届かないよう荷電粒子の本流を受け流しているのは分かる。

 

 だが……流石にこれは分が悪いのか、その額には汗が滝のように流れていた。

 

 

 

 無限に続くようなその時間は……だがしかし、やがて光の奔流がその勢いを弱め、周囲の光景が見えてくる。

 

「こいつは……」

 

 体感時間は長くても、おそらく実際は十数秒程度。その短時間で周囲の光景は一変していた。

 

 赤熱化し、すぐに冷えて色を失っていく熱で溶けた床。

 背後にあった観客席には余波であちこち穴が空き、飛び散った荷電粒子の仕業か、あちこちから火の手が上がっていた。

 

 石造りの建物はともかく、内装は可燃物だ。絨毯などを介し、燃え広がる速度はかなり早い。

 炎と、観客達の悲鳴。その地獄が顕現したような光景に汗が伝う。

 

「さすが魔法王国の長。お一人でこの『ドゥミヌス=アウストラリス』の全力射を防ぐほどの魔法障壁を展開されるとは」

「ぐっ……くっ……フレデリック、貴様……!」

 

 魔力の急激な消費で膝をつく陛下。

 その姿を見下し、嘲笑うかのように再び手を掲げるフレデリックとの間に、咄嗟に剣を構えて体を割り込ませる。

 

「ですが、次を防ぐ余力は無いと見ました……次で終わりです、次射準備!」

『警告。粒子加速器の冷却が不十分。次発まで……』

「構いません、彼らを撃てば、あとは何とでもなります!」

『了解』

 

 砲身がイカれるのも厭わずに、即座に次発の準備を始める機体。そのフレデリックの判断の速さに、心の中で悪態を吐く。

 

 咄嗟に後ろの二人を振り返るも、スカーさんは弾が、ミリアムは魔力が尽きているらしく、どちらも焦った様子で首を振る。

 

 あとは……あと一撃、一か八かであの発振器へと一撃叩き込めば、運が良ければ……あるいは悪ければ……誘爆させられるかもしれない。

 

 同じ考えに至ったらしい桔梗さんとうなずき合い、脚になけなしの力を込める。

 

「……二人とも、待て」

「止めないでくれ陛下、このままじゃ……」

「そうよぉ、絶対死ぬより、少しは助かる見込みがある方を選ぶのは当然よねぇ?」

 

 飛びだそうとしたその時、俺たち二人の動きを制する手。

 それは、まだ荒い息を吐きながらも最前に立つアルフガルド陛下だった。

 

「……若い者が無為に命を散らすものではない」

「だけど……」

「それは……私の役目だ。次の一撃は、我が名に掛けてたとえこの身の魔力を搾り尽くしても防ぐ。君たちはこの後に備えていなさい」

 

 そう言うや否や、魔法の詠唱を始めてしまう陛下。

 

「な……駄目だ、あんた王様だろうがっ!?」

「そうだな……無責任と謗られるかもしれない。だが、後を託せる若者も育っている。仮の王が退場するというだけの事だ……っ!!」

 

 そう吠え、先程と同じ防御魔法を完成させてしまう陛下。

 

「……イリスリーアを頼んだぞ、青年」

 

 最後、そうポツリとアルフガルド陛下が呟いたと同時に……敵機体中心に、臨界まで高まった破壊の光が瞬いた――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは困ります、叔父上。私はまだ王になるとは言ってませんよ」

「……何!?」

 

 ――光が放たれる寸前、突如目の前の地面に突き刺さったのは、空から降ってきた十字の形をした盾。

 

 突如の事に驚いているアルフガルド王を尻目に、その盾を基点に張られた力場と、さらにその前に展開したもう一つの不可視の魔法障壁。

 

 それは『フォース・シールド』と『インビジブル・シールド』。俺がよく見知った、何度も俺たちを救ってくれたその二つの防御魔法。

 

 直後、再度世界が光に満たされた。

 再び何分にも感じるかのような数秒の時間が経過し……世界に色が戻った時、俺とアルフガルド陛下の前に、見知った姿が立ち塞がっていた。

 

 

 場が硬直する中で……ふぅ、と場違いな溜息が一つ、乱入者から発せられる。

 

「陛下……いきなり今日から王位を任せるなどと言われても、勉強も引き継ぎも説明も無しに丸投げされてもはっきり言って迷惑です」

「う、うむ……た、たしかにそうだ……な?」

 

 突然正論で詰められて、戸惑いつつもカクカク頷く陛下。

 その様子に満足したらしい彼が、よろしい、と大きく頷いた。

 

「……ソール!」

「ああ、待たせたな。なんだレイジ、ずいぶんとボロボロじゃないか」

 

 ずいぶんと久しぶりに見るような気がする、青味がかった白銀のフルプレートアーマーを纏った姿、その中性的に整った顔。

 そこに浮かんだ不敵な笑みに、これまでの緊張がふっと緩む。

 

 そして……

 

「私の仕事は、きちんとこなしたぞ……来たな」

 

 どうだとばかりに自慢げな表情をしたソールが、上を仰ぎ見る。

 釣られてそちらを見ると、こちらも随分と久しぶりのような気がする、だが何よりも望んでいた姿が、舞い降りて来ていた。

 

 

 

 ――歌が、響く。

 

 ――闘技場の中を、風が吹いた。

 

 

 

 全身から苦痛が消え、疲弊していた体が力を取り戻す。圧倒的なまでの、治癒の力が場に満ちていく。

 

 おい、あれはなんだ?

 天族……いや違うぞ!

 あれは……光る、羽根?

 

 ざわざわと、避難中の観客達が足を止めて騒ぎ出す。中には、平伏しようとする者までも。

 

 そんな彼らを他所に、舞い降りてくる光。

 

 以前にも見た純白の光翼、同じ光で形作られた杖を携えたイリスが……ゆっくりと、天井の穴から降りてくる。

 

 纏っているのは、攫われた時のままの、だがあちこち破れ、すっかりボロボロになったドレスだ。

 しかしそれは、舞い降りてくる少女の神秘性を損なうには至らず、むしろそんな姿で尚も神聖さの陰らぬその威光を、さらに引き立てているように思えた。

 

 

 そんなイリスは今、目を閉じて、不可思議な言語で編まれた歌を響かせていた。

 

 

 

 その唇から澄んだ歌声が紡がれ場に響くたびに、イリスを中心に淡い緑色に輝く風が吹く。

 その風に優しく撫でられると、それに触れた全ての人々の傷がたちまち消えていく。

 

 それは……この大闘技場内全てを柔らかく包みこむように、広範囲に渡って吹いていた。

 

 さらにはいかなる原理か、燃え広がっていた観客席の炎までが鎮まっていく。

 

 

 ――おお……おおお……っ!!

 

 

 周囲で高まっていく、人々のざわめき。中には感極まって、膝を着いて祈りを捧げ始める者までいる。

 

 そして……

 

「馬鹿な……私が、この私が、彼女を見て()()()()()()()()()だと……!」

 

 蠍型の機体から、戸惑ったようなフレデリックの声。今、その機体はまるで戦意を失ったかのように、その動きを止めていた。

 

「これが……御子姫……いと尊き光翼の姫……」

 

 そう、フレデリックでさえも戦闘を忘れ、呆然と上空を満たす光、その中心にいる少女を仰ぎ見ていた。

 

 

 

 そんな光景を、歌を止めゆっくり目を開いて眺めながら……イリスが、寂しそうに微笑んだ。

 

 そんな表情をするイリスの姿が、今にも消えそうな程に儚く見えて……俺は、気がつけばその着地地点へと駆け出していた。

 

 

 ――お前の役目だろ?

 

 ――ああ、分かってる。

 

 

 すれ違いざまに目が合ったソールと、そんな目配せを交わしながら。

 

 

 

 

 今この時……イリスはおそらく人々の信仰対象となっている。

 

 そして……()()は、残酷なまでにイリスを『人間』ではいられなくしてしまう。

 

 ――この広い広い空の下に、ひとりぼっち。

 

 そう月光に照らされて、満天の夜空を見上げ寂しそうに呟いていたのを、俺は声をかける事も出来ずに木陰から覗き見ていた。

 

 ……それは、果たしていつの事だっただろうか。

 

 

 

 今度こそ、俺はすぐその隣へ行かなければならない。

 

 そして一人にはしないと安心させ、抱きしめてやらなければならない……そう、俺はこの時強く思ったのだった――……

 



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一緒に。

 

 ああ……これはもう、どうやっても誤魔化しが効かないな。そうどこか達観した心境で、私は唄を紡ぎ続けていた。

 

 ――今、ここに展開しているこの唄は、つい最近目覚めた超広域脈動回復魔法『キルヒェンリート』という……光翼族、その中でも御子姫にのみ許された治癒魔法。

 

 私の声が届く範囲内に対し、治癒のみならず体力や魔力を賦活させ、悪条件を抑制するという場を展開する……『ゴッデスディバインエンブレイス』すら凌駕する()()()()()回復魔法。

 

 それを発動しながら……眼下に広がる光景を眺める。

 

 

 

 その場に居る全ての人々の怪我が、綺麗さっぱりと拭い去っている事に安堵するも……その全ての視線が、驚愕と共にこちらに集中しているのをひしひしと感じていた。

 

 その人々の映るのは――畏怖。

 

 大会中、司会のお姉さんにからかわれていた時などに観客席から感じていた、微笑ましいものを見るような視線はもう、そこには無かった。

 

 ……それが、覚悟して選択したのだとしても、少しだけ寂しい。

 

 

 

 そんな感傷を心のどこかで感じながら、ゆっくりと地に降り立った……その時でした。

 

「……イリス!」

「きゃっ!?」

 

 降りてきた直後、誰かに駆け寄ってきた勢いのまま抱き締められた。

 驚いて悲鳴を上げましたが……そこに居たのは、ずっと会いたかった人。私はその胸に体を預けるようにして身を寄せる。

 

「馬鹿野郎……心配させやがって……」

「……はい。ごめんなさい」

 

 震えているレイジさんの腕と声に、心配を掛けた事を申し訳なく思う一方で、安堵している自分が居る。

 

 そうしてもう一度強く抱き締められた後、名残り惜しむようにしながら離されました。

 

「約束通り……優勝、してきたぞ」

「あ……」

「だから、今度こそ言うからな、いいな、言うぞ?」

「ど……どうぞ……」

 

 こちらの肩を掴み、真っ直ぐ見つめてくるレイジさんの顔に、ドキリと心臓が跳ねる。

 そしてこの後、何を言われるのかも想像がついた。それは……あの大会前夜、彼が言いかけた言葉の続き。

 

 

「俺と……結婚を前提に、お付き合いしてください」

「……はい。不束者ですが、よろしくお願いします」

 

 

 

 それに対して今回は……不思議なほど躊躇いなく、そう返事を返すことができたのでした。

 

 

 

 

 シン……と静まり返った空気の中。

 さて、お付き合いする事になったのはいいけれど、この後何を言えばいいのだろう……と、恋愛に疎いのが災いして頭を悩ませていると。

 

『えぇい、貴様ら……状況を弁えろ、馬鹿にしているのかッ!?』

「危ない!!」

 

 突如、我慢の限界といった様子の怒声と共に、蠍型の機体……『ドゥミヌス=アウストラリス』の尾の先端から放たれた閃光。

 だがそれは、間に割り込んだソール兄様の盾、その前面に展開された『フォース・シールド』に弾かれる。

 

 それで思い出したかのように、慌てて逃げ始める人々の悲鳴が再び場を満たした。

 

「ここは引き受ける、やる事があるならさっさと済ませるんだ!」

「あ……ごめんなさい!」

 

 兄様の怒鳴り声に私も今の状況をようやく思い出し、慌てて周囲の皆へと『マルチプロテクション』を展開する。

 周囲を舞った白い羽が皆に数枚ずつ纏わり付いたのを確認し、歩み出そうとしたその時……レイジさんに肩を掴んで引き寄せられた。

 

「待て、イリス。頼みがある」

「レイジさん、何を……」

()()()()()、使えるんだよな?」

「あ……はい。ただ、あれを使うとレイジさんは」

 

 ……今後、間違いなく元の生活には戻れなくなる。

 

 俯きながらもそう続けようとした口が……そのレイジさん当人の指で、そっと押さえられました。

 

「言ったろ、ずっと側に居てやるって」

「レイジさん……いいんですか? これを受け入れると、もう玲史さん……『支倉玲史(はせくら れいじ)』には戻れなくなりますよ?」

 

 最後の確認として、彼の本名をあえて口に出します。

 

 

 

 この世界に来た時に変質し、二度と『玖珂柳』には戻れないであろう私と違い、皆はまだ元の世界に戻った時に、元の姿に戻れる可能性があります。

 

 だけど……おそらくは、これを行使してしまえばレイジさんも私と同じように変質させてしまうであろう事が、今の私には分かります。

 

 姿も……()()()()()()()も。

 

 

 もしもそれに少しでも躊躇いが見えるようならば、この話はもう終わり。

 そう思ってあえて口に出した向こうでの名前でした。しかし……

 

「それでも俺は、お前の側に居たい。まあ……家族に説明するのはちょっと大変かもだけどな」

「……っ」

 

 少しおどけて言いながらも、レイジさんの真っ直ぐ見つめてくる目には、一切の迷いがありませんでした。

 

「分かりました……レイジさんの人生を、私にくださいますか?」

「ああ、代わりにお前の人生を俺にくれ。他の奴には絶対に渡すものか」

 

 その言葉に、思わず真っ赤になって俯いてしまう。

 

 ふわふわとした幸福感と、苦しい程の胸の鼓動。

 嬉しい……そう、嬉しいのです。

 

「……分かりました」

 

 ならば、もう迷うまい。

 目を閉じて、祈るように手を組みます。

 

 発動条件は、粘膜による接触と、体液交換。

 そして……お互いに、心から信じている事。

 

「えっ、と……お願いします」

「お、おう……」

 

 背伸びして、やや屈んだレイジさんの首へと腕を回す。

 それに合わせて背中へと回されたレイジさんの腕の感触に身を委ね、そして……自分の舌先を、僅かに犬歯で噛み破る。

 

「こんな時ですが……約束通り、あの時の続きですね?」

「ああ……そうか、確かにそうだな」

 

 二人でふっと笑いあい、お互いに目を閉じる。

 

「……あなたに、全てを捧げます。『アドヴェント』……っ」

 

 祈りを終え、その唇に唇を重ね合わせる。

 そっと私の口内へと侵入してくるレイジさんの舌。その先端をなるべく痛くないように、こちらも恐る恐る噛み破る。

 

 一秒、二秒……自分の舌とレイジさんの舌、その両方から混ざり合った血の味が、僅かに口内で広がる。

 

「んっ……ぅ……」

 

 長く続く口付けに、繋がっている感触に、頭が多幸感でふわふわする。

 やがて……お腹の奥がかっと熱くなる感触が広がった。それを確認して、名残惜しく思いながらも口を離す。

 

 

「……どう、ですか?」

「い……いや、特に変化は…………うわっ!?」

 

 レイジさんが訝しみ、体を見下ろした直後、劇的な変化が現れました。

 

 突如、その背中から炸裂した突風と、眩い閃光。

 

 背中に現れたのは、真紅の光――それはおそらく、レイジさんと私の『加護紋章』、その二つが混ざり合ったのだと思しき新たな紋章。

 剣のモチーフを中心として、周囲を十本の翼のような突起に囲まれた意匠の紋章が、まるで翼が生えるようにその背へと浮かび上がっていました。

 

 それに合わせて、人族の種族特性解放で発現する特徴、手足の光の羽も大きく、眩く広がっていきます。

 

「……っ、これは……体が軽いし、力が湧いてくる? まるで生まれ変わったような気分だ……」

「格好いいですよ、レイジさん……私の騎士様?」

「お、おう……」

 

 お互い、気恥ずかしさにはにかみながら、笑い合う。

 

 ――これが『アドヴェント』……厳密にはスキルではなく……私との契約を結ぶ儀式。

 

 これを受けた者は『御子姫』の騎士として私との間にリンクを結ばれ、私が持つ権能の一部を限定的ながら行使できるようになる。

 

 ――私に寄り添う、私と同じ時を歩む存在として。

 

 いつか感じた『独りぼっち』という感覚は、今この瞬間溶けて消え去った……そんな気がするのでした。

 

 

 

 

「おいこらレイジ、いつまでサボってる! イリスも二人の世界に浸るのは後にしてくれ!!」

「いい加減、こっちも限界よぉ……!」

「あ、はい!」

「わ、悪い!」

 

 いい加減しびれを切らした様子の兄様と桔梗さんの言葉に、再び今の状況を思い出して、慌てて抱き合った状態からパッと離れます。

 

 向こうでは、ソール兄様と桔梗さんが二人、アルフガルド陛下の援護の元で蠍型の機械兵器と激戦を繰り広げていました。

 

 機動力と小回りを利用して足元を動き回る二人に、あの『ドゥミヌス=アウストラリス』は巨体が災いして対応しきれていないらしい。

 

 しかし、『フォース・シールド』をこちらに割り振っているソール兄様は盾がありません。

 

 そんな中で、主砲こそ失ったとはいえまだまだ健在な敵の巨大兵器。

 立て続けに放たれる一本一本が致死の威力を持つ八本足と、尾から放たれる細い荷電粒子の槍。

 

 それらどうにかを往なし続けている三人でしたが、いつその薄氷のような均衡が崩れてもおかしくない状況でした。

 

「それじゃあ……行ってくる」

「はい……どうか、ご存分に」

 

 笑って見送る先で、レイジさんの背に現れた真紅の紋章が光を放つ。

 

 

 ――刹那、光跡だけを残して……その姿がブレて消えました。

 

 

 次の瞬間……兄様達が対峙しているドゥミヌス=アウストラリス、その八本あった巨大な脚の一本が、付け根から爆炎を上げて、まるで冗談のように宙を舞った。

 

『……は?』

 

 機体の中から、呆然とした様子のフレデリック首相の声。

 そこでようやく、脚の一本を失いバランスを崩した機体が擱座する。

 

「なるほど……イリスから暖かい力が流れ込んで来て、守られているのを感じる。これなら、負ける気はしねぇな」

 

 そう呟いて、自分の手を握ったり開いたりして様子を確かめているのは、いつのまにかドゥミヌス=アウストラリスの正面に佇んでいたレイジさん。

 ブン……と空気が振動するような音。その手が何かを地面から引き抜いて何度か無造作に振った後、ピタリと構えました。

 

 その手にあったのは……刀身が身長の倍はあろうかという長さの、元々持っていた『アルヴェンティア』と『アルスレイ』を核として形成された光の剣。

 

 

 ――今レイジさんの身に起きているこの形態は、いわば、種族特性解放の更なるバージョンアップ版。

 

 加えて今のレイジさんは、繋がっている私の魔力を直に受けて、限界を越えた高出力のバフをその身に宿しています。

 

 それが……私との契約を交わしたレイジさんの、新たな力。

 

『くっ……新チャンピオン、貴様、どこまでも邪魔を……っ!』

「はっ、邪魔なのはテメェの方だ! 人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて地獄に堕ちろってんだよ!!」

『恋だと……!? そのような浮ついた物が何になる、戯言をほざくな……ッ!!』

 

 ドゥミヌス=アウストラリスの蠍の尻尾が、その先端に針のようなエネルギーを纏わせて繰り出された。

 しかし、レイジさんが携えた二刀が火花を散らしながらそれを受け止め――あろう事か、完全にその巨大な質量を正面から受け切っていました。

 

『……バカなっ!?』

「さあ……年貢の納め時だぜ、フレデリック……ッ!!」

 

 ギンッ、という音が響き、二条の閃光が疾る。

 次の瞬間……今度は半ばから断ち切られた、蠍の尾が宙を舞ったのでした――……

 

 

 

 

 

 




フレデリックさんはキレていい(こら


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帰還

 

 脚の一本と尾を失いバランスを崩した『ドゥミナス=アウストラリス』の巨体は……今はどうにか体勢を立て直そうとして、牽制に雷光を放ちながらもがいている。

 巨体が予測不能なランダムパターンで暴れているため、不用意には近寄れずにいる中……

 

「レイジ、その姿は……そうか、お前はもう、決めたんだな?」

「ああ……俺は、ずっとイリスと一緒に居る。今までと同じようにな」

 

 ソールの問いにそう答えて、皆を背にかばうように立つ。

 そんな俺の隣に、輝く翼を背負ったイリスが並んだ。そして二人見つめ合い……頷き合う。

 

「あいつは……フレデリックは、俺たち二人でやる。ソール達は外の皆を頼む」

「はい……フレデリック首相は、おそらく私一人を狙って来るでしょう。その私が皆についていく訳にも行きませんので……皆を、お願いします」

「……ここは任せて先に行け、はコテコテな死亡フラグだぞ?」

「はっ……そんなん、今の俺には効かねえよ」

 

 ソールの軽口に、苦笑して返す。

 なんせ、最愛の女の子に受け入れてもらえたのだから、今、俺の気力は有り余って限界突破している。負ける気がしないとはこの事だ。

 

「そうか。分かった、また後で」

「ああ、任せろ」

 

 そう言って、軽くハイタッチしてソールと別れ、ようやく起き上がったドゥミナス=アウストラリスと対峙する。

 

 

 そんな中、俄かに騒がしくなり、剣戟の音が響いて来る大闘技場の外。

 

「どうやら後詰の……和解したフォルスさん達を筆頭に、海風商会の人達が到着したんだと思います」

「そ……そうなのか?」

 

 思わず聞き返した俺の手に触れて、はっきりと頷くイリス。

 フォルスの奴と和解し協力関係となったというのも気になるが……

 

「はい、だから任せておいて大丈夫。今はあの人に集中しましょう」

「……ああ、分かった」

 

 その巨体が災いし、足が一本無くなった事でかなり歩行がぎこちなくなったドゥミナス=アウストラリスへと向き直る。

 

『何故だ、何故ここまで何もかも予定通り上手くいかない……!』

 

 苛立たしげに、機体内から聞こえてくるフレデリックの声。

 

『これも全て……レイジと言ったな、貴様の……貴様の存在が……っ!』

「もう止めましょうフレデリック首相、趨勢は決しました!」

 

 未だ怨嗟を吐き出す奴に、イリスが制止の言葉を投げかける。そんなイリスは本当に優しい奴だと思う。だが……

 

『ああそうだとも、もはや全て明るみに出ることは防げず、何もかも終わりだ! だがそれでも己が役目だけは、せめて貴女の身柄だけは頂いていく……!!』

 

 自暴自棄そのものと言った様子で、吐き捨てるように叫ぶフレデリック。

 そんな奴をイリスはいまだ説得するつもりらしいが……おそらく無駄だろうと剣を構える。生憎と、俺はそこまで優しくはいられない。

 

「そんな……たとえアクロシティの傀儡だったのだとしても、統治者としてのあなたの評判は決して悪くはなかった、慕われていたはずです! そんなあなただって、人々を危険に巻き込むようなこんな事……!」

『甘いぞイリスリーア王女! あなたは、よっぽど生温い性善説の中で生きてきたらしいな……!』

「……っ」

『それは上からそう指示されていたからの上っ面に過ぎん! その裏で私が何人、邪魔な者達を始末してきたと思……ぐうッ!!』

「お前、少し黙れよ」

 

 ――殲滅者(スレイヤー)、起動。

 

 だが、もう世界から色は失われない。この最適を求め暴走する理性を御する要領はすでに掴んだ。

 

 発動と同時に、失った脚の分余計な負担を受け悲鳴を上げていた脚の一本を、すれ違い様に斬りとばす。

 

「……我流剣技、『疾風』……ッ」

 

 視界に赤い光が奔り、敵機体の弱い場所を縦横無尽に絡め取る。それに従って駆け、剣を振るう。

 

 ――刹那に六閃。

 

 ほぼ同時に全ての脚の関節を断ち切られた巨体が、ズズン、と地響きを上げて地に落ちた。

 

「悪いなイリス、俺は奴を許さない。奴は、俺にとってはおまえを不幸にするだけの悪人だ……!」

『黙れぇッ! 私は、()()()()()()()は傀儡となるべく育てられ、与えられた職務を全うし……世界を調停するアクロシティの手足となる、私にあったのはそれのみ! 何が悪だ、貴様のようないくらでも道を選べる若造に、何が分かる……ッ!!』

 

 どこか羨望のような色を帯びたような、フレデリックの叫び。

 全ての脚を失い、すでに歩行機能は失われた機体で、尚も下部ブースターの青白い炎の軌跡を描き、突っ込んで来る。

 

 その、もはや砲身が焼きつき放てないはずのビーム発振器が、バチバチ雷光と悲鳴をあげている様は……

 

「自爆する気か、往生際の悪い……!」

 

 だが、退けばイリスを巻き込みかねない……ならば俺に退くという選択肢は無く、自分の身で受けなければならない。

 

 そんな、俺が避けることは決して出来ないというところまで読んでの行動であると瞬時に理解した。

 

 だが……それは、俺一人ならば、だ。

 

「……レイジさん、これを! 『エンゼル・ハイロゥ』!!」

「……ッ! 任せろぉおおッ!!」

 

 瞬時にイリスの意図を理解し、眼前の空間に手を伸ばす。

 

 そこに生まれたのは、本来であれば指定した定点で展開するイリスの『エンゼル・ハイロゥ』の魔法の萌芽。

 それを無造作に掴み、迫る半壊したドゥミヌス=アウストラリスへとフリスビーの要領で全力で投げつけた

 

 これは、俺がイリスの騎士として、その力へ干渉する権限を得た事で可能となった荒技。

 その展開前のリング型障壁は、投擲した事によって飛翔しながらドゥミヌス=アウストラリスに迫り……炸裂した。

 

『ぬ、おおおおぉ……ッ!?』

 

 移動しながら展開する、俺とイリス以外には起点操作が不可能である強固な結界が、巨大な機体を巻き込んで、バキバキと硬いものが砕ける音を撒き散らし、圧し砕きながら壁へと激突する。

 内圧に耐えきれなくなったビーム発振器から爆炎が上がるが、だがしかしそれは『エンゼル・ハイロゥ』の結界に遮られ、爆発音だけが虚しく響いた。

 

『何故だ、何故このドゥミヌス=アウストラリスが! アクロシティの技術の粋を集め建造され、授けられたこの機体がこうも……ッ!?』

 

 ノイズ混じりのフレデリックの声が、途切れ途切れに聞こえてくる。

 やがて、広がっていく障壁の圧力に耐えかねた外壁が崩落し……脚を失い、最後の移動手段であるブースターにも不調を来したドゥミヌス=アウストラリスの巨体は、押し出されるように断崖絶壁から落下して……

 

『おのぉおおれぇええェ……ッ!?』

 

 怨嗟の、あるいは悲痛な叫びにも聞こえるフレデリックの絶叫を撒き散らしながら……巨大な水柱を上げて、海中にその姿を消した。

 

 

「……っし、一丁上がり。残っている人達を誘導して、今度こそ退散しようぜ」

「……はい」

 

 悲しげにフレデリックが消えていった壁の大穴を見つめていたイリスの肩を叩き、促す。

 

 外から聞こえていた戦闘音は……すでに、完全に止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――もっと、何かやれる事は無かったのだろうか。

 

 

 そんな事をグルグルと考えながら……私はレイジさんに手を引かれるまま、未だに展開されたままだったティティリアさんの『ウィニングロード』の光の橋を渡り、外壁を回って大闘技場入り口へとたどり着く。

 

 そこで、私達を待っていたのは……

 

 

「イリスちゃん……!」

「おねえさま、無事で良かった……!」

 

 真っ先に飛び出して来たのは、最も『ウィニングロード』に近い場所で私達が戻ってくるのを見守っていたイーシュお姉様。

 そして、彼女と寄り添って待っていた、先に合流していたユリウス殿下でした。

 

 飛びついて来たイーシュお姉様の豊かな胸に顔を埋めるように抱きしめられ、腰にはユリウス殿下に抱きつかれて目を白黒させていると……頭上から聞こえて来る、鼻を啜る音。

 

「良かった……ユリウスも、イリスちゃんも、本当に無事で良かった……!」

「イーシュお姉様……ご心配、おかけしました」

「えへへ……ごめんなさい、おねえさま」

 

 ユリウス殿下と二人、イーシュお姉様の両手に抱かれながら、感極まって泣きだしてしまった彼女の背中をポンポンと叩いて宥める。

 

「全く……お姫様が危険な場所に残るって何よ?」

「まぁ、私も少々お転婆に過ぎると思うが、言ってやるな」

 

 ちくりと嫌味を刺して来るのは、ユリウス殿下と共に合流していたアンジェリカちゃん。

 そんな彼女を、すっかり体力も回復したらしいアルフガルド陛下が、苦笑しながら窘めていました。

 

 そんな時、一歩前に出たレイジさんが、土下座するのも辞さないとばかりの勢いで、陛下へと頭を下げる。

 

「あの……申し訳ありませんでした、陛下! あのような公衆の面前の場で勝手な事を……っ!」

「はは、良い、許す。詳しくは後でレオンハルトも交えて話す事になるが……私の方こそ、イリスリーアの事、頼んだぞ」

「は……はい……俺の人生、全てを賭けて!」

 

 顔を上げ、真っ直ぐにアルフガルド陛下を見つめて言うレイジさん。

 その様子を満足そうに笑って眺めている陛下の様子に、私もホッと安堵するのでした。

 

 

 

 

「それで……兄様達は?」

 

 傍で「うむ、仲良き事は良き事かな」と親族の触れ合いを嬉しそうに眺めていたアルフガルド陛下に、この場に居ない人々のことを尋ねます。

 

「うむ……彼らは今、街まで避難している民達を護衛するために、先に広場へ向かう橋を渡っておる。あの改心したという西の商会の連中や、活躍の場を失って燻っていたエキスパートの部の者たちも協力してくれておる」

「俺達は、お前達が戻って来るまでの退路を守るために殿に志願したんだ」

 

 そう言って背後に兵を従えて歩いて来たのは、周囲を警戒していたらしいフェリクス皇帝陛下。

 近衛の各々が油断なく銃剣を構え、背後に警戒しながら私達の後をついて来てくれているのを見るに……どうやらここからはフランヴェルジェの近衛が守ってくれるらしく、ようやく休めそうだと安堵の息を吐きます。

 

「フェリクス皇帝陛下まで……ありがとうございます、そして、ご心配をおかけしました」

「何、構わぬさ。戻って来てくれたのだからな」

「ああ、俺の方はそこのレイジに大恩があるし……何と言っても、可愛い義妹の為だしな」

 

 すっかり仲良さげに肩を並べている両国の陛下に……私も、思わず笑いを漏らしてしまうのでした。

 

 

 

 

「さて……すまんがイリスリーア殿下、少しの間、妻の事を頼む」

「は、はい……フェリクス皇帝陛下は?」

「ああ、俺は少し、アルフガルド陛下と今後の対応について相談だ……アクロシティとの今後の関係についてな」

 

 そう言って、一転し難しい顔をして離れていく二人。

 

 気にはなりますが……まずはイーシュお姉様を安全な場所へ送り届けなければと思い直し、未だ赤くなった目元を拭っている彼女を促して、街へ繋がる橋を歩き出します。

 

 ……やはりアクロシティとの関係は、今まで通りとはいかないのでしょう。

 

 今後、どうなるか……最悪、アクロシティを相手に戦争状態へと突入する可能性を考えると、暗澹たる気分にはなってきます。

 

 ……ですが、今更退くつもりは無い。

 

 未だ胸に残るレイジさんとの繋がりを感じ、そう気を引き締める。

 

 

 

 

 そう決意を新たにしている時……不意に、ザッと何人もの人が傅いた音。

 

 それに驚いて、思わず足を止める。

 突如現れたのは、今まで避難してきた人達のケアに当たっていたはずの聖女の方々でした。

 

「ご結婚……いえ、まだご婚約ですわね、おめでとうございます、光翼の御子様」

「あ、ありがとう、ございます……?」

 

 気後れしながら、恭しく祝辞を述べる最年長の聖女の取りまとめ役であるお姉さん……確か、マリアレーゼ様という名前だったはずです……に礼を言います。

 

 ――正直、苦手なんですよね、この方々。

 

 準決勝前の折、レイジさんとソール兄様の治療だけは私にさせてほしいと交渉に行った際……彼女たちの静かに殺気立った気配に散々晒されたため、すっかり刷り込まれた苦手意識。

 

 それが、私の足を少し下がらせるのですが……

 

「ですが……大会中に拝見した様子を見るに、御子様自身はまだ嫁ぐために必要な勉強が不足していらっしゃるご様子」

「え、あの……?」

 

 不意に、マリアレーゼ様が顔を上げ、ギラリと眼光鋭く私の方を向く。

 その迫力に更に一歩後ずさった私ですが、それを追うように立ち上がった彼女に手を取られ、優しく包まれました。

 

「大丈夫、私たちに身を委ねてくだされば、すぐにでもどこに嫁いでも恥ずかしくない淑女にして差し上げますわ」

「え、その……え?」

 

 一転し熱っぽい瞳で迫る、先程までと違う彼女に目を白黒させていると……すぐに、他の聖女の方々に包囲されました。

 

「御子様は、花も恥じらう可憐な乙女であるご様子。それは大変に魅力的ではありますが……今後、嫁ぐ以上は殿方を喜ばせる手法も大事になりましょう?」

「ええ、遠慮などなさらずに。指導のし甲斐がありそうな方がいらしてくれて、私達も喜ばしく思っております」

「アンジェリカさん以来、私どもの所に新しい姉妹はいらっしゃらなかったですからね。お姉様がた、私、腕がなりますわ!」

「よもや輝く翼の御子様のお世話ができるなんて……望外の喜びですわ、全身全霊を以って尽くさせていただきます……!」

 

 淑やかに嫋やかにきゃいきゃいと盛り上がる彼女達の様子に、背中から冷や汗が伝う。

 アンジェリカちゃんが言うには、将来的には貴族などに嫁ぐ事が多いという、彼女ら聖女たち。

 

 ……内部に独自のえげつない花嫁修行プログラムが存在するというその乙女の園の噂話を思い出し、ひしひしと感じる嫌な予感。

 

 熱心に語りかける彼女らに気圧され、助けを求めるように彼女達の一員であるアンジェリカちゃんに目を向けると……

 

「あー……ま、諦めて?」

「そんなぁ……」

 

 明らかに「巻き込まれたくない」といった様子で放たれたそのアンジェリカちゃんの無情な言葉に、がっくりと肩を落とす。

 

 助けを求めるように、今度は乙女の集団を前に躊躇し、遠巻きに眺めているレイジさんの方へ視線を向けますが……

 

「悪い、助けてやりたいが、そういうのはちょっと……機械兵器よりずっと手強そうだ……」

「ですよね……」

 

 今回ばかりは頼りにならなそうな私の騎士様(レイジさん)の様子に……半ば諦めの心地で、ため息を吐くのでした――……

 



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光翼族の再臨

 

『アー、本当ヒデエ目に会っタゼ』

「……そんな事言って、楽しそうに見えたけどね、クロウ?」

『イヤ全然楽しくネーシ。コイツら全部中身の無ぇ人形ジャネーカ』

「だろうね……」

 

 そう呟いて眺めるのは、一面の火の海。

 海面に浮かぶ無数の飛空戦艦の残骸……しかしそこに、人を始めとした生物の姿は無い。

 

 おそらくは、管制全てアクロシティ本土から行われている遠隔操作だ。あの街の連中が、命を張って外に戦いに出てくるとは考え難い。

 

 だが……それでも、目的は十分に達成できた。

 

『そんデ、目的のブツは手に入ったのカヨ?』

「……ああ、問題ない。損傷は激しいが、二十機分繋ぎ合わせれば少しの間誤魔化すくらいは大丈夫だろう」

 

 そう言って取り出して見せたのは、つぎはぎだらけの歪なオーブ。

 

 ……先程、海に落下したアクロシティの飛空戦艦から抉り取って来たものを集めたものだ。

 

 

 ――これは、アクロシティの周囲に張り巡らされた、()()()()()の味方識別信号。

 

 

 雑に配線をつなぎ合わせただけではあるが、一度くらいは誤魔化せる程度に形にはした。

 

『ソイツぁ良かったナ? コンだけ働かされテ、収穫無しジャやってらんねーカラナ』

「まあ、駄目だったら別の手段を探すだけさ」

 

 

 遥か昔、『この世界』ができる前に作られたというその機能を、今のあの街を支配する者たちでは弄られない以上、一朝一夕で対処される事もあるまい。

 ましてやそれが、頭が平和呆けした老害共だというなら尚更だ。

 

 

 そんな事を考えていると……ふと、懐かしい気配。

 

「これは……あの闘技場の方か」

 

 どうやら、身に覚えがある()()()()が結ばれたらしい。とんだ物好きも居たものだ。

 

『オット、どうやらあるじサマは可愛い娘サンが気になるみたいダナ!』

「……別に」

『ハイハイ、そういう事にしといてヤルヨ』

「クロウ……黙れ」

『オット、怖イ怖イ』

 

 茶化した様子にムッとするが……ムキになればなるほどこいつは調子に乗るという事くらい、長い付き合いだからよく理解している。

 自分にだけやたらお喋りな相方に……僕は、深々と溜息を吐くのだった――……

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 街へと続く橋を渡り切ったところ……以前、屋台でアイスクリームを食べた広場は今、大闘技場から避難して来ていた観客達でひしめき合っていました。

 

「イリス、レイジ!」

「兄様、そちらもご無事で!」

 

 駆け寄って来るのは、最後尾に居た兄様。そのすぐ後ろをついて来ていたのは、やはり同様に後ろを守っていた桔梗さんでした。

 

「あんたも、手伝ってくれてありがとな」

「いいえぇ、私も久々に刺激的で楽しかったわぁ」

「本当に、助かったよ……それでレイジ、フレデリックは?」

「ああ……機体自体は破壊したし、追ってはこれないと思うが……生死までは確認する余裕は無かった」

「爆発はしていなかった様子でしたから、おそらくは脱出したのではと……」

 

 不安が半分、願望が半分……そんな感じの思いで伝える私達に、兄様はそうか、と一つ頷いただけでした。

 

「……まあ、仕方ない。それより無事で良かった、二人とも」

 

 そう口元を緩める兄様に、私とレイジさんはようやく、緊張に凝り固まった頬を緩めるのでした。

 

 ――と、思ったのも束の間。

 

「イリスちゃん!」

「きゃ……!?」

「無事で良かったにぁあああ!」

「わぷっ!?」

 

 物凄い勢いで抱きついてくる、二人の女の子の影に、目を白黒させながらもどうにか口を開きます。

 

「てぃ……ティアちゃん、それにミリィさんも……ご心配をおかけしました」

「本当よ、姿が見えなくて気が気じゃなかったんだからね!」

「怪我はしてないかにゃ!? お肌に痕が残るような事はない!?」

「お、落ち着いて二人とも、大丈夫、大丈夫だから……!」

 

 混乱しながらもどうにか二人を宥めようとしていると……更に、新たな声が掛けられます。

 

「皆それだけ心配していたのですよ。勿論、私も」

「レニィさんも……ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「いえ……それよりも、レオンハルト様が武具店の一つを借りて人払いしています。お召し物を変えましょう」

「あ……」

 

 前夜祭に着ていたドレスは、汚れこそ『ピュリフィケーション』で浄化したものの……どう足掻いても戦闘用ではありえないその繊細な衣装は、度重なる戦闘ですっかり破れ、擦り切れていました。

 

「……ごめんなさい、せっかく用意してくれた素敵なドレスを駄目にしてしまいました」

「イリスリーア様がお気になさる事ではありませんわ。請求ならば、そちらの狼藉者に」

「……返す言葉も無いですね」

 

 更に新しく、今度は男性の声。

 苦い顔をして現れたのは……一歩引いた位置に星露さんを従え、すっかり元の起業家の様相へと戻ったフォルスさんでした。

 

「弁済については、また後ほど。ひとまずお詫び代わりにお召し物を用意させて頂きましたので、今はこちらをどうぞ……星露、頼みます」

「はい! 姫様、行きましょう!」

 

 今はすっかり元気を取り戻し、明るい表情で衣装の包みを携えて駆け寄って来る星露さん。

 どうしたら良いか、確認のためレニィさんへチラッと視線を送ると……

 

「……口惜しいですが、私どもの荷物は皆塔へ残したまま。ここはお言葉に甘えておきましょう」

「わ、分かりました……」

 

 そう、苦々しい表情で頷いて返すレニィさん。

 そんな彼女の様子に苦笑しながら手を引かれ、私は着替えのためにと屋内へと退散するのでした。

 

 

 

 

 

 着替えを済ませ、ようやくドレスから比較的カジュアルな服になった事で人心地ついたところで、皆の元へ戻る。

 

 フォルスさんが用意してくれたのは、胸のヨーク切り替え、それと袖周りの白が眩しい、落ち着いたグレーのシックなワンピース。腰を後ろで絞る大きなリボンが可愛らしい衣装でした。

 

「お綺麗です、イリス嬢」

「あ、ありがとうございます……」

 

 にっこりと微笑み、そう褒め称えてくるフォルスさんに……レイジさんの腕から覗き込むようにして、礼を述べる。

 

 何故、こうなっているかというと……

 

「てめぇはイリスに近寄るな」

「ですが、服を用意したのは私ですし、ひと目見て賞賛の言葉を送るくらいいいではありませんか」

「うっせえ見んな」

 

 ……と、そんな調子で私を背に庇ったレイジさんが、フォルスさんを威嚇しているからなのでした。

 

 まあ、仕方ないのかな……そう苦笑します。

 

「ふむ……盛り上がっている中で申し訳ないのだが、そろそろ良いだろうか?」

「あ、申し訳ありません、陛下」

 

 歩いてくるアルフガルド陛下に、慌てて姿勢を正すレイジさん。

 そんな彼に構わないとばかりに軽く肩を叩いてから、陛下は私の方へと歩いてきます。

 

「イリスリーア。身嗜みは整え終わったかね?」

「あ……はい、もう大丈夫です」

 

 そう言って、アルフガルド陛下の前で軽くターンし、今の装いを披露して見せる。

 それをニコニコと表情を緩め眺めていた陛下でしたが……すぐに真面目な顔で、傍にいたフォルスさんへ向き直ります。

 

「フォルス、と言ったね。君には色々と思うところはあるが……今は、目的を同じくする同志だと信じていいのだな?」

「ええ……今回のアクロシティの所業には、私も心底頭に来ています。元々向こうの息が強い通商連合では難しいでしょうが、今後は向こう……西大陸での支持基盤を少しずつ削いでいってやろうかと。その為ならなんだってやってやりますよ」

「そ……そうか、頼もしい限りだ」

 

 眼鏡を輝かせ、凄まじく邪悪な笑顔を浮かべているフォルスさんに、若干引き気味に返事をするアルフガルド陛下。

 どうやら彼も、今後は心強い味方になってくれるらしいです。

 

 

 

 

「さて……今回最大の被害者である観客達に、事情を説明しなければならないのだが……」

 

 気まずそうに、私から目線を逸らして告げるアルフガルド陛下。

 この後待っている憂鬱なイベントに、思うところはありますが……だからといって、逃げてもおそらく納得はされないでしょう。

 

「……良いのだな?」

 

 アルフガルド陛下の問いに、頷く。

 もはや、隠していて事態を収拾するのは不可能なのを承知の上で、この場に来たのだから。

 

「……手を」

「ありがとうございます、レイジさん」

 

 さりげなく差し出されたレイジさんの手を握り、エスコートされるようにして、居並ぶアレフガルド陛下やフェリクス皇帝陛下の横へと並ぶ。

 

「さて……避難して来た方々には、今回、このような事態に巻き込んでしまった以上、事情を説明せん訳にはいくまい。少し長くなるが、聞いて欲しい!」

 

 語り出したアルフガルド陛下の声に、広場の皆の視線が集中します。

 

 そこで語られるのは、大会の裏で動いていた陰謀と、その首謀者である西の通商連合、ひいては更に裏で糸を引いていたアクロシティの所業。

 

 その中には当然、私の誘拐の件も含まれており……何故、という疑念の視線が、私へと集中する。

 

「……皆の中にも、目にした者が多数いるであろう中、隠し立てもできまい。今から語る事は……どうか、冷静に受け止めて貰いたい」

 

 そこで言葉を切り、いいな、と目で語りかけてくるアルフガルド陛下。その視線を真っ直ぐに受け止めて、私は頷きます。

 

 そうして……陛下が、重い口を開きました。

 その事実を、初めて公式に伝えるために。

 

「我が姪イリスリーアは……世界から失われたと思われていた、光翼族だ」

 

 アルフガルド陛下に促され、私は最低出力で光翼を解放します。

 

 広場に舞う、無数の白い光の羽根。

 途端に、一層強くなる人々のざわめき。

 

「この私、ノールグラシエ国王アルフガルドが、その事実を秘匿していたのは事実だ。だが……通商連合盟主フレデリック、およびその背後に控えるアクロシティが、皆を人質にその身柄を略取せんとした事、私は許すつもりはない」

 

 そうして深々と溜息をついた陛下が、更にポツリ、ポツリと呟き出す。

 

「イリスリーアは……確かに光翼族かもしれぬ……だがそれ以前に一人の娘、我が妹が遺した、私の姪であり家族なのだ……」

 

 最後にそう伝えるアルフガルド陛下の、ぎりっと握りしめられる拳と、絞り出すような声。

 その様子に呑まれたように、広場はシン……と鎮まり返っていました。

 

「……これに関しては全て承知の上で私、フランヴェルジェ帝国皇帝フェリクスも同意した。詳しくは今後の協議の上だが……おそらく今回の件に関しては、フランヴェルジェ、ノールグラシエ、両国からアクロシティへ強く抗議する事になるだろう」

 

 鎮まり返った中で新たな言葉を続けたのは、隣に控えていたフェリクス皇帝陛下。

 

「おそらく、私たちアイレイン教団もそこに連名すると思います」

 

 さらに、背後から控えめに伝えたのは、聖女達の長であるマリアレーゼ様。

 

 あとは、東の諸島連合がどう動くかは未知数ですが……それと西の通商連合を除く全ての勢力の代表が、反アクロシティを唱えたという……この世界の人々にとっては異例の事態となっていました。

 

「最後にもう一度。諸君らについては……本当に、巻き込んですまなかった」

 

 そう頭を下げて謝罪する陛下の姿に、ざわざわと広がる戸惑いの声。

 

 

 ……無理もないでしょう。

 

 

 この世界にとって、アクロシティはずっと『調停者』であったのです。

 それが今回の騒動を引き起こし、あまつさえ彼らは実際にその身を危険に晒されたのですから。

 どちらを信じれば、何を信じれば良いのか、すぐに答えを出せるはずがありません。

 

 そんな、混乱した場の中……

 

「あの……申し訳ありませんが、一つよろしいでしょうか」

 

 不意に上がったのは、聞き覚えのある、よく通る女性の声。

 

「あなたは……」

「はい、皆様のお耳の恋人、大会司会のシルヴィアです……レイジさん、先程の決勝では自分の仕事を全う出来なくて申し訳ありませんでした」

「い、いや、それは気にしていないんだが……」

 

 戸惑うレイジさんを他所に、私へと真っ直ぐ視線を向けている彼女。いったい何の用だろうと首を傾げていると。

 

「それで……重ね重ね申し訳ありません、用事があるのは私ではないのです……ほら、おいで?」

 

 そう言って、今度はざわつく観客達の方へ向かって誰かを呼ぶ彼女。

 

「あの……」

 

 やがて、シルヴィアさんに促されておずおずと進み出てきたのは……ユリウス殿下よりもまだ幼い頃と思しき、小さな女の子でした。

 

 戸惑いを見せながらも、その女の子がシルヴィアさんに肩を押され、私達のすぐ前まで歩いて来ると……勢いよく頭を下げたと同時に、後ろ手に隠していた何かを私へと差し出しました。

 

「……イリスリーアさま、たすけてくれてありがとう! あと、チャンピオンさんとけっこんおめでとうございます!」

「あ……」

 

 思わず、差し出されたものを見て声を漏らす。

 女の子がキラキラとした憧憬の眼差しと共に差し出したのは……小さな、ほんの小さな白い花。

 

「……これ、私に?」

 

 私の問いに、精一杯という様子で何度も頷き、顔を真っ赤にしてその花を差し出す女の子に……周囲の空気が弛緩し、今この場を満たしていた緊張感が霧散していくのを感じました。

 

「……ありがとうございます。すごく嬉しい」

 

 周囲が優しく笑っている事に首を傾げている、きっとここまで逃げてくる道すがらで探していたのだろう、小さな花を差し出す女の子。

 

 そんな女の子の頭を万感の思いで撫でながら、その花をありがたく受け取る。

 

 

 

 ……事実、この小さな一輪が、この時ばかりはどんな豪華な花束よりも、ずっと嬉しく思えたのでした。

 

 ……この小さな少女の、ほんの小さな勇気と優しさに、本当に救われた気がしたのでした。

 

 

 

「そ……そうだよな、おめでとう、姫様!」

「ああ、そうだ、めでたい!……んだよな?」

「え、ええと……ありがとうございます?」

 

 疑問混じりな皆の祝福に、私自身も戸惑いながら返事をすると、さらに大きな歓声と、周囲に伝播するように、広がっていく「おめでとう」の声。

 

 やがて、誰かがお酒を持ちこんで、あとは転げるように酒宴へとなだれ込んでいくまでに……さほど時間はかかりませんでした。

 

 

 

 そんな……緊張感に欠けた喧騒。

 

 たとえこれが、光翼族の再臨という事態に混乱したこの場を誤魔化すための、一時の空騒ぎだったとしても……皆の祝福とその笑顔に、私は救われた思いがしたのでした――……

 



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光翼の姫と二人の騎士

 ――アクロシティ、最奥にある一角。

 

『……では、飛空戦艦二十隻と、オートマトン百機は全滅。授けたドゥミヌス=アウストラリスも、無為に失ったという事だな?』

「申し訳ありません……このフレデリック、いかなる処罰も甘んじて受ける所存です」

 

 頭上から響く、壮年男性風の合成音声。

 その声に、私は必死に平伏しながらどうにか口を開く。

 

『まあ、良い。その話はまた後にしよう……アレを持ってしても不覚を取るほどの相手か」

「……は、誠に遺憾ながら。今後、御子姫の護衛の戦力を上方修正して事に当たるべきかと思う所存です」

『ふぅむ……それ程か』

 

 どうやら、こちらの具申は聞き届けて貰えたらしい。

 考え込み、黙り込んだその声に、内心で一つ安堵の息を吐く。

 

 身を起こすと……広いホールのような空間、その中央に高く聳える円形の台の上、明滅する十のモノリスが並んでおり、声はそこから聞こえていた。

 

 ――これが……アクロシティの最高意思決定機関『十王』。その指示は全てモノリス越しであり、実際にその姿を見た者は存在しないと言われている。

 

 もっとも……現在もまともに活動しているのは、その十人のうち半分も居ないが。

 

「それと……略式ではありますが、今回の件については各国の代表から抗議文が。今後、活動に支障を及ぼす恐れがあります。最悪、これ以上の反感は各国から離反される恐れが……」

『なるほど、なるほど……』

 

 頭上、段の上に並ぶモノリスから響く、今度はしゃがれた老人の声。

 それは、どこか緊張感が欠けた様子で悩んでいる素振りを見せた後……ようやく次の言葉を発した。

 

『それで……いつ、新たな御子姫を私達の元へと連れてくるのだ?』

「……は?」

 

 ポカンと、間の抜けた返事をしてしまう。

 

「い……いえ、ですから今の世界状況では難しいと」

『それはもう聞いた。で、いつ連れてくるのかと問うている』

 

 うんざりしたように繰り返される、モノリスからの催促。

 

 愕然とする。会話が、通じない。

 彼らの中では、御子姫を自分達の元へと連れてくる事()()が確定事項なのだ。

 必要なのは結果のみ。それを実際に行う者達の……私達の事情など、はなから眼中にないと。

 

「……なるべく……早いうちに良い返事を聞いていただけるよう、努力いたします」

 

 ギリ……と背後で手を握り締めながら、どうにか礼の体裁を取り、踵を返す。

 

「……それでは、失礼します。次にどうするか計画を立てなければならないので」

 

 だが、一体何をどうしろというのか。

 具体策も無く結果だけを求める上位者に目眩がする思いを抱えながら……ただ、無気力に退室するのが精一杯だった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――ここは、イスアーレスと、ノールグラシエ最南端都市『コメルス』を繋ぐ海路の中間地点にあるというだけで、ある程度発展した小さな島の港町。

 

 来客といえば、せいぜいが補給のために交易船が立ち寄る程度。

 

 そんな、平穏ながら停滞した日々を過ごしていたはずの港町に激震が走ったのは……島の、町がある方とは対岸に、『世界の傷』が発生したことによってだった。

 

 そして――町に魔物の群れが襲い掛かったのは、その翌日……まだ避難もろくに進んでいない頃だった。

 

 

 

 ――勝てる訳がない。

 

 大した騒動もなく、仕事といえばせいぜいが酔っ払いの喧嘩仲裁と……迷い込んできた小さな魔物の処理程度。

 僅か数名の片田舎の兵士達が、突然世界の脅威である『世界の傷』対応の最前線に立たされて、敵う道理がどこにある。

 

 それでも職務として、退避するために港へと逃げる人々の殿につくも……結果など、見え切っていた。

 

 ――多少の時間を稼ぐのが精一杯。奮戦虚しく町民もろとも全滅。

 

 そんな結末しか予想し得ない、絶望に満ちた逃避行。

 だがそれでも、兵士として道を選んだ以上はやらなければならない。ならないのに……

 

「ひ……ひっ……!?」

 

 情け無く悲鳴を上げながら、ここまでの十分にも満たない戦闘によって全身に細かく走る裂傷の痛みすら感じる余裕も無く、血に滑る柄を必死にに繰り出した槍。

 しかし……それを引き戻そうとした瞬間に、自分の失策に気付いた。

 

「……やべっ」

 

 必死に眼前に迫った狼型の影へと突き立てた槍の穂先が……抜けない。

 

 思えばここで手放すべきだったのだろうが……咄嗟に頭が回らず、迫る他の影の獣の顎が迫りくるのを、ひどくゆっくりな視界の中で見送っていた。

 

 

 

 ――槍は突いたら、すぐに捻って抜け。肉に埋まって抜けなくなったら、すぐに手放せ。でなければ……死ぬぞ。

 

 

 

 そんな事をやけに厳しい面で宣っていた、出張訓練で訪れた本土の騎士の事を……「いや、片田舎の兵士でしかない自分達のどこにそんな機会があるんだよ」と同僚と笑い合っていた事を不意に思い出す。

 

 もっと真剣に訓練していれば……そんな後悔に駆られながら、諦観とともに迫る牙を受け入れようとした、その瞬間。

 

「ボーっとしてないで、下がって!」

「……へ?」

 

 眼前に飛び込んできた、蒼銀を纏った青年の姿。

 

 彼は、紅い光を放つ不可思議な武器を振るい、今まで自分たちが死闘を繰り広げていた影の魔物達を、まるで紙のように切り裂き屠っていく。

 

「加勢するぜ、ここは任せな! 怪我した連中は、後ろに退がって治療を受けてくるんだ!」

 

 続いて戦場に駆け込んできたのは、今度は紅銀を纏い真紅の髪をたなびかせた、これまたまだ若い青年。

 

「あの……あんたらは」

「大丈夫、助けに来ました」

「ぇ……、……っ!?」

 

 ふわりと香る、このような戦場に似つかわしくない花のような匂い。

 

 思わず目を向けたそこに居たのは……このような場には似つかわしくない、白を基調とした法衣を纏った、この世のものとも思えぬほどに可憐な少女。

 

 思わず見惚れていると……少女がこちらへ優しくその白い手を伸ばす。すると全身から、苦痛が霞のように消えていった。

 

 

「もう大丈夫。あとはあの二人に任せましょう」

 

 そう言って、視線を戦場に戻す白い少女。

 

 横顔さえも美しいその少女が見つめる視線の先では、先程の蒼銀と紅銀の騎士二人が、奥から現れた魔物の親玉らしき存在と対峙していたが……少女の様子には、微塵も焦りは見られなかった。

 

 ――ああ、もう大丈夫なのか。

 

 そう安堵する一方で……見惚れるあまり、真剣に凝視してしまっていた少女の顔に、ふと、気になった事が一つ。

 

 それは……なぜ少女が前線に立つ二人を見る顔は、少し機嫌が悪そうに口を尖らせているのか、という事だった。

 

 

 

 

 ◇

 

 イスアーレスから、ネフリム師をはじめとした大闘華祭の実行委員会の方々が用意してくれた船で移動中。

 ノールグラシエ最南端の港町……もはや懐かしいとさえ思えるゲーム時代の私達のホームタウン、『交易都市コメルス』へと向かう途中、私が察知したのは……一つの島で急遽発生した、『世界の傷』の気配でした。

 

 出現したばかりで、規模はあまり大きくない。私と、レイジさんとソール兄様の三人で十分対処できると判断し、こうして三人で駆けつけたのですが……

 

 

 

「ざっと見た感じ、最初の街で戦ったあの結晶の魔物と同格くらいの相手でしょうか……」

 

 眼前でレイジさんとソール兄様の二人に相対している、大きな結晶の角を頭に備えた巨大な鹿の魔物を見つめ、予測します。

 

「あ、あの……俺たちも彼らの手伝いを……」

「いいんです、あの二人に好きにやらせておけば」

 

 先程治療を終えたこの町の兵士である青年がたが、申し訳なさそうに掛けてくる声。

 そんな彼らに……私は、少しだけ不機嫌を露わにしながら首を振るのでした。

 

「だ、だけど二人だけじゃ……」

「大丈夫って自信満々に言うんだから、大丈夫なんでしょう、きっと」

 

 若干刺々しくなった、私の言葉。

 兵士の皆が、心配になるのも分かります。

 ですが、今回は私の補助も抜きでやってみたいなどと(のたま)ったのは、二人の方です。

 

 そんな訳で今の私は、若干拗ね気味な自覚がありました。

 

 

 

 ……二人とも、その装備は一新されていました。

 

 まずレイジさんは……その防具が、完全に一新されています。

 新たに纏っているのは、ソール兄様のものと対になる、紅銀色の『アルゲースの魔導甲冑』。

 鎧部分は兄様のものよりだいぶ少ないですが、これは動き易さ優先のため。コマンドワードを唱えると、兄様のものの通常形態と同じ形状の重装形態になるらしいです。

 

 そして、その手に持つのはいつもの『アルヴェンティア』……そして今ではさらにもう一刀、ネフリム師によって改良が施され、今は制限起動して細い刃を纏っている『アルスレイ』の姿。

 その二刀を悠然と構えた姿は、すっかり双剣士という風情です。

 

 

 一方でソール兄様はというと……基本は、イスアーレスでの騒動から纏っている蒼銀色の『アルゲースの魔道甲冑』のまま。しかしその上にブランシュ様の遺した体毛を織り込んで耐刃・耐魔法性能を高めた白い外套を纏っています。

 そして、その手にはレイジさんの『アルスレイ』同様、だいぶ絞られた赤い力場を纏っている『アルスラーダ』が握られていました。

 

 

 

 二人とも新装備を試したいのは分かりますが……それは私も同じだったのにと、ブランシュ様の毛をふんだんに使わせていただいたために、すっかりカラーリングが一新されて、白が基調となった法衣……新たな『クラルテアイリス』を見下ろします。

 

 もっとも……危険があるのならば、なんと言われようが私も参戦しますが。

 

 

「それに大丈夫です、ほら」

 

 心配そうな兵士の方々に、フッと笑いかけて視線を前に向ける。

 

 鹿の姿に相応しくない重く低い雄叫びを上げ、突進してくる影の大鹿。

 どうやら結晶でできた角で操っているらしき闇を螺旋状に纏い、猛烈な速度で迫るその巨体ですが……

 

「……任せて!」

「サポートする、幻楼の……」

「大丈夫!」

 

 咄嗟に『アルヴェンティア』の能力を解放しようとしたレイジさんを制し、十字盾を地面に突き立てる兄様。

 

「……『インビジブル・シールド』……ッ!!」

 

 不可視の盾を展開し、全体重を盾に預けるようにして兄様が突進に備え身構えた直後……ガァン、と凄まじい音を上げて、大鹿の纏う闇は散り散りに霧散し、その巨体が嘘のように静止する。

 

「レイジ!」

「ああ、わかってる!」

 

 直後、兄様の影から飛び出すレイジさん。

 その手にした二刀……『アルヴェンティア』と『アルスレイ』を翻し、その角を根本から……絶った。

 

『……ッ!?』

 

 ここに来て、自身の武器を失い眼前の小さな影を脅威と認めた大鹿の魔物が、後退しながら不気味な低音で(いなな)く。

 直後その背後から現れたのは……先程、親玉である大鹿の出現とともに後退していた者たち。

 体の各所に結晶を備え、影のように黒一色に染まった鹿や猪、狼……中にはトドやペンギンみたいな海洋生物の姿も……などの動物達が、レイジさん達の前に立ち塞がり、迫り来る。

 

「……チッ、不利になったら手下頼みかよ!」

「レイジ、兵士達にもう連中を止める余力は無い! 後ろに漏らすなよ、私達二人で全て止める!」

「わかってらぁ!」

 

 兄様が、盾を地面に残し『フォース・シールド』を展開、敵のこちらに向かう直線進路を阻む。

 

 左右に分かれた、結晶を植え付けられたの獣の群れ。

 しかし、兄様は腰の後ろに差していた『アルトリウス』を、手放した盾の代わりに抜き放ち、躊躇わずに群れへと飛び込む。

 

 途端に、宙を舞う結晶の魔物達の頭。

 

 その獅子奮迅の戦いぶりは、「タンク職ってなんだっけ……」と私に首を捻らせるには十分なものでした。

 

 一方で、反対側へと回ったレイジさんはというと……こちらは、向かってくる魔物を『幻楼の盾』で絡めとると、僅かに動きの鈍った隙に次々と両断していきます。

 

 すっかり『殲滅者(スレイヤー)』の力も乗りこなしたその動きは、まるで無駄を一切削ぎ落とした舞踏のようでもありました。

 

 

 

 装備が充実し、新たな力をいくつも習得した今、レイジさんはタンクの、ソール兄様はアタッカーの役割を、それぞれこなせるようになりました。

 

 勿論、お互いの得意分野には敵わないらしいですが……しかし、二人ともどちらもこなせるという事は、とても柔軟に戦況をコントロールする力を二人に与えているのです。

 

「……すげぇ」

 

 ポツリと兵士の誰かが呟きましたが、正直なところ私ですら同じ気持ちでした。

 

 その目の前で……手下を撃破され、自身も武器を失い身を守る術を喪った結晶の魔物のボスである大鹿が、もはや為す術なく二人に二重の十字に斬られて消滅していきました。

 

 最後、自らの声を思い出したかのように、一つ鳴いて消滅していった大鹿。その姿に一つ黙祷して……二人が開いた道を進みます。

 

「あ、あんた……この先は、禁域……」

「大丈夫、任せてください。この先は……私の仕事ですから」

 

 そう、心配げにこちらへ声を掛けてくる兵士の皆さんに笑いかけて……その背に、羽を展開します。

 

「な……ん……っ」

「そんな、あの翼は……」

「おぉ……復活したというのは本当に……」

 

 絶句し、直後膝を着いて祈る姿勢を取る最前の兵士の彼。そんな彼に続いて、次々と平伏していく人々。

 

「……お疲れ様、二人とも。では行きましょうか」

「うん、ごめんね、待たせて」

「急いで済ませて帰ろうぜ、船が通り過ぎちまう」

 

 左右に並ぶレイジさんとソール兄様。

 二人に頷いて、島の反対側、『傷』の気配を感じる方角へと、真っ直ぐに歩を進めていく。

 

 

 

 ――アルフガルド陛下と、フェリクス皇帝陛下も交えての話し合いの結果……事こうなった以上は隠すのをやめて、むしろ積極的に「ノールグラシエのイリスリーア」として光翼族のお役目を果たし、アクロシティへの牽制としようとなった今。

 

 周囲の人々が次々と平伏していく事に、居心地の悪さを感じながら……『傷』があると思しき方向へ、二人を伴って歩き出すのでした。

 

 

 

 どうやら魔物は全てあの大鹿に率いられていたらしく……特に妨害もなく、『傷』の浄化は滞りなく進みました。

 

「……ふぅ」

 

 一つ溜息を吐き……浄化の際に受け取った救いを求めるような思念に同調したせいで、頬を伝っていた涙を拭います。

 

「お疲れさん。大丈夫か?」

「ええ……でも、()()()の作った『傷』ではありませんでした」

 

 心配げに声をかけてくるレイジさんに、ポツリと呟く。

 

 今回、わざわざ島へと上陸し、そこに新たに出来たという『傷』の浄化に繰り出したのは……勿論捨て置く事が出来なかったというのもありますが、もう一つ理由がありました。

 

 ……もしかしたら、あの後アクロシティ方面へと向かった可能性もあるあの人……リュケイオンさんの仕業かもしれないと。

 

 ですが……

 

「分かるのか?」

「はい……あの人が作る『傷』は形状からして違いますし……」

 

 今回の『傷』は、私がこの世界に来て初めて見たものと同じような、複雑な亀裂を描いたもの。あの人が開く傷はもっと直線的なため、この時点で違います。それに……

 

「……何より、込められていた思念がまるで別物ですから」

 

 あの人の『傷』からは、今回のような助けを求めるような思念を感じない。怨恨と、自責。どこまでも自分だけで完結したものでした。

 

「……さて、そんじゃさっさと船に戻るか。皆も心配してるだろうしな」

「おっと、確かに。このままのんびりしていると、歓待の宴とかに巻き込まれかねないからね」

「……そうですね、早く戻りましょうか」

 

 促され、考えるのは中断して兄様と二人で飛べないレイジさんの手を取って、宙へと舞い上がる。

 

「しっかしまあ……俺ら、ずいぶん強くなってたんだな」

 

 不意に、ポツリと呟くレイジさん。

 

「あの魔物達が、最初の町で戦ったあいつと同格って本当?」

「うん……少なくとも、抱えていた力は同じか少し上くらい」

 

 兄様の質問に、そう答える。

 あれだけ苦戦した相手と同格の結晶の魔物に、今度は二人だけで危なげなく勝利を収めたレイジさんとソール兄様は、本当に強くなっていると思いました。

 

「はー、レベルキャップ解放からのインフレはネトゲじゃあるあるだけど、まさか自分がこの身で体験するとはなあ」

「はは、油断するなよレイジ、今後何があるかも分からないんだからな」

「言われなくとも分かってるっての!」

 

 ドヤ顔で指摘する兄様に、食って掛かるレイジさん。

 

 二人のそんな様子に苦笑しながら、眼下の海、そこを通過する船影へと視線を向ける。

 

 

 

 その海を往くのは、二つの並んだ船体を平らな甲板で繋いだような……いわゆる双胴船と呼ばれる、特異な形状をした巨大な船。

 

 イスアーレスが……大会運営委員会が非常用として秘匿していた、魔導機構船『プロメテウス』。

 ネフリム師が掛け合ってくれて、各国要人を送り届けるために錨を上げてくれたその堅牢な要塞の如き巨大船。

 

 別行動していた私達が本来乗っていたその船は、もう島のすぐ側を通過するところでした――……

 



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交易都市コメルス

 

 

 ――ノールグラシエ最南端、交易都市『コメルス』

 

 

 

 この世界でも世界でも五指に入る大都市である、白亜の港湾都市。

 そして、ノールグラシエの過酷な氷原を貫く大陸縦断鉄道、その本部がある大陸の流通の心臓。

 

 遂に訪れた、この街。

 規格外に巨大な『プロメテウス』は流石に湾内に入れると大騒ぎとなるため、連絡用の小型艇で入港したのですが……

 

 

 

「……ふわぁ」

 

 私は思わずそんな間の抜けた声を漏らし、キョロキョロと周囲を眺めながらタラップを渡り上陸します。

 

「おい、あんまよそ見しながら歩くなって」

「あたっ!?」

 

 頭に軽い衝撃。どうやら軽いチョップをされたらしい。

 頭を押さえながら、衝撃の発生源……レイジさんの方を、少し涙目になりながら睨みつけます。

 

「だって……こんな広いんですよ!」

「あー……確かにそうだが」

「まぁねぇ……」

 

 私の言葉に、後ろについて来ていたレイジさんとソール兄様の目が泳ぎます。

 

 大型船が何隻も行き来する、彼方まで続く港湾施設。

 

 見上げるほど高い階段を登ったその先に見えるのは、地中海沿岸のリゾート地を彷彿とさせる白い石造りの街。そのさらに奥にうっすらと見えるのは、天を突く摩天楼の姿。

 

 

 ……もはや何もかも、記憶にあるホームタウン『コメルス』の姿とはまるでスケールが違うのです。

 

「ゲームと、実際のこの世界のスケール差は理解していたけど……」

「この街は、今まで以上に全く別物だな……」

「ですよね?」

 

 だから、呆けていたのは仕方がないのです。

 そう怨みを込めて、ジト目で叩いたレイジさんを睨み付けていると……彼は、ふいっと目を逸らしてしまいました。

 

 ――勝った。

 

 おそらく彼も自分に非があると認めたのでしょう。ふふんと一つ満足し、相好を崩します。

 

「……なぁレイジ。勝ち誇られてるけどいいの?」

「うっせぇ、あんなん直視してられるか」

 

 当のレイジさんは何やら真っ赤になって兄様と二人ヒソヒソと話をしていましたが……上機嫌な今の私には、あまり気にならないのでした。

 

 

 

 

「長旅お疲れ様でした、アルフガルド国王陛下」

「うむ、出迎えご苦労。急な予定変更で諸君には世話を掛けるな」

「いえ……皆様、ご無事で何よりです。本日は宿泊施設の用意もできていますので、ごゆるりとご滞在ください」

 

 一緒に連絡艇から降りて来たアルフガルド陛下とアンネリーゼ王妃が、出迎えに待っていた兵士の方々に挨拶している間、私はずっとこの街の姿に圧倒されているのでした。

 

 ……まぁ、ちらほらと興味深げな視線を感じるのですが、もう慣れました。

 

 そんな中。

 

「それでは、私達はこれで失礼します」

 

 言葉を発したのは、一緒の連絡艇に乗って見送りに来てくださった、フェリクス皇帝陛下。

 彼らフランヴェルジェ帝国の方々も、この後本国まで『プロメテウス』で送られていくため、ここでお別れです。

 

「今度は来月の対策会議の時にまた会いましょう、アルフガルド陛下」

「ええ、見送り感謝します、フェリクス皇帝陛下」

「いや……こちらとしては妻を助けていただいた恩がありますので、これくらいは当然です」

 

 和気藹々と言葉を交わす、すっかり親交を深めたアルフガルド陛下とフェリクス皇帝陛下。

 

 ここで言う対策会議というのは、今回のアクロシティの行いに対しどのように対処するかを話し合う会議です。

 ここまでの道程の中で『プロメテウス』内でアルフガルド陛下とフェリクス皇帝陛下が草案をまとめており、開催は一月後。

 場所は中立であるアイレイン教団の総本山で行う事となり……北と南はすでに参加を決定し、今は桔梗さんをはじめとした東の使節団の方々が、東へと書面を持ち帰った後の返事待ちらしいです。

 

 そんな中、気まずそうにしているのは……私たち下船組の中にいるスカーさん。

 

「えっと……そちらも、お気をつけて」

「……やはり、お前も行ってしまうか、スカーレット」

「兄上……すんません。義姉上の事もあるからそっちに行きたいのも山々なんすけど」

 

 頭を掻きながら、申し訳無さそうに告げるスカーさん。

 ですが……彼、『緋上さん』には、私達以上にノールグラシエへと行かなければならない理由があるのです。

 

「……今度会ったら、絶対にぶん殴ってやらないといけない奴が居るんです。ただ、そのためには色々と知らないといけないもんで」

「それが……ノールグラシエにあると?」

 

 フェリクス皇帝陛下の言葉に……真っ直ぐに頷くスカーさん。

 その強い決心が宿った目に、フェリクス皇帝陛下も「分かった、好きにしろ」と頷くのでした。

 

 そして、もうひと方。

 

「では……イーシュ、お体には気をつけるのですよ? もう、あなた一人の体ではないのですから」

「もう、お母様ったら……分かっています。そちらもお元気で。これからはどんどん寒くなるのですから、体調にはくれぐれも気をつけてね?」

 

 お互いの身を案じ合い、薄っすらと目に涙を浮かべ抱き合っているのは……イーシュお姉様と、アンネリーゼ王妃様です。

 

 そんな彼女は、ひとしきり王妃様と別れを惜しむと、こちら……私と、隣にいるユリウス殿下の方へと来ました。

 

「ユリウス、それとイリスちゃんも……ここでお別れね」

「おねえさま……どうか、お元気で」

「イーシュお姉様、お体、お気をつけてくださいね。遠くからご無事を祈っています」

「ありがとう、二人とも。私……元気な子を産みますね」

 

 そう言って、どこか少女のような可憐な微笑みを見せる彼女。

 イーシュお姉様は、この後本国へと帰還した後は国内に留まり出産の準備に入るそうで……皇帝陛下らとは違い、これでしばらくは本当にお別れ。

 惜しむように優しく抱きしめてくる彼女に軽く抱きしめ返し、離れます。

 

 すると次に彼女が向いたのは、私の隣……レイジさんの方。

 

「レイジさん……大会会場では助けてくださって、本当にありがとうございました。イリスちゃんのこと、よろしくお願いしますね?」

「お……おぅ」

「ふふ、今度会った時は親族に……あなたが義理の弟になってるんでしょうか?」

「そ……っ、う、なれるように頑張ります……」

 

 綺麗なお姉様に微笑みかけられて、しどろもどろになっているレイジさん。

 ほんの少しモヤッとしましたが……ですが、会話内容を鑑みて今回は許してあげます。

 

 二人で照れていると、お姉様はふっと一つ笑みを残し、フェリクス皇帝陛下に手を引かれて船のタラップを上がっていきました。

 

 やがて、係留を解いた連絡艇が離れて行くのを……私達は、その姿が小さくなるまで見送るのでした。

 

 

 

 

 ――と、しんみりと別れを済ませたのですが。

 

 

 

 陛下達はやる事があると先に上層へ行ってしまい、残る皆は散策しながら向かう事となったのですが……その矢先。

 

「すごい、すごいですよレイジさん、兄様! SFによくある半透明な板がありますよ!?」

「なんだそりゃ……うわすげぇ、SFによくある半透明な板だ!?」

「二人とも、何なのその語彙は……」

「にゃは、このあたりはイリスちゃんも男の子なんだにゃあ」

 

 港から市街地へ向かう階段の一番上、広場の直前で突如現れたSFっぽいオブジェクト。

 それを目にしてはしゃぐ私とレイジさんに対し、呆れたように笑う兄様とミリィさん。

 

 今夜の宿へと向かう途中に目にしたその物体……それは見上げるほどに大きな、宙に浮かび上がる半透明のディスプレイでした。

 

「なるほど、3D投影の空中ディスプレイか……しかも」

 

 私達が固唾を呑んで見守る中、ディスプレイに指を伸ばすソール兄様。

 しばらく、あちこちに触れたり指を貫通させたり、色々と試していましたが……

 

「熱くはないな……固体ではないけど、指には若干の抵抗を感じる。タッチパネルみたいに操作もできるんだね……信じがたいけれど、厚みも密度も極々薄い流体をこの場に固定しているのかな?」

 

 首を傾げている兄様でしたが……どうやら問題ないらしいのを確認し、好奇心に負けて私も手を伸ばします。

 すると、水の膜の表面だけに触れたような、不思議な淡い感覚が指先を押し返して来ました。

 

 そんな不思議な感触のディスプレイに表示されているのは……ここ、『コメルス』の街の案内図のようです。

 しばらく色々と表示を切り替え眺めて分かったのは、この街が、おおまかに三層に分かれた構造をしている事でした。

 

 

 

 下層……今私達が居るここが、港湾区。世界中から船が入港する、北大陸の玄関口。

 

 中層……アクロシティと繋がっている南大広場から、北に伸びるメインストリートを中心として扇状に北へ広がる市街地のある主街区。

 

 どうやら居住区などの大半もこの中層に集中しているらしく、最も賑やかな区画でもあるらしいです。

 そして……私達のホームでもあった、懐かしい場所。時間があれば知っている場所を散策してみたいのですが、少し難しいかもしれません。

 

 そして上層……新市街地区。こちらは富裕層向けの住宅地や宿泊施設があるほか、大陸北部へと伸びる縦断鉄道のプラットホームにもなっています。本日の宿はこちらにあるため、ひとまずは真っ直ぐ上層へと向かう事になります。

 

 

 

 ……と、ここまでが案内図から見て取れたこの街、ノールグラシエ国内でも王都と一、二位を争う都市、コメルスの全体図なのでした。

 

 ……なのですが。

 

「うっわ……何じゃこりゃ広ぉ……」

「多分だけどこれ……中層だけでも東京二十三区以上の広さあるよね……」

「思い出の風景探しなんて、今日一日で出来る事じゃないにゃあ……」

 

 全体図を改めて眺め、ゲンナリしている皆。

 

「スカーさんは、一回来たことがあるんですよね?」

「ああ、まぁあの時はお前達を探して急いでいたから、観光無しで素通りだったけどな」

「あの……これだけの規模の街だと何か、移動手段などはあるのでしょうか?」

 

 横で皆の様子に苦笑していたスカーさんに、そんな事を尋ねます。

 

「はは……一応、広場から一時間に二本、北と東西の三方向を巡回する魔導LRV(Light Rail Vehicle:超低床車両)があるから、移動には困らなかったぜ」

「へぇぇ……あ、あれですかね?」

 

 スカーさんがそんな解説をしてくれている時、ちょうどすぐ頭上にある広場に、路面電車のようなものが入ってきました。

 

 青い海と白亜の街並みにマッチした、青と白の流線形の車体。それはまるで小型化した新幹線のようでしたが……

 

「……運転手が居ませんね」

 

 車体正面のガラス窓から、運転手の姿は確認できませんでした。それどころか運転席らしきものも存在せず、あのLRVが完全自動運転で運行されている事を示しています。

 

 それに……

 

「あれ……レールが光ってる?」

「いや、違うな。そもそもレールじゃねぇ……軌道敷内に光が直接彫ってあるのか?」

「そもそもあれ、車輪がないな……というか、浮いてる?」

「なんか、見てるだけで魔力がピリピリ動いてるのを感じるにゃあ……」

 

 レイジさんとソール兄様とミリィさんと、四人で肩を寄せ合って、入ってきた車両を眺めます。

 

「ああ。なんでも重力操作の魔法によって、車両を浮かせ、移動させてるらしいぜ。レール状の魔法陣の上に車両が来た時だけ励起する仕組みらしいな」

 

 そうスカーさんが解説してくれるのを、私達はもうただただ感嘆を漏らすのでした。

 

「ちなみに、一定範囲の軌道敷に誰か居たりして異常な圧を感知すると、自動で止まるらしいぞ」

「はぁ……なんていうか、凄いですね……」

「ずっと辺境に居たから忘れてたけど、そういえばこの世界って私達の世界より技術進んでるんだったね……」

「ぱねぇ……異世界まじぱねぇ……」

 

 ただひたすら、改めて知るこの世界の技術力の一端に圧倒される私達なのでした。

 

 

 

 

 

「さて……では、私達もこの辺りで失礼しましょうか、ティティリア。馬車の手配もしなければなりませんからね」

「あ……そうですね、レオンハルト様」

 

 そう言って列から離れたのは、ここまで同行していたレオンハルト様をはじめとしたローランド辺境伯領の方々。

 

「あ……そっか、ティアちゃんもここでお別れなんですね……」

「うん……ごめんね。また一か月後、なんとしても領主様にくっついて来るからまた会おうねぇ……!」

 

 この数ヶ月ですっかり同性の友人として距離感が近くなった私達ですので……別れを惜しんで涙ぐみながら、しっかと抱きしめ合います。

 

「はぁ……そのように言われたら、あなたは同行決定ですね」

「あはは、ごめんなさい、領主様」

 

 困ったように言うレオンハルト様と、涙を拭いながら、ペロッと軽く舌を出して笑うティティリアさん。(したた)かだなぁと感心しながら、二人の様子を眺めます。

 

 ……最近は前にも増してティティリアさんのアプローチが強くなったようで、レオンハルト様も諦めたように苦笑していました。

 

「レオンハルト様……ここまでの尽力、本当にありがとうございました。この御恩は決して忘れません」

「いいえ、私も何だかんだで楽しかったですよ……貴女は予想に反して、実に説教のし甲斐のあるお転婆姫様でしたから」

「え、えぇと……そんなつもりは無かったのですが、色々とご迷惑をお掛けしました……」

 

 優しく微笑んでいる筈のレオンハルト様でしたが……顔がそもそも怖いのも相まって……その裏に別の感情が潜んでいるような気がして、冷や汗が流れるのを感じながらなんとか微笑み返すのでした。

 

 そして……私に関係深い人が、もう一人。

 

「では……私もこれで。イリスリーア様のお世話係ができて、本当に楽しかったですわ」

 

 今までずっと付き従ってくれていたレニィさんが、離れていきます。

 それは寂しいですが……今後は王都に帰還したら専属の女官の方々が居ますし、アイレイン教団の聖女様がたも世話役に来るらしく、無理強いはかえって彼女の迷惑となってしまうため堪えます。

 

「レニィさん……初めて会った時から今まで、本当にありがとうございました」

「いいえ、また機会があれば、お世話させてくださいね?」

「あはは……その時は、是非こちらからお願いします」

 

 レオンハルト様や、彼についていくティティリアさん、それにレオンハルト様に雇われている傭兵団に籍があるレニィさんは、ここでひとまずお別れです。

 

 一月後、ノールグラシエ近郊にあるアイレイン教団総本山での対策会議でまたすぐ会えますが……それでも、やはり一抹の寂しさはありました。

 

 更に……

 

「私達も、ここでひとまずお別れね」

 

 続いて声を上げたのは、イスアーレスから工房を閉め、こちらへ同行していた桜花さんとキルシェさん。

 

「桜花さん……本当に、コメルスに残るのか?」

「私達は、あんたらに比べてやっぱりまだまだ未熟だからね。ここで鍛えて、次会う時にはもうちょっと戦力になれるよう頑張るよ」

「そうか……防具を用意してくれた事、本当に感謝する」

「本当に良い装備だ、ありがたく使い倒させて貰うぜ」

「あはは……大事に使う、じゃないのが実にあんたららしいわ。いいよ、持ってきたらキッチリ直してやるから。中身のアンタらはそうはいかないんだから気をつけなさいよ!」

 

 そう笑い合っている、桜花さんとレイジさんら、前衛の人達。私とキルシェさんは、そんな様子を苦笑しながら眺めていました。

 

「……でも、お二人も居なくなると寂しくなりますね」

「イリスちゃん……ごめんなさい。でも決めたの。今度こそ私はお姉ちゃんの助けになりたいって」

「い、いえ、責めている訳ではないのです。やっぱり、お二人は一緒にいるべきだと思いますし」

 

 たしかにキルシェさんの『唱霊獣』は戦力として魅力的ではありますが、二人の仲を裂くつもりは毛頭ないのです。せっかく仲直りできて、すっかり打ち解けたのですから。

 

「……お姉さんと、仲良くね?」

「う、うん、頑張る! 姫様も、また会おうね!」

 

 そう、軽く抱きついてくる彼女を軽く抱き返し、すぐ離れます。

 

「それじゃ……またね」

 

 最後に笑いかけてくるキルシェさんにこちらも微笑み返し、背を引かれる思いを振り切って歩き出します。

 

「……すっかり、人数も減ったにゃあ」

「ですね……そういえばミリィさんだけは、最初の町からずっとの付き合いでしたね」

「そういえば、そうだったにゃあ。私が篭りきりで、あんまそんな感じはしませんがにゃ」

「あはは、確かに」

 

 寂しさを紛らわせるように、二人で笑い合う。

 

 フォルスさんや星露(シンルゥ)さんをはじめとした『海風商会』の皆は、イスアーレスを出る際に別れ、西大陸へと帰還しました。

 

 イスアーレスではあれだけ居た元プレイヤー達もすっかり居なくなってしまい、残ったのは私達三人と、ミリィさんにスカーさん、今はアイニさんやスノーと並んですぐ後ろを歩いているハヤト君。

 

 そして……

 

「……で、だ」

 

 頭を抱えるようにして声を絞り出し、背後を振り返るレイジさん。

 頭痛を堪えているような様子の彼が……すぐ後ろから付いてきている人物に対し、ついに耐えかねたように声を張り上げました。

 

「このしんみりしたムードの中だが……お前、なんで居るんだ、()()!?」

「何だ、嬉しいか友よ!」

「んなこたぁ一言も言ってねぇ!?」

 

 そこに居たのは……もうすっかり負傷も回復した斉天さんでした。

 はっはっは、と大きな声で笑っている彼に、食ってかかるレイジさん。

 

 何故、彼がこの場に居るのかというと……

 

「イスアーレスでは散々迷惑をかけてしまったからな! 今後は罪滅ぼしも兼ねて、お前たちの絶対的な味方であろうと思い立ってついてきた次第だ!!」

「それ自体は非常にありがたいが、五月蝿ぇし暑苦しいわ!」

 

 ぜぇはぁと呼吸を荒げていたレイジさんでしたが……すぐに冷静さを取り戻すと、斉天さんに手を伸ばします。

 

「はぁ……ま、お前が味方なら心強いからな。頼りにさせてもらうぜ」

「お……おう、任せろ」

 

 素直に歓迎されて逆に戸惑いながらも、その手を取って握手する斉天さん。どうやら元通りの関係に戻ったようで、私も安堵します。

 

「ふふふ、相変わらずイリスリーア様の周りは賑やかで楽しいですね?」

「だな、何か変な奴引き寄せる運命でも背負ってるんじゃねーの?」

『おん!』

「そ、そんなことは……」

 

 口元に手を当てて笑うアイニさんと、その隣でやれやれと頭を振っているハヤト君。そして、二人に同調したように一言吠えるスノー。

 

 そんな皆の言葉に失礼ながら「そんなことはない」とは言い切れず、思わず口籠ってしまう私なのでした。

 

「全く……一番権威のある連中に喧嘩売る最前線だってのに、呑気なもんだぜ」

「いや……どうかな」

「……んお?」

 

 兄様の深刻な色が滲む呟きに、愚痴っていたハヤト君が言葉を止め、頭上に疑問符を浮かべる。

 しかし……その瞬間皆の目は、先程登ってきた階段の下、船着場へと向けられました。

 

 そこには、港を埋め尽くすように行き交う船、船、船。だがしかし視界の彼方、端の一角を占有するようにズラリと並んでいる船舶があります。

 

 

 

 今は折り畳まれている、魔力を受けて船体を加速するための帆を貼る魔導セイル。

 甲板に鈍く輝くのは、込められた魔法を圧縮・増幅して放つ、『プロメテウス』にも搭載されていたタイプの、最新式の魔煌砲。

 そして、速力を得るために鋭い流線形を描く、鋼鉄の船体。

 

 

 その船――『デルフィナス』級軽巡洋艦。

 

 ノールグラシエ王国海軍が誇る、最新式の魔導戦闘艦。それは紛れもなく、軍艦だったのです――……

 



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御子姫様と聖女様

 

 広大なコメルスの街を、最低限見て回りたかった場所を巡り終え、上層にある今夜の宿へと向かった時には……すっかりと遅くなっていました。

 

 遅れてくるのを見越して用意されていたパンやチーズ、ローストされたお肉などの簡素な食事でお腹を満たし、歩き回った汗と埃を落とすために、宿の地下部分にある浴場へと来たのですが……

 

「……わぁ」

 

 思わず漏れ出た溜息。

 そんな私は今、夜気に冷えた裸身にタオル一枚を纏い、暖かい湯気に包み込まれていました。

 

 細かな彫刻が施された、白石の大広間。

 ほのかに甘い花の香りに満ちた湯煙の先には、円形に一段低くなった場所。

 その中央にはまるで噴水のように湯らしきものが湧き出て水槽を満たしており……その中央に鎮座するのは、やはり白磁の女神像。

 

 そしてそんな豪奢な室内を満たすのは、やや熱めに管理された湿気と熱気――つまりここは蒸し風呂、元の世界で言うフィンランド式サウナのような場所でした。

 

「えぇと……確か、ロウリュ、って言うんでしたっけ」

 

 備え付けの柄杓で水槽からひと掬いの水を取り、そっと鼻を寄せる。

 

「あ……すごい、いい香り……」

 

 ふわりと香ってくるのは、花を溶かし込んだような香油の香り。

 それを、部屋の中央に鎮座する白い石像……女神アイレインの姿を象ったアロマストーンへと、そっと掛ける。

 

 途端に、熱く熱せられた女神像からジュワッと音を立てて広がった熱と蒸気に包まれる。

 

「はぁあ……んっ……」

 

 治癒術の加護に包まれているせいか、これまでの戦いの中でも傷らしい傷が残っていない透き通るような白い肌。

 それが熱気にしっとりと温められて、ほんのり桃色に染まっていく。

 

 熱い蒸気と、ほの甘いアロマの香りに包まれて、思わず口から快楽の吐息が漏れて出ました。

 

 じゅわじゅわと、毛穴が開いていく感覚。

 ポカポカと温かい空気に包まれて、しばらく湧き出した汗が肌を伝う心地良さに浸る。

 

「ふぅ……でも、何故蒸し風呂なんでしょう……」

 

 もうひと掬い、像へと香水を振りかけた後、一段低くなっている像の周囲……浴室の縁へと、ぺたりと腰を下ろしながら、呟く。

 

 フィンランド式サウナに似ていると思いましたが、その起源は確か中央アジアや中東……水があまり豊富ではない地域だった筈です。

 

 しかし、このコメルスは水に困っている訳ではありません。むしろ雪山から流れてくる雪解けの水により、水源は豊かな地方です。

 

 そのため入浴は日本のような浴槽や、あるいはシャワーが普通であって、このような蒸し風呂はどちらかというと珍しい……南大陸南部にある乾燥地帯によくある様式のはずなのです。

 

 ならば、何故……そう、体が温められている間の暇に何となしに考え込んでいると。

 

「ふふ……それがこのあたりでは珍しく、贅沢だからですわ」

「きゃあっ!?」

 

 てっきり一人だけだと思ってボーッとしていたところに声を掛けられて、思わずお尻を浮かせるほどに驚いてしまいました。

 

「あら……申し訳ありません御子姫様、驚かせてしまいましたか」

「い……いえ、私こそボーっとしていて……」

 

 しどろもどろになって返す私に、彼女……マリアレーゼ様は柄杓を手にし、よろしいですかと声を掛けてくる。

 

「あ……はい、どうぞ」

「では、失礼して……」

 

 そう言って、柄杓でひと掬いした香水を、嫋やかな所作で白い女神像へと振り掛ける。途端にぶわっと再度広がる水蒸気と、甘い香り。

 

 心地良い熱気に蕩けそうになる頭を奮い立たせ、なんとか疑問を口にします。

 

「……聖女の皆様も、こちらに宿泊していらしたのですね」

「ええ……皆さんはすでにお部屋でお休みですけれど。私は少々やる事があったため、遅くなってしまいました」

「それは……お疲れ様です」

「ありがとうございます。ですがそれで、こうして御子姫様と湯を共にできたのですから、役得ですわね」

「そ、そうですか……?」

 

 穏やかな笑みをたたえ、烏の濡れ羽色というのが相応しい豊かな黒髪の、清楚な雰囲気の大人の女性……というのが、彼女の印象です。

 綺麗な大人の女性……それもタオル一枚しか纏わぬ裸同士……との差し向かいに対面しているため、私は直視できずに目を逸らさざるを得ませんでした。

 

「……あら、ふふ。御子姫様は純情でいらっしゃいますのね。そんなところも私、好ましく思いますわ」

「な、慣れていないもので……」

 

 どうにもやり難い。

 アイレイン教団の人という事でつい裏を疑ってしまうという事もあるが……それ以上に、常に優しい笑みを浮かべているせいか、真意がいまいちよく分からない人だという印象があって苦手なのだ。

 

「そうそう、こちらの宿で取扱っている香油もおすすめなのですが……お試しになりますか?」

「えっ……と、よろしくお願いします」

 

 そんなこちらの心情などお構いなく、装飾が施された白磁器の小瓶を掲げ、笑い掛けてくる彼女。

 好意を無碍にするのも憚られ、周囲に漂う熱気と甘い香りに頭がポワポワするのもあいまって、半ば押し切られるように肯く。

 

 導かれるように手を引かれ、備え付けられたジェルベッドのようなものに座らせられたところで……マリアレーゼ様が、訥々と口を開きました。

 

「この街は、良くも悪くも経済が尊ばれる街です。故に上流階級の方々は、自身の力……経済力を誇示するため、人とは違うものを欲するのでしょう」

 

 周囲を睥睨しながら、彼女が呟く。

 

「ああ、確かに……このような精緻な彫刻のアロマストーンや、広々とした白亜の浴場など、相当な財力が無ければ建造できないのですものね……」

 

 白石を彫り形作られた内装の豪華さもさることながら……わざわざこのように広い蒸し風呂を作り、暑く湿潤な空気を絶えず循環させるなど、果たしていくら維持費が掛かるのか。

 

「……こんな贅沢、していていいのかなぁ」

 

 促されるまま、ほかほかと暖かいジェルベッドに横になりながら、『イリスリーア』として過ごすようになってからずっと心のどこかで引っかかっていたものを、ついポロッと漏らしてしまう。

 

「あら……贅沢は、お嫌いですか?」

「嫌いというか……慣れてなくて。自分の為に周囲の人にお金を使わせているのが申し訳ないというか……」

「ですが、そうした方々が経済を、人の生活を回しているのも事実ですわ。例えば御子姫様のドレスを仕立てたお金で、しばらくの間食うに困らなくて済む職人や生地の生産者の方々が居るように。あまり忌避するものではありませんわ」

「それは分かるんですが……んっ、やっぱり贅沢は申し訳ないって気分になってしまううんですよ」

 

 肌に垂れてきた温かく(ぬめ)る香油の感触に思わず吐息を漏らしながら、一緒に心情を吐露する。

 

「ふふ、分かります。私も元は市井の一少女でしかありませんでしたから」

「……そうだったんですか?」

「ええ。たまたま珍しい才に恵まれて、今はこうして良い待遇をいただいてますけれど」

 

 そう、しみじみといった様子で自らの胸に手を当てて語るマリアレーゼ様。少々意外に思いつつ、その話に耳を傾けます。

 

「私は、それだけの待遇を受けられるだけの働きはしている……そう自負しておりますわ。ですから普段こそ清貧を尊んではいますが、外に出ている時くらいは楽しむ事にしているんです」

 

 そう、堂々と語るマリアレーゼ様。

 その姿を……私は、とても格好良いと思えました。

 

「私は駄目ですね……自分がそのような厚遇を享受できる働きができる自信なんて、まるで無くて」

 

 泣き言のように、ポツリと呟いた言葉。

 それに対して彼女は、驚いたように数度、目を瞬かせ……

 

「……ふ、ふふ、御子姫様は随分と、謙虚でいらっしいますね……っ」

「そ、そんなに笑うところですか……っ!?」

「だ、だって、イスアーレスからここまででもご活躍をされたのに、そんな事を言うんですもの」

 

 どうやらツボに入ってしまったらしく、背を向けて肩を震わせる彼女。しばらくその背中をポカンと眺めていると、ようやく帰ってきました。

 

「……はぁ、申し訳ありません……コホン。御子姫様は、この世界にあまり大規模な戦争が起きない理由はご存知ですか?」

「それは……人の生活圏が、ごく限られているから……ですか?」

「はい、その通りです……もっとも、これは先生からの受け売りなのですけど」

 

 そう言って、少し恥ずかしそうに舌を出す彼女。

 

 

 

 ……例えば、この『コメルス』の街は、元いた世界よりも技術水準は高い位置にあります。

 

 一方で、辺境へ向かえば向かうほど、その技術力は格段に落ちる……技術格差が非常に大きいのです。

 

 それは……人の生活圏が、各地に点在する『世界の傷』および『禁域』によって千々に分断されているから。

 

 また、この世界の戦争は乱戦となる前、初めに大規模魔法や大量破壊兵器のぶつかり合いとなるため、被害はどうしても甚大になりがちです。

 

 そして……そのような戦争を行う場合、問題となって来るのが()()()()の輸送。

 

 ところが、先に述べた理由によって、それがそもそも難しい。

 

 イスアーレスで見たアクロシティの飛空戦艦や、港に居たノールグラシエの魔導戦闘艦などは、抑止力としての張子の虎でしか無かったのです。

 

 故に……諜報を主戦場とした小規模の小競り合いこそあれど、この世界の国家間の大規模戦争はまず起こり得ない。

 

 ……()()()()()()()()

 

 

 

「要するに、この世界は『傷』への対抗手段を失った瞬間から、緩やかに行き詰まっていたのです。そんな夜に光を見出させた御子姫様は、ただ『居る』だけでもお役に立っているのですよ?」

「……ですが、そのせいでアクロシティの人達は私を狙っている……私が、争いの火種になっているのですよね?」

 

 そして、それが今、戦争という可能性となって頭をもたげている。

 その事を、港に多数停泊していた軍艦の姿を思い出してしまい、暗澹とした気分に陥りかけ……

 

「えいっ」

「ひゃん!?」

 

 ……られなかった。

 

 マリアレーゼ様の指が、私の弱い部分……背中をシュッと絶妙な力加減で滑らせたため、思わずあられもない声が口から漏れたせいで。

 

「な……なな、何を……」

「いえ、あまりにも御子姫様が深刻なお顔をされていたので、つい」

 

 突然の事に私が対応できず目を白黒させていても、彼女はシレッと受け流しながら、何事も無かったとばかりに言葉を続けます。

 

「随分と、ご見当違いをなされて居るみたいですが……御子姫様が居るから争いが起きるのではないのですわ。そんな輩が現れるくらいに、御子姫様がこの世界の閉塞を打ち破る希望なのです」

「あ……」

「むしろ、王でしょうがアクロシティでしょうが、皆が御子姫様に首を垂れて全面的に協力を乞うべきなのです。それを少々権力を与えられた者共は……よりによって御子姫様にこのような顔をさせるなど……ッ!」

「わ、分かりました、分かりましたから!」

 

 どうやら静かにキレているらしく、柔らかな笑顔のままドス黒いオーラを放っているマリアレーゼ様を嗜めます。

 

 ……なんだか宗教の過激派じみた事を言っていて、怖くなったとかでは無いのです、多分。

 

「あ……あら、申し訳ありません私とした事が。はしたないところをお見せしましたわね」

「いえ、そう言ってもらえてちょっと気分も楽になりました。それに……少し、嬉しかったです」

「ならば良かったですわ。さ、続けましょうか」

 

 そう言って、マッサージを再開するマリアレーゼ様。

 心地よさに眠気を感じ、夢現な気分で目を細めながら……ポツリと、口を開く。

 

「ですが……やっぱり、私にはここはあまりに華やかな世界すぎて、よく分かりません……」

「あらあら……一国の姫君にして現人神であらせられるお方のお言葉とは思えませんわね」

「うぅ……だって、少し前までは庶民だったんですもの」

「ふふ、そうでしたわね」

 

 今度は私の腕にやたらと心地良い感触の香油を擦り込んでくれながら、クスクスと優しい眼差しで笑うマリアレーゼ様。

 

 そんな彼女の様子に……ここまでの道中でずっと疑問に思っていた事を口に出します。

 

 

「あの……何故、皆様は私に良くしてくださるのでしょうか……その、主に恋愛面で」

 

 てっきり、素性を知られたらその辺りを管理しようとされる可能性も考えていました。

 何か強制されるようであれば、徹底抗戦するつもりだったのですが……良いことではあるのだけれど、些か拍子抜けな感は否めません。

 

「バレたら、政略結婚や……あるいは御子様の後継者を残す道具にされると思っていらっしゃいました?」

「えっと……その、はい」

 

 直球な彼女の言葉に、もじもじと指先を弄びながら、肯く。

 

「無理もありませんわね。私どもも、事情を知らぬ方々からはそういう存在だと思われていますし…… 事実、これがもう何十年か前であれば御子姫様の懸念通りになる可能性も高かったでしょう」

 

 実際に、私達の嫁ぎ先は貴族や富豪が多いですからねと、苦笑しながら語る彼女。

 

「ですが……先生、いえ、今の教皇様になってから、そういう政略結婚は少なくなっているのですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。あの方は私どもの自由恋愛を認めてくださってます。それに、ただのお飾りの道具ではなく、きちんと学を積んで自立した女性となる事を奨励なさってます」

「へぇ……立派な方なのですね。先生というのは?」

「そのままの意味ですわ。なんでも、今代の教皇様に就任なさる以前は、王都の魔法大学院で考古学と神学の教鞭を取っていた学者様だったらしいの」

「それは……私も、少しご教授願いたいですね」

「ええ、教皇様……いえ、もう先生と呼びましょうか。先生も喜ぶと思いますわよ」

 

 ニコニコと、嬉しそうに語るマリアレーゼ様。

 その頬は熱気とは違う朱に染まっているように見えて……おや、と思いましたが、黙っている事にしました。

 

「……こほん、先生の話はさておき。それでも嫁ぎ先が資産のある方が多いのは……まあ、その方が幸せになれそう、だからですわね。余裕がある分、家族に対し穏やかな殿方も多いですし」

「えぇー……?」

「私達は『聖女』の肩書きのおかげで選り取り見取りなんですもの、少しでも好条件の相手を狙うのは当然でしょう?」

 

 なんて身も蓋もない。

 

 ニッコリと笑いながら語るマリアレーゼ様の言葉に、がっくりと肩を落とします。

 

「そりゃ、まあ、私達の住んでいたところに、金持ち喧嘩せずって言葉がありましたけどぉ……」

 

 懐に余裕のある人は、精神的にも余裕を持てるためというもの。

 加えて、些末ごとで争い敵を作ることは損であるという考えから、裕福な人ほど争いを無駄と感じ避ける、ということらしいその言葉を、ふと思い出す。

 

「あら、言い得て妙ですわね」

「……聖女様がたって、思っていたより俗っぽいです?」

「あらあら、ふふふ」

 

 さらりと笑って受け流され、それ以上何も答えてくれないマリアレーゼ様。なんだか深入りするのも怖くなり、それ以上追求しない事にしました。

 

「そんな訳で……私達がそのような自由を享受させていただいているのに、御子姫様にだけは例外というのはおかしな話でしょう?」

「ですが……」

「大丈夫、私どもは……先生も、きっと同意なさってくださいますわ。安心してくださいませ」

 

 マッサージするかのように私の背中へと香油を擦り込みながら、安心させるかのように耳元で優しく語りかけてくる彼女。

 すっかり夢見心地となっていた私ですが……次に飛び出した言葉は、そんな私の目を覚まさせるには十分な物でした。

 

「それに……御子姫様の恋愛模様は、私どもの間で大人気の娯楽ですし」

「……ふぇ!?」

「御子姫様と、それを人知れず守護していた剣士様の身分違いを乗り越えた恋なんて、娯楽とロマンスに飢えた若い子らの格好の獲物ですもの。今、語学が得意な子が文章を、絵画の心得がある子が挿絵を鋭意製作中ですわよ?」

「あ、あああ、あの!」

「あの子達も出版する気満々みたいですから……多分、来月には市場の本屋に出回るのではないかしら?」

「き、聞いてないです……っ!?」

 

 

 私の愕然とした叫びは……浴室に、虚しく響き渡るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……そんな事になってんのかよ」

「……ごめんなさいレイジさん、私には止められませんでした」

 

 二人並び、はぁぁ……と深々とため息を吐きます。

 

 

 

 ――ここは、宿の最上階、私達が借りているフロアにあるバルコニー。

 

 すっかり熱に火照った体を冷やしに、夜風に当たろうとふらっと出てきたところ、丁度同じタイミングでレイジさんが現れました。

 

 そこで、先程の浴室での話をしたところ……二人揃って憂鬱な気分となっていたのでした。

 

 

 

「っても……俺たちのため、なんだよなぁ」

「だから余計に止められないんですよねぇ……」

 

 困ったものだと、再び二人揃って溜息を吐きます。

 

 彼女達が出そうとしている、私達を題材とした恋愛小説。それは……多分に趣味の割合が高いでしょうが、その主目的は――おそらく、アクロシティへの牽制。

 

 私達の関係を面白おかしく親しみやすい形にして、広く市井に広める事で、こちらの正当性を主張するサポートをしてくれる事でしょう。

 

「……良くしてくれるのは、本当にありがたいんですけどね」

「そんでも俺らをモデルにした恋愛小説が世に出るって、何だそれ地獄かよ……」

「あはは……」

 

 ガックリとうなだれてしまったレイジさんに、私も渇いた笑いを上げます。

 

 

 

 そのまま、しばらく静かな時間が流れ……やがて、ポツリと口を開く。

 

「ありませんでしたね、家」

「ああ……流石にハウジングエリアごと無いとはな」

 

 昼間の、コメルス散策。それは何の成果も上がりませんでした。

 家とは、ゲーム時代に購入できたマイホームの事。自分達も廃人プレイヤーの一角であり、レイジさんとソール兄様、三人で購入したマイホームの一件くらいは所有していました。

 

 だが……その家が存在した「ハウジングエリア」はそもそも存在せず、ここだと思しき場所にはただ、見覚えの無い歴史を感じさせる市街が広がっていただけでした。

 

「まあ、何か貴重な素材が残っていれば……というのは流石に都合の良い考えでしたね」

「そうだな……」

 

 こうして、私達がマイホームに溜め込んでいた素材は露と消えた事が確定したのでした……もっとも、予想はしていたために精神的なダメージはほとんどありませんでしたが。

 

 

 

「さて……それじゃ、そろそろ寝るか。明日は早いんだよな?」

「そうですね……」

 

 途端に、ソワソワと落ち着きを無くした始めるレイジさん。それを見て、私も心の中で一つ、よし、と気を引き締めます。

 

「それじゃ……どうぞっ」

「お、おぅ……!」

 

 ギュッと目を瞑ってやや上を向き、待ち構える私の体を、優しく抱き寄せる感触。

 やがて……軽く(ついば)むように唇に柔らかいものが触れたかと思うと、すぐに離れていきました。

 

「……やっぱ、恥ずかしいわコレ」

「で、ですね……」

 

 耳まで真っ赤になって、右手で顔を覆うレイジさんと、同じく真っ赤になって先程触れた唇を両手で覆う私。お互いに相手の顔は見ることが出来ず、顔を逸らします。

 

 ……何か恋人らしい事もしたい。そう言って始めた「おやすみのキス」は、私達が想像していたよりも遥かに恥ずかしかったのです。

 

 決して嫌という訳ではなく、むしろふわふわと浮かれている事を自覚するくらいにはとても嬉しいのです。

 しかしこの上なく照れ臭くもあり、嬉しいのと恥ずかしいのがゴチャ混ぜとなって、わーっと叫んで走り出したい気分なのです。

 

 ですがその一方で……申し訳なさも存在していました。

 

「……ごめんなさい、今はまだ、これ位しかしてあげられなくて」

 

 曲がりなりにも、成人男性として過ごした記憶がある私。恋人関係となった今、レイジさんが「もっと先の関係」を望んでいるであろう事くらいは流石に想像がつきます。

 だが……今の情勢を鑑みて、全て解決するまで()()()()()はしないと、二人で話し合いの上で決めたのでした。

 

 何故ならば……私の母が、魔法を使った事が無かったから。

 

 もしそんな力があったのならば……私達は、まだ幸せに家族と過ごしていたかもしれないのだから。

 

 

 

 もしこの情勢の中で、何らかの拍子に私が力を使えなくなったら。

 

 もし万が一、私がそうした行為によって、あるいは子を成した事によって、力を失うのだとしたら。

 

 事実、子を宿しているために本来の力が使用できなかったイーシュお姉様の件があるために一笑に付す事は不可能で、まさか試す訳にもいかない。

 

 

 

 そんな訳で……恋人関係となった今も清い交際止まりであり、レイジさんには我慢を強いる結果となっているのでした。

 

 そんな負い目に、気分が沈み込んでいくような感覚に囚われていると。

 

「……ばーか」

「あたっ!?」

 

 俯いていたところに頭を小突かれて、驚いて顔を上げる。

 目をぱちくりと瞬かせた先には……真っ赤になったレイジさんが、明後日の方へと視線を逸らしていた。

 

「言っとくが、俺は現状を不満には思ってねぇよ……今しばらくは、こんなもどかしい恋人関係ってのも、全然悪くねぇと思ってる。童貞なめんな」

「……ふ、ふふ、なんですかそれ」

 

 ひとしきり笑った後……目に浮かんだ涙を拭い、向き直る。

 

「それじゃ……今度こそおやすみなさい、レイジさん。また明日」

「ああ……おやすみ、イリス」

 

 最後、別れ際に再度重なった唇は……とても、優しい感触がしたのでした――……

 



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青の魔導騎士団

 

 コメルスの街、上層区。

 

 主街区である中層と、街を見下ろす丘の上に鎮座している大陸縦断鉄道のターミナルを繋ぐ、二本の巨大なエスカレーターに沿うようにして広がっているこの区画。

 

 街の北部にある丘陵……それはもう断崖と言っても良い急勾配ですが……を切り崩して作られたこの土地には、富裕層や、鉄道利用者向けの宿泊施設が集中しています。

 

 そんな、二本設けられたエスカレーターを登った先の終点……そして大陸縦断鉄道の始点が今、私達の目の前へと姿を表しました。

 

 

 

「ふわぁ……」

 

 この街に来てからずっと、見るもの全てに上げているような気がする感嘆の声が、私の口から漏れ出る。

 

 坂を越えて、目の前に現れたのは……

 

「なんだか……凄い、物々しい施設ですね」

「ああ、これはどちらかと言うと、軍事施設っぽいな」

 

 威容に圧倒されている私の言葉に、背後に付き従うレイジさんが同意する。

 

 今眼前にある駅舎の正面には、今は私達という客人を迎えるために解放されている、非常に分厚い鋼鉄の扉を構えた門。

 左右に広がる外壁は端が見えず、壁上には障壁展開装置や砲台らしきものも見受けられ……それは、まるで要塞のようでした。

 

「はは……その認識は間違っておらんよ、こちらは一般解放されておらんからな。軍などが利用するための管理経路だ」

「あ……それで人が居ないんですね」

 

 大陸横断鉄道という割に、あまりにがらんとしていて利用客が見当たらないこの経路。

 アルフガルド陛下が言うには、本来の入り口は今しがた登って来たエスカレーターの、途中の分岐から行ける上層の一角にあったらしいです。

 

「まあ、普段は私達もこちらは通らないんだがな」

「陛下は、あなた達やユリウスに一度全容を見せたいと……見ておくべきだと、鉄道警備隊に頼んでこちらを使わせていただいたのです」

 

 陛下の後を継いだ王妃様の言葉に、なるほど、と手を叩きます。これはどうやら私達の社会勉強である、と。

 確かに今後、何か情勢が動くような事があった際に……知らなかった、では済ませられないでしょう。

 

「たしか……本当に有事の際には、防衛拠点として使用できるようになっているんでしたか?」

 

 うろ覚えな知識の中から、このターミナルの情報を引き出して口にすると、アルフガルド陛下は満足げに首肯しました。

 

「ああ、そうだ。他の街から援助物資が届くまで、民衆を収容してもなお一週間程度は持ち堪えられる程度の用意は常時行われておる」

「はー……ちょっと、想像できない規模ですね……」

「ねー、おねえさま、凄いよねー」

 

 そう言って、キラキラと輝く目で施設を眺めているのは、私と手を繋いで歩いているユリウス殿下。

 その年相応の可愛らしい姿にクスリと一つ笑いながら、はしゃいで先を急ごうとする彼についていきます。

 

「はぁ……男の子って、こういう場所が好きよねぇ」

 

 そう溜息混じりに呟いたのは……私とは反対側でユリウス殿下と手を繋いだアンジェリカちゃん。

 彼女は、はしゃぐユリウス殿下や呆けていた私の様子に肩を竦めていました。

 

「あはは……でも、アンジェリカちゃんも一緒の列車で良かったですね」

 

 今回はアルフガルド陛下の厚意で、王族専用車両に教団の聖女の方々も同乗する事となっています。

 

「イリスリーアお姉様は本当に呑気なんだから……聖女のお姉様方は皆、話を聞きたいって下心満載ですのに」

「あ……アンジェリカちゃんにも教えた、私の魔法の事ですか? それなら別に、私は構いませんよ?」

 

 マリアレーゼ様と会話した感じでは、彼女達聖女や『先生』と呼ばれている教皇様にも、それを利用して利権を牛耳ろうという欲は無さそうに思えます。

 

 ならば、それで助かる人が居るならば、特に出し惜しみするつもりはありませんでした。

 

「……多分、お姉様方が興味あるのはそこじゃないんですけど。なんで自分は乙女チックなくせに乙女心は分かりませんかねこのお姫様は」

「……?」

 

 何故かぶつぶつ悪態を吐き始めたアンジェリカちゃん。

 何だろうと首を傾げるのですが……どうやら、機嫌を損ねてしまったらしく、それ以上は何も言ってくれませんでした。

 

 

 

 

 そんな事がありながらも陛下の先導で歩いていくと、やがて外壁の上へと続くエスカレーターが見えて来ました。

 

 ちなみに、駅の裏手はすぐ山が鎮座しており、鉄道は最初地下を通っているらしいため、こちら側からでは肝心の魔導列車は見えません。

 

 頑なに弱い部分を晒そうとしない、この構造は……と、ふと思った事。

 

「……あの、こういう事を聞くのも何ですが……これ、元々『今みたいな有事の際』を想定して作られてますよね?」

 

 おそらく仮想敵は、すぐ南、あまりに巨大なために水平線の彼方に薄らと見える、天を突くような巨大な塔――()()()()()()

 

 皆の視線がそちらに集中した中で……陛下が苦々しい表情で口を開きます。

 

「……兄が、そう初めから計画していてな」

「先王……父が?」

「ああ。当時は皆、なぜアクロシティにそのような過剰な警戒をと非難する中で強行されたその計画だが……」

 

 そこで一つ溜息を吐き、先を続ける陛下。

 

「今は、それが正しかったと思わざるを得ぬ。あの時にはすでに、こうなる事を読んでいたのだろうな」

 

 全く、やはり兄上には敵わぬ……そう苦笑するアルフガルド陛下でした。

 

 

 

 そうこうしているうちに、外壁上へと出る最後のエスカレーターが終点へと到着します。

 

 そこには……揃いの青い制服を纏い、腰に剣帯から軍刀(サーベル)を佩いた十人くらいの人々が、左右に分かれて敬礼を取っていました。

 

 その中心から、他の人よりも肩などにやや装飾の多い制服を纏う方が一人、私達の前へと歩み出ます。

 現れた人物の姿を見て、暗い表情をしていた陛下の顔が、ぱっと明るくなりました。

 

「お待ちしておりました、アルフガルド陛下。そして王家の皆様方」

「おお、出迎えご苦労。急ですまんがこれから王都まで、しばらく世話になるぞ」

 

 そう言って陛下が握手を求めたその人物は……すらっとした長身の、まだ三十よりは前くらいの年齢に見える若い青年。

 

 騎士……というよりは、私達の世界の軍服のように見える、青を基調とした服に身を包んだその男性。

 

 男性にしては長めな、その青味がかった銀髪から覗く顔は優男にも見えますが……しかし、凛と立っている姿だけで、ひしひしと感じます。

 

 

 

 ……この人、強い。

 

 

 

 おそらく、通常時のレイジさんや兄様と比べても、さほど引けを取らないでしょう。その立ち姿から受ける雰囲気は、どこかレオンハルト様に似ているような気がします。

 

「紹介しよう。鉄道警備隊……魔導騎士団『青氷』の団長を任せておる、名をクラウス・ヴァイマールと言う」

「へぇ、団長……!」

「凄い、まだお若いのに……!」

 

 陛下の紹介に、兄様と私の驚嘆の声が重なります。

 

 それに……『ヴァイマール』という家名にも聞き覚えがあります。

 確か、私達が今までお世話になっていたローランド辺境伯領……そこに隣接する領地の、領主様の家名だったと記憶しています。

 

「いえ、私達『青氷』はまだ設立間もなく若い騎士も多いため、その統括を任されていると言ってもまだまだ若輩者です」

 

 そう驚愕の声を上げる兄様と私に対して謙遜する彼の顔は、若干の照れが入っているように見えました。

 

 

 ――魔導騎士団『青氷』

 

 コメルスと王都を結ぶ新たな大動脈、縦断鉄道の保守と防衛を受け持つ鉄道警備隊。それを統括する精鋭部隊。

 多数の領地を横切る鉄道の管理を請け負うという性質から、その権限には様々な特権が付与されています。

 

 騎士団、と名は付いていますが……その性格は、どちらかと言うと軍よりも警察に近いでしょう。

 

 そんな彼らには実力だけでなく、時には各領地を管理する者達との折衝も重要であり……それを任されている彼は、やはり優秀なのでしょう。

 

 

 

「はは、謙遜するなクラウス。彼は、まだ騎士団に居た頃のレオンハルトの直弟子でな。若いが優秀だぞ」

「も、勿体ないお言葉です……」

 

 陛下で手放しに称賛され、更に恐縮する彼ですが……そのレオンハルト様の弟子という言葉に、すとんと腑に落ちた気分でした。

 

「へぇ……では、私達もレオンハルト様には色々と手ほどきいただきましたので、クラウス殿は兄弟子という訳ですね」

「ああ……なるほど。確かにそうなりますね。よろしくお願いします、ソールクエス殿下」

 

 そう、礼節は崩さないまま柔らかく微笑んで、兄様の差し出した手を取るクラウスさん。

 

 そんな彼は次に、私の後ろにいるレイジさんへと目を向けました。

 

「それに……あなたが噂の『紅玉随(カーネリアン)の騎士』ですね」

「ぐっ……」

「……くっ、ふふ……っ」

 

 彼の口から飛んだ、すっかり有名になった異名に、心底嫌そうに呻き声を上げるレイジさん。

 そんな彼の様子を見て、思わず目を逸らし背を向けて吹き出してしまった私。その背中に、当のレイジさんから何か言いたげな視線がチクチクと刺さります。

 

 そんな私達の様子に疑問符を浮かべながら……クラウスさんは、レイジさんへも握手を求めました。

 

「なんでも、今度ローランド辺境伯家に養子として迎えられるそうで……色々と付き合いも増えるでしょうから、よろしくお願いしますね」

「あ、ああ……はい、こちらこそ……よろしくお願いします」

「ええ。何か困った事が有れば、いつでも相談に乗りますので遠慮なく」

 

 すっかりペースを乱され、戸惑いながらその手を握るレイジさん。

 

 礼儀正しくも柔らかい雰囲気の彼……クラウスさんのその姿は、おそらく女の子が憧れるであろう『白馬の騎士』という言葉が、これ以上ないほどに似合うなぁと、なんとなく思ったのでした。

 

 

 ……と、感慨に浸っていると。次に彼は、私の前へと跪きました。

 

「イリスリーア殿下……その華奢な身でここまでの旅、さそや御苦労なさった事と存じます」

「それは……ええ、まあ」

 

 言われてみれば、思えばロクな目に遭ってないなぁ……と、今までの旅の思い出に遠い目をしていると。

 

「ですが、今後は王都まで快適にお過ごしいただけるよう、私ども『青氷』一同、微力を尽くさせていただきます」

「あ……ありがとうございます」

「それで……もしよろしければ、部下達にも一言、声を掛けていただけないでしょうか? どうやら皆、こうして殿下にお目見えできる日を一日千秋の想いで待っていたようなので」

 

 そう言って、紹介するように背後に整列していた魔導騎士達の方へと促されました。

 勿論、これからしばらくお世話になる方々への挨拶ですから、私としても是非もありません。

 

「え……と、コホン。お初にお目にかかります、イリスリーア・ノールグラシエです。皆様、これから数日の間ですが、お世話になりますね」

 

 すっかりイスアーレスの日々で慣れてしまった対外向けの微笑みを浮かべ、スカートの端をちょんと摘んで軽く礼を取る。

 

 ただそれだけ……の筈だったのだけれど。

 

 

 

「「「――イェス、ユア、ハイネス!!!」」」

 

 

 

 響き渡る騎士達の声に、カッと一つに連なった靴音と、やけに気合の入っているにもかかわらず一糸の乱れもない敬礼。

 それらが一斉に帰ってきて、私は思わずビクッと肩を震わせて目を白黒させる。

 

 彼らのその表情は、決して強要された者のようなものではなく、喜色に輝いていて……まるで、忠誠心のステータスが一瞬でカンストしたような有様に、ちょっと怖くなってきました。

 

「うむ、やはりイリスリーアは人気だな」

「あ、あはは……」

 

 そんな呑気なアルフガルド陛下の言葉に、思わず渇いた笑いを漏らす。

 

 ……そういえば、この国の騎士様達は自国の『お姫様』に飢えていたんでしたっけ。

 

 そこに光翼族の事も公開されたものだから、今では信仰も加わって、更にエスカレートしている気がします。

 

 

 

 ――お姫様って、大変だなぁ。

 

 

 

 私のただの一言で、この反応。迂闊な事を言うと大変な事になりそうです。

 どこか熱気に満ちた彼らの様子に、以前ディアマントバレーで出会った『黒影』の人達を思い出し……私は、引きつった笑みを浮かべるのでした。

 



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大陸縦断鉄道の車窓から

 

 

「そういえば、叔父様。私、魔導列車という名前から、てっきりもっと不思議な車両かと身構えていたのですが」

 

 私の膝の上で丸くなって眠っているスノーの背中を撫でながら、ふと呟く。

 

 

 

 ――私達がコメルス駅を発って、すでに半日近くが経過していました。

 

 

 

 先程、皆で揃っての夕食を終えており、今は皆で就寝までの気怠い時間を過ごしている……そんな中で私の口から出たのは、そんな疑問でした。

 

 そんな私の疑問に反応したのは、王妃様や同乗している皆と共にテーブルを囲み、食後のお茶を楽しんでいた叔父様……アルフガルド陛下。

 

「この縦断鉄道の通っている場所の大半は、一年中が豪雪地帯だからな。コメルスの路線……あれに使用されている重力制御レール(GC-R)方式は最新技術ではあるが、環境変化に脆弱だ。構造は単純なものの方が、このような場所では信頼性がある」

「へぇ……」

 

 そう語る陛下の言葉通り……動力こそ溜め込んだ魔力で電力を発生させる魔力炉ではありますが、その車体の基本的な構造は、私達の世界の列車とあまり大差ありませんでした。

 

 なるほど、確かに言われてみれば、向こうの魔導LRVみたいな車両は街中ならともかく、数日間もの間雪原をひた走る旅にはいささか心許ないでしょう。

 

「ありがとうございます、叔父様。おかげで疑問が氷解しました」

「はは、なんのなんの。他にも疑問があれば遠慮せず聞いてくれたまえ」

 

 嬉しそうに破顔しながらそう宣う叔父様に、私もニコニコと笑顔で頭を下げるのでした。

 

 

 ……ちなみに、先ほどからずっと撫でられるままになっているスノーですが。

 最近はハヤト君と一緒にいる事がめっきり多くなっていたのですが、そのハヤト君は今、アイニさんの手伝いで応急治療室にいるため、久々に私の側へと来てくれたのでした。

 おかげでその手触りの良い毛皮を堪能できて、私は今、とても上機嫌なのです。

 

 

 

 

 

 ――ここは、ノールグラシエ王家が所有する専用車両の中。

 

 

 

 ベッドルームやダイニング、陛下の執務室などがそれぞれの車両に設けられたこの列車。

 その中でも今私達が居る車両は、リビングルームに相当する車両です。

 

 ふかふかのソファとテーブルを備えたその内装は、もはやサロンのよう。

 今は誰も居ませんが、車室の一角にはお茶や酒類などを供するためのカウンターまであります。

 

 そんな室内で……今、私とアンジェリカちゃんは、テーブルを挟んで向かい側でグラスに注がれた葡萄酒と真剣な表情で睨めっこしているユリウス殿下を、ハラハラと見守っていました。

 

「……『ピュリフィケーション』」

 

 教えた詠唱を唱え終え、ユリウス殿下がワイングラスへと手を差し伸べる。

 すると……その手の内に灯った淡い光に照らされたグラスの中身、真っ赤な葡萄酒が……スゥ、っとその色を透明に変じさせました。

 

「……できた! どうですか、おねえさま!?」

 

 嬉しそうに結果の判定を急くユリウス殿下。

 そんな彼を可愛いなぁと微笑ましく思いつつ、グラスに口をつけて中の液体で舌を湿らせる。

 

 ……舌先に感じたのは、不純物を感じられない、清涼な水の味のみ。

 

「……うん、きちんと成功しています、よくできました」

「ま、私とお姉様が二人揃って教師役をやってるんだから、当然よね」

「やった、えへへ……」

 

 私達二人から褒められ、頭を撫でられて、嬉しそうにはにかむユリウス殿下。そんな姿にほっこりとしながら……その背後へと、声を掛けます。

 

「それで……あの、聖女の皆様方にとって、そんなに面白い内容でしょうか?」

 

 そこに居たのは……熱心にメモを取っている、聖女の皆様方。皆、食い入るようにこちらを見つめているのでした。

 

「ええ、とても興味深い術式ですわ」

「これが私達にも習得できるのであれば、わざわざ煮沸消毒の準備もしなくて済みますもの」

「あ、なるほど……」

 

 彼女達の実用本意なその言葉に、とても納得しました。

 

 

 

 この世界の方が、「魔法」というブレイクスルーを生み出す要因がある分、技術は進んでいます。

 

 だがしかし……なまじ回復魔法という一般大衆からはやや遠くとも便利な技能があるからでしょう。

 

 医術……特に、外科手術と共に発展してきた衛生学などに関しては、元居た世界、元居た日本の方が進んでいます。

 

 

 

 それ故に、この『ピュリフィケーション』に該当する浄化魔法は存在していなかった……あるいは滅多に使用しない大魔法……だったようで、皆が興味を引かれたみたいでした。

 

「それに……なんて整然として無駄の無い術式でしょう……」

「御子姫様に治癒魔法を教授した方は、さぞ高名な魔法使い様なのですね……」

 

 そう、魔法の構成自体にウットリとした表情を浮かべている彼女達。

 

 ……やっぱり、アウレオさんって凄いんだなぁ。

 

 おそらくは、この身に宿る加護紋章に記された魔法の根幹を設計したのは、彼で間違いないでしょう。

 少なくとも、プレイヤーが取得できる二次職までの魔法の基礎部分を全て編纂したのであろう父に、今回ばかりは尊敬の念を抱くのでした。

 

 

 

 ……と、すっかり温くなった私の分のお茶に口をつけながら、ぼんやりと考えていると。

 

 いつのまにか、聖女のお姉様方の視線は、好奇心に輝いた様子で私へと集中していました。

 

「それで……御子姫様の過ごしていた場所というのは、どのような場所だったのですか?」

「何やら伝え聞くには、だいぶ私達の常識とはかけ離れた場所のようで……私達、気になりますわ!」

「あ、それは……」

 

 何と答えたものだろうか。

 馬鹿正直に異世界ですと言うわけにもいかず、言葉を探していると。

 

「それに……『紅玉随の騎士』様とは、そちらで密接な関係で過ごしていたとか!」

「そちらのお話も、是非……是非とも!!」

「あの、レイジさん……!」

 

 興奮気味に詰め寄ってくる彼女達に気圧され、思わず同室でくつろいでいるはずのレイジさんに助けを求める。しかし……

 

 

 

「いや違う、そうじゃないんだ。自分に落ち着け、無心になれと言い聞かせてる時点で、冷静からは程遠いだろ?」

「む……確かにそうだな」

「バサコンが効いてる時は、もっとこう……自然で、満たされていて……」

「ふむ……それは、明鏡止水とかそういう類のか?」

「いやいや、そんなの俺だってできてねぇよ。何て言えば良いのかな、荒ぶってる自分を、冷静な自分が外からコントロールしているような……」

「な、なかなか難解であるな……」

「あー……俺の場合は竹刀の素振りだが、基本動作を何時間もやって、すっかり限界まで疲れ果てて倒れた後の気絶直前の無心。あれに近い」

「なるほど、それならば俺にもよく分かる、把握した」

 

 

 

 何やら斉天さんと二人、リアルでの武道経験者同士ですっかり盛り上がっている様子のレイジさん。

 その楽しそうな姿にちょっとムッとして……私はこの時、恋愛小説のネタとして出回ろうがもう知らない、全部赤裸々に語ってやると決めたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――そんな事があった翌朝。

 

 

 

「……あれ?」

 

 ……目覚めたら、知らない天井でした。

 

 慌てて起き上がり、周囲を見回すと……そこはやや手狭な印象があるけれど、しかし上質なホテルの一室のような立派な部屋。

 一瞬、ここが何処か分からなくなり混乱しかけますが……すぐに思い出し、冷静になる。

 

「……あ、列車の寝室でしたね」

 

 なんとなしに呟き、脱力して再びベッドに体を預けます。

 

 寝台車と言われると簡素な二段ベッドが並んでいるイメージしかなかったために、シックな内装で纏められたこの車室に最初案内された際は驚いたものです。

 

 僅かに背中に感じる振動だけが、ここが大地を駆る列車の中である事を思い出させてくれました。

 

「ふぁ……うぅん、眠った気がしない……」

 

 ひどく目蓋が重い。あの後すっかり夜遅くまで、聖女のお姉様方と話し込んでしまったのだと、ようやく思い出しました。

 生活習慣に従っていつもと同じ時間に目覚めこそしましたが、おかげですっかりと寝不足のようです。

 

 ふとベッド脇を見ると、乗務員のお姉さんにあつらえて貰った即席のベッド……柔らかなクッションを引いた籠の中で、スノーが静かな寝息を立てています。

 

 起こさないようにその柔らかな毛並みをそっと撫でて堪能した後、私も二度寝しようか迷い……それもなんだか気が引けて、渋々と絨毯に足を下ろします。

 

 纏っていたワンピース型の寝巻きの裾が、すとんと脚を滑り落ちてふくらはぎをくすぐる。

 少しはしたないかなと思いつつも、この車両……王室用の寝台車から出なければいいかと気にしない事にしました。

 

 足裏に触れるのは、フカっと沈み込むような絨毯の感触。

 柔らかく足を包み守ってくれるその感触を確かめ、裸足でも問題無さそうなのを確認してから、部屋を抜け出して、寝台車の先頭にある談話スペースへ向かいます。

 

 

 

 まだ窓から朝日が差し込む様子もない、寝静まった薄暗い車両内。その座席には……先に起きていた人物の姿がありました。

 

「おはよう。昨夜はずいぶん盛り上がっていたみたいだね、お疲れ様」

「ええ、本当に……おはようございます、兄様」

 

 窓際のソファに腰掛け、コーヒーを啜りながら外を眺めていたのは、ソール兄様。

 私は眠い目を擦りながら、寝巻き姿のまま、ふわふわとした足取りでそんな兄様の元へ向かう。

 

 ……まだ数日の間は列車に揺られたままなため、それでも特に問題ないのですが……このような人目も気にする必要が無い生活が続いたら、自堕落になってしまいそうです。

 

「それで……兄様は、窓から何を見ていたのですか?」

「うん。今なら外、凄いものが見えるよ」

 

 見たら分かる、とばかりに座席を立ち、私を手招きする兄様。訝しみながら、誘われるままに外を覗き込むと……

 

「わぁ……」

 

 窓の外、遠方にまるで地平線のように見えるのは、まだ日も登っていないというのに、月明かりを反射して虹の煌めきを放つ眩い森。

 

 そこに広がっていたのは、まさしく異世界の光景でした。

 

「これが 『硝雪の森』……北大陸の()()()()を覆う、世界最大級の禁域……」

「見ているだけなら、すごく綺麗なんだけどね」

 

 地面を覆う砂や、生茂る木々……その全てがプリズムに(きらめ)く結晶で構成されているという、その森。

 だがしかし、津々(しんしん)と降る雪に至るまで全てが鋭利な刃物であるという、北大陸最大面積を有する最高クラスの危険地帯指定地域。

 専用の防護服無しで踏み込めばものの数時間で肺腑までズタズタにされて命は無く、さらにはそんな環境を物ともしない強大な魔物が徘徊する死の森。

 

 

 そんな実態とは裏腹に……遠くから見たその光景はあまりにも幻想的で美しい。

 過去に、ふらふらと誘い込まれ二度と還らなかった旅人が大量に居たというのも、納得の絶景でした。

 

「……あんな規模の禁域、本当に修復できる日が来るんでしょうか?」

 

 十分近くはその幻想的な光景を眺めた後……不安が言葉となって溢れ落ちるように、私の口の端からポツリと漏れ出ました。

 

 広すぎるせいか、ここ外縁部からでは中にあるはずの『傷』本体の存在を、私ですら知覚できないのです。

 

 探し出すには……中に踏み込まなければならない。

 

 それは、現在ほぼ唯一と言っても良い光翼族である私が身を投じるには、あまりにもリスキーであると言わざるを得ないでしょう。

 

「分からない……何百年と成長して来た場所なんだ。陛下も僕らの代でどうにかできるものじゃないって言っていたよ。何代もかけて、少しずつ切り崩していくしかないって」

「気の遠くなる話ですね……」

 

 やがて私達を乗せた列車は、接近していたその禁域から、まるで逃げるように離れていきます。

 

 

 

 ――人同士の争いなど全て些事にしてしまう、この世界に蔓延る最大の問題。

 

 その象徴である異界の森は、今はただ私達の視界から流れ、ゆっくりと遠のいていくのでした――……

 

 

 

 

 

 

 





ちなみに聖女のお姉様方との恋話は、最終的には愚痴という名の惚気を語るイリスの話を、皆が生暖かい目で聞いていたのだトカ。


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王都イグドラシル

「おぉ……凄い、凄い……!」

「すっかりはしゃいじゃってまぁ……」

「だって……これぞファンタジーって感じなんですよ!」

 

 呆れたような声で語りかけてくる兄様に反論しながらも、私は窓に張り付いて、外の景色を眺め続ける。

 

「あー……お前、王都大好きだったもんなぁ」

「はい……それが、こうして現実の物として足を踏み入れ事ができるなんて……っ」

 

 ようやく興奮も落ち着いて、座席へと戻り、今見た景色を脳裏で反芻しながら胸に手を当てて、ほぅ……っと溜息を吐く。

 

 それだけの光景が、今私達が乗っている街の中心へと向かう魔導LRV……コメルスにあった物と同型の車両です……の車窓から広がっていたのでした。

 

 

 

 ――ここは、ようやく辿り着いた私達の旅の目的地……ノールグラシエ王国の王都。

 

 

 北大陸北部に穿たれた、広大な凍結カルデラ湖の上に建造されたこの都市。

 湖の外縁をぐるりと囲むように引かれた環状線沿いに発展した、中〜近世風の建物が立ち並ぶ新市街区を抜けると……その湖上に広がっていた風景は、ファンタジー世界の空中都市そのものでした。

 

 

 何かが落下した跡と言われている、深い深い孔が穿たれた、その都の中心部。

 何か魔法的な力によって凍結したとしか考えられない、どこまでも透明な溶けない氷を湛えるその湖。

 

 その内部には『世界樹跡』と呼ばれている、石化した樹木のような質感の素材でできた遺跡が、放射状に広がっています。

 

 その遺構を基部として、空中を覆うように蜘蛛の巣状に張り巡らされた空中回廊群は、まるでドームのように、広大な湖を覆い尽くしていました。

 

 そのドームの上が、主街区。

 

 白い足場のいたるところに植えられた、樹木や観葉植物、色とりどりの花々。

 

 余裕を持って配置された、曲線を多用した白亜の建物。

 

 まるで塩湖に満ちる水のように、青空を映して細波のよう揺らぐのは……ほの蒼く輝く、魔法の膜です。

 

 上から見たその様相は、ほぼ空中都市のそれ。

 少し足場の外を覗きこめば、はるか下の湖面が見えるという恐ろしい光景ではあります。

 

 しかし、そんな風景を見ているはずの街の人々は、平然としていました。

 それもその筈で……彼らは皆、その人口の大半がここかアクロシティに集まっていると言われている、背中に翼持つ種族――天族であるからでしょう。

 

 

 

 本来の住処であるアクロシティの閉塞感を嫌い、飛び出した天族達が作り上げた学術都市。

 

 彼らは放浪の末、極寒の地の中にあって何故か常に温かな空気に覆われている凍結した泉へと辿り着き、そこにあった遺跡を宿にして探究を続けたそうです。

 

 

 

 その地を礎として発展した、魔法王国の中心……それがここ、『王都イグドラシル』。

 

 そして、それらの中央に鎮座するのは、遺跡中心部直上に建造された蒼く輝く結晶塔。

 

 そこがこのノールグラシエ王国の中心、この世界で最も美しいと評される王宮『クリスタルパレス』……その尖塔でした。

 

 

 

 

 そして……今私達が目的地として向かっているのは、その主街区の下に広がる氷結湖の上。

 

 魔法において、アクロシティにあると言われている中央魔導研究所と並んで、世界最高学府と名高い王立魔法大学院。

 そして、ノールグラシエ王家の居城にして、北大陸の政治の中心である王城『クリスタルパレス』本棟を有する、『神樹区』と呼ばれる区画です。

 

 そんな事を考えながら、魔導LRVの窓から景色を眺める中で……ふと、疑問が湧き上がります。

 

「ですが、主街区よりも下に国家の中枢が鎮座しているのは大丈夫なのですか? 上から危険物を投げ入れられたり、あるいは崩壊でもしたら……」

「いいや、その主街区の下にあるというのが実は重要でな」

 

 微笑ましいものを眺めるような視線をこちらに送っていたアルフガルド叔父様が、私の疑問を受けて口を開きます。

 

「この湖を覆う建築物、それ自体が魔力回路を構成していてな……湖の底から循環している魔力が通っており、常に魔力障壁のようなものを展開しておるのだよ」

「いわばこの湖を覆う街の全て、それ自体が宮殿を守護する防御魔法そのものなのですよ」

「は、はぁ……」

「勿論、有事の際には民たちを宮殿周囲のシェルターに緊急退避できるようになっておる」

 

 そう陛下が指差した先には……確かに、非常口らしきピクトグラムが記載されていました。

 

「街そのものが、魔法陣を構成しているのですね……凄い発想ですね……」

「うむ……凄まじきは先史文明の技術力よな」

 

 叔父様がサラッと口にしたその一言に、私は目をパチパチと瞬かせる。

 

「え……これは、ノールグラシエ王国で建造したのでは無いのですか?」

「はは……だったら誇らしいのだがな。王都外縁はともかく、この中心街はまだ『世界の傷』発生前に建造された遺構だと伝わっておる」

 

 そこで、一つ言葉を区切る叔父様。

 その目は、遠く南……アクロシティの方を見つめていました。

 

「アクロシティ……あの都市に害する存在を灼き尽くす()()()()()『天の焔』と同じでな」

「あ……」

 

 

 

 過去、まだ今のように安定していなかった争乱の時代。

 ある時ふと現れた人物……齢70近い老人だったと伝わっています……の手によって、一つに制圧された当時の東の諸島連合。

 

 我こそがこの世界の支配者にならんとするその老人の侵略の手は、次に世界中心にあるアクロシティへと向かい……しかし街を包囲したその諸島連合の船団は、ただの一瞬で乗員ごと塩の塊となって海に沈んだのだそうです。

 

 それが、アクロシティの絶対防衛圏『天の焔』

 

 この世界において、長きに渡りアクロシティが不可侵の最高権力を保持している理由でもありました――……

 

 

 

 

 ◇

 

 叔父様に色々と教えてもらっているうちに、主街区中央の環状路へと到着した魔導LRV。

 

 そこにある移動用ポータルで、神樹区へと降りた私達ですが……

 

「はぁ……まだ、足元がふわふわしています」

「足場の無いエレベーターというのは、ざ、斬新でした……」

「はは、皆、なかなかの狼狽振りだったからな。何、すぐ慣れる」

 

 青い顔で口元を抑える私達二人……いえ、後ろからついてくるレイジさんやミリアムさん達、元プレイヤーの一同も……の様子に、苦笑しているアルフガルド叔父様。

 

「皆様も、顔色が優れませんね。とりあえず身を休める場所を用意してきますから、ひとまずはここで安静になさっては?」

「お……お言葉に甘えさせて頂きます……」

 

 見かねたアンネリーゼ叔母様の労りの言葉に、皆を代表して、城門前広場の噴水へと力なく座り込んだスカーさんが、弱々しく返事を返す。

 

 

「それにしても……はぁ、下から眺めるのもまた格別な光景ですね……」

 

 頭上、主街区の切れ間から差し込んでいるのは、障壁を通った事で蒼く照らし出された無数の光の柱のような陽光。

 

 その光が照らすのは、世界一美しいと言われる結晶の城。この光景に感動するなというのは、酷というものです。

 

 そのあまりに幻想的な光景に、ほぅ……と感嘆の吐息を漏らしますが……そんな時、背中から声が掛かります。

 

「ソールクエス、イリスリーア、あなた達二人は大丈夫ですね?」

「あ、は、はい!」

「大丈夫です」

「っと、俺も大丈夫……だ!」

「はい、ではあなた方は私について来てください」

 

 元々ノールグラシエの血筋なせいか、比較的余裕のある私達。それと、一つ気合を入れて立ち上がったレイジさん。

 

 三人で、先導するアンネリーゼ叔母様について行った先には、一軒のお屋敷…… いわゆる離宮と呼ばれる建物がありました。

 

「あれ、ここは……」

「ん? イリス、どうかしたか?」

「あ、いえ、なんだか見覚えがある気がして……それより、叔母様を待たせるのは良くないですね」

 

 レイジさんの問いかけに曖昧に濁した返事を返し、門に入っていくアンネリーゼ叔母様を追いかける。

 

 城壁に沿う形で併設された、その庭園付きのお屋敷。

 人が暮らしている様子はありませんが、その庭や外観はよく手入れされていて、荒れている印象はありません。

 

 そんな庭を進んだ先……王宮と同じ作りになっている外観のお屋敷の扉を、アンネリーゼ叔母様がどこからか取り出した鍵で開錠し、その鍵を私に握らせてきます。

 

「あなた達二人の部屋も、王宮に用意はさせていますが……こちらの離宮は、あなた方がご友人の方々と自由にお使いなさいな」

「本当に……ありがとうございます、アンネリーゼ叔母様」

「いいえ、礼ならば陛下に。あの方が、あなた達に拠点が必要だろうと用立ててくれたのですから」

 

 そう柔らかく微笑み、荷解きや身の回りの片付けもあるでしょうから、また夕食の時に会いましょうと言い残して、立ち去るアンネリーゼ叔母様。

 

 

「さて……それじゃ、私は表で待っているミリアム達を呼んでくるかな」

「あ、それじゃ俺も……」

 

 荷物をエントランスホールに下ろし、首や肩を回しながら歩き出す兄様。

 それを、慌てて追いかけようとするレイジさんでしたが……すぐに、当の兄様に手で制されました。

 

「いいや、私一人でいい。レイジはイリスと二人で中の散策をして来たらどうだ、二人だけで見て回れるのは今だけだぞ?」

「おま……っ」

「ちょ……兄様!?」

 

 思わず抗議するも……兄様は、ははは、と笑いながら立ち去ってしまいました。

 

「全く……あいつめ。余計な気を回しやがって」

「本当にもう。最近、お節介が増してません?」

「……ははっ」

「……ふふ」

 

 二人、頭を突き合わせて兄様に対する愚痴を言い合い……やがて、何故かそんな事を一緒にぼやいている事がおかしくなって、つい二人で吹き出す。

 

「あ。それなら、少し行ってみたい所があるんです」

「……んぉ? 構わねえけど、イリスも初めて来たんだよな?」

「ええ……だけど」

 

 エントランスホールの中心まで進んだ私は、その場でくるりと一回転し、周囲を見回します。

 

 

 そこに広がっていた光景は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()エントランスホール。

 

 

 思い出すのは、すでにずっと昔に思える「僕」だった頃の記憶。

 まだ最初の街に居た頃、最も不安定だった頃に見た、夢の記憶。あれは、確か……

 

「多分……ここ、以前に夢で見た場所なんです」

「……夢?」

「ええ……母さんと、父さんの」

 

 勿論、ただの夢である可能性が高い事は重々承知しています。だけど、何故か無性に心がざわつく。

 そんな私の状況を察しているのか、レイジさんも特に異論は挟んできませんでした。

 

「分かった……行こう」

「はい。私の記憶が確かなら……多分、こっちです」

 

 頷くレイジさんが、まるでエスコートするように差し出す手。

 一瞬だけ気恥ずかしさに躊躇したものの、すぐに今は恋人同士なのだからいいかと思い直してその手を取り、歩き始めるのでした。

 

 

 

 辛うじて脳裏に残る、夢の中の風景。

 その中で仲睦まじく歩いていた、両親の幻影を頼りにして――……

 

 

 

 

 




 イリスの見た夢というのは、第19部分にあります。回収まで本当に長かったですね……


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先王の書斎

 広い離宮の中……私が夢で見た、先王アウレオリウスと若き日の母が仲睦まじく歩いていた経路を辿り、長い螺旋階段を降った先。

 

「……ここか」

「はい……行き止まりですね」

 

 そこには……ただ、直径三メートルくらいの円形の空間があるだけの地下室でした。

 

「やはり、ただの夢、だったのでしょうか……」

 

 呟きながら、部屋の中心へと一歩踏み込んだ、その時。

 

「うわっ!?」

「きゃあ!?」

 

 瞬時に、目も開けていられない程に眩い光に包まれた私達。

 ようやく眩んだ目が回復し、次に見えた周囲の光景は……山のような蔵書を納めた、広大な書庫に変化していました。

 

「これは……図書館か?」

「さっきまでとは違う場所……もしかして今の光は、テレポーターでしょうか?」

 

 時折古い遺跡などで見かける、瞬時に人を別の場所に移動させるその装置。私達は、おそらくそれを踏んだのでしょう。

 

「みたいだな……部屋を見た感じだと、ここは『世界樹跡』遺跡の中か……?」

 

 レイジさんが言う通り、この『世界樹跡』遺跡に酷似した、石とも木材ともつかない不思議な材質でできた部屋。その中に整然と立ち並ぶのは、見上げるほどに高い書架の列。

 

 都市部の大手本屋をスケールアップしたようなその光景は……ゲームだった時にあった、あるエリアを思いださせました。

 

「ここは……まさか、幻想書庫?」

 

 

 

 ――幻想書庫。

 

 世界各地に点在する、誰が用意したかも定かではない書が無数に納められた図書室。

 

 ゲーム内では、時折見つかるテレポーターから飛べるエリアだったその場所は、しかし基本的には読めない本が並んでいるだけであり、せいぜいがスクリーンショットの撮影に利用されるだけだったという、大した人気のないエリアでした。

 

 ……あと、たまに貴重な魔導書をドロップする魔本系のレアエネミーが沸いたりとか。

 

 

 

「なんでこんな、王家の離宮地下なんてところに……」

「いえ、もしかして、ここを隠すために作られた離宮なのでは?」

「あ、ああ、そうか。そんな可能性もあるな」

 

 そんな話をしながらも、誘惑に駆られて頭上遥か高くまで伸びる書架に手を伸ばし、手近な本を一冊取って開きます。

 

 

 

 ゲーム時代は、読めない本をなんとか読もうと、有志が躍起になって文字の解読を進めようと試みていたみたいでしたが……それは、大した結果も出ていなかったはず。

 

 それも今思うと当然で……解読される事が大前提にあるゲームの架空言語とは違い、こちらは実際に使用されていた、そもそも法則の違う言語だったのですから。

 

 

 

 だけど、今ならばもしかして……そう思って、書庫から抜き出した本を、二人でパラパラとめくってみます。

 

 しかし……

 

「……ダメだな、やっぱ読めねぇ」

「そんな……それじゃあ、私達に与えられた知識とは別の言語?」

 

 この世界に来た際に、どうやらこちらの語学の知識は頭に叩き込まれたらしい私達は、今この世界で使われている文字は違和感なく読み書きできます。

 

 それでも分からないという事は、知識の外……私達が知り得る限界である、旧魔道文明期以前の文字という事。

 高度な専門知識が必要になるであろうそれを、今から解読するにはあまりにも時間が足りません。

 

「もっと探索してみよう。先王が足を運んでいたのなら、他に何があるはずだ」

「は、はい!」

 

 本を書架の元の場所へと戻し、レイジさんの横へ並んで奥に歩き出す。

 

 そうしてしばらく進んでいると、やがて、他とは雰囲気が違う一角が広がっていました。

 

「……人が寝泊りしていた痕跡だな」

 

 警戒しつつも先にそのスペースへと踏み込んだレイジさんの呟き通り、本棚に埋もれるようなその空間には、空きスペースに詰め込まれたようなベッドと机。

 そして……明らかに後から持ち込まれたらしい、周囲の物とはデザインが違う本棚。そこに並んでいたのは……

 

「これは……書斎?」

「やっぱり、アウレオリウスって奴のか」

「……はい、そうみたいですね」

 

 レイジさんの問いに、著者の欄に記されているその名前を確認し、頷きます。

 

 どうやらここは先王……父が入り浸っていた際に使用していた書斎のようでした。

 

「えっと……『先史文明崩壊の顛末と、ギヌンガガプ発生についての文献の調査報告書』……?」

 

 なんとなく、気が惹かれた本を一冊手に取って、その革張りの丁装の書をパラパラとめくる。

 

「なになに……『もし私に何かあった時、後に訪れる者のために、ここに私が各地で調べた事を纏めておく』……?」

「……当たり、か」

「そうみたいですね……」

 

 そんな手書きの前置きに、緊張に震えそうになる指を宥めすかし、さらに頁をめくる。

 

 

 そこに記されていたものは……

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――こうして、先史文明は全知存在(アーカーシャ)に触れた事で、新技術『創造魔法』を手に入れた。

 

 何か欲しいものがあれば、その場で創り出せるという、神の如き全能の御技。

 

 それによって繁栄したかに見えた文明だが……しかし、無から有を生み出す事など本当にできるのだろうか。

 その答えは、創造魔法が大衆へと広まってからおよそ一世紀が経過した頃、突然開示された。

 

 彼らの文明の終焉という、おおよそ最悪の結末を代価として。

 

 ・

 ・

 ・

 ・

 

 こうしてアーカーシャの研究に直接携わっていた賢人達『十王』の手により体系付けられ、やがて大衆へと広がった創造魔法……無から有を生み出すその魔法は、その利便性と万能性故に、最初こそ疑問視していた者たちにも瞬く間に受け入れられて広まっていった。

 

 もはや、この世界には貧困も不満も無く、欲しいものは自由に作り出せばいい……そんな世界では、争いを起こす意味も消失した。

 

 労働すらも過去となったその世界の人々は、自由になった時間を思索に当て、様々な物を生み出した。

 それはもはや、『もしかしたらこういう事もできるのでは?』と好奇心のまま試す遊戯だったことが、文献の内容からは見て取ることができる。

 

 ……皮肉なものだ。

 

 この『創造魔法』という全能の力は、彼らから物の道理を理解し、未知に対する畏怖を抱く思考を奪った……闇弱をもたらしたのだから。

 

 ・

 ・

 ・

 ・

 

 終わりの発端は、小さな空間の裂け目。

 

 創造魔法のそれまで浮き彫りにならなかった欠点。

 無から有を生み出す……それはすなわち、世界を好き勝手に増築する事、言い換えれば、その創造分だけ世界を新たに作る事に他ならない。

 

 だがそれは、現実世界にて生み出した物質の分だけ、人の知覚が及ばぬ場所で、虚数空間に広がる反世界を同時に生み出していたと予想される。

 

 そうして釣り合いを取るために生まれ、彼らの住まうこの星の内部に蓄積し、滞留していた反世界。

 肥大したそれはやがて、容器が決壊するようにして境界を超え、現実世界へと雪崩れ込んでいった。

 

 そこからの崩壊は、速やかに進んだ。

 あらゆる武器も、兵器も、魔法も、この厄災に対して効果は無かったという。

 

 何故ならば……それは、『世界』という概念そのものなのだから。どのような手段を持ってしても『世界』そのものを破壊するなど、出来はしなかった。

 

 記録に記されているそれを私は、侵食する異世界『奈落(ギヌンガガプ)』と名付けた。

 

 ・

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

 

 ◇

 

「何でも創造できる魔法……とんでもねぇな」

「……この、『奈落(ギヌンガガプ)』というのが侵蝕してくる入り口が『世界の傷』なのでしょうか?』

「そうみたいだな……傷、ってのもよく言ったもんだ」

 

 頭を突き合わせ、書を読み進めながら、その中身について二人で話し合う私達。

 

 ギヌンガガプ……確か、北欧神話における、まだ何も無かった世界に一つだけ口を開いた裂け目の名前だったと記憶しています。

 なるほど……この世界を書き換えようとする反世界の名として、相応しい名前に思えました。

 

「剣でも魔法でも倒せないか……まあそりゃ、世界を斬れ、なんて言われても無理だよな」

「ですが、この時点では光翼族は……それどころか、天族も魔族も出てきませんね」

「そういや、たしかにそうだな」

 

 二人、首を傾げながら、パラパラと頁をめくる。

 この書には記載は無いのか、そのあたりの話は見当たらないなと諦め始めた……そんな時。

 

「……あら、これは」

「ん、どうした?」

「いえ……最後の数頁だけ、やけに殴り書きで書いてあって」

 

 何だろうと好奇心に押されるまま、さらにページをめくる。そこに書いてあったのは――……

 

 

 

 

 ◇

 

 ――以前触れる機会のあった、『白の書』と呼ばれていた魔導器を調べていく中で、出会った()()()()()からの情報により興味深い事が判明したため、ここに追記しておく。

 

 

 

 過去のアクロシティにて、『奈落』を制御できる器を作る実験が行われた。

 

 対処手段のない『奈落』だが、その本質はこちらへと生まれたがっている世界だ。依代となりうる器があれば、それに憑依し、顕界しようとする性質を持つ。

 

 ならば……『奈落』全てを飲み込むだけの器があればどうか。

 

 世界という概念故に手出しできないのならば、個として固着させ、我々と同次元に堕とす事ができれば対処も可能になるのではないか。

 

 それが、当時のアクロシティが考えた事だった。

 

 ・

 ・

 ・

 ・

 

 幾多の失敗を経て、やがて彼らは用意できる器の中で……あらゆる禁忌を解禁し、考えうる限り最高のものを用意し、最終実験へと踏み込んだ。

 

 その器として選ばれたのは、当代の光翼族の長、御子姫と呼ばれる本来不可侵なはずの存在である少女……の、()()()()()()()()()()()

 

 その胎児から『白の書』によって魂を抜き取る事によって空の器としたものへ、亡骸に魂を吹き込み蘇生するという今や失われた遺失魔法(ロストスペル)、禁呪『ソウル・リンカーネート』によって『奈落』を降ろした上で、厳重に封印を施した。

 

 また、その制御装置には、『器』ともっとも親和性が高い存在……つまり、()()()()()()()()()が取り込まれ、コアとなっているのだそうだ。

 

 そしてこの実験は……記録の中で唯一、成功したと記されていた。

 

 

 

 ……だが、これは決して許されざる、あまりにもおぞましい所業だ。

 

 だがしかし、当時の報告書を調べてみると実際に、この時を境に『世界の傷』の発生がそれ以前よりも落ち着いている。

 この事を鑑みるに、試みは本当に成功し今も成果を上げていて、その恩恵を我々は知らずに享受している可能性が高い。

 

 ……もしこれが本当に、この世界を救う手段足り得るならば。

 

 

 

 それに、この手段を応用すれば……()()()()()()()()()()()()()のならば、この時抜き取られた魂から、今は失われた光翼族をサルベージできる可能性も存在するのではないだろうか。

 

 ……手段は、ある。

 

 ティシュトリヤの末裔である母の血と、ノールグラシエ王家の父の血を合わせ持っている()()は……今この世界で最も、かの種族に近い血を引いている。

 そんな()()()()()()()()ならば、その器を作る事ができる可能性は高い。

 

 それがたとえ、倫理的に完全に道を外れた所業だとしても……私を無邪気に慕う()()()に対する、最大の裏切り行為だったとしても。

 

 この事によって、この先の未来において私は外道として名を残す事となるだろう。だが、もしそうだとしても、私は――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……何、これ……」

 

 巻末の、後半になるにつれて記録と言うにはあまりに感情を露わにした筆圧で書かれている、その走り書きに記載されていた内容。

 

 不意打ち気味に現れたその情報、そこに書かれていた内容に愕然としながらも、まるで憑かれたように先を読み進める。

 

 ……読み進めようと、した。

 

「……え?」

 

 報告書の頁をめくろうとした指が、己の意思に反して不自然に跳ね、紙を掴むのに失敗した。

 

 何度か試みても、何故か指が震えて思うように動かない。

 それだけでなく、視野が揺れ、視界も暗く狭まった気がする。

 

「……イリス?」

 

 怪訝そうに問いかけてくるレイジさんの声すらも、やけに遠くに聞こえた。

 

「はっ……はっ…………は、ひゅ」

 

 息が、苦しい。

 だからもっと呼吸しなければと気が急くのに、何故か空気を吸う事ができない。ただひゅ、ひゅ、と引き攣ったような息だけが、やたらと大きく聴こえる。

 

「……おい、このバカ!」

 

 私の異変を察したらしいレイジさんが、私の手から報告書を奪い取り、私の手が届かない場所へ投げ捨ててしまった。

 なぜ、と抗議する暇もなく、気がつくとその腕の中へと抱きしめられていて。

 

 ……そこで、ようやく自分が過呼吸を起こしたのだと気がついた。

 

 

「れ……じっ、さんっ……いき、できな……っ!?」

「駄目だ喋るな!……いいか、息を吸うな、吐け」

「は……く……?」

 

 そうだ、吸ったのだから吐かなければ。

 ようやくその本来当たり前の事に思い至り、肺の中身を吐き出そうとするも、痙攣する胸はさらに空気を求めるせいでうまくいかない。

 

 だがそれでも、少しずつ楽になってきた。

 

「そうだ、ゆっくり、ゆっくりだぞ。呼吸を俺に合わせろ、いいな?」

 

 言われるまま、咳き込み、痙攣する肺に苦心しながらどうにか息を吐く。

 

 やがて楽になってくると……緊張に伸び切った糸がぷつりと切れるように、私は意識を手放した――……

 

 

 



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向かうべき場所

 

 

 まるで泥のように粘度の高い闇。

 全身に纏わり付くようなその闇の中を、ゆっくり、ゆっくりと下降していく。

 

 不思議と、怖くは無い。

 むしろ……周囲から感じるのは、怖れと悲しみ。

 

 存在する事を赦されなかった。

 生まれてくる事を望まれなかった。

 

 そんな悲しみが液体となって揺蕩うような、黒い泥が、まるで導くように私を下方へと導いていく。

 

 いつ終わるとも知れない時間が流れ……やがて、はるか下方に小さな光を見つけました。

 

 

 ――女の子?

 

 まだ十歳くらいに見える、小さな女の子。

 まるで胎児のように膝を抱えて眠っているその女の子が近づいてくるにつれて、やがてその姿の詳細が見えてくる。

 

 その姿は、漆黒の闇を固めたような翼、赤みを帯びた虹色に揺らめく髪を持った……………………私?

 

 ――ッ!?

 

 次の瞬間、カッと目を見開いた少女。

 その視線が、真っ直ぐに私を貫いて――……

 

 

 

 

「――あぁぁああっ!?」

 

 まるで拒絶され、弾き出されるように、急激に意識が浮上した。

 

「はあっ……はぁっ……っ」

 

 滝のように汗が流れる一方で、気温はひどく寒いように感じる。

 

「だ、大丈夫か?」

「は……ぁ……ここは……?」

 

 レイジさんに助け起こされながら、周囲を見回す。

 ……そこは、まるでサロンのような一室で、私はどうやらそのソファーに寝かされていたようでした。

 

 ごく普通の風景に戻っていた事で安堵し、大きく息を吐き出す。

 

「離宮の、談話室だ。意識を失ったお前を運んだんだが……」

 

 そう言われて、ようやく調べ物をしている最中に過呼吸を起こし、酸欠で意識を失ったのだと理解しました。

 

「レイジさん……ごめんなさい、本の内容に少し動転してしまって」

「いや、あれは仕方ねぇよ。俺こそすぐに変だと気付いてやれなくて悪かった」

「スノーも、心配してくれてありがとうね?」

 

 ベッドに上がって来たスノーは、心配するように私の頬を舐めていました。

 そのくすぐったさに笑いそうになるのを我慢しながら、その背中、柔らかく手触りの良い毛皮を撫でてやります。

 

「ずっと、魘されていたみたいだけど、何があったのかな?」

 

 それまで後ろで様子を見ていた兄様の声に、再度大きく息を吐き、口を開く。

 

「夢を……見ていました」

「……夢?」

「はい……真っ黒な闇の中に眠る、幼い女の子の夢」

 

 あれがおそらくは、器となった御子姫から摘出されたという胎児……リィリスさんとリュケイオンさんの娘。そして「本来生まれてくるはずだった私」の、本当の身体。

 

 過去、『奈落』の器を作るために抜き取られた魂。

 最近、『光翼族』の器を作るために作られた命。

 

 本当に……私の出生とは、ずっと誰かの思惑に振り回されたものだったのでしょう。

 

 ですが少なくとも、この身を生んでくれた二人の母親は、確かに私の事を愛してくれていたのを覚えています。だから、今はそれだけで十分。

 

「あの、イリス姉ちゃん、俺……」

 

 何と言ったらいいか分からない……そんな様子ですまなそうに声を掛けて来たのは、ハヤト君。そんな彼に、大丈夫と微笑んでみせる。

 

「平気です、少し驚いただけですから……ある程度、段階を踏んで情報を得ていましたから、今はもうそこまでショックという訳ではないんです」

「……なら、良いんだけど」

「ごめんね、心配を掛けて」

 

 どこか釈然としないという様子ながら、素直に引き下がるハヤト君。

 

「しかし、もっと色々と調べたいところだが……今日はやめておこう」

「そうだな、何が出てくるか分かったもんじゃねえ。先王ってのは本当とんでもねぇな」

「あはは……本当、父にも困ったものです」

 

 散々な言われようの父ですが、私自身全く同感なため、とりあえず苦笑いしておきます。

 

 それに……取り急ぎ、するべき事ができました。

 

「……皆と……それと、アイニさんも呼んでもらえますか。今後の事について、相談があります」

 

 改めて気を取り直し、そう宣言する私に……皆、同じく真剣な顔で頷きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 今後の指針を話し合っているうちに、夕餉の約束の時間はあっという間に来てしまいました。

 

「そうか……兄の手記に、そんな事が」

 

 沈痛な面持ちで私の話を聞いていたアルフガルド叔父様は、私が全て話し終えた後、深々と溜息を吐きました。

 

 ……無理もありません。叔父様にとっては、敬愛する兄による不貞の自白が出て来たようなものですから。

 

 

 

 ――ここは、『クリスタル・パレス』内にある、王家が食事を取るダイニングルーム。

 

 

 

 ちなみに……給仕する女官以外は身内だけ、他所からの人目が無いこの部屋は、決して見渡すような長テーブルがあるとかそういった事は無く、落ち着いた調度のごく普通の部屋でした。

 

 ……その値段が幾らかは、聞いたら色々緊張しそうなためあえて知りたいとは思いませんが。

 

 食事内容も、普段からコース料理などという事もなく、やや上流階級向けではありますが、こちらもごく普通の料理です。

 

 ただし味は、何というか別次元でした。素材の質……いわゆる御用達というものでしょうか。

 あとは代々仕えてくれている厨房係の腕の良いのだと、叔父様は自慢げでした。

 

 私と兄様は王家の一員という事で流石に皆とは食卓を別にしており、客人扱いの仲間たちは別室で、同じ内容の食事を摂っているはずです。

 

 

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 そんな訳で、今は私と兄様を加えた王家で揃っての晩餐を終え、食後のデザートとお茶を楽しんでいる最中。

 

 ユリウス殿下はすでに眠そうに目を擦っており、王妃様がそんな殿下を連れて退室したそんな中で……私達は、先程見つけた前国王アウレオリウスの手記について、叔父様と相談していました。

 

「……それで、お前達はこの後どうするつもりだ?」

 

 苦々しい表情のまま、気分を落ち着けるように香茶に口を付けながら、陛下が尋ねる。

 

「それなのですが、一度、行ってみようと思います……ティシュトリヤの隠れ里に」

 

 翼を失った、光翼族の子孫達の隠れ里。

 そこに、答えの続きがあるかもしれない。

 

 それに……以前ブランシェ様やネフリム師に訪ねる事を勧められた北に住まう老竜様の場所へ行くのにも、そこを経由する必要があります。

 

 ……ひと月後にアイレイン教団総本山で行われる予定の三国での会合までを期限とした場合、だいぶギリギリの行程な旅になりますが。

 

「そうか……叔父としては、せっかく帰ってきたお前たちにはもうあまり危険な事はして欲しくないが、致し方あるまい」

 

 渋々といった様子ながら、許可をくださるアルフガルド叔父様。

 しかし、それには問題があるのも事実です。何故ならば……

 

「だが、あそこに行くには、大陸を縦断する『硝雪の森』の北部を西へと突っ切らねばならんぞ」

「はい……覚悟の上です」

 

 場所については、すでにアイニさんから聞いて地図で調べていました。

 ですがどれだけルートを選んでも、四半日くらいはあの『禁域』へと踏み込まなければならない事が分かっています。

 

「そうか……ならば丁度良い。今ならば同じくそこへ行きたいと言っている、うってつけの案内役が居るからな」

「……案内役ですか?」

 

 兄様が、訝しげに聞き返します。

 このタイミングで話を出すならば、きっと相当に信頼出来る方なのでしょうけれど……

 

 そうして首を傾げている間に、叔父様は手を叩いて誰かを呼んでいます。

 

 

 

 そこに現れたのは……本当に、これ以上信頼できる人は考え得る限り居ないというくらいのお方でした。

 

「お久しぶりです、イリスリーア殿下、ソールクエス殿下」

 

 そう言って敬礼し、近衛騎士の立派な制服を纏う、かなり高齢の騎士様が入って来ます。

 見覚えがある、その姿は……たしかに叔父様が太鼓判を押すわけだと納得する人物でした。

 

「その声、あなたは……!?」

「たしか、『黒影』と共に西へ調査に行くと……」

「はい。つい先日、西の辺境調査から戻って参りました。有意義な調査となったのですが……その話は長くなるので、また空いた時間にでも」

 

 そう言って頭を上げる彼は、私と兄様の方を見ると……

 

「……両殿下とも、この僅か数ヶ月でずいぶんと成長なさったようですな。イスアーレスでの武勇伝は、私の方にも届いていました」

 

 そう言って、好々爺然とした笑みを浮かべる彼。

 

 

 

 それは先日、ディアマントバレーにて一度共闘した……北大陸最高の騎士、『剣聖』アシュレイ・ローランディア、その人でした――……

 



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王都の休日

 

 ――よく晴れた、王都に到着した翌日。

 

「えっと……必要なものは、大体揃いましたかね」

「あー……多分」

 

 私達は今、白い外套を纏い、フードを目深に被って大荷物を抱え、街中を歩いていました。

 

 ティシュトリヤへと旅立つのは、二日後。

 

 私達はその準備のため、私とレイジさんは食糧や薬品などの消耗品、兄様とミリアムさんは寒冷地用の野営道具をそれぞれ用意するために、街へと繰り出していました。

 

「それにしても……本当に凄い景色」

 

 吹いてくる風に捲られそうになったフードを片手で押さえながら、遠くへと視線を飛ばします。

 空中に張り巡らされた回廊を歩いているため、空が本当に広い。眼下を少し見下ろすと、そこには大雪山の絶景がパノラマで広がっています。

 

 また、主街区には蜘蛛の巣状に魔導LRVが走っているために、いわゆる自家用車に相当する物は必要なく、景観は拓け、空気は澄んでいます。

 

 そんな主街区は魔法学園都市でもあるため、今歩いている道を行く人々も学園のローブを纏っている学生が多く、授業や遊びの話題で盛り上がっているのか賑やかで、その表情も明るい者が多いです。

 

 ……中には深いクマを彫って幽鬼のように歩いている人も、ちらほら居ますが。

 

「学生生活かぁ……」

 

 それは、私が元の世界で、自ら投げ捨てたもの。

 その事を後悔している訳ではないのですが……もしかしたら、自分にもこのような日常を送る道もあったのだろうかと、寂しく思う時もあるのでした。

 

「別に……諦めなくても良いんじゃないか?」

「……え?」

「陛下に頼めば入学くらいさせてくれるだろうし……もし、元の世界に戻るんだとしても、あの親父さんに責任取らせて学生になったっていい」

「あ……そ、そうですね、今の体の年齢って十五歳よりも前くらいですもんね」

 

 たしかに……元の世界の成人した記憶に引き摺られていましたが、今からでも決して遅くない。

 

「ああ……それに、お前の制服姿とか絶対可愛いだろうし」

 

 ボソッと呟かれたレイジさんの言葉。

 予想外なその言葉に…

 

「ぷっ、く、くく……っ!」

「あ、笑うなって、学生んときは部活とゲームに夢中で彼女できなかったし、マジで見てみてぇんだよ!」

「あ、あはは、ご、ごめんなさい……っ、でも、真面目に言うもんだから……っ!」

 

 憮然としているレイジさんには本当に申し訳ないと思いつつ……私は、しばらく笑いの発作を抑える事ができなかったのでした。

 

 

 

「はーっ、笑い死ぬかと思いました……」

「……ったく」

「だから、本当にごめんなさいってば」

 

 憮然とするレイジさんに、苦笑しながら謝ります。

 

「確かに学生生活を羨ましく思うのだけど……別に、いいかな」

「……どうしてだ?」

「だって……私が学校に行きたかったなぁって思うのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()、だもの」

 

 それは、学業に対して少々不純な動機だとは思いますが、紛れもない私の本心。

 

「お……おぅ」

「あはは……なんだか、恥ずかしい事を言ってしまいましたね」

「いや、まあ、それは良いんだが……」

 

 困ったように頬を掻いているレイジさんが、気まずそうに周囲に視線を飛ばしていました。

 

「お前さ……ここが街中だって、忘れてないか?」

「え……――ッ!?」

 

 ――忘れてた。

 

 慌てて周りを見渡すと、全方位から向けられる生暖かい視線。

 どこからか「若いって良いわねぇ……」と聞こえて来た段になって、一瞬で私の羞恥心が限界を迎えました。

 

「いっ……行きましょう、レイジさん!」

「お、おぅ」

 

 レイジさんの手を取って、足早にその場を後にするのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ……しばらく、あの辺りには行けません……」

「まぁ、落ち着けって。明日になれば皆忘れてんだろ」

 

 ずーん、と沈みながら、やや古びた街並みの区画を歩いていると。

 

「……あ」

 

 そんな中……ふと足が止まったのは、古めかしい佇まいの宝飾店。

 その中に陳列されていた商品の輝きに、妙に惹かれるものがあった為でした。

 

「……イリス、どうした?」

「あの、少しだけ……この店に入ってみたいのですが……」

「アクセサリーショップか。いいぜ、入ろう。なんならこないだの賞金もあるし、一個気に入ったのがあったら買ってやるよ」

「そ、そんなつもりじゃなかったんですが……」

「ほら、いいから見て行こうぜ」

 

 慌てて遠慮しようとしたら、当のレイジさんに手を引かれ、店内へと引きずり込まれてしまいました。

 

「でも、それなら……じゃあ、これを」

 

 迷わずそっと指差したのは……赤い石が中心に嵌った、銀細工でできた一対のペアとなったペンダント。

 実のところ、足が止まったのはこのペンダントが目に入ったのが理由でした。

 

 二つセットでお互い持てるという事と……なんとなく、レイジさんの髪色に似ていたからというのは秘密です。

 

「これか? っと、結構値が張るな」

「あ……本当ですね。というか全部、結構なお値段です」

 

 言われてようやく気付き、周囲を見回すと……今まで歩いてきた店にもアクセサリーはありましたが、それより一つか二つ桁の違う値札が並んでいました。

 

「ま、まぁ今の所持金なら問題なく買えるから、遠慮する必要は……」

「――なんじゃ、お主ら表の説明書きを見ておらなんだか。ここは色々な魔石を使用した魔装具店じゃ、ちと値も張るぞ?」

 

 レイジさんが気を取り直して続けようとしたその時、奥から掛かるしわがれた声。

 出てきたのは、すでに腰も曲がった、かなりの高齢と思しき老婦人でした。

 

「あ……ごめんなさい、素晴らしい品々に、ふらりと入ってきてしまったもので」

「おお、そうかそうか、うちの爺様は、腕の良い職人じゃったからなぁ」

「へぇ、並んでいるのは皆、お爺様の手作りなのですね、奥様?」

「ほっほっ、婆で結構じゃよ、奥様は流石にこそばゆいわい」

「はい……えっと、お婆ちゃん?」

 

 機嫌良さそうに笑う老婦人にそう言うと、彼女は嬉しそうに、うんうんと頷いていました。

 

「それで……おお、これが良いのかい、お嬢さんはお目が高いねぇ」

「お婆ちゃん、これは何か由来のある品なのですか?」

「うむ、これには結絆(ゆいはん)石という、特殊な天然の魔石が使用されていてな」

「絆を……結ぶ……石?」

「おお、よく分かったな、その通りじゃ。他にも、感応石などと呼ばれたりするのぅ」

 

 そう言って、件のペンダントの片方を手に取り、もう片方と寄せたり離したりを繰り返す老婦人。

 すると、中心に象嵌された石が接近するたびに、二つのペンダントが淡く輝いていました。

 

「同じ石から切り出した物である限り、どれだけ離れていてもお互いに向けて弱い波を放ち想いを繋げる……のだそうじゃ」

「へぇ……すごくロマンチックなお話ですね」

「うむ、うむ。やはり、若い娘さんはこのような話には興味あるようじゃな」

 

 そっと手にしたペンダントを元の位置に戻しながら、どこか悲しげな目で見つめる彼女。

 

「……本当は、これは人からの頼まれ物だったのじゃよ」

「頼まれ物……ですか? ならば、何故お店に……?」

「それは……もう、依頼主が取りに来る事もあるまいからな。すまんが、座っても良いかのぅ。この年になると、立ったまま話をするのは辛くての」

「あ……すみません」

 

 老婦人を支え、カウンター裏の椅子へと誘導して座らせます。

 

 ついでに、腰へ軽く治癒魔法も掛けておく。

 老化由来の腰痛そのものを治す事はできませんが、炎症を抑え苦痛を軽減することはできるはずです。

 

「驚いた……よもやお嬢さん、聖女様かえ」

「えっと……あはは、そのようなものです」

 

 ありがたや……と拝む老婦人に、曖昧に笑って誤魔化します。

 

「それで……あのネックレスの依頼主についてじゃったな。あれを依頼したのは、()()()()()()()()()()()じゃった」

「やんごとなきお方、ですか」

「うむ、ずいぶんと私達も贔屓になったお方でな、そんなあの方が言うには、妹に贈りたいとの事だった」

「仲の良いご兄妹、だったのですね」

「そうじゃな……兄の方は常に何か張り詰めたような険しさのお方じゃったが、妹御と一緒にいる時だけは、別人のように穏やかじゃった」

「へぇ……妹さんの方は?」

「うむ。妹御の方も小さな頃からずっと、いつも兄様、兄様と後ろをついて歩いておってな、ほんに、微笑ましい光景じゃったよ」

 

 懐かしさに目を細めるようにして、語る老婦人。

 だけどそれはすぐに、沈痛なものへと変わります。

 

「まぁ……複雑な事情を抱えた生まれのせいか、兄妹揃って父親に疎まれておったらしいからの。その一派には敵視されていた二人にとってそれは、自然の流れじゃったのだろうよ」

「……え?」

「なんせ、拐ってきたも同然の(めかけ)の息子が長男となり、他の子の誰よりも優秀だったのじゃからな。妹御に至っては、兄弟親戚で唯一天族の証である翼を持たなんだ。それはもう、兄の方が家を継ぐまでは、わしらから見ても何もそこまでという父親からの冷遇っぷりじゃったわ」

「それは……酷い話ですね」

「うむ……常に一緒に分かち合う事ができる者が身近に居ただけ、まだ救われていたのかもしれんがの」

 

 親に冷遇されていた、やんごとなき家の出の兄妹。

 どこかで聞いた話に、私はこの時点で薄々、誰の事か気付き始めていました。

 

「……そんな訳で、まだ子供だった頃からその兄妹の事を見てきた爺様じゃ。それはもう張り切っておったのう」

「あの、その方とは……」

「だが、注文したすぐ後、受け取りに来る前に二人とも行方知れずとなってしもうた。あの時は大騒ぎじゃたなぁ……」

 

 しみじみと語る老婦人。

 

 ――行方不明となった、高い身分にある人物。

 

 それに心当たりがある私とレイジさんが顔を見合わせますが、老婦人の話は更に続きます。

 

「……あれから二十五年以上経つが、もしかしたらまたふらりと受け取りに来るかと思い、大事に保管していたのじゃが……作った爺様が、去年亡くなっての」

「それは……ご愁傷様です」

 

 大事に守り続けていた、精魂込めた作品を、依頼した人に渡せずに逝く……さぞ、悔しかったのでしょうと、その心中を察します。

 

「わしも、もう長くはない、抱えて逝くくらいならば、せめて誰かの手にと思い店に並べたところで……お嬢さん達が来たのじゃよ」

「そう……だったんですね」

 

 何という偶然だろう。

 レイジさんの方を見ると、彼も分かっているとうなずきました。

 

「あの、お婆ちゃん。あのペンダントなんですが……」

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃお嬢さん、大事にしてやっておくれよ」

「はい、お爺様との思い出の品、譲っていただいてありがとうございました、ずっと大切にします」

「いやいや、お嬢さんなら、爺様もきっと草葉の陰で納得してくれておるわ」

 

 呵々と笑いながら見送ってくれる老婦人に……私は、立ち止まる。

 

「……お婆ちゃん」

「ん、どうしたのかね、お嬢さん」

「ご夫婦で大切に守っていただいた事、本当にありがとうございます……()も、こうして私達の手に渡った事、きっと喜んでくれていると思います」

 

 フードを外して、頭を下げ礼を述べる。

 そんな私を見て……お婆ちゃんは、目を見開きます。

 

「あんたは……そうじゃったか。あの人の妹さんは、あんたの……なるほどなぁ、肖像画とそっくりな美人さんだわい」

 

 そう、目に涙を溜めて語る老婦人に見送られながら、私達は帰路へと着くのでした

 

 どうやらかなり長い時間話し込んでいたみたいで、街はすでに、オレンジ色に染まっていました。

 

 

 

 

「……ごめんなさい、つい話し込んでしまって」

「気にすんな、良い話が聞けたんだろ?」

「ええ、本当に」

「ま、先に帰ってるであろうソールには、怒られそうだけどな」

「ふふ、そうですね」

 

 レイジさんの少し戯けた調子の言葉にクスクス笑っていると……ぽん、と大きな手が頭に載せられた感触。

 

「……良かったな」

「レイジさん?」

 

 不意に私の頭を撫でながらそう言うレイジさんに、首を傾げます。

 

「たしかに、前王がした事は納得した訳じゃない……けど、きっとお前の母ちゃんを大事に思っていたんだろうな……って思ったからさ」

「ええ、本当に……」

 

 何故日本に来て、どのようにして向こうの父さんと愛を育み一緒になったのか、その経緯は分かりません。

 ですが……私を産んだ事は、不幸なだけではなかったのかもしれない。その事に胸が軽くなる思いでした。

 

 寄り添って帰路に着く私達。

 その胸には、赤い魔石を象嵌した銀細工が、それぞれ光を放っているのでした――……

 



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雪中行軍

 

 ――硝雪の森。

 

 触れるもの全てを斬り裂く独自の植生と、踏み込んだ者の足を貫き削る砂で構成された森。

 しかし危険はそれだけでなく、磨き抜かれた鏡のような結晶で構成されたその森は、無数の虚像と不規則な光の反射で哀れな迷い人の精神さえも蝕む。

 

 四方どころか上下の感覚さえ失ってしまいそうなプリズムの輝きに満たされる中。

 しかし、周囲に舞い散る鮮烈な紅と、むせ返るような血臭が、皮肉にも私達を幻惑から守ってくれていた――……

 

 

 

 

 

「斉天、そっち行ったぞ!」

「応、任せるがいい! 『オーラブレード』ォ!!」

 

 今すでに二体の魔物と交戦している、全身を覆う防護服に身を包んだレイジさんから、鋭い声が飛ぶ。

 その声を受けて、脇をすり抜けた一体の魔物……クリスタルの刃を毛皮の代わりに纏っている、禍々しい姿の狼の前に、前線を張るレイジさんと兄様が抜かれた際、後衛の守衛として控えていた斉天さんが立ちはだかります。

 

 その斉天さんの剣状のオーラを纏った拳が、狼の胴体を真っ二つに断ち割りました。

 

「ぬぅ、触れられないというのは、やはりやりにくいな!」

 

 皆、環境ダメージを防ぐための分厚い防護服と、乱舞する光から視界を守り、呼吸器を守るための顔全体を覆うマスクを纏い、ただでさえ動きは鈍ります。

 

 更には敵は触れたもの全て切り裂く『硝雪の森』の魔物。拳で戦う斉天さんにとっては苦手な相手でしょう。

 

 それでも今は、戦技を活用してやりくりしているみたいですが……全て使い切れば、身を守るのさえ覚束なくなる。

 

「斉天さん、オーラブレードの効果時間が終わったら、専守防衛に努めてください! スカーさんは斉天さんが止めた敵を、ミリィさんはソール兄様の抱えた敵を優先しての援護お願いします!」

「任せろ、イリスちゃん!」

「ガッテンにゃ!」

 

 スカーさんの銃が豪砲を上げ、今まさに斉天さんへと飛び掛からんとした結晶狼の頭を粉砕する。

 ほぼ同時に、最前列、ソール兄様の方へと集まりかけていた結晶狼達が、ミリィさんのフォトンブラスターの輝きの中へと消えていきました。

 

 そんな光景を、()()()()()()()()()()()()から見渡し、戦局を眺めながら指示を出す私。

 

「ナカナカ良イ指揮ヲスルナ、光翼族ノ娘」

「あ、ありがとうございます……」

 

 私の視点が高い理由……私が腰掛けているあたりから聞こえてくる、低く無骨な声。

 

 私は今、同じく防護服を纏う三メートルは優に超える巨体を持つ人物……トロール族の青年の肩に担がれて、座らせられています。

 

 そして今も、彼の仲間達がその強靭な肉体と再生能力を頼りに、周囲の木々の合間から現れる魔物を食い止めてくれていました。

 

 そんな彼らにこまめに治癒魔法と防御魔法を飛ばしながら……僅かに、彼らと合流した時に思いを馳せます。

 

 

 

 ――王都から列車で最寄りの駐屯地へと向かい、そこから『硝雪の森』へ向かった私達。

 

 その途中、森の直前で『剣聖』アシュレイ様に紹介したい者たちが居ると言われ、引きあわせられたのが、彼らトロール族の若者達でした。

 

 辺境調査の折、アシュレイ様がお世話になったという彼ら。

 移住を希望する彼らに、アルフガルド陛下は構わないと返答したそうです。

 

 ただ……流石に、人が住う場所の側というのは難しい。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが、私達が今向かっているティシュトリヤ周辺の辺境地域。

 彼らは、そのティシュトリヤの民たちとの交渉と、新たな住まいを選定する為に、こうして同行してくれているのでした。

 

 

「あなたも、ありがとうございます……ええと、グ=ルガルさん」

「フフ、気ニスルナ。御子様ノオ役ニ立テタノナラバ、私共トシテモ光栄ダ」

 

 どうやら、『光翼族』信仰は彼らトロール族の中でも根強いらしく、出会って早々に最敬礼で迎えられ、以降もこのように文字通り下に置かせぬ扱いです。

 

 ……というか、まぁ。

 

 彼らトロールの青年は皆、武を極めんとする種族なためなのか……非戦闘員や非力な後衛職、とりわけ女性にとても優しい紳士な方々です。本当に驚きました。

 

 

 

「ですが……流石最高危険度の禁域、魔物の強さも相当ですね」

 

 親指を噛みながら皆のリソースを確認しつつ、高い場所から俯瞰で戦局を眺めます。

 

 ……周辺から湧いて出る魔物の一体一体、それら全てが、以前コメルスに向かう途中の離島で交戦したあの鹿の魔物に準ずるくらいの強さ。

 

 兄様が三体、レイジさんが二体の狼を常に引き留めてくれていますが……今後の道程を考えると極力避けたいところではありますが、場合によっては数日に一回しか使えないレイジさんの『アドヴェント 』の活性化も視野に入れるべきかもしれません。

 

 

 一方で……

 

「ふ……若者達も頑張っておるのだ、私達も負けていられんぞ、お主ら」

 

 そう言って、まるで流水のように滑らかな動きで狼の間を縫うようにして立ち回り、手にした一刀で首を落としていくアシュレイ様。

 

 その危なげない様は、流石は王国最強の魔法剣士と言われるだけあります。

 

「お前達、(おきな)にだけ働かせるなよ!」

「分かってます、でないとまた地獄の強化合宿ですからね!」

 

 軽口を叩きながら、一人が盾に魔法障壁も併用して相手の攻撃を受け止めたところへと数人で斬りかかり、機動力を奪ったところに後ろからの魔法で焼き尽くす、という戦術で淡々と屠っていく『黒影』の騎士達。

 

 流石に統率が取れた動きで危なげも無く、こちらも暗部の精鋭部隊だけはあります。

 

 

 

 

 

 そうして、周辺が血臭漂う凄惨な光景となった頃……ようやく、群がってくる魔物の波状攻撃が止みました。

 

「イリス、周囲に魔物の反応は?」

「……大丈夫、私の感知できる範囲内には居ないみたいです」

 

 広域に渡り結晶の魔物を感知できる私の太鼓判に、ようやく兄様が盾を下ろします。

 

「ふう……なんとか凌いだね」

「ああ。皆、防護服に破損は無いか?」

「はい、後ろから見た感じでは目立った損傷がある人は居なさそうでした」

 

 元々この『硝雪の森』の全方位刃という過酷な環境に耐え得る防護服だけあり、分厚い耐刃繊維と錬金術の粋を集め作られた防刃・防塵仕様の綿に守られたその耐刃性能は折り紙付きです。

 代償としてかなり重量はありますが、今回の結晶狼は全身の刃物を武器にする敵なため、大した損傷とはなりませんでした。

 

 もっとも……直撃を受けていればその限りではないため、油断はできませんが。

 

「そうか……一応数人でグループ作って全身確認するようにね」

 

 万が一防護服に損傷があり、中に雪や砂が入り込むと大変な事になります。

 そのため、兄様の指示に皆で装備のチェックを行う。

 

「はい、細かな傷は付いていますが、表面を抜けたものはありませんでした」

「おう、サンキュー。イリスは……ま、大丈夫か」

「あはは……戦闘中はずっと担いでもらっていますからね」

 

 レイジさんとお互い装備をチェックし終え、皆の様子を眺めながらそんな会話をする。

 

「しかし、『黒影』の騎士達やトロールの人達もいて、マジ助かったな」

「ええ……これで一番安全なルートなら、どうやって普段は往来しているのでしょうね……」

 

 そんな疑問を呟きながら歩いていると、返事はハヤト君と一緒に点検していたアイニさんから返ってきました。

 

「いえ、違うのです……普段は、こんなに遭遇はしないのですけど」

「そうなのか、アイニ姉ちゃん?」

「ええ……いつもは慎重に進めば、滅多に鉢合わせはしなかったんですが……どうも、今回は何かに引き寄せられて来ているような感じがします」

 

 アイニさんと、そんな彼女の護衛で殿を守るハヤト君の会話に耳を傾ける。

 

 ……私が居るからですね。

 

 数日前に夢で見た『奈落』……本来の私の体。

 あれが私の事を認識した事で、源流を同じくする結晶の魔物たちが、元の魂を有する私へと引き寄せられている……そんな気がするのだ。

 

 そう、申し訳無く思っていると……ポンと、頭に置かれた手の感触。

 

「……そんじゃ、ま。やるべき事はさっさと森を抜ける事だな。おいソール、こっちはだいたい大丈夫そうだぞ!」

「あ……」

 

 気にするなとばかりに私の頭を撫でながら、リーダーとして行軍を取り仕切っているソール兄様にそう告げるレイジさん。

 

 ……マスクで表情は見えない筈なのに。

 

 どうせお前がヘコむであろう事は分かっている……と言わんばかりな彼の行動に、私はふっと口元が緩むのを抑えきれないのでした。

 

「そうだね、あまり長居したい場所ではないし。トロールの皆さん、引き続きイリスとアイニさんは任せても?」

「ウム、任サレタ。レディ達ハ我ラノ誇リト責任ヲ持ッテ守リ抜コウ」

「助かります」

「また、お願いしますね」

 

 どんと胸を叩いて請け負ってくれる彼らの厚意に甘えさせて貰い、脚の遅い私とアイニさんは再び担ぎ上げられるのでした。

 

「あの、ソールさんや、私だって非力な後衛女子なんですがにゃ?」

「ミリアムは超効率良い浮遊魔法で飛んで着いてこれるでしょ」

「むう、その私に対する雑な扱いには断固抗議するにゃ!」

 

 何やら以前よりも近い距離で口論しながら、並んで先頭を歩く兄様とミリィさん。

 そんな二人の様子に……そんな場合では無いと思いつつも、隣を歩くレイジさんの肩をつつく。

 

「あの……レイジさん。あの二人、随分と距離が近くなった気がしません?」

「そうか……? 元は女友達同士、あんなもんだろ」

「そうかなぁ……」

 

 そういえば、兄様とミリィさんは先日、二人で買い出しに行ったはず。

 その時に何か無かったのだろうかと、私は気になって仕方ありませんでしたが……場所が場所なため、すぐに気分を切り替えます。

 

「ではソールクエス殿下、私が先導しますので、殿下らは着いて来てください」

「はい、お願いします、アシュレイ様」

「残る『黒影』の皆は、最後尾を頼むぞ」

「「「了解しました!!」」」

 

 アシュレイ様の指示に、敬礼を返す『黒影』の騎士達。

 

 あっという間に先頭にいたソール兄様達を抜いて走っていく彼に先導され、私達はまだまだ続く禁域を、足早に駆け抜けるのでした――……

 

 

 

 

 

 





以下、どうにも話の中に挟めなかった補足。

・トロール族の名前

今作中のトロールの命名規則は、(部族名)=(個人名)という組み合わせになってます。
なので、今回名前が出たグ=ルガルさんは「グ族のルガル」という意味になります。
また今回は出ていませんが、族長や長老などの役職があるトロールは、さらに後ろに名前が続く事もあります。


・スノーはお留守番?

外は危険なので、ペット専用の防護機能付きキャリーケースに入った状態で非戦闘員のアイニさんが抱えてます。


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到着、ティシュトリヤ

 

 あの後、数回の遭遇戦があった程度でどうにかトラブルもなく、無事に『硝雪の森』を抜けた私達一行。

 

 更に一日、アイニさんの案内で氷河を北西へと遡った先……不意に暖かな空気に包まれた場所に、目的地である隠れ里は存在していました。

 

 

 

 

「ここが……ティシュトリヤ……」

 

 険しい北の連峰から流れて来る、豊かな雪解けの清流と、奥に見える大きな滝。

 おそらくはその流れが何千何万年と削り続けたのであろう深い谷……その崖下に隠れるようにして、川の両端に沿うように集落が広がっていました。

 

 清流の涼やかな音と共に、緩やかな刻がゆっくりと流れる秘境……そんな風雅な佇まいの里に、思わずほぅ……と溜息が漏れます。

 

 それにしても……

 

「なんだか、随分とこの辺りは暖かいですね?」

 

 男性陣からは仕切りを隔てた先で、分厚い防護服を脱ぎ、改めて普段の旅装束へと着替えながら、アイニさんへと問いかけます。

 

 硝雪の森を抜けてからも、ここまでの道中はこれまでにも増して極寒の氷原だった筈です。

 ですがこの里の周辺には雪もなく、ポカポカと暖かい空気が漂っていました。それこそ、防寒着を脱いで着替えができるほど。

 

「ええ、この辺りは湯量の豊富な温泉が湧いていますからね。どうやらこの一帯は火山活動の影響なのか、地熱が高いらしいのです」

「温泉……っ!」

 

 水道整備が整っていない辺境への旅。

 お風呂などしばらくは望めない、浄化魔法で凌ぐしかないと覚悟していましたので、もしかしたら天然温泉にありつけるかもしれないと、期待に胸躍ります。

 

「なるほど……道端にところどころ湯気が立っているのは、その蒸気か」

 

 得心が言ったように呟く、里の風景を眺めていたレイジさん。

 

「はい、この里では野菜やお肉を蒸して料理にしたりと、生活する上で無くてはならないものですわ」

「……私達が居た場所にも、似たような温泉地がありましたね」

「ああ、別府の地獄蒸しだね」

 

 世界が変わっても、同じような利用のされ方をしている事に、兄様と二人、はー……と感心するのでした。

 

 そんな会話をしながら着替えを終え、荷物を片付けた後。

 ここまでアイニさんが携えていたペット運搬用の防護ケースを開けてあげると、それまで不貞寝をしていたスノーが、勢いよく私へと飛び掛かって来ました。

 

「ごめんなさいね、忘れていた訳ではないのよ」

 

 抗議のつもりらしく、てしてしとその肉球で私の頭を叩いて来るそのスノーの背中を撫でてやりながら、皆と合流します。

 

「それじゃ、長様のところに案内するわね」

「は、はい……」

 

 隠れ里の長。

 果たしてどのような方なのか……期待と不安がないまぜになりながら、私達は先導するアイニさんについて里の奥へと進むのでした。

 

 

 

「あら、あなた……お帰りなさい、アイニ」

「はい、お久しぶりです」

「この方々は、どうしたの?」

「客人です、長様へと挨拶へ行くところなの」

「あら、まあまあ……それはそれは、遠路はるばるご苦労様」

 

 すれ違う方皆と挨拶を交わしながら、先を行く彼女。

 よほど信頼されているのか、皆、アイニさんの連れというだけでかなり好意的に接してくれました。

 

 中には……

 

「鶏が今日は良く卵を産んでねぇ。傷む前に蒸していたのだけど、良かったらどうぞ?」

「わぁ、ありがとうございます、いただきます」

 

 山盛りの卵をザルにあけていたお婆さんに、熱々の温泉卵をご馳走になったりもしました。

 

 殻をむき、パラっと削った岩塩を軽く振って、かぶりつく。

 

「……美味しい!」

 

 ぷりっと新鮮な白味の弾力と、微かな塩味によって引き立てられた卵本来のほのかな甘味があって、とても美味でした。

 

「そうかいそうかい、お嬢さん、ありがとよ」

「いいえ、こちらこそ。ご馳走さまでした」

 

 皆でお婆さんに礼を述べながら、温泉卵を完食した私達。

 彼女は、そんな私達をニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべ、見つめていました。

 

「……私、隠れ里というのだから、もっとよそ者に厳しいのかと思っていました」

「まぁ、たしかに私らにゃそんな面もあるけどね。あんたら、アイニ嬢ちゃんのお仲間なら話は別さ……それに、お嬢さんは、どうも他人の気がしなくてねぇ」

「あはは……」

 

 鋭い。

 

 とはいえ、騒ぎを起こすのは本意ではありませんので……私は翼はしまったまま、曖昧に笑って誤魔化すのでした。

 

 

 

 奥に行けば行くほど、建物は迫り出した崖の下に隠れるように、家屋は奥まった場所へと建てられていました。

 

 谷底から空を見上げるというなかなか珍しい体験に感激しつつも、聞きたいことがあった私は、先を行くアイニさんに小走りで駆け寄り、並びます。

 

「あの……長様って、どのような方なのでしょう?」

「そうですね……とても、可愛らしい方ですわ」

「え、か、可愛い……?」

 

 悪戯っぽく答えるアイニさんの、長という役職にあまりそぐわないその言葉に、思わず戸惑いの声を上げる私。

 そんな私の足元では、スノーまで「おん?」と疑問の声をあげていました。

 

 そんな中向かったのは、里の最も奥まった場所、他よりも二回りほど大きな(いおり)でした。

 

「お久しぶりです長様、アイニです。ただ今戻りました」

「うむ、お主が帰った事は村に踏み入った時から承知しておる。遠慮せずに客人共々入って来るが良い」

 

 建物の中から聞こえてくる、そんな声。

 ですが……長、という役職のイメージからすると、あまりにもその声が高く艶があり、若い。というかむしろ……幼い。

 

「ふふ。長様に初めて会う方は、驚くかもしれませんわね」

「然り。だが、紛れもなく彼女が長殿よ。さ、行くぞ」

 

 アイニさんと、長様と面識のあるというアシュレイ様の二人に促され、庵のドアを潜る。

 

 そこに居たのは、安楽椅子を揺らし、煙管(キセル)を燻らせている……見た目、アンジェリカちゃんくらいの小さな女の子。

 

 床に触れんばかりの長さの、新雪の如く真っ白な髪と、紅玉(ルビー)のように澄んだ真紅の瞳。

 

 絶世の美少女と言っても過言ではない、お人形さんのように整った容姿ではありますが……長と呼ばれた彼女は、紛れもなく幼い女の子の姿をしていました。

 

「遠路はるばるご苦労であった、御子殿。さぞ疲れたであろう? 部屋を用意させるから、今日はゆっくりと体を休めるが良いぞ」

「お……お心遣い、感謝します」

 

 トントンと煙管の中身を灰吹きへと落としながら、私達へ労いの言葉を投げかける少女。

 その妙に時代掛かった喋り方をする少女に戸惑いながらも、私も皆を代表してスカートの端を摘み、礼を述べます。

 

「えっと……この方が?」

「ええ。この方が、私達の長老の……」

 

 アイニさんが、長様の紹介をしようとした……その時でした。

 

 ――バッ! 

 

 勢いよく、複数人がしゃがみ込んだ音が、背後から響きました。

 驚いて背後を振り返ると……そこでは、後ろを着いて来ていたトロール族の青年達が、一斉に跪いていました。

 

 

「「「……お久しぶりです、()()()!!」」」

 

 一斉に、響き渡る野太い声。

 汗を額に浮かべ、浅黒い顔を蒼白にしながら平伏している、トロールの青年達のその言葉に……初めて訪れた私達は、ぽかんと言葉を失います。

 

「……魔王、様?」

 

 

 

 ……一概に魔王といっても、歴史上では複数人存在しています。

 

 例えば、大きな災いを撒き散らした凶悪な魔物や、悪逆非道な暴君。

 

 この世界で有名なところで言えば、過去に東の諸島連合を制圧し、アクロシティへと攻め上がった無名の老人なども、その所業から魔王と呼称されています。

 

 

 

 ですが、ここノールグラシエ大陸で、亜人であるトロール族に敬われている魔王といえば。

 

「えぇと、『魔王アマリリス』……?」

 

 それはノールグラシエに伝わる、昔話。

 

 遥か昔……何百年も前、北大陸においてノールグラシエ王国とその覇を競いながらも、拡大する『硝雪の森』の影響で自然と分断され、戦乱もなし崩しに消滅した、亜人達の国の王。

 

 ――其は、夜を統べる始原の赤。

 

「うむ、(われ)が、()魔王にして至高の赤(ノーブルレッド)最後の一人、アマリリス=ルアシェイアである。皆の者、苦しゅうない。楽にするがいいぞ」

 

 私が、皆の代表のようにコテンと首を傾げると……そんな私の視線の先で、白髪の女の子が小さな牙を覗かせて、意地の悪い笑みを浮かべていました――……

 



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外の世界

 

 トロール族の若者達が、同席など恐れ多いと退室した部屋の中。

 

「お久しぶりです、アマリリス殿。こちらは手土産の、東の国の清酒です」

「おお、すまんなアシュレイ坊。いやあ、こいつを温泉で雪を見ながら一杯やるのが。実にオツなものでな……」 

「はは……いまだに私を坊主と呼ぶのは貴女くらいなものですな。いや、気恥ずかしい」

「ふふん、我にとっては主などいくつになっても童よ」

 

 アシュレイ様とアマリリス様が、旧知の友人と話すように再会を喜び合っていました。

 

「……なんだか、頭がバグりそうな会話だな」

「ええ、本当に……」

 

 ゲンナリとそう呟くレイジさんに、私も同意します。

 高齢に差し掛かるアシュレイ様が、見た目は(かなり譲歩して)十歳程度にしか見えないアマリリス様に坊主坊主と子供扱いされている光景。

 

 そのちぐはぐな様子に頭を抱えていると、どうやらひと段落したらしい二人が席に着いたので私達もそれに倣います。

 

「……さて、改めて名乗るとしよう。我はアマリリス・ルアシェイア。昔は魔王などと呼ばれて大層イキり散らしていた、現このティシュトリヤの里長じゃ」

 

 そう、真剣な表情に戻って告げるアマリリス様。

 話を始めるその前に……どうしても、聞いておきたい事があった私が、そっと挙手をします。

 

「あの、失礼ながら、アマリリス様の種族というのは……」

「お、この牙が気になるのじゃな。左様、我はノーブルレッドと言う……()()()()()()()()()『吸血鬼』なる存在じゃ」

 

 ま、厳密に言えば色々と違うがの、と肩を竦めて語る彼女。

 

「……待って欲しい。あなたは今、()()()()()()()()()、とおっしゃいましたね?」

「って、あんたは知っているのか、俺たちが別の世界から来たって!?」

 

 兄様の言葉にハッとして、食って掛かるレイジさん。他にも、ミリアムさんやハヤト君、スカーさんに斉天さん……この場に残っている皆、驚いた表情を浮かべていました。

 

「うむ、存じておる。詳しい話を知ったのはつい最近、おかしな小僧を拾ったおかげではあるがの」

「おかしな小僧……ですか?」

「ああ、そやつは三月ほど前にこの街にふらっと現れて以来、老いぼれドラゴンの庵で本ばかり読んでおるよ。興味があるならば、老いぼれの所に案内するついでに紹介してやろう」

 

 そう、どこか不機嫌そうに頬杖を付きながら語るアマリリス様。

 

「全く……あやつめ、わざわざこの我があししげく通うて様子を見に行ってやっとるというのに、書物ばかりに興味を割きおって……」

 

 苛立たしげに呟きながら、アイニさんが淹れてきた香茶を啜り……そこで、ハッとしたように椅子に座り直す。

 

「……こほん。話の続きをせねばな。さて……あの老いぼれの所に行く途中に寄ったと言うことは、おそらく『白の書』と、先王アウレオリウスの足跡に関してじゃな?」

「はい……あの人が居なくなる数日前に、『白の書』を紛失したと聞きました。それに、文献でも彼がその書を欲していた事が記されていて……」

 

 そう前置きして……先日、離宮の書庫で見つけた先王アウレオリウスの手記について、彼女に説明します。

 

 

「……結論から言うと、先王アウレオリウスの狙い、自らの妹の胎の内に生じた胎児に、白の書に封じられていた光翼族の魂を降すというその目論見は、成功していた。そしてそれは、お主が一番よく理解している……じゃろう?」

「はい……それはもう」

 

 私の方に話を振って来たアマリリス様に、私も頷きます。

 

「私の事も、ご存知だったのですね?」

「うむ……他でもない、我が、きゃつの妹御に……その腹の子に禁呪『ソウル・リンカーネート』を施術した張本人じゃからの」

「そ、そうだったんですか!?」

「当然じゃろうが。あれはもう遺失していて、我にしか使えるものはおらんし、墓まで持っていくつもりじゃ。誰かに教えるつもりもないがの」

 

 彼女の言葉に驚きはしたものの、あらためて言われると、むしろ納得でした。

 遺失魔法(ロストスペル)の禁呪など、一体どこから持ち出したのかと思っていましたが……遙か昔から生きている魔王様ならば、知っていて不思議はありません。

 

「で、では先王が書を持ち出したと言うのは……」

「当然、我も関与しておる」

 

 アイニさんの質問に、弁解はしないという様子で頷く彼女。

 

「それが必要と唱えるあの先王の話に、我も賛同した。共犯者じゃよ、あの兄妹と我はな」

 

 

「それと……おそらくは主が気にしている事に関しても、答えておこうかの」

「わ、私……?」

「そうじゃ、顔に出ておるぞ、両親二人の関係が気になって仕方ない、とな」

 

 そう、私の方へと優しい目を向ける彼女。

 

「我から見ての、私見の話ではあるが……決して、主の母は望まぬ子を授かった訳ではないと思うておる。あの娘は、自分の意思で決めて先王の計画に協力しておったのだ……とな」

 

 そうでなければ、協力以前に我の手であの不貞の輩を引き裂いてくれておるわ、と、からから笑うアマリリス様。

 

「……お主が胎の中に宿った事を、あの娘は我に幸せそうに、誇らしげに語っておった。それだけは確かじゃったから、我も最終的には折れて助力する事にしたのじゃからな」

「そう……だったんですね」

 

 倫理的には、許される事ではないのかもしれない。

 だけど、アマリリス様の語った両親の話は、確かに私の胸の内を軽くしてくれました。

 

 しかし……すぐに彼女のその表情が、沈痛な面持ちに曇ります。

 

「じゃが……誤算があったのじゃ。あの書には、悪用を避けるために、正式な使用法に則り使用した際に発動する呪いが施されておった」

「呪い?」

「うむ、おそらくは里に持ち込んだ光翼族が仕込んでいたのであろう……使用者を『外の世界』へと強制的に放逐する呪いがの」

「外の世界、ですか?」

 

 それは……あの人、リィリスさんの夢にも出てきた言葉。

 

「うむ。ちなみに『こちら側』については、老いぼれ竜は『ケージ』と呼んでいるのう」

「ケージ……檻、ですか?」

「そうじゃ。侵食虚数世界がこちら側の世界全てを覆うのを防ぐため、外部に『幻想(ファンタジー)』に属するものが漏れぬようにシャットアウトしている、隔離された檻。お主らが『アイレイン』と『アーレス』と呼んでいる二柱の存在によって、隔離された世界……それがこの『ケージ』じゃ」

 

 サラリと語られる、衝撃的な話。

 シンと静まり返る部屋の中、私は、疑問に思ったことを問うために口を開きます。

 

「では、その外の世界というのは……」

「うむ。この世界が、先王の小僧が言う『奈落』を世界に広めぬよう隔離するためのケージとして、切り離される前にあった世界……」

 

 そこで一口、茶を口にして舌を湿らせるアマリリス様。それはまるで、私達に心の準備をさせるかのように。

 

 そして……彼女の口が、ゆっくりと開かれます。

 

 

 

「――その名を、『テラ』と言う」

 

 

 

 ……静寂。空気が、ひどく重くなった気がした。

 

「……は?」

 

 不意に出てきたその名前に、間の抜けた声が私の口から漏れました。そしてそれは、この場に集う私たち『プレイヤー』皆同様に。

 

「む、聞こえなんだか? 外の世界、その名を『テラ』と……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「テラって、その名前は……!」

「ああ、それじゃまるで……!?」

 

 騒然となる私たちですが……彼女の声には、嘘や冗談の類は一切見受けられませんでした。

 

 ――漠然とした予感は、思えば今までもあったかもしれません

 

 ですが、今回とうとう明言されたショックが、理解を阻害していました。

 

「その通り――あるいはテッラ、ガイア、アース、地球……様々な呼び名はあるが、『外の世界』と言うのは紛れもなく、()()()()()()()()()()()()の事じゃ」

 

 アマリリス様はそう、真っ直ぐこちらを見て、告げたのでした――……

 



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裸の魔王様

 

 

「お主らも、考えを整理する時間が必要じゃろう。今日は温泉にでも浸かって、ゆるりと休むが良い」

 

 この世界が実は私達の世界と源流を同じくしている……その事実に、騒然となる私たち。

 そんな私たちを見かねてそう告げたアマリリス里長の厚意によって、その日は解散となった。

 

 

 

 たとえショッキングな情報があったとしても、温泉を逃すのは勿体ない。

 

 そんな訳で、私たちはアイニさんの案内で、温泉へと繰り出したのでした。

 

 ……ちなみにスノーは、どうやら微量に感じる硫黄臭が嫌なようで、アマリリス様の庵に引き篭もってしまいました。残念。

 

 

 

 

 

「わぁ……」

「こういう露天風呂は、流石に初体験にゃね」

「ふふ、いつもはちゃんと内風呂もあるからそちらを使うんですが、里長様が客人にはこちらが良かろうとおっしゃいまして」

 

 

 

 アイニさんの案内で連れてこられた、里のとっておきだと言う温泉。

 

 河原に直接掘られたような穴には石が組まれて浴槽となっており、その中を満たすのは、ほかほかと温かな湯気を立てる……天然の露天温泉。

 

 一応里側から見えないように簡単な柵は立っていますが、他には足場となる木の渡し板と、棚に籠が並べてある簡素な脱衣所のみという、ほぼ100%天然自然の光景が広がる露天風呂でした。

 

「これは……少し恥ずかしいですね」

 

 服を脱ぎ、タオルで体を隠しておそるおそる踏み出す。

 感覚的には、外で裸になったようなもの。そんな罪悪感のようなものが混じった羞恥心を感じながら、湯船に行こうとした、その時でした。

 

「御子殿はこっちじゃ」

「ひゃ、あ、アマリリス様?」

「すまんが、御子殿は我が借りていくぞ」

 

 そう、後から来たアマリリス様にグイグイと背中を押されて……気がついたら私は皆とは違う湯船で、彼女と差し向かいで温泉に浸かっているのでした。

 

 

 

 

 

「くぅ、この喉がヒリつく感じがたまらんな」

 

 そう、持ち込んだ酒をぐいっと呷る見た目幼女の魔王様に困惑していると。

 

「すまんな、お主とは一度話しておきたかったからのぅ」

「私と……ですか?」

「うむ。その前に、我……ノーブルレッドについて簡単に説明しておかねばな」

 

 そう言って、訥々と説明し始めた彼女曰く……

 

 この世界ですでに滅亡した、ヴァンパイアの盟主。

 純白の髪と白い肌、真紅の眼が特徴的な彼女達ノーブルレッドは、基本的には自然発生した、()()()()()()()種なのだそうです。

 

「……じゃが、我の同族は皆、我が物心つく前に先立った。我は生まれた時点ですでにただ一人、この世界にひとりぼっちのノーブルレッドじゃ」

 

 そう、寂しげに語るアマリリス様。

 ですが、彼女の口にした有り様。それはまるで……

 

「似てるとは思わんか、我らは?」

「……そうですね。多分、似ていると思います」

 

 この世界に、単独で存在する種族。

 私の場合……リュケイオンさんの登場や、アンジェリカさんの覚醒もあって……最近はすっかりそんな寂しさも感じなくなっていましたが、確かに私と彼女は似ているのでしょう。

 

 それを……彼女の場合は、何百年も。

 

 それは果たして、どれだけの孤独に耐えて来たのでしょう。

 

「じゃから我は、我と同じ孤独を知るお主と語りたかったのじゃ」

「それは勿論構いませんが、語るとは何を?」

「うむ……恋の話、つまりコイバナじゃ!」

 

 

 

 ……あ、星空がとても綺麗です。空気が冷え切って、澄み渡っているからでしょうか。

 

 

 

 

「えっと、恋……ですか?」

「なんじゃお主、我の見た目がこんなじゃから、我が恋も知らぬ童女などと思っておらんか?」

「いえ! そんな事は……」

 

 ちょっと思ってました。見た目の印象って怖い。

 

「今の我はかように小さき姿じゃが、これはしばらく血を口にしておらんゆえ、し、省エネ? のためにこの姿を取っておるだけじゃ。真の我は()()()()()()な美女じゃぞ?」

「そ、そうなんですね……」

「うむ……と言うわけで、我とコイバナに興じてもらうぞ!」

 

 里長の責任を果たす時間外なのか、どこかおかしなテンションになっている彼女に……私は、苦笑いするしか無かったのでした。

 

 

 

 

 

 

「それでな、それでな! あの阿呆、『では僕と一緒に外の世界へ来てくれませんか?』などと言うておいて、我が脚を運んでも書の方にばかり夢中になりよって構いもせん! 朴念仁にも限度があろう!?」

「は、はぁ……」

「そうか、お主もそう思うか!」

 

 曖昧に笑い返事をしたら、どうやら肯定と受け取ったらしく上機嫌に酒を呷るアマリリス様。

 

 ……さてはこの人、あまりお酒強くないですね?

 

 

 ずっとお酒を手放さないからてっきり強いのかと思い込んでいましたが、なんだか少し言動が怪しい。

 

「ですが、意外でした。魔王様の恋の相手が、私達と同郷の『放浪者』だったなんて」

 

 とはいえ、定期的にあししげく通っているのだとのことですので、納得でもありました。

 

「ふん……魔王と呼ばれようが、我とて女じゃ。同族もなく永く生きておったら、寂しさから子孫の一人も欲しくもなる」

 

 しみじみ、と言った様子でそう語り、杯を一息に呷るアマリリス様。

 

「ま、そう思って熱をあげとるのがあの若造なのじゃから、我も本格的におかしくなって来とるのかもな」

 

 からからと笑いながら、彼女はもう一度、手酌で満たした杯を呷るのでした。

 

 

 

 

「じゃが、かと言って焦って変な男を選んではならんぞ。自分を安売りするのはいかん」

 

 そう説教じみた事を言う彼女でしたが……すぐに、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「……ま、その点はお主はあの赤毛の坊主と相当に熱々なみたいじゃし、大丈夫そうじゃがの?」

「なっ……!?」

「そりゃお主らは隙あらば見つめ合っておるからの、見ていれば丸わかりじゃな」

「あう……そ、そうなんですか?」

「うむ、熱くなって敵わんから、少し抑えてくれるとありがたいレベルじゃなぁ」

 

 ケラケラと、童女のように笑う彼女でしたが……不意に、その表情が真剣なものへと変化する。

 

「その体に、元あった魂が気になるか?」

「……え?」

「どうにも、先程の話からずっと上の空じゃったろう、お主。実際に施術した我が言える義理ではないかもしれんが……その体を奪ったのではないかと、気にしておるのか?」

 

 全て見透かすような彼女の言葉に、私は言葉を継ぐ事ができませんでした。

 

 ……図星だったから。

 

 そんな私の様子を見たアマリリス様は、頭をガリガリと掻いた後……急に、胡座をかいて頭を下げました。

 

「……すまんかった。お主にはひどく重い重責を背負わせる一端を担った事、申し訳なく思う」

 

 そう真剣な表情で謝罪した彼女でしたが……すぐに顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見つめながら、話を続けます。

 

 

「その上で……他ならぬ我が保証してやろう。お主の入ったその体の元の魂と、書に封じられとった主の魂は、お互い補完し合い、一つの魂となっておる。そこに奪ったの奪われたのは存在せんと」

「そ……そうなんですか?」

「当たり前じゃろう。施術したのはまだ妹御の胎へ着床直後、まだまだまともな頭さえ出来とらん頃、自我など芽生えるずっと前じゃぞ?」

「た……確かに」

 

 以前の『玖珂柳』としての記憶と、『イリスリーア』となった以降の記憶、両方ある私ですが……気付いたら無意識に、別の人物と思い込んでいた気がします。

 

 統合した『あの日』に、私達は一緒の存在なのだと再確認した筈だったのに、です。

 

「紙の表裏と一緒じゃな。その両面に何が書かれていようが、()()()()()()に過ぎぬ。そこに違いなど無いのじゃ」

 

 なるほど、彼女の言葉は、ストンと今の私の腑に落ちました。

 

「じゃからお主がするべきは、後悔ではなく、受け入れて開き直る事じゃよ……とまぁ、年寄りの説教と思って甘んじて聞き入れよ」

「いえ、ここでアマリリス様と話せて良かったです。おかげで少し気楽になりました」

「そーか、そーか。ならば良いのじゃ。これでようやく我も、気掛かりじゃった事が全て解消されたわ」

 

 そう、上機嫌に最後の一杯を空にする彼女。

 

「まぁすぐには性格的に難しいかもしれんがなー、お主はー、見るからにクソ真面目そうじゃし!」

 

 なんだか少し、言動が怪しくなってきているアマリリス様が、がっくんがっくんと頭を揺すりながら、私の腕に体重を預けてからからと笑います。

 

「そ、そんな事は……ない、とは言えませんけど」

「そうじゃろうそうじゃろうー、ぬしはー、何事ももうすこし楽しまねばソンじゃぞー」

 

 いよいよ呂律が回らなくなり始めているアマリリス様。支離滅裂にもなり始めていて、そろそろ潰れそうだなぁと眺めていると。

 

「我は……ずっと、運命を捻じ曲げてしまった主の事が気になっていたのじゃ……どうやら幸せは手に入れたようで、ホッとしたのじゃよ……」

 

 眠ってしまったのか、彼女はそれっきり静かになってしまう。

 その言葉に、温泉の温もりとはまた違う、温かな物を胸に感じながら……私はそっと彼女を石に預けて、酔い潰れた彼女を運ぶために、アイニさん達を呼びにいくのでした――……

 

 

 

 

 

 





カリスマとはブレイクするもの。それが吸血鬼嬢ならばなおのこと。


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霊峰グレイヴヤード

 

 温泉を堪能し、しっかりと休養をとった翌朝。

 私達はアマリリス様に呼ばれて、昨日と同じ部屋へと集まっていました。

 

 そんな中、私達をぐるっと眺めたアマリリス様が満足げに一つ頷くと、言葉を発しました。

 

「お主らには、我と共に老いぼれ竜のところに向かって貰おうと思っとる」

「私たちだけ……ですか? 『黒影』の皆さんや、トロールの方々は?」

 

 この場に集められたのは、上座に居るアマリリス様とアシュレイ様以外には、私と兄様、レイジさん、それとミリィさんにスカーさん、ハヤト君、斉天さん……つまり、『テラ』から来たプレイヤーのみ。

 

 

「要らん要らん、連中……()()()()の連中にはちぃとばかし刺激が強すぎるわい。じゃろ、アシュレイ坊?」

「ええ、やめておいたほうがいいでしょう。幸い、あそこならば戦闘になる危険もないでしょうな」

 

 そう、頷き合うアマリリス様とアシュレイ様。

 

「まぁ、お主ら『テラ』からの放浪者でなければ招かれまいからな。どのみち他の者達は連れていけんのじゃ」

「危険は無いのですか?」

「もちろん、登山の関係上そういった危険はあるがの……あんな場所、魔物も近寄ったりせんわ」

 

 そう言って、一度言葉を切るアマリリス様。

 

「霊峰グレイヴヤード……()()()()()()()()。それがあの老いぼれ竜の住う、お主らが向かうべき目的地じゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 ――本当に、ろくに装備もないまま出立してしまった私達。

 

 アマリリス様の案内で、雪原を一刻ほど北上した時……ふと違和感に気付いた時には、景色が一変していました。

 

 そこは――すでに、山の中腹あたり。

 

「……て、テレポート?」

「うむ。真なる竜どもが数多居る霊峰じゃ、招かれざる客はこの時点で弾かれ雪原を彷徨う羽目となる。この程度のデタラメに驚いていたらキリがないぞ?」

「そ、そうなんですか……これは驚いたな」

「デタラメにも程があんぞ……」

「こ、この世界の真竜って一体……」

「いいから行くぞ、お主ら」

 

 ざく、ざくと、凍りついた雪が僅かに積もっている山道の上を歩く私達。

 

「凄い……こんなに一面真っ白なのに、全然寒くない」

 

 今の私達の服装は、普段の冒険装束の上に寒冷地用の外套を被ったのみ。

 私自身、クラルテアイリスの上から外套を纏っただけだというのに……せいぜいが、真冬の東北の街くらいと、寒いことは寒いけれど、このような標高の雪山では絶対にあり得ない程度でしかありません。

 

「うむ。まあ、ここは青い月……『アイレインの月』の真下に入ったからのぅ。我にでもこのくらいの()()()()はお手の物じゃ」

 

 そう、愉快げに私達が戸惑う様を眺めるアマリリス様。

 

「そう、それだ、分からないのは!」

「何で俺たち、()()()()に入り込んでんだよ!?」

 

 食って掛かるのは、ソール兄様とレイジさん。

 他の皆も……

 

「うぅ、頭がおかしくなりそうな光景にゃ……」

「あ、あれ落ちて来たりしねぇよな?」

「俺もグラフィックデザイナーとして結構有名な筈だが、こんなん想像した事もねぇ……」

「かかか、何と面妖な眺めである事か!?」

 

 ……と、このように皆、混乱の最中にありました。一人、斉天さんは楽しげでしたけれども。

 

 

 

 そう……今の私達は、まさにはるか上空に浮かぶ二つの月の一つ、青い月を、比喩でも何でもなく下から眺めるような真下へと入り込んでいるのです。

 

「何でも何も、あの青い月はいつもこの『グレイブヤード』の直上に静止しておるのじゃぞ?」

「で、ですが他の場所からは、全然こんな近くには見えなかったんですが!」

「うむ。あの青い月が正しく見えるのは、この山からのみよ。強力な認識阻害が張り巡らされておるからの」

「……何故、そのような」

 

 わざわざ多大な労力を払ってまで隠匿するという事は……あまり、見つけられたくない何かがあるという事。

 

「まぁ、このような足場の悪いところで長話もあるまい。はよう登ってそこで話すぞ」

「それもそうですね……」

 

 うっかり足を踏み外しでもしたら、笑い話にもなりません。

 なんだか誤魔化された気もしますが……アマリリス様に促されるまま、山頂を目指して登山を開始するのでした。

 

 

 

 

「イリス、ここの足場は少し悪いよ」

「ほら、手を貸せ」

「よっ……と。ありがとうございます、二人とも」

 

 少し崩れて緩くなっている箇所を、二人の手を借りて飛び越える。

 

 後ろの方でも、体力の一番ある斉天さんが他の皆に手を貸してあげながら、離れ過ぎずについて来ています。

 

 そして……そんな私達の眼前には、古めかしい石造りの神殿が。

 

「あそこがひとまずの目的地である、竜信仰者が昔使用していた神殿じゃ。ひとまずあの場所まで向かうぞ」

 

 先導するアマリリス様は、もうここからは案内も必要あるまいと、さっさと先へ行ってしまいます。

 

 その様子はどこか浮き足立っているようにも見えて……昨日温泉で彼女の恋話を聞いていた私が、思わずクスリと笑ったときでした。

 

「イリス、後ろ、見てみろよ」

「えっ……って、うわぁ!?」

 

 私の肩を叩き、やや興奮気味な声で話しかけてきたレイジさん。

 

 その言葉に振り返ると――そこに広がっていたのは、はるか天空から見下ろすかのような、大パノラマな光景。

 

 空は晴天。

 見渡す限り、遮るものは無い。

 

 寒い地方なだけあって空気も澄んでいて――私達が通ってきた『硝雪の森』や……遥か遠くには、うっすらと王都の主街区であるドームさえも見通せます。

 

 ただただ、その雄大な絶景に圧倒される私達。

 

「すごいな……なるほど、俗世を捨てて修行に入る竜信仰者が居たわけだ」

「確かに……こんな光景を見ちまうと、下界の揉め事なんて些末ごとに見えちまいそうだ」

 

 そうしてしばらく……私達は、その壮大な景色をただ眺め続けていたのでした。

 

 

 

 

 

 ――神殿の中は、古びた石造りの建築物な割にしっかりとした造りになっていて、外の空気も入ってこない暖かな空間が広がっていました。

 

「アマリリス様、どこまで行ってしまったんでしょう?」

「さあな、とりあえず奥に行ってみよう」

 

 玄関ホールにはすでにその姿もなく、長い廊下を進んでいると……

 

 

 

 ――まぁたお主は、寝食も忘れて本ばっかり読んでおったな!?

 

 ――ああ……ごめん、折角君が食料を持って来てくれたのに。

 

 ――全く、夢中になるのはいいが、お主らヒトが脆弱な生き物だと言うのを忘れおって……!

 

 

 

 奥の方から響いてくる、言い争いの声。

 

「えぇと、これは……」

「なんだか駄目男と通い妻みたいな会話が……」

 

 私と兄様が、半ば引きつった笑いを浮かべて見合っていると。

 

「……この声は!」

「あ、スカーさん!?」

 

 突然走り出したスカーさん。

 急な事に驚き、慌てて追いかけた先の部屋では。

 

「おや。緋上AD(アートディレクター)じゃないですか、お久しぶりです」

「やはりお前か……(そら)!」

 

 一足早く部屋に踏み込んだスカーさんが、アマリリス様と話していた男性の肩を気安げに叩いて喜んでいる姿。

 

「スカーさん、一体……ってあなたは!?」

「ソラさん、あなたもこちらに来ていたんですか!」

 

 その部屋……書庫に踏み込んだ私と兄様も、そこに居た人物に驚愕しました。

 

 銀のフレームの眼鏡を掛けた、柔和に微笑んでいる、空色の髪のプレイヤーキャラ。それは……私と兄様も知っている人の物でした。

 

「えぇと、お知り合いで?」

 

 呆気に取られている、レイジさん以下『アークスVRテクノロジー』と無関係な他の人達。

 その代表として疑問の声を上げたレイジさんの質問に、私はどう答えたものかと少し考えてから、口を開きます。

 

「え、ええ。彼は満月(みつき)(そら)さんと言いまして」

 

 そこで一度言葉を切り、改めて口を開く。

 

「アークスの、ハードウェア開発部門のホープで……アウレオさんの直弟子の方です」

 

 そう、皆に紹介したのでした――……

 



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天の頂に至る

 

「それじゃ、ソラさんはこちらに転移してから三か月以上の間ずっと、この神殿に居たんですか?」

「うん、ここの書庫には興味深い本がいっぱいあってね。人里に降りないととも思ったんだけど、つい」

「なーにがつい、じゃ。我が食料を届けるついでに様子を見にこねば、そのまま寝食せずに本ばかり見とるくせに」

「はは、もちろん感謝していますよ、アマリリスさんには」

「ぬぅ……」

 

 

 私達は今、ソラさんの案内によって、この神殿の最奥……その先にあるというグレイブヤードの山頂を目指しているところでした。

 

 それこそドラゴンでも通行できそうな、広く、高く、長い回廊。

 

 そこを歩きながら……こちらで色々な事を調べていたというソラさんの講義に、耳を傾ける私達。

 

 

「……では、魔力を生み出すのはこちらの世界の生物の体内にある器官であり、魔法というのはその魔力を用いて『アーカーシャ』へとアクセスし、世界を改編する技法である……と?」

「申し訳ありません、臓器の類と思わせてしまったのは説明不足でしたね。僕は、例えば細胞内に取り込まれて細胞小器官として共生するようになったミトコンドリアと同じような、全身の細胞に偏在する魔力を生成する細菌……あるいはナノマシンのような何かによるものだと考えています。ただ、既存の顕微鏡では観測できませんでしたので、今度はどうにかして脳ニューロンのマイクロチューブル内部を観測したいところなのですが……」

 

 次々と話から脱落した私達をよそに、今はまだどうにか話についていけているソール兄様とソラさんが、何やら難しい話をしているのですが……もはや、頭が沸騰しそうです。

 

「はー……」

「あくまで仮説です。証明する手段もありませんからね」

 

 そう言って、この話題を切り上げるソラさん。

 ですが私達は、彼のその深くまで切り込んでいる見知に圧倒されるばかりでした。

 

「それで……どうやら『テラ』側で魔法が存在しないのは、こちらとあちらの間に、『アーカーシャ』由来の幻想(ファンタジー)に属するものを通すのを拒む結界があるらしい……という事です」

「では、アウレオさん……天族の前王アウレオリウスが向こうで翼を持っていなかったのも」

「ええ、その結界を通る過程で失ったのでしょう。そして……イリスちゃん、おそらくは、貴女も」

「私も?」

 

 急に話を振られて、思わずパチパチと目を瞬かせていると、ちょいちょい、と二人に手招きで呼ばれました。

 

 

「そうじゃな。御子姫の魂を継承した主は、本来ならば女子として生まれていた筈だったのじゃ」

「え……」

 

 私にしか聞こえないような小声で、アマリリスさんがそう語り出します。

 

「御子姫はその性質上、()()()()()()()()()()()()()。そう宿命付けられておる。逆に言うと……()()()()()()()()()()()()()()()()()のじゃ」

「では、それを排除する為には……逆説的に、()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ここまでの流れから推測した内容を口に出すと、ソラさんもアマリリス様も、難しい顔で頷きます。

 

「うむ、生憎と通常の生まれとは違い、主の場合は母体は御子姫ではないからな、そこに概念的な穴があったのじゃよ。つまり、結界の持つ抑止の法則によって御子姫の魂を封じ、男児として生まれさせられたのじゃよ、主は」

「そんな……」

 

 では……私は元々、最初から私として生まれて来るはずだった?

 

 そう告げられ、ふらふらと離れますが……意外と、ショックはあまり、ありませんでした。

 

「……大丈夫か?」

「……はい。今更、このくらいの事で落ち込んだりしませんよ、もう受け入れました」

 

 心配そうに話しかけて来るレイジさんを安心させるように、笑い掛けます。

 昨夜、アマリリス様との会話をしたおかげで、今ならば私と『玖珂柳』という少年の関係についても、すっかりと受け入れられました。

 

 ……あるいは彼女は、この話の事を見越してあの話をしてくれたのかもしれませんね。

 

「待て、あの野郎……アウレオの奴は、向こうで魔法みたいな事をしていたぜ?」

「ああ、緋上さんはあれを見たんですか。どうやら結界を素通りして『アーカーシャ』に直接接続する端末があれば、可能なのでしょう」

「……白の書か!」

「はい、あれは元々、『アーカーシャ』に限定的に接続してその機能を使用する機構を有しています」

「では、それが組み込まれていた『Worldgate Online』は……」

「ええ、結界を素通りして、こちらに干渉する力を持っていたのでしょう」

 

 こほん、と一つ咳払いして、改めて語り始めるソラさん。

 

「これは僕の推測ですが……まずは『Worldgate Online』は向こうのゲームであると同時に……並行してこちらの『アーカーシャ』内部でエミュレートされていたのでは、と。電子的なデータであれば、魔法ではないですからね、送受信も可能でしょう」

「一部こちらに影響を与えていた事象も、その結果でしょうか」

「ええ、必要な一部事象について、『アーカーシャ』に記録されていた歴史に改竄を加えていたのでしょう」

「改めて聞くと、無茶苦茶だな……」

「ええ、まさしく魔法……あるいは機械仕掛けの神(デウスエクスマキナ)の賜物です」

 

 そう語るソラさんの顔は、苦々しいもの。

 道理をすっ飛ばして結果を出力するその存在は、科学者でもあるソラさんには決して認めがたい物なのでしょう。

 

「そうして何の特別な力もない『テラ』側の僕達の肉体をこちらに召喚させた上で、電子データという形で存在していた『Worldgate Online』の中の僕達で上書きし、こちらで実体を持った姿で再構築したのでは、と僕は考えています」

「それって、戻れるのか?」

「多分大丈夫だと思いますよ。アウレオ氏は、ゲームハードに記録されているプレイヤーのパーソナルデータを酷く大事に保管していました。『Worldgate Online』を境界線として、こちらではアバターの私達、向こうでは本来の僕達としてログインしている、という感じでしょう」

 

「つまりあのゲームは……」

「文字通りの『ワールドゲート』、二つの世界を繋ぐ門、あるいは抜け穴だったって訳か」

 

 再び、廊下に沈黙が降り、コツコツと石畳を蹴る音だけが反響する。

 

「……なんだか、ちんぷんかんであるな」

「仕方ありません、これは正真正銘『魔法』の領域です。彼……先王アウレオリウスほどの知見が無い僕達には、予測はできても到底理解の及ばない事象ですから」

「まあ、あの男は少々頭のネジがぶっ飛んでいたからの」

「ただ、向こうへ戻れば結界の作用で元の姿に戻れるとだけ覚えておけばいいでしょう」

「はぁ……なんとも、曖昧な話ですにゃ」

「ええ……っと、到着しましたね」

 

 そう言って、ソラさんが足を止める。

 そこには、見上げるように巨大な扉が鎮座していました。

 

「この先に、この山が『墓所(グレイブヤード)』などと呼ばれる理由があります」

 

 そう言って、ドアに手を掛けるソラさん。

 軋む音を上げて開かれたドアの先には……

 

 

 

「なんだ、こりゃ……」

 

 皆を代表するように、呆然と呟くレイジさん。

 目の前、山の向こうに広がっていたのは、まるでツルツルに磨き上げられたかのような、真っ白な球形の窪地。その手前にそびえる真っ白な岩山が、ここグレイブヤードの山頂でしょうか。

 そして、その窪地の中に無数に転がる、巨大な生物の骨格。

 

「ここは……元々、空に浮かぶ青い月、『アイレインの月』が地上にあった時の跡地です」

 

 

 

『――そして、アイレインの月の中心部は、別の名前で呼ばれておった』

 

 

 

「ぐ、う……っ!」

「この……頭の中に直接響いてくる声は……!?」

 

 不意に、まるでソラさんの言葉を注ぐように、猛烈な思念の波が吹き荒れました。

 しかし、それは決して攻撃的なものではなく……ですが、それでもなお重圧を感じる程の思念。

 

『その名は【テイア】という』

「テイア……!」

「それって……!」

 

 その単語に、聞き覚えがあった私と兄様が声を上げる。

 

『ほう、知っておるものが居るのか、関心、関心』

「はい……『ジャイアント・インパクト説』という名前で、私達には伝わっています」

「はるか昔……46億年前に誕生した『テラ』に、まもなく衝突した惑星ですね?」

『うむ、うむ、然り』

 

 どこか満足そうな思念。それは何故か、孫の成長を喜ぶお爺ちゃんのような優しさを感じる、不思議なものでした。

 

「それで、あんたはどこに居る!」

『おっと。すまぬな、寝そべったままでは主らには認識できんか』

「……は?」

 

 問いかけたレイジさんが、呆然とした声を上げる。

 そしてそれは、私達皆が同じでした。

 

 眼前にあったはずの、白い山頂の岩山だったものに、無数の亀裂が生じて隆起していく。

 

 いいえ、あれは岩山などではなく……

 

『よく来たな、御子姫を継ぐ少女、そしてその騎士達よ』

 

 山が、私達を見下ろすように、巨大な竜眼を持って見下ろしてくる。

 すっかり姿を変えたそれは、今では白亜の竜となって私達の前に首をもたげていました。

 

「まさか、私達が山頂だと思っていたのは……!」

「それそのものが、竜だったってのか……!?」

 

 それは、あまりにも巨大で偉大。

 

『我が()()()()()()()()()()たる真なる竜の長、エルダードラゴンロード・パーサである』

 

 そう、白い翼を広げた、文字通り山のような威容の竜が、その巨体を起こしたのでした――……

 



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世恢の翼

 

「エルダードラゴンロード……何という威容でしょうか」

『はは、そう言われてしまうと照れるな。何、今は年老いて巨体を浮かす事もできん老体だ、あまり畏まらずに居てくれるとワシも嬉しい』

「えっと……では、パーサ様とお呼びしても?」

『むぅ、少し距離を感じるのぅ。主……今代の御子姫であれば、気安くお爺ちゃんと呼んでくれても構わんのじゃぞ?』

「そ……それは流石に……」

『む……そうか。以前に来たリィリスという御子姫などは、最初からお爺ちゃん呼びだったのじゃが』

 

 そう、どこか残念そうに語るパーサ様に、私は内心で冷や汗をかくのでした。

 

 ――何やってたんですか、リィリスさん!?

 

 

 

 

 気を取り直して……私達は、エルダードラゴンロード、パーサ様に促され、山頂の岩……彼が暇つぶしに人に合わせて彫った結果、ベンチのようになってます……に腰を下ろして、その話を拝聴する事にしました。

 

『さて……どこから話をしたものかな。事の始まりは、やはりテラが生まれて間もなくからになるかのう』

「それは、『テイア』に関わる話の事ですか?」

『そうだ……結論から言うと、アーカーシャというのは、その時テラへと衝突した惑星テイアの中心核の事じゃ』

 

 あっさりと告げられた、その真実。

 ちょっと初級から豪速球すぎませんかね……と皆真顔になっている私達でした。

 

『お主らの言うジャイアント・インパクトの結果、破片は惑星外へと巻き上がり、それがやがて月になった……その一方で、惑星テイアの中心核、非常に重い比重を持った金属で構成されたそれはテラに残り、世界の記録を保存しながら地中でずっと眠りについておった』

「それが、この場所なのですね」

『然り。じゃが……変化があったのは、お主らの世界、テラ側で一万と二千年ほど昔、こちらの世界では二千年ほど昔になるかの』

「そ……そんなに時差があるのですか、こちらとテラは?」

 

 およそ六倍。こちらで三か月が経過したという事は、もしや向こうではもう一年半も……と、背中に冷たいものが流れました……が、しかし。

 

『いや、昔の話よ。お互いの時間の流れのズレはやがて緩やかになっていき、今はもうほぼ等倍で流れておる』

「そ……そうなのですか、良かった……」

 

 どうやら、こちらに長居すればするほど皆が取り返しがつかなくなる、という事態にはならなそうで、ホッと息を吐く。

 

『話を戻そう。当時の文明は、テイアから周辺に散らばった金属……当時の者達が『オリハルコン』と名付けた金属を求めて地面を掘り起こし、それによって偶然、そのテイアは掘り出されて地上へと姿を表す事になった』

「その文明とは、アトランティスという大陸の事でしょうか?」

『それで相違無い』

 

 

『そして……実際に掘り起こした当事者達の集まりが、まだ生き残っておる。それが現在この世界のアクロシティ、最高執政官である【十王】と呼ばれる者達だ』

「……その言葉、先王の手記にあったな」

「確か……アーカーシャを研究し、創造魔法という物を体系付けたと書いてありしたね」

 

 

『さて、現在この世界の最高権力を持つアクロシティ、その最高執政官である十王だが……この際はっきり言っておこう。我ら真竜は、連中をこのケージの盟主などとは認めておらん。連中は、既得権を頼みに支配権を乗っ取った()()じゃ』

「そ……そこまで言いますか……」

『言うとも。我らがしばし……千年ほど休眠して目覚めたら、いつのまにか我こそはこの世界の秩序の守護者でござい、とデカいツラをしておったのだからの』

「は、はぁ……」

 

 怒り心頭、怨み骨髄といった様子のパーサ様に、私は苦笑するしかありません。

 

『……すまん、私情が混じったの。現在は【十王】と名乗っているアクロシティ最高執政官だが、昔は【十三委員会】と呼ばれておった』

「十三? では、残る三人の方々はどうしたのですか?」

 

『うむ……迫る【奈落】の脅威に対し、十三委員会は更なるアーカーシャと、創造魔法の力をもって事態を収めようとし始めた。すでに生活に無くてはならなくなっていたその力無しに、もはや考えられなくなっていたのじゃろう』

「ですがそれでは、『奈落』を封じるために更なる奈落を増やしながら封印するという事で、いつかは追いつかなくなる……」

『そうじゃな、そうして溜まったツケは、やがてより深刻な破滅となって噴き出したであろう事は間違いなかろう』

 

『じゃが、そうはならなんだ……その三人が、意見の相違から離れ、別の道を歩み始めた事によっての』

「その三人とは?」

『うむ。一人は防衛と治安維持組織の長であったアーレス。もう一人は医療と研究の長であったアイレイン。二人は、夫婦でもあった』

「戦神アーレスと、女神アイレイン……!」

「彼らも、人の研究者か……!」

 

 この世界で信じられている二柱の神の名前が出て来た事に、皆驚きの表情を浮かべる。

 

『二人は、十三委員会を抜けた後、アーレスは奈落と戦うための力を民に与えるため、力無き者達に力を与える加護紋章システムを完成させて、戦う意志がある者達へと広げていった。お主らが行使するその力の原型じゃな。また、身体能力に長けた強化人間……魔族を作り上げ、世に出したのもあやつじゃよ』

「戦技とか、闘気を操る技術をもたらした……って事か」

『一方で、アイレインは同じく民に戦う力として、創造魔法とは違う、世界を壊さぬようリミットが設けられた魔法を与えると、今度は奈落を封じる研究に没頭していった』

 

『だが、袂を分かった双方の主張は決して相容れぬものだったからの。二人は抗争の末に十王を出し抜き、支持者たちと共に、創造魔法のアーカーシャへのアクセス経路を封印した。それにより人は創造魔法を喪い、今はもう使えるものはおらん』

「そうして、今私達が使えるのはだいぶデチューンされた魔法となったのですね」

『もっとも、当時のアイレインが作った魔法はもっとシステマティック、かつ、ささやかなものだったがのぅ』

 

 そう言って、パーサ様は愉快そうに、ソラさんへと顔を寄せます。

 

『そこの学者が考察した通り、人は自らで魔力を生成するよう進化し、アーカーシャに頼らぬ強力な術式を操るまでに至った。ほんにお主らは、進化に貪欲な種族だと我は思うぞ』

 

 そう、がっはっはと笑い声を響かせるパーサ様でしたが、すぐに真面目な顔に戻ります。

 

『話がまた逸れたわ。これだから歳を取るとよくないわい。それで、アイレインはその後、アーカーシャの本体であるテイア……膨大な魔力を内包する、当時のアトランティス人たちがオリハルコンと名付けた金属が、超高密度で凝縮されたその星……それを動力として動く結界装置、アイレインの月を作り上げたのじゃよ』

 

 そう言って、天を仰ぐパーサ様。その視線の先には、真上に浮かぶ青い月があった。

 

「それが、あの頭上にある青い月ですか……」

『そうだ。そして、それを用いてこの世界を隔離し、異なる次元に存在した異世界へと転写して、縫いとめた。アイレインの月、その中に眠るアーカーシャと、世界を侵食せんとする奈落ごとな』

「で、この場に留まり続けているあんたは、その守護者の長、でいいのか?」

『然り、然り。そして、我らは元々アーカーシャにより生み出され隷従する守護者であるが故、彼女とは利害の一致により、協力関係にあったのだよ』

 

 そう言って、周囲を睥睨するパーサ様。

 そこには、無数に転がっている真竜たちの遺骸。

 

『……そこまでに、創造魔法から脱却しようとする者と変わらず縋ろうとする者、両者の間に長い戦いがあった。強大な力を持つ創造魔法を相手に、我ら真竜にも多数の被害が出た。あのアイレインの月跡地に眠っている遺骸は、その時の犠牲によるものだ』

 

 そうして、数多の犠牲により作られたのが、この『ケージ』という隔離世界。

 

 

『だが……まあ厄介な事に、我らが休眠中に、アイレインの月の管制を司るアクロシティが連中に占領されていたのがな。あそこに陣取られてしまうと、我らは迂闊に手出しできん』

 

 ――アクロシティが連中に占拠されていた。

 

 さらっとそんな聞き捨てならない事を口にしたパーサ様に、慌てて尋ねる。

 

「ち、ちょっと待ってください、アクロシティは元々あなた達の側の施設なのですか!?」

『そうじゃ。十王連中は広く自分達の所有物であると喧伝しておるが、日々の調整程度ならばまだしも、上位管理者権限を有さぬ連中には、決してその重要な機能は使用できぬ」

「では、十王達には……」

『うむ、連中にはこの世界を統治するに足るだけの正統性は存在せん、ただ皆が事実を忘れた頃に上手いこと乗っ取っただけの者達じゃよ』

 

 そこまで言って、哀しみを湛えた目で空の月を見上げるパーサ様。

 

『……以前我に会いに来た御子姫リィリスは、それを知ってもなお同じ世界を護りたい者同士、信じてみると言って戻って行ったのだがな。結果はお主が知っての通りじゃ』

 

 ……そう、寂しげに呟いたのでした。

 

 

 

 

『……と、まだ離反した三人目の話がまだじゃったな』

 

 そうでした。

 

 あまりに情報量が多い話に圧倒されていましたが、まだ離反した三人のうち二人しか、話に出て来ていません。

 

『このケージを作ったまでは良い。だが奈落の封印は、そのままでは遠からず破られるはずじゃった。故に、奈落の侵入経路を塞ぐ事ができる手段を求められていたが……アイレインもついにその手段を生み出す事は叶わなかった。このケージという世界は、元のテラを存続させる為に、人知れず奈落に食い潰される贄となる筈だったのだがな』

 

 悲壮な覚悟で切り離された世界。

 だが……この世界は、まだ存続している。

 

『……それを防いだ者が居たのじゃ』

「では、その離反したという最後の一人が……?」

『うむ、最後の一人……それは、アーレスとアイレイン、夫婦でもあった二人の娘であった少女。誰よりも強くアーカーシャと共振してみせた才を持つが故に、半ば研究対象として十三委員会に名を連ねただけの、心優しい娘じゃった』

「実験体……ですか」

『うむ。しかし連中の思惑とは裏腹に、少女は十三委員会に招致された後、創造魔法による乱開発によって荒れた大陸環境を鎮め、もはや迂闊な事は出来ぬ程に慕われており、人々からは感謝を以て歓迎された。その名を【星恢(せいかい)の姫ルミナリエ】と言った』

 

 懐かしむように、先程とは一転して優しげな眼で語るパーサ様。その様子から、その女性と良好な関係を築いていたのだと伝わって来ます。

 

『彼女は十三委員会から離脱した後は、ただひたすら一心に、アーカーシャへと祈り続けた。皆を護りたい、助けたいとな。そしてある時、ふっと姿を消してしまった』

「消えてしまった……?」

『これは、後から分かった事じゃが……彼女は、深く繋がりすぎた結果アーカーシャへと取り込まれていたらしい。その数年後……彼女はすっかりと姿を変え、世界へと舞い戻ってきた。真白き光の翼と虹の髪、光の円環を頭に抱いてな』

「それは、もしや……?」

『そうだ。()()()()()()()()()()。世界に初めて生まれ出た、アーカーシャに取り込まれ、その巫女となった。かの存在の記録したバックアップを借りて壊れた世界をあるべき姿に戻す、()()()()()()。世界を癒し恢復するもの。全ての光翼族の祖である()()()()()()。それが彼女だった』

 

「世界の、基準点……」

『そう、それがお主ら光翼族の本来の能力じゃ。類稀な治癒能力で世界の綻びを修繕し、浄化能力で溢れた奈落を清めた上で、アーカーシャと同期した世界のバックアップを参照して元の姿へと戻す。他の者には真似はできん』

 

 アーカーシャと同期、という事を聞いて、一つ、思い当たるものがありました。あれは確か……

 

「そういえば以前、アンジェリカちゃんが目覚めた時……接続権限がどう、といった声が聞こえてきた気がしますが……あれは、そういう事だったんですね」

 

 妙にシステム的な幻聴だったので気になっていましたが……どうやら本当に、システムに接続されていた結果だったのだと、ストンと腑に落ちたのでした。

 

 

『そして……もう一つ、伝えておかねばな。お主らが死の蛇と呼ぶ邪竜クロウクルアフじゃが……奴もまた、我ら真竜の一体であった。名をクルナックという……当のルミナリエの騎竜だった者じゃよ』

 

 そう、パーサ様は痛ましげな面持ちで語るのでした――……

 



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真竜の頼み

 

 光翼族のルーツ。

 邪竜クロウクルアフの来歴。

 

 そんな衝撃的な話が出た後も、パーサ様の話は続きます。

 

 

『……この時期、我らは休眠中だった故に伝聞だが、現人神として信仰対象にあったルミナリエは、だがしかしその生の後半は権力者……既得権益から人々の統治機構の長へとまんまと収まった十王に利用され、自由のない生活を送っていたと言う』

 

 起きていたら助けになれたのかもしれない……そんな苦悩を滲ませて語るパーサ様。

 

『そして……休眠せずに彼女に付き従った、騎竜であったクルナックも、謀略によって奈落へと落とされ、消息を絶ち……次にこの世界に現れた時には、もはや別物へと変わり果てておった』

「それが、クロウクルアフ……あの竜も、やはり人に恨みを抱いているのでしょうか?」

『……かもしれぬ』

 

 深々と苦悩が滲む溜息を吐きながら、頷くパーサ様。

 

『それでも、何者かの意思によるものか、再びこの世界に浮上したクルナック……否、クロウクルアフは、力の発揮できぬ空間に封じ込められたまま眠りについておった』

「眠りに?」

『そう……あやつはそれでも、御子姫を失った後は世界を放浪していた御子姫リィリスの騎士が封印を解くまでは、そのまま眠り続けておったのじゃよ』

「封印……ですか?」

『お主も見たであろう。人間が魔消石と呼ぶ物質に覆われた空間を」

「……! それは、ディアマントバレーにあったあの場所ですか!?」

 

 あの場所に、クロウクルアフが眠っていた。

 

「そうか……だから、あの場所にあいつの使っていたこの『アルヴェンティア』が、転がっていたのか!」

「あの場所でそのクロウクルアフの封印を解いたのが、リュケイオンさん……!」

『さよう。共に十王に深い恨みを持つ者同士、二人が意気投合するのは必然だったのだろう』

 

 

 

『おそらくじゃが、クロウクルアフ、そして元リィリスの騎士の狙いは……アクロシティ、そしてそこを占拠している十王の排除』

「でも、アクロシティは『アイレインの月』の管制塔なんですよね、そんな事をしたら……」

『うむ……我も、心情としてはあやつ……クロウクルアフに近い。だが、アクロシティを破壊する事だけは見逃せん』

「もし……破壊された場合、どうなるのですか?」

『あそこを、中央管制塔を破壊したら、この世界ケージは崩壊する。奈落より世界を守ろうとした三人の意思が、無為に還ってしまう。それだけは避けねばならん』

 

 その言葉に、愕然とする気配が皆から漂って来ます。

 

「は……帰る手段を探しに来て、とんだ厄ネタが出て来たな」

「それって……こっちに居る俺たちに、向こうの世界の命運が掛かってるって事か?」

「ちょっと、話が大きすぎてうまく飲み込めないにゃ……」

「それは……流石に困るであるな」

 

 戸惑いを見せる皆。無理もありません、私達はあくまで、ゲームをやっているつもりのただの一般人だったのですから。

 

『すまんが……あやつを、クロウクルアフを止めてくれ。それをできるのはおそらく、双方と深い繋がりのある御子姫よ、そなただけだ』

 

 そう、パーサ様はこうべを垂れ、私達は沈黙するのでした。

 

 

 

 

「とはいえ……私はそのクロウクルアフの戦いを一度間近で見ましたが、止めるといっても勝てるようなものなのですか?」

『そうじゃな、人のみでは相当に厳しいじゃろうな。さて……フギン、ムニン居るな?』

 

 パーサ様がそう告げると、上空から、キィィン……という音が降ってくる。

 

 見上げた先、『アイレインの月』から離れたこちらに向かって小さな何かが降ってきて……それはようやくその姿の詳細を見れるようになってきた頃、ばさりと翼を開いて羽ばたいた。

 

「きゃ!?」

「おっと、大丈夫か?」

 

 巻き上がった突風に驚いた瞬間、レイジさんがマントを広げ庇ってくれる。

 

 そんな突風が治まった頃……私達の目の前には、二体の真竜がこちらを見下ろしていました。

 

 それは、赤と青、二匹の真竜。

 

 ――どことなく、生物であると同時にメカっぽい雰囲気があります。

 

 巨体を支え直立させる逆関節の太い脚に、巨大な爪を備える大きな手、スラッとした胴体の背には、二対の巨大な翼と長い尾が備わっていた。

 そして……その翼は皮膜ではなく、なんらかのエネルギーフィールドに覆われているのでした。

 

『彼らを、御子姫の護衛に預けよう。まだ若いが、その分新型で、性能は折り紙付きじゃ』

 

 そうパーサ様が紹介を終えると、二体の真竜の姿がブレて消え……そこには、二人の人間と変わらぬ姿をした男性が佇んでいました。

 

「……こちらは、我らの対人インターフェース『幻体』と申します」

「普段はこっちなら、邪魔にはなんねーよな?」

 

 そう告げて、青髪の怜悧な風貌をした男性……フギンは恭しく頭を下げ、赤髪の、細く引き締まったワイルドな風貌の女性……ムニンは、がはは、と豪快に笑っていました。

 

 

「ええと……フギンさん、ムニンさん、よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします、御子姫様」

「おう、よろしくな、御子姫様」

 

 

「あの……その御子姫様というのは……」

「申し訳ありません、私達テイアに仕える真竜にとって、その御子である貴女は尊ぶべき存在」

「は、はぁ……」

「ま、諦めて俺らのお姫様になってくれってこった」

 

 一応気遣ってなのか、あまり痛くない程度の強さでバンバンと背中を叩かれて、私はただ苦笑するしかなかったのでした。

 

 

 

「それで……どなたが我々の誓約者となっていただけるのでしょうか?」

「……誓約者?」

 

 フギンさんの言葉に、首を傾げます。

 答えは、ムニンさんの方から帰ってきました。

 

「おう。俺らは基本、『アイレインの月』の中にあるテイアに危険が及んだ時にしか戦闘できないように、制限が掛かっているからな。強力過ぎて、この世界を混乱させかねないからって」

「そこで、下界にて限定的に力を解放するために、行動範囲を定める基点となる誓約者……『竜騎士(ドラグーン)』が必要なのです」

「な、なるほど……」

「ちなみに、私、フギンはタイプ・守護者。拠点防衛用の機体になります」

「んで、俺、ムニン様はタイプ・砲戦。長距離砲撃が得意だぜ!」

 

 そう、大まかな機能を説明する二人。

 それを聞いて真っ先に手をあげたのは、ソール兄様でした。

 

「……では、フギン様。よろしければ私が」

「了解しました、ソールクエス王子」

 

 そうあっさりと了解するフギンさん。すると、兄様の左手に、光る模様が現れます。

 

 

「んじゃ、ムニンは俺が誓約者になろう、よろしくな」

「おう、えーと……」

「スカーレットだ。スカーで良い」

「おう、よろしくな、スカー!」

 

 続けて挙手したスカーさんにも、同様に紋章が。

 どうやら、これで契約は完了みたいでした。

 

 

 

『すまんが、生憎と我にはお主らが本当に聞きたかったであろう事……任意にテラへと還す手段を知らぬ』

 

 そう、申し訳無さそうに告げるパーサ様。

 

『唯一判明している方法は、アクロシティを破壊してこのケージを元の世界へと帰還させる方法じゃが……』

「分かっています、それは、私達の本意ではありません」

「……だな。それで向こうを滅ぼしちまったら本末転倒だ」

 

 私とレイジさんの言葉に、皆が頷く。

 

『じゃが、何か手段が見えたら必ず伝えよう』

「あ、ですが、私達がここまで来るのは中々難しい……」

『安心するがいい、向こう……アイレイン教団総本部というお主らの宗教施設にな、私の幻体がおる。それを通じて会話が可能じゃ』

「そ、そうだったのですか!?」

『うむ、我はこの場から動けんが、世界の情報は必要じゃったからな、特にここ最近は』

 

 そう、悪戯が成功した少年のような雰囲気で、笑うように喉を鳴らすパーサ様。意外とお茶目なところがあると知り、目を白黒させていると。

 

『では……また、三国共同会議の時にでもまた会おうぞ』

「え、それはどういう……」

 

 彼が、どこか悪戯っぽい調子でそう言い残したのを最後に……私達の周囲の光景が、一変していました。

 

 それは、ティシュトリヤの隠れ里の入り口。

 私達は、先程までの会談がまるで夢か幻だったかのように、一瞬で人里へと帰って来ていたのでした――……

 



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月を見上げて

 

 

「では……トロール族の皆様は、ティシュトリヤの方で受け入れてくれる事になったのですね?」

 

 パーサ様の厚意でティシュトリヤの里へと転送された私たち。

 

 アマリリス様の庵へと戻って来た私たちを待っていたのは、里の人々との交渉を終えて待っていた、アシュレイ様とトロール族の若者達でした。

 

「うむ。西に少し行った所に、グレイブヤードの神殿と同じく先史文明の史跡が残っておるからの、風雪を凌ぐには問題もあるまい。綺麗に掃除すれば、しばらく住居はどうにかなろう」

「あの、そこには歴史的、学術的な価値は……」

「ソラ、お主という奴は……生憎だが、そうした物は残っておらんぞ」

「そうですか……」

 

 呆れた様子のアマリリス様と、あからさまにガッカリした様子のソラさん。その様子に苦笑しながら、話を戻す。

 

「ですが、話し合いがすんなり行って良かったですね?」

 

 それも、屈強なトロール族の者達が近くに移住してくるというのだ。

 数日一緒に行動した私達は彼らの人となりは理解したが、里の住人たちはそう容易く受け入れてくれるものだろうか?

 

 ……という私の疑問に答えてくれたのは、同席しているやや年配の、里の女性でした。

 

「ええ。私達としても、南の硝雪の森から魔物が来たらどうすれば、という懸念はありましたので、協力し合えるならば益の方が多いという結論に至りました」

「彼らは熱心な光翼族信徒ですからな、その末裔であるティシュトリヤの方々に対し悪さをする事もありますまい」

 

 後を引き継ぐようにアシュレイ様が解説する。その返答に、なるほど、と得心がいった。

 

 

「ああ。それに……前々から、我も長の座を降りるつもりでおったからな。戦力となる彼らが近くで目を光らせてくれるならば、心配事が消えて、我としても一安心というところじゃ」

「え、アマリリス様、そうなのですか?」

「うむ。そもそも本来であれば、部外者である我が何百年と長をしていたのも問題があったのじゃ。来歴を知らぬ若い物達には、魔物である我が長をしている事をよく思っておらん者も居るじゃろ?」

 

 その言葉に……この場にいるティシュトリヤの方々が、複雑そうな顔をする。

 

「……申し訳ありません。アマリリス様は、私達がまだ小さな頃から、いいえ、その前からずっと里のために尽力してくださった、皆の母のようなお方だというのに」

「なぁに、ただ長を引退するというだけの事、気が向いたらまた遊びに来るさ。今生の別れという訳ではなかろうに」

 

 そう、申し訳なさそうな皆に苦笑しながら頷くアマリリス様。

 

「それに……少し、今の世界を見て回るのも悪く無いからの」

 

 そう言って、私達の方へと目配せしてくる彼女。

 

 ……あ、なるほど。

 

 私達に……というより、()()()()()ついてくるつもりなんですねと合点がいった私達は、仕方ない魔王様だなぁと苦笑しながら頷くのでした。

 

 

「それで、次の長なのじゃが」

「はい、大丈夫です。皆で話し合い、すでに引き継ぎの準備はできています」

 

 そう太鼓判を押す住人達に、よし、と頷くアマリリス様。

 

 

「本当は、お主が残ってくれたら安心して任せられるんじゃがの、なあアイニ」

「わ……私ですか?」

 

 急に話を振られた、後ろで控えめに佇んでいたアイニさんが、びっくりしたようにパッと顔をあげる。

 しかし、彼女はまた、私達と共に王都へと来てくれる事になっています。

 

 

「うむ、お主は若いが、里の誰よりも、様々な知識と経験を有し……何よりも、したたかだからの」

「それは……喜んでいいのかどうか」

 

 したたか、と言われて不服そうな彼女に、失礼ながら、皆思わず笑ってしまうのでした。

 

「さて……今日はゆるりと休んで行くが良い。明日には出立するのじゃろう?」

「あ……そうですね。折角だからもう一度、温泉も堪能しておきたいです!」

 

 そうして激動だった一日は終わり……私達は北の辺境地域最後の夜を過ごすのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 皆が、それぞれ自分の寝台に入った頃……私は一人、二つの月がよく見える屋根へと上がり、空を見上げていた。

 

 そんな時……

 

「綾芽ちゃん」

 

 不意に、背後から掛けられた声。

 二人きりとはいえ、特に理由もなく私の事をそう呼ぶ人物は……現時点では一人しかいない。

 

「ミリィ……」

「眠れないのかにゃ?」

「……まぁ、色々とパンクしそうな情報がドッと入って来たからね」

「あはは、ちょっと最後の方はついて行けてたか自信が無いにゃあ」

 

 苦笑しながら隣に座る彼女に、まったくだと頷きながらスペースを空ける。

 

「ほんと、遠くまで来たよねー」

「うん……三か月前なんて、ただのゲーマーだったんだよね、私達」

 

 それが、今こうして世界の命運を握る場に居る。

 それがあまりにも、実感に欠ける。

 

「……最初は、ただ元の世界に帰るためとしか思っていなかったんだよね」

「うん……それで綾芽ちゃんは、どうするのか決まりそう?」

「それは……」

 

 ――残るのか、戻るのか。

 

 それが、以前一緒に王都に出かけた際に彼女から問いかけられた、私の命題だった。

 

 イリスは、多分帰らない。おそらくレイジも。

 二人はもう、そう決めている。

 

 だけど、私は……

 

「……残念ながら、まだ決めかねているね」

 

 もうすでに、庇護すべきだったイリスの事は、レイジが受け止めてくれた。心残りの無くなった私は、どちらを選ぼうが自由だろう。

 

 ……実際には、もう決まっているのかもしれない。

 

 だがしかし、それを宣言しようとした瞬間、この喉は震えを止め、音を発するのを拒むのだ。

 

 それは……おそらくは、未練。

 今まで暮らしていた二十と余年への未練だろう。

 

「……いいんだよ、悩んで」

「……ミリアム?」

「綾芽ちゃんは、二十年も頑張って生きてきたんだよ。悩んで当然だよ」

「……そうだね、ありがとう、『梨深(りみ)』。あんたが一緒にこの世界に来ていて、本当に良かった」

「あはは、親友冥利につきますにゃあ」

 

 

 あっけらかんとした笑顔で全肯定してくれる彼女に、ホッとする。

 

 

 

 最初出会った時は、なんだこの陰鬱な女はと思っていた。当時は中学生、彼女は妹さんを自殺で喪ったばかりだったから、それもやむなしだろう。

 

 ……それを言うならば、自分も同様なのだが。いわゆる同族嫌悪という奴だ。

 

 そんな最悪に近い印象の出会いだったにもかかわらず、友人関係は中学のみならず高校、大学と続き、いつしか明るく立ち直っていた……ように側からは見える彼女とは、親友と呼び合える仲――あるいは、たった一度だけの過ちにして黒歴史だが、人には言えないそれ以上の関係――となっていた。

 

 

「梨深、あんたはさ……残るって言ったら、付いてきてくれる?」

「おや、それは告白ですかにゃ?」

「真面目に答えて」

 

 真っ直ぐに目を見て言った私の言葉に、彼女は本当に珍しく。照れたように頷いた。

 

「……いいよ。私も向こうでは天涯孤独に近い身だし、夢はあったけど、それはこっちでも叶えられるからにゃ」

「そっか……うん、ちょっと気が楽になった」

 

 ふっと笑い、せっかく温泉で暖まった彼女が湯冷めしないよう、自分の羽織っているマントで包む。

 

「もうちょっと……ここで月を見ていたい」

「おやおやぁ、それはもしや、『月が綺麗ですね』という奴ですかにゃ?」

「……ま、そうかもね」

 

 冗談めかして言う彼女に、苦笑しながら肯定と取れる言葉を返す。

 

 きっと、あの言葉の元になった文豪も、こんな意味を……もっとこうしていたい、という願いを込めたのだろうかと、漠然と思えた。

 

 寒い場所特有の澄んだ夜空の上に浮かぶ二つの月は、本当に綺麗だった。

 

 

 

 

 まだ少し答えを出すには時間が掛かりそうだけど……それも、もう遠くない事の予感がしていた――……

 



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王都への帰還

 

 ――その日、王都イグドラシルは騒然となっていた。

 

 それもそのはずで……突然飛来した真竜種が二匹、主街区中心へと舞い降りて来たのだから、これで平静で過ごせというのが土台無理な話であろう。

 

 だが……その背に数人の人物が乗っており、そのうち二人は自分達が知る人物……自国の王子と王女であると認識してからは、その畏怖はやがてやや安堵したものへと変化していった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

「ほら、イリス。手を」

「ありがとうございます、レイジさん」

 

 差し伸べられた彼の手を取って、思い切ってフギン様の背中から飛び降ります。

 

 視界の端では、兄様がミリィさんに手を貸して、こちらと同様に下ろしてあげているところでした。

 

 危なげなく彼の胸に抱えられた後地面に下ろされた私は、周囲でザワザワしている人々を安心させようと、軽く手を振って笑いかけてみる。

 

 

 ……予想外に歓声などの反響があって、内心ちょっと涙目だったのは秘密ですが。

 

 

 

 

 

 ……辺境区域からの帰路は、フギン様とムニン様の厚意によって、まだ少し向こうでやる事があると言って残ったアシュレイ様をはじめとした『黒影』の方々を除いた私達『テラ』組だけ、その背に乗って帰還してきました。

 

 それに……

 

「ほぅ、これが今のノールグラシエ首都か! ほれソラ、お主も観光に付き合うが良い!」

「はぁ……まぁいいですが、僕もこの街は初めてですよ?」

 

 そうそそくさと立ち去ってしまった、アマリリス様とソラさんも一緒です。

 

 

 

 ちなみに、硝雪の森上空を飛行する際の問題となる、こんこんと降り続く鋭利な雪ですが、こちらは真竜族が飛行する際に纏う風の壁により、全て内部には入ってきませんでした。

 

 あまり長距離を飛行していると飛行型の魔物に捕捉されて危険なそうですが……今回のように手薄な箇所から短距離を横切る分には、なんとかなるみたいです。

 

 

 そんなわけで、本来であれば数日の帰路を、わずか四半日足らずで通過した私達なのでした。

 

「あなたも、背中に乗せてくれてありがとうございます、フギン」

『お気になさらず。テイアの巫女である御身をこの背に乗せた事、私にとってもとても光栄な事でしたがゆえ』

 

 そう、慇懃に述べる彼。

 

「……だとしても、ありがとうございます。おかげでこれだけ早く、しかも安全に帰って来れました」

『……は』

 

 それだけ言って、何やらそっぽを向いてしまった彼。どうやら照れているらしいその様子に、ふっと頬を緩ませます。

 

『あーあー、フギンは御子姫様を乗せられていいよなー!』

「あっ……と、ムニンも、皆を乗せてくれてありがとう、ね?」

『お安い御用でさぁ。次は、こっちにも乗ってくれよ!』

「あ、あはは……あの、あなた達にとって私って一体……」

 

 あまりにも最初から好感度がMAX過ぎて、戸惑いながら尋ねると……

 

 

『ん……なんで言えば良いかなぁ、フギン?』

『そうですね……人間風に言えば、"敬愛する主様"の愛した"お嬢様"……その"娘"さん、まだまだ危なっかしいか弱き存在を見守っている……みたいな感覚でしょうか……』

「は、はあ……」

 

 首を捻りながらそんな返事を捻り出してくれたフギンさん。分かったような、わからないような……

 

 ただ、彼らがこちらを庇護対象として見ている事は、よく伝わってきました。

 

 

 

 ……と、のんびり会話をしていたら、下層から沢山の兵士の方々が上がってきてしまいました。

 

「イリスリーア!!」

 

 兵士達の先頭、真っ先に駆け寄ってきたのは、国王である叔父様。

 

「竜が出た、と聞いて慌てて出てきたが、この状況は一体……」

「ごめんなさい叔父様。彼らはフギン様とムニン様、竜王様の命で私達に協力してくれる事となった真竜様です」

「し、真竜が協力……!?」

「フギン様、ムニン様、幻体に変化はできますか?」

 

 このままではまず話にならないと、お二人に頼んでみます。

 

『おっと……これは、失礼しました』

『まぁ、この格好じゃ目立っちまうしなぁ!』

 

 そう言って、みるみる人間サイズへと縮小するお二方。姿が変わった事で、周囲からホッと緊張が弛緩した空気が伝わって来ます。

 

「ほ、本当にお主らと友好的な関係なのだな……」

 

 流石に、目を白黒させるアルフガルド叔父様。

 無理もありません、私だって、王都を出立する前の頃に同じ事を言われたら、きっと混乱するでしょうから。

 

 ……これで、物語に出てくるノールグラシエ王国の宿敵、魔王アマリリス様とも一緒だと知ったら。

 

 今は幸い出かけている事に感謝しながら、そっと口を塞ぎます。

 

「して、協力とは?」

「それも含め、お話しなければならなくなった事がたくさんあります……すでに間近に迫った、三国交渉のためにも」

 

 そう、気を引き締め直して告げるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 ――場所を変えて、クリスタルパレスの王の執務室。

 

「……なるほど。アクロシティを支配する最高執政官『十王』……噂には聞いていたが」

 

 重々しく息を吐くアルフガルド叔父様。

 

「……よもや、本来そのような権限など無い簒奪者だったとは……そして、それは遡れば我々もか」

 

 本来、この世界の管理者であるべきだったのは……この世界『ケージ』を作るために奔走した十三委員会の離反者であるアイレイン様とアーレス様、そして原初の御子姫であるルミナリエ様と、その子孫達だった筈でした。

 

 ところが今支配している『十王』はむしろそれに敵対した側。大事を終えてから、まんまとその席に滑り込んだ者達。

 

 更には、この世界の王族は皆、過去に主権を剥奪された光翼族の血を血筋に取り入れた者……そして、その全てが円満に事が運んだのかと言うと……残念ながら、パーサ様は首を縦には振りませんでした。

 

 ただ……今の叔父様の言葉には、一つ間違いがあります。

 

「でも、あくまでもそれは過去に起きた事です。今、民を導いて来た叔父様たちの尽力まで無かった事にして卑下するのは、違うと思います」

「そ……そうか、そうだな」

 

 私の指摘に、少し恥ずかしそうに咳払いする叔父様。今大事な問題は、そこではありません。

 

「ですが、彼らの正統性を問うのはひとまず後回しにしなければなりません」

「そうだな……まずは、その『クロウクルアフ』からアクロシティを護らねば、全てが露と消えてしまうというのはよく分かった」

 

 そう語る叔父様の表情は、とても苦々しいもの。

 

「頭の痛い話だな……よもや、最初から我々にとって最も有効な人質が、アクロシティ側の手の内にあるとは」

「ええ……」

 

 流石に、それを切り捨てる選択肢は彼ら十王にも無いでしょう。

 ですが、万が一を考えるとこちらも迂闊な事はできないのは確かなのです。

 

 

「これは、パーサ様の残してくださった助言なのですが」

 

 そう、一つ前置きして語り始めます。

 

「アクロシティには、未だどこかに先代御子姫、リィリス様が眠っており、システムを自分達で操作する礎となっているのでは、と。まずは彼女を目覚めさせる事で……」

「なるほど……システム上位にある彼女から、内部から援護して貰えたら、という訳だな」

「はい……ですが、そのためには」

「その騎士、リュケイオンとやらの協力が不可欠、と」

 

 陛下の言葉に、私も頷きます。

 

 アクロシティは直径数十キロメートルに及ぶ面積が、何十層にも積み重なった巨大な積層閉鎖都市。しかもその中心部は全て謎に包まれています。

 

 故に……手当たり次第に探し回っても、その間に包囲されるだけ。彼女がいる場所を知っているのも、彼しか居ません。

 

 

「説得、か」

「はい、できるかは分かりません。ですが……」

 

 私は、いくつかの夢……という形でリィリスさんの記憶を垣間見ています。そして、そんな彼女達が深く愛し合っていた事も、()()()()()()()()()()()()()、知っています。

 

 ……でなければ、リュケイオンさんも狂気に呑まれるほど、彼女を奪われた事を苦しむ筈がないのですから。

 

「分かった。やってみると良い。その点も含め議題を纏めておこう。それと、監視を密に行うようにコメルス駐在の『青氷』に連絡もしておく」

「はい。お手数お掛けします」

 

 

 

 

 

「それで、三国会議に先んじて、イリスリーアたちにはやってほしい事があるのだが」

「……それは?」

「三日後、会議に先んじて、会場の設営の相談で我が妻と息子が教団総本山へと向かう事となっておる……それに同行し、会議前に先方との情報共有をしておいてもらいたいのだ」

「はい、分かりました」

 

 快諾する私に、叔父様が申し訳なさそうな顔をします。

 

「すまんな、帰って来たばかりのお前たちに、ロクな休みもくれてやれず」

「いいえ……これはもう、私たちにとって他人事ではありませんから」

 

 そう……私達はもう、巻き込まれた異世界人ではなく、同じ苦難を乗り越えねばならない同じ世界の住人なのですから。

 



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聖都リュミエーレ

 ――辺境から王都に帰還した、数日後。

 

 皆より一日早く王都を発った私とレイジさんの二人は、アンネリーゼ王妃様とユリウス殿下と共に、列車で数時間揺られた先の街へと来ていました。

 

 列車を降りて、すでに駅の前に待機していた馬車に乗り込んで更に少し移動した場所。

 

 そこは……歴史を感じさせる白亜の石で作られた、巨大な施設の正門前でした。

 

「ではイリスリーア、気をつけて。レイジさん、この子をお願いしますね?」

「はい、アンネリーゼ様、お任せください」

 

「お姉様、また後ほど」

「うん、ユリウス君、また後でね」

 

 列車では一緒だったアンネリーゼ王妃様とユリウス君と別れ、二人は先に来賓用の宿舎へと向かって行ってしまいます。

 それを見送ってから、私達は案内役という物静かな年配の修道女の方について歩き出す。

 

 ここからは、私とレイジさんは夜まで別行動。

 一応私達はここに来るのが初めてという事になっている……実際にはゲーム時代に私の二次職クラスチェンジで来たのですが……ため、教皇様に挨拶も兼ねて、厚意から案内してくれるのだそうです。

 

 

 

 

 

 ――ここは、聖都リュミエーレ。

 

 

 王都イグドラシルから列車で数刻の近郊にある、アイレイン教団の本拠地がある宗教都市です。

 

 その街は高低差のある場所に作られており、ここからだと眼下に広がっているのは、信者の家族が暮らす家や、救護院を利用する患者や参拝客のための宿場施設。そして。そういった人々の需要から集まってきた商人が営む商店が立ち並んでいる街の光景。

 

 そんな街の中心を駅からずっと貫いている大通りを通り、丘の上へと登って来たのが、この場所……アイレイン教団総本山でした。

 

 

 

 翼持つ乙女が二人向かい合う精緻な彫刻を施された正門を潜り、正面に鎮座する大きな建物が、教団に付属する中央救護院。

 

 その敷地の周囲にはさまざまなハーブが植えられており、素敵な景観を作り上げている庭。

 その一角には薬草を栽培していると思しきガラス張りの温室が並び、修道服の女性たちがその世話をしているのが見て取れます。

 

 更に、病院に併設されているこれもまた巨大な建物が、付属医科大学。この世界における医学系の最高学府です。

 

 

「しかしまあ……相変わらず、宗教の総本山というよりは、俺たちの世界の大学病院みたいだよな」

「医療の中心地ですからね……学びたい者達が集まってくるでしょうから、それも必然なんでしょうね」

 

 

 ……元々はまだ光翼族が残っていた時代、王都にある王立魔法大学院の前身であるノールグラシエ王国魔導学院から、希少な治癒魔法の才を持つ物を集めた一学舎が始まりと言われています。

 

 つまり、最初は学校としてスタートしたのがこのリュミエーレ。どちらかというと後から宗教都市となったため、レイジさんの言葉は間違いでは無いのでしょう。

 

 しかし講師役であった光翼族を崇め始め……いつしかアクロシティの光翼族への搾取に反対し始めて宗教組織となっていたというのが、この教団の創設理由だそうです。

 

 皮肉にも、その力が増したのはこの世界から優れた治癒術師である光翼族が消え、その代役として聖女と呼ばれる治癒術に秀でた女性の需要が上がった後。

 もしもまだ光翼族の残っている時代に今のような権威があれば……というのが、列車に同席していた聖女のお姉さま方が語っていた想いでした。

 

 

 

 そして、更にその奥へ歩いた先に見えてきたのが、治癒術師として修行中の修道女や聖女様たちの宿舎が併設された大聖堂。このアイレイン教団総本山の本体でした。

 

 

 そんな場所に、一歩踏み入れると――

 

「あ、いらっしゃいましたわ!」

「あの方がイリスリーア殿下、再びこの世に舞い降りられた御子姫様……!」

「まぁ、ではこちらの殿方が紅玉髄(カーネリアン)の騎士様……本当に、真っ赤な御髪で……!」

 

 ――私達に気付いたまだ年若い修道女の方々に、あっという間に囲まれてしまいました。

 

「遠方より、お慕い申し上げておりました! もしよろしければ、サインを一筆お願いしたく!」

「お、お慕い……サイン……?」

 

 少女たちの勢いに目を白黒させながら、彼女たちが差し出した本に目を移す。

 

『光翼の姫と紅蓮の騎士』

 

 そんなタイトルの、綺麗に製本された文庫本。

 その表紙には、可愛らしい女の子と精悍な赤毛の剣士が、互いに支え合うようなポーズで描画されていました。

 

「あ、あの……これって」

 

 嫌な予感に思わず顔を引きつらせますが……

 

「はい、イリスリーア殿下とその騎士様の話を題材にした物語です!」

 

 ――もう完成していたんだ!?

 

 更にはすでに出版にこぎつけているという事。

 乙女たちの行動力に恐怖しながらも、少女たちの眼差しに抗しきれず、私達は言われるままに本の裏表紙にサインしていくのでした。

 

 ……もっとも、私は小洒落たサインの練習なんてしていませんので、自分の名前を筆記体で書いただけですけれども。

 

 それでも少女たちは喜んで、次はレイジさんの方へと向かっていましたので……良かった……のかな……?

 

 

 と、私達がロマンスに憧れる少女たちに囲まれて困り果てていると……見かねた様子で現れた、聖女の法衣……その中でも最高位の物を纏った女性がこちらへと歩いてきました。

 

「ほらほら、あなた方、イリスリーア殿下が困っていますよ?」

「あ……マリアレーゼ様!」

 

 聖女の法衣を纏う見知った顔……マリアレーゼ様の登場に、助けを求める視線を送ります。

 

「殿下はこれからお会いになる方が居ますから、また後になさい、ね?」

 

 その意を察して、マリアレーゼ様が修道女の子たちを制してくれたおかげで、ようやくこの騒動は収束していったのでした。

 

 

 

「いや……酷い目に遭ったわ」

「レイジさんも、お疲れ様」

 

 

 女の子に取り囲まれて、喜ぶどころかむしろ憔悴した様子のレイジさんに苦笑しながら、案内するマリアレーゼさんについていくのでした。

 

 

 

 

 

 コツ、コツと、足音が大きく響く大聖堂内の廊下を進み、その奥へ。

 

 あちこちに宗教的な像が直接壁に刻まれた、長い廊下。その先にあるというのが、教皇様……通称『先生』の執務室。私達が向かっている場所です。

 

 

 やがて……私達は、その最奥にある一室へと辿り着きます。

 

「先せ……こほん。教皇猊下。イリスリーア王女殿下をお連れしました」

「ありがとう、マリアレーゼ。イリスリーア殿下、それと赤の騎士殿、どうぞお入りください」

 

 穏やかな男性の声。

 入り口脇に侍るマリアレーゼ様が扉を開けて促すままに、その部屋の中に入ります。

 

「マリアレーゼも、ここまでありがとう。ご苦労だったね」

 

 教皇猊下からの労りの言葉に、マリアレーゼ様はどこか少女っぽい嬉しそうな笑みを浮かべて会釈し、そっとドアを閉めて退室します。

 

 そうして案内された部屋の中はというと……教皇の執務室は、イメージしていたよりずっと質実剛健な部屋でした。

 

 

 

「改めて……ようこそいらっしゃいました、御子姫殿と、その騎士殿」

 

 席を立ち、穏やか笑みを浮かべていたのは、豪奢な法衣……は傍らのソファに掛け、今は簡素な黒のカソック姿という楽な出で立ちをした、まだ『教皇』という名前から受ける印象と比べるとずっと若々しい男性。

 

 漆黒の艶のある黒髪を肩下あたりで切り揃え、モノクルを掛けたその姿は、宗教関係者というよりは、まるで学者さんのようでした。

 

 

「お……お初にお目に掛かります、教皇猊下……」

「あ、大丈夫だよ。こちらが誘った側だからね、どうか楽にしてください、イリスリーア殿下と、その騎士殿」

 

 そう微笑みながら優しい声音で告げる、教皇猊下でしたが。

 

「それに……初めまして、ではありませんよ私達は……数日ぶりじゃな、二人とも」

 

 突然、どこか茶目っ気のある老獪な雰囲気に変わった教皇様。まるで悪戯が成功したみたいな笑みを浮かべ、私達が何かに気づくのを、愉しげに見守っています。

 

「……まさか」

「うむ、()じゃ、パーサじゃよ。この者が……アイレイン教団現教皇こそが、儂の幻体じゃ」

 

 

 そう、教皇様は私達に告げたのでした――……



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教皇ティベリウス15世

「えぇと……本当に、パーサ様?」

「はい、正しくは大本を同じくする存在、ですが」

 

 そう語る教皇様は、先程の老人口調から一転し、穏やかな男性の口調へと戻っていました。

 

「今の私は独立裁量権を得てこちらで活動していますので、知識と記憶を共有する別人といった感じですけれども」

「はあ……独立した別人格と?」

「そのようなものです」

 

 理解が早くて助かります、と微笑みながら語る教皇様。

 

「それで、こちらでの名前は、今はティベリウス15世という事になるのですが……教皇、もしくは先生で構いませんよ、皆さんそう呼ばれます」

「はい……では、教皇様と」

「ええ、それで構いませんよ」

 

 そうにこやかに答えながら、席を勧める教皇様。

 お言葉に甘えて、部屋に備えつけられたソファに腰掛けます。

 

「それで……私達は陛下から、会談の前に情報の共有をという事で遣わされたのですが……」

「……もう、話すこと無くないか?」

 

 そもそも私達が得た情報というのはパーサ様由来の物。とこれがそれが教皇様本人である以上、もはや釈迦に説法どころではありません。

 

「それは申し訳ありませんでした……では、少し私の話に付き合っていただきたい。渡したい物もありますからね」

「渡したい物……ですか?」

「はい。ですがその前に、調べなければならない事がありますので。その話はまた後でという事で」

 

 そう言って、私達の前に紅茶を淹れて置いてくれる教皇様は、私達と対面するようにテーブルへと着き……

 

「さて……話したい事というのは、あなた方が有する……向こうの世界で魔導王に授けられた加護紋章の事です」

 

 そう、切り出したのでした。

 

 

 

 

 

 

「まず……この加護紋章というのは、一種のプログラムです」

「プログラム?」

「はい、どのように力を流し、どのように身体を動かして、どのような結果をもたらすか。紋章の持ち主から生体エネルギー……この世界では『闘気』と呼んでいますが、それを吸い上げてため込んでおき、所有者の望む任意のタイミングで出力する装置です」

 

 

 それは……まさにゲームのスキルそのもの。

 なるほど、先王アウレオリウスがわざわざゲームにした理由の一端も、ここにあるのでしょう。

 

 

「紋章の出現する位置は人によってまちまちです。首だったり、手足だったり、中には瞳の奥なんて珍しい方もいましたね」

 

 確かに彼が言う通り、皆紋章の位置はバラバラでした。

 

「ですが、それそのものは身体の上に浮かんだ虚像です。紋章本体と直結していますので外部刺激には敏感ですが、失ってもまた別の場所に現れる。それ自体に意味は無いのです」

「では、その本体がある場所とは?」

「ここです」

 

 教皇様が指指したのは、私の胸。

 いいえ、それよりずっと奥の……

 

 

「……心臓?」

「はい、その通り。紋章本体は、通常は生まれた時から心臓に刻まれています」

 

 

 

「それで、ここからが本題でして。お願いがあるのです」

「……お願いですか?」

「はい。私に、貴女の紋章を確かめさせていただけないでしょうか?」

「…………え?」

 

 一瞬、言われた事を脳が処理出来ずに固まります。

 私の紋章の位置は、背中全体。

 

 それはつまり、服を脱いで背中を見せなければならない訳でして……と、そこまで思い至り。

 

「えぇ……っ!?」

 

 ボッ、と瞬時に真っ赤になるのでした。

 

 

 

 

「えぇと……これでいいですか……?」

 

 蚊の鳴くような声になっているのを自覚しながら、教皇様に声を掛ける。

 

 二人が後ろを向いている間に着ていたクラルテアイリスを脱ぎ、レイジさんのマントを借りて、背中だけを露出する様にきっちりと身を包む。

 それ以外の場所はちゃんと隠れているはずなのだけれど、これが妙に恥ずかしい。

 

 向こうはひいひいひい……いっぱい上のお爺さんみたいな物で、そうしたいやらしい感情など無いと分かっていても、です。

 

「ええ、結構です。そのままでお願いしますね」

 

 そう言って、特に何の変化も見られない事務的な口調で告げる教皇様。

 その指が微かに背中に触れ、思わず声が出そうになったのを噛み殺す。

 

「これは……歴代の御子姫よりも、一回り大きい……むしろこれは、ルミナリエの……?」

 

 なるほど、二つの魂が……とか何とかぶつぶつ呟き始めた教皇様の様子に、不安が湧き上がってくる。

 

「……? 教皇様、どうなさいました?」

「……いえ、あまりに見事な紋章だったもので、思わず見入ってしまいました」

 

 もう結構ですよと告げ、背後を向く教皇様。どうやらもう服を着て良いらしく、脱いで側に置いてあった下着を手に取り身につけ始めます。

 

「この短期間で、よくここまでの覚醒を為したものです。これならば、託しても大丈夫でしょうか」

「託す……とは?」

「それは、その場所へ行ってからお話しましょう。服を着たら、少し場所を移動しますよ」

 

 その教皇様の言葉に、私は少し、着衣を直すスピードを早めるのでした。

 

 ちなみに……レイジさんはこの間ずっと、部屋の角でぶつぶつと何か呟いて、精神を落ち着けていたみたいだったのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

 きちんと服装を直した後、教皇様に連れてこられたのは、大聖堂……の、女神アイレイン像の下にあった隠し通路。

 

「こんな場所が……」

「神像の下に隠し部屋っていえばゲームとかじゃよくあるが、まさか自分がそこに入る日が来るとはな」

 

 おっかなびっくりと、長い階段を下る。

 どうやら壁材自体が仄かに光を発しているようで、足元の視界には困らないのですが……なにぶん狭いもので、結構大変な道です。

 

 

 

 

 

 

 そうしてたどり着いたのは……小さな、三人が入ればそれだけで手狭となってしまうほどの、本当に小さな部屋。

 

 そして台座の上に載せられて、防護魔法らしきもので包まれ守られていたのは……人の頭くらいの大きさの、円環。

 

 仄かに光を発するようなその環は、しかし封じられていてなお神聖な気を発しており、この空間を清浄な聖域と化していました。

 

「こちらが、このアイレイン教団発足時から預かり、守り続けてきたルミナリエの聖遺物……『ルミナリエの光冠』です」

「ルミナリエ……光翼族の始祖の?」

「はい。そして、渡したかったものというのもこちらなのです」

 

 そう、遠くを見るような目で教皇様が語ります。

 

「人の世に不干渉の筈の私が、このような周りくどい手段で人の世に入り込んでいた理由……それがまさに、この冠を持ち出す為でした」

 

 しかし、やるべき事を曖昧なものとして教団の権威を第一とする、近年の『人の』教皇達では、説得するのも困難。

 

 それ故に、不干渉を破って分身を送り込み、何年も掛けて今の座に着いた……それが、彼。

 

「御子姫イリスリーア、手を」

「は、はい……」

 

 冠を囲う守護魔法に、恐る恐る手を伸ばし、触れる。

 するとそれはパッと光の粒子となって舞い上がり、部屋いっぱいに散って消えていきました。

 

 そのまま、そっと冠に触れると……特に抵抗なく、私の手の内に収まります。

 

「……どうやら、認められたようですね。どうぞ、そちらを戴いてください」

「と言っても、どうしたら……」

 

 特に金具のようなものは見えません。

 仕方ないので、そのまま頭の方へと近付けていくと……

 

「ひゃっ!?」

 

 突然手の内にあった冠が形を変えて手から離れ、そのまま私の頭へピッタリと収まります。

 

『――規定値以上の権限を確認、認証開始します』

「な、何か頭の中で声が聞こえて来ます……ッ!?」

 

 突然幻聴のように脳内に機械音声じみた声が聞こえて来て、ビクッと肩を震わせます。

 

「落ち着いて。おそらく『テイア』と交信中なのでしょう」

「落ち着いてと言われても……うぅ、気持ち悪い感覚です……」

 

 発音もよくわからない言語が、頭の内から響く感じ。いい加減、具合が悪くなって来た頃……

 

『――認証完了しました。待機状態に入ります』

 

 そんな声と共に、頭にあったはずの円冠が、ふっと消えました。

 

 しかも、何か劇的な変化でもあるのかと思いきや、これといって特に変化もありません。

 

「あ、え……? き、消えた?」

「大丈夫、眠りについただけでしょう。これで、貴女に渡すものは渡し終えました。戻りましょうか」

「はぁ……」

 

 あまりの呆気なさに、狐に摘まれたような思いを感じながら、促されるまま来た階段を戻っていきます。

 

 

 

 その最中……ふと、疑問に感じていた事を質問してみる。

 

「そういえば……先程、加護紋章は心臓に宿ると言いましたよね?」

「ええ、その通りです」

「では……まだ生まれてくる前に魂の抜き取られた身体にも、その紋章は宿っているのでしょうか?」

「そうですね……本体は、可能性はある、とおっしゃっています」

 

 

 その教皇様の言葉に、脳裏を過ったのは、夢の中で見たあの子の存在。

 

 もしかしたら、分たれた私の、本来の体であったはずのあの子にも……そう思ったのでした――……

 



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再会

 

 いつか夢に見た、粘度の高い沼の底のような闇の中。

 だけど今は不思議と、以前のような得体の知れない恐怖は感じない。

 

 今度は自らの意思で奥へ奥へと沈んでいった先には……今も、胎児のように身体を丸めて眠っている、漆黒の闇を固めたような翼、赤みを帯びた虹色に揺らめく髪を持つ女の子の姿があった。

 

 ――こんにちは?

 

 そっと声をかけてみる。

 反応は返ってこない。

 

 ただスヤスヤと穏やかに眠る彼女に思わずふっと頬が緩み、その隣に腰掛けた。

 

 

 ――こうしてみると、あまりにも静かに過ぎる黒い海の底。

 

隣にいる少女は、ずっとここに居たのだろうと思うと、不意に胸中に不思議な感覚が湧き上がってくる。

 

 

 そのまましばらく彼女に寄り添いながらボーっとしていると……不意に少女がその目を開き、私の方を見つめていた。その瞳に感情らしき物はなく、ただ、なんだろうこの人はと首を傾げるように。

 

 だから、私はそっと、その頭に手を伸ばし――……

 

 

 

 ――そこで、不意に目が覚めた。

 

 眼前に見えるのは、この数日を過ごしたアイレイン教団総本山の、迎賓館に用意された私の部屋の天井。

 

 

 気のせいか、まだ手に残っているような気がする柔らかい髪の毛の感触に……私はなんとなく、ふふっと笑い、寝台から降りて朝の支度を始めるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――聖都リュミエーレに滞在して、早数日。

 

 

 

 会談に向けての草案の準備を教皇様のアドバイスを元に組み立てながら、その合間に私が知る治癒魔法を聖女のお姉様がたに教えていると、せっかくだから他の学生達の前でも教壇に立ってみないかと誘われたりして、バタバタとした数日があっという間に過ぎ去りました。

 

 ――そうして、今日はついに三国合同会談が始まる前日。主要な会議の参加者が来訪する予定の日でした。

 

 

 朝から、王妃様が連れてきた女官の方々に手伝ってもらい、会議の場に出向くためにと仕立てられた内務用の服に着替えた私は……ここしばらくの間、明日の会談にむけての調整が行われている会議室へと向かっていました。

 

 その途中……

 

「イリスちゃん!」

「ひゃ!?」

 

 突然背後から抱きつかれ、驚いて小さく悲鳴をあげる。バクバクと脈打つ心臓を押さえながら振り返ると、そこに居たのは……

 

「……もう、ティアさんってば」

「えへへ、ごめんなさい。イリスちゃんの後ろ姿が見えて、嬉しくてつい」

 

 悪戯っぽく舌を出して笑っていたのは……ローランド辺境伯家の使用人の衣装に身を包んだティティリアさんでした。

 

「久しぶり、元気だった?」

「うん、イリスちゃんも元気そうで良かった」

 

 再会に感極まって、お互い軽くハグして離れる。

 

「それで……辺境伯様との調子はどう?」

「絶賛攻略進行中です!」

「順調みたいですね、良かった」

 

 元気にサムズアップしているのを見るに、どうやら仲良くやっているらしい。友人として、そんな彼女の様子を嬉しく思っていると。

 

「あー……イリスリーア殿下、そういう話は」

「あら、ご本人の登場ですね。そちらも壮健そうで何よりですわ」

「……あなたは、案外猫被りが上達しましたね」

 

 続いて現れたレオンハルト辺境伯に、ホストとして練習していた挨拶の成果を見せるように礼を取る。

 私とティティリアさんの話を聞いていたらしきレオンハルト辺境伯様が、照れて赤くなった顔の口元を手で覆いながら、呆れたように苦笑していました。

 

 ……少しわざとらしかったみたいです。

 

 

「まぁ、今回は皆様を歓迎する側ですからね」

「……すっかりと、良い顔をなさるようになりましたね」

 

 澄まして語る私に、彼がそんな褒め言葉をくれる。

 

「はい……色々な事が、解決しましたから。後でゆっくりとお話ししますね」

「それは楽しみです。ティティリア、その時は君も同席してお茶の世話をよろしくお願いします」

「はい、かしこまりました!」

 

 嬉しそうに、レオンハルト様へと返事をするティティリアさん。どうやら本当に上手く行っているようで、私はホッと胸を撫で下ろすのでした。

 

 

「ああ、それと。今日は護衛として、イリスリーア殿下が喜んでくれそうな者たちも一緒に来ていますよ」

「私が……ですか?」

 

 不意のレオンハルト様の言葉に首を傾げていると……

 

「……お、姫さんが居るぞ!」

「本当!?」

 

 続いて聞こえてきた、野太い声と、女の人の声。その懐かしい声が聞こえてきた方を向くと。

 

「あは、本当にイリスちゃんだ、久しぶりー!?」

「わぷっ!?」

 

 突然女の人に抱きつかれ、思わず目を白黒させる。

 こんなやりとりさえももはや懐かしく思える、現れたその人は……

 

「……お久しぶりです、フィリアスさん」

「本当よ、闘技島に行ったきり、帰ってこないんだもの。心配したわよ」

 

 そう、むくれたように語るフィリアスさんでしたが……その表情が、ふっと緩む。

 

「でも、無事で良かった」

「はい……ご心配をおかけしました」

 

 若干震える声で、今度は優しく、だけと強くぎゅっと抱きしめてくる彼女に……私も抱きしめ返すのでした。

 

 

「おっと……妹に先を越されてしまいましたが、お久しぶりです、我が姫」

「あはは……ゼルティスさんも、お久しぶりです。相変わらずですね」

 

 フィリアスさんの後ろから現れたゼルティスさんが、私の今は白いシルクの手袋に包まれた手を取り、口を寄せる。

 

「いえいえ。親愛なる我が姫がご婚約された話を聞いて、傷心の真っ最中ですとも」

「それは、申し訳ありません」

「いいえ、幸せそうなら問題ありません」

 

 そう微笑みながら離れ、一礼するゼルティスさん。

 その様子に、私は変わらないなぁと苦笑するのでした。

 

「あ、そうそう! 変わったといえばね!」

 

 何やらにしし、と変な笑い方をしながら顔を寄せて来たフィリアスさんに、何だろうと耳を寄せる。

 

「あのね、ヴァイス君がレニィと交際を始めたみたいなの」

「本当ですか!?」

「ええ、二人とも言及されると否定するんだけど、二人だけの時の空気がもう初々しいの尊いので、もー!」

 

 予想外の話に興味津々で耳を傾ける私に、身をくねらせながらそう語るフィリアスさん。

 

「ところで……フィリアスさんの方は、ヴァルター団長とはどうなんです?」

 

 ふとつぶやいた私の質問に、フィリアスさんはピタリと固まった後、ガックリとその場に崩れ落ちた。

 

「あのね、私だって精一杯アタックしてるのよ? ちょっと酔ってくっついてみたり、勇気を出して可愛い服とか色っぽい服とか着て誘ってみたり。でも、全然娘か何かみたいな見方しかしてくれないのよ……」

「それは……その、元気出してください」

 

 涙ながらに語る彼女の話に、私は何と慰めたらいいか分からず、ただ苦笑する。

 

「……ん、何の話だ?」

「「鈍感な人は黙っててください」」

「お、おぅ……」

 

 当の本人のとぼけた言葉に、私たちはそうピシャリと告げる。すると彼は気圧されたように引き下がり、「若い娘は分からんなぁ……」と呟いて、すごすごと離れていくのでした。

 

 

「ところで、先に来ている王妃様がたは何処に?」

「あ、そうでした。それでは、案内しますね」

 

 レオンハルト様の言葉に、つい懐かしい顔触れに感極まっていた私はふと自分の役目を思い出し、彼らを会議室へと案内するのでした――……

 



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進む道

 

 会場内で再会したローランド辺境伯様たちを案内し終えた私は、ノールグラシエ首都からの専用列車到着の報告を聞き、レイジさんと共にリュミエーレ駅へと来ていました。

 

 兵たちが厳戒態勢で警備している駅の入り口で、叔父様や兄様の到着を待っていると……すぐに、二人が兵たちの先導のもと、私達がいる場所へとやって来ました。

 

「おお、イリスリーア。すまなかったな、急な役目を与えてしまって」

「いいえ、私こそ、この数日よく考えることのできる時間をいただけて、本当にありがとうございました」

 

 そんなふうに和やかに挨拶し……ですが、すぐに表情を引き締める。

「それで……陛下、人の耳がない場所で話したいことがあるのですが」

「……分かった、『青氷』の詰所で部屋を借りよう」

 

 そう即断した叔父様に連れられて、私達は駅内にある人払いした部屋へと案内されたのでした。

 

 

 

 

 

「……なんと。教皇猊下が、太古より生きる真竜の長であったと」

 

 教皇猊下の正体を説明したところ、叔父様は驚愕した様子で私の話に耳を傾けていました。

 

「はい。そしてそんなティベリウス教皇猊下は、全てを承知でございました。おそらく全面的に、こちらを支持してくださるでしょう」

「そうか……中立で民の信仰厚い教団の支持が得られ、我らの側に理があると証明なさっていただけるならば、ありがたい限りだ」

「では……」

「うむ。なんせ世界の主を標榜し、実際に民にそう信じられている者達とやり合うのだから、簒奪者の誹りも下手をしたら被るやもしれん。使える伝手はしのごの言わずに使わんとな」

 

 深々と、安堵の息をつく叔父様。

 ですが……私は今から、そんな叔父様に更なる心労を与えかねない事を報告しなければならない。

 

「それで……叔父様、明日の会談の前に、話したいこと――そして誠に身勝手なお願いがあるのですが……」

「……申してみよ」

 

 

 私の目を見るなり、ただならぬ事態であると察した叔父様が、私の発言を促します。

 

 

 ――これは、必要なこととして、自らの意思で選んで決めたこと。

 

 ――この先、自分にできることとして自分で選んだ、将来歩んでいこうと思っている道。

 

 

 それを、私はここまで庇護してくださったアルフガルド叔父様へと打ち明けたのでした。

 

 

 

 

 

 

 ――そうして、私は自分の思いの丈を叔父様へと語り終えたとき……部屋には、ただただ重苦しい沈黙が落ちていました。

 

 

 

 そんな中……体感では何時間にも思える沈黙の後、叔父様が口を開きました。

 

「……一つだけ、お前の口から聞かせてくれ。それは、誰に強制されたとかではなく、お前自身の意思なのだな?」

 

 難しい顔をしていた叔父様……いえ、アルフガルド陛下が、ようやくその言葉を発する。

 

 その視線をまっすぐに見つめ返し……私は、はっきりと頷きました。

 

「はい……この数日、教皇様に……その本体であるパーサ様に相談はしましたが、全て自分で決めた答えです」

「そうか……険しい道になるぞ?」

「はい、覚悟の上です」

「そうか……分かった、好きにしろ」

 

 それだけ告げて、陛下は深々と溜息を吐く。

 一方で……

 

 

「悪いな、ソール。俺は……イリスについていく」

「全くだ、お前たちはいつもそうやって、自分たちで決めてさっさと歩いていく」

 

 やれやれ、といった様子で肩をすくめる兄様でしたが……その拳を、レイジさんへと突きつけた。

 

「二年だ」

「……は?」

「あと二年で、ユリウス殿下が最短で王位を継げる成人年齢になる……待っていろ、私も()()()でやる事が済んだら、必ずお前たちに合流する」

「……ああ!」

 

 そう言って笑い合い、拳をぶつけ合うレイジさんとソール兄様。

 そんな二人の様子に、強張っていた表情筋をどうにか緩めた私でしたが……そこへ、ようやく顔を上げたアレフガルド陛下が声を掛けてきます。

 

「……イリスリーア。たとえお前が何者になったとしても、私は変わらずお前の叔父なのだ……もしも疲れたら、いつでも帰ってこい」

「……はい。行って参ります、叔父様」

 

 突然勝手な頼み事をした私に、それでも優しい言葉をくれて、優しく抱きしめてくれるアルフガルド叔父様。

 

 私はそんな叔父様の胸へ顔を埋めると、決意……あるいは決別の言葉を告げたのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 翌日――三国合同会談当日。

 

 会場となる附属医科大学の大講堂では、各国から四季の祭事にも劣らぬそうそうたる顔触れが集結していた。

 

 

 

 開催国であるノールグラシエ王国からは、国王アルフガルド陛下とアンネリーゼ王妃殿下、そして先王の遺児であるソールクエス殿下の姿。

 更にはどのように説得したのか、アドバイザーとして物語にある魔王アマリリス様が急遽参加しており、列席した皆を驚かせていた。

 

 

 

 同じく共同声明を発しこの会談の主催したフランヴェルジェ帝国からは、実に構成部族のうち有力な者半数を供にして現れたフェリクス皇帝陛下。その横には、行方不明になっていたはずの帝弟、スカーレット殿下の姿もあった。

 

 

 そして、東からは……

 

 

「……やはり、連合首長殿は参られませんか」

「申し訳ありません、なにぶんご高齢なため、外出も儘ならぬ身です故」

 

 アルフガルド陛下の言葉に、同行していた数人の巫女のうち、もっとも年嵩のいった一人が深々と頭を下げて謝罪する。

 

「いえ、それは致し方ないでしょう。ですが、まさか名代として貴女様がいらっしゃるとは……巫女長、壱与(いよ)様」

 

 そうアルフガルド陛下が声を掛けたのは、幾重にもヴェールを纏い、顔の見えない女性……巫女長、壱与。

 

 それは、おそらく公の場に現れたのは初めての存在。

 

 普段は巫女庁の奥深くに篭り、姿を現すことさえも稀だという彼女は、噂では諸島連合設立当初から生きているとまで言われる神秘の人物だった。

 

「……風向が、妖しくてな。こちらの方が暖かいと思い、冷気を避けて参った次第じゃ」

「……は?」

 

 存外に歳若い少女の声で紡がれた、彼女……壱与の言葉に、怪訝な声を上げるアルフガルド陛下。

 当然ながら、北国であるここノールグラシエより、農業国家である諸島連合の方が温暖だ。

 

 不思議な事を曰う壱与に首を傾げつつも、彼女がもはや何も語るまいと口を閉ざしたため、皆がそれ以上の追求は諦める。

 

 その他に西からは、現在活発な活動をしているアクロシティの支配に抗議する団体の代表である、海風旅団のリーダー、フォルスと、その秘書である星露(シンルゥ)の二名が列席していた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――そして、最後に会場入りしたアイレイン教団。

 

 

 おそらくは……ここが、もっとも会場内の人を戸惑わせたに違いありません。

 

 なぜならば、私……ノールグラシエ王女、イリスリーア=ノールグラシエと認識されていたはずの私が、特注である紅の聖騎士衣装を纏ったレイジさんに先導されて――中立であるはずの教団の、代表である聖女たちの先頭に立ち、姿を表したのですから。

 

 

 

 ……私は、この後の話についての公平性を期すために、ノールグラシエ王国の席へは着いていませんでした。

 

 そしてこれ以降、私がノールグラシエ王家を名乗る事もできなくなるでしょう。

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()殿()()……どうぞ、この席へ」

「ええ、ありがとう、ティベリウス教皇猊下」

 

 先に待機し、恭しく差し出された教皇猊下の手を取って、誘導されるまま、椅子を引かれるままに聖女の方々の中心……()()()()()()へと腰掛けます。

 

 途端に、ざわつく会場内。

 

 それもそのはず……中立勢力として、()()()()()()()()()どこの国の盟主の下にも属さぬはずの教皇猊下が、()()()()()()姿()()()()()()のですから。

 

 その例外――すなわち、()()()アクロシティの主人。

 

 それを、教皇猊下が直々に認めた。これは、そういう意思表示でした。

 

 

 

 本当に不思議なもので……こちらの世界に来たばかりの頃、つい少し前までの私は、どうにか教団に捕まらないよう避けて回っていたというのに。

 

 あの時はまだ、まさか自分がこの席へと座ることになるなどとは、露にも思っていませんでした。

 

 

 

 

 ――こうして私自身が最大の渦中の人物となった中、三国合同会談は幕を上げたのでした――……

 



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三国合同会談

 

「――というのが私、イリス・アトラタ・ウィム・アイレインが聞いてきた、エルダードラゴンロード様のアクロシティにまつわる話でした」

 

 そう締めの言葉を残して私は語り終え、席に着く。

 

 北の辺境へと赴き、聞いてきたこの世界『ケージ』の成り立ち。私達が見聞きしてきた必要なことは、全て語り終えた。

 

 しばし、シン……と静まり返る大講堂内。

 やがて……皆を代表するように、フェリクス皇帝陛下が重々しく口を開きました。

 

「……なるほど。それが本当ならば、現在のアクロシティには権利を主張する正統性はなくなったな」

「連中が簒奪者であるというならば、話は変わってくる。彼らには、簒奪したアクロシティ、その機能を掌握できないのだからな」

 

 ――アクロシティは、この世界を守る要であり、最も尊重すべき存在である。

 

 そんなこの世界での常識として罷り通っていた認識は……いまや、完全に瓦解した。

 

「その際に、正統な後継者足り得るのは……」

「……はい。私でしょう」

 

 皆の視線を受け、私は頷きます。

 

 今を生きる人々に『十王』が不当に略取した権限を返却し、アクロシティをこの世界を守る管制塔という正しい形へと戻す。

 

 それが、リィリスさんから今代の御子姫を継いだ私が、やらなければならない使命。

 

「なるほどな、てっきりノールグラシエから出家してシスターさんになったのかと思えば、そんな理由があったか」

「うむ、我が国の姫『イリスリーア』では、中立としてアクロシティの管理者の座に座ることは不可能。なればこそと中立を守るため、彼女は我が元から去り、『御子姫イリス・アトラス・ウィム・アイレイン』となった……どうか、少女の決意を尊重してやって欲しい」

 

 アルフガルド陛下が、その頭を下げて頼み込む。

 

「……私、フェリクス=フランヴェルジェは特に異論はない。アルフガルド陛下や、そちらの御子姫様の人となりはよく理解しているつもりだ……実直にすぎることもな」

「ふむ、お主らが良いというなれば、私、巫女長である壱与も特に反対は致しませぬ、お好きになさい」

「……ありがとうございます」

 

 皆、そう言って認めてくれたことに……私は僅かに頭を垂れ、三国の代表に感謝の意を示すのでした。

 

 

 

 

「これで、我々にアクロシティと交戦する大義名分は成り立った訳だな」

「だが……アクロシティと争う前に、一つ解決しなければならない事がある」

「ああ。やはりアクロシティと争う上で、問題となるのは経済上の問題か」

 

 フェリクス皇帝陛下の言葉に、うなずくアルフガルド陛下。

 

 ――アクロシティが握っている、貨幣の造幣権。

 

 これは各国がそれぞれアクロシティから独立した際に、貨幣制度をそのままスライドしたせいでもあるが……アクロシティが中立の立場を守っていた今日までの間は、問題が表面化することはなかった。

 そして、その共通貨幣の使用が制限され、供給が途絶えれば、各国はたやすく混乱するであろう事も明白だった。

 

「ですが……逆に考えると、これはチャンスでもあると思います」

 

 そう私が皆へ向けて告げた言葉に、両陛下とも頷き返す。

 

「確かに……これまで一都市が各国の経済の要を独断で抑えられる形で牛耳っていたこと自体が、そもそもの歪み、問題だったのだ」

「混乱は避けきれないでしょうが、制度を整備し直すのには絶好の機会か」

 

 そこに痛みは伴うことになりますが……それでも、いつかはどうにかしなければならなかったこと。

 

「だが、問題はだ。鋳造所を我々で抑え、管理・運営を各国共同管理にするか、あるいは各国それぞれの新たな通貨を制定するか……」

 

 

 そんな話になったとき、私はチラッとここまで静かに話を聞いていたフォルスさんに目配せする。彼は……大丈夫、任せて欲しいと頷いた。

 

 それに頷き返すと……議論が途切れたのを狙って、私が、口を開く。

 

「アドバイザーとして出席しているフォルスさん、新興商会の長として、何か意見はありませんか?」

「ええ、まさにそんな話が振られるであろうと、用意していますとも」

 

 そう言って、フォルスさんが手を上げて会場内に合図を送る。

 するとフォルスさん旗下の商会員たちが、手にしたファイルから綴じられた資料を、各国代表へと回していく。

 

「まず、これは一案であり、やはり問題点は残る事は承知しています。まあ、案の一つ、こういう物もあると思っていただければ」

 

 そう言って一つ咳払いすると、フォルスさんは資料を開くよう皆に指示を出します。

 

「各国それぞれ通貨を制定する場合であれば、私に案があります。もっとも、これは私たちが居た世界の制度について纏めただけではありますが……」

「ああ、そうか。お主らは『放浪者』であったな」

 

 フォルスさんの言葉に、納得の声を上げるアルフガルド陛下。

 

「はい。我々の世界は、数多の国が混在し、さまざまな貨幣制度が共存していた世界ですので、参考にはなるかと」

「参考にできる意見があるのはありがたい、拝聴させて貰おう」

「はい、では……」

 

 そう言って、私たち『テラ』の貨幣制度について説明するフォルスさん。各国代表も、その話を食い入るように聞いていた。

 

 

 

 

 

 そうして、フォルスさんの話も終わりに差し掛かった――そんな時でした。

 

 

「――大変です!!」

 

 バン、と開け放たれた大講堂の扉と、慌てた様子で駆け込んでくる――まだ年若い『青氷』の魔法騎士。

 

 その尋常ではない様子に緊張が走る中、彼は声を荒げて報告する。

 

「コメルスの『青氷』本部から緊急入電! アクロシティからコメルスと……フランヴェルジェ帝国、諸島連合それぞれに向けて、無数の艦船が発進したのを確認、それと降伏勧告が届きました!!」

 

 そんな報告を受け……皆が、冷静に席から立ち上がった。

 

「……やはり来たか」

「まあ、でしょうね。我々が留守の間を狙って来るのは予想できました」

「うむ……皆、自国の戸締りはきちんとして来たか?」

「無論だ。帝国機甲兵団、予備役含めて全て臨戦体制で待機しているとも」

「ええ、勿論じゃとも。諸島連合武士団、祈祷師団、全て港に展開しておる」

「西からは残念ながら参戦はありませんが、逆にアクロシティへと派兵された時に備え、牽制として闘技島の有志を乗せた旗艦プロメテウスが待機しています」

 

 そんな会話をしながら、立ち上がる各国代表……アルフガルド陛下とフェリクス皇帝陛下、そして諸島連合の巫女長壱与様と、フォルスさん達海風商会のメンバー。

 

 彼らの目には、焦りはない。

 ただ、来るべき時が来た……そんな、覚悟がついた者の目であった。

 

 仕掛けてくるならばこのタイミングだろう……そう各国で連絡を取り合い、兵力をアクロシティ最接近都市に配備していたのだから。

 

「このため、現在大陸縦断鉄道は特別警戒態勢で待機させておる。緊急時用の高速車両も準備できている。急ぎ移動しよう」

「やれやれ、覚悟はしていたが、せっかくの教団総本山まで来て観光もできんとはな」

 

 アルフガルド陛下の指示に、肩を竦めながら追従するフェリクス皇帝陛下。

 

「確認しておくが、車両に不備は無かったな?」

「はっ、我ら鉄道管理を司る『青氷』の威信に賭けて、間違いなく!」

「よし……ならば、出陣だ!」

 

 そう、速やかに会談を切り上げて、退室していく各国代表たち。

 

 私とレイジさんも、それに続いて中庭に出た、そんな中……

 

「イリス!」

「イリスちゃん、俺らも!」

 

 

 そう言って駆け寄ってくるのは、ソール兄様と、スカーさん。

 

「兄様、スカーさん! アルフガルド陛下と、フェリクス皇帝陛下には?」

「大丈夫だ、先に行くと伝えて来た」

「ってわけで、いつでも行けるぜ」

「分かりました……フニンさん、ムギンさん」

『はっ』

『ここに居るぜ』

 

 私の声に、私の背後に控えていた二人の真竜が姿を表す――幻体ではなく、本来の真竜の姿で。

 

「私たちは、先に向かいましょう。いま一度、その翼をお貸し願えますか?」

『ええ、勿論です』

『好きな場所に運んでやるぜ、なんならあのアクロシティの天辺だってなあ!』

「あはは……流石にそれは」

 

 威勢の良いムギンさんの言葉に苦笑しながら、騎手であるスカーさんに手を借り、彼女の背へと飛び乗る。

 

 レイジさんも同様に、ソール兄様が騎手を務めるフギンさんの背に飛び乗ると……二機のドラゴンが、ふわりと宙に舞った。

 

 そんな折、背後から掛かった声。振り返るとそこに居たのは、教皇ティベリウス……パーサ様。

 

「御子姫イリス様、私どもも、後詰めの聖女たち支援団を連れて後から参ります。決して無理はなさらぬよう」

「はい、分かっています……行って参ります、パーサ様」

「ええ。あなた達も、御子姫様を宜しくお願いしますね」

『お任せください、翁』

『んじゃ、行ってくるぜ!』

 

 風を纏い、ぐんぐんと高度を上げていく二機の真竜。そうして今度こそ、私たちは大空へと舞い上がったのでした。

 

 向かう先は、アクロシティ最接近都市、コメルス。

 

 決戦の時は、もうすぐそこまで迫っていたのでした――……

 

 



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真竜強襲

 

「こんな時だけど……綺麗」

 

 陽光に、白く煌く氷の大地。

 丸みを帯びた地平線の彼方まで、山の向こうまで見渡せる高度から見る光景に、思わずポツリと呟いた。

 

「……ですが、これから向かう先はすでに、戦争が始まっているんですよね」

「だな、まるで嘘みたいな話だけどよ」

 

 しんみりと呟いた私の言葉に、前で真龍の手綱を握るスカーさんの返事。竜の背にまたがる四人で皆黙り込む。

 

「……すまんムニン、急いでもらっていいか?」

『よっしゃ、それじゃトバすから、御子姫もマスターも、しっかり捕まってろよ!』

 

 スカーさんに急かされたムニンさんのそんな言葉と共に、凄まじいスピードで流れていく世界。

 

 ですが、周囲に風の結界を纏うことで私たちは外気を感じることもなく、快適な乗り心地に驚いていると……

 

「きゃ!?」

 

 突然、傍にモフモフな感触。

 見るとそこにはいつの間に待機していたのか、真っ白な毛皮の存在……スノーが私に寄り添うように伏せっていた。

 

 

「あらスノー、ここに居たの? てっきりハヤト君たちと電車の方にいるのかと……」

『そのチビ、多分こうなると察してたんだろうよ』

「でも、これから危険になるんだけれど……ああ、ごめんなさい、水臭かったね」

 

 抗議するように、私の肩を肉球でてしてし叩くスノーに、苦笑しながら謝る。

 

「そうね……あなたも、私を守ってくれるのね。頼りにしてるわ」

 

 そんな私の声に……わふっと一つ返事を返すスノーなのでした。

 

 

 

 

 ――そんな風に竜の背に揺られて数刻。

 

 竜たちの厚意により、短い時間ですがその背で仮眠をとっていた私たちでしたが……

 

『おぅ、着いたぜ。着いたが……』

 

 そんな声に、目が覚めた。

 

 通常の電車では数日掛かった道程をあっという間にすっ飛ばして、見えてきた港湾都市。そこには……

 

 

「……交戦中!?」

 

 しかも、よく持ち堪えてはいるが、形勢はだいぶ悪い。

 

 ……原因はおそらく、制空権を押さえている四隻の飛空戦艦。

 

 ノールグラシエは紅の騎士服を纏う魔導騎士【赤炎】を軸に無数の魔法による火線で対抗していたが、やはり分が悪いのは否めない。

 

「フニンさん、ムギンさん、地上に援護お願いできますか?」

『了解しました』

『ドラゴンブレス、使うぜぇ!?』

「はい、お願いします!」

 

 そう私が返事をした直後、アクロシティの飛空戦艦周囲の空気が軋んだ。

 

 これこそ、本来の竜眼の能力『凍てつく波動』

 

 竜眼に空間ごと魔力を奪い取られたアクロシティの飛空戦艦二隻が、動力停止のため浮力を失った宙を傾ぎ、落下していく。

 

 そして……その奪った魔力が竜気となって、フギンさんとムニンさんの口元で魔法陣となって輝き出した。

 

『『ドラゴンブレス……ッ!!』』

 

 フギンさんの口から幾条もの閃光が放たれて海上の敵艦を貫き、ムニンさんの口元からは周囲を紅く染め上げるほどの巨大な閃光が、敵飛空戦艦の残る二隻を飲み込んで消える。

 

「凄い……」

『へっ、あたしらはナリは小さいけど最新型でね』

『カタログスペックでは大型の古竜(エルダー)にも引けを取りませんよ』

 

 そう、自慢げな二機の真竜。

 眼下では、上空からの砲火が止んだ事で、地上部隊と船団の砲火が勢いを回復していた。

 

「そのまま、内海をぐるっと回って各国を援護してきましょう、できますか!?」

『お任せを』

『っしゃあ、撃って撃って撃ちまくるぜ!』

「スカーさん、兄様!」

「ああ、任せろ!」

「心得た……!」

 

 そう言って、機首をめぐらせる二人に合わせ、東に向けて進路を変える二機の真竜たち。

 

 

 

 

 そのまま先にアクロシティ側に捕捉されないように低空で海上を駆け……やがて見えてきた東の大陸、港湾都市『ツシマ』。

 

 

「対象、飛空戦艦! それで少しは楽になるはずですが、深追いはしないで一撃離脱でお願いします!」

『承知した』

『任せな!』

 

 再度放たれた二匹の竜の炎。

 無数に分裂しうねる嵐となって、斜め下から襲い掛かるその『ドラゴンブレス』は、飛空戦艦の船体を致命的なまでに傾がせた。

 

「ソール、機首を海上の敵艦直上に寄せられるか!?」

「ああ、任せろ。頼むぞフギン」

『任せてください』

 

 結界を纏い高速で飛行するフギンさんが、砲火を弾きながら眼下で砲撃を繰り返すアクロシティの軽巡洋艦上空を掠めるように飛ぶ。

 

 すれ違った刹那、飛び降りた小さな影は……レイジさん。

 彼は『アドヴェント』状態の紅い紋章をまるで翼のように背に展開し……

 

「『砲閃火』ァ!!」

 

 カッ、と赤い光が奔る。

 直後、巡洋艦は膨れ上がる業火に飲み込まれ、中に搭載していたオートマトンごと爆砕していった。

 

 そのまま、飛んで来た破片を蹴って行動を稼ぐと、海洋上を滑空するレイジさん。

 さらにもう一隻の巡洋艦の甲板に降り立ち、その上を駆けながら足元を切り裂いて同じように業火でなぎ払うと、あらかた飛空戦艦に痛手を与えて戻ったソール兄様が船へと寄せたフギンさんの背へと舞い戻る。

 

「っし、ここはこんなもんで大丈夫だろ、南に行こう」

「……お前、すっかり人間やめてるな」

「いや、こんなすげぇ竜のマスターなお前に言われたくねぇよ」

 

 呆れたように苦笑するソール兄様に、同じく苦笑を返すレイジさん。

 

 横あいから敵陣を横断した間に私達が落としたのは、アクロシティ側の飛空戦艦五隻に、巡洋艦七隻。

 

 交戦する東の諸島連合海軍に気を取られている隙の横合からの不意打ちの勢いのまま、瞬く間にそれだけの戦力を削ったことで、湾内奥に追い込まれていた連合諸島艦隊は隊列を組み直すため前進を開始する。

 

 それを確認し、私達は次、南のフランヴェルジェ帝国側へと駆け抜けるのでした。

 

 

 

 そうして通過して来た南のフランヴェルジェは、虎の子の自国で開発した飛空戦艦を投入し、制空権を手放さずに戦っていました。

 

 軍事国家の意地とばかりにアクロシティと互角以上に渡り合っている南大陸の様子に安堵しつつ、背後をついたアドバンテージのままに数隻の飛空戦艦を落としてから、本来の目的地である『コメルス』へと転進する。

 

 

 

 

 

 

 あらかた戦況確認も終わり、コメルスの街へととんぼ返りして来た私たち。

 地上から驚愕の表情で二頭の竜を見送る兵達の視線を受けながら降り立ったのは、この街で最も頑丈な施設……大陸縦断鉄道始発ターミナル。

 

 以前は見なかった巨大な砲塔が並ぶ、その屋上へ降り立つ。

 

『うへぇ、流石にぶっ込みすぎたか』

「ありがとうございますムニンさん、それとフギンさんも」

『いいえ、それが私たちが仰せつかった役目ですので。ムニン、おまえは後先考えずポンポン撃ちすぎだ』

『ちげーよ砲撃戦型のオレの方が火力たけーからだろ!?』

 

 口から煙を吐きながら、ぼやくムニンさんと、そんな彼女に注意しているフギンさん。

 私はここまで乗せてきてくれた彼女の首元を撫でながら、礼を述べる。

 

 

「イリスリーア様!?」

 

 階下から登ってきた集団からかけられた、驚愕の声。

 その声の主は、この施設を管理する『青氷』のトップであるクラウス・ヴァイマールさん。

 

「クラウスさん、戦況はどうなっていますか?」

「は……はい! 先程のそちらの竜どのの助力もあり、現在は派遣されてきた「赤炎」と共に戦線は抑えこめています」

「負傷者は、どうなっていますか」

「それは……現在、手が回りきっているとは言えない状況で」

「分かりました、骨折している者は骨接を、破片を受けている者はそれを摘出した後、止血だけして全部私の方へと回してください」

「……助かります! 皆聞いたな、殿下の言う通りに負傷者の搬送を!」

 

 そこまで伝えたクラウスさんが、私の方へと目配せしてきます。その意を察した私は、彼に向かって頷く。

 

「重症な者には伝えよ、諦めるな、御子姫様がいらっしゃった、君たちは助かると!」

「は……はい!」

 

 そう言って、大急ぎで走っていく兵士たち。

 

「何か、手伝うか?」

 

 そう心配そうに声を掛けてきたのはレイジさん。ですが、もう私も弱いままでいるわけにはいかないから、大丈夫と微笑んでみせる。

 

「いいえ、皆は次の襲撃に備えて、今は休んでいてください。スノー、護衛をお願いね?」

 

 私の声に、わぅ、と一言返事を返すスノー。

 すう、はあ、と深呼吸して、兵に案内されるのにしたがって歩き出す。

 

 ここはすでに戦場で、私は誰よりも動ける治癒術師。そして皆の希望を背負う御子姫を継いだ者として、皆が見ている前で弱気は見せられない。

 

 

 ――思えば、あの人……リィリスさんがいつも泰然自若とした笑みを浮かべていたのも、こんな心境だったのかもしれないと、今更ながらふと思う。

 

 

 だから……

 

 

「……ここは、私の戦場です」

 

 

 そう、周囲の者たちを安心させられるようにと微笑んでみせると、前を見据えて歩き出すのでした――……

 



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フレデリック・ウルサイス

 

 

 

 

 突然の、北、東、南の三国への侵攻の指令。

 そして一方的な降伏勧告。

 

 現場の者たちの意見は聞かれもせずに行われた、その顔も知らぬ執政官たちの暴挙への返答は……三国全てからの徹底抗戦の構えと、現在の最高執政官『十王』への三国からの徹底した糾弾だった。

 

 

 曰く、もはや現在のアクロシティに公平性は無い。

 曰く、『十王』にはその椅子に座る資格は無い。

 曰く、三国及びアイレイン教団は、現在のアクロシティ最高執政官を『簒奪者』と定め、即時解散を申し入れる。

 

 

 もはや一切従う気はないという、その回答。

 それを後押ししたのは、彼らが正当後継者であると推す、御子姫『イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン』の存在があった。

 

 

 

 ――だが、これだけならばまだ、御子姫を不当に神輿に据えた簒奪行為だと、主張はできたのだ。

 

 

 それを不可能にしたのは……公正な世界の守護者、『真竜』がその麾下に入っていたこと。

 

 

 突然、当の御子姫を背に乗せた二機の真竜が戦場に飛来して、我々アクロシティ側の陣営を強襲した、先日の一件。

 

 それは、我々にとっての『詰み』を意味する出来事だ。

 

 

 件のアクロシティ正当後継者の名乗りを上げた御子姫は、すでに真竜にその正当性を認められて、もはや今のアクロシティに大義は潰えた。趨勢は、戦う以前から決したも同然であった。

 

 なるほど、戦わずして勝つ……果たしてあの少女がそこまで考えていたかは不明だが、あの優しい少女らしい、素晴らしい一手だった。

 

 

 

 ――だというのに。

 

 私――元西の通商連合国首相であり、今はアクロシティ防衛部隊の司令として招集されたこの私、フレデリック・ウルサイスは……陳情のために最高執政官へと繋いだ通信機を、ギリギリと軋むほどに握りしめていた。

 

 

『命令は変わらん。そのまま三国を牽制し、戦線を維持せよ』

 

 

 通信機から変わらず繰り返される、そんな定型の指令。

 

「申し上げますが、もはやこれまでとは状況が違うのです。我々にこの戦闘を継続する正当性は……」

『命令に変更は無い』

 

 それだけを告げて、一方的に断ち切られた通信。

 

 この期に及んでそんな指令だけを繰り返す最高執政官たちに、ついには頭に青筋を浮かべた私は、手にした通信機を思い切り床へと叩きつける。

 

 砕け散り、破片が天井に当たるほどの勢いで叩きつけられた通信機の破砕音に、無人兵器管制室のオペレーターが、目を丸くして私の方へと注目していた。

 

 

「……ふ、フレデリック司令?」

「……すまない。私は少し頭を冷やしてくる。君たちはそのまま戦況の監視を」

 

 そう、彼らのどこか感情の薄い視線から逃げるように、司令室のドアに手を掛けて……そんな時ふと頭に浮かんだ、馬鹿な考えを口に出す。

 

「今から、おかしなことを言う。聞き流してくれてもいい。思うところがあれば、私に気にせず決断してくれてもいい……なんなら、告発してくれても構わない」

 

 一度話すと決めたら、止められない衝動のまま、口の端に出す。

 

「今から一時間の間……君たちの除隊申請を無条件で許可しよう。他国に亡命するための船も出す」

 

 それは、最後通告。だがしかし、退室しようとする者は誰もいない。

 

 

 ――やはり、居ないか。

 

 

 皆、何をこの人は言っているのだろうという疑問の目で、フレデリックを見つめている。除隊を申請する者など、一人もいない。

 

 それは……決して、フレデリックへの信頼などではない。

 

 ここに住む者達は、アクロシティの決定を最上としそれに従う……()()()()()()()のだ。

 

 

「そうか……諸君の忠誠に感謝する」

 

 それだけ告げて、管制室を後にする。

 

 ――我ながら、なんと、寒々しい言葉か。

 

 忠誠など、そこには皆無だというのに。

 感謝など、微塵もしていないというのに。

 

 外の世界の哲学者に、人を『考える葦である』と例えた者がいるという。人間は孤独で弱いが、考えることができることにその偉大と尊厳があると、そういう意味らしい。

 

 だが、このアクロシティでは。

 

 

 

 飛空戦艦やオートマトンなどの、高度に機械化された無人兵器。もはや、戦に命を張る必要は無い。

 

 上からの指示に、ただ唯々諾々と従うことだけを求められている政治形態。個々人の思想など必要とされていない。

 

 そこに『考える』ことは求められず、もはや、このアクロシティに『人』は居ないのだ。それは考えることをやめた、ただ弱いだけの葦に成り下がった者が暮らすディストピアに他ならない。

 

 

 

 故にフレデリックには、闘技島で戦った、自らの意思で道を進む若者たちが眩しく見えた。それは目に痛いほどで、決して認められない眩しさだった。

 

 

「だが……あそこで道を乗り換えていれば、違う未来もあったのだろうか」

 

 

 頭上、積層都市の外壁で小さく区切られた青空を眺めながら、なんとなしに呟く。

 

 

 それはもはや、言っても詮無いこと。

 

 自分は、最高執政官『十王』の手足として人工的に作られた『モノ』……『ウルサイス』という末端の部品の一つ。そう生きてきてしまった。

 

 今後悔していたとしても、それはもはやそうして生きてきた選択の結果でしかないのだから――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「イリスリーア!」

 

 怪我人の治療もひと段落して、ようやくできた休憩時間。風に当たりにターミナル屋上へと上がってきた私は、名前を呼ばれ振り返る。そこには……

 

 

「あなた、御子姫様でしょう?」

「おっ……と、すまんな、つい癖で」

 

 王妃様に窘められて、慌てて言い直すアルフガルド陛下。

 そんな様子に、クスッと思わず噴き出しながら、少し脇に逸れて場所を開ける。

 

「構いませんよ、皆がいない場所では、以前のままで」

「うむ……すまんな、イリスリーア」

 

 照れて頭を掻くアルフガルド陛下に、クスクスと笑いながら隣に並び、海……その奥に薄く見える積層閉鎖都市を眺める。

 

「ユリウス殿下は、元気にしていますか?」

「うむ。自分も役に立ちたいと、アンジェリカ嬢を始めとする聖女の方々について回ってその仕事の手助けをしておる。あやつは将来、私などよりずっと優しい王になるだろうな」

「ですが、イリスお姉様に会いたいとも時々ぼやいていますわ。時間ができたら会ってあげてくださいな。あの子にとってあなたは、立場はどうあれ『お姉様』なのですから」

「アンネリーゼ王妃様……はい、必ず」

 

 そう、お互いの近況を報告し合い、笑い合う私たち。

 ですが、やがて話が尽きていくうちに、重い空気が漂い始めます。

 

「……やはり、返答はありませんか」

「うむ。アクロシティは依然、あらゆる通信を封鎖し沈黙を守っている」

 

深々と溜息をついた陛下が、私と同じくアクロシティを眺めて、ポツポツと語り出す。

 

「……相手側の司令、フレデリックめは、頭は回る奴だ。このような事を続けても先などないということくらい、わきまえている奴だと思っていたが」

 

そんな陛下の言葉に、以前に闘技島で戦った時を思い出す。あの時、撃墜される間際に彼は……

 

「……あるいは、あの方も今の状況を苦々しく思っているのかもしれません」

「フレデリックが?」

「はい……あの人とは闘技島では敵対しましたが、心のどこかでは……アクロシティの支配に抗う人々に、憧憬のようなものを抱いているように感じられましたので」

 

 別れ際の彼の叫び。

 あれは、ままならぬ自分の立場への慟哭に思え、今でも心の片隅に引っかかっていました。

 

「そうだな……分かった、何か奴に連絡を付ける手段が無いか、探してみよう」

「お願いします、アルフガルド陛下……お体、気をつけてくださいませ、叔父様」

「ああ、お前もな、イリスリーア」

 

 私たちはそう笑い合って、またそれぞれの持ち場へと歩き出すのでした。

 

 

 

 しかし、この時の仕込みは陽の目を見ないまま……この三日後に、事態は急変するのでした。

 

 

 

 ――そう、あの人の登場によって――……

 



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離反

 

 ――積層型閉鎖都市アクロシティ、その屋上。 

 

 

 半径数十キロに及ぶ巨大な塔の頂上、その中心に、彼らは忽然と姿を現した。

 

 

 

「この下が、アクロシティ中枢部のあるセントラルフレームだ。クロウ、遠慮なく天井をぶち抜いてくれ」

『ブレスはツカワなくてイイのかヨ。使っタホウがハヤくオワるゼ?』

「いい、それはこの後来るであろう連中のために温存しておけ」

『へいへィ……』

 

 そう生返事して、両手に備えた爪を振り上げて、力を込め、虚無を纏い、振り下ろす。

 

 だがそれは、強固な結界に阻まれて表面をそこそこ抉った程度に抑えられてしまう。

 

『イヤイヤ、ヤッぱこれ、硬スギんジャネーノ?』

 

 いくらなんでもブレス抜きは時間がかかると抗議の視線を相棒に送るも、無視されてしまった。

 

 

 ――あるいハ、待ってイルか、ダネェ。

 

 

 それは、あの、自分の()()()()()()によく似た少女だろうか。

 

 相棒は気付いていないようだが、その纏っている雰囲気からめっきりと毒が減った。

 それは……それだけ、『娘』に絆されてしまっている事に他ならない。

 

 そして、それは決して相棒だけの話ではなく――

 

『マ、俺ハそれならソレでイイんダケドナ』

「何か言ったか、クロウ」

 

 耳聡く、あちこちに『傷』を増産していた相棒が振り返る。

 

『イイヤ、まアチョット急ぐかねぇって言っタダケサ』

 

 そう誤魔化すと、俺……クロウクルアフなどと名付けられた竜は、再度その爪を振り上げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

「フレデリック司令……アクロポリス天蓋に、強力な魔力反応を感知!」

「なんだと!?」

「パターン照合……『死の蛇』です!!」

 

 声を恐怖に震わせながらのその報告に、騒然となる司令部。

 さもありなん、このアクロシティはそもそも、外的の侵入を想定した造りにはなっていないのだから。

 

「バカな、一体どこから……いや、まさか」

 

 あり得るとすれば、このアクロシティの絶対防空圏を誤魔化す何かを有していたか、だ。

 

「奴め、以前撃墜した我らの飛空戦艦から、友軍の認識ビーコンを抜き取っていたか……ッ!?」

 

 もはや、奴の侵入を許した以上は、人同士で争いをしている場合ではない。

 一縷の望みを賭けて、最高執政官『十王』へと直訴しようと通信機を手にとった。

 

「最高評議会へ、もはや各国と争っていていい状況ではありません、早急に和睦と死の蛇への対応をしなければ、このアクロシティ自体が滅びます!!」

 

 切迫した事態に声を荒げながら、そう報告する。だが……

 

『命令は変わらん。そのまま三国を牽制し、戦線を――』

 

「ふ……ざけるなァ!!」

 

 乱暴に通信を切り、配線を引きちぎり、流れてくる定例文を黙らせる。

 

 呆気に取られている周囲に、私は――

 

 

「――全ての、アクロシティ外に展開している無人兵器群の稼働を停止しろ。リソースは全て天井に取り付いた死の蛇へ。それ以外の存在は全て友軍として設定しサポートをさせよ」

「……は?」

 

 配下の、戸惑いの声。

 だが、もはや最高評議会にはついていけそうにない。私は、私のやりたいようにやる。たとえ、次の瞬間には殺されようともだ。

 

「ようやく理解した。私が守るべきは、古い老人のエゴなどではなく、この街、ひいてはこの世界だ。外の世界に目もくれず、夢想の内に生きて、もはや定例文しか話さぬ老害など知ったことか!!」

 

 

 有り体に言えば、私はキレていた。

 

 ――あるいは、もっと早く決断できていれば、このような事態にはならなかったかもしれない。今更遅すぎる話ではあるが。

 

 

「皆へ、最後の命令だ。絶対防空圏をこれから二時間の間停止せよ。衛星砲『天の焔』は別命あるまで停止。そして、貴公らは全ての責任を私に押しつけて、管制室から離脱しろ」

「し、司令?」

 

 戸惑う副官を他所に、アクロシティ外へと向けた放送のスイッチを入れる。そして……

 

 

 

「聞こえるか、御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン!!」

 

 

 

 ……そう、呼びかけたのだった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

『―― 聞こえるか、御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン!!』

 

 急遽、アクロシティの無人兵器がその動きを止めた。上空に居た飛空戦艦も、やがてゆっくりと下降して、海に静かに着水していく。

 

 そんな中、響き渡る声は……よく知っている人の声でした。

 

「この声は………」

「忘れもしねぇ……フレデリック!」

 

 憎々しげにアクロシティ方面を睨みつけるレイジさん。そう……それは確かに、以前一戦交えたフレデリック首相のものでした。

 

『私、アクロシティ無人戦闘兵器管制室司令、フレデリック・ウルサイスは……三国へ差し向けた兵器全てを破棄、加えてこれから二時間、アクロシティ絶対防空圏“天の焔”を停止する』

 

 そんな宣言に、周囲のざわめきが大きくなった。

 それは……実質的な、無条件降伏。だが、何故……そんな疑問は、すぐに答えが与えられました。

 

『現在、我らアクロシティの防衛圏を突破した死の蛇クロウクルアフが、アクロシティ天蓋にてその防御を破ろうとしている最中だ。そして我々単独に、これに対処できる戦力は存在しない』

 

 

 そこで、ひとつ深々と溜息を吐いた、フレデリック首相の声。

 

『虫のいい事は重々に承知はしているが、その上で頼みたい……どうか、この街を、世界を頼む』

 

 そう締め括ると……アクロシティからの通信は途絶え、また沈黙しました。

 

「……いかがしますか、御子姫様」

 

 そう尋ねてくるアルフガルド陛下に、私はアクロシティ天頂を見据えながら、迷い無く頷く。

 

「行きます。どの道捨て置けませんし……何より、私は彼をもう一度、信じてみたいと思います」

 

 ギュッと、手にした錫杖『アストラルレイザー』の柄を握り締める。

 

 

 ――以前敵対していたとはいえ、立ち塞がった彼の羨望の叫び声は、決して嘘ではないと思えたから。

 

 

「……レイジさんは、甘いと思いますか?」

「いいや……お前は、それでいいと思うぜ」

 

 そう言って私の頭をグリグリと撫でてくる彼に、ふっと頬を緩めるのでした。

 

 

 

「……皆の者、聞いたな! 各国へも通達。今から三十分後、我らノールグラシエ魔法騎士団は、アクロシティへと打って出る! 我こそはと思う勇士は皆、港に仮設された魔導船『デルフィナス』発着所へと集合せよ!!」

 

 アルフガルド陛下の指示が、伝令によって慌ただしくコメルスの街へと駆け巡っていく。

 そんな中、最前列で控えていた二人が一歩前に出て跪いた。

 

「この私、ローランド辺境伯レオンハルト、最後まで陛下にお供します」

「私、魔導騎士団『青氷』団長クラウス・ヴァイマール。我らが役割に掛けて、必ず皆をアクロシティまで送り届けましょう」

「うむ、二人とも、頼りにさせてもらうぞ。さて、私は皆のところへ指示を伝えに行く、お主らは共をせよ」

「「はっ!!」」

 

 そうして、アルフガルド陛下は二人を従えて立ち去っていく。

 

 そのあとに、続いて私の前へと出てきたのは……

 

「もちろん、私たち傭兵団セルクイユ、ここまで来たら最後まで手伝うよ」

「我が剣、我が姫様に捧げたものゆえ、必ずお力になりましょう」

「それに……ヤツが居るってんなら、黙ってらんねぇからな。皆、こっちに来ている。今一度、共に戦うとしよう」

 

 そう告げたのは、レオンハルト様に同行していた、フィリアスさんとゼルティスさん、そしてヴァルター団長。

 

「んじゃまあ、俺らは手分けして、カチ込みたい連中を集めてくるわ」

「ありがとうございます、ヴァルターさん、ゼルティスさん、フィリアスさん。どうか、よろしくお願いします」

 

 そう頭を下げる私に向けて、軽く手を上げて方々へと駆け出す彼ら傭兵団の三人。

 その背を見送ってから……私は、海の向こうに見えるアクロシティ天頂へと視線を向ける。

 

 確かにそこに感じるのは、私を呼ぶ『傷』の気配。

 

 

 

 ――あと、たった三十分。

 

 

 

 ついに……『死の蛇』との、『あの人』との決戦の時が、訪れようとしていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 ――これでいい。

 

 無人となった管制室、

 私……フレデリックは、もはや自分がやるべき事は全て済んだと、天井を仰ぎ見ていた。

 

 

 ――だが、何故だ?

 

 

 何故、私は生きている。

 

 勝手な、事実上の無条件降伏。

 機密兵器の、勝手な運用。

 

 やっている事はもはやクーデターにも等しいというのに、何故、私はいまだに生きているのか。

 

 てっきり、離反の意思を示した瞬間に殺される……それくらいの覚悟を持っての行動だったにもかかわらず、何故、私は放置されているのか。

 

 

 

 ――あるいは、もはやそのような手間を掛ける必要も無いほどに、私の行動は彼ら『十王』にとっては()()()()()()()()()()だったか。

 

 

 

 そんな答えが脳裏をよぎり、ぞくりと体を震わせる。

 

 だが、何故?

 

 このアクロシティに、死の蛇に対抗し得る兵器など、それこそ直上、天に浮かぶ『天の焔』くらいしか――

 

 

 ――いや。逆に言えば『天の焔』が、制限を外れて自由に使用できるならば。

 

 

 だが、あれは過去に、都市防衛以外の運用は封じられている。

 すでに都市内に入り込んだ死の蛇を撃つことなど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()不可能だ。

 

 だがそれが可能なのは、今は敵方に居るあの姫君のみ――

 

 

 

「――いや、居る。もう一人存在している……!?」

 

 

 

 思い至った、一つの可能性。

 

 それはあまりにも悍しい、かつて世界を憂い、今なお世界を支える者に対して敬意を欠いた、冒涜的な行為。

 

 だが……このアクロシティには、()()()()()()()のだった――……

 



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聖戦

 

 

 その日――絶対不可侵だったはずのアクロシティが、光に包まれた。

 

 北の魔法王国、ノールグラシエが密かに召抱える魔法使いが使用したと言われている、光の道を形成する大魔法。

 それによってアクロシティ四方に出来た光の道を駆けて進むのは、北のノールグラシエ、南のフランヴェルジェ、東の諸島連合……そして西、闘技島イスアーレスの闘士たちを中心に、『放浪者』が中心となって立ち上げた新鋭の商会が合流し結成された、有志連合。

 

 それらが、不可侵だったはずのアクロシティ天頂から湧き出た『世界の傷』が生み出した魔物たちを蹴散らしながら、光の道を進んでいく。

 

 これは、この『ケージ』世界におけるそんな歴史的光景の中、観客のいないアクロシティ天頂で繰り広げられていた、戦闘の記録だった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 ティティリアさんにより拓かれた道を渡り、世界全ての勢力が結集してアクロシティを守らんと、『死の蛇』……そして『傷』へと立ち向かう各国。

 

 

「……ごめん、私はこの『ウイニングロード』を維持するのが精一杯。皆を送り届けたら、必ず合流するから」

「この子は、あたしたちが必ず守るよ」

「後から、絶対送り届けるからね!」

 

 そう言って、ノールグラシエ魔導船『デルフィナス』に残ったティティリアさん、桜花さん、キルシェさん。

 そんな彼女たち三人に見送られ、私たちは二機の竜の背に乗せてもらい、一足先に決戦の舞台中心へと飛んだ。

 

 

 

 レイジさん。

 ソール兄様。

 スカーさん。

 ミリアムさん。

 ハヤト君。

 斉天さん。

 今回どうしてもと同行を申し出た、ソラさん。

 そして……私の直衛として、横で刃の如き毛並みを逆立てているスノー。

 

 そんな竜の背から降り立った、私を含めた八人と一匹に加え……

 

「やれやれじゃな。ソラ、本の虫なお主がノコノコこのような場所にしゃしゃり出るなど、自殺もいいところじゃぞ」

「……すみません。彼らを巻き込んでしまった一員として、僕には見届ける義務があるんです」

「ふん……変なところで律儀な奴じゃ、まあ良い、手伝ってやろう」

 

 そう尊大な声が聞こえてくると共に、ソラさんの肩から飛び立つ一匹の蝙蝠。

 それはみるみる姿を変えて……見知った幼い少女ではなく、二十代の大人の女性のような姿をした女性へと変化した。

 

 それは、協力を申し出てくれた、魔王アマリリス様。

 

 

 ――更には。

 

 

「うっぷ……全く壱与様ときたら、送ってくださるのはありがたいですがぁ、この乗り心地はどうにかなりませんの?」

 

 まるで乗り物酔いをしたような蒼白な顔で空間の裂け目から這い出し現れたのは、巫女服の上から今回は千早まで纏った、見た目だけならば大和撫子を体現したような女性……東の斬り姫、桔梗さん。

 

 

 

 ――そして、もう一人。

 

「罪滅ぼしという訳ではありませんが……今回は、貴女の味方として馳せ参じられたこと、嬉しく思いますよ……猫の手も借りたいところでしょう、悪魔の手などは入り用でしょうか?」

 

 まるで影から染み出すように現れたのは、西で指揮を取っていたとばかり思っていた……悪魔使い、フォルスさんの姿でした。

 

 

 

 そうして騒乱の中心へと強行突破を敢行した私たちが降り立ったのは、見渡す限りの白い床が広がる場所……アクロシティの天板。

 

その中心に、確かに彼らは待ち構えていました。

 

 

 巨大な、絶えず目に見える姿が変貌する竜。

 そして……それを従えた、黒い三枚羽の光翼族。

 

 

「来たか……つくづく、面倒な奴らだ」

 

 そう冷たい口調で言い放つ、彼……『死の蛇』リュケイオン。

 

 そんな彼と……周囲、次々と世界の傷から魔物たちが這い出してくるその中で、ついに対峙することとなったのでした。

 

 

 

 

「……それで、君たちが来たからって何かできるとでも?」

 

 そんな挑発するような彼の言葉に、ピクリと私、レイジさん、ソール兄様の肩が跳ねる。

 

 三人がかりで何もできなかったのは、つい三か月前。その苦い記憶は、まだまだ新しい。

 

 だけど……

 

 

「……はい。そのために、色々と積み上げてきました」

 

 余裕ぶって手出ししてこない彼の眼前で、私は手にしていた錫杖を、眼前の空間へと掲げる。するとその先端が展開して、形を変えていった。

 

 

 

 元々は、私の魔力を吸い上げ刃とする理力の刃を展開する機構。ですが、以前の闘技島での戦闘で、痛いほど身に染みました。

 

 ――やはり、前に立って刃を振るうのは向いていないのだ、と。

 

 なので機構を組み直して弄ってもらい、私の魔力を過剰に吸い上げて私の魔法をオーバーロードさせ、周囲へと魔法効果を強化・拡散する杖へと改造して貰ったのが……私の前に自律浮遊し展開する、この『アストラルレイザーⅡ』。

 

 

 

 それが確かに稼働したのを確認した私は、改めて両手を胸の前でパンと叩く。その手を離したとき、私の内に現れたのは、翼と同じく純白の光を放つ白光の杖。

 

 そして……私が全力で戦闘する意思を示した事で、背に白い光翼が展開すると同時に、頭上に回転する光の輪が浮かび上がる。

 

 その光は周囲へと広がって、仲間たちへと変化をもたらした。

 

 

 人族であれば、その手足に妖精の羽根のような光を。

 天族であれば、その背に三対の翼と光輪を。

 魔族であれば、その背に巨大な悪魔の翼を。

 

 

 各々の内に秘められたその力を解きほぐし、顕現させる。

 

 これが、教団で授かった『ルミナリエの光冠』。

 

 エインフェリア、セレスティア、ノスフェラトゥ……それら三種のルミナリエの加護を強く受けた上位種族、その力を賦活して顕現させる、女王の冠。

 

 

 そして、それはバージョンが繰り上がったレイジさんも例外ではなく……彼はその背に『アドヴェント』の紋章を浮かべ、皆の先頭に立ってリュケイオンさんと対峙します。

 

「……そうか。お前が」

 

 何を考えているのか、レイジさんを一瞥した後、目を瞑って黙り込むリュケイオンさん。

 しかし、その手を掲げ、それに合わせて背後のクロウクルアフがこちらへと向き直る。それは、無言の敵対の意思表示。

 

「リュケイオンさん、話を! お願いです、一緒にリィリスさんを助けて、この世界を……!」

「止まれないんだよ、たとえ彼女が生きていると知ったところで、今更」

 

 ピシャリと、こちらの呼びかけを拒絶する彼の声。

 

「僕はさ……約束を破ったんだよ。彼女を助けもせず、その願いを叶えもせず、大勢の不幸を撒き散らしては自分と同じ目に合わせてやったと悦びに打ち震え今は世界を滅ぼしたくて仕方ないんだ。それを、今更、どの面を下げて『君を助けに来た』って?」

 

 それは、彼の本心であり……身を蝕む苦しみの吐露。

 

 お前はもう人の世には帰れない。

 幸せになるなど許さない。

 

 そうして彼を縛る、莫大な呪いが、今の私には見える。

 

 

 

 ならば、そんな世界の怨嗟を一点に凝縮した力を抱えて、身動きが取れなくなっているというのならば……

 

「……分かりました」

 

 スッと、彼の目を真っ直ぐに見詰め……それを、告げる。

 

「一度、あなたを()()()()()()、物分かりが良くなったら協力してもらいます」

 

 

 ポカン、と呆けた顔で固まるリュケイオンさん。

 私は、その表情を見て、こう思ったのです。

 

 

 

 ――してやったり、と。

 

 

 

「……く、はは……良く言ったイリス!」

「んじゃ、ま、お姫様の頼みとあらは、全力でそれを実行しないとなァ!」

 

 兄様とスカーさんが、笑いながら手を掲げ、叫ぶ。

 

「それじゃ、まあ……やるぞフギン!」

「ああ、力を貸せ、ムニン!」

『それでは、誓約者殿。我々の力、お預けします!』

『しっかり気張れよ、マスター!!』

 

『『形態:竜騎士(ドラグーン)……!』』

 

 フギンとムニン、二人の真竜がそんな声を発した瞬間――その姿がまるで兄様とスカーさんの影と溶け合うようにして、姿を消してしまう。

 次の瞬間そこにあったのは……まるで包み込むように浮遊する追加装甲と長い機械の尾を纏った、兄様とスカーさんの姿。

 

 

 その姿を見て……これまで無反応だったクロウクルアフが警戒したように、ピクリと反応する。

 

 

「……あの時の脆弱な人間どもが、そうまでして食い下がるとはな。呆れたしつこさだ」

「生憎、私も必死なんです。拗らせて聞き分けの悪い()()を持ったせいで」

「……いいだろう、聞き分けの悪いガキには折檻してやらないとな」

「その言葉、そっくり返してやりますよ、この()()()()

 

 ピタリと、そんな彼の眉間に白光の杖の先端を突きつけて、最後の戦闘準備を紡ぎます。

 

「……『ここに全ての集う道照らす光。有れ』……この一戦に全てを賭して、照らせ、『聖戦(ジハド)』……ッ!!」

 

 私が有する、あらゆる仲間たちを支えるための力。

 それら全てが限界まで高められ、捻り集まって集い、今ここにひとつの形を為して、頭上に戴くルミナリエの光冠の輝きへと載って周辺へと降り注ぎます。

 

 

 ――第()()()()魔法『聖戦(ジハド)

 

 

 その光によって、今まさに『死の蛇』との決戦が、幕を上げたのでした――……

 



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決戦①

 

 

 アクロシティを憎む『死の蛇』の手により、過去、記録にないほどに密集して開かれた、普通ならば絶望するほどの『世界の傷』。

 

 そこへ、何十重にも私たちを取り囲み、包囲の輪を狭めてくるのは……『ファントム』と呼ばれる、不定形な影の魔物。

 

「しかし、どうするのお姫様ぁ、このままじゃジリ貧よぉ?」

「この数は、さすがにいつまで押さえておけるか分からんな!」

『……ワウ!』

 

 私やミリアムさんら後衛の直衛として、周囲から迫るファントムを押し止めてくれているのは、桔梗さんと斉天さん、そしてスノー。

 

「さすがに、私もこの数は捌ききれませんね、何か手立てはあるのでしょう!?」

 

 悪魔を操り、獅子奮迅の活躍でファントムたちを処理していたフォルスさんですが……こちらも、ジリジリと後退していた。

 

 ですが、私はこの状況にあってなお、心は凪いでいました。

 

 

 

 今ならば分かる……あれは過去、創造魔法で助かった人の分だけ、その苦痛だけを押し付けられて生まれた虚数生命体であると。

 

 ――ただ、誰かを助けるための代償として、苦しむために生み出されてきた、そういう存在だと。

 

 

 

 ならば……傷を癒す、それこそが私の役目なのだから。

 

 

「――『祈りを、紡ぎましょう』」

 

 

 トン、と白光の杖で、床を突く。

 その振動に、周囲に拡散した波動に、周囲のファントム全てが私の方へと向いた。

 

 

「――『子守唄を、奏でましょう』」

 

 

 もう一度、杖で床を突く。

 次に放射されたのは、光。

 それが黒い波の間を疾り抜けると、まるで苦痛が消失したかのように皆驚いて、我が身を見下ろすファントムたち。

 

 

「――『だからもう、終わりましょう?』」

 

 

 その苦痛は、もう抱えている必要は無いのだから。

 

 

 

 私から放射状に広がった光の波が、昏い闇を纏ったファントムたちを光へと還元していく。

 

 苦痛という『負』を背負わされた彼らが、『無』へと還っていく。

 

 それだけに止まらず、周囲の『傷』の怨嗟も何もかもを呑み込んで、浄化していく。

 

 

 ――これが、光翼族の完成形。ルミナリエが有していたという『世恢の翼』。

 

 

 天に還っていく光を見送りながら……私は、その奇跡の光景をジッと見上げていたのでした。

 

 

 

 

 

「この力……よもや、リィリス以上の……!?」

 

 レイジさんと激しく打ち合いながら、愕然と呟くリュケイオンさん。その声に、ようやく見上げるのをやめて、彼へと向き直る。

 

「……ようやく追いつきましたよ。お父様?」

「……っ」

 

 私の言葉に、明らかな動揺を表情に浮かべたリュケイオンさん。

 

 

「馬鹿な、僅か数ヶ月前はただの塵芥に過ぎなかった者達が、よもやこれほどの……」

「当たり前だ! お前がずっと過去に囚われていた間ずっと……イリスは、お前や、お前たちを助けようと頑張っていたんだぞ、この馬鹿野郎が!!」

 

 ギンッ、と音を上げて、レイジさんの『アルヴェンティア』が、リュケイオンさんの手にしていた漆黒の魔剣を跳ね飛ばした。

 

「貴様……そうか、あの時の剣士! 貴様が『アドヴェント』を受けた……!?」

「はっ、ずいぶんアウトオブ眼中だったみたいだが、ようやく思い出してくれたみたいで嬉しいぜ『お義父さん』よォ!!」

「ぐぅ……!?」

 

 パリン、と硬いものが砕ける破砕音。

 レイジさんの放った渾身の『リミティションエッジ』が、リュケイオンさんの纏った黒いハニカム模様の障壁を粉々に砕き、飛び退った彼の肩を浅く切り裂いた。

 

 ――以前、まるで歯が立たなかった障壁が、砕かれた。

 

「馬鹿な……」

「馬鹿はお前だ、この……馬鹿野郎!!」

「がっ!?」

 

 障壁を今回は容易く砕かれ、愕然とするリュケイオンさんの頬に、背後から姿を現した影……ハヤト君の拳が、めり込んだ。

 

「貴様、あの時の小僧!?」

「何でだよ! 何で、姉ちゃんとお前が戦う必要がある! 協力しようと思えばできるだろうが!!」

「不可能だ、僕は、あのお姫様と違う! こんな世界どうなろうと、いっそ滅べばいいと――」

「世界がどうなってもいいってなら……なんでてめえは、闘技島でイリス姉ちゃんを助けたんだよ、あの時!!」

 

 ハヤト君の言葉に、口籠るリュケイオンさん。

 しかし、すぐに気を取り直したように……あるいは自分に言い聞かせているかのように、口を開く。

 

「そんなもの、僕が必要だったものを手に入れる囮が欲しかったからでしか――」

「んなわけあるか、馬鹿野郎――ッッ!!!」

 

 ――ゴッ!

 

 凄まじく鈍い音を上げて、ハヤト君の頭が、彼が襟を掴んで引き寄せたリュケイオンさんの頭へとめり込んだ。

 

「が――ッ!?」

「バレバレなんだよ! 囮なんてそんな必要、あの時のどこにあったってんだよ、あァ!?」

 

 衝撃に蹲るリュケイオンさんの頭を、ハヤト君は両手で掴み、固定し……

 

「てめぇは! ただ!」

「が、は――っ!?」

 

 再度、額が切れて血が吹き出すのも厭わずリュケイオンさんへ向けて叩きつけられる、ハヤト君の頭。

 

「ただ、てめぇは! ……娘を、イリス姉ちゃんを、てめぇの娘をさぁ! 見捨てておけなかっただけだろうがよ、なぁ!?」

 

 自分も衝撃にフラフラしながらも、ハヤト君はリュケイオンさんの襟を掴んで、ガクガクと両手で揺さぶる。

 

「一緒にさ、母ちゃん助けりゃいいだけじゃねえか。何でそんな意地張ってんだ、馬鹿野郎……」

 

 そう、昂った感情により涙まで浮かべながら、リュケイオンさんの胸を叩くハヤト君。

 

 ……あの闘技島の出来事で、ハヤト君は他の誰よりもリュケイオンさんと交流があったと聞きました。

 

 敵として相対するのは初めてな分、ハヤト君は皆よりも彼、リュケイオンさんを敵とは思えないのでしょう。

 

 そんな、必死に問いただすハヤト君に……リュケイオンさんが、くしゃりと顔を歪めたのが見えました。

 

 ですが……まだ、彼を止めるまでには届かない。

 

 

「……クロウクルアフ、『ドラゴンブレス』だ」

『――?』

「いいからやれ、薙ぎ払え!!」

 

 ハヤト君を振り払い、上空に退避したリュケイオンさんが手を掲げ、何か言いたげなクロウクルアフへと指示を出す。

 

 急速にチャージが始まる、邪竜クロウクルアフのドラゴンブレス……別名『魔力相転移砲』。

 

 放たれてしまえば――足元のアクロシティも、ただでは済まないでしょう。

 

「――兄様ッ! フギンさん!!」

「ああ!」

『お任せを!!』

 

 響く、兄様とフギンさんの声。

 兄様の纏った浮遊追加鎧装『ドラゴンアーマー』が、青い光を放って変形し、私たちを守る巨大な盾のように展開しました。

 

 

 直後――世界が真っ暗な闇によって眩く染まるという有り得ざる事象が、私たちの目の前を埋め尽くした。

 

 それは、世界の一部を消し去る破滅の闇。

 

 だが……世界は依然として、光が差し込んでいた。

 頭上に浮かんだ、巨大な極光の盾によって。

 

 

 魔力がある世界から無い世界への相転移によるエネルギーを使用したドラゴンブレス……それは、通常の守護魔法は前提となる相転移に引きずられ、ひとたまりもなく砕かれる。

 

 それに対抗するための……『ドラゴンブレス』を防ぐための防御魔法。

 それが、『ドラゴンアーマー:フギン』。それがこの、位相変動盾『ディメンジョンスリップ』でした。

 

『くっ、やはり先史文明時代の生き残り、ご老体のくせに出力は確かですね……!』

 

 だが、その反動はやはり大きく……クロウクルアフの一射目を防ぎ切ると同時に、微かではあるけれど、兄様の纏った『ドラゴンアーマー:フギン』がパチッと不吉な軋みを上げる。

 

「フギン、大丈夫か!?」

『ええ、少なくともエネルギー切れまでは保たせますとも、私の意地に賭けて』

「……頼む! お前が私たちの生命線だ、なんとしてでも保たせてくれ!」

『承知しました!』

 

 そう声高らかに叫んで、強大な邪竜クロウクルアフに立ち塞がる兄様とフギンさん。そして……

 

 

『なぁに、倒しちまえば問題ないんだろう!!』

「あー……なあムニン、それ、俺らにとって死亡フラグ扱いなんだわ」

『なんだそりゃ、知らねぇなあ!!』

 

 ガハハ、と大笑いを上げながら、ドラゴンブレスを放った直後のクロウクルアフに、無数の火砲を空間に展開し、掃射するムニンさん。

 

 ――拠点防衛兵器『スキッドヴラドニル』。テイアの守護者たる真竜が有する、決戦兵器の一部。

 

 それに限定的にアクセスし、空間の裏側に折り畳まれて眠っていたというそれを展開する、管制機体『ドラゴンアーマー:ムニン』の能力……だそうです。

 

『ええぃ、チマチマ撃つなんざ性に合わねー!?』

「は? いやいや、これをチマチマって」

 

 盛大に、街一つ吹っ飛びそうな爆発が上空で無数に炸裂する光景を前に思わずツッコミを入れるスカーさんでしたが――

 

『空間破砕相転移砲、ぶっ放せ!!』

「いやちょっと待てやァ!?」

 

 スカーさんの制止も虚しく、前面に展開された砲身から、クロウクルアフのそれに匹敵するほどヤバそうな閃光が放たれて、射線上にあったクロウクルアフの翼を根本から吹き飛ばす。

 

 ――もっとも、すぐに再生しましたが。ですが、その失った分の質量は、確かに減少しているように見えました。

 

 

 

そうしてクロウクルアフを押さえ込んで健闘している、二機の『竜騎士』。

 

「……ああ、認めよう。お前たちは、本当によくここまで食い下がってきたものだとね」

 

 頼みのクロウクルアフが押さこまれている光景に、そう、忌々しげに吐き捨てるリュケイオンさん。

 そんな彼の視線の先には……周辺の『傷』の魔物を突破して、今まさに集結しつつある各国の主力部隊の姿があったのでした――……

 



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決戦②

 

 二機の『竜騎士』に、完全に押さえ込まれているクロウクルアフ。

 

 全ての『傷』を、即座に消滅させられる私の存在。

 

 単純な戦闘力で、彼に追いつくほどの成長を見せたレイジさん。

 

 そして……三方向から迫る各国精鋭部隊。

 

 趨勢は決したように見えたこの場ですが……

 

 

 

 

「ああ、そうだ、認めよう。ここまで這い上がって来た事に、敬意を評そう」

 

 そう、ククッ、クククッ、と笑い声を上げるリュケイオンさん。その様子に、皆が警戒して武器を改めて構え直す。

 

 直後……これまでと比べても恐ろしく酷薄な、感情全て内に封じたかのような目を上げた。

 

「だが僕は、それでも今更止まれない、押し通る。それでもお前が止めたいというならば……力づくで来い、御子姫」

 

 そう言って、スッと手をあげるリュケイオンさん。その先には……兄様とスカーさん二人と交戦中だった、邪竜クロウクルアフの姿。

 

「お前の力も使わせて貰うぞ……『ドラゴンアーマー:クロウクルアフ』」

 

 そう、平坦な声でリュケイオンが呟いた直後――彼を中心に、空間が爆ぜた。

 

 

 ただそこに佇んでいるだけで、心臓を握られているような圧力。

 ボロボロの外套のような外装と、その端から覗く漆黒の甲冑を纏った手足に、まるで仮面を被ったような白い兜。

 その手には、形はレイジさんが持つ『アルヴェンティア』に酷似した、禍々しい瘴気を放つ大剣が握られていた。

 

 

「そりゃ、当然あるよな……っ!」

「クロウクルアフの元が、真竜ですからね……!」

 

 

 同種の力を振るうソール兄様とスカーさんが、冷や汗を浮かべながらこちらと合流し、向き直る。

 

『これが先史文明、絶頂期の真竜の本当の力……御子姫様、私の後ろに』

「ありがとうございます、フギンさん、それにムニンさんも。でも、二人は大丈夫?」

『ええ、まだ保ちます』

『それに、出し惜しみしてる場合じゃねーぜ、御子姫サマよ』

 

 そうムニンさんの指し示した先……そこには。

 

「まだ増えるか……」

「マジかよ、冗談きついぜ……」

 

 愕然と呟くのは、ソール兄様とスカーさん。

 

 右手に持った剣の刀身に左手を添え、横向きに捧げ持った竜騎士姿のリュケイオンさん……その周囲の地面から、次々と這い出してくる黒い影。

 

 それは次々と今のリュケイオンさんと同じ姿を取って、辺りを埋め尽くしていく。

 

「なんだ、この影!」

「油断するな、かなり強いぞ!」

 

 影のうち手近な一体を切り伏せたレイジさんが、呆気に取られているハヤト君の前に割り込んで、彼めがけ振り下ろされた刃を受け止める。

 

「くっ……こんなバフ盛って貰ってなおキツいな……っ!」

 

 自身も影の一体からの攻撃をかわした後、すり抜けざまに斬りかかるハヤト君の刃は……それでも装甲を削っただけで倒しきれていない。

 

「――っ、のやろっ!?」

 

 そこから『クローキング』に繋いだハヤト君が即座に繰り出した『アサシネイト』が、今度こそ一体の影を霧散させる。

 

 だが……その時にはもう、何体もの新たな影が出現しているのです。

 

「イリスちゃん、さっきみたいに消せないのかにゃ!?」

「ごめんなさい……すでに試しているのですが、あれには効かないです!」

「どんどん増えていますわねぇ……厄介ですこと!」

 

 私の周囲で牽制射撃を行い影を寄せ付けないようにしているミリアムさん。

 そんな私たちを守護するように、近くの影を切り伏せた桔梗さんが、忌々しげに呟きながら次の影に向かい紅いオーラを纏う刀『有須零時』を構え直した。

 

 私の力が通りが悪い理由……それは、おそらくあのクロウクルアフの特性。

 

 今は同化したリュケイオンさんを核としているせいでしょう。闇を纏いながらも、その判定が光翼族扱いなために、ファントムたちを浄化したルミナリエの波動が通らないのです。

 

 そして、今も広がり続けている増殖。それは外縁部で動き始めた各国の部隊も飲み込んで、さらに遠くまで行こうとしている。

 

 

 

 ――それは、どこまで?

 

 ――このアクロシティを飲み込むくらい?

 

 ――それとも……四大陸のもっと遠くまで?

 

 

 指を噛み、どうすればと必死に頭を巡らせていると――不意に袖が引かれる感触。

 

「おっと……分かっておると思うが、こいつは、ちょいと放置しておくとマズいことになるのう」

「……アマリリス様?」

「なるほど、侵食と増幅、『傷』の魔物の基礎行動だが、まずはアレを止めねばどうにもならんぞ?」

 

 

 私の横に立つ小柄な影……魔王アマリリス様。

 

 そんな彼女の視線の先では、生み出された影が、ノールグラシエ側の突入部隊先頭に居た傭兵団『セルクイユ』、その先頭に立つヴァルターさんやゼルティスさん、レオンハルト様やクラウス様らとぶつかり合い、押し留められていた。

 

 だがしかし、影はいまだに増え続けているのだ。

 場を侵食して生み出されるという性質上、どうやらさほど密集して生み出す事はできないらしいこの影だが……その発生が止まる気配は無い。このままでは広域に拡散しながら際限なく増えていく可能性が高い。

 

 そうなれば……精鋭が集っているこの場はまだしも、外縁で戦闘中の一般部隊は壊滅してしまうだろう。

 

「でも、どうすれば……」

「何、ここは任せてもらおうか」

 

 尊大に告げ、踵を返すアマリリス様。

 

「やつの無制限の拡散は、我が封じよう。じゃが、あまり長くは持たぬぞ?」

「……お願いします!」

「うむ、承った」

 

 そう言って、後退するアマリリスさんは、途中でソラさんの手を引きずっていく。

 

「ちょ、アマリリスさん? こんな時になんですか!?」

「ソラ、お主も付き合え。我は施術中は無防備になってしまうが、お主は護りの魔法が得意なのじゃろう?」

「はぁ……」

 

 釈然としない様子で引き摺られているソラ共々、後方へと後退したアマリリス様が、その手にした杖を構える。

 

 

『――我、闇を統べる赤の王、魔王アマリリスが命じる』

 

 彼女が、トン、と手にした杖で床を突くと、そこから広がるのは、見た事無いほど複雑怪奇な真紅の魔法陣。

 併せて彼女の姿は大きくなっていき……見た目二十代半ばくらいの、ドレス纏う大人の女性へと変貌していました。

 

『これよりここを夜と定める。闇は闇に、光は光に、互いに侵食する事を禁ずると、夜の大精霊の末裔たる我が名に於いて命ずる……!』

 

 ――そうアマリリス様の魔法が発動した瞬間、世界が闇に変貌した。

 

 周囲は昼空のまま、このアクロシティ直上の空だけが夜に染まる。

 そして……リュケイオンさんの分体はその明確に昼夜で区分けされた境界を超える事ができずに、拡散が止まった。

 

「ぐっ……やはり、引きこもりにいきなりのハードワークは堪えるのぅ……ッ!」

「だ、大丈夫ですかアマリリスさん!?」

 

 苦しそうな彼女の様子に、狼狽るソラさんでしたが……

 

「うろたえるで無い。負荷が若干、予想以上だったけ……だから10分じゃ、ここより10分間、我の意地に掛けて留めよう、そこまでにお主らが何とかせい……ッ!」

「……わかりました!」

 

 青い顔で汗を額から流しながらも術を維持するアマリリス様に、私はそう返答してリュケイオンさんへと向き直る。

 正直、どう攻略すべきか未だ見当はついていませんが、悲観して諦めるにはまだまだ早い。

 

 そうして――まだ誰も諦めた目をしていない仲間たち、皆で頷き、武器を構えて直すのでした――……

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

『…………ん?』

『どうしましたか、ムニン』

 

 ――ここは、フギンとムニン、真竜だけの作戦遂行用の意識接続領域。

 

 その中で……ふと空を見上げたムニンが、疑念の声を上げた。

 

『……いや……上で何か動いたような。気のせいか?』

『ならば、眼前の目標に集中なさい、決して油断していい相手ではありませんよ』

『いや、だが……そうだな、悪い』

 

 そんな意外にも素直に謝ったムニンも、この時の事は一時的に意識から締め出した。

 

 そうして眼前の難敵に対処するため『スキッドヴラドニル』の新たな火砲へと、装填開始するのだった――……

 



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決戦③

 

 ――タイムリミットは、十分。

 

 

 

「……って簡単に言ってくれてるけどぉ、正直それどころじゃないくらいこちらも手一杯なんだけど吸血オババぁ?」

「やかましい、我だって伸ばせるものなら伸ばしとるわ!」

 

 そう、迫るリュケイオンさんの分身を押し留めながら、チクチクとアマリリス様に嫌味を吐いている桔梗さん。

 

「だが、確かにこのままじゃ、手数が足りない……ッ!」

「ムニン、こんな時こそ出番だろうが!」

『無理ー、こんな地べた這いつくばる奴相手にスキッドヴラドニルの武装は使えねーよ、どうやってもシティごと巻き込んで禁則事項踏んじまう!』

「ちくしょ! 肝心な時になんだよ!」

 

 悪態を吐きながら、それでも通常武装で対応している『竜騎士』二人ですが、それでも歩みは遅い。

 

 

 

「では、我らはその道を開く一助になりましょう!」

 

 新たにそう言って飛び込んで来たのは……先程まで、ノールグラシエ陣営の最前線に居た姿。

 

「ゼルティスさん、フィリアスさんも!」

「おっと、来ているのは私たちだけではないですよ」

「下で戦っていた仲間も合流したよ、多分懐かしい顔もあるんじゃない?」

 

 そう、フィリアスさんの指し示す先には。

 

「よう、久しぶりだなガキ……とはもう言えねぇか。ずいぶんと、偉くなっちまったモンだな」

「ふふ、一時お世話させていただいた身としては、素直に嬉しくありますけどね」

 

 身嗜みを整えすっかり見違えた姿になっているヴァイスさんが、私たちの背後に迫っていた影を手にした強弓で打ち抜く。

 その背後には、ヴァイスさんに補助魔法を施している、よく知った女性……レニィさんの姿も。

 

「あなた方の背後から迫る敵は、我々が抑えましょう!」

「あなた達は、進む事だけに専念して!」

「で、ですが……」

 

 ゼルティスさんとフィリアスさんの言葉に、しかし私は躊躇する。敵の数が多い、下手したら彼らが孤立しかねない……そう心配していた時。

 

「……大丈夫だ。今回の部下どもは、このくらいで失うようなヤワな鍛え方はしちゃいねえよ」

 

 そう言って、私の頭に大きな手が乗せられる。

 その声は……

 

「ヴァルター団長!」

「ああ、大将の前はあらかた片付いたからな」

 

 そう言って、背後を示す彼。見れば、アルフガルド陛下をはじめ、レオンハルト様やクラウス様が指揮をとる周辺の敵は、ほぼ完全に押さえ込まれていました。

 

 また遠方、西と南からも雪崩れ込んでくる兵たちに、リュケイオンさんの分身たちも分散し始めているのも見て取れます。

 

「……俺はな、嬢ちゃん。この手で、奴をぶった斬るつもりで追っていた。正直今も、その恨みは消えちゃいねえ」

 

 そう言って、険しい顔で元凶であるリュケイオンさんの方を睨んでいるヴァルター団長。

 

「ヴァルター団長……私は」

「ああ、分かってる。それでも、あの野郎は殺したくない、なんせお前の親父さん……なんだろ?」

 

 ヴァルター団長は、その険しかった表情をふっと緩めたかと思うと、直後、裂帛の気合と共に手にした斧を振るって、迫るリュケイオンさんの分身の一体を両断した。

 

「行ってこい、親父さんをぶん殴るために進む嬢ちゃんの、邪魔なんかしねぇからよ!」

 

 そうニッと笑って、私の背中を押すヴァルター団長。

 そして……すぐさま背後から迫る別の影を、その場で抑えてくれていた。

 

「ありがとうございます……ありがとうございました、団長」

「おう、行ってこい」

「しっかりね!」

 

 団長とフィリアスさんに見送られ、彼ら『セルクイユ』の人々がこじ開けた道へと歩を進める。

 

 そんな中、ゼルティスさんはレイジさんに向け、剣を握った拳を突き出す。

 

「我が剣、ここで姫様の背後を守るため、存分に振るいましょう……あとは任せますよ、我が好敵手」

「……ああ、任された!!」

 

 その拳を合わせ、すぐさま私の手を引いて走るレイジさん。

この場で戦う彼らに見送られながら、私たちは、まだまだ遠くに居るリュケイオンさんの元へと向かい駆け出すのでした。

 

 

 

 

「それじゃ……次の道を拓くのは、私たちに任せな!!」

 

 そんな女の子の声が、上空から鳴り響く。

 直後、斜め後方から私たちの眼前に降って来たのは……槍。

 

 それも、ただの槍ではなく、レイジさんやソール兄様、桔梗さんが持つものと同じシリーズと思しき、赤い光を穂先に纏った槍。

 

「爆ぜろ、『シュトゥルムヴィント』……ッ!」

 

 直後、暴風のような風を纏った女の子……桜花さんが、その纏う風で迫るリュケイオンさんの分身を吹き飛ばし、後退させながら降ってきました。

 

「お、桜花さん……その槍は!?」

「はは、無茶言って師匠に打ってもらった『アルスヴィクト』の初陣さ、備え有れば憂いなしってね!」

 

 そう言って……赤い力場を先端に纏う槍を構えながら、私たちの前に降り立つ桜花さん。

 

 そして、そんな桜花さんの作った空隙に舞い降りたのは、いつか戦った炎の巨鳥、唱霊獣『タナトフローガ』。

 

 そして……

 

 

「イリスちゃん!」

 

 そんなタナトフローガから飛び降りて来た、小柄な金髪の女の子が、私に抱きついてくる。

 

「ティアちゃん!?」

「周辺国はもう大丈夫、無事に皆送り届けたから、イリスちゃんを助けに来たよ!」

 

 そう抱きついた後、ざっと周辺の状況を確かめた後、真剣な顔で私の方を見つめるティティリアさん。

 

「一つだけ聞かせて。別に、自棄になって当たって砕けるつもりで説得に行くわけじゃないのよね?」

 

 そんな言葉に、私ははっきりと頷く。

 

「ええ。ダメな父親をぶん殴る、一番いい武器をちゃんと用意して来たわ」

「ならばよし!」

 

 そう、ニッと笑って杖を構えるティティリアさん。その紡いだ呪文は、七色の光を纏って私達全てを包み込んでいく。

 

「それじゃ、私からも最後の後押し。たぶん後でめっちゃ筋肉痛になるけど、いいよね!?」

「……え!?」

 

 なんだか聞き捨てならない副作用が聞こえた気がするけど、疑問に思った時にはティティリアさんはすでに詠唱を終えて、その杖を掲げた。

 

「『クリエイト・ヒーロー』……頑張って、イリスちゃん!!」

 

 

 ティティリアさんの放つ光が、体に染み込んでいく。

 それは全身の細胞を目覚めさせ、みるみる力が、魔力が、膨れ上がっていくのを感じる。

 

 

「それじゃ……私もいきます、『エモーショナル・フロウ』!!」

 

 頭上、タナトフローガの上から聞こえるのは、鈴を鳴らすように澄んだキルシェさんの声。直後、タナトフローガが莫大な魔力を放ち、収束を始める。

 

 それは、いつだったか彼女の意思により私達に放たれた、死の炎。

 それが今度は、私たちの道を拓くために放たれようとしている。

 

「お願いタナトフローガ、今度こそ、あの人たちを助けるのを手伝って……『タナトスブレイズ』、撃てぇーッ!!」

 

 火の鳥から放たれた熱線が、リュケイオンさんが立っている場所を掠め、彼方へと消えていく。

 その炎が通り過ぎた時、その進路上に影の姿はなく、その向こうにいるリュケイオンさんの姿が見えていました。

 

 

「さぁ、行って!」

「頑張ってね、イリスちゃん!」

「しっかり守って帰ってこいよ、優男!」

 

 そう、さらに背を押す皆の声。

 心も体も羽のように軽い。もう、行く先を遮る物もなく、あとはただ進むのみ。

 

「いくぜ、イリス。今度こそ……ッ!」

「ええ……ありがとう、皆、本当にありがとう……ッ!!」

 

 レイジさんの先導に、ただ背中の翼をはためかせアクロシティの屋上を駆け抜ける。

 ここまで支えてくれた人たちに向け、ただありったけの感謝を叫びながら……私達は一本の槍となって、『死の蛇』クロウクルアフとの決着のため進むのでした――……

 



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薄氷を踏み越えて

 

 桜花さんと、キルシェさんが拓いたリュケイオンさんまで続く道。

 

 だけどそれは迫るリュケイオンさんの『影』に飲まれ消えていく、薄氷の道。このままでは、私達があの人の元へ届く前に解けて消えてしまうのは明白でした。

 

 しかし――

 

 

 

 必死に敵の間を駆け抜ける私達でしたが……その時。

 

「スカーさんと言いましたね……右は私が押さえましょう。あなたは左側を」

「あん、構わねぇが、何する気だ?」

「それは、()()()()()()()()

 

 眼鏡の位置を直しながら、フォルスさんがそう言った次の瞬間――大量に吐血するフォルスさんの姿が視界端に映り、私は思わず足を止める。

 

 その己が身を犠牲にする魔法には、見覚えがあった。

 

「フォルスさん、何を!?」

「ああ……別に、死ぬつもりはないですよ……待たせている女の子をまた泣かせてしまいますからね……」

 

 ぜぃぜぃと息を荒げながら、そう皮肉げに述べる彼の体からは……ポタリ、ポタリと赤い滴が垂れていた。

 

「まあ……終わったら回復していただけると、嬉しいかなと」

 

 そう苦笑しながら、その場に座り込むフォルスさん。

 直後……その足元から現れた召喚陣から姿をみせたのは、人の腕ほどの太さを持つ幾重もの鎖に雁字搦めにされている、青と白で彩られた巨大な狼。

 

「では、『終末の魔獣フェンリル』、この先の影たちを凍てつかせ、食い破りなさい」

 

 

 ――ぉオオォォォ……ン!!

 

 

 身の毛もよだつ叫び声を上げて、鎖に雁字搦めにされた終末の魔獣が暴れまわる。

 

 

 

 そして、その反対側では。

 

「ったく、格好つけやがって! ムニン!」

『はいよ!』

「アクロシティを巻き込まなきゃ、ぶっ放せんだよな!?」

『そいつはそうだが、どうする――』

「こうすりゃ良いだろ……!」

 

 スカーさんが床……アクロシティの天井へと手をついて何かを集中し始めて、少し。

 ビシリ、と不吉な音を上げた次の瞬間……左手側の『影』の足元から無数の小さな何かが爆ぜ飛んで炸裂し、影たちは宙に高く舞った。

 

 

 ――構造材の部品を、プラズマ化するほどの超高圧電流を流してサーマルガンの要領で吹き飛ばして爆破したのだ。

 

 

 そう気付いた瞬間、(当然ですが)ムニンさんが烈火のように怒声を上げる。

 

『てめ……なんてことしやがる!?』

「いいからぶっ飛ばせ、シティからは離れたろうが!」

『あとで絶対抗議するからな!?』

 

 そう罵声を飛ばしながらも、宙に踊った『影』たちはムニンさんが放った攻撃によって吹き飛ばされ、数を減じて私達が進む道を広げていました。

 

 

 

 再び駆け出した私達ですが……フォルスさんとスカーさんの献身も、全て押し留められているわけではなく、ついに目の前を塞ぐように一体、また一体と立ち塞がる『影』。

 

 一方で……そんな影の前に立ち塞がる人もまた、存在しました。

 

「ここは、我の出番であるな!」

 

 そう言って、一人先行するように飛び出し、『影』へと飛び掛かったのは――斉天さん。

 

「フォルス殿も、贖罪に己が力を振り絞って道を拓いたのだ、我も身を尽くさねばならぬというものである……!」

「斉天さん……!?」

「案ずるな、自己犠牲など姫には最大限の恩を仇で返す行為と理解しているのである! そのようなつもりは微塵もないであるから……進むのである!」

「斉天……すまん、任せた!」

「ありがとう……ございます!」

「うむ、それで良い!」

 

 そう、『金剛掌』に包まれた拳を振るい、数体の『影』たちと大立ち回りを始める斉天さん。

 だがいかんせん数が多いため、その全てを押さえておけるわけではない。また一体、私達の前へと飛び込んでくる影もいる。

 

 だが、しかし。

 

「『ダンシングブレード』……姉ちゃんの邪魔はさせねぇ、食らいやがれ『刹那』ぁッ!!」

 

 周囲に闘気により構成された漆黒の刃、無数の暗器を浮かべたハヤト君が、飛び込んできた『影』の背後から現れて、その影を無数の刃で滅多斬りにする。

 

 一閃一閃が『アサシネイト』に匹敵する破壊力を秘めた剣閃の嵐に曝された影は、千々に切り裂かれ消滅した。

 

「チャンピオン、こっちは、俺が!」

「応、任せたのである少年!」

 

 斉天さんと背中合わせになり、刃を振るって道を拓いた少年の姿に、思わず声を上げる。

 

「ハヤト君……!?」

「大丈夫、斉天の兄ちゃんも言ってただろ、姉ちゃんたちを悲しませたりはしねぇよ!」

「……お願いします!」

「……ああ、任せろ!」

 

 そう、私の返事に対しどこか嬉しそうに叫ぶハヤト君を信じ、迷わず進む。

 

 

 

 そうして進んだ先では……更に一体、迫って来ていた『影』が、先行していた桔梗さんと切り結んでいる最中だった。

 

「時間が無いんでしょう、私に構わず行きなさぁい!!」

「……っ!?」

 

 思わず補助魔法を飛ばそうとした瞬間、当の彼女の叱責に手が止まる。そんな私に向けて、彼女はただ、目線で自分に構うなと先を促した。

 

「……私はぁ、あなた達と違ってキラキラしたものなんて無いの。人を斬りたい、でもそれは赦されなかったから次に大好きだった気持ち良い事を代償行為にしてきた、そんなロクデナシの女よぉ」

 

 ぎりっと、いつも余裕綽々だった顔を歪ませて、鞘ごとの『有栖零時』で競り合う桔梗さん。

 その向こうから、さらに二体の影が向かって来ている……そんな中で、それでも彼女は私に笑ってみせた。

 

「だけどぉ……一回くらい、世界を救う手助けしたらぁ、いつか生まれてくるかもしれない自分の子供に、胸を張って自慢できると思わなぁい……っ!?」

 

 ギンッ、と激しい金属音を立てて、凶刃を跳ね返した彼女が悠然と立ち上がる。

 その目は……ただ生命力を漲らせ、未来だけを見据えているように力強く輝いていました。だから、私は。

 

「……任せました」

「ええ、任されましたぁ」

 

 そう言って、桔梗さんは三体の影の前に立ち塞がり、左手は腰の鞘へ、右手はだらんと倒して自然体で迎えうつ。

 

 ……私に見えたのは、ここまで。

 

 彼女を信じ、視線を進行方向に。目指すあの人は、もう目と鼻の先に。

 

「――秘剣、『九重』」

 

 そんな桔梗さんの呟きと同時に、背後からは無数の斬撃音と、色とりどりの閃光。

 きっと大丈夫、彼女は強い……私は、ただそう信じるでした。

 

 

 

 ですが、私達の道を阻むのはリュケイオンさんの『影』だけでなく……リュケイオンさんの元まで目と鼻の先いうところまで接近したその時、眼前を遮ったものがあった。

 

 

 ――障壁!?

 

 

 いつもあの人の纏っていた、六角形を組み合わせた格子模様の黒い光の壁。それが、私たちの道を阻む。

 立ち止まれば、押し寄せる影たちに飲み込まれる……そんな私たちの前に、一歩早く飛び出したのは――ソール兄様。

 

「ここは、私に任せてもらおうか!」

『サポートします、マスター』

「ああ、フギン、頼む!」

 

 そう言って、手を頭上へと掲げる兄様。その手に、いつも見慣れたものより巨大な『黒星』が現れた。

 だけど……膨れ上がったその黒い球体に、ビシリ、と亀裂が走った。

 

「『黒星……崩壊』!」

 

 兄様の周囲に浮かんだ『黒星』が、その姿を崩し……次の瞬間膨大なエネルギーとなって手にした『アルスラーダ』へと寄り集まっていく。

 それは……まるで、クロウクルアフが使用していたブレスのような、黒く輝く巨大な剣へと姿を変えていった。

 

「貫け、『ライト・オブ・ダークネス』……ッ!!」

 

 そのまま、全霊の突進と共に螺旋の光を纏い、周囲にいた影を吹き散らしながら障壁へと剣を突き出し激突する兄様。

 

『「つ、ら、ぬ……けぇぇええええええええッッ!!」』

 

 リフレインして聞こえる兄様とフギンさんの声。

 激しい閃光と爆発をまき散らしながら……やがて、バキンという破砕音と共に、その刀身の先端が障壁を貫く。

 

 

 ――ぱきぃぃぃぃん……

 

 

 澄んだ音を立てて、障壁が四散した。

 同時に、兄様の手にした『アルスラーダ』も火を吹いて赤い光の刃を失い、その動作を停止する。

 

「……ミリアム!」

「ガッテン承知にゃ!」

 

 阿吽の呼吸で、兄様が『黒星』を出したときにはもう詠唱を開始していたミリィさんが前に出る。

 

「イリスちゃんたちの邪魔はさせないにゃ! これが、私の最終秘奥……『デストラクション・グレアー』……ッ!!」

 

 そう叫び振り下ろしたミリィさんの杖から飛び出したのは……小さな、小さな、妙に真っ白な球体。

 

 あまりにも頼りなくフラフラと飛んでいくそれは、やがて……リュケイオンさんの眼前へ、ぽとんと落下した。

 

 

 ――世界から音が消え、光だけが視界を覆い尽くした。

 

 極限まで凝縮された純エネルギーの結晶。それが、触れた床を起点に天へ全ての指向性を向けた爆発となり広がったのだ……と理解したのは光が消えた後、リュケイオンさんの周囲にいた『影』全てが跡形もなく消し飛び、にもかかわらずアクロシティの天井には焦げ目ひとつない事を認識した時だった。

 

 だがしかし……純エネルギー耐性を持つ真竜の鎧を纏うリュケイオンさんには、その効果は無い。

 ゆっくりと立ち上がるリュケイオンさんの手には、骨のような意匠が刀身に走る黒い大剣が握られていた。

 

「ごめん、イリスちゃん、レイジさん、あとは任せたにゃ」

 

 全てを振り絞ったミリィさんは、ここが限界。剣を破損した兄様も同様に。

 

 そんな二人に頷き、もはや拓けた視界の中、リュケイオンさんに向き直った――その時でした。

 

「……!」

「一体隠れてやがったか、イリス、下が……!」

 

 突然床から現れた、残っていた一体の『影』に、レイジさんが私に警告を飛ばそうとする。

 だが、それよりも早く動いた――白く小さな騎士(ナイト)の影があった。

 

 

 ――ギシリ。

 

 

 世界が軋む。セイリオスのもつ死の魔眼が、影の一体を周囲の空間ごと()()

 存在そのものを拒絶されたその影は、何の痕跡を残すことすら許されずに()()()()()

 

「ありがとう、スノー!」

「サンキュー、犬っころ!」

『ワゥ!!」

 

 誇らしげに吠えたスノーが開いた道を、レイジさんが今度こそ飛び出す。

 私は、すぐさまこの場に止まって、魔法の詠唱を始める。

 

 

 ――分からず屋な父親を、ぶっ飛ばすにふさわしい魔法を。

 

 

「今日こそ、お前をぶっ飛ばす! てめぇのために編み出したとっておきだ、受けてみやがれ……ッ!」

 

 そう叫び、十二本の『剣軍』を呼び出すレイジさん。

 だけど今回は、その全て一斉に動かしながら、一直線にリュケイオンさんへと斬りかかる。

 

「――『無尽剣(ジリオンブレイド)』ッ!!」

 

 それは、従えた『剣軍』との一斉攻撃。

 瞬く間に無数の剣閃がリュケイオンさんを包み込み、もはや内部が見えないほどの莫大な量の剣閃となってその動きを封じた――次の刹那。

 

「――『唯閃』ッ!!!」

 

 そこから、神速の斬り返し。

 

 これまでの全ての集大成である、その研ぎ澄まされた剣はもはや私にも、おそらくは誰の目にも見えませんでしたが……彼が残心の姿勢を取った時には、リュケイオンさんの剣の中ほどから上が、宙へと舞っていました。

 

 また、彼の前方から迫る影たちも、同様に断たれ、姿を散らしていく。

 

「――イリス!」

「はい!」

 

 レイジさんの声に、私はこれまで貯めこんでいた力を解放する。

 

「これで、終わらせます――『ディバイン・スピア』……ッ!!」

 

 

 ――それは、この世界に来て初めて戦った時と同じ魔法。

 

 

 幾度も失敗し、辛い目に遭い……だけど、その度に鍛えられ、研ぎ澄まされ、仲間たちの力も借りて輝きを増していった、この魔法。

 

 もはや(スピア)どころか攻城兵器サイズにまで成長したその『ディバイン・スピア』……その本数、十二本。

 

『……ああ、驚いた。お前は僕どころかリィリスすら追い越して、そこまでの……』

「ええ……私の勝ちです、お父様。今はもう、私()()の方が強い」

 

 呆然と呟くリュケイオンさんへ、私がにっこりと笑いかけると、その十二本の槍が穂先をピタリとリュケイオンさんへと向ける。

 そして、その槍が放たれる寸前……兜が溶けるように消えた『ドラゴンアーマー』から覗いたリュケイオンさんの顔は、満足とも、安堵とも取れるような穏やかなものでした。

 

 

 

 ――閃光が、アクロシティの上空を満たす。

 

 

 

 眩くアクロシティ屋上を照らす『ディバイン・スピア』の光が消え去った時……そこにはもう、無数にいたはずのリュケイオンさんの『影』たちは、一体残らず姿を消していたのでした――……

 

 



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急転直下

 

「勝った……のか?」

 

 誰ともつかぬ、信じられないといった様子の呟き。

 だが……周囲にもはや『影』たちは見当たらず、その本体であるリュケイオンさんは、ドラゴンアーマーが解除された姿で天井中心に仰向けで倒れ伏していた。

 

 ――そんな時。

 

「あっ……」

 

 スノーが、とことこと私の横を通り、倒れ伏すリュケイオンさんの顔を覗き込む。

 

 そして…………その顔を、前足でペチンと叩くと、そのまま興味なさげにそっぽを向いてしまった。

 

 あの子も、母親を奪われたのに。

 

「……ありがとう、スノー」

 

 私は、愛しい小さな白騎士に、そう言って頭を下げたのでした。

 

 

 

 

 

「……そうか、僕の負けか」

 

 不意に、ポツリと聞こえてきた呟き。

 そちらに目を向けると……丁度、リュケイオンさんが倒れ伏したまま目を開けたところでした。

 

「……目覚めていたんですか?」

「いや……そこの犬っころのせいで目が覚めた」

 

 忌々しげに横目でスノーを睨むと、今度はいつのまにか彼の横に佇む漆黒の竜……人間の成人男性サイズにまで縮んだクロウクルアフへと語りかける。

 

「クロウ、お前はどうだ、まだ暴れ足りないか?」

 

 憑物が取れたような穏やかな顔で問い掛けるリュケイオンさんに、その竜が、口を開く。

 

『オレはナ、確かに邪竜ッテ言われテル邪悪な竜で、世界を滅ボシテやりたい衝動はアルんダ』

 

 意外に軽い口調で言葉を発したクロウクルアフ。

 喋ったことに驚いている私たちの前で、彼はその首を横に振った。

 

『ダケドな……オレは、ソンナ面倒な事をスルくらいナラ、寝てル方がズット性に合っテルんダ』

 

 そう言って、彼は本当にその場で身を丸めて寝転がってしまう。さらには、欠伸までも。

 

『マ、宿主が世界ブッコワシテヤルってんならいくらデモ付き合ってヤルぜ? デモそうじゃないンなら、オレは寝ル』

「……だそうだ。僕が目覚めさせるまで、ずっと寝こけていたものぐさ竜だからな、こいつは」

 

 苦笑しながら、肩をすくめるリュケイオンさん。

 

 ですが……その話の裏にある事情が、なんとなく見えました。

 

 本音は、暴れまわって世界を滅ぼしたい。

 だけどこの世界は彼の主人……ルミナリエが守った世界だから、邪竜に堕ちてなお自らを眠りにつかせることで世界を守ることを選んだ、優しい竜。

 

 

 それでも、リュケイオンさんという世界が壊れることを望む主人ができた事で、今一度邪竜として顕現した。

 

 だけど、その必要も無くなった今……彼はまた、眠りにつくつもりなのだ。ルミナリエの守ったこの世界を守るために。

 

「……クロウクルアフ……いえ、真竜クルナック様。私は……あなたという竜を、尊敬いたします」

『ハァ? 何のコトかワカンネェなあ?』

「はは、珍しいな、こいつ照れてるぞ」

『意味ワカンネエ、勝手に言っテロ』

 

 スノー同様、こちらもソッポを向いて黙り込んでしまうクロウクルアフ。

 その様子にひとしきり苦笑いした後……私は、どうにか身を起こしたリュケイオンさんへと向き直る。

 

 

「私は、リィリスさん……お母様を助けたい。お父様、協力していただけませんか?」

「……分かってる。娘に無様に張り倒されたんだ、これ以上の恥の上塗りは我慢ならん。大人しく従うさ」

「では……!」

 

 渋々頷いた彼に、喜びのまま抱き着こうとした――その瞬間だった。

 

 

 

『――屋上で戦闘中の者たちへ……逃げろ、一刻も早く!!』

 

 

 

 響き渡る警報と、緊急放送。

 そして、切迫した様子で捲し立てる声は……

 

「……フレデリック、様?」

 

 その声は間違いなく、私達をここへ導いたフレデリック首相の声。

 だけど、今度は逃げろという。それは一体……

 

 

『頼む、逃げろ――今からそこに、“()()()()()()()()()()!!』

 

 

 皆がその瞬間、息を呑んだ。

 一瞬だけ、世界が静止したような錯覚を覚えた。

 

 

「――ッ! 総員、退却! 装備も捨てて構わぬ、少しでも早く退却だ、急げ!!」

 

 アルフガルド陛下の指示に、武器さえもかなぐり捨てて退却していくノールグラシエ国軍。

 それは三方から攻め入っていた他の国も同様で、皆、一目散に逃げ出していく。

 

 

「て……『天の焔』って、たしか絶対防衛圏内には……」

「ああ……()()()()()()()()()()には、内部を撃つことはできない……だが、アクロシティには一人、()()()()()()()()()()()()()()()

「――ッ!?」

 

 息を飲む。

 それは、つまり――

 

「そうか……奴ら、自分の物にならぬならばと、僕やお前みたいな管理者権限を持つ者を、排除する気か……!」

 

 ぼたぼたと血が流れるほど拳を握りしめたリュケイオンさんが、怨嗟の声を上げる。

 

「そこまで堕ちたか……最高執政官『十王』ども……ッ!!」

 

 

 

『『『ふむ……さすが、察しが早いな、死の蛇、いや、リュケイオン』』』

 

 

 ――声が、聞こえた。

 

 多重に重なって聞こえる、その声は……だけど、聞き覚えのある声。

 

 それは――今から助けに行くはずだった人の声。

 

 

「貴様ら……絶対に、絶対に許さない……!」

 

 フラフラと立ち上がり、人はここまで他者を憎めるのかというくらいの憎悪の籠もった目で、天を睨むリュケイオンさん。

 

 その彼は……まるで血を吐くかのように、絞り出すような声で叫んだ。

 

「……()()()()()()()()()()()な、『十王』……ッ!!」

「な……ッ!?」

 

 激しい怨嗟の声を漏らすリュケイオンさんのその言葉に、私もバッと声がした方を向く。

 

 

 そこには……天から降りてくる、一つの人影。

 

 背に輝く、五対十枚の真白い御子姫の翼。

 

 緩くたなびく、私と同じ虹色の髪。

 

 白いドレスを天女の羽衣のようにたなびかせて、ゆっくり降りてくるその姿は……紛れもなく、リィリスさんのもの。

 

 だけど、幼い少女のように悪戯っぽい色を湛えた、それでいて見る者を穏やかな気分にしてしまう柔らかな微笑みは見る影も無く……今は、能面のような酷薄な笑みを浮かべていた。

 

 その顔に張り付いた笑みだけが、致命的なまでに彼女が『あの人』ではないことを証明していました。

 

 

『『『彼女の意識は、そこの御子姫の方へとかかりきりだったからな……容易いものだったぞ、我がものとするのはな』』』

 

 

 何度か、私達を助けてくれたリィリスさんの意識。

 だが、そのたびに彼女は乗っ取られていた。明かされるその事実に膝が砕けそうになったのを、辛うじて堪える。

 

 

『『『本当は、塔の制御用、そして“奈落”の向こうに居る“器”の制御用にお前も確保しておきたかったのだが……』』』

 

 

 どこまでも酷薄に、無機質に……彼らの私刑の判決が、下された。

 

 

『『『致し方あるまい……世界の安寧と平和のため、消えてもらうとしよう』』』

 

 

 そして……その背後、天空が……裂ける。

 

 そこに、ゆっくりと開いていく黄金色の巨大な『眼』――アクロシティ絶対防衛圏、その中核となる『天の焔』の砲塔であるその眼が、真っ直ぐにこちら……私と、リュケイオンさんを照準した。

 

「……させ、ない!!」

 

 たとえ無謀だとしても、背後にはまだリュケイオンさん、そして……私を信じ、募ってくれた仲間たちが居る。決して退くわけにはいかない……ッ!

 

 

「――開け! 『ガーデン・オブ・アイレイン』……ッ!!!』」

 

 以前破られたことで使用できなくなっていたその魔法を、今だけは何が何でも展開しなければならないと、戒めを砕き全力で解き放つ。

 

 直後――上空の眼から、アクロシティに歯向かうもの全てを無に還す『天の焔』が放たれた。

 

 

 

 それは――例えるならば、街を壊滅させる規模の嵐に傘で立ち向かうようなもの。

 

 

 

 ――衝撃に、一瞬で全身の感覚が消える。

 

 ――眩い光に、目の前が真っ白に染まる。

 

 

 

 あらゆる感覚の消失した中で……

 

 

 

 

 ◇

 

 ――大丈夫だよ、お姉ちゃん。

 

 

「……え?」

 

 

 ただ光に満たされた空間の中で、不意に誰かの声が聞こえた。

 

 

 ――ごめんなさい、私が不甲斐ないばかりに、あなたには苦労を掛けてしまったわ。

 

 

 何も聞こえないはずの世界の中で、懐かしい、優しい声が聞こえた。

 その声の主は、隣で佇む小さな女の子の頭を撫でながら、優しい笑顔でこちらへと手を伸ばす。

 

 

 ――でも、大丈夫。お姉ちゃん達は、助かるから。

 

 ――ええ、あなた達を助けるために、動いてくれた人たちが居るから……だから、大丈夫。

 

 ――ほら、呼ばれているよ――外の世界へ……!

 

 

 

 

 私より小さな手と、私と同じくらいの大きさの手が、私の手を引いて導く。

 

 やがて――その手は、引っ張りあげられた先で待っていた、別の手に繋ぎ直された。

 

 その手の感触は、覚えがあった。

 忘れるはずがない、懐かしい感触。

 

「か、あ……さん……?」

 

 その誰かが、私の手をさらに引っ張り上げ……呆然と呼んだ先で確かに、その誰かは私へと向けて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 直後、意識まで真っ白な光に埋め尽くされ――私達は、この世界『ケージ』上から、完全に姿を消したのでした――……

 



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繋がる世界

 

 

「ぅ……」

 

 ゆっくりと浮上する意識。

 ぼんやりとした視界の先にあったのは……不規則に虫食い穴が空いたような、トラバーチン模様の白い天井。

 

「ここは……けほっ」

 

 すっかり渇いた喉で声を出したため、思わず咳き込む。それも落ち着いて、周囲を見回すと……

 

「……病室?」

 

 それも、どちらかというと『テラ』のものに近い。白いカーテンが掛かる窓の外に広がる景色は、高層ビルが立ち並ぶやはり私達が見慣れていたはずだった街並みが広がっている。

 

 ここがどこで、今どういった事態なのかが理解できず、混乱していると……

 

「あ……イリス、目が覚めた?」

 

 それは、もう懐かしささえ感じる、聞き慣れた女の子の声。

 

 

「え……綾芽!?」

「ああ……そっか、そういえばこの姿を見るのってもう数ヶ月ぶりだもんね」

 

 照れたように苦笑し頬を掻きながら近寄ってくる、艶やかな黒髪を切りそろえたその女性は……紛れもなく、二十年以上も苦楽を共にしてきた妹の姿。

 

「それじゃ、ここって……」

「うん、そう。地球……東京にある病院だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

   Worldgate Online ~世恢の翼~

             最終章 『世界、繋げて』

 

 

 

 

 

 もはや懐かしいとさえ思える、ザワザワと騒がしい駅構内に、カラカラと、タイルの凸凹に車輪が引っかかる音が響く。

 

「……ひゃっ!?」

 

 そんな駅の二階出口から外に出た途端、頬を撫でたのは、予想外に冷たい空気。

 

「おっと……意外に寒いな。イリス、大丈夫か、上着出そうか?」

 

 私が座る車椅子を押していたレイジさんが、私の方へ心配そうな声を掛けて来ます。

 

「だ、大丈夫です、レイジさん。ちょっと驚いただけですから」

「ああ……こっちはもう、秋も終わりに差し掛かってたんだな」

 

 記憶にある最後の光景では、道を行き交う人々は半袖の薄着が多かったのですが……今はすっかり長袖の人ばかりで、中にはもう薄手の上着を纏う人もちらほらと見かけられる。

 

「……随分と、懐かしい気がしますね」

「そうだな……向こうに行ったのは、夏が始まったあたりだったんだよな」

 

 

 ――だいたい、季節二つ分。

 

 

 長いようで、色々ありすぎたせいで短かったような、そんな数ヶ月間のうちに……まるで私達を置いてけぼりにするように、すっかりと街はその雰囲気を変えていました。

 

「しっかしまあ、周囲からの視線はどうにかならんかねぇ」

「あ、あはは……」

「しょうがないでしょ。あんた等が目立たない訳ないんだから」

 

 呆れたように言うのは、すぐ後ろをついてくる艶やかな黒髪の女性……綾芽。

 

 

 周囲から私達へと向けられるのは、不躾な興味本位の視線。

 それもやむなし……今のレイジさんは、身長180センチのモデルみたいに長身な赤毛の男性であり……私に至っては、車椅子に座る銀髪の女の子。そんな私たち二人は、明らかに日本人ではない外見をしているのですから、目立つなという方が無理でしょう。

 

 ですが、今はもう、その程度で動じたりはしない。『向こう』の世界で鍛えられた私はすっかり神経が図太くなったみたいで、思わずクスッと笑ってしまい、皆に変な顔をされてしまうのでした。

 

 

 

 

 ――あの日、アクロシティ屋上にて『天の焔』に曝された私達。

 

 咄嗟に放った私の『ガーデンオブアイレイン』による抵抗も虚しく、圧倒的な出力差により瞬く間に天の焔によって掻き消されるはずだった私達の命は……だがしかし、何故かこちら、『テラ』側の日本の離島、『神那居島』という東京の南の海にある小さな島へと打ち上げられていたのだそうです。

 

 それを発見した島民の通報によって、都内の病院へと搬送された私達でしたが……その漂流者は皆、数ヶ月前の集団神隠し事件により忽然と姿を消した人々なものだから、世間では大騒ぎとなったそうでした。

 

 ……実際、テレビを点けると今も、ニュースはしきりにその話題が繰り返されています。

 

 それでも、どこからか働いた圧力のおかげでマスコミの取材は自重するようにということになったらしく、桔梗さんやハヤト君をはじめとしたあの最終決戦の場にいた『プレイヤー』たちは一度それぞれの家へと帰っていき……一週間遅れで私が目覚めた時には、皆すでに居ませんでした。

 

 例外は、行方不明者リストに居なかった三人……銀髪の少女と赤毛の青年、そしてもう一人、()()()()()

 

 

 

 

「ふわぁ……仙台って初めて来たんだけど、話には聞いていたけど、本当にペデデッキが広いんだねぇ」

「まぁ、面積で言うと日本一らしいからな」

 

 駅を出てすぐに広がる、広大な高架歩道(ペデストリアンデッキ)に感嘆の声を上げる少女の声。

 おっかなびっくりついてくるのは、ちょっと日本ではあまりお目に掛かれないような金髪の美少女……ティティリアさんでした。

 

 他の皆は綾女同様に、()()()での元の姿へと戻っていたらしいのですが、私とレイジさんを除き、何故か、唯一元の姿へと戻れなかった彼女は家に帰るに帰れず、ひとまず私達の家へと招待したのですが……

 

 

「しかし……帰ってくるなり職場から呼び出しとはね」

「まぁまぁ、もしかしたら事情を聞かせてくれるかもしれませんし……」

 

 忌々しげにスマートフォンを睨む綾芽を宥めながら、私も自分のスマートフォンを手にする。

 

 ……すっかりと大きくなってしまい、手に合わなくなったこの携帯端末。

 

 それを両手で持って操作しながら開くのは、メッセージアプリ。そこには新しく、『アークスVRテクノロジー』という名前を付けていた宛先からのメッセージが、一件届いていました。

 

『事情を説明する、出社してくるように』

 

 そんな簡素な中身のメッセージを受けて、私達は今、帰宅ついでに職場へと向かっているところなのでした。

 

 

 

 

 

 

「あの、本日約束していた者ですけど」

 

 すっかりと高い位置になってしまったインターホンに向け、声を掛ける。

 

『あら、お嬢さん、どなた?』

 

 すぐにインターホンから聞こえてきたのは……プランナーの畠山さんの声。あまりにも懐かしくて、思わず鼻の奥がツンとしましたが、堪えて返事を返します。

 

「ええと……こんな声ですが、私、玖珂です」

『……玖珂君!?』

 

 驚きの声と、椅子を蹴倒す騒がしい音がインターホンの向こうから聞こえてきて、なんだろうと綾芽と顔を見合わせる。

 

 ところが……直後ビルの自動ドアが開いて、息を切らせた畠山さんが飛び出してきた。

 

「えっと……お久しぶりです、畠山さん」

「ご無沙汰していました、どうもご心配をお掛けしました」

 

 慌てて飛び出してきた畠山さん……記憶より少しやつれた気がする……に、綾芽と二人で頭を下げる。

 

「……本当に、玖珂君なの?」

「あはは……姿は、すっかり変わってしまいましたが……きゃ!?」

 

 苦笑しながら、畠山さんへと返事をすると……不意に、感極まった様子で私へと抱きついてきた彼女に驚いて、思わず悲鳴を上げてしまう。

 

「本当に……本当に無事で良かったわ、玖珂君。お帰りなさい……っ!」

「……はい、ただいま帰りました」

 

 こちらではもう天涯孤独だと思っていたけれど、それでも私にはまだ、「お帰りなさい」と言ってくれる人が存在した。

 それが嬉しくて……私も思わず、畠山さんに釣られて涙を流すのでした――……

 

 

 





作中の季節は、だいたい十月中頃でしょうか。


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父親

 

 ――アークスVRテクノロジー、本社内。

 

 畠山さんに案内されるままについてきたのは……私も何度も足を踏み入れたことのある、懐かしの開発室でした。

 

「失礼、します……」

 

 あまり音を立てないように、静かに入った室内。

 そこでは、数人の見覚えのある人たちが、モニターへと向かい作業をしていました。

 

 ……と、そこへ。

 

『わぅ!』

「うわっ!?」

「きゃっ!? す、スノー? あなたもこっちに来ていたの?」

 

 レイジさんに押され、車椅子に座って移動している私の、膝の上に飛び込んできた白い毛球。

 レイジさんと一緒にビックリしながら確認したそれは……あの時アクロシティ屋上で一緒にいた、スノーでした。

 

「あら、スノーちゃん。ご主人さまに再会できて良かったわね?」

『わうっ!』

 

 なんだかすっかりと畠山さんに懐いたらしいスノーが、顎の下を撫でられて気持ち良さそうに目を細める。

 

 ……この子、野生に帰れるのかしら?

 

 ブランシェさんごめんなさい、ちょっと育て方間違えたかも。そんな事をこっそり内心で考えていると。

 

「お、御子姫よ、来たか」

「あ、アマリリス様!? それに……」

 

 すっかりと見慣れた、尊大な態度の白い少女と……その後ろから現れた、体格の良い銀髪の壮年男性。

 

「……遅かったな」

「……アウレオ社長。いえ」

 

 ゴクリと唾を飲み込み、その言葉を告げる。

 

 

 

「――お父様」

 

 

 

 私が絞り出したその声に……彼は表情一つ変えぬまま、頷いたのでした。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 部屋にいたのは、アウレオ社長と魔王アマリリス様、そして元々ここの社員である緋上さんと満月さん、そして……

 

「梨深、あんたも来ていたの?」

「うん、来るようにって呼ばれて……久しぶり、綾芽ちゃん」

 

 そう言って、目に涙を浮かべ綾芽に抱きついているのは、ミリィさん……の中身である、豊かな黒髪を緩く巻いた温厚そうな女の子、館林梨深ちゃん。レイジさんは大学の後輩という形で面識があるそうだが、私は初対面です。

 

 それにスノーと、後から入ってきた畠山さん。最後に、私とレイジさん、綾芽、それにティティリアさんの後から来た組……皆で、部屋の応接間に設置されたテーブルを囲んでいました。

 

 

 

 

 

「……まず、皆が気になっているであろう、何故我らが助かったかというところから我が説明しよう。おそらく、正確にあの時何があったのかを把握しておるのは我しか居らぬからな」

 

 そう切り出したアマリリス様の言葉に、それぞれ用意された椅子に腰掛けた私達は頷き、先を促します。

 

「まず……普通ならば、我らはあの場で滅ぼされるはずじゃった。出力が、まるで物が違うからの……あれは元々、いざという時は『ケージ』ごと『奈落(ギヌンガガプ)』を処理するための兵器の試作品じゃからな」

 

 アクロシティが建造された先史文明紀にあった本来の構想では、あれを十二機量産し対『奈落』の決戦兵器……あるいは自滅兵器とする予定だった――そんな事実が語られて、背筋が冷える思いがしました。

 

 

 ――それが、人が過去に手放した創造魔法の力。

 

 

 あまりにスケールの違う力に、皆が絶句していました。

 

「ですが、私達は生きています」

「そう、それ、私も気になっていたの」

 

 綾芽と、その隣に寄り添うように座る梨深ちゃんが、そんな疑問を口にする。

 私も、あのとき攻撃を咄嗟に受け止めた感触から、ずっと疑問に思っていました。

 

「アマリリス様。あのとき放たれた砲撃の圧力は、到底私に防げるような物ではありませんでしたよね?」

「うむ。だがしかし、お主の結界魔法が『天の焔』を一瞬だけじゃが押し留めた。結果として、それが我ら皆の命を救う事に……正確に言うならば、我らを救った者が咄嗟に動く時間を稼いだのじゃ」

「……その、私達を救ってくれた者というのは?」

 

 私の質問に、アマリリス様は一つ頷くと、その名前を口にした。

 

「……『死の蛇』クロウクルアフじゃ」

「……え?」

「お主が『天の焔』に耐えた一瞬で、クロウクルアフがその結界ごと『奈落』へとお前たちを飲み込んだ。結果、我らはその結界ごと奈落の中を漂流することになり……」

「直後、いかなる手段かは分からぬが、私のデスクへと一通のメッセージが届いた……先代御子姫、リィリスと言ったな、彼女が私へとメッセージを送ってきた。お前たちを急いでピックアップして欲しいとな」

 

 アマリリス様のあとを引き継ぐ形で語られる、アウレオさんの言葉。

 

「クロウクルアフが……それに、あの人も」

 

 おそらく、リュケイオンさんの指示もあったのでしょう。どうやら図らずも、私たちは『あちら側の』両親に助けられたみたいでした。

 

「元々、突然二か月前に戻ってきた社長の要請で、『Worldgate Online』の復旧作業は進めていたの。色々とまだ完全とは言い難かったんだけど……」

「それでも無理矢理に起動して、お前たちをこちらに呼び戻した、というわけだ」

 

 こちら側の事情を説明する畠山さんの言葉を引き継いで、アウレオさんが結論を述べる。

 どうやらこちらでは、私達を再帰還させるための準備が元々進められており、それに助けられる形となったのだということでした。

 

「あ、あの、向こうは今大変なことになっていて……助けてくれたのは本当に感謝していますが、どうにか向こうに戻れませんか!?」

「ティティリアさん……」

「今はまず、話を聞こう、な?」

 

 そう焦ったように尋ねるのは、ティティリアさん。

 大事な人と別離した彼女のその剣幕に、私やレイジさんも同じ気持ちではありますが、どうにか彼女を宥めて座らせます。

 

「それなんだが……ひとまず安心してくれ。皆無事だというメッセージはあった……んだよな?」

「ああ、緋上ADの言う通りだ。少なくともお前たちの知り合いに被害は無かったらしい」

「そう、ですか……」

 

 安堵した様子で、ずるずると椅子に座り直したティティリアさん。そのまま、気が緩んだせいか顔を両手で覆い肩を震わせ始めたので、今はそっとしておきます。

 

「それで、向こうへと戻るには……」

「……残念ながら、無理をしたせいで『Worldgate Online』の方は無事とは行かなかったのよ。復旧させるには、およそひと月はかかるかしらね」

 

 おそるおそる尋ねた私に、畠山さんから申し訳なさそうな返答。

 

「それに、戻ったところでどうするつもりだ。現時点ではその先代御子姫を殺す以外に、『天の焔』を止める手段は無いだろう」

 

 アウレオさんの至極冷静な言葉に、私達はぐっと言葉に詰まる。

 現時点では、救出対象であるリィリスさんが敵な状況。確かに、私達に今出来ることはありません……彼女を殺す以外。

 

「ですが……それは……」

 

 それでは意味が無いのだ。きっとまた、リュケイオンさんも、『奈落』の核である私本来の体に入っているあの子も、救えない。

 

「……意地が悪いのぅ、魔導王」

「全くよね、その準備は進めているくせに」

「……む」

 

 アマリリス様と畠山さん、女性陣に揶揄われ、口籠るアウレオさん。

 

「大丈夫ですイリスさん、こちらで必要な武器の準備は進めていますよ」

「これが、あのいけ好かねえ十王をイリスちゃんの母ちゃんから抜き取る切り札……」

 

 そう言って、満月さんと緋上さんが端末を操作すると……モニターに映ったのは、一冊の黒い本のデータ。それは、あの『ケージ』に飛ばされた日に見た白い本にそっくりの見た目をしていました。

 

「その名を『黒の書』という」

 

 そうモニターに映された本の名前を告げるのは、アウレオさん。

 

「黒の書……これは、一体?」

「簡単に言うと、失敗作だ」

「失敗作?」

 

 この場にそぐわぬ単語に首を傾げる私でしたが、アウレオさんはそのまま解説を続けます。

 

「元は、『白の書』の複製を作るつもりだったのだがな。肝心の『テイア』にアクセスする機能は、ついに再現できなかった。これはただの、()()()()()()()()()()()()の魔導器だ」

「魂を……それじゃあ!?」

「そうだ、先代御子姫の体に傷は与えることなく、その体を奪った十王のみを排除出来るはずだ……理論上はな」

 

 なんせ、試運転無しのぶっつけ本番になるからなと締め括るアウレオさん。

 

「だから……三か月だ。それで、完璧に仕上げてやる」

「三……か月……」

 

 長い。

 それだけ長い期間、手出しできないというのは、あまりにも……

 

 

「イリス、我が娘よ」

 

 

 キッと、鋭い眼光に射抜かれて、私は思わずビクッと背筋を伸ばし、姿勢を正す。

 

「――お前の見てきたあちらの人々というのは、お前たちが三か月不在にしただけで滅ぶような、軟弱な者たちだったか?」

 

 その、厳しくも諭すようなアウレオさんの言葉に、はっと息を飲む。

 

「いいえ……いいえ、決してそのようなことは」

「ならば、信じて待つがいい。お前の絆を結んだ者たちをな」

 

 それだけを私に告げ、彼は黙り込んでしまいました。

 

 ――あれ、もしかして励まされた?

 

 助けを求めるように畠山さんの方へと目線を送りますが……彼女はただ、苦笑しながら肩を竦めただけでした。

 

 

 

 

 

 

 ――そうして話が終わったのを察し、『アークスVRテクノロジー』の皆が各々の作業へ戻る中。

 

 

 

「さて、話すことも終わったわけだが……お前には、私に言いたいことがあるだろう。言うならば今のうちだぞ」

「……言いたいことですか?」

「それとも……やりたい事、かな。準備はできている、我慢は要らぬ、思い切りやりたまえ」

 

 そう私に告げ、私の座る車椅子の傍らに片膝をつくアウレオさん。

 そんな彼に向けて……私は、ニッコリと微笑みます。

 

「あら、どうやらお見通しみたいですね。それでは――遠慮なくっ!!」

 

 

 ――パァァアア……ンッ!!

 

 案外と、よく響いた音が、二度。

 思い切り振りかぶり、腕をしならせて勢いよく。

 この日のためにずっと練習してきた……平手打ちで、二度、彼の頬を張り飛ばす。

 

 それでも、彼の鍛えられがっしりとした体はほとんど揺ぎませんでしたが……私は、満足の笑みを彼へと向けます。

 

「私自身の恨み辛みの分。それと、お母様の分。たしかに叩き返させていただきましたわ、お父様?」

 

 ジンジンと痛む手はこっそり隠しながら、ニッコリと笑いかける。

 

「一応、母さんとは合意の上だったみたいだから、これで勘弁してあげます」

「……ああ、お前の不満はしかと受け取った」

 

 そう言って彼は立ち上がり、わずかに乱れたスーツを直す。私も、これでもう、貸し借りは水に流す事にする。

 

「なに、反抗期の娘の怒りを受け止めるのも、父親の仕事だろう」

 

 くっくっ、と笑ったのち……彼はまた真面目な顔になり、口を開く。

 

「そうそう……以前、履歴書の経歴を見たのだがな。確か君は、高校を中退していたのだったな」

「……それが必要な経済的事情があったもので」

「すまんな、私がもっと早くに君たちの存在を認識できていれば、そのように経済的な不自由はさせなかったのだが」

 

 一つ溜息を吐くと、彼は一枚のパンフレットを傍らの鞄から取り出す。

 

 それは……

 

「……学校案内、ですか?」

 

 たしかそこに記載された名前は、郊外にある富裕層向けの私立学園の名前だったはずだが……これが何かと、私はアウレオさんへ首を傾げる。

 

「準備が完了するまでの三か月……短い期間だが、お前は学校に行くといい」

「……………………はい?」

 

 しばし硬直したのち……思わず聞き返す。

 

「君の、戸籍のデータだ。私の娘ということにしている」

 

 そう言って彼が差し出したタブレットPCに映っていたのは、多分住民票の写し。そこには……『イリス=ユーバー』という名前の人物の戸籍がしるされていた。

 

「幸いかあるいは不幸か、君らには『黒の書』が完成し、『Worldgate Online』の調整も完了するまでの三か月のあいだに、君がやるべき事は何もない」

「えっと、たしかにそうですが……それが?」

 

 混乱する私へと……彼は、厳かに伝えてきました。

 

「だから……三か月の間、()()()()()()()()()()()。『イリス=ユーバー』という()()()()()()な」

 

 そう、告げたのでした――……

 

 

 

 

 

 ◇

 

「社長も、素直じゃないんですから。こちらの世界で思い出を残していって欲しかったって、娘さんに伝えたら良かったのに」

「……そんな事ではないさ。学生生活という経験は、将来役に立つ。だがあれは、どうやら中学もお情けで卒業したようなものらしいからな」

「はいはい……拗らせた男親って、ほんと面倒なんだから」

 



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私立杜乃宮学園

 

 ――私立、杜之宮(もりのみや)学園。

 

 数年前に、元々あった大学の附属高校としてスタートしたこの比較的新しい学校。

 

 ちょうど私たちが高校生に上がる頃に完成した学校で、しかも私立の裕福な層向けの学校とあって高嶺の花的な存在であり、街で見かけるその制服に憧れたりはしましたが……

 

 

 

 

「……まさか、自分が通う事になるとは思いませんでしたね」

 

 何の因果かその学校へと通うことになり、あれよというまに手続きは終わり、今日はもう編入当日。

 

 まだまだ真新しい校舎の、案内された今日から通う教室の外で……自分が纏う緑がかった紺色のブレザーと赤のチェック柄のスカートを見下ろしながら、小声で呟きます。

 

「ん、何が言ったか?」

「あ、いいえ、なんでもありません」

 

 背後に控えるレイジさんにそう言って誤魔化し……直後、むくむくと湧き上がる悪戯心に、つい尋ねます。

 

「それで……どうですか、念願の私の制服姿は?」

 

 悪戯っぽい笑顔を浮かべ尋ねてみると、彼は耳まで真っ赤にして、そっぽを向いてしまいます。

 

「いや……その……もちろん可愛いぞ。最高に」

「あっ、はい……なら、良かったです」

 

 駄目でした。

 どうやら私はこの方面の小悪魔にはなれないらしいと、ストレートに褒められるというカウンターを喰らい熱を持った頬を抑えて、溜息を吐きます。

 

 

 ……とまあ、そんなことをしているうちに。

 

 

「それでは……どうぞ、ユーバーさん、入って来てください」

 

 教室の中から、私を呼ぶ声。

 

 護衛として校内に同行が許されているレイジさんに車椅子を押され、私は教室に入室する。

 

 

 

 ――廊下からも聞こえた、転校生と聞いてざわついていた声たちが、その瞬間ピタリと止みました。

 

 そのレイジさんが一礼して教室を出て行ったのを見計らい、担任であるやや年配の女性教諭が紹介を始めますが……しかし、ここまでずっと教室内は静まり返っていました。

 

 私は「あれ、転入生ってこんな興味持たれないものだったっけ?」とニコニコと闘技島で培った外向けの微笑みを浮かべる裏で、内心首を傾げていると。

 

「彼女は、イリス・ユーバーさん。苗字に疑問を持った人も居るかもしれませんが、当校の大学部で教鞭を執っているアウレオ・ユーバー教授の、娘さんです」

 

 その先生の言葉に、今度こそざわめき出す教室内。

 

 

 

 ――私にとってのアウレオさんは『職場の社長』というイメージが強いですが……実はあの人が最初に世に出たのは科学者であり医師、むしろ世間的には『画期的な新技術をもたらし、医療面で貢献した天才科学者』というイメージの方がはるかに強いのです。

 

 そんな彼は、今はこの学校の客員教授として、主に工学部、情報処理学部、そして医学部で教鞭を振るう教授だったりします。国との繋がりも強いらしく、私の戸籍改竄や今回の特例での編入も間違いなくそのせいでしょう。

 

 ……我が実父ながら、異世界でさえそつのない地盤構成力に呆れたものです。

 

 

 

 と、物思いに耽っていた間にも担任教師の紹介は進んでいました。

 

「えー……それでですね。ユーバーさんは実はすでに高等学校卒業程度認定試験に合格しているのですが、まだ18歳未満で大学受験資格を有していないことと、お父様の仕事の都合により、三か月の間だけ特例措置として編入する事になりました」

 

 担任の先生の言葉に、再びざわつく教室内。

 

 しかしこの話のうち、高認試験合格の資格を持っていることについては事実だったりします。

 もっとも試験に合格して資格を得たのは『玖珂柳』としてですが……アウレオさんが、なんらかのコネで『イリス・ユーバー』へと移してくれていたのです。

 

「ただ……これまで入院によってほとんど学校に通った経験がないということで、皆さんどうか仲良くしてあげてくださいね」

 

 そう告げて締め括った担任教師に「ではユーバーさん、自己紹介を」と促され、少しだけ車椅子を前に進めて一礼します。

 

「……えー、こほん。まず、私は見ての通り脚が悪いため、座ったままの挨拶を失礼しますね?」

 

 私が胸に手を当てて喋り出した途端、ざわつく周囲の生徒たち。

 それも致し方なし、()()で、明らかに日本人ではない容姿の私が、流暢に日本語を話し始めたせいでしょうから、あまり気にせずに話を続けます。

 

 ちなみに髪色は元の色のままでは悪目立ちするため、アウレオさんがくれた見た目を擬装するまるでゲームのような効果のある髪飾りによって、普通の銀髪へと変化させていました。レイジさんも同様に、今は黒髪になっています。

 

「ご紹介に預かりました、イリス・ユーバーと申します。学園生活には疎いために皆様にはご迷惑をお掛けすると思いますし、三か月という短い間ではありますが、どうか仲良くしていただけると幸いです」

 

 ゆっくり分かりやすいように心がけて話し終え、最後にニコリと微笑み、頭を下げます。

 

 これは、だいたい初対面の印象が大切なのだからと皆に力説され、練習してきた成果であり、自分でも会心の出来だと思っているのですが……

 

「……?」

 

 微笑みの表情のまま、首を傾げる。

 何故か、教室が静まり返っていました。

 

「えっと……あと、こんな見た目ですが、私は生まれも育ちもこの日本でして、気軽に日本語で話しかけてくださると嬉しいです」

 

 最後にそう付け加えると、一礼して今度こそ車椅子を下がらせました。

 

 

「何、これ……え、何?」

「すっご……お姫様じゃん、こんなの」

「ここまで突き抜けてると、妬ましいとも思えないわ……」

「なぁ……どっかで見た事ある、よな?」

「奇遇だな、俺もだ……まさかな」

 

 

 徐々にですが、ざわつき始めた教室内。おそらくは『Worldgate Online』の方の私を知っている人も居るみたいですが……まぁ、大丈夫でしょう。

 

「それでは、彼女に何か質問があれば――」

 

 そう切り出した担任教師の言葉が、一斉に挙がった手と同時に教室を揺るがした声にかき消されるのでした。

 

 

 

 

「はい! 彼氏とかいますか!?」

 

 意気揚々と投げかけられた、お決まりの質問。

 その質問を投げてきた男子生徒は、ほんの僅かな下心により軽い気持ちでしてきたのだろう、が。

 

「えっと、あの……()()()が、居ます」

 

 指先を合わせた両手で口元を隠すようにして、めちゃくちゃ照れながら正直に告げた私の言葉に……女の子たちは一斉に「きゃー!」と黄色い歓声を上げました。

 

「すごーい、もう婚約してるんだ!?」

「は、はい一応……」

「さっきの付き添いのお兄さん!?」

「え、あ、は、はい!」

「ど、どこまで進んでるの!?」

「き、キス……いや、違、き、清く正しい交際をさせて戴いてます!」

 

 先程までとは一転して勢いよく詰めかける女の子たちに、私は目を白黒させながら、慌てて返事を返します。

 

 その一方で……男子の生徒たちは皆、天国から一転地獄へと叩き落とされたような、絶望の表情をしていました。

 

 速攻で彼らの夢を破壊した事は申し訳ないと思いますが、仕方ないのです。

 何故ならば……現在進行形で教室の外の廊下から、凄まじい圧力が発せられているのを、私はひしひしと感じているのですから。

 

 

 ――本当にこんなことで、平穏な学園生活を送れるのでしょうか。

 

 

 私は今更ながら、不安になってくるのでした。

 

 

 

 

 ……ちょっと嫉妬してもらえて嬉しいとか、そんなことは思っていないですよ?

 

 

 

 

 

 

 





最後の猶予期間開始。


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帰省

 

 

「つ、疲れました……」

「おう、お疲れさん……顔、固まってんぞ」

「ずっと微笑んでいたから、表情筋がガチガチです……」

 

 顔をむにむにして筋肉をほぐしながら、レイジさんに押されるまま、車椅子を転がします。

 

 あの後、休憩時間のたびに盛り上がっていた質問。

 ついには「お姫様が編入したらしい」と噂を聞きつけた他のクラスや学年からも見物人が押しかけ、私はずっとそんな彼らの前で微笑んでいたため、すっかり表情が固定されてしまっていました。

 

「まあ美少女ってのも、楽じゃないよな」

「ん、何か言いました?」

「いや、今更言うような事じゃないから気にすんな」

「……??」

 

 レイジさんにはぐらかされ首を傾げる私ですが、彼は明後日の方を向いたまま語ってくれず、頬を膨らませるのでした。

 

 そうして他愛無い話をしながら向かった、学園の駐車場。そこには……畠山さんが一台の車の前で、手を振って待っていました。

 

 

 

 ――登校初日、放課後。

 

 この日はこの後、私とレイジさんは大事な要件により、出かけることとなっているのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

「帰って……来たんだな」

 

 畠山さんが気を利かせて送迎に出してくれた車から降り、感慨深そうに、眼前に聳え立つ門を見上げるレイジさん。

 

 ここは、支倉家……レイジさんの生まれた、支倉家の本宅前。私たちは今日、彼の家へと挨拶に伺ったのですが。

 

「いつ来ても、立派な門構えですね」

「ああ……うん、そうだな」

 

 緊張した様子で、ぎこちなくうなずくレイジさん。

 まるで両手両足を揃えているようなぎこちない動きで、彼が生家の門を潜ろうとした……その時でした。

 

 

「お前たち、そこで何をしておる」

 

 

 背後から、しわがれながらもまだハリのある男性の声。

 振り返ると……そこには、真っ白な髪を短く刈り込んだ、どことなく元の玲史さんと似た風貌の、まだまだ壮健な御老体が竹刀を携えてこちらを睨んでいました。

 

「爺ちゃん……」

「玲介おじいさん」

 

 彼は、支倉玲介(はせくら れいすけ)。レイジさんの剣の師である、レイジさんのお爺様でした。

 

 

 

 

 

 

「なんで、こんな事になってんだ……」

「あ、あはは……」

 

 渋々と胴着に着替えてきたレイジさんが、竹刀の具合を確かめながら、道場の真ん中まで歩いていく。

 

 あの後、問答無用で玲介さんにここ……支倉家の敷地内にある道場へと連れてこられたレイジさん。

 向こう側では、難しい顔をした玲介さんが、まるで道場破りを睨みつけるかのような厳しい顔で竹刀を携え、こちらを見つめていました。

 

「防具はどうした?」

「それを言うなら爺ちゃんもだろ。要らねえよ、今更()()()()()()もしねぇよ」

「……む」

 

 軽く正眼に構えたレイジさんを見て、呻く玲介さん。その額に、早くも水滴が浮かんでいるのを見るに……どうやら、今のレイジさんを尋常ではない相手と見たのでしょう。

 

「開始の合図は……別にいいよな?」

 

 レイジさんの言葉に、うなずく玲介さん。

 しばらくピリピリと睨み合いを続ける二人でしたが……

 

「……ふっ!」

「っ!?」

 

 不意に動いたのは、レイジさん。

 その予兆に反応し竹刀を振り上げた玲介さんでしたが……

 

 

「………………参った」

 

 彼が竹刀を振り上げた時には……すでにレイジさんの竹刀は、玲介さんのお腹に居抜き胴直前の状態で静止していました。

 

「……悪いな爺ちゃん、もう爺ちゃんに負ける俺じゃないんだ。あいつを守るために、もう絶対に負けないと誓ったからな」

「…………そうか。初めて負けた三か月前と同じ格好になっちまったな、玲史」

「え……っ!?」

 

 竹刀を上段に構えたまだった玲介さんは、その竹刀を下ろすと、振り向いてレイジさんを抱きしめた。

 その動きを、レイジさん……いいえ、玲史さんは避けられず、されるがままに抱きしめられている。

 

「強くなったなぁ……玲史、お前は本当に強くなった。そして、いーい男の面構えだ」

 

 嬉しそうに語る玲介さんに、びっくりしたように目を見開く玲史さん。

 

「……信じてくれるのか?」

「馬鹿を言うな、最初門で見たときから、わかっとったわ……よく帰ってきたな、玲史」

 

 苦笑しながらそう告げる玲介さん。確かに言われてみれば、彼はここまで「何をしている」とは問いましたが「何者だ」とは言っていませんでしたと、今更ながら得心します。

 

「……爺ちゃん!」

 

 たまりかねたように、玲介さんに縋り付き、嗚咽を漏らす玲史さん。

 そんな光景に、釣られて目尻が熱くなってくるのを感じながら……私は、ここから先は私には見てはいけないものだと思い、そっと車椅子を転がして道場から出るのでした。

 

 

 

 

「……良かったですね、玲史さん」

 

 支倉家の敷地内。子供時代はしょっちゅう訪れていたこの家の風景に懐かしさを覚え、思わずボーっと眺めていると……

 

「……君は?」

「あ……お久しぶりです。それと……お邪魔しています、()()()()()()

 

 私の言葉に、目を見開く彼……あまり玲史さんには似ていない、ひょろっとした男性は、支倉史郎(はせくら しろう)。玲史さんのお父さん。

 彼が驚いたのは、おそらく毎回ここに訪れるたびにしていた挨拶と一字一句、イントネーションまで含め全て『玖珂柳』だった時と同じだからでしょう。

 

「あー……柳くん、なんだよね?」

「……はい、すっかり姿は変わってしまいましたが」

 

 半信半疑に聞いてくる史郎おじさんに、私はニコッと、微笑みかけるのでした。

 

 

 

 

 

 ――何度も訪れたことがある、玲史さんの家。

 

 

「そうか、お義父さんは認めたんだな……おかえり、玲史」

「おかえりなさい、玲史さん。あらあら、すっかり立派な姿になって」

 

 ――支倉家の、客間。

 

お茶が並べられたローテーブルを挟み……私と玲史さんは、上座に座る玲介さんの方に、二人の男性と女性に相対していました。

 

「それに、柳ちゃんも、大変だったでしょう?」

「あはは……でも、こうしてどうにか無事でした。玲史には、本当に助けられてばかりで」

「あらあら、まあまあ」

 

 のんびりと、私の話に耳を傾けているマイペースな女性が、支倉由奈(はせくら ゆな)さん……玲史さんのお母様。

 私の変化までさらりと受け入れられて、あまりのマイペースぶりにずっこけそうになりましたが……しかし、普段よりずっと饒舌なのは、動転しているからでしょう。

 

「あらあらまあまあ、随分と可愛くなって。ステキねぇ」

 

 …………うん、多分ですけど。

 

 

 

 すっかり由奈さんの様子に毒気を抜かれ、グダグダになりかけた空気のまま、出されたお茶に口をつけていると。

 

「それで……二人で一緒に訪れたっていうことは、もしかして女の子になっちゃった柳ちゃんがうちのお嫁さんに来るの?」

「か、母さん!?」

 

 慌てたように声を上げている玲史さんでしたが。

 

「いや、うん……」

「私たち、今は結婚を前提にお付き合いさせていただいてます」

「ってわけだ、うん」

 

 私の玲史さんのご両親への挨拶に、照れてそっぽを向きながら頬を掻いている玲史さん。

 

 ポカンとしている玲介さんと史郎さん。一方で由奈さんは、なぜかより深くニコニコと笑顔を深めながら、嬉しそうにしていました。

 

 ……ですが。この先は、辛いことを告げなければなりません。

 

「それで……三か月後、俺とこいつは、もう一度行かないといけない場所がある。今度は……いつ帰ってこられるか、あるいは本当に帰ってこられるかも、分からない」

 

 

 ……流石に、シン……と静まり返る室内。

 

「……理由を聞いても?」

 

 流石に聞きとがめ、質問してくる史郎さん。

 そんな彼に、居住まいを正した玲史さんは、正面から見据えて答えます。

 

「ああ。俺は……こいつと一緒に、世界を救いに行く」

 

 私の手を取り、キッパリと迷いなく告げるレイジさん。当然ながら、史郎さんと由奈さんは、ポカンと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていました。

 

「あー、玲史、今は冗談は……」

「冗談なんかじゃない、本気だ」

 

 真剣な様子の玲史さんの様子に、今度こそ口籠もる史郎さん。

 

 気まずい空気を動かしたのは……ここまで、腕を組んで黙って聞いていた玲介さんでした。

 

「……そうだ、玲史は微塵も嘘はついていないし、気が触れたわけでもない。目を見れば分かるわ」

「ですが、お義父さん……」

 

 何かを反論しようとして……しかし、がっくりと肩を落とす史郎さん。

 

そのまま……長い葛藤の末、ようやく顔を上げる。

 

「そうか……姿が変わっているくらいだから、ただ事じゃないとは覚悟していたけど」

 

 深く溜息を吐いたのち……彼は玲史さんの手を握ると、絞り出すかのような声で告げる。

 

「一つ、約束してくれ……いつになってもいい、孫ができたら、必ず見せにくるんだぞ?」

「……分かった。約束するよ、親父」

 

 それは、果たされる保証の無い口約束。

 ですが……いつか、必ず。そう、私達ははっきり頷くのでした。

 

 

 

 こうして私と玲史さんの、支倉家への挨拶は終わり……綾芽とも連絡を取りこの日は皆で、支倉家へとお泊りとなるのでした。

 

 

 

 





ご両親への挨拶。


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母の話

 

 ――綾芽共々お呼ばれしての、久しぶりな支倉家での夕ご飯。

 

 この日の支倉家の夕飯は、白米に、豚の生姜焼きと、今旬な里芋の煮転がし、そして芋の子汁。

 

 久々な純和風の家庭料理に舌鼓を打ち、あっという間にちょっとだけ食べすぎなくらい食べてしまいました。

 

 

 ……向こうに居た時は魔法を使う際に同時にカロリーも消費していた(らしい)ため問題はありませんでしたが、こちらに居るときはそれも無いので、もうちょっと気をつけなければなりませんね。

 

 

 

「御馳走さまでした、由奈さん」

「お粗末さまでした。ごめんなさいね、急だったから大したものは用意できなくて」

「いえ、久しぶりの味で、すごく美味しかったですよ」

 

 もちろん世辞などではなく、私と綾芽にとっても、両親を亡くして以来ずっと手料理というとこの支倉家にお呼ばれしてのご飯だったため、この味で育っています。懐かしく美味しいお袋の味なのです。

 

「……柳ちゃん、今度玲史の好物、色々と作り方教えてあげようかしら?」

「……! 是非!」

「ちょ、母さん!?」

 

 由奈さんの提案に、一も二もなく飛びつく私。母の味というものを継承できなかった私には、絶好の機会です。

 

 何やらレイジさんが困ったように由奈さんに声を掛けていますが……ふふん、残念ながらレイジさんがハンバーグとかナポリタンとか、ちょっと子供っぽいものが大好きなのはとっくに知っていますので、取り繕って格好つけようとしても今更遅いのです。

 

 

 そんなふうに、他愛ない食後の会話をしていると……ふと、綾芽が質問を口にする。

 

「そういえば、史郎おじさんと由奈さんのお二人は、私達の今の事態にあまり驚いていませんよね?」

 

 ……それは、私も気になっていました。

 

 二人……いえ、祖父の玲介さんも含めて三人とも、ごく当たり前のように姿の変わった私とレイジさんを受け入れてくれていました。

 

「いやぁ……本当は、すごく驚いているんだよ?」

「だけど、そうね。私達が驚いていないように見えるなら、それは多分こうなるかもっていう予感があって、事前の心構えがあったからかもしれないわね」

 

 そう、食後のお茶を啜りながら答える二人。

 ですがそれは、私たちにとって意外な返答でした。

 

「……予感していた、ですか?」

「ええ……この先ちょっとだけ、柳ちゃんには辛い話もあるけど、聞く?」

 

 そう、真剣な表情で私のもを真っ直ぐ見つめ、問うてくる由奈さん。それに、私は……

 

「……お願いします」

 

 真っ直ぐに見つめ返し、頷くのでした。

 

 

 

 

「まず……僕と由奈、それと君たちの父親、玖珂(かえで)の奴が幼なじみだった……っていう話はしたよね?」

 

 その言葉に、私たち三人は揃って頷きます。彼らからは、両親に関するエピソードをいっぱい聞かせてもらっていて、その中でよく聞いた話です。

 

「でも、話していなかったこともあるの。私たちはね、あなたたちお母さんの……アイリスちゃんが()()()()()()()()()に、あなたたちのお父さんと一緒に立ち会っているのよ」

「えっ、そうだったんですか!?」

「マジかよ!?」

「ええ。だから私たちは、あなたたちの見てきた『魔法』の存在も一度見ているし、あなたたちの母親が異世界から来たって言う話もあまり驚かずに済んだの。もっとも、今日あなたたちから話を聞くまで、幻覚か夢かって感じで半信半疑だったけどね」

 

 そんな由奈さんの言葉に、私たちは驚きながらも耳を傾けます。

 

「あれは……私が玲史を身篭って、もうだいぶお腹も大きくなったころ、たまたま史郎さんの車が不調だった時に楓さんに病院に送ってもらったときだったわね」

 

 そう、語り始めた由奈さん。

 私たちは椅子に座り直し、話を聞く体勢を取り耳を傾けます。

 

「ちょっと帰りにどこかへご飯を食べに……そう言って、郊外の方に行ったときだったわ。目の前に真っ白な光が忽然と現れて、ゆっくりと降りてきたのは」

「あの時はあまり車通りもない抜け道を通っていたから、幸いそれを見たのは僕たちだけだったからね……いや、それはもう驚いたよ。どこかのお嬢様っぽい、まだ幼いけどびっくりするくらい綺麗な外国人の女の子が、光の中に倒れていた時はね」

 

 当時を思い出すように遠くを見ながら、懐かしげに目を細める二人。

 

「それで、慌てて意識の無いその子を車に乗せて病院に取って返したんだけど……あの時は、本当に大騒ぎだったわねぇ。まずどれだけ戸籍を調べても出てこないし、何よりも、言葉もろくに通じない外国の可愛らしいお嬢さんのお腹に子供が居る、妊娠しているって言うじゃない」

 

 そうして、そこからしばらくのバタバタした日々を教えてくれる史郎おじさんと由奈さん。

 

 母さんはその後結局、何らかの国際的な犯罪に巻き込まれ逃げてきた……そんな結論になって、そのまま保護観察入院となったのだそうです。

 

 そしてその女の子が、知らない場所で唯一頻繁に様子を見に顔を出しに来てくれた由奈さんたちを頼るようになったのは……きっと当然の流れなのでしょう。

 

「それで……ね」

 

 由奈さんが、気遣うような視線を私に送ってきます。おそらくはここからが私にとって辛い話なのだろうと察した私は、大丈夫と一つ頷いて、先を促しました。

 

「お腹の子供が育って、子供の性別が分かった時だったわ……アイリスがパニックを起こしたのは」

 

 沈痛な面持ちで、一番大変だったというその時の話をしてくれる杏奈さん。

 

 その時には、付きっきりで日本語を教えていた父さんの尽力もあって、だいぶ日本語を話せるようになっていたという母さん。

 そんな母さんが、検診の結果医師から「男の子です」と告げられた瞬間……それは起きたのだそうでした。

 

「女の子じゃない、って。女の子になるはずなのにどうしてって、それは凄い錯乱していたわね」

「なんとかその場は押さえ込んだけれど、そこからの落ち込みようは本当に酷かったよ。まるで自分に価値はないような責めかたで自分を追いつめて、ただ……自分が死んだらお腹の子も死んでしまうから生きているだけ、って思えるくらいだった」

 

 

 ……事情を全て知っている今となっては、さもありなん、と思いました。

 

 あらゆる禁忌を振り切ってまで、兄妹で関係を持ったその理由……必ず女の子で生まれてくるはずだった御子姫を、母さんは授かることができなかった――少なくともその時は、それが事実だったのだから。

 

 

「でも、あなたたちのお父さんは諦めなかった。そこからずっと、今にも死んでしまいそうなほど憔悴していたアイリスに、付きっきりで励ましていたの。やがて彼女も徐々に精神的に持ち直していって……二人が仲良くなるのは必然だったんでしょうね。アイリスがベッドから離れられなくなった妊娠後期の頃には、すっかり二人とも愛し合っていたみたい」

 

 あの人、重度のお人好しで人たらしだったから。

 

 そんなふうに苦笑しながら語る由奈さんに……確かに、と私も昔の父の面影を思い出しながら、頷きます。

 

「……ただ、玖珂のおじさんとおばさんは、そんなどこの娘とも分からない、しかも別の誰かの子供がお腹にいる女の子をよく思っていなかったからね……」

「楓さんは、あの女の子には支えが必要だ、生まれてくる子供には父親が必要だって言って、彼女を伴侶に迎えると言って家族と大喧嘩の末……あとは君たちも知っての通り、勘当されて出て行ってしまったんだ」

 

 そう言うと、史郎さんは辛そうな表情で、頭を抱えてしまう。

 

「今でも思うよ。もしかしたらあの時、僕らには何かできたんじゃないかって。君たちも、遠く離れた地で両親を失うことも無かったんじゃないか……ってね」

 

 そこまで語り終えて、ふぅ……と大きな息をつく二人。

 

「……あとのことは、君たちの方が詳しいと思う」

「そう……ですね。ありがとうございました」

「そんなわけで……アイリスちゃんが取り乱したあの日から、僕たちはもしかしたらこういう日が来るかもしれないって、薄々だけど心のどこかで予感をしていたんだと思う。今思えば、だけどね」

 

 そう締め括り、話を切る史郎さん。

 

「まぁもっとも……君と玲史が結婚前提にしたお付き合いを始めることになるなんて思っていなかったから、とても驚いたけどね」

「あら、私はもしかしたら、って思ったわよ?」

「えぇ!?」

 

 予想外の由奈さんの裏切りに、史郎さんが驚きの声を上げる。

 そんな史郎さんをサクッと無視して、由奈さんはそっと私の手に触れてきました。

 

「……でもこの子、一度決めた事には一途で頑固で面倒くさいでしょう? どうか見捨てないであげてね?」

「おい、母さん!?」

 

 あんまりにあんまりな言葉に、思わずと言った様子でレイジさんが抗議します、が。

 

「ええ、もちろんです、お義母さま」

「あら、あらあら……どうしましょう、ずっと成長を見てきた柳ちゃんにそう呼ばれるの、私、予想以上に嬉しいわ」

「……勝手にしてくれ」

 

 上機嫌で返事を返す私と、義母と呼ばれ喜んでいる由奈さんの様子に、諦めたように自分の席にもたれ掛かるレイジさんなのでした。

 

 

 



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それぞれの決断

 

「夜ももう遅いし、泊まっていくわよね?」

 

 そう告げた由奈おばさんの鶴の一声により、私と綾芽の支倉家へのお泊まりが確定したのでした。

 

 

 そして――

 

 

 

 

「それにしても、イリスとこうして一緒にお風呂っていうのも、本当に久しぶりね」

「そ、う、ですね……」

 

 そう、シャワー前に座る私の後ろに陣取って、まだ濡らしていない髪を梳きながらしみじみと言う綾芽に、私はギクシャクと返事を返す。

 

 私たちは今、支倉家のお風呂を借りて、二人で入っているのでした。

 

 

 ……私の介助もありますし、以前は玲史さんがやってくれていた役目も、まさか今頼む訳にもいきませんからね。

 

 

 そんなわけで私は今、大きくなってからは当然ながら見たことなどあるはずがない妹の裸を前に、どうにもいたたまれない気分で背中を流されているのでした。

 

「最後は……まだ最初の集落に居たとき、温泉でこっちに乱入してきた時以来かな?」

「う゛っ……」

 

 思わず、呻き声を上げる。その話は、今の私には黒歴史もいいところなのです。

 

「やー、あの時はまたあんたに女の子の自覚が無くて、大変だったわねー」

「あ、ああ綾芽、その話はその辺に……」

「そうそう、あの時に、レイジの方からは全部見えてたからね?」

「ゔゔゔぅうゔっ!?」

 

 今更ながら恥ずかしくなって、両手で顔を覆って呻く。穴があったら入りたいという言葉を、これほど強く思ったことはありませんでした。

 

 

 

「あはは、ごめんごめん。機嫌直して、ね?」

「……綾芽の意地悪」

「だから、ごめんってば」

 

 そう言って、すっかり顔を上げられなくなった私の、濡れた頭をぱしゃぱしゃと撫でる綾芽。

 しかし、すぐに私の髪を洗う作業を再開しながら、表情を真剣なものへと変える。

 

「それで……ちらほらと、一度帰った人たちから、今後についての話が来ているわ」

「今後……?」

「ええ、残るのか、戻るのか、ね」

 

 ハッと、顔を上げる。てっきり皆、残るものとばかり思っていました、が。

 

「……今のところこっちに残るって明言しているのは、満月さんだけね。まあ、あの人は残らざるを得ないんだけど」

「たしか、ワールドゲートの改良を続けるんでしたね?」

「ええ、向こうで得た知識も使って、システムのバージョンアップに尽力するって息巻いていたわ」

 

 彼の最終目標は……『向こう』と『こちら』の、双方向転送。一年二年で可能なことではないでしょうが、と笑って言っていました。

 

 

「梨深は……ミリアムは、ついて来てくれるそうよ。フォルスと斉天、あと桔梗さんらのすでに成人してる人たちは、むしろ最後まで付き合わせろって感じだったわ」

「そうですか……心強いですが、ちょっと複雑ですね」

 

 なぜならば、それはせっかく平穏な日本に帰ってきた彼らを、再び危険に晒す事になるから。

 

「全く、いい子すぎるのも問題ね。言っとくけど斉天さんと桔梗さんに関しては、あいつら絶対にあっちの方が性に合ってるだけだから」

「あ、あはは……」

 

 ごめんなさい二人とも、私にはその綾芽の言葉を否定できません……そう、遠い目をして二人に謝る。

 

「フォルスは、向こうに大事な人を残したまま安穏としていられないってさ。星露(シンルゥ)だっけ、あの女の子のためみたい」

「そうですか……心配でしょうね、彼も」

 

 ですが、それならば止めることはできません。ただ、向こうの人たちの安否を祈るのみです。

 

「一番問題のハヤト君は……ちょっと分からないかな。たぶん、残ると思うけど」

「中学生ですからね……」

「ええ。それに……個人的には、これ以上あの子を巻き込むのは気が引けるかな」

 

 綾女の言葉に、私も頷く。

 たとえ本人が望んでも、ご両親は認めないだろうと思う。行方不明になり、ようやく帰ってきた子供なのだから。

 

 それに……彼の年齢でこれ以上危険な目に遭って欲しくないという思いもあるため、寂しいけれど無理強いはできないだろう。

 

「それで……緋上さんも、問題が解決するまでは付き合ってくれるって。終わったら帰ってくるつもりらしいけど」

「そうなんですか?」

「うん……これはね、たまたま、本当にたまたま居合わせちゃったんだけどね」

 

 そう言って、綾芽が声をひそめながら続きを口にする。

 

「あの人、畠山さんにプロポーズしてた。帰ったら結婚しようって」

「わぁ……え、あの二人そういう関係だったんですか!?」

「でしょー? 私、てっきり畠山さん、アウレオ社長に惚れてるとばかり思ってたからびっくりしちゃって」

「わ、わたしもそうです!」

 

 にしし、と笑いながらそんな話をする綾芽と、その話に興味津々に食いつく私。

 しばらくああでもないこうでもない、とそんな色恋沙汰の話に盛り上がっていると。

 

「……ぷっ」

「……ふ、ふふっ」

 

 思わず、笑いが込み上げてきた。

 誤解ないように言っておくと、決して緋上さんを笑った訳ではない。なぜならば……

 

「まさか、こんなふうに恋バナに花咲かせる日がくるなんてねー。人生、予想できないわ」

「あはは、こんな状況を予想できてたら、予言者になれますよ」

「そうね、違いない」

 

 そんなふうに、自分たちの今を過去と照らし合わせ、そのギャップに笑いが止まらなくなったのだ。

 そうしてひとしきり笑い合った後……やがて、綾芽がぽつりと呟く。

 

「ね、イリス。ちょっと『お姉ちゃん』って呼んでみて?」

「えー……妹を姉って呼ぶのはさすがに恥ずかしいんだけど?」

「何よ、向こうじゃずっとお兄様だったんだから、大差ないって」

 

 そんなふうにごり押しされて、私は渋々ながら、その言葉を口にする。

 

「お……お姉ちゃん」

 

 そう口にした瞬間……鏡に映る背後の綾芽が、スッと表情が消えた真顔になった。

 

「……ねぇ、イリス。これからこっちでは、そう呼びなさい」

「お、お姉ちゃん、目が怖い」

「ああ、いい、すごくいいわ……長年の夢が、理想の妹に『お姉ちゃん』って呼んでもらう夢が叶ったわ……!」

 

 我が人生に一片の悔い無し、とばかりに天井を仰ぎ見る綾芽に、私は引き攣った笑いを浮かべる。

 

 ――そういえば、そんな動機だったっけ。イリスのアバター作ったの。

 

 すっかり忘れていたそんな綾芽のちょっとアレな性癖を思い出し、やっぱりやだ、と文句を言う、が。

 

「いいじゃない、それくらい。そう呼んでもらうことができるの、あと三か月くらいしかないんだから」

 

 その言葉に、ハッとする。

 

「それじゃ、綾芽は……」

「もちろん、向こうに残るわよ。あんたらと一緒にね。幸い一緒に居たい奴はついてくるみたいだし」

 

 そう、綾芽はもう、迷いない表情で笑うのだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 その後は何という事もない、その日あったことを報告するような雑談をしながら、入浴をつつがなく済ませ……異変を察したのは、寝巻きへと着替え中のことでした。

 

「あれ、メール?」

 

 ふとスマホを開くと、そこには一通のメールの着信。

 なんだろうと開いてみると、そこには……差出人が畠山さんのメールが入っていた。

 

「えっと、『金髪の女の子の事で、話があるの。明日の放課後に、顔を出してちょうだい』……って、これ、ティティリアさん?」

 

 そう、書かれていたのだった――……

 



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戻れない理由

 ――翌日、学校からの帰宅途中に立ち寄った、アークスVRテクノロジー本社ビルの応接間。

 

 

 

 部屋に居るのは私と、この本社ビルの女性用に設置された仮眠室を借りて寝泊まりしているというティティリアさん。そして、難しい顔をしたアウレオさんと畠山さん。

 

 緊張感が漂う部屋の中で……アウレオさんが一つ咳払いして、話を切り出しました。

 

「それで、君が他の者達と違いアバターから元の姿に戻ることができなかった理由だが……調べてみたところ、帰還の際のデータ参照時にエラーを吐いていたことが分かった」

 

 そう言ってノートパソコンの画面を開き、ティティリアさんのこちらの世界での個人データらしきものを開いて何らかの操作をするアウレオさん。しかしすぐにエラー音が鳴り、何かに失敗したのだとわかる。

 

「今の君と、元の君とのデータの深刻な不一致。その原因だがな。今の君の存在情報に、別の不安定な何者かの情報が重なって存在しているのだが……心当たりは、君には有るな?」

 

 ほぼ確信を持って、ティティリアさんに尋ねるアウレオさん。それに対し……

 

「……はい、あります」

 

 そう言って、自分のお腹に両手を当てるティティリアさん。そんな様子を見たアウレオさんは、やはりな、と呟き深々と溜息を吐きました。

 

 それが意味するところは、つまりティティリアさんは……

 

 

 

「――結論から言うと、君は()()()()()()。それが元の姿に戻れない……そして今後二度と戻れない理由だ」

 

 

 

 そう、アウレオさんがきっぱりと断定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 結論を告げ、あとは女性に任せて自分は席を外した方がいいだろうとアウレオさんはそそくさと退室する。

 

「それで、何があったの? 望まない妊娠なら、病院の手配も……」

 

 そう、心配そうに語りかける畠山さん。しかし、それに言いにくそうにモジモジしていたティティリアさんは……消え入りそうな声で、呟く。

 

「……すみません……むしろ、私が襲った側です……」

「あ……あら、そうなの。それは、ごめんなさいね……」

 

 顔を真っ赤にしながら挙手し、そう白状するティティリアさんに、さしもの畠山さんも困ったように顔を引き攣らせる。

 

「でも……レオンハルト様、よく応じてくれましたね。絶対あの人結婚するまではそう言うこと断るタイプの堅物だと思ったのに」

「え、えへへ……」

「……ティティリアさん?」

 

 なにやら挙動不審になっている彼女へ、私はジトっとした目で見つめます。

 すると、しばらくあー、とかうー、とか呻いていた彼女でしたが……やがて、観念したように口を割る。

 

「……お酒、飲んでいたところを襲いました」

「あなたねぇ……いつかやるんじゃないかと思ってはいましたが」

「ちょ、イリスちゃんそれひどいー!?」

「あら、自分の胸……いえ、自分のお腹に聞いてみたらいかが?」

「ぐぅ……」

 

 明後日の方を向き、気まずそうにポツリと白状したティティリアさんに、さすがに私も呆れた声を上げる。

 彼女は抗議しますが、今回ばかりは私の声だって冷たくなるのです。

 

「あのね、領主様がたまたま珍しくお酒飲んでて、チャンスだと思ったのよ。まさかそれでできちゃうなんて思わないじゃん」

「反省は?」

「してますごめんなさい」

 

 平身低頭といった感じに即座に頭を下げる彼女に、しょうがないなぁ、と肩をすくめ、私は眉間に寄った皺を緩める。

 

「でも、最終的には彼が全部リードしてくれて、ああ、女の子になってよかったってあの時は思ったのよー」

 

 すっかり真っ赤になり、しかし困ったというよりはむしろ嬉しそうに頬を抑え身をくねらせている彼女に、私と畠山さんは呆れたように嘆息するのでした。

 

 

 

 ……と、気を緩めたのがいけなかったのでしょう。

 

「いやぁ、最初から最後まで全部やってあげる気で襲ったらよ? そしたらあっさりひっくり返されて、押さえつけられて、押してもぜんっぜんビクともしないし、ああ私いまから女の子から女にされちゃうんだって実感してたら『わかった。お前の人生は今から全て私のものだ、後悔するなよ』ってもうすごいカッコいい顔で言われちゃてもー抵抗なんて出来るわけないじゃん!」

「はぁ……」

 

 興奮気味に惚気を捲し立てるティティリアさんに、苦笑しながら眺めるしかできない私。

 

「それにさー、全部終わったあとに疲れ切って指一本も動かせなくなったままベッド上でぎゅーって抱きしめられてさぁ、本当は機会を見て渡すつもりだったとか言われて用意してあった指輪なんて嵌められたらさー、もう完敗じゃない?」

「指輪!? そ、それじゃ向こうでは、もしかして?」

 

 そう恐る恐る尋ねる私に、彼女は途端に黙り込み、茹で蛸もかくやというくらいに真っ赤になりながら、そういえば左手にずっと嵌めていた手袋を脱ぐ。

 

 そこには……薬指に輝く、シンプルながらも繊細な装飾が彫られた白金の指輪。

 

「ごめんね、黙ってて。実は式こそまだだけど、籍も入れてました、今はもう私、書類上はローランド辺境伯夫人です……えへ」

 

 そう、幸せそうに指輪を嵌めた手に頬擦りしながら語る彼女。

 

「……それじゃ、絶対に向こうに帰らないといけないですね」

「うん……だから、ちゃんとこちらでのケジメをつけないとね」

 

 そう語るティティリアさんが開いたスマートフォンの画面に映る、ただ一文字『姉』という名前の相手からの、一件のメッセージ。

 

 それは……彼女のお姉さんからのものでした。

 

 

 

 

 

『今、アメリカから戻ってきているの。連絡がつながるのなら、会いたい』

 

 それが、ティティリアさんのお姉さんからのメッセージでした。

 

 

 彼女は、ただひとり姉を除き、ご両親とは疎遠……あるいは半分勘当されているようなものらしいという話でした。

 

 お姉さんはティティリアさんのこちらの世界での仕事、いわゆる『VR配信者』に理解のある方だったそうですが、生憎とまだ一般的とは言いがたいその商売。

 

 ティティリアさんのご両親にとって、彼女の仕事とは『年がら年中パソコンに向かって何かやっている得体の知れない趣味』であり、もはや彼女の存在は、家では居ないものも同然だったそうです。

 

 それでも勘当されなかったのは……彼女がその配信で得た収益から、家に結構な額の生活費を入れていたから。

 

 しかし、居なくなったら居なくなったで特に気にも留められないだろう関係だったという事を、ティティリアさんは寂しそうに言っていました。

 

 

 ですが……そんな彼女にとって、お姉さんだけは別。

 

 

 彼女の配信者としての仕事にも理解があり、何かと協力してくれていたお姉さんだけにはきちんと説明したい……そう言って、集団行方不明事件の被害者の一部が見つかったというニュースを見て急遽アメリカから帰国したというお姉さんを『アークスVRテクノロジー』本社に招き、事情説明をしたのです……が。

 

「……あの、ティアちゃん、大丈夫?」

「あはは……そりゃそうよね、信じて貰えるわけないよね」

 

 なんと慰めたら良いか分からず口籠る私に、少しだけ目の端を赤くした彼女が、疲れた様子で呟く。

 

 

 ……今、彼女のお姉さんは事態を飲み込めずに倒れ、ティティリアさんが借りているのと同様の女性用、個室の仮眠室にて休んでもらっていました。

 

 

 ですが、きっとそれが普通の反応。むしろあっさりと理解を示してくれた玲史さんのご両親の方が稀なのです。

 

「イリスちゃん、そんな顔をしないの。大丈夫、私は諦めていないわ」

「……そう、ですか」

「ええ……この子を、私の大切な誰かから祝福してもらえなかった子になんてさせないわ、絶対に」

 

 そう、愛おしげにお腹を撫でる彼女は……もうすでに、母の顔になりつつありました。

 

「出発の日までには、必ず説得してみせるから。心配しないで待っていて、イリスちゃん」

 

 そう、強い決意と共に宣言する彼女に、私は……

 

「……うん、頑張ってね、ティアちゃん」

 

 そう、ただ励ましの言葉を投げかけるのでした。

 

 

 





タイミングとしてはローランド辺境伯領帰還直後、イリスらは北の辺境に向かって隠れ里に到着したあたりの話。
慌しい時期だったため、情勢が落ち着きしだい公表する予定だったトカ。



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世界を繋ぐ楔

 

 

 ティティリアさんの件はひとまず保留となり……次に私は、玲史さんと共に開発室へと呼ばれました。

 

 

 そこでは……

 

 

『お久しぶりです、御子姫様』

「え、教皇様!?」

 

 アイレイン教団の実質的なトップ、そして真竜パーサ様の幻体である教皇様が、画面の向こうからにこやかに挨拶をしてきたのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

「……では、現時点で十王に動きは無いのですね?」

 

 各国の軍はそれぞれ自領に退去……そして展開する国軍を囮に、秘密裏にアクロシティにデータの存在しないイスアーレスの新造艦『プロメテウス』へと戦力を集めているという三国。

 

 それに対して……アクロシティは全ての戦力をシティに集め、籠城の構えを取っている、とのことでした。

 

 

『私たち真竜は、向こうが最高権限を持つ御子姫リィリス様を抑えている以上は、より上位権限を有する貴女が帰還しない限り動くことはできませんし……今の十王がリィリス様の身体に居る以上は、向こうの弱点も貴女と一緒ですからね』

「つまり……直接戦闘には向いていないという事ですね?」

 

 私も、リィリスさんも、自衛能力は極めて低く……そのために私にとってのレイジさん、リィリスさんにとってのリュケイオンさんという、身辺を守護する騎士が必要だったのですから。

 

『はい、これは治癒に特化している御子姫の宿命みたいなものですからね。特に十王側は、アクロシティの戦闘要員がフレデリック総司令官と共に失踪したため、自律兵器以外の戦力もほぼ無い状態ですから』

「つまり……私や、害意がある者がいた場合、下手に征伐に出て身の回りの護りを薄くするよりは、自律兵器に手間取っている間に『天の焔』で焼き払えば良い、というわけですか」

「でもよ教皇様、それは、向こうにとっても三国にいくらでも準備時間を与えることにならねぇか?」

 

 そう、疑問を口にする玲史さんですが……しかし、教皇様は苦い顔で首を横に振りました。

 

『残念ながら……彼には、天の焔の他に、もう一つ最強の武器を手にしています』

 

 そう、深刻な表情で語る教皇様。それは、つまり……

 

「……時間、ですね?」

『はい。天の焔の威力は、すでに民衆に示されました。あとは、いつあれが空から狙っているかという圧力を掛け続けるだけで、我らの側は疲弊し……やがて世論は、こんな状況が続くくらいならばと恭順を望む者が増えていくでしょう。そしてそれは、私たちの側が有利になる時間よりも、ずっと短い』

 

 全てを変える超兵器は、実際に撃つ必要は無い。ただその脅威をチラつかせ、いつでも撃てるということを仄めかせるだけで良い……こちらの世界で言う核兵器と同じ理論でした。

 

 実際、すでにそんな声は出始めていますと、そう締める教皇様の言葉に、重い沈黙が降りる。

 

「全く、男らしくない連中だぜ」

『はは、それはそうでしょう。でなければ、女性の体を奪って盾にするなどとてもとても』

 

 玲史さんの愚痴に、穏やかな微笑のまま、さらりと猛毒を吐く教皇様。

 

「……あんた、結構言うな」

『ええ、私も怒っていますので。女性は尊重する主義なんですよ、私』

 

 そう語る教皇様でしたが……たしかに、彼は教団の中で女性の学業を推進し解放論を唱える、正しい意味でのフェミニストであった事を思い出す私なのでした。

 

 

 

 

 ……と、お互いの状況について情報交換をした後。

 

 私は、ここまでずっと疑問だったことを口にします。

 

「それで……何故、そちらと通信が?」

「それは、新しい『ワールドゲート』の起動テストだからです」

 

 そう返事を返してきたのはこちら側、今もパソコンに向かい作業をしている満月さんでした。

 

「今は、僕が向こうで学んだ知識も投入して、テイアとの相互リンクのテスト中です」

「相互リンク?」

「ええ。今までの『ワールドゲート』はこちらから『白の書』を酷使して無理矢理通信を割り込ませることで皆さんの転送をしていましたから、書を設置してあるサーバーに掛かる負荷が非常に強かったんです。だから、一度転送してしまうとそのたびにダウンしてしまい、しばらく使用できなくなっていました」

『ですので、今度はこちら側とそちら側にテイアの出張端末を用意して、その間で常に細い経路を維持しておくことで転送時の負荷を減らそう、という試みです』

 

 そう満月さんの後を継いだ教皇様の言葉に……細かな理屈はきっと理解できないだろうと、私は端的に結論について尋ねます。

 

「それは……成功すれば、もっと頻繁にあちらとこちらを行き来ができるということですか?」

「はい、もちろん限度はありますけどね。だだ……テイアとリンクして経路を維持するには、何か、もしくは()()がが常に双方で接続状態にある必要があります」

 

 私の質問に答えつつ、問題点について語る満月さん。その言葉に、真っ先に挙手したのはやはりというか、アウレオさんでした。

 

「満月主任。それは、スパコン等での代用は不可能なのかね?

「はい……その時々のデータでは測りきれない変化に応じて感覚的に調整を行うことができる、高度な情報処理能力……それも、純粋なスーパーコンピューターではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()が望ましいと思います」

 

 そう、苦い表情で問題点を告げる満月さん。

 

「それは、つまり……」

「はい、向こう側はパーサ様が快諾してくれましたので、こちらに誰か『楔』として残らないといけませんね。テイアと一定以上の縁のある方が」

 

 となれば、必ず向こうへ行かなければならない私は最優先で却下でしょう。ならば自分が、とは今回ばかりは言えません。

 真っ先に手を挙げようとしていたのはまたもアウレオさんですが……しかし、それを制する人が居ました。

 

「……ま、我が妥当であろうな」

「アマリリス様?」

 

 予想外のところから上がった声に、私は思わず疑問の声を上げる。

 

「我は、お主ら脆弱なヒトに比べたら遥かに耐用年数が長いじゃろうし、遥かにしぶとい生物じゃ。ゆえにポッと死んでリンク途絶、なんてこともせぬからな、楔としては最適任じゃろ?」

「それは、そうですが……アマリリス様は、それでいいのですか?」

 

 彼女は、私たちよりも生物として遥かに長命、かつ頑強な種族、ノーブルレッドです。

 そのため彼女の言葉には一理ありますが……それは、もう彼女は『楔』の役割を果たしている間、向こうに帰還することができなくなるということ。

 

 それを、向こうで生まれた方に強要するというのは、あまりにも……と思う私たちでしたが。

 

「構わん構わん。長く生きた我にとって、未練などというものはあまりない。むしろこちらの方が刺激的そうで良いわい」

 

 しかし、私たちの心配など無用とばかりに、そう笑い飛ばしているアマリリス様。

 

「それに……楔から解放されたくなったのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()のであろう? 『経路』を維持、保守するパーサの爺いと接続する端末を」

「……あの、アマリリス様。それはテイアや真龍種並みの演算能力を保有する情報生命体を創造するということなのですが……」

 

 何ということもないとばかりに言い放ったアマリリス様に、満月さんが苦笑いしながらツッコミを入れます。

 

 それは、聞くだけで途方もないことに思えますが……

 

「フフ、ハハハッ、結構な事ではないか、引退後の(つい)のライフワークとして、実にやりがいがありそうじゃな!」

 

 そう、呵呵と笑い飛ばすアマリリス様に、皆がしょうがいなぁと苦笑する。

 

「……仕方ないですね、僕もお付き合いしますよ」

「ああ、私も可能な限り支援しよう」

 

 そう、満月さんとアウレオさんが同意し……こうして、アマリリス様がこちらに『楔』として残ることが決定したのでした。

 

「では……そんなわけで、パーサ爺い、やってくれて構わんぞ」

 

 そう告げるアマリリス様に、画面の向こうで推移を見守っていた教皇様の雰囲気が変化しました。それは……ここからの作業のため、パーサ様本人に入れ替わったのでしょう。

 

『うむ……では、始めるとしよう。すまぬが他の者たちは数日、この部屋からは席を外してもらいたい』

「という訳じゃから、我はしばらく引き篭もるとしよう。なに、年寄りの長話を聞いておったらあっという間じゃろうがな」

 

 そう言って、シッシッ、と私たちを開発室から追い出すアマリリス様。そんな彼女に……

 

「本当に、何から何までありがとうございます、アマリリス様」

「……ふん、良いからさっさと出て行け、馬鹿者」

 

 深く頭を下げる私に、彼女は照れ臭そうにはにかみながら、そう言ってそっぽを向くのでした。

 



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踏み出す足

 

 ―-高校生活も、早くも一週間が経過したある日の放課後。

 

「それじゃみんな、授業のあとだけど、もう再来週に迫った文化祭の話し合いをするわよ!」

 

 今日の授業も全部終わって、いつも通りにそれぞれ部活や帰宅へ向かおうとするクラスメイトたちでしたが……そんな中でこの日はいつもと違い、一人の少女の声に、またぞろぞろと自分の席へと戻っていく。

 

 そんなクラスの様子に……事情が分からない私は首を傾げ、場を取り仕切っている少女へ挙手しながら質問を投げかけます。 

 

「文化祭……ですか?」

「あっと……そうだった、イリスさんはまだクラスの出し物が決定したときには、編入していなかったわね」

 

 はっと、ばつが悪そうに私へと語りかけてくるその少女は、自分がこのクラスの文化祭の実行委員長だと自己紹介したあと、事情を説明してくれます。

 

「えっとね……うちのクラスは、教室で喫茶店をやることになったの」

 

「倍率高くて大変だったんだよなぁ」

「やっぱり店舗経営の体験ができるし、何より楽しそうで毎年希望するクラスが多いもんねー」

「下手すると全部店ばっかりになって揉めるから制限を設けられたんだ」

 

 クラスの皆が一斉に説明をしてくれて、私は目を瞬かせながらもどうにか事情を理解しました。

 

「それは、とても楽しそうですね。ですが……すみません、私はあまりお力にはなれなさそうです……」

 

 車椅子で店内を動き回るのは、さすがに店員さんとお客さん、どちらの邪魔にもなってしまいそうです。そのため……残念ですが私は、何か裏方の仕事を探すしかないでしょう。

 

 ……と、思っていたのですが。

 

「大丈夫、イリスさんは廊下で客寄せの看板を掲げて笑ってくれているだけでも、集客効果はバツグンだから!」

「は、はぁ……そういうものですか?」

「ええ、もちろん! だから当日はよろしくね!」

 

 ぐっと拳に力を込めて力説する実行委員長の少女に、私は「いいのかなぁ……」と思いつつも、ただ圧倒されて頷くのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

「……というわけで、何とかならないでしょうか?」

 

 

 そう、目の前で机に肘をつき、私の話を聞いていた人物……私の父親であるアウレオさんに尋ねる。

 

 私が今居るのは、学園の大学部にある父の研究室。何か文化祭に参加する上で良い知恵がないかと考えて、真っ先に思いついたのがここだったのでした。

 てっきり相手にされないかと思いつつの、駄目で元々な相談でしたが……意外にも、彼は真剣な顔で最後まで私の話を聞いてくれて、その上で何かを思案し始めました。

 

 

「……だそうだ。古谷君、私の娘はきみの研究の、絶好の被験者ではないかね?」

「ええ、驚きました。諸々の問題点の洗い直しも終わって、あとは実際の現場での実用性の検証だったのですが……」

 

 アウレオさんの問いかけに返答したのは……この研究室のゼミ生らしき、同じ部屋で黙って話を聞いていた男女のうち、眼鏡をかけた怜悧な雰囲気の青年のほうでした。

 

「紹介しよう、彼は『古谷要(ふるや かなめ)』君。私の研究室の学院生で、私と共同で()()()()の開発をしてもらっている」

「あるもの……ですか?」

「はい。実際に見てもらった方が早いのですが……茜くん、彼女に、試作機の最新バージョンを。支度をお願いしていいかな、流石にこれは女の子同士じゃないと駄目だろうからね」

「はい、了解です要先輩。それじゃ、えぇと……イリスちゃん。隣の部屋に来てもらっていいかしら?」

「あ、おい……」

「大丈夫よ、彼氏さん。悪いようにはしないからー」

 

 そう、慌てて引き留めようとした玲史さんをやんわりと手で制して私の車椅子を押し始めた彼女に、私は何がなんだかわからないままに隣室へと連行されるのでした。

 

 

 ……というわけで、よくわからないままに何かの実験機械を身につけさせられた私。

 

 一度制服を脱がせられて、簡易ベッドにうつ伏せに横たわる私に取り付けられたのは……腰から下、脚を後ろから抱くように包み込む、金属のフレーム。

 この結構細いフレームは、しかし腰と膝、そして足首をしっかりと固定しているようで、案外と頑丈そうでした。

 

 そして……首輪のように首をぐるっと覆うゴツい機械と、左耳にかけられたヘッドセット型の機械。首の機械からはコードが制服の下を通り、腰のフレームへと伸びていました。

 

 

 

「それじゃあ、体を起こしますね。どこか具合悪いとかは無い?」

「だ、大丈夫です……」

 

 ひとしきり装置を身につけさせられたあとは元通りに制服を着せてもらい、寝そべった状態からベッドに腰掛けるように体位を移動させられながら、気遣わしげな彼女へと返答を返す。

 そうこうしている間に、準備できたわよと隣室に声をかける彼女の声を受けて、玲史さんたち男性陣もこちらの部屋へと入ってきます。

 

「あの……それで、この機械は一体」

「これは、彼の卒業制作の一環で、私と共同制作している試作品だ」

 

 そう言って、アウレオさんは要さんに「発表会の練習だ、君が説明したまえ」と促す。すると彼は頷き、ようやく解説を始めてくれました。

 

「まず……首の機械は、脳との情報のやり取りをする新機軸のマン・マシン・インターフェースです。ヘッドセットは音声入力用のマイクと、視覚に情報を伝達しARで情報を伝えるためのデバイスになります」

 

 そう言って彼は、私の首の機械、スイッチらしきボタンを押す。

 すると突然、眼前の何もない空間にパソコンの起動画面のようなものが表示され、私は思わず、わ、わ、と驚きの声を漏らしてしまいました。

 

「今はまだ試作段階で大型化してしまっているのですが、いずれは小型化して、スマートフォンやパソコンのように普及させられたらと思っています」

 

 タブレット端末で何か操作しながら、色々と装置の使い方を解説してくれる要さん。

 指示通りにウィンドウに指を這わせると、かすかに触れるような仮想の触感とともに、眼前に浮かぶウインドゥが操作できる。その近未来的な様子に私は思わず「おぉ……」と感嘆の声を漏らすのですが……もしやと思い、質問してみます。

 

「はぁ……これは、フルダイブVR技術の応用ですか?」

「はい。本人は覚醒状態のまま、視覚や聴覚などの感覚野へと情報のやり取りをする機能だけ限定して作動させています」

「技術的にはフルダイブシステムの下位互換ではあるがな。応用範囲ではこちらの方に軍配が上がるだろうくらい、さまざまなことに利用できる。それこそ世界の有りようが一変するほどな」

 

 そう、いつもの仏頂面ではなくどこか自慢げに語るアウレオさんに、はー、と思わずため息をつきます。これが、私が初めて見るアウレオさん……父の、本領である研究者の顔だと、今更ながら知りました。

 

「それでは……この私の脚を覆っている物々しい機械は?」

「下半身のフレームは、君の、怪我によって腰椎で損傷している神経の信号を増幅し、下肢へと伝える役目をしてくれる。また、足りない筋力もそのフレームが補ってくれる。いわゆる強化外骨格というやつですね」

「えっと……パワードスーツ?」

「一応、医療機器として開発しているため、発揮できる力には平均的な成人女性以下のリミッターを設けていますが……概ねそんな感じです」

 

 そう、眼鏡の位置を直しながらこちらも自慢げに説明してくれる要さん。

 そうこうしている間にも準備は進み、私の視界には『身体データを取得中です』というメッセージと共に、工程が何パーセント進んだかを示すバーが伸びていました。

 

 やがて数分でそれも終わり、『セットアップが完了しました』という表示と共に……キュイ、と小さなモーター音を上げて、魔法により強化を施していない、動かないはずだった私の脚が、ぴりっとかすかな電気刺激が走ったショックにより、僅かに浮いた。

 

 驚愕に目を見開く私と玲史さんでしたが、アウレオさんと要さんは、立ちあがってみろと促してくる。

 ベッドの上で姿勢を変え、脚を床に下ろして……恐る恐る、ベッドから腰を浮かす。すると……

 

「……立てた」

 

 しっかりと床を踏みしめて、直立する私の両足。

 

 機械を介して私の意志が私の脚へと伝わって、足りない筋力は機械で補われ、魔法という超常の力による助けが無くとも膝を折ることなく、私の体重を支えていた。

 そのまま、数歩ゆっくりと歩いてみると……やはり、きゅい、きゅいと小さなモーター音を上げながらも、私の思うとおりに脚が動く。

 

「レイジさん、私、今、魔法抜きの自分の脚で立ててます……!」

「ああ……! マジか、畜生、まじかよ……!」

 

 十何年ぶりに、自由に力を伝えて動く私の脚。

 感極まって、おもわず玲史さんの懐へと飛び込んでしまった私を……長い間そばで支え続けてくれていた彼も、喜びに震える声を漏らしながら、強く抱きしめてくれたのでした――……

 



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学園祭

 

 ――杜乃宮学園、学園祭当日。

 

 高等部一年生の教室が並ぶ三階では……一つの教室が、大混雑していた。

 

 

 

 

 そこには……明らかに通常の高校生とは一線を画す、美しい所作で仕事をこなすロング丈のメイド服の、見事な銀髪をした少女の存在があった。

 

 それが立って歩いて働けるのが嬉しくてたまらないといった風情の笑顔で接客するものだから、客、特に男たちはデレっとした表情になるのもやむなし、であった。

 

 ただ……その首に巻かれている、メイド服という服装からすると場違いなスカーフと、なぜか教室内のあちこちを移動する微かなモーター音に、首を傾げながら。

 

 

 ――なんかお姫様が接客してる。

 

 

 そんな評判は瞬く間に学園祭に沸く校内を駆け巡り、生徒、その関係者、問わずに評判の喫茶店へと殺到する。

 

 そうして……文化祭初日にして、ぶっちぎりの売り上げを叩き出したイリスたちのクラス『1-A』なのだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 ――喫茶店といっても、安全の観点から火は使えません。

 

 メニューは事前に皆で作った簡単なケーキと、業務用のソフトドリンク。

 

 それでも途切れることのない来客に、すっかり私も含めたクラス一同、目が回るような忙しさを潜り抜けてハイテンションになっていた……そんな時です。

 

 

 

 

「お疲れ様、イリスちゃん。頑張ってくれてありがとうね、そろそろ休憩に入っていいわよー」

 

 そんな気風のいい少女の声が聞こえた周囲の客から「えぇー!?」と抗議の声が上がる、が。

 

「ええいうっさい、この子にだって学園祭を楽しんでもらいたいの、イリスちゃん目当てならまた明日に来なさい!」

 

 そう客たちに啖呵を切る少女に、周囲の客も「それじゃぁしょうがないな」と、ちょっとだけばつが悪そうに引き下がる。険悪な雰囲気にならないのは、からからと笑っている少女が本当に怒っているわけではないということが、一目見ればわかるからなのだろう。

 

 はー、と社交性の高いその女の子を眺めながら、胸に銀の盆を抱え、ただしきりに感心している私でしたが。

 

「ほらほら、イリスちゃんも休んだ休んだ。立ってるとまたあなた目当てのお客さんに注文されるわよ?」

「えっと……私は別に、もう少し働いても。せっかくこうして皆と仕事できるようになったのがとても楽しいんです」

「うっ、いい子過ぎて許してあげたいけど……でもだーめ、()()()()()()でしょ、()()()

 

 そう言って、戸惑う私の肩を押してぐいぐいと楽屋へ押し込む彼女……このクラスの学園祭実行委員長として皆のリーダーをしている後藤さん。彼女の言葉に、私ははっと気付きます。

 

「え……もう、そんな時間ですか?」

「そだよー。そろそろ二時間と少し経つし、もうバッテリー危ないんじゃない?」

「あっ……本当です、楽しくてすっかり見ていませんでした」

 

 この強化外骨格を快く貸し出してくれたアウレオさんたちには、注意事項として内蔵しているバッテリーパックによる連続稼働時間は約三時間……できれば猶予をもって二時間くらいに見てほしいと言われていました。

 見れば、首輪型のAR端末により視界端に投影されている映像の中で、バッテリー残量を示す電池のマークは残り20%、赤く表示されていました。

 

「う、これじゃ無理はできませんね……申し訳ありませんが休憩させていただきます」

「はいはい、いってらっしゃい。婚約者さん、ちゃんとエスコートしてあげるのよ?」

「あ、ああ、勿論」

 

 少女にビシッと釘を刺され、しどろもどろになっているのは……ちょうど迎えに来たのか、控室となっている更衣室前の廊下を歩いてきた玲史さん。

 最強の守護者様も形なしなその様子に思わずクスッと笑いながら、委員長に促されるまま控室へと戻り、強化外骨格を外してメイド服から学校の制服へと着替える。

 

 委員長に手伝ってもらい車椅子へと座り直し控室の外に出ると、すぐ隣で待っていたレイジさんがさっと車椅子を押してくれます。

 

 そうして名残惜しそうなクラスメイトに見送られ、私たちは来客の人で賑わう構内を散策する。

 

「午前中にお店に来た綾芽や梨深ちゃんは、まだ学校を回っているんでしたっけ?」

「ああ、校庭の方に居るってよ。屋台巡りしてるんじゃないか?」

「それじゃ、とりあえずは合流しましょうか」

「おう、了解」

 

 そう、校舎の外へと繰り出すのでした……が。

 

「やっぱり注目されるよなぁ」

「まぁ、こんな見た目ですからね。でもこのくらい気楽なものですよ。だってこちらでは、ちょっとだけ特殊なカラーリングをした普通の女の子ですからね」

 

 全周囲から突き刺さる、好奇の視線。

 

 車椅子が珍しいのか、見た目だけなら外国の女の子が珍しいのか、あるいはその相乗効果か。二度見、三度見も珍しくなく、視線を巡らせるとだいたい誰かと目が合います。

 

 ですが、学校ではよくほかのクラスから見物に来る人もいるので、一か月もすればすっかりこのような視線にも慣れました。くすくすと笑いながら、一応部外者ゆえにすこし気まずそうな玲史さんに返事をします。

 

 ……が、その表情が少し曇ったのを見て、少し失敗したと思うのでした。

 

「……そうだな」

「……向こうに帰ったら、お互いにもう『普通』ではいられませんからね」

 

そして、どういった結果をたどるにしても、このような自由な時間はもう訪れないでしょう。

 

「では……最後の猶予期間、目一杯楽しみましょうか」

「……ああ、そうだな!」

 

 ぱん、と手をたたいて気分を切り替えた私の言葉に、玲史さんの脚も、少し早まるのでした。

 

 

 

 

「あ、イリスー、こっちこっち!」

 

 校庭をきょろきょろと眺めていると……そんな呼び声と共に、見慣れた黒髪の女の子が二人近寄ってきます。

 ですが、その後ろで「あ、おい」と二人に何か言いかけながら、しかし私の後ろにいる玲史さんの姿を見かけそそくさと退散したのは……

 

「えっと……ナンパの男の人?」

「そうなの、困っちゃうよねぇ」

「まぁ、綾芽ちゃんは可愛いもんね」

「はー……ほんっと面倒。早く『ソール』に戻りたいわ」

 

 よほど対応が面倒なのでしょう。ばりばりを苛立たし気に頭を掻く綾芽でしたが……しかし。

 

「……でも、あっちはあっちで女の子に囲まれませんか、王子様?」

「そうなのよねぇ……」

 

 私の言葉に、がっくりと肩を落とす綾芽。そんな様子を、梨深ちゃんは少し後ろで苦笑して眺めていました。

 

「……で、どうする? あんた達のお邪魔なようなら私たちは私たちで退散するけどぉ?」

「そっ……!?」

 

 ニヤニヤしながらの綾芽の言葉に、思わず驚いて変な声が出る。

 

「……そんなことは無いですから、せっかくの機会だし一緒に回りましょうよ」

「はいはい、意地悪が過ぎたわ、ごめんごめん」

 

 そういって、拗ねたふりをして頬を膨らませる私の頭を撫でてくる綾芽。その様子に、私はずっと気になっていたのですが……

 

「……綾芽、こっちでも完全に私を妹扱いしてない?」

「むしろ、私としてはずっとお姉ちゃんって呼んでほしいんだけど」

「目がこれ以上ないくらいマジですね……」

 

 何やら闇を感じさせる、その見ようによっては病んでいるように見えた瞳に……怖くなった私はそれ以上の追及はしないし、甘んじて妹役を受け入れることも誓うのでした。

 

「はは……それで、どこに行く?」

「はい、私は焼きそばを所望します!」

「おっけー、それじゃ適当に探すかぁ」

 

 玲史さんの問いかけに、真っ先にしゅばっと手を挙げて答える私。『向こう』には焼きそばに該当する料理がなかったので、先ほどからいずこかから漂ってくるソースの焼ける香りにもう辛抱ならないのです。

 

 そんな、目を輝かせてやきそば、やきそばと連呼する私の様子に皆が苦笑しながら……私たち四人は連れ立って、運動部による屋台村化している校庭を回り始めるのでした――……

 

 



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祭りの終わり

 

【本文(143行)】

 ――学園祭二日目。

 

 

 

 今日は午後のシフトだった私が、昨日同様にすごい混雑を見せる店内を忙しく歩き回っていると……不意に、肩にチョンチョンと、誰かが突く感触がしました。

 

「はい、何かご用件でしょうか」

 

 もはや条件反射的に振り向いたそこに居たのは……鮮やかな金髪で周囲からの注目を集めている、小柄で類稀な美少女の姿。

 あまり体型の出ない秋物のワンピースとカーディガンという姿をした彼女に、私は思わず驚きの声を上げます。

 

「ティティリアさん!?」

「えへへ、来ちゃった。イリスちゃんってばメイド服も似合ってて可愛いねー」

 

 そんな呑気なことを言っている彼女でしたが、私は気が気ではなく、あたふたと慌てます。

 

「あの……一人で出歩いて、体は大丈夫なんですか?」

「もー、気が早すぎるよ、まだまだ先だよ?」

 

 そう、軽く下腹を押さえながら呆れた声を上げるティティリアさんに、私は「そ、そうでした……」と反省します。

 

 そんなふうに立ち話をしていると、私の様子を不審に思い、実行委員長でありすっかり店舗責任者ともなった後藤さんがこちらに来ました。

 

「ユーバーさん、彼女はお知り合い?」

「あ、はい。お友達で……」

 

 こっそり、尋ねてきた委員長に彼女が妊婦さんであることを耳打ちして伝えます。

 すると彼女は「た、大変、こっちにきて、すぐ席を用意するから!」とティティリアさんの背を押していってしまいました。

 

 その剣幕に圧倒されつつ、彼女のために紅茶を淹れ、ケーキを切り分けて配膳する私。

 周囲から「友達も可愛いな……」と男の子たちがざわついているのが聞こえますが、ティティリアさんは気にした様子もなく、私が淹れてきた紅茶に口をつけていました。

 

 そんなティティリアさんに……私は周囲の男の子たちには聞こえぬように、こっそり耳を寄せて話しかけます。

 

「その……ちょっとお腹膨らんで来た?」

「いやいや、それもまだ気が早いから。でも本当に、ここに別の命があるって不思議な感じよね」

「ですよねぇ……」

 

 私の言葉に、お腹を愛しげに摩っている彼女。

 特に彼女は……それと私も……本来ならばこうした体験をするはずがなかった側ですから、不思議に思う気持ちが強いのです。

 

 そんなふうに話していると……不意に、慌てて誰かを探している様子な女の人が教室に入ってきます。

 黒髪を肩のあたりで切り揃えた、少し気の強そうなキャリアウーマンといった雰囲気の彼女は……私達の方を見るなり、ホッとした様子でこちらへ向かってきます。

 

「ああ、もう、ここに居たの!?」

「あ、お姉ちゃん」

 

 ちょっと怒った様子の彼女は、私に軽く会釈するとティティリアさんに詰め寄りますが、そのティティリアさんはというと呑気にお茶しながら手を上げます。

 そんな彼女に苦笑しながら、私はもう一人分、お茶とケーキを用意しに戻る。

 

 

 そう……彼女は海外で結婚したという、話を聞いて日本に飛んで来た、ティティリアさんのこちらの世界でのお姉さん。

 何日も根気強く話をして、つい先日とうとう折れて仲直りした彼女は……すっかり初産のティティリアさんに対し過保護になってしまっていたのでした。

 それはまるで、共に過ごせる残り僅かな期間に全ての愛情を、かつて弟であり今は妹となったティティリアさんへと注ぐように。

 

「もう……あまり一人で出歩かないで頂戴。まだ安定期前なのよ分かってるの?」

「えへへ、ごめんなさい、お姉ちゃん」

「まったくもう、この子は……甘えてきたら許すと思ったら大間違いなんだから」

 

 ピタっとくっついてくるティティリアさんに口ではそう厳しく言いつつも、しかし満更でもないようで、彼女のティティリアさんを見つめる目は優しい。

 すっかり仲良し姉妹といった感じの二人に、私もフッと頬を緩めるのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

 そんな、ちょっとしたトラブルを迎えつつも……特に問題もなく、夕方四時となって全ての出店が閉店となりました。

 

 名残惜しみながらも教室を元通りに戻していき、すっかり普段の教室に戻った中で……

 

 

 

「校内の部、売り上げ一位おめでとー、乾杯!!」

「「「かんぱーいっ!!!」」」

 

 コーラ片手に、乾杯の音頭を取る委員長の後藤さん。

 余ったソフトドリンクから各々好きなものを注いだカップを掲げ、皆で乾杯の掛け声と共に飲み干します。

 

 そんな中、充電の切れた強化外骨格を外し車椅子に戻った私も、お茶を注がれた紙コップを空にしてほっと一息つくのでした。

 

 

 ――心地よい疲労感が、全身を包んでいました。

 

 

 大繁盛するお店を必死に捌き切った私たちでしたが……文化祭実行委員長から、私達のクラスが先輩たちを差し置いて売り上げ一位をマークしたと通達が来たのが、つい先程。

 

 そのため、まだ後夜祭まで時間がある今、教室では「一位おめでとうの会」なるささやかな宴が催されていたのでした。

 

 

 

「いやー、でも惜しいなぁ。ユーバーさんがミスコンに出でいたら、きっと優勝間違いなしだったのに」

「そうしたら、売り上げ部門と合わせてうちのクラスの二冠だったのになー」

 

 そう、残念そうに語る皆。

 彼らが言っているのは、今日の一般公開ラストに発表された観客投票による人気投票の話ですが……私は、その投票対象に推薦はされましたが辞退していました。

 

 というのも……

 

「いや、無理ですって。私、あがり症だからああいう場で笑顔作ったり軽快なトークをしたりなんて出来ませんし……」

 

 中間発表上位には、校庭で行われている文化部の発表ステージでアピールする事になっているのでしたが、私はそれが無理、というのが一つの理由。

 

 元々、私はつい最近まで対人恐怖症だったのです。最近はやむを得ず人前で話すことも多かったのですが、相変わらず人の視線がそれほど得意というわけではありません。

 

 なので、慌てて否定する私でしたが、皆は「そっかー」と生暖かい視線を向けてきます。

 

「それに……やはり私はあと少しでお別れですから。万が一優勝したにしても、そんな私が『ミス杜乃宮』を貰うのは、やっぱり違うでしょう」

 

 そう、苦笑しながら真の辞退した理由を言う私でしたが……周囲の皆は、ハッとした表情で顔を上げます。

 

「ああ、そうだったわね……」

「ユーバーさん、二学期いっぱいで……」

 

 私は、あくまでも一時的な在校。

 こうして皆とワイワイできる期限は、刻一刻と迫っています。

 

 少ししんみりしてしまった教室内でしたが、そんな空気は私がパン、と手を叩き、霧散させます。

 

「私……本当に今、すごく楽しいです。皆さんにこうして快く迎えてもらえて、良くしていただいて、本当にこの学校に来て良かったと思っています」

 

 訥々と語る私の言葉に、真剣な表情で耳を傾けているクラスの皆さん。

 昔、『玖珂柳』として生きていた頃に一度自ら青春を投げ捨てた私にとって、今はもったいないほどのいい思い出を作らせてもらっていることに……私は改めて背を伸ばし、深く頭を下げます。

 

「だから……残り半分の期間、よろしくお願いしますね」

 

 ……と、心からの笑顔を浮かべて感謝を伝え、皆さんに笑いかける。

 

 

 静まり返る、教室の中。

 

「もー、あんたって子は本当にいい子なんだからー!」

「わぷっ!?」

 

 突然、感極まった様子の委員長に抱きしめられ、よしよしされました。

 ちょっと気恥ずかしいですが……今はただ、されるがままに。

 

「私、忘れないから。短い期間だけど、ちょっと変わった女の子と学校生活を送れたこと、絶対に。将来子供ができたら自慢だってしてやるわ」

「……はい。私も絶対に、この短い期間のことは忘れません」

 

 そう、お互い少し目に涙を浮かべながら、彼女と笑い合うのでした――……

 

 



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クリスマスパーティー

 

「「「メリークリスマス!!」」」

 

 パン、パンと、部屋に鳴り響くクラッカーの音。

 テーブルの上にはピザやチキンなどあちこちから買い集めてきたご馳走様が並び、その中央に鎮座するのはクリスマスケーキ。

 

 

 ――今日は12月25日、クリスマスです。

 

 

 昨日、クリスマスイブは、それぞれ家族や友人と過ごしました。私も、クラスメイトの皆に送別会を開いて貰ったり、支倉家で玲史さんの家族と一緒に夕食を共にしたりと楽しい時を過ごしました。

 

 そして今日はここ――アークスVRテクノロジー本社の一室を借りて、私達『WGO帰還者』皆で集ってパーティーを開いていたのでした。

 

 

 

『あーあ、そっちは良いなぁ』

 

 部屋に据えられたモニターに映るのは……こちらに飛ばされずに向こうに残ったキルシェさん。その後ろには、茫然と座り込んだままの桜花さんの背中も見えます。

 この映像は、アウレオさんや満月さんの努力の甲斐があり、もうだいぶ安定した『テラ』と『ケージ』の双方向通信。

 

 

 ――あのアクロシティ屋上の決戦時、タナトフローガの背に乗って難を逃れた彼女たちは、フギンさんムニンさんら真竜の二人と共にイスアーレス所属の旗艦『プロメテウス』に収容されたらしい。

 

 

 真竜二人に中継してもらうことで、彼女らもパーティーにオンライン参加しているのでした。

 

「あはは……でも、通信が繋がってよかった。そちらは大丈夫ですか?」

『うん、今のところ特に問題はないかな。十王は自分から仕掛けるつもりは無いみたい。平穏そのものよ』

 

 そう、近況報告を済ませる。あとは……

 

『もー、お姉ちゃんもいい加減立ち直りなよ』

『うん……』

 

 キルシェさんに呆れたように言われて、こちらは諦めたようにもそもそと起きあがってくる桜花さん。

 どうして、彼女がそんな抜け殻みたいに覇気が無くなっているかというと。

 

「あー……その、なんかごめんね?」

『いや、いいわ……正直、どこかでそんな気はしてたし……』

 

 申し訳無さそうに謝罪する綾芽に、桜花さんはこの話はおしまい、と未練を振り切るようにかぶりを振る。

 

 彼女は、おそらくは惹かれていたと思われるソール兄様の中身が綾芽……同性だった事を知り、真っ白に燃え尽きていたのでした。南無。

 

 ちなみに綾芽はというと、隣に座る梨深ちゃんとピッタリくっついて『あーん』しあっているものだから、罪作りというか何というか。

 

 

 ――我が妹ながら、いつか刺されないかと心配になるなぁ。

 

 

 そんな他愛もない事を、私は隣で犬用のチキンを夢中で頬張っているスノーの背中を撫でながら考えるのでした。

 

 

 

 

 

 

「しかしまあ、こう顔を合わせるとなんだか不思議な気分ねぇ」

 

 そうのんびり呟いたのは、中身はただのジンジャーエールのはずなのにやたらと妖艶にグラスへ口をつける、烏の濡れ羽色のロングヘアの、一見清楚そうに見える高校生くらいの美人さん……桔梗さん。

 

「まあ、一風変わったオフ会だと思えばよろしいのではと」

 

 そう相槌を打つのは、フォルスさん。名前は秘密なのだそうで、キャラ名で呼んでほしいとのことでした。

 こちらはやり手そうな精悍な顔にシルバーフレームの眼鏡を光らせ、仕立ての良いジャケットをパリッと着こなした、青年実業家という言葉がぴったり当てはまりそうな人でした。

 

 ゲームキャラの姿しか知らなかった一同が、リアルで一堂に会する。その光景はまさしくオフ会そのものです。

 

「ただ、斉天さんが居ないのは残念ですが……」

 

 ちなみに現在ティティリアさんは、悪阻(つわり)が悪化したためにダウンしており、隣でお姉さんが付き添い中。

 そんな彼女や、お仕事中の緋上さんや満月さんら開発関係者を除けば唯一、この場に姿のない斉天さんを思い、私は呟くのですが……しかし。

 

「居るわよ?」

「え?」

 

 思わぬ綾芽の言葉に戸惑う私に、玲史さんが肩をトントンと叩き、点いたままのテレビを指差す。

 そこには……何故か格闘技の勝利者インタビューの映像が流れていたので、私は何故、と首を傾げていたのですが。

 

 たしか、総合格闘技の試合。しばらく休場していた選手が昨日復帰し完勝という電撃復帰したかと思えば、こんどは突然に電撃引退宣言をしたために、昨日からしきりにニュースで会見を報道しているのを見ていましたが……

 

「ほら、アレ。今映ってるのが斉天だぞ」

「え、えぇえええっ!?」

 

 玲史さんの言葉に、私は仰天の声を上げるのでした。

 

 

 

 ◇

 

 テレビの中では、アナウンサーの質問に落ち着いた様子で受け答えしている、彼……『空井 悟』という選手の姿。その振る舞いは格闘家というイメージから来る荒々しさとは無縁の、理知的な雰囲気を発していました。

 

『それで、空井選手は引退した後の予定などは、すでに決まっているのでしょうか?』

『はは……お恥ずかしながら、行き当たりばったりです。ですが、旅をしようと思っています』

『旅……ですか?』

『はい。自分の身につけた力と技術で何ができるのか、本当に強いということがどういう事なのか……それを探す旅に。そして、その先で何か、守る物を見つけられたらいいなと、そう思っています。ただ、まあ』

『まあ、何でしょう?』

『とりあえずはその一歩目として、()()()()()()()()()()と思ってます』

 

 そう告げたのを最後に、斉天さんの……空井悟選手のインタビューが終わりました。

 

 ◇

 

 

 

「はー……まさか、こんな有名な人だったなんて」

「だよな、初めて聞いた時は俺もビックリしたもんだ」

 

 いまだ知り合いだった人がテレビに映っているという興奮冷めやらぬまま呟いた私に、玲史さんもうんうんと頷いています。

 

 そんな時。

 

「世界を、か。実感湧かねーけど、そういう話なんだよな……」

 

 インタビューが終わったテレビをじっと見つめたまま、ポツリとつぶやいたのは……この中で最年少の少年、ハヤト君……飛田隼人君。

 

「隼人君は……」

「行くよ。もう決めたんだ。親も説得した」

 

 きっぱりと、迷いなく告げる彼に、私は何と声を掛けるべきか考えます、が。

 

「大丈夫だよ、イリス姉ちゃん。俺、自棄になったわけじゃ無いから。ただ、やるべき事を順番にやる事にしたんだ」

「やるべき事?」

 

 首を傾げ尋ねる私に、彼はまっすぐ私の目を見つめ、頷く。

 

「ああ……まずは、何はともあれ十王をなんとかして、世界も救う。そのあとはちゃんとこっちに帰ってくるよ。俺はまだまだ子供だから、子供としてやるべき事をきちんと終わらせに」

 

 そこまで言って一度言葉を切り、深呼吸した後……隼人君は、はっきりと宣言する。

 

「そして……自信をもって自分が大人だって言えるようになったら、今度こそアイニ姉ちゃんを迎えに行くんだ」

 

 ……と。

 

 

 

『……だってさ』

『はわ、凄い情熱的な場面に立ち合っちゃった』

「……は?」

 

 不意に、俄に騒然となる通信越しの『プロメテウス』側の人たち。

 

『その……少年、嵌めるつもりは無かったんだ。ごめん!』

『えっと……その……その時まで、今は聞かなかった事にしておきますね?』

「………………〜〜〜〜ッ!?!?」

 

 申し訳無さそうに、顔を真っ赤にしながら桜花さんの後ろから出てきたのは……当のアイニさん本人。

 

「あのね、ちょっと前から医療担当として乗艦してたの……ごめんね!」

 

 キルシェさんが両手を合わせ平謝りする中で、ようやく事態を理解したらしい隼人君が、顔を真っ赤にして部屋を飛び出してしまいました。

 さすがにかける声も思い浮かばないため、気まずい沈黙が流れました、が。

 

『……ふふ、そうね。その時をのんびり待とうかしら?』

 

 満更でもなさそうなアイニさんの様子に、『喜べ少年、脈アリだぞ』と、室内に安堵の空気が流れるのでした。

 

 そんな和気藹々とした空間の中。

 

「……あと、二週間か」

「……ええ。泣いても笑っても、もう時間は迫っているんですね」

 

 

 なんだかんだで楽しかったこの最後のモラトリアムも、ついに終わる。

 

 運命の日は、刻一刻と迫っているのでした――……

 

 

 



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初詣

 ――大晦日、そして元旦は支倉家にお世話になってのんびりとした時間を過ごし、今日は一月二日。

 

 そんな、寝正月を過ごした者たちもぼちぼち起き出してくる日の朝方の時間帯、支倉家にて。

 

 

 

 

「お待たせ、柳ちゃんの支度、済んだわよ」

「お、お待たせしました……」

 

 玲史さんの母、由奈さんに玄関から押し出されるようにして、皆が待つ庭へと出て行く私に……周囲から視線が集中する。

 

 

 ――今の私……だけでなく、この場に集う人たち皆、普段は絶対に着ないような色とりどりの和服姿なのでした。

 

 

 この日は……皆で初詣。

 

 

 私の場合は……髪型は横髪を少しだけ残し後ろで纏められているため、普段は髪に隠れているうなじのあたりがちょっとスースーとします。

 また、着ているものは桜色をした吉祥模様の小紋。外は寒いため、その上には紺の羽織を肩にかけています。

 

 生憎と今年はM県は12月が記録的な大雪だったこともあり、今も外は一面真っ白な雪景色。

 初詣客で混雑していることが予想されるため、神社も雪除けはされているとは思いますが……それでも足元は滑るだろうということで安全面を考慮し下駄ではなくブーツとなりました。

 

 ――そう、ブーツ。今回も、以前学園祭のときににお借りした強化外骨格を着用していますので、歩いて参拝に行けるのです。

 

 

 

「あらまぁ、お日様の下で見るとやっぱり素敵ねー柳ちゃん」

「あ、ありがとうございます、由奈さん……」

 

 着物の着付けをしてくれた由奈さんに、お礼を言います。

 が、しかし……その最中から「娘に着付けしてあげるの夢だったんだけど、うちは男の子一人だったからねぇ」と言っていたのもあり、彼女は今ちょっとテンションが高くなっていて、ちょっと圧倒される。

 

「……ね、お義母さん、って呼んでもいいのよ?」

「ぅ……はい、お義母さん」

 

 上目遣いがちにそう告げてくる彼女に、やや引きつりながらも言われた通り呼び名を変えます。

 流石に、昔からずっとお世話になっている、元親友の母親相手に『お義母さん」はまだ少し恥ずかしいけれど……嬉しそうに「はい、お義母さんですよー」とニコニコしている彼女を見れば、まぁいいか、とも思えるのでした。

 

「それで……玲史ってば、何をダンマリしているのかしら?」

「え、あ、ああ……何が?」

 

 そんな彼女の視線が、不意に玄関脇でボーっとしていた玲史さんに向けられます。何だか少し呆れているみたいで、ちょっと怖い。

 

「何が? じゃないでしょう。あなたのお嫁さんがおめかししたのよ、言うことがあるでしょうが」

「お義母さん、まだちょっとそれは気が早い……!」

 

 まだ婚約者であってお嫁さんではないと主張しましたが、スルーされました。

 

 そんな玲史さんはというと……

 

「……んなもん、言わなくてもわかんだろ」

「言ってもらった方が嬉しいに決まってるでしょう?」

「う、くっ……」

 

 由奈さんの言葉に、ぐうの音も出ずに黙り込む玲史さん。一方で私はぐいぐいと彼の前まで背を押され、緊張と期待から、固唾を呑んでその言葉を待つ。

 

「その………………綺麗だ、すごく」

「あ……はい、ありがとうございます……玲史さんも格好いいですよ?」

「あ、ああ……」

 

 そう、すっかり照れた様子でそっぽを向く彼は……今は紺の着物と羽織り、そして臙脂のマフラーというこちらも和装でした。

 

「……さてはあんた、()()のことで緊張してるわね。全くこの子ってば、普段頑固なくせに正念場でヘタレるんだからもう」

「うるせえ!?」

 

 何か由奈さんと揉めている玲史さんをよそに、周囲の、やはり和装を纏う皆を見渡す。

 

 さて……なぜ、このような着物が用意されていたのかというと。

 

「ごめんね柳君。家内はずっとみんなで初詣に行くのを楽しみにしていたから、ちょっとはしゃいでいてね」

「いいえ、気にしないでください、史朗おじさま。私、むしろ嬉しいです」

「そうかい、なら良かった。それも、このような素敵な着物を用意してくれたあなたのおかげです……アウレオ・ユーバーさん」

 

 そう、史朗さんは今度は少し離れた場所に佇む、日本人離れした体格と銀の髪を持つ男性へと告げる。

 

「……そうね、私からも、ありがとうございます」

「……いや。せめて喜んでいただけたのであれば、幸いです」

 

 史朗さんと由奈さんが、複雑な表情を浮かべながらも頭を下げたのは……こちらも羽織姿のアウレオさん。

 

「……妹が、あなた方にずいぶんと世話になっていたようで。何をいまさらとあなた方には思われるかもしれませんが……本当に、感謝しています。それと、娘を見守っていただいたことも」

 

 そう言って、胸に手を当てて深々と頭を下げるアウレオさんに、ふぅ、と玲史さんの両親二人揃って肩の力を抜きました。

 

 一朝一夕に解けるわだかまりではないでしょうけれども……それでも、親の間でも歩み寄りが始まっているのを見て、私と玲史さんもホッと安堵するのでした。

 

「……で、ちゃっかり綾芽も便乗しているんだね、梨深ちゃんまで巻き込んで」

「当然よ、折角だしね」

「あはは、御相伴に預かってます」

 

 同じく和服で綺麗に着飾った綾芽は胸を張って堂々と曰い、その隣で梨深も申し訳なさそうにしながらも満更でも無さそうなのでした。

 

 

 

 ◇

 

 ――M県市街地の中、電車で数本先にある県内でも有数の大きな神社。

 

 今日は一月二日ということで、初詣客に賑わう随神門へと向かう参道で……参拝の人混みの中、私は予想もしていなかった人物から声を掛けられました。

 

 

「あ、居た! ユーバーさん!」

「え……後藤さん、それに皆まで!?」

 

 声を掛けて来たのは見知った顔……杜之宮で同じクラスだった女の子たちでした。

 

「元気そうで良かった! うわー、綺麗な着物。素敵!」

「後藤さんや皆も、元気そうで何よりです。この神社へ初詣に来ていたんですね」

「ええ、お正月までは日本に滞在しているって、あとここに初詣に来ることも聞いていたから、もしかして会えるかもってみんなで来ていたんだけど……学校が終わってもまた会えて嬉しい!」

 

 そう言って、感極まった様子でぎゅっと抱きついてくる後藤さんを筆頭に、クラスで仲良かった子たちが詰め寄ってくる。

 

 ――どうしよう、彼女たちとも一緒に行ってもいい?

 

 そう目で尋ねる私に、アウレオさんは頷く。

 

「かまわん、一緒に来てもらうと良い。友人は大切にするべきだ」

「は、はい」

「君たちも……娘と仲良くしてくれたようで、本当にありがとう」

「い、いいえ、ユーバー教授! むしろ私たちこそ、こんないい子とお友達になれて嬉しかったくらいで!」

 

 慌てた様子でそんなことを曰う後藤さんに、アウレオさんはふっと表情を緩め、もう一度「ありがとう」と頭を下げる。

 そんなこんなで、まだ少し恐縮しながらも、彼女たちが私の傍らを歩き始めた。

 

 

 

 そこからは、女三人よればなんとやら。

 

 冬休みの宿題に四苦八苦しているという愚痴。

 皆の、クリスマスはそれぞれどう過ごしたのかの雑談。

 誰と誰が冬休みに入ってから付き合い始めた等の恋話。

 日本を離れ、私はこの後はどうするのか。

 

 

 女子高生が集まっての話題は尽きず、時折屋台から漂ってくる香りやおいしそうな食べ物に目を奪われつつ、気が付けばもう本殿前に並ぶ参拝客の列の最後尾に来てしまいました。

 

「……きゃ」

「おっと……足元結構滑るな。ほら、手貸せ、離れるなよ」

「あ……ありがとう、ございます」

 

 足元で凍って硬くなっていた、踏み固められた雪に足を滑らせ、転倒しそうになったところを玲史さんに支えられる。

 そのまま剣ダコでゴツゴツした手に手を握られて、心臓が早鐘を打つようになる中でもゆっくりと行列は進み……長いようであっという間だった時間は過ぎ、気付いたらお賽銭箱の前。

 

 あらかじめ用意していたお賽銭を投げ入れて……私は、手を合わせて願い事をするのでした――……

 

 

 

 

 ◇

 

「……不思議なものだな」

「……アウ……えっと、お父様。どうかなさいました?」

 

 

 来た参道を引き返す帰路の中で、不意にボソリと呟いたアウレオさんに、思わず聞き返します。

 

「いや……正直、私は神頼みなど非効率的だと思っていた。だが……」

 

 深々と溜息を吐いた彼は、本当に珍しいことにしばらく迷った末に、改めて口を開きました。

 

「…………今は、なんでもいいから縋りたい気分だ。お前を守ってくれと。なるほどこんな気分か、人が神に祈りを捧げるという事は、とな」

「お父様……」

 

 思わぬ言葉に、目を驚きに瞬かせながら彼の方を見つめていると。

 

 

「……イリスはさ、結構、熱心に祈っていたな」

「え?」

 

 今度は私へと不意に掛けられた、反対側の隣を歩いていた玲史さんの言葉に、首を傾げます。

 

「いや……ただ、何を願ったのか、ちょっとだけ気になってな」

「ふふ、そんな大した願い事じゃないですよ」

 

 どうやら願い事をしていたところを見られていたらしく、ちょっと照れながら、あの時願ったことを伝えます。

 

「ただ……またいつか、こうして一緒お参りできますように。それだけです」

「そうか……」

 

 そのまましばらく隣を黙々と歩いていた玲史さんは……不意に何かを決心したように顔を上げると、前を歩く史朗さんの肩を叩く。

 

「悪い、親父。俺ら別行動いいかな?」

「ふう……玲史、ようやくかい? それじゃ、皆一度解散して鳥居前で集合でいいかな?」

「はーい、賛成! ほら、それじゃ梨深、いこ?」

「あ、待ってよ綾芽ちゃん!?」

 

 玲史さんの質問に対する史朗さんの言葉に、真っ先に綾芽が梨深ちゃんの手を引いて行ってしまった。

 

 すっかり二人ともべったりな様子に苦笑しつつ、「それじゃ、いいか?」と尋ねる玲史さんに頷くと、彼に手を引かれるまま、二人でグループから離れます。

 

 

 

 

 そうして手を引かれ連れて行かれたのは……主要の参道からやや外れた場所、本殿の裏手。

 

「よし……ここなら人は居ないな?」

「あ、あの……?」

 

 まるで暗殺者でもいるかのように周囲を警戒している玲史さんに、私は恐る恐る声を掛けるのです、が。

 

「……イリス!」

「は、はい!?」

 

 急に、真っ赤になってガチガチに緊張した様子で大きな声を出した玲史さんに、私は思わずビクッと背筋を伸ばします。

 

「は、話って言うのは……その。本当はクリスマスに渡すつもりだったんだが、うまくタイミングが掴めなかったというか、なんというか……えぇい!」

 

 何かを振り切るような声と共に、バッと玲史さんが私のすぐ前に跪き、何かのケースを私の眼前へと差し出す。

 

「……これを、嵌めてくれないか? その………左手の、薬指に」

 

 そう、跪いた玲史さんがケースを開けて、中身を私へと見せてくれる。

 それは……決して華美ではなく、シンプルながらも美しい輝きを放つ、小さな宝石の嵌った指輪。

 

 それを見て……私は思わず、ふふっと声を漏らしてしまう。

 

「……玲史さんの手で、付けてもらっていいですか?」

「……ああ、もちろんだ!」

 

 そう言って恭しく私の左手を取り、慎重に指輪を嵌めていく玲史さん。ピッタリと嵌ったその金属の輪を、私は感慨深い想いで眺めていると――強く、抱き締められる。

 

「……ずっと、一緒にいてくれ。どこに行ってもだ」

「……はい。改めて、不束者ですが末長くよろしくお願いします」

 

 そう返事を返した直後……私の口は彼の口によって熱く塞がれ、私はそのまま身を任せるのでした。

 

 

 

 

 

 ――再び『ケージ』へと帰る日まで……あと、七日。

 

 

 

 

 

 

 




 ちなみにイリスちゃんは玲史さんへのクリスマスプレゼントに、「なんでも一回言う事を聞く」約束をさせられた上で現在保留されています、っていう余談。


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繋がる世界

 

 ――I県、最南端の街。その駅のホーム。

 

 

 

「そう……行くのね、隼人」

「ああ、母ちゃんごめん。どうしても、やらないといけない事があるんだ」

「……やっぱり、あの人の子供ね。決めたら頑固なところなんてそっくり」

 

 苦笑して、諦めたように呟いた彼女は、今から旅立とうとする我が子を抱き締める。

 

「なるべく、早く帰って来なさいね」

「ああ、わかってるよ」

 

 もう一度強く抱きしめられるのに合わせ、隼人もそんな母を抱き締め返し、離れる。

 

「親父も。見送り、あんがとな」

 

 そう隼人は、少し離れた場所で母子の別れを見守っていた父にも、頭を下げる。

 

「……隼人。お前は本当に立派になったな。男子三日会わざればというが、本当に立派になった」

 

 そう言って、唇を噛みながら隼人の頭を撫でる彼の父。その顔には、引き留めたい心境をギリギリと押し込めているような苦渋が滲んでいた。

 

 決して、愛想の良い父ではなく、むしろ不器用で息子との距離感を計りかねているような父だった。

 だが……それでも彼は、不器用なりに笑顔を浮かべ、隼人の頭をグリグリと撫でる。

 

「だがな……それでも、お前は私達にとっては我が子なんだ。だから、必ず帰ってくるんだぞ」

「……ああ、分かったよ、父ちゃん。母ちゃんも、俺、行ってくるよ」

 

 そうニッと笑いながら告げて……少年は、丁度ホームへ到着した新幹線へと飛び乗るのだった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――M県南西、隣県との県境となっている山脈の麓にある、田舎町。

 

 

 

「……行くのか?」

 

 一人の青年が、神社の裏手にある寂れた剣道場、その庭の奥まった場所に抜き身の白刃を携えて佇む一人の少女へと、語りかける。

 

 歳の頃三十前後、一つの神社を預かる身としてはまだまだ若い、神職の男だ。

 

 そんな問い掛けをしてくる青年に……(さらし)に道着姿という格好の黒髪の少女が、今の今まで振っていた刀を懐から取り出した懐紙で拭う。

 

 その周辺に転がっていたのは……無数の、鋭く断ち切られた竹の山。その本数たるや、果たしていつからここで刀を振っていたのか。

 

「ええ、行くわぁ。お兄ぃもいつも道場を貸してくれて、ありがとうね」

 

 従兄妹である神主の青年にそう頭を下げる少女……桔梗は、手にした白刃を布で拭き清めたのち、納刀する。

 

 

 

 ――少女が刃物に魅入られ、鋭い刃を以て何かを斬ることに興奮を覚えるようになったのは、果たしていつの頃だっただろうか。

 

 

 小学校を卒業する頃にはすでに、いつもナイフ類を忍ばせていなければ落ち着かなくなっていた事は覚えているのだが、切っ掛けが何だったのかはもう思い出せない。それくらい幼い頃だった。

 

 そんな、決して周囲にぶつけるわけにはいかない、しかしいつ爆発するか分からないその衝動に誰よりも早くに気付き、それを隠れて発散する場を用意してくれたのは、堅物のはずのその従兄妹。

 

 

 

 だが……桔梗は常々感じていたのだ。自分は、現代社会に馴染めない鬼子である、と。

 

「なぁ、全部終わったら、ちゃんと帰ってくるんだよな?」

「……さあ? 両親にさえとっくに見限られた私には、向こうにしか居場所が無いんじゃないかしら?」

 

 自虐的に曰う桔梗に対し……その表情を目にした青年は。

 

「……そんな事は無い、まだ俺が居るだろう!」

 

 青年が咄嗟に叫びながら、衝動的にと言った様子で桔梗の身体を抱き締めていた。

 驚いてパチパチと瞬きをしている桔梗に……彼は、絞り出すような声で語りかける。

 

「……頼む、俺のために帰ってこい。居場所なら、俺が作ってやる」

 

 ……それは、非行を繰り返してついには家族にすら見限られた桔梗にとって、初めて投げかけられた「ここに居てもいい」と許しをくれる言葉だった。

 

「……お兄ってば物好きねぇ。私みたいな殺人衝動を発散するために代償行為でエンコーなんてした人格破綻者を、よりにもよって口説くなんてさぁ」

「……かもな。我ながら、悪趣味だとは思うよ」

「うん、ほんと、馬鹿よねぇ」

 

 そのまましばらくの間、おかしくてたまらないと言った様子で、桔梗は笑う。

 

 笑って、笑って、笑って……やがて彼女は、晴れやかな顔で頷いた。

 

「……分かった。そんなお兄ぃに免じて、帰ってくるわぁ。頑張って繋ぎ止めてね?」

「……ああ!」

 

 悪戯っぽく囁いた桔梗に……青年は、はっきりと頷くのだった。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――アークスVRテクノロジー、開発室。

 

 

 

「俺の仕事は、全部副主任の瀬山に引き継いだ。これで俺が居なくても仕事は回るだろ」

「うん……ご苦労様、緋上君」

 

 名残惜しそうに仕事場のパソコンの電源を落とした緋上に、背後でそれを見守っていた畠山が頷く。

 

 そうして……彼は、すっかりと凝った体をゴキゴキ言わせながら立ち上がると、畠山の前に立ち、その肩を抱いて頷いた。

 

「それじゃ……そろそろ時間だ。畠山さん、俺、行ってくる」

「ええ、緋上君、いってらっしゃい。()()()帰りを待ってるわ」

「……ん、二人?」

 

 首を傾げる緋上だったが……しかし彼女は、自分の下腹を押さえ頷く。それだけで何が言いたいのかを理解した緋上の顔に、じわじわと喜色が覆い尽くしていった。

 

「そうか……そうかぁ! あー、もー、すげえ元気とやる気でた、本当に、ありがとう……!」

「きゃ!? ……もう、緋上君ってば大袈裟なんだから」

 

 突然抱きついて来た緋上に驚きの声を上げた畠山だったが、すぐに相合を崩し、彼の背をぽんぽんと叩いてやりながら苦笑する。

 

「へへ……できれば、女の子と男の子、二人欲しいな、俺は」

「もう緋上君ってば、気が早いわよ?」

 

 呆れたように頬を抓る畠山だったが……しかしそんなじゃれ合いも、にへらと緩む彼の顔を締める事はできなかった。

 

「それじゃ……今度こそ本当に、行ってくる」

「ええ、行ってらっしゃい、気をつけてね」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――アークスVRテクノロジー本社ビルの中の、空き部屋の一つ。

 

 

 

「いやぁ、お熱い方々は羨ましいですねぇ」

「はは、全くだ」

 

 隣の部屋から聞こえて来た会話に、苦笑しながらそう曰う人影が二つ。

 

 控え室として解放されていたこの部屋で、こちらに別れを惜しむ者もいないためにひと足先に来ていたフォルスと、同じく早く来ていた斉天こと空井悟が、特に気負った様子もなくのんびりと会話をしていた。

 

「思えば、私たちの関係も不思議なものですね……まさかこうして共に決戦に向かう仲になるとは、イスアーレスで初顔合わせした時には思いもしませんでした」

「おう、全くだ。今だから正直に言うが、あの時はこのいけすかない眼鏡野郎と思っておったのだぞ」

「私こそ、扱いにくい筋肉ダルマめと思っていましたから、おあいこですね」

 

 お互いそう毒を吐きあって……不意に、二人揃って相好を崩した。

 

 

「お主、この件が終わったらどうするつもりだ?」

「一応は、こちらに戻る気でいますよ。ただ、向こうで一旗上げるのも悪く無いなと迷っていますけど」

 

 まだ少し迷っていますと、苦笑するフォルス。一方で悟は、何かを考え込むようにしながら、思いの丈を紡ぐ。

 

「俺は……そうだな。闘技場に残ることも考えたが、もう一つ最近は候補が増えた」

「……ほう、それは一体?」

「うむ……この身、姫様や剣聖のとともに、この世界を護るのに使うのも悪くないかな、とな」

「へぇ、それはそれは……なるほど、たしかに魅力的な再就職先ですね」

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――M県、S市内のとある駅前。

 

 

 

「お待たせ、綾芽ちゃん」

「うん、おかえり。ご両親とのお別れ、済ませて来た?」

 

 

 姿を見せた梨深に、綾芽が心配そうな様子で尋ねる。

 

「うん、もう大丈夫。いつか孫を見せに来るようにと約束させられたけど」

「あはは、玲史さんの家もそうだったわね。親って皆、孫の顔がそんなに見たいものなのかしら」

 

 支倉家での一幕を回想し、綾芽が苦笑する。

 だが、すぐにその表情は真剣なものとなり、梨深を射抜いた。

 

「……いいのね、梨深。私に付き合うってことは、もうほとんどこちらの世界には帰って来れなくなるわよ?」

「ええ。私はずっと貴女の側に居てあげる、約束するわ」

「分かった、それじゃ……行こう。ついて来なさい、どこまでもね!」

「うん、貴女の背中は私が守る。どこまでも……にゃ」

 

 そう語り合い……綾芽の差し出した手を、梨深がしっかりと握り返す。そうして二人は、決して離すまいとするかのように自然とお互いの指を絡めあい、歩き始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 M県S市、支倉家。

 

 

「――史郎お義父さん、由奈お義母さん、玲介お爺ちゃん、お世話になりました」

「それじゃ、親父、お袋、爺ちゃん、行ってくる」

 

 玄関先まで見送りに来た支倉家の皆と抱擁を交わしながら、私達は最後の別れを告げます。

 

「ああ。二人とも、気をつけて。綾芽ちゃんにもよろしくね?」

「……ふん、さっさと行け」

「もう、お父さんったら拗ねちゃってもう。二人とも、ごめんなさいね?」

 

 ふいっとそっぽを向いている玲介さんに苦笑しながら、由奈さんに向き直る。

 

「その……家族が増えたら、必ず見せに来ますね」

「ええ、楽しみに待っているわね」

 

 少し照れつつ告げた言葉に、由奈さんが頷く。

 そうして別れを告げ終わり……私達は、思い出の数多残る支倉家から巣立ち、またあの世界へ旅立つためにアークスVRテクノロジー本社ビルへと向かうのでした。

 

 

 

 

 

 ◇

 

「それじゃ……身体には気をつけなさいよ。もう私は助けてあげられないんだからね?」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん。ほら、急がないと飛行機に間に合わなくなるよ?」

「そう、ね……いい、今度帰って来たら必ず連絡しなさいよ、飛んで帰ってくるから!」

 

 最後に一度抱き締めあい、ティティリアさんのお姉さんが、名残惜しそうにアークスVRテクノロジーの本社ビルから出て行く。

 

 それを見送って……やがて、ティティリアさんのお姉さんの姿も見えなくなりました。

 

「それじゃイリスちゃん。行こう?」

「……ええ、そうね」

 

 スッキリした様子の彼女に手を引かれ、本社ビルの地下にある一室へ向かう。

 

 

 

 そこは……この社屋の心臓部である、メインサーバールーム。

 

 巨大なスーパーコンピューターや、数多のサーバー群を収めてなおも広大なその空間には、すでに皆が揃っていた。

 

 

 そしてもう一つ、飛びついてくる影も。

 

「はぁ……スノーったら、すっかり大きく立派になったのね」

『わう!!』

 

 大型犬の中でもかなり大きな方、もはや後ろ足で立てば私どころか玲史さんよりも高いくらいに成長したスノーが、私の隣で澄ました顔をしながらも、褒められたのが嬉しかったのかブンブンと尻尾を振っていました。

 

 そんな様子に苦笑しながら、周囲を見渡す。

 

 

 ティティリアさん。

 隼人君。

 桔梗さん。

 緋上さん。

 フォルスさん。

 悟さん。

 梨深ちゃん。

 綾芽。

 そして……玲史さん。

 

 こちらに残ってやることがある宙さんやアマリリス様も見送りに来ているため、今この場には、戻ってきたプレイヤー全員が、誰も離脱せずに揃っていた。

 

「では、我はもう手伝ってはやれぬが、楔としてお主らの道は繋ぎ止めてやろう。頑張ってくるのだぞ」

「皆さん、お気をつけて。皆さんが通る道である『Worldgate Online』の保守管理の事はお任せください」

「はい、お願いします、アマリリス様、宙さん」

 

 そう見送ってくれる保守担当のお二人に頷いて、私も皆の中心に立つ。それを確認すると、アウレオさんが端末を操作し始めました。

 

「では……『Worldgate Online』起動する。それと調整していた『黒の書』は、イリス、お前のインベントリに追加しておいたから後で確認するようにな」

 

 全ての入力を終えたらしく、室内には起動を始めたサーバーとスーパーコンピュータの唸り声が始まった。

 それを確認したアウレオさんが、私達の方へと真っ直ぐに向き直り、そして……

 

「……今更と思われるかもしれないが、皆、巻き込んだ事に謝罪を。そしてどうか、娘のことをお願いする。この通りだ」

 

 

 そう言って、深々と頭を下げるアウレオさん……お父様。

 

 

『コード:ワールドゲートを開始します。ゲーム内に有資格者の反応検知出来ず。続けてゲームの外の有資格者のサーチ、および転送開始……』

 

 

 そうこうしている間にも部屋の装置は起動音を高め……やがて私達の足元に、いつか見た紅い魔法陣が展開した。

 

「……以前飛ばされたあの時は、禍々しくみえたんだがな、この魔法陣」

「ええ……不思議と今は、優しく送り出してくれている温かな光のように思えます」

「あはは、本当にね」

 

 玲史さんと、綾芽と、そして皆と笑い合う。

 

「――行きましょう。世界を救い、全てに決着を。皆さん……最後までどうか、私に力を貸してください!」

『――応!!』

 

 皆の声が重なると同時に――私達の体は紅の魔法陣へと飲み込まれ、この『テラ』から消失したのでした――……

 



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繋がる絆

 

 ――ノールグラシエ王国、北端の軍港『ノールポイント』

 

 ――停泊中の、イスアーレス所属強襲揚陸艦『プロメテウス』甲板。

 

 

「お待ちしておりました……無事のご帰還、嬉しく思います、御子姫様」

 

 いくつもの赤い魔法陣が展開するその光景をアイレイン教団教皇ティベリウス三世が、嬉しそうな表情で呟きながら、じっと見つめていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 まるでフルダイブする時のような暗転の後……眠りから覚めるように、意識が浮上する。

 

 

 

「お待ちしておりました……無事のご帰還、嬉しく思います、御子姫様」

 

 語りかけてくるのは、優しげな男の人の声。

 ゆっくり目を開くと、そこに居たのは……

 

「教皇様……では、私たちは」

「はい、皆様無事に、こちらへ移動成功いたしました」

 

 周囲の風景……氷山を背景に、流氷に囲まれた海の上に浮かぶ大船の甲板という『テラ』ではあり得ざる風景と、もはや懐かしく思える装備類を纏った皆の姿に、『帰ってきた』という実感がじわじわと湧き上がってくる。

 

「イリスお姉様!」

「きゃ!? ゆ、ユリウス殿下?」

 

 周囲を囲む大勢の中から真っ先に飛び出してきたのは、小柄な人影。

 三ヶ月ぶり、記憶よりも結構大きくなったその人影は、ユリウス殿下。その後ろからは、呆れたような表情でついてくるアンジェリカちゃんの姿もありました。

 

「驚いた、殿下、大きくなられましたね」

「えへへ……でも、スノーほどじゃなかったです」

 

 そう照れ臭そうに言って、私から離れると、今度はスノーの首筋の毛に顔を埋めて抱きつくユリウス殿下。スノーも満更でもないみたいで、ふん、と自慢げに鼻を鳴らしていました。

 

 そんな、微笑ましい光景の傍で。

 

「……レオンハルト様。ご無事で、本当に良かった……!」

「ああ……君も、よく私の元へ帰って来てくれた。これほどまでに誰かが隣に居ない事が恐ろしかったのは初めてだった」

 

 お互いの存在を確かめるかのように触れ合いながら熱く見つめ合うのは、再会した恋人同士であるティティリアさんとレオンハルト様。

 

「それにそのお腹は、もしや私の?」

「えっと、その……この大事な時にお手伝いできなくてごめんなさいというか、なんと言うか」

 

 もうだいぶ目立つくらいには膨らんでいるお腹を抱いて、ティティリアさんは真っ赤になって、レオンハルト様に頷く。

 

 一方で彼は……少し痩せたでしょうか。おそらくずっと最前線に居たであろうその体には、細かな負傷の跡が見られますが……しかし、大きな怪我もない様子に、目に見えてホッとしているティティリアさん。

 そんな彼女をすっぽりと覆い隠すようにして、レオンハルト様も感極まったように彼女を抱き締めていました。

 

「そうか……ありがとう。大丈夫だ、お前がただ私を信じて帰りを待ってくれるだけで、私はもはや誰にも負けるものか」

「……はい!」

 

 そう、今度こそ熱い抱擁を交わすティティリアさんとレオンハルト様。

 

 それを、やれやれといった様子で眺めているのは、アルフガルド陛下ですが……

 

「あ、叔父上。私もこちらの女性と婚約いたしましたので」

「むぐっ!? お、お前もかソールクエス……い、いや、聡明なお主が選んだのならば私は何も言うまい……うちの王子王女は皆貰い手が決まるのが早いのぅ……」

 

 ミリィさんと手を繋いだまま、もう片手をひょい、と挙げて爆弾発言する兄様に、アルフガルド陛下が面食らいつつ、寂しそうにしつつ、どうにか飲み込む。

 

 そして、その後ろから、総大将らしく立派な服に身を包んだ姿で現れたのは……帝国皇帝、フェリクス陛下。

 

「いいなぁ……俺も早く、帝都に残して来たイーシュに会いたいぜ……」

「皇帝陛下……相変わらずお姉様にぞっこんなんですね」

「おう、勿論だ。たとえ太陽が落ちようが、俺のあいつへの愛は熱を失うことなんか無いからな」

 

 はっはっは、と大笑しながら惚気ていた皇帝陛下ですが……不意に真顔に戻ります。

 

「……うちの工房謹製、虎の子のカレトヴルッフ三式、稼働可能な全てを使用できる者へと提供した。これが最終決戦ならば出し惜しみはすまい」

 

 そう告げるフェリクス皇帝陛下の背後には、国を問わず機械式銃剣を携えた者たちが、ずらっと並んでいました。

 

「もちろん、短い期間ながら可能な限りの戦術教導は行った。自動機械たちを相手にする際は、私たちを存分に頼ってくれて構わない。なあお前ら」

「ええ、もちろんです!」

「伊達に地獄の特訓を潜り抜けてきていませんよ!」

 

 

 そう言って、ニッと悪戯小僧のような笑みを浮かべる皇帝陛下に、背後の兵たちも鬨の声を上げる。

 

 

 一方で……

 

 

「全く、帝国の若君はまだまだ小僧じゃなぁ」

「巫女長、壱与様まで……」

 

 呆れた様子でフェリクス皇帝陛下の横から出て来たのは、巫女長である壱与を先頭にした、華やかな巫女服と千早を纏う楚々とした一団……東の諸島連合から加勢に来た巫女の方々。

 

「うむ、決戦となれば我らだけ静観とはいくまい。我々巫女一同、全員の力を投入し、この艦への防護魔法付与は済ませておる。魔力シールド機関の稼働も任せて貰おう、我らの意地にかけて、この船上をこの世界で最も安全な場所としてくれようぞ」

 

 不敵に笑う巫女長、壱与の言葉に、背後に控えていた諸島連合の巫女たちが、一斉に頷く。

 

「じゃから……そこな不貞の斬り巫女は、しっかり御子姫様のお役に立ってからどこへなりと行くが良い」

「ええ、任せてもらいますわぁ、引退前の最後の仕事だけは、きっちりこなさせていただきますとも」

 

 不意に話を振られた桔梗さんが、清々しい表情で頷きます。その吹っ切れた様子に、私は少しだけ首を傾げるのでした、が。

 

「そこには、私も加わる予定だ。『ガルド(守護)』の名を頂いた私が、引けを取るわけにはいかんからな」

 

 そう、不敵な笑みを浮かべるアルフガルド叔父様。

 そして……

 

「僕も手伝います、父様みたいに誰かを守るのは無理でも、この時のために聖女様たちと修行してきましたから」

「もちろん、私たち聖女団も同行するわ、怪我人は全て任せなさい、後方にまでイリスお姉様の手を煩わせるような真似はしないわよ!」

 

 その隣で、確かな決意を目に宿して頷くユリウス殿下と、アンジェリカちゃん。背後に控えていたマリアレーゼ様を中心とした聖女の皆様も、同じく頷きました。

 

 

「となれば……我らも負けるわけにはいくまい」

「……アシュレイ様!?」

 

 そう言って次に一歩前に出たのは、『剣聖』アシュレイ様と魔導騎士『黒影』の皆さん。

 

「我々『黒影』一同、遊撃隊として御身の力となるべく、馳せ参じ申した」

「というわけで、またよろしく、姫さま」

 

 アシュレイ様に続き、『黒影』の中でもよく私たちに声を掛けてくれたアルノルトさんが軽口を叩き、すぐにアシュレイ様に拳骨を落とされていました。

 

 そんな光景に思わず苦笑しますが……すぐに、真面目な表情へ戻してアシュレイ様に尋ねる。

 

「ですがアシュレイ様は、体調が思わしくないと……」

 

 いかに国最強の魔法剣士『剣聖』とて、彼は本来であればとうに引退しているはずの高齢。体調を崩し、最近は安静にしていることが増えていたと、通信で叔父様から聞いていました。

 それが、このように前線へと出てきて大丈夫なのかと、私は心配するのですが……

 

「ご心配召されるな、御子姫様。この一戦くらいならばどうにか保たせられる」

「そうですか……決してご無理はしないでくださいね?」

「うむ。まあ流石に私も歳じゃからな。この一戦が終わったならば晴れてお役御免、茶器でも焼きながら楽隠居させて貰うつもりじゃよ」

 

 そう言って……私の隣に侍るレイジさんの胸に、どん、と拳をぶつけるアシュレイ様。

 

「……故に、この一戦が終われば名実共にお主が『剣聖』じゃ、我が後継として、御子姫様の伴侶として、絶対に死ぬでないぞ」

「……ああ、当然だ」

 

 そう、アシュレイ様の檄に、レイジさんははっきりと頷き返すのでした。

 

「そんなわけで、我々『黒影』一同ようやく鬼教官から解放されるとホッとしています、ええ」

「む、口はまだまだ未熟みたいじゃなお主ら。よし、やはりまだ現役で居るか」

「そ、それはご勘弁を……!」

 

 余計なことを言った『黒影』の一人の言葉に、戯けた様子で告げるアシュレイ様。その言葉に慌てているその騎士の様子に皆が笑っていると。

 

 

「――御子姫様」

「……え、グ=ルガル様!? それに、トロール族の皆様も……」

 

 ティシュトリヤで別れたトロール族の若者まで勢揃いし、私の前に次々と跪く。

 

「御身のお役に立てるならば、我々にとって最高の誉れ。どうか遠慮なく利用していただきたい」

「……ありがとうございます。駆けつけてくれて、本当に嬉しく思います。どうかその拳、私にお貸しください」

「「「……ハッ!!」」」

 

 巌のような重低音が、一枝乱れず揃って響き渡る。それがとても頼もしく思えました。

 

 

 

「よ、姫さん」

「ヴァルター団長! それに、ゼルティスさんとフィリアスさん、ヴァイスさんやレニィさんも!」

 

 続いて現れたのは、この世界に来てからずっとお世話になりっぱなしだった、セルクイユ傭兵団のみんな。

 

「ま、腐れ縁ってやつだしな」

「最終決戦でイリス様の側で働けること、嬉しく思いますわ」

「ヴァイスさん、レニィさん……」

 

 すっかり傷跡も目立たなくなった頬のあたりを照れ臭そうに掻き、ぶっきらぼうに告げるヴァイスさんと、私の手をそっと握り、嬉しそうな笑顔を向けてくれるレニィさん。そして……

 

「俺らは、お前たちの直衛として同行する、よろしくな」

「皆様がたのことは、必ずかの宿敵、十王の元へ送り届けます。大船に乗ったつもりでいてください」

「久しぶりに、また一緒に戦えるね……頑張ろう、ね!」

 

 団長は私のぐりぐり頭をもみくちゃにし、レニィさんに怒られていました。

 ゼルティスさんはいつも通り私の手を取り口を寄せてくるもので、レイジさんやソール兄様にすごい表情で睨まれる。

 そして……私を胸に抱きしめて頬擦りしてくるフィリアスさんを、レニィさんに説教されたまま、団長が呆れたように見つめている。

 

 もうすっかり懐かしい気がするそんな遣り取りが嬉しくて、私は不意に視界が滲んだのを慌てて拭います。

 

 

 

「それなら、今度こそ私たちも一緒させて貰うわよ」

「はい、もう置いていかれるのは嫌ですからね」

 

 そんな私に掛けられた、二人の女の子の声。

 

「桜花さん、キルシェさん!」

「おかえり、イリスちゃん!」

 

 挨拶もそこそこに、駆け寄ってきたキルシェさんと抱き合う。

 

「それと、私らに協力してもいいってバカも、結構居たわ。せっかく時間もあったから、装備の方はバリバリに整えてやったわよ」

『うむ、我も協力した。そんじょそこらのオートマトンに遅れを取ることもないじゃろう、がっはっは!』

 

 自慢げに桜花さんと、そのすぐ後ろに屈んでいたネフリム師が笑う。

 

 そしてその背後に大勢居るのは……海風商会メンバーを中心として西大陸にいた『プレイヤー』の皆。

 そこに以前のような腐っていた様子は微塵もなく、覇気に満ち、上等な装備を纏うその姿は、まるで物語にある精悍な騎士団のようでした。

 

「うちらプレイヤーも、バッチリ根性も根本から叩き直してやったわ。皆、いい顔をするようになったでしょう?」

「ま、俺たちだってゲームを始めた頃は英雄になりたいって願望もあったのを、皆思い出したんだ。お姫様のために、世界を護って戦うなんざ、最高に燃えるシチュエーションだからな!」

「フラニーさん、それにハスターさんも……」

 

 

「って訳だ、元チャンピオンのダンナ。もう、一人で抱え込むのはナシだぜ」

「私ら闘技島の拳士の意地、見せてやらないとね!」

「……うむ、そうであるな!」

 

 そう、斉天さんが、二人とガツガツ拳をぶつけ合う。

 

 そんな、プレイヤーたちの先頭に立つ見知った二人の間から、もう一人の少女が私の横を抜けて――フォルスさんの胸へ飛び込んで、すぐに離れる。

 

「……フォルス様、おかえりなさい! あなたが不在の間、出来ることは全てやっておきました」

「これは……ありがとう星露。君が副官で良かった。これからもずっと私の側で支えてくださいますか?」

「……はい、任せてください!」

 

 そう言葉を交わし、再度抱き合う二人。

 そんな光景を、私たちはただ、温かい目で見つめるのでした。

 

 

 

  ――この艦の甲板に居る人だけでも、これだけの人数。

 

 その他、周囲にはアクロシティへ輸送のため配備されたノールグラシエの高速艦『デルフィナス』まで、何隻も居ました。

 

 

 ――これだけの人が、待っていてくれた。

 

 

 感極まり過ぎて固まる私の肩を、ポンと叩いたのは……まるで孫を見るかのように優しく微笑んでいる、教皇様。

 

「――御子姫というのは、元来から一人では無力な存在です。だから人々と繋がりを持ち、助け、助けられ、縁を結びその先で姫となるのです……あの街にいる十王は、ついにそれを理解できませんでした。ですが、貴女は違う」

 

 

 ――元々、一人では何も出来ない存在だった私が、ついにここまで来た。

 

 

 それを祝福するように、教皇様は言葉を続ける。

 

「これだけの縁、結んだのは貴女の力です。ここに至るまでの苦難は全て無駄ではなかった、その証明こそ、所属も国も関係なく集まった、この光景でしょう」

「ええ……本当に」

 

 そう言って、多種多様な人々が集まった甲板を嬉しそうに眺め語る教皇様に、頷く。

 

『それじゃ、はやく一発ぶちかましに行こうぜ!』

『天の焔の第一射は、私()()がなんとしても防ぎます。貴女方はただ、先だけを見据えて前へ!』

 

 そう言って船上を旋回するのは、フギンさんとムニンさん、真竜の二人。さらにその上空、雲ひとつなく澄んだ空からは、無数の巨大な影が飛び交っているのまで見えました。

 

「フギンさん、ムニンさん……分かりました、行きましょう。これが、最後の決戦です!」

「聞いたな皆、錨を上げろ!」

 

 私の言葉に、すぐ後ろに寄り添うレイジさんが声を張り上げる。

 巨大な船体が軋み、流氷の中を、ゆっくりと、しかし徐々に加速しながら進み始めた。

 

 その光景を眺めながら……皆に促されるように船首へ押し出された私は、今から向かう進路、南へと手を指し示す。

 

 

 ――リィリス様……いいえ、お母さん。今、助けに行きます。

 

 

 大きく息を吸い、肺を空気で満たし……叫ぶ。

 

「――目標、アクロシティ。最大船速、一気呵成に突破しますッ!!!」

 

 

 ――ぉおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!

 

 

 

 この日……数時間後に迫った決戦に向けた反撃の雄叫びが、この『ケージ』の空へと響き渡るのでした――……

 



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突破

 

 

「……この『ケージ』世界の端の縮小、ですか?」

 

 他には私と教皇様しか居ない小部屋で、アシュレイ様から飛び出したのは、そんな話でした。

 

「うむ。このような時に伝えるべきか少し迷ったのだが……やはり、御子姫様や教皇様にはお伝えしておくべきかと」

 

 彼の話によれば、西の辺境地域、元のトロール族の住処より更に西の方で、最近急激にこの『ケージ』と『テラ』を分かつ境界線が縮小して来ているとのこと。

 

 しかも、駐在させていた調査員の連絡によれば、明らかに『傷』の発生に連動して縮小しているのだと言う。現に、大量の『傷』が発生した三ヶ月前のアクロシティでリュケイオンさんとの戦闘時には、かなり境界が内側に迫ったのだ、とのことでした。

 

「……あるいは、領域の維持が困難になって来ているのかもしれませんね」

「教皇様?」

「『傷』が開いた時は、それ以上広がらぬように『ケージ』の領域は自己修復を試みます。その際に『傷』の展開時に食われた膨大なエネルギーを、管制塔であるアクロシティから補填するのですが……」

 

「昔、東の諸島連合を制圧しアクロシティに反乱を仕掛けた、『弾正』と名乗る何処からか現れた老人がいました。その際ついには『天の焔』を持ち出す事態となったのですが」

 

 その話は、私も以前に聞いたことがありました。なんでも大軍を率いアクロシティへと迫り、しかし『天の焔』の威力を前に近寄ること叶わず全滅したと。

 

「……あるいはその時からもう、アクロシティで生産しているエネルギー供給が、領域の維持まで追いつかなくなっている可能性はあり得ますね」

 

 顎に手を当てて、深刻な表情で考え込んでいた教皇様が、ポツリと呟く。

 

「十王たちは、この事は……」

「把握していない可能性が、高いでしょうね。いずれにせよ、もうあまり『天の焔』を使わせる訳にはいかないでしょう」

「アクロシティに向かう上では一撃は覚悟しなければならんが、今回がラストチャンス……失敗したら後がない可能性も、考えねばならんな」

 

 ここに来て現れた、新たな懸念材料に、ふぅ、と一つ溜息を吐いて気分を切り替える。

 

「そうですか……分かりました、心に留めておきます」

「うむ、すまないな。剣聖などと煽てられても、こうした時にはお主に任せることしか出来ぬ。どうか許して欲しい」

「いいえ、これは私の役目ですから」

 

 申し訳無さそうに語るアシュレイ様に、大丈夫と頷きます。

 

「さて……そろそろ向こうの防空圏も近付いてきましたし、戻りましょう」

「はい。まずは、やるべき事を成功させましょう」

 

 教皇様に促され、持ち場へと戻る。

 やるべき事は変わりません、まずはリィリスさんの体を奪ってアクロシティを不法占拠している十王を排除すること。

 

「その後は……」

 

 ――もし、今回の話が推測通りならば。

 

 私はなんとなしに、首にかけていた結絆石のペンダントを、ギュッっと握りしめるのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

 ――私たちが乗る『プロメテウス』は、もうコメルス近海まで来ていました。

 

 

「こちら、強襲揚陸艦プロメテウス、私はノールグラシエ国王アルフガルドだ。コメルスのターミナル、聞こえるか?」

 

 私たちが居るブリッジでは、アルフガルド叔父様が、最後の指示を出す為に、各国からの連合軍本部となっている大陸縦断鉄道のターミナルへ通信を送っています。

 

『こちら本部防衛隊長官、『青氷』団長のクラウス、問題なく聞こえています、どうぞ』

「これより、我らは決戦に入る。予定通り外の無人機械群は任せたぞ、陽動でいい、決して無理はするなよ』

『了解しました……陛下、それに御子姫様も、どうかご武運を』

 

 そんな短い会話が終わり、通信が切れる。

 

「では……ネフリム艦長、私は艦の防衛装置起動のため、シールドジェネレータへと向かいます」

『うむ、向こうですでに待機している、東の巫女どのらにもよろしくな。武運を祈る』

 

 さっと、特別製の巨大な艦長席に座るネフリム師と敬礼を交わし合う叔父様。

 

「んじゃ、俺も行くとしよう」

「では、私も」

「北の辺境伯、お前はまず嫁さんに言う事があるんじゃないか?」

 

 フェリクス皇帝陛下と共にブリッジから出て行こうとしたレオンハルト様でしたが、その皇帝陛下に押し止められ、ブリッジに残る。

 

「全く、あのお方は……ティティリア」

「あ、はい!」

「……行ってくる。お前はこの艦で待っていてくれ」

「……はい。いってらっしゃいませ、旦那様」

 

 そう、もう一度きつく抱擁を交わし、レオンハルト様もブリッジから出て行った。

 その背中が見えなくなっても、しばらく閉まったドアを眺めていたティティリアさんでしたが。

 

『彼女……辺境伯夫人をサブオペレーター席に。空きは残っているからな』

「えっと……私が?」

『お主の声は綺麗で、しかもよく通る。指令を読み上げるのを手伝って欲しい』

「……ありがとうございます、ネフリム艦長」

 

 そう礼を述べて、サブオペレーター席に腰掛けるティティリアさん。

 

 そうして皆が持ち場についたとき、動きがありました。

 

 コメルス港から次々と反時計回りにアクロシティへと進む、フランヴェルジェ帝国の飛空戦艦とノールグラシエ王国の魔導船。

 

 明らかに陽動の動きだが、しかし対処しないわけにはいかないアクロシティから、次々と無人機械の飛空戦艦が、艦艇が、蜂の巣をつついたように発艦していく。

 

 続いて、コメルスのターミナル上にある軍事基地から、無数の火砲が無人機械群へと襲い掛かり……逆に空中戦艦を始めとしたアクロシティ側からも、上空から地上へと砲撃が始まる。

 

 

 ――街の上で展開される砲撃戦。

 

 

 住人は全て避難済みとはいえ、それはあまりにも心痛む光景で、揚陸部隊詰所の映像では私達日本から来た『プレイヤー』は特に、沈痛な面持ちで外の光景を映し出すモニターを睨んでいました。

 

『艦内の総員に告げる。彼らの献身、決して無駄にはできぬ。我らはそろそろアクロシティの防空圏に触れる、総員着席、シートベルトを忘れるな』

 

 ネフリム艦長の指示に、艦各所の隔壁が降り、戦闘モードに変化していくプロメテウス。

 

『機関最大、魔導障壁最大展開、最大戦速にて突っ込むぞ。竜どの、そちらは?』

『問題ない、我々を信じ行くが良い、御子姫、そして人たちよ』

 

 ネフリム艦長の上空へ向けた質問に、真竜を統括している個体名『ヴォーダン』という一際大きな真竜が、そう通信で先を促す。

 

「……あなた方の献身にも、感謝を」

 

 彼らが『天の焔』を抜けるためにやろうとしていることを知っている身としては、ただ、それしか言えませんでした。

 

 

 

 ――そうして、アクロシティ絶対防空圏のラインを超えた時。

 

「……来た」

 

 誰かが、恐れと共に呟く。

 

 みるみる空が割れ、雲を割り、天空一面に広がる巨大な黄金の眼。

 

 それが、私たちの乗る『プロメテウス』を確実に捉えついてくる。死がこちらを見下ろす、心臓が掴まれるような恐怖。

 

 そして……その瞳の中心に、光が集まる。

 

 全てを塩に変え灰燼に帰す、破滅の光。

 

 だが――真竜たちが数百機、『天の焔』と『プロメテウス』の間を阻むように等間隔で整列する。

 

 彼らが位相変動盾『ディメンジョンスリップ』を展開した、その瞬間。

 

 

 

 ――まるでその瞬間、世界全てが閃光になったかのようだった。

 

 

 

 光以外、何も見えない世界。

 

 音すらも焼き尽くされたかのような静寂の世界。

 

 だが……だがしかし、その光は私たちの乗る『プロメテウス』には届かない。

 

 上空で、次々と爆散していく真竜たちを、代償として。

 

 

 

 そんな時間が、体感では何十分、実際の時間では一分程度続き――やがてそんな『天の焔』も、ついにその光を失った。

 

 

「……抜けた!」

 

 思わず叫んだ私の声に、ブリッジから歓声が上がる。

 

『……聞……テウス……ちら、真竜統括個体ヴォーダン。我ら真竜全機の損耗率98%、すまないが、我らはこれ以上君達の手伝いはできない』

 

 キャノピーから遥か彼方に見える、外装を全て融解させ、半身を消失し落下する真竜の彼……ヴォーダンのそんな言葉に、くっと歯を食いしばり嗚咽を耐えます、が。

 

『だが、機体は失ったがパーソナルデータは全機無事にテイアのメインサーバーへとベイルアウトした。繰り返す、全機、無事だ』

 

 そう、もはや半分しか残っていない顔で、確かに彼は微笑んだ。

 

『だから……安心して、胸を張って前へ進むが良い、御子姫よ、あなたは何も犠牲になどしていないのだから。フギン、ムニン、お前たちも無事ならば行け、最後まで御子姫様をお守りしろ』

『……了解です、最後の命令、確かに受諾しました』

『……ああ、任せておけ』

 

 彼のそんな言葉に、上空で温存されていた赤と青の見慣れた機竜が、プロメテウスの甲板に舞い降りた。

 

「よし、このままアクロシティまで突破する! ()()()から送られてきた強襲ポイントは!?」

「入力済みです、ターゲット、ロックしました!」

 

 ピロンと音を上げて、モニターに映るアクロシティの巨大な塔の一箇所に、赤いマーカーが点灯した。

 

『ハッハァ! この艦が強襲揚陸艦な理由、とくと見せてくれようぞ!!」

 

 そう言って艦長席に座るネフリム師は、座席の前に迫り出して来た防護シールド付きのボタンを――

 

『コード:プロミネンス、起動、承ッ、認ッッ!!』

 

 拳で、シールドを叩き割りながら押した。

 

 

 ――嫌な、予感しかしない。

 

 

 子供のようにその巨大な一つ目を輝かせている巨人の姿に、絶対ロクなことにはならないと全力で本能が警鐘を鳴らしているのを感じます。

 

「え、ちょ……待っ」

 

 静止の声は、すでに遅く。

 

 ガクン、と強い衝撃があった直後――船体が、前方に展開した渦巻く円錐状の光に包まれる。

 

 すると、徐々に強くなってシートに体を押し付けてくるGと、流れを早くする風景。

 

 速度が倍になり、三倍になり……最終的には音速すら突破して、みるみる迫ってくるアクロシティの外壁を皆でひたすら顔を青くして見つめる。

 

 

 ――それは……安全装置をかなぐり捨てた、ジェットコースターのように。

 

 

 周囲に纏う灼熱の閃光……というかビームシールドというか……が行く手を遮るものを海水だろうが大気だろうが敵機体であろうが全て蒸発させて、戦艦が宙をカッ飛んでいく。

 

 

「何を想定してこんな馬鹿みたいな機能積んだんですかこのロリコン馬鹿師匠ぉぉおおおぉおおおおッッ!!?」

『がっはっは、これぞロマンだからに決まっておろう、役に立ったのだから良かろうなのだああああああああああああッッ!!』

 

 私を始め乗客全員の悲鳴と、ネフリム師の爆笑が響く中――全長数百メートルに及ぶ巨大船『プロメテウス』は、渦巻く光を纏ったまま、埠頭を削り砕きながら、問答無用でアクロシティの外壁へと突き刺さったのでした――……

 

 

 

 

 

 




プロメテウスのサイズは全長500m弱、だいたいラー・カイラムくらい。それがビームシールド纏ってマッハで突っ込んでくるとか、やだ、こわい……。


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『協力者』

 

 ――轟音が止み、この世の終わりのような振動が収まる。

 

 どうにか衝撃に耐え切ったらしいこの『プロメテウス』のブリッジ内で、私は咄嗟にオペレーター席に飛びつくと、艦内の全回線を開いて呼びかけます。

 

 

「各部署、被害や負傷者はありませんか!?」

 

 慌ててオペレーター席から問いかけますが……

 

『こちら左舷待機室、全員問題ない、行けるぜ!』

『こちら右舷側、問題ありません、いつでも』

『シールドジェネレーター、問題なく稼働しておる』

 

 次々と流れてくる各所からの報告にホッと一息ついて、すぐに自分の装備、そして鞄内の『書』を確認してブリッジ出口へ向かいます。

 

 そして、ブリッジから出る前に一つだけ、ネフリム師に恨みがましい目を向け、声を掛けるのでした。

 

「ネフリム師、帰ってきたらこの件、断固抗議しますからね!」

『うむ、覚悟しておこう』

 

 ――だから無事に帰ってくるのじゃぞ。

 

 そんな言外の見送りの言葉を感じながら、ブリッジを飛び出した私は右舷側に向かう廊下を足早に進む。

 

 そうして、右舷ハンガーに到着した私を出迎えたのは。

 

「レイジさん!」

「おっと、来たか。しかしまあ、酷い目にあったな」

「ええ、全くです。ブリッジは一番安全な場所だから問題ありませんでしたが、皆の方は大丈夫ですか?」

「ああ、こっちも問題ない、もう皆突入を開始している」

「そうですか……では、私たちも。ここからは、時間との勝負です」

 

 私たちは、向こうに天の焔の第二射を撃たれる前に十王との決着をつけなければなりません。

 そうしなければ……すでにアクロシティ内部に飛び込んでいるため私たちは狙えないでしょうが、外で陽動している連合軍が撃たれるか、もしくは人質とされるか。

 

 ――無いとは思いますが、最悪、自爆の可能性もあります。

 

 そうして速やかに準備をして右舷側ハッチから出たそこは……すでに、無数に集まっている、戦闘用オートマトンとの戦闘が始まっていました。

 

 

 

 双胴船の左舷側に詰めていたフェリクス皇帝陛下の指揮する、対機械に優れている機械式銃剣『カレトヴルッフ』シリーズを主武装とした精鋭も擁する主力部隊は、このオートマトンを蹴散らしアクロシティ内を制圧するために、すでに先陣を切って飛び出している。

 

 拠点となる『プロメテウス』にはアルフガルド陛下が守衛に周り、魔導騎士『赤炎』の精鋭部隊が守護している上に、東の巫女たちが全力で艦のシールドを展開してくれている。そうそう落とされる事はないはずだ。

 

 

「では、御子姫様。私たちも行きましょう。脇目もふらずに進みます、それが皆を救うことになりましょう」

「ええ、分かっています。私たちは……一刻も早く、この戦闘を終わらせます!」

 

 そして、私たち右舷側に詰めていたのは……レオンハルト様を筆頭に、傭兵たちや闘技島の『プレイヤー』たちで構成された、一点突破で十王の居所を探索、将を討つことを目的とした突撃隊、兼、私の直衛部隊。

 

 そんな、プロメテウスから出た私たちを待っていたのは、何重にも取り囲んだアクロシティの戦闘用オートマトンの大集団。

 

「っし、先陣は任せろ!」

「おっと、一人いい格好はさせないぞレイジ! フギン、来い!」

『承知!』

 

 真っ先にレイジさんが、そして並ぶようにドラゴンアーマー化したフギンさんを伴ったソール兄様が、凄まじい勢いでオートマトンの隊列へと突き刺さる。

 

 

「はっ、負けてはいられないであるな!」

「ええ、星露、私たちも行きましょう」

「はい、フォルス様! 商会の皆さんも、今こそ特訓の成果を見せる時ですよ!!」

「「「おぉおおおおおおおッ!!」

 

 

 レイジさんを追って飛び出していく斉天さんと、触発されたように士気も高く飛び出していく『海風商会』のプレイヤー達。

 ひとたまりもなく瞬く間に殲滅されていくオートマトン部隊の間を、他の皆がさらに雪崩のように突き崩していく。

 

 

「西の彼らは『放浪者』たちでしたね……以前見た時とは違い、今の彼らはなかなか精鋭揃いではないですか」

「ええ、元は私たちのいたコミュニティで、本当に一握りの実力者たちだったんです。まともに力を発揮できるならば心強いですよ」

 

 感心した様子のレオンハルト様に、私も頷き、彼らを讃えます。

 

 闘技島で燻っていた時はその実力を発揮できていなかった彼らですが、皆が皆、トップごく一部のプレイヤーだけあってその実力は本物です。

 

「……どうよ、腐ってなくて装備さえちゃんとあれば、俺たちだって戦える!」

「帰還する奴ぁ、帰還前の最後の大仕事だ、お前ら胸張って帰るんだろ、絶対にトチるんじゃないぞ!」

 

 そうして彼らはレイジさんやソール兄様の穿ったオートマトンの群れの孔をさらに穿ち、こじ開け、切り拓いていく。

 

 そのまま私を中心とした楔形の隊列を維持したまま、オートマトンの中を駆け抜けて……やがて、突入したプロメテウスを取り囲んでいたオートマトンたちの包囲網を抜け、通路へと入りました。

 

「……っし、ここは任せて行ってくれ、大将、星露ちゃん、それに姫さま!」

「俺たちはこの通路を守ります、連中にあんたらの背中は絶対に襲わせません!」

 

 そう言って、通路になだれ込もうとするオートマトンを防ぎ始める『海風商会』のメンバーたち。

 

「ありがとうございます、絶対に死なないでくださいね!」

「ああ、もちろん!」

「姫さまも、がんばれよー!」

 

 そんな彼らに礼を述べながら、通路を駆け抜けて進む。

 

 このまま、一気に……そう歩を早めてしばらく通路を進んだ時でした。

 

「伏せろ嬢ちゃん!」

「え、きゃ!?」

 

 曲がり角を曲がろうとした瞬間ヴァルター団長に腕を掴まれて引き戻された直後、凄まじい轟音を上げて飛来してきた何かが、咄嗟に構えられたソール兄様の盾に直撃しました。

 

「ぐっ……早いし、重いぞこの弾!」

「なるほどレールガンか……!」

 

 先頭で弾丸を切り払ったレイジさんと、フギンさんの補助を受けで盾で受け止めた兄様が、不意の攻撃に毒づく。

 

 行手を阻んでいたのは……

 

「あの形状、まさかドゥミヌス=アウストラリス!?」

「いや、だいぶ小さい、いかにも量産型って感じだな!」

 

 八歩足の、蜘蛛の体と蠍の尻尾を持つ機体……人間程度までダウンサイジングされていましたか、それはまさしく以前闘技島で戦った『ドゥミヌス=アウストラリス』そっくりの姿をしていました。

 

「幸い、荷電粒子砲じゃないみたいだが……」

「連射のきくレールガンとか卑怯くさいな……!?」

 

 おそらくダウンサイジング時に粒子加速器を積むスペースが無かった為でしょう、武装には若干の変化がありましたが、脅威度は相変わらず。

 むしろ、多数の機体で時間差をつけて撃ってきているため、接近するチャンスが掴めない。

 

 こんなところで時間を食っているわけにはいかないのに……そう爪を噛んだ、そんな瞬間でした。

 

「御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン! 頭を引っ込めていたまえ、これより君を援護する!」

「えっ……!?」

 

 通路の向こうからそんな声が響いたかと思えば、量産型ドゥミヌス(仮称)の向こうを塞いでいたはずのゲートが開き……直後、背後からの一斉射により、ひとたまりもなく撃破されていく。

 

 そして……そんな斉射が途切れた瞬間、通路に飛び込んできたのは、黒い人影。

 

「鉄クズ如きが、僕の行手を阻むな……!!」

 

 禍々しい闇を纏う大剣を振るい、瞬く間に残る量産型ドゥミヌスを葬り去っていく、その人影。

 

「お前は……!」

「蛇め、このような場所で……!」

「待って、敵ではありません!」

 

 思わずと言った様子で斧や剣に手を伸ばしたヴァルター団長とレオンハルト様を制し、静かになった廊下へ進みます。

 

「……お久しぶりです、お父様?」

「……ふん」

 

 そっけない返事だけ返してそっぽを向いてしまう、その量産型ドゥミヌスを一掃した人物は……私の、三人目のお父様――リュケイオン様でした。

 

 

 

 

 ――そうして合流したもう一人の人物……先ほど号令を出していたフレデリック様が、道案内を申し出てくれました。

 

 

「それにしても、フレデリック首相、まさかあなたが援軍として来てくれるとは。ネフリム師の言っていた『協力者』というのは、あなただったんですね」

「ええ……あの後私は、十王から離反したのち街から逃げたと見せかけて、アクロシティの地下スラム街に潜伏して色々な情報を連合軍に流していたんですわ。私と志を共にしてくれたアクロシティの防衛隊員と共に」

 

 そうチラッと彼が後ろを見る。釣られて私もそちらを見ると、新たに加わったアクロシティの制式銃を背負う人たちが、その銃を掲げて私へとアピールしていました。

 

 なんでもこのアクロシティ地下区画には、十王も全ては把握していないほどに、移住希望者が勝手に増改築して暮らしているスラム街があるとのことでした。そしてそこが、絶好の隠れ蓑になったのだと。

 

 そう、これまでのことを語るフレデリックさんですが……彼は逃亡生活のせいか、無精髭は伸び頬は痩け、以前の恰幅のいい紳士ではなく、すっかりワイルドな風貌のおじさまになっていました。

 

「……随分と、その、雰囲気が変わりましたね?」

「はは、痩せたでしょう? なかなかイケてるオジさんになったと思うんですが、いかがでしょうか?」

「あ、あはは……口調は、首相だった頃に戻したんですね?」

「ええ、なんだかんだでこれが一番しっくりきましたのでね」

 

 はっはっは、と笑うフレデリックさん。

 ですがすぐに真面目な顔になると、ポツポツと嬉しそうに語ります。

 

「……地位も財産も捨てて離反しましたが、代わりに誇りと信頼できる仲間は残りました。ほんまに、スッキリしましたね」

「そうでしたか……お元気で、良かったです。以前アクロシティでは色々とありがとうございました」

「いや、いやいや、もったいないお言葉です」

 

 照れて頭を掻くフレデリックさんに、私はふふっと軽く笑うのでした。

 

 さて、フレデリックさんのことはわかりましたが、もっと意外だったのがこの人です。

 

 

「それで……リュケイオンさんはなぜ、フレデリックさんと一緒に居たのですか?」

「いえ……まあ、戦力としては役立つかなと、追われていたところを匿っていた次第ですわ」

「それは……大変だったのでは?」

「そりゃあもう。怪我が癒えた後はもう、隙あらば単身十王に殴り込み掛けようとするものだから、気が気ではありませんでした」

「それはそれは……父が、申し訳ありませんでした」

「おい」

 

 私の言葉に抗議するリュケイオンさん。なんだかんだでちゃんと耳を傾けていたらしい事に苦笑します。

 

「それと……クルナック様にも、礼をしなければならないですね?」

『んぉ?』

 

 今の今まで、リュケイオンさんの肩で眠っていた、手乗りサイズの漆黒のトカゲ……おそらく私たちを助けるために力を使い過ぎたのでしょうクルナック様が、怪訝そうな声を上げて私の方を見上げてきます。

 

「アマリリス様に教えていただきました。天の焔に灼かれる寸前に、あなたが『奈落』に逃してくれたと」

『アー、ならそンな礼ナンテ要らねぇナア。アレはこいつン頼みだったしナ』

「おいバカ蜥蜴」

「お父様の?」

『ンだ』

 

 抗議するリュケイオンさんをさっくり無視してそう言うと、あとは興味なさげにまた眠ってしまうクルナック様。

 

 それを見届けて……私は、すぐ横を歩くリュケイオンさんを見上げます。

 しばらく気まずそうに私の視線から逃げていた彼でしたが……やがて諦めたように溜息を吐くと、こちらに向き直ります。

 

「……なんだ」

「いえ、何も。必ず、お母様を助けましょうね、お父様?」

「……ああ、当然だ。今度こそ全てを返してもらう」

 

 そう、目に強い光を宿らせ呟く彼に、私は思わず笑いかけるのでした。

 



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楽園

 

 ――フレデリック元首相の案内によってたどりついた先、私たちの眼前に聳え立つのは、見上げていると首が痛くなりそうなほど巨大な機械式の扉でした。

 

 

 

「ここから先が、アクロシティ居住区、通称『楽園』だ」

「……胡散臭い名前だなオイ」

「はは、確かに、確かに」

 

 思わずつぶやいたレイジさんの言葉に、しかしフレデリックさんは気にした風もなく、懐から取り出したカードキーを、扉横のカードリーダーにスライドさせる。

 

 

 

 ――通常のルートは、全て大量増産された戦闘用オートマトンが大量に配備されている。それよりも、居住区からシティ外周のメンテナンス区画に入って登った方が早く着く。

 

 そう語るフレデリックさんの案内で、私たち一行は、一路、アクロシティ中心にある居住区へとやって来ていたのでした。

 

 

 そうして、フレデリックさんの用意したカードキーで入場した『楽園』の中。

 建物の中に住宅街があるという不思議な光景の街を抜けた先の、アクロシティ中心に広がっていたのは……

 

「……公園、ですか」

 

 最下層ですら直径数キロはあるであろう、すり鉢状の吹き抜け。その外周には各層のラウンジが見える広大な公園となっていました。

 

 

「この空、本物の空じゃないよな?」

「……投影されているのは、映像の空、か?」

 

 初めは本物かと思うほど美麗な青空は、しかしやはり違和感を感じました。

 そんな確信と共に、レイジさんとソール兄様から投げかけられた質問に、フレデリックさんはその通りと頷く。

 

「はいそうです、居住区はアクロシティ中層までで、この上に蓋をするように存在するアクロシティ上層は司令部や軍事施設、工業施設、それに研究施設などになっていますからね。極秘のエリアも非常に多く、居住区に住む者たちでさえ、何があるのかを知っている者はごく少数でしょう」

 

 そう語りながら、中層の外周をぐるっと迂回して進む私たち。

 急がなくていいのかと彼に尋ねてみたのですが、むしろ急ぐ方が目立つと言われ、彼に倣って歩きます。

 

「……随分と、街は落ち着いていますね」

 

 外は蜂の巣をつついたような騒ぎだと言うのに、時折見かけるこの辺りの住人である翼ある人々……天族たちは、至って平穏そのもの。

 それはここに暮す彼らの民度がずば抜けて高いせい……などではなく、まるで外の騒ぎ自体を知らないかのようでした。

 

 なんせ、私を超える身の丈のスノーがいても、道ゆく人はただ「まぁ、大きなワンちゃんねぇ」と感嘆のセリフを漏らしたおばちゃんが居ただけで、他は何事もない様子で立ち去っていくのですから。

 

 そんな街中を、天族以外にも当たり前のように走り回っているのは……外で散々相手をした自動機械、オートマトン。

 しかしここに居るオートマトンに武装はなく、代わりにそのマシンアームに携えているのは様々な工具だったり、何か運送中の荷物であったり。どうやらあちこちで人に為り代わって日々の仕事に勤しんでいるらしいオートマトンの様子に、皆が警戒を解きます。

 

「まあ、彼らは今起きていることについて何も知らないでしょうね。前のリュケイオンさんの襲撃も、街の中には伝わっていませんから」

「そうなんですか?」

「ええ、そうです。ですがこれは言論統制されたのではなくて、彼らの何代も前の先祖たちの選択として、外界から耳を塞いだのです」

 

 ――静かに、穏やかに暮らしたい。

 

 リィリスさんの犠牲により一時的な平穏が戻った際、長い間『奈落』との戦いが続いた彼らが望んだのは、もはやそれだけになっていたのだそうです。

 

「そうしてもう何代も、生まれた時からこのような環境で育った彼らです。やがては外の世界へ興味を失いました。なぜならば生産も消費も何もかも、このアクロシティでは全て完結できているのですから」

 

 高度にオートメーションされたこの街では働く必要さえも無く、だからといって食うに困る事もない、欲望の必要ない世界。

 

「完全環境型都市、アーコロジーですか……本当に実現した先にあるのが、この街の姿なのですね」

 

 人類の夢の形が実現した先にあるのが、この穏やかに停滞した街。確かに、私たちから見ると、それは異様な光景かもしれません。否定するだけならば簡単でしょう。

 

「ですが、為政者として人々の幸福と安寧を願った場合、これは理想の形ということにはならないでしょうか?」

「まあ、それを否定してしまったら世の中は闇でしょうね。為政者としてそのような理想を、やがていつかはと見据えておくのは大事だと思いますよ……ですが、現実的ではありませんでした」

 

 そう、私の問いに苦笑しながらも答えてくれるフレデリックさん。

 

「彼らが安寧を享受する一方で、外に出て実際に危険な仕事や権謀に従事する人材もどうしても必要だったわけです。だけどこの『楽園』の住人に、当然ながらそんな業務に従事できるような適性はありません」

 

 たしかに、全ての抵抗を放棄した人々など、いつかは何かに蹂躙されるだけでしょう。

 

「……そこで、幼い頃からアクロシティのために働く事を義務付けられ、各種訓練を受けてきた者たちもいました」

「あ……ごめんなさい」

 

 そう、少し陰りを見せた表情で語るフレデリックさん。それは、まるで過ぎ去った過去に想いを馳せるように。その顔を見て、私は先ほどの失言を悟ります。

 

「はは、大丈夫ですよ。それで……『彼ら』は、そんな自分たちの生き方に疑問など持ってはいませんでした。この街の人々のために身を粉にして働いても、『楽園』に入ることさえ許されませんでしたが、ほとんどは差別されているという疑問すら抱いていなかったでしょう。今は私に賛同しこうして協力してくれている彼らも、少し以前まではそうだったように」

 

 そう語るフレデリックさんの言葉に、周囲に付き従うフレデリックさんの部下たちも頷きました。

 

「生まれてから徹底して『アクロシティのために働くのはとても幸福な事です』と刷り込まれて育てられたのです。お前たちは『楽園』に住まう資格は初めから与えられていない、ただ奉仕するために存在する影の住人であると」

「それが……」

「ええ……それが私ども、『ウルサイス』の子供たちです」

 

 もはやどうでもいいことのように、あっけらかんと肯定するフレデリックさん。

 

「私はその中でも特に中央評議会に忠誠の厚い『ウルサイス』でしたからね。ダミー国家である西の首相なんて言うポジションに座らせられたわけですわ……そうして為政者となって、初めて『こうありたい』という願いが歯車から生まれ、今こうして勝手に転がりだしたのだから因果なものです」

 

 ですが、それを後悔することはこの先決してないでしょうと締めくくり……そんな話がちょうど終わったとき、私たちの眼前には、分厚く頑丈そうな金属製のハッチがありました。

 

「さて、この先がメンテナンス区画になります。複雑な道になりますので、皆さん逸れずに……」

「待て」

 

 やはりカードキーでロックを解除した瞬間、フレデリックさんの前に出たのは……リュケイオンさん。

 

「ここからは、僕が案内する」

 

 そう言ってフレデリックさんを押しのけハッチを潜ったたリュケイオンさんが、ズンズンと先を進んでいく。

 

 そんな背中を、「困ったものです」と肩をすくめて追いかけるフレデリックさんを先頭に、私たちもぞろぞろとついて行きます。

 

 

 

 ――そうして歩いているうちに、気付けば私たちは、電気すら通っていない、すっかり埃がたまって薄ぼけた区画へと来ていました。

 

「これは……過去の戦闘で損壊し、気密的には問題ないと放棄された区画ですか。このような場所に入れるとは」

 

 驚きに目を見開いているフレデリックさん。どうやらその反応を見ると、彼ですらこの道は知らないようでした。

 

「こっちだ。外壁の裂け目から外に出て、上までの工程をばっさりとショートカット可能な近道がある」

 

 そう言って迷いない足どりで進むリュケイオンさん。その様子は、何度も何度もこの道を通ったことがあるような迷いの無さでした。

 

 そして……私もうっすらとですが、この道を見た記憶がありました。

 

「あんた、なんでそんな事を知って……」

「なんてことはないさ。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がそばにずっといたからな」

 

 レイジさんの質問に対してそう語るリュケイオンさんの目が、この時はやたらと優しかったのです。それだけで、彼が誰を指して話をしているのかは明白でした。

 

「あの、お父様……良かったら、リィリスお母様のことをもっと教えてくださいませんか?」

「は? 断る。なぜそんな面倒なことを僕がしなければならない」

 

 そう、こちらを不自然なまでに一瞥もくれず吐き捨てた彼ですが……しばらくじぃっと見つめていると「う……」とか「ぐ……」とかうめいた後に、根負けしたように呟く。

 

「そう言うのは、目覚めたアイツにでも直接言ってくれ」

「……はい、そうですね」

 

 どうにかそれだけを絞り出したリュケイオンさん。そんな様子に、思わず苦笑する私。

 

 確かに、彼の言う通りです。

 そして、必ずそんな未来を手にするため、私たちはただ前へと進むのです。

 

 そうして、狭い道でヴァルター団長等がつっかえそうになるトラブルなどはあったものの……リュケイオンさんの言う通り、外壁の裂け目から外に出ると、そこに広がっていたのは。

 

「うわ、すっげ……あの赤い大地は、フランヴェルジェか」

「じゃあ、向こうの海に浮かぶ島々が諸島連合ね」

「ここからだと闘技島も見えそうであるな」

「一応、西の大陸も少し見えてます……かね?」

 

 呆然と呟いたのは、それぞれスカーさんと桔梗さん、そして斉天さんとフォルスさんの四人。

 ですがこの時、間違いなくほかの『プレイヤー』の皆も、同じ気持であったと断言できます。

 

 そんな、私たちの眼前に広がっていた大パノラマ。

 裂け目がアクロシティ南側に開いていたために、外に出た私たちの眼前には……奇しくも、私がいまだ踏み入れたことのない世界が広がっていたのです。

 

「思えば、私らって北の大陸のごく一部と闘技島を回っただけなんだよね……」

「そういえば、そうですにゃ」

「そもそも、俺らがこっちに居たのってたった三か月だぜ?」

 

 今更ながら自分たちの行動範囲の狭さを再確認する兄様の言葉に、そういえばとうなずくミリィさんとハヤト君。

 

 いくらこの『ケージ』が隔離された小さな世界といっても、それは決して、たった数か月で全てを識ることができるようなちっぽけなものではない……そんな事実をこの世界そのものに眼前に突き付けられて、お説教をされているようでした。

 

「ねぇレイジさん。これが終わって落ち着いたら、私はこの世界をもっと色々と見て回りたいです」

「ああ、もちろんだ。どこにだって連れて行ってやる……だから、色々なものを一緒に見て回ろう」

「はい……約束です」

 

 そんなことを言い合って、お互い少し照れながら見つめ合ったあと……私の手を包み込むように握る彼の手を、私は決して離れることがないようにと、ぎゅっと握り返すのでした――……

 



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全てが始まった場所

 

 

 外壁から、別の壁の亀裂を潜ってまた内部へ。

 

 私たちが今居るのは、本来ならば途中、中層でブロック分けされているため直通で登ることはできないようになっている、このアクロシティの地下から頂点までを貫き支える四本の『心柱』のうち一本の内部。

 

 それでも直径数百メートルの広大な空間内部を、外壁に沿って設置された螺旋階段を登っている最中……防衛システムらしき機動兵器に強襲されていました。

 

 

 ちなみに、このような地形ですので足の遅い私はスノーの背に乗せて貰っていました。

 全力で駆けるレイジさんにすら匹敵するであろう速度で流れていく風景。風のように駆け抜ける、すっかり逞しく成長したスノーに私もただただ感動しているのですが、生憎と今はそれどころではありません。

 

 というのも……眼下、シャフトの空洞の奥から凄まじいスピードでシャフト内部の壁を()()()()()()()()()()()三機、まるで一つ目の球体から六本の脚が生えたような形状の巨大なロボットが居たからです。

 

 何故あんな場所を落ちずに走れるか……それはおそらくあの脚の先に重力制御装置を備えており、壁に張り付いているのだと、フレデリックさんが解説してくれました。

 

 そんなロボットの主武装、巨大な一つ眼から放たれるのは、眩い雷光。

 着弾地点で弾けて激しい光を撒き散らしているのを見るに、直撃したらヤバそうなやつでした。

 

「うふふ、場所が場所だけにぃ、建物の漏電対策はバッチリってことかしらぁ。当たったらさぞ痺れるんでしょうねぇ」

「ンなこと言ってる場合かよ、逃げろ逃げろ!」

 

 何やら被虐的な妄想をしているらしき桔梗さんの尻を蹴飛ばしながら、先を急かすのはスカーさん。

 彼はハヤト君と共に、あの丸いロボットが雷撃を放ちそうなタイミングに合わせて苦無や剥き出しの弾丸をばら撒き弾道を誘導してくれていましたが、限度があります。

 そうして防ぎきれなかった分はどうしても、フギンさんの張るシールドや、キルシェさんの呼び出した唱霊獣、あるいはフォルスさんが使役する悪魔に防がせて受け流すしかありません。

 

 幸いなのは、この空間がそういう場所なのか、高圧電流はすぐに拡散して射程はさほど長くはない事ですが、しかし。

 

「くそ、追いつかれる!」

「どうする、やはりまず後ろのアレから倒すべきじゃないか!?」

 

 先頭をひた走り、上からわらわらと降りてくるオートマトンの群れを薙ぎ払いながら、レイジさんとソール兄様が背後を気にしながら言い合いをしている。

 

 

「だが、時間が気になる、次の『天の焔』の充填がいつかわからない以上は、進むしかない!」

「なら、嬢ちゃんたちだけ先行させるか!?」

「……やむを得ん、か」

 

 フレデリックさんとヴァルター団長の言い合いに、レオンハルト様も二人の顔を交互に見て、首肯した。

 

 

 ――と、そんな時でした。

 

 

「――ならば、一体は我々が受け持とう」

 

 そんな少しだけ嗄れた男性の声と共に、螺旋階段の横、空洞部分を何かが凄まじい速度で落下していった。

 

 それは、下から迫っていた球体ロボットのうち一体に『ガァン!』とけたたましい音を立てて衝突したかと思うと、次の瞬間にはロボットの六本の脚のうち一本が切断されて、落下していく。

 

 

 その、シャフト上から降りてきた黒い外套を纏った人物は……

 

「父上!?」

「うむ、こんな場所で会うとは奇遇じゃな、レオンハルトよ」

 

 飄々と宣いながら、さらに閃かせた軍刀でもう一本の脚を斬り飛ばしているのは、『黒影』の外套を纏うアシュレイ様。さすがに三分の一の脚を喪っては自重を支えられなくなったらしく、落下していくロボットからひらりとこちらへ飛び移り戻ってきました。

 

 その落下したロボットはというと、空中でひらりと反転するとまた別の面から脚を出し登ってきています。なかなか便利な構造だとは思いましたが、それでも距離は稼げました。

 

「爺さん、強ぇ……本当に身体悪くして引退すんのかよ……」

「うむ、惜しいのである、ぜひ胸を貸して欲しいところであったのだが……」

 

 何やら呆れたり感嘆したりしているハヤトくんと斉天さんでしたが、私も同じ気持ちです。

 

 それはさておき。

 

 アシュレイ様に続くように、上方から黒い影のワイヤーを使って飛び回るように現れ、ほかの二体のロボットに攻撃を開始したのは……別働隊として先に潜入していた『黒影』所属の魔導騎士の皆でした。

 

 

「……少なくとも一機を『黒影』が受け持ってくれるならば、丁度良いですかね」

「……レオンハルト様?」

 

 何かを決心したような、レオンハルト様の呟き。

 訝しく思い、スノーに並走してもらいその背中からレオンハルト様顔を覗き込むと、彼は私に一つ頷き、告げました。

 

「ここは私たちが受け持ちます。イリス様は、『放浪者』の皆様と共に先にお進みください」

 

 そう告げ、次はすぐ後ろを走るヴァルター団長へ話しかけるレオンハルト様。

 

「ヴァルター団長、『セルクイユ』であちらの一機はお願いします。残るこちらは、我々辺境伯領の兵たちで受け持ちましょう」

「おいおい、こっちは問題ないが、あんたの方は大丈夫かよ。金髪の嬢ちゃんが待ってるんだろ、無茶すんなよ」

 

 淡々と指示を出すレオンハルト様に、ヴァルター団長が心配そうに言います、が。

 

「ふっ、愚問ですね……待ってくれている人がいると言うだけで、かくも人は強くなれるのだと――私は今身をもって実感していますよ……ッ!!」

 

 そう言って、レオンハルト様は振り向きざまの大剣の一閃で――丁度、いつのまにかすぐ下まで接近し、螺旋階段によじ登ってきたロボットの腕の一本を、斬り飛ばしてしまいました。

 

 その一撃のせいで壁面を掴み損ね落下していくロボットに悲哀を感じたのは、きっと私だけではないでしょう。

 

「あーはいはい、御馳走。分かったよ、ほら嬢ちゃんたちは行った行った」

 

 そう呆れた様子で私たちを送り出すヴァルター団長に苦笑しながら、私たちはもう一段、先頭を行くレイジさんたちに追いつくために速度を早めます。

 

「では我が姫、ご武運を。レイジ君、しっかり姫をエスコートしてくださいね」

「イリスちゃん、また終わったら、一緒にお風呂行こうねー!」

「その時は、私もご一緒します。久々にイリス様の御髪の手入れをさせていただくのが楽しみです」

「お前ら、緊張感ねぇなぁ……」

 

 そう言って、ゼルティスさん、フィリアスさん、それにレニィさんとヴァイスさんが列から離脱していく。

 その他、同行していたローランドの兵士達や、傭兵団の団員たちも各々が、武器を構えその場に留まりました。

 

 瞬く間に小さくなっていく、ここまで同行してくれた彼らの姿。

 

 残るは、私たちテラから来た『放浪者』の友人たちと、案内役であるフレデリックさんの指揮下にあるアクロシティの義勇団、そしてリュケイオンさんだけ。

 

 すっかり人数も減りましたが……このシャフトの外へ通じているハッチは、見上げればもう目視できる場所まで、すでに来ています。

 

 目的地――十王が待つ場所までは、もうすぐ側まで迫っていました。

 

「――皆さん、ありがとうございます! また後で、全てが終わったらまた会いましょう!」

 

 そんな足止めに残る彼らに礼を述べ、となった私たちは、更にシャフトを登るスピードを早めたのでした。

 

 

 

 

 ◇

 

 そうしてシャフトを脱出したら、そこはもう、最上層にある機密研究区画。

 

 その一角にある、金属と機械の一部らしきもので覆われた通路。

 

 いくつもの厳重な、しかし今は解放されている隔壁を潜った先。

 

 そこは――機械の配線や何らかの機器に埋め尽くされ、中心に人一人を内部に収容できそうな巨大な装置が鎮座する、そんな部屋でした。

 

 

「ここは……」

「……長かった。とうとう戻ってきたんだな」

 

 チラッと隣を歩くリュケイオンさんを見上げると……彼は、万感の想いが篭ったせいでかえってどんな表情をすればいいのか分からないといった風な、まるで迷子の子供のような表情で部屋を見つめていました。

 

 

 

 ――いつか、迎えに来る。

 

 ――うん、待ってる。

 

 

 

 はるか昔に、ここでそんな約束が交わされたのであろう、以前に夢で見た場所。

 

 

「ここが……リィリスさんが、お母さんが囚われていた場所」

「……ああ。あれがお前たちが言う『奈落』内部に干渉するため、リィリスが囚われた装置だ。そして――ここはお前が、本来の自分の身体を奪われた場所でもある」

 

 そう、中心に鎮座する機械を見上げながら訥々と語る彼の言葉に、私もハッとなる。

 

 そう……この場所が、私にとっての本当に全てが始まった場所。

 

 

「ははっ……正直に言うと、まさかまたこの場所に戻って来られるなんて、僕自身が信じてなんていなかったんだ」

 

 死の蛇などと恐れられていても、ここまで来られる可能性は限りなく低かったのだと言う。内心の奥底では半ば諦め、自棄になっていたのだと自嘲する彼を、肩に居る蜥蜴(クロウクルアフ)が黙って見つめていた。

 

 

 ……だけどそれでも、彼はここまで来た。

 

 

 迷って、間違えて、苦しんで……それでも最後は約束を守り、ただ一人一途に愛した女の子を迎えに来た。

 

 そんなリュケイオンさん――いいえ、()()()の手を握り、一歩部屋に踏み出す。

 

 

「……取り返しましょう。今度こそ、全てを」

「ああ――行こう、十王が居るとするならばこの部屋の先、これまでアクロシティの誰も立ち入ることのできなかった場所……最高執政官室だ」

 

 



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対峙

 

「ここが、十王の間……」

「ああ、正直、僕も入るのは初めてだ」

 

 呆けたように周囲を見回している私たち。

 

 ――誰も入った事がないという、十王の間。そこは薄暗い照明下では反対側の壁が視認できないほどにとても広い、ドーム型の部屋でした。

 

「そして……」

「は、ようやくここまで届いたぞ、十王……!」

 

 そう、リュケイオンさんが睨んだ先に、悠然と待ち構えていた『彼女』は居ました。

 

 

 

 

 

「ここまでです、十王様。もう終わりにしましょう」

『『『……フレデリックですか。愚民どもの中では使える男だと思っていましたが、とんだ見込み違いだったみたいですね』』』

 

 そう吐き捨てたリィリスさんの姿をした十王が、ゆっくりと目を開く。

 そんな彼女は、フレデリックさんを一瞥しすぐに興味を失ったように目線を外すと、次に私の方を見てきます。

 

『『『私たちに協力しなさい、御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン』

「……なんですって?」

 

 唐突な第一声に、私は眉を顰めますが……しかし『彼女』……リィリスさんの姿をした十王が、気にした様子もなく話を続ける。

 

『『『私たちに協力し、この世界を守護する手伝いをなさい。そうすれば、外で暴れている反逆者たちのことも水に流し、この場は見逃してあげます。貴女も、戦争は本意ではないでしょう?』』』

 

 そう、何やら上から目線で提案してくる十王に……私は、深々と溜息を吐いてから、口を開きます。

 

「お断りします」

『『『何故ですか、貴女も、いや貴女だからこそ、皆が傷付いているこのような諍いなど本意ではないでしょう?』』』

 

 まるで諭すように語りかけてくる十王。

 ですが、その言葉はまるで心に響いてこない。なぜならば……

 

「それは……あなたが守りたいと思っているのが、この世界ではないからです」

『『『……なんだと?』』』

 

 ひくり、と私の言葉に不愉快そうに眉を顰める十王。

 ですが、私と、彼らの目的は、決定的に相容れません。

 

「あなた達の守りたいものは、ただ恐れ敬われる、そんな自分たちの椅子だから。あなた達はこの世界のことなんて、なんとも思っていない」

 

 自己顕示欲と承認欲求の肥大した怪物。

 手段も目的さえもすでに見失い、『この世界の主』という立場に拘泥した彼らは、表面上は世界のためと言っていても、その目的は根底から違う。

 

「だから、私は……」

 

 そこで、不意に私の口が止まる。

 

 この相容れない感覚は、そうした理屈とは関係がないように思える。そんな胸のうちの引っ掛かりが、賢しげな言葉を並べる私の口を止める。

 

「いいえ……そうじゃない、私は」

 

 もっと、至極単純な理由。つまり……

 

 

「そう――私は、あなたが嫌いです」

『『『…………は?』』』

 

 本当の本当に溢れ出た私の本心から来る言葉に、十王がまるで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。

 

 そんな姿に、本当に意外なのですが、私は胸がすく思いを感じながら、話を続ける。

 

「生まれてくる前の私から全てを奪い、両親を不幸にして、今もお母さんの体で好き勝手なことを喋っている……そんなあなた方のことは、心の底から軽蔑していますし、女の子の体を乗っ取って悦に入ってるのすごく気持ち悪いですし、単純明快にあなた達のことが大嫌いです。というか、お母さんの顔でその薄ら笑いは本っ当に気持ち悪いので、やめてくれませんか?」

『『『な……』』』

 

 堰を切ったように、すらすらと言葉が出てくる私の口。溜め込んだものを吐き出すたびに、だんだん心が軽くなってきている気がしますが、決して憂さ晴らしではありません。

 

「あー、イリス?」

「もうちょっと、何というか、手心を……な?」

 

 なんだかレイジさんやソール兄様をはじめ、仲間たちも唖然としているような気がしますが、知ったことではありません。それくらい、この場で吐き出したい鬱屈した想いは積もりに積もっていたのです。

 

『『『な、なんだそれは、嫌いだからとかそんな子供のような理由で……』』』

 

 狼狽した様子の十王。しかし、そんな姿がまた私を苛立たせるのです。

 

「ここまで悪し様に罵られるとは思いませんでしたか? 私は従順で優しいお嬢様だとでも思っていましたか? ああそれともずっと他の人には媚びへつらわせてきたから真正面から文句を言われるのは慣れていませんか? そんなだから()()()()()()()()()()()()()()()し、()()()()()()()()()()()()し、()()()()()()()()んですよ」

『『『む、が、ぐ……っ!?』』』

 

 私の言葉を受けて、まるで槍が突き立ったかのように身体を震わせて、うめく十王。

 

 いい気味だ。

 ざまぁみろ。

 

 そんな、ものすごく意地の悪い思いが胸のうちに湧き上がり、すっと気分が晴れるのでした。

 

「くっ、はは、ハハハ! こいつは傑作だ、いや、うちの娘はなかなかいい性格に育ったな、なあリィリス!」

 

 お腹を抱えて爆笑しているのは、リュケイオンさん。もはや彼は取り繕うこともせずに、十王を指差して笑い転げていました。

 

「というわけで、すみません。やってしまいました」

「はは、いいや、よく言った!」

 

 交渉の余地をぶん投げてしまったことを、ペロッと舌を出しながら謝る私に……しかし満面の笑みで答えて、すぐ前に剣を構え立ち塞がるレイジさん。

 他の皆も同様に、次々と戦列に並びます。

 

 

 

 その私たちの視線の先で、十王は怒りに肩を震わせて、こちらを睨んでいました。もはや、戦闘回避は不可能でしょう。

 

『『『……よく分かりました、私たちは相容れない。ならば排除するまでです』』』

 

 据わった目で私を睨んでいた十王が、そのまま数歩後退する。

 

 すると、彼女の足元、床下から現れたのは、半球の下半分のような機械の上に設られた頑丈そうなシート。それは……まるで、ロボットのコックピットのような座席でした。

 

『『『さぁ、来るが良い、“デウス・エクスマキナ・マザー”!!』』』

 

 彼女がその手を掲げると、まるで部屋そのものが変形するように壁が姿を変えて、コックピットシートを囲むように組み上がっていく。

 

 床と一体化した蛇の尾のような莫大な量のコード束と、その上に鎮座する女性的なシルエットをした、白に金色のラインが走る本体。

 背負っているのは、おそらく防御ユニットの群体である、翼のようなもの。

 腕は直接本体にはつながっておらず、無数の巨大な腕が、周囲を浮遊している。

 

 それは……巨大な、機械の女神。

 

『『『よもや、使う日が来るとは思いませんでしたが……対真竜さえ想定したこのデウス・エクスマキナ・マザーの力、受けてみるがいい……!』』』

 

 拡声器で増幅された十王の咆哮とともに、マザーと呼称された機体から、莫大なエネルギーが放出されました。

 

『なるほど、このような物を……!』

『どうりで、ケージを構成している結界維持のエネルギーが足りてねえわけだぜ、こんだけネコババしてやがればなぁ!』

 

 そんなマザーを見て、血相を変えたのは、ソール兄様とスカーさんの身に纏うドラゴンアーマー、フギンさんとムニンさんの姿を取った立体映像。

 

「あの、フギンさん、ムニンさん、それは……」

『はい、おかしいと思ってはいたのです、たった数発本来の仕様にある兵器を運用しただけでエネルギー不足になるなんて、と』

『これが、その答えだぜ。こいつら、自分のおもちゃ用に結構な量ギッでいやがったんだ』

「あなたは、どこまで……っ!?」

 

 判明した事実に、マザーを睨みつける私へと、しかし十王から嘲の声が投げつけられる。

 

『『『おっと、破壊するつもりですかね? この機体は天の焔の制御装置も取り込んでいますから、破壊したらアレは二度と使えませんよ?』』』

 

 そう、勝ち誇ったように嫌らしい高笑いを上げる十王でしたが、しかし。

 

「それは、いい事を聞いたぜ、好都合じゃないか」

『『『……何だと?』』』

 

 先頭で剣を構えたレイジさんの言葉に、十王が戸惑いの声を上げる。そんな彼の眼前で、私たちは次々と、己が武器を構えていきます。

 

「つまり、あれをぶっ壊せば、もうあのトンデモ兵器は使えないって事なのにゃ?」

「そう、そして――僕たちの世界に、あんなものはもう必要ない!」

 

 そう確認すると同時に、早速強力な魔法を唱えはじめたミリィさんと、そんな彼女を守るように盾を掲げ立ち塞がるソール兄様。

 

「あら、じゃあ遠慮なくぶった斬ってもいいのねぇ。斬り納めには丁度良さそうな相手で嬉しいわあ」

 

そう嫣然と笑って、刀の柄に手を添え構える桔梗さん。

 

「はっ、お前さんらにはありがたいブツだったんだろうがな、生憎と俺らにとっては、あんなもんはどうでも良いものなんだわ、これがな!」

「そうだ、あんな力に頼らなくても、俺たちはきっとやっていけるはずなんだ、ならこの場で使えなくしてやる事に何の問題もあるものか!」

 

 一切の躊躇なく銃を、短剣を構える、スカーさんとハヤト君。

 

「ま、誰か一人だけが握る全てをひっくり返すことのできるスイッチなんて、バカが罷り間違って手にしたりしたら世界の破滅ですからね」

「ああ、だったらそんなもの、最初から有るべきではないであるな!」

「微力ながら、援護します、フォルス様」

 

 そう皮肉を吐いて、魔法により死神の鎌を取り出すフォルスさんと、拳を打ち合わせて意気込む斉天さん。そしてそんな彼らの援護に回ることができる場所へ並ぶのは、フォルスさんの隣で戦えるのが嬉しそうな星露さん。

 

「つまり……全然、ぶっ壊して問題なしね!」

「把握しました、唱霊獣、喉が枯れるまで維持して全力で当たります!」

 

 そう言いながら、桜花さんとキルシェちゃんは、私を守るように、私の隣に立ちました。

 

 

「ってわけだ……イリス、あれ、やっちまっていいんだよな?」

「はい……皆さん、全力であの機体を破壊して、中にいる十王を引き摺り出してください!!」

 

 そうすれば、あとは私がこの本を使用すれば良い。鞄の中身の重さを確かめながら、はっきりと皆に頷きます。

 

「それじゃあ……皆、最後の戦闘だ、行くぞ!!」

『応!!』

 

 ソール兄様の号令に、皆の咆哮が唱和して――この戦争、最後の決戦が幕を上げたのでした――……

 



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最強の矛と盾

 

「……『ここに全ての集う道照らす光。有れ』……この一戦に全てを賭して、照らせ、『聖戦(ジハド)』……ッ!!」

 

 私の背後に浮遊した『アストラルレイザーⅡ』と、そして頭上に冠した『ルミナリエの光冠』が、皆の潜在能力を限界まで引き出して、それぞれ上位種族として覚醒させる。

 

「よし、これなら……っ!」

「敵首魁、覚悟である……!!」

「さっさと、終わらせるわよ……!」

 

 飛び掛かるレイジさん、斉天さん、そして桔梗さんの高火力組。

 そのバフも限界まで載せた煌めくエフェクトの攻撃と、マザーの周囲に張り巡らされた障壁がぶつかり合いせめぎ合う……かと思われた未来予測図は、しかし。

 

「な……っ!?」

「これは、面妖な手答えであるな……ッ!?」

「何、これ、斬った感触が何もないわよぉ?」

 

 三人の、それぞれ必殺の勢いを込めた一撃は――しかし、障壁に何の手答えもなく素通りした様に見えました。

 

『『『クク、ハハハ……無駄無駄ぁッ! どれだけ力があろうが、全ての力を吸収し無効化するこの“アブソリュートディフェンス”は、抜けはしない!!』』

 

『アブソリュートディフェンス……!』

『大シェルター、イグドラシルのあの防衛機構か……!』

 

 騒然となる、フギンさんとムニンさん。

 

 以前叔父様に聞いた、ノールグラシエ王都イグドラシルの機構の話。

 

 確か、受けた外部からの衝撃を全てエネルギーに相転移しエネルギープールに受け流すことで、容量が満タンになるまで全てのダメージを無効化する防御結界。

 

 イグドラシルのそれはクリスタルパレスを通じ湖に流されそこで保存しゆっくりと消化されているはずですが、こちらは……

 

「アクロシティそのものがエネルギープールですか……!」

『『『くはは、意外に頭が回るな御子姫、その通りだ! 容量はそれこそ世界を支えることができるだけのもの、貴様らなどに打ち破れると思うなッ!!』』』

 

 ギリっと唇を噛む。

 それにもし、たとえ抜けるだけの火力があったとしても、それによってダメージを受けるのがアクロシティな以上、私たちにはその選択を取れないのを知っての言葉だと分かってしまう。

 

『『『そして――ッ! お前たちの小話に最強の盾と最強の矛、どちらが強いか比べる話があったそうだな! 決まっている、()()()()()()()()()()()()なのだとッ!!』』』

 

 そんな十王の叫びと共に、マザーの腹部装甲が展開する。

 そこにあったのは……知っているものとは全くサイズが違うけれど、それは確かに嫌というほど見覚えのある、眼球のような形の発信器。

 

「まさか――()()()!」

『『『その通りだ、本来ならば新たに建造など、ましてや起動などできなかったが……ハハハ、この御子姫の体は素晴らしい、全てのセキュリティをスルー可能とは実に気分がいいものじゃあないか!』』』

 

 

 天の焔……威力もさることながら、その恐ろしいところは、精密に攻撃範囲を指定できること。それこそ、アクロシティ屋上で戦闘していた私たちを攻撃する際に、アクロシティ本体にはほとんど被害を与えなかった精密性にあります。

 

 つまり……こんな屋内空間でも、あれは部屋に被害を出さずに私たちだけを狙える……!

 

「貴様ぁ……ッ!」

『『『フハハ悔しかろうリュケイオン、死の蛇の貴様ならばいざ知らず、今やもうただの光翼族でしかない貴様に、もはやそこまでの脅威はもはや感じぬからなァ!?』』』

 

 マザーの腹部に集まっていく光。

 だけど私たちには、それを止める術が無い。

 

『細胞の一片さえも残さずに、全て消え去るが良い……ッ!!』』』

 

 そんな十王の叫びと共に、全てを無に帰す絶望の光は放たれて……

 

「いいや……!」

『させません……!』

 

 そう言って飛び出したのは、ソール兄様とフギンさん。その腕には、接続され固定された、長短二つの穂先を持つ、二股に分たれた巨大な機械仕掛けの槍。

 

『ヴォーダン様から預かったこの槍、今こそ!!』

「貫け、『ガングニール』ッ!!」

『ディメンションスリップ――全ッ、開!!』

 

 閃光が、視界を覆い尽くす。

 

 本来ならばシールドのエネルギーを背後に放出し無効化する構造となっているその『ガングニール』は、マザー用にダウンサイジングされた天の焔とぶつかり合い、そのエネルギーを喰い、ギリギリで持ち堪え……巨大な爆発を巻き起こした。

 

 

「――綾芽ちゃん!!」

 

 ミリィさんの悲鳴が、部屋に響く。

 皆、固唾を飲んで見つめている爆炎の先では……

 

 

「……何、情け無い声を出して。それとリアルの名前で呼ぶのはNGだぞ、ミリィ」

「あ……うん、ごめんにゃ!」

 

 そんな軽口とともに、『ドラゴンアーマー:フギン』を纏うソール兄様が、スラスターの光を瞬かせて帰って来た。

 

 そんな爆炎の先には……腹部『天の焔』発信機にガングニールを突き刺され、バチバチとショートしているマザーの姿がありました。

 

 

『『『おのれ……この天の焔を小型化して搭載するのにどれだけの労力を要したと思っている……ッ!!』』』

「は、そいつはご愁傷様。一発撃っておじゃんとかザマァないね」

 

 本体を失って機能停止した『ガングニール』の柄をその場にパージしながら、兄様が悔しがる十王に意地の悪い笑みを浮かべ……しかし、すぐに背後に目を遣りフギンさんに問い掛ける。

 

「さて……フギン、見た感じだいぶヤバそうだが、お前は?」

 

 そう、あちこち装甲が脱落してこちらもバチバチ音を上げているフギンさんに語りかける兄様に、フギンさんは、無念そうに口を開く。

 

『……無理、ですね。駆動系の七割応答無し、ジェネレーターに深刻な損傷、出力も上がりません。これ以上の戦闘参加は足手纏いになりそうです』

「そうか……ご苦労だった、あとは任せてお前は離脱しろ」

『はい……ご武運を』

 

 そう言って、ドラゴンアーマー化を解除したフギンさんは後退していく。

 

 

 一方で……

 

 

『この瞬間を、待っていたぜ……!』

「大技でエネルギーを大量消費した直後なら……!」

『『『……何ッ!?』』』

 

 スカーさんと同期した『ドラゴンアーマー:ムニン』、彼女の展開した砲身から放たれた弾丸が、マザーの展開する絶対障壁に直撃する。

 しかしそれは、立ち塞がる絶対障壁に対しあまりにも頼りない一射。弾かれ、無為に散るかと思ったその時……劇的な反応が発生しました。

 

 障壁が、歪み、捻れ、甲高い破砕音を上げて砕け散る。マザーの『最強の盾』は、あまりにもあっさりとその役割を終えました。

 

『はっ、この時のために用意しておいた、着弾したさいに保存されている障壁の術式構成本体に、余計な“回転”の構成をデタラメに書き加えて脆弱にするっつう特注のスペルブレイカー弾だぜ!』

「もうそのアブソリュートディフェンスとやらは、クリーンインストールでもしねぇと使えねぇぞ!」

 

 幾度も再展開しようとして失敗しているマザーに、呵呵大笑して告げる二人。

 なんて恐ろしいことを……顔を青ざめさせ、そう言いたげなプレイヤー(ゲーム廃人)たちだったが、これで攻撃も通るはず。

 

『効くかは賭けだったが……どうやら性能を過信してアップデートしてなかった奴には効果覿面だったみてぇだな!』

「はっ、最強の矛と盾を持っていようが、結局使い手がお粗末なら大したことねぇな!」

 

『『『おのれ、貴様ら……!』』』

 

 苛立たしげに振るわれる、マザーの腕。

 それは、スペルブレイカー弾を撃つためにエネルギーを一時的に空にしたムニンさんには避ける術はなく……

 

『……あ、やべっ』

「え……うわ!?」

 

 

 咄嗟にドラゴンアーマー化を解いたムニンさんが、後方にスカーさんを放り投げ……直後、腕を受け止めたムニンさんから金属がひしゃげる嫌な音が鳴り響くのが聞こえた。

 

『が、ふっ……あー、やべ、しくじった』

「ムニン、てめぇそんな自己犠牲キャラじゃねえだろ何してやがる……!」

『ハハハ、返す言葉もねぇや。悪いあとは任せる、死ぬなよ』

 

 そう言って、かろうじてまだ飛べたムニンさんも、この場から離脱する。

 

 最強の矛と、最強の盾は沈黙した。

 一方で、私たちも超常の存在にはもう頼れない。

 

 奇しくも、決着は私たちテラの者と、残るリュケイオンさんとフレデリックさんに委ねられ……決戦は、佳境へと向かっていくのでした――……

 



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妄執の果てに

 

 

『『『――おのれ、よくも……だが天の焔がなくとも、この空間は私たちのものだということを忘れるな……!!』』』

「いえ、それはどうですかね?」

『『『――何っ!?』』』

 

 ガチャガチャと、部屋の壁面から現れるのは、防衛用のセントリーガン。

 しかしそれらは、フレデリックさんがパチンと指を鳴らした瞬間動作を狂わせる。

 

「どれだけ準備期間があったと思っていますか、すでに一般の防衛装置などコントロールは掌握済みです」

『『『フレデリック、貴様……!』』』

 

 そう告げるフレデリックさんの背後では、彼の同志たちがセントリーガンの破壊をすすめていました。あれは任せて問題ないでしょう。

 

『『『くっ……だがしかし、天の焔は失ったとはいえ、このマザーの火力、甘く見てくれるな……!』』』

「おっと、彼女には、もう二度と手を出させはしません……『デモンズウォール』!!」

 

 無数の腕が、その掌が、私たちの方を向く。その掌にあったレーザー発振器から放たれた、光の槍。

 

 だがそれらは、フォルスさんの呼び出した、巨大な『口』の悪魔に吸い込まれ……

 

「……お返しです、遠慮なく受け取りなさい!」

 

 そのまま、同じ軌跡で撃ち返された。

 それらはまだ同じ位置に滞空したままだったマザーの無数の腕、その掌の半数以上のレーザー発振器へと直撃し、爆炎を上げる。

 

 

『『『お、おのれ……ならば、直接物理的にその壁を打ち砕いてくれる、御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレインごとな!!』』』

 

 そうヒステリックに叫ぶ十王の指示に、周囲の腕はこちらへ殺到します、が。

 

 

「やらせないわよ……『インパルスドライヴ』!!」

 

 私の方へと迫る腕、その先頭の一本はしかし、飛び込んできた桜花さん、その振りかざした槍、『アルスヴィクト』の穂先から放たれた無数の床から突き上げるような閃光に飲まれ、轟沈していく。そして……

 

「イリスちゃんは、私たちが守ります……お願い、バハムート!」

 

 そんな桜花さんの作った隙に、キルシェさんが呼び出した唱霊獣の王『バハムート』が、大きく羽ばたく。

 するとそこから無数に放たれた火箭が迫る腕に着弾し、次々と落下していった。

 

 だけど、それでもまだ浮遊するマザーの腕は、半数は残っている。そこへ殺到するのは三人の人影。

 

「いざ、道を切り開く! 『四神円舞』ッ!!」

 

 入れ替わり立ち替わり4つの属性を纏いながら、色とりどりの軌跡を描き斉天さんの手足が繰り出される。

 それは非常に美しい舞のように、しかし次々と迫る腕を破壊しながら、まるで暴風のように腕を打ち落としていった。

 

「ああ、俺が、俺たちが姉ちゃんや兄ちゃんたちの道を! 食らいやがれ、『刹那』ッ!!」

 

 ハヤト君が無数に背後に展開した影の刃が、複雑な軌跡を描きながら、斉天さんさえ追い越し駆けるハヤト君の勢いのままに飛翔する。

 それはまだ掌部レーザー発振器が無事だったマザー腕、その今まさに閃光を放とうとしていた発振器へと突き刺さり、腕は爆炎を上げて轟沈する。

 

「あらぁ、お熱いですわね二人とも。私としてはぁ、最後の相手が斬れないことが少し欲求不満気味なんですけどぉ」

 

 そんなことを曰う桔梗さんは、腕の中を縫うように凄まじい速さで駆け回る。その最中、無数の剣閃が閃いて、彼女が通り過ぎた後少し遅れ、腕が断たれたレーザー発振器から爆炎を上げて沈んでいった。

 

 三人が次々と撃破していったせいで、あれだけあったマザーの腕は、もうほとんど沈んで無残な残骸を晒していた。

 

「だから、サポートに回ってあげるわ。ほら騎士様たち、いきなさぁい!」

 

 そう促されるままに、レイジさんとソール兄様が、マザーへと駆ける。

 

『『『く……来るな!?』』』

 

 迫るレイジさんとソール兄様。そんな姿に怯えの声を上げた十王。慌てたように、マザーの両肩に担ぐように背中側から倒れてきて展開したのは、大口径レールガンの砲塔。

 

「邪魔は、させないにゃ!」

「援護します、行ってください!」

 

「「いっけぇ、『フォトンブラスター』ッ!!」」

 

 ミリィさんと星露さんから同時に放たれた光の奔流が、狙い違わずそれぞれマザー両肩の砲身に直撃し、バチバチと臨界状態にあったそれらは轟音と共に爆発し、沈黙する。

 

『『『おのれぇ……!!』』』

 

 もはや悪あがきとばかりに、開いたマザーの口の部分からまたも発振器のようなものが現れる。

 

 それは、以前見た『ドゥミヌス=アウストラリス』も備えていたものに酷似した……

 

 

「……荷電粒子砲!?」

 

 すでにチャージされていた砲身に、全てを消しとばす破滅の光が宿っている。放たれた場合、まともに受ければチリも残らない光が。

 

「――させるかぁっ!!」

 

 咄嗟に投げられた、ソール兄様の十字型の大盾。

 その剣先のように尖った盾は、兄様とレイジさんの前方の床へと突き立って……

 

「『フォース・シールド』ッ!!」

 

 巨大な障壁が、突き立った盾を起点に展開する。

 直後、眩い閃光がマザーの口から放たれ障壁へと着弾し……そして、荷電粒子の槍はやがて拡散して消え去り、ソール兄様の盾はほとんど融解しながらもその役割を完遂し、耐え切った。

 

『『『――バカな!? くっ、砲身が焼けついても構わん、もう一度……』』』

「させるかよ、『デトネーター』ッ!!」

 

 もう一度チャージを始めたマザーの口へ、狙い澄ましたスカーさんの一射が眩い雷光を纏って突き刺さる。

 その一撃は、マザーの頭部内部でその威力を解放し、ひとたまりもなく吹き飛ぶマザーの頭。

 

『『『し、障壁……!!』』』

 

 ついに全ての火器が沈黙したらしきマザー。慌てた様子で周囲にバリアを展開し始めるが……だがしかし、兄様たちの方が早い。

 

「貫け、『ライト・オブ・ダークネス』……ッ!!」

 

 黒い闇の螺旋を纏ったソール兄様がまだ展開しきっていないマザーの障壁へと衝突し、障壁は、粉々に砕け散った。

 

「レイジ!!」

「ああ、任せろ……『唯閃』!!」

 

 反応など許さない。

 そんなレイジさんの神速の剣閃が、マザーの胸部ハッチを切り裂いた。

 

「おら……てめぇの役目だろ、さっさと助けてこいよ、『お義父さん』!」

「貴様にそう呼ばれる義理は無い……!」

 

 切り裂かれたハッチの隙間に、上から降ってきたリュケイオンさんの黒い大剣が捩じ込まれ、抉られる。

 

『『『ひ、りゅ、リュケイオン、やめろ、くるな……!?』』』

 

 そんな十王の懇願など耳に入らない様子で、バキバキとハッチをこじ開けるリュケイオンさん。

 やがて、十分な広さの口が開いたハッチに腕を突っ込んだ彼の手が、中から一人の小柄な少女の胸ぐらを掴んで引き摺り出す。

 

 

 こうして……全ての武装を潰された『デウス・エクスマキナ・マザー』は完全に沈黙し、戦闘は終結したのでした。

 

 ですが、本題はここから。

 

 リュケイオンさんに引き摺られて私の前に連れてこられた十王から、お母さんを解放しなければなりません。

 

『『『だ……だが、それでどうするつもりだ? お前たちは、この女を殺せまい!』』』

 

 リュケイオンさんに身動きできないよう腕を拘束され、狼狽しながらも、これ以上の手出しはできない私たちの様子に一転し勝ち誇ったように語る十王でしたが……

 

「最後通牒です。その身体を、お母さんに返してください」

 

 告げる私を憎々しげに睨む十王。その答えは、口に出さなくても明白でした。

 

「そうですか……では、仕方ありませんね」

 

 私は、マジックバッグから、今までずっとしまっていた黒い書を取り出して、眼前に浮かべる。

 

『『『な……なんだ、その本は。白の書……いや、まさか』』』

「白の書を元に複製した魔導具、黒の書です。用途は、あなたなら説明するまでもないでしょう」

 

 そう告げると同時に、十王の眼前に浮かび上がった『黒の書』がひとりでにページをめくり始め、その白紙のページに次々とびっしり情報が書き加えられていく。

 

 それは……眼前で愕然としている、十王の魂の情報。これが全て書に刻まれた時、彼らの魂は書に封じられる。

 

『『『や……やめろ、やめてくれ!』』』

 

 以前、私に対して使用した経験があるだけに、即座にそのことを理解した十王が暴れ始めた。

 だがしかし、非力な御子姫の細腕では、拘束しているリュケイオンさんを振り払えるわけもなく、蒐集は無慈悲に進んでいく。

 

『『『か、考えなおせ御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン! 魂を抜き取って封じるなど、赦されざる所業ではないか!?』』』

「あなたが、あなたたちが、それを……!」

 

 あまりにも身勝手な言葉に思わず激昂しかけた私でしたが……しかし、その表情を見た瞬間、怒りは霧散する。

 

『『『や……やめろぉおおおおッッ!!』』』

 

 そんな断末魔の声を上げたのを最後に、くたりとリィリスさんの体が力を失い、リュケイオンさんに抱き止められる。

 

 それっきり、シン……と静まり返る部屋。どうやら十王の魂を抜き取るのは、成功したらしい。

 

 ――後で、アマリリス様に頼んで何か悪さができないものに移してもらいましょうか。

 

 そんな、十王の魂への恩赦について考えていた、そんな時でした。

 

 

 

 

 

『『『終わって、なるものか……!』』』

「何っ!?」

 

 封じられたはずの書が、黒い焔によって燃え落ちる。その場に現れたのは……

 

「――『傷』が!?」

 

 パキンと空間が割れて、姿を表す『世界の傷』。そこからずるりと、何かが這い出してくる。

 

『――ガァウ!!』

「あ……ありがとう、スノー。だけどこれは……」

 

 直後、私めがけて放たれた何かを、スノーがその死を司る魔眼で滅ぼし防いでくれた。

 そんなスノーを感謝を込めて頭を撫でながら、『傷』をジッと見つめる。そこから這い出てきたのは……

 

『『『――滅ぼされて、なるものか……!』』』

 

 何人分かの頭と手脚を混ぜ合わせたかのような、無残な姿をした、巨大なファントム。それは……その声は紛れもなく、今しがた書に封じたはずの十王のものでした。

 

『『『我らは王、ゆえに、偉大なる力を捨て、あろうことかアイレインやアーレスなどを神と崇め奉り、いずれは己が魂すらも捨てて安寧を欲しがる愚かなる者ども、民衆を導かねばならんのだ……!!』』』

 

『『『だから……その誰よりも眩い翼を持つ身体を我らに寄越せ、御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレインんンンンンッッッ!!』』』

 

 標的を私へと変え、殺到する十王()()()()()。ですが……

 

「おいおい、そいつぁ……」

「ああ、それは、いけません」

 

 私の前に立ち塞がるレイジさんとソール兄様に、その怨霊となった者が防がれて、ただ私の方へと届かない手を必死に伸ばす。

 

 だけど……私は、世快の翼、アイレインの全てを継いだ御子姫。彼らを、浄化し救う者、言うなれば……()()()()()()()です。

 

「本当に、残念です。世界を護りたい、ただその一点だけで、協力する道もあったでしょうに」

 

 だけど、かろうじて残っていたその道は、もう完全に消え去った。

 

 手にした杖で、トン、と床を突く。

 それだけで、私から放たれた光が、『奈落』の力を受け膨れ上がった彼ら十王を瞬時に溶かしていく。

 

 そうして……今度こそ、本当に彼ら十王とは、全ての決着がついたのでした――……

 

 

 

 

 ◇

 

 ――何故だ。

 

 

 始まりの全ては、民のためだった。

 全てを叶える神の力、創造魔法。

 

 きっとこれが、皆を幸せにしてくれるはずと信じ、突き進んだ道は……だがしかし、否定された。

 

 

 ――何故だ……何故皆が、『私たち』をそんな目で見る……!

 

 

 それは、批難の眼差し。

 世界を危機に追いやった大罪人に向ける、蔑むような眼差し。

 

 一方で、賞賛される元同僚も居た。対等だったはずの彼らから『私たち』へ向けられるのは、蔑みではなく……憐憫の眼差し。

 

 

 ――本当に、それだけだったか?

 

 

 はっと、不意に過去のことを思い出す。

 そうだ……その中に一人だけ、変わらず笑いかけてくる少女が居た。

 

 

 それは……始まりの御子姫、ルミナリエ。

 

 

 ――ああ、そうか。この光は、あの少女の光か。

 

 

 『私たち』の非人道的な実験にも、「みんなのためになるなら」と、嫌な顔をせずに協力してくれた、あの少女。

 

 『私たち』とて、決して木の股から生まれ出でた訳ではない。そんな健気な少女に、絆されない訳がなかったのだ。

 

 そんな彼女に、『私たち』は皆、癒されていたのだ。

 

 

 ……当時、真竜たちですら眠りについていたために、すでに、何処にも記録の残っていない話だが。

 

 『私たち』は、真竜クルナックを害していない。

 

 逆だ。

 

 少女を守っていた真竜クルナックが、少女の両親であるアイレインとアーレスが、我々より早逝して居なくなったから、先の創造魔法をめぐる大戦の敗者として隠遁していた『私たち』が表舞台に戻らざるを得なくなった。

 

 それも全ては――ルミナリエを、あの少女を護りたかったため。

 

 感謝はやがて信仰に、その信仰もやがては欲望に変わっていく中で、あの無垢な少女一人残されて、果たしてどうして食い物にされずに済もうか。

 

 あの時の『私たち』はただ本当に、過去、敵味方となった遺恨など関係なく、馴染みの少女を欲望から護りたかったのだ。

 

 

 

 だが……力及ばずルミナリエを失った時に、『私たち』は壊れたのだろう。

 

 

 ――愚民どもは、我々が管理しなければならない、と。

 

 

 こうして消え行く今ならば分かる……『私たち』の所業は、間違いなく裁かれねばならない。

 

 ならば、こうしてあの少女の光に包まれて消えていけるなどとは、この身には過ぎた救い、まさに奇跡だと。

 

 

 ――だから、ルミナリエの力を継ぎ、『私たち』に触れた少女よ、そんな顔をするな。

 

 

 ――君は、間違ってなどいない。これで良かったのだ。

 

 

 

 ――ああ、どうして

 

 

 

 

 

 ――『私たち』は

 

 

 

 

 

 

 ――いったい、何を……

 



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私と、『私』

 

 ――十王が、あるいは十王だったものが、全て光の粒子となり……やがてそれも、痕跡さえ残さず消えて行く。

 

 

 

「……んっ」

 

 私は、ふと、目の端を伝った雫を拭う。

 

「……イリス、どうかした?」

「大丈夫です、兄様。それよりも……」

 

 心配そうに横から覗き込む兄様へ首を振る。今はそれよりも、大事なことがあった。

 リュケイオンさんに抱かれ、しかし未だに目を覚さないリィリスさんの方を見る。

 

「目覚めない、ですか」

「……生きてはいる。だが、魂はまだ抜けたままだ。おそらくはこちらから迎えに行く必要があるだろう」

 

 そう言って十王が入っていた時の扱いから一転、壊れ物を扱うような手つきで一度抱きしめて、リュケイオンさんが立ち上がる。

 

「感傷に浸っている場合ではないな。行こう」

「ええ、行きましょう、あの人に身体を返しに行かないと」

 

 そう、来た道を戻るリュケイオンさんに頷いて、私たちも踵を返す。

 とはいえ、さてどうしたら……というところに助け船を出してくれたのは、フレデリックさん。

 

「なら、さっきの部屋にあった装置を使いましょう。元々『奈落』にアクセスするための物ですから」

「その方が確実ということですね、全てを狂わせた装置に最後に頼るというのも複雑ですけれど」

 

 ですが今は、使えるものは何でも利用するべきと割り切ります。

 

「ああ、そうだな。クロウ、いけるか?」

『アア、任せとケ。最後マデきっちりとエスコートしてやるゼ』

「すまないな、お前にも最後まで苦労を掛ける」

『…………アア、そうだナ』

「……クロウ?」

 

 いつもなら素直じゃない言葉が返ってくる彼からは、妙に素直な返事。

 そんな彼に首を傾げながらたどり着いた、装置がある部屋に到着した私たちに――不意に、緊急を示す呼び出し音を響かせて、通信が入りました。

 

『御子姫イリス様、聞こえますか?』

「教皇様?」

 

 少し焦った様子の教皇様に、首を傾げます。

 

『そちらで、世界の傷は開きましたか?』

「え? あ、はい、すでに修繕済みですが」

『そうですか、ならば良かった……いえ、あまり良くはないのですが』

 

 珍しく歯切れの悪い教皇様に、私は構わないから続けて、と目で促す。

 

『……ケージを構成する結界の縮小を、外縁部を警戒していた偵察型の竜が観測しました。すでに、元々はトロールの集落のあった場所まで呑み込まれたみたいです』

「そんなに……!?」

 

 あの一回で、かなり収縮が進行しています。やはり、今回の戦闘でほぼエネルギーは残っていないのでしょう。

 

『はい……懸念していた通り、今のこのケージは維持が精一杯、新たに開いた傷に対処する力をあまり残していないみたいです』

「……わかりました。では私は予定通り、これ以上『傷』が開かないよう、奈落の内部へと大元の浄化に向かいます」

『……貴女に重荷を背負わせてしまい、申し訳ありません』

「気にしないでください。こんな時のために、この『ルミナリエの光冠』を託してくださったのでしょう?」

『………………はい』

 

 苦渋の表情で私の質問に回答したのを最後に、教皇様の通信が切れる。

 それを見送って……ふぅ、と一つ大きなため息を吐いて、気分を切り替えて皆へ振り返る。

 

「……というわけで皆、ごめんなさい。私には、行かないといけない場所ができてしまいました」

 

 そう、笑顔で告げる私に、ここまでのやり取りに唖然としているテラの仲間たちの視線が集中します。

 

「い……イリスちゃんは、今の話、納得して決心していたのか……にゃ?」

「ええ……もっとも、知ったのは決戦前でしたけど」

 

 ミリアムさんの問い掛けに、頷く。

 

「それは……今、姉ちゃんがやらなきゃダメな事なのか? だって、ようやく落ち着いて兄ちゃんと一緒になれるって」

 

 私を止めようとするハヤト君を制したのは……当のレイジさん。彼は、私に話を続けるようにと促します。

 

「はい……というか、今がまさに最大の、そして最後のチャンスなんです」

「……というと?」

「今……向こうで頑張ってくれている、もう一人の私が居るんです。それが、私には解る」

 

 ――本来、私が生まれて来るはずだった体。

 

 今はおそらくリィリスさんの魂と一緒に居るはずの彼女のことを思い出しながら、断言する。

 

 

 ――だからここで、虚数空間に溜まっている『奈落』を全て精算する。

 

 

 尤もすでに発生している『傷』はこちらできちんと浄化しなければならないため、完全決着はこちらに戻ってから、遥か先になりますが……せめて、ケージの収縮する原因となっている『傷の発生』は、二度と起こらないようにするために。

 

 それが――私の、ここでの最後の仕事。さすがに規模が規模なために何年かは掛かるでしょうが、決して自暴自棄になった訳でも、自己犠牲の精神でもありません。

 

 

「――今やってしまうのが、多分この先で一番楽だから……だから、私は平穏を取り戻した後に邪魔をされたくないから、今は行ってきます」

 

 そう笑って語る私に、もやは皆、反対を告げる者は居ませんでした。

 

 

 

 そんな沈黙を破ったのは、最後まで黙って聞いていたレイジさん。

 

「悪い、皆。ちょっとだけ、二人で話をさせて欲しい」

「……分かった。行こう、皆」

 

 ソール兄様に促されて、皆が渋々ながら部屋から出て行く。最後にハヤト君に促されたスノーが退出して、とうとう二人きり。

 

 その皆の心配そうな目線に苦笑しながら、皆が出て行った時……レイジさんは、拳を私へと突き出してきた。

 

 

「やっぱり、行くんだな」

「……知っていたんですね、私がこうするつもりだって事を」

「ああ、まあ、な。長い付き合いだしな」

 

 お前は、特に分かりやすいんだよ、と苦笑するレイジさんに、私も釣られて苦笑します。

 

「……こっちの問題は、お前が戻るまでに俺たちであらかた片付けておいてやる。安心して、行ってこい」

「はい……行ってきます、レイジさん」

 

 ニッ、といつもの笑顔で背中を押してくれるレイジさんに、私も微笑みはっきりと頷くと、彼の突き出した拳に私も小さな握り拳をコツンとぶつけます。

 

 その後は自然と、これからしばらくはおあずけになるであろうからと、名残惜しむように唇を重ね……ちょっと照れ臭さを感じながら、離れる。

 

「……この続きは、戻ってからな。忘れるなよ、お前はまだクリスマスプレゼントを保留中なんだぞ」

「ふふ……ええ、分かっています、戻るまでに覚悟は完了しておきます」

 

 もちろん、その意味が分からないほど子供ではない私は、顔を真っ赤にしながらも、頷きます。ですが、やられっぱなしもちょっと悔しいので……

 

「だから……そうですね。女の子の名前、考えておいてくださいね?」

「……ああ、任せろ! 十人分くらいは考えておいてやるからな!」

「それは……ちょっと多いかなあ?」

 

 少しだけ悪戯っぽく告げた私の言葉に、本当に嬉しそうにしながら抱き締めてくるレイジさん。

 そうしてこれからしばらくは離れてしまうお互いの体温を確かめ合い……しばらくして、今度こそ私たちが名残惜しさを振り切って離れた時、ちょうどリュケイオンさんが戻ってきました。

 

「さて、もういいか?」

「はい、お待たせしました」

 

 リュケイオンさんに促され、元はリィリスさんの閉じ込められていた装置に入る。

 

 

 部屋に戻ってきた皆が固唾を飲んで見守る中、装置内の起動を待つ私たちでしたが……

 

『さテ……コレは、伝えトカネーとナ』

 

 不意にそう語り始めたのは、リュケイオンさんの肩にいるクルナック様。

 

『俺ハたぶん、コレで最後の力を使ッテ眠りに就ク。あとハ自分たちの力でナンとかしナ』

「そうか……今までありがとう、クロウ。お前が居なかったら、ここまでは来れなかった」

「ありがとうございます、クルナック様。また目覚めた際には、今度はぜひとも遊びに来てください、歓迎しますから」

 

 そう、小さな真竜様に笑って礼を言うと、彼もこの時ばかりは満足気に頷きました。

 

『……御子姫イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン。こちらの準備は完了した。あとのタイミングはそちらに任せます』

 

 装置のスピーカーから流れてくるフレデリックさんの声に、私とリュケイオンさんは、クルナック様に頷く。

 

『それジャ、行クぞ……ジャアナ、親子仲良クするんダゼ?』

 

 そう最後の言葉を残して、本当に力を使い果たしたクルナック様の姿がふっと掻き消える。

 そして私たちは装置内に展開された『奈落』に飲み込まれて、上下さえ分からない一面の闇の世界、虚数世界へと落下したのでした――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――まるで宇宙の果てのような、真っ暗で光も差さぬ虚数の海、『奈落』。

 

 

 その中に飛び込んだ瞬間、自動的に開かれる、私とリュケイオンさんの光翼族の翼。それに護られながら、ゆっくりと虚数の海を降下して行く。

 

「今更だが……本当に良かったのか?」

「何が、ですか?」

「あの坊主のことだ」

 

 面白くなさそうな顔で、苦々しく呟く。

 その様子は娘とその彼氏の交際をを渋々と認めた父親のようで、こんな場所だというのに思わずクスリと笑みが漏れました。

 

「大丈夫、離れていても、繋がっていますから」

 

 懐にいつも大切に仕舞っていた、以前王都でレイジさんと一緒に購入した結絆石のペンダントを取り出しながら答える。

 今……ペンダントの中心に象嵌されたその石は、仄かに赤く温かい光を発していました。

 

 

「だから、大丈夫。今は少しでも早く仕事を終わらせて帰りたいくらい、かな?」

「そうか……分かった、余計なことを言って済まなかった」

「いいえ、今のは随分と父親っぽくて、私的には好感度高かったですよ?」

「…………フン」

 

 そっぽを向かれてしまいました。

 だいぶ癖も分かってきたのですが、こういう時の彼は、大抵が照れている時です。

 

 そんな他愛もないことを考えているうちに、下方に目当ての人たちが見えてきました。

 

 

 

「あ、来たよ、お母さん」

 

 そんな声は、眼下に居る女の子……本来の私の身体に宿った、『奈落』をルーツとする魂を持つ少女。

 

 そんな彼女の側に一瞬だけ見えた人影がパッと光へ還り――それはすぐに、リュケイオンさんの抱くリィリスさんの体へと、吸い込まれていきました。

 

「んっ……」

「リィリス!?」

「リィリスさん……お母さん!」

 

 微かに瞼を震わせたリィリスさんへ、私たちがその顔を覗き込む。

 

「ふわ……………うぇ、うっかり夕方まで眠っちゃった時の、十倍くらいだるいなぁ……あふ」

 

 寝ぼけ眼で周囲を見回していたリィリスさんの目が、最初に捉えたのは……私。

 

「あら……あなた……そっかー、随分と大きくなったわねえ」

 

 そう私を見るなり嬉しそうに顔を綻ばせた彼女は、リュケイオンさんの腕から降りて、私の前に立つ。

 

「ちゃんと会うのは、初めてね?」

「ええ、ずっと夢の中とかでしたからね」

 

 二人、くすくすと笑い合う。

 

「はじめまして、イリスちゃん……私の娘」

「はい、はじめまして、ですね。お母さん」

 

 そうしてあいさつを終えた瞬間、ぎゅっと、感極まった様子のリィリスさんから強く抱きしめられる。

 この歳でお母さんに抱かれて安心するのはちょっと気恥ずかしいのですが、しかしこそばゆいながらも、素直に身を委ねて抱き返す。

 

 ですが……名残惜しいですが、今は意思を総動員して、このまま母の胸に抱かれていたいという欲求を振り切って彼女をリュケイオンさんの方へと押す。

 

 

 

「リュケイオン、君も、本当にありがとう。約束、ちゃんと果たしに来てくれたんだね?」

「ああ、ああ……ようやくもう一度、こうして君に触れることが出来た……ああ――本当に、永かった」

「よしよし、私はもう、どこにも行かないよー? あー、もう、泣かないの……いや、やっぱり泣いていいや。ぐす。うん――ありがとう、助けに来てくれて」

 

 そう、すっかりと顔をぐちゃぐちゃにして抱擁し合うリュケイオンさんとリィリスさんに思わずもらい泣きしていると、くいくい、と服の袖を引っ張られた。

 

 そこには……私よりも何歳分か小さな女の子が、この中で一番顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

 

「あー、もう。ほら、おいでー?」

「あぅ……ありがとう」

 

 腕を広げるなり飛び込んできて、私の胸の中で感極まって泣いている少女の頭をぽんぽんと撫でてあげながら、今もまだ抱擁しあっている両親に声を掛ける。

 

「ごめんなさいリィリスお母さん。もうすぐここで一仕事するから、リュケイオンさんと一緒に先に向こうへ帰ってて貰ってもいいですか?」

「ぐすっ……でも、二人だけでやるの? 私たちも手伝うわよ?」

 

 いまだ鼻を啜りながらも、気遣わし気な視線を私に向けてくるリィリスお母さん。リュケイオンさんも同様に、私たちに付き合ってくれるつもりのようでしたが。

 

「大丈夫、あまりここでイチャイチャされたらこの子の教育に悪いし」

「あら……」

「む……」

「だから、お母さんたちは先に戻っていて。それと、向こうの世界はお願いね」

「……わかりました。早く帰ってくるのよ、二人でね」

「……任せた。それじゃあリィリス、戻ろうか。僕らの本来居るべき場所へ」

 

 そう言い残して、この虚数の空間から現世へと戻った二人。残るは……私と、『私』の二人だけ。

 

「あなたが……『私』?」

「うん……はじめましてだね、『私』」

 

 私の問い掛けに、私の腕の中に居る私と同じ髪色の少女が、私の腰にぎゅっと腕を回して笑い掛けてくる。

 

「へぇ……私は別のお母さんから産まれなおしたのに、案外私たちは容姿も似てますね」

「あ、たしかに。不思議なこともあるんだねー」

 

 彼女の容姿は、私を少しだけ幼くして、髪を少しだけ短くしたようなくらい……あとはせいぜいが、リュケイオンさんの影響か私よりも若干目尻が上がっているくらいでしょうか。

 

 これなら、並んだら姉妹に見てもらえそうだなぁなんてちょっと想像しながら、そのためにはまずやるべき事があると気合いを入れます。

 

「それじゃあ……ちゃっちゃと済ませて、一緒に帰りましょうか」

「うん、私が集めて、留める。それを……」

「はい、私が浄化します。いけますね?」

「もちろん!」

 

 そう言って、彼女の背に、私とは真逆、漆黒の闇で出来た翼が展開する。

 

 そんな彼女の意思を受けて、まるで海のように揺蕩う深い闇――『奈落』の本体が、蠢き、凝縮するように移動して、まるで私たち二人がいる空間だけぽっかりと球形の空間を開けて集まってきた。

 

「ね、お姉ちゃん。外の世界ってどんな場所?」

「そうね……ちょっと、一言では言えないかな」

「人を好きになるって、どんな感じ?」

「それも、なかなか一言では言えないかなぁ」

「お姉ちゃんは今まで、どんなふうに生きてきたの?」

「それも、一言では言えないわ。だから……時間はあるのだから、ゆっくりと教えてあげるね?」

「……うん!」

 

 私の言葉に、本当に嬉しそうに笑う『私』。

 そんな他愛もない話をしている間にも、周囲では凄まじい勢いで、『奈落』たちが浄化されていく。

 

 ……皆が、終わらない絶望がついに終わる安堵の感情を、私たちに感謝という形で投げかけながら。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――表に生きる私たちには、辛いこともあれば、楽しいこともあった。

 

 

 絶望も希望も、私たちの往く道の両端に常に存在し、その間をフラフラしながら進むのが私たち。

 

 だから絶望を恐れて希望側へ寄りたいと、道の先を照らす灯りを探す。少しでもより良い道を選ぼうと、あちこちで色々な人とぶつかり合いながら、時には悪意ある者に絶望側へと弾き出されながら、時には誰かとぶつかるのが怖くてその場に座り込みながら、それでも道が続く限り進んでいく。

 

 だけど彼ら『奈落(ギヌンガガプ)』は、生まれながらに人々の幸せの影として、辛いことを引き受けるために生まれてしまった存在。そんな負の意識の集合体『奈落』には、生まれながらにしてずっと絶望側しか無かったのでしょう。

 

 きっと……彼らが私たちの世界に現れ、そこで生まれたがるのは、自分たちにも幸せになれる未来があったはずと、そんな一縷の可能性を信じたかったから。

 

 

 

 だけど彼女は――『奈落』から生まれ、私の本来の体を得てこちら側の『御子姫』となった『私』は、そんな彼らに生まれた、自分たちにも幸せになれる未来があったんだという、初めて生まれ出た希望。

 

 だから……生まれてしまった『奈落』たち。『(あなた達)』は、きっと幸せになれるから。

 

 

 

 

 だから――どうか安らかに眠りに就きなさい。

 そのための子守唄ならば、いくらでも歌ってあげましょう。

 



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ただいま

 

 ――アクロシティを十王から奪還するための最終決戦から、早くも数年の月日が経過していた。

 

 

 終戦後、ノールグラシエ王国では、これまでの無理が祟ったのか国王であるアレフガルド陛下が体調を崩しがちになり……皇太子であるユリウス殿下がまだ幼いこともあって、国王の甥であるソールクエス王子が長らく宙に浮いていたユーバー公爵家の家督を相続し、早くもその辣腕を振るっていた。

 

 最初こそ、「ポッと出の庶子の王子が」との声があったものの、先王アウレオリウスを彷彿とさせるその手腕、さらには御子姫イリスに付き従った兄、英雄王子として名を馳せていたのもあって、今ではもうそんな批判はほとんど耳にしなくなっていた。

 

 ……そんな彼だったが、つい先日、旅の仲間であった魔族の女性と、正式に結婚する事を表明した。

 

 南、フランヴェルジェ帝国皇帝フェリクスと、その妃イーシュクオルという、魔族と天族の異種族間結婚の前例もあり……これを機に、両種族の融和を進めるべきだという機運が高まっているという思わぬ副産物を残していたのだった。

 

 

 西の通商連合は、その名をロシュメイア共和国と改めて、アクロシティから独立した。初代首相は一時退陣していたフレデリック元首相が就任し、今は新たな道を模索してあちこちを奔走する忙しい日々を送っているという。

 

 南のフランヴェルジェ帝国、そして東の諸島連合は、最初こそ世界の激変により不安定になった時期があったものの、数年が経過した今では皆すっかり元通りの、平穏な生活が戻って来ていた。

 異変があったとすれば、フランヴェルジェ帝国にて最初一年は国の立て直しに尽力していたスカーレット皇子が突然失踪し、やはりあの放蕩王子は……と、この一年得てきた信頼を結局また失ったことくらいか。

 

 

 

 そして敗戦国となるアクロシティは、それまで全権を牛耳っていた十王の失脚によりトップを失って大混乱となったが……今は各国から選ばれた新たな評議員による新体制で運営されており、それもだいぶ軌道に乗ってきた。

 

 

 満場一致で最高評議員に選ばれたのは、本来のアクロシティの主人である御子姫、イリス・アトラタ・ウィム・アイレイン。

 

 しかし不在な彼女に代わり最高評議員代行として……俺、レイジが執務に当たる事になったのだった。

 

 

 

 そうして、慣れない為政者の立場に立つ羽目になったものの……イリスに『戻って来た時にはこちらの問題は全て解決しておいてやる』と約束した手前、投げ出すという選択肢は無く、皆に支えられてさまざまな事を行なった。

 

 アクロシティの、全面的な修繕。ようやく大手を振って入って来れるようになった真竜たちの技術提供もあって、老朽化により生産効率を著しく落としていたエネルギー周りの問題が大幅に改善した。現在では、徐々にではあるがケージを維持する上で必要なエネルギーの保管量も、安全圏付近まで回復傾向にあった。

 

 そしてディストピア化していた『楽園』の解放。こちらは最初の一年間はこれまでの満ち足りた生活を捨てる者など居らず、ただ戸惑いの声が流れていた。

 だが数年が経過し、外からの来客も入ってくるようになったことで、徐々にではあるが人の出入りも増加してきていた。

 

 他にも、次々とデスクに積み重なっていく大量の仕事に追われて――そうして、瞬く間に三年の月日が流れた。

 

 

 ――イリスは、まだ帰って来ていない。

 

 

 

 

 

 ◇

 

「やっぱり、ここに居たのか、レイジ」

 

 不意に掛けられた声に、夢現だった意識が覚醒する。側には電源の入ったままの端末が転がっており、どうやら、各所から受け取った報告をチェックしている間にいつのまにか眠ってしまっていたらしい。

 

「ソールか……随分と早い到着だな、大丈夫かよ『大公』様?」

「はぁ……やめてくれよ、それは必要だったから座らせられた空席で。あと数年したら返却するってば」

「はは、悪い悪い」

 

 よっこいせと起き上がり、全身を伸ばす。床に座ったまま眠ったせいで、ひどくあちこちが強張っていた。

 

 

 ――ここは、アクロシティ最上部、イリスたちが『奈落』に向かうために使った装置のある部屋。

 

 俺は簡素な寝台をこの部屋に持ち込んで、公務以外の私的な時間のうち大半を、いつかイリスが帰ってくるはずのこの部屋で過ごしていた。

 

 

 

 

「……まあ、今回早めに予定を繰り上げてこっちに来たのは、重要な案件の会議があったからなんだけどね」

「ああ、お前の提言した、四国合同による国家を問わないで活動する『禁域』浄化部隊か」

「うん、それ。言い出しっぺだからね、ノールグラシエ王国からは私が、ユーバー公爵家が取り纏める事になったよ」

 

 そう言って、会議で決まった事についてあれこれ教えてくれるソール。報告書は上がっているだろうが、教えてもらえるならそのほうが手っ取り早くていい。

 

「ちなみに、総指揮はヴァルター団長だって。傭兵団のみんなもだいたい団長についていくみたいだね」

「おっさんが……よく受けてくれたな?」

「ま、敵討ちが終わって暇していたそうだからね。快諾してくれたよ……たぶん、参加すれば皆、アクロシティ所属の公職扱いになるからだと思う」

「ああ、そうか。なるほどなぁ……」

 

 以前から常々、ヴァルターのおっさんが『部下に安定した職を与えてやりたい』と言っていたのを思い出す。それと……もう一つ、たまたま耳に入ってきた風の噂も。

 

「……そういやおっさん、ついに痺れを切らしたフィリアスさんに逆プロポーズされたんだって?」

「はは、人の恋路には触れてやらないのが華さ」

 

 さらっと誤魔化すソールだったが、その態度が真実であると雄弁に語っていた。なるほど、確かに禁域浄化部隊の総大将ならば、世間体としては何の気兼ねもあるまい。

 

 まあ、三年も我慢したフィリアスさんの、粘り勝ちだろう。ヴァルター団長は三年間彼女の青春を空回りさせた分、ちゃんと責任を取るべきだと俺も思う。

 

 

 

 ……そう、三年。

 

 

 

「……あれから、もう三年か」

「うん……リィリス執政官が言うには中はだいぶ時空が歪んでいるらしくてこちらよりずっと時間の流れが遅いらしいから、向こうで流れた時間は数ヶ月くらいだろうって話だけど」

 

 更にはあの中では物質世界ではないため、精神が摩耗し魔力が尽きない限りは寿命も関係なく、肉体を維持する食事も必要無いのだとか。

 あの世界に居た時間の長い、イリスの母親でもある先代御子姫……リィリスさんが言うには、イリスの魔力ならば問題ないだろうとのことだったので、ひとまず生命の方面の心配がないのは救いだった。

 

 

 ……と、そんなことを考えていると。

 

「あら、私の話?」

 

 まさにその当人がフラッと姿を姿を見せた。

 

「あ、リィリスさん、お疲れ様です」

「む、さん付けなんて余所余所しい名前は嫌よって、言ったわよね、レイジ君?」

 

 

 下から見上げてくるように可愛らしく睨んでくるリィリスさんに、俺はぐっと声に詰まる。

 

 ……俺はどうにも、この人が苦手だ。

 

 というか、強要された呼び名で呼ぶのがどうしても憚られる。外見が完全に少女のそれなので、どうしてもイリスの母親というより姉くらいにしか見えないのだ。

 

 だがしかし、このままでは拗ねてしまうのは間違いない。そうなると彼女のことに関して口うるさい(リュケイオン)が居るため、諦めて深く溜息を吐くと、渋々口を開く。

 

「その……お義母さん」

 

 渋々とそう呼ぶと、なんだか嬉しそうに、にまーっと笑顔になるリィリスさん。うちの母親もイリスに義母って呼ばれて嬉しそうにしていたが、いまいち俺にはよく分からない感性だ。

 

「それでお義母さん。何か用事があったんじゃないですか?」

「あ、そうでした、ごめんなさいね?」

 

 チロっと舌を出して謝罪するリィリスさんは、しかしすぐに本題に入る。

 

「これから、明日のクリスマス? に向けての通信試験を行うって、テラのアウレオ君から連絡がありました」

「あぁ……もう、そんな時期なんだな」

 

 そんなリィリスさんからの伝言に、思わず呟く。

 三年前のクリスマスからすっかり定例となり、通信越しにパーティをしながらお互いの近況報告を行う日となっていた。

 

「そうか……分かった、すぐ行きます」

「それじゃ、私は先に行っていようかな。それじゃ、また後で」

「ああ、また後でな」

 

 そう言って、先に出て行ってしまうソール。

 その背中を見送っていると。

 

 

「……ごめんなさい。私も、あの子を手伝うべきだったのに」

「またその話ですか……全然気にしてないっすよ、クロウクルアフも、十王も居なくなってアクセス手段が無くなったんですから」

 

 申し訳無さそうにしているリィリスさんに、俺は首を振る。

 

「それに……もうすぐ帰ってくる、そんな予感がするんですよ」

「……予感?」

「はい。俺の勘、めっちゃ当たるんですよ。だからきっと、イリスはもうすぐひょっこり帰って来ます」

 

 それは何の根拠もない、他愛ない言葉。それでも構わない。

 

「そっか……そうよね、信じてあげないと、ね?」

「ああ、そうだぜ、お義母さん」

 

 

 彼女もどうやら元気が出たらしいので、これで良し。そうして俺もソールの後を追うべく、部屋から立ち去ろうとした――その時だった。

 

 

 

 ――ドクン。

 

 

 

 握り締めていた結絆石の首飾りが、微かに脈動した気がした。思わず立ち止まると、そこには。

 

「……レイジ君?」

 

 訝しげに振り返るリィリスさんだが……俺は、装置の方から目を離せなかった。俺の視線を追ってそちらを見たリィリスさんの目も、驚愕にゆっくりと見開かれる。

 

 

 ――三年間、何の反応も示さなかった装置の中に、小さな、ほんの微かな二つの光が灯っていたからだ。

 

 

「あ……え、嘘、これはもしかして、本当に!?」

「お、俺も今めっちゃ驚いてますけど……でも、そうなら早く帰ってこい」

 

 グッと拳に力を込め、叫ぶ。

 

「早く帰ってこいイリス! みんなが、そして誰よりも俺が、お前が戻ってくるのを待っているんだからな!!」」

 

 そう衝動のままに叫んだその瞬間――部屋は、目も開けていられないような爆発的な光に満たされた。

 

 

 

 

 あまりにも眩い閃光に、咄嗟に目を伏せて、十秒、二十秒と経過した。やがて……ずっと望んでいた声が、耳に飛び込んでくる。

 

 

「はー、ここが、お姉ちゃんの帰るべき場所?」

「ええ……あなたにとってもよ。ね、『リィア』?」

 

 眩い光がおさまったと思ったら……そこにはこの三年間、片時も忘れたことの無かった少女の姿が、もう一人少しだけ幼いよく似た少女と手を取り合って、装置内部へと姿を現していた。

 

 

「あ……」

「え……あ」

 

 

 目があった。

 三年ぶりにようやく帰ってきたあいつは俺の記憶と何一つ変わっておらず、こちらを見るなりみるみると赤面し、あたふたと髪を撫でつけたりしている。

 

 

 ――ばかやろう、そんな姿を見せられて、我慢できるわけないだろうが。

 

 

 そんなこちらの心境などお構いなしに、なんだか慌ただしくしている二人の少女たちが居る装置へと、俺は引き寄せられるように近寄って行く。

 

 

「えぇと、その……急すぎて、何と言えばいいか分からないんだけど……きゃ!?」

「もー、お姉ちゃん、さっさとぎゅーってしてもらいなさい、ずっと楽しみにしていたんでしょ!」

「あ、あの、待ってリィア! 流石に心の準備が……っ!?」

 

 共に現れたもう一人の少女に背中を押されて、装置内からこちらへと押し出される少女。

 やがて……少しだけ手を伸ばせば届く距離まで、あいつはすぐ側まで来ていた。

 

 

 まるで夢でも見ているかのように現実感が無いが……あいつが、イリスが、本当に帰って来ていた。

 

 

「あの……約束通り、『奈落』の大元は、全て綺麗さっぱり浄化してきました。もう、新たな『世界の傷』が開く事は無いはずです」

「そうか……お疲れ様、よく頑張ったよ、お前は」

 

 そう、報告を終えたイリスの頭にポンと手を置く。

 久々なその手触りに、確かにここに居ることを実感して、深く安堵の息を吐き出した。

 

「……馬鹿やろう、三年も待たせやがって」

「はい、ごめんなさい……ただいま帰りました」

「ああ……おかえり」

 

 まるでねだるように、ごく普通に目を伏せて見上げて来る愛しい少女の腰を抱き寄せて、その口に唇を被せる。

 

 

 三年ぶりの口付け。記憶と変わらぬ感触にもはや抑えなど効かず、思わず無我夢中で深く求めてしまう。

 最初は照れからか僅かな抵抗を見せたイリスも、すぐに諦めたように全て委ねてくれて……そんな様子がたまらなく愛しくて、俺は入り口付近を越え、更に深くへと繋がりを求める。

 

 

 

「まったくもう、手間のかかるお姉ちゃんなんだから」

「うふふ、そう言わないの。女の子には色々と準備が要るのよ……あなたも、お帰りなさい」

「あの、私も……お母さん、って呼んでも良い?」

「ええ、もちろん。これからよろしくね、もう一人の私の娘」

 

 

 側で繰り広げられているそんなリィリスさん達の会話を尻目に、俺は三年ぶりのイリスとの触れ合いを思う存分堪能し……やがて、イリスが腰砕けかけてきた頃にようやく口を離すと、すっかり蕩けた表情でポーっとなっている彼女を抱き上げる。

 

「……っ!? あのっ、レイジさん……っ!?」

 

 ようやく姫抱っこの形になっている事に気づいて脚をぱたぱたさせ抵抗するイリスに笑い掛けると、彼女は更に真っ赤になって抵抗をやめた。

 

「丁度、『向こう』とも連絡できるからな。早く皆に、お前の無事の帰還をしらせてやらないとな?」

「わ、分かりましたが、自分で歩きます……っ!?」

「いや、俺が離したくないから絶対にダメだ」

 

 そんなわがままな欲を満たしながら、腕に掛かる重さにまたようやく会えたことを実感しながら、俺は皆にイリスの帰還を報告するべく早足で歩き出す。

 

 

 ――ここから、もう一度。

 

 

 今度こそ絶対に離さないと、そう心に誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 ――世快の翼のイリス。

 

 この後、『ケージ』内の禁域を浄化して回る一方で、生涯に実に十人もの次世代の『御子姫』と呼ばれる娘たちを産み育て、絶滅したはずの『光翼族』を再び世に送り出した、アクロシティ最後の最高執政官。

 

 複数国家の共同体である『ケージ』の最高決定権を持つ女王として広く周知される事となる彼女の、その功績は数知れない。

 

 外の世界……のちに『テラ』と正式に呼ばれるようになる外の世界の側では『アトランティス』と呼ばれていた幻の大陸を中心とした、閉鎖世界『ケージ』の存在の公表、それまでの多岐に渡る各国との調整。

 

 魔法という『ケージ』内の世界特有の技術を含めた、両世界の技術融和。

 

 天族や魔族といった『ケージ』内特有の種族の、『テラ』側への浸透。

 

 彼女の治世は就任から百二十年後、隔離世界『ケージ』が内に存在する全ての『禁域』を浄化し終えてその役目を終え、解体される最後の瞬間まで続く事になる。

 

 そうして、二つの世界の融和が果たされて――さらにその十年後。

 

 ケージ内に隠匿していたアカシックレコード『テイア』はテラという狭い星の上で運用するには過ぎたものであると、全ての首脳陣で見解が一致。

 

 この時世界は宇宙大航海時代へと突入しており、新たに建造された外宇宙移民船団の旗艦のコアシステムとして星の大海へと送り出されたのを、テラから見送ったのを最後の公務とし……彼女は完全に表舞台から姿を消して、生涯をずっと共に歩んできた恋人と、そして少数の親類とともに、いずこかで静かな隠居生活を送ったという。

 

 そんな彼女は表舞台から去る際に……

 

 

「色々な事があったけれど、さまざまな人たちに助けられて来た、とても幸せな人生でした」

 

 

 ……そう、人々に感謝の言葉を残して――彼女は完全に、テラの歴史からその姿を消したのだった。

 

 

 

 

 ――だが、語るべきは、そのように遥か未来の話では無いのだろう。

 

 

 これは、彼女が虚数空間『奈落』から帰還してから、さらに五年後。

 

 今後彼女が重ねていく輝かしい功績とは何の関係もない……だがしかし、確かに彼女が幸せを謳歌していたことを示す、ほんの一端の記録である。

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「……本当に、帰って来たんだな」

 

 記憶とちっとも変っていない眼前の風景を見つめながら、少しだけ前を歩くレイジさんが、感無量といった風に声を上げる。

 

「ええ……本当に、色々な人に尽力してもらってしまいましたね」

「抑止力をスルーできないと、『こっち』に連れてきてお前のときみたいなことになったら大変だもんなぁ……」

「そうですね……」

 

 そう言いながら、ずっと腕に抱いていた小さな包みを見つめて……私の表情は、自然と弛むのを感じました。それはもう、ゆるゆるです。

 

 私の腕の中には――お包みに包まれて、今は安心した様子ですやすやと眠る、まだまだ新しい命。

 まだ生まれてから数か月しか経っていない、愛しい我が娘がそこに居ました。

 

 

 ――レイジさんとの結婚自体は五年前、『奈落』から帰還した直後にはしていたんだけどなぁ。

 

 

 皆にあれよという間にお膳立てされ祝福されて盛大に挙式することとなり……しかし、そこから懐妊するまでが本当に大変でした。

 

 なんせ、元々『光翼族』という種族自体が……一応はもう二十代も半ば、『イリス』となった後で数え直して尚も立派に成人したはずの私が……いまだにこの身体を得た時と変わらぬ肉体年齢なほどの不老長寿の代償に、出生率が低いのです。

 

 周囲の知り合いから次々と出産報告が届き、個人用の端末へ届くメッセージには友人たちの我が子自慢が滝のように流れていくベビーブームに乗り遅れて悔しく思う羽目となりながら……五年間二人で頑張って、ようやくお腹の中に授かった我が子。

 

 しかし、大変だったのは更にその後もでした。

 

 先ほど言った通り、ほとんど中学生程度の肉体年齢から成長していない私の小柄な体――そう、当然のようにひどい難産だったのです。

 

 ですが、そうして七転八倒の末に授かった愛娘、可愛くないなどということがあるだろうか。いいえ、絶対にあり得ません。

 

 時には子育てを手伝ってくれていた……なお本人も子育て経験はないため、初めての体験に四苦八苦していた……リィリスお母さんにすら嫉妬していた私。

 一緒に暮らし、公務を手伝ってくれているリィアには『子育て中の母熊ね』なんて呆れられたりしたけれど大丈夫、あの子もいつか母親になったら、私の気持ちを分かってくれると思いますから。

 

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 

 そんなこの子をこちらに連れて来るために、アウレオお父様やアマリリス様と宙さん、他、本当にさまざまな人が手を尽くし、『ケージ』の抑止力を回避しつつ往来するための手段を構築してくれたのですから、感謝の言葉しかありません。

 

 それもこれも――本当に、本当にささやかな、一つの約束を果たすために。

 

「さ、早く行こうぜ。母さんたちも待ってる」

「ええ……やっと、約束を果たせますね」

 

 そう言って、本当に久しぶりの玲史さんの実家の敷居をまたぐ私たち。

 

 そう……「孫ができたら見せに行く」、その約束を果たすために、私たちは今、生まれ育った『テラ』のS市へと帰ってきていたのでした。

 

「はは、これ以上待たせたら、母さん達がキリンになっちまうぜ」

「あら、ええ確かにそうですね」

 

 今も変わらず手入れが行き届いている支倉家の庭園の様子から、心配だった玲介お爺さんが元気なのを察しホッとしながら、懐かしいその庭を進む。

 

「そういえば、ソール……綾芽は、こっちに来るのか?」

「はい、まずは梨深ちゃんの実家にご挨拶してからだから、明日になるみたいですが」

「そうか……しかしまあ、あいつも『向こう』と『こっち』で性別が変わるとか、難儀な体質になっちまったなぁ」

「あはは……初めて綾芽の姿を見て、レオン君ってば驚いてましたねー」

「うむ、まあ、気持ちはよく分かる」

 

 そんな実感の篭ったレイジさんの言葉に、二人で思わず苦笑した……ちょうどその時、がらりと開く支倉家の玄関のドア。

 

 誰か来たのを察して家の中から顔をのぞかせたのは、レイジさんのご両親……今は私のお義母さんとお義父さんでもある二人が、並んで歩く私たちの方を見て、驚きに目を丸くします。

 

 そんな二人に――私とレイジさんは、万感の想いとともに、元気よく告げるのでした。

 

 

 

 

 

「「――ただいま!」」

 

 





 ここまで読んでくださった方、本当に、本当にありがとうございました。

 時系列としては続編に当たる『Destiny Unchain Online 〜吸血鬼少女となって、やがて『赤の魔王』と呼ばれるようになりました〜』の方も、引き続きよろしくお願いします。



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