鯨に戯れて (佐伯寿和2)
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毒針を隠す少女 その一

………また、棄てられた…………、

 

 

 

黒いマントに身を包んだ軽装の少女が一人、砂嵐吹きすさぶ荒野の直中を歩いていた。

何者からか逃げているのか。何者からか隠れているのか。その歩みは独特で、荒野の住人たちですら少女の存在に気付かない。

 

雨は降らず、昼も夜も延々と砂嵐に(なぶ)られ、陽の光を返す(ひび)割れた大地までもが少女の幼い足取りに渇きを与える。

自生する草花は他人に分け与えることを拒むように乾いた体をこれ見よがしに見せつける。

無数の砂を孕んだ風たちは乾燥した肌に張り付き、血の気を奪っては挨拶もなしに去っていく。

家のない者に等しく与えられる痛みと気怠さが、少女を荒野の囚人に変えていく。

 

…それでも、まだ、体は動かせる……、

…私、仕事、したよ……?

 

数日間、少女は独り歩き続けていた。

何処に向かうべきなのかわからない。迎えに来るべき人も現れない。

そのどちらも、彼女には用意されていない。

不幸を呼ぶ種族はもう、この世には必要ない。

そう、ありとあらゆる世界が告げているように思えた。

それでも彼女は喉を嗄らせて訴え続ける。

 

…私、ここに、いる……、

 

砂嵐は、等しく吹き付ける。

愛も憎しみもなく、等しく「渇き」を与える。

絶望に暮れる涙も。喜びに(むせ)び泣く涙も。何もかも。

それは涸れた大地に雨雲を呼ぶためでもなければ、限られた者のための秘境から盗賊たちを遠ざけるためでもない。

彼らはただ、等しく「渇き」を望むだけ。それが自分たちのあるべき姿だと。

 

少女は彼らから逃れるように岩陰に隠れる。

しかし、そこが彼らの住まう「荒野」である限り、彼らは等しくやって来る。

震える彼女の膝をソッと折り、岩にもたれかかる彼女の瞼にソッと触れる。

 

…誰か……、

 

少女は太陽の下で笑い跳ねまわる小さな女の子の夢を見る。

 

…誰か……、

 

流れる涙を、砂嵐はソッと拭った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブーーーッ、ブーーーッ、ブーーーッ、ブーーーッ!

 

 

――――あ、れ……?

 

目を覚ますと、少女は聞いたことのない耳障りな警告音の中にいた。

「……」

ここ、どこ?

私、何、してるの?

そこは見知った荒野でもなければ、王侯貴族が住まう色鮮やかな庭園でもない。砂嵐もなければ、標的もいない。

 

少女は未知の世界にただ一人、訳も分からず放り込まれていた。

 

完璧に精錬された鉄造りの洞窟。外に続く亀裂でもないのに空色の光が洞窟内に射し込んでいる。規則正しく、延々と続いている。

そして、自分の体から微かに薬品の臭いが漂っていた。

…私、誰に、捕まったの……?

息の荒い人の気配がそこかしこを駆け回っている。

少なくとも仕事の成否を確認しにきた上の人間じゃない。

…だったらどうして、私を、生かしたの……?

あのまま放置していれば彼女は確実に衰弱死していた。放っておくだけで()()()は全て抹消できた。

誰が、何の目的でそれを拾い上げたのか?彼女には理解できなかった。

冷たい鉄壁(てつかべ)に身を預け、(かん)(さわ)る薬品の臭いに堪えて息を殺し、朦朧とする頭で彼女は状況の把握に(つと)め続けた。

「……」

そう、いえば……、

 

少女は僅かながらに、途切れ途切れに思い出した。

どうして自分がここにいるのかを。

 

――――確か……、

 

 

 

「…い…、おい……っ!」

「……?!」

荒野の岩陰に吸い付くように倒れていた少女は、見ず知らずの男の声で飛び起きた。

「良かった、まだ意識はあるんだな。」

それは奇跡的なことだった。普段なら、不用意に近付いた「敵」には反射的に撃退するはずなのに。この時は体が強ばるばかりで「敵」をただただ注視することしかできなかった。

そこに、不審な衣類に身を包んだ男が立っていた。

「水は飲めるか?」

男はヴイーヴル族のような角を生やし、弓矢を装備していた。

だが、それで彼女にトドメを刺す様子はなく。それどころか、バックパックから立派な水筒を取り出し、躊躇うことなく彼女に差し出した。

「……」

ここサルゴンで無償の「取り引き」は存在しない。

彼は何者なのか。彼が何を求めているのか。彼女には何も分からなかった。

 

全身で警戒を(あら)わにする少女の姿を見て、男はそこが()()()()であることを思い出した。

「…さすがに言葉は通じるよな?…まあ一応、怪しい者じゃないと言っておくよ。水はここに置いておく。落ち着いたら飲むといい。」

男は水筒を近くの岩の上に置くと、少女から少し離れて考え込んだ。

「…と、つい助けてしまったが、俺の一存で船に乗せていいのか?…ダメだよな、やっぱり。」

身の(こな)しから、かなりの戦闘経験があることは(うかが)えた。しかし、少女にとって警戒すべき対象ではないように思えた。自分を助けようとしてくれていることも理解できた。

けれども…、そんなことより……、

 

…見られた……、

 

仕事は自分を助けない。次の仕事なんかない。そもそも必要とすらされていない。

頭では分かっているはずなのに。唯一彼女を支えてきた生き方が、目の前の心優しい男の未来を決定付けようとしていた。

ところが、彼女が仕事の姿勢を整える前に男は立ち上がり、彼女の下から立ち去ろうとしていた。

「悪いが、やはり身元不明で武装しているキミを連れ帰る訳にはいかない。だけど俺はもう仕事が終わって帰投するだけだから。残った水や食料はキミにあげることにする。少ないけれど、どうかこれで生き残ってくれ。ここから南に一、二日歩いたところに村がある。だから、頑張ってくれよな。」

男は笑顔で大量の食糧を置いて、去っていった。

 

…に、逃が、さない……!

 

少女は男の置いていったものには目もくれず、男を尾行した。

男は気付いていない。残った体力でも男を仕留めるのは容易い。ただ、「何者」なのかを突き止めてからでも遅くない。

 

少女は自分が今までにない選択をしていることに気付かないでいた。

 

 

 

 

 

――――そうだ。私、敵を追って、空飛ぶ車に、乗ったんだ…。あれ、少し、怖かった……、

 

 

「キミ、どうしてここに!?いつ乗ったんだ!?」

気付かれた!?

どうして?!

 

少女は咄嗟に身構え、物陰に隠れて男の射線から逃れた。

 

…多分、車が飛ぶなんて、思わなかったから。驚いて、少しの間、気絶してたんだ。

…もう、尾行は、できない。…今、殺るしか、ない……、

少女は驚くべき素早さで忍び寄り、自分の身の丈ほどもある毒針を男の首目掛けて走らせた。

しかし、男はその必殺の一撃を躱してしまった。

「何を!?」

男は矢をつがえ標的に向けてはみたものの、目の前の少女が今にも倒れてしまいそうなほどに衰弱していることに気付き、躊躇(ためら)った。

おそらく与えた水の一滴さえ手に付けていないのだろう。だがなぜ?毒が入っているとでも思ったのか?

いきなり現れてあれだけの食糧を与えられたらサルゴン人は皆、不審に思うんだろうか。まったく、面倒な土地柄だな。

 

飛行機に不慣れなのか。少女は機体が気流に衝突するたびに驚き、それを繰り返すごとに動きが鈍くなっていった。

…ダメ、体が、重い……、

「どうした、騒がし―――!?うわ、なんだこの女。いつの間に!?」

仲間が、いたの……?

……もう、ダメ………、もう…、私……、

 

()()()()()()、少女は目的を果たすことなく敵と対峙したまま崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

――――次は、もっと怖かった……、

 

 

 

「待て待て、これはマンティコアじゃないか!?どこで拾ってきた!マンティコアなんて、もう何年も見ておらんぞ!」

狙った掘り出し物を安く買い叩く商人のように、殺気立った叫びが少女を休眠(たまご)の殻から引きずり出した。

…うるさい……、

…ま、眩しい……、

「……ッ!?」

「お、おい、コラ!暴れるでない!」

 

少女は手術台の上で手足、そして()()を拘束された状態で目を覚ました。

「安心しろ!(わらわ)たちはお主に危害を加えたりはせん!っておい、誰か鎮静剤を持ってこんか!」

アッ……、

…何か打たれた……、体、動かない……、

…私、死んじゃう、のかな……、

「…ふぅ。まったく、ここに運んできたのは誰じゃ!?マンティコアにこの程度の拘束具では意味がないこともわからんのか!?」

「す、すみません、ワルファリン先生……、」

 

…死にたく、ない……、

 

覗き込まれればその(あか)(したた)り落ちるのではないかというような深紅の瞳が、今まさに狂喜の表情を浮かべながら少女を見下ろしていた。

対して、全ての光彩(いろ)を喰らい付くして肥え太ったかのように毒々しい、無数の白髪(しろへび)が、少女から世界を()り上げようと、ゾロリと彼女の視界を覆い隠していく。

…いや、だ……、

少女は女悪魔(メデューサ)に見守られ、意識を失った。

 

 

「じゃが、よくやった。マンティコアは希少種じゃからな。…何か試せるものはなかったかな♪」

「先生、あまり勝手をやるとまたケルシー先生に叱られますよ?」

「バカを言うな。あんな小娘に怯えていては医学の進歩に貢献できるものも叶わんぞ?」

「…私は知りませんよ?」

毅然(きぜん)と語りながらも嬉々とした声色を隠さない悪魔たちの会話を耳にしなかったのは、少女にとってこの上ない幸運といえたのかもしれない。

 

 

 

――――そして、私、鉄の部屋で、目を、覚まして……、

 

 

少女は驚いた。

生きていたこと。体が軽くなっていること。何より……、

…温かい……、

少女は生まれて初めて清潔なマットレスと毛布に触れ、迫っていたはずの「死」は瞬く間に空気に溶けて消え失せ、「疲労」に押し流されるまま生まれて初めての「二度寝」という体験をした。

「こんにちはー、新人さん。起きてますかー?」

「!?」

しっかり半日眠った彼女は幼い女の子の声で完全に覚醒した。

…私、眠ってた!?

「ごはん、持ってきたんだけど、お腹空いてないですかー?」

跳ね起きた少女は素早く部屋の隅に身を潜め、声のする扉向こうの様子を静かに窺い、()()を待った。

 

…武器、取り上げられてる。それに、この服は?

見たことのない素材の服だった。見た目こそ奇妙だけれど、滑らかで丈夫なその服は、今まで使ってきたどの戦闘服よりも機能性に優れていると分かる紛れもない逸品だった。

それに、この(バンド)…、

左太ももには、仄かにエメラルドグリーンに発光する模様の入ったバンドが巻かれていた。

少女は気味の悪いそれを問答無用で剥ぎ取って捨てると、再び外の気配に意識を集中した。

 

「どうしたの~?」

…気配もなく、もう一人、現れた?!

…けど…、この臭いは…、知ってる、臭い……?

「新人さんが起きてこないの。ごはんも全然食べてないみたいだし、グム、心配なんだよ。」

「フ~ン、」

「ウタゲお姉ちゃんも?」

「え?ううん、アタシはただネイルが似合いそうな子だったから話盛り上がるかな~って思った、だ、け。」

……何の、会話?

…何か、試されてる……?

「え、ウタゲお姉ちゃん、新人さんの顔見たの?」

「うん、見たよ~。激オコなワルファリン先生から引き離されるところだけだけどね。」

…名前で、呼び合ってる……、

…演技、でもなさそう……。だとしたら、私、敵に捕まったの……?

「え?なんでワルファリン先生怒ってたの?まさか、新人さんが悪いことしたの?」

「それは違うんじゃない?ケルシー先生もいたし、またワルファリン先生がヤバいことしようとしてたんじゃないかな?」

「そっか。あー、良かった。悪い人だったらグム、何かの拍子にやっつけちゃうかもだったよ。」

…やっつける……、

 

「アハハ!さすがグムちゃん、フライパン持ったら人格が変わる人ナンバーワンだもんね~。」

「そんなこと言わないでよ。グムだって叩いて良い人と悪い人くらい見分けられるんだよ?」

「そうだよね。じゃあ、アタシは?良い人?悪い人?」

「え?」

意表を突く質問にフライパンの女の子は少しの間、考え込んだ。

「良い人?だと思うんだけど…。もしかして、違うの?」

「さあねぇ~、良い人か悪い人かなんて自分じゃ分からないもんじゃない?」

「…確かに、そうかも。」

「でしょ?だからグムちゃんにそう言ってもらえてアタシは少し安心したよ。ありがと。」

なんだか気の抜ける会話だった。マンティコアの少女にはその警戒心のなさが不気味にさえ思えた。

「じゃあ、じゃあ!グムは?グムは良い人?悪い人?」

元気で快活。マンティコアの少女はフライパンの女の子の声から、夢の中で見た女の子の姿を想像した。

「そんなの、良い人に決まってるじゃん。グムちゃんは最っ高に()()()だよ。」

「あ、ウタゲお姉ちゃん、今グムのことバカにしたねー?今度、お姉ちゃんのごはんにピーマン入れちゃうよ?」

「あはは、ゴメンゴメン。それよりさ、扉の前で騒いでたら新人さんかわいそうだし。休憩室行かない?」

「そうだね。また後で来ようっと。」

……行った?

…結局、何が、言いたかったんだろう……、

…私を、殺そうとは、して、ない、みたい……、

 

少女は人の気配のなくなった扉に何気なく近寄った。そして――――、

「!?」

…開い、てる…、どうして…?

「……」

…私は、どうすれば……、

 

 

少女は逃げ出した。

何に捕まったのかも分からず、どうすればいいのかも分からず。

施錠のされていない安全な部屋から、本能のままに逃げ出した。





※サルゴン
私もまだ「アークナイツ」の世界を完全には把握していませんが、「サルゴン」は一つの国、もしくは地域を指す名称です。
「アークナイツ」の世界には「天災」という天変地異が多発していて、人類はこれらから逃げ回りながら生活するために「移動都市」という「走行する都市」を建設しています。
一応の定期航路のようなものはあるようですが、それが「国境」を指しているのか私には分かりません。

サルゴンのイメージは南アメリカとアフリカ、中近東を混ぜこぜにしたような感じかなと思ってます。

※空飛ぶ車
一部地域では「航空機」の概念がないようで、こんな表現をしていたと思いまうす。

※アークナイツ内の人々
「アークナイツ」の世界では私たちのような猿から進化した「ホモサピエンス」はいないようです。
「ホモサピエンス」の体に何らかの「獣」の血が混じっていることを象徴するような、いわゆるケモミミや尻尾を持っています。

「マンティコア」の場合、そういう伝説上の怪物をモチーフとしたような特徴を備えています。
サソリの尻尾、コウモリの触覚、昇進Ⅱの画像では人の手がライオンの足のように変形しています(グローブを付けているだけかもしれませんが)
そして、なぜかエルフ耳。
このように、本来は種族を指す名称で個人を指すものではありません。

「ヴイーヴル」はフランス語で「ワイバーン」を意味するそうで、マンティコアが荒野で出会った男の頭にはそれらしい?角?が生えています。

※ワルファリンとケルシー
ワルファリンはいわゆる「吸血鬼」のような長寿の種族ですが、ストーリー上、ケルシーもかなりの長生きさんなのかなと思います。
なのでワルファリンにとってケルシーが「小娘」なのかどうか分かりません。
「ケルシー先生」と呼んでいる一面もあったような気がするので、この言葉は適当ではないかもしれませんね。

※マンティコアの太もものバンド
「サーベイランスマシン」という名前の高性能な機械らしいです。
オペレーター(ロドス製薬の社員)の鉱石病の感染判断・症候測定・症状追跡調査など様々な機能をもった高性能バンド。
着用する部位はオペレーターの都合によって様々。
(鉱石病に関しては次回以降に簡単に説明します)

ちなみに、マンティコアのそれは昇進Ⅱの画像で確認できました。
初めはズボンの柄だと思っていたんですが、よくよく見るとズボンは透けていて、その下に巻いてありました。
じゃあこれ、太もものラインなの?……あ、
「…ドクターの、エッチ……、」
……マジ、反省していますm(__)m

※ウタゲはピーマン苦手?
私の勝手な設定です(笑)多分、好き嫌いはそんなにないと思います。

※ホンマの後書き
少し前に私の推しであるマンティコアの固有ストーリーが追加されたのですが…、その内容が…とても薄い(TдT)
果たしてマンティコアちゃんをメインにしてくれているのかも怪しいお話で、物足りなさからこれを書くことを決めました。
おおよその話はすでに書き上げているので(全部で7、8話になると思います)定期更新できるとは思いますが、あくまでもメインは「聖櫃に抱かれた子どもたち」なので、間に合わない時はそっちを優先すると思いますのであしからずm(__)m


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毒針を隠す少女 その二

「すみません!私のせいで皆さんに迷惑をかけてしまいました!」

どんなベテランも…、いいや。ベテランであるからこそ、ミスを犯してでも護りたいものを見つけてしまう時がある。

彼は、まだそれを「未熟者」だと思い込んでいた。

「騒動自体は小規模ですんだ。ストームアイ、君が悔やむレベルではない。」

謎の組織に保護された少女は、自分の身を護るために未確認の船の中を逃げ回った。だが、本調子でなかった彼女はその道のプロの手により速やかに取り押さえられた。

 

「それよりもワルファリンに気を付けた方がいいな。」

肩を露出したワンピースに皮のパンプスを着こなす姿だけを見れば、その猫科(フェリーン)族の女性を「医者」だとは思わないだろう。

だが、彼女は列記とした「医師」であり、ロドス・アイランド製薬という感染者問題における一流企業のトップに居並ぶ者の一人なのだ。

 

それらを証明する達観した表情はいついかなる状況に置かれても崩れない。

冷淡な声色はいついかなる時も彼女に問う者に最適な道を指し示す。

彼女の技能、知識は何人(なんぴと)にも劣ることなく、果ては歴史の彼方に埋もれたとされる知識さえも備え、武器に変えてしまう。

彼女、ケルシーはそれらを駆使して幾人もの患者、仲間、時には敵さえも救ってきた。

 

彼女のことをよく知らない者にとって「ケルシー」という生き物は野放しにされた怪物に映るかもしれない。

確かに彼女の「温もり」は理解しづらい。しかし一度でもそれに触れたなら、彼女の全てが揺るがない「希望の象徴」であると理解することができる。

そんな彼女の冷徹な視線が一人の男を刺した。

「Dr.ノア、これは君に言っている。彼女の乗船を独断で許可した責任は取らなければならない。よもや言い逃れをするつもりはないな?」

「…ああ、そんなつもりは毛頭ない。」

 

ケルシーの勧告にぶっきら棒に応えるその男は、この場で最も気味の悪い出で立ちをしていた。

「人を見た目で判断してはならない」多くの人間が体裁を気にかけ、そんな聞こえの良い言葉で自分を誤魔化すだろう。

だがもしも、前触れもなく男と遭遇したなら誰もが男を「重度の感染者」、もしくは危険思想を抱く敬虔(けいけん)な邪教徒、それらに連なる犯罪者と見なし、背筋の凍る思いをすることだろう。

 

ケルシーが「Dr.ノア」と呼ぶその男は、彼女とは違うシンプルなデザインの白衣を着用していた。

それだけなら誰の目にも、ごくごく一般的な「医師」として誰に警戒心を抱かせることもなかっただろう。

ところが男はそこに、意図的としか思えないようなファッションセンスを見せつける。

男は機能性を重視したかのような防水加工の真っ黒なコートを羽織り、さらには黒の不透明なフルフェイスで素顔を完全に隠してしまっていた。

どれだけの理解力を発揮すればそんな男を見て「医師(せんせい)」と呼ぶことができるだろうか。

 

―――ところが、この広い世界において常人には理解できないという物事は往々にして存在する。

 

ここロドス製薬で男は「ドクター」と呼ばれ、ケルシーと同等の権威と威厳を持ち合せていた。

「ドクター、私の直感なのですが、彼女は決して危険な人物ではないと思います。」

あらゆる紛争を経験し、権力者への偏見を感じずにはいられないストームアイまでもがその男を前にすれば「父と子」のような親しみと敬意が内から滲み出てしまう。

「ロドス製薬」という世界において、Dr.ノアは「救世主」のように誰からも愛されていた。

それだけの()()を男は今も積み重ね続けているのだった。

「分かった、参考にさせてもらうよ。」

ケルシーもまた、男の能力は認めている。

しかし一方では、「そんな男が肯定したなら事件はもはや解決したのだ」と錯覚してしまう会社員(オペレーター)たちの悪い癖を危惧しない訳にはいかなかった。

 

「問題を軽視すべきではない、Dr.ノア。彼女の所持していた装備は”暗殺”を意味している。仮にその標的が我々でなかったとしても、”それだけの脅威”を今、我々は懐に置いているということだ。命に優劣がないとはいえ、我々(すくうもの)がいなければ感染者(すくわれるもの)は誰一人助からない道理を努々(ゆめゆめ)忘れないでもらいたい。」

男には分かっていた。同じ答えに行き着いているはずの彼女が()()()()()()()()()()()()を。

「現に、ストームアイは帰投中に彼女に襲われている。さらにはロドスに収容されてからも反抗の意思は何度も見られた。これ以上の彼女への支援はオペレーターだけでなく、患者への危険も意味するが。それでも君は彼女をロドスに置いておくつもりか?」

 

ここロドスにおいて、ケルシーとノアという最高指導者同士が睨み合う光景はお馴染みのことなのだろう。

明らかに険悪な空気をかもし出しているというのに、ストームアイが殊更(ことさら)に取り乱すということはなかった。

「彼女の異常なまでのステルス性がアーツによるものかどうかも未だ確認できていない。であるにも拘わらず、君はその選択が正しいという根拠を提示していない。今のままでは君の選択を容認することはできない。」

「賭けるか?」

「何?」

男の放ったその一言は、彼女の()()()に容赦のない亀裂を打ち込んだ。

「時に、多くの死線を目に焼き付けてきた戦士の勘はどんな()()よりも真実に迫ることもあるということさ。」

ドクターもまた淡々と、しかしフェリーンの彼女とは真逆の挑発的な口調で言い放った。

「私はストームアイの言葉を信じるよ。彼女の今までの反抗的な行動は事故だとね。であれば、我々と彼女との信頼関係を築く余地はまだ十分にあるだろうな。そもそも彼女が暗殺者か一般人かという問題は重要じゃない。私たちにとって彼女が危険であっても、今の彼女にとって我々は絶対に必要な存在だ。()()()()()()、どうだろうか。私は何か間違ったことを言っているか?」

男は律儀に彼女が危惧する「独裁的な救済(ワンマンショー)」を否定した。

しかし、男の物言いは少なからず、彼女の自尊心や彼への想い遣りを傷つけた。たとえそれが、これまで彼に攻撃的な態度を取ってきた彼女自身が原因だったとしても…。

「私には()()()のその発言が、個人が背負うべき責任を体よく仲間に擦り付けているように聞こえるが?」

「そうかもしれないな。だが、それも仕方がない。私は()()()()()()()()()からな。私たちは支い、支えられて生き延びているに過ぎない。」

「キサマの”指導者”の器はその程度なのか?仲間の命を“直感”に置き代えてヘラヘラとしている今のキサマはまるで”ペテン師”のようだぞ?」

 

これこそまさに売り言葉に買い言葉。

火の点いたこの秀才たちを止められる者はそうはいない。少なくとも、ただのベテランごときが口を挟んだところで焼け石に水だということはベテラン自身がよく理解していた。

彼はただ、嵐が過ぎゆくのを見守るしかないのだ。

「史実に残る偉大な将も、名探偵による推理も、何事にも動じない大胆不敵さ(オプチミズム)と類稀な“(インスピレーション)”があればこそなせた功績じゃないのか?」

「反面、それらに頼り過ぎた暗君がどれだけいるかキサマは数えたことがあるか?良い面ばかりを見て全容を見ない今のお前はとてもじゃないが優れた指揮官とはいえないな。」

「万能の名君こそ暴君と表裏一体だ。言っているだろう?時には愚かでなければ仲間など必要ない。むしろ私には“万能”に拘るお前の狭量さこそが医療主任として問題だと思うよ。よくも今まで誤魔化せてきたものだな。」

 

……よくもまあ、こんなにも派手な言い合いができるものだ。

見守る部下は、二人の人間関係を心配するあまりゲンナリとせずにはいられなかった。

「…好きにすればいい。だが、次に彼女の姿が消えたなら、その時は真っ先にお前の命がなくなると覚悟しておくんだな。」

「必要ない。私は自分の直感も捨てたものではないと自負しているからな。」

「おめでたい奴だな。本当にそう思っているのか?キサマの()()()()()()()が”暗殺者”だけだとどうして言い切れる。だが、そうだな。”暗殺者”であった方がキサマのチンケなプライドとやらは護られるかもしれないな。優しい彼女が憐れな君を(おもんばか)ってくれることを心から願っておいてやろう。」

 

忍耐強く理知的なケルシー先生が、そんな目で人を見下すのはドクターくらいのものだろう。

ストームアイはとても、とても残念な気持ちで上司の片割れを見送った。

「ドクター、毎回思うのですが、やり過ぎではないんですか?」

恒例のこととはいえ、二人の痴話喧嘩は…、痴話喧嘩であるはずなのだが…、互いに容赦なく致命傷を狙い続けるデスマッチを見ているようで気が気でなくなる。

「すまないな、ステイ。なにも彼女を嫌って言った訳じゃないんだ。これくらい釘を刺しておけば、今回のことに彼女がこれ以上首を突っ込むこともないだろ?」

「え、じゃあ、さっきのはケルシー先生を庇ったってことなんですか?」

Dr.ノアは、その不審な出で立ちからは想像もつかない朗らかな苦笑を漏らした。

「ステイ、それじゃあまるで私が根っからの善人みたいじゃないか。私はどちらかと言えばマンティコアの子のことを想って言ったのに。」

ストームアイは驚いた。

犬猿の仲とまでは言わなくとも、口喧嘩の絶えない二人が二人とも、お互いのことを想い合っているという真実がそこに隠れているとは知る由もなかった。

あの言葉遣いからそれを予想できるものがいるだろうか?

もしかすると、自分を気遣ったウソなのかもしれない。そうであったとしてもドクターの口からそんな言葉が聞けたことに心の底から喜びを覚えずにはいられなかった。

 

「ケルシーはあれで時々、過激なところがあるからな。トラウマという点ではワルファリンといい勝負だよ。」

「…それだけは先生の前で言っちゃダメですよ?」

「どっちの?」

「両方ですよ!」

部下の肩を優しく叩きながら気を遣った冗談を言うその姿は根っからの善人なのに…。

ストームアイは尊敬する、けれども天邪鬼な二人がいつか肩を並べて笑える日が来ることを心から願った。

 

幸か不幸か。ノアとケルシーにとって人生最大の受難を胸に抱く厄介な存在が、今この瞬間に、誕生してしまった。

 

 

――――ロドス艦内、通路

 

 

「おや、ドクターじゃないですか。こんにちは。」

マンティコアの少女を見舞いに行く道すがら、フルフェイスの男は(コータス)族の青年に出会った。

「ああ、ドクターも彼女の所に行くんですね。ちょうど良かった。私も伺おうと思ってたところなんですよ。」

白髪で利発な口調の彼は、この不審な男の姿を捉えてやや表情を明るくしたように見えた。

「一人でか?」

「そうですね、あまり大勢で押しかけても良くないでしょう?」

「そうだな。じゃあ私は君の邪魔をしないよう心がけることにするよ。」

不安、というよりも緊張に近いものだとドクターは覚り、軽い冗談を言うと、コータス族の彼は、男性とは思えない愛らしい笑みと、それと同等の魅力をかもし出す長く垂れた耳をフワフワと動かした。

「ドクターも人が悪いですね。邪魔だなんてとんでもありません。むしろ参考までにお聞きしたいのですけれど、」

彼、アンセルはロドス医療部の医師見習いであり、医療部主任であるケルシー女医の直属の部下でもある。

 

つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それでも彼女はどこかの誰かさんの身を案じて部下を送っていたらしい。

その分からず屋な事実を目の前にして、私は何とも言えないもどかしさ覚えた。

「彼女の緊張をほぐすのに、ドクターであればなんと声をかけますか?」

そのせいなのか。何の罪もない彼にまでアレへの皮肉を漏らしてしまったようだ。

「…そうだな、プライドの高い猫を一匹放り込んでみるというのはどうだ。ペット療法は手間もかからず効果的だ。……だが、君には少し難易度が高過ぎるか。」

「え、猫ですか?」

アンセルの、愛らしくも理知的な表情はどことなく「あの猫」に似ていた。そう思うと逆に申し訳なさが(つの)った。

「いや、今のは忘れてくれ。…ところで君はなぜ緊張しているんだ?普段から患者を相手にしているだろう?」

「…そうですね。少し言いにくいことなんですが。彼女、先日、治療室で恐い目に遭ったらしいじゃないですか。」

ああ、ワルファリンの件か。彼女も悪気があった訳じゃない。ただ、優秀過ぎるが故に知的好奇心に抗えなくなるということは…、あるものだ。

「どうすればその誤解を解けるのかということが頭から離れなくて。」

まあ、彼女の悪い所といえば、それを「悪い」と感じていないところだろうな。

…選り好みするあの高慢ちきな耳に「注意」なんて言葉は届かないからな。私の秘蔵の研究成果の一つでもチラつかせて自重させてみるか。

 

だが今は、彼の力になることの方が何倍も有意義かつ遣り甲斐があるというものだ。

「…そうだな、君自身のことを語ってやったらどうだ?」

「私の、ですか?」

「そうだ。そもそも”謝罪”は友好関係のある相手と、より深い関係を築くために一度リセットしようという前段階の儀式だ。それなのに、何者かも分からない相手から関係をリセットしようと持ち掛けられても混乱させるだけだよ。」

勤勉なアンセルの性格が視線となって私を見詰める。

その表情はどことなくアーミヤに似ていなくもない。彼の方が若干の幼さを感じさせるが。

「謝罪は関係が深くなってからでも遅くはないんだよ。」

…それも、程度によるだろうがな。

 

「それに、未だ彼女は訳も分からずにロドスに運び込まれているような状況だ。おそらく彼女はこの船の人間の為人(ひととなり)を知りたがっているだろうね。ましてや彼女は何かしらの戦闘員だ。彼女自身もまた、自分の立ち居振る舞いを決める材料を欲しているんだよ。アンセル、”得ようと思うならまず与えよ”だ。」

「まったく、その通りです。勉強になります。」

「こらこら、君が(かしこ)まってどうする。君自身がリラックスしていることも重要なポイントなんだぞ?」

…少しイジワルをしてしまったかもしれない。

彼の性格を思えば、教えを乞うている最中にリラックスできるようなタイプじゃないと分かっているのに。

だが、これは大切なことなんだ。一人でも多く、一つでも多く学ぶことは。

それはいつか必ずアーミヤの助けになる。ロドスを護る盾になる。

だから、皆には頑張ってもらわねば――――、

「は…、ハ~イッ!」

…彼は何か勘違いしたらしい。その声と仕草はまるで…そう、アイドルだ。

「ぷっ、ハハハハッ!」

「あ、ヒドイです!何が可笑しいんですか!?」

おそらくソラを真似たのだろう。そう思うと彼が普段、彼女のことをどう思っているのか分かったような気がしておかしかった。

 

「…それと、さっきから気になっていたんだが。その右手に持っているものはもしかして……、」

私は彼が握りしめている紫色のドリンク()()()()()を指して言った。

「ああ、これですか?これはハイビスの作った健康ドリンクですよ。彼女も一緒に来るはずだったんですが、仕事で来れなくなったので代わりにと渡されました。」

…緊張が彼の判断力を鈍らせたのか。

ただでさえ追い回して不信感を与えている少女に対し、信じ難くも「ロドスの洗礼」を浴びせようとしていた。

「そうか。フム。だが今回は止めておいた方がいいな。衰弱した体に健康食は刺激が強過ぎる。」

「…そうですね、確かに。さすがドクターです。彼女の容体を失念していました。医師見習いだというのに恥ずかしい限りです。」

「そう気に病むな。」

これだけは自信を持って言える。私は今、確実に一人の人間を救った。

 

 

 

 

――――砂嵐が、イナゴの群れのように荒野を縦横無尽に飛び回る中、岩陰に少女が蹲っていた

 

マントで体を覆い、微動だにせず、彼らが通り過ぎるのを待っていた。

砂嵐たちは彼女の鋭い五感と結託して少女を徹底的に痛めつけた。

悪意のない攻撃に晒されながら、少女は健気に自分の状態を(かえり)みる。

その痩せ細った体が、あと何日耐えられるのかを。

 

ノド、渇いた……、

辺りの音が、聞き取れない(わからない)……、

…肌、カサカサ……、爪も、割れてる……、

体のヒリヒリ、だんだん、酷くなってきた……、

マントの隙間から、砂、入ってくる……、尻尾、邪魔だな……、

 

体、休めても、意味、なくなってきた……、

…私…、もう……、

 

「そうやって身を隠して何日経つ?」

「きゃあ!?」

そんな叫び声を出す余力があることに、少女自身、驚いていた。

「酷い姿だな。」

唐突に現れた男は何の化粧もない不気味な白い(マスク)をしていた。

どこの部族なのか、少女にはわからない。けれども、真面な一族ではない。それだけは直ぐに察した。

「私、何も、してない……、」

殺される。男のかもし出すただならぬ気配が、彼女に危機感を覚えさせた。

ところが、男は彼女に何もしなかった。

「獲物も取れず、死にかけている。憐れだな。」

「私、誰も、殺してない……、」

「…そうやって無抵抗を主張していればどこかに自分を救う救世主(メシア)が現れるとでも思っているのか?そんな妄想にすがる余裕があるのなら町の偽善者どもの前でも同じことをしてみるといい。すぐにでも目を覚まさせてくれるだろう。」

「誰も、殺してない……、武器も、ない……、」

逃げ出す気力もない。それでも、彼女は必死に「危険」から逃れようとしていた。

「笑わせる。生まれ持った大層な武器はただの飾りか?」

「違う…、これ、気を付けてる……、誰も、殺して、ない……、」

「感染も随分進行しているはずだ。その衰弱した体では一週間も持たんだろうな。」

「ど、どうして、それを…!?」

 

少女の問いには答えず、男は水の入った皮袋を投げ寄越した。

「え……?」

「付いてこい。症状を抑える薬をやろう。その代わり、我々の下で働け。リーダーならキサマのような惨めな怪物でも利用価値を見出してくれるだろう。」

少女は戸惑った。

砂嵐が頭の中までも埋め尽くしているかのように、目に映る(かれ)の姿にノイズが走り続けた。

落ちている水筒(かわぶくろ)の中身が、毒なのか、(くすり)なのか分からないでいた。

「ここで死に絶えたいというのなら好きにすればいい。ここはいかなる死も拒まない。」

そう、彼は「死」ではない。

今、砂嵐の中に佇んでいる、立ち尽くしている自分自身こそが、「死」そのものだった。

「ま、待って、い、行く…、私、まだ、やだ……、」

少女は夢中で水筒にしがみつき、腹を空かせた獣のように罅割れた全身に流し込んだ。

「おい、一気に飲むと逆効果だぞ…。」

男が声を掛ける頃には皮袋の中は空になっていた。代わりに、少女の瞳に光が宿る瞬間を目の当たりにした。

そして、その目を見た男は悟った。

 

…俺の力ではもはや、この女をどうすることもできない。

殺すことも。()()()()()()()()

見たことのない色で輝く瞳に睨まれたその瞬間、男は抗いがたい恐怖を覚えた。

「…来い。飯を食わせてやる。」

でなければ、俺はコイツに喰われる。

 

少女にその意思は微塵もない。

それでも男の本能は告げるのだ。

俺は、この地に眠る邪神を起こしてしまったのかもしれない。

背中に触れる飢えた肉食の生温かい吐息が、男に絶えず悪寒を与え続けた。

 

少女は、鋭くも巨大な「死を注ぐ尾」を引き摺り、往く道をどこまでも(なぞ)り続けた。

 

 

 

 

――――ロドス艦内、宿舎区画の一室

 

少女は夢を見た。

自分の命が認められた瞬間の、罪深い夢を。それが、彼女にとって唯一すがることを許された居場所だった。

「…あ、れ……?私…、ここ……、」

それは、もはや見知った天井になっていた。

馴染み深くはない。けれど、なぜか「安全」を彼女に囁きかけるような穏やかな表情をしているように思えた。

「戻って、る……、」

優しく支えてくれるマットレスとフカフカの毛布が彼女の帰りを歓迎していた。

「どう、して……?」

決死の覚悟で逃げ出したはずの場所に帰ってきていた。

自分は「脱走した」という夢を見たのだろうか?

少女はどちらか区別のつかない記憶を手繰り寄せ、今に至る経緯を理解することに(つと)めた。

 

 

脱走は順調だった。誰にも気付かれていない。

頭上に注意を呼びかける機械が喚いていたけれど、それさえ黙らせてしまえば自分を見つけられる者は誰もいないはすだった。

そう思って行動していたのも束の間、何者かの罠に引っ掛かってしまったのを憶えている。

複数人で巧みにコミュニケーションを交わし、それと気付いた時にはすでに遅く、自由を失っていた。

奇妙な言葉を操り、見たことのない装備で身を包んだ彼らが近付く。

「Aer you OK?」

呪文のようだった。

奇しくも、それを裏付けるように急激な運動に耐えられなかった彼女は気絶してしまった。

 

けれど、誰も殺さずにすんだ。

…よかった……、

意識を失う中、なぜかそう思った。

 

軟禁部屋?から逃げ出したのだから「死」も覚悟した。

それなのに……、

「……」

そこに人の気配こそあるけれど、自分への監視の目は一つもない。

暗殺者(じぶん)という存在がここにあるのに、こんなにも平穏な空気が維持されていることが彼女には理解できなかった。

何か裏がある。

自分を騙そうとしているのかもしれない。

少女は気配を殺しながら辺りを調べ始めた。

「え……?」

それこそ何らかの意図があると勘繰らせるように、またもや扉は施錠されていなかった。

それはまるで「何をしても無駄である」と言われているようにも感じられた。

「……」

感じた途端に無気力になり、少女は肌触りの良い毛布へと逃げ込み、目を瞑ってしまった。

 

私、何、してるん、だろ……、

 

少し肌寒いけど、ここには血を吸う「砂嵐」はいないし、血を撒き散らす「酋長」たちもないみたい。

私を積極的に殺しにくる人は誰もいない。それに、殺さなくてもいい。

…だけど、ここでも私は一人きり。

もう、死んでるのか生きてるのかも分からない。

私、何をすればいいの?何をすれば、認めてもらえるの?

 

少女は気付いていた。サルゴンで彼女を生かした組織は彼女を見捨てた。利用価値がないと。「死」を突き付けられた。

 

けれども今、少女は感じていた。

 

…温かい……、

…私、まだ、生きてる……、

綿100%の温かさを抱きしめ、思い直した。

そうして少しの間、少女は考えることを止めた。




※会社員(オペレーター)
ロドス・アイランド製薬という会社では社員を「オペレーター」と呼びます。
オペレーターたちは「製薬会社」という業種に縛られない様々な業務を与えられます。「護衛」、「配達」、「外交」などなど。
それもこれも、彼らが「鉱石病患者(以下、感染者)に関与する諸問題への対処」という特殊な事業内容を専門としているためなのです。
感染者に対する各国での処置は様々で、「医師」というだけではロドスが彼らに関与することができないのです。

そのため、ロドスはあらゆるプロフェッショナルを必要としているのです。

※感染者
このゲーム「アークナイツ」の世界観の胆となる用語ですね。
アークナイツの世界では鉱石病(オリパシー)という「放射能により被曝する」というような流行病が存在しています。
これに(かか)った人々が「感染者」と呼ばれています。
感染源は源石(オリジニウム)と呼ばれる鉱石であり、この世界では貴重なエネルギー資源としても利用されています。(おそらく核エネルギーのような扱いなのだと思います)

この源石が原因の、やはり核の被曝と同じような経緯で発症する不治の病が鉱石病であり、進行具合に応じて心身に与える苦痛は異なりますが多くの国で「死の病」として恐れられています。
接触感染、空気感染も確認されているため、不当な差別を受けることも多いようです。

多くの要因が重なり解決困難であるためロドスのように「感染者問題」を専門にする企業はほとんどないようです。

※ストームアイ
荒野で倒れていたマンティコアを介抱したロドスオペレーター。
原作での表記はstormeyeと英語になっています。

なんとこの人、イベント”統合戦略「ケオベの茸狩迷界」(2021/02/25~ 03/18)”にて使用可能キャラになっていたそうです。しかも、星5!?……全然、知らんかった。
他にも、ユービーアイソフトのゲーム「レインボーシックス シ-ジ」とのコラボイベント”オペレーション オリジニウムダスト(2021/8/18~2021/9/1)”にも派手に登場していたんだとか…。全然、知らんかった。
そして、狙撃オペレーター「レンジャー」を尊敬しているんだとか。全然、知らんかった(笑)
……ごめんね。

ちなみにドクターが口にした「ステイ」というのは「ストームアイ」の愛称を私なりに考えたものです。
かなり私色に脚色したので「イメージと違う」と感じられる方も多いかもしれませんが、その辺はご勘弁くださいm(__)m

※オプチミズム
本来の意味は「楽観主義、楽観論」です。今回は意訳ということで「大胆不敵」のルビとして採用しました。

※アーミヤ
ロドス製薬の最高経営責任者の名前です。なにを隠そう原作のメインヒロインです。
驚くことなかれ、彼女は14歳の少女なのです!!

とはいえ公式の設定ではなく、さらには種族によって成熟速度や寿命が違うため年齢による先入観は持ってほしくないというような開発陣の声もあるようです。
……それを抜きにしてもアーミヤはうら若い少女でありながら聡明かつ大人びた考えをし、さらには重度の「闇属性」を持ち合せており、この点からも、とても私たちの知っている「14歳」でないことが窺い知れますね。

※ソラちゃんで~~すっ!!
言わずと知れたテラの人気アイドル。
ロドスでは彼女の「歌唱力」が魔法(アーツ)となり、オペレーターの大きな支援となっている。
どういう仕組みになっているのか分からないが、彼女の耳は伸縮自在(笑)

ちなみに「テラ」というのはアークナイツの世界の名前で、我々の言う「地球」のようなもの。
おそらくはラテン語(terra=地球)なのかなと思います。

※アークナイツの人々
みんな、何かしらのケモミミ一族です。ノーマルな「人間さん」はいない……と思われます(コラボキャラ除く)。
「アークナイツ」初見の方のために初登場の種族にはなるべく各々モチーフとなった動物、言葉を当てておきます。

※Dr.ノア・クライスト
名無しでは困るので、僭越(せんえつ)ながら勝手に付けさせていただきました。
ロドスの船が「ノアの方舟」ではないかと思えるのと、救世主様的なドクターの存在から「キリスト(クライストはchristの英語発音です)」で(あつら)えさせていただきましたm(__)m


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毒針を隠す少女 その三

彼はできるだけ穏やかに、小さな弟や妹を起こすようにソッと、目の前の扉を叩いた。

「こんにちは、ロドス製薬医療部のアンセルといいます。起きていらっしゃいますか?」

「…!?」

しかし、アンセル青年の気遣いなど心身ともにくたびれた少女の知るところではない。

それがどんなに爽やかなモーニングコールでも、そういう環境で育った彼女の耳には敵陣で無防備を決め込んでいる愚かな自分を撃つ銃声にしか聞こえなかった。

少女は「毛布の虜」から慌てて抜け出し、足音を立てずに扉の真横に張り付いた。すると、

「ドクター、笑うのは止めてくださいって言ったじゃないですか!」

ノックをした青年の意味の分からない抗議と、それに続く何者かの苦笑が聞こえてきた。

「…眠っていたなら申し訳ありません。私はアンセルと言います。」

 

…どうして、名乗るの……?

 

これまで少女に紛争地帯以外での他人との交流経験はほとんどなかった。

彼女に近付くものは争いで腹を満たす「武装集団」、もしくは彼女を疫病の元凶と一方的に迫害する「町の人間」ばかりで、彼らは決して彼女に名乗ることはなかった。

名乗らず、少女を思う存分傷つけた。

「悪魔」「怪物」「化け物」……、

少女は振りかざされる暴力に追い立てられるままに逃げ回った。殺虫剤から逃げ惑う虫のように。

 

 

「…眠っているのでしょうか?」

「どうだろうな。手当てした時にはひどく弱っていたのに数時間後には艦内を元気に駆け回るような子だ。案外、ベッドの中から聞き耳を立てているかもしれないぞ?」

「…もう少し容体が安定してから伺った方がいいんでしょうか……。」

「おいおい、自分の目的を忘れたのかい?ここで何もせずに引き返すのなら彼女にとって君はその程度の人物だと取られてしまうよ?」

「…そうですね。私が臆病になっていたら理解してもらえるものも理解してもらえませんよね。」

 

……意図が分からない。

扉は開いているし、相手は自分を捻じ伏せる力を持っている。

彼らはなぜ自分と会話しようとするのか?なぜ中に入ってこないのか?

少女の生きてきた”サルゴンの荒野”という限られた経験ではその答えが見つけられず、耳を(そばだ)ても何の解決法も得られなかった。

「すでに何方(どなた)からか聞き及んでいるのかもしれませんが、私たちは”ロドス”という製薬会社に所属している者です。」

…ロドス?…お医者、さま?知らない…。クルビア人の、会社?

「私は医師見習いのアンセル、もう一方(ひとかた)はロドスの様々な作戦の総指揮を務めるDr.ノアです。」

…作戦?先生(ドクター)?……もしかして、あの、女悪魔(メデューサ)っ!?

マンティコアの少女はあの”悪夢”が再来したのだと知ると、「絶望」が顔に張り付き、腰を抜かしてしまった。

ところが――――、

 

「初めまして、Dr.ノアという。…私たちは、君のことを何と呼べばいいのかな?」

 

耳に届いたのは、なんとも不思議な耳触りの男の声だった。

「…誰……?」

どうしてそういう気持ちになったのか説明はできない。そういう気持ちになったこともない。けれどもそれは、一度耳にすれば生涯忘れない声色だった。だからこそ、断言できた。

……()()()()()()()()()()()()()()

「……」

たちまち、少女は扉一枚(へだ)てた相手の姿を確認したい好奇心で一杯になった。

けれども「経験」が邪魔をして扉を開けることができなかった。

サルゴンの荒野が、姿を(さら)さない「安全性」を彼女に説いてきた。だからこそ、今まで辛うじて生きてこられた。

彼女にとってそれは小さい頃から叩き込まれてきた唯一の、親からの教えのようなものだった。

 

「…私たちはアナタの鉱石病(オリパシー)の治療の手助けができればと思っています。」

…え?…私の、病気を……?

「もちろん無理強いは致しません。アナタの希望が第一です。それと、今の私たちの技術では症状を和らげることしかできません。それを踏まえてアナタの意思を伺えればと思って訪ねてきたしだいです。」

…治、せるの……?

 

砂嵐と紛争に抱かれて生きてきた少女に難しい言葉は理解できない。ただ、青年の言葉に今まで生きてきて一度も見たことのない()()()()()()()()()を見た気がした。

あの不毛の砂漠(だいち)のどこかに「黄金都市」が眠っているのだと譫言(うわごと)のように語る、廃墟で死を待つばかりの老人たちのように。

虚ろで、愚かな…、けれどもそれだけで胸を満たす「希望」という名の蜃気楼がそこにあるような気がした。

 

 

返事どころか、在室している気配さえ感じさせない少女の部屋はどことなく、二人の訪問を拒絶しているように感じられた。

それでも、ドクターに見守られるコータスの青年は少女が少しでも心開くことを期待して呼びかけ続けた。

「私はまだロドスに来て間もないのですが、ここにいるドクターを含め、ロドスの方々はとても優秀な方々です。誰もが諦め、背を向けるような局面でも新しい見地や不屈の精神で挑み続ける姿は私の憧れでもあります。」

…何を、言っているの……?

「…ロドスに入る前の私は、悲惨な運命を辿らざるをえない感染者たちを目にして何もできずにいました。兄弟や両親に災いが降りかからないよう努力するしかありませんでした。」

……、

……、

「つまらない話です。アナタにはなんの役にも立たない話かもしれません。…ですが、私はもう見て見ぬ振りをしたくはないんです。あの頃の私なら、何をしてもアナタの力にはなれなかった。ですが今は、違うんです。そのために私はロドスにやって来たんです。」

………私は…、逃げて、きたよ……、

…この力は、誰の、役にも、立たない、から……、

…皆を、不幸にする、から……、

「私はあまり頭の出来が良くなくて、ロドスに入社するまでの採用試験は散々でした。ですが、今ではそれで良かったんだと心から思います。」

…皆が、私を、避けた……、

…皆が、私を、()てた……、

「ロドスの皆さんは他では得難い心から尊敬できる人たちだったからです。」

…アナタは、恵まれてるよ……、

…だって、私は、そんな声で、話せない……、話す、勇気が、ない……、

 

青年はなおも呼び掛けた。

それこそ青年がここへやって来た理由なのだから。

隣で彼が見守っているのだから。

「不快に思わないでいただきたいのですが、ドクターはアナタの力を必要としています。」

…え……?

「もちろん、主な現場は戦場になってしまうでしょう。ですが決して、ドクターは私たちをただの戦闘員として扱うことはありません。ドクターは私たちを“戦友”と呼んでくれます。」

……、

「時々、ドクターは私たちを気遣うあまり、自分を(かえり)みない時があって困ることもあります。ドクターが指し示す道があまりに眩しくて怖気(おじけ)づいてしまうこともあります。ですが、ドクターは優しく、強い方です。自分たちの力を信じさせてくれる人なんです。」

……、

……、

「私だけではありません。ロドスにいる多くの人がドクターに命を救われています。それに、ロドスでは感染者だから、健常者だからといって差別されることはありません。」

……、

……、

……、

「ドクターやケルシー先生の理想が、私たちの未来を支えてくれているからなんです。私は、ロドスに(たずさ)わることができて、本当に幸せです。」

……、

……、

…いて……、

「ロドスはこれからも成長します。この世界のあらゆる“病”を治せる日がくるのも夢ではないと私は思っています。」

……、

……願…、

…気付い……、

「…もちろん、治療を受けるだけでも構いません。ですが、もしよろしければ考えてみてください。ロドスの一人として私たちと同じ夢を見ることも。」

…い、や……、

…待……、

…わた…、ここ……ッ!

「それでは、また日を改めてきますので。今は十分に体を休めてくださいね。」

 

……………お、願い………、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

置いていかないで……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「どうしたんですか、ドクター?」

(きびす)を返し立ち去ろうとするアンセルは、敬愛する上司が機能停止したロボットのように彼女の部屋の前で固まり、ジッと扉を見遣っていることに気付いた。

そして、思いもよらない一言を口にする。

「…声が、聞こえなかったか?」

 

……!?

 

「え、私には何も。ドクターの聞き間違いでは?」

カップ麺やコーヒーの暴飲暴食。睡眠不足に運動不足。

少なくとも、不健康がマスクを被って歩いているような人間よりは聴覚に自信のあるコータスはハッキリと答えた。

 

…ドクター、私、頑張るからっ!!

 

「……」

この体が不健康の塊だということは十分すぎるほどに承知している。幻覚、幻聴が自分に囁きかけているとしても何の不思議もない。

それでも、私は見詰め続けた。意固地に。

……この感覚は()()()()()、忘れてはならないもののはずだ。

…そうだ、間違いない。そこに、「助けを求める誰か」がいる。

 

 

…お願い……、私も、一緒にいさせて……、

 

 

「…ドクター?」

フルフェイスの男は何も言わず、扉の隙間から何かを差し込んだ。そして、岩戸に向かってたった一言、なんの変哲もない呪文を唱えた。

「中に、入っても構わないかな?」

特別な力など必要ない。人は、自分の力で道を選べる生き物なのだから。

扉には初めから鍵など掛かっていないのだから。

「…え?!ドクター、これは……、」

隙間から返ってきたメモにはただ一言、「うん」とだけ書かれていた。

 

 

……どうして、そうしなかったんだろう。

 

少女はゆっくりと光を招き入れる扉を見詰めながら思った。

恐かったから?自信がなかったから?

自分には力があった。それは自覚している。むしろ、それしか自分には取り柄がないのだという確信があった。

だからこそ雲の上の人の暗殺を頼まれ、やり遂げることができた。

それでも、一度として「自分の存在」を認めてもらえたことがない。

どんなに自分を犠牲にしても、いつの間にか彼女の居場所は失くなっていた。いつかは棄てられた。

荒野に打ち捨てられた獣の残骸のように。

無造作に。無慈悲に。

 

…でも、いいの……、

…私は、「怪物」、だから…、

…いつか、現れる、英雄に、殺されるための、「悪者」、だから……、

 

彼女と同じ世界に住むあらゆる存在が、彼女を忌み嫌うべき「怪物」に育て上げ、彼女を執拗に世界から追いやった。

だから、想像することができなかった。

この扉の向こうに「私を護ってくれる誰か」がいることを。

自分の人生にも「希望」というものが存在するのだということを。

 

だからこそ、これは彼女の人生における「最大の幸運」と呼ぶべき出来事なのだ。

「希望」が自ら扉を開け、彼女を迎え入れようというのだから。

 

 

だがその「幸運」も、何もかもが彼女の理想に応えられる訳ではなかった。

「…!?」

少女は「幸運(かれ)」を見て本能的な恐怖を覚えた。

それは決して、礼を欠いているとか、人を見た目で判断しているとか。受け手側の未熟さのせいではない。

幸運(かれ)」が、人間社会においてあまりにも分かりやすい「悪」の(なり)をしているのが悪いのだ。

むしろ、初対面で「幸運(かれ)」の容姿を見て何も感じない人間は、おそらく「人間として」何かが欠落している。

もしも彼女が、正体を隠し、暗殺を生業(なりわい)にする白いマスクの集団の中で生活した経験がなければ、今この瞬間に「幸運(かれ)」は首を()ねられていたに違いない。

そういう意味では、少女の負ってきた不遇な人生は「幸運(かれ)」にとって人生を左右する幸運だったと言わざるを得ない。

メモとペンを投げつけそうになる手をどうにか思いとどまることができたことに関しては「奇跡」と呼んでしかるべきだろう。

心許しかけていたところだっただけに、少女の動揺は大きかった。

 

しかし悪いのは見た目だけで、フルフェイスの「幸運(おとこ)」には少女の期待以上の魅力が詰め込まれていた。

「…すまないが、どこにいるのかこちらには分からないんだ。良ければ、そこのテーブルに着いて話さないか?」

一挙一動が、少女の目を魅了した。

何が違うかは分からない。けれども間違いなく他の人間とは何かが違う。

男がテーブルを指さすその仕草だけでも、多くの人間を観察し殺してきた少女の瞳には天球に指を添え、夜空に輝き舞う星々を動かす魔法使いのように異様で、美しい姿に映っていた。

それは、彼女の暗殺者としての「警戒心」が初めて見る人種の情報をつぶさに観察したからこそ生じた「誇張」なのかもしれない。

だからこそ、一方では彼に得体の知れない近寄り難さも感じていた。

 

『アナタが、ドクター?』

少女は刺激しないようにソッとテーブルにそのメモを置くと、姿は見えていないと分かっていても、逃げるように彼らから離れた。

「そうだ。私がDr.ノアだ。こんな姿で驚かせてしまったかな?」

男はまるでその様子を目に捉えていたかのように答えた。

「ああ、なるほど。そうですね。私たちは見慣れているから何とも思いませんが、初対面の方は少し面食らってしまうかもしれませんね。」

そう、なんだ。ずっと、その格好、なんだ……。暑く、ないのかな……。

ソレが本物の「人間」だと分かると、少女のドクターへの関心はさらに枝分かれし始めた。

「すまないね。私にも色々と事情があるんだ。どうしても人前でこのマスクを脱ぐわけにはいかないんだよ。」

『わかった』

「ありがとう。」

そうして少女は「恐くない、恐くない」と自分に言い聞かせることでようやく、おっかなびっくり彼らの向かいに着くことができた。

 

そこからは少女にとって、見たことのない世界への「扉」を開けるような衝撃的な感覚の連続だった。

「新鮮な食べ物」や「襲撃のない寝床」が暗殺以外の手段で得られる報酬であること。

死に神と揶揄される「感染者への治療」が人の目を気にせずに受けられること。

果ては、少女の世界の代名詞でもあった「”砂嵐”や”太陽”の渇き」から逃げ回る必要がないのだということ。

これら全てが「ロドス」という会社に入職するだけで叶えられる。

それは少女にとって、そこが()()()()()()()、世界の終焉と創生を同時に目の当たりにするような異次元の感覚に満ち満ちていた。

 

少女は押し寄せてくる希望と過度な恵みへの不安のせめぎ合いに、先程までとは別の困惑に囚われ、返事の一つひとつにたくさんの時間を費やした。

それでも、一歩一歩が痛いくらいに新鮮で、鳥肌の立つような期待が絶えず少女に感じたことのない「生の実感」を与え続けた。

 

この人は、私を「怪物」と呼ばない。()()()()()()()マンティコア(コードネーム)」で呼んでくれる。

感染者なのに。殺し屋なのに。少しも怯えない。

見えない私を、真剣に見詰めてくれる。

マスクが邪魔をして私もこの人の瞳は見えない。だけど、なぜだか分かる。この人は「一生懸命な人」だ。

自分が生きることにも、私を生かすことにも……。

 

何度も頬を(つね)った。それでもこの人は私の前から消えない。

怪物(わたし)を狩りに来たサルゴンの英雄じゃないのに。

皇帝(パーディシャー)に取り入るサルゴンの酋長たちや、その配下でもないのに。

…ううん。だからこそ、

 

――――この人は()()()私を裏切らない

 

今度こそ、ちゃんと確信できた。

 

…湧き上がってくるの。

言い知れない気持ち。初めての気持ち。

 

『わたし、がんばります』

 

あの砂嵐の中にいた頃は考えもしなかった。

自分の「気持ち」を文字(ことば)にする日が来るなんて……。

それを、誰かに聞いてもらえる日が来るなんて…、夢にも思わなかった。

 

 

 

 

 

――――ロドス艦内、通路

 

「すみません、ドクター。」

コータスの青年は今日もまた「未熟な自分」だったことを反省していた。

「せっかくドクターからアドバイスを頂いたのに、結局はいつものようにドクターの力に頼ってしまいました…。」

良い所を見せたい。

他人の目をあまり気にしないアンセルにとって、それは特別な感情だった。

初めは、純粋に不遇な少女を心配して訪問したはずなのに。尊敬する人が隣にいるというだけで、いつの間にか手に汗を握っていた。

けれどもこの人は、無様な僕を笑わない。

「よく頑張ったね」と褒めてくれる。

 

「私だって彼女の声に気付いたのは偶然なんだよ。年を取るとね、聞こえないものが聞こえるようになるものなのさ。」

そう言って優しく頭を撫でてくれる人だからこそ、アンセルは彼という大人の存在に涙が出そうになる。

苦笑いで誤魔化さないと、さらに格好悪い姿を見せてしまいそうになる。

「…それは彼女に失礼なんじゃないですか?まるで亡霊か何かじゃないですか。」

「おっと、そうだな。せっかく、こんなにも話してくれたんだ。あの子の気持ちはしっかりと届けないとな。」

「…そうですね。」

持ってきたメモでは足りず、部屋にあった紙という紙を使って交わした「彼女との会話」をアンセルは握りしめていた。

それら全ては、彼の隣で冗談をいう男が引き出した「人の想い」。

共に命をかけて戦った戦友にさえ素顔を見せない不義理な人だけれど、それでもこの人と言葉を交わせば見えてくる顔がある。見せてくれる優しさがある。

この人は、私たちには見えないものを見る目で、沢山の命を救える人なんだと。

 

「それと、君は自分には力が足りないと言うけれど、掛けた言葉がどんなものであれ、それが本心であるなら、言葉は必ず相手の心を響かせているものだよ。」

「…そういうものでしょうか。」

「ああ、熱心に語る君の横顔は実に格好良かったよ。」

「…ドクター、揶揄(からか)わないでください。」

「ハハハ。」

頭を撫でられるのはそんなに好きではないけれど、僕にとってドクターはそれが許せる、とても特別な人だった。




※クルビア
「サルゴン」と同様、国もしくは地域をさす名称です。
イメージ的には「アメリカ」辺りなのかな。

※パーディシャー
サルゴンで用いられる権力者の名称で、ペルシア語では「皇帝」「君主」という意味なんだそうです。
なんですが、私が確認した限りでは同時期に複数人が就ける地位のようです。
初見の方が読みやすいように「皇帝」という文字を当てていますが、それだけ地位の高い人なのだというイメージだけ受け取ってもらえれば幸いです。


※ホンマの後書き
ムダに空白を使って書いた「お願い、置いていかないで。」の部分なんですが、
本当は三点リーダー(…)を一面に敷き詰めて「サルゴンの砂嵐」を表現して、その真ん中にこの言葉を置きたかったんですが、文章のルールなのか。
どうしても「お願い、置いていかないで。」の「で。」の部分だけ改行されてカッコ悪くなってしまうので、今回は「空白」で我慢しました。
……わりとマジで悔しいです。


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毒針を隠す少女 その四

「すまないが、これでは君たちの申請は受理できない。」

私とアンセルはマンティコア――サルゴンの荒野から密航した少女はロドスでの呼称(コードネーム)も種族名である「マンティコア」を希望した――との対談を記録した紙をもって、ケルシーとドーベルマンに社員(オペレーター)の適正を診断させた。

そして、二人は一通りの書類に目を通して5分と経たずに返答した。

 

一方は医療部において全ての患者の医療記録(カルテ)を記憶し、それらに適した医師、看護師を割り当てる敏腕の女医。

一方はボリバル軍で大佐を務めていた元軍人であり、ロドス加入後は「戦闘員」としての能力を求められるオペレーター全員を管理するロドスの最高位軍事顧問。

人を見る目に関して二人はこのロドスにおいて右に出る者のいない適任者だ。

 

「なぜですか、ケルシー先生?」

 

そうだと知っていても、アンセルは食い下がった。

合理主義の彼だが、必要な時にその後ろ盾になる「信念」も持ち合わせているということだ。

そんな愛すべき教え子の懸命な願いにも、ケルシーは()()()()()でもって拒絶の意思を明示した。

「確かに、これらのメモを見る限り彼女は誠実な人間なのだろう。だが、我々は未だに彼女とのコミュニケーションを確立できていない。このような、なんとでも言い逃れのできる記録だけで為人(ひととなり)を精査するには彼女の経歴は危険すぎる。」

「…教官も同様の意見で彼女を疑うんですか?」

「アンセル、これは疑う疑わないの話ではない。我々ロドスは”感染者の問題”を解決するという企業方針を掲げているが、一方でこれらの権利を維持するために政治への不干渉を貫かねばならない。それは君も承知しているな?」

「…はい。」

「よろしい。」

敢えて分かりきった答えを相手に口にさせることで共感性を高め、「自白」を誘導するのは尋問の基本中の基本だ。

アンセルは今、プロの軍人を相手に経験のない戦いを挑んでいる。

ドーベルマンはテンプレートに(なぞ)って勇敢なコータスの少年を何人目かの「ウソツキ」に仕立て上げようとしていた。

「では、改めてケルシー先生の言葉の意味を汲み取ってほしい。冷静沈着、理路整然を信条(モットー)にしている君なら我々の懸念が理解できるはずだ。」

「……」

ワルファリンいわく、マンティコアに付きまとう「認識阻害」は潜在的な能力(アーツ)によるものらしく、彼女に意識がある限り否応なく周囲に働きかけるのだという。

その能力を買われ、彼女はサルゴンの権力を裏で操ろうとする組織の一人として暗躍していた。

彼女自身にその自覚があろうとなかろうと、その事実は変わらない。

 

「ロドスは”感染者”というだけで誰も彼もを受け入れられる訳ではない。そして我々は彼女以外にも助けを必要とする多くの患者を抱えている。この際、彼女が誠実であるか否かも議論の対象ではないんだ。……教えてくれ、アンセル。私はどこまで君を追い詰めればいい?」

理性と人情に葛藤するアンセルの様子に溜め息を吐き、彼女は木槌(ガベル)を振り上げるように付け足した。

「これ以上、君に反論がないのならこの件はここまでだ。我々は彼女を受け入れることはできない。だが、彼女が暗殺を生業とする組織の一人であるように、ロドスが感染者へ救済の手を差し伸べる組織であることに変わりはない。下船するまでの間、できる限りの治療を約束しよう。…それで構わないか、ケルシー先生?」

「ああ、そのつもりだ。」

ケルシーは余計な口出しはせず、言葉少なに答えた。

 

「いいな、アンセル?」

ドーベルマンが、子どもに言い聞かせるように念を押すと、コータスの青年は覚悟を決めた表情で一つの単語を口にした。

「……SWEEP(スウィープ)、」

「…ッ!?ドクター!?」

彼の口にした言葉に過度な反応を示したドーベルマンはテーブルに拳を立て、容赦なく私を睨み付けた。

「アナタと言う人はいったい何を考えているんだ!」

「…ドーベルマン、少し落ち着け。」

興奮する相棒を(なだ)めるフェリーンは「やはりこうなったか」とでも言うように溜め息を吐き、できるだけ穏やかな声で青年に尋ねた。

「アンセル、君はその言葉の意味をどこまで理解している?」

対して、彼女の優秀な助手のコータスは上司の圧力に押し負けまいと眉間に目一杯力を入れて答えた。

「…何も。ただドクターからこの言葉が彼女を助ける糸口になると言われただけです。」

「そうか……、」

「そう思い詰める必要はない。いくら私でもこんな形で君をロドスの指導者の立場から追いやろうなどとは考えていないよ。」

彼女と共にロドスを支え合う立場であるはずの黒いコートの男が言うと、ケルシーはその特徴的な目尻をキツク吊り上げた。

 

「どうやら今回はこれまでのようだが、キサマならこんな手を使わずとも場をまとめることができたんじゃないのか?それとも、マンティコアの加入は手段に過ぎず、これこそがキサマの目的だったのか?」

「両方だよ。」

「…どういう意味だ。」

「言葉にする程のことでもないさ。お前がプライベートで何をしていようと私の知ったことではないが、彼女が手を貸してくれるのなら、お前のしたいことに大きく貢献してくれることは間違いないだろう?」

「……」

アンセルはもちろんのこと、ドーベルマンにとっても二人が交わしている遣り取りの全てを理解している訳ではない。

ともすれば、記憶を失くしたドクター自身、自分の言葉に100%の確信はないのかもしれない。

それでも全てを見通してしまう彼の異常なまでの慧眼(けいがん)をもってすれば、女医の「隠し事」も見透かしてしまうのかもしれない。

「何度も言うようだが、私はお前のしていることに興味はない。だが少なくとも、お前にはロドスを導く義務がある。私たちの手の届かない所で命を落としてもらっては困るんだよ。…ケルシー、”隠し事”は君の命を生かしも殺しもする。そういうことだよ。」

「……」

この男に限って、そんな気遣いをされることに虫唾(むしず)が走った。

「もしかすると、私も以前はそれに関わっていたのかもしれない。だが、お前は頑なにそれを私に明かしたくないらしい。ならばせめてこれくらいのチョッカイは許してくれてもいいんじゃないか?」

「…キサマはどこまでも他人に恩を売るのが得意な人種らしいな。」

「争いはないに越したことはない。この点に限って言えば私とお前は同じ考えだと思っていたんだが、私の思い違いだったか?」

「……」

 

アンセルは二人の上司を信じていた。信奉していると言い換えても差し(つか)えない。

意味深な言葉(SWEEP)」にも、そうしなければならない訳があるのだと言及するつもりなどなかった。

しかし、敬愛するドクターがさらに意味深な物言いをしたなら彼の心は簡単に揺らいでしまうのだった。

「…失望したか?所詮、私も清廉潔白な人間ではないということだ。」

大事な教え子の心境を察したケルシーだが、同情を求めるつもりなど微塵もなかった。

()()()()()()()()()()()()()同情や理解は、不要な痛手をこうむるだけなのだと身に染みていたからだ。

しかし、彼女の忠実な教え子がそう易々と彼女の()()()()()()()を受け入れるはずもなかった。

「そんなことはありません、先生は立派な人です。私は知っています。アナタの傍で、見てきましたから。ですが…、ただ…、先生の役に立てない自分が悔しい、だけなんです。」

教え子はすでに踏み込み過ぎていた。

たとえ彼女が止めたとしても…、いいや、賢い彼なら彼女の言葉に従ってくれるかもしれない。

ならばこそ、彼の身の安全を第一に考えてやる必要があった。師として。同じ船に乗る友人として。

「ありがどう。君の気持ちは嬉しい。そして、君に誓おう。私は決してロドスを(おとし)めるような真似はしていないと。」

「私は、先生を信じています。」

「…ありがとう。」

 

(はか)らずも、同じ医学(みち)を歩む師弟の絆は「隠し事」を通じて深まった。

……(はか)らずも?果たして本当にそうなのだろうか。

あの(さか)しい黒コートの男がそこにいて「偶然」がこんなにも堂々と我々の前を横切るだろうか?

 

「それで、審査は続けてもらえるのかな?」

男は、議論が尻込みするような感動の台本を彼らに渡した上で、白々しく言った。

「え?」

アンセルとドーベルマンは疑問に思った。

(くだん)の一言で決着のついた問答をなぜ続ける必要があるのかと。全ての仕掛け人であるはずの彼の口からそんな言葉が出たことが信じられなかった。

しかし、彼の()()()()()は驚かなかった。

「いいだろう。彼女が“暗殺者”であったという経歴は、今は不問にしよう。ドーベルマン、そのように続けてくれ。」

「…了解した。」

幾多の局面で機転を利かせ勝利を手にしてきたドーベルマンだが、この二人の得体の知れない小癪(こしゃく)な知略には一方的に翻弄(ほんろう)されることの方が多かった。

 

ドーベルマンは彼らの狙いを理解しないまま、せめて自分の納得いくようにマンティコアの適性をアンセルと再審し始めた。

「彼女の()()には目を瞑ろう。だが最低限、現時点において彼女が件の暗殺組織と関わりを断っていることを証明して欲しい。」

先日、マンティコアの宿舎を訪ねた時、彼女は予想以上に多くのことを語ってくれた。

生まれながらの感染者だということ。そのせいでサルゴンの町を転々とせざるを得なかったこと。自分に暗殺の才があると()()()()()()()()

自分のこと。他人のこと。経験と知識を、事細かに。

それでも組織の内情に触れると彼女は決まって口を閉ざした。

必要なことだと説明しても「ごめんなさい」という文字だけが繰り返し現れた。

 

「もう一つ、これは適性診断というよりも彼女自身を想って忠告することだが、君たちは彼女の”アーツ”への対処法を事前に見出しておくべきではないか?」

ドーベルマンは戦場で生死を分ける戦闘力ではなく、他愛のない日常を語り合うコミュニケーション能力を危惧していた。

集団の中で望まない孤独に晒される痛みは不治の病に等しい。

ドーベルマンの指摘の通り、日常的に意思疎通ができなければ彼女は鉱石病の治療さえ拒み、自ら船を降りるだろう。

やはり、「孤独」と「後悔」だけが自分の友人なのだという消えない傷を負って。

 

しかし、その指摘こそアンセルの待ち望んでいた展開だった。

「では、それらの問題を解決すれば、教官とケルシー先生は彼女のロドスへの加入を認めてくださりますか?」

その不敵な口調は()()()()()彿()()()()()

そして、その感覚は間違っていない。嗅覚の鋭い彼女は突如として変貌した「強敵」に身構えた。

「……考慮には値する。現状、これらの問題さえ解決すれば彼女のロドスでの生活は保証できるだろう。」

「同意見だ。」

そして、相棒であるはずのケルシー女医がいつの間にか「傍観者」に回っていることも、耳聡(みみざと)(さと)った。

「…ケルシー先生、アナタは今、どちらの味方なのだ?」

「どちらでもないさ。“SWEEP”の名が出た時点で私は反論すべき立場から突き落とされたからな。だが、アナタには()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

その言葉を聞いて初めて、彼女は二人の小癪な企みの中身が見えた気がした。

 

しかし、気付いてみればなるほどそれはロドスにとって必要なことだと彼女も納得せざるを得なくなってしまった。

しかし…、どうにも納得いかない気持ちが彼女の溜め息を誘った。

「アンセル、どうやら我々は上司二人の見世物にされているようだぞ。」

「…構いません。私は私のすべきことをするだけです。」

「……」

そう答えられると、彼女にはガックリとうな垂れることでしか今の気持ちを表現する方法はないように思えた。

「…アンセル、そこは私に合わせるところだぞ。」

「……え…?あっ!す、すみません!」

真面目で年若い彼にはまだ「上司のご機嫌を取る」だとか「上司を転がす」というような()()()()()()()()()()()()は早かった。

「…まあ、いい。気にせず続けてくれ。」

今夜は久方ぶりにアイツに付き合ってもらうとするか。

彼女は密かに愛しの蒸留酒の香りを夢想して自分を慰めていた。

 

 

 

気持ちを切り替え、ドーベルマンが促すとアンセルは携帯用モニターを取り出した。画面には艦内の図面が表示され、さらには明滅する点が一つあった。

「…これは、発信機か?」

「はい、活性源石測定装置(サーベイランスマシン)を改良したものです。マンティコアさんに了承を得て着けてもらいました。」

「そうか。だが無論、それだけではないんだろう?」

「はい。クロージャさんにお願いして、無許可での攻撃的な行動を抑制する機能を追加してもらっています。」

 

彼が言うには、特定の人物による特定の操作がされない状態で体内の源石活性率が一定値を超えると、電流が流れ、装着者の自由と体力を奪った上で麻酔が投与される仕組みになっているらしい。

「つまり、彼女が作戦以外で攻撃性のある行動を取ると、その装置が作動するということだな?」

「はい。同様に、許可なくこの装置を外そうとする場合にもこの装置は作動します。」

ロドスの方針にそぐわない処置ではあるが、命を左右する問題であるならこのような非人道的な手段もいたしかたないと受け入れるべきなのかもしれない。

特に、彼女の「ステルス能力」は強力で、そもそもこちらから働きかけることが至難の業なのだ。

ならば「彼女自身」で問題を完結させる必要がある。

「装置が作動した場合、こちらはそれを感知できるのか?」

「はい、装置とこのモニターからアラームが鳴ります。もちろん、他の端末と同期させることもできます。」

だが、アンセルはまだ「方法」を提示したに過ぎず、問題を解決した訳ではない。

 

「これが彼女を鎮圧させられるという根拠はあるのか?ワルファリン先生に聞いたところ、マンティコアという種族はかなりの物理強度と薬物への耐性があるというが?」

ドーベルマンが問うとアンセルは間髪入れずに答えた。

「幸か不幸か。先日の脱走事件がその役に立ちました。」

逃走したマンティコアを捕縛したオペレーターが現場で観測できた範囲でのデータを提示してくれた。

麻酔の使用量、彼女の存在を感知するにあたった経緯の諸々を。

「その時、彼女が衰弱していたことを考慮して、データよりも高めに設定してあります。」

「これ以上となると、命の危機にも繋がるんじゃないか?」

「彼女も了承済みです。それに、彼女は装置を作動させません。絶対に。」

アンセルは数時間の間に築いた彼女との信頼関係を疑わなかった。

直に文字(こえ)を聞いた者にだけ感じる確信が彼にはあったのだ。

 

――――彼女は絶対に裏切らない、と。

 

実証例が一度しかない安全装置への信憑性は低い。だからといって、()()()()()()()()()()()()をする訳にもいかない。

今はそのデータを信じて経過観察する他ないのだ。

経験上、その数値が示す効力を知っているドーベルマンもそれ以上を求めることはしなかった。

 

 

「では、もう一方の問題への考えを聞こうか。」

ドーベルマンが促すとアンセルはモニターの映像を切り替え、二人に衝撃的なものを見せつけた。

「…これは……、」

そこに、年頃の少女らしく小さく丸まりながらも、大きな尻尾がベッドからはみ出し難儀しているマンティコアの姿が映っていた。

「現在、宿舎で休んでもらっている彼女の映像です。」

「カメラには映るのか。」

「はい。どうやら彼女のステルス能力は生体にのみ効果があるようで。カメラを使えばこのように画面に映りますし、レーザーを当てれば光は彼女を障害物として認識し、遮断されます。無線での会話も問題ありませんでした。」

「なるほど……。」

「なので、これは彼女のステルス能力の弱点でもあります。」

この事実は、自らも指揮を執る場面の少なくないドーベルマンの関心を惹きつけた。

 

「プライベートでは難しいかもしれませんが、作戦時において、隊員に専用の小型カメラと無線機を支給できるようになれば、指揮系統の問題は解決され…、あ……、」

途端に、青年の顔が青褪(あおざ)めた。

「どうした?」

「い、いえ…、その、彼女の部屋に私の忘れ物が映っていたので……、」

よほどマズイ物なのか。冷静になろうと努めるアンセルだが、表情筋の引き()る彼の心情は誰の目にも明らかだった。

「物は何だ?私が取りに行ってこようか?」

「い、いえ、ドクターの手を(わずら)わせるようなものでもないので。…多分、大丈夫です。後で自分で取りに伺います。」

煮え切らないが、彼の私物なのだし。私が手を出して余計な問題を起こすよりはマシなのかもしれない。

私たちは気を取り直し、本題に戻った。…というよりも、話しの腰こそ折れたが、議論はすでに終わっているようなものだった。

 

心なしか、ドーベルマンの表情も穏やかなものになっていた。

「アンセル、よくもこの短期間でここまでの成果を上げられたものだ。もはや認めざるを得まい。だが…、」

その逆接詞に僅かな沈黙を添えた彼女はまた、「鬼教官」と呼ばれるに相応しい厳しい顔付きに戻っていた。

しかし…、

「どうもそこに()()()()()()()()()()ように思えて腑に落ちない。私は君の言葉でこの件に方を付けたいと思っている。」

その表情は彼に向けられていながらその実、私に向けられたものなのだということは分かっていた。

 

そんなこととは関係なく、彼女の教師としての顔は向き合う者を容赦なく委縮させる。

それでも彼女の厳しい訓練を乗り越えてきたアンセルはキリリと顔を引き締め、鬼教官(かのじょ)の期待に応えようとしていた。

「教官は彼女が今もサルゴンの暗殺組織と繋がっていて、私たちを良くない事態へと追いやるのではないかと案じているんですよね?」

「…そうだな。彼女に限らず、犯罪組織に身を置く者というのは往々にして常人には理解しがたい人格を形成するものだ。巧みに、誠実さを訴えていながらその実、腹では満たされることのない欲求に素直で、関係のない者を巻き込むことに微塵の躊躇(ちゅうちょ)もない。それが”犯罪者”というものだ。そんな、いつ暴発するとも知れない銃を大事な仲間に持たせることなど、私にはできない。」

ドーベルマンの熱弁は私の脳裏に、高笑いをキメながら大好物の爆竹をバラ撒くW(ダブリュー)の姿を(よぎ)らせた。

…確かに、想像するだけでも目を背けたくなる光景だ。

 

だが少なくとも、マンティコアに彼女のような狂人の気質はない。私とアンセルにはその確信がある。

「教官は彼女のカルテを見ましたか?」

「…いや、」

ワルファリンがマンティコアの健康状態をチェックする際、アンセルは彼女の補佐をしていた。

「この数値を見てください。」

彼はカルテの中の「体内における源石含有率」の項目を指差した。

カルテには数値と、これを説明する備考が添えられていた。

―――中度の感染。現状、心身の衰弱により、より感染による影響は大きいと思われる

「彼女は対談の最中も、私たちが尋ねるまで痛みを我慢していました。当時の衰弱した体に対しこの数値であれば、全身にオリジムシの顎を強く押し当てられてるような痛みを伴っていたでしょう。命の危険とまでは言えなくとも、とても悠長に会話をしている余裕はないはずです。であるにも拘わらず、彼女は自分の不調を訴えるよりも先に、私たちの力になりたいと言ったのです。」

アンセルは画面の向こうの彼女を代弁するように”アナタたちの役に立ちたい”と書かれたメモを紙の山から引っ張り出した。

教養のない彼女の字はとても(つたな)く、読みにくい。けれども、しっかりとした筆圧と一片の欠けもない意思(もじ)がそこに(しる)されていた。

「……」

「これから口にする証言は私個人の感情的な意見です。教官には失望されるかもしれません。ですが、私は彼女と言葉を交わした”親愛なる友人”として、こう言わずにはいられません。」

血の飛び交う戦場ですら取り乱さない彼が狭い額をテーブルに押し付け、感情的に、断頭台に首を添えた罪人が命を乞うように、声を捻り出した。

「どうか、彼女を信じてください。」

「……」

 

「親愛なる友人」、たかだか数時間言葉を交わしただけの相手をそう呼ぶ人間は軽薄だと思われて然るべきだ。ドーベルマンのような厳格な人間から信用を勝ち取ることなどできるはずもない。

それでも、彼はその言葉を選んだ。

それは、ロドスへの密航、同僚の暗殺未遂、治療への抵抗、果てはロドスからの脱走を計った彼女の、手の平を返すような献身的な態度が彼の目に「憐れ」と映ったからなのかもしれない。

事実、「憐み」が「友人」をつくることもある。それもまた、()()()なのだ。

 

 

………本当に、そうなのだろうか?

彼がドーベルマンに見せた「命乞い」は果たして彼女への「憐み」か?

 

 

……いいや…、なんということだ!

私はとんでもない勘違いをしている!私が彼の気持ちを見誤ってどうする?!

懸命な彼を、私が侮辱してどうするっ!?

 

彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()。「孤独」や「後悔」がもたらす死から逃れたい一心で。

彼はこの場の誰にもできない『代弁』をやってのけたんじゃないか!

彼は言葉を選んだのではない。()()()()()()()()

 

…本当に久方ぶりに、私は自分の小賢(こざか)しさを呪い、(さげす)みたい気分になった。

 

 

 

そんな赤面する私を余所に、ドーベルマンは彼を睨み続けた。彼が頭を上げるのが先か、自分が声を掛けるのが先か。根競べでもするように。

そして…、

「…アンセル、これだけは憶えておいて欲しい。情で組織を動かせばどこかに(ひずみ)が生じる。間違いに気付いた後で歪を直そうとしても、それは体の奥深くにまで入り込み、手が付けられなくなることもある。」

それは、彼女の経験を物語っていた。

軍を辞めた理由。それでも軍人の気質を崩さない自分であることの必要性。それらが垣間見えたようだった。

 

アンセルは彼女の言葉に促され、ゆっくり顔を上げた。少し、怯えているようでもある。

折檻(せっかん)も覚悟の上の、思い詰めた表情の子どもを優しく、宥めるように、教師はほんの少し頬を緩めた。

「そんな顔をするな。君の命乞いのような願いは聞き届けられないが、君が提示した数値から推察できる彼女の心境は納得のいくものだったぞ。」

「それは、つまり……、」

「認めよう、彼女はロドスへの加入に適した人材だ。」

「…ありがとうございます!!」

その晴れやかな顔はまるで、出産直後の妻と子の元気な姿に感極まる夫のようだった。

 

そんな有頂天の彼を戒めるように、ドーベルマンは待ったをかけた。

「我々にもチャンスをくれないか。」

「…チャンス、ですか?」

「ああ。」

ドーベルマンは私とケルシーを交互に見遣り、決定権の所在を再度、確かめた。

「私は君の判断に任せるよ。」

「異論はない。」

「…了解した。」

何から何まで私に丸投げとはいい度胸だな。そんな言葉が聞こえてくるような、重みのある了承だった。

 

「アンセル、君が提示した証拠は目下解決すべき問題の回避に値すると認めよう。素晴らしい調査と弁論だった。加えて、過去を頑なに語らない彼女の姿は裏を返せば、味方に付けたなら決して我々を敵に売ることはないという忠誠心と捉えることもできる。」

彼女の特徴的な短く整えられた眉が彼女の性格を象徴するように凛々しく吊り上った。

「だが、それが彼女の”本性か否か”。これだけはこの目で直接見ないことには判断できない。」

アンセルもそれに気付いたのかもしれない。

反り返るのではないかというほどに背筋を正し、彼女の一言一句を全身で聞くように「緊張」が見て取れた。

「そこで彼女には、これから私が用意する軍事演習に単身で挑んでもらいたい。そこで取る彼女の行動で、私は彼女を見極めよう。」

おそらく、「勝利」は合否を決める要素にはならない。注意すべきは「単身」という点だ。

ろくに名前も知らない人間と組ませれば、現状、彼女の足手まといになる可能性が高い。

つまり、単身であれば彼女は「()()()()()()()()」ということだ。

彼女の「本性」を知るという課題にはなるほど適した条件だ。

だがどうにも、私にはそれだけではないように思えた。

「繰り返すが、彼女にはただの”軍事演習”とだけ伝えて欲しい。騙すような真似をするのは君たちの誠意に反するが、私もまた本当の彼女の姿を知りたい一心なのだ。理解してほしい。」

「…はい。」

ドーベルマンは早くも演習の日時を決定し、彼女に言伝(ことづて)るようにとアンセルを解放した。

 

「アンセル。」

興奮した面持ちで立ち去ろうとする彼を、彼女は今一度呼び止めた。

「君は、今回の交渉を自ら志願したのか?」

すると彼はすぐに言葉の意図を察したようで、彼女に負けじと精悍(せいかん)な顔で返した。

「教官、私たちはいつまでも()()()でいる訳にはいかないんです。」

そう言って退室する可愛い教え子の背中を見送ると、彼女は仄かに憂いを帯びた声で呟いた。

「まったく、教え子を奪られたような気分だな。」

すると、彼女たちを見守っていたケルシーがその小さな肩に手を添え、いつもの取っ付きにくい声色で慰めた。

「彼は間違いなく君の背中も視野に入れている。そして、ロドスは皆で支え合っていくべきだ。」

「…本当に、こんなにも人に恵まれた職場を私は見たことがない。」

その微笑みには「信頼」と「期待」で溢れていた。

 

そんな彼女たちのいる場所だからこそ、私は荒野に打ち捨てられた彼女にも手を差し伸べられると思ったんだ。




※ボリバル
「サルゴン」同様、国の名前の一つかと思います。

※ドーベルマンの役職
「最高位軍事顧問」と書きましたが、もしかしたら原作では、同じ教官のジュナーやグレース、ファロンらとの間に上下関係はないのかもしれません。

※モットー
日常生活における自身の立ち居振る舞いへの心がけ。
「もっとう」かと思いきや「モットー」が正式な表記なのだそうな。
今回は「信条」という文字を当てた方が読みやすいかと思い、採用させていただきました。

※木槌(ガベル)
裁判長が権限を行使する時に使うハンマーのこと。

※SWEEP
公式上では「S.W.E.E.P」と表記します。ケルシーの私兵を指す部隊名のようですが、詳細はわかりません。
構成されているメンバーは「暗殺」に関わっていた人たちが主なようです。

※記憶喪失ドクター
原作をプレイしたことのない方へ。
「ドクター」は「プレイヤー」になるために神から「記憶喪失」設定を授かっていますww

※ワルファリンのような真似
倫理観念の薄いお医者さま。
一時期、ロドスオペレーター(同僚)に対し無許可で人体実験をしていたそうな。…いや、よく許しましたねケルシー先生(笑)

※W(ダブリュー)
ロドスオペレーターの一人(女性)です。爆発物の扱いに長ける元熟練の傭兵で、性格はどちらかというと犯罪者寄りです(笑)

※後書き
始めの方で「誠実さは問題ではない」と言っておきながら「カルテから導き出されたマンティコアの心境」を認めたのは、間に「SWEEP(彼女の経歴は不問にする)」のくだりを挟んだからです。
「誠実だろうが彼女は権力者を手に掛けてきた暗殺者だ」から「死の危険性もかえりみず友好を求める少し危険な能力を持つ女性」に見方が変わったからです。
また、

荒々しい呼称で呼び合うドクターとケルシーですが、私自身「ドクター×ケルシー」であって欲しいドクターだったりします(笑)
しかし、今回はえらい長いな(笑)


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毒針を隠す少女 その五

「お、おはようございます、ドクター。」

「…ああ、おはよう。」

そこに、メランサを筆頭に、スチュワード、カーディ、アドナキエル、アンセルの行動予備隊A4の面々が勢揃いしていた。

そして、ドーベルマンが少し遅れて入室してきた。

「おはよう、ドクター。調子はどうだ?」

ロドスの問題児たちによる悪巧みを看破した時に彼女がみせる「人を見下す」顔が、現状の全てを物語っていた。

「…バレたのか?」

私は先日の若き戦友に耳打ちした。

「はい…、それとなく聞いてみましたが”それは私への侮辱か?”と言われてしまいました。」

 

アンセルとドーベルマンらの話し合いによってマンティコアの処遇が決められた数日後、約束の日時にロドスの行動予備隊A4は集められていた。

その理由は一つしかない。

「あの時、君たちがどうしてあの短期間にマンティコアの弱点を見破ったのか自分なりに考えてみたんだ。だが渡された映像記録が編集されていることに気付いた時、もしやと思ったよ。」

そう。私たちは偶然、彼女のステルス性を看破した訳ではなかった。

「モニター室に確認しに行ったところ、バッチリ映っていたよ。彼女と彼女に撃退される()()()()姿()がね。」

そう。今、目の前にいる5人はすでに()()()()()()を終えた者たちだった。

「ドクターに唆されたのかまでは私の知るべきところではないが。アンセル、君は同僚の失態を隠すためにわざとあんなプレゼンをしたな?」

「…は、はい、すみませんでした。」

『ご、ごめんな、さい……、』

スピーカーから蚊の鳴くような声が聞こえてきた。

「マンティコア、君が脱走した理由についてはこちらも納得している。だからこそ、この場を設けたんだ。君が気に病む必要はない。」

彼女の姿は別途用意したモニターに映っている。

私たちは今、普通にコミュニケーションを取っている。それだけでも素晴らしいことだった。

そうだ、そういうことにしようじゃないか。

お通夜のような面持ちで俯く予備隊に私は心の中で謝罪を送り、目を背けた。

 

「とはいえ、メランサ、カメラで確認した限り君たちはよく対処していた。だから君たちをこの場に召集したのはなにも罰を与えるためではない。そうだな、単純な追試だとでも思ってほしい。」

「は、はい……、」

「そうだよ、メランサ。僕たちは全く気を抜いていたのに。君の注意喚起がなかったら、もっと情けない姿を晒すところだったんだから。」

予備隊A4は他の隊に漏れず、固い絆で結ばれている。

爽やかな声でフォローするスチュワードに合わせて他の面々がメランサを鼓舞し、落ち込みやすい彼女を支えていた。

『……』

カメラを盗み見ると、マンティコアが所在なさげに俯いていた。

やはり、羨ましいのだろう。

仕事上の仲間はいても失敗すれば簡単に見捨てられるような環境で生きていた彼女にとって、「友人」という存在は夢でさえ見ることの叶わないものだったに違いない。

 

そんな落ち込む彼女の背中をビクリと震わせるような、ことさら明るい声が唐突に響いた。

「そうだよ、アタシだってカメラを見なきゃここに女の子がいるだなんて信じられないもん!」

『ちょ、ちょっと……、』

そう言ってエリートオペレーターのフェリーンが目の前にいるらしい彼女を手当たり次第に撫で回し、彼女はそれにただただ縮こまって耐えていた。

ブレイズに悪気がないのは分かっているが、こういうものは理解者が仲介してやらないと関係は悪くなっていく一方なのだ。

「…ブレイズ、今の時代、同性でもセクハラが適応されるのを知っているか?」

すると彼女はいつもの、裏表のない直情的な――愛嬌全開(フルスロットル)の――リアクションで応えた。

「え、そうなの!?っていうか、アタシ何も悪い事してないよね!?」

「犯罪者は決まってそう言うのを、君が知らない訳ないだろ?」

「うっ…、ご、ごめん。気に(さわ)った?」

『だ、大丈夫、少し、ビックリ、した、だけ……、』

内向的な性格をこじらせた人間の、典型的な反応だ。

…まあ、視界に入りにくい分、プライベートでは標的にされにくいだろうし、その辺りは取り敢えず様子を見てみるしかないだろう。

ブレイズに解放されてもまだ、彼女はこの慣れない環境にビクビクしているようだ。

 

「それで、アタシはどうすれば良いの?」

ブレイズは説明を受ける前から意気揚々と訓練用の得物を振り回し、早くも準備運動をし始めていた。

この場で一番関係のない彼女が、この場の誰よりもこの演習へのやる気を見せつけていた。

もっと違う反応を望んでいたドーベルマンは「どうしたものか」と首を振りながら元気一杯のフェリーンに今回の趣旨を説明した。

「追試とは言ってみたものの、現状把握しているマンティコアのステルス能力は彼女たちが受けるべき訓練のレベルを遥かに超えている。だからといってこのままにするのは逆に、このような特定の任務に苦手意識を持ってしまうかもしれない。そこでだ。君にはせめてものハンデとして予備隊A4に加勢して欲しい。無論、メランサの指示に従うという形でだ。」

「え!?私が、ブレイズさんを…!?」

「そうだ、メランサ。アンセルはこう言っていたぞ。自分たちはいつまでも予備隊でいる訳にはいかないと。ならばお前はどうだ?お前たちはどうだ?肩を並べるのが気心の知れた友人ばかりでいいのか?」

「……」

だからと言って、急にエリートオペレーターをチームに入れるのはショック療法めいていて、気の毒に思う所もある。

エリートオペレーターは彼ら予備隊が七転八倒してようやく達成する任務を単独で熟してしまうような「超」のつくベテラン勢なのだ。

だが、同じフェリーンであるブレイズに自分の姿に重ねたのか。メランサは彼女の挑戦的な視線を受けて闘志を燃やしたようだ。

「…分かりました、私、やります!」

「そうだね。こういうことがないとブレイズさんと関わることってないし、いい経験になるかもしれないよね!」

どこかブレイズを一回り若くしたようなカーディがメランサに合わせて元気一杯に答えた。

そんな健気な彼女たちの姿に胸を打たれたのか。ブレイズはメランサの体を壊さんばかりに抱きしめた。

「か、かわいいっ!」

「ブレイズ、ドクターに言われたばかりだろう。そういう過度なコミュニケーションは時に()()()()()()()()。それともお前は隊長を再起不能にして演習を台無しにしたいのか?」

「だって、アタシこの後、別任務があるんだよ?もっといっぱいお話したいのに!それなのに、こんなにカワイイ後輩ちゃんたちが…、こんなの、生殺しだよ!」

「……ドクター、なんとかしてくれ。」

ここ最近、ドーベルマンが眉間を押さえて苦悶の表情を浮かべる姿をよく目にする。

近頃は一癖も二癖もあるオペレーターばかりが加入しているせいもあってか。心労が溜まっているのかもしれない。医療部からの警告もあった。

…近々、まとまった休暇をプレゼントすることにしよう。

 

「ブレイズ、アーミヤを呼んできた方がいいか?」

私は、一人の愛らしいコータスの名前を出した。すると、豪気で名を売るフェリーンの利かん坊は途端に固まり、冷や汗をかき、顔を青くした。

「…じ、実は、昨日も怒られたんだよね。毎回、血だらけで帰還するからフォリニックが頭を抱えてるんだって。」

アーミヤは誰にでも優しい。どんな人間にでも手を差し伸べる。心を閉ざした感染者でさえ、彼女と触れ合えば希望を見出してしまうほどに魅力的な人物なのだ。

…だが一方で、彼女ほどロドスの()()()()()としての影響力を自分のものにしている者は他にいない。

「今ある仕事が片付いたら一度様子を見に来ると言っていたな。」

「え、ホント!?」

彼女が冷めた目で一瞥したなら、それがたとえ戦地で敵を蹂躙(じゅうりん)するエリートオペレーターであろうと自分の行動を見直すのだ。

「よ、よし、ブリーフィングをしよっか…。」

これでこの演習の間は大人しくしているだろう。

 

「それならマンティコアは私が指導しよう。」

『…え……?』

「え、ドクターが指揮するんですか?」

やる気を見せたはずのメランサ(リーダー)が、途端に不安げな表情でこちらを見た。

「マンティコアも経験のない訓練に付き合わされるんだ。簡単な戦術だけでも教えなきゃフェアじゃないだろ?」

「オモシロイじゃない!ドクターとの真剣勝負って訳だね!」

…どうあってもブレイズはこのイベントを楽しみ尽くすのを止められないらしい。さっきまで凍り付いていた顔がもう溌剌(はつらつ)としている。

「……」

「そんなに心配しないの!これは演習なんだからさ!」

どっちなんだ。

『……』

「ほら、君も縮こまっている暇はないぞ。相手はやる気満々だ。それに、今回の成績次第では君のお給料が底上げされる可能性だってあることを忘れないようにね。」

『…お、お給料……?』

やはり肩身狭く感じているのか―――画像越しで判別しにくいが―――、見上げる彼女の目は薄っすらと潤んでいた。

「そうだ。これまで君は金銭での報酬を貰ったことがないだろ?ここでは仕事の対価の大部分が貨幣で支払われる。使い方は君次第だ。服を買うも良し。休暇を取ってリゾート地で疲れを取るも良し。」

『……』

どれも経験がないからか。いまいちピンとこない、ボンヤリとした顔で私を見詰めている。

「”自由”だ。君はここでそれを学んでいくんだよ。」

『…自由……、』

「興味ないか?」

『う、ううん…!私…、がんばる……、』

ようやく、こっちもエンジンが掛かってきたらしい。

ここに来て初めて、彼女の(こえ)に「活力」というものを見た気がする。

 

 

―――そうして双方の準備が整い、演習は滞りなく開始された。そして……、

 

 

いくらかマンティコアに不利な状況であったにも拘わらず、演習はマンティコアに軍配が上がった。

「いやあ、凄いね!あの時、あと一歩反応が遅れてたらアタシも一撃で仕留められてたかもしれないよ!」

マンティコアが実戦経験豊富だったこともあり、演習中に緊張するという様子はまったくなかった。

自分の能力を最大限に発揮し、厄介な射撃手から順々に仕留め、アッという間にメランサとブレイズを孤立させた。

おそらくは磨き上げられた直感で二人が周囲の変化を把握する感覚に優れていることも見抜いたのだろう。

この二人に関してはジックリと、慎重に間合いを詰めている様子が窺えた。

メランサに死角はなかった。警戒も怠っていなかった。それでも空気と一体化したマンティコアの襲撃を感知するには今一歩、経験が足りなかった。

マンティコアのナイフは先にブレイズを襲った。これに関しては、襲撃の瞬間にできる隙を、ブレイズなら捉えてくると私が予め忠告しておいたことだ。

彼女は指揮官の指示を的確に判断することができる能力があることも確認できた。

しかし、ブレイズもエリートの意地を見せつけた。

直前でマンティコアの接近を感知し、ナイフを躱しながら彼女を投げ飛ばした。不意を突かれたマンティコアだが、それでも反射的に体が反撃に転じていた。

彼女の身体的最大の特徴である巨大なサソリの尻尾がブレイズを横薙ぎに吹き飛ばした。

その間、メランサはブレイズの奮闘で発見するに至ったマンティコアを襲撃。彼女の剣の腕はエリートオペレーターにも引けを取らない。

しかし、ここでもマンティコアのステルスが発動したのか。あろうことか無防備な彼女に剣をいなす隙を与えてしまっていた。

この瞬間にできた隙をマンティコアは見逃さなかった。

彼女のゴムナイフがメランサの腹を裂いた。

 

そうして彼女は演習の攻略条件を満たした。

 

「……」

「先程も言ったが、マンティコアのステルス能力は実戦においても稀なケースといって良いレベルだ。レインボー小隊でさえ、彼女が弱っていなければ追跡できなかったレベルなのだ。むしろ、君の奮闘は誇れるものだと忘れないでくれ。」

そして、カーディの言う通り、間違いなく良い経験になったはずだ。

遠距離支援が主体のスチュワードとアドナキエルにとっては前に立つ二人に頼らず「自分は常に危険に晒されている」という意識がこれまで以上に高まっただろうし、カーディに関しては自分の、たった一枚の盾がチームの「砦」であることを自覚しただろう。

もしも彼女がメランサほどに感覚が鋭ければ、状況判断に優れたアンセルがそれを補えたなら、その盾で後衛を延命させることができただろう。

そして、メランサ、ブレイズとの連携(コミュニケーション)が事前に整えられていれば間違いなくマンティコアを沈められた。

こういうシュミレーションの積み重ねが彼女たちを唯一無二の「戦友」へと育てていく。

絆を育む手段が「戦闘」というのは()()()()()ひどく胸の痛い世の中だが、生き残るということは必然的に育むチャンスを得る。

……そう、私たちは生き残るべきなんだ。いかなる手段をもってしても。

 

「そして、マンティコア、」

私が何か頭の片隅にある古い何かに触れそうな感覚に襲われている一方で、ドーベルマンはマンティコアへの評価を下し始めていた。

「今回は君の勝利だが、その戦闘方法にはやはり注意すべき点がある。」

『え……?』

「君のそれはどこまでも”暗殺”に特化しているということだ。」

心臓を刺し、首を落として()()()()()()()彼女にとって、それ以上に身の安全を保障する術が分からなかった。

そもそも同じ「命の奪り合い」に複数の言葉が存在することすら理解できていなかった。

ドーベルマンは、彼女のその「教養の無さ」を解決することが一番の課題だと伝えなければならなかった。

 

「ロドスの作戦の中には”生け捕り”や”無力化”という内容も少なくない。見たところ、君はナイフがヒットした相手への注意力が極端に欠けているようだ。また、例え実戦において、致命傷を与えたとしても、敵の脅威が直ちに消えないこともままある。君もそれは経験済みのことだろう。」

ドーベルマンにも暗殺者(かのじょ)たちに狙われる経験があり、返り討ちにした実績がある。

「であるにも拘わらず、注意力が欠けてしまうのはやはりそのアーツに絶対の信頼を置いているからと言わざるを得ない。」

暗殺者の思考する傾向はよくよく心得ていた。

「とはいえ……、」

その意味深な接続詞が、雲行きの怪しい彼女の評価に一筋の光を見せた。

 

「おおいに評価すべき点もあった。」

彼女の仕事には「成功」か「失敗」しかない。「安全な寝床」か「サルゴンの荒野」しか与えられない。そんな彼女にとって、「褒められる」という報酬は未知の体験なのだろう。聞き慣れない言葉にキョトンとしている。

「君はアンセルを狙わなかった。それはなぜだ?」

『え…、あ……、』

「問い詰めている訳じゃない。君の考えが知りたいだけだ。落ち着いて答えてくれ。」

マンティコアは両手の指先を合わせながら、明らかに「幹部」の空気を持つドーベルマンを度々上目遣いに覗きながら躊躇(ためら)いがちに答えた。

『アンセルは、私を、攻撃、しなかった、から……、これは、仕事じゃ、ない…、から……、』

本当はもっと言いたいことがあるのだろう。彼女は何度もそれを口にしようとしては言い淀み、口を(つぐ)んでいた。

言葉を選んでいるのか。それとも、ただ弱気な性格がそうさせているのか。

どちらであったとしても、ドーベルマンは彼女の言動を好意的に捉えているらしかった。彼女の発言が終わったことをシッカリと確認すると、進展のある問いを付け足した。

「君は自分を仲間想いな人間だと思うか?」

多くの人間はその問いに言葉を失うだろう。言われるままに解答すれば「信じてもらえない」そういうブレーキが掛かってしまうものだ。

そこに「その人間の性格」が現れる。ドーベルマンはそれを期待していた。

 

マンティコアもまた例に漏れず、黙り込んでいた。

だが、彼女が言葉に詰まっているのはなにも、あれこれと聞こえの良い言葉を探しているからではない。

それがよく窺い知れる答えが、静まり返った部屋にポツリ、ポツリと涙の滴る音を聞いているかのようにさめざめと響いた。

『……私、本当は、誰も、殺したくない……、』

それは一見、ドーベルマンの求める答えとして適切ではないように思える。ロドスへの加入を拒んでいるようにも聞こえる。

だが、先日のアンセルがそうであったように、それは彼女の決心の現われだった。

多くの命と引き換えにすることでしか得られなかった「安全な寝床」。彼女はそれをロドス(わたしたち)の前で、否定した。

 

”アナタたちの役に立ちたい”

 

それは鉱石病の苦痛を押し込めてでも伝えたかった彼女の「希望」。小さな勇気を語った「親愛なる友人」に見せた、「マンティコア」というサルゴンの荒野を彷徨う少女の心の叫びだった。

 

 

彼女の言葉は拙く、聞き手に依存している。決して褒められるような答えとは言えなかった。

だがそれは言い換えるなら、聞き手を信頼しているからこそ口にできる言葉でもあった。

それらを理解した上で、加味した上で、ドーベルマンは少女の愚直な答えに満足できる未来を見ることができたらしかった。

彼女は一同が胆を抜かすほどに柔和な笑みを浮かべ、少女の頭を優しく撫でた。

「君の考えはよく分かった。私はそれに、君の信頼を裏切らない評価をしようと思う。」

『……』

撫でられることもまた、経験のないことだと分かる顔で、マンティコアは彼女を見上げた。

「加えて、演習時に見せた君の挙動から環境把握能力に優れていることも確認できた。今後、その力を伸ばすことができたなら、エリートオペレーターと遜色ない活躍も期待できるだろう。」

『え……?』

「それはつまり、彼女は…、」

言われたことへの理解が追い付かず、言葉に詰まっている彼女の代わりに声を返したのはアンセルだった。

「…フッ、」

あの遣り取りが「嘘」でなかったと証明されたことに彼女は安心し、グズる少女にソッと手を差し伸べた。

「ようこそ、ロドスへ。我々は君を歓迎しよう。」

『…え、えっと…、よ、よろしく…お願い、します……、』

 

おずおずと握る彼女の姿にはまだまだ「希望」と「不安」の間で右往左往している様子が窺えたが、それでもドーベルマンはロドスでやっていけると判断してくれたことに私はホッと胸を撫で下ろした。




※レインボー小隊
……なんでいるんでしょうね(笑)
(原作未プレイの方へ、「レインボーシックスシージ」はフランスのユービーアイソフトより2015年12月10日に発売されたFPSゲームで、レインボー小隊はコラボキャラクターです)

※希望……、
欲しい招集券が来た時には枯渇していて「絶望」を繰り返すドクターが私です。

※ホンマの後書き
原作をプレイしていて気付きました。ドーベルマン、「ケルシー」って呼び捨てにしてるやーん!……まあ、いっか、書き直すのもアレだし(笑)

あと、すみませんが今後、初登場のオペレーターの紹介は省かせていただきたいと思います(キリがないから(^_^;))。


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毒針を隠す少女 その六

無事、マンティコアにロドスオペレーターとしての認可が降りた。

所属部隊や任務の種別などは検討中だが、その間に彼女が少しでも他のオペレーターたちとの関係を築いてくれることを祈るばかりだ。

 

ちなみに、あの演習で得られたものはマンティコアとの信頼関係だけではなかった。

「え?私が、ブレイズさんと…?」

メランサはブレイズに余裕がある時に限り、彼女との特別訓練が組まれることになった。

フェリーン同士、感覚が似ているからなのか。あの演習でブレイズと組んだメランサの動きには何か変革をもたらすような兆しが感じられたとドーベルマンは言っていた。

戸惑いながらも、メランサはその突発的な提案に喜んでいた。さらには、

「それ以外でも暇があったら一緒に遊ぼうね!」

ブレイズも可愛い後輩たちを気に入ったらしい。連絡先を交換し、さっそくお茶会の日取りについて談笑していた。

 

『え…、いいの……?』

ドーベルマンはマンティコアに取り付けた発信器や麻酔諸々の拘束具も、任意の期間中に一度も作動することがなければ解除するという約束を交わした。

「ロドスに奴隷を買う習慣はない。君がそういう目的で内部に潜入したのではないと判断できれば対等な関係であるのは君にとって当然の権利であり、ロドスにとっては絶対の信条だからな。」

『…わかった…、私、がんばる……、』

「ああ、今後、君と訓練に励めることを楽しみにしている。」

マンティコアの十分な「誠実さ」がドーベルマンにも伝わり、二人の間にもロドスの未来に大きく貢献する関係が築けたようだった。

 

 

 

 

 

――――サルゴンのとある地区、荒野

 

「ドクター、どうした?なんかボーッとしてねえか?疲れたならおぶるぜ?…いいや、()()()()()()()()()()?」

「…いいや、大丈夫だ。少し気になる子がいてな。その子について考えてただけだ。」

マンティコアがオペレーターとして加入してから数日、私はノイルホーン含む行動隊A4と数人のオペレーターを連れて新規の契約を結び、今は帰り道についていた。

…ちなみに、私が雪山で女性オペレーターに()()()()()()()()()()()()()()――実際は小脇に抱えた荷物のような扱いだったのだが――、一部オペレーターの間で鉄板のネタになっていた。

そして、悪意のある冗談を無視した私の発言は、新たなゴシップを生み出そうとしているらしかった。

「…おいおい、そりゃ本気で言ってんのか?他の女が黙ってねえぞ?!」

最近カードで負け越しているというノイルホーンは、「貸し」を返せるネタが手に入ったと嬉々として騒ぎ始めた。

しかし、コイツは大事なことを忘れている。

「言いたいことはそれだけか?私がお前の勤務態度の悪さを捏造できることを忘れるなよ。」

「だったら皆、一蓮托生だな。ホラ、お前らもドクターに言いたいことあるだろ?」

今日の仮面(マスク)がよほど気分にマッチしているのか。鬼のオペレーターはめげずに、同僚を巻き込んでまで上司(わたし)に喰ってかかってきた。

 

「ちょっと待った…、」

だがしかし、巻き込まれたノイルのカード仲間たちは一瞬たりとも彼の側につくことなく、自然と口論の焦点は「厄介な先輩」へと移っていった。

「だいたい兄貴はいつもそうだ。何かっていうと都合が悪くなったら俺たちを巻き込んで誤魔化そうとするんだ。」

「確かに、この間のカードでも負けたのは俺たちの配り方が悪いからだって言ってたな。」

「おいおい、そりゃあ三日も前の話だろ?…あぁ、あぁ、俺が悪かったよ!だけど今はドクターの女癖の悪さを直してやろうって話だろ?」

「そりゃあ、ドクターが兄貴の何百倍も魅力的だからだろ?しょうがねえよ。」

「あ、さてはお前ら、ドクターにビビってんだろ!クソ、味方に付ける奴を間違えちまった!」

そうして延々と続くかと思われた誰も幸せにしない不毛な遣り取りは、同行する女性オペレーターの手で一刀両断にされた。

「お前たち、まだ任務は終わってないんだぞ?集中しろ。だいたいノイルホーン、お前はドクターをなんだと思っているんだ。」

やはり、日頃の行いというものはバカにできない。私は一言も返すことなく勝ち星を手に入れようとしていた。

そうして自爆していく憐れな友人を見守っていると―――、

 

「止まってください。」

 

賑やかな遠足の帰り道を、一行の先頭をいくトカゲ族(サヴラ)の一言がいつもの殺伐とした戦場(しょくば)へと一変させた。

そのまま彼はしなやかな動きで物陰へと移動すると双眼鏡を取り出し、リスクの正体を見極め始めた。

「どうした、12F(トゥエルブエフ)。ウォッカの湧き出すオアシスでも見つけたか?」

同僚の忠告もなんのその。今日の「定時」はとっくに迎えたとでも言うようにノイルは軽口を叩き続けた。

一方の12Fは、そんなどうしようもない冗談にも律儀に応える完璧な紳士であり、なおかつ優れた斥候であり続ける社会人の(かがみ)だった。

「ハハッ、そんな珍百景を見つけたのならぜひとも泉に私の名前を付けて頂きたいですね。それはさておき…ドクター、野盗です。物陰が多く、数は特定できませんが少なくとも十人はいるようですね。」

私が隣に並ぶと、12Fは手短に答えた。

「うへぇ、こんな荒野でまでよくやるな。」

「それにしてもお主、目が良くないのに毎度、よく気が付くのう。」

同じサヴラの弓兵が同類の術師の感覚の鋭さに感心していた。統計的に、術師よりも弓兵の方が五感に頼るところが多く、それ故に弓兵の方が感覚的に優れていることが多い。

育ちの違いか?二人の詳細な出生は未登録だが、12Fの立ち居振る舞いを見ていると幼少の頃から「危険」と身近な関係であったような印象を覚える。

「ただ臆病なだけですよ。…サルカズのようですね。近接が9、弓が5、術師が1。見える限りではそれで全員のようです。まだ、こちらには気付いていないようですね。」

彼もそうだが、サヴラは滅多に自分の身の上を大っぴらにしない。取り上げられれば「大したことない」と自嘲気味な謙遜をしてやり過ごす。

私はそんな彼らがロドスを「居心地の良い場所」と感じてくれているのか。時々、不安に思う。

 

「ドクター、どうする?」

契約を交わした町とも近い。それに、奴らは一つの隊商を襲ったばかりらしく、(くつろ)ぐ傍らには野晒しにされたままの遺体がいくつも横たわっている。

あのままでは野生の獣たちが集まり、この一帯の交通、物流が滞る可能性も生まれる。だが、

「…感染者は確認できるか?」

私たちはあくまで外部企業だ。サルゴン国に籍がある訳ではない。大っぴらに「自己主張」をする訳にはいかない。

特にこの一帯での酋長や皇帝(パーディシャー)間での抗争は激化している。ちょっとしたショックが大惨事を招く可能性は十分にあり得る。

一応、余所者にも「防衛権」は適応されるが、ロドスは「利用される立場」になってはならない。

やるのなら「正当な理由」を持ち、短期間で、立つ鳥濁さず。これが最低条件だ。

理想を言えば、その手柄をスマートな形で彼らに譲渡できれば今後も良好な関係を保つ助けになるのだが。

 

「おそらく、全員が感染者かと。」

「そうか…。皆、集まってくれ。臨時作戦を伝える。」

荒野の直中、赤土色の大地をホワイトボードに全員の配置と役割を簡単に書き上げた。

「おい、起きろ。ドゥリン、作戦だぞ。」

「…えぇ?お仕事終わったんじゃないの~?」

ディランに負ぶさる小人を含め、こちらは8人。数で劣ることはいつものことだ。

それに、戦闘(したしょり)でやることは大して変わらない。大事なのは事後処理(しあげ)だ。

 

「では、行ってきます。」

「相手方を急がせる必要はない。あくまで優雅(スマート)に頼むよ。」

「ハハッ、俺の生まれはロンディニウムですよ?ボロなんかでませんから。」

打ち合わせを済ませ、バディとディランを契約を済ませたばかりの取り引き先まで走らせた。

「……」

「ドクター?」

突然、明後日の方をジッと見詰める私を、隊長のヤトウが気遣うように声を掛けてきた。

「ああ、すまない。では諸君、仕事に取り掛かろう。」

…ただの気のせいなのかもしれない。だが、取り敢えず今のところは()()()()()()()()()()()

 

「警告は?」

穏健派の12Fは私に一応の確認を取った。

「必要ない。彼らを庇ったと誤解されるような行動は一切なしだ。徹底的にやってくれ。」

ブリーフィングはすでに終わっている。一部の人間は彼のそれが作戦を理解していないからなのではないかと疑うかもしれない。

だが、誰もしない「暗黙の了解」を指摘するからこそ、私は彼に全幅の信頼を置いているのだ。

そうすることでより、全体に作戦の意図を周知させることができる。実に見事なサポートだ。

 

恵まれた人材に満足していると、浮かれる私を一喝するかのように、終始騒いでいた部隊の特攻隊長が声色を変えて聞き返してきた。

「…ドクター、もしもの時はヤっちまっていいんだろ?」

明らかに普段と様子が違う。今にも先走って事態をややこしくしてしまいそうな空気を漂わせている。

「どうしたノイルホーン重装オペレーター。今の自分が何者かも忘れたか?なんだったら戦闘が終わるまでお前だけここでカードを切っていてもいいんだぞ?」

「……チッ。冗談だよ、ドクター。俺は”ロドス・アイランド”の人間だ。殺しはしねえ。」

「そうだ、それでいい。」

 

…周期的なものだろうか?

ベテランとまでは言わなくとも彼はロドスに就いて十分に長い。そんな彼が今さら()()()()()()()()()のは、そういう「生理的衝動」に襲われているからではないかと考えられた。

…いや、であれば同じ種族のヤトウが平常なのはおかしい。それとも、男女で差があるものなのか?

それに、今まで散々彼のいる作戦に同行してきたが、こんなことは初めてだ。

もしかすると、趣味のマスクがそれを増長しているのかもしれない。

今後はその辺りも考慮して彼に与える任務を選択するべきだろう。

 

ロドスの社員(オペレーター)には、求める人材の特殊性から不都合な情報を秘匿する権利がある。

彼が教えたくないというのなら我々が現場で汲み取るしかない。

それが、()()と彼らの間で揺るがない信頼関係を築くための唯一の手段なのだ。

私は戦場へと出立する彼らを見送りながら、その一つ一つの背中にしがみ付いているであろう「過去」を想い、常に「絶対の勝利」を約束することしかできないのだ。

 

 

 

――――野盗たちは仕事を終え、疲労した体を休めながらも周囲への注意を怠ってはいなかった

 

「…何かいるぞ。」

敵の一人がこちらの気配に気付いた。さすがに自分の縄張りでの身の守り方は心得ているようだ。

こちらにハンデを与えてはくれそうにない。

私は双眼鏡片手に無線機を口元に運んだ。

「敵がこちらに気付いた。プランC、状況開始だ。」

『了解』

開戦の狼煙は地味に、そして確実に上げられた。

さすがと言うべきか、敵も遅れずに対応してきた。

「敵だ、展開しろ!」

数こそ減らせなかったが、弓矢とアーツで先制のダメージは与えられた。

「さすがはサルカズ、上手く躱しおる。」

「臨戦態勢に入るのも早かったですもんね。」

さらに言えば、野盗の割に連携と機動力に優れている。おそらく、()()()()()()に属していた、もしくは()()()()()か…。

下手に素性を調べない方がお互いのためだろう。

「では、ワシはここを離れるが、くれぐれも無茶はするなよ。」

そう言い残すと、(まだら)な黒鱗を(まと)うサヴラは岩陰から飛び出し、持ち前の脚力でポイントを変えながら野盗たちをチクチクと打ち続けた。

 

「うおぉぉりゃあぁぁ!!」

…ノイルは普段通りの、頑強な「盾」としての役割を十分に熟していた。

もしかすると先程の遣り取りは、暴走するかもしれない自分を律するために敢えて私に釘を打たせたのかもしれない。

彼らのことは彼らが一番理解している、ということか。

戻ったら酒の一杯でも奢ってやろう。()()()()()()()()()()に、私は細やかな敬意を捧げた。

 

「気を取られるな、おそらくコイツは囮だ!周りへの警戒を怠るな!ファードル、付与しろ!」

…あの大剣の男が司令塔か。そして「ファードル」、お前が第一ターゲットだ。

「ドゥリン、あの男に集中できるか?」

『まっかせて~。』

小人の術師を前線へ向かわせ、駆け回る弓兵のサヴラに援護の指示を出す。

「ファードル!?チッ、なら俺が!…ボルト!?」

大剣の男は()()()()()が次々と倒れていく状況に取り乱し始めた。そして、お前は()()()()()()()()()。最後の「奥の手」は自分自身。違うか?

「…クソッ、テメエら、散らばるな!…何!?」

「アードが狙われてやがる!?何なんだ、コイツら!?…ウワッ!」

サルカズは自他ともに認める戦闘種族だ。その最たる『力』が彼らの潜在的能力を大幅に底上げする「巫術」だ。

元となる「古代の巫術」は今は失われて等しい。現在――確認される実例こそ少ないが――出回っているものはその劣化版だろうと思われる。

劣化版とはいえ、これを受けたサルカズはどんな人間でも一人ひとりが「戦車」に変身してしまう。とてもじゃないが一対一(タイマン)で処理できるような相手じゃない。

だから私は常に術師(おまえたち)に目を光らせていたんだ。

 

――――数分前のブリーフィング

 

「それはつまり、あの中に偽装している術師がいるということか、ドクター?」

仮面をつけた女性剣士は私の作戦の意図にいち早く気付いた。

「そうだ。遠目ではハッキリと確認できないが、敵に負傷者は一人もいないように見える。隊商にはそれなりの護衛が付いているはずなのに、だ。」

サルカズはそもそも戦闘に長けている。だからといって、サルゴンの護衛が無能な訳がない。

彼らが「無傷」というなら、まず間違いなく例の「巫術」を体得している者が存在する。

そして、彼らが(おご)り高ぶった()()()()()でない限り、「切り札」を使うからには「奥の手」を隠し持つ戦術の定石を心得ているはずだ。

「巫術師」が一人ということはない。

さらに言えば、「サルカズ」という種族の性格を考慮に入れるならば、彼らはこと「戦闘」に関して容赦がなく、こちらに戦局を譲らないように徹底的に立ち回るだろう。

例え、私たちが「切り札」を使って彼らの「切り札」が二枚討ち取られたとしても、彼らはもう一枚を切ればいいだけの話だ。

とはいえ、「巫術」の習得が容易であるならこの世のサルカズ全員が心得ているはずだ。

これまでの「巫術師(かれら)」との遭遇率からみて、あの規模なら3人が限度だろう。

 

「だったら、どうしてその二人が怪しいと思うんだ?」

「確かに。”戦車”を作り出せるほどの切り札なら、剣や盾の後ろに置いておきたいというのが心情だと思うが?」

「そこは厳密には2パターンに分かれる。」

レンジャーが言うように、「切り札」はそうそう簡単に討ち取られるような場所に配置したくないというのは当然の心理だ。

だが、相手の中に敵の考えの裏を掻くような「指揮官」がいるのなら話は別だ。

状況を把握した敵は当然「巫術師」を集中攻撃する。

もしも、残りの「巫術師」が隣接するように配置されていたとしたら、敵はその流れで順々に討ち取ればいい。

だがもしも点々と現れたなら、敵はその度に矛先が翻弄され混乱状態に陥るだろう。

前、中、後ろの一人ずつが「巫術師」という想定をするのが妥当だ。

そして、お前たちの周囲への警戒レベルで私はプランC――後ろ、前、中の順に当たりを付ける作戦――を選んだ。

 

――――現在、戦闘中

 

偶然にもチャードが仕留めたボウガンの男が「巫術師(あたり)」だったのは大きい。

そして、リーダー自らが「巫術師」というのも少し驚かされた。

だが、もう詰みだ。サルカズ。

 

一度、統制を欠いてしまった集団はもはや、一人ひとりを相手にしているのと変わらないほどに脆い。

全員を無力化するのにそう時間は掛からなかった。

 

「さすがはドクター殿、見事な作戦でしたね。」

「私はこれしか能がないからね。」

「ご謙遜を。戦闘にしか興味のない人間がこんなにも見事なプランで、しかも死傷者を出さずに鎮圧できるわけがありません。アナタは間違いなくロドスで、いいえ世界でも有数の指揮官と言えますよ。」

もしかすると、この紳士的なサヴラは今の仕事よりも()()()()()に適正があるんじゃないか?

そう思わされるほどに自然な賛辞だった。

「いい気分なところ悪いんだけどよ、ドクター。」

作戦は成功、さらに負傷者なし。文句の付けどころのない大活躍をしたはずのオペレーターの一人が声色を曇らせて寄ってきた。

「誰だか分からねえが、俺たちを援護した奴がいる。ヤトウやレンジャーのおっさんも確認してる。連中が不自然に倒れる姿を見たんだ。」

「…そうか。」

作戦を開始したと同時に、私の傍から「何かが欠ける」ような空気を感じ取ったから、何かしらしているだろうとは思っていた。

「もしかして、ドクターは何か分かってんのか?」

「見当は付いているという程度だ。」

どうしたものかと悩んでいるところにレンジャーが駆け寄ってきた。

「ノイル、どうやらワシらの見間違いではなかったようだ。正体不明の足跡があったぞい。」

「男か女かわかるか?」

「小さかったな。断定はできんが女だろう。加えて言うなら、()()()()じゃ。とても荒野を歩くような履物ではなかったぞい。」

「…行方は掴めそうか?」

「残念じゃが、それは難しい。戦闘した形跡以外は何も残っておらん。」

それなら取り敢えずサルゴンの兵が()()を捕まえることもないだろう。

 

…だがさて、どうしたものか。拘束具の記録は後でクロージャにでも頼んで改竄(かいざん)するとして、そもそもその拘束具が役目を果たしていないという事実は厄介だな。

何かの拍子に二人に気付かれでもすれば、彼女の雇用を不利にしかねない。

「どうする、ドクター。追うか?」

彼女といくらか言葉を交わして、僅かでも信頼を得られた感触はあった。だが、ここで彼女の「若気の至り」を追い詰めればどういう反応を示すか、あまり想像したくはない。

「がんばる」という言葉にウソはなかったと思う。ただ、我々の常識的な分別が彼女に備わっていなかっただけのことだ。

だがここで、ノイルホーンたちに発見されれば嫌でも報告書に書かなくてはならない。

それは実質、解雇通知になる。

 

「…いや、いい。恥ずかしがり屋を追い回して嫌われたくはないだろう?」

…また、二人で話せる場があればいいのだが。

「ハッ、相変わらずだな。だからドクターはロドスの女連中に好かれるんだよ。」

「…この程度で男の株が上がるのなら、お前もそうすればいいだろう。」

私が不自然な指示を出している以上、下手にノイルを責めることができないことだけが悔やまれる。

「ハハッ!冗談だよ、ドクター。その代り、今日はドクターの奢りで飲みに行こうぜ。なあ、お前ら。」

「え、いいんですか?!」

「いやいや、兄貴、そりゃ恐いものなしにも程がありますって!」

コイツ、私の記憶力が人一倍いいことを未だに(あなど)っているな。…だが、だからこそ付き合いやすいというのもあるか。

それに、そもそもそのつもりでもあったしな。コブ付きというのは想定外だったが。

 

「ノイル、あまりドクターを困らせるんじゃない。」

「ヤトウ、これは男同士の友情ってやつなんだぜ?」

「…そう、なのか、ドクター?」

「なんだったらヤトウも一緒に飲むか?」

私が答えるよりも早く、この機会を逃すまいと同族のノイル(かれ)が前のめりに尋ねた。

「わ、私は酒を飲まない!…それに、男の友情とやらに私を混ぜるということは、お前は私をそういう目で見ているということか?」

ヤトウも――彼女は純粋に「陽の光」が苦手な体質なのだが――ノイルと同じく仮面を付けている。

仮面に隠れているが、彼女が今、本当に怒っているというのはピンと張った声色が十二分に物語っていた。

「兄貴、そういうところですよ。」

「うるせえな。これが俺の持ち味とも言えるだろ?それにな、ヤトウ。男の友情どうのってのは冗談にしても、たまには腹を割って話せる場があってもいいと思わねえか?」

「…そうだな。ドクターがそう言うのであれば、考えておこう。」

「いや、言ってるのは俺だろ!?」

「ハッハッハッハ。諦めい、ノイル。お前さんがドクターに敵う訳がなかろう。」

「そうですね。ドクターへの敬愛は老若男女を選びませんからね。」

戦闘が終わった直後だからか。全員がそういう空気を求め、思い思いの言葉を(たずさ)えて(つど)ってきた。

「過大評価、甚だしいな。私を嫌う者は確かにいるよ。ロドスでそれらに会わないというのはただ、皆が寛容というだけさ。」

現に、最も身近なフェリーンは私を見つければ常に眉間に皺を寄せるのだから。

「…ねえねえ、もうアタシ、眠ってていい?」

常に睡眠不足の小人族(ドゥリン)だけがマイペースに、我々を残して安住の地へと旅立っていった。

 

 

ロドスは、おおよそこういう少しネジの外れた連中の溜まり場だ。

被害に遭った隊商への黙祷を捧げたばかりだというのに身を寄せ笑い合い、今の時代を生き延びている。

私はそんな姿を限られた記憶に焼き付ける度に「ドクター」でいられる幸せを噛み締める。

お前はそんな私を見て「甘い」と言うだろう。

その通りだ。

本物の戦場は似て非なるものだ。簡単に人を殺す。私は「ソレ」を誰にするか選択しなければならない。

より多くの命を未来に繋ぐために、「作業」をしなければならない。

それでも、例え私が「戦争人間」に身をやつしたとしても、「私たち」は乗り越えなくてはならない。この時代を生き残らなければならない。

「今」という時から逃れられない命を、天から授かったからには。

私たちが”不治の病”を治すしかないんだ。

分かっているさ。

…だから、今はくらいは甘えていたい。

こんな世界を創った神だって、私にこれ以上の罰を与えたりはしないはずさ。

そうだろ?

 

 

――――数時間後、バティたちに頼んだサルゴンの()()が野盗たちを連れ帰ってくれた。

 

「まさかアイツらも目が覚めたら病院だったなんて思いもしないだろうな。」

取引先(かれら)も、今回、提供した新薬の実験台まで用意してもらえるとは思っておらんかったじゃろう。」

「ハハッ、まさにハッピーセットだな。皆お得で万々歳だ。」

この惨状を見た彼らが私たちを問い詰めることはなかった。そして、野盗たちの素性を私に尋ねることもなかった。

もともと指名手配されていた連中なのか。それとも、身内だったのか。何にせよ、次回の取り引きには十分注意を払うように伝えておいた方が良さそうだな。

「全員、船に戻るまでが遠足だ。これ以上遅れが出てアーミヤから小言を言われるのは私なんだからな。」

すると、鬼の重装オペレーターは性懲(しょうこ)りもなく北叟(ほくそ)笑み、私に囁いた。

「知ってるか、ドクター?そんなアンタらの様子を見てて和むオペレーターも結構いるんだぜ?」

…ロドスは、奥が深い。……もとい、闇が深い。




※ノイルホーンの舎弟
実際には舎弟ではありません。後輩ではあるようですが、彼の「回想秘録(サイドストーリー)」で見る限りかなりフレンドリーな関係なようです。
ちなみに、チャードはチェルノボーグ、龍門での苛烈な戦闘(多分、メインストーリーのこと)によりちょっとしたトラウマを抱えているようですが、この話はそれよりも前の話ということでお願いします。
この中に「ロンディニウム生まれ」がいるかは分かりません。適当に書きました。
(私のイメージでは「ロンディニウム」は「ロンドン」もしくは「パリ」的なイメージです。)
さらにちなみに彼らの職業はそれぞれ、ディラン(前衛)、チャード(狙撃)、バティ(補助)です。

※12Fの視力
どこかの場面で目が悪いというようなことを言っていた気がするんです。覚えてませんがwww

※ノイルホーンが暴走の兆候をみせるシーン
……なんか、原作をさしおいて設定をもうけようとしている節が見られますね(笑)
まあ、それだけ原作の設定とキャラクターたちに魅力を感じている証拠だということで許してくださいm(__)m

※(レンジャーさん)野盗たちをチクチクと打ち続けた。
なんだか書いてて妙にゲーム画面が連想できるのが私的にオモシロかったです(笑)

※「切り札は先に見せるな」「見せるな更に奥の手を持て、か」
果たして知っている人は何人いるでしょうか。
漫画家、冨樫義博先生の作品、幽遊○書の登場人物、蔵馬と黄泉が魔界で交わした言葉です。この漫画は私の青春時代のバイブルでしたねえ(どうでもいいww)


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毒針を隠す少女 その七

「それでサルゴンまでドクターに付いて行っちゃったわけ?」

「…う、うん……、」

マンティコアの告白に、ショートカットの金髪にフェリーンの耳を持つ少女は頬杖をつき、ことさら気怠げな表情で見詰めてみせた。

「だ、だめ…、だった……?」

「ダメってか…、ダメでしょ。」

仲良くなったばかりの友人のために何か気の利いた言葉が見つからないかよくよく考えみたものの、そうして浮かんできた言葉はさらに酷かった。

結局はそのままが一番ソフトなんだと断念した少女の頬が、意思表示するように柔らかくなって杖に沈み、椅子からハミ出した爬虫類(フィディア)の尻尾もだらしなく床に放り出していた。

「ってか、なんで追いっかけちゃった訳?」

返ってくる答えに若干の不安を覚えるものの、彼女には彼女なりのマンティコアへの想いがあり、それを考えると一応聞いておくべきなのだろう、というのが彼女の本音だった。

すると、待っていましたと言わんばかりに彼女の不安を煽り放題の無邪気な答えが返ってきた。

「ドクターの、役に立ちたい、から……、」

「…あーー、だよね?そうなるよね?」

まあ、マナの場合それ以外の答えは逆に想像できないっていうか…。

別にアタシは恋バナに花咲くようなキャラでもないし、それが「恋敵」になるなら尚更じゃない?

マナのことは大事にしたいし、一緒に楽しいこともしたいと思ってるけど…、いきなりこれはハードだわ……。

 

「…ウタゲ?」

「あ、いや、何でもない。ただ、なんて答えたらいいか考えてただけ。」

なんか疑わしい目で見てるし…。ホント、なんて言って切り抜けようか―――、

「……()()()()()()()()()()()―――、」

え?!いやいやいや、マナっ?!だからなんでそんなにハードパンチャーなワケ?!待ったナシ?!

「カッコいいって、思う?」

「……」

絶妙にからかってくるじゃんよ。

…まあ、そういう天然なところがマナのポイント高い所なんだけどね。

「…まあ、ドクターは気遣いと仕事の鬼だから?端から見てる分にはカッコよく見える、かもね?」

う~ん、ゴマカし方が微妙に気持ち悪いなー。…でも、

「そう。ドクターね、誰も、見捨てないの……、」

「……」

マナの耳にはアタシの濁した気持ちなんかコレっぽっちも届いてなかった。話し方も少し熱っぽいし…。マナ、周りが見えなくるくらいあの人のこと、好きになっちゃったんだ。

「ドクターね、みんな助けるの…、すごく、カッコいい……、」

「……」

アタシだってあの人のことはイイと思ってる。だけど、アタシとマナじゃ、あの人に向ける目の色が違う。

そこに付け込む訳じゃないけれど…。

アタシにはあの人と同じくらい、マナが……。

 

ロドスに所属する一癖も二癖もある少女たちは、素顔も知れない上司に少女らしい初心な恋心を抱いていた。

そして、その「恋」もまた十人十色。

一人は、どの種にも属さない特異な体への疎外感(コンプレックス)を隠す方法ばかりに卓越していく()()()()()()()に嫌気が差していた。そんな「憐れな怪物(じぶん)」の、ありのままを受け入れてくれる「包容力」を求めて。

一人は、その存在に気付かれればいつだって居場所を奪われてきた。そうしてありもしない罪に怯えるようになり、満足に言葉にすることもできなくなった「臆病な怪物(じぶん)」を、絶対に裏切らない「誠実さ」を求めて。

各々が()かってきた幼い記憶(かこ)が、疑心暗鬼な思い出が、一人の男の肩に重く圧し掛かっていた。

 

視野の広い者ならそれは「恋愛」に付きものだと捉え、あとは自分と相手の相性次第だとドッシリと構えるかもしれない。

それが情熱的な者だったなら、ハッキリさせず、狙われやすい「獲物(フリー)」のままでい続ける男が悪いと罵倒し、プレートを掲げて執務室に大挙して押し寄せるかもしれない。

しかし、彼は誰の懐にも飛び込まない。誰も選ばない。

なぜなら彼の人生において「恋物語」などという小さな幸せは、眼中にないから。より大きな使命によって掻き消されてしまっているから。

 

彼の視野に自分の幸せは映っていない。自分以外の幸せを模索し続け、今日も執務室でカフェインと即席麺と医療オペレーターの叱責を並べ、この世界の課題に奮闘している。

 

 

 

――――さて、多くの仲間に愛されながらその愛を昇華させようとしない罰当たりな男の話はさて置き、この世に殆ど「仲間」の残っていない彼女たちが出会ったのは、マンティコアのオペレーター適正演習が行われた翌日のことだった。

 

 

「ああ、ウタゲか。どうした?」

「……」

少女が野暮用で執務室を訪ねると、申し訳程度の白衣の上に真っ黒なフード付きコートを羽織り、真っ黒なシールドで素顔の隠れる鉄兜(マスク)を装着した上司が、一人きりの部屋で()()()()()()()()()()

 

…けれどもウタゲは(すんで)のところで気付くことができた。最近、とてつもなく気配の薄い新人がここロドスに密航してきたのだということを。

「あ~、もしかしてドクター、例の新人ちゃんと話してたりするの?」

「よく分かったな。」

ヨカッター、知ってて。そうじゃなかったら今すぐに医務室に駆けこんで「ドクターを殺したくなかったら今すぐドクターに()()()を用意しろ!」って叫んでたよ。

「今も、そこにいるぞ。」

『…え……?』

そう言ってドクターと呼ばれる上司が指さしたのは部屋の隅に置かれた観葉植物だった。

「うわ、ドクター、めっちゃ避けられてるじゃん。」

「いや、それはお前が来たからだ。それまでは今()()()()()()()()()()()()()()()()。」

「…ふ~ん。」

なんか、釈然としない気分になった。

…でも、こんな形でも彼女に会えたこと自体はラッキーなのかもしれない。

「こんにちは~、」

 

……あれ、返事がない。(さと)られないように誤魔化したつもりだったけど……、

もしかしてアタシ、もう嫌われちゃった?

「ウタゲ、彼女の声が聞こえないならこれを付けろ。」

そう言ってドクターが差し出したのは小型の無線機(インカム)だった。

「…でもドクターは、それなしで喋れるんでしょ?」

「いいや、私もそれができたらと思うんだけどね。なかなか難しいものらしい。」

ってことは直前までコレ、ドクターが使ってたんだ……。

「…ふ~ん、あー、もしもしー、聞こえる~?」

『…こ、こんにちは……』

コレ、思ったよりくすぐったいなぁ。それに、やっぱり()()()()()()()()()()

「話の腰を折って悪いけど、ウタゲ、私に何か用があったんじゃないのか?」

「ああ、いや、休暇申請を出しにきただけなんだけど……。」

ドクターのデスクの脇にはいつもの通り、目を背けたくなるような書類の山が龍門のビル群みたくひしめいてる。

…もしかしてこの子、ドクターの手伝いに来たのかな?

 

フェリーン耳の少女は迷った。

今、この場で自分の我がままを口にするかどうか。

別にアタシは、今すぐにドクターとどうなりたいとか考えてないし。今すぐ彼女に言いたいことがある訳でもないし……。

 

……ううん、多分、それもウソだ。

 

「ねえ、ドクター。この子、しばらく借りてもいい?」

『…え……?』

アタシが観葉植物さんを指して言うと、ドクターは少しだけ真剣にアタシたちを見比べた。

「…私よりも彼女に直接聞いてくれ。君が彼女にパワハラを働かないと言うなら私に止める理由はないよ。」

「何それ、アタシってドクターにはそんなキャラに見えてるの?」

言いながら部屋の隅に向かってチョロチョロと手を伸ばしてみた。

「もう少し右だ。マンティコア、彼女の手を握ってやってくれないか?」

「…お、これ?!」

いまいち触れてる実感はないけれど…、指はそんなに長くない。太くもないけれど、少しゴツゴツしてる。

「マジでいるんだ。てっきりドクターのイマジナリーフレンドかと思ったよ。」

「それが本当だったら毎日、執務室は賑やかで仕方がないだろうな。そして誰も寄りつかなくなるだろうさ。」

「ご、ゴメンって。ジョークだから、怒んないでよ。」

割と本気でイジけてる。ドクターって、そんなカワイイポイントもあったんだ。

『…こにち、こん、にちは……』

「あ、ゴメンゴメン!こんにちは~。それで、マンティコアちゃん?少しアタシとお茶しない?」

『……』

……あれ?やっぱりアタシ嫌われてる?

「大丈夫だ、彼女は優しい人だよ。」

「え、何それ?もしかしてアタシ、恐がられてんの?」

「気にするな。少し人見知りなだけさ。君が本当に私利私欲で彼女に近寄っているんじゃなければ自然と心を許してくれるよ。」

「うわ、ドクターそれ、アタシの印象悪くしてるの分かって言ってるよね?」

「ハハ、マイナスからスタートした方がウタゲの個性的な魅力に気付きやすいだろうと思ってね。それを知ってる私なりのお節介さ。」

「…ちょっとさ、ドクターはたまに意味わかんないこと言うよね。」

そういう所が、ちょっと迷惑だってのに……。

 

 

――――ロドス艦内、カフェテリア

 

ドクターの勧めで簡易モニターとカメラも借りてきた。

これでバッチリ顔も見えるし、会話も弾むはず……とはならなかった。

マンティコアは思ったよりも本気でアタシに怯えてた。まるで、そうしていないといけないみたいに……。

「あのさ、名前、なんて呼べばいいかな。」

『え…、マ、マンティ、コア……、』

「あ~、違う違う。コードネームじゃなくて、友だちとしてなんて呼べばいいかってこと。」

『…と…、友、だち……?』

「そ。アタシね、アナタと友だちになりたいんだー。」

彼女の事情は軽くしか知らないけど、それでも本名があるのかどうか怪しいし。そもそも今のアタシたちの関係で、そんな深い所に土足で入る訳にもいかないから。

むしろ、アタシは()()()()()彼女に会いたかったんだし。

「う~ん、そうだなー。マナ、もしくはマナティなんてどうかな?カワイイと思うんだけど。」

思いつきにしては「マナティ」がアタシの胸に結構深く刺さった。

…でも、かなり警戒されてるみたいだし、あんまりアタシの趣味を丸出しにしない方がいいのかな。定着したらカワイソウかもだし。

 

『……』

「アタシのこと、苦手?」

モニター越しの彼女が余所々々しげに頷いた。

――――私は、それが許せなかった。

…と、言い方が悪いか。訂正、アタシはそれがすごく悲しかった。悲しかったし、受け入れたくなかった。

「そっか~、でもアタシはさ、アナタとは仲良くできる気がするんだよね~。」

『…ど、どう、して……?』

彼女にだって選ぶ権利くらいある。そんなこと分かってる。

でも、アタシはアナタのことが知りたい。

…だって、悲しくない?こんな広い世界で、アタシたちが同じ船に乗ってるのって相当奇跡的なことでしょ?それなのに、友だちになれないなんて……。

 

アタシはイヤなの、そんなの。だから……、

「ん~、なんて言うかな…。フィーリングってやつ?そんなの感じたりしない?」

仲良くなろうよッ!

『…わか、らない…。でも…、なぜか、ウタゲの匂い、少し、懐かしい感じ、する……。』

でしょ?でしょ?!わかってんじゃん!ってか、しれっと名前呼んでんじゃん!

なによ、知らない間にデレてんじゃん!……っと、落ち着け…、落ち着け……、

「嫌じゃない?」

『…うん……、』

「マナって呼んでもいいかな?」

『…うん……、』

やった、ヤッタ!!なんだ、アタシってばやれば結構できる子じゃん!

俯く顔にはまだ余所々々しさは残ってるけど、それでも一歩近づいたことに変わりはないよね!

 

柄にもなく有頂天になってたら知らない間に、しゃなりしゃなり、お上品な(なり)(ヴァルポ)の姉さんがトレーを持って、さっきの執務室前のアタシと同じ目付きでアタシを見ていた。

「…ウタゲ、大丈夫?疲れてるの?」

「い、いや、ラナ姉、違うよ?イマジナリーじゃないよ、リアルフレンドだから!」

「い、いまじなりー?よく分からないけれど、要するに独り言じゃないのよね?」

アタシは慌てず落ち着いて、マナが周囲に気付かれにくい体質であることと、先日、ロドス艦内に響き渡った警報器の原因であるお騒がせな女の子であることを織り交ぜて紹介した。

ラナ姉は理解力のある人だし、普段からあまり動じない性格もあって、すんなりとマナのことを受け入れてくれた。

「へぇ、ここに人がいるのね。全然分からないわ。」

『…こ、こん、にちは……、』

「はい、こんにちは。それにしても珍しいわね、ウタゲがあんなに積極的に話し掛けるなんて。」

「へ?」

ラナ姉のやんわりとした言葉は時折、狙い違わず的の中心をズバッと射抜いてくる。それも細っこい弓矢なんかじゃなく、ゴリゴリのコンバットナイフで。

「そ、そう?アタシっていつもこんな感じじゃない?」

「…そうね、私の勘違いだったみたい。ごめんなさい。」

それに彼女はアロマセラピーのプロだから、「表面」の部分よりもむしろ「隠してる」方が見えやすいのかもしれない。

だから気付きこそすれ、ズカズカと立ち入ってくることもない。

 

「まあ、なんていうかさ、マナと気が合う気がしたのは本当だけどね。」

「へえ、マナっていうのは本名なの?」

『…う、ううん、ウタゲが、付けて、くれた…、ニック、ネーム……、』

「あら♪」

…なぜだろう。いつもなら他の子とは違う、シックな感じのオシャレを語り合う良い友だちのはずなのに。

今はとてつもなく、ウザい。

例えるなら、久しぶりに会った親戚のばあちゃんみたいな……。

 

マナに気付かれない程度に彼女を睨むと彼女はすぐにアタシの()()()()()を理解したらしく、()()()()()()()()()で誤魔化してきた。

「ふふ、ごめんなさい。なんだかウタゲがいつもと様子が違うから、ちょっと揶揄ってみただけよ。だからそんなに恐い顔しないで。」

「まあ、いいけど。」

『…ウタゲ、この人は……?』

「ああ、ごめん。紹介してなかったね。」

アタシはマナにラナ姉の紹介と、付き合う上での「注意点」を説明した。

ラナは本名だということ。コードネームは「パフューマ―」で、ロドスでの彼女の役割は精神面での医療をサポートすること。

そんな彼女の最大の特徴は、とにかく鼻が利くということ。

数日間洗わなかったオペレーターたちの靴下の臭いすら嗅ぎ分けた時は皆が妙に感動して、拍手喝采が巻き起こった。それと同時にラナ姉の不興も買ってしまい、アタシたちは洗わなかった日数と同じだけラナ姉の辛辣な言葉の餌食になったこともあった。

「料理が得意だからって大量のゴキブリやゴカイを調理させられてるようなものよ?どれだけあの汚物をアナタたちの口に突っ込んであげようと思ったことか…。むしろあの程度で済んだことに感謝して欲しいくらいだわ。」

こんな感じで、ラナ姉は静かに怒るタイプの人だった。

 

アタシたちはぎこちないながらも談笑し、マナにロドスでの普段の過ごし方を簡単にレクチャーした。

「それじゃあ、アタシはまだすることがあるから温室に戻るわね。」

『…お、温室……?』

「そう、ドクターに造ってもらった艦内の庭園よ。いろんな種類の花を育てているし、必要な人には植木鉢で提供することもあるわ。興味あるかしら?」

『…花、好き……、』

「あら、そうなの?多分、私かポデンコっていう女の子がいると思うから時間があれば訪ねてきてちょうだい。…ああ、ポデンコは気の小さい子だからあまり驚かさないであげてね。」

『…わかった……、』

 

不思議な感覚だった。

出会ったばかりの人と、暗殺(しごと)じゃない話を何時間もしてる。殺すでもなく、追い回されるでもなく。一つの椅子に腰かけ、美味しいものを食べて……、

 

…なんだろう、これ……、

 

 

 

『…お、おはよう……、』

翌朝、ウタゲは渡したいものがあるからとマンティコアを呼び出した。

「あー、おはよう、マナ~。」

『……』

不思議な気持ちだった。

声を掛ける前、ウタゲは他の人と楽しそうに話していて、私は近付くのを躊躇(ためら)っていた。

()()()()()()

嫌なら、帰ればいいのに……、

…私は、ウタゲに、会いたかったの……?

 

『…なに、してるの……?』

ウタゲは、唐突に用途のわからない棒状のものを数本取り出したかと思えば、私の手を取り、それで――画面越しに――爪を擦り始めた。

「ん?ファイルかけてるんだよー。マナ、手入れしてないでしょ?うわ、ここ割れてんじゃん。ダメだよー、女の子なんだからオシャレには気を配らなきゃ。」

『…よく、わからない……、』

「ま、アタシに任せときなって。」

薄いシートに高価そうな複数のジェル。手慣れた様子で荒野の少女の爪の割れや凹凸がみるみる間に補修されていく。

 

「じゃあ、仕上げいくね~。」

彼女は持参したスカイブルーのマニキュアで黙々と、丁寧に塗り上げていく。

『……』

「…ん~?どうした~?…ああ、なんかリクエストがあれば言ってね~。部屋に戻れば他にもいろいろ色があるから。」

彼女の言う「オシャレ」はよくわからない。だけど、今のウタゲの顔は今までになく真剣で、どこか……、

『……』

「…オシャレは嫌い?」

『…わからない…、でも、これ…、いい色……、』

「でしょー。マナのこと見た瞬間、ビビッときたんだー。きっと似合うってねー。」

『……』

「ぃよし、できた!どうよ、似合ってるんじゃない?」

ウタゲは少し引いてモデルの全身を眺めると、フェリーン耳をピクピクと陽気に動かしながら満足そうに笑った。

「うんうんイイじゃん、イイじゃん。思った通り、マナは澄んだ青が似合うと思ってたんだ~♪」

 

…わからない。何がそんなに楽しいの……?

体と頭の疲れを癒す食べ物も、砂嵐を避ける家もある。それだけで十分じゃないの?

 

…でも……、

 

自分の指先を眺めてみた。生まれて初めて、まじまじと……。

見れば見るほど不思議な感じになった。

そこには今、今までに数えるほどしか見たことのない見惚れるような青空があった。

……信じられない。それはオアシスも羨むような青で。砂嵐もビックリして逃げていくような綺麗な青なの。

「えーっと、あんま気に入らなかった?まあ、他にもいろいろデザイン変えたりデコったりするのも楽しいよ?」

『…う、ううん……、私、これ、好き……、』

本当に、不思議な気持ちが渾々と湧き上がってくるの。

自分が沢山の人を殺した「感染者(やくびょうがみ)」だってことも忘れてしまうくらいに……。

 

 

――――使い方の分からない言葉があった。

ただ、なんとなく、何度か仕事仲間に使ったことがあった。だけど、彼らにはなんの反応もなく、意味なんてないんだと思っていた。

だけど今は、自然と、「ここなんじゃないか」と思えた。

 

 

『…ウ、ウタゲ……、』

「ん?」

彼女は本当に()()()()()私を見詰める。

それが、怖がる私を勇気づけてくれているような気がした。だから……、

『…あ、あり…、ありが…、とう……、』

「……へへ、いいよー。」

不意に、喉の渇き一つ潤せないような小さなオアシスに、荒野を呑み込むような大きな波紋が立った気がした。

彼女の笑顔が、私の中の不思議な気持ちが、私の(ねどこ)だった赤土たちを見たこともない色に染め上げていく。そんな「蜃気楼」でも見ている気分になった。

この「言葉」はそのためにあったのかもしれない。

だけど、いつでもいい訳じゃない。ウタゲのような、あんな顔で笑ってくれる誰かと同じ気持ちになるために口にする言葉なのかもしれない。

だから……、

『…ありがとう……、』

 

初めての気持ちにのぼせた少女はもう一度だけ、おそるおそる呟いた。

 

 

 

 

それからは自分からウタゲに会いにいくことが多くなった。

温室にも行った。メランサの部屋や、私の入職を手伝ってくれたアンセルにも花を贈った。

他にも、私のことを知ってくれた人のところにはなるべく、忘れられないように通うことにした。

それが大事なんだって、ウタゲに教わった気がしたから。

…本当に、ウタゲには大切なことを教えてもらった。私がいた場所では必要のなかったことを。

それが私の不思議な気持ちをどんどん現実にさせてくれるんだってことを。

それなのに……、

 

私は「あんなこと」をしてしまった。

 

「ドクターやアーミヤに許可を取らずに作戦に参加したんだよね?」

「…うん……、」

ウタゲは、いけないことをしたのに何もわかっていない私を叱った。……わからなかった。だって、ドクターを助けられたら、それは良いことじゃないの?

「ドクターから何か言われた?」

「…ううん……、」

「そっか。じゃあ、まず謝ってきた方がいいね。」

「……」

ウタゲは私にもわかるように大事なことだけを口にした。

だけど、私にはわからない。ロドスは人を助けるところじゃないの?できるだけ人を殺さないようにするところじゃないの?

それをしてるのがドクターなんでしょ?だったら私がドクターの役に立てば、それはロドスにとって良いことでしょ?

 

……でも、本当は、なんとなくわかってた。

 

「…マナ、いい機会だから覚えておきな。”殺し屋”を止めたからって、アンタのやることなすこと全部がキレイになってる訳じゃないんだよ。約束を破れば信頼を失くすし、ウソを吐けば誰もアンタを頼らなくなる。そして、その”約束の中身”や”ウソ”を決めるのは周りの皆なんだ。もしもマナがロドスの皆と一緒に生きたいなら、これからはそういう努力も必要になってくるんだよ。」

「…わからない…、けど、行ってくる……、」

私は、「悪いこと」をしたんだ。

「……」

どうしてだか、ウタゲの顔が泣いているように見えた。

「……ウタゲ…、」

「ん?」

「…ありがとう。」

「え?」

「私も、いつか、ウタゲに、そう言ってもらえるように、頑張る。だから、傍にいて、欲しい…の……。」

「…うん、いいよ。」

あの時よりも控えめだけど、私でもウタゲを笑顔にさせられた。不思議な言葉だった。

「いってらっしゃい、マナ……、」

 

 

私はロドスに入って大切な人ができた。

とても、大切な人。

それは、ロドスに入る前に偶然出会ったこの三人の荒野に放置された死体(ドックタグ)みたいに、私のことをずっと見ていてくれる人たち。

一生懸命、私を見つけてくれる不思議な人たち。

 

「ありがとう」

 

何度も言いたい。何度も、笑ってみたい。

大切な人たちと一緒に――――、




※「ドクターね、みんな助けるの…、すごく、カッコいい……、」
強襲クリアボイスをイメージして書きました。アレで私は撃ち抜かれました(笑)

※ドクターの鉄兜(マスク)
ピ○シブ百科事典さんによれば、ドクターのあれは金属製なんだそうです。

※龍門(ろんめん)
私たちの世界でいう「北京」のような都市です。今回はその中でも栄えてる中心部のことを指しています。

※数日間洗わなかった靴下の臭いを嗅ぎ分ける
むしろ、臭い方がそれぞれの臭いの特徴が出て分かりやすい…のかも?(笑)

※ファイル
爪ヤスリのことを英語で「ネイルファイル」というそうです。

※ドックタグ
兵士が戦死した際、身分を証明するための(首から下げるタイプの)認識票のことです。
「アークナイツ」原作のマンティコアのボイスで「人が存在していた証、集めるの好き」と言っていますが、私解釈では、
自分で殺して集めるのではなく、埋葬されず戦場に放棄された死体。仲間に捨てられた死体。誰にも顧みられない存在に同情したんじゃないかなと思っています。
朽ちるまで荒野に置き去りにされるくらいなら、せめてその「存在の証」だけでも私と一緒に行こう。
みたいな感じじゃないかと。

※マンティコアとウタゲ
実際に、原作のマンティコアの「回想秘録(サブストーリー)」で、安静にしていたマンティコアの宿舎前までウタゲがやって来るというシーンがあります。
どうして「ウタゲ」なんだろう?と思った時、「あっ!」と思いましたね。
「マンティコア」はペルシャ発祥の怪物、マンティコアをモチーフに。
「ウタゲ」は日本の妖怪、(ぬえ)をモチーフに。
(一般的に認知されている)マンティコアは人頭にライオンの胴体、サソリの尻尾。
鵺は猿の頭に狸の胴体、虎の四肢、そして蛇の尻尾。
「……シナジー!」(実際にそう叫びました(笑))
ということで少しやり過ぎた感もありますが、二人だけの回をもうけてみた次第です、ハイ。

※全くの余談
今回の限定ガチャで貯めてた20回分の資源全部溶けましたね。課金もしましたよ。「ああ、天井か…」と思いきや、280連で出るという(笑)
「そこまで行くなら300まで逝けよ!」と心の中でツッコみました。(口にしてしまうと次回が恐いので思い止まりましたけどねwww)


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毒針を隠す少女 おまけ(終)

この回はオマケ回でいくつかの小話を詰め込んでいるので長くなっています。
時系列はランダムです。過剰なおふざけ要素もありますのであしからずm(__)m



●おまけ その一 【それでも私、価値、ある……?】

 

 

……そこは、最高裁の目さえ逃れる現代社会が産み落とした至高の処刑台。それに魅入られし者の目には、人間の脳をパズルのピースのごとくバラバラにしては敷き詰める悪魔たちのまな板に映るかもしれない。

まな板は執拗なまでに私を吸い寄せる。薄っぺらな白い長方形の解体包丁が今か今かと私を待ち受けている。

逃げ場などない。私はここに縛られし憐れな奴隷なのだ。

常しえに、()()()()()()()()なのだ。

 

せめて苦痛を抱かず逝かせて欲しい。そんな愚者に許されし漆黒の液体を聖杯に満たし、私は罪の深淵に飛び込んだ――――

 

 

 

 

 

 

――――それから8時間後、

 

その部屋の前に立った少女は、心なしか室内がいつもよりも淀んで感じられた。

「ドクター、調子はどうですか?」

「……」

「…ドクター?」

「…!?…あ、ああ、()()()()()()()()()()()()。すみません。…かの銀槍を頂く国の掲げた試練が私の中に眠りし睡魔(セイレーン)を呼び起こしてしまったらしいのです。」

「……え?」

 

少女は怪しい研究に没頭する奇術の国、リターニアへも訪れたことがある。

彼女には、彼らが紙片に走らせるミミズの這い回るような難解かつ不吉な呪文を今、憧れの恩師が唱えたように聞こえた。

人類が未だ遭遇したことのない未知の生物が、彼方からの訪問者が口を開いたかのように感じられた。

それは、振動する空気を粘液に変えたかのように不快で、体内に侵入されたなら悪寒で体温が3度は下がってしまうのではないかと思えてしまう程だった。

 

………まあ、端的に言うと、彼女はヒいていた。

 

「……ド、ドクター、少し休みますか?」

これまで、何人(なんぴと)にも成しえない輝かしい功績を我が物としてきた彼女の素晴らしき恩師は、彼女を見上げると乞食のように震える手を差し出した。

「…私を許してもらえるのですか?こんな醜く惨めな、私を……。あぁ、兎の女神(ウェネト)さまっ!」

「ドクターっ!医務室へ行きましょうっ!今すぐにっ!」

それはもう、少女を蒼白とさせるのに十分な奇行だった。

「とうとうヤってしまった!」少女はそう思い、自分の失態を心から呪った。

 

 

――――医務室

 

「アーミヤさん、安心してください。単に、中度の過労からくる判断力の低下です。ただでさえドクターは働きすぎなんですから。その上にこんなにカフェインを摂って……。」

…それは果たして安心していい診断結果なのか?

栄養剤を打たれ、いくらかハッキリした頭で私は主治医の言葉を疑った。

それを言葉にしないのは、彼女の性格をよく知っているからだ。

「それはそうとドクター、今日という今日は言わせて頂きますけれど……、」

いや、口にするまでもなく彼女のそれは発動してしまった。反省を知らない私を、日頃の鬱憤も織り交ぜて執拗なまでに批難するつもりなのだ。

そういう口煩(くちうるさ)いところは彼女の師によく似て……、いいや、彼女の場合、非があるのは常に私なのだが。

それでも、診断結果からすべき医師の勧告はもっと簡潔であるべきだと思ってしまうのは私の我がままなのだろうか。

 

 

「ドクター、少しは落ち着きましたか?」

丸々、一時間に及ぶフォリニック医師による説教を受けた後、私はアーミヤに見守られながらカフェテリアで()()()()()()を取っていた。

「すまないね、心配をかけて。もう大丈夫だ。本当に、少し疲れが溜まっていただけなんだ。」

夜ももう遅い時間帯だからか。カフェテリアには珍しく人気がほとんどなく、彼女の愛らしい声がよく響いた。

「ところで、あの映画のセリフみたいな文言は何だったんですか?」

今思い返してみると、自分でも理解し難い言葉だ。酔っ払ったナルシストよりもたちが悪い。

「…いや、今朝、シェーシャの源石武器の改良報告に1時間ほど付き合っただけなんだが……、」

そう感じた後で打ち明けるのは若干の引け目を覚えるが、それが真実であることに変わりはない。

「アハハ、なるほど…。あの人の言葉は不思議と耳に残りますもんね。」

シェーシャはロドスのエンジニアオペレーターで、アーツユニットの扱いが不得手なオペレーターにも使いやすいようにと優れた知恵を貸してくれる掛け替えのない社員の一人だ。

 

ただ、”奴”の()()()()調()は朦朧とする脳には刺激が強過ぎたらしい。こちらの良識的な思考がことごとく蝕まれてしまうのだ。

僅かに残った理性でどうにか仕事自体には支障をきたしていないようだが、あのまま会議にでも赴こうものなら(くだん)の「口煩いもう一人のフェリーン」にまた……、いいや、アイツの場合”量よりも質”で間接的に私の時間を奪ってくるだろう。

そういう手練手管(ボキャブラリー)の豊富さにおいては、さすが数々の歴史的事件を経験してきた人物だと認めてやらんこともない。

……だいたい、会社の記念日に携帯用の非常食を贈るなんて、何を考えているんだ、アイツは。

 

…それはさておき今回の件については、面接の段階でシェーシャ(やつ)に感じていた「厄介さ」を見逃してやった甘さが完全に裏目に出てしまったな。

今後、奴に会う時はイヤホンを付けてコメディ番組を大音量で聞きかつ、栄養剤を最低10本は打ってから臨むことにしよう。

アイマスクもあればなお完璧だ。

 

「ドクター、今日はもう休んでください。代わりに明日は私もお手伝いしますから。」

「…そうだな。」

確かに、今の状態でペンを走らせ続けていれば、いずれは大事な誓約書に誤字脱字を生むことになるだろう。

それでロドスを不利な状況に追い込むのであれば、ドクター(わたし)という立場はあってないようなものだ。

…それに、彼女の声色は平常であるものの、どこか「奴のようにはならないで欲しい」という切実な願いにも聞こえ、無下にできない気持ちにさせた。

「今、手を付けている書類が終わったら休むことにするよ。君を心配させてまですべき仕事は私の業務の中に一つとしてないからな。」

「……えへへ。」

「……」

アーミヤは、実の娘のように可愛く思う。

こうして自然に彼女の頭を撫られるのも、同じ屋根の下で誰よりも苦難を分かち合ってきたこの子だからこそ許せる行為だ。

彼女もまた、それが自分にだけ許された特権だと知っているからこそ、立場を忘れて喜んでくれる。

そして、その笑顔がさらに疲れた私を癒してくれる。

……本当に、気付かないところでこの子に助けられているのだと実感する。

「それじゃあ、また明日。お休みなさい、ドクター。」

「ああ、お休み、アーミヤ。」

CEOとしての風格を持ちながらも兎のような軽やかさで宿舎へと帰る彼女の姿を見て、私も体が軽くなった気がする。

さて、もう少しだけ頑張るとしようか。いざ、行かん()()()()()へ。

 

 

「……」

魔城に戻ってみると、まな板の上に身に覚えのないものが置いてあった。

「…私は、まだアイツに洗脳されているのか?…あぁ、いや……、」

どうやら女神様の白魔法はきちんと作用していたらしい。

私の残り少ないMP(りせい)で、ソレの正体をズバッと見抜くことができた。

「マンティコア、そこにいるのかい?」

私はデスクの上の無線機(インカム)を装着し、虚空に向かって呼びかけた。

 

『ドクター…、こんばんは……、』

おぉ、本当にいた。…まあ、インカム越しではそこにいるという証拠にはならないが。

それでも声を聞けばそこに彼女がいるような気がしないでもない。

これは彼女の「認識阻害」に抗おうとしているからなのだろうか。

「どうした?眠れないのか?」

『…ううん……、』

「じゃあ、社会見学か?」

『…ううん……、』

彼女に出会ってから、私はその言葉を一番多く耳にしている。

言葉の意味は「否定」だが、不思議と聞いていて不快な気分にはならない。

「…そういえば、太ももをケガしていたな。まだ痛むか?」

『…だ、大丈夫……、』

「……」

『……』

彼女はロドスに入職した。入職したと言っても、彼女に医療知識はないのですぐに仕事が与えられる訳ではない。たまにケルシーに彼女の尻尾から採取できる毒を提供するために医療部に顔を出すくらいで。

彼女は一人で大丈夫だと言っていたが……、やはり、暇なのだ。

 

「少し時間はあるか?仕事続きで精神的に参っていたところなんだ。良ければ少し私の話に付き合ってくれると嬉しいんだが。」

『…う、うん……』

もともと彼女の話し方は尻すぼみで歯切れが悪い。今回も肯定なのか否定なのか聞きづらかったが、立ち去る様子もなかったので前者として受け取れた。

「飲み物は何かいるか?」

『…いい、それより、ドクターの話、聞きたい……、』

「そうか、」

特別凝った話をする必要なんかない。

ここで私が経験した、他愛もない出来事を伝えればいいんだ。彼女はそれに飢えているのだから。

 

面白かった話から頭を抱えさせられる話まで。たまに、彼女に感想を求めながら―――感想といっても例のごとく「うん」と「ううん」で答えられる程度の感想だが―――小一時間ほど言葉を交わした。

その間、私はそこにいない彼女の姿を、履歴書の証明写真で補填し続けた。

こう言ってしまうと「自惚れ」か「勘違い」に聞こえるが、写真越しでもあの瞳には「人恋しさ」が宿っているのだと私はすぐに気付いた。

どんな形でもいい。彼女はロドスに「心安らぐ場所」を求めているのだ。

『……』

基本的に私が一方的に話している。だから彼女が黙って聞いていることに何の不思議もないのだが…。

「どうした?」

表情すら読み取ることができないというのに。どうしてだか、その沈黙は違って聞こえた。

そして、どうやらそれは的中していたらしい。

彼女は、おそらくはそれこそが私を訪ねてきた理由なのだろうという一言を呟いた。

 

『…ドクターは、どうして私を、棄てないの……?』

 

…私が話した日常の中に、自分が入り込めないと感じたのかもしれない。たとえ、ここでオペレーターとして働くことができたとしても、自分にはそんな「心に残るような存在」にはなれないと。

不安…、も少なからずあるだろうが、今の彼女の言葉は純粋な疑問に近いように思う。

だが、それを「今」、「私」が答えても意味がない。

「じゃあ、私が君を捨てる理由を教えてくれないか?」

『…え……?』

私たちが彼女に優しく接することは簡単だ。普段通りにしていればいいだけの話なのだから。だが―――、

「私には分からない。だから、教えて欲しいんだ。どうして君は私がそんなことをしなければならなくなると思うのか。」

トラウマや偏見、染みついた悪習慣は自分の意思(それ)を彼女自身が知らないことには何をしても治らない。

『…私、戦うことしか、できない。誰も、笑わせ、られない…。だから……、』

「…そうか。じゃあ、もしも本当に君がつまらない人間だとして、私はどうしてこうして君とお喋りをしているんだろうな。」

『…それは…、まだ、私のこと、知らないから……、』

忘れることさえ一時(しの)ぎでしかない。

鏡に映るたびにあの瞳が彼女自身に訴えかけるだろう。今感じている全てが本物なのか。彼らは本当に自分の味方なのか、と。

「確かに、君のことはまだ知らない。だがもしも、それで私がまだ君をつまらない人間だと見抜けていないなら、少なくとも、君は()()()()()()()()()ではないんじゃないのか?」

 

だが、自分の手で見つ出した「答え」は簡単には枯れない。

一度、根を張れば生涯、彼女を支える大きな木になる。日照りにも砂嵐にも負けない大木に。

『……』

「マンティコア、苦手なことは育てればいいんだ。どんなに時間が掛かっても。少なくとも、私たちはそうしようとする君を支えていられる。」

人は、そういう木の下に集まるものだ。

『…ドクター……、』

「なんだい?」

『…私、がんばるから……、』

その時、私は写真の女の子の姿が見えたような気がした。

 

……そういえば、あれから一枚も書類に手を付けていない。

…けれど、この船にはこんな私を支えてくれる女の子もいる。何も、心配いらない。

君も、私も。助け合える日がきっと来る。それが、ロドスだ。

 

 

 

●おまけ その二 【…みんな、ありがとう……、】

 

――――ある日の執務室にて(AM6:30)

 

「ドクターっ!」

オールバックのヴイーヴルがノックもなしに私の仕事部屋に駆け込んできた。

もしもこれがオペレーターを連れ立っての仕事の最中であれば、私はすぐさま「敵の有無」や「対処法」に頭を切り替えただろう。

だが今の私は、休む間もなく鞭打たれる利き手を励ますことに死力を尽くしていた。

「……どうした、ステイ。バーベキューか?それともエリジウムか?」

私はアリの行列のように少しでも気を散らせば、どこを見ていたか分からなくなるような細かな文字列を睨み付けたまま、手頃な日常茶飯事(クレーム)を上げてみた。

「…え?ああ、いや、すみません。ちょっと大袈裟だったかもしれません。」

普段、マスクの下に隠れているオールバックのイケメンは自分の取り乱しっぷりに気付き、胸に手を当てて深呼吸をし始めた。

「…?結局、何がどうしたんだ?」

ベテランオペレーター、ストームアイは容姿もさることながら、その仕事っぷりから一見シッカリとしているようだが実は間が抜けている一面も持ち合わせている。

それが一部女性陣からの人気を(はく)している。

 

「ああ、すみませんドクター。お忙しい時に。」

「それは気にしなくていい。それで、どうしたんだ?」

「……」

「どうした、急に黙り込んで。もしかして、記憶が飛んだとか言うつもりじゃあるまいな。もしもそうだとしたら君も立派なワーカーホリックの仲間入りだな。ハハハッ……、」

彼に皮肉を言ったつもりが、同時に自分を傷つけていることに気付いてしまった。…少し、休憩したいな。

「いえ、ドクター、もしかしてマンティコアに何か言いました?ついさっき、畏まってお礼を言われたんですが…。」

「……ああ、言ったな。君は衰弱した彼女を介抱しようとしたんだろ?そういう行為には感謝をすべきだと彼女に言ったんだ。…何かマズかったか?」

確かに、彼女にステイのことを覚えているかどうかを尋ねた時、「標的の顔、忘れない」などと不穏な言葉を口走っていた。もしかしたら何かあったのかもしれない。

私はペンを走らせながら頭の中では謝罪の言葉を列挙しなければならなくなった。

だが、彼はすぐにそれを否定した。

「い、いえ、お礼は嬉しかったです。ですが……、」

「なんなんだ君らしくない。ハッキリと言ってくれ。気になって利き手が言うこと聞かなくなるじゃないか。」

…もう手遅れだった。私が彼に視線を移した隙に親愛なる相棒は、これは好機と完全に休眠モードに入ってしまった。こうなってしまってはどこかの赤毛のコータスのように気のすむまで眠り続けるのだ。

「いえ、その時、なぜか彼女はやたらとドクターの話題を上げてくるんです。」

「…それで?」

先程から彼はご機嫌取りの商人のように私の顔色を窺い続けている。それが逆に癇に障る。

「…いえ、その…、怒りませんか?」

「なんだ、君は私に減給申請書まで書かせるつもりか?勘弁してくれ。」

完全に集中力を失くした私がペンを投げ捨てると、ステイは委縮し、言葉を詰まらせてしまった。

「…悪かった。少し疲れているんだ、許してくれ。それと、怒らないから続きを言ってくれ。」

すると彼は一大決心をした冒険家のように偉大な一歩を踏み出した…、そんな演出を求められた俳優の顔をしていた。

「彼女、ドクターに気があるんじゃないかと……、」

 

「……ステイ、」

「……はい、ドクター、」

「……頼む、帰ってくれ。」

 

その後、社長が耳元で不穏な言葉を囁くまで私は爆睡を余儀なくされた。まったく、なんて会社だ。

 

 

 

――――行動予備隊A4、アンセルの宿舎(AM7:45)

 

 

コータス族のアンセルは種族の生態上、夜型の生活の方が性に合っていると公言していた。

だが、従業員の権利は平等に与えられなければならない。そのため――極力、考慮されてはいるものの――、当然、彼にも日勤は与えられる。

それは社員としての義務であり、彼にとっての苦行でもあった。

「……眠い……、メガネは……、」

数歩あるいて立ち止まる。

「あ、僕、メガネしてなかった……、」

こんな調子ではあるが、彼がベッドから這い出て夢遊病から立ち直るのにそう時間はかからない。これも、人の命を預かる医者としての責任感と、生来の彼の生真面目さが良い意味で働いていた。

 

「…よし。」

体温計を咥え、鏡に映った自分を見て健康状態を確認する。()()()()()()()()()()をよく噛んで食べ、歯を磨き、清潔な衣類を身に付ける。

ルームメイトを起こさぬよう静かに、とにかく真面目に、彼の身支度は進められていく。

「……」

使命感や正義感を大事にする彼にとって意義のある毎日ではあるものの、決して面白い毎日ではない。

特に、「鉱石病」は未だ治療法の見つかっていない病だ。遅かれ早かれ、皆死ぬ。それを念頭に入れて彼らと付き合わなければならない。

重篤者の安否を想いながら食事をする時は、バルブで固く閉ざされているのではないかと思うほど喉が物を受け付けない。延々と、味のしない葉っぱを咀嚼し続けている。

()()()()()()()()翌日は後悔や無力感で袖を濡らしてしまうこともある。

 

それでも彼の「身支度」が滞ることはない。

 

絶対の”希望”を掲げる人が彼の前を歩いているからだ。

その人は時に恐ろしい戦争人であり、時に迅速に損得勘定をはじき出す商人でもあり、皆を驚愕させる変人でもある。

それでも、彼はその人を尊敬している。

「足のない者の足を生やすことはできない。だが、足のない生活を豊かにすることはできる。それが私たちだ。」

涙の止まらない彼の頭をソッと撫でてくれたその人は「人生の放棄」を決して許さない人だった。

強引に、積極的に、恐れを知らず、「不幸」を捻じ伏せて進む人だった。

男の子である彼にはその人がどこか「勇者」のように映っていた。

 

少しでも遠くへ、あの人と歩めるのなら。

少しでも近くで、あの人と可能性を見詰められるのなら。

少しでも、あの人の助けになれるのなら。

 

彼はこの会社において、優秀な部類の人間には入らない。それでも、彼の真面目さは”希望”から目を逸らさない。積極的に、時に恐れを抱きながらも、新しい一歩を忘れない。

一日でも早く「助けられる人間」「護れる人間」になるため、彼はそれを怠らない。

 

「……ん、これは?」

全ての準備が整い、いざ扉を開けてみると、足元にピンクの花を植えた小さな鉢がポツンと置かれていた。

根本に添えられたメッセージカードには、彼女らしい簡素な感謝の言葉が書かれていた。

「アナタのおかげでロドスに入れました、ありがとう――マンティコア――」

「……」

彼は、自分の頑張れる場所が医務室だけではないことに気付くと、ほんの少し、頬を緩ませた。

 

 

 

――――訓練場、使用中、行動予備隊A1(PM1:00)

 

 

「さあ、フェンちゃん!一気に!」

「…本当にこれ、飲んで大丈夫なものなの?」

「もちろんです!さあ、さあ、遠慮せず!ぐぐいっといっちゃってください!」

「あのね、お酒じゃないんだから…。はぁ……、いくわよ……、」

生唾を飲み、対峙する強敵を睨み付け、青髪の馬族(クランタ)はぐぐいっと、いった。

「どうですかぁ?今回はかなり自信があるんですよ!」

「……ハイビス、果物が、入ってるのよね?」

「はい!桃やバナナ、今回は特別にイチジクなんてレアものも入ってますよ!」

桃は高級品だし、バナナは私も好きだ。確かに今回は気合いが入っているのかもしれない。けれど…、

騎士の国、カジミエーシュ生まれのクランタの瞳が、剣を折られ地に膝を着かざるをえない苦渋の表情に満ちていた。

「だったらどうして…、どうして一切、()()()()甘みが感じられないの?!」

胃酸が昇ってくる感覚に、フェンは必死で耐えた。どんなに未熟者であっても、分隊長としての威厳が彼女に死への恐怖にさえ屈しない忍耐力を与えた。

…ああ、でも、たくさん星が見えるわ……、

「でも、体には良いんだから!」

「…それが保証されれば私は犬のフンでも食べなきゃいけないの?」

「ああ、フェンちゃんひどい!!体調が良くないって悩んでたからフェンちゃんのために一生懸命作ったのに…、犬のフンだなんて…!」

医師見習いの悪魔族(サルカズ)()()()()()()を叩きつけられ、わなわなと目を潤ませ、大仰に顔を覆った。

「…ああ、ごめんなさい、ハイビス……。私も、言い方が悪かったわ。ただ…、アナタはまず普通の料理から覚えた方がいいと思うの。」

その物言いもハイビスカスには少し納得がいかなかった。それはやはり遠回しに「犬のフン」だと言われている気がしてならなかったからだ。

 

彼女は確かに同僚の体調を考慮した「健康食」を作ったはずだった。

新鮮な野菜を使い、高価な果物も惜しみなく使った。市販の野菜ジュースなんかよりは遥かに多くの食物繊維もビタミンも接種できる。

便秘気味で疲れが溜まりやすいと悩んでいた彼女に効果がないはずがない。

…そう、「効果」の面では申し分なかった。

唯一の問題は、彼女が料理において「健康」以外の項目で確かな「悪魔」の性質を発揮してしまうという点だ。

「味」というものを知らないのか。ただの「味オンチ」なのか誰にも分からない。一部ではわざとそうしている彼女の「娯楽」なのだと噂する者もいるくらいだ。

だが、そう言われても仕方がない。

食べ合わせ最悪、上等。旨み成分皆無、だからなんだ。「前衛的芸術作品」が理解されないのは世の常じゃないか。

……とまでは考えていなくとも、少なくとも彼女に料理の才能がないことは間違いなかった。

 

だが、驚くなかれ。「この世には瓜二つの人間が三人存在する」、その迷言をロドスは見事に証明してみせた。

彼女同様、「健康」にしか興味のない者。「とにかく夏までに痩せたい」と鏡の前で泣き喚く者がこのロドスの中に二人も存在したのだ。

彼女たちは自分の目標、野望のためなら「犬のフン」ですら望んで食べてしまう。

それが彼女の、独自の「健康食」への熱意を悪い方へ、悪い方へと伸ばしていくのであった。

 

そしてここにも、悪の芽を肥やしてしまう無知な少女が、二人の遣り取りを見守っていた。

 

「…おいしかったのに……、」

あろうことか。少女はその認めてはならない「味」さえ認めてしまっていた。信じられない。

そして、少女は感謝もしていた。自分がこんなにも早く回復できたのは、入職試験で本調子になれたのは、アンセルが用意してくれたあの「健康食」のお陰なのだと。

「…でも……、」

ハイビスカス、南国の活気をそのまま形にしたかのような生命力に溢れた存在とコミュニケーションを取るには、少女にはまだ勇気が足りなかった。

 

――ありがとう、飲み物、おいしかったです――

 

少女は空になった容器の脇にソッとメッセージカードを置いて立ち去った。

ところが、二人の遣り取りに気後れしてしまったのか。少女は自分の名前を書き忘れてしまった。

 

それが、槍使いの騎士を襲う、次なる魔王を召喚する儀式となったのは言うまでもない。

 

 

 

――――医療部、研究室(PM2:15)

 

かの魔女はあの日とは一変して黙々と業務に励んでいた。

「しかし、あのマンティコアはおしかったな。」

やって来て早々、よりにもよって彼女に名前を挙げられたことで、少女は取り乱してしまった。

しかし、腐っても元暗殺者。咄嗟に口を塞ぎ、尻尾を踏みつけることで、なんとか気配を隠し通すことに成功していた。

「…またそんなこと言って…。そんなことだから他のオペレーターにも誤解されてしまうんですよ?」

「フン、木を見ずして森を見た気になっている愚か者のことをなぜ気にかけてやらねばならん。」

「先生は前線にも出られるでしょ?ドクターも言ってましたよ?先生にもっと笑顔があれば休憩中に他のオペレーターが緊張しなくてすむのになって。」

「なに?(わらわ)に、笑えと?…今度あの唐変木に会ったら伝えておけ。妾の笑い声が聞きたくば、ロドスにモルモットのビュッフェコーナーを用意しろとな!」

「……先生、それ、矛盾してますよ。」

……

南国の花どころではない。

この魔女には二度と関わるまい。少女は固く誓った。

 

 

 

――――カフェテリア、厨房(PM5:00)

 

「イベリア風海鮮オムレツ、あがったよーっ♪」

「おう、これだよこれ!待ってたよ!…ああ、まったく良い匂いしやがる!また腕を上げたんじゃないか?」

活気のある調理場に腹を空かせた狼たちの歓喜の声が飛び交う。

「へへ、そうかな?」

「ああ、グムの飯があれば世界平和だって夢じゃあねえよ!」

「俺なんか、嫁に欲しいくらいだよ!」

殺伐とした仕事を終えた狼たちは愛らしい小熊をチヤホヤすることで日々の疲れを、心身を隅々まで癒していた。

それは、彼女が担当する時にだけ選べる、オペレーターたち一押しの特別メニューだった。

「えへへー、そう?もう、おじさんたちはお世辞が上手いなー♪仕方ないから今回だけオマケしてあげるよ♪」

「うお、マジかよ!サンキュー!」

「今度、トランプしような!」

これ以上なく満足して去っていく狼たちに、小熊は元気いっぱいに手を振って見送った。

「明日も頑張ってね~~!」

そんな彼女も立派な戦闘員であり、危険な任務に就けられることも少なくない。

彼女を愛する同僚たちは思う。彼女には幸せになって欲しいと。心から。

 

「……あれ?これ、おじさんたちからかな?」

――今度は、ちゃんと、食べに来ます――

厨房の無邪気な熱に当てられて、またしても名前を書き忘れてしまうマンティコアであった。

 

 

――――執務室(PM7:00)

 

「……」

…ドクター、まだ、働いてる……、

素顔の見えない不審な出で立ちの男は、机に憑り付いた怨霊のようにただただ黙々と紙を睨み、ペンを走らせていた。

ハラリ、ハラリと紙を捲る妖怪のように同じ動きを繰り返している。

 

けれども、彼は「仕事」をしている。

あの何でもない紙切れ一枚一枚が、枚数よりもたくさんの人の命を救う力に変わる。

その中に、自分が含まれている。

それだけでも、彼女にとっては信じがたいことで、惹きつけられるには十分すぎる魅力でもあった。

 

そしてこの男はまた、信じられない奇跡を彼女に魅せつけるのだった。

「……誰か、いるのか?」

え!?

マンティコアは思わず辺りを確認してみるが、この部屋には自分と妖怪以外に誰もいない。

ド、ドクター…、わ、私のこと……、

 

「…マンティコアか?」

信じられなかった。

気配を探る術はおろか、戦闘の心得すら(ろく)にないようなこの不健康な男がどうすれば自分を見つけられるのか。

しかし、これは紛れもない現実だった。

「…う、うん……、」

彼女は恐る恐る答える。……しかし、

「…気のせいか?」

……あれ?

「それとも、まだ私は信用されていないのかな。」

…ち、違う…、ただ、聞こえてない、だけ……、

今日はインカムも持ち歩いていない。「声」は伝えられない。けれども、

 

『私、ここにいる』

 

慌ててドクターの手からペンを取り上げ、紙の端に殴り書いた。

「…そうか。だがな、これは競合不干渉の契約書なんだ。できればこっちに書いてもらえるか?」

ああっ!

『ごめんなさい』

緊張と動揺で震えながら書いたそれは、契約書の細かい文字にも勝るとも劣らない難読な文字に仕上がっていた。

それでも流石は執務室の怨霊。それを難なく読み解いてみせた。

「ハハハ、落ち着いて。紙はまた用意すればいい。」

『私、棄てられない?』

「おいおい、まだそんなことを言っているのか?」

私は、バカだ!ドクターは、そんな人じゃないって、分かってるのに……、

「まあ、不安は一朝一夕には拭えないもんさ。マンティコア、ユックリでいいんだ。」

……ありがとう、ドクター……、

ドクターはまた、ちょっとした世間話で少女の心を癒した。

…ありがとう……、

 

少女はこの言葉を積極的に形にしたい。そう思ってペンを動かした。

『私、ドクターと一緒に、がんばるよ』

しかし、その想いとは裏腹に、彼女は唐突に人生の分岐点に立たされることになる。

「そのことなんだが、おそらく君はケルシー直属の兵になる可能性が高い。」

…え……?

「君のステルス能力はアレがしている独自の調査に大きく貢献できると判断されたんだ。」

ケルシー、今日は姿を見なかったけれど、入職試験でドクターと一緒にいた、ドクターと同じくらい偉いフェリーンの医者のことだ。

 

正直を言えば、マンティコアはまだ彼女のことを信用できないでいた。

それは単に、言葉を交わした回数が少ないからなのかもしれない。だが、彼女の言動がかもし出す物静かな「万能感」もまた、少なからず他人に「引け目」を覚えさせる要因になっていることも間違いなかった。

「けれど、私たちは社員に無理強いはしない。もしも君が望まないなら他の部署に就けることもできる。戦闘自体が嫌だというなら後方支援、諜報員でも構わない。」

……、

マンティコアは思った。この人は誰よりも自分のことを見てくれる。この人の傍にいればなんの問題もない。……だけど…、

『ううん、みんな、がんばってる 私だけ、我がまま言えない』

「…ロドスには、馴染めそうかい?」

……、

彼女は今日一日をかけて、ロドスという船の中を歩いて回った。

そこで彼女は知った。

『みんな、いい人』

不平不満は誰もが持っている。

それでも皆、ここにいたいと思って働いている。この船に住むの人たち、そうでない人たちのために、働いている。

その中には……、

『ドクター、私は働けるよ』

 

――――私も、誰かのために、働きたい

 

 

 

●おまけ その三 【ウタゲと私】

 

……最近になって、どうしてウタゲが私の友だちになってくれたのか分かった気がした。

ウタゲは「友だち」が欲しくて私に近付いたんじゃない。「仲間」が欲しかったんだ。

ウタゲが私と話す時と、他の人と話してる時の声色が違う。

それに気付いてから、なんとなく私もそれを意識するようになった。意識する程にウタゲのことがより近い人のように思えるの。

私とは似ても似つかない性格の人だけど、時々、「姉妹」のようにさえ感じることもある。

そんな時、私は本当にロドスに来て良かったと思う。

あの荒野をあと何年、ううん、一生歩き続けたって「ウタゲ」には会えなかった。

だから私は皆のために一生懸命、働くの。

そうしたらいつかまた、私たちの「姉妹」に出会えるかもしれないから……。

 

 

ロドスで生活するようになって随分経った。

たまに私に気付いてお喋りをしてくれる人がいる。その時にウタゲの名前を出すと、彼女のことを良くも言うし悪くも言う。それでも皆の口調から、彼女のことが好きなんだとわかる。

でも、ウタゲの本当の苦しみを分かっている人は多分、ほとんどいない。

「ウタゲに悩み?ないんじゃないかな。友だちは多いし、趣味も充実してるみたいだよ。この間なんか、海にも行ったらしいじゃないか。青春だね。羨ましいくらいだよ。」

そうじゃない。

そんなことじゃ私たちは癒されない。

皆にはいるのに、私たちにはいない。それはもう、どうしようもない。だからウタゲも皆に気付かれないように振る舞ってる。

ウタゲも、皆のことが好きだから。

彼女は今日も、あの気怠げな顔で笑ってる。皆のことが、好きだから。

 

 

●おまけ その四 【奇行と真実、そして魔王】

 

今日もドクターは元気です。

仕事の合間々々にやって来る女の子と楽しくお喋りをしている姿を見ていると、()()()()()()()()と私も安心します。

私だってドクターのことが好きです。ドクターにはいつまでも元気に働いてもらいたいです。

だから、私は女の子とお話をしているドクターの様子を見てドクターに割り当てる仕事の量を調節しています。

これにはかなりシビアな技術が要求されます。

何度かフォリニックさんに怒られてしまいました。ですが、そういう数々の()()を経て、今ではその見極めも随分と達者になったと思います。

 

ですが最近、ドクターがオカシな行動を取っていることに気付きました。

以前の「シェーシャさん」の時とはまた違った様子です。

心配になってケルシー先生に相談に行くと、先生は冷めた表情で「ああも人が変わると、この感情をどう処理すべきかと悩んでしまうな」と言って去っていきました。

結局、原因が何なのかは分かりませんでしたが、あの様子を見るにどうやら心配することでもないようです。

注意して経過観察したいと思います。

 

数日後、私はようやくその意味が分かりました。

つい先日加入してくださったマンティコアさん。彼女が最近ドクターの部屋を出入りしている様子がカメラに映っていたのです。

……なるほど、ドクター。今日も一生懸命がんばりましょうね!




※ウェネト
エジプトの、ウサギの頭を持つ女神様です。詳しくは分かりませんでしたが、とある州の守護神のようです。

※アーツユニット
アーツ(魔法)を扱う労力を減らしてくれる、または力を増幅してくれる道具。「魔法の杖」のようなもの。

※記念日に携帯用の非常食を贈る
一部ドクターにとっては、ホルマリン漬けにしてでも保管しておきたかった立方体……。
オペレーターたちからの手紙といい、記念品を「絶対に保存しておくモン!」みたいな機能はないものでしょうか(TдT)

※シェーシャの面接(小ネタ、ネタバレ…になる?)
シェーシャをロドスにお迎えする時(要するにガチャ)のセリフで、面接に適していない意味不明な言葉を並べる彼を追い返そうとする遣り取りがあります。

※CEO
「Chief Executive Officer(最高経営責任者)」の略です。
私もハッキリとは理解していませんが、おおまかには以下の通りだと思います。
取締役会(ロドスでいうケルシーやドクターのこと)が任命する会社の経営方針や事業戦略に関する執行権限を持った人。
ただし、経営方針や戦略事業の内容を決めるのは取締役会。
執行の権限を持ち、その責任は背負わされるけど、会社の代表はあくまで取締役会。
悪く言えば取締役会の立場を守るための手駒(ダミー)のようなもの?
……すみません、これが私の理解力の限界です(笑)

※バーベキューとエリジウム
簡単に言い換えれば「放火」と「男子高校生」ですwww
分からない方はぜひ「アークナイツ」をプレイしてみましょう!

※ストームアイ
公式の設定でも種族は不明になっています。
ただ、ヴイーヴル(ワイバーンモチーフ)?サルカズ(悪魔モチーフ)?鬼?のような角を持っているのでここでは仮に「ヴイーヴル」としました。

※青髪のクランタ
馬の毛色を調べてみたところ、「青毛(あおげ)」という品種なのに黒い毛色なんですね。
別にだからどうしたという訳ではありませんが(笑)

※分隊
軍隊の最小規模の集団(グループ)。10人前後が基本らしいですが、彼女の所属する「行動予備隊」は彼女を含めて5人です。

※「この世には瓜二つの人間が三人存在する」
下書きをしていた段階では誰かしら既存のオペレーターを指していたはずなんですが。ちょっと分からなくなってしまいました。
ちなみにマンティコアがハイビスの健康食を好んでいるという設定も公式ではありません。

※ホンマの後書き
いやあ、平行して2作品投稿するのは初め、無理だと思っていましたがなんとかなりましたね(笑)
公式のストーリーを土台に書いた、パクリのような二次作品ですが、自分としては中々に満足のいく仕上がりになったのではと思っています。
ただ一つ、残念なことがあるとすれば、ここまでマンティコアを推していながら、実際のアークナイツ内での作戦ではほとんど起用せず、秘書として睨めっこばかりしているという私の腕の無さですね(笑)

ということで『毒針を隠す少女』は今回でお終いです。
次作も下書きはありますが、あくまでネタとしての下書きなので、2作品同時投稿ができるほどには仕上がっていません。
なので、『鯨に戯れて』の次作は少し期間が空くと思いますが、もしも投稿された時にはどうかご愛読のほど、よろしくお願いいたしますm(__)m

ちなみに、執筆している時はずっとアークナイツ公式のEPを聞いてます。
最近のお気に入りは「Spark For Dream」です。あの美容室に佇むGGとのマッチ感が自分的に刺さりました。
いやあ、アークナイツ、音楽もメチャメチャ良いですよね!!(^_^)/~


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魅惑の海 ~包丁とナイフ編~ その一

人は経験を得て成長する。

人は、人を殺して壊れていく。

ならば、戦争や殺人など引き金一つで命を奪い合う争いは大麻を吸うよりも危険な行為ではないだろうか。

どんなに訓練された戦士であろうと、彼が「人」であろうとすればするほどに誰かを殺した罪悪感(けいけん)は彼の血を染め、血が彼の目に映る世界に水をやる。

いつしか、彼は気に留めなくなるだろう。……いいや、それと気付きもしないかもしれない。

自分の手に他人の血がついていることなど、あまりに見慣れすぎて。あまりに心地好(こわれ)すぎて。

自分が、笑って人を殺す「猟奇殺人鬼(サイコキラー)」になっていることなど――――、

 

 

 

……要するに、サラリーマンにも穏やかな休息は欠かせないということだ。

 

 

 

 

 

――――色鮮やかな花がアナタの目を楽しませます。笑顔の艶やかな人々がアナタの心を和ませます。

私たちは世界の書籍、音楽を余すことなく取り揃えて、アナタの来訪を心からお待ちしております。

ここは、この世に残された数少ない楽園”シエスタ”。波の音がアナタの鼓動と重なる時、アナタは「安らぎ」の本当の意味を知るでしょう。

 

そんな宣伝文句にそそのかされて彼らはやって来た。

 

 

 

 

――――シエスタ海岸線、ロドス設営海の家“海が好き”

 

「皆さん、楽しんでやすねぇ。」

「それだけ日々の業務にも真剣に向かい合っているということでしょう。」

強面の男二人は支給されたお揃いのエプロンを着け、簡易の調理場から海辺で戯れる同僚たちを温かく見守っていた。

 

夏、ロドス社員には交代で数日間のリゾート地でのバカンスが提供されることになった。

シエスタには「リゾート地」の名に恥じない様々な娯楽施設がある。

エメラルドグリーンとミルキーホワイトの海岸線。オシャレなブティックに、小粋なマスターの勤めるカフェ、さらには派手なビートで魂を揺さぶるライブ会場。

安息と興奮がふんだんに詰め込まれたおもちゃ箱、それがシエスタという観光都市だった。

 

「マッターホルンの兄さんは何かこの後の予定を決めてるんですかい?」

熊族(ウルサス)の青年は燦々(さんさん)と輝く太陽を見つめ、眉間に皺を寄せながら、相方の牛族(フォルテ)に尋ねた。

「そうですね。海も悪くないですが、明日はテラいちの豊富さを誇るという本屋に行こうと思っています。」

「へえ、兄さんはインドア派なんすね。」

「いいえ、私自身はどちらかといえばアウトドア派ですよ。ただ、知人へのお土産を買おうと思って。そういうアナタは?」

「俺ですかい?…そうだなぁ、」

ジェイと呼ばれるウルサスの青年はあまり遊ぶことに関心を持ったことがなかった。

実際に遊んで楽しかった思い出はいくつもある。けれど、今の彼は養父から引き継いだ小さな店に立ち、あの町と苦楽を共にすることが一番の関心事になっていた。

 

「そういやここって新鮮な魚を卸してるとこがあるんですよね?ちょっと覗いてみるのも悪くないかもしれやせんね。」

「ハハッ、アナタは何処にいても探究心を忘れないんですね。感心します。」

「やめてくだせえ、俺ぁただ、それが自分の性に合ってると思っただけで。そんな殊勝なもんじゃないっすよ。」

実際、覗いてはみるものの、本当に観光程度の気持ちでしかない。

たとえそこで良い商売相手を見つけたとしても、店のある龍門(ロンメン)とシエスタの間には“新鮮さ”に老化を与えるのに十分すぎる距離がある。

優秀なトランスポーターを雇ったとしても、彼の店の規模では赤字になるのが必至。

彼は商売で成功しようとも考えていない。ただ、あの街が住みやすい場所であればそれで良いと思っていた。

だからこそ「地産地消」それでいいじゃないか、というのが彼の考え方だった。

 

屋根こそあるものの、夏を謳うに相応しい炎天下で決して広くない調理場に並び立ちながら彼らは不満を覚えることはなかった。

時折やって来る同僚や一般客をさばきながら、彼らは仕事の疲れを感じさせない世間話に花を咲かせていた。

するとそこへ、あからさまな仏頂面を引っさげた美女が現れた。

「辛気臭いわねぇ、アナタたち。ここはシエスタなのよ?夏の海なのよ?カワイイ子の一人や二人引っ掛けてこようとか思わないの?」

陽の光で飴色に染まる茶髪。高身長でどこか男心をくすぐるような絶妙な肉付き。わずかに垂れた目尻は線の細い眉と相まって、おっとりとしていながらどこか挑発的な性格を垣間見せる。

数m歩けば頭に花の咲いた男たちが群がるような妖麗の狐族(ヴァルポ)は、店にやってくるなり冷めた目で二人を非難し始めた。

 

もちろん彼らは顔馴染みで、そういう不平不満も彼女にとっては挨拶のようなものだということも十分に心得ていた。

さらに、どうやら彼女はすでに少し酔っているようだった。

 

「そうは言いますけどねフランカの姐さん、アッシらは今日、給仕担当なんで。それに、姐さんも何か注文に来たんでやしょう?」

贅沢な休暇にスムーズなサービスは欠かせない。彼女は、店員のスマートな対応に満足そうに微笑んだ。

「カクテルと…、何か甘いもんでいいですかい?」

「そうね、コルコバードは作れる?」

「ええ、問題ありませんよ。」

白髪の強面と大柄な強面は分担し、あっという間に注文の品を用意してみせた。

その間にも美女の、美女ゆえの不満が二人にぶつけられた。

「それにしたってよ?二人とも勿体(もったい)ないと思わないの?海に来て、目の前には美女や美少女がよりどりみどりなのよ?なのにこんなムサ苦しい調理場で、男同士で肩を並べてバカンスを過ごすなんてさ。マッターホルンなんて、そんなイケイケに仕上げてるのに相手にするのはブロック肉とフライパンだなんて。あ〜、勿体ない!」

美女フランカは性格がルーズな訳ではない。時折みせるお節介がひどく遠回しなだけなのだ。

彼女とある程度付き合いのある者であればそれは、彼女が純情な自分を誤魔化しているからなのだと気付けるだろう。

そしてそんな彼女を愛おしいと思う「隠れファン」も少なくない。

 

しかし、目の前のウルサスとフォルテに関しては少なくとも「ファン」ではなかった。

「姐さん、姐さん、料理人てぇのは特殊な人種なんすよ。アッシらはここで飯を作ってウマそうに食べてもらえる皆の顔が見られるだけで結構幸せだったりするんです。」

「そうですね。アナタの笑顔も私たちの幸せの一つですよ。」

「……女の子とお喋りするより?」

「客に男も女もありやせんよ。」

「そこ!そこがズレてるんだって!」

夏の陽射しがそうさせているのか。どうやらこの困った客はどうあっても「恋愛の先達(キューピッド)」になりたいらしい。

こんな酔いどれの天使にあてがわれる「愛」が、果たして偽装表記でないと保証する会社があるかどうかははなはだ疑問ではあるが。

 

()()()の二人は、求めてもない「商品」を押し売りするこの「酔っ払い(てんし)」をどうしたものかと顔を見合わせた。

しかし、そういう面倒な人間には必ず一人や二人の保護者が存在するのが世の理だったりする。

「フランカ、アナタはどうしてそう人を困らせるんですか。アナタがそんな風だからアーミヤさんにも注意を受けるんですよ?」

黄金色の瞳が印象的な竜族(ヴイーヴル)が補導員のように慣れた調子で赤毛の天使の腕を乱暴に掴んだ。

それを振り払う天使の仕草もどこか、再放送のドラマ――いや、漫才かもしれない――を見ているかのように見慣れた光景に見えた。

「なによ、アーミヤちゃんだって色んな男引っ掛けてるじゃん。夏なのよ、リスカム?アタシだって良い思いの一つや二つ作ったってバチは当たらないでしょ?」

「フランカ…、アナタは十分、交友関係に恵まれてる方でしょう?そして、どこまで恐いもの知らずなんですか。」

「別に〜、それだけアーミヤちゃんが魅力的だって褒めてるだけじゃない。」

さすがは「パートナー」と言うべきなのか。

ヴイーヴルは相棒の注意を自分へと逸すと、スムーズに彼女を連行していった。

強面の二人はその後ろ姿を黙って見送った。

「…楽しんでやすねぇ。」

「…そうですね。」

 

そうして海辺を見遣り、注文をさばき、無駄話を楽しみ、二人の時間は有意義に過ぎていった。

そんな、傍から見たなら強面の悪魔どもが談笑しながら鍋を混ぜ、包丁を振り回す厨房に、正真正銘の天使が舞い降りた。

「ジェイお兄さん、交代だよ〜。」

「お、もうそんな時間ですかい?」

現れた小柄で愛らしいウルサスの女の子は息を弾ませながらやって来た。

「随分と楽しんできたみたいですけど、大丈夫ですかい?」

「へーきへーき、グム、体力ならお兄さんたちにも負けないんだから!」

 

……その遣り取りに、彼は以前から疑問を感じていた。

 

「兄さん、どうしたんですかい?そんな恐い顔をして。」

「あ、いや、なんでもありません。少し考え事をしていただけです。」

「大丈夫?マッターホルン()()()()、今日はラストまでだよね?あとはグムがやっておこうか?」

 

…少女は優しい。しかし、いつだってその一言は彼をチクリと傷付けた。

 

治りかけたカサブタを、まるでスクラッチかなにかのように少女は容赦なく引っ剥がす。笑顔で。無邪気に。

「…大丈夫ですよ、グムお嬢さん。最後まで一緒に頑張りましょう。」

けれども自分はもういい大人だ。そんなことで一喜一憂するのは情けない。

彼の良心と常識が、稀少な天使を傷つけるまいと母親のような抱擁力のある笑顔で彼女を許すのが常なのだった。

「うん、頑張ろうね!」

……この笑顔を護ることが私たち大人に課せられた使命なのだ。

 

彼の要らぬ正義感が折れるのが先か。天使が羽を失くすのが先か。

その日がやって来るまで、この愛らしい天使は未来永劫、彼のカサブタを剥がし続けるのだった。

 

…お達者で。

友人の心境をなんとなく察した強面の片割れは、閉店まで続くであろう抗うことの許されない闘いに健闘を祈り、静かにその場を去った。

 

 

 

 

しばしの休息を頂戴したジェイ青年は、特に当てもなく砂浜をブラブラと散歩していた。

昼も日中、魚市には明日の朝に行くとして、今日は適当な場所で腰を落ち着けて、本を読んで過ごすつもりでいた。

「…あれは……、」

ところが彼はそこに――()()()()()は特に大した事のない、けれども――、彼の予定を変更させるのに十分なものを見付けた。

 

「…釣れますかい?」

――――彼女は、昨日もそこにいた。

防波堤の先端に、海鳥(カモメ)のようにちょこんと腰掛ける狼族(ループス)がいた。

クーラーボックスはなく小さなバケツに水を張り、身の丈の倍以上ある磯竿をゆったりと構えている。

「……」

ジェイ青年の呼び掛けにはピクリとも応じず、彼女はただ静かに釣り竿を握り、穏やかな波間を見詰めていた。

バケツの中には、底を映す濁りのない塩水が入っている。目の前の大海原と同じように、風に撫でられて揺れるバケツは小さな波を立てている。

そこには雑魚一匹入ってない。

そして、それはただの飾りだとでも言うように彼女の視線はあてどなく波間に浮いている。

 

どう見ても()()()をしに来たようには見えない。リフレッシュもしくは考え事をするために竿を握っているように思えた。

でなければこんなにも、彼女と海をつなぐ釣り糸とウキに無関心なこともないだろう。

「…まぁ、そういう楽しみ方も釣りの醍醐味ってやつですよね。」

競泳目的のようなスタイリッシュな水着に、サンバイザーの付いた赤いコートを目深に被っている。

コートとざんばらな髪、そこから覗く表情こそ無害に思えた。だが、青年はそこに嗅ぎ慣れた不穏な臭いがあるのを見逃さなかった。

「隣、いいですかい?」

応えが返ってこないこともなんとなくわかっていた青年は、相手の様子を伺いながら静かに腰を下ろした。

 

釣り竿を握る彼女の横には、真新しい竿とは打って変わって使()()()()()()(もり)がある。

「海、好きなんですかい?」

返事はない。青年はかまわず話しかけた。

「俺ぁ、好きですよ。そこに鱗獣(りんじゅう)たちだけの町並みがあると想像するとなんだか親近感を覚えるんすよ。」

そうすることに何の意味があるのか彼自身、よくわかっていない。

「初めて潜った時、そこは別世界なんじゃねえかって感動したのを今でも覚えてやすね。」

だが、あの物騒な町で培ってきた彼の社交性が言っている気がしたのだ。

「俺の住む町の近くにゃ深い川もねえから感動も一入(ひとしお)でした。」

そうすることで、このループスが口を開かずとも「寡黙な声」を聞くことができるかもしれないと。

「だから、釣りってのは釣れても釣れなくても楽しいもんなんだと俺は思うんすよ。…まあ、俺が潜った海もこの海も本物の海とは違うらしいですけどね。」

「……」

ループスは応えない。まるで防波堤を形造る岩の一つだと言わんばかりに。

 

時折、横目で覗き見る限りでは彼女の表情に変化はなかった。

それどころか――彼が一定の距離を保っているからか――、身じろぎ一つする様子もない。

それは()()使()()()()という約束の表れでもある。

 

ループスは手入れのしていない尻尾を岩の上に投げ出し、ただ彼と潮騒の言葉に耳を傾けていた。

 

「……」

ジェイ青年は話しかけるのを止めた。

当初の目的通り読書を始め、彼女に倣って潮騒に耳を傾けることにした。

 

「じゃあ、アッシはこれで。」

太陽がほんのりと赤に染まり始める時分、青年は名前も知らないループスに「また明日」とだけ告げて去っていった。

 

 

 

 

――――翌日、

 

その日、非番のジェイは朝早くから活気づく市の人と鱗獣を目の保養にグルグルと巡った後、ブラブラと散歩をしながら例の場所へと赴いた。

「どうも。」

彼女はいた。昨日と全く同じ格好、同じ姿勢で。まるで置き物のように。

早朝ではないが、それでも浜辺ではようやく「海の家」がポツリポツリと店を開け始める頃合いだった。

()()()()()()()大して早い時間でもないが…、

「…ウキ、沈んでやすぜ?」

「……」

彼女は竿を「竿」として使っていないし、バケツに至ってはインテリアぐらいにしか思ってないように見える。

銛にもまた、()()()()()使()()()()()()()()()()()()()

「……」

銛の刃が、鱗獣の鱗や骨ではありえないような欠け方をしていた。かといってハガネガニ相手なら逆にこんな銛ごときでは刃が立つはずもない。

彼女は間違いなく昨日、銛を使ったのだ。

昨日は最終的に気を許した彼だが、たった一つの異変が、彼の警戒心を再び膨らませた。

 

しかし、それは昨日とは違う形で膨らんでいた。なぜなら彼女のそれがあからさま過ぎたからだ。

「…もしかするとアッシは、邪魔、してますかね?」

彼女自身の意思でしたことなのか。それとも他人に頼まれたことなのか分からない。

だが、そのどちらだとしても、あまりにも迂闊すぎやしないか?

 

彼女のその物腰はとても「素人」 には見えない。

だとすれば、ジェイがその変化に気付くくらいの洞察力のある人間だとわかるだろうし、彼がやって来ることも想定できたはずだ。

だからそれは敢えてそこに置かれているのだと彼は思った。彼に向けた何かのメッセージなのだと。

 

「これ以上関わるな」それとも…、「次の標的はキサマだ」か?

 

読み解こうにも彼女は一切口を利かず、それどころか眉一つ動かさない。物憂げに、海を眺めるだけなのだ。

ともすれば、自分だけが見ている蜃気楼なんじゃないかとさえ思えてくる。

良い人間か悪い人間か、わからない。生きているのか死んでいるのかも、わからない。

だからといってこれ以上近付くのは危険な気がする。

 

彼女は、彼の知っているどんな人とも違っていた。

「……」

青年は腰を下ろし、昨日の続き読み始めた。




※ジェイのお店
このお話は公式のアニメ「リー探偵事務所」を見る前に書いたものなので、ジェイのお店に対する認識の違いがあります。
原作のストーリーで「露店」と言っていたのでてっきりお祭りなどで出すような「屋台形式」のものなのかと思っていました(;´∀`)
実際は普通の八百屋やお肉屋さんみたいなしっかりしたお店なんですね。

※フランカの性格
下書きを書き終えた後になって彼女のプロフィール等々を閲覧しました。
……私なんか、誤解してない?
でもまあ、酔っ払ってる設定だし、いっか(笑)

※コルコバード
クラッシュアイスにテキーラ、ソーダ水ブルーキュラソーなどを加え、スライスしたライムをダイブさせた南国にピッタリな青いカクテル。

※シエスタの「海」
アークナイツの世界で「海」はかなり重要なポイントらしく、特定の地域の人間以外は接する機会が極端に少ないようです。
ちなみにシエスタのそれは「海」ではなく巨大な「塩湖」です。

※鱗獣
アークナイツの世界では「魚」のことを「鱗獣(りんじゅう)」と呼ばれています。
おそらくですが、そもそもアークナイツ内の各キャラクターが何らかのケモなので、それを形容するのに「魚」や「猫」などの言葉を使うことがあります。(アーミヤを”ウサギちゃん”と呼んでいる人がいるみたく)
なので、人間と獣を区別するためにこんな呼び方をするのかもしれません。

※ハガネガニ
金属の殻を持つ甲殻類(感染生物)。まじでかなり硬いです。(原作プレイ感覚で)

※ホンマの後書き
見切り発車です。一応、下書きは終えていますが、話の筋がチグハグだったりするところがあるので修正が間に合わず定期更新ができないことがあるかもしれません。
今回は2部構成です(プラスおまけ)。だいたい5、6話分くらいになるんじゃないかと思っています。
m(_ _)m


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魅惑の海 ~包丁とナイフ編~ その二

―――翌日、青年はまた休憩時間に彼女の様子を見にいくつもりでいた。

 

結局、先日の「(もり)」が何を意味しているのか答えが出せなかった。

同僚に話せば危険だと止められるかもしれない。けれども彼には――根拠はないが――、彼女が自分に危害を加えることはない気がしていた。

彼女の正体も目的もわからないのに。

それでも彼が会いに行こうとするのは……、

 

 

――――海の家“海が好き”

 

「ジェイお兄さん、ごめんね!」

幼いウルサスの少女はヒヨコのように小さく愛らしい頭と、やはりヒヨコのように若々しく愛らしい声で繰り返し頭を下げた。

 

たとえそれがどんな問題であっても、この絶世の愛玩少女の謝罪を前にまだグチグチと文句を垂れるような人間がいるのなら、そんなスクランブルエッグのような脳みその持ち主は一度、彼女のフライパンで矯正されるべきだろう。

 

もちろん好青年ジェイはそんな物騒な更生を必要とするような不良な人間ではなかった。

「気にしないでくだせえ。アッシは海や皆を眺めながら(ここ)で飯を作ってるだけで、まぁまぁバカンスってやつを満喫してますから。」

今日、当番の予定だったグムに友人からの熱烈な誘いが掛かったらしく、彼女はそれを断れなかったのだという。

「気が向いたら飯、食いに来てくだせえ。腕によりをかけやすから。」

「お兄さん、ありがとう!じゃあ行ってくるね!」

流行りのヌイグルミにもケージの中の小動物たちにも真似のできない、浜辺に映えるキラキラとした笑顔を浮かべ、彼女は元気一杯に駆けていった。

 

「君、良いとこあるね。」

相方(パートナー)の灰色のコータスが、朗らかな笑顔を青年に向けていた。

「…皆幸せだったら良いなって、俺ぁ思うんすよ。」

彼女の笑顔と、水平線とひと続きの青空が、そんな日もあったあの街の風景を思い出させる。

「…それに、見た目よりも優しいね。」

「ハハ、よく言われやすよ。お前の見た目はヤクザにしか見えねぇなって。」

「あぁ、ごめんね!そういう意味じゃなくて…。素直に良いなって思ったんだよ。」

青年は、訂正する彼女の「朗らかな笑顔」の中に、ほんの少しの愛情が混じっていることに気付く。

「まいったなぁ。俺ぁちょっと、褒められるのに慣れてないんですよ。」

「アハハハ!そうなんだ。でもダメだよ、周りの人が認めてるってことはそれは君の長所ってことでもあるんだから。」

「長所、ねぇ……、」

彼女はとても優しく、甘えやすい笑顔をつくるのが上手だった。…と言うと語弊があるかもしれないが。

 

「…少し、関係ない話をしてもいいですかい?」

「もちろん。」

青年は思った。彼女の笑顔は自分の故郷ではあまり見かけない。

そして、彼女にそれを身に着けさせたであろう経験や人間関係は、防波堤のループスには縁のないものなんだろうと思った。

「サベージの(あね)さんは口下手な人と接する時、何を考えてやすか?」

「…そうだねぇ、」

姐さんはほんの少し、勘繰るような目付きで俺を見たけれど、そこはやっぱり人付き合いの上手な人で。

敢えてそこを突っ込むような不粋(ぶすい)なことはしなかった。

 

「その人にいつ、自慢のキャロットパイを食べてもらえるかを考えたりするかな。」

「…それってぇのは、打ち解ける切っ掛けって事ですかい?」

「そうだね。話しててわかると思うけど、アタシもお喋りが上手って訳じゃない。どっちかって言うと、勢いに任せちゃうタイプだから。キャロットパイはその起爆剤みたいなものなんだよ。」

姐さんには人を和やかにさせる笑顔がある。

つい心を許してしまう屈託のない口調がある。

努力すればなんとかなるように見えて、それは生まれ持った才能と彼女を取り巻く気の合う仲間がいればこそ身に付けられるもののように思えた。

 

「もし、そいつが悪い奴だったら?」

話の筋を大きく曲げる俺の一言に、姐さんは素直に驚いていた。驚きこそすれ、それでも真剣に、俺なんかのために頭を巡らせてくれる。

だからこの人は良い人なんだ。

「…アタシね、ロドスに入ってからよく思うようになったんだけど、」

そして俺はまるで仕返しをされるように驚かされた。

「どうしてアタシたちはその人を()()()()って思っちゃうのかな?」

「え?」

「周りの人に迷惑をかけるからかな?それとも自分に都合が悪いからかな?もしくは、法律(ルール)を破るから?」

「…それは……、」

俺がそう見られる時はいつだって「人相が悪いから」ってだけだ。

誰にも迷惑はかけてねえし、ましてや町のルールを破ったことなんか一度だってありゃあしねえ。

…そう考えると、あの人だってそうだ。

何もしちゃいねえ。ただ、俺が今までの経験で一方的にそう感じてるだけだ。

だから……、

 

「分からないよね。アタシも分からないんだ。考えてたらだんだん自分も悪者に思えちゃう時だってある。」

(ドン)の親父も似たようなことを言ってた気がする。

「悪人を悪人だと見てる奴もやっぱり悪人なんだよ。」

あの時は親父もだいぶ飲んでたから。ただのたわ言なんだと思ってた。

それでもこうして憶えてるのは、その後に親父がこうも言ったからだ。

「テメエが悪人だと(さげす)まれても、テメエの正義を曲げるんじゃねえぞ。俺たちは、どんなに大したことのない人間でも、あの店で人を幸せにすることができるんだ。そうだろ、ジェイ坊?」

…もしかすると、俺が「危険な人だ」と感じているあの人も、誰かを幸せにしようとしているんだろうか?

俺が理解してないだけで。

 

だったら、俺がこうやって彼女の善悪を見抜こうとしていること自体がお門違いってことなんじゃねえか?

「でもさ、」

姐さんは苦笑いを浮かべながら続けた。

「ロドスには悪人っぽい人って何人もいるでしょ?」

「確かに。」

嘘か本当かは分からねえが、密売人に殺し屋、それに――俺はあんまり関わってねえが――、レユニオンって犯罪組織を足抜けした奴もいるらしい。

「それでもさ、ドクターはその人たちとだって上手くやってる。付き合い方は違うかもしれないけど、平等に“仲間扱い”してる。そう思うと、もしかしたら“悪人”って決めつけることが“悪”なのかもしれないって思えてくるんだよね。」

…そうか。俺はようやくあの酔っ払いの言葉の意味を理解した気がした。

それと同時に、大将はやっぱりすごいお人なんだと改めて思わされた。

直接(さと)さなくても、こうやって周りの人間を育てられるすげえ人なんだって。

 

「…姐さんはドクターみたくできやすか?」

少なくとも、俺に真似できるとは思えねえ。

なんたって、数年前の親父の言葉を今になって理解するような出来の悪い奴なんだから。

だけど、それは姐さんも同じことを考えているようだった。

「う~ん、難しいよね。ドクターはアタシたちよりも沢山の経験をしてきて、それでいてあんなに努力してる人だから。やっぱり一朝一夕じゃ真似できないよ。」

「尊敬してるんすね。」

「そうだね。時々あの人の皮肉にはムッとすることもあるけど、それも含めてドクターは本当にすごい人なんだよ。」

家族を自慢する母親ってのはこういう顔をするのかもしれねえ。

それだけ、姐さんの頬は緩んでいた。

「……、」

「君はどうしてその人のためにそんなに悩んでるの?」

「え?」

思ってもみないことを言われて、思わず間抜けな声を出しちまった。

 

…俺は、()()()()()()なんて考えてるのか?

俺はただ、あの人が仲間に危害を加えるかもしれないって思ったから近寄っただけだったはず。

「多分だけどね。君は優しい人だから。その人のことを大事に思ってるんじゃないかなって思ったの。」

「……」

「ゴメンね、変なこと言ったかもしれないね。あんまり考え過ぎないで。良い人間関係はいつだって自然体でいられるかどうかだから。」

その言葉を体現するように、姐さんの笑顔にはとても他人とは思えない親しみやすさがあった。

 

()()()()()()()()()()()()()、良かったらアタシのキャロットパイ食べてみない?」

サベージのキャロットパイ。それはロドス内でかなりの評判があり、パーティーでは必ずテーブルに並ぶほどなのだとジェイは強面の相棒から聞いて知っていた。

それを食べれば、誰もが彼女の虜になるのだと。

「…俺ぁ、上手く姐さんの罠に掛かったって訳ですね。」

「フフ、そうだよ。君も今日からワタシのファミリーだ。よろしく頼むよ、ジェイくん。」

少しおどけた演技を交わし、二人は姉弟のように笑い合った。

 

仕事は楽しく、仲間は優しい。

なのに、俺は一日中あの人の、波に(さら)われてしまうような静かな横顔が頭から離れなかった。

 

 

 

―――バカンス最終日

 

その日は前日のお礼だとグムが当番を代わり、丸一日、予定が空いてしまった。

「……」

せっかくのリゾート地。行きたいところがない訳でもない。普段、関わりのない同僚と遊ぶのもいいかもしれない。

そういう数少ない機会をフイにしてでも、青年の足はあの防波堤に向かうのだった。

 

「……」

あの人は変わらずそこにいた。変わらず、海を見詰めていた。

「釣れますかい?」

「……」

返事は(はな)から期待してない。むしろ今さら気さくに返されても俺のほうが困っちまう。

…なんだか、今日の自分はいつもと違う気がした。

妙に、落ち着かない。

 

「……」

次第に、沈黙まで気まずくなってきた。…俺が?人前で緊張するような上等な人間でもないくせに?

「……」

それでも青年は声をかける言葉が見つからず、ただ彼女を見詰め、想いに(ふけ)るばかりだった。

 

俺はこの人に何を感じているんだろうか。

この人はいったい何者なんだろうか。

そして、俺はどうしてこんなにもこの人のことを気にかけているんだろうか。

 

勘違いされやすい面立ち。そのせいで、俺は今まで散々周りに振り回されてきた。

危ない目にも何度も遭ってきた。

…この人は今までどんな人生を送ってきたんだろうか。

「……」

だからって、どうすればこの人のことを知ることができる?

俺にとっての「キャロットパイ」って何なんだ?

 

彼女はそこにいる。釣りもしない竿を握り、ただ静かに揺れる波間を見詰めている。

…そして、彼女からは「血」の臭いがする。

それは青年の生きる世界とは違う臭い。それでも青年は、ほんの少しの決心をする。

彼女に見た「悪」を()(くぐ)って、「彼女」へと歩み寄る。

 

「ほんの少し、俺の話をしてもいいですかい?」

「……」

彼女は何も言わない。けれど、今の青年にはそれが彼女なりの「肯定」なのだと思えるようになっていた。

そんな都合のいい解釈をしている自分に気付いた時、これは「聞いて欲しいこと」じゃない。「口したいこと」なんだと、青年はぼんやりと思った。

 

 

龍門(ロンメン)の下町で生まれ育ったからか。俺ぁ、ちっとばっかし血の気が多いんです。」

青年は海を挟んだ向こうにある、遠い、遠い生まれ故郷を想った。

容易に浮かぶ雑多な景観。聞こえてくる物騒な遣り取り。そして、口に入れると生きてることを実感する温かな飯。

それらが自分を育てたんだと、ロドスに来て――町の外に出てみて――彼は痛感した。

「そこで俺は飲食店やってて…。俺一人で回せる小さな店ですけどね。…それで、迷惑な客と揉めたことがあるんです。まぁ、龍門じゃあ大して珍しいことでもないんでさ。」

無銭飲食をキメようとした不良ども。町の人に手を上げるゴロツキ。

どいつもこいつも(ろく)でもねえ奴らだった。

だから俺もあまり深く考えずに手を出した。

 

「俺は、誰かのためを思ってやったつもりでいたんです。」

そうだ、それこそ俺は誰かのためを想って、俺の育った町を護るためにやったんだ。

悪人がどうのという話以前の問題だと思った。

「それなのに、菫の親父は俺を叱りつけたんです。”どんなに腐った奴が相手でも手を出せばテメエの負け”なんだそうで。」

実の親は早くに他界した。あの魚団子を作ることしか能のない、冴えない人だけが、俺の家族だった。

そんな頑固で、屁理屈で…、そんで人情味のある菫さんは、一度だって俺の拳を褒めたことはない。

「ジェイ、お前は筋が良い。団子の味も悪くねえ。だから、もっとシッカリしな。」

菫さんはあの下町を愛してる。仲間も、町並みも、店の味も。

それなのに、町のためと思ってる俺を褒めてくれないのはなぜなんだ?

菫さんはいつも俺に理解できねえ言い回しで俺の道理(すじ)を迷わせる。

「…アッシには未だに理解できませんがね。」

それが、今の俺が出せる精一杯の答えだった。

 

俺には悪たれどもを殴ることができる。町の誰かが血を流さずにすむ拳が付いてるんだ。

だったらそれを使うのが筋ってもんじゃねえのか?目を逸して魚相手に包丁突き立ててる方が町のためだってのか?

「テメエに奴らを倒す力があるって?自惚(うぬぼ)れるなよ。ねえよ、そんなもん。」

だったら俺が追い払ったゴロツキはなんなんだ?俺に感謝の言葉を掛けてくれたあの人たちはなんなんだ?

「だったら、そいつらがテメエの団子を喰って金を払ったことがあるか?」

「…はい?」

その時ほど親父が理解できない時はなかった。だからこそ出た、心の底からの声だった。

すると親父はそんな俺の顔を見て大笑いをしやがった。

「ハッハッハ、そらみろ!テメエの力なんざまだまだそんなもんよ。拳を振り回していい気になってるだけの小僧ってことさ。」

「……じゃあ、親父はどうなんでぇ。親父だってアイツらに金を払わせたことなんかねぇじゃないですかい。」

あの時、もしかすると俺は言っちゃならねえことを言っちまったのかもしれない。

それまで威勢の良かった親父が、どこか昔を懐かしむような、何かを諦めたような顔で俯いた。

けれど、俺の前だってことを気にしてか。すぐに顔を上げて言った。

「そうさ、だから今はお前も店に立たせてるんだ。俺は不出来だったが、ジェイ坊、お前は違う。磨けばこの町一の魚団子屋になれるんだ!」

笑ってたが、目尻が薄っすらと濡れているのに俺は気付いてた。

「だから、地道に頑張れよ。”急いては事をし損じる”だ!」

そしてまた、親父の都合のいい教訓が一つ増えた。

 

……そうだ。親父からもこの人と同じ臭いがしたんだ。

うまく「鱗獣(りんじゅう)」で誤魔化した気でいるのかもしれねえけど、「鱗獣」の臭いと「人」の臭いを間違えるほど俺の鼻はバカじゃねえ。

だからなのかもしれない。俺がこの人のことをこんなにも考えてしまうのは。

だからなのかもしれない。昔話をし終えて逆にモヤモヤした俺は彼女にこんなことを聞いていた。

「アンタはその力、正しく扱えていやすか?」

 

「……」

 

尋ねて返ってくるのはいつだって、押しては返す波の音だけ。まるであの街の雑踏(ざっとう)のように。

…変わらないんだ。

この海も龍門も、親父もこの人も…、そして俺も。

誰も、誰かを護ろうと思って生きちゃあいねえ――護りたくても護り方がわからねえでいる――。

皆、与えられた命を自分なりの「屁理屈」の中で飼い殺しにしてるんだ。

 

――――チガウ

 

「……え?」

俺にはそう聞こえた。

重なる潮騒(しおさい)に合せて、不意に彼女が振り向いた。初めて向き合う黄金色(こがねいろ)の瞳。

海を見詰め続けたからか。ほんの少し「青」が映り込んでいるようにも見える。

彼女の視線は真っ直ぐで、目を逸らす気にもなれない。

 

綺麗だ。

だけど、恐ろしい。

 

その形容はどちらも――親父の言う――俺の弱さを突いているように感じられた。

「お前の拳は強くない」

だったら、彼女の目が語った(俺が勝手にそう感じただけだが)、

「違う」

それはどういう意味なんだ?

また、俺ぁその言葉を理解するのに何年も費やさなきゃならねえってのか?

考えている内に彼女はまた海へと向き直り、竿の先を眺め続けていた。

 

「釣りをしない殺し屋」は何も語らない。

まるで「海」が釣り糸を伝って彼女の体の中に染み込むように。

 

 

特に意味はない。けれど俺は彼女が今、何を感じているのか想像してみることにした。

腹に山程の鱗獣を抱える海。青い血そのものが心臓となって潮流を生み出し、腹の中で鳴る命の音を全身に響かせる。

そこに細い、細い一本の釣り糸がひっそりと漂う。

糸はしなるカーボンの竿を通ってリールへ、ロッドへ、ナイフがよく馴染(なじ)みそうな手へ、そして一人の女性(ループス)へと辿り着く。

海は彼女を腹へ引きずり込まず、彼女も海を(おか)へと打ち上げない。

 

だから()()()一つに見える。

一見、無意味な時間で、空虚な関係に見える。

だけどどこか、その一体感には無二の「平穏」を感じる。

親父があの町に求めてるもののように。

 

だとしたら、俺や親父があの店で「町」の一部になれてるんだとしたら、親父は俺にゴロツキたちのための「釣り糸」になれって言ってんのか?

アイツらが「町」に溶け込めるように?

だとしても、どうすれば良いかなんてわかりゃしねえ。

団子を作ってりゃなんとかなるってのか?そんな(わき)ゃあねえだろ。

……でもそれは、「拳で語り合おう」としてる今の俺も(おんな)じだ。まかり間違ってスポ根展開でも起きなけりゃあ、俺も奴らと何ら変わんねえ。

 

――――だったら、そいつらがテメエの団子を喰って金を払ったことがあるか?

 

「……」

悩みが解決した訳でもない。妙案が浮かんだ訳でもない。

けれど、青年の中で確固たる「目標」が一つできた。それだけで何か胸のつっかえが取れた気がした。

「…お、引いてやすぜ?」

「……」

彼女の竿は動かず、ただただ穏やかな潮風に身を任せていた。

 

 

 

――――翌日、ロドス本艦、社長室

 

そこに、幼さの残るしかし、どこか大人びた表情を見せるコータスの少女と防波堤のループスがいた。

「お疲れ様です。どうでした?」

コータスの少女は上司と同じく書類仕事に追われながら、やはり上司と同じように余裕のある声で尋ねた。

「問題ない。ロドスは、安全。」

ループスは与えられた任務に対し、簡潔に答えた。

 

ロドスは国籍を持たない。そんな彼らが各国でいくつもの仕事を抱え、(こな)していけば自ずと何かしらの組織と軋轢(あつれき)を生むことがある。

防波堤のループスはそういった者たちの動向を伺う意味も含めて、休暇中の社員たちの安全を護る任務を受けていた。

彼らのバカンスを邪魔しないよう、あくまでも()()()()

「ただ、アイツに、見つかった。」

「アイツ?誰ですか?」

少女は手を止め、顔を上げた。

「…ジェイ、」

防波堤のループスはロドスの船員を全て把握している。

護るべきもの、殺すべきものを判別するために。

 

対して、防波堤のループスの正体を知るものはほとんどいない。

同じ船に乗り、同じ未来を目指していながら。

「そうなんですね……、」

だからこそ少女は彼女の本音を知りたかった。

彼女は今、幸せなのか。

「…仲良く、なれました?」

「……」

ループスの表情は変わらない。…けれど、

「ジェイさんのお店、龍門の三番区画にあるそうですよ。」

「……ありがとう、アーミヤ。」

「フフ…、どういたしまして。」

会いに行くかどうかは分からない。けれど、その言葉が彼女の口から聞けたことが何より嬉しかった。

 

ケルシー先生は彼女を過酷な役職に就けた。

だけどそれは決して彼女を「群れ」から孤立させるためじゃない。

結果的にそうなってしまっていることを先生は後悔しているけれど、先生もドクターもせめて彼女がここを「家」のように感じてくれればと願っている。

「…?銛で何か取ったんですか?」

「…これ、服、乾かすのに、便利。」

ループスは小さく笑った。




※S.W.E.E.P.
前回の「毒針を隠す少女」でも触れたように、ケルシーの私兵を指すグループのことです。
ただ、ロドスにおいてどこまでの人間がそのグループを認識しているのかわかりません。
原作内のレッドのプロフィールを見る限り、オペレーターとしては結構交流があるのかもしれませんが、それが「S.W.E.E.P.」としてなのか。
それともただの「戦闘オペレーター」としてなのかわかりません。
今回のお話ではそもそも他のオペレーターとの接点が少ない設定にしてみました。

(ドン)の親父
読み方が分からなかったのでグーグルで中国語の読みを検索すると「ヂィン」と出てきました。
日本語では「スミレ」という花の名前、もしくはスミレの花のように濃い紫色を指すそうです。
原作のどっかに振り仮名を打ってたシーンがあったのは憶えてるんです。それがどうしても思い出せなくて……f(^_^;)
結果、最近放送された「リー探偵事務所」でハッキリとワイフーが「ドンさん」と言ってました(笑)


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魅惑の海 〜ヒーラの受難編〜 その一

砂浜を白に染める陽射し。

俺には少し暑すぎるようにも感じられるが、浜辺で子どものように(たわむ)れる同僚たちを見ればそれがどんなに素晴らしいものか私にでも理解できる。

大の大人があんなにはしゃいで……。

故郷でこんな光景を見たことは一度だってない。

日頃、過酷な任務の連続で(うつむ)きがちだった彼や彼女があんなに笑っている。

 

……本当に、素晴らしいことだ。

 

「そこ!そこがズレてるんだって!」

そんな楽園の中で赤毛の令嬢が声を荒げている。

「なによ、アーミヤちゃんだって色んな男引っ掛けてるじゃん。夏なのよ、リスカム?アタシだって良い思いの一つや二つ作ったってバチは当たらないでしょ?」

…俺は、どちらかといえば(かしま)しい女性(ひと)はあまり好まない。

「……」

…ハァ。まったく、こんなところに来てまで私は何を考えているんだ。

そもそもこんな失礼極まりないことを考えるのは俺の性分じゃなかったはずだ。

それがどうしてこんな風になってしまったのか。

それはおそらく……、

「お前もそろそろ所帯を持ってもいい頃合いなんじゃないか?」

旦那様にそう言われたからなんだろう。

旦那様の言葉全てを真に受けるのは良くない。あの方の忠実な部下であるならなおのことだ。

その辺りでどうにも融通が利かないから俺はまだまだ未熟なんだ。

 

「じゃあね、ジェイお兄さん、あとはグムたちに任せて!」

「……」

グム、彼女は良い子だ。献身的で努力家だ。それに、愛嬌もある。

料理に関しても、素朴ながら自分の味を持っている。経営学を学べば店を構えても問題なく生きていけるだろう。

いいや、彼女には看板娘の気質もある。きっと繁盛する。

だからぜひともその気持ちを忘れずにいて欲しいと心から――――

「…マッターホルン()()()()、どうしたの?グムの顔に何か付いてる?」

……心から願う。

「いいえ、何でもないですよ。さぁ、忙しくなる前に残りの仕込みもやってしまいましょう。」

知らない間に私は、他人に「未来を望む」ほどに年を取ってしまったらしい。

だが、それも悪くはない。それが人間の運命(さだめ)だというのなら、私もその一員なのだと誇るべきだ。

 

 

私たちが共に働くのはこれが初めてではない。

ロドス本艦のカフェテリアでも何度となく顔を合わせてきた。

ロドス職員は本艦に勤めている者だけでもゆうに200人を超える。入院患者を含めれば、ピーク時の忙しさは街一番の人気店を超えるだろう。

それに比べれば「海の家」規模の仕込みなど――扱うメニューもいつもの半分以下なのだから――、私たちにかかれば一時間と掛からないのは分かり切っていたことだった。

「思ったよりも早く片付きましたね。」

「そうだね。」

それでも私がそう言ったのは、グムが褒めて伸びるタイプだと知ったからだ。

ところが、彼女は私がそれを言葉にするよりも先に思いもよらないことを口にした。

「だけどね、グム、思うんだ。マッターホルンおじさんとグムだからここまでできるんだよ。」

「え?」

それは、共に困難を乗り越え切磋琢磨してきた仕事仲間への、心からの(ねぎら)いの言葉だ。

 

……温かい。

 

ならば私も彼女にこの気持ちを伝えるべきだろう。そう思い、口を開くが、彼女の言葉はまだ終わっていなかった。

「他の人たちもそうだけど、マッターホルンおじさんは()()()()()()()()()()()()()()()()()?だから凄くやりやすいんだ!」

…彼女に悪意はない。それは彼女の邪気(あどけ)のない笑顔が十二分に証明しているじゃないか。

だとすればそれはもう、そのまま受け入れるしかないように思う。……いいや、()()()()()()

「マッターホルンおじさんがいてくれればグム、なんだってできそうだよ!」

その笑顔は、無駄に人を(とりこ)にしてしまうのだ。

…そこで一つの懸念(けねん)が生まれる。

「そう言っていただけると私としてもやり甲斐がありますね。グムお嬢さん、これからもよろしくお願いします。」

一層、意識しなければならない。

「うん、よろしくね!」

……私は、()()()()()()だと。

 

 

――――午後三時

 

「お客さん、減ってきたね。そろそろ交代で休憩しよう?」

「そうですね、では私はまだ平気ですのでグムお嬢さんからどうぞ。」

「そう?じゃあ、そうするね。帰りにお土産持ってくるから楽しみにしててね!」

それを言うなら「差し入れ」ですよ。

そう言う隙もなく、彼女は少女らしい――その瑞々(みずみず)しい太ももの躍動感はまさに若さの証ともいえる――軽やかな足取りで真っ白な砂浜へと()()()()

「……」

私は何をそんなに落ち込んでいるんだ?

たかが1数時間会えないだけで……!?いいや!それ以前の問題だ!私は何を考えているんだ!?恥知らずにも程があるぞ!!

私はイェラグ国の御三家シルバーアッシュ家に仕えるヤーカだぞ!?

年端(としは)もいかぬ少女に欲情するなど罪深いにも程がある!

恥を知れっ!!

 

「…だ、大丈夫ですか、ヤーカの兄貴?」

「!?」

反射的に、俺は声の主に包丁(ナイフ)を突き付けてしまった。それが主人の護衛中であればまだ納得できるだろう。

だが、今の私は「海の家」の店員だ。たとえそれが極悪非道な面構えをしたシラクーザ人だろうと、店先にやって来た客に出会い頭に刃物を突き付けていい理由にはならない。

…自分の顔が青褪(あおざ)めていくのが手にとるように分かる。

場合によっては始末書を書かねばならない。私がシルバーアッシュ家の汚点になる……、

そんなことは、断じて許されない!

かくなる上は首を切って――――、

「あ、兄貴、なにを!?」

やって来た客は店先から身を乗り出し、私の利き腕を押さえ込んだ。…その素早い身の(こな)しには、覚えがあった。それに、

……兄貴?

 

――――とにかく私はひどく混乱していたらしい。やって来た客の顔すらろくに見えていなかった。

 

自分が愚だったことに変わりない。だが、不幸中の幸いだったのは、それが身内だったということだ。

「……ヴァイスか?…すまん。」

「兄貴、いったいどうしたっていうんですか!?」

普段、甘い表情を保って感情を読ませない義弟が、額に汗を浮かべ取り乱していた。

「いや…、少し朦朧(もうろう)としていただけだ。慣れないこの都市の暑さにやられてしまったんだろう。気にしないでいい。」

「……」

ヴァイスは同じシルバーアッシュ家に仕える従者で、私よりもよほど思慮深く、旦那様はもとより私たちを陰ながら支える出来た従者だ。

そんな気心知れた身内なのだが、さすがにこの奇行には虚を突かれたらしく、目を丸くして私を見詰め、固まっていた。

 

「…本当に、大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ない。じきに慣れるだろう。」

「…もし兄貴さえ良ければ、手を貸しますよ?」

「……」

何に対してか明言しないところがコイツの(したた)かさでもある。

…いいや、旦那様からよく学んでいると言った方がいいか。

「いや、いい。それよりも腹は空いてないか?何か一皿作ってやろう。」

「え、いいんですか?では、お言葉に甘えて頂きます。」

今の俺は、この「気の迷い」を適切に言葉にできるような精神状態じゃない。

火と刃物を扱っている方がよほど世の秩序を乱さずにすむ。

 

油の跳ねる音が、ベーコンの焼き具合を語り掛ける。

(にじ)み出す脂が、炒める野菜の表面を(つや)やかにしていく。

……よし、悪くない仕上がりだ。

「…ところでだな、ヴァイスよ。」

「はい、何でしょう?」

ロドスで学んだ簡単かつ栄養のある一皿を義弟に振る舞い、私は慎重に尋ねた。

「お前は、結婚はしないのか?」

「んんっ!?ゴホッゴホッ!!」

やはりまだ気持ちは落ち着いていないのかもしれない。自然な流れで聞いたつもりだったが、義弟は喉を詰まらせて派手に咳き込んでしまった。

「ど、どうした!大丈夫か!?」

「い、いえ、すみません、大丈夫です。…さすがにその質問は予想していませんでした。」

「……妙か?」

「いえ、全然。ただ、兄貴にそんな素振りがなかったので突然どうしたのかと思っただけです。」

「…実はな、」

私は義弟に事の発端(ほったん)を話した。

 

旦那様の言葉…。初めは遠回しな解雇通知なのかと不安に思ったが、そんなことはなかった。

旦那様は純粋に私の人生を考えて下さっていただけだった。

「お前にはまだまだ私の下で働いて欲しいと思っている。」

その言葉を頂けただけで大きな不安は拭えた。ただ、拭った後に小さな不安が残っていた。それだけの話しなのだ。

 

「なるほど、それで兄貴は何に困っているんです?」

「…具体的に、嫁探しとはどうすればいいものかと思ってな。」

…私ははぐらかしてしまった。

決して、この男を信頼していない訳ではない。これは私自身の…、尊厳の問題なのだ。

それに、

「兄貴は、結婚したいんですか?」

ともすれば、私は旦那様やロドスの汚点になってしまうかもしれない。

「…わからん。だが、旦那様が案じて下さっているのに無下にする訳にもいかんだろう。」

「そうかもしれませんが、恋人ではなく、家庭を持とうというのであれば、兄貴にも相応の意思や決意が必要なんじゃないかと思いますよ。でないと…、」

「でないと?」

「後で痛い目を見る?ことになるかもしれません。」

恋人がいないという点では同じ立場にいるはずが、なぜか義弟の言葉には妙に重みがあった。

「…お前は、ロドスに来てから少し変わったな。」

考え方が俺より老けたんじゃないか?

「ええ、自覚はあります。なにせ、ここには色んな人がいますから。」

 

ロドスには本艦の他にも各国に支部があり、彼らも報告のために時折本艦に帰投することがある。

そんな彼らも含めれば、ロドスはまさに人種と文化の坩堝(るつぼ)といえるだろう。

不思議なことに、それだけ多くの人間がいながら既婚者はあまりいないようだった。

ヴァイスはその社交的な性格柄、そういう多くの人間が抱えている私情を自然に耳にしているのかもしれない。

 

「ところで、なんですけど……、」

「どうした、改まって。」

その慎重な物言いが、いやに俺を身構えさせた。

いや、これは俺に心の準備をさせるコイツなりの親切心なのかもしれん。

「ヤーカの兄貴が悩んでるのって、本当にそれだけなんですか?」

「んぐっ!?ゴホッゴホッ!!」

……コイツ、さっきの仕返しのつもりか?

いいやそれよりも、感の鋭い奴だとは思っていたが…。もしくは俺に不自然なところがあったのかもしれない。いや、この際それはどうでもいい。

問題は……、

「お前は、口が堅いか?」

「…兄貴の知っての通りです。」

「……俺は、」

俺は、俺は……、

「…犯罪者なのかもしれん。」

 

俺は自分の中で起こっている不穏な心の動きを包み隠さず話した。

幸い彼女はここにおらず、客足もまばらで厨房の影に隠れてしまえば話の腰を折られることもほとんどなかった。

「兄貴、極論は時に自分を追い詰めます。まずは慎重にならないと。」

その言い回しはドクターに似ているな。ヴァイス、お前は本当に()()()()()()()という他ない。

「つまり?お前はまだ私がまともな人間だと信じているということか?」

「兄貴、それが極論の一つかもしれませんよ。」

「…どういう意味だ?」

「ボクは世の中の常識を全て把握しているという訳ではありませんが、ボクたちが知らないだけで同性愛を認めている地域もあるんです。」

義弟は知見も広い。世界(テラ)全土の文化を許容するロドスでそれをさらに広げたのかもしれない。

…だが、お前の言うそれはつまり……、

「お前は、やはり私が年端もいかない少女に恋慕していると言いたいんだな?」

「兄貴、年は少し待てばいいだけの話です。兄貴がボクに想いを寄せているよりは随分とまともな感情だとは思いませんか?」

「ヴァイス、これはそういう話じゃない。今現在、私がグムお嬢さんに恋心を抱いているかもしれないということが

問題な――――」

「あっ……、」

まるで「びっくりチキン」のような間抜けな声を出したかと思えば、義弟の顔色はみるみる青褪めていった。

「な、なんだ。なんて顔をしているんだ。」

その目は確かに、()()()()()()()()

「いったい何が――――、」

振り返ってはならないという悪寒と、たちの悪い冗談なのだと笑う義弟を期待する私がせめぎ合い……、それでも恐る恐る、促されるままに振り返った。

 

 

「へえ、アンタが恋ねえ。」

 

 

……そこに、ウルサスの将軍が立っていた。

「ズ、ズィマーさん……。」

彼女は笑っていた。

笑っていたが、笑っていなかった。

「冬将軍」などという悪辣(あくらつ)な異名を持つ彼女は、グムと一緒にロドスに救助されたウルサス学生自治団のリーダー。

当然、彼女とも繋がりがある。

むしろ、彼女の保護者と言ってもいい。

よりにもよって、この人に聞かれてしまうとは……。

 

「ズィマーさん、一つお願いがありますっ!」

私はともかく、旦那様に迷惑をかける訳にはいかない。ここは土下座をしてでも口止めしなくては!

そんな私の浅はかな行動は彼女にはお見通しだったらしい。

私の嘆願を先回りして会話の主導権を奪い取ってしまった。

「安心しろよ、誰にも言わねえさ。アンタとは知らねえ仲でもねえしな。ただよ…、」

口調は変わらず穏やかだが、眉間には見逃しようもない警告の筋がクッキリと刻み込まれている。

「アイツはまだガキだ。本気だってんならアイツが大人になるまで手を出すんじゃねえ。いいな?」

「ズ、ズィマーさん、私は――――、」

「…イイナ?」

この女性(ひと)は本当に学生なのか?

その鬼気迫る眼力はアークトス様さえも上回るのではないかと思えた。

「ハ、ハイ……、」

私はその気迫に怖気(おじけ)づいて(かわ)いた返事をし、残りの「言い訳」は生唾と一緒に飲み下すことしかできなかった。

 

「ああ、あと、アタシは何にもしねえからな?そういうのはアタシの領分じゃねえしな。」

「ハイ……、」

「そういうこった。まあ、ガンバンな。あ、焼きそば3つな。」

釘を刺されはしたものの、想像していた以上にアッサリとした警告だけで見逃された。

注文した焼きそばを手にすると彼女はサッサと友人たちの待つ浜辺へと帰っていった。

だがどうだ?

だんだんと、彼女の背中が溶け込んでいくその白い領域が、有象無象の悪魔が(たむろ)する魔窟に見えてくるじゃないか。

「まぁ、彼女なら心配することもないでしょう。それより兄貴…、ヤーカの兄貴、大丈夫ですか?」

「……」

なんのことはない。やはり私は罪深い人間なのだ。

「ヴァイス…、今まで世話になったな―――、」

「あ、兄貴!早まっちゃダメです!」

その後、義弟は俺から半ば乱暴に包丁を取り上げると、人生についてコンコンと説教をするのだった。

 

「…二人ともどうしたの?」

二人分の飲み物を持って帰ってきたグムは怪訝(けげん)な顔で私たちを見詰めていた。

「なんでもありませんよ。ただ、兄貴が熱中症になっていることも気付かずに皮むきをして手を切ったものですから少し反省してもらっているだけです。」

「お、おい……、」

人一倍心配性の彼女にそんなことを言えばどんな反応をするか明白だろうになぜわざわざそんなことを言うんだ。

それともお前はそうやって私を試しているのか?

「え、本当?!グムに診せて!」

予想した通り、彼女は救急箱を手早く持ってくると慣れた手付きで、熱心に手当をしてくれた。

 

「はい、できたよ。でもグムには応急手当しかできないから。今日はもう、グムに任せておじさんはホテルに戻ってちゃんと治療を受けて。」

「だ、大丈夫ですよ、グムお嬢さん。ヴァ…、クーリエが少し大袈裟に言っているだけですから。」

「おじさん、病人はみんなそう言うんだって、グム、知ってるよ?」

いくらか抵抗したものの、彼女の気遣いは段々とエスカレートしていき遂には、言うことを聞かねば暴れ出すような雰囲気を感じ取り、私は渋々ヴァイスと一緒に厨房を後にした。

「あ、忘れてた。マッターホルンおじさん、これあげるね。」

「これは?」

戦場で酷使した彼女の小さな手の中には、ワックスで加工されているかのような艷やかなエメラルドグリーンの巻貝(かいがら)があった。

「砂浜を歩いてたら見つけたの。キレイでしょ?マッターホルンおじさんにはいつもお世話になってるし、シエスタの良い思い出にもなると思ったんだ。だから、あげる。」

「…ありがとうございます。本当に、グムさんは優しい方ですね。」

「えへへ…、」

 

――――よく見れば、その笑顔は「じゃがいも」のように見えた。

果樹や他の野菜では枯れてしまうような寒冷地でも耐え忍び、凸凹になりながらもスクスクと成長することを止めない。

(ふか)したそれを一口頬張れば、家族、友人、世話になった故郷を思い起こさせる。

そんな笑顔だった。

 

彼女はこれかもロドスにいる限り多くの戦場、多くの病と向き合うことになるだろう。

それでも彼女はその笑顔を忘れないのだろう。

もしも彼女の隣に立つ男がいるのならそれは、同じ顔で笑える人間こそが相応しいに違いない。

……それは、俺ではない。

 

何がどうこうなる前に俺は、自分で勝手に抱えた問題を自分で勝手に解決させた。

 

 

「…いったいどういうつもりだ?」

ホテルまでの道すがら、俺は義弟の真意を尋ねた。

「どうもこうもありませんよ。あんな事をしておいて、僕にはあれ以上彼女と仕事ができたとは思えません。」

「……すまない。確かにあれは正常な人間の行動じゃなかったな。」

するとヴァイスは顔を綻ばせ、溜め息を吐きながら俺の背中を優しく叩いた。

「少し疲れているんですよ。バーに行きましょう。ボクも付き合いますよ。」

「…そうだな。最近はお前とあまり腹を割って話せてないからな。いい機会かもしれん。」

その日の夜、私たちは私たちだけの幼い頃の失敗談で笑い合った。




※びっくりチキン
ドン・キホーテやヴィレッジヴァンガードでよく見かけるお腹を押すと奇妙な鳴き声を発する、黄色のニワトリ(羽毛をむしられたやつ)の人形のことです。
英語で「シャウティングチキン」とも言うそうです。……まあ、そのまんまですよね(笑)


※クーリエ
本名は「ヴァイス」らしいですが、
マッターホルンが「ヤーカ・マッターホルン」という名前らしいので、もしかするとクーリエも「ヴァイス・クーリエ」なのかもしれません。
敢えて触れませんが。

※アークトス
プレイアブルキャラクターではありません。
マッターホルンの故郷イェラグで権力を持っている御三家の一人です。クマ耳の大男です。心なしかズィマーと性格が似ていなくもない…かな(笑)


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魅惑の海 〜ヒーラの受難編〜 その二

――――受難……もとい、バカンス2日目

 

どこまでも広く、透き通る青い水溜り。

遮るもののない水溜りの上を駆ける潮風に頬を撫でられれば磯の匂いが特有の爽快感を誘う。

空は水溜りの色を映し、水溜りは太陽の輝きを返す。

時折り飛沫(しぶ)く水が口に入ればほんの少し、この世の世知辛さを感じさせる。

 

楽園と呼ばれる都市、シエスタはそんな世界の一面を教えてくれる場所だった。

 

 

 

「いやあ、マッターホルンさんは飲み込みが早いですね。イベント大会に出場していないのが勿体ないくらいですよ。」

ロドスが社員に用意した特別休養期間2日目、「海の家」の当番もない私はこの都市で人気を博しているスポーツ「サーフィン」というものに挑戦することにした。

海の危険性も何も知らない私たちはまず、インストラクターを雇って安全な遊び方を学ぶことになったのだが、なかなかどうして。思ったよりも早く海のあれこれに馴染むことができた。

「特に体幹がずば抜けてますね。だいたい初めての人はボードの上に立つだけで数日かかるんですよ。」

「ハハハ、仕事上、安定しない足場で踏ん張ることも多いからですからね。それが生きたのでしょう。」

初めこそ「水上」という経験のない足場に困惑したが、数度試してみればそれは新雪の上で格闘している感覚に似ていると気付いた。あれよりも抵抗が少ないものだと思えば体は自然と海を受け入れていた。

 

「え、マッターホルンさんの勤める会社って製薬会社なんですよね?」

「ああ、私はおおむね警備や護送を担当しているんです。ロドスは貴重な人材や薬品を扱っていますからね。」

「なるほど、じゃあ他の方々もそうなんですね。いやあ、みなさん運動神経が良くて羨ましいです。」

私の他にもこの「物珍しい遊び」に興味を示した同僚数人が同じようにインストラクターの称賛を浴び、楽しげに海面を滑っていた。

「キャアッ!」

……ただ一人を除いて。

 

「…ああ、また落ちてる。」

今日、彼女の悲鳴を聞いたのはこれで17回目だ。

彼女に付いているインストラクターも苦い顔をしながら溺れる彼女を支え、一からレクチャーし直している。

私のインストラクターは同僚を憐れみ、私に助け舟を求めるように尋ねてきた。

「あのキャプリニーの方は目が不自由なんですよね?」

「……はい。」

聴力に関しては視力以上に悪い。補聴器は付けているが海は見た目以上に多くの音が入り乱れている。おそらくインストラクターの言葉も正確に聞こえていないだろう。

彼女の性格上、話しかける人間の言葉を無視できない。そちらに集中力を割いてしまうから余計に自分の体がおろそかになってしまう。

……分かり切ったことだった。

 

初め、彼らは彼女の身体的障害に気付けなかった。()()()()だと快く迎えてくれた。

一方の私たちはそれを知っていたが、「遊びなんだから、危ないって分かったら諦めればいいじゃない。そのための講習でしょ?」などと軽い気持ちで彼女の参加を許したのだ。

 

「こう言ってはなんですが、海はそんなに生易しい遊び場ではありません。身体に不自由があればそれだけ命を落とす危険性は高まります。」

「そうですね。身をもって実感しました。」

海は想像以上に危険な場所だ。例えるなら宿主のいない巨大なアリジゴクのようなものだ。不慮(ふりょ)の事態に(おちい)れば、たとえ幾度も窮地(きゅうち)()(くぐ)ってきた熟練の天災トランスポーターでも生きて帰ることは叶わない。

潮に飲まれ、窒息を待つしかない。

「でしたらマッターホルンさんから彼女に助言していただくことはできませんか?」

「……」

だが、彼女は私なんかよりもよほど聡明で、なおかつ自分のハンデをきちんと理解している人だ。

そんな彼女がどうしてあそこまで意固地にこの「遊び」に取り組んでいるのか。私には理解できなかった。

初めは私も――彼らに言われるまでもなく――それとなく促すつもりだった。

しかし、彼女が必死にボードにしがみつく姿を見ていると、どこか「人生の壁」に立ち向かっているように思えて口出しできなくなってしまっていたのだ。

……だが、それもここまでなのだろう。

「そうですね。これ以上はアナタ方に迷惑をかけてしまうかもしれません。私がなんとか説得してみましょう。」

他意はない。いくら「遊び」といえど、「死」は単なるゲームオーバーじゃない。そして、彼女はこんなところで命を落として良い人ではないし、その責任を彼らに負わせる訳にもいかない。

私は意を決して彼女の下へと向かった。ところが――――、

 

「まったく、見てられないわ。」

「フ、フランカさん?」

足取りの重い私が駆けつけるよりも早く、あの(かしま)し……、饒舌(じょうぜつ)な彼女が場の険悪なムードにさらに容赦のない一言で切り込んでいた。

「アナタ、教え方が下手なのよ。」

「な…、私のせいなんですか?」

「あら、耳も悪いのかしら?そう言ってるのよ。だいたい、これがアナタたちのお仕事なんでしょ?一辺倒なマニュアルをなぞるだけなら素人のアタシにだってできるわよ。」

()()()」、それは彼女を語る上で「美貌」の次に並ぶ要項のように思えた。

その傍若無人な物言いに彼らが腹を立てない訳がない。

「お言葉ですが、サーフィンは五感を使った海との一対一の勝負の世界なんです。研ぎ澄ませていないと海は私たちの足元を(すく)ってバカにし続けるだけなんです。そんな必須の感覚(ぶき)も持たない人にどうやって戦い方を教えるって言うんですか?そうでしょう?」

彼らの言い分はもっともだ。サーフィンに限らず、スポーツの全ては()()()()()()が暗黙の条件(ルール)と言える。

それを無視した私たちに非がある。

だというのに――――、

 

「アハハ、えらく上からものを言ってくれるじゃない。自分だってその域に達してない()()()()()のくせに。」

「フランカさん!」

ダメだ、保護者のいない彼女に社会的対応なんて期待できそうもない!

「だって、そうじゃない。だから大会にも出られなかったんでしょ?それに、この程度のハンデでこんなに楽しい遊びを教えられないでよくも()()()()()()()()なんて名乗れたものね。いっそのこと”役立たず”に改名したら?だってそうでしょ?私たちが汗水流して手に入れたお金を払わせておいて、ちょっとイレギュラーな客だからってこんなに簡単に(さじ)を投げてみせたのよ?私たちの戦場でこんな奴が味方にいたら敵より先に始末したくなるわよ。」

「なっ、言わせておけば!」

オブラートの欠片もない彼女の暴言が、多くの顧客を満足させてきた彼らのプライドに火を点けた。

今にも殴り合いが始まろうと…、いいや、彼女であればたかがサーファーの拳ごとき軽々といなしてしまうだろう。

…いやいや、そういう話でもないだろう!

 

そこへ、新しい遊びに夢中になっていた他の同僚たちが「仲間」の表情に敏感に反応し、彼らを自分たちの()()へと引きずり込もうと意気を振りまいてやって来た。

「なんだよ、ケンカか?オレサマが全部燃やしてやろうか?」

「ハハハッ、いいねえ。海の上でケンカするなんて粋じゃねえか!」

「キアーベ、ブローカ、やるのは構いませんが、ここがシラクーザじゃないことをくれぐれも忘れてはいけませんよ。」

これは彼らの運命なのか?こんな時に限ってなぜこんなにも血の気の多い連中が集まったんだ!

「待て、全員、一度頭を冷やすんだ!お前たちはロドスの社員なんだぞ?ドクターたちに迷惑をかけるつもりか!?」

叫んでみたものの、そもそも彼らの拳には「常識」に傾ける耳はついてないのだ。

唯一届いた銀髪のループスも、オカシなことを言っているのは私の方だとでも言うように冷めた表情で淡々と返すのだ。

「ダメですよ、マッターホルン。コイツらにとってケンカはサーフィンとさして変わらないんですから。止めるなら飼い主(ドクター)権力者(ケルシー)を連れてくるか、拳で黙らせるしかありませんよ。」

なんて奴らだ!非常識にもほどがある!

「だったらお前も手伝え!」

「嫌ですよ。そもそも僕たちの身内をイジメたのは彼らでしょう?だったらケジメってものを付けてもらわないと。」

ダメだ、コイツが一番「シラクーザ人」が抜けてないじゃないか!

慣れたとはいえ、海上で不良共(コイツら)全員を取り押さえることもできない。

万策尽きたか。そう思ったその時、

 

「止めてくださいっ!」

 

「……」

彼女は決して陰気な人間ではない。だが「快活」と言えるほど周囲の目を引くような人でもない。そんな彼女がこんなにも通る声を出せるとは誰も思わないだろう。

それだけ今の状況に嫌気が差したのだろうか。それとも……、

「この人たちの言うことは間違ってないじゃないですか。それに、私たちは困ってる人たちを助けるのが仕事なんですよ?こんなの、ダメじゃないですか。こんなことをしなくても、私が別の遊びを見つければいいだけの話なんですから。」

浮かべる苦笑いは、仲間想いな同僚たちを安心させようと耐えているのが目に見えて分かった。

「だから、ケンカしないでください。……お願いです。」

けれども今の彼女に、それを最後まで耐え抜くだけの気概はなかった。

「…お前はそれでいいのかよ?負けたままで悔しくねえのか?」

思うところがあるのか、ロドスの放火魔は彼女の言葉に耳を傾けていた。しかし、その表情を見て納得することができなかった。

「止めとこうぜ、お嬢。しょっぱいケンカほど後味の悪いもんはねえぜ?」

「…行きたきゃ行けよ。オレサマは逃げねえ。」

ガラの悪い方の赤毛のヴァルポが珍しく空気を読んで(なだ)めようとしたが、それでも放火魔は引かなかった。

「サリアならオレサマが何を言っても助けてくれる。」

かつて、檻の中で「苦しんでいた自分」を知っているから。

「……しょうがねえな。お嬢の納得いくまで付き合ってやるよ。」

 

誰も引かない。

穏便に事を済ませようという気がない。

誰もが自分たちの生きてきて得たモノを信じている。

 

「で、そっちのお嬢ちゃんは何か言うことはないのかよ?」

「……」

小柄なキャプリニーは(うつむ)き、唇を動かした。すると――――、

 

ボンッ!

 

突如、目の前の海面が天高く水柱を上げた。

「アツっ!お嬢、何すんだよ!」

「オレサマじゃねえよ!」

水飛沫は収まる様子を見せず、むしろ海面からは()()が立ち昇り始めた。

「アツ、アツッ!なんだこりゃあ!?熱湯じゃねえか!」

「おい、どうにかしろよ!」

「俺に言うなよ!おい、アオスタ!…あっ、あの野郎っ!」

唯一の知恵袋に頼ろうと振り返ると、袋と筋トレオタクは二人を置いてすでに遥か遠くまで泳いで逃げていた。

「お、おい!何しやがる!?オレサマは逃げねえって言ってるだろ!?」

「俺だってよくわかんねえけど、どうやら俺たちはお呼びじゃねえってことだよ!」

困難な状況に陥った時、彼はいつだって自ら深みに()まるような行動を取ってきた。

「アオスタのケツを追え」それが幾度となく失敗を繰り返してようやく学んだ、彼にできる唯一の解決法だった。

キアーベは放火魔の首根っこを掴んで全速力で友人たちを追いかけた。

 

小悪党のお手本のような撤退を見送りながら、お上品な方の赤毛のヴァルポは口を開けて事の成り行きを見守っているインストラクターたちに()()()()()()()()()()()()

「アタシは術師でもなんでもないからこれって結構体に負担かかるのよねぇ。」

「え?」

「…まったく都合のいい耳ね。親切なお姉さんは今の内に逃げた方が良いって言ってるんだけど、分かるかしら?アタシたちはあと二日滞在してるからその間は家に()もってやけ酒でもなんでもしてればいいわ。あの子たち、三歩歩けばケガの理由も忘れるおバカだけど、顔を合わせたら何をしでかすかわからないおバカでもあるから。」

「……」

彼女の言いたいことはわかった。

けれども自分たちにもまだまだ言い足りないことがある。

だが、彼女が危機的状況を回避してくれたことには違いない。それを理解できるだけの理性はある。

それらのもどかしい気持ちを表すように、彼らは一様に唇をキュッと引き絞っていた。

「それともまだ、アタシたち()()に歯向かいたいのかしら?」

自分たちは空気を読んだ。

だのに返ってきたその言い草に、我慢できなくなった一人が口を開いてしまう。

「アンタらがそんなだから感染者のイメージが悪くなるんじゃないのか?」

「そうね、まったくその通りだわ。アナタ、賢いじゃない。だけど、アナタたちのその小さな器のせいでアタシたちみたいな厄介者に絡まれるのよ。要するに、今回の件は()()()()。そういうことにしない?」

それも実のところ、彼女が仕組んだ我々、感染者と健常者の間で交わされるべき相互理解の一歩だということに彼らは気付いていない。

「……」

「アナタも、それでいいのよね?」

感情的に『力』を使ったせいか、ボードの上で息を切らしているキャプリニーは力なく頷いた。

 

俺は、それら一部始終をただただ黙って見守っていた。




※意気を振りまいて
「やる気満々」みたいな意味の言葉があったように思いましたが……、
そんな言葉はないみたいですね(;´∀`)

※筋トレオタク
一応、ブローカのつもりです。
彼のコーデから臭いを感じたもので(笑)


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魅惑の海 〜ヒーラの受難編〜 その三

楽園での楽しみ方を教えてくれるはずの講師(サラリーマン)たちは消化不良の表情のまま浜へと引き返していった。

「大丈夫ですか?」

尋ねるまでもなく、キアーベたちの前で気を張っていたエイヤフィヤトラさんは今、ボードの上で力なく(うつむ) き、完全に意気消沈した顔をしていた。

「まったく、どいつもこいつもどうして人生を上手く生きようとしないのかしらね。あそこでアナタがもっとあの人たちの同情を引くようなことを言ってれば丸く収まったかもしれないのに。」

「…ちょっとフランカさん、それはあまりに失礼ではないですか?」

昨日は酔っていたからかと思っていたが、シエスタで会う彼女の様子はどこか普段と違って全体的にトゲトゲしいように思えた。

「楽園」などと大仰に謳いながらその実、結局は普段と変わらない人種を相手しなきゃならない名ばかりのリゾート地が彼女を不機嫌にさせているのかもしれない。

言っていることは正論なのかもしれない。だが、その言葉遣いはあまりに暴力的なのだ。

そう指摘しようとすると、俺は思わぬ反撃を受けた。

 

「アナタはそうやって正義面をしていれば満足なの?」

「な!?それはどういう―――、」

「どうせアナタも”皆を護ること”は”誰も傷つけさせないこと”だとでも思ってるんでしょ?」

「それの何が悪いんですか?」

「だったらアナタのご主人さまはどうしてアナタみたいな護衛を付けてると思ってるのよ。」

「……言ってる意味がよくわかりませんが、企業戦略の中には暴力で訴えてくる者もいます。俺はそんな恥知らずな(やから)から旦那様を護るために傍にいるんです。」

言いながら俺は不安を覚えていた。彼女の口から聞くべきでない「真実」を耳にするかもしれないと。

 

それは、的中した。

 

「はあ…、やっぱりわかってないのね。企業のトップなのよ?…ねえ、よく考えてみて。頭がキレる人間か、力に訴える人間か。どっちのイメージで(つくろ)っていた方がより先方は本音でやり取りをしてくれるのかしらね。」

「それは……、」

常々、疑問には思っていた。

旦那様は仮にも、かのカジミエーシュの騎士競技で名を()せた「黒騎士」の手ほどきを受けた人だ。

それほどの実力を持っていながら、これまで悪漢を前にして堂々と対峙することはあっても、手を出したことは数えるほどしかない。

 

旦那様にもしものことがあってはならない。「護衛」が俺たちの仕事なんだ。だからあまりそのことには触れないようにしていたが……、

俺たちが手こずっていたとしても、事態が収束するのをただただ見守っていることがほとんどだった。

それはつまり……、

「アナタの大事なご主人さまは暴力で”傷つくこと”が怖い訳じゃないの。悪いイメージが定着して他の企業と良い関係を築けなくなってしまう”不利益”を(こうむ)りたくないだけなの。」

……俺たちの役目は「護衛」ではなく、「身代わり(スケープゴート)」だったということなのか?

 

私は今、とても情けない顔をしているのだろう。

明らかに彼女の方が、より近い場所で、より長い時間を共に過ごしてきたはずの私よりもよほど旦那様のことを理解しているように思えたのだ。

「たまにアナタみたいな人を見ていて怖くなるのよね。信じて気を許したと思ったら目を()らしている間にアタシを巻き込んで大ケガさせてくれるんじゃないかって。」

「……」

「するとアナタたちは決まってそんな顔をしてこう言うのよ”そんなつもりはなかったんだ”って。そんな当たり前のことを言って何が許されるのかしらね?」

とても…、自分の考えが幼子(おさなご)の感想文のように思えてとても悔しく思えた。

けれどもそれを口にしてはいけない。

俺は辛うじて彼女への攻撃を踏みとどまることができた。

 

「別に悪役でもいいじゃない。誰かがほんの少し傷つくだけでスッパリ解決するならそれでいいじゃない。それで護りたいものが護れるならむしろ本望、本懐(ほんかい)ってものじゃないの?」

…だから彼女はあの講師たちにあんな態度を取ったのか?

対等な「悪」であれば血を流さずに場を収められると踏んで……。

だから傷心の彼女にも辛く当たるのか?

自分が「悪」であるほど彼女に非はないと感じさせるために……。

「……返す言葉もありません。」

年は俺よりも若いはず。だというのに、まるで曼殊院(まんじゅいん)の長老連中からの説教を受けているかのようで、ただただいたたまれない気持ちになるのだった。

 

「それで、結局アナタはどうするの?たかが遊びだからってここで止めちゃうつもり?」

唐突に矛先を向けられたエイヤフィヤトラさんはビクリと肩を震わせ、しばらくの間、沈黙で答え続けた。

そして、ようやく動き出した唇は()()()()()()()()()をゆっくりと、一つひとつを確認するように語りだすのだった。

「……私は…、ロドスで研究をさせてもらってるだけでも十分過ぎるくらいに幸せなんです。先輩…、ドクターみたいな凄い人からもご指導してもらえて、幸せなんです。」

「だから?」

「あんまり欲張ったら(バチ)が当たるかもしれないじゃないですか。」

彼女はまたあの苦笑いを浮かべ、やり過ごそうとした。

彼女もまだ子どもなのだと思えた。そんな曖昧な返事は(かえ)って彼女を怒らせるのだと思ってもみないのだ。

「それは何?リターニア語で”巫王(ふおう)の呪い”って意味の鉄板のジョークか何かなの?」

「え?」

「もしもリターニア人が皆、アナタみたいな人間だったらその呪いの正体もたかが知れてるわね。」

エイヤフィヤトラさんの故郷リターニア国では魔法(アーツ)の研究を至上としており、「巫王」は名実ともにリターニア国の頂きに立つ人物だった。

しかし、いかに最強最悪の術師といえど「永遠」に打ち勝つことはできなかった。

仔細は知らないが、「双子の女帝」により「巫王」は討たれ、その際に「巫王」はリターニア国に逃れがたい呪いをもたらしたという。

フランカはそんな彼女の出生を揶揄(やゆ)したのだ。大人気もなく。

 

「フランカさん、そもそも私は目が……、」

「だから何よ。いいえ、そんなアナタだからこそ、死ぬまでにあと何回、海に来るなんて機会があると思う?」

身体的な問題だけではない。彼女がロドスに提供する治療の対価は、日々刻々と変化する”火山活動と天災の関連性”を導き出すというもの。

そもそもプライベートな時間というものが彼女には限られているのだ。

「アタシの、BSWの同僚たちはアタシと違ってクソが付くくらいの真面目ちゃんばっかりだけど皆、他人の指図なんて()ねのけて自分の生き方を貫いているわよ。でも、だからこそ、あの子たちはどんな時も真面目を貫いていけるの。」

「……」

「アタシの言ってる意味、分かる?」

「……アタシに、できるでしょうか?」

「…もう一度言うわよ。アタシの言ってる意味、分かる?」

フランカの態度はどこか強制的で、しかし一方では「他人の人生は他人のもの」というような不干渉を貫いているようにも見える。

それでも後輩を育てた経験があるからか。挫ける少年少女を見捨てられないのだろう。

 

「…私、やってみます……、」

おずおずと、しかし彼女は意を決して口を開いた。けれども、そんな彼女をフランカはまだ認めなかった。

「嫌々ならしない方がいいわ。これじゃあアタシたちもあの能無したちと変わらないもの。」

()()()()()

確かに彼女の助けにはなりたいと思っている。フランカの考えが立派だということも理解できる。

だがなぜ、そこで俺が含まれるんだ。

 

俺の小さな不満を余所(よそ)に、彼女は憑き物を振り払うかのように頭を大きく振り、火山やデスクの前でするのであろう挑戦的な表情でフランカに向き直った。

「私、やりたいです!」

「…じゃあ、仕方ないから手伝ってあげるしかないわね。」

その表情を心待ちにしていただろうに。フランカはあからさまにそれを表に出すことはなく、逆にそれをごまかすようにシラけた顔のまま、ジョークを利かせて俺を呼びつけた。

「ちょっと、そこの海の家の人。暇ならゴムボートを一つ借りてきてくれない?」

「……フッ、畏まりました。少々お待ちください。」

他意はない。だがふと、俺はフランカの立ち居振る舞いに、手間のかかるスキウース様を根気強く(さと)すラタトス様の姿を見た気がした。

それは俺にささやかな郷愁と親近感を覚えさせるのだった。

 

十数分後、俺とフランカ、そしてエイヤフィヤトラさんはゴムボートに乗り、ギリギリ浜が見える辺りまで沖に出た。

「さ、じゃあ始めましょうか。」

「フ、フランカさん、少し沖に出すぎじゃないですか?」

ここまで出てくれば当然、海底を肉眼で確認することはできない。さらに当然なことに、足を大地につけるという人類全てに約束された基本の姿勢も許されない。

この状況に少なからず、彼女は怯えているようだった。

かく言う俺も、若干の不安を覚えている。

陽はまだまだ高いというのになお夜の(とばり)を降ろしている「海」という底知れない世界が、俺たちをどう扱うのかと考えると、()()()()()()()が不要な感情までも刺激してくるのだ。

「そう思うのが素人さんの浅はかなところよ。」

フランカはそんなことお構いなしといった様子で、むしろ新しい世界を楽しむように答えた。

 

彼女の観察眼いわく、より浅瀬である方が波の上下は大きくなり、初心者が水上に立つという訓練には不向きなのだという。

そういう意味で、ここは波が最も穏やかな場所らしい。

「なるほど…。」

さらにゴムボートであれば多少、不安定ではあるものの、サーフボードよりも海面に接する面積が大きく、転覆することもほとんどない。

転覆がもたらす「失敗」という精神的負担を軽減させた良い手法だった。

「あとは慣れよ。」

「…ハイ、頑張ります!」

俺は意気込む彼女に聞こえないようにフランカに耳打ちした。

「なにも水上にこだわらなくても、浜でボードに立つイメージトレーニングをしても良いのでは?」

どんな場所、状況においても、「立つ」という行為に対して「姿勢」というのは重要だ。逆に、姿勢によって重心の位置を把握してしまえばより、この練習も(はかど)るのではと思ったのだ。

しかし、俺がフランカをさしおいて「最善の答え」を出すということはなかった。

「女の子を喜ばせるコツ、知りたい?」

その一言は「余計なお世話です」と言わざるを得なかったのだが。

 

「あの子は何も、本気で()()()()()()()()()訳じゃないの。」

「……なるほど。」

そこまで言われてようやく自分の頭の硬さに気付かされた。

要するに、彼女は純粋に「海」を体感したいんだ。

研究の一環とまでは言わないだろうが、自然環境に関心のある彼女は、この世界の「未知」に足を踏み入れてみたい――この点で言えば実に研究者らしいのだが――のだ。

 

「ダメよ、そんなロボットみたいに体を強ばらせたら。大丈夫、安心して。海は何も怖くないわ。」

「…ハイ……、」

「ほら、もっと視線を上げて。これがアナタの見たかった景色でしょう?」

フランカはとても器用な人だ。言い方は悪いかもしれないが、他人の気持ちを誘導することに長けている。

それは、仕事上立ち向かわなければならない「困難な挑戦」に何度も打ち勝ち、培ってきたからなのだろう。

 

おおよそ一時間後…。そう、この挑戦自体はそう困難なものにはならなかった。

だがそれは逆に、彼女に「困難」が必ずしも高い壁を(ともな)うものではないと教える良い機会になったのだと思う。

「……フランカさん、マッターホルンさん。私、立ててますか?」

「ええ、まるで海の女神様みたいよ。」

重い身体障害を患う少女は今、少しずつ朱に染まっていく陽の光に照らされ、その微笑みを何倍にも美しく輝かせていた。

「海って…、とても凄いところなんですね。」

今、彼女の耳に信頼する仲間たちの言葉は届いていない。

彼女は今、その足で潮流の躍動(ステップ)を感じ、その耳で――潮騒(しおさい)や海鳥の合唱ではなく――撫でる潮風や乾いてヒリつく塩水を感じている。

そして、その()しいた目で海に沈む果てしなく大きな炎を感じていた。

五感において人よりも劣る彼女は、()()()()()()()を胸に描いているに違いない。

「…バティさんも、連れてきたかったな……、」

「バティって?」

「いつも私のお仕事に付き合ってくれる人です。火山地帯はとても危険な場所なのに、いつも嫌な顔ひとつせずに手伝ってくれるんです。とってもお世話になってるから、なにかお土産を用意できないか考えてたんですけど……、」

たった今覚えたばかりの感動が、陽の光と共に海底(みなぞこ)に吸われていく。

「困難」を乗り越えたばかりの彼女に再び無力感が込み上げてくる。

 

すると、赤毛のヴァルポは前置きもなく身の上話をし始めた。

「……アタシの同僚にはね、頼んでもないのにお節介を焼く目障(めざわ)りなヴイーヴルがいるの。」

…だんだんと、彼女の言葉遣いが頭の中で翻訳されるくらいには耳に慣れてきたようだった。

「ただの里帰りなのに、()()()()突っかかってくるの。」

おそらく、それもウソなのだろう。基本的に彼女は照れ性なのだ。

「だからその時のアタシは知ってる知識をフル活用してあの子をからかってやったの。」

その光景が目に浮かぶようだ。

ネチネチと陰湿に攻めてくるかと思いきや、唐突に鈍器で後頭部を殴ってはまんまと「激情の渦」に叩き込むのだ。

 

けれども、彼女はなにも好き好んで人をバカにしている訳ではない。

 

「でもね、ある人に()()()話してみるように勧められて…、それで話してみたらなんだか必死に隠してた自分がバカみたいに思えちゃってね。」

彼女は「悪役」でいることに慣れきっているのだ。一番伝えたい「それ」が相手に届かなくても構わないとでも言うように。

「……じゃなかった。そうしたらあの子はね、いつものしかめっ面でアタシをバカンスに誘ってくれたの。」

自分のことだからか。知らず()らず脱線していく自分を止められなかったらしい。

彼女にも人並みに「感情的になる」のだとわかるとより彼女への親しみが湧いた。

「アタシが言いたいのはね、エイヤ。本当にアナタとバティさんが信頼し合ってるなら、どんな贈り物でも大事に受け止めてくれるってこと。」

「……」

「だからね、ただ伝えてあげるだけでいいのよ。アナタが今日感じたものを。どんな小さなことでも。」

今になって俺は、夕陽は彼女にも平等に差しているのだと気付いた。

「そしたら次の瞬間にはきっと、アナタも彼も笑い合ってるわ。」

「……はい、そうですね。」

そう答えると彼女はとても満足した顔でまた、海を見遣った。

まるで、今まさに大切なパートナーへの贈り物を選び、(きら)びやかなラッピングしているかのように。

 

 

 

結局、サーフボードに乗ることこそ叶わなかったものの、それでもエイヤフィヤトラさんは目的を果たした表情で砂浜に足を下ろした。

「じゃあ、うちの保護者様が探してるだろうから。アタシはここで失礼させてもらうわね。」

「はい、今日は本当にありがとうございました!」

フランカはこれまでの天邪鬼な言動が全てウソのように柔和な笑みを浮かべ、エイヤフィヤトラさんの頭を撫でた。

「好きなことをして生きていいの。それが多少、周りに迷惑をかけてしまうようなことでもね。」

「……」

エイヤフィヤトラさんはフランカの顔をボンヤリと眺めた。

「…なに?」

「……いいえ、なんでもありません。」

「ウソ、どうせお母さんみたいだとか考えてたんでしょ?」

「え、なんでわかっちゃったんですか!?」

とても、心温まる光景だった。

旅先の知人友人から受け取る一枚のポストカードのように。

 

 

「明日はなにか予定があるんですか?」

感動的なシーンを見せられたからか。それとも彼女自身の魅力のせいか。気付けば私は彼女をエスコートするような文言を口にしていた。

「フフ……、」

けれども彼女はそんな軽薄な男にひょいひょいとなびくような女性ではない。彼女は(たくま)しく、そして美しい人なのだ。

「明日は溜まった調査データをまとめようと思ってるんです。」

「え、仕事、ですか?それはまたどうしてですか?」

「…人に言われたからそうするっていうのもなんだか恥ずかしい話なんですけど。なるべく仕事を溜めないようにしたいんです。もっと言えば、プライベートな時間をもっとつくろうと思うんです。」

「…なるほど。確かにそれは大事なことですね。ですが、大事なことと言うならもう一つあることを忘れてませんか?」

「え?」

「アナタの周りには助け合える仲間がたくさんいるということですよ。」

「……フフ、そうですね。」

「!?」

それを期待して言った訳じゃない。…いいや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

不意に、私の手を取ると、彼女はあのゴムボートの上で見せた天使のような笑顔で私に感謝の意を述べた。

体温の高い彼女の髪はすでに乾いていて、潮風に乗ってフワリと香る彼女の匂いが、私の脳内を瞬く間に夕陽色に染め上げてしまった。

「エ、エイヤフィヤトラさんっ!」

「へ、へぇ!?」

妙な声が出た。それにつられて彼女も声が裏返っていた。

 

気付けば私は彼女の小さな肩を握りしめていた。それはまるで、獲物を逃さんとする熊のように。

彼女の瞳も、それを物語っていた。

……いいや、私は彼女を怖がらせたいんじゃない!……いやいや、それ以前に私はいったい何をしているんだ!?

体が言うことをきかない!全身から吹き出る汗がいっそう私を混乱させていく!

「エ、エイヤ、フィヤトラさん……、私は……、」

……それはもはや、()()としか言いようがない。

腰を落として彼女の視線に合わせると、今まで出したことのないような色気づいた声色で彼女に迫っていた!!

「イ、イヤァァッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……その後、彼女が私の前から消えるまでの記憶が一切ない。

じんわりと、頬が熱い気がした。

ある人の声が背後から聞こえて初めて、私は意識を取り戻し、自分の犯した罪の重さにハッキリと気付かされた。

「よお、アンタって奴はそんなに見境がねえ奴だったのか?」

”冬将軍”、真夏の海に舞い降りた本物の熊は、不敵な笑みを浮かべつつ、岩礁よりも固く握りしめられたその拳でもって、私の意識を深い、深い海の底へと叩き込んだのだった。

 

 

 

沈んでいく意識の中、俺はボンヤリと思った。

 

俺は、今日という日を、決して忘れないだろう……、




※スケープゴート
「身代わり」「生贄」の意味。
広義には、
自分自身が原因で集団の中に湧いた不平不満を、罪や責任を他人に背負わせて身を護る行為。対処法。その人(他人)のこと。

※アークナイツの人々の年齢
種族によって寿命が違い、私たちの主観で年齢からキャラクター像を固めてほしくないというのが原作者さんの意向らしく、公式の設定はないみたいです。

※曼殊院(まんじゅいん)
マッターホルンの故郷イェラグ全土に敷かれている宗教「カランド」(多分、宗教名であってると思います)の総本山。
エンヤ(オペレーター名はプラマニクス。カランドの神に最も近い存在とされる?巫女さま)がお勤めする場所で、彼女を監視する役目みたいな人が長老たちだと解釈しています。

※BSW
正式名称はブラックスチール・ワールドワイド。フランカやリスカムの所属する国際的な派遣警備会社。
その活動内容は暴動の鎮圧から天災後の物流の確保、人命の救援と幅広くまた、その戦力においても国家の保有する軍事力を除けばトップクラスなのだそうな。

※「海」という底知れない世界が、
何度も言うようですが、シエスタのそれは大きな塩湖で海ではありません。
……まあ、どうでもいいかもしれませんが。

※スキウース、ラタトス
マッターホルンの故郷イェラグで曼殊院に続く権力を持つ御三家の一つ、ブラウンテイル家の姉妹。思慮深く策略家な姉のラタトスに対し、直情的で短絡的な妹のスキウースは度々姉の足を引っ張ってしまう。
それでも姉は不出来な妹を見捨てず、根気強く育てようとする姿は「ああ、兄弟姉妹っていいな」って思わせます。

※バティ
原作の「エイヤフィヤトラの回想秘録」で登場する彼女のお仕事上のパートナー的な人。
彼にも背景が色々とあって彼女を支えており、彼女の能力を信用している身近な理解者でもある。

※あとがき(謝罪編)
……本当にごめんなさいm(_ _;)m
別にマッターホルンが嫌いとかじゃないんです。
ただ、なんとなくイジりやすそうな人だなと思ったので、彼にもちょっとロリ好きの時期があってもいいのかなって(;´∀`)
もう少しだけ彼の『受難』は続きます。

※あとがき(近況報告編)
エイプリルフールイベント、やりました!
普通にアークナイツ、プレイしてて「さあ、まだ投稿の準備できてないし、パソコンの前に座るか」と思ってホーム画面に戻ったらなんかいきなり始まってびっくりしました(笑)
そのまま2時間くらいプレイしてしまいましたyo(笑)
Stage3スコアランキングでのってた「ヤエルの初挑戦(だったかな?)」ってプレイヤー名が地味におもしろかったです。

公式さんもそうですが、ツイッターとか見てると他の方々も4月1日を楽しんでるなぁって思いましたね。
私も来年はコンビクションネタ上げれたらいいなって思いました(ネタバレwww)

※あとがき(妄想編)
本編でチラッと出てくる「黒騎士(デーゲンブレヒャー)」はかつてカジミエーシュの騎士競技で三期連続チャンピョンを勝ち取った無類の強さを誇る人。
今、私が一番実装してほしい人です!
……ここでほんの少し、ほんの少しだけ私のただの妄想に付き合ってください!

黒騎士の職分は「潜伏者」……「解放者」でもいいかも。ブロック0で全体攻撃する人。
素質で防御力や術耐性がある程度無視できる。
「スキルその一」
オーソドックスに強撃スキル。
「スキルその二」
攻撃範囲拡大。スキル中、攻撃範囲内の敵全員の特殊能力無効化、防御力低下のデバフ付き(彼女はアーツが一切使えないので、名前の由来にもなっているソードブレイカーという武器を使っている仕様で)
(ドイツ語でデーゲンが「剣」、ブレヒャーが「~を壊す者、破砕機」って意味らしいです)
「スキルその三」
パッシブスキルで、味方のブロックに関係なく一定範囲内に存在する敵の数だけ攻撃速度(もしくは攻撃力)アップ。

……ご清聴ありがとうございました!!
メンヒも捨てがたいけど、やっぱり一番は彼女ですね!!


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魅惑の海 〜ヒーラの受難編〜 その四

俺が彼女に出会ったのは本当に偶然だった。

「ご注文は何になさいますか?」

彼女は町中のハンバーガーショップの店員にニコヤカに尋ねられていた。

 

俺はファッションに(うと)い方だが、彼女の装いはどちらかと言えば最先端の部類に入るのだろう。

夜のシエスタの海辺に佇めば、白い砂浜の妖精と見間違えてしまうかもしれない。

そんな彼女が昼日中に立てばまさに「妖精」と例えたように、その白い髪と肌は陽の光に溶け込んでいくように見えるのだ。

唯一、彼女の体としては異質なほどに黒く太いワニ族(アダクリス)の尻尾が彼女の存在を確固たるものにすると同時に、彼女の美しさ(しろさ)を改めて際立たせる。

そこに「田舎臭さ」は微塵も感じられない。道行く人々も、その洗練された姿に見惚れるものも少なくない。

ところが……、

 

次の一言が、世俗的なハンバーガーショップに現れた一羽の美麗な妖精の幻想を完全に打ち砕いてしまうのだった。

 

「あ、甘いものが食べてみたいです!」

「……甘いものですか…。」

少女々々した言動と顔付きが、瞬く間に彼女を「妖精」から親とはぐれてしまった「迷子」につくり変えてしまった。

「…はい、甘い物は、ありますか……、」

それにしてもまた、随分と漠然とした注文だな。最近流行りの喫茶店には呪文のような注文を要求するところもあるが、ここはごくごく一般的なハンバーガーショップだ。メニューにある商品名を一つ上げるだけで事足りる。

…もしや、文字が読めないのか?

おそらく俺と店員は同じ考えに至ったのだろう。百貨店のサービスカウンターよろしく、なんとか迷子(かのじょ)の要望に沿えるようサイドメニューのシェイクやアイスを読み上げては勧めていた。

 

「あ、い、いえ…、このマイルドヤンキーバーガーのセットを、一つ、ください。」

……なぜそうなる?

俺は一瞬思考が乱れたが、相手はハンバーガースタッフ歴数十年というような完璧な笑顔と明るい声で彼女の注文を受け付け、厨房へと通した。

そんなクルーたちの活気に気圧されたのだろう彼女は数歩下がって俯いてしまった。

「大丈夫ですか?」

「うぇ?あ、ご、ごめんなさい。…あ、アナタは……、」

正直、俺たちは艦内で一度、二度顔を見たという程度の、本当の意味での顔見知りで、お互いの名前もろくに知らない。

「はじめまして、私はロドスでお世話になっているマッターホルンと言います。アナタは確か、ガヴィルと同郷の方でしたよね?」

それも同僚たちから聞いた話でしかなかったが。自分のことを知っている人間が声をかけてきたことに余程安心したのか。

思った以上に元気な返事がかえってきた。

「は、はい!…ト、トミミと言います。私は、ガヴィルさんの相棒です!」

ガヴィルはサルゴンのジャングルの出で、ロドスでは古株の医療オペレーターだ。彼女と同じアダクリスのトミミは――その愛らしい容姿からは信じられないが――、故郷では一族の族長を(つと)めていたらしい。

「一人で町を歩いているんですか?」

すると今度は急に落ち込み、泣きそうな声で答えた。

「はい…、本当はガヴィルさんと観光するはずだったんですが。ガヴィルさん、急な任務が入ったらしくて帰っちゃったんです。」

ガヴィルは「エリートオペレーター」でこそないが、その働きは遜色ないと周囲からも認められている。

医療分野においてはもちろん、戦闘に関しても彼女の右に出るものはそうそういない。

さらに言えばロドスにおいてプライベートや休暇を返上しての勤務を求めることは異例で、それだけ彼女がロドスにおいて重要な役割を担っているということなのだ。

 

「彼女はとても優秀ですから。仕方ないと言ってしまえば仕方ないのかも知れませんね。」

トミミのことをあまり知らないためにどう言葉をかけるべきかわからず月並みな慰めになってしまった。

だが(はか)らずもそれは、彼女の性格を知るのに十分な言葉だったらしい。

「そ、そうですよね!ガヴィルさんは()()()()()だから仕方ありませんよね!」

「……トミミさんはガヴィルが好きなんですね。」

「え、え……っ!」

全く否定する気のない、赤面する彼女がとても眩しく見えた。

そんな遣り取りをしている内に俺とトミミの注文したものを()()()()()()()()()スタッフが私たちの下へとやって来た。

「マイルドヤンキーバーガーセット、ウルトラロッカーバーガーセットお待たせしました!」

「…トミミさんさえ良ければ一緒に食事をしがてら、彼女の話を聞かせてもらえませんか?」

「え、い、いいんですか?!」

どこか、あのスタッフの思い通りに操られているような感覚も否めないが。そして、昨日までの自分の失態を思えばこれは回避すべき事態なのかもしれないが。

しかし、こうも彼女の目を輝かせてしまった以上、俺もそれなりの責任を取るべきなのだろうと覚悟を決めざるを得なかった。

……まあ、嬉しそうに語る同僚と食事をするのは悪くはない。

 

その軽率な判断は、俺がまだ彼女の性格をよく理解していないがために下したものだった。

 

その時の俺は、耳に「ガヴィル」という名前のタコができるのだろうというぐらいの気持ちで彼女を誘ったのだが、そのタコは腕がドリルにでもなっているのか。「ガヴィル」という四文字の物量でもって鼓膜を突き破り、脳に蓄えた「知識」を根こそぎ踏み潰していくのだった。

話の内容を理解する間に次の「ガヴィル」が、また次の「ガヴィル」が押し寄せ、俺の脳みそは遂に「ガヴィル」の抑揚だけで全てを理解しなければならないのだと悲鳴を上げ始めていた。

そこには俺の想像していた、女性特有の同性への憧れを語る熱っぽくもいじらしい()()()姿はなかった。

どちらかと言えば、オリジムシやハガネガニを熱愛するバニラやビーンストークのような、あるいはかつては映画俳優だったというエフイーターの熱狂的なファンのウユウのような、もしくはその言動の9割が口からでまかせではないかと思わせるコンビクションのような……。

トミミは、それらの珍妙な人種に見劣りしない語り口調を見せたのだった。

「――――マッターホルンさんはどう思いますか?」

「え?」

「ガヴィル語」を解読することに忙殺されていた俺の脳みそは、突如として投げかけられた問いに怯えるかのように顔を引き()らせた。

しかし、トミミはやはり内向的な性格なようで、これだけ私にガヴィルへの「好意」を見せつけておいて、いざ俺とキャッチボールをしようとすると途端に声を(すぼ)め、俯き、上目遣いになるのだった。

 

「私、ロドスの人はとても優しいし、親切な人ばっかりだと思います。ですが…、」

そこまで言うととうとう、俺と会話していると証明できる「上目遣い」までもが下を向いてしまった。

「時々、ガヴィルさんは”医療部よりも戦士の方が似合ってる”って言葉を聞くんです。」

「……」

それは間違いない。

アダクリスの全てがそうとは言えないが、ガヴィルに限って言えば間違いなく「アーツ」や「医療器具」を使って患者の容態を診るよりも、その「拳」でもってそこにいる者たち全員を説き伏せる方が何倍も性に合っているように思える。

それだけ彼女の腕っぷしは――私ですら敵わないほどに――確かなのだ。

「私も、ガヴィルさんには戦士(ティアカウ)としてアカフラに帰ってきて欲しいし、大族長になって欲しいと思ってます。」

かつてのトミミはそのための手段を選ばなかった。

族長を決める祭典の時期にガヴィルの里帰りを催促し、ロドスの飛行ユニットを撃ち落とし、「ガヴィルウィル」という群れをつくってまでガヴィルのロドスへの帰艦を阻止しようとした……らしい。

それ程までに彼女のガヴィルへの執着心は強い。

 

「でも、私、ロドスに来て、ロドスで働くガヴィルさんを見て、自分がワガママを言ってるんだって気づいたんです。」

俯きながらも彼女の目は輝きを忘れない。その視線の先には常に憧れの人が立っていると錯覚させるほどに。

「患者さんを診てる時のガヴィルさんは闘ってる時には決して見せない顔をするんです。闘ってるガヴィルさんもカッコいいんですが…、そこには私の知らないガヴィルさんがいて…、なんだかそっちの方が本当のガヴィルさんに見える時があるんです。」

太陽は輝きを忘れない。だがそこに雨雲が走れば途端に、俺たちの目は彼女の輝きを見失ってしまう。大地を(いつく)しみ、俺たちに恵みを与えてくれる同じ「空」であるにも関わらず。

「私、ガヴィルさんには自由に生きてほしい…、自由なガヴィルさんが一番カッコいいんです。」

彼女の一面であるということを知らないのは俺たちだけで、彼女は常にその向こうで輝き続けているというのに。

「…だから彼女の一面ばかりを見ている人が許せない、と?」

「え?」

もしかしたらトミミは今、自分が語っていることにすら気付いていないのかもしれない。

ならばそれは間違いなく彼女の心の声なのだ。

「アナタはガヴィルを”型にはまった何者か”にしようとする周りの人間が疎ましいと思っているんじゃないですか?」

すると彼女はさらに内気な性格を発揮し始め、「あ…、えっと…、そんなこと……、ないです」とタイムラプスで枯れていく花のように顔も声も(しお)れていった。

 

……ふむ、どうしたものか。

 

食後のホットコーヒーをひとくち口に含み、その芳醇な香りで「ガヴィル語」で荒らされた脳みそを整える。

……「悩み」というのは得てして単純である場合が多い。

確かに、誰かが何かを成すのに「他人」という存在は厄介である場合も多い。だが……、

「では、トミミさんはガヴィルのどういうところが好きなんですか?」

すると思った通り、「ガヴィル」と「好き」という言葉に反応したようで彼女は幾分か溌剌(はつらつ)とした表情を取り戻し、さらに「…え?今さら?」というような困惑もしてみせた。

「…自由で、カッコいいところです……。」

「そうでしょう?」

「え?」

 

「悩み」は時に、単なる「栓」であることもある。

 

そこに問題なんか初めからないというのに、自分の手でそこに壁を(もう)け、一人で藻掻(もが)いて、一人で疲弊してしまうこともあるのだ。

これもまさにその一例なのだと、カフェインで自我を取り戻した脳細胞が辛うじてあれらの膨大な「ガヴィル語」の中から導き出してくれた。

「あのガヴィルが、他人に何か言われたくらいで生き方を変えるような()()()()()に見えますか?」

「……!?…い、いいえ!ガヴィルさんは、とても強い人です!誰にも負けません!」

「であれば、アナタはそんなガヴィルとガヴィルの魅力に気付いていく周囲の人間を傍観していればいいんですよ。」

「……」

今、まさに「栓」の存在に気付こうとしている彼女はポカンと口を開けて俺の言葉に聞き入っている。

「先に気付いている者の特権とでも言うんですかね。案外、気持ちいいものですよ?少しずつ理解者が増えていくのを待つというのも。」

「な、なるほど!」

それもまた無意識なのだ。足下に転がっている「栓」が何だったのかも分からず、自分が何に悩んでいたのかすらもわからなくなるというのも人間の面白いところなのだ。

 

この問題は自明の理とも言える。

なぜなら、幾人の心無い言葉に囚われているその時ですらも、トミミの瞳に「太陽(ガヴィルウィル)」の輝きは陰らなかったのだから。

それはもう、天気予報士など必要ないくらいに。

「マッターホルンさん!」

「はい?」

「も、もう一軒回りませんか?!」

「ハ、ハイ……、」

というよりも、俺は天気予報士として失格なのかもしれない……。

 

迂闊(うかつ)にも俺は、トミミというサルゴンの辺境で生きる女性の生命力(かがやき)を、(あなど)っていたんだ……。

 

 

 

――――その後、「海が好き」の交代時間ギリギリになるまで、(くだん)の言語を操る凶悪なタコに襲われ続け、辛うじて息を吹き返した耳も脳も――今日もまた――海の深淵へと(いざな)われてしまうのだった。




※トミミの水着
原作のイベント「理想都市-エンドレスカーニバル-」で着ていた黒いやつじゃなくて、購買部でコーデとして販売された、でっかいホネガイを持ってる白いやつですね。

※アカフラ
トミミやガヴィルたちの故郷のこと。サルゴン国のジャングル地帯をそう呼んでいるみたいです。

※大族長
アカフラではいくつかの部族が土地ごとに存在しています。
これらの頂点に立つ人間が「大族長」らしいです。

※あとがき(コラボ編)
某アプリゲームが「RWBY」とコラボしているらしいですね。
「……いいなあ……、」
百回くらい呟いたと思います(笑)

あ、小黒くんのアニメ(ぼくが選ぶ未来)も面白かったですよ。最近気付いたんですが、ショートアニメもあるみたいですね。
そっちの方にシャオバイやアグンが出るのかな?これからが楽しみです!
最初はただの「マスコットかな?」と思っていましたが、アニメを見るごとに小黒くんにそれとは違う愛着が湧いてきました。
コラボってそういう魅力があっていいですね!!


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魅惑の海 おまけ その一

●おまけその一 【ダイヤモンド★クオーラ】

 

海辺のリゾート地には宝石が無数に存在する。

無論、言葉そのままの意味ではない。それこそ、安易に感傷に浸ろうとする()()()()()()たちが使う、ごくごくチープな比喩でしかない。

その一つ、そして最も美しい輝きを放つダイヤモンドの中に今、名もなき小さなボールが吸い込まれていく。

 

 

「ホーーームラーーーン!!」

 

 

……なぜなんだ。

「ふむ、さすがはロドスのオペレーターだな。なかなか手強い。」

なぜ、こんなにも人の心を惹きつけて止まないエメラルドグリーンの海を前にして……、

「ゲームは始まったばかりです。気にせずいきましょう。」

足の裏を優しく包む真珠の絨毯を踏みしめながら……、

「……ねえ、これってホームランボールは全部、魚たちにプレゼントするシステムなの?」

なぜ、俺たちはベースボールをしているんだ?!

 

「おーい、シデロカちゃん、ガンバレ~!」

急ごしらえのコートを一周し終えた亀族(ペートラム)の少女が一際陽気に、バッターボックスに立つ見るからに強打者のフォルテに声援を送った。

「任せてください。私もクオーラちゃんに続きますよ。」

「随分な自信だな。なら私も全力でいかせてもらう。」

対峙する女性もまた、パッと見は細身ではあるがその実、元龍門の近衛局、特別督察(とくさつ)隊隊長という実力者だ。

「どうぞ。ミノスと龍門、どちらがよりベースボールに特化した人種か。ハッキリさせてあげますよ。」

……どうやら全員、暑さに頭をやられているらしい。

ならばこの際「どうして」などもうどうでもいい!一刻も早く試合を終わらせて、彼らへの長期休暇をドクターに申請しなければ!

「マッターホルン、いったぞっ!」

「え?」

 

……ポカリッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……イェラグの空は高い

 

 

霊峰を頂く麓の町から見上げたならそこが天国のようにも感じられるほどに。

降り注ぐ陽射しは鋭く、肌を刺すほどに凍てついている。痩せた大地から取れる作物も、辺りに生息する獣たちも多くはない。

一年を生き延びるために贅沢を控える私たちはどこか日々の温もりに欠けているように感じていた。

だから私は料理を覚えた。

たとえ質素な食材でも工夫次第でより美味いものに変えられる。

食卓が賑わえば、人は――作物たちと同じように――豊かになる。鍋や包丁は料理を作るだけでなく、人の心に温かな水を注ぐことができる魔法のような道具なのだ。

 

俺はシルバーアッシュ家に仕える護衛だ。

だが、ナイフの代わりに包丁を握れば旦那様やお嬢様の体調管理や人間関係の改善にも一役買えると気付いた時、俺の取った選択は間違いじゃなかったのだと自信がついた。

俺は、あの家の、旦那様の役に立つことができるのだと……。

あの人たちにとって必要な存在になれるのだと……。

 

 

 

 

 

 

 

「…う、う…ん……、」

「あ、気がついた?」

「……」

それに比べ、ここの太陽は低すぎる。俺が何をしなくても友人たちは皆、素敵な笑顔を向けてくれる。

「ここは…、私は、なにを……、」

無垢なペートラムはリターニアの画家も羨むような無垢な微笑みで、覗き込むように私を見下ろしていた。

 

……()()()()

 

「君、エラーしちゃったんだよ。」

「……え?」

情けなくも気絶していたらしい俺の頭を、彼女の柔らかな太ももが支えていた。……とても優しい、太陽の匂いのする………っ!?

「おっと、どうしたの?なにか怖い夢でも見ちゃった?」

あわや互いの頭をぶつけてしまう勢いで飛び起きた俺に驚いてはいたが、その表情にはあの笑顔の余韻がしっかりと見て取れた。

「い、いや、ただ、今の状況に驚いただけだ。……あ、あぁ、看病してくれていたんだな。すまない、ありがとう。」

だが、彼女には医学的知識はおろか、一般教養も標準に達してないことを俺は知っていた。

あの場にいた連中なら、ミノスの傭兵の方が適任だったろうに。おそらく彼女が進んで買って出てくれたのだ。

「お礼なんていらないよ。君のおかげで大好きな野球ができたんだもん。ボクの方こそ、ありがとう!」

「……そういえば、そうだったな。」

 

昨夜、「海が好き」の厨房で翌日の仕込みをしていると、夜の砂浜でランニングをする彼女を見かけた。

「休暇中だというのに自主訓練か?精が出るな。」

気紛れに俺はトレーニング中の彼女に適度に冷えた飲み物を差し入れた。

すると彼女はまるで初めて見る生き物を見るような目で俺をじぃっと見詰めてきたのだ。

「えっ…と、クオーラ、俺が誰だかわかるか?」

俺とクオーラはその役割上、同じ任務に就くことが多い。今では少なくとも顔見知り以上の関係にはなっていると思っていたが……、

「……」

「…お前は、クオーラ、だよな?」

あまりに反応がなさすぎて、俺の方が人違いか何かしてしまっているような気分にさせた。

彼女に話しかけてから少なくとも1、2分は経っただろう。そうして彼女はようやく口を開いた。

「君って、お友だちは多い方?」

……これが彼女の性格なのだ。

いつもながら、彼女との会話には頭の切り替えの速さを要求される。だがなぜか不快に思ったことは一度もない。

それが、彼女の魅力がなせる御業(みわざ)というものなのかもしれない。

「え?…まあ、少なくはないと思うが。それがどうかしたか?」

「じゃあ明日、野球しようよ!」

「…え?」

確かに、彼女は日頃から野球にただならぬ関心を抱いていた。戦闘も――そもそも彼女は戦闘向きではないのだが――、バットでの()()()()()()()に拘る徹底っぷりだ。

だが、なぜ今?

 

しかし、よくよく話を聞いてみれば彼女の場違いな願望は、なるほどそういうことかと合点のいくものだった。

「ボク、ロドスでもこうしてずっと自主練してるんだけどさ、実際に皆でプレイしたことってないんだよね。ロドスは野球をするには狭いし。球場のある町に泊まっても、そこにボクのお友だちはいないから。」

ああ、今の走り込みも戦闘訓練ではなく、走塁や守備のためだったということか。

「……ダメ、かな?」

同じ重装オペレーターとして、彼女と肩を並べた戦場も少なくはない。

戦闘のノウハウこそ少ないものの、ドクターの指示に忠実で、日頃の訓練を証明するような強固な「盾」となる姿には尊敬の念を抱いたこともある。

俺にとって彼女はユーモラスな友人であるとともに、大切な同僚なのだ。

そんな彼女の切実な願いなんだ。叶えてやりたいと思うのは当然のことだろう?

「ああ。もちろん、いいぞ。明日、できるだけ多くの人に声をかけてみる。」

「ホント?やったあ!!」

「…ただプレイをするのも味気ないと思わないか?」

「え?」

あまりに愛らしく飛び跳ねるので、俺はつい意地悪を思いついてしまった。

「負けた方が勝った方になにか美味いものを(おご)るというのはどうだ?」

……いいや。これは意地悪というよりも、より野球というゲーム性を高めた、彼女の意向に応えたいという俺なりのサービス精神だ。

そしてそれは思った通り彼女の意欲に刺さってくれたらしい。俺たちはとびきりの笑顔とフィストバンプを交わし、誰もいない砂浜で純粋無垢なスポーツマンシップを瞬く夜空に宣誓した。

 

 

そして俺は、迂闊にも自分が熱中症にかかっていることに気付けなかった。

 

連日の騒ぎも影響したのだろう。陽射しにやられた俺は、飛んできた打球にも反応できず頭で受けてしまったらしい。……なんて情けない。

まあ、そのことへの反省はひとまず置いておこう。それよりも今は……、

「それで、試合はどうなった?」

「フッフッフッ……、それはね……、」

まるで大根役者のように演技臭い笑みを浮かべた後、彼女はやはり彼女らしい笑顔で、

「ボクの勝ちだよ!」

俺の期待に応えてくれたのだった。

「…そうか。優勝、おめでとう。」

俺たちはまた友情を深めたフィストバンプで健闘を(たた)え合い、シエスタ一押しのファストフードを食べようと約束した。

少し値は張るが、あの青空に輝くダイヤモンドにも負けない笑顔がまた見られるなら、安いものじゃないか。

 

 

 

 

 

●おまけその二 【火山観測士の絵日記】

 

私はリターニア人だから、アーツの適性は他の人よりも高い。両親のおかげで教養もそこそこにある。

だけど、私は、耳が悪くて目もいいとは言えない。少しずつ、皆の世界から追い出されていくような感覚で悪夢を見るときもある。

 

だけど、私は幸せ。

 

だって、私には居場所がある。

私の健康を気遣ってくれる人。弱った私を励ましてくれる人。一緒に闘ってくれる人。そして、私の努力を見てくれる人がそこにいる。

 

 

 

「エ、エイヤ、フィヤトラさん……、私は……、」

 

 

 

久しぶりにこんなに走った。

部屋に駆け込み明かりもつけず、真っ暗な中で目を閉じて鳴り止まない胸にソッと手を乗せる。

 

……少し、恐かった。思わず打って、逃げてきた。

 

「……明日、謝りに行こう……。」

ようやく少し落ち着いて、ホテルのソファに深く腰掛けながら長い溜め息を吐く。

ホテルのベッドはとても清潔で、なんだか恐いから落ち着かない。

ソファも似たようなものだけど、ベッドよりかは私をソッとしておいてくれる。辛い想いにさせない。

 

……だけど今日の出来事は、もっと私を驚かせた。

 

……あれは何だったんだろう。

 

わかりきってるのに、知りたくない。

……本当にそう?

マッターホルンさんは良い人。礼儀正しくて、正義感があって、忍耐力もある。

じゃなかったら、私なんかのためにあそこまで支えてくれないもの。

だけど……、だから、恐かった。

 

「…ハンカチ、どこだっけ……、」

……私、情けないな。私を大切に想ってくれてるだけなのに、泣いちゃうなんて。

「……先輩、何してるかな……、」

本当は先輩と一緒に浜辺を歩きたかった。お喋りなんかしなくてもいい。ただ……、手を……、

「あ……、」

(きら)びやかな夜景を背景に薄っすらと、窓ガラスに浮かれた格好のキャプリニーが映っていた。

水着…、がんばったのにな……、

購買部で見た時、とっても可愛く見えた。……そう言ってくれることを、期待して買ってしまった。着る機会なんかこれっきりなのに。

あの時も、(おだ)てられて調子に乗っちゃったんだ。

でも、こうして見てみると……、

…なんだか、子どもっぽいな……、

 

 

 

 

――――夢を見た

 

 

 

 

 

湾曲する境界線から(まばゆ)いばかりの光を放つ宝石が現れて、線引された天と地を同じ色で染めていく瞬間を、私と誰かがゆっくりと上下するゴムボートに乗って眺めていた。

「……私、今、幸せなのかな……、」

そう言うと彼は、

「今、私は幸せだよ。」

そう言って彼は私を力強く抱き寄せた。




※クオーラ
ボクっ娘です。

※龍門とミノス
どちらも原作内の地名です。

※シデロカ
説明不足かもしれないので、追記すると、
シデロカはミノス出身の経験豊富な傭兵です。職種は「前衛」ですがスキルが回復スキルだったのでそっちの知識もあるのかなと。

※ダイヤモンド★クオーラ
硬ーい宝石と、硬ーい亀をかけましてクオーラと解きますその心は……、
「ボクっ娘の笑顔は最強」です。

※エイヤフィヤトラの言う「先輩」は……、
「ドクター」のことです。つまりプレイヤーのことですね。なぜ「先輩」なのかという疑問はぜひ原作を通して知ってみてください!


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魅惑の海 おまけ その二(終)

●おまけその三 【頂きます】

 

刃先を、鱗を落とした皮の上を滑らせる。

朝一で研いだ包丁と薄っすらと濡れた皮は合わせ鏡になって青白い光を反射させる。

皮は鱗を落としてなだらかになっていても、撫でる刃先は僅かに「カリカリ」という音を立てる。

(えら)という壁に突き当たり、そこから壁にならって滑り込ませるとソイツを支えていた一本柱に触れることができる。

俺はそれを壊さず、紙を通すように切り分ける。

その瞬間、俺はコイツを本当の意味で「頂いた」気分にさせる。

その後は供養、祈祷のような儀式的な工程が続く。

 

見る者が見ればそれは地獄絵図に映るかも知れない。

どんなに俺が感謝をもって「頂いた」ところで「殺し」に違えねえんだ。

そうだとしても俺は握る刃物を止めたりはしねえ。止めれば俺はただの「殺し屋」だ。

「……」

あの人の目を思い出す。

波間に釣り糸を落とし、あの人はただただ静かにその様子を眺めていた。

眺めていたものが何なのかはわからなかったが、あの時のあの人は何も殺しちゃいなかった。

それがとても大事なことなんだ。

 

「美味しいですね!!」

 

今の俺が店に立って客の笑う顔に幸せを感じているみたいに。

 

 

「B級グルメって言うけど、昨日アタシが行った懐石料理よりも美味しいわよ?」

 

それが、俺の責任ってやつだ。

アンタは血の臭いを隠さなかったけれど、その臭いが波を荒立てることもなかった。

黄金色(こがねいろ)の瞳は、ナイフがもたらす責任をごまかしちゃいなかったんだ。

 

「……おい、コイツ、いくらなんだよ。」

 

ウルサスだとかループスだとか関係ねえ。人相が良いとか悪いとかそんな話でもねえ。

戦えば人は誰かを殺すし、腹が減りゃあ何かを殺す。

 

「毎度、10龍門幣になりやす。」

 

だったらソイツは責任をもって海を育てなきゃならねえんだ。

魚の味を良くするためじゃなく、魚の泳ぎやすい穏やかな海ってやつを守るために。

 

 

「ジェイ、お前なかなか筋が良くなったな。」

「……そうですかい?」

 

そりゃあ、そうっすよ。

だって俺は、ずっとアンタのことを尊敬してたんすから。

 

 

 

 

●おまけその四 【二本の短剣】

 

理想郷(ユートピア)がもたらす虹色の陽の光降り注ぐビーチで紳士淑女が日常で負った傷や病を癒している最中、シエスタの某ホテル、その地下に(もう)けられたバーで企業のトップ同士のささやかな懇親会が行われていた。

 

「ノア、また腕を上げたな。」

毛並みの良い銀灰のフェリーンが椅子から垂らした大きな尻尾を、僅かに揺らした。

表情もさることながら、その身形(みなり)は企業のトップという立場に見劣りしないものだった。

コートのやや下品にさえ感じさせるほどの立派なファーは、丁寧に(なめ)された皮の渋い光沢と対比することで着用者の高潔さ、高圧的な気質を演出していた。

革手袋、簡素だが質の良いシャツに絹のネクタイ、その他、身に着けているもの全て――故郷の風習を示す独特の色使いの(ほどこ)された髪飾りを除いて――は「敵」を萎縮(いしゅく)させるためのものだ。

それは彼の家柄や留学で得た経験が彼に強いた「鎧」とも、普段対峙する商売相手へ優位な企業戦略を働くための「戦闘服」とも言いかえられる。

それらの性格、企みは彼の顔のあらゆるパーツからもハッキリと見て取れる。

 

そんな孤高を愛する彼が今、明らかに、向かう相手に心を許していた。

 

「そうか?まぁ、好きこそものの上手なれと言うしな。」

ところがその相手は、舞台の陰に徹するバーテンダーでさえも疑心暗鬼を顔に出さずにはいられないような不審な身形をしていた。

「それに、対戦相手がお前だからというのもあるかもしれないな。」

声以外では性別さえも窺い知れないその男は、天井の設けられた室内で撥水加工の皮の雨具を着込み、フードの下には騎士さながらの真っ黒な鉄仮面を着用していた。

大雨の予報が?それとも古戦場に向かう前のタイムトラベラー?はたまた、衣装を脱ぐことにさえ面倒臭さを覚えるただのズボラな舞台役者?

もしも三択目だとすれば、銀灰のフェリーンの必要以上に威圧的な装いも特殊メイクと豪華な舞台衣装というオチとしてバーテンダーは日常を取り戻すことができたかもしれない。

 

しかし、世界は彼が期待するような現実ばかりで出来てはいなかった。

 

時空を旅する天気予報士が大胆にも黒のキングを盤面の中央に進めると、白のキングはまた少し自慢の尾を揺らした。

「笑わせる。お前はいつからそんな安い世辞と挑発を使うような詐欺師に転職したんだ?」

「全ては世の中を上手く回すため。()()()()()()()()私は天使にも悪魔にでもなるさ。」

性懲りもなく予報士は軽口を交えて対戦相手を挑発し続けた。

すると銀灰の尾は天秤さながら、トラベラーの怪しい予報を計りにかけるように大きく――あくまでも静かに、人目につかぬよう――揺らした。

「フン、いいだろう。もしもこの勝負でお前が勝利したなら、お前たちが入手に難儀しているという上質な源岩鉱を1トン買い付けてやろう。」

そう答える銀灰の尾は椅子の裏をトントンとノックしていた。

「正気か?上級の流通量を知っているだろう?クルビアの全専門企業の年間産出量と同等の数字だぞ?」

 

一般に源岩鉱は、鉱石病(オリパシー)の感染源となる空気中の源石(オリジニウム)の吸着剤として用いられる。そして、吸着剤として用いられる程度の源岩鉱の価値は特別高くない。

しかし、このフェリーンが言う「上質なソレ」はあらゆる機器の装置(アーツユニット)稼働時に発生する負荷を効率的に軽減させることのできる、需要に対して極めて流通量の少ない、同量の金よりもはるかに価値の高い素材だった。

しかも、これの生成には高い精錬技術とクリーンルームが必須となり、大規模な生産は技術者不足と管理コストの関係上、未だ実現されていない。

「お前を悪魔にしてやろうと言うんだ。この程度の対価は当然というものだ。違うか?」

「……なるほど、それなら私は…、いや、()()()向こう十年間、お前の関係者の全ての治療費を賭けてやろう。」

 

金銭的負荷で見ればそれは圧倒的にフェリーンの方が大きい。しかし、この雨具男が所属する会社はあらゆる方面の外傷、病の治療を行っている。

その中には伝染病かつ流行病として恐れられる「鉱石病」さえも含まれる。この罹患者(りかんしゃ)に向けられる世間の目は、それだけで迫害の対象とされるほどに冷たい。

当然のように、彼らの「面倒」を診てくれる医療施設はほとんどなく、あったとしても多額の治療費を要求して追い返すことがしばしば。

それを、この端役(はやく)のようないで立ちの男は無償で処置しようと言っているのだ。

もはや金銭的価値など問題ではなく、従業員に「感染者」を抱える銀灰のフェリーンにとってまさに喉から手が出るような提案なのだ。

「……それは、やめておけ。」

「なぜ?」

聞くとフェリーンは彼と相対して初めて、刹那、眉間にシワをつくった。

「私がそこまで考えが至らないほど愚かだとでも?…いいや、お前はそういう奴だ。私の企みもすでに見抜いているのだろう?それを承知の上で、どちらに転んでも私が目論んでいたことを実現させようとしている。()()()()()()()()。」

「エンシオディス、そういうことは言うだけ野暮だと思わないか?」

その後、数分に渡って彼らはお互いに譲らず、ゲームはケンカ腰に始められた。

 

 

 

「……つまり、どういうことなのかしら?」

バーカウンターから壁際の二人の話に興味津々で聞き耳を立てるネズミ族(ザラック)が隣のヴイーヴルに尋ねた。

出身や役職こそ違えど、二人は間違いなく「同僚」の間柄ではあった。そして今も彼女たちは同じ任務を遂行している最中だった。

「他人のプライベートに立ち入るのもお前の仕事の内なのか?」

しかし、二人の共通点はそれしかない。

戦場で闘う相手も違えば、彼らの()()()も違う。話し方も、好みの食べ物も、自身の悪癖への客観的視点も。

そして、銀髪のヴイーヴルは「秩序」を乱すことを嫌い、赤毛のザラックは「秩序」という言葉そのものを嫌う。(ザラックのいた世界の「秩序」は彼女を奴隷にするから)

 

銀髪のヴイーヴルが世間の求める完璧な(よそお)いをしている一方で、

赤毛のザラックはドレスコードに(なら)ってスタイリッシュなドレスに身を包んでいながら、敢えて「過去の烙印」を(さら)していた。

その印を見れば多くの人間は彼女の身分を勘ぐるだろう。浅黒い肌やギラギラと光る赤い瞳に偏見を抱くだろう。

それは彼女の意中の相手の品位さえ下げるかもしれない。それでも彼女はそんな彼らの視線を故意に誘引することを止めなかった。

 

「あら、自分の主人…、いいえ。護りたい人のことをよく理解するって護る側からしたら重要なことなのよ?」

しかし、「共通点が少ない」ことが「気が合わない」ことを証明するとは限らない。

事実、ヴイーヴルはザラックの言っていることを違和感なく理解することができた。

元警備課主任という彼女の輝かしい実績がそれを物語っていたし、さらに言えば、今まさに彼女はその力を心から欲しているのだ。

それでもヴイーヴルにはザラックがそんな純粋な使命感をもって言っているようには聞こえなかった。

「……別に構わないわ。あの人の傍にいればいつかは分かることだもの。」

ヴイーヴルの表情を見て疑われていると気付いたザラックは「よくあることだ」と諦め、また二人の会話へと耳をそばだてた。

 

その甘い横顔は嘘くさく見えた。

「……お前は、なぜ彼を護りたいんだ?」

「……」

そして、その質問はザラックを素直に驚かせた。

 

今までにも何人かに同じような質問をされたことがあったが、それはそういう立場の人間だったから。彼女と同じように彼を護りたいと考えている人間だったから。

少なくとも、目の前のヴイーヴルのように他の誰かに夢中になっている人間の口から……いいや、だからこそ()()()()のかもしれない。

もしかすると彼女はまだ、自分の気持ちを理解し切れていないのかもしれないのだ。

 

ザラックは今まで自分の職分や異性であることを利用して彼らの質問を誤魔化してきた。

なぜなら彼女にとって彼らの立場は過去に自分を買った人間たちとあまり変わらないからだ。

目に見える親切を鵜呑(うの)みにしてはいけない。彼らが自分を脅かす「力」を持っている限り、彼女の存在が「不都合」になった瞬間、それは自分に向けられるかもしれないからだ。

その可能性を視野に入れて動かなければ、彼女は生きてこれなかった。

 

そして今、私はこの身の全てをあの人に捧げている。私が退(しりぞ)けるべきものは、彼を脅かす全ての「障害」。

私は、彼の前に現れるどんな賢い「障害」も見逃す訳にはいかない。

 

けれども、目の前のヴイーヴルはどうだろうか。

彼と協力関係になって随分立つ。仲違(なかたが)いすることも何度かあったと聞いている。それでも彼女がロドスから出ていこうとしないのは単にあの子のため?

……それとも、彼女も彼を脅かす何者かになるのかしら?

 

「すまない、私も不躾なことを聞いたな。忘れてくれ。」

「……」

彼女を見ていてふと、故郷の物語に出てくる主人公を思い出した。

 

狂気によって自らを喪失すまいとする理知的な佇まい、力を模索し苦悩する言葉遣い、怠惰を正す鋭い眼差し。

だけど、それだけでは彼の求める剣にはならない。

彼はそういう経験を、血と涙の区別がつかなくなるような気の遠くなるような戦いを経てようやく、人ならざるものを斬る(すべ)を手に入れた。

しかし、彼は失念していた。

手にした剣が「盾」を必要とするなど露ほども考えなかったのだ。

そうして目の前で愛するものを奪われた彼は剣に飲まれ、世のあらゆるものを滅する”大波”へと姿を変えた。

もはやその行為は天邪鬼という他ない。

それでも”大波”となった元騎士はやって来るあらゆる怪物たちを喰らい続ける。

「盾」など必要のない世界を創造するために。

 

――――”最初の騎士”

 

対となる古い伝承の物語を引き立てるため、今も存命の作家の手によってつくられた皮肉な物語。

 

 

私は、人気のある伝承の騎士よりも彼の方が憐れに思えた。「盾」を否定するために”大波”になった彼が築こうとする世界は「盾」はおろか、「(かれ)」さえ必要のない世界なのだと気付けていない。

そこまで追い込まれた彼が、愚かを通り越して憐れに思えるのだ。

目の前のヴイーヴルは、私なんか及びもつかない力を持ってる。けれども誰かと肩を並べて戦う時はいつも、彼女は拳を立てず、構えた盾を手放さない。

もしも彼が失う苦難を乗り越え「盾」を受け入れられたなら、このヴイーヴル…、サリアのような人間になっていたのだろうか。

 

そう思えばこそ、彼女が必要とする後押しをしてあげてもいいんじゃないかしら。

もしもそれが私の言葉の中にあるのならだけれど。

 

「アタシはね、あの人に感じるものがあるの。」

私は、惨めな生き方を送ってきた人間だけれど、敬意を表す相手を間違えたことはない。どんな頑固な人間だろうと、信じるべき相手は信じるべきなのだと、彼や大旦那様に教わったわ。

だから、誰に何を言われようとこの気持ちは確かにあるんだって自信を持って言える。

「これが”恋”というものならそうかもしれないわ。でもね、アタシはきっと違うと思うの。」

「……」

サリアは続くザラックの答えを辛抱強く待ったが、その忍耐が報われることはなかった。

「あら、これで終わりよ。だってまだ彼を知る途中なんだもの。当然でしょ?」

不満は残った。けれどもそれが彼女の本心であることに変わりはないのだと納得せざるを得ない。

「だからアタシはあの人の傍を離れない。たとえアナタが彼をたぶらかす悪魔だったとしても、アタシは恐れないわ。あの人が、こんな(いや)しいアタシを大切に想ってくれる限り。」

 

「……」

同僚を「敵」にするのには慣れている。しかしそれは事態がそうさせただけで私が望んだ訳ではない。

けれども彼女はどこか、()()()()()望んでいるように見えた。

私を(うと)ましいと感じているのか?いいや、であればその言葉にはもっと「敵意」があっていい。

だが、それはどこか「挑発的」だった。

まるで、私を試しているかのような……。私を?なぜだ?

 

「アナタは?」

「…私がドクターをどう想っているということか?」

「そうよ。」

「……」

私がドクターに敬意を払っているのは間違いない。だがそれを越えたことはないし、そう勘違いされるような真似もしたことがない。

ならばなぜ、彼女はこうも私に挑みかかってくる?

「…洞察力や先見の明に関しては尊敬に値する。アイツが後方に立っている限り、それがテラの両端で生じた問題であろうと無駄な犠牲など一つも生まれはしないだろうな。」

それ以上、何を言えばいい?

私も、なぜ言葉が続くような言い方をしているんだ?

…私の目的はイフリータだけじゃないのか?本当は心のどこかで拠り所を求めていたと?それが、あの男だと?

「……」

沈黙が長すぎた。

彼女は「…そう」と相槌を打ち、遂には私への興味を完全に失くしてしまったようだった。

 

 

ザラックが意中の相手へと視線を向けるとゲームは混戦を極めているらしく、戦いは盤外にまで及んでいた。

「お前の身勝手な行動と言えば、近頃、四六時中お前を見張っているあのザラック。お前はどう思っているのだ?」

「…お前らしくもない。(ねた)(そね)みは視野を狭めるぞ、エンシオディス。」

「盟友よ、私はお前を想って言ってやっているのだ。」

銀灰のフェリーンは視線を対戦相手から逸らし、カウンターの彼女へ向けた。彼女もまた、その視線を望みのままに受け留めた。

二人は彼を置き去りにして、ただ静かに睨み合っている。

「聞くところによると騎士の称号を持ち合わせているようだが、彼女を一見してそれを信じるものがどれだけいると思う?」

「…誰しも醜い過去の一つや二つある。それと向き合う器量があるだけ彼女は立派な人間だと私は思うがな。」

「なるほど、それは間違いないだろう。私も彼女の存在自体を否定するるもりはない。だが、世の中には多くの人間がいる、そういう単純な話だ。もしくは、そのイメージがお前、引いてはお前たちに及ぶことも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

――――一瞬にしてバーの空気が冷え切った

 

 

 

「……冷めてしまったよ。まさかお前がそんな幼稚なルール違反を犯すとはな。」

「それがお前の言い訳か?」

フェリーンは変わらず威圧的な表情を崩さず、ルークを敵のクイーンの目の前まで動かした。

「護るべき者は(しか)るべき方法でもって護るべきだ。それを怠るお前にそもそもルールを口にする資格はない。」

「…人には人のルールがある。その尊厳を削ぎ落としてまで人を護る価値がどこにある。」

「その理屈は矛盾しているな。ならば、私の目に映る世界に彼女を連れ込んだお前は私の尊厳(ルール)(ないがし)ろにしているんじゃないのか?それとも、お前にとって私はそもそも護る価値などないと、そう言いたいのか?」

盤外でさえも彼らは一歩も譲らない。

ともすれば戦いはさらに外へ伸びるかもしれない可能性を帯び始めた。

 

 

「…ねえ、あれ、止めなくてもいいのかしら?」

あくまで傍観者に徹するつもりだったザラックは、衝動的になろうとする自分を抑えようと隣の同僚に意見を求めた。

「なぜだ?」

ところが頼みの同僚は戦場の空気などお構いなしといった様子で二人を見守っていた。

「あれでも大企業ひしめく世間を渡り歩いてきた組織のトップだ。我々には理解できない心理戦を繰り広げることはあっても、その引き際を見誤ることはないさ。」

「……」

「それとも、これがお前の限界か?」

「……」

 

危なかった。

 

彼女に指摘されなかったなら、彼女が動かないことを理由に私は柄に伸びるこの手を止めなかったかもしれない。

あのフェリーンが言うように、卑しい自分が彼を辱めていたかもしれない。

「…ごめんなさい。アタシ、また失敗するところだったわ。」

「……」

その姿には「騎士」としてのプライドと、卑しい身分に打ち勝とうとする「(ひと)」としての意地が見て取れた。

「私は、」

その姿を目の当たりにしてようやく、サリアは見逃していた自分の気持ちの一つを探り当てることができた。

「お前のそれとは違うかもしれないが、あの男を大事に想っている。」

「……」

「だが、同時にこうも思う。あの男は多くの人間から好かれすぎている。」

それがただの友好関係で済むのなら何の問題もない。だが今、あのカランド貿易会社のトップが見せたように、よりあの男に近づこうとするがゆえにその他の人間を不幸にするかもしれない。

その責任はいったい誰が負うんだ?

そうなると私も、あのフェリーンの言うことに一理あると思わざるを得なくなる。

「お前は、そんなあの男が許せるか?」

「アタシは……、」

 

その後、酒を飲み、危険な口論が飛び交いながらもゲームが長引くことはなかった。

「私の勝ちだな。」

それは意外な結末だった。

「…今月中に契約書を書き直してそちらに送付しよう。」

黒のキングが力なくうなだれていた。

しかし、それでも物足りないと言わんばかりに白のキングは歩みを止めなかった。

「その必要はない。」

「……なに?」

勝負は着いていないと?それとも、もっと法外な賭け金(ルール)を上乗せする気か?…だが、さすがに彼はそこまでするような男じゃない。

敗北した天気予報士はどんな凶弾が飛んでくるのかと身構えた。しかし、

「理由は簡単だ、ノア。お前の言うルール違反というやつだ。」

銀灰のフェリーンは諸手を上げ、降参の意思を示しながら続けた。

「あの時、彼女を盤上に引きずり込まなければ私に勝ち筋は見つけられなかった。私は勝利とプライドを天秤に掛けてしまったのさ。」

そうなのだ。あの時、私は冷静でいたはずが、単純な読み違いをしてしまっていた。あそこから、私はミスを取り返すことができなかった。

 

会社のため、身内のためならプライドなど感じさせない攻めを見せる彼だが、こと私との勝負においてそれを見せたことは一度もなかった。

「……そんなに私のやり方が気に入らなかったのか?」

「当然だろう。あれではただの施しでしかない。」

少しずつ、酔いが醒めてきた。それくらいしか彼の視線にかける言葉が思いつかなかった。

「とにかく、今日はお開きにしよう。私もお前も飲み過ぎたのだ。君も、私のつまらないプライドのために、すまなかった。」

「アタシはアナタが彼に手を出さなかっただけで満足よ。」

「…ふっ、貴女は私の思う以上に強い人間らしい。」

「強さ」も、人によって求めるものが違う。フェリーンはその「強さ」でもって故郷に富をもたらし、権力を手に入れた。

しかし、ザラックもまた非凡な「強さ」をもって醜い過去を打ち倒そうとしている。

彼女を護ろうとする理由を、彼はようやく理解した。

 

「エンシオディス…、すまなかった。私は自惚れていた。お前の優しさに応えようと気取ってしまったんだ。」

彼は、久方ぶりに覚えた反省に打ちひしがれながら言った。

「ノア、私たちも人間だ。過ちを犯すことはある。それでも、この程度でこの友情に亀裂が入らないことを私は知っている。」

「…ありがとう。」

二人は固い握手でもって想いを確かめ合うと、今度こそ銀灰はバーを後にした。

 

 

 

……ねえ、ドクター。

私はアナタほど頭が良くないから、今日のケンカの理由もハッキリとはわからなかったわ。

それでも今日、わかったことが二つあるの。

私はまだアナタの盤上に立つには相応しくない。この「烙印」すらもアナタを護る武器にならないのなら、私はまだアナタの戦場を知らなさすぎるということ。

それと、サリアはアナタに警告するかもしれない。けれどそれはひどい誤解だってこと、私は今日ハッキリ理解したわ。

アナタは人にできないことができる人。アナタは誰よりも多くを助けられる人だから。

 

()しくも、私はあの物語の主人公と同じ称号を持っているけれど、彼と唯一違うところがある。それは、私は剣を()()持っているってことよ。

 

私はいつかそれをアナタに証明してみせるわ。




※ノア
私の書くお話の中での「ドクター」の本名です。

※シルバーアッシュの髪飾り
今回、まじまじとアッシュさんを眺めて初めて髪飾りの存在に気付きました。
黒と翡翠色で編まれたミサンガのようなもので、先端には呪術的もしくはエキゾチックさを象徴するような金属の留め金の付いた描写がされていました。
全スキンに採用されているところを見るに、やはり「イェラグ(シルバーアッシュの故郷)関係」ではないかと思います。

※罹患者(りかんしゃ)
病気にかかった人のこと。

※”最初の騎士”(若干ネタバレ注意です)
原作のイベント”狂人号”で登場した大波に立ち向かい続ける騎士(現在は怪物になっているようです)。
彼は作中で”最後の騎士”と呼ばれ、小説にもなっているようです。

”最初の騎士”は、この設定をお借りしてつくった私の創作です。
”最後の騎士”の後に生まれたのに”最初の騎士”とはこれいかにという皮肉を込めて名付けました。
ちなみに、”最後の騎士”の愛馬が”ロシナンテ”という名前から、”ドン・キホーテ”をモチーフとしているという考察が多く上がっているみたいですね。

※ドクターとエンシオディスのケンカの理由
わかりにくかったと思うので補足させていただきます。

エンシオディスはゲームに敗北した際、ロドスが必要としている高級な資源を提供する約束をしました。
これは遠回しに、彼の抱える従業員たちの治療への負担を軽減させようとしていたのです。
どういうことかというと、
ロドスがエンシオディスから支給された資源をもとに、彼らの活動を支える機器をアップグレードさせ、より効率的な活動をさせることで、本来そこにかかるであろう経費を削減させ、引いては支払い能力のある患者に求める費用も少なくてすむという……話です。
(これで筋が通っているのか自分でも怪しく感じますが(笑))

そこへビビッと察したドクターは、たとえエンシオディスが負けても、いいえ、むしろ負けた方が彼の特になるような提案をしてしまったため、彼のプライドが傷ついてしまったのです。

ドクターは、思いやりも完璧超人な人物のはずですが、エンシオディスを「親友」のように感じている部分でボロが出てしまったのかもしれません。

ところで、素材集めって大変ですよね~(笑)

※ホンマのあとがき
これで「魅惑の海編」は終わります。
最後のおまけに関してはほとんど今回のネタと関係ありませんでしたね(笑)
いや、下書きの段階では、シエスタのホテルのバーテンダーが延々とドクターとシルバーアッシュ(エンシオディス)の常人でない行動に驚く姿を書こうと思ってたんです。
そこにマッターホルン編で出たインストラクターも出演させたり、グラベル(ザラックの女性)とサリアもただのツッコミ担当のつもりで……、

でもフタ開けてビックリ、まったく違う話になってましたね(笑)

次回もネタを考えてから書き続ける予定でしたが、ちょっとばかし「夢」でも追っかけてみようかなと思っているので休載させていただきます。
それでも「アークザラッド」の方はなるべく連載していこうと思っていますので、そちらの方も読んでいただいている方はこれかもよろしくお願いいたしますm(__)m


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