ひめみこ (転々々)
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序章
ある日


「これを着るのかぁ……」

 

 ベッドの上に広げられた制服を見て、思わず口に出してしまう。

 紺を基調とし、少し絞られた袖口に裾。幅広の襟もとには臙脂色のタイ。下は幅の細いプリーツの入った筒状の――要するにセーラー服だ。

 来月からこれを着て学校に通うのだが、かなり抵抗感がある。

 

 サイズが合うか、今週中に確認するよう言われていた。理由をつけては後回しにしてきたけど、金曜日も昼上がり。母さんにせっつかれて制服と睨めっこしているが、それもタイムリミット。

 

「しかたがない。着るか」

 

 意を決して下着姿になった。そろりとスカートに脚を通し、サイドのホックを留める。普段着けているパンツとは異なり、左右の膝やふくらはぎが直接触れる頼りない感覚。ホックを一段緩めて少し下げるが、膝小僧がようやく隠れる程度か。

 上着をかぶって袖を通す。これも普段着ている服とは違い、裾が緩い。もう少し伸縮性のある生地にすれば、脱ぎ着がし易いのに、と思いながら裾を整える。サイドのファスナーがもう少し広げられれば……。

 

 姿見に映る全身を見る。全体に貧相だがシルエット自体は悪くない。八頭身とはいかないが、七頭身半には届くだろうか。手足が長く、股下が身長のほぼ半分というバランスは日本人離れしている。

 顔だって、美人だろう。今はカワイイ寄りだけど、客観的に見てもそこらのアイドルや整形美人なんかより魅力的だ。少しおでこが広いものの、くっきりとした二重の大きな黒目がちの目。鼻や口は小ぶりだが形も配置も整っているし、何より白くなめらかで血色の良い肌は、世の女性がメークで演出しようとするそれだ。

 

 これが今の私。ずっと前に通った中学校にもう一度通い直す。そのときは詰め襟だったんだけどなぁ。

 

 

 

 姿見に映る自分の姿にはようやく慣れてきたけど……、制服が全く似合っていない。

 多分、制服の形が良くない。上から下まで全体にストンとしているから、貧相で肉付きの薄い(からだ)が強調されてしまうのだ。

 そして何よりこの目と髪の色が良くない。明るい群青の瞳に真っ白な直毛。髪にもう少し長さかボリュームがあれば違うかもしれないが、この長さでは……。

 いや、本当は伸ばせたよ。伸ばせたんだけど、耳や襟足にかかる感覚に慣れなくて、さすがに耳は妥協したけど襟足は短いままだ。

 

 マンガやアニメなら、青い目にパステルカラーの髪でも違和感がないのに、現実では白髪でも似合わない。せめてブレザーだったらもう少しマシだったのだろうか。

 私は再びため息をつき、この半年のことを思い出した。

 

 

 

 私がこの姿になったのは、半年あまり前に遡る。



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第一章 変わる日常
始まりの日


 その日はようやく仕事に一区切りが付いた。

 検図を終えた図面は、明日にはあちこちの鉄工所にばらまかれているだろう。もちろん、製作段階でも図面の不備――公差が厳しいとか、印刷が不明瞭だとか――の対応は必要だが、設計者としての仕事は一区切り付いたと言える。

 

「休むのはさすがに無理だけど、しばらくはリフレッシュできそうだな」

 

 一人作業の習い性か、思ったことが独り言になる。

 

「昌幸ぃ、久々に今晩、一杯行くか?」

 

 独り言に応えるように後ろから声がかかる。振り返ると、谷口さん――上司の――が、右手でお猪口を持つ仕草をしている。こんなお誘いは珍しい。

 

「今日は止しときます。こんな日ぐらい早く帰ってやらないと」

 

 

 

 帰宅すると元気な足音が近づいてきた。トトトトトッは三歳の息子、ペタ、ペタ、ペタは一歳の娘だ。

 

「お父しゃん、お帰りっ」

 

 満面の笑みで跳びついてきた息子を抱きとめ、天井近くまで持ち上げてから床に降ろす。

 

「あー、あー、あー」

 

 娘は両手を前に出してよちよち近づいてくる。『抱っこ』要求に『高い高い』で応えると、娘ははじける笑顔とともに手足をばたつかせる。

 

 何でもない毎日だ。

 私はこの毎日が、明日も、一ヶ月後も、一年後も、ずっと続くと思っていた。

 

 その日が来るまでは。

 

 

 

 朝、起きると身体が怠い。頭痛と腹痛もある。汗で髪が張り付いた額に触れる。もしかしたら熱もあるかもしれない。無理がたたって、風邪をひいたらしい。

 

「大丈夫?」

 

 妻の(なぎさ)が優しく声をかけてくれる。私は「大丈夫だ」と応えると顔を洗って食卓についたが、食欲がわかない。まるでひどい二日酔だ。

 

「腹の具合が悪いから、ヨーグルトだけにしとくよ」

 

 少し無理をして、ヨーグルトを胃に流し込む。妻はそんな私をチラと見た後、娘の口にスプーンを運ぶ。

 

「お母しゃん、食べさして」

 

(つぶら)ちゃんはまだ自分で食べられないから仕方ないの。(あまね)君はもうお兄ちゃんなんだから、自分で食べてね」

 

 いつものやり取りだ。妹が生まれて一年強、周の赤ちゃん帰りは続いている。

 今まで独占してきたお母さんが、自分一人だけのでなくなったのだから当然だ。末っ子以外の子どもは多かれ少なかれそういう段階を踏んでお兄ちゃん、お姉ちゃんになる。

 

 私は微笑ましくそれを見ていたが、不意に気分が悪くなりトイレに走った。

 結局、無理して入れたヨーグルトも残らず吐き出してしまった。

 

 

 

 会社には行ったものの、吐き気と下痢は治まらず、その日は早退することにした。設計は一段落したし、図面の問い合わせについては上司にお願いしても問題ないだろう。

 

 

 

 翌日も体調の悪さは続いていた。昨日から何も食べていないのに下痢だけは続く。食べたものは残らず吐いてしまうし、水すら飲むのが辛い。

 

 これは本格的にヤバい。

 

 受診した結果、急性腸炎の疑いと嚥下障害の症状で、即日入院となった。今のままでは脱水症状を起こしかねないという判断だ。

 

 その日から食事は点滴になった。

 

 

 

 発熱から既に三日、身体の中が空っぽになったはずなのにその日も下痢は続いていた。腸炎の疑いって割には、炎症反応薄いんだけどな。

 

 見舞いに来ていた渚を、母さんがそっと連れ出した。

 私に言えない病気なのだろうか?

 

 不安に()られた私はベッドから身体を起こした。床に足を付けメガネに手を伸ばす――と同時に、私の視界は急速に狭まる。最後に見たのは、一メートルほど前の床に点滴スタンドが倒れるところだった。

 

 床に倒れた割に、衝撃を感じなかったな……。一瞬そう考えた後、私の意識は闇に墜ちていった。

 

 

 

 目を開くと、さっきまでとは別の病室のようだ。周囲には『いかにも』な機械が並んでいる。点滴以外にも、管がいくつも私に繋がれているようだ。

 このメーカー、医療器も造ってたんだ……と、どうでもいいことに思いを巡らす。

 

 機械のモニタの日付は、二十日近く進んでいる。とにかく身体が怠い。視界にも違和感を覚える。

 

「二号室の患者様、意識が戻りました」

 

 遠くで看護師らしき声が聞こえる。

 程なく、医師と看護師がやってきた。

 

 

 

「今回、小畑さんを担当する高瀬と申します。よろしく。

 さて、気分は、いかがですか?」

 

 三十代も半ば過ぎの医師が尋ねてきた。柔らかい笑顔はいかにもリア充なイケメンで、半袖からは筋肉質な腕。なんだかんだ言っても医者は体力仕事だからな。いや、筋肉なら私も負けない。

 

「かッ、は……」

 

 声が出ない。私は、管の繋がっていない右手で喉を指さし、声を出せないことを何とか表現する。動かした右腕が重い。身体に力が入らない。

 

 無理に身体を起こそうとした私の動きを、看護師が制した。

 

「そのまま、横になっていて下さい」

 

 私の胸元に当てられた掌はひんやりとしている。いや、私の方が熱っぽいのだろうか。そのひんやりとした感覚が、思考にかかった霞を払ってくれるような気がする。

 

「あなたは十九日間も、意識を失っていたのよ」

 

 まだ二十歳そこそこと思しき若い看護師が、枕の位置を直しながら言う。

 

 えーっと、看護師の方、近いです。襟元から谷間とレースの縁取りがついたベージュ色のモノが見えます。白衣って、こんな胸元開いてるもんでしたっけ? 健康だったらオジサン、別の理由で体温上がっちゃいそうです。

 数瞬の間、不埒な考えに視線が泳いだが、鉄の意志でそれを医師に戻す。

 

 

 

 医師の説明によると、ずいぶん長いこと意識を失っていたようだ。一時は昏睡状態にも陥り、命すら危ぶまれたらしい。

 

 うん。まず心配をかけた家族に謝らなくちゃいけないな。

 

 危機は脱したので、あとはゆっくり養生すれば健康を回復するだろうとのこと。「若いですから、回復は早いでしょう」と言うが、私は見た目こそ若く見えるが厄も近い。若い頃に比べると、疲れが残るようになってきた今日この頃。

 

 しかし、三週間も寝ていたら病気じゃなくても寝疲れするだろう。

 頭を掻くと、洗っていない頭皮は脂っぽい。でも額や頬はそれほどでもなく、顎や首回りには無精髭もない。誰かが顔や髪を拭き、髭もあたってくれたようだ。これも十分感謝しなくてはならない。

 

「結局、私の症状は、何だったのでしょう?」

 

 医師を手招きし、かすれ声にすらならない吐息で訊くと、医師は一瞬眉根を寄せた。「それは此方に説明して頂きましょう」と言うと、年配の看護師を残して部屋を辞した。

 医師は「できるだけ手短に」という言葉をかけ、別の一団と入れ替わる。

 この人達、いつの間に部屋に入ってたのだろう?

 

 近づいてきたのは、白髪のお婆ちゃん、そして二十代前半ぐらいだろうか、長身の美人さん、黒いスーツの男性二人、そして私の母と妻の渚。さすがに子ども達は連れてきていない。

 

 

 

「私どもは『血』を受け継ぐ者です。そしてあなたの母上とは、おそらく遠縁にあたります」

 

 血?

 

 頭の中に『?』マークが浮かぶ。『ヒメミコの血』とお婆ちゃんは言うが……、ひめみこ? 姫巫女?

 

 の割に、二人とも地味な服装だ。巫女って言うなら例の服を着てこなくちゃ。

 美人さんは茶色から栗色に近い髪と青い目だ。って事は、あちらの血が混じってるのかな? まぁ美人なら黒髪でなくとも巫女装束が似合うに違いない。ご利益(りやく)なさそうだけど。

 いや、お婆ちゃんはいい。

 姫というにも巫女というにも、(とう)が立ちすぎだ。半世紀前ならともかく……。

 

 私が失礼なことを考えていると、その姫巫女のお婆ちゃんは、看護師と黒スーツ二人に外に出るよう促した。黒スーツは二言三言抵抗したが、この建物の安全は確保されているということで部屋の外に出て行った。スミスとKはお婆ちゃん達のボディーガードらしい。

 

 ところで、私としては病状や原因を知りたいのであって、巫女さん達――宗教的な方々――のお世話になるつもりは無い。ボディーガード付きの宗教関係者って、ちょっと怖い。まさか、変な儀式や(まじな)いを始めるなんて、あり得ないか。

 

 

 

「まず、あなたの身体に起こったことですが……、神子の血が発現したのです。

 通常、成人してから起こることは希で、まして男性に起こることは例外的です。

 男性に起こった場合致死率が高いと云われています。生き残れたのは僥倖(ぎょうこう)と言えるかも知れません」

 

 なんだか見た目の割に若いしゃべり方をするお婆ちゃんだ。でも、今日日の六十代はこんなもんかな? 親父の『ガールフレンド』達も元気だし。

 

『生き残っただけでも僥倖』か……、うん、感謝だ。子ども達の為にも生きなくちゃならないし。

 

 で、姫とか巫女とか、私のようなオジサンとどう関係があるんだろう。

 

「『血の発現』の結果、あなたは神子としての肉体を得ました。おそらくは『格』の高い神子となる資質があるでしょう。さし当たり、まずは女性として生きることに慣れて……」

 

 え?

 

 今、なんつった?

 

 姫?

 

 巫女?

 

 女性として?

 

 なんか、今、さらっと変なこと言わなかった?

 

 どういう意味?

 

 私は急に息苦しさを感じた。

 胸を締め付けられるような痛みを覚える。

 見上げた天井が近づいたり遠ざかったりして見える。

 周囲の機械から警告音が鳴りだす。

 医師と看護師が慌ただしく動き回るが、その音もだんだん遠くなり……

 

 

 

 私は再び気を失った。



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その日、そして私は

 重い瞼を持ち上げると、さっきまでとは別の病室のようだ。周囲には『いかにも』な機械が並んでいる。点滴以外にも、管や線がいくつも私に繋がれている。

 医療器のモニタに表示された日付は、……ん? なんだか既視感がある。

 

 そうだ、さっき姫だか巫女だかのお婆ちゃんに変なことを言われて……、そこで記憶が途切れている。

 

 

 

 女性……、私は聞いた内容を反芻すると、意を決して手を自分の下腹部に持って行った。

 

 紙オムツらしき感触。さすがに中に手を入れる勇気はない。少しの逡巡(しゅんじゅん)のあと、オムツの上に恐る恐る指先を這わせる。

 進めた指先は、途中から斜面を滑落する。尾根付近の内側に骨格があることは伺えるが、そこから先に手がかりらしきものは無い。指先から、頬から、血の気が引くのを感じる。

 同意無しに身体を造り替えるなんて、犯罪じゃないのか? それとも、命と性別で命を取ったのか?

 いや、仮にやむを得ない事情があったとしても、それ以上のことが必要とは考えられないし、渚がそれに同意するとも思えない。

 子ども達が「おまえのとーちゃんニューハーフ」とか言われるのは、あんまりだ。

 

 手を上に持って行く。既に結論は出ているが事実確認だ。

 入院着の上から手を触れると予想よりも小さい。頂も申し訳程度だ。結婚してからはご無沙汰だが、週三回ジムで鍛えていた男の体じゃ仕方ないのだろうか。

 ……いや、私は一体何を期待していたんだ?

 

 作り物だから仕方ないのだろうか、小さな膨らみは不自然な硬さだ。触れた頂もヒリヒリするが、どうせ四十間近。今更使い途はない。

 

 この手の小説は読んだことがある。少年が目を覚ますと少女になっていて、さぁ大変! というアレだ。

 それで言うところの「ない~! ある~!」のシーンだが、アレは当事者が十代で思春期まっただ中だから成立する。若い頃ならともかく、四十路間近のオッサンがオバサンになっても、あるのは更年期障害だけ。

 

 入れ替わりものとかは、娯楽として客観的に楽しむ分には良いが、当事者となると笑えない。父親として子どもに接することはできなくなるだろうし、夫婦生活も……。

 まさか自分がその立場になるとは。

 

 

 

 事実確認を終えて溜息をついた瞬間、側の機械から警告音らしき電子音が鳴り出した。心電計の電極でも外れたのだろう。

 

 私が体を起こすと同時に看護師が入って来た。上半身を起こした私を見る表情に安堵がある。

 私は目礼し、水差しを指さした。

 看護師は「少しずつですよ」と断ると、水差しからコップに半分ほど水を注いで手渡してくれた。

 

 私はゆっくりと、確かめるように飲み込む。やや(ぬる)いが、ひりつく咽にはこれぐらいの方が良いだろう。十分近くかけてコップに半分ほどの水を飲むとようやく人心地ついた。

 

「あり……、がとう……」

 

 何度か咳き込んで、やっと声が出た。以前と違う自分の声に違和感を覚える。

 

 水を一口飲んだことで内臓が目を覚ましたのか、下半身に『ある感覚』が現れた。

 意識があるのに放出ってのは、大人として沽券に関わる。

 私は看護師にトイレへ行く許可を求め、ベッドから降りた。

 

 今度は無様に倒れずに済んだが、身体には倦怠感が幾重にも縋りついてくる。それらを引き連れたままトイレに向かうのは、三メートルが三百メートルにも思える作業だ。

 

 私は何とか個室のドアを閉めて便座に向かう。

 

 

 

 そこから先の描写は省かせてもらうが、あることが重大な事実を私に突きつけた。

 

 私のそこは、不毛地帯だった。

 

 慌てて鏡を覗き込む。そこに映る私は髪の大半が抜け落ち、夏毛になったかのように細く短い毛がある。新たに生えた部分は白髪混じりのせいか――黒い髪の方が少ないが――まだらに見えてみすぼらしい。

 しかし、頭髪とは対照的に、顔自体は四半世紀ほど前の姿だ。どういうことか解らないが、外見は若返っているようだ。

 

 眼鏡を掛けていないのに周囲がはっきり見える。視界の違和感はこれか。

 私が眼鏡を使い始めたのは、中学二年のとき。若返っているとすれば、今の肉体はそれ以前のものだということ。一方で、胸乳(むなぢ)は微妙にふくらんでいる。第二次性徴が現れる年代だ。

 

 今の私はせいぜい十二、三歳だということか……。

 はぁ……。これからどうしようか。

 

 この外見では仕事を続けられない。まず、打合せで門前払いだ。

 

 SOHOでCADオペさんでも?

 

 無理無理。今時オペにそれだけの仕事量もない。

 

 顔も合わせられないんじゃ、貰える仕事も貰えない。

 

 そもそもこの姿では労働法的に就労できない。

 

 私の預金は、定期やなんかを解約してもせいぜい三千万。決して少ない額じゃないが、生活費として使えばあっという間だ。

 渚はフルタイムで働いているけど、その給料で家族全員養えるかというと……、難しい。

 

 株なんて博打みたいなもんだし。

 

 どうする?

 

 私がここから成長できたとしても、就労できる外見を得るまでには五、六年かかるだろう。それから得られる収入で子ども達を学校に出してやれるだろうか? いや、そもそも大人の姿に成長できるのか?

 

 まてよ、それより私の戸籍はどうなっている?

 

 どう考えても、今の私は公的には存在しない人間だ。まともに就労すること自体無理。コンビニのバイトすら望めない。

 

 姫とか巫女とか言ってたけど、資産も稼ぎも身元保証も無いでは、非合法なお仕事一直線じゃないか。でも、子ども達を育てるためには、世界最古の職業も視野に入れるべきなのだろうか?

 

 私は鏡に両手をつき、そこに映る自分を見た。

 

 鏡の向こうの(かお)は病的に白く、目ばかり大きく見える。

 

 混乱、困惑、焦燥……、感情の入り交じった表情。思考だけがぐるぐると回る。

 

 

 

「……さん、小畑さん! どうしました? 大丈夫ですか?」

 

 看護師の声にハッと我に返る。また意識を失ったと思われたかもしれない。

 

「は、はい、生きてます。今、出ます」

 

 私は応えると周囲を見回した。百貨店の紙袋の中を覗き込むと、替えの下着や洗面道具が入っている。先月、渚が持ってきてくれたものだろう。

 

 私は袋からトランクスを取り出すと急いで身につけた。

 当然だがウエストが緩い。二十センチほど縮んで、今は六十センチもないだろう。痩せたせいか、ウエストのゴムが肋骨に届きそうだ。

 収まりが悪いが仕方がない。落ちてこないよう手を腰にやる態で入院着の上からトランクスを引き上げておく。後で渚にサイズが合う下着を買ってきて貰おう。

 

 

 

 トイレを出ると、病室の入り口に付近にはさっきのメンバーが揃っており、例のお婆ちゃんが座るよう促した。

 

 私はそれに従った。



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別人として

「ィっ、つ!」

 

 下半身に痛みが走る。思わず腰を浮かせる。

 

 そのとき私が履いていたトランクスは、布の合わせ目が背面中央から股下に向けて走り、前の窓に至る縫製になっている。

 以前の身体なら、汗に濡れて布地の動きが悪いとかでなければグイッと来ることは無かった。仮に食い込んでもその範囲は股下あたりで物理的に止まったのだが、今の身体はその辺の構造が変わっている。

 まして、下がってこないよう(へそ)の上で引っ張り上げていたから、座って後ろに引っ張られた瞬間、縫い目がどうなるかは推して知るべし。

 

 痛みに、前屈みになる。

 

「ケホケホ」と咳き込むふりをしながら右手でコップを取り、水をくれるようにお願いする。

 

 皆の注目が右手のコップに集まったのを確認して、左手をお尻に回した。屈んだまま腰をさするふりをしてトランクスに余裕を持たせ、中央の縫い目の位置を左足付け根側に引っ張る。

 男で言うところのチン・ポジ作業。こんな場面でするとは……。痛みと情けなさで、目尻に涙が滲む。

 クソっ。何でボクサータイプを選ばなかったんだろう。あれなら縫い目が両脇にしか無かったのに。

 

 今度は無事に座ると、年配の看護師さんから説明があった。

 私は過換気症候群で意識を失ったらしい。

 

 

 

 さっきの姫巫女のお婆ちゃんが続きを話すそうだが、私はそれを制した。そんな話より重要なことがある。

 

「お話をうかがう前に、二,三、訊きたいことがありますが、(よろ)しいですか?」

 

 お婆ちゃんは黙って頷く。

 

「一応、確認ですが……、今の私の身体って、外科的に造ったものですか? あるいは、別の体に脳だけ移植したとか……」

 

「いいえ。その姿は貴女本来のものです。私たちは、生命維持や清拭などを超えることはしていません」

 

 本来って……、じゃぁ、これまでの人生は、父親として、夫としての私は何だったんだろう?

 

「元の姿に戻れる可能性は、……ありますか?」

 

「無いものと考えて下さい。過去、元の姿に戻った例はありません。まして貴女の場合は性別すら変わっています。一生をその姿で生きることになりましょう」

 

 そんな簡単に変われるはずもないか……。ま、期待はしてなかったけど。

 

 

 

「まず、先月までの私は存在せず、今の私も公的には存在しない人間ですね。

 戸籍やなんかはどうなりますか?

 この状況じゃ、正規の方法では……、それ以前にこの外見では仕事もできないです。

 わざわざ私に会いに来るってことは、この状況に対してなにかあるんでしょう?

 私はともかく、子ども達はどうなるんですか?

 なんか……、ぶっちゃけ、経済的な援助とかあるんですか?

 それにたいして、私は何かしなくてはならないのですか?

 

 ……あ、すみません。

 別にあなたの所為(せい)ってわけじゃないですね。

 でも、とにかく今の状態は困るんで、正直、藁にもすがりたいんです」

 

 お婆ちゃんは苦笑とも微笑みともとれる表情をして話し始めた。

 

「それは当然の心配です。ですが、無用の心配です。

 

 まず、戸籍については貴女の回復を待って新たに準備いたします。結果として現在の戸籍は変更……、死亡扱いになりますが、これは仕方ありません。

 さしあたり支度金として一億、更に血を受け継ぐ者として、当面は月々五十万を支給することになっています。合算すれば、貴女が今後受け取ったであろう賃金を十分に超えるかと思いますが、如何(いかが)でしょう」

 

 大盤振る舞いだ。金額もさることながら、戸籍とか公の記録まで改ざんできるのか。子ども達の生活や進学資金の心配が無いことに、安堵の溜息が出る。

 

「参考までに、その金額は税込みですか? あと、通貨は何でしょうか? できればユーロとかだったらいいなぁ」

 

「まぁ。ホ、ホ、ホ……。

 こんな場面でそんな切り返しをする方は初めてですわ。

 

 無論、税引き後、通貨は円です。お望みならドルでもユーロでも支給できますが、その場合は数字が二桁ほど小さくなりますよ」

 

 お婆ちゃんは破顔して答えた。齢の割に変な色気がある。若いころはさぞかし……。美人さんも苦笑している。

 

 私が日本円での支給を希望すると、お婆ちゃんの表情が真剣なものに変わった。

 

「ところで、あなたに求められることの前に、私どものことについて説明しなくてはなりませんね……

 

 

 

 私たちは『比売神子(ひめみこ)』と呼ばれ、この日本に仕えております」

 

 まず漢字が違っていた。でも、普通『ひめみこ』って聞いたら、姫御子でなければ姫巫女って漢字を連想すると思う。

 比売神子は、現代においては宗教的な存在ではなく、一種の異能者と見なされている。と言っても、例自体が少ない上に大っぴらに研究するわけにも行かない事情があるらしい。

 

 お婆ちゃんによると、かつての比売神子たちは、政治的選択にあたっての助言を伝える役を担ってきたそうだ。

 直近の仕事は、戦争は避けるべしというものだったが、結果は第二次大戦の惨禍だ。

 あんまり良い仕事してないようだが、それ以後は直接の戦争をしなかったおかげで、日本はいろいろと問題を抱えながらも今のところは繁栄を謳歌している。これからは分からないけど。

 

 現在、現役の比売神子は四名。目の前のお婆ちゃんと隣の美人さん、あと二人は来ていない。比売神子候補は私を入れて十八名。

 さっき病室にいた看護師も候補者だったが、比売神子にはなれなかったそうだ。それでも、組織のバックアップに携わっている。

 

 比売神子の役割は、国が岐路に立ったときに進むべき道を伝えることだが、直近の仕事は空振りで、それ以後も開店休業状態。しかし、関係者には国のバックアップがある。

 とりあえず、日の丸がバックにあって、(にえ)とか人柱(ひとばしら)的なのが無いことに安堵した。

 

 比売神子の血を強く受け継いだ者は『血の発現』を経て神子となり、その後の通過儀礼によって比売神子となる、らしい。

『血の発現』を経るだけで、異能と言える力を持つらしいが、それがどの方向に出るかは分からないそうだ。

 

 この『血の発現』は概ね十二歳から十七歳で起こり、その過程で第二次性徴初期の姿となる。

 もちろん、成人してから『血の発現』が起こることもある。むしろ高い年齢で起こるほど、より力を持った『格の高い』比売神子となる可能性があるが、身体の変容に耐えられず命を落とす者もいたそうだ。

 

「はしかや水疱瘡は、子どものうちに済ませておいた方が楽ってことですか」

 

「人の血と神子の血のせめぎ合いです。互いが強ければ強いほど発現は遅れ、せめぎ合いも苛烈を極めます。その結果、命を落とす者も少なくありませんでした。

 ですが生き残れれば、より強い力を持った比売神子となります」

 

「ダムがでかければでかいほど水は時間をかけて貯まり、決壊したときの破壊力も大きい、ということですね」

 

「先ほどから神子の血を病原菌か災害のように言っておられるようですが、筆頭比売神子様を前に無礼ですよ。

 本来、比売神子候補となるだけでも、とても名誉な事です」

 

 初めて美人さんが口を開いた。

 

「お姉さん、子どもいる?」

 

 私の声は硬かった。少女の声だが、自分でも信じられないほどに威圧的だった。

 

「うちの子は甘えたいさかりで父親を失うんです。その意味分かってます?

 あんたにとってはどうか知らんけど、私の家族にとっては災害以外のなんだって思います?」

 

 

 

「二人とも、お止めなさい」

 

 お婆ちゃんの声は決して大きくはなかったが、不思議と他を圧する力があった。

 

「あまりにも突然で、しかも重大な話です。冷静に、と言うのが無理な注文でしょう。

 続きは後日に改めましょう」

 

 そう言い残すと、比売神子の二人は部屋を辞した。

 

 

 

 母も渚も目を赤くしている。

 

「ごめん」

 

 私がうな垂れて一言発すると、渚は私の側に座り頭を抱き寄せた。左頬に渚の体温と鼓動が伝わってくる。

 

「あなたはあなたで居てくれた。どんな姿になっても、あなたはあなたよ」

 

 涙が出てきた。逆の立場だったら、私は同じことを言えただろうか?

 

「済まない、しばらく一人にしてほしい」

 

「分かったわ。何か欲しいもの、ある? 買ってくるから」

 

「と、とりあえず飲み物と、あと、身体に合う下着を。その、今履いてるのは緩くて……」

 

「一応訊くけど……、男性用? 女性用?」

 

「……。

 じょ、女性用でお願いします」

 

 渚は(いぶか)しげに私の顔を覗き込んだ。まさか私の性向に疑いを感じているのか? だったら、黙って両方買ってくればいいのに。

 

「お、女として生きることに慣れなきゃいけないし、いずれ避けて通れない(みち)だし……。それに、男性用はどうせすぐに処分しなきゃいけないからもったいないし。

 知ってるだろ。形から入る方だって」

 

「そ、そうだったかしら?」

 

 なんだか、疑われている気がする。でも、本当の理由はみっともなくて言えない。

 

 

 

 その日から、私は別の人間として生きることになった。



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ナル……?

 一夜明けて翌朝、私はトイレで半寝ぼけから完全に覚醒した。

 

「はぁ、夢ってオチは無かったか……」

 

 紙で拭き取る。プレパパ教室――これからお父さんになる人向けの講習会――で習ったように、前から後ろへ優しく。いや、それは大きい方の時だったか……? 小の時は軽く当てるだけでもいいんだっけか?

 

「子どものために習ったけど、自分にすることになるとは思わなかった」

 

 この独白も、昨日から何回目だろう。

 

 既に下着は渚が買ってきたものに替えている。以前とは異なり、左右対称にきちっと収まるのは、ある意味新鮮な感覚だ。

 

 この手の話で『男のプライドでこれだけは』って描写がある。

 しかし私のプライドは昨日のあの一撃で簡単に折れてしまった。この身体でトランクスはエラいことになる。ものの形には、すべからく理由があるのだ。

 そうそうあることとは思わないが、同様の経験をする諸氏には、トランクスだけは止めておくよう忠告したい。

 そう言えば、テレビに出てた男装女子は下着まで男物らしいが、どう対策してたんだろうか? その辺のことは触れられてなかったけど……。

 まぁいい。どうせこの姿に慣れなくちゃいけないし、それを意識するにはまず形からだろう。早いか遅いかの違いだけだ。

 私は自分を納得させた。

 

 鏡に映る自分の姿を見る。

 自分で言うのもアレだが、少しやつれているにも関わらず美しい。美少女と言っていいだろう。毎日見慣れた自分の姿としてではなく、四十近いオジサンの視点で客観的に見ているからだろうか、見惚れてしまう。

 私はこんなにナルシストだったのだろうか。いや、昨日とは違って、心に余裕があるからそう見えるんだろう。

 

 ふと昔のことを思い出す。

 男子トイレの前でぎょっとされたこと数知れず。街頭で、明らかに女性に配るべきティッシュを渡されたことも……。

 そして極めつけは男にナンパされたこと。高校一年のときだったが、あのときは男性であることをなかなか信じてもらえなかった。

 後で憤懣(ふんまん)を吐き出していたとき、周りの目が妙に生暖かかったのは、この外見のせいだろう。自慢していると受け取った者もいたに違いない。

 

 と、違和感に鏡を覗き込んだ。昨日は気付かなかったが、目の色が違う。

 黒目の外周が青みを帯びているのは以前からだが、私の目はむしろ黄土色に近い薄茶色だったはず。それが今は明るい群青色になっている。虎目石から猫目石に格下げだ。

 さすがに左右の目の色が違うとかじゃ無くて一安心だが、この色ではカラーコンタクトをしているイタいオジサンだ。あぁ、今は十代の姿だから許容範囲だろうか。

 

 更に観察を進めると、この三週間で新たに生えてきたらしい部分は白髪だ。残っている黒い髪も根本は白い。

 もともとサイドは白髪が目立ち始めていた。その数年前から、鼻毛と眉毛の白髪率も急上昇していた。そこに来てこの身体の変化。心身の負担で白髪になるくらいは仕方ない。とりあえず禿げてないなら良しとしよう。今の身体の年齢なら、健康を取り戻しさえすれば色は戻るだろう。

 

 

 

 タオルを頭に掛けて伸びた髪をシミュレートする。……見れば見るほど愛らしい。十代の私はこんな姿をしていたのだろうか?

 いや、随所に面影を残してはいるが違う。

 明らかに違うのは目の大きさと顔の縦横比だ。目は大きく、顔は丸顔よりの卵形。頬から顎にかけてのラインがいかにも女性的だ。いわゆる女顔ではなく少女の顔。

 

 よく見ると、目が大きくなったと言うより頭部自体が小さくなっている。特に眉から下が縦方向に小さくなっていて、少女と言うより幼児のようなバランスだ。頭蓋骨だけ見たら、宇宙人みたいなんじゃないだろうか?

 

 身体全体の骨格も小さくなっている。

 思えば、隣に座った渚の方が頭一つ大きかった。何故、気づかなかったのだろう。自分の体格の変化に気付けないぐらいテンパっていたようだ。

 とりあえず、この姿にも慣れて行かなくてはならない。

 

 

 

「小畑さん、朝食ですよ」

 

 ドアの向こうから看護師さんの呼びかけが聞こえる。

 そうだ、今日から食事は点滴じゃなくなる。

 数週間ぶりの食事への期待に、胃袋も催促の声を上げる。

 

「はいっ!」

 

 私はドアを開けた。濡れた手を行儀悪くお尻で拭いてベッドに腰掛ける。

 

「無理せず少しずつ食べて下さい」

 

「頂きます」

 

 部屋を後にする看護師さんを見送り、一人手を合わせて箸を取る。お膳の蓋を取ると豆腐の味噌汁、ご飯は白粥、青菜のおひたし、匂いからいってリンゴのゼリー……、見るからに消化の良さそうなものばかり。温泉卵あたりも付けてくれれば()(かけ)(ごはん)を食べられたのだが、贅沢は言えない。

 

 箸の先を味噌汁につけて濡らす。これも行儀は悪いが、こうすることで飯粒が箸に付きにくくなる。

 看護師さんに言われたとおり、ゆっくりと箸を進めた。

 

 

 

「ふぅ」

 

 数週間ぶりの食事は美味しかったが、長い断食で胃が小さくなったのか、食べきれない。申し訳ない気もするが、半分近く残してしまった。でも、ゼリーだけは後で小腹が空いたときのため、冷蔵庫にしまっておこう。

 

 

 

 食べ終わると所在ない。本来なら出勤している時間だ。

 あれから三週間、部品もぼちぼち揃い始めているに違いない。一部、組み始めているだろう。

 

 三次元で設計してるから「あ、あたっとる」とかは無いと思うが、ちゃんと問題なく試運転までいけるだろうか。

 こっちから連絡を取るわけにはいかない。もっとも、連絡したところで「どちら様ですか?」に違いないけど……。

 

 バッグを探ってみると携帯電話があった。充電しつつ着信履歴を見ると、入院して二、三日目に数件ずつ。さすがに昏睡状態に陥った時期以後に着信は無かった。それでも律儀にショートメッセージで経過が送られている。内容を見る限り、サーボモータと制御盤の入荷が遅れている以外は順調に進んでいる。

 

 これが『小畑昌幸』としての最後の仕事か。画竜点睛を欠いたな。

 私はため息をついた。

 

 と、着信音。母からのショートメッセージだ。十時前に来ると連絡。今後について話すことがあるらしい。

 

「今後か……。問題山積だ」

 

 時計に目をやると、十時までは三十分以上ある。とりあえずシャワーを浴びよう。とにかく脂っぽい頭を何とかしたい。

 私は風呂場の洗面道具を確認した。



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入浴後

 脱衣所で紙袋の中をチェック。

 タオル、シャンプー、石けん、最低限必要なものは揃っている。垢擦りやスポンジの類は無いが、タオルで代用できるだろう。

 

 目を閉じて深呼吸を二回。意を決して、鏡を一瞥(いちべつ)する。向こう側の少女も凛々しい視線をこちらに向ける。

 

 うゎ、その顔も可愛い。

 

 そう思った瞬間、鏡の中の少女も表情を変える。頬は薄紅に染まり、少し困ったような視線をこちらに向ける……。

 燃え上がるような欲情とは違う別の暖かいモノ、強いて言えば保護欲と表現できようか。それが私の胸を満たす。

 これが萌えってやつか? いやいやいや、娘に似ているからだ。(つぶら)があと十年もすればこの姿になるだろう。うん。親として娘を想う気持ちがそうさせるに違いない。

 悪い虫が付かないか、今から心配だ。

 

 今一度目を閉じ、首を左右に振って深呼吸。

 浴室のシャワーを予め適温に調整してから、鏡を背にして検査着を脱ぎ始める。

 躊躇すると途中で作業が止まってしまいそうなので、目を閉じたまま息を止めて一気にすべて脱ぐ。……息まで止める必要はなかったな。

 

 浴室の戸を開けると、中は既に湯気に満たされていた。

 当然、鏡も曇っている。

 

 湿った熱い空気の中、頭からシャワーを浴びた。

 いつも通り頭を洗うが、三週間分の皮脂汚れのためかシャンプーの泡立ちが悪い気がする。一度すすいだ後、再び頭を洗う。今度はいつもの泡立ちだ。再度すすぐと、トニック成分が入っているためか、頭皮にひんやりとした感覚がある。

 

 今度は身体を洗う。タオルにボディソープを付け、左の上腕から洗う。作業が滞らないよう無心で擦る。

 

 さすがに下だけはソープを付けるのが(はばか)られるので、全身の泡を流してから流水で洗う。直接シャワーを当てるのもちょっと怖いので、ヘソ周辺に当てた流水で洗う。洗っている中指の腹に違和感があったが、すすぎが甘かったのだろう。余計なことは考えない。

 

 シャワーを止めて脱衣所に出た。

 換気扇が回っているため、ドアの隙間から病室の空調の効いた空気が流れ込む。(くるぶし)周辺にひんやりとした空気が心地よい。

 

 手早く身体を拭き、渚が準備してくれた新しい下着を着ける。上は胸に裏当ての着いたタンクトップ風。こればかりは、きちんとサイズを見ないと準備できないらしい。

 胸の先端に違和感がある。洗い方が雑だったのかヒリヒリする。気になりだしたら全身にヒリヒリ感。こすりすぎたか?

 

 しまった。下着は用意したけど検査着の替えを持ってこなかった。何か羽織るものを探して首を巡らすが見あたらない。

 と、美しい少女と目が合う。いつの間にか鏡の曇りが消えかかっている。微妙に縞模様になっているところを見ると、鏡の内側に温水の配管を通して曇りをとっているのだろうか。

 

 女、なんだよな……。

 

 (へそ)の辺りを見下ろす。この内側に今まで無かった器官があるということか……。の、わりにはぺったんこだけど、本当に入っているのかな? その先には見慣れたものはなく、なだらかな丘があるのみ。どことなく某エコカーのノーズを思わせる。

 

 ため息をついて、鏡の向こうの自分を見る。

 湯上がりの上気した肌が……、いかんいかん、どんどんナルシストになっていく。自分の姿を見て現実逃避って、いくら何でもマズい。

 とりあえず、検査着を着ないと。

 

 

 

 脱衣所のドアをそっと開け、病室に誰もいないことを確認する。パン一じゃ無いけど、こんな姿は他人に見せられない。

 備え付けのクローゼットには、……無い。ベッドの下とかにも、無い。

 しくじった、検査着の替えが無い。

 せめてバスローブか浴衣でもと思うが、残念ここは病室だ。ホテル並みの設備があってもホテルではない。

 

 ナースコールで着替えをお願いするか? いや、そんなルームサービスみたいなことに看護師の手を煩わすのは心苦しい。

 そうだ、母に電話して、パジャマ代わりの服を持って来てもらえば!

 

 私は携帯電話をバッグから取り出しコールした。

 

『おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波が……』 

 

 プチッ。

 ナースコールは心苦しい。ここはさっきのをもう一度着て、ナースステーションに着替えをお願いに行こう。

 

 

 

 ため息を一つして脱衣所に戻ろうとドアに手をかけた瞬間、前触れもなく病室のドアが開いた。

 

 母と目が合う。

 

 私が固まっていたのは、時間にして二、三秒だろうか。首筋から頬、耳、額へと熱い感覚が上がってくる。

 

 次の瞬間、私は身を翻してベッドにもぐり込み、布団にくるまった。

 

 見られたっ! 女物の下着を着けた姿を見られた!

 

 顔は羞恥に赤く染まっているに違いない。自分でもどうやってベッドに飛び乗ったか分からない。

 

「何で、ノックしないでドア開けるかな!」

 

「ごめんなさい。まさかそんな格好だと思ってなかったから」

 

『そんな格好』という言葉が、私の羞恥心に追い打ちをかける。

 

「とりあえず、検査着の替えを。あと、携帯は電源入れといてよ」

 

 着替えをベッドに置いてもらい、カーテンを閉めてもらうと、私は布団から這い出した。

 淡いベージュの検査着に袖を通し、ボタンを留める。

 身繕(みづくろ)いを終えてカーテンを開けたが、……気まずい。

 

「ちょっと飲み物買ってくる。近くに自販機ある?」

 

 

 

 ペットボトルを三本持って病室に戻ったが、今来ているのは母さん一人らしい。良かった。あんな姿、渚には見せられない。

 

「渚は?」

 

「仕事」

 

「そか。夫がこんな姿なんて、ちょっと受け入れられないよな」

 

 私はうな垂れた。

 

「変わっていくあなたの身体を拭いてくれてたのは渚ちゃんよ」

 

 私はハッとして母の顔を見た。

 

「あんた、いいお嫁さんもらったね」

 

 母によると、渚は私の身体の変容について聞き、その過程で死に至る可能性があることも聞いて、それでも最期まで妻であろうとしてくれたそうだ。

 私の姿が変わっても、意識を取り戻したことを喜んでくれた。

 そして困惑しながらも、何より子ども達のことを先ず心配したことを喜んでいたそうだ。

 

 言葉にされるとちょっと照れる。

 

「ま、父親の務めだからね。今はこんな姿だけど……。

『父親』、か」

 

 私は自嘲気味に鼻を鳴らした。病室に(しば)し沈黙が落ちる。

 

「話というのは、今後のこと。昌幸はどうしたい?」

 

「どうって、別の人間として生きてく以外に選択肢は無いんだろ」

 

「子ども達とは?」

 

「そりゃ……、一緒に暮らしたいし、成長には関わりたいよ。

 でも、それは無理なんだろ」

 

「……、

 二人の姉として、生きる覚悟、ある?」

 

 それで傍にいられるなら……、私は一も二も無く頷いた。



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『小畑昌幸』の肖像

 一月前までの『小畑昌幸』はしがない会社員。

 妻である(なぎさ)との間に、長男(あまね)、長女(つぶら)の二人をもうけ、小さな幸せを享受しているごく平凡な男だった。

 しかし、新たに別の経歴が加わる。

 

 会社員でありながら、実は凄腕のデイトレーダーとしての顔を持ち、その資産は数億円。

 現在の妻と結婚する前に別の女性との間に女児をもうけたが、米国でのことだったため本人はその存在を知らなかった。その女性が亡くなる直前に娘がいることを知らされる。

 

 娘は小児がんを患っており、その治療は日本で行うことが難しい。結局、米国での治療を選択せざるを得なかった。昌幸は父として自分の資産の大半を娘の治療費に充てる。その結果娘の病は完治したが、今度は昌幸が病に倒れる。

 

 もう残された時間がほとんど無いことを知った彼は、娘を妻に託した。妻はそれを承諾し、血の継がらない娘を我が子として育てる決心をする。

 夫の死に際してその遺産の額を初めて知るも、それを子ども達のためのみに使うこととし、自身は仕事を続けている……。

 

 

 

「なんだか、このストーリーだと『昌幸』ってめちゃくちゃ悪い男な気がする。海外でおイタした挙げ句に知らん顔してバイバイって、考えられん」

 

「そう? なかなかのイイ男じゃない? 昔の女から娘を託されて、実の子かも確認できないのに億の金突っ込むんだから」

 

「まぁ、でも、出来過ぎと言うか、御都合主義と言うか、ベッタベタと言うか……。平成どころか昭和の昼ドラでももうちょっとマシな設定だと思うけど」

 

「じゃぁ、サスペンス枠にする?」

 

「それはそれでイヤだな。で、このストーリーを考えたの誰?」

 

「比売神子の二人」

 

 もう、ため息も出ない。

 

「私は今日からハーフってわけか」

 

「いいえ。純粋日本人。米国生まれは、帰国時に日本国籍を取得したことにするため。戸籍が無いのは拙いでしょ?」

 

「渚はこれを了承してるのか?」

 

「大筋では」

 

「なんか、疲れてきた」

 

「疲れてるところ悪いけど、昼食前に病室を移動よ。療養者向けの病棟」

 

 ICUを出るということは、もうバイタルを見る必要は無いということだ。言い換えれば、容態が急変する危険がほぼ無いという判断だろう。心配かけたことを謝らないと。

 

「その髪と目の色は、抗がん剤や放射線治療の副作用ということになるわ。学校にもそう連絡するから憶えておいて」

 

「学校?」

 

「当たり前でしょ。戸籍が新しくなるんだから、義務教育は受けないと」

 

「義務教育? って、中学校から?」

 

「その顔で高校生は無理があるでしょ。あんた、前より童顔なんだから。それとも、小学生からの方がよかった? 見た目はそっちの方が自然だけど」

 

「手戻しは最短で」

 

「じゃぁ、次の春から中二。昨日十三歳になったばかりね。誕生日は好きな日を選べばいいわ。ただし本当のはダメ」

 

「何故?」

 

(のろ)いをかけられないため」

 

 呪いなんて迷信だろ? 第一、生年から性別まで違うんだから、関係ない気もするんだが。

 

「ところで、私の留学時期じゃ、高校生ぐらいじゃないと計算が合わないけど」

 

「あぁ、それね。

 病気と治療のせいで成長が遅れたってことにするそうよ。戸籍上の実年齢は公称よりも三歳上だけど、中学校でいろいろ問題が起こらないように、十三ということにする。校長には話を通さないといけないけど、知る人は最小限にするそうよ」

 

「やっぱ、高校から始めるってわけには、行かないかな?」

 

「その外見と女子歴の浅さで、女子高生できるはずないでしょ。

 産まれの根拠さえなんとかなるなら、小学生から始めるべきだと私は思うわ」

 

「じゃぁ、中二からで」

 

「あと、十八になっても、学校行ってる間は免許とかダメだから」

 

 マジかよ……

 

 

 

 黙っていると、母がハサミとシェーバーを持ってきた。

 

「え? 何するの?」

 

「髪を切ります」

 

「は?」

 

「さっき言ったでしょ。治療で髪が無くなって、今の髪の色は副作用ということになっているのよ」

 

 私は髪を切られながら訊いた。

 

「私がストーリーを考えてもいいのかな?」

 

「いいと思うけど、作るなら急いで。一応『小畑昌幸』は公的にはもうすぐ死亡することになってるから。それに、お金の話は絶対に出るから、早めにね。納税記録の改ざんなんて、そんな簡単なことじゃないし」

 

「自分の息子が死ぬってのに、何でそんなに平然としているかな」

 

「その覚悟は半月前に終わったし。それにあんたは今、姿は変わったけど生きている。

 

 それから、隣の棟に行ったら他の患者さんもいるから、言葉には気をつけなさい。この病院で前のあんたを知ってるのは、高瀬先生と看護師の三浦さんだけだから。

 

 あと、もう一つ大事なこと。自分の名前を決めなさい」

 

「は?」

 

「自分の『娘』でしょ。『父親』として名前を決めなさい」

 

 私が私の娘で、私は父親として娘である私に命名する。

 ややこしい。

 

「はい、完了。頭を洗ってらっしゃい」

 

 私はもう一度洗髪をした。

 ドアの向こうでは箒の音がする。床に落ちた髪を掃除しているのだろう。

 

 鏡を見ると、申し訳程度に残っていた黒い部分は全て刈られ、白髪になっていた。頭は坊主とまで行かない。長さは三センチほど。意外と残っている。シェーバーのバリカンで刈られた眉毛はうっすらと残っているが、白いのでぱっと見には無いように見える。眉毛が無い顔って違和感が強い。

 それを見て母が眉墨を引いてくれた。毛先にうっすらとチャコール系の色がつく。

 

「わざわざそんな色のを準備したの?」

 

「髪の色にある程度合わせたのよ。なかなか良い色が無くて……。これでもいろいろ探したのよ」

 

「とりあえず、ありがと。でも暫くしたら髪の色も戻るだろうし、もったいないんじゃない?」

 

「髪と目の色はずっとそのままよ。比売神子だから」

 

「え、ずっと白髪?」

 

「プラチナブロンドとか、銀髪とか、もうちょっと別の言い方があるでしょ」

 

 日本の学校だったら目立つだろうなぁ。

 染めるか? いや、中途半端に色落ちしたら余計みっともないことになる。それに上手く染まっても、しばらく経てばコーヒーゼリーにミルクだ。メンテナンスが大変なのは避けたい。

 

「学校はインターナショナルスクール、とか?」

 

「田舎にそんなもの在るわけ無いでしょ。北部中学よ」

 

 はぁ……。出身校にもう一度、か……。中学校では、あまりいい思い出がない。

 

 荷物をまとめたところで、涼しくなった頭にニットの帽子を乗せられた。

 

「いいよ別に」

 

「女の子だったら、そこは気にするところです」

 

 なんだか、さっきからスパルタだ。この姿になったせいだろうか、完全に子ども扱いされている。

 

 

 

 車椅子を押されて療養病棟に入る。あれ? 景色が違う。ICUから出て初めて転院していたことに気付いた。

 

「いつの間に転院したの?」

 

「『血の発現』の兆候が出てすぐ。比売神子の存在は知られたくないし、まして十二、三歳の女の子に起こるならともかく、今回は特殊事例だから」

 

 どうやらこの病院はその辺の機密保持が可能らしい。

 

 療養病棟に入ると他にも幾人か患者がいた。検査着じゃ無いのもいるが、多くが検査着だ。

 淡いグリーンと、私と同じベージュの検査着。私はいつからベージュに変えられたのだろうか。

 

 談話室らしきところを通過するとき、一人の少女と目があった。療養だからか、検査着は着ていない。かなり痩せているが高校生ぐらいだろうか? 眉の薄い顔と帽子。多分、私の『設定』と似た境遇だ。抗がん剤の副作用は辛いと聞く。その少女はあの年齢で耐えているのだ。

 母の配慮に感謝すると同時に、後ろめたい気持ちにもなる。

 

 でも、私は海外の病院で療養していた設定だ。病院スタッフはともかく、入院患者とは不用意に接点を持たない方が良いだろう。

 どうせならICUで隔離しておいてくれた方が良かったのに。

 

 私はその日から、療養病棟に移った。退院できるのはいつだろうか。



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訓練

 療養病棟でも個室だった。かなり広い。

 荷物を一通り整理したところで、ノックの音がする。返事をすると、入ってきたのは昨日の比売神子のお姉さんだった。

 

「失礼いたします。

 昨日は配慮に欠けた言葉、真に申し訳ありませんでした」

 

 病室に入ると、いきなり謝罪からだった。

 

「いえ、こちらこそ感情にまかせた無礼なもの言い、申し訳ありません」

 

 ま、この辺は大人の会話だ。

 

「ところで、すみません。まだお名前を伺ってなかったかと思うのですが」

 

「竹内 沙耶香(さやか)と申します。どうぞ名前でお呼び下さい」

 

「えーっと、じゃぁ、さっ、沙耶香、さん? 今日はどういった御用向きですか?」

 

 いきなり名前で呼ぶのは、ちょっと照れるけど……、名前でって言ったしな。

 

「今後のことについて幾つかお話がございます」

 

 

 

 沙耶香さんは、私に女性としての立ち居振る舞いや言葉遣いの指導に来たそうだ。急ぐのは、この身体に慣れてしまう前に基本的な所作(しょさ)を身につけさせたいとのこと。

 私が『私』の娘として生きる決心をした以上、『私』の葬儀には私も親族として出なくてはならない。私の退院と『私』の死亡は際限なく待てるわけでもない。この一週間程度で最低限のことは身につける必要があるそうだ。

 指導は退院後も続き、比売神子候補として求められることについても、追々学んでいく必要があるらしい。

 

 

 

「甘えが出るから」と母が病室を出ると、指導はすぐに始まった。

 

「それでは、向こうまで歩いて、椅子に腰掛けて下さい」

 

 私は言われたとおりにしたが、いきなりダメ出しされた。立ち姿と腰を降ろすときの動作が(まず)いようだ。

 

 立って、歩いて、座る。立って、歩いて、座る。

 

「重心が真ん中に来てますよ。それは男性の立ち方です」

 

「歩き方はしなやかなのに、その座り方は何ですか?」

 

 私としてはスッと腰を降ろしたつもりだけど、沙耶香さんに言わせると「どかっ」らしい。とにかく太ももの内側の筋肉に意識を集中することと上半身の体重移動が難しい。女の人って一挙手一投足に、ここまで気を遣ってるのだろうか?

 

 一時間近く歩いたり座ったりを繰り返し、なんとかOKをもらえたときには、昼食の時刻になっていた。

 

 しかし、ここでも訓練は続いていた。

 口の開け方が大きい、知らず知らずに膝が開いている、脇が甘い、背筋が曲がっている、等々……。食べた気がしない。しかも残念なことに、とっておきだったゼリーをICUに置いてきてしまった。

 

 午後になっても、立ったり座ったり、屈んでものを拾う動作をしたり……。言葉遣いまで注意されるから、だんだん無口になってしまう。

 

「わ、私は昨日まで意識を失っていたのよ! そんな女の子にひどいわっ!」

 

 意を決した渾身の抗議にも

 

「あら、女の子だったの。気付かなかったわ。がさつすぎて」

 

 とりつく島もない。

 

 そして、字面(じづら)だけ女言葉でも、イントネーションで全然違うことを実演された。女らしい言葉遣いには、言葉の内容よりも、間の取り方や発声が重要のようだ。

 

 

 

 歩行訓練から解放されたのは夕食時間も近づいてからだった。

 

「さ、それじゃ浴場に行く準備をして下さい」

 

「え? 部屋にもバスルーム、付いてますよ?」

 

 沙耶香さんは(いぶか)しむ私を一瞥(いちべつ)すると、さらっと言ってのけた。

 

「ここじゃ狭くて一緒に入れないでしょう」

 

「は?」

 

「早く支度なさい。ぐずぐずしてると食事を終えた他の患者さんがお風呂に入って来るかも知れません」

 

 風呂でも訓練ですか……。

 

 

 

 幸い浴場は無人だった。

 

「あの……、沙耶香さん? 私の素性を知っていますよね」

 

「存じておりますよ。

 さっきまでの訓練もそれを理解した上でですし、今ここにいるのも目的があってのことです」

 

「男ですよ? 思うところは無いんですか?」

 

「あら? ここには女性しか居ませんけど」

 

 さっきまでと言うことが全然違う。

 

 脱衣所でも、服のたたみ方や下着のしまい方に指導が入る。沙耶香さんからは逃げられない。

 横目でチラッと見ると、うぁっ、ダイナマイツ! 着やせするタイプだったんですね。目のやり場に困るし、それ以前にこのシチュエーションに心身が萎縮する。

 

 沙耶香さんはというと、全く気にした様子もなく私の身体をガン見するので、こっちの方が恥ずかしい。男女がまるっきり逆だ。

 

「あら! きれいな身体してるわね。特に背中からお尻、脚の線が素敵。それにこの腰の高さ、ちょっと反則ね。股下が身長の半分ぐらいあるんじゃないかしら? うーん、お肌もすべすべ」

 

 踊り子に触れるのは禁止です。この人には恥じらいというものが無いのでしょうか……。

 

 

 

 浴場でもダメ出しの連続だった。石けんの使い方、スポンジの使い方……。

 泡立ててその泡で汚れを浮かせてとか、擦ってはいけないとか、お手本を実演された。女の子ってこういうことは、お母さんから習うんだろうか。

 

 男として、いろいろと思うところがありながら、脱衣所で身体を拭いて下着を着けた。

 鏡を見ると、正真正銘美少女のセミヌード。あれ? 朝見たときより髪が長く見える。濡れてるからかな?

 

 脱衣所をぐるっと見渡すと、体重計だけじゃなく身長計もある。骨格が小さくなったのは分かっているけど、どれぐらい縮んだんだろう。

 

 ひんやりする踏み台にそっと乗る。

 身長は二十センチ以上縮んで、百五十三センチ弱。鏡で見た限りはもうちょっと高そうに見えたんだけどな。まぁ、中一女子ならこれでも十分大きい方だろう。ついでに身長計で股下も測ってみた。どうやったかは秘密。脚の付け根の間は女の方が広いんですね。

 

 計る姿に沙耶香さんは眉を(ひそ)めていたけど、出てきた数字にびっくりしてもう一度、今度は沙耶香さんの手で測定し直し。指が微妙なところに当たった。これは明らかにセクハラです。

 

「股下が身長の半分以上って、初めて見た!」

 

「そうですか? 男だったらたまにいますよ。私は四センチ足りなかったですけど、弟は半分ぐらいでしたし。でも、次会うときは叔父さんということになるんですね」

 

 部屋に戻ると、沙耶香さんは帰り支度を始めた。とりあえず夕食はゆっくり食べられそうだ。明日は、朝食後すぐの時間に来る。

 

「もうちょっと時間がかかると覚悟してたけど、案外すんなりいきそうね」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうね。お風呂のときが、一番女の子してたかしら。貴女、素質あるわよ」

 

 お風呂のときって、男としての自我を一番意識させられたときじゃないか。それを「素質ある」って、私は男として一体……。

 

「沙耶香さんは、本当に平気なんですか? 男性とお風呂ですよ? 裸ですよ?」

 

「あら、私は今の貴女しか知らないし、今の貴女は誰が見ても美少女ですよ。髪が伸びるのが楽しみね。

 それと、余裕があったら、これ、読んどいて」

 

「なんですか?」

 

 渡されたタブレットとメモリを見る。

 

「小説。参考になるかも知れないから。

 それじゃぁ、また、明日。

 

 あ、あと名前、候補決めなときなさいね。

 それじゃ、お休みなさい」

 

 名前のこと、完全に忘れてた……。でも、今日は疲れて考えられそうにない……。



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一計

 浴場、使いたくないな。

 

 裸を見られること自体にも抵抗はあるけど、それ以上に自分のこの姿――女性用の下着を脱ぎ着するところ――を他人に見られるのがキツい。

 一ヶ月前までの『私』を知っている人はいないし、仮に『私』を知っていても、今の私と結びつくはずがない。

 理屈では分かってるけど、抵抗感が半端無い。

 今日はたまたま他のお客、じゃなくて患者さんがいなかったけど、明日もそうとは限らないし……。

 

 

 

 私は一計を案じて、渚に電話をかけた。

 

「あのさ、赤ちゃんの命名辞典持ってきてくれないかな。自分の名前、決めなきゃいけないし」

 

「明日になるけど、いい? 急ぐんだったら、お義母さんに持って行ってもらうけど。お義母さん、小一時間ほどしたら出るって」

 

「じゃぁ、母さんに持たせといて。ついでに、最近の子どもの写真とかも持たせてよ。この間水遊びしたとき撮ったのとか。ずいぶん会ってないからさ」

 

 実はこっちが本命。

 沙耶香さんは男性としての私を知らないから、あんなに大胆なことが出来るに違いない。以前の姿を、加圧トレでバルクアップした上腕二頭筋や、絞るに絞って浮き出た外腹斜筋。この合成写真のような姿を見せれば、お風呂には二の足を踏むはずだ。

 

「あなた?」

 

 なんか妻の声が怖い。

 

「女になったからって、早速、自分のセミヌードをオカズにする気かしら?」

 

「え? 無い無い! そんなこと考えてない!

 ずっと子ども達の顔を見てないから、せめて写真だけでも……

 って、『オカズ』?」

 

「冗談よ。あなたがそんな変態だなんて思ってないわ。で、本当は何に使うつもりなの?」

 

 

 

 結局、私は事情を話した。浴場で若い女性と一緒ってのは、とにかく抵抗がある。

 

「ふーん。それで、洗ってもらった感想は?」

 

「……く、くすぐったいし、恥ずかしいだけだよ」

 

「気持ちよかった?」

 

「い、いや、全然」

 

「ほんとに?」

 

「……ちょっと、気持ちよかったかも」

 

「ちょっとかしら?」

 

「……いや、かなり」

 

「だったら、良いじゃない。早く退院するためには必要なことなんでしょ?

 大丈夫、今回のはカウントに入れないから」

 

「カウントって、何のカウントだよ」

 

「何かしらね? あなたのあの事とか、私、知ってるのよ」

 

 あの事ってなんだ? 身に覚えがない。いや、結婚前だったらいろいろあるけど、渚と一緒になってからは、カウントされるような事はしてない、はず。

 

「カウントされるような事って、身に覚えが無いんだけど」

 

「そうね。ちょっとした冗談。どう? 気分転換になった?」

 

「い、いや、全然」

 

 女って恐ろしい。本当に後ろめたい事なんて無いのに、何でこんなに悪い汗をかくんだろう。後でシャワー浴びなきゃ。

 

「女らしい動作については、ぱっとアドバイスはできないけど、男性として客観的に女性を見てきてるんだから、自分が女形(おやま)か女優になったつもりで演じてみたらどうかしら? あと、言葉遣いやイントネーションも、女優さんや声優さんを真似てみるとか。

 

 でも、無理しない程度にがんばって、早く帰ってきてね。昨日も言ったけど、姿が変わっても、あなたはあなただから」

 

「うん。ありがとう」

 

 それにしても、渚が『オカズ』なんて言葉を使う人だなんて思いもしなかった。いや、きっと私を元気づけるために、わざとあんな言い方をしたに違いない。ああは言ったけど、きっとアルバムも持たせてくれるはず。

 

 

 

 シャワーを再度浴び、火照った身体を冷ますために下着のまま横になった。(からだ)を見ると見慣れない――ささやかな――膨らみ。その向こうの下着は、骨格で三点が持ち上げられている。

 こういうアングルや、パンツのゴムと腹の間の微妙な隙間、以前だったらエロく感じたんだろうけど、自分の躯だからか今ひとつ。……それもそうか。

 私はある程度湯冷めするのを待って寝間着に替えた。

 

 

 

 電話から二時間後、母が持ってきてくれたのは、命名辞典と子ども達()()の写真だった。

 でも、この写真は癒される。

 

 

 

 翌朝、食後の歯磨きと洗顔を終えると、沙耶香さんが来た。訓練再開だ。

 沙耶香さんは私の頭を嗅ぐと、強い視線を向けた。

 

「そのシャンプーは捨てなさい。

 以前の貴方だったら『毛穴からスッキリ』かもしれないけど、女性には強すぎるわ。こんなの使ったら髪がパサパサになるし、シャンプーが合わなかったら、下手すると『毛穴ごとゴッソリ』よ。

 

 あと洗顔するとき、ちゃんと泡立てた? 前みたいにゴシゴシ洗ったんじゃなくて?」

 

「も、もちろんです。泡立てました」

 

 沙耶香さんは私をじっと見る。あの目は疑ってる目だ。ここで目を逸らしたらやってないのがバレる。

 

 数秒後、沙耶香さんは視線をバッグに降ろした。私が肩の力を抜くと「今日からこれを使いなさい」と、ボトルやチューブ入りの何かを取り出した。何種類もある。

 

「使い方は後で教えます」

 

「あの、これ全部使うんですか?」

 

「そうですよ。浴場できっちり説明します」

 

 今日もやっぱり一緒なんだ……。

 

 

 

 昨日の復習は順調に進み、今日は次のステップ。そうだ、渚のアドバイスを参考に、女優のように声優のように……。

 微笑を浮かべ、声は頭のてっぺんで響かせる。

 手をお尻の後ろで組んで、少し屈んで相手の目を覗き込むようにお願いする。沙耶香さんが頬を赤らめてどぎまぎしている! よし、これは巧くいったぞ! 恥ずかしいのを我慢した甲斐があった。

 

「貴女、その仕草と話し方は何ですか?」

 

「え? 結構、女の子してると思いますけど……、いけなかったですか?」

 

 小首を傾げる私を見て、沙耶香さんはため息をついた。

 

「狙いは分かりますが、今の貴女の姿ならともかく、十年経って同じことしてたらイタい女ですよ。それに、基本の所作とその仕草に落差がありすぎて不自然です。何より、言動の一つ一つに照れが見え隠れするから、見てるこっちが赤面してしまいます」

 

 ……沈没。

 

「やっぱりそうですか。

 実は『私』って一人称もこの姿で使うのが照れくさくて……。以前は平気だったのに、変ですね」

 

「『私』が嫌でも『僕』とか『俺』はやめときなさい」

 

 結局、演じているだけで自分の内面から現れたものじゃないからダメなんだ。

 よし、内面からの役作り、内面からの役作り……。私には無理っぽい。いろんな人格を演じ分ける俳優や女優は凄いな。

 

「考え方を変えて下さい。いろんな人格のパッチワークを演ずるのでなく、良いと思う人の姿を真似ることで、それがだんだん染み込んでいくかもしれません」

 

 なるほどね。自分が良いと思う女性像、理想の女性……。いかん、男目線になってきた。

 

 その日も夕刻近くまで訓練は続けられたが、昨日ほど突っ込みは入らなくなってきた。私も進歩している。

 

「たった二日でここまで来れば上出来です」

 

「やったぁ! 免許皆伝ですか?」

 

「いいえ、せいぜい仮免ですね。というわけで、次回は路上教習としましょう。

 明日は私とデート。あと、ちょっとしたプレゼントもあるわよ」

 

 沙耶香さんは、いつの間にか病室に持ち込まれていた箱から、何やら取り出した。



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着替え

「明日はこれを身につけて、外出してもらいます」

 

 沙耶香さんが箱から取り出したのは、黒いフサフサ。

 

「これって、ズラ?」

 

「ウィッグです。さすがに女の子がその髪型というわけにいきませんから、これを着けます。

 あと、こちらが外出の衣装ね。今日は早めに入浴して、服を合わせましょう」

 

「やっぱり、一緒にですか?」

 

「はい」

 

「あの、抵抗感って無いんですか?」

 

「それは……、少しはあるわよ。でも、早いか遅いかの違いだし。

 あ、言ってなかったわね。神子は月に何度か寝食を共にするのよ。そのときは一緒に沐浴をすることになっていますから、貴女も慣れておいて下さいね」

 

 それ、先月までの私だったらご褒美だけど、今は罰ゲームです。

 

「それに今の貴女はとっても可愛いし、前の貴方もちょっといい男だったし」

 

 どう返すのが正解か分かりません。

 もしかして沙耶香さんって両刀? ところで昨日は、前の私を知らないって言ってませんでしたっけ?

 私が黙っていると「さ、浴場ですよ」と立ち上がった。

 

「ずいぶん伸びましたね」

 

「?」

 

「髪の毛」

 

「あ、本当だ。って、一年分ぐらい伸びてませんか?」

 

「『血の発現』の後は、髪の毛が急速に伸びることが多いのよ。

 特に私や貴女のように、髪や目の色が変わってしまうほどの変容だと、髪の毛が全部抜け替わったりすることもあります。実際、私は全身ハゲになりました。

 貴女の場合も、頭髪以外がほとんど抜けただけじゃなく、歯も全部生え替わったわ」

 

 慌てて鏡を覗き込むと、確かに歯から一切の被せものが消えている。8020運動に参加出来るかも。

 

「本当だ。あれ、でも親知らずどころか、上は七番目の歯も無いですね」

 

 一体どんなメカニズムなんだろう。

 若返ったり小さくなったり、まして性別が変わることに比べたら、歯が生え替わるぐらいは些細なことだけど。

 

 幸い、浴場は今日も二人きりで、特に変なことは()()()起こらなかった。

 

 べ、別に期待していたわけじゃないんだからねっ!

 

 ちょっと心の中で言ってみました。なお、気持ちよかったことについては否定いたしません。

 

 

 

 メインは病室に戻ってからだった。ウィッグを頭に乗せられ、ブラシで整えられる。

 そして、厚手の短いタンクトップもどきを渡された。

 

「これって、もしかして……」

 

「もしかしなくても、スポーツブラです。これなら着けるのも難しくありませんわ」

 

「いつの間にサイズを測ったんですか?」

 

「昨日、浴場でよ」

 

 あの、過剰なスキンシップはそういうことだったのか。あれ、だったら今日のは何だったんだろう。

 

「はい、着けなさい。それとも着けて欲しい?」

 

「いえ、自分で着けられます。……多分」

 

 とは言ったものの……、沙耶香さんはニコニコしながら見ている。

 私はベッドの周りのカーテンを閉めると、ノースリーブを脱いだ。

 ふぅ。こんなの着けることになるとはね……。

 渡された下着を被って腕を通す。あ、これ良いかも。きっちりホールドされる。

 

「着けましたよ。上着を下さい」

 

「ちょっと待って、一応確認するから」

 

 沙耶香さんは私の腕を持ち上げ、脇や背中などをぐるりと確認すると、最後に胸をまともに触った。思わず情けない悲鳴を上げたが、お構いなしに敏感なポイントを布の上から指でなぞる。

 

「うん、トップの位置もOK」

 

「てっ、手で確認するなら一言言って下さい。不意打ちは、その、困ります!」

 

「あら、ごめんなさい。でもその表情、女の子らしいわ」

 

 この人、本当に両刀なのかも。私は思わず半歩後退したが、沙耶香さんは意に介することなく次の服を取り出した。

 

「はい、じゃぁ次はこれね」

 

 短いスカートと、長めのTシャツみたいなのを渡される。

 

「普通はね、これに合わせるのはパンツ系なんだけど、あくまで訓練だから」

 

「それにしても、短くないですか? 脚が丸出しなんですけど」

 

 スカートの裾と、シャツの裾がほとんど変わらない。むしろ姿勢によっては、シャツだけに見える。しかも、何故か身体の線が出るから、否が応にもその下の形状を(うかが)える。こういう服って、もっとゆったりしているイメージがあったんだけどな。

 

「じゃぁ、オーバーニーも合わせましょうか。貴女、脚が長いから映えるわよ」

 

 膝下じゃなくて、腿が丸出しに近いのが問題なんですが……。

 

「あの、もう少し長いのありません? 出来ればパンツ系で」

 

「残念! 訓練ですからスカートしか準備しませんでした。それともこっちにする?」

 

 出してきたのは、いかにも乙女なワンピース。確かに長さはあるけど生地がヒラヒラだから、余計頼りなさそうだ。

 

 そこにドアをノックする音。

 沙耶香さんは私の都合も聞かずに「どうぞ」って、こんな格好を他人に見せるの?

 

 来たのは、母と渚だった。血液が顔の表面を駆け上がるのが分かる。昨日も事故で母に下着姿を見られたけど、今回はもっと恥ずかしい。

 

「あーっ、ちょっと見ない間に可愛くなっちゃって!」

 

「女っぷりが上がったわね」

 

 母さん『女振り』って……。

 それに何で二人ともそんなに嬉しそうなんですか? 普通、夫なり息子なりがこんな姿になったら、悲しむところじゃないですか。自分が逆の立場だったら絶対泣く。

 

 渚が、ベッドに座って(うつむ)いたまま顔を上げられない私の手を取り、立たせた。そしてそっと抱きしめてくれる。顎を彼女の肩に乗せて身を任せていると、安心感が広がり癒される。まるで子どものようだ。実際、今の身体は子どもだけど。

 

「さて、母と娘、感動の御対面はそこまでにして、もう一つ教えることがあります」

 

「何ですか? 教えることって」

 

「顔の洗い方、化粧の落とし方よ」

 

「化粧の仕方の前に落とし方ですか?」

 

「そう。仕方はまだまだ時間をかけられますが、落とすのは毎回でしょう。後始末から教えるのが基本です」

 

「OJTは後工程からが基本、ってことですね」

 

 落とし方を習うために、簡単に化粧することになった。とりあえず眉と目周辺のメイクをしてくれるらしい。洗顔フォームの使い方を習いつつ顔を洗う。

 

「うーん、貴女はあまり化粧映えしない顔立ちだけど、それはそれでメイクのし甲斐があるわ! じゃ、こっち向いて目を閉じて」

 

 なんだか、沙耶香さんは嬉しそうだ。

 

 簡単にって言った割に、ずいぶん時間をかけてる。もう十分ぐらい経ってないかな。学生時代の黒歴史を思い出す。

 

「はーい、できあがり。こっちいらっしゃい。では御開帳!」

 

 沙耶香さんに手を引かれて脱衣所から出ると、母と渚の驚いた顔が迎えてくれた。

 病室に沈黙が落ちる。固まった二人を交互に見る。

 

「どうしたの? なんか言ってよ」

 

「昌幸、鏡を見てらっしゃい」

 

 母に言われて脱衣所の鏡を覗き込んだ。

 

「これが……、あたし……」



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命名

「これが……、あたし」

 

 鏡の向こうには、少し大人っぽくなった美少女が艶然(えんぜん)とほほえんでいた。メイク前の私はキレイ系ではなくカワイイ系だったのに、今の姿は明らかにキレイ系寄りになっている。

 

 自分の内面にふわっとした感覚が湧き上がると、少女の表情は更に柔らかいものになった。

 魅入られていたのは数秒だろうか。

 

 脱衣所から出てベッドに座ると

 

「これなら外出もOKですね。どこから見ても完璧!」

 

 沙耶香さんが嬉しそうに言う。

 

 確かにこの姿を見られることへの抵抗感は、不思議と消えている。むしろ、明日の外出を心待ちにしている自分がいる。

 化粧一つでこれだ。外見は人の心の在り様まで変えてしまうのだろうか。そう言えば、認知症が化粧で改善した『化粧セラピー』ってのを新聞で読んだことがある。

 

「そのメイクだったら、こっちのワンピの方が合うんじゃない?」

 

 渚が私にワンピースを渡してくれた。私はそれを受け取ると、カーテンを閉めて手早く着替えた。

 ボタンをすべて留め、カーテンを開ける。三人の前でクルリと回って、ニコっと微笑んだ。

 あれ? こんなことをするなんて……。私、どうしちゃったんだろう?

 

「やっぱり、こっち! こっちの方が絶対、昌幸さんのイメージに合うよ」

 

 渚は手を叩いて勧める。うん。じゃぁこっちにしよう!

 

「ところで、この外見だと『昌幸』ってのは変ね。明日はどう呼べばいいかしら?」

 

 あ、忘れてた。名前の候補決めてない。

 

「名前を決めなきゃ! 沙耶香さん、とりあえずその前に、化粧の落とし方、教えて下さい」

 

 もったいないと言いながらも、沙耶香さんは脱衣所についてきてくれた。

 

 脱衣所でクレンジングを始める。ふぅ、世の女性はこんなめんどくさいことを毎日してるのか……。

 と、沙耶香さんが耳元で(ささや)いた。

 

「気づいてる?」

 

「?」

 

「鈍いわね。奥さんもお母さんも、貴女の前では努めて明るく振る舞ってるのよ。貴女は愛されてるってこと。

 でも、気づかないふりでそれに乗っかるの。それが大人の女ってものよ」

 

「『大人の女』ですか……」

 

 よく分からない。いや、少し分かるような気もするけど、素直に受け容れられない。まるで化粧を落とすとともに、女の子の魔法が解けていくみたいだ。でも、明るく振る舞うことは出来るはず。

 

 私は努めて笑顔で病室に戻った。渚は命名辞典を開いている。

 

「子ども達が(つぶら)(あまね)だから、あなたは環境の環で『たまき』ってどう?」

 

「あ、それ良いね。小畑環か。響きも悪くな……、いや、やめとこう」

 

「どうして」

 

「小畑環って、早口で十回言ってみてよ」

 

「小畑環、小畑環、小畑環、小畑環、小畑環、小畑環、小畑環、小畑環、小畑環、小畑環」

 

「渚って、滑舌良いね」

 

「声優目指してたし、劇団も経験してるから」

 

「それ、初耳だよ」

 

「今の若い子ならともかく、私の世代でそれって、むしろ隠しておきたい過去だもの」

 

「あー、でもそれで昨日のアドバイスか。

 小畑環って早口で言うと、オマタタマキになるでしょ。で、シモネタ大好き世代の男子だったら、オマタ○マキンってなるのが予想できるもん。

 名前でからかわれるのは嫌だよ」

 

「あなたもシモネタ好きでしょ」

 

「シモネタは嫌いじゃないけど、シモネタのネタにされるのは嫌だよ。同じ理由で、薫子(かおるこ)とか更紗(さらさ)なんてのも絶対駄目」

 

「あなたって、本っ当にシモネタが好きね。でも、それ言いだしたら大抵の名前が駄目じゃない」

 

「うーんそうだなぁ」

 

 一時間後、結局『昌幸』の昌をとることになり、最終候補は、昌子、昌美、昌代、昌。

 渚が訓読みにこだわった結果『(あきら)』に決まった。

 

 

 

 夕食を食べそびれた私たちは、病院の軽食で夕食をとることにした。でも、患者である私は病院で出された食事でなくても良いのかなぁ? と思いながら、まだしも消化の良さそうな素うどんを選ぶ。本当は油揚(あぶらげ)も食べたかったんだけど。

 

 

 

 母と渚の二人を見送ると、沙耶香さんも帰り支度を始めた。

 

「今日は遅くまでお疲れ様です」

 

「いいえ。予想より進歩が早くて、こちらも驚いています。もっと服装や言葉遣いを変えるのに時間がかかると思っていましたから」

 

「そうなんですか? 私としては選択の余地が無かっただけなんですけど」

 

「今回の件にあたって、相当に予習したんですよ」

 

「予習、ですか? 私の様なケースってちょっと例がないと思いますが」

 

「そうね。いわゆる性同一性障害だったら、全く逆のアプローチですし、ニューハーフだったら望んで適合手術を受ける訳だし……。心療内科や心理学、カウンセリングの本を見ても、直接の指針になるような情報は無かったわ」

 

 性同一性障害やニューハーフは違うと思うけどな。予習の方向性がちょっとずれてる気がする。

 

「で、何を参考にされたんです?」

 

「インターネットで調べてたら、こういう事例をテーマにした小説がかなりたくさんあったのよ。それを参考にさせてもらったわ。

 でもね、貴女の場合は恥じらうポイントが違うし、逆に服装や所作はすんなり受け入れるし、現実は小説とは違うわね」

 

 あー、それであの小説か。

 でも根本的なところで間違ってる気がする。小説なんて参考になるわけ無いじゃない。あれはあくまで読者を楽しませようと思って書いてるものだし。

 

「まぁ、異文化との接触はエンターテイメントの基本だから、この手の小説は昔からありますよ。

 私も小学生のとき、幼なじみの男女の心が入れ替わる設定の本を読みました。それって確か、ドラマにもなってなかったかな?

 

 でも、結局その手の小説は、自分だったらどう感じるかとか、どんなときに困るかとか、それがベースだから、書き手によって違ってくるし、直接の参考にはならないと思います」

 

「そうね、実際は、個々の実情に即して、柔軟に対応して行くしかないのよね」

 

「それって要するに、『行き当たりばったり』ってことじゃないですか……」

 

「人生なんてそんなもんです。女は度胸よ」

 

 なんだか、第一印象と全く違う人だ。切れるのか天然なのか何も考えてないのか……。

 

「何はともあれ、いろいろありがとうございます。明日も宜しくお願いします」

 

「こちらこそ。じゃ、また明日ね、昌ちゃん」

 

 なぜか分からないけど、『昌ちゃん』に私は赤面した。



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章外
次席比売神子の回想


 突然の着信音で起こされた。

 

 ったく、……一体何時だと思ってるのよ。

 

 時刻は五時過ぎ。早朝も早朝。

 昨日は少しばかり飲み過ぎたのか、やや頭が重い。

 

 休暇中だってのに……。手探りで携帯をとる。

 

「もひもしぃ?」

 

「私です」

 

「ひ、比売神子様っ」

 

 一瞬で背筋が伸びる。発信者を確認すべきだった。最初のがらがら声での「もしもし」は無かったことにしたい。海外なのでいつものスマホからフリップ式のに持ち替えたのがアダになった。

 

「休暇中に申し訳ありませんね。そちらは何時ですか?」

 

「朝の五時です。そちらは夜の九時過ぎですね。遅くにお疲れ様です」

 

「十六時間ですか、かけるのは明日にすべきでしたね」

 

「いえ、もう出ちゃいましたからお話し下さい。休暇中にわざわざかけてくるということは、緊急ですね。

 もしかして『血の発現』を迎える人がいるのですか?」

 

「その通りです。ただし、今回は状況が違いますので、沙耶香(さやか)さんには看護師としても協力をお願いします」

 

「発現の年齢が高いのですか?」

 

「三十代後半の男性です」

 

 三十代は発現年齢としては最高齢と言っていい。体力次第では後遺症が残るかも……って、

 

「だ、男性?」

 

「そうです」

 

 一気に目が覚めた。男性に『血の発現』が起こった記録はほとんど無い。

 

「急いで帰ります」

 

「お願いします。

 飛行機はそちらの時間で、明日の朝一の便しか押さえられませんでした。空港近くの宿も押さえて貰いましたから、今日はそちらに移動して下さい。

 細かな指示と対象者の資料はメールに添付しておきます。費用は後で精算しますから、宿と飛行機以外は一時立て替えておいて下さい」

 

 相変わらず手回しが良い。

 

 

 

 私は一路空港へ向かう。今日一日なら観光できなくもないが、その気になれない。

 

『血の発現』自体は、それほど驚くことじゃない。多いときには年に数人がそれを迎えることもある。高齢での発現も今なら怖くない。

 一番怖いのは変容に伴う発熱と脱水だから、輸液をはじめとした対処療法さえ十分なら、命に関わるようなことにはならない。それでも後遺症の心配は残るが、少なくともこの二十年はそういった事例は――一時的な記憶障害を除けば――起こっていない。

 

 しかし男性となると話は別。まず臨床の記録がない。変容がどのように起こるかはもちろん、その期間さえ不明だ。

 意識を失って既に六日、時差を入れれば実質七日。私が着く頃には十日は過ぎている。

 通常なら変容がほぼ終わっている時期だけど……。

 

 医療の方向からできることは限られている。とりあえずは、家族へのケアと、『彼女』が目覚めてからの対応が重要になりそうだ。それも、無事目覚められれば……の話。

 

「問題は、心理面でのケアなのよね」

 

 妻子持ち、しかも子どもが二人と言うことは、その人格が男性であることは疑いない。

 目覚めたときの自身の変化に精神がもつかしら? 死んでいないというだけで、生きているにはほど遠い状態になるかもしれない。

 そして、それを乗り切ったとしても、別人として肉体の性にあわせた生き方をしなくてはならなくなる。

 とりあえず、そういった資料をあたる必要がありそうだけど……。

 

「あるわけないわよね。

 こういう場合、心の性に合わせるのが医療の立場なんだから」

 

 タブレットで検索を繰り返すが、有益な資料は見つからない。

 

 

 

 昼食後、私はある資料を見つけた。

 その当事者を主人公とする小説がいくつも連載されている。大多数は未完だが、これが案外おもしろい。

 これは、帰りの飛行機での暇つぶしができた。

 

 それらをタブレットにダウンロードしつつ資料を探すが、それ以上のものは見つからない。知らないうちに夕食時間になっていた。

 

 

 

 翌日、私は機上の人となり、タブレットで読み進める。

 この寸止め感が中高生の心をくすぐるのだろうか。今後、神子達の指導に活かしていかないと……。

 

「でも、ビジネスクラスでワインを飲みながらネット小説とはね」

 

 

 

 読み進めるうちに、いくつかの共通項を発見した。

 

 主人公が社会へソフトランディングできたものの多くは、母親か姉が『娘』ないし『妹』を溺愛している。

 その美貌を褒め、『女の子らしい』かわいい洋服を着せ、言葉遣いや仕草を修正してゆく。

 

 これは一見して荒唐無稽な行動だが、よくよく考えてみると極めて理にかなっている。

 

 溺愛することは「あなたを拒絶しない」「今のあなたを受け入れる」という言外のメッセージとなる。

 これは、変容したことで自分の存在に対して疑問を感じている当事者にとって極めて重要なことだ。特に男性というのは潜在的にマザコンだという。母親や年長の女性からの承認は、極めて重要な意味を持つに違いない。

 恐らく原作者の多くは男性だ。小説の大半で母親からの承認を経るのは、作者がその重要性を本能的に理解しているからだろう。

 

 そして、かわいらしい服装をさせることで、否応なく自分の性を理解させる。本来なら小学校の低学年あたりから学び育ててゆく女性としてのアイデンティティを、短期間で理解させるために形から入る。そう考えれば、この共通する展開は極めて合理的で、非常に重要な意味を持っている。

 

 私は意外なところから示唆に富む情報を仕入れることになった。帰国後は、先ずその部分について打ち合わせる必要があるだろう。

 

 

 

 対象者の資料にも改めて目を通した。最初に送られてきたのとは違い、内容は詳細で、写真まで付いている。

 

 通常、私は相手の資料を詳細に見ることはしない。『血の発現』を迎えた以上、これまでの人生は捨てなくてはならないし、先入観を持たないためにもその方が良いと考えるからだ。

 しかし、今回は事情が事情だ。プロフィールは見ておかないと。

 

「へぇ、ちょいとイイ男じゃない。こっちが高校時代で、こっちが中学時代か……。男の子でこんだけ可愛いなら、会うのが楽しみだわ」

 

 

 

 帰国当日は移動に費やし、明けて翌日、私はご家族に会うこととなった。

 

 対象者の母親からの連絡が発見に繋がったそうだが、それにしても、男性に『血の発現』が起こったのをよく発見できたものだと感心する。

 事情を聞くと、彼女の叔母だか従姉妹だかが、比売神子ではなかったものの、血の発現を経験していたらしい。

 下痢や嘔吐、発熱が起こっているにも関わらず、その段階では白血球の値に変化が無いのは『血の発現』の特徴の一つだ。例外的な状況にもかかわらずそれを疑い、連絡をしてきたらしい。

 

 本来なら関係者の連絡先も分からないはずだが、元候補者のつてを頼って接触してきたという。子を想う親の心のなせる(わざ)だ。それだけに会うことに心構えが必要だった。

 

 

 

 当事者の母親と奥さんに会った。

 二人ともやや憔悴(しょうすい)していたが、母親は美しく老いることができた品の良い女性だ。奥さんも、華のある外見ではないが、楚々とした女性で、理知的な表情をしている。

 血縁関係は無いはずだが、この二人が親子だと言っても信じてしまいそう。多分『小畑昌幸』さんがマザコン気味で、母に似たタイプの女性を選んだに違いない。

 

 彼女達に、私自身も『血の発現』を経た神子の一人であること、『小畑昌幸』さんが世代も性別も違う人間になってしまうこと、その過程で命の危険があることを告げた。

 二人は既にそのことを知っていたのか落ち着いて聞いていた。

 

 その後、『小畑昌幸』さんが意識を取り戻した後のことを打ち合わせる。母と妻が『彼女』を受け容れることの重要性については、拍子ぬけするほどあっさりと納得してくれた。

 

 

 

「姿が変わっても、昌幸さんは昌幸さんです」

 

 あどけない少女の寝顔を一瞥しての言葉が印象に残った。

 

 でも、私は知っている。

 彼女は抜け落ちた夫の歯を大切に仕舞っていた。

 

 

 

 それは変容後の要素を含まない、およそ唯一の部分だった。

 

 

 

 



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第二章 退院に向けて
外出 その一 出発


 私が着替えを終えると、程なく沙耶香(さやか)さんが来た。

 落ち着いた出で立ちだが、いつもは隠されているダイナマイツな感じが、今日は服の上からでも分かる。化粧もちょっと違うようだ。どこがどうとは上手く説明できないけど。

 

「今日は昌ちゃんに合わせて服を選んだのよ」

 

 合わせるという概念が解らない。

 私は(なぎさ)推薦の乙女なワンピースだが、これと落ち着いたスーツがどう合うのか分からない。これも理解していく必要があるのだろうか?

 昨日はあまり感じなかったが、やはり薄手のスカートはひらひらして頼りない。

 

「沙耶香さん、どうして私はスカートなんですか?」

 

「それが訓練になるからよ。

 資料では、貴女のような女の子は、自分の魅力に気付かなくて無防備になりがちなのよ。何かあったとき辛い思いをすることになるのは貴女自身だから、自分の外見を客観的に理解した上で行動できるようになる必要があるの」

 

「あの……、資料ってネット小説ですよね」

 

 沙耶香さんは胸を張って(うなづ)いた。あ、今たゆんと揺れた。でもそれ、胸を張るところじゃないと思う。

 テーブルの上のタブレットに目を遣る。沙耶香さんが暇つぶしにと貸してくれたものだ。いくつかブックマークがあり、一応は目を通したけど……。

 

「あれは、主人公が目立つほどの美人なのも含めて、話を面白くするというか、イベントを起こしやすくするためにそうしているだけだと思いますよ。

 私は自分のことをある程度客観的に見ることが出来ます」

 

「客観的に? それじゃ貴女、自分の外見はどうだと思ってるのかしら?」

 

「……自分で言うのもアレですけど、美少女と言っていいと思います。多分、男性の五人に一人ぐらいは二度見するぐらいの」

 

「甘いわね」

 

「……」

 

「とびきりの美少女よ。五人に一人どころじゃないわ。

 回り込んでもう一度見たくなるし、思わず服の中がどうなってるか想像するし、むしろ女の子でも貴女を見たら……」

 

「もういいです」

 

 だんだん露骨になりそうなので遮る。

 

「私の言い方が控えめ過ぎました。

 正直に言うと、私みたいな女の子を世の男性がどういう目で見ているか十分に分かっているので、こんな格好じゃ怖くて表を歩けないですよ。正直なところ、世の女性がどうしてあんな無防備でいられるのか不思議なくらいです。

 ……これ、決して自意識過剰じゃないと思いますよ」

 

「へぇ~。分かったようなこと言うじゃない。

 だ、か、ら、その格好で外に行くのよ。

 

 それに、目立つような美少女で、今はウィッグ着けてるけど本当は銀髪なんてテンプレ通りじゃない。小説だって十分参考になると思うわ。

 

 はい、それじゃぁお化粧しますよ。でも、今日は控えめにね。

 貴女、あんまり化粧映えしないから、結構大変なのよ」

 

 

 

 お化粧は昨日に比べるとあっさり終わった。顔に日焼け止めらしきものを塗って、薄くなった眉を描き足して、(まつげ)に何か粉をつけて……、五分もかからず完了。

 

 でも、化粧って本っ当に不思議だ。顔が少しずつ変わっていくのを見ていると、なんだか魔法にかかったように気持ちが上向いてくる。さっきまで頼りなく感じていたひらひらが、むしろしっくり来るようにさえ思う。

 あれ? 本当にどうなってるんだろう。まさかお化粧にヤバいものとか、混ざってないよね。

 

「昨日も思ったけど、貴女はお化粧するといい顔になるわね」

 

「そうでしょうか?

 でも言われてみれば確かに、気持ちの部分が変わるような気がします。それが表情に出るのかも知れません」

 

 沙耶香さんの方を見上げると、沙耶香さんもこちらを見てにっこり微笑んだ。

 

「やっぱり貴女は、笑顔でいるのが一番ね」

 

 療養棟から本館の待合室を抜ける間、何人もの視線を感じる。ほとんどの人が私をチラチラ見るのだ。どこか変なのかな? 横目で鏡を見る。見た限り変なところは無い。

 

「沙耶香さん、どこか変なとこ有りますか? さっきからほとんどの人が私を見るんですけど」

 

 私は小声で沙耶香さんに訊く。

 

「別に、変じゃないわよ。とびきりの美少女が、如何にも美少女って空気を(まと)っていれば、つい見たくもなるわね。

 自分で言ってたじゃない、貴女みたいな女の子を周囲がどんな目で見ているか知ってるって。そういう視線に慣れるのも、訓練よ」

 

 知っていることと、その立場になることは違っている。小説の主人公が無防備なのはこういうことか。案外、小説のテンプレも参考になるもんだ。

 まてよ、こういうとき主人公が最初に連れて行かれるところの定番は……。

 

「あの、デートって仰いましたけど、今日のプランはどのようなものでしょうか」

 

「まずは昨日までのおさらいね。女性としての所作(しょさ)が身についているかを、周囲の視線がある中で確認。ショッピングモールを散策します。

 次は、店員さんとの会話も必要なショッピングを行い、女性としてのコミュニケーションの練習と確認。

 最後は食事です。午後から検診があるので、かなり駆け足になるから、がんばるのよ」

 

 ショッピングって、やっぱりアレかな? アレだろうなぁ。

 

「ショッピングって、何か買うんですか?」

 

「私は別にこれと言ったものは無いけど、貴女の日用品は必要ね。どうせ新たな戸籍と口座ができ次第、支度金が入ってくるんだから、ぶぁーっと行きましょう。現金も五十万ぐらい持ってきてるし」

 

「豪儀ですね」

 

「小畑昌幸名義の預金から下ろしましたから」

 

「……どうやって?」

 

「奥様に許可をもらって」

 

「……」

 

「はい、車に乗って」

 

「あ、沙耶香さん仏車でしかもCC! 屋根開けましょうよ!」

 

「ダメよ。日に焼けるし、髪も傷むわ」

 

「じゃぁなんでこれ選んだんですか?」

 

「格好いいから」

 

 ……開けない屋根はただの屋根だ。

 

「なんか言った?」

 

「いえ、何も」

 

「じゃ、出発ーつ!」



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外出 その二 散策

 病院は丘陵地に建っているので、街へは坂を下るのだけど……。

 

「沙耶香さん!

 もうちょっと、もうちょっとゆっくり行きましょうよ」

 

「あら、怖いのかしら? でも今は縮み上がるモノが無いから大丈夫でしょ?」

 

 なんか、この人ハンドルを持つと性格が変わるっぽい。また前の車を(あお)るような運転だ。

 

「おどきなさい! このホーテー野郎が!」

 

「さ、沙耶香さん、今なんて仰いました?」

 

「ホーテー野郎よ、ホーテー。法定速度未満で走るから法定野郎。あら、まさか別の言葉に聞こえたのかしら?」

 

 うつむいて顔を赤くしている私を沙耶香さんはからかう。

 この人、ドSだ。ハンドルを持つと性格が変わるんでなく、本性が出るに違いない。

 あれ? どうして私がこの程度のことで赤くなってるんだろう。きっと沙耶香さんの運転の緊張感がそうさせているに違いない。

 

 丘の麓につく頃には、私の手は悪い汗に湿っていた。左右に傾きやすい車で下りのS字カーブをとばすと、運転する方はともかく助手席は疲れる。こういう運転はダメ! 絶対!

 

「沙耶香さん、こういう運転するんだったら独車にしましょうよ。それか、国産でも脚のしっかりした車」

 

「独車はエレガントさに欠けるわ。国産も悪くはないけど地味よ」

 

 沙耶香さんの運転がエレガントさに欠けます、と言いそうになって飲み込む。

 

「とにかく、沙耶香さんの運転は怖いです。帰りは私に運転させて下さい」

 

 ハンドル(さば)きが中途半端に上手い人ほど、こういう道の運転は危ないのだ。

 

「貴女、免許証持ってないでしょ?」

 

「不携帯ですけど、一応、ゴールドですよ」

 

「『小畑昌幸』はね。でも昌ちゃんは無免許でしょ」

 

 あ、そうか。子どもは不便だ。

 

 

 

 ショッピングモールは平日にも関わらず、かなりの人出だった。

 正直、人混みは好きじゃない。もっとも、大抵の人は仕方なく人混みに行くのであって、人混みが好きで行く人は少数派だろう。

 

 歩くと視線が集まるのが分かる。まず、沙耶香さんのダイナマイツな胸、今日は歩行のリズムに合わせて容赦なく存在を見せつけている。そして私にも、背後から脚とお尻に向けられた視線を感じる。見えないのになぜ感じるんだろう?

 

 ちょっと振り返るとあからさまに視線を逸らす。目を逸らすぐらいなら最初から見ないで欲しいと思う反面、見たくなる気持ちも分かる。

 

 男の視点で言えば「見られて文句言うなら隠しとけ」だけど、今回の私には選択の余地が無かったのです。ゴメンナサイ。でも正直なとこ、じろじろ見られるのは……。

 それとも、視線を当然のこととして受け入れ、あるいはそれに優越感を覚えられた方が良いのだろうか? でも、それこそ小説、しかも男目線で書かれたものの中だけの話だ。

 

「どう?」

 

 思考を巡らしていると、沙耶香さんが小声で訊いてきた。

 

「どうって、何がですか」

 

「周りの視線よ。この私を差し置いて、貴女を見ている男がたくさんいるわよ」

 

「予想はしていましたから」

 

「へー、強気ね。ここで貴女を一人にしたら、ナンパ男が寄ってくるわよ」

 

「日本語がしゃべれないフリをします。幸い目の色がこれですし、私は英語もそこそこいけますから」

 

 このときばかりはテンプレ……もとい、神子の血に感謝。

 

「そうね。貴女は髪も本来の色だったら、まず純粋日本人には見えないでしょうね」

 

「でも、古来から日本にいる一族の末裔なんですよね。親も祖父母もコテコテの日本人ですし」

 

「コテコテって関西人に使う枕詞じゃないかしら?」

 

「言葉は時代とともに変化するものです」

 

「……やっぱり、コミュニケーションが男の子寄りね。なんて言うのかしら、相手の言葉に乗っかって会話を続けるのが苦手ね」

 

「そうかも知れません。仕事柄かも知れませんが、理解が深まらなかったり情報が増えないやりとりは、ムダに思えちゃうんですよね。

 どっちかというと男性云々でなくて、技術で食ってる人間の多くにありがちな傾向だと思いますけど」

 

「その辺が、今後の課題かしら」

 

 雑談って、ある意味一番難しい課題かも知れない。正直、仕草や言葉遣いは練習で何とかなるだろうし、女装にしても慣れれば大丈夫だと思う。視線だって幾分スルーできるようになってきたし。

 

「ねぇ、私たちって周りからどんな関係に見えているかしらね」

 

「うーん。親子と言うには歳が近すぎるし、姉妹と言うほど近くないし、生活指導の先生と補導された生徒?」

 

 あれ? なんか地雷を踏んだ気がする。沙耶香さんが纏う空気がちょっと変わった気がする。

 

「先生と言うには私は美人過ぎるわね。それにあなたの清楚可憐な姿は、補導されるような生徒には見えないわ」

 

「自分で言うかなぁ。でも女の人は外見じゃ分からないですよ」

 

「へぇ。なにかあったんだぁ。外見に(だま)されたのかしらぁ? どんな経験があったか、ちょっとお姉さんに話してみそ?」

 

「嫌ですよ。昔のみっともない話は」

 

「それは昌幸(お父)さんの話で、昌ちゃんの話じゃないでしょ」

 

「誰にだって、話したくない過去の一つや二つあるもんです」

 

「じゃぁ、話したくなったら真っ先にお姉さんに聞かせて。相談にのるから」

 

「話したくなりません」

 

 あれ? テンプレ的にはここだろうという店を通過してる。私の勘違いだったのかな?

 

「沙耶香さん、今日買う予定の日用品って何ですか」

 

「それは着いてのお楽しみ。って行き過ぎちゃった!」

 

 この人が分からない。やっぱり天然だろうか。

 

 

 

 行き過ぎた店というのは、男性が視線を向けることさえ許されない店。もうテンプレ通りです。

 

「ここならちゃんと身体に合ったのを見立ててくれますよ」

 

 そう。お約束のランジェリーショップ。



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外出 その三 お買い物

 ここは男性が近寄ることを許さないサンクチュアリ。侵入を物理的に妨げるものは何一つ無いが、その禁を破ることは出来ない。

 

 私はその禁を破ることとなった。

 

 ドアをくぐると、華やかだ。男性用のそれには絶対にあり得ない空気が存在する。マネキンだトルソだと言い聞かせても正視するのが難しい。

 

 若い店員さんが「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」とか言ってくるけど、どう返すのが良いか分からない。自分が明らかに挙動不審だということは認識しているが、どう振る舞うべきか、どうするのが自然なのだろうか? 顔はきっと赤く染まっているに違いない。

 

「あ、こんにちは。えっと……、あの……」

 

「ごめんなさいね。この子、こういう店は初めてなのよ」

 

「あら、きれいな子ね。妹さん? それとも従姉妹かしら? 将来が楽しみだわ」

 

 あ、さっき地雷を踏んだ様に感じたのはこれか。姉妹の様に見えるってのが正解の一つだったんだ。

 女性は幾つになっても女の子でいたいと思うもの、か……。

 

 思考を巡らしている私を余所に、沙耶香さんは店員さんとおしゃべりを始めた。

 

 

 

「……というわけで、今日はこの子に下着を見立てて欲しいの」

 

 五分ほどの雑談の後、ようやく本題に入った。

 

「採寸お願いしまーす」

 

 店員さんに手を引かれるまま、試着室へ行く。

 広い! 一坪どころじゃない。私が知っている試着室といえば、せいぜい半畳だぞ。

 三十ぐらいの店員さんが一緒に試着室に入ってカーテンを閉めた。なるほど、採寸するにはこれぐらいの広さが必要なわけだ。

 

「あら、スポーツブラを着けてるのね。はずしてもらってもいいですか?」

 

 一応「脱ぐんですか?」と訊くと、満面の笑みで頷いた。

 私は渋々ワンピースとスポーツブラを脱ぐ。要するにパン一だ。靴下は履いているが、カウントには入れない。……ワンピースは失敗だった。

 

 脱いでいる最中から店員さんは私をじっと見ていた。恥ずかしい。

 

「うわっ! 脚、長っ!」

 

 店員さんが驚く。女性でこの股下は珍しいようだ。一ヶ月前までは今より十センチぐらい長かったんだけどね。あ、身長も二十センチ以上か。

 

 脱いだ後も、上から下までじろじろ見る。

 女の人って、こういうの平気なのだろうか? 私は顔を(そむ)けてうつむいた。羞恥で顔どころか胸まで赤くなる。

 

「ねぇ。あなた、モデルやってみない?」

 

「モ、モデルですか? それはちょっと……」

 

「やってほしいわぁ。顔も良いけど、こんなきれいな骨格した子、なかなかいないのよね。細身だけど、筋肉(にく)の付き方もいいし。もう少し大きくなったらお願い。ねっ」

 

「こ、骨格ですか? でも……」

 

「惜しいなぁ~、やってほしいなぁ~」

 

「はーい、そこまで。採寸はまだですかぁ?」

 

 沙耶香さんが上手く切ってくれた。

 

「はい、計りますね~。手をこの向きに伸ばして下さ~い」

 

 ぎくしゃくと言われた姿勢をとると、店員さんは胸囲だけじゃなく胸の下とかあちこち計る。計った挙げ句に、こんなに大きくなる前に、ブラを選びに来なかったことを注意された。

 言うほど大きいかな?

 

「あの、急に大きくなりだしたものですから。えっと、まだ入院していて、入院する前は、胸は無かったんです」

 

 一応、ウソは言ってない。いや、何でこんなこと気にしなきゃいけないんだろう。こっちは客のはずなのに。

 

「ごめんなさいね。この子入院していて、ちょっと前まで本当に生死を彷徨(さまよ)ってたのよ」

 

「さっ、沙耶香さん。入るなら一言声をかけて下さいよっ!」

 

「あら、ごめんなさい。

 

 で、やっと退院出来そうになったから、快気祝いにランジェリーショップ・デビューというわけ。初ブラはどんなの選ぶのかしら?」

 

 沙耶香さんがフォローとも煽りともとれる発言をする。

 

「貴女の連れてくる娘っていっつも綺麗だけど、この子はピカイチね。顔も良いけど身体がすごく良い。将来が楽しみね」

 

「でしょ? だから下着も選び甲斐があるってものよ。

 昌ちゃん、こぉんなの、どうかしら?」

 

 沙耶香さん、いきなりデンジャラスなデザイン。色が濃い赤。小豆色に近い。しかも、あちこちにひらひらが付いている。そのデザインはあなたの趣味ですか?

 

「ここここんなの着けませんよ。もっと地味なのでお願いします」

 

 中学生サイズなのになんでこんなデザインのがあるんだろう。それとも、中学生でもこれぐらいはアリなのか?

 

「まずはオーソドックスにこの辺から行きましょう。他のデザインはこれでサイズを合わせてからにしましょうか」

 

 店員さんは薄いベージュ色のを持って来ると、カップを胸に当てた。

 

「トップがちょっと高いから、持ち上げると不自然になるわね。

 幅も若干広いけど、これは脇の肉を寄せれば……、はい、かるくお辞儀して」

 

 肩紐やらを調整して再び着ける。今度は悪くない。

 

「あら? あなたかなり筋肉質ね。寄せるほど肉が無いわ。Bぐらい行くと思ったのに」

 

 そう言うと、店員さんは残念そうに別のものを持ってきた。こちらの方がしっくり来る。

 

「あ、これ良いですね」

 

 思わず感想が口をついて出た。あれ?

 それに、慣れないうちは締め付け感があるとか、聞いていたが、そういうことも特に感じない。サイズがきちんと合っているということだろうか。

 

 

 

 最終的に、そのサイズを中心にいろんなデザインのものを買うことになった。こんなの必要ないと言っても、沙耶香さんは「勝負下着」などと言って構わず積み上げる。私は勝負する気も、まして一戦交える気もないですから。

 その後、下は上とそろいのデザインで選ぶ。

 

 いざ支払いの段で価格にびっくり。女性用のって高い! 沙耶香さんは銀行の封筒から諭吉さんを何枚も出した。人のお金だと思って……。

 

「ではお包みしますね。

 その間に会員登録票、記入して下さいね」

 

 店員さんに複写式の登録票を渡され、テーブルで記入する。

 

 名前『小畑 昌』、フリガナ『オバタ アキラ』。性別欄は、数瞬躊躇して『女』の方に○をする。ところでこの店って男性の利用者いないと思うけど、なんで性別欄があるんだろう。その割に年齢の欄は無いし……。

 続けて住所を書いたところで沙耶香さんが慌てて止めた。変なことは書いてないはずだけど……。

 

「すいませーん。書き損じたのでもう一枚頂けますかー?」

 

 沙耶香さんは私から登録票を取り上げると、店員さんを呼んだ。

 

「どうしたんですか? 何か変なこと書きましたか?」

 

「変なのは貴女の字よ。どう見ても女の子の字じゃないわよ」

 

 沙耶香さんは耳元で(ささや)いた。

 

 確かに。私の字は、達筆ではないがかなり書き込んだ字だ。例えば『東』などが典型的だが、中国語の簡体字風になっているものもある。

 少なくとも十代が書く字じゃない。

 

「今度は楷書で書きなさい」

 

 油断すると、気付かないうちに昌幸として身についたものが出てしまう。これは注意が必要だ。客観的にそれを指摘してくれる人として、沙耶香さんは得難い人だ。あの悪のりとスパルタさえ無ければだけど。

 

 私はなんとかテンプレイベントをこなした。

 あれ? この下着を着けることに抵抗がなかった。おかしいな。もしかして、順調に調教されてる?



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外出 その四 お食事

 テンプレイベントをこなしたら、もうお昼近かった。

 

「さて、何を食べましょうか」

 

 沙耶香さんが訊きながらこちらを見る。

 

「まだ入院中ですし、軽いものの方が良いかなと思います。

 食事が普通になって三日目ですから、油モノや刺激物は避けた方が良さそうですね」

 

「それを言いだしたら、食べられるものが無いわよ」

 

「うどんとか蕎麦とか、でも新蕎麦の季節はまだ先だし、豆腐メインの懐石とか、精進料理を食べられる宿坊とか……、でもこの辺に参拝するようなお寺とかって無いから、宿坊は無理か」

 

「色気がない食べ物ばかりね。お年寄りみたい」

 

「中身はオッサンですから」

 

「まぁ良いわ、ちょっと良い店に心当たりがあるから」

 

 着いたのは小料理屋といった風情の店だった。

 

「予約してないですけど、二人、大丈夫かしら?」

 

 カウンター席ならということで、二人並んで座った。

 

「良さそうな店ですね」

 

 私が言うと、沙耶香さんもにこっと笑って「まぁね」と応じた。

 コースを見ると、弁当、点心、ミニ懐石……。そこより上は多分食べきれないだろう。昨日の様子だとミニ懐石でも厳しい。

 でも弁当や点心だと品数的にちょっと物足りない。こういう店では椀ものが無いとね。

 というわけで、二人ともミニ懐石とした。

 

「お飲み物は?」

 

 訊かれて思わず「生、中」と言いそうになったが、午後から検診がある。呑むわけにいかない。

 沙耶香さんは冷酒の一覧をチラチラ横目で見ている。

 

「気にせず飲んじゃって下さい。帰りは私が運転しますから」

 

 しかし、私の悪魔――せいぜい、小悪魔か――の囁きを強い意志でねじ伏せ、アルコールなしで食べることにしたようだ。

 

 先付けは、野菜のゼリーか煮こごりみたいなもの。パプリカだろうか、透明な中に緑やオレンジ色が涼しげで美しい。季節は秋だけど、こういう初夏の色合いもいい。

 一口食べると美味しい! 車エビだ。すり身と野菜をきれいに寒天で固めてある。出汁も程よく、控えめに効かせたショウガと、上に乗ったミョウガが絶妙! 一口食べたら胃袋が目を覚ます。

 

「沙耶香さん! 美味しいです」

 

 その気になれば二口で食べられそうな大きさだけど、もったいなくて少しずつ食べる。あまりの美味しさに脚をぶらぶらさせてしまい、沙耶香さんの注意が入る。

 

 椀はモズクを練り込んだしんじょう。

 まずお(つゆ)を一口。昆布の出汁と鰹の香りが口の中に広がる。そしてしんじょうを一口。美味しい!

 

「沙耶香さん! しんじょう、ふわふわです!」

 

「いちいち、報告しなくて良いから。

 でも、おいしいものを食べてるときの表情は年相応ね」

 

「年相応って、そんなに子どもっぽい反応してましたか?」

 

「基本的な所作が身についているのに、思わず『美味しい』が表情や仕草に出るのが可愛いのよ」

 

「『可愛い』ですか……。

 それは誉め言葉なんですよね。分かってはいるんですけど、なかなか受け容れ難くて。でも、それにも慣れて行かなくちゃいけないことも分かっているけど……」

 

「そうよ。

 今日も本当はフードコートなりレストランなりを考えていたけど。この店にしたのも、人目があるところはまだ早そうだったから。

 出来れば部屋が良かったけど、予約で埋まってたみたいだから」

 

「いろいろ、気を遣ってくれてるんですね」

 

「女としては人生の先輩ですから。

 ほらほら、せっかくおいしいものを食べるんだから、そんな顔しないで」

 

 しんじょうを黙々と食べる。美味しい。もう、滋味が五臓六腑に染み渡るようだ。それだけで顔がほころぶ。やっぱり美味しい料理は正義だ!

 

 続けて造り。鰯と鯛、そして多分鮃の昆布締め。

 まずは鰯をショウガと醤油で一口。全然生臭くないってことは良いものを使ってる。

 次は鯛にワサビをちょこんとのせて醤油に触れさせると、水面には鰯のそれを上書きするように脂が広がる。口に入れるとほのかに甘みのある旨み。

 昆布締めは魚と昆布の折り重なった旨みが口の中でほつれるように広がる。うーん幸せ。

 

 ラストは焼き物、揚げ物、煮物などの盛り合わせ。そろそろお腹も膨れてきたし、油ものはどうかなぁ?

 でも、このエビの天ぷら美味しそう。ぱっと見ミニサイズのエビフライだけど、衣はパン粉じゃない。キビか砕いた米だ。これを抹茶塩で食べるのだろう。

 食べたい。絶対美味しいに決まってる。でも油ものだし……。

 

「迷うなら、食べたら?」

 

「でも、油ものですよ。病院食はまだ柔らかめのものが出てましたよ」

 

「脂ののったお造りを食べといて今更心配するの? 胃袋には内緒にしといてあげるから、食べちゃいなさい。

 食べないんだったら、私がもらっちゃうわよ」

 

「食べます!」

 

 結局、その後の食事、水菓子と完食してしまった……。はぁ。でも美味しかった。食べ過ぎてお腹が痛い。まともに懐石を頼んだら、絶対に食べきれなかった。

 

「会計しておくから、車のエアコン効かせておいて」

 

 

 

 沙耶香さんは五分ほど遅れて車に来た。

 

「お待たせー。ちょっと女将と話し込んじゃった」

 

 どうやら、女将が私のことを訊いてきたらしい。単純に見た目がこれで、和食を食べ慣れた挙措とのミスマッチが気になったという。

 

「やんごとない御方の御学友ということにしておいたわ。こうしておけば、余計な詮索はされないでしょ」

 

「それだと、私が今度行くときに困りますよ。名前を名乗れないんじゃ、予約もできません」

 

「だったら、私の名前で予約してもいいわよ。

 それに、今度行くときには髪も伸びているでしょうし、本来の髪の色なら分かりませんよ。

 大丈夫。貴女の性別と中身に疑いを持つ人はいませんから」

 

 それはそうだろう。そういうことを考える方がおかしい。

 

 帰路は、食べ過ぎに苦しむ私に気を遣ったのか、おとなしめの運転だった。でも、こんな状態で検診なんて大丈夫かな?



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帰宅

 病院に戻ると、休む間も無く検診だった。食べ過ぎたお腹が苦しい。多分一キロ近く食べただろう、……てのは大げさか。

 主治医には厳重に注意された。

 同席した沙耶香さんは素知らぬ顔をしている。あ、私が見ると目を逸らした。悪いことをしたとは思っている様子だ。

 

 沙耶香さんは所用があるとかで、今日の訓練は『路上教習』だけで終わった。正直、食べ過ぎでお腹が苦しかったので、午後の訓練が無いのは助かる。

 その後、半日近くごろごろしていたが、胃もたれしていて夕食もあまり食べられない。

 

 夕食後、母を伴って沙耶香さんがやってきた。

 

「退院は明後日の土曜日に決まりました。『小畠昌幸』さんの通夜と葬儀は翌週の月、火になります」

 

 私が一通り行動を(つくろ)うこともできると見込まれたらしい。沙耶香さんによると「これ以上を望むならかなりの期間が必要」らしいから、頃合いなのだろう。

 

 葬式は内輪だけで済ませてほしかったが、『私』の通夜が今の私にとって親戚や知人との初顔合わせになる。こういうことは一度にやってしまった方が良いらしい。

 

「ボロが出ませんか?」

 

「私が『看護師』として付いて行くから安心して。何かが起こる前にフォローします」

 

「看護師のフリなんて、まずくないですか?」

 

「私はこの病院の看護師よ。看護大学校も出てるし

 私がここで貴女の指導に就いているのは、それもあるの。

 詳しくは後で打ち合わせるけど、当日は合図したら体調不良を起こして下さい」

 

「仮病ですか?」

 

()調()()()です。難しければ私の方で起こさせますが」

 

「いえ、『体調不良』は起きるより起こす方が楽そうですから」

 

 こういう時の沙耶香さんの目はちょっと怖い。「お薬の時間ですよ」とか言いながら巨大な注射器を持ってきそうだ。きっと銀縁の秘書風眼鏡も似合う。

 

「随分髪も伸びてきたし、お通夜には本来の姿で出られそうね」

 

「えっ?」となって触れてみると、確かにショートボブぐらいにはなっている。と言っても、全体的に同じ長さなので、後は不自然な形だし、前はぼさぼさで目にかかっている。

 でも、いつまで今のペースで伸び続けるんだろう?

 

「沙耶香さん。切っても切っても伸び続けるなんてことは無い、ですよね。どれぐらいで収まりますか?」

 

「急激に伸びる期間は大体五日間ぐらいだけど、貴女の場合は分からないわ。歯が生え替わったのはずっと前だし。貴方のような場合の記録は残ってないのよ。

 とりあえず、今しばらくは二日に一回ぐらい、切りそろえる必要があるかもね」

 

 伸びるのが止まらず、一生分使い切ることさえなければいいのだけど。

 

 

 

 翌日は検診のみで、夕食後に沙耶香さんが連れてきた美容師さんに髪を切ってもらった。と言っても、髪をすいたり先をそろえる程度だ。それでも出来上がりを見るとやっぱりプロだ。

 

 幸いその美容師さんは無口だったので助かった。逃げ場のないところで会話すると、今の私では絶対にボロが出る。多分、その辺を考えた人選だろう。沙耶香さんはこういうところが地味に的確だ。

 

 一つだけ困ったのが、美容師さんが私にメイクをしたがったこと。どうせこの時間じゃあとは寝るだけなのに。

 結局、翌朝にメイクをさせてあげるというところで落ち着いた。でも沙耶香さん、こんな遅くに引っ張った上、翌朝にもう一度仕事『させてあげる』ってどうなんだろ。

 

 

 

 明けて翌日、朝食後にメイクをしてもらって退院となった。

 土曜日だというのに、待合室は大変な混みようだ。

 真っ白な頭という純粋日本人には見えない姿が珍しいのか、待合室を通過するときに集中する視線が痛い。五歳ほどの女の子には指を差された。人を指差しちゃダメって躾けられてないのか?

 

 

 

 帰路は高速を飛ばして一時間弱。昼前にようやく着いた。

 

 車庫の中には一月前と変わらず私の車が鎮座している。幌には少し埃が積もっている。

 

「ただいま。あとで掃除してやるからな」

 

 ボンネットに手を乗せ、小声で声をかけた。今度乗ってやれるのはいつだろう。

 

 

 

 車庫内の引き戸を開けると、子ども達の足音がやってきた。トトトトトッは三歳の息子、ペタ、ペタ、ペタは一歳の娘。

 きっと、この一ヶ月というもの、勝手口の戸が音を立てるたび、こうやって走ってきたに違いない。

 

「お父しゃ、ん?」

 

 (あまね)怪訝(けげん)そうな顔で私を見上げた。そりゃそうだ。見たことのない、しかも頭が真っ白な女の子が立っているのだ。

 

 じっと見上げる周と目が合う。目が熱くなり、私の視界は歪んでゆく。

 

「あー、あー、あー」

 

 (つぶら)の「抱っこ」要求だ。人見知りの円が、初めて見た私に泣きもせず抱っこをせがんでいる。

 精一杯高く抱き上げると、手足をばたつかせて喜ぶ。一ヶ月前よりも随分重いのは、入院中に私の筋力が落ちたからだろうか。でもその笑顔は一ヶ月前と同じだ。

 と、周が私の右足に(すが)り付いてくる。

 

 円を降ろし、膝立ちになって改めて二人を掻き抱く。

 子ども達も抱き返してくる。

 姿が変わってしまった私を、子ども達は家族と認めてくれている。

 

「ほら、二人とも、お姉ちゃんにお帰りなさいは?」

 

 渚が子ども達に声をかけた。

 

「おーかーえーりーなーさいっ」

 

「かー、なー、しゃい」

 

 渚も二人の子どもごと私を抱きしめた。周が苦しくなったのか抜け出す。

 

「おねぇちゃん、えんえんしてるー。お母ぁさんもー」

 

 私は涙を拭いて周の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 二人の父親としてはいられないけど、家族としてなら側にいられる。そもそも、死んでしまったら二度とこうして会えなかった。それを考えれば、今の私にはこれで十分だ。

 

 

 

 (しばら)くして、後ろから咳払いが聞こえた。

 沙耶香さんが勝手口で荷物を持ったまま立っていた。

 

 ごめんなさい! 忘れてました。



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ここまでの主要登場人物

小畑 昌幸 おばた まさゆき 

 

 本作の主人公だが、公式には死亡したことになっている。

 設計業務に就いていたが、ある日急性腸炎で入院し人生をやり直すことになる。

 外見は非常に女性的だった。(それが理由では無いが)就職に失敗し、米国で『留学』という名のモラトリアムを過ごす。幸か不幸か、その間に娘をつくったことにされてしまった。実際のところ、米国ではモテることも無く、その外見で侮られることの方が多かった。

 帰国後、コンプレックスの反動からかジム通いで身体を作ったが、顔までが精悍になることもなく、脱いだら合成写真のような姿と評されたことも。

 

 

 

小畑 昌 おばた あきら

 

 本作の主人公。

『血の発現』によって現在の姿となる。公称十三歳、戸籍上の年齢は十六歳。これは昌幸が留学中に作ったという設定のため。

 髪は白、目は明るい群青、色白で童顔は前世から。

 身長一五三センチと、中学生としてはほどほど。

 かなり痩せた体躯に対して体重は重い。これは昌幸の体脂肪率を引き継いだためで、服の下はかなり筋肉質である。

 

 

 

小畑 渚 おばた なぎさ

 

 小畑昌幸の妻。とある会社で経理事務をしている。

 長身で整った容貌ではあるものの、華のある外見ではない。

 性格はかなり楽天的。過去に声優を目指していて劇団経験もあるが、顔も小さく舞台映えがしないため、その分野は早々に諦めることに。その過去については、夫である昌幸に知らせていなかった。

 一六五センチという長身の割に体重が軽いのは、体脂肪率が高いから。実は慢性的に運動不足で、四十キロ台を死守するのが難しくなりつつある。

 昌幸には過ぎた奥さん。

 

 

 

小畑 周 おばた あまね

 

 昌幸の第一子。登場時で三歳。

 性格はかなりワガママで向こう見ずなところがある。昆虫や恐竜が大好き。母親似の整った容貌をしている。

 

 

 

小畑 円 おばた つぶら

 

 昌幸の第二子で長女。登場時で一歳。

 少し人見知りな甘えん坊で、女児としては言葉が遅い。容貌は父親似で、将来は昌に似た美人になるだろう。

 

 

 

竹内 沙耶香 たけうち さやか

 

 登場時で戸籍上は二十五歳ということになっている看護師。現役の『比売神子』では最年少ながら、次席の立場にある。当代の比売神子としては、最も『格』が高い。

 栗色の髪に青い目、加えて一六七センチという長身で肉感的な姿は日本人には見えないが、血縁には五代遡っても日本人しか居ない。

 前世では英文科だったが『血の発現』で死亡したこととなった。現在は看護大学校を経てとある病院に看護師として籍をおいている。

 

 

 

高瀬 啓悟 たかせ けいご

 

 とある病院に籍をおく医師。総合診療医としてはかなり優秀。既婚で二児の父。最近十年近くに『血の発現』をした神子たちの主治医をしている。

 学生時代は『国境なき医師団』を目指していたが、数奇な巡り合わせで現在の立場にある。

『神子』の主治医として、前例の無い臨床データを得られることには張り切っている。



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第三章 昌として
家族


 家族は離れの仏間に待っているそうだ。加えて姉、(なぎさ)の両親。どんな顔で会えば良いのだろう。私の両親や姉は仕方がないにしても、渚の両親には公式発表通り、亡くなったと知らせてくれれば良かったのに。なんだかお腹が痛くなってきた。

 

 歩こうとしても、足の裏が床から離れない。膝が震える。

 

「大丈夫。誰もあなたを責めないわ。それに、私がついてるから」

 

 私は渚に右手を引かれてのろのろと進んだ。床に足が付いている感覚が怪しい。自分は真っ直ぐ立っているのだろうか?

 今度は(あまね)が左手を引く。子どもにまで心配される訳にはいかない。

 目を閉じて深呼吸を一回、私はさっきより確かな足取りで渡り廊下を通り抜ける。

 

 (ふすま)の前に立ったが、繫がれた手を放す勇気が出ない。

 何秒そうしていただろうか? 渚が襖に手をかけて私を見た。

 私は右手を放し、手ずから襖を開いた。

 

 

 

 座敷から全員の視線が集中する。皆黙ったままだ。

 私はその場に正座し、渚の両親に頭を下げた。

 

「こんなことになって、申し訳ありません」

 

 

 

「あら、あら、あら、あら、可愛くなっちゃって、もー。

 渚から聞いてはいたけど、こんな別嬪(べっぴん)さんになってるなんて思わなかったわ。見とれて、息をするのを忘れちゃったぐらいよ。昌幸君は元からきれいな顔立ちしてたけど、あぁ、今は昌ちゃんね。

 ほら、お顔を上げて」

 

 お義母さんは、いつもと変わらぬ調子で私の前に座った。

 

 私が顔を上げると「あら、お化粧してもらったの? でも涙で少し崩れてるわ」と、目尻を拭ってくれた。

 

「なっちゃったものはしょうがないし、何より一番困ってるのは昌ちゃんでしょ。命があったんだから、それでよしとしなさい」

 

 私をぎゅっと抱きしめてくれる。

 暖かい。

 

 そうだ。渚のお母さんなんだ。渚はこのお母さんから生まれて育ったから……。

 私の目に再び涙が溢れる。この身体になってからというもの涙腺が緩い。

 

 

 

「すいません、顔を洗ってきます」

 

 私は一旦洗面所に行くことにした。泣くたびに拭いてもらうのも心苦しいけど、インターバルをおきたいのが本音だ。

 

 沙耶香(さやか)さんに習ったとおり、化粧を落として洗顔する。座敷では襖の向こうから話し声が聞こえる。私は今一度座敷に入った。

 

「すっぴんでもきれいねぇ。若いって羨ましいわぁ」

 

 お義母さんも努めて明るく振る舞っているのかも知れない。でも、正直リアクションに困る。

 

 空気を察したのか、姉が口を挟んできた。

 

「私の友達ね、昌幸のこと、妹だと思ってた子もいたんだよね。でも、本当に妹になるとは思ってなかったわ。

 今度、妹ですって見せびらかそうかしら」

 

「姉さん、それじゃ親が幾つのときの子だよ。とりあえず姪ってことになるからそのつもりで。

 ところで篤志(あつし)は?」

 

「今夜帰ってくるって。でも、その変わり果てた姿見たらどんな顔するか、見ものね」

 

 姉はニヤニヤと黒い笑みを浮かべた。

 

「変わり果てたって、屍体みたいな言い方はちょっと……」

 

「でも、明後日はお通夜でしょ」

 

「まぁ、公式にはそうだけど」

 

 

 

 男性陣はどう言葉をかけたものか思案しているようだ。普通はこうだよな。

 

「これじゃ、ビールに付き合ってもらうわけには行かないなぁ」

 

 お義父さん、かなり考えた挙げ句の一言がこれだ。

 

「でもお酌ぐらいはして上げられますよ」

 

 私が応じるとぎこちなく笑って、

 

「こんな美人に注いでもらえば、ビールも美味しくなるかな」

 

 案の定、お義母さんが睨むが、目は半笑いだ。

 

 とりあえず、表面上は受け容れてくれてるようだ。その中で、父さんは黙ったままだ。

 

「父さん、ただいま」

 

「ん、あぁ、お帰り」

 

 どう言ったものか、迷っているようだ。

 

「まぁ、もう一度青春をやり直せると思えば、悪くないだろう。今度は若すぎて傷つくことも無いだろうし」

 

「青春、ねぇ……」

 

「しかも、今までとは別の視点で世界を見ることが出来る。そんな経験は誰もが出来るものじゃないから、幸運かも知れないぞ」

 

「まぁ、生き残れただけで幸運だし、やるだけやってみるよ」

 

 一応、父さんなりに元気づけようとはしてくれているらしい。無理してまともなことを言おうとしているあたり、ピントがずれてる。

『青春をもう一度』か。そもそも、ここまで外見と中身が乖離(かいり)した私に、友達なんてできるんだろうか。

 せめて、候補の神子たちが仲良くしてくれれば良いんだけど。あ、こっちから仲良くしなくちゃいけないな。

 

 一時間ほどしてようやく普通にしゃべれるようになってきたら、沙耶香さんに言葉遣いを注意された。知らない間に言葉遣いが昌幸に戻っていたようだ。

 姉さんからも「その外見でその言葉遣いは違和感ありすぎ」と言われ、病院での訓練の成果を披露しなくてはならなくなった。正直、恥ずかしい。

 それに、渚を『お母さん』と呼ぶことに抵抗がある。

 いや、今までもそう呼んでいた。子どもが生まれたとき、互いに子どもから見た続柄で呼ぶことにしたからだ。

 親としてその呼び方を使うことに抵抗はなかったが、自分が使うとなると抵抗感、と言うより違和感がある。一人称の『私』もそうだが、人称代名詞に難がある。

 これにも慣れていかなくてはならない。

 

 

 

 沙耶香さんが、今後の予定と私の『設定』についてもう一度確認した。

 結局、あの昼ドラより酷い『設定』から変更無しだ。考えると言いながら、もっとマシなストーリーが出てこなかったから仕方がない。

 明後日の通夜が最初の勝負だ。自分の設定、特に生育歴や人間関係を憶えきれるだろうか……。病気と治療のせいで、幼少期の記憶が損なわれたとか、そんな設定を追加してもらおうかな。

 

 

 

「ところで、私は葬儀では何を着れば良いんでしょう」

 

 家族全員が固まった。

 

「ちゃーんと、用意してありますよ!」

 

 沙耶香さんが満面の笑みで箱を出す。「はい、礼服」

 今度から『沙耶えもん』と呼ぼうかな。

 

「あとで、合わせましょうね」

 

 やっぱりそう来たか。



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入浴

 打ち合わせも終わり、お義父さんとお義母さんは帰った。

 

 私は風呂の支度をする。子ども達を風呂に入れるのは私の日課だったが、それもおよそ一月ぶりだ。

 

 脱衣所でいつものように服を脱ぐと、渚は周の服を脱がしながら、ちょっと恥ずかしそうに私を見る。

 

「ん? どうしたの?」

 

「あなたって、女としての恥じらいとかは無いの?」

 

「女として……って言われても、実感無いし。

 それに、なんて言うのかな、この体は自分じゃない気がして……。むしろ中途半端に下着姿を見られる方が、女装を見られるようで恥ずかしいよ」

 

「その辺も、意識を変えていかないとね。

 はい、周君、お姉ちゃんと入って」

 

「お姉ちゃんと?」

 

「そうよ」

 

 私に続いて周も浴室に入って来た。

 かけ湯をしてお尻を洗うと、周はくすぐったそうにする。軽く流して湯船につかった。

 

「お姉ちゃん、どうして頭、白いの?」

 

「どうしてかなぁ。周君はどうして頭黒いの?」

 

「髪の毛が黒いから黒いよ」

 

「お姉ちゃんも、髪の毛が白いから白いよ」

 

「どうしてお姉ちゃんの髪は白いの?」

 

「周君はどうして黒いのかな?」

 

「黒いから」

 

「ワンワンでもニャンニャンでも、いろんな色があるでしょ。でもワンワンはワンワンでしょ。

 人もいろんな色があるの。頭だけじゃなくて、お顔もいろんな色があるの」

 

「うん」

 

 納得したようなしないような複雑な顔だ。でも、難しいと考えられるぐらい知恵が付いてきてると思うと嬉しくなる。

 

「お風呂熱い」

 

 禅問答のような会話に飽きたのか、湯船から出ようとする。

 

 身体を洗ってやると、周も石けんの付いた手で、私のお腹をなで回した。

 

「こぉら、やめて! くすぐったい。

 はい、流すよ」

 

「ほら、ボク、おちんちんあるよ」

 

 周は見せびらかす。

 

「大事なところだから、隠しておいてね」

 

「お姉ちゃん、どうしておちんちん無いの?」

 

 周は私の身体をじろじろ見る。

 三歳で女体に興味を持つなんて……、って、まだそんな段階じゃなく、純粋に肉体に対する興味だろう。

 

「どうしてかなぁ」

 

 ちょっと傷つきながら応える。

 

「なくしちゃったの?」

 

 う、今のはぐさっと来た。

 黙っていると

 

「お父さんも、じいじもあったよ」

 

 どう応えたものか。「ふうん」と相づちだけ打つ。

 

「お父さんもじいじも黒かったよ」

 

「え? 何が?」

 

「おちんちんのおヒゲ」

 

 あ、そっちか。少し安堵する。

 

「お姉ちゃんも、大きくなったらおヒゲ生えてくるよ」

 

「大きくなったら?」

 

「うん。じいじが言ってた」

 

 これ絶対、保育所でも言ってるんだろうなぁ。保育士さんは子どもを通じて家庭の会話や事情を知ってるらしいし。

 

 

 

 周を脱衣所に出し、今度は円を入れる。

 (つぶら)はまだ十分に話せないので、会話というより声かけになる。いつものように、「ほぉら、背中洗うよー」と言いながらお湯をかけると大喜びだ。

 

 ところが、仰向けに抱いて頭を洗い始めると、いつもならウットリとした顔になるところなのに、ものすごく不安な表情をする。今の私の抱っこでは安心できないらしい。

 確かに、こんな貧相な腕で抱かれるのは不安かも知れない。でも、お母さんには安心して抱かれてることを考えると、今の私にはそこまでの信頼感を持てないでいるようだ。そう考えると、ちょっと悲しくなる。

 

 円を脱衣所で待っている渚に任せて、今度は自分の身体を洗う。昌幸だったときよりも時間がかかる。

『昌幸だったとき』か……、そう考えられるということは、現在の自分を受け容れつつあるということだろうか。

 

 浴室から脱衣所に行くと、渚と子ども達は既に出た後だった。

 私は手早く身体を拭き、下着を着ける。この作業も慣れたものだ。

 と、ドライヤーが目に入る。昨日までは沙耶香さんにしてもらってたけど、やっぱり自分でもした方が良いだろう。

 

 ドライヤーを強くし、遠くから手首で左右に振りながら温風を当て、髪を下から(すく)い上げるように風を通す。最後に冷風を当てて完了。

 パジャマがないのでノースリーブの上に七分丈のスウェットを着ていく。これなら余っているウエストも紐で縛れる。

 

 

 

 ダイニングに行き、習慣でビール瓶をタンブラーに傾けた。やっぱり、風呂上がりは冷えたビールだ。入院中は、アルコールはナシだったし。

 

 いつものように咽に流し込んだ。

 

「ぐァっ、苦ぁっ!」

 

 口の中にあるのは確かにビールの味だ。なのに、あれほど美味いと思っていたビールが今は美味しくない。味覚が変わったようで、咳き込んでしまう。後味を消すために口をゆすぐ。ダメだ。何か味のある飲み物、出来れば甘いもの。

 冷蔵庫から梅酒を取り出した。うん。まだしも飲めなく無い。でも少し苦みを感じる。もう一口。やっぱり苦い。

 

 あれ? おかしいな? 周囲りが揺れている。何ンか目の前がぐるぐるしてきた。咽も熱いし胸も背中も熱い。ちょっとお水を飲もう。あれ? 立てないゾ。

 壁をつたって流しまで、めんどくさい。冷蔵庫を開けて炭酸水を飲む。その場で座り込んでしまった。立つのがめんどくさい。

 

「あなた! まさか飲んだの?」

 

「一口、一口らけらよ。苦くれ飲めらららっ」

 

「あなた未成年でしょ! とりあえずこれ飲んで」

 

 渚がグレープフルーツジュースをコップに入れてくれた。ごくごく飲む。

 

「あー、美味しい。お代わり」

 

 もう一杯注いでくれた。ごくごく。私の奥さんは優しいなぁ。

 

 

 

 部屋の隅にはいつでも子どもを寝かしつけられるよう布団が敷いてある。渚に連れられ、私はそこにごろりと横になった。

 

「周ぇー、円ぁー、一緒にねんねしよー」

 

 なんだか分からないけど、楽し眠たくなって……。

 

 

 

「痛タタ……」

 

 気がついたら、食事は終わっていた。なんだか頭が痛い。気持ち悪い。トイレに慌てて走るが足がもつれそうだ。

 (ひざまづ)いて、飲んだものをパシャパシャと吐き出すと少し楽になった。顔を洗ってうがいをする。どうやら悪酔いしそうになったらしい。昼食を食べそびれた上、風呂上がりにアルコールを入れれば当然か。顔色はあまり変わってないが、目が充血している。

 

 ダイニングに戻ると、渚がスポーツ飲料のペットボトルを渡してくれた。

 

「ありがとう」

 

 蓋を開けようとするが、あれ、力が入らない。シャツの裾で蓋を包んでようやく開く。それを三分の一ほど飲むと、幾分楽になった。

 

「これに懲りたら、お酒は飲まないこと。第一、その身体は未成年なのよ」

 

「はい。そうします」

 

「全く、周にオシッコさせてたら、こんな事になってるなんて」

 

「ごめんなさい。もう飲みません」

 

 

 

 その日は気分が悪かったので先に寝た。うとうとしたところで

 

「そこダメ、お父さんの場所!」

 

 周に起こされた。

 うちの息子は風呂場でもここでも、容赦の無い言葉を浴びせて来る。



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親戚デビュー

 翌朝は例によって子ども達に起こされた。日曜日にも関わらず、子どもの朝は早い。

 

 久しぶりに朝食の準備。米食党の私としてはご飯が良いのだが、子ども達の休日――保育所にご飯を持って行かなくても良い日――は、パンになる。

 

 牛乳をたっぷり入れたとろふわのプレーンオムレツを作り、サラダとスープに合わせる。この絶妙な焼き加減は渚もなかなか真似できない。特にガスからIHに変えたばかりの頃は、フライパンを傾けられないことに難儀したんだよね。

 

 いつものように子ども達の皿に盛りつけ、円に食べさせる。一口食べるや、オムレツを指さし「もっと、もっと」のアピール。

 周も口の周囲(まわ)りをケチャップで汚して黙々と食べる。

 

「おいしーぃ! お姉ちゃん、お父さんみたい!」

 

 全部食べきってからようやく感想を言う。

 

 私もにっこり微笑み返した。いや、中身はお父さんなんだけどね。渚もニコニコしながら、「じゃぁ、オムレツはお姉ちゃんに作ってもらおうね」と言う。

 

「私は目玉焼きね」

 

「ベーコン、要る?」

 

「無しで」

 

 改めて目玉焼きを作る。小鉢に受けてカラザを取り除き、そろりとフライパンに落とす。目玉焼きは、黄身にできるだけ衝撃を与えないようにするのもコツだ。

 水を少し差して蒸し焼きにする。半熟にするには火加減とタイミングが重要。と言っても、IHなので火力三で二分間タイマだ。

 

「卵料理だけは、本っ当にプロ級ね」

 

「えっへん!」

 

 私は胸を張って盛りつけた皿を置いた。

 

「でも、卵料理だけってことは無いでしょ? 和食系も自信あるんだけどな」

 

「確かに上手だけど、原価がね……。ウデで美味しくしてるのは卵料理かな」

 

 原価を言われると弱い。

 

 気を取り直して、今度は自分用にベーコン入り!

 軽く焼いたハーフベーコンを正三角形に並べ、中心に卵を落とす。あとは普通通り蒸し焼きにし、皿に盛りつける。テーブルに皿を置いてカウンターに戻り、インスタントのカップスープに熱湯を注ぐ。

 

 そのときダイニングの戸が開いた。

 

「おはようさん」

 

「あら、篤志さん。お早うございます」

 

「お、旨そうだな」

 

 と、カウンターの内側にいた私と目があった。

 

「あ、篤志……」

 

「兄貴……、なのか?」

 

 

 

 何秒、止まっていただろうか。再起動は篤志の方が早かった。

 

「ずいぶん小さくなったな」

 

 おい、挨拶がそれかよ。

 

「まぁいいや。これ、食って良いか?」

 

 疑問文の形を採りながら、目玉焼きにソースをかけた。こら、目玉焼きには醤油だろ! じゃなくて、返事を待てよ!

 

 

 

 普通、三人の兄弟姉妹と言えば、長子が苦労人、真ん中がちゃっかりで、末っ子が甘えんぼうというのが相場だが、うちは姉さんが甘えん坊で篤志がちゃっかりだ。

 いつの間にか私のパンも確保している。だから末っ子のくせに、ムダにでかいんだよ。その身長は私より十センチ程高く百八十五を優に超える。あ、今は三十センチ以上か……。

 

 私は今一度、自分の分の卵を焼き始めた。取られたパンの代わりを冷凍庫から出してオーブンに入れる。

 

「いつ来たんだ? かみさんはどうした?」

 

「昨日の晩。兄貴はもう寝てたけどな。

 嫁と娘は今日の昼過ぎだ。事情は話してない。あんまり話すわけにもいかんだろうし、事前に口裏合わせとこうと思ってな。

 兄貴の事情は俺のところで止めてるから安心してくれ」

 

「口裏って人聞きが悪い。せめて打合せとか共通認識とか、言葉を選べよ。

 あと、一応、私は篤志の姪ってことになるから、呼び方は気をつけてくれ。こっちも篤志のことは『叔父さん』って呼ぶし」

 

「おう、分かったぞ。

 でもその姿でその言葉遣い、具合悪くないか? 『へねしー飲ムカ』とか『シャッチョサン、嘘つきネ』みたいだぞ」

 

 どういう喩えだよ。

 

「篤志叔父様、昌は姪なので『昌ちゃん』って、呼んで下さいね」

 

「兄貴」

 

「ん?」

 

「自分で言ってて気持ち悪くないか?」

 

「ちょっと。

 なるべく不自然でないしゃべりを心がけ……、あ!」

 

「ん?」

 

「卵、焼き過ぎた」

 

 半熟がダメになったので、パンに乗せて食べることにした。なんてこった。半熟の黄身をソースに、白身やベーコン、パンを食べるのが美味しいのに……。

 

 

 

 朝食後、ホテルから戻った沙耶香さんも交え、葬儀に向けた最後の打ち合わせとなった。

 ここで一つ問題が出た。私が本来の姿――白髪に群青の瞳――で出るというものだ。瞳の色はともかく、白髪は幾らでも隠せるのだが。

 

「変に目立ちませんか?」

 

「どうやったって、あなたは目立ちます。だったら、それを有効に使った方が良いでしょう」

 

 沙耶香さんが言うには、情報を小出しにするよりも、一度に公開してしまった方が良いらしい。むしろ、銀髪の美少女という外見の印象が強いため、他の設定に関する印象を薄める効果を期待できるとのこと。

 

 相乗効果が発生しないかという心配もあるが、黒髪でデビューするのはデメリットが大きい。問題の先送りにしかならない上、耳目を何度も集め直すことに繋がる。

 

「目立たないよう努めたところでムダです。

 今まで存在を知らなかった子、しかも『故人』の面影を強く残した子が親族席にいれば、絶対ワケありだと思われます。

 結婚のタイミングと貴女の外見じゃ、どうやったって計算が合いませんから」

 

 

 

 結局、沙耶香さんの言を承けることとし、私は礼服を合わせることとなった。ボタンが左右逆なのが地味にめんどくさい。

 皆が誉めてくれる中、篤志だけは「馬子にも衣装」とか「コスプレ」とか言いやがる。学校に通っていれば、制服で済んだのに……。いや、制服でも「コスプレ」って言いかねないか。

 

 

 

 平服に替えたところで篤志の嫁や親戚連中が来た。やはり好奇の視線が集中する。

 

 会う人会う人、皆口をそろえて「お父さんにそっくり」と言うのにはうんざりしてきた。

 本人なんだから同じ顔は当たり前だよ。

 

 沙耶香さんが私の設定を説明し、自身も医療チームの一人と自己紹介した。病み上がりで式に出た際、疲労や緊張感で体調を崩しかねないという『主治医の判断』ということで皆を納得させる。

 

 

 

 それ以上の準備は、セレモニー会館主導で「あれよあれよ」と言う間に進む。明日は『私』の通夜。私のデビューだ。



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通夜

『私』の通夜のため、家族はセレモニー会館に集まった。

 会館の人は仕事として淡々と振る舞う。必要以上に突っ込んだことも訊かないし、関わってくることもない。

 けど、一部のスタッフが度々(たびたび)私を見る。

 

『故人』の面影を色濃く残す少女。でも弟や妹とは歳が離れている。しかも純粋日本人には見えない髪と目の色。

 どう見てもワケありだ。

 

 分かっていたんだけどね。分かっていたけど、街で脚とか尻に向けられる視線とは明らかに違う嫌な感じがする。これに比べれば、エロい視線の方がマシ。健全というか、まだしも受け容れられる。いや、受け容れてるわけじゃないけど、我慢できるというか、理解できるというか……。

 私は、式が始まる前から憂鬱になってきた。下っ腹も痛くなってくる。私は小さい頃から、嫌なことがあったりストレスが大きくなるとよく下痢をした。それはこの身体になっても同じらしい。

 

 

 

 意外と弔問客は多かった。もっとも、大半が仕事関係で友人はほとんどいない。私に友人は多くなかったし、その少ない友人も散らばってるから仕方がない。

 

 弔問客が喪主である父に挨拶に来るのだが、例外なく親族席にいる私を見ていく。と言うより、私で視線が一旦止まる。そして次に『私』の遺影を見て、もう一度私を値踏みするように見るのだ。

 複数人で挨拶に来たときには、一通り挨拶して離れていくときに、小声で何事かを話しながら去ってゆく。

 もちろん、こんな幼子を残してとか、子どもを先に見送るのは親として云々とか、そういうのもあるだろう。

 でも、話題の中心は、多分、私の出自(しゅつじ)のことだ。もしかしたら自意識過剰かも知れない。しかし、こう同じ視線移動が繰り返されるとそうに違いないと思い込んでしまう。

 

 むしろ「こちらのお嬢さんは?」と、素直に訊いてくる人の方が好感を持てる。訊いて来たのが、『私』の個人的な友人ばかりだったから、評価が甘くなっているだけかも知れないけど。

 

 

 

 読経も終わりに近づき、弔問客が再び焼香を始める。

 当然、親族の席に近づくわけだが、やはり、私と『私』の遺影を見比べる。

 実際にはそうじゃないのかも知れないが、既にその辺の感情をたっぷり刺激されて過敏になっているのか、全員が私の出自をあれこれ詮索しているように感じられる。

 その場から逃げ出したいが、立場上それはできない。子ども達がぐずりだしたときに、渚と一緒に部屋を出るべきだった。

 我慢していたが、だんだん気持ち悪くなってくる。なんだか息苦しいし、頭痛や吐き気までしてくる。

 

 

 

「昌ちゃん」

 

 小声で沙耶香さんが呼ぶ。斜め後ろから私の腰と肩を抱えていた。いつの間にか、私は体重を完全に預けている。

 

「控え室に戻りましょう」

 

 そう言うと返事を待たず、足下のおぼつかない私を部屋から連れ出した。会場のドアを閉めると、横抱きに私を抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。自分がしたことはあったけど、女の人にされるのは初めてだ。

 

「お、降ろして下さい。自分で歩けます」

 

 抗議は通らず、そのまま親族の控え室に連れてこられた。部屋の隅に並べた座布団に寝かされる。

 

 沙耶香さんは上着を脱いで私に掛けると、グラスに水を入れてきた。

 

「水、飲めるかしら?」

 

「はい」

 

 応えて、グラスを受け取った。背中を沙耶香さんが支えてくれる。

一口、二口と嚥下(えんげ)すると、幾分マシになった。

 

「沙耶香さん、男前ですね」

 

「惚れたなら、私のところに嫁に来る?」

 

「それ、性別が逆ですよ」

 

「でも、少なくとも今の貴女は、婿って感じじゃないわね」

 

 沙耶香さんはクスリと笑って応える。

 暫く横になったことで、ずいぶん楽になった。

 

「ちょっと、顔色が戻ったわね」

 

 沙耶香さんは私の額を確かめながら言った。

 

「そんなに酷かったですか?」

 

「最初は紅潮していたけど、急に蒼くなったから、これはヤバいと思って連れ出したの。

 ……必要なこととは言え、酷なことしちゃったわね」

 

「承諾したのは私ですから。

 ちょっと、トイレに行ってきます」

 

 私は立ち上がり「今、トイレに行くのは……」という沙耶香さんの言葉を背後に控え室を出た。

 

 

 

 トイレに入ろうとしたところで誰かに呼び止められた。

 

「小畑、昌さん、だったかな?」

 

「はい?」

 

 初対面のはずだ。何で名前を知って……、と一瞬考えたが愚問だ。この式場では、私は特異な立場と外見だ。

 

「こっちは男性用だよ」

 

 男女分けされたトイレを使うのは初めてじゃないはずなのに、結構、いっぱいいっぱいだったみたいだ。

 

「すみません。ぼんやりしてました」

 

 私は一礼して女性用に向かった。

 

 

 

 中に誰もいないことを確認する。

 未だ後ろめたさを覚えるが、尿意には勝てない。個室に入って用を足していると、何人かが入ってくる気配。うーん、出ていきにくい。

 ドアの向こうから弔問客の話し声が途切れ途切れに聞こえる。

 

「見た? 小畑さんとこの隠し子」

 

「見た、見た。すごい美人! アレ、将来すごいわよ! 男ども、あの子と看護婦の話しかしてないし」

 

「だよね~。

 でも小畑さん、見かけによらずヤルことはヤってたのね」

 

 やれやれ、『私』のイメージががた落ちじゃないか。心の中でぼやいていると、外の会話は続いていく。

 

「あの子、ハーフ?」

 

「あの髪は治療の副作用って聞いたわ」

 

「治療に、米国に行ってたって聞いたわよ」

 

「じゃ、日本の保険効かないじゃん」

 

「小畑さん、治療に億の金を突っ込んだんだって」

 

「そんなお金あったの?」

 

「株で一儲けして、億の資産があったらしいわよ」

 

 私と『私』の『設定』を話し合っている。益々出ていきづらい。

 

「あの子が、それを相続するらしいわ」

 

「それで奥さんが親権を持つんだ」

 

「な~るほどぉ。一生遊んで暮らせるもんねぇ」

 

「あの子、継母と一緒じゃ苦労するわよ」

 

 だんだん、生臭い話になって行く。

 なんで女の人って、トイレでこんなしょーもないうわさ話、しかも憶測でしかない話をするのだろうか。聞きたくないのに延々と続けるから、出るに出られない。

 

 

 

 ……どれだけその話を聞かされただろうか。

 渚は……、『私』が選んだ妻はそんな人間じゃない。

 私は息を殺して、個室にしゃがみ込んでいた。時間にすればほんの数分だっただろう。でも、私には気が遠くなるほど長い時間に感じられた。

 

 周囲の気配が消えて数分、ようやく私はトイレから出た。

 出たところに、沙耶香さんが立っている。

 

「申し訳ありません。私の配慮が足りませんでした」

 

 無言で歩く私を沙耶香さんは後ろから抱き締め、自分の方に向けた。

 

「奥様、いえ、お母さんの前では、そんな顔をしないで下さい」

 

 

 

 私は暫く、沙耶香さんの胸を借りた。

 

「すみません。ブラウス、汚してしまいました」

 

「いいのよ。どうせ、クリーニングに出すし、上着を羽織れば見えませんから。……でも、これで私も一人前ね」

 

「?」

 

「男を腹の上で泣かせられたら、女は一人前だって、何かの本にあったわ」

 

 思わずクスリとしてしまった。

 それ、出典知ってる。いや、二次出典かも知れないけど、書いてあった本持ってるし。それをここで言うかな?

 でも、そのおかげでちょっと心のスイッチが切り替わった気がする。セリフはアレだけど効果はあった。

 

「私は、男でしょうか?」

 

「さぁ? どうかしら」

 

 沙耶香さんは私の頭をくしゃくしゃっとし、改めて撫でつけた。

 

 でも、私がそのセリフを知ってることを見越して、あえて狙ってやってるのだろうか? だとしたら凄いな



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通夜のあと

 親族控え室に戻ると、食事が始まっていた。

 祖父が亡くなったときは大往生だった上、故人の希望で半ば宴会の様になっていたが、今回は表面上だけは沈鬱な空気だ。

 否、全体的には沈鬱な空気で、本来は一番落ち込んでいなくてはならないメンバーが周りに合わせて取り繕っている。

 もっとも、それを見抜けるのは、事情を知っている者だけだ。

 

 多分、自分が子どもを喪ったとしたら、この場には全く現実感を持てないだろう。ワケが分からないうちに通り過ぎて行くだけだ。

 人は、落ち込むことが出来るだけの余力があって初めて落ち込める。それを知っているから、家族があまりにも淡々としていることについて、誰も何も言わないのだ。

 

 時計は午後十時を回り、子ども達は眠っている。渚と私は子ども達を連れて先に帰宅した。何故か篤志家族もついてきた。

 篤志曰く「斎場で出るビールの銘柄が気に入らない」だが、実際はポロリと本当のことを漏らしてしまうことを恐れているに違いない。

 

 

 

 篤志の奥さんと娘が風呂に入る間、私と渚、篤志、沙耶香さんの四人がリビングでお茶の時間となった。もっとも、篤志はビール、沙耶香さんは冷酒だ。ホテルまでどうやって帰るつもりだろう? つーか、そのビールも冷酒も『私』のなんだけど……。

 

「俺の周りは兄貴、いや、昌の話題で持ちきりだったぞ。紹介してくれって言う馬鹿までいた。三十過ぎてロリコンばっかだ。

 ま、美人は美人だがな」

 

「初めて、この美貌を認める発言をしたね」

 

 私が言うと、篤志はバツが悪そうに頭を掻いた。

 

「それを言っていいものか、迷ってたんだよ。

『兄貴』は、姉さんの友達に『可愛い』って言われるの、嫌がってたからな」

 

「そりゃ、男としては『可愛い』って言われるのは嬉しいことじゃないよ」

 

「今はそうでもない? ってことは……」

 

「誉め言葉として受け取らなきゃならない、とは思ってる」

 

 そう応えたものの、その抵抗感がやや減ってきているのも事実だ。まだ十日ほどなのに、性自認が徐々に変わりつつあるのだろうか?

 今日のトイレでの一件もある。あれに比べれば、可愛いと評価される程度は流せるようになったのだろう。

 それに、客観的には至極正当な評価だ。うん、論理的に考えて、受け容れることにしたんだ。

 

 篤志の周りでは、私の出自に関する噂話は無かったのだろうか? まぁ、男は身の上話よりも身の下話の方が好きだし、そういった琴線に触れる微妙な話題は、少なくとも公的な場では避けるか。いや、篤志が気を遣ってあえて言わなかったという線もあるかな。

 

 思考を巡らせていると、篤志のスマホから着信音。

 

「お、娘が風呂から上がるようだから、俺は行くぞ。どうする? 次は誰が入るんだ?」

 

「私はこっちでシャワー浴びるから、離れの風呂をそのまま使ってくれればいいよ。渚、じゃなかった、お母さんはどうする?」

 

「お風呂沸いてる?」

 

「母屋のを沸かしとくよ。

 篤志――叔父様は離れの風呂をそのままにしといて。父さ……、お祖父ちゃんたちが帰ってきたら追い炊きして入るだろうから」

 

「おう、サンキュー。こういうとき二世帯住宅ってのは便利だな」

 

 お風呂についてはその通りだけど、食事も別々だから共働き世帯は結構大変なんだよね。

 

 

 

 シャワーを浴びて戻ると、リビングでは沙耶香さんが一人、所在無げに冷酒を飲んでいた。

 

「今日は、辛い思い、させちゃったわね。控え室にも化粧室があったのに……、強引にでもそっちに連れて行くべきだったわ」

 

「あんなことを聞かされるとは思いませんでした。

 でも、周囲は私と家族をそんな風に見てるんですね」

 

 トイレでのことを思い出す。渚には聞かせられない内容だった。多分、一生心の中に仕舞っておくことになるだろう。

 

「人の醜い部分を見せられたわね。あなたは妬まれてるのよ」

 

「こんな私を、羨ましいと?」

 

「そうよ」

 

「好きでこうなったわけじゃないのに……。あ、でもお金のことは助かってます」

 

「嫌な言い方になるけど、貴女ぐらいの美貌か資産、この一方でもあれば人生違ってたかも、って思う人は少なくないのよ」

 

 確かにそうかも知れない。『遺産』と称した月五十万は羨望するに足る。

 

 

 

「沙耶香さんは、どうなさいます? ホテルに戻るならタクシー呼びますけど」

 

「今更戻るのも面倒くさいし、泊めて頂こうかしら。奥様の後でお風呂、頂けますか?」

 

「構いませんよ。客間に布団を準備しておきますね」

 

「今夜は、私が添い寝、して上げましょうか?」

 

「それは遠慮しときます。私は暑がりですから。それに……」

 

「それに?」

 

「嫁がヤキモチを妬きます」

 

「お熱いことで」

 

 沙耶香さんは苦笑していた。

 

「そんなことより、お腹すきませんか? つまみ無しで冷酒なんて、体に悪いですよ」

 

「何か食べるものあるかしら?」

 

 私は冷蔵庫を開けて中を確認した。常備菜は無し。食材も微妙。通夜の段取りで買い物に行きそびれたからな。

 うーん。これで出来そうなのは雑炊かな。

 

「雑炊作りますけど、沙耶香さん、食べます?」

 

「頂くわ」

 

 昆布で出汁を取りつつ、別鍋で鶏の皮と胸肉から取った出汁にレンジで温めた冷や飯と、刻んだ葱・人参・椎茸を放り込む。

 昆布を引き上げたら粉末の出汁を入れ、酒・塩・味醂・醤油で味を付ける。

 最後に鰹節からさっと出汁を取って鍋を合わせたら、鶏卵を割り入れて完成! ちょっぴり生姜を効かせるのがポイントだ。

 

 沙耶香さんは一口食べるや「良いお嫁さんになれるわよ」と微妙に嬉しくない誉め言葉をくれた。これぐらい、男でもやる。むしろ味に対する拘り、と言うより執着は、男の方が強いかも知れない。

 

 私も雑炊にワサビを少し足して食べる。辛い。ワサビを入れすぎたか?

 そうこうしていると、渚が風呂から上がってきた。一応、軽く一杯分は残っている。「ラッキー! お腹すいてたの」と、渚もやや冷めた雑炊を食べ始めた。

 

「昌幸さ……、じゃなくて、昌って見かけによらず料理上手いでしょ」

 

「そうね、でも今なら見かけによらないってことはないでしょ。

 昌ちゃんを私のお嫁さんにくれない?」

 

「ダメです。あげません。私の娘ですから」

 

 ここからガールズトークが始まった。

 

 

 

 どうにも、割り込めない。自分もこんな風にしゃべれないといけないのだろうか? と、もう日付が替わりそうだ。

 

「どっちにしても、そろそろ寝ないと」

 

 なんとか割り込んでコレ。女として生きるのは大変そうだ。



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女の子の

 告別式は通夜ほどの弔問客もなく、淡々と完了した。

 視線が少ない分、昨日ほどの圧迫感は無いが、それでもストレスはある。

 

『故人』の意志で亡骸は献体された事になっているため、『荼毘(だび)に付す』以後の項目が省略されたのがせめてもだ。

 当事者から見れば一種の茶番でしかない。そう思ってしまうのは、昨日のトイレでの一件も原因だろうか。

 

 式が終わると、親戚もみな帰宅の途についた。私たちも帰宅する。これで一段落。ようやく日常に戻れそうだ。と言っても、私はいろんな意味でのリハビリをするため、向こう半年近くの間は家族公認のニート暮らしだ。

 

 

 

「突然だけど、明日は検診に行くわよ。検査スケジュールが空いたらしいの」

 

 どうやらさっきの電話は病院だったらしい。

 今後のスケジュールについても、検診結果を待って決めるそうだ。

 

「検診って、何をするんですか?」

 

「体がきちんと機能しているかどうかを、いろいろ調べるのよ。場合によっては泊まりになるから、一応、その準備もしておいて下さいね」

 

 なんだか不安を煽るようなことを聞かされ、お腹の痛みがぶり返してくる。極力別のことを考えよう。

 

 せっかくのニートだ。たまったビデオを見たり、読んでない本を読んだり、買っただけで封を切ってないゲームをしたり……、あ、プラモデルも作らなきゃ。うん。だんだん楽しくなってきたぞ。

 でも、その前に昼寝だな。昨日も遅かったし。睡眠不足なせいか、頭痛もする。

 

「沙耶香さん。ちょっと疲れたので、横になってきます」

 

 シャワーを浴びようか迷ったが、どうせ夕方には子ども達を風呂に入れるので見送った。

 

 

 

 とりあえず昼寝の前にトイレ、と、下着を下ろしたところで、

 

「あ……」

 

 このところの腹痛は、心因性のものでは無かったようです。

 

 それそのものより、それに直面した自分が、なぜか随分冷静なことの方に驚いた。

 

 とりあえずティッシュで応急処置をしてトイレを出る。どうしよう……。誰に相談しよう……。

 

 廊下に出たところで沙耶香さんに出くわした。沙耶香さんに相談しようか? でも普通こういう事は母親だろう。でも母親ってどっちだ? 母さんか? 渚か?

 

 私が思考を巡らしていると、沙耶香さんが耳元で囁いた。

 

「アレが来たのですか?」

 

 背筋が反り返るぐらい驚いた。

 なんで分かったんだろう? 私の反応を見て、沙耶香さんはバッグから小袋を取り出した。

 

「使い方、分かりますか?」

 

 私は首を細かく横に振った。沙耶えもんの準備の良さがちょっと怖い。

 

 

 

 私は脱衣所に連れて行かれ、いろいろとレクチャーを受ける。とりあえず清潔が重要とのことで、シャワーも浴びた。ついでに汚れた下着も軽く洗う。

 

 この最中はお風呂も控えた方が良かったように思っていたが、 私の知識は古かったらしい。でも、自分が当事者になる予定は無かったから、知らないのは仕方無いと思う。

 脱衣所での沙耶香さんは、今までになく紳士的だった。女性に対して紳士的というのも変だけど、他に良い表現が思いつかない。

 

「沙耶香さん、どうして一発でコレだと判ったんですか?」

 

 小声で訊いた。

 

「貴女の表情が、今まででも一、二を争う『女の子』だったから、もしかしたら『女の子の日』かな? と思って。別に確信があったワケじゃ無いのよ」

 

 この人、勘が良すぎる。

 

 一応渚には報告し、体調が優れないということで、子ども達の入浴を両親に任せた。その日の渚は妙に優しかった。

 

 

 

 夕食の支度を待っていると、ダイニングの戸を叩く音がする。行ってみると母さんだ。ニコニコ笑いながら差し出されたものは、紙のお重に入った赤飯だった。買ってきたらしい。

 数瞬後、私の顔はぶわっと熱くなる。

 

「やっぱり!」

 

 それを見た母は満面の笑みを浮かべる。

 

「まさか、言ったの?」

 

 私は渚を見た。

 

「いいえ」

 

「私も言わないわよ」

 

 沙耶香さんも応える。

 

 何でバレたんだろう。気付かれるような素振りがあったのか?

 自分の行動を思い起こしてみる。詳細には思い出せないが、露見する要素は無かったと思う。これが女の勘ってやつだろうか?

 

 ところで、沙耶香さん、当然の顔で一緒に夕食ってのはどういうことですかね?

 

 

 

 明けて翌日、私は沙耶香さんの運転で病院へ向かっていた。

 

「最中ですけど、この状態でも検診を受けるのですか?」

 

「機能していることが確かめられますから、あるいは好都合かもしれませんよ」

 

「見せるんですか? コレ」

 

「診ていただくことになるかも知れません」

 

 お腹の痛みが増した気がする。今度は心因性のが上乗せされたに違いない。

 

 

 

 一時間ちょっとで病院に着いた。予約を確認するために二人で総合受付に行くのだが、待合室の視線が私に集中する。

 通夜の日のことを思い出させられて、気分が悪くなってくる。羞恥とは違う感じで、首筋から頬に向かって血が上ってくるのが判る。耳の裏まで熱い。

 

 私はため息をつくように肩で深呼吸した。この体になってからというもの、簡単に顔に血が昇る。私がたまたまそうなのか、十代の少女がこんなものなのだろうか。

 

 受付を終え、沙耶香さんと廊下を進む。予約されていたから待合室にいる必要がなかったのが幸いだ。これで待たなくてはならなかったら、別の理由で体調が悪くなりそうだ。

 

 検査棟への廊下を進むにつれて、周囲りからの視線も減り、気分も落ち着いてきた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ちょっとマシになりました。待合室みたいに視線が多いところでは、通夜のときを思い出して、……辛くなります」

 

「心療内科にも行っておきますか?」

 

「多分、通夜のアレに加えて、急激な変化に心が付いていけないストレスが重なっているからだと思います。

 きちんと診療を受けようと思ったら、私の素性を話さざるを得ませんし、話したところで似た例がありませんから、精神安定剤的なものを処方されるだけでしょう。

 高瀬先生にだけ相談して、その上で判断すれば良いと思います」

 

「そうかもしれませんね。

 それにしても貴女、歳の割に落ち着いて……、と思ったけど、知識や経験は成人でしたね。忘れるところでした」

 

「それは、私がこの身体に馴染んで来たということでしょうか?」

 

「私の訓練の成果ね」

 

 沙耶香さんは微笑を浮かべた。

 あえて、肯定も否定もしないあたりが沙耶香さんだ。

 

 私は検査着に替えて、診察室に入った。



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検診

 診察室で簡単な問診を受けた後、採血、採尿、そして頬の内側の粘膜から細胞を採取、更に心電図にMRIと盛り沢山だ。

 

 検査後、昼食を挟んで高瀬先生から結果を聞くこととなった。

 

「その後どうですか? 小畑さん」

 

「ずいぶん慣れました。あ、昨日から、その、始まりました」

 

「おめでとうございます。昨夜はお赤飯でしたか?」

 

「……は、はい」

 

 恥ずかしい。なんでこんなこと、訊くんだろう。

 

 

 

「採血の結果は入院中とほぼ変わらず、特に異常は見られませんでした。朝食を抜いていないようなので、血糖値などは参考程度ですが、入院中の様子から見ても、糖尿などの兆候はなさそうです」

 

 と、先生は急にまじめな顔になった。

 

「粘膜から採取した細胞を調べた結果、興味深いことが分かりました」

 

「何でしょうか?」

 

 一応訊くが、何を調べたかはだいたい予想がつく。

 

「染色体が、XX型でした。つまり、貴女の変容は遺伝子レベルで行われたということです」

 

「そうですか……」

 

 やはりか。

 一ヶ月前の私の遺伝子サンプルでもあれば、比較できただろうけど……、と考えたところで、息子がいることを思い出した。息子には『私』由来のY染色体が遺伝している以上、今の私の肉体は遺伝子レベルで別人だということだ。

 

「同時に、貴女とご家族との血縁も確認できました。第三者がDNA鑑定をした場合、貴女は『弟さんや妹さん』の母違いの姉である確率がきわめて高いという判定が出るでしょうね」

 

『昌幸』の痕跡が、記憶だけでなく肉体にあることに、ほんの少し安堵する。

 

 

 

「それでは、前回見られなかったMRIの結果を見てみましょう」

 

「身体の輪切り写真ですね」

 

「ここのは最新型ですから、すごいですよ」

 

 高瀬先生は嬉しそうにパソコンを操作する。

 

 ディスプレイに現れたのは、人体の三次元モデルだった。MRIと言えば、パイナップルの輪切りみたいに写真を撮るものと思っていたが、技術は進歩している。そう言えば『私』が使ってたCADだって三次元だ。

 検査は寝台に横になって行ったため、お尻や背中が平坦になっているが、私の身体の形状がしっかりと判る。

 

「これで人体模型を造ったら、ものすごくリアルですね」

 

「うーん。多分組み上がらないと思いますよ。内臓は隙間無く詰まっていますから」

 

「それもそうですね」

 

「さて、順に見ていきましょう。

 貴女は基本的な知識も持ってらっしゃいますから、パパッと行けそうですね。

 この辺のレイヤーは抑制してっと……。あ、消化器系、循環器系は揃って問題なく機能していますから省略します。

 

 これ、分かりますね」

 

「はい。卵巣に子宮等々、要するに生殖器官ですね」

 

「ご名答。これらはきちんと揃っています。そして、図らずも昨日からの出来事で、子宮から外部への経路が閉塞していないことも確認できました」

 

「はぁ」

 

「実は、この点は少し心配していたのですが、杞憂だったようですね。あと、内分泌系については、今のところ異常な兆候はありませんが、今後も定期的に検査する必要があります。場合によっては、ホルモンの投与などが必要になるかもしれません。

 

 

 

 ざっくりと行きましたけど、何か訊きたいことはありますか?」

 

「まずは、日常生活に絡むことなのですが……。

 髪が白いと言うことは、この身体はメラニン色素を作れない体質なのでしょうか? えーと、アル、アル、何でしたっけ?」

 

アルビノ(先天性白皮症)のことですか? それは心配ありません。実際、黒目の色が比較的暗いですから、色素は持っていますね。

 ただし、貴女は変容前から日本人としてはかなり色白でしたし、現在は更に白くなっています。いくら神子の細胞が強靱だといっても、ダメージが無いわけじゃありませんから、日光にはある程度気を付けた方が良いでしょう。

 他にはありませんか?」

 

 

 

 私は躊躇(ためら)ったが、確認しておくことにした。

 

「脳の断層映像を見られますか?」

 

 高瀬先生は片眉をぴくりと上げて私を見た。

 

「ほう? 見られますよ。ですが、なぜ?」

 

 訊きながらも、パソコンを操作する。

 

「生殖器官を除けば、外観上、最も性差が大きい器官だと、本で読んだことがあります」

 

「なるほどね。

 貴女は今まで診察した神子の中で、一番手強そうです」

 

「私の素性はご存じでしょう?

 医学知識はともかく、基本的な科学知識は人並みにあります。社会人としての経験もありますし、そもそも他の比売神子候補とは年齢も違います。実年齢を考えれば、先生と対等に話せても不思議ではないでしょう」

 

「そうでしたね、今の貴女を目の前にしていると、つい忘れてしまいます。

 

 結論から言うと、貴女の脳の構造は、少なくとも解剖学的には女性のそれです。……えーと、分かりやすいのはこの断面ですね。脳梁の形状、断面に占める割合、いずれもそうであることを示しています。

 正直、この件は今の段階では心理的ショックが大きいと思われたので、訊かれなければ伏せておくつもりでした」

 

『今の段階では』ということは、今後の状況によっては伝えるつもりだったということか。いずれ知らせても不都合がない状況になると予測しているわけだ……。

 

「今の私の人格は、変化して行く公算が大ということでしょうか」

 

「それは正直、判りません。この分野については、分かっていることより分からないことの方が圧倒的に多いのです。

 まぁ、一般論として言えば、人は常に変化していくものですが。

 

 ただし、少なくとも周囲が貴女を女性として認知し、貴女自身が女性としての第二次性徴を経験することは、人格に少なからず影響を及ぼすものと思われます」

 

 診察室に沈黙が落ちた。

 

「妊娠出産や月々のリズムを制御するには、それに合った制御装置が必要というわけですね。

 ま、ある程度、覚悟はしていましたけど……」

 

 

 

「他に、お聞きしたいことはありますか? 分かる範囲でお答えしますが」

 

「私は、いえ、そもそも『神子』とは何なんでしょうか? ヒトでしょうか? それともヒトに似た別の生物なのでしょうか?」

 

「それも正直なところ判りません。

 しかし少なくとも、仮に現在の貴女を第三者が調べても、ヒトであることを否定する材料は見つからないと思います。もしかしたら、ホモ・サピエンスの更なる進化の階梯(かいてい)……かもしれませんね」

 

 苦笑しながら少し茶化すように応えた。私に気を遣っているのだろうか。

 

「『神子』、仮にこう呼びますけど、『神子』は日本人以外にも普遍的に現れる存在なのでしょうか?」

 

「それも不明ですが、私個人としては普遍的に存在したのではないかと考えています。

 ただしその能力は、その人を宗教的存在にしてしまったり、あるいは魔女裁判の被告席に立たせたかも知れません」

 

「能力? 助言を与える力がですか?」

 

「お伝えしていませんでしたか?

『血の発現』で『神子』になると、様々な能力を得られる様です。超常の力ではなく人間の範疇に収まるものですが」

 

 高瀬先生がちらりと私の後ろを見た。つられて振り向くと沙耶香さんが腕組みをして立っていた。いつの間に!

 

「さっ、沙耶香さん! せめて足音を立てて下さいよっ!」

 

「何を小難しいことを話しているかと思ったら……」

 

「ははは。小畑さんと話すのは、なかなか刺激的で興味深いですよ。答えに窮する質問をしてきますから」

 

「似たもの同士、類友ですか?

 いいお友達が出来たみたいで、良かったですわね。少し妬けますわ」

 

 沙耶香さん、言い方にトゲがある。



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ウィッグ

 検診は無事完了。泊まりが無くて良かった。

 沙耶香さんからは車を回すので待つよう言われたが、一緒に行くことにした。視線に晒されることに比べれば、少々遠くても歩く方がいい。

 

「やっぱり、私の姿は目立ちますね」

 

「その銀髪で目を()いて、可愛さでもう一度、かしらね。

 ほら、誉められてるのに、そんな顔しないで」

 

『可愛い』

 主に女性に対する誉め言葉だ。それをどこか素直に喜べない私は何なのだろう。肉体的には脳も含めて女性そのもの。でも記憶や人格は男性だ。それとも男性としての『私』はいずれ消えてしまうのだろうか。

 順応してきていたと思ってたけど、日や気分によって変わる。

 

「さっきのこと、気にしてるのね」

 

「自分が消えて行くような気がして」

 

「貴女は存在しているし、過去の貴方を知る人がいて、貴女も自分の過去を憶えている。そうである限り貴方は消えません。貴女は貴女の生きたいように生きればいいの。

 できれば、女性としての幸せを知って欲しいところです。せっかく美少女なんだから」

 

「さっきも、私に視線が集中しました」

 

 検査が完了して帰ろうというとき、待合室を通り抜けるそれだけの間すら、視線が自分に集まるのを感じた。通夜からこっち、前にも増して視線に過敏になった気がする。

 これからずっとそうなのだろうか? そう思うと憂鬱だ。

 

「沙耶香さん、まだしばらく、外出のときはウィッグを使いたいです。次の春、学校に行くまでには克服しますから」

 

 私の視線にこちらを向いた沙耶香さんが苦笑する。

 

「そうね。どうしようかしらね。でも確かに今の姿での外出は、負担が大きいかも知れないわね」

 

 そう言うと沙耶香さんはスマートフォンを取り出した。どこかに連絡するのだろうか?

 

「沙耶香さん。本当にしばらくでいいんです。少しずつ慣れていきますから」

 

 そう言った瞬間、沙耶香さんのスマホから電子音。写真を撮られた! なんで?

 

「主治医からも、あまりに性急な変化は避けるよう注意されました。

 それに、そんな顔でお願いされたら、ダメとは言えませんね」

 

 沙耶香さんがスマホを私に見せた。

 

 こ、これは……、破壊力ある。

 

 目の周辺と頬をやや紅潮させ、上目遣いの瞳は潤んでいる。下唇を噛んだ口元は本来なら愛らしさを崩すはずだが、これすら別の効果を生んでいる。

 

「か、かわいい……」

 

「あら、ナルちゃんね。

 でも、こうして客観的に見ると、視線が集まるのも理解できるでしょ。でもそれはちょっと負担が大きいと。

 

 主治医の指示でもあります。今しばらくは、目立たない格好の方が良さそうね」

 

 そう言うと車に乗り込んだ。

 

 

 

「沙耶香さんは高瀬先生とはお知り合いなんですか?」

 

「まぁ、ちょっとね。

 ここ十年ほどで『血の発現』を経た子達は、彼が主治医を務めているわ。総合診療医としても優秀みたいだし」

 

「確かに専門医をたくさん揃えるより秘密を守れるし、人件費も安く済みますね」

 

「人件費はどうかしら。あの人、普段は大して仕事してないのに、並の医師の三倍はもらってるのよ。もっとも、しょっちゅう別の科のピンチヒッターやらされてるけど」

 

「それはそれで優秀と言うことでは?」

 

「ちゃんと断れないだけよ。人が良すぎる器用貧乏ね。あ、お金は持ってるか」

 

 沙耶香さん、高瀬先生には厳しい。

 

 

 

 車は丘を下っている。小雨が降っているせいか、沙耶香さんも前回のような無茶な運転はしない。

 

「昌ちゃん、気分転換に服でも買わない? どうせ要るものだし、時間も余っちゃったし」

 

「黒髪のウィッグ、あるんですか?」

 

「こういう事もあろうかと、ちゃーんと……、というのはウソで、貴女がMRIを受けている間に準備しといたの。視線に耐えてる貴女も魅力的だけど、それは酷だしね。

 ただし、黒髪のが(にわか)には手に入らなかったので茶髪ですけど」

 

 なるほど、それで帰りは車の場所が違ってたのか。

 

 路上教習に使ったショッピングモールへ行くと、平日だというのに賑わっている。以前も思ったが、これで休日だったらどうなるんだろう?

 ウィッグを乗せて帽子を目深に被り、前回行った下着店に入る。

 店員に迎えられたが、沙耶香さんは「今日はお客じゃないの。ちょっとメイクをさせて下さいね」と奥の小部屋に直行した。顔が利くのか勝手知ったるなのか……。

 

 化粧はともかくウィッグはこれから毎日の事なので、付け方を練習させてもらう。本当はネットのようなもので地毛を押さえてから着けるらしいが、私の髪が短くて柔らかいことと、短期間しか使わないだろうということで、髪に直接だ。セミロングなので、白い髪が下から出ることは無い。

 

 部屋を出ると、例によってモデルを薦められたが、「急ぐので」と早々に店を辞した。こういうとき、沙耶香さんは強い。

 

 セミロングの茶髪というありふれた髪型のおかげか、モールを歩いていても視線の集中は無くなった。完全に無くなるわけではないが、待合室のような息苦しさは感じない。しばらくはコレのお世話になろう。

 

 その後、いくつかのお店をハシゴして、かなりの枚数の服を買わされた。

 初めは私もがんばって選んでいたが、三店目あたりから疲れてきた。沙耶香さんの「どっちが良いかしら」にたいしても「迷うなら両方買っちゃいましょう」と、半分投げやりになってきた。

 沙耶香さん、私のための服なのに、どうしてこんなに真剣になれるんだろう。或いは、これが女性というものなのだろうか。

 

 最後の靴屋だけは、疲れていた私も気合いを入れ直した。靴だけはちゃんと選ばないと体に悪い。

 

 私がスニーカーとウォーキングシューズを中心に見ていると、沙耶香さんがヒールを持ってきた。私の靴選びに色気が無いと言いたげだ。

 

 ヒールは健康に悪そうなので履きたくないけど、沙耶香さんの顔を立てて、一足だけ試してみることにした。

 初めてなので歩きづらい。恐る恐る歩くせいか、膝を伸ばしきれないのだ。鏡で見ると、某自動車メーカーの二足歩行ロボットのような歩き方になっている。沙耶香さんはどうしてあんなに颯爽と歩けるんだろう。

 

「似合いませんね」

 

「私には早すぎたようです。第一、まだ中一ですよ」

 

「確かにそうね。貴女、背丈の割に腰の位置が高いから、ヒールだと高くなりすぎて変なバランスになっちゃうのよね。もう少し背が伸びるか、肉付きが良くなればまた違うんだろうけど……」

 

 沙耶香さんは残念そうだ。でも、中一が履くのだからスニーカーがベストだと思うのだ。

 

 こうして私たちは大量の荷物を抱えて帰ることとなった。



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レベルアップ

 帰宅して夕食後、洗濯物を取り込む。

 入院前とは洗濯物が違うことに地味に落ち込む。主に、布面積が小さかったり、布以外の素材――プラスチックとか形状記憶合金とか――が使われたものを見ると……。そして、次回から洗濯に出すときには、自分でネットに入れるよう指示を受けて追加ダメージ。

 

 仕分けしつつたたもうとして手が止まった。

 

「あっ、あのっ、お、お母さん?」

 

「どうしたの?」

 

「ちょっと、教えて欲しいことが、あるんだけど……」

 

「何かしら」

 

「えっと、下着のたたみ方」

 

「普通にたたむだけよ」

 

「その、『普通』が分からなくて。

 ほら、脱衣所にあるの、靴下みたいにお団子にして、お菓子みたいに並べてあるでしょ。あれのやり方」

 

 渚は「あぁ、そうか」という表情だ。生まれてこっち、一度もしたことが無かったから知らなくても無理ないと思うのだけど。でも、これからはそういうことも身につけて行かなくてはならない。

 

 

 

 両側から観音開きの扉を閉めるようにたたみ、くるりと巻いてクロッチ部分をウエスト側から差し込む。パンツを観音開きか……。

 

「あなた、変なこと考えてたでしょ」

 

「へ?」

 

「目尻がえっちだったわよ」

 

「かっ、考えてないよっ。

 第一、反応する『お道具』も無いし……」

 

「そ、そうね……。ごめんなさい」

 

 こちらこそ、すみません。考えてました。

 

 

 

 五分後には、もう一方のカップの重ね方とともに、たたみ方をマスターした。頭の中でファンファーレが鳴り響いた気がする。

 

 あきら はレベルがあがった。

 

 したぎのたたみかたをおぼえた。

 

 じょしりょくが1あがった。

 

 ……こんな感じか。

 

 

 

「ちょっとは慣れてきたみたいね」

 

「未だに慣れないよ。ブラウスのボタンとか……。何で男女で左右逆なんだろうね」

 

「脱がせやすいようにじゃない?」

 

 え? 渚の意外な言葉が、顔に朱を注ぐ。退院してからこっち、会話に下世話な内容が増えた気がする。

 

「あなた、何考えてるのよ。

 ボタンができた頃は、そんな服は上流階級のものだったのよ。男性はともかく、貴婦人は侍女とかに着付けさせてたの。ボタンの左右が逆なのはその名残よ。

 

 もしかして、別の状況を想像してたのかしら? 相変わらずむっつりなんだから」

 

 図星です。顔の赤みが更に増す。今は、何を言っても逆効果だろう。

 

 

 

 子どもを寝かしつけた後、渚と向かい合う。

 

「今日、検診に行ってきました」

 

「うん」

 

「身体は特に異常無し。健康な『女性』だそうです」

 

「うん」

 

「妊娠、出産も可能だそうです」

 

「うん」

 

「さっきから、うん、しか言わないね」

 

「……別の反応をして欲しかったの?」

 

「そういうワケじゃないけど……。もう少し動揺するかと思って」

 

「大体のことは既に知らされていたし、昨日からのことでも十分理解してるから」

 

「渚って、切り替え早いね。私なんか、一つ一つ困ったり、女々しく悩んだりしてるし。悩みのタネが整理券持って順番待ちだよ」

 

「女々しく?

 当事者なんだから困るのも悩むのも当たり前じゃない。

 それに、一般的に言って、女の方が割り切りは早いわよ。むしろグズグズ悩むのは男の方ね。

 女はね、一つの出来事から一つしか感情を選べないほど弱くはないのよ」

 

「そういうもん?」

 

「そうよ。

 でも、虚勢を張ったり、正面から悩むのを避けてる連中に比べれば、自分の弱さときちんと向き合えるあなたの方がよっぽど『男』だったわね。今は女の子だけど」

 

 最後で台無しだ。

 

 その後、問診から診断についてかいつまんで話す。

 渚が食いついたのは私の余命。

 残りの寿命は実年齢ではなく今の肉体年齢によること。二十五年程若い姿になったからそれに伴って寿命も延びる。加えて『神子』は、若い姿をかなり長期にわたって保つこと。

 

「よかった……。少なくとも今度は、あなたを見送らないで済むのね」

 

「まぁ、順当に行けばね。

 とりあえず、生きて親としての責任は果たさなきゃね。もっとも、二十年もしたら、見た目の年齢は子ども達にも抜かれそうだけど」

 

 私は薄く微笑んで応えた。

 入院のせいだ。私は『血の発現』で命を落としかけたし……。公的にも『私』は死亡したことになってる。確かにこんな思いはこりごりに違いない。

 

 

 

「でも、それって女としてはちょっと羨ましいわね。向こう二、三十年は二十歳かそこらの外見なんて」

 

「『血の発現』が高齢で起こるほど、若さを長く保つ傾向が強まるらしいんだ。男性だった『神子』もそうだったらしい。でも臨床記録が残ってないから、私がどうなるかは分からないけど」

 

「あなたが貴重なサンプル?」

 

「そういうことになるかな。

 現時点では絶対に公表出来ないけど、記録を残すために定期的に検診を受けることになってる。

 と言っても、この記録が医学の進歩に繋がるとしても、自分達の生きてる間には無理だろうって、高瀬先生、ちょっと残念そうにしてた」

 

「確かに、若返るのは魅力ね。命の危険があっても試したい人はいるだろうし」

 

「それに早老症(プロジェリア)とかの治療に繋がる発見があるかも知れない。

 私に起こったことは、発生のやり直しみたいなことだし、そのメカニズムを調べたら、再生医療とかの分野が進歩するかも」

 

 高瀬先生は、臨床医としてもそこそこ優秀らしいけど、もともとは研究者肌らしいから、嬉々として調べそうだ。

 

 

 

 結局、変容が脳の構造にまで及んでいることは明かせなかった。今後、私の人格がどうなるか分からないことも。

 

 私はどうなって行くのだろう。

 

 父親として、子ども達に何が出来るだろうか。

 

 子ども達の寝顔を見る。

 あと二、三年もすれば、この小っちゃい頭の中から『私』の姿は引き出せなくなるだろう。なら、せめてお父さんはこれだけのものを遺してくれたって言ってもらえるようにしたい。

 躾だけでなく、身のこなしや作法なんかも重要だ。

 

 

 

 渚への報告が終わったので風呂に入る。

 

「順応してきたのかな……」

 

 脱衣所で、鏡の向こうからこちらを見る少女の視線は冷静だ。病み上がりのせいか肉付きは薄い。左右の腿の間には膝付近くまで空間がある。膝関節の骨が全体に小さいから細い脚として見られるけど、これで膝が普通のサイズだったら、やせ過ぎに見えるかもしれない。

 もうちょっと肉感的なら、見る楽しみもあるんだけどな……、そう考えたところで、そんな自分が嫌になる。

 

 脱衣所の棚には、サイズが合うことのない冬物が入っている。籠に無造作に入れられたハンガーは、今後も肩幅が合わない。木製でかさばるから、このまま燃えるゴミというわけにはいかないか……。

 

 

 

 身体を洗い湯船に浸かると、診察や問診のことが思い出される。身体がここまで変わった以上、心も変化していくのは避けられないだろう。

 

 座ったまま俯いて自身を見た。

 

 この最中は情緒不安定になるって聞いていたが、予想外に冷静な気がする。まぁ、個人差があるし、回数を重ねないと分からないこともあるに違いない。

 

 湯船の中では、入ってくることも出ていくこともない。圧力が均衡してるのかな? 埒もないことに思考を巡らせる。

 今日も疲れたし、早めに寝よう。

 

 

 

 翌朝、下着の尾てい骨付近が大変なことになっていた。昼夜で用具を使い分けるのはこういうワケか。新品のパジャマを着てなくて良かった……。

 

 頭の中で無機質なファンファーレが鳴り響く。

 

 あきら はレベルがあがった

 

 ようぐのつかいわけをおぼえた

 

 じょしりょくが1あがった

 

 おとこのこけんが3さがった

 

 

 

 ……とりあえず、シャワー浴びて洗濯しよ。



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工場

 帰宅から一週間、体調が悪かったこともあって、外出はしなかった。火曜日に始まったアレも土曜にはほぼ終わり、開けて日曜日はすっきりとした朝だ。今日は少し外出だ。

 

 

 

 今、私は電車で一駅離れた工場にいる。『私』の勤務先だった所だ。日曜日だから敷地内に人気(ひとけ)はない。事務所も照明がおとされているようだ。

 窓から工場の中を覗くがよく見えない。シャッターの脇に行くと、通用口のノブは回る。施錠されていない。

 

 私は通用口からセットアップ工場に入った。

 中は薄暗いが、視界は十分だ。

 一ヶ月前とほとんど替わらないが、よく知っている見慣れない機械が部分的に組立中。『私』が設計したものだ。

 大物部品がまだなのだろう、メインフレームが無いため、組み立ては一時休止状態だ。

 

 私は部品の周囲(まわ)りを歩きながら、出来を確認する。うん。見える範囲は設計通りだ。

 そのとき大声で誰何(すいか)された。この声は谷口さん――『私』の上司――だ。どうして日曜日に出てきてるんだろう。

 

「嬢ちゃん、もしかして昌幸の……」

 

「はい。小畑昌です。

 済みません。勝手に入っちゃって。父が働いていたところを見てみたくて。でも、どこから入ればいいか判らなくて……」

 

「まぁいい。事務所に来な。お茶ぐらいはある」

 

 相変わらずぶっきらぼうなオヤジだ。

 

 

 

「お父さんのこと、残念だったな」

 

 どう答えて良いか分からず、無言で頷いた。

 

「どうにも外せない仕事があってな、終わって急いで通夜に行ったが、結局昌幸の御両親にしか会えなかった。

 昌幸も無念だったろう。まだ小さい子を残して……。

 

 済まんな、齢をとると独り言が多くなって」

 

 

 

 工場から外に出ると、薄暗い工場に慣れた目に太陽がまぶしい。

 

「ん? 髪はきれいな銀色だって聞いてたんだが……」

 

「あの、変に目立つのが嫌だったので」

 

 私がウィッグを外して本来の姿を見せると、谷口さんは目を見開いた。

 

「昌幸に、お父さんによく似てるな。うちの娘も嬢ちゃんぐらいの別嬪さんなら良かったんだが。ま、親父が儂じゃぁ仕方ねぇか」

 

 不思議と悪い気はしなかった。結局こういう事は言葉の内容よりも、誰が言ったかの方が重要だ。

 

 事務所に入ると薄暗く、書棚がすっきりしている。

 

「日曜日ですけど、何をなさってたんですか?」

 

 大体予想できるが一応訊いてみた。

 

「設計部門は店じまいしようと思ってな。一昨日から後片付けをしてたんだ。儂ももう歳だし、後を任せられるのもいない。ま、潮時だな」

 

 谷口さんは大手メーカーを早期退職した後うちで設計をしていた。今も嘱託(しょくたく)でお願いしていたが、既に六十二歳。次を育てる時間はもう無い。

 

「そう言やぁ、昌幸も出荷前には必ず自分の設計した機械を見てたな。さっき嬢ちゃんが見てた機械、あれはお父さんの最後の仕事だ。組立てを手伝ったが、まずまずの設計だ」

 

 あれ?『私』が仕事をしていたときは、ほとんど誉めてくれたこと無かったのに。

 

「父は、何をしていたんですか?」

 

「嬢ちゃんに言っても解りにくいだろうけど、工場で使う機械の設計だ。手堅い設計をするようになったな。とにかく、間違いや手戻しをしない工夫がいい。

 

 つっても解らないな。ウチで造ってるのはオーダーメイドの一点ものばっかだから、いつも一発勝負なんだ。

 設計が不味いと、後がどんなにがんばっても上手くいかない。結局作りなおす事もある。

 ところがアイツの設計は、調整するだけで何とかなる事が多かった。酷いときでも部品をいくつか作り直すだけで何とかなった。

 仕上がりだけを見ると簡単そうに見える設計だが、実はそういうのが難しい。だんだんそれが出来るようになってきてた」

 

 すごい誉めっぷりだ。身内に貶すようなことは言わないだろうけど、それを差し引いてもすごい。ちょっと嬉しくなった。

 

「ありがとうございます。それを聞けば、父も喜んだと思います」

 

 私は一礼した。

 

 

 

「嬢ちゃん。コンピュータ、要るか?」

 

「はい?」

 

「昌幸が使ってた端末、持ってけや」

 

 あれって、安くないぞ。3DCADと解析用のワークステーションだ。グラボはOpenGLに最適化されてるけど、買った頃ならゲーミングPCとしても使えるレベルだった。XP用のデバイスドライバが揃ってる最終世代だろう。

 

「良いんですか? 会社の資産でしょ」

 

「子どもが細けーこと気にすんなって。どうせ特別償却で落としてあるし、ウチじゃ昌幸以外には宝の持ち腐れだったしな。

 どうせ処分するか、二束三文で下取りに出すんだ。それぐらいなら、嬢ちゃんに使ってもらった方がいいだろ」

 

「だったら、私にも宝の持ち腐れかも……」

 

「いいんだよ。どうせ誰も使えねぇんだ。なら、嬢ちゃんに使って貰えばいい。お父さんの形見だと思って持ってけや」

 

「でも、電車だから、こんなの持って帰れません」

 

「儂が送ってやるよ」

 

 結局、ワークステーションと付属品、何故か『私』が使ってた工具箱まで貰うことになった。女の子に工具箱って、変だと思わないのだろうか?

 

「儂の車に乗った女は、嫁と娘と嬢ちゃんで3人目だな。

 しかも、助手席は嬢ちゃんが初めてだ。嬢ちゃんのお父さんに見せびらかすつもりだったんだがなぁ。

 本当は、助手席は十八歳未満お断りだが、嬢ちゃんは特別だ」

 

「でも、十八禁なことは私もお断りですよ」

 

 そう言うと、谷口さんは相好を崩して大笑いした。

 

「上手い。そういう返しはお父さんの血を引いてるな」

 

 そうこうしているうちに家に着いた。

 家は留守だった。多分、子ども達を連れて買い物にでも行ったのだろう。

 荷物を下ろしてもらいお礼をすると、谷口さんは再び相好を崩す。

 

「なんか、相談したいことが有ったら、この番号かこっちに連絡してくれ。嫁の方がちゃんと出るからこっちのがいいかな。

 昌幸の娘なら、儂らにとっちゃ孫みたいなもんだからな。遠慮はいらん」

 

 谷口さん、こんな事言う人だったのか。正直、昌幸だったときに聞きたかった。いや、単に女の子に甘いだけか?

 何はともあれ、ハイスペックなPCを『ゲットだぜ』出来たのはラッキーだ!



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第四章 比売神子の責務
邂逅


 この数日というもの、良く言って家事手伝い、実際はニート暮らしをしていた。

 沙耶香(さやか)さんは来ないし、仕事も学校も無い。さりとて日中に外出すれば、別の意味で目立ってしまう。補導されるのは困る。

 

 子ども達が保育園に行っている時間は、とにかくダラダラと過ごしていた。買っただけで積み上がっているDVDもある。

 

 米国の某特撮番組――最初のシリーズは私が生まれる前に始まり、最新シリーズも始まっている――は、全五シリーズ+新シリーズ初年度と三十年分ある。加えて劇場版は十本を超える。他にもマニアックなものがいっぱい。どう見てもプレティーンやローティーンの女子が見るものじゃない。でも好きなんだよ。

 

 たまたま、車番が『騎士(KNIGHT)』の夢の自動車が登場するDVDを観ていて、あることに気付いた。

 このDVD、吹き替えを選んでも一部だけオリジナル音声になってしまうが、それが聞き取れるのだ。仕事柄、英語でのやりとりもあったが、リスニングは苦手だった。なぜすんなり聞き取れるのだろう。

 念のためオリジナル音声で視る(聴く)と、難なく聞き取れる。

 もしかして、これが『神子』の力?

 

 そのほかにも、それらしき力はいくつかあった。

 

 初めに気づいたのは、歌が上手くなったこと。子どもを寝かしつけているときに気づいた。そして、あやしているときにパントマイムやダンスも上手くなっていることに気づいた。

 

 特にダンスは、上手いどころか超絶のレベル。マイコーの完コピができそうだ。「パォ!」

 嬉しくなって、子ども達の前で踊っていたら、(なぎさ)から「その動き、すごくキモチワルイから止めて」と注意された。子ども達にはすごくウケるんだけどな。

 

 子どもが喜ぶと言ったら「私の見えないところでやって」だ。

 そんなに気持ち悪いのかと、試しにデジカメで録画して見ると、キレの良いダンスも、体の動きと移動方向が食い違っていて、空中に浮いているように錯覚させられる。

 その動きはよく出来たCGみたい。確かにキモいかも。

 

 でも、『昌幸(まさゆき)』だった頃にこのダンスができてたら、それだけで女の子にモテモテだっただろうなぁ。

 

 

 

 電話が鳴った。今更この番号にかけてくるのは事情を知る人だけだ。表示された番号は沙耶香さんだった。

 

「はい」

 

 一応、名乗らずに出る。

 

「あ・き・ら・ちゃーん。沙耶香お姉さんですよー。ご無沙汰ー」

 

「なんだか、キャラ変わってません? それとも酔ってます? まだ昼間ですよ」

 

「案外、冷静ね。

 えーと、今度の日曜は、空いてるわよね。他の『神子』達、と言っても五人だけど、その神子たちと初顔合わせよ。朝十時に迎えに行くから、そのつもりで」

 

「あ……、はい。でも、こっちの都合、お構いなしですね」

 

「どうせ、暇してるんでしょ。大丈夫、『合宿』はまだだから。それは貴女がちゃんと女の子できるように特訓してからよ。

 あ、格好は普通で良いわ」

 

「はい」

 

 

 

 日曜日、沙耶香さんは九時半に来た。私も身支度は早いので――子ども達の朝も早いので――余裕だ。

 

「はい、プレゼント」

 

「何ですか?」

 

 茶封筒を開けると、戸籍謄本の写しや現在自宅療養中であることを示す診断書等々。これがあれば、補導されても面倒なことにはならない。

 

「何から何まで、ありがとうございます。

 一応、出る準備はできてますけど、もう行きますか?」

 

「ちょっと早いけど、行きましょうか」

 

 例によって沙耶香さんの車に乗り込む。

 

「泊まりは無いですよね。お泊まりセットは作ってないですよ」

 

「顔合わせだけよ。

 ただし、他の『神子』たちには貴女の素性は明かしていないわ。だから言動には十分注意して。貴女の合宿参加に差し障るかも知れないから」

 

(わたし)的には、既に十分差し障りがあるんですけど」

 

「それは、貴女個人の気持ちの問題です。さっさと覚悟を決めて下さい」

 

「はぁ……」

 

 

 

 程なく目的地に着いた。神前式も出来る神社、と言うより神社が併設されたセレモニー会館といった方がいいか。宿泊施設もある。

 

「あの……、『比売神子』って、宗教的存在ではないと聞きましたけど」

 

「現代ではね。でも『比売神子』としての訓練は、あちこちの神社やお寺を借りてするの。昔からそうだったらしいし、雑音が入らないという点で都合が良いのよ」

 

「そうですか」

 

 

 

 神社、というより会館の会議室っぽい部屋に着くと、既に五人の少女がいた。揃いも揃って美少女だ。デビューを控えたアイドルグループだと言っても通じるに違いない。

 

「「「「「お早うございます」」」」」

 

 五人が挨拶をする。私もつられて挨拶を返した。

 

「最近血が出た子って、その子?」

 

 え? 沙耶香さん、まさかそんなことまで言ったんですか? 私は顔を赤くして沙耶香さんを見上げた。

 

「そうです。先日『血の発現』を済ませたばかりです。

『格』の高い比売神子となる資質があります。時期が来れば筆頭にだってなれるかもしれません」

 

 あ、『血』ってそっちのことね。

 

「紹介するわ。こちらは、小畑昌さん」

 

 そう言いながら私の背中を押す。

 

「初めまして、小畑昌と申します。分からないことばかりですけど、よろしくお願いします」

 

 私は一礼した。

 

「昌ちゃん、ここには神子の血を持つ者しか居ないわ。本来の姿で自己紹介なさい」

 

「本来の姿?」

 

 素性を明かすのはマズいんじゃなかったっけ? そう思った瞬間、沙耶香さんは私の頭からウィッグを取ってしまった。真っ白い頭が露わになると五人が息を飲むのが分かる。視線が集中する。

 

 私が緊張感で身を固くすると、沙耶香さんは優しく言った。

 

「大丈夫。貴女の素性を詮索する人は居ないわ。

 

 ごめんなさいね。この子、この外見で悪目立ちして辛い思いをしたから、しばらくはウィッグを使うことにしてるのよ」

 

 五人は「なるほど」と言わんばかりに頷いた。

 

「あ、改めて、初めまして。小畑昌と言います。よろしくお願いします」

 

 私は今一度挨拶した。ちょっとドキドキする。



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課せられたもの

「初めまして、小畑昌と言います。よろしくお願いします」

 

 私は挨拶しながら、五人の美少女を前にドキドキしていた。

 

 彼女たちも自己紹介、と言っても名前だけだ。

 

 山崎(やまざき) 光紀(みつき)さん

 神崎(かんざき) 千鶴(ちづる)さん

 牧野(まきの) 直子(なおこ)さん

 芝浦(しばうら) 優奈(ゆうな)さん

 (もり) 聡子(さとこ)さん。

 

 皆、見た目は中高生ぐらいだろうか。アイドル的な雰囲気がある。

『血の発現』を経ている以上、年齢は見かけ通りではない。少なくとも三~五歳上を想定すると、実年齢は十七、八から二十歳過ぎぐらいだろうか? でも、私ほど実年齢が離れているのは居ないだろう。

 

 

 

「では、私達は比売神子様に挨拶をして参りますので、これで」

 

 あれ? これだけ?

 

 沙耶香さんはすたすたとドアの方に行く。私も五人に一礼して、慌ててつづく。

 

「あれで、お終いですか?」

 

「今日は、顔合わせだから。それにいろいろ話してボロが出てもよくないでしょ」

 

「そうですね。

 ところで皆さん、美人揃いでしたね。『神子』には書類選考でもあるんでしょうか?」

 

「『血の発現』による変容で、自分の望む姿に近付きます。それは容姿だったり、能力だったり、いろいろですが」

 

「それでみんな美人になるんですね。

 初めて見たときは、芸能人、アイドルグループかと思いました」

 

「確かに、そう見えなくもないわね。

 で、貴女がセンターで歌うと」

 

「別に、そこまでは考えませんよ。

 それに私は、姿の面では性別なりの変化だったように思います」

 

「あら、以前の姿を美化してない? 自分大好きのナルちゃんだったんでしょ。それとも、お母さん似だから、マザコンの気があるのかしらね」

 

「マザコンって……。でも自分好みになるなら、もうちょっと肉感的な感じになりそうなものですけどね」

 

 私は膨らみの薄い胸を見下ろした。つい沙耶香さんと見比べてしまう。いや、別に羨ましくなんかないですけど。

 

「貴女の年齢なら、それで普通よ。

 それに、意識を失ってる間は何も食べられなかったし、もともと体脂肪率十パーほどでしょ? それを引き継いでるんだから仕方ないわよ。

 

 ところで、貴女にはどんなギフトがあったのかしら?」

 

「岐阜?」

 

「神子の血が出た以上、何か新たな能力を得ているはずよ。

 最低でも学習能力が上がるから、勉強が得意になったり、スポーツののみこみが早かったりは基本だけど」

 

「あ、ギフト、授かりもの。

 えーと、今のところ気づいているのは……、まず、英語が聞き取れるようになりました。今は字幕なしで海外ドラマを視られます。あと、歌とダンスが上手くなりました。

 って、今ひとつ微妙な……、英語以外は使いどころの限られる能力ですね」

 

「あら、本当にセンターで歌えるじゃない! でも、神子は元も含めてショービジネスやスポーツ選手は厳禁ですけどね。

 貴女の場合、神子の力が内面に強く出ているのかも知れないわ。『血の発現』が遅く起こるほど、その傾向があるそうです」

 

「沙耶香さんは、どうだったんですか?」

 

「さぁ、どうでしょう」

 

 あ、沙耶香さんの頬が少し染まってる。こんなのは初めてかも。

 

「私はね、このナイスバディよ」

 

 本当かなぁ。はぐらかされた感じがする。

 

「さ、比売神子様に御挨拶です。一度会ってるわね」

 

「あの、お婆ちゃんですね」

 

 私たちはミーティングルームらしき部屋に来た。つくづく本来は神社だったことを忘れさせられる建物だ。

 ノックすると、程なくドアが開いた。黒スーツが控えている。室内なのにグラサンってどうなんだろ?

 今回は事前に話が通っていたのか、スミスとKは無言のまま一礼し、部屋を辞した。

 

 

 

 沙耶香さんが二言三言挨拶を交わしたので、私も続くことにした。

 

「こんにちは、その節はどうも有り難うございます」

 

「こんにちは、『小畑 昌』さん。こちらへ」

 

 比売神子のお婆ちゃんはニコニコ笑いながら、椅子を勧めてくれた。私たちが椅子に座ると、手ずからお茶を入れてくれた。

 

「頂きます。あ、美味しい!」

 

 お婆ちゃんは「分かるかい。ちゃんと良いお茶を飲んだことがあるんだね」と嬉しそうだ。

 

「今日来てもらったのは、今後の話をするためよ。

『神子』として、血を受け継ぐ者として、『昌さん』にして頂きたいこと」

 

「はい」

 

「まず一つ、比売神子となれるかどうかがはっきりするまで、男女の交わりは禁忌となります。禁を破れば比売神子とはなれません」

 

「え? じゃぁ私はもう比売神子にはなれませんよ」

 

 沙耶香さんの顔色が変わった。

 

「昌ちゃん! 貴女、いつの間にやっちゃったの? するはず無いと思ってたのに。もう男をつくったの?

 そりゃ、貴女ぐらい可愛ければ簡単でしょうけど、いくら何でも早過ぎ……」

 

「あの、沙耶香さん? 何か勘違いしてません? 私にはそっちの()は無いですよ!

『私』は結婚もしてたし、子どももいるんですよ。つまり、既に交わりを……」

 

「あぁ、そういうこと。納得。

 血が出る前のことはノーカンだからいいの。でも、今後も結論が出るまでは、男とはやっちゃだめよ」

 

「言われなくても、そっちのシュミはありませんって!

 って、『男とは』って限ったってことは、女とだったら良いんですか?」

 

「じゃ、今晩は私とつきあう?」

 

 

 

「さて、話を続けていいかしら?」

 

 お婆ちゃんは「やれやれ」といった面持ちだ。

 

「もう一つのお願いは、今の『昌さん』には酷かも知れません」

 

「何ですか?」

 

「比売神子になれるかどうかに関わらず、血を残して下さい」

 

「?」

 

「子をなして下さい」

 

「え?」

 

 

 

 お婆ちゃんによると、過去にも男性が『血の発現』を経た例はあるそうだ。性別の壁を乗り越えるほど強力な血によって、生まれた娘は例外なく格の高い比売神子となったらしい。

 

「あの……、私には既に娘がいますが」

 

「『血の発現』以後の子で無くてはなりません。

 それは、血を受け継ぐ者に課せられた責務だと考えて下さい」

 

 ちょっと待って欲しい。自分が子どもを産むということは、その前にすべきことがあるわけで、今の自分だとその相手は当然……。

 

 それって、課せられるじゃなくて科せられるだよ。



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煮え切らない

「人工授精とか、代理母出産とかは?」

 

「それも昌さんの許しを頂いた上で試みたいと思います。しかし、その結果が不調だと判ってからでは、本来の――昔ながらの――方法で血を残すことが難しくなりましょう。

 

 昌さんとしても思うところがあるでしょう。無理強いは出来ません。

 ただし、比売神子にもならず、子もなさないということであれば、十五年から二十年程度を目処に経済的援助は打ち切らざるを得ません」

 

「まぁ、それは当然ですね。返せと言わない分、むしろ良心的かも知れません」

 

「せめて『小畑 昌』として幸せな人生を送って頂きたいと思います。

 過去に男性として生まれて『比売神子』となった方も、その美貌と能力から幸せな人生を送ったそうです」

 

「私のような人が他にも居るんですか? お会いすることは出来ますか?」

 

「直接会うことは出来ません。直近で五百年近く前、古くは千年ほど遡りますから。

 記録では、若さと美しさを永く保ったそうです。幾人かの伴侶を得て、子宝にも恵まれたとあります」

 

「幸せの定義は、人によっても時代によっても変わります。

 何百年も遡れば、家族が一ヶ月後、一年後の食事を心配することなく暮らせたり、外敵の襲撃に怯える必要が無いだけでも、幸せと言えるでしょうね」

 

 私は半ば皮肉に、半ば投げやりに応じた。

 多分、今の私と同じで見栄えだけは良かったのだろう。その時代、後ろ盾を持たない美貌の『女性』が生きるために使えるものは……。

 複数の――ってことは、結局そういう人生だったんだな。それでも、生まれながらの女性なら、相対的に『幸せ』だと評するかも知れないか。

 

「幸い、……と言えるかどうか判りませんが、主治医によると、私の身体は脳も含めて、解剖学的には女性だそうです。第二次性徴や思春期を女性として経験することは、私の人格に少なからず影響を及ぼすことも示唆(しさ)されました。

 私の人格が肉体に引き寄せられれば、互いにとって良い結果をもたらすと思います」

 

「全ては、貴女の選択次第です」

 

 どうせなら、こういう話はもう少し後に聞きたかった。知らなければ知らないままに、性自認も自然と変化したかも知れない。でも、今の話を聞いてしまうと、『昌幸』としての人格にしがみついてしまいそうだ。

 

 

 

 私と沙耶香さんは、早々に部屋を辞した。なんだか、また失礼なもの言いをしてしまった気がする。

 

「まだ、早かったですね」

 

 沙耶香さんがぽつりと言う。

 

「時期が違えば、別の反応もあったかも、ってことでしょうか?

 もっと期間をかけて、心の変化を待つべきだったと?」

 

「率直に言えば、そうね。……でも、無理強いはできません。

 ところで貴女、まさか性適合手術とか考えてる?」

 

「考えてませんよ。何ですか? 突然」

 

「なんとなくね、男性性を失ってゆくことに恐怖を感じてるように見えて……」

 

「それは、怖いですよ。

 でも、だからといって手術で体を変えたって、多分、虚しいだけです。きっと……。

 私は男性であるということがどういうことか、知ってるんです。形だけ似せたって、尚更、違いに直面するだけですよ。男であることと、女でないこととは、イコールじゃ無いと思いますから。

 それに、血を残すという勤めは果たさないと。……生涯賃金並みの金額は、そういうことでしょ?」

 

『比売神子』として生きる上で性別が重要かどうかは分からないが、血を残すためには、私が妊娠出産できる必要がある。お婆ちゃん達の最優先事項はこれだろう。

 もし知られたら、ずっと前の『産む機械』発言どころじゃないだろうな。金額の桁が違うけど、金銭で生殖器官をってのは、売春とどれほど違うんだろう。その金額の価値があるのだろうか……。

 

「とりあえず私にとっては、自分の人生よりも家族の生活と子どもの将来の方が優先ですから。……どうしても、という状況になれば、私だって覚悟を決めますよ。

 種付け作業自体は、急げば十五分ほどで済むでしょうから、その間は目をつぶって我慢します。出来れば、交配相手にはそっちが淡白なのを選定して下さい」

 

「昌ちゃん……」

 

 沙耶香さんの表情が曇る。

 

「でも、私の心も変わるかもしれません。きっと今のままではないでしょう。

 身体ではなく、心でもそれを受け入れられるようになれば『昌』としても幸せになれるでしょうし、そうなれればいいとも思っています。

 これは、本心ですよ」

 

 沙耶香さんはぎこちなく笑顔を作った。

 

「ところで沙耶香さん。私、また失礼な言い方してましたね。

 比売神子様って本当はエラい人なんでしょ?」

 

「世俗的な意味での『エラい』とは無縁の方です。でも、これが『格』ってものなのかしらね」

 

「『格』?」

 

「今日の比売神子様は、あえてそれを抑えることはしていませんでした。私はともかく、並の『神子』だったらその『格』にあてられて萎縮してしまうものなのです。

 でも貴女はその空気の中で平然としていました。貴女自身は、今はまだ比売神子候補でしかありませんが、既に比売神子様に比肩する『格』をお持ちなのです」

 

 あれ? 微妙に敬語?

 でも『格』って何だろ。『オーラ』とか『気』とか『戦闘力』的なものなのかな?

 

「もしかしたら、それが私へのギフトかも。

 以前は結構ビビリで、もっと強い、物事に動じない胆力を欲していましたから」

 

「その割に、普段の貴女は肝が細いように見えましたけど」

 

「そう言われると……、そうかもしれません。

 ところで、そもそも『格』って何ですか?」

 

「素朴に訊かれると困るわね。『格』としか言いようがないもの。

 強いて別の言葉で言えば、比売神子(りょく)?」

 

 その言い方だと、やっぱり『戦闘力』的なものっぽい。

 

 

 

 その後、まだウィッグを外して行動する踏ん切りがつかないことをからかわれながらお昼を食べ、パジャマとスポーツウェアを選んだ。

 

 帰宅するころには日も沈んでいた。まだ日中こそ暑さが残っているとは言え、彼岸はとっくに過ぎている。日が落ちるのも早く、ちょっと感傷的にもさせられる。そして血を受け継ぐ者としての責務……。これを考えると気が重い。

 

 

 

「おかえり。何かあったの?」

 

 家に帰ると渚が心配そうに訊いたが、神子達に会ったこと以外は言葉を濁した。あまり聞かせるべき話じゃない。

 

 

 

 子どもたちを寝かしつけ、自分も床につくと、さっきのことを思い出す。

 自分が子どもを産む。それ自体は想像できるし抵抗感も不思議と感じない。しかしそこに至る過程は、想像することさえ(はばか)られる。

 

 受け容れられるようになると言うことは、今の自分でなくなっていることと同じことではないか?

 

「消えるのではなく変化する」と言われたが、今の自分でなくなるということは、消えてしまうこととどう違うのだろう?

 

 なんだか胸の奥が変だ。悲しいのか、寂しいのか……。煮え切らない感情が心と身体を満たす。

 

 

 

 渚の手に触れようとしたら、一緒に寝ている子ども達に気兼ねなのだろう、私の布団に来てくれた。私を抱きしめ背中を撫でてくれる。

 

 暖かい。

 

 私は以前と同じように、パジャマの裾から手を入れ渚の背中に直接触れた。渚は一瞬身を固くした後、私の背中を抱き返す。

 

 その瞬間、私はどうしようもない自己嫌悪に陥った。

 今、私は、自分がしたくない、されたくないと思っていることを、立場を変えてしようとしている。

 

 私は手を引き抜き、改めてパジャマの上から渚を抱きしめた。

 

 

 

 目を閉じて眠ろうとしたが、なかなか寝付けない。

 一方、隣の呼吸は規則的な寝息になっていた。

 

 私は布団を抜け出し、二階の自室に行った。

 気分を変えようとDVDを再生するが、上の空だ。

 

 諦めてオーディオの電源を落とし、部屋を暗くする。

 

 煮え切らない気持ちに、自分で自分の肩を抱きしめ、独り、まんじりともせずベッドに丸まった。

 

 

 

 その夜、私はこの身体になって初めて……、自家発電をした。



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保育園

 目覚めると、見慣れた自室の天井だ。

 カーテンの隙間から差し込む光は弱い。まだ夜明け前だろうか。

 

 私は上体を起こした。ひんやりした空気が素肌に触れる。

 

 素肌?

 

 見下ろすと、自分は全裸の少女の姿だ。数瞬、状況に混乱したが、冷えた空気がそれを鎮める。そしてこの半月余のことを思い出す。

 

 この部屋は、結婚してしばらくしか使っていなかった。渚の妊娠が判ってすぐ、階段の上り下りを避けるために寝室を一階に移したのだ。

 そして子どもが寝返りを出来るようになったとき、ベッドをこの部屋に戻し、一階の寝室はスノコの上に布団を敷いている。

 起き抜けにこの部屋の天井を見たため、気持ちが独身~新婚時代に戻ってしまったようだ。

 

 昨夜のことを思い出す。

 愛を交わした部屋で、それを思い出しながら独り励んでしまった。そのときの自分は、どっち側に感情移入していたんだろう?

 そもそもこの欲求は、脳に遺された『昌幸』の記憶によるものなのか『昌』としての肉体によるものなのか……。あるいは、行為によって『昌幸』が留まり続けようとするのか、『昌』への変化の受容を推し進めるのか……。

 

 (らち)もないことを考えていると、自分の身体の表面を穢らわしく感じる。

 

 とりあえずシャワーを浴びよう。

 

 

 

 私はベッドの周囲りに散らばったパジャマと下着を拾い集めた。パジャマはともかく、下着は冷えていて履くことを躊躇(ためら)われる。

 私は素肌に直接パジャマを羽織ると、念のため部屋の換気扇を回した。階下には人の気配はない。まだ誰も起きていないようだ。

 

 薄暗い階段を音を立てないように降り、シャワーを浴びた。

 身体を拭き、昨夜脱いだものを既にカゴに入っていた衣類と合わせ、洗濯機を回す。

 

 新聞に目を通していると、子ども達と渚が起きてきた。

 

「お早う」

「お早う」

「おはよー」

「アヨー」

 

 いつも通りの、退院してからの、いつも通りの朝だ。

 渚の表情もいつも通り。私の表情はどうだろうか? 互いに昨夜のことには触れない。

 

 

 

 出勤する渚を見送り、子ども達に身支度をさせると、母が保育園に連れて行く。

 

 私は独り、朝食の後片付けをしながら、昨夜のことを思い出した。

 再び、何とも煮え切らない気持ちになる。同時に手が自然と……。

 いけない。これじゃぁ憶えたての男子中学生じゃないか!

 

 私はその感情を追い払うように首を振った。

 

 

 

 暫くして母が帰ってくると、珍しく私を呼んだ。

 

「園の保母さんが、昌に会ってみたいって。どうせヒマなんだから行ってみたら?」

 

「……ん、どうしようかな?」

 

 正直、気乗りしない。が、他にすることもない。行けない理由が無い以上、選択の余地は無い。

 

 

 

 着替えてウィッグを頭に乗せる。そして帽子とサングラスも着ける。幸い、遠目には実際よりも長身に見える。これなら補導されることも無いだろう。

 

 園までは、自転車でも十五分かからない。午前十時台という時間からか、国道を降りると通行人は居ない。

 視線を気にすることなく自転車を走らせると、程なく園に着いた。

 

 玄関に近づくと、鶏を炊く匂いが漂ってくる。換気扇の向こうは調理室に違いない。

 玄関の鍵は防犯上の理由で閉まっている。インターフォンに手を伸ばしたところで、後ろから声をかけられた。

 

「お早う」

 

 慌てて振り向くと、年配の――五十代ぐらいの――保育士さんがいた。私も帽子とサングラスを取って挨拶する。

 

「あら、(あまね)君と(つぶら)ちゃんのお姉さんね」

 

「え? そうですけど、何で判ったんですか?」

 

「そっくりだもの。

 円ちゃんもお父さん似だけど、貴女はもっとね」

 

「あ、えーと、初めまして、小畑 昌です。」

 

「初めまして、徳永と申します。未就園児保育主任をしております。

 じゃぁ、昌さん、こっちへ」

 

 私は招かれるままに、園の受付兼事務室に入った。

 

 

 

「はい、どうぞ」

 

 出てきたのは紙パック入りのりんごジュース。パッケージがキャラクターものなのがいかにも保育園らしい。私は一言お礼を言ってストローを挿した。

 

「もうすぐ、小野先生も来ますから、少し待ってて下さいね。

 でも、本当にお父さんそっくり。将来は美人になるわよ」

 

「はぁ……。ありがとうございます」

 

 昌幸だった頃とは全く違い、会う人会う人に「可愛い」「美人だ」と言われるが、どう返事するのが良いか判らない。これにもいずれ慣れていくのだろうか。

 

 

 

「貴女のお父さんはね、私が初めて受け持った園児だから印象に残ってるわ。それに、男にしとくのが勿体ないくらいきれいな顔立ちだったもの。オムツが取れるのが遅かったんだけど、替えようと脱がせて『あら、びっくり!』だったのよ。

 お父さんが女の子だったら、きっと貴女みたいな可愛い子だったかもね」

 

 えーっと、それはある意味正解です。

 

 

 

「すいません、お待たせしました。年少組の小野です。あなたが周君のお姉さんね」

 

 そう言いながら、小野先生は(いぶか)しげに私の顔を見た。

 

 ……いくら何でも私の正体が判ることはないはず。

 

「周君は『お姉ちゃんの頭、白い』って言ってたけど……」

 

「あ、これは、その、目立つのが嫌だったので」

 

 私はウィッグを取って、本来の髪を見せた。保母さん二人は目を丸くする。「まぁ!」「まるで、お姫様が絵本から抜け出してきたみたい」

 

 比喩が、いかにも保育士さんらしい。

 

 

 

 小野さんによると、周の心が不安定になっており、園では「お父さん、お姉ちゃんになった」とも言っているそうだ。

 

 三歳児に肉親の死は理解できず、お父さんと入れ替わりにやってきたお姉さん――しかもお父さんの面影を強く残す――を、お父さんが姿を変えた人だと思い込んでいる。

 

 周の方が正解なのだが、一般的には有り得ない話。保育士さんの言う解釈に落ち着くのが普通だ。

 

 その後、子ども達の家での様子、私の生活について話が続いた。

 

 

 

「昌さん。お父さんを喪ったことが辛いってことも判るし、弟や妹を貴女が大切に想う気持ちもよく分かります。

 

 でも、貴女は昌さんであって、周君や円ちゃんのお父さんじゃないの。お父さんになろうとするのは止めなさい。代わりになろうとしたって、女の子の貴女じゃ絶対に無理なことなの。

 昌さんが昌さんでいることが、二人のためだし、昌さん自身のためでもあるのよ」

 

「……でも、私は」

 

 言いかけた言葉をのみ込んだ。……言えるはずがない。多分、私は今、泣きそうな顔をしてる。

 

 ここでも『昌』という『昌幸』とは違う人間として生きることを求められる。私の事情を知る人も知らない人も、皆、私にこれまでの人格を捨て、『昌』という人格で生きることを求める……。

 

 この身体になって緩くなった涙腺は、簡単に決壊した。

 目の前のテーブルに滴が落ちる。

 

 徳永さんが震える私の背中を撫で、ハンカチを差し出した。私はそのハンカチで涙をぬぐい、テーブルを拭いた。

 

「ずっと、無理してたのね」

 

 二人とも、完全に勘違いしてる。

 もちろん、私や子ども達をいたわる気持ちに嘘はない。

 私の手を握る小野さんの手も、肩に乗せられた徳永さんの手も、いずれも暖かい。

 

 でも、その善意や暖かさが、私を余計に辛くするのだ。



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本当の顔

 一頻(ひとしき)り泣くと、幾分すっきりした。泣くことには笑うほどじゃないにしても、心を軽くする効果があるようだ。

 

 事務室を出ると、ちょうど年少の園児達が出入りのパン屋さんに挨拶をしているところだ。

 

「いつも、おいしい、パンを、ありがとう、ございます!」

 

 声を揃えてお礼を言う姿が愛らしい。

 

「あ! お姉ちゃん!」

 

 周が私の姿を見つけ、走ってくる。

 いつものように、ピョンと飛びついてくるので、受け止めて高い高いをする。

 パン屋のおじさんは、少し好奇の混じった視線を向けていたが、私がそちらに目をやると、パンを運び込む仕事に戻る。

 見慣れない私に、他の園児達もわらわらと集まってきた。私が中腰になって「こんにちは」と挨拶すると、園児達も口々に挨拶を返してきた。

 

「お姉ちゃん、お姫さまみたーい」

 

 多分、そんな絵本があるんだろうな、と思いながら、園児達の頭を撫でていると、こちらの気持ちまで温かくなってくる。

 と、周がヤキモチを妬いたのか間に割って入る。

 

「お姉ちゃんは、周のお姉ちゃんだぞ!」

 

「なんでー! エリのお姉ちゃんになってー」

 

 そんなやりとりも微笑ましい。この可愛い子は、意味が分かるようになっても、周にそう言ってくれるかなぁ? 自然と頬が緩むが、円に対して男の子がそう言ったら、素直に喜べないかも。

 

「ダメー。お姉ちゃんと一緒にお風呂に入るの周だもーん」

 

 それも、あと何年かなぁ? などと考えていると、周がヒートアップしてくる。いつの間にか話が変な方向に進んでいる。変な方向というのは……

 

「お姉ちゃんは、おちんちんが無いからお姉ちゃんだぞ!」

 

 それは、もう、いいから……。二の句が継げないで居ると、年配の徳永さんも苦笑いだ。

 

「お姉ちゃんはおヒゲも無いよ。でも大きくなったら生えてくるって」

 

 顔がカァっと熱くなる。そのネタはここではやらないで! 受領書(うけとり)をもらいに来たパン屋さんも聞いてるし。

 小野先生が周の前に座った。早く止めて下さい。

 

「女の子にはお髭、生えないのよ」

 

 受付の方では、パン屋さんが封筒を不自然にガサガサ言わせて、中の書類をあさっている。

 やだなぁ、よりによってあの人だけは意味を理解してるよ……。絶対、いろんなことやエロんなことを想像してる! 受領なんて明日でも大勢(たいせい)に影響は無いんだから、さっさと出てってくれないかなぁ。

 

 想いも虚しく、周が決めの一言を発した。

 

「おちんちんのおヒゲだよ!」

 

 私は既に顔を赤くして(うつむ)いている。チラッと見ると、小野先生もようやく意味を理解したのか、顔を赤くしている。パン屋さんのガサガサはいよいよ音が大きくなる。

 

「周君もみんなも、一緒にホールに行きましょうね! お遊戯の続きをしましゅよ」

 

 あ、噛んだ。若い保育士さんは動揺を隠せない。

 

「ありがとうございまーす」

 

 パン屋さんは、いかにも『僕は聞いてません』アピールを大声でしてるけど、あの書類の扱いで分かる。テレビで気まずい場面が出たときの、新聞のめくり方や茶碗の洗い方と同じだし。

 徳永さんがやってきて小声で囁いた。

 

「ごめんなさい。昌さんに恥ずかしい思いをさせちゃったわ」

 

「いえ、うちの周が下品なだけです。もう……」

 

「でも昌さん、とっても良い顔をしていたわよ」

 

 私は「えっ?」となって、徳永さんを見る。この人も私が恥ずかしがっている様子を見るのが好きなのか? 沙耶香さんと同じ趣味なのか?

 

「子どもたちに囲まれているときの昌さん、まるで天使か観音様のような顔をしてたわよ。それが昌さんの本当の顔。それが昌さんの本当の姿なの。

 周君や円ちゃんには、昌さんの本当の心で接してあげてね。あと、無理に受けいれてもらおうとかしないで。昌さんの家族は、特にお義母(なぎさ)さんは受け容れてくれてる。あの人は出来た人よ。

 それと、何か困ったこととか、相談したいことがあったら、気軽に遊びに来て」

 

「ありがとうございます。でも良いんですか? 私なんかが勝手に来ちゃっても」

 

「歓迎するわ。それに子ども達も喜んでたでしょ。人見知りして、他の保育士さんだと落ち着かない子も、昌さんには抱っこされてたし」

 

「それじゃ、お言葉に甘えて、近々また来ます。

 では、今日はこれで」

 

 

 

 私はウィッグを着け、園を出た。

 私の『本当の姿』か……。

 そうなのだろうか? 徳永さんの言葉を思い出す。そして最後に言われた「白い髪の方が昌さんらしいわ」を思い出す。

 でも、今しばらくはウィッグ無しで外出するのは怖い。それが出来れば一皮剥けたと言えるのだろうか? いや、一皮剥けるというのは、昌幸から昌に変わって行くということなのかも知れない。

 

 

 

 結局、この数日は、ほぼひきこもり生活を続けた。

 外出したのは、近所のショッピングセンターぐらい。一応、中学校の放課後時間を狙ったけど、私服で行くには早かったらしく、特に家電売り場では注目されていたような気がする。

 もっとも、後になって考えると、中学生ぐらいで茶髪となれば目立つのも仕方がない。この辺じゃ、中高生が髪に加工するのは校則で禁じられているだろうから当然だ。せめて黒髪なら良かったのに。

 私は周囲の視線に耐えきれず、その日は何も買わずに出てしまった。しばらくはネット通販に頼ろう。これなら高額でも目立たずに買える。いかにも私の買い物じゃないという(てい)でマニアックな買い物も可能だし。

 

 あれ? 携帯電話のランプが点滅している。いつの間に着信してたんだろ? 考えごとに夢中になっていて気付かなかった。履歴を見ると沙耶香さんだ。

 コールバックしたところ、今度の週末は合宿に途中から合流するそうだ。本来は一緒に泊まるところを、最終日だけの合流にするとのこと。

 行き先はなんと京都。本来は参加させるつもりじゃなかったけど、京都ならと言うことで参加になった。どうやら、沙耶香さんには何か考えがあるらしい。金曜日の夜に迎えに来てもらい、二泊三日の予定だ。



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第五章 京都合宿
京都 一 コンビニ


 沙耶香(さやか)さんが迎えに来たのは、金曜の昼下がりだった。

 

「泊まりのだけじゃなく、運動服と勉強道具も持ってきた?」

 

「はい。一応」

 

「とは言っても、大学出てる貴女に受験勉強は、今更ね」

 

「とりあえず、社労士の参考書です。

『前世』は理系だったからこの辺のことが疎かだったし、これなら資格にも繋がりますしね」

 

「前世?」

 

「はい。

 これからは『(あきら)』として生きることにしたので、『昌幸(まさゆき)』は『前世』と思うことにしたんです。今はまだ言葉だけですけどね」

 

「心がけは悪くないけど、あまり無理をしないでね。『昌幸』さんを内包しての貴女なんだから」

 

 

 

 途中のSAで食事をとり、一路京都に向かう。もうすぐだ。

 京都東ICは混みそうということなので、一つ前で下りて一般道を走る。道は新幹線と平行して進み、トンネルをくぐる。

 

 沙耶香さんは「小腹が空いた」と脇道に入ると蕎麦屋に車を停めた。

 

「ここはね、ニシン蕎麦が美味しいの」

 

 さっきSAで食べて一時間ほどしか経ってないのに、と思ったが、沙耶香さんの食事が軽かったのはこれが目的か……と納得する。

 でも、この人は体重のことを気にしないのだろうか? 『前世』の『私』でさえ、三十路にはカロリーに気を付けだしたのに。

 

「昌ちゃんは何にする?」

 

 正直、あまりお腹はすいてない。『前世』ほど沢山食べられなくなったし。

 

「残すのも悪いから、冷や奴だけにします。お蕎麦、ちょっとだけ分けて下さい」

 

 混んでいたせいか、十五分程してやっと出てきた。

 

「いただきまーす。

 本当は、これをアテに冷酒を行きたい所ね」

 

「良いですよ。目的地はナビに入ってますし。私が運転しますよ。

 でも金曜の夜に、ニシン蕎麦をアテに冷酒なんて、オッサンですね」

 

「中身がオッサンの貴女が言う?」

 

「オッサンだったのは『前世』です。今の私は、花も恥じらう乙女ですから」

 

 沙耶香さんはやれやれという面持ちで蕎麦をすすり始めた。私も冷や奴を食べ始める。

 

「花も恥じらう乙女さん、一口いかが?」

 

「ありがとうございます」

 

 汁を一口。やや甘めの汁だ。でもクドくはない。蕎麦を一口すすると、新蕎麦の季節にはまだ早いのに美味しい。

 

「美味しいです。端境期(はざかいき)は蕎麦粉を南半球から輸入してるんでしょうか? だとしても、もう終わりの時期ですよね」

 

「さぁ? 分からないわ。でも、これで貴女と間接キス」

 

「小学生みたいなこと言わないで下さいよ」

 

「冗談よ。

 食べ方は合格点ね。まぁ、貴女は元々立ち居振る舞いがきれいだったし。これなら明後日も大丈夫かしら」

 

「初めて、じゃなくて訓練の初日と言うことが違いませんか?

 って、明後日は合流でしたっけ。何をするんですか?」

 

「それは明後日のお楽しみ」

 

 その後は、酔客(すいきゃく)を――主に沙耶香さんが――あしらうのに忙しくなり、食べ終わるとすぐに店を出た。でも、ナンパって感じじゃないな。一緒に飲もうって感じで、下心はあんまり感じない。

 沙耶香さんって男前な空気を纏ってるからだろうか。確かに、若い男性じゃ気後れするかも知れない。

 

 

 

「今日と明日はここに宿泊よ」

 

 随分いい観光ホテルだ。いわゆるビジネスホテルではない。パーティや式典も出来る高級な施設で、フロントからラウンジを見ると、外国人の姿も多い。

 沙耶香さんがチェックインのサインをしている。

 

 あれ? 部屋は一つ? ……ってことは、またなにか訓練するのかな。

 

 四〇三号室に着いた。このフロアには客室が四部屋だけ。部屋は落ち着いた雰囲気で、ベッドルームもあれば小上がりの座敷もある。隣には――着付けにでも使うのだろう――ムダに広い部屋がある。

 

「ビジネスホテルでシングル二部屋だと思っていたのに、こんな部屋でびっくりしました。でもどうして相部屋なんですか」

 

「二人でいろいろすることもありますからね。貴女には女としての自覚を早く持って貰わなくてはいけませんし。

 一緒に寝る? 女の悦びで強制的に自覚を促しましょうか?」

 

「!」

 

「冗談よ。でも、そのウィッグは外して行動して貰えないかな? せめて明後日まで」

 

 口では『前世』と言いながらも、一歩踏み出せない。私は無言で沙耶香さんを見る。

 

「ちょっと、そんな目で見ないでよ。本当に変な気になるでしょ。

 

 でもね、京都なら外国人も珍しくないし、貴女も本来の姿で過ごせるんじゃないかしら? 少なくとも貴女、遠目には日本人には見えないもの」

 

 そういうことか。日本人として過ごすにはこの外見は目立つけど、外国人としてならそんなに変じゃない。

 

「沙耶香さん、英語いけますか?」

 

「普通にしゃべれるけど、何?」

 

「ここにいる間は、私は留学生という設定で行きません? 外では会話も英語で。だったら、ウィッグ無しでも外出できそうです」

 

「それじゃ早速、英語タイムね! 今からコンビニ行きましょう」

 

「今から?」

 

「思い立ったが吉日よ」

 

 

 

 ※筆者注 以下、英語での会話も便宜上日本語で表記します。

 

 私たちは、繁華街にほど近い路地を歩いている。「普通にしゃべれる」と言うだけあって、沙耶香さんの英語は見事だ。外見――私のちっぱいとはスケールが違う――と相まって、アメリカ人と言っても通用しそうだ。

 もちろん、私も負けずに話す。聞き取りは比売神子パワーのおかげだ。

 

 コンビニに入ると店員が「いらっしゃいませ、こんばんは」と威勢良く挨拶する。見たところ学生バイトだろうか。もう一人は留学生っぽい。こっちはマレーシアあたりかな?

 私もワザと変なイントネーションで「コンバンワー」と返す。もちろん笑顔もプレゼント。

 

 私の笑顔に頬を染めて挙動不審になる店員(坊や)を見て、いたずら心が出てくる。

 

 ふと見ると、沙耶香さんはお酒をポイポイとカゴに入れる。一人であれだけ飲むのだろうか?

 私はそれを横目にアイスクリームを物色する。

 

 おっ! これは使えそう!

 

 ソフトクリーム風のを取り出す。生乳六〇%が売り文句だ。

 それを沙耶香さんに見せながら、店員にも聞き取れる英語で「これを食べたら、私のスペアリブもホルスタインになるかしら?」などと訊く。そして大げさに胸を見比べる。

 

 狙い通り、学生バイトは、赤くなった耳をダンボにして聞いている。

 

 支払いのところで、とどめの一撃。パッケージの『生乳』を指さして、

 

「ナ・マ・チ・チ」

 

 店員はきょとんとした後、咳き込んだ。顔の赤さは最高潮。

 少年、これぐらいでドギマギしてどうする。若いなぁ。

 

 一時的に不器用になった手でなんとかお買い上げシールを貼ってくれたので、それを受け取る際に指をちょっと触れさせる。もちろん狙ってだ。

 さらにもう一度「なまちち」発言をした後、代金を手渡した。もちろん笑顔とお礼と指先の接触付き。

 店員は頭から湯気でも上げそうだ。

 

 ホテルへの道すがら、沙耶香さんはあきれた顔で会話を日本語に戻した。

 

「調子に乗ってるのか、無理をしているのか、どっちかしら?」

 

「少し、調子に乗ってたかも。でも、この姿で男の子をからかうのが愉しいと思えれば、一歩前進かな? と思って……」

 

「……前進する方向が違います」

 

 沙耶香さんの溜息は深呼吸並みだった。



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京都 二 酒

「さ、お風呂よ!」

 

 コンビニ袋を冷蔵庫にしまうと、沙耶香さんは浴衣を持った。

 

「ここはね、露天風呂があるのよ!」

 

「私は部屋の風呂を使いますから、沙耶香さんだけでどうぞ」

 

「これも自覚を促す訓練よ」

 

 やっぱりだ。女性への同化プロセス。

 気乗りしないが、ゴネたって結局行くことになる。

 抵抗は無意味だ。

 

 

 

 脱衣所に入ると、(かご)はいくつか埋まっている。嫌だな。他にお客が居るようだ。沙耶香さんはさっさと脱ぐと、隠す様子もなく堂々と浴室に入る。一歩ごとに揺れている。私はというと、隠して入る。隠すほども無いけど……。

 

 入った瞬間、視線を感じる。きっと沙耶香さんと私を見比べているに違いない。

 

「みんな見てますよ」

 

 小声で沙耶香さんに言う。もちろん英語だ。

 

「気にせず堂々としてなさい」

 

 沙耶香さんは威風堂々と言う言葉が似合いそうな歩き方だ。

 

 ここにいるのは『小畑 昌』じゃない。たまたま京都観光に来た外国人Aだ。恥じらったら負けだ。自分に言い聞かせる。

 かけ湯をし、軽く身体を洗って湯船につかる。

 

「明日の予定はどうなんですか?」

 

「そうね、午前は武術訓練ね。神子としての必修科目よ。で、午後からは観光。せっかく京都まで来たんだから、座学は最終日だけで良いわ」

 

「良いんですか?」

 

「どうせ貴女、平日はヒマなんでしょ。そのときになさい」

 

 英語でペチャクチャやってると、気安く別の女性が声をかけてきた。振り返ると、うわっ! 欧米籍の空母だ。これに比べたら沙耶香さんでも巡洋艦、私なんか――だ。

 

 その、空母みたいな女性は、お勧めの観光スポットを訊いてきた。既に三日滞在していて、めぼしいところは行ったらしい。

 

詩仙堂(しせんどう)は行かれましたか?」

 

「いえ」

 

 そこで私は詩仙堂を勧めた。外国人に日本庭園を理解して貰うならここは最高のポイントの一つだ。ついでに近くの野仏庵(のぼとけあん)でお茶も頂ける。

 詩仙堂の魅力と歴史を一通り説明すると、お礼は「メルシー」この方はフランス人だった。

 

 その後も少ししゃべっていたら、私が日本人だということがあっさりばれた。一方の沙耶香さんは最後まで米国人で通せていた。何が違うんだろう。やっぱり胸の戦闘力か?

 

 

 

 空母を見送った後、沙耶香さんに訊いてみた。

 

「どうしてばれちゃったのでしょう」

 

「貴女がENGRISHで話しているからよ」

 

「ENGLISHでなく? そんなに発音、(まず)かったですか?」

 

「発音だけなら貴女の方がきれいよ。実際、初めは向こうも英国人だと思ってたぐらいだし」

 

「じゃぁ、何が違うんですか?」

 

「貴女の言葉の組み立てが、とっても日本人っぽいの」

 

「英語でなく日本語で思考している、ということですか?」

 

「何語で考えるかなんて、重要じゃないわ。

 貴女は名詞で言葉を組み立てているの。

 でも、英語は動詞で成り立っている言葉、つまり動詞で考えることが重要! 

 コレができないと、いつまでたってもENGRISHよ。日本人が英語で上手く表現できない原因の一つね」

 

「それって、比売神子パワーですか?」

 

「いいえ。自分で勉強して身につけたものです」

 

「沙耶香さんって、見かけによらずすごいんですね」

 

「見かけ通り、すごいんです」

 

 沙耶香さんは不敵に笑う。こういう時の沙耶香さんって、男前だな……と、場違いなことを考えてしまう。

 

 

 

 部屋に戻ると、沙耶香さんは早速呑み始めた。

 

「昌ちゃんもどう? 未成年なんて言わないでね。本当は私より年上なんだから」

 

「でも、味覚が変わったのか、ビールはダメでした」

 

「それは聞いてるわよ。でも、『比売神子』の通過儀礼で飲むことになるんだから、今のうちに練習しとかないと」

 

「うーん」

 

 冷蔵庫を覗き込む。飲めそうなのは無い。

 

「ルームサービス、頼んでも良いですか?」

 

「良いわよ」

 

 私は内線電話を取り、冷酒はどんな銘柄があるか訊いた。うん。コレにしよう。どうせ沙耶香さんも呑むに違いない。純米大吟醸の冷やを三銘柄頼んだ。

 

 程なく部屋に届けられる。沙耶香さんもグラス三つ持ってきて、飲み比べる段取りだ。

 

「どれどれ……」

 

 沙耶香さんはグラスを三つ並べて飲み比べる。私も一口。うん、美味しい。これなら飲めそうだ。

 

「あんた、良いお酒知ってるわね。それぞれ味は違うけど、さらっとした女性向きのお酒ね。これは油断すると酔っぱらうわ」

 

「それは、今の私でも飲めそうな、初心者向けの銘柄を選びましたから。

 北陸は、良いお酒があるんですよ。やっぱ、水と米が良いから」

 

 良いお酒だから、いきなり悪酔いはしないだろうけど、この身体での限度が分からない。この間のこともあるから、控えめに行こう。

 そう思っている間に、沙耶香さんはぐいぐいいく。

 

「封を切ったら、その日のうちに飲み切らないと!

 貴女、料理もそうだったけど、舌が肥えてるのね。これで、女をどれだけ口説いてたの? 『昌幸』だった頃はブイブイ言わせてたんでしょ」

 

「『私』はシャイだったから、口説いたりできませんでしたよ。(なぎさ)とも見合いだったし……」

 

「またまたぁ、そんな。

 貴女が『昌幸』だった頃に出会ってたら、私、落とされてたかも知れないわよ」

 

「で、あっさり『未亡人』になると」

 

「そしたら、今度は貴女を嫁に貰うわ」

 

「それは、法的に問題ありかと」

 

「じゃぁ、内縁の妻ね」

 

「どっちが?」

 

「貴女が」

 

「沙耶香さん、酔ってるでしょ?」

 

「酔ってるわよ」

 

「沙耶香さん、いい人いないんですか?」

 

 うわ! 空気が変わった! 地雷を踏んだか? いや、『?』は要らないな。確実に踏んでる。



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京都 三 ガールズトーク

「沙耶香さん、いい人いないんですか?」

 

 やば! 空気が変わった! 地雷を踏んだか? いや、『?』は要らないな。確実に踏んでる。

 

「私を前にするとね、大抵の男はびびっちゃうのよ」

 

 そりゃ、そうだろうな。これだけデキる女で、この美貌で、しかも経済的にどうこう出来ないし。

 

「あー、分かるかも。

 なんて言うのかな、出来過ぎなぐらいのイイ女だから、逆に二の足踏んじゃうかも知れない。

 むしろ、沙耶香さんの方から口説くってどうです? 『昌幸』の頃に口説かれたら、コロっと落ちてたと思いますよ」

 

「それもアリかもね。

 でも、昌ちゃんなら、大抵の男は手料理と笑顔で簡単に落とせそうね」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうよ。

 例えば、意中の人が風邪でもひいたとき、三日目ぐらいに行って、この間私に作ってくれたみたいな雑炊(ぞうすい)を食べさせて上げるのよ。で、『早く元気になって下さいね』って笑顔を見せれば完了。

 これで大抵の男はグラッと来るはずよ」

 

「それって、昔のマンガのテンプレです」

 

「テンプレってのは侮れないモノよ。

 別ルートだと、『帰らないで欲しい』って貴女を引き留めて、そのまましっぽりと……」

 

「寝込んでる人が、そんなこと出来るわけ無いでしょう。それに、風邪が伝染ってしまいます」

 

「そこで決めぜりふ。『貴方の痛みや苦しみの半分を私が……』って、そしてカーテンに映る影も一つになって……」

 

「沙耶香さん!」

 

「ごめん、ごめん。調子に乗りすぎたわ。

 それに比売神子になるまでは、そういうことはナシですからね」

 

「『血の発現』の前のことは、本当にカウントに入らないんでしょうか?」

 

「入りませんよ。実際、私は血が出る前にはちゃぁんと彼氏が居ましたし」

 

「え? どんな人だったんですか? 沙耶香さんにビビらない人って」

 

「『昌幸』さんにちょっと似ているかな。貴女も知っている人よ」

 

「って、まさか、高瀬先生?」

 

「ご名答。よく分かったわね」

 

 似てるかな? タイプは全然違うと思うけど。

 あっちは正統派のイケメンだし、医者だし、女性に対しても余裕があって、明らかに女の扱い慣れてますって感じだし。『前世』の自分とは大違いだ。

 単に、沙耶香さんと私の共通の知り合いって、その人しかいないから言っただけなんだけど……。

 

「あんまり、共通項は無いように思うんですが」

 

「大きな共通点があるわ。どっちも、私好みの男だったってとこ」

 

「過去形なのが癪ですね」

 

 

 

 高瀬先生と沙耶香さんの出会いは十年以上遡る。

 当時の高瀬先生は医学部生で、沙耶香さんは英文科の学生だったそうだ。英語が上手いのはそういうワケか。

 

 知り合って、おつきあいが始まって、結婚を意識したかどうかは分からないけど、まぁ、イイ感じだったようだ。

 

 ところが、沙耶香さんが就職の内定を貰ってすぐ、『血の発現』が起こった。そのときの高瀬先生は研修医で、主治医になることはもちろん、診察さえ出来なかったけど、とにかく傍らに居ようとはしてくれたそうだ。

 

 しかし、事情も分からないうちに沙耶香さんは転院した。

 高瀬先生は断片的な情報を集めて追ってきたが、そこで見たのは姿を変えてしまった沙耶香さん。

 

 高瀬先生は比売神子の血について知ってしまい、今の病院に勤めることになった。

 

 

 

「あの頃は若かったわ。今じゃ考えられないことをしたもの」

 

「何をしたんです?」

 

「夜・這・い」

 

「それって、マズくないですか?」

 

「マズいわよ。でも、そのときの私は比売神子のことなんてどうでも良かったもの。むしろ、その資格を喪ってしまいたいとさえ思ってたわ。

 でもダメだった。外見が中学生の私とはムリだって。別れるべきだって」

 

「逆に、嬉々としてやっちゃう人じゃなくて良かったんじゃないですか?」

 

「確かにそうなんだけど……。

 で、私は5年待ってくれるよう、手紙でお願いしたの。もちろん、返事なんてもらえないけど。

 

 初めはね、彼も待っててくれたみたい。

 でもね、若い男性が何年もナシってのは無理なのよ。

 結局、別の女性とお見合いして、今は子どもも二人いるわ」

 

 

 

 きっと、沙耶香さんは今でも高瀬先生を想っているんだろう。看護大学校に行ったのもそれがあるだろうし、『神子』が名誉だって言うのも、失恋に引き合うものでなくてはならないという想いからに違いない。

 高瀬先生が私のことを何かと気にかけてくれるのも、子どもを持つ父としての想いが、そうさせるのかも知れない。

 

 酔いが醒めかけた頭でじっと考えていると、沙耶香さんは私の背中をぽーんと叩いた。

 

「というのは、ウ・ソ!」

 

「は?」

 

「いい? ガールズトークの基本は恋バナ!

 話半分よ!

 即興でこれぐらいの話は作れなきゃいけないし、貴女もそれに乗っかれなきゃダメなのよ。それを疑うこともなく真剣に聞いて、その挙げ句に考え込んじゃって。

 まだまだ青いわね」

 

「……」

 

「女はね、隙を見せても底を見せちゃダメなのよ。それがイイ女の条件。貴女は見栄えだけはイイんだから、中身の女子力も釣り合うようになさい」

 

「沙耶香さん」

 

「何?」

 

「あなたは、非道い人だ……」

 

 じっと沙耶香さんを恨めしそうに見たが、当の沙耶香さんはどこ吹く風。

 

「いいわよ! その目つき。女子力がちょっと上がったかしら。ご褒美にもう一杯、美女が注いで上げましょう」

 

「頂きます」

 

 私はグラスの冷酒を一気に干した。

 

「沙耶香さんって、悪女です」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

「あと、もう一つ」

 

「何かしら?」

 

「私の女子力は、見栄えだけじゃありません!」



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京都 四 訓練

 目を覚ますと、隣に裸の女性が寝ている。

 

「うゎぁ!」

 

 全身から血が引いていく。引いたところで冷静になった。自分はもう『昌幸』じゃない。

 

「……んもぅ。朝から」

 

 沙耶香さんは私の腕を引っ張る。

 

「ちょ、ちょっと、沙耶香さん?」

 

「昨日は、()かったわぁ……」

 

「え?」

 

 昨日、沙耶香さんと呑んで、先に寝ると言ってベッドに行って、その後の記憶が無い! 私は何をした? いや、された?

 

 慌てて着衣を調べる。浴衣の下のノースリーブは無事、パンツも昨日のままだ。おかしな感触は……多分、無い。

 その姿を見て沙耶香さんが「冗談よ」と言う。

 

 ……悪い冗談だと思います。一気に目が覚めました。

 

「何で一緒のベッドに寝てるんですか?」

 

「昌ちゃんの寝顔があんまり可愛かったからよ」

 

「おだててもダメです。何もしませんでしたよね?」

 

「指一本、ぐらいはともかく、えっちなことはしてませんよ。せいぜい、ほっぺにちゅーぐらいで」

 

 やれやれ、溜息も出ない。私は隣のベッドに移動した。

 

「二度寝?」

 

「いえ、一方のベッドしか使った形跡が無かったら、ベッドメイクの人に誤解されます」

 

「あら、細かいわね。

 ……でも、正解にしちゃう?」

 

 私は沙耶香さんの言葉を無視して、ベッドの中でばたばたする。「あれぇ、パンツはどこだろ」なんて言葉も聞こえるが、今は無視! 乱れた寝具を改めてたたみ直した。

 

 

 

 朝食はバイキング形式、ではなく、温泉の朝御飯だった。私としてもこっちが好みだ。広い部屋に沙耶香さんと差し向かいで二人きりってのがアレだけど。

 温泉卵にカレイの一夜干し、一人鍋には湯豆腐……。京都らしくちりめん山椒もある。湯葉の吸い物に飛龍頭(ひろず)。『前世』だったらこれだけで御飯三杯は余裕だが、『現世』の身体はそこまで食べられない。

 まてよ、固体じゃなく液体で米を摂取すれば良いんだ!

 

「沙耶香さん。熱燗、要らないですか?」

 

「貴女、朝から何言ってるの。さては、昨日で味をしめたわね」

 

 とりつく島もない。未成年の外見が恨めしい。

 

 

 

 朝食後、新聞に目を通したところで、沙耶香さんが立ち上がった。

 

「さて、神子としての訓練を始めましょうか。まずは貴女のギフトを見せてもらいましょう」

 

「?」

 

「歌とダンスが上手くなったんでしょ。こっちの部屋は防音だから、見せてみてよ」

 

「見せるんですか?」

 

 と言いながらも、披露する機会は嬉しい。渚には気持ち悪いと言われたけど子ども達にはウケてたし。

 

 スポーツウェアに着替え、軽くストレッチをする。しまったな、こんな事ならCDかDVDを持ってくれば良かった。

 

 沙耶香さんも既に着替えている。

 私はスニーカーを履いてクルリとターン。うん、床の具合もいい。

 

 アカペラでポップの王様のアルバムから一曲。間奏部分はベースラインとリズムを鼻歌で、自然と身体が動き出す。それは程なく完コピされたダンスとなり……。

 

 期せずして沙耶香さんの拍手が聞こえた。

 

「歌は、歌いこなしてるって程度だけど、ダンスの方はステージでお金を取るレベルよ! でも同じ歌でもソプラノで聴くと違った雰囲気ね。女性向けの振り付けを貴女用に作ってもらいたいぐらい」

 

「本当ですか? 渚の前で踊ったらキモチワルイって言われたんですけど」

 

「どんなの踊ったの?」

 

 言われてやってみると、沙耶香さんも「キモチワルイ」

 ところどころ、重力を無視した様に見えるのが気持ち悪いらしい。

 

「でも、それだけ踊れる身体能力があるなら、訓練が楽しみね」

 

「訓練って、今日は武術ですよね。何をするんですか?」

 

「軽く、スパーをしてみましょう」

 

 そう言いながら、マットを床に敷き始めた。

 うゎー、この人マジだよ。

 

「いきなりですか? 私、格闘技の経験無いですよ」

 

「大丈夫よ。適性を見るだけだし、手加減は十分するから、遠慮無くかかってらっしゃい」

 

「そんな、女性に対して、出来ませんよ」

 

「何を生意気言ってるの。同じ女で、体格は私の方が大きいのよ。それにまさか、私に当てられるとでも思ってるの?」

 

 そう言いながら沙耶香さんは防具を投げてよこし、自分もグローブを着ける。

 

「念のため、沙耶香さんも防具は着けて下さいね」

 

「生意気ね。まぁ良いわ。大口叩けるのも今のうちよ」

 

 私も真新しいグローブを着ける。グローブと言ってもボクシングみたいなのではなく、指も使える。

 

「とりあえず、制限時間は二分ね。始めるわよ」

 

 沙耶香さんが半身に構える。凄い迫力だ。

 

 

 

 言葉や道具から言って、沙耶香さんが身につけているのは打撃系だろう。素人が離れてじゃ勝負にならない。

 ピーカブーで頭を振り、ダックして踏み込む。密着してしまえば、相手の技はかなり封じられるはずだ。伊達にボクシング漫画を読んでない。

 そこから拳を突き出す――一応手加減して――が、当たらない。上手く向きを変えられたり、出掛かりを抑えられたり。途中から手加減を忘れて突くが、全然当たらない。

 あれ? っと思った瞬間、天地が逆に。とっさに(へそ)を見る要領で顎を引くと、背中に衝撃が来る。訳が分からないうちに投げられたらしい。『らしい』というのも、結果から判断してだ。

 

「まだ一分も経ってないわよ。続き、やる?」

 

「もちろん!」

 

 沙耶香さんが時計を戻す。第二ラウンドだ。

 

 

 

 何をされた? 突いた拳が腕ごと吸い込まれて転がされた感じだ。ダメだ。近い間合いじゃ多分勝負にならない。

 

 沙耶香さんは静かに構える。よく見るとサウスポースタイルで拳は握ってない。これって突きより組みがメインのスタイルかも。

 

 今度は離れた間合いで、スピード重視で行く。体格は負けてるけど、リーチはそれほど差がない。スピードは多分こっちが上だ。

 

 反時計回りに動き、右ストレート主体に攻める。

 沙耶香さんはそれを嫌って踏み込んで来るが、こちらは回り込むように逃げる。良い感じだ。

 と、油断したら、いつの間にか隅に追い込まれている。

 とっさに踏み込んで背中でタックル。

 不発。

 見事に転がされたが、今度は何をされたかを――少なくとも投げられたことは――認識している。

 そのまま前転し、間合いを離そうとしたら、あっさり捕まった。左腕の関節を極められて動けない。

 

「痛っ! 痛い、痛い! 堪忍、堪忍、降参!」

 

「とまぁ、こんなもんね。

 でも貴女、格闘技の経験が無いって嘘でしょ?」

 

「本当に経験なんてありませんよ。こっちは一発も当たらないし」

 

「私に当てられるわけ無いでしょ。

 でも経験無しには見えませんでしたが」

 

「?」

 

「まずびっくりしたのが、突きの一つ一つに体重が乗ってること。あれって、四〇キロ台の女の子が出せるパワーじゃないわよ。

 それに拳を真っ直ぐ突いて来るし、フットワークも速い……。なんて言うのかな、体の使い方、特に下半身が様になってるのよ。

 あと、一回転がされた後、スタイルを変えたでしょ? あれはどうして?」

 

「初めは、くっつけば技の大半は封じることが出来るし、素人でも勝負になるかな? って思ったんですけど……。

 でも、実際はくっついた方が差が出るようなので、離れて戦うことにしました。で、捕まりそうになったら体当たりで逃げようと」

 

「今の貴女の力量で言えば、正解に近い選択ね。よくそういう判断が出来たわね」

 

「うーん。格闘技を扱った漫画を沢山読んでたからでしょうか」

 

 私はいくつかの漫画を挙げた。

 

「知っているだけであれだけできれば大したものよ。

 ボクシングルールでやったら、多分私じゃ敵わないわね。男性相手でも軽い階級の四回戦や六回戦クラスなら……」

 

「圧倒できますか?」

 

「初見の一ラウンドぐらいは練習相手になれるかも」

 

「その程度ですか……」

 

「貴女、職業で格闘技やってる人、舐めてるでしょ。

 ぺーぺーでも、素人の一般人を基準にすればバケモノよ。身体能力の高さだけじゃ勝負にならないわよ。

 貴女のレベルは、素人にしてはやる、って程度。突きや蹴りを真っ直ぐ、しかも体重を乗せてってのは、練習しないでなかなか出来ることじゃないから」

 

「格闘マンガとか、カンフー映画とか見たら、男子って真似するでしょ。それが一種の練習になってたのかも知れませんね」

 

「男の子として身体を動かしてたからかしら? これは訓練が楽しみね」

 

 

 

 その後、沙耶香さんから合気柔術の手ほどきを受けた。と言っても、基本の足捌きと投げを一つだけ。沙耶香さん曰く「スジがいい」らしい。



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京都 五 合宿参加

「じゃぁ訓練はここまでにして、お昼に行く用意しましょっか?」

 

「え? まだ十時まわったとこですよ」

 

「その格好で行く気? 軽くシャワーを浴びて、身支度をしてたら、そこそこの時間になるでしょ?」

 

 そういうものか。

 

 とりあえず、シャワーを浴びて着替えた。所要時間は二十分弱。交代で入った沙耶香さんはまだ浴室だ。

 退屈してきたのでテレビをつけるが、午前中にはおもしろい番組は無い。番組表を見てみると、えっちぃのもあるが、残念、有料だ。いや、別にえっちなのを視たいわけじゃなくて、たまたま写真付きで説明があったのがそれだっただけで。

 

 やっと沙耶香さんが身支度を終えて出てきた。小一時間だ。

 

「随分待ちましたよ」

 

「女の用意は時間がかかるの。貴女、女の自覚が足りませんね」

 

「まだ、中学生ですから」

 

「まぁ、いいわ。何か食べたいもの、ある?」

 

「せっかく京都に来たんだから……」

 

 

 

 車を北野天満宮の駐車場に停めて横断歩道を渡ると、一軒の店がある。正午を少し回った時間だが、土曜とあってか、既に店の前には三人ほど並んでいる。

 

「へー。こんな店とは。さすがオッサン」

 

「沙耶香さん、英語!」

 

「ごめん。ごめん。

 で、ここは何が美味しいの」

 

「無難に、セットメニューを選んで、足りない分は一品もので」

 

 

 

 一時間後、天満宮の入り口でやや食べ過ぎたお腹をさすっていた。

 

「ちょっと甘めだけど、悪くなかったわよ」

 

「でしょ? ついでに湯葉と飛龍頭、自宅に発送しちゃいました。この美味しさを我が家で。しかも自分好みの味付けで!」

 

「作ったら、私にも分けてね」

 

「日持ちしないので、早めに来て下さい。でないと私と子ども達がみんな食べちゃいますよ」

 

 外国人の(てい)で入店しておいて、送り状を漢字で書いてしまったことは無かったことにしておく。『昌幸』の字ではないけど、店員さんは送り状と私の顔を見比べていた。

 

 

 

 その後、石庭で有名な龍安寺へ。ここは日本人よりも外国人が多い。多分、外国人――主にアメリカ人――が考える日本っぽいところなのだ。

 沙耶香さんが知らないようなので、知足の蹲踞(つくばい)の『吾唯足知』について薀蓄(うんちく)を披露する。

 

「そういうトンチ話が好きね。

 そういうことって、いつ調べてるの?」

 

「これって、テレビの『龍安寺の歌』ってので知ったんですよ」

 

 一コーラス歌うと、日本人観光客の視線が集中する。しまった! 歌は日本語だ。ずっと英語で通してたのに!

 幸い、英語でやりとりしていた私たちに話しかけてはこなかったが、私はどう思われていただろうか。

 

 

 

 その後ホテルに戻って、武術訓練、風呂、夕食。見た目未成年の私が指をくわえて見てるだけなのを余所に、沙耶香さんはがっつり呑む。部屋に戻って、私も液体の米を摂りつつガールズトークの練習……。

 

「さて、明日は早いからもう寝ましょ」

 

「別々のベッドでね」

 

「添い寝して上げましょうか?」

 

「人恋しいなら、篤志(あつし)のお友達、紹介して貰いましょうか?

 通夜の後、沙耶香さん、話題になってたみたいですから」

 

「そうね。まずは書類選考をするから、写真を送ってもらおうかしら」

 

 なんだか床についてもガールズトーク風になりつつ、私たちは眠ることにした。

 

 

 

 翌朝は、早くから活動開始。九時までに合宿に合流しなくてはならない。沙耶香さんも身支度が早い。昨日もこの速さでしてくれれば良かったのに。

 

 合宿の場所はやはり宿泊施設を併設していた。ここもセレモニー会館っぽい。入ると、前回と同じ五人が待っていた。

 靴を脱ぎながら沙耶香さんに訊いた。

 

「『神子』って、二十人近くいるんですよね」

 

「貴女を含めて十八人よ。それを三グループに分けて現役の比売神子が指導します。二,三年に一回メンバーチェンジしますけどね。

 貴女が『神子』になったことで、最近メンバーチェンジしたばかりよ」

 

「そうなんですか」

 

 

 

「お早う。

 もう、紹介は要らないわね。小畑 昌さんです。しばらくは検診があるので途中からの参加になるわ。

 見た目はこんなだけど、実年齢は、多分この中で一番のお姉さんかもね」

 

『この中』には、沙耶香さんも入るんですけどね。

 えーと、森さんに、牧野さんに、山崎さん、あと二人は……、神崎さんに芝浦さんだ。

 

「小畑 昌です。改めて、よろしくお願いします」

 

「昌ちゃんは、身体の変化が大きかったから、心身の負担も重くて、検診も多いの。

 一部、記憶の障害もあって、精神的に不安定さが残ってるから、初めは行動がちぐはぐに見えるかも知れませんけど、その辺は多めに見て下さいね」

 

 そういう持ってき方もあるか。

 五人はニコニコしながら頷いた。

 

 

 

「さて、今日は座学でしたね。それぞれ自分の勉強を進めて下さい」

 

『神子』としての合宿なのに、修行とかじゃなく学校の勉強というのも変な感じだ。沙耶香さんによると、何かに向けて努力することと、神子が合同で生活することに意味があるらしい。

 

 私も社労士のテキストを開いた。まずは労働法の基本理念からだ。ノートに要約や補足を書き込んで行く。要約という作業は、本をきちんと読み込むときには意外と効果が大きい。

 

 

 

 十分ほどして沙耶香さんが耳打ちしてきた。

 

「みんなと仲良くなりたいでしょ?」

 

 無言で頷いた。

 

「山崎 光紀さーん。光紀ちゃーん。数学は昌ちゃんに訊くのもいいわよ。この子理系だったから。

 それから、私はちょっと外すけど、だらけないこと!」

 

 沙耶香さんを見送っていると、山崎さんがにこにこしながら問題とノートを持ってきた。

 

「山崎 光紀よ。よろしくね」

 

「小畑 昌です。こちらこそよろしく」

 

 問題を見ると、関数の最大最小の問題。分子が一次式、分母が二次式の分数関数だ。

 

「これね、分母と分子だけに注目すると、分子は単項式で、分母は二次の項と定数項だけ。明らかに原点対称な関数だよね。

 このパターンはxが正,0,負で場合分けして、xで割っちゃうのが定石なんだ。

 分母分子をxで割ると分子は定数。で、分母の二項に相加平均と相乗平均の性質を使うと……。分母の最小値、従って関数の最大値が出るというわけ。

 その後は問題の展開によるけど、これで取っ掛かりは出来た」

 

 山崎さんの方を見ると、尊敬の眼差しだ。こんな美人に見つめられると照れちゃうよ。

 

「あーん、もう、我慢できない!」

 

 そう言うや、私の腕を取って引っ張る。

 

「?」

 

 腕に押し当てられた双丘に目を白黒させている私を見て、

 

「照れるところもカワイイ! 初々しい! 少年みたい!」

 

 私はギクリとする。悪い汗が出そうだ。なんで? バレたのか?

 

「解いてるときの横顔、凛々しかったわぁ。もう、美少年って感じ。でも、旬の時期を過ぎると、女になってっちゃうのよねぇ」

 

 もしかしてこの人、女版ロリコン? 女になるって、私は生物学的には既に女なのですが……。

 

「ねぇ、自分のこと、『私』じゃなくて『僕』って言ってよ。で、ちょっと男の子っぽいしゃべり方で……」

 

 周りを見ると、やれやれという顔だ。でも、森さんだけ目を輝かせてこっちを見てる。多分この人も要注意人物だ!

 

「ボク? ですか?」

 

「で、自己紹介!」

 

「えっと、ボクは小畑 昌です。よろしく、山崎さん」

 

「うぁ~! そのボーイソプラノ、萌えるぅ!

 じゃ、あなた、今日から『昌クン』ね! 私のことは『光紀』って呼んでね」

 

「え? 仮にも年上ですし、呼び捨てには出来ないですよ」

 

「わぁっ! ホント、理想の美少年って感じ!

 昌クン、本当は男の子で付いてるんじゃない?」

 

「!」

 

 光紀さんが私の身体に手を伸ばしたところで空気が変わった。同時に光紀さんがバネ仕掛けの人形のように椅子に戻る。他の四人も同様だ。

 振り返ると沙耶香さんが笑顔で腕組みしている。

 

「静観していれば……。少年っぽくってのはともかく、それ以上は行き過ぎよ」

 

「いつの間に現れたんですか?」

 

 思わず訊いたが応えは無かった。

 本当にいつの間に戻ってきたんだろう。病院でも思ったけど、この人って足音を立てずに来るから心臓に悪い。

 

 皆、借りてきた猫のように勉強してる。沙耶香さんがいると、空気が締まる感じだ。案外、教師なんかも向いてるかも。

 

 

 

 ふっと、周りが力を抜いている。辺りを見回すと沙耶香さんがいない。芝浦さんが声をかけてきた

 

「あのときに、よくビビらずに話しかけられるわね」

 

「あのとき?」

 

「さっきよ!」

 

「あ、前も沙耶香さん、足音立てずにすぐ後ろに立ってましたよ」

 

「そう言うことじゃなくて、空気が変わったでしょ?」

 

「あ、沙耶香さんって、たまに怖そうなときがありますよね」

 

「……はぁー。

 あれを『怖そう』で済ませるの?」

 

 

 

 その後、他の神子からも聞いたら、沙耶香さんは『格』を発していたそうだ。『格』というのは、どうやらオーラとか戦闘力みたいなもので、それにあてられると萎縮するようだ。

 

「あの『格』の前で、対抗することもなく平然としているなんて、さすが私が見込んだだけあるわ! 時期が来れば筆頭ってのも、あながち……」

 

 光紀さんは興奮気味だ。別に光紀さんが見込むかどうかは関係ない気がするけど。

 

「多分、ボクが『格』に鈍感なだけです」

 

「光紀ちゃんには律儀に『僕』なのね。別に言葉遣い、変えなくてもいいのに」

 

 芝浦さんは呆れ顔だ。

 

「ボク、じゃなくて私はどっちでもいいですけど」

 

「だったら『僕』で!」

 

 森さんも目を輝かせて詰め寄ってくる。やっぱりこの人も光紀さん同様、要注意人物だ。

 

 

 

 それ以後は事もなく、それでも距離は近づいた気がする。

 私の言葉遣いも、山崎さんと森さんの希望に合わせたことになってるし、沙耶香さんの計算通りって状態かも。



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京都 六 沐浴

「それでは、お昼の前に沐浴(もくよく)です」

 

 え? 聞いてないです。

 沐浴って、要するに水浴びで、それを一緒に!

 

「裸じゃないから安心して」

 

 沙耶香さんがそっと耳打ちしてきた。それを聞いて一安心だ。と言っても水着でもやっぱり抵抗がある。当然女物だろうし。

 

 他の神子達はさっさと後片付けをすると、移動を始めた。私も慌てて後を追う。

 

 脱衣所に行くと、白い布が置いてある。沐浴のときに着る服らしい。一言で説明すると、無地の短い浴衣(ゆかた)といったところだ。赤い袴があれば、巫女装束になりそうだ。私たちは神子だけど。

 

 修行で沐浴と聞かされたので、滝行的なものを想像していたが、浴場でぬるま湯を浴びるだけのようで安心した。大体、暑い時期ならともかく、寒くなってから水垢離(みずごり)なんて、健康に良いはずがない。

 

 でも、このぺらぺらの浴衣みたいなので水を浴びたら、間違いなく張り付いて透けるだろうな。どういうつもりで女の子にこんな服を着せてるんだろう。

 そう考えて、自分の性自認や他の候補を見る目が男目線じゃないことに違和感を覚える。自分が当事者になることにテンパっているのか、それともこの身体に順応してきているのか……。

 

 

 

 沙耶香さんを先頭に浴場に入る。手桶に汲んだ水を肩にかける。

 牧野さんも同様にかける。どうやらかけ方に手順があるようだ。森さんも同じだ。よし、手順は憶えたぞ。

 少し余裕が出てきて沙耶香さんを見ると、案の定、服が濡れて身体に張り付いている。栗色の茂みもうっすらと透けて見える。浴場で裸の姿を見ているが、今の状態はそれよりもエロい。完全に見えるよりも見えそうで見えない方が、余計に来るモノがある。

 

 他の人たちも同様だ。この状況にエロさを感じることに少し安心すると同時に、目のやり場に困る。……でも、神子って、みんなスタイルが良い。全体的に――沙耶香さんを除き――小ぶりだけど、グラビアアイドルなんかよりよほどきれいだ。多分、細いウエストと、それにつながるプロポーションがいいんだろうな。私も沙耶香さんほどは言わないけど、他の子たちと同じぐらいになれるんだろうか?

 

 そうこうしてるうちに私の順番となり、同じ手順で手桶を使う。自分も同じ状態だと思うと、羞恥に胸まで赤くなる。こんな雑念ばかりの沐浴に意味があるのかな?

 

「それじゃ、身体が冷えないうちに着替えて下さい。湯船を使ってからでもいいですよ」

 

 沙耶香さんがそう言うと、他の候補達は「ふぅ」と溜息をついた。もしかして、雑念と煩悩で頭が一杯だったのは私だけ?

 

 と、要注意人物の山崎さんが来る。私が身を固くすると、がっかりした表情を見せた。すいませんね。私の身体はみんなに比べて貧相でやせっぽちですよ。

 

「残念! 付いてない。しかも旬は終わりそうだし」

 

 そこ? しかも、旬って……。何の旬ですか。

 

「でも、脚が凄く長くてきれいよ」

 

 牧野さんが羨ましそうに言う。

 

「上が白いと、下も白いのね。羨ましい。

 これだったら、透ける心配がないもの」

 

 ……透ける心配がないのでなく、透けるモノがまだ生えてないんです。とは恥ずかしくて言えない。

 正直、この場に居辛い。

 

「ひ、冷える前に、出ますね」

 

 私はそう言うと、返事も聞かずに脱衣所へ向かった。

 

 

 

 そうか、女の人って、むだ毛の処理とか、そういう身だしなみにも気を遣ってるんだよな。そう言う意味では、白い毛ってのはある意味保護色だから、処理を怠っても目立たないのはいいことかも知れない。

 今まで気にしたこともなかったから怠っていたけど、今後はそういうことも必要になりそうだ。帰ったら渚に相談しようかな?

 

 下着を着けながらぼんやり考え、ふと腕に目をやると、あれ? 今まで気付かなかったけど、腕や脚、目に見える範囲に体毛が見えない。背中も同様だとすれば、首から下は完全ハゲだ。

 鏡で確認すると、剃ってないにも関わらず、顔の表面も産毛すら無い。一歳の娘でさえ、ところどころ淡い産毛があるのに!

 

 もしかしたら、メンテナンスというか、手入れ不要というのが私の望んだ姿なのだろうか。潜在的に、身支度に時間をかけない女が好ましいと『昌幸』として考えていたかも知れない。

 でも、無毛というのはちょっと頂けない。自分にそんな好みがあったとは思いたくない。いや、これについては今後生えてくるだろう。そうに違いない。

 

 

 

「何をぶつぶつ言ってるの?」

 

 沙耶香さんが耳元でささやいた。

 

「沙耶香さん。近づくときは足音立てて下さいよ。突然だと、心臓に悪いです」

 

「気付かない貴女が鈍いのよ」

 

「そうだ、その『鈍い』ですけど……、私は『格』を感じる能力が極端に低いのかも知れません。だから、比売神子様を前にしても平気で失礼なこと言ったり……」

 

「何を言ってるの?」

 

「ですから、私は『格』が高いんでなくて、単に『格』に鈍いだけじゃないかなって……」

 

 沙耶香さんは苦笑した。

 

「貴女の『格』はシャレにならないわよ。初対面のときのこと憶えてる?」

 

「えっと……、私が『神子』って聞かされたときですか?」

 

「そう。あのとき貴女、『子ども居る?』って訊いたでしょ」

 

「その節は、済みません」

 

「いいのよ。

 で、そのとき貴女は凄まじい『格』を発したの。

 あのとき、次の筆頭は貴女だって思ったわ。単純に『格』だけなら、現役の比売神子の誰よりも凄いもの。

 あとは、それを制御できるようになるだけよ」

 

 

 

 昼食を食べ皆が解散した後、私は沙耶香さんと『格』の制御を訓練することとなった。本来は合宿中にやるのだが、私が『格』を制御出来ないと、他の神子候補がそれにあてられて悪影響が出るのだ。

 

 でもこれを制御できれば、一種の『脅し』みたいなもので、人の心や思考をある程度(せい)することが出来るらしい。

 

 前回『格』を発したシチュエーションから、感情、特に怒りや憤りが引き金になるのかと思ったが、違っていた。むしろ、自分の意志を通すという気持ちを外に発することが重要なのだ。

 

 午後中かけて、なんとかオンとオフが出来るようになったが、調整は全く出来ない。それにオンにするには、かなりの集中力が必要だ。

 

 沙耶香さんからは「ま、初めはこんなもんですね」と言われ、人に向けて使わないよう厳重に注意された。

 

「乱暴されそうになったら、全力で使っちゃってもいいわよ。でも、それ以外のときは、せめてコントロールできるようになるまでは、使わないことね」

 

 その日の訓練はそこまでだった。なんだか精神的に疲れる京都滞在だ。

 

 

 

「もう、付けちゃうの?」

 

 帰りの車でウィッグを付けると、沙耶香さんが残念そうだ。

 

「田舎だと、この髪は目立つので……。出来れば、茶髪じゃなく、初めて外出したときの、黒髪の、ありませんか?

 うちの近所じゃ、中学生が茶髪ってだけでも目立つんです」

 

「うーん、茶髪を選んだのはそれもあったんだけどな。でも、それで貴女の負担が軽くなるなら。

 ただし、あと何ヶ月かで克服するのよ。学校に通うようになってからだと、本当に隠し続けなきゃいけなくなるし、それだともっと辛いわよ」

 

「……うん」

 

 分かっている。分かってはいるけど……。

 何となく、縁もゆかりも無い、誰も自分のことを知らない土地に、郷愁に似たものを感じた。



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ここまでの主要登場人物

小畑 昌 おばた あきら

 

 本作の主人公。

『血の発現』によって現在の姿となる。公称十三歳、戸籍上の年齢は十六歳。これは昌幸が留学中に作ったという設定のため。

 髪は白、目は明るい群青、色白で童顔は前世から。

 身長一五三センチと、中学生としてはほどほど。

 かなり痩せた体躯に対して体重は重い。これは昌幸の体脂肪率を引き継いだためで、服の下はかなり筋肉質である。

 

 

 

小畑 渚 おばた なぎさ

 

 小畑昌幸の妻。とある会社で経理事務をしている。

 長身で整った容貌ではあるものの、華のある外見ではない。

 性格はかなり楽天的。過去に声優を目指していて劇団経験もあるが、顔も小さく舞台映えがしないため、その分野は早々に諦めることに。その過去については、夫である昌幸に知らせていなかった。

 一六五センチという長身の割に体重が軽いのは、体脂肪率が高いから。実は慢性的に運動不足で、四十キロ台を死守するのが難しくなりつつある。

 昌幸には過ぎた奥さん。

 

 

 

小畑 周 おばた あまね

 

 昌幸の第一子。登場時で三歳。

 性格はかなりワガママで向こう見ずなところがある。昆虫や恐竜が大好き。母親似の整った容貌をしている。

 

 

 

小畑 円 おばた つぶら

 

 昌幸の第二子で長女。登場時で一歳。

 少し人見知りな甘えん坊で、女児としては言葉が遅い。容貌は父親似で、将来は昌に似た美人になるだろう。

 

 

 

竹内 沙耶香 たけうち さやか

 

 登場時で戸籍上は二十五歳ということになっている看護師。現役の『比売神子』では最年少ながら、次席の立場にある。当代の比売神子としては、最も『格』が高い。

 栗色の髪に青い目、加えて一六七センチという長身で肉感的な姿は日本人には見えないが、血縁には五代遡っても日本人しか居ない。

 前世では英文科だったが『血の発現』で死亡したこととなった。現在は看護大学校を経てとある病院に看護師として籍をおいている。

 

 

 

比売神子様

 

 筆頭比売神子で、本名は非公開。通常は『比売神子様』と呼ばれる。外見は還暦ほどの白髪の女性。

 戦前の生まれで、戦中に『血の発現』を経て『神子』となった、現役最年長の比売神子。

 茶道楽で、茶器も数多く所有している。

 

 

 

山崎 光紀 やまざき みつき

 

 神子の一人。登場時 高三

 十二歳で血の発現を迎えたため、神子となっても年齢が変化せず、唯一、戸籍の変更をしていない神子。

 高校では成績優秀にして合気柔術の達人。才色兼備の美少女だが、実はマンガを始めとしたサブカルに詳しく、それを隠すこともしていない。そこも含めて彼女に憧れるものが多いのは、美少女特権としか言いようがない。

 昌を男の娘扱いしている。

 

 

 

神崎 千鶴 かんざき ちづる

 

 登場時 高一

 外見はカワイイ系のアイドルっぽいが、実は物静かで思慮深い性格。

 

 

 

牧野 直子 まきの なおこ

 

 登場時 中三

 しっとりとした和風美人。背中の半ばに達するストレートの黒髪、切れ長の目、白い肌はまるで人形の様。

 

 

 

芝浦 優奈 しばうら ゆうな

 

 登場時 中二

 丸顔に左右高さの異なる短いツインテールは、童顔の彼女を小学生のように見せるが、立ち上がるとスラリとした七頭身半。

 

 

 

森 聡子 もりさとこ

 

 登場時 高二

 そこそこの進学校で、上位の成績。

 山崎光紀とともに、昌を男の娘扱いしてる。趣味嗜好が光紀と合うため、二人は仲がよい。

 光紀とは逆に、サブカル系の趣味は隠しており、高校ではクール

な美少女で通っている。



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第六章 少女としての日常
危機管理


 京都から帰り、明けて月曜日。

 週末は(なぎさ)一人に子ども達を任せていたので、離乳食の作り置きが無くなった。娘も一歳半を過ぎて離乳食はほぼ完了だが、渚の帰りが遅くなるので、いつでも食べさせられるよう準備しておくのだ。一食分ずつタッパに小分けにして冷凍しておく。

 基本はすべて野菜スープ。豚汁風にミネストローネ風、ビーフシチュー、クリームシチュー、カレー。ちょっとずつ味に変化を付けて、保育園の献立と被らないように回すのだ。

 

 

 

 弱火にかけた寸胴鍋で昆布出汁を取りつつ、野菜を食べやすい大きさに切る。全部に入るのはニンジン、ジャガイモ、タマネギだけど、味付けによって根菜を入れたり葉物野菜を入れたり、キノコを入れたりとバリエーションを付ける。

 

 大量の野菜スープと和風出汁を段取りしていると、換気扇を回してもうどん屋さんの匂いになる。『前世』の『私』だと一時間もすると胸がいっぱいになってくるが、今の私は食べ盛りなのか、際限なくお腹がすいてくる。

 

 まずは、ネギ、根菜、キノコ、油揚げを加え、和風スープと味噌仕立てにした豚汁風が出来た。うん。美味しい!

 次は牛豚合挽を加えてビーフシチュー風、更に髭を取ったモヤシを加えた和風カレー。カレーにモヤシは意外と合うのだ!

 

 あ! 鶏肉とベーコンを切らしてる。シチュー風とミネストローネ風を作れない! 作り出す前に確認すべきだった。

 

 今の時間は昼前。買いに出るにはまだ早い。

 買い物をお願いしようにも、両親は外出中だ。とりあえず他のものを作りながら、どっちかが帰って来るのを待とう。

 

 合挽肉と半量を炒めたタマネギをボウルに入れる。ナツメグ、ごく少量のカレー粉とおろしニンニクで臭みを消す。つなぎに豆腐と卵、麩を粉々にしたものを入れ、牛乳を加えてこねる。隠し味はウスターソースと醤油だ。

 これでハンバーグの種は完成。

 これを一口サイズに丸めフライパンで焼いたら、一つずつラップで包む。タマネギを大量に入れてるから、口当たりが柔らかく食べやすい。ビーフシチュー風にこれを入れたのは、(あまね)の大好物だ。

 

 ついでに自分のお昼。野菜スープにカレールーを足し、焼きそばの中華麺を使ってカレーラーメン。しかもハンバーグ乗せだ!

 

 

 

 こんな日に限って、午後になっても誰も帰ってこない。

 粗熱の取れたスープとハンバーグを冷凍し、洋画を眺めつつ暇をつぶす。時刻はようやく三時を回った。

 そろそろ中学校も下校時間だ。私が買い物に出ても違和感は無い。

 

 黒髪のウィッグを着け、姿見と手鏡で白髪が透けてないことを確認する。OK、後は着替えて出るだけだ。

 

 近所のショッピングセンターまで自転車を走らせる。

 茶髪のウィッグのときは年配の人にじろじろ見られたが、黒髪なら見た目だけは清楚可憐な少女だ。変な注目を浴びることもなく買い物できる。

 

 

 

 支払いのときにマイバスケットを忘れたことに気づいた。

 仕方なくレジ袋を買ったが、これは持っているとだんだん指に食い込んできて痛い。

 今度はマイバスケットを忘れないようにしよう。でも、それだと自転車に積めないな。どうしようかな?

 

 考えながら歩いていると、自転車置き場まであと少し。

 やだなぁ。自転車置き場にいかにも悪そうな、下校途中と思しき男子――多分高校生――が三人たむろしている。かといって今更戻れない。自転車はあそこだ。

 

 着崩したブレザーは格好悪い。だらしないカッターシャツと相まって、くたびれた酔っぱらいのサラリーマンみたいだ。この手の服はビシッと着た方が断然、決まるんだけどな。

 一人が私に気付くと、残りの連中に二言三言何か言う。三人の無遠慮な視線が私に向かう。

 予想通りだ。私の頭の中では、非常警報が発令される。

 

 

 

 テンプレ的な展開だったら、しつこいナンパ。そして主人公のピンチを白馬の王子様役の幼馴染みとかが助けて……だけど、この時刻、幼馴染みは在庫切れだ。

 もっとも、いたとしても私のことを判るはずもなく、そもそも普通のオッサンに、中高生三人に介入する度胸は期待できない。

 

 いくつかのオプションを考える。

 

 最悪、荷物を放りだして逃げる。中身はジャガイモとかタマネギとかリンゴとか、転がるものが多いから、それを散らかして大声を出せば、警備員ぐらいは来るだろう。

 とりあえず、そこそこの身体能力と俊足はある。

 

 私は三人と対峙(たいじ)した。その背後には私の自転車がある。

 ここで有効なのは、アレだ。

 沙耶香さんからは止められてはいたけど、この場を切り抜けるにはこれしかない!

 

 

 

「すみません。

 自転車を出したいので、避けて頂いていいでしょうか?」

 

 軽くお辞儀をした後、少し小首をかしげて笑顔で言う。無論、声は頭のてっぺんで響かせる様に。瞳はさりげなく上目遣いで相手の目を見つめる。

 彼等はそれに毒気を抜かれたように「あ、あぁ」と退いてくれた。やや顔が赤い。よし! 先制の一撃は命中だ!

 

 カゴに買い物袋を「よいしょ」と載せ、自転車を後ろ向きに出すと、一人が早くも再起動したのか、声をかけてこようとする。これを許すわけに行かない。

 

「ありがとうございます。では」

 

 私は笑顔とお辞儀で機先を制し、自転車で走り去る。

 曲がったときに後方を確認すると、三人が付いてくる素振りはない。

 

 

 

 私は大きく深呼吸して呟いた。

 

「ミッション・コンプリート。

 当方に損害無し。敵勢力の追撃は認められず。

 非常警報解除。警戒体勢に移行し、速やかに帰投する」

 

 

 

 女子が集団行動をするのはこういうことか。



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ミネルバちゃん

 あれから二ヶ月ほど過ぎ、この身体にも随分慣れてきている。

 二度目のアレも経験し、何となく勝手が分かってきた。そして三度目が近い事も感じている。

 

 イライラしたり不安定になったりするのはその最中だとばかり思っていたが違っていた。私の場合それはむしろ始まる前で、始まってしまえば怠いのが通り過ぎるのをやり過ごすだけだ。

 もっとも、この辺は個人差もあるだろうし、他人に訊ける種類のことでもない。渚に言わせると「その程度で辛いって言ったら、他の女の子を敵に回すわよ」とのこと。

 

 それ以外にも、私には女の子を敵に回すような要素が沢山あるらしい。学校に通うようになるまでに、ある程度認識しておく必要がありそうだ。

 

 

 

 あれ以後、買い物は(つぶら)を乗せたベビーカーを使っている。沢山は乗せられないが、その分小まめに買い物をすればいい。

 

 レジ係の幾人とは顔なじみになった。確かに、年の離れた弟や妹を連れて、食材を中心に買う女子中学生というだけで珍しい。

 それに、自分で言うのもアレだけど、この美貌だ。

 

 

 

 今日もベビーカーを押してお買い物。しかも周まで連れている。

 

 この季節はどうしても葉物野菜が高くなるが、今日は地物の小松菜とすぐり菜が安かった。

 野菜をかごに入れたら、次は鮮魚コーナーへ。ここは地元の魚屋さんが入っている。もうそろそろ鰤の季節だ。『前世』だったら、鰤かまの塩焼きでビールだが、今はいろんな理由で無理だ。

 

 今日は何を買おうかな?

 見ると、なかなか良い生の秋刀魚がある。こんな美味しそうなのはこのシーズンでは最後に違いない!

 

「おじさーん。この秋刀魚と鯖を下さい」

 

「おう。姉ちゃん。いつも良いの選ぶね」

 

「だって、この秋刀魚が『アタシを食・べ・て』って、言うんだもん」

 

 この会話も日常だ。

 この姿で愛想よくしていると、結構オマケしてもらえる。これは『前世』では無かったことだ。

 

 

 

 と、保育園の年長さんぐらいだろうか? 園のスモックを着た女の子が発泡スチロールの箱を覗き込んでいる。

 危ないなぁ。注意しないとスッテンコロリンだぞ。

 

 案の定、女の子は転んだ。床にゴッチンする前にナイスキャッチ。余波で発泡スチロールの箱は崩れたが、どうせ中身は氷だけだ。

 派手に散らばった氷に驚いたのか、女の子は泣き出した。

 

「大丈夫、大丈夫。でも危ないから、もう登っちゃいけないよ」

 

 女の子の背中をぎゅっと抱いて頭を撫でてあげると、落ち着いてきたらしく泣き止んだ。でも、これは今の外見だからできることで、『前世』だったら、悪くすると通報されるかも。

 

「おねえちゃん、ありがとう!」

 

「危ないから、もう登ろうとしちゃダメだよ」

 

 もう一撫でして立ち上がろうとすると、頭に違和感! マズい! 女の子がウィッグを掴んだままだ!

 立ち上がる動作を止めたが既に遅く、ウィッグはズルリと頭から離れた。抑えようと手をやるが、落下は私がしゃがむよりも早い。

 ウィッグは散らばった生臭い氷の上に落ちた。

 

 私の白髪が(あら)わになる。

 

 周囲が水を打ったように静かになる。

 

 そしてその範囲が拡大して行く。

 

 それと比例するように、私に集中する視線を感じる。

 

 店内BGMの明るいメロディが空々しい

 

 顔の表面を血が駆け上がる。

 

 泣いたらダメだ。泣いたら負けだ。

 涙が溢れるのをこらえる。

 

「おねえちゃん、ミネルバちゃん?」

 

 女の子は脳天気なことを言う。女の子のお母さんは平謝りだ。

 私は、女の子の所為(せい)じゃないという意味で無言のまま首を小刻みに振った。声を出したら泣いてしまいそうだ。子ども達が居なかったら、走って逃げ出したに違いない。

 

 私の異変を察した円が泣き出した。

 円を抱き上げ、無言でカートを押してレジに向かうと、周も怪訝(けげん)な顔で付いてくる。周にしてみれば、ウィッグは変わった帽子ぐらいにしか見えていない。

 

 レジを終え、やっとの思いで一言お礼を言った。レジ係のおばちゃんも、今日ばかりはマニュアル以上の挨拶はしない。

 

 

 

 自分でも、今の感情が何なのか判らない。

 頭の中のどこかで冷静な自分が、白髪を見られたぐらいで何ほどのことも無いだろうと言う。が、一方で、通夜での視線に(すく)み上がった自分は今にも泣きそうだ。

 

 

 

 どうやって家に帰ったのだろう。

 子ども達は、どこかいつもと違う私に及び腰だ。

 母に「アレが来たから、子ども達のお風呂お願い」と、子ども達を預けると、私は自室に籠もった。

 

 

 

 どうしよう。

 

 いずれは外さなきゃ、って思ってたけど、まだ心の準備ができていない。

 

 買い物に行けば、みんな私が白髪を隠してたことを知ってる。

 

 今更、隠す意味あるのかな。

 

 でも、知らない人に、じろじろ見られるのは嫌だ。

 

 やっぱり、着ける?

 

 あ、そもそも、ウィッグを置いて来た。しかも魚を入れてた水に濡れてる。洗えば使えるんだろうか?

 

 

 

 思考が堂々巡りする中、階下から渚の夕食に呼ぶ声がする。いつの間にか二時間近く経っている。

 せめて、渚には心配かけないようにしなくては。

 

 私は階段を降りると、問われる前にこちらから言った。

 

「ちょっと、アレが早く来て、その、前回より辛くて……。食欲もあんまり無くて……。

 こういうとき、何か無い?」

 

「とりあえず、お薬あるから、お腹に何か少しでも入れてから飲んで。あと、風呂にもつかった方が良いわ。血行が良くなれば痛みも和らぐし」

 

「うん。ありがと。じゃぁ、お風呂の段取りするよ。

 身体が温まれば食欲も出るだろうし……」

 

 渚からは、それ以上のことは訊かれなかった。

 多分、それが渚の優しさだろう。



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ミネルバちゃんって?

 後で知ったことだが、ショッピングセンターからウィッグを置いていった旨、母に連絡があったらしい。加えて、そのときの私の様子も。

 一緒に買い物に行ったことは無かったはずなのに連絡先が分かるなんて、私は自分で思っている以上に『有名人』なの? と思いきや、母名義のカードでポイントを貯めていたところから繋がっただけだった。パートさんは顔が広い。

 

 母は、通夜での私の様子も沙耶香さんから聞き及んでいた。渚にも今日のことには触れないよう伝えてくれていたらしい。

 

 

 

 風呂に入ることで落ち着きを取り戻した私だが、嘘から出た真か、本当に始まった。しかも、前回までよりやや重い。寒くなってきたからだろうか。否、この痛みにはきっと心理的なものも含まれているに違いない。

 

 

 

 その夜、寝付けなかった私は『ミネルバちゃん』が気になって、ネットで調べてしまった。

 

 女の子が言っていた『ミネルバちゃん』というのは、どうやらアニメの登場人物だ。魔女っ子ものと戦隊ものを足したような内容で、物語は終盤にさしかかっている。

 登場人物には古今の神の名があてられているのだが、その中に髪の白い『ミネルバ』というキャラクターが登場する。

 でも、私との共通項と言えば目と髪の色だけで、アニメの方はロングヘアの隠れ巨乳だ。設定では中二、私より一年上だが、私があと一年であそこまで育つとは思えない。別に、羨ましくなんかないですけどね。

 

 その番組の登場人物は、メンバー全員が少女であることを除けば、昔の戦隊ものを踏襲(とうしゅう)している。最近は女の子もバトルものを視るのだ。円ももう少し大きくなったら、変身アイテムを欲しがるのだろうか……。

 

 内容は特に奇をてらったものではない。前世が王女様の守護者だった少女達が、現世の王女と仲間を捜しつつ悪い奴らをやっつけるというもの。ちょっと違うのが、守護者だと思っていた主人公自身が、実は王女様だったというところ。

 

 

 

ピンク色の少女

 

 物語の主人公。熱血、直情型、即断即決、正義感が強い。戦隊ものの『赤』そのもの。当然、小さなお友達の中では一番人気だ。

 夢のお告げで守護者の生まれ変わりであると告げられ、王女様らしき存在からぬいぐるみを託される。

 目を覚ますと人語を解するぬいぐるみがおり、その助けで戦士として覚醒、ともに戦う戦士と護るべき王女の生まれ変わりを捜し始める、というのが物語の始まり。

 序盤は肉弾戦で、最後は飛び道具の必殺技。なぜ最初から飛び道具を使わない、というツッコミが出そうなところまで、戦隊ものやヒーローもののテンプレを踏襲している。

 能力的には攻撃重視。タイマン勝負での火力は作中最強。当然、強敵との戦いでは一番オイシイところを持って行く、主人公らしい主人公だ。

 物語の終盤で、実は彼女こそが護るべき王女の生まれ変わりだったと判明する。この辺も主人公。

 

 

 

青色の少女

 

 二話目から登場。

 主人公とは対称的に、理知的で一歩引いた視点を持つ。いかにも戦隊ものの『青』のキャラクター。

 常にクールだが、ここ一番でボケることもある。この辺がツボなのか、大きなお友達の間で人気急上昇。そのおかげで中の人も仕事が増えたらしい。

 多数相手の殲滅力は最強。ザコ相手なら無双するけど強敵に対しては噛ませになりがち。

 何気に、ダメージを受けたときのリアクションには、作画と中の人の愛がこもっている。このあたりも、大きなお友達のハートをわしづかみにしているポイントだ。

 

 

 

黄色の少女

 

 四話目から登場。子ども成分要員。一応、主人公の一学年下で中一という設定だが、見た目に相当無理がある。

 防御や士気高揚など、チームの下支えをする能力が高い。

 謎かけに対する「何じゃらホイ」とかは、主要視聴者のお父さんウケを狙っているようだが、それの本放送を視ていたのはもっと上の世代なので明らかに外している。私でさえ再放送でしか見てないのに……。

 カレーが好きだが、甘口どころか幼児用しか食べられない。この辺も含めて、一部の層からの支持は厚い。

 

 

 

赤色の少女

 

 五話目から登場。他の三人と画風が違って、大人の雰囲気を醸す。主人公より一学年上だが、その胸部の戦闘力は中三ではちょっと有り得ない。と言うより、女児向けアニメ史上最大級と言った方が良い。

 癒しの力や護りの力を持つが、それ以上に目立つのはボケ。

 そのおっとり、のんびりとした口調で、戦闘中であろうとお構いなくボケる。その容姿とのギャップが大きなお友達のハートをがっちりキャッチ。青い子と人気を二分する。

 肝心なところではボケずに美味しいところを回収するので、あの天然っぽい雰囲気自体が擬態であるとの噂あり。

 

 

 

薄紫色の少女(ミネルバ)

 

 明示的ではないが、王女の態で一話から主人公の夢の中に登場。

 総合的な戦闘力は――王女様モードの主人公を除けば――最強。物語中盤で主人公たち四人を相手に無双する。そのときの性格は冷淡そのもの。

 そんだけ強い王女なら、護りは要らないんでね? という意見があったからかは分からないが、実は王女の影を勤めていたことが判明。

 作画的には最高に愛がこもっているのに、脚本家の愛が足りず、個人エピソードもほとんど無い。

 序盤では寡黙でミステリアスな雰囲気だったが、物語終盤にさしかかり王女の影であることが語られて以後、見せ場も少なくなり、影が薄くなった。ボケたりクールになったり、隠れ巨乳だったりと一貫性の無いテコ入れで、肉付けが迷走した不遇のキャラクター。

 

 

 

 WIKIや紹介記事、ブログなどを読むとこんな感じだった。

 脚本家が『ミネルバ』を動かし難かったのは、欠点が無さ過ぎたからだろう。欠点だらけの自分とは大違いだ。

 迷走か……。まさに自分の今の心がそんな感じだ。男の弱さはそのままに女の弱さまで追加され、『昌幸』だったときの強さを喪ったのに『昌』としての強さは見つからない。

 

 テコ入れで性格を改変出来たり巨乳になれたりなんて、アニメのキャラクターは羨ましい。



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覚悟

 白髪を見られてから四日、外出する気になれず、アレが来たこともあって家にこもっていた。こういうときに限って、沙耶香(さやか)さんも連絡してこない。

 

 いい加減、買い物に行かないと食材が底をつく。

 どうしようかな。完了してないけど、気持ちが落ち着いてきたら痛みも軽くなり、行動に支障はない。まぁ、もともと病気ではないのだから、重い人でない限り日常生活に支障は無いだろう。

 

 今更隠すのもなぁ……。そう思う反面、視線が集まったときのことを思い出すと、この姿で外出することが躊躇(ためら)われる。

 

 

 

 トイレに入ったところで、やばっ! 残りが少ない。在庫不足は必至だ。

 渚のを使うのは心苦しいから買ってこなくちゃいけない。

 

 幸いまだ午前だ。この時間なら買い物客も少ないだろう。

 

 

 

「仕方がない! 行こう」

 

 行くと決めると気持ちが軽くなった。

 ジーパン――知識はオッサンなのでそう呼んでいる――とタートルネック、その上にブルゾンを羽織って自転車を走らせる。

 

 店舗に入ると視線は感じるが、思ったほどではない。

 

 ATMでお金を下ろす。せっかく出てきたのだから本屋とCD屋さんにも寄っておこうか。

 

 書籍売場に行き新刊のコミックを見る。

 来年に向けて、中高生に人気のあるものを読んでおくべきかな。平積みになっているのが、人気なのだろう。

 

 一応、題名だけ控えておく。

 ここで大人買いをするのは不自然だし、そもそも重くて持って帰れない。車に積めないのは不便だ。

 

 立ち読みをしようと新書のコーナーへ行くと、なぜか猫の写真集がある。

 思わず手にとって見る。

 

 なんか、癒されるな……。今まではこんなもの見ようとも思わなかったのに。

 渚が猫を愛でる気持ちが分かったような気がする。よし、渚のために買っていこう。渚のためだ。うん。

 

 ちょっと暑くなってきたのでブルゾンを脱いで持っていると、手が少し汗ばんできた。服は重たいし、自動車を使えないのは本当に不便だ。

 

 雑誌売り場でも、ついこれまで読んでいたものに目が行くが、今の私の外見でそれを買うのは、いかにも変だ。科学雑誌がギリギリだろうか。それにしても、今の中高生ってどんな雑誌を見てるんだろう。

 

 女の子向けのファッション誌に目を遣る。表紙の少女は、目の周りが大変な事になっている。今時の娘はここまで塗るのか……。

 大抵の男子は、こんなに塗った顔より化粧なんかしない方が好みだと思うけどな。実際、少年誌のグラビアはこんなじゃないし。

 そうか、男子が考える可愛いと、女子のカワイイは違うんだ。こういう違いも、学校へ行く前に勉強しとかなきゃいけない。

 一応、中も目を通す。色とりどりの服だ。そして、脚を出したのが多い。最近は膝上の靴下が流行りなのかな。まぁ、冬場にミニは寒かろう。

 

 柱――鏡になっている――に映った自身の姿を見る。白のタートルに黒のジーンズ。手には白いブルゾン。いかにも地味な服だ。本のモデルと見比べる。自分もこういう服を選べるようにならなきゃいけないのかな。

 

 

 

 再び本をパラパラとめくりながら思案していると、話し声が聞こえる。

 

「あの白い子、チョーカワイくない?」

 

「マジカワイイ。ヤバい」

 

「ヤバい。脚長いし!」

 

「ちょっと、ちょっと、あの靴!

 ヒールじゃないのにヤバいし! ありえないし!」

 

「マジ、ありえない! やっぱ外人だぁ」

 

「ハーフだよきっと。顔は日本人だし」

 

 

 

 小声で話すんだったら、こっちまで聞こえないように話せばいいのに。別に悪口でない――むしろ褒め言葉だ――けど、ヒソヒソと品評されるのは、あまり気分のいいものじゃない。

 しかも、何でもヤバイヤバイって、脳みそクルクルパーだろ。せめて全部『いとをかし』にでもしとけば少しはマシだろうに。それに「有り得ない」って、現にここにいるし。

 つーか、何で午前中に高校生がぞろぞろいるんだよ。学校はどうしたんだ?

 

 と、電子音。誰かが携帯で写真を撮ったのか? 店舗内は基本、撮影禁止なのに、最近の若い娘と来たら……。

 

 とりあえず、『勉強』の続きは家だ。

 考えを表情に出さずにレジへと向かう。女性向けのファッション誌と猫の写真集を買い、一階に下りた。

 

 あれ? フードコートにも高校生がたむろしている。どうやら定期試験でもあったようだ。ここは早めに引き上げよう。

 

 

 

 薬局で主たる目的の商品を買ってショッピングセンターを出た。

 帰る道すがら、テスト帰りらしい高校生をちらほら見かける。

 彼らも私を見るが、意外にも男子はチラ見するだけなのに、女子の方はこっちをしっかりと見る。

 それでも、通夜や病院のときのような不快さは感じなかった。まぁ、覚悟さえ決めてしまえばこんなものなのだろう。

 

 

 

 家に帰って、買ったものをトイレにしまう。ついでに用を足しながらあることに気付いた。

 

 白髪を見られて辛かったのって……、アレの直前か始まったばかりで、心が不安定なときばかりだ。

 特に通夜の夜は初めてだったし、身体の調子も悪かった。自分の身体の変化に振り回されてたし……。

 タイミングさえ違えば、ウィッグなんて要らなかったんじゃなかろうか?

 

 

 

 夕方になり、子ども達が園から帰ってきた。

 

 例によって円をベビーカーに乗せ、今度は食材を買いに行く。

 この姿には視線も集中するが、やはり大丈夫だ!

 

 何でもないことなのに嬉しくなって鼻歌が出てくる。円も私の雰囲気を感じるのか、嬉しそうに手足をばたつかせる。

 

 

 

 まずは野菜。ゴボウが安い! ゴボウはきんぴらにして良し、鍋に入れて良し、肉や魚の臭みもとれる。ささがきにして冷凍保存しておけば、好きなときに使えて便利!

 乾物コーナーでは、昆布を買う。もちろん天然物。一回あたりの価格差なんてほとんど誤差のレベルだけど、とれる出汁のレベルが違う。一回これを知ったら、もう戻れない。

 

 鮮魚コーナーに行くと、おっちゃんが声をかけてきた。

 

「おっ、久しぶりっ。今日は何にする?」

 

「うーん、アジの開きと、あ、この干鰯! 氷見(ひみ)産なんて、ちょっと珍しい!」

 

「おっ、いつもお目が高いな。ちょっとオマケしとくよ!」

 

「やったぁ! ありがとう!」

 

 お礼を言って鮮魚コーナーを後にする。おっちゃんは以前と変わらずだ。背後からは「美人の笑顔はいいねぇ」とか「俺も四十年若けりゃぁ」とか、他の客と話す声が聞こえる。

 

 多分、わざと聞こえるように話してるんだろう。

 前回、私が店の前で泣きそうになったのを気にしてるに違いない。おっちゃんの心遣いの不器用さに、心の中でクスリと笑ってしまう。

 

 

 

 レジでも馴染みのおばちゃんといつものように話せた。おばちゃんも「どこのモデルさんかと……」なんてお世辞を言う。

 

「こんな髪ですけど、日本人ですよ。ほら、ソックリ」

 

 円を抱き上げ顔を並べる。

 

「お父さん似なんです」

 

「あら、ホント。そっくり」

 

 

 

 うん。大丈夫。この姿でも外出できる。



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師走のある日

 随分寒くなってきたけど、今日は小春日和。

 自宅周辺で積雪は一冬に何度も無いとは言え、それでも冬用タイヤは必須だ。

 

 道具が揃っているから作業は大したこと無い、というのは間違いだった。渚の車はタイヤが大きい。しかもハブは雌ネジだ。

 ホイールを印籠(インロー)に引っ掛けてボルトを挿そうとするが、穴を合わせようとタイヤを回す際に、支えきれずに落としてしまうこと三度(みたび)

 昨春に同じ作業をやったときは、一時間とかからなかったのに、既に二時間近くかかっている。

 

 沙耶香さんに言わせると、私の腕力は中一女子としては破格らしい。けど……、『前世』では鍛え込んで七十キロ近くあった身体も、現在は四十五キロそこそこ、タイヤを片手で把持できない。

 小さくなった手と細くなった腕を見る。

 

 次は『私』の車だ。車を入れ替え、タイヤ交換開始。

 こちらはハブボルトにホイールを引っ掛けられる上、それ自体も超軽量だからすいすい進む。うーん。渚のも鍛造アルミに替えよかな。

 

「よし、あと一本」

 

 と、エンジン音。沙耶香さんだ。

 家の前の道は、私の車が占領している。

 

「車、どこに停めればいい?」

 

「車庫前のスロープでいいですよ。

 あれ? 今日は金曜ですよね。合宿合流は明日じゃありませんでしたっけ?」

 

「明日よ。ヒマだったから合宿の前にちょっと寄っただけ」

 

「デートとかしないんですか? もう半月ほどしたらクリスマスですよ」

 

「今晩は泊まりになるんだから、デートなんてしてる暇無いわ」

 

「本当は、相手がいないんでしょ。

 篤志――叔父様に書類選考用の資料を送ってもらいますか?」

 

「余計なお世話です」

 

「やっぱり、相手がいないんだ」

 

「トークのウデを上げたわね」

 

 車を降りた沙耶香さんは、後ろから私の作業を見ている。

 

「女子中学生がタイヤ交換って、変な絵柄ね。まぁ、これはこれで需要がありそうだけど」

 

「需要って何のですか? そんなこと言うなら手伝って下さいよ。どうせヒマで来たんでしょ」

 

「タイヤ交換なんて、女子のすることじゃないわ」

 

「パンクとかしたらどうするんですか?」

 

「ロードサービス呼ぶわ」

 

「さいですか」

 

 

 

 手伝ってくれないので黙々と作業を進める。と言っても、残りは一本。最後にタイヤを地面に着けてトルクレンチで増し締めする。

 

「それ、何?」

 

「トルクレンチですよ。

 素人はついつい締め過ぎちゃうんですけど、ネジは締めすぎてもダメなんです」

 

「へー、物知りね」

 

「一応、『前世』では機械設計してましたから。

 沙耶香さん、一つお願いがあるんですが」

 

「何かしら? もしかしてデートのお誘い?」

 

「デートと言えばデートですね。身支度してきますから、この車でドライブにつき合って下さい。本当は私が運転したいんですが、免許が無いので」

 

「いいわよ」

 

 

 

 汗だくになった身体にシャワーを浴びて着替える。その間十五分。

 

「随分早いわね」

 

「急ぎましたから」

 

「そういうところの女子力はまだまだね。

 ところで、アレ、ちゃんとやってる?」

 

「アレって、オンラインゲームですか? 最近はあまり……」

 

「どうして?」

 

「あの……、始めて二週間でネカマ認定されて、それ以来敷居が高くて」

 

「つまり、女子としては不自然だったわけね。せっかく貴女の姿に似せたアバターを準備してもらったのに。別アカでやり直す?」

 

「やらなきゃいけないですか?」

 

「無理にとは言わないけど、そういうところで女性として認知されないようじゃ、ね。一朝一夕にとは行かないだろうけど」

 

「オフで会えば解決なんですけどね」

 

「それじゃ、本末転倒よ。女性として見られることが目的じゃないんだから」

 

「分かってますよ。

 まぁ、その辺は追々で。

 それより、行きませんか?」

 

 

 

 車に乗って沙耶香さんが一瞬固まる。

 

「これって、マニュアルじゃない」

 

「沙耶香さん、オートマ限定?」

 

「馬鹿にしないでよ。病院のワゴンはマニュアルなんだから」

 

 エンジンをかけ発進する。言うだけあってなかなかスムーズだ。

 

「とりあえず、インター近くのガソリンスタンドに行って下さい」

 

「OK」

 

 沙耶香さんの運転はなかなかだ。

 

「へぇ。国産車もワリと良いじゃない。見た目はポルシェが栄養失調になったみたいだけど」

 

「栄養失調って……。

 でも、FFのクイクイ曲がる感じも良いけど、運転して気持ちいいのは後輪駆動でしょ。ハンドルを切った分だけ鼻先をスッスッと向ける感じはこっちじゃないとね。

 沙耶香さんもFRのクーペなんてどうですか?」

 

 そういう車から美女が降りてきたら、魅力割増だ。

 

 

 

 ガソリンスタンドでタイヤの空気を足し、オイルとフィルターを交換してもらうと、時刻は既に一時近い。

 

「ちょっと遅めですけど、寿司屋でも行きませんか?」

 

「寿司?」

 

「『前世』での行きつけで、ランチセットが安いんです。焼き魚定食が千五百円ですよ」

 

「微妙な価格帯ね。女性向けのイタリアンとかだったら、もう少し足せばデザート付きのランチが食べられるわよ。この辺でそんな店無いの?」

 

「渚に訊けば分かると思いますけど……、今日は会社の全体会議でホテルだから」

 

「師走は忙しいものね。じゃぁ、そのお寿司屋さんに行きましょうか」

 

 

 

 例によって、店から出るとお腹がパンパンだ。

 

「貴女の行く店って、美味しいんだけど女性には量が多いわ。太るわよ」

 

「そうですね。結局、ご飯残しちゃいました」

 

「まぁ、これから女子力アップの店を探しましょ。

 でもカウンターに座って『今日の焼き魚は何ですか?』って、女子中学生の言うことじゃないわ」

 

「え? その日のお勧め、訊きませんか?」

 

「普通はメニュー見てから訊くものよ。

『昌幸』だった頃ならいいでしょうけど、昌ちゃんは一見さんなのよ」

 

 そう言えばそうだ。常連だったのは私でなく『昌幸』だ。

 しかし『前世』では毎週行ってて顔も憶えられてたし、こんなに似ているのに、それについては全く訊かれなかった。

 社会から『昌幸』の痕跡が消えてゆく。

 

 

 

「あ、そうだ。事務連絡になるけど、あなたの比売神子としての訓練、平日にもするわよ。主に『格』の制御」

 

 そうだ、これがある程度出来ないうちは、他の『神子』達と一緒にという訳に行かない。

 その間、沙耶香さんの本業である看護士は休職扱いという。とりあえず、神子としての収入が大きい上、休職中の賃金も補填されるらしい。

 私の「幾ら貰ってるんですか?」には「毎月冬のボーナスがあるみたいなものね」とのこと。

 もっとも、沙耶香さんは使うお金のほとんどが『比売神子』としての活動費として処理される。自分の財布を使う必要が無いので、収入の多寡はあまり関係がない。

 

「あなたの『格』から言って、正式に『比売神子』になればいずれ筆頭だし、びっくりする金額になるわよ」

 

「びっくりですか……」

 

「だから、早いことなっちゃいなさい」

 

「そんな簡単になれるんですか?」

 

「『格』の制御さえ出来れば、十五歳になったらすぐに推薦するわよ。別にその前でもいい。

 貴女なら通過儀礼も問題無いでしょうし、人間的にも申し分有りません。私と比売神子様が推せばすんなり認められるわ。

 必要な知識は追々身につけてけばいいでしょう」

 

 そうだ。比売神子になれないと経済的支援は打ち切りになる。続けて貰うには子作りだ。それを拒否して一般社会で生活したとしても、私の容姿だと男関係が付いて回るのは明白だ。だったら比売神子になって自宅警備員生活の方がいい。

 

 よし! とりあえず、それを目標にがんばろう!



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クリスマス

 大切な人と過ごす日。

 

 と言うわけで、今夜は自宅でささやかなパーティだ。周が大好きな唐揚げとポテトが入ったオードブルを買ってくる。子どもがいると危なくて家では揚げ物を作れないんだよね。かと言って、作りおきはしたくないし。

 そして主役はケーキ。本当は一歳の円には少し早いけど、今夜は特別!

 

 

 

 揚げ物をウォーターオーブンで温め直し、大皿に盛りつける。お魚やエビのフライのために、手作りのタルタルソースもたっぷり準備する。

 シチューで煮込んだハンバーグとトロフワのオムレツ。この辺は代わり映えしないが、チキンライス風のケチャップライスとタコさんウインナーが横に座るだけで見栄えが変わる。

 

 子ども達は普段食べないものに大喜び。

 私も今日だけは特別に――渚の許しを得て――スパークリングワインを開ける。栓を抜く音に子ども達はびっくり。

 

 以前の私だったら、こんなに甘い飲み物を口にすることは無かったけど、この身体になってからは甘いものが美味しい。

 

 周も普段はこんな濃い味付けのものをあまり食べさせてもらえないから大喜びだ。ポテトを両手に持ってご満悦。脂と塩のダブルパンチにメロメロだ。

 

 

 

 夕飯を食べ終わったところで、主役のケーキ。

 箱からケーキを出すと子ども達は目を輝かせる。ケーキが入ったカップを指さして「サンタさん! サンタさん!」

 

 円はケーキを見たことも無いが、周の喜びように引っ張られてか嬉しそうにしている。

 

 周にはサンタさんのケーキ。まだケーキが早い円には、プリンアラモードのフルーツを取り分ける。ちょっとクリームが付いているが、これぐらいならいいだろう。

 円は、こんな甘いもの食べたことがないと言う顔でフルーツを食べる。鼻の下と顎先にクリームのヒゲが着いているのはご愛敬だ。周はそれを指さして「サンタさん!」。ヒゲさえ着いていればサンタさんなのだ。

 

 渚はレアチーズ、私もイチゴショートをほおばると、円が欲しそうに指さす。よし、愛娘にはイチゴを進呈しよう!

 

 いま、この瞬間、私は結構幸せかも知れない。

 

 

 

 時刻は八時近い。そろそろおねむの時間だ。

 子ども達の歯磨きをし、寝かしつけにはいる。程なく円は寝息を立てるが、周はなかなか寝付かない。

 

「ほら、早くねんねしないと、サンタさん来てくれないよ」

 

 お母さんに声をかけられて目を閉じたが、もぞもぞと動き続ける。

 

「サンタさんには何をお願いしたの?」

 

 訊いても、にーっと笑うだけで答えてくれない。

 それでも五分程するとまどろみ始めた。その顔を見ながら頭を撫でる。

 

「サンタさん、何を持ってきてくれるかなぁ」

 

「お父さんとプール」

 

 私の独り言に、まどろんでいるのか寝言なのか応えがあった。

 

 そうか……。そうだよね。

 

『私』が倒れた直前の日曜日、子ども達二人とビニールプールで遊んだのだ。周にとっては『私』と遊んだ最後の思い出で、きっと特別なものに違いない。

 

 後ろを向くと、渚が台拭きを持ったまま、何とも言えない表情でこちらを見ている。

 私の視線に気付くと、無言のままテーブルを拭き始めた。

 

 私は子どもを抱え上げ、寝室に寝かせた。

 洗面所で歯を磨いていると渚が入ってきた。

 

「もう、寝るの?」

 

「うん。ちょっと一人になりたいから、今日は二階で寝る」

 

「分かった」

 

 

 

 ふと目覚めると午前四時過ぎ。昨夜は九時前に寝たせいか、アルコールを摂ったせいか、極端に早く目が覚めてしまった。

 

 わずかな期待を込めて自分の身体を探る。

 

 そこは相変わらずの不毛地帯。もう一方は、初めて触れたときよりもやや大きくなっている。

 

「やっぱり、サンタさんに『お願い』は届かなかったか……」

 

 溜息を一つ。

 

 

 

 こんな気持ちのときに……。

 

 かつての自分に、

 

 戻りたいと思っているのに……。

 

 何故自分は、

 

 この身体で自家発電をしてるんだろ、うっ……。

 

 

 

 初めてのときも『私』でありたいと思ったときだ。

 この欲求は何なんだろう……。

 変な思考が次々に浮かんでは消える。おかしいな、女には賢者タイムは無いはずなのに?

 なんだかもどかしい。クシャミが出そうで出ない感じをうんと強くしたようなもどかしさだ。

 

 あ、まずい。トイレ行きたい……。

 

 迷った末、中断してトイレに行った。

 

 なんだかもやもやしたものが残るが、結局再開しなかった。

 それにイブの晩とかクリスマスの早朝に、自家発電なんて寂しすぎる。

 

 

 

 時計を見ると既に五時。なんだかんだで小一時間だ。まさか、変な声とか出てなかったよね。布団にしっかり潜ってたから、少々は大丈夫だと思うけど。

 

 私は階下に降りると、例によってシャワーを浴びる。自室で寝たときだけ、早朝からシャワーを浴びた上に洗濯するって、怪しすぎるかな?

 

 

 

 その週も変わらずに過ぎる。しかし「お父さんとプール」の一言がずっと引っかかっている。

 

「渚、……再婚とかって、考えてる?」

 

「なによ、急に?」

 

「子ども達には、父親が必要かなって……」

 

「姿は変わったけどあなたはいるし、祖父母はどっちも健在よ。

 それとも、子ども達と別れて暮らしたいの?」

 

 そうか……。血縁という一点で考えたらそうなる。

 

 

 

「昌さん」

 

『ちゃん』でも『あなた』でもない。

 

 

 

「自分が不遇だって思ってない?」

 

 正直、思ってる。

 不遇……か。『ふぐぅ~』だったら萌えるかな? と、どこかで思考が現実逃避を始める。

 

「事情を知らない人から見れば、あなたは自分で思ってるほど不遇でも不幸でも無いのよ」

 

「そりゃ、事情を知らない人から見ればそうだよ。でも……、」

 

「でも、周りの人は事情を知らないの!

 とりあえず、将来に渡ってお金に困ることが無いということは、それだけで他の人から見れば十分に幸せなのよ。それにあなたの容姿、不幸なんて思ったらバチが当たるわ!」

 

 似たことを沙耶香さんからも言われたな。

 

「姿は、最初は戸惑ったけど、今はもう慣れたし……、そもそも、今までも――コンプレックスを持ったことはあったけど――余り気にしたことが無かったし。

 お金は、言ってなかったけど、十五年ぐらいを目処に打ち切られるって。子ども達に一番お金がかかるときなんだけどね。

 

 まぁ、貯金もするし、それまでに就職してれば問題ないけど、出自が出自だから、職業選択には制限がかかるって聞いてる」

 

「どういうこと?」

 

「私が『比売神子』にもならず、血を受け継ぐ者としての責務を果たさないなら、支援も無くなるんだ」

 

「責務?」

 

「血を残すこと。

 つまり、私の血を継いだ子どもをつくること」

 

「子どもならいるじゃない。二人」

 

「血が出てから、つまりこの身体になってからの子どもじゃないといけないんだ。

 当然、その前にしなきゃいけないことがあるわけで、今の私の身体だと、相手は……、その……、要するに、私の子猫ちゃんに地下鉄がインしたりアウトしたりするようなことが起こるわけで」

 

「露骨に言うわね」

 

「相当、婉曲に表現したんだけどね」

 

「ぐるっと回って露骨よ。

 それ、あなたから初めて聞いたけど、知ったのはいつ? もしかして戸籍の写しを貰ったあの日?」

 

「正解。

 今の私は、いわゆる性同一性障害の人が、心でなく身体に合わせた生き方をするようなもんだから、結構辛いモノがあるよ。

 とりあえず、『比売神子』になれれば当座の問題は解決だから、今はそれを目指すしかないんだけどね」

 

 私は強引に結論を出して打ち切る。

 本当は、心が身体に引き寄せられれば、私個人にとっては良いことなのだろうけど……、それは渚にとってはどういう意味になるのだろうか。



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年明け 一

 元旦は町内の神社に初詣に行く。

 対外的には喪中扱いだけど、実際は喪中じゃないから何の問題も無いはず。とは言え、何を祈ろう?

 

 しばらく迷った末、家族と暮らせる希有な幸せに感謝し、皆の健康を祈った。いろいろ考えた割に去年と同じだ。来年、再来年になれば、もっと別のことを祈るようになるだろうか? 再来年は高校受験のことになるのかな?

 

 その日は天気が悪かったので、そのまま帰宅した。

『私』が死んだことになっているので、当たり前だが年賀状はほとんど来ない。ヒマだ。

 録画しておいた年末番組も視られない。オッサンが尻をシバかれるシーンを子ども達には見せたくない。まぁ、これは保育園が始まったらいくらでも視られる。

 年は改まっても、結局、昨日までと何も変わらない生活だ。絵本に積み木にブロック、最近のアタリは室内用の砂遊びだ。

 

 

 

 翌日は渚の運転で別の神社にお参り。

 

 この神社で『私』達は神前式を挙げた。わずか数年後にこんなことになってるなんて、そのときは想像もしてなかった。……する方がおかしいけど。

 

 ここは由緒があるので、参拝客も多い。まるでお祭りのようだ。

 参道の入り口には、縁日のように綿飴やベビーカステラ、あとは定番の粉もの、ソースものの屋台が並ぶ。カステラやソースが焼ける匂いは、おせちばかり食べている私の食欲を容赦なく刺激する。

 

 円は人混みに気後れしたのか、右手はお母さんの手、左手は私のコートを掴んでいる。一方の周は、あちこち走り出そうとする。でも、ここではぐれると大変なので手をしっかりと握る。それでも、捕まれた右手を振りほどこうと抵抗するのが地味にめんどくさい。

 

 

 

 参拝の行列に参加すること二十分近く、ようやく私達の番だ。十五人ぐらいが横一列に並んでお参りしている。

 二礼二拍。一度にこんなにお参りされる神様も大変だ。本当に御利益(りやく)が薄くなりそうだ。私は家族の健康を感謝するに留め、お願いは見合わせた。――神様も健康に気をつけて、なんてのは生意気か。

 

「何を祈ったの?」

 

 渚が訊く。

 

「祈ると言うより、感謝かな。家族と暮らせることに。

 で、お母さんこそ何を祈ったの?」

 

「あなたが、素敵な女の子になって、素敵な恋を出来るようによ。ついでに子宝と安産」

 

「ちょ、それは気が早くない?」

 

「安産祈願はそうかもね」

 

「いやいや、それ以外も」

 

「子宝以外はすぐにでも、って思ってるんだけど……」

 

「いや、気が早いでしょ。

 でも、……もし、もしも、だよ。きっ、君が男になってくれたら、すぐにでも三人目に挑戦するとこ、だけど……」

 

「まぁ! プロポーズなみに嬉しい言葉ね。でも、そういう気持ちは運命の人に出会うまでは取っといてね。それに、身体が出来上がるまではもうちょっと待たなきゃ。それじゃ、母乳も厳しいし」

 

 渚が私の薄い胸元に目を遣る。……なんで視線に気づけるんだろうか?

 

「う、うるさいっ!」

 

 別に気にしてなんかいませんから。

 

 

 

 初詣を終え、初売りに付き合わされそうになったがパスだ。「子どもを連れては大変だよ」と言うと、実家においてくるそうだ。

 ぁー、後ろにはしっかりお泊まりセットが載っている。いつの間に……。

 

「私は行かないよぉ。この姿じゃ、君の実家は敷居が高いし」

 

「でも、私と子ども達が帰るのに、あなただけ行かないってのは(まず)いわよ。私が差別しているみたいになるし……。お母さんも会いたがってるんだから、せめて一泊ぐらいしてよ。泊まりの準備、あなたの分も持ってきてるんだから」

 

 用意周到なことで……。

 

 

 

 お義父さん、お義母さんに新年の挨拶をするが、どんな顔をしたらいいのか判らない。お義父さんもお義母さんも、笑顔で迎えてくれているけど、私は……。

 

「昌ぁ、初売り、行くわよぉ!」

 

 渚の声に、これ幸いと立ち上がる。去年までだったら、買い物に付き合わされるのは勘弁だけど、今日ばかりは救いの声だ。

 

「初売りに行くなんて、ちょっと女の子らしくなってきたんじゃないかしら?」

 

「まぁ、ちょっとはね」

 

 応えると、お義母さんは悪戯っぽく笑う。こういう表情は渚に似てる。

 

 

 

 正月にもかかわらず、国道沿いはほとんどの店が営業している。休んでいるのは車のディーラーと眼鏡屋ぐらいじゃないだろうか。

 

「もしかしたら、初めてじゃない? 私を名前で呼び捨てにするなんて」

 

「だって、家とかだったらともかく……、外は事情を知らない人ばかりなんだから。今後のこともあるし、意識して名前で呼ぶようにしてかないと。昌も、『お母さん』よ」

 

「ま、確かに」

 

「ところで、やっぱり家に帰る? 実家は親戚だけじゃなく、近所の人も来るだろうし」

 

「いいよ。

 人が来るんならなおさら私だけ居ないのは具合悪いでしょ? 一泊はするよ」

 

「そう? でも、辛かったら言ってよ。

 周囲りには病気療養中で、人見知りもするって言ってあるから、さっさと寝ちゃってもいいのよ」

 

「ありがと。辛くなったら、なるべく我慢せずに言うよ」

 

 

 

 目的のショッピングモールについたが、駐車場の空きがなかなか見つからない。外れの方に行けば駐められるが、渚は買う気満々だ。運搬距離は短い方がいい。

 

 店内も盛況だ。正月早々……と、人のことは言えないか。渚に連れられて、靴と服を見る。

 着せ替えに付き合うこと、かれこれ二時間だろうか? お店の人も私のことを褒めちぎる。よっぽど財布の紐が緩く見えるのだろう。実際緩かったけど。

 

「私のばっかり、ずいぶん買い込んだね」

 

「いいのいいの。あなたの服を選ぶのも、私の楽しみなんだから。

 普段は地味なのしか着ないし、買い物には全然付き合ってくれないし。こんなときぐらい楽しませてよ」

 

「た、楽しいの?」

 

「楽しいわよ。あなた、スタイルがいいから大抵のものが似合うし。

 自慢の娘が周囲りから注目されるのも、親としては嬉しいものなんだから」

 

『親として』か。渚は強いな。

 

 

 

 大量の荷物を持って渚の実家に着くと、時刻は五時過ぎ。お風呂の準備が出来ているそうなので、子ども達を入れる。

 私が上がる頃には、子ども達もパジャマを着せられている。私も身体を拭き、下着を着けて頭を渇かす。この辺の作業も慣れたものだ。最後にパジャマ代わりのスウェットを着る。

 

 さぁ、夕食だ。



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年明け 二

 六時過ぎ。

 少し早いが夕食だ。お義母さんは気を遣ったのか、オードブルとお寿司、お刺身に加え、私の前には鰤カマが運ばれてきた! 表面がじゅうじゅういってる。しかも、ビールが飲めない私の前には薩摩切子の杯!

 渚の方をチラと見遣ると、にっこり。よし、お許しが出た!

 

 お義父さんにはビールを注ぎ、私は冷酒を注いでもらう。渚は梅酒、お義母さんにもビールだ。子ども達には渚がジュースを配る。

 

 みんなで乾杯する。杯を一気にあおると、お腹がカッと熱くなる。くぅーっ、旨い!

 

「うーん。美人に注いでもらうと旨い!」

 

 お義父さんはかなり不穏当なことを言いながら、空けた杯に冷酒を注いでくれる。実にいい酒だ。『私』のペースで行ったら、間違いなく泥酔コースだ。

 私は鰤カマをほじくりながらちびちび行くが、それでもペースが上がってしまう。これは上限を決めておかないと具合が悪い。

 冷酒を一合ほどお銚子に注ぎ、レンジで一分。燗にすればペースも落ちる。

 

 子ども達を見やると、揚げ物ではなく、源平なますを喜んで食べる。うちの子はモズク酢とか変なものが好きだ。

 

「あら、これ、上手(うま)いこと炊いてある」

 

 お義母さんは、私が煮た飛竜頭(がんもどき)を美味しそうに食べている。

 

「でしょ!

 昌って、がんもとか大根とか、上手に煮るのよ。おでん屋さん出来るわよ」

 

 いやいや、具は買ってきたものだし、汁も昆布出汁こそ自分でひくけど、市販のだしの素だぞ。

 

 

 

 ぼちぼちと食べていると、玄関に来客だ。お義母さんが出る。

 すぐに四、五人の気配がこちらに向かってくる。新年早々なんて、気安い客なのだろうか? 私は緊張した。

 

「あけましておめでとう」

 

 入ってきたのは渚の従兄弟夫婦と、その子ども達だ。軽く頭を下げると、お嫁さんと子ども達は私を見て固まった。

 

「すごい美人だろ? 通夜の後、いい歳した大人が萌えたの惚れたのって話してたぐらいだし」

 

 通夜を思い出す。

 周は訳が分かってないから、読経の最中に「お父さんは?」とか言い出してかなりぐずった。それで私もいたたまれなくなって、半泣きで謝りながら周を抱きしめたんだった。

 挙げ句、終わり頃になって私まで意識を半分失って、沙耶香さんに連れ出された。

 事象だけを見たら涙を誘うシーンだけど、見方によっては萌えるシチュエーションと捉える人がいたかも知れない。

 

 

 

 ようやく意識がこっちに戻ってきたお嫁さんが、渚と私の設定について話している。その息子――中三だったか――は、私の方を盗み見ながら飛竜頭を食べ始めた。

 

「うまっ!」

 

 都合三口ぐらいで食べてしまう。もう少し味わえよ。あ、更に大皿から取る。しかも百合根入り。そんな食べ方するやつは具無しので十分だろ!

 

「母ちゃん、これ、めちゃウマ」

 

「どれ? あら、ホント! これ、何処で売ってるの?」

 

「あ、フツーに美味しい」

 

 おい、『普通に』って何だよ。高二にもなって言葉使いを知らないのか?

 

「これ、誰が作ったと思う?」

 

 渚がニヤニヤしながら訊く。

 

「まさか、渚さん? でも、味は伯母様と違うし……」

 

「違うわよ。作ったのは昌。そっちの大根とじゃが芋もそうよ」

 

「マジで? 外人なのに?」

 

 おいこら、あんたのお母さんと渚の会話聞いてなかったのか? 義理の娘。父親は日本人。母親も設定では日本人。

 

「昌は日本人よ。さっきも言ったけど、この髪と目の色は治療の副作用よ」

 

「あ、あの、明けまして、おめでとう、ございます……」

 

 とりあえず、いつでも脱出出来るよう、人見知りの少女を演じておく。アルコールで赤く染まった顔も、プラスだろう。

 

「うっわー。こんな子がこの料理? しかも可愛いし。

 ねぇねぇ、昌、ちゃん? 小学生でこの料理ってすごいわね」

 

「あの、一応、この春から中二になります」

 

「マジ? どう見ても小学生じゃない。背も小さいし」

 

 え? 背は君とそんなに違わないと思うんだけど……。

 

「一応、中学生です。あと、飛竜頭は京都から寄せたものなので」

 

「お出汁は付いてくるの?」

 

 お嫁さんが口を挟む。

 

「別売りで買えるけどちょっと甘いです。だから、味付けはうちで作った出汁で」

 

「普通に昆布と干し椎茸(どんこ)と削り節よ。出汁は昌に任せてあるのよ」

 

「自分で?」

 

「いえ、昆布と干し椎茸からは自分で取るけど、お魚は市販のだしの素。削り節は香り付けにちょっとだけ、です」

 

「でも、この味なら胃袋がっちり掴めるわね」

 

「胃袋?」

 

「この見た目で、この料理だったら、男がほっとかないわよ。

 気になる男の子とか、いないの?」

 

 高二のお姉さんは恋バナが好きそうだ。でも、気になる以前に、まだ学校にも行ってないんだけど。

 

「昌は自宅療養中。今度の春から中学校デビューの予定」

 

 しばらくはお嫁さんと料理についておしゃべり。とりあえず、だしの素と醤油の銘柄は伝えた。あの出汁はマイナーなメーカーで、扱いのある店が少ないけど、クセが無くて使いやすい。たしか鳥取の食品会社だったかな?

 

 お嫁さんも、基本、褒めちぎるんだけど、私がぬる燗になった大吟醸をちびちびいくことには、何か言いたげだ……。

 

 酔いが回ったか、昼間の疲れか、少し眠くなってきた。それ以上にトイレに行きたい。立ち上がると一気に酔いが来る。マジ眠い。

 

「うわっ、背、高っ!」

 

 お姉さんが驚く。ふふん、座ってるときはちっこく見えても、背丈は君と変わらないのだよ。

 

 

 

 翌朝――もう九時は回ってるけど――起きると、頭が重い。飲み過ぎたっぽい。日本酒だけをちびちびいっただけとは言え、あれだけ飲み続けてれば残る。

 枕元の携帯を見ると着信履歴。見ると沙耶香さんだった。更にメールも。明後日――つまり明日――柔術の寒稽古をするとのこと。神子達と新年の顔合わせだ。

 

 

 

「……というわけで、私だけ帰るよ。明日は早くに沙耶香さんが迎えに来るから」

 

「もう一泊してけばいいのに」

 

「九時にお迎えだよ。渚、じゃなくてお母さん、そんなに早く私を家まで送れる? ここにお迎えはちょっと目立ちすぎるんじゃないかなぁ」

 

 沙耶香さんだけならともかく、いや、沙耶香さんだけでも目立つけど、他のメンバーも一緒だったら、本当にアイドルグループみたいだし。

 

 その日は、昼過ぎに帰宅した。

 

 

 

 寒稽古は、単に寒い所で稽古するだけだった。寒いよりも床が冷たいのが(こた)えた。昔から続いているそうだけど、絶対健康に悪い。女性は下半身を冷やしたらいけないんだぞ。こちとら、産まなきゃいけないのに。

 その分、練習後のお風呂は格別だった。

 

 

 

 こうして、昌としての新年は始まった。もう三ヶ月後には中学校だ。



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薬局にて

 節分が終わると、街はバレンタインムード一色だ。どこに行ってもハートとリボンの飾りが店を彩る。

 お菓子屋の販促で始まったイベントは、エビで鯛を釣る利回りの良い投資機会となり、今では女の子同士での『友チョコ』が主流になっているらしい。

 それでもカップルの姿がちらほら見える。ほんの数ヶ月前は、私達も夫婦だったんだけど……。

 

 

 

 薬局で、洗剤と紙オムツ、トイレットペーパー、そしてそれらで挟むようにしてアレ用品をかごに入れた。

 

 初めて買ったときは、こんなモノを買うのは沽券(こけん)に関わるというか、正直なところ、それを手にすることに気恥ずかしさを覚えていた。でも今は、していることは同じだけど、その恥ずかしさの種類が違う。

 何て言うんだろう。言葉を飾らずに表現すると、自分の下半身事情に直結する道具を見られたくない。

 下着を干すときも、他の洗濯物の内側になるように干している。これは渚に注意されたからだけど、今ではそうするのが当然になっている。

 この身体になって数ヶ月、既に行動だけでなく心の在りようも変わりつつあるのかも知れない。行動療法というやつだな。行動が心に影響を及ぼしている。

 

 

 

 買い物かごをもう一つカートに乗せると、何を見つけたか周は走り出した。追いかけていくと手に赤い箱を持っている。中はお菓子が一杯だ。四歳になったばかりの周にとっては夢のような宝箱だろう。

 

「欲しいの?」

 

 周は大きく頷く。

 渚を見ると、笑顔で許可。誕生日のプレゼントもまだだったしね。本当は、明日にも家電量販店のおもちゃ売り場に行くけど、別腹ということで。

 

「じゃぁ円の分も買おっか」

 

 カートに二つ積むと、周は一つ取って抱える。まぁこれぐらいはいいか。でも食べ過ぎると鼻血が出るぞ。

 

 続けて歯ブラシ、掃除用の洗剤…。もう一つのかごもすぐに一杯になる。ふぅ。主婦してるなぁ。

 

 

 

 ふと見ると、高校生だろうか? 腰痛サポーターを手に取り、説明を読む体裁で、隣のコーナーのゴム製品を横目でチラチラ見てる。どれを買うか迷いつつ、でもじっくり見比べる勇気が無いといったところか。うん、それは大切だぞ。男としての思いやりだ。バレンタインはがんばりすぎて腎虚になれ! リア充もげろ!

 

 そう言えば、買いだめしたのが家にも結構残っていたな。結局、〇・〇一ミリを試せなかったのが残念だ。もう、風船としてふくらますぐらいしか使い途が無い。

 比売神子になれば解禁だが、使う予定は無い。私の場合、それは交配の手段でしかないから、今度産むという選択は有り得ない。

 

 そんなことを考えていると、私の視線に気付いたのか、さっきの少年はバツの悪そうな表情で別の所に行ってしまった。

 

 しまった。考え事をしていただけなのに、悪いことしちゃったな。ある意味営業妨害だ。これで買えなかったばかりに命中しちゃったら、私にも責任があるのかな?

 

 

 

「何を見てるかと思ったら……、使う予定でもあるの?」

 

 渚がニヤニヤ笑いながら訊いてくる。

 

「無いよ」

 

 だってあれは、妊娠は困るけどもしたいってときに使うモノだ。

 

「着けてでもしたいって思えるようになるのかな……」

 

「そういう出会いがあるといいわね」

 

 私の独白に渚が応じた。

 

 でも、本当に、どうなんだろう? 私は受けいれられるのだろうか? なったとして、それを渚はどう思うんだろう?

 

 

 

 ドラッグストアを出ると寒い。コートのフードを目深に被る。周もフードをかぶせて紐を結ぶ。手袋をしてこなかったのは失敗だ。

 

 帰り道、中高生らしい集団が自転車で追い越していく。うーん。本格的に寒くなってきた。この寒いのに周は元気だ。子どもは風の子とはよく言ったものだ。

 

「ぇっくちゅん! ぇっきひょーい!」

 

 周が可愛いくしゃみをする。(はな)水が垂れている。ティッシュで拭いたがまた垂れてくる。

 

「ほら、お鼻かむよ。フンして」

 

 せっかく紙をあてたのに、ずびっと啜ってしまった。もう、仕方ないなぁ。苦笑いだ。

 

「あおい洟ぁを垂らーしてた」

 

 ついついCDの落語で聞いた替え歌が出る。ソプラノで情感たっぷりに歌いながら歩く。

 

「かみなよって言ったら、啜って舐めちゃったよ、二本洟。

 しょっぱかぁったあのーときの、あのあおーい洟だよ」

 

「下品よ。子ども達がまねしたらどうするの」

 

 

 

 後ろから、笑い声が聞こえてきた。しまった、誰か後ろで聞いてた。恥ずかしい。一応笑いを堪えてるっぽいけど、堪え方が中途半端だ。

 早足で逃れたいが、渚も一緒だし、周をつれている。後ろから足音が近づいてくる。思わず私はフードを更に引っ張る。白い髪を見られたら、確実に特定される!

 

 私を追い越したのは、小学生か、せいぜい中学一年生ぐらいの少年だ。追い越してからこっちを見た。間の悪いことに目が合ってしまった。

 目があった瞬間、少年は(きびす)を返して走り去って行った。足、速いなぁ、と場違いなことを考える間もあればこそ、少年の姿は路地に消えた。

 

 恥ずかしさに体温が上がっている。いつの間にか寒さをあまり感じていない。

 白い髪は見られてないし、この薄暗さだ。あの一瞬で個人を特定出来るはずがない。私は自分にそう言い聞かせて家路を急いだ。

 

 今度から歌うときは周りに注意しよう。



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第七章 中学校編入
編入 一


 年度替わりだ。

 今日は転入に掛かる手続きと、私の『事情』を教職員に説明しに中学校へ行く。

 

 既に準備されている制服で行くが、スカート、しかもブレザーでなくプリーツの付いた昔ながらのスカートというのは頼りない。高校はブレザーが多いのに、中学は未だにセーラーが主流なのはなぜだろう。

 普段はパンツしか履かないから、こういう格好をすると気恥ずかしい。コスプレ感ありありだ。

 既製品だと袖丈などが合わず、半ばオーダーメイドに近い作り方をして貰ったので、着せられてる感が無いのがせめてもだ。でも、姉さんや篤志が見たら何と言うだろう。

 

 学校には、私の『継母』である(なぎさ)に加え、『主治医の代理』として沙耶香(さやか)さんが付いてくる。

 沙耶香さんから「今日は黒髪のウィッグで」と告げられ、久々にウィッグ――新品の――を頭に乗せて行く。これなら校内では目立たない。と言っても今は春休み。体育館やグランドには部活の生徒がいるものの、廊下に人気(ひとけ)はない。

 

 

 

 事前に話が通っており、職員会議の場に直接赴くことになった。

 既に私の『事情』について、通り一遍に書かれた書類の写しが配られている。住所、家族構成、病気の治療のために海外へ行っていたこと、治療の副作用があったこと、帰国後半年近くに渡ってリハビリを兼ねて自宅療養兼していたこと等々……。

 

「娘が編入するにあたって、先生方に知っておいて頂きたいことと、いくつかお願いがございます。治療の副作用に関することも含みますので、主治医の代理として看護師の竹内さんにも説明をお願いしたいと思います」

 

 どうやら渚と沙耶香さんの間で既に打ち合わせていたようだ。私は「とりあえず、黙ってて」としか言われていないので、やや不安がある。でも、『親』や医療関係者を差し置いて話すのが(まず)いのは確かだ。

 ウィッグを着けたままということは、副作用ということになっているこの外見について、まだ話を通していないのだろうか?

 

 

 

「看護師の竹内と申します。主治医の代理で伺いました。この度は説明の機会を頂き、ありがとうございます」

 

 一礼して自己紹介。沙耶香さん、こういうのが様になっている。(主に)男性職員の視線が集中する。

 

「お手元の資料にあるとおり、小畑 昌さんは療養を終え、この春からようやく学校に通うことが出来るようになりました。それにあたって幾つかお願いしたいことがございます」

 

 促されて立つと、教職員達の視線が集中する。三十人ぐらいいるだろうか。一礼する。

 

「小畑 昌です。よろしくお願いします」

 

「資料にあるとおり、彼女は海外で治療を受けていました。その際の副作用で、容貌が少し変わってしまいました。

 日本人としてはやや目立つので、先生方に知っておいていただき、他の生徒さん達への事情説明とともに、彼女が好奇の目で見られることの無いよう、配慮をお願いしたく思います。

 

 ……昌ちゃん、ウィッグ外して」

 

 全員が息を飲むのが分かる。白い髪に視線が集中する。

 

「この通り、彼女の髪は治療の副作用で白髪となってしまいました。また、瞳の色も青くなっています。いわゆるアルビノではありませんが、色素が薄いため、直射日光なども出来るだけ避けていただきたいと思います。

 そして入院の期間が長かったため、運動能力はともかく、持久力はかなり落ちています」

 

 ん? 体力は同年代の女子と比べればある方だと思うぞ。

 

 (いぶか)しむ私の視線に気付いたのか、沙耶香さんは私を座らせた。

 背中を支えるポーズを取りながら耳打ちする。

 

「話を合わせて。しばらくは『か弱い』フリをしていて」

 

 そういう打ち合わせは事前に欲しかったのですが……。

 

 周囲を見回すと、職員の大半は、顔を見合わせて何か(ささや)き合っている。この中には数ヶ月前から出没する白髪の少女について耳にしている人もいるのだろう。

 

「ごらんの通りの容貌なので、事情を御理解いただいた上で、他の生徒さん達への説明と配慮を重ねてお願いいたします」

 

 

 

 ちょっとゴツい感じの先生が発言を求めた。

 

「生活指導上の難しさを抱えることになるので、今のようにカツラを着けるか染めていただく、という訳には行きませんか?」

 

 何処にでもいるんだな。手段そのものを目的にしていることに気づいていないのかな。一瞬そう考えたが、そういう意見もあるということを代弁しなきゃいけない立場なのだろう。

 

 沙耶香さんも同じ見解なのか、淡々と応える。

 

「ウィッグの着用については、私も考えないではありませんでしたが、本質的には問題の先送りでしかありません。

 卒業まで隠し(おお)せるかというと、現実的には非常に難しいでしょう。それに……、例えば授業で水泳をする場合や、宿泊を伴う活動をどうするかという問題もあります。

 加えて、途中でこの外見を隠していたことが露見すれば、初めから知らせていた場合よりも状況が悪くなりかねません。

 

 また、染めるというのは論外です。

 そもそも校則で身体への加工を禁じているのは、それによる心身の成長への悪影響を防ぐという教育的配慮からかと存じますが、その観点に立てば、安易な選択は本末転倒ではないでしょうか」

 

 ゴツい先生はグウの()も出ない。

 実際のところ立場上の発言だし、ああいう先生が校内の治安維持に寄与している側面もある。そう言わなくてはならない事情に少し同情する。

 中学生には理屈が通らないし、かといって罰――生徒が一時的に表面上は不利益を得る――という方法には批判がつきまとう以上、ああいう理屈の通らない先生も必要なのだ。

 

 私がぼんやりと考えているのを余所に沙耶香さんは話を続ける。

 

「それに、医療に携わる者としても、髪への加工は推奨できません。

 健康上のデメリットもありますし、少なくとも、せっかく伸びてきた髪が痛むことは避けられません。

 

 先生方も、抗がん剤や放射線治療が身体に与える影響についてはご存じかと思います。

 私は、病室で帽子を被ったこの子を、眉毛も無かった顔を覚えております。それがこの年頃の少女にとってどれほど辛く悲しいことか、想像してはいただけないでしょうか。

 

 それに……、資料の通り、この子は既に実母を喪い、先年には父親も亡くしています。辛い思いはもう十分でしょう。

 

 別に特別扱いしろとは申しません。ただ、他の生徒さんと同じように生活できるよう、学校としての配慮をお願いしたく思います」

 

 沙耶香さんは深々と一礼した。

 

 女性職員の中には涙ぐむ人もちらほら見える。

 場の主導権は完全に沙耶香さんのものだ。ここから先、学校は沙耶香さんの要請を――たとえ特別扱いでも――断ることは出来ない。『薄幸の美少女』という設定が会議室の思考力を奪ってしまった。途中から呼び方を『この子』に替えたのも、感情を抑えようと淡々と話すのを微妙に失敗している風の口調も、狙ってやってるに違いない。

 

 

 

 以後は、ほぼ沙耶香さんのペースで話がついた。始業式当日は式には参加せず、その後のホームルームで事情説明後に紹介という運びになる。

 ただし、登下校時は黒髪のウィッグでということになった。これは生活指導というより防犯上の理由だ。生徒を特定されることは可能な限り避けたいらしい。

 

 それにしても、こういう交渉をさらりとやってのける沙耶香さんは、ちょっと怖い。



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編入 二

「沙耶香さん、凄いですね」

 

 後部座席に呼びかけた。

 

「何が?」

 

「交渉術というか、話の持ってきかた」

 

「貴女の場合は、材料が揃っていたもの。

 それに、認めさせておきたいこともあったし、なるべく貴女の負担は減らしておきたかったから」

 

「でも、あれだと私がちょっと変な子、と言うか、残念な子じゃないですか」

 

「ウソは言ってないわよ。誘導と脚色はしたけど」

 

「まぁ、そうですけど。ちょっと大袈裟じゃなかったですか?」

 

「演出よ」

 

 

 

 会議室でのやりとりを思い出す。

 

 曰く、小畑 昌は入院中、外界と隔離されていた。

 この数年は、周囲に大人しかいない環境だったため、同世代との接し方を全く学んでいない。

 言葉遣いや考え方も同年代とはかけ離れている。

 女性としての自我が十分に育ってないため、自覚に欠けていて無防備である。『女の子らしさ』は(もっぱ)ら書籍や映像で学んでいるため、そのデフォルメされたモノを素で使ってしまうことがある。変に耳年増である。等々…。

 

 最後には、よく勉強している賢い子だけど、自分が女の子だってことを理解していないのではないか……とまで。

 

 自分の魅力に気付いてない美少女って、創作なら萌え要素だけど、現実だったらイタいだけだよ。

 

 

 

「実際のところ、入院以後に彼女が接点を持った未成年の女性と言えば、柔術のサークルで接している少女だけです。

 サークルは身体のリハビリよりも、女性としての社会性を身につけさせるために参加させたのですが、それでも年長の、割としっかりとしたもの分かりの良い子ばかりとしか接点がないのです。

 それがいきなり、同世代の雑多な少年少女達の中に入ることには、やはり心配があります」

 

 神子の合宿が柔術のサークルということになっている。実際、沙耶香さんからは柔術を学んでいるし、合宿で訓練もしているけど。

 

 

 

「この外見だから許せるけど、普通に女子がやったらイタいって、そんなことしてますか?」

 

「ときどきあるわね。かなり矯正したけど、一歩間違うと女子の半分ぐらいを敵に回すわよ」

 

 渚もウンウンと頷いている。私はそんなに変なことしてるのか? 相当に自重した行動を心がけないと。

 

「あと、私はそんなに無防備ですか? 結構ガードは堅いと思ってたんですけど」

 

「こないだ、制服の採寸に行ったときだけでも、幾つか気になることはあったわね。

 

 例えば、男性とすれ違ったとき、貴女の肩が相手の腕を掠めたことが何回かあったの。普通の女の子は男性とそういうすれ違い方はしないわね。

 まして、男性の間をすり抜けるなんて以ての外! 貴女の胸やお尻が当たってたわよ。

 そういうところが無防備だって言ってるの」

 

「でも、あのときはトイレに急いでたし」

 

「急ぐ急がないの問題じゃないわ。仮に急いでいたとしても、そういう行動が出ちゃうこと自体が問題なのよ。いくら他の部分でガードが堅くても、そういうところが隙だらけじゃ、ね」

 

「それは私も同感ね」

 

 え。渚まで。

 

「あなたが『昌幸』さんだった頃を思い出して欲しいの。

 そういう接触って、人生でそう多くなかったと思うわ」

 

 そう言えばそうだ。高校時代なんかは、そんなのはむしろ『ご褒美』で、しばらくはドキドキしたものだった。あのころは純情だったなぁ……って、問題が違うか。

 

「普段のあなたはきちんとしてるし、女性としてはお手本のような挙措もできてる。

 でも、たまに『昌幸』さんだったときの行動が出るの。それが、女性としては無防備というか、考えられない行動のことがあるのよ。

 私はそれが心配」

 

「本当は、こういうことは思春期に入る前から、そうね、遅くとも七,八歳ぐらいから身につけていくことなのよ。

 貴女はいきなりその歳から女を始めさせられたから、仕方が無いと言えばそうだけど。それでも身につけていかないと、後々辛い思いをするのは貴女なのよ」

 

 ステレオで注意された……。しかもサラウンドな感じで。ちょっと話を変えたいところだ。

 

 

 

「ところで、今日はウィッグ着けていきましたけど、話は通してなかったんですか?」

 

「それは、ある意味交渉術ね。

 いきなり見せて対応を迷っているうちに、それなりに筋の通った案を示す。あとは情理両面で押せばすんなり通るものよ。

 ハゲが脳筋に変なこと言わせてたけど」

 

「ハゲ?」

 

「染めるかウィッグ着ければって言ってたのが居たでしょ。あの斜め後ろのオヤジよ。そいつが脳筋に言わせてたのよ」

 

「そんな人いましたっけ?」

 

「ズラ被ってたの、気付かなかった?

 あれ絶対、髪がある者へのひがみね。

 もしあれ以上なにか言わせるようなら、こっちも黙ってなかったけど」

 

「なにを言う気だったんですか? まさか、ズラだってばらすんですか?」

 

「まぁ、そんなとこね。髪が無くなるのは辛いでしょ、ってズラを剥がしてあげようかと」

 

「そんなことしたら、私が学校行けなくなりますよ!」

 

「冗談よ」

 

「沙耶香さんが言うと、冗談に聞こえません」

 

「まぁ、オブラートに包んでズラのことをにおわせるだけよ。で、オブラートを一枚ずつ剥がしていくの。何枚目で折れるかしらね」

 

 ……沙耶香さんは怒らせないようにしよう。

 

「でも、言わされてた方は、脳筋とは限らないですよ。

 曲がりなりにも採用試験通ってるんだし。特に今の四十代は採用絞り込んでた時期と、不景気が重なってるから、結構優秀なのが集まってますよ」

 

「でもアレは論理的にも倫理的にもおかしな意見だったでしょ。

 あの程度の判断力しかないのか、年長者の指示だったら間違ってても盲目的に従うのか、どっちにしても脳筋よ。

 前者だったら勉強して変わる可能性はあるけど、後者だったら最悪ね。あの歳になっても体育会系のノリで仕事してるんじゃ、話にならないわ。

 それに比べたら、後からウィッグで登校って言った青びょうたんの方が遙かにまともね。見た目は頼りないけど」

 

 沙耶香さんが押し切りそうになったところで「登下校だけは黒髪のウィッグで」と言った職員がいた。見るからに気弱そうな外見の先生で、ヨレヨレの白衣を羽織ってたとこを見ると理科の先生だろう。沙耶香さんの『格』に冷や汗をかきながらも、それを主張してきたのだ。

 どうしても私の外見は目立つから、SNSなどを通じて外見が拡散することは避けられない。せめて登下校時は個人を特定されないために黒髪でと言ってきた。

 冷静に考えると真っ当な意見だけど、周囲りの教職員が変な空気の読み方をして、あまり支持に回らなかった。沙耶香さんがすんなり受け容れたから認めたと言ったところか……。

 

 

 

「青びょうたんは理屈先行型ね。だから、体育会系が幅を利かせる職場じゃ立場が弱いみたいだけど。それでも、生徒のために言うべきことを言えるんだから。道理もわきまえてるし、判断の優先順位はまあまあじゃない?」

 

「でも、現実問題として、組織の中で空気に反することを言うってのは、よっぽど実力がないと難しいですよ。ああいう人はむしろ例外的というか……」

 

「だから、ダメなのよ。

 仕事とか命令を言い訳にすれば、倫理観を曲げてもいいわけ?」

 

「……そりゃ、良くはないけど」

 

 それを言えるのは、沙耶香さんが仕事で実力を示していて、しかもいつ辞めても生活に困らないからであって、普通はそんなことなかなか出来ないよ……。



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初日

 桜が満開だ。やっぱり、入学式には桜が合う。

 

 初めて自転車での登校になる。ただし通学だけは、ウィッグを着けて行く。外すのは教室に入るときだ。

 そうそう、ウィッグ以外に伊達眼鏡もしている。紫外線に気をつける必要があるという体裁なので、UVカットの素通しレンズだ。

 眼鏡は、禁止されている日焼け止めを認めさせるためだが、沙耶香さんの言い方は強烈だった。

 

「日焼け止めは肌を露出するオシャレのためで、本当に紫外線を気にするなら肌の露出を抑えた方が良いのは明らかです。

 しかし、学校指定の服だと肌を露出してしまいますし、つば広の帽子も使えません。

 次善の選択として、日焼け止めを使用させます」

 

 一旦、日焼け止めをオシャレのためと断じた上で、オシャレ目的ではなく、学校指定の服装をするためやむなく、という何とも反論しにくい言い方だ。

 学校としては、日焼け止め効果のついた化粧品とかに波及しかねないので禁止していたのだろう。これを通すためには、目も紫外線から守る必要があるのだ。

 

 半年あまり前の『私』は眼鏡をしていたので、それほどの違和感は無いが、他の神子達は案外忘れてしまうことが多いらしい。

 

 

 

 考えことをしながら、約束の時間に到着。今日は他の生徒より遅れての登校だ。

 

 既に始業式が始まっているため、廊下には誰もいない。私は指示されたとおり職員室で待機した。

 

 しばらくすると廊下がざわつき始める。どうやら式が終わったようだ。教職員も戻ってきたが、学級担任の先生は慌ただしく荷物をまとめ、教室に向かっていく。

 

 私は二年一組。担任は藤井 那智(なち)先生。三十ほどの女性だ。ぱっと見は『優しい音楽の先生』風だが、実際は数学を教えている。

 

「私は先に教室に行きます。宮川先生、頃合いを見て連れてきて下さい。

 小畑さんにはしばらく廊下で待ってもらいます。私が声をかけたら入って下さい。もちろん、ウィッグは無しでね」

 

「はい」

 

 私は年甲斐もなく緊張した。四半世紀ほど前にも通った途のはずなのに。

 

 校内が徐々に静かになって行く。どうやらホームルームが始まったようだ。

 私がウィッグを外すと周囲りからどよめきが出る。特に講師の何人かは職員会議で顔をあわせていないからか、珍しいものを見る目だ。

 

「それじゃ、ぼちぼち行こうか」

 

 宮川先生――二年一組の副担任兼学年主任――に声をかけられた。

 

 宮川先生に続いて廊下を歩く。各々の教室では担任の自己紹介をしている。

 

 あ、今は一学年四クラスしか無いんだ。私の頃は六クラスだったから、単純に三分の二に減ってる。クラスの規模も小さいからもっとか。

 

 変なところで少子化について思いを巡らしている間に教室の前にたどり着いた。何でこんなに緊張するんだろうか? (うつむ)く私を宮川先生はニコニコしながら見ている。

 教室からは藤井先生の声が漏れ聞こえる。

 

「……それでは、皆さんにも自己紹介して貰いますが、その前に、気になってることがありませんか?」

 

「その席!」

 

 男子生徒の胴間声が聞こえる。クラスにはこういうお調子者が必ずいる。でもこういう生徒がいた方が、クラスのノリがいいのも確かだ。

 

「男? 女?」

 

「女子に決まってるだろ、名字は『お』か『か』で始まる」

 

「なんで分かるんだよ」

 

「遠藤と川崎の間の席が空いてるからだよバーカ」

 

 どうやら、お調子者は二人いるようだ。

 

「先生! その女子かわいい?」

 

「はい、静かに。

 みんなの予想通り、女子生徒が新たに編入してきます。今、廊下で待ってもらっています」

 

 教室がどよめく。

 

「入ってもらう前に、知っていて欲しいことがあります。

 その子は、去年まで海外の病院で入院していました。とても大きな病気で、退院後も自宅療養が必要でした。

 この春からようやく学校に通えるようになったのですが、治療のせいで外見が私たちとはちょっと違います。

 

 それに、入院期間が長くて、何年も同じ年代の友達と過ごせませんでしたから、みんなと感性も違うかも知れません。

 でも、同じクラスの仲間として、暖かく迎えて下さい」

 

 さっきまでざわついていた教室が静かになった。

 なんか、凄いのを想像されてるような気がする。実物はそんなに凄くないから。

 

「それじゃ、小畑さん、入って下さい」

 

 私は深呼吸してから教室の戸を開けた。教室が少しざわつく。

 頭の中ではカルミナ・ブラーナの『おお、運命の女神よ』のイントロが鳴り響いている。我ながら大げさなことに、ちょっと笑みが出る。

 二歩目ぐらいで教室内が静まりかえった。視線が集中する。確かに日本の中学校でこの髪の色はインパクトあるに違いない。

 

 私は教卓の横まで来て一礼した。

 

「初めまして。小畑昌といいます。

 こんな色の髪と目ですけど、日本人です。

 よろしくお願いします」

 

 あれ? みんな無反応。

 テンプレだと、女子生徒からは愛でられ、男子生徒からは「つき合って下さい」のはずなのに。それとも藤井先生の前フリでハードルが上がりすぎたか?

 

 

 

「小畑さんは、見てのとおり髪が真っ白です。目の色も違います。これは治療の副作用だそうです。

 色素を作る力が弱いということなので、直射日光もよくありません。日焼け止めも必要です。

 勉強は入院中もしていたそうですが、それでも遅れているかも知れません。だから、出来るだけ助けて下さい。

 

 そして、一番大切なこと。

 小畑さんは海外で何年も入院していたので、同じ歳の友達が一人もいません。と言うより、同じ年頃の人が一人もいないところで何年も過ごしていました。

 ですから、僕たち私たちから見て、ちょっと違うって思うことがあるかもしれません。でも、そういう事情を理解して、迎え入れて下さい」

 

 藤井先生が私の方を見た。

 

「あ、改めて、よろしくお願いします」

 

 私はもう一度お辞儀をした。これ、外してないよね?

 

「じゃ、小畑さんはあの席ね」

 

 多分、外してないっぽい。私は一つだけ空いた席に座った。

 

 

 

 その後、自己紹介は淡々と進んだ。

 出席番号順に男子から進むが、男子は判で押したように私から目を逸らす。

 もしかして、いきなり避けられてる?

 まてよ、この美貌を直視できない可能性も。自分の魅力に気付かないで勘違いというパターンも定番だ。でも私は自分を客観的に見ることが出来るからその可能性も捨てない。

 いやいやいや、そういう風に考えてたら女子を敵に回す。初めは女子と友達にならないといけない。昨日の渚の言葉を思い出す。

 

「いい? あなたにとっては男子の方が話も合うだろうし、つきあい易いだろうけど、まずは女子と仲良くすること。男友達をつくるなとは言わないけど、まかり間違うと男子には勘違いされて、女子を敵に回して、っていう可能性もあるから」

 

 思考を巡らせていると、女子の自己紹介も――既に終わっている――私をとばして淡々と進む。

 何人かは憶えたけど、憶えきれない。多分、向こうはこっちを憶えているだろうなぁ。一年の時間差があるし、それにこの外見だ。

 

 

 

 その後、事務連絡も淡々と進み、あっという間に放課後。

 

 よし、ここからが勝負! 自己紹介第二ラウンドだ。

 と思ってたら、みんな部活があるのか、三々五々散って行く。残っているのは男子四人と女子六人。とりあえず、今は男子ではなく女子と接触しなきゃ。

 と、一人と目があった。

 

「あ、あのっ、松下 塔子さん、だったよね」

 

「そうだよ。ちゃんと、名前憶えてくれたんだ」

 

 ちょっと気が強そうな感じで、美人というわけじゃないけど、華のある雰囲気を纏っているから印象に残っていた。

 

 

 

 少し話した後、携帯の番号を交換することになった。一応、学校では使用禁止と言うことになってるけど、実際はこんなもんだ。

 私の場合は、神子として連絡を受けることもあるから、事前に持たせてもらってる。名目は、体調がすぐれないときの緊急連絡用だ。

 

 私が携帯を取り出すと、周りの女の子達は絶句する。

 

「ガラケーだよ! ありえなーい。しかもらくらくホン!」

 

 この携帯は『昌幸』だった頃からのものだ。

 仕事柄、頑丈さと防水性があり、受話音量を大きくできる必要がある、というわけでスマートでないホンだった。今の姿になってからも、どうせ通話とメールだけだからと変えてなかったのだ。

 

「あ、これは父の形見で……」

 

「形見?」

 

「えっと、私の両親は亡くなってて、今は腹違いの弟と妹と、亡くなった父のお嫁さんと暮らしていて……」

 

「マジ?」

 

 女の子たちはどん引きだ。

 

 継母だよ継母!

 ドラマみたーい!

 ありえなーい!

 

 心の声が聞こえたような気がする。いや、自分でもそう思うし。

 

「あの、家族構成はおいといて、電話番号を……」

 

 

 

 実は赤外線通信の仕方すら知らないので、コールして登録。

 初日から六人ゲットだ。幸先が良い。

 入浴前にみんなにメールで一言挨拶を送っておいた。

 

 でも、これがトラブルに繋がるとは……。



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二日目

 朝食の支度をし、日課のテレビ体操。そのままNHK教育の番組を視つつ朝食。七時を回ったところで、子ども達を『祖母』にあずけて自分の身支度。

 学校に行くことになったことで、スケジュールが『昌幸』だったころのそれに戻った。

 

 あれ? 携帯のランプが点滅している。

 見てみると、メールが数通。昨日送ったメールの返事が来ている。ざっと見たが「何してるの?」といった、他愛もない内容だ。

 今更返事をしても意味がないのでそのままにしておく。どうせあと三十分もしないうちに学校で会うのだ。

 

 

 

 自転車で学校を目指す。

 スカートの裾が頼りなくて速度を出せない。そこを男子生徒にどんどん追い越される。裾を洗濯ばさみかなにかで固定したくなる。ママチャリじゃないが、前傾せずに乗るタイプの自転車では仕方がないけど。

 男子生徒の自転車も少しスタイリッシュではあるがママチャリ風だ。『私』が中学生だった頃は、男子生徒の自転車と言えば、平行四辺形+対角線――三角形二つ――のフレームというものだったが、時代の変化か、たまにロードバイクみたいなのが混ざる程度。スポーツタイプは絶滅危惧種だ。

 

 

 

 学校に着いて、靴を履き替える。テンプレ的には下足箱にラブレターなんだろうけど、残念、一通も無し。もっとも、もらったところで「ごめんなさい」一択だから関係ない。

 

 教室に入るときは元気よく「お早うございます!」だ。挨拶は基本だね。たまたま近くに居た男子生徒――名前は覚えていない――が、「あ、おはよ」と返してくれた。

 とりあえず席に着いたが、昨日の六人はまだ来ていない。

 

 

 

 六人が来たのは始業ギリギリだった。

 話しかけるタイミングを見ているうちに藤井先生が来てしまい、声をかけそびれた。

 

 今日は身体計測と内科健診、そして委員決めを行う。午後は対面式と部活動紹介だ。私が入るとしたら文化系だ。家事もしなきゃいけないし、神子としての訓練もある。時間の拘束は少ない方が良い。

 

 身体計測は二年生から。当然、一組であるこのクラスが最初だ。朝礼後すぐに移動することになった。男子に混ざっちゃうという、TSものではお約束の失敗はしない。私は冷静なのだ。

 

 出席番号順にペアを組むので、私は川崎さんとペア。もちろんちゃんと挨拶する。川崎さんはスラリとした長身の女の子で、バスケットボール部のレギュラーだ。

 

「よろしく、川崎さん」

 

「こちらこそ」

 

 

 

 移動といっても、何かの演習室だったと思しき土禁の――既に内履だけどそれも脱がなくてはならない――教室に行って身長と体重を計る。体重計は予め制服の分一キロ引いてある。

 

 身長は百五十六センチ、体重は四十七キロ。

 半年で三センチ近く伸びてる!

 

 あれ? 渚は私より十センチ近く高いのに、体重は五十キロないぞ。私って実は重い? 

 

 ペアの川崎さんは百六十五。体重は隠してました。これじゃペアの意味無いし……。

 

 次は内科検診。体操服に着替える。初めから着替えないのは、着替えの時間を分散させるためらしいけど、結局クラス単位なんだから、あまり意味がないように思う。むしろ、はじめからこの服装で登校させればいいのに。

 

 私と川崎さんはほぼ最初に測定が終わったので、更衣室は空だ。

 いくら比売神子の混浴で免疫を付けたとはいえ、他の女子と一緒というのは緊張する。一番隅っこの棚で、壁に向かって素早く着替える。Tシャツの内側で下着を着脱なんて器用なことは出来ないから、上半身は全部脱ぐ。

 

「へぇ。締まった良い身体してるね。あの体重は筋肉かぁ」

 

「!」

 

 慌ててTシャツをかぶって振り返る。川崎さんは腕をシャツの中に引っ込めてもぞもぞしている最中だった。

 

「ごっ、ごめんっ!」

 

 とっさに俯いて反対を向くと。後ろから大笑い。

 

「女同士で何照れてるのよ!」

 

 あ、そうだ。そもそも、こっちが上半身を(じか)に見られて慌ててたんだ。

 

「あは、あはははは。そうだね」

 

 照れ隠しに笑うが、多分顔は真っ赤だろう。

 

「小畑さんって、何かスポーツ、やってるの?」

 

「んー、リハビリを兼ねて、合気柔術を教えてもらってるのと、子ども、……っと、弟や妹の世話が筋トレになってるかも。

 寝かしつけるときはおんぶだから、十キロのおもりを背負って歩くようなもんだし、そのまま洗濯物を干すのはスクワットだよ」

 

「小さい兄弟がいるんだ」

 

「うん。弟は四歳。妹はもう二歳」

 

「ふぅん。ちょっと離れてるね。

 ごめん。細身の割に重かったけど、脇腹が締まってるから、相当に鍛えてるなって」

 

「いいよ。見られて減るもんじゃなし」

 

「見られて体重が減るなら見せるって子も居るだろうけどね。

 多分、クラスの半分は朝食を抜いてきてると見た」

 

「川崎さんも?」

 

由美香(ゆみか)でいいよ。

 私はちゃんと食べてきた。食べないと元気が出ないからね」

 

「じゃぁ、私も昌で。

 朝食は大事だよね。それに食べたって一キロと変わらないし」

 

 私たちはスカートのまま体育のトレーニングパンツを履いて、スカートを脱ぐ。これなら私でも出来る。

 

 

 

「長っ!」

 

「?」

 

「脚!

 こんだけ身長違うのに、腰の高さがほとんど同じってどういう事よ! 後ろから見たら外人に見えるよきっと!」

 

 と、私を見て、急にバツの悪そうな表情をする。

 

「あ、ごめん。悪気は無かったんだ。

 あんまりスタイルが良いから、つい……。

 気にしてるよね? その髪とか」

 

「いいよ。悪気があってのことじゃないし。それに、そこまで気にしてるなら、染めるかずっとズラかぶってるよ」

 

 あんまり済まなそうにするので、こっちが気をつかわせてる気がしてしまう。

 

「そう言ってくれて、ちょっと助かった。でも、ホントごめん」

 

「いいよ。気にしないで」

 

 この子とは仲良くなれそうな気がする。

 

 

 

 次は被服室で内科検診だ。ここはエアコンがかかってる。四月とは言え、校舎の中はまだ寒い。

 一応、カーテンで仕切られたところで診察を受ける。

 

 検診のときは互いに貴重品と記録簿を預け合う。ペアを組むのはこのためか。

 

「上半身裸になるのって抵抗あるよね。せめてお医者さんがイケメンだったら良かったのに」

 

「ん。そうだね」

 

 とりあえず肯定しておく。でもイケメンだったら良いのか?

 私自身は『血の発現』以後、婦人科なみの診察を受けているから、上半身裸ぐらいは平気だ。むしろ、中途半端に下着姿の方が女装を見られるような気がして恥ずかしい。意識を変えていかなきゃとは思ってるけど、なかなか……。

 

 医者には「それ、地毛?」って訊かれた。多分、親のどっちかが外国人だと思われてる。

 

 

 

 程なく、由美香ちゃんも検診を終えた。

 携帯の連絡先を交換しようと思ったら、彼女は携帯を持っていなかった。中学生はほぼ全員持ってるものと思ってたけど、そうでない人もいるんだな。



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おかしいな?

 検診を終えて戻ると、更衣室はかなり混んでいた。と言っても、着替え中の人は居ない。何か雑談をしているだけだ。

 よくもまぁ飽きもせずに、どうでもいい話をする。そう思うのは『昌幸』の記憶だ。沙耶香さんにも言われたが、雑談が最大の課題だ。

 

 自分としてはかなりの速さで下着を着け、ブラウスに手を伸ばした。つもりだったが、由美香ちゃんは既に完了。私は経験値が少ない様です。

 そう言えば、家で着替えるときは時間を気にしたことは無かった。ちょっと練習が要るかも知れない。

 

 着替えを終えて出ると、昨日メール交換をした――確か、安川さん――とすれ違った。後ろから声をかけたが、気付かなかったのか更衣室に入ってしまった。

 さすがに着替え中に声をかける勇気はない。私は教室に戻ることにした。

 

 

 

 教室には男子の大半が戻っていたが、女子では私と由美香ちゃんが最初だった。上半身の下着一枚でこれだけ違うか。

 

 由美香ちゃんと他愛もない話をしていたが、共通の話題が乏しい。

 彼女は体育会系だし私は文化系。なにより女子歴が違う。

 海外で半ば隔離された入院生活という『設定』は、こういうとき助かる。

 

「昌ちゃんは、どんな番組見てるの?」

 

「小さい子がいるから、そういう番組ばかりだよ。

 朝はテレビ体操を一緒にしてから、0655までの流れかな」

 

「テレビ体操なんて、健康的!」

 

「『弟』は、体操のお姉さんが大好きなんだ。

 お子様のくせに『推し』がいるなんて、生意気でしょ!

 で、0655は癒しと人生の励みをくれるんだよ!」

 

「私も視てみようかな」

 

「0655はお勧めだよっ!」

 

 

 

 ひとしきり話していると、藤井先生が来た。男子は全員揃っているのに、女子はようやく半分に届こうかというところ。

 これからクラスの委員決めだけど、始められない。

 

 席に着いているが、川崎さんは私の後だし、先生が来ているのに振り向いておしゃべりというわけにも行かない。隣はまだ帰ってきていないし。うーん。

 委員会活動か……。なるべくヌルいのがいいな。間違っても体育委員とかは避けなきゃいけない。園芸委員とかも、早くから水を上げたりしないといけないからNGだ。

 

 委員会活動は必ずしもやらなくていいが、せずに済む確率は低い。それぐらいなら、予めヌルいのを選んだ方が良い。図書委員とかが無難かな。そうだ。海外で入院中は、本を読むぐらいしか無かったから本が好きって言えばなれるかも。

 

 でも、今の中学生ってどんな本を読んでいるんだろう。『前世』の『私』が中学生だった頃はSFか推理もの一辺倒だった。

 結構、背伸びして読んでたな。印象に残ってるのは『地球の長い午後』。たしかなんとか言う賞をもらってたはずだ。

 映像では『超時空惑星カターン』の回もよかったなぁ。結局、笛で一曲吹けるようになった他は、語り部としての記憶が残るだけの話だけど、余韻を残す、泣ける話だったなぁ。

 

 女の子は理解してくれないんだよね、こういう浪漫。結局、女の子にとってロマンチックってのは、恋愛とそれに伴う雰囲気だけなのかな。

 でも今の私の脳は女性のそれだし、それを感じることが出来なくなってるのだろうか? 確かにDVDをもう一度視ても、そのときの感動を思い出すことは出来るけど、もう感じることは出来ない。

 そう思うと、この身体になって得たものってあるのだろうか? 魚屋さんでオマケしてもらうぐらいしか、御利益(りやく)が無い。喪ったものばかり多く感じる。

 

 由美香ちゃんと話しても、共通して見ているテレビ番組すら無い。

 子どもの世話に忙しくてドラマなんて視るヒマがないし――あっても視ないか――、昨日なんか子ども達を寝かしつけてたら、そのまま私まで寝てしまった。

 何だかんだ言っても、久しぶりの学校で疲れてたみたいだ。

 

 一応、最近のドラマも視た方がいいのかな? HDDプレーヤは、幼児向け番組で一杯だ。もう一台買うか……。あ、今は車を使えないから、気軽に家電量販店に行けない。渚に言うと「無駄遣いするな」って怒られそうだから、ここは沙耶香さんに頼もう。

 去年のうちに通販しとけばよかった。

 

 私は文庫本を取り出して読み始めた。題名と表紙の絵柄は、女子中学生が読んでいても不自然ではない。けど、中身はSF。中学生で知っている人はいないと思うけど……。

 

 気がつくといつの間にか全員揃っていた。『ふわふわの泉』に浸かりすぎていたようだ。

 

 クラス会長は時間がかかったが、それ以下はすんなり決まった。体育委員はどうやら運動部顧問が一本釣りをかけていたようだ。

 私は、予定通り図書委員に滑り込んだ。男女とも希望者が一人しかいなかったからだが、私が「桂君、よろしく」と言ったとき、一部の男子生徒の視線が凄かった。私が先に決めてたら、どうなってたんだろ?

 

 

 

 そして給食時間。『前世』の頃は机を寄せたりしてたように思うけど、まだ机を寄せて食べる感じじゃないのか、それぞれの席で食べている。

 週明けぐらいからはそうなるのかな?

 

 久々に食べる給食は、懐かしさも手伝ってか美味しかった。ちょっとお代わりしようかとも思ったけど、女子中学生としてそれはアレな感じなので、様子を伺うことにした。

 実際、お代わりしているのは男子だけだったので、私の判断は正解だ。私にもイメージってのがあるのだ。

 

 昼休みも、昨日の六人には声をかけそびれた。さっさと食べてどっか行っちゃうし。

 

 結局、その日は声をかけるタイミングを逃したまま、帰ることになった。

 まぁいい。川崎さんとはいいお友達になれそうだし。友達が出来るか心配だったけど、案ずるより産むが易しってやつだな。

 

 

 

 翌日、教室へ入ると、何故か周りがよそよそしい。

 こちらから声をかけるのは躊躇(ためら)われるし、かといって待っていても声をかけてもらえない。うーんどうしようか?

 それとも私はぼっちなのか? 三日目にしてぼっち? そんな要素は無かったと思うのに。

 

 TSものの主人公って、普通はモテモテになるはずなのに。いや、なにが普通か分からないけどさ。

 

 おかしいな?



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お願いしますっ

 休み時間になっても、誰も話しかけてこない。男子も女子も遠巻きに見ているだけだ。川崎さん(由美香ちゃん)も委員会が忙しいのか、休み時間度に出て行く。

 私は手洗いに行く以外は、独りで時間が過ぎるのを待つだけだ。

 

 この姿は声をかけづらいのだろうか? 自分から行くべきなんだろうけど、女の子に自分からは声をかけづらい。かといって、男の子に声をかけるのもちょっと違う気がする。

 

 

 

 それは偶然だった。

 学校帰りに書店に寄ったら、安川さんらしい人を見かけた。

 近くまで行くとやはりそうだ。目があった瞬間、彼女は目を逸らした。悪いタイミングで遭ったという顔だ。絶対何か知ってる。

 

 立ち去ろうとする彼女の前に回り込んで声をかける。

 

「安川さん」

 

「お、小畑さん……」

 

「少し、訊きたいんだけど」

 

「私、急いでいるから」

 

「歩きながらでもいいよ。

 初日と、みんなが違うから、どうしてか教えて欲しいの。

 私、何かした?」

 

 

 

 結局、私がメールを返さなかったのが原因らしい。

 私のはスマホじゃないから、チャットみたいなアプリを使えない。わざわざメールを送っているのに完全無視した上、翌日も話しかけなかったのがおもしろくないらしい。――結果論で言えばそうだけど、声をかけようと思ったときには、スッとどっか行っちゃってたじゃないか。

 松下さんは、女子の中では結構大きな派閥を持っていて、彼女に睨まれるといろいろ具合が悪いらしい。安川さん自身も、私と話していることがバレると、立場が危うくなるようだ。

 

 何というか、下らない。

 そういえば、こういう話もテレビでやってた気がする。

 友達からの連絡にどれだけ短時間で応えるかが重要で、そのために四六時中スマホを触らざるを得ず、それそのものがストレスの元になっているとか……。

 でも、たかが一回のメールでそういう反応になるかなぁ。一ミスアウトって、どんな無理ゲーだよ。

 

 

 

 翌日も誰一人話しかけてこない。これは地味に効いてくると思う。

 私の場合、学校生活は『神子』になったことに付いてきたものだ。実際のところ、子ども達の世話や自分の勉強の方が優先順位は高い。

 でも、ほとんどの中学生にとっては学校生活がメインだから、そこでこういう状況になったら厳しい。それが判っているから、自分がその立場にならないために、傍観するという形で消極的に荷担するのだ。

 

 そんなことを考えている内にも、授業はつつがなく進む。

 

 

 

 その日も状況が変わることなく、私は依然としてぼっちだった。でも、この状況は何かと不都合だろう。確か連休前には宿泊を伴う社会見学があったはず。

 多分、生徒間の親睦を深めることも目的の行事だが、既に親睦よりも溝が深まってる私としては、班分けの段階で(つまづ)きそうだ。

 

 それにしても、松下さんってそんなに影響力があるのか?

 確かにクラスの中では強っぽい雰囲気を出してるけど、それだけに見える。

 

 私は意を決して松下さんに対峙(たいじ)した。

 

 

 

「ちょっと、いい?」

 

「何?」

 

「できれば二人で話したいんだけど」

 

 松下さんは一対一で話すことを拒否した。

 

 ……まいったな。みんなの聞いてるところで顔を潰すことになるかも。

 所詮は中学生、言い負かすのは簡単だろうけど、そうすると遺恨でもっとややこしい話になりそうだ。もともと感情的な事だけに、それを責めれば人格を攻撃されたと受け取るだろう。

 

 私は、メールの一件を話した。松下さんは誰からそれを聞いたかをしつこく訊いてきたが、それは今の話に関係ない。

 

「私が連絡先を教えてもらったのはあなたたちだけだし、この話に他の人は関係ないでしょ。

 あなたが私のことをどう思うかについて、私はどうしようもないけど、他の人を巻き込まないで下さい」

 

「何よ、偉っそうに! 私が何かしたって根拠でもあるの? 第一、それ、誰から聞いたのよ」

 

 だめだ。会話がかみ合わない……。もしかしたら、かみ合わせないようにしてるのか? 周囲は関わり合いになるのを避けるためか、誰も何も言わない。針のむしろだ。

 

 切り上げたいのに、落とし処に誘導されてくれない。話はあちこち飛んで歩くし、私を孤立させようとしていたこと前提の物言いまでする。なんで自分から墓穴を掘るようなこと言うかなぁ。

 

 向こうはもう退くに退けなくなっている。こっちもいい加減疲れてきた。

 

「とにかく、メールを返しそびれたのは謝るけど、それは私とあなたの間の問題なんだから、他の人は巻き込まないで下さい。お願いしますっ」

 

 私は一息で言い切って、頭を下げた。もう、こうでもしないと終わりそうにない。ある意味海千山千のオッサン達の方が、言葉が通じる分(くみ)しやすい。

 

 

 

 私は席に戻ると頭を抱えた。

 

 あんな言い方するつもりじゃなかったのにっ!

 

 思ったことが独り言になってたのか、由美香ちゃんが「気にしなくていいよ」と肩を叩いてくれた。今日初めて、相手から声をかけられたのと相まって、うるっと来てしまう。何で、この程度で。

 見上げると目が合った。数瞬見つめ合うような格好になったが、彼女は照れたように「体育の場所、確認してくるから」と、行ってしまった。

 

 

 

 五限目は数学。担任の藤井先生の授業だ。

 

「小畑さん、教科書の内容は大丈夫そう?」

 

「はい。特に解らなくなりそうなところは無さそうです」

 

 多分、理系科目は先生よりも出来ると思う。もちろん、理解していることと教えることとは別物だけど。

 でも、中学校で授業を受けるのは退屈になりそうだ。なぜか数学は午後ばかりだし、絶対眠くなる。

 

 

 

 鋼の意志で(まぶた)を支えて六限目、体育だ。

 完全に忘れてたけど、着替えは女子更衣室。嫌だなぁ。

 

 休み時間は短い。みんなが更衣室に殺到する。

 私も行ったが、隅の方は既に誰かが使っている。これは一旦出て、人波が()けるのを待った方が良いかな? いっそ、多目的トイレで……、あれこれ考えていると、由美香ちゃんが後ろから声をかけてきた。

 

「早く着替えないと遅れるよ。空くのを待ってるみたいだけど、みんなギリギリまで出てこないから」

 

「あ、ありがと」

 

 そういえば、健診のときも、大半はおしゃべりをして、帰ってくるのも遅かった。

 

 私はなけなしの勇気を振り絞って再び更衣室に入った。

 

 幸い、着替え中の女子は居ない。終わったならさっさと出ればいいのに。おしゃべりなら外でも出来るだろう。この辺の感覚がよく分からない。

 

 私は壁に向かって手早く着替えた。スカートを下ろしたときにちょっとどよめきの声が有ったが、だれも話しかけてこない。

 

 

 

 その日は先生の自己紹介と、ストレッチなどだ。二人ずつ組になるのだが、ここでも私は最後まで残ってしまった。

 状況はすぐには改善しない。

 

 体育委員ということで、由美香ちゃんが私とペアになった。

 

「やっぱり、みんな私と組になるのは嫌なのかな」

 

「そりゃ、そうでしょ」

 

 私がポツリと言ったことを、由美香ちゃんはまともに肯定する。微妙に傷つく。

 

「やっぱり、私はみんなから距離を置かれてるのかな?」

 

「それも少しはあるだろうけど、もっと切実な理由だよ」

 

「?」

 

「明らかにスタイルで負けてるもん。まず腰の高さが違う!

 昌ちゃんと一緒だとそれを突きつけられるから、大抵の女子は一緒にストレッチしたくないよ。

 あっちには男子もいるから、絶対、見比べられちゃうし……」

 

「由美香ちゃんは平気なの?」

 

「平気! とは言い切れないけど、身長がある分私の方がちょっと脚長いし、それなりに鍛えてるからね。

 って言うか、昌ちゃんの脚が凄いんだよ」

 

「叔父さんはもっと長いよ。

 ジーンズなんて、裾上げしたことないって言ってたし。身長は百八十五ぐらいだけど、股下九十センチだよ」

 

「いいなぁ。ウチはお母さんが大きいけど、お父さんは百七十無いから。バスケやるのに百六十五じゃねぇ……」

 

「でも、女子としては大きいし、あんまり大きいと服も既製品じゃ難しくなるよ」

 

「それもそうか。バスケも一生するワケじゃないし」

 

「そうそう。人並みが一番!」

 

「並外れたスタイルの昌ちゃんが言うと……」

 

「やっぱ、言うとイヤミに聞こえるかな?」

 

「普通はいい気しないかもね」

 

 見栄えがいいからって、それだけで好かれるとは限らないのか。現実は、なかなかテンプレ通りには進まない……。



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少しずつ

 編入して一週間経ったが、例の六人を始め、クラスとは今一つ疎遠なままだ。

 でも、由美香ちゃんを筆頭に、幾人かと少し親しくなれた。

 

 もともと由美香ちゃんは女バスのスタメンで、周囲りからも一目置かれている。美人だし、スタイルもいいし、誰とでも仲良くなれる気さくな性格で人気がある。

 彼女とは衝突した方が悪者になっちゃうのだろう。

 

 あと、古川さんと村田さん。二人とも、見事に文化系。

 どっちも固定した派閥というか、女子の仲良しグループに属してはいない。

 

 古川 詩帆(しほ)さんは本の虫って感じ。私が図書委員として図書室に行ったときに声をかけてくれた。実は同じクラスだって気付いていなかった。背も高くはないし華のある顔立ちではないけど、白い肌と切れ長の目が特徴の美人だ。

 私が図書委員にならなければ、彼女がなるつもりだったそうだ。

 

 村田 (つむぎ)さんは、その名の通りお裁縫が好きで家庭科部。中二にしてマイミシンを持っていて、制服の縫製を手直ししたり、自分の服だって作れるらしい。

 制服のブラウスとスカートをちょっと手直しすることで、スタイルがよく見えるよう地味な調整をしているそうだけど、私にはよく分からなかった。特にスカートは動くプリーツと動かないプリーツ、その可動範囲についていろいろこだわりがあるようだけど……、それこそ、よく分からない。

 彼女は、私と松下さんとのやりとりを聞いて、私に興味を持ったと言う。訊くと、私が誰からメールの話を聞いたかを言わなかったことについて「そういう『仁義』を通せる人って、女子ではなかなかいないのですよ」とのこと。

 って……。あれは『仁義』なんて立派なものじゃないし。あそこで言っちゃったら、次から本当の事を誰も教えてくれなくなるという打算が働いただけだよ。

 なんか、凄く買いかぶられてる気がする。

 

 

 

 今日は図書委員として司書当番をする。司書と言っても、本の貸し出しや返却の世話をするだけで、図書の整理とかはしない。

 一応、返却された本は十進分類順に並べておくけど、書架に戻す作業は司書教諭がすることになっている。

 

 最近の学校図書館は、――『昌幸』の時代と違い――視聴覚教材やコンピュータも充実している。DVDなども中で視ることが出来る。科学番組のDVDが主だけど、一部に歴史物とかもある。更にドキュメンタリー風のとか。

 あれって、マネジメントは失敗したけど、現場の勝手な行動が結果オーライだった例が多いから、ドキュメンタリーと言うよりドラマとして視るべきだよね。仕事の進め方という点では反面教師にすべき題材かな。

 

 

 

 今日は、何故か委員会をサボった桂君の代わりに詩帆ちゃんが隣にいる。

 勝手知ったるなのか、詩帆ちゃんはカウンターの中だ。

 

「ごめんね。私が図書委員に立候補したばっかりに……」

 

「いいわよ。でも、夏休みに読書感想文を書かなきゃいけないんだよ」

 

 最近の中学校がそうなのか、この学校がそうなのか、夏休みの宿題として読書感想文は出なくなったらしい。

 それはいいことだ。

 私は感想文が苦手だったから、ざっと斜め読みして後書きや解説を参考に書いてた。

 多分、今の中学生だったらネットで検索して、それを切り貼りして書くんだろう。そんな宿題に意味はない。

 

 それでも優秀作品をコンクールに出す必要があるということで、図書委員が書くことになっている。図書委員になるくらいだから本を読むのが苦じゃない層が集まっているだろうとの見込みなのだが、確かに読むのは苦じゃないけど書くのはちょっと……。

 現実問題として、女子中学生の感性からかけ離れた文を書きそうで怖い。

 

「お願い! 私の代わりに書いてっ!」

 

「高いよ」

 

「高くてもいいから」

 

 

 

 他愛もない会話をしていると、司書教諭がじっと見ていた。小声でも――特にカウンター内は――私語厳禁だ。

 

 詩帆ちゃんは本を取り出して読み始めた。

 私は懲りずに小声で訊く。

 

「ところで、どうしてカウンターで読むの?」

 

「ここがちょうどいい高さだから」

 

「ちょうどいい?」

 

「乗せるのに。

 普通の机だと低いから猫背になっちゃうし、かといって乗せてないと肩が凝るから……」

 

 乗せるって……。詩帆ちゃんを見たら一瞬で理解できた。同時に私の顔は熱くなる。多分、ぼんっ! って擬音が似合うぐらいの赤面だと思う。

 

「このぐらいで赤面しちゃって、かーわいぃ(棒)」

 

 当の詩帆ちゃんはすました顔で淡々と言う。

 

 私も本を読み出したが、一度気がつくと気になって、ついチラ見してしまう。

 大きい。単純なサイズだけなら沙耶香さんの方が凄いけど、この体格でこのサイズは……。うーん。どれぐらいの重さだろう。目測で三五〇ミリリットルを超えるぐらいか? 両方で大瓶一本強なら結構な重さだ。

 

 私の視線に気付いたか、詩帆ちゃんがこっちを向く。

 

「大きいと、それはそれで大変なんだよ。重いし、動けば痛いし。本当は、教室の机にも乗せる台が欲しいぐらいだよ。

 いいなぁ。昌ちゃんぐらいがベストサイズなんだけどな」

 

「そ、そうかな? でも私のは筋肉で上げ底だよ」

 

「だからいいのよ。おさえも効くから揺れてもあんまり痛くないし。男子にジロジロ見られないし」

 

 その後も少し乳談義。何が困るというと、夏場に汗がたまるのが地味に堪えるとのこと。小まめに拭いたり空気を当てられればいいけど学校ではそうもいかず……。大きいには大きいなりの苦労があるようだ。

 

 

 

 四時近くになり、図書室も閉館時間が近づく。

 もともと図書室の利用は少ない。五人ほど残っていた生徒を追い出し、軽く掃除して私たちも帰ることにした。

 詩帆ちゃんとは帰る方向が逆なので、玄関でお別れだ。

 

 玄関を出ると、グランドでは野球部やサッカー部が練習している。

 自転車を走らせると、学校の周囲の道路を運動部の生徒が走っている。

 

 友達を作るには、部活でもした方がいいのかなぁ。

 でも、帰ったら買い物して、夕食の下ごしらえ、そして子ども達の世話……。週に二、三日ならともかく、毎日は無理だ。

 

 どうして部活って、どっぷりと浸かるか全く参加しないかの両極端しか許されないんだろう。

 大会とかを一つの目標にする以上、参加の度合いに濃淡があるとめんどくさいことは解るけど……。健康目的とかでユルく参加したいとかは、ワガママなのかな?

 

 

 

 私は家に荷物を置くと、買い物カゴを持って出かけた。ウィッグは、まぁいいか、近所だし。登下校じゃないし。

 

 白髪で注目されることは減ってきたが、制服のままで行くのは初めてだ。制服で白髪は結構目立つようで、特に他校の制服を着た子がチラチラ見てくる。

 

 やっぱり、着替えてくるべきだったかな?

 アニメとかだったら、制服に変な髪の色でも違和感がないのに、現実には違和感が有りまくりだ。

 

 

 

 私を見て魚屋のおっちゃんが目を丸くした。

 

「姉ちゃん、北部中?」

 

「はい。この春から通うことになりました。先月までは自宅療養だったんです」

 

「へぇ。俺ァまた、何とかスクールとかホームステイとばかり思ってたよ」

 

「これでも一応日本人で、生まれたときは黒い髪だったんですよ。

 あんまり人に言うことじゃないけど、大きな病気をして、治療の副作用で白髪になっちゃったんです。

 それに弟や妹と一緒に来てたし。妹なんか、私とそっくりだったでしょ?」

 

「あー、そりゃ、悪ィこと訊いちまったなぁ」

 

 おっちゃんはバツが悪いどころか、済まなそうな、困ったような表情だ。

 

「いいですよ。気にしてませんから。ぷんぷん!」

 

 ちょっとツンとしてそっぽを向くと、おっちゃんは更に慌てた。私はそれを横目に陳列棚を見る。これは美味しそうだ。

 

「今日は、これにしよう」

 

 マダイとサヨリの刺身を一パックずつ取った。

 

「相変わらず、いいの選ぶねぇ」

 

 威勢良く言い、小声で「内緒だぞ」と『おつとめ品』の割引シールを貼ってくれた。ラッキー!

 

「やったぁ! ありがとう!」

 

 おっちゃんに笑顔をプレゼントして売り場をあとにする。

 でも、なんか悪いことしたような気がしてくる。

 

 沙耶香さんなら「女子力よ」って言うのかな?



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社会見学に向けて

 今日のHRは四月末に行われる社会見学の班分けだ。

 

 男女で班分けして、その班をくっつけることで男女混合の班を作る。クラスは、男子十五名、女子十六名。女子は三人の班が四つと四人の班が一つできる。

 

 新しいクラスの親睦を深めるのも目的なんだから、仲良しグループがばらけるように、と言わないまでも、ランダムに決めてくれればいいのに。

 孤立しかかってる私としては辛いものがある。

 

 そう思っていると徐々に決まって行く。二人しかいないところに入っていく勇気はない。多分、あの六人組で二班が決まるから、早く決めないと。

 由美香ちゃんが声をかけてくれればいいけど、彼女は男子の体育委員と何か話している。

 

 

 

「一緒に班を作る?」

 

 詩帆ちゃんが声をかけてくれた。

 

 もう一人はどうしよう? と思った瞬間、紬ちゃんが「じゃ、紬も混ぜてなのです」と来てくれた。良かった。三人確定。

 ささっと黒板に名前を書いた。下手に二人の班が出来はじめると、私たちの班がばらけちゃうからね。

 でも、見事に無所属ばかりが集まった班だ。

 

 そうこうしているうちに、女子の班分けは完了。あれ? 由美香ちゃんがまだだ。

 

「昌ちゃん、私、そっちに混ぜてもらっていい?」

 

 由美香ちゃんを断る理由は無い! もしかして由美香ちゃん、二人だけの班が出来たり入れない子が出たときに、班を作る気だったのかな? 中二でそんなこと出来るなんて、加えてこの容姿だ、そりゃ人気あるに違いない。

 

「昌ちゃんとは、もっと仲良くなりたいし、村田さんとはあまり話したことが無かったから」

 

『話したことが無かったから』なんて……、女の子だけど『ハンサム』って評価をしたくなる。私よりよっぽど大人なんじゃないだろうか? 惚れてしまいそう。

 

 

 

 男子の班が決まるまでの間、社会見学の日程表を見る。

 

 一組と三組は、一日目は工場見学と移動、二日目は農業法人でイチゴの収穫体験。二組と四組は逆の日程だ。一日目の工場見学は長い。昼食を挟んで午後も工場を見る。

 

 機械メーカーの工場を見学するのだけど、レジュメを見る限り小綺麗な組立工場しか見られなさそうだ。本当は溶接工場とかが一番面白そうなんだけどな。火花が散ってると造ってる感がある。でも加工工場はいいや。切削水は臭いし。

 

 お弁当は要らない。それもそうか。弁当がらを持って宿泊地にってのは、生徒が一斉に洗い始めたら大変だ。

 ドライヤーも持ち込み禁止。これは女子を中心に文句が出たが、各部屋で一斉に始めたら、ブレーカーが落ちるから仕方ない。

 でも「三十分はかかる」とか言ってるのもいる。最近の女子中学生って頭を乾かすのに三十分もかけるのだろうか? そんなにかけるんだったら、三十分早起きすればいいのに。

 とりあえず私は自然乾燥でもいい。短いし。どうしても必要なら、大浴場に備え付けられてるのを使えばいい。

 

 ふと、母に連れて行かれた美容院のことを思い出す。

 何故か美容師が皆、伸ばすことを勧めてきた。でも、髪が耳にかかると気になる。髪を結うことや、そのためにもある程度長さが要るとか、いろいろ勧められたが、結局バッサリといったのだ。本当はもっと短くしたかったけど、女の子はこれぐらいが限度と言われ、ショートボブになっている。未だに耳や襟足に髪が触れる感覚に慣れない。

 

 

 

 私はレジュメに目を戻した。

 泊まりは班で一部屋。もちろん相部屋ではない。

 

「何で個室とか、せめて二人部屋じゃないんですかね」

 

 紬ちゃんがぶつぶつ文句を言う。

 

「十月十日後が心配になることが起こらないようにじゃない?」

 

「でも、いくら禁止したって、ヤルときはヤルのですよ」

 

「その確率も下がるし、何より防犯上ね。

 望んでするなら自業自得だけど……、そうでなかったらそれこそ大変だし」

 

 私が言うと「あぁ、そうか」という顔をする。

 私が言うのも変だけど、この子も無防備なんじゃないだろうか?

 

 

 

 そのあと、男子のどの班が私たちの班とくっつくかで、ちょっと揉めたようだ。私がいる班は、容姿のレベルが高いし。

 萌え系の紬ちゃんに、和風美人で巨乳の詩帆ちゃん。クラスの誰からも好かれる由美香ちゃん。それに私だって、見た目だけなら他のメンバーに負けてない、と思うし。

 

 ちなみに、向こう半年はこの班単位で、理科の実験や家庭科の調理実習なんかもするらしい。でも、調理実習はともかく実験なんかこんなに人数がいても遊ぶ人が出るだけだろうと思う。

 

 

 

 翌日はスポーツテスト。『前世』ではあまり体育は得意でなかったけど、今は違う。絶対的なパワーは比較にならないが、今の身体にはバネと柔軟性がある。

 

 種目を見ると、私が中学生だった頃とは随分違う。走り幅跳びは助走無しの立ち幅跳びになった。

 懸垂や、踏み台昇降運動という意味不明の種目は消えた。代わりにシャトルランという嫌がらせのような種目がある。

 

 

 

 出席番号順になるので、私は由美香ちゃんとペアを組む。

 五十メートル走は、スタートでは一歩前に出たけどコンパスの違いかフォームの違いか、トップスピードで負けた。

 

「へぇ、やるわね」

 

「でも、負けました」

 

「フライングしないでスタートで勝つなんて大したもんよ。バスケのダッシュは、三歩で勝負が終わるんだから」

 

 そういうものか。バスケはやったことはないけど、確かに球技のダッシュはスタートが肝心だろう。

 

 

 

 詩帆ちゃんはちょっと残念な記録だった。

 でも男子の注目を一身に集めていた。どこがとは言わないけど。

 

 女子はそんな男子を冷たい目で見ていたが、男の子だから仕方ない。沙耶香さんを見慣れた私でさえ目を奪われるんだもん。

 紬ちゃんが後ろから話しかけてきた。

 

「昌ちゃん、えっちな目で見てたのです」

 

「えっちな目じゃないよ。揺れて、痛そうだなぁって」

 

「ウソなのです。視線がえっちだったのです。

 もしかして昌ちゃんって、そっちの住人ですか?」

 

「そっち?」

 

「百合のです」

 

 うーん。もしかしたらそういうことになるのかな? 少なくとも男性に対してそういう視点を向けたことは無いけど、すてきな女の子を見ると、目を奪われるし……。実際の所はどうなんだろ?

 

「ちょっと、そこで黙らないでよ!

 マジなの? ガチなの?」

 

 詩帆ちゃんはかなり焦った顔だ。

 

「まだ、分かりません。恋とかは私には早いみたいですから」

 

 

 

 種目はどんどん進む。中でも握力は、ふっふっふ、今のところ私がトップ! 三十六キロ。一年前は利き手じゃなくても六〇キロぐらいあったことを考えると残念だけど、体重が三分の二ほどになったんだから仕方がない。

 

 でも、シャトルランだけは……、由美香ちゃんと差が付いた。

 

「うー……、もう少し行けるかと思ったのに……」

 

「でも去年まで病気しててその記録は凄いよ。

 昌ちゃんは部活とかしないの?」

 

「する時間が無いんだ。お継母さんはフルタイムで働いてるし、弟や妹はまだ小さいし……」

 

「そっか。ごめんね。

 私、おしゃべりの失敗が多いね」

 

「気にしないでよ。どうせ誰かに訊かれただろうし。

 由美香ちゃんには悪いけど、一番始めに友達になったから、そういうことも一番初めなだけだよ。

 それに、多分これでネタ切れだから、もう心配は無いと思うよ」

 

 由美香ちゃんはいい子だなぁ。



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あの子との出会い

 こんなきれいな子がいるんだ……

 

 それが初めて見たときの印象。

 

 

 

 始業式の日だった。

 クラスのメンバーは八割がた変わっている。と言っても、ほとんどの名前は見たことがある。去年の体育祭(運動会)準備で名簿を見ているから、名前だけは大体知っている。

 

 名簿の中に見慣れない名前があった。

『小畑 昌』、転校生かな? どんな子だろう?

 教室にそれらしい姿は無かった。始業式を終えて出席番号順に座ると、私の前の席が空いている。『小畑さん』、今日はお休みかな?

 

 

 

 それは藤井先生の自己紹介が終わった後だった。

 

「それでは、皆さんにも自己紹介して貰いますが、その前に、気になってることがありませんか?」

 

「その席!」

 

 声の主は三枝(さえぐさ)男バス(男子バスケットボール部)のお調子者だ。うん、私も気になっていた。

 

 藤井先生によると、その子は病気の治療で長いこと海外にいたらしい。そして治療の副作用で外見が私たちとは少し違うそうだ。

 初めからではなく先生がわざわざ断ってから教室に入れるなんて、余程の外見なのかも。病気で外見が変わるって、女の子にとっては、いえ、男の子でも、ものすごく辛くて大変なコトに違いない……。

 

「それじゃ、小畑さん、入って下さい」

 

 教室の戸が開き、女の子が入ってきた。

 私は少し構えてしまった。でも、それは良い意味で裏切られた。

 まず目をひいたのはその真っ白な髪。そしてほっそりとした(からだ)に小さな顔。黒目がちの大きな目。その目は蒼かった。

 

 こんなきれいな子がいるんだ……

 

 黒板の深い緑の中に、真っ白い髪と同じく白い肌の顔、背景とのコントラストからか、淡い光を纏っているようにさえ見える。それがあの子の姿を一層神秘的にしている。

 男子だけでなく女子の大半も彼女に見とれている。こんなとき大騒ぎしそうな三枝まで、呆けた様に口を半開きにして見ている。

 

 年明けぐらいからだろうか、噂になっていたのは彼女に違いない。見かけたらしい男子が「天使がいた! 妖精がいた!」と騒いでいたけど、それも言い過ぎじゃない。

 

 その『天使』は、藤井先生の隣まで来ると自己紹介を始めた。

 

「初めまして。小畑 昌といいます。

 こんな色の髪と目ですけど、日本人です。

 よろしくお願いします」

 

 先生の説明によると、小畑さんは治療の副作用で色素を作る力をほとんど失って、白髪に蒼い目という外見になったそうだ。病気や治療の中身については触れられなかったけど、白髪になってしまうほど大変な治療だったのだろう。

 

 その日はそれ以上の話は無く、彼女と話すことも出来なかった。正直、小畑さんの外見に気後れしてしまって、声をかけられなかった。明日こそ声をかけよう!

 

 バスケ部のメンバーとお弁当を食べているときも、小畑さんの話で持ちきりだった。特に男バスの連中は、何とか接点を持とうとしているようだけど……、肝心の三枝が半分腑抜けになっている。そうなるのも分からないではないけどね。

 

 

 

 翌日の身体計測では小畑さんとペア。彼女と話す機会が出来た!

 

 彼女は先生が言っていた通り、同年代の人に慣れていないみたいだ。そして感性も違う。自分の肌を見られたときより、私の肌を見たときに恥ずかしがっている。

 

 彼女は、そのほっそりとした躯の割に、意外と体重があった。でもシャツを脱いだ後ろ姿を見て納得、明らかに鍛えた身体だ。私も鍛えているから判る。あの身体は一朝一夕にはつくれない。

 どんな病気をしたかは分からないけど、病後は相当に厳しいリハビリをしたに違いない。

 

 その後、ジャージに着替えた彼女を見て更に驚いた。

 脚が長い!

 私より十センチほど背が低いのに、腰の高さがほとんど同じ。日本人離れした体格だ。

 

 それを見て、私は思わず失言をしてしまった。スタイルを誉めるつもりで「外人みたい」と口にしたのだ。きっと彼女はその髪や目の色を気にしているに違いないのに。せっかく仲良くなれそうだったのに。

 

 でも、そんな私を昌ちゃんは笑って許してくれた。ううん、笑ってはいたけど、その笑顔はぎこちないものだった。本当は、気にしてるんだ。きっと。

 

 

 

 家に帰ってから、お母さんに新しい友達が出来たことを話した。

 

「珍しいわね、由美香が外見のことから話すなんて」

 

「だって、本当に美人だよ! スタイルもすっごくいいし」

 

 小さい弟と妹がいることや、三月まで病気療養だったことを話していたら、お母さんは意外なことを言った。

 

「その小畑さんって子、もしかして、銀色の髪の、とってもきれいな子じゃない?」

 

「知ってるの? 髪のこと、言ってないのに」

 

「見たこと無いけど、話には聞いたことがあったのよ。結構、噂になってたし」

 

 

 

 お母さんから聞かされたのは、かなり重い話だった。

 

 昌ちゃんの実の両親は既に他界していて、今は実父の家に継母と暮らしていること。当然、弟や妹とは母親が違うこと。現在同居している家族とは帰国して初めて会ったらしいということ……。

 

 今でこそ、本来の銀色の髪で生活しているけど……、初めは黒髪のウィッグを着けていたそうだ。それでも目を惹く美しさで、買い物客の間ではちょっとした噂になっていたらしい。買い物に来る時間が時間なので、ワケ有り――不登校とか――だとも思われていたようだ。

 

 ところがあるとき、何かのひょうしにウィッグが取れてしまい、彼女の銀髪が露わになった。そのときに、彼女が父の通夜で倒れかけた銀髪の少女だということが知れた。――通夜の一幕も、彼女の容貌と相まって、あちこちで話の種になっていた。

 

 

 

 昌ちゃんは、大きな病気をしただけでなく両親も失っている。自分だったら耐えられただろうか? 絶望してしまったんじゃないだろうか……。

 

 お母さんは「いいお友達になれるといいわね」と締めくくった。

 なりなさいでも、なって上げなさいでもない。

 

 うん。きっとなれるよ。



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第七章までの主要登場人物

小畑 昌 おばた あきら

 

 本作の主人公。

『血の発現』によって現在の姿となる。公称十三歳、戸籍上の年齢は十六歳。これは昌幸が留学中に作ったという設定のため。

 髪は白、目は明るい群青、色白で童顔は前世から。

 身長一五三センチと、中学生としてはほどほど。

 かなり痩せた体躯に対して体重は重い。これは昌幸の体脂肪率を引き継いだためで、服の下はかなり筋肉質である。

 

 

 

小畑 渚 おばた なぎさ

 

 小畑昌幸の妻。とある会社で経理事務をしている。

 長身で整った容貌ではあるものの、華のある外見ではない。

 性格はかなり楽天的。過去に声優を目指していて劇団経験もあるが、顔も小さく舞台映えがしないため、その分野は早々に諦めることに。その過去については、夫である昌幸に知らせていなかった。

 一六五センチという長身の割に体重が軽いのは、体脂肪率が高いから。実は慢性的に運動不足で、四十キロ台を死守するのが難しくなりつつある。

 昌幸には過ぎた奥さん。

 

 

 

小畑 周 おばた あまね

 

 昌幸の第一子。登場時で三歳。

 性格はかなりワガママで向こう見ずなところがある。昆虫や恐竜が大好き。母親似の整った容貌をしている。

 

 

 

小畑 円 おばた つぶら

 

 昌幸の第二子で長女。登場時で一歳。

 少し人見知りな甘えん坊で、女児としては言葉が遅い。容貌は父親似で、将来は昌に似た美人になるだろう。

 

 

 

神子・比売神子

 

竹内 沙耶香 たけうち さやか

 

 登場時で戸籍上は二十五歳ということになっている看護師。現役の『比売神子』では最年少ながら、次席の立場にある。当代の比売神子としては、最も『格』が高い。

 栗色の髪に青い目、加えて一六七センチという長身で肉感的な姿は日本人には見えないが、血縁には五代遡っても日本人しか居ない。

 前世では英文科だったが『血の発現』で死亡したこととなった。現在は看護大学校を経てとある病院に看護師として籍をおいている。

 

 

 

比売神子様

 

 筆頭比売神子で、本名は非公開。通常は『比売神子様』と呼ばれる。外見は還暦ほどの白髪の女性。

 戦前の生まれで、戦中に『血の発現』を経て『神子』となった、現役最年長の比売神子。

 茶道楽で、茶器も数多く所有している。

 

 

 

山崎 光紀 やまざき みつき

 

 神子の一人。登場時 高三

 十二歳で血の発現を迎えたため、神子となっても年齢が変化せず、唯一、戸籍の変更をしていない神子。

 高校では成績優秀にして合気柔術の達人。才色兼備の美少女だが、実はマンガを始めとしたサブカルに詳しく、それを隠すこともしていない。そこも含めて彼女に憧れるものが多いのは、美少女特権としか言いようがない。

 昌を男の娘扱いしている。

 

 

 

神崎 千鶴 かんざき ちづる

 

 登場時 高一

 外見はカワイイ系のアイドルっぽいが、実は物静かで思慮深い性格。

 

 

 

牧野 直子 まきの なおこ

 

 登場時 中三

 しっとりとした和風美人。背中の半ばに達するストレートの黒髪、切れ長の目、白い肌はまるで人形の様。

 

 

 

芝浦 優奈 しばうら ゆうな

 

 登場時 中二

 丸顔に左右高さの異なる短いツインテールは、童顔の彼女を小学生のように見せるが、立ち上がるとスラリとした七頭身半。

 

 

 

森 聡子 もりさとこ

 

 登場時 高二

 そこそこの進学校で、上位の成績。

 山崎光紀とともに、昌を男の娘扱いしてる。趣味嗜好が光紀と合うため、二人は仲がよい。

 光紀とは逆に、サブカル系の趣味は隠しており、高校ではクール

な美少女で通している。

 

 

 

クラスメイト

 

川崎 由美香 かわさき ゆみか

 

 昌のクラスメイト

 バスケットボール部で二年生ながらスタメンの一人。誰とでも仲良くなれる気さくな性格。ボーイッシュな美少女で男子より女子生徒からの人気が高く、バレンタインデーにはかなりのチョコを貰ったらしい。

 バスケ優先の生活をしているせいか、成績は良くて中の上どまり。

 本人は与り知らぬことだが、新入生はもちろん、同学年からもお姉様と慕われている。

 

 

 

古川 詩帆 ふるかわ しほ

 

 昌のクラスメイト

 放送部所属で、アナウンス部門で県大会の出場経験あり。学業成績も学年で五位以内を守り続ける優等生。

 小柄ではあるが、切れ長の目が特徴の色白美少女。そして体格に似合わぬ巨大なお胸を持っている。そのためか、スポーツ全般を苦手としている。本人としては、もう少し背が高いか、胸が小さければというコンプレックスがあるが、大抵の女子にとっては贅沢な悩みである。

 特定の仲良しグループには入っていないが、その凜としたたたずまいと成績から、周りに一目置かれている。

 

 

 

村田 紬 むらた つむぎ

 

 昌のクラスメイト

 家庭科部所属。自前の裁縫道具を持ち、制服の縫製を手直しするレベル。

 大きな目がチャームポイントの美少女。自分の外見を理解しており『萌え系美少女』を演出している。一人称が『紬』であることや『なのです』口調もその一環。

 サブカルに詳しく、その外見と裁縫のウデを活かして……。

 特定の仲良しグループには属していないが、人間関係の力学にも長けていて、女子の間では等距離な位置を確保している。

 学業成績自体は、上位十五番あたりをウロウロしているが、単に勉強をしていないだけ。頭の回転が速く、いわゆる地頭の良さは、古川 詩帆を凌ぐ。



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第八章 合宿
夜の散歩


 蒸し暑い。

 まだ四月も後半に入ったばかりというのに。

 

 暑いせいか、子ども達もなかなか寝付いてくれなかった。

 この暑いのにくっついてくるからイライラするし、それを感じ取ってか子ども達がなかなか寝付かないので大変だ。

 

 寝付いた子ども達のタオルケットをなおし、ダイニングに戻る。冷たいものでも飲もうと冷蔵庫を開けたが、こんな日に限って品切れだ。

 冷凍庫のアイスクリームも以下同文。

 

「買いに行くか……」

 

 でもコンビニまで自転車で行くのもめんどくさいな……。よし!

 

 私は久しぶりにウィッグを着け、体型が出にくいデニムのワンピースを着ける。サングラスを持って『私』の車に乗り込んだ。

 

 ハンドルを握るのは何ヶ月ぶりだろうか。自然と笑みが出る。顔バレしないよう、隣の市のコンビニまで走る。

 

 

 

 コンビニでペットボトルのジュースとお菓子を幾つか。レジは気だるそうな顔をした四十代半ばの女性だ。誰何されることなく支払いを終え、車に乗り込んだ。

 

 せっかくだから少し遠回りをして帰ろう。

 少し欠け始めた月が煌々と照らす中、幌を開けて月光浴しつつ走る。

 

 オープンカーというと、髪がたなびくイメージがあるが、最近の車は風の巻き込みがほとんど無い。もっとも、巻き込む風は後ろから後頭部や背もたれに当たるよう吹くから、髪が後ろに、なんてことは有り得ない。

 意外に思われるかも知れないが、屋根を空けるよりも、屋根を閉めて窓だけ開けた方が、車内の空気はかき回されるのだ。

 

 ちなみに、どれぐらいの速度でヅラが飛ぶかという実験をした例もあるが、ディフレクターさえ立てていればそうそう飛ばない。某高級車であれば、二百キロオーバーでも頭髪が威厳を失うような事故は起こらないらしい。

 もちろん私はヘアピンで固定しているので心配無い。

 

 もう少し心地よいドライブを愉しみたいがそろそろ潮時だ。幌と窓を閉めて家路につく。

 と、電話が鳴った。(まず)いな。(なぎさ)が起きたのかな?

 

 車を停めて電話を見ると、沙耶香(さやか)さんだ。

 

「もしもし? こんな時間に何ですか?」

 

(あきら)ちゃん、できたら今から言うところに来てくれないかしら?」

 

「え? どこですか?」

 

 沙耶香さんが指定した場所は、ここから五キロほど後ろだ。家からは十キロ近く離れている。

 

「そんな遠くに今からですか? 一時間ぐらいかかりますよ」

 

「無理に、とは言わないわ。

 でも、あと一キロ少し先で、飲酒運転の検問やってるわよ。

 止められて職質されたら、ちょほいと大変よ」

 

 う、バレてる。何で……?

 

「五分で来られるわね」

 

「は、はひ」

 

 この声の方が、『格』より怖い……。

 

 

 

 指定された会館の駐車場に着くと、沙耶香さんが腕組みして立っていた。

 車から降りた私を認めると、沙耶香さんは無言のまま(きびす)を返して玄関に向かう。私も無言で後を追った。

 

 小会議室と札の付いた扉をくぐるとテーブルを挟んで椅子が八脚。

 

「座って」

 

 私が座ると、沙耶香さんが向かいに座った。

 

「変装しなきゃいけない、という程度の分別(ふんべつ)ははたらいたのね。

 無免許運転するなんて、貴女、いくつ?」

 

「……」

 

「中身は四十近いわよね」

 

「その歳の『私』は免許持ってます。ゴールドだから、失効してませんし」

 

「中学生でしょ!」

 

「だったら、四十の判断力を求めないでよ!」

 

「中学生が小学生でも、無免許運転の是非は判るでしょ!

 頭の中まで子どもになったの?」

 

「……」

 

「何か、言いたいこと、ある?」

 

「ありません」

 

「今日、貴女の追跡に何人動いたか、知ってる?」

 

 追跡? どういうことだろう?

 

「貴女のすることは貴女だけの問題じゃなく、『比売神子』の存在全体に関わる可能性があるのよ」

 

 私に興味を持った人間が、出自を調べれば……。

 公的記録が造られたものだと気づき、そこに何か秘匿すべきものがあると思われたら……。

『血の発現』に伴う変容にまで辿り着くことは無くとも、『神子』という立場に何らかの影響が出るかも知れない。

 

 沙耶香さんは私の表情を見て深呼吸をした。

 

「これ以上、この件については話す必要は無いでしょう。貴女なら危険性を理解できるでしょうから。

 でも、車はこちらで預からせて頂きます。

 理由は、言わなくても判るわね」

 

「はい」

 

 

 

「ところで、学校では孤立気味らしいわね」

 

「……」

 

「貴女は、周囲りを子どもだと思ってるでしょ。

 実際、知識も判断力も、比較にならないでしょうね。……今晩の一件を別にすれば。

 

 でも、そういう気持ちで周囲りを見ている限り、ずっとこのままよ。別に、見下しているわけじゃないでしょうけど、彼らなりに大切だと思っていることを、下らないと考えてるんじゃなくて?

 

 終わったことは変えられないし、貴女もすぐには変われない。

 でも、貴女はもっと学ぶべきね。少なくとも全員、女としては人生の先輩なんだから」

 

 

 

 私は沙耶香さんの車で家まで送られた。

 温くなったジュースを冷蔵庫にしまうと、涙が溢れてきた。

 

 沙耶香さんの言うのが正論だろうけどさ。

 でも、以前は当たり前にしてきたことも出来ず、かといって年少者として振る舞うこともできない。

 子ども扱いと大人扱いを都合良く使い分けられてる……。

 

 帰り道にカーラジオから聞こえた『アルハンブラ宮殿の思い出』が耳から離れない。

 

 

 

         ――同時刻 車内――

 

 

 

「はい。竹内です」

 

 

「はい、今、送り届けたところです。

 今後、こういうことは起こらないでしょう」

 

 

「変化、ですか?

 確かに変わりつつあります。やや不安定ですが」

 

 

「そうです」

 

 

「恐らく半年前、いえ、二ヶ月前までの彼女なら、今日のようなことはなかったと思います」

 

 

「仰るとおり、心が肉体の年齢に引かれているようです。その兆候は以前からありました」

 

 

「それは、判断が難しいです。

 今回は、学校で孤立しているストレスと、月経前症候群が重なったためでしょう」

 

 

「いえ、それが精神の女性化と言えるかは疑問です」

 

 

「はい。その件はもう少し時間がかかると考えます」

 

 

「はい。以前報告したとおり、理性が緩んだときにその側面が現れます」

 

 

「……あれで挑発に乗りやすいところもありますから」

 

 

「私見ですが、それはあまり良い方法とは思えません。

 やはり、『昌幸(まさゆき)』としての人格を尊重……」

 

 

「……はい。私もそう考えております」

 

 

「仰るとおりです。むしろ早いぐらいかと……」

 

 

「今のところその心配はありません。その心配が必要になれば、むしろ重畳(ちょうじょう)と言えるのでは?」

 

 

「はい。お任せ下さい」

 

 

「はい、分かりました」

 

 

 ……



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初めての合宿

光紀(みつき)さん、遅くなりましたけど、大学合格おめでとうございます」

 

「ありがとう、昌クン。

 これで私も花の女子大生よ。それにもうすぐ恋愛も解禁だし」

 

「そうなんですか?」

 

「血が出て、もう六年になるから。

 比売神子を諦めるかどうかを決めるリミットなのよ。多分、諦めることになるけど」

 

「諦める?」

 

「私は血が出るのが早かったから。それだと『格』もそれなりにしかならないのよね」

 

「それは……、残念ですね」

 

「そう? 私は良かったと思ってるわ」

 

 

 

 後で聞いたところ、彼女は中学生になって間もなくに『血の発現』を迎えたそうだ。そのため外見上の年齢がほとんど変わらず、『山崎 光紀』のままで家族とともに生活できたという。

『血の発現』を迎えた『神子』の多くが違う土地で別人として暮らさなくてはならないことを考えれば、彼女は幸せといえるだろう。

 

 もちろん、『比売神子』になれなくとも、今後も彼女の行動や職業選択にはある程度の制限が加わる。ただし、公務員などの形で私たちのバックアップをする立場になるなら、いろいろと特典もある。

 

 

 

「ところでどこの大学でしたっけ」

 

 訊くと彼女が通うのは私が住んでいるところにほど近い国立大学だ。

 

「昌クン、一緒に泊まりは初めてね。

 私は多分あと二、三回ぐらいしか無いだろうけど、最後に同衾(どうきん)できて嬉しいわ」

 

「ど、同衾って!」

 

「あら、照れちゃってカワイイ」

 

 

 

 私は今回初めて、合宿に泊まりで参加するのだ。

 ただ、昨夜の厳重注意直後なので沙耶香さんとは気まずい。いつもなら助手席だけど、今日は後部座席で光紀ちゃんの隣に座っている。

 途中で更に一人拾うことになるので、車はいつものカブリオレではない。国産の高級セダンだから、後部座席も広々だ。

 

「今日の行き先は北陸よね? 食べ物が美味しいから大好き! 私の送別会も北陸がいいな」

 

「そうですね。でも、どうせなら冬の方が良かったなぁ。冬は特に美味しいですよ。カニ、エビ、寒ブリ……。カニは終わりだろうけど、それでもまだまだ美味しいものはあると思います」

 

「それは楽しみね、夕食に期待! 

 沙耶香さん、聡子(さとこ)ちゃんは途中で拾うの?」

 

「そうよ。次のインターで降りるわ」

 

 

 

 インターを降りると海鮮が食べられそうな看板に混じって『すっぽん』とか『スッポン』の看板がある。

 

「ねぇねぇ昌クン、この辺ってスッポンの名産なの?」

 

「さぁ。聞いたこと無いですけど。どうなんでしょう」

 

「やっぱり、温泉に向けてスタミナをつけるのかしら?」

 

 光紀さんは十三かそこらで『血の発現』を迎えて今に至る。ということはそういう経験は無いはず……、だと思うけど。

 

「温泉でのんびりしに行くのに、スタミナですか?」

 

「温泉で同衾するからスタミナなのよ。スッポンを食べれば、昌クンのスッポンもスッポンみたいにスタミナが付くわよ」

 

「ボクはスッポンじゃありません!」

 

「じゃぁ、何?」

 

「何って……、何でしょうね?」

 

 一瞬、寿司ネタの一つを思い浮かべたが、余りにも下品なので口には出さない。

 

「マムシ?」

 

「マムシなんか付いてませんっ!」

 

「……じゃぁ、まさか、ツチノコ? 顔に似合わず!」

 

 この人は、耳年増だ。欲求不満に違いない。

 

「光紀さん、ボクのこと何だと思ってるんですか?」

 

「理想の、美少年?

 恋愛解禁になったら、スッポン持ってくから昌クンのスッポン食べさせてちょうだいね」

 

「だから、スッポンは持ってませんからっ!

 ほんとにもう……。すっぽんぽんになってスッポンスッポンする話は止めましょうよ」

 

 光紀さんが絶句している。あれ?

 

「昌ちゃん。さすがに今のはちょっと……、女子の言うことじゃないわね」

 

 沙耶香さんはそう言うけど、そうなんだろうか? 言っていいラインがどこまでなのか判らない。どう考えても、先に踏み越えたのは光紀さんの気がするんだけどな。

 

「美少年だと思ってたのに、美少年だと思ってたのに……。

 昌クンがオヤジギャグを言うなんて……」

 

 光紀さんはヨヨヨと泣き崩れる真似をする。まぁ、ある意味正解に近いんだけど、言うわけにはいかないし。

 

 

 

「さて、聡子ちゃんは来てるかしら」

 

 駅前に着いた。ここで待ち合わせらしい。

 

 いかにも昭和の香りがする駅前だ。土曜日だというのに高校生だろうか、制服姿が多い。

 聡子さんは制服で駅舎の前に立っていた。美人なだけに目立っている。なんて言うか、纏っている空気が違う。

 同じ学校の生徒のはずなのに、男子生徒は彼女をチラ見していく。多分、もててるんだろうなぁ。

 

「光紀さん、どうします? ボクが呼びに行きますか?」

 

「二人で行きましょ」

 

 

 

「聡子さーん」

 

「あっ、昌クン! 光紀ちゃん」

 

 車を降りて声をかけるとすぐにこちらに気づいた。荷物を持って小走りに駆けてくる。

 

「ボクが一個持ちますよ」

 

「あらぁ、悪いわね」

 

 そう言うと、聡子さんは私に腕を絡ませる。

 なんだか、周囲りから注目されている気がする。ま、この髪じゃ仕方ないか。

 

 

 

 荷物をトランクに載せていると、すでに後部座席は埋まっていた。助手席を空けて後部座席に三人ってのはいかにも作為的だから、仕方なく助手席に座る。

 

「今日は土曜日ですけど、学校だったんですか?」

 

「補習、みたいなもんね。三年になると、土曜日なのに授業があるのよ」

 

「やっぱり進学校ですね」

 

「都会の進学校とは比較にならないわ。全国偏差値より校内偏差値の方が高くなっちゃうこともあるのよ。光紀ちゃんと違って、地方の国立が限度ね。昌クン、数学の力分けてよぉ」

 

「数学は……、最後はやった量勝負ですよ。とにかく問題をこなすしか無いです。数Ⅲは難しく見えますけど、代表的なパターンを五、六十種類ぐらい暗記すれば、大学入試レベルで解けない問題はほぼ無くなりますし」

 

「その暗記ができないから困ってるのよ。

 あ、ところで昌クン、この春から中学通い出したんだって? もう友達はできた?」

 

「うーん、せいぜい挨拶したり話したりする程度ですけど、三人くらいかなぁ」

 

「女の子?」

 

「はい」

 

「彼氏は?」

 

「作りませんよ!」

 

「おかしいなぁ。もう十人ぐらいは手玉に取ってると思ったのに。

じゃぁ、ラブレターもらった? 告白された?」

 

「どっちもまだです。と言うより、男子とはほとんどしゃべったこと無いです」

 

「もったいないなぁ。私だったら放っとかないのに」

 

「比売神子になるまでは、恋愛は御法度でしょ」

 

「恋愛はしてもいいわよ。最後まで行かなければね。

 昌ちゃんには、大いに恋をしてもらいたいわ。

 でも、昌ちゃんはこの外見でしょ。きっと、黙っていたら声をかけづらいのよ」

 

 沙耶香さんが口を挟んできた。私の素性を知っててこんなことを言う。男子と恋愛なんてそんな簡単なことじゃないんですけど。

 

「そうねぇ。神子の集まりできれいな子には慣れてる私たちでも、昌クンには目を奪われちゃったし。黙ってたら、普通の中学生じゃ声をかけられないかもね」

 

 聡子さんも腕組みしながらうんうんと頷く。

 

「『黙ってれば』でしょ?

 聡子ちゃん、さっき昌クン、何て言ったと思う?

 私が昌クンと同衾って言ったら、すっぽ……」

 

「わーっ! わーっ! ただのダジャレです。そもそも、光紀さんがしつこく変なこと言うからでしょっ」

 

「じゃぁ、黙っててあ・げ・る。貸しにしとくけど、高いわよ」

 

 

 

 初めての合宿参加だというのに、先が思いやられる……。



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予期せぬ遭遇

 合宿は何とか終了。

 夕食は美味しく、少しアルコールが混じったにも関わらず、心配していたようなことは起こらなかった。

 口ではああ言っても、みんなまともだ。沙耶香さんとは違う。

 

 と、思っていたのだけど……。

 

 二日目の武術訓練。沙耶香さん以外との組み手は久しぶりだ。

 初めてのときは優奈(ゆうな)さんに軽く転がされたけど、今回はレベルアップしている! と意気込んだはずだった。

 

「もう優奈ちゃんじゃ、昌ちゃんの相手はきつそうね。

 光紀ちゃん、お願い」

 

 その言葉に光紀さんは目を妖しく輝かせていた。あのときに気づくべきだったのだ。

 

 結局、光紀さんの崩しから関節技、寝技の連携で弄ばれた。

 弄ばれたというのは比喩でも何でもなく、文字通り弄ばれた。特に寝技で押し込まれた状態で……。思い出したくない。何かいろいろと失った気がする。

 

「ふーっ。堪能した!」

 

 私は、心なしか雰囲気が艶っぽくなった光紀さんから距離をとった。

 

「ボクもう、お婿に行けない……」

 

「「大丈夫! 私がもらって上げるわよ」」

 

 ハモった。光紀さんと聡子さんがハモった。

 

「あらぁ、昌ちゃんは私の嫁よ」

 

 沙耶香さんまで悪のりする。

 

「昌クン、これは、毎晩スッポンが必要ね」

 

 いつの間に間合いを詰めたか、光紀さんが耳打ちしてくる。そのネタはもう止めて……。

 

 いろいろと消耗した合宿だった。

 

 

 

 明けて次の週は社会見学。私たちはバスの中で移動中。

 

「ねぇ昌クン、今度、(つむぎ)とデートするのです」

 

 紬ちゃんがニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。由美香(ゆみか)ちゃんは苦笑い。詩帆(しほ)ちゃんは笑いを(こら)える作業。

 こうなった原因は、小一時間前に遡る。

 

 

 

 集合時間三十五分前に駅に着いた。集合場所が最寄り駅から一駅離れていて、電車が一時間に二本しか無いからだ。当然、生徒の半分近くがその時間に駅に来る。どうせなら集合時間を八時半にすればいいのに。いや、そもそも学校で集合にすれば話が早いのに。

 

 集合場所に何となくクラスごとに集まる。男子の半分近くの姿が見えない。駅まで自転車で来るのだろうか。

 キオスクで何か買おうかと話をしていたら男子生徒が騒ぎ出した。

 

「おぉっ、すげぇ美人」

 

「芸能人? 」

 

 つられて私たちもそっちを見たら、沙耶香さん。

『神子』としての検診だろうか、後ろには千鶴(ちづる)さんが一緒だ。確かに美女と美少女の組み合わせ。幸い要注意人物の姿は無いが、ここで遭うのはマズい。

 

「ごめん。私、ちょっとトイレに行ってくる」

 

 由美香ちゃんにそう言うと、沙耶香さんと反対の方に向かう。とりあえず逃げの一手だ。

 

 集団から抜け出して走り出そうとした瞬間だった。

 

「「確保ぉ!」」

 

 聡子さんと光紀さんに挟まれた。両側から腕を捕まれて集合場所に戻される。「確保」の声が大きかったせいで、皆の注目が集まる。まるで犯人のような扱いだ。

 

「昌クーン、逃がさないわよぉ」

 

「放して下さい! ボクはトイレに行きたいんですっ!

 痛い、痛いっ。光紀さん、肘、()めないでよっ!」

 

 

 

「あらぁ、偶然ね。昌ちゃん」

 

「偶然じゃないでしょっ! 沙耶香さん。

 それに、平日なのにどうして聡子さんまでいるんですかっ?」

 

「私は創立記念だよ。光紀ちゃんは休講」

 

「ちゃぁんと学校で仲良くやってるか見に来たんじゃない。これでもお姉さんは心配してるのよ」

 

 沙耶香さんはすまし顔で言う。男子の視線は主に沙耶香さんの胸に釘付けだ。

 

 

 

「ねぇ、昌ちゃんって、キミから見てどんな子?」

 

 沙耶香さんはニコニコしながら男子生徒に訊く。彼の顔は真っ赤だ。

 

「え、えっと、小畑さん、ですか?」

 

「そう! 小畑 昌ちゃん」

 

 近くの男子は、この声だけでヤられてしまっている。

 

「小畑さんって、あの、現実感が無いぐらい、その……、すごくきれいで、ちょっと、近寄りがたいです。何ていうか、クールビューティって感じで」

 

「くぅるびゅぅてぃ? この、ド天然が?」

 

 光紀さんが口を挟む。でも、天然は無いでしょ。しかもドまでつけて。

 

「ボクは天然じゃ無いです。変なこと言わないで下さいよっ。ボクにもイメージってもんがあるんですからっ」

 

「イメージって、昌クン、学校じゃキャラ作ってるの? 猫の毛皮を何枚羽織ってるわけ?」

 

「キャラなんか作ってませんっ! 沙耶香さん、何とか言って下さい。天然じゃないですよねっ」

 

「うーん、私はコメントを控えておくわ。

 でも一般論で言えば、天然な人は自分が天然だって気付かないものなのよね」

 

 沙耶香さんはちょっと困った表情をつくって応えたが、それじゃ本当に天然だと思われちゃう。

 

「ほら、やっぱり天然じゃない」

 

「やめて下さい! 光紀さんが勝手な事言うと、ボクのイメージが変なことになっちゃいます!」

 

「昌クンのイメージ? 私の中では天然系美少年ってことになってるんだけど、お友達は違うの?」

 

「違います! それに少年はないでしょっ。一緒に沐浴したこともあるんですから」

 

「上手いこと挟んで隠してたのかも知れないじゃない」

 

「みんなと一緒だったら、隠しきれるわけ無いじゃないですか!」

 

「え? 隠せなくなるの? どうして?

 そう言えばこないだは部屋のシャワー使ってたわね。

 一人でナニしてたのかしら?」

 

 何って、あの日はアレの最中だったから……って、そんなこと言えないし。

 

「ふ、普通にシャワー浴びてただけです! それに、次の日の組み手でしっかり確認してるでしょっ! 光紀さん、ボクに何をしたと思ってるんですか」

 

「そうね、昌クンと組んずほぐれつ……、これ以上はうら若き乙女の口からは言えないわ」

 

 光紀さんはクネクネとシナをつくりながら頬を染める。わざとらしい!

 

「誤解されるような言い方しないで下さい!

 横四方固めかけながらボクにしたこと、忘れませんからねっ!」

 

「私も忘れられないわぁ。すてきなひとときだったもの……」

 

 

 

「まぁまぁ、昌ちゃんも光紀ちゃんもその辺にして。男の子達が色んなこと想像しちゃうから」

 

 完全に注目されてる。

 

 沙耶香さんはニコニコ笑いながらクラスのみんなを見る。男子の何人かはその視線だけで鼻の下を伸ばしている。まぁそうなる気持ちもよく解る。よく解るけど……。

 

「昌ちゃんは、全然近寄りがたくなんかないわよ。本当はお茶目で可愛い子なんだから。

 こう見えて寂しがり屋さんだから、仲良くしてあげてね」

 

 男子生徒は全員骨抜きだ。当たり前だけど、中二男子と沙耶香さんじゃ勝負にならない。

 

 

 

「じゃ、私たちは電車があるから行くわね」

 

「昌クンもみんなも、まったねー」

 

 光紀さんも手を振る。

 

 

 

 台風が去っていった。どっと疲れが来る。

 男子生徒は名残惜しそうにしているが、外見に(だま)されると大変だぞ。みんな見た目通りの年齢じゃないんだから。

 一番ずれの少ない光紀さんですら、もう大学生なんだし。

 

 私が溜息をつくと、由美香ちゃんが側に来た。

 

「昌ちゃん。あの一団、何? 知り合い、なんだよね?」

 

「一番背の高いお姉さんが、療養してたときに世話になった沙耶香さん。看護師で、私のリハビリも兼ねて柔術を教えてくれてる。

 残りは、同じ柔術サークルのメンバーだよ」

 

「そのサークルって、美人じゃないと入れないの? 最初見たとき、芸能人? って思ったし」

 

 詩帆ちゃんもずいっと顔を寄せてきた。近いって……。

 

 

 

 しばらく黙っていた紬ちゃんが目をキラキラさせて口を開いた。

 

「昌ちゃんって、本当は、僕っ子なのですか? 

 それとも、まさか、リアル男のコなのですか?」

 

 しまったぁ!



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疑惑?

「ねぇねぇ、本当に男のコ? ボクって言わないの?」

 

 部外者的には面白いんだろうけど、いろんな意味で当事者な私にとっては、触れてもらいたくないところだ。

 何度説明しただろう。『ボク』は危険人物二人に調教された結果だ。キャラなんか作ってないし、むしろボクキャラの方が作ってる方だと思うんだけど。

 

「じゃぁ、どっちが本当の昌ちゃん? さっきのお姉さん方としゃべってるときが地なの?」

 

「でも、さっきの方が自然な感じがするよね。昌ちゃん、普段はあまり感情を見せないもん」

 

 由美香ちゃんまで!

 

 でも、そうかも知れない。沙耶香さんは私のことをフォローし続けてくれたし、神子のみんなも受け容れてくれた。だから、()の自分をある程度出すことができた。

 でも、学校では……。

 嫌われたくない、受け容れられなかったらどうしよう、そういう気持ちが先に立って、常に一歩引いていたかもしれない。

 

「私は、人見知りだから……」

 

「その辺は、追々慣れていけばいいんじゃない?」

 

 由美香ちゃんは本当にいい子だ。

 

 

 

「紬としては、昌クンが男のコかどうかが気になるのですよ」

 

「男の子って……、まさか私のこと女装して女子として暮らしている男子とか考えてる?」

 

「そう! 男のムスメと書いて『男の娘』なのです!」

 

「それは、現実的に無理でしょ」

 

「無理を通すから『男の娘』なのですよ。ロマンが分かっていないのです」

 

 浪漫って言った。そんなしょーもないことに浪漫って言った。言葉の使い方が違うよ。

 

「それは無いわね。私、昌ちゃんが着替えるとこ見てるし、健診も一緒に受けてるよ」

 

「世の中には豊胸という手段もあるのです」

 

 そこまで人生賭けて女装する人なんていませんって。仮にいても家族が止めますから。

 

「ふふふ、今夜のお風呂で昌ちゃんの正体を確かめるのです。どんなブツが生えているか確認するのです」

 

 紬ちゃんは妖しく目を輝かせる。もしかして光紀さんと同じ人種なのか?

 

「生えてませんって!」

 

 そう言ったところで、思い出した。生えてないけど、確かに生えてないけど、生えてないのはアレだけじゃない! この不毛地帯を見られるのは恥ずかしすぎる!

 どうしよう? なんとかこのイベントを回避する方法は……。

 

 必死で考えるが、いい案が浮かばない。

 

 

 

 工場に着くと、まず会議室っぽいところで工場の概要説明になった。大半の部品は外注で、工場では組立がほとんど。でも、一部の基幹部品は、ノウハウや技術を維持するために内製している。

 

 映像による説明が終わって休憩時間。

 詩帆ちゃんが私の肩をつついて、小声で話しかけてきた。

 

「ねぇねぇ、最初に挨拶したお兄さん、イケメンだったよね。あの人、社長の息子らしいよ」

 

「ふーん」

 

 正直、風呂対策で頭がいっぱいで、半分上の空だった。

 言われてみれば確かに育ちの良さそうな顔してたかも知れない。でも、工場仕切るには頼りなさそうだ。

 

「あんまり興味無さそうだね。上手く付き合えれば、玉の輿だよ。優良物件だよ」

 

「玉の輿って、どう見ても一回りは離れてるでしょ。リア充イケメンが中学生なんか相手にしないし、したら犯罪でしょ? それに物件って、人をモノ扱いするのは……」

 

「ときにはそういう風に見る冷静さも必要なの。恋愛は恋愛、結婚は結婚。そこは区別! 昌ちゃんって、恋愛に夢見てるの?」

 

 詩帆ちゃんはいつになく力説する。こんな一面があるんだ……。

 

「そういうわけじゃないと思うけど……。

 それを言ったら、あの兄ちゃんは頼りなさそうだよ。能力はそこそこあるんだろうけど、多分頼み事を断れないタイプと見た。自分のキャパ超える仕事を抱えさせられて沈むタイプだよ。

 社長の息子なら部長ぐらいはすぐ行くんだろうけど、今のままじゃ、せいぜい課長どまりの器用貧乏かなぁ。どっちにしても経営者向きじゃなさそうだよ。当然、玉の輿もナシ」

 

「キッビシぃ」

 

「私は、イケメンには厳しいのです」

 

 

 

 私としてはリア充イケメンの品評よりも風呂イベント回避の方が重大事だ。考えるだけでお腹が痛くなってくる。トイレに行こうかな? と思ったところであることを思いついた!

 アレが来たから大浴場はムリって言い訳すればいい! 我ながらナイスアイディア。早速トイレに行こう。

 

 

 

「急にアレが来ちゃって、大浴場はムリだよ」

 

 いかにも済まなそうな顔で紬ちゃんに耳打ちする。我ながら完璧な言い訳だ。

 

「それはウソなのです」

 

「なんで?」

 

「昌クン、一昨日終わったばかりですね」

 

 何故それを! 私にはプライバシーがないのか? それとも紬ちゃんは犬並みの嗅覚の持ち主なのか?

 紬ちゃんは私の表情を一瞥して続けた。

 

「だから、天然と言われるのです」

 

「私は天然じゃありません! ……でも、どうして分かったの?」

 

「教えて欲しいですか?」

 

「教えて下さい」

 

「では、これからは一人称をボクにするのです」

 

「だから、それはヤだよ」

 

「なら、この社会見学の間だけ」

 

 うーん。二日間ぐらいならいいか。

 

「それぐらいなら……。うん。するから教えて下さい」

 

「『ボクに教えて下さい』です」

 

「ボ、ボクに、教えて下さい」

 

 恥ずかしい……。

 

 

 

 紬ちゃんはひそひそと話す。

 

 タネは単純だった。

 私はアレ用品を小さなポーチに入れてトイレに行くのだけど、ポーチをその期間だけしか持ち歩かなかったから。それに、今も持ってない。

 あとは、それを拠に揺さぶりをかけたときの反応も非常に分かりやすかった、らしい。

 見てないようで、見てる人は見てる。

 

「普段から持ち歩かないあたり、『天然』と言われても仕方ないのです」

 

 うーん。それは天然というより女子力、もとい、女子歴の問題だと思うのです。あ、思考に口調が伝染(うつ)った。

 あれ、私のことをそういう風に見てたってことは……、

 

「ところで、わた……、ボクのこと男の娘って言ってたのは?」

 

「そんなお莫迦なことを本気で考える人はいないのです。ちょっと狼狽(うろた)えている昌クンを愛でたかっただけなのです」

 

『愛でる』キター。ここに来てやっとテンプレな展開! でも嬉しくない。

 

「やっぱり昌クンは、お姉さん達の言うとおり、ド天然なのです」

 

……悔しい。女子中学生ごときに手玉に取られた。

 

「ボクは天然じゃありません!

 疑うことを知らない、ピュアな心を持ってるんです!」

 

 助けを求めて詩帆ちゃんを見たら、彼女は目を逸らした。

 

「ごめん。そこはフォローできない」

 

 それは私が天然だということですか?

 由美香ちゃん。もう頼れるのは貴女だけだよっ。

 

「うーん。まぁ、昌ちゃんは、きっと、すごく素直な心の持ち主なんだと思うよ」

 

 燃え尽きた……。見学が始まる前に燃え尽きたよ……。



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穴二つ

 説明が終わり、工場見学が始まった。

 と言っても、組立工場は見てもあまり面白くない。やっぱり、溶接とか切削とか、火花が散る工程の方が造ってる感があるよね。

 

 班ごとに数珠つなぎに歩くのだが、髪の色が珍しいのか、工場の人達が私をチラチラ見る。ウィッグを忘れてきたのが痛い。

 

「みんな昌クンを見てるのです」

 

「この髪の色じゃね。立場が逆だったら私だって見ただろうし」

 

「『ボク』です」

 

「ボクだって見ただろうし……」

 

 悔しいな。なんか上手い切り返しは無いかな。

 

 

 

 部品が搬送装置で運ばれてくる。そのたびに音楽が鳴る。既に五、六曲聞いた。装置の種類で曲を使い分けてるのかな。

 

「電話の保留みたいだね」

 

 こういうところで知識の世代差を感じる。『私』の世代だったらファミコンみたいな、と言う所だ。ま、今の中学生が物心ついたときには、ゲーム機でもオーケストラを奏でてたから仕方ないか。

 

「こんなのずっと聞いてたら、工場出てもしばらくは頭の中でリフレインしちゃうよね」

 

「そうなのです」

 

 由美香ちゃんが紬ちゃんに話しかける。いい調子だ。そのまま紬ちゃんを捕獲しておいてくれ。

 

「どうして、普通の音声とか音楽にしないんだろうね?」

 

 詩帆ちゃんがもっともな疑問を口にする。

 

「あっちのフォークリフトは『バックします』って言ってたよ」

 

「そうだった? 気がつかなかった」

 

「多分それだよ。声だと他の音に紛れるから、電子音でキンコロ鳴らすんだよ」

 

「そっかぁ! 昌ちゃん頭いい!」

 

 

 

 また工場内でストップして説明が始まった。でも、このオジサンの説明はイマイチ退屈だ。お腹空いたなぁ。

 時計を見るとまだ十一時過ぎだ。

 

「お腹空いたね」

 

 詩帆ちゃんが小声で言う。

 

「うん。私もペコペコだよ」

 

 そう言った瞬間、紬ちゃんが振り向いた。

 

「『ボク』です」

 

 聞こえてた。周囲りでキンコロキンコロ鳴ってるのに聞こえるんだ。でもこのロシア民謡っぽい曲、工場出てもしばらく耳に残りそうだ。

 

 

 

 ふと、いたずら心が出た。

 設備の曲に合わせて、――私の周囲にだけ届くよう――小声で歌う。

 

「おーなかーが すーきましーたー、おー昼ーは 何でしょう。

 待ーちー遠しい おー弁当ーぉー はーぁやーく食べたいなー」

 

 あれ、無反応。聞こえなかったかな? じゃぁもう一コーラス。

 

「ぷっク……」

 

 成功! 紬ちゃんが肩を震わせている。由美香ちゃんにも流れ弾が当たったか、肩が震えている。許せ由美香ちゃん。君の犠牲は無駄ではない。

 

 

 

 説明中で、笑っちゃいけないと思えば思うほど、笑いのハードルは低くなる。紬ちゃんは笑いを堪えるのが大変そうだ。由美香ちゃんは、ゴメンナサイ。

 

 説明が終わり歩き出したところで、二人は堪えきれずに吹き出した。

 

「村田、川崎、アウトー」

 

 ただし、黒いのに尻をシバかれることはない。

 

「あの歌は何なのです?」

 

 紬ちゃんが笑いを堪えた怒り顔で訊く。

 

「うーん。メロディが耳について離れにくいかな? と思って。

 これで、お弁当の度にこのメロディが脳内で鳴り響く(のろ)いをかけたのですよ。ふっふっふ」

 

「くっ。紬は呪われるようなことしたですか?」

 

「したよ! 『ボク』って言わせてるじゃない!」

 

「昌クンには『ボク』が似合うのです」

 

「それ、似合う似合わないの問題じゃないから」

 

「せっかく似合う素材なのに。紬は似合わないから諦めたのに」

 

 え? ここでまさかのカミングアウト。紬ちゃんはボクっ子を目指してたのか? 天然じゃないけどリアル不思議ちゃん?

 

「だから、似合うかどうかは別問題だって」

 

「でも、紬ちゃんの言うとおり、昌ちゃんは『ボク』が似合うよね。

 って言うか、お姉さん達と話してるときが、素の昌ちゃんって気がしたし」

 

「由美香ちゃん……。

 でも、そんなに『ボク』って似合うかなぁ」

 

「似合うのです!」

 

 

 

 そうこうしているうちに、見学コースも前半戦が終わりに近づく。途中からややペースアップした感じだ。

 

 

 

 初めの会議室に戻ると、前にはさっき無かったボール箱が三つ。

 多分、弁当と飲み物だ。弁当は何だろう。

 あれ? さっきの社長の息子と他に何人かいる。

 

「ちょっと早いですが、昼食時間とします。食事は工場の者も交えてですから、訊きたいことがあったら、食べながらでも訊いて下さいね」

 

 先生の他に、会社の人まで弁当を配っている。

 イケメンの兄ちゃんも、声をかけながら配っている。上に立とうという人は、こういう気配りができないと! イケメン兄ちゃんの評価をちょっと上方修正。

 

 

 

 紬ちゃんが弁当を受け取る。次は私の番。

 

「お待ちかねのお弁当だよ」

 

 見上げるとニコニコ笑っている。

 

「可愛い歌だったね」

 

「まさか、ボクのあれ聞いてたの、ですか?」

 

「録音できなかったのが残念だったけどね」

 

 恥ずかしい! しゃがみ込みそうになるのを堪えて、「頂きます」とだけ俯いて言った。

 更に、お茶の缶を落としそうになる失態。

 

 

 

 席に戻ってきた由美香ちゃんは怪訝な顔で私を見る。

 

「どうしたの? 顔、真っ赤だけど」

 

「……かれてた」

 

「「「?」」」

 

「歌を聞かれてた……」

 

 聞かせる予定のない人に聞かれると、すごく恥ずかしい。

 

「『人を呪わば穴二つ』の見本ね。お、お寿司だ!」

 

 詩帆ちゃんは早速つまみ始める。

 私も弁当を開ける。中身は巻き寿司と揚げ物だ。

 

「うん。意外と美味しいね」

 

 由美香ちゃんも頬張る。

 

「でも、玉の輿に向けて一番オイシイところは、昌クンが全部持って行ったです」

 

「ボクは、オイシくないです」

 

「オイシいと思うよ。

 さすが。昌ちゃん! 養殖ものとはひと味違う」

 

 詩帆ちゃん! それって、ボク、じゃなくて私が天然という意味ですか?

 この半日で私のイメージが……。



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浴場

 宿に着いた。ちょっと古めの温泉旅館だ。新館はまだホテルって感じだけど、本館はいかにも古めかしい。ホテルとしての体裁も整っているが、どっちかというと観光旅館というか……、まぁ昭和な感じだ。

 

 部屋に入ると案外広い。

 三人の班は二人部屋に簡易ベッドを入れるが、私たちの班は四人。四人部屋が割り当てられている。

 時刻は五時過ぎ。夕食まではたっぷり時間がある。

 

「どーする? 一時間ちょっとじゃお風呂に入るには微妙だけど。私は食事の前に入っちゃいたい方だから」

 

 由美香ちゃんが訊く。

 

「ボクも入ろうかな。やっぱり夕食は小綺麗にしてから食べたいし。レポートは夕食の後でゆっくりまとめようよ」

 

「昌クンが入るなら紬も行くのですよ」

 

「だったら、私も行こうかな」

 

 結局、部屋の全員が風呂だ。

 

「じゃぁボクは部屋で待ってるから」

 

「「「えっ?」」」

 

「ボクは部屋のシャワーを浴びるよ。貴重品もあるし、留守番は任せて」

 

「貴重品は金庫に入れるのです。みんなで大浴場に行くのです!」

 

「いいよぉ。ボクは部屋で待ってるから」

 

「そんなこと言わずに、一緒に行こうよ」

 

 由美香ちゃんまで……。

 

「昌クン、本当に生えてるですか?」

 

「生えてない! 生えてないからっ」

 

 生えてないけど、生えてないから行けない。それに、混浴なんてハードル高過ぎだよ。

 

 

 

 ……脱衣所なう。

 結局、大浴場に連行されました。

 

 壁の向こうは静かだ。何だかんだ言って、男子の方が肌を晒すことに抵抗があるもんだ。特に成長に個人差が出る時期だけに。

 でも古い旅館の大浴場って、なんで覗けと言わんばかりに壁の上の方を切ってるんだろう。と、思考は一時、現実逃避に入る。

 

 うー、どうしよう。幸い他の班の子達はまだのようだけど、タオルで隠すにしても限界はある。慎重に行けば大丈夫かな?

 

「自分で脱げないですか?」

 

 みんなもまだ脱いでないでしょうが。脱いだら脱いだで目のやり場に困るけど。

 免疫がついてきたとはいえ、毎日顔を会わせる相手はまた趣が違う。って、何考えてるんだろ。

 

「ぬっ、脱げるよ」

 

「では、脱ぐのです」

 

 とりあえず、ブラウスを脱ぐ。

 

「昌クンのちっぱい、可愛いです」

 

「う、うるさいっ。これでも少し大きくなったんだから。もうすぐBなんだからっ!」

 

「堂々とするのですよ」

 

 う、最近の中学生は発育がいい。恵まれし者の余裕か、ゆさゆささせる。全く目のトク、もとい、目のドクだ。

 

 私は由美香ちゃんの影に隠れた。貧乳同盟結成。

 

「どうせボク達は平たい胸族ですよーだ」

 

「こら! そこで『達』をつけるな。私はAじゃない!」

 

 由美香ちゃん、見捨てないで。

 

「Aとは違うのだよ、Aとは! です」

 

 うー。ザク扱いされた。

 あれ? 紬ちゃんって、ガ○ダムの再放送見てるのか。見かけによらないな。よし、ここはガ○ダムネタで返すのが礼儀だろう。

 

「胸なんて飾りです。エロい人には判らんのです」

 

 瞬間、壁の向こうから吹き出す声とともに「静かにしろ、バレるだろ!」の声。まさか覗いてるのか?

 

 ダッシュで壁に向かい軽くジャンプ。懸垂の要領で顔を出す。

 

「うわぁ!」

 

 男性側は八人、覗いてはいなかったが聞き耳を立てていたようだ。

 

「くぉらっ! 覗かないでよっ!」

 

 自分のことを棚に上げて怒鳴る。

 

「覗いてないっ! 聞いてただけ! 覗いてない!」

 

 男子は全員下着を着けたままだ。三人ぐらい前屈みになっているが見なかったことにしよう。

 

「昌クン、凄い! 男子並みのジャンプ力です! やっぱり本当に生えてるですか?」

 

 紬ちゃん。もうそのネタ引っ張らないでよ。男子も聞いてるし。

 

「おーい、だったら『小畑君』はこっちだろー」

 

 向こうも悪のりしている。

 

「は、生えてないからっ!」

 

 私は床に飛び降りた。

 

 どうする?

 今から撤退? それはムリだろう。

 無難な選択はタオルで隠す。多分隠しきれないだろう。紬ちゃんがタオルを引っ張るに違いない。そこで不毛地帯を見られたら……。

 やはり、現実的な方法で行こう。

 

「あのさ、脱ぐから。脱ぐから、その前にちょっと言っておくことがあるんだけど……、ちょっとこっちに来てくれないかな」

 

 皆、怪訝そうな表情で集まる。

 

「えーっと、まず、恥ずかしいから内緒にしておいて欲しいのと、それを知っても、その、周囲りにばれるような反応しないで欲しいんだけど、いいかな?」

 

「よく分かんないけど、いいよ」

 

「内緒ね、分かった」

 

「まさか本当に……」

 

 

 

 私は深呼吸してから言う。

 

「ボク、実は、」

 

「「「実は?」」」

 

「生えてないんだ」

 

 みんな溜息をついて脱力する。

 

「それはナイショにするようなこと?」

 

「それは分かってます」

 

「さすがにそこまでは期待してないです」

 

 

 

「いや、だから、生えてないのはソレじゃなくて……、ココの毛が」

 

「なーんだ」

 

「そんなことですか……」

 

「期待して損したのですよ」

 

 あれ? ここは驚くとこじゃないの?

 中二だよ。ボーボーとは行かなくても、そこそこ生え揃っている年代だよ。

 

「まぁ、本人が恥ずかしいって言うなら、ばれないように私らで周囲りを固めとく?」

 

「そ、それは……、助かります」

 

「とりあえず、お風呂行くよ」

 

 私も手早く脱ぐとタオルで前を隠しつつお風呂に入る。

 紬ちゃんが桶いっぱいのお湯をかけてきた。

 

「本当に生えてないです!」

 

 え? となって下を見ると、濡れたタオルが片側に寄ってる。

 

「ちょっ、ちょっと、紬ちゃん!」

 

「壁の向こうの人達の疑惑をといておいたのです」

 

「あ、ありがと、って、やり方ってもんがあるでしょうが」

 

「本当に生えていないか確認したかったのですよ。

 顔を赤くする昌クンはカワイイのです」

 

 ちょ、ちょっと! 近いって! 当たってるし!

 神子の沐浴でかなり免疫は付いてるけど、それでもこれは困る。女子ってこんなにスキンシップ取るものなの? 男子とは違う。いや、男同士だったら軽くトラウマになりそうだけど。

 

 

 

 軽く身体を流し、湯船に浸かってしばらく、脱衣所に人の気配。シルエットから、五人ぐらいだろうか。早めに上がろう。

 洗い場に行き、手早く身体を洗う。沙耶香さんが見たら叱られそうだけど、タオルでこすり洗い。最後にシャワーを浴び、不毛地帯をタオルで隠しつつ、脱衣所へ急ぐ。

 タオルに加えてバスタオルも併用して身体を拭く。ショーツを着けて一安心だ。

 

 旅館では浴衣でなく体育の服装を使うことになっている。今日はやや暑いので、寝るまでジャージは必要ない。でも、Tシャツから下着が透けるのはアレな感じなので、ノースリーブを着る。あ、さっき男子を厳重注意したとき、ブラをモロに見られてたんじゃないだろうか?

 

 と、下着姿の詩帆ちゃんが近づいてきた。その胸の戦闘力は反則です。ちょっとドキドキしていると、突然私の左腕を捕った。え? 何?

 

「いいなぁ。処理しなくてもいいなんて」

 

 どうやら、脇毛のことを言っているようだ。そうだ、女の子は身だしなみとして、そういうことも必須だ。首から下がハゲというのは、これから夏に向けて、女子力がイマイチな私は正直助かる。

 

 見ると由美香ちゃんもこっちを見てる。

 そうか、バスケは袖がないし、脇を晒す動作が多いスポーツだ。切実に気を使うところかも。彼女自身はそんなこと口にしないが。

 

 

 

 ふぅ、何とか風呂イベントをクリアした。

 

 

 

 後日、私に無毛疑惑が出たが、程なく下の毛も白いという話になっていた。

「もともと薄い上に肌が白いから、濡れると保護色のようになって生えてないように見える」という類の言説が流布し、話の信憑性を増していた。

 

 不毛地帯がバレるよりはマシだけど……、マシだけど。

 それを聞いたほぼ全員が、私のすっぽんぽんを想像したと思うと恥ずかしい。

 

 でも女の子って、自分ことでもないのに、こんな赤裸々なこと平気で言うものなのか? 私の中の女の子像が……。



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坊やだからさ

 いろいろと疲れた浴場を出て――ちょっとナイショの寄り道をして――部屋に戻る。由美香ちゃんも髪が短いから早かった。夕食の集合時間まであと十五分強。私は畳の上にゴロリと横になった。

 

「手足を伸ばしてお風呂っていいよね。家じゃこうはいかないから」

 

 由美香ちゃんが背伸びをしながら言う。

 

「そうだね。それに、温泉だと温かさが長持ちするし。何でだろうね」

 

「そうそう! 何故か湯冷めしにくい気がするよね」

 

 

 

「ところでさっ、昌ちゃんってお化粧してないんだね」

 

「してないよ。なんで?」

 

「してるのかな……、って思ってたんだ。コツとか教えてもらおうと思ってたんだけど。

 前に試したときは、上手く出来なかったし……」

 

「中学生じゃ、お化粧はまだ早いよ」

 

「そんなこと無いよ。クラスでもけっこうしてる子はいるよ」

 

「本当に? 気づかなかった……」

 

 最近は、中学生でもお化粧するのか。素肌で勝負できる時期なんだけどなぁ。

 

 他愛もないやりとりをしていると、詩帆ちゃんと紬ちゃんがやってきた。集合時間まで十分程。ちょっと早いけど行こうかな。

 

 

 

 私と由美香ちゃんはハーフパンツにTシャツだが、廊下を見る限り、女子の大半は制服のまま。一時間では入浴、と言うよりその後のケアが難しいと考えたのだろう。

 階段を登って行くと、大広間があるフロアだ。男子生徒の大半は私たちと同じ格好だ。まぁ、男子は食事前に入浴だよね。

 

 歩いていると後ろから視線を感じる。そりゃそうか。女子の大半が制服かジャージ。生足を晒している私たちは目立つ。

 

 

 

 大広間では班ごとの席だった。意外にも畳ではなくテーブル席。入り口で班員が揃ったことを告げ、中に入る。

 

『どちらのお国ですか?』

 

 ホテルの従業員らしき人が英語で尋ねてくる。国が分からないのに英語だと決めてかかっているのはどうなんだろ。

 

『プレシディオ。サンフランシスコの。

 アカデミーの異文化比較の研究で日本に来ました』

 

 と英語で言って相手が絶句したところで、

 

「というのはウソで、日本人です。日本語で大丈夫ですよ」

 

 私の英語に男子は「「「おぉー」」」となる。

 そう言えば、英語の時間もまだ教科書を読んだりはしてなかった。

「まぁ、あっちの生活も長かったし。ほとんど病院だったけど」と、『設定』を言う。

 

 席につき、今日の見学について班レポートをどうするか相談する。他の宿泊客がいるから、ロビーなどは使えない。

 結局、合宿中は男女別々にしかできないから、それぞれでまとめたものを週明けに班としてもう一度まとめることとなった。

 仕切れる由美香ちゃんと成績優秀な詩帆ちゃん、男子では松田君――彼も成績がいいらしい――が揃っているから、話が早い。

 

 

 

 食事に全ての班が揃ったときには集合時間を三分ほど過ぎていた。どうやら、三組の女子で、ドライヤーの順番待ちがあったようだ。温泉の湯をきっちりすすぎさえすれば、一日ぐらい自然乾燥でもいいと思うのは女子力不足?

 遅れてきた子を見ると、既視感がある。どこかで会っただろうか? まぁ、同じ学校だから、いずれ接点はあったに違いないけど。

 

 料理を前にして、事務連絡が始まる。やれやれだ。こんなタイミングで話をしたって、きちんと聞くはず無いのに。そういう連絡はバスで移動中に済ませるべきだと思うんだけどな。

 ほら、目の前で新川君が料理に乗せられた紙をそーっとめくって、中を確かめてる。あ、ニヤリと笑った。そんなの見せられたら、私も気になるじゃないか。

 

 ようやく先生の話が終わり、いただきます、だ。

 一斉に紙をめくる。

 メニューは予想の範囲内だ。所詮は中学生の食事。内容的にはオードブルよりマシという程度。お造りは馴れかけてるんじゃないか? この人数に出すから仕方ないだろうけど、お腹痛くなったりしないよね……。

 一人鍋の蓋を取ると、肉と野菜だ。肉は最初から入れるんじゃなくて、つゆが熱くなってから投入したいところなのだが……。中学生には肉と揚げ物食わしとけば満足だろ、って感じのメニューだ。

 当然だけど、食前酒も無ければ、ビールも無しだ。

 

 お、仲居さんが何か運んできた。無論ビールではなく御飯のおひつと吸い物だった。最初から米か……。

 

「昌クン、どうしたですか?」

 

 私の落胆顔を見て、紬ちゃんが声をかけてくる。

 

「うーん。アルコール無しはシケてるなって。

 

 研修旅行で温泉の宴会と言えば、まずビールで乾杯だよね。で、コンパニオンのお姉さんと歓談。二次会はそのままコンパさん連れてクラブかラウンジ行って、最後の締めはラーメンか蕎麦ってのが鉄板じゃない?」

 

「それって、おっさんの慰安旅行だよ。そもそも宴会じゃないし」

 

 詩帆ちゃんが冷静に突っ込んでくる。由美香ちゃんと紬ちゃんは二の句が継げないと言う顔。何故か男子は三人ともドン引きだ。君たちも十年後はそういう旅行をするかも知れないんだぞ。

 

 

 

 仲居さんが台車におひつと吸い物を持って来た。椀を配りながら、「御飯のお代わりはありますよ」と言う。この椀の大きさだったら、男子はお代わりだろう。

 

 吸い物を一口。あ、これは美味しい。ちゃんと出汁を取ってる。御飯もいい米を使ってる。でも、それ以外はイマイチだった。

 

 

 

 おしゃべりしながら食事は進む。

 紬ちゃんの話が、お腹が空いたの歌に及びそうになったので、こればかりは慌てて止める。これ以上のイメージ悪化は避けたい。

 

「お、小畑さんって、こんなにしゃべる子だったんですね」

 

 松田君が独り言ともつかない言い方で話しかけてきた。多分、話自体は男子の方が合うはずなんだけど、教室では会話したことがない。

 

「しゃべるよー。なんて言うか、教室ではとっかかりというか、きっかけが無かっただけで」

 

「小畑さんって、僕っ子なんですか?」

 

 紬ちゃんと同じこと聞いてきた。一応、紬ちゃんと同様、調教の結果だということを説明する。

 

「じゃぁ、今、僕って言ってるのは?」

 

「これは、罰ゲームというか、紬ちゃんの陰謀というか……。決して本意ではないので勘違いしないで下さいね」

 

 明後日からは私に戻るのだ。

 

 

 

 その後は差し障りの無い範囲でのおしゃべりとなった。ところが、誰かから脱衣所でのやりとりを聞いたらしく、話は濃いガ○ダムネタへ。

 幸い、どういう経緯で私たちがガ○ダムを解するかが分かったかまでは口にしていないが……。聞いてるんだろうな。主にAとかBとか。

 話が変なところに行かないよう、とにかくガ○ダムで押す。と言っても、私のはアニメ評論家の受け売りが多いけど……。

 

 印象に残った死に様の話では、皆は当然のように主要キャラを挙げる。ここは一つ、目のつけ所の違いを見せてやるか。

 

「一昨日の、女スパイもエロい死に方だったよね」

 

 案の定、皆「?」な顔。

 幼い弟と妹を食べさせるためにスパイ活動をしている少女だ。彼女は普段、化粧っ気の無い顔で髪も引っ詰め。およそ『女』として生きてはいない。

 

「でもね、最期の瞬間だけ引っ詰めが解けて髪がファサっとなるんだよ。あれは『女』の象徴なんだよ! 死ぬときだけ『女』に戻って逝くんだよ!

 この演出した人、狙いがイヤラシ過ぎる!」

 

 私の力説に男子は引き気味。何故か詩帆ちゃんだけは「うんうん」と頷く。

 

「分からないかなぁ」

 

 私の言葉に紬ちゃんが「仕方ないよ」と言った後、芝居がかった口調で「君たちには判らなかった。それは何故か!」と続け、私たちに目配せする。

 

「「「坊やだからさ」」」

 

 女子三人がハモった! 由美香ちゃんだけは置いてきぼりになっちゃったけど……。

 

 うん。中学生も悪くないね。アルコール無しでこれだけ盛り上がれるんだから。



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女子会?

「ごめんね、由美香ちゃん」

 

「いいよ、気にしないで」

 

 結局、食事はガ○ダムネタで由美香ちゃんを置いてきぼりにしたまま終わってしまった。

 

「ところで、その『ガ○ダム』って何?」

 

 え? そこから?

 

「四十年ぐらい前のロボットアニメだよ。スーパーロボットからリアルロボットへの転換期の名作で……」

 

 一応、通り一遍の説明をする。イマイチ伝わらない。私の説明が下手なのだろう。

 

「ロボットアニメの全てがここにあるのです」

 

 紬ちゃんは抽象的な説明をする。

 

「一応、劇場版三部作のDVD持ってるから、視てみる?」

 

「劇場版から視るのは邪道なのです。やはり本放送版を視ないと」

 

 紬ちゃんは持論を展開するが、今まで興味を持ったことが無い人にそれはキツイだろう。ここはダイジェスト版で視るのが無難だ。

 

「そんなにみんなが夢中になるなら、視てみようかなぁ」

 

「視るのです!」

 

「ガ○ダムもいいけどさ、そろそろレポートをまとめようよー」

 

 詩帆ちゃんの一言で現実に引き戻される。さすが優等生!

 

 

 

 まず、気付いたポイントを挙げて行く。と言っても、組立工場を見学したぐらいで中学生が気付くのは、せいぜい3Sとか5Sって呼ばれる内容が限度だ。確かに小綺麗な工場だったけど……。

 

「昌ちゃんは、他にない?」

 

 言ったものかな? まぁいいか、言っちゃえ。

 

「掲示板に、事故事例とか改善事例とかが貼ってあったよね」

 

 あれは事故が起こったときに、ただ当事者の問題にするのではなく、『何故?』を繰り返すことで事故の要因自体を減らしていく活動だ。

 そして失敗を共有して、それをどう改善していくか、その思考の過程を言葉にすることで、作業や物事全般に対する考え方自体を訓練することに繋がっている。失敗も財産であり、隠すことなくノウハウの源にするという姿勢がそこにあるのだ。

 

 他にも標準作業指示書とか、口頭での指示を禁ずる文言とか。

 技術は『見て盗め』なんて時代もあったけど、作業一つ一つを言葉にすることで、技術を人から組織の財産にしている。

 しばしば、マニュアル化を馬鹿にする人が居るけど、これは作業品質を得る、最も確実で手っ取り早い方法なのだ。

 こういう取り組みができるのも、レベルが高い技術者がいればこそだ。

 

「昌ちゃん凄い! 何でそんなこと分かるの?」

 

 詩帆ちゃんが目を輝かせる。由美香ちゃんと紬ちゃんもウンウンと頷いている。

 そりゃ『私』はFA機器や治工具の設計をしてたし。

 FA機器や治工具はそれ自体の設計もさることながら、工程設計が重要だ。『私』のその辺の知識はそこそこある。けど、それは言えないし。

 

「マンガの受け売りだよ。最近はIT系や製造業なんかを扱った理系マンガもあるし」

 

「へぇー。じゃぁ、そのセンでまとめちゃおうよ。こんなレポート出せるの、ウチの班だけだよ!」

 

 うーん。中学生レベルじゃなかった。空っぽの工作室や、元は改善場だった場所の話はできないな。

 

 

 

 箇条書きにした項目を分類していると、ドアをノックする音。返事をすると藤井先生だった。点呼らしい。

 先生はノートを一瞥して頷く。

 

「この部屋は真面目にレポート作ってるわね。でも、あと三十分ほどで消灯よ。明日もあるから早く寝なさい」

 

「「「「はーい!」」」」

 

 

 

「ふぅ。行っちゃったね」

 

「行ったですね」

 

「では!」

 

 詩帆ちゃんがスタスタと冷蔵庫の方に行く。ヤバい。その中には!

 

「じゃーん」

 

「詩帆ちゃんそれ拙いよ」

 

 詩帆ちゃんが持った缶を見て由美香ちゃんが言う。その缶は明らかにアルコール入りの飲料で……、しかも私が買ったものじゃない。

 

「おや? ここにもう二本ありますね。容疑者は……」

 

「昌クンとか、昌クンとか、昌クンですね!」

 

「……はい」

 

 私が入れたときには無かったぞ。詩帆ちゃんはいつの間に買ってきたんだろう。

 

 

 

「ところで、そんなのどこで買ってきたのよ? 私たちが泊まるフロアは自販機停まってたし、他のフロアへの階段は先生がガードしてたでしょ?」

 

 由美香ちゃんが当然の質問をする。

 

「食事中に、トイレに行くフリして。

 同じフロアのトイレは混んでるからって、一階降りて、そこからエレベーターで一般客の居るフロア。

 ところで、昌クンはどこで?」

 

「ゲーム機と卓球台のあるコーナーの自販機は動いてたから、お風呂の荷物に紛れ込ませて。さすがに脱いだ服の下とかまで調べないでしょ」

 

「おぉう! そこは盲点だった!」

 

「とりあえず、ぐーっといこう、です!」

 

「ちゃんと缶は洗ってあるからね」

 

 

 

 ……疲れました。

 女子会は、中二でもやっぱり恋バナなんですね。

 ボロが出ないかを意識するあまり、気持ちよく酔えないし。

 

 この班のメンバーは、あまりそういう気配は無いものと思っていたけど、紬ちゃんが既に初チューを済ませているのには、正直びっくりした。最近の中学生は早い。

 

 逆に私はとっくにその先のステップまで済ませているものと思われていたみたい。いやまぁ『私』には子どももいるけど、それは昌になる前のこと。それに最近まで療養中だった『設定』なんだけど。

 確かに、男性心理の分析はいくつかの部分では的確だと思うけどね。出自が出自なだけに。

 

 

 

「恋の相談はね、男性にはしない方がいいと思うよ。特に相手と上手くいっていないときは」

 

「どうして? 客観的な意見を聞けそうだけど」

 

「相手との関係に隙間があるとき、そこに入り込もうとする男が多いってこと。

 とくに、わざわざ恋人の不満や愚痴を聞く男は要注意!

 普通の男は、女から男の悪口を聞きたくないし、逆にそういう女は自分のことも他でどう言ってるか分からないって考えちゃうよ。

 

 ボクに言わせれば、相手の悪口をわざわざ聞くのは、下心有りって考えてもいいよ。

 愚痴を聞けば、何を不満に思っていて、何を求めているかが判る。相手の欠点と自分の長所を比べさせることも出来るし、何より踏んじゃいけない地雷も判るでしょ」

 

「「「へぇー」」」

 

「確実に言えるのは、今のオトコの欠点と、別のオトコを比べてるうちは、いい恋なんて絶対出来ないってこと」

 

「それは、昌ちゃんの実体験?」

 

「違うよっ! 第一、ボクは男性と付き合ったことなんか無いし。今のも、沙耶香さんの受け売りだよ」

 

 ゴメンナサイ沙耶香さん。勝手に名前を使いました。

 ホントは実体験です。初めての彼女はそれで獲られました。

 でもあのときの彼女は、由貴ちゃんは今どうしてるんだろ。高二のときだから、もう二十年ほど経つんだよな……。

 

 

 

 会もお開きとなってから一人考えてしまう。

 

 自分は本当に恋など出来るのだろうか。

 恋はともかく、遺伝子を遺すことと、そのための交配は避けられない。今はそのことを考えるのを避けているけど……。ソレに私の心は耐えられるだろうか。あるいは繰り返せば、慣れや諦めの境地に立つのか。

 でも、好きでするのと諦めでするのは全く違う。どうせ避けられないなら、好きで出来るようになりたいな……。



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コレ

 翌朝、飲みきれなかった分を捨て、洗ってぺちゃんこにした缶をそっと持ち出した。ゲームコーナーのゴミ箱に証拠隠滅。

 その足で朝湯。部屋のシャワーでも良かったけど、音でみんなを起こすのは気が引ける。

 

 まだ五時半を回ったばかりで、大浴場には誰もいない。手足を伸ばして湯船に浸かると鼻歌が出る。一人で湯船なんてなかなか無い。いつもは子ども達と一緒だから。

 さて、そろそろ上がろうかな。いくら何でも六時近くなれば誰かが来そうだ。

 

 脱衣所で身体を拭いていると、入り口の引き戸が開く音。誰か来たようだ。慌てて下着を着ける。

 

「あら、小畑さん。おはよう」

 

「おはようございます。藤井先生も朝湯ですか?」

 

「そうよ。小畑さん、早いわね」

 

「ボクはいつもこの時間には起きてますから。朝ご飯の支度とか、弟や妹の身支度があるので」

 

「へぇー、感心ね。ところで『僕』?」

 

 あ、ここは私でも良かったんだ。

 

「あ、これはちょっとワケがあって。罰ゲームというか、紬ちゃ、村田さんの策略というか……。合宿中は一人称『ボク』なんです」

 

 さすがにその経緯まで話さない。藤井先生は「あまり感心はしない」ということだ。

 

 

 

「ところで先生、私って、その……、『天然』でしょうか?」

 

「うーん。何を指して『天然』と言うか分からないけど、それは個性なんじゃないかしら。

 でも、小畑さんはもう少し自分に自信を持ってもいいと、先生は思うけどな。あなた、いつも周囲りの目を気にしてるように見えるもの。

 ほら、早く着ないと湯冷めするわよ」

 

 なんだか上手くはぐらかされた気がする。でも私は、そんなにオドオドしてるように見えるのだろうか。

 

 

 

 部屋に戻ると紬ちゃんがうなっていた。

 

「お腹、痛いですぅー」

 

 二日酔いまでは行かないが、ちょっと残ってるようだ。

 

「ほら、紬ちゃん、これ飲んで」

 

 スポーツドリンクを渡すと、四分の一ぐらい飲んだ。

 

「ちょっと臭うから、シャワーかお風呂にしたら?」

 

「紬は、汗臭いですかぁ?」

 

「アセはアセでも、アセトアルデヒドだよ。

 できれば湯船に浸かった方がいいよ。あ、でも大浴場には藤井先生がいるから部屋のを使った方がいいかな。

 とりあえず、お湯、溜めとくね」

 

「昌クン、優しいですぅ。彼氏になって下さいですぅ」

 

「それは、フィジカルな理由で無理です」

 

 紬ちゃんを脱衣室まで連れて行った。さすがに「脱がせて下さいですぅ」の無茶振りには応えられない。「昌クン、ここはデレて欲しいですぅ」のわざとらしい声も聞こえるが、これも無視する。

 とりあえず溺れていないか、聞き耳だけはたてておくけどね……。

 

 

 

 紬ちゃんは溺れることなく無事浴室から出られたようだ。時刻は六時半近い。見るともなくテレビをつける。テレビ体操だ。

 

「昌ちゃん、まさかここでするの?」

 

「さすがに今日はしないよ。ただ見てるだけ」

 

「見てるだけ?」

 

「うん。体操のお姉さんはスタイルがいいなぁって」

 

「見てどうするの?」

 

「どう? って、……うーん。人生の励みに、かな?」

 

 なんか、変な子扱いされてる気がする。まぁいいや。コレも『個性』だ。そのまま続けて見る。何年か前まではこの時間にピタゴラやってたんだけどな。

 

「そろそろ集合の時間だよ」

 

「あああああ……。0655が……。猫の歌が……」

 

 

 

 農業法人の見学は特に変わったことも無い。

 葉もの野菜の水耕栽培を見学し、イチゴの収穫体験をする。さすがに野菜は工業的に製造するというわけにはいかない。種を使う代わりにクローン技術でとか、サイバーなことを想像してたけど、そういうことはしていないらしい。

 日本は、野菜の自給率こそ高いけど、種子や肥料の輸入依存度はかなり高い。その辺をバイオテクノロジーでなんとかできないだろうか? 病気とか害虫とかを遮断できるんだから、そういう方法は採れないのかな?

 うん。この辺はレポートに書いておこう。

 

 

 

 昼食の食材はここや同系の法人で穫れたものだ。

 一連の食事の中では一番のアタリだった。でもみんなの目は売店の方に注がれている。

 

 売店でも、ここのフルーツや産物を使った食べ物が売られている。女子に人気なのは当然、甘いものだ。

 

 私たちもプリンのコーナーでデザートを選ぶ。

 由美香ちゃんは王道のカスタード、詩帆ちゃんは生クリームとフルーツがたっぷり乗ったプリンアラモード、紬ちゃんはマンゴープリンを選んだ。でも紬ちゃん、女子中学生が「マンゴー」発言を連発するのは如何なものかと。

 

「昌クンはどれにするですか?」

 

「うーん。じゃぁボクはコレにしよう!

 お姉さん、この、クリームブリコレ下さい!」

 

 瞬間、周囲りが凍り付く。

 

「あ、昌ちゃん。これ、ブリュレだよ」

 

 由美香ちゃんが小声で言う。ユがコに見えた。恥ずぃ……。顔に血が上って行く。

 

「ウケ狙い、でも、ないみたいね……」

 

 どんどん赤くなる私の顔を見て詩帆ちゃんが呟く。

 周囲からはヒソヒソ、ザワザワ。

 衆人環視の中、素で間違えてしまった。お菓子の名前を知らないなんて、明らかに女子力不足じゃないか。

 

「昌クンは天然系じゃなくて、残念系美少年ですね……」

 

 それを聞いた売店のお姉さんは、私の顔と制服を見比べる。あれ? このお姉さん、まさか変な誤解してない?

 

 商品を手渡してくれるときお姉さんが小声で訊いてきた。

 

「女の子、ですよね?」

 

 店員さんが、それ訊く? いや、それ以前に女の子以外に見えるの? 『前世』でさえ女の子に間違えられてたのに……。第一、学祭の余興でもあるまいに、女装はあり得ないでしょ。

 

「さぁ。どうでしょう?

 今日の『ボク』は、罰ゲームなんです」

 

「ずっとそれで行くですよ。昌クンにはこっちの方が似合うのです」

 

 紬ちゃんもノせてくる。この子、本当に頭の回転速いなぁ。

 

 

 

「ちょっと、店員さん変な誤解してない?」

 

 売店を後にした私たちに由美香ちゃんが小声で言う。

 

「え? 『ボク』って言ってるから、店員さんが変に思ったんじゃないかなぁ」

 

「紬も変なこと言ってないですよ。昌クンには『僕』が似合うです。これからも『僕』でいって欲しいです」

 

 由美香ちゃんは額を抑える。昨日のアルコールが今頃来たようだ。

 

 

 

 帰りのバスの中はウトウト。男子の大半は爆睡だ。多分昨夜はほとんど寝てないに違いない。隣の紬ちゃんも寝ている。私も眠い。

 なんだか、盛り沢山の社会見学だった。駅で沙耶香さんに会って、工場で歌を聞かれて、お風呂。ガ○ダムの話にガールズトーク。最後はクリームブリコレ。あれ? 無かったことにしたい話が多いような気が……。あぁ、ダメだ。眠い……。



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一つの別れ 一 格

「光紀さん、『比売神子』になれるかなぁ?」

 

「難しいんじゃない?」

 

 私の独り言に、聡子さんが応える。光紀さんの神子としての合宿参加は今回が最後だ。今は、沙耶香さんと比売神子のお婆ちゃんとともに、最終的な通過儀礼(試験)を受けている。

 本人は比売神子になれなくても構わないとは言っているけど……。

 

「比売神子になれないと、やっぱ残念ですよね」

 

「そりゃ、残念よ。比売神子としての責務はめんどくさいけど、収入がいいし、私としては比売神子になれるなら、大学なんか行けなくてもいいと思ってるわ」

 

「やっぱり、そうですよね」

 

 

 

 かれこれ三十分は経っている。

 

「あと、どれぐらいかかるんでしょうね?」

 

「さぁ、前の『神子』のときは一時間以上かかったから、今回もそれぐらいじゃない」

 

「まだ、小一時間ぐらいかかるのか……」

 

 待ってる方が疲れる。

 

 

 

「ところで昌クン。あの後、社会見学はどうだったの?」

 

「みんなのせいで、ボクは天然ということになりましたよ……。

 あと、『僕っ子』だと思われるし『男の娘』疑惑まで出るし……、ボクのイメージ散々です。

 その上、罰ゲームで、見学の間中一人称『僕』で通さなきゃいけなかったし、別のクラスの男子には『男湯だろ』って言われたんですよ」

 

「でも、昌クンの普段の行いが普通だったら、天然扱いも男のコ疑惑も起こらなかったでしょ? やっぱ、そういう要素をみんなが感じてたんだと思うよ」

 

「みんな、面白がってるんです。凄く恥ずかしかったんですから」

 

「でも、それでクラスの子達と打ち解けられればいいじゃない? 今まで男子とはほとんどしゃべってなかったんでしょ?

 昌クン、本当は男子との方が、話が合いそうだもん」

 

 それはそうだけど……。それは結果論であって、そんな捨て身の打ち解け方は避けたかったのですが。

 

「あ、そうだ。男のコと言えば、ウチの学校でも昌クンは男のコで私の彼氏と言うことになってるから」

 

「は? どういうことですか?」

 

「週明けに学校へ行ったら、昌クンのことみんなに訊かれちゃってね、それで、彼氏と言うことにしたの」

 

「何で彼氏なんですか?」

 

「彼女じゃ私にレズ疑惑が出るでしょ」

 

「普通に友達とか、同じサークルの後輩とか、いくらでも言い方あると思うんですけど」

 

「私は高校じゃクールなイメージで通してるから。

 駅ですっごい美少年と腕を組んでたとか、有り得ないぐらいの男の娘とかウワサになってて、昌クンのことみんなに訊かれたのよ。で、変なウワサが出るのは嫌だから」

 

「彼氏が女装趣味の中学生って方が、よっぽど変だと思います。

 それに、その『美少年』の件、話を盛ってるでしょ」

 

「まぁ、本当は『美少女』だったんだけど、美少年の方がおもしろいかな? って。それなら誰も信じないから。だからそのセンで行ったのよ。それはそれで萌えるし」

 

「それで、ボクはあちこちで女装趣味ということにされるというわけですね……」

 

「女の子が女の子の格好するのは、女装とは言わないから大丈夫」

 

「大丈夫って、何が大丈夫なんですか」

 

「さぁ。何でしょうね?」

 

 全く、呆れる。自分のイメージを守るために、私のイメージをボロボロにするなんて。

 

「千鶴さん、優奈さん。この変人に何とか言って下さいよ」

 

「でも、昌ちゃんはやっぱりちょっと天然入ってるよねぇ」

 

「男の娘扱いが嫌とか言いながら、光紀さんにはなついてるし。何だかんだ言って、男の子っぽく振る舞ってるし」

 

 優奈さんと千鶴さんが顔を見合わせる。直子さんは聞いてないフリで知らん顔。

 

「ま、人の噂も七十五日。私は別に昌クンが男の子でも構わないし。むしろその方が萌えるし。

 大丈夫。沙耶香さんや光紀ちゃん優先ってのはわきまえてるから、抜け駆けしないわよ。昌クンのDTは沙耶香さんに譲る」

 

 聡子さんに『大丈夫』って言われる度に、大丈夫じゃ無くなっていく気がするのは何故だろう。

 

 

 

 光紀さんが戻ってきたのは更に三十分ほどしてからだった。

 試験内容は分からないけど、とにかく疲れた顔だった。

 

「お疲れ」

 

「やっぱりダメだったよぉ。昌クン慰めて」

 

 いきなり私に抱きついてくる。

 引き離そうとしたが、押し殺した嗚咽が聞こえる。本人は「なれなくてもいい」って言ってたけど、やっぱり悔しいものは悔しいのだろう。

 

 普通は泣くために胸を貸すところなのだろうけど、光紀さんの方が背が高いから肩を貸す感じになる。

 

「とりあえず、お別れ会は日を改めるから、今日は解散ね」

 

 沙耶香さんが言うと、他の神子達はあっさり引き上げる。え? なんで? みんなどうしてそんなに淡々としてるの?

 

 

 

 しばらくして嗚咽がやむと、光紀さんは私から身体を離した。目が赤い。その表情にドキッとさせられる。

 

「昌クン。一つお願いがあるの」

 

「何ですか? デートして欲しいとか?」

 

「それはそれでしてもらうつもりだけど……、貴女の『格』を感じてみたいの。一度も見てないから」

 

 チラと視線を動かすと、沙耶香さんは頷いた。

 

「分かりました」

 

 私がそう言うと光紀さんは二歩下がった。

 

「では、行きますよ」

 

 光紀さんは腰を落として踏ん張る姿勢をする。別に『格』は物理的な力じゃないから、踏ん張ったって関係ないけど。気分の問題だろうか?

 

 

 

 私は放出する『格』を徐々に強める。

 

「ストーップ! ストップ、ストップ! OK。分かった」

 

『格』を止めると光紀さんは全身で溜息をつく。

 

「大体分かったわ。今ので出力何%ぐらい?」

 

「三割から三割半ってとこでしょうか」

 

「それが、本物の『格』なのね。

 うん。これで諦めが付いた」

 

 

 

「沙耶香さん。今までお世話になりました。結局、比売神子になれなくてすみませんでした」

 

「謝らなくていいのよ。こればかりは努力だけでどうにかなるものじゃないから。

 こちらこそ申し訳ないけど、これからも貴女の行動や職業選択にはある程度の制限がかかります。その辺はさっき説明したとおりよ」

 

「はい。でも私は美人すぎる官僚を目指してるので、余り関係ないと思います」

 

 実際、彼女は美人だけど、自分で言うかなぁ。沙耶香さんが伝染ったに違いない。

 

 

 

「じゃぁ、今日は昌クン借りてきますね」

 

「いいわよ。でも、いくら恋愛解禁になったからって、不純同性交遊はダメよ」

 

「かしこまりっ! じゃ、昌クン、一緒にランチね!」

 

 え? デートはマジですか……。



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一つの別れ 二 デート

「昌クーン。こっちだよ」

 

 光紀さんが手招きする。路地を一本入ったところにあるイタリアンのお店だ。入り口のイーゼルに黒板が立てかけられ、ランチのメニューが書いてある。

 

「ここのランチはお得だよ!」

 

「よくこんな店、見つけましたね。知らないと来れないですよ」

 

「サークルの先輩から教えてもらったのよ。最寄り駅だから、この辺は行動範囲だし。

 しょっちゅうは来ないけどね」

 

「この近所に住んでるんですか?」

 

「住んでるのは大学近くのワンルーム。他の(神子)達と違って、つましい生活よ。

 でも、私は私のままで生活できてたし、……なれなかったしね」

 

 ここで小声になった。

 

「神子の中には、引っ越しとかのために支度金を三百万ぐらいもらって、月々も公務員並にもらってる子もいるみたいよ。別人になるんだから仕方ないけどさ。

 ところで、昌クンも結構もらってるんでしょ? 大卒の社会人だったみたいだし。いくらもらってるの?」

 

 ……言えない。絶対に言えない。私の待遇はかなり違うような気がする。

 

「うーん。沙耶香さんから口止めされてるし。多分、合宿メンバーの中では沢山もらってる方だと思う」

 

 ウソです。多分二位以下をかなり引き離してます。支度金は桁が違うし。

 

「まぁ、あの『格』なら『比売神子』になるのは確実だし、『格』だけに『別格』の金額でもおかしくないわね」

 

「店の前で生臭い話してないで、中、入りましょうよ」

 

 店に入るとオープンテラスの席を勧められた。でも、外から丸見えの食事は落ち着かないに違いない。屋内の席でお願いする。

 通されたテーブルも窓際。外の方が明るいから、そうそう中は見えないだろうけど、ちょっと落ち着かない。

 

 メニューはイタリアンのコースだ。前菜は共通で、二品目とパスタとメイン、そしてデザートを選べる。

 それぞれ異なるメニューを選んでシェアすることにした。

 

「昌クンって、お箸なんだ」

 

「そうですよ。麺類には割り箸が最強です」

 

 新婚旅行でローマに行ったとき、隠し持っていた割り箸を出して渚に厳重注意されたな。

 

 

 

 全体的に量は少なめだが、品数が多いので満足感がある。渚の好きそうな店だから今度連れて来よう。でも、メニュー的に子ども達は無理だ。それ以前に、店の中を走り回って迷惑をかけるか……。

 子ども達は祖父母に預けて来るしかなさそうだ。

 

 当たり障りの無い会話だが、今ひとつ接点が少ない。お互いサブカル系には詳しいけど、方向性が違うんだよね。まぁ、向こうの年齢はほぼ見た目通りだし、こっちの中身は……。元は四十近いオッサンと女子大生じゃ、話がかみ合わなくても仕方ない。

 

 

 

 店を出ると次はショッピング。買うか買わないかすら決めずに店に入って、ピンと来たものを買う。私にはなかなか出来ない行動だ。こういうところが女子力不足なのだろう。あ、でも書店では似たようなことしてるか……。

 

「昌クンの服、私が見立てて上げよっか?」

 

「あ、それじゃ、お願いします。でもキワものは困りますよ」

 

「大丈夫! 私にまっかせなさーい! 昌クンにぴったりのを選んで上げるわ。試着室で待ってて」

 

 光紀さんの趣味から言っても、女の子女の子した服は無いだろう。さすがに男物をってことも無いだろうけど、普段の彼女から言って、シックにまとめて来るに違いない。

 

 と思っていたら……。ものすごくフェミニンな服なんですけど。いや、フェミニンを通り越してる。それにそのマントかガウンみたいなの、普通に売ってるんだ……。

 まぁでも今日ばかりは光紀さんの顔を立てなくちゃ。

 

 

 

「あの、光紀さん? ボク、着替えるんですけど」

 

「手伝って上げるわ」

 

「多分、一人で着られますよ」

 

「手伝いたいのよ」

 

 え? そっちのシュミ?

 

 そう思った瞬間、光紀さんに抱きすくめられた。ガチですか?

 

「昌クン」

 

 光紀さんが耳元で囁く。息がくすぐったい

 

「な、なんですか? 耳がくすぐったいです」

 

「貴女、本当は……、本当に男の子だったんでしょ?」

 

「ひっ!」

 

 驚きで背筋が反り返る。マズい。どう応えよう。

 

「くっ、くすぐったいです。耳に息を吹きかけないで下さいよ!

 で、何ですか?」

 

 上手く誤魔化せたかな? 光紀さんは「ごめんね」と言いながら私を解放すると、じっと私の目を見つめ、にこっと笑った。

 

「ううん、何でもない。

 じゃ、これから着てみましょうか?」

 

 バレたかな? いや、言質(げんち)は取られてない。疑いは持ってるけど保留ってとこだろうか。

 

 思考を巡らせている間に、いつの間にか脱がされている。え?

 

「いつの間に脱がしたんですか!」

 

「『脱がせていい?』って訊いたら、昌クン『うん』って言ったでしょ? どうしたの?」

 

 いつ答えたんだろう? 上の空で生返事したらしい。

 

 

 

 着せられた服はヒラヒラで、自分では絶対に選ばないようなデザインだ。

 

「こ、これはちょっと…。ハードル高くないですか?」

 

「そう? すごく似合ってるよ。っていうか、こんな服がリアルで似合う子、なかなか居ないよ。お姫様か天使みたい。って言うか、ベルちゃんみたい! 髪が長ければ完璧ね」

 

 光紀さん、ベルちゃんってアレですか? お酒が好きなお姉さんとアイスクリームが好きな妹がいる……。

 

「ボクの体型はむしろ妹の方ですけど。って、光紀さん、そのマンガ、よくご存じですね」

 

「まぁ、周囲りにそういうのが好きな人がいるから。でも昌クンも知ってるんだ。女の子で知ってる人は少ないと思うんだけどな。

 ま、昌クンなら知ってても意外じゃないか。元が元だけに」

 

 なんだか聞き捨てならない発言が……。

 

 

 

「じゃ、これは買って上げることにして」

 

「えっ? ボクが自分で買いますよ」

 

「でも、これは昌クンのシュミじゃないでしょ? 私が着せたくて選んだんだから、私に買わせて」

 

「分かりました。じゃぁお返しに光紀さんの服をボクからもプレゼントしますね。でもボクは服のセンスが無いので、光紀さんが選んで下さい」

 

「分かったわ。昌クン、今日は今買った服を着て付き合ってね」

 

「えーっ! こんなヒラヒラの着て歩くんですか?」

 

「今日ぐらいいいでしょ? 折角似合ってるんだし」

 

 

 

 五分後。注目されてます。

 光紀さんも美人だけど、私がこんなコスプレみたいな姿じゃ、ねぇ。

 

「光紀さん。ボクたち目立ってますよ。それに写真を撮られたっぽいからマズくないですか?」

 

「大丈夫よ。ネットにアップされる端から削除されるし、アップした人にはキツーい注意が行くから。

 昌クンの写真はかなり削除されたらしいわよ」

 

「そうなんですか」

 

 そう言えば、私の姿は田舎じゃ目立つにもかかわらず、ネット拡散はしてないみたいだし。そういうことがあるのか。

 

「でも、とっても似合ってるわよ」

 

 それはさっきも思った。有り体に言って、制服姿の方が私の容姿――特に髪の色――と合わないためコスプレっぽい。こんな服の方が似合うってどうなんだろ。

 若いうちはともかく、おばちゃんになったらどうしたものか……。

 

 私たちは注目を浴びつつ、今度は光紀さんの服を選びに行った。



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一つの別れ 三 キス?

「私は、昌クンみたいなの、いまいちしっくりこないのよね」

 

「そう言えば、いつもシックな感じでまとめてましたよね」

 

「だから昌クンにこういうの着せるんじゃない。初めて会ったときから、こういうの着せたいって思ってたもの」

 

「の割に、男の子っぽく振る舞わせてますよね」

 

「そこはそれ、これはこれよ」

 

 微妙に言葉も用法も違う気がするのだけど。

 

「それに、男の子の方が昌クンには自然よ。まとっている空気が少年なのよね」

 

「空気……、ですか?」

 

 内心ギクリとする。もしかして、この子は変な能力を持ってるんじゃないか?

 

「そう! 成長するとなくなっちゃうんだけど、男の人はたまにそれを大人になっても持ってるのよ。女はこうはいかないけど……」

 

「ボクって、お子様ですか?

 って言うか、微妙に男の子前提で話するのはどういうことですか?」

 

「だって、昌クンは美少年だもん」

 

「その『少年』に、こういう服を着せるわけですね」

 

「それは……、昌クンにはそっちの方が似合うから」

 

 

 

 婦人服売り場に入ると、明らかに私の服は場違いだ。回りのお客さんもチラチラこちらを見てる。正直、恥ずかしい。

 

「昌クーン、これ、似合うかな?」

 

「光紀さんなら、余程変なの選ばない限り、何でも似合いますよ」

 

「あら、お上手。そうやって女の子口説いてたのかしら?

 じゃぁ、ちょっと着替えるの手伝って」

 

 手伝ってって……、背中にファスナーなんか付いてないぞ。

 

 

 

 試着室で二人きりというのは気まずい。まして、さっきとは違って脱ぐのは光紀さん。

 

「やっぱり、ボク、出ますよ」

 

「待って」

 

 光紀さんは後ろから私を抱き寄せた。

 右肩を挟む双丘が私の体温を上げる。女の子ってスキンシップが凄いな、と思う間もあればこそ、光紀さんが顔を寄せる。

 

「!」

 

 数瞬の間、何が起こったか分からなかった。

 私の口はふさがれている。

 

 え? 何?

 

 光紀さんは女性で、私も身体は女性。

 

 確かに男の子扱いされてるけど、それはおもしろ半分で。

 

 私の人格はともかく、光紀さんから見れば女同士のはず。

 

 頭の中がグルグルする。

 力が入らない。意志に反して膝が揺れる。

 理由(わけ)も無く、目尻から頬に涙が伝う。

 腰から崩れ落ちそうになり、光紀さんにしがみついた。

 それと同時に、光紀さんが私の背中に回した腕をぐっと寄せる。

 

 これって、男女が逆の気がする。

 あれ? 光紀さん的にはこれはどういう位置づけだろう?

 なんだか考えるのが億劫(おっくう)になってきた。

 

 

 

 ふと我に返ると、二人して試着室に膝をついていた。

 下半身に力が入らない。

 

 光紀さんはニッと笑うと、何事もなかったかのように立ち上がって試着を始めた。私はそれをどこか遠くのことのように眺めていた。

 

「昌クン、どうかな?」

 

 ふわふわする意識をつなぎ止めて光紀さんを見る。光紀さんは()れたように私の肩を揺すろうと……

 

「ひゃん!」

 

 肩から電流が走ったような感覚。皮膚感覚が過敏になったような気がする。でもそれはむしろ甘美なもので……。

 

「ちょ、ちょっと今は触れないで下さい」

 

 私は後ずさった。

 

 何だろう? 全身の皮膚が電気を帯びたような気がする。空気の流れすら感じ取れる。というより、仮に私の首から下がハゲじゃなかったら、産毛がそよいだだけでもビリビリ来そうだ。

 

「はは~ん」

 

 光紀さんが変な笑顔を向ける。これは逃げないとマズい。

 

 力の入らない下半身を気合いで動かし立ち上がる。が、光紀さんが間合いを詰めてくるのが早い。

 

「ひっ!」

 

 脇腹をつつかれただけで力が抜ける。

 

「お、お願いだから、やめて下さい」

 

「い・や」

 

 耳に息を吹きかけられると腰砕けになる。

 

 

 

 這々(ほうほう)(てい)で試着室から逃れたが、膝は生まれたばかりの仔馬のような状態。

 

「お、お手洗い、行ってきます」

 

「ごゆっくり」

 

 とりあえず、冷たい水で顔を洗おう。首筋や耳まで熱い。

 

 

 

 トイレまでの道すがら、周囲からチラチラ見られる。この服のせいで視線が鬱陶しい。

 

 トイレに入って鏡を見ると、うっわぁ、こんなえっちな顔して歩いてたのか……。顔はほんのり桜色、これはまぁ許せるとして、目と口元がひどい。

 目は暗くもないのに瞳孔が開き気味。眼底検査の目薬を注した後みたいになっている。潤んだのと相まって、よく言えば乙女チックだけど……、この口元が台無しにしている。

 口元は、要するに唇が赤い。吸われたせいか唇が充血し、それだけで一回り大きく見える。ノーメイクなのに、ばっちり化粧したかのようだ。よく言って、グラビアのお姉さんの媚びるような表情。ぶっちゃけ、オスを誘惑するメスの顔だ。

 

 とりあえず、顔を冷水で洗う。

 少し落ち着くと下着に違和感がある。慌てて個室に駆け込んだ。

 

「こっちも受け入れ準備万端じゃないか……」

 

 その部分はしとどに……、って、何を受け入れるって言うんだ!

 下着を替えようにもお泊まりセットはコインロッカーの中だ。仕方が無い。替えの下着を買おう。

 

 

 

 数分後、新しい下着に替えた。履いてたのは多目的トイレで軽く水洗いしてナイロン袋+紙袋に梱包する。

 

「あら、随分遅かったじゃない」

 

 誰のせいで、と言いたいところだが、ここは我慢。言ったら墓穴を掘る。

 

「いろいろ回ってたんです。で、どんな服を選んだんですか?」

 

「最終候補はこの二着。どっちも良いから迷うわ」

 

 一方は、普段から着ているような品の良いシックな服。もう一方は清楚な中にも飾りの多いツーピース。ツーピースの方はこれからの季節には遅いけど、秋冬にも使えそうだ。でも色合いは春な感じか。

 勧めるとすれば、ツーピース。今まで着たことがないタイプだ。でも、これだとすぐに着られなくなるし……。

 

「両方とも買っちゃいましょう」

 

「えーっ、それじゃぁ悪いわよ」

 

 さっきのアレは、光紀さん的には悪くないのかな?

 

「こう見えても、ボクはお金持ちなんです! 社会人でしたから」

 

「じゃ、お言葉に甘えて……」



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一つの別れ 四 告白?

 買い物を終えると結構な時間だ。地下街のコーヒーショップでお茶にする。

 

 コーヒーショップでも店員に通されたのは外から丸見えの席。光紀さんが座ったので仕方なく私も座る。でも、通行人からの視線で落ち着かない。

 

「ちょっと、落ち着かないですね」

 

「私たちが看板娘というわけよ。見栄えの良い客を目立つ席に置いとくと、客の入りが違うから」

 

「でも、バイト代は出ないですよね」

 

「お金持ちのくせにセコいこと言わないの」

 

 二言三言交わしていると、ウエイトレスが注文を取りに来た。

 

「私はイチゴのタルト、昌クンは?」

 

「じゃぁ、ボクはプリンとフルーツが乗ったコレにします。飲み物は、アールグレイ、ホットで」

 

「私はモカね」

 

 

 

 ウエイトレスが行ってしまうと気まずい。さっきの試着室を思い出す。チラと見ると、光紀さんがにこにこしながら私をじっと見ている。慌てて視線をそらし、外の通行人を見るともなく見る。沈黙が重い。

 

「ねぇ」

 

「はっ、ひゃい!」

 

 噛んでしまった私を見て、光紀さんはクスクス笑う。

 

「こういう姿は、本当に女の子みたいね」

 

「本当にって、光紀さん? 私のオールヌード見てますよね?

 あれ見て男だって言う人は居ないと思いますけど」

 

「ふふ……。じゃ、そういうコトにしておきましょうか」

 

 

 

 程なくケーキが運ばれてくる。

 

 甘いプリンを頬張る。美味しい! この身体になって以来、甘みと脂肪の組み合わせを舌が欲する。味覚を処理する脳が変化しているからだろうか、甘いお菓子を飽きることなく食べられる。

 以前は塩と脂とアルコールだったんだけどなぁ……

 

 

 

「比売神子になれなかったのは残念だけど、それはそれで良かったのかもね。これで一般人に戻れるんだから」

 

 光紀さんは『血』が出る前の話を始めた。

 

 変容が少なかったから、入院期間が短かったこと。

 大幅では無いが、容貌の――主に体重と体型の――変化がそこそこあったせいで、整形疑惑が出たこと。

 

「血が出る前の話は御法度じゃないんですか?」

 

「そりゃ、過去を捨てる必要があったらそうだけど……、私の場合は、生まれたときも今も山崎 光紀だから。ちょっと変わった人たちに会えただけよ。

 昌クンは……、絶対に言えないわよね」

 

「一応、口止めはされてますから……」

 

 

 

 とりとめのない会話を三十分ほどし、私たちは店を出た。

 

「じゃぁね、昌クン。次、会うのは、お別れ会ね」

 

「光紀さんもお元気で」

 

「昌クン。最後にハグさせて」

 

 そう言うと、光紀さんは返事を待たずに私を抱き締めた。

 見上げると光紀さんの顔が近づいてくる。私は目を閉じた。

 

 突然私は解放され、同時に額に軽くチョップされた。

 

「ったーい」

 

「昌クン。貴女、何期待してたの?

 完全にキスを待つ女の子じゃない」

 

 ううううう。恥ずかしい。条件反射みたいに身体が動いてしまった。

 

「あら、真っ赤になって、カワイイ」

 

 そう言うと、もう一度私を抱き締め、耳元で囁いた。

 

「ファーストキスを捧げたんだからね。光栄に思いなさい」

 

 えっ? となる。

 でも、あれは捧げると言うより奪うの方が適切な気がする。

 

「昌クン、前は本当に男の子だったんでしょ?

 うぅん、答えなくてもいい。私がそう思いたいだけ」

 

「光紀さん……」

 

 光紀さんが腕を緩めた。

 

「じゃぁね、昌クン。今度は、彼氏を見せびらかすから」

 

 改札で別れた後、何故か目尻から頬に涙がつたった。今日は意味もなく泣いてばかりだ。

 

「『彼氏』、かぁ……」

 

 

 

 光紀さんの後ろ姿を見送って、ふと周囲を見ると、注目されている。そうだ、ここは駅の構内だ。

 そうでなくても私の容姿は目立つ。加えてこのコスプレまがいの服。あまつさえ、抱き締められてキスを待つ体勢になるなんて!  

 客観的には百合の花が咲きそうになってるように見えたんじゃないか?

 

 

 

 私も帰宅の途につく。各駅の車両に乗るときも注目される。

 ナンパ男が寄ってくるかとも思ったが、そんなことはなかった。と言うより、何故か私の周囲りだけ人が来ない。乗車率は七割を超えてて立っている人もいるのに、四人掛けを一人で占領ってちょっと悪い気がする。

 

 別の車両から空いてる席を探して来たカップルも、私を見て素通りするし。なんか、ちょっとイタい子というか、変な子って思われているのだろうか?

 

 ……それにしてもこのスカート、長いのに前のスリットが深いから油断するとご開帳してしまう。これをデザインした人は試着していないに違いない。

 

 

 

 揺られていると、前方からきれいな子が……、誰だろう?

 

「おおおお! 昌クンです!」

 

「あ、紬ちゃん、お化粧してるから分かんなかったよ。こんな所まで、何してたの?」

 

「生地とボタンを買ってたですよ。これで服を仕立てるのですよ」

 

「自分で仕立てた方が安いの?」

 

「ノン、ノン。趣味ですよ。

 材料だけで既製服が三着は買えるのですよ」

 

 布って意外と高いんだな……。そう言えば渚も子どもが入園するとき、いろいろ手作りしてたけど、あれも結構かかってたのかな?

 

「ところで昌クン。その格好似合ってるですね。普段はそんな服ですか?」

 

「ううん。これはさっき友達が選んだんだよ。

 さすがにせっかく買ってくれたものを、すぐ脱ぐわけにもいかないから、今日はこれを着てるんだ。正直、次に着るかどうかは判らないけど……」

 

「せっかく似合ってるですから、また着ないともったいないです。こんな服が似合う人、なかなか居ないのですよ。

 さすがクラス一の美少年! ノーメイクでも女装は完璧ですね」

 

 瞬間、周囲りの空気が変わる。何故か、主に女性客の視線が集中する。

 

「ちょ、ちょっと! 誤解されるようなこと言わないでよっ!

 第一、こないだ裸見てるじゃない」

 

「そう言えば、そんなこともあったですね。確かに『何も』生えてなかったのです。あれで男だって言ったら、世の中から女の子はいなくなるですね」

 

 そこで何故『何も』を強調するのかなぁ……

 

「ところでさっ、紬ちゃんはどんな服を仕立てるの? 今着てるのも自分で仕立てたの?」

 

「これは既製服ですよ。

 仕立てるのは特別なときに着る服ですよ。ナース服とか、メイド服とか、あと、ゴスロリ系もですね。昌クンも一着試すですか?」

 

「そ、それは遠慮しておきます。

 そういうコスチュームプレイ的なコトをする予定も無いし」

 

「昌クン、何か勘違いしてるですね。

 コスチュームプレイじゃなくてコスプレなのです。プレイなんて中学生には早すぎるのです。昌クンは相変わらずえっちですねぇ。

 そう言えば、詩帆ちゃんのおっぱい見てたですね」

 

「あ、あれは、前も言ったでしょ! 揺れて痛そうだなぁって。あと、ちょっと羨ましくて……」

 

「ホントですかぁ? 触りたいとか揉みたいとか頬ずりしたいとか、考えてなかったですか?」

 

「そっ、そんなこと考えてないよ!」

 

 ウソです。ちょっと考えていました……。

 

「まぁ、そういうことにしておきましょう」

 

 

 

 光紀さんといい紬ちゃんといい、私に『僕』を使わせたがる人は、何でそういうところが鋭いんだろ。まさか鋭いから『僕』を使わせるのかな?

 いくら何でも、私の出自を知ることが出来るとは思えないけど。



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第九章 連休
親の目線?


 明けて月曜日、社会見学と週末の二日を挟んだだけなのに、教室が久しぶりという気がする。もっとも、もうすぐ大型連休が始まる。その間はまた学校から遠ざかることになる。

 

 連休中は『神子』としての集まりも一時お休みだ。沙耶香(さやか)さんも連休を満喫したいに違いない。

 それでも、連休明けに光紀(みつき)さんの送別会をする。会場は北陸。美味しい和食と温泉、そして観光というわけで金沢方面だ。でも、私は試験前なんだけどなぁ。

 

 せっかくの連休。たまには子ども達をどこかに連れてってあげたいな。とは言え、今の私には足も免許もない。どこかに行くにしても、(なぎさ)の運転というのは心苦しい。徒歩で行動できる範囲じゃ変わりばえしないし……。

 

 

 

 ぼんやり考えていると由美香(ゆみか)ちゃんが話しかけてきた。

 

「昌ちゃん、連休中だけど、今度の土曜日、予定ある?」

 

「ごめん。土曜日は弟が遠足なんだ。お継母さんが出勤日で行けないから、私がついてくことになってる。二時半か三時頃には帰ってこられるとは思うけど」

 

「そっかぁ。遠足じゃその日はぐったりだよね」

 

「うーん。多分。

 でも、みどりの日? じゃなくて昭和の日? その日なら空いてるよ」

 

「じゃぁ、その日にしようかなぁ」

 

「何?」

 

「あ、一番大事なこと言ってなかったね。

 詩帆(しほ)ちゃんと(つむぎ)ちゃんも入れて、勉強会。レポート発表の準備もあるし……。それに、昌ちゃん、ずっと入院してたから、勉強、遅れてるよね」

 

「ありがとう。でも、いいの?」

 

「実は藤井先生からも頼まれたんだ。一緒に勉強する機会をつくるようにって」

 

「うん。じゃぁ二十九日、空けとくよ!

 でも、予定、前倒しさせちゃってごめんね」

 

「ううん、気にしないで」

 

 そういうことか。私自身は勉強のことは全く心配してなかったけど、普通は考えるところだ。大卒社会人の知識は中学校レベルじゃズルそのものだ。情報の更新が必要な科目はともかく、それ以外は準備なしで臨んでもミスしなければ問題無いんだけどね。

 

「じゃ、詩帆ちゃんと紬ちゃんにも都合訊いとくね。特に詩帆ちゃん、去年はずっと学年で五番以内だったから、実は私も頼りにしてるんだ」

 

 

 

 その日の授業も淡々と進みお昼の時間。そろそろ仲良しグループで集まって食べるようになってきた。

 

「昌ちゃんは苦手科目とかはある?」

 

 詩帆ちゃんが訊いてきた。私の苦手に合わせて、準備してくれるのかな?

 

「多分、社会科かな? あと、しいて言えば国語」

 

「英語できるのは分かってたけど、数学とか理科とかは?」

 

「ん。理数系は得意だよ」

 

「まいったなぁ。私、詩帆ちゃんに理科教えてもらおうと思ってたのに……」

 

 由美香ちゃんはがっかり顔だ。

 

「大丈夫。理科とか数学だったら、多分、私でも教えられると思うから」

 

「ホントですか? じゃぁ紬は昌クンに手取り足取り教えてもらうのです。できればそのとき昌クン、一人称ボクで」

 

「それは先週までだよ。それと紬ちゃん、『君』づけもちょっと困るよ。あらぬ誤解を招くから……」

 

 昨日の顛末を話した。

 

「大丈夫だよ。昌ちゃん見て、男の子だって思う人はいないよ」

 

「そうだよ」

 

「です!」

 

「でも、恥ずかしかったんだからねっ。女装趣味だなんて思われたら大変だよ」

 

「だから、昌クンの場合は女装じゃないですよ」

 

「だから、その『君』もやめてくれないかなぁ」

 

「じゃぁ、『ご主人様』。

 二十九日、紬はメイド服にするですから、期待するのです」

 

「メイドだったら、お嬢様とかじゃないの?」

 

「そこ? 普通はメイド服に突っ込むところじゃない?」

 

 由美香ちゃんは冷静だ。

 

「紬ちゃんにはその部分で突っ込むのは諦めました。とりあえず譲れないところ優先で」

 

「昌ちゃんも、紬ちゃんとのつきあい方、分かってきたみたいね」

 

 詩帆ちゃんはあくまで平常運転。

 

「ところでさ、勉強はどこでする? まさか市立図書館ってわけにもいかないし」

 

「紬のウチでもいいですよ。その日は『お帰りなさいませ、お嬢様』って迎えるですから」

 

 それは、もういいから……。でも、

 

「できれば、ウチがいいかな。弟や妹のめんどうも見なきゃ行けないし……」

 

「いいの?」

 

「うん。

 家までの地図書く?」

 

「これで教えてです」

 

 紬ちゃんがスマホ――本当は校内使用禁止――を出す。地図検索のページだ。

 私は慣れない手つきで地図上を示す。

 

「へぇ。割と近いね」

 

 由美香ちゃんが覗き込んで言う。紬ちゃんも近い。詩帆ちゃんだけが学校を挟んで反対側だ。

 

「こうすると、ご近所の様子が見えるですよ」

 

 最近の地図サービスはすごい。写真をうまく加工して実際にその場の風景を見られるようになってる。

 

「あ、昌ちゃん()、立派!」

 

 この写真は二年ぐらい前に撮られたものらしい。渚の車も写っているということは休日かな? いや、二年前なら育休中か。

 たった二年なのにずいぶん前に感じる。あのときは娘にデレデレになってたけど、こんなことになるとは……。写っているカブリオレも今は無いし。

 

「じゃぁ、二十九日の十時からということで」

 

 

 

「渚、じゃなくてお母さん」

 

「何?」

 

「二十九日に同じクラスの子が家に来ることになった。入院で勉強が遅れてる私のために勉強会だって」

 

「いいんじゃない? 青春をもう一度ね。来るのは男の子?」

 

「ううん、同じ班の女の子」

 

「なら、安心ね」

 

「男じゃなくて、女の子で安心?」

 

「そりゃそうよ。まして、男の子と二人きりとかだったら心配よ」

 

「私は、そんなにガードが甘く見えるかなぁ」

 

「大甘ね」

 

「そもそも、そういう状況にはならないし、第一、男子の友達はまだいないよ。どうも、向こうは私に声をかけづらいみたいでさ。

 ちゃんと話したのはこないだの社会見学が初めてで、それも同じ班のメンバーだけだし。

 

 ところでさ、私を見る視点が、親目線に変わってきてない? 一応、娘である前に夫だったはずなんだけど」

 

「別に変わってないわよ。

 まぁ、結婚するってのは、大きな息子ができるようなものよ。だから、息子が娘に変わったって、大した違いは無いわ。

 大きな子どもだと思ってダンナを躾けるのも、女の甲斐性よ」

 

「そういうもん?」

 

 思わず訊いてしまった。もしかして『私』はそういう視点で見られていたのか? 仮にそうだったとしても、息子と娘はかなり違うと思うけど。

 

「そういうものよ。あなたも憶えときなさい。いずれ結婚するんだから」

 

「へ?」

 

「子ども、産まなきゃいけないんでしょ? その子をお父さんが分からない子にする気なの?」

 

「そ、そんな! 男と結婚なんて、……ムリだよ」

 

「あなた、意識が戻った日、子ども達のためにどんな覚悟をしたのかしら? それに比べれば大したこと無いわよ。少なくとも相手を選べるんだから」

 

「人ごとだと思って……。って、何で私の考えてたことを」

 

「あなたの考えそうなことぐらい、予想できます」

 

「マジで?」

 

「マジで」

 

 

 

 私がこの域に達するのは、一生無理な気がする。これが大人の女子力ってやつだろうか……。



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勉強会

 約束の勉強会当日、十時を一分ほどまわったところで、呼び鈴が鳴った。来たのは由美香ちゃんと詩帆ちゃんの二人だ。

 

「ふわー! 大っきい家だね」

 

「う、うん。二十年ぐらい前にお祖父ちゃんが建てたんだよ」

 

「へぇ、そんなに経ってるようには見えないよ」

 

「床とかはワックスを掛けてるからね。でも、ほら、マットが敷いてあるところは色が違うんだ」

 

 マットをめくると、その部分だけは色が濃い。日光に晒された部分はどうしても脱色してしまうのだ。

 

「それに、台所や水回りは、そろそろリフォームが要るだろうし、軒の銅板も二、三十年したら()き直さないと」

 

「ふーん。そうなんだ」

 

 由美香ちゃんは感心しきりだ。

 

「昌ちゃんて、地味に変なことに詳しいね」

 

 詩帆ちゃんは腕組みをして見回している。

 

「とりあえず上がってよ。ところで、紬ちゃんは?」

 

「紬ちゃんなら、さっき出たとこだって。あと十分ぐらいはかかるんじゃない?」

 

 詩帆ちゃんは腕組みをしたまま応えた。

 

「ところで、弟さんや妹さんは?」

 

 由美香ちゃんがもっともな質問をする。

 

「事情を言ったら、勉強の邪魔になるだろうからって、お継母さんが実家に連れてっちゃったんだ」

 

 

 

 二人をリビングに通したが、そこにはソファと低い机のセット。およそ勉強する環境じゃない。

 

「やっぱり、ダイニングにしよっか」

 

 ここならテーブルと椅子の組み合わせだ。私がお茶の準備をしている間に、由美香ちゃんがお菓子を出した。主にキャンディとチョコレート。太るとか気にしないのかな? あ、きのこの山。私はたけのこ派なんだけどな。

 

 とりあえず見学のレポートだが、これは大体終わってる。結局、男子のレポートと合わせないと進まない。

 

 

 

 ぴんぽーん

 

「あ、紬ちゃんかな?」

 

 玄関に行くと紬ちゃんが大きなバッグを抱えて立っている。

 

「おはよう、紬ちゃん。ところで、ずいぶん大きい荷物だね」

 

「お早うございますご主人様。この中には、秘密の服が入っているのですよ」

 

「だからメイド服はいいって」

 

「なんで、分かったですか?」

 

「分からせようと説明してたじゃない」

 

「ふふふ、ばれてはしょうがないです。どこか、着替えるところ貸して下さいなのです」

 

「着替えなくていいよ。そんなにメイド服がいいなら、家から着てくればよかったのに」

 

「さすがに、その格好で外は歩けないのですよ。昌クンとは違うのです」

 

「私のはコスプレじゃありません。一応」

 

 

 

 ダイニングに戻ると、詩帆ちゃんはあきれ顔だ。

 

「やっぱり持ってきたんだ」

 

 とりあえず、着替えはナシを宣告し、勉強を始める。と言っても、連休中の課題をやるだけだ。数学と英語が中心なのでスイスイ終わる。大卒社会人の知識+十代の脳で授業を聞いていたのだ。できないはずがない。

 と、見ると、詩帆ちゃんも私と同じペースで進んでいる。基礎的な内容とは言え、大卒と同じレベルの作業が出来るって、ちょっと考えられない!

 

「へー、これだったら、勉強会なんて要らなかったかもね」

 

 詩帆ちゃんが感心したように言う。むしろ感心してるのはこっちだよ。

 

「う、うん。……まぁ、療養中は他にすることも無かったから」

 

 適当な言い訳をしたつもりだったが、三人の表情がちょっと曇る。まずい。『かわいそう』って思われてるっぽい。

 

 

 

「あ、昌ちゃん、この問題分からないんだけど」

 

 由美香ちゃんが取って付けたように訊いてきた。

 

「ん、これはね……」

 

 

 

 なんだかんだで一時間。時刻は十一時半近い。

 

「そろそろ、お腹すかない?」

 

「じゃ、ちょっと早いけどお昼にする?」

 

 

 

 みんなはショッピングセンターのフードコートを考えていたみたいだけど、それはもったいない。第一、私のために来てくれたわけだし。

 

「簡単なものなら作れるよ」

 

「なら、紬は焼きそばがいいのです!」

 

「焼きそば?」

 

「焼きそばが好きなのですよ。本当は上海焼きそばがいいですけど、ソース焼きそばでもいいですよ」

 

「由美香ちゃんと詩帆ちゃんもそれでいい?」

 

 

 

 結局、焼きそばを作ることになった。

 冷蔵庫を見るとキャベツがない。うーん。今日買い物に行く予定だったしなぁ。とりあえず、ニンジン、タマネギ、ピーマン、モヤシ、シイタケを出す。

 

「この材料なら……」

 

 食材をきざみ、ニンジンとピーマンはレンジで軽く加熱する。フライパンにサラダ油とゴマ油、刻んだショウガ、ネギ、鷹の爪を入れて加熱する。

 油に香りが移ったところで鷹の爪を取り除き、肉を投入。火が少し通ったら一旦皿に受ける。今度は野菜を投入し、これも火が通ったところで焼き肉のタレで薄く味付け。改めて肉と合わせる。

 ここからはフライパン二つで二玉ずつ調理。お湯を注して蓋をし、蒸し焼きにする。

 

 一方は普通のソース味、もう一方にはヒミツの調味料を回し入れる。味が絡んだら、あえて混ぜずに麺を鍋底で少し焦がす。こうすることで、食感の違う部分が混ざって美味しいのだ。

 

 

 

「上海風の固焼きそばとは行かないけど、こっちは中華風だよ!」

 

「「「「いっただっきまーす」」」」

 

「あ、おいしい」

 

「おいしいです!」

 

「これ、味付け何?」

 

 三人の反応は上々!

 

「これはねぇ、えへへ、青椒牛肉絲(チンジャオロースー)の素!」

 

「ホントだ」

 

「言われてみれば……」

 

「おいしいです!」

 

「昌ちゃん、料理上手だね」

 

「まぁね」

 

 もともと、焼きそばにはオイスターソースも合う。ならばと試してみたら大当たり! 旨味が強いから二、三人分味付けできる。中学生ならこういう味が好きだろう。

 

 

 

「おいしかったですー」

 

 紬ちゃんをはじめ、みんな満面の笑みだ。うん。その笑顔だけで作った甲斐があったというものだよ。

 作り置きのポテトサラダにホウレンソウの煮びたし、レンコンのきんぴらもきれいになくなった。よし、買い物に向けて、冷蔵庫の整頓も順調!

 

 

 

「ところでさ、ちょっと興味ない?」

 

 ? 詩帆ちゃん、何に興味があるんだろ。

 

「あるですよ! 探検するですよ!」

 

「「昌ちゃんの部屋!」」

 

 皿を洗ってると背後から不穏な会話が!

 

「そ、そんな! 私の部屋なんか見てもおもしろくないよ。何にも無いし」

 

「いいのいいの。何もなくても、そこに少しあるものからプロファイルするのがいいんじゃない!」

 

「いや、だから、私の部屋、お、お父さんが使ってた部屋、そのまま使ってるから……」

 

「じゃぁ、お父さんをプロファイルするですよ!」

 

「だからっ、私の部屋じゃないからっ」

 

「何か、見られて恥ずかしいものでもあるですか? 片付ける時間あげるですよ」

 

「無い! 多分、無いからっ。でも、何も無いから見てもおもしろくないよ……」



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お宅拝見 一

 結局、押し切られて私の部屋へ。もっとも、部屋は寝るかDVD視るぐらいだから、本当に何も無いんだけどね。

 

 二階の突き当たりのドアを開ける。

 

「広いですぅ」

 

 確かに広いと思う。十一畳半あるし。部屋の中央にセミダブルのベッド、壁際にオーディオとパソコン、四隅にスピーカ。

 

「昌クンは、やっぱり男の子ですね!」

 

「だから、お父さんの部屋をそのまま使ってるって言ったじゃない」

 

「あれ? こっちは?」

 

「クローゼットと書斎だよ」

 

「書斎?」

 

 詩帆ちゃんは目を輝かせる。さすが、本の虫だ。

 

「見ていい?」

 

「いいけど、本はあまりないよ」

 

 書斎の中はDVDとプラモデル、模型飛行機……。アルコール飲料と乾き物が入った冷蔵庫。完全に男の子の部屋だ。置いてある本と言えば、自然科学系の読み物と専門書、仕事に関する本。いかにもおっさんが好きそうな小説……。

 

 

 

「あ、こっちにもノートパソコンがある。さわってもいい?」

 

 以前使っていたノートだ。あまりにもでかいのでタブレット型(2in1)を普段使いにしたら、ほとんど使わなくなってしまった。それに、ネカマ認定されちゃったし……。

 

「いいよ。そっちはネット用なんだ。あんまり使ってないけどね」

 

 詩帆ちゃんは慣れた手つきでPCを操作する。

 

「何コレ?」

 

「え? なに?」

 

 ヤバいデータでも残ってたのか? いや、半年前にOSは再インストールしてるし、ブックマークも無難なものだけだ。

 インターネットの閲覧履歴は、検索履歴も含めて消去する設定になってるから、見られてマズいものは無いはず。

 

「あり得ないスペックじゃない!」

 

 あぁ、そうか。確かにそれは、ノートとはいえ3DCAD用にBTOしたもの。モバイルワークステーションだ。

 

「こっちのワークステーションはもっとすごいよ」

 

「そんなの、何に使うの?」

 

「もともとは『お父さん』が仕事に使ってたけど、今は……、インターネットとゲームかな」

 

「もったいない」

 

「これって、そんなにいいものなの?」

 

 由美香ちゃんがもっともなことを訊く。うん、彼女が普通なんだよ。

 

「これはね、言ってみればオーダーメイドのコンピュータなんだよ。

 性能は、電気屋に売ってるのが軽自動車とすれば、これはベンツぐらい」

 

 高級車と言えばベンツか……。解りやすい喩えだけど、そこまでの価格差は無い。

 

「何が出来るの?」

 

「出来ることは一緒だよ」

 

 由美香ちゃんはビミョーな表情。いやまぁ、普通に使う分には高性能機なんて要らないのは確かだ。

 

 

 

「ひゃぁ!」

 

 突然の音に、紬ちゃんが悲鳴を上げた。

 と、棚の上で時計をつけた台が動き出している。腕時計がくるくる回る。

 

「何? 何ですか?」

 

「時計のゼンマイを巻く機械だよ。

 タイマーがついてて、時間が来たら時計を回してゼンマイを巻くんだよ」

 

「この時計、ゼンマイ式?」

 

「うん。巻かないと、二日ぐらいで停まっちゃう」

 

「機械式ってやつね」

 

 さすが詩帆ちゃん。詳しい。

 

「時計のゼンマイを巻くのに、わざわざ電気とタイマーを使うですか?」

 

 ちょっと薄目で私を見る。こういうのがいわゆるジト目だろうか。

 

「う、まぁ、そういうことになるかな」

 

 いいんだよ。機械式は浪漫なんだよ。針がいっぱいついてて、中は歯車がいっぱいで、ベゼルが計算尺になるのもイイんだよ。

 女ってのは、どうしてこういう浪漫を受け容れないかな? 今は私もそっちのポジションにいるけど、私は浪漫が解るぞ。

 

「ムダですね」

 

 ほっとけ! とは言えないので「そ、そうかもね」と返す。

 

「こ、これ、お父さんの形見なんだ。きっとお継母さんは、お父さんとの時間を、停めたくなかったんだよ。だからこうやって、今でも巻いてるんだよ、きっと!」

 

 我ながらナイスな言い訳。この場にいない人のせいにする。

 

「すてきなお母さんだね。

 旦那さんを大切にして、昌ちゃんも……」

 

 由美香ちゃんは口ごもった。

 私の言い訳のおかげで、渚の株は本人のあずかり知らぬところでストップ高だ! こういうのを怪我の功名って言うのかな。

 

「そうだよね。私だったらこの時計、質入れしちゃうよ」

 

 詩帆ちゃんは物騒なことを言う。

 

「この時計って、幾らぐらいするですか?」

 

「モンブリランか。これってクロノじゃ『ピンからキリ』のキリの方だろうけど、それでも新品で買ったら五十万は下らなかったよね。店頭で七~八十万てとこかな」

 

 紬ちゃんの質問に詩帆ちゃんはさらりと応えた。

 

「く、詳しいんだね」

 

「うちのお父さんも似たようなのしてるから。って言うか、私にカタログ見せて、どれがいいか訊いてきたし。

 セイコーのクォーツにしとけば? って言っといたけど。

 

 男の人にとっての時計とか車って、女の人にとっての靴とかバッグとか、そんな感じじゃないかな。お母さんはぶーぶー文句言うけど、私に言わせればどっちもどっちだよ」

 

 この子、すごく大人びた考え方をする。まさか、見た目通りの年齢じゃないとか。もしかして『神子』? まさかねぇ。『格』は感じないし。あ、私も『格』は抑えてるか。

 でも、本当に神子だったら、私のこと気づいてるよね。沙耶香さんや他の神子達と話してるの見てるし、次席比売神子を知らないはずが無い。

 

「何? 昌ちゃん」

 

「ううん、なんでも。

 詩帆ちゃんって、見かけと違って、大人びた考え方をするなぁって思っただけで……」

 

「本当にそう思ってるですかぁ? 昌クン、詩帆ちゃんの胸見てたですよ」

 

「みっ、見てないよっ! 」

 

 見てたら『見かけに寄らず』なんて思わないよ。



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お宅拝見 二

「こっちはクローゼットですね」

 

「私の服はあまり無いよ。お継母さんの冬物がほとんど」

 

「あ、これは先週の服ですね」

 

「どんなの?」

 

 ちょっと及び腰だった由美香ちゃんも、服には興味あるようだ。

 

「これは、チャレンジャーだねぇ」

 

 詩帆ちゃんは正直だ。うん。私もそう思う。自分では絶対に選ばない。

 

「じっ、自分で選んだんじゃないよっ!

 柔術サークルの人が選んでくれたって言うか、買ってくれたから、さすがに着ないのはまずいかなって……」

 

「確かに、これを着るのは勇気が要るよねぇ。こんな服似合う人、ちょっといないよね」

 

「と、思うですね? ところが、昌クンがこれ着るとすごいのですよ!」

 

 うーん。いやな予感。一歩後退すると、いつの間にか詩帆ちゃんが私の背後に回り込んでいた。振り向くとにっこり笑う。

 

「着て見せて」

 

「え? やだよぉ」

 

「見せるですよ。せっかく似合うですから」

 

「私も、ちょっと見てみたいかな」

 

 由美香ちゃんまでそんなことを……。女の子は着飾ることについては基準が違うっぽい。

 

 

 

「……分かりました。着替えるので、閉めますね」

 

 私はクローゼットの扉を閉めて深呼吸――ため息とも言う。スカートとノースリーブを着ける。裾自体は膝下まであるけど、前後のスリットが深いから、油断すると太腿の半ばまで見えるんだよね。座るときのことを考慮したとは思えないデザインだ。当たり前だが、座ると自重で左右に開くのだ。

 更にマントとも袖無しのジャケットともつかない上着を羽織る。後方からの視線は遮られるが、前までは隠せない。襟の意匠は抑え気味とは言え、普通に着る服じゃぁない。

 

「お待たせしました」

 

 扉を開けると、由美香ちゃんと詩帆ちゃんは揃って唖然とした表情だ。紬ちゃんは満面の笑みで「ほら、似合ってるですよ」と胸を張る。

 

「本当に、似合ってる」

 

「……だよね。こんな服が自然に見えるって、ある意味すごいよね。コスプレ感が無いもん。これ見た後だと、制服の方がコスプレに見えちゃいそうだよ。

 ねぇ、写真撮ってイイ?」

 

「駄目駄目駄目、絶対に駄目!」

 

「じゃぁさ、それ着て一緒に買い物行こうよ」

 

「そそそそ、それも、駄目!

 この服、脚が丸見えになっちゃうんだよ! 油断したらパンツまで見えちゃうんだよ! 駅でも電車でも大変だったんだから!」

 

「座らない限りパンツは見えないと思うよ」

 

「だったら、詩帆ちゃんが代わりに着てよ」

 

「それはムリ。胸が入らない。多分、紬ちゃんでもきついかな。

 由美香ちゃんでギリギリってとこか」

 

「私も無理ね。まず、アンダーも違うし」

 

 ずーん。悲しい現実を突き付けられました。

 

「でも惜しいです。こんなに似合うなら、紬だったら着て出歩くのですよ。

 スリットが心配なら、開きにくいように手を加えるですか?」

 

「それもいいよ。多分、これで出歩くことは無いから。

 それに、紬ちゃんだって、メイド服着て出歩かないでしょ?」

 

「出歩かないですよ。昌クンほど似合わないですから」

 

 似合うとか似合わないとかの問題じゃないんだけどな。

 

 私の部屋探索も終え、勉強会は終了。

 

「昌ちゃんの家なら広いし、レポート発表の打ち合わせとかも出来そうだね」

 

「いいよ。連休中は別に遊びに行く予定も立ててないし、弟や妹がいたら、なかなかそうも行かないし」

 

「この部屋、ある意味男子のあこがれの部屋だよね。

 大画面二つのPCにプレステ、ホームシアター。昌ちゃんのお母さんって、お父さんの趣味に理解があったんだよ」

 

 詩帆ちゃんが腕組みをしたまま言う。多分、詩帆ちゃんの両親は趣味を巡っての鞘当てがあったのだろう。

 実際のところ、ウチでもこの部屋が二人の寝室になったときにホームシアターは一旦片付けられて、寝室を一階に移してから復活させたのだ。リアスピーカのケーブルがとにかく邪魔だったようだ。

 

 私がその立場になったら、ちゃんと認めよう。って、私がその立場に立つと言うことは……。

 

「どうしたの? 急に顔を赤くしてもじもじして。家族を褒められて照れてるの?」

 

「照れる昌クンカワイイです」

 

「べ、別にそういう訳じゃ…」

 

 

 

 階下から渚の声。あれ? もう帰ってきたのかな。

 降りて見ると両手に荷物を持っている、どうやら、子ども達を実家にあずけて、買い物をしてきたらしい。

 

「こんにちは」

 

「お邪魔してます」

 

 渚は初顔合わせだから挨拶を交わし、私の学校での様子を訊く。なんだか居づらい。『女子』としての私の様子を『私』の妻が訊く。コレってなんて罰ゲーム? いたたまれない気持ちになる。

 

 

 

 その日の夕食後、渚がにこにこしている。

 

「どうしたの?」

 

「どの子が本命? あの、背の高い子かしら?」

 

「つまんない冗談はよしてよ。みんな友達だよ。昌としての」

 

「そうね。でもあなた、案外、女を見る目は確かだもんね」

 

「……微妙に、自分を褒めてない?」

 

「そう言われればそうかしら。

 でも、学校ではちゃんとやってるようだし、少し安心したわ。女子力がすごいって、褒めてたわよ」

 

「中学生基準だからだよ。ちょっと料理が出来るぐらい、女子力には入らないよ」

 

「でも、みんな、女としては先輩よ」

 

 沙耶香さんと同じこと言う。完全に結託している。

 

「ところでさっきの服、初めて見たけどどうしたの? あなたが選んだの?」

 

「ち、違うよ。『神子を引退』する人(光紀さん)に選んでもらったのが、あれだったんだ。自分じゃあんな服、絶対に選ばないよ」

 

「そうね。あなた、そういうセンスはイマイチだもんね。でも、あんな服が似合うなんてちょっと羨ましいわ。

 髪、伸ばさない? あの服だったら、絶対その方が合うと思うんだけど」

 

「伸ばさないよ。手入れもめんどくさいし。

 それに、あれはお願いされたから仕方なく着ただけで、自分でわざわざ着ないよ」

 

「あら? あの服着たあなたを連れて買い物したかったなぁー。

 きっと子どもたちも喜ぶわよ。保育所じゃ『天使のお姉さん』なんでしょ」

 

「な、なんでそれを!」

 

「ちゃーんと、保育士さんから聞いてますから」

 

「着ませんよ」

 

「私のお願いでも?」

 

「渚のお願いでも」

 

「あぁ……。若い子のお願いは聞けても私のお願いは聞けないのね。私より若い子の方がいいのね。あなたって、やっぱりそういう人だったのね」

 

「もう……。わざとらしいことは言わないで下さい」

 

「じゃぁ、着てくれる?」

 

「……。

 あの服、ちょっと油断すると、パンツ丸見えになるんだよね」

 

「だったら、なおさら着なきゃ。訓練です。

 とりあえず、ドレスコードのある店でお食事なんてどう? 夫婦水入らずで」

 

「……でも、アルコールはナシなんでしょ?」

 

「ちょっとぐらいならいいんじゃない?」

 

「え、それなら! でも……」

 

「着るわよね?」

 

「……わかりました」

 

 

 

 私って、押しに弱いのかな?



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遠足 一

「あ、天使のおねーちゃん!」

 

 私の姿を認めた園児が大声を上げた。保育士さんが「天使みたいね」と私を評してから、園児にとって私は『天使』になっている。その前の『お姫さま』も照れるけど、『天使』はそれ以上だ。

 案の定、他の園児と保護者の視線が集まる。(あまね)は注目を浴びて鼻高々だが、私は身が縮む思いだ。

 

「お早うございます」

 

「お早う、昌さん」

 

 挨拶すると小野先生――持ち上がりだった――もにこにこ笑いながら挨拶を返してくれた。

 

「すいません。今日は母が出勤日なので、私が代わりに来ました」

 

「いいのよ。昌さんが来ると子ども達も喜ぶから」

 

 実際、園児達は私の周囲りに集まっていろいろ話しかけてくる。主におやつとお弁当の内容だ。

 お母さん達も私をじろじろ見る。子どもを持った女性は、遠慮というものが無くなるのだろうか? お父さん方を見習ってほしい。チラ見はしたけど、あえて目はそらしている。

 うーん。でも、ショートパンツは選択ミスだったかも……。

 

 

 

 でも、何でまた渚はこんなのばかり買って来るんだろう。本人はこんな服一着も持ってないのに。

 

 本当は、こんな風に思うぐらいなら、自分で買いに行けばイイと思うけど、未だに婦人服売り場には抵抗がある。結局、渚が選んだ服を着ているのだ。

 しかし、渚はことあるごとに私のことを「無防備だ」「危なっかしい」と言う割に、脚が出るデザインのを選んでくるのはどういう意味だろう。ホットパンツなんて未だに脚を通したこともない。

 

 

 

 バスでは子どもと保護者がそれぞれ並ぶように座る。周は先頭の席が良かったみたいだが、残念、三列目だ。

 

 目的地はバスで一時間半ほど先の公園。広い芝生と遊具がある。

 

「周くん、おしっこ大丈夫?」

 

「でないよ! おねえちゃんはおしっこだいじょうぶ?」

 

「お姉ちゃんも大丈夫だよ」

 

 答えるやいなや、後ろから「天使さんはおしっこしないよ!」

 いやいやいや、私は天使でも昭和のアイドルでもないから。

 

「エリちゃん。おねえちゃんは、天使じゃなくて人間だよ。だから、ご飯も食べるし、おしっこもするんだよ」

 

 イスに膝立ちになって背もたれ越しに覗き込むと、エリちゃんは満面の笑みだ。

 

「おしっこも、うんちも?」

 

「そうだよ」

 

 応えた瞬間、四人いるお父さん方全員が気まずそうに目をそらす。おいおい、女の子に幻想持つ齢でもないだろう。

 

 

 

「はい、改めて、お早うございます。

 まず、バスの中でのお約束……」

 

 小野先生の挨拶だ。

 最近はバスでもシートベルトをさせるようです。そしてバスの中でものを食べるのも禁止です。

 一昨年の研修旅行――研修や視察を名目に、業者間の親睦を深めるための――では、視察が終わったらバスの中でビールの缶とつまみが配られていた。それに比べると保育園児の方が行儀いい。

 

 目的地に着くまでは手遊びと歌。保育士さんはかなり段取りをしてきている。手遊びはともかく、歌は私も知っているから一緒にうたう。伊達に幼児番組を見ていない。

 保育士さんは私がうたうのを聞いたことがあるから驚かないが、お父さんお母さん方は「おおっ」となる。

 ふっふっふ。この歌唱力は比売神子パワーだ!

 

 

 

 目的地に着いたら、少し早いお弁当。子ども達の仲良しグループと同じ東屋(あずまや)に保護者も座る。一人だけ混ざったお父さん、お母さん三人と私に囲まれて、肩身が狭そうだ。この兄ちゃんは平成生まれかな? と思ったが、ぎりぎり昭和生まれだった。

 お母さん方は「若い男の子はかわいいわね」などと、不穏当な発言をする。不倫は(マズ)いよ…。

 

 一人のお母さんが話しかけてきた。私の姿から、純粋日本人でないと思ったらしい。

 通り一遍に『設定』を説明する。この辺も慣れたものだ。

 

「周――弟はお母さん似だけど、私と妹はお父さん似なんです」

 

「あ、本当。お父さんとそっくりね」

 

 別のお母さんが言う。あれ? 『私』を知ってるのかな? こっちは知らないぞ?

 

「父をご存じなのですか?」

 

「ううん。見たことがあっただけ。お父さんが整った顔立ちだと、娘も美人ね」

 

「そうねぇ。私も、もっとイケメンと結婚すれば良かったわ」

 

 なんだか、話があやしい方向に進む。側に子ども達もいるんだぞ。そして一人だけ混ざったお父さんは、ますます居づらそうになる。

 

 

 

 私たちはお弁当を広げた。今回は周の好みに合わせてタンパク質多めのメニュー。それでもヒジキとか切り干し大根とかもある。主に私の弁当箱に。それをお母さん方とシェアするのだ。

 

「あら、このヒジキ美味しいわ。どこの?」

 

「あ、これと卯の花は私が炊いたんです。切り干し大根とサラダは母ですけど」

 

「私にも一口… あら、ホントに美味しい!」

 

 見る間に私の食べる分が減っていく。でも口々に「中学生で、偉いわねぇ」などと褒められるのは悪い気がしない。確かに中学生でこの料理が出来るのはすごいだろうとは思う。『昌幸』としての経験あればこそだ。

 

 見ると、一人だけのお父さん、お弁当がかわいらしい。言わずもがなの愛妻弁当だ。お父さん本人は料理がからっきしだそうだ。

 

「やっぱり、料理も出来た方がいいかなぁ」

 

「それは、出来た方がいいんじゃない?」

 

 お父さんの独り言に私が応えると、お母さん方から異論が出た。要約すると、ダンナは往々にして家事を嫁に任せっきりにするけどケチはつける。むしろ中途半端に家事が出来るダンナの方がめんどくさい、らしい。

 うーん。『私』はめんどくさい夫だったのだろうか? いや、ケチはつけてなかったと思うし……。今更、渚には訊けない。

 

 お母さん方の話はどんどん熱くなる。家事が駄目なら駄目で、奥さんが風邪で寝込んだとき、ダンナの「いいよ、そのまま寝てて」までは良かったけど「俺は外で食べてくるから」にキレそうになったとか……。

 セーフ。渚が寝込んだときは、ちゃんと看病したし、おかゆも作ったぞ。

 

 でも、だんだん居づらくなる。私でさえそうなのだから、このお父さんはもっとだろう。奥様トークって、男性側から見て、そもそも正解が無い設問が多いんだよね。

 

 

 

「おねーちゃん。あっそぼっ」

 

 園児が呼びに来た。これ幸いと私は立ち上がった。一応、居づらそうなお父さんにも声をかける。男の子は、やっぱり男性と遊ぶと楽しいみたいだしね。

 

 このお父さんも私と同じだったのだろう。すぐに園児を追いかけ回し始めた。このぐらいの男の子達にとって、自分たちが疲れてふらふらになるまで遊びに付き合ってくれる人がいるのは、それだけでうれしいのだ。

 

 

 

 ひとしきり遊ぶと喉が渇いてきた。別の東屋の方を見やると、男性陣は一カ所に集まって談笑している。ん? クーラーボックスからなにやら取り出している。私も冷っこいものが欲しい!



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遠足 二

 東屋の方に走ってゆくと、お父さん方の視線が集まる。主に私の脚に。まぁ、仕方ないけどね。何人かのお父さんの顔は赤い。

 

 私がとびきりの笑顔を見せつつ一本くれるようにお願いすると、もちろん向こうは勧めてくれた。

 クーラーボックスを覗くと、ジュース、お茶に混じって、ビールとか発泡酒とかチューハイとか。赤い顔が混ざってたのはこういうことか。

 

 子ども達がいるのに、昼間っから実にケシカランです。それに缶チューハイはジュースと紛らわしいデザインです。これも実にケシカランです。子どもが間違えたらどうするつもりでしょうか?

 

 私は一本取ると、即座に蓋を開けた。他の人が止める間もあればこそ、二口三口と嚥下する。くーっ! 旨い! グレープフルーツの『ジュース』ってちょっと苦みがあるけど、それがいい。

 お父さん方があっけにとられているうちに席を確保。この外見だと、あっさり席を譲ってくれる。枝豆を食べながら『ジュース』をもう一口。

 あ、視界が揺れる。しまった。日中は夜よりも回る上、子ども達と日光の下で走ったから。それに今の体はアルコール耐性が低い。

 

「あは、ちょっと、ごめんなさい。やっぱりお茶ももらいますぅ」

 

 脚をもつれさせながら麦茶のペットボトルを取る。あれ? 開かない。手に力が入らない。蓋をシャツの裾でくるんで、よいしょ。やっと開いた。麦茶を流し込むように飲んだ。

 

 異変に気づいたお母さん達が二人やってきた。

 

「小畑さん、大丈夫?」

 

 その声とは別の声がお父さん方に何か言ってる。なんだか、いろいろ厳重注意しているっぽい。これはマズい。

 

「あはははは。飲まされたんじゃなくて、自分れ飲んだんれすよ。父が生きてたら、きっとビールを飲んでたから、私が代わりに。れも、ビールは苦くれ飲めないから……」

 

 一生懸命説明すると、周囲りに集まったお母さんが「健気だ」とか「いい子だ」とか口々に褒めてくれる。

 えっへん! 今日はたくさん褒められてる!

 

 おぼつかない足取りで東屋に戻り横になった。芝生の上を通ってきた風が気持ちいい。横になったままペットボトルの麦茶をもう一口。美味しい。

 

 

 

 気がついたら、集合時間だった。

 起き上がるが、頭がやや重い。うーん。小野先生まで心配そうに私を見る。

 

「大丈夫ですよ。お酒だと判ってて飲んだんですから。

 父ならきっと一緒に飲んでたと思うし、私もちょっと飲んでみたかったんです」

 

「昌さん」

 

 小野先生がじっと私を見た。

 

「ごっ、ごめんなさい。未成年なのに……」

 

「それもあるけど、そういうことだけを言ってるわけじゃないの。

 以前にも言われたはずよね。お父さんになろうとするのは止めなさいって」

 

「……はい。

 あの、このこと、お継母さんに言います?」

 

「言って欲しいの?」

 

「い、言わないで下さい!」

 

「さっき言ったこと、忘れないでね」

 

「はい」

 

 セーフ! いい感じに誤解してくれてる。でも、天使って言われるほど、だんだん黒くなっていく気がする。

 

 

 

 帰りのバスの中、園児達の半分は目を閉じている。もう半分も船を漕ぎ始めているか、あるいはお母さんに体を預けている。周も眠そうだ。

 私は周の頭を撫でながら『おぼろ月夜』をうたう。戦前からある歌だが、これは日本最高の歌の一つだ、と私は思っている。本当は私のようなソプラノじゃなく、男声のテノールで朗々とうたい上げたのがいい。これを聴くと、それぞれの人にとっての原風景が想い出されるに違いない。

 

 周は目を閉じた。そうだろう、そうだろう。この一年ほどは聴かせてなかったけど、生まれたばかりの頃から、寝かしつけの歌はこれだったもんね。

 周囲を見ると、周だけでなくほとんどの園児が寝付いている。あれだけ走り回ってれば眠くもなる。それに普段でも午睡の時間だ。

 

 

 

 幸いにして渚には飲酒の件は伝わらなかったようだ。それでも、直接顔を合わせるのは気まずい。私は「疲れている」ことにして子ども達とともに床についた。

 本当は自室で眠るつもりだったけど、周が「一緒に寝る」と譲らなかったのだ。

 

 

 

 疲れている割に、なかなか寝付けない。そうこうしているうちに入浴を終えた渚が寝室に来た。

 

「明日はなにか予定あるかしら?」

 

「特に何も無いよ」

 

「じゃぁ、買い物とランチ、一緒に行かない?」

 

「買い物って、何買うの?」

 

「小さいパソコン。ほら、タブレットっての? あなたが持ってるのの半分ぐらいのが良いんだけど。

 適当なの、選んでくれない?」

 

「いいよ。私も買いたい物あったし」

 

 頭の中で買う物リストを並べる。HDDレコーダに接続用のケーブル、バックアップ用の外付けHDD……。電球も補充しとかないとね。明日の朝は、口金のサイズをチェックだ。

 

「ところで、子ども達は?」

 

「実家にあずけてくるわ。でないと、落ち着いて食事どころか、買い物も出来ないでしょ」

 

 それもそうだ。家電量販店なんか行ったら、走り回るに違いない。

 

「食事は、何?」

 

「ホテルでイタリアンよ。実は、もう予約してあるの」

 

「私が都合悪かったらどうするつもりだったの?」

 

「友達と行ったわよ」

 

「たまには、そういうのもいいんじゃない?」

 

「あなたと行きたいの」

 

「こんな姿の?」

 

「いいじゃない。自慢の娘を見せびらかすのよ」

 

「自慢の娘ねぇ……」

 

「というわけで、明日はあの服ね。ドレスコードあるんだから。

 他の服じゃ入れないわよ」

 

「え、あのコスプレ紛いの服で行くの? まだしも制服の方が良いと思うんだけど……」

 

「客観的に言って、制服の方がコスプレっぽいと思うけど」

 

「髪の色がコレだからでしょ。明日はウィッグ着ければいいじゃない」

 

「残念! ウィッグはクリーニング中です」

 

「本当に着るの?」

 

「無理にとは言わないけど、着て欲しいな。せっかくの天使さんなんだから。

 ところで、今日の天使さんのお昼寝のこと、周から聞いてるのよ。あんまり過ぎるようなら、お義父さんにも注意しとかないとね」

 

 まずい。父さんに冷酒を買ってきてもらってるの、バレてるっぽい。

 

「謹んで、着させていただきます」

 

「分かれば宜しい。明日が楽しみね」

 

 周のやつ、口が軽い。それにお酒のこと、何でバレてるんだろう。

 

 

 

 翌朝、渚は慌ただしく子どもたちを連れて出た。

 

「三十分程で帰ってくるから、準備しときなさいね」

 

 ふぅ……。でも、コレで外出かぁ。自室のベッドの上に例の衣装を並べてみる。油断すると、前がぱっくり開くんだよなぁ。

 スパッツを履いてからスカートを着ける。あー。スパッツが透ける。黒とか紺は駄目だ。アイボリーか、せめてベージュとかがあれば良かったのに……。



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家電量販店

 家電量販店に来て十分足らず。既に私は『今日』を選んでここに来たことを後悔し始めていた。

 

 家電量販店というのは、全国何処でも同様のサービスを受けられるのがウリの一つだが、言い換えれば、どの都道府県でも、系列が違っても、品揃えに大きな違いがないということ。都と道のは行ったこと無いけど、多分。

 

 ここでも近いエリアに、ショッピングモール、シネコン、ファミレス、ホームセンター、本・CD・DVD、等々……。多分、フルマラソンを走りきらなくても、似たようなエリアが国道かバイバス沿いに現れる。

 

 商品力で差別化できない以上、集客力を上げるためにイベントが行われる。GWともなると、子どもや孫のためなら財布の紐を緩める人をアテに、小さなお友達向けのイベントが行われる。将を射んと欲すれば……、というわけだ。

 このショッピングモールにも特設ステージが設けられ、GW中はいろいろやるらしい。

 

 

 

 演目が、愛と勇気だけが友達のヒーローなら良かったのだけど、今日に限って、一部大きなお友達にも人気のヒロイン達のショー。大きなお友達は二次元を無理矢理三次元にしたのには興味が無いと思ってたけど、販促グッズにはそれなりに魅力があるようで……。

 

 そこに私が行く。このコスプレ紛いの衣装で。服は変身後の衣装に、……ちょっと似てるかも。髪型も違うし胸の戦闘力も――悔しいかな――違うのに、注目されてしまう。

 

「あ! ミネルバ! おねーちゃん、ミネルバでしょ? 後輩が心配なんでしょ?」

 

 周と同じぐらいの女の子が私を指さす。

 

「ごめんねぇ。おねえちゃんは、ミネルバちゃんじゃないよ。

 でも、シルフィのおねえちゃんは、あそこで今から悪ものをやっつけてくれるんだよ」

 

 ……これで、四回目だ。オールスターズから去年のメンバーも幾人か来ることになっているから、私をミネルバだと思うらしい。

 ルックス的には今シーズンのシルフィの方が近いと思うのだが、着ている服が似てるんだよね。中には「髪を切ったの?」という子まで。幸い、胸のサイズに触れる子はいないけど……。

 

 

 

「お母さん。早く電器屋に行こうよ」

 

「もうちょっとで始まるんだから、少し見ていきましょ。そのうち円も見るようになるんだから、今のうちに予習しとかないと」

 

 この番組、毎年メンバー替わるんですけど。

 それに、既に円は視てるんですけど。エンディングのダンスだけだけど。

 

 すごく居づらい。あ、スタッフさんまでこっちをチラ見している。絶対、コスプレのイタい子だと思われてるよ。

 

 

 

「みんなー! こーん、にーち、()ー!」

 

 司会のお姉さん――結構可愛い――が、場を盛り上げる。

 見るときのお約束に始まり、戦隊を呼ぶ練習、ピンチになったときに応援する練習……。周囲りの子ども達は真剣だ。周や円を連れてきたら喜んだんだろうな。

 

 程なく、子ども達の揃った呼び声で戦隊がステージの上に集まる。衣装はそのまんまだけど、顔はフルフェイスのヅラ付きお面。ブーツのヒールが役者ごとに違うのは、身長差を吸収するためだろうか、意外と芸が細かい。

 でも、アニメと舞台では頭身も違うし、ずんぐりして見える。役者さん達の体格は普通なんだろうけど、そもそも絵の方が細すぎるんだ。

 女の子はこうやって小学校に上がる前から、あの細さがカワイイ、格好いいと、痩せ願望をすり込まれるのだろうか。普通の男性の目には、あんなのよりもっと肉がついてた方が、魅力的に映るはず。

 

 ミュージカル風に歌とダンスが始まると、子ども達は大喜び。意外とダンスにキレがある。あのお面、と言うよりかぶり物をしてこれだけ踊れるんだ……。

 感心しながら見ていると、周囲りでは大きなお友達も見てないふりをしながら見ている。視線の先は主にミニスカートとブーツの間の部分。中はドロワーズみたいなのとタイツだけど、それでも視線を誘導されるのが男の(さが)というもの。

 

 

 

「へーぇ。『ミネルバ』ちゃんか……」

 

「何? お母さん」

 

 いつの間にか手に入れてきたパンフレットと私を見比べている。

 

「あなた、髪伸ばしたら、ノーメイクで出られるんじゃない? 歌えるし、踊れるし」

 

「胸の大きさが違います」

 

「大丈夫。髪が伸びる頃には、そっちも成長してるでしょ。成長してなくても誤魔化す方法ならあるし」

 

「伸ばしませんから。そもそも、ステージに立つつもりもありませんから。

 それに『神子』は『元』も含めてショービジネスNGです」

 

「惜しいなぁ。あなたならスタイルも良いし、踊れるし」

 

 

 

 舞台が佳境に入る前に私たちは家電量販店に入った。ちょっと惜しいが、渚は「大体分かったからいい」らしい。

 

 まずはタブレットの売り場を見る。

 

「お母さんは何に使うつもり?」

 

「何って……、何ができるの?」

 

「何に使うつもりだったの? まさか、目的もなく買うつもりだったの?」

 

 

 

 一応の目的は有ったが、電話をスマホに換えれば済む程度。でも、セキュリティ的なことを考えると、タブレットは別に持った方が良さそうな気がする。

 私もスマホには詳しくないけど、機能が多いほど信用できない。というより、こっちが知らないところで勝手にネット接続するのが気に食わない。そもそも、電話帳などの個人情報と紐付いた機械でネット接続なんて。

 ……てのは、時代遅れな考え方なのだろうか。

 

 渚の要望なら2in1のウィンドウズタブレットが無難だけど、これは大きいのしかない。

 

「こっちだったら、うちや職場のPCと同じ。

 こっちのはOSが違ってて、私も触ったことがないから、トラブルがあってもすぐに解決とはいかない。

 PCに触ったことがない人でも使える、ってのがウリだけど」

 

「……」

 

 渚はかなり迷っている。電話機能がないなら、PCの類は壊すつもりで触れば良いんだけどね。最悪でも初期化、再インストールという方法があるし。

 

「とりあえず、デモ機を触ってみたら?」

 

 結局、ウィンドウズじゃない方のタブレットに恐る恐る触り始めた。だが、触りながらどうでも良いことをいちいち訊いてくる。やれやれ、女ってのはどうして……、と思いながら、今の自分もそっちのポジションだということを思い出した。

 結局、性差じゃなくて個人差なんだろう。それとも、『私』としての経験や知識がそう思わせるだろうか?

 

 

 

 おっかなびっくりでも自分で触れるようになったようなので、私はオーディオ売り場に行く。買う物はHDDレコーダとその他諸々。

 この分野は詳しくない。デジタル家電は値段と性能がほぼ相関するだろうということにして、高級機のワンランク下ぐらいから選ぶことにする。実際のとこ、BDは無くても良いかな。再生だけならプレステでも十分だ。

 あ、ちょっと高級そうなワイヤレスヘッドホン。少し試してみる。

 

 おおおお! すごい!

 

 デモの映像に合わせて、飛行機の爆音が左前方から右後方に抜ける。ヘッドホンをしげしげと見るが、見た目は普通だ。どうやって前後方向の定位を再現してるんだろう?

 

 迷ったあげく、そのワイヤレスヘッドホンも買うことにした。お買い上げカードをポケットに入れる。うーん。散財。

 更にオーディオ用の光ケーブルを二本と、HDMIケーブルを選ぶ。五十センチじゃ短いかな?

 

 

 

「よっ、ねぇねぇ、君、一人?」

 

 振り向くと、大学生ぐらいだろうか? いかにもチャラい感じの男がチャラいことをアピールしてくる。

 コレってナンパなんだろうな。この姿になって半年以上。ようやくテンプレの展開だ。別に望んでないけど。



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テンプレ的な

「よっ、ねぇねぇ、君、一人?」

 

 振り向くと、大学生ぐらいだろうか? いかにもチャラい感じの男がチャラいことをアピールしてくる。

 コレってナンパなんだろうな。

 

 こういう場合、英語で撃退というのがテンプレだったはず。

 

『何かご用ですか?

 出来れば、私の母国語で話していただきたいのですが』

 

『え? どっちの国から? でも君、さっきは独り言、日本語でしてたよね』

 

 くっ、英語で返して来た。テンプレ役立たずだ。私が読んだ範囲のTSものでは、鉄板の撃退法なのに……。

 

 その後、相手が英語で来たら日本語で、日本語で来たら英語で返してるのに、きっちりこっちの言語に合わせてくる。チャラ男のくせに生意気だ。完全に拒否の姿勢に入ってるのに、この野郎は空気を読まない。

 

『どっちもいけるなんて、『舌使い』上手いんだね(意訳)』

 

 思わず顔が赤くなる。怒り七に羞恥三ぐらいだが、目の前のチャラ男は私の反応をニヤニヤしながら見ている。

 いや、教科書通りに訳したら穏当な表現なんだろう。けど、あの『してやったり』なニヤけ顔は、下品なことを考えてるに違いない。大学生ぐらいだろうに、中学生をナンパなんてロクな男じゃない。

 

 

 

『格』で威圧してやろうか? そう思ったときだった。

 

「その辺にしとかないかい? この子も困ってるようだし」

 

「なんだよ、おっさん。関係ないだろ」

 

「一応、この子の保護者のつもりなんだが」

 

 篤志(あつし)か? でも、何でこんなとこにいるんだ? 振り向くと、知らない男だ。目が合うと、ウインクする。野郎のウインクなんてキモいだけだ。

 

 ちょっと待て。これって『前門の狼、後門の虎』(正しくは虎と狼は逆です)ってやつ? いくらテンプレ展開がご無沙汰だったとは言え、コレはちょっとね。

 それにしても、二人に挟まれてるのは、中身がアラフォーのおっさんなんだけど、……知らぬが仏だ。

 

 いずれにしても、二正面作戦は(まず)い。とりあえず、前門の狼さんには早々に退場願うためにも、虎の威を借りておこう。

 

 

 

 二言三言後、チャラ男は仕方なく去った。

 

「ありがとうございます」

 

 一応の礼儀は尽くす。その後どうするかはこの人次第だ。

 改めて見ると、まぁイケメンの部類には入るんだろう。育ちの良さそうな顔に、ちょっと鍛えた身体だ。

 

「なに、大したことじゃない。アキラさん」

 

「あの、失礼ですが、どこかでお会いしたでしょうか」

 

 お通夜でかな? でも仕事関係でも見覚えが無い顔だ。

 

「あー、やっぱり憶えてないか。

 経営者向きじゃなさそうな、器用貧乏だよ」

 

「あ!」

 

 思い出した、工場見学したときの、社長の息子だ。私の失礼な評価まで聞かれてたんだ。

 顔の表面が熱くなる。

 

「そ、その節は、大変、失礼しました」

 

「ということは、本当にそう評したんだね。

 姉から面白い子がいると聞いて途中から混ざったけど、可愛い姿と可愛い歌しか見せてくれなかったから。本当にそんなこと言ったのか、気になっててね」

 

 どうやら、最初の説明の場でヒソヒソ話してたのを聞かれていたのだが、聞いていたのはよりにもよってこの兄ちゃんの姉だった。

 本人は本人で、そんな辛口評を家族以外の女性からされたのは初めてで、そこから興味を持ったらしい。って、M心(マゾっ気)でもあるのだろうか?

 

「どうかな? 私と食事でも」

 

「お誘いはありがたいのですが、今日は母と昼食なので。ここにも母と来てるんです」

 

「そうか、残念。じゃ、また次の機会に」

 

「そうですね。機会があったら是非」

 

 無いけどね。ま、社交辞令だ。

 

 

 

「今の、誰かしら?」

 

 悪戯っぽい笑顔で訊いてきた。

 

「こないだ、社会見学に行った工場の人。こっちは憶えてなかったんだけど、向こうはしっかり憶えてたみたいでさ。

 ……この髪は目立つから」

 

「ナンパかと思ったから、ちょっと妬けちゃった」

 

 そうか、妬けるのか。

 

 レジで待ちながらぼんやりと考える。奥から店員がボール箱を運んできてカートに乗せた。二人合わせてなかなかの高額お買い上げなので、レジ係はホクホク顔だ。

 車まで店員さんに運んでもらい、私たちは乗り込んだ。

 

 

 

「あの店員、あなたの脚ばっかり見てたわよ」

 

 車を出すと渚が憤り混じりの口調で言う。

 

「まぁ、仕方ないよ。男の子だもん。『私』だって、結婚前は君と会うたびに、そのぷりちぃなアンヨに視線が誘導されてたし」

 

「プリティじゃなくて?」

 

「うん。ぷりちぃ。しかも平仮名で」

 

「あなた、今の姿になってからの方が、シモネタに遠慮が無くなった気がするんだけど」

 

「言われてみれば、そうかもね。

 男女の間柄だったときは、やっぱり格好もつけてたし、それなりに言葉も選んでたけど、今はこの身体だだもん。渚だって、女性だけのときと男性が混じったときで、言葉や話題が違うでしょ?」

 

「まぁ、そうだけど。

 話を戻すけど、あなた、脚ぐらい見られても減るもんじゃないって思ってるでしょ。でも、減るの! 少なくとも、女の子はそういう心構えでいなきゃいけないのよ」

 

「の割に、こういう格好させるよね。それに、買ってくる服は脚が思いっきり出るし」

 

「そういう心構えを持った上で、脚を出して欲しいの。

 私はあなたのことが心配で仕方ないのよ……」

 

 

 

 ホテルのレストランは、どう見てもドレスコードはなさそうに見える。こんな服着なくても、いつもの五分丈パンツで良かったんじゃないかな。ヒールが無くても女物の靴はキツいし。

 食べていると、渚がさっきのことを蒸し返してきた。

 

「あなたが、ナンパされるとはねぇ」

 

「驚くことじゃないでしょ。『前世』でさえされたことあるんだからさ。

 それに、あれは困ってる私を助けてくれただけで、ナンパじゃないでしょ。第一、見た目は一回りほど離れてるし。社会人が中学生になんて、ロリコンでしょ」

 

「確かにあなたは童顔だけど、十分恋愛の対象になるんじゃない? 中学生のアイドルだっているし、見た目だったらまず負けないし」

 

「それって、母親が娘に言うことじゃぁないと思いますけど。実際のとこ、法に触れかねませんから」

 

「中身は十分大人でしょ。逆の意味で一回りぐらい離れてるんだから。見た目と中身を足して二で割れば、お似合いの年齢よ。

 助けられたお姫様がナイトと恋に落ちるなんて、定番中の定番よね?」

 

 何でまた色恋に繋げるかなぁ。



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理想の男性

 連休途中の平日、始業前の教室全体は、どことなく浮ついている。或いは眠そうな顔もチラホラ見える。

 大手の製造業なら、十日~二週間程度の連休になるところだが、学校はカレンダー通りに営業している。

 

 合宿以後、朝はいつものメンバーでおしゃべりタイムだ。

 由美香ちゃんからDVDを受け取る。この数日で、劇場版の三部作を視終えたようだ。

 

「どうだった?」

 

「割と面白かった。でも、公国とザビ家の関係がイマイチ分からなかったかな」

 

 その辺は紬ちゃんがじっくりと説明する。でも、その言い方だとシャアを主人公にした貴種流離譚みたいに聞こえる。

 

 でも、この作品の魅力はキャラだけじゃないと思う。

 

 戦争はそれぞれの立場で正義が異なることを明確に表現したり、国が戦争に負けて衰退していくのはこういうことだってことを、分かりやすく映像にしたのは、アニメではこれが初めてに近い。

 

 そして、兵器はあくまで兵器で、手順を踏めば通常兵器で破壊できるものにしたことで、リアルロボット路線を開拓した作品だ。

 これ以前はスーパーロボットで、通常兵器では傷もつけられない。同格同士でないと勝負にならなかったのが、この作品からはそうでなくなった。

 主人公格補正が小さくなると同時に、兵站という概念が導入された嚆矢(こうし)と言っていい。

 

 と、考えていたら……、話は推しキャラの方へ。

 こういう話は、黙って聞いているだけの方が良いと思う。

 

 うん。ハヤトは悪くないぞ。カイは、意外とああいうのがあっちこっちで女を作りそう。ブライトは、うーん、あの歳でちゃんと作戦指揮できたんだから大したもんだ。もうちょっと評価してもいいんじゃないかな? それに、割と常識人だし……。

 

 紬ちゃんがニヤニヤしながら、由美香ちゃんにどのキャラが推しかを訊く。それは私も興味あるところ。周囲りの男子も聞き耳を立てているようだ。

 さて、由美香ちゃんの好みのタイプは……?

 

「変わった人ばっかりだから、あんまりタイプの人は……」

 

 由美香ちゃんは言葉を濁す。そこに紬ちゃんが食い下がると、根負けしたのか「シ、シャア」

 

 まぁ、予想通りだ。

 でも、このキャラ、話が進むにつれて、どんどん変になっていくし、マザコンのくせにマッチョ思想だ。絶対、部下である前に女であることを求めるタイプ。手当たり次第にヤってるに違いない。現代日本だったら、訴訟と慰謝料だな。

 劇場版三部作しか視ていなければ、そういう選択もあるかも知れないけど、多分もうちょっと大人になったら、アムロの方がいいってなるだろう。彼はかまってちゃんだったけど、人間としてちゃんと成長している。

 

 

 

「そういう昌クンは、誰がいいですか?」

 

 周囲りを見ると、ここでも聞き耳を立てている男子がチラホラ。

 

「あんまり、いい人って、出てないんだよね。

 常識の範囲内という点ではブライトだろうけど、男として魅力があるかというと、ちょっとねぇ」

 

「憧れる人とか、居ないですか?」

 

 例によって、紬ちゃんは食い下がる。

 多分、私の好みとかを知りたいのだろうけど、そもそも男性をそういう視点で見られるかというと……。

 

「恋愛的な憧れるというと少し違うんだけど、憧れる(おとこ)は……、ドズルかな?」

 

「「「え?」」」

 

 三人は絶句する。確かに、この作品屈指の、女ウケ悪そうなキャラだ。まず見た目が悪い。

 

「いや、だって、ドズルは漢だよ!

 上官には『戦は数だよ!』って食ってかかるけど、部下の前では『ビグザム量産の暁には』だよ! それに、(ガルマ)の死を一番悲しんだのもドズルだし、自分を使って欲しかったって言ってるんだよ!

 これはねっ、自分が兵の将ではあっても、将の将たる器じゃないって判っていて、そして弟の力を認めていて、自分はその下で働こうって、自分の力の範囲で頑張ろうって言ってるんだよ!

 

 で、家族との今生(こんじょう)の別れのときも、(ミネバ)を『強い子に育てて』だよ!

 奥さんも、それを解ってグダグダ泣かずに行くんだよ!

 ああいう奥さんを貰える漢なんだよ!

 きっと、家では、娘にデレデレのパパなんだよ!」

 

 あれ? 三人とも停まっている。

 周囲りで聞き耳を立てていた男子も、聞いちゃいけないことを聞いた感じの顔。

 もしかして、って言うか、確実にやらかした。

 

 

 

 後日、私が年上好きどころか親父趣味ということになった。両親を亡くしている設定だから、年上好きのファザコンの噂まで。

 そして、ランバ・ラルあたりも好みに違いないという噂も。

 

 いや、ランバ・ラルはダメだ。「ザクとは違うのだよ!」と啖呵を切った割に、負けたときの負け惜しみがダメだ。

 そっちに行くぐらいなら、アムロに行く。彼はかまってちゃんだけど、適切に構ってあげれば有能だし、稼げる男になる見込みが十分だ。



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勉強会再び 一

 今日は男子も交えて、プレゼン資料の作成だ。皆が集まれるだけの広さがあることと、何より道具が揃っていることから、ウチで作業をする。

 着替えをしようというとき、着信音。

 

「昌ちゃん。金沢で美味しい和食って知らない?」

 

 急な電話は沙耶香さんだった。

 

「金沢は詳しくないですけど、あの辺だったら、そこそこの値段の店選べば大抵美味しいですよ。あ、でも市内でなくても良ければ、心当たりがあります。沙耶香さんも知ってるかも、ですけど……。

 今すぐは分からないので、調べて折り返しますね」

 

 

 

 出張先の部長と行った店、どこだっけな。私の中では和食ナンバーワン。また行こうと思って、マッチをもらってきてたはず。

 書斎をあちこちあさる。どこやったかなぁ? 温泉地にあった料亭だったけど……。

 

 あった! 観光の本にセロテープで留めてあった!

 

 

 

「沙耶香さん! 金沢からちょっと離れた懐石ですけど、最高ですよ。ここで夕食なら泊まりはビジネスホテルでもいいぐらいです」

 

「へぇ、ちょっと検索してみるわね……。

 ふーん、お任せでこの値段か。まぁ妥当な線ね」

 

「美味しかったですよ」

 

「じゃ、ここにしましょうか。光紀ちゃんも昌ちゃん推薦の店なら納得でしょうし。

 でも、ここで夕食だと泊まりがね……、温泉ってわけにもいかなくなるし。ここって市街地から結構離れてるわよね」

 

「確か車で二、三十分ぐらいだったと思います。金沢までだと更に小一時間ってとこでしょうか。

 じゃ、お昼をここにして観光しつつ夜は金沢、なんてのはどうですか?」

 

「昼からコレってちょっと重いわね。それにせっかくの料理にお酒がないんじゃねぇ」

 

「私も我慢するんだからイイでしょ」

 

「一応、全員で乾杯はするわよ。ただ、昼間っからだとその後の観光がね……」

 

「あの……、ここは車でないと難しいと思うんですけど、運転はどうするんですか?」

 

「ガードにさせるから大丈夫」

 

「ガードって、沙耶香さんにもKとかスミスが?」

 

「そうよ。でも随分古い映画で喩えるわね」

 

「古いですか?」

 

「前世紀の映画でしょ? 貴女は公称十四歳、戸籍は十七だけど、どっちにしても二十一世紀の生まれですからね」

 

「そ、そうですね」

 

「ちなみに現役の『比売神子』には全員、ガードが張り付いているわよ。ついでに言うと、貴女にも。

 貴女の場合は『比売神子』になるのが確実視されてるのもあるけど、事情が事情だから、ね。

 プライバシーは侵さないようにはしてるから、その辺はご了承下さいね」

 

「了承も何も、今の今まで知りませんでした。それに嫌って言っても、気づかれないように続けるんでしょ」

 

「まぁ、そうなるわね」

 

「だったら、訊くまでも無いじゃないですか。

 あ、それで『追跡』!」

 

「そういうこともあったわね。

 貴女、ものすごい運転するから、途中で追跡メンバーをチェンジしたのよ」

 

「あー、その節は申し訳ないです。

 でも、ちょっと上手い人なら付いてこれなくありませんよ。対向車線には出てないし、安全マージンも十分取ってたつもりですし」

 

「付いてくだけならね。でも、気取られないように付かず離れずは無理だったそうよ。

 ガードのうち、比売神子に関することを知ってるのはチーフ一人だけだから、残りの追跡メンバー、泡食ってたわよ。貴女の外見からじゃ考えられない運転だったから」

 

 私に張り付いているのが何人かは教えてもらえなかったが、指揮者を除いて全員、私が見かけ通りの年齢じゃないことを知らないらしい。女子中学生がタイヤを鳴らして峠道を走るなんて、普通はあり得ないか。

 

 要人警護の訓練を受けてるってことは、公安関係者だろうか? 『比売神子』の存在は大っぴらに出来ないから、民間の警備会社なんか使えないだろうし。いや、そもそも民間の要人警護派遣なんて日本にあるのかな?

 ってことは、私はその人達が見ているところで、無免許運転に加えて、一発で免停になるようなことをしたわけだ……。これはシャレにならない。

 

「報告では相当な走り方だってことだけど、練習でもしてたの?」

 

「以前、ジムカの練習もしたことがあります。でもサーキットは未経験ですし、そもそもライセンスも持ってませんでした」

 

「あらホント? 気晴らしに運転できる機会をつくってあげたいわね。私としてもどんなウデなのか見たいから」

 

「ホントに? 楽しみです!」

 

「ま、期待しててね」

 

 

 

 久々にかけてきたと思ったら、送別会の店探しだった。確かに沙耶香さんはイタリアンとかフレンチには詳しいが、これまでも和食はあんまり行ってなかった。『神子』の合宿を除けば、『路上教習』のときだけかも。

 他の『神子』達も実年齢はともかく、人生はおそらく十代までしか経験していない。和食に疎いのも仕方ないだろう。と言うより、この外見の私が和食好きって方が変か。

 

 

 

 階下で派手に何かが落ちる音がした。慌てて走るとキッチンは水浸し。横にはバツの悪そうな顔の周。どうやら昆布を水で戻している鍋を落としたらしい。幸い鍋は火にかける前だったが。

 

「周っ! 台所、入っちゃいけないって、言ってるでしょっ! 本当に危ないんだよっ!」

 

 全く! 昆布出汁でびしょびしょだ。シャワーと着替えをさせなきゃいけない。床を雑巾で拭く。もう一時間もしないうちに同じ班の子達が来るのにっ。

 

 

 

 周を脱衣所に連れて行き服を脱がせる。めんどくさいので自分も脱ぐ。どうせみんなが来る前に着替えなきゃいけないし。あー、あと三十分ぐらいだ。慌てなきゃ!

 

 

 

 周にシャンプーをする。周が自分で洗っている間に、私も身体を軽く洗う。洗顔の代わりに全身を洗うことになった。周の髪を濯ぎ、全身を洗う。

 

 脱衣所に出て時計を見る。約束の時間まで十五分近く残っている。なんとか間に合いそうだ。

 

「周くん。自分で拭けるかな?」

 

 タオルを渡すと、満面の笑みで「できるよ!」と。私も髪をタオルで拭き、身体をもう一枚のタオルで拭き始めた。

 

「あ、」

 

 周がなぜか脱衣所を裸のまま飛び出した。

 私は慌ててショーツを身につけ、ゆったり目のTシャツをかぶる。マキシ丈ではないが、太腿の半分ぐらいは隠れる。拭き切れていない背中にシャツが張り付くが、構わずに裾を引っ張り追いかける。

 

「くぉらっ! 周っ、待ちなさい!」

 

 脱衣所をでて五歩、玄関に人影が三人。同じ班の、よりにもよって、男子!

 

 どうして、こんなに早く来てるんだろう!



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勉強会再び 二

 どうして、こんなに早く来てるんだろう!

 

 当然、男子の視線は私に集中する。追跡は中止。着替えを最優先だ! 私は脱衣所に慌てて戻る――つもりだった。

 

 しかし、急制動をかけた足の裏は濡れており、床との動摩擦係数はきわめて低い。上半身は停まるつもりで体重移動をしているが、下半身が付いてきていない。――否、付いてきていないのが上半身か。

 当然、私は体勢を大きく崩し、盛大に尻餅をついた。加えて、慣性によって床の上を一メートル余り進む。同じ班の男子の方に!

 

 お尻の痛みに涙がにじむ。しかし我に返った瞬間、視線を感じる。三人の視線が私に集中する。何処にとは言わないけど。

 慌ててTシャツの裾を引っ張って下着を隠し、膝を閉じる。

 無様に尻餅をついた姿のまま――一応は膝を閉じ、右手で裾を抑え――後ずさりする。立ち上がろうとして滑って膝を着く。

 最後は四つん這いのまま逃げるように脱衣所に戻った。

 

 

 

「……」

 

 シャツも下着もじっとり湿っている。濡れた服を洗濯かごに入れて身体を拭く。改めて下着を身につけたところで、濡れた下着を見る。

 

「透けてなかった、かな……」

 

 ショーツを確認。やっぱり濡れているが、クロッチの部分は厚みがあるから透けることはないだろう。でもそれは光学的な意味に限られる。滑ったときに後ろに引っ張られているから、その結果は容易に想像できる。

 Tシャツを見る。この濡れ具合から言って、上のぽっちりも透けてたのは確実だ。

 

 ……上も下も! 羞恥にしゃがみ込んで頭を抱える。

 

 いやいや、私は男。私はおっさん。上は見られたって平気。下だってお尻、じゃなくて、ケツの延長を見られただけ。何を恥ずかしがる……、って、やっぱり恥ずかしいもんは恥ずかしい!

 しかも最後は四つん這いを後ろから。グラビアなんかより遙かに扇情的な姿じゃないか。今すぐあの三人の脳のその記憶の部分を、レーザーかなんかで焼き切ってしまいたい。くっそー。いきなりラッキースケベなんて、三人揃ってラブコメ体質か!

 

 気を落ち着けるために深呼吸する。いつもの五分丈のパンツを着ける。ノースリーブ、……に伸ばした手を止め、襟元がしっかり閉じるクレリックカラーのポロシャツを選んだ。パンツとは合わないけど。

 

 

 

 脱衣所から出ると、三人は律儀に立って待っていた。

 

「お、お早うございます」

 

 とりあえず挨拶すると、三人も口々に返すがそれ以上は無言。

 

「と、とりあえず、リビングに……」

 

 三人も無言でぞろぞろ付いてくる。

 

 

 

 三対一で向かい合わせにソファに座るが無言。……気まずい。

 

 

 

「さ、先ほどは、お見苦しいところをお見せしました」

 

「とんでもない! こちらこそ結構なものを、へぶっ!」

 

 ものすごい音とともに、言葉を途中で止められた新川君がつんのめる。後頭部に高田君の突っ込みが入っている。「莫迦、そこはスルーだろ!」という小声も。

 

 そのノリツッコミに心の中でクスリと笑う。脳震盪、起こしてないかな? そう思いながら「ふぅ」とため息を一つ。

 

「いいですか? みなさん、何も見なかった。他言無用。思い出すのも禁止! いい?」

 

 三人を順番に見る。

 

「約束だからね!」

 

「約束……」

 

「破ったら……」

 

「破ったら?」

 

「罰を与えます。想像するだけで下っ腹がキュン、ってなって、後ずさりするようなね。

 信じてるからね! オネェ系になるつもりは無いでしょ?」

 

 ほんの少しだけ『格』を乗せて言うと、三人は揃って座り直した。キュンときたみたいだ。

 本当は信じてないけど、これだけ言っておけば三人から漏れることは無いだろう。思い出をオカズにしようとしたときにも、キュンとなってくれれば尚よし。

 

 

 

「あと、女性の家に行くときは、少し遅れていくこと! いろいろあるんだから」

 

「でも、待ち合わせは遅れないようにって……」

 

「外は待たせないのが基本!

 でも、相手の家とかは、少し遅れていくもんなの! 将来、彼女が出来たときにも気をつけること! ここ、テストに出ますよ!」

 

 今までは『私』自身、何の気無しに時間通りに迎えに行ったりしたけど、遅れていくことの重要性を身をもって学んでしまった。

 今更だ。

 

 

 

「昌、周ちゃんが裸で走ってきたけど」

 

 母がバスタオルをローブのようにかぶった周を連れてきた。

 

「お祖母ちゃん。悪いけど、周に洋服着せてあげて」

 

「あら、お友達? しかも男の子ばっかり。やるわね」

 

「同じ班のメンバーでレポートのまとめだよ。

 いいから、周を連れてって」

 

 母は、私に背を押されながらも「どの子が本命?」とか言う。本命も対抗もありませんって。そもそも付き合う気も無いし。

 

 

 

 十時を少し回ったところで、由美香ちゃん達が来た。今回は三人揃ってだ。

 

「あれ? 男子は全員来てるですか?」

 

 紬ちゃんは怪訝そうな顔。

 

「そうなんだよ。しかも全員時間前だよ。それで今、厳重注意してたとこ。

 みんな、分かってるよね! 約束なんだから!」

 

 私が三人をジロッと睨むと、揃って座り直した。よろしい。

 

「昌クンって、意外と尻に敷くタイプですね」

 

「そ、そうかな?」

 

 

 

 レポートのまとめは順調に進む。といっても、女子だけでまとめたのを男子が丸呑みするだけだ。困るのは、周と円が構って欲しくてやってくること。この子達は人懐こいのか、お客さんが来ると大喜びで玄関に走って行く。さっきはその所為で……。いや、あれは無かったことになってる。

 

「妹さん、よく似てますね」

 

 松田君がボソッと言う。

 いつもながら、私に向かってなのか独り言なのか、よく判らない。でも、独り言じゃなかったら、返さないと落ち込みそうだ。

 

「うん。よく言われる。どっちも『お父さん』似だって」

 

「そうそう。

 でもね、昌は見た目も似てるけど、内面の方がお父さん似よ」

 

「母さ、じゃなくてお祖母ちゃん! 何しに来たの!」

 

「何しに、って、お茶とお菓子を持ってきたのよ」

 

 そう言うと、カップを置いた。

 

「ほら、昌も運ぶの手伝って」

 

 私も母とともに、ケーキの入った箱とポットを取りに行く。

 やれやれ、男の子が来るとなると張り切るんだから。思えば『前世』でも女の子が来たときは張り切ってたな。

 

 例によって『歓談』の時間。今度は母が学校での私の様子を聞き出そうとする。しかも男子から。前回の渚といい、何で公開羞恥プレイを強要するんだろう。普通、『お祖母ちゃん』はこういう場に来ないもんだと思うのだけど……。



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勉強会再び 三

「とりあえず、プレゼンのパワポ作ろうよ。うち、PCなら三台使えるし」

 

「マジ?」

 

 松田君が目を輝かせる。独り言じゃないみたいな言い方は初めてかも。

 

「ノートは据え置きと2in1、あと本当の据え置き」

 

「昌クンのPCはすごいのですよ。あの部屋は男子の憧れです」

 

「ちょっと! ノートはこっちに持って来るけど、据え置きは私たちで使うつもりだよ」

 

「でも、デスクトップはネット使えないですよ。みんなで昌クンの部屋に行くのですよ」

 

「まぁ、別にいいけどさ」

 

 

 

 男子は私の部屋を見て固まっていた。『女の子の部屋』とはかけ離れた部屋だ。多分、ハンガーの制服さえ片付ければ、十人が十人、男性の部屋だと思うだろう。

 

 一部屋で三台のPCが起動する。

 据え置きの前では、画面をまたいでマウスカーソルが動くことに、男子は大喜びだ。子どもだな。

 高田君が、『すべてのプログラム』を見て、何が入っているか調べている。しかし、ゲームの類はすべてEドライブだ。ショートカットも一つのフォルダにまとめてあるから、まず見つからない。

 一通り見たら諦めたのか、松田君と交代した。

 

「ふーん。XPでクラシックスタイルか……」

 

 松田君はおもむろに設定を確認し始めた。普通、他人のPCの設定覗くかな?

 

「すげぇ……」

 

 そりゃそうだろう。3DCAD用のPCだ。

 今のハイエンド機には及ばないまでも、ゲーミングPCとしても使える。OSで管理できないメモリはRAMドライブにして、ページファイルや一時ファイルの行き先にするなど、かなり変則的な設定がしてあるのだ。

 ただし、サポート切れなのでネットワークは無効。ネット接続はVOYAGERで起動したときだけだ。ノートはMINTだけどデスクトップは見た目が格好いいからこっちなのだ。

 

「これ、お父さんの?」

 

「そう。設計に使ってたPC。

 でも設計データは外付けHDDに入れてたみたいで、ローカルに入ってるのはライセンス切れのCADとかだよ」

 

「でも、小畑さんのお父さんって、几帳面な管理だね」

 

「そ、そうかな?」

 

「ドライブレターなんかあっちのノートと統一してあって、どっちでも同じ環境で使えるようにしてあるし、あえて古いOSをネットワーク切って使うあたり、玄人っぽい。しかもハイパースレッドはあえて無効にしてるし」

 

 松田君、『あえて』って言葉好きなのか?

 でも、その程度で玄人って、基準が甘いなぁ。世の中には魔改造したWin2000を現役で使っている人もいるんだぞ。

 

 

 

 ぼちぼちとパワポのデータを作り始めた。こういうのって、みんな派手にしたがるけど、ページに統一感を持たせるのがコツなんだよね。一番ダメなのが、画面の演出ばかり派手で、実際のプレゼンは画面の内容を朗読するだけというパターン。

 男子は地味な作り方に不満顔だが、パワポは手段であって、目的じゃないんだから。

 どう伝えるかも大事だけど、何を伝えるかがもっと大事なのだ。男子ときたら、手段を目的にしてしまうんだから……。

 

 データ作りのために、旧バージョンでテンプレートを作る。なんでもそうだけど、枠組みを作らずに詳細に行くと、後が大変だ。ついつい具体的な方に目が行きがちだけど。

 

 とりあえず、学校・組・班が入っている枠を見せる。

 

「ねぇねぇ、枠はこんな感じでどう?」

 

 訊くだけヤボだった。男子はノートでネットに夢中だ。変なリンク踏むなよ。と、松田君がぼそっと一言。

 

「へー、小畑さんもこのゲームするんだ」

 

 止める間もあればこそ、ゲームを起動する。数か月ぶりに起動したゲームはアカウント選択画面になっている。画面に表示されたアカウントは一つ、私のアバター『クリスタ』だけ。

 

 

 

「あ、このキャラ!」

 

 やっぱり知ってるのか? やってれば、当然とは言わないが、知っている可能性はある。

 ちょうど、アップデートに合わせて創ってもらったから、当時としては完成度が高いモデルで有名になったのだ。そして半月もしないうちにネカマ認定されたことでも……。

 

「あ、昌クンそっくりですぅ。自分をモデルにキャラ創るなんて、昌クンはナルちゃんですねぇ」

 

 紬ちゃんがニヤニヤ笑いながらこっちを見る。

 

「こ、これは、沙耶香さんが運営の人と知り合いで、ヒマしてる私に無理矢理勧めてきただけで、私が創ったわけじゃなくて……」

 

「さすがにこれは素人が創れるレベルじゃないよ」

 

 そうだ、松田君、言ってくれ。

 

「このキャラは一時いろいろと有名でね。

 メジャーアップデートで、衣装やアクセサリにも物理演算が入ったんだけど、それを活かした作りのキャラが当日に現れたからね」

 

「物理演算って何だよ」

 

 新川君が訊くと、松田君が続けた。

 

「要するに、キャラの動きがリアルなんだよ。一番判りやすいのが、髪とかマントがぶわってなったりするあれ。

 その機能が入った当日にそれを使ったキャラが出れば、そりゃ目立つって。ただ立ってるだけで、明らかに違うし。

 それで、『クリスタ』ってキャラは、運営が創ったキャラだって話になったんだよ。レベル3でレア装備持ってたし」

 

「そう! 私はそういうこと全然知らずに、キャラデータとID渡されて、それでやってただけだよ」

 

 ネカマの話は言わないで! お願いだから!

 

「リアルに居そうで居ない、でもリアリティのある見た目だったから、一時はキャラ人気ランキングで四位までいってた。一,二,三が昔からのギルマスクラスだし、見た目と戦闘スタイルだけなら二位だったかな。とにかく華麗なスタイルなんだ」

 

「たしかに、これ、髪型以外は昌ちゃんにそっくりだよね。昌ちゃんも髪伸ばしたら? 絶対似合うよ」

 

 由美香ちゃんがしみじみと言う。

 

「髪を伸ばすのは、ちょっと……。それにこの長さって、十年ぐらいかからないかな?」

 

「でも『クリスタ』の中の人が、マジそっくりなんてすげーよ。絶対、運営だと思ってた」

 

「絶対言わないでよね!」

 

 この地域で白髪のJCという時点で、個人が特定できちゃうじゃないか。そうなったら、シャレにならない。

『格』の出力二割。松田君はビクっとなる。全力の三割以下なら、指向性を持たせることも出来るのだ。

 

 

 

 いつの間にか昼上がり。結局、作業はほとんど済んでいない。

 さすがにこの人数の昼食をにわかには準備できない。みんなで国道沿いのファミレスへ行く。ファミレスなんて、何時ぶりだろ?

 

 七人だけど、机を寄せることで一テーブルにしてもらう。四対三で向かい合うと、変則的な合コンのようだ。男子はそろって、がっつり肉と揚げ物、セットのライスはもちろん大盛り。

 

 由美香ちゃんはドリアとグラタンが半々になったもの、詩帆ちゃんはキノコの雑炊、紬ちゃんは散々迷った末のサラダうどん。私は普通に和風ハンバーグとご飯・味噌汁のセットだ。

 

 どうせ男子は足りなくなるだろうから、ついでにピザとポテトも頼んでおく。私は大人なのでこの程度の出費は痛くないのです。対外的には『お祖母ちゃん』から軍資金をもらったことにしてるけど。

 

 

 

 午後もプレゼン資料の続き。と言っても、原稿を考えるのは私達だし、作業自体も私や詩帆ちゃんがやった方が早い。けど、全員が関わらなきゃいけないから、私達が草案を作り、例によって男子が丸呑み。こいつら退屈すると、すぐに気を散らしてしまう。

 結局、その日は読み合わせどころか、台本作りまでいけなかった。六月上旬の発表には余裕があるけど……、言わないと進まないんだろうな。



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第十章 変化の兆し
送別会 一


「あれ? 前回と道が違いますね」

 

「前回は学校帰りに拾ったけど、今日は違うとこ、一つ隣の駅からよ。それにこっちの方が道も判りやすいし」

 

 沙耶香(さやか)さんは助手席から応える。神子達は二列目、三列目だ。今日はいつものクーペやセダンでない。全員が合流して移動できるよう三列シートのバンだ。いわゆるミニバンだと三列目は非常用に近いが、この車は大きくて広々だ。後輪駆動で脚もいいのか、揺れも少ない。

 

 車は駅前の駐車場に入ってゆく。近くにショッピングセンターがあるんだから、そこを待ち合わせ場所にすればいいのに。

 

「じゃ、ボクが呼んできますね」

 

「私も行くわ」

 

「今日の主賓なんだから、車で待ってて下さいよ」

 

「いいの。私も行きたいの」

 

「じゃ、一緒に」

 

 私たちは駅の方に歩く。

 

 

 

 休日だからか駅前は閑散としている。一つ隣の駅と違って、近くに学校や役所があるわけでもなく、ショッピングセンターも車前提だからだろう、ちらほら見えるのは中高生ばかりだ。

 

「あ、(あきら)クーン」

 

 声の方を見遣ると、聡子(さとこ)さんが手を振っている。

 

「聡子さん。久しぶ……、一ヶ月ぶりぐらいですね」

 

「そうね。光紀(みつき)ちゃんも、久しぶり」

 

 私たちは連れだって車に乗り込んだ。

 

「今日と明日は楽しみましょ。まず、お昼はどこで?」

 

「温泉街の料亭。昌ちゃんご推薦のお店よ」

 

 

 

 店はお香が焚かれていた。うん。高級店はこうでなくちゃ。

 和服の仲居さんは私たちを見て一瞬驚いた顔を見せたが、即座に平常運転。「今日はようこそおいで下さいました」と挨拶をする。

 沙耶香さんは勝手知ったるなのか、軽く挨拶を返して部屋に進む。

 仲居さんは続く私たち一人一人にもお辞儀してくれる。最後の私を見て驚いた表情、この髪と目の色は初見じゃびっくりするのも無理はない。

 

 

 

 部屋に通されると、まずはお飲み物。と言っても、私たちの見かけは未成年だからお酒はNGだ。と思ったところで、光紀さんと聡子さんが普通にアルコールを注文した。直子(なおこ)さんも続こうとしたところで、沙耶香さんがちょっと『格』を発動。さすがに公称高一まで下がると、サバを読むわけには行かない。

 私も仕方なく棒茶を頂くと直子さんと優奈(ゆうな)さんもそれに続いた。千鶴(ちづる)さんは始めからウーロン茶。

 

 

 

 程なく、食前酒のグラスと先付けの盛り合わせが、各々の前に並べられた。

 

「それじゃ、山崎光紀さんの、今後の健康を祈念して」

 

「「「「「「かんぱーい」」」」」」

 

 一息で梅酒? 梅ワイン? を飲み干すと、薄い酒精が胃の中を熱くする。よし、何から食べようかな。

 

 しばし無言で一口目。

 みんなは、鴨肉が好みのようだ。旨味がしっかりで、断面に赤みは残っているが火はしっかりと通っている。ゼラチン質の脂身も、油っぽくない。見るからにコラーゲンたっぷりで美肌効果がありそうだ。

 個人的にヒットは白和え。砂糖やみりんの代わりに甘味料として使われているのは柿だ。その甘みと薄い塩味、練り込まれたごまの香ばしさが出汁の旨みと調和し、実に美味しい。薄味なのにこれだけ複雑な美味しさに仕上げるのはプロの技だ。

 

 私がその味覚を反芻していると、沙耶香さんが側に来た。

 

「どれがオススメ?」

 

 手には冷酒の冊子。おお! こんなに種類があるのか。

 

「この辺がさらっとして飲みやすいですよ。こっちはどっしりしてるから、昼間からこれはさすがに……」

 

「じゃ、昌ちゃんのオススメはこの辺ね」

 

 良いタイミングで仲居さんが入ってきた。沙耶香さんが小声でいくつかの冷酒を注文すると、杯の数を聞いてきた。耳をそばたてていると、残念、三つだ。

 

 仲居さんが先付けの器を下げて行く。あれ? 食前酒の杯がそのままだ。

 程なく、冷酒を二本持ってきた。盆には氷と水も。あれ? 冷酒は割らないはずだけど……。もしかしてそういうことかな?

 

 

 

「気を遣わせちゃったかしら?」

 

 仲居さんを見送ると、沙耶香さんが私の方を見た。苦笑を浮かべて、水の入ったデキャンタを見る。

 

「そうですね」

 

 私が応えると、みんなは怪訝な顔だ。

 

「それじゃぁ、遠慮無く」

 

 私は食前酒が入っていた杯に水を少し注いでくるくる回し、飲んで空にした。そこに沙耶香さんが冷酒を注ぐと、全員が納得の表情。同じことを直子さんと優奈さんも始めた。

 

「千鶴ちゃんはどうする?」

 

 沙耶香さんが聞くと、千鶴さんは迷い顔。

 

「最後ぐらいイイじゃない」

 

 光紀さんが言うと「じゃ、一口だけ」と杯を出した。

 

 全員に冷酒が行き渡ったところで、改めて乾杯する。

 くーっ。旨い。やっぱり酒は北陸だ。

 

「あ、美味しい」

 

 千鶴さんは驚いた顔だ。そう言えば、甘いカクテル以外を飲んでるのは初めてかも。

 

「でしょ? 昌ちゃんのオススメよ。見かけは子どもだけど、味覚はオトナよ」

 

 沙耶香さんも飲み始める。

 

 千鶴さんは血が出る前から日本酒が苦手だったそうだ。多分、初めて飲んだのが不味かったんだろう。

 

 光紀さんも美味しそうに飲んでいる。

 

 

 

 品は椀ものに進む。蓋が取れなくなる前に素早く開けると、やはりしんじょうだ。出汁と柚子の香りが(かぐわ)しい。椀ものはこれじゃなきゃだよ。白いしんじょうに、飾り庖丁が入った人参と湯通しされた三つ葉がアクセント。

 まずは汁を一口。薄味だけどふくらみのある出汁。二年ほど前に来たときと同じく美味しい。こんなのどうやって作るんだろ? 真似しようと試行錯誤したけど難しい。

 

「この店、沙耶香さんに紹介したの昌クンでしょ? 本当に舌が肥えてるわよねぇ」

 

 光紀さんは空になった椀を名残惜しそうに見ながら言う。

 

「そうよね。しかも料理も上手いのよ。随分前に食べた雑炊も美味しかったし、こないだごちそうになったときの吸い物も。

 もしかして、この味を再現しようとか考えてたんでしょ」

 

「がんばってはいるんだけど、まだまだなんだよね」

 

「でも、並の和食屋より美味しいんだから大したものよ」

 

「えー、本当? 昌クーン、私のお嫁さんになってぇ」

 

 何で沙耶香さんと光紀さんはいつもこの流れなんだろう……。

 

 

 

 料理はどんどん進む

 昼食で、メンバーが女性の団体ということもあってか、量も味付けも控えめだ。蒸し物も味付けこそ薄いが旨味がしっかりで、本当に、どうやって作るんだろう?

 

 千鶴さんが立ち上がる。私も久々の冷酒でもよおしてきたので、立ち上がった。あ、立ち上がった千鶴さんの足下があやしい。慣れない日本酒を飲み過ぎたようだ。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あんまり美味しかったから、つい」

 

「肩貸しますか?」

 

「大丈夫。ちゃんと自分で歩けるわよ」

 

 手洗いの前で千鶴さんを待つ。こういう料理を食べられるのは幸せだ。渚と子ども達を連れて来たいな。いや、子どもには早いか。

 

 

 

 部屋に戻ると更に料理が並んでいる。既にかなりの品数を食べてるけど、まだ入っちゃう。

 

 最後の炊き込みご飯も美味しい。炊き込みご飯と言えば、普通はキノコやタケノコ、あるいは鶏とかが一般的だけど、生姜のそれは初めてだ。でも、出汁のふっくらとした味わいが良くて、ついお代わりしたくなる。

 

 その後、デザートとコーヒーで食事を終えると、軽く一時半をまわっていた。

 

 ここからは一路、金沢に向かう。



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送別会 二

 ここから金沢までは距離こそあるが国道の流れは速い。特に高架に乗ってからは信号が無い区間が続き、ほとんど高速道路だ。七十キロ近い速さで走る私たちの車はどんどん追い越される。途中で国道を外れたようだが、ここもやはり流れが速い。

 

 車内では、みんなおしゃべりタイムだ。少し飲んだからか、口数が多い。珍しく、直子さんが光紀さんと話している。まぁ、基本的に神子達はみな仲が良い。

 ただ、こういう場面になると、私はなかなか会話に入っていけない。それなりに進歩したつもりだけど……、雑談はまだまだだ。

 

 いつの間にか、車は金沢の市街地に入っている。しゃべっているとあっという間だ。

 時刻は三時過ぎと中途半端だ。時間調整のためにショッピングと思いきや、光紀さんの要望で美術館へ。

 入ったのは、兼六園にほど近い美術館。現代美術で有名な空飛ぶ円盤みたいな方ではなく、丘の上に建つ落ち着いた建物だ。常設展も見応えがある。確かにこっちの方が古都らしい。

 

 

 

 現代の金沢は、マイナー武将で知られる前田利家が加賀藩を得たところから始まっている。前田家は外様大名の中ではトップクラスなのに、歴史上では今一知られていない。むしろ、漫画やゲームの影響からか、前田利益――慶次郎の方が通りが良い――が有名だ。

 外様大名としては力を持ちすぎていて、利常の代で一時は潰されそうになったこともあったとか、あえて侮られるように鼻毛を手入れせずに伸ばしたとか、小便禁止の立て札に小便をかけたとか。

 当時の文化の中心であった、関西・中京から職人を集めて美術や工芸とを奨励し、お金を無駄遣いすることで叛意無しをアピールしたなど、そういうTIPS的な逸話が多い。

 多分、そういう家柄なんだろう。あるいは、そういった逸話がいろんな創作に結びついているのかも知れない。

 とは言えそういった歴史が、現在の美術工芸といった文化につながっているのだ。特に美食とか、美食とか、美食とか。

 

 

 

 美術館では、なぜか光紀さんと私が解説することに。光紀さんは意外にも博識だ。

 

「なに? このぬらりひょんみたいなの」

 

「これは羅漢ですね。修行僧ですよ」

 

「へー。昌ちゃんって物知りね」

 

 直子さんは興味しきりだ。

 

「ここに『羅漢図』ってかいてありますよ」

 

「羅漢ってなに?」

 

「だから、修行僧ですよ」

 

 知らないなら、と、盛るだけ盛って講談風に解説する。

 

 

 

 当時は、都といえども夜ともなれば魑魅魍魎(ちみもうりょう)跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)……、することは無かったが、それでも月の陰る夜は危なかった。

 いつの時代も、一番怖いのは人。月夜ならともかく、月の陰る夜ともなれば、追いはぎや人さらいも珍しくない。もちろん、当時も治安を守る者――検非違使(けびいし)等――もいたが、十分にはほど遠かった。

 

 それを憂えた羅漢が夜回りを敢行した。始めは一人で始まったが、それは五人いたともそれ以上とも言われている。

 羅漢達のおかげで、雲が月を隠しても民達は月夜の晩と同じく夜道を歩けるようになったという。

 

「民に仇為すものよ、月に代わりて世を照らす我らを、因果応報の(あらわ)れと心得よ」

 

 そう言って、悪人達に仕置きする羅漢達を、民たちは「(ひじり)なる羅漢のもとに雲は無し」と敬ったという。

 世に言う『聖羅無雲(せいらむうん)』である……。

 

 

 

「ぷっ、く、……それ、何処の民明書房よ!」

 

 話し終わったところで、光紀さんが堪えきれずに吹き出した。途中から、オチが見えてきて笑いを堪えていたみたいだ。それにしても『民明書房』を知ってるんだ。

 沙耶香さんも判ってたみたいだけど、どっちかというとあきれ顔。他の四人は理解できてない。まぁ、この世代はニチアサ枠を見て育った世代か。でも、聡子さんが知らないのは意外だ。

 

「どこから、ネタだったの?」

 

 直子さんが眉根を寄せて訊く。

 

「どこから、って、ほぼ、始めから。

 まず、時代も場所も違いますし」

 

 直子さんは絶句。

 

「そういうネタをしれっと言う人だと思わなかったわ」

 

 千鶴さんまで……。

 

「ご、ごめんなさい。ちょっと調子に乗りすぎました。昼間っから呑むと、回るし後も引くんだよね」

 

「別にいいんじゃない? ネタとしては面白かったし。

 でも、昌クンがそういうネタを言うなんて、意外」

 

 

 

「ああいうネタを仕込むから、男の子扱いされるのよ。理解できてたのは光紀ちゃんだけだったけど」

 

 市街地へ向かう道すがら、沙耶香さんが肘で私をつつきながら囁いた。確かに、こんなネタを真顔でやる女子はちょっといないだろう。

 

 話していると、聡子さんが元ネタについて光紀さんに訊いていた。美術館の中では周囲りの目もあって説明できなかったもんね。

 光紀さんは「月に代わって……」の見栄を実演している。テレビのそれのようなキレは無いけど、舞うような優雅な動きがすごく様になってる。信号を待っている男子高校生が注目してるよ。同じポーズでもやる人で違うもんだ。

 

「光紀さん。それをここでやるのは……」

 

「いいじゃない。旅の恥はかき捨てよ」

 

「ところで、昌クンにはお仕置きが必要ね。あんなウソをみんなに教えたんだから。みんな、ちょっと信じちゃったわよね」

 

「ちょっと盛っただけですよ。こんなに真に受けるとは思わなかったし」

 

「そうね、言ったのが光紀ちゃんだったら信じなかったわよ。

 みんなが騙されたのは、昌ちゃんだったからよ。普段は真面目だもん。ちょっと天然入ってるけど。日頃の行いの差ね」

 

「ほら。直子さんもこういってるし」

 

「えー! 私ってそんなに日頃の行い、悪い?」

 

「え? いいと思ってたんですか?」

 

「あー! そんなこと言う昌クンは、月に代わって……」

 

 あ、周囲りが注目した。きっと周囲りの男子高校生の三人に一人ぐらいは、お仕置きされたくなっちゃってるに違いない。ちょっと顔を赤らめている男子も居るし。

 

「さぁーて、昌クンにはどんなお仕置きしようかしら?

 恥ずかしいのと、いやらしいのと、気持ちイイのと、どれがお好みかしら?」

 

「どれもお好みじゃないですよ。どうせ、どれ選んでも同じなんでしょ」

 

「あらぁ、何で判ったの?」

 

「判りますよ。それぐらい」

 

 

 

 一泊二日の北陸旅行は、湿っぽくなることもなく終わった。とにかく笑って、食べて、飲んで、遊んだ。

 

 それでもお別れのとき、神子になってすぐに渡された携帯電話を沙耶香さんに返すときだけは、さすがの光紀さんも涙ぐんでいた。

 

 この電話は、私たちの繋がりを象徴するものだ。もちろん、神子同士で連絡を取ることは禁じられていたが、それでも月に何度かは顔を会わせられた。

 

 今後はそれも無くなる。

 

 それぞれが住む地域や通う学校ぐらいは知っているだろう。しかしそれ以上の情報交換は禁じられているし、意図して知ろうとすることも同じ。神子から『元』になった時点で、互いにコンタクトをとること自体が、原則として禁じられる。

 偶然出会って、一般人として友誼を結ぶことまでは禁じられてはいないものの、よほどの偶然に助けられない限りそれも難しい。

 

 別れ際、光紀さんは順番に全員をハグした。沙耶香さん、そして最後に聡子さんとはかなり長い抱擁だ。五年余りと神子としては一番長い付き合い。しかも十代の大半を同じ立場として過ごした間柄だ。

 

 

 

 帰った日の夜、入浴後に体重計に乗ったら、半月前より一キロ近く増えていた。

 金沢で食べ過ぎた!



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写真

 中間試験は無事終わった。国語と社会では満点を逃したものの、総合では詩帆(しほ)ちゃんをおさえて学年三位。別に手を抜く理由も無い。

 それでも、中学生で私より上が二人もいるのか。『私』は大学出ているんだけどなぁ……。

 社会なんかは手を抜いたわけじゃ無いけど、知識の更新が足りなかった。きちんと教科書を読み込めてなかったようだ。次回は頑張ろう。

 

 

 

 数学で七十五点以下の生徒は、間違った部分を直した上で、課題を提出。そのノートを一組の分、何故か私が持って行く。私は満点だったのに、釈然としない。

 

 藤井先生にノートを持って行ったところを、馬淵(まぶち)先生に呼ばれた。確か、教科は理科。一度だけ科学部を覗いたとき以外、私と接点は無いはずだけど……。

 学校生活に慣れたかとか、放課後の生活について雑談をした後、改めて科学部に勧誘された。でも中学レベルじゃできることは限られている。液体窒素で遊んだりがせいぜいか。テレビでやってたみたいに、液体窒素でアイスクリームを作ったり、そういうのだったら参加してもいいかな。

 活動が週三ぐらいならアリかも、と思っていたら。

 

「前置きはこのぐらいにして。私、小畑さんのお父さんのこと、少し知ってるのよ。ある意味、私の人生を少し変えた人」

 

 え? 馬淵先生なんて知らないぞ。

 見たところ、二十代後半から三十代前半ってとこか。『私』とは少なく見積もって五年から、下手すれば一回りぐらい違うかも知れない。確かに女性の年齢は、見かけだけじゃ判らないけど。

 

「あの、失礼ですが……、父と接点があった(とし)には見えないのですが。上に見積もっても、せいぜい三十ぐらいでしょ? 父は、生きていれば四十近いはずですから……」

 

 一応、若めに言っておく。女性に対するマナーだ。

 

「そうね。普通なら接点が無い年齢差ね」

 

 馬淵先生はニコニコ笑いながら言う。うーん、思い出せない。どう考えても接点が無い。

 

「あ、昌ちゃん」

 

由美香(ゆみか)ちゃん」

 

 後ろから由美香ちゃんに呼ばれた。

 

「あ、馬淵先生。お話のとこ、すみません。杉本先生、どちらかご存じありませんか? 体育館の教官室にもいらっしゃらなかったんですけど、こちらじゃないですか?」

 

「あぁ、杉さんならあすこよ。もうちょっと待ってれば話しも終わるでしょ」

 

 指差した方向には、宮川先生となにやら話し込んでいるバスケ部顧問の姿。お礼を言う由美香ちゃんに、馬淵先生は「いぃえぇ」と応じると、悪戯っぽく笑いながら、机の引き出しから一枚の写真を取りだした。

 

 

 

「小畑さん。この人、誰だか判る?」

 

 見せられた写真には、制服姿の女子高生が六人と彼女たちに囲まれた私服の……。

 一瞬で記憶が繋がる。『私』黒歴史。

 

 あれは大学四年のとき。院試の前に教育実習のお礼をと高校に行ったら、帰りに実習をしたクラスの女生徒に捕獲され、学祭の余興で女装をさせられたのだ。

 始めはきゃぁきゃぁ言ってた女子生徒達だったが、化粧が進むにつれだんだん静かになっていった。ちょうどそこで私に声をかけて写真を取ったのが確か馬淵さん。十数年前の少女。

 

「へー。きれいな人。もしかして、昌ちゃんの親戚?」

 

 由美香ちゃんが写真と私を見比べる。

 

「うふふ。この人はね……」

 

「こっ、この人は、若い頃の伯母です! 父の姉です。親戚だから私と似てるんです! 私はお父さん似だから、伯母とも似てるんです!」

 

 慌てて馬淵先生の言葉を遮る。これ以上余計なことを言わないよう、目で訴える。何か言ったら『格』を全力以上で使うぞ!

 

「昌ちゃんの周囲(まわ)りって、美人が多いね」

 

「そ、そうかな?」

 

「そうだよ。やっぱ、血筋かなぁ。(つぶら)ちゃんもすっごくカワイイし、今度お父さんの写真見せてよ。絶対イケメンなんでしょ?」

 

「ま、まぁ、今度ね」

 

 意外と由美香ちゃんはメンクイだな。でも、期待を裏切りそう。

『私』は、いわゆるイケメンじゃなかったし。見せられる写真と見せられないのを仕分けしとこう、と思いつつ、部活に向かう由美香ちゃんを見送った。

 とりあえず、今度の読み合わせで集まるまでにしとかないと。

 

 

 

「どうしてあんな写真見せるんですか!」

 

「ってことは、あの写真の『女性』が誰か分かるわけね」

 

 知ってますよ。本人なんだから。

 無言の私をいたずらっぽく見る目は半笑い。

 

「多分、私の『父』ですね」

 

「さっすが! ちゃんと判るんだ」

 

「もしかして、先生、無理矢理女装させたんですか?」

 

「無理矢理じゃないわよ。途中からはノリノリだったんだから」

 

 いや、ノリノリなんかじゃなかったぞ。ステージでもすごく恥ずかしかったし、最優秀女装賞のときは肩身が狭かったんだから! 全く……、勝手に話を作って。

 

「……でもね。私、小畑さんのお父さんに、ちょっと憧れてたのよ。理系に進んだのもその影響。それを勉強したら、近づける気がしてね。

 で、気がついたらこの仕事、というわけ」

 

「へー。もしかして、初恋だったとか?」

 

「それは秘密。ご想像にお任せします」

 

 あ、頬を染めてクネクネしだした。三十過ぎてそれやるかな?

 

「じゃ、勝手にいろんなこと、想像しますよ。いいんですか?」

 

「いいですよぉ。ただし、どんな想像したか、ちゃんと教えてね。素敵な話だったら、即採用よ!」

 

 採用って……、何に採用するんだろ。そんなこと言われたら、変な想像できないじゃないか。あ、それが狙いか。

 

「で、初恋の相手に、女装させたわけですね」

 

「そこは、まぁ、ノリと言うか勢いと言うか」

 

 

 

 なんだか『私』の人生で遭う女性って、こういうのが多い。それとも、女性って本質的にこういうことが好きなのだろうか? いや、(なぎさ)は違って……、でも今の私を着飾らせるときはかなり楽しそうだ。

 あ、あの写真、没収すれば良かったな。名誉毀損と肖像権の侵害だ。名誉の回復と損害の補償を求めないと。



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男の夢

 今朝もいつもの朝。教室に入ると、男子が四人固まって楽しそうにヒソヒソ話をしている。小声で「おー」とか笑い声も。スマホで動画を視ているようだけど……、何だろう?

 

 覗き込むとゲームの宣伝映像だ。肌も露わな少女が登場するもので、いろいろ揺れるのがウリだ。

 その一団は私の視線に気づいて取り繕おうとするが、まぁ手遅れだ。そこまで大げさなリアクションをとらなければ良かったのに、アレじゃぁバレバレ。

 中二ともなればああいうのを見たい気持ちが理解できるだけに、覗いたこっちも悪いことをした気になる。

 

 

 

「男子って、お馬鹿ですね」

 

 紬ちゃんはスマホを片手に、半ば軽蔑した一瞥を送る。この一瞬で検索してその動画を見つけてる。どうやって検索してるんだろ。

 

「男の子だもん。しかたないよ」

 

「おー。昌クンは大人です」

 

「でも、実物はこんな風には揺れないけどね」

 

 うん。詩帆ちゃんが言うと説得力がある。

 

「そうですよ。この乳袋には何が入ってるんでしょうかね?」

 

「男の夢じゃない? こんな風に揺れて欲しいっていう」

 

 詩帆ちゃん、毒舌。

 

「まぁ、男の子はそういうもんだよ。

 もう少しレベルが上がったら、あんな直接的なものより、チラリズムとかメタファーにエロスを見つけられるんだろうけどさ」

 

「おー。さすが昌クン、この分野では尖った発言なのです」

 

 なんか、それって私が変な性癖を持ってることにならない? 確かにそう言えなくもないのは確かだけどさ……。

 

 

 

「でもさぁ、ああいうのを見てるのは、ちょっとねぇ」

 

 詩帆ちゃんは普段からそういう視線に晒されているだけに、この分野では冷ややかだ。

 

「仕方ないよ。男子と女子じゃ、性欲の方向が違うもん」

 

「合宿に続いて、昌クンの恋愛講座ですね」

 

 紬ちゃんは、こういう話が好きだ。

 

 

 

「要するに、イエス・ノー枕で言えば、男はノーにせざるを得ない理由が無い限りイエスで、女はイエスに出来る理由が無い限りノーなんだよ」

 

「イエス・ノー枕って……」

 

 詩帆ちゃんの呆れ顔はおいて、私は説明を続けた。

 

 哺乳類は、オスは何頭のメスとでも交尾できる一方、メスが妊娠出産できる回数には限りがあり、そのコストも大きい。

 遺伝子をより高い確率で残すためには、オスは交尾の機会を可能な限り活かすのが最適解だが、メスは生き残れる遺伝子を持っている、あるいは妊娠出産や育児のコストをより負ってくれるオスを選ぶことが重要だ。

 

 恋愛を生殖行動の過程と考えれば、オスは妊孕性が期待出来るメスをどう誘うか、あるいは選り好みせずにとにかく交尾することに重点があり、メスは貴重な繁殖機会をこのオスの遺伝子に使うかを見極めることに重点をおく。

 プレゼントなどでメスの気を惹く行動は、ヒトに関わらず、多くの動物で見られる行動だ。

 

「昌ちゃん、恋愛に夢見てるわりに、そういう所は冷静だね」

 

「別に、恋愛に夢は見てないし」

 

「見てると思うですよ」

 

 と言うより、恋愛できるのかどうかも判らないのだけど……。私は本当に夢を見られるのかな?

 

 

 

「だから、女子は他人の恋バナや、ドラマでも恋を実らせる過程の話が好きだけど、男子は他人の交尾映像(アダルトビデオ)で興奮するわけ。

 結局、興味の方向が、遺伝子を残すために有利になるよう最適化されてるだけで、女子が恋愛ドラマ視たり恋バナをするのと、男子がエロビデオ視たりエロゲの話をするのは、本質的には同じことなんだよ。きっと」

 

 詩帆ちゃんは絶句。紬ちゃんも「うっげぇ」な顔。

 しまった、ドン引きだ。女子の話題じゃない。

 

「むりやり納得というか、説得力あるですけど……、昌クン、そういう話って、どっから仕入れるですか?」

 

「こ、これは、……お父さん、から」

 

「昌クンのお父さんって、娘にそういう話までする人だったのですか……」

 

「ま、まぁ、きっと、昌ちゃんのことが心配だったんだよ。そういう目で男性を見られれば、リスクの高い行動は避けるだろうし」

 

「「「……」」」

 

 何となく気まずい。

 

 

 

「おっはよー。

 あれ? 三人ともどうしたの?」

 

「あ、由美香ちゃん、おはよう。もしかして、朝練?」

 

「朝練じゃないけど、ミーティング。大会も近いしね。

 ところで、何の話をしてたの?」

 

 うーん、答えにくい。

 

「り、利己的遺伝子説に基づく生物の繁殖戦略の考察、かな?」

 

「へー、難しいこと話してたんだね」

 

「まぁ、そんな感じで」

 

 

 

 朝礼中も、さっきの話を思い出す。

 

 そうなんだよね。女性は基本(デフォが)「ノー」なんだ。だから、ノーなことの表現は、視るのもノーだし、そもそも、それを表現の対象とすることさえノーな人も居る。恋愛ドラマや恋バナ(「イエス」なこと)エロビデオ(「ノー」な表現)を同列に扱うのは、生理的に受け付けないかもしれない。

 このあたり、私の感性はまだまだなんだろうなぁ。

 今は、『前世』の意識がそれを「ノー」にしているけど……、いずれは……。



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