バカと仲間と異世界冒険記! (mos)
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第一章 僕と彼女と異世界生活
第一話 すべてのはじまり


 それは冬休みが明けてから一週間ほど経ったある日の出来事だった。横から吹き付ける冷たい北風に身を震わせ、やっぱりコートを買うべきかな? なんてことを考えながら商店街の交差点で待っていたのを今でも覚えている。

 

「おっはよっ」

 

 そんな中、弾むような声と共に後ろからポンと肩を叩かれた。

 

「うん、おはよう」

 

 この日もいつも通り、いつもの場所で彼女と待ち合わせ。待ち合わせの場所は僕の家から学校までの登校ルートからは少し逸れる。けれどそれが彼女の望みであり、僕の望みでもあった。だから多少の遠まわりも、早起きだって苦にならなかった。

 

「アンタまた寝癖ついてるわよ?」

「え……マジで?」

「ちょっと後ろ向いて。直してあげる」

 

 彼女はそう言いながら自らの鞄からヘアブラシを取り出す。

 

「うん。頼むよ」

 

 身体をくるりと反転させると、後頭部にブラシの毛先が当てられる感覚がした。この頭皮をくすぐられるような感じが気持ち良い。

 

「まったく、ちゃんと鏡見てから出てきなさいよね」

「う~ん……見てるんだけどなぁ……」

「見てるって言ってもアンタ正面しか見てないでしょ。真後ろなんだから鏡の前で横を向かないと分かんないわよ?」

「なるほど。それもそうか」

「もう、いいかげん髪の手入れくらい自分でしなさいよね。子供じゃないんだから」

「へ~い」

「ホントに分かってるのかしら……」

 

 実はこうしたやりとりはこの日が初めてではなかったりする。

 

 僕は2ヶ月前のあの日以来、この女の子と付き合っている。彼女の名は”島田美波”。スラリとした長い手足に、赤い髪を黄色いリボンで結え上げたポニーテール。それと小さ――控えめな胸が特徴の女の子だ。

 

 彼女はドイツからの帰国子女であり、最初に出会った時は言葉もほとんど通じなかった。しかし友達になってからの彼女は凄かった。もの凄い勢いで日本語を覚えていったのだ。最初の頃はゆっくり話さないと理解してくれなかったが、今では口論になると17年間を日本で暮らしてきた僕を圧倒するほどだ。

 

「こんなもんかしらね。さ、行きましょ」

 

 彼女はそう言うと極自然に僕の手を握ってくる。

 

 ……あの日、僕たちの関係は変わった。

 

 あの日というのは去年の暮れ。秋の終わりを告げるような冷たい風の吹く夕焼けの眩しい日だった。あの日、あの橙色に染まる坂道で僕は2度目の告白を受けた。そして気付いた。彼女が僕にとって欠かせない存在になっていたこと。誰よりも大切な存在になっていたことに。

 

 ―― 一緒にいたい ――

 

 この想いに気付いた時、僕の中で美波に対する考え方が変わった。それは覚醒とも言えるほどに劇的な変化だった。そして僕はこの想いを彼女に伝え、彼女もまた同じ想いを僕に告げた。以来、僕たちはこうして付き合っている。

 

「ねぇアキ、昨日出された課題、ちゃんと持ってきた?」

「課題? なんだっけ?」

「ハァ……ホンっト忘れっぽいんだから……」

「あははっ、嘘だよ嘘。ちゃんと持ってきたに決まってるじゃないか。せっかく昨日美波と一緒に終らせたんだからね」

「なによっ! バカにしてっ!」

「ごめんごめん。僕だってそんなに忘れたりしないさ。特に今日はね」

 

 そう、今日は補習で捕まるわけには行かないんだ。だから課題も昨日のうちに美波に教わりながら終らせたし、今朝もカバンにしっかり入っていることを確認してから家を出たんだ。

 

「特にって、今日って何かあるの?」

「へへっ、まぁね」

「今日はまだデートの約束もしてないし、葉月と遊ぶ約束もしてないわよね。何があるの?」

「ふっふっふっ……実はね、買っちゃったんだ」

「? 何を?」

「これさ!」

 

 僕は鞄からゲームソフトのパッケージを取り出し、高々と頭上に掲げてみせた。

 

「何よそれ」

「去年から欲しかったゲームソフトさ! 雄二たちはもう皆持ってるのに僕だけ持ってなかったんだよね」

「なぁんだ。ゲームだったのね。ホント男子ってそういうの好きよね」

「えへへっ……ほら、初詣に行った時に働いてお給料貰ったじゃない?」

「そうね、愛子の親戚のおじさんから貰ったのよね」

「そうそう。その給料でやっと買えたんだ!」

「でもそんなの持って来ちゃっていいの? 先生に見つかったら没収されちゃうわよ?」

「ふふん。その辺りも抜かりは無いさ! 実は今日は召喚システムのメンテナンスがあるって情報があってね。だから今日は先生たちも僕らに構ってる暇は無いはずさ!」

「アンタたちってそういう所だけは団結力あるのよねぇ……」

 

 ”だけ”という部分に多少引っかかったが、この日の僕は完全に有頂天だった。何しろ昨日までは3人が一緒に遊んでいるのを、僕は後ろから指を咥えて眺めるているしかなかったのだから。でも今日からは僕も一緒に遊べるのさ!

 

「アキ、そろそろしまわないと先生に見られちゃうわよ?」

「ほぇ? おっと……」

 

 いつの間にか校門の近くまで来ていたのか。危ない危ない。ここで見つかったら全てが台なしだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ではホームルームを終わる。今日は全員真っ直ぐ帰るように! 以上だ!」

 

 退屈な授業が終わり、一日の締め括りである鉄人のホームルームも無事終了。

 

(鉄人が教室を出て階段を降りたら始めるぞ)

(了解じゃ)

(ムッツリーニ、鉄人の監視を頼むよ)

(…………任せろ)

 

 僕ら4人はアイコンタクトで連絡を取り合い、鉄人が退室するのを見守った。鉄人がピシャリと扉を閉めると、同時にムッツリーニがフッと姿を消す。さすがムッツリーニ。あいつなら鉄人に見つからずに監視することもできるだろう。

 

 彼の帰りを待っている間にクラスの皆はぞろぞろと教室を出て行く。鉄人の”帰れ”という指示に従っているのだろう。まったく、こういう時だけは素直な連中だ。

 

「…………ハザードレベル1」

 

 1分と経たずにムッツリーニが帰還し、そう告げた。

 

 ハザードレベルとは危険度を示すレベルで、『0』から『5』の6段階で表される。これは僕ら男子の間で共有している定義であり、鉄人および教師の接近度合を示すものなのだ。ムッツリーニが告げたレベルは『1』。これは下から2番目のレベルであり、鉄人および教師が近くにいないことを示している。

 

「よくやったムッツリーニ。よし、はじめるぞ!」

「「「おうっ!」」」

 

 雄二、秀吉、ムッツリーニ、そして僕の4人は一斉に鞄から携帯ゲーム機を取り出す。このゲーム機は無線で通信できるようになっていて、近くの人を自動的に認識してくれるのだ。早速電源を入れてゲームを開始! すると画面内にYUJI、HIDEYOSHI、KOHTAといった文字を頭の上に浮かべたキャラクターたちが勝手に画面内を動き始めた。

 

「よぉし! 頑張るぞっ!」

「待て明久、お前はまだレベルが低すぎる。俺たちがサポートするから少しレベルを上げろ」

「んむ。何しろお主は始めたばかりじゃからな」

「ぐ……わ、分かった」

 

 このゲームはアクションロールプレイングゲーム。世界を闊歩するモンスター倒して経験値を稼ぎ、キャラクターのレベルを上げていく成長型アクションゲームだ。

 

 これは格闘ゲームや単純なアクションゲームと違い、レベルがキャラクターの性能に大きく影響する。僕はこのゲームを昨日買ったばかりでプレイ時間は雄二たちより圧倒的に少ない。このままでは足手まといになることは必至。やはり協力プレイをするからには同じくらいのレベルでなければ面白くない。だから僕は雄二たちの指示を受け入れたのだ。

 

「反応が遅いぞい! 敵の動きを良く見るのじゃ!」

「そ、そんなこと言ったって……あんなのどうやって避ければいいんだよ」

「…………こうだ」

「分かんないよ! 今のどうやったのさ!?」

「明久、こいつは身体で覚えろ。何度も戦えばパターンが見えてくる」

「くっそー!」

 

 この時、僕はすっかりゲームに夢中になってしまい周りが見えなくなっていた。

 

「まったく、しょうがないわね……」

 

 こんな溜め息混じりの言葉を聞くまでは。

 

「あっ……ご、ごめん美波。今日は雄二たちとゲームする約束をしてたんだ。だからちょっと帰るのは遅くなっちゃうかも……」

「分かってるわよ。朝にそれ見た時からね。気にしなくていいわよ。ウチは勉強してるから」

「なんか悪いな……」

「そう思うなら早くレベルあげちゃいなさい。坂本たちを待たせてるんでしょ?」

「そうだぞ明久、俺様がお待ちかねだぞ」

「うるさいな! 分かってるよ!」

 

 カラカラとバカにしたように雄二が笑う。くそっ! すぐに追いついてやるからな!

 

 

 ――――そして雄二たちにスパルタ教育を受けながらプレイすること1時間。

 

 

「あ、あれ? 急に画面が消えて……って! バッテリー切れ!?」

「なんじゃ、充電しておらんのか?」

 

 そういえば昨日、通信設定に手間取って何時間もバッテリーで動かしていたんだっけ。

 

「電池が切れたの? じゃあ今日はおしまいね」

 

 そう言って美波が本を閉じる。なんだか少し嬉しそうな声だ。でも今日は出遅れた分を取り戻すつもりでしっかり準備をしてきたのだ。だから美波には悪いんだけど、

 

「こんなこともあろうかと…………これを鞄に入れておいたのさ!」

 

 僕は鞄から一本のケーブルを取り出し、掲げて見せる。

 

「今度は何よ……?」

「電源ケーブルさ。これさえあればバッテリーが切れてもへっちゃらさ!」

「む~っ! なによっ! せっかく帰れると思ったのにっ!」

 

 美波はそう言って、ぷぅっと頬を膨らませる。その顔を見てさすがに罪悪感を感じはじめた。

 

「ご、ごめん美波、あと30分で終らせるからさ。もうちょっとだけ待ってよ」

「もう……分かったわよ。30分ね?」

「うん!」

 

 それじゃ急がないとな。えぇと、コンセントは――って、あれ? 塞がってる。

 

 いつも使っている壁際のコンセント。そこには電源プラグを差し込む穴が2つ()いているのだが、今日に限って2つとも黒い電源アダプターが取りつけられている。うん? この電源ケーブルってもしかして……。とアダプターから伸びる黒い電源コードを目で追って行くと、

 

「貴様かっ!」

「あ? 何がだ?」

「コンセントだよ! 雄二が使ってるから僕のが挿せないじゃないか!」

「ンなもん早い者勝ちだ。それに俺だけじゃなくて秀吉も使ってるだろが」

「んむ? 呼んだかの?」

「くぅっ……! もういいよっ! 他のコンセントを探すから!」

 

 時間が無いこんな時に限って! とにかく他のコンセントを探さなくちゃ。けど他にコンセントなんてあったかな? とりあえず教室の壁をぐるっと見て回してみる。

 

 ……う~ん……無いなぁ……。

 

 おっ? あった!

 

 教卓の置かれている壁の後ろに見慣れないコンセントを発見。でもあんな所にコンセントなんてあったっけ? まぁいいや、今は時間が無いし。多少形状が異なるけど、無理やりコンセントに電源プラグを差し込む。一応プラグは入ったな。(※よい子は絶対にマネしないように)

 

 試しに携帯ゲーム機の電源を入れてみるとACマークが点灯。これは電源ケーブルから電気が供給されていることを意味している。よし、これなら大丈夫だろう。

 

  ――ガラッ

 

「あら? 皆さんまだ帰ってなかったんですね」

 

 扉を開けて教室に入ってきたのは、ふわっとした長い髪と大きな胸部が特徴の女の子。姫路さんだ。

 

「なんだ、姫路も帰ってなかったのか」

「はい。ちょっと授業で分からなかった所がありまして、職員室に聞きに行ってました」

「お主も勤勉じゃのう」

「そうですか? 分からない所をそのままにしておきたくないだけですよ?」

「明久、お前姫路の爪の垢でも煎じて呑んだ方がいいんじゃねぇのか?」

「ほぇ? それって美味しいの?」

「お前なぁ……」

「冗談に決まってるだろ!?」

「お前が言うと冗談に聞こえねぇんだよ!」

 

  ――ガラッ

 

 雄二と口論していると再び扉が開き、今度は綺麗な黒髪の女の子が入ってきた。サラサラの黒いストレートヘアはまるで日本人形のようで、(みやび)という字がよく似合う。

 

「……雄二、帰ろう」

 

 入ってきたのはAクラスの霧島さん。どうやら雄二を迎えに来たらしい。

 

「明久たちと約束があるから先に帰れって言っただろ。まだ帰らねぇよ」

「……じゃあ終わるまで待つ」

「待たなくていいって言ってんだろ!」

「……終わったら買い物に付き合ってもらう」

「ったく、わーったよ。けどまだ結構時間掛かるぞ? いいのか?」

「……いい。それまで雄二のひざ枕で待ってる」

「おわっ!? いきなり潜り込んでくるんじゃねぇ!」

「……画面を見ていないとやられる」

「くっ! 俺が目を離せないことを知っててやってやがるな!?」

「……終わるまでこうしてる」

「くそおぉっ! 明久! 早くしやがれ!」

 

 僕の目の前ではそんなやりとりが繰り広げられている。う~ん、なぜだろう。雄二のこういう所を見るとブン殴りたくなってくる。

 

「皆さん何をしてるんですか?」

「んむ? これは通信機能を使って4人で遊べるアクションロールプレイングゲームじゃ」

「4人で同時に遊べるんですか?」

「んむ。ほれ、この奥の方で動いておるのが明久じゃ」

「これを明久君が操作してるんですか? 凄いですね……」

「お主もやってみるかの?」

「…………俺のを貸す」

「あ、いえ。そういったゲームは私には難しすぎて……」

 

 そっか。姫路さんアクションものは苦手なのか。美波なら激しいアクションものでもやれそうだけど、あんまり興味が無いみたいなんだよね。残念だな。美波や姫路さんも一緒に遊べたらもっと楽しいのにな。

 

「おい明久! 何をボーっとしてやがる! 早く終らせんぞ!」

 

 っと、いけない。ぼんやりしてる場合じゃないや。

 

「ごめんごめん、今電源入ったから――――うわっ!?」

 

 教壇から慌てて降りようとして電源ケーブルに足を引っかけてしまった。するとどこからか「ガコン」とブレーカーが落ちるような音が聞こえて、急に目の前が真っ暗になった。

 

「――っ!?」

 

 直後、まるで雷に撃たれたかのような凄まじい衝撃が体中を駆け巡る。あまりに突然かつ強烈な電撃に僕は瞬時に意識を失った。

 

 

 

 ――――すべてはこの時、始まった。

 



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第二話 見知らぬ世界

 どれくらいの時間気を失っていただろう。1時間? 2時間? いや、もっとだろうか。風にざわめく草木の音がやけに騒々しい。時計の目覚ましをうるさく感じるのは毎朝のことだが、こういった騒音は感じることはあまりない。違和感を覚えた僕は目を覚ました。

 

「………………は?」

 

 目を開けてすぐに我が目を疑った。

 

 見渡す限りの大平原。

 

「へ? 何これ? どういうこと?」

 

 まったく状況が飲み込めず、とりあえず右を見てみる。視界に入ってくるのは緑の草原。

 

「……は?」

 

 自分の目を信じられず、今度は左を見てみる。けれどやはり視界に入ってくるのは腰丈ほどの草が生い茂る草原だけだった。所々に木は生えているが、建物も無ければ人の姿も無い。遥か遠くに見える緑の山の上では太陽が今まさに沈もうとしている。

 

 どうして僕はこんな所で寝ているんだろう。そもそもいつの間に外に出たんだろう。Fクラスの教室でゲームをしていたはずなのに……。そうか、これは夢なんだ。僕は変な夢を見ているんだ。こんな夢を見ている場合ではない! 美波が待ってるんだから早く夢から覚めてレベルを上げなくちゃ!

 

 バシッ! と両手で思いっきり自らの頬を叩き、目を覚まさせる。

 

 …………痛い。

 

 痛覚まであるとは、なんてリアルな夢なんだ。だがこんなことで負けるわけにはいかない! なんとしても目を覚まさせてやる!

 

 って……あれ? 夢じゃない?

 

 冷静になって再び周囲に目を配る。先程と変わらず緑色の草が生い茂る平原。春風のような心地よい風が頬を撫でるように吹き抜ける。その風に(あお)られ、草は(こす)れ合いザワザワと音を立てる。

 

 僕はおもむろに手を伸ばし、足元に生える草の葉に触れてみた。ガサゴソとした草の手触り。幻覚ではない。でも見たことの無い植物だ。……間違い無い。これは夢ではない。なぜか分からないけど、どこか人里離れた大平原に放り出されてしまったんだ。

 

 まぁいい。とにかく帰らなくちゃ。きっと道に出ればここがどこなのか分かるだろう。道があればどこかの町に通じているはず。そこの交番で帰り道を聞いてみよう。この時の僕はそんな風に楽観的に考えていた。

 

 

 

 ――この後、自分がどんな災厄に見舞われるかも知らずに。

 

 

 

 草を踏み鳴らしながら、とりあえず太陽の方に向かって僕は歩き出す。

 

 それにしてもここは一体どこなんだろう。どうして僕だけこんなところに来てしまったんだろう。今頃皆は僕がいなくなったことで大騒ぎしているのだろうか。それともトイレに行った、あるいは先に帰ったとでも思われているのだろうか。

 

 太陽は既に山の陰に入り込んでいる。もうじきこの辺りも暗闇に包まれるだろう。道が見つからずに日が暮れてしまったらどうしよう……。こんな所では食べるものも無い。かと言って、そこら辺に生えている得体の知れない草を口に入れるわけにもいかない。やはり望ましいのはどこかの町へ辿り着くことだ。とにかく今は進むしかない。

 

 そんなことを考えながら僕は歩き続ける。ところが行けども行けども道など見当たらず、似たような感じの植物がびっしりと生えるのみ。30分以上も変わらない景色が続くと、さすがに心細くなってきて焦りを感じはじめた。

 

 マズい……もう日が暮れる。このままじゃここで野宿だ。そうだ! こんな時のための携帯電話じゃないか! なんで思いつかなかったんだろう。よし、早速美波に電話を……! と上着のポケットに手を突っ込んでみるが、

 

「あ、あれ?」

 

 ポケットには何も入っていなかった。おかしいな。いつもここに入れてるのに。もしかして落としちゃった!?

 

 慌てて周りを見回す。僕の携帯はグレーに近い青色だ。落ちていればすぐに分かるはず。しかし歩いて来た方向をじっと見つめても、そのような色の物は見当たらなかった。もしかして目が覚めた時の所だろうか。もうだいぶ遠くまで歩いて来てしまったけど……。

 

 ここで僕は選択を迫られることになった。選択肢は2つ。

 

 1つは引き返して携帯電話を探しに戻ること。

 もう1つはこのまま先に進んで道を探すこと。

 

 この日の沈み方からすると、さっきの場所に戻る頃には真っ暗になっているだろう。そうなれば足元も見えなくなり、崖に気付かず踏み外して――なんてこともあり得る。つまり必然的に野宿せざるを得ない状況に陥る。ではこのまま進むか? だが進んでも暗くなる前に道に出られるという保証は無い。どうする、吉井明久……?

 

 ……

 

 たとえ携帯を拾えたとしても現在位置が分からないから助けを呼ぶこともできない。そもそも周囲の様子からして電波が届いているかも怪しい。よし、選択肢は決まった。今は先に進むべきだ。

 

 意を決し、僕は再び草原を歩きはじめた。日が沈んだせいで周囲はみるみる暗くなっていく。空に星などは見えず、黒い空間が広がっている。……どこか違和感を感じる。けれどこの時の僕は何がおかしいのか気付いていなかった。とにかく道を探すことで頭が一杯だったのだ。

 

 一心不乱に道を探す僕。するとしばらくして植物の合間に茶色いラインがある場所を見つけた。やった! きっとあそこに道があるに違いない!

 

 駆け寄ってみると、それは確かに道だった。ただし舗装されておらず、まるで”あぜ道”のように土が剥き出しの道であった。よく見ると道には車が通った跡のような2本の溝がずっと続いている。だが車にしてはやけに線が細い。それに2本の溝の間にはU字の窪みがいくつもある。これは……馬の(ひづめ)の跡? まさかね……。

 

 何にしてもここを車両が通ったのは間違い無さそうだ。それならこの道を辿って行けばどこかの町に出るはず。そこで助けを求めることにしよう。

 

 僕は道に沿って歩き始めた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 事態は思っていた以上に深刻であった。どんなに歩いても同じ風景が続くのみで人どころか動物すら見かけない。一体どれだけ歩けばいいんだろう……。時計が無いから正確な時間は分からないけど、かれこれ1時間は歩いていると思う。

 

 ……ちょっと休憩しよう。

 

 疲れ果てた僕は、道を少し外れた所に生えている木の(たもと)で休むことにした。

 

 木の幹に寄りかかり、ふぅ、と一息つく。辺りは既に真っ暗になっている。ふと空を見上げると頭上では大きな丸い月が神秘的な光を放っていた。どうやらこの光のおかげで完全な暗闇にはなっていないようだ。

 

 ……

 

 あれからだいぶ歩いたけど、まったく車が通らないな。道が舗装されていないところを見ると、かなりの田舎という感じもする。そうなると車が通る可能性も低いか。幸いなことに寒くないし、今夜はここで野宿するしかないかな……。

 

 ん? ちょっと待てよ? 確か今は1月だったはず。1月といえば冬真っ盛りで、吐く息が白くなるくらい気温も低いはず。今朝だってコートを買おうかと考えたくらいに寒かった。それなのにここは暑くもなく寒くもなく、まるで春のような陽気だ。もしかしてここって日本じゃなくて外国――――っ!?

 

 その時、妙な気配を感じてドキリとした。

 

 気付けば周囲には赤く光るものが多数浮かび上がり、暗闇の中で不気味に揺らめいていた。

 

 何だろう? ホタル? ぐるりと辺りを見回すと、その赤い光は円を描くように僕を包囲していた。光はチラリチラリと瞬くように見え隠れし、にじり寄るように徐々に近付いてくる。おかしい。ホタルにしては動きが直線的だ。

 

《キ……》

《キキッ……》

 

 暗闇の中で奇妙な声がする。ホタルじゃない。獣だ! しかも囲まれている!?

 

 それが分かった時、僕は背筋が凍り付くような感覚に襲われた。野生動物――ハイエナのような肉食動物か!? 逃げなければ食われてしまう! しかし恐怖で体中の筋肉が萎縮してしまい、思うように動けない……!

 

「うわ……わ……わ……」

 

 動けず固まっているうちに赤い光は次第に包囲を狭め、姿が視認できるほど近くに寄って来た。

 

  ふさふさした毛並み。

  背中に乗せた大きな尻尾。

  つぶらな瞳に、ぴょこんと立った2つの耳。

  長く突き出た鼻の左右には数本の毛がピンと伸びている。

 

 それは僕の知っている”リス”と呼ばれる動物に酷似していた。しかし決定的に違う部分がある。リスは小動物に分類され、通常は手の平に乗るほどに小さい動物だ。ところが目の前の動物たちはその通常サイズを大きく超えるのだ。

 

 僕の座高は1メートル弱。座っている僕と目線が合うということは、奴らは約1メートルもの大きさがあるということになる。これだけ大きなリスは見たことがない。いや、これほど大きいともはやリスとは呼べない。”リスのようなもの”だ。それにこの奇妙な生き物たちは妙に殺気立っている。

 

 リスは主に木の実などを食料としていて、肉などは食べないはず。だから人を襲うなんてことはしないはずだ。大丈夫。きっと僕が住み処に侵入してしまったから警戒しているだけさ。そうに決まってる。

 

 ……

 

 と、ポジティブに考えようと努力したものの、見るからに異様な姿をした動物を前に僕は身体を震わせてしまう。

 

 い、嫌な予感がする……。

 

 堪え切れなくなった僕はそ~っと立ち上がり、刺激しないように逃げ出そうと試みる。だが時既に遅し。周囲は360度、完全にこの奇妙な集団に包囲されていた。その数10……いや、20匹。

 

「ひ……!」

 

 異様な光景に恐怖し、思わず声をあげる僕。すると奴らはそれを合図にするかのように、一斉に飛び掛かってきた。

 

《キィィーーッ!!》

 

「う、うわぁぁーーっ!!」

 

 叫びながら目を強く瞑る。もうダメだ。この変な生物に食われてしまうんだ……。そう覚悟を決めた瞬間、

 

《ギュゥッ……!》

 

 その生き物が突然、潰れたような声を上げた。

 

 ……?

 

 恐る恐る目を開けると、足元には先程の動物のうち1匹が横たわっていた。わけが分からず、呆然とそれを見つめる。するとそれは急に煙のような気体を吹き出し、音もなく消滅してしまった。一体何が起こって――――

 

「おいあんた、大丈夫か?」

 

 あまりに不可解な出来事に混乱しはじめている僕に誰かが声を掛ける。声のする方を見ると、あごヒゲをたくわえた体格のいい男がこちらをじっと見下ろしていた。

 

「なんだ? あんた武器を持ってないのか?」

 

 と男が話すうちに、謎の生物がその男に襲い掛かる。だが男は片手に持った銀色に輝く棒のような物で、飛び掛かるそれらをあっという間に斬り捨ててしまった。斬られた動物たちは次々に倒れ、先程と同じように煙となって消えていく。

 

 何だコレ……何が起きてるんだ……?

 

「あんたこんな所で何をしてるんだ? とにかくここは危ねぇから馬車に乗んな」

「ふぇ?」

「笛? 笛がどうかしたか?」

「あ……いや、笛じゃなくて……」

「まぁいい。とにかく早く乗んな。また襲われてぇのか?」

 

 何だかよく分からないけど、とにかくこの人のおかげで助かったみたいだ。でも良かった。やっと人に会えた。これでやっと帰れそうだ。それに頼む前に車に乗せ――――

 

 

 

 ……………………馬車?

 



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第三話 拾われ子

 僕は突然奇妙な生き物に襲われ、危ない所を通りすがりのおじさんに助けられた。おじさんはこの先の町で鍛冶屋を生業(なりわい)としていて、隣町への納品の帰りにたまたま通りかかったのだという。今、僕は”馬車”の荷台に乗せてもらい、町へ向かっている。

 

 最初に馬車と言われた時は何の冗談かと思った。しかし案内された車両は確かに(つや)やかな茶色い毛並みの一頭の馬が引いていた。それにこうして前方でフリフリと、まるで美波の後ろ髪のように揺れる馬の尻尾を見たら信じるしかない。

 

 おじさんは前の座席に座り、巧みに手綱を操って馬を走らせる。荷台はガタガタと上下左右に激しく揺れ、お世辞にも乗り心地が良いとは言えなかった。でも贅沢は言えない。タダで町まで乗せてくれるというのだから。

 

「ところであんた名前は?」

「よ、吉井明久です」

「ヨヨシイアキヒサ? なんだか変わった名前だな」

「あ、いや、最初の”ヨ”はいりません。吉井明久です」

「フ~ン……それでも変わった名前だな」

 

 そうだろうか? 自分では凄く一般的な名前だと思ってるんだけど……。

 

「呼びにくいから略してヨシイでいいか?」

「あ、はい」

 

 もともとそれが苗字なんだけどな。

 

「おっと、俺も名乗ってなかったな。俺はマルコだ」

「丸子さん……ですか?」

「おう。よろしくな、ヨシイ」

「は、はい。よろしくお願いします」

 

 変わった名前って、どっちがだよ。男なのに”丸子”だなんて、そっちの方が変わってるじゃないか。まぁいいや。人の名前にケチを付けるつもりはないさ。そんなことよりここはどこなんだろう? 見たところ山奥のようだけど、まだ馬車を使っている地域なんて日本にあるんだろうか。

 

「あの、マルコさん、ひとつ聞いていいですか?」

「うん? 何だ?」

「ここって日本なんですか?」

「ニッポン? 何だそりゃ?」

 

 マルコさんは頭の上にクエスチョンマークを浮かべて首を(かし)げる。やはり日本ではないらしい。だがこの返答により、1つの疑問が浮かび上がってきた。

 

 僕はこうしてマルコさんと普通に会話をしている。当然僕は日本語で話しているわけで、マルコさんが話している言葉も日本語だ。日本を知らないのに日本語を話せる。これがどういうことなのか、この時の僕にはさっぱり分からなかった。ただ、彼と話しているうちにここが確実に日本ではないということが分かった。

 

 彼はここをハルニア王国と呼んだ。”王国”と言うからには王政なのだろう。日本は王政ではない。やはり外国に飛ばされてしまったのか……。でもこの国の名前、どこかで聞いたような?

 

「それでヨシイ、お前さんはあんな所で何をしてたんだ?」

 

 マルコさんは御者台(ぎょしゃだい)で手綱を操りながら後ろの僕に問う。何をしていたと聞かれてなんと答えるべきか。その前に経緯を説明しないと理解してもらえそうにない。

 

「えっと、実は僕もよく分からないんです」

「はぁ? 何だそりゃ?」

「僕、学校の教室で仲間とゲームで遊んでたんです。それで電池が切れたからコンセントに電源を繋げたらコードに足を引っ掻けてしまって、そしたら急に目の前が真っ暗になって……。気付いたらあそこに居たんです」

「う、うぅ~む……さっぱり分からん」

 

 ありのままを説明してみたけど、やっぱり理解してもらえないようだ。そりゃそうだよね。説明してる僕だって分かってないんだから。

 

「まぁいい。それでお前さんはそのキョーシツとやらに帰りたいってわけだな?」

「はい、そうなんです!」

「けどなぁ、俺はその”ニッポン”って国を聞いたことがねぇんだよなぁ」

「そうですか……」

 

 っていうか日本語で話してるじゃん。なのにどうして日本を知らないのさ。ひょっとして僕をからかっているんだろうか。

 

「ま、とりあえず町に行くぞ。そうすりゃ何か思い出すかもしれん」

「はい。ところでもうひとつ聞いていいですか?」

「ん? なんだ?」

「さっき襲ってきた生き物って何ですか?」

「あぁん? なんだお前、そんなことも知らねぇのか? 魔獣だよ、魔獣」

「魔獣……ですか?」

 

 この人、本気で言ってるのかな。そんなものが実在するわけないじゃないか。ゲームや漫画では良く聞く名前だけどさ。

 

「おいおい、本当に知らないのか?」

「はい」

「やれやれ。本当に変わった奴だな。じゃあ教えてやる。あいつらは動物の姿をしているが動物じゃない。人間を襲うんだ」

「人間を? なんで?」

「なんでって、そんなこと俺が知るかよ。知りたきゃ魔獣に聞きな」

「えぇっ!? あれって言葉が通じるんですか!?」

「いんや」

「……」

 

 やっぱりからかわれている気がする。そうか、どこかに隠しカメラがあってこっそり撮ってるんだな? きっと馬車なんて物を使ってるのもドッキリのネタなんだ。そうやって僕の反応をバカにするつもりなんだ。

 

「とにかくこれに懲りたら1人で外に出たりするんじゃねぇぞ。……って、何してんだ?」

「いや、ちょっと隠しカメラを探して……」

「カメラ? 何だそりゃ? 荷台には刃毀(はこぼ)れした剣くらいしか乗せてねぇぞ?」

「またまたそんなことを言って、僕を騙そうって言うんでしょ?」

「なんか変な奴を拾っちまったなぁ。っと、見えてきたぜ。見ろ、あれが俺の住む町、ラドンだ」

「ほぇ?」

 

 言われる通り馬車の前方に目を向けると、辺りが次第に明るくなっていくのが見えた。あれは町の灯か? なんだか不思議な光だ。電球色のような橙色の光。それでいてうっすらと緑がかった色。それと……気のせいだろうか。町の上空にとてつもなく大きくて透明な膜が、まるで笠のように覆い被さっているようにも見える。

 

 そうして見ているうちに町はどんどん近付いてきて、今度は石垣でできた大きな壁が見えてきた。馬車は壁に向かってガタゴトと音を立てて進む。

 

 ずいぶん高い壁だな……。3階分くらいの高さがありそうだ。

 

 道は真っ直ぐ壁に向かって伸び、その先には扉が付いているようだった。馬車が近付くと扉は自然と開き、馬車はそこへ吸い込まれるように入っていく。町に到着だ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「どうだ、何か思い出せそうか?」

 

 馬車を降りた僕にマルコさんが問い掛ける。その声は聞こえていた。けれど僕は目の前の光景に驚愕し、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 

  土が剥き出しの道。

  茶褐色のレンガや白い石で作られた家。

  カッポカッポと蹄の音を響かせて行き交う馬車。

 

 この光景、見たことがある。それも学校の教室で。そう、あれは世界史の授業中だった。教科書に載っていたあの挿絵。あれは確か中世ヨーロッパの町を描いたものだった。

 

 なんてことだ……僕は時間を越えて……タイムスリップしてしまったというのか? アニメや漫画じゃあるまいし、そんなことあるわけが……。いやでもこの町並みはどう見ても……。

 

「おいヨシイ!」

 

 ハッ!

 

「あ……な、何でしょう?」

「どうしたボーっとしちまって。何か思い出せたか?」

 

 思い出したというか絶望したというか……。こんな状況、僕はどうしたらいいんだろう。せっかく町に辿り着いたのに、これじゃどうにもならないじゃないか……。

 

「……」

 

 途方に暮れた僕は何も言えず、ただ黙って俯くことしかできなかった。

 

「やれやれ……しょうがねぇ。ヨシイ、今夜は俺の家に泊まって行け」

「え? でも……」

「部屋は()いてる。遠慮すんな。その様子じゃ金も持ってねぇんだろ?」

 

 確かにお金は持っていない。お金どころか何も無い。あるのは体ひとつだけだ。財布は教室の鞄の中だし、携帯電話だって無くしてしまった。それにたとえ財布があったとしても、こんな時代のこの国のお金なんて持っているわけがない。今の僕にできることは何も無い。マルコさんの言う通りにするしかないだろう。

 

「すみません……。お世話になります」

「いいってことよ。乗り掛かった船だしな」

 

 こっちだと言って歩き始めるマルコさん。僕は彼について歩き、見慣れぬ町の中を進む。道は幅10メートルほどの大きな道だった。だが通行人は無いに等しく、数人が足早に通り抜けていくのみ。もともと人の少ない町なんだろうか? それとも日が暮れて皆家に帰ったのだろうか。

 

 既に日は落ち、見上げれば黒い空が視界に広がる。だが道は真っ暗というわけでもなかった。道の両脇には街灯のような柱が所々に立ち、道を明るく照らしている。そこで輝くのは電灯ではなく、ゆらゆらと炎の揺れる松明(たいまつ)のようなものであった。

 

「あぁそうだ言い忘れた。家には俺以外にもう1人いるんだが、遠慮しなくていいからな」

 

 もう1人? マルコさんの家にもう1人……。あ、そうか。

 

「奥さんですか?」

「へへっ、ま、そういうこった。いやぁこれがまた俺には出来過ぎた嫁さんでな。この前も俺が忘れ物をしちまった時にも――――」

 

 何かのスイッチが入ったのか、マルコさんは奥さんの話をしながら楽しげに歩く。正直言って知らない人のノロケ話はあまり面白くない。僕は軽く相槌を打ちながら聞き流し、彼について歩いた。ただその時に気付いた。鉄人並の高い身長。茶色い髪に高い鼻。それに青い瞳。彼の顔立ちはどう見ても日本人ではなかった。

 

 信じたくは無かったけど、やっぱりここは日本じゃないんだな……。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。美波にはもう……会えないのかな……。

 

「着いたぜ。ここだ」

 

 そう言ってマルコさんが指差したのはレンガ造りのがっしりとした家。2階は無いようだが、間口(まぐち)の広い一軒家であった。

 

「さ、遠慮なく入ってくれ」

「お邪魔します」

 

 僕はマルコさんの後について家に入る。見ず知らずの人の家に入るのって緊張するな……。

 

「お帰りなさい、あなた」

 

 家に入ると1人の女性が出迎えてくれた。茶色い髪を腰まで延ばしたストレートヘアに青い瞳。長いロングスカートに包んだ細い身体と控えめな胸部は美波によく似ていた。

 

 この人がマルコさんの奥さんかな? 綺麗な人だなぁ……。

 

「遅かったのね。あら? その子は?」

「ん? あぁ、途中で拾ったんだ」

「まぁ、拾っただなんて犬や猫じゃないんだから。あなた、お名前は?」

 

 にっこりと笑顔を見せながら女性が尋ねる。ふんわりとした柔らかい物腰はどこか姫路さんを思わせる。

 

「えっと、吉井明久といいます」

「ヨシイアキヒサ? ずいぶん長いお名前なのね」

「そうですか? むしろ短い方じゃないかと思うんですけど……」

「ちょっと短くしてヨシイ君でいいかしら?」

「あ、はい。それでいいです」

「よろしくねヨシイ君。私はルミナよ」

「こちらこそよろしくお願いします」

 

 優しそうな人だな……。美人だし、マルコさんがノロケ話を聞かせたがるのも分かる気がする。

 

「ヨシイ、お前さん酒は飲めるか?」

「さ、酒ですか!? 僕、未成年ですよ!?」

「あぁ? 未成年?」

 

 あ……そうか、僕の時代の常識は通用しないのか。

 

「えっと、飲めないです」

 

 未成年の定義を説明するより、こう言った方が理解してくれるだろう。

 

「そうか。ルミナ、すまんが暖かいミルクを出してやってくれ。俺は受注品を工房に置いてくる」

「はい、すぐ暖めますね。ヨシイ君、そこの席で待っててね」

 

 僕はテーブルに案内され、言われた通り席に着く。それを見届けるとルミナさんは静かにリビングを出て行き、マルコさんは沢山の剣を背負って玄関を出て行った。テーブルの木目模様をぼんやりと見つめながら、僕はルミナさんを待つ。

 

「……」

 

 僕はこの後どうするべきなんだろう。いや、やるべきことは決まっている。もちろん元の時代に――美波の元に帰りたい。でも帰るにはどうしたらいいんだろう。

 

 ここが日本以外の別の国であり、しかも時代さえも違うことは間違いない。ドッキリでないことも確実だ。けれどここに飛ばされてしまった原因が分からない今、帰る術を知るわけも無い。一体どうすればいいんだろう……。

 

「お待たせ」

 

 思案に暮れているとルミナさんが戻ってきた。彼女は湯気の上がっているカップを乗せたお盆を持ち、こちらへ歩いてくる。背筋をスッと伸ばし、静かに歩くルミナさん。その姿はどこか気品のようなものを感じさせる。

 

「はい、どうぞ召し上がれ」

「……ありがとうございます」

 

 テーブルに置かれたカップを手に取り、口を付ける。そして少量を口に含んでコクリと飲み込む。

 

 ……美味しい。

 

 これほどホットミルクを美味しく感じたことはなかった。僕はカップをひっくり返すような勢いでミルクを口に流し込み、一気に飲み干す。

 

「ふぅ……」

 

 程よく暖かいミルクが乾いた喉に染み渡る。それは不安で押し潰されそうな僕の心に落ち着きを取り戻させてくれた。

 

「ねぇヨシイ君、あなたどこから来たの?」

 

 向かいの席に座ったルミナさんが僕に問う。その質問はマルコさんからも受けた。けれど僕の回答は彼に理解してもらえなかった。

 

 マルコさんはこの国を”ハルニア王国”と言い、この町を”ラドン”と呼んだ。だが僕の世界史知識の中にそんな国や町の名は無い。確かに世界のすべての国を記憶しているわけじゃないけど……あれ? 待てよ? ハルニア王国? ラドン?

 

 そうだ……思い出した……!

 

 この世界に来る直前にやっていたあのゲーム。あの時キャラクターを作って最初に降り立った町がラドン。そしてその町のある国がハルニア王国。

 

 そうか……そうだったのか! ここはゲームの世界なんだ! 僕はゲームの世界に迷い込んでしまったんだ!

 

「ヨシイ君? どうしたの?」

「へ?」

 

 気付いたらルミナさんが心配そうな顔ををして僕の顔を覗き込んでいた。考え込んでいて呼び掛けに気付いていなかったようだ。

 

「あ、と、すみません。考え事をしていまして……」

「大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

 

 ようやく合点が行った。ここは僕の住む世界とは別次元の世界。つまり”異世界”なんだ! だから中世みたいな町並みだったり、日本を知らないのに日本語で話したりしていたんだ!

 

 ……じゃあどうやってここから出ればいいんだ?

 

 この世界のことが分かっても帰る方法が分からない。それによく考えると町の様子も全然違う。ゲーム内の町にこんな外壁は無かったし、マルコさんやルミナさんもいなかった。

 

 加えてあの魔獣という存在。あれは何なんだ? ゲーム内のモンスターはすべて実在しない架空の生物だった。でもさっき襲ってきた魔獣はどう見ても”リス”の姿をしていた。人類にとっての脅威ということに変わりは無いが、少し違うような気がする。ということは単純にゲームの世界ではないのか……?

 

「どうだヨシイ、少しは落ち着いたか?」

 

 考え込んでいたら後ろからマルコさんの声が聞こえてきた。工房から戻ってきたようだ。

 

「あ、あなた。お帰りなさい。ヨシイ君ったら無口なのね。何も話してくれないのよ?」

「うん? そうか? 馬車に乗せていた時は結構喋っていたぞ?」

「あら。じゃあ私が嫌われちゃったのかしら」

 

 なんだって!? まずい、誤解されている!

 

「あぁぁごごごめんなさいっ! ちょっと色々と分かってきたことがあって、考えていたんです! 決して嫌いとかそんなんじゃないですから!」

「あらそう? それなら良かったわ。うふふ……」

 

 ふぅ、とりあえず悪い印象は防げたかな。

 

「ヨシイ、分かってきたことって何だ? 帰り道でも分かったのか?」

「あ、いえ。それはまだ分からないんですけど……」

「じゃあ何が分かったってんだ?」

「えっと……」

 

 ここがゲームの世界で、僕が外の世界の人間だなんて言って理解してもらえるはずがない。なんて説明すればいいんだろう……。

 

「……」

 

 僕は返答に困り、再び黙り込んでしまった。

 

「さっきからこんな調子なのよ? 何か言いたそうなんだけど、すぐ黙っちゃうの」

「ふむ……。ヨシイ、今日はもう寝ておけ。混乱して頭が追いついてないんだろう」

「まぁ、そういうつもりで連れてきたのね? それならそうと言ってくださればいいのに」

「はっはっ、すまんすまん。これから犬猫を拾う時は気を付けるとしよう」

「もう、あなたったら。ヨシイ君は犬猫じゃありませんよ。ふふふ……」

 

 2人は僕の答えを聞かずに楽しそうに話を進める。この夫婦、仲が良いんだな。僕も将来、美波とこんな感じになれるのかな……。

 

「それじゃルミナ、ヨシイを()いてる部屋に案内してやってくれ」

「はい。ヨシイ君、こっちよ」

 

 将来を考えるならまずは元の世界に帰らなくちゃな。でも今日は彼らの言う通り寝た方が良さそうだ。短時間で色々なことが起こり過ぎて僕の頭はオーバーヒート気味だし。

 

「すみません。お世話になります」

 

 

 

          ☆

 

 

 

「この部屋を使ってね」

 

 僕はリビングの隣の8畳ほどの広さの部屋に案内された。部屋にはベッドや机が置いてあり、それから……木でできた……積み木? まるで子供部屋じゃないか。ひょっとしてこの家には子供がいるのか?

 

「あの、この部屋ってもしかして……?」

「息子が使っていた部屋よ。でも今はいないから遠慮なく使ってね」

 

 ルミナさんはそう言って笑顔を作る。けれどその表情は花が(しお)れたように暗く沈み、目が潤んでいるようにも見えた。

 

「あの……どうかしましたか?」

「ごめんなさいね。なんでもないわ」

 

 目尻を指で拭いながらそんな台詞を言われて「そうですか」と引き下がれるわけがない。これだけ世話になっているのだから、何か悩んでいることがあるのなら少しでも力になりたい。

 

「あの、僕で良かったら相談に……」

 

 しかし現実は厳しかった。ルミナさんはこの部屋の元の持ち主の話をしてくれた。この部屋の持ち主は、マルコさんとルミナさんの間に生まれた1人の息子だった。

 

 2年前、その子は仕事で別の町に向かったマルコさんを追い、1人で町の外に出てしまったらしい。そして僕と同じように魔獣に襲われた。ただ今日の僕と違うのは、助けが来なかったことで……その子は……。

 

「こんな話をしてごめんなさい。ヨシイ君は気にしないでいいのよ」

「はい……」

 

 僕にできることは何も無い……。

 

 余計なことを聞くんじゃなかった。ルミナさんの辛そうな笑顔を見た時、僕は心の底から後悔した。

 

「それじゃゆっくり休んでね。おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 

 ……

 

 僕はベッドに入り、考え耽ける。

 

 魔獣……。

 

 下手をすれば僕も命を落としていたかもしれない。奴らに対抗するには、さっきのマルコさんのように武器を持って戦えばいいのだろう。でもさっき馬車の中に転がっていた剣を持とうとしたら重くて持ち上げるのがやっとだった。マルコさんは軽々と振り回していたが僕には無理だ。もし魔獣に出会ってしまったら逃げるしかない。というか、そもそも出会ってしまう前に元の世界に帰りたい。

 

 ゲームと何かしら関係があるのなら、この世界に飛ばされた引き金は見当が付く。恐らくあのコンセントに繋いだ時のビリビリだ。じゃあまたビリビリっとなれば帰れるのか? でもこの家やさっきの町の感じでは電気なんてものは無さそうだ。他に何か電気に似たものは……。何か……。

 

 ………………

 …………

 ……

 

 考えても何も思いつかなかった。そうしているうちに睡魔に襲われ、僕は(まぶた)を閉じる。自分では気付いていなかったが、疲れが溜まっていたのだろう。僕は考えるのをやめ、ふかふかのベッドの上で深い眠りに落ちていった。

 

 次に目を覚ました時、元の世界の自分のベッドの上であってほしいと願いつつ。

 



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第四話 異世界生活

 翌朝。

 

 目を覚ますとレンガ造りの家の中だった。

 

 やっぱり元の世界には戻ってないか。まぁ世の中そんなに甘くないよね。……ハァ……これからどうしよう……。悩みながらベッドから降り、僕は重い足取りで隣のリビングへと向かう。

 

「あら。おはようヨシイ君。昨日はゆっくり眠れた?」

 

 リビングの扉を開けると長い髪の女性が笑顔で迎えてくれた。……不思議だ。この笑顔を見ているとなぜか心が落ち着く。あんなに気分が落ち込んでいたのに、一瞬にして晴れやかな気分になってしまった。美波の笑顔は僕を元気にしてくれるけど、ルミナさんも同じ力を持っているのだろうか。

 

「おはようございますルミナさん。おかげさまでよく眠れました」

「それは良かったわ。お腹()いたでしょ? 朝食、食べるわよね?」

 

 確かにグゥと鳴るほどに腹は()いている。でも泊めてもらった上に朝食まで御馳走になっていいんだろうか。

 

「えっと、その……いいんですか?」

「えぇ、もちろんよ」

 

 輝くような笑顔で答えるルミナさん。

 

「そ、それじゃあ、いただきます」

 

 少しは遠慮しよう。頭の中ではそう考えていたのに、僕の口は意思に反した言葉を発していた。

 

 こんな笑顔を向けられてしまったら抵抗する気はどこかへ飛んでいっちゃうよな……。ん? 待てよ? この世界の食べ物って僕にも食べられるんだろうか? あ、そういえば昨日の夜ホットミルクを貰ったっけ。全然違和感が無くて気にしなかったな。ということは食べ物も問題ないんだろうか?

 

「それじゃ座って待っててね。すぐにできるからね」

 

 僕は言われた通り席に着く。テーブルには緑色の葉のサラダや黄色いスープ、それに丸いパンのようなものが並んでいた。ごく普通の朝食に見えるな……。

 

「これでできあがりよ。どうぞ召し上がれ」

 

 芳ばしい香りを乗せた皿をテーブルに置き、ルミナさんは向かいの席に座る。

 

「いただきます」

 

 まずはスプーンを手に取り、スープを掬って一口飲んでみる。……まろやかな風味のクリーム仕立て。具はトウモロコシだろうか。どうやらコーンスープのようだ。

 

 続いてフォークでサラダを取り、口に入れる。……パリパリとした葉の食感。これも普通の野菜だ。

 

 次に皿に盛られた芳ばしい香りを放つベーコンのようなものを口に運ぶ。……カリッとした歯応えに程よい塩味。それに口の中で広がる胡椒のような香辛料の味。見た目どおりベーコンのようだ。

 

 なんだ、全部普通の食材じゃないか。味付けも僕が作るのとほとんど同じだ。これなら問題なく食べられそうだ。そう思ったら急に食欲が湧いてきてしまった。

 

「はぐ、はぐっ! もぐもぐもぐ……。はむっ、はぐっ!」

 

 僕は次々に食べ物を口に放り込んでいく。それはもう”ガツガツ”という擬声音が相応しいくらいの勢いで。

 

「あらあら、そんなに慌てて食べなくても沢山あるから大丈夫よ?」

「ふ、ふんごふおいひいでふ!」 ←(訳:すんごく美味しいです)

「そう? ありがと。でも口の中に物を入れたまま喋るのはお行儀が悪いわよ?」

 

 ルミナさんはそう言って微笑みながら僕が食べる様を楽しげに眺める。彼女の用意してくれた朝ご飯は本当に美味しかった。パンやスープ、ベーコンはもちろん、野菜に至るまで全てが美味しかった。それもそのはず。なにしろ昨日の昼以降、何も食べていなかったのだから。

 

 空腹は何物にも勝る調味料って本当なんだな。そんなことを考えながら僕は夢中で食べ続ける。そして10分もすると、テーブルに乗っていた料理は綺麗に無くなってしまった。

 

「ふぅ~……。ごちそうさまでした」

 

 腹を満たした僕はようやくいつもの調子を取り戻したような気がした。そうさ、くよくよしたって始まらない。とにかくできることをやっていくしかないんだ。

 

 よし、これからの行動を考えないとな。今の僕の目標はただひとつ。元の世界に帰ることだ。それにはまずはこの世界について知るべきだろう。

 

「いい食べっぷりね。作ったこっちも嬉しくなっちゃうわ」

「あ……なんだかお世話になりっぱなしですみません」

「いいのよそんなこと気にしなくて。私たちは好きでやってるんだから」

「そ、そうなんですか……。あ、ところでマルコさんは?」

「あの人なら朝早くから工房に籠もってるわよ。今日中に全部仕上げるんだって息巻いてるわ」

 

 そうか、マルコさんの仕事は鍛冶屋だっけ。昨日の夜も大量の剣を担いでいたな。きっとあれの再生加工をする仕事なんだろう。

 

「あの人に何か用があるの? 呼んで来ましょうか?」

「あ、いえ。ちょっとこの世界のことについて聞きたかっただけなので……仕事が終わってからでいいです」

 

 うん、後にしておこう。仕事の邪魔をしちゃ悪いし。

 

「この世界のこと? 私で良ければ教えましょうか?」

「ルミナさんが? いいんですか?」

「えぇ、もちろんよ。ちょうど私も話し相手が欲しかったし。あの人って仕事に夢中になると夜まで出て来ないから、ちょっと寂しかったのよね」

「そうだったんですか。それじゃお願いします」

「何でも聞いてね。私の知ってることなら答えるわ」

 

 僕はまず、自分がこの世界の住民ではないことを伝えた。だが突然こんなことを言ってもすぐには信じてもらえないだろう。そう思って”信じられないかもしれないけど”と付け加えたのだが、意外にもルミナさんは「ふ~ん、そうなのね」と素直に受け止めてくれた。思ったより理解力のある人のようだ。

 

 次にこの町について聞いた。国の名前は”ハルニア王国”で、町の名前は”ラドン”。これは昨日マルコさんから聞いて知っている。ルミナさんはこれに加え、この町が最も南に位置する町であることを教えてくれた。

 

 この時、僕は胸にズキッという痛みを感じた。”みなみ”という言葉に反応してしまったのだ。

 

 僕がこの世界に飛ばされてから既に一夜が明けている。何の連絡もなく突然姿を消し、夜が明けても帰ってこない。普通に考えればこれは行方不明事件として扱われてもおかしくない。もう警察に捜索願いが出されているかもしれない。いや、その前に美波が僕を捜しているに違いない。

 

 そう考えていたら、必死になって僕を呼んでいる美波の姿が脳裏に浮かんできてしまった。美波が心配している……! 一刻も早く帰らないと!

 

「すみません! やっぱり僕、自分の目で見てきます!」

 

 いても立ってもいられなくなった僕は椅子を跳ね飛ばし、家を飛び出そうとする。

 

「お待ちなさい!」

 

 だがルミナさんはそんな僕を強い口調で止める。いままでの温厚な雰囲気の彼女とはまるで別人のようだった。僕はその声に驚き、ドアノブに手を掛けたまま動きを止めた。

 

「落ち着きなさい。今のあなたは何も知らない赤ん坊も同然よ。行くのなら私の話を聞いてからにしなさい」

 

 凜とした口調でゆっくりと話すルミナさん。確かに彼女の言うとおりだ。今はこの世界についてほとんど分かっていない。こんな状態で飛び出して行っても結局何もできず、無駄に時間を浪費するだけだ。僕はその言葉に説得力を感じ、テーブルの席に戻ることにした。

 

「慌てちゃダメよ。まずはしっかりと知識を得なさい。いいわね?」

「……はい」

「でも一気に覚えられないでしょうから……そうね。私の家事を手伝いながら勉強するっていうのはどうかしら?」

「家事、ですか?」

「そうよ。ここでの生活はあなたの住む世界とは違うんでしょう? それなら実際に生活しながら学ぶのが一番よ」

 

 なるほど、留学制度とかで聞くホームステイってやつか。もしこの世界での生活が長引くようなら生活様式を学ぶのは大事なことだ。長引きたくはないけどさ……。

 

「分かりました。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくね。私も話し相手ができて嬉しいわ。うふふ……」

 

 こうして僕の異世界生活が始まった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 僕はルミナさんに教わりながら、この世界での生活を学んでいく。

 

 まずは食べ物。

 

 昨晩に貰ったミルクは牛の乳だった。それから今朝のサラダの葉はサラダリーフという、サラダ用に作られた植物。スープの具はトウモロコシ。パンは小麦粉で作られ、ベーコンも豚肉であった。

 

 やはり食べ物は僕の住む世界と違いは無いようだ。調理方法もほとんど同じみたいだし、食べ物に困ることは無さそうだ。”食材を調達できれば”の話だけど。

 

 

 次に、水や火の扱いについて。

 

 これは僕らの世界とは違っていた。まず火だが、調理にコンロのようなものを使うのは同じだった。ただし燃料にガスや電気を使わず、代りに”魔石”と呼ばれる石を使っていた。この石は魔獣が持っていて、人々は町周辺の魔獣を駆除するのと同時にこの石を得ているのだという。

 

 つまり魔獣はこの世界に住む人にとって脅威でありながら、生活に欠かせない存在でもあるということになる。なんとも不思議な関係だ。

 

 水は最近になって上水道が整備されたらしく、蛇口を捻れば出るようになっていた。上水道施設はこの町の中央にあり、魔石の力を利用して地下水を浄化しているという。この施設ができるまでは井戸水を汲み上げていたそうだ。

 

 料理や洗濯、入浴など水を必要とする場面は多い。僕は水道のある生活しか知らないけど、井戸水を汲み上げる作業はかなりの重労働であったことは僕にも想像できる。

 

 

 この日はここまでを学び、僕は食材と火および水についてを理解した。そしてこの時点で僕にできることがひとつ増えた。もちろん料理だ。と言っても、元の世界でも”できる”と言えるのはこれくらいしか無いのだけど。

 

 そしてこの日は水回りの仕事ということでもうひとつ、衣類の洗濯についても教わった。

 

 洗濯は水による手洗いと天日干しが基本らしい。洗濯機のような機械は無いのか? と尋ねたところ、一応そのような利器もあるらしい。だがそれは魔石を利用した非常に高価な物で、金額的に手が届かないのだとルミナさんは苦笑いする。

 

 

 ここまでを学んだ僕はこの日、残りの時間をルミナさんの家事手伝いに当てることにした。

 



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第五話 楽しい(?)勉強

 翌朝。

 

 この世界に来てから今日で3日目。僕はルミナさんに教わりながらキッチンで朝食の準備をしていた。するとガチャリと玄関の扉が開き、

 

「ふぁ……あぁ~……。ただいま~……」

 

 眠そうな声と共にマルコさんが帰ってきた。彼は大あくびをしながらボリボリと頭を掻きつつ、こちらへと歩いてくる。見るからに疲労困憊といった感じだ。昨日は工房から帰って来なかったし、きっと徹夜したのだろう。

 

「おかえりなさい。お仕事は終わったの?」

「あぁ、なんとかね」

「お疲れさま。さ、席について。朝食にしましょう」

 

 テーブルには既にパンにジャム、ソーセージが並べられている。そこへニンジンやジャガイモ、キャベツを使った野菜スープを出し、準備完了だ。

 

 実はこのスープは僕がルミナさんに教わって作ったものだ。僕はこういったスープを作るのは初めてではない。ただ、コンロの火加減が分からなくて、少し火が強すぎたような気がする。少しジャガイモが崩れてしまったが、果たしてマルコさんの口に合うだろうか。

 

「うん。やっぱりルミナのスープは美味いな」

 

 スープを一口飲んだマルコさんが誉める。良かった。問題ないみたいだ。というかルミナさんが作ったものだと思ってる?

 

「そう? ありがとっ。でも今日はちょっと手を変えてみたの。あなたに分かるかしら?」

「ん? 手を変えた? 調味料を変えたのか?」

「さぁ? どうかしらね」

「おいおい、意地悪しないでくれよ。俺に料理の知識が無いのは知ってるだろ?」

「ふふ……知ってるわよ。でもあなたも少しくらいお料理ができるようになってほしいわ」

「いいじゃないか。俺にとってはルミナの手料理が一番なんだからよ」

「まぁ、あなたったらお上手ね。でもヨシイ君だってお料理できるのよ? あなただってやろうと思えばできるんじゃないの?」

「うん? 本当か? ヨシイ」

「……」

「ヨシイ? どうした?」

 

 ……ハッ!

 

「あ……えっと、何でしょう?」

 

 しまった、何も聞いてなかった。2人の会話に入っていけなくてボーっとしちゃってた……。

 

「ヨシイ君がお料理上手って話よ」

「えっ? いや、上手ってほどじゃないですよ? ただ必要だから覚えただけで……」

「ふふ……謙虚なのね。少なくともこの人の舌じゃ分からないくらいの腕はあるわよ?」

「なんだよ。俺にだってそれくらい区別――――ん? ……なるほど、そういうことか。つまり今日のスープはヨシイが作ったってことだな?」

「ようやく分かったようね。その通りよ」

「そうかそうか。すげぇじゃねぇかヨシイ。ルミナの手料理と変わらねぇぜ?」

「あ、ありがとうございます……」

 

 なんだかこの2人、凄く仲が良くて見ているこっちが恥ずかしくなってくる。いたたまれない気持ちでいっぱいなのに、こうして話を振られたら余計に恥ずかしくなってしまうじゃないか。

 

 もしかして美波と2人でお弁当を食べている時も周りにはこんな風に見えているんだろうか。だとしたら須川君たちが僕らの邪魔をしてくる気持ちも分からなくもないな……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 食事を済ませるとマルコさんは「昼前に起こしてくれ」と言って寝室へ入ってしまった。ルミナさんが言うには、午後に精錬した剣を届けに隣町へ行くらしい。徹夜で剣の加工をしていたというのに仮眠を取るだけで大丈夫なんだろうか。

 

 そう思っているとルミナさんは「様子を見てくるわ」と言ってリビングを出ていった。僕も少し心配になり、彼女の後を追って寝室へと向かった。そして寝室の扉をそっと開けて覗き込むと、

 

「ぐぉぉ~……ぐぉぉ~……」

 

 マルコさんは既にいびきをかいて寝ていた。

 

「もう寝ちゃってるわ」

「早いですね」

「徹夜明けだもの。しょうがないわ。でもあんまり無理はしないでほしいわ……」

 

 寝室の扉を閉めながらルミナさんは心配そうに表情を曇らせる。そんな彼女の気持ちは僕にも分かる。彼女は既に愛する息子を失っている。愛する人を失うということがどれだけ悲しいことなのか、今の僕にはよく分かる。だからこれ以上悲しい思いをしてほしくないのだけど……。

 

「ごめんねヨシイ君。そんな顔をしないで。さぁ戻って今日の勉強を始めましょう」

「……はい」

 

 リビングに戻った僕らは今日の勉強をはじめることにした。今日はこの国についての勉強だ。

 

 この国の統治者は”レナード王”。温厚で平和を愛する良き王であるというが、変わった趣味を持っているとも噂されている。王には2人の息子がいて、兄を”ライナス”、弟を”リオン”というそうだ。王はこの大陸を東西に分け、それぞれを2人の王子に統治させている。しかし最近この2人の仲が思わしくなく、目下のところ兄弟喧嘩の真っ最中で東西の行き来が制限されているらしい。このことは王の悩みの種であるともいう。

 

 この国で最も大きな町は西側の北にある王宮都市”レオンドバーグ”。そこには各地からの情報が集まり、国内最大規模の魔石研究機関も存在するという。

 

「魔石研究?」

「えぇそうよ。ここで国中から集まった学者さんたちが魔石の使い方を研究しているの」

 

 確かに昨日教わったコンロにも魔石が使われていた。つまりこういった魔石の使い方はその研究機関が編み出したということだろうか。

 

 ここで再びあの疑問が湧いてきた。

 

 その魔石は魔獣が持っているという話は昨日聞いた。だがそもそも魔獣とは一体何なのだろう? なぜ人間を襲うのだろう? あれは動物が突然変異したものなのだろうか? ルミナさんにそれを尋ねてみたら、彼女も詳しいことは知らないという。彼女が生まれた時には既に存在していて、魔石も生活に広く浸透していたそうだ。

 

 ルミナさんは「魔獣の話は後でする」と言い、町の説明に戻った。この町から一番近い町はハーミル。マルコさんが午後に行く予定の町だ。ハーミルからは峠町サントリアと、第一王子が拠点とするドルムバーグに道が分かれる。この国の中央付近は山脈が連なり、東西の行き来にはそれを越える必要があるらしい。その峠のど真ん中にあるのがサントリアという町。この峠町を越えて山を西側に降りればミロード。更に西側には第二王子の拠点であるガラムバーグがあるという。

 

 ルミナさんはこうして一気に町の構成を教えてくれたのだが、残念ながら僕の頭は完全に飽和状態に陥っていた。

 

「ハーミルにサントリアに……えぇと、えぇと……」

 

 そんなに一度に町の名前を言われても覚え切れないよ……。頭を抱えて悶える僕。するとルミナさんは僕が困っているのを察してか、「ちょっと待ってて」と言って暖炉の横の棚から紙と筆のような物を取り出した。そしてその紙をテーブルに広げると、すらすらと絵を描き始めた。

 

「いい? ここが今いるラドンの町よ。ここから北に行くとハーミル。その先にはサントリアとドルムバーグがあって――――」

 

 彼女は巧みに筆を操りながら紙に地図を描いていく。なるほど、これは分かりやすい。

 

「それでこの辺りにあるのがこの国で一番大きな町、レオンドバーグ。……レナード陛下がお住まいの王宮都市よ」

 

 ルミナさんはそう言って、ぐるぐると一際強く強調して地図に印を付ける。

【挿絵表示】

 

 

 なぜこんなに強調するんだろう? 一番大きな町だからだろうか? その疑問に彼女はすぐに答えてくれた。

 

「私はあなたの言う”元の世界”への帰り方を知らないの。でもこの町、レオンドバーグなら何か手掛かりがあるかもしれないわ」

「手掛かり!? ほんとですか!?」

「あるとは言いきれないわ。でも可能性があるとすればここの王宮情報局だと思うの」

 

 そうか、国中の情報が集まる町と言ってたっけ。確かに闇雲に探すより、こういった所で情報を集めた方が遥かに効率的だ。つまりその王宮情報局に調べてもらえばいいってことだな。よし、決めた! レオンドバーグへ行こう!

 

「ルミナさん! 僕、この町に行きます! どうやって行けばいいか教えてください!」

「そう言うと思っていたわ。でも今はまだ行かせられないわ」

「ど、どうしてですか!? 僕は一刻も早く美波の元に帰りたいんです!」

「ミナミ?」

「はい、僕の大切な……一番大切な人です。きっと僕の帰りを待ってると思うんです」

「そう……。それなら尚の事行かせるわけにはいかないわね」

「なっ!? ど、どうしてですか!!」

 

 僕はすっかり興奮してしまい、バンとテーブルを叩きながら立ち上がる。そんな僕にルミナさんは冷静に理由を告げた。

 

「いいヨシイ君、よく聞きなさい。確かにレオンドバーグは素晴らしい情報機関を持っているけど、すぐに帰る方法が見つかるとは限らないわ」

「それは……そうですけど……」

「その方法が見つかるまで何ヶ月も掛かるかもしれない。そうなったらその間、あなたはこの世界で生活しなければならないのよ? でもこの世界にあなたの両親はいないし、養ってくれる人もいないでしょう?」

「……」

「だからまずこの世界で生活するための最低限の知識は身につけるべきなの。分かるわね?」

 

 ルミナさんの言う通りだ……。僕は帰りたいと望むだけで、そのために必要なことを考えようとしていなかった。

 

「……すみません」

 

 昨日も彼女は飛び出そうとした僕を引き止めてくれた。見ず知らずの僕のことをこんなにも親身になって考えてくれる彼女に感謝しなければならない。でもどうしてこんなに親切にしてくれるんだろう?

 

「あの……ひとつ聞いていいですか?」

「何かしら?」

「どうして僕のことをそこまで考えてくれるんですか?」

「そうね、どうしてかしらね。ふふ……」

 

 彼女は手を口に当ててクスクスと笑う。

 

「私にもよく分からないの。……でも」

「?」

「私にできることがあるのなら何でもしてあげたいって、思うから……かな」

 

 そう言って顔を上げたルミナさんは遠くを見つめるような目をしていた。その悲しそうな目を見た僕はなんとなく彼女の気持ちを察した。ルミナさんの子は幼くして命を落としている。きっと我が子の命を救えなかったことを悔いているのだと思う。

 

「ルミナさん! 僕にありったけの知恵をください! きっと元の世界に戻ってみせます!」

 

 彼女の思いを無駄にしちゃいけない。僕はこんなところで終わっちゃいけないんだ! 美波のためにも!

 

「ありがとう、ヨシイ君」

「いえ。感謝するのは僕の方です」

「ふふ……それじゃ残りの授業を始めましょうか」

「はいっ!」

 

 僕はルミナさんの講義を真剣になって聞いた。このあと彼女が教えてくれたのは、この世界での仕事。それと魔獣のことだった。

 

 まず仕事だが、これは僕らの住む世界と大差無かった。穀物などの植物を栽培する農業に、家畜を育てる畜産業。これらを売る小売業。飲食店や宿泊施設を経営するサービス業もあるという。ただ、僕らの世界に無い職もいくつか存在していた。

 

 そのひとつがマルコさんのように武具を作る鍛冶屋の存在。僕らの世界では武器なんて売っていない。そんな物を売れば銃刀法違反で逮捕されてしまう。だがこの世界では魔獣という脅威が存在するため、自分の身は自分で守らなければならない。だからマルコさんのような職は必須とも言えるだろう。

 

 次に魔石加工商。これは魔石研究の成果を活用し、人々に魔石を提供する仕事だという。魔獣が落としたばかりの魔石は濁った色をしていて、そのままでは使えないらしい。これを細かく砕いて特殊な精練を施すことで、火をおこしたり水を浄化したりする力を発揮するのだという。それを行なうのが魔石加工商というわけだ。ただ、この職には専門的な知識が必要であり、国が認めた者に許される職らしい。つまり国家公務員のようなものだろうか。

 

 次に教わったのは町と町の間の移動と通貨について。

 

 町と町の間の移動手段として利用されているのは駅馬車。駅馬車は大体10人ほどが乗れる客車を引いていて、定期的に決められた区間を走っている。いわゆる市営バスのようなものだろう。運賃は区間によって違うらしいが、およそ1000ジンだという。

 

 ここで初めて通貨の話を聞いたが、単位を”ジン”と言い、紙幣のみが存在するそうだ。少々かさばるが硬貨と違って重くないのが良い所とも言える。

 

 

 そしてこの日最後に教わったのが魔獣について。

 

 魔獣は人間を襲う。これはこの2日間で何度か聞いた。だが奴らが人間を襲うのは捕食するためではなく、ただ殺すだけだという。その理由は王宮情報局でも分かっていないらしい。

 

 魔獣は動物と同じ姿をしていて、町の外に生息している。もちろん通常の動物も町の外に生息しているのだが、違いはそのサイズ。奴ら魔獣は通常の動物の何倍もの大きさの身体を持っているそうだ。一昨日僕が遭遇したリス型の魔獣もその例に(たが)わず、異常なほど大きな身体をしていた。それが魔獣の特徴らしい。

 

 しかし魔獣は人間を襲うというのに、町は大丈夫なのだろうか? 襲われたりしないのだろうか? この疑問にルミナさんは現物を見せて説明してくれた。

 

「あれを見て」

 

 窓のカーテンを開けると彼女はそう言い、外を指差した。

 

「あそこに大きな塔が見えるでしょ? あれは魔壁塔(まへきとう)と言って、町を守ってくれているの」

 

 彼女が指差す先には大きな塔が(そび)え立っている。ここからではよく分からないけど、高さは100……いや、200メートルはありそうだ。塔の最上部からは薄い緑白色(りょくはくしょく)の光が放たれ、膜を成し、町の上空を覆い尽くしている。その神秘的な光はまるで町全体を守るシェルターのようだった。

 

「あの光は何ですか?」

「魔障壁よ。あの光は魔獣を寄せつけない力を持っているの」

「へぇ……」

「でも小さい魔獣は干渉を受けにくくて魔障壁の近くまで寄ってくるの。だから油断しちゃダメよ」

「分かりました」

「あれにも魔石の力が使われているのよ」

「ほへぇ~……」

 

 魔石の力って凄いんだな……。

 

「でも町はあれで守られているとして、馬車はどうなんですか? マルコさんも馬車を使っていたけど危ないんじゃないんですか?」

「大丈夫よ。馬車はあの魔障壁の装置を小型化したものを搭載することを義務付けられているから」

「なるほど……」

 

 ここまで魔獣を避ける仕組みができているなんて、人間の知恵って凄いんだな。でも言い替えれば魔獣は人間にとってこれほど危険な存在ということだ。あの時マルコさんが通りかかって本当に良かった……。

 

 

 魔獣について知識を深めたところで、今日の授業はここまで。この日の残りの時間はルミナさんの家事を手伝って過ごした。

 

 ルミナさんは「今日1日で大体のことは教えた。明日は今までのおさらいをする」と言う。明後日はいよいよレオンドバーグへ向けて出発だ。

 




世界の説明は今回でおしまい。次回から物語が動き出します。

それと、今回初めて挿し絵機能を使ってみました。大陸地図を描いたものですが、ちゃんと表示されていますでしょうか? もし表示されていなかったら感想やメッセージでご連絡ください。


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第六話 旅立ちの時

 異世界に来てから4度目の朝を迎えた。今日はマルコさんの仕事は休みらしい。

 

 昨晩、ルミナさんは「おさらいをする」と言っていた。しかしせっかくマルコさんが休みなのだから今日くらいはマルコさんと一緒に過ごしてほしい。けれど僕がそう願い出るとルミナさんは、

 

「それじゃあ今日はお買い物を兼ねて町の見学に行きましょう」

 

 ポンと両手を合わせ、こう言ってきた。最初は話が通じていないのかと思った。けれどよく聞くと”3人で町に出掛けよう”という意味だったらしい。それを聞いたマルコさんは即座にこれに賛同。そういうことなら話は別だ。今日までずっとこの家に籠りっぱなしだったので外の様子を見てみたかったし、マルコさんが一緒なら僕も異存はない。そんなわけで意見は満場一致。今日は3人で外に出て町の様子を見ることになった。

 

「まずは商店街かしらね」

 

 家を出た僕らはルミナさんの案内の元、商店街へと向かった。商店街は歩いて10分程度の所にあるらしい。早速行ってみると商店街は大勢の人で賑わっていた。しかし商店街といってもアーケードのような屋根も無く、やはり道も舗装されていないようだ。両側には石やレンガで作られた建物がずらりと並び、様々な看板が下げられている。

 

 こういった光景を見ても、もう最初にこの町を見た時ほどの衝撃は受けない。見るのが2度目だからというのもあるが、それ以前にこの光景が当たり前であると考えるようにしたからだ。だから今は店で売られている物や、町行く人々の様子などに目が行く。

 

 ただ、こうして町を歩いていると、どうしても美波と一緒に買い物をしていた時のことを思い出してしまう。目の前で楽しそうに話すマルコさんとルミナさんを見ていると胸が締めつけられてしまう。

 

 心配してるだろうな……美波……。

 

 町を見学中に何度こう思ったことか。できることならすぐにでも飛び出して行きたい。帰る手段を一刻も早く探したい。でもルミナさんの教えも守りたい。揺れ動く気持ちを僕はぐっと抑え込み、我慢する。

 

 ――焦るな。今はこの世界の生活を目に焼き付けるんだ。

 

 そう自分に言い聞かせて。

 

 

 

 昼過ぎには買い物と町見学を終わらせ、僕たちはマルコさんの家へと戻った。その後は2人に教わりながらこの2日間で教わったことを復習した。

 

 僕が目指すべきはレオンドバーグ。そこまでの道のりは結構長い。まずハーミルへと移動し、そこから山道を上り峠町サントリアへ。更に西側の町ミロードへと移動し、そこから北に行ってようやくレオンドバーグだ。移動はすべて馬車になるだろう。だが1日では移動しきれない距離だ。ルミナさんの説明によると1日で行けるのはサントリア辺りが限界だという。サントリアで一度宿を取り、翌日移動することになるだろう。

 

 ここで僕は重大なことを忘れていたことに気付いた。

 

 馬車や宿には当然お金がかかる。でも僕は無一文だ。だからまずお金を稼ぐ必要があるのだ。

 

 お金を稼ぐには、やはり働くしかないだろう。幸い今日見た飲食店の1つに”ウェイター募集”の張り紙があったのを見た。まずはそこで働かせてもらい、レオンドバーグに行くのに必要なだけの資金を得よう。大丈夫。ウェイターならラ・ペディスで経験している。きっとなんとかなるさ。あの時は店長が大暴れして結局バイト代貰えなかったけどね。

 

「ヨシイ」

「はい?」

「ほれ」

 

 そんなことを考えていたらマルコさんが封筒のようなものを手渡してきた。

 

「これは?」

「旅の路銀だ。目的地に行くくらいの(かね)は入れてある。持って行け」

「え……い、いいんですか!?」

「あぁ。けど俺にできるのはここまでだ。そこから先は自分でなんとかしな」

 

 ニカッと歯を見せて笑うマルコさん。

 

「…………ありがとう……ございます……!」

 

 この世界に来てからマルコさんとルミナさんには多数の恩を受けている。だというのに僕はその恩を1つも返せていない。明日、旅立てば恐らくもう2度と会えないだろう。こんなにも恩を受けているのに、僕には礼を言うことしかできないのだ。悔しさと嬉しさが混ざり合い、胸の中をもみくちゃにする。

 

「まぁ気にすんな。たいして入ってねぇからよ」

「……すみま……せん……!」

 

 深く頭を下げる僕。そうしていると思わず目尻が熱くなってきてしまった。

 

「おいおい、泣くヤツがあるか。お前の帰りを待ってるヤツがいるんだろ? とっとと帰ってやんな!」

 

 マルコさんはガハハと笑いながら僕の背中をバンバン叩く。正直、叩かれた所がジンジンするくらいに痛かった。でもそれは不快な痛さではなく、どこか暖かさのある痛みだった。

 

「あなた、そんな力で叩いたらヨシイ君が壊れてしまいますわ」

「お? そうか、こりゃすまんかった。はっはっはっ!」

「ごめんねヨシイ君。ほんとこの人ったら加減を知らないんだから」

「いえ……大丈夫です」

「そう? それなら良かったわ。ふふ……」

 

 この日の夜、僕は2人への感謝の気持ちを込めて夕食を用意した。僕にできる恩返しがこれしか思いつかなかったから。2人はこれを美味しいと、とても喜んでくれた。これで少しは恩返しできただろうか。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 翌朝。旅立ちの時が来た。

 

「このご恩は一生忘れません!」

 

 家を出たところで送り出すマルコさんとルミナさん。僕は2人に向かって深々と頭を下げた。それはもう膝に(ひたい)をぶつけるくらいの勢いで。

 

「達者でな。ちゃんと元の世界に帰るんだぜ」

「はいっ!」

「ミナミさんによろしくね」

「はいっ! マルコさんルミナさんもお元気で!」

 

 僕はもう一度、今度は頭を地面に付けるくらいの気持ちで頭を下げる。そして2人を見ることなく身体を反転させて歩き出した。……見れば涙が溢れてしまいそうだったから。

 

 懐中時計を懐に忍ばせ、弁当と封筒を入れた革のリュックを背負い、僕は力強く歩く。リュックと懐中時計はマルコさんが譲ってくれたものだ。彼は「使い古してもう捨てようと思っていたものだ」と言っていた。でも見た感じそれほど古いものでもない。きっと気を遣ってくれたのだろう。本当に”感謝”の気持ちしかない。

 

 ……絶対に元の世界に帰ってやる!

 

 この決意を胸に、僕は駅馬車の乗り場へと向かった。

 

 

 乗り場へは歩いて約30分。町中の様子に気を配り、目に入ったあらゆる物を覚えるつもりで歩いた。町人の着ている服は無地のものが多く、派手な格好をした人はいなかった。僕の着ているブレザーのような服も見かけない。たまに「お。これは?」と思う人がいると思えば、銀色の甲冑に身を包んだ鎧騎士だったりする。

 

 こうして町の様子を見ながら歩いていると思わず目的を忘れそうになってしまう。けれどそれは手に持った地図が思い出させてくれた。この地図は「道に迷わないように」とルミナさんが書いてくれたものだ。

 

「ここを左に曲がる、と」

 

 地図の通りに歩いて行くと馬2頭の姿が見えてきた。その後ろにはアーチを描いた屋根を持つテントのようなものが見える。茶色い布で覆われたそれは4つの木製の車輪に支えられ、車の形状をしていた。どう見ても教科書に載っていた”馬車”だ。どうやらあれがハーミル行きの馬車のようだ。本当に馬車が交通手段なんだ……。

 

 驚きを隠しつつ運賃を払い、早速乗り込もうとする僕。するとその時、御者(ぎょしゃ)のおじさんに「珍しい格好だね。どこから来たんだい?」と尋ねられた。この格好が珍しい? と我が身を見下ろしてみる。

 

 黒いジャケットに淡い紺色のスラックス。僕にとっては見慣れた文月学園の制服。確かに昨日町中を歩いていてもこういう格好をした人は見かけなかった。この世界の住民にとっては珍しいのかもしれない。

 

 で、どこから来たかって? それはもちろん、

 

「異世界です」

「はぁ?」

「異世界です!」

「あ、うん。そ、そうか。異世界か。なるほどね……ハハハ……」

 

 苦笑いをするおじさん。おじさんには僕の答えが理解できないようだった。そりゃそうだろうね。僕だっていきなりこんなことを言われたら頭がおかしいんじゃないかと思ってしまう。でも本当のことなんだからしょうがない。

 

「ほれ、乗るなら早く乗りな。おいて行くぞ」

 

 御者台(ぎょしゃだい)に昇ったおじさんがあまり関りたくなさそうに言う。

 

「わーっ! 待って待って! 乗ります、乗ります!」

 

 お金を払ったのにおいて行かれては堪らない! 僕は慌てて客車に乗り込む。すると馬が「ヒヒン」とひと声鳴き、馬車は走り出した。

 

 馬車は徐々に加速しながら町中を走る。茶褐色のレンガで作られた家が並ぶ町並み。その合間を馬車は風のように駆け抜ける。車窓から町を眺めていると、しばらくして馬車は町の外周壁に到着した。2人の甲冑姿の兵士が大きな門を開け、馬車はそこから町を出る。

 

「ここから先は揺れますぜ。気をつけてくだせぇ」

 

 御者のおじさんが客車の僕らに声を掛ける。ラドンの町ともお別れだ。

 

 乗客は僕を合わせて4名。馬車は荒れた道を進み、ガタガタと突き上げるように揺れる。しばらくすると初日に魔獣に襲われた木が見えてきた。

 

 ……あそこでマルコさんに助けられたんだ。

 

 そう思いながらじっとその木を見つめていると、馬車はあっという間にその場所を通り過ぎてしまった。僕は後方に流れて行く木を見送りながらこの数日間の出来事を噛み締めるように思い起こした。

 

 マルコさん……助けてくれてありがとうございました。

 

 ルミナさん、色々なことを教えてくれて、ありがとうございました。

 

 ……

 

 美波……待っててくれ! 必ず帰るから!

 

 

 

 流れゆく草原を眺めながら、僕は強く心に誓った。

 




次回、物語は動き出します!


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第七話 仲間の影

 ラドンの町を出て3時間ほど経過しただろうか。馬車はようやくハーミルに到着した。ここでしばらく休憩するらしい。

 

「うぅ~っ……! はぁ~……」

 

 窮屈な馬車を降り、僕は思いっきり背中を伸ばす。休憩に入ってくれて助かった。これ以上乗っていたら壊れてしまいそうだ(主に尻が)。さてと。休憩は1時間ほどだと言うし、少しこの町を見て回ろうかな。僕はリュックを肩に掛け、繁華街の方に向かって歩き出した。

 

 ……ラドンとあんまり変わらないんだな。

 

 外周を高い壁で囲まれた円形の町。建物や道路の様子もラドンの町とほとんど変わりはない。遠くにはラドンにあった物と同じ形をした塔が(そび)え立っている。あれは魔壁塔(まへきとう)かな。この町もああやって魔獣から守ってるんだな。

 

 僕は周囲に目を向けながら中世ヨーロッパに似た感じの繁華街の町を歩く。そうしてぶらぶらと歩いていると、不意に気になるものが目に入ってきた。

 

 野菜を詰め込んだ袋を重そうに運んでいるお婆さんだ。数歩進んでは袋を降ろして休憩し、また数歩進んでは休憩といった具合に歩いている。見るからに重くて大変そうだ。

 

 ……馬車の時間まで暇だし、手伝ってあげようかな。

 

「お婆さん、大丈夫ですか? 僕が運びましょうか?」

「ふぇ? 何だい? お前さんは?」

「えっと……」

 

 ”異世界の者です”なんて言ったら怪しまれるよね。ここはひとつ……。

 

「旅の者です。馬車が休憩時間に入っていて暇なものでして」

「あぁそうだったのかい。ありがとうね。でも大丈夫だよ。アタシだってこれくらいっ――――」

 

 お婆さんはぐっと力を入れて袋を持ち上げようとするが、ちょっとだけしか上がらない。コレ、無理だよね。

 

「お(うち)はどこですか? 僕が運びますよ」

「そうかい? 悪いねぇ」

「いえ、暇だったし全然構いませんよ」

 

 僕は誰かの手伝いができることが嬉しかった。マルコさんやルミナさんに出会って、親切にされるとどれだけ嬉しいかを知った。だから僕も誰かの役に立てるのなら……できることがあるのなら、何でもしてあげたい。

 

「お前さん変わった格好だね。どこの子だい?」

 

 一緒に歩いているとお婆さんが話しかけてくる。さて困った。何と答えよう? 強いて言うならば”ラドンの町出身”ということになるのだろうか。でもこの文月学園の制服を見て言っているのだとしたら、ラドンの町に対して変な偏見を生んでしまうかもしれない。ならばここは正直に答えるべきだろうか。でも……ん? そうだ!

 

「実は僕、この国の者じゃないんです」

 

 これなら変な誤解は与えないで済む。嘘は言ってないし。

 

「おや、異国の人じゃったか。こんな所に何をしに来たんだい?」

「ちょっとラドンの町に観光を……」

「そうかいそうかい。どうだったねラドンの町は」

「はい、とても素晴らしい町でした」

 

 うん。とっても素晴らしい人たちだったよ……。

 

「そいつは良かったのう。それでこのハーミルに来たってことはもう帰るのかい?」

「……はい」

「そうかい。でもこの町だって結構いい町なんだよ? 良かったらゆっくりしていっておくれ」

「ありがとうございます。でも、僕の帰りを待っている人がいるんです」

「おや。それじゃアタシの手伝いなんかしてる場合じゃないんじゃないのかい?」

「今は馬車が休憩時間なんですよ。だから行きたくても行けなくてですね……」

「あぁそうだったね。この歳になると物覚えが悪くてねぇ。ホッホッホッ。あ、アタシの家はここだよ」

「あ、はい」

 

 家に上がるお婆さんに僕は袋を渡す。これでお手伝いは終了だ。

 

「それじゃ僕はこれで」

「あぁ、ちょいとお待ち」

 

 僕が立ち去ろうと背を向けるとお婆さんが呼び止めた。何だろう? と振り向くと、

 

「こいつはお礼だよ。持って行きな」

 

 そう言うと大きくて真っ赤なリンゴを放り投げてきた。

 

「ど、どうも……」

「助かったよ。ありがとうね」

 

 白髪をお団子頭にしたお婆さんが優しく微笑む。礼を言われるのはあまり経験がない。だからこうして笑顔で礼を言われると思わず戸惑ってしまう。

 

「いえいえ……それじゃ僕はこれで……」

 

 でも何か返事を返さなくては。そう思い、ありったけの語彙力(ごいりょく)を総動員した。そうして返した僕の返事がこれだった。まったくひねりのない返事で少し恥ずかしかった。僕はペコリと一度頭を下げ、そそくさとその場を後にしてきた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 お婆さんと別れ、僕は再び町を歩き出す。

 

 うーん。冷静になって考えてみると「どういたしまして」とか「おやすいご用です」とか返す言葉はいくつかあるよな。どうも僕は慌てると言葉が出てこないな……どうしたら雄二みたいにスッと言葉が出てくるようになるんだろう。

 

 そんなことを呟きながら僕は町を歩く。手には先程受け取った赤い玉が握られている。

 

 ……リンゴか。お弁当のデザートにするかな。そういえばお腹が空いてきたな。そろそろお昼か。ちょうど目の前に公園があるようだ。ここでルミナさんの用意してくれたお弁当を食べるとしよう。

 

 僕は公園中に入り、ベンチに腰かける。公園には遊具などの子供が遊ぶための施設は何一つ無かった。あるのは周囲に植えられた木々や、その前に備えつけられたベンチ。中央には噴水があり、小さく水を吹き上げていた。その周りでは2人の男の子がボールを蹴って楽しそうに遊んでいる。

 

 ふ~ん……この世界にもサッカーがあるんだな。そんなことを考えながら僕は弁当を広げる。包みを開くと4つに切られたサンドイッチが出てきた。これは美味しそうだ。

 

「はむっ……もぐもぐ……」

 

 レタスのパリパリした歯応えとハムの塩味、それに胡椒の少しピリッとした味が美味しい。さすがルミナさんだ。

 

「はむっ……もぐもぐ……?」

 

 美味しいサンドイッチを頬張っていると、サッカーをしていた子供たちがこちらに寄ってきた。何だろう。まさかこのサンドイッチを狙って!? ダメだっ! これは僕の昼ご飯なんだから!

 

「兄ちゃん珍しい格好してんな。旅のモンか? どっから来たんだ?」

「へ?」

 

 食べ物を要求されるのではと警戒していたら、違う質問を受けた。というか、また格好のことを言われてしまった。そんなに変かな、この文月学園の制服。確かに黒いジャケット風の服を着ている人は今まで見てないけどさ……。

 

「えっとね、僕は異世界から来たんだ。あっちの世界じゃこういう格好が普通なんだよ」

「イセカイ?」

「そうだよ。こことは違う次元の世界のことさ」

 

 相手は子供だし、変に怪しまれることも無いだろう。そう思って僕はありのままを伝えてみた。すると男の子は、

 

「ふ~ん。よくわかんねぇや。アハハッ!」

 

 と、白い歯を見せて笑った。まぁ分かんないよね……。子供たちに分からなくたって仕方ないさ。こんな話、大人だって分からないだろうし。なんてことを考えていたら、もう1人の男の子が重大な証言をした。

 

「あ! おれ、この格好見たことあるぜ」

 

 この格好を見た事がある? おかしいな。僕はこの子とは初対面なんだけど……。ひょっとしてラドンの町で見られたのかな?

 

「君もラドンの町から来たんだね? お兄ちゃんもラドンから来たんだよ」

「ううん違うよ。おれはミロードだよ。ラドンは行ったことないな~」

「えっ……?」

 

 ラドンじゃない町でこの服を見た? 僕はラドン以外の町に行ったことなんて無い。だってこのハーミルがこの世界で2つ目の町なんだから。

 

 ということは……? まさか!!

 

「君! それをいつどこで見たんだ!」

 

 この世界に来ているのが自分だけではない!? まさか美波が――それか他の誰かがこの世界に来ているのか!?

 

「どこなんだ! 教えてくれ!! 早く!!」

 

 僕は男の子の両肩を鷲掴みにして夢中で揺らす。

 

「い、痛いよ、兄ちゃん」

「あ……ご、ごめん!」

 

 すっかり動揺して力を入れ過ぎてしまった。子供にこんな脅迫じみた聞き方をしちゃダメだよね……。

 

「ごめんね。君が見たのはもしかしたらお兄ちゃんの大事な友達かもしれないんだ。だから教えてくれるかい?」

 

 今度は優しく、しゃがんで目線を合わせながら男の子に尋ねる。すると男の子は機嫌を直してその場所を教えてくれた。

 

「んと、確か4日前くらいだったかな。サントリア……じゃないや。ミロードだったと思うよ」

「ミロード……?」

「うん。兄ちゃんと同じくらいの背丈だったよ」

「どんな髪型をしてた? 長かったり、リボンで髪を結わえたりしてなかった?」

「う~ん、よく覚えてないや」

「そっか……」

 

 身長からして少なくとも雄二では無いだろう。でも身長以外のことは何も分からない。この世界に来ているのは僕だけじゃないのか? いや待てよ? もしかして似たような格好をしたまったく無関係の人ってことは無いのか?

 

「ねぇ君、君が見たのは本当にこの格好だった?」

「うん。そうだよ。だってこの変な矢印みたいなマーク付けてたし」

 

 男の子はそう言って僕の左胸を指差す。その指先にあるのは文月学園の校章。間違い無い。文月学園の誰かがこの世界に来ているんだ。

 

 美波かもしれない。だとしたら助けに行かなくちゃ! いや、それが例え美波じゃなかったとしても行かなくちゃ! とにかくミロードに行こう! 行けばきっと他にも目撃者がいるはずだ!

 

 僕は残りのサンドイッチを一気に頬張り、立ち上がる。

 

「あふぃふぁふぉう!」

「アハハッ! 兄ちゃん、何言ってるか分かんないよ。口の中のもの飲み込んでから言ってくれよ」

 

 もぐもぐもぐ……ゴクン。

 

「ありがとう君たち! すっごく貴重な情報だよ!」

「そうなの? えへへ……」

「これはお礼だよ! 2人で分けて食べてね!」

 

 僕は先程貰ったリンゴを男の子にポンと手渡し、駅馬車乗り場に向かって走り出す。

 

 

 ―――― 仲間が来ている ――――

 

 

 そう思ったら、不思議と心が踊った。

 

 なんとしても元の世界に帰ると決心した。でも本当に帰る方法なんてあるのだろうか。ほぼ手がかりのないこの状況で、その方法を一人で探し出すなんて本当にできるのだろうか。不安は大きかった。けれど皆がいれば――仲間がいればきっとなんとかなる。そう思うと不安が吹き飛び、大きな希望が湧いてきた。

 

 僕は無我夢中で走った。目指すはミロード。仲間の元へ!

 

 そしてハーミルの町中を疾走すること約10分。駅馬車乗り場に戻ると、客車には既に2頭の馬が繋がれ、準備万端状態であった。僕は御者のおじさんに紙幣を突き出し、サッと客車に乗り込む。

 

 さぁ早く出してくれ! 仲間の元へと急ぐんだ!

 




次回、序盤最初の山を迎えます。


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第八話 襲撃

「おいおい、もうちょっと静かに頼むぜ」

 

 客車に乗り込み、勢いよく座席に座ると、一人の男が不快感をあらわに話し掛けてきた。

 

「あっ……す、すみません」

 

 謝りながら声の主に目を向けると、仰々(ぎょうぎょう)しい格好の男が視界に現れた。その男は青と銀の混ざったような色。シルバーブルーとでも言うのだろうか。そんな色の鎧を身に(まと)い、大きな剣を肩に立てかけるようにして座席に座っていた。見るからに剣士といった感じだ。

 

「大事な馬車を壊さねぇでくれよな」

「ごめんなさい。ちょっと慌ててしまって……」

「ん? お前、見かけない顔だな。どこから来たんだ?」

 

 またこの質問か。なんだか答えるのも面倒になってきたな……。

 

「ちょっと遠い国から来たんです」

「フーン。そうか」

 

 男は自らの顎を撫でながら僕の顔をじっと見つめる。何だか変な目で見られている。怪しまれたんだろうか……。ドキドキしながら彼が口を開くのを待っていると、

 

「俺はウォーレン。この馬車の護衛を任されている。よろしくな!」

 

 彼はニッと笑顔を作り、そんなことを言ってきた。何? 自己紹介? 僕も返すべきなの!?

 

「え、えと……あの、ぼ、僕は吉井っていいます。よろしくお願いします」

「おう! よろしくなヨシイ!」

 

 顎に不精髭を生やし、無造作にかき上げた茶色い髪。ウォーレンを名乗った彼は”ワイルド”と呼ぶに相応しい容姿をしていた。見た感じ、年の頃は30代前半といったところだろうか。やけにノリのいい人だ。

 

 挨拶を済ませると馬車はすぐに出発した。その馬車の中でウォーレンさんがやたらと親しげに僕に話し掛けてくる。もしかして気に入られてしまったのか? それともただ愛想の良い人なんだろうか。

 

 この馬車には彼に加え、5、6才くらいの小さな女の子を連れた母親らしき女性、大きな袋を抱えた行商らしき小太りの男性、それと杖を手にした白髪のお爺さんが乗っている。僕を合わせると計6名だ。

 

 こうして見るとまるで小さなバスに乗ってるみたいだ。そんなことを思いながらふと向かいの席に目を向けると、お下げ髪の女の子が退屈そうに足をぶらぶらとさせていた。

 

「お嬢ちゃん、退屈かい?」

 

 僕の隣に座っていたお爺さんが女の子に向かって尋ねる。ちょうど僕も同じことを思っていたところだ。

 

「うん。同じ景色ばっかりでつまんない」

「そうかそうか。それじゃこの爺めが昔話をしてあげよう。聞いてくれるかい?」

「うんっ!」

 

 女の子の返事を聞くとお爺さんは嬉しそうに笑顔を作り、自らの若い頃の話をし始めた。僕も灰色の山肌ばかりの景色に見飽きていたのでその話に聞き入る。

 

 話によると、このお爺さんは若い頃はウォーレンさんと同じように剣士をしていたそうだ。先代の王の近衛兵として長年務め、何度も魔獣と戦い、人々を救ったのだと彼は語る。女の子は目をらんらんと輝かせ、興味津々といった様子で話に聞き入っていた。

 

 しかしこのお爺さん、本当に剣士だったのだろうか。この杖に身体を預けるような体勢からは剣を振り回す姿なんて想像できない。作り話なんじゃないのかな……?

 

「ところでお嬢ちゃんはサントリアに何をしに行くのかな?」

「パパはサントリアで町を守るお仕事をしているの。サーヤはお仕事してるパパを見に行くの!」

「この子ったらパパに会いに行くって言って聞かなくて……それで見るだけという約束で連れて行くことにしたんです」

 

 女の子の母親らしき女性がフォローを入れる。サーヤとはこの女の子の名前らしい。町を守る仕事というと兵士だろうか。そんな所に押しかけて行って邪魔にならなきゃいいけど……。

 

「奥さん、旦那さんは王宮兵士か何かですか?」

 

 ずっと沈黙を守っていた行商の男が尋ねる。

 

「はい、そうですけど……それがどうかしましたか?」

「ふむ……残念ですが旦那さんはサントリアにいないかもしれませんよ」

「えっ? どうしてですか? 夫はずっとサントリア勤務のはずですけど……?」

「我々行商の間で噂になってるんですがね、どうもサントリアの兵士は一部を除いてドルムバーグに招集されているらしいんですよ」

「えぇっ!? そんなこと聞いてませんよ!?」

「パパいないの……?」

「ちょっと静かにしててねサーヤ、今おじさんから事情を聞いてるからね」

「は~い……」

「それで招集ってどういうことなんですか?」

「実はここだけの話なんですがね、戦争が始まるらしいんですよ」

 

 なっ!? せ、戦争だって!? 冗談じゃない!

 

「戦争!? そ、そんなの聞いていませんよ!?」

「そりゃ機密情報ですからね。一部の兵士にしか知らされていないでしょう」

「そ、そんな……」

 

 行商のおじさんの説明に母親の女性は狼狽え、身体を震わせる。何も知らされていなかったのだろう。それにしても戦争なんて冗談じゃないぞ! そんなことになったら外出も禁止になるだろうし、仲間探しもできなくなってしまう。一体どことどこがやり合おうって言うんだ?

 

「チッ……あのボウヤ、ついにおっぱじめるのか」

 

 ウォーレンさんが苦い顔をして舌打ちをする。ボウヤって……? 何か知ってるんだろうか。

 

「とにかく私たちはサントリアに行ってみます。もしかしたらまだ間に合うかもしれませんから」

「そうですね。それがいいかもしれません」

 

『こいつぁ急がないといけヤせんね。サントリアまであと1時間ほどでサぁ』

 

 そう声を掛けてきたのは御者のおじさんだった。あと1時間か。じれったいな。自動車くらいの速度が出ればいいのに。でも馬車にそれを求めるのは酷か。うん? そういえば……。

 

「あの、ウォーレンさん、聞いていいですか?」

「ん? なんだ?」

「さっきボウヤがどうとか言ってましたけど、誰のことですか?」

「あぁ、そいつは――――おわっ!?」

 

 ウォーレンさんが語ろうとした瞬間、悲鳴にも似た馬の鳴き声と共に馬車は急停車した。そのせいで客車は大きく揺れ、僕たちは床に叩きつけられてしまった。

 

「っててぇ……」

 

 一体何なんだ? 後頭部を打っちゃったじゃないか。

 

「サーヤ! 大丈夫!? 怪我は無い!?」

「う~……だいじょうぶぅ~……」

 

 良かった。女の子は無事のようだ。でも行商のおじさんは袋が開いて商品を床にぶちまけてしまったようだ。おじさんは慌てた様子で商品かき集めている。

 

「くそっ! どうしたカール! 何があった!」

 

 ウォーレンさんは御者のおじさんに大声で尋ねる。カールとは御者のおじさんの名前のようだ。

 

「だ、旦那ァァ! た、大変でサぁ! 魔獣が……魔獣が襲ってきヤしたァァ!!」

「なっ、なんだと!? 魔障壁はどうなってるんだ!」

 

 そうだ、馬車は小型の魔障壁装置で守られているとルミナさんが言っていた。それがあれば魔獣は近寄れないんじゃないのか?

 

「あぁっ……! 火が……火が消えかかってる!」

 

 今度は行商の男が車内に掛かっているランタンのような装置を指差して騒ぎ始めた。あれが魔障壁装置だったのか。ただの照明だと思ってた。火が消えるということは、つまり装置が停止するということなんだろうか。僕は装置の詳しい使い方は知らない。けれど車内全員の青ざめた表情を見れば、これがどれほど重大な事件なのかは想像できる。

 

「チィッ! もう少しで町だと言うのに!」

 

 ウォーレンさんはそう言うや否や、剣を手に馬車を飛び出す。

 

《グルルル……》

《ウゥゥ~……》

 

 外からは動物が唸るような――呻くような声が聞こえてくる。あれが魔獣の声なのか……?

 

『おめぇら! 絶対に馬車から出るんじゃねぇぞ!』

 

 外からウォーレンさんの叫ぶ声が聞こえてくる。その指示に従い、御者と行商のおじさん、それと女の子と母親も客車の一番奥に下がる。皆、恐怖に満ちた表情をしている。

 

 ――ひとりを除いて。

 

「若いの。ここを死守するぞぃ」

 

 白髪のお爺さんは勇ましくそう言うと、乗客らの前で杖を片手に身構えた。いや、さすがにお爺さんには無理なんじゃないのかな……。

 

「って! 僕も!?」

「当然じゃ」

「いやいやいや! 僕なんかには無理ですよ!」

「なーにを言うておる。ワシらが守らんで誰が守るというのじゃ。お前さんも男なら根性見せい!」

「そ、そんなこと言ったって無理なものは無理ですよ! だったら行商のおじさんだって男でしょう!?」

「わわわ私は商品を守らないといけませんので……それに戦いは専門じゃないんです……」

「僕だって戦いなんてできませんよ! ただの高校生なんですから!」

 

 お爺さんたちと言い合っているうちに、金属を擦るような音や魔獣の叫び声が聞こえてくる。外でウォーレンさんが戦っているのだ。

 

『くっそぉぉ! 数が多すぎるぜ!』

 

 彼の声は本気で苦戦しているように聞こえた。僕は緊張で冷や汗を垂れ流す。

 

 確かにお爺さんの言うようにこの状況では他に守る人はいない。でも僕には武器が無い。もし魔獣が車内にまで襲ってきたら素手で戦うしかない。けれど魔獣相手に素手なんかで戦えるのか? 無理だ! 剣を持ったウォーレンさんが苦戦しているのに僕なんかが素手で戦えるわけがない! ハッ! そうだ!

 

「おじさん! 行商なんでしょ? 売り物の武器とか無いんですか!?」

「わ、私は日用品を専門に売っているものでして、武器は扱っていないんです」

 

 くそっ! ダメか!

 

《ギキィーッ!》

 

 !!

 

「きゃぁぁーーっ!」

「ママぁーーっ!」

 

 ついに魔獣が車内に飛び込んできてしまった。女の子と母親が悲鳴をあげる。僕はその巨体を見て身体が凍りついたように固まってしまった。

 

 そいつは猿のような姿をしていた。しかし身体はまるでゴリラのように大きく、身の丈は僕の2倍ほどあるように見えた。大きな猿は馬車の後部出口を完全に塞ぎ、僕ら乗客の前に立ちはだかる。そして奴は一番前に出ていた僕にギロリと目を向けると、ブンッと長い腕を振り下ろしてきた。

 

「う、うわぁぁぁーーーっ!!」

 

 成す術もなく僕は悲鳴をあげて目を強く瞑る。

 

 ――やられる!

 

 そう思った瞬間、

 

「ぬんっ!」

 

 脇からそんな声と共に妙な打撲音が聞こえ、続いてドウッと床に何かが落ちる音がした。

 

 ……

 

 何だ……? 僕は恐る恐る顔を上げてみる。すると先程入ってきた魔獣が目の前で大の字になって転がっていた。

 

「ふしゅぅー……」

 

 すぐ横では杖を前に突き出したお爺さんが大きく息を吐いていた。これ……このお爺さんがやったのか? いやでも手に持ってるのって杖だよね。あんなもので魔獣が倒せるのか? そんなバカな……。

 

 呆然とその様子を眺める僕。そうしているうちに床に転がっていた魔獣はスッと煙のように消えていく。

 

「若いの、怪我は無いか?」

 

 異様に鋭い目付きをしながらお爺さんが言う。

 

「……へ?」

「フフ……。この爺めもまだまだ現役のようじゃな」

 

 今度は一転してにっこりと優しい笑みを見せるお爺さん。間違いない! 今のはこのお爺さんがやったんだ! このお爺さん凄いぞ! 本当に剣士をやっていたんだ! これならきっと僕らを守ってくれる! そう思った次の瞬間、

 

《ギキャァーッ!》

 

 突然別の魔獣が飛び込んできてお爺さんの右腕を引っ掻いた。服の袖が引き裂かれ、車内にバッと赤い血が飛び散る。

 

「ぬぅっ……!」

「お爺さん!」

 

 がくりと膝を突くお爺さん。魔獣はそんなお爺さんに警戒しながらにじり寄る。まずい……! このままでは殺されてしまう!

 

「ママーっ! ママぁーっ!」

「サーヤ! サーヤ!!」

 

 女の子は泣きわめき、お母さんは魔獣に背を向けて女の子を必死に抱き締める。行商のおじさんは商品袋を盾にするように隠れ、たた震えるのみ。

 

 お爺さんは腕を負傷して戦えない。守りたい……! けれど僕には戦う術が無い……! どうする……どうすればいい……! じりじりと歩み寄る魔獣を前に僕は立ち尽くす。

 

 その時、僕の脳裏には手を振りながら微笑む美波の姿が浮かんできた。

 

 

 ―― アキ~っ ――

 

 

 こ……こんなところで死んでたまるか! 絶対に元の世界に帰るんだ!!

 

「うおぉぉぉーーっ!!」

 

 ありったけの勇気を振り絞り、僕は魔獣に飛び掛かる。

 

《ギキッ!?》

 

 僕と魔獣はもつれ合いながら馬車から転がり出る。とにかく魔獣を馬車から引き離すんだ!

 

 すぐさま立ち上がり、身構える。だがその瞬間、ゾッとした。馬車の周囲は4、50匹もの巨大な猿の魔獣軍団に囲まれていたのだ。

 

「戻れヨシイ! お前には無理だ!!」

「ウォーレンさん!」

「くそっ! このヤロォ!!」

 

 さしものウォーレンさんも数で圧倒され、防戦一方のようだった。このままでは彼も危ない。

 

 ……自分だけなら魔獣を振り切って逃げられるかもしれない。だがそんなことをすればお爺さんや女の子たちはどうなる? 一緒に逃げられればいいが、お爺さんは傷を負っていて走れそうにない。御者のおじさんはともかく、行商のおじさんはだいぶ太っていて足が早いようには見えない。それにサーヤちゃんやお母さんもそんなに早く走れるとは思えない。……ダメだ。(ほう)っておけない!

 

 でもあんなに狂暴な魔獣を相手にどうすれば……。自分に戦う力があれば――せめて召喚獣が使えれば戦えるのに。一瞬そう思ったが、立ち会いの教師がいない以上、呼び出せるはずもない。

 

 魔獣の群れを前に僕は戦う術を模索する。お爺さんの杖を借りて戦うか? いやダメだ。僕は戦う訓練を積んでいない。あのお爺さんだからこそ杖で魔獣を倒せたんだ。僕なんかが使って倒せるわけがない。剣はウォーレンさんが持っている1本だけ。他に武器を持っている様子はない。周囲に武器になりそうな物は……ダメだ、無い!

 

《ギィーッ!》

 

 そうして悩んでいるうちに魔獣が飛び掛かってくる。

 

「逃げろーッ!! ヨシイーーッ!!」

「くっそぉぉーっ!! サモォォーーン!!」

 

 無駄なことと知りつつ、僕はやけくそになって召喚獣を呼ぶ。

 

 ……

 

 だがやはり何も起らない。当然だ。

 

「くっ……ダメかっ……!」

 

 魔獣の大きな爪が目の前に迫り来る。ここまでか……。僕は死を覚悟した。

 

 短かった人生。やり残したことは沢山ある。こういう時は色々な思い出が走馬灯のように蘇るものだと思っていた。けれどこの時、僕の脳裏に蘇ってくるのは美波との思い出ばかりだった。

 

 一緒に遊んだ一年生。二年生になってからの試召戦争。清涼祭や強化合宿、海水浴、体育祭。そして想いが繋がってからの毎日。いつも美波は僕の傍にいてくれた。けれど今、彼女はここにはいない。

 

 ごめん美波……。僕、帰れそうにないや。

 

 ごめん……本当にごめん…………。

 

 僕はすべてを諦め、そっと目を閉じた。

 

 

 

 だがその時、

 

 

 ――ドンッ!!

 

 

 耳を(つんざ)くほどの爆音が響き渡った。

 



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第九話 目覚めた力

 おかしい。今のタイミングならもう魔獣の爪に身体が引き裂かれているはずなのに、痛くもなんともない。なぜ何も起らないんだろう? それに今の大きな爆発音は何だろう? 不思議に思った僕はゆっくりと目を開けてみた。

 

「……へ?」

 

 魔獣は目の前1メートルほどの所まで迫っていたはず。そいつがいないのだ。どこへ消えたのだろう? 疑問に思いながら周囲を見渡す。すると何匹もの魔獣が唸り声をあげながら遠巻きにこちらを観察している姿が目に入った。なんだろう。こちらを警戒しているのだろうか。

 

 とりあえず僕はまだ生きてるみたいだ。初詣のお祈りが効いたのかな。でも危機的な状況は変わっていない。とにかくこの場をなんとかしなくちゃ! 僕は両手両足にぐっと力を入れ――

 

 ……?

 

 拳を握った瞬間、左手に違和感を覚えた。手に何か棒のようなものを握っている? いや、棒というよりこれは……木刀? なぜ木刀を? それになぜか視界全体が薄い水色になっている。これは一体どういうことなんだ? わけが分からず、もう一度周囲を見回す。

 

「よ、ヨシイ! お前……! くぉぉっ……!」

 

 少し離れた所でウォーレンさんが諸刃の剣を振り回し、魔獣と戦っている。苦戦しているようだ。次に馬車に目を向ける。あれから馬車に魔獣が入り込んだ様子はない。まだ無事のようだ。そして最後に周囲に目を向けると、魔獣たちが扇状に距離を置き、「グルル……」と喉を鳴らして唸っていた。

 

 なんだかよく分からないけど……まぁいい。とにかく武器を手に入れた。こんなものでも無いよりはマシだ。どこまでやれるか分からないけど、やれるだけやってやる!

 

 気を取り直し、木刀の柄を両手でぐっと握り真っ向に構える。その時、僕はようやく自分に起こったことを理解した。

 

 ――袖が違う。

 

 文月学園の制服は袖口に金色のラインが入っていて、2つのボタンが付いている。けれど今の袖は真っ黒でボタンも付いていない。このことに気付いた僕は改めて自分の身体を見下ろしてみた。

 

 黒いダボダボのズボン。

 赤いインナーシャツ。

 前を全開にした黒い改造学ラン。

 そして手には長さ1メートルほどの木製の刀。

 

 ……この格好、見たことがある。いや、見たことがあるというより見慣れた格好だ。それも試召戦争の度に見ていた。間違い無い。これは僕の召喚獣のスタイルだ。それに視界が水色なのはバイザーのようなものが頭に装着されているからだ。更によく見るとそのバイザーの右端には薄い黄色のバーが表示され、徐々に短くなっていくのが見える。

 

 この格好は何なのだ? 僕は召喚獣を()び出したつもりだった。それがなぜ自分が召喚獣になっているのだ? 何がどうしてこうなったのか、まったく理解できない。不可解な事態に頭が追いつかず、僕はただ呆然と自分の身体に視線を降ろしていた。

 

《キィィーッ!》

 

 そうしていると1匹の魔獣が再び襲い掛かってきた。

 

「う、うわぁぁっ!?」

 

 突進してくる魔獣を咄嗟(とっさ)に木刀で薙ぎ払う。すると魔獣の身体はいとも簡単に吹き飛び、断末魔の叫びを上げる間も無く空中で煙のように消えてしまった。

 

「え……」

 

 な、何だ……? すっごく軽い? ちょっと木刀を振っただけなのに、あんなにでっかいサルが簡単に……?

 

 唖然とする僕に対し続けざまに3匹の魔獣が正面から飛び掛かってくる。だがその動きはとても遅く、スローモーションとまで言わないが、3匹の姿を目で追って2往復するくらいの余裕があった。僕はスッと横に回り込み、木刀を両手で構えて振り上げ、

 

「このっ!」

 

 そのうちの1匹の首根っこに力一杯振り下ろす。すると魔獣は「グェッ」と潰れたような声をあげ、また煙のように消えていく。

 

 この力……そうか……そういうことか!

 

 僕はようやく力を理解した。そう、これは僕の召喚獣の力。人間の何倍もの力を持つ召喚獣の力が自分に宿っているのだ。なぜこのような事が起きたのかは分からない。でも理由なんて今はどうでもいい。とにかく僕は戦う力を得た。これで皆を守れる!

 

《ウギィーッ!》

《クァァーッ!》

 

 気分が高揚してきた僕に対し、魔獣たちが四方八方から襲い掛かってくる。だがその攻撃は遅く、ゆったりと見ることができる。避けることなど造作もない。僕は奴らの攻撃をひょいひょいと軽々かわし、手当たり次第に木刀を叩き込んでいく。

 

 ……木刀が軽い。まるで夏祭りで売っているポリ製の玩具の刀を振り回している気分だ。それに心なしか身体も軽く感じる。これはもしかして神様が貸してくれた力なんだろうか。だとしたらこれからは信じてもいいかもしれないな。神様ってやつをさ。

 

《グ、グルルゥゥ……》

 

 魔獣たちは次々に起き上がり、ギロリとこちらを睨みつける。どうやら今の攻撃では当たりが弱かったようだ。でも今の僕ならこいつらにだって勝てる! 勢いに乗った僕は一気に攻勢に出た。

 

「うぉらぁぁーーーーっ!!」

 

 声を張り上げ気合を入れ、僕は木刀を振り回しながら魔獣の群れに突っ込む。

 

《グァッ!?》

《ガッ!》

 

 すれ違いざまに攻撃を当てると魔獣は小さく呻き、蒸発するように消えていく。よし、行ける!

 

「やるじゃねぇかヨシイ! 俺も負けてられねぇな!」

 

 防戦一方であったウォーレンさんも盛り返し、1匹、また1匹と魔獣を倒していく。それでも魔獣の群れは執拗に僕らに襲い掛かってくる。しかし魔獣とはいえ、こいつらを倒すのは動物の命を奪っているようで良い気分ではない。

 

「もうやめろ! 勝ち目が無いのが分からないのか!」

 

 僕は魔獣たちに諦めさせようとなんとか説得を試みる。だが奴らは僕の言葉に耳を傾けようとせず、ただひたすらに襲い掛かってくる。やはり言葉が通じないのか……。

 

「無駄だヨシイ! こいつらに言葉は通じねぇ! やるしかねぇんだよ!」

「くっ……!」

 

 仕方ない……!

 

 問答無用で飛び掛かってくる魔獣たち。僕は奴らの攻撃を避けながらカウンターを浴びせていく。そうして7、8匹を倒した頃――――

 

『うわぁーーっ!!』

『きゃぁぁーーっ!!』

 

 悲鳴に驚いて振り向くと、馬車の後部出口に1匹の大猿が乗っているのが見えた。しまった! 馬車が!

 

「やめろおぉぉーっ!!」

 

 急いで馬車に戻ろうとする僕の前に4匹の魔獣が立ちはだかる。

 

「邪魔だ! 退()け!!」

 

 片手で木刀を振り回し、その4匹を一気に倒して馬車に向かって走る。だが馬車に取り付いた魔獣はもう奥に入り込もうとしていた。うぅっ……だ、ダメだ……! 間に合わない……!

 

《ギァッ……!》

 

 そう思った瞬間、その魔獣は馬車から転がり落ち、黒い煙となって消滅した。その跡には地面に刺さった大きな剣が残っていた。あの剣は確か……。

 

「やらせるかよ!!」

 

 ウォーレンさんが横からスッと現れ、素早く剣を回収して別の魔獣に向かって行く。そうだ、あれはウォーレンさんの剣だ。

 

「ヨシイ! こっちは任せろ!」

「は、はいっ!」

 

 今のは彼が剣を投げて倒したのか。お爺さんも凄かったけど、この人も凄いな……。さすが戦闘訓練を積んだ人は違う。

 

「よぉし! 行くぞっ!!」

 

 気合を入れ直し、僕は残っている魔獣に向かって突進する。魔獣の残りは既に20匹以下。数は多いが、奴らの行動は統率が取れておらず攻撃も単調だ。今の僕にとってそんな奴らを倒すことなど容易(たやす)いことであった。

 

 跳ねるように大地を蹴り、僕は次々に木刀を打ち込んでいく。その度に魔獣たちは叫び声をあげ、黒い煙となってスゥッと大気中に消えていった。そうして戦っていると、10分もしないうちに奴らは残り5匹まで減り、残っている魔獣たちは身体を震わせ怯えだした。

 

 ここまで来たらもう僕らの勝ちだ。僕は木刀を構えキッと奴らを睨み付ける。すると魔獣どもは背を向け、ついにこの場から逃げ去っていった。

 

「……」

 

 急に静かになった森。この静けさが不気味だ。……終わったんだろうか。いや、まだ隠れている魔獣がいるかもしれない。油断大敵。ここでミスをすればここまでの苦労が水の泡だ。僕は神経を研ぎ澄ませた。僅かな音も聞き逃さないように。

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 周囲に動く物は無い。どうやらもう魔獣はいないようだ。本当に去ってくれたらしい。

 

「ふぅ……」

 

 僕は構えを解き、大きく息を吐く。一時はもうダメかと思ったけど……なんとかなって良かった。

 

『お兄ちゃ~ん! かっこい~!』

 

 気付くとサーヤちゃんが馬車から身を乗り出し、熱烈なラブコールを送っていた。お母さんはそんなサーヤちゃんが落ちないように後ろから抱き抱えている。その表情に恐怖は無く、口元には笑みが零れていた。女の子もお母さんも無事のようだ。あの様子なら御者さんも行商のおじさんも無事だろう。

 

 それにしてもこんな風に応援されることなんて滅多にないから、ちょっと照れ臭い。僕は愛想笑いを作りながらサーヤちゃんに手を振り返した。

 

「強いな。ヨシイ」

 

 ウォーレンさんがそう言って剣を(さや)に納めながらこちらに歩いてくる。

 

「そ、そんなことないですよ? 勝てたのが自分でも信じられないくらいだし……」

 

 正直言って自分でもまだ信じられない。まるで夢を見ているみたいだ。まさか自分にこんな力があったなんて……。もしかして召喚獣って本来こういうものなんだろうか。

 

 自分に起きた事象が未だ信じられず、自らの手を目前に掲げてまじまじと見つめる。何の変哲も無い、いつもと変わらない僕の手。けれどこの手にはあのゴリラのような猿の魔獣を軽々と吹き飛ばすくらいの力が備わっている。見た目は全然変わらないのにな……。

 

 なんて思いながらぼんやりと眺めていると、短くなっていたバイザー上の黄色いバーがついに消えた。すると学ランや木刀がスウッっと消えていき、僕は元の制服姿に戻ってしまった。

 

「ほう? 戦闘時だけ装着するのか。便利だな」

「へ? あ……そ、そうですね」

 

 ウォーレンさんは僕の力を羨ましがっている。でも自分でもよく分かっていないので、あまり嬉しくなかったりする。ホント、何なんだろうコレ……。

 

「これからも頼りにしてるぜ。ヨシイ」

「は、はぁ」

 

 って、これからも魔獣と戦えって言うのか? もうこんな怖い思いはまっぴら御免なんだけど……。

 

「よし、カール! 馬車は動けるか!」

『ちょいと待ってくだせぇ! 今確認中でサぁ!』

「分かった! 頼むぞ! んじゃ俺らは報酬を拾っておくか」

 

 そう言うとウォーレンさんは草むらに転がる石のようなものを拾いだした。何をしてるんだろう?

 

「何してんだヨシイ。お前も拾え。これだけあればだいぶ金になるぞ?」

「ほぇ? 金?」

 

 あ、そうか。これが魔石か。そういえばルミナさんが「魔石加工商が加工する」って言ってたっけ。金になると言うのはこれを魔石加工商に売るってことなんだろうか。とりあえずウォーレンさんの真似をして拾っておくか。

 

 僕は周囲に散らばる結晶体を拾い、ポケットに詰め込んでいく。この結晶体は石のように硬く、白く濁ったような色をしている。サイズはまちまちだが、およそ3センチから5センチ。見た目は以前、美波と一緒に行った博物館で見た宝石の原石のような感じだ。

 

 ふ~ん……これが魔石かぁ。なんだか濁っててあんまり綺麗じゃないな。もっと透き通ってて宝石みたいに光る物かと思ってた。それにしても意外に数があるな。ポケットはもう満杯だけど、辺りにはまだ沢山の魔石が転がっているようだ。こうなったらリュックに入れるしかないか。

 

「よし、こんなもんだろ。馬車に戻るぞ。ヨシイ」

「はいっ!」

 

 ひとしきり魔石を拾った後、僕らは馬車の様子を見に行った。御者のおじさん曰く、魔障壁装置は応急処置でなんとか町までは動かせそうだという。馬も車両も問題ないらしい。良かった。これで先に進めそうだ。

 

「ウォーレンの旦那、それにヨシイの旦那も乗ってくだせぇ。出しヤすぜ」

「だ、旦那って……僕、17歳ですよ?」

「ハハハッ! まぁいいじゃねぇか。行こうぜヨシイ!」

 

 ウォーレンさんが僕の首に腕を絡め、顔を寄せてくる。ひ、髭がジョリジョリする……。あと鎧が肩や背中にゴツゴツ当たって痛い……。とりあえず馬車に乗ろう。早くミロードに行きたいし、お爺さんの手当ても必要だ。

 

『そいじゃぁ出発でサぁ!』

 

 ピシッと鞭の音がして、蹄の音と共に馬車が動き出した。

 

 口元に笑みを浮かべてヤケに嬉しそうなウォーレンさん。大きな目を輝かせて「どこで修行したの?」「パパより強いの?」と質問攻めのサーヤちゃん。白い包帯をお爺さんの腕に巻いているお母さん。やれやれといった表情で商品袋を膝の上に抱える行商のおじさん。そしてサーヤちゃんの質問に戸惑う僕。

 

 乗客6名。とんでもない目にあったけど、お爺さんが怪我をしたことを除けば全員無事だ。

 

 こうして馬車は峠町サントリアへの道を再び走り出した。

 



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第十話 バカに小判

 馬車の中で僕は先程の力について考えていた。あの時、僕は無我夢中で叫んだ。叫んだ言葉は「サモン」だ。そしてその後、自分の服が変化した。

 

 サモンとは召喚獣を()び出すためのキーワードだ。このキーワードを口にすることで目の前の床に幾何学模様が浮かび上がり、その中から身長80センチほどの召喚獣が現れる。ただし教師の展開した召喚フィールドの中でなければ喚び出せない。これは文月学園の特徴でもある”試験召喚システム”により引き起こされる現象だ。

 

 けれどさっき僕が喚んだ時には教師なんていなかった。それにいつもの幾何学模様は現れなかったと思う。いや、目を瞑っていたから分からなかったのか?

 

 だとしても、あれは召喚獣を喚び出したというより召喚獣の装備を着たような感じだった。ウォーレンさんが言ったように装着した感じだ。さしずめ”試獣装着”といったところだろうか。

 

 それからあのバイザーに表示されていた黄色いゲージ。装備はあれの消滅と共に消えてしまった。つまりあのゲージはタイマーのようなものなのだろう。それにしても召喚フィールドも無いのにどうしてこんな力が使えるんだろう……?

 

「どうした? ヨシイ。まだ信じられねぇのか?」

「あ。はい……」

「気にすんなって。お前には戦う力がある。それでいいじゃねぇか」

「う~ん……」

 

 ウォーレンさんはああ言うけどやっぱり気になってしまう。力を得たのはいいけど、原理がまったく分からないのだから。

 

 ……待てよ?

 

 そういえば試験召喚システムも原理をまったく知らないんだった。ババァ長が”オカルトと科学が融合した”とかなんとか言ってたような気がするけど、結局どんな理屈で動いているのかさっぱり分からない。

 

 ならいいか。いくら考えたところで僕には理解できそうにないし。何にしても戦う力を手に入れたんだ。これで魔獣に襲われても戦うことができる。でも魔獣と戦うことは本来の目的ではない。今の目的はミロードで目撃されたという仲間を捜すことだ。とにかく今はこれに専念しよう。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 1時間ほどして、馬車は峠町サントリアに到着した。まずは腕を負傷しているお爺さんをお医者さんに見てもらわないといけない。早速お爺さんを連れて馬車を降りようとすると、

 

「あの、ヨシイ様」

 

 サーヤちゃんのお母さんが僕を呼び止めた。吉井様って……そんなに敬う必要なんて無いのに……。

 

「な、なんでしょう?」

「お爺様は私がお医者様にお連れしますわ」

「えっ? でも旦那さんの所に行くんじゃないんですか?」

「はい。でも何もかもお任せするわけにも行きません。せめてこれくらいはお手伝いさせてください」

 

 正直言ってこの申し出は助かる。だって僕はこの世界のお医者様のことはルミナさんから聞いていなかったから。

 

「すみません。じゃあお願いします」

「それじゃサーヤが案内するっ!」

「そうかい? それじゃ頼むよ、サーヤちゃん」

「はーいっ!」

 

 片手を真っ直ぐ上げて元気に返事をするサーヤちゃん。この子を見ていると葉月ちゃんを思い出すな。葉月ちゃんか……またあの天真爛漫な笑顔を見たいな。

 

「それでは行ってきます。守っていただいて本当にありがとうございました」

 

 お母さんは僕に向かってペコリと頭を下げる。こんな(ふう)にお礼を言われることに慣れていない僕はどう返事をしたらいいのか困ってしまい、

 

「いやぁ、その……何と言うか……あはは……」

 

 お礼の言葉にこんな愛想笑いで返してしまった。言ってから気付いたけど、こういう時って「どういたしまして」と返すべきだよね。まったく……ハーミルで経験したばかりじゃないか。いいかげん学習しろよな僕。

 

 ……それにしても感謝されるのって照れ臭いもんだな。

 

「お爺ちゃん、サーヤに掴まって」

「ありがとうよ、お嬢ちゃん。でもお嬢ちゃんにはちょっと重いんじゃないかな?」

「へいきだもん! サーヤだってお役に立てるんだもん!」

 

 サーヤちゃんはお爺さんの脇の下に潜り込み、腕を担ぐようにして歩き出した。お爺さんもそれに合わせて足を進める。ただ、サーヤちゃんの身長が120センチ程なのに対し、お爺さんは約170センチ。身長差があり過ぎて、どう見てもお爺さんがサーヤちゃんを連れて歩いているようにしか見えなかった。こうして見るとお爺さんと孫が仲良く散歩をしている姿に見える。なんとも微笑ましい光景だ。

 

「さて。ヨシイ、俺はこれから魔石を売りに行くんだが、お前も行くか?」

「魔石を売りに?」

「あぁ、お前も結構な量を拾っただろ?」

 

 そうだった。これを売ってお金にするんだっけ。レオンドバーグまでの路銀は一応あるけど、お金は多くて困るものでもない。この先何があるか分からないし、少しでも資金は増やしておいた方がいいかもしれないな。

 

「そうですね。僕も行きます」

「よし、決まりだな。じゃあ行こうぜ。俺のダチを紹介すっからよ」

 

 鎧姿の彼は嬉しそうに笑顔を作り、ガッと僕の首に腕を回して歩き出す。やっぱり気に入られたみたいだ。僕を剣士仲間とでも思っているのだろうか。違うんだけどなぁ……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ウォーレンさんに首根っこを掴まれるようにして歩くこと10分。僕はひとつの店に連れ込まれた。その店は両脇に色とりどりの宝石が陳列され――――? いや、宝石ではない。これは魔石だ。どうやらここは魔石を売る店のようだ。

 

 僕は店の中をぐるりと見渡す。ぱっと見は宝石やアクセサリを売る”ジュエリーショップ”のようにも見える。色んな種類があるんだなぁ……。火を起すためのもの。灯を灯すためのもの。水を清めるもの。それからこれは……身体を洗うもの? つまり石けんやシャンプーといったところか。

 

「よぅアルフレッド。景気はどうだ?」

「おう、ウォーレンじゃねぇか。まだ生きてやがったか」

「ハハハッ! おかげさまでピンピンしてらぁ!」

「まったく、いつ見ても元気な野郎だ。お前がへこんでる所を見てみたいもんだぜ」

 

 なんか店の人とずいぶん親しげに話しているな。あれがウォーレンさんの言う”ダチ”って人なのかな。丸くてふくよかな顔をしていて、口髭も生やしている。どう見ても剣士という感じでは無い。まぁ友達が同じ職業とは限らないか。

 

「ところで後ろの彼は誰だ? お前の知り合いか?」

「あぁ、紹介するぜ。俺の新しいダチのヨシイだ。ヨシイ! ちょっとこっち来いよ!」

 

 ウォーレンさんが呼んでいる。僕に自己紹介をしろというのだろう。

 

「は、はじめまして。吉井といいます。よろしくお願いします」

 

 やっぱり初対面の人と話すのは緊張するな……。

 

「ヨシイ、こいつは俺のダチでアルフレッドってんだ。魔石を売るならコイツに売りな。高く買いとらせてやるぜ」

「おいおい、無茶言うなよ。俺だって商売があるんだからよ」

「まぁそう言うなよ。ヨシイは今日初めて魔獣を倒したんだ。ご祝儀くらいくれてやってもいいんじゃねぇか?」

「この子が魔獣を? フ~ン……そんな(ふう)には見えねぇけどなぁ」

 

 丸顔のおじさんは僕の身体をジロジロと見つめる。信じられないのも無理はない。僕はウォーレンさんのように大きな身体をしているわけでもないし、筋肉もあまり無い。見た目は”ひ弱”な、ただの高校生なのだから。

 

「ヨシイ、お前の魔石を見せてやんな。そうすりゃ嫌でも信じるだろうぜ」

「はい」

 

 僕はリュックを降ろし、中から魔石を取り出す。

 

「えっと、こんな感じですけど……」

 

 僕は両手で掬った魔石をジャラリとカウンターに置く。すると丸顔のおじさんは目をまん丸にして驚いていた。

 

「こ、こいつは凄い……本当にこれを君が?」

「? はい。そうですけど」

 

 これって凄いの? ぜんぜん分からないんだけど……。

 

「ははぁ分かったぞ。ウォーレン、これはお前の仕業だな? この子の手柄にして初心者祝いに高く買い取らせようってんだろ。俺を(たばか)ろうったってそうはいかねぇぜ」

「あァ? 俺がそんなことで騙したりするかよ。なんなら証人を連れてきてやってもいいんだぜ? カールの奴も一緒に見てたんだからよ」

「カールも一緒だったのか。分かった。信じてやるよ。あいつは嘘がつけねぇヤツだからな」

「ったく、ホントお前って疑り深い奴だな」

「しょうがねぇだろ。こういう商売やってると偽物持ち込んでくる奴も多いんだよ」

「まぁそうだろうな。それでいくらで買い取るんだ? もちろん色を付けてくれるんだろ?」

「そういうわけにはいかねぇよ。これも商売だからな」

「チッ、相変わらず硬いなお前は」

「まぁ代わりといっちゃナンだが、特別におまけを付けてやるよ」

「そう来なくっちゃな! さすが俺が見込んだ男だぜ!」

「あんまり期待してもらっちゃ困るぜ? そんな大げさな物じゃねぇんだ」

 

 あ、あの~……。なんか僕をそっちのけで交渉を始めちゃってるんですケド……。こういうのって本来なら本人が交渉すべきことなんじゃないの?

 

「ヨシイ、魔石を全部出してやんな」

「あ、はい」

 

 僕は言われるがままリュックに詰め込んであった魔石を全て取り出し、カウンターに並べてみせた。

 

「ほうほうほう。これはこれは……」

 

 アルフレッドおじさんはそれを見て嬉しそうに頬を緩めていた。きっと魔石研究に携わる者としてはこれは宝の山なのだろう。僕にとっては”猫に小判”なんだけどね。

 

「全部買い取っていいのかい?」

「はい。持っていても役に立ちませんから」

「ふむ……。それじゃ――ほいっ、これで買い取ろう」

 

 僕は丸顔のおじさんが差し出すお札の束を受け取る。見た感じ10枚くらいあるだろうか。その紙幣の表面書かれている数字は、1、10、100……10000!? 10万ジンってこと!?

 

「こ、こんなに貰っていいんですか!?」

 

 この世界での物価は僕らの世界とそんなに違いは無い。例えば豚ロース肉100グラムなら大体200ジン。100グラムもあれば僕なら1日を過ごせる。つまりこの金額は僕にとって500日を過ごせるくらいになるのだ。

 

「これがウチの相場だよ? それからこいつがおまけさ」

「へ? あ、どうも……」

 

 おまけだと言って渡されたのは、バウムクーヘン状に巻かれた、ひと巻きの白い物体。なんだコレ? 包帯?

 

「あの……これって何ですか?」

 

 もちろんこれが包帯であることくらい知っている。いくらバカだと言われ続けた僕にだってこれくらいは分かる。問題はなぜ魔石加工商が包帯なんかをおまけとして出してくるのか、だ。

 

「なんだヨシイ、お前、治療帯も知らねぇのか?」

「は? 治療帯? 何ですかそれ?」

「やれやれ……剣士なら治療帯くらい知っておけよな」

「そんなこと言ったって……」

 

 この世界に来てからまだ4日目だし、ルミナさんからもそんなことは教わらなかった。あ、それから僕は剣士じゃないです。

 

「いいかヨシイ、治療帯ってのはな、あらゆる外傷に効く特効薬だ」

「特効薬?」

「そうだ。魔獣との戦いで負傷したらこいつを巻いて安静にしていろ。一晩もすれば多少の傷なら跡も残さず綺麗に治してくれる」

「ほへぇ~……」

 

 ウォーレンさんの説明に僕は思わず間抜けな声を上げてしまう。だって突拍子もない話で、にわかには信じがたいものだったから。

 

「君の持ってきた魔石はこの治癒系の力と退魔の力を含んだものが多いんだ。これらは貴重だから高値が付くんだよ」

「退魔?」

「そうだよ。知らないのかい? 魔障壁に使うアレさ」

 

 アルフレッドさんが付け加えるように説明してくれる。なるほど。それで10万ものお金をくれたのか。けどこんな大金、本当に貰っていいのかな。

 

「良かったなヨシイ! それだけあれば当面生活には困らねぇだろ?」

「は、はい」

 

 まぁいいか。どうせどんなに大金を得たところで元の世界に帰ればこのお金は役に立たないんだし、今は遠慮なく貰っておこう。

 

「アルフレッドさん、ありがとうございます」

「おうっ、また魔石を手に入れたら持ってきてくれよな」

「はい」

「じゃあ俺も仕事に戻るとするか。また来るぜ、アルフレッド」

「おう、お前もヨシイくらい上質な魔石を持ってこいよな」

「チッ……ヨシイを連れてきたのは俺だってのに、俺の立場がねぇじゃねぇか……」

「ハッハッハッ! ボヤくなよ。じゃあまたな」

「おうっ!」

 

 僕はウォーレンさんと共に店を出る。それにしてもこんな大金が手に入るとは思わなかったな。もしかしてこれだけあれば高級ホテルにも泊まれるだろうか。

 

「ヨシイ、お前これからどうするんだ?」

 

 ウォーレンさんが尋ねる。そんなこと決まっている。

 

「ミロードに行きます」

「そうか……じゃあここでお別れだな。俺はハーミルまでの護衛の任があるからな」

「そうですか……」

 

 せっかく知り合ったのに残念だな……。

 

「そんな顔すんな。俺はハーミルとサントリアの間の護衛を主にやっている。また立ち寄ることがあれば会えるだろうぜ」

「そうですね。それじゃ色々とお世話になりました」

「おうっ、またな!」

 

 こうして僕はウォーレンさんと別れた。

 

 また会える……か。たぶんそれは無いかな。だって僕は元の世界に帰るんだから。ちょっと寂しい気もするけどね……。

 

 さぁ、目指すはミロード。仲間の情報を求めて出発だ!

 



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第十一話 罪人、吉井明久

 僕はサントリアの町を歩き、西側の駅馬車乗り場へ向かう。歩いていて気付いたけど、この町の建物はハーミルやラドンに比べて低い物が多いようだ。それに住宅と呼べるような家がほとんど無い。宿や飲食店、それに旅用品を売る店ばかりなのだ。標高が高いから暮らしにくいのだろうか。この町自体が中継地点であることも理由のひとつなのかもしれない。

 

 ミロードの町へはまた馬車での移動となる。ルミナさんに教わった情報では、ここから便が2つに分かれるはずだ。ひとつはドルムバーグへと向かう路線。もうひとつはミロードへと向かう路線だ。僕が向かうべきは後者のミロード。そこに文月学園の制服を着た誰かがいるはずだ。

 

 町中を歩き、僕はミロード行きの駅馬車乗り場へと向かう。道の各所には案内板が立てられていて、乗り場への道が示されている。東西の中継となる町だから僕のような乗り換え客も多いのだろう。おかげで特に迷うこともなく順調に道を進んでいた。ところが町の中央と思われる大通りに差し掛かったところで思わぬものに遭遇した。

 

「な、なんだよこれ……」

 

 僕は愕然とした。道のど真ん中に高い柵が立てられ、封鎖されていたのだ。柵の高さはおよそ15、6メートル。ルミナさんから東西が喧嘩中であることは聞いていたけど、まさかここまでとは……。でも良く見ると柵の下の方には扉が付いているようだ。その前には銀色の全身鎧を纏い、槍を手にした4人の兵士の姿がある。どうやら完全に行き来ができないわけではなさそうだ。

 

 ……事情を説明すれば通してくれるかもしれない。そう思った僕は早速彼らの元へと向かった。

 

「あの、すみません。ここを通りたいんですけど」

「見てのとおりここは閉鎖中だ。何人(なんぴと)たりとも通すわけにはいかん」

 

 兵士のうちの1人に話しかけると、こんな風に冷たくあしらわれてしまった。だからと言って「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない!

 

「この先の町にとっても大事な用があるんです! お願いします! 通してください!」

「どんな理由があろうとも通せん!」

「くっ……そう言われても僕は行かなくちゃいけないんだ! お願いしますよ!」

「ダメだと言ったらダメだ!」

「向こうで僕の仲間が待ってるんだよ!」

「知ったことか!」

「薄情者!」

「情に訴えたところで返答は変わらん!」

「そもそもなんで閉鎖なんかしてるのさ! 他の人だって迷惑してるじゃないか!」

「我らとて迷惑を掛けようとしてやっているわけではない!」

「ならここを開けてよ! 迷惑だって分かってるんでしょ!?」

「仕事でやっているのだからそうはいかんのだ!」

「じゃあいつになったら開けてくれるのさ!」

「知らぬわ!」

「そんな無責任な!」

「――――!」

「――!」

 

 

 ………………

 …………

 ……

 

 

「「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」」

 

 押し問答を繰り広げた末、僕たちはお互いに肩で息をするほど疲弊してしまった。くそっ、強情だな……。

 

「そ、そんなに通りたいのなら……ぜぇ、ぜぇ……で、殿下の許可を……はぁ、はぁ……も、貰ってこい……」

「で、殿下? ぜぇ、ぜぇ……」

「そうだ。我々は殿下の命令でここを守っている。殿下の許可証を持ってくれば通してやろう」

「殿下って誰?」

「……貴様、この国の者ではないな? 殿下といえばライナス殿下に決まっておろう」

「ライナス?」

 

 はて。どこかで聞いたような……。ライナス……ライナス……? あ!

 

「そうか! ライナス王子か!」

「そのとおりだ。もっとも貴様のような異国の者に殿下が許可を下ろすとは思えんがな」

「そんなの聞いてみなくちゃ分かんないさ」

「は? 貴様今なんと言った?」

「? 聞いてみないと分からないって言ったんだけど?」

 

 僕が答えると4人の兵士は「はぁ?」と口を揃えて言い、ゲラゲラと笑い出した。

 

「おいおい、このボウズ本気で言ってるみたいだぜ?」

「とんだ世間知らずもいたものだな」

「簡単に殿下に会えると思ってるなんて、ある意味幸せだよなぁ!」

 

 4人の男たちがバカにしたように大口を開けて笑う。なんて失礼な人たちだ。いくら僕が世間知らずだからってそんなに笑うことないじゃないか。

 

「じゃあ確認ですけど、本当に許可証を貰ってくれば通してくれるんですね?」

「あぁ、”貰えれば”の話だがな」

「分かりました。じゃあ貰ってきます!」

「おう! 殿下によろしく伝えておいてくれよな! ハッハッハッ!」

 

 僕は笑い続ける彼らの元を去り、東側の駅馬車乗り場へと走る。そうやって大笑いしているがいいさ。ライナス王子がどんな人か知らないけど、きっと事情を話せば分かってくれる。許可証を貰ってあの人たちを見返してやるんだ! 僕はそう心に誓い、サントリアの町を疾走した。

 

 そして乗り場に着くと、ちょうど馬車が出るところだった。幸いなことに先程魔石を売って得たお金がある。僕は代金を支払い、馬車に飛び乗った。目指すは東の王都ドルムバーグ。許可証を貰うために!

 

 

 

          ☆

 

 

 

 今度は何事もなく、馬車はドルムバーグに到着。ハーミルからサントリア間ではとんでもないトラブルに巻き込まれたが、本来これが普通の馬車旅なのだろう。

 

「うぅ……いってて……」

 

 ただ、3時間ほど乗っていたので尻が痛い。まるで百叩きの刑に処せられたような気分だ。

 

「みんなよく平気な顔して座ってられるな……」

 

 尻を(さす)りながら馬車を降りてみると王都ドルムバーグの町並みが視界に飛び込んできた。レンガや石で作られた家。どの家もだいたい2階建てで、町並みはハーミルやラドンとさほど変わりはない。違う所といえば人が多いという点と、それと……。何だろう。どこか騒々しいというか慌ただしいというか……そんな感じがする。

 

 馬車が何台も行き交い、鎧姿の男たちの走る姿も見受けられる。その誰もが足早に駆け抜けて行き、表情も硬い。何かあったんだろうか?

 

「あの、すみません。何かあったんですか?」

 

 気になった僕は足早に通り過ぎようとする男の人を捕まえて尋ねてみた。

 

(……知らないのなら教えてやる。早くこの町を出たほうがいい)

「は? なんで?」

(シッ! 大声を出すな! 悪いことは言わん。すぐに町を出ろ。いいな!)

 

 男の人は小声でそれだけ言うと、ササッと行ってしまった。

 

「あ! ちょっと!」

 

 何なんだよ、もう……。早く出たほうがいい? どういうことなんだろう。

 

 !

 

 そうか! あの行商のおじさんが言っていた話!

 

 ―――― 戦争が始まるらしいんですよ ――――

 

 あの話は本当だったんだ! 大変だ! 急がないと許可証どころの話じゃなくなっちゃうぞ!?

 

 

 …………

 

 

 えっと……どこに行けばいいんだっけ? えぇと、えーと、王子の許可証っていうのだから王子の所に行けばいいわけで……。じゃあ王子がどこにいるかと言うと……。

 

 僕は顔を上げて町をざっと見渡す。通りに沿って並ぶ石造りの家。それを追いながらやや上に目を向ければ、同じような三角形の屋根が並ぶ。そしてその合間に唐突に現れる巨大な建物。周囲の建物と比べても桁違いに大きい。どう見てもあれは町の主要施設だ。あれだ! きっとあれが王子のいる城だ! そう直感した僕はあの城に向かって走り出した。

 

 

 ――そして走ること約20分。

 

 

 例の城が正面に見える広い道に出ると、入り口に大きな門が設置されているのが見えた。その前には黒っぽい鎧を着た兵士が2人いる。彼らは槍を手にし、門の前に立ったままピクリとも動かない。あの様子からして城の警備担当の人だろう。よし、あの人たちに交渉だ!

 

「すみません。ライナス王子にお会いしたいんですけど」

「殿下は今忙しいのだ。誰にも会わんと仰っている」

 

 ここでも門前払いか。でも今度こそ引き下がるわけにはいかない!

 

「そこをなんとかお願いします!」

「ならんならん!」

「僕の未来が掛かってるんです!」

「こちらも国の未来が掛かっているのだ!」

 

 国の未来? 国の未来を左右するような事態といえば、やはり戦争だろうか。くそっ、こんな時に……!

 

「お前1人の未来と国の未来、どちらが重要か言わずとも分かるであろう?」

「ぐ……でも僕だって大切な仲間の命が掛かってるんだ! 少し会うだけでいいんです! なんとかお願いします!」

「ダメだと言ったらダメだ!」

「こ、この……わからず屋ぁぁーーっ!!」

 

 言葉で言っても無駄だと感じた僕は強引に突破を図る。

 

「こら! 勝手に入るんじゃない!」

 

 しかしすぐに兵士に捕えられ、僕は地面に押さえつけられてしまった。

 

「くそっ! 放せ! 放せってば!」

 

 さすがに大人の力は強い。()ね除けようとしてもビクともしない。まずい……このままでは追い返されてしまう。対抗するには――召喚獣の力を使うしかない! でも、また同じように装着できるんだろうか。さっきは偶々(たまたま)できただけなのかもしれないし……。

 

「大人しくしろ! 怪しいやつめ!」

「おい、どうする? 殿下に報告するか?」

「いや。殿下のお手を煩わせることもあるまい。牢にぶち込んでおけばよかろう」

 

 !

 

「そうは……行くかぁぁーーっっ! 試獣装着(サモン)ッ!!」

 

 ――ドンッ!

 

 激しい爆音。腹の底にズンと来る重い響きだった。気付くと僕の身体は光の柱に包まれていた。

 

「……こ、これは!」

 

 足の下にはいつもの幾何学模様が浮かび上がっている。これは召喚獣を呼び出す時の模様! 驚きながらこの様子を見ていると、パァッと服が光り輝き、みるみる変化していった。赤いインナーシャツに黒い改造学ラン。間違い無い。僕の召喚獣の衣装だ。そして木刀が左手に差し込まれるように現れると、光の柱はフッと消えてしまった。

 

 残ったのは召喚獣の装備を装着した自分の姿。少し離れた所では2人の兵士が尻もちをつき、目を丸くしてポカンと口を開けていた。

 

「で、できた……! 召喚獣を装着できた!」

 

 自分の姿を見て大喜びする僕。まさに変身ヒーローになった気分だった。

 

「お、おのれぇぇ! 抵抗するか!」

「反逆罪で貴様を逮捕する!」

 

 正気を取り戻した2人の兵士が掴み掛かってくる。だがその動きはとても遅く感じた。これは魔獣と戦った時も起きていた現象だ。これもきっと召喚獣を装着した力なのだろう。

 

「よっ、と」

 

 僕は2人の突進を軽く避ける。そしてそのうちの1人の腕を掴み、一本背負いの要領で投げ飛ばした。

 

「おりゃぁぁぁっ! ……あ」

 

 一本背負いとは、相手の片腕を掴み、身体を沈めて相手の懐に背を向けて潜り込み、腰のバネを効かせて跳ね上げ、畳に投げ転がすという柔道の技だ。しかしこの時の僕は力の加減が分からず、兵士を力一杯放り投げてしまったのだった。

 

 ――ドガァァァン!

 

 大きな音を立てて壁にヒビが入った。勢い余って手を放してしまい、兵士の男を石壁に叩きつけてしまったのだ。その兵士は気を失ってしまったようで、仰向けに倒れると動かなくなってしまった。

 

「あぁぁっ! ごごごごめんなさいっ! わざとじゃないんです!」

「き、貴様ぁぁっ! もう許さんぞ!!」

 

 もう1人の兵士が槍を手に取り、チャキッと僕の目の前に突きつける。

 

「ぐ……」

 

 さすがに刃物を突きつけられては堪らない。僕は両手を上げて無抵抗の意思を示した。

 

 既に1人を投げ飛ばしてしまったから今さら冷静に話をすることもできないだろう。どうしよう、この状況……。いっそこの人も投げ飛ばして中に入るか? でもそんなことをしたら完全に不法侵入だよね。う~ん……こんな時に雄二なら上手い具合に言いくるめてくれるんだけど……。

 

「さぁ観念しろ! その装備を外せ!」

「えっ? は、外せって言われても外し方なんて知らないし……」

「ゴチャゴチャ言っとらんでさっさと外せ!」

「いや、だから外し方が分からないんですってば!」

「抵抗すると容赦せんぞ!」

「人の話を聞いてよ! 外し方が分かんないだって言ってるじゃないか!」

 

 どうも兵士の男に話が通じない。と思ったら、槍を持つ彼の手が僅かに震えていた。顔も青ざめていて、何かに怯えているようにも見える。もしかして兵士を投げ飛ばした僕の力を見て恐れているんだろうか。

 

「何を騒いでおるか!!」

 

 そんなことを考えていたら背後から怒鳴り声が聞こえた。驚いて振り向くと、門の中に1人の少年が立っているのが見えた。

 

 茶色い髪を肩まで伸ばしたおかっぱ頭。

 キッと睨みつける青い瞳。

 

 年は僕と同じくらいだろうか。彼は6人もの兵士を従え、凛とした表情でこちらを見つめていた。

 

「こっ、これは大変失礼しました!」

 

 先程まで槍を突きつけていた兵士が突然膝を突き、登場した少年に向かって深々と頭を下げる。もしかして彼も王子の関係者なのだろうか。それなら話は早い!

 

「ねぇ君! 王子に会わせてくれないか! 僕はどうしてもサントリアを抜けなくちゃいけないんだ!」

 

 僕は同級生のような彼に願う。しかし、

 

「断る」

 

 彼は僕の願いを冷たく断った。

 

「なっ……! なんでさ!」

「貴様、無礼な奴じゃな」

「こら貴様! 無礼であるぞ! この(かた)が貴様の捜しているお方だ!」

「ふぇ? 捜してるって……えぇっ!? そ、それじゃ君が王子様!?」

 

 門番の兵士に少年の素性を知らされ、僕は驚く。

 

「いかにも。余が第一王子、ライナスじゃ」

 

 秀吉のような爺言葉で話す少年。どうやら本当に彼が王子らしい。

 

「ちょうど良かった! 君に頼みがあるんだ!」

 

 興奮した僕は思わず友達のように接してしまった。そんな僕の頭を兵士は押さえつけ、無理やり頭を下げさせる。

 

「貴様ぁっ! 無礼だと言っておろう!」

「何するんだよ! 僕は王子に頼んでるんだ! 邪魔しないでくれよ!」

「おい貴様。なぜサントリアを通りたいのじゃ。申してみよ」

 

 王子は僕の話を聞いてくれるみたいだ。よし、やっとまともに話ができるぞ!

 

「実は僕の仲間がミロードっていう町で待っているんだ。きっと困っていると思う。だから急いで行かなくちゃいけないんだ!」

「仲間のためと申すか」

「そうだよ!」

「ふむ……」

「それでサントリアを通ろうと思ったんだけど、柵が立てられて閉鎖してたんだ。それでそこにいた兵士の人と話したら、王子の許可証を持ってこいって言うんだ。だから頼むよ」

「なるほどな」

 

 王子は自らの顎をしゃくりながら僕をじっと見つめ、何かを考えているようだった。そしてしばらくしてニヤリと不敵な笑みを浮かべると、

 

「いいだろう」

 

 と言った。

 

「ほ、ほんとに!?」

 

 思わぬ収穫に僕は歓喜する。よし! これでサントリアのあの兵士たちを見返せるぞ!

 

「殿下! このような者によろしいのですか!?」

「この者は我らが城に侵入しようとしたのですよ!?」

「そうです! 私もこの者に投げ飛ばされました! これは紛れも無く反逆罪です!」

 

 周りの兵士は慌てた様子で王子を止めにかかる。いつの間にか先程投げ飛ばした兵士の人も目を覚ましていたようだ。だが王子はそんな彼らの言葉を一蹴した。

 

「えぇい! やかましい! 余が構わぬと言っておるのじゃ! 貴様らこそ反逆罪に問われたいか!」

 

 この一喝で周囲は一気にシンと静まり返る。そして王子は「フン」と鼻息を吐くと、地面に押さえつけられる僕に向かって、

 

「ただし条件がある」

 

 と付け加えた。

 

「条件?」

「うむ。実は、我々は2日後にある勢力を討伐する。恐らく奴らは激しく抵抗するであろう。そこでお前には我が軍の前衛部隊に入ってもらう」

「ぜ、前衛部隊!?」

 

 それって戦争の最前線で戦えってこと!?

 

「どうじゃ。悪くない条件であろう?」

 

 得意げに鼻を鳴らす王子。そんな……戦争に参加しろだなんて……。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。そもそもなんで戦争なんかするのさ」

「決まっておろう。奴との争いに決着を付けるためだ」

「奴って誰さ」

「……我が弟。リオン」

「お、弟?」

 

 ……つまりその戦争ってのは弟と喧嘩するためのものだって言うのか?

 

「奴も兵を集めておるようでな。こちらも準備万端整えておるが、少しでも事を有利に進めたい」

 

 ……サーヤちゃんのお父さんもそんな戦争に巻き込まれたって言うのか?

 

「先程の貴様の力。見せてもらった。我が軍の兵をいともた易く投げ飛ばしたその力。余が有効に活用してやろうではないか」

 

 ……なんでそんなことを……なんでそんなバカげたことを!

 

「もし良い働きをすれば貴様を正式に余の家来にしてやってもよい。どうじゃ、悪い話ではなかろう?」

 

 

 ――僕の頭の中で何かがプツッと切れた。

 

 

「町の人たちが魔獣に苦しんでるっていうのにアンタは何をやってんだよ! 戦争のせいで家族が離れ離れになっちゃってる人だっているんだぞ! 兄弟喧嘩なら本人同士で殴り合えばいいだろ!」

 

 すっかり頭に血が上ってしまった僕は言いたいことをすべて言い放ってしまった。それも喧嘩腰に。当然、その啖呵(たんか)は王子の逆鱗に触れてしまう。

 

「こっ……無礼者め! 余に意見するなど百年早いわ! その者を牢に放り込んでおけ!」

「そうは、させるかぁぁーーっ!!」

 

 試獣を装着した今の僕なら兵士になど負けはしない! 押さえつける兵士を振り払い、僕は立ち上がる。だがその時、スゥッと学ランや木刀が消え、僕は元の文月学園の制服姿に戻ってしまった。

 

「あ、あれ?」

 

 しまった! 時間切れか!?

 

「大人しくしろ!」

「くっ……」

 

 再び頭を押さえつけられ、僕は無理やり地に伏せられる。こうなっては、もはや観念せざるを得ない。

 

「フン! 連れていけ!」

「「はっ!」」

 

 結局僕は捕まり、城の地下牢に放り込まれてしまった。最悪の事態だ……。

 



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第十二話 意外な救援

 暗い。それに酷くジメジメしている。灯は通路の壁に掛けられた松明のようなものが1つあるだけ。他に光源は無い。うっすらと見える周囲の黒い壁はゴツゴツしている。石を敷き詰めて作られているようだ。湿度はかなり高い。まるで何日も雨が降り続いているかのように空気がじっとりと身体に(まと)わり付く。こんな環境で喜ぶのはキノコくらいだろう。だが僕はキノコではないのでむしろ不快と感じる。

 

「ハァ……」

 

 この4畳半ほどの個室には窓がなく、朝なのか夜なのかも分からない。懐中時計を入れていたリュックも取り上げられてしまったので時刻も分からない。どうすることもできない僕は暗い地下牢の中、1人ベッドの上で溜め息を吐いている。

 

 こんな状況になっているのは僕の言葉が王子の逆鱗に触れたためだ。今思えばあんなに感情的になって言えば相手もカチンと来るのは当然だ。こういう時こそ冷静に言葉を選んで話し合うべきなのに……。我ながらバカなことをしたものだ。しかし今さら反省したところで状況は最悪。

 

「ハァ……」

 

 さっきから溜め息しか出ない。こうしている間にもミロードに居たという仲間がどこかへ行ってしまうかもしれない。すぐにでもここを出たい。でもどうしたらいいんだろう。土下座して謝れば許してくれるだろうか。あんな暴言を吐いてしまったから無理かな……。

 

 

 ……

 

 

 考えていても始まらない。とにかくここを出なくちゃ。僕は立ち上がり、牢の鉄格子を両手で掴んでグッと引っ張ってみた。……ビクともしない。力を込めてもう一度。今度は押してみる。……(きし)みもしない。まぁ当然か。この程度で開くなら牢の意味がない。続いてそのまま外の様子を覗ってみた。

 

 辺りはシンと静まり返り、物音ひとつ立てるものはない。向かいの牢には誰も入っていないようだ。この牢の両側にも個室があるようだが、それらにも人がいるような気配は無い。恐らく牢に入れられているのは僕だけなのだろう。

 

 鉄格子の隙間から左側を見ると、通路の先が明るくなっているのが見えた。あれが出口か。見たところ見張りの兵士が1人いるようだ。ここを抜け出すにはあそこを通るしかなさそうだ。

 

 牢の扉は格子状の鉄製。もちろん鍵が掛かっている。ひょっとして試獣装着すればこの鉄格子も破れるか? ……試してみるか。

 

 僕は鉄格子から少し下がり、小さく()び声を上げる。

 

(――試獣装着(サモン)

 

 ……

 

 あれ? 何も起らない? おかしいな。どうしたんだろう。さっきまでは装着できたのに……。声が小さいとダメなんだろうか。

 

 と、ここでふとバイザーに表示されていた黄色いバーを思い出した。そうか、あれはやっぱりタイマーかエネルギーゲージのようなものなんだ。そういえばさっき門の前で装着した時もすぐに解除されてしまった。つまり召喚獣はエネルギー切れ状態ってわけか。今はどうすることもできないようだ。……仕方ない、寝よう。

 

 諦めて牢屋のベッドにゴロリと寝転ぶ。……このあと僕はどうなるんだろう。裁判に掛けられるのか。それともすぐ処刑されてしまうのか。つくづくバカなことをしたものだと自分が嫌になる。なんとか謝って許してもらえないかな……。

 

 ………………

 …………

 ……

 

 考えているうちに眠気が襲ってくる。だが硬い石のようなベッドは簡単には眠らせてくれない。しかしやることもないので目を閉じ、ウツラウツラとする僕。

 

『――――』

『――。――――』

 

 しばらくして出口の方から人の話し声が聞こえてきた。番兵が独り言を言っている? いや、誰か来たみたいだ。

 

『ところでこんな地下牢に何用で?』

『…………殿下が呼んでいる』

『ライナス殿下が? 俺を?』

『…………近衛隊(このえたい)の人数が足りないので来てほしいと言っていた』

『何っ!? 本当か!? 本当に俺が指名されたのか!?』

『…………うむ』

『マジか!? ヒャッホォーゥ!! ついに俺も見張り番から脱却する時が来たぜぇーっ!!』

 

 男の歓喜溢れる声が地下牢に響き渡る。あの王子、本気で戦争をするつもりなのか。くそっ……。僕はベッドに寝転んだまま、やるせない気持ちで一杯になる。だがその時、予想だにしないことが起きた。

 

 ──ガチャリ

 

 なんと交代で入ってきた兵士が牢のカギを開けたのだ。そしてその兵士は鉄格子の扉を”キィ”と開け、中に入ってきた。ま、まさかもう処刑されてしまうのか!? 体中から嫌な汗が吹き出す。

 

「わわ、わ……ちょ、ちょっと……まま、待って……!」

 

 慌てた僕は逃げ道を探す。だが周りは頑丈な石の壁。正面の鉄格子の前には剣を腰に下げた兵士。召喚獣も今は使えない。どう考えても逃げ場は無かった。

 

 万事……休すか……。

 

 がっくりと両膝をつき、項垂れる僕。だがそんな僕にこの兵士は意外な言葉を掛けてきた。

 

「…………待たせた」

「へ?」

 

 兜で顔が隠れてよく見えない。けれど聞き覚えのある声。誰だ?

 

「えっと、待たせたって……?」

「…………俺だ」

 

 そう言って兜を取って見せる兵士。その顔は僕のよく知る者の顔だった。

 

「ム、ムッツリーニィィ!??」

 

 それは我が悪友。名を”土屋康太”と言う。彼は学年一のエロの化身である。にもかかわらず、本人はそれを(かたくな)に否定している。そのため、僕らは彼のことを寡黙なる性識者、”ムッツリーニ”と呼んでいる。

 

「ムッツリーニ! ムッツリーニなんだね!? 今までどこに行ってたんだよ! そうか! ミロードに居たっていうのはムッツリーニだったのか! っていうかこの世界ってなんなのさ! 元の世界に帰るにはどうしたらいいんだ!?」

 

 僕はずっと誰かに聞きたかったことすべてを吐き出す。

 

「…………静かにしろ」

「そ、そうだ! そんなことより美波は!? ムッツリーニがいるってことは美波も来てるのか!? 無事なのか!? 何か知ってるなら教えてよ! すぐに美波を助けに行かなくちゃいけないんだ!」

「…………黙れ」

 

 ──ゴスッ

 

 思いっきり脳天をグーで殴られた。

 

「いっ……てぇ~……な、何すんだよぉ……」

「…………一度に聞かれても困る。とにかくここを出るぞ」

 

 そう言ってムッツリーニが手渡してきたのは彼が着ているのと同じ服。橙色の、各所に鉄板が縫い付けられている兵士の服だった。

 

「これは?」

「…………これを着ろ」

「う、うん」

「…………着替えながら聞け」

 

 僕が着替え始めると、ムッツリーニは事情を話し出した。

 

「…………俺は今ここの諜報員として雇われている」

「諜報員? それってスパイ映画なんかでよくあるアレ?」

「…………(コクリ)」

「ど、どうやってそんな職に!?」

「…………早く着替えろ」

「あ、うん」

 

 ムッツリーニは話を続ける。彼は諜報員という職に就きながらこの世界のことを色々と調べていたという。だがある時、雇われたのが戦争のためだと知り、脱出を計画。昨晩のうちに職を放棄してこの町を出るつもりだったらしい。ところが抜け出そうとした矢先に僕が捕えられて来たため、予定を変更せざるを得なかったのだという。

 

「そっか……。ごめんムッツリーニ。僕が余計なことをしたばっかりに……。でも勝手に僕を牢から出したりして大丈夫なの?」

「…………大丈夫ではない」

「え……ど、どど、どうすんのさ!」

「…………どちらにしても逃げるつもりだった」

「ほぇ? そうなの? でも雇われてたんだろ? 逃げることなんてないんじゃないの?」

「…………今の状況で諜報員を辞めると言っても王子は許さない。だが俺も戦争などに加担したくはない」

「なるほど。だから逃げ出すつもりだったんだね」

「…………(コクリ)」

「でも助かったよ。ありがとうムッツリーニ」

「…………気にするな。それよりお前は今から俺の後輩だ。口裏を合わせろ」

「へ? 何言ってるのさ。僕らは同級生じゃないか。……ハッ! もしかしてムッツリーニって留年してるの!?」

「…………ハァ……お前は喋るな」

「?」

 

 まぁ先輩でも後輩でもなんでもいいや。今は脱出することが最優先だ。僕は渡された重い服に着替え、制服はリュックに詰め込んだ。兵士の服は意外に体にぴったりフィットしていた。さすがムッツリーニ。僕の身体の寸法を熟知している。

 

「…………こいつを(かぶ)れ。それとこれも持って行け」

 

 ムッツリーニはそう言って鉄製の兜とリュックを渡してきた。こいつは……取り上げられていた僕のリュックだ!

 

「取り返してくれたんだね。さすがムッツリーニだよ」

「…………行くぞ」

 

 僕は兜を頭に(かぶ)り、ムッツリーニについて地上への石段を上がる。廊下に出ると、窓から太陽の光が差し込んでいた。既に夜が明けていたようだ。ずっと暗い地下牢にいたためか、日の光が酷く眩しい。

 

 ムッツリーニはそのまま堂々と廊下を歩く。途中で何人かの兵士とすれ違ったが、僕らのことを怪しむ様子は無かった。兵士の服を着ているから同僚と思われているのだろう。そしてムッツリーニは裏門を開け、外へ出ていく。

 

「ツチヤ様、どちらへ?」

 

 すると表で警備していた兵士が声を掛けてきた。まずい、怪しまれたか!? 冷や汗がじっとりと湧き出てくる。しかしムッツリーニは落ち着いた様子でこれに答えた。

 

「…………出掛けてくる」

「ですが今は厳戒態勢では?」

「…………極秘任務だ」

「こ、これは失礼しました!」

「…………うむ」

 

 2人の兵士はピッと背筋を伸ばし、ムッツリーニに向かって敬礼をする。こいつ、こんなに偉い立場だったのか。凄いな……。でもこれですんなり抜けられそうだ。と思ったら――――

 

「ところでそちらのお方は?」

 

 ギクッ!

 

「……い、いや、あの……」

 

 兵士の質問に僕は全身から汗を吹き出し狼狽える。ど、どどどうしよう……!

 

「…………俺の仕事を手伝う後輩だ」

 

 だがムッツリーニは顔色ひとつ変えずに答えた。なんでこいつはこんなに落ち着いていられるんだろう……。

 

「そうでしたか。ではお気をつけて行ってらっしゃいませ」

「…………うむ」

 

 ムッツリーニは胸を張って道を歩きはじめた。僕はそんなムッツリーニの後について歩く。

 

(ね、ねぇムッツリーニ、走って逃げなくていいの?)

(…………走ったら余計怪しまれる)

(そ、そうか。分かった)

 

 僕らは()く気持ちを抑えながらゆっくりと道を歩く。そして角を曲がり、兵士たちから見えないところまで来ると、

 

「「…………はぁ~…………」」

 

 と、2人で大きく息を吐いた。

 

「緊張したぁ……。それでムッツリーニ、この後どうするの?」

「…………まず宿舎に行く」

「宿舎?」

「…………俺の荷物がある。それを取ってくる」

「分かった。それでその後は?」

「…………王宮都市に行く」

「王宮都市? えっと、レオンドバーグ?」

「…………(コクリ)」

「そこに何をしに行くのさ」

「…………元の世界に帰る方法を探す」

「なるほど。目的は僕と同じだったわけだ」

「…………お前も調べていたのか」

「まぁね。僕だって帰りたいし。でも峠町のサントリアは封鎖されてたよ?」

「…………知っている」

「なんだ知ってるのか。じゃあ他にレオンドバーグに行く道があるとか?」

「…………無い」

「じゃあどうすんのさ」

「…………俺に任せろ」

「? まぁ、いいけど……」

 

 ムッツリーニは無表情で歩き続ける。一体どうするつもりなんだろう。いつかのように姫路さんの手料理で兵士を毒殺するとか? ……まさかね。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 騒然とする町中を歩くこと20分。どうやら宿舎に着いたらしい。

 

「…………ここだ」

 

 ムッツリーニは大きなレンガ造りの建物へ入っていく。これがムッツリーニの宿舎か。大きいな。3階建てじゃないか。

 

「…………早く来い」

「あ、うん」

 

 僕もあいつについてその建物へ入る。中は意外に質素な作りで、特にこれといって変わった様子は無かった。広めの空間に小さなテーブルと椅子がいくつか置かれ、奥にはカウンターのような物も見える。

 

「…………ここで待て」

 

 ムッツリーニにそう言われ、僕は近くの椅子に腰かけた。暇なので周りをキョロキョロと見ながらムッツリーニが戻るのを待つ。

 

 ……

 

 ふ~ん……。王宮の宿舎というからどれほど立派なものかと思ったけど、普通のホテルのロビーみたいだな。

 

 それにしてもムッツリーニがいてくれて助かった。もしあのまま牢に放り込まれていたらどうなっていただろう。この国のことはまだよく分かっていないけど、最悪の場合、死刑なんてこともあり得るかもしれない。でも僕だってこんなところで命を落とすわけにはいかない。とにかく今はムッツリーニと協力して元の世界に戻る手段を探さないと。

 

 そんなことを考えていたらムッツリーニが地味な色の袋を背負って戻ってきた。そして、

 

「…………これを渡しておく」

 

 と、1枚の紙を渡してきた。

 

「これは?」

「…………通行許可証」

「えぇっ!? な、なんでムッツリーニがこんなもの持ってるの!?」

「…………偽造した」

「あぁ…………そう…………」

 

 こいつが仲間で良かった。この時、僕は心底そう思うのであった。

 

「ところでこの服もう脱いでいいよね? なんかモコモコして動き辛いんだ」

「…………いや、サントリアを抜けるまでそのままでいろ」

「なんで?」

「…………文月学園の制服で許可証を見せても怪しまれるだけ」

「あ、そっか。そりゃそうだね」

「…………うむ」

「でもさ、なんていうかさ」

「…………なんだ」

「ムッツリーニって、こういうことに凄く慣れてる感じがするね」

「…………フ」

 

 今、鼻で笑ったね?

 

「…………俺が今までどれだけロープレをやってきたと思っている」

 

 ロープレとはロールプレイングゲームの略。ってことは、つまり……。

 

「ゲームから知識を得てるんだね……」

 

 だとしても凄いと思う。僕なんか(いま)だにこの世界に馴染めないでいるし。

 

「…………行くぞ。もうすぐ馬車が出る」

「うん」

「…………馬車の中では何も話すな。怪しまれる」

「分かった」

 

 こうして僕はようやく仲間との合流を果たした。だがこれで安心してはいられない。次の目標は元の世界に戻ることだ。

 

 今はまだ何も情報は無いけど、レオンドバーグに行けばきっと見つかる。もしすぐに見つからなくても、ムッツリーニがいればきっとなんとかなるだろう。なにしろこいつの情報収集能力は学園の中でも右に出る者はいないくらいなんだからね。頼もしい仲間だ。

 




ようやく作品の題名でもある”仲間”の登場です。これからムッツリーニには今後色々と活躍してもらおうと思っています。お楽しみに。


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第十三話 境界を越えて

 僕らは馬車に乗り、峠町サントリアへと向かう。この馬車にはお婆さんとおじさんが1人ずつ。それに護衛と思しき銀色の鎧を纏った男が1人乗っている。僕とムッツリーニを合せると計5人。その誰もが一言も喋らず、馬車の蹄音とガラガラという車輪の音だけが耳に入ってくる。

 

 別に話すことが無いから黙っているわけではない。話したいことなら山ほどある。”何も話すな”というムッツリーニの言葉に従い、口を(つぐ)んでいるだけなのだ。それにしても重苦しいというかなんというか……。話したくてウズウズする……。

 

(ね、ねぇムッツリーニ)

 

 堪りかねて小声で話し掛けてみたが、ムッツリーニは黙って首を横に振る。黙って座っていろということか。辛いなぁ……。

 

 仕方なく僕は口を閉じ、目を瞑る。そういえば昨晩はあの硬いベッドだったからほとんど眠れなかったんだっけ。今のうちに少し寝ておこうかな。

 

 なんて思った直後、僕の意識はもう夢の中だった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「…………起きろ」

「んぅ……」

 

 ゆさゆさと肩を揺すられ、僕は目を覚ました。

 

「ふぁ……あぁ……。やぁムッツリーニ、おはよう」

「…………サントリアに着いた」

 

 そういえば馬車に乗ってたんだっけ。寝ぼけ(まなこ)で客車内を見渡すと、他の乗客は既に降りているようだった。そうか、サントリアに着いたのか。しかしよく寝たなぁ。いつも馬車に乗ってると尻が痛くて眠れやしなかったのに。ムッツリーニと再会できて少し安心したってのもあるのかな。

 

「…………行くぞ」

「うん」

 

 僕らも馬車から降り、早速例の柵で閉鎖されている道に向かう。このサントリアという町は今まで訪れたどの町よりも小さい。と言っても、(はじ)から(はじ)まで歩いて距離を計ったわけではない。馬車を降りたところに町の全体案内板があって、それを見て大凡(おおよそ)の距離を計ったのだ。例の閉鎖されていた道までは歩いて10分程度。案内地図を見た感じでは、その先の町の(はじ)まで行ったとしても30分は掛からないと思う。

 

 あの兵士たちは今日もいるだろうか。昨日はずいぶん馬鹿にしてくれたな。ここでギャフンと言わせたいところだけど、通行許可証は偽物。バレないようにサッと抜けなければならない。悔しいけどミロードに向かうという目的を果たすためだ。ここはぐっと我慢だ。

 

 例の柵のある道に出ると、今日も4人の兵士が警備しているのが見えた。しかし兜で顔が隠れていてあの時と同じ人たちか分からない。4人とも同じような気もするし、違うような気もする。う~ん……。まぁいいか。どちらにしても大手を振って通れるわけでもないし。

 

(…………俺が話をつける。お前は黙って通行許可証を見せろ)

(うん)

 

 ムッツリーニは僕にそう耳打ちをすると、背筋をピッと伸ばし、颯爽と歩き出した。僕も真似をして彼の後ろについて歩いていく。き、緊張するなぁ……。

 

「…………殿下の命令だ。通るぞ」

 

 ムッツリーニはそう言って通行許可証を兵士に見せる。僕も同じように紙を広げ、許可証を見せた。

 

「「…………」」

 

 すると4人の兵士たちはその紙をじっと見つめ、固まったように動かなくなってしまった。なんだか難しいことを考えているような硬い表情をしている。やはり偽物だとバレたんだろうか……。

 

 隣を見るとムッツリーニは口を一文字に結び、眉ひとつ動かさず毅然(きぜん)とした態度を見せていた。ホント、こいつはなんでこんなに冷静でいられるんだろう。僕なんかこんなに心臓がバクバクしちゃって堪らないというのに……。

 

「承知しました。どうぞお通りください!」

 

 しばらくして兵士たちは顔を上げると、ピッと敬礼をして道を開けてくれた。やった! 作戦成功だ!

 

 思わず顔がニヤけてしまう。いやダメだ。今笑ったらバレてしまう! なんとか堪えて澄まし顔を作り、僕らは小さめの扉を通り抜ける。すると後ろでガチャリという音が聞こえた。鍵が閉められたのだろう。僕らは小走りにその場を離れ、適当な道路脇の茂みに入った。

 

(やったねムッツリーニ)

(…………当然だ。完璧に模写した)

(じゃあこの服もう脱いでいいよね?)

(…………うむ)

 

 僕らは茂みに隠れながら重たい兵士服を脱ぎ捨てる。ふぅ、これでやっと思うように動ける。

 

(それじゃこの後はミロードに移動だね?)

(…………そうだ)

(この兵士服はどうする? 捨てて行っていいのかな)

(…………持って行きたければ持って行け)

(いや、鉄板が縫い付けられてて重いし、いいよ)

 

 僕らは文月学園の制服に着替え、再び道に出る。よし、それじゃ早速ミロードに行こう。えぇと、ミロード行きの馬車乗り場は……お、あれか!

 

 すぐに案内板を見つけ、場所が分かった僕らは早速乗り場へと向かう。そして10分と掛からずに乗り場に到着した僕らはミロード行きの馬車に乗り込んだ。待たずに乗れてラッキー。なんて思っているうちに馬車は出発。僕らはようやく普通の声で話をはじめた。

 

「さて。色々と話したいことはあるんだけど、まずはムッツリーニの知ってることを教えてくれる?」

「…………(コクリ)」

 

 ムッツリーニが頷き、静かに語り始める。

 

「…………俺が目を覚ますと、そこは王宮の庭だった」

 

 まるで小説の出だしの一節だ。

 

「うんうん、それで?」

「…………様子がおかしいので更衣室に潜入した」

「はいそこ! おかしいよ!? なんでいきなり更衣室なの!?」

「…………目の前の部屋に入ったらたまたま更衣室だった」

「あ、そ、そうなんだ。うんまぁ、それで?」

「…………色々あって臨時の諜報員として雇われた」

「は?」

「…………以上だ」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ。色々って何があったのさ」

「…………色々だ」

端折(はしょ)り過ぎだよ!? それじゃ何も分からないじゃないか!」

「…………(シー)」

 

 ムッツリーニは人差し指を口に当て、目だけを動かして周囲を覗う。そうか、言ってみればこの地域は敵地。どこで誰が聞いているか分からないというわけか。それじゃ話題を変えよう。

 

「レオンドバーグには帰る方法を探しに行くってことはさ、まだ帰り方は分からないわけだよね」

「…………うむ」

「じゃあさ、この世界が何なのかっていうのは分かった?」

「…………(フルフル)」

 

 ムッツリーニは黙って首を横に振る。

 

「そっか……」

「…………結局ドルムバーグでは何も分からなかった。だからレオンドバーグへ行く」

 

 行き着くところは同じってわけか。僕も情報を求めてレオンドバーグに行くところだったし。

 

「それにしてもずいぶん熱心なんだね。これだけ馴染んでたらむしろこっちの世界の方が性に合ってるんじゃない?」

「…………この世界にはカメラや盗聴器が無い」

「うん、まぁそうだけど」

「…………俺の趣味のほとんどがこの世界には無い」

「なるほど、言われてみればそうだね」

「…………それに」

 

 そう言ってムッツリーニはそこで言葉を切ると、遠くを見るように少し目を細めた。

 

「それに?」

 

 そしてわけの分からないことを言ってきた。

 

「…………俺を待っている」

「誰が?」

「…………くど……」

「くど?」

「…………」

 

 彼はそれっきり黙り込んでしまった。何だ? くど?

 

「何だよ。ちゃんと言ってくれよ。気になるじゃないか」

 

 待てよ? ひょっとして……。

 

「ねぇムッツリーニ、それってもしかして工藤さ――――」

「…………違う」

 

 速攻否定された。

 

「じゃあ何なのさ」

「…………クドリャフカ=アイマートフ」

「は? クド……なんだって?」

「…………クドリャフカ=アントノフ」

「さっきと名前変わってない?」

「…………気のせいだ」

 

「「…………」」

 

 怪しい……。

 

「それで、そのクドリャフカ=アントニオってなんなのさ」

「…………パソコンだ」

 

 名前が違うのに否定しないのか。こいつやっぱり適当に名前を付けたな? というか、

 

「パソコン?」

「…………俺のすべてがそこに入っている」

「すべてって?」

「…………撮影した写真と収集した画像」

「あぁ、そうなんだ……」

 

 つまりエロの集大成がそのパソコンに入っているということなのだろう。きっとそこには僕の女装姿の写真も沢山入ってるんだろうな。そのパソコンが処分されてしまうから一刻も早く元の世界に帰りたいってことか。理由は違うけど目標は僕と一緒なんだな。

 

「ところでさ、この世界って僕らが遊んでたゲームに似てると思わない?」

「…………うむ。だが似ているのは町の名前くらいだ」

「そうなんだよね……何なんだろ」

「…………分からん。だから調べに行く」

「まぁそうなんだけどさ。……じゃあ次は僕の番だね。それじゃ、まずはこの世界に来た時の話なんだけど――――」

 

 僕はこの世界に来てからの出来事を話した。ラドンの町付近で目を覚ましたこと。ルミナさんから教わったこと。レオンドバーグへ元の世界に帰る方法を探しに行くこと。そしてミロードで文月学園の制服を見たという男の子の話。覚えているすべてのことを話した。

 

「あの男の子が言ってたのってムッツリーニのことだったんだね。まさかあんなところで会えるなんて思いもしなかったよ」

「…………おかしい」

「ん? 何が?」

「…………俺はずっとドルムバーグにいた。他の町には行っていない」

「ほぇ? そうなの? おっかしいなぁ。じゃあ、あの子が町の名前を間違ったのかな」

「…………それも違う。俺は目を覚ましてからすぐに兵士の服に着替えた。その間、誰にも見られていない」

 

 自信たっぷりに言うムッツリーニ。恐らく言うことに間違いはないのだろう。でもひとつ疑問がある。

 

「なんで着替えたのさ」

「…………変装は情報収集の基本」

「へぇ、そうなんだ……」

 

 それにしても一体どういうことだ? ハーミルで聞いた男の子の話と違う。あの子は確かに同じ格好の人を見たと言った。それがムッツリーニじゃないとしたら……。

 

「そうか! ムッツリーニじゃないってことは他の人なんだ! つまり僕ら2人以外にもこの世界に飛ばされてきた人がいるってことなんだよ!」

「…………俺たち2人がここにいるということはその可能性は高い」

「そうだよ! きっとそうに違いない! だとしたら合流すべきだよ! 何か知ってるかもしれないし、帰るなら一緒じゃなくちゃ!」

 

 それにもしそれが美波だとしたら、すぐにでも合流したい! いや、助けに行かなくちゃ!

 

「…………確かに」

「よぉし、それじゃ決まりだね! レオンドバーグに行く前にミロードで仲間探しだ!」

 

 僕は心の高揚を隠せず、興奮気味に言う。そうさ、仲間がいればきっと道は切り開ける! たとえ魔獣に襲われるようなことが――っと、そうだ! 大事なことを忘れていた!

 

「ムッツリーニ、もうひとつ不思議なことがあるんだ」

「…………なんだ」

「実は召喚獣なんだけど、どうもこの世界でも使えるみたいなんだ」

「…………本当か?」

「うん。ただ、いつもとちょっと違うんだ」

「…………どう違う」

「どうって……うーん……。召喚獣と合体するっていうか着るっていうか……」

「…………? 分からん」

 

 困った。なんて説明すればいいんだろう。

 

「とにかく召喚獣の力が使えるんだ。やってみれば分かるんだけどさ」

「…………分かった」

 

 ムッツリーニは立ち上がり、スッと片手を上げる。って! ヤバイ!!

 

「待って待って! こんなところでやったら馬車が吹っ飛んじゃうよ!?」

「…………そうなのか?」

「うん。呼び出すと光の柱が沸き上がってきて、周りの物を吹っ飛ばしちゃうみたいなんだ」

「…………そうか」

 

 ムッツリーニは上げた手を降ろし、座席に着いた。ふぅ……焦ったぁ……。

 

「馬車を降りてから適当なところで試してみてよ」

「…………うむ。ところでひとつ聞きたい」

「うん」

「…………お前はなぜ捕まっていた」

「う……そ、それは……」

 

 僕は戦争が始まりそうだということを伝える。しかしそれはムッツリーニも知っていることだった。考えてみれば当然だ。なにしろ王宮の諜報員として働いていたのだから。それにドルムバーグの地下牢でムッツリーニがそんな話をしていたような気もする。

 

 ムッツリーニは言う。確かに戦争に加担するのは御免だが、何かと理由をつけて避けることはできた。だからあのまま諜報員として行動していても良かったのだと。ただ、争いは情報を閉鎖的にする。もちろん戦争に加担したくないという思いはあるが、これもあってドルムバーグを出たのだと。

 

 しかしムッツリーニのやつ、凄い適応力だな。いつも教室でカメラのレンズを磨いている姿からは想像もできないくらいだ。けどこの状況ではとっても頼もしい仲間だ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 数時間して、馬車はミロードに到着した。太陽は既に真上に来ている。もう昼過ぎのようだ。そこら辺の店で軽く食事を済ませた僕らは、早速手分けして聞き込みに当たることにした。

 

「すみません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」

「はい? 何ですか?」

「この町でこんな服を着た人を見ませんでしたか?」

「さぁ……見た事ないですね」

「そうですか……ありがとうございます」

 

 こんなやりとりを何度繰り返しただろう。聞けども聞けども一切情報が無い。交番的なものでもあれば聞きやすいのだけど、この世界にそんなものは無い。だから聞いて回る手法を取るしかなかったのだ。

 

 このミロードの町はそんなに広くなかった。ラドンと同じくらいだろうか。それでもやはり町中を聞いて回るのは骨が折れる。僕は休憩を挟みつつ、店の人や町を歩く人々に根気強く聞いていく。

 

 その途中で思った。この町、至る所に小川が流れている。それに公園も多く、植物も沢山植えられている。他の町より清々しさを感じるのはこのせいなのだろうか。

 

 町の人の話によると、どうやらこの町はそれを特徴としているらしい。水の豊かな町、”水の町ミロード”として、国中から注目を集めているそうだ。なるほど。空気も良いし住むには良い環境かもしれない。しかし皆町のことは自慢げに話してくれるのだが、肝心の仲間の情報が得られない。僕はなんとか足取りを掴もうと、聞き込みに精を出していた。だが――

 

「あれ? ここは……」

 

 どうやら町をひと回りして元の場所に戻ってきてしまったようだ。見上げると空は紅色に染まり、日が傾き始めていた。結局何の情報も無しか……。

 

「…………明久」

 

 ムッツリーニもちょうど戻ってきたようだ。

 

「どうだった?」

「…………ダメだ」

「そっか……こっちも全然情報なし」

 

 もう別の町に移動してしまったのだろうか……。

 

「どう思う? ムッツリーニ」

「…………既にこの町にいない可能性が高い」

「やっぱりそう思う?」

「…………(コクリ)」

 

 どうするかな……。確かに町をひと回りしてきたけど、隅々まで見て回ったわけではない。もしかしたらもっと時間を掛けて探せば何か見つかるかもしれない。けれどムッツリーニの言うように、既に別の町に移動している可能性も高い。このまま継続して捜すか、それとも別の町を当たるべきか。

 

 今、サントリアの町は行き来が制限されていて一般人は通れない。もし移動しているとしたら西側の町のどこかだろう。ここから移動できるのは北のレオンドバーグか、西のガラムバーグのどちらか。

 

 ……よし、決めた。

 

「ムッツリーニ、手分けして捜そう。僕はガラムバーグへ行って捜してみるよ」

「…………分かった。俺はレオンドバーグへ行って捜す」

「おっけー。それじゃ、えーと……2日あればいいかな。僕も明後日の夜にはレオンドバーグに行く。馬車の駅の所で落ち合おう」

「…………了解」

「絶対に元の世界に帰ろう! それじゃ2日後、レオンドバーグで!」

「…………うむ」

 

 僕らは互いに拳を突き出し、ガッとぶつけ合う。そして背を向け、それぞれの道に向かって歩き出した。僕はガラムバーグへの駅馬車乗り場へ。ムッツリーニはレオンドバーグに向かう馬車乗り場へ。

 

 こうして僕らは一旦別れて行動することにした。

 

 互いに使命を果たし、再会することを約束して。

 



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第十四話 メイドの土産

 峠町サントリアを出発してから約2時間。馬車は西の王都ガラムバーグに到着した。降り立った僕は早速町の様子に目を向ける。

 

 正面には整った白い石畳の道。その両側にずらりと立ち並ぶ背の高い建物。道には一定の間隔で緑の葉を茂らせた街路樹が植えられている。町の様子はドルムバーグと同じような感じだ。というか僕には見分けが付かない。

 

 通りを歩いている人は(まば)ら。普段どれだけの人通りがあるのか分からないが、人通りが少ないように感じる。この世界の人の夜は早い。日が暮れ始めるとあっという間に町中から人が消えるのだ。太陽はもう建物の陰に隠れ、空は黒く染まりつつある。もうすぐこの道からも人の姿が消えるだろう。

 

「やっぱり聞いて回るしかないよね……」

 

 もっと効率の良い方法があれば良いのだが、他に思いつかないしノンビリもしていられない。僕は急ぎ付近の人に聞いて回ることにした。

 

 もし仲間がこの町に来ているのなら、きっと馬車を使っているだろう。ならば馬車を降りたところを誰かに目撃されている可能性が高い。そう思い、店員や周囲を歩いている人に手当たり次第に聞いて回った。だが誰に聞いても答えは「見たことないねぇ」ばかり。老若男女、誰に聞いても同じ答えを返すばかりだった。

 

「ハァ……」

 

 20件目の店を出たところで僕は大きく溜め息をつく。ここまで何の手がかりも得られていない。ただ時間だけが過ぎ去るのみだった。この時点で道を歩く人はほとんどおらず、片方の手で数えられる程度の人数しかいない。

 

「今日はもう無理かな……」

 

 僕は独り呟き、天を見上げる。空は既に暗闇に包まれていた。うっすらと見える緑色の膜のようなものは魔障壁だろう。

 

 なんだかこの世界に来てから捜し物ばかりしている気がする。もしここがゲームの世界なのだとしたら僕の行動は”クエスト”に当たるのだろう。でもここまで僕が辿ってきた道はゲームには存在しない出来事ばかりだ。これがもう少しゲームに関係した内容だったら少しは進め方も思いつくのだけど……。

 

「ハァ……」

 

 ……こうして溜め息をついていても何も解決しないか。もう少しだけ頑張ってみよう。

 

 僕は再び町を歩き始めた。足が(だる)くなってきて、もう足を運ぶのも辛い。でも諦められない。

 

 どうしてこんなにも躍起になっているのか自分でもよく分からなかった。ドルムバーグにおいての失敗が僕を(あせ)らせていたのかもしれない。あの失敗のせいで大きな時間のロスをしてしまった。失った時間を取り戻したい。心のどこかでそんな思いがあったのは確かだった。

 

 だが努力の甲斐なく日は暮れ、ついに町は暗闇に包まれてしまった。道路脇に灯った松明の火が街灯のように道を照らし、幸いなことに完全な暗闇にはなっていない。しかしこの頃にはもう誰も道を歩いてはいなかった。

 

「さすがにもう無理か……」

 

 歩き疲れてもう足が棒のようだ。体力も限界に近い。

 

「ハァ……」

 

 再び深い溜め息を吐く。この時の僕は心身共に疲れ果てていた。どうしてこうも上手くいかないんだろう。疫病神でも憑いてるんだろうか。そんなことを思いながら天を仰いでいた。頭上の空は漆黒の闇。だが視界がやけに明るい。理由は単純だった。すぐ右側に巨大な建物が立っているのだ。下の方から照らし上げる光はまるで白い柱のようだった。巨大なその建物は数本の白い光でライトアップされ、神秘的な雰囲気を(かも)し出している。

 

 この建物の感じ……ドルムバーグのあの城と同じだ。確かこの町はリオン王子の住む町。じゃあこれも王宮? いつの間にか王宮の前に来ていたのか。

 

 その時、ムッツリーニの言っていた戦争の話や、あのハーミルから馬車に同乗した親子の話を思い出した。

 

 血を分けた実の兄弟同士の国を二分する戦争。

 戦争に連れて行かれてしまった父と残された母と子。

 

 こうした戦争がどれだけの悲劇を生むのか、授業で聞いて知っていた。あの親子は無事にお父さんに会えたのだろうか。ライナス王子のあの発言からして、戦争のために人を集めているのは確かだと思う。だとしたらサーヤちゃんのお父さんも兵士として戦争への参加を強要されているんじゃないだろうか。そんなことを考えていたら、胸の中でずっと(くすぶ)っていた思いがまとまり、ひとつの意思となった。

 

 ――この戦争、なんとかして止めたい。

 

 相手は言葉の通じる人間だ。きっと話せば分かってくれる。ちゃんと腹を割って話せば理解してくれるんじゃないだろうか。考えながら僕は建物をなぞるように視線を下ろす。城は周囲を高い塀で囲まれていた。その塀をずっと辿っていくと、槍を持った2人の兵士が見えてきた。どうやら門の番をしているようだ。

 

 ……

 

 戦争を止めるには直接王子に頼むのが確実だ。でも僕の話なんて聞いてくれるだろうか。昨日のライナス王子は部下の話でさえ聞く耳を持たない感じだった。リオン王子も同じような性格だとしたら、やはり聞いてくれないような気がする。もしまた失敗して捕えられたりすれば今度こそ終わりだ。ムッツリーニは既にレオンドバーグに到着している頃だろう。待ち合わせもその町にしている今、あいつが助けに来ることはない。だからもう絶対に失敗はできない。

 

 ……とにかく話だけでも聞いてもらおう。もしかしたらちゃんと話を聞いてくれる人かもしれない。大丈夫。暴れたり暴言を吐いたりしなければ捕まったりしないはずだ。よし……。

 

 僕は思い切って門の警備をしている兵士に話し掛けてみた。

 

「あの、すみません」

「ん? どうしたこんな時間に」

「リオン王子……殿下にお会いしたいのですが」

「殿下に何用だ」

「実は殿下にお願いしたいことがあるんです」

「願い? 申してみよ」

「それは……」

 

 正直に”戦争をやめてほしい”なんて言っても取り入ってもらえないかもしれない。だけど嘘を言って入らせてもらったとしても、今度は信用してもらえなくなる。やはりここは正直に言うべきだろう。

 

「戦争が始まるという噂を聞きました。公表されてないみたいですけど、町の多くの人がそう噂しています。戦争なんて沢山の血が流れて悲しい思いをする人が増えるだけです。駆り出される兵士の人たちには家族がいる人も多いと思います。もし父親が戦争に行って帰ってこなかったら、その子供たちはどうしたらいいんでしょう。だから……戦争なんかやめてほしいんです」

 

 僕は願いを真剣に伝えた。兵士の目をじっと見つめ、心の底から訴えかけた。

 

「「……」」

 

 2人の兵士は何も言わず困ったように顔を見合わせる。そして片方の兵士が目を閉じ、静かに首を横に振った。もう一方の兵士はそれを見て頷き、

 

「お前の願いは分かった。だがこれは殿下のお決めになられること。お前が意見するようなことではない」

 

 と、やんわりと断られてしまった。庶民の意見など聞く耳持たないということか。どうして分かってくれないんだろう。戦争なんて悲しみを増やすだけで良いことなんか何も無いというのに……。

 

 昨日はここで頭に来て失敗した。今やるべきことは怒りをぶち撒けることじゃない。誠実に、思いを込めて心の底から願うことだ。

 

 僕は両膝を折り、地面に着ける。そして両手も地面に突き、両肘を曲げて頭を下げる。これは一般的に”土下座”と呼ばれる行為だ。

 

「お願いします! どうか殿下と話をさせてください!」

 

 (ひたい)を地面に擦り付けるほどに下げ、僕はひれ伏す。

 

「お、おい、やめんか! そんなことをしても殿下に会わせるわけにはいかんのだ!」

「お願いします!」

「えぇい! やめろと言うのが分からんのか! これ以上続けるなら排除するぞ!」

「話を聞いてもらうだけでいいんです! だからお願いします!!」

「貴様! しつこいぞ!」

 

 ライナス王子は僕と同じくらいの年だった。その弟と言うからにはリオン王子も同い年かちょっと下くらいだろう。同年代ならばきっと話せば分かってくれる。確信は無かったが僕はこの可能性に賭けたかった。

 

「止むを得ん。おい、排除するぞ」

「おう」

 

 2人の兵士のそんな声が頭の上から聞こえてくる。やはりダメなのか……。僕にはどうすることもできないのか……。無力な自分を呪い始めたその時、突然後ろから声を掛けられた。

 

「なんだい? この騒ぎは」

 

 それはよく通る”女性の声”だった。誰だろう? 振り向くと、すぐ後ろにメイド風の黒いロングスカート姿の女性が立っていた。

 

 僕もこんな感じのメイド服を無理やり着せられた経験がある。姫路さんや美波はその僕を見て「可愛い」と言っていたが、それは間違いだ。メイド服とは女の子が着てこそ真価を発揮するもの。僕みたいな男が着て可愛いものであるはずがない。こういう服は姫路さんや美波のような可愛い女の子が着るべきなのだ。

 

 と、この瞬間までは思っていた。しかしこの女性を見た瞬間、僕の理論は間違っていたと気付かされた。

 

 そこにいたメイド服を着た人は確かに女性だった。ただ、身長は僕と同じかそれ以上。加えて大きなお腹と大きな胸。もちろん子を宿しているからではない。4、50代の太った――もとい。ふくよかな体型の女性がそこにいたのだ。

 

 こう言っては失礼だが、お世辞にも可愛いとは言えない容姿だった。けれどそのメイド服姿はこれ以上無いくらいに似合っていた。これが本場のメイドというものなのだろうか。

 

「これはジェシカ様。お帰りなさいませ」

「あぁ、すっかり遅くなっちまったね。ところで何を騒いでるんだい?」

「実はこの者が突然現れ、殿下に会わせろと言うのです。しかしこのような素性の知れない者を通すわけにもいかず、我々も説得を試みたのですが、何度言っても聞かずこうして勝手に頭を下げている次第でありまして……」

 

 兵士のうち1人がメイド服の女性に説明する。その説明に嘘偽りは無く、まさに言う通りだった。

 

「フ~ン……そうかい」

 

 おばさんはそう言ってじっと僕を見下ろす。遠近法効果もあってか、まるで鉄人に睨まれているかのような凄い迫力だった。この人にかかったら僕なんて猫の如く首根っこをつままれて放り投げられてしまいそうだ。内心怯えながらそんなことを考えていたら、このおばさんはこんなことを言ってきた。

 

「男がここまでしてるんだ。話くらい聞いてやったらどうなんだい?」

「しかしこのような素性の知れない者を殿下の元へお通しするわけには……」

「アタシがいいって言ってるんだからいいんだよ。それともアタシの言うことが聞けないっていうのかい?」

「い、いえ! 決してそのようなことは! ですが――」

 

「男がグズグズ言うんじゃないよ! ほら、さっさと道を開けな!」

 

「「は、はいっ! かしこまりましたっ!」」

 

 2人の兵士はメイドおばさんの怒鳴り声に圧倒されたのか、慌てて門を開け始めた。このおばさん、何者なんだろう。メイドって番兵より身分が上なんだっけ?

 

「ほらアンタもいつまでも座ってないで立ちな。殿下の所に連れてってやるよ」

「へ? ほ、ほんとですか!?」

「あぁ本当だとも。けど、くれぐれも失礼な真似をするんじゃないよ。アタシの権限にも限界はあるんだからね」

「はいっ! ありがとうございます!」

 

 ゆっくりと門の中に入っていくメイドのおばさん。これで王子に直接話ができるぞ! と僕は上機嫌で後に続く。

 

 ……

 

 しかしこのおばさん、でっかいな。こうして後ろを歩いていると、見えるのはブラウンの髪を真っ直ぐ伸ばしたストレートヘアと白いカチューシャ。それと紺色のメイド服だけだ。まるでプロレスラーか相撲取りの後ろを歩いている気分だ。

 

 

 

 

          ☆

 

 

 

 真っ直ぐに伸びる真紅のじゅうたん。体育館のように高い天井。眩しいくらいにキラキラと光るシャンデリアや、金色に輝く壁の装飾品。王宮の中は”豪華”という言葉以外つけようがないくらいに豪華だった。

 

「ほへぇ……」

 

 僕は溜め息にも似た声を発しながら宮殿内を歩く。

 

「アンタ名前は何ていうんだい?」

「へ? あ、吉井です。吉井明久といいます」

「ヨシイだね。じゃあヨシイ聞くけど、アンタどうしてそんなに殿下に会いたいんだい?」

 

 それを知らずに僕を入れたの? そんなことして大丈夫なんだろうか……。

 

「えっと、実はある人から戦争が始まるって話を聞いたんです。そんなのが始まったら沢山の血が流れるし、大勢の人が悲しむと思うんです。だからどうしても戦争をやめてほしくて……」

「フ~ン……なるほどねぇ」

 

 そっけない返事をしてじゅうたんの上を歩き続けるおばさん。あまり関心が無いのだろうか。

 

「アンタの気持ちはよく分かった。けど殿下にそれを言っても止められるかどうか分からないよ?」

「……はい。でも話してみたいんです。少しでも可能性があるのなら……」

「そうかい。まぁとにかく話してみな。けどアタシは案内するだけだよ」

「はい。それで十分です」

 

 程なくして僕らは大きな扉の前に辿り着いた。どうやらこの先に王子がいるらしい。メイド服の彼女は警備していた兵士に言葉を掛け、扉を開けさせた。正面の大きな扉が開かれ、僕は大きな部屋に通される。

 

「うん? ジェシカではないか。どうしたこんな時分(じぶん)に」

 

 その部屋の中央には大きな椅子が置かれていた。今喋ったのはその椅子に座る男性だ。椅子は彼の座高に対してあまりに大きく、まるで幼児が大人用の椅子に座らされているようにも見える。だがその男は幼児ではない。ぱっと見、僕と同い年くらいに見える。

 

 どうやらあれがリオン王子のようだ。鼻が高くキリッとした顔立ちは兄のライナス王子にそっくりだ。しかし前髪を上げて(ひたい)を出したヘアスタイルのせいか、兄とは全然違う印象を受ける。

 

「殿下、お会いしたいという者をお連れしました」

 

 メイドのおばさんは(うやうや)しく礼をして王子にそう伝える。僕は慌ててピシッと身を引き締め、頭を下げた。

 

「ほう、お前が客人を連れてくるとは珍しいな。して、何用だ?」

 

 この台詞を聞いた瞬間、僕はホッと胸をなで下ろした。良かった。この様子なら話を聞いてくれそうだ。

 

(ほらヨシイ、あとはお前さん次第だよ。頑張んな)

 

 おばさんは僕の耳元でそう囁くと、部屋の脇の方へと下がっていった。僕は今一度ピッと背筋を伸ばし、足を揃えて姿勢を整える。礼儀正しく、失礼の無いように――――!

 

「は、はじめまして! 吉井といいます! 今日は殿下にお願いがあって参りました!」

 

 こんなに緊張したのはいつ以来だろうか。噛まずにハッキリと言えたのは奇跡に近い。

 

「うむ。申してみよ」

 

 王子は聞く体勢だ。これなら望みはあるかもしれない。意を決した僕は戦争について話し始めた。ハーミルから同乗したあの親子のことを伝え、何度も頭を下げ、精一杯かつ丁寧にお願いした。だが僕の願いは聞き入れてもらえなかった。

 

「仕掛けてきたのは兄貴の方だ。こちらも黙ってやられるわけにはいかん。それにここで下手(したて)に出れば兄貴はますます調子に乗るだろう。だがそうはいかん。今度こそ弟だからとなめている兄貴に思い知らせてやるのだ!」

 

 リオン王子は鼻息荒く熱弁する。でもそれってやっぱりただの兄弟喧嘩じゃないか。

 

「戦争なんて悲しみを生むだけです! もし父親が戦いで命を落とすようなことがあったらあの子はどうしたらいいんですか! あの子だけじゃありません! 他にも沢山の家族が悲しい思いをするんです! どうか思い止まってください!」

 

 僕はサーヤちゃんやお母さんの悲しげな顔を思い、必死に食い下がる。だがそれでも王子は「それは悲しいことだ」と言いながらも受け入れてはくれなかった。そして「話は終わりだ」と僕を追い出そうとする。

 

「ま、待ってください! どうか考え直してください! お願いします!」

「えぇい、やかましい! 話は終わりだと言っておろう! 衛兵! つまみ出せ!」

「「はっ!」」

 

 鎧を着た2人の兵士が両側に立ち、僕は両脇を抱えられる。

 

「くっそぉぉ! 放せ! 放せよ! まだ話が終わってないんだ!」

「こら大人しくしろ。これ以上世話を焼かせるな」

 

 2人の屈強な男が僕の両脇を軽々しく持ち上げる。そしてまさに連れ出されようという時、

 

『お待ちください殿下ァ!』

 

 メイドのおばさんが急に大声をあげた。鼓膜にビリビリ響く。なんてでっかい声だ。

 

「なんだジェシカ。お前も俺に意見しようというのか?」

「いえ。メイドである(わたくし)めにそのような越権行為が許されるはずもありません」

「では何だというのだ」

「はい、この者を私に預からせていただけないでしょうか」

「こやつを? どうしようというのだ?」

「見ず知らずの者のために土下座までしてこのガラムバーグ王宮に単身乗り込んで来るなど、なかなかできることではありません。この者と少し話をしてみたくなりました」

「ふむ……」

 

 おばさんの申し出に王子は目を閉じ、何かを考えるような仕草を見せる。

 

「……よかろう。お前の好きにするがよい」

「ありがとうございます。殿下」

「今日は寝るぞ。寝室の準備をせい!」

 

 王子はすっくと立ち上がり、赤いマントを翻しながら王の間を去っていく。なんだか良く分からないけど追い出されるのだけは避けられたようだ。でもやっぱり戦争は止められなかった。悔しいな……。

 

「さてと。それじゃ――っと、そういえばまだ名乗ってなかったね。アタシはジェシカ。ここでメイド長をやってるんだよ」

 

 メイドのおばさんが自己紹介をする。このおばさんがジェシカという名前だというのは、周りの人が呼んでいたので既に知っていた。それにしても、

 

「メイド長……ですか?」

「そうだよ。この城で働くメイドたちを取り仕切るのが仕事さ」

 

 なるほど。メイドさんたちのリーダー的存在ということか。メイドにそんな階級があるなんて知らなかったな。

 

「ところでアンタ、この町のモンじゃないね。どこから来たんだい?」

 

 ここに来るまでに同じような質問は幾度となく受けてきた。だからこの時にはもう”異世界の住民”であると説明することに躊躇いはなかった。

 

「実は僕、違う世界から飛ばされて来たんです」

「フ~ン……そうかい」

 

 あれ? それだけ? 疑ったりしないの? 今までこう答えると変な顔をされるか、信じてもらえないか、どちらかだったのに。

 

「それで今夜の宿は決まってるのかい?」

「あっ……」

 

 そういえば何も考えてなかった。仲間捜しに夢中で完全に忘れてた……。

 

「えっと……実はこの町に来てからずっと人捜しをしていまして、まだ宿とかは決めてないんです」

 

 返答を聞いたジェシカさんはニッと笑顔を作ると「ちょっと待ってな」と言って、先程入ってきた扉の方へと歩いて行った。そして扉の前で警備をしていた兵士の元へと行くと、ボソボソと何かを話し始めた。”うんうん”といった様子で話を聞いていた兵士は敬礼をして廊下を走って行く。一体何を話していたんだろう? そう思って眺めていると、ジェシカさんが戻って来た。

 

「待たせたね。それじゃ行こうか」

「ほぇ? 行くって、どこへですか?」

「アンタの部屋だよ」

「僕の部屋?」

 

 おかしいな。こんな所に僕の部屋なんてあるわけないんだけど……。何を言ってるんだろこのおばさん。

 

「客室をひとつお前さん用に確保してやったのさ。今夜は泊まっていきな」

「えぇっ!? い、いいんですか!?」

 

「ジェシカ様! 勝手にそのようなことをされては困ります!」

「そうです! 殿下の許可もなくそのようなことをされては我々がお叱りを受けてしまいます!」

 

 驚く僕の後ろで急に大声をあげる兵士たち。その反応も当然だろう。だって僕は王子に「つまみ出せ」とまで言われたわけだし。

 

「アタシは殿下からこいつの処置を任されたんだ。ダメとは言わせないよ」

「し、しかしそのような待遇はあまりにも――――」

「あぁうっさいね! あんまりガタガタ言ってるとメイド全員でストライキを起してやるよ!?」

「うぐっ……! そ、それは……もっと困ります……」

「なら文句は無いね?」

「は、はい……」

 

 メイド長には逆らえないのだろうか。兵士たちはジェシカさんに言い(くる)められ、すっかり大人しくなってしまった。

 

「よし、それじゃヨシイ、アタシについてきな」

 

 ジェシカさんは意気揚々と王の間を去って行く。僕は気まずく思いながらも彼女のあとを追い、王の間を後にした。

 



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第十五話 想いは幻を生む?

 眩しいくらいに明るい廊下を歩きながら僕は考える。部屋を用意してくれたと言うけど、こんな待遇を受けていいのだろうか。勝手に僕なんかを泊めたりしたらさっきの兵士が言う通り、ジェシカさんが叱られてしまうんじゃないだろうか?

 

「あの……本当に良かったんですか?」

「うん? 何がだい?」

「だって僕は王子に嫌われて追い出されるところだったわけだし、ジェシカさんに迷惑がかかるんじゃ……」

「あっはっはっ! 若いモンがそんなこと気にすんじゃないよ! 自分の家だと思ってゆっくりして行きな!」

 

 豪快に笑い飛ばす彼女。そんなこと言ったってなぁ……。こんなドでかい城、自分の家だなんて思えるわけがないじゃないか……。

 

「確かにアタシの身分はこの城の中じゃ低い方さ。けどね、さっきみたいな睨みを利かせることはできるんだよ」

「? どうしてですか?」

「メイドってのはね、この城にとって”なくてはならない”存在なんだ。もしメイドが働かなかったらこの城は成り立たないのさ。男共なんて普段は偉そうなこと言ってるけど、家事のこととなるとてんでダメなんだからね。情けないもんさ」

「そ、そうなんですか」

「人は食わなきゃ生きていけない。アタシらはこの城の台所を握ってる。つまりそういうことさ」

「は、はぁ……」

 

 言うことを聞かない人は御飯を食べさせてあげないよ、ってことか。凄いなぁこの人。きっと城内の男たちは誰もジェシカさんに口答えできないんだろうな。そういえば僕の母さんもこんな感じで父さんも頭が上がらないみたいだったな。

 

「しかしアンタも変わった子だねぇ。殿下に意見しようだなんてさ」

「そうですか? 僕はただ戦争なんて間違ってると思ったから……」

「そうだね。アタシも間違ってると思うよ」

「えっ? じゃあどうして止めないんですか?」

「アタシは雇われの身だからね。そんなこと言える立場じゃないのさ」

「でも間違ってると思ったら言うべきなんじゃないですか?」

「大人の世界はそうもいかないんだよ。アンタにゃまだ分からないかもしれないけどね」

 

 雇い主には逆らえないってことなんだろうか。思うように意見が言えないなんて、”働く”って辛いことなんだなぁ……。

 

「じゃあさっき王の間にいた偉そうな人たちは? あの人たちは何も言わないんですか?」

「あぁ、言わないね」

「なんでですか!? みんな戦争で血が流れても構わないって言うんですか!?」

「この城の男共はみんな殿下の言いなりさ。アンタのように殿下に意見しようなんて度胸のある奴は1人だって居やしないよ」

「ぐ……そう……ですか……」

「まぁ気にすんじゃないよ。アンタは別の世界から来たんだろう? この国で何が起ころうとお前さんが気に病む必要はないさ」

「そうはいきませんよ。目の前で悲しんでる人がいるんですから……」

「やれやれ。アンタもバカだねぇ。でも気に入ったよ。今夜はゆっくりしていきな」

「は、はぁ……」

 

 こんな豪快おばさんに気にいられても正直言ってあまり嬉しくない……。まぁ悪い気はしないけどさ。

 

「さぁ着いたよ」

 

 廊下を曲がったところでジェシカさんが立ち止まり、そう言って廊下の先を指差した。

 

「そこの奥から2つめの部屋がアンタの部屋さ。今メイドに準備をさせてるけど気にしないで入っていいよ」

 

 その指の先を見ると5つほどの扉が並んでいた。ずいぶん大きな扉だ。さっきの王の間ほどじゃないけど、幅2メートルくらいありそうだ。扉の感じから想像するに、さぞかし立派な部屋なのだろう。本当にそんな部屋を僕なんかが使っていいんだろうか。

 

「何か欲しいものがあればそのメイドに言っておくれ。それじゃ」

 

 そう言ってジェシカさんは背を向け立ち去ろうとする。

 

「えっ? ちょ、ちょっと待って! 僕に話があるんじゃないんでしたっけ?」

「アタシは仕込みの仕事が残ってるから今夜は話している時間がないんだ。明日ゆっくり聞かせてもらうよ」

「あ、そ、そうなんですか。分かりました」

 

 なるほど。部屋を用意してくれたのはそのためか。それならそうと言ってくれればいいのに……。それじゃあ、せっかく用意してくれたんだし厚意に甘えようかな。と、僕はドアノブに手を掛ける。

 

 ……待てよ? メイドが準備中だって言ってたし、ノックすべきだろうか。うん。やっぱりどんな時でも礼儀は忘れちゃいけないよね。

 

 僕はドアノブから手を放し、拳を軽く握って扉を叩く。

 

 ――トントン

 

『はーい、どうぞ』

 

 部屋の中から女性の声が聞こえてくる。やはり人が居るようだ。僕は扉を開け、中へと入る。

 

 その部屋は僕の家のリビングほど――いや、それ以上の広さがあった。部屋の中にはテーブルや大きなソファ、それに大きなベッドが置かれている。そして天井には大きなシャンデリアが釣り下げられ、柔らかな光を放っていた。す、すごい部屋だ……僕の住む家とは何もかもスケールが違いすぎる。これが本当に客室なのか? さすが王子様の宮殿は違うな……。

 

「すみません。いまベッドの準備が終わりますので……」

 

 黒いメイド服の人が大きなベッドの毛布を整えながら言う。細い身体に赤みがかったストレートヘア。やはり女性のようだ。彼女はお尻をこちらに向け、一生懸命に身体を伸ばして作業をしている。

 

 ……なんだか美波によく似た感じの後ろ姿だな。そういえば声も似ている気がする。この世界にも美波に似た人が居るんだな。

 

 僕は彼女のことを思い出し、ぼんやりとメイドの後ろ姿を眺める。っと、いくら似てるからってこんなにジロジロ見ちゃ失礼だよね。やめよう。

 

「お待たせしました。すみません。不慣れなものでして……」

 

 準備が終わったようだ。メイドさんがペコペコと頭を下げて僕に謝る。そんなに謝ることないんだけどな。何時間も待たされたわけでもないし。なんてことを思いながら顔を上げたメイドさんを見た瞬間、

 

「っ──!?」

 

 僕の心臓は大きく一度ドクンと脈打ち、止まった。

 

「えっ!? ア、アキ!?」

 

 目の前にいたのは似た人ではなく、僕のよく知る人そのものだった。信じられない再会に僕は言葉を失い、頭が真っ白になってしまう。

 

『──アキ? アキなの!?』

 

 美波の声が遠くに聞こえる。頭がふわぁっとなって意識が遠のいてしまい、呼び掛けに応じることができない。

 

『──アキ? どうしたの? ねぇアキ! どうしたのよ! 返事をして!』

 

 美波が心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。それでも僕は口を開くことすらできない。あれほど会いたかった人が目の前にいるというのに。

 

『──シマダミナミー? そっちが終わったらこっちを手伝ってー』

 

 そうしているうちに扉の外からそんな声が聞こえてきた。声は耳に入っているけど、頭の中がぐちゃぐちゃで気にしている余裕がない。

 

『──えっ? で、でも今はちょっと……』

 

『──皆明日の準備で大変なのよ。急いで来て』

 

『──は、はーい! 今行きまーす!』

 

 美波が僕の横を小走りに駆け抜けていく。それなのに僕の身体は固まっていて彼女を引き止めることもできなかった。

 

『──アキ! 仕事が終わったらすぐ戻るからね! 話したいことがいっぱいあるんだから!』

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………

 

 ハッ!

 

「あっ! ちょっ……!」

 

 ようやく我に返って振り向いた時、既に美波の姿は無かった。僕は慌てて廊下に飛び出す。

 

「美波!」

 

 終わりが見えないほどに長い廊下。その左側にはいくつもの扉が並んでいる。しかしそこに動くものは無く、橙色の松明の光がゆらゆらと廊下を照らすのみであった。

 

「くっ……!」

 

 僕は(はじ)かれたように走り出し、赤い髪のメイドを探す。しかし全力で走っても彼女の後ろ姿は見えてこない。どこかの角を曲がったのか? そう思い、曲がり角を見つける度に目を皿のようにして美波の姿を捜す。だが彼女の姿はどこにも無かった。それどころか人っ子ひとりいなかった。

 

「ど、どこに行ったんだ……!」

 

 僕は走った。必死になって彼女の姿を追った。王宮の中はまるで迷路のようだった。あちこちに曲がり角があり、どちらに進むか悩む。その都度適当に道を選び、とにかく手当たり次第に捜した。

 

「あの! すみません! 赤い髪をしたメイドを見ませんでしたか!?」

 

 やっと1人の兵士を見つけ、尋ねる。

 

「赤い髪のメイド? ハテ……そんなのいたかなぁ」

「そうですか! ありがとうございます!」

「あ! ちょっと君!」

 

 時間を勿体なく思った僕はさっさと話を切り上げて走り出す。この後も廊下で何人かに出会い、その都度彼女の居場所を尋ねる。しかし誰もが口を揃えて「見ていない」と言う。

 

 そうして20人くらいに聞きまくっただろうか。

 

「ハァ、ハァ……み、美波……」

 

 元々体力を消耗していた僕はついに走れなくなり、壁に背を(もた)れかけて座り込んでしまう。そうして肩で息をしていると、少し冷静になってきた。次第に頭から熱が抜けて行き、思考力が戻ってくる。

 

 もしかしてあれは幻だったんだろうか……。この世界に来てから今日で6日目だ。ここに来る前は毎日欠かさず会っていたというのに、もう6日間も会えていない。だからあまりに”会いたい”と強く願ってしまって、ありもしない幻を見たのかもしれない。そういえば髪型も違った気がする。きっとそうなんだ。焦り過ぎて似た雰囲気の人が美波に見えただけなんだ……。

 

 ハァ…………しょうがない。とりあえず部屋に戻るか。

 

 そう思って立ち上がった時、思わぬ事態に陥っていることに気付いた。

 

「……ここ、どこ?」

 

 迷子だった。

 

 右を見ても左を見ても似たような廊下が続くばかり。どちらから来たのかも覚えていない。どうしよう……こんな所で迷子だなんて……。と、とにかく見覚えのある場所に出よう。そうすればそこからジェシカさんに案内してもらった道に戻れるかもしれない。

 

 そう思って歩き出したものの、事態はますます悪化してしまった。見たことも無い場所に出てしまい、余計に分からなくなってしまったのだ。

 

「あぁもう……僕のバカぁ……」

 

 王子の説得に失敗し、仲間捜しも中途半端。更にはせっかく用意してくれた部屋を飛び出して、帰り道が分からなくなるという体たらく。何もかも上手く行かない。そんな自分が嫌になってしまい、僕は廊下で自らの頭をポカポカと叩いていた。

 

「うん? ヨシイじゃないか。アンタこんな所で何してんだい?」

 

 すると背後から聞き覚えのある声がした。

 

「ジェシカさん! 助かったぁ……」

「こんな所でどうしたのさ。トイレかい? トイレなら部屋に付いてただろう?」

「あ、いえ、トイレじゃなくて、その……道に迷ってしまって……」

「はぁ? 何をやってるんだいアンタは……」

 

 呆れられてしまった。そりゃそうだよね。僕だって自分自身を呆れていたんだから。

 

「しょうがない子だねぇ。アタシについてきな。もう一度案内してやるよ」

「す、すみません」

 

 僕はジェシカさんの大きな身体の後ろを肩身の狭い思いをしながら歩く。恥ずかしい。ついさっき案内してもらったばかりだと言うのに……。

 

「ところでアンタどうしてこんな所まで来たんだい?」

「それが、その……」

 

 きっと僕の見間違いだよね……。

 

「美波がいたような気がして……それで後を追っていたらいつの間にかここに来ていて……」

「ミナミ? シマダミナミのことかい?」

 

 !?

 

「そ、そうです! 島田美波!! どうして知ってるんですか!? もしかしてここにいるんですか!?」

「あぁ、いるよ?」

 

 美波がここにいる!!

 

「今どこにいるんですか!? 教えてください!!」

「なんだい、男が大騒ぎして。みっともないよ? 少しは落ち着きな」

「で、でも美波が! 僕の大切な人なんです!」

「あぁもう! うっさいねこの子は!! 慌てるんじゃないよ! あの子なら仕事中だよ! 終わったら向かわせるから後にしな!」

「うぐ……わ……分かりました……」

 

 ジェシカさんに怒鳴られてしまった。この人、怒ると怖いな……。でもやっぱりあれは美波だったんだ。やっぱりこの世界に来ていたんだ。あの様子ならきっと怪我もしてないよね。無事で良かった……。あぁ、早く会いたいなぁ……。

 

「それにしてもお前さんがこんなに取り乱すとはね。そんなにあの子が気に入ったのかい?」

「気に入ったというか何というか……。美波は僕の……その…………」

「うん? 何だい? ハッキリお言いよ」

「えっと、か、彼女……だから……」

 

 こうして改めて言うと恥ずかしいもんだな……。だいぶ慣れたつもりだったけど、こういったことを話そうとすると(いま)だにドキドキしてしまう。一体いつになったら慣れるんだろう……。

 

「僕の彼女? どういう意味だい?」

 

 そうか、この世界じゃ付き合っている女の子のことを”彼女”と言わないのか。

 

「えぇと……僕にとって一番大切にしたい人……って言えば分かります?」

 

 このあとすぐ僕は顔を真っ赤にしてしまった。恥ずかしい。顔から火が吹き出しそうだ。自分で説明しておきながら何をやってるんだろう、僕……。

 

「ふふ……そうかい。やっぱりアタシの思った通りだったね」

「へっ? ど、どういうことですか?」

「ほれ、着いたよ。大人しくこの部屋で待ってな」

 

 ジェシカさんは僕の質問には答えず、先程と同じように廊下の先を指差す。そこは確かに先程案内してもらった部屋だった。廊下の感じにも見覚えがある。

 

「あんまりウロチョロするんじゃないよ。また迷子になったりしたら面倒だからね」

「は、はい。すみません……」

 

 ジェシカさんの言葉に従い、僕は部屋で待つことにした。彼女の言うことが嘘でないのであれば、ここで待っていれば美波は来るはずだ。僕はベッドに寝転がり、期待半分不安半分の心持ちで時が経つのを待つ。

 

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………

 

 

 長い。待っている時間をこれほど長いと感じたのは初めてかもしれない。古典の授業が終わるのを待っている時より長く感じる。でも待たなくちゃいけない。きっと美波が戻ってきてくれるから。そう思いながらも睡魔に襲われ、僕はいつしか眠りに落ちていった。

 



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第十六話 再会

 ――トントン

 

 

 どれくらい眠っていただろう。扉を叩く音で僕は目を覚ました。

 

「ふぇっ!? あぷっ、ど、どうぞっ!」

 

 寝ぼけていたため奇妙な言葉を発しながら答える。すると扉が開き、1人のメイドが姿を見せた。

 

 吊り上がった大きな瞳。

 赤みがかったシルクのようにしなやかな髪。

 黒いメイド服に白いエプロン姿。

 

 髪形がポニーテールではなくロングのストレートになっているが……間違いない。美波だ。

 

「美波? 美波なんだね?」

 

 僕は立ち上がり、入り口の向こうで佇む彼女に向かって話し掛ける。

 

「……」

 

 だが彼女は返事をしなかった。美波じゃないのか……? いや、この姿を僕が見間違うわけがない。きっと何か理由があるに違いない。とにかく話をしてみよう。

 

「美波、無事だったんだね。良かった……凄く心配したんだよ? さ、入ってよ」

 

 美波は動かなかった。彼女は片手に握った拳を胸に当て、じっとこちらを見つめている。

 

「どうしたのさ。そんな所に立ってないで入っておいでよ」

「あの……」

「うん?」

「……ホントにアキなの?」

「もちろんさ」

「ホントにホント?」

 

 眉をひそめ(いぶか)しげな視線を送る美波。何を疑っているんだろう。もしかしてこの世界に来て僕の人相が変わってしまったとか? まさかね。そんなことはないはずさ。

 

「正真正銘、吉井明久だよ」

「……」

 

 それでもなお彼女は恐る恐るといった感じに視線を向ける。まだ信じていないようだ。こういう時はやっぱり美波と共有している経験を語るのが一番かな。きっと2人の思い出を話していれば分かってくれるだろう。そう思って僕は彼女に語りかけた。しかし誤解が解けるのにそう時間は掛からなかった。

 

「そういえば今日はポニーテールにしてないんだね。いつもと髪型が違うから一瞬分からなかっ────おわっ!?」

 

 髪形の話をした瞬間、美波は目を大きく見開き、両腕を広げて飛び込んできた。そんな彼女を僕は咄嗟に受け止める。

 

「バカっ! バカバカバカっ!!」

 

 美波は両手に拳を握り、僕の胸を叩きはじめた。

 

「今までどこにいたのよ! ウチがどれだけ心配したと思ってるの!!」

 

 ドスドスと胸を叩く。どうやら僕が本物であると認識してくれたようだ。……って言うか……。

 

「ちょっ……ちょっとっ……、み、美波っ? い、痛いっ……よっ!?」

 

 彼女の拳は本気だった。かなり興奮しているようだ。ゼロ距離で拳を叩き込まれ、息ができない。こ、このままではせっかく再会したのに息の根を止められてしまう!

 

「ま、待って美波、ごっ、ごめん、ごめんってば! 許して!」

「バカバカっ! アキのバカっ……!」

 

 何度も罵倒される。それでもそんな彼女を(いとお)しく思ってしまう。それはこの拳が僕を心配してくれた証であることを知っているから。しかしそうは言っても痛い。なんとか落ち着かせて止めてもらわないと……。

 

「絶対離さないって……言ったのにぃっ……」

 

 僕が手を打つ必要は無かった。しばらくして美波は拳を止め、今度は僕の胸に顔を押し付け、ぎゅっと抱き締めてきた。身体が密着し、彼女の温もりが伝わってくる。

 

「遅くなってごめんね。でも僕も必死に探したんだよ」

 

 僕はその抱擁に応えるように、そっと彼女の肩に手を添える。こんな異世界でも美波の華奢(きゃしゃ)な身体はいつもと変わりはなかった。

 

「ホントに……怖かったん……だからぁ……」

 

 美波は声を震わせ、強く抱きついてくる。あぁそうだ……この感じ。この両腕にちょうど収まる感じの肩幅。この赤みを帯びたサラサラの綺麗な髪。ずっと会いたかった、僕の一番大切な人だ。

 

「ごめんね。会いたかったよ、美波……」

 

 胸がジンと熱くなり、彼女を抱き締める。ぎゅっと、強く、優しく。僕は彼女を抱き締めた。

 

「うん……うんっ……!」

 

 美波も負けじと抱き締め返してくる。こうして僕たちはしばらくの間、お互いの存在を確かめ合うように抱きしめ合った。

 

 ……

 

 どれくらいの時間こうしていただろう。高ぶる気持ちがようやく落ち着いてきた頃────

 

「もう絶対に離しちゃダメなんだからねっ! それからこの埋め合わせはきっちりしてもらうから!」

 

 ガバッと顔を上げ、美波が急に怒ったように声をあげた。彼女は眉を吊り上げ、大きな瞳で僕を睨みつける。しかしその両目にはうっすらと涙を滲ませていた。

 

「あぁ、埋め合わせでも付け合わせでもなんでもするよ」

「ホントに?」

「うん」

「ホントにホント?」

「うん。嘘はつかないよ」

「じゃあキスして」

 

 oh……いきなり難易度Maxな要求が来ちゃったよ……。

 

「え、えっと……。今ここで?」

 

 戸惑う僕。それを気にする様子もなく、美波は目を瞑って顎を上げ、唇を突き出す。

 

 美波とは付き合いはじめてからも何度かキスを交わしている。けど、その……やっぱり僕にはこうした行為がとっても恥ずかしくて……。それにこんな王宮の客室でなんて……。そ、そうだっ!

 

「じゃ、じゃあ、行くよ」

「……うん」

 

 意を決し、僕はチュッと音を立てて彼女に口づけをする。

 

「……?」

「はい、おしまいっ!」

「むぅ~っ。どうして”おでこ”なのよっ!」

「や、約束は守ったよ?」

「む~っ!」

 

 美波は不服そうに唇を尖らせる。(ひたい)だけど、これだって立派なキスのはず。嘘はついてないよね。

 

「ふふ……まぁいいわ。許してあげる」

 

 美波はそう言うと僕を解放し、今度は真顔で尋ねてきた。

 

「それでアキ、この世界って何なの?」

 

 それは僕の方が聞きたい。

 

「それが僕にも分からないんだ」

「えっ? そうなの? こんな変なことが起きるなんてアンタか坂本がまた何かやったんだと思ってたわ」

「まず僕を疑うのはやめてくれないかな……」

 

 酷い濡れ衣だ。と思ったけど、原因ってやっぱりあのコンセントなんだろうか。だとしたら僕のせいということになるけど……。

 

「だっていつもそうじゃない。……あっ、そうだ!」

「うん?」

「ねぇアキ、どうしてアキはウチがここにいるって分かったの?」

「いや、僕だってここに美波がいるなんて知らなかったよ」

「そうなの? じゃあどうやってここに来たの?」

「えぇと、順を追って説明した方がいいね」

 

 落ち着いて話したかった僕はベッドに腰掛ける。すると美波はその隣に同じように腰を降ろした。そんな彼女の存在を嬉しく思いながら、僕はこれまでの出来事を順に説明していった。

 

 この世界に放り出された時のこと。

 魔獣に襲われたこと。

 元の世界に戻るための情報を探しに出たこと。

 そして、戦争が起りそうなこと。

 

「えぇっ!? せ、戦争!?」

「うん。知らなかった?」

「し、知らないわよそんなの……」

「ジェシカさんは何も言ってないの?」

「仕事は色々と教えてくれたけど、そんなことは教えてもらってないわ」

「う~ん……何か事情があるのかな。とりあえず話を続けるね」

 

 僕はここまでの道のりを思い出しながら話を続けた。

 

 戦争を止めたくてライナス王子に願い入れたこと。

 捕まって牢屋に放り込まれたこと。

 ムッツリーニと一緒に脱出したこと。

 

「土屋もいたの? それじゃあ、もしかして教室にいた全員がここに来てるの?」

「う~ん……どうなんだろう。こうして3人がここにいるってことは可能性はあるかもしれない」

「あの時ほかに一緒にいたのは確か……瑞希と翔子と坂本と……あと木下だったかしら」

「うん。確かそうだったと思う」

「もし皆も来てるのなら一緒に行動した方がいいんじゃない?」

「僕もそう思うけど……。でもこの世界って携帯電話も無いし、連絡手段が無いんだよね」

「それもそうね……。それで土屋はどこに行ったの?」

「ミロードから別行動してるよ。あいつは今頃レオンドバーグって町で元の世界に帰る方法を探してるはずさ」

「へぇ、意外と熱心ね」

「この世界にはカメラとか盗聴器が無いから元の世界に帰りたいんだってさ」

「やっぱりそれなのね。土屋も相変わらずね」

 

 最大の理由がパソコンに入っている画像を守りたいからだってことは言わないでおいてやろう。

 

「あいつとは明後日の夜にレオンドバーグで合流することになってるんだ」

「そのレオンドバーグって町の名前よね? どうやって行くの?」

「馬車だよ。この世界の交通機関って馬車だけみたいなんだ。この町から直通出てるのかな?」

「ウチはずっとこの王宮に籠ってたから分からないわ」

「そっか、それじゃ明日町に出て確認してくるよ」

「ウチも一緒に行きたいけど、メイドの仕事があるのよね……」

「なら美波はそっちを優先してよ。調べ物は僕の仕事さ」

「でも明後日待ち合わせなんでしょ? それならウチもここの仕事を辞めないと」

「あ、そうか」

「明日ジェシカさんに言うわ。お世話になったからしっかりお礼言っとかなくちゃ」

「そういえば美波はこの世界に飛ばされた時ここにいたの?」

「ううん。別の町よ」

 

 美波はこの世界に来てからのことを話してくれた。

 

 彼女は気付いたらミロードにいたのだという。しかしその到着した場所が問題で、なんと噴水のプールの中だったらしい。ずぶ濡れになってしまい、しかも見知らぬ町。そのまましばらく町を歩いてみたものの、レンガや石造りのまったく見覚えの無い町並み。そして歩き疲れ、途方に暮れて公園のベンチに座っていたところをメイド長のジェシカさんに声を掛けられたという。

 

 最初はジェシカさんも美波の言っていることを理解してくれなかったらしい。けれど話しているうちに”異国の者”という認識をしてくれたそうだ。

 

 しかしそれが理解できても美波の言う国がどこにあるのか分からないし、帰り方も知らない。そこでジェシカさんは「うちで働きながら探しなさい」と言ってくれたそうだ。美波はその言葉に従い、王宮に案内され、メイドとして働くことになったのだという。なるほど。あの男の子の目撃証言はちょうど美波がこの世界に飛ばされてきた時の話だったのだろう。

 

「そっか。それでメイド服なんか着てるんだね」

「そうよ。どう? 似合う?」

 

 美波は立ち上がると、黒いスカートを(ひるがえ)しながらくるりと回ってみせた。長い髪がふわりと舞い、キラキラと光を(まと)っているように見える。いつものリボンの代わりに白いカチューシャを頭に乗せていることに多少違和感を覚えたものの、やはり可愛い。

 

「うん。とっても可愛いよ」

 

 僕は思ったことをそのまま口にした。

 

「やだもうっ、アキったらぁっ!」

「ぶべっ!」

 

 照れ隠しの右ストレートが僕の左頬に突き刺さる。

 

「ふぐぉぉぉっ!!」

 

 久々の美波のパンチは凄まじく痛かった。

 

「あっ! ご、ごめんねアキ! つい……」

「いっててぇ……。なんか腕っ節上がってない?」

「えっ!? やだっ、ホント!? メイドの仕事って力作業が多いから筋肉ついちゃったのかなぁ……」

 

 美波は自らの腕をまじまじと見つめる。そんな彼女を見ていると、やはり不思議に思ってしまう。あの細い腕からどうやってあれほどの威力を出すのだろう、と。

 

「西村先生みたいになっちゃったらどうしよう……」

 

 メイド服姿の筋肉ダルマが脳裏に浮かぶ。そんな美波は僕だって嫌だ。

 

「だ、大丈夫だよ。鉄人は暇さえあれば筋トレしてるんだ。それくらいしないとあんな風にはならないよ」

「ホントに……?」

「もちろんさ」

 

 ん? 力……? そうだ!

 

「力で思い出した! 実は僕、凄い力が使えるようになったんだ」

「力?」

「うん。言うより見せた方が早いかな」

 

 僕は立ち上がり、部屋の真ん中へ出る。

 

「危ないからちょっと離れてて」

「? うん」

 

 美波はベッドに腰掛け、こちらを不思議そうに見つめる。よし、

 

試獣装着(サモン)!」

 

 喚び声と共に僕の足元に見慣れた幾何学模様が浮かび上がる。そこからパァッと光が溢れ出し、僕の身体を一瞬で包み込む。そしてその光は僕の衣装を黒い改造学ランへと変化させると、スゥッと消えて行った。

 

「えぇっ!? な、何よそれ! どういうこと!?」

 

 美波は大きな目を丸くして驚きの声をあげる。

 

「最初にこれができた時は僕もびっくりしたよ。これで召喚獣の力が使えるみたいなんだ」

「召喚獣の力?」

「うん。この状態だと魔獣も一撃で倒せたんだ。多分いつもの何倍もの力が出せるんだと思う」

「信じられないわ……夢でも見てるみたい」

 

 夢なら覚めてほしい。何度そう思ったことか。

 

「ねぇアキ、それってウチにもできるの?」

「どうだろう。僕にできたくらいだから美波にもできるんじゃないかな。やってみる?」

「そうね。それじゃ」

 

 美波は立ち上がって片手を上げる。そして、

 

「──試獣装着(サモン)!」

 

 喚び声に応えるように彼女の足元に幾何学的な模様が浮かび上がる。その姿はすぐに光に包まれ、次の瞬間、華麗に変身した彼女が姿を現した。

 

 丈の短い青い軍服。

 襟元を飾る緑のスカーフ。

 すらりとした長い足を強調するかのような白いズボン。

 そして腰に下げたサーベル。

 

 彼女の召喚獣のスタイルそのものだった。ひとつ違うのは、頭に水色のバイザーを付けているところだ。

 

「嘘みたい……」

 

 溜め息にも似た声で呟く美波。やはり試獣装着できるのは僕だけではなかった。恐らくムッツリーニにもできるのだろう。

 

「でもこれって一学期の時の格好ね」

「ん? そういえばそうだね」

「アキのはどうなの?」

「僕の? ちょっと待って」

 

 そういえば二学期は裏生地に刺繍が入ったのだと思い出し、学ランを脱いで内側を確認する。

 

 ……無い。

 

「僕のも一学期のみたいだ」

「どうしてかしらね。どうせなら二学期の騎士服とランスがよかったわ」

「まぁいいんじゃない? その服って凄くかっこいいし、僕は好きだよ?」

「そ、そう? ありがと。えへ……」

 

 美波は嬉しそうに笑みを浮かべる。それにしても軍服姿の美波もすっごく可愛いなぁ……。

 

「ねぇアキ、ところでこれってどうやって解除するの?」

「さぁ?」

「さぁ? って、どうすんのよ! 明日も仕事があるのよ!? この格好じゃ仕事できないじゃない!」

「大丈夫だよ。バイザーに黄色いバーが表示されてるだろう?」

「バイザー? バイザーってこの頭のやつ? あ、なんか棒が表示されてるわね」

「その黄色いバーが消えると勝手に解除されるんだ」

「ふ~ん……でもなんか不便ね。他に解除する方法って無いのかしら」

「どうだろう。召喚獣も召喚フィールドを抜けるしか消す手段無かったからなぁ……」

「そうね……解除だからキャンセル! とかリリース! とか言ってみたら解除されないかしら」

 

 彼女の姿に変化は無かった。

 

「ダメみたいだね」

「う~ん……。あ、じゃあアウト! なんてどうかしら?」

 

 そう言った直後、美波の身体は再び光に包まれた。そしてその光が消えると彼女の姿は元のメイド服に戻っていた。

 

「あっ! 見て見てアキ! 解除されたわ!」

「か、解除できるんだ……」

「ほら、大人の召喚獣の時もこれで消えたじゃない?」

「そういえばそうだっけ」

「アキもやってみたら?」

「うん。そうだね。──装着解除(アウト)!」

 

 美波の真似をして片手を上げ、キーワードを口にする。すると僕の学ランも消え、元の制服に戻った。

 

「お、できた」

「これで自由に装着と解除ができるわね」

「うん。美波のおかげで勉強になったよ」

 

 その時、トントンと扉を叩く音がした。

 

「はい、どうぞー?」

 

 返事をするとガチャリと扉が開き、「失礼します」と1人のメイドが入ってきた。

 

「こちらにシマダミナミがお邪魔──あっ、いたいた! シマダミナミ、明日の仕込みをするからすぐ調理場に来て!」

「あっ! ウチまだ仕事の途中だったわ!」

「へ? そうなの?」

「すみません! すぐ行きます!」

「なんか今夜は沢山作らないといけないらしいから、すぐ来てね」

 

 そう言うとメイドは扉を閉め、去っていく。

 

「ごめんねアキ。ウチ仕事に行かなくちゃ」

「分かった。頑張ってね」

「今日はもう寝るでしょ? 明日の朝、起こしに来るわね」

「無理しないでいいよ?」

「心配してくれるの? ありがと。でも大丈夫よ。それじゃおやすみ!」

 

 美波はそう言ってパタパタと部屋を出て行く。もっと話したかったけど、仕事があるのなら仕方がない。大丈夫。明日また会えるんだから。

 

「ハァ~……」

 

 僕は大きく溜め息を吐く。でもこれは後悔や疲れを示すものではない。美波と会えて良かった。そういう”安堵”の溜め息なのだ。

 

 

 

 ――――この日、僕は初めて神に感謝した。

 



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第十七話 慌ただしい朝

 翌朝。

 

 パチリと目が覚めた。とても清々しい目覚めだった。美波と会えたことで最も重かった気掛かりが解消したからだろう。僕は窓のカーテンを開け、光を部屋に取り入れる。そこから見えた中庭には心地よい日の光が差し込んでいた。

 

「ん~っ! ……はぁ~……。うん、いい天気だ」

 

 思いっきり両腕を伸ばし、朝の心地よさを満喫していると、

 

 ――トントン

 

 扉をノックする音が聞こえた。

 

「どうぞー?」

 

 快く返事をするとガチャリと扉が開き、1人のメイドが姿を現した。美波だ。

 

「おはようございます。ご主人様」

 

 深々とお辞儀をして美波が言う。

 

「お……おはよう美波。っていうか、ご、ご主人様ぁ??」

「ふふっ、どう? 雰囲気出てたでしょ」

「あぁ、メイドの真似をしたのか。びっくりしたぁ……」

「真似じゃなくて今のウチはメイドなんだけどね。朝食を持って来たの。食べるでしょ?」

 

 そう言って彼女はワゴンを押しながら部屋に入ってきた。

 

「うん。ありがとう、いただくよ」

 

 彼女はテーブルに真っ白なクロスを敷くと、その上に料理の乗った皿を置いていく。手際が良いというか、とても慣れた感じだ。

 

「さ、座ってアキ」

「なんか悪いね」

 

 僕は美波に薦められるままテーブル席に腰かける。

 

「いいのよ。これがウチの仕事なんだから」

 

 そう言いながら美波はテーブルの向かい側の席に座った。

 

「これ、(まかな)いの料理なんだけど結構美味しいのよ?」

「へぇ~、これが賄いなんだ」

 

 どうやら洋食メニューのようだ。テーブルの上にはパンやソーセージなどが乗った皿、それにジャムやスープなどが並べられている。一般的な洋食メニューだけど、焼いたソーセージの芳ばしい香りがしてくる。これは美味しそうだ。では早速いただこう。

 

 と手を伸ばそうとすると、美波がフォークを取り皿の上のニンジンを刺し取った。そうか。これ2人分なのか。美波もこれから朝ご飯なんだな。ん? でもそれにしてはちょっと量が少ないような? なんて思っていると……。

 

「はい、ご主人様。あーん」

「あーん」

 

 ……ハッ!?

 

「なっ、何してんの!? 思わず口を開けちゃったじゃないか! 自分で食べられるよ!?」

「いいじゃない。ほら、口を開けなさいよ」

「い、いいってば。自分で食べるよ」

「なによ。せっかく気分を出してあげようと思ったのに」

「だって……は、恥ずかしいじゃないか……」

「ウチは平気よ?」

「僕が恥ずかしいの!」

「もう、アキったら恥ずかしがり屋ね。誰も見てないのに」

 

 クスクスと笑いながら美波がフォークを口に運び、パクッとニンジンを食べる。

 

「いや、だって美波が見てるじゃないか」

「当たり前じゃない。ウチはアキの恥ずかしがる顔を見たくてやってるんだから」

 

 そう言うと彼女はフォークをくるりとひっくり返し、渡してきた。

 

「勘弁してよ……」

 

 僕はフォークを受け取るとウインナーを突き刺し、口に運ぶ。パキッという感じの歯触り。お、荒挽きソーセージか。これは美味しい。

 

「あーあ。つまんない。もっとアキも乗ってくれればいいのに」

 

 美波がテーブルで頬杖を突きながら、ぷぅっと頬を膨らませる。

 

「そんなこと言ったってさぁ……」

 

 そりゃあ、ふっ切れればもっとバカになれるのだろう。でも僕はまだ美波に対して遠慮というか、後ろめたさのようなものを感じている。どうしても”まだ彼氏として相応しくない”という意識が働いてしまうんだ。美波がもっとベタベタしたいって思ってるのは分かってるんだけど……。

 

「それでアキ、この後どうするの?」

「ん。この後って?」

「朝食の後の話よ」

「あぁ、ムッツリーニとの待ち合わせは明日の夜だから今日は特に予定は無いかな。美波は?」

「ウチも今日の仕事は無しよ。昨日ジェシカさんにアキと一緒に行きたいって言ったら仕事はもういいから行きなさいって言ってくれたの」

「そっか。それじゃ今日はお互いフリーだね」

 

 それじゃ今日は一緒に町に出てみようか。と話そうかと考えていると、ドンドンドンと慌ただしく扉が叩かれた。

 

『シマダ、ヨシイ、いるんだろう? 開けておくれ!』

 

 この声はジェシカさんだろうか。ずいぶん慌てているようだ。どうしたんだろう?

 

「はーい、今開けます」

 

 美波が答えながら扉を開ける。すると大きな身体のメイド長が飛び込んで来て、扉をバタンと乱暴に閉めた。

 

「2人とも、ここをすぐに出るんだよ!」

「えっ? 今すぐにですか? まだアキに朝食を食べさせてるんですけど……」

 

 美味しくいただいてますが、食べさせてもらってはいません。

 

「さっき殿下が兵を引き連れてここを出たんだけどね、あれはどう見ても人間相手の装備だよ」

「人間相手……? ま、まさか戦争に!?」

 

 そうか、ライナス王子はあの時”2日後”と言っていた。思えばあれから2日。今日がその日だったのか!

 

「厳戒態勢命令を出していったから、きっとそうだろうね」

「厳戒態勢?」

「あぁそうさ。殿下が戻られるまで何人(なんぴと)たりとも城を出入りさせるな、とさ」

「え……そ、それじゃ僕たちも出られないんですか!?」

「そういうことだね。けどアンタらはアタシが責任を持ってこの城から出してやるよ。戦争なんてアンタらには関係の無いことだからね」

「で、でもそんなことをしたらジェシカさんが反逆者になっちゃうんじゃないですか?」

「安心をしシマダ。アタシが何年この城のメイドをやってきたと思ってるんだい? 適当にごまかしてやるよ」

「ジェシカさん……」

「さぁ早く仕度しな。リオン殿下が負けるとは思わないけど、万が一負けるようなことがあれば敵兵がここまで攻めてくるよ」

「それならジェシカさんも一緒に逃げましょうよ!」

 

 美波の提案にメイド長は静かに首を横に振る。

 

「最後まで主人に尽くす。それがメイドの仕事さ」

「そんな……」

「悩んでる暇は無いよ。今はまだ町の人もこのことを知らされてないけど、それも時間の問題さ。噂が広まったら町は大混乱に陥る。そうなったら馬車も町から逃げる人で満員さ」

「く……」

 

 できることならこの戦争、止めたかった。悲しみだけを産み出すこの愚かな行為を止めたかった。悔しい……。自分には止められないのか。何もできないのか。

 

 ……いや、今はそんなことを気にしている時ではない。ジェシカさんがこうして僕らを逃がそうとしてくれているんだ。その思いを無駄にしちゃいけない。

 

「美波。行こう」

「で、でも!」

「ジェシカさんの気持ちを考えるんだ。僕らが今やるべきこと、分かるよね」

「分かってるわよ! 分かってるけど……」

「そうだよシマダ、アンタは元々この世界の人間じゃないんだ。アンタらが巻き込まれる必要なんてないんだよ。さぁこれに着替えて早くお行き」

 

 ジェシカさんはそう言って畳まれた服を差し出してきた。

 

 赤のスカートとネクタイ。

 白いワイシャツ。

 紺色のブレザー。

 

 紛れもなく文月学園の制服だ。

 

「これって……ウチの……制服?」

「あぁ。昨日門の前でこれと同じ服を着ているヨシイを見た時にピンと来たんだ。この子はきっとシマダを迎えに来たんだってね」

 

 そうか、それで昨日ジェシカさんは何も聞かずに僕を入れてくれたのか。こうして美波と再会できたのは奇跡でもなんでもない。ジェシカさんのおかげだったんだ……。

 

「これはアンタらの世界の服なんだろう? アタシが洗っておいたから新品同様だよ」

「ジェシカさん……ありがとうございます……。ウチ、なんてお礼を言っていいか……」

「礼なんていいから早く着替えな」

「はいっ!」

 

 美波は元気に返事をすると、黒いワンピースを脱ごうとする。……って!?

 

「わぁっ! ちょ、ちょっと待って美波!?」

「えっ?」

「えっ? じゃないよ! ここで着替えるの!?」

「だって他の部屋に移ってる暇なんて――あっ! あ、アンタは後ろを向いてなさいっ!」

「う、うん」

「絶対にこっち見ちゃダメだからね!」

「わ、分かってるよ」

 

 言わなかったら生着替えを拝めたんだろうか。なんてことを一瞬思ったけど、そんなことをしたら殺されるよね。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 美波の着替えが終わり、僕たちはジェシカさんの案内で廊下を歩く。途中何人もの兵士とすれ違ったが、僕たちを呼び止める者はいなかった。誰もが深刻そうな顔をして、慌ただしくドタバタと走り去って行く。

 

 ――これはただ事ではない。

 

 僕は肌でそれを感じ取っていた。

 

「アキ……」

 

 美波が僕の袖をつまみ不安げな声をあげる。こんな経験は初めてなのだ。不安は当然だろう。

 

(大丈夫。僕たちを捕まえようってわけじゃないから)

 

 僕は囁き、美波の手を取りぎゅっと握る。こうすることで少しでも不安を拭えればと思ったから。

 

「いいかい2人とも、よくお聞き」

 

 先頭を歩くジェシカさんが深刻そうな声で話し始めた。

 

「「はい」」

 

 僕と美波はその語気に込められた思いを察し、揃って返事をする。

 

「さっき話したとおり今は誰も城から出られないようになってる。特に正門と裏門は厳重に警戒されてるだろう。蟻一匹通さないくらいにね」

「そんな……じゃあどうやって出ればいいんですか?」

 

 美波が僕の手をぎゅっと握り返しながら尋ねる。

 

「正門と裏門は無理だね。だから通用口から出るよ」

「通用口?」

「あぁ。シマダは使ったこと無いだろうけど、この城にはメイド専用の出入り口があるのさ」

 

 つまり一般家庭で言う”勝手口”というやつだろうか。

 

「そこも警備兵が見張ってるだろうけど人数は少ないはずさ。アタシがそいつらに話しをつける。アンタらはうまく口裏を合わせるんだよ」

「「はいっ!」」

 

 話を終え、僕らは黙って廊下を歩く。前方には静かに歩を進める大きな身体。そんなジェシカさんに僕は不思議な頼もしさを感じていた。

 

 

 ――――5分後

 

 

「ここだよ」

 

 木の扉の前でジェシカさんが立ち止まって言う。どうやらここが通用口らしい。その扉はジェシカさんの身体がようやく通れるくらいの小さなものだった。彼女はスカートのポケットからカギを取り出し、その扉を開ける。

 

「さぁ、ついて来な」

 

 そう言ってジェシカさんは扉をくぐるように出て行く。扉の向うを見ると、そこは緑の芝生が生える道だった。その少し先には黒い門があり、その向こう側には銀色の鎧を纏った兵士が1人いるのが見える。

 

「見張りが1人いるね。アタシが話をつけるから何気ない顔で”行ってきます”と言って通るんだ。いいね?」

「「……」」

 

 ジェシカさんの言葉に僕らは返事ができなかった。美波が今にも泣きそうな顔をしていて、僕はそれをどうしたらいいのか分からなかったから。

 

「そんな顔をするんじゃないよシマダ。アンタはヨシイと一緒に帰るんだろう?」

「……はい」

「よし、さぁ行くよ」

「お世話になりました……!」

 

 美波は髪が逆さまになるくらいに深々と頭を下げ、礼を言う。

 

「ジェシカさん、僕からもお礼を言います。美波を助けてくれて、ありがとうございました」

 

 僕も美波と同じくらいに腰を曲げ、頭を下げる。

 

「あんまりアタシらのことを気にすんじゃないよ。なぁに、お互い運が悪かったらまた会えるだろうさ」

「「はいっ!」」

 

 僕らは頭を上げると顔を見合わせ、互いに”うん”と頷く。そして先行するジェシカさんに続き、小さな扉から外に出た。

 

「ちょいとここを開けておくれ」

「これはジェシカ様。ですが今は誰も通すなとの命令を受けております。申し訳ありませんが、ジェシカ様といえどもお通しするわけにはいきません」

「いいのかい? それじゃアンタの食事は抜きだよ?」

「えぇっ!? な、なぜですか!? まさか私を脅迫するおつもりですか!?」

「そうじゃないよ。食材の買い出しに行けないからさ。でも外に出ちゃいけないって言うんだから当面食事抜きになっても仕方ないだろう?」

「う……そ、それは困ります……」

「それじゃ通してくれるね?」

「背に腹はかえられません……わかりました」

「よし、じゃあこの子らを通しておくれ」

「その者を、ですか? ジェシカ様ではなく?」

「あぁ、そうだよ」

「しかし彼らのあの服装は……?」

「あの子らがあの格好がいいって言うからアタシが許可したのさ。何か文句があるかい?」

 

 ジェシカさんはスッと目を細くして兵士を睨む。これは美波や姉さんもよく使う目で、攻撃態勢を意味する目だ。

 

「い、いえ! ありませんです!」

 

 すると兵士は慌てた様子で門を開け始めた。このおばさん、本当に凄い人だな……。でも僕もこんな風にジェシカさんに睨まれたら言うことを聞いてしまうかもしれないな。だって、あの鋭い目付きが怒った時の美波の目に良く似ているから。

 

「よし、それじゃ2人とも行っておいで」

 

 門を出た僕らは声を揃え、今一度深々と頭を下げる。

 

「「行ってきます!」」

 

 10秒ほど感謝の念を送り、僕らは後ろを見ずに駆け出した。

 

「美波」

「うん」

「絶対に元の世界に帰ろう。ジェシカさんの思いに応えるためにも!」

「えぇ、もちろんよ!」

 

 

 僕らは手を取り合い、町の中へと走って行った。

 



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第十八話 火中飛び込むバカ2人

 騒然としているだろうという僕の予想に反し、ガラムバーグの町は拍子抜けするほど落ち着いていた。商店街は沢山の人で賑わい、町角にはおばさんたちが楽しそうに談笑する姿もある。ジェシカさんの言うとおり戦争のことを知らされていないのだろうか。

 

「ねぇアキ、これからどうするの?」

 

 共に歩く美波が尋ねる。その問いに対する答えは決まっている。

 

「ムッツリーニとの待ち合わせ場所へ向かう」

 

 文月学園の制服を着た人――つまり美波を探すという目的は既に達成している。次の目標は元の世界に帰る手段を探すことだ。ムッツリーニはもうレオンドバーグで調べ始めている頃だろう。ならば僕らも合流して一緒に探すべきだ。待ち合わせは今日の夜。今から行けば待ち合わせの時間より早く着くだろうけど、早い分には構わないだろう。

 

「それじゃレオンドバーグって町に行くのね?」

「うん。まずは馬車を探さないとね」

「でも馬車に乗るのってお金が要るんでしょ? お金なんて持ってるの?」

「それなら心配ないよ。えぇと、ちょっと待ってて」

 

 僕はリュックの中から封筒を取り出し、中から紙幣を出して見せる。

 

「ほら」

「えぇっ!? な、何よこれ、凄いじゃない! こんな大金どうしたの!? まさかアンタ強盗を……!」

「ち、違う違う! そんなことするわけないだろ!?」

「じゃあどうしたのよ。このお金」

「昨日魔獣の話をしたよね? あの魔獣が落とした魔石を売ったんだ。そうしたら10万ジンものお金になったってわけさ」

「へぇ~……そうなのね。アンタって運がいいわね」

 

 果たしてこれは運がいいと言えるのだろうか。こんな世界に飛ばされてしまったのは、むしろ運が悪いとも言えそうだけど。

 

「お、見えてきたね」

 

 そんな話をしながら歩いていると駅馬車乗り場が見えてきた。早速そこへ行ってみると、レオンドバーグへの直通線があった。これに乗れば真っ直ぐ目的地まで運んでくれる。僕は2人分の乗車料を払い、先に美波を馬車に乗せた。

 

「段差に気をつけて」

「うん。ありがとアキ」

 

 車内は比較的空いていた。乗客は僕らを合わせて10人。

 

 10歳くらいの女の子。

 それより幼い男の子。

 その両親と(おぼ)しき夫婦。

 白髪の交じった初老の女性。

 赤ん坊を抱えた母親。

 剣を携えた大柄な男は護衛だろう。

 

 大きめの馬車なので席はまだ半分くらい空いている。しかしこれらは埋まることなく出発。僕らを乗せた馬車は一路、レオンドバーグに向かって走り出した。

 

 目の前の座席では女の子と男の子が仲良く遊んでいる。姉弟だろうか。無邪気な笑顔だ。

 

 ……

 

 戦争が知らされていたらこの馬車も奪い合いになっていただろう。怒号が飛び交い、奪い合い、殺し合いに発展していたかもしれない。そうしたらこんな微笑ましい光景だって消えてしまう。今はまだそうなっていなくて良かったと思う。でもこの後のことを考えると、どうしても気持ちが沈んでしまう。

 

 なんとかならないのかな……。

 

 馬車に揺られながら、僕はそんなことばかりを考えていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 馬車はレオンドバーグを目指しひた走る。隣に座る美波は両手を膝に乗せ、憂いに満ちた目をして俯いている。ジェシカさんやメイド仲間との別れが寂しかったのだろう。あんな突然の別れをしたのだ。その気持ちは僕にも分かる。

 

「美波」

 

 僕は慰めるように彼女の手に左手を重ねる。

 

「……大丈夫よ」

 

 そう言って美波は笑みを作って見せた。だがその瞳にいつものような輝きは無く、暗く沈んでいるように見える。どう見ても無理に作った笑顔だった。きっと僕に心配を掛けまいと気丈に振る舞っているのだろう。

 

 そんな彼女に対し、僕は掛ける言葉を探した。頭の中の少ない引き出しを開き、いくつものパターンで言葉を組み上げてみた。けれど、どんな台詞を考えても彼女の悲しみを和らげることはできそうにない。結局僕は何も言えず、ただ黙って彼女の手を握ることしかできなかった。

 

「ママ見て見て! リオン王子!」

 

 馬の蹄音とガタガタという車輪の音しか聞こえなかった車内に突然響いた声。それは向かいの席に座る女の子の声だった。女の子は覗き窓から顔を出し、短いツインテールの髪を風になびかせながら外を指差していた。

 

「えっ? リオン様?」

 

 女の子の言葉に疑問を感じたのか、母親と思しき女性も覗き窓を開け、外を見る。

 

「あら本当。ずいぶん沢山の兵隊さんを連れてるわね。魔獣退治かしら?」

 

 その開けられた覗き窓から外の様子が見えた。確かに鎧を纏った沢山の兵士が併走している。しかし向こうは馬車を使っていないようだ。こちらは馬車なので速度は当然こちらの方が早い。僕らの乗った馬車は徐々に隊列を追い越し、何十、何百もの兜が視界を流れていく。

 

「まじゅーたいじ?」

「そうよ。近くにいる魔獣を退治して町を襲わないようにするの」

 

 ……いや、違う。あれは魔獣退治なんかじゃない。あれは……戦争に行く兵士たちだ……。

 

「へー! リオン王子かっこいー!」

「こら。リオン王子”様”でしょ?」

「えへへ~、はーい」

「それにしてはやけに人数が多くないか? 魔獣退治っていつも10人くらいじゃなかったか?」

「そういえばそうね。大きな魔獣でも出たのかしら?」

「まぁ何にしてもリオン王子殿下に任せておけば大丈夫だろう」

「そうね。私たちの安全のためにやってくれているんだもの。感謝しなくちゃね」

 

 向かいの親子連れがそんな話をしているうちに王子の隊列は次第に遠ざかっていく。道がY字状に分かれているようだ。何も知らない親子はパレードでも見るかのように呑気(のんき)にその様子を眺めていた。

 

 僕たちが目指しているのはレオンドバーグ。この道は真っ直ぐ目的地へ向かっているはずだ。向こうはきっとドルムバーグ――つまりライナス王子の元へと向かう道なのだろう。そう思った時、ハーミルから同乗した少女サーヤちゃんのことが脳裏を(よぎ)った。

 

 恐らくあの子のお父さんもライナス軍もしくはリオン軍の兵士として戦いに参加させられているだろう。今日はライナス王子が言っていた”ある勢力を討伐する”日。討伐などと言っているが要するに戦争だ。もう彼も軍隊を率いてこちらに向かっている頃かもしれない。このまま両軍がぶつかれば戦いが始まり、人間同士の殺し合いが始まってしまう……。

 

 僕は俯き、考える。

 

 どうして兄弟で争わなければならないのだろう。確かに僕も姉さんと喧嘩することはある。けれど他人を巻き込んで喧嘩することはない。しかもこんなに大勢の人の命をかけて喧嘩をすることなどあり得ない。同じ人間同士――それも血を分けた兄弟なのだから話せば分かり合えるはず。どうにかして2人を話し合わせる方法は無いのだろうか……。

 

「……」

 

 自らの手の平をじっと見つめ、更に考える。

 

 僕は力を得た。それもあの狂暴な魔獣と戦える程の力を。ドルムバーグでも鎧を着た兵士を軽々と投げ飛ばすこともできた。この力があれば戦いを止めることもできるんじゃないだろうか。

 

「アキ? どうしたの?」

 

 気付けば美波が心配そうな顔をして覗き込んでいた。いけない。こんなことを考えていたら美波に余計な心配を掛けさせてしまう。ここはなんとかしてごまかそう。

 

「ううん。なんでも――――」

「嘘ね」

 

 速攻バレた。

 

「ど、どうしてそう思うのさ」

「だってアキ、凄く真剣な顔をしてるんだもの」

「うっ……。そ、そんなことないよ? ほら、360度どこからどうみてもいつも通りの間抜け顔だろ? あはははっ!」

 

 ……なんだか自分で言ってて悲しくなってきた。

 

「嘘をついてもダメよ」

「う、嘘なんかついてないよ」

「ううん、嘘。ウチには分かるんだから。アンタがそんな顔をしてる時は誰かを助けたいって思ってる時よ」

「うぐ……」

 

 そっか、お見通しってわけか……。

 

「はは……美波には敵わないな」

「アキ。気持ちはウチも同じよ」

 

 美波は真剣な眼差しを僕に向ける。

 

「美波……」

 

 僕は再び自らの手を見つめ、考える。

 

 この戦争、やはりどうしても止めたい。でもただ(あいだ)に入って止めようとしても兵士たちに邪魔をされ、排除されてしまうだろう。下手をすれば敵と見なされて両軍から命を狙われることになりかねない。でも、もし仮にそうなったとしても召喚獣の力があれば対抗することはできる。なにしろ剣士であるウォーレンさんが苦戦していた魔獣を一撃で消し去ってしまうほどの力があるのだから。

 

 しかし相手は人間だ。万が一にも怪我をさせるようなことはしたくない。ならばこの力を見せつけて話し合うように訴え掛けるというのはどうだろう? そうだ。そこら辺の木を殴り倒してこの力を見せればきっと驚いて戦いを止めてくれる。少し脅迫っぽいけど、そうすればきっと話し合ってくれるに違いない!

 

「ごめん、美波」

 

 僕は拳を握り、立ち上がる。

 

「どうしたの? アキ」

「やっぱり僕はバカだったみたいだ」

「なによ改まって。そんなこと知ってるわよ。出会った時からね」

「いやまぁ、そうかもしれないけど……」

「ふふ……それでどうしたの? また何かバカなことをしたの?」

「むしろこれから、かな」

「? どういうこと?」

 

 たぶんこれから僕がやろうとしていることは(はた)から見れば至極愚かなことだろう。こんな作戦がうまく行くかどうか分からない。失敗に終わる可能性も高い。けど……。

 

「僕、どうしても諦めきれないんだ。やっぱりこのまま逃げるなんてできない」

 

 何もしないで後悔するより、やれるだけのことをやってから後悔したい。

 

「……そうね。アンタならそう言うと思ってたわ」

 

 隣の席で僕を見上げる美波。彼女の表情にもう憂いは無い。あるのは澄んだ瞳と一文字に結んだ口。僕の意志を汲み取ってくれたのだろう。

 

「分かってくれるんだね。じゃあ美波はこのまま────」

「1人で町に向かえなんて言うつもりじゃないわよね?」

 

 美波がすっくと立ち上がって言う。まさか一緒に行くというのか?

 

「だ、ダメだよ! 危険過ぎる!」

「嫌よ。ウチだって気持ちは一緒なんだから」

「それは分かるんだけど……僕がやろうとしていることは凄く危険なことなんだ。もしどうしてもダメなら逃げるつもりだし……」

「大丈夫よ。その時はウチも逃げるわ。逃げ足ならウチだって負けないんだからね」

「でも……」

「ダメよアキ。ウチはもう決めたんだから。それに昨日約束したばかりじゃない。もう絶対に離さないって」

「うっ……」

 

 確かに昨夜約束した。二度と離れないと。ずっと一緒にいたいという気持ちは僕だって同じだ。けど、それ以上に美波を危険な目にあわせたくなかった。僕の考えた作戦は下手をすれば両軍を敵に回すことになるのだから。

 

「ウチの性格は知ってるわよね? 諦めなさい」

 

 美波の目は真剣そのものだった。彼女は一度自分で決めたら曲げない性格をしている。もはや止めるのは不可能だろう。

 

「……分かった。でも約束してくれ。絶対に無理はしないって」

「分かってるわ」

 

 僕たちは互いに真剣な目を見合わせ、頷いた。そして足並みを揃えて客車の後部へと歩いていく。

 

「ん? おい、立ち歩いたら危ないぞ。席に座ってろ」

 

 護衛の男が無愛想に言い放つ。危険は承知の上。心配無用だ。

 

「僕たちなら大丈夫です。皆さんはこのまま町に向かってください」

「あァ? 何を言って────あ! おい!」

 

 僕は美波と共に馬車の後部柵を飛び越え、外に飛び出した。馬車はそれなりに速度が出ていた。だが日頃から追い回されている僕らにとってこの程度の飛び降りはどうってことはない。

 

バカやろぉーっ! どうなっても知らねぇぞぉーっ!

 

 遠ざかっていく馬車の後部から鎧の男が怒鳴っている。

 

「ねぇ美波、聞いた? 僕らのこと”バカ”だってさ」

「そうね。ウチもそう思うわ」

「奇遇だね。僕も同じことを思ってたんだ」

「どうしてくれんのよ。すっかりアンタのバカがうつっちゃったじゃない」

「えぇ~……。それって僕のせいなの?」

「そうよ。決まってるじゃない」

「そっか~、決まってるのか~。そうかもしんないね」

 

「「……」」

 

「ぷ……あははっ」

「ふふ……」

 

 思わず吹き出して笑ってしまった。

 

 ホント、信じられないバカだよ。国を分けた戦争を2人だけで止めようだなんてさ。雄二が聞いたらきっと「底抜けのバカだ」とか言うだろうな。でも美波と一緒だと上手くいくような気がする。なんだか不思議な勇気が湧いて来るんだ。

 

「それじゃ同じバカ同士、バカなことをしに行こうか」

「えぇ、行きましょ!」

 

 僕たちは体を反転させ、来た道を逆方向に駆け出した。

 

 目指すはリオン王子の隊。それを追い越し、間に入って戦いを止めるんだ!

 



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第十九話 もう1人の乱入者

 僕は走りながら作戦を説明する。

 

「いいかい美波、彼らの戦いを止めるには先回りしてぶつかる前に割り込まくちゃいけない」

「うんっ!」

「でもこのまま進むと隊列の最後尾に追い付いて、そこで阻止されてしまうと思うんだ」

「じゃあどうするの?」

「決まってるだろう? 隠れて移動するのさ」

「どこに隠れるのよ」

「森の中さ。道を外れて森の中を進むんだ」

「確かにそれなら見つからずに済みそうだけど……でも森の中だと早く走れないわよ? 足下に気をつけないと危ないし。それで間に合うの?」

「う~ん……言われてみると確かに厳しいような気が……」

 

 リオン王子の軍が通り過ぎたのは2、30分ほど前の話だ。ここまでの道のりは一本道だったので迷うことなく進めたのだが、未だにリオン軍の最後尾が見えてこない。

 

 森を進んで速度を落としての追撃となると、美波の言うように間に合わないかもしれない。そもそもライナス王子は今どの辺りまで来ているのだろう? ひょっとしてもう戦いが始まっているのだろうか。くそっ! 急がないと! でも急ぐとなると森の中を進むって案はダメかもしれない。

 

「そうだ。ねぇアキ、それなら召喚獣を使うっていうのはどう?」

「召喚獣?」

「だって召喚獣って人間の何倍もの力があるんでしょ? その力が使えるのなら足の力だって増すんじゃない?」

「なるほど……それは思いつかなかったな」

「ね? これなら追い付けそうじゃない?」

「さすがだよ美波! それで行こう! それじゃ早速」

「うんっ!」

 

「「――試獣装着(サモン)ッ!」」

 

 僕たちは立ち止まり、召喚獣を()び出す。足元から立ち上った光の柱は僕らの身体を包み込み、衣装を変化させる。

 

 不良っぽい黒い改造学ランの僕。対して美波は青い軍服を華麗に着こなす。やっぱり美波の召喚獣スタイルはかっこいい。僕もああいうのが欲しかったな。

 

「よしっ、それじゃ行きましょ」

「うん。あ、ちょっと待って」

「何か忘れ物?」

「ううん。そうじゃなくてさ、髪、そのままでいいの?」

「えっ? 髪?」

「いつもリボンで束ねてポニーテールにしてたじゃない?」

「あぁ、そうね。でもリボンなくしちゃったのよ」

「へ? そうなの?」

「うん。この世界に来た時にどこかにいっちゃったの。その後で代用品を探したんだけど、適当なのが無くてそのままなのよね」

「ふ~ん……そうなんだ」

 

 髪を下ろした美波も新鮮な感じがしていいけど、やっぱり僕はポニーテールの方が好きだなぁ。

 

「やっぱりポニーテールの方がよかった?」

「うん」

 

 って、何を正直に答えてるんだ!

 

「あぁぁっ! そそそそんなことないよ!? どんな髪形でも美波は美波だからさ!」

「ふふ……ありがと。でも確かに走る時は邪魔なのよね。アキ、何か紐の類い持ってない?」

 

 残念ながら僕のリュックには封筒と懐中時計くらいしか入っていない。

 

「ごめん、僕もそういうのは持ってないんだ」

「しょうがないわね。町に戻るまで我慢するわ」

「ごめんね」

「別にアンタが謝る必要なんてないわよ? そんなことより急ぎましょ。王子様たちに追い付かなくちゃ」

「あっ! そうだった! 急ごう!」

 

 のんびり話し込んでる場合じゃなかった! と僕は慌てて走り出し、予定通り道を外れて森の中へと駆け込む。

 

「美波! 木の根が張り出してるから気を付けて!」

「うん!」

 

 当然だが森の中は沢山の木々が行く手を阻むように生い茂っている。これらは植林されたものではなく自然に生えているもののようだ。そのため、あちこちにまるでトラップのように根が張り出している。

 

 そんな森の中を僕らは全力で疾走する。召喚獣を装着したため、今までとは比べ物にならないくらいの速さで走れる。これ、もしかして時速60kmくらい出てるんじゃないだろうか。これなら100メートル走の世界記録だって余裕で更新できそうだ。ただ、欠点が無いわけでもなく――――

 

「おわっ!?」

「ちょっとアキ! アンタこそちゃんと前を見て走りなさいよ!」

「み、見てるよ! でも早過ぎちゃって反応しきれないんだよ!」

 

 この速度で森を駆け抜けるのは危険だった。前方に木が見えたと思ったら、次の瞬間にはそれがもう目の前に迫っているのだ。しかしリオン軍に見つからないように移動するためにはこの森の中を進むのがベストだ。とにかく全神経を目と足に集中して走るしかない!

 

 

 

          ☆

 

 

 

「見てアキ、あれってそうじゃない?」

 

 美波が右手斜面の下方を見ながら言う。その視線の先には新緑の草原が広がっていた。しかし人影は見えない。

 

「どこ?」

「今チラっと見えたの。ちょっと止まって。見てみましょ」

「分かった」

 

 僕らは一旦装着を解き、様子を覗うことにした。

 

「見える? アキ」

「うん。鎧を着た人がいる」

 

 そこは草が生い茂る”盆地”のような所だった。僕らが今いるのはその広場に面する片側の斜面の上。かなり急な斜面だ。角度は45度から50度くらいはあるだろうか。そしてこの斜面にも木々がひしめき合っている。隠れるにはちょうど良い。

 

「間違い無い。リオン王子の軍だ」

 

 木々の合間からは銀色の金属が見え隠れし、太陽の光を反射してチラチラと輝き見せる。見える人影の大きさから想像すると、広さはドーム球場と同等かそれ以上だろう。今僕らが立っている所から下までは目測で約50メートル。広場の向かい側にもこちらと同じような斜面が見える。つまりここは両側を山岳に挟まれた谷の形状しているようだ。

 

 谷底では何やら指示の声が飛び交い、兵士たちがウロウロと動き回っているのが見える。その様子をしばらく観察していると、離れた所にも別の集団がいることに気付いた。明らかにリオン軍とは違う。あの黒い鎧の人たちは……ライナス軍? なんてことだ。間に合わなかったのか……。

 

 ?……いや、待て。まだ盆地の中央を空けて睨み合っているだけで、争っている様子は無い。まるで開始の合図を待っているかのようだ。そうか、まだ始まっていないのか。

 

「アキ、あっちの人たちって……」

「うん。ライナス王子の軍だ」

「そんな……それじゃウチら間に合わなかったの?」

「……いや。まだ戦いが始まっていないみたいだ。今ならまだ間に合うかもしれない」

 

 そうして僕らが話し合っていると2つの声が言い合いをはじめた。

 

『リオン! よく恐れずに来やがったな!』

『兄貴! 今日こそ決着をつけてやるぜ!』

 

 2人の声が谷に木霊する。最初の声はライナス王子。もう片方はリオン王子の声だ。

 

『お前のことだから臆病風に吹かれて逃げ出したかと思ったぜ!』

『どうして俺が逃げる必要がある! 逃げなきゃいけねぇのは兄貴の方じゃねぇのか!』

『ぬかせ! 今日こそその減らず口を(ひら)けねぇようにしてやるぜ!』

『それはこっちの台詞だぜ! 今日こそ俺の力を思い知らせてやる!』

『それっぽっちの寄せ集めの兵で俺に勝とうってのか! へそで茶が沸くぜ!』

『なんだ兄貴、知らねぇのか? 強さってのは数じゃねぇ! 統率力なんだよ!』

 

 2人の王子がお互いを煽るように言い合っている。くそっ! いったい何なんだあの2人! 家族がいるような人たちをこんな戦いに巻き込んでおいて勝手なことばかり! 僕は彼らの言い合いに苛立ち、ギリッときしむ音が聞こえるくらいに歯を噛み締める。

 

「アキ、早く止めないと」

「っと、そうだった」

 

 イラついてる場合じゃなかった。作戦を実行に移さなくちゃ。間に飛び込んで止めるつもりだったけど、いいことを思いついたぞ。

 

「美波、頼みがあるんだ」

 

 この辺りには幹の太さが50センチくらいのちょうど良い感じの木が沢山生えている。この木を切り倒して彼らの間に放り込めば間違いなく注目を浴びるだろう。それで彼らの進路を妨害できるし、僕の力を見せつけるという目的も果たせる。まさに一石二鳥だ。

 

「装着してそこら辺の木を切り倒してくれ。僕がそれを彼らの前に投げ込むから」

「そうやって戦争を妨害するのね。いいアイデアじゃない。それじゃ――試獣装着(サモン)!」

 

 美波が試獣を装着し、青い軍服姿に身を変える。そして、

 

「せぇ……のっ──!」

 

 と彼女が剣を振りかぶったところで、そいつは現れた。

 

 ――ドズゥン!!

 

 地震かと思うくらいに地面が揺れたかと思うと、盆地の真ん中にとてつもなく巨大な毛むくじゃらの塊が落ちてきた。

 

《グオォォォォォン!!》

 

 その茶色い塊は2本の腕のようなものを高く掲げ、鼓膜が割れんばかりの大きな雄叫びを上げる。

 

『う、うわぁぁーっ!!』

『なんだこいつはーーっ!?』

『ば、化け物だぁぁーーっ!?』

 

 両軍の兵士たちは狼狽(うろた)え、恐れ(おのの)く。突然こんな巨大なものが落ちてきたのだ。驚かない方がどうかしてる。そういう僕も突然の来訪者に驚き、唖然とその様子を眺めていた。

 

「な、何!? 何なのあれ!?」

 

 美波は僕の後ろに隠れ、肩に手を乗せて怯える。かっこよく冷静に答えられれば良かったのだが、さすがに僕もそんな余裕は無かった。

 

「あ、あれは……魔獣……なのか……?」

 

 信じられなかった。見たところ大きさは周囲の兵士の3倍──いや、5倍くらいはあるだろうか。あの巨体からして通常の動物とは思えない。あれも恐らくは魔獣なのだろう。

 

 全身を覆う茶色い毛。

 短い足。

 黒い鼻っ面。

 頭の上にちょこんと生えた2つの丸い耳。

 

 これらを総合すると、僕の知識ではそいつは”熊”と呼ぶ以外なかった。だが僕の知る熊とは違い、そいつは驚くほど巨大だ。まるで怪獣映画でも見ているように。

 

「ね、ねぇアキ、魔獣ってあんなに大きいの!?」

「僕だってあんな大きいのは初めて見たよ……。今まで出会った魔獣は1メートルくらいのリスみたいなのと、3メートルくらいの猿みたいなのだったし……」

「でもあれってどう見ても10メートルはあるわよ!? この世界にはあんなのが沢山いるっていうの!?」

「そ、そんなこと聞かれても僕には分かんないよ……」

 

 もしあんなのが大量にいたら小さな町なんか一溜(ひとた)まりもないんじゃないだろうか……。でもここは町からだいぶ離れているし、幸いなことにいるのは目の前のあいつ1匹だけのようだ。とはいえ、あんな巨大な魔獣、一体どうしたらいいんだ……。

 

《ヴォォォーーッ!!》

 

 対応に悩んでいるうちに魔獣が再び大きく雄叫びを上げ、太い腕で地を薙ぎ払った。その腕に数人の兵士たちが簡単に吹き飛ばされる。な、なんて力だ……鎧を着た大人たちをあんなに軽々と……。

 

『ひ、怯むな! この程度の魔獣、我らの手で倒すのだ! 対魔獣部隊、前へ出ろ! まずは奴の足を止めるのだ!』

 

 ライナス王子が兵士たちに指示を送る。

 

『『『おぉーっ!!』』』

 

 その指示に従い、槍を持った兵士が魔獣に近付こうとする。だが魔獣は大きな腕を振り回し、彼らを近寄らせない。そうしているうちに兵士たちは1人、また1人と倒されていく。その様子はまるで川で魚を取る熊そのものだった。

 

『兄貴の兵に遅れを取るな! 対魔獣部隊、日頃の訓練の成果を見せる時だ! 奴を倒すのだ!』

 

 今度はリオン王子が槍を持った兵士に指示する。

 

『『『おぉぉーっ!!』』』

 

 兵士たちが雄叫びをあげ、魔獣に向かっていく。ブンブンと振り回される丸太のような腕を避けつつ果敢に攻める男たち。だが魔獣には(やいば)がまるで通らないようだ。熊の分厚い毛皮が彼らの(やいば)を遮っているのかもしれない。

 

「ねぇアキ、どうしよう……」

 

 美波が困り果てた顔で問い掛ける。

 

「く……」

 

 僕は悩み、考える。

 

 ここに来たのは一体何のためだ? それはもちろん戦争を止めるためだ。しかし今、彼らは共通の敵を前に協力し合い、戦っている。つまり当初の目的は既に果たせているとも言える。僕らの本来の目標は元の世界に帰ることだ。ライナス王子とリオン王子が力を合わせれば、きっとあの魔獣だって倒せるだろう。ならばこれ以上この場に(とど)まる理由は無いのではないか?

 

 ……

 

 いや、(やいば)が通らない以上、倒すのは難しいような気がする。それに僕はなぜ戦争を止めたかったのだ? 彼らの命を救いたかったからではないのか? 人間同士の争いは図らずも止められた。しかし相手が変わっただけで、彼らの命が危険に晒されていることには変わりはない。それにもし彼らがあの魔獣を倒せたとしたら、その後はまた人間同士の戦いが始まってしまう。ならば今、僕が成すべきはことは――――

 

「……奴を……倒す!」

 

 僕の選択肢は既に決まっていたのかもしれない。考えるまでもなく。ここに来た時点で。

 

 そう。僕は彼らの命を守りたい。彼らの争いを止めたいのだ。そのために馬車を飛び降り、ここまで来たのだ。

 



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第二十話 巨獣を倒せ!

 だが僕の決意に美波は反対した。

 

「倒すなんて無理よ! あんなのに勝てるわけないじゃない!」

「そうでもないさ。だって僕には人間の何倍もの力が出せる召喚獣があるんだ。この力があれば奴にだって負けはしないさ」

「確かにそうかもしれないけど……でも危険よ!」

「危険は承知の上さ。それにもし勝てないようなら逃げるつもりさ。奴を引き離すくらいはしてやるつもりだけどね。――試獣装着(サモン)!」

 

 僕は話しながら試獣を装着する。黒い学ランを羽織り、手には木刀。バイザーに表示されているエネルギーゲージは半分近く減ってしまっている。ここに来る際に使ったためだ。この様子だと自動解除まで10分といったところだろうか。急がないといけないな。

 

「美波はここで待ってて。じゃあ行ってくる!」

「えっ? あっ! ちょっと、アキ!?」

 

 僕は斜面を駆け降りる。むしろ飛び降りたと言った方が正しいくらいの勢いで。そして一瞬で谷底へと降り立つと、魔獣の元へと駆け出した。兵士たちは既に後退をはじめていて、奴の周りには誰もいない。奴とタイマンか。望むところだ!

 

「いっくぞぉぉッ!」

 

 一層足に力を込め、僕は加速する。するとこの様子に気付いたのか、熊の奴がギロリとこちらに目を向けた。奴の大きな体では小回りが利かないはず。ならばスピードで勝負だ!

 

「こっちだ! デカブツ!」

 

 注意を引くよう、走りながら大声で叫ぶ。すると奴は大きな体を動かし、こちらに対して正面を向いた。そしてブンと腕を振り上げたかと思うと、今度はその腕を振り下ろし、地を払うような攻撃を繰り出す。

 

「はッ!!」

 

 思いっきり地を蹴り、僕はその腕を飛び越える。振り下ろされた腕の動きは遅い。召喚獣の力が相手の動きを遅く見せてくれているのだ。

 

「!?」

 

 僕は驚いていた。確かに召喚獣の力のおかげで脚力が増しているとは思っていた。けれど奴の頭に届くほどの跳躍力があるとは予想していなかった。まさか召喚獣の力がこれほどとは……。

 

 空中で関心する僕。気付けば奴の黒い鼻っ面が目前に迫っていた。ふと奴と目が会い、僕は魔獣とじっと見つめ合う。

 

「「……」」

 

 それが恋の始まり――――な、わけがない。

 

《フンッ》

 

 奴がハエでも落とすかのような仕草で太い腕を振り下ろしてきた。どうやら僕はフラれたようだ。別にいいけどね。そもそも動物に恋をしたりしないし。そういえば前に美波の好きな人がオランウータンだなんて勘違いしちゃったっけ。結局葉月ちゃんのいたずらだったけど、美波には悪いことしちゃったなぁ……。

 

 空中の僕にはそんな思いに耽る余裕すらあった。奴の攻撃を容易(たやす)くかわす自信があったからだ。僕はおもむろに空中で体勢を変え、タイミングを合わせて魔獣の腕にふわりと乗る。

 

《グゥ? ガァァッ!》

 

 腕に乗った僕を振り払おうと奴が大きく腕を振り回した。僕はすぐさま飛び降り、奴の足元に着地する。本当に身体が軽い。まるで風に舞う紙になった気分だ。

 

《グルルゥ……?》

 

 すると奴は僕の姿を見失ったようだった。遠くばかりをキョロキョロと探し、僕が足元にいることに気付いていない。こいつ足元が見えないのか。ならば今がチャンスだ!

 

「うおらぁぁっ!!」

 

 木刀を力いっぱい振り回し、奴の膝の裏に叩きつける。奴の右足が空高く跳ね上がり、ズ、ズン! と土煙をあげながら巨体が仰向けに倒れる。

 

 行ける! 勝てるぞ! 勢いに乗った僕は追い打ちをかけようと巨体の腹の上に飛び乗った。そして木刀を逆手に構え、突き降ろす。

 

「これで────っ!?」

 

 次の瞬間、地面が頭の上に見えた。何が起こったのか、すぐには理解できなかった。なぜ僕は逆さまになっているんだろう? どうして僕はこんなにも空高く舞い上がっているんだろう? そうしてぼんやりとしているうちに、急に右の肩と腕に凄まじい痛みが走り始める。

 

「ガはっ……!」

 

 ようやく自分に起きたことを理解した。僕は激しい痛みを堪えながら体勢を変え、なんとか着地する。

 

《グオァァァァッ!》

 

 奴は既にその巨大な体を起こし、立ち上がっていた。

 

 そ、そうか……僕は(はた)き落とされたのか。油断した……奴め、なんてバカ(ぢから)だ……。でも腕が折れたわけではなさそうだ。これも試獣装着のおかげなんだろうか。とはいえ、今の一撃で相当なダメージを受けてしまった。全身の骨がビリビリと痺れてしまって、足にも力が入らない。

 

 くぅっ……さっきは勝てると思ったけど、やはり手強い……。どうする……今の状態ではマトモにやり合っても勝ち目は無い。周囲の兵士たちは既に距離を取っていて、遠巻きにこちらを見ている。彼らの協力は期待できない。やはりここは奴をここから引き離し────

 

「うっ!?」

 

 ほんの一瞬、目を離した隙に奴は空中に飛び上がっていた。放物線を描き、奴の巨体がこちらに向かって落ちてくる。

 

「や、ヤバイっ!」

 

 僕は痺れる身体をなんとか動かし、後ろへ飛び退く。

 

 ――ド、ズゥゥン!

 

 凄まじい地響きと共に僕のいた所に奴が着地する。こいつ、確実に僕を踏み潰そうとしていた。完全に僕を敵と認識したようだ。だがおびき出すのならその方が好都合!

 

「うぐっ!」

 

 立ち上がろうとした瞬間、全身にビシッと衝撃が走る。まずい。さっきの一撃が思っていた以上に深刻なダメージになっている。このままではおびき出すどころか逃げるのも難しい。だからといって真っ向から立ち向かって勝てるような相手でもない。どうする……とにかく身体が回復するまでなんとか逃げ回るしかないか……?

 

「くっ……!」

 

 僕は屈んだまま木刀を構え、奴を睨み付ける。目の前には茶色い毛の塊がビルのように(そび)え立っている。うぅっ……今更だけどこいつ、なんてデカさだ。ひょっとして僕はとんでもない化け物に喧嘩をふっかけてしまったんだろうか……。

 

 この時、僕はこの巨大な熊の魔獣に恐怖を感じはじめていた。

 

《ガァァゥッ!?》

 

 だがその時、突然奴が身を(よじ)って苦しみ出した。何だ? 僕は何もしていないぞ? もしかして僕の闘争本能が目覚めて無意識のうちに攻撃していたとか? いやでも今は身体が動かないし……。などと思いながら眺めていると、トッという軽い音を立て、すぐ横に何かが降り立った。

 

「アキ! 加勢するわ!」

 

 そこにはすらりとした白い足があった。

 

「みっ、美波!?」

 

 細身の剣を片手に、大きな吊り目を更に吊り上がらせて巨獣を睨む美波。そんな青い剣士はとても凜々しく、とても頼もしく思えた。

 

「はは……かっこ悪いところ見せちゃったな」

「そんなことどうでもいいわよ。それよりあいつ弱点とか無いの?」

 

 どうでもいいのか……と多少落ち込みつつも弱点を考えてみる。

 

「どうなんだろう。前回戦った相手はこんなに大きくなかったし、一撃で倒せたからなぁ……」

「その時弱点を突いたんじゃないの?」

「うーん……特に目立った弱点は無かったと思うけど……」

「なによ。役に立たないわね」

「ご、ゴメン」

 

 確かに弱点を突けばどんな巨大な敵であろうとも倒せるかもしれない。しかし弱点か。奴に弱点なんてあるんだろうか……。僕は苦痛の声をあげながら地団駄(じだんだ)を踏む奴を観察する。

 

 短い足。

 タルのような寸胴(ずんどう)

 撫で肩からぶら下がる太い腕。

 

 それから……。

 

「「………………」」

 

 僕は目の前に(そび)える巨体を見上げ、一点に注目する。隣では美波もまた同じ箇所に視線を注いでいた。

 

「ねぇ、アキ」

「うん」

「あの”おでこ”の赤い宝石みたいなの、怪しいと思わない?」

「うん。あからさまに怪しいよね」

 

 奴の(ひたい)には、五角形の大きな宝石のようなものが埋め込まれている。僕の記憶が正しければ普通の熊にそんなものは付いていない。

 

「そういえば猿やリスの魔獣も(ひたい)にあんな感じのが埋め込まれていたかも……?」

「やってみる価値はありそうね」

「あぁ、そうだね!」

 

 僕は立ち上がり、両手で木刀を構える。美波のおかげで休むことができて身体の痺れも取れてきたようだ。もう動けそうだ。しかし困った。どうやってあそこを攻撃しよう? 闇雲に奴の目の前に飛び込んで行ってもあの太い腕で払われるだけだ。ダメージを与えて動きを鈍らせるとしても僕の木刀はあまり効いていないようだし……。

 

「どうしたのよアキ。早く倒さないと時間が無いわよ?」

「そ、それがさ、攻撃するにしてもどうやって攻撃したものかと……」

「なんだそんなこと?」

「ほぇ? 美波には何か策があるの?」

「策って程じゃないけど、ウチの剣ならあいつに通用するみたいよ? ほら見て」

 

 美波が奴の左腕を指差す。通常の動物なら血が出ているだろう。だが奴のそこからはシュウシュウと音を立て、黒い煙のようなものが吹き出していた。あれは前に魔獣を倒した時に見た煙と同じだ。つまり美波のサーベルならダメージを与えられるということだろうか。まぁ木刀じゃ切れないよねぇ……。

 

 自分の召喚獣の装備を軽く呪いながら僕は作戦を考える。身の軽さなら僕より美波の方が上だ。加えて、物を切るなら僕の木刀より美波のサーベル。ふむ、ならば作戦は決まったも同然だ。

 

「美波、奴の注意を引きつけられる?」

「それでアキが足を狙うのね?」

「うん。僕が奴を仰向けに倒すから、美波はその隙に(ひたい)の赤いのを叩き割ってくれ。って言うか、よく分かったね」

「当然でしょ? だってウチは────っ!」

 

 話しているうちに奴の腕が振り下ろされていた。空気に圧迫感を感じた僕と美波は咄嗟(とっさ)に散開。直後、僕らのいた所に太い腕がズンと音を立てて落ちた。

 

『だってウチはアキの彼女なんだからっ!』

 

 魔獣の向こう側で美波が大声で叫ぶ。

 

「ははっ! そうだね! それじゃ頼んだよ!」

『任せてっ!』

 

 美波は威勢よくそう言うと空高く跳び上がり、奴の腹を斬り付ける。

 

《ガァォーーゥゥ……!》

 

 痛みを感じているのか、魔獣が叫び声を上げる。そうして(ひる)んでいる奴の腕や肩に、美波は何度も(やいば)を入れていく。長い髪を振り乱しながら華麗に舞う青い剣士。その美しい演舞に僕は目と心を奪われ、つい見とれてしまっていた。

 

『アキーっ! 何やってんのよ! 早く位置に着きなさい!』

 

 ハッ! いけない、自分の役目を忘れるところだった。今の奴は完全に美波の攻撃に翻弄(ほんろう)されている。近寄るなら今のうちだ!

 

 僕は後ろから奴の足元へと忍び寄る。美波は蝶のように舞い、魔獣は常に彼女の姿を追っている。足下の僕の接近に気付く様子はない。しかし短い足がドスドスと大地を踏み、なかなか止まってくれない。油断すると踏み潰されそうだ。

 

 隠れるように奴の足元に潜み、常に背後を取り、僕は機会を覗う。こうしているとなんだか魔獣とダンスでもしているかのようだ。そう思った次の瞬間、ついにチャンスが訪れた。奴の足が止まった! 今だ!

 

「よいしょぉぉーーっ!!」

 

 力一杯、木刀を奴の膝の裏に叩きつける。木こりが斧で木を切るような気持ちでフルスイング。振り抜いた直後、奴の巨体は宙に浮いていた。

 

 よっしゃ! と心の中でガッツポーズを取る僕。数秒後、ドズゥンという地響きと共に巨大な熊が尻から地面に落ちた。

 

「今だ! 美波!」

「はぁぁぁっ!!」

 

 美波がサーベルを逆手に持ち、奴の(ひたい)の宝石目がけて突き下ろす。

 

 ――ガシッ!

 

 と、ヒビの入るような鈍い音がした。

 

 

「「……」」

 

 

 巨大な魔獣の動きが完全に止まった。大きな口を開けたまま、まるで剥製のように硬直した。騒々しかった谷底が一転して静寂に包まれる。誰もが時が止まったかのように動きを止め、息を呑んだ。その静寂の中で微風(そよかぜ)が吹き、サァッと草木を鳴らす。

 

 パァン!

 

 ガラスが割れたような音が沈黙を破った。その破砕音と共に大きな宝石は粉々になって飛び散る。すると魔獣の全身から大量の黒い煙が吹き出し始めた。

 

 煙は瞬く間に魔獣の全身を覆い尽くしていく。煙は徐々に大気中に広がり、溶け込んでいった。そしてその数秒後、大量の宝石の欠け片を大地に残し、巨大な魔獣は煙と共に完全に消滅してしまった。

 

「倒した……のか……?」

 

 僕は呆然と空を見上げる。黒い煙は空を舞い、風に溶け込むように消えて行く。

 

「やったぁ~っ! やったね、アキ~っ!」

 

 美波が体全体で喜びを表現し、駆け寄ってくる。僕は全身の力が抜け、その場に座り込んでしまった。

 

「あ、あはは……や、やった……」

 



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第二十一話 一難去って

「ふぅ……。いやぁ助かったよ美波。今回は僕1人じゃ危なかったかもしれないね」

「そうよ。もっとウチに感謝しなさい。ふふ……でもホントにあの宝石が弱点だったのね」

「あんな弱点があるなんて僕も初めて知ったよ。――っと、そうだ。魔石を回収しないと」

「魔石?」

「うん。美波が割ったあの宝石のことさ。あれは町の魔石加工商の店に持って行くと買い取ってくれるんだ」

「ふぅん……あ、そういえばさっき言ってたわね。それじゃできるだけ沢山持って行った方がいいわね」

「そういうことだね」

 

 美波は砕かれた魔石が転がっている所へ歩いて行く。よし、僕も行こう。と立ち上がると、

 

「あ……」

 

 学ランや木刀が音もなく消え、元の制服姿に戻ってしまった。どうやら時間切れのようだ。

 

「あれ? 元に戻っちゃった?」

 

 美波も赤いスカートの文月学園の制服姿に戻っていた。彼女もちょうど時間切れだ。

 

「時間切れみたいだね」

「これ以上時間が掛かっていたら危なかったわね」

 

 そう言うと美波は魔石を拾い始めた。

 

「危なかったって言うか、手の打ちようがなくなってたね」

 

 僕も一緒に転がる欠片(かけら)を拾い、ポケットに詰め込んでいく。

 

「まったく。勝手に1人で飛び出して行っちゃうんだから。もしあの魔獣を倒せなかったらアンタどうするつもりだったのよ」

「う~ん。でもまぁなんとか倒せたんだし、結果オーライじゃないかな」

「オーライじゃないわよ。ウチが助けに入らなかったらアンタ潰されてたわよ?」

「感謝してます。美波様」

「ホント考え無しに動くんだから……。次からはもっと計画的に動くのよ? 分かったわね?」

「はいはいっと」

「”はい”は1回よ」

「は~いですっ!」

「また葉月の真似なんかして……」

「へへっ、どう? 似てた?」

「ううん。全然」

「ハッキリ言ってくれるなぁ」

「全然似てないからやめなさい」

「ハイ……」

「ふふ……。ところで魔石ってこんなに粉々になっちゃっても売れるの?」

「う~ん……どうなんだろう。聞いてみないと分かんないなぁ」

 

 僕らはこんな具合に和気(わき)あいあいと魔石を拾い集めていた。すると突然、

 

 ――チャキッ

 

 と音がして、3本の刃物が目の前に伸びてきた。

 

「きっ、貴様ら! 何者だ!」

 

 その金属の棒を目で追って行くと、全身を黒い鎧で包んだ3人の兵士の姿があった。しまった。彼らのことを忘れていた……。

 

「えっと……」

 

 どうしよう。当初の予定通り話し合いを持ち掛けてみるか? でもこの状況はどう見ても友好的な雰囲気ではない。それに僕は以前ドラムバーグで脱獄をしている。捕まったら今度こそ火あぶりの刑かもしれない。

 

『そやつらは危険じゃ! 即刻捕らえよ!』

 

 ライナス王子の声が谷中に響き渡る。まずい、今は召喚獣の力が使えない。ここは一旦逃げ──

 

「痛っ! ちょっと! 何すんのよ!」

 

 逃げるための作戦を練り始めると、後ろから美波の怒鳴り声が聞こえてきた。振り向くと彼女は腕を取られ、3人の兵士に押さえ付けられていた。

 

「美波!」

「大人しくしろ!」

「あうっ……! い、痛いってば! 放しなさいよ! ウチが何をしたって言うのよ!」

 

 美波が黒い鎧を着た男たちに取り押さえられる。それを目の当たりにした僕の頭は瞬間湯沸かし器のように一気に沸騰してしまった。

 

「やめろ! 美波に手を出すな!!」

「貴様も大人しくしろ!」

「ぐ……!」

 

 ガッと腕を後ろ手に捻られ、顔を地面に押し付けられる。振りほどこうにも先程受けたダメージで腕に力が入らない。

 

「うぅっ……や、やめろ……美波に乱暴したら……た、ただじゃ……おかないぞ!」

 

 くぅっ……ち、力が入らない……。美波を守らなくちゃいけないのに……!

 

『威勢がいいな異界の者! 確かヨシイと言ったか!』

 

 背中に乗る男を撥ね除けようともがいていると、遥か遠くから偉そうな声が聞こえてきた。あれはライナス王子の声だ。

 

「そうだ! それがどうした!」

『牢から逃げたとは聞いておったが再び余の前に現れるとはいい度胸だな! 貴様一体何者だ!』

「だから別の世界から飛ばされて来たんだって言っただろ! いいから美波を放せ!」

「貴様! ライナス殿下に向かって無礼であるぞ!」

「あぐっ──!」

 

 どっかりと背中に乗る兵士が僕の腕を強く捻りあげる。く、くそっ……! 装着さえできればこのくらい簡単に撥ね除けられるのに……!

 

『質問を変えよう! 魔獣は貴様らがこの世界に連れてきたのか!』

「違うよ! 僕らの世界に魔獣なんかいなかったよ!」

 

 って言うか、なんでそんな遠くで話してるのさ。話すならもっとこっち来て話せよ。

 

『では先程の力は何だ! なぜ魔獣と互角に戦う力を持っている!』

「あれは召喚獣の力を借りてるだけだ! 僕自身の力じゃない!」

『召喚獣とは何だ! お前にそれを操る能力があるというのか!』

 

 何だと聞かれても困る。あれは学園長が作り出したシステムで()び出されたものであって、僕自身よく分かってないのだから。

 

『ちょっと待て兄貴!』

 

 返答に困っていたら、今度は反対側から別の声があがった。リオン王子のようだ。

 

『兄貴はそいつの力を自分のものにしようとしてるんだろ! そうはいかねぇぞ!』

『今は俺が話してんだ! 割り込むんじゃねぇ! お前は黙ってろ!』

 

 ライナス王子の口調はいつの間にかリオン王子と同じ”俺”口調に変わっていた。つまり気取って口調を爺言葉にしていたのか。そんなことで飾らずに自然に話せばいいのに。

 

『俺たちの兵が総掛かりでも歯が立たなかった魔獣をたった2人で倒すような力だぞ! これが黙っていられるか!』

『うるせぇ! お前にこいつは譲らねぇ! 欲しけりゃ力ずくで奪ってみやがれ!』

 

 なんか僕の取り合いになってるみたいだ。いや、僕というより召喚獣の力か。

 

『望みどおり力で奪ってやるぜ! 全軍突撃! 兄貴のへっぽこ軍隊など俺たちの敵ではないってことを思い知らせてやれ!』

『ンだとコラァ! 俺の精鋭部隊に勝てると思ってんのか! こっちも全軍突撃だ! リオンの奴らを返り討ちにしてやれ!』

 

『『うぉぉぉぉーーっっ!!』』

 

 王子たちの指示を受け、両軍の兵士が雄叫びをあげる。まずい! さっきの魔獣で停戦状態だったのに、また戦いを始めようとしている!

 

「やめろ! やめてくれ!」

 

 必死に叫ぶも、兵士たちの喊声(かんせい)により僕の声はかき消されてしまう。くそっ! 結局こうなってしまうのか!

 

『『わぁぁぁぁーーっ!!』』

『『おぉぉぉぉーーっ!!』』

 

 両軍合わせて200人を超す兵士たちが剣や槍を手に両側から一斉に押し寄せる。

 

「おじさん! 戦いを止めてよ! おじさんだってさっきの魔獣を見ただろう!? 人間同士が争うなんておかしいよ! こんなの間違ってるよ!!」

 

 背中の上で僕の腕を掴む兵士をなんとか説得しようと呼び掛ける。だが彼の返事はない。ただ黙って僕の腕を捻り、押さえ込むのみだった。

 

「ねぇおじさん! 返事をしてよ! おじさんだって戦争なんて嫌なんでしょ!? ねぇってば!」

「……」

 

 やはり返事は無かった。くそっ! どこまで頭が固いんだ! そうだ、美波は? 美波はどうなったんだ!?

 

「美波! どこだーっ!? 美波ぃーっ!」

 

 僕はうつ伏せに地面に押さえ付けられているため、草しか見えない。だから声で確認しようと大声を張り上げた。

 

『アキーっ! ここよーっ!』

 

 すると後ろの方から声が聞こえてきた。よかった、無事みたいだ。

 

「美波! この人たちを説得するんだ! このままじゃ手遅れになってしまう!」

『それがダメなのよ! この人たち全然話を聞いてくれないの!』

 

 あっちも同じなのか……。まずい、もう両軍がすぐそこまで来ている。早く止めないと目の前で殺し合いが始まってしまう!

 

「私は……」

 

 その時、僕の背中に跨がる兵士がポツリと呟いた。何か話してくれるんだろうか? そのまま耳を澄ませていると、おじさんは震えた声で話し始めた。

 

「私には……妻と……娘がいる……」

「奥さんと子供?」

「……逆らえば妻も娘も……だから……私は……」

 

 そうか……。王子の命令に背けば家族もろとも反逆者扱いということか。だから何も言わずに従っているのか。本当は嫌なのに……。おじさんの暗く沈んだような声を聞いているうちに僕はその心境を悟り、心底気の毒に思った。同時に、2人の王子の身勝手さを改めて憎んだ。

 

 そうしているうちにも両軍は更に接近し、今まさに衝突しようとしていた。目の前で最前列の兵士たちが剣を交えようと振りかざす。もうだめだ……間に合わない……。血の海を見るのを恐れた僕はぐっと強く目を瞑った。

 

 

 

『やめんかァーッ!! このバカどもがァーーーーッッ!!』

 

 

 

 その時、割れんばかりの馬鹿でかい声が谷中に響き渡った。この声には僕はもちろんのこと、その場にいた全員が驚き、声のする方に顔を向けて固まった。

 

『げぇっ! あ、あれは!?』

『お、オヤジぃ!? なんでオヤジがこんなところに!?』

 

 2人の王子が谷斜面の上の方を見て叫ぶ。その斜面の上には、重そうな鎧に身を包んだ1つの人影があった。親父? 今親父って言った? ってことは……王子のお父さん? つまりこの国の王様!? と、驚いているうちにその男は斜面を滑るように降りてくる。

 

『ライナス! リオン! こっちに来なさい!』

 

 王様と思しき男が2人の王子を大声で呼ぶ。谷によく響く通った声。父の威厳を感じる強い声だった。2人の王子はその言葉に応じ、渋々といった具合に歩き出す。

 

 

『駆けアァァァシ!!!』 (←※駆け足と言っている)

 

 

 ビリビリと空気を震わせる程の怒号が再び谷に響く。王子たちは飛び上がって驚き、慌てた様子で王様の元へと駆けて行く。そして2人は王様の前で並ぶと、まるで一般兵士のようにビシッと背筋を伸ばした。

 

『お前たち! こんな所で何をやっとる!』

『いや、これはその、なんだ……あははは……』

『ちょ、ちょっとした演習だよ! 演習!』

『そうそう! その演習! リオンの兵と合同訓練してたんだよ!』

 

 ――ゴチッ

 

 谷中(たにじゅう)にいい音が木霊した。痛そうな音だ。

 

『っ──てぇ~……。な、何すんだよオヤジぃ……』

『見え透いた嘘をつくでない! このバカモンが! リオン! お前もじゃ!』

 

 ――ゴスッ

 

『いてっ! なっ、なんだよ! 俺は悪くねぇよ!』

『まだ言うか!』

 

 ――ゴンッ

 

『いっててて! わ、分かったよ! 俺が悪かったよ! もうしねぇよ!』

『お前たちは昔からそうじゃ! 事あるごとにこのような騒ぎを起こして人様に迷惑を掛けよって! お前たちの成長のためと思って地域を分けて統治を任せたというのに、ちっとも成長しておらんではないか!!』

『そんなこと言ったってよぉ……』

『口答えするでない! そもそもお前たちには学ぼうという姿勢が足りぬのじゃ! 喧嘩をするなとは言わん! だが他人を駆り出すなど言語道断じゃ! だいたいお前たちは昔から喧嘩ばかりで──(クドクドクド)』

 

 王様は2人の王子に向かってガミガミと怒鳴りつける。なにやら説教が始まってしまったようだ。王子たちは肩を窄め、頭を垂れて聞いている。完全に萎縮してしまったようだ。両軍の兵士は呆然と立ち尽くし、ポカンと口を開けてその様子を眺めている。僕も例外ではなく、地に伏しながら王と王子のやりとりに見入ってしまっていた。

 

(……すまなかった)

 

 その時、背中の上で何かが聞こえた。と思ったら、急にフッと背中が軽くなった。僕の背中にどっかりと乗っていたおじさんが退いてくれたのだ。

 

「アキっ!」

 

 そこへ美波がトトッと駆け寄ってきた。彼女も解放されたようだ。

 

「美波! 大丈夫!? 乱暴されてない??」

「えぇ、大丈夫よ」

「そっか。良かったぁ……」

「ところでアレって何なの?」

「あぁアレ? 王子たちのお父さんみたいだね」

「お父さん?」

「うん。つまりこの国の王様さ」

「へぇ~、あれが王様なのね。でもなんか凄い剣幕で怒ってるわね」

「う、うん。そうだね」

 

 こうして僕らが話している間も王様の小言は続いていた。これ、どうすればいいんだろう。結果的に戦いは避けられたわけだし、この隙にさっさと退散すべきだろうか。でもあの王様親子のやりとりは面白いし、最後まで見ていたい気もする。う~ん……悩ましい。

 

「…………こんな所で何をしている」

 

 どうするか悩んでいたら、スッと目の前に黒装束の男が現れた。この格好は……!

 

「ム、ムッツリーニ!?」

「えっ!? 土屋!?」

 

 それはムッツリーニだった。鼻から口までを覆う黒いマスクに忍装束のような真っ黒な服。いつもの隠密行動スタイルだ。

 

「…………島田か」

「驚いたわ……本当にアンタも来てたのね」

「…………うむ。明久、見つけたのは島田だけか」

「うん。そっちはどう? 帰り方見つかった?」

 

 ムッツリーニは黙って首を横に振る。

 

「そうか……。まだ見つからないか……」

「土屋、瑞希や翔子がどうなったか知らない?」

「…………分からない」

「そう……無事だといいんだけど……」

「ところでムッツリーニはどうしてこんなところに?」

「…………お前と同じ理由だ」

「へ? 僕と?」

「…………兄弟喧嘩を止めるには親が一番」

 

 なるほど。もっともな話だ。そういえばムッツリーニには兄弟がいたんだっけ。だからこうした兄弟喧嘩の扱いにも慣れているということだろうか。関心しながら僕はふと王子たちの様子に目をやる。すると彼らはまた揃って頭にゲンコツを貰っていた。ははっ、こうなると王子様も形無しだな。

 

『お前たちにはそれぞれ教育係を送っておいた! 帰ってしっかり反省するがよい!』

『『えぇ~……』』

『”えー”ではない! 返事は”はい”か”イエス”じゃ!』

『『は、はいっ!』』

 

 拒否の選択肢は無いらしい。それと説教もようやく終わったようだ。

 

(みな)(もの)! この場は休戦じゃ! 城へ引き上げるぞ!』

 

 ライナス王子が自軍の兵士たちに命令する。

 

『我々も引き上げる! 馬の用意をしろ!』

 

 リオン王子も帰るようだ。2人の王子はそれぞれ用意された馬に跨がり、ライナス王子は西側へ、リオン王子は東側へと逃げるように去って行く。

 

(クスクス……)

(殿下もレナード陛下の前では子供だよな)

(まぁ年齢的にはまだ子供だしな)

(けど戦わずに済んで良かったな)

(あぁ、向こうには俺のダチもいるから助かったぜ)

(そいつは良かったな。魔獣で怪我しちまった奴はいるみたいだけどな)

(魔獣は仕方ねぇよ。天災みたいなモンだしよ)

(そうだな。んじゃさっさと帰ろうぜ。また魔獣が現れる前によ)

 

 王子の後に続いてぞろぞろと引き上げて行く兵士たち。そこから堪え笑いやひそひそ話が聞こえてくる。この反応を見る限り、兵士たちも戦いを望んでいなかったのだろう。まったく、兄弟喧嘩を戦争に発展させてしまうなんて迷惑極まりない話だ。でもどちらの王子もおとなしく帰るようだ。これでひと安心だな。結局僕には何もできなかったけど、一件落着だ。

 

「それじゃ僕たちも帰ろうか」

「とんだ寄り道だったわね」

「そうだね。でもこれで安心して本来の目標に取り掛かれるさ」

「じゃあレオンドバーグに行くのね?」

「うん。って、どうやって行こう……?」

「そういえば土屋はどうやってここまで来たの?」

「…………少し待て」

 

 ムッツリーニは呟くように言うとスッと視線を横に向ける。

 

「「??」」

 

 僕と美波は揃ってムッツリーニの視線の先に目を向ける。すると先程の王様がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。何だろう。僕らに用があるんだろうか。王様はゆっくりと草を踏み鳴らしながら歩いてくる。その後ろからは4人の鎧姿の男たちと、マントに身を包んだ1人の女の人が並んで歩いてくる。

 

 それはとても絵になる光景だった。まるで映画や漫画のワンシーンを見ているかのようだった。憧れにも似た感情を抱きながらその様子をじっと見つめる僕。王様はそんな僕の前で立ち止まると、神妙な面持ちでゆっくりと話し始めた。

 

「すまなかった異界の者よ。民を魔獣から守ってくれたそうじゃな。それに王家のゴタゴタにも巻き込んでしまったようじゃ」

 

 立派な顎髭を蓄え、肩まで伸びた白髪混じりの茶色い髪。見た感じ歳は50代くらいだろうか。黄金色の鎧に身を包み、腰に大きな剣を携えた姿は王というより戦士を思わせた。

 

「あ……いえ。これは僕が勝手に首を突っ込んだだけですから」

「そうだとしても原因を作ったのはバカ息子どもじゃ。迷惑を掛けたことに変わりあるまい。すまなかった。このとおりじゃ」

 

 王様は重そうな鎧を身体で支えるようにしながら深々と頭を下げる。王子たちと違ってなんと礼儀正しい王様だろう。でもそんなに頭を下げられても困る。だって王子たちを助けたくてやったわけではないのだから。隣では美波も同じことを言いたそうな顔をしている。

 

「あの……王様、ウチらは全然気にしてませんから、どうかお顔を上げてください」

「そうですよ王様。僕らはただ余計なおせっかいを焼いただけなんです。だから気にしないでください」

「……そなたらは心が広いな。感謝する」

 

 そう言うと王様は頭を上げ、優しげな笑顔を見せた。それは先程王子を叱っていた人と同じ人とは思えないくらいに温厚な笑顔だった。

 

「自己紹介がまだであったな。(わし)はレナード。レナード・エルバートンじゃ。一応この国の王をやっておる」

 

 一応? 一応ってどういうことだろう? と疑問を感じながらも僕は挨拶を返す。

 

「僕は吉井です。吉井明久といいます」

「ウチは島田美波です。よろしくお願いします」

「ヨシイにシマダじゃな。こちらこそよろしく。……ん? おぉそうか! 貴殿がヨシイか!」

 

 突然、王様が感激した様子で僕の手を取った。

 

「あぐっ……!」

 

 急に右手を引っ張られ、忘れかけていた腕の痛みが再び襲ってくる。あまりの激痛に僕は思わず膝をついてしまった。魔獣から受けた傷がまだ回復しきっていないのだ。

 

「うん? 怪我をしておるのか? これはいかん。クレア君、彼に治療帯を」

「承知しました。それとレナード様、ひとまず城に戻りましょう。治療は馬車の中で」

「む。そうじゃな。ではヨシイよ、それとシマダと申したか。我が城に招待しよう」

 

 我が城? 王様の我が城ってことは、レオンドバーグってことでいいのかな?

 

「どうする? アキ」

「ここはお言葉に甘えよう。どちらにしてもレオンドバーグには行くつもりだったし」

「そうね。王様、お招きにあずかります。よろしくお願いします」

「うむ。ではクレア君、彼らを頼む」

「はっ! それではヨシイ様、シマダ様、こちらへどうぞ」

 

 どうやらこのマントを羽織った女の人はクレアさんというらしい。

 

「アキ、大丈夫? 立てる?」

「うん。それくらいは……」

 

 僕は美波に付き添われ、クレアさんの案内の元、谷の上で待機しているという馬車へと向かった。

 



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第二十二話 王の招待

 僕たちはレナード王の誘いに応じ、レオンドバーグの王宮に向かっている。レオンドバーグはハルニア王国の北西に位置し、レナード王が拠点としている町だ。王宮都市とも呼ばれているらしい。王宮都市へは馬車を飛ばしても2時間ほどかかるそうだ。その馬車の中、僕は金髪の女性に負傷した腕の手当てをしてもらっている。

 

「きつくありませんか?」

「えっ? あ、ハイ、大丈夫です」

「痛かったら言ってくださいね」

「はいっ! ありがとうございます!」

 

 この女性の名はクレアさん。年齢はよく分からないけど、30歳くらいだろうか。ショートカットに切りそろえた金色の髪に、吸い込まれそうなくらいに澄み切った藍色の瞳。鼻の頭にちょこんと乗せた小さな眼鏡が知性を感じさせる。

 

 それからマントを外して分かったのだけど……その……こ、この人、胸がとっても大きい……。体は美波と同じくらい細いのに……。

 

「リオン殿下の兵士たちから聞きましたよ。なんでも10メートルもの巨大な魔獣をお2人で倒されたそうですね。素晴らしいですわ」

「ほぇ? あ……い、いやぁ! たいしたことないですよ? あはははっ!」

 

 なんか綺麗な人だなぁ……。こんなお姉さんに誉められると嬉しくなっちゃうな。

 

(……なによ。アキったら綺麗な人を見るとすぐデレデレしちゃうんだから……)

 

「ん? 美波、何か言った?」

「何でもないっ!」

「?」

 

 美波は面白くなさそうに頬をぷぅっと膨らませる。変なの。なんで怒ってるんだろ。

 

「治療帯はこのまま明日の朝まで巻いていてくださいね」

「あ、はい。ありがとうございますクレアさん」

「シマダ様はどこかお怪我はありますか?」

「ありませんっ!」

 

 クレアさんが優しく聞いてくれているのに美波は怒鳴るように返事をする。やっぱり怒ってるよね。どうしたんだろ? もしかしてどこか怪我をしてるんだけど素直に「お願いします」と言えないのかな?

 

「美波、どこか痛いんじゃないの? 本当に大丈夫?」

「怪我なんてしてないって言ってるでしょっ!」

「わ、分かったよ。そんなに怒鳴らなくたっていいじゃないか……」

「ぷんぷんっ!」

 

 怪我はしてないのか。じゃあ一体何なんだろ? 美波ってたまにこんな風に怒るんだよなぁ……。女の子ってよく分かんないや。

 

「あらあら、どうやら(わたくし)は嫌われてしまったみたいですね。ウフフ……」

 

 こんな美波の失礼な態度にも関らず、クレアさんは口元に手を添えてクスクスと笑う。この人、容姿も素敵だけど心も広い人なんだな。うん? 治療帯? そういえば……。とサントリアで入手したアレを思い出し、リュックの中を(まさぐ)る。

 

「どうしたの? アキ」

「ちょっと思い出したことがあって…………」

 

 サントリアで入手したアレを思い出しリュックの中を(まさぐ)る。確かアレも……。

 

「あった!」

 

 リュックの中からバウムクーヘン状に巻かれた白い物体を取り出す。うん。色や布の感じも同じだし、クレアさんが腕に巻いてくれたのはこれと同じ物だ。

 

「あら? ヨシイ様も治療帯をお持ちでしたのね」

「そうみたいです」

「準備がよろしいのですね。ではもしまた怪我をするようなことがあればそれをお使いください。手当てが早ければ治りも早いですよ」

「ほぇ~……。そうなんですかぁ」

 

 なるほどね。治療帯はこういう時に使うのか。確かに魔獣の住むこの世界じゃこういった救急用具を持ち歩くのは当然かもしれないな。

 

「では後はシマダ様にお任せしますね。これ以上(わたくし)が傍にいるとシマダ様に叱られてしまいますから。ウフフ……」

「ふぇっ!? そ、そんな! ウチ、叱ったりなんてしませんよ!?」

「美波が叱るの?」

「そんなことしないって言ってるでしょっ!」

「?」

 

 何が何だかさっぱり分からない……。まぁいいや。

 

「ところでムッツリーニ、ひとつ聞いてもいい?」

「…………何だ」

 

 ちなみにムッツリーニは突然現れたわけではない。ただ黙っていただけで、ずっと一緒に乗っていたのだ。

 

「どうして王様と一緒に現れたの?」

「…………少し長くなる」

「うん。時間もあるし構わないよ」

 

 ムッツリーニは経緯を語ってくれた。

 

 レオンドバーグには”王宮情報局”なる組織がある。それを事前に知っていたムッツリーニは早速そこへ出向き、情報を求めたのだという。するとそこの局長が強く興味を示し、興奮して詳しい話を聞かせろと言ってきたそうだ。そこでムッツリーニが僕らの世界の話を聞かせると、局長はテレビゲームというものに強く関心を持ったらしい。そうして話しているうちに話題はいつの間にか僕の話になり、僕が戦争を止めようとしている話に至ったのだという。

 

 その局長というのがレナード王だったのだ。王様は情報局内にある”魔石研究室”の室長でもあるそうだ。今回の王子同士の紛争も研究に没頭していて気付かなかったらしい。そして話しているうちに意気投合した王様はムッツリーニを王直属の諜報員とし、共に紛争の場に現れたのだという。

 

「す、凄いわねアンタ……」

「ホントだよ……まさにサクセスストーリーじゃないか」

 

 なんともはや、凄いの一言だった。この世界でのムッツリーニは本当に輝いている。僕はこの時、こいつの適応力を心底羨ましいと思った。

 

「…………別に普通だ」

「いや普通じゃないって」

「そうよ。ウチなんてどうしていいか分かんなくて途方に暮れてたのよ?」

「そうだよ。僕だってここまで来るのに凄く苦労したのに」

「…………明久。貴様何を企んでいる」

「は? 企む?」

「…………褒め殺しか」

「褒め殺し? 何ソレ?」

「…………そうやって褒め上げて面倒なことを押し付けるつもりか」

「土屋ったら疑り深いわね。アキはそんなことしないわよ?」

「そうだよ。僕らはただ純粋に凄いと思っただけさ」

「…………そ……そうか」

 

 ムッツリーニは呟くように言うと、プイと顔を背け、仄かに頬を赤らめる。

 

「土屋? もしかして照れてるの?」

「…………そんなこてゃない」

 

 今、思いっきり噛んだよね。

 

「…………もう話し掛けるな」

 

 ムッツリーニは照れくさそうにマントを取り出すと、頭から被って顔を隠してしまった。

 

「ふふ……土屋も可愛い所あるじゃない」

「これで女装すれば完璧だよね」

「…………」

 

 マントで全身を覆い、座席の隅っこでうずくまるように座るムッツリーニ。もう僕らの言葉には何も反応しなかった。残念だ。もっと弄ってやりたかったのにな。

 

「ふぁ……あぁ……」

 

 ひとしきり話すと急に睡魔に襲われ、人目も(はばか)らずに大欠伸(おおあくび)をしてしまった。さすがに疲れたな。昨日からずっと走りっぱなしだったからなぁ……。

 

「眠いの? アキ」

「うん、ちょっと……」

「無理しない方がいいわよ? 少し眠ったら?」

「シマダ様の仰る通りですよヨシイ様。少しお休みになってください」

「うぅ……だ、大丈夫……です……」

 

 戦争が回避されてようやく落ち着いて美波と話ができるというのに、寝てなんかいられない。しかし僕の思いに反し、身体は疲労を隠せなかったようだ。

 

「治療帯は寝ている時の方が効果が高いのです。王都に到着しましたらお知らせしますので、どうかお休みくださいませ」

 

 クレアさんが優しく薦めてくれる。僕はその言葉を聞いた時は既に意識がもうろうとしていた。そしていつしか意識を失い、僕は深い眠りに落ちていった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ヨシイ様、着きましたよ」

「う……ん……?」

 

 女の人の声で僕は目を覚ました。起してくれたのはクレアさんだった。どうやらレオンドバーグに到着したらしい。気付けば美波が僕の肩に頭を(もた)れかけ、一緒に寝ていた。

 

「美波。着いたってさ」

「んぅ……もうちょっとぉ~……」

 

 何がだ。

 

「ほら起きてよ美波。降りるよ」

 

 寝ぼける美波を起こし、僕たちは馬車を降りる。そこはとてつもなく大きな町だった。目の前にはドルムバーグやガラムバーグよりも大きな宮殿がドンと(そび)え立っている。

 

「ほぇぇ~……」

 

 僕はその様子を呆然と見上げる。

 

「ヨシイ様、シマダ様、陛下がお待ちです。こちらへどうぞ」

「あ、はい。行こう美波」

「うんっ」

 

 クレアさんの先導で宮殿内に入る僕たち。

 

「あれ? そういえばムッツリーニは?」

 

 気付けば一緒に馬車に乗っていたはずのあいつの姿がない。

 

「ムッツリーニ? ムッツリーニとは何ですか?」

 

 前を歩くクレアさんが問う。ムッツリーニとはあだ名だ。文月学園内では有名だが、この世界でその名前を知る者がいるわけがなかった。

 

「すみません。アキがわけの分からないことを言って。ムッツリーニっていうのは土屋のことなんです」

 

 すかさず美波がフォローを入れてくれる。だが、

 

「アキ?」

 

 と、クレアさんは再び疑問符を頭に浮かべる。

 

「あっ……す、すみません。アキっていうのは吉井のことでして……」

「なるほど。あなたたちはとても仲が良いのですね。ふふ……ツチヤ様なら既に中でお待ちですよ」

 

 気まずい雰囲気のまま、クレアさんの後をついて歩く僕たち。床には赤いじゅうたんが真っ直ぐに続き、その先に大きな銀色の扉が見えてきた。その扉の左右には槍を手にした兵士が1人ずつ立っている。リオン王子の城と同じ構成だ。

 

 クレアさんが扉の前まで来ると兵士たちはピッと敬礼し、扉を開ける。扉はキィ……と小さな音を立てて開いていく。その部屋の中央には巨人用かと思えるほど大きくて豪華な椅子があり、そこにレナード王が鎧姿のまま座っていた。クレアさんは部屋の中央まで歩いていくと(ひざまず)き、深々と頭を下げて言う。

 

「レナード陛下。ヨシイ様とシマダ様をご案内しました」

「うむ。ご苦労であった。下がってよいぞ」

「はっ。それでは失礼します」

 

 クレアさんは深く礼をすると静かに部屋を去って行った。僕と美波は片膝を突き、腰を下げて王様を敬う姿勢を作る。

 

「さて……」

 

 レナード王は一度コホンと咳払いをする。一国の王と面会するなんて初めてのことだ。ドキドキと心臓の鼓動が早くなってくる。どんな言葉を掛けてくるのだろう? 昼間の感じでは、やはり(ねぎら)いの言葉を掛けてくれるのだろうか。それとももっと高圧的に王様らしい発言が飛び出すのだろうか。そんな期待と不安の入り交じった感情を抑えながら待っていると、王様は僕の予想を完全に覆す言葉を投げ掛けてきた。

 

「よくぞ戻った勇者ヨシイよ! そなたが次のレベルになるには、あと2500の経験値が必要じゃ!」

 

 

 ………………………………

 

 

「……は?」

 

 えっ? 何? 勇者? 経験値? どういうこと? なんか別のゲームに迷い込んじゃった!? 突然の王の発言に混乱する僕。そんな僕を見て王様は”にぃっ”と笑みを浮かべると、

 

「こんな感じじゃな? ツチヤよ」

 

 と脇に目をやり、嬉しそうに呼び掛けた。その視線の先を見るとムッツリーニが真顔で、ぐっと親指を立てていた。

 

「やはりこの台詞、勇者を影で支える感じがかっこいいのう! ハッハッハッ!」

 

 レナード王が大きく口を開けて笑う。

 

「ね、ねぇアキ、何なのコレ……」

「う、うん。昔のゲームで王様がああやって次のレベルまでの必要経験値を教えてくれるのがあるんだよ。たぶんそれを真似してるんじゃないかな……」

「ふ~ん……あ、きっと土屋が教えたのね」

「あの様子だときっとそうだね」

「他に変なこと教えてなければいいんだけど……」

「あ、あはは……」

 

 美波の言う通りだ。盗聴とか盗撮とかはこの世界じゃできないだろうけどさ。

 

「それはさておき。ヨシイよ、今回は本当に世話になった。改めて礼を言わせてもらうぞ」

 

 急に真顔になって礼を言うレナード王。

 

「ふぇ? あ、いえ、どうも……」

 

 いきなり雰囲気が変わり、戸惑う僕。なんだか王様に振り回されてる気がする……。

 

「聞くところによると、そなたらは元の世界に帰る方法を探しているそうじゃな」

「はい、その通りです。どうやって来たのかも分からないんですけどね……」

「うむ。それもツチヤから聞いておる。それで各地からの情報が集まるこの町を訪れたとな」

 

 ムッツリーニは僕たちの目的を全て話しているようだ。それなら話は早い。

 

「王様、何か知りませんか? ワームホールとか次元転移装置とか、何でもいいんです」

 

 僕は(すが)るような気持ちで王に訴えかける。すると美波が耳打ちをしてきた。

 

(ちょっとアキ、そんなものを王様が知ってるわけがないじゃない。漫画の読み過ぎよ?)

(じゃあなんて説明するのさ)

(それは……その……ん~っと……)

 

 美波は困ったように言葉を詰まらせる。ほら、やっぱり他に説明しようがないじゃないか。

 

「何やら面白そうな名じゃな。しかし残念ながらそのような物は知らぬのじゃ」

 

 あぁそうか。この人の口調、誰かに似てると思ったら秀吉だ。そうだ! 教室には秀吉や雄二も居たんだ! 特に雄二なら何か知ってるかもしれない!

 

「王様! それじゃあこんな服を着た人を見たって情報はありませんか?」

 

 僕はジャケットの校章を指差して尋ねる。このマークのおかげで美波とも再会できたんだ。もし他のクラスメイトも来ているなら、このマークが目印になるはずだ!

 

「それもツチヤに聞かれたが、今のところそのような話は聞かぬのじゃ」

「そうですか……」

「役に立てずすまんのう」

「いえ、王様が謝る必要なんてないですよ」

「そうですよ王様、もともとこれはウチらの問題なんですから」

「ううむ……しかしバカ息子どもの喧嘩を止めてくれたのじゃ。何か礼をしたいのじゃが……」

 

 王様は腕組みをして考える。お礼なんていいのに。それより僕らは元の世界に帰りたいんだ。それにはやっぱり雄二の知恵がほしい。こうして美波とムッツリーニがここにいるんだ、雄二たちも来ている可能性は高いと思う。

 

「行こう美波。別の手を探そう」

「そうね」

「それじゃ王様、お邪魔しました」

 

 僕と美波は立ち上がり、丁寧に礼をして王様に背を向ける。すると、

 

「待つのじゃ、勇者ヨシイよ!」

 

 ……まだ悪ノリしているようだ。

 

「……えっと、勇者じゃありませんけど……何でしょう?」

「我が情報局もそなたらの帰還に手を貸す。仲間の情報も入り次第、貴殿に伝えることにしよう」

「ホントですか!? それは助かります!」

 

 美波が目を輝かせながら言う。

 

「なに、せめてもの礼じゃ。こうした調査は我々の情報力の見せ所。我ら情報局に任せるが良い。あぁそれとな、見つかるまでの間この王宮は自由に使って構わぬぞ。寝室も用意させよう。気の済むまで泊まっていくが良い」

「え……? こ、この王宮にですか!?」

 

 僕は周囲を見渡す。昼間に戦った熊の魔獣が入りそうなくらいに高い天井。目が眩みそうなくらい、きらびやかな飾り付け。周囲の人は誰もが(かしこ)まった服装でピンと背筋を伸ばしている。

 

「あの……せっかくですけど、僕は町の宿に泊まろうと思います」

 

 ここで暮らすなんて息が詰まりそうだ。

 

「うむ? 何故じゃ? ここが気に入らんか?」

「いえ、そんなことないんですけど……ちょっと僕には贅沢すぎるかなって思いまして。それに自分でも仲間を捜そうと思ってますので」

「そうか……。おぉそうじゃ! ならばこうしよう! 儂の紹介状を持っていくが良い!」

「「紹介状?」」

 

 僕と美波は顔を見合わせる。

 

「左様。儂の紹介状を見せれば国内のどこの宿でもタダで泊めてくれるじゃろう」

 

 おぉ……なんという太っ腹。さしずめ無料宿泊券といったところだろうか。この申し入れは非常に助かる。宿泊費は働いて稼がないといけないかと思ってたところだ。

 

「ありがとうございます! それじゃお言葉に甘えさせていただきます!」

「やったねアキ! これで泊まるところに困らないわね!」

「うん! ありがとうございます王様!」

「うむうむ。役に立てたようでなによりじゃ。では早速用意させるとしよう。客室で待っていてくれるかの?」

 



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第二十三話 宿を探して

 僕たちはレナード王の紹介状を受け取り、王宮を出てきた。紹介状といっても普通の紙に手書きで文字が書かれているだけだった。王様の出すものだから派手な模様が描かれているものを想像していたけど、意外にシンプルだ。まぁ地味であっても王様の紹介状には変わりないけどね。

 

「それじゃ王様、お世話になりました」

 

 美波がペコリとお辞儀をして礼を言う。おっと、僕もちゃんと挨拶しなくちゃ。

 

「紹介状まで頂いて、ありがとうございました!」

 

 僕も慌てて頭を下げる。なんかこの世界に来てから大人とばかり話をしている気がするな。雄二たちとバカ騒ぎをしていた頃が懐かしく思えてくる。

 

「礼を言うのは儂の方じゃ。息子たちの件、感謝する。何かあれば気軽に来るがよいぞ。あぁ、じゃがここに来ても儂はおらぬかもしれん。最近は研究室に入り浸っておるからな! ハッハッハッ!」

 

 王様は腰に手を当てて胸を張り、大笑いする。なるほど、ルミナさんが言っていた”変わった趣味”というのはコレのことか。きっと魔石研究が大好きなんだろうな。でもこういう王様も面白いな。王様っぽくなくてさ。

 

「陛下、少しは国王としての仕事をしていただきませんと……」

 

 王様の横に立っていた銀縁眼鏡をかけた久保君風の男が呆れ顔で言う。この人はさっきの部屋でも王様の横に立っていた。恐らく側近のうちの1人なのだろう。しかしこの疲れ果てたような表情。察するに、王様は昔からずっとこんな調子で困っているのだろう。ちょっと気の毒な気もするけど、僕が口出しできるようなことじゃないからなぁ……。

 

「なに、ここにはお主のような優秀な大臣がおるから安心じゃよ。頼りにしておるぞ?」

「またそのようなことを……そう言ってまた我々にすべてを押しつけるつもりなのでしょう?」

「ハッハッハッ! バレたか」

「ハァ……お(たわむ)れもほどほどにしてくださいませ陛下。どうしても我々では陛下の代りができない場合もあるのですよ」

「分かっておるわい。いざという時は本気を出すから安心せい」

「毎回そう(おっしゃ)いますが、私は陛下が本気を出すのを見たことがないのですよ」

「まぁそういうことじゃ。ヨシイよ、宿が決まったら連絡してくれるか? 情報が入り次第伝えに行くによってな」

「へっ? あ、はい。分かりました」

 

 唐突に話題が戻ってきてビックリした。大臣さんの話は放っておいていいんだろうか……。

 

「それじゃ失礼します」

 

 と回れ右したところで気付いた。

 

「あれ? ムッツリーニは行かないの?」

「…………俺はここに残って情報収集を続ける」

「そっか、分かった。じゃあ僕らの方で何か分かったら連絡するよ」

「…………うむ」

 

 こうして僕たちは王宮を後にした。さて。それじゃまずは今夜の宿を探そう。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 町に出ると周囲の建物は橙色に染まり始めていた。日が暮れ始めて夕日が差し込んできているのだ。でも暗くなるまでまだ少し時間がありそうだ。それなら宿を探す前に手に入れた魔石を売っておこうかな。

 

「とりあえず魔石を売りに行こうか」

「そうね。ウチも魔石加工商っていうのを見てみたいわ」

「じゃ、決まりだね」

 

 早速僕らは数ある店の中から魔石加工商を探し出し、魔石を見てもらった。どうやら魔石は砕けていても買い取ってくれるらしい。というのも、そもそも魔石はほとんどの場合において砕いて使うからだそうだ。しかし砕く手間が省けたからといって高く買ってくれるわけではないらしい。残念ではあるが、売り渋って加工前の魔石を持っていても僕らには何の役にも立たない。結局持っている魔石すべてをこの店で売り払うことにした。

 

 ところが売ってみて驚いた。なんと最初に猿の魔獣を倒した時の稼ぎの2倍もの金額になったのだ。これにより現在の所持金は約30万ジン。これだけあれば当面お金に困ることはないだろう。

 

「なんか凄いお金持ちになっちゃったわね」

「う、うん。でもいいのかな、こんなに……」

 

 貧乏生活に慣れてしまっているせいか、大金を手にすると手が震えてしまう。情けない話だ。

 

「いいのよ。これはウチらの報酬なんだから」

「そっ、そうだよね。うん。ありがたく貰っておこう」

「あ、でも沢山あるからって無駄遣いはさせないわよ?」

「ほぇ?」

「これからウチらは一緒に生活していくんだからね。お金は大切にしなくちゃ」

「え……い、一緒に?」

「だってそうでしょ? 元の世界に戻る方法が見つかるまではウチらだって生活しなくちゃいけないんだから。別々に暮らすなんて非効率だわ」

「そっ……そう……だね……」

 

 そうか……今まで全然気にしてなかった……。

 

 僕らはこの世界で各自の家を持っているわけじゃない。でも元の世界に戻るまではこの世界で生活する必要があって、それには()(しょく)(じゅう)が必要だ。この中で最もお金が掛かるのは”住”だが、王様からの紹介状があるから問題ないだろう。”()”や”(しょく)”についても先程得たお金があれば当面は大丈夫だと思う。とはいえ、僕らは決まった職に就いているわけではない。つまり無収入だ。だからお金はできるだけ節約しなくちゃいけない。

 

 節約するには共同生活をするのが一番であって……じゃ、じゃあ宿の部屋も1つ……とか……? ムッツリーニは王宮に寝泊まりすると言っていたから……だからそれはつまり……。

 

 

 ―――― 美波と2人暮らし ――――

 

 

 と、いうこと……だよね……。

 

「まぁこの世界にはアンタの好きなゲームや漫画は無いみたいだし、無駄遣いの心配はいらないかしらね」

「う、うん、そそそうだねっ!」

「? 何を狼狽(うろた)えてるのよ。まさかアンタもう無駄遣いしちゃったの!?」

「い、いや! してない! してないよ!」

「そう? それならいいんだけど。でもこれからはウチがちゃんと管理するからねっ」

 

 なんだか美波がやけに嬉しそうだ。でも僕は意識しすぎちゃって緊張で身体がガチガチだ。今までも美波とは一緒に遊んだりお互いの家に泊まったりしたことはあった。元旦の初詣の時は僕たちの未来像を想像したりもした。でも、この時ほど”一緒に暮らす”ということを強く意識したことは無かったのだ。

 

 そんな僕の心持ちを知ってか知らずか、美波は僕の腕をぎゅっと強く掴み、あっちだこっちだと街中を駆けずり回り、引っ張り回す。探しているのは一時の宿なわけだが、彼女の笑顔はまるでショッピングデートでもしているかのようだった。

 

 しかしこうしてあちこちの宿を見て回ってみたものの、結果はどこも満室だった。さすが王宮都市。各地から訪れる人も多く、どこの宿も常に繁盛しているらしい。商売繁盛は結構なことだが、このままでは今夜の宿が無い。かといって今さら王宮に戻って泊めてもらうわけにもいかない。

 

「見つからないね」

「こんなにどこも満員だなんて思わなかったわ」

「どうしようか。このままじゃ野宿になっちゃいそうだけど……」

「さすがに野宿は辛いわね……。やっぱり王様の所に泊めさせてもらうしかないかしら」

「自分でなんとかするなんて言っちゃったからちょっと言い辛いよねぇ……」

「仕方ないわよ。こういうのを”背に腹は変えられない”って言うんでしょ?」

「まぁ、そうなんだけどさ」

 

 でもかっこ悪いなぁ。出来ることなら自力で宿を見つけたい。ん? あそこにホテルがもう一軒あるみたいだ。よし、行ってみよう。

 

「あそこでダメだったら王様にお願いすることにしようか」

「そうね。もう日が暮れてきちゃってるし、そうしましょ」

 

 僕たちは最後の望みを託してホテルの受付へと入る。

 

「あのー! すみませーん! 部屋をお借りしたいんですけど!」

 

 受付に誰もいなかったので大声で呼んでみた。すると奥から顎髭を生やした丸顔のおじさんが出てきた。

 

「お客さんかい? すまないね。今日は満室なんだよ」

「そうですか……」

 

 このホテルも満員か。さすが大都市だなぁ……。これで最後の望みも断たれたか。

 

「仕方ないね。行こう美波」

「せっかく王様からこれを貰ったのに残念ね……」

 

 美波は手にした1枚の紙に目を落として呟く。それはレナード王から貰った紹介状だった。

 

「きっとタイミングが悪かったんだよ。さ、日が暮れる前に王宮に行こう」

「そうね」

 

 僕たちは諦めてホテルを出ようとした。すると、

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ君たち!」

 

 と、おじさんが慌てた様子で僕らを引き止めた。

 

「はい? 何でしょう?」

「それを良く見せてくれないか」

「それ?」

「ほら、そっちの子が持ってる紙だよ」

 

 どうやら美波が持っている紹介状のことのようだ。

 

「これですか? はい、どうぞ」

 

 美波は不思議そうな顔をしながら紙を渡す。するとそれを見たおじさんはワナワナと手を震わせ、顔を真っ青にして冷や汗を滴らし始めた。何か凄いことでも書いてあるんだろうか? さっき見た時は”この者は我がハルニア王国の重要な客人である”という文字と、王様のサインくらいしか書かれていなかったけど……。

 

「その紹介状がどうかしたんですか?」

 

 疑問に思った僕は理由を尋ねてみた。するとおじさんはブルブルと全身を震わせながら尋ね返してきた。

 

「ど……どうしたもこうしたも……き、君たち、これを一体どうやって手に入れたんだ……?」

「どうやってって言われても……王宮で王様から直接?」

「なっ!? なんだってえぇぇぇっ!?」

 

 おじさんは両手をあげて大げさに驚く。そんなに驚くことなのかな。

 

「たっっ……大変なご無礼を!! なにとぞご容赦ください!!」

 

 今度は頭を下げてペコペコと謝り始めてしまった。それはもう立位体前屈でもするかのように深々と。

 

「えと、おじさん、そんなに謝らないでください。僕らただの旅の者ですから……」

「そうはいかないよ! 国のお客様なんてこの店始まって以来のことなんだから! あぁっ! でも今さら入れてしまったお客を追い出すわけにもいかないし、どど、どーしたらいいんだぁぁっ!!」

 

 ホテルのおじさんは大騒ぎしながら頭を抱え込んでしまった。わけが分からない。一体何が大変だと言うのだ……。

 

「あの……おじさん、どういうことなのか教えていただけますか?」

 

 美波が心配そうにおじさんに声を掛ける。

 

「お? お、おぉ……すまない。取り乱してしまった……」

 

 落ち着きを取り戻したおじさんは、この紹介状が如何に貴重なものであるかを教えてくれた。興奮気味に早口で色々と言われたので覚えきれなかったが、これは国賓(こくひん)――つまり国のお客様を意味するものなんだそうだ。

 

「う~ん……そう言われてもピンと来ないなぁ」

「とにかく君たちに何かあったら私は国賊として処罰されてしまうんだよ!」

「そ、そうなんですか……」

 

 なんか大げさな気がする。あの王様なら処罰なんてしないと思うけどな。

 

「あぁっ、でもどうしよう……今()いている部屋は無いし、かといって私の家をお貸しするのも失礼だし……」

「えっ? ()いてる家があるんですか?」

「ん? あぁ、そうだよお嬢さん。でも元々私が住んでいた家で王家のお客様にお貸しできるような立派なものでは――――」

「それを貸してくださいっ!!」

 

「「はい?」」

 

 いきなりの美波の発言に、おじさんと僕の驚きが重なる。

 

「だから、()いてる家があるんですよね? それでいいので貸してほしいんです」

「え……し、しかしだね」

「いいからっ!」

 

 今度は美波が興奮してしまっている。確かに家なら生活するには最適な宿だけど……。でもそんなもの借りちゃっていいのかな。

 

「わ、分かりました。そこまでおっしゃるのでしたらお貸しします……」

「やったねアキっ! これでウチらの住む所ができたわねっ!」

「う、うん」

 

 ちょ、ちょっと待てぇー……っ! これじゃ完全に同棲生活じゃないかぁー……っ!

 

「それでは鍵を持ってきますので少々お待ちください」

 

 おじさんは深々とお辞儀をすると、カウンターの奥へと消える。

 

「ね、ねぇ美波、美波はいいの? 僕と2人っきりで生活なんて……」

「えっ? だってしょうがないじゃない。他のホテルは満員だし、ここも部屋は()いてないって言うんだもの。だからウチだって仕方なく……」

 

 美波は仄かに頬を赤らめながら両手の指を合わせ、もじもじと通わせる。その嬉しそうな仕草はどう見ても”仕方なく”という感じがしない。確かに他に泊まる場所は無さそうだけど、それにしたって……う~ん……。

 

「お待たせしました。こちらになります」

 

 美波の言動に困惑していると、ホテルのおじさんが戻ってきて鍵を渡してくれた。その鍵は美波が受け取った。

 

「それからこれはここから家までの地図です。途中あまり目印がありませんのでご注意ください」

 

 おじさんはそう言って今度は僕に1枚の紙切れを渡してくれた。ここから少し離れた場所にあるようだ。

 

「ありがとうございます、おじさん。それでお家賃はおいくらになりますか?」

 

 王様の紹介状は宿についてのことだし、さすがに家を借りるとなれば通用しないよね。お金はあるから余程吹っ掛けられなければ大丈夫だと思うけど、あまり高くないといいなぁ。なんてことを思いながら尋ねると、良い意味で予想を裏切る答えが返ってきた。

 

「いえいえ! 国王陛下のお客様からお金なんていただけませんよ!」

「え……でも家を借りるのにタダというわけには……」

「気にせず自分の家と思ってお使いください」

「じ、自分の家……ですか……」

 

 自分の家……つまりマイホーム? まさかこの歳で自分の家を持つことになるなんて……。なんだか話がうますぎて怖いくらいだ……。

 

「アキ、おじさんもああ言ってるんだし、お言葉に甘えましょ」

「そ、そうだね。分かったよ。おじさん、ありがとうございます。それでいつまでお借りしていいですか?」

「私は既にこちらのホテルに移り住んでおりまして、当面家に戻る予定はないのです。ですのでどうぞいつまでもお気兼ねなくお使いください」

 

 つまり無期限で貸してくれるってこと? それは嬉しいけど、この世界に長居するつもりはないんだよね。

 

「分かりました。それじゃウチらが家を出る時は鍵を返しに来ますね」

「はい。あ、それとひとつだけお願いが……」

 

 やはり見返りを求めていたか。そりゃそうだよね。この世にタダほど高いものは無いって言うし。

 

「何でしょう? 僕にできることなら何でもしますよ」

「ではレナード陛下にお会いしましたら、今回の件はホテル”サンドロック”の”ニコラス”がお世話したとお伝えください」

「王様にそれを言えばいいんですか?」

「はい。そうです」

「分かりました」

 

「……」

「……」

 

 他にも要求があるのだろう。そう思って相手が口を開くのを待っていたのだが、丸顔のおじさんは手もみをしながらニコニコと笑顔を見せるだけだった。

 

「あ、あれ? それだけ?」

「? はい、それだけです」

「ホントにそれだけでいいの??」

「はい。それだけで十分です」

「????」

 

 言うだけでいいの? これにどんな意味があるんだろう? これでおじさんに利益があるんだろうか? まぁいいか。よく分からないけどおじさんの頼みなら断れないし、言うだけなら別にお金がかかるわけでもないし。

 

「分かりました。伝えておきますね。それじゃ僕たちはこれで」

「失礼します」

 

 僕らはもう一度ペコリと頭を下げ、ホテルを出る。

 

『よろしくお願いしますよ~っ!』

 

 出て行く僕らに向かっておじさんが大声で念押しする。そんなに王様に伝えてほしいのか。なんでだろう……?

 

「うーん……」

「どうしたのよ。珍しく考え込んじゃって」

「いや、今のおじさんの頼みの意味がわかんなくてさ」

「王様に言ってほしいって話?」

「うん。そんなことを王様に言ってどうなるんだろうって思ってさ」

「これはウチの想像なんだけどね、王様に自分のことを売り込みたいんじゃないかしら」

「売り込む?」

「王様ってこの国でいちばん偉い人よね?」

「うん。たぶん」

「たぶんじゃないわよ! いちばん偉いの!」

「う、うん」

「だからね、いちばん偉い人に自分のことを知ってもらったら国の偉い人たちにホテルを使ってもらえるようになって、そうしたらお店も有名になって繁盛するって考えてるんじゃないかしら」

「うーん……つまり商売のためってことなのか。大人の事情はよく分からないなぁ」

「ウチも想像で言ってるだけだから、違ってるかもしれないわよ」

「ま、いいか。泊まる場所を貸してくれたわけだし」

「そういうことね」

「そんじゃ行こうか」

 

 なんとなく意図を理解した僕は夜の街を歩き出した。

 

 それにしても美波と2人暮らしか……嬉しいような怖いような……このドキドキはどっちの気持ちなんだろう。

 



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第二十四話 僕と美波と夢のマイホーム

 僕らはあるホテルの主人から家を借りることになった。今は貰った案内図を頼りにその家に向かっているところだ。しかし家を借りただけなので、当然食事は自分たちで用意しなくてはならない。そこで美波と相談した結果、商店街で食材を買うことになった。

 

「ねぇアキ、何が食べたい?」

 

 商店街を歩きながら美波が尋ねてくる。今夜の献立を考えているのだろう。

 

「そうだなぁ……」

 

 そういえば今日は朝に美波が持ってきてくれた料理を貰ってから何も食べてないんだっけ。思い出したら急にお腹が空いてきたな……。今日はだいぶ体力も消耗したし、今夜は肉を食べたい気分だ。

 

「僕は肉がいいかな。って……もしかして美波が作ってくれるの?」

「えぇそうよ。だってアンタは腕を怪我してるじゃない」

「ん? あぁこれ? 大丈夫だよ。右腕だし。知ってるだろ? 僕の利き手は左なんだ」

「知ってるわよ。でも今日はウチに任せて。両手が使えないとお料理もしづらいでしょ?」

「それはそうなんだけど……でも美波だって疲れてるんじゃないの?」

「いいからそんなこと気にしないでウチに任せなさいっ!」

 

 美波が僕をキッと睨みながら言う。こういう時の美波には逆らわない方がいいだろう。それに片腕に傷を負っている今、料理しづらいのも確かだ。

 

「分かったよ。それじゃ今夜は頼むね」

「任せておいてっ! それでアキは肉ならなんでもいいの?」

「うん。特にこだわりは無いよ」

「じゃあウチが献立考えるわね。えっと、それじゃあ……まずあのお店!」

「わわっ! 急に走らないでよ!」

 

 美波は僕の手を引き、肉屋へと走っていく。そしてパパッと買い物を済ませると、今度は八百屋へと僕を引っ張っていった。こうしてあっちだこっちだと僕を引っ張り回し、彼女は次々に食材を買い集めていく。結局ミルクや野菜などを含めて3日分の食材を買い揃えてしまった。これ、絶対に楽しんでるよね……。

 

「はい、これもお願いね」

「ちょっと待ってよ美波、もうこれ以上持てないよ?」

 

 僕は既に両手に買い物袋を持ち、手が塞がってしまっている。これ以上どこに持てというのだ? まさか口に咥えろとでも言うつもりだろうか。

 

「リュックに入るでしょ? 入れちゃうわね」

「えぇ~……」

「ちょっとじっとしてて」

 

 彼女は僕のリュックに次々と食材を詰め込んでいく。僕の意見は求めていないらしい。っていうかさ、腕の怪我を心配してくれたんじゃなかったっけ? まぁこれくらいの重さなら痛みは無いんだけどさ。

 

「……っと、これでよしっと」

 

 僕は両手に食材の袋を持ち、リュックに大根を斜め挿しした変なスタイルにされてしまった。う~ん……ダイコンを背負って歩くのってなんだかかっこ悪いなぁ。どうせ背負うなら大きな剣とかの方が良かったのにな。ウォーレンさんが持ってたやつみたいなヤツがさ。

 

「さ、行くわよアキ」

「へ~い」

 

 ひとしきり食材を買い集めた僕らは借りた家……こういうのも借家というのだろうか。その家に向かって再び歩き出した。

 

 

 ――そして歩くこと30分。

 

 

 意外に距離があったが、貰った地図通りに歩いていくと目的の家はすぐに見つかった。そこは商店街から少し離れた静かな住宅街で、洒落たレンガ造りの一軒家であった。

 

「ここだね」

「そうみたいね」

「じゃあ開けるよ」

「うん」

 

 僕は預かった鍵を差し込んで扉を開ける。すると木製の扉はすんなり開いた。早速僕たちは中に入ってみる。

 

「おじゃましま~す……」

「アキったら律義ね。誰もいないわよ?」

「あ、そうか」

「ふふ……」

 

 玄関を入ると左側に扉が1つと、廊下の突き当たりにも扉が1つ見えた。更に突き当たりには左側に入る通路があり、廊下はその奥に続いているようだった。右側の窓からは月明かりが差し込んでいて、神秘的な雰囲気を醸し出している。僕らはとりあえず玄関から上がり、廊下を進む。そして左手の扉を開いて中の様子を見てみた。

 

「……真っ暗だね」

「ちょっと待って。今明かりを点けるわ」

 

 美波は壁に取り付けられた魔石照明に火を入れる。すると柔らかい光が天井から降り注ぎ、僕たちに部屋の中の様子を見せてくれた。

 

 4人が座れそうなくらいの大きな茶色いソファ。

 足の細い木製のテーブル。

 床に敷かれた赤茶色のじゅうたん。

 茶褐色のレンガで作られた小さな暖炉。

 

 そこはリビングルームだった。家具類はホコリをかぶった様子もなく、掃除の必要も無いくらいに綺麗だった。

 

「わぁ~っ! とってもおしゃれで素敵な部屋ね!」

 

 美波は目を輝かせていて、感激しているようだ。

 

「あ、奥はキッチンなのね!」

 

 美波はそう言ってトトッと奥の部屋へと駆けて行ってしまった。そんな彼女を見ていると僕の胸はドキドキと大きく脈を打ち始めてしまう。美波のこういう所って、可愛いよな……。

 

『ねぇねぇアキっ! 包丁や食器もあるわよ! これならすぐにお料理もできそうよ!』

 

 奥の部屋で美波が声を踊らせて(はしゃ)ぐ。

 

『他の部屋はどうなってるのかしら? ちょっと見てくるわねっ!』

 

 そして彼女はスキップするように奥の部屋の右の扉から出て行く。美波はとっても楽しそうだ。あんな姿を見せられると僕も嬉しくなってきちゃうな。さて、僕も他の部屋を見てこよう。

 

 

 ――そして家の中を見て回ること数分。

 

 

 さっきの廊下の突き当たりにあった扉はトイレで、その隣には風呂場があった。更にその隣には洋室が2部屋あり、部屋と呼べるのはリビングを合わせて3つだった。つまり僕らの世界で言うところの2LDKに相当する。2人で暮らすには十分な広さだ。

 

「いい家ね。ウチ、気に入っちゃった」

「そっか。それは良かった。それじゃ僕は王様にこの家のことを伝えてくるよ」

「じゃあウチは夕食の準備をしておくわね」

「うん。頼むよ」

「任せてっ! でも早く帰ってきてね。お料理が冷めちゃうから」

「分かってるよ。それじゃ行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

 僕が玄関を出ると、辺りは既に暗かった。町角では松明(たいまつ)のような照明が道を明るく照らしてくれている。こんな人気(ひとけ)の少ない地域にも灯を灯してくれるのか。さすが王宮都市だ。

 

 ……

 

 それにしても「行ってらっしゃい」……か。なんかいい響きだな。よし、急いで王様に伝えに行こう。家で美波が待ってるんだから!

 

 僕は小走りに王宮へと向かった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ありゃ? 閉まってる?」

 

 王宮に着くと門は既に閉まっていた。ただ、その門の前には4人の兵士の姿があった。入れるのかどうか、あの人たちに聞いてみるか。早速彼らの元へと行き、紹介状を見せて兵士たちに尋ねてみた。

 

「王様からこれを頂いた吉井です。王様にご報告することがあるんですが、いらっしゃいますか?」

「陛下は既にご就寝されておられる。また明日(まい)られよ」

「そうですか……」

 

 やっぱりこの世界の人って寝るのが早いんだな。仕方ない。明日また来ることにしよう。

 

「分かりました。また明日来ます」

「うむ。気をつけて帰られよ」

 

 僕は王宮を離れ、再び借りた家への帰路へ就く。そして商店街に入り、次々に閉められていく店の合間を歩く。

 

 ハァ……もうちょっと早く泊まり先が見つかっていればなぁ……。報告に行ったのにこれじゃ完全に無駄足だ。言うなれば任務失敗なわけだし、このまま手ぶらで帰るってのも悔しいな。

 

 名誉挽回というわけでもないが、何か無いかと僕は周囲に目を配る。この辺りは商店街。照明の消えている店も多いが、まだ開いている店もいくつかある。

 

 ……そういえばさっき食材は買ったけど、それ以外については何も買わなかったな。それなら何か生活に必要そうな物でも買って行こうかな。そう思い立ち、まだ開いている店を見て回る。しかし食品系の店はもうほとんど閉まっていて、開いているのは生活用品の店や武具の店、それに魔石加工商くらいだった。そんな中、僕はひとつの店に目を付けた。

 

「衣料品の店か」

 

 そういえば今までは寝る時もずっと制服のままだった。ブレザーとズボンはシワになるから脱いでシャツとパンツだけになっていたけどね。でもよく考えたらこのままじゃシャツが傷んでしまう。かと言ってパンツ一丁では少々寒い。とりあえず寝巻(ねまき)くらいは用意しないといけないな。ちょっとあの店を見てみよう。

 

 僕は早速その店に入ってみた。店内は意外に広かった。しかし様々な服が所狭しと並べられ、むしろ狭いと感じてしまう。凄い量だな……。これじゃどこに何があるのか――――

 

「いらっしゃい。何かお探しかな?」

「う、うわぁぁーーっ!?」

「ぎゃぁぁーーっ!?」

 

 思わず飛び上がって驚いてしまった。突然に衣類の合間からニュッと顔が現れ、話掛けてきたからだ。しかし僕が叫ぶのと同時にその顔も大きな声で悲鳴をあげていたのが謎だ。

 

「なっ、なんだね君は! 急に大声を出して! びっくりするじゃないか!」

「それはこっちの台詞ですよ! 急に変な所から顔を出すからびっくりしたじゃないですか!」

「ん? ……おぉ、そうか! そいつは悪かった! はっはっはっ!」

「あぁびっくりしたぁ……」

 

 相手は白髪交じりの黒い髪をした五分刈りのおじさん。この店の店長らしい。その顔立ちは今まで会ってきたどの人よりも日本人に近かった。だから僕に対して親近感を持ったのだろうか。このおじさんは話し始めると妙に馴れ馴れしくなってきて、あれやこれやと商品を勧めてくるようになったのだ。

 

「えっと……すみません、僕、寝巻を探しに来ただけなんですけど……」

「うん? なんだ、それを早く言ってくれ。寝巻はこっちだよ」

 

 僕が話す前に一方的にマシンガンのように話してきたのはそっちじゃないか。などと多少反感を持ちながらもおじさんについていく。

 

「この辺りが寝巻の類いだよ」

 

 案内してくれたのは店の端の方。確かに寝巻の類いが飾られていたのだけど、その数、ざっと見て50種類。こ、この中から選べって言うのか……。

 

「こんなのはどうだい?」

 

 僕が戸惑っていると、おじさんはまた服を手に取って勧めてきた。手にしているのは赤いドレス風のゴージャスな服。とても寝巻とは思えない。それにどう見ても女物だ。

 

「そんな派手なのはちょっと……」

「じゃあこれは?」

 

 次に見せられたのはキラキラしたピンク色の可愛らしい服。シルク製だろうか。っていうかこれも女物だよね?

 

「あ、あの、そういうのじゃなくて……」

「ふむ。それじゃ――――こんなのはどうだい?」

「ぶっ!?」

 

 そう言っておじさんが広げて見せたのは、透け透けのネグリジェ。

 

「ちょっと待って! どうして女物ばかり勧めるの!?」

「うん? だって奥さんの寝巻を探しに来たんだろう?」

 

 お、奥さァん!?

 

「ち、違いますよ! 僕のです! 僕の寝巻がほしいんです! 奥さんなんていません!」

「なんだ君のか。それじゃここら辺のから適当に選びな」

 

 急に態度が冷たくなるおじさん。何なんだ、この変わりよう。女物以外には興味無いのか? 変なおじさんだなぁ。でもこれでやっとゆっくり選べるな。どれどれ……。

 

 僕は大量に並べてある服をじっくりと眺める。そんなに派手じゃないのがいいな。それから値段も安めのやつで。でも男物って4種類しかないんだな。これじゃ選択の余地は無さそうだ。

 

「よし、これにしよう」

 

 選んだのは地味な萌黄色(もえぎいろ)の頭からすっぽりかぶるタイプの服。そしてカウンターへと持っていこうと身体を反転させた時、大事なことに気付いた。そういえば美波もガラムバーグを手ぶらで出てるから、寝巻なんて持ってないはずだ。このままじゃ美波は今までの僕と同じ格好で寝ることに……。

 

 ――脳裏に美波のあられもない姿が思い浮かんだ。

 

 だっ……! ダメだダメだっ! と鼻血を吹きそうになるのを必死に抑え、頭をブンブン振ってイメージをかき消す。よし、美波の分も買って帰ろう!

 

 と意気込んで婦人物のエリアに目を向けると、今度はめまいがしてきた。しゅ、種類が多すぎるんだよ……。だからと言ってさっき店の主人が勧めてきたような服はダメだ。あんなのを買って帰ったら美波に殺されてしまう。もう僕と同じヤツでいいか。ひと回り小さいのなら美波にちょうど合うはずだ。

 

 僕は同じ萌黄色の寝巻をもう1着手に取り、カウンターでつまらなそうに頬杖をついているおじさんの元へと向かう。萌黄色とはいわゆる抹茶のような緑色。美波もこの色は好きだったはずだ。

 

「やっと決まったか。まったく、閉店間際なんだからさっさとしてくれよな」

「す、すいません……」

 

 なんで僕、怒られてるんだろう……。と思ったその時、カウンターの脇に並べられている雑貨に目が行った。これは……鮮やかな黄色い……リボン? そういえば美波はこの世界に来てからずっとリボンを着けていない。確かなくしたって言ってたな。

 

 ……髪を下ろしたスタイルも悪くないけど、やっぱり僕はポニーテールの美波が好きだ。よし、これも買っていこう。両脇に橙色のラインが入っていて美波がいつも着けていた物とは少し違うけど、きっと”いらない”とは言わないだろう。

 

「おじさん、これもお願いします」

「うん? なんだ、やっぱり奥さんがいるんじゃないか」

「あ……いや、だ、だから奥さんとかじゃなくて……」

「はははっ! 照れなくたっていいじゃないか!」

 

 だから本当に奥さんじゃないんだってば。少なくとも今はまだ……。

 

「はいよっ、合わせて5600ジンだ」

「あ、はい」

 

 僕はポケットに入れておいた紙幣を取り出し、代金を支払う。

 

「今度は奥さんも一緒に連れてきてくれよな!」

 

 おじさんはそう言って怖いくらいに上機嫌に僕を送り出してくれる。だから違うんだってば……。そう言いたかったが、もはや反論する気も()せ、僕は何も言わず店を出た。

 

「ホント、変わったおじさんだったな……」

 

 と呟きながら振り返り、改めて店の看板を見てようやく気付いた。

 

 〔レディースウェア〕

 

 看板にはこう書かれていた。なんてこった。僕は女性用衣料品の店に入っていたのか。そりゃ女物ばかり勧めるのは当然だよね。おじさんに悪いことしちゃったな……。

 

 そう思いながら看板を見ていると、店内の灯が消えてしまった。今日はもう閉店のようだ。もしまた来ることがあれば謝っておこうかな。

 

 僕は寝巻を入れた手さげ袋を「よいしょっ」と背負い、帰路を急いだ。

 



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第二十五話 2人きりの作戦会議

 僕は借りた家に戻ってきた。なんとか道に迷わずに帰って来られたようだ。

 

「ただいま~」

 

 と扉を開けて中に入ると、

 

「あ、アキ? お帰りなさいっ」

 

 パタパタとスリッパを鳴らしながら美波が駆け寄ってきた。その姿を目にした瞬間、僕は胸をハート型の矢で射貫かれたような感覚に襲われた。

 

「う、うん。ただいま」

 

 うぅ……美波のこういう攻撃は関節技なんかより遥かに身体に(こた)えるなぁ……。

 

「ちゃんと王様に伝えてきた?」

「あ……それがさ、行ったらもうレナードさん寝ちゃっててさ。明日また来いって言われたんだ」

「そうなの? 誰に言われたの?」

「誰って、門を守ってた兵士さんだけど」

「その兵士さんに地図を渡して明日王様に届けて貰えばよかったんじゃないの?」

「……」

「何よその”やっちゃった”って言いたそうな顔は」

「いや、目から鱗が落ちたというか、なんというか……」

「もう……それくらい思いつきなさいよね」

「ご、ゴメン……」

「まぁしょうがないわね。アキだものね」

「何だよそれ。どういう意味さ」

「ふふっ、なーいしょっ」

「えぇ~……」

「そんなことより手を洗ってきなさい。ご飯にしましょ」

「あ、うん。そうだね」

 

 とりあえず王宮には明日また行くことにして、僕たちはひとまず夕食を取ることにした。

 

 手を洗ってリビングに戻ると既に準備はできていた。食卓テーブルの上にはパンやスープ、それに豚肉と野菜を炒めたものが並んでいる。さすが美波。栄養バランスを考えたメニューだ。

 

「「いただきま~す」」

 

 肉野菜炒めは僕の希望した肉がたっぷり入っていた。黒胡椒を使っているのだろうか。芳ばしい香りが食欲をそそる。早速フォークで肉と野菜をまとめて取り、口に放り込んでみた。

 

 もぐもぐ……。

 

 モヤシのシャキシャキした歯応えと、柔らかい豚肉が黒胡椒の少しピリッとした味によく合う。うん、文句なしに美味しい。

 

「どう? 味、濃くない?」

 

 美波がやや不安げな表情を見せながら聞いてくる。しかしこの時の僕は口一杯に肉を頬張っていたので、

 

「んんん。ほうぼふぃいほ」

 

 こんな言葉になっていない声を発してしまった。ちょうどいいよ、と言ったつもりだったが、これじゃ聞き取れるはずもない。

 

「アンタね、口の中の物飲み込んでから言いなさいよ。何言ってるか分かんないじゃない」

 

 もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ……ゴクン。

 

「ちょうどいい感じだよ。それにすっごく美味しい!」

「ホント? 良かった」

 

 安堵した彼女の笑顔を見ながら僕は肉野菜炒めを口一杯に頬張る。こんなにも美味しく感じるのはお腹が空いていたからだろうか。いや、美波が作ってくれたということの方が大きいかもしれない。なんてことを0.5秒ほど思ったが、すぐに考えることを放棄して僕は料理を口に運んだ。

 

 ――そして5分後。

 

「ぷっはぁ~。美味しかった。ごちそうさま」

 

 皿の料理はすべて胃の中に収まり、僕は大きく息を吐いた。食べてる間ずっと息を止めてたんじゃないかと思うくらいだった。

 

「早いわねアンタ……」

「いやぁ、あんまり美味しかったからさ」

「そう? ありがと。ふふ……もっと食べる? ウチのを分けてあげようか?」

「いいの?」

「うん。ウチはちょっと多いかなって思ってたから」

「それじゃあ貰っちゃおうかな」

「いいわよ。お皿貸して」

 

 この世界に来てから今日で7日目。ここまで戦争や魔獣のことでずっと緊迫した毎日を送っていた。そんな僕の心に安らぎを与えてくれたのは彼女の存在だ。

 

「こんなもんでいい?」

 

 と美波が半分ほど盛り分けてくれた皿を差し出す。

 

「こんなに貰っちゃっていいの?」

「いいわよ」

「それじゃ遠慮なく……」

 

 貰ったおかずを僕はまた頬張る。広いリビングでテーブルを挟み、美波とご飯の時間。僕は今、この時間がとても心地良く、楽しい。こんな時間が過ごせるのであれば、ここが異世界であることなど些細なことだ。美味しい料理を堪能しながら僕はそんなことを思っていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 食事を終えた僕らは手早く後片付けを済ませた。さすがに2人で手分けすると効率がいい。今は紅茶を入れたティーカップを片手に、テーブルで美波とのんびりとした時を過ごしている。

 

 しかし今はひと息ついてゆっくりしているが、いつまでもこうしているわけにはいかない。この世界に来てから既に1週間が過ぎようとしているのだ。美波の両親や葉月ちゃん、それに僕の姉さんだって心配しているはずだ。そこで僕たちは今後の動き方について相談することにした。

 

「まず僕たちの一番の目標は元の世界に帰る方法を見つけること。これはいいよね?」

「えぇ、もちろんよ」

「オッケー。それで、これはこれで探すんだけど、それともうひとつ。雄二や秀吉たちも探そう」

「王様に会った時も言ってたわね。でもホントに坂本たちも来てるのかしら」

「僕は来てるような気がするんだ。なんとなく思うだけで確信は無いんだけどさ」

 

 僕がそう思いたいだけかもしれないけどね。

 

「そうね。ウチもそう思うわ。だって土屋もいたんだもの」

「うん。そうだよね。それにもし皆が来てるのなら……特に雄二や姫路さんなら何か知ってるような気がするんだ」

「坂本はともかく瑞希はどうかしら。あの子、勉強はできるけどちょっと抜けてる所があるし」

「そんなことないんじゃないかな。仮にもしそうだとしても僕ほどじゃないさ」

「それもそうね」

 

 そこは否定してほしかったんだけど……。

 

「でも皆を探すって言っても、どうやって探すの?」

「う~ん……インターネットでもあれば手掛かりを探せるんだけどなぁ」

「無いものねだりしてもしょうがないわよ?」

「まぁそうだよね。そうなるとやっぱり町の人に聞いて回るしかないんじゃないかな」

「町の人って言ってもこの町って凄く人が多くない? 一体何人くらいいるのかしら」

「この国で一番大きな町らしいし、十万人くらいいるんじゃないかな」

「そ、そんなに!? それだけの人に聞いて回ってたら何ヶ月もかかっちゃいそうね……。あっ! それならビラを配るってのはどう?」

「ビラ?」

「似顔絵を書いたビラを配って歩くの。そうしたら情報も集まりやすいんじゃないかしら」

 

 なるほど、一理ある。けど……。

 

「でもさ美波」

「?」

「美波って似顔絵描けるの?」

「描けないわよ? アンタが描くに決まってるじゃない」

「はぁ!? ぼ、僕だって似顔絵なんか描けないよ!?」

「そうなの? 困ったわね……」

「それにこの世界にはコピー機なんて無いんだから、全部手書きしなくちゃいけないじゃん」

「現実的じゃないわね……」

 

 残念ながらこの案は却下だ。でもビラというのはいい案かもしれないな。

 

「じゃあさ、配る代わりに掲示板に貼り出すってのはどうだろう。似顔絵じゃなくて校章の絵を描いてさ」

「掲示板?」

「うん。僕らの町にもあったよね。商店街に立ってる掲示板、見たことない?」

「あ、夏祭りのお知らせとか貼ってあったアレね?」

「そうそう。あんな感じで貼り出したらどうだろう。これなら枚数も少なくて済むし、校章の絵くらいなら僕にだって描けるよ」

「いいわね。それで行きましょ! でもあれって勝手に貼り出しちゃっていいのかしら?」

「ん? んーと……」

 

 確かああいうのは町の市役所とか、自治体関係の組織が管轄のはず。この世界で自治体関係って言うと……やっぱり王様かな。

 

「たぶん王様にお願いしないといけないんじゃないかな」

「やっぱりそうよね。でもそれなら明日王様の所に行くからちょうどいいわね」

「うん。じゃあひとまずこれで決まりだね」

「ちょっと待ってアキ。校章の絵を書くのはいいけど、募集内容はどうするの?」

「”このマークを見た人は連絡を”って感じかな」

「マークだけ?」

「うん。これは僕の勘なんだけどね、元の世界に戻る鍵もこの印が関係するんじゃないかって思うんだ」

「どうしてそう思うの?」

「いやぁ、それがその……あはははっ!」

「ホントにただの勘なのね」

「面目ない……」

「でもその勘、ウチは信じるわ」

「へ?」

「だってアキがそう思ったんでしょ? それならウチは信じる」

「う、うん。ありがとう」

 

 信じてくれるのは嬉しいけど、何の確証も無いんだよね。変に期待させちゃ悪いし、これからはもう少し理論をまとめてから言うべきだな。なかなか雄二のようにはいかないけどさ……。

 

「でも掲示板に貼り出して待つだけっていうのも勿体ないし、ウチらはウチらで探さない?」

「もちろんそのつもりさ。掲示板を見ない人も多いからね」

「そうね」

「でもこの町って凄く大きいから、ある程度地域を絞って聞き込みをしようと思うんだ」

「……うん」

 

 僕はティーカップに視線を落とし、頭の中を整理しながら自分の考えを説明する。

 

「明日はまず王様にこの家のことと掲示板への貼り出し許可を貰って、それから商店街に行って紙を買いに行こう」

「…………うん」

「それで一旦家に戻って、校章の絵を描いたらまずはこの辺りの繁華街に貼り出すんだ」

「…………」

「その後は商店街の店を回って、僕らと同じ格好をした人の目撃情報を……?」

 

 美波の反応が無くなった? と思い、視線を上げてみた。すると彼女はテーブルに頬杖をつき、口元に笑みを浮かべながら僕の顔をじっと見つめていた。

 

「な、何? 顔に何か付いてる?」

 

 もしかして口にさっき食べたパンくずでも付いてる?

 

「ううん。なんかアキって(たくま)しくなったなって思って見てたの」

 

 口の周りを手で撫でて確認していたら美波が変なことを言ってきた。

 

「たくましく?」

 

 この僕が(たくま)しいって? どこが?

 

「別に前と変わらないと思うけど……」

「ふふ……自分では分からないものよ」

「そんなもんかな?」

「そんなものよ」

 

 (たくま)しい、か。こんなこと言われたの初めてだ。へへ……なんか嬉しいな。褒められることなんて滅多に無いし、何よりも美波が褒めてくれたのが嬉しい。でもちょっと照れ臭いな……。

 

「き……今日はもう寝ようか。美波も疲れただろう?」

「そうね。ちょっと眠くなってきたかも……」

「部屋は2つあったよね。美波はどっちを使う?」

「えっ? 2つ? あ……。えっと、ウチは……その……」

 

 急に肩を窄め、モジモジと動かして頬を赤く染める美波。こ、この仕草はまさか……!

 

「い、一緒に――」

「じゃ、じゃあ僕が右の部屋を使うから美波は左を使ってよ!」

 

 僕は美波の声をかき消すように、わざと大きな声を出す。

 

「むぅ~っ! どうしてよ! アキの意地悪っ!」

 

 彼女は不服そうに唇を尖らせて僕を睨みつける。どうしてって、一緒だと心臓がドキドキしちゃって眠れないからさ……。

 

「そっ、そうだ! さっき寝巻を買ってきたんだ! ちょっと待ってて!」

 

 僕はリビングの隅に置いておいた袋を開け、中から萌黄色の服を取り出して見せる。

 

「ほら! さっき王宮から帰ってくる時に買ってきたんだ!」

「あら、いい色じゃない」

「でしょ? 寝る時はこれに着替えようよ。制服のままじゃ傷んじゃうしさ」

「そうね。使わせていただくわ。ありがとアキ」

 

 良かった。なんとか機嫌を損ねずに済みそうだ。

 

「後片付けは僕がしておくよ。美波はもう休みなよ」

「じゃあお願いね。でも寝る前にお風呂に入らなくちゃ」

「あ、そうか。まだだったっけ」

「先にお風呂いただくわね」

「うん」

 

 寝巻を手渡すと、美波はお風呂場へと向かって行った。やれやれ、なんとか怒らせずに済んだな。さて、僕は後片付けだ。

 



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第二十六話 憩いのひととき

「あ……忘れてた!」

 

 食器を洗ってリビングに戻った時、僕は袋にリボンが残っているのを思い出した。早速隅に置いておいた袋を開けてみると、中に黄色いリボンが残っていた。寝巻と一緒に買ってきたのをすっかり忘れてたよ。ホント、自分の忘れっぽさが嫌になるな。

 

 ……それにしても綺麗な黄色だな……。美波、喜んでくれるかな? こうしてプレゼントをするのも3回目か。

 

 1度目は如月(きさらぎ)ハイランドでのネックレス。あの時は凄く喜んでくれて嬉しかったな。僕たちが付き合うことになったのはあの翌日なんだよね。もう2ヶ月も前になるのか。

 

 あれから大変だったな……。付き合ってることを隠していたのに、いつの間にかクラスの皆に知れ渡っていて。それからあっという間に噂が学年中に広まって、そこからは逃亡の日々だったな。清水さんに追われ、須川君に追われ。また清水さんに追われ須川君にも追われ、FFF団全員に追われ追われて……。

 

 ……

 

 やめよう。きりがない。でもいいんだ。僕は美波と一緒にいたい。この気持ちが挫かれることは絶対にない。彼らの妨害に負けはしないさ。

 

 それで、2度目のプレゼントは初詣の帰りに買った玩具(おもちゃ)の指輪。最初は神社でバイトすることになるなんて思いもしなかった。そのバイト料の1/5をプレゼントに使う羽目になるなんてこともね。

 

 でもあれは葉月ちゃんの作戦勝ちだったな。まさか”美波に贈らせるために指輪を買わせた”なんてね。僕もすっかり騙されちゃったよ。人を騙すのは良くないことだけど――って、この僕がそんなこと言えるわけないか。

 

 おっと、思い出に浸るのはこれくらいにして毛布とかの確認をしておこう。寝具がなかったら調達しなくちゃいけないし。

 

 僕はリボンを片手にリビングの扉を開け、廊下に出る。先程見て回ったので部屋の配置は把握している。リビングを出て廊下を右に進めば玄関。左はトイレだ。この廊下を左に進んで突き当たりから更に左に進めば浴室。その先には洋室が2つ並んでいる。寝室として使うのはこの2つの洋室だ。

 

 僕は廊下を進み、浴室の先の1つ目の部屋に入ってみる。だがその部屋に入った瞬間、思わず「うっ」と小さく呻き声を上げてしまった。

 

 部屋の中にはベッドと机が1つずつ。それに奥には洋服タンスが壁に備え付けられている。しかしそんなもので心を乱されたりはしない。僕が動揺しているのは壁の本棚に並べられている難しそうな本の軍団だ。『実践 経営学』『サービス業とは』『おもてなしと競争力』といった背表紙の本がぎっしりと詰まっているのだ。

 

 ここは書斎兼寝室になっているようだ。あのおじさん、本は持って行かなかったのか。こういう本が並んでる部屋って苦手なんだよなぁ……。さっき美波には僕がこっちを使うって言っちゃったけど、交換してもらおうかな……。とりあえずもう片方の部屋も見てみるか。

 

 僕は一旦この部屋を出て、今度は奥の部屋に入ってみた。

 

 ここも先程の部屋と同じようにベッドと机が1つずつあった。ただ、洋服タンスは先程の部屋の配置とは違い、2つ並んでいた。それと壁には丸い大きな鏡が掛けられていて、その手前には小物入れと椅子が置かれている。いわゆる化粧台というやつだ。

 

 どうやらこっちの部屋は元々女の人が使っていた部屋のようだ。それなら美波が使うのにもちょうどいいだろう。しかしそうなると部屋を交換するってわけにもいかないか……。仕方ない。僕は書斎で我慢しよう。

 

 見たところベッドにシーツは掛かっているけど毛布が無いようだ。クローゼットの中かな? と思って早速開けてみると、思った通り畳まれた毛布が入っていた。僕は早速その毛布を取り出し、ベッドに掛けてやった。これでいいかな。

 

「アキ?」

 

 するとその時、背後から声を掛けられた。振り向くと、ぶかぶかの寝巻を着た美波の姿が視界に飛び込んで来た。

 

「ここにいたのね。お風呂あいたわよ」

 

 彼女はお風呂上がりの上気した顔をしていて、頭にはタオルを巻いていた。髪を上げているせいか、彼女の大きな目はいつもよりはっきりとしている。それが仄かに赤く染まった顔と相まって……その……。

 

「アキ? どうかした?」

「あ……な、何でもない! じゃあお風呂入ってくる!」

「?」

 

 僕はその場から逃げ出すように浴室へと向かった。風呂上がりの美波って、なんかこう……凄く色っぽいよなぁ……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「うぐっ……!」

 

 脱衣所で僕は独り呻き声をあげていた。シャツを脱ごうと腕を上げたら右腕に鈍い痛みが走ったのだ。何事かとその腕を見てみると、二の腕に白い布が巻き付けられていた。

 

 あぁ、そうか。そういえば昼間の戦いで魔獣にやられたんだった。それでクレアさんに治療帯を巻いてもらったんだっけ。そういえばクレアさん、綺麗な人だったなぁ……。

 

 そんなことを思いながら治療帯をシュルシュルと外していく。すると腕には紫色の大きなアザが広がっていた。こんな状態になっていたのか。これじゃ治るのに1週間くらい掛かりそうだな。でも重い物を持ったりしなければ生活に支障は無さそうだ。当面試獣装着することも無いだろうし。さ、風呂に入って汗を流してしまおう。と僕は衣類を脱ぎ捨て、浴室に入る。

 

「おぉ?」

 

 入ってみてちょっと驚いた。僕の家の浴室は確か3メートル四方くらいなので、2畳くらい。それに対してここは6畳くらいの広さがあった。床や壁はタイルの代わりに表面がつるつるの石を使っているようだ。いや、これは石を平らに磨いたものか。シャワーの前には白いボトルが2個置かれている。片方がボディソープで、もう片方がシャンプーのようだ。

 

 僕の家にもこんな広い風呂場があればいいなぁ。などと思いながら椅子に座り、蛇口を捻る。銀色の(くだ)からはもちろんお湯が出てくる。これは魔石で動く”瞬間湯沸かし器”のようなもので暖められた水だ。こうした生活の知識はすべてラドンの町のルミナさんに教わった。彼女のおかげで僕はこうして戸惑うことなく生活することができるのだ。

 

 マルコさんとルミナさん、元気かな……。この世界で最初に知り合った2人を思いながら体を洗う僕。しかし、

 

「いっ――――つつぅ……」

 

 ほとんど違和感は無いのだけど、腕を上げるとたまに右腕に痛みが走る。でもこの程度の傷で済んでいるのが未だに信じられないな……。身体が空高く飛ばされるほどの強烈な一撃を受けたというのに……。召喚獣の力って思っていた以上に凄いものだったんだな。

 

「ふぅ……」

 

 僕は湯船に浸かり、ホッとひと息ついた。程よい暖かさのお湯が全身の疲れを癒してくれる。

 

 ……

 

 それにしても美波はどうしてあんなに一緒に寝たがるんだろう……。美波はそれで落ち着いて寝られるんだろうか。僕はドキドキソワソワしてしまって、ちっとも眠れないというのに。美波は僕に触れてもドキドキしないんだろうか。そんなこと無いよね……? 手を繋ぐと凄く幸せそうな顔をするし……。

 

 そういえば以前の美波はよく僕の肩に触れたり首に腕を絡めたりしてたっけ。そのままヘッドロックされたり、卍固めに展開したり腕ひしぎ逆十字になったりしたけど。あれは僕の無神経なところが原因なことが多かったんだろうけどね。でも今思うと、美波って女の子にしては珍しくよく触れてくる子だったんだな。

 

 ……待てよ? もしかして美波は以前のような触れ合いを望んでいるのか? 付き合い始めてからは関節技を()められることもほとんどない。毎日のように手を繋いではいるけど、それ以外は傍にいても触れることはあまりない。もちろん恥ずかしいからだけど、清水さんやFFF団を挑発することにもなるから。でもどうなんだろう。美波は以前のような触れ合いを求めているんだろうか?

 

 う~ん……分かんないなぁ……。こんなこと聞くわけにもいかないしなぁ……。うぅ~ん……僕は……どうすれば…………。

 

 ………………

 …………

 ……

 

「ゴボオゴボゴボゴボ……」

 

 !?

 

「ぶはぁっっ!!」

 

 なっ!? なんだ!?

 

「げほっ! げほっ! げほっ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 し、死ぬかと思った……。うぅ……鼻からお湯を飲んでしまった……気持ち悪い……。

 

 そ、そうか、湯船の中で寝てしまって顔がお湯に浸かってしまったのか。危なかった……もうちょっとで溺れ死ぬところだった……。こんなところで溺れたりしたら最悪だ。救急隊の人に全裸を見られてしまう。そんなことになれば一生トラウマだ。また寝てしまう前に出よう……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 僕は風呂から上がり、買ってきた寝巻を頭から(かぶ)る。丈は結構長く、くるぶしのちょっと上くらいまでの長さがあった。こういう服は簡単に着られていいね。サイズもちょうどいい感じだ。

 

「ふぁ……ぁあ……」

 

 廊下を歩きながら大欠伸(あくび)をしてしまった。今日は疲れたなぁ……。この家は周りも静かだし、ベッドの質も良さそうだ。今日はゆっくり休んで明日に備えよう。ところで美波はもう寝たかな? ちょっと見てくるか。

 

 廊下を歩いて行くと、彼女の部屋の扉が開いているのが見えた。まだ起きているようだ。

 

 ――トントン

 

「美波? まだ起きてるの?」

 

 僕は開いたままの扉をノックし、声を掛ける。

 

「あ、アキ。もう寝ようかなって思ってたところよ」

 

 美波は髪にブラシを通していたようで、化粧台の椅子に座っていた。髪を下ろした姿はこの世界に来てからずっと見ているのだけど、やはり少し違和感がある。って、そうだ! リボン!

 

「ちょっと待ってて! ひとつ忘れてたことがあるんだ!」

「? うん」

 

 僕は隣の部屋に置いてあったリボンを取り、再び美波の部屋へと駆け戻る。まったく、どこまで忘れっぽいんだ僕は。

 

「お待たせ。実はさっき帰りにこれも買って来たんだ」

「えっ? これって、リボン?」

「うん。この世界に来てからずっと髪を下ろしたままだよね。だからこれが欲しいんじゃないかなって思ってさ」

「これ……貰っていいの?」

「もちろんさ。だって美波のために買ってきたんだから」

 

 僕がそう言ってリボンを差し出すと、彼女は両手で掬い取るように受け取ってくれた。

 

「……ウチがいつも使ってるのに良く似てる」

 

 美波はリボンを指でなぞり、手ざわりを確認している。うっとりとその布切れを見つめる瞳は、まさに”恍惚(こうこつ)”としていた。

 

「少し橙色の線が入ってるけど……どうかな」

「……ぜんぜん問題ないわ」

「そっか、良かった」

 

 買ってきて良かったな。これで明日からはいつも通りのポニーテールを見せてくれるだろう。ん……? でも待てよ? 今更だけど、もしかしてこれってただの自己満足なのかな。結局、僕が美波のポニーテールを見たいだけって気もする。だとしたら僕の趣味を美波に強要してるってことになるんじゃないのか?

 

「あのさ美波、もし気に入らなかったら無理に使わなくてもいいよ?」

「えっ? どうして?」

「いや、だって僕が勝手に買ってきただけで、美波の望んでいるかも考えてなかったから……」

「……ふ~ん。そうなの」

 

 う……やっぱり怒ってるのかな。

 

「ご、ゴメン……」

「もう寝ましょ。ほらアンタも自分の部屋に戻りなさい」

 

 美波はそう言って僕の両肩をガッと掴み、無理やり身体を180度反転させる。そして僕は背中を押され、部屋から追い出されてしまった。これは怒っている印だろう。失敗したなぁ……要るかどうかちゃんと聞いてからにすれば良かった。

 

「アキ」

「……ん?」

「これが返事よ」

 

 部屋の外まで追い出された後、美波はそう言って僕の左腕をぐいっと強く引いた。

 

「……おやすみアキ。明日は頑張ろうね」

「う、うん」

 

 パタンと扉が閉まり、僕は独り廊下に取り残される。

 

 …………

 

 頬にキスをして”これが返事”って、どういう意味なんだ? 許してくれたと思っていいんだろうか。う~ん……よく分かんないや……。

 

 まぁいいか。僕も寝よう。

 



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第二十七話 行動開始

 翌朝。

 

「ん……」

 

 チラチラと(まぶた)にかかる光に眩しさを感じ、僕は目を覚ました。この部屋は朝になると窓から日の光が差し込むようだ。

 

「ふぁぁ~……よく寝たぁ……」

 

 ベッドの上で身体を起し、ぐーっと腕を上げて伸びをする。う~ん。清々(すがすが)しい朝だ。やっぱりベッドで寝ると気持ちがいいな。……ん? 腕から何か白い物がぶら下がっている?

 

 あぁそうだ、すっかり忘れてた。治療帯を腕に巻いて寝たんだっけ。昨日の夜、風呂に入った時はまだ紫のアザがあったけど、どうなっただろう?

 

 早速治療帯を解いてみる。何重にもぐるぐる巻きにされているので取るのが結構面倒だ。二の腕から肘にかけて()き、更に上腕部にかけてシュルシュルと(ほど)いていく。

 

「お? これは……」

 

 右腕が(あら)わになったところで思わず独りで呟いてしまった。紫色のアザが綺麗さっぱり消えていたのだ。すっかり治っているじゃないか。いや待てよ? 表面上は治っているように見えるけど、動かすと痛むんじゃないだろうか。そう思ってぐるぐると腕を回してみたが、まったく痛みは無い。

 

 これは凄い……クレアさんの言う通りだ。巻いて寝たら本当に一晩で治ってしまった。これが治療帯の効能か……。もう魔獣と戦うつもりなんて無いけど、怪我の原因は魔獣だけとも限らない。これからは治療帯を持ち歩くことにしよう。さて、そろそろ起きよう。美波はもう起きたかな?

 

 ベッドから降りた僕は部屋を出てみる。するとキッチンの方からトントントンと包丁で何かを切るような音が聞こえてきた。誰かが料理をしているようだ。誰かと言っても美波しかいないんだけどね。もう起きてるのか。早いんだな。

 

「おはよう美波」

 

 キッチンに立つ彼女は慣れた手つきで包丁を振るっていた。僕はそんな彼女の後ろ姿に朝の挨拶をする。

 

「あ、おはよアキ」

「もう朝食の準備してるんだ。早いんだね」

「なんか目が覚めちゃって。いつもの癖かしらね。ふふっ」

 

 包丁を片手にしながら頬に”えくぼ”を作る美波。今までも何度かこういった仕草を見てきたけど、やっぱり笑顔の彼女は可愛い。……あ。

 

「そのリボン……」

「うん。どう? 似合う?」

 

 この世界で再会してから昨日までの間、美波は髪を下ろしてストレートにしていた。しかし今日の彼女は後ろ髪を束ね上げ、それをリボンで結わえている。一年生の始業式の時からずっと見てきた姿だ。僕にとってはこの髪型の方が馴染み深い。なんというか、不思議な安心感があるのだ。

 

「うん。とっても良く似合うよ」

「ホント? ありがと。えへ……」

 

 嬉しそうに恥じらう姿がまた可愛らしい。つまり昨日のアレは僕のプレゼントは喜んでもらえたって意味でいいのかな? それならそうと言ってくれればいいのに。美波も意地悪だなぁ。

 

「あ、朝ご飯作るなら僕がやるよ。昨日も作ってもらったし」

「ううん。もう出来上がるからいいわ。アキは座って待ってて」

「そう? なんか悪いね」

 

 美波の言う通り、席に座ると朝食の準備はすぐに完了。僕らは楽しく雑談しながら食事を取る。こうしていると元の世界でのいつものランチタイムと変わらない。異世界に迷い込んでいるということも忘れてしまいそうだ。でも今日から本格的に元の世界への帰り方の調査だ。もちろん仲間に関する情報も探さなくちゃいけない。

 

 ゆっくりと時間を掛けた朝食を済ませ、僕たちは行動を開始した。まずは王様に滞在地のことを報告だ。

 

「もしかしたらもう何か情報が入ってるかもしれないわね」

「だといいけど……でもまだ1日も経ってないし、期待しちゃいけないと思うよ?」

「分かってるわよ。でもそうやって前向きに考えたほうがいいでしょ?」

「そうかもしれないけど、期待を裏切られた時にがっかり感が強くなっちゃうんじゃない?」

「う~ん、それもそうね……つまりほどほどにしなさいってことね」

「ま、そういうことだね」

 

 王宮へは商店街を抜けて行く。所要時間は30分くらいだ。商店街に入ると既にほとんどの店が開いていた。時間を見てくるのを忘れたけど、本当にこの世界の住民は朝が早い。それこそ日の出と共に活動を開始するくらいだ。

 

「ねぇアキ、腕はもう大丈夫なの?」

「ん? あぁ、もうすっかり治ったよ。ほらこの通りさ」

 

 僕は右の袖をまくって傷痕が無いことを見せる。

 

「ホントだ。綺麗に治ってる。一晩で治っちゃうものなのね……」

「僕もびっくりしたさ。こんなに効力があるなんてね」

「じゃあもう引っ張っても大丈夫ね」

「うん」

 

 

 …………引っ張る?

 

 

 その意味を考えていると、美波は僕の右腕をぐいっと引いて走り出した。なるほど。引っ張るってそういうことか。

 

「早く王様の所に行こっ!」

「なっ、なんでそんなに急ぐのさ」

 

 あまりに急がせるので僕は(つまず)きそうになりながら足を運ぶ。

 

「だって早くデ……聞き込み始めたいじゃない」

「デ? 今、”デ”って言いかけたよね?」

「そ、そんなことないわよ? 気のせいじゃない?」

 

 気のせいだろうか。確かに聞いたと思うけど……。

 

「いいから行くわよっ!」

「おわっ!」

 

 美波は僕の腕を一層強く引く。まったく、美波にはかなわないな。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ美波。そんなに引っ張ったら腕が抜けちゃうよ」

「大丈夫よ。だってもう完全に治ったんでしょ?」

「確かに治ってるけど……」

「だったらいいじゃない。ほら、早く行きましょっ」

 

 何をそんなに慌てているんだろう。王様の所以外に行きたい所でもあるのかな? 報告した後は町に出て買い物をする予定にしてるけど、それが楽しみってことなんだろうか。

 

 あれこれ理由を考えようとする僕。しかし彼女の笑顔を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなってきてしまった。この笑顔があればいい。そう思うようになっていたのだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「えっ? レナードさんいないんですか?」

「はい。陛下は今朝早くお目覚めになられ、すぐに研究室の方へ向かわれました」

 

 王宮正門前で兵士の1人に王様の所在を尋ねると、そんな答えが返ってきた。どうやら研究室に入り浸っているというのは本当のようだ。でも困ったな。これじゃ掲示板への貼り出し許可が貰えない。どうしよう……この兵士さんたちにお願いすればいいんだろうか。それとも昨日王様の近くで呆れ顔をしていた大臣さんに言うべきだろうか。う~ん……でもやっぱりここは王様に直接お願いしたいところだ。

 

「研究室の方に行ってみようか」

 

 と美波に声を掛けると、

 

「…………明久か」

 

 聞き慣れた声で呼び掛けられた。この声は……?

 

「やぁムッツリーニ。おはよう」

「…………おはよう」

「おはよう土屋。そういえばアンタここに泊まっていたんだったわね」

「…………うむ。どうした。帰る方法が見つかったか?」

「いや、まだなんだけど、実は――――」

 

 僕は昨晩立てた作戦のすべてをムッツリーニに話し、研究室への案内を頼んでみた。だがあいつは僕らの頼みを聞くと「その必要は無い」と無愛想に拒んだ。僕は何故だと理由を尋ねる。するとそれは既に手配済みだという答えが返ってきたのだった。

 

「ずいぶん手際がいいのね」

「…………俺にできることをやっているだけだ」

 

 なんだかムッツリーニがかっこいい。いつもは「俺には関係ない」とか「パス」とか言って無関心なのに、この世界に来てからは積極的に動いている。諜報員としての能力も高いし、無愛想なところも見方によればクールとも取れる。ひょっとしてこいつって意外とモテるんじゃないだろうか? ――エロの化身という代名詞さえなければ。

 

「それじゃムッツリーニ、僕らの住んでいる家を王様に伝えてくれる? 場所はこれに書いてあるから」

「…………家?」

 

 僕が借りている家の地図を差し出すと、ムッツリーニは怪訝(けげん)そうな顔をして受け取った。

 

「? うん。ホテルのおじさんから()いてる家を借りたんだけど?」

 

 僕、何かおかしなこと言った? と疑問に思っていると、美波が小声で耳打ちしてきた。

 

(ちょっとアキ、ウチらが2人で暮らしてることなんて言っていいの?)

(うん? どうして?)

(だってあの土屋なのよ? そんなの知られたらまた追い回されるわよ?)

(げ……そうだった!)

 

 けどもう言っちゃったし、忘れてくれってのも無理な話だ。ならばここはブン殴って記憶を失わせるしかないか?

 

「…………安心しろ。お前たちの生活に興味はない」

「ほぇ? そうなの? てっきり異端審問会の名にかけて僕を殺しにかかるかと思ってたのに」

「…………前にも言ったはずだ。ここにはカメラも録音機も無い」

「あぁ、なるほど」

 

 つまり証拠を撮りたくても何もできないってことだね。これじゃムッツリーニの専売特許も役に立たない。だからこんなに必死に元の世界への帰り方を探してるのか。なんか納得だ。

 

「…………王には俺から伝えておく。今は同棲生活を楽しんでおけ」

「う、うん」

 

 なんか拍子抜けだな。本当にこれムッツリーニなのか? まるで別人みたいなんだけど……。

 

「あれ? 工藤さん?」

「…………っっ!!?!?」

 

 あ、これ本物だ。工藤さんの名前を出しただけでこんなに動揺するのはムッツリーニしかいないからね。

 

「いや~、僕の見間違いだったみたい」

「…………貴様……コロス」

「あははっ、ごめんごめん」

 

 さて、ちゃんとムッツリーニであることが確認できたし、僕らはそろそろ次の行動に移るか。

 

「じゃあ僕らはそろそろ行くよ。もし何か情報があったら家に届けてくれる?」

「…………分かった」

 

 僕らはムッツリーニと別れ、王宮正門前を離れた。そして商店街に向かって歩きながらこれからの行動について話し合った。

 

「紙を買う必要が無くなっちゃったね」

「そうね。でも良かったじゃない。アキも苦手な絵を描かなくて済んだんだし」

「僕だってマークくらい上手に描けるよ?」

「アンタのことだから真っ直ぐ引いたつもりで、曲がった線になっちゃうんじゃないの?」

「ふふん、それは定規を使えばいいのさ」

「あ、ずるいわそんなの」

「いいじゃないか。要するにマークが描ければいいんだし。っていうか、もう描かなくていいし」

「それもそうね。それでこれからどうするの?」

「昨日も話したけど、ある程度地域を区切って聞き込みしようと思う」

「うん。じゃあ今日はこの辺りね?」

「そういうこと。というわけで、今日の目的地はこの先の商店街さ」

「オッケー。それじゃ行きましょ」

 

 美波はそう言うと手を差し伸べてくる。僕はそれに合わせ、無意識に手を差し出していた。そう、これはもう僕たち2人の間では当たり前となっている行動なのだ。

 

 こうして僕たちは手を取り合い、商店街の中へと入っていった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 僕らは町で聞き込みを始めた。だが聞くと言っても町の人全員に聞いていては何日、何ヶ月掛かるかも分からない。そこで対象を店の人と行商のような格好をした人に絞ることにした。

 

 文月学園の制服を着用し、飲食店や生活用品、武具の店などに入り尋ねる。また、道端で店を広げている人にも「こんな模様を見たことがないか」と聞いて回った。しかし誰もが「初めて見る模様だ」と答え、首を横に振った。結局、午前中は何も手掛かりを得られないまま終わってしまった。

 

 昼になり、僕らは町の飲食店でランチを取ることにした。手頃な飲食店で食事をしながら僕たちはこの後の行動を相談。午後は少し範囲を広げて聞いて回ることにした。

 

 ランチを終え、少し離れた別の商店街に移動した僕たちは早速手掛かりを探し始めた。休憩を挟みながら根気よく聞き込みを続け、なんとか情報を得ようとする。だがそれでも何の手掛かりも得られなかった。そうして歩き続けているうちに日は傾き、空を紅く染めはじめた。もうすぐ夜が訪れる。これ以上は無理だろう。

 

「今日は終わりにしようか」

「そうね」

 

 僕たちは今日の聞き込みを終わりにし、家路に就くことにした。

 

「収穫無かったわね……」

「しょうがないよ。もともと簡単には見つからないって思ってたし」

「でも先が思いやられるわね……」

「うん。でも頑張ろう。葉月ちゃんやお母さんたちが心配してるからさ」

「……うん」

 

 美波の返事に覇気が無い。きっと丸一日歩き回って疲れたのだろう。気のせいか、リボンも少し(しお)れているように見える。

 

「今日はちょっと急ぎ過ぎたね。明日はもうちょっとゆっくり行こうか」

「ううん。ウチは平気よ。だから気にしないで」

 

 そう言われてもそんな疲れた笑顔を見せられたらとても平気には見えないよ……。でも美波のことだから休ませようとしても聞かないだろうな。

 

 よし、それならこうしよう。僕がゆっくり歩くんだ。そうすれば美波も必然的にゆっくり歩かざるをえない。それに僕が休憩しようと言えば美波も反対はしないはずだ。それで明日はここから西方面を重点的に攻めて……。休憩は大体1時間ごとに取るようにして……いや、30分ごとでもいいかな。体力勝負になってくるから、とにかく疲れを溜め込む前に休憩するようにしよう。

 

 僕は明日からの歩き方、休憩の取り方を考えながら帰り道を歩く。美波と2人の帰り道。辺りの建物は次第に橙色に染まっていく。元の世界での、いつもの帰り道と同じ光景。違うのは石畳の道やレンガ造りの町並み。それにやや緑掛かった空だった。

 

「それにしてもこの世界の空って変わった色をしてるわよね」

「あれは魔障壁のせいらしいよ。あの薄い緑色が魔障壁の存在を示してるんだってさ」

「へぇ~。そんなことよく知ってるわね」

「ルミナさんに教えてもらったんだ」

「前に言ってた、えっと……ラドン、だっけ? その町でお世話になったって人よね?」

「うん。他にもいろんな事を教わったんだ。帰ったら教わったことを美波にも教えてあげるよ」

「そうね。お願いしようかしら。でもアキに教わるなんて変な感じね」

「それもそうだね。あははっ」

「ふふ……」

 

 一日中歩き回っていたというのに、この時の僕はあまり疲れを感じていなかった。きっと美波の存在と、帰る家があるという安心感が心の支えになっていたのだと思う。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 家に戻った僕は簡単な夕食を作り、2人で食べながらルミナさんからの教えを伝えることにした。

 

 水のこと。

 火のこと。

 調味料のこと。

 そしてこの国の町のこと。

 

 だがその半分以上は既に美波も知っていることだった。なぜ知っているのか聞いてみると、ジェシカさんに教わったのだと彼女は言う。理由は納得だが、やっと美波に教えられることができたと思っていただけにちょっと残念だ。

 

 それならそれで、ということで次は明日の予定についての相談を始めた。

 

 このレオンドバーグも他の町と同様に、上から見ると円形のバウムクーヘン状になっている。町の人の話によると、この町は大きくて魔障壁装置が1つでは町全体を覆いきれないらしい。そこでこの町には東西南北の4ヶ所に等間隔に魔壁塔が建てられているという。こうすることで町全域をカバーしているのだそうだ。つまりこの町は他の町4個分の広さがあるということになる。

 

 そして僕らが今日巡ったのはこのうちの南の地区。借りている家はこの地区の北寄りにあるので、位置的にはどの地区にも移動しやすい。残る3つの地域を手分けして当たるという手もあるが、僕の頭の中にその選択肢は無かった。明日は西の地域を中心に行こうと思う。食卓テーブルでこの話をすると美波はこの計画に賛同してくれた。

 

 しかし腹が膨れた途端、全身が重く感じるようになってきた。やはり一日中歩き続けたことによる疲労が出てきているようだ。それは美波も同じようで、紅茶のカップを持ったまま虚ろな目をしていた。明日の方針は既に決まっているし、今夜はもう寝よう。

 

 僕は先に美波に風呂に入らせ、休息を取ってもらった。続いて僕もさっと入浴を済ませ、浮腫(むく)んだ足をほぐす。そして寝巻に着替えてベッドに身を委ねると、僕はすぐに意識を失ってしまった。

 

 

 

 ――その夜更けのことだった。

 



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第二十八話 ナイトメア

『ぅ……ん……?』

 

 不意に何かの気配を感じ、僕は目を覚ました。なんだろう。何かが……ベッドの上に……?

 

『――――キ……。――て……アキ――――』

 

 この声は……美波? 何かあったのか? 気になって目を開こうとしたものの、なぜか(まぶた)が異様に重く、目を開けられない。それならば、と身体を起こそうと腹筋に力を入れる。ところがこれもまたピクリとも動かない。なんだコレ? 僕の身体はどうなってしまったんだ?

 

『……起きてアキ……。ウチよ……美波よ……』

 

 動けない僕の耳に美波の声が入ってくる。寝ている僕を起こそうとしているようだ。このシチュエーションには覚えがある。あれは確か夏休み前の強化合宿の時。あの時も寝ている僕のところに美波がやってきて……まずい! このまま起きなかったらバックブリーカーだ!

 

『うぐぐ……!』

 

 僕は”これでもか”と顔面に力を込め、やっとのことで目を開けた。ぼんやりとした視界が次第にクリアになっていく。

 

『……やっと起きたのね……』

 

 すると目の前には透け透けのネグリジェを着た美波がいて、トロンとした目をして僕を見下ろしていた。

 

『みっ! 美波!? どどどどうしたのその格好!?』

 

 驚き慌てふためく僕に彼女は落ち着いた様子で答えた。

 

『……何言ってるの? アキが買ってくれたんじゃない……』

 

『え……僕が?』

 

 そんなバカな……あの服は確か一昨日の夜に立ち寄ったレディースウェアの店でおじさんが勧めてきたもの。でも買ったのは萌黄色の寝巻が2着にリボンが1つで、あんな物は買わなかったはず。それなのにどうして美波があんな物を着ているんだ? いや待てよ? もしかして僕が無意識に買ってしまったのか? ……いやいや、そんなはずはない。あの時、確かに断った。会計時の値段を思い出しても間違って買ったりしていないはずだ。

 

『……ねぇ……アキ……?』

 

 思いも寄らぬ事態に大混乱していると、美波はゆっくりと顔を近付け、呼び掛けてきた。彼女の首から下は薄いピンク色のネグリジェ。胸元はうっすらと緑色のブラが透けて見えているような気がした。今まで見たことのない危険な色気を感じさせる姿。その妖艶(ようえん)な雰囲気に僕は思わず生唾を飲み込んだ。

 

『な、何?』

 

 それでもなんとか平常心を保ち、返事をする僕。

 

『……』

 

 だが美波は何も言わなかった。何も言わず、ベッドの上で動けない僕に覆い被さるように迫ってきた。こっ……! これってもしかして夜這いってやつ!?

 

『わぁーっ! 待って待って! ダメだよ美波! 早まっちゃダメだ!!』

 

 抵抗しようにも身体が鉛のように重く、まったく動かない。だが声を出すことはできるようだった。そこで僕は懸命に呼び掛け、美波を止めようとした。

 

『とにかく待ってよ。落ち着いて話をしよう? ね、美波?』

 

 すると彼女はピタリと動きを止めた。話をする気になってくれたのかな? よかった……。とにかく今の美波は様子がおかしい。まずは意図を確認しよう。

 

 そう考えていると、目の前から彼女の姿がスゥッと消え、離れた場所に再び現れた。その姿は先程のネグリジェではなく、文月学園の制服であった。美波は遠くから悲しげな眼差しを向けてくる。とても悲しそうな目……今にも涙が溢れそうな目だった。

 

『……どうして……ウチを……避けるの……?』

 

 暗闇の中に浮かび上がっている美波が呟くように尋ねる。この時、僕は既に今自分が置かれている状況が異常であることに気付いていた。すぐに状況を打破すれば良かったのだが、それができなかった。僕の意識が彼女を見ることに集中してしまっていたから。

 

『ぼ、僕が避ける? 美波を?』

 

 美波は瞳を潤ませ、静かに頷く。そんなバカな。僕が美波を避けるなんてこと、あるわけがない。僕にとって美波は世界で一番大切な……かけがえの無い存在なのだから。きっと彼女は何か思い違いをしているのだ。そうだ。きっとそうに違いない。

 

『そんなことないよ? 僕が美波を避けたりなんかするはずが――』

『嘘! どうしてそんな嘘をつくの!』

 

 先程までの物静かな雰囲気とは打って変わり、突然大声を張り上げる美波。彼女は大きな目を吊り上げ、遠くから僕を睨みつける。未だ指先ひとつ動かせない僕はただ驚いてその様子を見ることしかできなかった。

 

『そ、そんな……僕は嘘なんか……』

 

 ショックだった。色々と至らない部分は多かったと思う。けれど今まで精一杯、美波のためを思って行動してきたつもりだった。それがすべて否定されたような気がして、胸が押し潰されそうな感覚に襲われてしまった。

 

『どうしたんだよ美波……。なんか変だよ?』

 

 美波がこんな行動に出たのには何か理由があるに違いない。そう思った僕はとにかく冷静になるよう、自分に言い聞かせた。

 

『――変なのはアキの方よ。ウチはこんなに思ってるのにどうして気付いてくれないの?』

『えっ……? 気付くって……な、何を?』

『――ウチのことを大切にしてくれてるのは分かる。手だって繋いでくれる。でもどうしてそれ以上のことをしたがらないの?』

『そ、それ以上?』

『――ウチはもっとアキを感じたい。もっと触れ合いたいの。それなのにどうして逃げるの?』

『う……そ、それは……』

 

 僕は答えられなかった。事実だったから。

 

 美波は今までも後ろから抱きついてきたり、頬を寄せてきたりすることが何度もあった。でも僕はその度にそれとなく逃げてきた。他人に見られると恥ずかしいし、清水さんやFFF団の目も気になるから。でも一番の理由は、僕自身が1人の男として成長できていないからだった。それが申し訳なくて、どうしても素直に受け入れられなかったのだ。

 

『――ねぇ、どうして? ウチが触れるのがそんなに嫌? ウチのことが嫌いなの?』

 

 !

 

『そんなことはない! 断じて!』

 

 思わず僕は声を荒げた。しかし美波は動じる様子もなく、目に涙を浮かべて訴え掛ける。

 

『――やっとアキの恋人になれたと思ったのに……本当はウチのことが嫌いだったんでしょ?』

『そんな……』

 

 どうしてそんな悲しいことを言うんだ……。二度と美波の気持ちを裏切らないって誓ったのに……。どうして信じてくれないんだ……。

 

『――アキのバカ……もうアキのことを信じられない』

 

 美波がこちらに背を向け、スゥッと闇の中へ遠ざかり、消えていく。

 

『ま、待ってよ美波! 僕の話を聞いてよ!』

 

 慌てて手を伸ばそうと腕に力を入れるが、やはり動かない。まるで金縛りのようだった。

 

『――知らない。もうアキの声なんて聞きたくない』

 

 美波の姿が視界から完全に消え、真っ暗闇の中で彼女の声が響く。

 

『待って! 待ってよ美波! 美波ぃぃーーっ!!』

 

 

 

 

 

「みな――――!!」

 

 目が覚めた。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 そこはベッドの上だった。昨晩、猛烈な睡魔に襲われ倒れ込むように入ったベッドの上。そこで僕は全身にじっとりと汗をかいていた。

 

 ゆ……夢……? そうか、僕は夢を見ていたのか……。夢でよかった……。それにしてもなんて夢だ。美波が怒って消えてしまうなんて……どうしてこんな悲しい夢を見たんだろう……。

 

 上半身を起こし、こめかみをトントンと叩いてみる。……頭が重い。それに胸の奥にモヤモヤした感覚が残っている。(ひたい)からは今もなお汗が吹き出し、頬を伝って滴り落ちている。その生暖かい水滴が堪らなく不快だ。

 

 ――トントントン

 

『アキ? どうしたの? 何かあったの? 開けるわよ?』

 

 垂れ流れる汗を袖で拭っていると、扉の向こうから美波の声が聞こえてきた。直後、僕の返事を待つことなく扉が開き、魔石灯の光と共に彼女が入ってきた。

 

「なんか大きな声が聞こえたけど……どうしたの?」

 

 寝巻姿の美波がドアノブに片手を添えたまま尋ねる。逆光で表情はよく見えない。でも声の感じからして心配して駆け付けてくれたのだと思う。

 

「だ……大丈夫。なんでもないよ」

「ホントに? なんかウチを呼んでた気がするけど……」

 

 しまった。うなされて美波を呼んでしまっていたのか……。幼稚園児じゃあるまいし、悪夢にうなされたなんて格好悪くて言えやしない。

 

「い、いやぁ! それがさ! ちょっと寝相が悪かったみたいでベッドから落っこちちゃったんだよね! まったく、何やってるんだろうね僕! あはははっ!」

 

 なんとか誤魔化そうと色々考えた末、僕は笑って誤魔化す作戦に出た。

 

「そう? それならいいけど……」

 

 美波はどこか釈然としない様子で、じっとこちらを見つめている。やはり白々しかっただろうか。そうは言っても他に誤魔化す手段なんて思いつかなかったし……。

 

「さ、さぁもう寝よう。美波も戻って寝てよ。明日も体力を使いそうだし」

 

 僕はベッドに寝転がり、毛布を頭から被って寝る体勢を見せた。今もまだ胸の辺りにモヤモヤした黒い感覚が残っている。こんな状態ではなかなか眠れそうにない。でも今はこれ以上美波と話せそうになかった。だから無理やりにでも寝ようとしたのだ。

 

「うん……。じゃあ、おやすみ」

 

 美波がそう言ってパタンと扉を閉める。すると部屋の中は再び暗闇に包まれた。

 

「……くそっ……」

 

 シンと静まり返った暗い部屋。耳が痛くなるくらいに無音(むおん)だった。その部屋の中、僕はベッドの上で毛布を(かぶ)り、懸命に夢のことを忘れようとした。今のは夢なんだ。つまり僕の脳内が生み出した幻影に過ぎないのだ、と。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 いつの間にか夜が明け、僕は仕方なく起きた。

 

「……はぁ」

 

 ベッドから降りた僕は大きく溜め息をつく。結局あれから一睡もできなかった。寝ようとしても夢の中での美波の言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡り、眠りを妨げた。でも今日は西の地区で聞き込みを行なうことを決めている。とにかく忘れよう。

 

 キッチンに出てみたが、美波はいなかった。まぁ当然かもしれない。まだ夜が明けたばかりなのだから。ひとまず僕は顔を洗い、眠気を払うことにした。洗面所に入り、敢えてお湯を使わず水のみで顔を洗う。かなり冷たかったが、おかげで目は覚めたようだ。さて、次にやるべきことは朝食の準備だ。

 

「アキ? もう起きたの?」

 

 しばらくすると美波がキッチンに入ってきた。

 

「っ……! う、うん。…………おはよう」

 

 彼女の姿を目にした瞬間、ズキッと胸が痛んだ。気付かれないように大きく一度深呼吸をしてから挨拶をしたが、目を合わせることはできなかった。

 

「おはよ。今日は早いのね」

 

 美波が自然に話し掛けてくる。彼女の声を聞くと頭が真っ白になってきてしまう。胸が苦しくなってきてしまう。いや、あれは美波が言ったわけではない。あれは夢なんだ。夢と現実を混同してはいけない。そう自分に言い聞かせ、僕はなんとか心に平静を呼び戻す。

 

「昨日は美波に朝食を作ってもらったからね。今日は僕が作ろうと思ってさ」

 

 そうだ。これでいい。僕は間違いなく彼女を大切にしている。自分に自信を持つんだ。

 

「そんなの気にしなくていいのに。なんなら毎日ウチが作ってあげてもいいわよ?」

「いやぁ、そうはいかないよ。あ、それはまだ塩振ってないよ」

「オッケー。それじゃこっちはウチに任せて」

「う、うん」

 

 だがこうして話している最中も言い知れぬ不安が胸の奥から湧き上がってくる。一体僕はどうしてしまったんだろう。夢のことなんか気にしても仕方がない。分かっているはずなのに……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 軽めの朝食を済ませ、僕たちは予定通り西側地区に向かった。太陽の光がやけに目に眩しい。眠気のせいだろうか。日光を浴びると頭がクラクラする。

 

「大丈夫? アキ、なんだか顔色が悪いわよ?」

「っ――!?」

 

 不意に右手に暖かいものが触れ、僕は咄嗟に腕を引っ込めた。

 

「……アキ?」

 

 触れたのは美波の手だった。いつものように手を繋ごうと彼女が僕の手に触れたのだ。ダメだ……どうしても意識してしまう。こんな態度を取ったら僕が悩んでいることがバレてしまう。とにかく平常心だ!

 

「顔色? 別にいつもと変わりないよ? そんなことより行こうよ」

 

 いつも通りに美波と手を繋ぎ、僕は歩き出した。

 

 ……

 

 いつまでもモヤモヤした気持ちが頭の中を支配している。今までも夢を見ることはあったけど、こんなにも後を引くことなんて無かった。どうしてこんなに気にしてしまうんだろう……。

 



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第二十九話 惑い

 僕らは西の商店街で聞き込みを続けていた。しかしここまでのところ昨日と同様に一切手掛かりなし。思うように成果が上がらないまま3時間が経過し、僕は悶々とした時を過ごしていた。

 

 それにしても身体が重い。頭がクラクラする。寝不足と昨晩の悪夢が原因であることは確実だ。だが頭で理解していてもどうにもならない。この時の僕は頭の中が真っ白――――いや、昨晩の夢のことで一杯だった。

 

「アキ! 危ない!!」

「……ふぇ?」

 

 突然美波に後ろから大声で呼び掛けられ、足を止めた。するとその直後、ガラガラガラと大きな音を立て、一陣の風が目の前を通り過ぎていった。その距離、鼻先約10センチ。

 

『バッカやろぉーーっ! 危ねぇだろがぁーーっ!

 

 走り去る荷車から男の怒鳴り声が聞こえてくる。

 

「……あ」

 

 数秒経ち、ようやく僕は状況を理解した。気付かずに車道に出てしまっていたのか。もう少しで馬車に()かれるところだったんだな。

 

「大丈夫!? アキ! 怪我は無い!?」

 

 美波が慌てた様子で駆け寄ってくる。どこも痛くはない。恐らく大丈夫だと思うが念の為に、と自らの身体を見回してみる。……うん、怪我をした様子はない。どうやら馬車には触れなかったようだ。

 

「大丈夫。どこも怪我はしてないよ」

「良かったぁ……」

 

 はぁ、と大きく息をつく美波。けれどこの時の僕はまだ頭がフワフワしていて、今のがどれほど危険な事だったのか、美波がどれほど心配してくれていたのかさえ理解できずにいた。

 

「もう! 何やってんのよ! 危ないじゃない!」

「え……? あぁ、ごめん。ちょっとぼんやりしてたみたい」

「一体どうしたのよアキ。今日は何か変よ?」

「っ……!」

 

 またズキッと胸が痛んだ。

 

 

 ―― 変なのはアキの方よ ――

 

 

 夢の中で言われた言葉が脳内で繰り返される。

 

 ……僕は変なんだろうか。僕はまだ美波の気持ちに気付いていない部分があるのだろうか。美波はどう思っているのだろう。本当は夢の中で言われた通りのことを思っているのだろうか。こんな疑問が延々と頭の中で回り続ける。いつまでこんな夢に惑わされなければならないのだろう。もういいかげんにしてほしい。

 

「調子悪いの? もしかして風邪を引いて熱があるんじゃないの?」

 

 美波がスッと手を伸ばし、僕の(ひたい)に手の平を当てる。とても柔らかく、しなやかな手だった。

 

「ん~……熱は無さそうね」

 

 熱などない。風邪も引いていない。ただ悩んでいるだけなのだから。

 

「大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけさ。そんなことより行こうよ。早く手掛かりを見つけなくちゃ」

 

 僕はニッと笑顔を作って見せ、白い石畳の道を歩き始める。

 

「……うん……」

 

 後ろから美波の心配そうな返事が聞こえてくる。こんなに心配をさせてしまって本当に申し訳なく思う。でも今は僕の悩みよりも帰る方法を探す方が優先だ。このモヤモヤした気持ちも時が経てば治まるだろう。……きっと。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 昼になり、僕らは商店街にあった軽食の店で昼食を取ることにした。その店にはこの世界ではあまり見かけない”お米”を使ったメニューがあった。僕らの世界ではドリアと呼ばれていたものだ。久しぶりにお米を食べたくなった僕と美波は2人でそれを注文。早速それを口に運んでいる。

 

 の、だが……。

 

「アキ? ねぇアキ!」

「……」

 

 僕は美波が呼んでいることに気付かなかった。

 

「アキってば!」

「……え?」

「もう……どうしちゃったのよ、ぼーっとしちゃって。朝からずっとそんな調子じゃない」

「あ……ごめん。実はちょっと寝不足でさ……」

 

 昨夜はあれから寝付けず、結局眠れないまま夜を明かしてしまった。そのため意識がもうろうとしていて、なおかつ夢で言われたことが頭から離れない。こんな状態で正常な意識を保てるわけがなかった。

 

「ねぇアキ、やっぱり昨日の夜、何かあったんでしょ? 何があったの?」

 

 美波が大きな瞳で心配そうに見つめながら言う。何もなかったと言えば嘘になる。昨晩見た夢の内容が今でもこんなに鮮明に記憶に残っている。それが今も僕を悩ませているのだから。けど……。

 

「何もないよ」

 

 僕は嘘をついた。

 

「……」

 

 美波は僕の顔をじっと見つめたまま何も言わなかった。僕は嘘が下手だ。前にも美波に言われたことがある。嘘をついている時は目を見ればすぐに分かる、と。今もああやって僕の嘘を見破ろうとしているのだろう。

 

「そう……分かったわ」

 

 彼女は僕の嘘を指摘しなかった。代わりにハァとひとつ溜め息を吐き、

 

「じゃあ今日はもう終わりにして帰るわよ」

 

 こんなことを言ってきた。

 

「え? もう? まだ昼過ぎだけど……」

「いいの! 今日はもう終わり!」

 

 美波が声を荒げて怒ったように言う。まだ半日も残っているというのに、もう帰るというのか? せっかく1時間も掛けてここまで来たと言うのに。

 

「でもさ美波――」

「アキ。ウチの性格は知ってるわね?」

「う……」

 

 美波の目は真剣だ。これは本気で言っている。彼女は一度言い出したら曲げない性格をしている。こうなっては何を言っても聞かないだろう。勿体ない気がするけど仕方がない。それに……。

 

「分かったよ。それじゃこのランチを終えたら帰ろうか」

 

 それに僕にとってはありがたいことでもある。この眠気と悪夢に酷く頭を悩まされている今の僕にとっては。

 

「えぇ、そうしましょ」

 

 先程の怒ったような表情から打って変わり、今度は可憐な笑顔を見せる美波。ホント、彼女の表情はころころとよく変わる。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ランチを終えてすぐ、僕らは自宅への帰路に就いた。フラつき、何度も転びそうになりながらも僕はなんとか足を運ぶ。朝に西地区に行った時は片道徒歩1時間だった。ところが帰ってみれば2時間もの時間を費やしてしまっていた。これは僕の状態が更に悪化しているということに他ならない。

 

 美波があそこで帰ろうと提案してくれて良かった。あのまま午後も聞き込みを続けていたら頭がパンクしてしまったかもしれない。もうろうとした意識の中、僕はそう思っていた。

 

「アキ、アンタはもうお風呂に入って寝なさい」

「え……まだ日が高いけど……?」

「寝不足なんでしょ? 無理は身体に毒よ。いいから寝なさい」

 

 美波の言うことも正しい。ただ、今の状態では眠れそうにない。眠るのが怖いんだ……。

 

「ほらほら、早くお風呂に入ってきなさい。それともウチが背中流してあげようか?」

 

 美波が僕の背中を押して無理やり風呂場に向かわせる。この”背中を流す”という台詞も僕が恥ずかしがって嫌がることを見越した言葉だろう。でも……そうだな。風呂に入れば頭もスッキリして眠れるかもしれないな。

 

「わ、分かった。分かったからそんなに押さないでよ。それに風呂くらい1人で入れるよ」

「最初から素直にそう言えばいいのよ。あ、でもお風呂で寝たりしちゃダメだからね?」

「あぁ、それも分かってるよ」

 

 だって一昨日それで溺れかけたんだから。

 

 そんなわけで僕は早速風呂に入り、身体を温めた。すると今まで暗雲が立ち込めていた胸の内が少しだけ晴れたような気がした。そして風呂から上がった僕はすぐに書斎に入った。と言っても本を読むためではない。寝るためだ。

 

 カーテンで日光が遮られ、薄暗くなった室内。重苦しい空気を作り出している大きな本棚。そんな暗い室内を見ていたら、再び昨夜の夢のイメージが頭に浮かんできてしまった。

 

 僕はブンブンと頭を振り、浮かんだイメージをかき消す。考えちゃダメだ。とにかく寝よう。寝て忘れてしまおう。そう思ってベッドに入った。

 

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 

 眠れない。

 

 いくら寝ようとしても頭が拒否して目が冴えてしまう。ダメだ……ここでは眠れない。僕は書斎を出て、冷たい飲み物を求めてキッチンに向かった。

 

 キッチンの保冷庫の中には冷えたミルクがある。食器棚からコップを取り出し、それにミルクを注いで一口飲む。

 

「ふぅ……」

 

 一息つくと目の前の窓から外の様子が見えた。既に日は落ち、松明に灯る火が道を明るく照らしている。もう夜の時間だ。

 

 ……眠いはずなのに眠れない。こんなことは生まれて初めてだ。あの悪夢のせいだと思っていたけど、それだけじゃないような気がしてきた。ひょっとしてこの異世界に来たことで僕の身体がおかしくなってしまったんだろうか。ハァ……どうしたらいいんだろう……。

 

 途方に暮れた僕はミルクのコップを片手にリビングに入り、ソファに腰掛けた。そして背もたれに寄り掛かり、天井を見上げる。

 

 

 ……

 

 

 どうしても夢の中で言われたことが頭から離れない。

 

 

 ―― どうしてウチを避けるの ――

 

 

 あの台詞が頭の中で何度も何度も、壊れたレコードのように繰り返される。

 

 僕は美波を避けていたんだろうか。今までも周囲から恨まれるので、あまりベタベタくっつかないようにはしていた。この世界で再会した時もキスを求められたが、結局おでこへのキスで誤魔化してしまった。それが美波を避けていると無意識に感じてしまっているのだろうか。それが夢となって現れたのだろうか。

 

 でもあれは夢の中の美波……つまり僕の脳内が言わせた言葉だ。本人に言われたわけではない。だから気にする必要はないはず。それなのに……なぜこんなにも気にしてしまうのだろう……。

 

「アキ?」

 

 不意に後ろから声を掛けられ、我に返った。振り向くとキッチンの角から顔を出している美波がいた。

 

「まだ寝てなかったの? ダメじゃない。寝なさいって言ったでしょ?」

 

 彼女はそう言いながらこちらに向かって歩いてくる。まるで葉月ちゃんに言い聞かせるような、優しい口調だった。

 

「一度寝たんだけど、なんか喉が渇いちゃってさ。それでミルクを飲んでたんだ」

「ふぅん……そうなの」

 

 美波はあまり関心が無さそうに言うと、僕のすぐ横に腰掛けた。赤みがかった長い髪がふわりと宙を舞い、音もなく彼女の肩に乗る。もう寝る準備をしていたのだろう。彼女はリボンを外し、髪をストレートスタイルにしていた。

 

「ねぇアキ、話があるの。今いい?」

 

 僕に視線を向けることなく、暖炉を見つめながら尋ねる美波。できることなら1人にしてほしかった。けれど、ここで断ってしまうと全てが壊れてしまう気がして――――

 

「うん。いいよ」

 

 僕は受け入れた。

 



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第三十話 (わだかま)りを越えて

 僕が受け入れると美波はこちらに顔を向け、フッと笑みを浮かべた。美波がこういう顔をする時はお喋りをしたい時だ。きっといつものように雑談をしたいのだろう。そう思っていたら彼女は急に真剣な目に変え、こんなことを言ってきた。

 

「単刀直入に聞くわよ。アンタ何か隠してるでしょ」

「っ……!? そ、そんなことないよ?」

「それにしては今日は全然ウチと目を合わせようとしないじゃない。何か後ろめたいことがあるんじゃないの?」

「うっ……そ、それはほら、アレだよ。今日は寝不足だったんだよ」

「嘘。……嘘じゃないかもしれないけど、嘘」

 

 何を言いたいのか分からなかった。つまり嘘を見破られたということなんだろうか?

 

「えっと……」

 

 どういうことなのか聞こうとする。だが言葉が見つからない。どう言おうか考えていると美波が”ずぃ”と身を乗り出し、顔を近付けて僕の目をじっと見つめてきた。

 

 お互いの鼻が触れ合いそうなくらいに近かった。長く揃った睫毛(まつげ)と大きな瞳は初めてキスをされたあの時と変わらない。その水晶のように澄んだ瞳に見つめられ、いたたまれなくなった僕は顔を逸らし、俯いた。

 

「目を逸らさないで。ウチの目を見て」

 

 美波が逸らした僕の視線の前に出てしゃがみ、見上げるように見つめる。

 

「アキ。悩んでいることがあるのならウチが相談に乗る。どんなことでも笑ったり軽蔑したりしない。だから話して」

 

 真剣で突き刺すような、それでいて優しさに満ちた眼差しで僕の目を見つめる。純粋で優しい美波の思いが伝わってくる視線だった。

 

「……ごめん」

 

 それでも僕は打ち明けることはできなかった。これは自分が勝手に見た夢であり、誰かに相談するようなことではない。ましてや美波に相談するようなことではない。そう思っていたから。

 

「そう……。どうしても秘密にしたいって言うのね」

 

 美波は再びハァと大きく溜め息をつくと僕の横に戻り、ソファに腰掛けた。そして妙な提案をしてきた。

 

「じゃあこうしましょ。ウチもアキに内緒にしてたことを話す。だからアンタも話しなさい」

「え……いや、そんな暴露大会みたいなことやめようよ」

「いいの! この際だから洗いざらい全部話すわよ!」

「え、ちょ、ちょっと待ってってば美波……」

「いいから黙って聞きなさい! それじゃまず……そうね、あれから話そうかしら」

 

 僕が止めようとしても美波は耳を貸さなかった。結局そのまま強引に話を押し進められ、合意の無いまま彼女は秘密を話し出してしまった。

 

 ――胸が小さくて悩んでいること。

 

 ――以前、砂糖と塩を間違えたお弁当の卵焼きを騙して僕に食べさせたこと。

 

 ――お化けが怖くて、そういう類いの映画などを見てしまうと夜眠れなくなってしまうこと。

 

 ――そしてこの世界に飛ばされた日、僕を呼びながら泣いていたこと。

 

 彼女は恥ずかしそうに、所々言葉を詰まらせながら赤裸々に語る。だがその半分は僕も既に知っていることだった。それにしても胸が小さいことを悩んでいるのが秘密だとは知らなかった。今やクラスの全員が知っていることだというのに。美波も意外に隠し事が下手なんだろうか。

 

「さ、さぁアキ! 次はアンタの番よっ!」

「え……で、でも僕、合意してないんだけど?」

「いいから話しなさいっ! ウチは4つも恥ずかしいこと話したんだからね!」

「そんなぁ……美波が勝手に話しただけじゃないかぁ……」

「ウチだけに恥ずかしい思いをさせるつもり? 男らしくないわよ!」

「う……わ、分かったよ、話すよ。話せばいいんだろう?」

「そう、話せばいいのよ」

 

 まったく、相変わらず強引だなぁ。でもこういう所は美波らしいな。もうこうなったら断りきれないか。仕方ない。話すか……。

 

「えっと、今日ずっとぼんやりしてたのは眠かったのもあるんだけど、実はそれ以外もあるんだ」

「やっぱりそうなのね。それで、どうしてなの?」

「う、うん。実は、その……」

 

 心を決めたつもりだったが、やはり躊躇(ためら)ってしまう。本当に子供みたいな理由だから。

 

 でも、勝手に話しただけではあるが、美波は勇気を振り絞って秘密を打ち明けてくれた。それに1人で悩んでウジウジしているのも男らしくないと思う。ならばもう覚悟を決めるしかない。僕は重い口を開き、昨晩のことを話した。

 

 ――昨日の夜中、悪夢にうなされて目を覚ましたこと。

 

 ――また同じ夢を見るのが怖くて眠れなかったこと。

 

 ――夢の中で言われた言葉が胸に詰まり、気になってどうしようもなかったこと。

 

 ……恥ずかしかった。

 

 高校生にもなって悪夢が怖いなどありえない。しかも夢の中で言われたことをずっと悩んでいたなんて、自分でもおかしいと思う。

 

 確かにさっき美波はどんなことでも笑わないと言ってくれた。それは僕が悩んでいることに気付いて、気を遣ってくれたのだと思う。でも、さすがにこんな幼稚な悩みだと知ったら笑わずにはいられないだろう。僕は内心ドキドキしながら彼女の反応を待った。

 

「ふ~ん……そういうことだったの」

 

 すると美波は少し関心したように呟いた。そして、

 

「ふふ……」

 

 やっぱり笑われた。そりゃ当たり前だよね。やっぱり言うんじゃなかった……。

 

「あっ、ごめんねアキ。これはおかしかったんじゃなくて、嬉しくて笑っちゃったの」

「ふぇ? どういうこと?」

「だってアキは夢に出るほどウチのことを思ってくれてたんでしょ?」

「ん? えーっと……そういうことになるの……かな?」

「ふふ……ありがと。そんなに思ってくれてるなんて知らなかったわ。ごめんね」

「?」

 

 なぜ美波が謝るんだろう? バカにされて大笑いされるかと思ったのに。理解できないのはやっぱり僕がバカだからなんだろうか。

 

「あのねアキ、ウチね、もう1つ言ってなかった秘密があるの。あ、秘密って言うか……疑問?」

「疑問?」

「うん。実はね、アキの夢の内容の半分はウチが実際に思ってたことなの」

「え……そ、そうなの!?」

「うん。ウチもずっと思ってたの。どうしてアキはウチが抱きつくと逃げるんだろう、って」

「うぐ……」

「最初は瑞希や須川が見てるからかな? って思ってたわ。でも2人きりの時も同じ反応をするし、なんか違うかもって思い始めてたの」

 

 なんてことだ……あの夢は正夢だったのか……。それじゃあやっぱり美波は僕に嫌われていると思っている? それは大変な誤解だ! なんとか弁明しなくちゃ!

 

「美波! 僕の話を聞いて! あれは嫌だったわけじゃなくて――」

「理由があるんでしょ?」

「へっ?」

「だから、アキが逃げるのには理由があるんでしょ?」

「あ……う、うん」

 

 あれ? どういうこと? 夢だとこの後、僕の話を聞かずに怒って去って行ってしまうんだけど……。

 

「教えてアキ。どうしてなの?」

 

 彼女は優しく微笑みかけ、僕に尋ねる。

 

 ――夢とは違う。

 

 美波は僕を信じてくれている。信じて僕の答えを待っている。この笑顔に応えないわけにはいかない。けど……。

 

「そ、それは、その……は、恥ずかしい……から……」

「ホントにそれだけ?」

「……」

「アキ。何か思ってることがあるのなら何でも言って? もしウチに非があるのなら改めるわ」

 

 !

 

「いや! 美波は何にも悪くないよ! 悪いのは僕の方さ!」

 

 これ以上彼女に心配を掛けるわけにはいかない。僕は今まで胸の内に秘めていた思いを打ち明けた。

 

 ――未だ観察処分者の汚名を返上できていないこと。

 

 ――姫路さんや雄二、美波にまで教えられながらも思うように成績が伸びていないこと。

 

 ――それが故に自分が半人前であると感じ、美波が対等に接してくるのが心苦しかったこと。

 

 すべてを話した。

 

「そうだったの……」

 

 話を聞き終えた美波は悲しそうに表情を曇らせた。……とても寂しそうな目だった。

 

 

「「……………………」」

 

 

 魔石灯の炎が暖かな光を放ち、室内を照らす。その光は壁に僕たち2人の影を映し出し、ゆらゆらと揺らす。

 

 ……沈黙の(とき)が続いた。

 

 お互い言葉が見つからない。僕も、美波も、ただ押し黙ってソファで俯いた。そうして何分を過ごしただろうか。

 

「ねぇアキ、前に学校帰りの坂道でウチが告白した時のこと覚えてる?」

 

 沈黙を破ったのは美波だった。突然何を言い出すのだろう? そう思って隣に目を向けると、彼女は顔を上げ、遠くを見るような目をしていた。

 

 帰りの坂道での告白とは、2ヶ月前のあの日のことだろう。あの日、燃えるような夕日の中で僕は美波の気持ちを知り、自分の気持ちを知った。そんな大事な日のことを忘れるわけがない。

 

「もちろん覚えてるよ」

「じゃあ、あの時ウチがなんて言ったか、言ってみて」

「んなっ!? ぼ、僕が言うの!?」

「うん」

 

 告白された時の台詞を本人の前で復唱するなんて、どんな罰ゲームよりも恥ずかしいことだ。それを美波は真顔で”やれ”と言っている。

 

「ご……ごめん……。は、恥ずかしすぎて……言えないよ……」

「しょうがないわね。じゃあウチが言ってあげるわ」

「い、いや、いいよ、やめてよそんなの。美波だって恥ずかしいだろう?」

「ううん。ウチは平気。もう一度しっかり思い出してほしいから」

 

 そう言って美波は目を瞑り、大きく息を吸うと、あの時の言葉を繰り返した。ひと言ひと言、噛み締めるように、はっきりと。

 

 

「ウチはね、今のアキが好きなの」

 

「バカで。不器用で。問題起こしてばっかりだけど」

 

「いつも誰かのために一生懸命で。バカみたいに真っ直ぐで」

 

「とっても優しくて。とっても温かくて」

 

「そんなアキが……ウチは、今でも大好きなの」

 

 

 ……顔から火が吹き出しそうなくらい恥ずかしかった。

 

 

 あの時ほど感情的な言い方ではなかった。この言葉を聞くのも初めてではない。それでも彼女の言葉のひとつひとつは、僕の心に熱い炎を灯していった。

 

「これがウチの気持ち。分かった?」

「う……うん……」

「アキはいつものアキでいいの。ウチはどんなことがあってもアキのことを嫌いになったりしない。絶対に」

 

 胸の辺りをくすぐられているようで、むず痒くて堪らなかった。2ヶ月前、最初にこれを言われた時はショックが大きくて呆然としてしまった。今はむしろ恥ずかしさが際立つ。

 

「だから今急いで一人前になろうとしなくていいのよ」

 

 頭から湯気を発し始めている僕に美波が優しく言葉を掛ける。そう言ってくれるのは嬉しい。でも、やっぱり今のままの僕じゃいけないと思う。

 

「でも……それでもやっぱり早く一人前に……なりたいんだ……」

 

 そう。美波との未来を考えると今のままじゃどうしてもダメなんだ。

 

「ハァ……ホント、アンタってバカね」

「そうだね。自分でもそう思うよ」

「ふふ……そういう”思い込んだら一直線”な所は変わらないのね」

「ゴメン……」

「別に責めてなんかないわよ? だってそれがアキなんだから」

 

 でも、褒められてもいない気がする。

 

「まぁいいわ。アンタの主張は分かったわ。それじゃアンタの好きなようにしてみなさい。でも焦って無茶をしそうになったらウチは止めるからね?」

 

 にっこりと笑顔を見せながら美波が言う。そういえば同じようなことを2ヶ月前にも言われたっけ。あの時も自分が変わらなくちゃって必死に考えて、それで美波に怒られて……あれ?

 

 なんだ、結局僕は何も成長してないじゃないか。一生懸命に美波との未来を考えていたはずなのに、また同じ間違いを繰り返していたのか。まったく、相変わらずバカだなぁ僕は。だから観察処分者も返上できないんだな。はは……まいったな……。

 

 ……

 

 僕は焦るあまり、大事なことを忘れてしまっていたのかもしれない。一緒にいるだけでいいという、一番大事な気持ちを。

 

「ありがとう美波。その時は頼むよ。僕のバカは簡単には治りそうにないからさ」

 

 そうさ、焦らず自分のペースでやっていけばいいんだ。美波と一緒に。

 

「任せてっ。それにウチもアキに負けないくらいの一人前の女になってみせるわ。……(胸のサイズもね)……」

「うん? 最後なんて言った?」

「ううん! なんでもない!」

「そっか、なんでもないか」

「そ、なんでもない。ふふ……」

 

 僕らは互いに笑顔を向け合い、クスクスと肩を揺らしながら笑う。

 

 なんだかとっても晴れやかな気分だ。先程まであんなにも暗雲立ち込めていた胸の奥が、今は驚くほど澄み切っている。こんなことならさっさと相談すれば良かった。悩み悩んで悶々としていた自分がバカみたいだ。でもこれで悩みは解消した。もう悪夢を見ることもないだろう。

 

「ありがとう美波。胸に(つか)えていたものが取れたよ」

「ううん。ウチも色々と打ち明けてスッキリしたわ」

「お互い様だったってわけだね。……ふぁ……安心したら急に眠くなってきちゃった……」

「それじゃ今日はもう寝ましょ。明日からまた頑張らなくちゃ」

 

 そう言って美波がすっくと立ち上がる。

 

「そうだね」

 

 僕もそれに合わせるように立ち上がった。あれほど重かった身体が軽い。これも心の重圧が消えたからなのだろうか。

 

「あっ……。ねぇアキ、ひとつだけウチのわがままを聞いてほしいんだけど……いい?」

「わがまま? 内容次第だけど……何?」

 

 美波にはだいぶ心配を掛けさせてしまった。お礼も兼ねて、僕にできることならなんでも聞いてあげたい。

 

「えっとね、本当はアキと一緒の部屋で寝たいけど、アキが恥ずかしいって言うのなら我慢する。でもね……」

「? うん」

「お……おやすみのキスくらい……いいでしょ?」

 

 仄かに頬を赤く染めながら上目使いで僕を見つめ、美波はもじもじと身体をくねらせる。こういった仕草は付き合い始めてから幾度となく見てきた。それでも見慣れることはなく、その姿は僕の心を鷲掴みにする。

 

「……分かった。いいよ」

「ありがと。それじゃ……」

 

 美波が目を瞑り、少し顎を上げて唇を差し出す。僕に躊躇(ためら)いは無かった。突き出された唇に僕は自らの唇を軽く触れさせ、キスをした。

 

「おやすみ。美波」

「うんっ。おやすみ。アキ」

 

 

 

 ――この日、僕の心を覆っていた大きな垣根がひとつ、取り払われた。

 



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第三十一話 平穏な日々

 翌日から僕たちは情報収集活動を再開した。

 

 あれからまだ当たっていない西地区の繁華街すべてを周り、ほとんどの店に聞いて周った。どんな些細なことでもいい。1つでも手掛がりを得ようと努力を重ねた。だがそれでも結局何の情報も得られないまま、3日間が過ぎ去ってしまった。そしてこの日、家を借りてから7日目。この異世界に来てから13日目の朝を迎えた。現時点で王宮情報局からの報告も無い。

 

 朝食後、僕は美波と今日の作戦会議を始めた。しかし会議と言うほど議論することもなく、意見はすぐに一致。今日から東側の地区を周ることにした。

 

 話し合いの後、早速僕らは家を出た。僕はラドンで貰ったリュックを背負い、美波は一昨日購入した小さな手提げ鞄を手にして。昨日までに調べた情報では東には商店街が2つ。今日の目的地はそのうちの近い方の商店街だ。東地区へは徒歩。およそ1時間といったところだろうか。僕は歩きながら昨日の夜に考えていたことを頭の中で整理していた。

 

 昨晩、ベッドの上で天井を眺めていて、僕はあることに気付いた。

 

 朝、起きて美波と共に朝食の準備。その後は町に出て聞き込み。町の飲食店でランチを取り、また聞き込み。そして夜は家に戻り、美波と共に楽しく夕食。あれから悪夢を見るようなことも無い。疲労を溜めないように十分な休息を取り、ゆっくりとしたペースで進めていたことが功を奏しているのだと思う。

 

 そう、僕はこの世界での生活に慣れてきてしまっている。この世界での美波との生活に幸せを感じ始めてしまっているのだ。そのため、元の世界に帰るという目標に対して意欲が失われつつあったのだ。それに気付いた時、僕の気持ちは焦りに変わった。

 

 確かに美波は僕を信頼してくれていて、僕も美波と共に過ごすのが楽しい。けれど僕たちが帰らないことを心配している人たちがいる。この世界に迷い込んでからもう2週間が経つ。姉さんや美波のご両親、それに葉月ちゃんが心配して僕らを捜しているはずだ。それにムッツリーニだって懸命に帰る手段を探している。なのに僕は”このままでもいいかな”なんてことを考えてしまっている。

 

 このままではいけない! 今一番に考えなければならないことは何だ! 元の世界に帰る手段を探すことじゃないのか! 昨晩ベッドの上で自らを問い質し、考えた。頭がオーバーヒート寸前に陥りながらも必死に考えた。この世界の謎を。元の世界に帰るために何が必要なのかを。そしてひとつの仮説に至った。

 

 まだ確証は無いけど、きっとこの状況を打破する鍵になると思う。昨晩はこれを美波に伝えることを決め、眠りについたのだ。

 

 

 ……ちょうど時間もある。今のうちに僕の考えを話しておこう。

 

「ねぇ美波、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど、いいかな」

「うん。なぁに? 改まって」

「昨日の夜、ずっと考えていたことなんだ」

「? うん」

「実はね、この世界の町の名前って、僕たちがこの世界に飛ばされる直前に遊んでたゲームに出てくる名前と同じなんだ」

「えっ? どういうこと?」

「僕がこの世界に来て最初に着いた町の名前が”ラドン”っていうんだけど、ゲームで最初に降り立つ町も同じラドンって名前なんだ」

「偶然なんじゃないの?」

「僕も最初はそうかと思ったんだけど、ハーミルもミロードもゲームに出てくる名前なんだ」

「そこまで来ると偶然とは思えないわね……」

「そうなんだ。でも同じなのは名前だけで、町の構造も通貨も違うんだ」

「ふ~ん……でも何かしらの関係はありそうね」

「うん。それからもうひとつ。召喚獣についても思うことがあるんだ」

「……アキ、大丈夫?」

「ん? 何が?」

「そんなに頭を使ったら熱が出ちゃうわよ?」

「……」

 

 大丈夫です。昨晩ギリギリの所で回避しましたから。

 

「あっ、じょ、冗談よ、冗談! ごめんね、続けていいわよ」

「うん。えぇと、どこまで話したっけ……?」

 

 ちょっと話しが逸れるとすぐに忘れてしまう。難しいことを考えるとこれだ。なんとかしたいものだ。

 

「召喚獣がどうとか?」

「あぁそうだった。この世界って、召喚獣を自由に()び出せるじゃない?」

「喚び出せるっていうか、召喚獣が乗り移るって感じよね」

「うん。でも召喚フィールドも無しで喚び出せるよね」

「そういえばそうね。どうしてかしら?」

「それは分かんないんだけどさ、思い出してみてよ。今までもこうした召喚獣に絡んだ事件があったじゃない?」

「えっと、本音を喋っちゃう召喚獣に、2人で召喚する子供の召喚獣。それに10年後の未来を予想した召喚獣なんてのもあったわね」

「うん。それと妖怪になった召喚獣もね」

「……あれだけは思い出したくないわ……」

「あっ、と、ご、ゴメン……」

 

 あの時は出てきたぬりかべを見て「硬いところが似てる」なんて言っちゃったもんだから死ぬほど殴られたっけ。

 

「ううん。いいのよ。続けて」

「う、うん。それでね、この異世界に飛ばされたのがどうもあれらの事件に似てる気がするんだ」

「言われてみればそうね……今回も召喚獣が絡んでるわ」

「そうなんだ。だから今回もやっぱりあの人が関係してると思うんだ」

「学園長先生ね?」

「うん。今まであれだけ色々なことを起こしているわけだし、僕たちを異世界に飛ばすくらいやっても不思議は無いと思うんだ」

「じゃあ学園長先生と話して元の世界に戻してもらえばいいってことなの?」

「そうなんだけど、僕らがこの世界に来てからもう13日目だよね。いくらあの妖怪ババァでも2週間も生徒を行方不明のまま放っておくってことはないと思うんだ」

「それもそうね……じゃあ何かしらの理由でウチらとコンタクトが取れないってこと?」

「原因を作ったのがあの人だったらその可能性はあるよね。たとえば機械が故障したとか、調整をミスって戻せなくなったとか。まぁババァ長のせいって決まったわけじゃないけどさ」

「へぇ~……凄いじゃないアキ。まるで坂本みたいな考察よ」

「そう?」

 

 雄二みたい……か。嬉しいような悲しいような、複雑な気分だ。

 

「ただ問題は、仮にババァ長のせいだったとしても連絡の手段が無いことなんだよね」

「携帯も無いものね……」

「うん。それで思ったんだ。僕らが今やるべきことは雄二を探し出すことだって」

「坂本を?」

「うん。学園長が絡んでるなら雄二も巻き込まれていて当然だよね」

「何よその理論は。アンタたちってホント仲がいいのか悪いのか分からないわね」

「あははっ、でも美波だってそう思うだろう?」

「そうね。確かに学園長の仕業だとしたら坂本たちも来てる可能性は高いわね」

「うん。色々考えたんだけど、やっぱり雄二の知恵がほしいんだよね」

「ふふ……なんだかんだ言っても坂本のことを頼りにしてるのね」

「まぁね」

 

 できれば自分で解決したいところだけど、今回の件は僕には荷が重すぎる。悔しいけど、あいつを頼りにせざるを得ないんだ。

 

「つまり結局何が言いたかったかというとだね」

「うん」

「仲間探しを頑張ろうってことさ!」

「なによ。やっぱり当初の目標と変わらないじゃない」

「ま、そういうことだね。はははっ」

「ふふ……よーし、今日は頑張るわよっ!」

「おぅっ!」

 

 

 

          ☆

 

 

 

 家を出てから約1時間。僕たちは東地区の商店街の入り口に到着した。

 

 大通りを挟んだ両側には様々な看板が掲げられ、レンガ造りの店が立ち並ぶ。中央の車道は荷車を引いた馬車が忙しなく行き交い、石畳の道は沢山の人で溢れかえっている。なんと活気のある商店街だろう。西地区の商店街もかなり大きかったが、ここはそれ以上だ。

 

「凄い活気ね」

「うん。これは骨が折れそうだね」

「えぇっ!? そうなの!? 大変じゃない! それじゃお医者様を呼んでこなくちゃ!」

「ほぇ? 医者? 何で?」

「だって骨が折れちゃうんでしょ?」

「あぁいや、そうじゃなくてね……」

 

 そっか、美波もまだ知らない言葉があるんだな。普通に日本語で話せるから帰国子女だってことをすぐ忘れちゃうな。

 

「骨が折れるっていうのは凄く手間が掛かるって意味さ。本当に骨が折れるわけじゃないよ」

「なぁんだ、そうだったのね。変な言い方をするから勘違いしたじゃない」

「昔から使われてる言葉だと思うけど……」

「そうなの? 日本語ってややこしいわね」

「まぁ外国の人にしてみればややこしいかもね。僕は日本語に慣れてるから違和感無いけど」

「何言ってるのよ。アンタだって古典ぜんぜんできないじゃない」

「うっ……あ、あれは日本語と言ってもまたちょっと違うからさ……」

「ふふ……分かってるわよ。さ、聞き込み始めましょ」

 

 美波が黄色いリボンと赤茶色のポニーテールを元気よく跳ねさせ、踊るように走り出す。

 

「う、うん」

 

 こんな笑顔を見ていると、また決心が揺らいでしまう。美波がいればどこだって構わない。そんな思いが前面に出てきてしまう。僕はそんな妥協の気持ちを抑え、彼女に引かれるままに足を運んだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 美波は僕を引っ張り回し、次々に店に入っていく。そしてその都度店員に文月学園の校章を見せて「こんな印を見た事が無いか」と尋ねる。だが返ってくる答えは「知らない」「見た事がない」ばかりで、相変わらず情報が得られない。それでも僕たちは挫けずに行商や店員に聞いて回った。そんな中、美波が街中にあるものを発見した。

 

「ねぇアキ見て。あの掲示板に貼ってあるのって土屋の言ってたやつじゃない?」

「ん? どれ?」

「ほら、あれよ」

 

 美波の指差す方向を見ると、(ひさし)の付いた案内板のようなものが立てられているのが見えた。

 

「ちょっと見てみようか」

「うん」

 

 早速僕たちはその掲示板の元へと行ってみた。そこには大きく文月学園のマークが書かれた紙が貼ってあり、その下の方にはこう書かれていた。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

   この文様を見た者は、その場所と時間を報告されたし

 有力な情報を提供した者には報酬として20000ジンを与える

 

                     王宮情報局

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「報酬付きなんだね」

「この報酬ってウチらが払うのよね?」

「え? そうなの!?」

「だってウチらが探しているものなんだから当然じゃない?」

「そうかもしれないけど……でもムッツリーニと話した時は報酬のことなんて何も言わなかったよ?」

「そういえばそうね。じゃあ土屋が出すつもりかしら」

「確かにあいつは王宮勤めだからそれなりにお金はあるだろうけど……でもこんなに気前良く出すとは思えないなぁ」

「そうなると……やっぱり王様かしら」

「う~ん……」

 

 ムッツリーニはどういうつもりでこの紙を用意したんだろう? まさか後で僕に請求するつもりか? 一応手持ちのお金はそこそこあるけど、生活用品を揃えるのに結構使っちゃったんだよね。2、3人に払うくらいならいいけど、情報提供者全員に配っていたらあっという間にスッカラカンだ。

 

「あ、見てアキ、ここに王様のサインがあるわよ」

 

 美波が貼り紙の隅を指差して言う。そこには確かに”レナード・エルバートン”と書かれていた。そういえばよく見ればこの貼り紙の字、王様に貰った紹介状と同じ筆跡だ。と、いうことは……。

 

「この貼り紙、王様直筆みたいだね」

「そうなの?」

「うん。ほら、この紹介状と同じ字じゃない?」

「あ、ホントね」

「つまりこの紙は王様が書いたってことさ。美波の言う通り報酬も王様が付けてくれたんじゃないかな」

「でもここまでしてもらっちゃうとなんだか悪い気がするわね……」

「う~ん……もし本当に見つかったならちゃんと返さないといけないかなぁ……」

「それが当然の礼儀よね」

「まぁそうだよね」

 

 それにしても紹介状の件といい、この貼り紙の件といい、王様には感謝してもしきれないな。

 

「よし! 王様がここまでしてくれているんだし、僕たちも頑張ろう!」

「……そうね、頑張りましょっ!」

 

 僕と美波の士気は高まっていた。これも王様の心遣いのおかげだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 しかし、意欲はあっても現実は厳しかった。何の情報も掴めないまま昼が過ぎ、日が傾き始めてしまった。また何の進展もなく1日が終わろうとしているのだ。共に歩く美波の表情にも疲れが出てきているようだ。

 

「今日はこれくらいにしようか」

「……そうね」

 

 美波は返事をして笑顔を作ってみせる。その笑顔が僕にとっては辛い。たぶん気を遣わせまいと疲れを隠しているのだろうけど、余計に心配になってしまう。

 

 しかし帰るにしても、ここからまた1時間歩かなければならない。少し休憩した方がいいだろう。そう思った僕は大きなレストランに入り、3階の見晴らしの良い席で休憩を取ることにした。

 

「ハァ……何の情報も無いわね」

「……そうだね」

「もしかしたら坂本たちは来てないのかしら」

「そうなのかなぁ」

「やっぱり坂本に頼らずウチらでなんとかするしかないんじゃない? それにもし仮に来てるとしてもこの町じゃないのかもしれないわよ」

「う~ん……確かに……」

 

 僕がこの町に来るまで辿ってきた町は、ラドン、ハーミル、サントリア、ミロード、そしてこのレオンドバーグ。ドルムバーグとガラムバーグを合わせれば7つになる。これだけの町があるのだから、入れ違いになっていてもおかしくない。もしこの東地区と北地区で何も情報が無かったら他の町に戻って探すべきだろうか。そもそも雄二が来ているという確証はないのだから、やはり人を捜すというより帰り方を探すべきなのかもしれない。

 

「「ハァ……」」

 

 僕らは揃って溜め息を吐く。いけない。家を出た時に意気込み過ぎてその反動が来ているようだ。少し気分転換を――――うん?

 

 視界の横に何かチラチラと眩しく光るものを感じる。まるで手鏡で太陽光を反射させて当てられているような感じ。なんだろう、あれ。

 

 僕は手で(ひさし)を作り、目を細めて光の方向をじっと見つめる。光はゆらゆらと不規則に揺らめき、目に差し込んでくる。どうやら水に反射した太陽の光のようだ。ただ、水と言っても水たまりや池といった小さなものじゃない。もっと大きな……湖と呼べるほど大きなものだ。その湖は”万里の長城”の如く長く連なる壁の向こう側にあるもののようだ。

 

 それにしてもキラキラと輝いていて綺麗な湖だ。ずっと町の中で人と接していたし、気分転換にはちょうど良さそうな場所だ。でも町の外か。魔獣に遭遇してしまうかもしれないな。

 

 ……

 

 あの高い壁は外周壁。魔障壁が届く範囲であるという印。ルミナさんは魔障壁の近くに寄れるのは小さな魔獣と言っていた。”小さな”というのがどの程度か分からないけど、今まで遭遇したリスや猿くらいの魔獣ならば戦えるだろう。

 

「どうしたのアキ? 向こうに何かあるの?」

「あ、うん」

 

 万が一の時は僕が守ればいいんだ。大丈夫。召喚獣の力がある今、多少の魔獣なら僕にだって倒せる。よし、あの湖の(ほとり)で気分転換することにしよう。

 

「美波、あそこの湖が見える?」

「うん。ずいぶん大きな湖よね」

「あそこで少し気分転換しない?」

「えっ? でもあれって町の外よね。危ないんじゃないの?」

 

 怪訝そうな顔をする美波。熊の魔獣と戦ってその危険性を身をもって知っているからだろう。

 

「大丈夫だよ。魔障壁の近くには小さい魔獣しか近寄れないらしいからさ。それに必ず現れるわけでもないし」

「でも……」

「いざという時は僕が守る。それとも僕じゃ不安?」

「ううん。そんなことないけど……」

「じゃあ行こうよ!」

「……そうね。分かったわ。行きましょ」

 

 美波の了解を得て、僕たちは早速レストランを出て外周壁に向かった。その外周壁までは大通りが真っ直ぐ伸びている。つまりこの道沿いに歩いて行けばすぐ到着だ。

 

 町の外だから恐らく人はいないだろう。綺麗な景色を見て風に当たれば、きっとこの陰鬱とした気分も晴れる。そんな期待を胸に、僕たちは湖へと向かった。

 



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第三十二話 未知との遭遇

 大通りを歩いて約10分。僕たちは外周壁に到着した。

 

 この大通りは真っ直ぐ外周壁の外へと続いている。このまま直進すれば町の外に出られるはず。だがそこは縦横10メートルほどの巨大な扉で閉ざされていた。見れば扉の左右には1人ずつ、鎧に身を包んだ兵士が立っている。警備に当たっている王宮兵士だろう。

 

「あの人たちにお願いして開けてもらおう」

「うん」

 

 僕たちは左側にいる兵士の元へと行き、意思を伝えた。

 

「あの、すみません。外に出たいんですけど」

「は?」

 

 思いっきり耳を疑われた。

 

「いや、だから扉を開けてほしいんです」

「あぁ、外から誰か帰って来るんだね?」

「いえ違います。僕らが外に出たいんです」

「はぁ? 何を言ってるんだ君は。武器も持たずに外に出るなんて正気か?」

「武器ならありますよ」

「……丸腰にしか見えないが?」

 

 まぁこの姿じゃ丸腰だね。

 

「美波」

「装着ね?」

「うん」

「オッケー。それじゃ」

 

「「――試獣装着(サモン)っ!」」

 

 左手に木刀の僕。美波は腰のサーベルをスラリと抜く。装着した僕らはその姿を2人の兵士に見せつけた。

 

「これが僕らの武器です」

「っ……そっ、そんな武器で魔獣と戦えるわけがなかろう!」

 

 兵士のおじさんは動揺していた。けれど僕らの姿を見ても認めてはくれなかった。(うたぐ)り深い人だなぁ。

 

「そんなことないですよ? 今までこれで立派に魔獣と戦ってきたんですから」

「嘘をつくでない!」

「いや、嘘じゃないですってば」

 

 おじさんと言い争っていると騒ぎを聞きつけてもう1人の兵士がやって来た。

 

「どうしたトニー。何を騒いでいるんだ?」

「あぁロイド、ちょうど良かった。この子たちが外に出してくれって言って聞かないんだ。魔獣が現れたらあんな棒っ切れで戦うと言ってな」

「はぁ? おいおい、冗談にしちゃ笑えないぜ。ボウズ、悪いことは言わねぇからやめときな」

 

 兵士のおじさんたちは信じてくれないようだ。間違いなくこれで魔獣を倒してきたんだけどなぁ。あの巨大な熊の魔獣を叩いてもヒビひとつ入らなかったし。

 

「ウチのはちゃんとした剣よ?」

「いやぁお嬢ちゃん、そりゃ確かに剣かもしれないけど、そんな細い剣では魔獣に通用しないよ?」

「失礼ね! 大きな熊の魔獣だってこの剣で倒してきたんだからね!」

「まぁまぁ、落ち着いてよ美波」

「だって頭に来るじゃない!」

「ここは僕に任せてよ。考えがあるんだ」

「……まぁ、アキがそう言うのなら」

 

 つまり僕らの武器が魔獣に通用するほど強い物だって知ってもらえばいいわけだ。それなら手はある。

 

「おじさんたち、ちょっと見ててください。これがただの木刀じゃないって所を見せますから」

 

 道の脇には高さ2メートル、幅3メートルほどの岩が放置されている。この白っぽい色は石畳と同じ色だ。きっと石畳を切り出した後の残りなのだろう。僕の力を見せつけるにはちょうどいい。

 

「おじさん。これ、割ってもいいですか?」

「別に構わんが……まさかそんな棒っ切れで叩き割ろうってのか? ハハハッ! 無理無理! やめときな!」

「ハッハッハッ! 跳ね返った棒で怪我をしないようにな!」

 

 背におじさんたちの嘲笑を受けながら、僕は岩に向かって木刀を上段に構える。そして力を込めて一気に振り下ろし、

 

 ――ドガァッ!

 

 岩を叩き割ってみせた。

 

「ね? 普通の木刀じゃこんなことできないでしょ? って……あれ?」

 

 振り向いて兵士のおじさんたちに話し掛けると、おじさんたちはまるで金魚のように口をパクパクと開閉させ、目をまん丸にして驚いていた。そんなに驚くことないのに……。

 

「わ、分かった……よく分からんが分かった。君たちの言うことを信じよう……」

 

 分かったのか分からないのか、どっちなんだ。でも信じてくれるのならどっちでもいいか。

 

「ロイド、手伝ってくれ。門を開ける」

「あぁ、分かった」

 

 トニーと呼ばれたおじさんが閉ざされた扉のカギを外し、2人は力を込めて扉を引っ張る。

 

「「せぇ、のっ!」」

 

 するとギギギッと重量感溢れる音がして、大きな扉はゆっくりと開いていった。そして1人分の隙間ができたくらいの所でおじさんたちは手を止め、僕らに忠告をしてきた。

 

「とりあえず君たちを信じる。でも気をつけるんだよ。それほど大きくない魔獣でも集団になると命を落としかねないからね」

「夜になると魔獣の活動が活発になる。暗くなる前に戻るんだぞ」

 

 集団の魔獣がどういうものかなんて経験済みだ。2回もね。それに夜が危険だということもルミナさんから教わって知っている。

 

「分かってます。危なかったら逃げますよ。――装着解除(アウト)

「ちょっとそこの湖で休憩してくるだけですから、ご心配なく。――装着解除(アウト)

 

 警備のおじさんたちにそう告げ、僕たちは装着を解除して町の外へと繰り出した。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 湖の(ほとり)まで行くと、それが遠目に見たそれより遥かに大きいことに驚いた。目の前で湖面を見ていると海を見ているように錯覚してしまうほどだ。青い湖面は風に煽られ、小さな波を作り、それが湖岸(こがん)に寄せ、チャプチャプと音を立てている。

 

 足下は草原。名前も知らない、くるぶしにかかるくらいの短い草が生い茂り、遥か遠くには白い雲のかかった緑色の山脈が見える。まさに絶景だった。

 

「綺麗……」

 

 肩を並べる美波が溜め息にも似た声で呟く。湖の畔に佇む彼女。揺れる湖面から溢れんばかりの光の粒を浴び、その姿はキラキラと神秘的に輝いていた。

 

(……君の方がもっと綺麗だよ……)

 

 そんなキザったらしい台詞が喉まで出掛かる。だがそんな恥ずかしい台詞を言えるわけもなく、僕はぐっと言葉を飲み込んだ。

 

「えっ? 何か言った?」

 

 と思ったら口に出ていた!?

 

「なっ、なんでもない! なんでもないよ!?」

「?」

 

 輝く湖を背景に小首を傾げる美波。大きな瞳が不思議そうに僕を見つめる。サァッと吹く風が赤い髪と黄色い大きなリボンを揺らし、彼女は髪を押さえて目を細める。

 

 まるで女神のようだった。

 

 いや、僕にとって彼女は本当に女神だった。

 

「ね、アキ。水に入ってもいい?」

「うん。いいよ」

 

 僕が即答すると、美波は靴と靴下を脱ぎ捨て、裸足で湖に踏み込んで行った。

 

『きゃっ、冷たっ! でも気持ちいい~っ!』

 

 ここは僕らの住む世界とは別の世界。けれど美波はここでも僕の彼女でいてくれた。島田美波。僕の一番大切な人。元の世界に戻ったらここと似た感じの場所でデートしたいな。溢れる光の中で可憐に踊る彼女を見ながら、僕はそんなことを考えていた。

 

 

 ――この後、命に関わるほどの脅威が訪れるとも知らずに。

 

 

『アキ~っ! アンタも来なさいよ~。気持ちいいわよ~?』

 

 湖から美波が手を振る。すっかり元気を取り戻したようだ。ここに来て良かったな。

 

「僕はいいよ。こうして休んでるからさ」

 

 僕は草の上にゴロリと寝転がり空を見つめる。そして青い空を見上げながら考えた。

 

 この世界が学園長の仕業だとしたら、元の世界に戻る鍵を握るのはきっと召喚獣だ。けど今まで何度も試獣装着しているが、身体能力が大きく向上したこと以外に変化は無かった。ただ()び出すだけじゃ駄目なのか? じゃあどうすればいい?

 

 召喚獣。異世界。

 

 2つのキーワードが頭の中をぐるぐると回る。

 

「何を考えてるの?」

 

 すると美波が横に座り、尋ねてきた。

 

「ちょっとこの世界と召喚獣の関係をね」

「何か分かった?」

「いや、全然」

「そうよね……簡単に分かったら苦労しないものね」

「召喚獣が関係してるような気がするんだけどなぁ……」

「ウチも一緒に考えるわ。1人より2人の知恵よ」

「そうだね」

 

 僕は上半身を起こして美波と肩を並べ、紅色に染まり始めた空を見ながら話し合った。

 

 この世界に飛ばされる直前の様子。

 召喚獣を喚び出した時の様子。

 ゲームと魔獣と世界の関連性。

 

 湖の畔に座り、それぞれ思いつく限りのことを話し合った。しかし2人でどれだけ考えても、やはり手掛かりすら見つからない。学園長が怪しいということ以外は何も分からなかった。

 

「はぁ~……。ダメだ。分かんないや」

 

 僕は考え疲れ、再びゴロリと仰向けに寝転がった。

 

 こんな時、雄二なら何か考えて皆に指示を送るんだろうな。くそっ、なんでこんな時にあいつはいないんだ。役に立たないやつだ。

 

 ……雄二ならこんな時どうするんだろう。

 

 あいつなら…………ん?

 

「どうしたの? アキ」

「いや、空に何か……」

 

 何だろうアレ。空に何か黒いものが浮かんでいるような……?

 

 僕は目を凝らして黒い物体をじっと見つめる。そうして見ていると、その黒い物体は徐々に大きくなり、形がはっきりしてきた。

 

 あれは……人か?

 

 おかしい。今見ているのは空だ。空に人が立っているように見える。目の錯覚か? ゴシゴシと目を擦り、再度空をじっと見つめる。だが黒い物体はまだ宙に浮いている。錯覚ではない。何だあれは? 目を細め、上空の奇妙な物体をじっと見つめる。

 

「っ――!?」

 

 あまりに突然のことで声にならなかった。見ていた物体が突然降下してきたのだ。そしてそいつは地上スレスレでぶわっと風を巻き起こして急停止すると、ザッと草を踏み、僕たちの前に降り立った。

 

 逆立った短い金髪。

 黒光りする銀色の胸当て。

 ボディビルダーのように筋肉隆々の肉体。

 

 それは人型をしていた。

 

 いや。人型と呼ぶにはおかしな部分がいくつもある。そいつは胸の鎧以外、衣類の類いは一切身につけていなかった。この説明だけではただの変態だ。しかしこの状態が気にならないほど、そいつは異様な姿をしていた。

 

 血のように真っ赤な瞳。背中には翼竜のような羽を背負い、肌は黒に近い深い緑色。両手の指には刃物のように長く鋭い爪が生え、金髪の中からはまるで牛のような(つの)が突き出ている。

 

 一瞬、頭の両側にクロワッサンでも付けているのかと思った。だが何度目を凝らして見ても、あれは真っ黒な(つの)だった。普通の人間ならこんなものは付いていないはず。

 

 ――明らかに人間ではない。

 

 僕は本能的に危険を感じ、立ち上がって腰を低く身構えた。この行動で何かを察したのか、美波も立ち上がり、隠れるように僕の後ろに回る。

 

(ねぇアキ、誰なの? 知り合い?)

(いや、こんな人――っていうか人なのかな。少なくとも知り合いにこんな人はいないよ)

(じゃあ何? もしかして魔獣? あんな羽が生えてるし)

(分からない。見た感じ魔獣というより悪魔に近いような気がするけど……)

 

 どうする。逃げるか? でもいきなり逃げたら追ってくる可能性もある。言葉が通じる相手か怪しいが、ちゃんと話してからでも遅くないだろう。それにもし襲ってきたとしても僕には召喚獣の力がある。万が一の時は装着して戦えばいい。

 

 じっとその者を見据え、十分に警戒しながら相手の出方を伺う。するとその”異形の者”は低い(かす)れた声を発した。

 

《なんだァ? まだガキじャねェか》

 

 その声にゾクリと全身に悪寒が走る。こいつ……人の言葉を理解するのか? あの言い方からしてやはり初対面のようだ。しかしどれだけ頑張って好意的に見てもお友達になりに来たようには見えない。

 

 ……いや待て、人は見かけに寄らない。ただ道を聞きに来ただけという可能性もある。あの姿だって趣味でコスプレをしているだけかもしれない。そうだ、きっとピエロのような道化を演じているに過ぎないんだ。僕は自分にそう言い聞かせ、

 

「あの、何かご用ですか?」

 

 勇気を振り絞ってその異形の者に尋ねてみた。

 

《オメェ、ヨシイだな?》

 

 そいつは僕の名前を知っていた。だが僕にこんな姿をした知り合いはいない。

 

「そうですけど……そういうあなたは?」

 

《やれやれ、やーッと見つけたぜ。ッたく、あの魔障壁ッてのは厄介でしャーねェぜ。ちッとも近寄れねェし》

 

 魔障壁に近寄れない? ということはこいつも魔獣なのか? でも人の言葉を操る魔獣なんているんだろうか?

 

《それにしてもアイツの夢操蟲(むそうちゅう)ッてのもアテになんねェなァ。刺したら夜には出てくるとかぬかしやがッて、ちッとも出て来やがらねェじャねェか》

 

 ムソウチュウ? 刺す? 出る? 一体何を言ってるんだ? それよりこいつ、人の話を聞いていないのか? それとも言葉が理解できないのか?

 

《しッかし、散々捜し回ッてやッと見つけてみればこんなガキかよ。ワリに合わねェなァ》

 

 そいつは腕組みをしながらブツブツと独り言を呟き、僕の質問に答えようとしなかった。なんだコイツ。人に名前を聞いておいて自分は名乗りもしないのか。おまけに僕の質問もまったく聞いていないみたいだ。

 

「あの、聞こえてますか? あなたは誰ですか?」

 

 少しムッとして睨み付けると、そいつはようやく僕の質問に反応した。

 

《あァ? 俺か? 別に答える必要なんざねェと思うが?》

 

 ムカッ! なんて失礼な奴だ!

 

「どうしてですか? 人に名前を聞いておいて自分が名乗らないのは礼儀に反すると思いますけど!」

 

 僕は少し強い口調で抗議する。

 

《ッたく、うッせェなァ。これだからガキは嫌いなんだ。じャあ名乗ッてやるよ》

 

 その者は面倒くさそうに溜め息をつく。そしてギロリと気味の悪い目線を向けると、聞きたくなかった台詞を言い放った。

 

《俺はギルベイト。お前を始末しに来た》

 

「っ……!」

 

 最悪の答えに僕は絶句する。

 

「ちょっとアンタ! 何なのよ! どうしてアキを狙うのよ!」

 

 美波が身を乗り出して怒り出す。気持ちは嬉しい。けどコイツは危険だ!

 

《ピーピーうッせェなァ。テメェに用はねェよ》

 

「僕はあなたに始末される(いわ)れはありませんよ。理由を教えてもらえますか?」

 

 僕は美波を抑えるように前に出て、あくまでも冷静に話をする。変に刺激して激昂(げきこう)されても面倒だからだ。しかしヤツは僕の思惑とは裏腹に顔を歪ませ、苛立ちの表情を見せる。

 

《あァ~ゴチャゴチャうッせェなァ!! めんどくせェからさッさと片付けんぞ!!》

 

 そして大声で怒鳴ったかと思うと、

 

 ――ドンッ!

 

 という衝撃波と共に、真っ直ぐこちらに向かって突進してきた。

 

「――美波!!」

 

 僕は咄嗟(とっさ)に美波の肩を抱きかかえて脇に避ける。間一髪だった。警戒していなければあの爪で身体を(えぐ)られていたかもしれない。

 

「何をするんだ! 危ないじゃないか!」

 

 美波を庇うように腕を広げ、僕はヤツに怒鳴る。

 

《だーかーらァ……始末するッて言ッてんだろ! 手間取らせんじャねェよ!!》

 

 奴が再び矢のような勢いで突っ込んでくる。くっ……! 2人一緒に居たのでは危険だ!

 

「離れて美波!」

「きゃっ!」

 

 ドンと美波を横へ突き飛ばす。

 

「――試獣装着(サモン)!!」

 

《ぬゥッ!?》

 

 喚び声と共に僕の身体は光の柱に包まれ、異形の者を弾き飛ばす。

 

「わけも分からずやられてたまるか!」

 

 装着した僕は両手で木刀を真っ向に構え、戦闘体勢を取る。どうやら話が通じる相手ではないようだ。もう戦うしかない!

 



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第三十三話 異形の者

※今回は残酷な描写を含みます。苦手な方はご注意ください


《ほゥ……? こいつァ面白くなッてきやがッたァ!!》

 

 ヤツはニタァと不気味な笑みを浮かべると再びもの凄い勢いで突っ込んでくる。早いっ!

 

 ――ガキィッ!

 

 僕は右手を木刀の腹に移し、ヤツの爪を()で受け止める。ズシンという衝撃が両腕を伝い、全身の骨を(きし)ませる。なんて重い攻撃だ……!

 

《ヘッヘッヘッ……いいねェ! そう来なくちャいけねェよなァ!》

 

 ヤツが楽しそうに笑いながら爪を押し付けてくる。僕は全力に近い力を両腕に込めてこれに耐える。だがヤツの身長は僕より頭2つ分ほど大きい。しかもこの圧倒的な腕力。次第に押され始め、仰け反った僕は弓形(ゆみなり)の体勢を強いられていく。

 

「う……く……」

 

 こ、コイツ、なんて力だ。この前の熊の魔獣並じゃないか……。

 

《オラオラどうしたァ! もッと俺を楽しませろォ!》

 

 このままでは押し負けてしまう! 一旦距離を取らなくては!

 

「くおぉぉっ!!」

 

《ぬッ!?》

 

 渾身の力を込めて強引に押し返し、急に力を抜いてみせる。するとヤツは勢い余って足を滑らせた。その一瞬の隙を突いてヤツの爪を横へ受け流し、後ろに下がって距離を取る。こ……コイツ、魔獣より強い。何なんだコイツ?

 

「あんた! 一体何者なんだ! なぜ僕を狙うんだ!」

 

 僕は木刀を構え直し、警戒しながら叫ぶ。

 

《ケッ、せッかく楽しくなッてきたのによォ。気になッて戦いに集中できねェッてか?》

 

 戦いを楽しんでいるのか? 冗談じゃない! こんな奴の相手をしていられるか!

 

《俺は魔人ッてヤツよ。テメェを始末しろッて言われてンだよ》

 

「魔人? 魔獣じゃないのか?」

 

《ちげェよ。あんな下等生物と一緒にすんじャねェよ》

 

 確かに魔獣とは違うようだ。今まで遭遇した魔獣は本能で動く動物のようだった。けれどこいつは人の言葉を操り、一応会話も成立している。分からないのは、なぜ僕を狙うのか、だ。

 

「始末しろって、そんなこと誰に言われたのさ!」

 

《ッとにうッせェなァ! (あるじ)だよ!》

 

(あるじ)? (あるじ)って誰だ!」

 

《あァァ! うッせェうッせェうッせェ!! ンなこたァどうでもいい! 問題はテメェが俺を楽しませるかどうかなんだよォ!!》

 

 またヤツが突っ込んでくる。だが今度は僕も負けてはいない。突き出してくる拳を木刀で払い除け、

 

「だぁっ!!」

 

 ヤツの脳天目がけて木刀を振り下ろす。

 

 ――ガシッ!

 

 打撲音がしたが、手応えがおかしい。

 

《ッとォ。危ねェ危ねェ》

 

「うっ……!」

 

 渾身の一撃は片手で軽く受け止められてしまった。

 

「こ、このっ!」

 

 片足で蹴りを繰り出し、掴まれた木刀を奪い返す。

 

「はぁっ!」

 

 すかさず鎧の無い胴を狙い、得物を横一線に振り回す。だがヤツは軽く後ろへ飛び退き、僕の攻撃をかわす。空振りした拍子に僕はやや体勢を崩してしまう。そこへヤツが再び爪を突き付けてくる。今度は僕が飛び退き、その爪を避ける。

 

「なんで僕を狙うんだよ! (あるじ)って誰なんだよ!」

 

《テメェにャ関係ねェよ! ぐだぐだ言ッてねェで、もッと俺を楽しませろォ!》

 

「なんで僕がお前を楽しませなくちゃいけないのさ!」

 

《すべての生き物は俺を楽しませるためにあるからに決まッてンだろ!》

 

「そんなわけないだろ! じゃあそこら辺の虫さえもお前のために生きてるって言うのかよ!」

 

《ンな(よえ)ェ奴相手にすッかよ! 俺は(つえ)ェ奴にしか興味はねェ!》

 

「なんでそんなに戦いたいんだよ!」

 

《あァ? んなモン決まッてんだろ! おもしれェからよ!!》

 

「わけ分かんないよ! こんなの痛いだけで楽しいことなんてあるわけないじゃんか!」

 

《テメェにャ分かんねェのかよ! この高揚感がよォォ!!》

 

 言い合いながら何度も木刀と爪をぶつけ合う。その度に黒い火花のようなものが飛び散り、焦げたような匂いを発する。お互いの攻撃が当らないまま、そんな攻防が幾度となく繰り返された。

 

《ハッハッハァーッ! 楽しいなァ! なァヨシイよォォーッ!!》

 

「くっ……!」

 

 こいつ、全然余裕って感じだ。こっちは全神経を集中してギリギリだってのに……。まずいな。バイザーのエネルギーゲージがもう残り半分を切ってしまっている。このままやり合っていたら装着時間の限界が来てしまう。もし時間切れになってしまったらもう戦えない。どうする? 逃げるにしてもそんな隙を与えてくれるとは思えない。なんとかして美波だけでも――――っ!!

 

《よそ見してンじャねェぞコラァ!》

 

「うっ!?」

 

 美波のことが気になり、不覚にも一瞬ヤツから目を離してしまった。その隙にヤツは拳を僕の顔面目がけて突き込んでいた。

 

 

 ── 喧嘩の常套(じょうとう)手段だ。覚えておけ ──

 

 

 雄二!

 

「うらぁぁっ!!」

 

 ――バキィッ!

 

 プラスチックが割れるような音がして、視界にヒビが入った。

 

《うォッ……!》

 

 ヤツが突き出した拳を引っ込める。同時に僕の(ひたい)に強烈な痛みが走り、思わずガクリと片膝を突く。

 

「いっ――てぇ~……」

 

 パラパラと音を立てて薄水色の破片が崩れ落ちていき、視界が元の色に戻っていく。ヤツの拳でバイザーが破損したようだ。

 

《て、テメェ……何をしやがッた……》

 

 拳を押さえながらヤツが(うめ)くように言う。見ればその拳からはシュウシュウと黒い煙が出ていた。

 

「へへ……インパクトの瞬間、お前の拳に頭突きを合わせたのさ」

 

 まさか雄二から受けた教えが役に立つ時が来るとは思っていなかった。それと頭突きをした方もこんなに痛いということも知らなかった。雄二はあの時平然としていたが、あれは我慢していたのだろうか。そんなことを考えていたら、(ひたい)から生暖かい液体が流れ落ちるのを感じた。血だ。バイザーの破片が刺さって(ひたい)が切れたようだ。

 

《やッてくれるじャねェか……。いいねェ……! ますます面白くなッて来やがッたァァ!!》

 

 ヤツはニィッと八重歯のような牙を見せながら歓喜に溢れた表情を見せる。コイツ、狂ってる……。僕は背筋が凍るような感覚に襲われながらも立ち上がり、両手で木刀を構え直す。

 

『アキ! ウチも戦うわ! サモ――』

「来るなっ!!」

 

 僕は美波の加勢を拒んだ。それはこの勝負を放棄するつもりだったからだ。こんなイカレた野郎に付き合う義理はない。けど、こいつの荒っぽい感じからして僕が逃げれば逆上して代わりに美波を襲う可能性が高い。今はまず美波を避難させなければならない。

 

『でもこのままじゃ!』

「いいから逃げるんだ! こいつは僕がなんとかする!」

 

 僕はバカだが、考えなしにこんなことを言ったのではない。もちろんなんとかする作戦が頭に浮かんでいる。

 

 確かにヤツの攻撃は素早く、受け止めるので精一杯だ。だが弱点が無いわけでもない。真っ直ぐ突っ込んで来て拳を突き出すか爪を突き立てる。ヤツの攻撃はこればかりなのだ。フェイントを入れる様子もなければ、遠距離からの牽制もしてこない。愚直なまでに直線的なのだ。何度も攻撃を受けているうちにそれに気付いたのだ。

 

《あァ? なんとかするゥ? グハハハッ! こいつァまたおもしれェ冗談だ!》

 

 ヤツが天を仰ぎながら大笑いする。この人をバカにしたような笑い。余程自分に自信があるのだろう。

 

《ならなんとかしてみせろやァァーーッ!!》

 

 思った通りヤツがまた真っ直ぐに突っ込んでくる。馬鹿のひとつ覚えめ。こちらは木刀を持っている分、リーチがある。ヤツの拳が届く前にカウンターで迎撃できるはずだ。

 

 僕は木刀を左脇で縦に構え、冷静に間合いを計る。慎重に……集中しろ……タイミングを……。

 

 

 ――――今だっ!

 

 

 ヤツの頭を狙い、左手に力を込めて最大速度で横に振り抜く。

 

 僕の思い描いていた筋書きはこうだ。木刀の先端がヤツの頭を捕え、突進を薙ぎ払う。ヤツはこれでダウンする。その隙に僕は召喚獣の脚力を利用して全速力で町に向かって走り、一気に駆け込む。魔障壁に近付けないと言っていたヤツはこれで僕らに手を出せなくなる。

 

 だがこの思惑は脆くも崩れ去ってしまった。木刀が命中する直前にヤツの姿が忽然と消え、渾身の一閃が(くう)を切ったのだ。

 

 そんなバカな……狙いとタイミングは完璧だったはず。一体ヤツはどこへ?

 

『アキ! 上!』

 

 !

 

 美波の叫びでヤツが飛び上がったことに気付いた。僕は咄嗟(とっさ)に横へ飛び、間一髪上空からの爪を避ける。だが次の瞬間、魔人は既に方向転換し、僕に向かってもう片方の腕を振り上げていた。

 

(おせ)えッ!!》

 

「うっ――!」

 

 左ふくらはぎにザクリという嫌な感覚。直後、左足に激痛が走った。

 

「――――があぁぁぁぁーーーーっっ!!」

 

 痛い! 痛い! 痛い!! 足が焼けるようだ!!

 

「ぅあぁぁーーっ!! う、うわあぁあぁぁーーっ!!」

 

 左足から突き上げてくる激しい痛みに僕はのた打ち回る。全身の筋肉が極度に緊張し、うまく呼吸ができない。あまりの激痛に何も考えられなくなり、次第に意識が遠のいていく。

 

「うぅ……ぁ……かはっ……!」

 

 ついに転げ回ることもできなくなり、僕は背を丸めて足を抱え(うずくま)る。どうにかしてこの苦しみを和らげたい。本能的にこの体勢を取ったものの、痛みは和らぐどころか逆に激しさを増していく。

 

《ケッ! テメェらと違ッて俺にャ翼があんだよ! これでようやく面倒くせェ指命を果たせるッてもんだぜ。ま、思ッたよりは楽しめたがナ》

 

 魔人が何かを言っている。だが頭にガンガン響いてくる痛みで集中できず、僕には何も聞こえていなかった。精神的に追い詰められ、聴覚にも異常を(きた)していたのかもしれない。ただ、こんな状態でもこの金切り声だけは僕の耳に届いていた。

 

『アキぃぃーーっ!!』

 

《あァ? ――――っ!》

 

 ――カシィン!

 

 と、金属を擦ったような音がした。

 

「アキ! アキ!! しっかりして!!」

 

 そんな声と共に誰かが僕の体を揺らす。激痛に震えながら片目を開けると、そこには青い軍服に身を包んだ可憐な少女がいた。

 

「み……美波……逃げろと……言ったじゃないか……」

「バカなこと言わないで! アンタを置いて行けるわけないじゃない!」

 

《ッ――があァァァーーッ!!》

 

 急に魔人が大きな雄叫びをあげた。苦しむような声が湖の(ほとり)に響き渡る。なんだ? 何が起ったんだ?

 

 動けない僕は視線のみを声の方に向ける。するとヤツは片手を頭に乗せ、歯を食い縛り、苦悶の表情を見せていた。その手が押さえているのは先程まで黒い突起があった所。過去形なのは、今現在そこにあのクロワッサンのような(つの)が無いからだ。

 

 そ、そうか、美波の剣がヤツの(つの)を切り落としたのか。はは……いい気味だ……。

 

《うッごオォォッ! て、てンめェェェ!! よくも、よくも俺の(つの)をォォォ!!》

 

「なっ、なによ! アンタなんかウチが――」

 

《ぶッッコろスッッ!!》

 

 ヤツの拳を腹に受けた美波の身体が一瞬のうちに飛んで行くのが見えた。

 

「美波ぃぃぃぃーーーーっ!!」

 

 声を絞り出して立ち上がろうとすると左足に焼け付くような痛みが走る。

 

「うっ……がぁぁぁっ!!」

 

 だ、ダメだ……! い、痛くて……集中……できない……!

 

《テメェも、うッせェんだよ!》

 

 ――ドッ

 

「うぶっ!?」

 

 ヤツが僕の胸を踏み付ける。

 

《ッたく、手間取らせやがッてよォ!》

 

 ドスッともう一度踏み付けられる。その度に息が止まる。

 

《オラッ! オラッ! オラァッ! さッきまでの威勢はどうしたァ!!》

 

 魔人が僕の腕や胸、腰、脚――あらゆる所を蹴りつける。無抵抗の僕を容赦なく何度も、何度も蹴りつける。もはや僕に成す術は無く、ただヤツの暴力に身を晒すことしかできなかった。

 

《チッ、(しま)いか。つまらん!》

 

「う……ぁ……」

 

 ヤツの攻撃が止まった。僕は……まだ生きている……のか……。でももう……立ち上がる体力も……気力も……残っていない……。

 

《まァいい。今、止めを刺して楽にしてやる》

 

 あぁ……僕、今度こそ死ぬのかな。悔しいな……まだ色々とやりたいことが残ってるのに……美波……ごめん……本当にごめん……。

 

《だ、が! その前にやるべきことがある!》

 

 やるべき……こと……? 目的は僕の始末じゃなかったのか……?

 

《まずは俺の大事な(つの)を切り落とした奴の始末だ! テメェはその後だ!!》

 

 !!

 

「ま、待てぇっ……! み……美波に……手を……出すなぁ……っ!!」

 

《あァ? 手を出すなァ? ザけんじャねェ!》

 

 ――ドッ

 

「ぐっ……!」

 

 腹に魔人の蹴りが入り、また息が止まる。

 

《俺の(つの)に傷を付けやがッたヤツは誰だろうが生かしちャおかねェ!》

 

「ごほっ……! げほっ……! ぅ……」

 

《ケッ、つまんねェヤツだ。安心しな。テメェもすぐに同じ場所に送ッてやッからよ》

 

 魔人はゆっくりと美波の方へ歩いて行く。く、くそっ……! やらせるか……っ!

 

「み……美波ぃぃーーっ!!」

 

 ギリッと音がするほどに歯を食い縛り、這い蹲(はいつくば)りながら彼女に呼び掛ける。頼む! 逃げてくれ! 祈るような気持ちで叫ぶ。だが美波は仰向けに倒れたまま、ピクリとも動かない。

 

《チッ、こッちは一発でオネンネかよ。苦しむ顔が見られねェのは残念だが、まァいい》

 

 ヤツが美波の前で腕を振り上げる。あの爪で刺すつもりか!?

 

《あの世で俺に逆らッたことを後悔するんだな》

 

「やめろぉぉーーっ! やめてくれぇぇーーっ!!」

 

 僕の叫びを聞く様子も無い魔人。頼む! 身体よ動いてくれ! 美波が! 美波が!!

 

「うあぁぁぁぁーーっ!!」

 

 既に気力も体力も尽き果てている。それでも僕は立ち上がった。今まで経験したことのない激痛が全身を襲う。なんとか立ち上がったものの、僕は一歩も動けなかった。

 

 く……くそ……こんなことになるならヤツが来た時にすぐ逃げるべきだった……。姿を見てすぐに危険な存在だと感づいていたのに。それなのに召喚獣の力を過信して立ち向かってしまった。完全に僕の判断ミスだ……。

 

 もうろうとする意識の中、僕は自分の愚かさと力の無さを呪い、涙を零した。だがすべてを諦めかけたその時、不可解なことが起きた。

 

《…………》

 

 ヤツの動きが止まった。鋭い爪を持った右腕を振り上げたまま、動きを止めたのだ。

 

《……ブツブツブツ……》

 

 動きを止めたヤツはまるで呪文でも唱えるかのように何かを呟いている。しかし声が小さくて何を言っているのか聞き取れない。そもそも全身が痛くて聞いている余裕が無い。

 

《なんだと!? フざけんな! 今更何を言ッてやがる!!》

 

 今度ははっきりと聞こえた。誰かと話している? 誰だ? ヤツの仲間がいるのか?

 

《だからコイツを始末した後でやるッて言ッてんだろ!!》

 

 ヤツの前には倒れた美波しかいない。けれど話の内容は美波に語りかけているものとは思えない。それにヤツは空を見上げて声をあげている。一体誰と話しているんだ? いや、今はそんなことはどうでもいい。美波を助けるんだ!

 

 僕はぐっと歯を食い縛り、一歩踏み出そうと足に力を入れる。

 

「っ……!」

 

 足が動かない。動かそうとすると脳が痺れるような痛みが襲ってくる。あまりの痛みに頭の中が真っ白になって、今にも卒倒しそうだ。

 

《……チッ! わーッたよ! 戻ればいーンだろ! 戻ればよォ!》

 

 も……戻る? ……何が?

 

《ッたく、しャーねェ。おいヨシイ! 今日のところは見逃してやる! だが次に会う時にまたこんな無様な真似しやがッたら速攻ブチ殺すからな! 覚悟しておけ!!》

 

 魔人は僕に向かってそう言い放つと、バッと翼を広げ、空高く飛び上がった。そして翼をはためかせ、一気に高度を上げる。

 

 何が起きているんだ? なぜヤツは引き上げて行くんだ? 本来ならこういった疑問が出るだろう。だがこの時の僕は何も考えられず、ただ呆然と小さくなっていく魔人の姿を見守っていた。

 

 既に日は落ち、湖の畔は闇に覆われつつある。羽ばたく魔人は茜色の空を舞い、徐々に消えていく。そしてしばらくしてついに空の色と同化し、ヤツの姿は完全に見えなくなった。

 

 何だ? 一体何なんだ……? 闇に染まりつつある空を呆然と眺める僕。

 

『ぅ……』

 

 すると草むらで横たわる美波が僅かに呻き声を上げた。美波! 良かった……! 生きてる……!

 

 僕は彼女の元へ行こうと片足を踏み出す。

 

「み…………」

 

 だが体力も気力も尽き果てている今、これ以上動けるわけもなかった。僕はうつ伏せに倒れ、大地に身体を預けた。

 

……………………」

 

 だ……ダメ……だ……も、もう……意識が……。

 

 精根尽き果て、僕は静かに目を閉じる。

 

 僕の記憶はここで途切れた。

 

 

 ………………

 …………

 ……

 



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第三十四話 初めての敗北

「ぅ……ん……?」

 

 目を覚ますと、どこかの家の中だった。

 

 ここは……どこだ……? 僕はどうなったんだ……? 確か魔人にやられて……美波が……そうだ!

 

「みな――――ぐぁっ!!」

 

 上半身を起こした瞬間、胸や腕――いや、全身に激痛が走った。

 

「げほっ! げほっ! げほぁっ! ぐ……ぁ……くぅっ……!」

 

 むせ込んで咳が出ると、その度に体中から激痛が襲ってくる。

 

「あっ! アキ!?」

「はっ……はっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 意識して呼吸をしないとむせ込んでしまう。かといって大きく息を吸うと鳩尾(みぞおち)から脇腹、背中にまで痛みが広がり、息が止まる。僕は堪らず小さく、少しずつ呼吸をする。それでも身体のあらゆる所がズキズキと痛んだ。

 

「ぅ……こ……ここは……?」

 

 少し落ち着いて周囲を見渡すと、そこはレンガ造りの家の中だった。

 

「ウチらが借りてる家よ」

 

 すぐ横で美波の声がする。

 

「美波! 無事だっ――――ぐぁっ……!」

 

 身を(よじ)って乗り出そうとすると、わき腹に激しい痛みが走った。

 

「起きちゃダメ!」

 

 美波がそっと僕の身体を押さえ、ベッドに寝かせる。

 

「うく……………僕は……どうして……ここに……?」

「……ウチが運んできたの」

「美波が……? よ……よく運べた……ね。重かっただろう?」

「……召喚獣、使ったから」

 

 なるほど。召喚獣の力を使えば鎧を着た大人だって軽々と投げ飛ばせる。その力で僕をここまで運んでくれたのか。

 

「そうか……ありがとう美波。でも美波も無事で良かった……」

「良くないわよ……アキったらいくら呼んでも目を覚まさないし……体中傷だらけだし……足からどんどん血が出てきちゃうし……もう……死んじゃうかと思ったんだから……」

 

 美波が目尻を指で拭いながら涙声で語る。自分の身体を見ると、全身を白い包帯のようなものでぐるぐる巻きにされていた。まるでミイラのようだ。これは……治療帯か? 美波が手当てしてくれたのか。そうか、これのおかげで助かったのか。

 

「ごめん。心配掛けたね」

「うん……」

 

 それにしてもあいつ、なんで急に引き上げたんだろう。誰かと話していたような感じだったけど……。

 

「ねぇ……アキ」

「うん」

「あの魔人っていうの、何なの?」

「……分からない」

 

「「……」」

 

「あいつ、アキのこと狙ってた」

「うん」

「アキを……殺そうとしてた……」

「……うん」

 

「「……」」

 

「ねぇ! なんで!? どうしてアキの命が狙われないといけないの!?」

 

 大きな目に涙を浮かべながら美波が叫ぶ。

 

「……そんなの……僕だって分かんないよ……」

「嘘よ! アンタがまた無茶苦茶やって誰かを怒らせたんでしょ!」

「少なくともこの世界じゃそんなことはしてないよ。たぶん……」

「じゃあどうして!? どうして何もしてないのに命を狙われるの!?」

「……」

「なんで黙ってるのよぉ……答えなさいよぉ……」

 

 美波は大粒の涙をぽろぽろと流し、震えた声で教えを乞う。

 

「……ごめん」

 

 僕には何も答えてあげられなかった。何も分からなかったから。

 

「誰か……誰か教えてよぉ……」

 

 分からない。

 あの魔人が何者なのか。

 なぜ僕の命を奪おうとするのか。

 

 確かに今までも命を狙われることはあった。相手は主にFクラスの連中だ。けれど、あいつらだって分別が付かない程のバカではない。いくら学園の底辺とも言うべきあいつらだって、本当に命を取るつもりは無いんだ。でもあの魔人は……本当に僕を殺すつもりで襲ってきた……。

 

「ねぇアキ……もう危ないことやめよ?」

「……」

「命が狙われるくらいなら……元の世界になんて戻らなくたっていい……もうここで……ウチと一緒に暮らそ?」

 

 美波が頬に涙を伝わせながら訴える。気持ちは分かる。けど……。

 

「……いや、やっぱり戻るべきだと思う。あいつだって僕らの世界まで追っては──」

「そんなの分かんないじゃない! ううん! きっと追ってくる! それなら魔障壁がある分こっちの方が安全でしょ!」

「それは……そうかもしれないけど……」

「嫌よ……ウチは……アキが一緒じゃなきゃ……嫌……」

「美波……」

 

 余程恐かったのだろう。美波は両手で顔を覆い、小刻みに震えながら泣いている。けれど僕は起き上がることもできず、涙を流す彼女を黙って見守ることしかできなかった。

 

「ごめん。美波……」

「謝んないでよ……」

「……うん」

 

 ……

 

 この後どうすればいいんだろう……。

 

 ヤツが去り際に言っていた言葉の通りなら、まだ僕を諦めていないはずだ。でも幸いなことにヤツは魔障壁内には入れないようだ。ならば町から出ないように行動するべきだ。そして一刻も早く帰る方法を見つけて、この世界から出てしまえばいい。

 

 しかし問題はその帰る方法だ。既に1週間探しているが、手掛かりすら見つからず、王宮情報局からの報告も無い。他に探す手立てがあれば良いのだけど、僕には人に聞いて回る以外の方法なんて思いつかない。そもそも帰る手段があると決まっているわけではないが……。

 

 ……

 

 ダメだ……。元々僕は頭が良い方ではない。加えてこんな状況では頭が回るわけもない。

 

「とりあえず今日はもう寝よう。美波も疲れただろう? 僕は大丈夫だからもう休んでよ」

 

 美波は俯いたまま激しく首を横に振り、拒否した。

 

「ウチ、ここにいる」

「えっ? でも美波だって傷を――」

「嫌! 絶っっ対に嫌!!」

 

 美波は応じず、”これでもか”という程に頭を横に振る。きっと不安で堪らないのだろう。

 

 当たり前だ。昨日まで普通に高校生をやっていた僕らがわけも分からず命を狙われる。こんなこと普通に考えたらあり得ない。これが夢ならば今すぐ覚めてほしい。けれど、これが夢でないことは”じくじく”と痛む左足と全身の傷が物語っている。

 

「またあいつが襲ってくるかもしれないから! 今度はウチがちゃんと守るから!」

「だ……大丈夫だよ。ここは魔障壁に守られてるからさ」

「そんなの分かんないじゃない!」

 

 美波は強く目を瞑り、必死に頭を振る。さっきと言ってることが逆だ。あまりの出来事に混乱してしまっているのだろう。ならば僕が今やるべきことは……彼女の不安を少しでも和らげることだ。

 

 雄二ならこんな時は理論的に安心させる言葉をすぐに見つけるのだろう。でも僕にはそんな知識は無いし、安心させるような言葉も知らない。それにこの状況ではどんな言葉も都合の良い絵空事に聞こえてしまうだろう。襲われた理由すら分からないのだから。

 

 そんな僕に今できること。それは――――

 

「うっ……くぅぅっ!!」

 

 身体を起こそうとすると胸や腹、両足にまで激しい痛みが走る。それでもなんとか起き上がろうと全身に力を入れるが、あまりの苦痛に耐え切れず、力が抜けてベッドに背を預けてしまう。

 

「何するのアキ!? 起きちゃダメだってば!」

「いいから!」

 

 押さえようとする美波を制止し、僕は再び上半身を起こそうと試みる。

 

「アキ……」

「っ……くあぁっ!!」

 

 僕はなんとか身体を起こした。ズキンズキンと波打つように全身から痛みが襲ってくる。でも骨に異常は無さそうだ。もし骨が折れたりしていればこんな痛みでは済まないはず。これも召喚獣の防御力のおかげなのだろう。

 

「はぁ…………はぁ…………はぁ…………」

 

 治療帯のおかげで痛みはだいぶ和らいでいる。でもまだほとんど回復しておらず、上半身を起こすだけでもこのザマだ。

 

「美波」

「……?」

 

 目に涙を浮かべながら不思議そうな目で僕を見つめる美波。僕はそんな彼女に向かって両腕を広げ、

 

「おいで」

 

 精一杯の笑顔を彼女に向けた。痛みを堪えながら。正直こうしているだけでも辛い。プルプルと腕が震えてしまう程だ。今抱きつかれたらどれほどの苦痛を伴うか想像もしたくない。でも美波の不安が拭えるのなら……耐えてみせる!

 

「っ――!」

 

 美波が椅子を跳ね飛ばし、抱きついてきた。

 

「ふぐぅっっ!!」

 

 抱き締められた瞬間、脳天を貫くような激痛が走る。僕は耐え切れず、思わず苦痛の声をあげてしまった。

 

「あっ! ごめんね! ……痛かった?」

「う……く……。だ、大丈(だいじょう)……()……」

 

 触られただけでこんなに痛むなんて生まれて初めてのことだ。交通事故に遭ったあの時だってこれほど痛みはしなかった。もっとも、あの時は意識を失ってしまったので何も感じていなかったのだけど。

 

 この時、僕は唐突に現国の授業で出てきた言葉を思い出した。

 

 ―― 満身創痍 ――

 

 そうか、これがあの満身創痍というやつか。ハハ……今の僕にぴったりの言葉だな……。

 

「アキ……無理しないで……」

 

 美波は身を離し、目に大粒の涙を浮かべて僕を見つめる。いけない。安心させるつもりが余計に心配させてしまった。

 

「み、美波……今夜は一緒に、寝ない?」

「えっ……? でも……いいの?」

「うん」

 

 この1週間、僕は一緒に寝たいという美波の願いを拒み続けた。それは未だに慣れない恥ずかしさのため。けれど今は少しでも一緒にいたい。恥ずかしさよりも、傍にいたいという気持ちが強いんだ。

 

「あ、でもあんまり身体には触らないようにね。まださっきみたいに痛むからさ」

 

 僕はベッドの上で身体を横にずらしながら、おどけてみせる。本当はこうして身体を動かすだけでも痛くて堪らない。でもこれ以上痛がる姿を見せるわけにはいかない。

 

「……うんっ」

 

 美波は申し訳なさそうに笑顔を作り、そう返事をした。

 

 彼女はベッドに腰掛け、シュルリとリボンを外してポニーテールを解く。自ら誘ったこととはいえ、さすがに恥ずかしい。僕は美波に背を向けるように横になった。

 

 後ろから布の擦れる音だけが聞こえる。しばらくして、背中に手が添えられるのを感じた。一瞬、ギクリとした。でもそこに痛みは無かった。

 

「アキの……匂い……」

 

 首筋の辺りから美波の声が聞こえてくる。

 

「治療帯の匂いだよ」

「ううん。そんなことない。これはアキの匂い」

「そう?」

「うん」

 

「「……」」

 

「ずっと……ずーっと……一緒だからね」

「……うん」

「約束なんだからね」

「……分かってるよ」

 

 背中に当てられた手から美波の想いが伝わってくる。大切な人を失いたくない。それは僕も同じだった。そうさ、こんなところで命を失うわけにはいかない。僕たちは元の世界に帰るんだ。でも今は傷を治すことに専念しよう……。

 

「さ、もう寝よう。おやすみ」

「うん。おやすみアキ」

 

 目を閉じるとすぐに睡魔に襲われ、僕は眠りに落ちていった。

 



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第三十五話 希望

 翌朝。チュンチュンという小鳥の歌声で僕は目を覚ました。

 

「ん~っ……。朝かぁ……」

 

 僕はベッドの上で上半身を起こし、ぐーっと背を伸ばす。ここで気付いた。

 

 昨日は身体を起こすだけであれだけの痛みを伴ったのに、今は全然痛くない。試しに右と左の肩をそれぞれぐるぐると回してみる。多少ギクシャクする感じはあるが、痛みは無い。一晩でほぼ治ったようだ。あれほどの傷が一晩で治ってしまうなんて、治療帯の効果は本当に素晴らしいな。関心しながらベッドを降りようと無意識に足を床につけた。すると、

 

「いっ――! つぅ……」

 

 左のふくらはぎにズキンと痛みが走った。そうか、足に受けた傷はまだ回復していないのか。あれだけ深い傷を受けたんだ。一晩で治らなくても仕方ないか。ところで美波はどこだろう? リビングかな?

 

 普通に歩こうとするとやはり左足が痛い。僕は足をやや引きずりながら部屋を出て、リビングに顔を出してみた。しかしそこに美波の姿は無かった。ただ、その隣の部屋からはトントンと包丁で何かを切る音がしている。どうやらキッチンで料理をしているようだ。

 

 僕は壁に手を突きながら、ゆっくりとキッチンへと向かう。するとそこでは黄色いリボンと赤茶色のポニーテールが元気に揺らめいていた。

 

「おはよう美波」

「あっ、アキ? おはよっ! もう動いて平気なの?」

 

 エプロン姿の美波が包丁を片手に微笑む。もはや見慣れた光景だ。

 

「うん。もうほとんど治ったよ。足はまだみたいだけどね」

「そうなの? 昨日あんなに傷だらけだったのに1日で治っちゃうものなの?」

「嘘だと思うのなら見てみなよ」

 

 僕は上半身の治療帯をスルスルと外していく。熊の魔獣から受けた打撲傷も一晩で治っていたし、今回もきっと傷痕も残さず治っているだろう。

 

「ちょっ、ちょっとアキ!?」

「ん? 何?」

「何じゃないわよ! こんなところで脱がないでよ!」

「ほぇ? なんで?」

「なんでって、裸なんか見せないでって言ってるの!」

「僕は別に見られても構わないけど?」

「ウチが困るの!」

「そうなの? まぁ、美波が困るのならやめとくけど……」

 

 変なの。別に上半身くらい見せたって構わないけどな。海に行ったりした時は見せてるわけだし。

 

「と、とにかくアンタはまだベッドで寝てなさい!」

「いや、でも朝食作るのを美波に任せっぱなしにするわけにも――」

「いいからっ!」

「は、はいっ!」

 

 なんだ? 昨日の美波とはまるで別人じゃないか。いや待てよ? 別人というより元の美波に戻っただけか。ははっ、そうか戻っただけか。ならいいか。どのみちああなっちゃうと聞かないし。

 

「じゃあ部屋に戻ってるよ」

「ちゃんと寝てなさいよ」

「分かってるよ」

 

 仕方なく僕はベッドに戻り、ゴロリと寝転がった。美波はああ言うけど、眠気は無い。ついさっきまで寝ていたのだから当然だ。眠くもなく、やることもなかった僕はぼんやりと天井を眺める。こうしていて思い出すのはやはり昨日のことだった。

 

 魔人……確かギルベイトと名乗っていた。

 

 ヤツは一体何者なんだろう。あの時、あいつの拳からは魔獣を倒した時のような真っ黒な煙が出ていた。それに魔障壁のことを近付けなくて厄介だと言っていた。この事から想像するに、魔獣とまったくの無関係ではないように思う。

 

 それと、ヤツは”(あるじ)”の命令だとも言っていた。つまり僕の命を狙っているのはその(あるじ)ということになる。命を狙うということは僕を恨んでいるのだろう。仮に僕が誰かの恨みを買っているとしたら、思い当たるのは2人の王子くらいだ。でも、あの王子たちがあんな禍々(まがまが)しい魔人を手懐(てなづ)けているとは思えない。それにあの魔人が(あるじ)と認めているということは、ヤツより強い存在である可能性が高い。やはり王子が(あるじ)とは考えにくい。

 

 では一体誰が――――

 

 (コンコン)

 

 思考を巡らせていると、玄関の方で扉を叩く音が聞こえた。誰だ? まさか魔人がここまで追ってきたのか!?

 

 僕は音を立てないようにベッドから降りて部屋を出る。そして廊下の角から身を乗り出し、玄関先の音に聞き耳を立てた。

 

『ヨシイ様、いらっしゃいますかー?』

 

 扉の向こうから男の声が聞こえてくる。魔人の声じゃない。でも聞いたことのない声だ。誰だ?

 

『おっかしいなぁ。確かにここだって聞いたんだけどなぁ。ヨシイ様ー? いらっしゃいませんかー?』

 

 そんな声と共に再び扉をノックする音が聞こえてくる。困った。返事をすべきか否か……。知らない人に対して簡単に扉を開けるわけには……。

 

「はーい? どちらさまですか?」

 

 と悩んでいる間に美波が出てきて、あっさり扉の鍵を開けてしまった。

 

「ちょっ! 美波!?」

「えっ? なに?」

 

 彼女を止めようと声をあげたが、時既に遅し。扉が開き、赤い軍服を着た男が姿を見せた。

 

「えぇと、ヨシイ様でよろしいですか?」

「はい、そうですけど」

 

 いえ、あなたはシマダ様です。っていうかあの男は誰だ? 見た感じ魔人の関係では無さそうだけど……。

 

「レナード陛下より言付けをお預かりしております。こちらをどうぞ」

 

 そう言って男は紙切れを美波に渡す。レナード陛下? なんだ、王様の使いの人だったのか。やれやれ……無駄に緊張してしまったじゃないか。

 

「昨晩お届けに伺ったのですが、お留守のようでしたのでお届けが本日になってしまいました。申し訳ありません」

「あっ、昨日はちょっと出かけてまして……わざわざ届けてくださってありがとうございます」

「いえ。それともうひとつ、これもお渡しするようにと」

 

 軍服の男は白い封筒のようなものを差し出した。

 

「確かにお渡ししました。それでは私はこれで失礼します」

「ご苦労様です」

 

 美波が封筒を受け取ると、男は礼儀正しく頭を下げ、去って行った。

 

「アキ、これ王様からの伝言みたいよ」

 

 美波が折り畳まれた紙を広げながら歩いてくる。

 

「伝言……?」

 

 まさか!

 

「ちょっと見せて!」

「うん」

 

 美波が手にする紙切れを覗き込む。そこにはこう書かれていた。

 

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

  ガルバランド王国サンジェスタにて目撃情報あり

 

  一足先に現地に向かう

 

  後から来い

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 差出人の名前が書かれていない。王様からの言付けということは差出人は王様自身だろうか。でもこのミミズが這ったような字はどう見ても王様の字ではない。現地に向かうと書いてあるし、この書き方からして差出人は恐らくあいつだ。

 

「ずいぶん乱暴な字ね」

「うん。これムッツリーニの字だね」

「そうなの?」

「内容からしても間違いないよ。それより目撃情報だってさ!」

「これでウチら元の世界に帰れるのね! でもガルバランド王国ってどうやって行くのかしら?」

「ん? そういえば知らないな。っていうかガルバランド王国ってどこだ? 前に見た地図にはハルニア王国しか載ってなかったけど……」

「ウチは地図なんて見たことないわね。う~ん……あ、ところでこれ何かしら。開けてみるわね」

「うん」

 

 美波は小さな封筒を開いて中を覗き込む。

 

「……紙?」

 

 彼女はそう言って2枚の紙切れを中から取り出す。その券には〔ノースロダン → リゼル〕という文字が書かれていた。

 

「ノースロダン? リゼル? 何かしらこれ。アキ知ってる?」

「いや、全然……」

 

 でも見た感じ乗車券のような感じだ。となると、この2つの名前は駅名ということだろうか。

 

「ん~……。あ、ここ見てアキ。乗船券って書いてあるわよ」

「乗船券?」

「ほら」

 

 美波が紙を裏返して僕に見せる。そこには確かに小さく”乗船券”の文字があった。

 

「そうか! この世界は船があるんだ! つまりガルバランドって海を渡った先にあるんだよ!」

「じゃあこのノースロダンっていうのは港ってこと?」

「そういうことだね。僕も知らなかったけど、きっとこういう名前の港があるんだよ」

「あれ? ノースロダン? そういえばこの名前、どこかで見たような?」

「マジで! どこで見た!?」

「ちょっと待って、今思い出すわ。えーっと……」

 

 頬に人差し指を当て、考え込む美波。僕の記憶にこんな名前は無い。ここは美波に頼るしかないだろう。彼女は記憶力がいい。きっとすぐに――――

 

「あ! 思い出した!」

 

 って、もう思い出したのか。さすが美波だ。

 

「確か駅馬車乗り場にそんな字が書かれてたわ!」

「乗り場? じゃあ馬車で行くの?」

「たぶん……ウチも正確には覚えてないわ」

「そっか。でもその乗り場に見に行けばきっと分かるよね。それってどこだか覚えてる?」

「うん。見たのは西側の方に行った時よ」

 

 なるほど。全然気付かなかったな。でもこれで僕たちの進むべき道は決まった。少しだけ希望が見えてきたぞ!

 

「よし美波! 早速行こう!」

「えっ? 今すぐ?」

「もちろん! 善は急げって言うだろう?」

「ウチは明日にしたほうがいいと思うんだけど……」

「明日? なんで?」

「だってまだ足、痛いんでしょ? 無理をしたら治りが悪いわよ?」

「大丈夫だよ。もうほとんど治ってるし、痛みもあんまり無いからさ」

「そんなこと言ってアンタはいつも無茶をするんだから。嘘を言ってもダメよ」

「う……でも乗船券だって期限があるんじゃないの? 急がないと使えなくなっちゃうよ?」

「ちょっと待って。えっと……”無期限に利用できます”って書いてあるわ」

「へ? そうなの?」

「ほら、特別優待乗船券って書いてある横に」

 

 美波は乗船券の(おもて)が見えるように僕に差し出す。

 

「ホントだ……」

「こんな手紙をよこすってことは土屋もウチらのことを待っててくれるはずよ。だから今は怪我を治すことを優先しましょ。ね?」

 

 美波が子供に言い聞かせるかのように、優しく言う。こんな風に言われたら従うしかないじゃないか。

 

「そうだね。分かったよ。出発は明日にしよう」

「うんっ、そうしましょっ」

 

 美波が頬に”えくぼ”を作って笑顔を見せる。こんな笑顔を見ると、やっぱり僕は思ってしまう。今まで何度も疑問に思ってきたことを、また思ってしまう。

 

 こんなに優しくて可愛い女の子が僕の彼女でいいんだろうか、と。

 

(……それにもう少しだけ一緒に暮らしたいし……)

 

「ん? 何か言った?」

「ふぇっ!? な、なななんでもないわ!」

「?」

「と、とりあえず朝ご飯にしましょ。すぐできるから席に着いてて」

「うん」

 

 まぁ、いいか。

 



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第三十六話 さらばマイホーム

 程なくして朝食の準備は完了。乗船券のことであれこれ話していたせいで少し遅くなったが、腕に寄りを掛けて作ったという美波のご飯は本当に美味しかった。そして朝食の片付けを終えた時、美波がこんなことを言い出した。

 

「ねぇアキ、ウチ今から書物屋に行ってこようと思うの」

「書物屋? あぁ、本屋のこと?」

「うん。知らない国に行くんだから地図は必要でしょ?」

「それもそうだね。じゃあ僕も一緒に行くよ」

「ダメよ。アンタはちゃんと寝てなさい」

「いや、でも……」

「クレアさんも言ってたでしょ? 寝ると治りが早いって」

「それはそうなんだけど……う~ん……」

 

 僕は美波が1人で行くということに不安を感じていた。理由はもちろん魔人の一件があったからだ。ヤツが魔障壁に守られているこの町に入り込むことはできないはず。なのに、どうしても不安になってしまう。

 

「ウチなら大丈夫よ。今のアンタの仕事は傷を癒すこと。いいわね?」

「……」

 

 今までなんとなく感じてはいたけど、今はっきりと分かった。

 

 昨夜の美波はあんなに取り乱していた。でも今はもうすっかり元の雰囲気を取り戻している。美波は気持ちの切り替えが上手いんだ。これは僕も見習わないといけないな。

 

「分かった。じゃあ頼むよ。でも気を付けてね」

「心配性ね。大丈夫よ。それじゃ行ってくるわね。アンタはちゃんと寝てなさいよ?」

「分かってるよ。しつこいなぁ」

「ふふ……行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

 こうして美波は出掛けた。さて、僕は言われた通り傷を癒すとしよう。残された僕はベッドにゴロリと寝転び、目を閉じる。

 

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 

 ダメだ。全然眠くない。起きてから2時間経っていないのだから当然だ。しかしどうしたものか。寝ていろと言われても退屈すぎる。

 

 暇を持て余した僕は部屋の中を見渡す。いつもなら背表紙を見るだけで眠くなる本棚。今は見ても何も感じない。机やタンスは使っておらず、僕らがこの家に来た時の状態のままだ。

 

 そういえばこの家とも今日でお別れか。寝巻以外はすべて借り物だし、綺麗にして返さないといけないな。シーツを洗って、毛布を干しておこうかな。それとキッチンやトイレも掃除しておこう。

 

 僕は起き上がり、2人分の毛布を家の外に持ち出す。今日は快晴だった。というか、この世界に来てから雨や曇りだったことがない。家の横に設置されている物干しに毛布を掛け、今度はシーツの洗濯だ。っと、待てよ? 今洗濯してしまったら今夜のシーツが無いじゃないか。危ない危ない……とんだヘマをやらかす所だった。

 

 続いてキッチンを丁寧に拭き掃除する。リビングのテーブルもお世話になった。ここも綺麗にしないとね。調子に乗った僕は色々な所を掃除する。廊下、風呂場、僕や美波の使った部屋。あらゆる所を掃除した。そして最後にトイレを掃除して一息つくと、意外に疲労していた。左足を庇いながら動いていたからだろう。でも眠るにはちょうどいい運動だったかもしれない。

 

 僕はベッドに横になり、少し休むことにした。

 

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ん……あれ……」

 

 目を覚ますと、窓から橙色の光が差し込んでいた。既に夕方だ。どうやら熟睡してしまったようだ。気付けばベッドの横では美波が椅子に座り、こっくりこっくりと船を漕いでいた。

 

(……おかえり、美波……)

 

 起こさないように小さな声で囁き、僕は起き上がる。すると机の上に置かれた1枚の紙が目に入ってきた。気になった僕はそれを覗き込んでみる。

 

【挿絵表示】

 

 やや縦長の図形。一瞬何かの翼のようにも見えたが、出掛けに美波が言っていたことを思い出し、すぐ理解した。

 

 そうか、これがガルバランド王国の地図か。きっと美波が模写してきたんだな。この赤い丸の所が目的地のサンジェスタかな? でもなんで手書きなんだろう。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 後ろでは美波が気持ち良さそうに寝息を立てている。

 

 ……可愛い寝顔だな。

 

 すやすやと眠る彼女にそっと毛布をかけてやり、僕は音を立てないように静かに部屋を出た。そして扉を閉めた所で気付いた。

 

 左足の痛みが無いのだ。トントンとつま先で床をつついてみても痛くない。治療帯を解いて状態を確認してみると、傷痕はほとんど消えていた。これならもう普通に歩けそうだ。よぉし! これで普通の生活に戻れそうだぞ! 気を良くした僕はそのままキッチンに入った。

 

 さて、晩ご飯の準備だ。出発は明日の朝。朝食は町で取ることになるだろう。つまり今夜はこの家で作る最後のご飯だ。料理が残らないようにしないとね。

 

 早速、有り合わせの食材で簡単な料理を作る。ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、それに鶏肉を使ったクリームシチュー。鍋ひとつでできるから片付けも簡単なのだ。

 

 野菜を切りながら僕は思い耽ける。ムッツリーニはもう着いている頃だろうか。目撃情報とは仲間の誰かなのだろうか。それとも文月学園の校章の入った何か? もしそれが元の世界に戻る鍵だとしたら願ってもないことだ。

 

 ……

 

 まさか置いて行かれたりしないよね? さすがにムッツリーニもそこまで薄情じゃないよね? 少し不安になってきた……。

 

「アキ? 起きてたの?」

「あ、美波。おはよう?」

 

 思わず疑問形になってしまったのは、夕方にこの挨拶はおかしいような気がしたからだ。

 

「ウチも寝ちゃってたみたいね」

「ははっ、気持ち良さそうに寝てたよ。サンジェスタまでの道を調べてくれたんだね。でもなんで手書きなの?」

「本当は地図を買うつもりだったのよ。でもちょっと高かったから買わずに必要な部分だけ書き写して来たの」

「そうなの? お金足りなかった?」

「ううん。足りなくはなかったんだけど、ちょっと勿体ないような気がしたから」

「別にいいのに。どうせ元の世界に帰ったら使えないお金だし」

「無駄遣いはダメよ。備えあれば憂いなしって言うでしょ?」

「へぇ、美波もそんな言葉知ってるんだ」

「……ウチをバカにしてるのカシラ?」

 

 しまった! 美波の攻撃モードスイッチが入ってしまった!

 

「い、いやあ! 美波もすっかり日本語に慣れたんだなって思っただけさ!」

「怪しいわね」

「ホントだよ! そうだよね! 節約は大事だよね! それで、えっと、ノース……ノース……町の名前なんだっけ?」

「ノースロダンよ」

「そうそう、そのモダンにはどうやって行くのか分かった?」

「ロダンよロダン! まったく、物覚えが悪いんだから! ノースロダンへは馬車で行けるみたいよ。ノースロダン(こう)行きっていうのがあったから」

「じゃあそれに乗って行けばいいんだね」

「そういうことね」

 

 なるほど。これで大体の予定は決まったな。

 

「出発は明日の朝でいいよね?」

「いいわよ。ウチもそのつもりだったし。これ、テーブルに運んでおくわね」

「あ、うん」

 

 美波が当然のように食事の支度を手伝い始める。こうして一緒に食事の準備をするのもこれで最後か。ちょっと寂しい気もするな……。

 

『アキ、あんまり沢山作っちゃダメよ?』

 

 リビングから美波が声を掛けてくる。そんなことは言われるまでもない。

 

「分かってるよ。ちょうど2人分さ。汁物はお弁当にするわけにもいかないからね」

『そういえば、お弁当にできるメニューにすれば良かったわね』

 

 あ……言われてみればその通りだ……。

 

「ま、まぁ作り始めちゃったし」

『まぁいいわ。明日の朝食は町のお店に入りましょ』

「うん。そうだね」

 

 そして2人で向かい合っての晩ご飯。

 

「「いただきまーす」」

 

 僕は食事をしながら思った。万が一ムッツリーニが先に帰ってしまい、この世界に置いて行かれてしまったらどうする? もし仲間の誰かが見つかったとしても、元の世界に戻る方法が無かったらどうする? もしそうなったら……もしどうにもならなかったら……。

 

「やっぱりアキの手料理は美味しいわね」

「そう? 別に普通だと思うけど……」

「アキにとってはこれが普通なのね。ウチも頑張らなくちゃ」

 

 ……いや、そんなことを考えちゃいけない。僕らは元の世界に帰るんだ。帰って元の世界でこうして食卓を囲めるようにならなくちゃいけないんだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 翌朝。

 

 僕の怪我は完全に癒えた。もう治療帯も必要ない。

 

「アキ、忘れ物はない?」

「大丈夫。全部リュックに詰め込んだよ」

 

 僕らは身支度を整え、家を出て扉の鍵を閉める。そして2人でお世話になった家をじっと見つめた。この家ともお別れだと思うと、少し寂しくなってしまう。1週間ちょっとの間だったけど、ここが僕らの家だったのだから。

 

「行こうか」

「……うん」

 

(……さよなら。ウチらのマイホーム……)

 

 美波が家を振り返って呟く。その言葉は僕の耳にも届いていた。けれど僕はあえて何も言わず、歩き出した。

 

 

 ── 本当のマイホームは僕が一人前になってからね ──

 

 

 そんな言葉をぐっと飲み込んで。

 



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第三十七話 新たな大地へ

 僕らは家の鍵を返却するため、ホテル”サンドロック”に向かった。到着すると受付にはあの時のおじさんではなく、別の女性が立っていた。鍵を返すのならおじさん本人に返した方が良いだろう。そう判断した僕は受付の女性に事情を説明し、ニコラスおじさんを呼び出してもらった。

 

「おぉ君たちか。どうしたんだい?」

「鍵を返しに来ました」

「ん? もういいのかい?」

「はい。別の町に行くことになりましたので」

 

 僕はカウンターの上に鍵を置きながら町を離れることを告げる。こうしてひとつの生活が終わることを言葉にすると気持ちが引き締まる。

 

「そうかい。どこへ行くんだい?」

「ガルバランド王国のサンジェスタという町です」

「海を越えた先か。それはまた遠いところだね」

「はい。でもどうしてもそこに行かなくちゃいけないんです」

「そうかい。じゃあまた家が必要になったらいつでもおいで。君たちなら歓迎するよ」

「はい! ありがとうございます!」

「これ、余った食材で申し訳ないんですが、良かったら使ってください」

 

 そう言って美波が余った野菜を入れた袋を差し出す。昨日のシチューでは全てを使い切れなくて、結局余ってしまったので持って来たのだ。おじさんはこれを快く受け取ってくれた。

 

「ありがたく使わせていただくよ」

「それじゃ僕たちは行きます。お世話になりました」

「あぁ、気を付けてな」

 

 僕たちは共に深く頭を下げ、ホテルを後にした。

 

「また必要になったら、ね……。たぶんそんな機会はもう無いわね」

「そうだね」

 

 僕たちはお互いに手を差し伸べ、しっかりと繋ぐ。

 

「さぁ、行こうか!」

「うん!」

 

 しんみりとした空気を吹き飛ばし、僕たちは西地区へと向かった。まずは住宅街を通り抜け、商店街に入る。その途中で軽食の店で軽く朝食を取り、更に歩き進む。そうして歩くこと約1時間。僕たちは目的の西地区に到着した。

 

「美波が見てきた駅馬車乗り場ってのはどこ?」

「案内するわ。こっちよ」

 

 美波の案内のもと、僕たちは真っ直ぐ駅馬車乗り場へと向かった。それは歩いて5分ほどの所だった。乗り場では1台の馬車が待機している。御者のおじさん曰く、港町ノースロダンまでは馬車を飛ばして3時間ほど掛かるらしい。加えておじさんは「すぐに出す」と言う。これを逃したら次は4時間後だ。僕らは迷わず飛び乗った。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 3時間後。

 

 何事もなく馬車はノースロダンに到着した。町に降り立った僕たちは町の様子に目を配る。

 

 港町は思ったより小さかった。左右を見渡してそれぞれの外周壁が見えるくらいだ。恐らく(はじ)から(はじ)まで歩いても20分掛からないだろう。町の規模としては峠町サントリアと同じくらいの小さな町だ。

 

 しかし活気はあるようだ。見たところ多いのは行商風の人や家族連れだが、一番多いのは荷車を引いた馬車だ。先程から何十台もの馬車が目の前を忙しなく行き交っている。いわゆる貿易港というやつなのだろう。

 

 海の方に目を向けると、木造の大きな帆船(はんせん)が一隻、停泊しているのが見えた。あれがガルバランド王国に向かう船だろうか。

 

「アキ、あの人に聞いてみましょ」

 

 美波がそう言って(はしけ)を指差す。その指差す先には真っ白な服に茶色いブーツ姿の船員らしき人が1人立っていた。

 

 なんかよく見る服だと思ったら、あれセーラー服じゃないか。と言ってもあの人はスカートじゃなくて白いズボンを履いてるけど。あれなら格好良いし、着てもいいかな。ああいう服装なら写真だっていくらでも撮らせてあげるのに。

 

 さて、とりあえずあの人に聞いてみるか。見た感じ船乗りっぽいし、船のことなら何か知ってるだろう。

 

「あのーすみません。この船はどこ行きですか?」

「うん? ハハッ、そんなの決まってるじゃないか。リゼル行きだよ」

 

 なんかバカにされた……。

 

「この港からはリゼル行きの定期便しか出てないよ。というかこの国から行けるのはガルバランド王国だけさ」

 

 なるほど。そういうことか。

 

「君たちも乗るのかい? もう出港間際だから乗るなら早く乗船券を買っておいで。定期便は1日1本だからね」

「い、1日1本!?」

 

 少し町を見て回ってこようかと思ったけど、どうやらのんびりしている時間は無さそうだ。

 

「美波、乗船券を」

「うん」

 

 美波が2枚の乗船券を取り出し、船員に手渡す。

 

「はい、これでいいですか?」

「なんだ、乗船券を持っていたのか。えぇと、どれどれ……ファッ!?」

 

 券を見た船員のお兄さんが目を飛び出さんばかりに大きく見開き、奇声をあげる。

 

「こ、こここれは大変失礼しましたぁぁっ!!」

 

 そして上ずった声をあげ、ブンと勢いよく頭を下げた。それはもう頭が地面に着くんじゃないかと思うくらいに。

 

「えっ? 何? 何が失礼なの?」

「大変ご無礼申し上げましたこと、お詫び申し上げますっっ!!」

 

 僕が尋ねても船員のお兄さんは答えず、腰を折り曲げてひたすら頭を下げる。何なのさコレ……。

 

(ね、ねぇアキ、どういうことなの?)

(僕にだって分かんないよ……)

 

「ご案内いたします! こちらへどうぞ!」

「まぁ……行こうか」

「そ、そうね」

 

 僕らはわけが分からないままお兄さんに続いて乗船し、ひとつの客室に案内された。

 

「どうぞこちらをお使いください!」

 

 彼は木製の扉を開けてドアマンのように僕らを案内する。なんだか偉い人になった気分だ。

 

「ふぁっ!?」

 

 部屋に入ってみて仰天した。広さは20畳ほどだろうか。2つのベッドが設置され、ソファや鏡台などもある。壁は金銀に輝く装飾品で埋め尽くされ、天井では大きなシャンデリアが豪華な光を放っている。なんだこの部屋……まるでVIP扱いじゃないか……。

 

「あ、あの……こんな豪華な部屋を僕らが使っちゃっていいんですか?」

「もちろんです! 国賓(こくひん)の方とは知らず、大変失礼いたしました! 何卒ご容赦ください!」

「……は?」

 

 コクヒン? コクヒンってなんだ?

 

「ねぇアキ、コクヒンって何?」

「さぁ? 凄く貧乏ってことかな?」

「それは”極貧(ごくひん)”よ」

「だよねぇ。う~ん……それじゃ穀物が足りないって意味で”穀貧(こくひん)”とか? ほら、野菜が足りないって思われてさ」

「そんなことないわよ。ちゃんと毎日栄養バランスを考えたメニューにしてたんだから」

「そうだよね。僕もそれは意識してるし。う~ん……それじゃぁ……」

 

 コクヒン……こくひん……。

 

 ヒンってのはきっと漢字で書くと”(ひん)”だよね。この漢字から連想するのは……。

 

 ひん……(ひん)……。

 

 

 ……チラッ

 

 

「ア~キぃ~? アンタ今ウチを見てとっても失礼なこと考えたわね?」

 

 ギクッ!

 

「そそそそんなこと無いよ!? 別に美波の胸がひぎゃぁぁぁっ!!」

「どーせウチは貧乳よ!!」

「いだだだだだギブギブ! ギブだってば美波! ごめんごめんごめん! 謝るってばぁーーっ!」

「だから一生懸命牛乳とか豆乳を飲んでるのにどうしてちっとも大きくならないのよぉーーっ!」

「それは僕のせいじゃなぁぁぁ久々に関節がきしむぅぅーーっ!!」

 

 っていうか牛乳とか豆乳飲むと胸って大きくなるんだっけ!?

 

「あ、あのぉ……失礼ながら……」

「「はい?」」

 

 美波に関節技を極められていると、船員のお兄さんが恐る恐るといった感じに話し掛けてきた。僕たちはコブラツイストの体勢のまま、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「その……国賓というのは国家のお客様という意味なのです。つまり国王陛下のご友人でありまして、国をあげておもてなしすべき方なのです」

 

 国のお客様? 王様の友達? 僕たちが?

 

「「……」」

 

 腕や足が絡み合ったまま、僕は美波と”信じられない”という顔で目を合わせる。

 

「「えぇ~……?」」

 

 そして今度は2人で”冗談でしょ?”という顔で苦笑いをする。だって僕らただの高校生だよ? こんな扱いを受けていいの?

 

「えーと……そ、それではごゆっくりどうぞ」

 

 船員のお兄さんは困ったような顔をして扉を閉め、去って行った。ここで美波は技を解いてくれた。やれやれ。まだアバラや腰がギシギシいってるよ。でも久しぶりの関節技でなんだかちょっと気持ち良かったかも……。あれ? おかしいな。僕ってこんなにマゾだっけ?

 

「なんか王様にお世話になりっぱなしね」

「あぁ、うん。そうだね。お礼も言わずに出てきちゃったのは失敗だったかな」

「そうね……」

 

 その時、船が大きな汽笛を鳴らした。出港かな? そう思って窓の外を見ると、ゆっくりと景色が動き始めた。やはり出港のようだ。

 

「あとでさっきのお兄さんに頼んで王様にお礼を伝えてもらおうか」

「そうね。とりあえず荷物を片付けましょ」

「うん」

 

 船は徐々に加速し、海上を進んで行く。時折ギギギと船体が”きしむ”ような音を立てるが、あまり揺れは無かった。荷物を片付けた後、とりあえずソファでひと息つく僕たち。それにしても部屋の中がキラキラしてて落ち着かないなぁ……。

 

「ねぇアキ、デッキに出てみない?」

「デッキ? あぁ、甲板?」

「うん。海を見てみたいなって思って」

「そうだね。行ってみようか」

 

 早速甲板に出てみると、空は薄緑色の膜で覆われていた。マストの一番上では町で見た魔壁塔と同じ色の光が膜を作り出し、船全体を覆っている。この船にも魔障壁が張られているのだ。

 

「向こうに誰がいるのかしらね」

 

 美波が甲板の柵に手を添え、水平線を見つめながら言う。

 

「ムッツリーニの手紙だけじゃ文月学園の制服を着た人がいたのか、このマークが付いた物なのかわかんないね」

 

 僕は彼女の横に行き、同じように柵に手を掛けながら答える。

 

「でも手掛かりになる何かがあるのは確かよね」

「そうだね。きっと行ってみれば分かるさ」

 

「「……」」

 

「ねぇ……アキ」

「うん」

「あいつ、また来ると思う?」

「あいつ?」

「……」

 

 言葉を詰まらせる美波。見ればその表情は思い詰めたように暗く沈み、唇を噛み締めていた。”また来る”という言葉に思い当たるのは、やはりあいつだ。

 

「魔人……?」

 

 美波は黙って頷く。ヤツはあの時、”次に会う時は”なんて言っていた。だからきっとまだ諦めていない。もしかしたらこの先、どこかでまた遭遇してしまうかもしれない。

 

「どうだろうね。できれば2度と会いたくないけど……」

 

 あいつがどこから来て、誰の命令で動いているのか。この世界に蔓延(はびこ)る魔獣と関係しているのか。分からないことだらけだ。

 

「でも」

 

 でもひとつ、確実に言えることがある。

 

「……でも?」

「もしまた会ってしまったとしても……絶対に美波だけは守るから」

 

 そう、この命に代えても。

 

「ダメよアキ」

「ん? ダメ?」

「今アンタ”命を張ってでも”なんて考えてたでしょ」

「うっ……な、なんで分かった?」

「前にテレビを見ていてそんな台詞を聞いたことがあるのよ」

「そ、そっか……でもなんでダメなのさ」

「決まってるじゃない」

 

 美波は口を一文字に結び、真剣な眼差しを僕に向ける。

 

「ウチは元の世界に帰るの。アキと一緒に。たとえ何があったとしても」

「美波……」

「もちろん土屋も。他の皆もいるのなら一緒に、ね」

 

 彼女はそう言うと今度は優しい笑顔を見せてくれた。

 

「……そうだね」

 

 確かにその通りだ。美波がいなければ僕は悲しい。同じように僕がいなければ美波は悲しいんだ。だから一緒じゃなきゃダメなんだ。

 

「ゴメン。僕が間違ってたよ」

「分かればいいのよ。ふふ……」

 

 美波は元気に返事をすると肩を寄せてきた。海の潮風が彼女のポニーテールの髪をサラサラとなびかせる。その横顔は希望に満ちていた。

 

 この1週間で僕の(わだかま)りは薄れた。あの時の夢の通り、美波はもっと触れ合いたいと思っていた。そんな彼女の望みを少しでも叶えてあげたい。そう思い、僕は美波の肩に手を回し、寄り添う彼女をそっと抱き寄せてみた。

 

 躊躇いは無いが、やはりドキドキしてしまう。こんなことを自分からするのはクリスマスイブの一件以来だ。僕のこの行動に驚いたのか、美波がこちらに目を向けたようだった。僕はそんな彼女と目を合わせないように空を見上げる。

 

 恋人同士ならばこうした触れ合いは当然なのだろう。でも僕にはまだ恥ずかしさが残っていて、どうしても目を合わせられなかった。そうして恥ずかしさを我慢していると、美波は僕の肩に頭を(もた)れかけてきた。僕の心臓は更に大きく脈を打ち始め、ムズ痒い気持ちを紛らすためにポリポリと頬を掻く。

 

「「……」」

 

 甲板の上で海風を浴びながら、僕たちは何も言わずに水平線を眺める。

 

 ガルバランド王国とはどんな国なのだろう。ハルニア王国と同じように魔獣の生息する地なのだろうか。それと魔人の動向も気になる。でもこれらはすべて異世界での出来事。本来僕らには関係のないことだ。

 

 僕たちは元の世界に帰らなくちゃいけない。そのためには、今はムッツリーニの情報を頼りにするしかないんだ。

 

「帰ろう美波。一緒に!」

「……うんっ」

 

 僕らは肩を寄せ合い、薄緑色の空を見上げた。

 

 まだ見ぬ新しい地への期待と不安を(いだ)きながら。

 




第一章 《僕と彼女と異世界生活》 -終-


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第二章 僕と鍵と皆の使命(クエスト)
第一話 突然の再会


 ハルニア王国ノースロダン(こう)を出発してから丸一日。船はようやくガルバランド王国の港町リゼルに到着した。

 

「ん~っ……やっと着いたかぁ」

 

 港に降り立った僕は両腕を上げ、ぐっと背を伸ばす。両足が大地に吸い付く感じが心地良い。

 

「結構長く感じたわね」

「なんだかまだ揺れてる気がするよ」

「ウチもよ。なんだかふわふわした感じがするわ……」

 

 大型船のためあまり揺れは無かったのだが、やはり寝ているとそれなりに揺れを感じた。一日中ずっと揺さぶられていたので、さすがに軽く酔ってしまったようだ。両足が地面に着いているというのに、まだ身体にゆらゆらと揺れている感覚が残っている。まぁこれで船旅も終わりだし、じきに治るだろう。

 

「ここがガルバランド王国なのね。見た感じノースロダンとあまり変わらないわね」

 

 美波の言う通り、このリゼルという町はノースロダンによく似ていた。周囲の建物はどれも似たような感じの白い石造りの2階建て。広場を中心にして弧を描くように配置された建物はほとんどが店舗のようだ。

 

「同じ港町だからどうしても似たような構造になっちゃうのかもね」

「言えてるわね」

 

 僕はざっと周囲を見渡す。まず目に入ってきたのは、やはり一番大きな建造物。中央に(そび)え立つ塔だ。高さおよそ100メートルの巨大な塔。その塔の先端からは緑白色の光が膜状に放たれている。

 

 僕の記憶によるとあの光の正体はただひとつ。魔障壁。つまり魔なる者を退くための光の壁だ。あの装置の存在は、すなわち魔獣が存在することを意味する。平和な国であることを期待していたのだけど残念だ。

 

 塔の遥か向こう側には先端の尖った山が連なっているのが見える。ハルニア王国にも山はあったが、緑で覆われていた。しかし今見える山脈は全体が灰色で山頂付近は白く染まっている。あれは雪だろうか。

 

「ん?」

 

 何やら左手がカタカタと小刻みに震えている。僕の左手には美波の右手が繋がれている。つまり震えの根源は美波だろうか? そう思って隣に目を向けてみると、寒そうに身を縮こませている彼女の姿があった。

 

「美波? 寒いの?」

「う、うん……ちょっと……」

 

 肩を(すぼ)ませて美波が言う。そういえばハルニア王国に比べてここは気温が低いようだ。僕は平気だけど、ミニスカートで素足を晒している彼女には寒いのだろう。震えている彼女を放っておくわけにもいかない。何か寒さを防ぐようなものを持っていなかっただろうか。

 

 町を出る時に詰めた荷物を思い出してみる。ハルニア王国では日中ずっと制服を着ていたので、他に着る物など買わなかった。買ったのは寝巻くらいだ。さすがに寝巻を着て歩き回るわけにもいくまい。

 

 となれば、やはり防寒具を買うべきだろう。何か防寒具を売っているような店は無いだろうか? そう思って視界に映る店舗群を順に目で追っていく。するとひとつの店が目に留まった。旅の用品店だ。あそこなら何かあるかもしれない。

 

「美波、ちょっとあの店に寄って行かない?」

「いいわよ? 何か買うの?」

「うん。ちょっと寒くなってきたから防寒具をね」

 

 早速僕たちはその店に入ってみた。するとそこではお(あつら)え向きに外套(がいとう)が売られていた。ぐるっと身体に巻き付けて襟元で留める、いわゆるマントと呼ばれる物だ。これなら安いし機能的にも十分だろう。洒落っ気は無いけどね。

 

「僕はこれにするよ。美波はどれにする?」

「ウチもそれがいいわ」

「へ? こんなのでいいの? もっとお洒落なコートとかの方がいいんじゃないの?」

「ううん。ウチはこれがいいの」

「まぁ、美波がそう言うのなら……」

 

 僕は”ちょっと格好いいかも”と思って選んだんだけど、美波もこういうのが好みなのか。意外だな。

 

「他に欲しい物はある?」

「ううん。ウチはこれだけで十分よ」

「オッケー。それじゃ会計しよう」

 

 僕たちは会計を済ませ、店を出る。そして早速購入したマントを身体に巻き付けた。

 

「ふふ……あったかい」

 

 ベージュ色のマントから首を出した美波が嬉しそうに言う。ふ~ん……やっぱり美波はこういうのが趣味なのか。よし、覚えておこう。

 

(……やっぱりペアルックは基本よね……)

 

「ん? 何か言った?」

「ううん! なんでもないの! ところで土屋とどこで待ち合わせなの?」

「……あれ?」

 

 そういえば手紙に待ち合わせ場所なんて書いてなかったような? 確認のために手紙をリュックから出して開いてみる。やはり”先に行く”としか書いていない。

 

「どうしよう美波。待ち合わせ場所書いてないよ」

「そうなの? 土屋から何も聞いてないの?」

「うん」

「どうすんのよ。これじゃまた人探ししなくちゃいけないじゃない」

「ど、どうするって言われても……う~ん……困ったなぁ……」

 

 ムッツリーニのやつ、待ち合わせ場所も書かずに行っちゃうなんて慌て過ぎだ。まぁ今更言っても仕方ない。とにかくサンジェスタに行ってみるか。後のことは行ってから考えよう。

 

「とりあえずサンジェスタに行こうか。手紙に書かれてたのは町の名前だけだし」

「それしかなさそうね」

 

 この国の交通機関も馬車だけのようだ。早速僕たちは馬車乗り場を見つけ、サンジェスタ行きの馬車に乗り込む。乗客は結構多い。ほぼ満席だ。程なくして馬車はリゼル港を出発。サンジェスタに向かって走り出した。

 

 相変わらず馬車の乗り心地は悪い。少しは慣れたが、ガタガタと突き上げるような振動でやはり尻が痛くなってしまう。

 

 向かいの席には楽しげに話す男が2人。話の内容からして貿易商のようだ。その会話を耳にして知ったのだが、サンジェスタはこの国最大で王様の住む町。つまり王宮都市らしい。それを聞いた僕はレオンドバーグの大きさを思い出した。そして、

 

(あんなに広い町の中を捜し回るのは辛いな……)

 

 と、苦難の道のりを覚悟するのであった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 馬車に揺られて約3時間。ようやくサンジェスタの町に到着した。

 

「いてて……やっぱり長時間馬車に乗ってると腰が……」

「ホントね。もうこれで終わりにしたいわ」

 

 美波も腰をトントンと叩きながら馬車を降りてくる。大丈夫。きっとここに元の世界に戻るヒントがある。もうすぐ帰れるさ。とはいえ、ここからどうしたものか。

 

 ムッツリーニの手紙によるとこの町で目撃情報があったというが、その情報はどこから入ったものなのだろう? この国にも情報局のようなものがあって、そこからの連絡だったのだろうか。

 

「ねぇアキ、これからどうする?」

「まずはムッツリーニを探そう。詳しいことを知ってるのはたぶんあいつだからね」

「そうね。でも探すって言ってもどうやって探すの?」

「う~ん……それが問題なんだよね」

 

 どうしたらいいんだろう。何か分かりやすい目印でも置いて行ってないかな。

 

 とりあえず駅馬車乗り場の広場をぐるっと見渡してみる。やはり一番に目に入ってくるのは他の建物に比べて飛び抜けて高い塔。そしてその背後にドンと(そび)える巨大な宮殿。更にその後ろにはいくつもの山が連なる”山脈”が見えた。どうやらこの町は山脈の(ふもと)に作られているようだ。

 

 周囲を歩く人々は皆コートを羽織り、吐く息も白い。さっきのリゼル港も結構寒かったが、このサンジェスタは更に寒いようだ。この国は全体的に気温の低い国なのだろうか。防寒具を買っておいて良かったかもしれないな。

 

 って、そうじゃなくてムッツリーニを探さなくちゃ。

 

「ちょっと見てアキ、あれって伝言板じゃない?」

 

 美波が道路の向かい側を指差して言う。彼女が指しているのは幅5メートルほどの白い板だった。そこには無数の黒い字が書かれていて、更に2人の髪の長い女性が肩を並べて何かを書いている。彼女の言う通り伝言板のようだ。

 

「うん。そうみたいだね」

 

 それにしてもかなりの量が書かれているな。大量の文字が模様に見えるくらいだ。そうか。この世界では携帯なんて無いから、連絡手段と言えばこういった掲示板しかないんだな。もしかしたらムッツリーニもあれに伝言を残しているかもしれない。

 

「あれに何か書かれてないかしら?」

「ちょうど僕もそれを考えてたところさ」

「行ってみましょ」

「うん」

 

 早速伝言板の前へ行き、書かれている文字を眺める僕たち。書かれている文字を端から順に目で追い、”明久”、”島田”、”土屋”の字を探していく。しかし板全体にびっしりと文字が書かれていて区切りが分からないし、斜めに書かれているものもあってとても読みにくい。

 

「う~ん……無いわね。アキ、そっちはどう?」

「こっちも見当たらないなぁ」

 

 ここに残してないのかな。となると、やっぱり聞き込みで探すしか無いんだろうか。ムッツリーニのやつ、もうちょっと気を利かせろよな。これじゃまた人探しの旅になっちゃうじゃないか。

 

「えっ? 明久……君?」

 

 その時、唐突に目の前にいた女性が振り向いた。

 

「ふぇ?」

 

 不意を突かれた僕は思わず間抜けな声を上げてしまった。はて。この声、どこかで聞いたことがあるような……?

 

「明久君! 明久君なんですね!?」

 

 彼女は目が合うと突然飛び付いてきた。

 

「えっ? あれ? えっ?? ひ、姫路さぁん!?」

 

 それは僕の良く知る女の子だった。

 

「明久君っ! 本当に明久君なんですね!? 明久君っっ!!」

 

 姫路さんは叫びながら僕の身体をぐいぐいと締め上げる。

 

「ちょ、ちょっとっ!? ひ、姫路さんっ!?」

「どこに行ってたんですか! 本当に、本当に心配したんですからね!」

「こら瑞希っ! ずるいわよっ!」

 

 今度は美波が後ろから抱きついてきた。

 

「本当に……本当によかった……!」

「ウチだって負けないんだからっ!!」

「っちょ、ちょっと美波まで!?」

 

 姫路さんと美波は張り合うように僕のボディを締め付ける。

 

「ぐ、ぐるじ……」

 

 おかしい。感動の再会ってこんなに苦しいものだっけ? こ、こういう時って女の子は目に涙を浮かべて、男は優しく微笑みかけるものなんじゃないの? 確かに姫路さんは涙声になっているけど、僕に微笑んでいる余裕がまったく無いんですけど!? っていうか、このままじゃ絞め殺されてしまう!!

 

「や、やめて2人とも! ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ! なんでもするから許してぇぇーーっ!!」

 

 混乱した僕はなぜか謝っていた。だって他にどうしたら放してくれるのか分からなかったから。

 

「……瑞希。美波。吉井が苦しそう」

 

 そこへ落ち着いた静かな声で話しかける者がいた。

 

「えっ? あっ……す、すみません明久君! 嬉しくて、つい……」

「翔子! アンタも無事だったのね!」

 

 2人の死の抱擁から開放される僕。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……し、死ぬかと思った……」

 

 本来ならば2人もの女の子に抱きつかれるなんて、この上ないほど幸せなことのはず。でもこの2人の場合、命の危険を感じるのはなぜだろう。

 

「……吉井、美波。久しぶり」

 

 黒く長いストレートヘアーの女の子が静かに言う。そう、この女の子も僕のよく知る人だった。

 

「そっか、霧島さんも来てたんだね」

「……うん」

「ところで瑞希、アンタたちこんなところで何をしてたの?」

 

 そういえば伝言板に何か書いていたような?

 

「明久君たちが来るというので、私たちのいる場所を書きに来たんです」

「……書いてる最中に遭えるとは思わなかった」

「そうだったのね。でも2人とも無事で良かったわ」

「それはこっちの台詞ですよ。私、本当に心配したんですからね?」

「ウチだって同じよ。見たこともない所だし、連絡手段も無くなっちゃうし……」

「美波ちゃんもですか? 私も携帯電話を失くしてしまって困ってたんです」

「でも携帯電話があっても使えなかったでしょうね。だってこの世界って電気が無いんだもの」

「それもそうですね。電気の代わりに魔石っていう不思議な石を使ってましたし」

「……瑞希」

「あ、はい? 何でしょう翔子ちゃん」

「……一度ホテルに戻るべき」

「そうですね。こんな所で立ち話じゃ体も冷えてしまいますし」

「アンタたちホテル暮らしなのね。じゃあそのホテルに招待してもらってもいいかしら?」

「はいっ、喜んで!」

「ありがと、瑞希」

「……こっち」

「アキ、行きましょ」

「うん」

 

 こうして僕たち4人は石畳の道を歩き出した。と言っても、前を歩くのは美波を真ん中にした女子3人。左に姫路さん、右に霧島さんが並び、3人は手を繋いで歩いている。3人とも仲がいいんだな。手を繋ごうものなら指相撲が始まってしまう僕ら男子とは大違いだ。

 

「こうして皆が揃ってるといつもと変わらないわね」

「そうですね。ふふ……」

「……雄二が足りない」

「そういえば坂本は? この世界に来てるの?」

「……うん」

 

 やっぱり雄二も来てるのか! よし、いいぞ! 希望がより現実的になってきた!

 

「宿泊先を書いてくるようにって私たちに指示をしたのは坂本君なんですよ」

「そうなのね。ウチらが来ることを知ってたってことは土屋にはもう会ったのよね?」

「はい、土屋君も合流してますよ。木下君も一緒です」

「木下も来てるの? なんかもう全員集合って感じね」

 

 なんだ。結局あの時教室にいた全員がこの世界に飛ばされていたのか。でも雄二が来ているのは不幸中の幸いだ。悔しいけど、あいつの冷静さはこんな未知の状況の時には頼りになる。僕の気付かなかったこともあいつなら何か気付いているかもしれない。

 

 そんなことを考えていたら僕の心は次第に高揚してきた。不思議なものだ。皆が一緒だとこんなにも心強いものなのか。

 

「なんだか嬉しそうですね。明久君」

「ん? そう?」

「きっと坂本に会えるのが嬉しいのよ」

「いや、雄二なんかどうでもいいよ。それより姫路さんがこうして無事だったのだ嬉しいんだ」

「アンタも素直じゃないわね。顔に書いてあるわよ? ”坂本に会いたい”って」

「ま、マジで!? どこどこ!?」

「嘘よ。アンタってホント馬鹿正直ね」

「なんだ嘘か……」

「でもそういうところが明久君らしいですよね。ふふ……」

「……雄二にも吉井くらい素直になってほしい」

「やめておいた方がいいわよ翔子。坂本がアキみたいになっちゃうのよ?」

「どういう意味さ。それ」

「胸に手を当てて考えてみなさい」

 

 とりあえず美波に言われた通り、胸に手を当ててみた。

 

 ……

 

「?」

 

 やっぱり分からなかった。

 

「「ハァ」」

「えっ? なんで2人して溜め息をつくの!?」

「やっぱり明久君ですね」

「いつも通りね。アンタは。ふふ……」

「???」

 

 なんだかよく分からないけど……まぁいいか。3人とも楽しそうだし。

 

 そんなこんなで20分後。

 

 僕たちは雄二たちがいるというホテルに到着した。

 



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第二話 それぞれの軌跡

「着きました。ここですよ」

 

 姫路さんは宿の一室の前でそう言うと、トントンと扉を叩いた。

 

「私です。瑞希です」

 

 彼女が名乗るとすぐにキィと音を立てて木製の扉が開き、

 

「おう、戻ったか」

 

 赤い毛を逆立てたゴリラが出てきた。

 

 ……それもピンクのエプロン姿で。

 

「お? 明久じゃねぇか」

「すみません。変態ゴリラに知り合いはいないんですけど……」

「どうやら3枚に下ろしてもらいてぇらしいな」

 

 ゴリラの右手にはバナナではなく、長さ20センチほどの出刃包丁が握られていた。

 

「うわわっ! じょ、冗談だよ冗談! 包丁は危ないからやめようよ! ね! 雄二!」

「チッ……いつかコロス」

 

 さすがに包丁を持ってる時にからかうのは危険か……。

 

「騒々しいのう。一体どうしたというのじゃ?」

 

 爺言葉と共にゴリラの後ろから現れたのはエプロン姿の可憐な少女。

 

「秀吉! 無事だったんだね!」

「おぉっ、明久ではないか! お主どこへ行っておったのじゃ!」

「それはこっちの台詞だよ! 心配したんだぞ!」

「坂本、木下、久しぶりね」

「んむ? おぉ島田もおったか。お主も無事で何よりじゃ!」

「えぇ、おかげさまでね」

「……雄二。皆を中に」

「あぁ、そうだな。お前らとりあえず中に入れ。積もる話は後だ」

 

 僕たちは宿の部屋に上がらせてもらった。そこは意外に広く、自宅のリビングと同じくらいの広さがあった。部屋の中にはベッドが2つに大きな円卓テーブルが1つ。テーブルには白い皿が並べられていて、食事の準備中であったことが覗える。

 

 そうか、だから雄二と秀吉がエプロンを付けていたのか。それにしても秀吉のエプロン姿は貴重だ。ぜひ写真に納めておきたいところだが、この世界にはカメラが存在しない。非常に残念だ。仕方ない。この光景は僕の脳にしっかりと刻み込んでおこう。

 

「ときに明久よ、お主昼食は終わっておるか?」

「いや、まだだよ」

「ふむ。雄二よ、2人前追加じゃ」

「あいよ」

「えっ? 坂本、ウチらもごちそうになっちゃっていいの?」

「あぁ、4人分も6人分も大して変わらねぇからな」

「なんか悪いわね。押しかけちゃったみたいで」

「明久の分はお前が作りたいってんなら4人分にしておくが?」

「ふぇっ!? な、何言ってんのよ! 誰もそんなこと言ってないでしょ!? いいから6人分作りなさいよ!」

「今更照れることでもないじゃろ」

「う、うるさいわね木下! 余計なこと言ったらぶん殴るわよ!」

 

 うんうん。美波も楽しそうで何よりだ。しかしこうしていつもの仲間が集まると賑やかだな。美波との2人暮らしも楽しかったけど、ここには別の楽しさがあるな。

 

「雄二、僕も手伝うよ」

「おう。そいつは助かるぜ」

「キッチンはこっちじゃ」

 

 へぇ。この宿にはキッチンがあるのか。宿というより賃貸の家に近いのかな? と思ったら、魔石コンロを借りて部屋の中で調理ができるようにしただけだった。食事を付けると宿代が高くなるかららしい。なるほど、そういう手もあったか。

 

(ところで雄二、姫路さんに味付けとかさせてないよね?)

(無論だ。だから翔子と一緒に行かせた。俺だってこんなところで命を散らせたくないからな)

(それを聞いて安心したよ)

(秀吉はずいぶん苦労したらしいがな)

(秀吉が? なんで?)

 

「あの、坂本君、私に何かお手伝いできることありませんか?」

 

 ビクッ!?

 

「い、いや! 姫路は島田と話しでもしていてくれ!」

「そうだよ姫路さん! ようやく皆集まったんだからここは僕たち男子に任せてよ!」

「でも……」

「いいからワシらに任せい。ほれ行くのじゃ」

 

 秀吉が姫路さんの背中を押してキッチンから遠ざける。ナイスだ秀吉。

 

「そうですか……分かりました」

 

 すると姫路さんは少し寂しそうな顔をして戻って行った。ごめんよ姫路さん。気持ちは嬉しいけど必殺料理人に作らせるわけにいかないんだ。

 

「ふぅ。危なかったな」

「ホント、よく今まで無事だったね」

「あぁ。秀吉の苦労を称えてやってくれ」

「そういえばさっきもそんなこと言ってたね。何のこと?」

「まぁその話は後だ。とりあえず飯にするぞ」

「分かった。ところで秀吉、なんか嬉しそうだね」

「ふっふっふっ。ようやくワシもお主に男子と認められたのでな」

「認めた? 僕が?」

「先程お主が申したではないか。”男子”に任せよとな」

「うん。だから僕と雄二に任せてって話だけど?」

「……ワシは悲しいぞい……」

 

 なぜか秀吉は背中を向け、しゃがみ込んで床に”の”の字を書き始めてしまった。なんだろ。僕、何か傷つけるようなこと言った?

 

「秀吉、すまんができあがったものからテーブルに運んでくれ」

「了解じゃ!」

 

 雄二が頼むと秀吉は急に元気になり、嬉しそうにお皿を運びはじめた。いつもポーカーフェイスだったのに、なんだか感情表現が豊かになった気がする。

 

「よし、こいつで最後だ。秀吉、持って行ってくれ」

「んむ」

 

 程なくして昼食の準備は完了。僕たちは久しぶりに6人での楽しいランチタイムを過ごした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 昼食が終わり、後片づけを済ませた僕たちは円卓テーブルに集合した。雄二が作戦会議をすると言うからだ。

 

「よし、それじゃ1人ずつ順に、この世界に飛ばされてからここに来るまでの間に経験したことを残さず話してくれ。何か手掛かりがあるかもしれない」

「そうですね。3人寄れば文殊の知恵。きっと帰る方法も見つかりますよね」

「……6人なら効果は2倍」

「ん? ちょっと待ってよ雄二。それじゃ雄二も帰る方法知らないの?」

「知っていれば飯なんか作ってないで帰ってるだろが」

「そっか。雄二ならもう帰り方を見つけてると思ったんだけどなぁ……」

「この世界じゃ俺たちの常識が通用しねぇ。簡単には行かねぇよ」

「ではワシから話すとするかの」

 

 秀吉はハキハキとした口調でここまでの経緯を話し始めた。

 

 秀吉はこの国の北の町、ラミールという町の近くで目を覚ましたらしい。しかし僕と違ってすぐに町の中に入れてもらい、事なきを得たそうだ。そしてそこで姫路さんと再会したのだという。ところが姫路さんは完全に気が動転してしまっていて、話しかけても泣くばかり。落ち着いて話ができるようになったのは日が暮れはじめてからだったという。

 

「あの時はワシも犬のお巡りさんになった気分じゃったわい」

「すみません木下君。ご迷惑をお掛けしてしまって……」

 

 姫路さんがしょんぼりと項垂れて謝る。やっぱり姫路さんには辛い状況だったんだな。でも秀吉がいてくれて良かった。

 

「なんの。困った時はお互い様じゃ。その代わりワシが困った時は助けてもらうぞい?」

「……はいっ」

「では話を続けるぞい」

 

 落ち着いて話ができるようになってから2人は相談し、迷子になった時の常識に従い、動き回らずに助けを待つ事にした。しかし何時間待っても助けが来る気配がない。そうしているうちに日が暮れてしまい、お腹も減ってきた。そこでこのままでは(らち)が明かないと判断し、この世界で生きることを優先したのだという。

 

 それにはまず食べ物と、次に寝る場所が必要だ。当然これらにはお金が要るが、迷い込んだばかりのこの世界の通貨など持っているはずがない。けれど幸いなことにこの世界の住民は言葉が通じる。そこで2人はお金を得るため働き口を探し、いくつかの店を巡り事情を説明したところ、ある飲食店で2人をウェイトレスとして雇ってくれたそうだ。

 

 2人はその店で住み込みで働きながらこの世界について学んだ。そして数日が過ぎ、生活の知識を得た彼女らは元の世界に帰るために自ら行動することを決意。情報を求めて大都市であるこの王宮都市サンジェスタに来たところで雄二と霧島さんに偶然出会ったのだという。

 

「私、木下君がいなかったら今頃どうなっていたか分かりません」

「んむ? ワシは何もしておらんぞ? たまたま同じ町におったに過ぎぬ」

「いいえ。私ひとりでは何もできなかったんです。木下君がこの世界で働こうって言ってくれたからこうして皆に会えたんですよ」

「よ、よさぬか姫路よ。照れるではないか……」

 

 仄かに頬を赤く染め、ポリポリと頭を掻く秀吉。あまり見ることのない”はにかむ”秀吉の姿はとても可愛いかった。

 

「ワ、ワシの話は終わりじゃ! 雄二よ! 次はお主の番じゃぞ!」

 

 秀吉ってこんな風に照れるんだな。初めて見たかもしれない。

 

 ん? そうか。秀吉は姫路さんと一緒だったから食事をどうするかが問題だったわけか。さっき雄二が”秀吉の苦労を称えろ”と言っていたのはそういうことだったんだね。秀吉、ホントに無事で良かったよ……。

 

「へへ、秀吉もやるじゃねぇか。見直したぜ」

「もう忘れるのじゃ! いいからお主の話を始めるのじゃ!」

「わーったよ」

 

 雄二はコホンと一度咳払いをすると、ここまでの経緯を語り出した。

 

 雄二が目を覚ましたのはこの国の西側にある町ルルセア。とある民家の屋根の上だったという。それも霧島さんに揺り起こされたらしい。さすがの雄二も周囲の様子に驚愕。どう見ても教科書で見た”中世ヨーロッパ”の光景だったからだ。この辺りの反応は僕と同じようだ。

 

 屋根から降りた雄二と霧島さんは、まずはここがどこなのかを調べた。日本語が通じるが、町の様子からして明らかに日本ではない。西洋風のレンガ造りの家。石畳の道。交通機関は馬車。電気も無ければガスも無い。代わりに生活に深く浸透している”魔石”と呼ばれる不思議な鉱石。

 

 これらを総合して判断した結果、2人はここを自分たちの住む次元とは別の”異世界”であると結論付けた。そして2人は元の世界に帰る術を探すため行動を開始。だが探すにしても何のヒントも無く、それが容易でないことは火を見るより明らか。そこで秀吉たちと同じように働き口を探したという。

 

「やはり考えることは同じじゃのう」

「生きて行くためには金がいるからな」

「僕はこの世界で働いたことはないよ?」

「なんだと? それじゃお前、今までどうやって生き延びて来たんだ?」

「えっとね――」

「ちょっと待ってアキ。坂本、とりあえずアンタの話を終わらせない?」

「そうだな。明久、お前の話は後だ」

「うん」

 

 雄二は続きを話し始めた。

 

 帰還が困難であることを悟った雄二はすぐに働き口を探し始めたという。2人は手当たり次第に店を当たり、仕事を求めた。そして数件目のある飲食店で雇ってもらえることになったそうだ。雄二は宿の酒場でウェイター。霧島さんは料理人の下働きとして働き、情報を集めながら数日間を過ごしたという。

 

 だが西の町は人の出入りが少ない。宿に泊まる客も固定客が多く、あまり多くの情報が得られなかった。そこで数日前、より多くの情報を求めてこの町に移動して来たのだそうだ。

 

「んで、馬車を降りたら秀吉と姫路が目の前にいたってわけだ」

「……凄い偶然」

「本当にびっくりしました。この世界に来たのは木下君と私だけと思い込んでましたから」

「俺はなんとなく来てるような気はしてたがな。明久、もちろんお前もな」

「どうしてそう思ったのさ」

「そりゃお前、俺がこんな目にあってるのにお前が同じ目にあわないわけないだろ?」

 

 この野郎、喧嘩を売ってるのか? けどまぁ結構大変な目にあったみたいだし、今日のところは許してやろう。もちろん腕っ節で敵わないからではない。

 

「それじゃ最後は明久だな。お前の話を聞かせろ」

「うん。でもちょっと待って」

「なんだ? 何か不満でもあるのか?」

「いや、不満は無いんだけどさ、ムッツリーニはどこに行ったのさ。あいつから僕たちのことを聞いたんだろ?」

「ムッツリーニなら朝から書物屋に行ってるぞ。1人で調べると言ってな」

「土屋君、凄く熱心ですよね」

「ホントね。あんなにアクティブな土屋、見た事無いわ」

 

 ムッツリーニが珍しく好評価を貰っている。その行動原理が”エロの集大成であるパソコンの危機”ということは内緒にしておこう。

 

「ムッツリーニの話は僕から話すよ。途中で聞いたからね」

「そうか、頼むぞ」

 



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第三話 心的外傷(トラウマ)

 僕はムッツリーニから聞いていた経緯を皆に話した。

 

 あいつが王宮の庭で目覚めたこと。ドルムバーグにて諜報員として職に就いていたこと。そしてミロードで別れた後、レオンドバーグの王宮諜報員として現れたことを伝えた。

 

「王宮諜報員だと? すげぇな……あいつ元の世界よりこっちの世界の方が(しょう)に合ってるんじゃねぇのか?」

「僕もそう思ったよ。僕らの中じゃムッツリーニが一番上手く動いてるんじゃないかな」

「アキ、土屋をあんまり褒めないで」

「ん? なんで?」

「決まってるじゃない。調子に乗って変な写真撮ったりしないようによ」

「いないんだから別にいいじゃないか」

「それでも!」

「わ、分かったよ」

 

 ムッツリーニだってたまには褒められてもいいと思うんだけどな。それに美波の写真なら欲しいし。

 

「それじゃ僕と美波のここまでの経験を説明するよ」

 

 僕はこの二週間のことを思い出しながら、順を追って説明した。

 

 ラドンの町から少し離れた草原で目を覚ましたこと。町を探して歩いていたら魔獣に襲われたこと。そして通りすがったマルコさんに助けられ、数日間お世話になったこと。そこでこの世界に関する様々なことを学んだこと。まずここまでを説明した。

 

「魔獣か。俺は見た事は無いが話は何度も聞いている。町の外はその魔獣ってのが生息していて人を襲うらしいな」

「うん。危うく僕も餌食になるところだったんだ」

 

 マルコさんとルミナさんには本当に感謝している。あの時マルコさんが通り掛からなかったらこうして皆と再会することもできなかっただろう。これが僕の旅の始まりだった。

 

「話を続けるね」

 

 数日後、元の世界に帰るための情報を求めてラドンを出発。王宮都市レオンドバーグを目指した。ところが次の町ハーミルで偶然”文月学園の制服を見た”という情報を耳にした。早速この情報を頼りにミロードの町へ向かったのだが、その道中、馬車の簡易魔障壁装置が故障。猿型の魔獣軍団に襲われてしまった。この時だった。召喚獣の力に気付いたのは。

 

「召喚獣だと? バカも休み休み言え。教師も召喚フィールドも無いのにそんなものが使えるわけないだろ」

「本当なんですか? 明久君」

 

 雄二と姫路さんが疑いの目で僕を見る。秀吉と霧島さんも(にわか)には信じ難いといった様子だった。だが僕は断じて嘘など言ってはいない。

 

「見せたほうが早そうだね。美波」

「そうね。それじゃ――」

 

 僕と美波は互いに目を合わせて頷き、立ち上がる。そして僕は左手を。美波は右手を上げ、例のキーワードを口にした。

 

「「――試獣装着(サモン)!」」

 

 喚び声と共に足元にいつもの幾何学模様が浮かび上がる。そこから光が溢れ出し、僕たちの身体は光に包まれた。やがて光の柱は消え、僕は赤いインナーシャツに黒い改造学ラン姿に変身。美波も青い軍服姿に変身し、その場の全員を驚かせた。

 

「こいつは驚いたな……」

「た、確かに召喚獣じゃな……」

「召喚獣を……着ちゃったんですか……?」

 

 雄二たちは皆、目を丸くして驚いている。一度こうやって雄二を驚かせてやりたかったんだよね。フフン。いい気分だ。

 

「……吉井。私達にもできるの?」

 

 ただ1人、驚いた表情を見せていなかった霧島さんが真顔で尋ねる。いや、もしかしたらこれが彼女の驚いた顔なのかもしれない。

 

「たぶんできるんじゃないかな。ムッツリーニにもできたし」

「なんだと? あいつそんなこと一言も言わなかったぞ?」

 

 一刻も早く帰ってエロ画像の入ったパソコンを保護したいムッツリーニにとって、召喚獣を装備できることなど些細なことなのだろう。

 

「……雄二、私達もやってみよう」

「だな」

「そうですね、皆でやってみましょう」

「んむ」

 

 皆は立ち上がり、それぞれが片手を上げて叫ぶ。

 

『『――試獣装着(サモン)!』』

 

 4人の声が重なり、室内は眩い光に包まれる。そして次の瞬間、そこには変身した彼らの姿があった。

 

「おっほ! できたぜ!」

 

 歓喜の声を上げて雄二が喜ぶ。メリケンサックを両拳に備え、前をはだけた真っ白な特攻服は頭の悪い暴走族のようだ。

 

「ほぉ……これは凄いのう。よもやこのようなことができようとは……」

 

 紺色の袴に白い胴着の秀吉が溜め息混じりに言う。その手には身長よりも長い薙刀(なぎなた)を携えていた。

 

「わぁ~っ! 本当に着ちゃいました! これ、すっごく可愛いですっ!」

 

 姫路さんは大喜びして花が咲いたような笑顔を見せる。ロングスカートの赤いワンピースに銀色の胸当てと小手。頭に白い羽飾りを付けた彼女の姿は、僕から見てもとても可愛かった。

 

「これで召喚獣の力が奮えるってわけか」

「うん。でも鎧を着た大人の人も軽々投げ飛ばせるくらいの力を持ってるから注意がいるよ」

「それほどの力が付いたようには感じぬがのう」

「……吉井、この透明の板は何?」

 

 頭に付いたバイザーを指でトントンと叩きながら霧島さんが問う。彼女は武者鎧にピンクのミニスカートというアンバランスな容姿をしていた。だがこれはこれで不思議な可愛らしさがある。

 

「見た目がバイザーだから僕はそのまま”バイザー”って呼んでるよ。そこに黄色いバーが表示されてるよね?」

「……うん。どんどん減っていってる」

「それがどうもエネルギーゲージの役目を果たしてるみたいでさ、その黄色いのが無くなると自動的に装着が解除されるんだ」

「……そうなの」

「僕も説明を受けたわけじゃないから経験で言ってるだけなんだけどね」

「なんだと? おい明久、じゃあこれって時間切れまでこのままなのか?」

「いや、それは大丈夫。美波が発見したんだけどね。こうするのさ。――装着解除(アウト)!」

 

 掛け声と共に僕の武装は煙のように消え、元の制服姿に戻っていく。

 

「なるほど。前にもそれで召喚獣を消したことがあったな。――装着解除(アウト)!」

『『――装着解除(アウト)!』』

 

 雄二に続いて皆が次々に解除していく。

 

「それにしてもなんでこんな力が使えるんだ? しかもこんな形で」

「それは僕の方が聞きたいよ。雄二なら何か知ってるんじゃないかと思ってここまで来たんだけど?」

「俺が知るわけねぇだろ。召喚できること自体、今初めて知ったんだからな」

「なんだよ、役たたず」

「ンだと! 喧嘩売ってんのかコラ!」

「だってそうじゃないか! 戦争が始まろうとしていた時も魔人に襲われた時も、肝心な時にいなかったくせに! 僕がどんな思いでここまで来たと思ってるのさ!」

「ん? ちょっと待て明久。なんだその戦争とか魔人ってのは」

「あ、うん。実はね――――」

 

 僕は説明した。大変な思いをした2つの事件。ハルニア王国内での王子同士の内乱。そしてあの湖の(ほとり)で襲われた魔人のことを。

 

「お前な……この世界のことに関わり過ぎだぞ。俺たちはこの世界の住民じゃない。何が起ころうとも関わるべきじゃねぇんだよ」

「じゃあ戦争で沢山の血が流れても見て見ぬふりをしろって言うのかよ! そんなことできるわけないだろ!」

「仕方ねぇだろ! この世界に関与したら何が起こるか分かんねぇんだぞ!」

「やってみなきゃ分かんないんだろ! だったらやってみればいいじゃないか!」

「バカ野郎! その結果がその魔人とやらじゃねぇのか! お前の行動は軽率過ぎんだよ!」

「う……そ、それは……」

 

 まいった。ぐぅの()も出ない。

 

 僕が戦争に介入したことで魔人という存在が生まれたとは思えない。けれど100パーセント有り得ないかというと、そうとも言い切れない。ヤツの存在自体が謎なのだから。

 

 それにあの時、僕は召喚獣の力を過信していた。負けるわけがないと思い込み、戦ってしまった。その過信の結果があの惨敗なのだ。

 

「アキ。坂本の言うとおりよ。これからはもっと慎重に行動すべきだわ」

「そうだね……分かったよ。ごめん……」

「ふ~む……しかしその魔人とやら、一体何者じゃ? 魔獣とは違うのか?」

「うん。確かに違うんだ。魔獣っていうのはサイズは何倍にもなってるけど、動物と同じ姿をしてるんだ。それと(ひたい)に魔石が埋め込まれてる」

「ほう。では魔人とはどのような姿をしておるのじゃ?」

「あいつは……魔人は人間の姿に似ていて……悪魔のような(つの)と翼が生えていて……人間の言葉を話して……それで…………ぼ、僕を……始末しに……来たと…………」

 

 話しているうちにあの時の忌まわしい記憶が甦ってくる。あの冷たく氷のような視線。戦いを楽しんでいるかのような下品な笑い。そして……美波の命を奪おうとした、血のように赤い、狂気に満ちた目……。

 

「……う……ぅ……」

「アキ? どうしたの?」

「ど、どうしたんですか明久君! 顔が真っ青ですよ!?」

 

 ここには美波はもちろん、雄二や姫路さん、秀吉、霧島さんだっている。今はここにいないけど、ムッツリーニだってじきに戻ってくる。いつもの放課後のメンツ。同じ文月学園の制服を着たいつもの仲間。わいわいとゲームをしたりバカな話で盛り上がったりして、楽しい時間を過ごす。それが僕らの日常だったはず。

 

 それなのに……僕は一体何の話をしている? 僕が殺されそうになった? それも学園の生徒ではなく、得体の知れない異生体に? いつものようなFFF団との追いかけっこではなく、本気で僕の命を狙っている?

 

 なぜ? どうして? 僕が悪いことをしたのなら謝る。許してもらえるのなら土下座でもなんでもする。けれどヤツはそんなことを望んではいなかった。ただひたすらに戦い、命を奪うことに悦びを感じているようだった。そしてヤツは……助けに入った美波までも……手に…………掛けようと…………。

 

「ぁ……ぅ……はぁっ……は……っ……はぁっ……!」

 

 急に言葉を発することができなくなり、ブルブルと腕が震え出す。

 

 怖い。(たま)らなく怖い。

 

 なぜ僕が? なぜ美波が狙われる? もしあの時魔人が引き上げなかったらどうなっていた? もしあのままヤツの腕が振り下ろされていたら――――

 

「あ……あぁっ……! う、う、うわあぁぁぁーーーっ!!」

 

 全身が硬直し、治っているはずの左足が急に痛みだし、力が入らなくなる。やけに冷たい汗が全身から噴き出し、震えが全身に広がっていく。両足で体を支えていることができなくなった僕は両膝を突いた。

 

「わぁぁーっ!! うわぁーーっ!! う、うわぁぁぁぁーーっっ!!」

 

 僕は頭を抱え、喉が潰れそうなくらいに絶叫した。

 

『――アキ!?』

『――どうした明久!』

『――明久君!? どうしたんですか!? しっかりしてください! 明久君!』

 

「はっ、はっ、はっ、ぁ……ぐ……は……ぅく…………」

 

 美波や皆の声はうっすらとだが聞こえていた。しかし僕の全身は痺れ、呼吸は乱れ、返事どころか息をするのがやっとであった。なんとか呼吸をしようと意識を集中しようとしても、ヤツの笑い声や顔のイメージが頭の中でぐるぐると駆け巡り、それを妨害する。僕にはもうどうすることもできず、ただ耐えるしかなかった。そうしているうちに頭の中が真っ白になっていって――――

 

「ぅ…………」

 

 僕は床に身体を横たえた。

 

『――明久君!!』

『――明久! どうしたのじゃ! 気をしっかり持つのじゃ! 明久!』

『――……雄二、吉井をベッドに』

『――分かった!』

『――アキ! 返事をしなさいアキ! アキってば!』

 

 皆の声がやけに遠くに聞こえる。でも視界がぐるぐる回り、全身が痺れて指を動かすことさえできない。

 

 冷たい床の上。俯せに倒れ込んだ僕はガクガクと震える。そうしているうちに何も考えられなくなり、ついにフッと意識が途絶えた。

 

 ――――――

 ――――

 ――

 



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第四話 強さ

「ん……」

 

 目を開けると無数の升目が見えた。赤茶色の四角形が隙間なく敷き詰められた壁のようなもの。それは大きくアーチを描いたレンガの天井だった。

 

「あっ、アキ? 気がついた?」

 

 スッと美波の顔が視界に入ってくる。彼女は大きな目を潤ませ、僕の目を見つめる。

 

「美波……」

 

 体を起こして周囲に目を向ける。どこかの部屋の中のようだった。

 

「ここは……?」

「隣の部屋よ。坂本がベッドに運んでくれたの。大丈夫?」

「僕は……一体……」

 

 雄二が運んだ? そうか。僕は気を失っていたのか。でもなんで気を失ったんだっけ? 確かさっきまで雄二と言い争っていて……秀吉に魔人のことを聞かれて……それで…………。

 

「う……く……」

 

 胸が……苦しい……。

 

「どうしたのアキ? どこか痛いの? 痛い所があるのなら言って?」

「はぁっ……はぁっ……うっ……はぁっ……」

 

 うまく呼吸ができない。それに酷い目眩と手足のしびれ。こんな状況で答えられるわけがなかった。

 

「げほっ! げほっ! げほっ! う……くっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ!」

 

 魔人の顔を思い出すと全身の筋肉が硬直する。心臓がものすごい勢いで脈打ち、呼吸すらできなくなってしまう。

 

「落ち着いてアキ。大丈夫よ。ゆっくり息をして」

 

 美波が背中をさすってくれる。すると次第に身体の緊張がほぐれ、息が整ってきた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「どう? 少し落ち着いた?」

 

 手足のしびれも治まり、思考力も戻ってきた。けれど頭の中は未だ恐怖が支配している。

 

「う……うぅ…………あ、ぅ…………」

 

 怖かった。あの魔人が堪らなく怖かった。何の躊躇(ためら)いもなく命を奪おうとする悪魔。その存在を思うと勝手に手足が震えてしまい、どうにもならなかった。

 

「ひょっとして……あの魔人が怖いの?」

 

 僕の背中をさすりながら美波が尋ねる。僕は震えながら数回頷いた。

 

「やっぱりそうなのね……大丈夫よ。町に居る限りあいつは襲って来ないわ」

「ぼ、僕は……! ま、守れなくて……! だっ、だから……! 怖くて……! あいつが……あいつが……美波を……!」

 

 理不尽に命を狙われたことが怖かった。それ以上に美波を失いそうになったことが怖かった。美波の命が奪われようとした時、何もできなかったことが何よりも怖ろしかった。

 

「いっ、嫌だ……! みなみが……! みなみが……! 嫌だぁぁぁぁっ!」

「アキ……」

 

 僕はベッドから身を乗り出し、美波に抱きついた。彼女の袖に必死にしがみつき、子供のように震えた。

 

「しっかりしなさい!!」

 

 美波はそんな僕を引き剥がし、怒鳴りつけた。

 

「アンタ船の上で自分がなんて言ったか覚えてないの!? 絶対にウチを守るって言ったでしょ! そんなに弱気になってどうするの! いつものアンタはどこに行ったの!!」

 

 ガクガクと両手で僕の肩を強く揺らし、大きな吊り目を更に吊り上げて美波が怒鳴る。

 

「で……でも、ぼ、僕は……あいつに……負け……」

「一度負けたのがなんだって言うの!」

「だ、だってあいつは……とっても強くて――」

 

 ――パチン

 

 左の頬に衝撃を受けた。

 

「いつまでもくよくよしない!」

 

 何が起こったのかすぐには分からなかった。けれどこのヒリヒリと痛みだす頬が今起こったことを教えてくれた。この衝撃は身に覚えがある。あれは忘れもしない、クリスマスの数日前のこと。美波と喧嘩をしてしまった時に受けたビンタ。あの時ほど強く殴られたわけではなかったが、それでもこの時の僕にとっては衝撃的だった。

 

「いいことアキ、よく聞きなさい。アンタはもう二度と負けたりしない。相手が誰であろうと! 絶対に! だってウチがついてるんだから!」

 

 真正面からキッと睨みつけ、美波が大声で怒鳴る。僕は左の頬を押さえながら呆然とその様子を見つめていた。

 

「あの時はウチも相手の力が分かってなかった。だから油断して簡単にやられちゃったけど、もうあんな失敗はしない。もしまた出会ったとしても今度は負けない! ウチらが力を合わせたら絶対に負けたりしない!!」

 

 美波の向ける眼差しから強い意思が伝わってくる。彼女の言葉には何の根拠も無い。ヤツに勝つための強力な武器や新たな戦法が示されたわけではないのだ。いや、2人掛かりというのも戦法のひとつだろうか。けれどそれだけでヤツに勝てるとは思えない。

 

 ただ、その言葉には不思議な説得力があった。そしてこれもまた不思議なことに、今まであれだけ怖れていた気持ちがスゥッと消えていった。身体の震えが止まり、不安でぐちゃぐちゃにかき回されていた頭も急にクリアになってきた。まるで一陣の風が雲を吹き飛ばしたかのようだった。

 

「……ごめん」

 

 ――この時、僕は自分の弱さを知った。

 

「ううん。アキの怖い気持ち、ウチにもよく分かる。ウチだって絶対にアキを失いたくないもの」

 

 そう言う彼女の表情は優しく、温かな微笑みへと変わっていた。

 

「でも大丈夫。ウチはアキと一緒ならどんな困難だって乗り越えられる。もちろん元の世界に帰ることだってできるって信じてる」

 

 美波は強かった。腕っぷしとか試召戦争とかそういったことではなく、精神的に強かった。

 

「だから――」

 

 彼女はそこで一旦言葉を区切り、

 

「一緒に帰ろ? ね?」

 

 僕の唇に軽くキスをし、にっこりと微笑んだ。

 

 美波は最も強い心の力――”勇気”をくれた。

 

「……ありがとう……もう、大丈夫」

 

 そうだ。怖れていても前には進めない。ヤツが魔障壁を苦手にしていることは分かっている。ならば対処方法はある。魔障壁から離れなければいいんだ。それにこうして雄二たちとも合流できた。帰る方法だってすぐ見つかるだろう。そうさ。僕らは元の生活に戻れるんだ。

 

「ホントにもう平気?」

「うん。本当だよ」

「ホントにホント?」

「うん。本当に本当」

「……嘘じゃないみたいね。良かった……」

「ゴメン。心配かけて」

「そうね、この貸しはいつか倍にして返してもらおうかしらね」

「倍は勘弁してほしいなぁ」

「ふふっ冗談よ。……皆の所に戻る?」

「うん」

 

 どうやら僕が寝かされていた部屋は宿の別室だったようだ。隣の部屋に行くには一旦廊下に出なければならない。僕はベッドから降り、美波と共に隣の部屋へと向かった。

 

「こっちよ」

 

 美波の案内に従い、僕は皆の待つ隣の部屋に向かった。

 

「皆、アキが目を覚ましたわ」

 

 扉を開けて美波が言うと、姫路さんと秀吉が駆け寄ってきた。

 

「明久君! もう大丈夫なんですか!?」

「うん。ごめんね姫路さん。迷惑かけちゃったみたいで」

「いいえ、そんなことありませんよ。でも良かった……」

「明久よ、どうやらワシは余計なことを言ったようじゃ。すまぬ。この通りじゃ」

 

 秀吉が深々と頭を下げる。こんな風に秀吉に謝られるなんて初めてのことだ。

 

「や、やめてよ秀吉、これは僕の問題であって秀吉のせいなんかじゃないよ?」

「じゃがきっかけを作ったのはワシじゃ」

「いいから気にしないでってば。もう大丈夫だか――」

「明久、ちょっと来い」

 

 秀吉と話していると雄二がマジな顔をして割り込んできた。

 

「何? 雄二」

「いいからちょっと来い」

「? うん」

 

 なんだろう? と雄二について廊下に出てみると、こいつは変なことを言い出した。

 

「魔人のことは島田から聞いた。大変な目にあったようだな。普段ならざまぁみろと言うところだが、今回ばかりはそうもいかねぇようだ」

「……うん。でももう大丈夫さ。それで何の用?」

「散歩してこい」

「は? 散歩? なんで?」

「気分転換だ。少し風に当たってこい」

「いや、いいよ。今は散歩なんて気分じゃないし」

「いいから島田を連れて行ってこい!」

「な、何なんだよいきなり。わけ分かんないよ」

「ぐだぐだ言ってねぇで行ってこいって言ってんだよ!!」

「わ、分かったよ。そんなに怒鳴るなよ。行けばいいんだろ? 行けば……」

 

 ホントにもう……なんなんだよ……。

 

「島田、明久が散歩に行きたいそうだ」

 

 部屋に戻ると雄二は美波に向かってそんなことを言った。何を言ってるんだコイツ。強引に行かせたのはそっちじゃないか。

 

「散歩? そうね。この国に来てからまだ何も見てないし、いいかもしれないわね」

「だ、そうだ。行ってこい明久」

 

 なんだってそんなに散歩に行かせたがるんだろう。美波のおかげで気分は晴れてきたけど、まだ完全な調子とは言えないんだけどな……。

 

「行こ。アキ」

 

 でも美波がその気になってるし、行ってくるか。

 

「うん。じゃあちょっと行ってくるよ」

「あの……明久君、本当に大丈夫なんですか?」

 

 姫路さんが両手を合わせ、祈るような仕草を見せながら言う。そんなに心配してくれるのか。本当に優しい子だな。

 

「心配いらないよ。ちょっと散歩してくるだけだからさ。すぐ戻るよ」

「でもでも! さっき倒れたばかりなのに!」

 

 う~ん……心配してくれるのは嬉しいけど美波が待ってるんだよね。どう言えば納得してくれるだろう。

 

「……瑞希」

「翔子ちゃん……」

「……瑞希。吉井を信じてあげて」

 

 僕が困っていると、霧島さんは姫路さんの肩にそっと手を添え、(なだ)めてくれた。霧島さんは姫路さんとは対照的に冷静に見てくれているんだな。

 

「分かりました……すぐ戻ってきてくださいね、明久君」

 

 どうやら納得してくれたようだ。なるほど。こうやって言えばいいのか。今後の参考にしよう。

 

「うん、分かってる。それじゃ行ってくるよ」

「明久よ、この宿の場所を忘れるでないぞ」

「それは大丈夫よ木下。ウチが覚えてるから」

「んむ。ならば心配無用じゃな」

「はいはい、どうせ僕は物覚えが悪いですよ」

「すねてないで行くわよアキ」

「おわっ!? ちょっと引っ張んないでよ美波! まだ靴履いてないんだよ!」

「早くしなさいよ、ほらっ」

「あぁっ! だから靴ぅぅっ!」

 

 こうして僕は美波に引きずられるように散歩に出た。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「それにしても雄二よ。ずいぶんと強引に行かせたのう」

「あぁ。あいつには気分転換が必要だと思ったからな」

「ふむ……して、そのココロは?」

「俺は中学の頃に散々喧嘩して命のやり取りなんざいくらでもしてきた。本気でナイフを振り回すバカもいたからな。だがあいつは違う。能天気なあいつのことだ。今まで争い事とは無縁で、本気で殺しにかかる相手に出会うのは初めてだろう」

「そうじゃろうな」

「……あいつはどうしようもないバカだが、信念を持っている。けどな、ああいうヤツはその信念が打ち砕かれると弱いもんだ」

「ふ……なんだかんだと言うても、あやつのことを心配しておるのじゃな」

「心配してるわけじゃねぇよ。ただ落ち込んでいられると話ができねぇってだけだ」

「親心というやつじゃな」

「冗談でもやめろ。あいつの親代わりなんてまっぴら御免だ」

「お主も素直ではないのう」

「ほっとけ。とりあえずあいつらが戻ってくるまで俺たちで状況を整理するぞ」

「んむ。了解じゃ」

 



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第五話 出会い

 宿を出た僕たちはサンジェスタの町を歩き始めていた。白い石畳の道。赤褐色のレンガ造りの建物。レオンドバーグや他の町と変わらない光景。ひとつ違うのは気温が低いことだった。

 

 道を歩く人々は皆コートやマントを羽織り、足早に通り過ぎて行く。そんな町の様子を眺めながら、僕たちはのんびりと歩いていた。当然のように手を繋いで。

 

「うわっ!」

「っと」

 

 何かをつま先に引っ掻け、(つまず)いてしまう僕。美波はそれを支えてくれた。

 

「大丈夫? アキ」

「うん。助かったよ」

 

 石畳の道はアスファルトと違ってデコボコしていて、時折足を取られてしまう。でも今まではこんなことで転ぶようなことはなかった。これは僕がまだ本調子ではないという(あかし)なのだろう。

 

「こうして何の目的もなく歩くのって、この世界に来てから初めてね」

「ん?」

 

 そうだっけ? と、この町に来るまでの道のりを再び思い起こしてみた。ガラムバーグで美波と再会し、戦争が始まると言われてジェシカさんに連れられ町を脱出。そして戦争を止めに入ったところを熊の魔獣に襲われ、レオンドバーグに入ってからは、ずっと元の世界に帰る手掛かり探し。確かに慌ただしい日々を送って来ていた。

 

「そうかもしれないね」

「ずっとせわしない生活をして来たんだし、たまにはこういうのもいいわよね」

「……そうだね」

 

 確かに今まで心に余裕が無かったのかもしれないな。突然こんな世界に飛ばされて。帰ろうにも手掛かりも何も無くて。おまけに魔人なんていう、わけの分からないヤツまで現れて……。

 

 ……

 

 いや、もうこんなことを考えるのはやめよう。せっかく美波に勇気を分けてもらったのだから。

 

「ねぇ美波、せっかくだしどこか店に寄って行く?」

「えっ? アンタお金持ってきたの?」

「あ。そういや手ぶらだった……」

「ウチもお金なんて持って来てないわよ」

「う~ん……じゃあ本当に散歩するだけになっちゃうね」

「ウチはもともとそのつもりよ? だってアンタが散歩したいって言ったんじゃない」

「いや、あれは雄二が――」

 

 雄二?

 

 待てよ? もしかして……。

 

「坂本がどうかしたの?」

「あ、ううん。何でもない」

 

 もしかしてあいつ、僕の心に余裕が無くなっていることに気付いていたのか? そうか……きっとそうなんだ。だからあんなに無理やり散歩に行かせようとしたんだ。気分転換をして心を落ち着かせて来いって言いたかったんだ。なんだ。そういうことだったのか……。

 

「なによ。坂本に何か言われたの?」

「うん。まぁね。でももういいんだ」

「?」

 

 まったく、そうならそうとハッキリ言えばいいのに。どうしてあいつはいつも肝心なことを言わないんだ。それで痛い目を見てるのはいつも僕じゃないか。でもああいう所は変わってないんだな。この世界でもやっぱり雄二は雄二だ。なんか少し安心した。

 

「それじゃ適当に歩いてみようか」

「そうね。ウチも一度この世界をじっくり見てみたいって思ってたし」

 

 美波はそう言って可憐に微笑むと僕の手をそっと握ってくる。彼女の手は細く、柔らかく、温かかった。それが僕の心に安心感を与えてくれる。僕は左手に意識を集中し、彼女の存在を確かめながらサンジェスタの町を歩いた。

 

 この世界でも道には車道と歩道がある。歩行者は道の両脇。真ん中は馬車が通る道だ。その境界に線などは引かれておらず曖昧だが、この世界の住民たちに混乱は無いようだ。それは僕たちの世界と違ってそれほど交通量が多くないからだろう。こうして歩いていても、馬車が通るのは5分から10分に一度程度だ。

 

 ではこの町が寂れているかというと、そうでもない。今歩いている道の両側には商店がずらりと並んでいる。

 

 衣類を売る店。

 食材を売る店。

 レストランのような飲食店。

 そして武具や旅の道具を売る店。

 

 それぞれの店の軒下には様々な看板が下げられている。そして通りには沢山の人が行き交い、騒々しいと感じるほど活気に溢れているのだ。

 

 それにしても、こうして眺めていると改めて思う。やはり町並みはどう見ても中世ヨーロッパだ。だが看板に書かれている文字や道行く人が発する言葉はどれも日本語。なんとも不思議な空間だ。

 

 しかし2週間も生活していると、そんな不思議な光景にも疑問を抱かなくなるようだ。こうして町中を眺めていても驚く物がほとんど無くなっている。慣れとは恐ろしいものだ。

 

 そんなことを考えながら僕は観光気分でのんびりと道を歩いていた。すると美波が突然こんなことを言い出した。

 

「なんだか静かな所に来ちゃったわね」

 

 その言葉で周囲の様子が変わっていることに気付いた。いつの間にか人気(ひとけ)の少ない住宅街のような所に来てしまったようだ。

 

「本当だね。いつの間にこんな所に……帰り道は覚えてる?」

「当然よ」

「そっか。なら良かった。実は僕はぜんぜん覚えてなくてね」

「アンタ最初から覚える気なかったでしょ」

「まぁね。あははっ!」

「まったく。そんなことだろうと思ったわ。……ねぇアキ、少し休憩しない?」

「ん? 疲れた?」

「うん、ちょっと。あ、ここ公園みたいね」

 

 ”ここ”とは今僕たちが立っている道の真横。そこは公園の入り口だった。公園は外周を背の低めな針葉樹で囲まれ、中には池がひとつと、いくつかのベンチが見えた。あれなら座って休めそうだ。

 

「それじゃここで少し休憩して行こうか」

「賛成っ」

 

 早速公園に入り、ベンチのうちのひとつに腰掛けて”ふぅ”と一息つく僕と美波。

 

「この町、レオンドバーグと似てるわね」

「うん。町の規模も同じくらいみたいだね。気温は低いけど」

「港町でこれ買っておいて良かったわね」

 

 美波が内側からマントを持ち上げて言う。どうせもうすぐ使えなくなるお金と思って無駄遣いしてみたけど、意外に役に立つな。これ。でも少し暑くなってきたかも。ずっと歩いていたからかな。少し汗ばんできたし、脱いでおくか。

 

「それにしても散歩をしたいなんて言い出すなんて珍しいじゃない。どういう風の吹き回し?」

「あぁ、実は雄二に外の空気を吸ってこいって言われてね」

「あ、さっき2人で廊下に出て行った時?」

「うん」

「ふぅん……坂本も結構世話好きね」

「あいつが世話好きねぇ……なんか気持ち悪いや」

 

 まぁ確かに気分転換は必要だったかもしれないけどね。おかげでだいぶ気分もスッキリしてきたし。って、そういえばもう1時間以上経つのか。そろそろ帰らないと皆が心配するな。特に姫路さんが。……ん? あれ? あんなところに人がいる?

 

「どうしたのアキ?」

「うん。あそこに人がいるみたいなんだ」

「えっ?」

 

 指を差すのは失礼な気がしたので、僕は視線を池の対岸に向けた。その人はゴロリとベンチに寝転がり、足を組んで顔に茶色いカウボーイハットを乗せていた。男の人のようだ。寝ているのだろうか。

 

「あ、ホントね。ぜんぜん気付かなかったわ」

 

 おかしいな。確かここに座った時は公園内には誰も居なかったと思ったんだけど……。でもあの様子からすると、ずっとあそこに居たような感じもする。今もまったく気配を感じさせないし、きっと僕が見過ごしていたんだろうな。

 

「釣り糸を垂らしてるし、何か釣ってるみたいだね。でもこんな小さな池で何が釣れるんだろ?」

「聞いてみる?」

「ん~……」

 

 雄二はこの世界にあまり関わるなって言ってたけど……。まぁちょっと話すくらい、いいよね。散歩ついでの雑談ってことで。

 

「そうだね。ちょっと話してみようかな」

 

 早速僕たちは池をぐるりと迂回し、彼の元へと行って話しかけてみた。

 

「何を釣ってるんですか?」

「……ん?」

 

 男はカウボーイハットから僅かに目を覗かせ、鋭い目付きでギロリとこちらを睨む。ヤバ。もしかして気に障ったかな……。

 

「……たまーにザリガニが釣れるな」

 

 ドキドキしながら返答を待っていると、こんなぶっきらぼうな答えが返ってきた。怒ってないみたいで良かったけど、ザリガニなんか釣ってるのか。変わった人だな。

 

「よっこらせっと。俺に何か用か?」

 

 身体を起こし、帽子をかぶりなおして男が言う。青い瞳にボサボサの茶色い髪。顎には不精髭を生やし、ボロボロのカウボーイハットをかぶり、身体に巻いているのは所々ほつれた傷んだマント。なんだかみずぼらしい風体(ふうてい)をしていたが、不思議と不潔さは感じなかった。

 

「あ、えっと、特に用ってほどでもないんですけど、何が釣れるのかなって思いまして」

 

 見た所、歳は20代後半から30代前半といったところだろうか。おじさん……と呼んでいいんだろうか。それともお兄さん? それもちょっと違う気がする。なかなか難しい。

 

「俺はここで釣りをするのが好きでな。毎日こうしてのんびりと糸を垂らしてるのさ」

「へぇ~、そうなんですか」

 

 と関心する素振りを見せながら、チラリと彼の脇のバケツを覗き込んでみる。それにはただ水が入っているだけだった。釣れていないみたいだ。

 

「見てのとおり今日はまだ釣れてねぇよ」

 

 僕の視線に気付いたのか、彼はそんなことを言った。釣れないと面白くないだろうな。すると今は機嫌が悪いかな? このへんで話を切り上げて帰ろうかな……。

 

「餌は何を使ってるんですか?」

 

 と思っていたら、美波が話を続けてしまった。

 

「何も?」

「えっ? 何も使ってないんですか?」

「あぁ。ほれこのとおり」

 

 彼はそう言って釣竿を引いて糸を上げてみせた。確かに糸の先には餌らしき物は無く、J字型に曲がった針が付いているのみだった。

 

「餌が無くても釣れるんですか?」

 

 美波が更に尋ねる。当然の疑問だ。ルアーを使うわけでもなく、針だけでザリガニが食いついてくれるんだろうか。

 

「極稀にな」

「餌は使わないんですか?」

「あぁ。使わん」

「でも使った方が釣れるんじゃないですか?」

「まぁな。でも俺は餌を使わずに釣るのが好きなんだ。ひと月に1回釣れればいい方だけどな。ハッハッハッ!」

 

 なんて気の長い人だ。世の中には変わった人もいるんだなぁ……。美波とカウボーイハットの男が話しているのを聞きながら、僕はそんなことを思っていた。

 

「ところでお前ら見かけない顔だな。どこから来た?」

 

 この質問はこの世界に来て何回目だろう。”別の世界から”と答えるべきなのだろうけど、それを言って理解してくれるとは思えない。ならばここは彼の知っているであろう名前をあげるべきだ。

 

「僕たち、ハルニア王国から来たんです」

「そうかハルニアか。俺はもう何年も行ってないな。今向こうじゃそんな格好が流行ってるのか?」

「格好? あ、これですか?」

 

 どうやら文月学園の制服を見て言っているようだ。別に流行りに乗ってこんな格好をしているわけではない。

 

「ハルニア王国の人たちはみんな普通の服装ですよ。これはちょっと事情があって着てる特別な服なんです」

「事情? なんだ? 事情ってのは」

 

 僕が答えると彼はなぜか話に食いついてきた。これを着ている理由は”他に着る物を買っていない”というのもあるが、元の世界に帰る手掛かりを探すヒントになると思っていることの方が大きい。でもこれってそんなに面白そうな話なんだろうか? まぁいいか。事情を話すくらい、いいだろう。

 

「えっと、信じられないかもしれませんけど、実は僕たちこの世界の人間じゃないんです」

「ん? だからハルニアから来たんだろ?」

「あ、いえ。ハルニアの前に居た場所がありまして……」

 

 困った。なんて説明したらいいんだろう。別次元の世界だなんて言って理解してくれるだろうか。もし僕が逆の立場だったら、きっとからかわれていると思ってしまう。

 

(アキ、ウチが説明しようか?)

 

 僕が困っていると、美波が小声でそう言ってくれた。これは助かる。

 

(ゴメン。頼むよ)

(任せて)

 

「続きはウチが説明します。実はウチら、別の世界から飛ばされて来ちゃったんです」

 

 美波の説明はド真ん中の直球だった。こんな説明で良いのなら僕にだってできるんだけど……。

 

「別の世界? なんだそれは?」

「ハルニアでもガルバランドでもなく、普通の手段では行けない所なんです。ウチらは異世界って呼んでます」

「ほぅ……面白そうな話だな。もっと詳しく聞かせろ」

 

 彼は急に目をギラつかせ、身を乗り出して興味津々といった顔をする。今まではこういった話をすると、可哀想な目で見られたり相手にしてくれないことが多かった。だからこうして真面目に聞いてくれる人がとても新鮮に感じた。

 

「おっと、まだ名乗ってなかったな。俺はアレン。見てのとおり毎日を遊んで暮らしている者だ」

 

 毎日を遊んでって……収入はどうしてるんだろう。

 

「ウチは島田美波です。島田って呼んでください。こっちはアキ……じゃなくて吉井です」

 

 なんて疑問を抱いていたら美波に僕の分まで自己紹介されてしまった。

 

「あ……ど、どうも初めまして。吉井です」

 

 僕は腰を曲げてペコリとお辞儀をする。格好悪いな僕……自己紹介くらい自分でやれよ……。

 

「シマダにヨシイか。よろしくな」

 

 この後、僕らはこれまで辿って来た道をアレンさんに説明した。

 

 突然この世界に転移したこと。

 魔獣との戦いのこと。

 仲間の情報を得てこの町に来たこと。

 

 もちろん王子たちの引き起こそうとしていた戦争の話は伏せて。他国の内乱なんて伝えるべきじゃないと思ったから。

 

「なるほど……(にわか)には信じ難い話だが……。しかし嘘ではなさそうだな」

 

 右手で不精髭の顎をさすり、アレンさんはニヤニヤと笑みを浮かべる。だが目は真剣そのものだった。バカにされているわけではなさそうだ。

 

「それでお前たちはその”自分たちの世界に戻る手段”ってのを探しにこの国に来たってわけだな?」

「そうなんです。僕の仲間も皆知らないみたいで……アレンさん、何か知りませんか?」

「いや。悪いが俺は知らん」

 

 やっぱり知らないか。まぁ、そんなに簡単に見つかったら苦労無いよね……。

 

「ふむ……」

 

 ひとしきり話した後、アレンさんは空を見上げて黙り込んでしまった。何かを考えているようにも見える。思い当たることでもあるんだろうか? そうしてしばらく沈黙した後、彼はこんなことを言い出した。

 

「なぁヨシイ、今暇か?」

「? まぁ、暇といえば暇ですけど……」

「よし、ならついてこい」

「は?」

「暇なんだろ? ちょっと俺と付き合え」

「えぇっ!? そ、そんなこと言われても困りますよ!」

「ん? なんだ、暇だったんじゃないのか?」

「いや、そうじゃなくて……」

「じゃあ何だってんだ?」

「それはその……僕にはもう……み、美波が……いるから……」

 

 それに男に付き合ってほしいなんて言われても……。

 

「ちょ、ちょっとアキったらこんな所で何言ってるのよ……は、恥ずかしいじゃない……」

 

 僕の隣では美波が肩を窄ませてモジモジと身体をくねらせている。そういう僕も自分が言ったことが急に恥ずかしくなってきて、顔が熱くなってきてしまった。

 

「なぁお前ら、何か勘違いしてねぇか? 見せたい物があるからついてこいって言ってるんだが?」

「「ふぇ?」」

 

 僕たちは揃って変な声を出してしまった。そりゃそうだよね。よく考えたら男であるアレンさんが僕に付き合ってほしいなんて言うわけないか。

 

「もう! アキったら変な勘違いしないでよ! ウチまで恥をかいちゃったじゃない! バカバカ!」

「いたたたっ! ご、ごめん! ごめんってば!」

「バカバカっ! アキのバカっ!」

 

 美波が僕の頭をポカポカと殴る。でも痛くない。それに美波はなんだか嬉しそうな顔をしているように見える。だからなのか、僕も自然と笑みがこぼれてしまう。

 

「あー。取り込み中悪いんだが……どうするんだ? 来るのか? 来ねぇのか?」

「「あっ……」」

 

 遊んでる場合じゃなかった。アレンさんに答えなくちゃ。でもどうしよう。知らない人について行っちゃいけないんだろうけど……。と考え込んでいると美波が小声で話しかけてきた。

 

(ねぇアキ、今は予定も無いし、行ってみない?)

(でも大丈夫かな。騙されて身ぐるみ剥がされたりしないかな

(ウチらには召喚獣の力があるじゃない)

(まぁ、そうなんだけど……)

 

 う~ん……美波はああ言うけど……ちょっと心配だなぁ。本当に大丈夫なんだろうか。

 

「安心しな。ンな盗賊のような真似はしねぇよ。お前らに見てもらいてぇ物があるんだよ」

 

 どうやら聞こえていたらしい。

 

「あ、あははっ! す、すみません……って、見てもらいたい物?」

「あぁ。たぶんお前らに関係する物だと思う」

「アキ、もしかして……」

「うん。アレンさん、僕たち行きます! それがたとえ地の果てであろうとも!」

 

 ――ゴンッ

 

「いってぇ~……何すんだよ美波ぃ……」

「バカっ! そんなトコまで行くわけないでしょ!」

「いいじゃないか。ちょっとしたジョークだよ」

「アンタが言うと冗談に聞こえないのよ!」

 

 むぅ。そうなのか。じゃあどんな冗談ならいいんだろう。

 

「ハッハッハッ! お前ら面白いな! ま、ついて来いや」

 

 アレンさんは笑いながら立ち上がり、歩き始めた。って、あれ?

 

「アレンさん、竿は持って行かないんですか?」

「ん? あぁ、すぐ戻るから構わん」

「そうですか」

 

 ということは、ここから近いってことか。

 

「行こ、アキ」

「うん」

 

 スタスタと公園を出て行くアレンさん。僕たちはその後に続いた。

 

 それにしても見せたい物って何だろう? 僕たちに関係するってことは何かしらの手掛かりなんだろうか。だとしたら願ってもないことだ。

 



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第六話 自由王

 背を丸くし、ポケットに手を突っ込んで道を歩くアレンさん。一体どこへ行くつもりなんだろう?

 

「あの……アレンさん、どこに行くんですか?」

「ん? なーに、ついて来れば分かるって」

 

 尋ねてみてもこんな答えしか返ってこない。本当に信用していいんだろうか……。

 

 そんな心配を余所に、彼はふらふらと身体を左右に揺らしながらガニ(また)で歩く。僕たちは向かう先に多少の不安を抱きながら、彼の後ろについて歩いた。

 

 そうしてしばらく歩いていると、次第に道が開けてきて人通りが多くなってきた。どうやら追い剥ぎやカツアゲをするつもりではなさそうだ。でもどこに向かってるんだろう?

 

「ここだ」

 

 30分ほど歩いただろうか。アレンさんは大きな建物の前でピタリと立ち止まり、親指で前方の建物を指差した。

 

「え……こ、ここですか!?」

 

 僕は動揺を隠せない。

 

 目の前には天を仰ぐほどに巨大な建物が(そび)え立っている。さすがに高層ビルほどではないが、見たところ10階分くらいの高さはありそうだ。建物の前には広い庭があり、たくさんの植物が植えられている。そこには赤や黄色に彩られた花壇のようなものも見える。正面には黒い金属製の門。その両端には白い壁が遠くまで続いていて、左右どちらも(はじ)が見えないほどだ。

 

 とてつもなく広大な敷地と建物。どう見てもお城だ。それも町中のどの建物よりも立派な、まるで王宮のようなお城。っていうかコレって……。

 

「あ、あの……アレンさん? ここって王宮じゃないんですか?」

 

 オドオドする僕を見てアレンさんはニカッと笑みを浮かべる。そして何も答えずに背を向けると、

 

「よっ、ごくろうさん」

 

 と、門の警備をしている兵士に軽々しく声をかけた。

 

「なっ!? ぶ、無礼者! 貴様何者だ!」

「ここは国王陛下アレックス王の宮殿なるぞ! 我らへの愚弄は陛下への愚弄と同等と知れ!」

 

 戸惑いながらも槍を突き出す2人の兵士。こんな挨拶をされては警戒するのも当然だろう。ところが、目の前に槍を突き付けられてもアレンさんは身じろぎひとつしなかった。なんて肝の据った人なんだろう。

 

「よしよし。それでいい。まったくパティの部下は優秀だな」

 

 腕組みをして満足げに”うんうん”と頷くアレンさん。パティというのは人の名前だろうか。それにしてもアレンさんの行動の真意が掴めない……。

 

「えっ……? そ、そのお声はまさか……」

「ま、まさか……そんな!」

 

 何かに気付いたのか、銀の鎧姿の兵士2人は急に表情を強ばらせ、槍を下げた。どこからかカタカタと音が聞こえてくる。震えで彼らの着ている銀色の鎧が音を立てているようだ。彼らの顔からはみるみる血の気が失せていく。

 

「俺だよ、俺」

 

 そんな彼らにアレンさんは帽子を脱いで見せた。

 

「「あ、アレック――!」」

「シーーッ! 大声を出すな!」

 

 アレンさんが声をあげようとした2人の兵士の口をそれぞれ手で塞ぎ、黙らせる。そして兵士たちの耳元でヒソヒソと何かを話し始めた。話を聞きながら何度か頷く兵士のおじさんたち。

 

「「しっ、失礼しましたッッ!!」」

 

 2、3、言葉を交わした後、2人の兵士の態度は急変。ビシッと背筋を伸ばし、アレンさんに対して敬礼をした。もう何がなんだかさっぱりだ……。

 

「あー。謝んなくていいから門を開けてくんねぇかな」

「「はっ! ただいま!」」

 

 兵士のおじさん2人は慌てて鍵を開け、黒い金属製の門を重そうに押して開く。僕は美波と一緒にただ呆然とそのやり取りを眺めていた。

 

「おーい、ヨシイ、シマダ。行くぞー」

 

 ……ハッ

 

「い、行こうか」

「そ、そうね……」

 

 

 

          ☆

 

 

 

 王宮内に入り、広くて長い廊下を堂々と歩いていくアレンさん。わけがわからず、肩身の狭い思いでついて歩く僕と美波。途中に出会う人たちは皆が驚き、「お帰りなさいませ!」と頭を下げる。ひょっとしてアレンさんって……。

 

(ねぇアキ、もしかしてアレンさんって……)

 

 美波がこっそり耳打ちをしてくる。どうやら美波も気付いたようだ。周囲の人からこういった態度で見られるということは、王宮内で身分の高い人だろう。こうして誰からも(うやま)われる人物といえば考えられるのは大臣もしくはその上。つまり王様だ。アレンさんはそのどちらかである可能性が高い。

 

 そんなことを考えているうちに赤いじゅうたんの道は扉に突き当たった。アレンさんは金属製の扉に両手を当て、おもむろに押す。大きな扉は音も立てずにゆっくりと開いていった。

 

「――っ!」

 

 するとその部屋にいた法衣のような服を着た男がすっ飛んできて、突然怒鳴り始めた。

 

「連絡もなしに一体どこへ行っていたのですか! 出掛ける時は行き先を伝えるようにとあれほど言ったでしょう!!」

「わーっ! ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ!!」

 

 目の前で突然怒鳴られた僕は両手で頭を抱え込み、平謝りする。って、あれ? なんで僕が叱られるんだ? しかも見ず知らずの人に。

 

「アキ、違うみたいよ。アレンさんみたい」

「ほぇ?」

 

 頭を上げて見てみると、アレンさんが白い法衣の男に話しかけていた。

 

「よぉパティ。久しぶりだな」

「久しぶりだな、じゃありません! 仕事をほったらかして今まで何をやっていたのですか!」

「あー。まぁ、なんだ。ちょっと釣りをしに行ってた」

「ちょっとじゃないでしょう! 何日(しろ)を留守にしたと思っているのです! 貴方が行方を(くら)ませてからもう1週間ですよ! 1週間!」

「まぁ堅いこと言うなよ。息抜きだよ息抜き」

「息抜きで1週間も城を空ける国王がどこにいますか!! 貴方はまるで息抜きの合間に仕事をしているみたいじゃないですか!」

「ハッハッハッ! うまい事を言うなぁパティ」

「笑い事じゃありません! ちゃんと反省してください!」

「いいじゃねぇか。ここにはお前のような優秀な大臣がいるんだからよ」

「っ……! そ、その手には乗りませんよ! そうやっておだててまた何もかも押し付けようって魂胆でしょう!」

「ヘヘッ、バレたか」

「まったく貴方という人は……。いいですかアレックス。あなたは国王なのです。もっと自覚を持っていただかないと困るのです」

「わーってるよ。その説教はもう耳にタコができるほど聞いてるよ」

「ぜんぜん分かっていないから言っているのです!」

「まぁそう目くじら立てんなよパティ。あんまり怒るとハンサムが台なしだぜ?」

「誰に怒っていると思っているのです!! それにその呼び方はやめてくださいと言ったでしょう! 私はパトラスケイルです!」

「いいじゃねぇか。パティの方が呼びやすいんだからよ」

「ハァ……まったく。貴方は気楽でいいですね……」

「そんなことよりパティ、客人が来てるんだ」

「客人? あぁ、後ろのお2人ですか」

「あぁ、ちょいと釣り場で知り合ってな。なぁお前ら。って……何してんだ?」

 

 えっと……僕ら入ってもいいのかな? あの人があんまり怒ってるもんだから入り辛くて……。

 

「そんな扉の陰に隠れてねぇで入ってこいよ」

「は、はい……」

 

 だ、大丈夫かな。怒られたりしないのかな。僕たちは恐る恐る部屋に入り、ペコリとお辞儀をして挨拶をする。

 

「は、はははじめまして! 吉井といいます!」

「パティさん、はじめまして。ウ、ウチは島田です。よろしくお願いします……」

「ヨシイ様にシマダ様ですね。はじめまして。ですが私はパティではなくパトラスケイルです。お間違いなきよう」

「あっ……す、すみません! アレンさんがそう呼んでいたので、ついウチも……」

「……お2人ともあまりこの人に関わらない方がいいですよ。ガラの悪いのが移ってしまいます」

 

 パトラスケイルさんは静かに言う。

 

 やや面長の顔に切れ長の目。瞳は空のように青く、肩に掛かるほどの長い栗色の髪。鼻の頭にちょこんと乗せた小さな丸い眼鏡は知性を感じさせる。

 

 法衣のような白い服も似合ってるし、格好いい人だなぁ。それにもう怒ってないみたいだ。

 

「パティ、そいつらを応接室に案内してやってくれ。俺はちょいと倉庫に行ってくる」

 

 僕たちが挨拶している間にアレンさんはそう言い、スッと部屋を出て行ってしまった。

 

「アレックス! 貴方また逃げるつもりですか!」

 

 パトラスケイルさんがそう叫んだ時にはもうアレンさんの姿は無かった。っていうか、アレックスさんって呼んだ方がいいのかな? それとパトラスケイルさんはちょっと名前が呼びにくいな。パトラスさんでいいかな。

 

「パトラスケイルさん、たぶん大丈夫だと思います。ウチらに見せたいものがあるって言ってましたから取りに行ったんだと思います」

「……そうですか。ならば良いのですが……」

 

 彼はハァと大きく溜め息を吐き、肩を落とす。なんだかとても疲れた顔をしている。ずっと苦労してきたんだろうなぁ。それにしてもアレンさんは王様だったのか。ハルニア王国のレナード王に比べると、ずいぶんいいかげ……フリーダムな人みたいだな。

 

「王の命とあらば仕方ありません。ご案内します。ヨシイ様、シマダ様。こちらへどうぞ」

「「はい」」

 

 ”様”付けはやめてほしいなぁ。そんなに敬われるほど偉くないし。

 

「行きましょアキ」

「うん」

 

 僕たちはパトラスさんの後について歩き、赤いじゅうたんの道を進む。こうしているとガラムバーグでジェシカさんに案内されて歩いた廊下を思い出すな。……ジェシカさん、元気にしてるかな。戦争もなくなったんだ。もう争いの種は無いはず。きっと相変わらず豪快に笑っているよね。

 

 それにしてもアレックスさんが見せたい物ってなんだろう? 帰るための手掛かりかと思ったけど、あの王様のことだからザリガニの魚拓かもしれない。もしくは釣り具自慢をしたかったとか。そんな物を見せられても僕には善し悪しなんて分からないし、反応に困るだろうな……。

 



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第七話 バカも歩けば棒に当たる

「こちらでお掛けになってお待ちください。すぐお茶をご用意します」

 

 僕たちを部屋に案内すると、パトラスさんはそう言って去って行った。ダダっ広い応接室に取り残された僕と美波。長めの階段を上がって来たので恐らくここは3階あたりだろう。

 

 部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは、大きなシャンデリア。天井から吊り下げられたそれは全体をガラスで作られ、多数の腕木を有していた。その上ではいくつもの魔石灯に火が灯り、室内を柔らかな灯で照らしている。

 

 僕は部屋の真ん中に設置されたソファに座り、ぐるりと室内を見回してみた。壁には大きな絵画がいくつか掛けられていて、部屋の隅にはピアノも設置されていた。正面には数個の窓があり、カーテンの合間から日の光が差し込んでいる。床は全面褐色のじゅうたん。踏んでみると押し返してくるような弾力があった。

 

 さすが王宮。バカみたいに広くて、天井もやたらと高い。なんと豪華な部屋だろう。まるでホテルのパーティーホールだ。

 

「なんか……落ち着かないわね……」

 

 隣では美波が肩をそわそわと揺らしている。その気持ちは僕も同じだ。

 

「僕もだよ。やっぱりFクラスの教室に見慣れてるせいかなぁ」

「あの教室ホントに酷いわよね。せめて透き間風が入らないようにしてほしいわ」

「だから言ったじゃないか。僕の隣は寒いよって」

「いいのっ! ウチはアキの隣がいいんだから!」

「でもそれじゃ授業に身が入らないんじゃない?」

「そうなのよね。さすがに雪が降ったりすると体の芯まで冷えちゃうわ」

「帰ったらなんとかするように鉄人に言ってみようか?」

「アンタの言うことなんて聞いてくれるかしら?」

「まぁ、聞いてくれないよねぇ……」

「ふふ……大丈夫よ。ウチが瑞希と一緒にお願いしてみるから」

「なるほど。鉄人も女子の言うことなら聞いてくれるか」

「そういうことよ」

 

 帰ったら……か。ホントに帰れるのかな。僕たち……。って言うか、こんなことしてる場合じゃない気がする。

 

「いやー待たせちまったな。やっと見つけたぜ。ずいぶん昔に見た物だったからどこに置いたか分からなくなっちまってな」

 

 その時、アレンさん――じゃなかった。アレックス王が戻ってきた。いや。言いづらいからアレンさんでいいか。そのアレンさんは頭や肩から灰色の粉をこぼしながら歩いてくる。酷いくらいに埃だらけだ。それに頭から蜘蛛の巣も糸を引いているようだ。ボロボロのマントなんかを着ているから余計に見窄らしく見えてしまう。これが本当に国王なんだろうか。なんだか騙されているような気がしてきた……。ん? 手に持っているあれは何だろう? 何かリング状の……。

 

「ほれっ」

 

 ぼんやりと眺めていたらアレンさんはそれを放り投げてきた。

 

「うわったったぁっ!?」

 

 お手玉をしながら僕はなんとかそれをキャッチする。

 

「な、投げないでくださいよぉ!」

「へへっ、まぁいいじゃねぇか。ほれ、見せたい物ってのはそいつだ」

 

 まったく、ホントいいかげんな王様だなぁ。で、これがどうしたって?

 

 

 ……

 

 

「えぇっ!? こ、これは!?」

 

 それは腕輪だった。それも見覚えのある腕輪。

 

「ちょっとアキ! それってアンタがいつも持ってた腕輪じゃないの!?」

 

 そう。美波が言うように、これは僕が肌身離さず持っていた物。

 

  ”白金の腕輪”

 

 学園長から受け取った時、これはそう呼ばれていた。これは召喚者の腕に装着し、特定の単語を声に出して言うことで特殊な能力を発動する(アイテム)だ。試召戦争において僕たちFクラスはこれのおかげで何度も窮地を脱している。だから常時ポケットに入れていつでも使えるようにしていたのだけど、この世界で目を覚ました時には携帯電話と共に失くなっていたのだ。でもそれがなんでこんなところに?

 

「その反応からするとやはりお前たちに関係のある物みてぇだな」

「もちろんです! なんでこんな物を持ってるんですか!?」

「ンなこと知るかよ。俺が物心付いた頃には宝物庫でホコリを被ってたんだからよ」

「へ? そんな昔から……?」

 

 おかしい。これは間違いなく学園長が作った腕輪だ。確かにあの妖怪ババァなら百年生きててもおかしくないけど、これを作ったのは僕らが2年生になってからのはず。それに僕がこれを失くしたのは2週間ほど前の話だ。一体どういうことなんだ?

 

「俺がガキの頃にそいつには強大な魔力が込められてるって親父から聞かされてな。けど、どうすればその魔力ってのが発現するのかちっとも分かんねぇんだ。そもそもどんな力かも分かんねぇし、危ねぇ代物かもしんねぇってんで諦めて宝物庫にブチ込んでおいたってわけさ」

「そうだったんですか……でもどうしてこれが僕たちに関係すると分かったんですか?」

「そいつをよく見てみな」

 

 言われた通りもう一度腕輪をじっと見つめる。金属製の丸い腕輪。非常にシンプルなデザインで洒落っ気などほぼ無い。しかしそれにはひとつだけ僕の知っている腕輪であることを示す物があった。文月学園の校章だ。

 

「そこにお前たちが胸に付けてる文様と同じ文様が彫ってあるだろ? そいつを見てピンと来たってわけさ」

「なるほど……そういうことだったんですか」

 

 それにしても僕の腕輪がこんなところにあるとは思わなかったな。でもこれを回収できても帰る方法が分かったわけじゃないんだよな。ただ二重召喚できるだけだし……。

 

「そういえばその腕輪って2種類あるのよね? アンタのと坂本のと」

「ん? あ、そうか。確かに2種類あるね」

「それはどっちなの?」

「どっちだろ? っていうか、そもそも雄二も失くしたのかな」

「見た目で分からないの?」

「それが見分けつかないんだよねコレ」

「じゃあ試してみたら?」

「それもそうだね。それじゃ早速……」

 

 僕は腕輪を右腕に装着。なんか少しキツい気がする。まぁいいや。まずは――――

 

起動(アウェイクン)!」

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 美波やアレンさんが息を呑んで見守る。だが腕輪は何の反応も示さなかった。

 

「反応しないってことは坂本の腕輪じゃないのね」

「そうみたいだね。ってことは僕のってことかな? ――二重召喚(ダブル)!」

 

 …………

 

 …………

 

 ……?

 

「あれ? これも反応しない?」

 

 おかしいな。起動(アウェイクン)でも二重召喚(ダブル)でもないってどういうことなんだろう?

 

「アンタの発音が悪いんじゃないの?」

「う~ん……そんなことないと思うんだけどなぁ。いつもこんな感じで使ってたし。ってそうか。二重召喚(ダブル)は召喚獣を出してなきゃダメか」

「そうなの?」

「うん。たぶんね。やってみれば分かるさ。試獣装着(サモン)!」

 

 喚び声と共に足元に幾何学模様が現れ、そこから光が溢れ出す。光の柱は僕の衣装を改造学ランに変化させるとすぐに消えていった。よし、装着完了っと。これなら発動するはずだ。

 

「そんじゃもう一回。二重召喚(ダブル)っ!」

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 やはり反応しない。

 

「う~ん……ダメかぁ」

「壊れてるのかしら。それとも偽物とか?」

 

 もし壊れてるのだとしたらどうにもならない気がする。だってこの世界にはババァ長なんていないだろうし、他に直せる人がいるとも思えない。いや、もしかしたら美波の言うように偽物……というか本物を模したレプリカだったりするのかもしれない。

 

「なぁヨシイ、さっきからアウェイだのダボルだのわけ分からんこと言ってるが、そりゃ何なんだ?」

 

 装着を解いて腕輪をまじまじと見つめているとアレンさんが尋ねてきた。

 

「これは腕輪の力を引き出すための合い言葉みたいなものなんです。この腕輪が本物ならこれで力が発動するはずなんですけど……」

「動かねぇのか?」

「はい……」

「フーン……合い言葉が間違ってるってことはねぇのか?」

「それは間違いないです。前に僕が使ってた時はこうすると腕輪が光って力が発動してたんです」

「じゃあシマダがやってみたらどうだ?」

「えっ? ウチ?」

「美波もやってみる?」

「そうね、やってみようかしら。アキ、ちょっと貸してくれる?」

「うん」

 

 腕輪を渡すと美波は右腕に装着。そしてその手をスッと上げ、キーワードを口にした。

 

「じゃあやってみるわね。――起動(アウェイクン)っ!」

 

 

 …………

 

 

 室内はシンと静まり返っている。

 

「やっぱり召喚獣が必要なのかしら。試獣装着(サモン)っ!」

 

 彼女の足元から光の柱が立ちのぼり、衣装を変化させる。やっぱり美波の青い軍服姿は何度見てもかっこいいな。

 

「行くわよっ! 二重召喚(ダブル)っ!」

 

 

 …………

 

 

 やはり何も反応しない。

 

「やっぱりウチでもダメみたい……」

 

 肩を落とし、しゅんと落ち込んでしまう美波。心なしかリボンも(しお)れたように見える。

 

「美波のせいじゃないよ。きっとこれは白金の腕輪を模した作り物なんだよ」

「そうなのかしら……」

「うん。きっとね」

 

 でもこの腕輪、間違いなく文月学園に関係する物だ。校章が入ってるから間違いない。仮に偽物だとしても、これを作った人が文月学園の関係者であることは確実だ。もし僕らの他にも文月学園の関係者がいるのならこの世界について何か知っているかもしれない。もしかしたら帰る方法だって……。

 

「あの、王様」

「あー。ヨシイよ、その呼び方はやめてくんねぇかな。ガラじゃねぇんだ」

「ほぇ? そうなんですか? じゃあなんて呼べばいいですか?」

「アレンでいい。1人で街に出る時はこの名前を使ってるんでな」

「分かりました。それじゃアレンさん、この腕輪を作った人って分かりますか?」

「んにゃ、知らねぇ。さっきも言ったが俺が物心付いた頃には既にあった物だからな」

「そうですか……」

 

 こういう時ゲームなら城の中にいる人に徹底的に話を聞いてヒントを見つけるんだけど……。さすがにそんなことをしたら怪しまれるよね。それに実は本物で壊れてるだけって可能性もあるし。う~ん……どうしたものかな。

 

「ねぇアキ、皆を呼んで相談したほうがいいんじゃない?」

 

 なるほど。確かに雄二なら何か思いつくかもしれないし、もし壊れているのだとしたらムッツリーニなら直せるかもしれない。あいつは無駄に手先が器用だからな。

 

「そうだね。それがいいかもしれない。よしっ、王様! じゃなくてアレンさん、ここに仲間を呼んで来てもいいですか?」

「んー。そいつはやめておいた方がいいな。俺は構わんが城の者がいい顔をしねぇ」

「そうですか……」

 

 まぁ当然か。僕が逆の立場だったら、王家と無関係の者が城の宝物を弄っていたらいい気はしない。とはいえ、やはり雄二には見せておきたいな。

 

「じゃあコレ、一晩お借りしてもいいですか?」

「ん? あぁ、そいつはお前らにやるよ」

「は?」

「だから、お前らにやるって言ってんだよ。どうせ俺が持ってても何の役にも立たねぇし」

「え……で、でもこれって城の宝物なんじゃないんですか?」

「さぁな。長年宝物庫にあっても誰も気に留めなかったようなモンだし、いいんじゃね?」

「いや、いいんじゃね? って、そんな軽々しく……」

「まぁ気にすんなって。それにその文様からしてもともとお前らの物だったんじゃねぇのか?」

「それはそうかもしれないですけど……」

 

 ホントにいいんだろうか。確かに僕らに関係するものだとは思うけど、城の宝物を貰うなんて……。

 

「アキ、アレンさんがこう言ってくれてるんだからご厚意に甘えましょ」

「……そうだね。分かったよ。アレンさん、ありがとうございます」

「いいってことよ。そんじゃ俺はそろそろ行くわ」

 

 王様はそう言うとカウボーイハットを頭に乗せ、窓の方へ歩いていく。行くってどこへ行くんだろう? そっちには窓しかないけど……。

 

「お待たせしました。お茶をお持ちしま……アレックス! 何処(どこ)へ行くのです!!」

 

 ちょうどその時、ポットを乗せたワゴンを押しながらパトラスさんが戻ってきた。そして窓の縁に手を掛けるアレンさんを見るなり、凄い剣幕で怒鳴りつけた。

 

「やべっ! もう戻って来やがったか!」

 

 アレンさんは慌てて窓に片足を掛け、身を乗り出す。って! ちょっと待った! ここ3階だよ!?

 

「待ちなさいアレックス! 溜まっている仕事はどうするつもりですか!」

「そいつはお前に任せる。頼りにしてるぜパティ」

「そうはさせません!」

 

 ダッ! とパトラスさんが窓に向かって走り出す。

 

「へへっ、あばよっ!」

 

 しかしアレンさんはそれよりも早く窓から飛び降りてしまった。ま、まさか自殺を!? 大変だ!!

 

「「アレンさん!!」」

 

 僕と美波も慌てて窓に駆け寄る。そしてその窓から下を見下ろすと……?

 

「あ、あれ?」

 

 見下ろす先には何も無かった。いや、カーテンを結び合わせたロープ状のものが一本吊るされていて、風に舞っている。なんだコレ?

 

『ちゃんと2人を送り出してやってくれよパティ~っ! じゃあな~っ!』

 

 緑色の庭園にそんな声が響き渡る。見ればその庭には裏門に向かって走って行くひとつの影があった。

 

「アレックスゥーッ!! 貴方という人はどこまで身勝手なのですかァーッ!!」

 

 僕の横ではパトラスさんがこめかみに青筋を立てて怒りを顕にしている。どうやらアレンさんはこのカーテンのロープを伝って降りたらしい。いつの間にこんなものを用意したんだろう。

 

「まっっったく!! あの人ときたら!!」

 

 パトラスさんの怒りは治まらない。肩を尖らせ、ずんずんと歩いて部屋を出て行こうとする。こ、怖い……。

 

「おっと、これは失礼。大変お見苦しい所をお見せしました」

 

 扉の前で立ち止まり、パトラスさんが振り返って言う。その表情は元の冷静なイケメン顔に戻っていた。先程の鬼神のような顔が嘘のようだ。

 

「あ、いえ。何と言うかその……が、頑張ってください」

 

 僕は持ち得る語録を総動員し、返事を考え出す。もうちょっと気の利いた返事が出せればよかったのだが、僕の知識ではこれが限界だった。

 

「お心遣い感謝いたします。まったく、国王陛下にも困ったものです」

「あ、あはは……」

「それでは私は執務がありますので失礼させていただきます。すぐに代わりのメイドを呼びます。お掛けになってお待ちくださいませ」

 

 パトラスさんはそう言って軽く一礼する。

 

(アキ)

 

 すると美波が小声で呼び掛け、小さく首を横に振った。”これ以上ここにお邪魔するのは良くない。もう帰ろう”。そう言いたいのであろう。僕も賛成だ。姫路さんが心配してるだろうし。

 

「パトラスケイルさん、僕たちそろそろお(いとま)しますので、どうぞおかまいなく」

「おや、そうですか? せっかくですし、せめてお茶だけでも召し上がっていきませんか?」

「実は友人たちを待たせているんです。たぶん僕らの帰りを心配して待っていると思いますので……」

「そうですか。何のおもてなしもできず申し訳ありません」

「ウチらこそ突然お邪魔してすみませんでした」

「ではお茶はまたの機会に。門までご案内いたします。こちらへどうぞ」

 

 

 こうして僕たちは正門まで案内され、王宮を後にした。

 

 

「なんか圧倒されちゃったわね」

「そうだね……けどまさかアレンさんが王様だったなんてビックリだよ」

「レナードさんも仕事そっちのけで研究に夢中になってるみたいだし、もしかして王様って案外楽な仕事なのかしら?」

「え……そ、そうなのかな」

 

 なんか僕の中で常識が音を立てて崩れていくような気がした。国王様ってもっと威厳があって、ビシッと仕事をこなすような人だと思ってたのに。

 

「それにしてもその腕輪が王家の宝物になってたなんて不思議ね」

「まったくだよ。でもなんで動かないのかなぁ」

「ねぇアキ、それってもしかしたら元の世界に戻る手掛かりになるんじゃないかしら」

「この腕輪が?」

「動かないにしても形はそっくりなんでしょ? 文月学園の校章も入ってるし、何か別の使い方があるんじゃないかしら」

「なるほど……確かにそうかもしれない。よし! 戻って雄二たちと相談しよう!」

「そうね。坂本なら何か分かるかもしれないわね」

 




腕輪はアニメでは”黒金の腕輪”とされ、召喚フィールドタイプは明久が持つことになりました。本作では小説版に準拠し、白金の腕輪として召喚フィールドタイプを雄二が。二重召喚タイプを明久が持っていることにしています。


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第八話 腕輪の力

「いつまでイチャついてやがんだこの能天気馬鹿が!!」

 

 帰宅した途端、雄二に怒鳴られた。

 

「なんだよ。散歩してこいって強引に行かせたのは雄二じゃないか」

「そうよ。それにウチら別にイチャついてなんか……ね、アキ?」

「う、う~ん……」

「そこは同意しなさいよ!」

 

 正直言って反論しづらい。散歩と言いつつも3時間も帰らなかったのだ。時間を忘れて美波と遊び回っていたと思われても仕方が無いような気がする。

 

「時間がかかったのはさ、なんて言うか、その……ちょっと事情があったんだよ」

「事情なんざどうでもいい! 携帯もねぇし行き先も分からねぇんじゃ連絡の取りようがねぇだろうが!」

「わ、悪かったよ。ゴメン……」

「チッ……まぁいい。とにかく入れ。お前らにも話すことがある」

「うん」

 

 話すことってなんだろう? こっちも腕輪の話をしたいんだけどな。

 

「おかえりなさい、明久君、美波ちゃん」

「あ、姫路さん。ただいま」

「ただいま瑞希。ごめんね遅くなっちゃって。心配掛けちゃったわね」

「ちょっとだけ心配しちゃいました。でも美波ちゃんが一緒なので大丈夫だと信じてましたよ。それより聞いてください! 土屋君が凄い情報を持って来てくれたんですよ!」

「凄い情報? あ、ムッツリーニお帰り」

「…………うむ」

「で、凄い情報って?」

「ちょっと待ってください明久君。皆さん、明久君たちも戻って来たことですし、ゆっくり座ってお話ししませんか?」

「そうだな。明久、島田。お前らもマントを置いてこい」

「りょーかい」

 

 それにしてもムッツリーニが持ち帰った凄い情報ってなんだろう? こっちの腕輪もかなり重要な情報だと思うけど……。そんなことを考えながらマントをハンガーに掛ける僕。

 

「アキ、これもお願い」

「うん」

 

 美波のマントもハンガーに掛け、僕たちは円卓テーブルに向かう。皆は既に着席して待っていた。僕と美波は空いている席に着いた。すると今度は雄二が立ち上がり、

 

「ようやく全員揃ったな。じゃあ話を始めるぞ」

 

 と、腕組みをしながら口角(こうかく)を上げ、満足そうな表情を見せた。機嫌が悪かったのは僕らがいなくて話ができなかったからか。それなら待たないで先に話していれば良かったのに。それとも僕や美波がいなくちゃいけない理由でもあるのか? まぁいいや。とりあえずムッツリーニの話の前にこの腕輪を見てもらおう。

 

「ちょっと待って雄二。その前にこれを見てよ」

 

 僕は上着のポケットから腕輪を取り出し、テーブルの上に置く。

 

『『『えぇぇっっ!?』』』

 

 するとその場の全員が同時に驚嘆の声をあげた。いや、霧島さんだけは驚いていなかったかもしれない。

 

「お、おい明久! お前こいつをどこで盗んできた!」

 

 失敬な。僕が泥棒なんかするわけないじゃないか。

 

「違うよ。これはある人に貰ったんだ」

「嘘をつけ! このタイミングでそんな都合のいい話があるか!」

「いや、嘘じゃないよ? っていうかこのタイミングって何さ」

「坂本。アキを疑うのは分かるけど誓って盗みなんかしてないわよ」

「それ微妙にフォローになってないんだけど……」

「だ、誰から貰ったんですか明久君っ!」

「……学園長?」

「なんじゃと!? お主学園長に()うたのか!?」

「ちょっと待ってよ、落ち着いてよ皆。学園長じゃないよ?」

「じゃあ誰から貰ったんですか!?」

「誰って、アレンさんだけど……」

「アレン? 誰だそいつは!」

 

 雄二を筆頭に皆が予想以上に興奮している。なんでだろ?

 

「ちゃんと説明しなさいよアキ。皆が混乱してるじゃない。実はね――」

 

 美波が皆を落ち着かせ、池のほとりで出会った男の話をする。アレンさん――つまりアレックス王との出会い。王宮に案内され、この腕輪を譲り受けたこと。細かくすべてを話してくれた。

 

「そうか……なるほどな。どうやらムッツリーニの情報は本物のようだな」

「本物?」

「詳しく話そう。こいつを見ろ」

 

 雄二がテーブルに一冊の古めかしい本を広げる。僕は言われるがままにそれを覗き込んでみた。美波も同じように身を乗り出し本を覗き込む。そこには7つの円筒形状の絵が描かれていた。手書きにしては上手い。でもこの形、どこかで見たような……。

 

 !?

 

「こっ……! これ白金の腕輪じゃないか!」

「そうだ。偶然似た形の絵が描かれているだけかと思っていたが、お前がそいつを持ち帰ったことでこいつの信憑性が一気に高まった」

「ムッツリーニの情報ってこれだったのか……」

「そういうことだ」

「…………書物屋で埃をかぶっていた」

「ずいぶん古い本ですよね。いつ頃書かれた物なんでしょうか……。明久君、その腕輪ってそんなに歴史のあるものなんですか?」

「いや。そんなはずは無いよ。だって学園長が作ったものなんだから」

「じゃがこの本は見たところ書かれてから百年以上経っておるように見えるぞい? 学園長とて百歳は越えておるまい」

「ちょっと待って。木下、アンタどうしてこれが百年も経ってるなんて分かるのよ」

「演劇で古文書などをよく扱うのでな。このような状態の本ならば百年から二百年昔の物じゃ」

「ふ~ん……そうなのね。アンタのその知識もたまに役に立つのね」

「”たまに”だけ余計じゃ」

「坂本君、この腕輪が白金の腕輪なんですか?」

「そうだ。常にポケットに入れていたはずなんだが、こっちの世界に来た時には失くなっていたんだ。問題はなぜ王家の宝物庫に入っていたのか、だな」

「…………王様が拾った」

「いや、ムッツリーニそれは違うよ。これをくれたアレンさんは子供の頃に既にあったって言ってたから」

「それはおかしいのう。雄二よ、本当にそれは白金の腕輪なのか?」

「あぁ、形を見る限りは間違いない」

「……長年の研究の末、魔石より力の抽出に成功せり。()れを7つの器に(ふう)ずるものなり」

「あ? なんだそりゃ? 翔子、お前何を言ってるんだ?」

「……本にそう書いてある」

「ほう? 他に何が書いてある? 読んでみろ」

「……されど何人(なんぴと)たりとも力を扱える者なし。再度の調整適わず、()れを断念。友好の(あかし)としてハルニア王家に2つ、サラス王家に3つを贈る」

 

 

『『『…………』』』

 

 

 霧島さんが読み終わると部屋の中は静寂に包まれた。この文章からすると、これは昔の研究者が作った腕輪であって、白金の腕輪ではない。皆それを感じ取って言葉を失ったんだと思う。

 

「どうやらここに書かれておるのは白金の腕輪のことではなさそうじゃな」

「そうですね……」

「まだ分からないわよ。こっちには現物があるんだから。坂本、とにかく試してみない? ウチやアキじゃ反応しなかったけどアンタなら使えるかもしれないし」

「やってみる価値はありそうだな」

 

 美波に言われ、雄二は腕輪を右腕に装着。そしてその手を上げ、キーワードを口にする。

 

「――起動(アウェイクン)!」

 

 …………………………

 

 何も起こらない。

 

「何も反応せぬな」

「アウェイクン! アウェイクン! アウェイクゥン!」

 

 雄二が壊れたレコードのように繰り返し叫ぶ。うん。(はた)から見るとバカみたいだ。

 

「くそっ! なんで動かねぇんだ!」

「坂本でもダメなのね……」

「やはり白金の腕輪ではないのかのう」

 

 もともと白金の腕輪は僕と雄二に与えられた物だ。それが僕が使っても雄二が使っても動かなかったということは、やはり別物なんだろうか。でも……それじゃなんで文月学園のマークなんか入ってるんだろう?

 

「……雄二。私にやらせて」

 

 皆が落胆していると霧島さんがそんなことを言い出した。いつもは何が起きても驚きもせず、静観していることが多い霧島さん。そんな彼女がやってみたいと言うのは意外だった。

 

「構わんが……たぶん動かないと思うぞ?」

「……試してみる」

 

 霧島さんは雄二から腕輪を受け取ると右腕に装着。そして右手をあげ、

 

「……起動(アウェイクン)

 

 静かに、とても静かにキーワードを呟いた。その様子に皆が真剣な眼差しを注ぐ。

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 腕輪は何の反応も示さない。やはり動かないようだ。

 

「……ダメみたい」

「霧島よ。次はワシにやらせてくれぬか」

「……うん」

 

 霧島さんから腕輪を受け取った秀吉はそれを腕に装着する。そして、

 

「では行くぞい。試獣召喚(サモン)!」

 

 (まばゆ)い光の柱が秀吉の身体を包み、その身を転身させる。

 

 

『『『…………』』』

 

 

 ――――微妙な空気が部屋を包み込んだ。

 

 

「……間違えたわい。装着解除(アウト)

 

 仄かに頬を赤く染めながら頬を掻く秀吉はとても可愛かった。

 

「コホン。ではもう一度行くぞい。――起動(アウェイクン)!」

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 やはり何も起こらないようだ。

 

「ワシでもダメなようじゃな。ムッツリーニよ。次はお主の番じゃ」

「…………なぜ俺」

「この際全員で試してみるのもよかろう?」

「そうですね。それじゃ土屋君の次は私にやらせてください」

「…………分かった」

 

 この後、ムッツリーニと姫路さんが続けて試してみたが、腕輪に反応は無かった。結局全員ダメだったか。これは諦めた方がいいかな……。

 

「どうして動かないんでしょうね……」

「むう。ただ偶然同じ形をしておるだけなのかのう……」

「仕方ないよ。きっとこれは僕らの知ってる腕輪じゃないんだよ」

「悔しいわね……せっかく手掛かりが見つかったと思ったのに」

「……瑞希」

「はい? なんですか? 翔子ちゃん」

「……それ。光ってる」

 

 霧島さんが腕輪を指差して言う。良く見なければ分からないくらいだったが、確かに腕輪にぼんやりとした光が宿っていた。なんだか無気味な光だ……。

 

「あ、本当ですね。明久君、何ですか? これ」

「いや僕も知らないんだけど……」

「ウチが付けた時は光ったりしなかったわよ?」

「ワシもじゃな」

「もしかしたら今なら動くんじゃない? 瑞希、試してみてよ」

「分かりました。――起動(アウェイクン)っ!」

 

 ……………………

 

 腕輪は音もなく光を放ち続けている。だが他には何も起こらないようだ。

 

「ダメみたいですね……」

「何なのかしらね。瑞希、それちょっと見せてくれる?」

「はい、今外しますね」

 

 姫路さんは右腕から腕輪を外す。すると腕輪を包んでいた怪しい光はフッと消えてしまった。

 

「光らなくなっちゃったわね」

「なんか姫路さんだけに反応してない? この腕輪」

「そのように見えるのう」

 

 ホント、何なんだろうコレ? 少なくとも白金の腕輪にこんな機能は無かったから、やっぱり違う物なんだろうけど……。

 

「なるほどな。こいつぁもしかすると……」

 

 皆がクエスチョンマークを頭の上に浮かべている中、雄二がボソリと呟いた。見ればあいつは目をギラつかせ、顎をさすりながら笑みを浮かべていた。こいつがこういう顔をする時は何かを閃いた時だ。けど信用していいんだろうか。今までこの顔に騙されて散々な目に遭わされてきたからな。

 

「姫路、もう一度腕輪を装着しろ。それから召喚獣を喚び出してみろ」

「えっ? 召喚獣ですか?」

「そうだ。試獣装着しろ」

「なんだかよく分かりませんけど……とにかくやってみますね」

「はい瑞希、腕輪よ」

「ありがとうございます美波ちゃん。それじゃ――試獣装着(サモン)っ!」

 

 再び腕に腕輪を装着し、姫路さんは召喚獣を()び出す。光の柱が姫路さんの身体を包み込み、彼女の衣装を赤いワンピースに変化させた。美波の青い軍服もかっこいいけど姫路さんのスタイルもかっこいいな。

 

「どうだ姫路。腕輪に変化はあるか?」

「やっぱり光ってますね。……あら?」

「どうしたの姫路さん? 他に何か変化があった?」

「明久君、こんなところに文字なんて書かれていましたか?」

「文字?」

「はい。ここに」

 

 姫路さんが手首を上にして腕輪を見せる。そこにはうっすらといくつかの文字が浮かび上がっていた。

 

「う~ん。どうだったかな。覚えてないや」

「ウチが見た時はそんな文字無かったわよ?」

「そうか、やはりか。俺の思った通りだ」

 

 雄二はニヤリと口元にいやらしい笑みを浮かべ勝ち誇る。何か分かったのだろうけど、こういう顔をされると聞きたい気持ちが失せてしまうな。

 

「姫路よ。何と書いてあるのじゃ?」

「えっと、B、L、A、S、T。繋げて読むと、BLAST(ブラスト)ですね。――えっ?」

 

 文字を読み上げた直後、姫路さんは腕輪を見て小さく驚いた。彼女の腕輪が急に激しい光を放ち始めたのだ。そして、

 

  キュボッ

 

 という、なんだか可愛らしい音がして、赤い閃光が目の前を横切った。

 

 

 ――次の瞬間、凄まじい爆音と共に壁に大きな穴があいた。

 

 

「きゃーーっ!? か、壁が壊れちゃいましたぁーーっ!?」

「な、なんじゃこれは!? 一体どうなっておるのじゃ!?」

「…………レーザー光線」

「ぼ、僕にもレーザーに見えたけど……」

「ちょっとアキ! 何なのよこれ!」

「いや僕に聞かないでよ」

「わ、私壊すつもりなんてなかったんです! 腕輪に書かれている文字を読んだら急に光り出して、気付いたらこんなことにっ……!」

 

 姫路さんが目に涙を浮かべながら叫ぶ。思いも寄らぬ事態に完全に動揺してしまっているようだ。

 

「……瑞希、落ち着いて」

「で、でもでもっ! こんなことをしてしまって! 私どうしたらいいんでしょう!」

 

 霧島さんが(なだ)めるが姫路さんは聞く様子もなく、ブンブンと頭を横に振って叫ぶ。それにしても今のって何なんだろう? 姫路さんが文字を読んだら手から赤い光が出たように見えたけど……。ムッツリーニの言うようにまるでレーザー光線だ……。

 

『何だ今の爆発は?』

『おい、何だあれ? 壁に大穴があいてるぞ?』

『うわっ、こりゃひでぇ! 誰がこんなことをしたんだ?』

『爆発事故?』

『分かんねぇ。魔石の実験事故か?』

 

 空いた穴の外からガヤガヤと話し声が聞こえてくる。向こうは道路側。廊下側でなくて良かったけど、爆音を聞き付けて人が集まってきてしまったようだ。

 

「まずいな。騒ぎが大きくなる前に穴を塞ぐぞ。翔子、姫路を頼む」

「……うん」

「明久、お前は一階にいるホテルのオーナーに謝ってこい」

「なんで僕が!?」

「お前が嫌だというのなら仕方ない。島田、頼めるか?」

「僕が行くよ!」

「そうか。じゃあ任せる」

 

 謝りに行ったら怒られるに決まってる。きっとネチネチと嫌味を言われるか、酷く怒鳴られるに違いない。そんな役を美波にやらせるわけには――――って……。

 

「雄二」

「なんだ?」

「覚えてろよ」

「何のことだ? 他の者はこの穴を塞げ! いいな!」

「了解じゃ!」

「…………了解」

「アキ、そっちは頼んだわよ」

「う、うん」

 

 くそっ、雄二の策にまんまと乗せられてしまったじゃないか。仕方ない。今回は僕の負けだ。諦めて叱られに行ってくるか……。

 



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第九話 示された道筋

「ただいまぁ~……」

 

 部屋に戻ると、壁に空いた穴は木の板で塞がれていた。その塞がれた壁の前で木づちを手に振り向くのは2人の女の子だった。

 

「おぉ、無事に戻ったか明久よ」

「あ、おかえりアキ。どうだった?」

「こってり30分、怒鳴られて罵倒されて嫌みを言われたよ」

「説教のフルセットじゃな……雄二がお主を行かせた理由も分かる気がするのう」

「理由? ただ僕に嫌な役を押し付けただけじゃないの?」

「それもあるじゃろうが、そもそもお主は叱られ慣れておるからな。相手の神経を逆撫でせずに叱られるというのも意外と難しいものじゃ。それはお主が一番()けておると判断したのじゃろう」

「アキの特技ってところね」

「そんな特技いらないんだけど……それでそっちはどう?」

「ちょうど今穴を塞ぎ終えたところよ」

「とりあえずこれで雨風はしのげるじゃろう」

「そっか」

 

 穴の大きさは直径1メートル強。屈めば僕でも通り抜けられるくらいの大きさだった。今、その穴には布が詰め込まれ、上から板を張り合わせた補修が施されている。ちょっと不格好だけど、大工じゃない美波や秀吉がやったことを考えると良い出来なんじゃないかな。

 

「それにしても木材なんかよく見つけたね」

「土屋がどこからか拾ってきたのよ」

「ムッツリーニもこういうことは得意だね。僕の特技なんかよりよっぽど役に立つじゃないか」

「戻ったか明久。どうだ、オーナーは何と言っていた?」

 

 美波たちと話していると雄二が部屋に入ってきた。

 

「あぁ雄二。えっと、色々言われたけど簡単に言うと『弁償するか責任を持って直せ』だってさ」

「まぁそうだろうな。けど俺たちに弁償するほど金に余裕は無いから直すしかないな」

 

 一応僕には魔石を売って得たお金があるから弁償もできるけど……。どうするかな。ここで僕が代金を払ってカタを付けてしまった方が姫路さんも気が楽になるのかな。

 

「そうだ、姫路さんの様子はどう?」

「心配無用だ。もう落ち着いている。今は隣の部屋で休ませている」

「そっか。良かった」

「島田、こっちはもう終わったのか?」

「えぇ。ご覧の通りよ」

「ふむ……応急処置にしては上出来だ。よし、全員向こうの部屋に集まれ。作戦会議を開くぞ」

「作戦会議じゃと? ということは何か思いついたのじゃな?」

 

 秀吉の問いに雄二はニッと笑みを返し、背を向けて部屋を出て行った。あの顔。持論に自信ありといったところか。果たして期待して良いものだろうか。

 

「行きましょアキ」

「うん」

「どのような作戦か楽しみじゃな」

 

 僕らは雄二に続いて隣の部屋に移動した。そこにはベッドに腰掛ける姫路さんと霧島さんの姿があった。姫路さんは肩を落とし、俯いて暗い顔をしていた。

 

「あっ、明久君……」

 

 僕が部屋に入ると姫路さんは一瞬パッと明るい表情を見せた。しかしすぐにまた俯いてしまい、表情を曇らせてしまった。まだ罪悪感に(さいな)まれているといったところだろうか。

 

「姫路さん、元気出してよ。さっきのは姫路さんの責任じゃないんだからさ」

「そうよ瑞希。あれは、えっと……なんて言ったかしら。フカ、ふか……そう! フカコウリキってやつよ!」

「島田よ。それは不可抗力(ふかこうりょく)と読むのじゃ」

「う、うるさいわね! そんなの分かってるわよ! ちょっと瑞希を元気づけてあげようと思ってわざと間違えただけなんだからっ!」

 

 ……絶対ウソだ。

 

「ふふ……」

 

 秀吉たちがそんなやり取りをしていると、姫路さんが笑ってくれた。美波の思惑は図らずも成功のようだ。

 

「……やっぱり瑞希は笑った顔の方が似合う」

「えっ? そうですか?」

「……皆もそう思ってる」

 

 霧島さんの言う通りだと思う。僕も姫路さんは笑顔の方が断然可愛いと思っている。姫路さんだけじゃない。美波も、秀吉だって笑顔の方が可愛いんだ。雄二はどんな顔をしていてもブサイクだけどね。

 

「そ、そんなに見つめないでください。恥ずかしいです……」

 

 恥ずかしがって両手で顔を隠してしまう姫路さん。そんな彼女の頭を霧島さんは優しく撫でている。なんだかとても微笑ましい光景だった。

 

「……もう気にするのはおしまい」

「はい。ありがとうございます翔子ちゃん。美波ちゃん、皆さん、ご迷惑をおかけしました」

 

 座ったまま姫路さんがペコリと頭を下げる。どうやら吹っ切れたようだ。この様子ならもう大丈夫かな。

 

「すまなかったな姫路。だがお前のおかげで俺の考えが正しいことが証明された。感謝するぞ」

「私のおかげ……ですか?」

「そうだ。今からそれを説明する。皆、座って楽にしてくれ」

 

 いよいよ作戦会議か。雄二のあの顔からすると、きっと何か有効な手掛かりを見つけたんだろう。ここまで長かったな……。1人草原に放り出され、マルコさんやルミナさんに助けられて。ジェシカさんは元気にしてるかな。王様のレナードさんには世話になったのにお礼も言えなかったな……。

 

 僕はこの世界で出会った人たちの姿を思い浮かべながら席に向かった。この部屋はわりと広くて、20平方メートルほど。僕の家のリビングと同じくらいの広さだ。部屋の構造は隣の部屋と同じ。真ん中に大きな円卓テーブルが一つ置かれているところまで一緒だった。

 

 僕と美波、それに秀吉とムッツリーニが円卓の席に着く。壁際にはベッドが2つ。そのうちの1つには姫路さんと霧島さんが並んで座っている状態だ。

 

「まずはここまでの話を整理するぞ。だがその前に確認しておきたいことがある」

 

 テーブルの前に立ち、片手をポケットに突っ込んで話し始める雄二。その言葉に全員が黙って頷いた。そして雄二は一瞬満足げな笑みを浮かべると、すぐに真面目な顔をして声を張り上げた。

 

「お前らに問う! 俺たちの最終目的は何だ!」

 

 何をいまさら。そんなこと聞かれるまでもない。

 

「元の世界に帰ること!」

 

 僕の答えにその場の全員が真剣な目をして、力強く頷く。

 

「全員一致のようだな。いいだろう。では次の質問だ。なぜ俺たちがこの世界に飛ばされたか分かるか?」

 

『『『…………』』』

 

 雄二の問いに誰も答えない。誰にも分からないのだ。

 

「そうだな。正直言って俺にも分からん。だがこの謎を解く鍵がある」

「…………召喚獣」

「それもそのうちの1つだ。だが鍵となるのは、あと2つある。何か分かるか?」

「なんだよ、勿体ぶらずに言えよ」

 

 雄二は僕に目を向けると、ニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。コイツのこういうところは相変わらずだな。

 

「1つはムッツリーニが言ったように召喚獣だ。2つ目はこの腕輪の存在。そして最後の3つ目は……明久、秀吉、ムッツリーニ。お前らなら気付いただろ」

「気付いた? 何に?」

「名前だよ名前。町の名前に見覚えがあるだろ」

「あぁ、うん。そうだね」

「んむ。確かに覚えておるぞ」

「…………ハンターズフロンティア」

「そうだ。あの時、俺たちがやっていたゲームだ」

「召喚獣と腕輪は関係あるから分かるけど……でもゲームはどう関係するのさ」

 

 町の名前の件はラドンの町でマルコさんと話していて気付いた。最初はゲームの中に入り込んでしまったのかと思ったけど、どうもそんな感じがしない。一致しているのが名前くらいしか無いからだ。

 

 ゲームの世界の建物は木造。でもこの世界は石やレンガで作られている。それに剣を持ち、鎧を着てモンスターと戦っているファンタジー要素は似ているものの、この世界の魔獣(モンスター)は僕らの世界の動物と同じ姿をしていた。どう考えてもゲームとの関連性が薄いのだ。

 

「ゲームとの関係については後で説明する。その前にこの世界に飛ばされた理由だ。まず、この世界で召喚獣が使えたことが大きなポイントだ。それに加えてこの白金の腕輪の存在。つまりこの世界には召喚システムが大きく関わっている。もうこの時点で首謀者の見当が付くだろ」

「そうね。今まで何度も召喚獣に絡んだ変なことに巻き込まれてるわね」

「そういえば僕たち巻き込まれる度に酷い目にあってるよね」

「本音を喋る召喚獣に2人の子供の召喚獣。それに大人になった召喚獣なんてのもあったのう」

「…………つまり犯人は学園長」

「そういうことだ」

「じゃあ学園長先生が私たちにお仕置きするためにこんなことをしたんですか?」

「そんな! 僕たちならともかく姫路さんや美波がお仕置きされるなんてありえないよ!」

「まぁ待て、慌てるな。話にはまだ続きがある」

「あ、うん」

「明久の言うとおり姫路たち女子に罰が下されるとは考えにくい。罰せられる理由が無いからな。ここで関係してくるのがさっきのゲームだ」

「? ゲームがどう関係するのさ」

「いいか、この世界の状況をよく考えてみろ。召喚獣、白金の腕輪、俺たちのやっていたゲーム内の町の名前。これらのことから想像できることと言えば何だ?」

「……召喚システムとゲームと現実の融合」

 

 !

 

「そんな……それじゃまさか……!」

 

 霧島さんの言葉で僕は思い出した。この世界に飛ばされる直前のことを。あの時、ブレーカーが落ちたような音と共に目の前が真っ暗になった。そしてビリッと体中に電気が走って気を失い、目が覚めると大草原だった。

 

 あの直前にやっていたこと。それは携帯ゲーム機の充電だ。それも見慣れないコンセントを使って。まさかやっぱりあのコンセントが原因なのか……?

 

「ちょっと待って坂本。じゃあこの世界ってアンタたちが遊んでたゲームの中ってことなの?」

「いや、それは違うな。この世界の町並みやモンスターは俺たちのやっていたゲームとはまるで違う。同じなのは町の名前くらいだ」

「そうなの? アキ」

「う、うん。ゲームのモンスターは架空の生き物ばかりだし、町だってこんなに丸い形はしてないよ」

「? 何を狼狽(うろた)えてるのよ」

「べ、べ、別に狼狽(うろた)えてなんかないよ!?」

 

 この世界に飛ばされたのって、ひょっとしなくても僕のせいだよね……皆には黙っておこうっと……。

 

「つまりゲームの影響度は低いということじゃな。それにしても学園長の道楽にも困ったものじゃのう」

「確かに学園長先生がやったことなのかもしれませんけど……でも2週間もこのままっておかしいと思いませんか? 何か今までと少し違うような……そんな気がするんです」

「姫路の言うことも(もっと)もだ。今までこういう時は大体その日のうちに直すなり召喚禁止にしていたが、今回はこれだけ長期になっているからな。まぁババァにも何か事情があるんだろ」

「事情? 事情とは何じゃ?」

「ンなもん、また失敗(やらか)したに決まってんだろ」

「あり得る話じゃな」

「…………あり得るというか間違いない」

「え~っと……つまり元に戻せなくなったってことかしら」

「簡単に言うとそういうことだ」

「え……ちょっと待ってよ雄二。もしあの妖怪ババァにも手が出せない状況なんだとしたらさ、僕たちが何をしても無駄なんじゃないの?」

「さぁな。だとしても俺はただ待つだけなんてまっぴら御免だ」

「僕だって嫌だよ。でもどう考えても打つ手が無い気がするんだけど……」

「ねぇ坂本、そう言うからにはアンタには何か考えがあるんでしょ?」

「まぁな」

「へ? そうなの? なんだよ。それならそうと早く言ってよ。で、その考えって何さ」

「この世界には召喚システムが深く関係している。確証は無いが十中八九間違い無いだろう。ババァが何をしたのか知らねぇけどな。けど仮にそうだとした場合、この状況を打破する可能性があるのは恐らく――こいつだ」

 

 雄二はテーブルの真ん中に置かれた腕輪を指差す。これって、さっき姫路さんがレーザー光線みたいなのを出したやつ?

 

「これがどう関係するのさ。さっきも散々試して姫路さん以外誰にも反応しなかったじゃないか」

「慌てるなと言ってるだろ。話は最後まで聞け単細胞」

「うん」

 

 ……

 

「最後の一言は余計だろ!」

「いいから黙って聞け」

「くっ……」

 

 いつかこいつにギャフンと言わせてやりたい。

 

「確かにこいつは姫路だけに反応し、しかも石の壁をブチ抜くほどの力を持った兵器だった」

「すみません……」

「……瑞希。もう気にしなくていい」

「はい……」

「だがこの形は紛れもなく白金の腕輪だ。能力からしても作った奴は同じだろう」

「ふむ。するとやはり学園長ということになるのかの?」

「そうだ。思い出してみろ。400点オーバーした者にのみ許されるという召喚獣の腕輪の力を」

「そういえばそんなのあったわね。前に土屋が愛子と戦ってる時に見たわ」

「…………俺の腕輪効果は高速移動」

「そうそう。それで愛子を一瞬で倒しちゃったのよね」

「懐かしいのう」

 

 そういえばあの時が工藤さんとの初顔合わせだったっけ。あの時は結局あと一歩のところで負けてしまって悔しかったなぁ。それも雄二が油断して小学生問題で霧島さんに負けたりするからいけないんだ! って、そうじゃなくて。

 

「雄二、それが元の世界に帰ることとどう関係するのさ。さっぱり分かんないんだけど?」

「いいか良く聞け。さっき姫路が放った熱線は姫路の召喚獣の腕輪が持っていた力だ」

「うん」

「つまり召喚獣の腕輪の力を俺たち自身が使えるというわけだ。だがこいつはこのとおり白金の腕輪の形をしている。これは召喚獣の腕輪と白金の腕輪が融合したものと考えられる」

「うん」

「仮にこの世界が召喚システムとゲーム、そして俺たちの現実が融合したものだとしたら、俺やお前が使っていた白金の腕輪の力も融合してどこかに存在している可能性がある」

「なるほど」

「アキ、本当に分かってる?」

「ううん。ぜんぜん!」

「ハァ……そんなことだろうと思ったわ。坂本、いいから話を進めて」

「お、おう……」

 

 だって世界の融合だとか、突拍子もない話で実感湧かないんだもん。

 

「つまりだな、俺が思うに、ここに書かれている7つの腕輪の中に白金の腕輪が含まれている可能性が高いってことだ」

「ふ~ん……でも白金の腕輪って2種類あるよね。僕のと雄二のと」

「鍵になるのは俺の召喚フィールドを作る方だ」

「もしそれがあったとして、どうやって元の世界に帰るのさ」

「いいか、まず召喚獣は召喚フィールドが無ければ召喚できない。俺らの間では常識だ。だがこの世界では召喚フィールドなしで()び出せる。一見不可解な現象に思えるが、これを常にフィールドが出ている状態と考えればどうだ?」

「なるほど……確かにそう考えると召喚獣を()び出せるのも当然じゃな……」

「そういうことだ。これは仮定に過ぎないが、かなり確度は高いと思う。そしてこの仮定の上で白金の腕輪が鍵になる」

 

 えっと……この世界が召喚フィールドであって、鍵になるのが白金の腕輪で……召喚フィールドと……白金の腕輪……?

 

「そうか! フィールド同士の干渉か!」

「正解だ明久。召喚フィールドがあるところに白金の腕輪で新たなフィールドを形成すれば両方のフィールドが打ち消し合い消滅する。もしこの世界が召喚フィールドそのものだとしたら、白金の腕輪を発動させることで相殺され、元の世界に戻れる可能性が高い」

「なるほど! そういうことか! 凄いよ雄二! さすがFクラス代表だよ!」

 

 僕は興奮のあまり立ち上がり、拳を握って思わず雄二を誉めてしまった。通常なら僕が雄二を誉め称えるなどありえない。しかし今回ばかりはさすがに感服した。今まで皆目見当も付かなかった”帰る方法”が雄二により具体的に示されたのだから。

 

 この時の僕の心は、かつてないほどに踊っていた。心なしか皆の表情も明るく輝いているようだった。その中でも取り分け姫路さんの笑顔が嬉しそうに見えた。

 

「それじゃ私たち元の世界に帰れるんですね!」

「まぁ待て姫路。これはあくまでも仮説だ。俺の考えが正しいとは限らない。仮に正しいとしても大きな問題が残っている」

「問題? 何が問題だっていうのさ」

「バカかお前は。この7つの腕輪がどこにあると思ってる」

「どこって、そりゃ……あ」

「……腕輪は王家の宝物」

「そういうことだ。そんなものを簡単に譲ってくれると思うか?」

「で、でもちゃんと説明してお願いすればきっと分かってくれるよ! アレンさんは譲ってくれたし!」

「だといいがな。何にしても今はこの腕輪を手に入れることが俺たちの取るべき行動だ」

「でも腕輪って全部で7つもあるのよね? それも3つの国に。坂本の言う腕輪ってこのうちのどこにあるのか分かるの?」

「翔子、本に腕輪の種類について書かれているか?」

「……詳細は書かれてない」

「そうか。書かれていないのなら行ってみるしかないな。なにしろこの世界じゃメールどころか電話すら無いんだからな」

「やっぱりそうなるのね……」

 

 つまり手当たり次第に探せってことか。非効率だなぁ。でも今度は探すものがはっきりしてるし、探し易そうだ。

 

「ところでムッツリーニ、さっきから何も言わないけど意見は無いの?」

「…………無い。帰れるなら何でもいい」

「そっか」

「よし、皆目的は理解したな? では手分けして各国に行ってもらうぞ」

「えっ? 皆一緒に行くんじゃないんですか?」

「確かにそれが望ましいが、それだと何ヶ月掛かるか分からんからな」

「それは……そうですけど……」

「姫路。あまり時間を掛けていると出席日数が足りなくなって俺たち全員留年することになるぞ」

「そ、それは困りますっ! 分かりました! 私、頑張ります!」

「その意気だ。それじゃチーム分けを決めるぞ。今回は俺の割り振りに従ってもらう」

「なんでさ。皆で相談して決めればいいじゃないか」

「遊びならそれでいいが、今回は急ぐ必要があるからな。効率重視だ」

「そっか……なら仕方ないね」

 

 行き先は3つの国。メンバーは僕、雄二、美波、姫路さん、秀吉、ムッツリーニ、霧島さん。この7人を少なくとも3つのチームに分ける必要があるってことか。普通に考えれば2、2、3の人数構成になるだろう。できれば姫路さんや秀吉の力になりたい。

 

 そうなるとこの3人チームに配属されるしかないけど、美波とも別になりたくない。う~ん。悩ましい。雄二はどう分けるつもりなんだろう?

 



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第十話 振り分け

「まずハルニア王国だが、これには明久と――」

 

 雄二がそこで口を止め、皆の顔を順に見ていく。僕はハルニアか。昨日までいた国じゃないか。まさかまた行くことになるなんて思わなかったな。でもハルニアなら町の位置とかも把握しているし、僕にとっては動きやすい。むしろ問題はチームメンバーだ。雄二のやつ誰を指名するつもりだろう?

 

 確実に言えるのは、万に一つも雄二とペアになることは無いということだ。たとえ雄二がそれを望んだとしても御免(こうむ)る。それから霧島さんを指名することも無いだろう。そんな割り振りをしたら自分の命が危ういことは知っているはずだ。

 

 なんてことを考えていると隣から凄まじいプレッシャーを感じた。

 

「そう睨むな島田。まるで般若だぞ」

「わ、悪かったわね!」

 

 今の殺気は隣に座っている美波から発せられていたものらしい。でもなぜそんなに殺気立ってるんだろう? って……なんか姫路さんも僕をじっと睨みつけてるんだけど……。何か恨まれるようなことしたっけ?

 

「安心しろ島田。ハルニア王国には明久とお前の2人に行ってもらう」

「えっ! ホント!? やったっ!」

 

 先程の凄まじいほどの殺気は瞬時にして消え去り、パァッと花が咲くような笑顔を見せる美波。相変わらず気持ちの切り替えが早い。

 

「よ~しっ! 頑張るわよ! 絶対に腕輪を持ち帰ってみせるわ! ね、アキっ!」

「ふぇ?」

「なによその気の抜けた返事は。もっと気合い入れなさいよ」

「え? あ……ご、ごめん。そうだね」

 

 美波が張り切っている。張り切り過ぎていて怖いくらいだ。それに対して姫路さんは大きく溜め息をつき、酷く残念そうな顔をしている。もしかして姫路さんも一緒に行きたかったのかな? できることなら僕もその方が安心できるんだけど……。雄二はどんな理由で僕らをハルニア王国にしたんだろう?

 

「雄二、ちょっと質問なんだけど」

「なんだ?」

「どうして僕と美波がハルニアなのさ」

「そんなことか。島田から聞いたぞ。お前らハルニア王国の国賓扱いなんだろ? 話を通すのにこれ以上の待遇は無いだろ」

「そうかもしれないけどさ、そういう意味ではムッツリーニだって同じくらいの待遇なんじゃないの?」

「なんだ? 気を利かせたつもりなんだが気に入らねぇのか?」

「なによアキ。ウチと行くのが嫌だとでも言うつもり?」

「いや! そ、そんなことはないよ!?」

「じゃあどうして土屋を行かせようとするのよ」

「だってほら、ムッツリーニってレナードさんと仲が良かったじゃないか。だから僕らより上手く話をまとめられるんじゃないかなって思ってさ」

 

 本当はムッツリーニに一緒に行ってほしいわけじゃなくて姫路さんが心配なんだけどね……。

 

「まぁ気を利かせてってのは冗談だ。だがムッツリーニにはサラス王国に行ってもらいたい」

「サラス? 何それ? サラミソーセージの仲間?」

「お前は食品にしか結び付けられんのか。サラス王国。秀吉と姫路のいたラミール港から船で行く別の大陸だ」

「へぇ。そんなのがあったんだ」

「さっき翔子が読み上げた中に名前があっただろうが……」

「そうだっけ? なんかもう頭が一杯で覚え切れなくてさ……」

「まぁお前の頭じゃ仕方ねぇな。ハルニア、ガルバランド、サラス。この世界にはこの3つの国がある。このうちサラスは俺たちにとって未知の国だ。だからムッツリーニにはそこに行ってもらいたい。いいな? ムッツリーニ」

「…………問題ない」

「それとサラス王国には姫路と秀吉にも行ってもらう」

 

 つまりサラス王国には姫路さんと秀吉、ムッツリーニの3人ってわけか。でもそれってどうなんだ?

 

(ねぇ雄二、さすがにその3人だと危険なんじゃない? 女子2人にエロの化身だよ?)

(お前の気持ちも分からんではないが、ムッツリーニの適応力は未知の国には必要だ)

(じゃあ雄二とムッツリーニで行けばいいじゃないか)

(俺はそれでも構わんが翔子が納得すると思うか?)

(だよねぇ……)

(心配するな。姫路はお前が思っているほど子供じゃない。俺にしてみればむしろお前の方が子供だ)

(悪かったね。どうせ僕は子供だよ)

(そんなことはどうでもいい)

(どうでもいいのかよ!)

(とにかく今は俺に任せろ。島田と別行動したいと言うのなら話は別だがな)

(ぐ……わ、分かった……)

 

 仕方ない。せっかく美波と一緒のチームになったのに組み直しなんて嫌だし、ここは雄二の指示に従おう。

 

「話を続けるぞ。残る俺と翔子はガルバランド王国――つまりこの国を調べる」

「あれ? 雄二、なんか自分だけ楽しようとしてない?」

「あ? 何がだ?」

「だってこの国に残ってる腕輪はあと1個だろ? しかも移動も無いから一番楽じゃないか」

「まぁ楽と言えば楽かもしれんな。だが適材適所を考えた結果だ」

「どこら辺が?」

「ハルニアはお前と島田以上の適任者はいない。サラスは未知の領域だから3人チームの姫路たちにしたい。そうしたら残るは俺と翔子で行くしかねぇだろ」

「う……確かにそうかもしれないけど……」

 

 どうも釈然としないんだよな。なんだかうまく言いくるめられた気がして。まぁ美波と一緒なら僕に不満は無いんだけどさ。

 

「それにこの国には不穏な噂があってな」

「噂? 噂とは何じゃ?」

「俺も詳しいことは知らない。だがもし噂が本当なら姫路や島田にはちょいとキツいかもしれん」

「ウチと瑞希? どういうこと?」

「まぁ、なんというか……俺も詳しくは知らねぇんだ。とにかくこの国については俺に任せろ」

 

 雄二にしては珍しく歯切れの悪い答えだな。姫路さんや美波にキツいって何だろう? 険しい山を登るから体力がいるとか? それなら確かに姫路さんには無理かもしれないけど、美波なら問題ないよね。それに霧島さんが入ってない理由が分からない。

 

「もう一度言うぞ。ハルニア王国には明久、島田。ガルバランド王国は俺と翔子。サラス王国は姫路、秀吉、ムッツリーニだ。皆いいな?」

 

 その場の全員が同時に頷く。雄二の言う噂っていうのが気になるけど、まぁいいか。あいつは僕には嘘をつくけど、女子に嘘は言わないからな。さて、これでチーム決定か。でも姫路さんのチームが少し心配だな。本当にあの3人で大丈夫かな……。

 

「あっ、そうだ! ねぇ皆、チーム名を決めない?」

 

『『『チーム名?』』』

 

 突然の美波の提案。皆は声を揃えて聞き返した。そんなものを決めてどうしようっていうんだろう?

 

「せっかくチーム分けしたんだからチーム名を付けた方が格好いいと思うの」

「チームと言うても2人や3人じゃがの」

「いいじゃない。それでもチームはチームよ」

「別に名前を付けたって何も変わりゃしねぇぞ?」

「私は美波ちゃんに賛成です。その方が気合が入ると思いますし」

「……私も賛成」

 

 女子3人は賛成か。雄二はあまり乗り気じゃないみたいだ。秀吉はどちらでもいいといった感じだし、ムッツリーニは……どっちでもいいって言うよね。とりあえず僕も意思表示をしておくか。

 

「どちらかと言うと僕は賛成かな」

 

 美波が楽しそうだし、反対する理由も無いからね。

 

「じゃあ賛成多数ってことで決定ね」

「ま、好きにしてくれや」

「ウチらのチーム名はもう決めてあるの。チーム”アキ”よ」

 

 はいぃ!?

 

「ちょ、ちょっと待ってよ美波! なんで僕の名前なの!?」

「決まってるじゃない。アンタがリーダーだからよ」

「えぇぇっ!? ぼ、僕がリーダーなの!?」

「そうよ。ウチはアキの指示に従うわ」

「いやでも2人のチームでリーダーって言われても……」

「頑張ってね、アキっ」

 

 美波が笑顔をキラキラと輝かせて言う。こんなに可愛い笑顔で言われたら拒否できるわけがないじゃないか。

 

「う、うん……」

「じゃあ決まりね。ウチらは今からチームアキよ」

 

 とほほ……こんなことなら賛成なんかするんじゃなかった……。

 

「じゃあ次は瑞希のチームね」

「やっぱりリーダーを決めてチーム名にすべきですか?」

「別にそう決まってるわけじゃないわよ?」

「え……じゃあなんで僕の名前をチーム名に使ったのさ。やっぱり別の名前にしようよ」

「ダメよアキ。もう決まったことなんだから」

「え~……そんなぁ……」

「さ、瑞希たちのチーム名を考えましょ」

 

 まったく、美波も強引だなぁ。けどこういった皆を引っ張って行くところは美波らしいな。だからこそチームリーダーも美波の方が適任だと思うんだけどな。

 

「私は木下君と土屋君と一緒ですよね。この中でリーダーをやるとしたら……やっぱり土屋君でしょうか」

「…………俺はリーダーの器じゃない」

「そうでしょうか? この世界への順応は土屋君が一番だと思うんですけど……」

「…………そんなことはない」

「でも王宮諜報員なんて凄い職に就いてますし、やっぱり土屋君が適任だと思うんです」

「…………なぜそれを知っている」

「あ、それ僕が話した」

「…………余計なことを」

「いいじゃんか。本当のことなんだし」

「そうですよ。隠す必要なんてありませんよ」

「…………あまり知られると面倒になる」

「ふむ。ムッツリーニもこう言っておるし、どうじゃ姫路よ。ここはお主がリーダーをやってみぬか?」

「えっ!? わ、私ですか!? ダメですよ私なんて! 体力は無いし坂本君みたいに頭も良くないですし!」

 

 この時、僕の心の中にはスコールのような涙の雨が降った。学年次席とサシで勝負できるような人が何を言ってるんだろう。姫路さんが頭が良くないのなら僕はどうなるんだろう? と。

 

「体力などなくても良いのじゃ。リーダーはメンバーをまとめ上げるのが役目じゃからな」

「で、でも私なんかじゃ力不足だと思うんです。リーダーなんてやったこともないですし……」

「なに、最初は誰もが初めてじゃ。こういった経験をしておくのも良いかもしれぬぞ?」

「そうでしょうか……」

「安心せい。いざと言う時はワシらがフォローする」

「…………手伝う」

「でも……」

 

 渋る姫路さん。彼女は人差し指を唇に当てて考え込んでいる。悩む気持ちはよく分かる。僕もなぜかリーダーにされて戸惑っているから。でも姫路さんなら僕なんかよりずっと上手くやれそうな気がする。

 

「……分かりました。私、やってみます!」

 

 姫路さんは顔を上げて片手に拳を握る。その表情は凛々しく、やる気に満ちていた。この様子ならきっと上手くやれるだろう。

 

 それにしても姫路さんのリーダーか。きっと雄二と違って優しく皆を導くんだろうな。もし彼女が試召戦争のリーダーをやったらどうなるんだろう? 一度やってみるのも面白いかもしれないな。男子全員が奮起して信じられないような力を出したりするかもしれない。

 

「決まったみたいね。じゃあチーム名はどうする? チーム瑞希でいいのかしら?」

「あっ……ち、チーム名は皆の名前を使いませんか?」

「ワシらの名前を繋げるということかの?」

「はいっ、そうです!」

「繋げるって言うと……チーム瑞希木下土屋? ちょっと長いわね」

「どうして私だけ下の名前なんですかっ!?」

「それもそうね。じゃあ瑞希も名字にする?」

「あ……いえ、明久君のチームも下の名前を使ってますし、ここは皆で下の名前を使うべきだと思うんです」

 

 そこは同じにしなくてもいいんじゃないかな……。

 

「じゃあ、えっと……チーム瑞希秀吉康太ってことになるのかしら? やっぱり長いわね」

「ならば名前の一文字ずつを取って”みひこ”というのはどうじゃ?」

「あっ! それなら順番を入れ替えて”ひみこ”にしませんか?」

「ほう? 邪馬台国の女王の名じゃな」

「どうですか? 可愛くていいと思うんですけど」

「可愛いかどうかは別として、悪くはないのう。ワシは構わぬぞ。ムッツリーニよ、お主はどうじゃ?」

「…………卑弥呼がどんな巫女衣装を着ていたのか気になる」

「問題ないそうじゃ」

 

 ……今の会話のどこに同意があったのだろうか。

 

「決まりみたいね。じゃあ瑞希、木下、土屋のチームはチーム”ひみこ”に決定よ」

「……最後は私と雄二」

「めんどくせぇな。さっさと決めろよ」

 

 雄二は円卓テーブルの椅子に座り、つまらなそうに頬杖をついている。こいつは興味のあるものとないもので態度がはっきりしてるな。きっと名前なんかどうでもよくて、さっさと話を進めたいんだろう。

 

「……大丈夫。もう決めてある」

「そうなの? なんて名前?」

 

 美波が尋ねると霧島さんが少しだけ笑顔を見せた気がした。

 

「……チームしょうゆ」

「却下だ」

 

 霧島さんが言い終えた瞬間、雄二が速攻で拒否した。

 

「……どうして」

「いいかげん調味料から離れろと何度言えば分かるんだお前は……」

「……可愛いのに」

「ンなわけあるか! そんな名前を付けられた子供の身にもなってみろ!」

「……でも子供召喚獣のしょうゆは可愛がってくれた」

「んがっ……! あ、あれはだな……。なんだ、その……あ、あんまり俺を慕ってくるから……つい、ほっとけなくて……だな……」

 

 仄かに頬を赤く染めて恥じらう雄二が気持ち悪い。

 

「坂本ってきっといいパパになるわよね」

「そうですね。あの”高い高い”をしてた坂本君はとってもいい顔してました」

「やめろ! 思い出すんじゃねぇ! 頼むから忘れてくれぇぇっ!」

 

 頭を抱えて悶え苦しむ雄二。今まで散々僕をバカにしてきた報いだ。とことん苦しむがいいさ!

 

「それでチーム名はどうするのじゃ? チームしょうゆで良いのか?」

「いいわけねぇだろ!」

「坂本がああ言ってるけど、どうする? 翔子」

「……じゃあ、こしょう」

「却下!」

「……しお」

「却下だ!」

「……さとう」

「そりゃ名字だろ!」

「……みりん」

「お前調味料の名前言ってるだけじゃねぇのか!?」

 

 雄二と霧島さんが漫才のようなやりとりを繰り広げる。お互い一歩も引かないようだ。

 

 

 ――――そんなこんなで10分後。

 

 

「ぜぇっ、ぜぇっ……も、もういい、好きにしてくれ……」

「……じゃあしょうゆ」

 

 押し問答を繰り広げたあげく、結局最後は雄二が折れてチーム名は晴れて”しょうゆ”になった。なんだか卵かけごはんが食べたくなっちゃったな。

 

「ったく、無駄に時間を費やしちまったじゃねぇか……」

 

 気に入らないのか、雄二がブツブツと文句を言っている。そんなに早く話を進めたいのなら最初から抵抗しなければいいのに。

 

「よし、じゃあ話をまとめるぞ。まず行き先の確認だ。明久と島田はハルニア。姫路、秀吉、ムッツリーニはサラス。俺と翔子はここガルバランド。皆いいな?」

 

 雄二の言葉に全員が黙って頷く。

 

「さっきも言ったとおり、この世界では通信手段が無い。だから期限と集合場所を決めておく。期限は10日。集合場所はこの部屋だ。たとえ腕輪が見つからなくても必ず期限までに集合しろ。何か質問はあるか?」

「もし期限までに戻れぬ事情ができたらどうするのじゃ?」

「なんとしても戻れ。と言いたいが、どうしてもできない時はこのホテル宛てに手紙を出せ。オーナーには俺から話しておく」

「んむ。承知した」

「他に質問は?」

 

『『『…………』』』

 

「無いようだな。道中は何があるか分からん。絶対に無理はするな。危険を感じたらすぐに戻れ。俺たち全員で元の世界に帰るぞ! いいな!」

 

『『『おーーっ!』』』

 

「出発は明朝(みょうちょう)! 明日を含めて10日以内に必ずここに戻れ! 以上だ!」

 

 

 こうして僕たちの腕輪探しの旅がはじまることになった。

 

 

 この後は皆と相談し、一緒に夕食を取ることにした。残念ながら調理台が設置できるのは壁の壊れた向こうの部屋のみ。やむなく僕らは向こうの部屋に移動し、食事の仕度を始めた。

 

 料理をするのはもちろん僕ら男子。本当は皆で一緒にワイワイとやりたかったのだが、姫路さんがいる以上、楽しくワイワイどころではなくなってしまう。間違いなく阿鼻叫喚(あびきょうかん)地獄絵図(じごくえず)と化すだろう。だから料理は僕と雄二とムッツリーニ、それに秀吉を加えた4人で作ることにしたのだ。

 

 しかしこのことを女子3人に伝えると、美波が自分も料理をしたいと言い出してしまった。そう言われてもこればかりは受け入れられない。美波だけを許可してしまうと姫路さんに説明がつかないからだ。

 

 なんとか説得しようと懸命に言い訳を考える僕たち男子。そうして練り出したのは、”男の秘密のレシピ”などという、わけの分からない理由だった。けれど美波はこの理由に納得してくれたようだった。こんな理由でよく納得してくれたものだ。

 

 そして皆揃って円卓テーブルでの食事。7人という大勢での食事は本当に楽しかった。今までの美波と過ごした日々も幸せで楽しかった。けれどこうして仲間と共に過ごす(とき)は別の楽しさがあった。壊れた壁から透き間風が入ってきて少し寒かったけど、僕らは夜遅くまで宴を楽しんだ。

 

 

 もちろんお酒じゃなくてジュースで。

 



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第十一話 出発前夜のひと騒動

 2時間ほどの宴を終え、僕らは明日に備えて寝ることにした。

 

「なぁ雄二、部屋の割り振りはどうする?」

「借りているのはこの部屋と隣の部屋の2つだ。男子と女子で分けるべきだろうな」

「まぁそうだよね」

 

 男女に別れるとして、問題はどっちの組がどっちの部屋を使うかだ。こっちの部屋は透き間風が入ってくるのか、まるでFクラスの教室のように寒い。言うまでもなく原因は塞いだ壁の穴だ。

 

 応急処置をしただけなので外から空気が流れ込んでくるのだろう。食事中はあまり気にならなかったが、この寒さはもはや屋外に居るのも同然だ。女の子は寒さに弱い人が多いと聞く。姫路さんたち女子にこんな劣悪な環境で寝させるわけにはいかないだろう。

 

「それじゃ僕ら男子3人はこっちの部屋だね」

「明久よ。4人じゃぞ」

「何言ってるのさ。秀吉は女子側に決まってるじゃないか」

「……お主、初詣の時の約束を忘れてはおるまいな」

「初詣? なんだっけ?」

 

 そういえば初詣の帰りに秀吉と何か約束したような気がする。なんだっけ。忘れちゃったな。

 

「ふむ。ならば帰ったら放送室の手配をせねばなるまいのう」

「放送室?」

 

 ハッ!

 

「そっ、そうだね! 4人だったね! いやぁ自分を数に入れるのを忘れてたよ!」

 

 そういえば初詣の帰りに秀吉を女扱いしないって約束したんだった……。約束を破ったら僕の声真似で”美波をお嫁さんにしたい”と校内放送するなんて言われて。そんなことをされたら全校生徒を敵に回すことになる。清水さんと須川君だけでも手いっぱいだというのに、これ以上余計な敵は増やしたくはない。

 

「自分を数に入れるのを忘れるなんて、アキもおっちょこちょいね」

「ったく、お前はぜんぜん成長しねぇな」

「うぅっ……」

 

 咄嗟に誤魔化したのはいいけど、またバカだと思われてしまった。どこかで名誉挽回しないとなぁ……。

 

「あ、あのっ! 明久君!」

「ん? 何? 姫路さん」

「やっぱりこの部屋は私が使います! だって……壁を壊しちゃったのは私ですから……」

 

 胸の前でぎゅっと拳を握り、姫路さんが辛そうな表情を見せる。姫路さんってこんなに責任感が強かったのか。そんなに気にしなくてもいいのに。

 

「でもこっちは寒いよ? 姫路さんだって寒いのは苦手でしょ? 僕は慣れてるけどさ」

「寒いくらい我慢できますっ!」

「いやぁ、でも姫路さん1人だけこっちの部屋ってわけにもいかないからさ」

「明久の言う通りだ。部屋は2つしかないんだ。お前1人にこの部屋を使わせたら残り6人が雑魚寝になるだろうが」

「それならウチと翔子もこっちの部屋でいいわよ? ね、翔子」

「……うん」

「いやでも本当に寒いよ? いくら美波が我慢強くたって厳しいんじゃないかな」

「平気よ。少しくらい寒くたって皆でぴったり密着して寝れば結構暖かいんだから」

「…………み、密着……! (プシャァァッ!)」

 

 突然隣で赤い噴水が吹き上がった。ムッツリーニが何かを想像して鼻血を吹き出したようだ。

 

「姫路に島田よ。お主らの気持ちは嬉しい。じゃがワシらはお主ら女子に寒い思いをさせながら、ぬくぬくと寝られるほど厚顔無恥ではないのじゃ。ここはワシらに顔を立てさせてくれぬか」

 

 いいこと言うなぁ秀吉。

 

「そうだよ2人とも。だから女子は遠慮なく向こうの暖かい部屋を使ってよ」

 

 それに美波が風邪を引いたりしたら僕も嫌だからね。

 

「まぁ、アキがそう言うのなら……」

「すみません……それじゃお言葉に甘えさせていただきます」

「決まりだな。ンじゃ寝る準備すっか」

「ウチらも向こうの部屋で寝る支度をしましょ」

「……うん」

「明久君、木下君、ありがとうございます。おやすみなさい」

「うん。おやすみ姫路さん」

「おやすみじゃ」

 

 

 そんなわけで僕ら男子は壁の穴を塞いだこっちの部屋。姫路さんたち女子は暖房の効いた隣の部屋で寝ることになった。女子3人が部屋を移動したのち、僕たち男子は寝具の用意を始めた。

 

 

「ベッドは2つだね。どうする? 雄二」

「俺らは4人でベッドは2つ。ベッドに2人ずつ寝るか2人が床で寝るかどちらかしかねぇだろ」

「さすがにこの気温では床で寝るのはちと厳しいのう」

「だな。しかしそうなるとベッドを共有しなきゃなんねぇわけだが……さてどうするか」

 

 ふむ。見たところベッドはシングル。これに2人が寝るのなら美波が言ったように密着して寝ることになるだろう。つまり今夜は一夜限りのアバンチュールというわけだ。

 

 

 ――――しかも男と。

 

 

「要するにペアを決めねばならぬということじゃな」

「ま、そういうこったな」

 

 確かにこの冷蔵庫のような気温の中、床で寝るなんてのは無謀だ。当然の判断だろう。でもだからと言ってこの赤毛ゴリラと一緒なんて死んでもお断りだ。秀吉やムッツリーニならまだしも。いやむしろ秀吉なら歓迎だが。

 

「ならばグーパーで決めるかの?」

「ジャンケンのグーかパーのどちらかを出し合ってペアを決めるっていうアレ?」

「んむ。そのとおりじゃ。明久が知っておるとは意外じゃな」

「いくらなんでもそれくらい僕だって知ってるよ……」

「手っ取り早くそれで決めるか。ムッツリーニもいいな?」

「…………構わない」

「よし、ンじゃ行くぞ。グーパー……」

 

「「「「ジャスッ!」」」」

 

 パー ←僕

 グー ←秀吉

 グー ←ムッツリーニ

 グー ←雄二

 

「もう一度じゃな。行くぞい。グーパー……」

 

「「「「ジャスッ!」」」」

 

 グー ←僕

 グー ←秀吉

 パー ←ムッツリーニ

 グー ←雄二

 

「お前らもっと協調性を持てよ。これじゃなかなか決まらねぇじゃねぇか」

「…………そう言われても困る」

「じゃあ今度は僕が。グーパー……!」

 

 秀吉とペアになりますように……!

 

「「「「ジャスッ!」」」」

 

 グー ←僕

 パー ←秀吉

 パー ←ムッツリーニ

 グー ←雄二

 

「「んのぉぉぉーーーーっ!!」」 ←僕と雄二の悲痛な叫び

 

「てめぇ! なんでグーなんか出しやがるんだ!」

「雄二の方こそなんでグーなんだよ!」

「お前がパーみたいな顔してるからだろ!」

「それはこっちの台詞だよ! 雄二の方こそいかにもパーな顔してたじゃないか!」

「ンだとてめぇ! もういっぺん言ってみろ! 誰がパーだ!」

「そっちこそ人のことをパーパー言って失礼じゃないか!」

「パーにパーと言って何が悪い!」

 

 ――バンッ!

 

「何やってるのアンタたち! 静かにしなさいっ!!」

 

「「は、はいっ!!」」

 

 突然乱暴に扉が開かれ、美波の怒号が部屋中に響き渡った。心臓が飛び出すくらいに驚いた僕と雄二はピンと背筋を伸ばし、反射的に”気をつけ”のポーズを取っていた。

 

「こんな夜遅くに騒ぐなんて他の人に迷惑でしょ! 子供じゃないんだからそれくらい考えなさい!!」

 

 ――バンッ!

 

「「「「……」」」」

 

 美波が去った後、室内はなんともいえない空気に包まれた。

 

「やれやれ……えらい剣幕じゃったな。肝を冷やしたぞい」

「…………心臓が一瞬止まった」

「美波だって人のこと言えないくらい大きな声じゃないか……」

「ったく。明久、お前のせいだぞ」

「なんで僕のせいなんだよ! もとはと言えば雄二が――!」

「ほれほれ、島田がまた怒鳴り込んでくるぞい」

「ぐ……」

 

 また美波に怒鳴られたくはない。悔しいけどここは一時休戦だ。

 

「分かったよ……」

「チッ、しゃーねぇ。諦めて寝るとすっか」

「そういうことじゃな」

「ハァ……しょうがないね。って……なんだよムッツリーニ、その嬉しそうな顔は」

「…………嬉しくなどない」

 

 鼻血を滴らしながら真顔で言われても。

 

「毛布は人数分ある。その窓の前に畳んで重ねてあるやつがそうだ。明久、そいつを配れ」

「へ~い」

 

 やれやれ。結局雄二と一緒のベッドか。まぁ硬い床で寝るよりマシと思って諦めるしかないか。ハァ……。

 

「ほい秀吉」

「すまぬな」

「ほいムッツリーニ」

「…………サンクス」

「んで、ほい雄二」

「おう」

 

 毛布を1枚ずつ渡していく僕。

 

「それでこれが僕の分っと……ん?」

 

 最後の1枚を持って立ち上がった時、窓の外にあるものが見えた。ホテル前の暗い道に(たたず)むひとつの影。そのシルエットは髪の長い女性のようだった。こんな夜遅くに誰だろう? もしかしてまだヤジ馬が残っているんだろうか。そう思って目を凝らしてよく見ると、その人影は僕のよく知る人のようだった。

 

「どうした明久」

「あ……ううん。なんでもない」

 

 あれって姫路さんだよね……あんな暗い所で何をしてるんだろう? 見たところコートも着てないみたいだったし、あれじゃ風邪を引いてしまうぞ。

 

 …………

 

「ちょっと僕、隣の部屋に行ってくる」

「…………着替えを覗くのなら俺も連れていけ」

「そんなことしないよ!?」

「…………チッ」

 

 舌打ちされたよ……ま、まぁいいや。とにかく確認に行こう。隣の部屋に姫路さんがいればあれはただのヤジ馬か通行人ってことになる。それを確認したいだけさ。

 

 僕は部屋を出て廊下を進む。そして隣の部屋の扉を叩いた。

 

 ――トントン

 

「僕だけど、ちょっと開けてくれる?」

『アキ? ちょっと待って。今開けるわ』

 

 すぐに扉がガチャリと開き、ポニーテールを解いた美波が姿を見せた。やはり髪を下ろした美波には少しだけ違和感を感じてしまう。

 

「どうしたの? アキ」

「姫路さんいる?」

「瑞希ならさっき頭を冷やしてくるって言って出ていったわよ?」

「え……そうなの?」

「寒いからやめなさいって言ったんだけど、ちょっとだけだからって1人で行っちゃったのよ」

「そっか……」

 

 じゃあやっぱりあれは姫路さんなのか。頭を冷やすって言ったって外は冷蔵庫並の気温なんだけど……大丈夫かな。心配だな……。

 

「ちょっと様子を見てくるよ。それで戻るように説得してみる」

「ホント? 助かるわ。きっとアキの言うことならきっと聞くと思うし」

「そうかな?」

「きっとね。あ、ちょっと待って」

 

 美波は何かを思い出したように部屋の奥へと戻って行く。そして戻って来た彼女はベージュ色のマントを手にしていた。

 

「これを瑞希に持っていってあげて」

「これ美波のマントじゃないか」

「そうよ。これならあったかくて外でも平気でしょ? もし長引くようなら瑞希に貸してあげて」

「分かった。それじゃ少しだけ借りるね」

「瑞希のこと、よろしくね」

「うん」

 

 さて、風邪を引く前に姫路さんを呼び戻さないとな。

 




ところでグーパーって地域によって掛け声にかなり違いがあるようですね。念のため調べてみてびっくりしました。僕の暮らしていた地域では「グーパージャス」なので、本作ではこれを採用しています。


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第十二話 瑞希の想い

 僕は借りたマントを手に階段を下り、1階へと降りた。降りた先はロビー。そこはほとんど何も見えないほどに暗く、シンと静まり返っていた。既に照明は消され、部屋の片隅では小さな魔石灯が常夜灯の如く極僅かな光を放っている。どうやら受付も終了しているようだ。

 

 出口はどこだろう? と目を凝らすと、暗闇の中にいくつものソファやテーブルが見えた。その先の突き当たりでは金色のドアノブが光を反射している。あれが出口か。これは気を付けて歩かないと足をぶつけてしまいそうだな。足元に気を配りながら暗いロビーを通り抜け、正面の扉から外へと出る。

 

 ホテルの正面には大きな道路が通っている。馬車が2台並んで走れるくらいの幅がある道だ。両脇の歩道には街路樹がそれぞれ等間隔に植えられ、木の幹に備え付けられた魔石灯の光は周囲の建物に木々の影を映し出す。その揺らめく橙色の光と影は怪しくも美しく、幻想的な夜景を作り出していた。

 

 そしてその木々のうちの1本の(たもと)(たたず)む人影がひとつ。黒い長袖ジャケットに赤いミニスカート。その人は文月学園女子の制服を着ていた。間違いない。姫路さんだ。彼女は先程僕が窓から見た時と同じ姿勢のまま、じっとホテルの2階を見上げている。その姿は頭を冷やしているというより、何か思い悩んでいるように見えた。

 

「姫路さん」

 

 僕は彼女に歩み寄りながら声を掛けた。

 

「……明久君……」

 

 すると姫路さんはこちらを向き、小さな声を出した。魔石灯の明かりでは暗くてよく見えなかったが、彼女は申しわけなさそうに沈んだ表情をしているようだった。

 

「こんなところでどうしたの? そんな格好じゃ風邪を引いちゃうよ?」

 

 僕は話し掛けながら姫路さんの肩にマントを巻いてやった。

 

「……ありがとうございます」

 

 彼女は少し驚いたような表情をした後、目を細めて笑みを浮かべた。けれど僕にはそれが無理に作った笑顔……作り笑いに見えた。姫路さんのこんな表情を見ていると心が痛む。いつもの笑顔を取り戻してほしい。僕はそう願った。

 

「あの壁のことを気にしてるの?」

 

 ホテル2階の布が詰められている壁を見上げ、僕は尋ねた。茶褐色の壁に白い布が詰められているせいか、外から見るとまだ壁にぽっかりと穴が空いているように見える。

 

「はい……」

 

 姫路さんは俯き、消え入りそうな声で答えた。

 

「さっきも言ったけどさ、あれは姫路さんのせいじゃなくて美波の言うように不可抗力なんだ。だから気にしなくていいんだよ」

「そうかもしれませんけど……」

「それに元はと言えば雄二が余計なことを言ったからなんだし、姫路さんが気に病む必要なんかないって」

「でも……私がやってしまったことには変わりありませんから……」

 

 姫路さんは小さな声で呟くように言い、顔を上げてくれない。揺らめく明かりに照らし出された彼女の表情は周囲の暗さも手伝い、一層沈んで見えた。

 

「姫路さん、元気出してよ」

「すみません……」

 

 ぎゅっと口を一文字に閉じて視線を落とす姫路さん。そんな顔しないでほしいな……姫路さんには笑顔が似合うのに。どうしたら元気になってくれるんだろう。そうだな……やっぱり姫路さんのせいじゃないって思ってもらうしかないかな。

 

「ねぇ姫路さん。僕思うんだけどさ、あの壁、壊れかかってたんじゃないかな」

「えっ? 壁が……ですか?」

「うん。だってさ、いくら腕輪の力が強くたってあんな石の壁を簡単にぶち抜けるわけがないと思うんだ」

「……そうでしょうか……」

「僕も前にBクラスと戦った時に召喚獣で教室の壁をぶち抜いたことがあるんだけどさ、何十発もパンチを入れてやっと壊れたくらいなんだ」

 

 姫路さんの召喚獣と僕の召喚獣では力の差は歴然。なにしろ総合得点で言えば姫路さんは僕の10倍もの力を持っているのだから。僕の召喚獣で苦労した壁の破壊だって、姫路さんなら簡単にこなせるだろう。だから先程壁を貫いた熱線も姫路さん自身の力だと思う。でも、ここは多少強引にでも彼女のせいではないと思い込ませるんだ。

 

「うん。やっぱりそうだ。どう考えても壁が壊れかかってたとしか思えない。そうさ! そうに決まってる! だから姫路さんに責任はないんだよ。それに壁なら直せばいいんだからさ」

「明久君……」

「さ、もう忘れよう! 壁のことは後で雄二に頼んで修理を手配してもらうからさ」

「はいっ……!」

 

 姫路さんはにっこりと微笑み、元気に返事をする。それは先程のような作り笑いではなかった。そう、僕は姫路さんのこんな笑顔が見たかったんだ。

 

「そういえば明久君の召喚獣って痛みとか返ってくるんですよね? 壁なんか叩いて痛くなかったんですか?」

「もちろん痛かったさ。でも気にしてる余裕は無かったよ。どうしても勝ちたかったからね」

「そうだったんですね……あんまり無茶をしないでくださいね?」

「ん? 別に無茶をしたつもりなんて無いよ?」

「でも校舎の壁を壊しちゃったんですよね?」

「うん」

「清涼祭でも校舎を壊してませんでしたか?」

「うぐっ……」

 

 嫌なことを思い出しちゃったじゃないか。清涼祭はもう半年以上前のことだけど、あの時のことは今でも鮮明に記憶に残っている。あの後鉄人に捕まって、頭の形が変わるんじゃないかってくらい殴られたから。

 

「だっ……大丈夫! もうあんなことしないよ!」

「ホントですか?」

「もちろんさ!」

「ふふ……約束してくださいね」

「うん。約束するよ。これ以上鉄人やババァ長に目を付けられたら進級も危ういからね」

「進級……ですか……」

 

 せっかく明るくなった姫路さんの笑顔がまた曇天のように暗くなってしまった。何かマズいことでも言ったかな。普通に会話を楽しんでいたつもりなんだけど……。

 

「ごめん姫路さん。僕、何か余計なこと言った……?」

 

 美波と付き合い始めてから相手の気持ちを理解するように努めている。でも、どうしても僕にはまだ無神経なところが残っているようだ。

 

「あっ……いえ、そんなことないですよ? 進級するには元の世界に帰らなくちゃって思っただけです」

 

 姫路さんが取り繕ったような笑顔を見せて言う。

 

「……そうだね。でも手掛かりが見つかったんだ。きっと帰れるさ」

「そうですね……」

 

 

「「…………」」

 

 

 会話が途切れ、冷たい風が吹き抜ける道端で僕たちは2階の壁を見上げる。

 

 白金の腕輪。

 

 明日、僕らはそれを探すためにそれぞれの道に進む。僕は美波と共にハルニアに戻り、姫路さんは秀吉、ムッツリーニと共にサラスという国へ。姫路さんともしばらくお別れだ。遅くとも10日後には再会できるとはいえ、ちょっと寂しい気がする。

 

「せっかく皆一緒になれたのに、またばらばらになっちゃうね」

 

 沈黙の重苦しさと寂しさに耐えられなくなった僕はこんなことを言ってしまった。そして言った直後、反省した。こんな寂しさを助長させるようなことを言うべきではないと。

 

「……いいえ。そんなことありませんよ」

 

 けれど意外にも姫路さんの返答は前向きだった。

 

「でもさっきチーム分けして行き先決めたよね?」

「行き先は違いますけど、皆の気持ちはひとつです。だから……ばらばらなんかじゃありません」

「……そっか。そうだね」

 

 姫路さんの言う通りだ。この世界に放り出された時は皆の状況が分からなかった。自分だけがこの世界に来てしまったんだろうか。美波は無事なんだろうか。1人でこの世界で生きて行かなくちゃならないんだろうか。そんな不安ばかりが頭の中を駆け巡り、何も分からず、頭の中がぐちゃぐちゃだった。

 

 でも今は違う。雄二の指揮のもと、腕輪を探し出すという目標が定められた。それぞれ行き先は違うけど、皆が同じこの目標に向かっている。だから寂しがる必要なんてなかったんだ。10日後には皆使命を果たしてここに集結するのだから。

 

「ところで明久君、ひとつ聞いてもいいですか?」

「ん? 何?」

「美波ちゃんとは上手くいってますか?」

「ほぇ? どういうこと?」

「ちゃんとお付き合いできてますか?」

「あぁそういうこと。う~ん……どうなんだろう。上手くいってるかどうかなんて考えたことないからなぁ……」

「上手くいってないんですか?」

「そんなことないと思うよ。……たぶん」

「自信無いんですね」

「そりゃそうだよ。今でも僕なんかを好きだって言ってくれたのが信じられないくらいなんだから」

「美波ちゃん……言ったんですね。好きって」

「うん」

「そうですか……」

 

 その時、姫路さんが唇を噛んで辛そうな顔をしたように見えた。どうしてそんな顔をするんだろう?

 

「えっと……姫路さん? 大丈夫?」

「……はい。大丈夫です。それで明久君はどうなんですか?」

「ん? どう、って?」

「美波ちゃんのこと、好きですか?」

「うん。好きだよ」

「――っ! そ、即答ですね……」

「いまさら隠してもしょうがないからね。皆もう知っちゃってるし。それに…………」

「それに……なんですか?」

「いや、やっぱりやめておくよ」

「そんな……気になるじゃないですか。最後まで言ってください」

「でも誰かに言うようなことじゃないし……」

「誰にも言いませんから」

「……分かった。絶対に誰にも言ったらダメだよ?」

「はいっ、約束します!」

「そ、それじゃ言うよ」

 

 こんなことを他人に言うのは初めてだ……。

 

「美波に好きだって言われて気付いたんだ。1年生の時に出会って……友達になってからずっと……僕もずっと美波のことを大切に思ってたってことをさ」

 

「……そう……ですか……」

 

 姫路さんはまた俯き、今にも涙を溢しそうな表情を見せる。なんだかよく分からないけど、この話題はやめた方が良さそうだ。僕も恥ずかしくてこれ以上話したくないし。

 

「あ、あははっ! ご、ごめん。変な話ししちゃって……」

「いいえ。そんなことないですよ。明久君の気持ちを聞けて良かったです」

「そう? それならいいんだけど。でもこんなこと姫路さん以外には話せないな」

「えっ? どうしてですか?」

「どうしてって、そりゃ恥ずかしいからさ」

「私だと恥ずかしくないんですか?」

「恥ずかしいことは恥ずかしいけど……でも姫路さんは他の人と違って冷やかしたり攻撃したりしないじゃない? だから落ち着いて話ができるんだよね」

「そうでもないですよ? 私だって冷やかしちゃいます」

「えぇっ!? や、やめてよそんなの!」

「ふふ……冗談です」

「ホント冗談にしておいてよ……」

「でも大丈夫なんですか? 須川君や清水さんが毎日のように追いかけてますけど……」

「ああ、あれなら平気だよ」

「でもなんだか皆さん過激になってきちゃって、いつか明久君が怪我をしちゃうんじゃないかって心配なんです」

「んー。大丈夫じゃないかな。清水さんも鉄人に叱られてからはあんまり無茶なことはしないし。須川君もね」

「それならいいんですけど……」

 

 正直言って、今の僕には清水さんやFFF団の連中の行動が可愛く見える。彼らのアレはただの遊びであり、ちょっと過激なコミュニケーション。そう思えるんだ。あの魔人に出会ったおかげでね。

 

 魔人か……。あいつ、まだハルニア王国にいるのかな。それでまだ僕を探していたりするんだろうか。でも空を飛べるようだったし、もしかしたらこの国に来てたりするのかもしれないな……。

 

 ……

 

 やめよう。今こんなことを危惧してもしょうがない。今僕らがやるべきことは腕輪の獲得なのだから。そうさ。あいつが何者であろうが構いやしない。僕たちの目的は変わらないんだ。

 

「そろそろ戻ろうか。出発は明日の朝だからね」

「そうですね。……でも私、ちょっと不安です」

「ん? 何が不安?」

「こんな見たこともない世界で探し物なんてできるんでしょうか……それに私がリーダーだなんて……」

「大丈夫だよ。僕でさえこうして1つ見つけられたんだし、もっと自信を持っていいと思うよ。姫路さんは僕なんかよりずっと強いんだからさ」

「私、強くなんてないです……」

 

 彼女の不安な気持ちは痛いほど分かる。僕だってこの世界で1人だった時は同じように不安だったから。でも美波やムッツリーニと再会できて勇気が湧いてきたんだ。

 

「大丈夫。秀吉やムッツリーニだっているんだ。2人とも試召戦争じゃあんまり目立ってないけど、いざという時は頼りになる奴らさ。だから困ったらあいつらを頼りにしてよ」

「……はいっ」

「よし、じゃあ戻ろうか」

「はいっ!」

 

 姫路さんは元気に返事をしてくれた。この様子なら大丈夫だろう。気を良くした僕は姫路さんと一緒にホテルの中へと戻った。

 

「暗いから足元に気を付けて」

「はいっ、ありがとうございます」

 

 相変わらずロビーは真っ暗だ。その暗いロビーを慎重に歩いて通過し、僕たちは階段を登る。2階に上がって一番手前の部屋が僕たち男子の部屋。その1つ奥が女子の部屋だ。更に奥にもまだいくつか部屋があるが、それは別の客が借りているらしい。

 

「明久君、これ、ありがとうございました。とっても暖かかったです」

 

 階段を上がったところで姫路さんはそう言ってマントを手渡してきた。

 

「そう? 持ってきた甲斐があったよ」

「それじゃおやすみなさい。また明日」

「うん。おやすみ」

 

 僕がマントを受け取ると、姫路さんはタタッと隣の部屋へと駆けて行った。その様子を見守りながら僕は手を振る。

 

 すっかり元気を取り戻してくれたみたいだな。姫路さんの役に立てたみたいで良かった。これで美波に顔向けが――って、しまった! これ美波のマントだった!

 

「姫! ……じ……さん……」

 

 呼び止めようとしたが、時既に遅し。僕が声を発したのはパタンと扉が閉まった瞬間だった。まぁいいか。明日の朝返せば。今すぐ必要になるわけでもないし。さ、僕も寝よう。

 

 僕は美波のマントを手に男子が寝る予定の部屋に戻った。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ぐおぉ~~……くかぁ~~……」

 

 部屋に戻ると僕の寝る予定だったベッドを赤毛ゴリラが占領し、大の字になって寝ていた。

 

 こ、こんの……バカゴリラがあぁぁーーっ!! なんで1人でベッドを占領してるんだよ! これじゃ僕が寝られないじゃないか! くそっ! 叩き起こしてやる!!

 

「おい! ゆ――!」

 

 思いっきり怒鳴りつけてやろうと思ったが、ふと思いとどまった。今ここで大声を出して雄二を叩き起こしたら、こいつは間違いなく反撃してくる。だが僕だって黙ってやられたりはしない。そうなれば乱闘になって、また大騒ぎになる。結果、また美波が怒鳴り込んでくるだろう。もう美波に叱られるのは御免だ。

 

「ハァ……」

 

 暗い部屋の中で溜め息を吐く僕。もうひとつのベッドを見ると、秀吉とムッツリーニが背を向け合って寝息を立てていた。2人とも寝ちゃったか。この部屋にはソファも無いし、こうなったら床で寝るしかなさそうだ。冷たそうだなぁ……。仕方ない。できるだけ毛布に包まって寝るか。

 

 僕は毛布で身体をぐるぐる巻きにし、床に寝転がった。やっぱり少し寒いな……。うぅ……雄二め……この恨み、必ず晴らしてくれようぞ……。

 

 僕は窓から見える月に雄二への復讐を誓い、眠りにつく。

 

 

 こうしてサンジェスタの夜は更けていった。

 

 

 

 ――――へっくしぃっ!

 



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第十三話 使命と旅立ち

 翌朝。

 

「んぅ……?」

 

 チラチラと目に掛かる光に僕は起こされた。

 

「ふぁ……あぁ……もう朝かぁ……」

 

 結局あのあと寒くて何度か起きてしまい、美波と自分のマントを重ねて掛けることでなんとか寒さを凌いだのだ。おかげで風邪を引くことはなかったが、正直あまり寝た気がしない。ちくしょう。こうなったのも雄二がベッドを独り占めしたりするからだ!

 

 朝から憎たらしいあいつの顔なんか拝みたくはなかったが、昨晩の怒りが沸々と湧いてきてしまい、思わずゴリラのベッドをキッと睨みつけた。

 

「あれ?」

 

 しかしベッドはもぬけの殻だった。雄二だけではない。秀吉とムッツリーニの姿もベッドどころか部屋の中にすら無かった。今この部屋の中に動くものは無く、窓のカーテンの隙間から朝日が静かに差し込むのみ。皆どこへ行ったんだろう?

 

 ――ガチャリ

 

 その時、後ろの扉が開き、誰かが入ってきた。

 

「む? 起きたか明久よ」

「あ、おはよう秀吉」

「んむ。おはようじゃ」

 

 相変わらず秀吉の朝の挨拶は不思議な感じだ。

 

「こんな朝早くからどこに行ってたのさ」

「ちと(おもて)に出ておったのじゃ。発声練習をしにな」

「発声練習?」

「んむ。演劇では喉を使うからの。ワシの日課じゃ」

「へぇ~。異世界でも秀吉の生活は変わらないんだね」

「こういったことは日々の鍛練が大事じゃからな」

 

 こんな世界に飛ばされても練習を欠かさないなんて、素直に凄いと思う。やっぱり秀吉は演劇が何より好きなんだな。

 

「ところで雄二とムッツリーニは?」

「あやつらならば朝食の買い出しに行ったぞい」

「皆起きるの早いなぁ」

「お主が遅いのじゃ。昨夜何をしておったのじゃ?」

「あぁ、ちょっと姫路さんと話てたんだ」

「ほう? どのような話じゃ?」

「えっ……」

 

 まさかそれを聞かれるとは思わなかった。いくら秀吉とはいえ、昨日姫路さんと話した内容を教えるわけにはいかない。

 

「そっ、そそそれはほら! アレだよアレ!」

 

 焦ってしまって誤魔化すようなネタが浮かんでこない。えぇい! 開け僕の言語録!

 

「なるほどのう。つまりワシには言えぬ内容ということじゃな?」

「うぐ……」

 

 完全に見透かされてしまった。どうして秀吉はこういうことには鋭いんだろう。

 

 ――ガチャリ

 

「ふぅ。やっぱ朝は冷えるな」

 

 するとその時、赤毛ゴリラが茶色い紙袋を胸に抱えて戻ってきた。ムッツリーニも一緒のようだ。

 

「お、おかえり雄二! ムッツリーニ!」

「おう」

「…………ただいま」

「んあ? なんだお前、その赤い顔は」

 

 !?

 

「な、なんでもない! なんでもないよ!」

「まぁいい。朝食の準備をするぞ。お前も手伝え」

「う、うん」

 

 昨夜の話をこいつらに知られたら面倒なことになる。あとで姫路さんにも秘密にするよう言っておかなくちゃ。それはさておき、朝食の準備だ。コンロは僕たち男子の部屋にしか無い。なので調理場は必然的にこの部屋ということになる。

 

 早速調理を始める僕たち。と言ってもパンを主食とした洋食メニューだから作る物は少ない。玉ネギと黒胡椒のオニオンスープに、ベーコンと野菜を一緒に炒めた野菜炒めの2種類だ。7人分なのでちょっと量は多いが、調理自体はとても簡単。調理を始めて30分もすれば、ほぼ準備は整った。

 

「よし、そろそろいいだろう。明久、女子連中を呼んでこい」

「りょーかい」

 

 言われた通り、僕は美波たち女子を呼びに隣の部屋へと向かった。ところが部屋を出たところでバッタリ3人と遭遇。美波が言うには、朝食をどうするか相談しに来たのだと言う。もちろん相談などする必要はない。既に7人分の準備はできているのだから。

 

 そんなわけで美波たちを部屋に招き入れ、僕たちは朝食を取ることにした。

 

 

『『『いっただきま~す』』』

 

 

 今、この場にはいつものメンツが揃っている。一緒にゲームをしたりバカな話で盛り上がれる、気の合う仲間。でもこの後、僕らはそれぞれの使命を受けて各地へと飛ぶ。こうして皆で一緒に取る食事もしばらくお預けだ。昨日やっと再会を果たしたばかりだというのに、なんとも慌ただしい展開だ。

 

 けれど不思議と寂しさは感じなかった。美波が一緒だということが一番大きな理由なのは間違い無い。ただ、昨夜の”皆の気持ちはひとつ”という姫路さんの言葉の影響も少なからずあったと思う。

 

「お食事の準備、結局全部坂本君たちにお任せしちゃいましたね。すみません……」

「ん? そりゃ俺だって命――いや、好きでやってるだけだ。気にするな」

「そうそう。雄二の言う通りさ。僕らは好きでやってるんだよ」

 

 好きって言うか、命にかかわるからなんだけどね。

 

「そうなんですね。ちょっと安心しました」

「それにしても相変わらずいい腕ね。坂本」

「へへっ、聞いて驚くなよ? 実はな、今日の野菜炒めは秀吉の手料理なんだ」

「えっ? そうなの? 木下って料理なんかできたっけ?」

「雄二に教わったでな。ワシもこれくらいの炒めものならできるようになったのじゃ」

「へぇ~やるじゃない。美味しいわよこれ。ね、瑞希?」

「はい。塩胡椒も均等に行き渡ってますし、とっても美味しいです」

「そうかの? そう言ってもらえると嬉しいぞい」

「帰ったら優子ちゃんに振る舞ってあげたらどうですか?」

「姉上じゃと? むぅ……姉上がワシの手料理なぞ喜ぶとは思えぬが……」

「そんなことないですよ。心の籠もったお料理はどんな高級料理より美味しいんですから」

 

 そうだね姫路さん。でもね、君の心が籠もった手料理は僕らには刺激が強すぎるんだ。全身が痺れるくらいにね……。

 

「そうじゃな。では試してみるとするかの。……無論、帰ったらじゃ」

 

 皆は黙って頷いた。

 

 雄二、秀吉、ムッツリーニ。美波に姫路さん、それに霧島さん。皆の表情に不安や迷いは無い。もちろん僕にも。この先、やるべきことが見えているからだ。

 

 白金の腕輪があれば元の世界に帰れるという、雄二の推理が正しいという保証は無い。でも今はこれを信じて突き進むしか無いのだ。大丈夫。きっと道は開ける。そう信じて。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 朝食を終え、僕たちは各自部屋に戻って出発の準備を始めた。と思ったらあっという間に皆準備を済ませ、部屋を出て行ってしまった。皆持ち物は少ないようだ。既に僕以外の全員がホテルの外で待っている。よし、それじゃ――――

 

 

 …………

 

 

 これでよしっと。さて、皆のところに急がなくちゃ。これ以上遅れたらまた雄二にバカにされそうだし。

 

 僕はいつものリュックを背負い、上からマントを羽織って皆の元へと急いだ。

 

「お待たせ皆」

「遅いぞ明久」

「ごめんごめん。ちょっと封筒を探しててさ」

「封筒? なんでそんなモン探してんだ?」

「まぁいいじゃないか。それより皆、忘れ物は無い?」

「一番忘れ物をしそうなのはお前だろ」

「失礼な。僕がいつ忘れ物をしたって言うのさ」

「週に1回は必ずしてたわね」

「そうじゃな。ノートや教科書。いつも授業に必要な物ばかり忘れておったな」

「へ? そうだっけ?」

「それすら忘れてるのかお前は……」

 

 どうやら僕の記憶からはそういった汚点に関する事柄は抹消されているようだ。

 

「あははっ! ま、まぁいいじゃないか! それじゃ皆そろそろ行こうか!」

「誤魔化したわね」

「誤魔化しよったな」

「…………誤魔化した」

 

 美波を筆頭に秀吉やムッツリーニがジト目を僕に向ける。そんなに追求しなくたっていいじゃないか……。

 

「も、もう勘弁してよ……」

 

 どうやら笑って誤魔化す作戦は失敗のようだ。なんだか恥ずかしくなってきた……穴があったら入りたい気持ちで一杯だ。

 

「ふふ……それじゃ皆さん、出発しましょうか」

「そうね。馬車の時間もあるし、アキをいじるのはこれくらいにしておくわ」

 

 あぁ良かった……姫路さんのおかげでこの話題から逃れられそうだ。まったく、美波も変にツッコミを入れないでほしいよな。秀吉やムッツリーニが調子に乗って増長するじゃないか。

 

「……待って」

「忘れ物ですか? 翔子ちゃん」

「……ううん。皆に渡したいものがある」

「渡したい物……ですか?」

「……うん。吉井、これを持って行って」

 

 霧島さんはそう言って一枚の紙を差し出してきた。何か筒状のものが()かれているようだ。

 

【挿絵表示】

 

 

「これは?」

「……腕輪の絵。昨日の夜に()いた」

 

 僕が尋ねると霧島さんはさらりとそう答えた。

 

「こっ、これ霧島さんが()いたの!?」

「……うん。急いで()いたから少し歪んでる」

「いや、どこらへんが歪んでるのかさっぱり分からないんだけど……」

 

 曲線もすっごく綺麗だし、まるで写真みたいだ……。

 

「……腕輪を探すのなら絵があった方が説明しやすい」

「昨日の夜に一生懸命何かを()いてると思ったらこれだったのね。助かるわ翔子」

「……瑞希も持って行って」

「ありがとうございます。翔子ちゃん」

 

 それにしても凄いなこの絵。鉛筆のようなもので()かれているけど、まるで白黒写真のようだ。まさか霧島さんにこんな才能もあったとは知らなかったな。

 

「……皆の役に立てばと思って()いた」

「すまねぇな翔子。助かるぜ。それとな皆、借りていた部屋のうち奥の部屋は返却する。帰ったら2階の一番手前の部屋に戻れ。いいな」

「オッケー。それじゃこの国の腕輪は頼んだよ雄二」

「おう。任せろ」

「瑞希、しっかりね」

「はいっ。美波ちゃんも無茶はしないでくださいね」

「大丈夫よ。ウチらには目的があるんだから。皆で元の世界に帰るっていうね」

「そうですね。私も絶対に帰って来ます。ここに」

「坂本、翔子と2人きりだからって襲っちゃダメよ?」

「むしろ俺が襲われそうなんだが……」

「……頑張る」

「お前は何を頑張るつもりだ!?」

「……? 腕輪探し」

「っ……! ま、まぁ……そうだな……」

「なんだと思ったの坂本?」

「う、うるせぇっ!」

「秀吉、ムッツリーニ、姫路さんを頼んだよ」

「んむ。心得ておる」

「…………言われるまでもない」

「お主こそ島田を困らせるでないぞ」

「善処するよ」

「そこは”分かってる”とか”任せろ”とか言うところでしょーがっ!」

「いだだだだっ! じょ、冗談だよ冗談! 耳引っ張んないでよ!」

 

 いつもの流れ。

 いつもの仲間。

 僕たちはしばし”あはは”と笑い合う。

 

「よし、お前ら頼んだぞ! 何があっても必ずここに戻ってこい! いいな!」

 

『『『おうっ!』』』

 

 こうして僕たちはサンジェスタの町を出発。それぞれの道に就いた。

 

 

 ―――― 10日後の再会を誓って ――――

 




次回からは各チームの様子を個別に描いて行きます。最初はチームアキになります。


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第二章 僕と鍵と皆の使命(クエスト) ―― チームアキ前編 ――
第十四話 ハルニア王国への道


今回よりチーム毎の話になります。まずはチームアキ。数話に渡って明久視点で物語が展開します。



 再びペアの旅となった僕と美波。僕たちは早速馬車に乗り、港町リゼルに向かった。もちろんハルニア王国に渡るためだ。

 

「それにしてもまさか引き返すことになるなんて思わなかったよ」

「そうね。でもこれでレナードさんのところに行けるし、お礼も言えるから良かったじゃない」

「なるほど。それは言えてるね」

「……腕輪、すぐ見つかるといいわね」

「大丈夫だよ。王家に贈られたっていう確かな情報があるし、きっとレナードさんの所にあるさ」

「アンタのそういう楽観的なところ、変わらないわね」

「ん。そう?」

「でもそういうところ嫌いじゃないわよ」

「えっと……ありがとう。で、いいのかな?」

「そうよ。ふふ……」

 

 僕ら7人はチーム分けをして各国へと旅立った。目的は白金の腕輪の入手だ。姫路さんをリーダーとする秀吉、ムッツリーニの3人は北へ向かい、海を渡ってサラス王国へ。雄二と霧島さんのペアはガルバランド王国に(とど)まり、残る1個の確保。そして僕と美波は元来た道を戻り、ハルニア王国の王宮都市レオンドバーグを目指している。

 

「ところでアキ、昨日の夜、瑞希とどんな話をしたの?」

「え……」

「なによその反応は。まさかウチに言えないようなことでも話してたんじゃないでしょうね」

「い、いや! そんなことないよ!?」

 

 秀吉といい美波といい、どうして僕と姫路さんの話を聞きたがるんだろう。それにしても困った。”美波と上手くいっているか”なんて話をしてたなんて言えるわけがない。あれは姫路さんだからこそ話せたんだ。それを美波本人に言えるわけが……って、そうか。

 

「実は姫路さん壁を壊しちゃったことをまだ悩んでたみたいでさ、それと自分がリーダーの役目を果たせるのかって不安だったみたいなんだ」

 

 何も困る必要なんてなかったんだ。そもそも最初に話した内容はこれだったんだから。美波もそれを心配してたわけだし。

 

「やっぱりそうだったのね。でもあの子、戻ってきた時には元気になってたわ。アキが励ましてくれたのね?」

「まぁそんなトコかな」

「やっぱりアキに行ってもらって良かったわ。ありがとねアキ」

「お安い御用さ。僕も姫路さんには元気になってもらいたかったからね」

 

 待てよ? まさか姫路さん、あの時話した僕の想いを美波に言ったりしてないよね……?

 

「あ、あのさ美波、姫路さん部屋に戻った時に何か言ってた?」

「何かって?」

「いや……その……僕と話した内容について?」

「そうね。確かに言ってたわよ」

「えぇっ!? ま、マジで!?」

 

 し、しまった……! 先に口止めしておくべきだった……!

 

「そ、それで姫路さんなんて言ってた?」

「んー。知りたい?」

「うん! 知りたい!」

「ふ~ん……アキも女の子同士の話に興味あるんだ」

「いや、興味というかなんというか……」

「でもダメよ。これはウチと瑞希の2人だけの秘密なんだから。あ、翔子も聞いてたから3人の秘密かしらね」

 

 げげっ! 霧島さんにまで僕の恥ずかしい情報が!?

 

「ね、ねぇ美波、教えてよ。姫路さんなんて言ったのさ」

「ダ~メっ。誰にも言わないって3人で約束したんだから」

「くぅっ……や、約束か……」

「そうよ。だから諦めなさい。ふふふ……」

 

 美波はニコニコと楽しげに笑みを浮かべる。この表情。絶対何か聞いてるよね……。

 

「でも安心して。アンタに都合の悪い話じゃないから」

「本当に?」

「えぇ。本当よ」

「う~……わ、分かった。それならいいよ」

 

 美波は約束を破るのが大嫌いだ。このまま聞き出そうとしても絶対に言わないだろう。何を話したのか気になるけど諦めるしかない。とほほ……昨日話した時に秘密だって言っておけばよかった……。

 

「それでね、瑞希ったら酷いのよ? ウチを差し置いてまた胸が大きくなっちゃって」

「ぶっ!?」

「なによ。どうして吹き出すのよ」

「いや、だ、だっていきなり変なことを言い出すから……」

「何が変なのよ! ウチにとっては切実な問題なのよ! まったく、どうして瑞希ばかり大きくなるのよ。ウチはむしろ減ったくらいだって言うのに」

 

 むしろ減る余地があったことに驚きだ。でもこんな時ってどうフォローしたらいいんだろうか。こういう話題になる度に返答に困ってしまうんだよね……。

 

「え~っと……なんでそんな話を?」

「昨日の夜は瑞希と一緒に寝たの。ベッドが2つだったから1つは翔子に譲って、ウチは瑞希と一緒にってことになってね」

「へ、へぇ~」

 

 そういえば僕は結局ベッドでは寝られなかったな。でもあの雄二(バカ)と一緒に寝るくらいなら床で寝て正解だったかもしれない。あぁ……あいつと一緒に寝ている所を想像しただけで寒気がしてきたよ……。

 

「その時にちょっと胸を触らせてもらったら前より大きくなってたのよ。ホント、悔しいったらないわ」

 

 !?

 

「そ、そうなんだ……」

 

 べ、ベッドの中で姫路さんの胸を触ってって……くぅっ……! ヤバイ、か、顔が熱い……! このままじゃのぼせて鼻血を吹いてしまいそうだ……!

 

「それでね、何か特別なことしてるんじゃないのかって聞いたら、何もしてないって言うのよ。でもウチは絶対に何かやってるって思うの」

 

 そんな僕の様子はおかまいなしに美波は語り続ける。なんだか今日はとても機嫌が良いようだ。もともと美波はこんな風に元気に話をするのだけど、この日は普段以上に楽しそうだった。なぜだろう? もしかして姫路さんと話した内容が関係しているんだろうか? しかしこの話題は僕には刺激が強すぎる……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 なんとかバストサイズの話題を回避し、更に雑談を重ねながら馬車に揺られること約3時間。僕たちはようやくガルバランド王国南端の町、リゼル港に到着した。

 

「さてと。次は船だね」

「今日は1日移動しっぱなしね」

「それもあと少しの辛抱さ。窓口はあっちだね。さ、行こう」

「うん」

 

 僕は早速乗船の手続きをする。どうやら午後に1便が出るようだ。ちょうどいい。これに乗ることにしよう。ここに来る時は特別乗船券があったから、とんでもなく豪華な客室だった。でも今回はもうあの乗船券は無い。ということで乗船券を買わないといけないのだ。

 

「えーと、大人2枚ください」

 

 乗船券の販売窓口でこう伝えた時、思った。

 

 ――また美波と映画を見に行きたいな。

 

 と。

 

 普通乗船券を2枚受け取り、僕らは帆船に乗り込んだ。部屋は6畳ほどの一般客室。木製のテーブルや椅子が設置されているだけのシンプルな内装だった。決して広いとは言えないが、僕にとってはこれくらいの方が落ち着く。

 

 荷物を片付けた後、僕らは前回乗った時と同じように甲板に出てみた。空は前回と同じ薄緑色。船は魔障壁に守られながら青い海を進んでいた。

 

「ねぇアキ、向こうに着いたら真っ直ぐ王様の所に行く?」

「ん? どこか寄りたい所でもある?」

「あっ、ううん。そういうわけじゃないんだけど……」

 

 じゃあなんでそんなことを聞くんだろう。

 

「できるならさっさと腕輪を手に入れて戻りたいからね」

「……そうよね。ウチが間違ってたわ。忘れて」

「? うん」

 

 言いたいことがあるなら遠慮なく言ってよ。喉までそんな言葉が出かけた。けれど唇を噛み締めて寂しそうな目をする彼女の表情を見た時、声を出すことができなかった。

 

 美波は何かを我慢している。なんとなくだけど、彼女の発言からそう感じた。それはきっと今の状況からして難しいことなのだろう。だから美波は何も言わなかったんだ。ならばこれ以上このことに触れるべきではない。僕がそう判断したからだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 夜が明け、しばらくすると船はノースロダン港に着港した。ハルニア王国に戻って来たのだ。ここからはまた馬車に乗り、レオンドバーグへと向かう。恐らく昼過ぎには到着するだろう。サンジェスタを出発してから1日半。あと少しで目的地だ。

 

 僕らは早速レオンドバーグ行きの馬車に乗り、港町を後にした。今回の目的は王家に贈られたという2つの腕輪。見つけても見つけなくても期限は10日間。しかし王都まではもうあと数時間だ。腕輪の所在は分かっているし、順調に行けば1週間と掛からずガルバランドに戻れるだろう。

 

 

 ――2時間後。

 

 

 何事も無く馬車はレオンドバーグの西地区に到着。ここから王宮までは徒歩だ。

 

「なんだか懐かしい気がするわね。3日前にここを出たばかりなのに」

 

 美波がそう言って僕の手を握ってくる。

 

「そう? 僕はあんまりそんな感じはしないけど」

 

 答えながら僕は彼女の手を握り返した。こうしているといつもの学校帰りやデートの時のような気分になってくる。そういえばこの世界で美波と再会してから、ずっと美波と一緒にいるんだっけ。つまり毎日デートしているようなものだったんだな。

 

「なによ、つれない返事ね。せっかくロマンチックな気分に浸りたかったのに」

「へ? そういう話の流れだったの?」

「ハァ……もういいわ。もともとアキにロマンチックな話なんて期待してないから」

「むっ……」

 

 ロマンチックなことくらい僕にだって少しは考えられるよ! そう反論しようと思ったけど、「例えば?」と聞かれたら困るのでやめておいた。だって思いつかないし。

 

「じゃあ美波は僕に何を期待するの?」

「えっ? アキに期待? ん~……そうねぇ……」

 

 考えないとすぐ出てこないくらいに期待されてないのだろうか。ちょっと泣きたくなってきた……。

 

「いろいろあるけど、やっぱり……」

「ん? やっぱり、何?」

「……こうしてウチの傍にいてくれること、かな」

 

 美波がこちらに笑顔を向けながら言う。その可憐な微笑みを目にした瞬間、僕の心臓は一度大きく脈打った。

 

「う、うん」

 

 そう返事をするのが精一杯だった。恥ずかしくて、体中が熱くなってきて、心臓がドキドキして堪らなかった。美波って時々こんな風に不意打ちしてくるんだよな。

 

「黙り込まないでよ。こっちまで恥ずかしくなっちゃうじゃない」

「ご、ゴメン……」

「もう。アキったらこういう話をするとすぐそんな風に真っ赤になっちゃうのね。ふふふ……」

「うぅ……」

 

 僕だって好きでこんなにガチガチに緊張してるわけじゃない。慣れようとしても、どうしても恥ずかしくなっちゃうんだよ……。

 

「あっ、ねぇ見てアキ、あれって前に入ったことがあるお店じゃない?」

 

 急に僕の腕をぐいっと引っ張り、美波が道の先を指差す。しかしその指の先には多数の店が並んでいて、どれを差しているのか分からない。

 

「ど……どれ?」

「ほら、あれよあれ。赤い旗が立ってるトコ」

「旗?」

 

 じっと道の先を見つめると、確かにひとつだけ赤い旗を店頭に掲げている店があった。見た感じ飲食店だろうか。けれど申し訳ないが全然記憶にない。

 

「ん~っと……前に入ったっけ?」

「なによ。忘れちゃったの?」

「ゴメン……」

「あっ、そういえばあの時のアンタ寝不足で悩んでたんだったわね」

「ん? 寝不足? ……あー!」

 

 やっと思い出した。悪夢に悩まされてぼんやり歩いてた時か。あの時は頭が一杯で周りのことなんかぜんぜん見えてなかったんだよな。そうか、あの時お昼ご飯のために入った店か。だんだん思い出してきたぞ。

 

「思い出したよ。確か珍しいってドリアを注文したんだっけ」

「そうよ。やっと思い出したのね」

「いやあ面目ない」

「まぁいいわ。それでね、またあの店に入らない? あのドリアが食べたくなっちゃった」

「うん。いいよ」

「やったっ! それじゃ急ぎましょ!」

「うわっ!?」

 

 手を繋いだまま美波が急に走り出す。ガクンと身体だけ持って行かれ、ムチウチになりそうになってしまった。

 

「そ、そんなに走ったら危ないよ」

 

 主に僕が。

 

「だってお腹空いちゃったんだもん。ほら急いでっ」

「分かった、分かったから慌てないでよ」

 

 引きずられるように店内に入る僕。店はあまり混雑しておらず、すぐに席に案内してもらえた。僕ら2人はもちろん例のドリアを注文。しばらく待っていると、店員さんがチーズの香りと共にドリアを運んで来た。こんがりきつね色の表面と、ぐつぐつと内側から沸き立つホワイトソースが美味しそうだ。

 

「「いっただっきま~す」」

 

 あつあつのドリアはとても濃厚かつクリーミーで、文句なしに美味しかった。今度は純粋に炊き立てご飯を食べたいな。でもそれをこの世界に求めるより、元の世界に帰った方が早いのかもしれないな。

 



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第十五話 王の元へ

 ランチを終え、僕たちは再びレオンドバーグの町を歩き出した。既に建物の合間からは巨大な宮殿の姿が見え隠れしている。あれが目指すレナード王の王宮だ。

 

「見えてきたわね」

「うん。この分だとあと30分くらいかな」

「でも”王家の腕輪を譲ってください”なんて言って受け入れてくれるのかしら」

「う~ん……どうだろう。アレンさんはあっさり譲ってくれたけど。でも事情を話して礼儀正しくお願いすればきっと聞いてくれるんじゃないかな」

「そういえばレナードさんって研究好きなのよね? もし腕輪を分解しちゃってたらどうする?」

「えぇっ!? だ、ダメだよそんなの!」

「ウチに言わないでよ。それに”もしも”の話よ」

「あ、そっか」

「まったく、早とちりなんだから。それじゃ分解されないうちに貰えるように急ぎましょ」

「うん。そうだね」

 

 と返事をしたものの、やはり僕はゆっくり歩いた。もちろん美波の歩幅に合わせたからだ。それにこうして美波と一緒の時間をゆっくり過ごしたかったからという理由もある。のんびりとレオンドバーグの町中を歩く僕たち。結局、王宮の正門前に到着するまで50分ほど掛かってしまった。ゆっくり歩いていたとはいえ、意外に距離があるものだ。

 

「やっぱり何度見ても大きいなぁ」

「ほんとね」

 

 正面に(そび)える王宮は相変わらず巨大だった。その大きさは文月学園の校舎を遥かに凌ぐ。王宮から手前の門までの間には緑豊かな庭が広がり、まるで国立公園のようだ。門の前では以前と同じように銀色の全身鎧に身を包んだ4人の兵士が槍を携え、警備している。僕は早速その警備をしている兵士さんに王様のことを尋ねてみた。

 

「すみません。レナードさ……国王陛下はいらっしゃいますか?」

 

 言葉使いはこれでいいんだよね?

 

「陛下に何用だ?」

 

 4人の兵士のうち1人が聞き返してくる。まぁ当然の反応だ。しかしどう言ったらいいんだろう。僕らがレナードさんと知り合いだと言って通してもらうか? 前に話をした兵士さんならそれで通してくれるかもしれないけど、見たところ彼らは全員初めて見る顔だ。恐らく言ってもそう簡単には信じてもらえないだろう。

 

「ウチらは王様からこれを頂いた者です。実は王様にお聞きしたいことがあって来ました」

 

 考え込んでいるうちに美波が僕のリュックから1枚の紙を取り出し、兵士たちに広げて見せた。これは以前王様から貰った紹介状だ。なるほど、その手があったか。確かにこれ以上無い証明だ。これをサッと出せるなんて美波は機転が利くな。

 

「これは確かに陛下の筆跡……君たちの名前は?」

「吉井明久です。ヨシイと言っていただければ分かると思います」

「ウチは島田美波です。シマダと伝えてください」

「ヨシイにシマダだな。確認しよう。しばし待たれよ」

「「はいっ」」

 

 応対してくれた兵士さんは回れ右をすると門を開け、駆け足で王宮へと向かって行った。ガシャガシャと鎧を鳴らしながら庭園の中央道を軽快に駆けて行く兵士のおじさん。僕たちは黙ってその様子を見守った。

 

 さて、王様にすぐ会えるだろうか。そういえば以前話した時は”研究室にいることが多い”とか言ってたっけ。もしかしたらいないかもしれないな。なんてことを考えていたら、すぐにさっきの兵士さんが王宮から出て来た。早いな。

 

「陛下はこちらにはおられぬ。今は研究室の方にいらっしゃるそうだ」

 

 戻って来た兵士さんは僕らにそう告げた。やはりいなかったか。となればその研究室に行ってみるしかないな。そう思って隣の美波に目を向けると、彼女はそれに応えるように目を合わせてきた。言葉を交わさなくても分かる。美波も研究室に行こうと言っているのだ。

 

「それじゃその研究室に行ってみてもいいですか?」

「構わんが……行くだけ無駄かもしれんぞ?」

「ほぇ? どうしてです?」

「いや、まぁ……なぁ?」

「あぁ」

「だよなぁ……」

 

 兵士のおじさんたちは互いに顔を見合わせながら言い辛そうに言葉を詰まらせる。なんかハッキリしないな。

 

「アキ、とにかく行ってみましょ」

「そうだね。それじゃ僕たち研究室に行ってみます。どうもありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 僕は美波と共にペコリと頭を下げた。するとおじさんたちは妙な挨拶を返してきた。

 

「あぁ。頑張ってな」

「大変だろうけど根気よくな」

 

 ?

 

「はい」

 

 とりあえず返事をしてみたけど、何が大変で何を頑張るんだろう? この時の僕はまだ王様の性格をよく分かっていなかった。そしてこの後すぐに彼らの行った意味を理解することになるのであった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 警備の兵士さんたちからレナード王がいるという研究室の場所を教えてもらい、僕たちは早速そこへ向かった。場所は王宮のすぐ裏側。王宮は周囲を広い庭で囲っていて、裏側に行くには塀の外を大きく回り込む必要があるそうだ。研究室は正門のちょうど真裏。左右どちらから回っても時間的には大差無いらしい。時間が変わらないのならどちらでも良い。僕らはひとまず右から回り込むことにした。

 

 敷地は王宮を中心に円を描くように丸い形状をしていた。庭と道の間は高さ3メートルほどの褐色のレンガで作られた塀で仕切られている。僕たちはその塀を左手に見ながら道をテクテクと歩いて行った。右手には民家のようなレンガ造りの建物がいくつも立ち並び、道の先までずっと続いている。

 

 進んでも進んでも同じ景色が続く王宮脇の道。一体どこまで行けば研究室に着くんだろう? そう思いはじめた時、前方に白い建物が見えてきた。

 

「見てアキ、あれじゃない?」

「うん。きっとそうだね」

 

 見えてきた建物は周囲の家とは雰囲気が違う。明らかに住居や商店の類いではないのだ。きっとあれが研究室だ。だいたい2、30分くらい歩いただろうか。今にして思えば王宮の真ん中を突っ切らせてもらえばすぐだったような気もする。まぁ今更か。

 

「ここに間違い無さそうね」

「うん。それにしても真っ白だなぁ」

 

 この世界の建物はほとんどがレンガや石で作られている。木造建築や鉄筋など見たことがない。しかし目の前にあるのは、まるでコンクリートで作られたような平坦で白い壁の建物。建物の形は真四角で、屋根も真っ直ぐ水平だった。高さからすると2階は無い。恐らく平屋建てだろう。見たところ窓も無いようだ。これは完全な密閉空間だな。

 

「ここに王様がいるのね」

「そういうことだね」

 

 正面には木製の扉が1つあり、開け放されている。ここが入り口のようだ。開いているということは勝手に入っていいのかな?

 

「えーっと、受付とかあるのかな?」

「入ってみれば分かるわよ」

「え……い、いいのかな。勝手に入っちゃって」

「開いてるんだからいいんじゃない?」

 

 美波はそう言ってスタスタと入って行く。

 

「ホント。度胸があるよなぁ……」

 

 僕も呟きながら続いて入ってみる。入った先は小さな四角い部屋だった。室内に飾りの類いは一切なく、壁は外壁と同じ真っ白だった。なんとも殺風景な部屋だ。

 

 唯一あるのは正面に設置された木製のカウンター。そこには金属製の呼び鈴がひとつ置かれていた。福引の当たりが出た時に鳴らすような手に持つタイプのベル。それを小さくしたような物だ。

 

「きっとこの鈴で呼び出すのね」

 

 美波はそう言いながらカウンターの上に置かれていた鈴を(つま)み、2、3回振った。

 

 

 ――チリン♪ チリリン♪

 

 

 涼しげな鈴の音が響き渡る。

 

『は~い、今参りま~す』

 

 するとカウンターの奥の扉の中から声が聞こえてきた。女の人の声だ。程なくしてその扉がガチャリと開き、金髪ショートカットの女性が姿を見せた。

 

「「あ……」」

 

 僕と美波はその人を見て小さく声をあげた。この女性が知っている人だったからだ。

 

「あら? ヨシイ様とシマダ様ではありませんか」

 

 向こうも僕たちのことを覚えていたようだ。彼女の名はクレアさん。ショートカットに切りそろえた輝くような金髪と透き通るような青い瞳。それに姫路さんに匹敵するほどの大きな胸が特徴の女性だ。

 

 初めて彼女に会ったのはこの国の2人の王子が始めようとしていた戦争を止めに入った時。乱入してきた巨大な熊の魔獣を僕と美波の2人がかりで倒した直後だった。レナード王と共に現れ、負傷した僕の手当てをしてくれた人。それがこのクレアさんだった。

 

 あの時はスーツの上にマントを羽織った姿をしていた。けれど今は化学の布施先生がいつも着ているような白衣を羽織っている。まるでお医者さんのようだ

 

「お久しぶりです。クレアさん」

「お2人ともお元気そうで何よりです」

 

 僕が挨拶すると小さな眼鏡をかけた慧眼の女性はにっこりと微笑んだ。マント姿も格好良かったけど、今の白衣姿も魅力的だ。

 

「そ、そうですか? いやぁ、元気が取り柄みたいなもんですからね! あはははっ!」

 

 綺麗な目で見つめられ、ドキドキしながら返事を返す僕。やっぱりクレアさんは美人だなぁ。白衣姿もよく似合ってるし、サラサラの金髪も変わらずとっても綺麗だ。

 

 ――ドスッ

 

「ぐほっ!」

 

 突如、左脇腹に強い衝撃。

 

「な……何するんだよ美波ぃ……」

「ふんっ!」

「何だよぅ。何を怒ってるのさ」

「知らないっ!」

 

 むぅ。なんだかよく分からないけど機嫌が悪いみたいだ。まいったなぁ。美波ってたまにこうやって突然怒り出すんだよなぁ。

 

「ふふ……お2人ともお変わりありませんね。ところでなぜここへ? 確かガルバランド王国へ向かわれたと伺いましたが……」

「あ、はい。実は――――」

 

 僕はこの町を出てからここまでの経緯を順を追って説明した。

 

 仲間との再会やガルバランド王から貰った腕輪と力。そしてハルニア王家に贈られたという2つの腕輪のこと。クレアさんは”うんうん”と時折相槌を打ち、僕の話を聞いてくれた。やはり頭が良くて理解力のある人のようだ。

 

「そういうことでしたか。それでしたら陛下に直接お話しされた方がよろしいですね」

「はい。そう思ってここに来たんです。レナードさんいらっしゃいますか?」

「えぇ、もちろん。ただ……」

 

 僕が尋ねるとクレアさんはそこで言葉を切り、表情を曇らせた。またこの顔か。さっきの警備のおじさんたちといい、一体何があるというのだ?

 

「あの……何か問題でもあるんですか?」

「え、えぇ。まぁ……なんと申しますか……」

 

 尋ねてみてもこの返答。えぇい、じれったい。

 

「クレアさん、とりあえず僕たち王様に話してみますので案内してもらってもいいですか?」

「……分かりました。ではご案内します」

 

 クレアさんはカウンターから出てすぐ横の扉を開け、僕らを招き入れてくれた。奥には廊下があるようだ。

 

「こちらへどうぞ」

 

 そう言ってクレアさんはその廊下に入って行った。

 

「行こう、美波」

「うん」

 

 僕たちもクレアさんに続き、廊下に入った。それにしても皆のこの反応。王様に一体何があるというのだろう?

 



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第十六話 国一番の問題児

「こちらになります」

 

 廊下に入ってひとつ目の部屋の前で立ち止まり、クレアさんが言う。そこは重そうな金属製の扉で閉ざされていた。なんだこの部屋? まるで放射線室みたいじゃないか。そう思って見ているとクレアさんはその扉をノックした。

 

 ――コンコン

 

「陛下。お客様です。ご案内してよろしいでしょうか」

 

「……」

 

 返事が無い。

 

 ――コンコン

 

「陛下。ヨシイ様がいらっしゃいました。ここを開けてください。陛下」

 

 やはり中から返事は無い。扉が厚すぎて中まで声が届かないんじゃないだろうか。

 

  ドンドンドン!

 

「陛下! 聞こえてるんでしょう! お客様ですよ! 陛下!!」

 

 何度呼び掛けても扉の中から返事は無い。いくら金属の扉だからって、さすがにこれだけ叩けば中に聞こえると思うんだけど……ということは、中にいないという可能性が高い気がする。

 

「はぁ……やはりダメですね」

 

 大きく溜め息を吐いてクレアさんは肩を落とす。ほとほと困り果てたといった感じの表情だ。少し気の毒になった僕はフォローするつもりで声を掛けてみた。

 

「部屋の中にいないってことはないですか?」

「いえ。確かにここにいらっしゃるのです。1週間ほど前に入ったきり一歩も出ていませんので」

「い、1週間!?」

「はい。研究に夢中になるといつもこうなってしまうのです。まったく……困った王様です」

「でも1週間も飲まず食わずってわけじゃないですよね? 腹が空けば出てくるんじゃないですか?」

「確かに食事はされています。ですがいつも数日分の食料を持ち込んでいますので外に出ることはほとんど無いのです」

「へ? それじゃトイレとかどうしてるんですか?」

「部屋に備え付けがあるのです」

「あぁ……そうなんですか……」

 

 つまり生活に最低限必要なものはこの中に揃っているということか。確かにそれなら1週間引き籠もるのも可能かもしれない。しかし困ったな。これじゃ話を聞くこともできやしない。

 

「ん~っ! もう頭に来ました! こうなったら徹底抗戦です! ヨシイ様、少し離れていてください!」

「へ? は、はい」

 

 そう言うと彼女は右、左とそれぞれの袖をぐいっとまくる。その細い腕はまるで透き通るようなとても美しい肌だった。

 

  ドンッ! ドンドンッ! バンッ!

 

「陛下! ここを開けてください! ヨシイ様がいらしてますよ! 陛下!!」

 

 クレアさんは鉄の扉を乱暴に叩き、呼び掛け続ける。だがそれでも扉の中からは何の反応も無い。繰り返し繰り返し扉を叩くクレアさん。その表情には次第に苛立ちの色が見え始めていた。なんだか可哀想になってきたな。

 

「あの……クレアさん、もういいですよ。僕ら出直してきますので」

「いいえ! そうは行きません! せっかく遠くからお越しいただいたのですから、何としても陛下には出て来ていただきます!!」

「いや、でも――――」

 

  ガン! ガンッ! ガンッ!

 

「陛下! 聞こえているはずですよ! 陛下!! 返事をしなさい!!」

 

 おーい。王様に向かって命令口調になってるよー。クレアさんって見かけによらず結構乱暴な人なんだな……。でもこの性格、誰かによく似ている気がする。それも極身近な人に。

 

(どうするアキ? このままじゃクレアさん扉を壊しちゃいそうよ?)

 

 大太鼓のように扉を叩いているクレアさんを眺めていると美波が耳打ちをしてきた。そうか。美波の性格にそっくりなんだ。あの扉を叩いている姿なんて、美波に置き換えてもまったく違和感が無い。でも身体が細いところもよく似ているのに、どうして胸だけはこんなにも違うんだろう。

 

「アキ。今急にアンタを殴らなくちゃいけない気がしたんだけど」

 

 !?

 

「なっ、なんで!?」

「アンタの目を見ていたらそんな気がしたのよ」

 

 いけない。僕の思考を読まれている。ここはクレアさんを止めてさっさと引き上げることにしよう。

 

「と、とりあえず一旦出直そうか。今日は話ができそうもないし」

「……そうね。また明日にしましょ」

 

 よし、なんとかやり過ごせそうだ。それじゃボロが出る前にここを――――

 

  ドガァン!! ガッシャァァーン!!

 

「「ひっ!?」」

 

 突然、金属がぶつかり合うような激しい音が鼓膜を震わせた。心臓が止まるかと思うほど驚いた僕は反射的に身を固くして縮こまる。隣でも美波が同じように肩を窄めていた。一体何が起こったのだ? と恐る恐る音の発生源を見る。すると、

 

「ふーっ、ふーっ、ふーっ……や、やっと開きましたわ」

 

 倒れた鉄の扉の上に片足を置きながら、息を荒れさせているクレアさんの姿があった。扉を支えていた蝶番(ちょうつがい)は無残に引き裂かれ、彼女の足の下には中央がベコンと(へこ)んだ鉄の板。

 

 ……目に入ってくる光景が理解できない。

 

 この状況から想像できるのはクレアさんが扉を蹴破ったということだ。しかしあの清楚なクレアさんがそんなことをするとは思えない。では目の前で茶色いロングスカートの裾をたくし上げ、ハイヒールで分厚い鉄の板を踏み付けている彼女は誰だ? そうか、これは夢だ。また悪い夢を見ているに違いない。

 

「美波、頼みがあるんだけど……いいかな」

「えっ? な、何?」

「僕を(つね)ってほしいんだ。思いっきりね」

「はぁ? 何言ってるのよアンタ」

「夢から覚めるにはこれが一番なんだ。頼むよ」

「……分かったわ。じゃあ覚悟しなさい」

「あ、でも(ねじ)ったりあんまり強くしなそれは卍固めめぇぇぇぇっっ!!」

 

 首をガキッと足でロックされ、腕を(ひね)り上げられる僕。ギシギシと首や肩の関節が悲鳴をあげる。

 

「いだだだだ待って待って待って! (つね)ってくれって言ったのに、なんで()め技なの!?」

「この方が効くと思って。どう? 夢じゃないでしょ?」

「痛い痛い痛い痛い!! わわ分かった! 夢じゃない! 夢じゃないからギブギブギブ!!」

「なによ。もうギブアップなの? しょうがないわね」

 

 美波は技を解いてくれた。いてて……か、関節が……久々だから効くなぁ美波のサブミッションは……。

 

「ヨシイ様、シマダ様、扉が開きましたよ。どうぞお入りください」

 

 美波とそんなやりとりをしていたらクレアさんが涼しい顔をしながら僕らに言った。でもこれ、”開いた”って言うか”蹴破った”だよね。金属同士がぶつかるような凄い音がしてたけど大丈夫なんだろうか。なんか色々と壊れたような気がするんだけど……扉も完全に外れちゃってるし……。

 

「陛下。入りますよ」

 

 そう言ってクレアさんは倒れた鉄の扉の上を平然と歩いていった。鉄の扉がまるで橋のようだ。

 

「行こうか。これで王様と話ができるかもしれないし」

「そ、そうね」

 

 僕も美波と共に続いて鉄の扉を踏み越え、部屋の中に入ってみた。

 

「うわぁ……」

 

 そこは大量の物で溢れ返っていた。

 

 ビーカーやフラスコといったガラス機具。床を覆い尽くす黒や銀色のよく分からない機械の山。本の類いもあちこちに放置されていて、更には何かの設計図のような絵が書かれた紙も大量に散乱している。なんて汚い部屋だろう……。

 

 あまりの散らかり様に足を踏み入れるのを躊躇ってしまう。すぐ横では美波も唖然とした表情で立ち尽くしている。あまりの汚さに愕然としているのだろう。それにしても王様はどこだ? ここからは積み上がったガラクタの山しか見えない。クレアさんの呼び掛けにも反応は無かったし、やっぱりこの部屋には居ないんじゃないのか?

 

 などと考えている間にクレアさんは機械の山を乗り越え、ズンズンと進んで行く。そして部屋の真ん中辺りまで進むと、ゴチャゴチャした中から白い物を片手で引っ張り上げ、

 

「レナード陛下!! お・きゃ・く・さ・ま・です!!」

 

 それに向かって大声で怒鳴りつけた。よく見るとそれはヨレヨレの白衣を着た茶髪の男性だった。って……あ、あれが王様だって!?

 

「なんじゃクレア君か。今いいところなのじゃ。邪魔せんでくれ」

 

 クレアさんの手をパッと払い、不機嫌そうに言って再びガラクタの中に身を沈める男。あの声は確かにレナード王の声だ。しかしあの風貌は何だ?

 

 着ている服はクレアさんと同じタイプの白衣だ。しかし全体的にシワだらけで、至る所に墨で擦ったような汚れが付着している。髪は元々長めであったが、更に伸びてボサボサ。立派だった髭も伸び放題で、肩に掛かる髪と髭が一体化してしまっている。王座に座っていた堂々たる姿からは想像もできない。まるで別人であった。

 

「いいかげんにしてください陛下!! お客様ですと言っているのです!!」

「あぁ、適当にあしらっておいてくれ」

「だからヨシイ様なんです! 陛下にお伺いしたいことがあるとおいでになったのです!」

「今忙しいんじゃ。後にしてもらってくれ」

「そうはいきません! はるばるガルバランドから戻っていらしたのですから!」

五月蝿(うるさ)いのう。(わし)は忙しいと言っておるじゃろうが。用件なら君が聞いておいてくれ」

「私では分からないのです! だからこうしてお伺いしているのです!」

「……こっちの出力を安定させるには……回路を並列にして……(ブツブツブツ)……」

 

 王様はクレアさんの話を聞く様子もなく機械の山の中で何かをいじっている。そうか、警備のおじさんやさっきのクレアさんの沈んだ表情はこれを意味していたのか。研究に夢中になるとこうして引き籠もってしまって、まるで話ができないんだ。なるほどね……。

 

 

 ―― ダメだこりゃ ――

 

 

 この時、僕の脳裏にはそんな言葉が浮かんだ。

 

「ねぇアキ、どうする? 話なんかできそうにないわよ?」

「あ、あはは……」

 

 困った。まさか王様の研究好きがこんな形で僕たちに影響を及ぼすなんて思ってもみなかった。う~ん……こうなったら他の人に聞いてみるしかないけど……でも他の人に話して腕輪を譲ってもらえるんだろうか。とりあえず身近なクレアさんに相談してみるか。

 

「美波、例の絵を出してくれる?」

「翔子の書いてくれたあの絵ね? ちょっと待って」

 

 美波がゴソゴソと手提げ鞄の中を探る。

 

「クレアさん、ちょっとこっちで見てほしい物があるんですけど、いいですか?」

 

 僕はその間にクレアさんを呼び、ガラクタの山から出てきてもらった。

 

「はい、なんでしょう?」

「僕たちが探しているのはこの腕輪なんです」

 

 僕が言うのと同時に、美波が紙を広げてクレアさんに絵を見せる。これのおかげで凄く説明し易い。霧島さんにこの絵を貰っておいて良かったな。

 

「なるほど、この腕輪ですか……ん~……」

 

 クレアさんは人差し指を頬に添え、腕輪の絵をじっと見つめている。この様子からすると記憶にないって感じだろうか。

 

「どうです? 見た事ありますか?」

「宝石や装飾品はお城に沢山ありますけど……でもこんなにシンプルなデザインの物は見た事がありませんね」

「そうですか……」

 

 う~ん。やっぱり王様に直接聞いてみるしかないのかなぁ。でもあの様子じゃ全然話になりそうにないし……困ったな……。

 

「よ~しっ! それじゃウチ、これを王様に見せて聞いてみるわ!」

 

 美波はそう言ってガラクタの山に片足を乗せた。

 

 ――ガシャッ! ガラン! ガララッ!

 

 すると大きな音を立て、乗せた足付近の機械が崩れ落ちてきた。

 

「きゃっ!?」

「危ない美波!!」

 

 足を取られた美波がバランスを崩してガラクタの山から落ちそうになる。僕は咄嗟に駆け寄り、彼女を後ろから受け止めた。危なかったぁ……。

 

「もうっ! これじゃ歩けやしないじゃない!」

「ちょ、ちょっと美波、危ないから暴れないでよ」

「だって頭に来るんだもん!」

「だからって今暴れると――――うわっ!」

「きゃっ!?」

「ぐぇっ!」

 

 じたばたと暴れる美波を支えきれず、僕は転倒してしまった。そしてその僕の腹の上に美波のお尻が落ちてきたのだ。

 

「いったたぁ……もう! 何なのよ!」

「ぐ……苦しいよ美波ぃ……は、早くどいて……」

「えっ? 何? あれっ? アキ? どこ?」

 

 僕の腹の上で美波がキョロキョロと辺りを見回す。っていうか下だよ下!

 

「こ、ここだよぅ……」

「えっ? きゃっ! そんなトコで何してんのよ! このスケベ!」

「そ、そんなぁ……せっかく転びそうになったのを助けたのに……」

「えっ? そうだったの? 知らなかったわ。ごめんねアキ」

「い、いや……いいんだけどさ、は、早くどいてくれないかな……」

「あっ、そ、そうね」

 

 やっと美波が僕の上から降りてくれた。あぁ苦しかった……。

 

 ………

 

 あれ? でもなんかちょっと気持ち良かったような気が? いやいやいや! そんなはずはない! 僕がそんなドMな性格をしているはずがない! これはきっと気の迷いさ!

 

「でも困ったわね。これじゃまるでバリケードだわ」

「よいしょっと。それじゃ今度は僕が行ってくるよ。絵を貸してくれる?」

 

 立ち上がり、今度は僕がガラクタの山に足を踏み入れる。するとまたガラリと山が崩れ、足場を失う。

 

「ダメよアキ。アンタでも無理だわ」

「くっそぉ……」

 

 ほんの数メートル先に王様がいるのに辿りつけない。こんな障害物走は初めてだ。それにしてもますます困った状態になってきた。こうなったらもう王様が自分から出てくるのを待つしかないんだろうか。

 

「ヨシイ様。少しこの絵をお借りできますか?」

「ほぇ? この絵をですか?」

「はい。私が陛下に伺ってきますので」

 

 あ、そうか。クレアさんはさっき王様の所へ(なん)なく行ってたっけ。バカだなぁ僕は。最初からクレアさんに頼めば良かったんだ。

 

「すみません。それじゃお願いします」

「お任せください。では行ってきます。少々お待ちください」

 

 クレアさんはそう言ってにっこりと微笑み、腕輪の絵を手に再び室内に踏み入って行く。すると僕や美波と違ってガラクタの山はさほど動かず、彼女はヒョイヒョイと跳ねるように王様の元へと向かって行った。凄いなクレアさん。よくこんな部屋を歩けるな……。

 

「陛下、一瞬で構いませんのでこの絵を見てください」

 

 ほんの数秒で王様の元へと辿り着いた彼女は紙を広げて王様に話し掛けた。

 

「なんじゃ。儂は忙しいと言っておろう。後にせい後に」

「そう言って何日も出てこないではありませんか! いいからこれを見てください!」

 

 ――グキッ

 

「んがっ!?」

 

 うわぁ……今、王様の首がグキッっていったよね。大丈夫かな……。

 

「いたた……乱暴じゃのう。何をするんじゃ」

「これをご存じありませんか? ヨシイ様がこの腕輪があれば元の世界に帰れると仰っています」

 

 どうやら大丈夫のようだ。それにしても無理やり首を90度回すなんてクレアさんも王様に対して容赦無いな。

 

「……知っておるわい」

 

 王様はそう答えるとプイと顔を背けて再び机に向かってしまった。やっぱり知ってるんだ! これは期待できそうだぞ!

 

「どこにあるのですか? 教えてください陛下」

「……」

「陛下?」

「……」

「それほど大事な物なのですか?」

「……そうじゃな。大事な物じゃったわい」

「だった? なぜ過去形なのです? もしや売却してしまったのですか!?」

「やかましいのう。売ってなぞおらぬわ」

「ではどこにあるのですか?」

「……」

「陛下! ヨシイ様の未来が掛かっているのですよ!」

 

 どうしたんだろう王様。腕輪の絵を見たら急に態度が変わったようだけど。なんだか少し寂しそうな顔をしているようにも見える。

 

「……腕輪ならラドンじゃ。これでいいじゃろ。研究の邪魔じゃ。早々に立ち去れぃ」

「ラドン? なぜそのような所に……?」

「行けば分かる! 話は終わりじゃ! はよぅ出て行かんかい!」

 

 王様はついに怒りだしてしまった。

 

「……分かりました。失礼いたします」

 

 クレアさんが悲しそうな目をして戻ってくる。何やら気まずい雰囲気になってしまった。ひとまず情報は得られたし、ここは退散した方が良さそうだ。

 

「申し訳ありませんヨシイ様。これ以上聞き出せませんでした」

 

 戻ってきたクレアさんは僕らに向かって頭を下げる。謝る必要なんて無いのに。

 

「ありがとうございますクレアさん。場所が分かっただけで十分です」

「そう言っていただけると助かります」

 

 僕が礼を言うと、クレアさんは少しだけ微笑んでくれた。やはりクレアさんの笑顔は素敵だ。

 

「行こう美波。目的地はラドンだ」

「ラドンってアキが最初に入った町だったわよね?」

「うん。そうだよ」

「どうやって行くの?」

「そりゃもちろん馬車さ。とにかくここを出よう」

 

 

 

          ☆

 

 

 

 研究室を出た僕たちは受付の部屋まで戻って来た。

 

「ヨシイ様、すぐ行かれるのですか?」

 

 そう言ってクレアさんが青い瞳で見つめる。こうしていると清楚な雰囲気で、とても金属扉を蹴破った人と同一人物とは思えない。

 

「はい。一刻も早く元の世界に戻りたいので」

「あまりお役に立てず申し訳ありません……」

「いやぁ! 十分ですよ! おかげで腕輪のある場所も分かったし!」

「クレアさん、ウチらのために色々とありがとうございました」

 

 隣では美波が頭を下げ、クレアさんへの感謝を示す。

 

「あ、ありがとうございましたっ!」

 

 僕も慌てて頭を下げて礼を言う。こういった美波の礼儀正しさは真似しないといけないな。

 

「困ったことがあればまたいらしてくださいね。今度は陛下にもしっかり話を聞いていただきますので」

「ありがとうございます! じゃあ僕たち行きます」

「お世話になりました」

「お気を付けて」

 

 こうして僕と美波は王宮研究室を後にした。

 

 

 次に目指すはラドンの町。あの町のどこにあるのかは聞けなかったけど、そんなに広くない町だ。聞いて回ればきっとすぐに見つかるだろう。

 



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第十七話 美波の想い

 僕たちは王宮裏の研究室を後にし、レオンドバーグの町を歩き始めた。行き先はもちろん馬車乗り場。目的地はラドンの町だ。

 

 ラドンへはいくつかの町を経由して行く必要がある。まずはこの町を出て南へ進み、ミロードへ。そこから北東の峠町サントリアまで山道を登り、今度は南東へ下ってハーミルへ。更に南下して、ようやくラドンだ。

 

 僕たちは手を繋ぎながらミロード行きの馬車乗り場へと向かった。場所は既に把握している。東地区の商店街の外れだ。王宮はレオンドバーグの中心からやや南東に位置する。東地区の馬車乗り場まで行くのにそう時間は掛からないだろう。

 

「いやぁ、まさかラドンの町に行くことになるとは思わなかったなぁ」

「アキにとってはふりだしに戻るって感じね」

「それを言わないでよ。悔しくなっちゃうじゃないか。まったく……最初から腕輪が必要だって知っていればラドンにいた時に探したのにさ」

「しょうがないじゃない。坂本の知恵があってこそ分かったことなんだから」

「まぁそうなんだけどね。しっかし、さっきの王様にはビックリしたなぁ。まさかあんなことになってるなんて思いもしなかったよ」

「ホントね。初めて会った時は凄く真面目な人だと思ったのに」

「んー。どうだろう。あれもある意味真面目なんじゃないかな。真面目に研究してるって感じで」

「でもクレアさん凄く苦労してるみたいじゃない。王様の趣味に文句をつける気はないけど、人に迷惑をかけるのは良くないわ」

「う~ん……確かにそうだなぁ」

「あ、見えてきたわよ」

 

 話しているうちに馬車乗り場が見えてきたようだ。商店街の切れ目の所の道脇に、小さな茶色い三角屋根がポツリと建っているのが見える。僕らの世界で言うバス停のようなものだ。そこにはいくつかの人影があった。どうやら馬車の到着を待っている人たちのようだ。

 

「馬車はまだ来てないみたいだね」

「ウチらも並びましょ」

「うん」

 

 早速列の後ろに加わる僕たち。前に並んでいる3人のお婆さんは友達のようで、楽しそうに談笑していた。そして待つこと数分。2頭の馬が引く馬車がやってきた。これがミロード行きの馬車だ。僕たちは運賃を支払い、前に並んでいたお婆さんたちと共に乗車した。

 

 程なくして馬車は乗り場を出発。馬車はしばらく町中を走った後、やがて外周壁へと辿り着いた。ここからは町の外。魔獣の生息する危険なエリアだ。だが心配無用。当然この馬車も簡易魔障壁に守られているのだ。

 

 外周壁に備えられた縦横10メートルほどの大きな扉がゆっくりと開く。そして扉が開ききると馬車は再び動き出し、そこから町の外へと繰り出した。ミロードへは馬車で約3時間。午後の大半はこの馬車の中で過ごすことになりそうだ。

 

 

          ☆

 

 

 馬車の中でもお婆さんたちのお喋りは止まらなかった。なんともよく動く口だ。それによく話題が尽きないものだ。そう思ってそれとなくお婆さんたちの話を耳に入れていると、少し気になる話題があった。

 

 レナード王の息子である2人の王子。ライナス王子とリオン王子の噂だ。お婆さんたちの話によると、先日魔獣討伐から戻ってからすっかり大人しくなり、兄弟で争わなくなったらしい。あれほど仲の悪かった2人がなぜ急に穏やかになったのか。お婆さんたちの推理が飛び交う。

 

 殴り合いの喧嘩で決着が付いたのか。

 争うことの虚しさに気付いたのか。

 はたまた気になる女性でもできたか。

 

 様々な意見が出たが、真相を言い当てる者はいなかった。どうやら戦争が始まろうとしていたことは公表されていないようだ。つまり、あの渓谷での出来事は一部の兵士と僕らしか知らないということだ。そう思うと、つい顔がニヤけてしまう。

 

(あのお婆さんたち、戦争のこと知らないのね)

(そうみたいだね。きっと知らされてないんだろうね)

(じゃあウチらだけの秘密ね。ふふ……)

(あの場にいた人たちは皆知ってると思うけど? 両軍合わせて200人はいたと思うし)

(ハァ……)

(なんで溜め息をつくのさ)

(アンタってホントに話を合わせるのが下手ね。2人だけの秘密ってことにしたほうが楽しいでしょ?)

(そんなもんかな)

(そんなもんよ)

(そっか。じゃあ次からは合わせてみるよ)

(期待しないでおくわ。ふふ……)

 

 僕らが小声でそんな話をしている間もお婆さんたちのお喋りは止まらない。王子たちの話は既に終わり、次の話題に突入しているようだ。いったいどれだけの話題を持ち合わせているのだろう。もうかれこれ2時間以上、喋りっぱなしだ。

 

 そうして半ば呆れ気味にお婆さんたちの話を聞きながら3時間が経過。結局、ミロードに到着するまでお婆さんたちはずっと喋りっぱなしだった。まぁおかげで退屈しなくて済んだのだけど。

 

「ん~っ……! 疲れたぁ~……。ずっと話を聞いてるのも結構疲れるものね」

 

 ミロードの町に降り、両腕を上げて身体を伸ばす美波。細身の美波がこういうポーズをするとますます細く見える。

 

「でも色々な話を聞けたから退屈はしなかったね」

「そうね。そういう意味では感謝しなくちゃいけないわね。ふふ……それでこの後どうする? このまま次の町に行っちゃう?」

「ん。そうだなぁ……」

 

 次の町は峠町のサントリア。道中は険しい山道だ。当然馬車での移動になるが、美波は疲れているようだ。それにそろそろ日も落ちるし、今からの移動は時間的に厳しいだろう。と、なれば。

 

「いや、今日はここで宿を取ろう」

 

 今朝ノースロダンからずっと馬車に揺られていたので、正直言って僕も疲れた。早く寝っ転がって身体を休めたい気分だ。

 

「賛成。それじゃ泊まるところを探しましょ」

「えーっと、ホテルは……」

「あっちの方に人が沢山歩いてるわよ。行ってみましょ」

 

 美波が指差したのは僕の後ろの方。振り向くと、確かに人通りの多い道があった。きっと繁華街だろう。僕たちは自然に手を繋ぎ合い、歩き出した。

 

 ミロードは水の豊かな町。道の脇には必ずと言っていいほどに小川が流れ、心地よいせせらぎを聞かせる。更に町の居たる所に緑豊かな樹木が植えられ、清涼感を与えてくれる。それは繁華街に入っても変わらなかった。

 

「いい町ね」

 

 町の様子に目を配りながら美波が呟くように言う。

 

「そうだね。緑も一杯あるし、町の雰囲気もいいね」

 

 レオンドバーグは大都市に相応しく、窮屈と感じるほど建物がびっしりと並んでいた。町中を歩く人も多くて非常に賑やかな町であった。それに比べると、このミロードはとても静かな町だ。建物同士の間隔も広く、木々も多い。道を歩く人たちもどこか落ちついた印象を受ける。

 

 

 ――将来こんな町で美波と過ごせたらいいな。

 

 

 僕は頭の片隅でそんなことを思いながら、小川の流れる町を歩いた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 僕らは繁華街で手頃なホテルを見つけ、そこで一晩の休息をとることにした。夕食は先程の繁華街の飲食店で済ませている。早速チェックインして僕たちは部屋に入った。

 

「ふぅ……」

 

 リュックを放り出し、備え付けのソファに腰掛けて大きく息をつく僕。やっぱり馬車での移動って疲れるものだなぁ……運動してるわけじゃないんだけどな。

 

 それにしてもラドンの町か……。ルミナさん、元気にしてるかな。やっぱり一番に挨拶に行きたいな。あれだけお世話になったわけだし。

 

「この世界の移動ってやっぱり大変ね」

 

 天井を眺めながら思い耽っていると、萌黄色(もえぎいろ)の寝巻に着替えた美波が2つのティーカップを手に戻って来た。

 

「紅茶、飲むわよね?」

「あ、うん。入れてくれたんだ」

「一息つくにはやっぱり飲み物があった方がいいでしょ? はい」

 

 そう言って美波が片方のカップを渡してくる。

 

「ありがとう。もらうよ」

 

 早速カップに口をつけ、一口飲んでみる。うん、おいしい。少し(ぬる)めな感じが乾いた喉を潤してくれる。

 

「瑞希たち、うまくやってるかしら」

 

 すぐ隣に腰を下ろして美波が言う。姫路さんと秀吉、それにムッツリーニの3人とはサンジェスタで別れた。彼らはそこから北に向かい、ラミール港へ向かっているはず。目的地は海を越えた国、サラス王国。どれだけ距離があるのか分からないけど、もう到着している頃だろうか。

 

「姫路さんなら大丈夫さ」

「どうして断言できるのよ」

「だって秀吉やムッツリーニが一緒だし」

「ふ~ん……」

「なんでそんな意外そうな顔をするのさ」

「だって意外だもの。木下や土屋ってそんなに頼りになるの?」

「もちろんさ」

「例えばどんな風に?」

「……」

 

 どうしよう。あいつらが頼りになる場面を考えてみたけど、何も思い浮かばない。

 

「アンタ、気休めを言ったわね?」

「そっ……そんなことないよ! あいつらだってやる時はやるんだ!」

「だから例えば? って聞いてるのよ」

「うっ……」

「どうしてそこで口篭るのよ」

「う、うまく言えないけどさ、とにかく頼りになる奴らなのは間違いないよ!」

「相変わらずアピールが下手ね。まぁいいわ。アキが信じてるのならウチも信じるわ」

 

 ごめん秀吉、ムッツリーニ。君たちの良さをアピールできなかった僕を許してくれ。0.5秒ほどの間、僕は彼らに謝罪した。

 

「ところでラドンってこの国のどの辺りにあるの?」

「ん。えーと」

 

 地図を使って説明した方が分かりやすいかな。確かルミナさんが書いてくれた地図がリュックに入っているはず。

 

「ちょっと待ってて」

 

 僕はリュックの中を探り、1枚の紙を見つける。あった。これだ。

 

「これを見て」

 

 テーブルの上に畳まれた紙を広げ、美波を呼ぶ。彼女はこれに応じ、僕の隣で紙を覗き込んだ。

 

「まず、船で到着したノースロダンがここ。それで今いるミロードがここ。で、ラドンはここ。大陸の右下にあるんだ」

「ふ~ん……結構遠いのね」

「ここからだと――ここと、ここ。サントリアとハーミルを経由して行くことになるね」

「どうしてサントリアを経由するの? ここを突っ切ってハーミルに行っちゃえば早いんじゃない?」

 

 美波はミロードからハーミルまでを一直線に指でなぞり、尋ねる。詳しく聞いたわけじゃないけど、ルミナさんに聞いた話では確かこの辺りは……。

 

「ここはこんな具合に高い山があって馬車でも登れないんじゃなかったかな」

 

 僕は地図にいくつかの三角を描き、山を表現してみせる。

【挿絵表示】

 

 こうして見るとハルニア王国が山脈で東西に分断されているのが良く分かる。だから王様も東西に分けて統治していたんだな。

 

「ふ~ん……それじゃ仕方ないわね。じゃあサントリアを経由するとして、どれくらいの時間がかかるの?」

「えーっと……」

 

 前にミロードまで移動した時はどれくらい掛かったっけ? う~ん……あの時は途中で魔獣に襲われたりサントリアが閉鎖されたりしてたからなぁ……。

 

 確かラドンからハーミルまでは午前中いっぱい掛かっていたはず。ハーミルからサントリアは魔獣の襲撃で止まっていた時間を考慮すると3時間くらいだろうか。サントリアからミロードに直接行ったことは無いけど、地図上の距離から想像すると、これも2時間くらいだろう。つまり午前と午後の両方を使ってようやく到着するってことか。

 

「たぶん丸一日って感じじゃないかな」

「まだそんなに掛かるの?」

「たぶんね」

「帰りも同じ道を通ると思うとうんざりするわね……」

 

 ハァと溜め息をついて美波が肩を落とす。気持ちはとてもよく分かる。サンジェスタを出てからここまで船での移動を合わせて2日間掛かっている。ここからラドンまで更に1日。つまりサンジェスタとラドンの往復は6日間も掛かることになるのだ。それもほとんどが馬車となればウンザリもするだろう。

 

「ちょっとキツいけど頑張ろうよ。元の世界に帰るためだからさ」

「そうね。これくらいで()を上げたりしちゃ瑞希に笑われちゃうものね」

「姫路さんはそんなことで笑ったりしないと思うけどね」

「そうかしらね。ふふ……。ところでアキ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

「ん。何?」

「えっとね、ここからガラムバーグまでってどれくらい掛かるの?」

「ガラムバーグ?」

 

 ガラムバーグはここから西の町。リオン王子が王宮を構える町だ。でもなぜこんなことを聞くんだろう? あの町はラドンとは逆方向だから行く予定は無いけど……とりあえず美波の質問には答えるべきか。

 

「確か3時間くらいだよ」

「往復で6時間も掛かるのね……」

 

 僕の返事を聞くと美波は少し視線を落として目を細めた。そして俯いたまま、膝の上でティーカップの縁を指でゆっくりとなぞっていた。その仕草はどこか寂しさのようなものを感じさせる。

 

 美波がこんなことを聞いたのには何か理由があるはず。僕はそう思い、考えてみた。

 

 ガラムバーグに何があるのか。真っ先に思いつくのは、やはりリオン王子の王宮だ。あの王宮はこの世界での出来事の中でも最も思い出深い場所だ。なにしろ美波と奇跡の再会を果たした場所なのだから。

 

 あの時は本当にビックリしたな。まさかあんな所に美波がいるなんて思いもしなかったよ。あの時、もしあのままリオン王子に追い出されていたらと思うとゾッとする。ジェシカさんに引き留めてもらえて本当に良かった。そうでなかったら美波と再会することもできなかった。美波が元の世界で僕の帰りを待っていると勘違いして、自分だけ帰ってしまったかもしれないんだ。本当にジェシカさんには感謝しても感謝しきれ――――ん?

 

 待てよ? もしかして……。

 

「ねぇ美波」

「うん」

「もしかしてジェシカさんに会いたいの?」

「っ――! そ、そんなことないわよ!? 何言ってんのよバカ!」

 

 美波はビクンと一度体を震わせたかと思うと、苦笑いをして両手をブンブンと振って否定した。こんな反応をされたらさすがに僕にだって嘘だと見抜ける。

 

 そうだ。ジェシカさんだ。美波はメイド長のジェシカおばさんに会いたいんだ。この世界に飛ばされて途方に暮れていた美波を救ってくれたのはジェシカさんだ。右も左も分からない状態の美波をメイドとして雇ってくれて、しかも僕と引き合わせてくれた。それなのに戦争のゴタゴタの中で別れてしまい、ちゃんとお礼も言えていない。きっとそれが心残りなんじゃないだろうか。

 

 けれど今の目的は白金の腕輪の獲得。目的地はラドンだ。10日間という期限が切られている以上、目的以外のことに時間を費やしている余裕は無い。

 

 ……

 

 でも……。

 

「腕輪の在り処はもう分かってるし、1日くらい寄り道してもいいかもしれないね」

「えっ……?」

「気分転換にって感じでさ」

「……ううん。そんなのダメよ」

「どうしてさ。時間があるならいいじゃんか」

「瑞希や翔子が待ってるかもしれないのよ? 寄り道なんかしないでまっすぐ行くべきだわ」

 

 先程の杞憂に満ちた表情から打って変わり、凛とした表情を見せる美波。その目の輝きに嘘や偽りは無かった。自分の想いよりも仲間の気持ちを優先する。これが美波の優しいところだ。

 

 けど……僕は……。

 

 そんな美波の想いを……優先したい。

 

「でもそれじゃ美波が――」

「いいからっ!」

 

 美波は目を吊り上げて僕を睨みつける。こうなってしまうと僕の意見など聞いてくれない。どうやら反論の余地は無さそうだ。ひとまずここは引き下がるしかない。

 

「分かったよ……」

 

 美波はああ言うけど、ジェシカさんに会いたがっているのは間違いない。自分の気持ちを押し殺しているんだ。なんとか願いを叶えてあげたい。でもどうしたらいいだろう……。

 

「それじゃ今日はもう寝ましょ。明日はまた座りっぱなしの1日になりそうだから、少しでも長くベッドで横になっていたいし」

 

 でも美波はガラムバーグに寄ることを望んでいないようだ。もしここで僕が強引にガラムバーグに行くことを決めたとしても美波は怒るだろう。ならば今は本来の目的である腕輪の入手を優先すべきだ。仮にガラムバーグに寄るにしても腕輪を手に入れた後にした方がいいだろう。

 

「そうだね。そうしようか」

 

 僕たちは紅茶の後片付けをし、寝る準備を始めた。

 

 借りたこの宿の部屋にはベッドが2つ。こういう部屋のことを”ツイン”と呼ぶらしい。美波が受付で「ダブルをひと部屋」と言った時、嫌な予感がして受付の人に聞いたのだ。案の定、ダブルとは2人が寝られるほどの大きなベッドが1つある部屋だった。そこで僕が慌てて変えさせたのだ。

 

「値段のわりにふかふかで良いベッドね」

 

 ポニーテールを解いた美波がベッドに両手をついて弾力を確かめている。僕も彼女の真似をしてベッドを両手で押してみた。なるほど。確かにふかふかしていてほどよく押し返してくる。寝心地が良さそうだ。

 

「ホントだ。これならよく眠れそうだね」

「旅の疲れを癒すのにちょうどいいわね」

「うん。そうだね。それじゃおやすみ美波」

 

 僕は照明を消してベッドに入り、目を閉じる。あぁ、これは落ち着いて眠れそうだ。昨日の夜は船の中だったから、ずっと揺られていて落ち着かなかったんだよね。

 

 ……ん?

 

 その時、顔の横に何かの気配を感じ、僕は目を開けてみた。すると左目の辺りにふわりと何かが乗るのを感じた。見えたのは赤みがかった髪。こんなにしなやかで綺麗な髪が僕のものであるはずがない。ということはこの髪は……。

 

「美波? ――っ」

 

 頬に柔らかくて暖かい感触。こ、これは……。

 

「おやすみ、アキっ」

 

 そう言って身を(ひるがえ)し、もう一方のベッドに向かう美波。

 

「う、うん。おやすみ……」

 

 彼女の笑顔は暗がりの中にもかかわらず、キラキラと輝いて見えた。いつかこうした挨拶が当たり前になる日が訪れるんだろうか。そんな疑問を抱きつつ、僕は眠りについた。

 



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第十八話 ハートの掴み方

 翌朝。

 

 僕らは予定通り朝のうちにミロードの町を出発。峠町サントリアに向けて移動を始めた。馬車の出発時刻は昨日のうちに調べてある。今日の第1便に間に合うようにホテルを出て、予定通り馬車に乗る。こうした段取りを整えたのはすべて美波だ。まったく、これじゃどっちがリーダーなのか分からないじゃないか。

 

 馬車はガタガタと激しく音を立て、山道をひたすら走った。乗客は家族連れやご老人など僕らを合わせて9人。ほぼ満席だ。しかし誰一人として声を出す者はおらず、皆座席に腰を下ろし静かに到着を待っていた。僕が思うに、こうして全員が沈黙している理由として考えられるのはひとつ。喋ると舌を噛むからだ。

 

 なぜそう思うのか? それは僕自身が経験したから。美波と話そうとした瞬間、下から突き上げるような揺れで舌を噛んでしまったのだ。血は出なかったけれど、とっても痛かった……。

 

 そんなトラブルがあったものの、他には特に障害も無く馬車は無事峠町に到着。乗客は全員降りてサントリアの町中へと消えていった。僕らも馬車を降り、まずは「ふぅ」とひと息つく。

 

「ねぇアキ大丈夫? 舌、噛んだんでしょ?」

「あぁ、なんとかね。血は出てないし、たぶん大丈夫さ」

「まったく、気をつけなさいよね」

「ごめんごめん。さて、それじゃこのまま次の町に向かおうか」

「そうね」

 

 今日は一気にラドンまで移動する予定だ。現在位置は町の西端。ハーミル行きの馬車乗り場は町のちょうど反対側にある。僕たちは早速そこに向かって歩き始めた。

 

 この町も例に(たが)わず、上から見ると円形をしているらしい。そしてその中央には大きな道が真っ直ぐ東西に伸びていて、ハーミル行きの馬車乗り場へはこの道を真っ直ぐ進めば到着するというわけだ。サントリアは小さな町だ。(はじ)から(はじ)まで歩いても20分掛からないだろう。

 

 ただしひとつ問題がある。以前この町を通った時は道の途中に高い柵が建てられ、完全に封鎖されていた。もし今もまだ封鎖されているとしたら面倒なことになる。さて、どうしたものか……。と悩みながら歩いていると、例の封鎖されていた場所が見えてきた。

 

 ……あれ?

 

 やけに視界がクリアだ。薄緑色の空と、遥か遠くには灰色の山肌が連なっているのが鮮明に見える。理由は単純だった。あの10メートルはあろうかという高い柵が無いのだ。それにあの時のような警備の兵士もいないようだ。

 

 気がつけば通りは大勢の人で賑わい、自由に行き来している。そうか、閉鎖は解かれたのか。それでこんなに人が多いのか。

 

「ねぇアキ、本当にここが封鎖されてたっていう町なの?」

 

 美波が周囲をキョロキョロと見回しながら言う。

 

「そうだよ。でももう封鎖は解かれてるみたいだね」

「ふ~ん……こうして見ると普通の賑やかな町に見えるわね」

 

 確かに今の様子からは封鎖されて兵士が見張っていたなんて想像できないだろう。当時の様子を目にしている僕でさえ、夢でも見ていたんじゃないだろうかと思うくらいなのだから。でもあの時、この道が大きな柵で閉鎖されていたのは紛れもない事実なのだ。ムッツリーニと一緒に兵士に変装して、すり抜けたのだから。

 

「王子同士で争わなくなったからもう封鎖する必要がなくなったんだろうね。これがこの町の本来の姿なんじゃないかな」

「ふ~ん……」

「とりあえずここでお昼ご飯にしようか。また馬車に数時間乗ることになるし」

「そうね」

 

 そんなわけで付近の飲食店に入り、軽くランチタイム。店は大勢の人で賑わい、満員御礼状態だった。今まで通りたくても通れなかった人たちが一斉に押し寄せてしまったのだろうか。そう思わせるくらいの混み具合だった。

 

 混雑の中、とりあえず作るのが簡単そうなパスタランチを注文。しかし長居しては申し訳ないと思えるほど混んでいたので、僕たちは食事を終らせるとすぐに店を出てきてしまった。

 

「なんだか慌ただしかったわね」

「しょうがないよ。この混雑じゃ」

「まぁウチらも先を急ぐからいいんだけどね」

「そういうことだね。さ、行こうか。次はハーミルの町だ」

「うん」

 

 僕らは手を取り合い、ハーミル行きの馬車乗り場に向かって歩き出した。するとその直後、

 

『おーい! ヨシイ! ヨシイじゃねぇか!』

 

 と、後ろから親しげに話し掛ける者がいた。誰だ? こんな所に知り合いなんていないと思ったけど。もしかして新手のオレオレ詐欺か?

 

 少し警戒しながら振り向くと、大きな剣を背負い、青い鎧に身を包んだ男がそこにいた。

 

「ウォーレンさん!」

「おう! 久しぶりだなヨシイ!」

「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「おいおい、ンな堅苦しい挨拶はナシだぜ。俺とお前の仲じゃねぇか。いや~それにしても久しぶりだな! どうだ、しっかり剣の修行してっか?」

「ほぇ? 剣の修行?」

「あ~ン? その様子じゃサボってやがるな?」

「いや、だって僕剣士じゃないし……」

「何言ってンだよ! お前ならいい剣士になれるって! しっかり修行を積めば俺を超えるくらいに強くなれるさ!」

「は、はぁ……」

 

 この男の名はウォーレン。手練(てだ)れの剣士であり、馬車の警護を生業(なりわい)としている。無造作にかき上げた茶色い髪と不精髭が特徴のノリの軽い人だ。最初に彼と出会ったのは、ハーミルからサントリアへ向かう馬車の中だった。

 

(ねぇアキ、誰なの? 知り合い? ずいぶん親しそうだけど……)

 

 僕の肩をバンバンと叩くウォーレンさんに戸惑っていると美波が小声で話し掛けてきた。そうか、美波は初対面だっけ。

 

「えっと、このおじ――」

「お兄さんだ」

「お、お兄さんはウォーレンさんと言って、魔獣から僕を守ってくれた恩人なんだ」

 

 おじさんと呼ばれるのは嫌なんだな。歳は30くらいだと思うけど、そういうのが気になる年頃なんだろうか。

 

「いやぁ~恩人だなんて大げさだぜ。あん時はお前だって大活躍だったじゃねぇか」

「いや……あの時はもう無我夢中で何がなんだか分かんなかったし……」

 

 あの時とは、ハーミルから乗った馬車の魔障壁装置が故障し、魔獣の群に襲われた時のことだ。召喚獣を使えることが分かったのはこの時だった。この時、やけくそになって「召喚(サモン)」と叫んだら服が召喚獣の装備に変わったのだ。そして僕はその召喚獣の力を使い、ウォーレンさんと共に魔獣を追い払ったというわけだ。

 

「謙遜すんなって。で、どうだヨシイ、本気で修行してみねぇか?」

「修行って……もしかして剣のですか?」

「ったりめーよ。他に何があるってんだ」

 

 料理とか?

 

「だから僕は剣士になる気は無いんですってば」

「そうか? 勿体ねぇなぁ。お前ならいい相棒になれると思うんだがな」

「そ、そう言われても……」

 

 僕が木刀を持っていたのは召喚獣のスタイルなだけで、僕自身、剣士になるつもりは毛頭ない。ウォーレンさんは僕を仲間にしたいみたいだけど、受け入れるわけにはいかないのだ。だって大して筋肉も付いてない僕に剣士が務まるとも思えないし、そもそも僕らは元の世界に帰るつもりだから。

 

「ん? ところでヨシイ、そっちの子は誰だ?」

 

 ウォーレンさんがチラリと美波に目を向けて尋ねる。そういえば美波に紹介している途中だった。

 

「こっちは美波……じゃなかった、えぇと、島田美波といって――」

「はじめまして。島田といいます。アキが大変お世話になりまして、本当に感謝しています」

 

 僕がドギマギしている間に美波がペコリと頭を下げて挨拶をする。よくそんなに落ち着いて対応できるなぁ。初対面の人なのに。

 

「アキ? なんだ? アキってのは?」

 

 美波の挨拶に対し、ウォーレンさんは頭にクエスチョンマークを浮かべている。当然だ。”アキ”なんて呼び方は仲間の間でしか通用しないのだから。こんなやりとり、前にもあった気がする。

 

「あっ、す、すみませんっ! アキじゃなくて吉井でした!」

「あぁそうか。ヨシイアキヒサだからアキか。ん? なんだ、女の子か?」

「そうですけど……」

 

 あ……美波の目がスッと細くなった。この表情、ムッとしているに違いない。

 

「あ、あははっ! なに冗談言ってんですか! どこからどう見たって女の子じゃないですか!」

「ふ~ン……なるほどねぇ」

 

 僕が慌ててフォローすると、彼は自らの顎をしゃくりながらニヤニヤと笑みを浮かべた。なんだ、このいやらしい目つきは……。

 

「おいヨシイ、ちょっと耳を貸せ」

 

 そう言って彼は僕の腕をぐぃっと引っ張る。

 

「いてててっ! ちょ、ちょっと、そんなに強く引っ張んないでくださいよ!」

「いいからちょっと来い!」

 

 僕はウォーレンさんに強引に引っ張られ、美波から遠ざけられてしまった。

 

「分かりましたよ。耳でも何でも貸しますよ。で、なんですか?」

(よく見ればなかなか可愛い子じゃねぇか。こんな嫁さん連れて来るなんて思わなかったぜ。やるねぇコイツぅ)

 

 はぁ!?

 

(ちょ、ちょっと待ってくださいよ。お嫁さんなんかじゃないですよ?)

(なんだよ、照れんなって。名前を愛称で呼ばせてるなんて仲が良いじゃねぇか。羨ましいねぇ)

(や、やめてくださいよ……僕たちまだそんな関係じゃないですから……)

(あァん? なんだ、まだなのかよ。お前さんも奥手だなァ)

(奥手っていうかなんていうか……その……)

 

 は、恥ずかしい……。確かに今までも美波との未来像を考えたことは何度かあったけど、他人にこうして言われると凄く恥ずかしい……。

 

「しっかりしろヨシイ! 大事にしてぇ子には変わりねぇんだろ? だったらおめぇが守ってやんなきゃな!」

 

 ガハハと豪快に笑うウォーレンさん。こんな人前でそんな恥ずかしいこと言わなくてもいいじゃないか……。

 

「それにしても結構可愛い子じゃねぇか。一体どこで見つけて来やがったんだ? 胸の辺りがちょっと残念だけどな」

「見つけたっていうかクラスメイト? それよりウォーレンさん、胸のことは美波の前では絶対に言わないでくださいね。凄く気にしてるから……」

「なぁに、女の価値は胸じゃねぇよ。昔から言うだろ? ”女は度胸”って」

 

 悪いけど初耳だ。それを言うなら”男は度胸”だろう。

 

「あ。けど”胸”って文字が入ってンな。ならやっぱり女は胸にちげぇねぇな。ハッハッハッ!」

「……」

 

 これってやっぱりバカにされてるんだろうか。どう反応したらいいのか分からない……。

 

「ま、俺を睨みつけるなんざ、なかなかいい度胸してるじゃねぇか。俺は気に入ったぜ?」

「は、はぁ……」

「んで、どうすんだ? いつ挙式上げンだ?」

「ぶっ!?」

「ンだよその反応は。その気はねぇってのか?」

「い、いや……そういうわけじゃないんですけど……」

「煮え切らねぇヤツだなぁ。さっさと決めちまえよ」

「うぅ~……」

 

 だってまだ僕は高校生なわけで……確かに18歳になれば結婚はできるんだろうけど、今の僕じゃまだ……。

 

「まぁそんなに悩むなよ。とりあえずお前にその気が無いわけじゃないってのは理解したぜ」

「す、すみません」

「いいってことよ。おめぇの気持ちも分からないでもないからな。……けどな」

「ふぇ?」

 

 急に声色を変えたウォーレンさん。何か違う雰囲気を感じ取った僕は彼の目を見てみた。すると彼は地面を見るように俯き、どこか寂しげな目をしていた。

 

「けど……なんでしょう?」

「人生ってのは何があるか分からないんだ。だから……」

 

 ウォーレンさんは真剣な目を僕に向け、告げた。

 

「後悔だけはすんなよ」

 

 と。

 

 彼の言葉はどこか自戒の念が込められているようにも感じた。過去に何かあったのだろうか。気にはなったが、聞いてはいけないような気がした僕は、

 

「はい」

 

 とだけ、返事をした。

 

「よし! 戻ってやんな! あの子が待ってんぜ!」

 

 バンと凄い勢いで肩を叩かれ、僕は無理やり身体を180度回転させられた。

 

「いってぇ~……な、何すんですか」

「ほれほれ! いいから戻った戻った!」

「ちょ、ちょっと、そんなに押さないでくださいよ」

 

 ウォーレンさんが僕の背中をぐいぐいと押し、僕を歩かせる。来いと言ったり戻れと言ったり、一体何だっていうのさ……。

 

「いやぁ悪かったなお嬢ちゃん、ヨシイは返すぜ」

 

 僕の肩越しにウォーレンさんが美波に話し掛ける。返すって、僕は物じゃないぞ。

 

「ウチ、お嬢ちゃんなんかじゃありませんっ! ちゃんと名前で呼んでください!」

 

 美波がぷぅっと頬を膨らませて不服を表す。確かに美波はお嬢ちゃんって感じじゃないよな。葉月ちゃんくらいの年齢ならまだしも。

 

「おっと、こいつぁすまねぇ。えーっと、確かシダマだったか?」

「島田です! シ・マ・ダ!」

「ワリぃワリぃ。シマダな。覚えておくぜ」

「もうっ! 失礼しちゃうわ!」

 

 腕組みをして美波が怒っている。比較的見慣れた光景だ。それにしても美波は初対面の人にも容赦ないな。まぁそれはウォーレンさんも同じか。

 

「そう怒んなよ。可愛い顔が台なしだぜ?」

「ふぇっ!? そ、そんな……ウチ、可愛くなんて……」

「へへっ、そういう照れた所もキュートだぜ?」

「~~~っ……!」

 

 美波が今度は顔を真っ赤にして照れている。怒ったり喜んだりと忙しいことだ。

 

(そんじゃヨシイ、あとは任せたぜ)

 

 可愛らしい美波の様子を眺めていたら、ウォーレンさんが耳打ちしてきた。

 

(ほぇ? 任せるって、何を?)

(お前今のを見てなかったのか? あの子のハートを掴むんだよ)

 

「はぁっ!? な、何言ってんの!?」

 

(ば、バカやろう! 大声出すんじゃねぇ!)

(だ、だってハートを掴めだなんて……)

(なに躊躇(ためら)ってンだよ! さっき後悔するなって言ったばかりだろ!)

(そ、そんなこと言ったって急には……)

(ったく、しゃーねぇなぁ。そんなことじゃ――って!)

 

 ボソボソと小声で話していたウォーレンさんはいきなり背を伸ばし、大声を張り上げた。

 

「やっべぇ! 仕事の時間過ぎてるじゃねぇか!!」

 

 なるほど、馬車の警護の仕事に行く所だったのか。

 

「ヨシイ、それにシマダ! 縁があったらまた会おうぜ! じゃぁな!」

 

 ウォーレンさんはガシャガシャと鎧を鳴らしながら、町の中へ駆けて行く。僕らはその様子を2人で見守っていた。

 

「……なんだか変わった人ね」

「そ、そうだね」

 

 この世界に限らず、僕の周りには変わった人ばかりな気がする。

 

「ウチらも行きましょ。今日中に目的地まで行きたいし」

「うん」

 

 僕らはウォーレンさんとは反対方向――ハーミル行きの馬車乗り場に向かって歩き出した。

 

 それにしてもハートを掴めって言われても、どうやったらいいんだろう。そんな経験無いし、さっぱり分かんないよ……。

 



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第十九話 HERO

 峠町サントリアを出てから約2時間。僕らはハーミルの町に到着した。

 

「え~っと、次の便は1時間半後みたいね」

 

 乗り場に掲示されている時刻表を見ながら美波が言う。彼女が言っているのは、ここからラドンに向かう馬車の便のことだ。1時間半か。だいぶ時間が空くな。

 

「それじゃ少し休憩しようか。ずっと揺られていてちょっと疲れたでしょ?」

「ん~。ウチはちょっと体を動かしたい気分かな」

「ん。そう?」

 

 ふむ。体を動かす……か。美波の気持ちも分からないでもない。というのも、この後もラドンへの移動には馬車を使う。つまりまた数時間座りっぱなしになるということだ。長時間じっとしているのは、運動好きな美波にとっては辛いことだろう。僕だってこのままでは体が(なま)ってしまうし、少しは運動をした方がいいのかもしれない。

 

 しかしサッカーやマラソンのような激しい運動では今度は疲れてしまう。今は軽く歩く程度の運動がいいだろう。

 

「それじゃ少し散歩してみる?」

「いいわね。この町は初めて来るし、ちょっと見てみたいかも」

「決まりだね」

 

 そんなわけで、僕たちはこのハーミルの町を散歩してみることにした。

 

 馬車が到着したのは町の北側の隅。外周壁から入ってすぐの所だった。ここからは幅4、5メートルほどの道が真っ直ぐ南に向かって伸びている。レオンドバーグやミロードとは違い、石畳で舗装されていない土の道だ。その道に人影はほとんどなかった。遥か先の方で数人歩いているのが見える程度で、辺りはシンと静まり返っている。どうやらこの先は住宅街のようだ。

 

 どうせなら商店街でウィンドウショッピングを楽しみたかったところだが、あまり歩き回ると帰り道が分からなくなってしまう。たまには住宅を見て歩くのも良いだろう。というわけで、僕たちはこの南に向かって伸びる道を歩いてみることにした。

 

「ふ~ん……結構緑が多いのね」

 

 右や左に目を向けながら美波が呟くように言う。言われてみると確かにサントリアに比べて木が多いようだ。

 

 道の両側に並ぶ家々はそれぞれ庭を持ち、沢山の庭木を植えている。背の低い木が多いので比較的視界は開けているが、どの家も生い茂る緑の中から白や赤褐色(せきかっしょく)の建物が顔を覗かせる格好になっている。その光景は土の路面と相まって、田舎の集落のような印象を与えるものとなっていた。

 

「なんだか高級住宅地って感じね」

「高級? どこらへんが?」

「大きな家で、広い庭があって、静かな環境。これって”閑静な住宅街”って言うんでしょ?」

「完成?? そりゃ確かに建築中には見えないけど?」

「……アンタに聞いたウチがバカだったわ」

「えぇっ!? なんでそうなるの!?」

「閑静っていうのは”静か”とか”落ち着いた”って意味でしょ!」

「へぇ~、そうなんだ」

「アンタもうちょっと覚えなさいよ。自分の国の言葉でしょ?」

「そう言われてもなぁ。馴染みのない言葉だし」

「ハァ……もういいわ。いつものことだし。でももうちょっと頑張りなさいよね。このままだとウチの方が日本語上手になっちゃうわよ?」

 

 今でも十分上手いと思う。口論になると圧倒されてしまうし。けど確かに美波に日本語を教わるようじゃ17年間を日本で暮らしてきた僕の面目が丸潰れだ。

 

「そうだね。頑張ってみるよ」

 

 それにしても日本語か。思えばたった2年弱でよくここまで話せるようになったものだ。そう考えた時、僕の頭の中には去年の色々な出来事が鮮明に甦ってきた。

 

 

 僕が美波と知り合ったのは去年の春――いや、ついこの前、除夜の鐘を聞いたから一昨年になるのか。文月学園に入学して同じクラスになったのがきっかけだった。当初の美波は日本語がほとんど話せなかった。僕が”帰国子女”という言葉を初めて知ったのもこの時だった。

 

 最初はクラスの皆も帰国子女が珍しいらしく、美波を取り囲んで質問責めにしていた。ところがしばらくすると、皆は蜘蛛の子を散らすように美波から離れていった。なぜ皆が離れたのかは知らない。ただ、それ以降誰一人として美波に近付く者はいなかった。

 

 そして数日が経った。美波はその間、誰とも言葉を交わさず、クラスの中で完全に孤立していた。教室の席で独り俯くポニーテールの女の子。その寂しそうな姿を見て、僕はなんとかしてあげたいと思うようになった。

 

 僕は無い知恵を絞って考えた。彼女に元気になってもらうにはどうしたらいいだろう? 何か自分にできることはないのか? それはすぐに見つかった。だがそれには彼女と話す必要がある。しかし何度話し掛けても上手く伝えることができない。僕の言葉を聞き取れないのか、理解してもらえないのだ。そこで僕は更に知恵を絞り、ひとつの手段を思いついた。

 

 彼女の出身国の言葉なら通じるはず。たぶんこの理論に間違いは無かったと思う。ただ、決定的に間違っていたことがあった。

 

 ―― ちゅうぬ、ぶどれぱ、どぶにいるもなみ? ――

 

 僕はドイツである美波の出身国を、”フランス”だと思い込んでいた。当時の僕はそれに気付かず、発音が悪いのかと勘違いして何度もこの言葉を投げ掛けていた。だが知らない国の言葉なのだから通じるはずもない。結局美波は怒ってしまい、早退してホームルームを欠席してしまった。

 

 ……どうして理解してもらえないんだろう。ホームルーム中、僕は先生の言葉を聞き流しながら、落ち込んだ。

 

 ところがその翌日、不思議なことが起きた。突然彼女の方から「ウチと友達になってください」と言ってきたのだ。なぜ”ウチ”? という疑問はあったが、そんなことはすぐに忘れてしまった。彼女の笑顔が眩しいくらいに輝いていて、それが僕にとって最高に嬉しかったから。

 

 ――そして僕たちは友達になった。

 

 それからというもの、美波は凄い勢いで日本語を覚えていった。徐々に言葉を交わせるようになり、秋ごろになると普通に会話ができるようになっていた。今の流暢(りゅうちょう)な日本語を聞いていると、当時のたどたどしい言い方が懐かしいとさえ思える。きっと美波は僕と違って頭が良いのだろう。そうでなければこれほど短期間のうちに話せるようになるわけがない。そしてこれからはもっと上達して、今度の振り分け試験ではFクラスを脱することだろう。

 

 

「どうしたのアキ? 何か考え事?」

「ん。まぁね」

「もしかして閑静のこと? それならもう考えなくていいわよ?」

「あぁいや、そうじゃないんだけどね」

「じゃあ何を考えてたの?」

「もうすぐ2年になるんだなって思ってさ」

「はぁ? 何言ってるのよ。ウチら今2年生よ? アンタ今頃になってまだ1年生気分なの?」

「いや、そうじゃなくてさ、美波と知り合ってからもうすぐ2年経つんだなって思ってさ」

「なんだそういうこと? 紛らわしい言い方しないでよね」

「ご、ごめん」

「そうね。もう2年になるのね」

「うん」

 

「「……」」

 

 会話が途切れ、しんみりとした空気が僕らを包む。

 

「……あっという間だったわね」

 

 彼女はそう言って顔を上げた。目を細め、浮かぶ雲を眺めるように空を見上げる美波。その横顔は何かを懐かしんでいるようにも見えた。

 

「そうだね」

 

 僕は美波の視線に合わせるように空を見上げた。

 

 ハーミルの空は薄緑色の光の膜で覆われていた。遥か上空の太陽からは柔らかな春の日差しが降り注いでいる。土色の路面。緑あふれる町並み。耳を澄ませばどこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 

 未だ見慣れぬ光景。

 異世界の町。

 

 けれど見慣れる必要は無い。今僕らがこうして行動しているのは元の世界に帰るためだ。腕輪の所在もラドンの町と判明し、夕方には到着する。いつもの日常に戻れる日も近いだろう。……美波との、いつもの日常に。

 

「ありがとね。アキ」

「ん? 何が?」

「色々と、かな」

「?」

 

 美波が何を言いたいのか分からなかった。”ありがとう”とは感謝をあらわす言葉だ。でも僕には感謝される覚えがない。この世界に来てからというもの、助けられているのは僕ばかりだから。もしかして気付かないうちに何か感謝されるようなことをしたのだろうか? 少し考えてみたけど、やはり思い当たる節が無い。でも聞き返すのも野暮な気がする。

 

 ……ま、いいか。

 

 僕は考えることをやめた。

 

 そして再び周囲に意識を向けると、ある公園の前に差し掛かっていることに気付いた。この公園は覚えている。2人の子供から”文月学園の制服を見た”という話を聞いた場所だ。

 

 今こうして美波と一緒に居られるのも偶然ここで情報を聞けたからだ。あの時も時間が余って、こんな具合に散歩をしているところだった。……あの子たちには感謝しなくちゃいけないな。そんなことを考えながら、僕は公園の前を通り過ぎようとしていた。

 

『ちょっ、ちょっと待ってくれ! 君たち!』

 

 するとその時、突然後ろから男の声で呼び止められた。もしかしてウォーレンさんが話の続きをしに来たのか? と一瞬思ったが、声が違う。聞き覚えのない声だ。誰だろう?

 

 立ち止まり、振り向く僕と美波。するとよく鍛えられた体つきをした1人の男が道に立っているのが見えた。だがこの人に見覚えはない。僕が知らないということは美波の知り合いだろうか? いや、それも違うようだ。美波もキョトンとしていて、知らなそうな顔をしている。

 

 もしかして呼び止めたのは僕らじゃなくて他の誰かなのか? そう思って周りを見てみたが、付近には誰もいなかった。やはり僕か美波のどちらかのことを言っているようだ。

 

「えっと……僕たちのことですか?」

「そうだよ! 君、ヨシイ君だよね!」

「ほぇ? そうですけど……」

 

 あの人は僕の名前を知っている。でも僕はあの人を知らない。一体誰なんだろう?

 

「アキ、知り合い?」

「うーん……」

 

 見た感じ、年齢は40から50代くらいの男性。髪はこの国の人に多い茶色。瞳の色は青。オールバックにビシッと決めた髪型。服装もこの世界でよく見る地味なもので、どこにでも居そうなおじさんだった。

 

「ごめん、記憶にないや」

「そうなの? ウチの知り合いでもないわよ?」

 

 僕も美波も知らないのに向こうはこっちを知っている。どういうことなんだろう? こうなったら聞いてみるしかないか。

 

「あの……どうして僕のことを知ってるんですか?」

 

 思い切って尋ねてみると、彼はこちらに駆け寄ってきて嬉しそうに僕の手を握ってきた。

 

「やっぱりヨシイ君なんだね! いやぁこんなところで会えるなんて思わなかったよ!」

「えっ? いや、あの……」

 

 彼は僕の手を両手で握ってブンブンと上下に振りまくる。はっきり言って男に手を握られても嬉しくない。

 

「あ、あの、すみません。どちらさまですか?」

「ん? あぁそうか、あの時は兜を(かぶ)っていたから顔が分からないのか」

「兜?」

「君はライナス殿下とリオン殿下の戦いに乱入してきたヨシイ君だろう?」

「えっ? えぇ、まぁ……」

 

 あの戦争のことを知っている? この人、一体何者だ?

 

「あの時は本当にすまなかった。どうしても殿下の命令に背くことはできなかったんだ」

「は、はぁ……」

「まだ分からないかい? あの時、君を押さえ込んでいたのは私だよ」

 

 押さえ込んで……? あ!

 

「そうか! あの時の!」

 

 やっと思い出した。大熊の魔獣を倒した後に僕は1人の兵士に押さえ付けられたんだった。あの時は全身を鎧や兜で覆っていたから顔なんか全然分からなかった。そうか、あの時の人だったのか。だから僕のことを知ってるのか。

 

「思い出してくれたかい?」

「はい、あれはおじさんだったんですね」

「ウチも思い出したわ。でもあの格好じゃ誰だか分からなくて当然ね」

「私もあそこで命を落とすわけにいかなかったからね。ありったけの装備を整えて行ったのさ」

 

 そうかそうか。そういうことだったのか。

 

 

 ……で?

 

 

「それで僕に何か用でしょうか?」

「おぉそうだ! 実は君にお礼が言いたくてね」

「お礼?」

「そうさ、戦争を止めてくれた上に妻と娘までも救ってくれたんだからね」

「は?」

 

 確かにあの時(王様が)戦争は阻止したけど、女性なんていなかったぞ? ましてや、娘なんかがあの場に居るわけがない。

 

「えっと……何かの勘違いじゃないですかね」

「いやいや、間違いなく君だよ。娘が君の大ファンになってしまったんだからね」

 

 ……話が見えない。

 

「すみません。どういうことか説明してもらえますか?」

「そうだね。じゃあまずは――」

 

『パパー? どうしたのー?』

 

 男が話そうとした瞬間、公園から1人の女の子が出てきた。

 

「あーっ! ヨシイお兄ちゃん!!」

 

 女の子は僕を見るなりそう叫び、タタッと駆け寄ってきた。小さな歩幅で両手を前にして走ってくる女の子。その姿は葉月ちゃんとダブって見えた。ハッ! ということはダイビングヘッドバットが来る!? ヤバイっ!! と僕は咄嗟に身構える。

 

「わぁい! ヨシイお兄ちゃんだぁ~っ!」

 

 しかし女の子はその小さな手で僕の手を握り、嬉しそうに振るだけだった。良かった、鳩尾(みぞおち)がマット代わりにならなくて。ホッとひと息つく僕。そうして落ち着いて目の前の女の子をよく見てみると、この子もまた僕の知っている子だった。

 

「こんにちはサーヤちゃん。久しぶりだね」

 

 この子の名はサーヤちゃん。茶色い髪をお下げにした元気な女の子だ。歳は5、6歳だろうか。葉月ちゃんより少し幼いように見える。

 

 ん? そういえば今あのおじさんを「パパ」と呼んでいたような? ということは、この子がおじさんの娘? えーと、それはつまり……。

 

 サーヤちゃん ← 親子 → おじさん

 

 こういうことか。なるほど……やっと話が繋がった。つまり戦争に連れて行かれたというサーヤちゃんのお父さんとはあの時、僕を組み伏せた兵士のおじさんだったんだ。それであの戦争が終わった後、家に帰ったおじさんはサーヤちゃんから僕の話を聞いたんだ。僕はサーヤちゃんの前でも、おじさんの前でも召喚獣を装着した姿を見せている。きっとその姿から同一人物だと分かったのだろう。

 

「アキ、その子は?」

「あぁ、前に話したよね。初めて魔獣と戦った時のこと」

「大猿の魔獣に襲われたっていうアレ?」

「うん。この子がその馬車に乗り合わせていた女の子なんだ」

「あ、そういうこと? こんな所で会うなんて凄い偶然ね」

 

 まったくだ。さっきのウォーレンさんといい、どうして行く先々で知り合いに会うんだろう。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん! いつ戻ってきたの? サーヤずっと会いたかったんだよ!」

「ついさっきね。サーヤちゃんも元気そうだね」

「うんっ! あの時お兄ちゃんが守ってくれたからだよっ!」

 

 サーヤちゃんが満面の笑みを浮かべ、僕の手をブンブンと横に振る。うんうん。いい笑顔だ。

 

「ホント、アンタって小さい子に慕われるのね」

「あははっ、なんでだろうね」

「ねぇねぇお兄ちゃん! サーヤのお(うち)に来て! サーヤと一緒に遊ぼ!」

「へ? お家?」

「ヨシイ君。私からも頼むよ。妻もきっと喜ぶと思うんだ」

 

 サーヤちゃんの肩に手を乗せ、おじさんも誘いかけてくる。むぅ。お誘いは嬉しいけど、あんまり時間は無いんだよね……。

 

(アキ、どうするの?)

(困ったね……そろそろ戻らないといけない時間なんだけど……)

(それじゃ断るの?)

(う~ん……それしかないよね……)

 

 やっぱり断ろう。今日中にラドンまで移動したいし。

 

「ごめんねサーヤちゃん。お兄ちゃんたちは先を急がなくちゃいけないんだ」

 

 僕はしゃがんでサーヤちゃんと目線の高さを合わせ、頭を撫でてやった。いつも葉月ちゃんにしていたように。

 

「そうなの……?」

「うん。ごめんね」

「ぅ~っ」

 

 サーヤちゃんは寂しそうに目を潤ませる。そんな顔をされると辛いなぁ……。そう思っていたらサーヤちゃんは急にパッと笑顔を取り戻し、今度はこう言ってきた。

 

「じゃあじゃあ! お兄ちゃんはどこに住んでるの? この町? サーヤ遊びにいくよ!」

「う~ん……何ていうのかな。……とっても遠い所、かな?」

「遠いところ?」

「うん。とーっても遠い所さ」

 

 異世界なんて言ってもこの子には理解できそうにないからね。こう言うのが最善だろう。

 

「サーヤにも行ける?」

「ちょっと無理かなぁ」

「行けないんだ……」

 

 再びしょんぼりと落ち込んでしまうサーヤちゃん。望みは叶えてあげたいけど、今は使命がある。だから無理なんだ……。

 

「お兄ちゃん、ちょっとでいいからお家に来て? いいでしょ?」

「う~ん……」

「ねぇねえ、いいでしょ? お兄ちゃんっ! ねぇっ!」

 

 目に涙を溜めてしがみついてくるサーヤちゃん。こ、困った……どうしよう……。

 

「サーヤ。無理を言っちゃいけないよ」

 

 するとその様子を見かねたのか、サーヤちゃんのお父さんが止めに入ってくれた。

 

「う~っ……」

「すまないヨシイ君。娘が無理を言って」

「あ、いえ」

「う~っ! やだやだ~っ! サーヤお兄ちゃんと遊ぶ~っ!」

「こらサーヤ! いいかげんにしなさい!」

「いや~だぁ~っ!」

 

 僕の足にしがみついて駄々をこねるサーヤちゃん。お父さんの言うことも聞かないようだ。まいったなこりゃ。

 

「アキ、この子はウチがなんとかするわ」

「ん? 美波が?」

「この子、葉月の小さい頃にそっくりなの。だから任せて」

 

 なるほど。それは心強い。

 

「分かった。頼むよ」

「サーヤちゃん、少しだけお姉ちゃんとお話ししない?」

「う~っ……お姉ちゃんだぁれ?」

「ヨシイお兄ちゃんの……えっと……」

「?」

「…………お、お友達よ」

 

 なぜそこで口篭る。

 

「どう? お姉ちゃんとじゃ嫌?」

「……ううん」

「いい子ね。パパとお兄ちゃんはお話しがあるみたいだからウチらは少し離れていましょうね」

「うん」

 

 美波がサーヤちゃんの手を取り、公園の中に連れて行く。そしてベンチに座らせると目線の高さを合わせ、何かを言い聞かせていた。ここからはサーヤちゃんが頷く姿と、美波の黄色いリボンの頭だけが見える。

 

「重ね重ねすまない。ヨシイ君」

 

 美波たちの様子を見守っているとサーヤちゃんのお父さんが頭を下げてきた。

 

「ん? あぁ気にしないでください」

「そういえば確か君は別の世界から飛ばされて来たと言っていたね。もしかして遠い所というのはそういうことなのかい?」

「その通りです。信じられないかもしれませんけど……」

「いや、信じるよ。君のあの力はとても常人とは思えないからね」

 

 異世界から来たことを話して理解してくれた人は数少ない。けれどサーヤちゃんのお父さんもその数少ない人のうちの1人になってくれたようだ。

 

「じゃあ君たちはその別の世界に帰るために旅をしているのかい?」

「はい。これからその鍵を探しにラドンの町に行くところなんです」

「なるほど。そういうことだったのか。実は私もサーヤと同じで君たちに恩返しをしたかったのだけど……」

「恩返し?」

「妻や娘を魔獣から救ってくれた上に、殿下たちの無駄な争いも止めに来てくれた。そのお礼がしたいんだ。もし時間が許すなら我が家でおもてなしをさせてくれないか」

「おもてなし、ですか……」

 

 でも今は馬車の出発時間待ち。もし次の馬車を逃せば、ラドンへの移動が明日になってしまう。できればそれは避けたい。

 

 えぇと、こういう時に返す言葉は……うん。

 

「すみません。今は先を急ぎますので、お気持ちだけ頂戴します」

 

 これでいいんだよね。確か前に姉さんが電話口で誰かにこんな感じのことを言ってたし。

 

「そうか……残念だ。でもそういう事情なら仕方ないね」

「すみません」

「いや、いいんだ。無理を言ってすまなかった。君たちの旅の無事を祈っているよ」

「ありがとうございます」

 

 とりあえず話はついたな。そろそろ行かないと馬車が出てしまいそうだ。

 

「こっちは話がついたわよ」

 

 ちょうどそこへ美波が戻ってきた。元気な笑顔を見せるサーヤちゃんと手を繋いで。

 

「お兄ちゃん! がんばってね! サーヤずっと応援してるよ!」

「ほぇ? う、うん」

 

 わけも分からず”うん”と答えちゃったけど、何を頑張るんだろう? 美波は一体何を話したんだ?

 

「アキ、そろそろ馬車の時間よ。急ぎましょ」

「うん」

「行くのかい? それじゃ道中気を付けて」

「ばいばいお兄ちゃん! お姉ちゃん!」

「サーヤちゃんも元気でね」

「うんっ!」

 

 手を振るサーヤちゃん親子に見守られ、僕たちは元来た道を歩き出した。サーヤちゃんはいつまでも手を振り続ける。それを無視するわけにもいかず、僕たちは度々振り向いては手を振り返した。

 

「ところで美波、さっきサーヤちゃんに何を話したの?」

「気になる?」

「だって頑張ってとか言われたし……」

「吉井お兄ちゃんは皆のヒーローだから一ヶ所に(とど)まっていられない性格をしているのって言っただけよ?」

「え……そんなこと言っちゃったの?」

「うん。いけなかった?」

「いや、いけなくはないんだけど……僕、ヒーローなんかじゃないよ?」

「そうかしら?」

「当たり前だよ。どこからどう見たって何の変哲もない、ただの高校生じゃないか」

「ん~……でも……」

「あ、もしかして変身ヒーローみたいに召喚獣で変身するから?」

「ううん。そうじゃなくてね」

「? じゃあ何なのさ」

「あのねアキ、確かにアンタは救いようがないくらいバカでおっちょこちょいのただの高校生よ」

 

 いきなり酷い言われようだ。

 

「……でもね」

 

 美波はそこで言葉を止めた。でも、なんだろう? と話の続きを待っていると、

 

「ウチにとってアキは最高のヒーローなの。……たとえ召喚獣がなくてもね」

 

 美波はそう言って微笑んだ。その笑顔はとても優しく、彼女の言葉が嘘偽りのない本心であることを示していた。

 

「……そ、そっか……。あ、アリガト……」

「ふふ……どういたしまして」

 

 美波は僕の左腕に両腕を絡ませながら幸せそうな笑顔を見せる。きゅっと絞められる腕から彼女の温もりが伝わってくる。その暖かさに僕の心臓は徐々にその鼓動を早くしていった。

 

「あ、あのさ美波、そんなにくっつかれると歩きにくいんだけど……」

「いいじゃない、ちょっとくらい。ほら急がないと馬車が出ちゃうわよ」

「う、うん」

 

 美波は組んだ腕で引っ張るように歩みを早める。僕は顔を火照らせながら、ハーミルの閑静な住宅街を歩いた。

 



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第二十話 はじまりの町

 僕たちはついに目的の町、ラドンに到着した。久しぶりの町。この世界に来て初めて世話になった町。この異世界での生活はここから始まったとも言える。

 

 土が剥き出しの道。

 レンガや石造りの建物。

 薄緑色の膜で覆われた空。

 町の中央に聳え立つ白い円筒形の魔壁塔(まへきとう)

 

 内部の様子は以前ここを出た時と何ら変わりはない。すべてがあの時のままだった。

 

「ふ~ん……ここがラドンの町なのね」

 

 美波が周囲を見回しながら言う。

 

「そうだよ。いやぁ、なんだか懐かしいなぁ」

「なによ。レオンドバーグに着いた時にウチがそう言ったら”そんなことない”って言ってたくせに」

「へ? 僕が?」

「えぇそうよ。忘れちゃったの?」

「そうだっけ?」

 

 うーん。言われてみればそんなことを言ったような気がする。

 

「まったく……ホント忘れっぽいんだから。まぁいいわ。それで腕輪の在り処については心当たりはあるの?」

「それがまったく無いんだよね」

「えっ? そうなの? 王様は行けば分かるって言ってたじゃない」

「そうなんだよね。だから馬車を降りた所にでもあるのかと思ったんだけど……」

「この辺りにそれらしい物なんて何も無いわよ?」

「う~ん……ちょっと探してみようか」

 

 僕たちは2人がかりで駅周辺をくまなく探してみた。けれどこの停車駅にはベンチがひとつあるだけで、あとは6本の柱に支えられた小さな屋根が頭上に広がっているだけ。ベンチの周りや屋根の内側、それに屋根の上まで確認したけど腕輪なんてどこにもなかった。腕どころか美波が言うように何も無かったのだ。

 

「無いわね……」

「う~ん……それじゃどこにあるんだろう」

「アンタこの町で何日か過ごしたんでしょ? その時に何か見てないの?」

「あの時は腕輪の存在なんて知らなかったし、たとえ見てたとしても覚えてないと思うんだよね」

「まぁそうでしょうね。でもこうなるともう知ってそうな人に聞いてみるしかなさそうね」

「やっぱそうだよね……」

 

 やれやれ、また聞き込みか。この世界に来てからこればっかりだな。こういうところはまるでゲームそのものだ。片っ端から話し掛けてヒントを貰う”クエスト”みたいでさ。仕方ない。そこの商店街の中で聞いてみるか。

 

 ……でもその前に。

 

「あのさ美波、その前に一ヶ所寄りたい所があるんだけど、いいかな」

「寄りたい所?」

「うん。とってもお世話になった人の所なんだ」

「いいわよ。それじゃまずそこに行きましょ。でもちゃんと腕輪のことも聞くのよ?」

「分かってるよ」

 

 美波はその”寄りたい所”が誰の所なのかを聞かなかった。その寄りたい所に誰が居るのか。僕はその名を口にしていない。

 

 そこに居る人。それはルミナさんだ。ルミナさんはこの世界で僕が最初に出会った人、マルコさんの奥さん。途方に暮れている僕に生活の基礎を教えてくれた人だ。つまり僕にとってこの世界で一番の恩人になる。美波はこうした僕の思いを感じ取ってくれたのだと思う。

 

「場所は覚えてるの?」

「もちろんさ。案内するよ」

 

 このラドンの町は東側を主に農業地が占め、西側には商店などの商業地が広がっている。これは当時ルミナさんから教わった知識だ。マルコさんの家は西側。商店街の外れにある。今いるのは町の北側で、農業地区と商業地区のちょうど境目になっている。ここからマルコさん宅に行くには右手に見える商店街を抜けて行けばよい。確か歩いて30分くらいだ。

 

「こっちだよ」

 

 早速僕らは右手の商店街ゲートをくぐり、マルコさんの家に向かった。そこは以前と変わらぬ活気に溢れていた。沢山の買物客と飛び交う威勢の良い声。それらを耳にした瞬間、僕の胸には懐かしさのような感情が込み上げてきた。

 

 ……二度と戻ることはないと思っていたのにな……。

 

 そう思うとなんだか胸にジンと熱いものが込み上げてくる。これが”万感の思い”というやつなのだろうか。

 

「結構賑やかな町ね」

「うん。ここの人たちは愛想の良い人が多いんだ」

「国の(はじ)っこの町だから静かな所って思ってたわ」

「ははっ、ここは商店街だからね。どうせなら元気に売った方が買う方も嬉しいじゃん?」

「それもそうね」

 

 そんな話をしながら歩いていると――――

 

『ん? おいヨシイ! ヨシイじゃねぇか!』

 

 突然脇の店のカウンターから男が身を乗り出して声を掛けてきた。

 

「あ……ど、どうも」

『久しぶりだなぁ! ん? 隣の子は誰だ? 今日はルミちゃんと一緒じゃねぇのか?』

「えぇまぁ、色々ありまして……」

『そうか色々か。あんまりルミちゃん困らせるんじゃねぇぞ? ところで何か買っていくか?』

「いえ、今日は買い物に来たわけではないので」

『そんじゃしゃーねぇな。またうちで買ってくれよな!』

「はい。その時にまた」

 

 やれやれ驚いた。まさか僕のことを覚えている人がいるとは思わなかったな。さて、ではルミナさん宅へ……。

 

『あら! ヨシイちゃんじゃないの! アンタどこ行ってたのよ!』

 

 と思ったらそうはいかなかった。

 

「あ。こ、こんにちはおばさん」

『しばらく見なかったじゃないの。元気にしてんのかい?』

「は、はい……」

『おうヨシイ! 買い物か? 何探してンだ? ウチで買っていけよ!』

「いえ、今日は特に探しているというわけでは……」

『おおヨシイ! 久しぶりだな! 今日はいいネタ入ってるぜ! 見て行けよ!』

「すみません。今は先を急いでまして……」

『そうか。んじゃまた後で寄ってくれよ!』

 

 こんな具合に次から次へと声を掛けられてしまい、その都度足止めを食ってしまう。彼らはこの商店街の各店の店長やオーナーだ。ルミナさんと一緒に買い物に出た時に紹介されたので覚えられてしまったようだ。

 

 しかしこれではなかなか先に進めない。かといって無視するわけにもいかない。仕方なく当たり障りの無い言葉を選んで切り抜けようとする僕。そうして何人の人に話し掛けられただろう。ようやく商店街を抜けた頃には僕はすっかり疲弊してしまっていた。

 

「つ、疲れた……」

「凄いじゃないアキ。大人気よ」

「そうなのかな……それにしては、やたらとポンポン頭を叩かれたけど……」

「きっと愛情表現よ」

「そうかなぁ」

「ぜったいそうよ。間違いないわ」

「どうしてそんなことが分かるのさ」

「だってウチも前は――――な、なんとなくよ!」

「? いま何か言いかけなかった?」

「気のせいよ」

 

「「……」」

 

 気のせい……か? まぁいいや。今はそんなことより先を急ごう。

 

「ところでアキの言う寄りたい所ってどのあたりなの?」

「あぁ、すぐそこだよ。ほら、そこの角を曲がって真っ直ぐ行ったところさ」

 

 僕は道の数メートル先を指差す。あの曲がり角を曲がれば、赤いレンガの家が見えてくるはず。それがマルコさんとルミナさんの暮らす家だ。2人とも居るといいな。

 

「やっと着いたのね。結構時間が掛かったわね」

「色々と足止めを食っちゃったからね……」

 

 この町に到着してから既に1時間が経過しようとしている。商店街の人たちに絡まれなければ、これほど時間は掛からなかっただろう。でも彼らも悪気があってやったわけではない。恨んではいけないのだ。

 

「よし、もうちょっとだ。急ごう」

 

 僕らはこのまま道を進み、角を曲がった。すると予定通り赤い壁の一軒家が見えてきた。その家の前では1人の女性が洗濯物を取り込んでいる。あの長い茶色い髪の後ろ姿。間違いない。あれはルミナさんだ。

 

「行こう美波! あれがルミナさんだよ!」

「えっ? ど、どうしたのよアキ、そんなに急がなくてもいいじゃない」

「いいから早く早く!」

 

 僕は美波の手を引き、赤い家を目指して走る。

 

「ルミナさん!」

 

 そして洗濯物を手にしている女性に声を掛けた。

 

「えっ……? よ、ヨシイ君!?」

 

 振り向いた彼女は目を丸くして驚いていた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは、まさにこういう表情のことを言うのだろう。

 

「どうしたのヨシイ君! あなた元の世界に帰ったんじゃないの!?」

 

 茶色い髪を腰まで伸ばしたストレートヘア。透き通るような青い瞳。ロングスカートのワンピースに包んだ細い身体も以前と変わりなかった。

 

「お久しぶりですルミナさん。実はその元の世界に帰るためにここに戻って来たんです」

「えっ? ど、どういうことなの?」

「えーとですね、実は――」

「待ってヨシイ君。話すのなら家の中でゆっくり話さない?」

「あ、そうですね」

 

 確かに少々長い話になりそうだし、落ち着いて話したほうがいいだろう。

 

「ところでそちらの方は?」

 

 ルミナさんが僕の隣に目を向けて尋ねる。そうだ、美波は初対面だった。紹介しなくちゃ。

 

「こちらは島田美波といいまして、僕の――」

 

 えーと……。

 

「僕の大切な仲間です」

 

 こう告げた瞬間、なぜか隣から凄まじい殺気を感じた。見ればすぐ横では美波が凄い形相で僕を睨みつけていた。何か恨まれるようなこと言ったかな……。

 

「まぁ、あなたがミナミさんなのね。ヨシイ君から聞いてるわよ。世界で一番大切な人だって」

 

 はいぃ!?

 

「ちょ、ちょっとルミナさん何言ってんですか!?」

「違ったかしら?」

「いや、違わないですけど……って! そうじゃなくて! と、とにかく家に入りましょう! さぁ早く!」

「どうしたのよヨシイ君そんなに慌てて」

「ほ、ほら、こんな所で立ち話していたら洗濯物を落っことしちゃうからさ!」

「それもそうね。それじゃ2人とも上がって」

 

 ふぅ……やれやれ。なんとか誤魔化せたかな。

 

「ね、ねぇアキ? せ、世界で一番大切な人って……」

 

 って誤魔化せてなかったーー!!

 

「なんでもないよ!? そんなことより早く家に上がらせてもらおうよ!」

「そうね。それじゃお邪魔してその話をゆっくり聞かせてもらおうかしら」

「こ、今度ね今度! さぁさぁ入った入った!」

 

 僕は美波の背を押し、家の中に入った。

 

「2人ともホットミルクでいい?」

 

 洗濯物を片付けたルミナさんはポットを手に僕たちに尋ねる。そういえば喉が渇いたな。馬車に3時間も乗っていたのだから当然か。

 

「「はいっ、それでお願いします」」

 

 まったく同時に同じ台詞を言ってしまう僕と美波。

 

「まぁ、あなたたち息ピッタリね。ウフフ……テーブルの席で待ってて。すぐ温めるわ」

 

 ルミナさんは顔を赤らめる僕たちを見て、クスクスと笑っていた。なんだかとっても恥ずかしい……。僕たちは赤面しながらテーブルの席に着いた。

 

(ちょっとアキ、真似しないでよ)

(美波の方こそ真似しないでくれよ)

(別にアンタの真似をしたわけじゃないわよ)

(僕だって……)

(それにしてもルミナさんって綺麗な人ね)

(うん。物腰も柔らかいし、とっても美人だよね)

(ふんっ、どーせウチはブスでガサツですよーだ)

(誰もそんなこと言ってないじゃないか。何か怒ってる?)

(怒ってないわよ)

(そうかなぁ)

(怒ってないって言ったら怒ってないの!)

(わ、分かったよ。そんなにムキになんないでよ)

(ふんっ)

 

 やっぱり怒ってるよね、これ。なんてことを小声で言い合っていると、いつの間にかルミナさんが戻って来ていた。

 

「なぁに? 2人で内緒話?」

 

 はぅっ! ルミナさんに聞かれた!?

 

「い、いや! そんなんじゃないです!」

「別に内緒ってわけじゃないんですよ!? ウチらはただ言い争ってただけで!」

「仲が良いのね。ウフフ……」

「「そ、そんな……」」

 

 な、なんか調子狂うなぁ……。

 

「それでヨシイ君、どうして戻ってきたの?」

 

 ルミナさんが向かいの席に座って尋ねる。そうだった。説明しなきゃ。

 

「実は元の世界に戻る鍵ってのが分かったんですけど、それがこの町にあるらしいんです」

「まぁ、そうなの。その鍵っていうのはどんな鍵なの?」

「美波、腕輪の絵を」

「うん」

 

 美波が鞄から霧島さんが書いてくれた腕輪の絵を取り出し、ルミナさんに見せて尋ねる。

 

「こんな感じの腕輪なんです。見た事ありませんか?」

「鍵って腕輪なの? 金属の棒でできたようなあれじゃなくて?」

「ウチらが鍵って呼んでるのは”手掛かり”って意味の鍵なんです」

「そういうことだったのね。あら? この腕輪、どこかで見たような……?」

 

「「ほ、ホントですか!?」」

 

 またも美波と僕の台詞が重なる。別に狙ってやってるわけじゃないんだけどな……って、そんなことはどうでもよくて、

 

「ルミナさん! どこで見たんですか!?」

「つい最近見たような気がするのだけど……ごめんなさいね。思い出せないわ」

「そうですか……」

 

 まぁそう簡単に見つかるわけがないか……。でもルミナさんが見たことがあるということは、この町にあることは間違いなさそうだ。彼女の行動範囲を考えると予想されるのは買い物をする商店街だ。見たことがあるとすれば、やはり商店街である可能性が高い。宝石店とかで売られていたということだってあり得るだろう。

 

「あ、ちょっと待って。そろそろミルクが暖まる頃だと思うから」

 

 ルミナさんはそう言うと席を立ち、キッチンへと静かに歩いていった。

 

 さて、この後どうするか。期限がある以上、ルミナさんが思い出すのを待っているわけにもいかない。となれば、僕らが取るべき行動はひとつ。聞き込みだ。

 

 日が落ちるまではまだ少し時間があるようだし、幸いなことにこの町の商店街の人たちには顔見知りも多い。先程手荒な歓迎を受けているし、彼らなら協力を得られるかもしれない。よし……。

 

「美波、この後商店街に戻って腕輪のことを聞いて回ろうと思うんだけど、どうかな」

「いいわよ。ウチもちょうどそう思ってたところなの」

「そっか、それじゃ決まりだね」

「ちょっと待ってヨシイ君」

 

 行動予定を決めたところで、ミルクカップを両手に持ったルミナさんが戻ってきた。

 

「なんでしょう?」

「今日はもう休んで明日にしたら?」

「ほぇ? なんでですか?」

「だって今日ずっと移動だったんでしょう? 疲れたんじゃない?」

 

 確かに今日は朝からずっと馬車で移動していた。ルミナさんの言うように疲れはある。しかしここまで来るのに既に3日を費やしている。ガルバランド王国へ帰るのにも3日掛かることを考慮すると、探索に使える日数は4日間だ。だから今日やれることは今日のうちにやっておきたい。

 

「大丈夫です。僕らまだ動けますから。ね、美波」

「えぇ。もちろんよ」

 

 軽くガッツポーズを作り、美波も同意してくれた。だがルミナさんはこんな僕らに反対してきた。

 

「ヨシイ君。私の言いつけを忘れたの?」

「言いつけ? えぇと……なんでしたっけ」

「焦ってはダメ。慌てて行動すると思わぬ失敗をしてしまう。前にそう言ったでしょ?」

「うぐ……」

「ミナミさん、あなたもよ。ヨシイ君と一緒ならなんでもできるって思ってない?」

「えっ? ウチは……そんなことは………………あるかも……」

 

 僕たちはルミナさんに(たしな)められ、すっかり意気消沈してしまった。テーブル席に座り、置かれたミルクカップを前に俯く僕と美波。そんな僕たちにルミナさんは今度は優しく語り掛けてくれた。

 

「自分や仲間を信じて行動することは良い事よ。でも勇気と無茶は別物。それだけは覚えておいてね」

「「……はい」」

「素直でよろしい。じゃあ今日はもうおしまいね。宿は取ったの?」

「いえ、これからです」

「それじゃうちに泊まっていく?」

「いいんですか?」

「もちろんよ。ヨシイ君なら大歓迎よ。あなたの”世界で一番大切な人”も一緒なら尚更ね」

 

 んがっ!?

 

「る、ルミナさん、その話は忘れてくださいよ……」

「あらどうして? いい話じゃない。私は好きよ?」

「あの……ルミナさん、ウチにもその話を詳しく聞かせてもらえませんか?」

「美波も何言ってんの!? そんなの聞かないでよ!」

「いいわよ? それじゃ一緒にお風呂に入りながらゆっくりお話ししましょうか」

「えぇぇっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! そんなのダメだって!」

「何を慌ててるのよアキ。いいじゃない、恥ずかしい話でもないし」

「僕にとってはこれ以上ないくらい恥ずかしいんだけど!?」

「さぁ行きましょうミナミさん」

「はいっ!」

「あぁっ、ま、待って……お願いルミナさん、後生だから……」

「アンタは大人しくそこで待ってなさい。覗いたら殺すわよ」

「んのぉぉーーーーっ!!」

 

 美波とルミナさんは叫ぶ僕を置いて、楽しそうに話しながら出て行ってしまった。リビングに1人取り残された僕。

 

 あぁ……僕の恥ずかしい台詞が美波に知られてしまう……。

 



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第二十一話 素直な気持ち

 浴室の方からはルミナさんと美波の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。一体何を話しているんだろう……。

 

 以前この家で暮らしていた時、僕はルミナさんと色々な話をした。彼女は不幸な事故で一人の息子を亡くしている。きっと今まで辛い毎日を送ってきたに違いない。そう思った僕は少しでも寂しさが紛れればと思い、積極的に彼女の話し相手になったのだ。

 

 その時、もちろん美波への想いも話している。今にして思えばなぜあれほど無遠慮に、赤裸々に語ってしまったのか(はなは)だ疑問だ。そのせいで今こうして悶々とした時間を過ごしているのだから。

 

 できることなら今すぐ飛び込んで僕の恥ずかしい台詞の数々が晒されるのを阻止したい。けれどそんなことをすれば僕の命は無いだろう。今できるのは天に祈り、ルミナさんが余計なことを言わないように願うことだけだ。

 

 とはいえ、ただ待っているだけなんて耐えられない。だが止めにも行けない。じっとしていられない僕は席を立ったり座ったり、テーブルの周りをぐるぐると回ったりした。きっと他所(よそ)から見たら僕の行動は酷く滑稽(こっけい)に映っていただろう。そんなことを思いながらも、どうすることもできず、落ち着かない時間を過ごしていた。

 

 そうして30分ほどした頃――――

 

「どうだった? うちの石鹸、ミナミさんのお肌に合ったかしら」

「はいっ、見た目より滑らかでとっても良かったです。旅の疲れがすっかり取れました」

「そう? それは良かったわ」

 

 ルミナさんと美波が戻ってきた。2人とも頭に白いタオルを巻き、桃色のワンピーススタイルの寝巻に身を包んでいる。こうして見るとまるで仲の良い姉妹のようだ。だが今はそんなことはどうでもいい。問題は”どんな話をしたのか”だ。

 

「あ、あのぉ……」

「どうしたのヨシイ君? そんな脅えた仔犬みたいな顔をして」

「いや、その……何を話したのかな、と、思いまして……」

「洗いざらい全部よ?」

「……」

 

 も、もうダメだぁ……。

 

 ザザァという音がするかのように頭から血の気が引いていく。目眩いのような感覚に襲われた僕は力が抜けてしまい、ガクリと床に両手をついて項垂れた。

 

「ねぇアキ、話したいことがあるの」

 

 前方から美波の声が近付いてくる。すると今度は引いた血が一気に戻ってきて、火がついたように頭が熱くなってきてしまった。

 

「ウチね、今すっごく嬉しいの」

 

 項垂れたまま動けない僕に美波が優しげな声で話し掛けてくる。僕は恥ずかしくて何も言えず、顔を上げることもできなかった。

 

「ルミナさんから全部聞いちゃった。アキがこっちの世界に来てからもずっとウチのことを思っててくれたって。逢いたいって飛び出そうとしたって」

 

 美波はそんな僕に構わず語り掛けてくる。僕は床に両手をついたまま目を強く瞑り、恥ずかしさに耐えた。

 

「ウチも離れ離れになってすっごく不安だった。もうアキに会えないのかなって思って、ずっと泣いてた。…………でもアキは……探しに来てくれた。ウチを見つけてくれた」

 

 美波の言葉が僕の頭を更に熱くしていく。そのマグマのような熱さは頭から耳、耳から頬へと伝わり、最後には全身を激しく燃え上がらせていった。

 

「ありがとアキ。ウチね、アキと出会えて本当に良かったって思ってる」

「っ――!?」

 

 彼女は屈み、四つん這いの僕の頭をそっと抱き締めてきた。言葉で表わせないくらいの驚きに全身を硬直させ、思わず息を止める僕。

 

「最初の頃は変なやつって思ってた。近付いちゃいけない人なんだって思ってた。でも今は……離れたくない。ずっと一緒にいたいって、思ってる。だからウチを……ウチをずっと、(そば)に居させて? ……嫌だって言ってもついていくけどね。ふふ……」

 

 美波は僕の頭をぎゅっと抱き締め、自らの胸に押し当てる。恥ずかしい。堪らなく恥ずかしい。人前でこんなことを言われ、今すぐこの場に穴を掘って入りたいくらい恥ずかしかった。どうして美波はこんな台詞を平気で言えるんだろう。僕は聞いているだけでこんなにも恥ずかしくて顔から火を吹きそうだというのに。

 

「ミナミさん、それくらいにしてあげて。このままじゃヨシイ君が沸騰してしまいそうよ?」

「……そうですね。ふふふ……」

「ヨシイ君もそんなに恥ずかしがることないわよ? 人を愛するって素敵なことなんだから」

 

 うぅ……それでも恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ……。

 

「アキってこういう話になるとすぐこんな風に恥ずかしがっちゃうんですよ」

「あらそう? でも私にはとっても嬉しそうな顔をして話してくれたわよ?」

「そうなんですか?」

「きっと本人の前では恥ずかしいのね」

 

 あぁその通りさ。恥ずかしいさ。この上なくね。そりゃ僕だって美波のように素直に言えればって常々思っていたよ。でも、いざとなるとどうしてもガチガチに緊張してしまって何も言えなくなってしまうんだ。我ながら情けないよ……。

 

「さ~て、それじゃのろけ話はこれくらいにしてお夕食にしましょうか。ヨシイ君はお風呂に入ってらっしゃい。あ、1人で入れる? お背中流しましょうか?」

 

 ぶっ!?

 

「い、いいですいいです! 1人で入れますから! 入ってきますから!!」

 

 僕は慌てて飛び上がり、風呂場に向かって駆け出した。これ以上恥ずかしい思いをさせないでくれ……。なんだかルミナさんが姉さんに見えてきた。そうだ、きっと姉さんみたいに僕を(はずかし)めて面白がってるんだ……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 風呂から上がると、夕食の準備ができていた。どうやらルミナさんと美波の手作りハンバーグのようだ。芳ばしい香りとデミグラスソースの香りが相まって食欲をそそる。

 

「あれ? ところでマルコさんはどうしたんですか?」

 

 この時の僕は既に冷静さを取り戻していた。風呂で汗と疲れと恥ずかしさを洗い流したおかげだ。そこで気付いたのが旦那さんであるマルコさんの不在。以前は夕食の時間には帰って来ていたのに、今日は姿を見ないのだ。

 

「あの人はドルムバーグに行っていて今日は帰らないの。明日の昼過ぎに戻るはずよ」

「あぁ、そうなんですか」

 

 マルコさんは鍛冶職人で、剣などの武器の修理を生業(なりわい)としている。きっと修理品を届けに他の町に行っているのだろう。でもせっかく戻ってきたのだから挨拶くらいしておきたいな。まぁ明日の昼に帰ってくるなら挨拶をする余裕くらいはあるだろう。そもそもまだ腕輪の在り処も分かっていないし。

 

「腕輪のこともあの人が戻ったら聞いてみるわ。何か知ってるかもしれないから」

「はい、お願いします」

「それじゃお食事にしましょう。今日は独りの夕食かと思っていたから嬉しいわ」

 

「「いただきま~す」」

 

 僕たちは和気あいあいとお喋りをしながら食事を取る。試獣装着や美波との再会。それに王子たちの争い。ここまでの道のりを説明しながら、僕らは楽しい時を過ごした。

 

 会話は弾み、ルミナさんも笑顔を絶やさない。それが嬉しくて、食事が終わった後も僕らは話し続けた。そうして話しているうちに調子に乗ってきてしまい、いつの間にか文月学園での色々な行事についてまでも話してしまっていた。

 

 清涼祭。

 強化合宿。

 中間試験や期末試験。

 そしてクラス同士で教室を奪い合う試召戦争。

 

 恐らくルミナさんには僕らの世界のことなんて想像し辛かっただろう。なにしろ文化や生活様式がまるで違うのだから。だがそれでも彼女は困ったような顔ひとつせず、僕らの話に熱心に耳を傾けてくれていた。

 

「ふぁ……」

 

 食事が終わって1時間ほど話していただろうか。隣に座っている美波が口に手を当て、大あくびをしていることに気付いた。

 

「あら。眠いの? ミナミさん」

「あ……すみません。ちょっと眠いかも……」

「それじゃそろそろお開きにしましょうか。ヨシイ君、ミナミさんを寝室に案内してあげて」

「前に僕が使わせてもらった部屋でいいんですか?」

「えぇそうよ」

「分かりました。美波、こっちだよ」

 

 美波は眠そうに片手で目を擦りながら席を立つ。いつもの勝ち気な吊り目はトロンと垂れ下がり、既に半分寝ているようにも見える。うん。これはすぐに寝室に案内した方が良さそうだ。

 

 しかしこういう表情や仕草は葉月ちゃんによく似ているな。まぁ姉妹なのだから当然か。そんなことを思いながら僕は彼女の手を引いて寝室に向かった。

 

「ここだよ。この部屋はね、前に僕が使わせてもらっていた部屋なんだ」

「……」

 

 美波の返事が無い。ちゃんとついて来てるよね? 手を繋いでいてこうして温もりも感じるから、置いて来てしまったなんてことは無いはず。確認のため後ろを振り向く僕。すると、

 

「すぅ…………すぅ…………」

 

 た、立ったまま寝ている……だと……。なんて器用なんだ……。

 

「ちょっと美波、寝るならベッドに入ってから寝てよ」

「……」

「ねぇ美波ってば!」

「……」

 

 ゆさゆさと肩を揺らしてみても彼女は反応しない。ダメだこりゃ……。しょうがない。このままじゃ倒れて頭を打ってしまうかもしれないし。

 

「よっ……っと」

 

 僕は”お姫様抱っこ”の形で美波を抱え上げた。長い髪がふわりと舞い、白い喉が晒される。もう全身の力が抜けている。完全に眠ってしまっているようだ。

 

 そういえば美波が風邪で休んだ時もこうして抱っこしたことがあったっけ。……あの時なんだよね。僕が美波の気持ちを知ったのは。

 

 僕は彼女をそっとベッドに寝かせてやり、毛布を掛けてやった。すやすやと静かに寝息を立てる美波。気のせいだろうか。そんな彼女の口元には、薄らと笑みが浮かんでいるような気がした。

 

(……おやすみ、美波……)

 

 僕は眠る美波の耳元でそう囁き、部屋を後にした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 リビングに戻ると、ルミナさんが後片づけをしていた。

 

「あらヨシイ君。ミナミさんの様子はどう?」

 

 彼女は何枚ものお皿を手に持ちながら尋ねる。これは僕も手伝うべきだろう。

 

「すぐ眠っちゃいました」

「そうなの。余程疲れていたのね」

「そうみたいですね」

 

 僕はテーブルに残っていたお皿を取りキッチンに運び始めた。

 

「あら、手伝ってくれるの?」

「はい。ご馳走になりましたので」

「そんなこと気にしなくていいのよ?」

「いやぁ性分なもので」

 

 ルミナさんのおかげで楽しい夕食になったし。そのお礼も含めて、ね。

 

「そう? それじゃお言葉に甘えようかしら」

「はいっ」

 

 僕は以前、この家で数日間を過ごしている。キッチンの配置もしっかり覚えている。だから違和感なく片付けも熟せるのだ。そしてやはり2人で食器を洗うと効率がいい。5分足らずで全てを片付け終え、僕はルミナさんと共にリビングに戻ってきた。

 

「ありがとうねヨシイ君」

「へへっ、どういたしまして」

 

 テーブル席で暖かい紅茶を口にしながら僕はルミナさんと話す。

 

「それにしてもミナミさんと仲がいいのね。妹さんなの?」

「へ? い、妹?」

「だって”ミナミ”なんて呼び捨てにしてるじゃない?」

「あ……えっと、それは美波がそう呼べと言うからであって……妹なんかじゃないですよ?」

 

 そもそも兄妹(きょうだい)なら「これからもずっと一緒にいたい」なんて言わないでしょ。

 

 ……

 

 そういえば居たよ。こんなことを平気で言いそうな実姉(じっし)が身近に……。あぁもうっ! 姉さんのバカっ! 何が常識なのか分からなくなって来ちゃったじゃないか!

 

「それじゃお姉さん?」

「へっ? あ、いや、そういう意味じゃなくて……そもそも苗字が違うじゃないですか」

「苗字? 苗字って何かしら?」

「は? いや、苗字は苗字であって……ほら、僕が吉井で、美波が島田ってやつです」

「?」

 

 ルミナさんがキョトンとしている。もしかしてこの世界じゃ苗字って言葉は使わないのかな。そういえばここの人たちって皆名前がカタカナだ。つまり英語圏の人たちなんだろうか。えぇと、苗字を英語で言うと、えーと、えーと……お、思い出せない……。

 

「ほ、ほら、ルミナさんだってあるでしょ? ルミナ・なんとかって後ろの名前がさ」

「あぁ、ファミリーネームのことかしら?」

「そう! それです!」

「そういうことだったのね。やっと分かったわ」

 

 ルミナさんがポンと手を叩いて納得を示す。良かった。理解してもらえたようだ。

 

「じゃあヨシイ君は良家のご子息なのね? それにミナミさんも」

「はぁ?」

 

 なぜそうなる……。

 

「だってお2人ともファミリーネームをお持ちなんでしょう? これを付けて良いのは王家か上級貴族だけだもの」

「へ? そうなんですか?」

「知らなかったの?」

「初めて知りました……」

 

 確かに今まで出会ってきた人は皆苗字を名乗っていなかった気がする。ただ1人、レナード王を除いて。王様の名前はなんていったっけ。確かあの熊の魔獣と戦った谷で名乗っていたな。レナード・エルなんとか? 忘れてしまった……。

 

「あ、でも僕や美波は王家や貴族じゃないですよ? 僕らの世界じゃこれを苗字といって、誰もが持ってるんです」

「あら、そうなの? 変わってるのね」

「僕にしてみればこっちの世界の常識の方が驚きなんですけど……」

「それもそうね。ウフフ……。それじゃミナミさんとはご夫婦なの?」

「ブーッ!」

 

 思わず紅茶を吹き出してしまった。

 

「ち、違います! 違います! だから苗字が違うって言ったじゃないですか!」

「あらそうね。私ったらうっかりしてたわ。ウフフ……」

 

 いけない。このままではまた冷やかされてしまう。話題を変えよう。えぇと……そうだっ!

 

「もしルミナさんがファミリーネームを持つならどんな名前がいいですか?」

「……そうね……」

 

 他愛のない話のつもりだった。けれどこの話をした瞬間、ルミナさんは表情を曇らせて俯いてしまった。どうしてそんなに悲しそうな目をするんだろう……?

 

「あの……すみません。もしかして聞いちゃいけないこと聞いちゃいましたか?」

 

 恐る恐る尋ねてみると、彼女は笑顔を見せ、答えてくれた。

 

「ううん。そんなことないわよ。そうね……私は夫が決めた名前に従うと思うわ」

「そ、そっか。そうですよね。あははっ……!」

 

 ……なんだったんだろう、今の悲しげな目は。過去に名前のことで何かあったんだろうか。ちょっと気になるけど、なんとなく聞いちゃいけない気がする。

 

「そ、それじゃ僕もそろそろ寝ますね」

「あらそう? それじゃヨシイ君は夫のベッドを使って。今日は空いてるから」

「はい。それじゃおやすみなさい」

「おやすみなさい」

 

 僕はリビングを後にし、寝室に向かった。

 

 ……なんか変な雰囲気になっちゃったな。でもあんな顔をしたってことはあまり詮索してほしくないってことだろうし、これ以上考えるのはやめておこう。

 

 さぁ、明日は町に出て腕輪探しだ。僕もしっかり寝て体力を回復しておかないと。

 



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第二十二話 腕輪の在り処

 ラドンの町に朝が来た。

 

 僕が目覚めたのはこの町のとある家の中。ふかふかのベッドの上だった。上半身を起こした僕は握った両拳を上げてぐっと身体を伸ばす。

 

「ん~~っ………………くはぁ~……」

 

 そして大きく息を吐いて力を抜く。こうすると身体がすぐに目覚めるのだ。うん。疲れも取れてスッキリいい気分だ。

 

 ここはマルコさんの部屋。昨晩、僕は寝室としてこの部屋を借りたのだ。部屋の中には本棚や机、それに衣装戸棚など、ごく一般的なものが置かれている。

 

 それと昨日の夜は気付かなかったけれど、部屋の隅には巨大な横長の箱がひとつドンと置かれていた。木製のその箱は幅が2メートルほどあり、(フタ)の部分には金槌マークが貼られている。あのマークから想像できるのは工具箱しかない。寝室にまで工具が置いてあるということは、本当に鍛冶屋の仕事が好きなのだろう。

 

 さて、今日から腕輪探しだ。でもその前に着替えて腹ごしらえかな。僕はいつもの文月学園の制服に手早く着替え、リビングへと向かった。

 

「あ、アキ。おはよ」

 

 そこでは制服に着替えた美波が輝くような笑顔で迎えてくれた。赤いスカートに真っ白のワイシャツ。それに橙色のラインの入った黄色いリボンで結い上げたポニーテール。彼女は見慣れたいつものスタイルをしていた。

 

 あのリボンは以前レオンドバーグで暮らし始めた時に僕が買ったものだ。失くしてしまったリボンの代わりにと思ってプレゼントしたのだが、気に入ってくれたのか、あれからずっと使ってくれている。

 

「おはよう美波。早いね」

「そうかしら。ウチよりルミナさんの方が早かったわよ?」

 

 彼女はそう言いながら手にした白い布をテーブルにふわりと掛ける。テーブルクロスだ。朝食の準備をしているようだ。

 

「やっぱりこの世界の人たちは皆早起きだね。昨夜はよく眠れた?」

「えぇ、とってもよく眠れたわ。でも変なのよね」

「ん? 何が変?」

「ウチね、気付いたらベッドで寝てたのよ。どうやってあの部屋まで行ったのかしら」

「食事の後に眠そうにしてたから僕が案内したんだけど……覚えてない?」

「……ぜんぜん覚えてないわ」

 

 やはり昨晩のあれは既に寝ていたのか。

 

「なんか無意識に歩いてたみたいだし、覚えてなくてもしょうがないかもね」

「なんだか恥ずかしいところを見られちゃったわね……」

「ん。そう?」

 

 美波を抱っこしたのはこれが初めてではないし、寝顔を見るのだって何度目かも分からない。確かに僕はドキドキしたけど、眠っていた美波は僕が抱っこした事を知らないはず。どこが恥ずかしいんだろう?

 

「今度はアンタの恥ずかしいところを見せなさいよね」

「はぁっ!? な、なんで!?」

「だってこれじゃ不公平だもの」

「いや、昨日僕、滅茶苦茶恥ずかしい思いをしたんだけど……」

「何言ってるのよ。あんなの全然恥ずかしいうちに入らないわよ」

「えぇぇ~……」

 

 あんなに恥ずかしい思いをしたというのに、まだ足りないというのか? これ以上どうしろというのだ……。

 

「ふふっ、冗談よ。アンタってホントに人を疑わないのね」

「うぅっ……」

 

 以前、雄二にも同じことを言われた。「お前は無駄に人を信じ過ぎる。もっと疑え」と。そんなことを言われても、真顔で言われたら嘘を言っているかどうかなんて区別できないよ。それが美波の言うことなら尚更さ。

 

「さ、ウチは朝食の準備に戻るわ。アキは座って待ってて。すぐに目玉焼きができるからね」

「あ……」

「? どうかした?」

「……ううん。やっぱいいや。大人しく待ってる」

 

 一瞬、「手伝うよ」と言おうかと思った。でも目玉焼きメニューならもう手伝うことも残っていないだろう。そう思って僕は素直に従うことにした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 美味しいハムと目玉焼きの朝食をいただいた後、僕たちはすぐに町に出ることにした。目的はもちろん”白金の腕輪”の捜索。しっかり休息を取ったので気力は十分。体力も全快だ。

 

「それじゃ行ってきます」

「気を付けてね」

「「は~い」」

 

 ルミナさんに見送られ、僕たちは出発した。

 

「美波、腕輪の絵は持ってるね?」

「えぇ、もちろんよ」

 

 昨夜、ルミナさんは腕輪の絵を見て「見たことがある」と言った。具体的な場所などは覚えていなかったが、彼女が見間違いや勘違いをするとは思えない。それにレナード王も腕輪がこのラドンにあると言っていた。ならばこの町の住民に絵を見せて尋ねれば、きっとなんらかの手掛かりを得られるはずだ。

 

「よしっ、じゃあ片っ端から聞いて回ろう!」

「ちょっと待ってアキ」

「ん? 何か忘れ物?」

「ううん。そうじゃなくて、確か王様は”行けば分かる”って言ってたわよね」

「うん。それがどうかした?」

「行けば分かるってことは見ればすぐ分かるってことじゃない?」

「確かにそうとも言えるね」

「だとしたら町のどこかに飾ってあったりしないかしら」

「なるほど……それは考えなかったな。でもどこに?」

「そんなことウチが知るわけないじゃない。知ってたらとっくに取りに行ってるわよ」

「そりゃそうだね」

「だから聞いて回るのと同時に辺りを注意して見た方がいいと思うの」

 

 ふむ。美波の意見も一理ある。

 

「分かった。それじゃ気を付けて見て行こう。美波も頼んだよ」

「任せてっ」

 

 こうして僕たちは商店街に繰り出し、腕輪の捜索を始めた。

 

 ラドンの町はそれほど大きくはない。峠町サントリアよりは大きいが、恐らく他のどの町よりも小さいだろう。商店街はこの西側のひとつのみ。以前マルコさんやルミナさんに連れられて歩いたので、町並みは大体把握している。

 

 僕は美波と共に商店街を歩き、一軒ずつ店に入って腕輪のことを尋ねた。しかし誰もが「知らない」「見た事がない」「ついでに買っていけ」と言うばかり。いや、ついでに買っている余裕なんか無いのだけど。

 

 移動中は先程の美波の意見の通り、どこかに飾られていないかと店先や街燈などに目を配り歩く。けれど目に入るのは木製の看板や、石やレンガの建物ばかり。町行く人々の腕にも注意して見ていたが、それらしいものは見当たらなかった。

 

 こんな具合に捜し回っていると、いつの間にか太陽は真上に来ていた。もう昼の時間のようだ。ここまで何の手掛かりも無い。僕たちはひとまず軽く昼食を取ることにした。

 

 そして飲食店で昼食を終え、午後も引き続き聞き込みを続ける。しかしやはり誰に尋ねても何一つ手掛かりを得られない。王様の「行けば分かる」とは何だったのだろうか。見ても聞いてもさっぱり分からないではないか。この頃、僕の胸の内にはそんな不満の気持ちが(くすぶ)り始めていた。

 

 それでも諦めず、手当たり次第に尋ねて回る僕たち。今日はもう8時間ほど歩きっぱなしだ。にもかかわらず未だ何の情報も得られない。こうなってくるとさすがに心身ともに疲れてくる。

 

「見つからないね」

「そうね……」

 

 聞き回ることに疲れてしまった僕たちは、揃って「ハァ」と溜め息をついた。太陽は頭上を越え、だいぶ傾いてきている。辺りを歩く人たちも少しずつ減ってきているようだ。何より美波の表情に疲労の色が濃くなってきている。これ以上はやめておいた方がいいだろう。

 

「ここまでにしよう美波。あまり頑張りすぎると体をこわしてしまうし」

「そうね。続きは明日にしましょ」

 

 僕たちは手を繋ぎ、徐々に橙色に染まっていく空を眺めながら帰路に就いた。

 

 それにしても一日探し回っても見つからないなんて、どういうことなんだろう。腕輪は王家に贈られた物だっていうし、王家に関係する所にあるのかな。

 

 でもこの町にそんな場所なんてあっただろうか。もしかして王様は研究の邪魔をしてほしくなくて適当なことを言ったのかな。だとしたら僕たちがここまで来たのは無駄足だったということになる。

 

 それにあの時、王様は腕輪の絵を見た瞬間、明らかに不機嫌な顔を見せていた。腕輪に何か嫌な思い出でもあったんだろうか。だから僕らを追い払いたくて嘘をついた? でも王様がそんなことで嘘をつくだろうか。う~ん……分からない……。

 

「どうしたのアキ? 黙り込んで」

「いや……もしかしたら腕輪はもうこの町には無いんじゃないかなって思ってさ」

「今日探し始めたばっかりよ? そんなに早く諦めてどうするのよ」

「そうなんだけどさ……なんかこの世界に来てから探し物ばっかりだからさ」

「気持ちは分かるけど、こういうのは根気が大事よ。まだ期限には日数があるんだし、明日も頑張って探しましょ」

「そうだね。ごめん」

 

 とにかく今日はルミナさんの所に戻ろう。それで明日、まだ聞いていない家を回ろう。今日で商店街の大部分を回ったから、明日は南側の住宅街や東の農地に住む人たちが対象だ。それでも見つからなかったら一旦王様の所に戻った方がいいかもしれない。そんなことを考えながら僕は元来た道を引き返した。

 

 しかしまたルミナさんの家でお世話になっていいのだろうか。彼女は「ここがあなたたちの帰るべき家よ」と言ってくれたけど、少し甘え過ぎな気がする。

 

「ねぇアキ、何か食材を買っていかない?」

「食材?」

「うん。それで今度はウチらがルミナさんにご馳走するの。昨晩お世話になったからそのお礼。ね? いいでしょ?」

「なるほど。いいね、そうしようか」

「それじゃ決まりね。メニューは何がいいかしら?」

「うーん……売ってるものを見て考えようか」

「そうね」

 

 そんなわけで僕たちは商店街で夕食の買い物をすることにした。メニューは付近の店を見て即決。すき焼きとなった。理由は簡単。この世界では珍しい”お米”が売られていたからだ。これを見た美波が和食がいいと言い、隣の店で牛肉を売っているのを見た僕がすき焼きを提案。即合意に至ったというわけだ。

 

「4人分でいいのよね?」

「うん。マルコさんも帰ってきてるだろうからね」

「マルコさんって男の人よね?」

「そりゃルミナさんの旦那さんだからね。鍛冶屋をやってる体の大きな人だよ」

「お肉これで足りるかしら」

「十分じゃないかな。1人200グラムあるし」

「アキがそう言うのなら大丈夫ね。それじゃ帰りましょ」

「いや……でも勘だから足りるか分かんないよ? すき焼きなんて高級品作ったことないし……」

「すき焼きのどこが高級品なのよ」

「だって材料揃えると結構お金掛かるし……」

「アンタがゲームにお金を費やすからお金が足りなくなるんでしょ!」

「まぁそうなんだけどさ」

「いいことアキ。これからは絶対に無駄遣いなんてしちゃダメよ? そんなことしたらウチが許さないんだから」

「……ハイ」

 

 僕はなんで叱られながら買い物をしているんだろう……。

 

「ほら、帰るわよ」

「うん」

 

 そんな話をしながら商店街を歩くこと約20分。見慣れた赤いレンガの家が見えてきた。窓からは明かりが漏れ、家の中に人がいることを示している。僕らは買い物袋を両手に、その家へと向かった。

 

「美波、ちょっとこれ持ってて」

「うん」

 

 扉を叩くため、僕は買物袋をひとつ美波に預けた。この家の扉にはノックするための金属、”ドアノッカー”が取り付けられている。以前テレビでやっていた洋画でこれを使っているのを見た事があるので使い方は知っている。僕はその金属に手を伸ばし、ぐっと握った。

 

「あーーーーっ!」

 

 その時、突然美波が大声を張り上げた。

 

「なっ、何!? どうしたの!?」

「それよそれ! 前見て! 前!」

「ぇ? 前?」

 

 木でできた扉があるだけだけど……。

 

「扉? これがどうかした?」

「違うわよ! 扉じゃなくてその扉に付いている物よ!」

「付いている物?」

 

 言われて改めて扉を見てみる。焦げ茶色をした木の扉。覗き窓などは無く、高さは約2メートル。幅は1メートル弱といったところだろうか。腰の高さ辺りには金属製の黒い帯が取りつけられ、そこに銀色ドアノブが取りつけられている。そしてその下の方には小さな鍵穴があり、鍵が掛けられるようになっている。では美波が何を指しているのかというと……。

 

「えーと……ドアノブ?」

「違うってば! どこを見てるのよ! それよそれ! その輪っか!」

「ワッカ?」

 

 美波が興奮した様子で扉を指差す。輪っかって、このドアノッカー?

 

「あーーーーーーっ!!」

 

 思わず僕も叫んでしまった。なぜなら、そこにはずっと探し求めていた物がぶら下がっていたから。そう、扉に取りつけられていたドアノッカー。これこそが僕たちが探していた腕輪だったのだ。

 

「な、なんでこんなところに……」

「灯台元暗しもいいところね」

「いや~、確かにドアノッカーにしては輪っかが太いなって思ってたんだよね」

「アンタね……もっと早く気付きなさいよ」

「美波だって気付かなかったじゃないか」

「うっ……そ、それはアンタが全然気にしてなかったから違うのかなって思ってただけよ!」

 

 ……絶対嘘だ。

 

 でもなんでこんな所でドアノッカーにされてるんだろう。王家の物じゃなかったのか? まぁいい。この扉に付いているということは今はマルコさんかルミナさんの物なのだろう。

 

「とにかくルミナさんにこのことを話そう」

「そうね」

「それじゃ気を取り直して――」

 

 と僕は再びドアノッカーにされている腕輪に手を伸ばす。すると、

 

  バンッ!!

 

「思い出したわ!!」

 

 突然扉が勢いよく開き、僕は鼻を強打してしまった。

 

「っ――――――!!」

 

 言葉にならない叫びをあげ、顔面を押さえて悶絶する僕。

 

「あらヨシイ君。どうしたの?」

「くぅっ……! ど、どうしたのじゃなくて……ふおぉっ……!」

「何やってんのよアンタ……」

「だ、だっていきなり扉が開いたら反応なんて……くうぅ~っ……」

「ミナミさん、何があったの?」

「あ、ルミナさん。なんか急に扉が開いたからアキが顔を強く打っちゃったみたいで……」

「まぁ大変! すぐに手当てしなくちゃ! 痛いのはどこ? おでこ?」

「は、鼻です……けど……だ、大丈夫……です……」

 

 鼻血は出ていないようだし、たぶん大丈夫だと思う。でも痛かったぁ……。

 

「ごめんなさいヨシイ君。まさかあなたがいるなんて思わなかったのよ」

「いえ、こちらも油断していたので……」

 

 いてて……まだジンジンするよ。こういう局所的な攻撃は美波の関節技より効くなぁ……。

 

「ところでルミナさん、何を思い出したんですか?」

「あっ! そうそう! 思い出したのよヨシイ君! 腕輪のこと!」

「いやまぁ……僕らも今見つけたんですけどね」

「そうなのよ! あの人がドアノッカーの代わりに付けたのをすっかり忘れてたのよ!」

 

 ……酷い扱いだ。

 

「と、とりあえず話を聞かせてもらえますか?」

「そうね。それじゃ中で話しましょう。2人とも入って」

「「お邪魔しま~す」」

 

 やれやれ、ようやく目的の物を見つけたぞ。1日無駄に歩き回ったような気もするけど、まぁ結果オーライ。とにかく腕輪を見つけたのだ。あとは交渉してこれを譲ってもらうだけだ。快く譲ってくれれば良いのだけど……。

 



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第二十三話 疾風怒濤!

「おぅヨシイ! 話はルミナから聞いてるぜ! よく帰ってきたな!」

 

 家の中では茶色い顎ヒゲをたくわえた男が僕たちを待っていた。ポロシャツ姿で鉄人風の体格のおじさん。髪型は僕とよく似ている。この人はマルコさん。この世界に迷い込んだ日の夜、リス型の魔獣に襲われた僕を助けてくれた人だ。

 

「お久しぶりです。マルコさん」

「おうっ! お前も元気そうで何よりだ! って……何だ? その赤い鼻は?」

「あ……こ、これはさっき鼻を打ってしまって……」

「なんだそうか。ハッハッ! お前もドジだなぁ!」

 

 これは僕がドジだからなんだろうか。ただの不幸な事故だと思うんだけど……。

 

「まぁそんなところに突っ立ってないで入れ。ルミナ、こいつらにミルクを出してやってくれ」

「はい、ただいま」

「それじゃお邪魔します。美波も入って」

「お邪魔します」

 

 僕らはリビングのテーブルに案内され、席に着いた。向かい側の席ではマルコさんが頬杖をついて嬉しそうに僕らを見つめている。

 

「しかし驚いたぜ。まさかお前が帰ってくるとはな」

「僕もまたここに来ることになるなんて思いませんでしたよ」

「けどまた会えて嬉しいぜ。それに少し見ないうちに(たくま)しくなったな」

 

 逞しい? どこが?

 

「別に何も変わってないと思いますけど……」

「なぁに、自分じゃ分からんもんさ。で、もしかしてその子がお前の言ってたミナミって子か?」

 

 チラリと僕の隣に目を向けてマルコさんが尋ねる。

 

「そうなんです。美波、自己紹介を」

「はじめまして。島田美波といいます。その節はアキが大変お世話になりまして、ありがとうございました」

 

 美波は座ったままペコリと頭を下げた。その挨拶はやめてほしいんだけどな。なんか親の挨拶みたいで僕が子供扱いされてるように感じるから……。

 

「アキ? あぁ、ヨシイのことか」

「あっ……そ、そうです。すみません」

「ヨシイアキヒサだからアキか。なるほどな。けど俺は世話なんざしてねぇぞ? 世話をしたのはルミナだ。礼ならルミナに言ってくんな。俺は通りすがりにたまたまコイツを拾っただけさ」

 

 マルコさんは楽しげにガハハと笑う。相変わらず豪快な人だ。

 

「それにしてもなかなか可愛い子じゃねぇか。ヨシイ、お前さんも隅に置けないねぇ」

「えっ? いや、まぁその……あはは……」

 

 まさかここでも言われるとは思わなかった。彼女を褒められるというのはこんなにも照れ臭いものなんだな……。

 

「で、(おもて)で何を騒いでいたんだ?」

「あ……それなんですけど、扉に付いてる物について質問があるんです」

「ん? 扉に付いてる物? なんだ? 毛虫でも付いてたか?」「ひっ!? けっ毛虫!? ど、ど、どこどこっ!?」

 

 美波が急に立ち上がり、青ざめた顔で辺りをキョロキョロと見渡す。何を驚いてるんだろう?

 

「落ち着いてよ美波。毛虫なんていないよ?」

「うぅ……ほ、ホント……?」

「ん? もしかして美波って毛虫が嫌いなの?」

「ふぇっ!? そ、そんなわけないじゃない! なに言ってんのよバカね! 刺されたら大変だと思ったからよ!」

 

 なるほど。確かに毛虫に刺されると凄く腫れるって言うし。でも今の驚き方ってそういう驚きなんだろうか。

 

「あー。話の続きをいいか?」

「あっ、すみません……」

 

 美波は恥ずかしそうに苦笑いをして席に座る。ちょうどその時、ルミナさんが4つのカップをお盆に乗せて戻ってきた。

 

「探していた腕輪が見つかったのよね。はい、ホットミルクよ。暖かいうちにどうぞ」

 

 そう言ってルミナさんはひとつずつカップをテーブルに置いていく。

 

「ありがとうございます」

「いただきます」

 

 僕と美波はカップを取り、口を付ける。熱すぎずぬるすぎず、程よい暖かさ。ルミナさんの出してくれるホットミルクは相変わらず美味しい。

 

「なんだもう見つかったのか。で、どこにあったんだ?」

「えっと、その扉に……」

「扉? ん~……? おぉ! そういえばそんなものを付けたような気がするな!」

 

 ルミナさんもマルコさんも忘れていたのか。王家の宝物をそんな風にぞんざいに扱っていいんだろうか……。

 

「そうかそうか。お前の探し物はアレだったのか。しかしなんでそんなモン探してんだ?」

「実はですね――――」

 

 僕はガルバランド王国での出来事を説明した。

 

 雄二や姫路さんたちとの再会。アレックス王との出会い。腕輪に秘められた力。それに白金の腕輪があれば元の世界に帰れるかもしれないということを。

 

「なるほどな。それがあの腕輪ってわけか」

「そう決まったわけじゃないんですけど、可能性は高いと思うんです」

「そうか。しかしあの腕輪は……」

 

 マルコさんはそこで言葉を止め、隣に座るルミナさんに視線を向けた。するとルミナさんはそれに応えるように黙って頷いた。そんな彼らの仕草は、心が通じ合っている者同士の無言の会話のように見えた。

 

「よし分かった! そんなに大事なモンなら譲らないわけにはいかねぇな! ちょっと待ってろ」

 

 マルコさんはすっくと立ち上がり、玄関の方に向かって歩いて行く。そして玄関脇の棚の引き出しからバールのような金属を取り出すと、扉を開けて出て行った。あの棒で何をするつもりだ? まさか……。

 

 ――ガンッ! ガンッ! ガンッ!

 

 すぐに金属を叩くような音が3回ほど響き、

 

 ――ガキンッ!

 

 と何かが外れたような音がした。

 

「ね、ねぇアキ、壊したりしてないわよね……」

「た…たぶん大丈夫だと……思うけど……」

 

 今のは金属同士がぶつかる音だ。一体扉の向こうでは何が行われているのだろう? 音とマルコさんが持ち出した金属の棒から想像すると、あのバールのような棒で白金の腕輪が叩かれている光景しか思い浮かばない。

 

「待たせたな。って……お前らなんでそんな泣きそうな(ツラ)してんだ?」

 

 内心ヒヤヒヤしながら待っていると左手に腕輪を持ったマルコさんが戻ってきた。……右手にはバールを持って。

 

「あ、あの……今の音って……?」

 

 恐る恐る尋ねてみると、マルコさんは笑いながら答えた。

 

「ハッハッハッ! 安心しな。腕輪を叩いたりしてねぇよ。壊したのは留め具の方だ」

「「ホッ……」」

「ほれ、こいつでいいんだろ?」

 

 マルコさんが腕輪を僕に渡してきた。見たところ腕輪に傷は付いていないようだ。良かった……。

 

「ありがとうございます!」

 

 うん、文月学園の校章がしっかりと刻まれている。間違い無い。探し求めていた腕輪だ。

 

「やったねアキ! これでウチら元の世界に帰れるのね!」

「まだだよ美波。まずはこれが白金の腕輪か確認しないと」

「そうだったわね。じゃあ早く試してみてよ」

「分かってる」

 

 僕はテーブルを少し離れ、腕輪を右腕に装着してキーワードを口にする。

 

「――起動(アウェイクン)!」

 

 …………

 

「あれ?」

「何も反応しないわね」

「う~ん……もう1回! 起動(アウェイクン)っ!」

 

 …………

 

 やはり何も反応しない。ということはこれは白金の腕輪じゃないってことなんだろうか。いや待て、もしかして――

 

「こっちかな? ――二重召喚(ダブル)!」

 

 …………

 

 ダメだ。まったく反応なしだ。

 

「おっかしいなぁ」

 

 もしかして壊れてるのかな。やっぱりさっきの音って腕輪をガンガン叩いてた音なんじゃ……。

 

「なぁヨシイ、お前さっきから何をやってるんだ?」

 

 何の反応も示さない腕輪を見つめていると、マルコさんが呆れたような顔をして尋ねてきた。冷静になって考えるとマルコさんの反応は当然だと思う。腕輪に向かって懸命にわけの分からない言葉を投げ掛けているのだ。バカじゃないのかと思われても仕方がない。

 

「僕らが探している腕輪なら、こうすると光って反応するはずなんです」

「俺には何も変わってないように見えるが?」

 

 僕にも変わってないように見えます。

 

「探していた腕輪じゃなかったの?」

 

 ルミナさんはミルクカップを口に付けながら、不思議そうにこちらを眺めている。やはりバカみたいだと思われてるんだろうか。弁解したいところだが、今はそれより腕輪だ。

 

「文月学園のマークが入ってるから間違いないと思うんですけど……」

「ねぇアキ、もしかしたら瑞希のみたいに別の力があるのかもしれないわよ?」

「なるほど。そうかもしれないね」

「ちょっとウチに貸して。試してみるわ」

「うん」

 

 僕は腕輪を外して美波に手渡した。それを受け取った美波は右腕に装着する。すると腕輪はぼんやりと怪しげな青白い光を放ち始めた。

 

「あっ! 見て見てアキ! 腕輪が光ってる!」

「ほ、ホントだ……」

 

 姫路さんが腕輪を装着した時と同じだ。だとしたらあの時と同じように腕輪に文字が浮かび上がってるんじゃないだろうか。

 

「もしかしてこれってウチならこの腕輪を使えるってこと?」

「そうかもしれない。美波、腕輪に何か文字が出てない?」

「ちょっと待って……あ、何か書いてあるわ」

「見せて見せて」

「ほら」

 

 僕は美波が差し出す腕輪を覗き込む。

 

 ……細い手首だ。

 

 って、そうじゃなくて。えーっと……。うん。やっぱり小さな字でアルファベットが書かれている。なんて書いてあるんだろう。文字が小さくてよく見えないな。

 

「美波、なんて書いてあるのか読める?」

「ん~……文字が(かす)れててよく見えないわね……」

「やっぱり試獣装着したら読めるようになるのかな」

「そうね。やってみるわ」

「マルコさん、ルミナさん、ちょっと外に出てきます」

「あ? 待てよヨシイ、ここでやってみればいいじゃねぇか」

「いや、それがそうもいかないんです。もしかしたら家を壊しちゃうかもしれないので」

「フーン……よく分かんねぇけど、ンじゃまぁ行ってきな」

「はいっ」

 

 僕は美波と共に玄関から外に出た。

 

 空は既に真っ暗だった。道脇の魔石灯が橙色の光を放ち、家の前を明るく照らしている。見たところ道路には誰も歩いていない。道路の向かいや隣は草が生い茂る空き地だ。万が一熱線が放たれたとしても、被害は最小限に抑えられるだろう。

 

「よし美波、やってみよう」

「オッケー。アキはちょっと離れてて」

「おっと、そうか」

 

 言われた通り僕は5メートルほど離れ、彼女の様子を見守る。

 

『じゃあ行くわよっ! ――試獣装着(サモン)!』

 

 美波がキーワードを口にすると彼女の身体は眩い光の柱に包まれる。そして光はすぐに消え、その中から青い軍服に着替えたポニーテールの少女が現れた。いつ見ても美波の召喚獣スタイルはかっこいい。

 

「まぁ! ミナミさんどうしたのその格好!」

 

 すぐ後ろからそんな声がした。振り向いてみると、扉から半身を乗り出したルミナさんが目を丸くして驚いていた。そうか、この姿を見せるのは初めてだっけ。

 

「これが試獣装着ってやつです」

「あっ、昨日話していたあれね? へぇ~、あれがそうなのね。凄いじゃない。ミナミさ~ん、格好良いわよ~っ、頑張って~っ」

 

 ルミナさんが美波に声援を送っている。頑張ってって、何を頑張ればいいんだろう? ただキーワードを言って腕輪の力を発動させるだけなんだけど……。

 

『ありがとうございますっ! ウチ、ガンバリますっ!』

 

 だから何を頑張るのさ……。

 

「どうしたルミナ。何が格好良いって?」

「あ、あなた。見て、ミナミさんがこれから腕輪の力を使うみたいなの」

「ほぅ? どれどれ」

 

 ルミナさんの声援を聞いて気になったのか、後ろからマルコさんも身を乗り出してきた。なんだか見物客が増えてしまったな。

 

「美波、腕輪はどう?」

 

『文字は出てきたみたいなんだけど……暗くてよく見えないのよね』

 

「どれ? 僕にも見せて」

 

 僕は美波の元に行き、腕輪を見せてもらった。確かに先程より文字は濃く出ているようだ。だが今度は明かりが弱くてよく見えない。

 

「ん~……っと、C、Y、C、L……」

「アンタよく見えるわね」

「こっち側からだと街灯の光でかろうじて見えるんだ。えぇと、CYCL……O、N、E、だね。……シクル……ワン? なんだこりゃ?」

「ちょっと待ってアキ。もう一回アルファベット言ってみて」

「うん。C、Y、C、L、O、N、Eだよ」

「……アンタねぇ……」

「えっ? 何? なんでそんな残念そうな顔をするのさ」

「サイクロンよ! サ・イ・ク・ロ・ン! どうしてこれが読めないのよ! 中学校で習うくらいの単語でしょ!」

 

 美波がそう怒鳴った瞬間、腕輪が激しく光り輝き始めた。そして、

 

「「えっ?」」

 

 

 ――ドォン!!

 

 

 もの凄い爆音と共に、僕の身体は空高く舞い上げられた。

 

「うわぁぁーーっ!? な、なんだこれぇーーっ!?」

 

 地上から10メートル……いや20メートルはあっただろうか。

 

 

 ――僕は空を飛んでいた。

 

 

 飛ぶというより、洗濯機で洗われる衣類のような感じに空中で回転していた。

 

「だ、誰か止めてぇ~っ! 目が、目が回るぅぅ~~っ!!」

 

 身体が激しく回転し、景色がグルグルと回る。もはや上も下も分からない。何が起きているのかさっぱり分からないけど、このままでは危険だということだけは分かる。とにかく回転を止めなくちゃ。

 

「うぅっ、こ、このっ……!」

 

 身体が回転しているのは周囲に巻き起こっている竜巻のような風のためだ。ならば風の抵抗を受けないように身を縮めれば良いはず。そう考えて手足に力を入れようとしたが、体の自由がきかない。身を縮めるどころか、両手両足が引っ張られ引き裂かれそうなくらいに痛い。加えて腕や足など全身に何かがビシビシと当たり、その度にムチで叩かれたような痛みが走る。

 

「う……くぅぅっ……!」

 

 当たっているのは小枝の切れ端や小石だ。風で舞い上げられたそれらが弾丸のような勢いで僕に襲いかかっているのだ。小さな小枝でも勢いがつけば凶器になる。これは既に知っていたことだが、これほど痛いとは知らなかった……。

 

 とにかく脱出しなくては。それだけを考え、もがく僕。ところが逃げようとしてもまったく身動きが取れなかった。僕の力より風の力の方が上回っているのだ。ゴウゴウという唸る暴風の中、成す術もなく僕は翻弄される。そんな中、

 

『アキぃぃーーーーっ!』

 

 こんな美波の声に似た音が聞こえた気がした。激しい風の音が僕に幻聴を聞かせたのかと思った。だがそれは幻聴ではなかった。

 

「アキ! 大丈夫!? しっかりして!」

「う……くぅっ……み、みな……み……?」

 

 気付くと僕はまだ空を飛んでいた。しかし今はもう風に翻弄されて宙を舞っているわけではない。青い軍服の女の子にお姫様抱っこされ、まるでグライダーのように滑空していたのだ。

 

「ごめんねアキ。今降りるからしっかり掴まってて」

 

 耳元で美波の声が聞こえる。何が起こっているのか理解できなかった。なぜ突然空中に舞い上げられたのか。なぜ僕が美波に抱っこされているのか。分かっているのは僕が助かったということと、月夜に髪をなびかせて空を舞う美波の姿がとても神秘的で、最高に魅力的だということだけだった。

 

 そうしてぼんやりと眺めているうちに、彼女は僕を抱えてふわりと地上に降り立った。まるで衝撃を感じなかった。

 

「大丈夫アキ? 怪我は無い?」

「……ふぇ?」

 

 美波が僕を降ろし、心配そうな目で僕を見つめている。まるで夢でも見ているかのようだった。未だ信じられず、僕はただ呆然と彼女の目を見つめるだけだった。

 

「あ……制服、あちこち破けちゃってる……」

「ほぇ? あぁ、うん。そう……だね」

 

 正直、制服のことなんてどうでもよかった。先程の美波の姿が目に焼き付いていて、僕の心を放さなかった。

 

「おいヨシイ! 大丈夫か!?」

「ヨシイ君! 一体何が起きたの!?」

 

 そこへマルコさんとルミナさんが駆け寄ってきた。この時、ようやく僕は正常な思考ができるようになってきた。

 

 自らの身体を見下ろしてみると、制服の上着やズボンのあちこちに切られたような跡があった。手の甲や頬にも僅かに痛みがある。試しに頬に触ってみる。するとドロリとした液体が手に付いた。

 

「あ……」

 

 手の平にべっとりと赤い液体。血だ。どうやら頬が切れているらしい。けれどほとんど痛みを感じない。まるで鎌いたちに斬られたような感じだった。

 

 そうだ、鎌いたちだ。あの時、美波がある言葉を口にした瞬間、腕輪が光り輝いた。その直後に凄まじい突風が巻き起こり、僕は空中に巻き上げられた。

 

 つまりこれは美波の腕輪の力。キーワードは”サイクロン”。姫路さんの腕輪が熱線を放つのに対し、美波の腕輪は大きな風を発生させるんだ。

 

「アキ、とりあえず家の中に戻ろ? 傷の手当てをしなくちゃ……」

「……そうだね」

 

 僕は立ち上がり、家に向かおうと足を踏み出す。しかしすぐに全身の力が抜けてしまい、思わず膝をついてしまった。思っている以上に身体にダメージがあるようだ。

 

「ウチの肩に掴まって。――装着解除(アウト)

「ごめん。助かるよ」

「ううん。ウチが迂闊に腕輪の力を使っちゃったのが悪いの」

 

 美波の肩を借り、僕は歩き出した。

 

「お、おいヨシイ……」

「あなた、話は後にしましょう。とにかく先に治療を」

「あ、あぁ、そうだな」

 



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第二十四話 もう一つを求めて

「で、ヨシイ。一体何が起こったんだ?」

 

 マルコさんはテーブルの席に腰掛け尋ねる。その横ではルミナさんが針と糸で破れた僕の上着を補修してくれていた。

 

 そして僕はというと、マルコさんたちの向かいの席に座らされ、上半身を裸にされて美波にタオルで身体を拭かれている。なんだかこういうのってとっても恥ずかしい……。おっと、恥ずかしがってる場合じゃない。マルコさんの質問に答えないと。

 

「えっと、実は腕輪には特殊な力がありまして、今のは美波だけが使える力なんです」

「ん? 腕輪の力ってのは元の世界への扉を開くモンじゃなかったのか?」

「確かに僕たちが探していたのは――」

「アキ、ちょっと右腕上げて」

「こう?」

「そうそう。そのまま腕を上げてて」

「ぼ、僕たちが探していたのはその力を持った”白金の腕輪”ってやつなんですけど、どうもこれは違ったみたいです」

「つまりハズレってやつか」

「簡単に言うとそういうことです。……ちょ、ちょっと美波、くすぐったいんだけど」

「我慢しなさい。ほら、今度は左腕あげて」

「う、うん」

「ハハッ、見せつけてくれるねぇ」

「あ、あはは……」

 

 なにも話してる最中に拭かなくてもいいのに。なんか凄く話し辛いよ……。

 

「はい、おしまい。もう下ろしていいわよ」

「あ、うん」

「しかしせっかく見つけたのに違ったのか。そいつぁ残念だったな」

 

 確かに目的の腕輪じゃなかったけど、これはこれでいい物を見つけたような気がする。美波があんな竜巻を扱えるようになったのなら、万が一魔獣と戦うことになった時に大きな力となる。もう万が一にも戦いたくはないけどね……。

 

「で、どうすんだ? その腕輪は持っていくか?」

 

 そういえばこの腕輪はマルコさんとルミナさんの物なんだった。目的の物じゃなかったということは彼らに返した方がいいんじゃないだろうか。

 

「どうするアキ? 坂本からは白金の腕輪じゃなかった時のことは何も言われてないけど……」

「う~ん……そうだなぁ……」

 

 腕輪の力は強力だけど、魔獣と戦いさえしなければ無くても問題は無い。やはり僕らが持っていく必要は無いだろう。

 

「マルコさん、この腕輪はお返しします」

「いいのか?」

「はい。もともとお2人の物ですから僕らが持っていくわけには行きませんし。いいよね、美波」

「ウチはかまわないわよ。アキに判断任せるわ」

「そういうわけでお返しします」

 

 僕はテーブルに置かれた腕輪を押しやり、マルコさんの方へと寄せてやった。するとスッと視界に白い手が現れ、腕輪に添えた僕の手に重ねられた。透き通るように白くてしなやかな指先。だが美波の手ではない。なぜなら美波は今、横で僕の頬に絆創膏を貼っているからだ。

 

「ヨシイ君。これはあなたが持っていってちょうだい」

 

 それはルミナさんの手だった。彼女は手を添えたまま、柔らかな笑みを浮かべている。

 

「でもお世話になりっぱなしなのに、こんな物まで貰うわけには……」

「この腕輪はミナミさんにしか使えないんでしょう? だったら持って行って。きっとあなたたちの役に立つわ」

「いいのかルミナ? これはお前の……」

「構いません。私が持っていてもただの飾りにしかなりませんから。それに、おと――レナード陛下もヨシイ君に譲るつもりでこの町を教えたんだと思います」

 

 今、何か妙な言い直しをした気がする。けれど、それよりも今の話で気になったことがある。腕輪がここにあった理由だ。腕輪は王家に贈られた物だったはず。王様もこの町にあることを知っていたし、この家は王家と何か関係があるんだろうか? ……ちょっと聞いてみるか。

 

「あの……ルミナさん、ひとつ聞いていいですか?」

「何かしら?」

「昨日も話しましたけど、僕たちは王様から腕輪がこの町にあると聞いて来たんです。でも腕輪は王家の宝物だったはずですよね。それがどうしてここにあるんですか?」

「……」

 

 ルミナさんは僕の質問に答えなかった。何も言わず、片手を胸の前でぎゅっと握り、辛そうに俯いてしまった。この表情、何か辛いことがあったに違いない。なんとなくそれを悟った僕は質問を撤回しようと思った。

 

「……分かりました。お話しします」

 

 だがその前にルミナさんが口を開いた。

 

「お、おいルミナ、それは誰にも話しちゃいけないって……」

「いいんです。ヨシイ君なら信用できますから」

「しかし……それではお前の気持ちはどうなるんだ」

「大丈夫です。もうだいぶ前の話です。気持ちの整理はついています」

「だがこれを人に知られたら、またお前が特別な目で見られて……」

「ヨシイ君はそんなことをする子ではありませんよ。あなただって分かっているでしょう?」

「う、うむ。しかしだな……」

「それにこんな疑問を残したままではヨシイ君だって気になって帰れないでしょう?」

「うぅ~む……そうは言ってもな……」

 

 ルミナさんとマルコさんの押し問答を前にして僕は思う。そんなに重要なことなんだろうか。だとしたら聞かない方がいい気がする。ちょっと気になっただけで、腕輪の捜索に直接関係することではないし。

 

「ルミナさん、やっぱりいいです。どうしても聞きたいってほどのことじゃないですから」

「いいえ。聞いてくださいヨシイ君。この腕輪がここにある理由を」

「は……はい……」

 

 とても真剣なルミナさんの眼差し。その瞳に揺るぎない意志を感じた僕に断ることはできなかった。美波も彼女の意思を感じ取ったのか、僕の隣の席に静かに腰掛け、話を聞く姿勢を見せた。それを見届けたルミナさんは一度目を閉じ、小さく息を吐いた。

 

 そして――――

 

「私の本当の名はルミナ・エルバートン。レナード陛下は私の父です」

 

 目を開いた彼女は凜とした声で僕らにそう告げた。今までのおっとりとした声とは違う。まるで別人かと思うくらいに力強い言葉であった。

 

「「……はい?」」

 

 あまりの変貌ぶりに一瞬、彼女の言っていることが理解できなかった。同じ疑問の声を漏らした美波もきっと同じように理解できていなかったに違いない。

 

「「えぇぇーーっ!?」

 

 数秒して言葉の意味を理解した僕たちは揃って驚きの声を上げた。

 

「お、王様がちちち父って、どっ、どどどういうことなんですか!?」

「正確には父”だった”ですけどね。今の私は王家とは縁を()っていますから」

「そ、それじゃルミナさんって王女様!? す、すすすみませんっ! ウチら何も知らなくて!」

「いいえ。私は王女ではありません。私は鍛冶職人マルコの妻。ルミナです」

「へ? で、でも王様がお父さんなんですよね? それって王女様ってことじゃないんですか?」

「……少し込み入った事情があるのです」

「事情? 事情って何です?」

「それは……」

「ヨシイ君、すまないがそれくらいにしてくれないか」

 

 状況が飲み込めず、僕たちは無意識にルミナさんを質問責めにしていた。そのことに気付いたのはマルコさんの少し怒ったような口調に驚いた時だった。

 

「あ……す、すんません。なんか驚いちゃって……」

 

 そうか……ルミナさんは王女様だったのか。それなら腕輪を持っていたことも合点が行く。だから王様も腕輪がここにあることを知っていたんだ。しかし()せないのはルミナさんが王女様じゃないと言い張っていることだ。どうしてなんだろう?

 

「ルミナは確かに昔王家の者だった。だが(ゆえ)あって今はその関係を()っているのだ。腕輪を玄関先に飾っていたのはルミナがここで元気にやっていることを知らせるため。俺に話せるのはここまでだ」

 

 マルコさんが真剣な眼差しを僕らに向け、落ち着いた声でゆっくりと話す。いつもの大らかな感じとは対照的な静かな話し方。僕はその言葉に彼の思いの重さを感じ、謝るべきだと判断した。

 

「すみません。でしゃばりすぎました」

「ウチら無神経でした。ごめんなさい……」

 

 僕が頭を下げて謝ると、美波も同じようにペコリと頭を下げた。王家と縁を()っているということは余程の事情があるのだろう。無関係の僕らがしゃしゃり出るようなことじゃない。

 

「2人とも気にしないで。さぁ湿っぽい話はこれでおしまい。そろそろお夕食にしましょう」

「「はいっ」」

 

 とりあえず成り行きで腕輪は僕らが預かることになった。色々と聞きたいことはあるけど、これ以上聞くわけにもいかない。まぁ聞いたところで僕に何かできるとは思えないし、この話は忘れよう。

 

「あっ、そうだ! すっかり忘れてた! ルミナさん、今日はウチらがご馳走しようと思って材料を買ってきたんです」

「まぁ、そうなの? 何をご馳走してくれるのかしら?」

「はいっ、ウチらの世界で言う、”すき焼き”です!」

「すき焼き? 変わった名前ね」

 

 言われてみれば確かに変わった名前だ。今まで何の疑問も持たなかったな。でも名前なんてそんなもんだよね。美味しいから気にしないし。

 

「名前の由来は知らないんですけど、とっても美味しいんですよ。ウチらが作るのでルミナさんは休んでいてください」

「いいの?」

「はい、お世話になったお礼ですから。ね、アキ?」

「うん」

「それじゃお言葉に甘えさせていただこうかしら」

「任せてください! さぁアキ、作るわよ。手伝って」

「オッケー」

 

 僕らは先程買ってきた食材の袋を持ち、キッチンへと向かう。ルミナさんとマルコさんはソファに座り、その様子を楽しげに見守っていた。

 

「フ~ン。ネギと牛肉と卵と、それから……そいつはなんだ?」

 

 マルコさんが僕の手にしている袋を見て尋ねる。

 

「これはお米です。すき焼きにはご飯ですからね」

「ほぅ? 米とは珍しいな。こいつは楽しみだ」

「2人とも今日は僕らに任せてゆっくり休んでいてください」

「あぁ、そうさせてもらうぜ」

 

 キッチンに入った僕たちは早速すき焼きを作り始めた。レシピは美波が把握していたので僕は美波の指示に従うだけだ。

 

 まず肉に火を通し、砂糖と醤油で軽く味付け。その後、野菜や豆腐の類いを入れて美波が味付け。そして30分ほどですき焼きは完成。作るのはとても簡単だった。

 

 こうして、僕たちは久しぶりの和食を堪能することになった。マルコさんとルミナさんも初めての味に大喜び。僕たちも久しぶりに味わう和食に舌鼓を打った。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 楽しい食事が終わり、後片付けも終わった僕らは寝室に入った。今夜もこの家に泊めてもらうことになったのだ。だが寝る前にひとつ決めておかなければならないことがある。今後の行動についてだ。

 

「確か翔子が読んでた本によると、この国には腕輪が2つ贈られたのよね?」

「うん。そのはずだよ」

「じゃあこれ以外にもう1個あるってことよね」

「そうなんだけど、さっきルミナさんに聞いてみたら持ってないって言ってたよ」

「そうなの? それじゃどこにあるのかしら……」

「ん~……やっぱり王様に聞くしかないかなぁ」

「そうよね……でも答えてくれるかしら。この前の感じだと研究に夢中で話もできなかったけど」

「でもクレアさんも知らないみたいだったし、王様以外に聞くアテなんて無いよ?」

「とにかく一旦レオンドバーグに戻るしかなさそうね」

「だね」

「それにしてもこの腕輪、本当に貰っちゃっていいのかしら」

「う~ん……」

 

 なんだか悪いような気もするけど、あんまり王家の話をしてほしくないって感じなんだよね。それに今更返すと言っても断られると思う。

 

「ルミナさんがああ言ってるんだし、いいんじゃないかな」

「そうかしらね……」

「せっかくだから貰っておこうよ。それは美波が持っててくれる?」

「分かったわ。それで明日はどうする? すぐここを出る?」

「そうだね。レオンドバーグまでは1日半掛かるし、少しでも急いだ方がいいと思う」

「じゃあ明日の朝にはルミナさんたちともお別れね」

「……そうだね」

 

 別れは寂しいけど、だからといってここに(とど)まるわけにはいかない。雄二や姫路さんたちと一緒に元の世界に帰るためにここまで来たのだから。

 

「今日はもう寝ようか。明日は朝食前に出発しよう」

「そうね」

「それじゃおやすみ、美波」

「あ、待ってアキ」

「ん?」

「ほっぺの絆創膏取れかかっちゃってるわよ」

「え? べつに剥がれてなんか――っ」

 

 確認のために左頬に手を当てた瞬間、右の頬に熱い湿り気を感じた。

 

「……え、えっと……」

「ふふっ、嘘よ。おやすみアキ」

「う、うん。おやすみ」

 

 まったく……美波は不意を突くのが上手いな。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 翌朝。

 

 僕たちは町の北側にある馬車乗り場まで来ていた。既に馬車は待機していて、出発の時間待ち。僕と美波はその馬車に乗り込み、出発の時を待っている。馬車の後部出口の向こうではマルコさんとルミナさんが名残惜しそうにこちらを見ていた。

 

「気を付けて行ってねヨシイ君、ミナミさん」

「はい。ルミナさんもお元気で」

「腕輪、ありがとうございます。ウチ、大切にします」

「おしゃれに使うにはちょっとデザインが無骨だけどね。ウフフ……」

「大丈夫です。おしゃれ用はアキに買ってもらいますので」

「えぇっ!? ぼ、僕が買うの!?」

「嫌なの?」

「う……嫌じゃないんだけど、その……高いのは勘弁してよ?」

「分かってるわよ。アンタの財力は把握してるんだから、無茶な要求なんかしないわよ」

「あぁ良かった……」

「そうね。2万円くらいのがいいかしら」

「高いよ!? ものすっごく高いよ!!」

「なんてね。冗談よ」

「な、なんだ冗談か。ビックリしたぁ……」

「アンタもそろそろ冗談か本気かくらい判断できるようになりなさいよね」

「そんなこと言ったって分かんないよ……」

「まぁ、それでこそアキなんだけどね」

「悪かったね」

 

 しばし、あははと4人で笑う。すると馬車の出発時間だと御者(ぎょしゃ)のおじさんが声を掛けてきた。

 

「ヨシイ、残りの腕輪、見つかるといいな」

「見つけてみせますよ。必ず」

「言い切るねぇ。それでこそ男だ。……んじゃ、達者でな」

「はいっ! 色々とありがとうございました!」

「あの……ヨシイ君、ひとつだけお願いがあるのだけど……いいかしら?」

「はい? なんですかルミナさん?」

「レナード陛下にお会いになったら、伝えてほしいことがあるんです」

「いいですよ。なんて伝えればいいですか?」

「……ルミナは元気です。と」

 

 ルミナさんはそう言うと、目だけで微笑んだ。その表情は彼女の複雑な心境を現しているかのようだった。

 

「分かりました。任せてください! 必ず伝えます!」

 

 少しでも彼女を笑顔にしたい。そう思った僕は力一杯、返事をした。その直後、ヒヒィンという馬の(いなな)きと共に馬車が動き出した。出発だ。

 

「マルコさん! ルミナさん! お世話になりました! お元気で!」

 

 僕は美波と共に後部出口から身を乗り出し、手を振り続ける。手を振り返す彼らの姿はみるみる小さくなっていく。それでも僕たちは手を振ることをやめなかった。

 

 馬車は徐々に加速し、僕らを乗せて走る。やがて馬車は外周壁を出て、ついに彼らの姿は見えなくなってしまった。僕たちは腕を降ろし、後部に広がる草原をぼんやりと眺めた。

 

「……見えなくなっちゃったね」

「……そうね」

 

「「……」」

 

 彼らには恐らくもう二度と会うこともないだろう。そう思うと、胸がジンと熱くなってきてしまった。けれどここで寂しがっていては笑顔で送り出してくれた彼らの思いを無駄にしてしまう。今は悲しまずに前に進むことだけを考えよう。

 

「よし! 目指すはレオンドバーグ! 頑張ろう美波!」

「うんっ!」

 

 こうして僕たちはもうひとつの腕輪を求め、レオンドバーグへの道を走り出した。

 




次回、チームしょうゆ編。
ガルバランド王国に残った雄二と翔子の物語が始まります。


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第二章 僕と鍵と皆の使命(クエスト) ―― チームしょうゆ編 ――
第二十五話 塩と大豆とチームしょうゆ


ここからは雄二と翔子のチームの様子をお届けします。視点は雄二になります。



 ―――― 時は遡り、明久たちが出発した直後のサンジェスタ ――――

 

 俺たち7人はチームを分け、腕輪の捜索に当たることにした。構成はこうだ。明久と島田のペア。姫路と秀吉とムッツリーニのトリオ。そして俺と翔子ペアの計3チームだ。

 

 あいつらはつい先程、旅立った。新天地である姫路のチームに多少の不安はあるものの、今はあいつらに任せるしかない。

 

「さてと。俺たちも行動開始しねぇとな。部屋に戻って準備するぞ」

「……うん」

 

 それにしても……。

 

「なぁ翔子。この名前なんとかなんねぇのか?」

「……名前?」

「チーム名だよチーム名」

「……なんとかって?」

「だからかっこわりぃんだっつってんだろ。なんかこう、もっと気合いの入る名前は無いのか?」

「……可愛いくて気合いが入る」

「ンなわけあるかっ! 醤油だぞ! 大豆と小麦と塩を発酵させた日本の食卓に欠かせないアレだぞ!? それのどこが可愛いってんだ!」

「……その醤油じゃない」

「はぁ? じゃあどの醤油だってんだ?」

「……雄二が言ってるのは調味料の醤油。チーム名はしょうゆ」

「俺には同じに聞こえるんだが……」

「……調味料は漢字。チーム名は平仮名」

「書かなきゃ分からんだろうが!」

「……ちゃんと言い分けられる」

「ほう。そんじゃ教えて貰おうじゃねぇか。その違いを」

「……名前のしょうゆは語尾が少し上がる」

「調味料の醤油を言ってみろ」

「……しょうゆ」

「名前の方は?」

「……しょうゆ」

「すまん翔子。俺が悪かった」

「……納得した?」

「あぁ。これ以上の議論は無駄だと分かった」

「……雄二。勉強しよう。違いが分かるまで何時間でも」

「バカ言え! これ以上付き合っていられるか!」

「……雄二が覚えるまで頑張る」

「分かった! 俺が悪かった! もう名前に文句は言わん! だから勘弁しろ!」

「……残念」

 

 ったく……翔子のやつ、妙なところに(こだわ)りを持ってやがる。こんなモンに付き合わされたら堪らんぜ。

 

「さて、そんじゃ出かける前にまずは宿の交渉だ。翔子、お前は先に部屋に戻ってろ。俺はオーナーと交渉してくる」

「……私も行く」

「俺1人で十分だ。いいからお前は戻ってろ」

「……雄二はすぐ喧嘩腰になる。だから私も行く」

 

 こいつ、俺に喧嘩売ってンのか? まぁいい。翔子がいようがいまいが、俺の交渉術に変わりは無い。

 

「勝手にしろ。けど交渉するのは俺だからな」

「……分かってる」

 

 俺たちは早速オーナーのいる一階の管理室へと向かった。オーナーは洋ナシのような体型をした中年太りのチョビヒゲを生やしたオヤジだ。これで愛想の良い奴ならまだ可愛げがあったが、無愛想なあのオヤジは救いようがない。正直言って俺はああいった人間とあまり話したくない。だが明久たちが帰ってくる場所を確保しなければならない以上、やむを得ん。俺は自分にそう言い聞かせて交渉に臨んだ。

 

 管理室に入って事情を話し、頭を下げて部屋の確保を頼むとオーナーは渋々了承してくれた。ここまでは良かったのだが、この後が余計だった。部屋を壊されたことを根に持っているのか、オヤジは交渉が終わった後もネチネチと嫌味を言ってきやがった。さっさと話を終らせばいいのに、いつまでもグチグチと鬱陶(うっとう)しい男だ。

 

 だがここで機嫌を損ねればせっかくの交渉が無駄になる。そう思って俺は黙って聞いていた。ところがあの野郎はそれすら気に入らないのか、俺が何も言わないことに対してもケチを付けてきやがった。

 

 さすがに俺の堪忍袋も限界に近かった。翔子のやつが気転を利かせて目眩がすると言い出したおかげであの場を離れることができたが、もしあれ以上続けられたら『パンチから始まる交渉術』に切り替えてやるところだった。

 

「あぁクソッ! あのヒゲオヤジめ! いつまでもグチグチと文句を垂れやがって!」

 

 苛立ちを隠せなかった俺は部屋の扉をバンと乱暴に閉めた。だがこれくらいで俺の怒りは治まらない。本当にブン殴ってやればどれだけスッとしたことか。

 

「……悪いのは私達。部屋を壊してしまったのだから」

「んなこたぁ分かってンんだよ! だからこうして頭下げて謝ってンだろうが!」

「……ごめんなさい」

 

 俺は思わず翔子に当たり散らしてしまった。悪いのは翔子じゃない。熱線を放ったのは姫路だが、あいつのせいでもない。強いて言うならば不用意に「使え」と言った俺のせいだ。

 

「すまねぇ翔子。あんまり頭に来たもんで当たっちまった」

「……ううん。私は平気」

 

 こいつはどうしてこんなに冷静でいられるんだ。あれだけ嫌味を言われたってのに何も感じないのか? イラついてるのは俺だけだってのか? クソッ……。

 

「……雄二。嫌なことは忘れるのが一番」

 

 翔子のやつ、涼しい顔をして言いやがる。1人でイラついてる俺がバカみてぇじゃねぇか。あーあ、バカバカしい。翔子の言う通り忘れちまおう。

 

「うっし、気を取り直して俺たちのやるべきことをやるとすっか」

「……うん」

「と言ってもこの国の腕輪はあとひとつだ。恐らく明久や姫路たちより早くカタが付くだろう。それも国王との交渉次第だがな」

「……王宮に行くのね」

「いや、行くのはそこじゃねぇ」

「……どうして?」

「明久が言っていただろう。王は釣りが趣味で日がな一日を町の池で過ごしている。とな」

「……じゃあ行くのは吉井の言っていた池?」

「そういうことだ。早速出掛けるぞ。準備しろ」

 

 準備と言っても俺は特に用意する物はない。だが翔子は女子だ。何かと準備することもあるだろう。

 

「……その前にひとつ教えて」

「ん? 何だ?」

「……どうして瑞希をサラスに向かわせたの?」

「気に入らねぇのか?」

「……瑞希は体力が無い。だから移動の少ないこの国を担当するべきと思った」

 

 そんなことは百も承知だ。姫路に限らず、クラスメイト全員の体力や点数は把握している。こういった情報は試召戦争では重要になるからな。それでも姫路を別の国に行かせたのは、この国に置けなかった理由があるからだ。

 

「それはな、ちょいと事情があるんだよ」

「……事情?」

「そうだ。お前も聞いただろ? この世界に来て最初の町で聞いた噂を」

「……どんな噂?」

「あの町――ルルセアの町を歩いている時に墓地の前を通りかかったことがあるだろ? その時そこに(たむろ)していた奴らが話していたんだ。”墓が荒らされている”ってな」

「……私は聞いてない」

「そうなのか。じゃあこの話は知らねぇか? これはここサンジェスタを歩いていて聞いた噂なんだが、墓の中にいるはずの奴。つまり死人が夜中に町を歩いているのを見た者がいるそうだ」

「……ゾンビ?」

「普通に考えたらそんなことはまず有り得ん。だがこの世界は俺たちの常識が通用しない部分も多い。中世ヨーロッパを思わせるような景観。生活に深く浸透している魔石。そして魔獣の存在。何が起こっても不思議はないだろう」

「……死人が甦ることも?」

「分からん。根も葉もない噂である可能性も高い。だがこの話を姫路や島田が聞いてみろ。どうなるか分かるだろ?」

「……?」

「やれやれ……お前には分からねぇか。あいつらは幽霊だとかお化けが苦手なんだよ。あんな噂を耳にしてみろ。怖がって動けなくなっちまうだろうが」

「……そうなの?」

「普通の女子はそうなんだよ。お前も少しは普通の女子らしく怖がっ――!」

 

 しまった! と思った時には、時既に遅し。目の前が暗くなって、こめかみに万力で締め付けられるような痛みが走っていた。

 

「しょ、翔子……や、やめ……」

「……普通の女子らしく、何」

「す、少しはしおらしく――」

 

 ギリギリと更に顔面に食い込む翔子の指。

 

「あだだだだっ!!」

「……もう一度言ってみて」

「な、なんでもねぇっ! 撤回する! 忘れてくれ!」

「……そう」

 

 翔子のアイアンクローから開放されたものの、こめかみに激しい痛みが残る。

 

「いっててて……お前は手加減というものを知らんのか……」

「……手加減ならしてる」

 

 これで手加減してるってのか。本気を出したら一体どうなるんだ? 翔子を本気で怒らせたら俺の命は無いかもしれんな……。

 

「まぁそんなわけで姫路にはサラスに行ってもらったってわけだ。そうなれば消去法で俺たちがこの国を担当するしかないだろ?」

「……そう。分かった」

「んじゃ納得したところで出掛けるとするか」

「……準備してくる」

 

 翔子は部屋の隅に設置されている鏡台の椅子に腰掛けると、髪を()かし始めた。あいつの黒い髪はこの世界でも健在だった。きっとこうして毎日欠かさず手入れをしているのだろう。

 

 それにしても墓荒らしか。もし本当だとしたら趣味の悪い奴がいるものだ。だが俺たちには関りのないこと。この世界の事件はこの世界の住民が解決すればいい。それよりも気になるのは明久の言う魔人の存在だ。あいつだけを狙っているのか、俺たち全員がターゲットなのかは不明だ。だが少なくとも明久を敵視する意思がこの世界に存在していることは確かだろう。

 

 島田が言うには、そいつは背中に翼を持ち、頭に2本の(ツノ)を生やしていたという。俺には言葉から想像することしかできないが、聞いた限りでは少なくとも人間ではないだろう。魔獣の変異体か、もしくは人間が悪魔と化したもの……? まさかな。考え過ぎだ。

 

「……お待たせ」

「ん? おう。準備できたか」

 

 ワインレッドのトレンチコートに身を包み、頭には赤いリボンが巻かれたキャノチェ帽。これら翔子が着ているものは俺たちが西の町ルルセアにいた時に買い揃えたものだ。

 

 この世界は気温が低い。昼間の太陽が昇っている時間でも風が吹けば身震いするほどだ。さすがに文月学園のミニスカートでは寒かろう。そう思って適当に見繕ったのがこのコートや帽子だ。ちなみに今俺が着ているワインレッドのコートもその時一緒に買わされたものだ。本当はもう少し丈が短くて動きやすいジャンパーの類いが良かったんだがな。

 

「よし、そんじゃ行くか」

 

 目的地は町の外れにあるという、池のある公園。地名や番地すら分からんが、島田の説明によるとここから商店街に出て道を真っ直ぐだという。道筋は単純だ。行ってみれば分かるだろう。

 

 俺たちはホテルを出て町に繰り出した。白い石畳の道。茶褐色のレンガや石で作られた建物。景観はこの世界で最初に目を覚ましたルルセアの町とほとんど同じだ。違うことと言えば人の多さ。

 

 この町サンジェスタはガルバランド王国で最大規模の町らしい。確かに西の海岸町ルルセアに比べ、通行人の数が桁違いに多い。ぶつかりこそしないものの、歩いていて邪魔だと思うほどだ。明久もこんな道をよく1時間以上も歩けたものだ。

 

 ……フ。

 

 それにしてもまさか明久もこの世界に来ていたとはな。俺や翔子、それに秀吉と姫路が来ていた時点で想定はしていたが、つくづくこういうことには期待を裏切らない奴だ。

 

「……雄二?」

「おう。何だ?」

「……なんだか嬉しそう」

「あ? 誰が嬉しいって?」

「……雄二が」

「はァ? ンなわけあるか。人通りが多過ぎてこういう道は好きじゃねぇんだ」

「……でも笑ってる」

「気のせいだろ。そんなことよりさっさと行くぞ。俺は一刻も早くこの人ゴミを抜けてぇんだよ」

 

 俺が笑ってる? そんなバカな。確かにムッツリーニから明久が来ていると聞いた時は妙に胸が踊りやがった。だがあれはあのバカが共にいることを喜んだわけではない。俺がこんな目に遭っているのに、あいつが平穏に暮らしていたわけではないと分かったからだ。

 

「……雄二は素直じゃない」

「ケッ、言ってろ」

 

 俺たちは(くだん)の公園に向かってサンジェスタの町を歩く。町並みは相変わらず石の建物ばかりだ。しかし3、40分ほど歩くと店が(まば)らになり、人通りも減ってきたように感じた。そろそろ商店街の末端のようだ。

 

「……雄二。公園はどこ?」

「分からん。正確な位置を聞いておくべきだったかもしれねぇな」

 

 行けども行けども同じような風景ばかりが続く。一体どこまで行けばその池に辿り着くのだろう。そもそも方向はこっちで合っているのだろうか? まぁ明久ではなく島田の言うことだ。恐らくこっちで正しいだろう。

 

「このまま真っ直ぐ行くぞ」

「……うん」

 

 島田の説明を信じて進む俺たち。すると大きな十字路を境についに店がなくなった。代わりに2階に洗濯物が干されているような建物が並ぶ”住宅街”が始まった。ここまで約1時間。あいつら散歩と言いながらずいぶん遠くまで歩いていたんだな。

 

「……雄二。あれ」

 

 その時、翔子が前方に何かを見つけたようだ。指差す先に目をやると道の脇に多くの木が植えられている空間が見えた。あれは……公園か? 時間的にも島田の説明と一致する。間違い無さそうだ。あれが目指している公園だろう。

 

「よし、あの公園に行くぞ」

「……うん」

 

 早速公園に入ってみると、そこはやたらと殺風景な公園だった。広い土地の外周に高さ4、5メートルほどの木々が植えられ、他にある物といえばベンチと池くらいだ。公園といえば普通は子供が遊ぶための遊具がひとつくらいあるもんじゃないのか? まぁこの世界には遊具を作るような技術は無いのかもしれん。だが今はそんなことはどうでもいい。問題の王はいるのだろうか?

 

 俺は隅の池に目を向ける。一見、誰もいないように見えた。まさか今日に限って王宮にいるのか? それともこの公園ではないのか? そう思いながらもう一度じっくりと池の周囲に目を配る。すると池のすぐ脇のベンチに人の影があることに気付いた。

 

 その者はボロボロのカウボーイハットを顔に乗せ、自らの腕を枕代わりにして寝そべっていた。焦げ茶色のみすぼらしいマントを身体に巻いている姿も島田の情報通りだ。それによく見ると脇には釣り竿が立てられ、池に糸が垂らされている。風貌(ふうぼう)や状況からしてあれがアレックス王だ。しかし王にしてはずいぶんとみすぼらしい格好だな。

 

「いいか翔子。俺が交渉する。お前は黙って見ていろ」

「……うん」

 

 あんな身なりをしているが相手は王。ましてや腕輪を譲ってもらおうというのだ。ここは徹底的に敬うべきだろう。

 

「翔子、帽子とコートを脱いで手に持て」

 

 翔子は黙って俺の指示に従ってコートを脱ぐ。俺もコートを脱ぎ、背筋を伸ばして気を引き締めた。

 

 そしてゆっくりと王の元へと歩み寄り、2メートルほど離れた場所で立ち止まる。この時点で王の反応は無い。眠っているのだろうか。俺はその場に片膝を突き、(ひざまず)いた。

 




※キャノチェ帽について

劇中に”キャノチェ帽”という帽子を登場させています。あまり聞き慣れない言葉の方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に説明をします。

この帽子は”つば”や上面部分が平らであることが特徴の帽子です。ボーター帽やカンカン帽とも呼ばれるそうです。ネット検索をすればすぐイメージ画像が出てきますので、興味のある方は調べてみてください。

美波はポニテなのであまり帽子をかぶらせることがありませんでしたが、翔子にはこういった帽子が似合いそうだと思い、今回の話に組み込んでみました。

以上、余談でした。


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第二十六話 俺の交渉術

「お休みのところ失礼します。アレックス国王陛下であらせられますね?」

 

 俺は背筋を伸ばしたまま頭を下げ、(うやうや)しく尋ねる。

 

「……人違いだ。俺はアレンという名でね」

 

 男は微動だにせず、顔に帽子を乗せたままそう答えた。王がアレンと名乗っていることは明久から聞いている。あくまでも(しら)を切るというのか。だがここで引き下がるわけにはいかない。

 

「いえ。間違いございません。貴方様はアレックス陛下です」

「……」

 

 俺が少し語気を強めて言うと男は帽子をずらし、ジロリと片目で俺を睨みつけた。その眼光は異様に鋭く、俺や明久の嘘を見抜こうとしている時の鉄人の目によく似ていた。おかげで少しドキリとしてしまったが、俺はなんとか平常心を保ち、じっと睨み返してやった。

 

「……何者だ」

 

 4、5秒の沈黙の後、男は寝そべったまま低い声でそう言った。俺たちの素性を気にしたということは、少しは興味を持ったということだろう。よし、ここからが勝負だ。

 

「申し遅れました。私は坂本雄二と申します」

「……霧島翔子です」

 

 気付けば俺の隣では同じ姿勢で翔子が頭を下げていた。翔子も取るべき行動は分かっているようだな。気を良くした俺は交渉を開始した。

 

「本日は陛下にお尋ねしたいことがございまして参上いたしました」

「……ハァ……」

 

 寝転がっていた男は上半身を起こし、ボリボリと頭を掻きながら溜め息を吐いた。不精髭を生やし、髪はボサボサ。薄汚れたマントを(まと)ったその姿は、”みすぼらしい”以外に適切な表現が浮かんでこない。これが本当に王なのだろうか。どう見ても町の浮浪者にしか見えない。王とは豪華な衣装に身を包み、もっと威厳のある態度を示すものではないのか?

 

「なぜ俺のことを知っている」

 

 その容姿に俺の中の常識が揺らぎ始めていると、青い瞳で睨みながら王が問うた。見た目に反してこの鋭い眼光。この男、やはりただの浮浪者ではなさそうだ。

 

「ある者から事情をお聞きしました。アレックス陛下。しばしお時間をいただけませんでしょうか」

「やれやれ……俺はそういう堅っ苦しいのが苦手で城を抜け出してるんだがねぇ……」

「ですが陛下」

「アレンでいい。……ふむ。その格好からするとお前らはヨシイの関係者か?」

 

 俺たちの服装を見て言っているようだ。やはり文月学園の制服を着てきて正解だった。明久たちが王にこの姿を見せているから、仲間と思わせるにはこれが一番だからな。

 

「仰る通りにございます」

「あー。その堅っ苦しい喋りはやめてくれんかね。もっと自然に話してほしいんだが」

「ですが陛下にそのようなご無礼は――」

「いいから遠慮すんな。俺がいいって言ってンだからいーンだよ」

 

 こ……これが一国の王の台詞なのか……? 明久から気さくな王だとは聞いていたが、これは気さくというよりガラが悪いといった感じだ。だがこれはこれで話し易いかもしれない。

 

「承知しました。では……」

 

 俺は足を崩し、胡坐(あぐら)を掻いて座り直した。そして遠慮無くタメ口を利かせてもらった。

 

「アレン王。あんたに聞きたいことがあるんだ。俺の話を聞いてくれないか」

 

 すると王は唖然とし、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。俺の言葉遣いに驚いたようだが何を驚いている。遠慮するなと言ったのはそっちではないか。そう思った直後、王は天を仰ぎながら大笑いを始めた。

 

「ハッハッハッ! 気に入ったぞボウズ! お前のように遠慮のない奴は久しぶりだ!」

「俺も堅苦しいのは性に合わないんだ。けどいいのか? あんたはどう見ても俺より年上なんだが……」

 

 見た目、王の年齢は30代か40代。俺が17歳だから少なくとも一回りは違うことになる。いくら遠慮するなと言われても、多少は気が引ける。

 

「構わん。俺もこの方が話しやすい」

 

 アレックス王は片方の口角(こうかく)を上げ、嬉しそうに笑みを作る。どうやら本気で言っているようだ。では俺も気兼ねなくいつも通りの口調で話させてもらおう。

 

「そう言ってくれると助かる。では改めて自己紹介する。俺は坂本雄二。坂本と呼んでくれ」

「おう。俺のことはアレンと呼べ。おっと、王は付けるなよ? 他の奴にバレちまうからな」

「承知した」

「で、俺に何の用だ? サカモト」

「その前にまずは礼を言わせてほしい。昨日は明久と島田が世話になった。本当に助かった」

「アキヒサ?」

 

 明久では通用しないのか。ここは苗字で言うべきだったか。

 

「すまない。明久というのは吉井のことなんだ」

「あぁヨシイか。あいつもなかなか面白い奴だったな。今日はあいつは一緒じゃないのか?」

「ちょいと事情があってな、あいつは別の所に行っているんだ」

「そうか。そいつは残念だな」

「それで聞きたいことってのは明久――吉井に渡した腕輪のことなんだが……」

「腕輪? あれがどうした。爆発でもしたか?」

「いや、爆発はしてないんだが……ってちょっと待て! 爆発するのかアレ!?」

「知らん」

「知らねえのかよ!」

「……雄二。危険物取扱免許を取らないと」

「いや、爆発はしねぇだろ!」

「ヨシイにも言ったが使い方がわからんのでな。危険な物なのかすら分からん」

「そ、そうか。それもそうだな」

「……雄二。瑞希に取り扱いに注意って伝えないと」

「いやもう遅いだろ。ホテルの壁に大穴を開けた後だぞ」

「なんだと? 壁に大穴? あの腕輪にはそんな力があるのか!」

 

 アレックス王も腕輪の力は知らなかったのか。さてどうするか。腕輪の能力は隠した方がいいのか、それともありのままを伝えるべきか。問題は王がこの力をどう考えるか、だな。腕輪の力を欲して姫路の腕輪を取り返しに来るか、はたまた力を恐れて手放そうとするか。

 

 もちろん俺たちに都合の良いのは後者だ。”腕輪は力が暴走して木っ端微塵になった”とでも言えば諦めるだろうか。これが明久のようなバカならば騙すことも容易(たやす)い。だがこの王はどうなのだろう? ここまで話して感じたのは”大雑把な性格”をしているということだが、気になるのは先程の鉄人のような眼光。

 

 ……よし、やはりここは真っ向勝負だ。

 

「確かに腕輪には大きな力があった。実は俺の仲間がたまたま力の使い方を見つけたんだが、誤ってホテルの部屋の壁をぶっ壊しちまったんだ」

「ほう、そうなのか。一体どうやって使ったんだ?」

「あるキーワードを言っただけだ。”ブラスター”とな」

「なに? それだけなのか?」

「あぁ、それだけだ」

「こいつぁ驚いたな……城の学者が何年も掛けて結局解けなかったモンをたった1日で解いちまうとはな……」

 

 誰にも分からなかったのは当然だろう。なにしろ姫路にしか扱えない代物だったんだからな。

 

「どうやら特定の者にしか扱えないみたいでな。俺でもダメだった。唯一使えたのが俺の仲間の女子なんだ」

「仲間の娘か。そっちの子か?」

「いや、翔子ではなくて別の者だ」

「ほう。その娘は美人か?」

 

 何を言ってるんだこの男は……。

 

「まぁ、なんというか……」

 

 いかん。ここで俺が姫路のことを「美人」だと答えたりすれば、翔子のやつが黙っていない。ここは翔子に答えさせるのがベストだ。

 

「翔子、お前から見て姫路はどうだ? 美人だと思うか?」

「……うん。瑞希は私より可愛い」

「ほほう。それは興味深い。歳はいくつだ?」

 

 ……それを聞いてどうするつもりだ。

 

「クラスメイトだから17歳だと思うが……」

「17か……残念だ。あと3年早く生まれていればな……」

 

 さっきから何を言ってるんだこの王は。このままでは話が変な方向に行ってしまう。とにかく交渉を進めなくては。

 

「アレン王――じゃねぇや。アレンさん。やはり腕輪は返した方がいいだろうか。と言っても今は俺の仲間が持っていてここには無いんだが……」

「いや。もともとあれはヨシイにくれてやったモンだ。お前らが持っていればいい」

「いいのか? 強力な武器になるんだぞ?」

「武器なんぞいらん。俺にはこいつがあればいい」

 

 王は脇に立てている釣り竿に目を向け、白い歯を見せてニッと笑う。なるほど、明久の言う通り無類の釣り好きのようだ。

 

「それにしてもサカモトよ。お前とは美味い酒が交わせそうだな。どうだ、一杯付き合わんか?」

「残念ながら俺たちはまだ未成年でね、酒は飲めないんだ」

「未成年? 未成年とは何だ?」

 

 この世界には成人という概念は無いのか?

 

「俺たちの住んでいた世界では二十歳未満を未成年と言って、色々と制約があるんだ。酒を飲んではいけないってのもそのひとつだ」

「ほぅ……面倒なものだな」

「俺たちにとってはそれが当たり前になっているから面倒だとは感じないけどな」

「ふ~む。そんなものかね。まぁそれなら仕方ねぇな」

 

 王はボサボサの頭をボリボリと掻きながら表情を曇らせる。まったく、心境がよく表情に現れる人だ。こういう所はどことなく明久に似ているな。

 

「ところで、サカモトよ。聞きたいことってのはそれだけか?」

「あぁいや。実はここからが本題なんだが……」

「なんだ。これからなのか」

「実はあの腕輪なんだが、もうひとつ同じ物があったりしないか?」

「……なぜそれを知っている」

 

 俺が尋ねると王の表情から笑みが消え、目付きが鋭くなった。もしや触れてはいけないことだったのか?

 

「町の書物屋で見つけた古い書物に書いてあったんだ。この国に2つあるってな」

 

 内心動揺しつつも俺は理由を説明する。王のこの反応からするともうひとつの腕輪の存在は機密事項だったのだろうか。もしそうだとしたら俺は”国の機密事項を知る者”として口封じに消されるのではないだろうか。そう思わせるほどに王の青い瞳は鋭利な刃物のようだった。

 

 だがそれは杞憂(きゆう)に過ぎなかった。それどころか、とんでもない答えが返ってきた。

 

「確かにもうひとつ持ってたんだがな。けどなぁ、実はアレ、あげちまったんだわ」

 

 ………………は?

 

「な、何ぃ!? あげたぁ!? だ、誰にだ!!」

「いやぁ~それがな、名前も住んでる所も知らねぇんだわ」

「なんだと!? い、一体どこで渡したんだ!?」

「そうだなぁ、あれは北の方に行った時だったか。酒場で綺麗な姉ちゃんが働いててな。気立ても良くて俺ぁ気に入っちまってよ。その姉ちゃんに勢いであげちまったんだわ。もう何年前かも忘れちまったけどな」

「な、なんてことを……」

 

 こいつぁまいった……まさか人の手に渡っているとは……。しかもどこの誰かも分からないときた。さっさと終わらせて明久たちの帰る場所を確保するつもりだったが、完全に想定外だぜ……。

 

 だがここで諦めるわけにはいかねぇ。面倒だが、こうなったらその姉ちゃんを捜し出すしかない。手掛かりは酒場と綺麗な姉ちゃんか。”綺麗”の基準が分からんな。それに北の方というのも漠然とし過ぎている。もう少し手掛かりがほしいところだ。

 

「アレン王、せめてどの町か思い出せないか?」

「シーッ!! 王は付けるなと言っただろ!」

「おっと……す、すまねぇ」

「ったく、パティの部下に見つかったらどうすんだ」

 

 そわそわと落ち着かない様子で左右に目を向けるアレン王。パティとは何だ? 人の名前のようだが、部下を持っているということは役職者だろうか。おっと、そんなことは今はどうでもいい。

 

「それでアレンさん、どの町だったか思い出せないのか?」

「ん? あぁ腕輪の娘の話か。う~む……確か周りが山だらけだったから北の山岳地域だと思うんだが……メランダかバルハトールか……そういやオルタロードも周りは山だな」

「もう少し場所を絞れないのか?」

「あん時はかなり酔っていたからなぁ。よく覚えてねぇんだわ」

「他に一緒に行った者はいないのか?」

「おらん。なんせ1人で抜け出して町から町へと巡り歩いていた時だからな! ハッハッハッ!」

 

 笑い事じゃねぇんだが……。

 

「そんじゃあ、その姉ちゃんの特徴は?」

「年の頃は20歳くらいだったな。赤い髪を腰まで伸ばしていてな。そうそう。昨日ヨシイと一緒にいたあの子に似た感じの娘だ」

 

 明久と一緒にいたということは島田か。つまり島田似の20代の女性を探せということだな。

 

「山岳地域ってのは間違い無いと思っていいか?」

「あぁ、たぶんな」

「……」

 

 やれやれ、こいつは骨が折れそうだ。北の山岳地域の町か。確か地図には町が3つ書かれていたな。1つは港町だが。つまりこのうちのどこかにいる可能性が高いってことか。既に他の町に移動している可能性もあるが、今はそれを考えても仕方ない。とにかく足取りを追うしかない。何も手掛かりが無いより遥かにマシだ。

 

「アレン王、感謝する。俺はその赤毛の女を捜しに行く」

「……おめぇ、わざとやってんじゃねぇだろうな」

 

 思いっきりメンチを切られた。

 

「す、すまん! わざとじゃねぇんだ! どうしても”さん”付けだと呼び辛くて、つい……」

「ったく、しゃーねぇなぁ。今は周りに誰もいねぇからいいけどよ」

「すまなかった。以後気をつける」

「あぁ、そうしてくれ。俺の自由のためにな。しかし捜しに行くとか本気か? 名前すら分からねぇんだぞ?」

 

 俺の自由って、この男まだ遊んで暮らすつもりか? 国王としての仕事はどうすんだ。それから誰のせいだと思ってんだ。

 

「俺たちにはどうしてもあの腕輪が必要でな。諦めるわけにはいかないんだ」

「そうか……俺も一緒に行ってやりたいところだが、前に抜け出してからというもの、町から一歩も出してもらえなくてな。まったく、よく教育された衛兵たちだよ」

 

 そりゃそうだろう。国王が勝手に町を抜け出して一人旅なんて聞いたことが無い。衛兵たちの判断は俺でも正しいと思うぞ。

 

「なんとか俺たちで捜してみるさ」

「そうか。会えるといいな」

「ひとつ確認させてくれ。もし腕輪の持ち主を見つけて話がついたら腕輪は譲ってもらえるか?」

「あぁ構わん。どうせ俺らには使いこなせない物のようだからな」

「それを聞いて安心した。じゃあ俺たちは一旦帰るぜ。釣りの邪魔をしてしまったな」

「なんの。なかなか楽しい時だったぞ。縁があればまた会おう」

「あぁ、それじゃ」

「……失礼します」

 

 こうして交渉を終えた俺たちはアレックス王と別れ、帰路に就いた。

 

 それにしても人捜しか。面倒なことになっちまったな。

 




ここで本作品をご覧の皆様にお尋ねします。

これまで4作品を投稿してきましたが、雄二視点で描くのはこれが初めてになります。原作を参考に雄二らしさを出そうと試行錯誤を重ねて書いています。

いかがでしょう。ちゃんと雄二らしさが出せていますでしょうか? ご意見などありましたら感想欄にていただければ幸いです。


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第二十七話 とある酒場のウェイトレス

 俺たちは王の遊び場である公園を後にし、拠点(ホテル)への道を歩いている。

 

 しかし王らしからぬ王だったな。アレックス王か。ああいう王ってのもなかなか面白いもんだ。いや、王というよりむしろ兄貴分のような感じだったな。もし俺にもあんな兄貴がいたら面白い毎日を過ごしていたかもしれないな。

 

「……雄二。これからどうするの?」

「決まってるだろ。腕輪を持っている女を捜しに行く」

「……でもどこにいるのか分からない」

「そうだな。けど北の方だってのは分かってる。だったら行ってみるしかねぇだろ。他に当てなんてねぇんだからな」

「……そうね」

「あーあ。それにしても面倒くせぇな。簡単に終わると思ったのによ」

「……でも帰るためには必要なこと」

「まぁな。それにしたって手掛かりが少な過ぎるぜ」

「……腕輪の持ち主は赤い髪の女の人」

「あぁ。そうだな」

「……美人のお姉さん」

「そうらしいな」

「……浮気は許さない」

「話の繋がりがまったく分からん。俺はただ腕輪を譲ってもら――あだだだっ!!」

 

 突然左腕が(ねじ)られ、ギリリと音を立てた。

 

「は、放せ翔子! 何のつもりだ!」

「……浮気しないと約束する?」

「浮気も何も俺はあだだだだっ! わ、分かった! 浮気はしない! だ、だから放せ!」

「……本当に?」

「あぁ本当だ! 男に二言は無い! 約束する!」

「……じゃあ今すぐ結婚してくれる?」

「断るッ!!」

 

 グキッ

 

「あぎゃぁぁぁーーーッ!!」

「……どうして嫌なの」

「ま、待て翔子! 落ち着け! 今はそんなことを議論している場合じゃないだろ!」

「……いいから答えて」

「だから今はそんなことより(ゴキッ)うぎゃぁぁぁーーーッ!!」

 

 

 

 

 ――この後、俺はありとあらゆる関節技を掛けられた。

 

 

 

 

「っててて……ったく、相変わらず容赦ねぇな、お前は」

 

 とりあえず今回は”実印が無いから帰ってから”という話で決着した。この場はおさまったが、帰ったらやはり俺の部屋に鍵を掛ける必要がありそうだ。

 

「……手加減してる。本気を出したら病院送り」

「なっ……!?」

 

 この台詞を聞いた時、俺は心底ゾッとした。そして理解した。こいつを本気で怒らせてはいけない、と。

 

「そ、そうか……しかしお前、ずいぶん色んな技を知ってんだな。まさかドラゴンスリーパーで締め上げられるとは思わなかったぜ」

「……美波に教わった。他にも沢山」

「ンなもん教わってんじゃねーよ……」

 

 なるほど、今のは島田直伝の技ってことか。どうりで技に切れがあると思った。明久のやつ、いつもこんな技を受けていたのか。楽しそうにしてやがるから大したことないのかと思ったが、とんでもねぇ。全身の骨が砕かれて軟体生物にされるかと思ったぜ……。

 

 それにしても翔子のやつ、俺が他の女の話をするとすぐにこれだ。腕輪の持ち主を捜すってだけでどうして浮気に繋がるんだ。そもそも浮気というのは結婚なり付き合うなりしている者が――――あ。

 

(……何かしらあれ。夫婦喧嘩?)

(……そうみたいだな。それにしても男の方が一方的にやられてないか?)

(……きっと亭主が悪いのよ。浮気って言ってるし)

(……けど何か事情があるみたいだぜ?)

(……どんな事情があっても浮気なんて許せないわ)

 

 気付くと周りの通行人がこちらをジロジロと見ていて、小声で陰口をたたいていた。俺たちが夫婦であるかのように思われている声も聞こえてくる。()ずい。この上なく()ずい。だから翔子と一緒に外を歩きたくないんだ……。

 

「と、とにかく一旦ホテルに戻るぞ」

「……うん」

 

 俺たちはそそくさとその場を去り、帰路を急いだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 そして俺たちはホテルの部屋に戻ってきた。当然だが、壁にはまだ痛々しい補修の跡が残されている。しかしそれ以外はテーブルやベッドなどが設置されている普通の宿だ。やれやれ、やっと帰ってきたか。往復で2時間とか散歩の域を超えてるぜ。

 

「よし、それじゃこれからの予定を説明するぞ」

「……北の町に行く」

「そうだ。まずはその経路を説明する」

「……分かるの?」

「この世界に来た時に情報を得ておいたからな。ちょうどここに島田が置いて行った地図がある。これを元に町の場所を説明する」

 

 この絵は今朝方、島田が「よかったら使って」と言って置いていったものだ。明久と旅をしている間に書いたものらしい。南の町リゼルとここサンジェスタに丸印がしてあるだけの絵だ。ちょうどいいのでこれに加筆させてもらう。俺はこれをテーブルに広げ、説明を始めた。

 

「最初に俺たちが居た町がここ、西の海岸沿いの町ルルセアだ。そこからこう東に移動して……ここ。ここが今いる王都サンジェスタだ」

「……うん」

「でだ。アレックス王が言っていた町はメランダ、バルハトール、それにオルタロード。つまりこことここ、それとここの3つだ」

「……一番近いのはオルタロード」

「そうだ。俺たちはまずここを目指す」

「……近い所から当たる?」

「それもあるが、このサンジェスタとメランダの間はこう……険しい山脈になっていてな、馬車はおろか徒歩でも通れないらしい」

「……じゃあオルタロードを経由する?」

「そういうことだ。メランダやバルハトールに行くには一度このオルタロードに行き、そこからこうやって北上する必要があるってわけだ」

 

 俺は地図に線を引きながら翔子に説明していく。

 

【挿絵表示】

 

 

 以前調べた情報ではオルタロードへは馬車で2、3時間。今から移動すれば昼過ぎには到着するだろう。もし仮にバルハトールまで行く羽目になったとしても期限は10日間ある。さすがに10日間あれば往復することも可能なはずだ。そんな奥地に行く前に見つけ出したいところだがな。

 

「よし、すぐ出発するぞ。行けるか翔子?」

「……うん。準備する」

「それじゃ俺はオーナーに留守にすることを伝えてくる。お前は準備して待ってろ」

「……待って雄二」

「何だ?」

「……喧嘩はダメ。何を言われても平常心」

「あぁ。分かってる。んじゃ行ってくるぜ」

 

 俺は一階に降りて管理室に向かった。今朝のことがあるから、正直言ってオーナーとはあまり話したくない。今でも朝のことを思い出すとイラついてあのタプついた頬をぶん殴ってやりたくなる。けれどやはりこいつは俺の仕事だ。翔子に甘えたくはないからな。

 

 俺は管理室に行き、事情を説明して部屋の確保を依頼した。オーナーは嫌味ったらしく「あんな状態の部屋を他の客に貸せるわけがないだろう」と言う。そんなことは分かっている。だからこそ好都合だと思っていたのだから。

 

 とにかくオーナーの了承は得た。俺は余計なことを言われないように、さっさと管理室を出てきた。そして部屋に戻ると、翔子が赤いコートを羽織って待っていた。

 

「準備できたか」

「……うん。オーナーには話せた?」

「あぁ。もちろんだ。一応一週間の確保を頼んできた」

「……喧嘩しなかった?」

「しねぇよ。俺だってそこまでガキじゃない。んじゃ行くぞ」

「……うん」

 

 こうして俺と翔子は王都サンジェスタを出発した。まずは北の玄関口とも呼ばれる町オルタロード。そこへはもちろん馬車で行くことになる。

 

 しかしこの馬車というのは思っていた以上に乗り心地の悪い乗り物だ。木で作られた車輪なのだから、衝撃が直に伝わってしまうのは当然。しかも馬が引いているので速度も自動車ほど出ない。おかげで長時間をこの突き上げるような揺れの中で過ごさなければならない。こんな揺れの中では寝ることもできやしない。まったく不便な世界だ。

 

 馬車の中でそんなことを考えている俺の横では、翔子が涼しい顔をして座っている。相変わらずどんな状況でも落ち着いてやがるな。

 

 ……

 

 こいつ、こうしていると可愛いんだけどな……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 馬車は2時間ほどしてオルタロードに到着した。町に降り立った俺はまず周囲の状況を確認した。

 

 なるほど。アレックス王の言う通り、町の西側一面には山脈が(そび)え立っている。しかしその反対側には何もなかった。(ひら)けた視界には薄緑色の空と雲のみが映る。そのまま視線を下げてみると、万里の長城のように長く連なる高い壁。耳を澄ませば僅かに波の寄せる音が聞こえてくる。きっとあの壁の向こうは海なのだろう。

 

 町の中は相変わらず赤褐色の建物が並び、所々に針葉樹の緑色の葉が見え隠れする。他の町とあまり変わらない光景だ。この様子だと町の大きさはサンジェスタの半分にも満たないだろう。山と海の合間の地に作られた町なのだ。当然とも言える。

 

 さて、まずはこの町で捜索だ。捜すのは酒場で働く島田似の胸の小さい赤毛ロングの女。いや待てよ? 胸のサイズのことは言っていなかったか? まぁいい。とにかく赤毛のロングだ。

 

 ちょうど目の前には繁華街が広がっている。北と南を繋ぐ中継点に当たるためだろうか。かなり人の量が多いように見える。見れば行き交う人々は皆大きな荷物を背負ったり、茶色い毛並みの馬を連れていたりする。恐らく旅行客か行商の者がほとんどだろう。

 

「よし翔子、おっぱじめるぜ」

「……雄二。あれ」

「ん?」

 

 翔子のやつが何かを指差している。その指先にはひとつの店があった。どうやら酒場を見つけたようだ。

 

「でかした翔子。まずはあの店からだ」

「……うん」

 

 早速俺たちはその酒場に向かった。

 

 

 ――チリンチリン♪

 

 

 扉を押して開けると、金属の鈴が鳴った。俺たちの世界でもよくある、客の入店を知らせる鈴だ。

 

「いらっしゃいませ~」

 

 するとウェイトレス風の黒い服を来た女が笑顔で迎えた。だがこの女は目的の人ではない。なぜなら髪の色がブラウンだからだ。それに体型もややふっくらとしていて、島田というよりむしろ姫路似だ。

 

 それにしてもこの店、酒場に間違いは無さそうだが、どうも雰囲気が酒場っぽくない。ほとんどのテーブル席は埋まっていて店内も騒々しいくらいに賑やかだ。しかも目に映るのは家族連ればかり。そして誰もがフォークとナイフを手にしていて、食事をしているように見える。

 

「2名様でよろしいですか?」

 

 先程のウェイトレスがお盆を片手に尋ねてきた。この様子からすると昼間は飲食店をメインに経営しているのだろう。

 

「いや、俺たちは人探しで来たんだ。店長に話を聞きたいんだが、取り次いでもらえるだろうか」

 

 やはりこういったことは店長に聞くのが一番だ。このウェイトレスはバイトだろうからな。俺も生活費のためにウェイターのバイトをしたから分かる。この女も生活のためにこうしてバイトしているのだ。

 

「はい? なんでしょう?」

「いや、だから店長に話を聞きたいんだ」

「えぇ。それは聞きました。それで何でしょう?」

「いやだからそうじゃなくてだな……」

 

 このウェイトレス、わざとボケてるのか? こんな漫才に付き合う暇は無いんだがな……。

 

「いいか、よく聞いてくれ。店・長・を・頼む!」

「だから私が店長なんですけど?」

「………………はぁ?」

 

 思わず耳を疑った。目の前にいるのはどう見ても料理を運ぶスタイルのウェイトレスだ。その女が自分は店長だと言う。こんなバカな話があってたまるか。店長が料理運びの仕事をする店がどこの世界にあるというのだ。

 

「悪いんだが、俺たちは冗談に付き合ってる暇がなくてな……」

 

 軽く目眩を覚え、眉間を押さえながらなんとか冷静に話を進めようとする。ところがこの後、意外な事態に俺は今までの常識を覆されてしまった。

 

『店長~! 6番お願いしま~す!』

 

 奥の厨房と(おぼ)しき場所からそんな声が聞こえ、

 

「あ、は~い! 今行きま~す!」

 

 目の前のウェイトレスがそう答えたのだ。嘘だろ……? この軽いノリの女が本当に店長だってのか……? いやまさか……そんなことがあるわけが……。

 

俺は動揺を隠せず、頭を掻きむしっていた。すると、

 

「ちょっと店長! この忙しいのに何やってんスか!」

 

 追い打ちを掛けるように別の男性店員がやってきてウェイトレスに声を掛けた。信じられんが、もう信じるしかない。そうだ、この世界は俺たちの住む世界とは違う。何が起こっても不思議は無いのだ。

 

「ごめんなさいね。ちょっと待っていただけますか?」

「あ、あぁ……」

 

 ウェイトレスは小走りに厨房の方へと駆けて行く。両脇を締め、腕を左右に振って走るその姿は、まさに女子だった。まったく驚いたぜ……こんな世界もあるんだな……。

 

「……雄二? どうしたの」

「あ? あぁ……なんだか狐につままれたような気分だぜ……」

「……何が?」

「お前はこの状況をおかしいと思わないのか?」

「……?」

「いや……いい。どうやら俺が間違っていたようだ」

 

 とりあえず俺は状況を受け入れることにした。俺も自分たちの世界のすべてを知っているわけではない。もしかしたらウェイトレス店長ってのも世界のどこかには存在するのかもしれない、と。

 

「はいお待たせしました。それでどなたをお探しですか?」

 

 そうこうしているうちにウェイトレス……いや、店長が戻ってきた。ようやく話ができるな。

 

「実はこんな腕輪を持った赤くて長い髪をした女を探しているんだ。年齢は20代だ」

 

 俺は腕輪の絵を見せながら店長に尋ねる。

 

【挿絵表示】

 

 

「ん~……そうですねぇ……」

 

 店長は絵をじっと見つめ、頬に人差し指を当てて考えている。過度な期待は禁物だが、やはり期待してしまう。

 

「酒場で働いていたらしいんだが……見たことはないだろうか?」

「店員ですか。うちに赤い髪の人はいないですねぇ」

 

 ま、一軒目で見つかるわけがないか。

 

「そうか。分かった。それじゃ他を当たってみる」

「お力になれず、すみません」

「いや、仕事の邪魔をして悪かった」

 

 俺たちは店を出て、次の店を探すことにした。この辺りは飲食系の店が多い。隣や道路の向かい側も飲食店だらけだ。そういえばアレックス王は酒場と言っていたが、本当に酒場だったのだろうか。夜になればこういった飲食店も酒を出すだろう。ましてや泥酔していたともなれば”酒場”という情報も怪しい。

 

「……雄二。どうしたの」

「ん? あぁ。これからどう捜したものかと思ってな」

「……酒場を探す」

「そうなんだが、どうも嫌な予感がしてな」

「……予感?」

「このまま酒場に限ってしまっていいもんだろうかと思ってな。何せあの王の言うことだからな」

「……?」

「つまり酒を飲んでたってだけで酒場じゃなかったってオチなんじゃねぇのかってことだ」

 

 そうだな。やはり先入観念は捨てるべきだろう。先程のウェイトレス店長のこともある。変に対象を絞って目的の女とすれ違いでもしたらシャレにならん。

 

「よし翔子、とにかく酒を飲めるような店を徹底的に当たるぞ」

「……雄二がそう言うのなら」

「決まりだな。んじゃあ手当たり次第に行くぜ」

 

 視界に映るだけでもその類いの店は20軒はありそうだ。俺たちはその言葉通り、手当たり次第に飲食店を当たった。

 

 一軒ずつ入っては店長に聞き、ダメだと分かれば次の店へ。地道な聞き込みだ。こうしているとまるで刑事にでもなった気分だ。いや、もしこの世界がゲームと召喚システムの融合なのだとしたら、これはゲームでいうクエストの部類に入るのか? どちらにしても俺たちが今できることはこれしかない。

 

 だが何軒回っても、誰もが赤い髪の女性など見たことがないと答えた。そういえばこの国の人たちはほとんどが栗の皮のような茶色い髪をしている。赤い髪どころか翔子のような黒い髪だって見かけやしない。しかしこれはむしろ好都合かもしれない。希少であればそれだけ人の目に留まることも多い。目撃証言を得やすいだろう。

 

「よし、次はあそこだ」

「……うん」

 

 見ず知らずの女の所在を求め、俺たちは昼下がりのオルタロードの町を捜し歩いた。

 



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第二十八話 北の町の攻防

 捜し始めてから20軒ほどの飲食店を回っただろうか。既に2時間が経過している。この間、ずっと歩きっぱなしだ。俺はこの程度どうってことないが、この頃になると翔子の表情に疲れが見え始めていた。

 

「翔子、少し休むか?」

「……ううん。平気」

 

 そう言う翔子は薄く口を開け、顔色も少し青白く見える。やせ我慢しやがって。どう見ても平気な顔じゃねぇだろが。

 

 よし、どこかで休憩するか。時計が無いから時刻は分からんが、太陽の位置からすると14時過ぎってところか。ふむ。なら休憩場所は決まりだ。

 

「あー。そういえば腹が減ったな」

「……お昼ご飯にする?」

「そうだな。そろそろ何か食っておくか。お前も腹減っただろ?」

「……うん」

 

 本音を言うとそれほど腹が減っているわけではなかった。だがこうでも言わないと翔子は休むと言わないだろう。そして予想通り翔子は反対しなかった。誘導は成功だ。

 

 せっかくの休憩だ。どうせなら座って食える店がいいだろう。そうでないと休めないからな。幸いなことにこの辺りは飲食店だらけでランチタイムの店がほとんどだ。食う所に困ることはない。

 

「ここにしようぜ」

「……うん」

 

 早速俺たちは適当な店に入り、休憩を取ることにした。メニューは肉系をメインにパスタなど数種類。一般的な洋食屋だ。

 

「俺はこのハンバーグで」

「……私も」

「かしこまりました」

 

 さすがに2時間歩き通しだと喉も乾く。ウェイターの男に注文をした後、俺は出されたコップの水を一気に飲み干してしまった。

 

 美味い。普通の水だが、こういった状況の時は命の水だ。前の席に座った翔子もほぼ飲み干したようだ。

 

「ウェイターさん、水をもう一杯くれないか」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 俺は通りすがりの蝶ネクタイの男に声を掛け、水を要求。そして料理の到着を待つ間、翔子と他愛のない雑談で時間を潰すことにした。

 

 最初は本当にくだらない話に終始していた俺たち。いつしか話題は試召戦争の戦略談義に変わっていた。

 

 翔子はAクラスの代表だ。こいつはこいつなりに戦略を練ってきたようだ。だがやはり作戦の立案には秀吉の姉、木下優子や久保の存在が大きいようだ。なるほど。今後はこれを念頭に置いて作戦を立てるべきかもしれないな。

 

「兄ちゃん旅のモンかい? どこに行くんだい?」

 

 そうしてしばらく話をしていると、どこからか見知らぬ男が現れ、俺たちに話し掛けてきた。小柄でやせ形。頭には毛糸の帽子。見た感じ4、50代のオッサンだ。へらへらといやらしい笑みを浮かべ、背を丸くして手揉みをする仕草はどう見ても物売りだ。

 

 それにしてもこの文月学園の制服を見て旅の者と思うとは、どういう感性の持ち主なのだろう。一瞬そう思ったが、よく考えればこの世界にこうした服装をした者は見たことがない。恐らく彼には[変わった服を着た人=旅の者]と映るのだろう。まぁ退屈しのぎに少し相手をしてやるか。

 

「あぁ。ちょいとこの町と北の町に用があってな」

「北の町? メランダのことかい? あの町は坑夫の町だから観光するような場所は無いよ?」

 

 坑夫の町だと? そいつは初耳だ。だがどんな町だろうが関係のないことだ。俺たちは別に観光に行くわけじゃない。

 

「観光しに行くわけじゃねぇんだ。ちょいと人捜しでな」

「ほう、人捜しかい。そいつは大変だねぇ。親御さんでも捜してるのかい?」

「いや。赤の他人だ」

「フム……そうかい。長旅になりそうかい?」

 

 なぜ見知らぬ男にそんなことを話さなくてはならないのか。退屈しのぎにと思ったが面倒になってきたな。

 

「さっさと見つけて帰るつもりだ」

「そうかい。でも旅には何かと用要りだろう。何か必要な物はないかね?」

 

 やはりそう来たか。俺たちに近付いてきた理由なんざお見通しだ。

 

「悪いな。今は特に無いんだ。他を当たってくれないか」

 

 路銀も潤沢にあるわけじゃない。こんなところで無駄遣いするわけにはいかないからな。

 

「……雄二、この人にも聞いてみよう」

「ん? 聞く? あぁ、それもそうだな」

 

 確かにこの男が行商なら色々な町に出向いているだろう。ならば赤い髪の女の情報を持っている可能性もある。聞いてみても損は無いかもしれないな。

 

「なぁあんた、あんたはメランダやバルハトールには行ったことがあるのか?」

「あぁ、どっちも何度か商売で行ってるよ」

「そいつはちょうどいい。実はこういう腕輪を持った女を探してるんだが、見たことはないか?」

 

 俺は腕輪の絵を見せて尋ねてみた。

 

「う~ん……腕輪ねぇ……」

 

 行商は自らの顎をしゃくりながら絵を見つめる。

 

「歳は20歳くらいで長くて赤い髪をしている。もし知っていたら教えてくれないか」

 

 ここまで話すと男は歯を見せてニィッとほくそ笑んだ。そしてこんなことを言ってきやがった。

 

「そうだねぇ。何か買ってくれたら思い出すかもしれないねぇ」

 

 この野郎……何か知ってやがるな? 悪どい商売をしやがる。俺がいつも取るような作戦なだけにカンに触る。ブン殴って吐かせてやろうか。そう思っていると、翔子が男の話に乗ってしまった。

 

「……おじさん。商品を見せて」

「おっ? お嬢さん話が分かるねぇ。それじゃ早速」

 

 男は後ろに隠していた荷物を広げ、いくつかの商品をテーブルに置いた。商品は日用雑貨ばかりで、俺たちの旅に要りそうなものはほとんどなかった。だが何かを買わないと情報は出さないだろう。そこで俺は治療帯をひとつ購入。役に立ちそうな物がこれしかなかったからだ。少し割高だったが、翔子が話に乗ってしまった以上、仕方がない。

 

「へっへっ、まいどど~も。そういえば赤い髪の女のことなんですがね――」

 

 男は上機嫌で話し始めた。

 

 この男は見た目どおり行商で、主にこの国の北側を拠点に商売をしているらしい。そして2週間ほど前、メランダの町で露店を開いていた際に赤い髪の女を見たというのだ。それも向こうが客として現れたらしい。

 

 ビンゴか! と一瞬喜んだ。だがそれは本当に俺たちにの求める者なのだろうか。珍しいとはいえ、赤い髪の持ち主なら他にもいるのではないか? 俺たちの仲間にだって島田という赤い髪がいるのだから。かくいう俺の髪だって赤い。

 

 そこで俺は容姿について詳しく聞いてみた。すると男は腕を組ながら目を閉じ、しみじみと語り始めた。

 

 その女は見惚れるほど綺麗で真っ赤なストレートヘアだったそうだ。身体の線は細く、服装は極一般的なワンピース型のロングスカート。肩には赤いチェックのケープを羽織っていたらしい。あまりに美しい女なので軽く世間話をしてみると、彼女は酒場で働いていると答えたそうだ。

 

 そしてこれが決定的な情報だった。この女が腕輪をしていたというのだ。それも翔子の書いたこの絵のデザインそのもの。容姿に似合わないアクセサリだと思って記憶していたらしい。間違いない。アレックス王が腕輪を渡したという女だ。

 

「サンキューおっさん! まさに求めていた情報だぜ!」

「そうかい? なら礼ついでにもうひとつくらい何か買ってくれると嬉しいんだけどねぇ」

 

 まったく、商魂たくましいオッサンだよ。

 

「翔子、何か要りそうな物があれば買ってやってくれ」

「……私が選んでいいの?」

「あぁ。俺は特に必要な物は無いからな」

「兄ちゃん話が分かるねぇ。それじゃお嬢さんどれがいい?」

「……じゃあこれ」

 

 翔子は5センチほどの小さな木箱を手に取った。どうやらハンドクリームの類いのようだ。この程度ならコートのポケットにも入るし、邪魔にはならないだろう。

 

「へへっ、まいどど~も。それじゃお2人さん、良い旅を」

 

 満足げに引き上げて行く行商の男。どこへ行くのかと思い目で追っていると、今度は別の客にちょっかいを出し始めたようだ。まだ商売を続けるつもりか。根っからの商売人って感じだな。まぁそんなことはどうでもいい。余計な出費があったが、とにかくいい情報を得た。目的の女はメランダの町だ。

 

「こいつは思わぬ収穫だったな。飯を食ったら早速移動するぞ」

「……見惚れるほどの凄い美人」

「あぁ。そうらしいな」

「「……」」

 

 向かいの席に座る翔子。その全身からは黒いオーラが立ちのぼる。ヤバイ。店で暴れられたら飯どころじゃなくなっちまう。

 

「翔子、俺たちの最大の目標は何だ」

「……雄二の貞操を守る」

「そりゃお前の目標だろ! そうじゃなくて俺たち7人全員の目標だ」

「……元の世界に帰ること」

「そうだ。そのためには何としても白金の腕輪を見つけなきゃなんねぇ。だから赤い髪の女を捜し出す必要がある」

「……うん」

「絶世の美女だろうが何だろうが関係ねぇ。俺は腕輪を取り戻すために赤毛の女に会いに行く。それだけは分かってくれ」

 

 俺は真剣な眼差しを翔子に向ける。もちろん言い訳なんかじゃねぇ。本気で思っていることを言っただけだ。

 

「……雄二を信じる」

 

 翔子の全身を覆っていた黒いオーラが消えた。やれやれ。女の話をする度にこれじゃ身がもたないぜ。

 

「お待たせしました。ハンバーグランチになります」

 

 ちょうどそこへウェイターが料理を運んで来た。ウェイターの持つ皿の上でジュウジュウと音を立ててデミグラスソースを跳ねるハンバーグ。なかなか美味そうだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 

 ランチを終えた俺たちはここでの捜索を打ち切り、北の町メランダに向かって移動を開始した。移動手段はもちろん馬車。しかもここから山道になるらしく、所要時間は4、5時間だという。ウンザリするが他に手段が無い以上、耐えるしかない。

 

 早速馬車に乗り込み、俺たちはオルタロードを後にした。町を出ると道はすぐに山道となり、馬車は岩山の合間を縫うように走った。右左どちらを見ても灰色の山肌ばかり。植物も小さな雑草や岩に張り付く(こけ)の類いしか生えていない。

 

 こんな光景ばかりが続き、馬車は右へ左へとうねりながら進む。今まで乗ってきた馬車の中でも最悪の揺れだ。だがこの先の町に腕輪の女がいる。そう思い、辛抱に辛抱を重ねた。

 

 途中で休憩を挟みながら、馬車は山道をひた走る。上下左右に激しく揺れる客車。乗客は俺たちの他に体格の良い大柄な男が3人。このガタイから想像するに、恐らく肉体労働者だろう。たとえば坑夫のような。向かいの座席に座る彼らは3人とも腕組みをし、微動だにしない。車内に響くのはガラガラという車輪の音のみ。おかげでこちらも声を出しづらくなってしまい、俺も翔子も押し黙り到着を待っていた。

 

 

 ――そしてオルタロードを出て約5時間。

 

 

 馬車はようやく北部基点の町メランダに到着した。周囲を高い山で囲まれた町。山道を登ってきたので標高はそれなりに高いはずだが、周囲の山は更に高い。なるほど。これほどの山脈があったのではサンジェスタからの直通は無理だ。

 

「……体がふわふわする」

「こんだけ長時間揺られてりゃそうなるだろうな。少し休むか?」

「……ううん。私は平気」

「いい根性だ。そんじゃ始めるぞ」

 

 馬車を操っていた御者(ぎょしゃ)のオッサンの話によると、このメランダの町の繁華街は中央付近らしい。酒場も当然そこにあるだろう。俺たちは早速中央の繁華街に向かった。

 

 ざっと見渡したところ、この町も外周を高い塀でぐるりと囲っているようだ。恐らく他の町と同様に上空から見れば円を描くような構造をしているのだろう。それはもちろん中央の魔壁塔(まへきとう)から発せられる魔障壁で効率良く町を守るためだ。そして道路はこの構造に合わせて、リング状の環状線になっている。まるでバウムクーヘンのように、中央の塔から外側に向かって道が幾重にも連なっているのだ。

 

 馬車で到着したのは町の東の端。中央へは徒歩だがすぐに辿り着きそうだ。何しろこの町は小さい。サンジェスタが直径約10kmなのに対し、見たところこの町はその1/5程度しかない。徒歩で横断しても20分も掛からないと思われる。

 

「……人が少ない」

「あぁ。ちょうど俺もそれを思っていたところだ」

 

 俺たちは商店街ゲートをくぐり、繁華街に入った。……はずだった。だがほとんどの店は消灯され、営業している店は極僅か。人の姿もチラホラとしかなかった。

 

 理由は単純。見上げれば空は闇に包まれ、俺たちの歩いている道は魔石灯の灯火(ともしび)で橙色に染まっている。そう、既に夜が訪れているのだ。

 

 だが酒場は娯楽施設。夜遅くまで経営しているはずだ。目的は酒場での聞き込みなのだから問題ない。そう思い、俺たちは夜の町を歩いてみた。

 

 ところが開いている店がない。明かりが灯っている店は数カ所あるが、閉店作業をしている店かホテルの類いだった。この町では娯楽である酒場ですら早々に店を閉めてしまうのか。これでは聞き込みもできやしないではないか。

 

「こりゃ今日はもう無理だな。終わりにして宿を取ろうぜ」

「……うん。ホテルはこっち」

 

 翔子は回れ右をすると、そそくさと歩き始めた。その動きに迷いは感じられない。もう宿の目星は付けてたってことか。こういう所はしっかりしてやがるな。ま、今夜は翔子の案内する宿でゆっくり休むとしよう。町の規模も小さいし、これなら明日中には目的の女の情報も得られるだろう。

 

「……ここがいい」

 

 しばらくして翔子がひとつの建物の前で立ち止まって言った。そこは三階建ての建物だった。入り口の木製の扉には、『Welcome』と書かれた(ふだ)が掛けられている。

 

「なるほど。お前のお目当てはここってわけか」

「……いくつか見た中ではここが綺麗でいいと思った」

「いいぜ。ここにしようぜ」

 

 俺に異論はない。どこだろうと大差ないからな。

 

「……ダブルを――」

「ツインひと部屋を頼む!」

「ツインでございますね。かしこまりました。ただいま準備しますので少々お待ちください」

 

 ホテルの受付カウンターで翔子が予約を入れようとしたのを、俺は慌てて阻止した。翔子のやつ、これが目的だったのか。危なかっ――!!

 

「……雄二。どうしてツインにしたの」

 

 目の前が突然暗くなったと思ったら、翔子に顔面を掌握されていた。こめかみにギリギリと指が食い込んでくる。いつものアイアンクローだ。

 

「まっ、待て翔子ッ……! こ、これには理由(わけ)があるんだッ……!」

「……理由(わけ)って何」

「そ、その前に手を放せ!」

「……いいから話して」

「いでででっ!! そ、その方が、ゆったりして、休めると思ったからだッ!」

 

 主に俺が。

 

「……私は雄二と一緒に寝たかった」

「お、俺はっ……! お前が疲れているだろうと……思って……!!」

「……」

 

 頭蓋骨に掛かっていた圧力がフッと消えた。どうやら翔子が手を放してくれたようだ。いてて……いつもながらこいつ、どういう握力してやがんだ……。

 

「……私の……ため?」

 

 ズキズキと痛むこめかみを押さえながら目を開くと、翔子は”意外だ”と言わんばかりの顔をしていた。

 

「馬車ばかりの長旅で疲れただろ? だから今夜はしっかり疲れを癒してほしいんだ。明日も歩き回ることになりそうだからな」

「……雄二……」

「それに料金表をよく見てみろ。ここはツインの方が安いんだ」

「……気付かなかった」

「路銀は極力節約したい。分かるだろ?」

「……うん」

「じゃあツインでいいな?」

「……それならシングルを2人で使うべき」

「う゛っ……」

 

 し、しまった。そう切り返されるとは思わなかった……。

 

「い、いやほら、なんだ。ベッドは1人1つの方が寝返りとか気にしなくて済むだろ?」

「……私は寝返りしない」

「しかしだな……」

「サカモト様。お部屋の準備が整いました。こちらをどうぞ」

「あ? あ、あぁ」

 

 翔子にどう言い訳をつけたものかと困り果てていると、受付の男が鍵を差し出してきた。こいつは助かったぜ……。

 

「とりあえず今夜はツインで泊まろうぜ」

「……うん」

 

 やれやれ。さっさと赤い髪の女を捜して帰りたいぜ。でなきゃこれから毎日こんなやりとりをすることになっちまう。

 



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第二十九話 手掛かり発見!

 翌朝。

 

「っ……!」

 

 ホテルを出た俺は思わず息を止めた。外の空気を吸った瞬間、氷のように冷たい空気が一気に肺に流れ込んできたのだ。まるで冷凍庫に頭を突っ込んでいるかのようだった。

 

「うぅっ……や、やっぱ寒いなこの世界は……」

「……標高が高いから寒い」

「そ、そうか。そうだったな」

 

 ここは山岳地帯の町メランダ。オルタロードから5時間かけて山道を登った所にある町だ。正確な高さは分からんが、感覚的には2000メートル級の山の上にあるように思う。いわゆる高山(こうざん)の町というやつだ。ルルセアやサンジェスタの朝も冷蔵庫のように寒かったが、ここはもはや冷凍庫の中だ。

 

「……大丈夫?」

「これくらいどうってことねぇよ」

「……でも震えてる」

「き、気のせいだろ」

 

 と強がってみせたものの、やはり寒い。じっとしていると歯がガチガチと鳴ってしまいそうだ。この気温じゃトレンチコートでは薄すぎる。買う時にダウンコートにすりゃ良かったな。けどあの時は金に余裕は無かったからな。

 

 って……。

 

「お、おい、翔子?」

「……こうすれば寒くない」

 

 翔子のやつはそう言いながら俺の左腕を両腕で包み込むように抱き締めている。……(ぬく)い。体の緊張が解け、次第に寒さが和らいでいく。しかし……。

 

「や、やめろよ翔子。()ずいだろ……」

「……私は平気」

「俺が()ずいんだよ!」

「……どうして」

「どうしてってお前……目立つというか周りに誤解を与えるというか……っておい、引っ張んなって! お前人の話を全然聞いてないだろ!」

「……聞き込みを始める」

「こ、この体勢でか!?」

「……もちろん」

「もちろんじゃねぇよ!」

「……嫌?」

「うっ……」

 

 な、なんだ? 翔子がいつもと違う。今までこういう時は俺の話を無視して突っ走るかアイアンクローだった。なのに今日に限って涙目なんかを見せやがる。一体どうしたってんだ? なんかやりにくいぜ……。

 

「し、しゃーねぇな。…………少しだけだぞ」

「……うん」

 

 嬉しそうに顔をほころばせながら、ぴったりと身を寄せる翔子。俺はそんな翔子の表情を見て、体の芯がジンと熱くなるような感覚を覚えた。こいつ、たまにこんな顔をするんだよな……。

 

「まだ開いてる店が少ないな。通行人にも当たってみるぞ」

「……うん。雄二に従う」

「お、おう」

 

 なんか調子狂うぜ。けど……こういうのも悪くねぇかもしれねぇな。俺も年貢の納め時か?

 

 ……

 

 いやいや待て待て! そんなはずはない! こんなことで俺の未来が決まってたまるか! そうだ、これは吊り橋効果ってやつだ。そうに決まってる! 逆境に立たされて弱気になっているだけに違いない!

 

「……雄二? どうかした?」

「い、いや。なんでもない」

「……変な雄二」

 

 変なのはお前だ翔子。その純真無垢な笑みは何なのだ……。

 

「……雄二。この町、何か変」

「ん? 何が変だ?」

「……見て。お年寄りばかり」

「年寄り?」

 

 冷静になってよく見ると、確かに町中は腰の曲がった年寄りばかりが歩いている。

 

「そうだな。けどそれのどこがおかしいんだ? 年寄りってのは朝が早いもんじゃないのか?」

「……他の町はそんなことなかった。それに開いてないお店が多い」

 

 翔子のやつ、本当に良く見てやがるな。なるほど。言われてみれば多少違和感を覚える。ここは港町ラミールと山岳奥地のバルハトールへの言わば中継点のはず。普通に考えれば各町への行き来で賑わっていてもおかしくない。しかしこの(さび)れようはどうだ? 通行人も(まば)らで、太陽は結構な高さまで昇っているにもかかわらず開けていない店も多い。

 

「もともとこういう町なんじゃねぇのか? 山の中で交通の便もあまり良くねぇしな」

「……そうだと良いのだけど」

 

 この時、翔子は町の雰囲気に何かを感じ取っているようだった。だが俺にとってそんなことはどうでもよかった。一刻も早く赤い髪の女を見つけて腕輪を取り返したかったのだ。

 

「そんなことよりそろそろ飲食店も開け始める頃だ。聞き込みを再開するぞ」

「……うん」

 

 俺たちは開店準備をする店に手当たり次第に入り、(くだん)の女についての情報を求めた。一軒入っては腕輪の絵を見せて尋ね、知らないと言われる。また一軒入っては尋ね、見たことがないと言われる。こんな具合にひたすら地道な努力を重ねていった。

 

 ――そして1時間が経過。

 

 未だ何の情報も得ていない。この頃になると、さすがに俺もこの町の状況がおかしいと感じ始めていた。今まで入った店で俺たちを出迎えたのがすべて老人だったのだ。子供どころか4、50代の大人もいない。まるで老人だけの町のようだ。

 

 少しだけ興味を引かれた俺は、次の店でこのことについて店主に尋ねてみた。すると杖を手にした店主の爺さんはこう答えた。

 

「それが最近、若いモンが忽然(こつぜん)と姿を消す事件が10件ほど相次いでねぇ……それで皆は気味悪がって町を出て行ってしまったのじゃよ。残ったのは我々老人ばかりじゃ」

「……皆どこへ行ったの?」

「町を出ていった人かい? そうさのう……ラミールという話もちょくちょく聞いたが、やはりサンジェスタに行った者が多いかのぅ。まぁ、皆もう戻ってくるつもりは無いじゃろう」

「……そうですか……」

 

 翔子は悲しそうに表情を曇らせる。町がこうして過疎化し、寂れて行くのは悲しいことだ。だが俺たちが悲しんだところで何かできるわけでもない。とりあえず老人ばかりである理由は分かった。これ以上の余計な詮索は不要だ。

 

「爺さん邪魔したな。翔子、次に行くぞ」

 

 しかしルルセアで聞いた墓荒らしといい今回の失踪事件といい、この国は何かと物騒だな。妙な事件に巻き込まれる前にさっさと元の世界に帰りたいぜ。それには一刻も早く赤い髪の女を捜さないとな。

 

「次は向かいのあの店だ。行くぞ翔子」

「……うん」

 

 俺たちは聞き込みを再開した。だがこの通りはもう粗方聞いて回った。次はもう1周外側の道だ。

 

 先にも述べた通り、この町の道路はリング状の環状道路。泊まったホテルは町の中心付近にあり、俺たちはそこから外周に向かって攻めている。当然ながら内周の道は短く、外周に行くほど道は長くなる。次第に長くなる道程にいい加減うんざりしながら、俺は翔子と共に店を巡り歩いた。

 

 

 ――そして聞き込みを始めて2時間ほどが経過した。

 

 

「あぁ、そりゃきっと向かいの店で働いてたリンナちゃんだねぇ」

 

 ある飲食店にて、店長を名乗る白髪の婆さんがこう答えた。俺たちはついに赤毛の女の情報に辿り着いたのだ。

 

「本当か! 間違いなくこの腕輪をしていたのか!?」

「あぁ間違いないよ。この飾り気のない無骨な感じに見覚えがあるからね」

「マジか!!」

 

 よっしゃ! ついに見つけたぜ! これで面倒な人捜しも終わりだ!

 

「似合わないからやめとけって言っても王様から貰った物だって言って聞かなくてねぇ」

「ん? ちょ、ちょっと待ってくれ婆さん、今なんと言った?」

「うん? なんだい、若いのに耳が遠いのかい?」

「いやそうじゃねぇよ! 王がどうとか言ってなかったか?」

「あぁ。王様から貰ったモンだから外せないって言ってたってことかい?」

「な、なんだと!?」

 

 おかしい。なぜ腕輪を与えた者が王だと知っている? アレックス王はお忍びで町を出たんじゃなかったのか? 公園で聞いた王の説明と食い違うではないか。

 

「婆さん教えてくれ。そのリンナって女は本当に王から貰ったと言っていたのか?」

「そうだよ? アレンって名乗ってたらしいから、アレックス陛下に間違いないね」

「何ィ!? なぜそれを知っている!」

「アンタこそ何言ってんのさ。陛下がアレンって名前で飲み歩いてることなんて誰でも知ってることじゃないか」

「……」

 

 俺は思わず言葉を失った。あのボンクラ王め。身分を隠してるどころか、正体バレバレじゃねぇか。

 

「リンナちゃんは美人だからねぇ。陛下の目に留まったんだろうね。アタシも20歳若ければ勝負できただろうに、残念だよ」

 

 そりゃ”50歳若ければ”の間違いだろ。どう見たってこの婆さんは70代だ。いや、そんなことはどうでもいい。

 

「で、そのリンナって人は今どこにいるんだ? 教えてくれ」

「それが1週間ほど前に店を辞めちまってねぇ。確かバルハトールに行くって言ってたよ」

「バルハトール? この西の奥地にある町か」

「あぁ。そこに旦那と一緒に移り住むって言ってたね」

 

 く……なんてことだ。ここまで来て入れ違いか。だが足取りは掴めた。こうなったらとことん追いかけてやるぜ!

 

「婆さん、リンナって人がバルハトールのどこに住んでるか知ってるか?」

「さぁねぇ。そこまでは聞いてないねぇ」

「そうか……じゃあ旦那の名は?」

「何て言ったかねぇ。坑夫をやってる……そうそう、確かトーラスだよ」

「坑夫のトーラスだな? よし分かった! 恩に着るぜ!」

「なんだかよく分からんけど頑張んなよ」

「おう! サンキューな婆さん! 行くぞ翔子!」

 

 俺は店を飛び出し、西に向かって走った。王が腕輪を見知らぬ女にくれてやったと言った時は目の前が真っ白になっちまった。それが2日目にしてもう足取りが掴めるとは正直思わなかったぜ。へへっ、ツイてるぜ! さっさと女を捕まえて腕輪を取り返してやる!

 

「……雄二……ちょっと……痛い」

「ん? 何か言ったか?」

「……そんなに引っ張ると……痛い」

 

 苦痛に震えるような声で言われ、ようやく気付いた。俺は翔子の手を引き、全力で走っていたのだ。翔子が俺の全力疾走についてこられないことにも気付かずに。

 

「す、すまねぇ翔子。大丈夫か?」

「……うん。平気」

 

 俺としたことが、すっかり興奮しちまった。少し冷静にならねぇとな。これじゃ翔子の身がもたねぇ。

 

「焦っちまって悪かったな。ここからはゆっくり歩こうぜ」

「……うん。でも嬉しい」

「あ? 何が嬉しいって?」

「……雄二が、手を握ってくれた」

 

 !

 

「い、いや、まぁその……なんだ……は、早くやるべきことを済ませちまいたかったからよ……」

 

 そういえばすっかり夢中になって気付かなかったが、俺は今、翔子と手を繋いで走っていたのか? な、なんて()ずいことを……。

 

「……私は吉井と美波が羨ましかった」

「な、なんだよ。なんでここで明久が出てくんだよ」

「……2人はお互いに想い合っていて、手を繋ぐのが当たり前になってる」

「島田が告白して明久が受け入れた。それだけのことだろ」

「……吉井と美波は信じ合ってる。でも私はまだ雄二に手を繋いでもらえない。私はまだ信じてもらえてない」

 

 翔子は寂しそうに目を潤わせ、いつになく強い口調で俺に訴える。いつも無表情で沈着冷静。何事にも動じないくせに、時折こうして感情を(おもて)に出す。何がトリガーになるのか、俺には未だよく分からない。ただ、たまに見せる翔子のこんな表情は俺の心を掻き乱す。

 

「べ、別に俺は……し、信じてねぇわけじゃ……ねぇよ……」

 

 なんだよ……そんなに手を繋ぎたかったってのか? そんならそうと言えばいいだろうが。つっても俺は明久のようなバカじゃねぇから、て、手を繋いで歩くなんて……。

 

 ……

 

「バカなこと言ってねぇでさっさと行くぞ」

「……?」

「なんだよ。手、繋ぎたいんじゃねぇのか?」

「……いいの?」

「まぁ、なんだ。……ば、馬車乗り場に行くまでだからな!」

 

 ここからバルハトール行きの乗り場までは恐らく残り約5、6分。幸いこの場に異端審問会や明久たちの目は無い。見られたとしても見知らぬ爺さんや婆さんだけ。それくらいは我慢できるだろう。

 

「……やっぱり雄二は素直じゃない」

「ほっとけ。いいから行くぞ」

「……うん」

 

 翔子は顔をほころばせ、差し出した俺の手をそっと握る。あいつの手は暖かかった。手の平に自分以外の温もりを感じる。こんなことは初めてだった。この時、俺はなんとなく理解した気がした。翔子の気持ち。そして明久の気持ちを。

 

 そうか、あのバカもこの温もりを知って変わったってわけか……。

 

 ……

 

 なるほど。悪くない気分だ。

 

 俺は少しだけ歩幅を小さくし、再びメランダの町を歩き出した。

 



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第三十話 追ってはるばるバルハトール

 馬車乗り場で時刻表を確認すると、次のバルハトール行きは午後だった。バルハトールへ向かう馬車は本数が少ないらしい。あと2時間もあるのか。こんなことなら急ぐ必要は無かったな。だが今それをどうこう言っても仕方がない。待つしかないのだから。そんなわけで俺たちはひとまずメランダの町で適当に時間を潰すことにした。

 

 

 ――2時間後。

 

 

 午後になり、乗り場で待っていると時間通りに馬車がやってきた。2頭の茶色い毛並みの馬が引く10人乗りの客車。今まで何度か乗った馬車と同じ型だ。と言っても、この世界でこの型以外の馬車など見たことはないのだが。

 

 俺たちはその馬車に乗り、バルハトールへと向かった。目的地までは約3時間半かかるらしい。オルタロードからメランダまでは5時間だったが、それより短いな。なら少しは楽か。走り出した馬車の中、俺はこんな風に楽観的に考えていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 メランダの町を出発してから1時間が経とうとしている。

 

「うぅっ……ぐふ……」

 

 馬車は険しい山道に入り、山脈の合間の細い道を縫うように走っている。道は複雑に曲がりくねり、客車は上下左右に大きく揺れる。オルタロード・メランダ間の馬車も酷い揺れだったが、こいつはその比ではない。まるで地震体験車の中にいるようだ。そのあまりに激しい揺れに、普段乗り物酔いなどしない俺もさすがに気分が悪くなっていた。

 

「……雄二。大丈夫?」

「こ……これが大丈夫に見えるのなら……が、眼科に行った方が……うっ……」

 

 こ、この俺が……乗り物酔いをするとは……うぅ……き、気持ち悪い……た、頼む。早く着いてくれ……。

 

「……遠くの景色を見ていれば良くなる」

「そ、そうだな……」

 

 馬車の客車は数本の木製の枠組みに厚手の布を被せた簡単な構造。窓は車体を覆っている布に40cmほどの四角い穴を開け、それを塞ぐように布を当てて上側を縫い付けただけの簡易的なものだ。翔子にその布をめくってもらい、俺は窓から身を乗り出して頭を外の風に晒してみた。

 

 ――ゴォッ

 

 頭を出した瞬間、氷のように冷たい風が頬を叩くように吹き抜ける。鼻水もツララとなって凍りつきそうなくらいの冷たさだ。このまま頭を出していたら顔面が凍傷になりそうだが、今は気持ち良い。座席でただ座っているだけより遥かにマシだ。

 

 俺は寒さを(こら)えながら、しばしの間、風に顔を晒す。そうしていると少しだけ気分が良くなってきた気がした。翔子が背中を(さす)ってくれているのも効果があるのかもしれない。

 

 それにしても翔子に介抱してもらうとは我ながら情けない。あと2時間以上もこの屈辱に耐えなければならないのか……。

 

「……雄二。あれを見て」

「すまん。そんな余裕は……ない……」

「……あんなところにお城がある」

「そ、そうか。こんな世界なんだ……城くらい……あるだろう……」

「……町の中じゃない所にひとつだけお城があるなんて変」

「俺たちの常識は……うぐっ……通用しねぇことも……お、多いんだよ……ち、ちょっと静かにしてて……くれねぇか……」

 

 翔子は俺の気を紛らせようと話し掛けているのだろう。でなければいつも無口なこいつがこの程度のことで話し掛けてくるとは思えない。この時の俺は余裕が無く、翔子の話をこの程度にしか思っていなかった。

 

 

 ――そして更に1時間後。

 

 

 俺はようやくこの苦しみから開放された。道がなだらかになったのだ。おかげで馬車の揺れは緩やかになり、体を揺すぶられることもなくなった。とはいえ、まだ頭がぼぅっとしているし、胸もムカムカする。結局、俺はバルハトールに着くまでの間、馬車の中でぐったりとしていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 メランダを出てから3時間半。馬車はついに町に到着した。

 

「うぅ……やっと着いたか……」

 

 ここは山岳奥地の町、バルハトール。この町に腕輪を持った赤い髪の女、リンナがいるはずだ。

 

 とにかく一刻も早く足を地に着けたい。俺は馬車の停止と共に立ち上がり、フラつく頭を支えながら出口へと向かった。やれやれ……地獄のような3時間半だった。まだ頭がフラフラするぜ……。

 

「……雄二」

「あァ? 何――どわぁっ!?」

 

 馬車から降りようと足を踏み出した途端、急にガクンと膝が抜け、俺はすっ転んでしまった。

 

「……まだ足場がないから気を付けてって言おうとした」

「そ、そういうことは早く言え!」

「……ごめんなさい」

「いっててて……」

 

 クソッ、顔面から転んじまった。俺としたことが、なんてみっともない真似を……馬車酔いのせいですっかり調子が狂っちまったぜ。

 

「と、とにかくリンナって女を捜すぞ」

「……うん」

 

 俺は立ち上がり、まずは町の様子に注目してみた。現在位置は頭に入れている。地図上ではこの町に繋がる道は東側からの1本のみ。つまり馬車が入ったのは町の最東端。今の俺たちはそこから西を見ていることになる。

 

 一番に目に入ってくるのは、やはり巨大な魔壁塔(まへきとう)だった。しかしずいぶん近くに見えるな。そう思い、ざっと左右を見渡してみてその理由が分かった。

 

「結構狭い町なんだな」

 

 東の端であるこの位置からでも、左右から正面奥にかけての外周壁がすべて見える。どうやらここはメランダよりも更に狭いようだ。見た感じではメランダの半分。直径1kmってところだろうか。

 

「……雄二。あっちの方が賑やか」

 

 翔子の指差す先には大きな柱が2本立っていて、その上には大きな看板が渡されていた。俺たちの世界でもよくある商店街の入り口を示すものだ。その看板には”バルハトールモール”と書かれている。なんとも語呂の悪い名前だ。まぁいい。この先が商店街ってことだな。

 

「よし、行ってみるか」

「……うん」

 

 俺たちは早速その商店街に入り、周囲の様子に目を配った。そして思った。

 

 ……酒場だらけじゃねぇか。

 

 それに町を歩いているのもガタイのいい男ばっかりだ。一応男以外もいるが、老人ばかりのメランダとはえらい違いだな。っと、いけねぇ。日が暮れ始めたようだ。さっさと捜さねぇと人がいなくなっちまう。まずはあの道のド真ん中で井戸端会議中のオバチャン3人にでも聞いてみるか。この規模の町ならば名前を出せばすぐに情報も出てくるだろう。

 

 俺は早速お喋りに夢中のオバチャンたちに近付き、声を掛けてみた。

 

「えーと。お楽しみのところ恐縮です。少しお話しを伺いたいのですが」

「うん? 何だいアンタら。見かけない顔だね。どこから来たんだい?」

 

 この台詞。「この町の人なら全員知ってるよ」とでも言わんばかりだ。まぁオバチャンとは元来そういう生き物だと聞く。言葉どおり、この町の大抵のことは把握しているのだろう。それは俺たちにとっては都合が良い。

 

「実はリンナという赤い髪の女性を捜してここまで来たんですが、どこにいるか知りませんかね?」

 

「「「……」」」

 

 俺が尋ねると3人のオバチャンは急に眉をひそめ、黙り込んでしまった。この疑いの眼差し。俺たちを怪しんでいるのだろうか。

 

「前にメランダの酒場で働いていた人なんです。もし知っていたら教えていただけませんか?」

 

 俺はできる限りの真面目な顔を作り、頼み込んでみた。するとオバチャンたちは顔を寄せ、ヒソヒソと内緒話を始めた。

 

 こちらの素性を言わずにいきなり聞いたのはマズかっただろうか。だが”俺たちが異世界の人間だ”なんて話をしてこのオバチャンたちが理解できるとも思えん。気が触れた頭のおかしい奴だと思われて何も答えてくれなくなるだろう。やはり必要最低限のことだけを聞くのが正解だ。

 

「アンタ、リンナちゃんに何の用だい?」

 

 オバチャンのうちの1人がこんなことを聞いてきた。こう聞いてくるということは間違いなくリンナという女のことを知っている。だが余所者には簡単に情報を漏らせない。つまりそういうことなのだろう。では怪しまれないように情報を聞き出すにはどんな返事が良いか? その答えはこうだ。

 

「実はメランダの酒場ですっかり彼女のファンになってしまいましてね。ぜひもう一度彼女の働く店に行ってみたいと思い、遥々この町までやってきた次第です」

 

 うむ。我ながら実に(もっと)もらしい理由だ。

 

「あぁそういうことかい。分かるよアンタの気持ち。リンナちゃんは美人だからねぇ」

「そうそう。アタシもあの子が越してきた時はどこのモデルさんかと思っちまったくらいだよ」

「えぇ、そうなんですよねぇ~。ハハハッ!」

 

 と話を合わせて笑ってみせる。ま、俺は顔も知らねぇんだけどな。

 

 ……ハッ!

 

「……雄二……やっぱり……(ゴゴゴゴ)」

 

 マズい! 翔子が俺の嘘を信じている!

 

(ちょ、ちょっと待て翔子! 今のは方便だ! 情報を聞き出すための嘘なんだよ!)

「……いつリンナさんに会いに行ったの」

(だから違うっつってんだろ! この世界に来てからずっとお前と一緒にいただろうが!)

「……目を離した時もある」

(嘘をつけ! いつ目を離したってんだ! 一時(いっとき)たりとも俺から離れなかったくせに!)

「……雄二がトイレに行ってる時」

(俺は瞬間移動の能力者か!? そんな一瞬で会いに行けるわけねぇだろ!)

「……本当に?」

(あぁ本当だ。というか俺にそんな能力があるとでも思ってんのか?)

「……」

(いいかよく聞け。今は腕輪を取り返すのが最優先だ。とにかくここは俺を信じて任せろ)

「……分かった。雄二を信じる」

 

 やれやれ、やっと信じてくれたか。本当に疑り深いな翔子は……。見ろ、翔子が余計なことを言ったせいでオバチャンたちが変な目で見てるじゃねぇか。仕方ねぇ。ここは一発芝居を打って信用させてやるか。

 

「失礼しました。今のは内輪話ですのでお気になさらず。それでリンナさんってこの町でも働いてるんですかね? あの子の注ぐ酒は最高に美味いんですよ。あぁ、もう一度会いたいなぁ」

 

 あぁ白々しい。自分で言っておいてナンだが、なんて臭い台詞だ。秀吉がいればもっとちっとマシな言い回しを考えさせるんだがな。けどオバチャンたちの硬い表情が少し柔らかくなったようだ。へへっ、俺の演技も結構イケてるのかもしれねぇな。

 

「残念だけどね……」

「ん? 何が残念なんだ?」

 

 オバチャンたちは深刻そうな表情で顔を見合わせる。この表情と「残念だけど」という台詞の組み合わせ。何か嫌な予感がした。

 

「実はリンナちゃんね、行方不明なんだよ」

 

 …………は?

 

「ゆ、行方不明だと!? そんなバカな! 1週間前に旦那と一緒にここに越してきたって聞いて来たんだぞ!? それが行方不明とは一体どういうことだ!!」

「どういうことって聞かれてもアタシは知らないよ」

「やっと居場所を突き止めてこんな山奥まで来たってのにそんなバカな話があるか!」

「アンタそんなにリンナちゃんに惚れ込んでるのかい? でも残念だったね。あの子には旦那と子供が1人いるんだよ」

「そんなことはどうでもいい! 俺の目的は腕輪だ! どういうことなのか説明してくれ!」

「……雄二、落ち着いて」

「これが落ち着いていられるか! こんなに苦労してようやくここまで来たんだぞ! 今までの俺の苦労は無駄だったってのか!!」

「……雄二!」

「くっ……」

 

 俺自身、このオバチャンに詰め寄ったところで意味がないことくらい分かっていた。オバチャンに罪はない。分かっていても俺には自分を止めることができなかった。

 

 へらへらと自らの演技に酔い()れていた自分が腹立たしかった。こんな事態になっているというのに、のん気なことを言っていた自分が恥ずかしかった。とにかくこの頭の中で渦巻くどうしようもない怒りを吐き出したかった。だから目の前にいた3人の中年女性に当たり散らしてしまったのだ。それがいけないことだと知りながらも。そしてそんな俺を翔子は止めてくれたのだった。

 

「フ~ン……ねぇアンタ、リンナちゃんに会うことがそんなに大事なのかい? まるで生死にかかわる問題みたいじゃないか」

「あぁ……俺たちの未来が掛かってるんだ……」

「未来だって? そんな大そうなもんかい?」

「すまねぇ。詳しくは言えないんだが事情があってな。どうしても会う必要があったんだ……」

 

 けどこうなっちまったらもうどうしようもねぇ。こんな狭い町で行方不明ってことは、既に町を出たかどこかに隠れているかどちらかだ。それも人目に付かないようにしている時点で探すのは困難を極める。こうなったらもう明久や姫路が白金の腕輪を持ち帰るのを期待するしかないのか……。

 

 俺は馬車酔いのダメージもあり、すっかり気力を失い、がっくりと項垂れてしまった。

 

「……おばさま。リンナさんの旦那さんのことは知ってますか」

「あぁ知ってるよ?」

「……どこに住んでいるか教えてもらえますか」

「そうだね。旦那のトーラスなら何か知ってるかもしれないね。あの人の家はこの道を真っ直ぐ行って3つめの角を左に曲がって――」

 

 俺が放心状態に陥っている中、翔子はオバチャンたちから何かを聞き出しているようだった。……あいつは俺よりも冷静だった。この時の翔子の気転が無かったら俺はここで燃え尽きていたかもしれない。

 

「……雄二。旦那さんに会いに行こう」

「あぁ……そうだな……」

 

 行くだけ行ってみるか。あまり期待はできないけどな……。

 

「……おばさま。ありがとうございます。行ってみます」

「そうかい。トーラスもそろそろ仕事から帰ってる頃だろうし、ちょうどいいかもね。あの人、リンナちゃんがいなくなってからずっと鬱ぎ込んでるんだよ。少し話し相手になってやっておくれ」

「……はい。お力になれるか分かりませんが、行ってみます。ありがとうございました」

 

 翔子が丁寧に頭を下げる。翔子がこうして礼を尽くしているというのに俺が突っ立っているわけにもいかない。リンナの旦那を慰める気など無いが、一応俺も頭を下げ礼をしておいた。

 

 こうして俺たちはリンナの旦那トーラスの家へと向かうことになった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 魔石灯の明かりが照らす繁華街。どの店からも楽しげな笑い声が聞こえてくる。酒に酔った男どもが騒いでいるのだろう。俺はそんな笑い声を耳障りに思いながら重い足を運び、薄暗い道を歩いていた。

 

「……賑やかな町」

 

 前を歩く翔子がポツリと呟く。

 

「この町は坑夫の多い町なんだろ。坑夫ってのは炭坑や鉱山で採掘する仕事をしている男の事だ。大方(おおかた)仕事帰りの男どもが呑んで騒いでるんだろ」

 

 面倒だったが何か答えるべきだと思った俺は、ぶっきらぼうにそんな答えを返した。坑夫という職の男どもの生態を知っているわけではないが、この回答は間違ってはいないと思う。そんなことより問題はリンナだ。まさか行方不明とは……まいったぜ……。

 

「……雄二」

「なんだよ」

「……元気を出して」

「ンなこと言ったってよォ」

「……まだ終わってない。希望を捨てちゃダメ」

 

 俺は翔子の後ろを歩いているから、あいつの表情は分からない。だがなんとなく想像が付く。きっといつものようにポーカーフェイスで言っているのだろう。こんなにもポジティブで熱のこもった台詞を口にしているというのに。

 

 ……

 

 フ……。まさか翔子に励まされるとはな。

 

「そうだな。まだ終わっちゃいねぇな」

 

 行方不明と聞いてすっかり諦めちまってたが、まだ希望はある。表向きは行方不明ということにしているだけかもしれない。本当は人に言えない理由で人前に出られないだけなのかもしれない。そう、例えば重い病で()せっているとか。それに腕輪だって家に保管されている可能性がある。もしリンナがいなくても腕輪さえ手に入れば俺たちの目標は達成できるのだ。

 

「……ここみたい」

 

 俺がちょうど意欲を取り戻したその時、トーラスの家に到着した。今まで見てきた家々と変わらず平屋の石造り。窓から明かりが漏れているということは、中に誰かがいるのだろう。旦那のトーラスだろうか。

 

「よし、俺が行く」

「……うん」

 

 ――トントン

 

「ごめんください。トーラスさんいらっしゃいますか」

 

 

 ……………………

 

 

 中から返事は無い。どういうことだ? 明かりが点いているということは誰かがいるはずだ。出られない理由でもあるのか? もしやリンナが寝込んでいるのか? そう思った瞬間、扉がガチャリと開き、中から1人の男の子が出てきた。

 

「……? 兄ちゃん……だぁれ?」

 

 あどけなさの残るおかっぱ頭の男の子。背丈からして4歳くらいだろうか。髪の色は茶色だが赤に近く、瞳の色はグレー。容姿からは日本人とは思えないのに日本語を話しているのはこの世界の人間共通だ。

 

「あー。俺たちは――」

 

 そうか、この子はリンナの子供か。なるほど。赤い髪は母親譲りってわけだな。

 

「リンナ――お母さん、いるかな?」

 

 俺は笑顔を作り、男の子に向けた。子供の扱いに慣れているわけではない。けれどこうして警戒心を解くのが大事であることは知っている。

 

「…………いない。遠くでお仕事」

 

 なんだと? 行方不明じゃないのか? こいつは何かありそうだ。やはり父親に話を聞く必要がありそうだな。

 

「じゃあ、お父さんはいるかな?」

 

 男の子は怯えたように扉の陰に半身を隠し、首をフルフルと横に振った。いないのか。それじゃ話ができないな。この子じゃ理解できないだろうしな。さて、どうするか……一旦出直した方がいいだろうか。

 

「お父さんはいつ頃帰ってくるかな?」

「……」

 

 できるだけ優しく聞いたつもりだが、男の子は心を開かないようだ。やはり母親の身に何かあったのだろうか。いや、見ず知らずの俺を警戒しているだけかもしれない。

 

『コラァーッ! 何だてめぇらぁーッ!』

 

 その時、後ろの方から男の声が響いてきた。声の感じからしてお友達になりたいようには聞こえない。悪い予感がして振り向いてみると、道の向こうからガタイのいい男がピッケルを振りかざしながらこちらに走って来るのが見えた。

 

「んげっ!?」

 

 やべぇ! 人さらいか強盗と間違えられてねぇかコレ!?

 

「とーちゃん!」

 

 慌てふためいていると男の子が向かってくる男に対してそう叫んだ。父ちゃんだと? あれがトーラスか! って、話ができる状況じゃなさそうだ!

 

「走れ翔子! 逃げるぞ!」

「……ダメ。話を聞く」

「バカ! 何言ってんだ! この状況が分かんねぇのか! 下手すりゃ怪我じゃ済まねぇぞ!」

「……絶対に逃げない」

 

 くっ……! こんな時になんて強情なやつだ! こうなりゃ抱えてでも逃げるか!?

 

 だがそう思った時には既に遅かった。向かってきた男はもう2、3メートルの所まで迫って来ていたのだ。

 

「今度は俺の息子を(さら)おうってのか! くたばりやがれェェッ!!」

 

 筋肉隆々の男がピッケルを大きく振り上げる。

 

「う、うわぁぁっ!! ま、待て待て勘違いするな! 俺たちは人さらいなんかじゃねぇ!!」

「問答無用!!!」

 

 男がまさにピッケルを振り下ろそうとしたその時、

 

「……待っておじさん! リンナさんの話を聞かせて!」

 

 俺と大男の間に翔子が立ちはだかり、大声でハッキリと訴えた。

 

「なっ、なんだ……てめぇは……」

 

 すると大男はピッケルを掲げたまま、その動きを止めた。だがまだ誤解が解けたわけではない。ここで説得できなければ翔子の身が危ない!

 

「……霧島翔子といいます。リンナさんのことについて聞きたくてお伺いしました」

 

 俺の目の前で両腕を横に広げ、凛とした声を発する翔子。

 

 ……意外だった。翔子がこれほど自発的に動いたことが。

 

 いつも無口で必要なこと以外はあまり喋らない。そんなあいつが、先程のオバチャンたちとの話でもこのトーラスの家を聞き出す行動を見せた。それほどまでにあいつは元の世界に帰りたいんだ。

 

 そう思うと、目の前に立ちはだかる小柄なあいつの姿はとても大きく映って見えた。

 

「大変申し訳ありません! ある事情で奥様にお会いしたく、()せ参じました! 坂本雄二と申します!」

 

 俺は翔子の横に並び、背筋を伸ばして腰を折り曲げ、頭を下げた。

 

 やはり翔子だけでも元の世界に返してやりたい。俺はこの世界でもなんとかやっていける。だがあいつの生きる世界はここじゃない。元の世界で真っ当な生活を送らせてやりたい。

 

「……どうやら俺の勘違いだったようだな」

 

 男が静かに言った。誤解は解けたと考えて良いのだろうか。頭を上げてみると、大男はピッケルを持った丸太のような腕を降ろし、静かに俺たち見つめていた。

 

 身長は俺と同じくらい。鍛え抜かれた逆三角形の体格をしていて、その筋肉は赤いツナギの上からでもよく分かる。それによく見れば服には沢山の白い粉のようなものが付着している。手に持っているピッケルと併せて考えるに、掘削作業の仕事帰りなのだろう。

 

「ルーファス。家の中で待っていなさい」

 

 男の視線は俺たちを通り越し、家の方に向かって注がれていた。その直後、背後でバタンと扉が閉まる音が聞こえた。ルーファスとはあの男の子の名前か。

 

「で、リンナに用ってのは何だ? 言ってみろ」

 

 男はギロリと俺たちを睨みつけ、威圧的な表情を見せる。やはりまだ信用してもらえないようだ。だがそんなことは承知の上。丁寧に説明するしかないのだ。

 

「翔子。ここは俺に任せてくれ」

「……うん」

 

 まずは正直に腕輪のことを聞くのが良いだろう。

 

「実は奥様がある腕輪をお持ちと伺いまして、サンジェスタより参りました」

「ほう……? そんなところからこんな辺境の地まで来るとは、何か事情がありそうだな」

「はい。奥様はご在宅でしょうか?」

「……いや。いない」

 

 やはりいないか。

 

「ここへ来る途中、奥様が行方不明との噂を耳にしました。それは本当なのですか?」

「……」

 

 男は答えなかった。両肩を落とし、俯く大男。その姿は心底悲しそうに見えた。

 

「あいつ……ルーファスを残して突然消えちまったんだ……」

 

 男は全身を小刻みに震わせ、悲しみに打ちひしがれる。こいつは困ったな……俺はこんな時になんと言葉を掛ければ良いのか分からない。

 

「……おじさん、その時の状況を詳しく聞かせていただけますか」

 

 俺が困っていると横から翔子が口を出してきた。正直この対応は助かった。

 

「……分かった。話そう。俺はトーラス。よろしく頼む」

「俺は坂本雄二。坂本と呼んでください」

「……霧島です」

「サカモトにキリシマだな。とりあえず家に上がってくれ。ここじゃ寒かろう」

 

 トーラスの言うように、吐く息が白くなるくらい気温は下がっている。もともと寒い国だが、山地ということもあり気温は更に低い。

 

 俺たちはトーラスの言葉に従い、家に上がらせてもらった。

 



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第三十一話 リンナの行方

 家の中は暖かかった。暖炉で焚かれている火による暖房のおかげだろう。他に部屋にあるのはソファやテーブル、それに食器棚。壁にはウォールランプが掛けられ、魔石灯の炎が室内をゆらゆらと照らしている。ごく一般的なリビングだが、落ち着いた感じの良い部屋だ。

 

「とーちゃん、この兄ちゃんたちだぁれ? お客さま?」

 

 室内を見渡していると、先程のおかっぱ頭の男の子が俺たちを見上げて尋ねてきた。まさに純真無垢と呼ぶに相応しい綺麗な目をしていた。

 

「そうだよ。父さんはこの人たちと少し話があるからお前は部屋で待っていなさい。すぐ終わるからね」

「はぁい」

 

 男の子はトーラスの言葉に従い、タタッと部屋を出て行く。素直で良い子じゃねぇか。

 

「とりあえず掛けてくれ。今暖かい飲み物を出す。酒は行けるか?」

「あ……いや。俺たちは酒はやらないんだ」

「そうか。酒以外だとミルクしかないが、いいか?」

「問題ない。むしろそれでお願いしたい」

「分かった。少しだけ待っててくれ」

 

 トーラスはそう言うと部屋を去って行った。

 

「とりあえず話ができそうだな」

「……うん」

「しかしあの様子だと行方不明ってのは本当のようだな。それも子供には隠しているようだ」

「……子供にお母さんが行方不明なんて言えない」

「まぁ、そうだろうな……」

 

 静かなリビングで俺たちはトーラスの戻りを待つ。ふむ……リビングに腕輪が飾ってあったりしないかと思ったが、ざっと見渡したところ無いな。ま、そんなに都合よく見つかるわけがないか。

 

 そうして室内を眺めていると、トーラスが2つのカップを手に戻ってきた。

 

「待たせたね。ちょっと熱いかもしれんから気を付けて飲んでくれ」

 

 そう言って彼はカップをテーブルに置いた。

 

「わざわざ申し訳ありません。いただきます」

「……いただきます」

 

 早速カップに口を付けてみると、確かに冷まさないと飲めないくらいの熱さだった。こんなに熱かったら子供ならヤケドしちまうぜ。

 

「そういえば腕輪がどうとか言ってたな。すると君たちは王宮の関係者なのか?」

 

 フゥフゥとカップに息を吹き掛けていると、トーラスがこんなことを言ってきた。この口ぶりからすると、腕輪が王家に関係するものと知っているのだろう。ならばここは王家の名を出して腕輪の返却を求めてみるか。

 

「直接の関係者ではありません。ですが国王陛下の許可を頂いて動いている者です」

「そうだったのか。それは大変失礼なことを……おっと。大変ご無礼いたしました」

「あー。俺たちは国王の許可を得ているが王宮の者ではないんだ。そんなに気を遣わないでほしい」

「そ、そうか。それは助かる。何せ俺はこんな(かしこ)まった言い方をしたことはほとんどなくてね。ハハハ……」

「俺も普通にしてくれた方が話しやすい。気にしないでくれ」

「そうか。すまない。で、腕輪のことだったな」

 

 もちろん腕輪は最大の目的だが、行方不明というリンナのことも気になる。まずはこちらを聞いてみることにしよう。

 

「その前に奥さんのことを聞いてもいいだろうか。なんでも行方不明だとか……」

「あぁ……そうなんだ」

「……おじさん、何があったのか教えてください」

「ハハハ……おじさんは勘弁してくれないかな。俺はこう見えてまだ20代だぜ?」

 

 マジか。身体はデカイし、生やした口髭と顎髭を見たらどう見ても30後半から40代のオッサンだ。人は見かけによらないもんだな。

 

「……あれはここに引っ越してきて3日目のことだった。俺は朝から仕事に出ていて――――」

 

 トーラスは語り始めた。

 

 その日、彼はいつものように仕事に出て、いつものように帰宅した。ところが家に帰るとなぜか息子が1人で留守番をしていたという。リンナは息子ルーファスを溺愛していて片時(かたとき)も傍を離れたことはない。ルーファス1人に留守番をさせることなど、あるはずがないのだと彼は言う。不思議に思ったトーラスは妻リンナのことをルーファスに尋ねた。するとルーファスは「買い物から帰った後にいなくなった」と答えたそうだ。

 

 トーラスは息子に詳しい状況を聞いた。その日、リンナは夕食の買い出しのため、ルーファスと2人で買い物に出たらしい。だが帰った直後からリンナが胸を押さえて苦しみ始めたという。

 

 そこでルーファスは母をソファに寝かせ、水を汲みに部屋を出たそうだ。しかし戻った時、そこに母リンナの姿は無かった。玄関の扉が開け放され、冷たい風が室内に流れ込んでいたのだという。

 

 息子の言うことが本当ならばリンナは家を出てどこかへ行ったとしか考えられない。実際、家中どこを探してもリンナの姿はなかった。しかしあのリンナがルーファス1人を置いて出かけたりするだろうか。4歳の子供が言うことだ。どこかに見間違いや勘違いがあるに違いない。きっと買い物途中に何かを落としたか忘れ物をして取りに行ったのだろう。トーラスはそう思い、妻の帰りを待った。

 

 ところが夜遅くになっても妻が帰らない。心配になった彼は町に捜しに出たが、近所の人も見ていないという。不安が募り、焦りが彼を必死にさせる。更に足を延ばして商店街で手当たり次第に尋ね歩いたが、それでも見つからない。そうして捜し回るうちに深夜になり、町の人も寝静まるような時間になってしまった。

 

 暗い夜道で途方に暮れるトーラス。妻のことは心配だが、これ以上4歳の息子を独りにするわけにはいかない。止むなくその日は家に戻り、妻の帰りを信じて待つことにしたそうだ。

 

 だが翌朝になってもリンナは帰らなかった。いても立ってもいられなくなったトーラスはその日は仕事を休み、息子を連れて妻を捜しに出たのだという。そして町の人に聞いて回ってみると、あの日の夜遅くにリンナの姿を見たという人がいた。その人が言うには「どこへ行くのか」と呼び掛けても彼女は返事をせず、何かに誘われるようにフラフラと東の方に歩いて行ったという。

 

 それ以外に目撃証言は無く、仕事をこれ以上休むわけにいかなかったトーラスはどうすることもできず、今に至るのだという。

 

「リンナ……一体どこに行っちまったんだよぉ……」

 

 トーラスはテーブルに両肘をついて頭を抱える。心の底から心配しているのだろう。大きな肩をブルブルと震わせ、涙を堪えているようだった。

 

「すまねぇ……弱音を吐いちまった」

「いや。気持ちはよく分かるぜ」

「……感謝する」

 

 しかし気持ちは分かるが、俺たちにはどうしようもない。サンジェスタほどの規模の町で行方不明ならば町中のどこかにいるのかもしれないが、この程度の規模の町で行方不明となると考えられる場所はただひとつ。町の外だ。しかも何日も帰らないということは……リンナはもう……。

 

「そうだ、腕輪だったな。君たちはあれを取り戻しに来たんだろう?」

「いや……まぁ……正直に言うとその通りなんだが……」

「すまない。腕輪はあの日も妻が身につけていたんだ。だからここには無いんだ」

「そうか……」

「本当にすまない。国王陛下にも謝罪に行かなければならないと思っている」

「いや、気にしないでくれ。もともとあれは王があんたの嫁さんに譲った物だ。大変な時に突然訪れてすまなかった」

 

 しかしこうなるともう絶望的だな……。諦めるしかないのか? ようやくここまで来たというのに……。

 

「「「……」」」

 

 慰めの言葉も見つからず、俺は両手を膝に置いてただ黙する。(いきどお)り。悲しみ。無力感。俺の胸の内にはこれらの感情が入り乱れている。だが俺には消沈するトーラスをただ見ていることしかできなかった。それは翔子も同じようだった。

 

「……とーちゃん?」

 

 重苦しい空気の中、突然そんな声が聞こえてきた。息子のルーファスが戻ってきたようだ。

 

「おぉ、ルーファスか。どうした?」

 

 暗く沈んだ表情を見せていたトーラスは息子の登場に笑顔を見せた。しかしそれはどう見ても取り繕ったような作り笑いであった。

 

「えっとね、ボクお腹すいちゃった」

「おぉそうか。すまんすまん。すぐにご飯を作るからな」

「……雄二。私たちは帰ろう」

「あぁ、そうだな」

 

 これ以上彼に聞けることはない。腕輪もここに無い以上、引き上げるしかないだろう。この後どうするかは明日考えることにしよう。

 

「トーラスさん、俺たちはこれで失礼させていただく」

 

 席を立つ俺たち。すると、

 

「こんな時間に帰るのか? 良かったらうちに泊まっていかないか?」

 

 トーラスがこんなことを言ってきた。確かに今から宿を探すというのも難しいかもしれない。しかし……。

 

「いいのか? 俺たちは王家の関係者だと嘘を言っているのかもしれないんだぜ?」

「お前さんは嘘なんか言わないさ。目を見れば分かる」

 

 ……俺はそんな純粋な目はしてねぇよ。

 

「それにその服」

「ん? 服? これがどうかしたか?」

「そのワッペンだよ。リンナの腕輪と同じマークが付いている。だから関係者だってのはすぐに分かったぜ」

 

 なるほど。やはり文月学園の制服は色々な所で役に立つな。

 

「どうする? 翔子」

「……私は雄二に従う」

「そうか。それじゃトーラスさん。一晩世話になります」

「あぁ、大したもてなしはできないが、ゆっくりしていってくれ」

 

 とりあえずここで一晩休んで、明日引き上げるとするか。

 

「……雄二」

「ん? どうした翔子」

「……ご飯、作ってあげたい」

「何? 晩飯?」

「……うん。お母さんの代わり」

 

 ふむ。そうだな。先程のミルクの温め具合から見ても、彼が料理が得意には見えない。きっと毎日の食事にも苦労しているだろう。

 

「よし翔子、俺たちでやるか」

「……うん!」

 

 翔子のやつ、嬉しそうだな。ま、こんなのも(たま)にはいいだろ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ君たち。客人にそんなことはさせられないよ」

「まぁ任しといてください。こう見えて俺たち料理はそこそこできるんだぜ」

「それは助かるが……いや、でも……」

「いいからいいから。あんたは息子さんの相手でもしてやってくれ」

「しかしだな……」

 

 ゴネるトーラス。意外に面倒な男だ。そんな会話をしている中、後ろでは翔子がルーファスに話し掛けている。

 

「……お父さんと遊んで待ってて。お姉ちゃんがご飯を作ってあげる」

「お姉ちゃんが? どんなご飯?」

「……今は内緒。いい子で待ってたら沢山作ってあげる」

「ホント!? じゃあボクいい子にする!」

 

 あいつは男の子の頭を撫でながら、こんなやりとりをしていた。翔子のやつ、結構子供の扱いが上手いじゃねぇか。

 

「とーちゃん、あそぼ、あそぼっ!」

 

 父の服を引っ張りながら嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねるルーファス。こういう光景は見ていて心が和む。

 

「分かった分かった。でもご飯ができるまでだからな?」

「うんっ!」

 

 トーラスは困ったような笑顔を見せ、息子を抱き上げる。その抱き方もどこかぎこちない。やはりこの男、不器用だ。

 

「すまないサカモト君。君たちの厚意に甘えさせてもらっていいだろうか」

「あぁ、もちろんだ」

 

 こうして俺たちはこの親子のために晩飯を作ることになった。一晩タダで泊めさせてもらうのだ。これくらいの礼は当然だろう。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 俺たちは保冷庫にあった食材で、でき()る限りの料理を作った。残っていた食材は残り物の焼いた牛肉と野菜が少々。あとはソーセージやハム類ばかりだった。翔子はもっと食材がほしいと言うが、もう夜も更けてきている。この時間では店などとっくに閉まっているだろう。そこで俺たちはこれら有り合わせの食材で野菜炒めを作ることにした。

 

 正直、あまり豪勢な食事とは言えなかった。パンとスープ、それにソーセージを使った野菜炒めは、ほぼ朝食メニューだ。それでもルーファスは「とーちゃんの料理よりおいしい」と、喜んで食べてくれた。こうして喜んでくれるってのは結構嬉しいもんだな。

 

 

 食事が終わり、俺たちは寝室を借りた。トーラスは息子と一緒に寝ると言い、子供部屋へ。俺たちはトーラス夫妻の部屋を借りることになった。ベッドは2つ。俺たちはそれぞれのベッドに入り、睡眠を取ることにした。

 

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 

 寝つけなかった。リンナの行方不明事件がどうしても気になってしまい、考えていたからだ。

 

 事の発端(ほったん)はアレックス王が腕輪をリンナに譲ってしまったことだ。王がきちんと保管していれば俺たちがこんなに苦労することもなかっただろう。まぁ過ぎたことをとやかく言っても仕方が無い。それよりも気になるのはこの状況だ。

 

 最初は持ち主の名前すら分からない状態だった。それが次々に手掛かりが見つかって、このバルハトールにまで辿り着いた。こうして行方を追って目的の物を探すなど、ゲームで言うクエストそのものだ。クエストには必ずゴールが設定されている。もしこの世界が召喚システムとゲームの融合なのとだしたら、俺たちの目的も必ず達成の道筋があるはずだ。

 

 だがここに来て行き詰まってしまった。現実はそれほど甘くないということなのだろうか。それともまだ解決の糸口が残されているのだろうか。いや、むしろここまでの流れが都合が良すぎる気がする。これほど順調に手掛かりが見つかってきたことに何者かの意思を感じる。

 

 ここまで考えた時、俺は明久に言った言葉を思い出した。

 

 ―― この世界に関与したら何が起こるか分かんねぇんだぞ ――

 

 あの時、俺は明久にこう言った。だが今思えば俺たちが腕輪を探しているこの行為自体、この世界に関与していることになるのではないか? リンナはその影響で行方不明になったのではないのか? だとしたら、もうこれ以上この件を追うのは止めた方が良いのではないか?

 

 けど俺は……翔子を元の世界に返してやりたい。

 

 ……

 

 翔子はどう思っているのだろう。俺が挫折しかけた時もあいつは積極的に腕輪を追う行動を見せた。それを思えば元の世界に帰りたいと思っているのだろうが……。

 

「……翔子、起きてるか?」

「……うん」

「起きてたか」

「……うん」

「ひとつ聞きたいんだが、いいか?」

「……うん」

「お前、元の世界に帰りたいか?」

「……うん」

「そうか」

 

「「……」」

 

「やっぱり向こうの世界の方がいいか?」

「……ううん。別に」

「なんだと? じゃあどうして帰りたいんだ?」

「……雄二が帰りたがっているから」

「はァ? 俺が?」

「……うん。雄二が帰りたいなら私も帰りたい」

「ちょ、ちょっと待て。俺はお前が元の世界に帰りたいだろうと思ったから、こうして帰る手段を探してるんだぞ?」

「……そうなの?」

「じゃあ何か? お前は元の世界に帰れなくてもいいってのか?」

「……私がいるべき所は雄二がいる所。雄二がいるのならそれがどんな世界でも私は構わない」

「そ、そうか……」

 

 翔子のやつ、そんな風に思っていたのか。ハハッ、こいつは傑作だ。俺は勝手に翔子が帰りたいだろうと思っていて、翔子はそんな俺を手伝っていたってわけだ。何やってんだろうな。俺たち。

 

 ……

 

 どうすりゃいいんだろうな。俺たち……。明久や姫路に腕輪の獲得を命じた手前、元の世界に帰るのを諦めろとは言えない。かといって、これ以上関れば明久を襲ったという魔人のような存在を作りかねない。翔子も俺も元の世界に帰ることを望んでいるわけではない。ならば俺たちは諦めるべきなのかもしれないな。明久たちには悪いが……。

 

 ん。なんだか尿意をもよおしてきたな。

 

「……雄二? どこへ行くの」

「ちょっとトイレだ」

「……リンナさんに会いに――」

「ンなわけあるかっ!」

 

 ったく、まだ俺を疑ってるのか? そもそも行方不明の相手にどうやって会うってんだ。常識で考えてほしいぜ。

 

「ま、行ってくるわ」

 

 俺は寝室を出て廊下を歩き、トイレへと向かった。

 

 

 

 ―― しばらくおまちください ――

 

 

 

 出すものを出した俺は再び廊下を歩き、寝室へと急いだ。うぅっ……夜は息まで凍りつきそうなくらい寒いな……ジャケットを羽織ってくればよかったぜ……。

 

 ……ん? なんだ? 人影?

 

 ふと廊下の窓に目をやると、誰かが外の道を歩いていた。こんな夜更けに通行人だと? この世界の人間にしちゃ珍しいな。ま、俺たちの世界じゃ夜中だろうと人が通ることなんざ珍しくないがな。う~寒っ……さっさと部屋に戻って寝るとするか。

 

 この時、俺はまだ分かっていなかった。これがどのような事態に発展するのかを。

 



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第三十二話 影

 翌朝。

 

 どこかの子供がわんわんと泣いている。騒々しくて眠れない。一体どこの子供だ? 俺はベッドから身を起こし、泣き声の方角を確かめた。

 

「……子供が泣いてる」

 

 翔子も目を覚ましたようだ。俺たちは一緒になって耳を澄ます。……近い。というかこの家の中だ。

 

「……雄二」

「あぁ。行くぞ!」

 

 ただならぬ雰囲気を感じ、俺たちは飛び起きてリビングに向かった。するとそこではルーファスが床に座り込み、大声で泣いていた。

 

「どうした! 何があった!」

 

 俺は慌てて駆け寄り、ルーファスの肩を掴んで揺らす。だがルーファスはただ泣き叫ぶだけで答えてはくれなかった。顔をしわくちゃにしながら泣きじゃくり、繰り返し父と母を呼び叫ぶ男の子。答えは得られなかったが、状況から何があったのかは察しがついた。

 

 父と母を呼び(むせ)び泣く子供。それは迷子だ。だがここは家の中であり、迷子などありえない。ならば理由はひとつ。

 

 嫌な予感がした。この予感が外れてほしいと願いつつ、俺は家中を走り回った。

 

 ――トーラスの姿を捜して。

 

 だが予感は的中してしまった。トーラスの姿がどこにもないのだ。寝室やトイレ、風呂場に至るまで隈無(くまな)く捜してもどこにもいない。彼の仕事は坑夫だ。もしや仕事に行ったのでは? と思ったが、昨晩一緒に食事をした時に今日の仕事は午後からだと言っていた。仕事はありえない。ならば買い物にでも出かけたのでは……と思った瞬間、俺は昨夜の出来事を思い出した。

 

「まさか……」

「……雄二?」

「いや、そんなバカな……しかしあの人影は……」

 

 昨夜、廊下で見たあの人影。今思えば体格がトーラスによく似ていた。もしやあれはトーラス本人だったのか? なぜあんな時間に外を? まさかリンナを捜しに行ったのか? いや、だとしても息子1人を置いて行くだろうか? まさか……まさか今度はトーラスまでもが行方を眩ませたというのか? これも俺たちが関ったせいだというのか……?

 

 泣きやまぬルーファス。それを懸命に(なだ)める翔子。子供の泣き声に俺の思考は乱され、考えがまとまらない。どうする……考えろ……! こんな時どうしたらいい……! 何もできず立ち尽くし、俺は握り拳にぐっと力を込める。

 

 ――ドンドンドン!

 

『トーラス! どうしたんだ! 何かあったのか!』

『ここを開けてくれ! トーラス! 聞こえないのか! トーラス!』

 

 その時、玄関の扉が乱暴に叩かれ。外から男の声が聞こえてきた。付近の住民だろうか。ルーファスの泣き声を聞いて駆け付けたのだろう。まずいぞこの状況。俺も翔子もこの町の住民に面識は無い。こんな状況を見られたら、俺たちが強盗に入ったように思われてもおかしくない。

 

 だがどうする? 家の出入り口は目の前の扉ひとつだけ。扉の外からは数人の声が聞こえてくる。ここから脱出するのは不可能だ。奥の部屋の窓から脱出しようと思えばできなくもないが、今は翔子がルーファスに付いて離れない。だからと言って翔子を引き剥がすわけにもいかないし、置いて行くこともできない。

 

「あぁくそっ! 俺にどうしろってんだ! 八方塞がりじゃねぇか!」

 

 焦りが俺の思考を乱し、イラつかせる。

 

『『どォりゃァァーッ!!』』

 

 ――バガァン!!

 

 そうして葛藤しているうちに扉がブチ破られ、5人の男たちが家の中になだれ込んできた。

 

「どうしたルー坊!!」

「な、なんだお前らは!?」

「さては貴様ら人さらいだな!? 今度はルー坊をさらおうってのか!」

「そうか! リンナちゃんをさらったのはこいつらか!」

「皆! こいつらをふん(じば)れ!!」

「「「おぅっ!!」」」

 

 入ってきた男どもは皆トーラスのような逆三角形の体格をした大男ばかり。奴らは俺を見るなり、人さらいの犯人と決めつける。疑われるのは仕方のないことだが、話を聞こうともしない態度にはさすがに頭に来た。

 

「上等だコラァ!! かかって来いやァ!!」

 

 俺は完全に頭に血が上っていた。腰を低く身構え、両拳にぐっと力を込めて迎え撃つ体勢を取る。さぁどこからでもかかって来やがれ!

 

「開き直ってんじゃねぇぞてめぇ!!」

 

 大男5人が一斉に襲いかかってくる。多勢に無勢? 体格差がありすぎて不利? 違うな。喧嘩の強さってのはな、人数や腕っぷしじゃねぇんだ。

 

 教えてやるぜ。本物の喧嘩の立ち回りってやつをな!!

 

 

 

 

          ☆

 

 

 

 

「いやぁ~すまなかった。そうならそうと早く言ってくれよ」

「ったく。言う間もなく襲いかかってきたのはアンタらだろうが」

「まったくもって面目ない。ルー坊の大ピンチだと思ったもんでなぁ」

「本物の人さらいならアンタらが扉をガンガン叩いてる時点で逃げてるだろ。普通」

「それもそうだな。ハッハッハッ!」

「笑いごとじゃねぇよ……」

 

 今、俺はリビングの真ん中で大男5人と共に円陣を組み、話し合っている。結局、俺たちは喧嘩には至らなかった。飛びかかってくる男どもの前にルーファスが飛び出し、俺たちを止めたのだ。泣きじゃくる子供に止められたのでは大男たちも止まらざるを得ない。そんなルーファスの勇気ある行動を見て、俺の沸騰した頭も急に冷めてきた。おかげで俺たちはこうして腹を割って話し合うことができるようになったのだ。

 

 しかし人さらいの疑いは晴れたが、トーラスが姿を消したことには変わりない。この5人の男たちもトーラスの行方に心当たりは無いそうだ。リンナを捜しにいったのなら帰ってくる可能性は高いが、どうにも嫌な予感がしやがる。この件、俺たちはもう関わるべきではないのかもしれない。

 

「翔子、帰るぞ」

「……どこに?」

「決まってんだろ。サンジェスタにだ」

「……この子を1人にしておけない」

「そうかもしれんが……けど連れて行くわけにもいかねぇだろ」

「……私はここに残りたい」

 

 ソファに並んで座るルーファスの頭を撫でながら翔子が言う。気持ちは分からんでもないが、受け入れるわけにはいかない。

 

「トーラスはいつ帰ってくるか分からねぇんだ。いつまでもここに留まっているわけにはいかねぇだろ。明久や姫路だって戻ってくるんだ」

「……でも放っておけない」

 

 翔子はいつものポーカーフェイスで俺を見つめる。その黒い瞳には確かな光が宿っていて、あいつの強い意思が込められているように思えた。確かに4歳の子供1人を残して去るのは心苦しい。しかしこれ以上関われば、今度はルーファスに被害が及ぶかもしれない。それだけはなんとしても避けたい。

 

「嬢ちゃん、その兄ちゃんの言うとおりだぜ。あんたたちはすぐにこの町を離れた方がいい」

「そうだぜ。これ以上この町にいたらまた疑われちまう。さっさと出た方がいいぜ」

「……でも……」

「心配すんなって。ルー坊は俺たちに任せてくれ。トーラスが帰るまで絶対に守ってやっからよ」

 

 大柄な彼らからこういった台詞が聞けると、ヤケに頼もしく聞こえる。ルーファスのことを「ルー坊」と呼んでいるということは親しい仲なのだろう。これなら任せられそうだ。

 

「翔子。その子は彼らに任せよう。いいな?」

「……」

「このおじさんたちを信じられないか?」

「……ううん」

「じゃあいいな?」

「……うん」

「決まりだな。聞いての通りです。ルーファスを頼みます」

「おう!」

「任せておけ!」

 

 彼らの威勢の良い返事は安心感を与えてくれる。ひとまずサンジェスタに戻って考え直すとしよう。

 

「お姉ちゃん、行っちゃうの?」

 

 ルーファスは目に涙を浮かべながら不安げな顔を見せる。すっかり翔子に懐いてしまったようだ。

 

「……大丈夫。お父さんがすぐに帰ってくるから」

「ホント?」

「……うん。だからいい子で待ってて」

「うん! わかった!」

 

 こうして俺たちはトーラスの家を後にし、メランダ行きの馬車に乗り込んで町を出た。これ以上関ることの無いように。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「「……」」

 

 バルハトールからメランダへと向かう馬車の中、俺と翔子は何も言葉を発することなく、ただ押し黙って座席に着いていた。来る時は酷い揺れにすっかり乗り物酔いをしてしまった俺だが、この時は馬車の揺れなど気にも止めていなかった。

 

 ……俺のしてきたことは間違っていたのだろうか。腕輪を探すという行為がこの世界に影響を与え、この事件を引き起こしてしまったのだろうか。あの子供に悲しい思いをさせてしまったのは俺なのだろうか。答えの出ない疑問が頭の中を何度もぐるぐると駆け巡り、俺をイラつかせる。

 

 気になるのはバルハトールに至るまでの経緯だ。オルタロード、メランダでの手掛かり発見。そして辿り着いたバルハトールでの疾走事件。今思うと、どうにも腑に落ちない。追えば追うほど腕輪が遠ざかって行くのだ。まるで俺たちの行動をあざ笑うかのように。

 

 ―― 悪意 ――

 

 確証はない。だが俺はこれまでの経緯すべてに何者かの悪意を感じている。俺たちの行動自体、何者かにコントロールされているような気がしてならないのだ。一体誰が? 何の目的で? やはりババァ長の仕業か?

 

 確かに俺たちは今まで何度も研究のモルモットにされてきた。だがババァの目的は常に実験データを取ることだった。それを考えると、今回の件についてはどうもそんな感じがしない。ただ俺たちが右往左往するのを楽しんでいるように思えるのだ。

 

「……雄二。見て」

 

 腕組みをして考え込んでいると、翔子が覗き窓から外を見ながら俺の肩を叩いてきた。

 

「何だよ。今考え事してんだから邪魔すんなよ」

「……いいから見て」

「ったく、何だってんだよ」

 

 面倒だったが、俺は覗き窓から外に目をやり、翔子の指差す先に注目してみた。すると流れていく景色の遠くに、ひとつの建物が見えた。見たところ城のような造りの古い建物のようだ。

【挿絵表示】

 

 

「城か? あの城がどうかしたのか?」

「……怪しいと思う」

「はァ? 何がだ?」

「……この世界で暮らすには魔障壁が必要」

「まぁ、そうだな」

「……魔障壁は町の真ん中に立てられている塔が発するもの」

「そうだな。けどこの馬車にだってあるぜ?」

「……でも建物がひとつだけ外にあるのはおかしい」

 

 それも一理あるな。

 

「ん? 翔子、まさかお前……」

「……行方不明事件」

「あそこに行方不明になった人がいるってのか?」

 

 翔子は真剣な目をしながらコクリと頷く。まさかそんな……いや、可能性は否定できないが……。

 

「……」

 

 俺は流れる景色の中の城をじっと見つめる。城は森の中に建てられており、周囲に道は整備されていない。当然この馬車もあの城に寄ることはない。

 

 よく見ると2階のいくつかの窓には明かりが灯っているようだ。ふむ……町はずれの山の中に建つ城のような建物か。道楽好きな貴族でも住んでいるのか? それにしては怪しげな――どこか危険な雰囲気をかもし出している。

 

「……雄二?」

「ちょっと待て。今考えてンだ」

 

 仮に俺たちの行動がこの行方不明事件を引き起こしてしまっているのだとしたら、俺たちの手で解決してやるのが筋だろう。だが行動すれば更にややこしい事態を招いてしまう危険性もある。それに何者かが俺たちを誘い込もうとしている可能性だって無いとは言い切れない。どうする……。

 

 こうして悩んでいるうちにも馬車は走る。既にあの城は見えなくなり、周囲は緑の森だらけだ。

 

「御者のおっちゃん、すまないがちょっと止めてくれないか」

 

 俺は決断した。あのルーファスという男の子の泣き叫ぶ姿が脳裏に浮かんだ時だった。

 

『ハィ? 今なんと言いましたかい?』

「止めてくれと言ったんだ」

『落とし物でもしやしたか? 揺れる道で申し訳ないっすねぇ』

「いや、そうじゃない。俺はここで降りる」

『はぁ?? バカ言っちゃいけないよ。こんな所で降ろせるわけないじゃないか』

「いいから降ろせっつってんだよ!」

『そ、そんなことできやせんよ! あっしはお客さん全員の命を預かってるんですぜ!』

「うるせぇ! 四の五の言ってっとそこらへんブチ壊して出て行くぞ!」

『わーっ! や、やめてくだせぇ! 分かりやしたよ! 止まればいいんでしょ! 止まれば!』

「最初からそうしてくれればいい」

『まったく……強引な人でやんすね。どうなっても知りやせんよ?』

「ああ、俺のことは気にしなくていい」

「……雄二?」

「翔子、お前はこのままサンジェスタに戻れ。戻って皆の帰りを待て」

「……私も一緒に行く」

「ダメだ! 今回ばかりは俺の言うことを聞いてもらうぞ!」

 

 俺は思わず声を荒げる。それはあの城に危険を感じていたからだ。

 

「……どうしても?」

「どうしてもだ」

「……そう」

 

 翔子は俺の言葉に従ってくれた。こんな時いつもは言うことを聞かないが、今日は聞いてくれて助かった。

 

「すまねぇな」

「……ううん」

 

 話しているうちに馬車は速度を徐々に落とし、やがて道の真ん中で停車した。そして俺は乗客の婆さん2人と翔子の視線を背後に受けながら馬車を降りた。

 

「本当にいいんですかい? ここらへんは昼間でも魔獣が出て危険ですぜ?」

 

 道に降り立つと御者のおっちゃんが心配そうな目をして尋ねてきた。危険か。そうだな。確かに危険だ。けど――

 

「心配は無用だ。戦う力ならあるぜ」

 

 まだこの力を振るったことは無いけどな。

 

「――試獣装着(サモン)!」

 

 俺は召喚獣を()び出し、装着して見せた。真っ白な特攻服。両手には鋼鉄製のメリケンサック。我ながらなかなか暴れやすい格好だ。

 

「っ――そ、そうかい。じゃあ気を付けてな……」

 

 俺の変身を見たおっちゃんは目を丸くして驚いていた。驚くのも無理はない。俺だって最初にやってみた時は驚いたさ。

 

「乗客のことは頼んだぜ」

「へい」

 

 おっちゃんがピシッと手綱を振るうと、馬車は馬の(いなな)きと共に走り出す。そして馬車はあっと言う間に走り去り、すぐに点になって見えなくなった。

 

 こうして俺は1人、道の真ん中に取り残された。時刻は昼前。太陽も登り、森の中もある程度日の光が差していて明るい。これならあの城まで迷わず行けるだろう。

 

「さてと。行くとすっか」

 

 俺は城のある方を睨みつけ呟いた。すると――

 

「……うん。行こう雄二」

 

 突然そんな声が後ろから聞こえた。

 

「!? しょ、翔子ぉ!?」

 

 驚いて振り向くと、そこには鎧武者姿に身を変えた翔子が立っていた。

 

「なんでお前がここにいるんだ! 馬車を降りたのか!? サンジェスタに戻れと言っただろ!」

「……雄二のいる所が私のいるべき所」

「ふざけんな! そんなことで俺の命令を無視すんな!」

「……雄二は私がふざけてると思うの?」

 

 翔子がじっと、真っ直ぐに俺の目を見つめる。

 

「ぐ……」

 

 やめろ。そんな目で俺を見るな。俺はこの世界についてまだ理解していない。明久が襲われたように俺たちが襲われる可能性だって十分にある。もしそうなった時、俺は翔子を守りきる自信が無い。だからこそ今考えられる最善の策として翔子に戻るよう言ったのだ。

 

「……もう馬車は行ってしまった。だから私も一緒に行くしかない」

「お前なぁ……」

 

 やられた。翔子の性格を考えれば当然の行動だった。こいつが素直に俺の命令を聞くわけがなかった。今回は完全に俺の負けだ。

 

「チッ、仕方ねぇ。けど自分の身は自分で守れよ」

「……大丈夫。雄二は私が守る」

「ぬかせ。お前に守られるほど落ちぶれちゃいねぇよ。じゃあ行くぜ!」

「……うん」

 

 俺たちは森に入り、あの不審な城に向かって走り出した。

 



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第三十三話 森の城主

 俺は翔子と共に風のように走る。落ち葉を巻き上げ、不規則に生え立つ木々を避けながら、あの城に向かってひたすら走った。さすが召喚獣の力を得ているだけのことはある。凄まじいスピードだ。100メートルを2、3秒ってとこだろうか。間違いなくギネス更新記録だぜ。

 

「翔子! 木の枝に気をつけろよ! このスピードだと鋭い(やいば)と変わりない!」

「……うん」

 

 あの城に行方不明事件の元凶があるという証拠は無い。俺もこの国のすべてを見ているわけではないから、まったくの見当違いである可能性も高い。そもそも俺は警察官ではないし、この世界の住民ですらない。本来ならばこの件に関る理由は無いのだ。

 

 ただ……。

 

 ただ、どうにも胸の奥がモヤモヤしやがる。まるで真っ黒な雲が常に視界を覆っているような気分だ。俺はこの気分を晴らしたい。スカッと気を晴らしたい。こんな時に明久がいればからかってやるのだが、ハルニア王国に向かわせた今、それもできない。

 

 いや、たとえ明久とバカ騒ぎをしてもこの気分は晴れない気がする。なぜならこの気持ちの原因はあのルーファスの涙なのだから。やはり今俺がやるべきことはこの可能性に賭けることだ。行方不明者があの城に幽閉されているかもしれないという、この可能性に――

 

「……雄二」

「ん? なんだ? 翔子」

「……何かが追ってくる」

「なんだと? 何が追ってくる?」

「……分からない。動物みたい」

「動物だと?」

 

 そんなバカな。今の俺たちの速度は時速140キロくらいは出てるはずだ。この速度に追いついてくる動物なんて存在するのか?

 

 俺はチラリと後ろに目を向け、そいつの正体を確認してみた。すぐ後ろには黒い髪をなびかせて走る翔子がいる。その更に向こう側からは、確かに毛むくじゃらの茶色い物体が追いかけて来ていた。どうやら四足動物のようだ。それもかなりデカい。ってちょっと待て! 今の俺たちの速度についてくる森の動物っておかしいだろ!? チーターでさえ時速110キロが限界だぞ!?

 

「……たぶんあれが魔獣」

「魔獣だと? ……なるほど。そういうことか」

 

 姿からして猪だろうか。明久の言うように通常の猪と比べてケタ違いにデカい。なるほどあれが魔獣か。しかも俺たちを狙って追って来ているようだ。この機にじっくりと見てやりたいところだが、今はあの建物を調べるのが目的。相手をしている暇は無い。

 

「翔子! このまま振り切るぞ!」

 

 俺はまだ全力を出し切っていない。翔子の表情にも余裕がある。あいつもまだ余力があるのだろう。追って来る魔獣は1匹。ならばここは全力を出して一気に引き離――

 

「……雄二! 前!」

 

 翔子が叫んだと思ったら突然目の前に大きな顔が現れた。口の両脇から短い牙を突き出したブサイクな面構え。後ろから追って来ている魔獣と同じ顔だった。

 

「ッ!」

 

 しまった! 前方からも!? そう思うよりも速く、俺は反射的に右(こぶし)を突き出していた。

 

 ――ドッ

 

 拳の先に肉を叩く感触がして、目の前の巨大な猪の顔が消えた。直後、バキバキバキッと、樹木が折れるような激しい音がした。俺は急停止し、前方の様子を確認する。

 

 数メートル先に茶色い毛に覆われた物体が転がっている。そして俺とその物体の間には、なぎ倒された5、6本の木が横たわる。幹の太さは太いもので直径約50センチ。綺麗にカウンターが決まったとは思ったが、俺はあんなでかいモンをぶっとばしたのか。しかもあんなに太い木を何本もへし折って。我ながらなんて力だ……。

 

 それにしてもデカい猪だ。全長3メートルほどあるぞ。大きさだけで見ればまるで象や(サイ)のようだ。あれだけの大きさがあれば30人分の”ぼたん鍋”が作れそうだな。

 

 そんなことを考えていると、大きな猪の身体はスゥッと黒い煙となって消滅した。跡には10センチほどの水晶のような鉱石が転がっていた。これが魔石というやつか。これも明久の言う通りだ。

 

 ――ザッ

 

 その時、背後で乾いた落ち葉を踏む音がした。翔子か? いや違う! 後ろの魔獣が追い付きやがったのか!?

 

 危険を感じて後ろを振り向くと茶色い巨大な毛玉が空中にあった。奴は跳び上がり、今まさに翔子に襲い掛かろうとしていた。まずい! あの巨体に体当たりをされたらいくら召喚獣を(まと)っていても一溜まりもない!!

 

()けろ翔子ォーッ!!」

 

 俺は咄嗟に腕を伸ばし、翔子を突き飛ばそうとする。ダメだ! 間に合わない!

 

「……っ!」

 

 

 ――ザシュッ

 

 

 一瞬の出来事だった。

 

 翔子が腰を落としたかと思った次の瞬間、あいつの前方で何かが輝いた気がした。直後、空中に飛び上がっていた猪の巨体が瞬時にして黒い煙となって消滅したのだ。い、今のは一体……?

 

「しょ……翔子……?」

「……何?」

 

 パチンと刀を(さや)に収めながら翔子が振り向く。その表情はいつもの静かなポーカーフェイスであった。

 

「いや、その……なんだ」

 

 今のは翔子の抜刀なのか? なんて速度だ。まったく見えなかったぜ……それにあのタイミングで落ち着いて対処できるなんて、肝が据わっているにも程があるだろ……。

 

「……?」

 

 何を驚いているの? と言わんばかりの表情で翔子は俺を見つめる。あいつにとってはどうってことないのかもしれない。これも召喚獣の力のおかげってやつか。やれやれ。これじゃ俺が守ってやる必要もねぇじゃねぇか。

 

「よしっ! 先を急ぐぞ翔子!」

「……うん」

 

 俺たちは再び森を走り出した。例の城まではあと数分で到着するだろう。と考えながら走っているうちに、また数匹の魔獣が襲い掛かってきた。だが(ひる)む必要はない。今、俺たちの身体能力は超人の域に達している。ただ突進してくるだけの獣など俺たちの敵ではない。

 

 俺は速度を落とさず真っ直ぐに突き進み、すれ違いざまに一撃を浴びせる。すると魔獣の巨体は軽々と吹っ飛び、断末魔の叫びをあげる間もなく煙となって消え去る。

 

「イャッハー! こいつはすげぇぜ!」

 

 この世界で魔獣の話を聞いた時、俺がこうして戦うことなど想像すらしていなかった。それが今、こうして魔獣を圧倒している。このことが俺には爽快で堪らなかった。今までの悶々とした気分が一気に晴れていくようだ。

 

 気を良くした俺は森を疾走。目的の城に向かって突き進んで行った。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 暴れ回りながら5分ほど走っただろうか。この頃になると木々の間からあの城が見え隠れするようになってきた。そろそろ到着のようだ。辺りにもう魔獣の気配はない。襲ってくる奴は(ことごと)くブチのめしてやったから恐れをなして逃げたのかもしれないな。それなら好都合だ。

 

「翔子、帰りの分もある。装着解除するぞ」

「……うん」

「「――装着解除(アウト)」」

 

 装着を解除した俺たちは慎重に進み、ついに目的の城に辿り着いた。

 

 目の前には不気味な城がひとつ、ドンと(そび)え立つ。あの行方不明事件。ただの失踪とは考えにくい。恐らく何者かが関与している。確証は無いが、俺のカンがそう言っている。そして最も怪しいのがこの辺境にポツリとひとつだけ建っている城だ。

 

「十分注意しろよ。何が出てくるか分からんからな」

「……うん」

 

 ――トントン

 

「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか?」

 

 

 ………………

 

 ………………

 

 ………………

 

 

 扉を叩いて呼び掛けるも、中から返事は無い。そのまま数秒待ってみたが、それでも人が出てくる気配はない。馬車から見た時は明かりが灯っていたのだから誰かがいるはずだ。大きな城だから聞こえないのだろうか?

 

「すんませーん。誰かいませんかー?」

 

 呼び掛けながら再度扉を叩こうとすると、

 

 ――ギィィ……。

 

 と、いかにも古めかしい音を立てて扉が開き始めた。そして少しだけ扉が開くと、中から1人の男が顔を出した。

 

『……どちら様でしょうか』

 

 高い鼻に色白の肌。目は藍色で金色のサラサラの髪を肩まで伸ばしている。顔立ちも整っていて、いわゆるイケメン面というやつだ。彼は扉の隙間から顔だけを覗かせ、俺たちをじっと見つめている。この男が主人だろうか。

 

「あー。えーっと」

 

 そうか、まずは自己紹介か。

 

「はじめまして。俺は坂本雄二といいます」

『……サカモト……ユウジ……』

「はい。それでこっちは翔子――霧島翔子といいます」

「……よろしくお願いします」

『……サカモト……ユウジ……キリシマ……ショウコ……』

 

 扉の陰でボソボソと呟く色白の男。こいつ、まともにコミュニケーション取れるんだろうか。

 

「失礼ですが、あなたはここのご主人でしょうか?」

『……はい』

「そうですか。では少々お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」

『……どうぞ』

 

 ……なんか暗い男だな。それに扉の隙間から顔だけを出したまま話を聞くつもりか? 失礼な奴だな。まぁいい。話を進めるか。

 

「実は人を捜しているのですが、何かご存じないかと思い、お邪魔した次第です」

『……どのような方ですか?』

「1人は赤い髪の女性。もう1人は俺くらいの身長の体格のいい男です。女は20歳くらい。男は30歳くらいです」

『……』

 

 彼はすぐには返事をしなかった。代わりに舐め回すように俺たち2人を眺め、その後で、

 

『……申し訳ありません。そのような方は存じ上げません』

 

 と丁寧に返事をした。言葉は丁寧でも、顔だけ出して答えるのは失礼だと思うのだが……。

 

「そうですか。分かりました」

『……お役に立てず申し訳ありません』

「いえ。ところで失礼ですがあなたのお名前を教えていただけますか?」

『……ネロスと申します』

「ここで暮らしていらっしゃるのですか?」

『……はい』

「1人で?」

『……はい』

「見たところ魔障壁が無いようですが……魔獣に襲われませんか?」

『……いえ』

「そりゃおかしいですね。魔獣は見境無く人間を襲うと聞きますが?」

『……不思議と襲われません。ご覧のとおり私の影が薄くて存在感が無いからではないかと』

 

 確かにこうして目の前で話していても存在を感じないくらいの男だ。しかしそんなことが魔獣に襲われない理由になるだろうか?

 

『……私もひとつお聞きしたいことがあるのですが……よろしいですか?』

 

 ほう。ただ受け答えをするだけの暗い奴かと思ったが、ちゃんと話もできるんだな。

 

「何でしょう?」

『……貴方はどうやってここまで来られたのですか?』

「どうやってと言われても……普通に歩いて来た、って感じですかね。馬車を途中下車して」

『……貴方は魔獣に襲われなかったのですか?』

「そりゃ襲われましたよ。けど撃退してやりました。こう見えても俺たち、結構強いんですよ」

『……そうですか』

 

「「「………………」」」

 

 ん? それだけか?

 

「質問はそれだけですか?」

『……はい』

 

 なんだ。拍子抜けだな。もっとあれこれ聞いてくるのかと思ったのによ。ま、今回はこれくらいにしておくか。

 

「そうですか。では俺たちは帰ります。突然お邪魔して申し訳ありませんでした」

『……いえ』

 

 俺が頭を下げると、男はそう言いながら首を引っ込めた。そしてすぐにパタンと扉が閉まり、辺りは再び静寂に包まれた。

 

「翔子、一旦王都に戻るぞ」

「……ここを調べないの?」

「あぁ、もう十分だ」

 

 そう。もう十分だ。今は手を出すべきじゃねぇってことが分かったからな。

 

 奴は1人で暮らしていると言ったが、馬車から見た時は複数の窓に(あかり)()いていた。それが今はすべて消されている。それにあの男、まるで人形のような冷たい目をしていた。存在感が薄いというより生気そのものを感じなかった。自我がなく、何者かに操られているかのようにも見えた。

 

 そしてこれが最大の疑問。先程翔子も疑念を抱いていたが、この城には魔障壁が無い。にもかかわらず魔獣に襲われた様子がないのはなぜだ? ここに来るまでに俺たちはあれだけ襲われたというのに。あの男は存在感が薄いからと言っているが、そういう問題では無いだろう。

 

 ……どうにも嫌な予感がしやがる。行方不明事件に関係しているのかもしれないが、今首を突っ込むのは得策ではない。明久たちと合流した後に作戦を練るべきだろう。

 

「よし、まずは馬車の通る道まで戻るぞ。そこで馬車が通れば乗せてもらう」

「……うん」

 

 こうして俺たちはこの城を離れ、先程馬車を降りた道まで戻ることにした。道中は静かなものだった。あれから魔獣は一切襲ってこなかった。風に木々がざわめき、葉擦(はず)れの音が耳をくすぐる。かなりの高山のはずだが、あまり寒さは感じない。軽い森林浴の気分を味わいながら俺たちは森を歩いた。

 

 そして30分ほどして、俺たちは開けた道に出た。土の道には2本の車輪の後が無数についている。ここが馬車の通る道だ。

 

「……ここで待つ?」

「いや。待っていても馬車が通る保証はない。この道を辿ってメランダまで行くぞ。召喚獣の力を使ってな」

 

 メランダまでは確か馬車で1時間弱。召喚獣の力を借りれば、馬車と同等かそれ以上の速度で走れる。途中で時間切れになるだろうが、ここで野宿するより自力で移動すべきだろう。

 

「じゃあ行くぜ! 試獣装着(サモン)!」

「……試獣装着(サモン)

 

 俺たちは試獣を装着。メランダの町に向かって馬車道を走り出した。

 



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第三十四話 次の一手

「……私達……」

「ん? どうした翔子」

「……私達、何も成果を出せてない」

「今のところはな」

「……瑞希と吉井はきっと腕輪を持ち帰る」

「そうだな」

「……私は役目を果たせない」

「まぁそう落ち込むな。確かにリンナの行方は分かっていないが、まだ終わったわけじゃない」

「……何か考えがあるの?」

「あぁ。今からそいつを説明する」

 

 山岳奥地の町バルハトールを出てから2日。俺たちは王宮都市サンジェスタに戻って来ていた。今はホテルの一室で朝食を取りながら翔子と話しているところだ。

 

 結局、あの後メランダの町に向かっている最中に召喚獣は時間切れになってしまった。後数分で町に到着しようかという時だった。そこで俺たちは当初の計画通り、町に向かって歩きながら馬車が通りかかるのを待つことにした。だがその後、馬の足音が聞こえることはなかった。魔獣の襲撃に警戒しながら山間の道を歩く俺たち。そして太陽が山間(やまあい)に顔を沈ませ始めた時、メランダの灯りが見えてきたのだった。

 

 こうしてなんとか無事町には着いたものの、さすがに足が棒のようになっていた。そこでその日はメランダで宿を取り、昨日一日をかけて一気にこのサンジェスタまで戻ってきたというわけだ。

 

「いいか、明久たちとの約束の日までまだ5日ある。この間に俺たちでやれることをやるんだ」

「……やれること?」

「そうだ。俺たちにはまだやるべきことが残っている」

 

 残された時間に俺たちがやるべきこと。それはもちろん行方不明になったリンナという赤い髪の女を探すことだ。そうさ、俺はまだ諦めちゃいない。このまま終わってたまるか!

 

 ここで現状を再確認しておこう。

 

 まず、この国に存在している腕輪は2個。うち1個を明久が持ち帰り、今は姫路が持っている。俺たちの使命は残る1個の確保なのだが、持ち主であるアレックス王曰く、名前も知らない女に譲ったという。

 

 そこで俺たちはこの腕輪の持ち主である女を追い、北へと向かった。各町で手掛かりを得て足取りを追い、北西奥地の町バルハトールに行き着いた。だがそこで肝心の持ち主が行方不明という事態に陥り、手詰まりになってしまったのだ。しかも俺たちが一宿(いっしゅく)の恩を受けたリンナの夫トーラスもその日の夜に姿を消すという異常事態。俺は事の異常さに危険を感じ、腕輪の探索を中止。一旦サンジェスタまで戻ってきた。

 

 これが現在の状況だ。ではこの状況をどうするか。俺は昨日、馬車の中でずっと考えていた。そしてひとつの答えを導き出した。

 

 メランダの町では若い人が忽然と姿を消す事件が10件以上相次いでいるという。このためメランダは町を出て行く人が続出。老人だらけの町になってしまっている。加えてバルハトールにおけるリンナとトーラスの失踪。これほどの事件が起きているというのに、国の治安機関が動いていないわけがない。

 

 治安を守る組織。俺たちの世界で言うと警察だ。ではこの世界でそれに該当する組織といえばどこか? それは王家だろう。きっと王家管轄の何らかの組織が動いているはずだ。ならば王家の者に取り入り、捜査状況を聞き出す。そして腕輪の所在が判明すれば譲り受ける。これが俺たちが取るべき次の行動だ。

 

「と、いうわけだ」

「……じゃあ王様に会いに行く?」

「そういうことだ。朝食が終わったらすぐアレックス王の所に行くぞ」

「……あの公園?」

「あぁそうだ。あの王のことだ。きっと今日もあの池で釣りをしているだろう」

 

 ()くして、俺たちはあの公園へと向かった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「……いない」

「だな」

 

 公園に到着してみると、そこにアレックス王の姿は無かった。

 

「今日もここにいると思ったんだがな」

「……別の池に行ってるのかも」

「なるほど。そうかもしれねぇな。けどそうなると探すのは難しいな。これだけ大きな町だからな」

「……どうする?」

「そこら辺の人にでも聞いてみるか。何か知ってる人もいるかもしれん」

 

 その時、ちょうど公園脇の道を子連れの女性が通りかかるのが見えた。俺たちは早速その者に尋ねてみる。するとあっさりと答えが返ってきた。

 

 彼は毎日のようにこの公園で釣りをしているが、たまに数日姿を消すのだという。しかもこの女性は彼がアレックス王だということを知っていた。あれだけ毎日のように王家の人が来ていれば誰でも分かると彼女は笑いながら語る。それでも本人はバレてないつもりらしく、未だアレンを名乗っているらしい。

 

 まったく……面白い王様だよ。権力者は嫌いだが、こんな王になら付き従ってもいいかもしれないな。俺は改めてそう思った。

 

 しかし肝心の王の行方については彼女も知らないらしい。そしてもし知っているとすれば王宮の人だろうと言う。

 

 なるほどな。と納得したものの、思った。アレックス王とは前回ここで話しているので面識はある。だがあの王が王宮の者に俺の話をしているとは思えない。面会の約束をしていない俺たちがいきなり王宮を訪問しても門前払いだ。さてどうしたものか……。

 

「……雄二。王宮に行こう」

「けど行っても追い返されるだけじゃねぇか?」

「……行ってみなければ分からない」

「まぁ……それもそうだな。手を(こまね)いているよりはマシか」

 

 俺たちは子連れの主婦と別れ、王宮へと向かった。王宮への道は知っている。もちろん翔子が。俺は翔子の案内についていくだけだ。やはり翔子の記憶力はこういう時には助かる。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「素性の知れぬ者を通すわけにはいかん!」

 

 王宮正門に到着した俺は、警備していた衛兵に「王に会いたい」と面会を希望してみた。だがご覧のような返答で、取り合ってはくれなかった。まぁ当然か。

 

「……アレンさんと顔見知りって言ってみたら?」

「やめておけ。信じてもらえるわけがない」

「……そう」

 

 仕方ない。やはり王を探すしかなさそうだ。しかしどこに行ったのやら……とりあえずホテルに戻って作戦を練り直すか。

 

「翔子、一旦帰るぞ」

 

 と、諦めて身体の向きを反転させると、

 

「うぉっ!?」

 

 滅多なことでは驚かない。俺はそう自負していた。だがこの時ばかりは驚かずにはいられなかった。突然目の前に馬の鼻面が現れたからだ。その距離約5センチ。危うく馬にキスしちまうところだったぜ……。

 

「何だね? 君たちは」

 

 馬が喋った!? と一瞬思わなかったでもない。だが生物学的に考えて馬が人語を操るわけが無い。冷静に状況を見れば声の主はすぐ分かった。

 

 馬には銀色の鎧に身を包んだ男が乗っていた。面長で白い肌。肩に掛かるほどに伸ばした栗色のサラサラロングヘアー。鼻先には丸縁の小さな眼鏡を乗せている。絵に書いたような優男スタイルだ。

 

「これはパトラスケイル様。お帰りなさいませ」

「警備ご苦労様。ところでこの者たちは?」

「はい、実はこの者たちが突然やってきて陛下にお会いしたいと言うのです。しかし素性の分からぬ者を通すわけにもいかず、断っていたところなのです」

「ふむ……そうでしたか」

 

 パトラスケイルと呼ばれた優男と衛兵が話をしている。この男、何者だろう。見たところ位が高そうな印象を受ける。それに見るからに育ちが良さそうだ。不精髭を生やしたアレックス王とはえらい違いだな。

 

「君たち、名前は?」

 

 馬上から俺たちを見下ろしながら男がそう言った。これはもしや話を聞く体勢か? なんだか分からんがチャンスかもしれない。

 

「これは失礼しました。(わたくし)は坂本雄二と申します」

「……霧島翔子です」

「サカモト? そうか、君がサカモト君か。なるほどね……」

 

 鼻に乗せた眼鏡を人差し指で上げながら目を光らせる優男。この反応。どうやら俺のことを知っているようだ。だが俺はこの男とは初対面。ならば今考えられる理由はただひとつ。アレックス王が俺のことを伝えたのだろう。この町で俺の名前を知っているのは王だけだからな。

 

「実はアレックス陛下にお尋ねしたいことがありまして、お伺いした次第であります」

 

 このチャンスを逃してはならない。なんとしてもこの男に取り入って事を進めなくては。俺は馬の前で(ひざまず)き、事の終始を丁寧に説明した。

 

「ふむ……その話、詳しく聞きましょう。トーマ君、お客人を応接へご案内してください」

「えっ? こ、この者たちを? よろしいのですか?」

「えぇ。構いません。私が許可します」

「はっ! かしこまりました!」

 

 トーマとは衛兵のうち、今返事をした者の名のようだ。彼はくるりと体を反転させると、力を込めて大きな門を開けていく。

 

「私は着替えてから行きます。応接で待っていてください」

 

 優男はそう言うと馬を走らせ、王宮の敷地内へと入っていった。思っていたより話は上手く進んでいるな。これなら何か手掛かりを聞き出せるかもしれない。

 

「では参りましょう。こちらです」

 

 トーマと呼ばれた衛兵に案内され、俺たちは応接室に通された。ただ、応接と言ってもバカみたいに広い。ざっと見積もって50平米……いや、もっとあるだろうか。天井もやたら高くて、豪華で巨大なシャンデリアが計4つも吊されている。やはり王宮ともなると何もかもスケールがでかい。まるで高級ホテルのホールのようだ。

 

「こちらにお掛けになってお待ちください。すぐに大臣が参ります」

 

 そう言って衛兵は部屋を去って行った。

 

「なぁ翔子、大臣ってのはやっぱさっきの髪の長い男のことだよな」

「……たぶん」

「あれが大臣か。どことなく久保に似た感じがするな」

「……そう?」

「なんつーか、いかにもガリ勉って感じがな。久保はお前と同じクラスだろ? お前の方がよく知ってるんじゃないのか?」

「……あまり話さない」

「そうなのか? あいつ試召戦争の参謀役やってんだろ? なら代表のお前とよく話してるんじゃねぇのか?」

「……作戦はいつも久保に任せてる。私はその作戦に従うだけ」

「フーン。じゃあAクラスを落とすならあいつの思考を読めばいいってことだな」

 

 久保の思考なら簡単だ。あいつの行く先に明久を配置すればいいだけだからな。

 

「……そういえば久保は中間テストの後くらいから元気がない」

「ん? 中間テストの後? ……あー。そ、そうか。そりゃ気の毒にな……」

「……気の毒?」

「うん。まぁなんだ。次に会ったらご愁傷さまと伝えておいてくれ」

「……?」

 

 中間テストの後といえば10月の下旬。あの時期であいつに関係しそうな出来事と言えば思い当たることがひとつある。明久が島田と付き合いはじめたことだ。久保はなぜかあの明久(バカ)にご執心だったからな。恐らく明久に彼女ができたことがショックで落ち込んでいるのだろう。これで久保も真っ当な世界に戻れる……と、いいんだがな。

 

「失礼いたします」

 

 ソファで待っていると、1人の男が入ってきた。蝶ネクタイをした初老の男性。彼はビシッと背筋を伸ばし、ポットを乗せたワゴンを押しながらこちらに向かってくる。まるで執事のようなスタイルだ。というか執事そのものだろう。

 

「お紅茶をお持ちしました」

 

 紅茶か。俺はどちらかというとコーヒーが飲みたいのだが、この世界には無いらしいからな。ま、ありがたく頂戴しよう。

 

「……お構いなく」

「パトラスケイル様より丁重におもてなしするようにと仰せつかっておりますので」

 

 俺は失踪事件の話を聞きに来ただけなんだが……それにアレックス王とも”顔見知り”という程度で、もてなされるような仲ってわけじゃねぇんだけどな。

 

 そんなことを考えている俺の前では、執事がテキパキとティータイムの準備を進めている。熟練の技と言うべきなのだろうか。ゆったりと指揮棒(タクト)を振るように流れる指先。その手際の良さには俺も目を奪われてしまっていた。

 

「冷めないうちにどうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」

「……いただきます」

 

 暖かい紅茶を飲みながら巨大な部屋の中央で大臣が現れるのを待つ俺と翔子。すぐ横では黒いスーツの執事が直立不動の姿勢をとっている。まるで石像のように微動だにしない。なんだか落ち着かねぇな……。

 

 そんないたたまれない気持ちを胸にしながら待っていると、程なくして例の優男――パトラスケイル大臣が部屋にやってきた。

 

「お待たせしました」

 

 赤いマフラーのようなものを(たすき)がけした、まるで法衣のような真っ白な服。先程の銀色の鎧姿から一転して神に仕えるかのような姿。これが執務服なのだろうか。

 

「……雄二。こういう時は立って挨拶する」

「おう」

 

 そんなことは言われなくても分かっている。俺は立ち上がり、丁寧に礼をして感謝を示した。

 

「私どものような見ず知らずの者をお招きいただき、心より感謝いたします」

 

 背筋を伸ばし、腰を折って上半身を傾けること約30度。こういった挨拶はあまり好きではない。けれど礼儀は必要だ。無礼な態度を取って追い返されてしまえば手掛かりを失ってしまうからな。

 

「あぁ、そんな堅苦しい挨拶は不要ですよ。どうぞ楽にしてください」

 

 彼はそう言ってテーブルを挟んだ向かい側のソファに腰掛けると、ふぅ、と息をついた。

 

「早速ですが本題に入りましょう。どうぞおかけください」

「失礼します」

 

 俺と翔子は再びソファに腰掛けた。よし、交渉開始だ。

 

「腕輪のことでアレックスに聞きたいことがあると言っていましたね」

「……」

「ん? どうかしましたか?」

「あ……いえ。なんでもありません。少々緊張していまして……」

 

 実は俺の返事が一瞬遅れたのは緊張していたからではない。大臣の発言が滑稽(こっけい)だと思ったからだ。

 

 通常、王の地位は国の最高位(さいこうい)のはず。大臣はその家臣にあたり、決して同位に扱われるものではない。にもかかわらず、このパトラスケイル大臣は王を「アレックス」と呼び捨てにした。それは実質の権力者であることからか、はたまた王の座を狙う反逆の意志の現れか。

 

「そう緊張なさらずとも結構ですよ。ですが実は我らが王は不在なのです。せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。私の知っていることであればお答えしますよ」

 

 まぁこの男と王の関係がどうあろうと俺にとってはどうでもいいことだ。今は目的を果たすのみだ。

 

「ありがとうございます。ではまず私どもの素性からお話しいたします」

「あぁ、待ってください」

「何でしょう?」

「アレックスからすべて聞いていますよ。そんな(かしこ)まった話し方は無用です。君本来の話し方で構いませんよ」

 

 本来の話し方とは友人と話すような感じでいいってことか? アレックス王と話した時のような?

 

「……雄二。失礼な態度はダメ」

「お嬢さん、お気持ちは嬉しいのですが、ここは立場抜きの無礼講でお願いしますよ。私も()の話し方をさせていただきますので」

 

 王といい、この大臣といい、変わった奴が多い国だな。ま、俺も()で話せるほうが気楽で助かるんだけどな。

 

「じゃあ遠慮なくやらせてもらうぜ」

「えぇ。それで結構です」

「まず俺たちの素性についてだが、別の世界から来た異世界人ってことになるんだが……信じてもらえるだろうか?」

「それもアレックスから聞いているよ。(にわ)かには信じがたい話だけど、あいつが信じているということは本当なんだろうね」

「俺自身も驚いたが本当の話なんだ。……たぶん」

「たぶん?」

「あぁ。実はまだこの世界のことをよく理解していなくてな。確実とは言えないんだ」

「なるほど」

「それで本題なんだが、俺たちは元の世界に戻りたいんだ。だがそれにはある物が必要なことが分かっている」

「それが先程言っていた王家に伝わる腕輪というわけだね?」

「あぁ、その通りだ」

「でもその腕輪は前にアレックスが連れてきた子に渡しているよ? 彼も君の仲間だろう?」

 

 彼? 腕輪を渡した? ……あぁ、明久のことか。あいつもこの男に会っていたのか。

 

「確かに吉井は仲間だ。けどあいつが貰った腕輪は少し効果が違ったんだ」

「ほう……そうだったのか。それは残念だったね」

「まぁ仕方ねぇさ。ただ、古文書でこの腕輪がもう1つこの国にあることが分かっている」

「なるほど。つまり君たちがここへ来た理由はそのもう1つの腕輪を譲ってほしい。ということだね?」

「確かに譲ってほしいが、少し違う。実はここに無いことは既に王から聞いて知っていてな」

「ん? そうなのか? では何故ここへ?」

「王は腕輪をリンナという赤い髪の女に譲ったと言っていた。つまり今の持ち主はその女になっているんだ」

 

 ここまで話すとパトラスケイル大臣は目頭を指でつまみ、がっくりと項垂れてしまった。

 

「まっっったく……あの人ときたら……」

 

 要するに目眩がするほどの愚かな行為ということだろう。気持ちはよく分かる。俺が同じ立場なら相手が王であろうが、ぶん殴っているところだ。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

「ん。あぁ大丈夫だよお嬢さん。ありがとう。あまりの愚行(ぐこう)に少々目眩(めまい)が……ね」

 

 パトラスケイル大臣は大きく一度、溜め息を吐いた。そしてソファの背凭(せもた)れに寄り掛かり、疲れ果てたように語りだした。

 

「うちの王は昔から節操がなくてね。気に入った女性にすぐそうやって王家の物をプレゼントしてしまうんだ。困った王様だよ、まったく……。まぁ、それほど高価な物ではないのがせめてもの救いなんだけどね」

 

 なるほど。アレックス王はそういう性格の持ち主なのか。というか、この前会った時の印象そのまんまじゃねぇか。この大臣の苦労も分かる気がするぜ……。

 

「すまないサカモト君。すぐにその女性を捜させよう」

「あぁいや、実はもう既に捜したんだが……」

「ん? そうなのか。では見つからなかったのかい?」

「そうなんだ。大臣、あんたはこの国で起きている失踪事件のことをを知っているか?」

「北方面のいくつかの町で何組もの男女が揃って姿を消しているという報告は受けている。今日もその件で調査に行って来たところだ」

「そうか。そいつは話が早い。実はその目的の女性がバルハトールにいるという情報を頼りに行ってみたんだが、例の事件の被害者になっていて消息が掴めなかったんだ」

「なるほど……」

「加えて俺たちが行ったその日に今度はその旦那が行方不明になってしまってな……」

「そうか、そんなことがあったのか。やはりこれは早く手を打たなければならないようだね」

「それで国の中枢である王宮なら事件の調査をしているんじゃないかと思って聞きに来たというわけなんだ」

「ふむ……」

 

 ここまで話すと、大臣は腕組みをして目を瞑り、何かを考え始めた。そしてしばらくして、真剣な目で俺たちを見つめながら言った。

 

「状況は理解した。確かに君の言う事件に関しては調査をしている。ただ、残念ながら君たちに教えられるほど情報が整理できていないんだ」

「そうか……」

「しかし君たちにとっても必要な情報だろう。そうだな……3日。今日を含めて3日後の夕刻にまた来てくれないか。その頃にはきっと何か情報を提供できるだろう」

「そいつは助かる。しかしいいのか? 俺たちのようなどこの馬の骨かも分からない者にそんな情報を提供して。もしかしたら事件の主犯かもしれないんだぜ?」

「でも違うのだろう?」

「まぁな」

「ならば問題ない。それにあいつが信用している男だ。私も信用するよ」

「ずいぶん王に入れ込んでるんだな」

「ははは、あいつとも長い付き合いだからね」

 

 ……そうか。この男とアレックス王の関係が分かった。

 

 呼び捨てにしていたのは敵対する意思や権威を振りかざしているからではない。アレックス王とこの男は信頼関係にあるのだ。それも親友のような信頼関係に。だから初対面にもかかわらず、俺たちを王の友人として、こうも手厚くもてなしたのだ。

 

「……あの、聞いていいですか」

「なんだい? お嬢さん」

「……パトラスケイルさんは王様とお友達?」

「そうだよ。知り合ったのは10年前かな。あいつとは学友だったんだ。あいつは昔から”堅苦しいのは苦手だ”と言って王位を継ぐのを嫌がっていてね。結局、私が大臣として補佐することを条件に王位に就いたんだ。王位についてもご覧の通り王宮を嫌がって外で暮らしてばかりいるのだけどね」

「……親友」

「親友か。そんなことは考えたことはなかったな。いわゆる腐れ縁ってやつだからね」

「……雄二と吉井みたい」

「よせ。俺はここまであいつを信用しちゃいない」

「……でも雄二はいつも吉井と一緒」

「まぁ色々と都合がいいからな」

「……つまり浮気相手は吉井」

「いいか翔子、何度も言うが明久は男だ。その時点で浮気は成立しねぇんだよ」

「……でも吉井を愛してる」

「ンなわけあるかっ! おぞましいことを言うな!」

 

 あぁくそっ! 翔子が余計なことを言うから鳥肌が立っちまったじゃねぇか!

 

「ははは、君たちこそ仲がいいじゃないか。その異世界ではもう結婚しているのかい?」

「……はい」

「してねぇからな!? 大臣! こいつの言うことは信じないでくれ!」

「……あとは実印を押すだけ。だからもう結婚したも同然」

「本人が合意してねぇだろうが!」

「ふむ……サカモト君。どうやら年貢の納め時のようだね」

「よし、帰るぞ翔子。お前とここで話していると余計な誤解を与えてしまいそうだ」

「もう帰るのかい? もっとゆっくりしていっていいんだよ?」

「いや、一応用件は終わったので帰ることにする。こいつが変なことを言う前にな」

「……変じゃない。本当のこと」

「あぁもう! 分かったから帰るぞ!」

「はははっ、本当に面白いな君たちは。それじゃ3日後にまた来てくれたまえ。その時は結婚の報告も待っているよ」

「……」

 

 誤解を与える前っつーか、既に大きな誤解を生んでいる気がするぜ……。

 



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第三十五話 予兆

 王宮から戻った後、俺たちはまず生活の準備をすることにした。これから約5日間、このホテルの部屋が俺たちの家になる。だがここで生活するには掃除用具や洗剤、衣類が足りない。まずは生活用品の買い出しだ。

 

 早速俺は翔子と共に町に繰り出し、生活に必要なものを買い揃えた。金はルルセアで働いていた時にそれなりに稼ぎ、5日間の生活用品を買うくらいはある。それに明久から聞いた通り、メランダ付近の魔獣を倒した時に拾っておいた魔石を売って金にしたのだ。

 

 だが拾ったのは数個だったので1万ジンにしかならなかった。ホテルの部屋を借り続け、尚且つ壊れた壁の修理をするには全然足りない。生活を維持するには、やはり金を稼ぐ必要がある。こんなことならもっと拾っておけばよかった。

 

 後悔しても仕方がない。そこで俺たちは短期で働ける店を探した。最も時給が高いのは馬車の護衛に当たる職らしい。命を張る仕事なのだから当然だろう。次いで高いのが魔石加工職。これには専門知識が必要だ。

 

 ではこれが俺たちにできるかと言うと、答えはNo(ノー)だ。まず魔石加工職には国家資格が必要なので論外。護衛職は召喚獣の力を使えば可能ではあるが、装着に時間制限があるのでこの職には向かない。これ以外の働き口となると運搬業や飲食店くらいしか思いつかない。やはり俺たちには飲食店のバイトが適しているだろう。

 

「とりあえず働き口は見つかったな」

 

 バイト先はすぐに見つかった。ホテルから歩いて30分ほどの所にある洋食店だ。結局、俺たちはルルセアでのバイトと同じ構成になった。俺はウェイターとなり接客。翔子は調理場担当だ。

 

「……また雄二と別」

「仕方ねぇだろ。お前が接客が苦手だと言うからだ」

「……雄二も厨房担当にすればいい」

「無理言うな。募集はホールと調理場1人ずつだったんだ。まぁいいじゃねぇか。2人で働ける場所が見つかったんだからよ」

「……我慢する」

「よし、んじゃあとは夕飯の買い物をして帰るか」

「……うん」

 

 こうして俺と翔子のバイト生活が再び始まった。

 

 

 

 

 ――その夜のことだった。

 

 

 

 

「ぅ……く……」

 

 寝苦しい。胸がムカムカする。この感覚……まるで風邪を引いて熱を出した時のようだ。まさか俺は風邪を引いてしまったのか? 明日からバイトなんだ。風邪なんか引いてる場合じゃねぇぞ。あぁっ……クソッ! ダメだ! 寝ていられねぇ!

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…………」

 

 俺は身体を起こし、ベッドの上で大きく呼吸をする。

 

「う……く、クソッ……」

 

 身体が熱い。頭もカッカと燃えるように熱い。間違いなくこれは風邪の症状だ。なんてこった……。

 

 と、とにかく明日の仕事は休むわけにはいかねぇんだ。なんとか薬で抑えるしかない。まさか今日買った薬をすぐ使うことになるとはな。買っておいて良かったぜ……。

 

「うぐっ……!」

 

 ベッドから降りて立ち上がると、側頭葉(そくとうよう)(耳の上辺り)がズキリと痛む。こいつは本格的にやべぇ……もし明日の仕事を休むことになっちまったら翔子にも迷惑を掛けちまう。

 

 ……ん? 翔子?

 

「翔子?」

 

 その時、あいつが寝ているはずのベッドが空っぽになっていることに気付いた。

 

「おい翔子、どこだ?」

 

 呼び掛けにも返事がない。この部屋にはいないようだ。こんな夜更けに何処に行ったんだ? トイレか?

 

「いっつつ……し、翔子?」

 

 頭痛を堪えながら俺は洗面所へと移動してみた。だが洗面台にもトイレにも灯は点いていなかった。ここにもいないようだ。一体何処へ行ったんだ?

 

 ……嫌な予感がした。

 

 夜中に突然、人がいなくなる。俺は数日前にその現場を経験している。

 

「しょ……翔子!!」

 

 俺は前回の経験を思い出し、慌てて道路側の窓から外を見下ろす。

 

 !

 

 誰かが夜道を歩いている。あの黒いストレートヘアにグレーの寝巻き姿……間違い無い! 翔子だ! 俺は窓を開け、身を乗り出して大声で呼び掛けた。

 

「翔子! どこへ行くんだ! しょ……ぐっ!」

 

 声を張り上げるとズキズキと激しく頭が痛む。クソッ! 熱なんかに負けてんじゃねぇぞ俺!

 

「戻ってこい翔子! おい翔子!」

 

 頭を押さえながら俺は必死に呼び掛ける。だがあいつは反応することもなく、上半身を揺らしながらフラフラと夜道を歩き続けた。俺の声が聞こえていないのか? どうなってやがるんだ……こうなったら強引に連れ戻すしかねぇ!

 

「待ってろ翔子! 今行くからな!」

 

 バンと乱暴に扉を開け、廊下を走り、階段を駆け降りる。

 

 あの時と同じだ……バルハトールの町でトーラスが姿を消したあの夜と! このままでは翔子までもが姿を消してしまう! そう直感した俺は必死に翔子を追った。ガクガクと震える膝を無理やり動かし、走った。普段なら2階から飛び降りるくらいしていただろう。けれどこの時の俺はそんなことができる状態ではなかった。ただ、あいつの歩みが遅かったのが幸いだった。

 

「待てって言ってるだろ! 聞こえないのか!」

 

 やっとの思いで追い付き、俺は翔子の肩を掴んで引き止める。

 

「…………」

 

 だがそれでも翔子は歩みを止めなかった。俺の手を払うこともなく、そのまま歩き続けた。俺が触れていることすら感じていないようだった。

 

「お、おい……翔子……?」

 

 これだけ近くで大声を出しているのに気付かないだと? 一体どうなってんだ? まるで催眠術にでも掛かっているみたいじゃねぇか。クソッ!

 

「翔子! 待てって!」

 

 俺は前に回り込み立ち塞がって声を張り上げる。するとようやく翔子は立ち止まってくれた。だが俺に反応してくれたわけではなさそうだ。翔子は目をトロンとさせて半分閉じ、虚ろな目をしている。

 

「どうしたんだ翔子! 返事をし……うぅっ……!」

 

 頭痛を堪えながら俺は翔子の肩をゆさゆさと揺さぶる。だがこれにもまったく反応する様子がない。心ここに有らずといった感じだ。明らかにおかしい。こうなったら仕方がない……!

 

「すまん翔子!」

 

 ――ペチッ!

 

 できるだけ弱く、それでいて衝撃を与えるよう加減をして、俺は翔子の頬を叩いた。女に手をあげるなど俺の主義に反する。けれどこの時はこれ以外の方法が思いつかなかった。

 

「………………ゆう……じ……?」

 

 すると翔子の目に光が戻った。正気に戻ったのか……?

 

「翔子、俺だ。分かるか?」

「……うん」

 

 どうやら元に戻ったようだ。はぁ……焦ったぜ。やれやれ……。

 

「……どうしてこんな所に?」

「それは俺の台詞だ。お前、一体どこへ行こうとしていたんだ?」

「……私が?」

「あぁ。呼び掛けても全然反応しなかったじゃねぇか」

「……?」

「覚えていないのか?」

「……うん」

 

 無意識に歩いてたってのか? こいつは本当に催眠術とかそういった類いのものかもしれねぇな。けど今までそんなものに掛かるタイミングはなかったと思うが……。

 

「なぁ翔子、何か覚えてることは無いのか?」

「……夢?」

「夢だと? なんだそりゃ?」

「……たぶん……夢。……雄二がどこかへ行ってしまう……夢」

「俺が?」

「……うん。だから……雄二を追ってた……夢の中で」

 

 なんだ夢かよ。人騒がせだな。余計な心配しちまったじゃねぇか。

 

「ハァ……まぁいいや。とにかく部屋に戻――ぐっ……!」

 

 気が緩んだらズキリと頭が痛んだ。やべぇな。さっさと薬を飲んで寝ねぇと……。

 

「……雄二? どうしたの?」

「あ、あぁ。ちょっと頭痛がな……こんなもの、薬を飲んで寝ればすぐ治る」

「……ごめんなさい」

「なんでお前が謝る」

「……私を追ってきて風邪を引いてしまった」

「ンなことねーよ。いいから帰るぞ。俺も早く寝てぇんだ」

「……うん」

 

 けどリンナのように行方不明にならなくて良かったぜ……あとは俺のこの風邪をすぐに治さねぇとな。

 

「……雄二。掴まって」

「い、いらねぇよ。自分で歩ける」

「……いいから」

「……すまん」

 

 俺は翔子に支えられながら部屋に向かった。そして部屋に戻った俺はすぐに解熱剤を飲み、眠りについた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 翌朝。

 

 不思議なことに俺の頭痛は完全に治っていた。発熱もすっかりおさまっている。昨晩あれほど熱くて痛かったのが嘘のようだ。だがこれで仕事を休まなくて済む。これはこれで喜ばしいことだ。薬が効いたのかもしれないな。

 

「……雄二。これを見て」

 

 朝食を終えて着替えていると、翔子が封筒のような物を持ってきた。

 

「なんだそりゃ? 封筒か?」

「……うん。お金が入ってる」

「金だと? いくらだ」

「……8枚」

「8枚と言われても分からんだろうが……どれ、見せてみろ」

 

 翔子から封筒を受け取って開いてみると、そこには8枚の紙切れが入っていた。確かに金のようだ。これはこの世界での通貨では一番高額な紙幣。1枚につき1万ジンだ。ということは……8万ジンだと!?

 

「お、おい翔子! これどこにあったんだ!?」

「……雄二の枕の中」

「はぁ? 俺の枕の中だと? なんでそんな所に……」

 

 ハッ!

 

「ちょ、ちょっと待て翔子! これは俺のへそくりなんかじゃねぇからな!?」

「……分かってる。この手紙が一緒に入ってた」

「手紙?」

「……うん」

 

 翔子が四つに折り畳まれた紙を差し出す。受け取って内容を確認すると、その紙にはこう書かれていた。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 雄二へ

 

 お金に少し余裕があるので置いて行く

 壊れた壁の修理に使ってくれ

 でもこのお金のことは絶対に姫路さんには言うなよ!

 

                   明久

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 なるほど。この金は明久が置いていった物なのか。あの野郎……旅立つ前は何も言ってなかったじゃねぇか。こんな大金持ってやがるなら言えってんだ。それにしても枕の中とは、あいつもバカだな。俺以外に知らせたくなかったんだろうけど、それじゃ俺だって気付かないだろうが。まったく……本当にバカな奴だ……。

 

「……雄二?」

「ん? なんだ?」

「……なんだか嬉しそう」

「あァ? ンなことねぇよ。あいつのバカさ加減に呆れてたところだ」

「……これで壁を修理できる?」

「そうだな。釣りが来るくらいだ」

 

 けど今頃こんな金が出てきても手遅れだ。もうバイトの契約しちまったからな。今更「やめます」なんて言えねえよ。まったく、無駄なことをさせやがって。

 

 けどまぁ、これで壁の修理代に関しては心配なくなったな。へっ……あいつもなかなか粋なことするじゃねぇか。少しだけ見直したぜ明久。こいつは遠慮無く使わせてもらうぜ。

 

「……雄二」

「ん? なんだ?」

「……私の枕の中にはこれが入ってた」

 

 そう言って翔子は再び1枚の紙を差し出してきた。どうやらこれも手紙のようだ。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 霧島さんへ

 

 そういえばこの前のクリスマスイブの日のことなんだけど

 教室に入ったら雄二と姫路さんが2人きりだったんだよね

 見つめ合ってたみたいだけど、何をしていたんだろうね

 よけいな栓索はしない方がいいのかな?

 

                       明久

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 前言撤回!! 戻って来たらぶっ飛ばしてやるあのバカ!! あん時は姫路のケーキから逃れるために必死だったのは説明しただろうが! それにそもそも漢字が間違ってんだよ! ”栓索”ってなんだ!? コルク栓でも探してんのか! ”詮索”だろ!

 

「……雄二」

 

 ギクッ!

 

「待て翔子! 落ち着け! こいつは明久の罠だ! 落ち着いて俺の話を聞け!」

「……瑞希と何をしていたの」

「そ、それはだな……あいつがケーキを食べてほしいと――(ガッ)」

「……瑞希のケーキを食べたの」

「お……落ち着け……姫路のは……く、食ってねぇ……」

「……正直に言えば怒らない」

「あだだだっ! う、嘘じゃねぇ! つぅかお前怒ってるだろ!?」

「……怒ってない」

「じゃ、じゃあ俺の顔を鷲掴みにしているのはなぜだっ!」

「……雄二が逃げないように」

 

 ギリギリと細い指が頭蓋骨をきしませる。

 

「あだだだだっ! 待て待て待て! ちゃんと説明するからとにかく放せ!」

「……逃げない?」

「あ、当たり前だ! この世界に他に居場所なんかねぇよ!」

「……本当に?」

「本当だ! 神に誓う!」

「……分かった」

 

 ようやく翔子は俺の顔面を放してくれた。そしてこの後30分ほどかけた説明で翔子はようやく納得してくれた。あの時は俺も被害者だってのに、なんでこんなくだらねぇことに時間を費やさなきゃなんねぇんだ……明久の野郎、帰ってきたらタダじゃおかねぇからな!

 

「……雄二。バイトはどうするの?」

「どうするってのはどういう意味だ?」

「……その修理代があるのならバイトには行かない?」

「いや。生活費は要るし、この部屋を借りるための金も要る。そもそも5日間働くって契約しちまったから今更やめるとは言えねぇよ」

「……じゃあ急がないと」

「ん? おわっ! やべぇ遅刻しちまうじゃねぇか! 急ぐぞ翔子!」

「……うん」

 

 こうして、俺たちの慌ただしい1日が始まった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ~~~~こちらは5日前のサンジェスタを出発した馬車の中~~~~

 

 

「にっししし……」

「なによアキ、その変な笑いは」

「いゃあ、雄二にちょっとした置き土産をしてきてね」

「置き土産?」

「うん。あいつ、今頃慌ててるだろうなぁと思ったら楽しくなってきちゃってさ」

「アンタまさか何かいたずらしてきたんじゃないでしょうね」

「へへっ、内緒さ」

「やっぱりいたずらなのね。まったく……子供っぽいんだから」

「だって雄二だけガルバランドに残って楽をしてるなんて許せないじゃないか」

「ウチらももうすぐ3年なんだから、そろそろ大人になりなさいよね」

「まぁいいじゃないか。今回だけさ」

「アンタ今まで”今回だけ”を何回使ったのよ」

「さぁ? 数え切れないくらい?」

「アンタねぇ……ほどほどにしなさいよ?」

「ほーいっ」

「ホント分かってるのかしら……」

 



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第三十六話 俺たちの10日間

 3日後。

 

 今日はパトラスケイル大臣との約束の日だ。俺は翔子と共に再び王宮を訪れていた。

 

「ったく、なんでついて来んだよ。留守番をしていろと言っただろ」

「……一緒に行くべきと思ったから」

 

 先日と同じ部屋。相変わらずダダっ広い空間の真ん中にソファとテーブルが置かれているだけの部屋。俺は王宮内の応接室で、翔子と話しながら大臣が来るのを待っている。

 

「ただ状況を聞きに行くだけだろうが。ガキの使いじゃねぇんだから1人で行けるっての」

 

 今日は捜査状況を聞くだけ。わざわざ2人で出向く必要もない。それに先日のように余計なことを言わないようにと、俺は翔子に留守番を命じたのだ。ところが俺が王宮前に着いた時、あいつは既にそこにいた。先回りしてやがったんだ。どうりでやけに素直に応じると思った。こいつめ、最初から俺の言うことなんて聞くつもりがなかったんだ。

 

「……雄二が迷子になるとは思ってない」

「あ? じゃあなんでついて来んだよ」

「……王宮のメイドに浮気しないように」

「するかっ!」

「……でも前にここに来た時にメイドの女の人をじっと見てた」

「あれは本物のメイドを見るのが初めてだから珍しくて見てたんだよ」

「……じゃあ私が本物のメイドになったら雄二は見てくれる?」

「いんや」

「……じゃあナースなら見たい?」

「全然」

「……巫女なら見たい?」

「お前なぁ……何なんだそのチョイスは。マニアック過ぎるだろ」

「……男子はこういう制服に興味があると聞いた」

「誰から聞いた」

「……土屋」

「あいつか……」

 

 ムッツリーニめ。余計なことを吹き込みやがって。俺にそんな趣味はねぇよ。明久はどうか知らんけどな。

 

「……違うの?」

「まぁ、なんだ。人によるんじゃねぇかな」

「……雄二は?」

「俺は制服フェチじゃねぇっ!」

 

 ――トントン

 

 こんなバカな話をしていると、応接室の扉をノックする音が聞こえ、

 

「失礼するよ」

 

 綺麗な顔立ちの優男が部屋に入ってきた。パトラスケイル大臣だ。俺たちは立ち上がり、彼に軽く会釈をした。

 

「やぁサカモトくんにキリシマくん。待たせてしまったね」

「いや、そうでもないさ」

「まぁ掛けてくれ」

 

 彼は何枚かの紙を手にし、向かいのソファに腰掛けた。それを見ながら俺たちも着席する。

 

「早速本題に入ろう。君たちが捜しているのは赤い髪の20代の女性だったね」

「あぁ。名前はリンナ。旦那と4歳くらいの息子が1人いる」

「間違いないようだね。確かに報告が入っていたよ。報告書によるとこの女性は10日前の夕刻、突然消息を絶っている。それと君たちの言う通り夫のトーラスも3日前から行方不明で今もなお見つかっていない」

「そうか……」

 

 やはりトーラスも戻っていないのか。両親共に行方不明とは、あのボウズも可哀想にな……。

 

「ただ、1つだけ目撃証言がある」

「本当か! どこで!?」

 

 願ってもない情報に俺は思わず立ち上がり、バンと思い切りテーブルを叩いていた。両手の手の平がビリビリと痺れるくらいに。

 

「まぁ落ち着きたまえ。そんなにテーブルを叩くと紅茶が零れてしまうよ?」

「おっ……す、すんません……」

「話を続けよう。目撃されたのはバルハトールとメランダの間。運搬業の男性が森の中に長い赤い髪をした女性が歩いているのを目撃している」

「それはいつのことなんだ?」

「正確な日時は分からないが、10日ほど前の早朝だったそうだ」

「時期的にも一致するな……」

「うむ。あの辺りは魔獣も多く、人が外を歩けるような場所ではない。危険だと声を掛けようと馬車を止めたが、その女性は森の中へと消えてしまったと男性は証言している」

「その場所は分かっているのか?」

「待ちたまえ。……そうだね。報告書によるとメランダから馬車で1時間半ほど西に行った所のようだ」

「そうか……」

 

 メランダから1時間半と言えば例の城がある辺りだ。やはりあの城には何かありそうだな。

 

「……雄二。あの城」

「あぁ、やっぱあいつが怪しいな」

 

 あの城のいたネロスという青白い顔をした男。どうも奴が臭い。だがこれまで10人を超える人が行方不明になっている。あんなひょろっとした奴がこの人数を誘拐なんてできるのか?

 

「あいつ? 何か心当たりがあるのかい?」

「実は俺らが赤毛の女を探している時に、その目撃証言のあった付近で怪しい城を見かけたんだ」

「あぁ、あの城なら調査済みだよ。誰も住んでいない廃屋さ」

「なんだと? そんなバカな。俺たちはあの城でネロスと名乗る男に会っているぞ?」

「それはおかしいね。調査報告によると城主が亡くなってから既に30年以上経っていて今は所有者もいないはずなんだが……」

「実際に行ってみたのか?」

「ちょっと待ってくれたまえ」

 

 大臣は眼鏡を指で押し上げ、手元の紙をペラペラと(めく)っていく。

 

「…………そうだね。”廃墟。居住者なし”と報告されているね」

「廃墟……?」

 

 おかしい。俺たちが行った時は立派な石造りの城であって、廃墟という感じはしなかった。大臣の言っている城は俺たちが見たものとは別の城なのか? あの付近に城といえばあれしか無かったと思うが……。

 

「どうやらその城には何かありそうだね。サカモト君、この件は我々に任せてくれないだろうか。君たち一般市民を危険な目に遭わせるわけにもいかないからね」

「一般市民というか異世界人だけどな」

 

 明久たちとの待ち合わせまで、あと3日。もう一度メランダまで行ってくるだけの時間はあるが、あの城に何があるのか分からねぇ。それに明久や姫路が白金の腕輪を持ち帰る可能性だってある。ならばここは焦って行動するより、専門の国家機関に任せるべきだろう。

 

「分かった。俺たちもこの世界のことにあまり首を突っ込むべきではないと考えている。よろしく頼む」

「うむ。しかしすぐにというわけにはいかない。時間が掛かると思ってほしい」

「あぁ、承知の上さ。じゃあ俺たちはこれで。帰るぞ翔子」

「……雄二。連絡先」

「おっと、そうだったな」

 

 俺たちはパトラスケイル大臣に連絡先を伝え、王宮を後にした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 大臣との話を終え、俺たちはホテルに戻ってきた。これで赤毛の女の捜索に関しては今のところ俺たちにできることが無くなった。あとは残りの時間をどうするか、だ。と言っても既に日が暮れているので今日は終いだ。

 

 そんなわけで俺たちはひとまず夕食を取ることにした。そして夕食の後、今後の方針を翔子に説明した。

 

「いいか翔子。リンナとトーラスのことは一旦忘れろ。ここから先はあの大臣に任せるんだ」

「……どうして?」

「この世界は恐らく召喚システムが変異したものだ。明久にも言ったが、俺たちの行動がどう影響するのか分からねぇ。だから関与はできるだけ避けるべきなんだ」

「……ルーファスが可哀想」

「それも忘れろ。俺たちにやれることはない。あの事件はこの世界の人間が――」

「……雄二は冷たい!」

 

 翔子が急に立ち上がり、テーブルをバンと叩いて俺の言葉を遮るように大声を上げた。普段静かに喋るこいつからは想像できないほど強い言葉だった。

 

「まぁ少し落ち着け」

 

 そう。俺は冷たい。そんなことは昔から知っている。こんな時、明久のバカならすっとんで行って両親を捜すか子供の世話をするだろう。だが今俺たちがやるべきことはそんなことじゃない。今は冷静な判断が必要だ。

 

「繰り返すが、俺たちはできるだけこの世界に関与すべきじゃない。お前の気持ちが分からないわけじゃない。だが今はパトラスケイル大臣に任せるんだ」

「……」

 

 翔子は珍しく感情を(あらわ)にし、俺をキッと睨みつけている。これほど他人に関心を(いだ)く翔子も珍しい。だがここは俺も引くわけにはいかない。

 

「明久を襲ったという”魔人”のこともある。この世界で下手に動くわけにはいかないんだ。お前にだって分かるだろ? これ以上関わればルーファスにだって被害が及ぶかもしれないんだ」

「……」

 

 翔子は少し寂しそうな表情をした後、黙って腰を下ろした。どうやら納得してくれたようだ。やれやれ。まさかこんなことで神経を使うとは思わなかったぜ。

 

「すまんな翔子」

「……ううん」

「でだ、この明久たちとの待ち合わせにはまだ3日あるわけだが、明日は書物屋を尋ねてみようと思う」

「……どうして?」

「ムッツリーニが持ってきた古文書があるだろ? あれの著者を探す」

「……?」

「つまりこういうことだ。あの本には腕輪のことが書かれていた。それもあの書き方からして作った本人が書いている。だから著者は腕輪製造の関係者……つまりババァの関係者ってことになる」

「……本当に?」

「100%間違いない……とは言い切れないが、可能性は高いと思う」

「……文月学園の先生?」

「それは分からん。血縁者かもしれん。とにかく会って話を聞いてみるんだ。そうすれば何か手掛かりが掴めるかもしれないだろう?」

「……うん」

「んじゃ決まりだな。けどバイトもあるから空いている時間だけな」

 

 よし、方針は決まりだ。あとは……。

 

「それとな翔子、明日朝は例の公園に行くぞ」

「……王様の所?」

「そうだ。恐らく大臣から報告は受けているだろうが、やはり俺たちからも状況を説明すべきだ。俺たちは一応王の許可を得て動いてたわけだしな」

「……分かった」

「よし、そんじゃ今日はもう寝るとするか」

「……うん」

 

 こうして俺たちはその日を終え、明日に備えた。

 

 

 

          ☆

 

 

 翌朝。

 

 俺たちは早速アレックス王がいるであろう公園に向かった。

 

 本来王とは国の最高責任者であり、この国で言えば王宮で指揮を執るべき人だ。だがパトラスケイル大臣は言っていた。アレックス王は王位を継承してもほとんど王宮におらず、毎日を町の中で暮らしているのだと。そして週に1日だけ執務室に戻り、仕事をするらしい。だが仕事が終わるとまた王宮から姿を消してしまうのだそうだ。

 

 そんな王でこの国は大丈夫なんだろうか。大臣の話を聞いた時、俺はそう思い、公園に向かって歩いているこの時もまだそう思っていた。

 

 

 

 公園に着くと、池の畔にあのカウボーイハットが寝そべっていた。アレックス王が戻って来ているようだ。俺たちは早速彼の元へと行き、赤い髪の女が行方不明であることを説明した。だが王は状況を知っていたようだった。関心が無いように見えてしっかりと把握している辺りは、やはり王たる者の責任感だろうか。

 

 俺たちは話ついでにこの数日間どこにいたのかと聞いてみた。すると王はルルセアの町で釣りをしていたと笑って答えた。

 

 なんとも能天気な王様だ。俺はそう思って呆れていた。しかし話を聞いていると、彼は事件に関しての調査をしていたと言い出した。彼は彼なりに、町人に成りすまして情報を集めていたらしい。まるでどこぞの藩主が世直し旅をする時代劇を見ている気分だ。

 

 この時、俺の王に対する印象は”呆れ”から一種の”憧れ”のようなものに変化しつつあった。

 

 

 ―― こういう国家のトップは面白い ――

 

 

 アレックス王と話しているうちに、いつしか俺はそう感じるようになっていた。

 

 彼の話は面白かった。冗談を交えて話しているが、内容は至極真面目なのだ。このまま色々な話を聞いていたかったが、そろそろバイトの時間が迫っている。ひとまず報告を終えた俺たちは王と別れ、一旦ホテルに戻ることにした。

 

「へへっ、面白い王様だよな。あの人」

「……そう?」

「あぁ。国のトップをこれほど身近に感じたことはねぇぜ」

「……確かにアレンさんは少し変わってる」

「少しってレベルじゃねぇけどな。はははっ!」

「……雄二、楽しそう」

「そうか? 俺はいつもと変わらないつもりだけどな。おっと、そろそろ仕事に行かねぇとな」

「……うん。急ごう」

「おう!」

 

 こうして俺たちは仕事先へと向かった。この日の残り時間はすべてバイトに当てた。そして翌日の空いた時間を使って書物屋を訪問。店主に古文書の著者に会いたいと願い出てみた。だがそれは叶わぬ願いだった。

 

 店主曰く、この本は店主の爺さんが若い頃から存在しているらしいのだ。やはり見た目通り百年以上昔に書かれたもののようだ。となると、著者はとっくに亡くなっているだろう。

 

 ではその子孫に会えないか? と尋ねてみたが、この本には署名が無く、誰が書いたものなのかさっぱり分からないらしい。残念だがこれも手詰まりだ。

 

 それにしてもこれが本当に百年以上前に書かれた物だとしたら、学園長は妖怪なのだろうか。それとも文月学園とはまったくの無関係で偶然の一致なのか? だが腕輪に文月学園のマークが刻まれているところを見ると無関係であるはずがない。しかしこれ以上手掛かりが……。

 

「あぁクソッ! イラつくぜ!」

 

 書物屋からの帰り道。あまりの苛立ちに俺は道端の石ころに八つ当たりをしてしまった。

 

 たった1つの腕輪を探して8日間。北西の僻地(へきち)にまで足を伸ばしても腕輪を得ることができなかった。リンナは腕輪を持ったまま行方不明。トーラスも後を追うように姿を消して帰らない。古文書の著者を追おうとすれば、すぐに手詰まり。

 

 何ひとつ上手くいかない。明久には2つ。姫路には3つもの回収を命じておきながら、なんという体たらくだ。もうすぐあいつらが帰ってくるというのに、これでは格好がつかないではないか。

 

「……雄二のせいじゃない」

「ンなこたぁ分かってんだよ!」

 

 頭に血が上っていた俺は思わず翔子にまで当たり散らしてしまった。翔子は何も悪くないというのに。

 

「……すまん」

 

 ダメだ。冷静になれ。苛立っても何も解決しない。俺は自分にそう言い聞かせた。

 

「……ううん。雄二の悔しい気持ち。私にも分かる」

 

 こんな時は常に沈着冷静な翔子の性格が羨ましい。こいつがいなかったら今頃俺は形振(なりふ)り構わず周囲に当たり散らしていたかもしれないな。

 

「うっし、そんじゃ帰ってバイトに行くとすっか」

「……その後は?」

「ホテルに戻って待機だ。約束の期限まであと2日だからな。明久や姫路が帰ってくるかもしれねぇだろ? あいつらが帰ってきた時に迎えてやらねぇとな」

「……そうね」

「そういうわけだ。さ、帰るぞ」

「……うん」

 

 こうして、俺たちの10日間は過ぎ去っていった。何の成果も上げられなかったのは(はなは)だ不本意ではあるが、嘆いても仕方がない。事実、俺たちは腕輪を得られなかったのだから。

 

 とはいえ、頭では理解していても、やはり胸の奥には鬱憤(うっぷん)が溜まっている。トーラス夫妻は無事なのだろうか。ルーファスはどうなったのだろうか。あの城に一体何があるのだろうか。どうにかして忘れようとしても、この気持ちは増大するばかりだった。

 

 ただ、不満ばかりかというと、そういうわけでもない。アレックス王との出会い。彼との出会いは俺に意識改革を促した。国のトップは堅苦しい奴ばかりではない。このことが俺の世の中に対するイメージを大きく塗り替えたのだ。

 

 

 そして2日後、俺は仲間たちとの再会を果たした。

 

 

 再会したあいつらは一回りも二回りも大きくなっていたように見えた。それに比べて俺はどうだ。何も変わっていないではないか。そう思うと、俺の中の鬱憤(うっぷん)は更に大きくなっていった。そしてこの鬱憤(うっぷん)は明久たちとの合流直後、一気に爆発することになる。だが今の俺は冷静ではない。それはまた後日、落ち着いた時に語ることにしよう。

 




次回、チームひみこ編。
サラス王国に向かった瑞希、秀吉、ムッツリーニの物語が始まります。


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第二章 僕と鍵と皆の使命(クエスト) ―― チームひみこ編 ――
第三十七話 チームひみこ活動開始


ここからは瑞希、秀吉、ムッツリーニの3人の様子をお届けします。物語は瑞希視点で進行します。



 ―――― 再び時は遡り、サラスへ向かった瑞希たちは ――――

 

 王都サンジェスタを出発した私たちは馬車に乗り、サラス王国に向かっている。メンバーは木下君と土屋君。それと私、姫路瑞希。なんだかよく分からないうちに私がリーダーなんてことになってしまったけれど、できる限り頑張ってみようと思う。

 

 サラス王国への移動手段は船しかないということで、私たちはまず港へと向かった。港町といってもこの国には港は2つある。ひとつは明久君と美波ちゃんが向かったリゼル。もうひとつが私たちが向かっているラミール。このうち、サラス王国に行けるのは大陸北側にあるラミールだけ。

 

 そのラミールの町へは大陸東側の町、オルタロードを経由して行く必要がある。しかもそこからは山道が続き、酷い揺れに耐えなければならない。私と木下君は前に一度通った道なので覚悟していた。だからそれほど苦しい思いはしなかったのだけれど、土屋君はあまりに酷い揺れに乗り物酔いをしてしまったみたい。

 

 港町までは山道を通るので馬車を使ってもサンジェスタから丸一日掛かってしまう。でも他に移動手段が無いので、土屋君には耐えてもらうしかなかった。私は彼の背中をさすりながら一刻も早い到着を願った。そうして時を過ごし、空が夕焼けに紅く燃えはじめた頃、ようやく前方に町の灯りが見えてきた。

 

 やっとの思いでラミールの町に到着したものの、土屋君を休ませてあげないとこのままでは歩くこともできなくなりそう。それ以前に船の定期便は先ほど出たばかりで、それが今日最後の便だという。つまり仮に土屋君が動けたとしても今日はもう移動できないということ。そこで私たちはひとまずこの港町で宿を取り、翌朝サラス王国へと出発することにした。

 

 そして翌朝。土屋君の体調が戻ったのを確認した私たちはサラス王国への旅を再開した。

 

「なんだかこの国って町のある所が左右に集中してますね」

「ムッツリーニよ、この真ん中の線で区切られた何も無い空間は何なのじゃ?」

 

 今、私たちはサラス王国へ向かう船に乗っている。その船の一室で、土屋君が書いてくれた地図を見ながらこの後の行動について相談しているところ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「…………砂漠」

「砂漠じゃと? ではこの国は半分以上が砂漠で占められておるのか。距離はどれくらいあるのじゃ?」

「…………横にざっと1000キロメートル」

「車でも丸一日ほど掛かりそうな距離ですね……」

「姫路よ、実際は休憩を取ったりするので車でも一日では厳しいぞい」

「あっ、そうですね」

「ふむ……船の到着先はこの西海岸の町なのじゃな?」

「はい。乗船券には”リットン行き”と書いてありますね」

「東側まで探しに行かねばならぬ場合は期間的な問題が出てくるやもしれぬな」

「土屋君、この砂漠を渡るにはどうしたらいいんですか?」

「…………そこまでは調べていない」

「それは砂漠の手前の町で聞くのが良いじゃろう。渡らねばならぬのであれば、の話じゃがの」

「そうですね。王都のモンテマールは西側のここみたいですし、白金の腕輪が見つかれば行く必要無いですものね」

「んむ。そういうことじゃ」

「そういえばこの腕輪って王様に贈られた物なんですよね?」

「古文書にはそう書いてあったのう。それがどうかしたか?」

「どうしてこの国だけ3つなんでしょう? 他の国は2つなのに……」

「そういえばそうじゃな。あまり気にせずにおったわい」

「…………本には特に理由は書かれていなかった」

「ふむ……理由は分からぬが、数が多い分ワシらの責任は重いということじゃな」

「そうですね。頑張りましょうっ!」

「んむ。その意気じゃ」

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ラミール港を出てから丸一日。私たちの乗った船は無事、サラス王国リットン港に着港した。

 

 魔障壁に覆われた薄緑色の空。立ち並ぶ石造りの茶色い建物。土がむき出しの道を(せわ)しなく行き交う、荷車を引いた馬車たち。海の方からはやや強めの風が私の体を叩くように吹き抜けていく。

 

「これがサラス王国なんですね……なんだか見た目はラミール港と変わりないですね」

「港はどこも同じようなもんじゃろう。じゃが少々気温が高いようじゃな」

「そういえばそうですね。潮風が涼しく感じます」

「…………サラス王国は高温乾燥」

「えっ? そうなんですか?」

「…………昨日調べておいた」

「むぅ。砂漠もあるというし、乾燥対策をしておかねばなるまいのう」

「じゃあそこに並んでいるお店を見ていきませんか? お洋服のお店もあるみたいですし」

「そうじゃな。じゃがムッツリーニよ、余計な買い物はするでないぞ?」

「…………なぜ俺に言う」

「お主が一番衝動買いをしそうだからじゃ」

「…………失敬な。俺は衝動買いなどしない」

「ならば良いのじゃが……では行くとしようかの」

「はいっ!」

 

 

 早速私たちは町に並んでいたお店のうち、衣料品を扱っていそうなお店に入ってみた。

 

 

「いらっしゃいませ~」

 

 お店に入るとすぐ女性店員さんの声が聞こえてきた。でも姿が見えない。理由は簡単。店内は凄い量の服で一杯だったから。それはもう視界が遮られるほどに。

 

「す、すっごい量のお洋服ですね……」

「これは目移りするというレベルを遥かに越えておるな」

 

 店内はそれほど広くなかった。けれど店内には縦横無尽にロープが張られ、信じられないほど沢山の洋服が掛けられていた。

 

「通気性の高い服が多いようじゃな」

「そうですね。でも結構高いみたいです……」

「一式揃える必要はあるまい。ひとまず日差しや砂塵を防ぐ物があればよかろう」

「帽子やコートですね」

「そういうことじゃ。じゃからムッツリーニよ、そういった服は今は不要じゃぞ」

「…………っ!?」

 

 気付くと土屋君が白いフリルの付いた服を数着、手にしていた。

 

「お主それを買うつもりじゃったのか……?」

「…………(ブンブンブン)」

「ならばそれを置いてこっちで帽子や外套を見てくれぬか」

 

 木下君がそう言うと土屋君は酷くがっかりした様子で洋服を戻し、トボトボと歩いて来た。

 

「そこまでがっかりせんでも良いじゃろう……」

「あ、あはは……」

 

 結局、このお店では3人の帽子と外套――つまりマントのように肩に羽織るものを購入した。マントは身体をすっぽりと覆うタイプの物で、”くるぶし”に掛かるくらいに長いもの。

 

 最初は膝丈くらいの可愛らしい物を買おうと思ったのだけれど、店員の人に「素足が日に焼かれるのでやめておいた方がいい」と言われた。文月学園のスカートは膝上丈。確かに丈の短いものでは足に日が直接当たってしまう。私も日焼けはしたくなかったので、彼女の助言に従うことにした。

 

 帽子はベージュ色の(つば)の大きい羽根付き帽子。茶色いマントに帽子なんて、まるでサバンナや砂漠に行くスタイルみたい。思っていたよりもちょっと格好良いかも……?

 

「姫路よ、なかなか似合うではないか」

「えっ? そ、そうですか? ちょっと地味過ぎるかなって思ってたんですけど……」

「そういう地味な色もなかなか良いものじゃ。のうムッツリーニ」

「…………(コクコク)」

「ありがとうございます。あ、土屋君は帽子が違うんですね」

「…………迷彩」

「土屋君もとってもよく似合ってますよ」

「ワシもムッツリーニと同じ帽子なのじゃが……」

「あっ! そ、そうですね! 木下君もかっこいいですよ!」

「そうかの? ワシもやっと男物が似合うようになってきたということかの!」

 

 えっと……男装しているみたいで良いかなって思ったんだけど……誤解したままの方が良さそう。

 

「じゃ、じゃあ皆さん、王都に行きましょうか」

「んむ」

「…………馬車乗り場は向こう」

「さすがムッツリーニじゃな。案内頼むぞい」

 

 こうして、買い物を終え私たちは馬車乗り場に向かった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 目的地はここリットン港から北東の位置にある、王都モンテマール。この国はガルバランド王国のような険しい山は無く、王都までは馬車で一直線に行けるらしい。でも距離は結構あるようで、馬車を使っても3時間ほど掛かってしまうみたい。それと、この国にも魔獣が生息していて、やはり人間を襲うらしい。だから町にも馬車にも魔障壁は必須。これはこの世界に共通で言えることなのだと思う。

 

 私たちは今、その魔障壁に守られた馬車に乗り、モンテマールに向かっている。乗客は私たちを含めて8人。全員が肩に私と同じような外套を羽織り、一言も話さずじっと座席に座っている。

 

 外はまるでサバンナのような平野。その真ん中に茶色い1本の道が果てしなく続き、2頭の馬車馬はそれに沿ってひた走る。さっきマントを買った時に”サバンナ用みたい”なんて思ったけれど、本当にサバンナのような環境だなんて思わなかったな。

 

(国王陛下はどのような御人(ごじん)なのであろうな)

 

 そんな中、木下君が小声で話し掛けてきた。きっと周りが静かなことに配慮して声を抑えているのね。

 

(あまり人前にお姿をお見せしないらしいですね。だからほとんどの実務は王妃様がされているそうです)

(つまりワシらの用件もその王妃殿に伝えれば良いというわけじゃな)

(でもこの腕輪って友好の証として贈られた物なんですよね? そんな物を譲ってもらえるでしょうか……)

(ふむ。明久は簡単に譲ってもらえたようじゃが、普通に考えればまず断られるじゃろうな)

(そんな……じゃあどうしたらいいんでしょう……?)

(ワシらにできることは事情を包み隠さずすべて伝え、願うことだけじゃ)

(初めて会う私たちを信じてくれるでしょうか……)

(そうじゃな……ムッツリーニはどうやってハルニア国王に取り入ったのじゃ?)

(…………王子の喧嘩を知らせた)

(ほう? よく話を聞いてくれたのう)

(…………話してはいない。手紙を門兵に渡した)

(そのような手紙を信じてもらえたのか?)

(…………王家の紋章の入った紙に書いた)

(なるほどのう。じゃが今回はそうはいかぬな。ここはハルニア王国ではなくサラス王国なのじゃからな。やはり丁寧に説明する以外手はなさそうじゃ)

(私、不安です……上手くお話しできる自信がありません……)

(しっかりせい姫路よ。お主はチーム”ひみこ”のリーダーなのじゃぞ? 明久も向こうで頑張っておるのじゃ。そんなことではあやつめに笑われてしまうぞい?)

 

 明久君……。

 

(……そうですね。私、精一杯やってみます!)

(無論ワシらも共に頼み込むつもりじゃ。土下座でもなんでもするぞい)

(…………土下座なら任せろ)

(ふふっ……ありがとうございます。木下君、土屋君)

 

 国のトップとお話しするなんて初めてのことだけど……でも任された以上は責任をもってやり遂げなくちゃ。明久君だってきっとハルニア王国で頑張ってるんだから!

 



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第三十八話 説得力

 馬車に揺られること3時間。前方の平原に1本の棒が見えてきた。

 

 地上から生えるそれはまるで爪楊枝のように細く、天に向かって伸びていた。でもこんな風に小さく見えるのは実物が遠くにあるからで、実際は遥かに巨大なのだと思う。あれは魔壁塔。魔障壁装置により町を守っている塔。つまり王都モンテマールが見えてきたということを意味している。

 

 この王都モンテマールも他の町と同様に外周壁で丸く囲まれ、上空からはほぼ透明の光の膜が降り注いでいる。馬車はその外周壁の前で一時停止。すると前方の巨大な木の扉がゆっくりと開いていった。そして扉が開ききる前に馬車は再び動き出し、町の中へと入って行く。

 

「ついに到着じゃな」

「ドキドキしますね……」

 

 馬車は町に入った後もしばらく町中を走る。停車駅が少し離れているらしい。私は側面の覗き窓を開き、町の様子を見てみた。流れゆく景色は沢山の土色の建物。屋根が平らなものが多く、尖った屋根が多かったガルバランド王国とは雰囲気が違う。

 

 一番目立つのは遠くに見える一際大きな建物。左右にそれぞれ1本ずつ塔が立ち、その間には更に高い塔が1本(そびえ)え立っている。周囲の建物と比べても明らかに規模が大きい。

 

「恐らくあれが国王陛下のおられる宮殿じゃな」

 

 隣では木下君が私と同じように覗き窓から外を眺めていた。

 

「えぇ、たぶんそうですね」

「ざっと見て徒歩で30分といったところじゃろうか」

「いえ、もっと掛かると思いますよ。この距離だと、そうですね……1時間は掛かると思います」

「そんなに掛かるものか? それほど遠いとは思えぬが……」

「大きな物って実際より近いように見えるんですよ。富士山なんかを思い出してください」

「んむ? ……おぉ、なるほど。確かに富士山は遠くからでも近くに見えるのう」

「そういうことです。ふふ……」

 

 この後、馬車はすぐに停車駅に到着。私たちはそこで降り、まず昼食を取ることにした。

 

 昼食は鶏肉を挟んだサンドイッチ。これは「先を急ぐから簡単に食べられるものを」ということで土屋君が選んだもの。早さを重視していて味にはあまり期待していなかったのだけど、これが意外に美味しかった。焼き立ての鶏肉は柔らかくて暖かく、野菜もしっかり入っていてシャキシャキした食感がとても良かった。ただ、パンにボリュームがあって私には食べきれなかったのがちょっぴり残念。

 

 食事を終えた私たちは再び王宮を目指して歩き始めた。茶色い建物が立ち並ぶ町をひたすら歩く。思っていたより気温は高くない。でも歩いていると、じんわりと汗をかいてしまう。目標は正面に見えるあの大きな王宮。あれだけ大きいと初めての町でも迷うことがない。

 

 そういえばこの町は緑が少ないみたい。サンジェスタや経由した町オルタロードは背の高い針葉樹が多く植えられていた。けれどこの町には背の低い木が所々に見えるだけ。それに地面も乾燥していて、歩くと砂ぼこりが舞うくらい。これはきっと気候のせいなのだと思う。

 

 そんな町の中を歩き続け、1時間が経過。私たちはようやく王宮を囲っている塀が見える所までやってきた。

 

「やれやれ。本当に1時間じゃったのう。姫路よ、大丈夫か?」

「は……はい。大丈夫です」

 

 私もFクラスに入ってから少しは体力もついて体も強くなってきたと思ってる。でもやっぱり1時間も歩くと息切れをしてしまう。

 

「あと少しじゃ。行くぞい」

 

 木下君はそう言って再び歩き始めた。

 

「は、はいっ!」

 

 お腹に力を入れて返事をしたものの身体が重く、とても辛い。でもここで皆に迷惑を掛けるわけにはいかない。私は歯を食い縛り、(だる)くなった足を前に出した。

 

「…………姫路」

 

 そんな私に後ろから声を掛ける人がいた。それは身体に茶色いマントを巻き付け、(つば)のついた迷彩ハットを深くかぶった男の子だった。

 

「あ……土屋君。なんでしょう?」

「…………」

 

 土屋君はじっと私を見つめ、黙っていた。けれど口元はむずむずと動いていて、何かを言いたそうにしている。彼はいつも無口で、こうして私に話し掛けてくることもあまりない。でもせっかくこうして一緒のチームになったのだし、もっと話をした方がいいのかもしれない。

 

「えっと……」

 

 でもどんな話をすればいいんだろう? 土屋君とはあまり共通の話題もないし……明久君の写真や抱き枕の時はお世話になりましたってお礼を言う? でもそれって今言うようなことでもないような気がする。

 

 と思い悩んでいると、土屋君はプイと顔を背け、

 

「…………(ボソボソ)」

 

 と、何かを呟いた。でも声が小さくてよく聞き取れない。

 

「はい? なんですか?」

「…………」

 

 私が聞き返すと土屋君は言い辛そうに頬をポリポリと掻いて黙り込んでしまった。何を言いたいんだろう? そう思っていると、今度はハッキリと聞こえる声で彼は言った。

 

「…………あと少しだ。頑張れ」

「えっ?」

 

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。明久君以外の男の子から”励まし”の言葉を貰うことなんて滅多に無いし、まさか土屋君がこんな言葉を掛けてくるなんて夢にも思っていなかったから。そしてこの時、気付いた。

 

 馬車を降りてからこの1時間、土屋君が私の視界に現れることは無かった。それはつまり土屋君はずっと私の後ろを歩いていたということ。彼のことだから不純な動機が無いとは言い切れないと思う。けれども、先程の台詞にはどこか優しさのようなものを感じる。

 

 それに疲労困憊していた私の(あゆ)みはいつもより更に遅かったはず。にもかかわらず、木下君は常に私のすぐ前を歩いていた。そして木下君は今もああして立ち止まり、私が追いつくのを待ってくれている。

 

 2人はそうやって私を気遣っていてくれたんだ。今まで気付かなかったけれど、2人とも優しい男の子だったんだ。

 

「はいっ……!」

 

 そんな彼らの優しさに気付いた時、私の足は少しだけ軽くなった気がした。もちろん実際に軽くなったわけではない。たぶん私の気持ちがそう感じさせてくれたのだと思う。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 私たちはついに王宮の前に辿り着いた。正面には幅10メートルはあろうかという柵状の門。今歩いてきた道は真っ直ぐその門に吸い込まれ、奥には緑溢れる中庭が広がっていた。それは砂ぼこりの舞う町中とは別世界のようだった。更にその奥には、馬車から見えたあの巨大な宮殿がまるで山のように(そび)えている。

 

 門の前には銀色の鎧を来た人が左右に1人ずつ、槍を手に立っている。きっと王宮を警備している兵士さんですね。でも見たところこの辺りに受付は無いみたい。王様への面会申し込みはどうしたらいいのかな……?

 

「君たち、何か用かね?」

 

 困っていると、門の前に立っていた警備のおじさんが話し掛けてきた。この人に聞いてみようかな。

 

「あの、すみません。王様……いえ、国王陛下にお目通りをお願いしたいのですが」

「国王陛下に何用だ?」

 

 即、聞き返された。考えてみれば名乗りもせずにいきなり面会を申し込んでも通してくれるはずがなかった。

 

「私は姫路瑞希といいます。実は国王陛下にお尋ねしたいことがありましてサンジェスタより参りました」

「ほう。それは遠いところからご苦労なことだ。して、陛下に尋ねたいこととは何かね?」

 

 ……包み隠さずすべてを話すんでしたね。木下君。

 

「実は私たち、こういう腕輪を探しているんです」

 

 私は翔子ちゃんから貰った腕輪の絵を鞄から取り出し、警備の兵士さんに見せた。

 

「信じられないかもしれませんけど、私たち別の世界から飛ばされてきたんです。それで元の世界に帰りたいんですけど、それにはこの腕輪が必要なんです。この話を国王陛下にさせていただけませんか? お願いします!」

 

 腕輪の絵を見せながら、私は切に願った。こんな話を簡単に「はいそうですか」と信じてくれるとは到底思えない。けれど今の私にできるのはこうして願うことだけ。とにかくありのままを話して信じてもらうしかない。そう思い、真剣に願った。

 

「はぁ? 別の世界ぃ? 何だそれは?」

「何て説明したらいいんでしょうか……別の次元とか、別の空間とか……と、とにかくそんな感じの所です!」

「あー。お嬢ちゃん、何の遊びか分からないけど遊ぶならお友達と一緒にね。陛下はもちろん、我々も暇ではないのだよ」

 

 やはり信じてはもらえなかった。それどころか遊びだと思われてるみたい。私がちゃんと説明できてないのがいけないのかな……。

 

 自分の説得力の無さに私は情けなくなり、悲しくなってきてしまった。もうこれ以上どう説明したらいいのか分からない。私は立ち尽くし、ただ唇を噛み締めて俯くことしかできなかった。

 

「横からすまぬ」

 

 そんな時、木下君が横にやってきて、スッとしゃがんだ。そして片膝を突いて(ひざまず)き、落ち着いた声でゆっくりと話し始めた。

 

「ワシは木下秀吉と申す者じゃ。主様が信じられぬのは無理もない。実はワシらとて未だに信じられぬのじゃ。じゃが姫路の言葉に嘘偽りはござらぬ。無理を承知でお願い申し上げる。どうか信じてほしいのじゃ」

 

 木下君の姿勢は驚くほど綺麗だった。しゃがみながらも背筋をピッと伸ばし、胸を張って頭を下げるその姿は、テレビや映画で見たような国王を(うやま)う家臣の姿そのものだった。

 

 それを見て思い出した。礼儀とは、こうやって尽くすのだということを。それに気付いた私は木下君と同じように膝を突き、背筋を伸ばし頭を下げる。そして心の底から願った。

 

「お願いします! 国王陛下にお目通りをお願いします!」

 

 けれども願いは聞き入れてもらえなかった。

 

「やれやれ……別の次元から来たとか、そんな話が信じられるわけがなかろう。さぁ帰った帰った。遊ぶなら他でやってくれ」

 

 まるで相手にしてもらえない。どうしたらいいんだろう……。この世界に飛ばされた時の出来事を細かく説明してみる? でも今のおじさんの態度からして、それを話しても信じてもらえそうにない。坂本君みたいに誰でも説得できる力強さがほしいな……。

 

「…………こいつらの話を聞いてほしい」

 

 すると今度は土屋君が私の左側にやってきて、帽子を取り(ひざまず)いた。

 

「君は?」

 

 と、土屋君に問う警備のおじさん。これに対し、土屋君は意外な答えを返した。

 

「…………レナード王直属。諜報局員、土屋康太」

 

 何かのお芝居かと思った。木下君なら演劇部なので分かるけど、土屋君が演技を? なんて思ったけれど、ハルニア王国での土屋君の肩書きを思い出し、すぐに納得した。そういえば土屋君はハルニア王国の諜報員として働いていたんだっけ。

 

「レナード王だと? ハルニアの国王、レナード陛下か?」

「…………御意」

「ハッハッハッ! バカを言っちゃいけない。ハルニア国王が君のような子供をお召し抱えになるわけがなかろう」

「…………これを」

 

 笑うおじさんに対し、土屋君はマントの内側から1枚の紙を取り出し、スッと差し出した。

 

「やれやれ。今度は何だ? 伝令ごっこか?」

 

 おじさんは笑いながらそれを受け取ると、バカにした様子で紙に視線を降ろした。すると――

 

「何っ!? こ、これはっ!?」

 

 おじさんは目を見開いて大きな声をあげ、驚きを(あらわ)にした。一体何が書かれているんだろう?

 

「なんだ? どうしたんだ?」

 

 私と同じ疑問を持ったのか、警備をしていたもう1人の兵士さんがこちらに寄ってきた。

 

「おいちょっと見てくれ! このサイン、本物のハルニア国王のサインじゃないのか!?」

「何? レナード王のサインだと? どれ、見せてみろ」

 

 2人の兵士さんは顔を寄せ合いながら1枚の紙をじっと見つめている。この人たちの話から想像すると、紙にはハルニアの王様のサインが書かれているように思う。気になった私は小声で土屋君に聞いてみた。

 

(土屋君、あの紙って何なんですか?)

(…………証明書)

(証明書? もしかして身分証明書のようなものですか?)

(…………似たような物)

(それで王様直筆のサインが書かれているんですね)

(…………うむ)

(そういうことだったんですか。でも王様のサインなんてどうやって手に入れたんですか?)

(…………普通に書いてもらった)

(えっ? 国王様とそんなに親しい仲だったんですか?)

(…………親友)

 

 土屋君はそう言うと真顔で親指をぐっと立てた。王様とお友達って……どうやったらそんな親しい関係になれるんだろう。ひょっとして土屋君って友達を作るのが上手なのかも。

 

「申し訳ありません土屋様! 大変なご無礼、ご容赦ください!」

「知らぬこととはいえ、大変失礼いたしました!」

 

 2人の兵士さんは態度を急変させ、私たちに平謝りを始めた。すっかり立場が逆転してしまったみたい。土屋君って実は凄い人だったんですね……。

 

 結局この後、私と木下君は土屋君の部下ということで話が進み、王妃様への面会を許可された。まさかこんな形で信じてもらえるなんて思いもしませんでした。でもこれで一歩前進。腕輪の獲得に向けて頑張らなくちゃ!

 




姫路さん視点は地の文に悩みますね……違和感を感じたら遠慮無くご指摘ください。


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第三十九話 交換条件

「うぅむ……妙なことになってしまったのう」

 

 右隣りを歩く木下君が腕組みをしながら難しい顔をしている。

 

「…………追い返されなかっただけマシ」

 

 土屋君は呟くように言いながら私の左側を歩いている。

 

「そうですよ。まだ腕輪を譲ってもらえるチャンスがあるんですから、良かったじゃないですか」

「そう考えるほかあるまいのう」

 

 私たちは今、王宮から出てきたところ。

 

 結局、私たちは王様には会えなかった。といっても追い返されてしまったわけではなくて、ちゃんと事情を説明して腕輪のことをお願いした。

 

 面会したのは王妃様。やっぱり噂通りこの国は王妃様が治めているみたい。王妃様は宝石が(ちりば)められたドレスをお召しになっていて、眩しいくらいに(きら)めいていた。ただ、話していて察したのだけど、性格はなんというか、その……ちょっぴり自由奔放というか、我儘(わがまま)な感じがしてならなかった。

 

 私たちは王妃様に事情を説明し、まずは腕輪の所在を確認してみた。すると腕輪は確かにこの王宮に存在しているという答えが返ってきた。ところが譲渡を頼み込んだところ、「この(わらわ)が素性の知れぬ者にホイと譲るとでも思うたか」と、拒否されてしまった。

 

 もちろん私たちの素性は包み隠さずすべてを話した。けれど「そのような戯言(たわごと)(わらわ)を騙せるとでも思うたか」と言われ、まったく信じてもらえなかった。でも諦めなかった。私たちは腕輪を得るためにここまで来たのだから。

 

「お願いします!」

「ダメじゃ」

「私たちにはどうしても必要なんです!」

「ダメと言ったらダメじゃ!」

 

 こんな押し問答を繰り返す私と王妃様。何度説明しても王妃様は聞き入れてくれなかった。それでも私たちは必死にお願いした。普段は無口な土屋君も一緒になってお願いしてくれた。

 

 こうしてどれくらいの時間話していただろう。しばらくして王妃様は大きくため息をつき、疲れたと言い出した。そしてひとつの交換条件を出してきた。これは願ってもないチャンス。私は二つ返事でこれを承諾した。

 

「ふむ……なるほど。あれが王妃殿が言っておったマトーヤという山じゃな?」

 

 手で作った(ひさし)を自らの(ひたい)にあてがい、右手の方角を眺める木下君。その視線の先には多数の土色をした建物がひしめき合っている。けれど木下君の言う”あれ”とは、それらの建物を指しているわけではない。指しているのはその先の――ずっと先にある、高く隆起した大地。

 

「きっとそうですね。他に山は見当たりませんし」

「2キロということは徒歩で30分といったところじゃろうか」

「たぶんそれくらいだと思います。あっ、でも私は歩くのが遅いのでもう少し掛かるかも……」

「まぁそう()くこともあるまい。お主のペースで歩こうではないか」

「すみません。ありがとうございます木下君」

 

 王妃様の示した交換条件とは次のようなもの。

 

 この町を出て西に2キロ歩いた所にマトーヤという山があり、その(ふもと)には1つの洞窟がある。その洞窟の中は日の光が届かず、まるで保冷庫のように冷たいという。数年前、この存在を知った王妃様は周囲の反対を押し切り、ここを王家の食料保管庫に決定。以来、盗難に遭わないように鉄の格子で封じられていたという。

 

 ところが最近になり、この鉄格子が引き裂かれているのを食料を取りに来た者が発見。洞窟の中を確認したところ、なんと魔獣が住み着いていたのだという。もちろん王妃様はこれを放っておくわけもなく、追い出そうと兵を送り込んだ。けれど洞窟は狭く、魔獣は激しく暴れる。何度も討伐隊を送り込むも王家の兵士たちは(ことごとく)く敗退してしまい、結局どうすることもできず今まで放置していたのだという。

 

 ここまで聞いて私は王妃様が何を言わんとしているのかを理解した。

 

 ”この住み着いた魔獣を排除し、洞窟を取り戻すこと”

 

 それが腕輪の交換条件なのだと。そして王妃様の出した条件はまさにそれだった。

 

「それにしても魔獣退治とはのう。よもやこのような形で召喚獣の力を使うことになるとは思わなんだわい」

 

 歩きながら言う木下君は僅かに口角を上げ、ほくそ笑んでいるように見えた。

 

「なんだか嬉しそうですね。木下君」

「ふっふっふっ……分かるかの? 実はワシは一度でいいから”(おお)立ち回り”をやってみたかったのじゃ!」

「大立ち回り……ですか?」

「んむ。剣劇などにおける激しい斬り合いのシーンのことじゃ」

「あ、分かります。時代劇なんかでよく見ますね。でも演劇部でそういった類いの劇はやらなかったんですか?」

「ワシは守られる女子の役ばかりじゃったからのう……」

 

 木下君は目を細め、しみじみと空を見上げている。きっと格好良い主演を演じてみたかったんだろうな……。彼の珍しい表情を見ながら、私はそんなことを思った。

 

「でも魔獣って人を襲うんですよね。追い出すなんて私たちにできるんでしょうか……」

「明久が言っておったじゃろう? 召喚獣の力があれば互角以上に渡り合えるとな」

「でも私は明久君みたいに召喚獣の扱いが上手くないですし……」

「そうじゃな……召喚獣の力があるとはいえ、生身で戦うというのはお主には辛いやもしれぬな。ならば姫路よ、お主は先に宿に行き休んでおって良いぞ。長旅で疲れたじゃろう。洞窟の件はワシらに任せるのじゃ」

 

 !

 

「いえ! 私も行きます!」

「む。しかしじゃな……」

「王妃様の依頼を皆さんに任せて私だけ休んでるなんてできませんっ!」

 

 私は今まで体の弱さから、いざという時に役に立てず、辛い思いを重ねてきた。それが最近になって体力もついてきて、やっと皆と一緒に頑張れるくらいになってきた。試召戦争でも皆の役に立てるようになってきたと思う。でもこの世界に入ってからというもの、何もできない自分に戻りつつあった。

 

 ……そう、何もできなかった。

 

 独りラミールの町に放り出され、私は泣くことしかできなかった。木下君に見つけてもらっても(なお)、どうしたらいいのか分からなかった。

 

 でも明久君や坂本君に再会して私にもやるべきことができた。今ここで木下君たちに任せてしまったら、また何もできない自分に戻ってしまう。だから……だからこの依頼だけは、なんとしても自分の手で成し遂げたい!

 

「姫路よ、無理をせぬ方が良いぞ? 体力もだいぶ消耗しておろう」

「いいえ! やれます! だって私はチームひみこのリーダーなんですから!」

「むぅ……」

 

 木下君は困っているみたい。けれどここは私も譲れない。もう守られてばかりの自分には戻りたくないから!

 

「ムッツリーニよ、お主はどう思う?」

「…………好きにさせるといい」

「そうか。多数決でワシの負けじゃな。仕方あるまい。じゃが姫路よ、くれぐれも無理をするでないぞ?」

「分かってます。皆さんにご迷惑はお掛けしません」

 

 良かった。これで私も皆の役に立てる。魔獣と戦うなんて初めてのことだけど、きっと使命は果たしてみせます!

 

「しかし魔獣とはどのようなものなのじゃろうな。ワシは見たことがないのじゃが……」

「明久君が言ってましたね。動物の姿をしているんだって」

「確かに言っておったな。そういえばムッツリーニは見たことはあるかの?」

「…………ある」

「ほぅ、どんな様子じゃった?」

「…………熊」

「熊じゃと? ツキノワグマやホッキョクグマといったあの熊か?」

「…………そうだ」

「大きいのう。熊といえば立ち上がれば2メートルくらいじゃったかのう」

「…………いや。10メートルだ」

「じゅっ、10メートル!? そんなに大きな魔獣と戦うんですか!?」

「待つのじゃ姫路よ。洞窟の中に潜むのじゃから、そのようなサイズでは入らぬぞい?」

「あっ、そうですね」

「まぁ洞窟が大きければ入るやもしれぬがの」

「えぇっ!? そ、そうなんですか!?」

「落ち着くのじゃ。ともかく行ってみなければ分からぬ」

「そ、そうですね……」

 

 あんまり大きな魔獣じゃなければいいな……それと、できれば話して分かり合える相手だといいのだけど……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 私たちは西門で待ち合わせた案内役の兵士さん2人に連れられ、町を出発した。やはりマトーヤ山へは徒歩30分ほどで着くらしい。

 

「も、申し訳ありません。ほ、ほ、本来なら魔障壁装置を備えた馬車を用意するところなのですが、あ、あいにくすべてで、でで出払っておりまして……」

 

 そう言って謝るのは前を歩く銀色の鎧姿のニールさん。町を出てからずっとガタガタと身を震わせていて、ずっとこんな鎧の金属音が聞こえている。このように徒歩で町を出ることは稀であり、魔獣に襲われる危険性があることは聞いている。でも王宮の兵士さんであれば当然魔獣と戦うための訓練は積んでいるはず。にもかかわらず、こんな頑丈そうな鎧を着た男の人がこんなにも怯えている。

 

 つまり魔獣とは訓練を積んだ男の人でも怯えるほど恐ろしい存在ということ? もしかして私、とんでもなく危険な依頼を受けちゃった? な、なんだか私も怖くなってきちゃいました……。

 

「姫路よ。やはりお主は町に戻って休んでおった方が良いのではないか?」

「えっ? ど、どうしてですか?」

「ほれ、見るからに顔色が優れぬではないか」

「っ――!? そ、そんなのことないです!! 木下君の気のせいです!」

「そこまでムキになって否定せんでもよいじゃろ……」

「私、ムキになんてなってません! 受けた仕事は最後まで責任を持ってやり遂げます!」

「う、うぅむ……」

 

 木下君は困ったような表情を見せる。私が強がりを言っているのを見抜いているみたい。

 

「私だって皆の役に立ちたいんです。だから決めたんです。絶対に腕輪を持ち帰るって」

 

 確かに魔獣は怖い。でももう何もできず泣いているだけの自分には戻りたくない!

 

「分かった。もはや止めはせぬ。じゃが先ほども申したが無理は禁物じゃ。危険を感じたら即逃げるのじゃぞ?」

「はい。分かってます」

「ムッツリーニよ。いざという時はお主もフォローを頼むぞい」

「…………任せろ」

「ニール殿。そういうわけじゃから主様も戻っていただいて構わぬぞい。場所さえ教えていただければワシらだけで行くによってな」

「そっ、そうはいきませんよ。そのようなことをしたら王妃様にお叱りを受けてしまいます」

「じゃがそのように怯えておるではないか」

「わ、私は……こ、こうして魔障壁の加護なしに出るのは初めてなんです。訓練は積んでいるのですが、ま、魔獣と戦ったこともなくて……」

 

 落ち着かない様子で左右にキョロキョロと目を配りながら道を歩くニールさん。凄く怖がっていて、なんだか気の毒になってきちゃった……。

 

「きっ、君たちは戦ったことがあるのか? 魔獣と……」

 

 後ろから尋ねるのは最後尾を歩くもう1人の付き添い兵士のヒルデンさん。彼もまた酷く怯えた様子で私たちの後ろについて歩いている。

 

「ありません。見た事もありませんから」

「ワシも無いぞい」

「…………見た事ならある」

 

 と私たちが答えると、2人の兵士さんは立ち止まり、急に声を荒げた。

 

「しょ、正気かあんたら!? 悪いことは言わん! やめておけ!」

「君たちは魔獣を甘く考え過ぎている! そんなにた易く倒せるような相手なら我らとて手を(こまね)いてなどいない! 諦めて帰るべきだ!」

 

 猛反対するニールさんとヒルデンさん。けれど私だってここで引き下がるわけにはいかない。

 

「いいえ。やります! どうしてもやらなくちゃいけないんです!」

 

 私は両手に拳を握り、兵士さんたちに反論する。すると木下君も私に味方をしてくれた。

 

「姫路の言う通りじゃ。ワシらには王妃殿の示す報酬がどうしても必要なのじゃ。ゆえに諦めるわけにはいかぬのじゃ」

「何を言ってるんだ! 女の子2人と男の子1人で魔獣とどう戦おうって言うんだ! それに君たちは何の武装もしていないじゃないか!」

「……ワシは男じゃ」

「「……」」

 

 2人の兵士さんは急に黙り込んでしまった。そして、じっと木下君の顔を見つめていた。

 

「そっ! そんな嘘で誤魔化そうったってそうはいかないぞ!」

「そうだそうだ! そんなに可愛い顔をした男がいるわけがないじゃないか!」

 

 兵士さんたちは木下君の言葉を信じなかった。お二人の気持ちは私にもよくわかる。私も木下君のことを女の子と錯覚してしまうことが度々あるから。でも本人曰く、正真正銘の男の子らしいのです。

 

「もうこのやりとりは疲れたのじゃ……」

 

 と、半分諦め気味の木下君。私は掛ける言葉が見つからず、ただ愛想笑いをするしかなかった。

 

「と、ところで洞窟ってどの辺りにあるんですか?」

 

 とりあえず先に進もうと、話題を変えてみた。

 

「あ? あぁ……この道を真っ直ぐ進んで10分くらいのところだけど……」

「そうですか。じゃあ行きましょう!」

 

 このまま話していても兵士さんは反対するだけだろう。そう思った私は1人で道を歩き出した。

 

「そうじゃな。今は先に進むことを考えることにしよう」

「…………うむ」

 

 私に続いて木下君と土屋君も道を歩き始めた。

 

「お、おい……どうする?」

「行くしかないだろ。命令に背いたら減給か下手すりゃ除隊だ」

「そ、それは困る! 分かった。行こう……」

 

 2人の兵士さんは引き止めるのを諦めたようで、私たちの後ろについて歩き出した。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 そして約10分後。私たちは山肌にそれらしい穴が開いている部分を発見した。たぶんこれが目的の洞窟だと思う。

 

「ニールさん、ここが保冷庫として使っていた洞窟ですか?」

「はい。その通りです」

「ここに魔獣がいるんですね……」

 

 洞窟は予想より大きかった。入り口の高さは5、6メートルはあるだろうか。確かに入り口には鉄格子が設置され、洞窟を塞いでいた。ただしその鉄格子には2本の爪で(えぐ)ったような跡がいくつも付いていて、破られていた。

 

「奥までどれくらいありますか? って……あら?」

 

 振り向いて兵士さんに尋ねてみたら2人の兵士さんの姿が無かった。どこに行ったのかと辺りを見回してみると、大きな岩陰から頭が2つ出ているのが見えた。

 

『ご、5分くらいだと思います! そんなに深くありませんから!』

 

 岩陰から顔だけを出したニールさんが叫ぶ。そんなに怯えなくてもいいのに……。

 

「ふむ、5分か。ならばここから装着して行くとするかの」

「そうですね」

「…………了解」

 

 私たちはそれぞれ片手を天に掲げ、キーワードを口にする。

 

「「「――試獣装着(サモン)!」」」

 

 掛け声と共に3本の光の柱が私たちの身体を包み、衣装を変化させる。

 

 私は胸や肩を金属で守られた赤いワンピース。木下君は白い胴着に紺色の袴。そして土屋君は、まるで忍者のような全身真っ黒な装束。召喚獣と同じスタイル。違うのは頭に装着した半透明で水色のバイザー。

 

 私たちはそれぞれ手に武器を持ち、洞窟内をじっと見つめる。一体どんな魔獣が潜んでいるのだろう。できることなら話し合いで解決したいところだけど……でも動物じゃ話は通じないかな……?

 

『あ、あんたたち! 無理をするんじゃないぞ!』

『命あっての物種だからな! 無理だと思ったらすぐ引き返すんだぞ!』

 

 ニールさんとヒルデンさんが岩陰に隠れながら忠告をくれる。なんだかんだ言っても心配してくれているみたい。

 

「ありがとうございます。行ってきます!」

 

 私たちは先程ヒルデンさんから預かった松明に火を灯し、破られた柵を乗り越えて洞窟の中へと踏み込んで行った。

 



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第四十話 洞窟に潜む巨獣

 貰った松明の明かりを頼りに私たちは洞窟内を進む。洞窟の中は真っ直ぐの道が続いていた。中は徐々に広くなり、今歩いている所は車が横に3台並べるくらいの道幅になっている。頭上の空間もかなり広がっていて、高さは10メートルくらいありそう。

 

「姫路よ、足元に気をつけるのじゃぞ」

「はいっ」

「ムッツリーニ、何か気配を感じたらワシらを止めてくれ」

「…………了解」

 

 私たちは慎重に足を運び、洞窟の奥へと進んでいく。すると1分もしないうちに洞窟の両脇に木製の箱が並びはじめた。箱は1つが幅高さ共に1メートルほどの正方形。それが2段、3段に積み上げられている。

 

「なんじゃこの箱の山は。もの凄い数じゃな」

「ホントですね……」

「…………宝箱」

 

 松明の光を受け、土屋君の目がキラキラと輝いている。でも何か勘違いしているような……?

 

「ムッツリーニよ。あの中にある物は食料じゃ。宝石類などではないぞい」

「…………そうだった(ガクリ)」

「あ、あはは……土屋君らしいですね……」

 

 木箱の列は洞窟の先まで続いている。一体いくつあるんだろう。この暗闇の先にもずっとこれが続いているのかな。これらすべてに食材が入っているのだとしたら、何人分の食事が作れるだろう。私はそんなことを考えながら松明に照らされる洞窟内を歩いていた。

 

「…………待て」

 

 しばらくして土屋君がポツリと呟いた。

 

「なんじゃ? 何かおるのか?」

「…………何か聞こえる」

 

 土屋君は目をギラリと光らせ、洞窟の先の暗闇を睨んでいる。

 

「私には何も聞こえませんけど……」

「姫路よ、松明を高く掲げるのじゃ」

「は、はいっ!」

 

 私は言われたとおり腕を伸ばし、手に持った松明を高く掲げた。ゆらゆらと揺らめく松明の光が洞窟内をより広く照らす。けれど辺りには木箱が並べられているだけで、他には特に何も見えない。

 

「何かいるんですか? 私には何も見えませんけど……」

「シッ! 静かに!」

 

 木下君が警戒している。私には感じ取れない何かがいるということ? そう思っていたら、

 

《フーッ……フゥーッ……フゥーッ……》

 

 今度は私にも聞こえた。荒い息遣い。何かしら? 動物の鼻息のような……。

 

「…………魔獣」

「えっ!? ま、魔獣!? そうなんですか!?」

 

 土屋君の言葉に思わず動揺してしまう。その魔獣を退治しに来たはずなのに。

 

「どうやらお出ましのようじゃな。姫路よ、覚悟は良いか?」

「は、はいっ!」

 

 気合いを込めて返事をしたものの、やはり体が震えてきてしまう。ホテルで待っていてもいいと言われたのに、ここまで来たのは自分の責任。それは分かっている。でも、いざとなると恐怖が前面に出てきてしまう。

 

 そうして体を(こわ)ばらせているうちに、荒い息遣いは徐々に私たちの方へと近付いてくる。やがて声の主は松明の光の届く範囲へと入り、その姿を(あらわ)にした。

 

「え……?」

「んむ? あれは……?」

 

 ”魔獣”という名前から、禍々しい悪魔と獣を混ぜ合わせたようなものを想像していた。明久君が遊んでいたゲームに出てくるような”魔物”をイメージしていた。けれど姿を現したそれは私の予想を完全に覆してきた。

 

 4本の足で立ち、白い毛で覆われた身体。頭部から左右にツンと張り出した耳。顎から伸びたまるでお爺さんのような長い髭。そして後頭部から突き出し、後方へと大きく伸びる2本の(つの)

 

「えっと……や、山羊(ヤギ)……ですよね?」

「そうじゃな。ワシにも山羊に見えるぞい」

「…………だが……でかい」

 

 目の前に現れた山羊は異様に大きかった。山羊といっても種別によって大きさは色々あると思う。けれど今私は顎を上げ、見上げるようにしてその山羊と(おぼ)しき生き物の長い髭を見ている。まるでキリンを見ているかのように。どんなに大きく育ったとしても、これほどまでに大きな山羊なんてあり得ない。

 

「な、なるほど。こやつが洞窟を占拠したという魔獣じゃな?」

「こ、これが……魔獣……なんですか……?」

 

 明久君から”動物の姿をしている”とは聞いていたけれど、こんなにも普通の動物の姿をしているなんて……で、でも大きさが……。

 

「そ、それにしても大きいのう……」

「…………熊の魔獣よりは小さい」

「むう。それを考えるとまだマシな方なのかもしれぬな……。じゃが……2頭おるようじゃ」

 

 木下君が言うのとほぼ同時に、もうひとつ白いものが暗闇の中から姿を現した。それも目の前にいる魔獣と同じように巨大で、同じように頭に鎌のような(つの)を携えていた。

 

「そ、そんな……魔獣が……2匹だなんて……」

 

 あまりに巨大な魔獣の姿を目の当たりにし、私は完全に怖じ気づいてしまった。背筋に凍りつくような悪寒が走り、膝がガクガクと震えて止まらない。もう立っているのが精一杯だった。

 

《フゥーッ、フーッ、フゥーッ》

《ブフッ、フゥーッ、ブルルゥ……》

 

 興奮した様子を見せる2匹の巨大な山羊。その目はまるで血のように赤かった。更にその目と目の間――(ひたい)には光を反射する赤い”宝石”のようなものが見える。あれが明久君の言っていた魔石……?

 

「これはどう見ても話し合いで解決するような雰囲気ではないのう」

「…………止むなし」

 

 木下君と土屋君が武器を前方にして身構える。私は全身の筋肉が緊張してしまい、動けなかった。

 

「姫路よ、ここはワシらに任せい。お主は(あかり)を頼む」

 

 木下君が腰を落とし、薙刀(なぎなた)を水平に構えて言った。

 

「わ、私も――」

 

 戦うと言いたかった。でも手や足が震えてしまって言えなかった。今の状態のまま戦ったとしても必ず足手まといになってしまうと思ったから。

 

「わ……分かりました……」

 

 私は震える足をなんとか動かし、一歩だけ下がった。そして腕を上げ、松明を高く掲げた。せめて2人のために明るさを。そう思って震える腕を懸命に伸ばした。

 

「…………来る」

 

 チャキッと土屋君が小太刀を構える。

 

《ヴォォーーーッ!!》

《ヴェェェーーーッ!!》

 

 奇妙な雄叫びだった。山羊とは本来、「メェ~」と鳴くもの。ところがこの2頭の山羊――いや、山羊の形をした魔獣はまるで怪獣のような叫びを上げた。そして頭をもたげ、(つの)を押し出すようにして一気に突進してきた。

 

「木下秀吉! 参る!」

 

 応じるように木下君が掛け声をあげ、薙刀を担ぐように構えて片方の魔獣に突っ込む。直後、その横にいた土屋君の姿がフッと消えた。

 

 ――ガギィン!

 

 ”けたたましい”という表現が相応しいほどの金属音が洞窟内に響く。私は恐ろしさのあまり身をすくめ、ぎゅっと目を瞑ってしまった。

 

《ブルルルゥ……》

 

「ぐっ……こ、こやつ、なんという力じゃ……」

 

 苦しそうな木下君の声が洞窟内に響く。この言葉からすると木下君は無事みたい。私は恐る恐る目を開けてみた。

 

「木下君!」

 

 彼は1匹の突進を薙刀の柄の部分で受け止めていた。その横では土屋君が二振りの小太刀をクロスさせ、もう一方の山羊の(つの)を受け止めている。

 

《フーッ、フゥーッ! フゥーッ!》

《ブルルッ、ブフッ!》

 

 真っ赤な目を見開き、鼻息を荒くする魔獣たち。2匹の魔獣は止められても尚、(つの)をぐいぐいと押し付け、木下君たちを押し潰そうとしている。

 

「くぅっ……だ、ダメじゃ! このままでは押し切られるぞい!」

「…………受け流せ」

「りょ、了解じゃ!」

 

 土屋君の指示を受け、木下君が薙刀を横に倒す。すると魔獣は勢いよく壁に激突。

 

 ――ドズゥン!

 

「きゃぁっ!」

 

 大きな音を立て、地面が大きく揺れた。私は思わずしゃがみ込み、頭を抱えてしまった。

 

『姫路よ! ()を絶やすでない!』

 

 暗闇の中で木下君の声が洞窟に響き渡る。そ、そうだ。私が松明を持っていたんだった……!

 

「す、すみません!」

 

 すぐさま立ち上がり、再び松明を高く掲げる。すると壁際の木箱が3つほど粉砕され、魔獣が頭を洞窟の壁にめり込ませているのが見えた。

 

《ンヴォォーッ!》

 

 壁から頭を引き抜き、山羊の魔獣がまるで牛のような雄叫びをあげる。あんなに勢いよく壁に衝突したのに、一切ダメージを受けていないように見える。

 

「なんと頑丈なやつじゃ……これは一筋縄ではいかぬようじゃな」

 

 そう呟く木下君に魔獣が再び突進してくる。木下君はパッと飛び退き、それをかわして木箱の上に乗る。間髪入れずに(つの)を突き上げる魔獣。木下君はそれもヒラリとかわし、木箱に頭を突っ込んだ魔獣の背中にふわりと乗った。軽い身のこなしの木下君。まるで五条大橋の弁慶と牛若丸を見ているようだった。

 

「すまぬ。これも腕輪を手に入れるためじゃ!」

 

 そう言って木下君が薙刀を逆手に持ち、(やいば)を魔獣の背中に突き立てる。

 

 ――ぐにんっ

 

 けれど木下君の(やいば)は不思議な弾力で跳ね返されてしまった。

 

「なっ!? なんじゃこの表皮――うっ!?」

 

 魔獣が身体をゆすり、驚いている木下君を振り落とした。なんとか体勢を立て直して着地する木下君。けれどそこへ魔獣の後ろ足が伸びてくる。

 

「ぐっ……!?」

 

 強烈な蹴りを腹部に受け、木下君は10メートルほど吹き飛ばされた。

 

「きっ……木下君!!」

「来るでない! 大丈夫じゃ!」

 

 彼は小柄な身体を起こし、薙刀を構え直して叫ぶ。

 

「ムッツリーニ! 気をつけるのじゃ! こやつの皮膚は切れぬ! まるでゴムのようじゃ!」

「…………分かっている。俺の小太刀でも切れない」

 

 土屋君の声で彼もまた戦っていることを思い出し、私は声のする方に目を向けた。彼は持ち前の素早さを活かし、手に持った小太刀で魔獣を何度も切りつけている。にもかかわらず、魔獣の身体には傷ひとつ付いていないようだった。

 

「木下君……土屋君……」

 

 魔獣は怖い。殺意を剥き出しに襲いかかってくる獣を相手にすれば傷つき、痛い思いもするだろう。でもそれは当然。これは実戦であり、試召戦争とは違うのだから。そんな戦いを身体が弱かった私ができるはずもなかった。

 

 ……

 

 でも……皆が戦っている……。

 

「…………あまり木箱を壊すな」

「くっ……! 好きでやっておるわけではないわ! お主こそ早くそっちを終わらせてこっちを手伝うのじゃ!」

「…………正直厳しい」

 

 魔獣は想像以上に強い。そもそも魔獣退治を引き受けると言ったのは自分だ。木下君の反対を押し切ってここまで来たというのに、自分は何をしているのだろう。また震えて泣いているだけなのか。そんな自分に戻ってしまうのが嫌でこの件を引き受けたのではなかったのか。

 

 私は腰に下げた大剣に目をやる。身の丈ほどの大きな剣。それは松明の光を反射し、鈍い光を放っていた。

 

「私は……」

 

 この時、私の脳裏にサンジェスタでの明久君の言葉が蘇ってきた。

 

 

 ── 姫路さんは僕なんかよりずっと強いんだから ──

 

 

 明久君は私にそう言ってくれた。いつも助けられてばかりの私を。召喚獣の力がある今、勇気を出せばきっとあの魔獣にだって立ち向かえるはず。でも私にはその勇気が足りない。

 

「明久君……私は……」

 



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第四十一話 残されたもの

「ムッツリーニよ! どうすればよいのじゃ! このままではジリ貧じゃぞ!」

「…………俺に聞くな」

「お主、明久が魔獣と戦うのを見ておったじゃろ! 何か対処を知っておるのではないのか!?」

「…………俺は見ていない」

「なんじゃと? お主、熊の魔獣を見たと言っておったではないか!」

「…………消えていくところを見ただけだ」

「くっ! 見ただけじゃったか!」

 

 魔獣の動きはそんなに早いわけではなかった。攻撃も直線的で単調。ただ力任せに頭から突進してくるだけだった。身の軽い木下君と土屋君はそんな巨獣の攻撃をひょいひょいとかわしている。

 

「おのれ! お主の皮膚はどうなっておるのじゃ! まるで(やいば)が通らぬではないか!」

 

《ガァァーッ!!》

 

「ガァではない! 山羊ならばメェと鳴いてみせい!」

 

《グォァァーーッ!!》

 

「えぇい! 分からぬ奴じゃ!」

「…………言葉が通じるわけがない」

「分かっておるわ!」

 

 けれど2人は苦戦を強いられている。それはこちらの攻撃が通用しないから。相手の攻撃をかわしつつ、何度も武器の(やいば)を突き立てる木下君たち。でも何度(やいば)で斬りつけても魔獣の皮膚にはまったく傷が付かなかった。

 

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……こ、これはちと厳しいのう」

「…………一時撤退するか」

「そ、そうはいくまい。何度も挑戦している時間はワシらには無いぞい」

「…………なら、どうする」

「とにかく攻撃あるのみじゃ! 通用するまで何度もじゃ!」

「…………結局それか」

「なんとしても倒すぞい! お主も気合いを入れい!」

 

 2人は更に速度をあげ、魔獣に立ち向かっていく。でもやっぱり何度(やいば)を突き立ててもまるで効いていないみたい。

 

 ダメ……このままじゃ負けちゃう……! (やいば)が通らない以上、木下君たちに勝ち目は……!

 

「やめてください木下君! 土屋君! このままじゃ2人ともやられちゃいます!」

「大丈夫じゃ! こやつらの動きは遅い! 当たりはせぬ!」

「で、でも……!」

「それよりお主はしっかりと火を灯すのじゃ!」

 

 木下君はそう叫びながら魔獣に向かって走って行く。土屋君はもう一体の魔獣を相手に目にも止まらぬ早さで翻弄しながら小太刀で斬りつけている。でもやっぱり2人の攻撃はまるで効いていなかった。武器が小さいので威力が無いのかもしれない。

 

「……」

 

 私は再び腰の大剣に目をやる。この大きな剣なら……私の武器なら……あの魔獣にも通用するかもしれない。でも……。

 

《ゴァァァーーッ!!》

 

 ――ドズゥゥン!!

 

 怖い。

 

 ただひたすらに相手を押し潰そうとする魔獣が怖い。あんな攻撃をしたら自らも傷つくことが分からないのだろうか。それに私たちを攻撃してくる理由も分からない。なぜあれほどまでに殺意をむき出しにするの?

 

「ま……魔獣さん! やめてください! 私たちはあなたたちを傷つけたくないんです! ただこの洞窟をあけてほしいだけなんです!」

 

 私は震える声を絞り出し、訴えかけた。けれど2匹の魔獣は私の言葉に耳を傾ける様子はなかった。それどころか私の存在自体を気にしていないようだった。

 

「無駄じゃ姫路よ! こやつらに言葉は通用せぬ!」

「で、でもこのままじゃ木下君たちが……!」

「良いからワシらに任せるのじゃ!」

 

 木下君はああ言うけど、攻撃が効かない以上どうにもならないはず。でもここからあの魔獣たちを追い出さないと、王妃様との約束が果たせない。王妃様との約束が果たせなければ私たちは……。

 

 このままじゃ……このままじゃ私たちは元の世界に帰れない……サンジェスタで皆と約束したのに……明久君や美波ちゃん、それに坂本君や翔子ちゃんだって頑張っているというのに……チームひみこのリーダーを任されたというのに……。

 

 ……

 

 もう、やるしかない。私が勇気を出さなければ皆が元の世界に帰れない。怖いけど……私が……やるしかない!

 

「明久君……! 私に……私にほんのちょっとだけ……勇気を分けてください!」

 

 祈るような気持ちで叫び、私は「パシッ!」と両手で頬を叩き自らに気合を入れた。

 

「姫路瑞希、行きます!!」

 

 私は腰の大剣を抜き、木下君に襲いかかっている魔獣に向かって一気に走り出した。

 

「やあぁぁーーっ!!」

 

 そして両腕に渾身の力を込めて剣を振り下ろす。

 

 ――ザシュッ

 

 剣にズシリと重たい感じがして、物が切れる音がした。

 

《ムォォォーーッ!?》

 

 大剣が魔獣のお尻を切り裂き、魔獣が苦痛の叫び声をあげる。刃物で切り裂いたのだから血が出ると思っていた。けれど切れた箇所からは何も出なかった。いや、黒くて何か気体のような……煙のようなものが、吹き出しはじめた。

 

「姫路よ! 無理をするでない!」

「いいえ! 私も戦います! だって私はチームひみこのリーダーですから!」

 

 もう怯えたりしない。今度こそ皆のために戦う!

 

「ふ……やはりお主もFクラスじゃな」

「もちろんです。だから私も戦うんです。皆と一緒に!」

「そうじゃな。どのみち奴にはお主の剣しか通用せぬようじゃ。ならばワシが注意を引き付ける。隙を見て額の宝石を破壊するのじゃ」

「えっ? 宝石を……ですか?」

「んむ。見るからにあれは弱点じゃ。あれを破壊すればこやつも元の山羊に戻るやもしれぬ」

「本当ですか!?」

「いや、分からぬ。ただの勘じゃ。それも今思いついただけのな」

「とにかくやってみましょう! でも宝石を壊すのは木下君です」

「む? 何故(なにゆえ)ワシなのじゃ?」

「私の剣は大きすぎて宝石だけを狙うなんて器用なことはできません。だからこういうことは木下君の方が適してるんです」

「なるほど。一理あるのう」

「はい、そういうことですからお願いします! 私が囮になります!」

「了解じゃ! 頼むぞい!」

「はいっ!」

 

 木下君と私は1匹の魔獣を前後から挟み込み、少し距離を取って武器を構える。

 

《グルルゥ……》

 

 魔獣は私と木下君を交互に見ながら、警戒する素振りを見せている。そのお尻からはシュウシュウと音を立てながら黒い煙が出続けていた。

 

「ふ……姫路を警戒しておるようじゃな。ならばこちらから行くぞい!」

 

 そう言って木下君が後ろから一気に距離を詰める。

 

《――ッ!》

 

 それに反応して魔獣が後ろ足を跳ね上げ、蹴りを繰り出す。木下君は地面を蹴ってパッと横に飛び、それをかわしつつ更に詰め寄る。

 

「はぁッッ!!」

 

 気合いと共に木下君が薙刀で魔獣の横腹を斬り付ける。しかし、またもその(やいば)は弾き返されてしまう。

 

「くっ! ワシでは力が足りぬのか!」

「私が行きます!」

 

 体勢を整える前に! と、大剣を肩に担ぐようにして魔獣に飛び込む。けれど魔獣はひょいと飛び退き、振り下ろした私の剣を軽々とかわしてしまう。

 

「やぁーっ!」

 

 私はそれを追うように大剣を振り回す。しかしそれも簡単に避けられてしまう。この山羊の魔獣、身体の大きさの割に動きが早い……!

 

「だ、ダメです! 私じゃ追い付きません!」

「当たらなくても構わぬ! とにかく隙を作るのじゃ!」

「は、はいっ!」

 

 木下君の指示通り、私はとにかく剣を振り回した。何度も何度も、腕が痛くなっても振り回し続けた。それでも攻撃は一発も当たらず、私はただ体力を消耗していった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……な、なんて素早いの……」

 

 私はもともと木下君や土屋君のような早い動きができない。それに加えてこの大きな武器。これが私の動きを更に鈍くしている。だから私の攻撃は遅く、こんなにも簡単に避けられてしまうのだろう。

 

「姫路よ! 奴の動きを良く見るのじゃ! そして先を読むのじゃ!」

「わ、分かりましたっ!」

 

 動きを良く見て……。

 

「やぁっ!」

 

 私はブンと剣を横一閃に振り回す。しかし魔獣はそれをあざ笑うかのように紙一重でひょいと飛び、かわす。でも今度は私の目も追い付いている!

 

「そこですっ!」

 

 魔獣の着地点を狙い、遠心力を使って投げつけるように大剣を叩きつける。

 

《メェッ!?》

 

 私の攻撃が予想外だったのか、魔獣は驚いたように小さく(いなな)いた。初めて山羊らしい声を聞いた気がする。しかし意表を突いたものの、この攻撃もかわされてしまった。けれど今ので魔獣は両前足を高く上げ、後ろ足2本で立ち上がる格好になった。

 

「木下君! 今です!」

「了解じゃぁぁっ!!」

 

 後ろから私を飛び越えるように木下君が飛び出し、薙刀で魔獣の眉間を突いた。

 

 

 ――ガシッ!

 

 

 石の砕けるような音がした時、木下君の(やいば)は的確に赤い宝石を捉えていた。

 

《…………》

 

 魔獣は両前足を上げたまま、まるで剥製のように動きを止めた。木下君は刺さった薙刀から手を放し、私の横にふわりと降り立つ。

 

「ど……どうじゃ!?」

「わ、分かりません……」

 

 お願い……元に戻って……! 私は祈るような気持ちで魔獣の様子を見守った。

 

 

 ……時間が凍りついたようだった。

 

 

 ほんの数秒の出来事だったのかもしれない。でも私にはこの(とき)がとても長く感じられた。

 

 しばらくして魔獣の体に変化が現れはじめた。全身から大量の煙を吹き出し始め、次第に身体が透明になっていく。呆然とその様子を見守る私と木下君。そうして眺めているうちに巨獣の姿はどんどん透けて見えなくなっていく。その光景はゆらめく松明の光に照らし出され、信じられないほど幻想的であった。

 

 ――カラン

 

 乾いた音と共に、薙刀が地面に落ちた。

 

「「…………」」

 

 未だかつて経験のない不思議な現象を目の当たりにし、私たちは言葉を失った。何が起きているのか理解できず、呆然と魔獣のいた辺りの空間を見つめていた。

 

「消えて……しもうたな……」

「……はい……」

 

 私は力なく答えた。

 

 結局、魔獣は元の山羊には戻らなかった。すべてが煙となり、大気中に融け込んでしまった。

 

 ……悲しい。結局私たちはあの魔獣の命を奪ってしまった。

 

 確かに依頼は魔獣の討伐。これで使命は果たしたと言える。でも王妃様からの依頼とはいえ、これで良かったのかな。あの子たちも何か事情があってこの洞窟に潜んでいたんじゃないのかな。もしかしたらもっと他に手が……もっと平和的に解決する手段があったんじゃないのかな。

 

 そんな思いが頭の中を駆け巡り、悲しい気持ちが溢れてきてしまう。やるせない思いが胸を締め付けてしまう。

 

「そっ、そうじゃ! ぼんやりしている場合ではない! ムッツリーニよ! 無事か!?」

 

 木下君の声で私も我に返った。直後、洞窟内に土屋君の声が静かに響いた。

 

「…………問題ない」

 

 声の方に目を向けると、土屋君は魔獣の首に跨がり、(ひたい)の宝石に小太刀を突き刺していた。

 

 ――タッ

 

 そこから飛び降りる彼は息一つ乱していなかった。あれほど激しく動き回っていたというのに。

 

「…………任務、完了」

 

 呟くように言いながらこちらへと歩いてくる土屋君。その後ろには先程と同じように煙となって消えていく魔獣の姿があった。

 

「1人でやってしまったのか。やるのう。ムッツリーニ」

「…………ギリギリだった」

「どこがギリギリなのじゃ? お主、息一つ切らせておらぬでは――――」

 

 木下君がそう言いかけたその時、土屋君はフッと体を沈ませた。そして両膝を突き、その場に崩れ落ちてしまった。

 

「つ、土屋君!?」

「姫路よ! 松明じゃ!」

「はいっ!」

 

 私は脇に置いていた松明を慌てて取り、土屋君に向けた。柔らかな魔石灯の灯が土屋君の姿を照らし出す。彼は両膝を地面に突き、左腕を押さえていた。

 

「…………不覚」

 

 苦々しく言う土屋君の黒い袖はべっとりと赤色に染まっていた。

 

「姫路よ。そのまま照らすのじゃ。ワシが応急処置をする」

「ごめんなさい土屋君……私がぐずぐずしていたから……」

「…………お前のせいじゃない。気にするな」

「そうじゃぞ姫路よ。お主はワシらを守ってくれたのじゃ。もっと自信を持つのじゃ」

 

 木下君は慣れた手つきで土屋君の腕を縛りながら、私を励ましてくれる。けれど私は素直に喜ぶことはできなかった。

 

「でも私……自分で依頼を引き受けると言いながら、魔獣を見た時に足がすくんでしまったんです。自分が情けないです……」

「じゃが結果的にお主はその恐怖に打ち勝ったのじゃ。もう気に病むこともなかろう。よし、できたぞい」

「…………すまない」

「なんの。じゃがお主に鼻血以外の止血をするのは初めてかもしれぬな」

「…………そんなことはない。(……たぶん)」

「ふふ……そうかもしれませんね」

 

 そういえば木下君は坂本君や土屋君の手当をしている姿をよく見る気がする。だからこうした治療の知識を自然と身につけてしまったのかもしれない。

 

「さて、召喚獣の残り時間も少ないようじゃ。念のため奥まで確認するぞい。まだ他にも魔獣がおるやもしれぬ」

「そうですね」

「ムッツリーニよ、お主はここで休んでおるがよい。ワシらは奥を見てくる」

「…………俺を甘く見るな」

 

 土屋君は左腕を押さえながらも立ち上がり、歩き出した。

 

「やれやれ。お主も存外意地っ張りじゃな。姫路よ、ワシらも行くぞい」

「はいっ」

 

 私たちは土屋君の後に続き、荷物を手に洞窟の奥へ進んだ。それからは静かなものであった。コツ、コツと3人の歩く音のみが洞窟内に反響する。周囲にはやはり木箱の列。それ以外に変わったものは見当たらない。もうこの洞窟に魔獣はいないのだろうか。むしろそうあってほしい。魔獣とはいえ、これ以上戦いたくは無いから。

 

 そうして洞窟内を進み、2分くらいした頃。

 

「む。ここで行き止まりのようじゃな」

 

 先ほどニールさんが言っていたように、洞窟の最深部に到達したみたい。ここにも木製の箱が積み上げられ、壁一面を木目色に染め上げている。しかしこの場所には木箱以外にもうひとつ、奇妙なものがあった。

 

「ミィィー……」

 

 それは寂しげに、弱々しく、か細い声で鳴いた。そしてトコトコと私の方に歩み寄り、上目使いで身体を擦りつけるように寄り添った。

 

「えっ? 何? 何ですか?」

「…………魔獣か」

「待つのじゃムッツリーニよ」

 

 木下君がスッと腕を出し、小太刀を構える土屋君を制止した。そう、この子は明らかに魔獣ではない。これほど愛くるしい仕草をする生物が魔獣であるはずがない。

 

 体全体が真っ白な毛で覆われているところは先程の魔獣と同じだけど、背丈は魔獣とは違い、私の膝の高さほどしかない。見た目は犬のような姿をしているけど、鳴き声はまるで猫のよう。この小動物は一体何だろう?

 

 不思議な存在に首をかしげていると、この小さな動物はクックッと小さく喉を鳴らしながら首を上下させ、甘えるように私の膝にその小さな体を擦り寄せてきた。

 

「か……可愛いですっ!」

 

 私はその可愛らしい姿に胸がキュンとときめいてしまった。たまらず屈んでその子の頭にそっと手を添え撫でる。するとこの小さな動物は気持ち良さそうに目を細めた。その様子に私の胸は更に踊り、暖かい気持ちでいっぱいになってしまう。

 

「どうやら普通の仔山羊のようじゃな」

「…………そうか」

 

 土屋君は安堵(あんど)した様子で小太刀を収め、ハァ、と大きく息を吐いた。余程緊張していたのだろう。彼は酷く疲れたようで、その場に座り込んでしまった。

 

「しかし何故(なにゆえ)このようなところに仔山羊がおるのじゃ? 見たところ飼われていた様子もないようじゃが……」

「…………さっきの2匹は親か」

「えっ……?」

 

 土屋君の言葉に、私は胸にズキッという痛みを覚えた。さっきの2匹が親山羊だとしたら……もしかして私たちが……この子の両親を……?

 

「むぅ。そうかもしれぬな。そもそも魔獣がどのような経緯で生まれるのかワシらは知らぬ。なんらかの理由でこうした普通の動物が変異したものやもしれぬな」

 

 そんな……この子の両親が魔獣になってしまったというの? そうとも知らずに私は……。

 

 クンクンと鼻を鳴らしながら尻尾を振り、無邪気に甘える仕草を見せる仔山羊。悲しい……。苦しい……。魔獣とはいえ、私はこの子の両親の命を奪ってしまった。

 

「そんな……私は……」

 

 この子を孤独にしてしまった。そう思ったら胸がギュッと締め付けられ、息苦しくなってしまう。目頭が熱くなってきて、じんわりと熱い液体が溢れ出してしまう。

 

「ごめんね……ごめんね……」

 

 私は仔山羊の頭を撫でながら何度も謝る。そうしているとスゥッと剣や衣装が消え、私の姿は元の文月学園の制服に戻ってしまった。召喚獣の時間切れみたい。私はそのまま仔山羊を胸に抱き、目から熱い液体をぽろぽろと溢した。

 

「姫路よ……」

 

 木下君は言葉を詰まらせ、それ以上何も言わなかった。そもそもこの時の私は心が震えてしまい、周囲を気にしている余裕はなかった。

 

 私はこの子に償わなければならない。この子のために自分は何をしてあげられるだろう? その答えはすぐに見つかった。

 

「私、この子を引き取ります」

 

 私は袖で涙を拭い、決意を込めて木下君と土屋君にそう告げた。

 

「姫路よ、ワシらにこの子は養えぬぞ? ワシらは元の世界に戻らねばならぬ。その子は連れて行けぬのじゃ」

「だからと言って放ってはおけません!」

「気持ちは分からぬでもないが……むぅ、困ったのう……」

 

 いつもポーカーフェイスの木下君が困り果てた顔を見せる。私は仔山羊を胸に抱き締め、頭を撫で続けた。仔山羊の毛並みはとても滑らかで、その体はとても暖かかった。

 

「姫路よ、ひとまず町に戻るぞい。ムッツリーニの手当ても必要じゃ」

「でも……」

「ところでムッツリーニよ。仔山羊の食事はミルクで良いのか? それとも草の類いが良いのじゃろうか」

「…………俺に聞くな」

 

 えっ……?

 

「姫路よ、お主は知っておるか?」

「木下君……? それじゃあ……」

「仕方あるまい。じゃがこの子の里親を見付けるまでじゃぞ。ワシらは決まった住居があるわけではないからの」

「は……はいっ!」

 

 私は仔山羊ちゃんを抱きかかえ、力一杯、返事をした。

 

 

 

 こうして、私たちの旅に1人の仲間が加わった。

 



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第四十二話 新しい仲間

「おおっ! よくぞご無事で!」

 

 洞窟から出ると、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら2人の兵士さんが駆け寄ってきた。ニールさんとヒルデンさん。モンテマールから私たちをここまで案内してくれた方です。ここに来る時にあんなに怯えていたので先に帰ってしまったと思っていたけど、ちゃんと待っていてくれたみたい。

 

「いや、無事でもないぞい。ムッツ――土屋が負傷した。手当が必要じゃ」

「そちらの方ですね。すぐに治療を!」

 

 ヒルデンさんが土屋君の元へと駆け寄り、上着を脱がせてシャツの袖をまくる。日の光の元に晒された土屋君の腕は紫色に変色しつつあった。きつく絞め過ぎたのかしら……。

 

「この処置はどなたが?」

「ワシじゃ」

「少々縛りが強すぎて血流がほとんど止まってしまっています。ご注意ください」

「そ、そうか。すまぬ……」

「しかし見事な対処です。これならば治療帯だけで治るでしょう」

「そうか。それはなによりじゃ」

「では治療帯を巻きますので上着を脱いでお座りください」

 

 ヒルデンさんは腰の鞄から水筒を取り出し、土屋君の横で(ひざまず)く。そして土屋君の腕の傷を水筒の水で洗い流すと、白い包帯を巻いていった。あれが治療帯なのかな? 見た目は私たちの知っている包帯と変わらないのね。でも良かった。これで土屋君の怪我も一安心ですね。

 

 ……

 

 あれ? そういえば木下君も魔獣の蹴りを受けていたような……?

 

「あの、木下君」

「んむ? なんじゃ?」

「木下君は大丈夫なんですか?」

「何がじゃ?」

「確か魔獣の攻撃をお腹に受けてましたよね?」

「それなら心配には及ばぬ。こんなものは大した傷ではない」

「”大した”っていうことは傷を負ったんですよね? 見せてください!」

「あっ、こら姫路!? な、何をするのじゃ!?」

 

 私は木下君の上着を剥ぎ取り、シャツを引っ張りあげてお腹を出させた。

 

「や、やめぬか! 大したことはないと言っておろうが!」

 

 抵抗する木下君の腕を押さえ、じっと彼のお腹を見つめる。腹部にはまるでスタンプが押されたかのように逆V字型のアザができていた。

 

「どこが大したことないんですか! こんなに酷いあざになってるじゃないですか!!」

「う……」

「打撲を甘く見てはいけません! 木下君も治療を受けてくださいっ!」

「大丈夫じゃと言っておろう……」

「木下君。言うことを聞いてください。これはリーダー命令です」

「むぅ。それを言われると弱いのう……承知した。とりあえず姫路よ、手を放してくれぬか。さもなくばムッツリーニが出血多量で死んでしまうぞい?」

「えっ? 土屋君?」

「ほれ、見てみい」

 

 そう言われて土屋君を見てみると、

 

「…………俺を……殺す気かっ!(プッシャァァァッ)」

 

 そこには赤い噴水があった。

 

「きゃぁーーっ!? つ、土屋君っ!?」

「…………ひ、姫路……」

「は、はいっ! 止血ですね! いますぐ紙縒(こより)の用意を――」

「…………ぐ……グッ……ジョブ……」

 

 仰向けに倒れたまま鼻血を吹く土屋君。彼は右腕をブルブルと震わせながら上げ、親指を突き出していた。

 

「えっ? ぐじょぶ? 何ですか?」

「姫路よ、気にするでない。ムッツリーニなら大丈夫じゃ。鼻血ならああやって転がっておればすぐに回復するじゃろう」

「そ、そうなんですか?」

「お主も見慣れておるじゃろう? 心配はいらぬ」

 

 そういえば学校でもよく鼻血を出してたっけ。でも本当に大丈夫なのかしら。腕の怪我と合わせたら結構な量の血が流れてる気がするんだけど……。

 

「あ、あのぉ……ヒメジ様?」

 

 土屋君を見て心配していると、ニールさんが恐る恐るといった様子で呼び掛けてきた。

 

「はい? 何でしょう?」

「えぇと……先程から気になっているのですが、その仔山羊は一体……?」

 

 ニールさんが私の足元を指差して尋ねる。そこでは白くて小さな動物が私の足に身を寄せていた。

 

「あ、この子ですか? この子は――」

 

 なんて答えればいいのかしら……。拾った? そんな”物”みたいな言い方はしたくない。そもそもこの子は捨て子ではない。私がこの子を独りぼっちにしてしまった。私はその償いをしなければならない。この子の親代わりにならなくちゃいけない。この子の里親が見つかるまでは。

 

 そう、だから今、この子は私の――――

 

「私の子ですっ!」

 

 力いっぱい、私はそう答えた。

 

「「な、なんだってぇぇーーっ!?」」

 

 すると2人の兵士さんはとっても大きな声をあげ、両手でバンザイして驚いていた。そして信じられないものを見るような目で私を見ている。私、何かおかしなこと言いました?

 

「姫路よ。そこは”保護した”で良いのではないかのう」

「えっ? どうしてですか?」

「いや……その言い方ではお主がその子を産み落としたように聞こえるぞい?」

「ふぇっ!? あぁっ! ち、違うんです! 今は私がこの子の親代わりってことでして、この子を生んだわけじゃないんです!!」

 

 私ったらなんて言い間違いを……は、恥ずかしい……。

 

「い、いやぁ、そうですよねぇ。自分もおかしいと思ったんです。ハハハ……」

「どう見ても山羊ですよねぇ。俺も変だと――――」

 

「「……」」

 

 愛想笑いをしていた2人の兵士さんは何かを思い出したように急に黙り込み、顔を見合わせた。

 

「「や、山羊……?」」

 

 その顔からは徐々に血の気が引き、青ざめていく。

 

「ま、まままさささかかかか……」

「まま、まじゅ、まじゅじゅじゅ……」

 

 酷い怯えようだった。全身をガクガクと震わせ、顔は真っ青。ガチガチと鳴る歯の音がはっきりと聞こえるほどだった。彼らが怯えている理由はすぐに分かった。この子が魔獣だと思っているのだと。

 

「ち、違います! この子は魔獣なんかじゃありません! 魔獣は私が! 私が……」

 

 事情を説明しようとすると、また胸がギュッと締め付けられてしまう。悲しい気持ちでいっぱいになってしまった私は続きを言うことができなかった。

 

「姫路よ。ワシが説明しよう」

 

 何も言えなくなってしまった私に木下君が静かに代理を申し出てくれた。

 

「木下君……すみません……」

「なんの。お安いご用じゃ」

 

 この後、木下君は洞窟内で起こったことをすべて話してくれた。

 

 2匹の山羊の魔獣に遭遇したこと。その魔獣を3人で倒したこと。最深部でこの仔山羊を見つけたこと。そして身体の大きさや(ひたい)の魔石が無いことから、この仔山羊が魔獣ではないこと。

 

 木下君はゆっくりと、ハキハキとした声で2人の兵士さんに説明をする。その言葉には不思議な説得力があった。

 

「な、なるほど……そういうことでしたか」

「ではもう洞窟に魔獣はいないのですね?」

「んむ。その通りじゃ。これで王妃様の依頼は完了と見て良いかの?」

「もちろんです! これで我々も任務完了です!」

「では報告のために王都に戻るとするかの。ムッツリーニも回復したようじゃ」

「あ、土屋君。もう大丈夫なんですか?」

「…………これくらいどうということはない」

 

 両手を腰に当て、胸を張ってみせる土屋君。でもそんな風に強がる土屋君の青白い顔はどう見ても大丈夫じゃなかった。

 

「む、無理はしないでくださいね」

「…………分かっている」

「では帰るとするかの」

「はいっ」

「ヒメジ様。申し訳ありません。少々お待ちいただけますか?」

 

 モンテマールに向かって歩き出そうとした私たちをニールさんが止めた。何か問題があるのかしら?

 

「はい? なんでしょう?」

「あなた方を信用していないわけではないのですが、念のため洞窟内を確認させてください。万が一まだ魔獣が残っていたら私は王妃様からお叱りを受けてしまいますので……」

 

 確かに私たちは魔獣を倒したという証明を何ひとつ持っていない。だってすべてが煙となって消えてしまったから……。

 

「分かりました。でもどうやって確認するんですか?」

「えっと……わ、私が入って確認するしかないですよね……」

 

 ニールさんは”あはは”と苦笑いをしながら兜を被った頭をコンコンと叩いた。その青ざめた表情は怖くてたまらないという感情が表れているかのようだった。

 

「あの……私たちも一緒に行きましょうか?」

「いえ! ここは私だけで行きます! これは私の任務ですので!」

「でも……」

「ヒメジ様ご一行様はここでお待ちください! すぐ見て参りますので!」

 

 ニールさんはビシッと敬礼をする。そこへヒルデンさんが心配そうな声をかけてきた。

 

「お、おいニール……くれぐれも気をつけてくれよな」

「あぁ。だがもしもの時は……妻と娘を頼む」

「縁起でも無いことを言うなよ。……絶対戻ってこいよ」

「そうだな。もしもの時はすぐ逃げるさ。じゃ、行ってくる!」

 

 ニールさんは意を決したような表情を見せ、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら洞窟の中へと走って行った。私たちは木下君のお腹の傷を治療しながら、ニールさんの帰りを待つことにした。

 

 

 

 ――そして10分後。

 

 

 

「ふぅ~……」

 

 強ばった表情のニールさんが洞窟内から出てきた。

 

「ニール! どうだった!?」

「何もいなかった。もう大丈夫だ」

「そうか……良かった……」

 

 ニールさんとヒルデンさんはホッと胸をなで下ろす。この時、彼らの表情からは恐怖の色は消えていた。

 

「ではワシらの任務はこれで完了じゃな?」

「はい! その通りです! 王都に戻り王妃様にご報告しましょう!」

「帰り道も我々がご案内します。さぁ参りましょう!」

 

 本当に嬉しそうなニールさんとヒルデンさん。つい先程までの怯えた表情が嘘のように晴れやかな表情だった。こうして喜ぶ姿を見ていると、私の方まで嬉しくなってしまう。でも私は手放しで喜ぶわけにはいかなかった。なぜなら、この仔山羊ちゃんを不幸にしてしまったのだから。

 

「さぁ行きますよ。ついてきてくださいね」

「ミィィ~」

 

 絶対にこの子に寂しい思いはさせない。私はそう心に誓い、ニールさんとヒルデンさんの後について歩き始めた。

 

 するとその時、

 

「おや? 皆さん、こんなところで何をされているのですか?」

 

 透き通った声と共に1人の男性が現れた。彼は緑色のマントを羽織り、複雑な模様の描かれた黄色いマフラーを首に捲き、まるでターバンのように巻かれた緑色の帽子を頭に乗せていた。

 

「王妃様のご命令により、この洞窟に住み着いてしまった魔獣を退治していたのです」

「ほう……? ここには魔獣が住み着いていたのですか。それは知りませんでした」

 

 ニールさんの説明を聞き、爽やかな笑顔を見せるお兄さん。低めの鼻や彫りの浅い目はどこか日本人的。でもとても綺麗な顔立ちで、アイドルグループに所属していてもおかしくない感じの人だった。

 

 よく見ると彼は2本の紐を握っていた。紐は彼の脇を通って後ろに伸び、その先には大きな(つの)を携えた山羊が2頭繋がれていた。そう、先程退治した魔獣と同じような姿をした山羊が。でもそれは一般的なサイズの山羊だった。魔獣じゃなくて普通の山羊みたい。

 

「つかぬ事をお伺いする。ひょっとして主様はこの仔山羊の飼い主なのじゃろうか?」

 

 木下君が尋ねると、彼は隠れるように私の後ろに回っている仔山羊ちゃんをじっと見つめた。そして一言、「いいえ」と首を振りながら答えた。

 

「その仔山羊がどうかされたのですか?」

「実はこの洞窟の奥で震えておってな。ワシらが保護したところなのじゃ」

「そうでしたか。それは可哀想に」

 

 ……

 

「どうしたのじゃ? 姫路よ。浮かない顔をしておるぞ?」

「あ、いえ。なんでもないです」

「ふむ。ならば良いのじゃが」

 

 ……なんだろう。あの人の笑顔、なんだか変な感じ。具体的に説明を求められると答えられないけど……でも何だか言葉に心がこもっていないような気がする。

 

「姫路よ、どうじゃろう。この御人(ごじん)に仔山羊を預けてみては」

「えっ? この子をですか?」

「んむ。2頭の山羊を連れているところを見ると、主様は山羊を飼われておるのじゃろう?」

(わたくし)ですか? 確かに私はこの2頭以外にも山羊を飼育しておりますが……」

「ならば都合が良かろう。どうじゃ?」

 

 木下君の言うように、確かにこの人ならこの子を育ててくれるかもしれない。もともと私たちは報酬の腕輪を貰うためにここに魔獣討伐に来た。討伐が終れば腕輪が貰えるわけで、そうしたら私たちはサンジェスタに戻ることになる。

 

 さすがにこの子を連れて船に乗るわけにもいかないから、仔山羊ちゃんの世話ができるのはリゼル港までになる。せっかく山羊を飼育できる人が目の前にいるのだから、この人に預けた方が良いなんてことも理解している。

 

 でも……。

 

「ごめんなさい木下君。やっぱりこの子は私が預りたいです。ほんの数日でもいいので……」

 

 だって、ここで別れてしまったら私は何の償いもできないままになってしまうから。1日でもいい。私はこの子の親代わりになりたい。

 

「ふむ……まぁそう言うと思うたがの」

「すみません……」

「そういうわけじゃ。すまぬ、今の話は無かったことにしてくだされ」

(わたくし)は構いませんよ。ですが必要でしたらいつでもお申しつけください。私はこの辺りで放牧をしておりますルイスラーバットと申します。ルイスとお呼びください」

「承知した。ルイス殿」

「では私は失礼します。またお会いできると良いですね」

 

 彼は軽く会釈をすると2頭の山羊を連れ、ゆっくりと去って行った。

 

「遊牧民みたいな人でしたね」

「そうじゃな」

「では皆さん、王都に帰りましょう」

 

 ニールさんが道を歩き出す。私たちは彼の後について歩き始めた。

 

「ミィー!」

 

 私が歩き出すと後ろからトコトコと仔山羊ちゃんがついてくる。私をお母さんと思ってくれてるのかな? ふふ……可愛い。

 



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第四十三話 仲間とのひととき

 私たちは王都モンテマールに戻ってきた。ヒルデンさんは別の仕事が待っているそうなので町の西門で別れ、王妃様への報告にはニールさんが同行してくれることになった。町の中は安全。ニールさんの足取りも軽い。こうして私たちは元来た道を戻り、王宮正門前にまでやってきた。

 

「さぁ皆さん、早速王妃様へ報告を」

「んむ。そうじゃな。2人とも行くぞい」

 

 そう言ってニールさんを先頭に木下君、土屋君が入っていく。それじゃ私も……と思ったら、

 

「待て待て。君はそのまま入れるわけにはいかん」

 

 警備の兵士さんに止められてしまった。なぜか私だけが。

 

「どうしてですか? 王妃様に報告に行くだけなんですけど……」

 

 この兵士さんには出がけに王妃様の指示でマトーヤ山に行くことを伝えている。だから報告に戻ってきたことも分かっているはず。それなのになぜ止められたのかしら。もしかしてさっきの戦闘で服が汚れているから?

 

「報告に行くのはかまわんが、その動物を連れて入られては困るのだよ」

「動物?」

 

 あ……この仔山羊ちゃん? そういうことですか。

 

「その子を放置するわけにもいかぬな。やむを得んじゃろう。お主はここでその子と共に待っておれ。王妃殿への報告はワシとムッツリーニで行ってこよう」

「分かりました。すみませんがお願いします」

「んむ。では行くぞいムッツリーニ」

「…………了解」

 

 木下君と土屋君はニールさんに連れられ、門の中へと入って行った。これで腕輪を譲ってもらえれば私たちの使命は終わる。もし3つの腕輪の中に白金の腕輪があれば皆で元の世界に帰れる。でも帰る前に――――

 

「ミィー!」

 

 この仔山羊ちゃんを育ててくれる人を探さなくちゃ。

 

「どうしたの? 遊んでほしいの?」

「ミィィー!」

 

 この仔山羊ちゃんの声、ホントに猫によく似ている。本来、山羊の鳴き声は「メェ」。でもこの子の声はトーンが高くて「ミィ」に聞こえてしまう。

 

「違うのかな? それじゃお腹が空いたの?」

「ミィー!」

 

 仔山羊ちゃんはピコピコと短い尻尾を一生懸命に振り、つぶらな瞳で私を見上げている。でも困った。何を聞いてもミィとしか答えないから、この子が何を訴えているのか分からない。

 

「困りましたね……どうしたらいいんでしょう……」

 

 しゃがんで仔山羊ちゃんの頭を撫でながら私は鳴き声の意味を考える。でもやっぱり私に思いつくのは遊んでほしいのか、お腹が空いたのか、のどちらか。他にどんなことが考えられるんだろう……?

 

「お腹が空いているみたいだね」

「えっ?」

 

 突然背後から話しかけられ、びっくりして振り向いた。すると私の後ろでは槍を手にした甲冑姿の男の人が優しく微笑みかけていた。それは王宮の警備をしていたもう1人の兵士さんだった。

 

「分かるんですか? おじさま」

「実は私の知り合いが山羊の飼育をしていてね。色々と教えてもらったんだ。この仕草はたぶんお腹が空いてるんだと思うよ」

「そうなんですか?」

「たぶんそうだと思うよ」

「じゃあご飯をあげないといけませんね」

 

 あ、もしかして知り合いって洞窟の前を通りかかったあの遊牧民みたいな格好の人かな? 名前は確か……ルイスさん、だったかな。

 

「ところでこの子の名前は?」

「えっ? 名前……ですか?」

 

 そういえば名前をまだ決めていなかった。確かに”仔山羊ちゃん”じゃ可哀想。名前を付けてあげなくちゃ。でもどんな名前がいいのかしら?

 

「えっと……」

 

 身体が白いからシロちゃん? なんだか犬みたい。ユキちゃん……だと私の昔のあだ名になっちゃうし。じゃあ、ミィと鳴くからミーちゃん? これじゃ今度は猫みたい……。ん~っと……他に何か可愛らしい名前は……。

 

 ……

 

 可愛らしい? 愛らしい……アイちゃん!

 

「決めましたっ! この子はアイちゃんです!」

「へぇ、仔山羊のアイちゃんか。でもこの子は男の子だよ?」

「えぇっ!? そ、そうなんですか!?」

 

 てっきり女の子だとばかり思ってた……。

 

「それじゃもっと男の子らしい名前がいいですね」

「どうだろう。別に男の子がアイちゃんでもいいんじゃないか?」

「そうですか?」

「別に名前に取り決めなんて無いからね。どんな名前を付けようが自由さ」

「そうですね! そうですよねっ!」

「ミィー!」

「はいはいっ。お腹が空いてるんですね」

 

 えっと、確か山羊の食事は草や葉っぱだったはず。干し草とかがいいのかな? でも干し草ってどこに行けば買えるのかしら。

 

「この子は生後1週間くらいかな。だとしたらもう草が主食だね」

 

 鎧の兵士さんはそう言って王宮の柵の中に手を伸ばし、庭木から数枚の葉を取ってアイちゃんの口元に差し出した。するとアイちゃんは美味しそうにパリパリとその葉を食べ始めた。

 

「こんな木の葉っぱでもいいんだけど、穀物類がいいかな。あと根菜類なんかもいいね。それと水はあまり飲まないから一日一回程度にね」

「お野菜でもいいんですね。それなら一緒に食事ができそうですね」

「そうだね。あぁそれと山羊は高い所が好きだから、しゃがんでいると背中に登ったりするから気を付けた方がいいよ」

「そうなんですか……勉強になります。ありがとうございます」

「いやぁ実は私も山羊を飼ってみたいと思っていてね。それで飼い方を勉強していたんだよ」

「それじゃあ、お(うち)で飼っていらっしゃるんですか?」

「いや、それが家内に反対されてしまってね。だから友人の所に遊びに行って我慢してるのさ」

「そうだったんですか」

「ニィー!」

「ははは、もっとご飯がほしいみたいだね」

「そうみたいですね。ふふ……」

 

 でもご飯と言っても今は食べる物なんて持っていないし……買いに行くにしても木下君と土屋君を置いては行けない。2人とも早く戻って来ないかなぁ……。

 

 そう思って王宮の敷地内に目を向けると、正面の扉から誰かが出てくるのが見えた。茶色いマントを身体に巻いた2人は中庭を歩き、こちらに向かってくる。あの姿は木下君と土屋君だ。

 

「チームメイトが戻ってきたみたいです。私、行きますね」

「あぁ、その子を大切にしてやってくれよな」

「はいっ! 色々とありがとうございました!」

 

 ペコリと頭を下げ、私は木下君たちの元へと向かった。後ろからはアイちゃんがトコトコとスキップをするようについてくる。

 

「土屋君! 木下君! どうでしたか~っ?」

 

 私は走りながら彼らに声を掛ける。けれど次第に見えてきた木下君の表情は期待していたような笑顔ではなかった。どうしたのかしら。もしかしてダメだった……? とにかく聞いてみよう。

 

「お帰りなさい木下君、土屋君」

「んむ。ただいまじゃ」

「…………ただいま」

 

 腕組みをしながら難しい顔をしている木下君。それに対して土屋君の表情はいつもと変らないみたい。

 

「どうでした? 腕輪、貰えました?」

「……すまぬ」

「ダメだったんですか……」

「いや、完全に断られたわけではないのじゃ。実はな――――」

 

 木下君は王宮内での王妃様との話について教えてくれた。

 

 まず、洞窟から魔獣を排除したことについて、王妃様は信じてくれなかったらしい。もちろん木下君は猛反論。魔獣との戦いについて詳しく説明したそうなのだけど、それでも信じてくれなかったらしい。何を言っても「証拠を見せよ」と言うばかりの王妃様。けれど証拠となるものなんてなかったので木下君たちにはそれを証明することはできなかった。でもニールさんが口添えしてくれて、なんとか王妃様も納得してくれたという。

 

 ただ、ここからが問題だった。「では保冷庫の中身は無事だったのだな?」と聞かれ、木下君は数個の木箱を壊してしまったことを正直に伝えたらしい。すると王妃様は怒りだし、それでは報酬はやれないと言い出したという。

 

 それでは約束が違うと木下君と土屋君は猛抗議。けれど王妃様は「ならぬならぬ」の一点張り。そこで木下君は、ならばもうひとつ交換条件となる仕事を出してもらいたいと願い出た。すると王妃様は渋々了承。更なる交換条件を出してきたという。

 

 その条件とは、カノーラという町に住む機織(はたお)り職人のレスターという人を連れてくること。このレスターという人はこの国で最も優れた職人らしい。ところがこの人、今まで王妃様が何度呼び付けても一切応じなかったという。

 

 つまり、台無しにした食料の代償として、このレスターという機織り職人をこの王宮に連れてくる。もうひとつの交換条件とは、つまりそういうことらしい。

 

「すまぬ。こうするほか手が無かったのじゃ」

「でもその職人さんをお連れするだけでいいんですよね? それなら簡単なんじゃないですか?」

「いや……それがな姫路よ。この御人、相当な頑固者のようでな。これまで百回を超える招致にも応えなかったそうじゃ」

「ひゃ、百回ですか……」

「んむ。恐らくワシらのような初対面の者が頼み込んだとしても聞いてはくれまい」

「…………力ずくで引っ張ってくるか」

「無理はいかん。あの様子からして王妃殿は特注のドレスを作らせるつもりなのじゃろう。強引に連れて来ても言うことは聞かぬぞい?」

「…………確かに」

「でもレスターさんをお連れすれば今度こそ腕輪を譲ってくれるんですよね?」

「んむ。それは約束してもらったぞい」

「それならもうやるしかないじゃないですか。行きましょう! なんとかお願いしてレスターさんに来てもらうんです!」

「そうじゃな。ここであれこれ悩んでいても始まらぬな」

「ミィ~?」

 

 木下君たちと話していたら、足下から鳴き声が聞こえてきた。そうだ、アイちゃんにご飯をあげなくちゃ。

 

「木下君、土屋君、とりあえず今日は宿を取りませんか? アイちゃんにご飯をあげたいんです」

 

「「…………アイちゃん??」」

 

 2人に思いっきり首を傾げられてしまった。そういえば名前のことをまだ言ってなかったっけ。

 

「”アイちゃん”っていうのは、この子の名前なんです。男の子らしいんですけど、アイちゃんって付けちゃいました。どうですか? やっぱりおかしいですか?」

「なるほどのう。良いのではないかの」

「…………異議なし」

「本当ですか!? ありがとうございます! 良かったねアイちゃん。皆賛成してくれたよ?」

「ミィー!」

「ふふ……」

「それにしても姫路よ、よくこの仔山羊が男の子と分かったのう。ワシには見分けがつかぬぞい」

 

 私には木下君も男の子か女の子か見分けがつきません。そんな言葉が喉まで出掛かってしまった。

 

「そ、そこの警備のおじさんが教えてくれたんです。ご飯のこととかも教えていただいたんです」

「なるほど。そういうことであったか。さすればまずはペット可の宿を探さねばならぬな」

「そうですね。それじゃ早速町に戻って探しましょう」

 

 

 

          ☆

 

 

 

 私たちは多様なお店の立ち並ぶ繁華街に戻り、ペット同伴が可能なホテルを探した。ホテル自体は沢山あった。けれども、どのホテルもペットは勘弁してくれと断られてしまった。そうして泊まれるホテルを探し続け、6軒目でようやく〔裏庭に繋いでおくこと〕を条件に泊めてくれるホテルを見つけることができた。その時、空には大きな満月が昇っていた。

 

 ひとまず寝る場所を確保した私たちは夕食を取ることにした。とはいえ、町に出て飲食店へ……というわけにはいかない。アイちゃんがいるから。そこで私たちは3人で相談し、「すぐに食べられる物を買ってこよう」ということになった。

 

 でも土屋君は腕に怪我をしているし、木下君もお腹に打撲傷がある。買い出しに行くのなら無傷である私が適任だと思っていた。ところが木下君は「自分が行く」と言い、お財布を手に慌てた様子で出て行ってしまった。どうしたんだろう? と土屋君に聞いてみても分からないと言う。変な木下君。でももう行ってしまったから仕方が無い。それなら私はアイちゃんの世話をしようかな。

 

「ちょっとアイちゃんの様子を見てきますね」

「…………俺も行く」

「ダメですよ。土屋君は怪我をしているんですから。安静にしていてください」

「…………この程度問題ない」

「いいえダメです。明日はカノーラに行くんですから今は少しでも傷を癒してください。これはリーダー命令ですよ」

「…………分かった」

 

 少し不満そうな顔をしながら土屋君はベッドに入る。ひょっとして土屋君もアイちゃんと遊びたいのかな? でも今は怪我を治してほしい。

 

「ちゃんとベッドで寝ていてくださいね。それじゃ行ってきますね」

 

 私は土屋君がベッドに横になるのを確認し、部屋を出た。

 

 アイちゃんはホテルのオーナーに指示されたとおり、裏庭で待たせている。借りた部屋は2階。私は階段を降りて1階へ。そして宿舎の横の通路を抜け、裏庭に向かった。

 

 裏庭に入って目に留まるのは一本の小さな木。高さ3メートルほどのその木の袂には、白い身体の仔山羊が足を折り曲げて座っていた。その子は私の姿を見るとすっくと立ち上がり、

 

「ミィー!」

 

 と、鳴きながら駆け寄ってきた。こういった仕草はまるでワンちゃんみたい。

 

「ご飯はもうちょっと待ってね。今、木下君が買いに行ってますからね」

 

 そう言葉を掛けながら私はそっと背中を撫でてやる。するとアイちゃんは理解してくれたのか、再び座り、大人しく待つ様子を見せた。なんて賢い子なんだろう。

 

 そうだ、今のうちにお水を用意しておこう。きっと喉が渇いてるだろうし。

 

「お水を持ってくるから待っててね」

 

 この裏庭はホテルの建物の裏側。広さは大体5メートル四方くらいで、そんなに広くない。地面は茶色い土。ほとんど草も生えていなくて、歩くと砂ぼこりが舞い上がるくらい。

 

 既に空は真っ暗だけど、この庭は壁に取り付けられた魔石灯から橙色の光が降り注いでいて、とても明るい。その柔らかな光の効果か、その空間は幻想的な雰囲気で満たされていた。

 

 辺りを見渡すと、庭の脇に水道と桶が設置されているのが見えた。きっと散水用だろう。アイちゃんに水を与えるのに丁度良さそうなので、私はそれを借りることにした。

 

 早速桶に水を少量注いで持って行くと、アイちゃんは立ち上がり、口をつけて飲みはじめた。ピチャピチャと音をたてておいしそうに水を飲むアイちゃん。私はしゃがんでその様子をじっと見つめる。そうして眺めていると、どうしてもあの洞窟での出来事が思い浮かんできてしまう。

 

 ……あの魔獣は倒さなくてはいけなかったのかな。元に戻すことはできなかったのかな。そもそもなぜあんな姿になってしまったんだろう。それになぜ人を襲うんだろう。

 

 明久君も魔獣に襲われて戦ったと言っていた。どうして戦わなくちゃいけないのかな……人と魔獣が共存することはできないのかな……。

 

『うわわっ!? なっ、なんじゃ!? これ! よさぬか!』

 

 思い耽っていると、突然後ろの方から声が聞こえてきた。これは木下君の声?

 

『ま、待つのじゃアイ殿! それは袋じゃ! これ! 引っ張るでない!』

 

 振り向くと、後ろ足立ちをして木下君に飛びついているアイちゃんの姿があった。

 

「あれっ? アイちゃん?」

 

 アイちゃんなら目の前で水を飲んでいるはず。そう思って桶に目を向けると、そこにアイちゃんの姿は無かった。いつの間にあそこまで移動したのかしら……。

 

『ひ、姫路よ! 見ておらんでなんとかするのじゃ!』

 

 アイちゃんは押し倒さんばかりの勢いで木下君に何度も飛びついている。どうも木下君の持っている紙袋を狙っているみたい。

 

「お帰りなさい木下君。その袋は何ですか?」

「野菜の類いじゃ。アイ殿にはこれが良かろうと思うてな。これ! 待たぬか! 袋ごと食うでない!」

「ふふ……さすが山羊の子ですね。木下君、その野菜をこっちの桶に入れてもらえますか?」

「承知した。じゃがその前にこの子をよけてくれぬかの」

「はいっ」

 

 私が抱っこしてやるとアイちゃんはジタバタともがき、木下君の元へと向かおうとする。ふふ……本当に元気な子。

 

「この桶にそのまま入れてよいのか?」

「はい。そのまま入れちゃってください」

 

 木下君がキュウリやキャベツのような葉っぱをゴロリと桶に入れる。それを確認した私はアイちゃんを放してやった。するとアイちゃんはタタッと桶に駆け寄り、凄い勢いで野菜を食べはじめた。それはもう”モリモリ”と音が聞こえてきそうなくらいの勢いで。

 

美味(うま)そうに食べるのう」

「きっとお腹が空いてたんですね」

「姫路よ、ワシらも食事にせぬか? 肉まんのような物があったので買ってきたのじゃ」

「あ、はいっ」

「ところでムッツリーニはどこじゃ? 部屋におるのか?」

「はい、ベッドで安静にして――」

「…………呼んだか」

 

 !?

 

「つ、土屋君!?」

「…………そんなに驚くな」

「お、驚きますよ! いつ降りてきたんですか!」

「…………今だ」

「そ、そう……ですか……」

「ムッツリーニよ、動いて大丈夫なのか?」

「…………痛みはほとんど無い」

「そうか。それは何よりじゃ」

 

 もう痛みが無い? あんなに血が出ていたのに、もう治ってしまったの?

 

「土屋君、本当に大丈夫なんですか?」

「…………このとおりだ」

 

 土屋君はぐるぐると左腕を回してみせた。確かに彼の表情には余裕がある。嘘ではなさそう。

 

「ふむ……姫路よ、せっかくじゃからここで皆で食事をせぬか?」

「えっ? ここで、ですか?」

「んむ。アイ殿もおるでな」

 

 そうか、ここならアイちゃんを含めて皆で食事ができる。

 

「私は構いませんけど……でもいいんですか? こんな埃っぽい所で」

「発案者のワシが断るわけがなかろう?」

「…………俺も構わない」

「分かりました。それじゃ皆でご飯にしましょう!」

「んむ」

 

 そんなわけで今夜は私と木下君と土屋君、それにアイちゃんの4人で屋外での食事となった。私たちの食事は木下君の買ってきてくれた肉まん(のようなもの)。見た目は普通の肉まんだったけど、食べるとエスニックな香ばしさが口一杯に広がった。アイちゃんは変わらず野菜を美味しそうに食べている。

 

 話は木下君が演劇の話で大盛り上がり。昼間の魔獣との戦いで”大立ち回り”ができたのが嬉しかったみたい。そんな嬉しそうな木下君の話を聞いていると、私もなんだか嬉しくなってきてしまい、知らず知らずのうちに笑顔になってしまう。

 

 そうして楽しく会話しているうちに、少しずつ、私の自責の念も薄れていくのでした。

 



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第四十四話 孤高の機織り職人

 翌朝。

 

 私たちは予定通りカノーラの町に向けて出発した。カノーラは王都モンテマールから南東に位置する、砂漠に一番近い町。そこへの移動はもちろん馬車になる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 土屋君の話ではカノーラまでは結構距離があり、休憩を挟んで4時間ほどかかるという。ひとつ心配だったのはアイちゃんが一緒だということ。仔山羊を馬車に乗せてよいものかどうか心配だった。けれど馬車の御者さん――つまり運転手さんにアイちゃんを乗せて良いかと尋ねてみたところ、客車内で粗相さえさせなければ構わないとのこと。もちろんアイちゃん用の携帯トイレの準備はある。そんなわけで私たちは4人全員で馬車に乗り込み、カノーラの町へと向かった。

 

 道中は結構大変だった。アイちゃんが(はしゃ)いでしまい、客車の中をぴょんぴょんと跳ね回ってしまったから。しかも昨日王宮前で忠告を受けた通り、皆の肩に登ってはミィミィと騒いでしまう。結局、用意していた干し草を少しずつ与えることでなんとか大人しくしてもらった。幸いにも乗客が私たちだけだったので迷惑は掛けなかったけど、この先アイちゃんと一緒に移動する時は気をつけないといけないと思い知った旅だった。

 

 そうして馬車に揺られること約4時間。私たちはようやくカノーラの町に到着した。

 

「やれやれ……あり余る元気といったところじゃったな」

「…………結構重かった」

 

 馬車を降りた木下君と土屋君は腕をだらりと下げ、ぐったりとした様子を見せていた。皆、アイちゃんの世話をするので疲れてしまったみたい。

 

「すみません。ご迷惑をおかけしまして……」

「別に迷惑などではないぞい? この程度のことは想定済みじゃ。のう、ムッツリーニよ」

「…………体重は想定外だった」

「確かに乗られると意外にズシリと来たのう」

「皆さん大丈夫ですか? アイちゃんの爪でお怪我してませんか?」

「んむ。この通り怪我は無いぞい」

「…………問題ない」

「それなら良かったです。アイちゃん、公共の場ではもっと大人しくしないといけませんよ?」

「ミィー!」

「分かってるのかしら……」

「まぁ良いではないか。男の子は元気が一番じゃ。さて、早速レスター殿を探すとしようかの」

「えっ? 場所は聞いてないんですか?」

「それがな、この町ではなく”町の近く”で暮らしておるそうなのじゃ」

「つまり……町の外っていうことですか?」

「んむ。そういうことじゃ。王妃殿は町の者に聞けば場所はすぐ分かると言っておったぞい」

「そうなんですか……」

 

 それくらい教えてくれればいいのに。王妃様って少し意地悪なのかな。でも今それを言ってもしょうがない。とにかく場所を調べなくちゃ。

 

「それじゃ早速聞いてみましょう」

「…………聞いてきた」

「えっ!? もう聞いてきたんですか!? だ、誰に聞いてきたんですか!?」

「…………馬車の運転手」

「あ、そういうことですか」

「でかしたぞムッツリーニよ。して、場所はどこじゃ?」

「…………ここの北門へ出て徒歩10分」

「なんじゃ。すぐそこではないか。町の外とはいえ、その程度の距離ならば魔獣と遭遇することも無さそうじゃな」

 

 木下君が楽観的に言う。けれど私はちょっと不安……。

 

「本当に大丈夫でしょうか……」

「なぁに問題なかろう。ワシらには召喚獣の力がある。万が一の時はそれを使えばいいのじゃ」

 

 確かにマトーヤ山で召喚獣の力は経験していて、魔獣と戦えるほどの力があることは知っている。でもこの力のせいでアイちゃんを孤独にさせてしまった。

 

「そうですね……分かりました。でも、もし会ってしまっても戦ってはダメです。召喚獣は私たちの身を守るために使うんです」

 

 召喚獣の力は”命を奪うため”ではなく”命を守るため”にある。私はそう思いたいんです。

 

「分かっておる。二度とアイ殿のような子を作らぬため。じゃな」

「えっ……?」

 

 私は心境を説明するつもりでいた。けれど木下君の返答は予想に反し、私の言おうとしていたことそのものだった。まるで私の心が読まれているかのようだった。

 

「はいっそうです!」

 

 嬉しかった。木下君は私の気持ちを分かってくれていた。このことが何より嬉しかった。

 

「それじゃ行きましょう!」

「んむ」

「アイちゃんも行きますよ」

「ミィー!」

 

 私たちは早速北の門へと向かった。外周壁に辿り着いてみるとそこには1人の兵士さんがいて、扉を守っていた。この先は町の外。ここからは魔障壁の効果が届かなくなる。つまり魔獣に遭遇してしまう可能性があるということ。

 

 マトーヤ山まで案内してくれたニールさんたちの怯えた様子は鮮明に記憶に残っている。きっとこの扉も厳重に管理されていて、簡単には通してくれないでしょうね。

 

「どうぞお気を付けて!」

 

 なんて思っていたら、警備の兵士さんはこう言って意外にもあっさり通してくれた。あまりにも拍子抜けしたので戸惑っていると、兵士さんはその理由を笑いながら教えてくれた。

 

 この先のレスターさんの所へは毎日何人もの人が訪れる。ほとんどは王家や貴族の使いの者だけど、一般人も少なくない。だからもういちいち止めていられないのだという。けれどこの外は魔障壁の届かない野外。くれぐれも注意するようにと警備の兵士さんは念押し、私たちを扉の外に送り出してくれたのです。

 

「ありがとうございます。行ってきますね」

 

 警備の兵士さんに礼を言い、私たちは町の外へと踏み出した。

 

 見渡す限りの大平原。(まば)らに生えている背の低い腰丈ほどの木々。地面に生えている草は土色に近く、その光景はアフリカのサバンナを彷彿させる。

 

 歩いて10分ということは、こんな平野であれば既に見える位置にあるはずですね。そう思って目を凝らしてみると、平原の中にひとつだけポツンと立っている家が見えた。

 

「あれがレスターさんのお(うち)でしょうか?」

「んむ。他に何も無いから間違いないじゃろう」

「そうですよね。じゃあ行ってみましょうか」

 

 私たちはその家に向かって歩き始めた。

 

「でもどうして町の中で暮らさないんでしょうか。町の近くとはいえ、あんなところに住むなんて危ないと思うんですけど……」

「うぅむ……なぜじゃろうな。さすがにワシにも分からぬ」

「…………聞いてみればいい」

「まぁそうじゃな。とにかく行ってみるとしようかの」

「そうですね。……あら?」

「む? どうした姫路よ」

「あれを見てください。家から誰か出てきたみたいです」

「ほう。確かに誰かおるな。何やら興奮しておるようじゃ」

「あ、他にも何人か出てきましたね」

「出てきたというより追い出されたといった感じじゃな」

「最後に出てきた人が他の3人に怒ってるみたいですね」

「む。どうやら退散するようじゃ」

 

 家から出てきた人影は4つ。そのうちの3人がこちらに向かって歩いてくる。真っ直ぐこちらに向かってくるということは、たぶん町に帰るところかな。私たちは歩き進みながらそんな彼らの様子をじっと観察していた。

 

「えぇいくそっ! あの頑固じじぃめ! この私に説教を垂れるとは許せん!」

「殿下ぁ~、置いて行かないでくださいよぉ」

「やかましいっ! 早く歩け! とにかく今日のところは出直しだ!」

「だから無理だって言ったじゃないですかぁ~」

「王妃様のお誘いだって断り続けてるんですよ? 我々の話なんて聞いてくれるわけないじゃないですか」

「うるさい! 貴様らまで私に説教するつもりか!」

「そんなつもりは無いんですけどぉ~」

「なら黙って歩け!」

「「ま、待ってくださいよ殿下ぁ~」」

 

 すれ違った3人の男の人はそんな会話をしていた。前を歩いていた人は黒いジャケットに茶色いスラックス姿。そして赤いマントを着用していた。マントと言っても私たちのように全身を覆うものではなく、背中のみの装飾品としてのもの。指や首にはキラキラしたアクセサリを沢山付け、頭には白い羽飾りを付けた帽子を乗せていた。

 

 後ろについて歩く2人も綺麗な格好をしていたけど、前を歩く人ほど豪華な服ではなかった。ただ、後ろの2人は前を歩く人と違い、腰に細身の剣を下げているようだった。

 

「ふむ。どうやら彼らは貴族のようじゃな」

 

 彼らが通り過ぎた後、木下君がそんなことを言い出した。

 

「そうなんですか?」

「後ろの2人が”殿下”と呼んでおったじゃろう? それは王家の者か上級貴族に使われる敬称じゃ」

「そうなんですね。でもよく知ってますね。そんなこと授業では習わなかったと思うんですけど」

「演劇の知識じゃ。まぁこの世界でもこの常識が通用するのかは知らぬがの。さぁ行くぞい」

「はいっ」

 

 でもさっきの人、”あの頑固じじぃ”なんて言ってた。きっとレスターさんのことを言ってるんだと思う。やっぱり頑固な人なのかな。だとしたら私たちの話なんて聞いてくれるのかな……王妃様の招待にも耳を貸さないのに……。

 

「…………行くぞ」

「あ、はい」

 

 程なくして私たちは家の前に到着。その家は薄緑色に光るドーム状の膜で覆われていた。この光は町や馬車でよく見る光。これが見えるということは、きっとこの家は魔障壁を備えているのでしょう。

 

「これがレスターさんの家ですか……思ったより小さいんですね」

「確かに国中が知っておるような有名人にしては規模が小さいような気もするのう」

 

 目の前にあるのは赤褐色のレンガで作られた一軒家。周囲には木が数本生えているのみで、他に建造物などは皆無。本当に大平原に1つだけポツンと建っている小さな家だった。

 

「それじゃノックしてみますね」

「んむ」

 

 ――コンコン

 

 私は軽く握った拳の裏で木製の扉を叩いた。すると、

 

『何度来ても貴様のような奴に服は作らん! とっとと失せろ!』

 

 と扉の中から怒鳴られてしまった。

 

「えっ? あ、あの、私……」

 

 ど、どうしよう。なんだか凄く怒ってるみたい……。

 

「先ほどの男が戻ってきたと思っておるのじゃろう。お主に言ったわけではないぞい」

「あっ、そ、そうですね。えっと、それじゃ……」

 

 ――コンコン

 

「すみません。私、姫路瑞希といいます。レスターさん、お話しを聞いていただけませんか?」

 

 私は扉越しに声を掛ける。するとその扉がガチャリと開き、中から1人のお爺さんが出てきた。”へ”の字に結んだ口に四角い顔。短い真っ白な髪を坂本君のように逆立てた髪型。眉間に寄せた”しわ”は、気難しい性格を(あらわ)しているかのようだった。

 

「突然お邪魔してすみません。実はレスターさんにお願いがあって来たんです」

 

 私が一礼してそう伝えると、お爺さんは眉間のしわを更に深めて私を睨みつけた。目の色はグリーン。ヨーロッパ系に多い目の色だった。その眼光は異様に鋭く、私をじっと見据えている。

 

「あ、あの……」

 

 何も言われず、ただ睨まれている。まるで西村先生に叱られているような気がして、私は話を切り出せずに戸惑ってしまった。

 

「オレに何の用だ」

 

 すると黙って睨んでいたレスターさんが口を開いた。彼の声は容姿に似合っていて、落ち着いた低い声だった。ただ、その威圧感は尋常ではなかった。

 

「えっと、あの……」

 

 今にも怒鳴られそうな雰囲気に話すのを躊躇ってしまう。私は何も言えず、ただ身体を硬直させることしかできなかった。

 

「お初にお目にかかり申す。ワシは木下秀吉と申すものじゃ。ご無礼を承知の上で参上つかまつった。どうかご容赦くだされ」

 

 すると木下君が横に来て、丁寧にお辞儀をして挨拶をしてみせた。きっと演劇をやっているからこういった台詞がさらりと出てくるんでしょうね。こういう所はやっぱり凄いと思う。

 

「……キノ……なんだ。覚え切れん」

 

 ぶすっとした顔で白髪のお爺さんが呟いた。

 

「ではこちらを姫路、ワシを木下と呼んでくだされ。それでこっちは土屋と申す者じゃ」

 

 紹介された土屋君は黙ってペコリと頭を下げる。土屋君はやっぱりこういうのが苦手みたい。

 

「フン。で、何の用だ。オレは忙しい。手短に話せ」

 

 良かった。話は聞いてくれるみたい。

 

「実は私たち王妃様の――」

「帰れ」

「えぇっ!? ちょ、ちょっと待ってください! 話を最後まで聞いてください!」

「王家の使いの者など見飽きた。何度来ても返事はノーだ。王妃のババァにそう伝えろ」

 

 お、王妃様をババァって……なんて乱暴な人なんだろう……。

 

「話は終わりだ。とっとと帰れ」

「あっ! ま、待ってくださいっ!!」

 

 レスターさんが扉を閉めようとしたので私は慌てて彼に飛びついた。姿勢を低くし、頭を相手のお腹に当て、両腕を胴に巻き付けて突進する。一般的にはこの行為を”タックル”と呼ぶ。

 

「こ、こら! 何をする! は、放せ! 放さんか!」

「放しませんっ! お話を聞いてくれるまで放しませんっ!」

「えぇい! しつこい奴め! 王家の者に話すことなど無いと言っておるのが分からんのか!」

「私は王家の人なんかじゃありません! ただ依頼を受けてここまで来たんです!」

「なんだと? あのババァついに無関係の者まで巻き込みよったのか。と、とにかく放せ! 話は聞いてやる!」

「いいえ! 放しませんっ!」

「だから話を聞いてやると言うておろうが!」

「だからお話を聞いていただ……えっ? 聞いてくださるんですか?」

「あぁ、聞いてやる。だから手を放してくれんか」

「あっ……す、すみませんっ」

 

 夢中になり過ぎていてレスターさんの話を全然聞いてなかった。恥ずかしい……。

 

「ふぅ……まぁ、なんだ。とりあえず中に入れ。だが茶は出さんぞ」

 

 レスターさんはそう言って家の中へと入っていく。

 

「お手柄じゃぞ姫路よ。交渉の余地有りじゃ」

「はいっ、行きましょう!」

 

 こうして私たちはレスターさんと話をする機会を得られた。さぁ、しっかり交渉しなくちゃ!

 



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第四十五話 子は(かすがい)

 話を聞いてくれることになった私たちは家の中に招き入れられた。案内された部屋はリビングのようだった。でも凄く雑然としていて、部屋全体に布切れやデザイン画と思しき紙が散乱している。椅子にも衣類が山のように積み上がり、もはや椅子としての機能を果たしていない。更には壁一面に敷き詰めるように掛けられた女性用のドレス。もう”散らかっている”なんていうレベルを遙かに超えた状態だった。

 

「こ……これはまた凄い量じゃな……これはすべてレスター殿が作られた物かの?」

「そうだ。おっと、まだ入るなよ。今片付けるからちょっとそこで待っとれ」

 

 そう言うとレスターさんは部屋の真ん中の盛り上がりをガバッと両腕で抱え込んだ。何をするのかと見ているとレスターさんは、

 

「ぃよっ」

 

 という掛け声と共にその盛り上がりを持ち上げた。腕からボロボロと落ちていく色とりどりの布切れ。レスターさんはそれを気にする様子もなく抱えた布の塊を脇を置くと、今度は大量の布切れの下から現れた白くて平らな面をパッパと手で払いはじめた。あの盛り上がりはテーブルだったんですね……。

 

「すみません。突然お邪魔しちゃって……お仕事中でしたか?」

「あぁ。3日後のハルニア祭に間に合わせにゃならん。だから本当は貴様らの話など聞いている暇はない」

「す、すみません……」

 

 ハルニア祭って、名前からしてきっとハルニア王国のお祭りですよね。ハルニア王国かぁ。明久君と美波ちゃん、元気にしてるかな……私も明久君と一緒に行きたかったなぁ……。

 

「もういいぞ。入れ」

「あっ、はい」

 

 私たちは部屋の真ん中に現れた丸テーブルに案内され、皆でそれを囲むように座った。

 

「で、用件は何だ。手短かに話せ。オレは3日後の準備で忙しいんだ」

「お忙しいところすみません。実は――」

 

 私は事情を説明した。

 

 自分たちが異世界人であること。元の世界に帰るために王家に伝わる腕輪が必要であること。そしてレスターさんを連れてくることが交換条件として示されたこと。すべてを話した。

 

「フン。そんなことだろうと思った」

 

 話し終えるとレスターさんは不機嫌そうな顔をして立ち上がった。そして腕組みをしながら冷たく言い放った。

 

「あのババァに作ってやる服など無い。諦めろ」

「そんな……どうしてそんなに王妃様を嫌うんですか?」

「……物を大切にしないような奴に作る服は無い」

 

 レスターさんは忌々しそうに眉間のしわを深くし、目を背ける。作ったお洋服を破かれたりしたのかな……。お爺さんの表情はそう思わせるくらいに怒りに満ちていた。

 

「過去に何があったのかは分かりません。でも私たちにはどうしてもレスターさんのご協力が必要なんです。私たちと一緒に王都に来ていただけませんか? お願いします!」

「断る! 誰が何と言おうと奴の服だけは作らねぇ! さぁもう帰れ! 仕事の邪魔だ!」

「そんな……! このままじゃ私たち帰れないんです! どうかお願いします!」

「レスター殿! お願いじゃ! ワシらの未来が掛かっておるのじゃ!」

「うるせぇ! ダメだと言ったらダメだ! いつまでもグダグダ言ってっとつまみ出すぞ!」

「む、むう……」

 

 レスターさんは私や木下君の説得にも応じてくれなかった。どうしたらいいんでしょう……このままじゃ完全に手詰まりになってしまいます……何かレスターさんを説得する方法を考えないと……。

 

 ――コツ、コツ、コツ

 

 その時、何かを叩くような小さな音が聞こえてきた。これは扉を叩く音? もしかしてさっきの貴族風の人たちが帰ってきたのかしら?

 

「チッ、また誰か来たのか。これじゃ仕事にならんぜ……」

 

 舌打ちをしてレスターさんが扉に向かう。そしてその扉越しに、ノックをしている相手に向かって怒鳴りつけた。

 

「今日はもう誰にも会わん! とっとと帰れ!」

 

 ――コツ、コツ

 

「帰れと言ってるのが分からんのか!」

 

 ――コツ、コツ、コツ

 

 レスターさんの怒鳴り声に対して返事は無く、ただ扉をノックする音だけが響く。あんなに怒られているのに動じないなんて、凄く意思の強い人なのかな。なんてことを思っていると、レスターさんは完全に頭に来てしまったようで、

 

「えぇい! しつこい奴だ! (しま)いにゃ張り倒すぞ!!」

 

 凄い剣幕で怒鳴りながらドアノブに手をかけ、引き抜かんばかりの勢いで扉を開けた。すると――

 

「ミィ~」

 

 猫のような鳴き声と共に、全身を白い毛で覆われた小動物が入ってきた。

 

「あっ、アイちゃん! 入ってきちゃダメですっ!」

「ンミィ~?」

 

 アイちゃんは私の言うことが分からないのか、首を傾げて甲高い声で鳴く。家の中に入れるわけにいかないから外で待たせていたのに入ってきてしまうなんて……。私はあの子の元へ駆け寄り、しゃがんで言い聞かせた。

 

「もうちょっと待っててね。すぐ終わりますからね」

「ミィー」

 

 う~ん……やっぱり分かってないみたい。抱っこして外に出すしかないかな。そう思ってアイちゃんを抱え上げると、後ろからレスターさんが尋ねてきた。

 

「お、おい……た、確かヒメジ君といったね」

「えっ? あ、はい。何でしょう?」

「いや、そ、そのちっこいのは何じゃ?」

「この子ですか? この子は仔山羊のアイちゃんです」

「アイちゃんというのか。か、かわえぇのう……さ、触ってもえぇか?」

「はい、いいですよ」

「そ、そうか。では……」

 

 レスターさんはプルプルと手を震わせ、ゆっくりとアイちゃんの背中を撫でる。

 

「おほっ、す、すべすべじゃのう……」

 

 顔を緩め、両目を垂れ下げ、まるで太陽のように笑みを輝かせるレスターお爺さん。先程まで眉間にしわを寄せて怒鳴り散らしていた人とはまるで別人のよう。

 

「えっと……抱っこしてみますか?」

「なぬっ!? えぇのか!?」

「はい、もちろんです」

 

 アイちゃんを抱えた手を少し上げ、私はレスターさんにアイちゃんを渡してあげた。するとレスターさんは更に顔を緩ませ、歓喜溢れる笑顔を見せた。

 

「おっほほぉ~! た、堪らんのう~!」

「ミィ~」

「おぉよちよち、アイちゃんていうんでちゅか。かわいいでちゅねぇ~」

 

 な、何なのかしらこのお爺さん……ひょっとして小さい動物が好きな人なのかしら……?

 

「あ、あの……」

 

 これでは話が進まないため、申し訳ないと思いながらも話し掛けてみた。

 

「ハッ! な、何だ貴様ら! まだおったのか!?」

「はい。まだお話が途中ですので……」

「む。そうか、ババァの頼みだったな」

 

 一転して険しい表情に戻るレスターさん。けれど、

 

「ミィ~」

 

 とアイちゃんが一声(ひとこえ)鳴くと、再びデレッと顔を緩めてしまう。このお爺さん、きっと孫には甘いんだろうな……。

 

「コホン。そ、そこまで言うのなら仕方がない。行ってやらんでもないぞ?」

「本当ですか!? ありがとうございますっ!!」

「まことかレスター殿! 感謝するぞい!」

「まぁ待て。行ってやっても良いが条件がある」

「条件ですか?」

「あぁ。実はな――」

 

 レスターさんはアイちゃんを抱っこしながら私たちにその条件を告げた。

 

 条件とは、今日から3日間この家に泊り込み、レスターさんの身の回りの世話をすること。彼が言うには仕事が忙しく、独り身でもあるため食事や洗濯、掃除が疎かになっているらしい。それに王妃の元へ行くとしても依頼品の納期がある。そこで製作期間を短縮するために身の回りの世話をしろということだった。

 

「木下君、土屋君、どうします?」

「お主が決めて良いぞ。ワシらはリーダーの決断に従うまでじゃ」

「…………うむ」

 

 そっか、私リーダーなんだった。それならもう結論は出ている。

 

「レスターさん、その話、お受けします」

「そうか。それは助かる」

「ミィ~」

「そうかそうか、アイちゃんも嬉しいでちゅか~」

「ミ、ミュ~」

 

「「「……」」」

 

 レスターさんのあまりの変貌に私たちは思わず絶句してしまう。アイちゃんをぎゅっと抱き締め、幸せそうな笑顔で頬擦りをするレスターさん。でもアイちゃんは少し苦しそうだった。ごめんねアイちゃん。少しだけお爺さんの相手をしてあげてね。

 

「では決まりじゃな。ワシは家事の経験はあまり無いが精一杯やらせてもらうぞい」

「…………役割分担が必要」

「そうじゃな。大きく分けると食事当番、掃除当番、洗濯当番といったところじゃろうか」

「分かりました。私、お料理頑張りますっ!」

 

「「!?」」

 

「まっ、待つのじゃ! 料理はムッツリーニに任せい! 姫路には他を頼みたいのじゃ!」

「…………(コクコクコク)」

「そうですか? それじゃ交代でやりましょうか」

「いやいやいや! ここは適材適所じゃ! 料理ならムッツリーニが適任じゃろう!」

「でも……」

「ムッツリーニの腕前はお主も知っておるじゃろう? お主には洗濯と掃除を頼みたいのじゃ。無論ワシと手分けしてじゃ」

「そうですか……分かりました」

 

 せっかく実践でお料理の勉強ができると思ったのにな……。

 

「やれやれ……焦ったぞい……ムッツリーニよ、食事当番は頼むぞい」

「…………任せろ」

「?」

 

 木下君たち、何を焦っているんだろう?

 

「ほれ、こいつを着な」

 

 なんてことを考えていると、いつの間にかレスターさんが黒っぽい服を持ってきていて、私たちに渡してきた。今着ている服が汚れるといけないから、という理由らしい。確かに文月学園の制服はこの世界では手に入らない物。そこで私たちは渡された服に着替えることにした。

 

 早速着替えてみると……。

 

 フリル付きの紺色のワンピース。

 純白のエプロン。

 同じく真っ白なニーソックス。

 それからこれは……ホワイトブリム?

 

 どう見てもメイド服だった。家事のお手伝いをするのだからこの服装も間違ってはいないけど、ちょっと抵抗が……でも文月学園の制服を汚すわけにはいかないし……仕方ないかな。そう自分を納得させ、とりあえずこのメイド服に着替えてみた。

 

 ……ちょっと胸がきついですね……。

 

「お待たせしました」

 

 着替えのために借りていた個室を出ると、そこには私と同じ格好をした木下君がいた。

 

「なぜワシまでこのような服装なのじゃ……」

 

 肩を落として嘆いている木下君。でも木下君のメイド姿は私以上に似合っているみたい。なんだか女として負けたような気がして、ちょっと悔しい……。

 

「さ、さぁお仕事です! 頑張りましょう!」

 

 そんなことよりも今は仕事が優先。私は両手で握り拳を作り、胸の前でガッツポーズを作る。このお仕事が終われば腕輪を譲ってもらえる。そうすればきっと元の世界に帰れる。目標達成が見えてきた私は俄然やる気が出てきていた。

 

「お主は前向きじゃな。ワシらも見習わんといかんのう」

「はいっ! ところで土屋君はどうしました?」

「…………ここだ」

 

 後ろから土屋君の声が聞こえた。まだ着替えていたのね。と振り向くと、

 

「土屋…………君……?」

 

 思わず疑問系になってしまった。なぜなら、後ろにいたのは見たこともない可憐な少女だったから。

 

「…………なぜ俺までこんな格好……」

 

 フリルの付いた紺色スカートに真っ白なエプロン。白いニーソックスを履いた土屋君の姿は、私や木下君と同じ服だった。どうやら3人とも渡されたのはメイド服だったらしい。

 

 レスターさんに尋ねてみると、この家にある服はレスターさんのもの以外は女性物しかないらしい。それに仕事着ともなればこれ以外に無いとのこと。

 

「仕方ないのう。まぁ他に見ておる者がおるわけでもなし。諦めるしかなかろう」

「…………仕事が終わったら記憶から抹消したい」

「あ、あははは……私は忘れられないかもしれません……」

 

 それにしても土屋君のメイド姿は予想外に可愛いかった。この場に明久君がいればもっと楽しい3日間だったのにな。メイド服の2人を見ながら、私はそんなことを思ってしまうのでした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ぶぇっくしぃっ!」

「どうしたのアキ? 花粉症?」

「いや、そこは普通風邪を疑うところじゃないかな……」

「そうかしら。で、どうしたの?」

「うん。なんか急に背筋に悪寒が走ってさ」

「えっ!? 背中でお母さんが走ったの!?」

「美波がそういう考えに至った経緯が僕にはさっぱり分からないよ……」

「だってオカンってお母さんのことなんでしょ? テレビで言ってたわ」

「……美波」

「なによ」

「関西系の番組で日本語の勉強をするのはやめた方がいいと思うよ?」

「どうして?」

「うん。まぁいいや。とりあえず僕が言った悪寒っていうのは寒気っていう意味なんだ」

「なぁんだ、そうだったの。日本語ってややこしいわね」

「う、うん。そうだね……」

 

 美波と一緒の時はお笑い番組を見るのはやめようっと。でも今の寒気って何だったんだろう?

 



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第四十六話 幸せな日々

 アイちゃんのおかげもあって、私たちの願いは聞き入れてもらえた。ただし今日から3日間、レスターさんの身の回りのお世話をすることを条件として。お世話をするだけで願いを聞き入れていただけるのであればお安いご用です。そういうわけで私たちはレスターさんのお宅に住み込んで働くことになった。さぁ頑張らなくちゃ。

 

 私の最初のお仕事は部屋のお掃除。床には布の切れ端や糸屑が沢山転がっていて、本来の床が見えないほど。しかも針なんかも転がっている。そこで私はまずこの大量の布を取り払うことから始めた。

 

 丁寧に1枚ずつ拾っては袋に詰めていく。この作業は予想以上に大変だった。拾っても拾ってもその下から布が現れる。けれど約束した以上、やり遂げなければならない。私は懸命に布を拾い続けた。

 

「ヒメジ。もっと一気にやらねぇと日が暮れちまうぞ」

「でもそれでは布を傷めてしまいそうで……」

「かまわん。そいつらは再利用できねぇから捨てるしかねぇんだ」

「そうなんですね。わかりました」

 

 レスターさんの言う通りまとめて切れ端を袋に詰めていく。これで効率は一気にアップ。それでもかなりの時間を要してしまった。次に残った小さな糸くずをホウキを使い掃いていく。この世界には電気がない。だから掃除機なんて文明の利器は無いので、お掃除はホウキなのです。

 

 まずは部屋の入り口を綺麗に掃く。続けてそこから奥に向かって丁寧にホウキで掃いていく。

 

「ヒメジ。針を見つけたらそこの針刺しに刺しておけ」

「はい。分かりました」

「足に刺さないように気をつけろよ。細くて見えにくいこともあるからな」

「お気遣いありがとうございます。レスターさん」

「あぁキノシタ。その服は手洗いしろ。丁寧に扱え。揉むように洗うんだぞ」

 

 沢山のお洋服を抱えて通りかかった木下君にレスターさんが指示をする。木下君は溜まっているお洗濯を担当しているのです。

 

「揉むように、じゃな。了解じゃ」

「…………コンロはどこにある」

 

 そして土屋君はお夕飯の準備を始めている。

 

「コンロは今壊れている。代わりを買う時間もないからほったらかしだ」

「…………なん……だと……どうやって調理しろと」

(おもて)に乾いた木片が積み上げてある。そいつを割って薪にしろ」

「…………(かまど)は?」

「それも(おもて)にある。行けばすぐ分かる」

「…………分かった」

 

 えっ? 薪で火をおこしてご飯を作るの? それも(かまど)を使って? 土屋君こんな状況をあっさり受け入れてしまったけれど、これって普通なんでしょうか……。

 

「ヒメジ。この辺りの切り屑も処分しろ。滑って危ない」

「あ、はい」

 

 そんなこんなで午後は大忙し。私は3つの部屋をひとつずつ丁寧にお掃除。掛かっている大量の衣装に触れないようにするのが凄く大変だった。

 

 そうして家事を進めていると、いつの間にか窓の外が橙色に染まり始めていた。そろそろ日が暮れるみたい。時間が経つのって早いものですね。でもお掃除も大体終わったし、明日からの2日間は少しは楽ができそう。

 

「…………姫路」

 

 ちょうどお掃除が終わった頃、土屋君がアイちゃんを抱きかかえて部屋に入ってきた。

 

 ……メイド姿で

 

「っ……ぷ……」

 

 私は笑いを(こら)えるので精一杯だった。

 

「…………笑うな」

「すっ、すみませんっ! そ、それでどうしたんですか? 土屋君」

「…………アイ子が俺にじゃれついて危ない」

「えっ? 愛子ちゃん……ですか?」

「…………違う。この子だ」

「でも今、愛子――」

「…………気のせいだ」

 

「「…………」」

 

 今、間違いなく”愛子”って言ってましたよね。でもこんなに真顔で否定されると、自分の聞き違いな気がしてしまいますね……。

 

「ミィ!」

 

「あ、えっと……アイちゃんがどうかしましたか?」

「…………薪を割ったり包丁を扱っている時に背中に乗ってくる」

 

 そういえば王宮警備のおじさんが”しゃがんでいると背中に乗る”なんて言ってたかも。

 

「すみません土屋君。私のお仕事は終わったのでアイちゃんお預かりしますね」

「…………頼む」

 

 ……土屋君、もしかして愛子ちゃんに逢いたいのかな? 愛子ちゃんとは仲が良いみたいですし。私たちがこっちの世界に来て今日でもう20日目。そうですよね。きっと土屋君も寂しいんですよね。……よしっ。頑張らなくちゃ。

 

「ダメですよアイちゃん、土屋君の邪魔をしちゃ」

「ミィ~?」

 

 アイちゃんはキョトンとした目で私の腕の中から見上げる。可愛いのだけど、私の言うことは理解できていないみたい。

 

「とりあえず外に出しますね」

「…………俺も夕飯の準備を続ける」

 

 私はアイちゃんを連れて外に出た。家の中に置いておくと衣装を破いてしまいそうだから。

 

「そこにおったかムッツリーニよ」

 

 すると木下君もちょうど外に出てきたところだった。

 

「ワシの仕事は終わったぞい。ワシも食事の準備を手伝おう」

「…………助かる」

「あ、私も」

「「姫路はアイちゃんと遊んで(いろ)(おれ)」」

「えっ? でもお手伝いしないとお二人に悪いかと……」

「ワシらのことは気にせんで良い。お主はアイちゃんの面倒をしっかり見るのじゃ」

「…………また背中に登られると困る」

「分かりました。そうですね。アイちゃんのお世話は私がするって言い出したんですものね」

「そういうことじゃ。頼んだぞい」

「はいっ!」

 

「「……ホッ」」

 

「?」

「なんでもないぞい! ではムッツリーニよ、ワシはどうすれば良いかの?」

「…………鍋が噴きこぼれないように火を調整してほしい」

「了解じゃ!」

 

 2人はお料理に戻るみたい。えっと、それじゃ私は――――

 

「それじゃ私はアイちゃんのご飯を用意しますね」

「姫路よ、アイ殿の食事なのじゃが、そこらに生えている木の葉でも良いそうじゃぞ」

「はい、昨日王宮の警備をしていたおじさんに教えてもらいました」

「そうか。余計なお世話じゃったな」

「いえ、ありがとうございます。それじゃ私、葉を集めてきますね」

「んむ。あまり遠くへ行くでないぞ」

「はいっ。それじゃアイちゃん、大人しく待っててね」

「ミィー!」

 

 元気に返事をするのはいいけど……ちゃんと分かってるのかな。また土屋君の邪魔をしなければ良いのだけど……。

 

 多少の不安を残しつつ、私は小さな篭を小脇に抱え、出掛けた。と言っても家の周囲半径100メートルくらいに生えている木を対象にしたので、そんなに遠出はしていない。

 

 1本の木から少しずつ葉を摘み取り、数本の木を巡り歩く。目の前に広がる大平原は沈みゆく夕日で紅色に染まり、夜の訪れを告げている。暗くなると魔獣の活動が活発になる。完全に日が落ちてしまうと危険だと感じた私は急いで葉を集めた。

 

「これくらいでいいんでしょうか……」

 

 数本の木を巡り、篭の中は葉っぱで一杯になった。でもアイちゃんの食べる量が分からない。確か昨日、木下君が買ってきてくれたお野菜の量もこれくらいだったはず。あれを綺麗に平らげていたから、きっとこれくらい食べますよね。

 

 ひとまず収集を終え、私は帰ることにした。周囲で明かりのついている箇所は一カ所。レスターさんの家だけ。とても分かりやすい目印なので迷うことがない。私はその明かりを目指し、暗くなり始めた平原を駆け出した。

 

 

『ミィ、ミ、ミィ~!』

 

 

 レスターさんの家に近づくと、アイちゃんが木下君の背中に登って騒いでいるのが見えた。

 

『これアイ殿、ワシに登るでない。鍋の中に落ちてしまうぞい?』

『ミィ、ミィィ~』

『困った子じゃのう。鍋に落ちたら山羊鍋になってしまうぞい? ほれ、危ないから降りるのじゃ』

『ミィ~!』

『やれやれ……しょうのない子じゃのう。んむ? もしやこの野菜が欲しいのか?』

『ミィ、ミィ!』

『ふむ……そのようじゃな。ほれ、1つだけじゃぞ』

『ンミィ~』

『はっはっはっ、そうか美味いか。仔山羊の口にも合うそうじゃぞムッツリーニよ』

『…………自信が付く』

『しかしお主が一緒で助かったぞい。ワシは料理についてはほとんど知識が無いからのう』

『…………必要に迫られれば自然と身に付く』

『なるほど。明久もそんなことを言っておったな』

『ミィ、ミィ!』

『んむ? もっと欲しいのか? じゃがこれ以上食われてしまうとワシらの分が――む? 姫路よ! こっちじゃ!』

 

 木下君がこちらを見て手を振っている。私が戻ってきたことに気付いたみたい。私は小走りに彼らの元へと駆け寄った。するとアイちゃんも私の姿に気付いたみたいで、トトトッと駆け寄ってきた。

 

「ミィ、ミィ、ミィ!」

 

 アイちゃんは両前足で私の篭をカリカリと掻き、甲高い声をあげる。そして「早くちょうだい」と言わんばかりに、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。ふふ……ワンちゃんの”おねだり”にそっくりですね。

 

「はいはい、そんなに慌てちゃダメですよ」

 

 篭を地面に下ろしてやると、アイちゃんは葉っぱを(むさぼ)るように食べはじめた。食欲旺盛。今は体も小さくて、(つの)も頭にちょこんと生えている程度だけど、この調子ならすぐに大きくなって立派な山羊に成長することでしょう。

 

「…………できた」

「んむ。こちらも準備完了じゃ。姫路よ、レスター殿を呼んできてはくれまいか?」

「はい、食事の準備ができたとお伝えすればいいですね?」

「そのとおりじゃ」

「分かりました。行ってきます」

 

 レスターさんの家の中はまだ布や糸や紙、それに衣装でいっぱい。万が一スープが飛んだりして衣装に付いたら大変なことになってしまう。そのため、レスターさんはずっと家の外で食事を取っていたらしい。(かまど)やテーブルが外にあったのはこのためだったんですね。

 

 そういうわけで、私たちはこの3日間食事は外で取ることにした。つまり毎日が庭園パーティーみたいなもの。それと食事をしながら話していて気付いたのだけど、頑固者と聞いていたレスターさんは根は優しい人だった。一見、怖そうな顔をしているけれど、それは彼の服作りに対する思いの強さの現れ。食事をしながら話を聞いていて、私はそれに気付いた。

 

 そう、レスターさんが持っているのは”職人気質(しょくにんかたぎ)”。このお爺さんは服を作るのが何より好きなんだ、と。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 レスターさんの家でお手伝いをはじめ、3日目の朝を迎えた。この世界に来てから今日で23日。もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。この頃の私は日の出と共に目が覚める習慣が付き始めていた。

 

「おはようございます。レスターさん」

「おぉヒメジ君か。おはよう」

「お仕事、どうですか?」

「すべて終わったよ。昨夜のうちに運送業者に渡してね」

「そうでしたか。お疲れさまでした」

「アイちゃんがいてくれたおかげじゃ。あの子を見ていると疲れも吹っ飛ぶわい。無論君たちの手伝いにも感謝しておるよ」

 

 この時のレスターさんは本当に嬉しそうだった。それに言葉遣いも普通のお爺さんらしく変わっていた。

 

「お力になれて私も嬉しいです」

「ありがとうよ。では約束を果たさねばなるまいな」

「いいんですか?」

「いいも何も、そういう約束だろう?」

「でも……王妃様のことがお嫌いなんですよね?」

「もちろん嫌いだ。以前ヤツに特注のドレスを頼まれてな。注文通りに作ってやったら一度パーティーに着て行っただけでお払い箱にしよった。それ以来ヤツの服は作らんと決めたのだ」

「そうだったんですか……」

「だが約束は約束。男に二言は無い。さぁ、行くとしようか。キノシタとツチヤにも声を掛けるといい」

「はいっ」

 

 木下君は隣の部屋でまだ寝ていた。慣れない家事仕事で疲れているみたい。でもそこに土屋君の姿は無かった。どこに行ったんでしょう……? と、あちこち捜してみると、彼は家の外にいた。

 

「土屋君?」

「…………(ビクッ!)」

 

 座っている後ろ姿が見えたので声を掛けてみると、土屋君は急に背筋を伸ばした。驚かせてしまったかしら。

 

「何をしているんですか?」

「…………いや……(モゴモゴモゴ)

 

 土屋君は口篭っていて、どうもはっきりしない。それに彼の前でピコピコと動く白いものは何だろう?

 

「……アイちゃん?」

 

 土屋君の肩越しに覗き込んで見ると、それはアイちゃんの尻尾だった。アイちゃんは土屋君の手元で小刻みに身体を揺らしている。パリパリと音がするし、何かを食べてるみたい。

 

「…………朝食」

「えっ?」

「…………朝食を与えていた」

 

 土屋君は頬を仄かに赤く染め、目を逸らしながら言う。アイちゃんに朝ご飯をあげるのってそんなに恥ずかしいこと?

 

「ありがとうございます土屋君。アイちゃんの面倒を見てくれていたんですね」

「…………せがむので仕方なくやっているだけだ」

 

 こちらに目を向けることもなく、無愛想に言う土屋君。でもそう言いながら彼は頬に”えくぼ”を作っていた。そんな彼の姿は、私の目にはとても楽しそうに……嬉しそうに映っていた。

 

 ”仕方なく”なんて言っているけど、土屋君もアイちゃんを可愛がってくれてるんですね。そう思った時、私は土屋君の優しさを垣間見たような気がした。

 

「土屋君、この後すぐ出発だそうですよ。レスターさんが一緒に王都に行ってくれるそうです」

「…………そうか」

「アイちゃんのご飯が終わったら準備してくださいね。私は木下君をもう一度起こしに行ってきます」

「…………分かった」

 

 レスターさんの家に戻ると、木下君は再び毛布に包まって寝ていた。私は毛布を剥ぎ取って木下君を起こし、出発の準備を始めた。準備といっても文月学園の制服に着替え、いつも通り顔を洗ったり髪を梳かしたりするだけ。

 

 そして30分後、木下君も目が覚めたようで、全員の準備が整った。

 

「念のため確認するぞ。君たちの求めている腕輪の交換条件はオレを王妃の元へ連れていくこと。で、いいんだな?」

「はい、そのとおりです」

「その先の事は特に言われていないんだな? 例えばドレスを作れとか」

「私は直接聞いていないので……木下君、どうですか?」

「んむ。言われておらぬぞい」

「分かった。では王妃の元に行った後はオレの好きにさせてもらう。それでいいな?」

「構わぬぞい」

「いいと思います」

「…………異論なし」

「よし、では行こう」

 

 レスターさんは革の鞄を手にし、カノーラの町に向かって歩き出した。これでやっと王妃様との約束を果たせる。そうすれば腕輪も貰えて、私たちの使命も果たせる。

 

 私たちの使命は、この国に贈られたという腕輪の獲得。明久君と美波ちゃんが向かったハルニア王国には2つ。坂本君と翔子ちゃんの残ったガルバランド王国には残り1つが。そしてこのサラス王国には3つの腕輪があるとされている。

 

 この国に贈られた腕輪が”白金の腕輪”とは限らない。けれど確率から言えば、目的の腕輪がある可能性はこの国が一番高い。残りのうち50%に当たる3つがこの国にあるのだから。

 

 もうすぐ……もうすぐ元の世界に帰れる。

 

 レスターさんの大きな背中を見ながら、私は心の中で何度もその言葉を繰り返した。

 



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第四十七話 別れの時

 ―――― こんなにも早くこの時が来るとは思っていなかった ――――

 

 

 

 3日間の仕事を終え、王都に戻る時が来た。王妃様との約束であったレスターさんを連れて。

 

 王都モンテマールへは駅馬車で移動するしか手段がない。そのためには、まずはカノーラの町に戻らなくてはならない。既にレスターさんや木下君、土屋君は町に向かって歩き始めている。私も彼らの後を追い、乾いた砂の大地を歩き出した。

 

「アイちゃん、行きますよ」

「ミェ~」

 

 この3日間でアイちゃんの鳴き声は少し変わった。ここに来るまでは猫のような「ミィ」だったのだけれど、少し山羊らしくなったように思う。身体の大きさはほとんど変わっていないけど、少しずつ大人になっていってるのかな。そんなことを考えながら私は歩き始めた。

 

 カノーラの町までは歩いて10分ほど。その間に遮蔽物は無く、短い草の生える大地の先には”万里の長城”のような壁が聳え立つ。私たちはその壁に備え付けられている大きな扉を目標に歩いていた。そうして歩いて5分くらいした頃のことだった。

 

「おや? またお会いしましたね」

 

 突然、横からスッと1人の男性が現れた。緑色のマントを肩に巻き、首には黄色いマフラー。そして頭にはターバンのような緑色の帽子を乗せている。

 

 この姿には見覚えがある。確か数日前のマトーヤ山の洞窟の前ですれ違った、2頭の山羊を連れていた遊牧民風の人。

 

「こんにちは。えっと……」

 

 あの時、名前を聞いていたはず。なんだか長い名前で、略した呼び方を教えていただいて……えっと……ルイスさん……でしたっけ?

 

「ヒメジ君、君の知り合いか?」

「あっ、はい。知り合いというかお会いしたことがあるというか……」

「以前すれ違って言葉を交わした程度の関係じゃ」

「フーン。そうか」

 

 レスターさんはターバンの彼が連れている1頭の山羊をじっと見つめている。何か思うところがあるのかしら。

 

「自己紹介が遅れました。(わたくし)はルイスラーバットと申します。以後お見知りおきを」

 

 睨むレスターさんに彼はそう名乗り、にっこりと微笑んだ。そういえば前回お会いした時に私の方が名乗っていなかった気がする。

 

「すみません。私の方こそ自己紹介が遅くなりました。私は姫路瑞希といいます。よろしくお願いします」

「ワシは木下秀吉と申す。よろしく頼む」

「…………土屋康太」

「ヒメジミズキ様にキノシタヒデヨシ様。それにツチヤコウタ様ですね。こちらこそよろしく。ところで皆さん、こんなところでどうされたのですか?」

「ちょっと王都に用がありまして、今から行く所なんです」

「そうでしたか。しかしなぜ町の外を歩いていらっしゃるのですか? まさか徒歩で行かれるつもりで? 日中とはいえ、町の外は魔獣が出て危険ですよ?」

「あっ、そういうわけじゃないんです。実は少々事情があってレスターさんのお宅にお邪魔していたんですけど、王都に戻ることになったのでそこのカノーラの町に戻って馬車に乗るところなんです」

「なるほど。レスター様のお宅というと……ひょっとしてあそこに建っている一軒家のことでしょうか」

「はい。その通りです」

「そうでしたか。理解しました。大変失礼しました」

 

 そう言って深々と頭を下げるルイスさん。なんて礼儀正しい人なんだろう。

 

「……おや? それはあの時の仔山羊ですか?」

 

 私の足下に目をやってルイスさんが尋ねる。その視線の先にいるのは仔山羊のアイちゃん。アイちゃんは隠れるように私の足に身を寄せ、少し警戒した様子を見せている。

 

「はい、そうです」

「ふむ……少し成長しましたね」

「そうですか? 私には全然変わってないように見えるんですけど……」

「ははは、ずっと一緒にいると変化は感じにくいものですよ」

「確かにそうですね。ところでルイスさんはどうしてここに?」

(わたくし)は迷子になっていた山羊を捜しに来たのです。でもこのとおり見つかりました」

 

 彼はそう言って手に握った手綱を少し掲げてみせた。その紐の先には立派な(つの)の山羊が1頭、繋がれている。

 

「そうなんですか。それは何よりです」

「えぇ、では(わたくし)はこの子を元の場所に戻しに行きますのでこれで失礼します」

「はい。ご縁がありましたらまた」

 

 ルイスさんは軽く会釈をすると、私たちの前を横切って歩き始めた。

 

「……ヒメジ君。彼はどういう人なんだ?」

 

 去って行くルイスさんを見送っていると、レスターさんが尋ねてきた。

 

「実は私もお会いするのは2回目でよく知らないんです」

「王都付近で山羊を飼育しておられる方じゃな」

「ほう? すると彼は迷子の山羊を追ってこんなに遠くまでやってきたというのか」

「そうですね。きっと動物を大切にする方なんだと思います」

「フム……ヒメジ君、君たちは元の世界に戻るために旅をしているんだったね」

「はい。でもレスターさんのおかげで希望が見えてきました。本当にありがとうございます」

「それはいいんだが、ひとつ問題があるんじゃないのか?」

「問題……ですか?」

 

 私はレスターさんの言おうとしていることが分からなかった。次の言葉を聞くその瞬間まで。

 

「君たちが元の世界に帰るとして、この子はどうするんだ? 連れて行くつもりなのか?」

 

 レスターさんが私の足元を見て尋ねる。その言葉を聞いた瞬間、どうしても考えざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

 

「それは……」

 

 レスターさんの言う”この子”とは、アイちゃんのことを指している。あの洞窟内でこの子を引き取ると決めた時、この子を野生に返さなければならない時が来るとは思っていた。けれどアイちゃんと一緒に過ごすうちに、いつしか私はこのことを考えなくなっていた。

 

 ――別れたくない

 

 この気持ちが現実から目を背けさせたのかもしれない。

 

「考えてないのか?」

「いえ……」

 

 考えていなかったわけではない。考えたくなかった。けれど、どんなに拒否してもその時は必ず訪れる。

 

 王妃様との約束が果たされれば、目的である腕輪が手に入る。そうなれば私は明久君や坂本君たちと一緒に元の世界に帰ることになる。その時、アイちゃんはどうすべきなのか。

 

「この子は……この世界で生きるべきだと思っています」

「ならさっきの兄ちゃんに預けたらどうだ? 山羊は山羊の仲間と共に暮らすのが良いだろう」

「……」

 

 最初は償いのつもりでアイちゃんを引き取った。でもこの子と一緒にいると楽しかった。この世界に飛ばされてから泣いてばかりいた私が、前向きに考えられるようになった。

 

「本当はオレが預かりたいところなんだけどな。けどオレは自分の食すら疎かにしているくらいだ。やはりこの子はあの兄ちゃんの元で暮らすのが幸せなんじゃないか?」

 

 レスターさんの言うことは分かる。けれど別れるのは辛い。4日間という短い間のうちに、アイちゃんは私にとって大切な存在になってしまったから。できることならば私たちの世界にこの子を連れて行きたい。

 

 でもそれは人間のエゴ。もともと野生のアイちゃんはそれを望んではいないと思う。それにまったく知らない異世界で暮らすことの心細さは痛いほど知っている。アイちゃんにそれを強要するわけにはいかない。

 

 ……結論は既に出ていた。

 

「……分かりました」

「姫路よ……良いのか?」

「はい。確かにレスターさんの仰るとおりです。山羊は山羊の仲間と暮らすのが一番です。私たちが元の世界に帰りたいのと同じなんです」

「そうか……分かった。この件はお主に任せるぞい」

「はいっ」

 

 私はアイちゃんを抱っこして、去っていくルイスさんを追った。

 

「あのっ! 待ってください!」

「はい? 何でしょう」

「あの……この子を一緒に連れて行ってもらえませんか?」

「その仔山羊を? でもそれは貴方が飼っていたのでは?」

「そうなんですけど……でも一緒に連れて行けない事情があるんです。どうか……お願いします」

 

 私は込み上げてくる悲しみを堪えながら頭を下げる。そう、これはアイちゃんのため。私の我儘(わがまま)でアイちゃんの未来を振り回すわけにいかない。そう自分に言い聞かせて。

 

「ふむ……」

 

 そう呟くルイスさん。何か思案に暮れているようだった。けれどしばらくして、

 

「分かりました。お引き受けしましょう」

 

 ルイスさんは(さわ)やかに微笑みながら受け入れてくれた。

 

「……ありがとう……ございます」

 

 私は再び深々と頭を下げ、礼を言う。でも内心は悲しくて堪らなかった。涙が溢れてきそうで堪らなかった。

 

「さぁ、アイちゃん。仲間の……ところに……行きなさい」

 

 これは自分の決めたこと。後悔はしない。私はアイちゃんを降ろし、お尻をポンと叩いて仲間の元へと向かわせた。

 

 ……胸が張り裂けそうだった。

 

「ンミェ~……?」

 

 数歩歩いたアイちゃんは振り向き、不思議そうな目を私に向ける。ダメ……そんな目で見ないで……。

 

「立派な山羊になるんですよ。…………元気でね」

 

 私の声は涙交じりの震えた声になってしまっていた。するとアイちゃんは私の思いを感じ取ったのか、トットットッと跳ねるように仲間の山羊の元へと歩いて行った。

 

「メェ~」

「ミィ、ミィ! ミェェ~!」

「メェェ~」

 

 会話するかのように鳴き合うアイちゃんと大きな山羊。私にはアイちゃんが言葉の通じる仲間に会えて喜んでいるように見えた。

 

「それではお預かりします」

 

 アイちゃんが馴染んだのを見ると、ルイスさんはそう言って軽く会釈をした。

 

「はい。……よろしくお願い……します

 

 私もまた頭を下げ、彼を見送った。ルイスさんは緑のマントを翻し、サバンナのような大地をゆっくりと歩き、去って行く。彼の後ろには1頭の山羊が大きな(つの)を揺らせながら歩いている。アイちゃんはその横に並び、ちょこちょこと細かく足を動かしながらついて行く。

 

 途中、アイちゃんは何度かこちらを向いては元気に(いなな)いた。それはまるでお礼を言っているかのようだった。その声を聞く度に彼らを追いかけたくて堪らなくなってしまう。私はぎゅっと唇を噛み、拳を握り、その衝動を抑えた。

 

「よく頑張ったな。偉いぞ」

 

 後ろからそんな声がして、頭を撫でられた。そんなレスターさんの優しい言葉に、私の我慢はついに限界を越えてしまった。堪えていた大量の涙がぽろぽろと零れ、頬を伝ってしまう。拭っても拭っても、()()もなく溢れてしまう。

 

「こ……これで……よ……良かったんです……」

「そうじゃな。これであの子も幸せに暮らせるじゃろう」

 

 木下君が微笑んでそう言ってくれた。私はその優しい言葉に少し救われた気がした。

 

 ―― 私の選択は間違っていなかった ――

 

 と。

 

「さぁ王都へ向かうぞい。レスター殿の時間も惜しいでな」

「はいっ……」

 

 木下君に促され、私は町に向かって歩き始めた。

 

 ……

 

 最後にひと目だけ……。

 

 私は立ち止まり、彼らの去って行った方を見つめた。既にアイちゃんたちの姿は点のように小さくなっている。

 

(……元気でね、アイちゃん)

 

 私は呟き、再び歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 そして王都への馬車の中。

 

 私は思いっきり、泣いた。

 



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第四十八話 寂しさを越えて

 4時間後。

 

 私たちは王都モンテマールに無事到着した。

 

「姫路よ。大丈夫か?」

 

 先に降りた木下君が馬車を降りようとしている私に手を差し伸べ、気遣ってくれる。

 

「木下君……」

 

 カノーラで馬車に乗った後、私は悲しみに暮れていた。座りながら握った拳を膝に置き、必死に涙を堪えていた。泣いちゃいけない。そう思い、全身を強ばらせて耐えていた。

 

 すると木下君が大きなタオルを差し出しながら、「今は存分に泣くがよい」と言ってくれた。とっても優しい木下君の心遣い。私はその言葉に従い、悲しみのすべてをタオルにぶつけた。

 

 泣いて、泣いて、泣きまくった。丸めたタオルに顔を埋め、頬がふやけるまで泣きまくった。こんなに泣いたのはあの時以来。初恋が実らないと知ったあの日以来だった。

 

「ありがとうございます木下君。もう大丈夫です。ご心配をお掛けしました」

 

 目尻や頬が少しピリピリする感じは残っているけど、もう涙は出ない。もうすぐ腕輪を貰える。そうしたら明久君たちと一緒に元の世界に帰れる。そんな風に前向きに考えるようにしたから。

 

「ふぁぁ~……や~っと着いたか」

「…………早く降りてほしい」

「おぉ、こりゃすまんな」

 

 続いてレスターさんと土屋君も馬車から降りてきた。レスターさんは馬車に乗っている間、ずっと寝ていたみたい。きっと徹夜続きで疲れていたのだと思う。でもおかげで私が泣いている姿を見られずに済んだとも言える。

 

「さぁてと。早速ババァんトコ行くかァ。あまり気は進まねぇけどな」

「相変わらずレスター殿は口が悪いですのう」

「ガッハッハッ! まぁいいじゃねぇか! いけすかねぇババァだってのは事実なんだからよ!」

「そのわりには楽しそうに見えますぞい?」

「キノシタ、耳を貸せ」

「んむ? なんじゃ?」

 

 ?

 

 レスターさんが木下君の耳元で何かを話している。二言(ふたこと)三言(みこと)話していたように見えた。その後、木下君はフッと笑みを浮かべ、小さくコクリと頷いていた。

 

「何の相談ですか?」

「んむ? なんでもないぞい。男同士のヒミツじゃ」

「何っ!? ちょ、ちょっと待て! キノシタ! お前さん男だったのか!?」

「レスター殿……3日間を共に過ごしておいて今更何を言っておるのじゃ……」

「共にっつってもオレはずっと作業机に向かっていたからなァ。しかしそれにしちゃメイド服が似合ってたじゃねぇか」

「だから困るのじゃ……」

「いやぁ悪かったなァ。そうと知っていれば男物の服を用意したんだがなァ」

「…………じゃあなぜ俺にもメイド服を渡した」

「面倒だった」

「…………っ!? お、男の尊厳を……返してほしい……ッッ!」

「まぁ過ぎたことだ! 気にすんな!」

 

 レスターさんは両手を腰に当ててガハハと豪快に笑っている。本当に豪快な人。

 

「ふふ……」

 

 彼らのそんな様子に、私は思わず笑みが溢れてしまった。

 

「やはりお主には笑顔が似合うようじゃな」

「えっ? 私ですか?」

「んむ。さぁ行くとするかの。さっさと腕輪を入手して明久に会いたいと思っておるのじゃろ?」

「ふぇっ!? そ、そんなことは! …………ちょっとだけ……」

「はっはっはっ! お主は正直じゃのう」

「もうっ! からかわないでください!」

「はっはっ! すまんすまん。んむ? どうしたムッツリーニよ」

「…………腹が減った」

「む。そうじゃな。まずは腹ごしらえにするかの。レスター殿、よろしいか?」

「あぁ。オレは構わんぜ」

「ではどこかの店に入ってランチじゃな」

「はいっ」

 

 私たちは早速商店街に入り、飲食店で昼食を取ることにした。応対してくれたウェイトレスさんを見ていると、ラミールの町で働いていた頃を思い出す。あの頃は自分がどう行動したらいいのか皆目見当も付かなかった。それが木下君に励まされ、サンジェスタに移動したことで坂本君や翔子ちゃんと再会できた。それから明久君や美波ちゃん、土屋君も一緒になって、ついに帰るためのヒントを掴んだ。

 

 王妃様から貰う予定の腕輪が白金の腕輪かどうかは分からない。けれど3つもあるのだから、そのうちの1つが目的の腕輪である可能性は高いと思う。そう。私たちはもうすぐ帰れるんだ。私は食事をしながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「おおぉっ! レスター殿!!」

 

 王宮に到着した私たちはすぐに王の間に案内された。けれど王の間に通された瞬間、もの凄い勢いで王妃様がレスターさんに飛びついてきた。

 

「よくぞ参られた! ささ、こちらへ来てたもれ!」

「ちょっ、ま、待てババァ! 何しやがる! 気持ち(わり)ィ! 放せ! 放せってんだ!!」

「いいから来るのじゃ! (わらわ)はこの時を一日千秋の思いで待ちわびておったのじゃ!」

「ンなこと知るか! オレは二度と会いたくなかったんだ!!」

「そのようなつれない事を言うでない。ささ、準備はしてある。はよう来るのじゃ!」

「あだだだっ! 後ろ手に捻るんじゃねぇ! は、放せ畜生! 放せってんだこのババァ! うわあぁぁぁーーっ! 放せえぇぇぇーーっ……!!」

 

 王妃様はレスターさんの関節をガッチリと極め、あっという間に連れ去って行ってしまった。

 

「「「…………」」」

 

 そして王の間に取り残された私たち。謁見(えっけん)の場には銀色の鎧を着た兵士さんが6人ほど立っていた。その誰もが王妃様の行動に呆気にとられているようだった。

 

「あの……私たち置いて行かれちゃいましたけど……」

「んむ。行ってしもうたな」

「…………報酬は?」

「そ、そうですよ! 報酬はどうなるんですか!?」

「ワシに聞くでない」

「せっかく苦労してレスターさんに来ていただいたのに、これじゃ骨折り損じゃないですか!」

「…………王妃を追うか」

「いや、やめた方がいいじゃろう。恐らくこの後もレスター殿にべったりじゃろうからな」

「そ、そんな……じゃあどうしたらいいんでしょう……」

「むう。困ったのう」

 

 と私たちが困り果てていると、兵士さんのうちの1人が話しかけてきた。

 

「いやぁ驚いたよ。まさか本当にレスター爺さんを連れてくるとはね」

 

 銀色の鎧に身を包み、槍を手にした兵士のお兄さん。この顔には見覚えがある。

 

「ニールさん!」

「やぁ、また会ったね君たち」

 

 この人はニールさん。この前の魔獣討伐の際、洞窟まで私たちを案内をしてくれた人。

 

「お久しぶりです。ニールさん」

「先日は世話になり申した」

「なぁに。私は付き添いで行っただけさ。それよりもよくレスター爺さんを説得できたね。今まで誰が行っても会ってもくれなかったというのに」

「えぇ、まぁ……色々ありまして……」

 

 今思えば、こうしてレスターさんが来てくれたのもアイちゃんがいてくれたおかげ。あの子がいなかったらレスターさんは私たちの話に耳を貸さなかったかもしれない。アイちゃん……本当にありがとうね。

 

「しかし王妃殿はどこへ行ってしまわれたのじゃ? ワシらはまだ一言も話しておらぬのじゃが……」

「実は王妃様は以前からこの王宮にレスター爺さん用の部屋を用意していてね。きっとそこでドレスを作らせるつもりなんじゃないかな」

「なるほどのう……それでああやってレスター殿を連れて行ってしまわれたのじゃな」

「今頃は自分で書いたデザイン画を見せてあれこれ意見を聞いてる頃だろうね」

「…………いつ出てくる」

「う~ん……たぶんしばらく部屋から出てこないと思うな。下手をしたら2、3日籠りっぱなしかもしれないね」

「木下君、どうしましょう……」

「うぅむ……こうなってしまっては仕方あるまい。出直すしかないじゃろう」

「やっぱりそうですかね……」

 

 せっかく腕輪が手に入ると思ったのにまた数日お預けだなんて……。

 

「心配はいらないよ。ほら」

 

 がっくりと3人で項垂(うなだ)れていると、ニールさんがそんなことを言ってきた。顔を上げてみると、彼の横にはもう1人兵士さんが来ていて、その人は幅40センチくらいの綺麗に飾られた箱を持っていた。

 

「報酬の件は王妃様から聞いていたからね。予め預かっておいたんだ」

「えっ!? ほ、本当ですか!?」

「あぁ、これが君たちの報酬さ。さ、受け取ってくれたまえ」

 

 ニールさんはそう言うと箱の鍵を開け、中身を見せてくれた。中は赤いクッションのようなものが敷き詰められており、その上には2つの金色の腕輪が置かれていた。それは翔子ちゃんの書いてくれた絵にそっくりの腕輪だった。

 

「おおっ! これは確かにワシらの求めている腕輪じゃ!」

「ついに手に入れたんですね! これで私たち帰れるんですね!」

「…………任務完了」

 

 あとはこれが白金の腕輪かどうか確認して……!

 

「む? ちょっと待つのじゃ」

「どうしたんですか?」

「よく見てみるのじゃ。入っている腕輪は2つじゃ。この国には3つあるのではなかったか?」

「あっ……そういえばそうですね」

「ニール殿、腕輪はこれですべてじゃろうか? ワシらは3つあると聞いておったのじゃが……」

「3つあることまで知っていたのか。実はね――――」

 

 ニールさんは事情を説明してくれた。

 

 彼が言うには、確かに以前は3つあったらしい。しかしある時、王妃様は突然このうち1つを別荘に置いておくと言い出し、運送業者に東の砂漠を越えた別荘まで運ばせた。ところがその運送業者が砂漠の真ん中で魔獣に襲われ、運搬船は大破。腕輪は砂漠の中に消えてしまったのだという。

 

「そんな……砂漠の真ん中だなんて……」

 

 東の砂漠は確か東西に1000キロメートル。そんな中から腕輪を探し出すなんて、それこそ砂漠の中から米粒を探すようなもの。絶望的じゃないですか……。

 

「まぁ待つのじゃ姫路よ。悲観する前にこれが白金の腕輪か確認しようではないか」

「そうですね。もしこの2つの中にあれば捜しに行く必要ないですものね」

「そういうことじゃ。では早速行くぞい」

 

 木下君は片方の腕輪を右腕に装着し、腕を上げてキーワードを口にした。

 

「――起動(アウェイクン)!」

 

 

 ………………

 

 

 でも何も起こらなかった。

 

「むぅ。何も反応せぬな」

「やっぱり坂本君じゃないと反応しないんですかね」

「…………俺に貸せ」

「やってみるか? ムッツリーニよ」

 

 木下君は腕輪を外して土屋君に手渡す。そして土屋君がそれを右腕に装着すると――――

 

「おぉっ!? む、ムッツリーニよ! 腕輪が光っておるぞ!」

「…………文字が出てきた」

「なんと書いてあるのじゃ? 読んでみるのじゃ!」

「…………英語」

「アルファベットくらい読んでほしいのじゃ……」

「…………エー、エックス、イー、エル」

 

「「…………」」

 

 2人が何かを訴えるような目で私をじっと見つめている。

 

「どうして私を見るんですか……?」

「姫路なら読めるじゃろう?」

「…………(コクコク)」

「読めないんですね……それはアクセルと読むんです」

「おぉなるほど! アクセルであったか! 車を走らせる時に踏み込むアレじゃな?」

「…………つまり加速」

「お主の召喚獣が使う技と同じということは、その腕輪はお主用ということかの」

「じゃあ白金の腕輪じゃないんですね……もう片方のはどうですか?」

「どれ、試してみるかの」

 

 木下君が手を伸ばし、箱の中の腕輪を手に取る。するともうその時点で腕輪は光り始めていた。

 

「おぉ? なんじゃ? もう光っておるぞい?」

「ということはそれは木下君用なんですね」

「やはりそういうことかの。何やら文字が浮き上がってきたわい」

「なんて書いてあります?」

「待つのじゃ。なになに……? ふむ……イリュージョン、じゃな」

「どうしてそれが読めてアクセルが読めないんですかっ!」

「え。い、いや、演劇で使ったことがあってのう……」

 

 やっぱり木下君は演劇に絡むと凄い記憶力を発揮するみたい。今度から教える時は演劇を絡めようかな。

 

「しかしイリュージョンとはどういう効果じゃろう? 手品や魔術といった類いかの?」

「どちらにしても白金の腕輪じゃないみたいですね……」

「むう、そのようじゃのう」

「…………任務失敗」

 

 この2つが違ったということは、もしかして残りの1つが? でも最後の1つは砂漠に……。

 

「どうしたんだい君たち? そんなにしょげ返って」

「あ、ニールさん。実は2つとも目的の腕輪じゃなかったんです」

「え? でもこれは確かに君の絵と同じ形の腕輪だよね?」

「それが少し効果が違ったんです」

「効果? なんだい? 効果って」

「実は、この腕輪はワシらが装着するとそれぞれ特殊な力を発揮する物なのじゃ。いわば魔法の腕輪といったところじゃな」

「魔法だって? そんなバカな」

 

 ニールさんはハハハと笑う。まるで信じてないみたい。私にとっては魔石という物の方が魔法に思えるんですけどね……。

 

「まぁ信じられずとも仕方あるまい。ときにニール殿。砂漠で失われたという腕輪はどの辺りであったかご存じないかの?」

 

 !

 

 木下君、まさか砂漠に捜しに行く気!?

 

「う~ん。私は聞いてないなぁ。あ、マッコイ爺さんなら知ってるんじゃないかな」

「マッコイ? それはどういった御人なのじゃ?」

「あの爺さんは元は造船技師兼操舵士でね。例の事故の当事者なんだ」

「なんと、当事者じゃったか。それはありがたい。して、そのマッコイ殿はどこにおられるのじゃ?」

「カノーラさ。でも例の事故以来、隠居の身だよ。たぶん誰にも会わないんじゃないかな」

「ふぅむ……そうか」

 

 カノーラの町のマッコイさん……ですか。

 

「木下君、土屋君」

「んむ」

「…………当然」

 

 私たちは互いに目を見合わせ、”うん”と頷いた。

 

「ニールさん、情報ありがとうございます。私たちマッコイさんにお会いしてきます」

「……まさか砂漠に消えた腕輪を探し出そうってのか?」

「はい。そのまさかです」

「おいおい……マジかよ……」

 

 ニールさんは呆れた様子で私たちを見ている。でも私たちは本気。約束の期限まで今日を含めてあと4日。とにかくできることはすべてやっておきたい。

 

「……どうやら本気みたいだね。分かった。マッコイ氏の住む場所を教えよう」

「ありがとうございます! ニールさん!」

「マトーヤ山の魔獣を退治してくれたんだ。感謝するのはこちらの方さ。無事見つかるといいね」

 

 ニールさんは紙にさらさらと絵を描き、渡してくれた。大きな円形の中の右端に付けられた小さな丸。外側の円はカノーラの町全体を表わしていて、小さな丸はマッコイさんの家らしい。

 

 こうして私たちは残る1つの腕輪の情報を求め、王宮を後にした。

 

 

 ………………

 

 

「あの、木下君」

「何じゃ?」

「レスターさんを置いて来ちゃいましたけど良かったんでしょうか」

「あ……」

 

 忘れていたんですね……そういう私も今この瞬間まで忘れていたのだけど。

 

「…………2、3日監禁」

「そ、そうじゃな。さすがに2、3日待っておるわけにもいかぬ故、やむなしじゃ!」

「それじゃ私、後でお礼のお手紙書いておきますね」

「んむ。それが良いじゃろう」

 




次回、チームひみこ編最終話になります。


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第四十九話 旅のおわり

 王都モンテマールから馬車に乗り、私たちは再びカノーラの町にやってきた。

 

 サンジェスタを発ってから今日で7日目。空は黒色に染まりつつあり、その7日目も終わろうとしている。帰りの移動時間を考慮すると、残された時間は少ない。一縷(いちる)の望みを掛け、私たちは急ぎマッコイさんのお宅へと向かった。

 

「ここみたいですね」

 

 そこは外周壁の真横だった。西側には巨大な壁が(そび)え、その向こう側には砂ぼこりが夜空に舞っているのが見える。

 

「すっかり日が暮れてしもうたな」

「…………早く話を聞きたい」

「そうせかすでない。では行くぞい」

 

 ――コンコン

 

 木下君が扉に付いていたドアノッカーで家主を呼び出す。

 

「「「…………」」」

 

 けれど、2、30秒ほど待ってみても返事は無かった。お留守なのかしら?

 

「むぅ。おらんのじゃろうか」

「お爺さんだって言ってましたし、聞こえなかったのかもしれませんよ?」

「…………もしくはもう寝たか」

「寝られては困るぞい。よし、もう一度じゃ」

 

 と木下君がドアノッカーに手を伸ばしたその時、ガチャリと扉が開いた。そして――

 

「誰ぢゃぁこんら時間りぃ~……年寄りの夜は早りんぢゃぞぉ~……ひっく」

 

 顔を真っ赤に染めた白髪のお爺さんが出てきて、そんなことを言ってきた。肩まで伸ばした真っ白な髪に長いフサフサの顎髭。着ている服はワンピース型の赤い寝巻。赤いナイトキャップの相乗効果もあり、その姿はまるで酔っぱらったサンタクロースのようだった。

 

「…………酒くさい」

「相当飲んでおるようじゃな……」

「らんじゃぁ~お主らぁ~? 物売りならおころわりじゃぞぉ~?」

 

 ろれつが回っていなくて言っていることを理解するのに少し考えてしまう。たぶん「お断り」と言ってるんだと思う。

 

「あの、私たちマッコイさんにお聞きしたいことがあって来たんです。少しお話を――」

「んぁ~? わひはらんりもひらんろぇ~?」

 

 こ、こんな状態で話なんて聞けるのかしら……でも一応お願いしてみよう。

 

「砂漠で起こった事故のことを詳しくお聞きしたいんです。王妃様の委託品を失ってしまったという事故のことを」

「……それを聞いてどうするつもりじゃ」

 

 デレッと緩んだ顔をしていたマッコイさんは急に真剣になり、私たちを睨みつけてきた。けれどその顔はまだ真っ赤だった。

 

「私たちには失われた腕輪が必要なんです。だから事故のあった場所を教えてほしいんです」

「……もう忘れたわい」

「そんな……! なんとか思い出していただけませんか! 私たちの未来が掛かってるんです!」

「フン。未来か」

 

 真っ赤な顔のお爺さんは顔を上げ、夜空を見上げた。その顔はどこか寂しげで、(うれ)いに満ちているように見えた。

 

「お主ら何者じゃ。なぜ腕輪のことを知っておる。王家の者か」

 

 鋭い目つきで私をキッと睨み付け、お爺さんが尋ねる。こんな目で睨まれると、悪いことをしてる気がしてきてしまう。

 

「あ、あの……私は……」

 

 叱られているような気がして、言葉が出てこない。どうして私はこうなってしまうんだろう。美波ちゃんのような強い心が欲しいな……。

 

「マッコイ殿。ワシらは王家の者ではないが、王妃殿より許可を得て動いている者なのじゃ」

「王妃とな? あのバァさんも人使いが荒いのう。こんな時間まで女子(おなご)に働かせるとはのう」

「少々事情がありましてな。ワシらは急いでおるのじゃ。話を聞いていただけぬじゃろうか」

「フム……あい分かった。お主を信じよう。入るが良い。事の顛末(てんまつ)を話してやるわい」

 

 戸惑っているうちに木下君がマッコイお爺さんと話を進めてくれた。リーダーのくせに私は何をやってるんだろう……。

 

「かたじけない。では失礼させていただきますぞい。ほれ姫路よ、行くぞい」

「あっ、はい。すみません」

 

 こうして私たちはマッコイさんの家の中に招き入れられた。でも入ってみてちょっと驚いた。部屋の広さはだいたい縦横4メートル弱。つまり八畳部屋がひとつと、奥にもう一部屋があるだけだった。それに物が少なくて、とても殺風景。あるのはテーブルとベッドくらいだった。

 

「そこに掛けるがよい。すまんが茶は出せんぞ」

 

 マッコイさんはそう言って自分はベッドに腰掛けた。私たちはお爺さんの言葉に従い、テーブル席に座らせてもらった。

 

「マッコイ殿。早速で申し訳ないが事情を聞かせて貰えぬじゃろうか」

「話すのは良いが、つまらん話じゃぞ? それでも良いのか?」

「どうしてもワシらには必要なことなのじゃ。思い出したくないことかもしれぬが……ご容赦くだされ」

「フン。まぁいいわい」

 

 マッコイお爺さんは落ち着いた声で語り始めた。

 

 マッコイさんはもともと造船技師であり、その職をとても気に入っていたらしい。更には好きが高じて操舵士の資格をも取り、自ら作り出した船の船長となって日々大海原を駆け巡っていたという。

 

 それでもマッコイさんの探究心は尽きない。日々研究と運送業に精を出し、そして数年前、ついに20年の歳月を掛けた新しい船が完成。それが砂上船(さじょうせん)。砂漠の上を走る船だった。

 

 知っての通り、サラス王国は大陸の中央を砂漠で仕切られてしまっている。このため東西の行き来はこれまで海路のみであったが、この砂上船により陸路ができた。海路が3日掛かるのに対し、陸路は1日で横断できてしまうのだという。

 

 砂上船の運営は順調だった。海運業の者から嫉まれ、恨まれもしたが、マッコイさんは気にしなかったという。しかし順調であった砂上船運搬業はある日、突然終わりを告げる。それがあの事故だった。マッコイさんは悲しそうな顔でそう語った。

 

 

 事故の詳細はニールさんから聞いている通りだった。

 

 

 2ヶ月前、王妃様からの依頼を受け、マッコイさんは砂上船で腕輪の入った宝石箱を運搬していた。船はいつもどおり順調に航行していたという。

 

 ところが砂漠のちょうど中央あたりに差し掛かった時、突如として魔獣が現れた。当然、砂上船にも魔障壁装置は搭載していた。稼働状態も問題はなかった。けれどその魔獣はそれをものともせずに襲い掛かってきたのだという。

 

 魔障壁装置を信じていた上に、砂上船はもともと運搬専用船。武装を持たない船は抵抗の術なく、魔獣の体当たりを受けて敢えなく大破。マッコイさんは一命を取り留めたものの、請け負ったすべての品々を失ってしまったという。もちろん王妃様から預かった腕輪の入った宝石箱も。

 

 この事故はすぐに王宮に報告が入り、マッコイさんは王妃様に呼び出された。そして王宮で待っていたのは絶望だった。

 

 マッコイさんが謁見の場に入るなり、王妃様は激怒。責められ、なじられ、人格をも否定された。更には運搬事業の権利を剥奪され、一切の業務を停止するよう命じられた。以来、職を失ったマッコイさんは気力を失い、酒浸りの毎日を過ごしているという。

 

「そんな……事故なのに業務停止命令だなんて……」

「なぁに。備えを怠ったワシが悪いのじゃ。死刑にされなかっただけマシじゃよ」

 

 お爺さんはお酒の入ったグラスを顔を赤くしながら見つめる。その目はとても寂しそうだった。きっと諦めきれない想いがあるのだと思う。

 

 でも私たちにも諦めきれない想いがある。どうにかして残る1つの腕輪を手に入れたい。私はその場所に行きたいとマッコイさんに願い出てみた。けれど砂上船は失われ、運送業も廃業している。他にこんな砂漠を渡ろうとする者もいないだろうとマッコイさんは言う。

 

「そう……ですか……」

「むぅ。こうなっては手の出しようが無いのう……」

「…………期限はあと3日」

「サンジェスタへ戻るにも日数が掛かる。無念じゃがここまでじゃ。もう戻るしかあるまい」

「そうですね……」

 

 ここまでで私たちが入手できたのは土屋君と木下君の腕輪2個。そのどちらも白金の腕輪ではなかった。もう明久君と美波ちゃん、それに坂本君と翔子ちゃんの成果に期待するしかない。

 

「マッコイさん、ありがとうございました。私たち帰ります」

「世話になり申した」

「んあぁ~? なんらってぇ~?」

 

 気付くとマッコイさんは元の酔っぱらいお爺さんに戻っていた。今はそっとしておいたほうが良さそう……。

 

「えっと……お、お邪魔しました。失礼します」

 

 ――パタン

 

 とりあえず丁寧に挨拶をしてマッコイさんの家を出てきた私たち。交わす言葉が見つからず、私たちはしばらくの間、俯き押し黙っていた。

 

「姫路よ、気に病むことはないぞい。腕輪が足りぬのはお主のせいではない」

「それは……分かってるんですけど……」

 

 確かに残る1つの腕輪が得られなかったことは残念です。でも今はマッコイさんの寂しそうな姿が気になってしまうんです……。

 

「さて。今宵はひとまずこの町で宿を取るとするかの。この時間ではもはや馬車も動いてはおるまい」

「そうですね。でも残念です。あと1つだったのに……」

「仕方あるまい。これ以上追うには時間が足りぬのじゃ」

「…………急がないと宿も閉まる」

「おっと、そうじゃな。急ぐとしようかの」

「はいっ」

 

 

 こうして私たちはその日はカノーラで宿を取り、翌朝、ガルバランド王国に向けて出発した。

 

 

 

 この旅では楽しい思いもしたけれど、悲しい思いもした。一番の思い出は仔山羊のアイちゃんとの出会いと別れ。共に過ごした4日間であの子に償いができたのだろうか。今も元気に跳び回っているのだろうか。

 

 帰りの馬車の中、私はこのことをずっと考えていた。

 

「姫路よ。アイ殿のことを考えておるのか?」

「……えっ?」

 

 ……そうですね。

 

 きっとアイちゃんは仲間の山羊と一緒に幸せに暮らしているはず。もう異世界人である私が私情を挟んではいけないんです。

 

「違いますよ。早く皆に会いたいなって思ってたんです」

 

 ありがとうね、アイちゃん。私、もっと前向きに考えることにします。

 

「ふ……お主も素直ではないのう」

「えっ? 何がですか?」

「”皆”ではなく、”明久”に、であろう?」

「ふぇっ!? そ、そんなことないですよ!? 美波ちゃんや翔子ちゃんに会うのだって楽しみなんですから!」

「お主も嘘が下手じゃのう。のう、ムッツリーニよ」

「…………なぜ俺に振る」

「お主も嘘が下手じゃからな。はっはっはっ!」

 

 王都サンジェスタに到着するまでの間、木下君はこんな風にずっと明るく振る舞っていた。そんな普段見ない木下君の楽しそうな笑顔は私にも笑顔を与えてくれた。私が寂しい思いに埋もれないようにわざと明るく振る舞ってくれたのかもしれない。

 

 

 

 これで私たち”チームひみこ”の腕輪探しの旅はおしまい。

 

 白金の腕輪の入手は果たせなかったけれど、得るものも多かった旅だったと思う。今は明久君たちに再会するのがとても楽しみです。

 




次回、チームアキ後編。ハルニア王国で美波の腕輪を入手した後の2人の物語を描いていきます。


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第二章 僕と鍵と皆の使命(クエスト) ―― チームアキ後編 ――
第五十話 発明王


今回からは明久と美波の旅『後編』をお届けします。



 ―――― 時は遡り、1つめの腕輪を入手した後の『チームアキ』は ――――

 

 

 ハルニア王国最南端の町”ラドン”。僕らはそこで目的の腕輪のうちの1つを手に入れ、再びレオンドバーグに戻ってきた。今の太陽の位置からすると時刻は昼前。マルコさんルミナさんと別れたのが昨日朝のことだから、ここまで戻るのに一日掛かってしまったということになる。

 

 レオンドバーグは大陸の北西に位置する。大陸の南東に位置するラドンからの移動のため、大陸を斜めに突っ切ったような形だった。移動はもちろん馬車。ラドンからハーミル、更に峠町サントリアを経由。ミロードで夜になってしまったので一晩の宿を取り、今ようやくレオンドバーグに到着したというわけだ。

 

【挿絵表示】

 

 

「やっと着いたわね」

「ラドンから丸一日だもんなぁ。ホント新幹線とか欲しい気分だよ」

「バカね。電気なんか無いんだからそんなのあるわけないじゃない」

「分かってるさ。それにしても人間って電気が無くても暮らせるものなんだね」

「そうね。電子レンジとかドライヤーとか、使うのが当たり前になってたものね」

「あれ? そういえば美波って髪の手入れはどうしてるの?」

「タオルで拭いてブラッシングしてるだけよ?」

「へ? そうなの? それだけなのにそんなに綺麗になるんだ……」

「えっ? 綺麗? そ、そう?」

「うん。なんかいつもサラサラていいなって思ってたんだ」

「やだもうアキったらお世辞ばっかりっ」

「ひっ!?」

 

 美波の照れ隠しフックを間一髪かわす。いつもながらなんて鋭い拳だ……。

 

「そうそう聞いてアキ。この世界のシャンプーって不思議なのよ。まるでリンスが入ってるみたいに髪がしなやかになるの」

「へ、へぇ~……知らなかったなぁ」

「アキだって同じシャンプー使ってるはずよ?」

「それが僕の髪はいつもと変わらないんだよね。なんでだろ?」

「元の髪質の違いじゃないかしら」

「つまり僕の髪はどう頑張っても美波みたいにサラサラにはならないってことかぁ……」

「いいじゃない。ウチはアキの髪型結構好きよ?」

「っ!? そ……そう?」

「うん。ホントよ。だから寝癖はちゃんと直しなさいよね」

「あ……ご、ゴメン。そうだね」

 

 さらりと”好き”なんて言われたもんだから、思わず舞い上がってしまった。なにしろ髪を褒められたのなんて初めてのこと。それも美波に褒められたともなれば僕の心は有頂天。まさに天にも昇る思いであった。よし、これからはちゃんと髪の手入れもしておこうっと。

 

「もうすぐ研究所ね。今度は王様ちゃんと話してくれるかしら?」

「う~ん……どうだろう。この前やってた研究が終わっていれば話もできるんだろうけど……」

 

 僕らはレオンドバーグの町を歩き、前回王様が篭っていた研究所に向かっている。王様といえば本来ならば王宮にいるのが普通だろう。でもレナード国王はちょっと変わっていて、ほとんど王宮にいないらしい。というのも、魔石研究が大好きでいつも研究所に篭っているからだという。前回会いに来た時は研究に夢中でほとんど話を聞いてくれず、ようやく聞き出せたのがラドンの町に腕輪があるという話だったのだ。

 

「ねぇアキ、王様まだ篭ってたらどうする?」

「そりゃ待つしかないんじゃない? だって腕輪のこと知ってるの王様だけみたいだし」

「そうよね……とにかく行ってみるしかないわね」

「うん」

 

 程なくして僕らは研究所に到着した。コンクリートのようなもので作られた白い建物。正立方体の外観も以前と変わりはない。まぁ数日しか経っていないのだから変わらないのは当然か。

 

 早速僕らは正面の入り口から入った。建物の中は入ってすぐにカウンター。そこには前回と同様に呼び鈴が置かれている。

 

「鳴らしてみるわね」

 

 美波が呼び鈴を取り、ひと振りする。

 

 ――チリリン♪ リリン♪

 

 風鈴のような涼しげな鈴の音が部屋中に響き渡る。すると、

 

『は~い、ただいま参りま~す』

 

 と、カウンターの奥の扉の中から女性の声が聞こえてきた。この声も前回と同じ。クレアさんの声だ。

 

「あらヨシイ様、それにシマダ様も。お探しの腕輪は見つかりましたか?」

 

 奥の扉から出てきたのは背の高い金髪の女性だった。前髪を切り揃えたショートカットの髪型。とても綺麗な澄み切った藍色の瞳。鼻の頭に乗せた小さな眼鏡がキラリと光る。

 

「こんにちはクレアさん。また来ちゃいました」

「お元気そうですねシマダ様」

「はいっ、おかげさまで」

「ヨシイ様もお元気そうでなによりです」

「あはっ、前にも言いましたけど、僕は元気が取り柄みたいなもんですからね」

「ふふ……お変わりありませんね。ところで今日はどのようなご用件で?」

「あ、はい。実は腕輪なんですけど、確かに手に入ったんですけど――――」

 

 美波はクレアさんに事情を説明しはじめた。ラドンでの出来事をひとつひとつ、丁寧に話していく。こうして聞いていると僕より説明が上手い。美波の日本語も上手くなったものだ。

 

「そんなわけでして、もう1つの腕輪の在り処を教えてほしいんです」

「そういうことでしたか……まさか2つあるとは知りませんでしたわ」

「最初に言っておけばよかったですね。すみません」

「いえ。それではもう一度陛下にお伺いしてみましょうか。どうぞお入りください」

「はい、お邪魔します。ほらアキ、行くわよ」

「う、うん」

 

 挨拶するタイミングを完全に逸してしまった……まぁしょうがないか……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「できたぞぉぉぉーーっっ!!」

 

「「「!?」」」

 

 研究室の重そうな金属製の扉の前まで来ると、突然バンッとその扉が開き誰かが飛び出してきた。あまりに予想外の出来事に僕たち3人は”どん引き”してしまった。

 

「できた! できた! できたんじゃァーーっ!!」

「???」

 

 両手で僕の手を握り、ブンブンと上下に振りまくる髭モジャモジャのおじさん。よく見たらそれはレナード国王だった。っていうかどういう状況? 何がなんだかさっぱり分からない……。

 

「えっと、あの……な、何が?」

 

 ”できた”と言うので、とりあえず何ができたのかを聞いてみた。でも王様は完全に浮かれていて話をまったく聞いていなかった。今は僕の手を放し、廊下で一人不思議な踊りを踊っている。こんな王様でホントにこの国は大丈夫なんだろうか……。

 

「ハァ……まったく……」

 

 そんな王様に呆れた目線を送っていると、クレアさんが大きく溜め息を吐き、ツカツカと王様の元へと歩いて行った。そして王様の真後ろで右肘を直角に曲げ、手を上げたと思ったら、

 

 ――ビシッ!

 

 と、王様の頭頂部にチョップを振り下ろした。

 

「あだーっ!?」

「何を騒いでいるのですか。落ち着いてください陛下」

「な、何をするんじゃ! 頭なんぞ叩いて馬鹿になったらどうするんじゃ! ……お? なんじゃクレア君ではないか」

 

 どうやら今ので正気に戻ったようだ。それにしてもやっぱりクレアさんも結構乱暴な人だな。まるで以前の美波を見ているようだ。

 

「”クレア君ではないか”ではありません。お客様ですよ陛下」

「客人じゃと? おぉっ! お主はヨシイではないか! 久しいのう!」

 

 ……さっき誰の手を握ってたと思ってるんだろう。

 

「ど、どうも。お久しぶりです王様」

「ここでは王ではなく1人の研究者じゃ。レナードと呼んで良いぞ」

「分かりました。それじゃレナードさん、何ができたんですか?」

「おぉそうじゃ! 聞いてくれヨシイよ! 2週間の研究がついに実ったのじゃ! ささ、とにかく入ってくれ!」

 

 王様は僕の背中をグイグイと押し、部屋の中に押し込もうとする。

 

「えっ? ちょ、ちょっと押さなっ! あ、危なっ!」

 

 でもその部屋はガラクタの山が放置されたままで足の踏み場がない。下手に足を踏み入れたら機械を引っかけて怪我をしてしまいそうだ。仕方なく慎重にガラクタを踏み歩いて中に入る僕。美波とクレアさんも続いて入ってきたようだ。

 

「ね、ねぇレナードさん、この部屋少し片付けませんか? これじゃ機械を踏んづけて壊してしまいそうなんですけど……」

「ん? おお、これは気付かんかった。スマンスマン。今片付ける」

 

 たまりかねて言ってみると、王様はガラクタの中から1枚の金属板を取り出した。そしてそれを床に突き立てると、

 

「よっこらせっ」

 

 ――ガシャッ! ガラガラガラ!

 

 机周辺の床に積み上がっているガラクタをまるでブルドーザーのように壁に寄せていった。確かに机の周りは通れるようになった。でもこれって片付けたとは言わないんじゃないのかな……。

 

「これでよし。さぁ見てくれヨシイ! これじゃ!」

 

 王様は弾けるような笑顔でドライヤーのようなものを手に取り、僕に見せつける。何だろうコレ。ドライヤーにしか見えないけど……?

 

「あの……何ですかこれ?」

「これぞ魔石の力を利用した新発明じゃ!」

「新発明?」

「聞いて驚くがよい! まずここの吸気口から空気を取り込む! そして取り込んだ空気はここんとこの10連コンプレッサーでギュッと圧縮するのじゃ! その圧縮した空気をここんトコのチャンバーで燃焼させて、今度は爆発的に膨張させるのじゃ! 吸気と燃焼に火属性の魔石を使うのがポイントじゃ!」

「……ハァ?」

 

 何を言っているのかさっぱり分からない。火属性の魔石っていう言葉は初めて聞いたけど、コンロとかで使われている魔石のことかな? でも分かるのはそれくらいで、あとはまったくもって理解不能だ。

 

「ふっふっふっ……分からぬようじゃの。無理もあるまい。”百聞は一見にしかず”じゃ。こいつの力を見て驚くがよい!」

「は、はぁ……」

 

 要するにドライヤーなんでしょ? 王様にとってはまったく新しい発明品なんだろうけど、僕らにとっては日用品なんだよね。でもこんなのができたのなら丁度いいや。ドライヤーなら美波が使いたいだろうし、僕も必要かなって思ってたところさ。

 

「よし、シマダよ。ちょいとそこに立っておれ」

「えっ? ウチですか?」

「そうじゃ。ヨシイの前に立っておれ」

 

 なるほど。美波であのドライヤーの力を試そうっていうんだな? 王様も分かってるじゃないか。

 

「ここでいいですか?」

「そうじゃ。そこでじっとしておるのじゃぞ」

「? はい」

 

 王様と美波の間は約2メートル。ドライヤーの風を当てるにはちょっと遠いんじゃないのかな。もしかして凄く勢いが強いとか?

 

「あの……レナードさん。危険なものじゃないですよね?」

 

 銃のような形をしたものを美波に向けられ、なんとなく不安になってしまう僕。これに対して王様は自信に満ちた顔で答えた。

 

「大丈夫じゃ。人体に害は無い。そんなことよりよく見ておれ。行くぞい!」

 

 一体何が始まるんだろう? 疑問符を浮かべる美波と僕を前に、王様はおもむろにドライヤーの様な物のトリガーを引いた。すると、

 

  キュィィン……

 

 という、金属をこすり合わせるような甲高い音が出はじめた。だがそれ以外何も起らない。ホント、何なんだろうコレ……。

 

「別に何も起きませんけど……」

「慌てるでない勇者ヨシイよ。これからじゃ」

「だから勇者じゃないですってば」

「そろそろいいじゃろ。見るがよい! 新発明の威力を!」

 

 王様はそう言って、カチリともう一段深くトリガーを引いた。すると今度は、

 

  ボォン!

 

 という爆発音が轟き、まるでジェットエンジンのような音を立てながらドライヤーが激しい風を吹き出しはじめた。それはまるで”春一番”の強風のように激しく吹き荒れ、目を開けていられないほどだった。

 

「きゃぁぁーーっ!!」

 

 目をしかめて風に耐えていると、美波の悲鳴が聞こえた。

 

「み、みな――――ぶぅっ!?」

 

 正面を見て思わず吹き出してしまった。

 

「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっ! ちょ、ちょっとーーっ! 何なのよこれーーっっ!?」

 

 目の前では美波が必死になってスカートの前部分を押さえている。でも後ろに立っていた僕からはパンツがまる見えだ。

 

「はっはっはっ! どうじゃ凄いじゃろう! 名付けて春風機(しゅんぷうき)じゃ!」

「凄いじゃろ、じゃないっ!!」

 

 ――ゴンッ!

 

「あだーっ!」

 

 美波が王様をグーで殴ると、風は治まった。

 

アーキィィ……?

 

 鬼の形相で僕を睨みつける美波。や、ヤバイ! こっ、殺される!?

 

「見たわね」

「みっ、見てないよ!」

「正直に答えなさい」

「だから見てないってばっ!」

「怒らないから正直に言いなさいっ!」

「も、もう怒ってるよね!?」

「じゃあ別の質問よ。何を見てないの?」

「え、な、何って、パ――」

 

 いやいや待て待て。これは誘導尋問だ。危うく答えてしまうところだった。フフフ。そんな手に乗るほど僕はバカじゃないさ。

 

「その手には乗らないよ」

「なかなか鋭いわね。アキのくせに」

 

 どれだけバカだと思われてるんだろう。

 

「どうじゃヨシイ。何色じゃった?」

「あ、うん。白」

 

 ……あ゛っ

 

「いやぁぁぁぁーーーーっ!」

 

「「みぎゃぁぁぁぁーーーーっ!」」

 

 

 

 ――研究所全体に僕と王様の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

「まったく! これは没収よ!」

「あぁっ! それは(わし)の会心の――――」

「あァ!? 何か文句あるの!!」

 

 もの凄い形相で美波が王様を睨み付ける。まるで般若のような怒りの表情だった。こ、怖い……。

 

「い、いえ、無いです……」

 

 しょんぼりと肩を落とす王様。す、凄い……王様を平伏させてるよ……。

 

「とほほ……やっとツチヤにもらったアイデアを形にできたのにのう……」

 

 あぁ、これムッツリーニの入れ知恵なんだ。なんか納得した。

 

「土屋あぁーーっ! なんてことを教えてるのよ! 今度会ったらただじゃおかないんだから!!」

 

 ムッツリーニ、今度会ったらまず逃げてくれ……。

 

「ところでヨシイよ。何か用があったのではないのか?」

「あ。忘れてた」

 

 あんまり王様がテンション高いもんだから本来の目的を忘れるところだった。

 

「実は腕輪のことで聞きたいことがありまして」

「腕輪じゃと?」

「はい。王様が言ったように1つはラドンにあったんですけど、僕たちが探してる物とはちょっと違ったんです」

「ハテ? 儂はお主にそんな話をした覚えは無いぞ?」

「え……いやそんなことないですよ? ちゃんと4日前にここで聞いたじゃないですか」

「む??」

 

 王様は腕組みをしながらモシャモシャ髪の頭を傾げている。身に覚えが無いとでも言いたげな顔だ。

 

「陛下。それは先日私がお尋ねしたことです。腕輪の絵を見て陛下は”ラドンじゃ”とお答えになったではありませんか」

「ハテ? そんなこともあったような……なかったような……?」

「ハァ……覚えていらっしゃらないのですね……」

「自慢ではないが、ここ数日の記憶は研究のことしか残っておらん! ハッハッハッ!」

 

 だ……ダメだこの王様……。

 

 この時、僕はこの国の行く末を心の底から心配した。

 



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第五十一話 隠された王女

 クレアさんの案内により僕たちは研究室から応接に移動した。応接はさっきの研究室と違い、綺麗に片付けられていた。部屋はそう広くない。広さは八畳くらいだろうか。中央には小さな四角いテーブルが置かれ、それを挟むようにソファが設置されていた。

 

「ただいまお茶をお持ちしますわ」

 

 クレアさんはそう言うと静かに出て行った。

 

「やれやれ。研究室を出るのも久しぶりだわい」

 

 王様はコキコキと肩を鳴らしながらソファに腰掛ける。ヨレヨレの白衣にボサボサの髪。立派だった顎髭も伸び放題で、見る影もない。少々不潔な感じが気になるけど、今はとにかく腕輪の話をしないと。僕と美波はその向かいのソファに腰を下ろした。

 

「で、腕輪じゃったな。ラドンに行って来たのか」

「はい。ルミナさんにお会いしてきました」

 

 僕がそう答えると王様は急に眉間にしわを寄せ、厳しい目付きに変わった。そんな話など聞きたくもないといった表情だ。こんなにも嫌そうな顔をするほど王女のことに触れてほしくないのか。でも王様とルミナさんが親子であったことは間違い無い。それは王家に伝わる腕輪がルミナさんの所にあったことからも明らかだ。

 

 ()せないのは、”なぜ親子の関係を()っているのか”。王様のこの反応からして何か特別な事情がありそうだけど……でもなんだか聞いちゃいけないような気もする。

 

「あの……王様、ルミナさんと何かあったんですか?」

 

 と思っていたら美波が聞いてしまった。美波も遠慮が無いなぁ。王様の機嫌を損ねなければいいけど……なんてことを考えていたら案の定。王様は口を尖らせ、不快感をあらわにして答えた。

 

「フン! あのような親不孝者(おやふこうもの)など知らぬわ!」

「親不孝って……一体何があったんですか? 教えてもらえませんか?」

「お主らには関係のないことじゃ!」

「そんな……確かに関係ないかもしれないですけど……」

 

 美波の言葉にも応じない王様。どうしてこんなにルミナさんのことを嫌っているんだろう。先日、話を聞いた限りではルミナさんは王様の事を恨んでいる様子はなかった。ということは、きっと王様の方に何か勘違いがあるんじゃないだろうか。

 

「レナードさん」

「なんじゃ!」

「ルミナさんはとっても優しい人で王様を裏切るようなことをする人には見えません。何があったのか教えてもらえませんか?」

「嫌じゃ!」

「僕がこの世界に迷い込んだ時、ルミナさんは僕のことを親身になって心配してくれました。あんなに思いやりのある人が裏切るなんて思えないんです。もし王様を裏切るようなことをしたのなら、何か事情があったんじゃないですか?」

 

 僕は真剣だった。多大な恩を受けたルミナさんに恩返しをしたいと思っていたし、あんなに優しい人が親に恨まれるなんて悲しいと思ったから。

 

「む、むぅ……」

 

 王様の怒りは次第におさまり、悲しげな表情へと変わっていく。この様子。やはり何か特別な事情があるようだ。

 

「王様。よかったら話してもらえませんか? 僕らにも何か力になれることがあるかもしれないし」

「アキの言うとおりです。ウチらに何かお手伝いさせてください」

「ハァ……あまり王家の恥を(さら)したくはないのだがのう……」

 

 王様はしょんぼりと肩を落とし、そう言いながらも事情を語り始めた。

 

 

 ――――今から28年ほど前

 

 

 王様と王妃様の間に待望の子供が生まれた。それがルミナさんだった。長らく跡継ぎが生まれなかった王家の間ではたいへん喜ばれ、それは大事に育てられたという。

 

 だが本来ならば国王の後継ぎは男子。女の子であるルミナさんを歓迎しない者も少なくなかったという。しかしレナード国王はそんな反対の声を押し切り、ルミナ王女に王位に継がせることを決定。幼い頃より英才教育を施し、帝王学も学ばせた。

 

 彼女は王様の期待に応え、すくすくと成長した。12歳の頃には気品に満ち、王女としての資質は十分だった。彼女は笑顔を絶やさず、器量も良かった。王宮内でもそんな彼女を支持する者は多く、反対する声も次第に消えていった。もはやルミナ女王誕生は誰もが疑わなかったという。

 

 ところが彼女が16歳のある日、突然転機が訪れた。

 

 それは王様と共に峠町サントリアを視察に訪れている最中だった。たまたま1人になったルミナ王女はサントリアの町を見学に出た。今まで王都から出たことの無かったルミナ王女は見るものすべてが珍しく、時を忘れて町を歩き回っていた。

 

 その時、町の隅で1人の男と出会ったという。それがマルコさんだった。

 

 彼は町の片隅で一心不乱に金槌を振るい、剣を叩いていたという。ルミナ王女は物珍しさからその様子に惹かれ、近付いて行った。するとマルコさんは危ないから覗き込むなと怒ったのだそうだ。今まで父以外から叱られたことなどなかったルミナ王女は驚いた。けれど嫌な感じがしない。彼女はそんなマルコさんの仕事に打ち込む姿勢に不思議な魅力を感じていた。

 

 その日以降、ルミナ王女は毎日マルコさんの職場を訪れた。毎日顔を合わせるうちに次第に会話が弾むようになり、自身の悩みを打ち明けるほどになっていった。そうして数日間の滞在の大半を彼の元で過ごすうちに、彼女はマルコさんに想いを寄せるようになっていったのだという。

 

 16歳といえば僕らとほぼ同い年。一般家庭に生まれていれば学校に(かよ)っている年頃だ。けれどルミナさんは王女。学校には行かず、学業は王宮内で専属教師を使っての講義。周囲は年上の男性やお世話のメイドばかりで、同い年の者など1人もいなかったらしい。

 

 常に(うやうや)しく扱われ、年上の人でさえ彼女の前では平伏(ひれふ)す。ルミナ王女に対して誰もがそう接した。だがマルコさんだけは違った。自分が王女であることを打ち明けても、彼だけは対等に接してくれたのだという。

 

 そして数日間の視察を終え、視察団は王都レオンドバーグに戻った。だがその日以降、誰の目から見てもルミナ王女の様子はおかしかったという。

 

 何を話しかけても上の空で、窓から空を見上げては溜め息をつく日々が続いた。さすがに王様もこの異変には気づき、娘の体を案じて医師に見せたという。ところが医師が言うには、どこにも異常が無いらしい。

 

 体に異常が無いのは当然だ。以前の僕なら分からなかっただろうが、今なら分かる。そう、ルミナさんは恋をしたんだ。

 

 だがそれに気付く者は誰一人としていなかったという。王様がこの病の正体に気付いたのは数ヶ月後。ルミナ王女が無断外出から戻った時に問いただした時だという。

 

 「誰にも言わず無断でどこに行っていたのだ!」という王様の叱責に対し、ルミナ王女はサントリアに行っていたと答えた。厳しく追及する王様。すると彼女はマルコという鍛冶屋の男に会っていたと答えたという。

 

 この話を聞いた王様は目の前が真っ白になってしまったという。一国の王女がお忍びで男に会っていたなど、スキャンダルもいいところだ。王様は烈火の如く怒った。一切の外出を禁じ、王様の指名した者以外との接触すら許さなかった。だがルミナ王女は激しく抵抗した。

 

 自分には戦う力がない。だから戦う武器を作ることで皆を守りたい。それがマルコさんの思いであり、その思いに深く感銘を受けたと彼女は言う。そんな彼が好きで堪らないのだと。

 

 しかし王様はこの恋に猛反対。王女が鍛冶屋の男と結婚などありえないと、交流を硬く禁じた。これに対しルミナさんは「それならば王家を出る」と反論。王妃様の制止をも振り払い、王様とルミナ王女は激しく言い争った。

 

 口論は数時間に及んだ。しかし結局お互いに理解は得られず、ついにルミナ王女は何も持たずに飛び出していってしまったのだという。以来、ルミナさんは王家との関係を断ち、王様もまた彼女に近付くことは無いという。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

「そんなことがあったんですか……」

「素敵な恋物語ね……」

 

 やるせない気持ちで一杯になっている僕。それに対し、美波はこの話をうっとりと聞き入っていた。

 

「そうかな? 僕はもっと話し合えばお互いに理解し合えるんじゃないかって思うけどな」

「アンタには分からないかもしれないわね。恋する乙女の気持ち」

「う……」

 

 グゥの()も出ない。何しろ僕は美波の想いに1年以上も気付いていなかったのだから。

 

「ハァ……親の気も知らんで勝手に出て行きよって……」

 

 王様はがっくりと肩を落とし、大きく溜め息を吐く。怒ってはいるけど、本当は寂しいのだろう。

 

「あれ? でも王様には王子が2人いますよね? えぇと確かライナス王子と……リオン王子でしたっけ?」

「あの子らはルミナが出ていってから授かったのだ。これでなんとか王家が保てると思うとったら、あのバカどもめ……ルミナの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわい」

 

 なんと慰めたら良いのか……言葉が見つからない。僕も2人の王子とは会話をしているが、あの態度を思い出すと王様がとても気の毒に思えてしまった。王様もこう見えて結構苦労してるんだな。

 

「お待たせしました」

 

 良いタイミングでクレアさんが紅茶を運んで来てくれたようだ。しかしエプロン姿のクレアさんもいいなぁ……。

 

(ちょっとアキ! 何をデレっとしちゃってるのよ!)

(べ、別にデレっとなんかしてないよ?)

(嘘。クレアさんが入ってきたらじっと見つめてたじゃない)

(いやほら、それはアレだよ。白衣にエプロン姿って珍しいなって思って)

(どーせウチには似合いませんよーだ)

(なんで怒ってるのさ)

(別に怒ってなんかないわよ)

(そうかなぁ……)

(フンだ)

 

 こうして僕らが小声で話している間に、クレアさんはティーカップを僕らの前に置いてくれた。そして、

 

「ふふ……お二人とも仲がよろしいのですね」

 

 と僕らに向かって微笑みかけた。今のやりとりを見て仲が良いと思うなんて、クレアさんも少し変わった感性の持ち主だな。

 

「どうなんだろ。これって仲良いのかな?」

「知らないっ!」

 

 ツンとそっぽを向いてしまう美波。うーん。なんで怒ってるのかなぁ。

 

「そういえばヨシイよ、腕輪が違うとか言うておったがどういうことじゃ?」

「あ、はい。実はこの腕輪には特殊な力があって、僕たちが元の世界に帰る鍵でもあるんです」

「ほう? あれはそのような物であったか。それが違ったと?」

「ルミナさんから貰ったこの腕輪はウチに風の力を与えてくれるものだったんです」

「なんじゃと? ならばそれがあれば春風機(しゅんぷうき)なぞ作らんでも――い、いや、なんでもないわい」

 

 突然王様が慌てだしたので何かと思ったら、隣の美波が怒りのオーラを纏っていた。さっきスカートをめくられたのを相当怒ってるみたいだ。

 

「そ、それでですね、この形の腕輪って2つあると思うんですけど、違いますか?」

 

 ここでまた美波が暴れだしたら大変だ。とにかく話を逸らそう。というか進めよう。

 

「ふむ。確かにもう1つあった」

「ほ、ホントですか! ……ん? あった? 過去形?」

「うむ。今はもう無いのじゃ。実は失くしてしまってな」

「えぇぇっ!? マ、マジでぇ!?」

「ウチらあれがないと困るんです! どこで失くしたんですか!?」

「あれは大きな湖だったのう。以前に妻が湖を見たいと言うので連れて行ってな。それでボートで沖に出たのじゃが、その時に妻がうっかり落としてしもうてな。今頃は湖底の泥の中かのう」

「なんですぐ拾わなかったのさ!」

「無茶を言うでない。あの湖は深い所で70メートルもあるのだぞ? 潜って取りに行ける深さでは無いわい」

「うぐ……そう、ですか……」

 

 さすがに僕だって70メートルも息が続くとは思えない。25メートルプールだって息継ぎをしないと泳げないんだから。

 

「ねぇ、どうするアキ?」

「う、う~ん……」

 

 水深70メートルか。アクアラングでもあれば潜れるのだろうけど、この世界にそんな物があるわけがない。かといって素潜りで届く距離でもない。

 

 ならば召喚獣の力を借りたらどうだろう? 装着すればバタ足の力だって数倍になる。そうしたらひと息で湖底まで行って帰るくらいできるんじゃないだろうか。

 

「あっそうだ! ねぇアキ、召喚獣を使うっていうのはどうかしら?」

「うん。僕もちょうどそれを思ってたところさ」

「装着したら身体能力が何倍にもなるし、行けるんじゃないかしら」

「確か美波は水泳得意だったよね」

「どうかしら。瑞希に教えるくらいはできるけど、得意ってほどじゃないわ」

「じゃあ潜るのは僕かな」

「いいの?」

「うん。もちろんさ」

 

 自慢のポニーテールが濡れちゃうのは嫌だろうからね。

 

「なんだかよくわからんが……お主ら取りに行くつもりか?」

「はい。白金の腕輪は今の僕らにとって唯一の希望ですから」

「しかし相当深いぞ? それに正直場所もハッキリ覚えておらん」

「大体の場所が分かればいいです。あとは僕たちで探しますので」

「そうか。ならばもう止めはせぬ。だが気をつけるのだぞ。場所は魔障壁の届かぬ町の外じゃ」

「陛下、よろしいのですか? さすがに町の外は危険なのでは……」

「なぁに、ヨシイとシマダは魔獣とも対等に渡り合う力を持っておる。心配無用じゃろ」

「そうでしょうか……」

 

 クレアさんは僕たちを気遣ってくれるみたいだ。彼女も優しくていい人だな。この前の鉄の扉を片足で蹴破った姿はきっと幻だよね。うん。そうに違いない。

 

「クレアさん、王様の言う通りです。心配はいりません。それで王様、その湖の場所を教えてもらえますか?」

「うむ。この町の東側に大きな湖があるのじゃよ。知っておるか?」

「えっ? この町の東?」

 

 それってもしかしてこの前魔人に襲われたあの湖……?

 

「ねぇアキ、東の湖って……」

「う、うん」

 



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第五十二話 湖に眠る宝物

 王様の言うレオンドバーグ東の湖。それは僕にとって忌まわしき記憶の地。あの時、僕は大切なものを失いかけた。

 

 血のように真っ赤な瞳。針のように逆立った短い金髪。筋肉隆々の無気味な深緑色の身体。そして頭に生えた牛のような2本の(つの)と、ゾッとするような狂気に満ちた笑み。

 

 あの時僕は……僕らは本気で殺されそうになった。今こうして無事であることが不思議なくらい、あいつの殺意は本物だった。

 

 ――魔人。

 

 ヤツは人間の変種なのか魔獣の一種なのか。それとも違う別の生物なのか。正体はまったくもって不明だ。分かっていることと言えば、ヤツが僕の命を狙っていたこと。それが誰かの指示でやっていたこと。それと……。

 

「アキ。大丈夫よ。この広い世界の中でまた会うなんてこと、あるわけないわ」

「わ、分かってるけど……」

 

 ヤツは試獣装着した僕と同じスピードで動き、僕より力が強い。つまり総合的に見ればあいつの方が強いということが分かっている。今の僕では美波を守りきれない。それが何より……恐ろしい……。

 

「ん? どうかしたか? ヨシイ」

「ヨシイ様、大丈夫ですか? お顔の色がすぐれないようですが……」

「あっ、いえ! 何でもないんです! アキはちょっと疲れちゃたみたいで……すみません王様、少し休ませてもらってもいいですか?」

「む。そうか。旅疲れが出たのやもしれんな」

「陛下、仮眠室をお使いいただいてはいかがでしょう?」

「それがよかろう。頼むぞクレア君」

「かしこまりました。シマダ様、ご案内します。こちらへ」

「すみません。アキ、行こ?」

「う、うん……ごめん」

 

 ダメだ……思い出しちゃいけないって思っても脳裏に焼きついたヤツの刺すような視線がチラついてしまう。

 

 情けない。

 

 そう思いながらも僕の体の震えは止まらなかった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 クレアさんに連れられ、美波に支えられながら僕は休憩室に移動した。設置された2つのベッド。真っ白な壁や天井。そこはまるで小さな病室のようだった。

 

「こちらのベッドをお使いください。何か欲しいものはございますか?」

「いえ、少し休めば治ると思いますので。あとはウチがなんとかします」

「そうですか。では私は受付におりますので、何かありましたらお声掛けください」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 僕はベッドに寝かされ、白い天井を眺めた。まだ心臓がバクバクと大きく脈打ち、手足に痺れるような感覚が残っている。呼吸も乱れ、胸が苦しい。まったくもって情けない。サンジェスタのホテルで美波に励まされ、吹っ切れたと思っていたのにまたこのザマだ。

 

「大丈夫アキ? 少しは落ち着いた?」

「……うん。ごめん」

「何を弱気になってるのよ。アンタらしくないわよ?」

「……」

 

 そう言われてもこんな無様な姿を見せてしまっては、やはり落ち込んでしまう。

 

「しょうがないわね……いいわ。アンタはそこで休んでいなさい」

 

 美波はそう言い、くるりと向きを変えて部屋から出て行こうとする。

 

「……美波? どこか行くの?」

「決まってるじゃない。腕輪を取りに行くのよ」

 

 !?

 

「だ、ダメだよそんなの! 美波1人に行かせられるわけないじゃないか!」

「大丈夫よ。サッと行ってサッと帰ってくるわ」

「それでもやっぱりダメだ!」

「そんなこと言ったってアンタ動けないじゃない。それとも今1人で立ち上がれるの?」

「う……」

「ほら見なさい。最近少しは頼りがいが出てきたと思ったけど、やっぱりまだまだのようね。ウチがいなくちゃ何にもできないんだから」

「ううっ……」

「悔しかったら1人で立ってみせなさい。それができないのならウチに従うことね」

「くうぅっ……!」

 

 く、くそっ、こんなにバカにされて黙っていられるか! 僕だって男だ! そうさ! 魔獣がなんだ! 魔人がなんだ! 今までだってAクラスというケタ違いのバケモノに対して知恵と勇気で勝ってきたじゃないか!

 

「……分かった。見てろよ!」

 

 僕はベッドの上で上半身を起こし、体を90度回転。ベッドから降り、立ってみせた。でもまだ手足が震えていて、直立するのがやっとだ。

 

「う……くっ……」

「ほら見なさい。そんなに足が震えてるじゃない。まるで生まれたての子鹿みたいよ?」

「く、くっそぉぉーーっ!!」

 

 ――パンッ!

 

 両手で自らの顔を思い切り叩き、気合いを入れる。正直、叩いた手の方が痛かった。でも今ので体の震えはおさまり、手足の痺れも回復してきたようだ。

 

「ど、どうだっ! これなら文句ないだろ!」

 

 まだ頭にフワフワする感じが残っているが、もう震えは無い。これで美波を止められる。そうさ、危険な場所に美波1人でなんて行かせるものか!

 

「ふふ……やっと立ち直ったわね。それでこそアキよ。さ、行きましょ」

「……へ?」

 

 美波が僕の腕をぐいと引っ張りながら言う。その表情はいつもの可憐な笑顔だった。

 

「ほら、何をぼんやりしてるのよ。腕輪を拾いに行くわよ。もう普通に歩けるんでしょ?」

「う、うん。歩けるけど……」

「まったく、世話が焼けるんだから。しっかりしなさいよね」

 

 彼女はそう言って僕に微笑みかける。そうか、美波は僕を立ち直らせるためにあんなことを言ったのか。どうやら僕は彼女の作戦にまんまと乗せられてしまったようだ。2度も美波に励まされるなんて格好悪過ぎだな……僕。

 

「ごめん美波。もう二度と手間は取らせないよ」

「そう願ってるわ。それじゃ行きましょ」

 

 美波はそう言ってスッと手を差し出してくる。

 

「うん」

 

 僕はその手に自らの手を重ね、しっかりと握った。暖かくて細い美波の手。彼女の暖かい心が伝わってくるかのようだった。

 

 ……この手。二度と放すもんか。

 

 そう心に誓い、僕は研究所を後にした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 研究所を出てから徒歩で約1時間。町の東門に到着した僕たちは、前回のように警備の人にお願いして外に出させてもらった。そこから更に歩いて約10分。僕たちはついにあの湖の(ほとり)にやってきた。

 

 キラキラと太陽の光を反射する青い湖面。

 湖岸(こがん)に寄せる小さな波。

 遠くに見える雲のかかった山脈。

 

 あの時と何一つ変わらない。やはり素晴らしい景色だ。

 

 ……うん。大丈夫。

 

 以前ここで魔人に手酷くやられたのは鮮明に記憶に残っている。けれど恐怖は無い。もう大丈夫だ。よし、さっさと腕輪を見つけて帰るとしよう。

 

「確か湖の一番深い所って言ってたわよね」

「うん。でもそれってどこら辺になんだろう?」

「やっぱり真ん中辺りじゃないかしら」

「だよねぇ。どうやって行こうか」

「王様はボートで沖に出たって言ってたわ」

「んー……でも見たところこの湖にボートなんて無いよね」

「もしかしてボートも持参したのかしら……」

「そうかもしれないね。なにしろ王様だし」

「困ったわね……どうするアキ?」

「そりゃまぁ泳いで行くしかないんじゃないかな」

「やっぱりそうなるのね……」

「僕が行ってくるよ」

「えっ? いいの?」

「うん。もともとそのつもりだったし」

「でも……大丈夫なの?」

「? 何が?」

「だってさっきまであんなに怖がってたじゃない」

「いつまでも怖がっていられないさ。ちゃんと前に進まないとね」

「……その様子なら大丈夫みたいね。じゃあ任せるわ。でも気を付けてね」

「うん。それじゃ――試獣装着(サモン)!」

 

 ()び声と共に光の柱が立ち上り、僕の身体を包み込む。光は上着やズボンを変化させ、頭に半透明のバイザーを装着させるとスゥッと消えていく。

 

「よし、じゃあ行ってくる!」

 

 僕は木刀を置き、上着とシャツを脱いで湖に向かって駆け出した。脱いだのは水の中で動き辛くなるからだ。とはいえ、さすがにパンツ一丁にはなれなかった。だって美波の前だし……。

 

『アキ~っ! 見つけなかったら承知しないわよ~っ!』

 

 ザブザブと水をかき分けながら湖に入っていくとこんな声援が聞こえてきた。いや、これは声援というより脅迫か? まぁ僕にとってはどちらも似たようなものだ。

 

 そんな声援を背に受けながら僕は湖に侵入していく。そろそろ足が着かなくなってきたな。ここからは泳いだ方が良さそうだ。僕は大きく息を吸い、水中へと潜った。ゴボゴボゴボと水の音が鼓膜に響く。

 

 水中の視界は思っていたより良好。今のところ湖底も見える。でも緑色の藻が生えるばかりで腕輪のような金属は見当たらない。それとこの湖には小さな魚もいるようだ。僕が泳いでいくと小魚たちは一斉に方向を転換して逃げて行く。

 

 もっと深い所かな。僕は水中を舞うように潜っていく。それにしても召喚獣の力は凄い。普通に泳ぐより数倍早い。まるで人魚にでもなったかのようだ。しかし湖の底は思っていた以上に広い。こうして見回してみても湖底の終わりが見えないくらいだ。

 

 僕は目を皿のようにして湖底を探した。けれど見えるのはやはり藻や大きな岩ばかり。あまり泥が積もっていないのは幸いだが、それにしてもこれは骨が折れそうだ。

 

「う……ゴボッ……!」

 

 そうして探しているうちに息苦しくなってきてしまった。そろそろ限界のようだ。止むなく僕は息継ぎのために一旦浮上した。

 

「ぷはっ!」

 

 湖面から顔を出し、周囲を見渡す。だいぶ沖の方へ来たようだ。美波の姿が指人形サイズに見える。

 

『アキ~っ! 見つかった~?』

 

 遠くから美波の声が聞こえる。僕がここにいるのが見えているようだ。結構目がいいんだな。

 

「まだ~!! もう一回行ってくる~!!」

 

 僕は大声で叫び、大きく息を吸う。そして再び湖底を目指して水の中へと潜った。

 

 水を掻き分け、足をバタつかせ、僕は泳ぐ。注意深く湖の底を見て回るが、やはりそれらしい物は見つからない。再び息苦しくなり、水面へ顔を出して息継ぎ。そしてまた潜る。そんなことを4、5回ほど繰り返しただろうか。僕は水中を泳ぎながら、この探索に対して疑問を感じ始めていた。

 

 もしかしてこれって恐ろしく時間の掛かる作業なんじゃないだろうか。これだけ広い湖の底にある腕輪を目で探すなんて無謀なのかもしれない。一旦戻って作戦を立て直したほうが良さそうだ。そう判断した僕は、一旦引き上げることにした。

 

「ぷはぁっ!」

 

 そして湖面に顔を上げた時、異変に気付いた。

 

『――! ――――!』

 

 ?

 

 遠くで美波が何か叫んでいる。でも遠くてよく聞こえない。何だろう? と彼女のいる方に目を向ける。遠過ぎてよく見えなかったが、目を凝らすと美波の他に人影があるのが見えた。それに美波が何か棒のようなものを手にしているようだ。何をして――

 

「美波!!」

 

 嫌な予感がして、僕は岸に向かって全力で泳いだ。まさか魔獣に襲われて……!

 

 この時ほど召喚獣の力をありがたいと思ったことは無かった。それと同時に美波を1人にしたことを後悔した。ついさっき、手を放さないと誓ったばかりだというのに……!

 

 僕は無我夢中で泳いだ。たぶん僕のバタ足はモーターボートのような勢いになっていたと思う。そして数秒後、岸に到着した僕はその事態に戦慄した。

 

「来ちゃダメ!」

 

 そう叫ぶ美波は召喚獣を装着していた。青い軍服にスラリとした白いズボン。両手に構えているのは武器のサーベルだった。そして対峙している相手は……。

 

《ヘッヘッヘッ……なァ~んだ。やッぱりちャ~んといるじャねェか》

 

 ま、まさか……そんな……!

 



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第五十三話 悪夢を打ち払え!

《なァにがここにはいねェだ。嘘はいけねェなァ。女ァ》

 

 ボディペイントでもしているかのような深い緑色の身体。金色の頭髪に真っ赤な瞳。ニタァと口の端を吊り上げたいやらしい笑み。そして頭の両脇から飛び出した2本の(つの)。……いや、そのうち左側の1本は途中でぽっきりと折られている。間違いない。こいつはあの時の――!

 

「ギ、ギル……ベイ……」

 

《ヘッヘッヘッ……いよォヨシイ。久しぶりだなァ。ずいぶんと探したぜェ?》

 

 ヤツは真っ赤な目を見開き、ニィッと牙を剥き出して笑みを深める。その無気味な笑みに僕は全身が凍りついた。

 

「逃げなさいアキ! ここはウチがなんとかするわ!」

 

《あァん? 俺はヨシイに用があんだよ。てめェはすッこんでろ。また痛い目を見てェのか?》

 

「面白くない冗談ね。アンタなんかに負けるもんですか! 今度こそ返り討ちにしてやるんだから!」

 

《ケッ。威勢のいいこッたな。けどてめェに用はねェ。そこをどけ》

 

「嫌よ。どうしてもどいてほしいというのなら力ずくでやってみせなさい!」

 

 覇気に満ちた美波の声が周囲に木霊(こだま)する。サァッと吹き抜ける風が彼女の髪をなびかせ、凛々しい表情を一層際立たせる。あの魔人に対し、臆することなく立ち塞がる美波。これに対し僕は体が完全に硬直し、ただその様子を見つめることしかできなかった。

 

《チッ……面倒な女だ》

 

 魔人はそう言うと徐々に表情を歪ませていき、

 

《あァァイラつくイラつくイラつくゥゥゥーーッ!! てめェはッ――》

 

 ――ドンッ!

 

《邪魔なんだよォォーーッッ!!》

 

 凄まじい衝撃波と共に突進してきた。

 

「み、美波!!」

 

 僕が叫ぶが早いか、美波はサッと飛び退き、魔人の拳を避けた。

 

 ――ドゴォッ!

 

 魔人の拳は地面に突き刺さり、激しく土を撒き散らす。

 

「当たるもんですか!」

「や、やめろ美波!! 逃げるんだ!」

「いいからアンタこそ早く逃げなさい! ウチの苦労を無駄にする気!?」

「で、でも!」

「つべこべ言わずに行きなさい!」

 

 だ、ダメだ美波……戦っちゃダメだ……ヤツは……ヤツは危険すぎる……!

 

《へェ。この前とはちッたァ違うようだな。だが……避ける方向を間違えてンぞ?》

 

 地面に拳をめり込ませた魔人がゆっくりと顔を上げる。

 

《クックックッ……ほォら。守るべき相手がガラ空きだぜェ?》

 

 顔を上げた魔人が赤い目でギロリとこちらを睨む。この世のものとは思えない。まさに悪魔のような形相だった。僕はその冷たい視線に背筋にゾクリと悪寒が走り、体中の筋肉が萎縮してしまった。

 

「ぁ……ぁ……」

 

 ガクガクと膝が震え、逃げようにも身動きが取れない。そうしているうちに魔人はスッと立ち上がり、ズンズンと足音をたてながらこちらに向かって歩いてくる。ダメだ……こ、こいつには……勝てない……!

 

《待たせたな。なァに。すぐ終わるから心配すンな》

 

 目の前に立ち塞がる魔人。2メートルはあろうかという巨体。その禍々しい姿は僕の恐怖心を一層掻き立てる。鉄人の威圧感など比べものにならない。ヤツの殺意は本物だった。

 

「う、うわぁぁーーーーっ!!」

 

 思わず叫び、逃げようとする。しかし足が動かず、へたりとその場に座り込んでしまった。

 

 ――やられる!

 

 そう思った瞬間、

 

「アキぃぃーーっ!」

 

 ヤツの背後から飛びかかり、剣を振り下ろす美波の姿が見えた。

 

《邪魔だァ!》

 

「あうっ!」

 

 振り向き様に鋭い爪で美波の剣を払う魔人。その衝撃で彼女は弾かれ、数メートル飛ばされる。しかしくるりと空中回転して着地すると、再び剣を構えて魔人に立ち向かって行く。

 

「やぁぁーーっ!!」

 

《しつけェなァ! てめェに用はねェッつッてんだろォがよォ!!》

 

「黙りなさい! アンタの相手はウチよ! アキに用があるのならまずウチをなんとかすることね!」

 

《あァァ!! ウざッてェなァ!! 何なんだてめェはよォ!》

 

「ウチは島田美波よ! 覚えておきなさい! それとこれも覚えておきなさい! アキはウチと一緒に元の世界に帰るの! だからアンタなんかにやらせはしない! 絶対に!!」

 

《何ワケの分かんねェことほざいてやがる! 俺が手ェ出せねェと思ッていい気になッてんじャねェぞォ!》

 

 えっ……? 手を出せない? ど、どういうことだ? ヤツは美波に手を出せないのか? いやそんなはずは無い。現に今ヤツは美波と剣を交えているじゃないか。

 

「アキ! 何をやってるの! 早く逃げなさいって言ってるでしょ!」

 

《逃げンなヨシイ! てめェが逃げたらこの女を八つ裂きにしてやンぞ!!》

 

「ウチはこんなヤツにやられたりしないわ! だから行きなさい! 早く!!」

 

《ピーピーうッせェなァ! いいかげんにしやがれ! いつまでまとわり付いてきやがンだ!!》

 

「アンタが退(しりぞ)くかアキが逃げ(おお)せるまでよ!」

 

 火花を散らしながら剣を交える美波と魔人。魔人は美波を無視し、僕に向かって突進してくる。それを美波は素早く先回りして、剣を突きつける。「邪魔だ!」と爪を振り下ろす魔人。だが美波はパッと飛び退いてそれを避ける。そんな一進一退の攻防が幾度となく繰り返された。

 

《あァァ邪魔だ邪魔だ邪魔だァァァアアーーッッ!!!》

 

 魔人は激しく苛立ち、攻撃がより乱暴になってくる。だが美波も負けてはいない。細身の剣を懸命に振るい、ヤツの鋭い爪の攻撃を受け流す。

 

 力押しの魔人。これに対して美波は華麗な身のこなしで翻弄する。今のところ2人の力は拮抗しているように見える。でも、もし魔人の攻撃が当たれば美波の華奢な体では耐えきれないだろう。美波が攻撃を受けてしまう前になんとかしなくては……そう思いながらも僕には何もできなかった。く、くそっ! どうすれば……僕はどうすればいいんだ……!

 

 美波と魔人の戦いを見つめながら僕は葛藤する。その時、

 

 

 ―― どうした明久ァ! お前の力はこんなもんか! ――

 

 

 なぜか雄二の声が脳裏に響いた。

 

 ゆ、雄二……? なんだよ! 今大変な時なんだからお前なんか出てくんなよ! と僕は頭の中で叫ぶ。けれど雄二の声は続いた。

 

 ―― なめてんのはテメェだ! お前は気持ちで既に負けてんだよ! ――

 

 あれ? この台詞、前に聞いたような……?

 

 ―― いつまでもウジウジしやがって! ムカつくんだよ!! この臆病モンが!! ――

 

 う、うるさい! そうさ! 僕は臆病者さ! 美波を失うのが怖くて子供みたいに震えてるだけの臆病者さ!

 

 ―― 俺が唯一認めたモンを無くしちまったお前はただムカつくだけの存在でしかねぇんだよ!! ――

 

 雄二が認めたものって何だよ! そんなの僕には分かんないよ! そもそもお前に認めてもらったって嬉しくもなんともないよ! いいからあっちに行ってくれよ! 今はお前の声を聞いてる暇なんて無いんだから!

 

 ―― 美波ちゃんとは上手くいってますか? ――

 

 えっ? 今度は姫路さん? 一体何なんだ? どうしてこんな時に皆の声ばかり思い出すんだ?

 

 ―― 美波ちゃんのこと、好きですか? ――

 

 もちろんさ。今じゃ僕にとって一番大切な存在さ。だからこそ魔人と戦っている美波をどうしたら止められるか考えてるんじゃないか。姫路さん、教えてよ! 僕はどうしたらいいんだ!

 

 ―― 今のお前には信念がねぇんだよ! ――

 

 !? な、何だよ! なんで急に雄二に戻るんだよ! 僕にだって信念くらいあるよ! 元の世界に帰るっていう信念が! でもこのままじゃその信念を貫き通せないんだよ! だから困ってるんじゃないか!

 

 ―― お前は困っていない。怯えているだけだ ――

 

 あ、あれ? 雄二のこんな台詞、聞いたことないぞ? 僕が困ってない? 怯えているだけ? ……そうかもしれない。だって美波を失うのが怖いんだ……。

 

 ―― ならお前のやるべきことは1つだ ――

 

 僕の……やるべきこと……。

 

 ―― 去年俺と殴り合った時のことを思い出せ ――

 

 去年殴り合った時……?

 

 確かこれは先日のクリスマスイブの時に雄二が言っていた言葉。だから『去年』とは、僕らが1年生だった頃のことを指していることになる。1年生の頃に雄二と本気で殴り合ったのは一度だけ。ボロボロになった美波の教科書を雄二が持っているのを見て、僕が勘違いして突っかかっていった時だけだ。あの時は美波の悲しむ姿を想像したら、頭がカッとなって体が動いてしまった。

 

 

 ……

 

 

 そうだ。僕は美波の悲しむ姿を見たくないんだ。

 

 

《ハッハッハァーッ! 女ァ! おめェなかなか強ェじャねェか! 結構楽しめるぜェ!》

 

「くぅっ……」

 

 僕が皆の声に惑わされている間にも魔人と美波の戦いは続いている。しかも美波が徐々に押され始め、防戦一方になりつつあった。

 

 

 僕の……やるべきこと……。

 

 

 そうか……そうだったね。

 

 

 分かったよ。僕のやるべきこと。それはこうして震えていることじゃない。

 

 ―― 俺たち全員で元の世界に帰るぞ! ――

 

 雄二……そうだね。帰ろう。皆で。

 

 ―― お主こそ島田を困らせるでないぞ ――

 

 ごめん秀吉。もう困らせちゃったみたいだ。それから……たぶん今からもっと困らせてしまうと思う。

 

「きゃっ……!」

 

 草に足を取られ、尻もちをつく美波。

 

(しま)いだ! 女ァ!!》

 

 そこへ魔人の丸太のような腕が振り下ろされる。

 

 そうだ。僕は美波と一緒にいたい。

 これからもずっと。

 

 だから……だから今僕がやるべきことは、ただ1つ!

 

 美波を守り、一緒にガルバランド王国に――元の世界に帰ることだ!!

 



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第五十四話 栄光は二人のために

 湖畔の草原に倒れる青い軍服の少女。そこへ(やいば)のような爪を突き込む、悪魔のような姿の異形の者。

 

 ――今勇気を出さなければすべてが終わる!

 

「うわぁぁぁーーーーッ!!」

 

 僕は天に向かってありったけの声量を使って叫んだ。それは自らを呪縛から解き放つため。恐怖という呪縛を。

 

「美波に手を――――ッッ」

 

 地面に転がしておいた木刀をガッと拾い、無我夢中で大地を蹴る。

 

「出すなぁぁーーッ!!」

 

 やはり召喚獣の力は凄い。ただ一度地面を蹴っただけの僕の跳躍は、10メートルはあろうかという魔人との距離を一瞬でほぼゼロにまで縮めてしまった。

 

《うォッ!?》

 

 さすがの魔人もこれには驚いたようで、一瞬(ひる)んだ様子を見せた。その隙に間合いに入った僕はヤツの首を狙い、力任せに木刀を叩き込む。

 

「うぉらぁぁぁーーっ!」

 

 だがこの一閃は惜しくも空を切ってしまった。切っ先が届くより早く、ヤツが体を屈ませて攻撃を避けていたのだ。そのままヤツは跳ねるように数歩下がり、距離を取る。

 

《フゥ……あぶねェあぶねェ。今のはなかなかいい不意打ちだッたぜェ?》

 

「く……は、外した……!」

 

 当たれば大きなダメージを与えていただろう。だが外れたって構いやしない。なぜなら今のは当てようとして仕掛けた攻撃ではないからだ。こうしてヤツを美波から引き離せた今、僕の攻撃は成功だ。

 

「美波! 無事か!」

 

 僕は美波を後ろに隠すようにして立ちはだかり、両手で木刀を構える。美波はポカンとした顔をして僕を見上げていた。良かった。なんとか間に合ったようだ。

 

「あ、アンタどこまでバカなの!? 狙われてるのはアンタなのよ!? そのアンタが出てきてどうするのよ!」

「あぁそうさ! 僕はバカさ! けどね! 女の子を盾にして逃げるくらいなら大バカと呼ばれた方が百万倍マシさ!!」

「アキ……」

 

 美波をやらせはしない! 一緒に帰るんだ!

 

《やッとやる気なッたッてか? ヘッヘッヘッ……そう来なくちャいけねェよなァ!!》

 

 牙を見せ、魔人がニタァと不気味な笑みを浮かべる。またあの笑いだ。戦いを楽しんでいるかのようなあの目。やはりコイツは異常だ。こんな奴の相手をする必要はない。ここは一旦引いて町に逃げ込むべきだ。

 

「美波、合図したら走――」

「まさかウチだけ逃げろなんて言うつもりじゃないでしょうね」

 

 僕の言葉を遮るように美波が言う。後ろにいるので表情は分からないが、声の感じからすると少し怒っているようにも感じる。

 

「大丈夫。もちろん僕も逃げるさ」

 

 もちろん美波が安全な場所に避難してからだけどね。それまでは僕がなんとかして奴を抑える!

 

《あァン? 逃げるだァ? ンなことさせるわけねェだろォ! 散々捜し回ッてようやッと見つけたンだからなァ!!》

 

「何なんだよお前! なんで僕をそんなにしつこく狙ってくるんだよ!」

 

《てめェが強ェからよ!》

 

「はぁ!? 前は(あるじ)だかの命令だって言ってたじゃないか! アレは何だったのさ!」

 

《最初は命令だッたさ。けどな! ンなこたァもうどうでもいい! てめェは俺が思ッていた以上に強ェ! だからてめェと戦いてェ! ただそれだけだァ!!》

 

 ダメだこいつ。やはり話の通じる相手じゃない。もう話をするだけ無駄だろう。

 

 幸いにして今は僕らの背後が魔障壁で守られている町。今なら美波を先に町に走らせて避難させることが可能だ。あとは僕がヤツの注意を引き付けていればいい。問題は美波が素直に先に逃げてくれるか。よし、それなら……。

 

「美波、頼みがあるんだ」

「何か作戦でもあるの?」

「作戦というか、僕のシャツと上着を取って来てほしいんだ」

「こ、こんな時に何言ってるのよ!」

「へへ……ちょっと寒くなってきちゃってね。僕が裸じゃ美波もやりにくいだろ?」

「もう……分かったわよ。取ってくればいいのね?」

「うん。頼むよ。それからもうひとつ。上着を拾ったら僕の言う通りにしてくれ」

「えっ? どういうことよ」

「いいから!」

「もう、何なのよ……あとでちゃんと説明しなさいよね」

 

 美波はハァと一度溜め息を吐き、横向きにゆっくりと動き始めた。魔人から目を背けることなく、じりじりと歩を進める美波。向かう先は脇の草むらに転がしてある僕の上着の所だ。魔人はこの様子を怪訝な顔をして見ている。どうやら警戒しているようだ。

 

 そう。これも作戦のうち。あと3メートルほど美波が僕から離れれば……僕は魔人の動きに警戒しながら美波の様子を見守る。そして――

 

「美波! 町に向かって走れ!」

 

 僕は叫び、魔人に向かって猛然とダッシュする。

 

 頭に描いた作戦はこうだ。ヤツの標的は僕。美波と僕が離れた場所にいれば当然ヤツは僕を狙うだろう。だから僕がヤツに隙を作り、まず美波を逃がす。そしてそれを追うようにして僕も町に逃げ込むのだ。大丈夫。ヤツが飛べることはもう学習した。今度こそ2人で逃げ切る!

 

 ところがこの作戦は出だしから挫かれてしまった。

 

「そんなことだろうと思ったわ!」

「っ――!?」

 

 魔人に向かって突進する僕の横には、髪をなびかせて併走する美波の姿があった。

 

《な、なんだァ!?》

 

 僕も驚いたが、魔人も驚いていた。くそっ! こうなったら仕方がない! このまま攻撃するしかない!

 

「「りゃぁぁーーッ!」」

 

 僕は”がむしゃら”になって木刀を振り下ろす。それに合せるかのように美波もまたサーベルを突き出す。僕と美波の同時攻撃。だがこの攻撃でもヤツには通用しなかった。攻撃が届く前にヤツは空へと舞い上がり、避けていたのだ。

 

「なっ……何やってんだよ美波! 町に向かって走れって言ったじゃないか!」

「アンタウチを騙そうとしたでしょ!」

「だってこうでもしないと逃げてくれないだろ!」

「当たり前でしょ! 1人で逃げろだなんて冗談じゃないわ! ウチはアンタを守るって決めたんだから!」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!? せっかくのチャンスを潰しちゃったじゃないか!」

 

《チャンスなんざ(ハナ)からねェんだよ!!》

 

 美波と言い合っている所へ割り込むように魔人の爪が襲い掛かる。

 

「うわっ!」

「きゃっ!?」

 

 僕らは咄嗟に左右に散開。これをかわした。

 

《逃がすかよォッ!!》

 

 ヤツは着地するとすぐさま方向転換し、迷うこと無くこちらに向かってきた。やはり僕を狙ってきたか。思った通りだ。僕は腰を低くして身構え、魔人の攻撃に備える。

 

「はぁぁーーっ!」

 

 すると横から美波が飛んできて、魔人に対して斬りかかった。ビュン! と音を立てて唸る美波のサーベル。

 

《チッ!》

 

 これを見て魔人は舌打ちをしながら急停止。トンと地面を蹴り横っ飛びをして、再び間合いを取った。

 

 息をもつかせぬ攻防。美波もあの魔人に対して(おく)れは取っていない。しかし困った。美波が僕の指示通りに動いてくれない。これではヤツを無視して町に逃げ込むという僕の作戦が徒労に終わってしまう。

 

「アキ! やるわよ!」

 

 美波は僕の隣に戻って来ると、サーベルを構えてキッと魔人を睨む。その瞬間、思い出した。そう。僕は重要なことを忘れていた。一度言いだしたら聞かないという、彼女の性格を。

 

「……やっぱり美波は美波だね」

「なによそれ。どういう意味よ」

「へへっ、なんでもない。忘れてよ」

「まさかウチをバカにしてるんじゃないでしょうね」

「その逆さ。美波はやっぱり僕の一番のパートナーってことさ」

「っ――!? な、何言ってるのよこんな時に!」

 

 そうさ。僕たちが力を合わせれば負けることはない。たとえそれが魔人という異常な強さを持った奴が相手であろうとも! もう怖れはしない!!

 

「さぁ行くよ美波! 皆で元の世界に帰るんだ!」

「うんっ!」

 

「「はぁぁッ!!」」

 

 僕と美波は同時に駆け出し、魔人に向かう。

 

《2人がかりたァいいねェ! ワクワクしてくるじャねェかァ!!》

 

 ヤツはカッと目を見開き、狂乱に満ちた笑みを浮かべて僕たちを待ち受ける。正面からではダメだ。僕らの攻撃は見切られている! 僕はチラリと美波に目を向け、アイコンタクトを取る。すると彼女はそれに気付き、コクリと小さく頷いた。

 

「行くぞっ!!」

 

 僕の合図と共に僕たちはそれぞれ向きを変え、左右に展開。ヤツに対して挟撃を仕掛けた。我ながら見事なタイミングだった。魔人の視線は明らかに僕に向いている。このタイミングなら僕の攻撃が止められても美波がやってくれる!

 

 ――ガ、ガギン!

 

 周囲に激しく火花が散り、けたたましい金属音が鳴り響く。

 

《ヘッヘッヘッ……挟み撃ちか。いい攻撃だぜェ?》

 

 ヤツがニタリと余裕の笑みを浮かべる。僕らの同時攻撃をヤツは爪で受け止めていたのだ。それも僕と美波それぞれの攻撃を片手ずつで。

 

「くっ!」

 

 僕は強引に木刀を引き抜き、すかさず横一線に振り抜く。

 

「こんのぉっ!」

 

 同時に美波は魔人の足を狙い、蹴りを放った。この同時攻撃に対し、ヤツは器用に身体をくねらせて巧みにかわす。い、今のをかわすのか!? コイツ、戦い慣れている!

 

「うぉぉぉーーっ!」

「やぁぁぁーーっ!」

 

 僕と美波は全力で得物を振るった。いや、限界をも越えるつもりで振るった。

 

 ――守りたい。

 

 互いに思い合うこの気持ちが僕たちの力を増幅させていたのかもしれない。

 

《ウッ! クッ! オォォッ! こ、こいつら……!》

 

 すると次第にヤツの表情から余裕が消えていき、代わりに焦りの色が見え始めた。行ける! 美波と一緒ならヤツにも勝てる!

 

「「はぁぁーーっ!」」

 

 僕は美波と力を合わせ、一気に攻め立てた。電光石火。まさにこの言葉が相応しいほどに攻撃に攻撃を重ねた。

 

《ッガァァーッ!!》

 

「ぁぐっ!」

 

 堪え切れなくなった魔人が美波を殴り飛ばした。

 

《うッ! し、しまッた!》

 

 その時、魔人の動きが止まった。

 

「美波!」

 

 美波の身を案ずる僕。けれど魔人の脇越しに見えた彼女の目は苦痛を訴えていなかった。それどころか、「今がチャンスよ!」と言わんばかりに僕に鋭い視線を送っていた。美波……分かった!

 

「うぉらぁぁーーっ!!」

 

 彼女の意思を感じ取った僕は、渾身の力を込めて木刀を振り回した。

 

《ッ――!?》

 

 魔人が僕の攻撃に気付いて振り向く。だがその瞬間、

 

 ――バキィッ!

 

 そんな音と共に木刀にヒビが入り、同時にヤツの残っていた右の(つの)が粉々に砕けた。

 

《ッ──ガァァァァーーーーッッ!!》

 

 頭を押さえて苦痛の叫びをあげる魔人。よし、大きなダメージを与えた! 今のうちに一気に畳み掛ける! 僕は頭を抱えて苦しむヤツに向かって再び木刀を振り下ろした。

 

「うらぁぁぁーーっ!!」

 

《クゥッ!》

 

 だが惜しくもこの追撃はかわされてしまった。ヤツが背中の翼を広げ、空中に逃れたのだ。

 

 そうか、ヤツには空を飛ぶ能力がある。前回もそれを忘れて負けたのだった。召喚獣の力をもってしてもジャンプで届くのは10メートルが限界。さすがに5、60メートルの上空にまで飛び上がったヤツには届かない。くそっ、せっかくのチャンスだと言うのに!

 

「アキ! 飛びなさい! ――大旋風(サイクロン)ッ!!」

 

 その時、僕は下から突き上げられるような感覚に襲われた。いや、実際に突き上げられている? これは……美波の腕輪の力? そうか! この風に乗れって言うんだな!

 

 ラドンの町で美波が腕輪の力を発動させた時、僕は空高く舞い上げられてしまった。あの時は風圧でまるで身動きが取れなかった。だが僕の身に召喚獣の力が宿っている今、この風も味方になる!

 

「よぉしっ!」

 

 僕は吹き荒れる風に身を任せ、空を舞った。美波が風の操り方を覚えたということもあるのだろう。激しい竜巻は僕を傷付けることなく、ぐんぐん勢いを増していく。そして風は僕を魔人の頭上にまで押し上げると、フッと消えた。

 

《な、何だとォッ!?》

 

 魔人は顔を歪ませ、心底驚いたという表情を見せた。だが僕が木刀を振りかぶると、ヤツは腕でガードする体勢をとった。ヤツの戦闘本能がそうさせたのだろう。

 

「うおぉぉぉーーッ!!」

 

 僕は残る全ての力を込めて木刀を振り下ろす。防御をブチ破るつもりで。

 

 ――バキャァッ!

 

 衝撃に耐え切れなかった木刀が粉微塵に砕け散った。

 

《ウガアァーーッ!!》

 

 直後、ヤツが右腕を押さえて苦痛の叫びをあげた。手応えあり!

 

 僕は体勢を整えて大地に降り立つ。そしてまだ空中にいるヤツをキッと睨みつけた。

 

《こッ……こンの……クソガキィィ!!》

 

 ヤツの右腕はだらりと下がり、シュウシュウと黒い煙をあげている。かなりのダメージを与えたが、ヤツはまだ戦意を喪失していないようだ。

 

 だが僕の左手にあるのは柄だけになってしまった木刀。まずい。今の一撃で武器を失ってしまった。これ以上は戦えない! そう思っていた時、美波がスッと僕を(かば)うように前に現れた。

 

「アキ、後はウチに任せて」

 

 ――チャキッ

 

 空の魔人に向かってサーベルを構える美波。その姿は凛々しく、雄々しく、頼もしく見えた。

 

《クッ……! こ、ここまでかッ……!》

 

 ギリッと剥き出した歯を食いしばり、魔人は向きを変えてフラフラと飛んでいく。諦めたのか? ……いや、もしかしたらフェイントかもしれない。引き上げたと見せて襲ってくるつもりなのかも! 念のため僕は身構えて警戒する。

 

「「…………」」

 

 僕は瞬きすることも忘れて空を凝視する。もう僕に武器は無い。戦うのなら素手で戦うしかない。でも身長はヤツの方が圧倒的に上だし、ヤツには長い爪という武器がある。どう考えても僕の方が不利だ。

 

 となれば、今戦えるのは美波だけ。かといって彼女1人に戦わせるわけにはいかない。ならば手はひとつ。今度こそ町に逃げ込むしかない。さぁ、ヤツはどう動く……?

 

「ねぇ、アキ?」

「シッ! 静かに!」

 

 美波の言葉を遮り、僕は空をじっと見つめる。羽ばたき、空を飛んでいく魔人。ヤツはそのまま高度を上げ、みるみる小さくなっていく。……本当に諦めたのか……?

 

 頼む! 諦めてくれ……! そう願いながら僕は空を見上げる。そうしているうちに魔人の姿は徐々に小さくなり、やがて黒い点となって空の彼方へと消えた。

 

「か……勝った……のか……?」

 

 へたりとその場に座り込む。つ、疲れたぁ……。

 

「そうよアキ! ウチら勝ったのよ! やった! やったねっ!」

「へ、へへ……。ギリギリだったけどね……」

 

 どうやら本当に諦めてくれたようだ。

 

 トラウマにもなりかけた魔人との再戦。

 

 結果は僕らの完全勝利だった。

 



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第五十五話 美波の大技

 レオンドバーグ東の湖畔で繰り広げられた魔人との死闘。今回は美波との共闘の末、なんとか魔人を撃退することに成功した。ずいぶんと神経をすり減らした気がするけど、結果オーライだ。

 

「だから言ったでしょ? ウチらが力を合わせれば負けないって」

「そうだね。なんだか自信が付いたよ」

 

 けど……何だろう。あいつ、美波と戦い辛そうにしていたように見えたけど……。そういえば前回も美波を攻撃しようとした所で引き上げたし。それにさっきも手を出せないとかなんとか言ってたような?

 

「これで安心して腕輪探しができるわね」

「うん。そうだね」

 

 ま、いいか。とにかく僕らは勝ったんだから。って、そうだ。泳いでこの湖の底から探すのは無理だって相談しに来たんだった。

 

「ねぇ美波。ちょっと相談があるんだけど」

「なぁに?」

「さっき何回か潜ってみたんだけどさ、広過ぎちゃってこの調子だと何日掛かるか分かんないくらいなんだ」

「そうね。ウチもそう思ってたところよ」

「2人で探したとしても何日も掛かりそうだよね……このままじゃ集合時間に間に合わなくなっちゃいそうだ」

「ふふっ、任せて。ウチに考えがあるの」

「考え?」

「そうよ。まぁ見てなさい」

 

 自信たっぷりにウインクしてみせる美波。彼女は装着したままの姿でスタスタと湖の畔まで歩いて行った。

 

「いいアキ? 舞い上がるものをよく見てて。それでそれらしい物を見つけたらすぐにキャッチするのよ」

「ほぇ? キャッチ?」

 

 一体どうするつもりなんだろう? わけが分からず眺めていると、彼女はサーベルをスッと天に向かって掲げた。そして、

 

「――大旋風(サイクロン)っ!」

 

 美波が天に向かって声を張り上げる。するとサーベルの切っ先から小さな風が巻き始めた。その風は美波の頭上で急激な勢いで脹れ上がり、やがて直径10メートルほどの大きな竜巻に変化していった。

 

「さぁ行くわよっ!」

 

 彼女はそう言って剣をピッと前に振り下ろす。すると竜巻は更に大きさを増し、空を覆わんばかりの巨大な台風のような姿に成長していった。その台風は沖に向かって進みながら湖の水を空中へと巻き上げていく。

 

「なっ、なんて強引な……」

 

 上空では大量の水がゴウゴウという轟音と共に巨大な渦となって巻いている。そこからは水の滴がパラパラと音をたてながら降り注ぐ。辺り一面に広がる水しぶき。それらは霧雨となり、太陽の光を屈折させ、僕らの前に七色の虹を作り出した。

 

「おぉ……」

「か、感心してないで早く探しなさい……! お、重たいん……だから……!」

 

 苦しそうに美波が言う。彼女は強く目を瞑って歯を食いしばり、両手でサーベルを掲げている。まるで鰹の一本釣りだ。この様子からすると、この技にはかなりの力が要るようだ。

 

「よく探せって言われても……」

 

 美波の作り出した竜巻は湖底の土砂をも掬い上げていた。ぼろぼろと零れ落ちていく水や石や土砂。その中を僕は目を皿のようにして探す。けれど色々な物が落ちていくのでよく分からない。

 

(こんな中を探せって言われたって腕輪なんか見えるわけが……)

 

 と呟いた瞬間、ひとつだけキラリと光る物が落ちていくのが見えた。

 

「むっ! あれかっ!?」

 

 僕はそれ目がけて泥まみれの湖底を全力で疾走。短距離走の選手もビックリの速度で光る物の下へと辿り着き、

 

 ――パシッ!

 

 ひったくるようにそのリング状のものを取った。この形……間違い無い! 腕輪だ!

 

「あった! あったよ美波!!」

 

 手にした腕輪を掲げ、僕は美波に笑顔で呼び掛ける。

 

『いいから早く……ど、どきなさいっ……!』

 

「あ。そうだった」

 

 今僕がいる所は本来は湖。ここにあった水はすべて頭上にあるのだった。僕は慌てて走り出した。

 

『は、早く……早く……しなさいっ……!』

 

「すぐ戻る! もうちょっと我慢して!」

 

 大股で湖底を走る僕。けれど踏み込む度にズブズブと足が泥に沈み、とても走りづらい。くそっ! 来る時は全然気にならなかったのに……!

 

「あ、あと少し……!」

 

 僕は懸命に足を動かして美波の元へと急ぐ。ところが湖岸まであと少しという時、着ていた学ランが音もなく消え、元の文月学園の制服に戻ってしまった。

 

「げっ!? し、しまった! 時間切れ!?」

 

 急激に速度が落ちてしまう僕。あと50メートルほどだというのに!

 

『も、もう……ダメ……っ!』

 

 前方に見える美波は腕をブルブルと震わせている。どう見ても限界だった。

 

「わーーっ! 待って待って待ってぇぇーーっ!!」

 

 僕は慌てて泥の中を走る。だが間に合わなかった。

 

 ――ドバァッ!

 

 頭上から滝のような勢いで大量の水が降り注ぐ。肩や頭に鉄人の拳を何発も受けているような感覚だった。

 

「うわぁぁーーっ!?」

 

 ドゥドゥと音を立てながら降り注ぐ水や土砂。こんな勢いで押し込まれては身動きが取れなかった。

 

『アキ! アキ! アキぃぃーーっ!』

 

 滝のように降り注ぐ雨を背中に受けながらも僕にはこの叫び声が聞こえていた。こんな状況に置かれていても冷静でいられたのは不思議だった。

 

 最初は痛いくらいに叩きつけられていた水だが、僕の体はすぐに水中に沈められ、背中への圧力は次第に弱まってきた。まだ立ち上がれるほどではないが、このまま湖底を這って行けば進めそうだ。けど息はそう長く続かない。急いで岸に上がらなくては。僕は両腕両足を使い、匍匐(ほふく)前進で美波の声がした方へと動き出した。

 

「ぷはぁっっ!!」

「あ、アキっ!?」

 

 岸に辿り着いた僕はズブ濡れの身体を引きずり、湖から上がった。

 

「うわぁー……泥だらけだよ……気持ち悪ぅー……」

「アキ! アキ! 大丈夫!?」

 

 美波が目を潤わせながら駆け寄ってくる。青い軍服に黄色いリボンで結わえたポニーテール。この時の彼女の姿は僕の目にしっかりと焼き付いた。

 

「なんとか生きてるよ。この通り泥だらけだけどね」

「もうっ! 何やってるのよ! 心配させるんじゃないわよ!」

「そ、そんなこと言ったってさ……元はと言えば美波が無茶なことをさせるからじゃないか」

「なによ! ウチのせいだっていうの!?」

「あ、いや……別にそういうわけじゃ……」

 

 理不尽だ……。

 

「……でも良かったアキが無事で……ごめんね……」

「へ? あ、うん」

 

 美波は指で目尻を拭っていた。心配して涙を流してくれたのだろうか。でも泣かれるのは苦手だ。

 

「そうだ! 見てよ美波! 腕輪を見つけたんだ!」

「えっ!? ホント!?」

「ほら、このとおり!」

 

 僕は右腕の袖をまくり上げ、装着した腕輪を見せた。

 

「さっき湖の水が落ちてきそうになった時、咄嗟に腕に付けたんだよね。おかげでこのとおり回収もバッチリさ」

「やるじゃないアキ! お手柄よ! それで、それが白金の腕輪なの?」

「んっと、ちょっと待って」

 

 僕は腕輪に付いた泥を指で拭い、まじまじと見つめる。腕輪には確かに文月学園の校章が掘られている。けれど美波や姫路さんの時のような文字は浮かび上がっていない。見た目は僕や雄二が使っていた白金の腕輪にそっくりだけど……。

 

「そういえば腕輪、光ってないわね」

「ん?」

「ほら、ウチの腕輪はこうやって少しだけ光ってるわよ?」

 

 美波が右腕に装着した腕輪を見せて言う。ほんの少しだけど確かに彼女の腕輪は光を放っている。それに対して僕の持っている腕輪は何の反応も示していなかった。

 

「とりあえず発動させてみようか。これはこういうタイプなのかもしれないし」

「そうなのかしら」

「まぁやってみるさ。それじゃ――起動(アウェイクン)!」

 

 僕は右腕を掲げ、キーワードを口にする。だがウンともスンともいわない。まったくの反応なしだった。

 

「ダメかぁ……」

「坂本じゃないと使えないのかしら」

「もしかしたらこっちかな? ――二重召喚(ダブル)っ!」

 

「「…………」」

 

 やはり何も反応しない。聞こえるのはチャプチャプという湖の波の音のみ。

 

「やっぱりダメかぁ……」

「ねぇアキ、ちょっとウチに貸してくれる?」

「ん? いいけど……美波が試してみるの?」

「もしかしたら、ってこともあるでしょ?」

「うん。そうだね。……って、あれ?」

「? どうしたの?」

「ねぇ美波、まだ装着解けないの?」

「装着?」

「ほら、召喚獣さ。僕は時間切れでとっくに解除されちゃってるんだけど、美波はまだ装着したままだよね」

「そういえばそうね」

「バイザーのゲージどうなってる?」

「まだ全然減ってないわね。7、8割くらい残ってるわ」

「マジで!? どうなってるんだろ……」

「別にいいじゃない。長くて困ることも無いんだし」

「まぁそうなんだけどさ」

 

 ま、いいか。試獣装着はまだ分からない部分も多いし。

 

「それじゃ……はい」

 

 僕は右腕に装着していた腕輪を外し、美波に手渡した。彼女は自らの腕輪を外し、僕の渡したそれを装着。そして、

 

「じゃあやってみるわね。――起動(アウェイクン)!」

 

 

 ………………

 

 

 やはり無反応だった。

 

「う~ん……ダメみたい」

「やっぱダメかぁ」

「しょうがないわね。持ち帰って坂本に見てもらいましょ」

「そうだね。もしかしたら雄二だけが使えるのかもしれないし」

「それじゃ町に戻りましょ。もう魔障壁の外なんて懲り懲りだわ」

「同感。それと早くシャワーで泥を洗い流したいよ」

「ウチが背中流してあげよっか?」

「!? いっ、いいよ! 体くらい自分で洗えるよ!」

「ふふっ、アキったら照れちゃって。可愛いっ」

「もう……からかわないでよ……」

 

 こうして僕らは使命であった2つの腕輪の回収に成功した。魔人との戦いにも勝利し、目的もすべて果たせた。今までの僕の学園生活では考えられないほどに順調だった。

 

 ただ、気になるのは魔人の動向。今回は僕らが勝ったが、ヤツがこれくらいで諦めるとは思えない。あれだけしつこく僕を探していたんだ。傷が癒えたらまた探しに来るに違いない。

 

 でも大丈夫。これで2つめの腕輪の回収にも成功したし、あとはサンジェスタに戻って皆と合流するだけだ。もしこの腕輪が白金の腕輪じゃなかったとしても他の誰かがきっと見つけている。そうすれば僕らは元の世界に帰れる。魔人ともおさらばというわけさ。

 

 そうさ、もう少しで帰れるんだ!

 

 僕は期待に胸を膨らませながらレオンドバーグの町へと戻った。

 



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第五十六話 拾ったものは届けましょう

 レオンドバーグ東の湖にて、僕らはついに失われた腕輪を見つけた。魔人の襲撃という、とんでもないハプニングも美波との共闘でなんとか退けた。これでこの国での僕らの任務は終了。あとは船でサンジェスタに戻るだけだ。

 

 と、言いたいところだが、ひとつ問題が残っている。

 

「なによアキ、問題って」

「だってさ、この腕輪って元々王様の物だろう?」

「そうね」

「だったら落とし主に届けなきゃマズいんじゃない? でないと泥棒になっちゃうし」

「………………」

 

 美波が呆気(あっけ)にとられた顔をしている。信じられないものを見ているような表情だ。

 

「どうしてそんな顔をするのさ。僕、何か変なこと言った?」

「えぇ。変なこと言ったわ」

「どこが変なのさ」

「泥棒になっちゃうって言葉よ」

「それのどこがおかしいって言うのさ。人の物を黙って持ち去ったら泥棒だろう?」

「アンタねぇ……自分が今までどれだけ(わる)さをしてきたか分かってないの? 校舎壊したり人を騙したり色々してきたじゃない。それに悪気(わるぎ)を感じたりしないの?」

「全然?」

「……いい性格してるわねアンタ」

「いやぁそれほどでも」

「褒めてないわよ! 皮肉よ皮肉!」

「あははっ、分かってるよ。ゴメンゴメン」

「もうっ都合の悪いことはすぐそうやって(とぼ)けるんだから」

 

 美波がぷぅっと頬を膨らませる。こうした表情が可愛くて、たまにからかいたくなってしまうんだよね。

 

「それはそうとさ、やっぱりちゃんと王様に話して譲ってもらうべきだと思うんだよね。色々お世話になったんだしさ」

「う……まぁ、そうかもしれないけど……」

「一度王様のところに戻って交渉しようよ」

「う……うぅ~ん……」

 

 なぜか美波は渋い顔をしている。何か問題でもあるんだろうか?

 

「美波? どうかした?」

「うん……あのね……ちょっと耳貸して」

「? うん」

 

 美波は僕の耳元に口を寄せ、小声でコショコショ話す。どうやら昼間にスカートをめくられたことを気にしているらしい。また似たようなエッチなことをされるのではないかと警戒しているようだ。

 

「あはははっ! 大丈夫だよ。いくらなんでも考え過ぎさ」

「む~っ! なによ人ごとだと思って! こっちはものすごく恥ずかしい思いをしたんだからね!」

「いやぁごめんごめん。でも美波がそんなに気にしてるなんて思わなかったよ」

「だって、アキにもばっちり見られちゃったし。……(勝負下着じゃなかったのに)……」

「ん? 勝負がなんだって?」

「なんでもないわよっ! いいからさっさと行くわよ!」

 

 変なの。まぁいいか。美波も行く気になったみたいだし。

 

「ほらっ! 暗くなる前に早く行くわよ!」

「へいへいっ」

 

 美波は肩を怒らせ、ずんずんと町を歩く。そんな彼女を後ろから見守りながら僕はレオンドバーグの町を歩いた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 程なくして僕たちは研究所に到着した。しかしそこに王様はおらず、受付にはクレアさんもいなかった。2人ともどこに行ったんだろう? 受付には別の女性が座っているようだ。あの人に聞いてみよう。

 

 早速受付の女性に聞いてみると、彼女は王様とクレアさんが王宮に戻ったことを教えてくれた。2週間もの間、研究に没頭していたせいで仕事が山のように溜まってしまい、大臣たちに捕まって王宮に連れ戻されてしまったらしい。なんともはや、一国の王とも思えぬ扱われようだ。

 

「でも困ったわね。どうするアキ?」

「そりゃ王宮に行くしかないんじゃないかな」

「まったく、困った王様ね」

「ははっ、僕はなんか親近感湧いていいと思うけどね」

「良くないわよ。スカートめくる機械なんか作るし」

「あはは……ま、まぁとにかく王宮の方に行ってみようよ」

「そうね」

 

 この研究所は王宮の裏手。敷地に沿って10分ほど歩けばすぐに王宮だ。早速僕らは研究所から王宮へと移動……しようとしたら、受付の女性に呼び止められた。そんな汚い格好で王宮に行くなということらしい。そういえば湖で思いっきり水や泥をかぶったので、顔や手足に泥が付着している。

 

「そうね。まずお風呂に入って綺麗にすべきね」

「でもそう言われてもこんな所にお風呂なんてあるわけが――――えっ? ある?」

 

 受付の女性が教えてくれたのだが、この研究所には風呂も備えてあるらしい。寝室もあるし、キッチンもあるのだそうだ。生活に必要なものが一通り揃っているのか。それならレナードさんもあんな不潔な格好せずに風呂に入れば良かったのに。

 

「アキ、お言葉に甘えましょ。制服はウチが洗っておくわ」

「うん。頼むよ」

 

 そんなわけで僕はここ王宮研究室で風呂に入らせてもらった。風呂はごく一般的な広さで、少々拍子抜けしてしまった。王宮施設だからバカみたいに広いのだろうと思っていたから。でもそれはそれで違和感なくてリラックスできて良かったとも言える。

 

「ふぅ。さっぱりした」

 

 風呂から上がった僕は応接室に戻ってきた。湖から1時間も泥だらけのままで歩いていたから気にならなくなっていたけど、やっぱり汚れが落ちると気分がいいな。

 

「あ、アキ。おかえりなさい」

 

 応接で頭を拭いていると後ろから美波の声が聞こえた。

 

「うん。ただいま。おかげでさっぱりしたよ」

「そうみたいね。ふふ……はいこれ」

 

 そう言って美波が差し出すのは黒いジャケットと白いワイシャツ。青いネクタイも一緒に持っていた。

 

「ん? これ僕の制服?」

「そうよ」

「洗濯できなかったの?」

「ううん。もう洗って乾かしてあるわよ?」

「へ? もう? だってまだ30分くらいしか経ってないよ?」

「レナードさんが作った乾燥機があったの。それを使わせてもらったらすぐ乾いたわ」

「へぇ……そんなものがあるんだ。あの王様の発明って結構凄いんだな……」

 

 ただのエッチな王様かと思ったけど、ちゃんと役に立つ発明もしてるんだな。

 

「ほら、いつまでも裸でいないでこれ着なさい」

「あ。そうだね」

 

 美波から受け取った文月学園の制服はパリッとしていて、まるでクリーニングに出したもののようだった。気分一新。これなら王宮に行っても恥ずかしくない格好だろう。

 

「よしっ。さ、行こうか美波」

「ちょっと待ちなさい」

「ん? 今度は何?」

「アンタ髪がぐしゃぐしゃじゃない」

「ほぇ?」

「いいからそこに座りなさい。ウチが()かしてあげる」

「? うん」

 

 言われるがままソファに座ると、頭にブラシのような物があてがわれた。

 

 あ、そうか。風呂上がりなのに髪の手入れをしてなかったっけ。王宮に行くことで頭がいっぱいですっかり忘れてた。

 

「まったく、人前に出る時は身だしなみくらい整えなさいよね」

 

 美波が後ろから僕の髪を梳かしながら言う。今までも何度かこうして髪を梳かしてもらったけど、気持ちいいんだよね。なんだか頭を撫でられているような感じがしてさ。

 

「そんなこと分かってるよ」

「何言ってるのよ。今だってこんなモジャモジャ頭で王様の所に行こうとしたじゃない」

「ちょっとうっかりしてただけさ」

「アンタはうっかりし過ぎよ!」

「あだだだっ! 髪! 髪ひっかかってる!」

「アンタがバカなこと言うから手元が狂うのよ」

「だってしょうがないじゃないか。早く王様の所に行きたかったんだから。いてて……もうちょっと優しくたのむよ」

「分かってるわよ。ホントに世話が焼けるんだから」

 

 でもなんかこういうのって幸せだなぁ。こっちの世界に来てからこんな風に感じることが多い気がするな。それはこうして美波が傍にいてくれるからなのかな。

 

「はいっ、おしまい。これからは自分で手入れするのよ?」

「ん? んー。できるだけそうするよ」

「必ずしなさいっ!」

「あははっ、冗談冗談。分かってるよ」

「本当でしょうね」

「たぶんね」

 

 こうして曖昧な返事をしておけば嘘にならないからね。またこうして髪を梳かしてもらいたいし。

 

「さ、それじゃ王宮に行こうか」

「うんっ」

 

 僕たちは受付の女性に丁寧にお礼を言い、研究室を出てきた。

 

 王様がいるのはこの裏側にある巨大な王宮内。執務室でクレアさんに鞭で叩かれながら仕事をしていると、受付の女性は笑いながら言う。まぁ鞭で叩かれながらというのは冗談だろう。

 

 

 ………………

 

 

 冗談……だよね?

 

 

 一抹の不安を抱きながら王宮敷地をぐるりと迂回する僕たち。正門前に着くと、僕らは顔パスで中に入れてもらえた。しかも「これはヨシイ様。ようこそいらっしゃいました」なんて言われた。こういうのも悪くない。なんだか偉くなった気分だ。

 

 早速王宮に入ると、クレアさんが出迎えてくれた。そこで詳しく事情を説明すると彼女は”特別に”と言い、王様の執務室に案内してくれた。何が特別なんだろう? と疑問に思いながらクレアさんについて行き、執務室に入る僕たち。すると、

 

「おぉっ! 勇者ヨシイよ! そなたを待っておったのじゃ! どうか助けてくれ!」

 

 なんて台詞を言いながら、王様が僕に(すが)ってきた。

 

「えっと、何を助けるんですか? それと何度も言いますけど、僕は勇者じゃありませんよ?」

 

 僕を”勇者”と呼ぶのはムッツリーニに教わったものらしい。どうも王様はこれをすっかり気に入ってしまったようで、何かと僕をこう呼びたがる。多少悪ふざけで言うのはいいのだけど、そろそろ悪ノリが過ぎると思う。っていうか今、自然にあの台詞が出てきたよね……?

 

「頼む! (わし)をここから救い出してくれ!」

「は? ここって、この部屋からですか?」

「そうじゃ! 儂は囚われの身! どうかお主の手で救い出してほしいのじゃ!」

「はぁ?」

 

 何を言ってるんだろう王様。囚われもなにも、ここって普通の部屋じゃないか。別に窓に鉄格子が付いているわけでもないし、扉に鍵が掛かっていたわけでもない。やろうと思えばこの出入り口から自由に出入りできるんじゃないの?

 

「ヨシイ様。手短かにお願いできますか? 陛下はお忙しいのです」

「く、クレア君! 頼む! 後生じゃから儂をここから出してくれ!」

「いいえ。なりません。この書類すべてを処理するまでここに篭っていただきます」

「ううっ、手厳しいのう……」

「2週間もほったらかしにした陛下が悪いのですよ? これに懲りたら研究はお控えください」

「トホホ……」

 

 なるほど。執務机の上には書類の山がいくつも積み上がっているし、これ全部処理が終わるまで軟禁状態ということか。それでクレアさんはお目付役というわけだね。鞭は振るっていないようだけど。

 

「アキ、腕輪の話を」

「うん。分かってる。レナードさん、昼に話していた湖でなくしたっていう腕輪なんですけど、僕たちで見つけて来ました」

「な、なんじゃと!? まことか!?」

「はい。このとおり」

 

 僕は右の袖をまくり、腕輪を王様に見せた。ここに来る前に研究室の風呂で泥を落としておいたからピカピカだ。

 

「た、確かに落とした腕輪じゃ! あの湖の中から探し出したというのか!? 一体どうやって……」

「ルミナさんのおかげです」

「む……ルミナじゃと?」

「はい。ルミナさんの持っていた腕輪の力のおかげで見つけられたんです。そうだよね美波」

「そうね。ウチらがこうして無事戻ってこられたのもルミナさんがこの腕輪を持っていてくれたからなのよね」

 

 ドアノッカーの代わりにされていたけどね。

 

「そうか……あやつも人の役に立っておるのじゃな……」

 

 王様は俯きながら呟くようにそう言った。眉間にしわを寄せながらも口角を上げ、その表情は王様の複雑な心境をあらわしているかのようだった。

 

「レナードさん……じゃなかった王様。ルミナさんを許してあげてくれませんか?」

「ふんっ! 誰があの親不孝モンを許すものか!」

「そんなぁ……」

 

 王様も頑固だなぁ……どうしたら許してもらえるんだろう。このままじゃルミナさんが可哀想だ。

 

「アキ、とりあえず腕輪の交渉をしましょ」

「そうだね」

「交渉? 交渉とは何じゃ?」

「この見つけた腕輪なんですけど、前にも言ったとおり僕たちが元の世界に帰るための鍵かもしれないんです」

「そういえばそんなことを言っておったな」

「はい。それで、できればこの腕輪を譲ってほしいんですけど……どうですか?」

「ふむ。構わんぞ」

「ホントですか!?」

「うむ。ただしひとつ条件がある」

 

 やっぱりタダってわけにはいかないか。しょうがない。ここは引き受けるしかないだろう。

 

「何でしょう? 僕にできることなら何でも言ってください」

「そうかそうか。頼もしい言葉じゃ。では」

「はい」

「儂をここから出してくれ」

「無理です」

「なぜじゃぁぁぁーーっ!!」

 

 一国の王ともあろう者が泣きながら高校生に(すが)らないでほしい。

 

「だってクレアさんが見てるじゃないですか」

「だからヨシイに頼んでおるのだ!」

「意味分かんないんデスケド……」

「看守を倒して捕らわれの姫を助け出すのは勇者の役目なのじゃろう?」

 

 どこまで毒されてるんだこの人……それにそもそも姫じゃなくて顎髭モシャモシャのおじさんじゃないか。

 

「陛下。意味不明なことを口走って誤魔化そうとしてもダメですよ。さぁ仕事にお戻りください」

「うぅ……ヨシイよぅ……」

「ご、ごめんなさい」

「そうか……仕方ない……さっさと終わらせるしかないようじゃの……」

 

 王様は渋々と執務机に向かっていく。なんだか夏休み最終日に宿題から逃げようとしていた自分を見ているようだ。

 

「あ。それで腕輪は……?」

「お主にくれてやるわい」

「え? 交換条件は?」

「いらん。もともと失くして諦めていたものじゃからな。持って行くがよい」

「ほ、ホントですか王様!?」

「男に二言は無い。そいつはお主らのものじゃ」

「やったぁ! ありがとうございます王様!」

「これでウチらの仕事は完了ね!」

「うん!」

 

 よし、あとはサンジェスタに戻って皆と合流だ!

 

「ヨシイ様、シマダ様。申し訳ありませんがそろそろ……」

 

 美波と手を取り合って喜んでいるとクレアさんが申し訳なさそうな顔で言ってきた。そうか、仕事の邪魔をしちゃ悪いね。

 

「王様、ありがとうございました。僕らこれで帰ります」

「ありがとうございました」

 

 僕と美波は机に向かって書類に目を通す王様に頭を下げる。

 

「おう。無事帰れるとよいな」

「はい! ではお元気で!」

 

 もう一度お辞儀をし、僕らはクレアさんと共に執務室から出た。そして扉を閉めようとした時、

 

「あぁそうじゃクレア君。ちょいと待ってくれ」

「はい。なんでしょう陛下」

 

 王様はこちらに顔を向け、フッと笑みを浮かべて言った。

 

「そういえばしばらく視察に行っておらぬな」

「何の視察ですか?」

「決まっておろう。町の視察じゃよ。……ラドンのな」

 

 王様はとても優しい目をしていた。(わだかま)りが解消されたというか、ふっ切れたというか……うまく説明できないけど、そんな目をしていた。

 

「陛下……」

 

 クレアさんは最初は驚いたような目をしていたが、すぐに嬉しそうに笑顔を作って言った。

 

「承知しました。ではすぐに視察の手配をいたします。陛下はその書類の処理を一刻も早く終わらせてください」

「あい分かった。ヨシイ! シマダ! 礼を言うぞ! 達者でな!」

「「はいっ!」」

 

 こうして僕たちは王様やクレアさんと別れ、王宮を後にした。

 

 とても晴れやかな気分だった。2つの腕輪の入手は嬉しい。けれどそれ以上に王様とルミナさんの関係が少しでも元に戻ったことが嬉しかった。

 



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第五十七話 我が家再び

 この旅の目的である2つの腕輪は手に入れた。これで僕らの使命は果たされた。あとはサンジェスタへ帰るだけだ。

 

 ガルバランド王国へはここレオンドバーグから馬車で北に向かい、ノースロダン港から船に乗って行くことになる。乗り継ぎの時間さえ合えば1日半ほどの旅になるだろう。

 

 しかし空は既に橙色から藍色に変わりつつある。この時間ではもう馬車も出ていない。そこで今夜はこの町で宿を取り、翌朝移動することにした。今、僕は美波と共に今夜の宿を探しながら賑やかな夜の町を歩いている。

 

「王様、あの様子だと明日にでも行きそうな感じね」

「そうだね。でも良かったよ。やっぱり家族が縁を切るとか寂しいし」

「そういえばアキもお父さんやお母さんと離れて暮らしてるのよね。やっぱり寂しい?」

「んー。そうでもないかな。勘当されたわけじゃないし」

「カンドウ?」

「あ、親子の縁を切ることを勘当って言うんだ」

「そうなのね」

「まぁ話そうと思えばいつでも電話で話はできるし、寂しいって思ったことはないかな」

「ふ~ん……アキはそうなのね」

「美波は違うの?」

「そうね。前は葉月と2人っきりでお留守番とかしていて、ちょっと寂しいなって感じたことはあるわ」

「前はってことは今は違うの?」

「うん。だって今はアキがいてくれるから」

「っ……!?」

「なによ。そんなに驚くこと?」

「い、いや、驚いたというか…………は、恥ずかしい……というか……」

 

 こういう話をされると、どうしても手に意識が集中してしまう。繋いだ手から伝わってくる、暖かくてしなやかな美波の手の感触に。そして急に恥ずかしくて顔が熱くなってきてしまう。

 

「もう。これくらいで赤くなったりしないでよ」

「うぅっ……だ、だってさ……」

「アンタって変わらないわね。そういうところ。ふふ……あっ、あのホテルなんてどう?」

「ふぇ?」

「ほら行くわよっ!」

「うわわっ!」

 

 美波に腕を引っ張られ、僕は振り回されるように歩いた。なんだか美波がとっても楽しそうだ。この世界に飛ばされてから今日で22日。もうすぐ帰れるという気持ちが彼女を笑顔にさせているのだろうか。

 

「えっ? いっぱいなんですか?」

「すまんねぇ。今日は予約で全部屋埋まってるんだ」

「そうですか……分かりました。次行きましょアキ」

「うん」

 

 一軒目のホテルは満室だった。仕方なく別のホテルを探しに町を歩く僕たち。レオンドバーグはこの国で最も大きな町だ。繁華街の規模も半端なくでかい。

 

 既に日は落ち、空は闇に包まれている。けれど僕らの歩く道にはまだ沢山の人が歩いていた。もう通行人もまばらになり始める時刻だというのに、一向に減る気配は無い。

 

 それと……気のせいだろうか。なんだか町を歩く人たちがやけに浮かれているような気がする。

 

「ねぇアキ、ずいぶん人が多いと思わない?」

「うん。ちょうど僕もそう思ってたんだ。前にこの町に来た時はここまで多くなかったよね」

「そうよね。何かあるのかしら。お祭りとか」

「お祭りかぁ。いいなぁ」

「あっ、あそこにもホテルがあるわよ。行ってみましょ」

 

 こんな具合に宿泊先を探して町を歩く僕たち。ところが、どれだけ探してもどこもホテルは満室。ことごとく断られてしまった。

 

「う~ん……これってピンチだよね……」

「どうしようアキ……このままじゃ今夜の寝床が無いわ」

「こうなったら王宮に泊めてもらう?」

「そうね……それじゃあのホテルでダメだったらそうしましょ」

 

 美波がそう言って道の先の看板を指差す。そこには”Hotel Sandlock”の文字があった。はて? サンドロック? どこかで聞いたような……?

 

 記憶の糸をたぐりながら建物に入る僕。う~ん……思い出せない。

 

「ごめんくださ~い」

 

 僕が考え込んでいる間に美波が受付にて声を掛ける。

 

『は~い、ただいま参りま~す』

 

 すると受付奥の扉の中から声が聞こえてきた。その数秒後、ガチャリと扉が開いて1人のおじさんが姿を現した。

 

「いらっしゃい。お客さん、悪いんだけど今日は――」

 

 受付に出てきたのは顎髭を生やした丸顔のおじさん。その顔を見た瞬間、思い出した。

 

「あぁーーっ! きっ、君たちは!?」

 

 丸顔のおじさんも目を丸くして驚く。体つきも丸いし、すべてがまん丸だからまるで髭を生やした雪だるまみたいになっている。どうやら向こうも僕らのことを覚えていたようだ。

 

「こんばんはおじさん。お久しぶりです」

 

 美波がペコリとお辞儀をして挨拶をする。この丸顔のおじさんの名は確か”ニコラス”だったかな。以前もこうして美波と一緒に宿を探していてお世話になった人だ。

 

「久しぶりっていうか1週間ぶりだね。でもサンジェスタに行ったんじゃなかったのかい?」

「えっと、その……色々と事情がありまして……ね、アキ?」

「う、うん」

 

 そうか、まだ1週間しか経っていなかったのか。あれからもうずいぶん経っているように感じるな。

 

「込み入った事情がありそうだね。まぁ話さなくてもいいよ。それで今日はどういったご用件で?」

「実はウチら今夜泊まる場所を探してるんです。部屋、空いてませんか?」

「そうか、部屋か……それが今夜は予約でいっぱいでねぇ」

「そうですか……」

 

 おじさんの返事を聞いて美波がしょんぼりと項垂れた。心なしか自慢のポニーテールもしおれたように見える。

 

「たぶん今夜はどこのホテルもいっぱいだと思うよ? なにしろ明日はハルニア(さい)だからね」

「「ハルニア祭?」」

「知らないのかい? 3年に1度行われるレオンドバーグ全体をあげてのお祭りさ」

「アキ知ってる?」

「ううん。美波は?」

「知ってたら聞くわけないじゃない」

「それもそうだね」

「なんだ知らないのか。変わってるねぇ君たち。それじゃ教えてあげよう」

 

 おじさんは得意げにお祭りの詳細を語り始めた。

 

 ハルニア祭は3年に1度、このレオンドバーグの町全体を使って開催される祭らしい。祭りの趣旨は町の誕生を祝うという、ごく一般的なもの。特に主催者がいるわけではなく、自然発生的にはじまったものだという。

 

 祭りは3日間に渡って様々なイベントが催され、昼夜を通して行われる。しかも今回は300年目という節目の年。世界中から人が集まり、かつてない規模で開かれるらしい。

 

「それで町に人が溢れてるのね」

「そりゃホテルもいっぱいになるよねぇ……」

 

 でも困った。これでは泊まる場所がない。もう王様に頼るしか……。

 

 ……まてよ?

 

 とにかく寝食の場所が確保できればいいわけだから……。

 

「アキ」

「うん」

「アンタ、ウチと同じこと考えてるでしょ」

「たぶん」

 

 肩を並べる美波と目を見合わせ、僕は頷く。彼女もまた同時に頷いていた。そう、僕らの考えていることは同じなのだ。

 

「おじさん、僕らが前に借りたあの家ってまだありますか?」

「もちろん。処分する予定は無いよ」

「それじゃあ……もし良かったら今夜一晩だけ、もう一度僕らに貸してもらえませんか?」

「構わないよ。今夜と言わず祭りの期間中ずっと使っててもいいんだよ?」

「あ、いえ。今夜だけでいいです。またサンジェスタに戻らなくちゃいけないので」

「そんなに急ぐのかい? せっかくの祭りなんだから楽しんで行けばいいのに」

「すみませんおじさん。僕らの仲間が待っているので、ゆっくりもしていられないんです」

「そうかい。それは残念だね。それじゃ――――これを」

 

 おじさんはそう言ってカウンターの引き出しから金属製の鍵を取り出した。それは1週間ほど前に返却した、あの家の鍵だった。

 

「ありがとうございます。お借りします。明日の朝に返しに来ますね」

「使った寝具とかはそのままにしておいていいよ。後で片付けに行くから」

「はい、ありがとうございます!」

 

 僕は鍵を受け取り、ホテルを後にした。それにしてもまたあの家で暮らすことになるなんて思わなかったな。一晩だけだけどね。

 

 

 

          ☆

 

 

 ホテルを出て30分。僕たちはあの家の前までやってきた。

 

「変わってないわね」

「そりゃ1週間しか経ってないからね」

「それもそうね」

「鍵、開けるよ」

 

 僕は借りた鍵を使い、家の扉を開ける。木製の扉がキィと音をたてて開き、まっすぐな廊下が目に入ってくる。その廊下の突き当たりには扉がひとつ。

 

「さ、入ろう」

「えぇ」

 

 僕たちはリビングで荷物を降ろし、家の中の様子を見回してみた。

 

 リビング。

 キッチン。

 洋室が2つにトイレにお風呂。

 

 すべてが僕たちが出た時のままだった。たった1週間しか経っていないのに、なんだかとても懐かしい気分だ。

 

「少し埃っぽいわね」

「そうかな?」

「アンタ感じないの? ほら、テーブルもザラっとしてるわよ?」

 

 そう言って美波がテーブルに指を這わせる。ふむ。確かに言われてみれば少し埃っぽいかもしれない。

 

「少し拭き掃除しましょ」

「えぇ~……いいじゃんこのままで」

「ダメよ。ここで食事したりするんだから、清潔にしておかないと」

 

 ……あ。そういえば。

 

「ねぇ美波」

「なによ。掃除が嫌だなんて言うんじゃないでしょうね。ダメよ」

「いやそうじゃなくてさ」

「じゃあ何よ」

「ここで食事をするといってもさ、食材も何も買ってきてないよね」

「……忘れてたわ」

 

 まぁ僕も忘れてたんだけどね。

 

「それじゃアキ、何か食べるもの買ってきてくれない?」

「うん。いいけど、掃除は?」

「ウチがやっておくわ」

「いいの?」

「どうせアンタにやらせてもいい加減にやるだけだもの。ウチがきっちりやっておくからアンタは買い出しに行ってきて」

「反論したい気分だけど……まぁいいや。それじゃ何か買ってくるよ」

「お財布落としてきたりするんじゃないわよ」

「分かってるよ子供じゃないんだから。それじゃ行ってくる」

「ふふ……行ってらっしゃい」

 

 僕は家を出て、商店街に向かって歩き出した。さて。まずは今夜の食事と、それと明日の朝の食事かな。片付けが楽になるものがいいね。明日の朝には出発することになるし。よし、それじゃ……。

 

 

 

 ――――30分後。

 

 

 

 僕は出来合いのサンドイッチや惣菜パンの類を買って帰って来た。これならキッチンを汚さないで済むからだ。

 

「美波、ただいま」

「あ、お帰りなさいアキ」

 

 リビングに入って帰宅の挨拶をすると、美波がスリッパをパタパタと鳴らしながら駆け寄ってきた。この光景も1週間ぶりだ。

 

「食べるもの買ってきたよ」

「惣菜パンね。ありがとアキ」

「うん。それより聞いてよ美波」

「なぁに?」

「例のお祭りなんだけどさ、明日1日だけ見て行かない?」

「えっ? どうしたのよ急に」

「さっき町で催し物の一覧を見てきたんだけどさ、凄く面白そうなんだ」

「アンタもそういうの好きね」

「へへっ、まぁね。どう? 帰るのは明後日にしてさ、明日はお祭りを見て回ろうよ」

「う~ん……でも坂本たちが待ってるんじゃないかしら……」

「大丈夫だよ。約束の期限まではまだ4日あるしさ、サンジェスタまでの移動時間を入れても余裕はあるじゃん?」

「そうなんだけど……でもこの家は今夜だけって約束だし……」

「そこは大丈夫。さっき僕がおじさんに許可をもらってきたから」

「ずいぶん手際がいいのね。でもいいのかしら。ウチらだけ遊んでいたら皆に悪いような気がするんだけど」

「もし皆に怒られたら僕のせいにしていいからさ」

「……アキ?」

「ん? 何?」

「まさかアンタ、何か企んでるんじゃないでしょうね」

 

 ギクッ!

 

「い、いや別に? 何も?」

「怪しいわね。目が泳いでるわよ」

「そ、そんなことはないよ!? 単純にお祭りを見たいなって思っただけさ! 美波と一緒に!」

「えっ? そ、そうなの?」

「うんうん! お祭りは好きだけど、美波と一緒ならもっと楽しくなると思うんだ!」

「……しょ、しょーがないわねっ! そ、そんなに言うのなら行ってあげても……いいわよ?」

「ホント!?」

「その代わり!」

 

 ビッと右手で僕の眉間を指差し、美波は目を吊り上がらせる。ヤバイ。何か交換条件を要求する気だ。無理難題を吹っ掛けられたらどうしよう……。

 

「う、うん。その代わり……?」

 

 恐る恐る訪ねてみると、それは僕が思っていたような要求ではなかった。

 

「皆には絶対に言わないこと!」

「へ? なんで?」

「なんで? じゃないわよ。皆が必死に腕輪を探してるのにウチらは遊んでました、なんて言えるわけないじゃない」

「あ……う、うん。そう……だね」

「なによその顔は。まさかアンタ皆にペラペラ話すつもりだったんじゃないでしょうね!」

「いや! そ、そんなことないよ!? ただ、ちょっと意外だったからさ!」

「意外? 何がよ」

「なんというかこう……もっと難しい条件を言ってくるのかと思って……」

「難しい条件を言ってほしかったの?」

「いやいやいや! そうじゃなくて!」

 

 あぁもうっ! 僕のバカぁっ! 余計なこと言わなきゃよかった!

 

「まぁいいわ。でもホントに皆には内緒だからね?」

「分かってるよ。もちろん秘密さ。僕と美波、2人だけのね」

「そうね。2人だけのヒミツね。ふふ……それじゃ夕食にしましょ」

「うん!」

 

 やれやれ。一時はどうなることかと思った。でもこれでお膳立てはできたな。あとは時間を間違えないように約束の場所に行くだけだ。きっと美波驚くぞ。ふっふっふっ……。

 



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第五十八話 祭

 翌朝。

 

 昨晩買っておいた惣菜パンで軽く朝食を済ませ、僕たちは町に繰り出した。まだ日が昇って1時間くらいだろうか。普段からこの世界の人たちの朝は早い。だがこの日の朝はいつも以上に活気に溢れていた。というか既に大騒ぎだった。町の至る所から音楽や歓声が聞こえ、爆竹が破裂するような音も混じっている。

 

「な、なんか凄い騒ぎね……」

「まさかこれほどとは思わなかったよ……」

 

 商店街に出た僕たちは祭りの規模の大きさに度肝を抜かれていた。道は人であふれ返り、路上には数え切れないほどの露店が並んでいる。

 

 見渡す限りの人、人、人。この光景はいつかの初詣を思い出させる。いや、この規模はそれを遥かに凌ぐ。何しろ約十万人(勝手な推定)がこのお祭りに参加しているのだ。神社の初詣の比ではない。

 

「ここまで色々あるとどこから見ていけばいいのか悩んじゃうわね」

「とりあえず道に沿って歩いてみない?」

「そうね。――きゃっ!」

 

 ちょうど移動をはじめようとしたその時、美波が小さく悲鳴をあげた。何事かと目を向けると、

 

「あら、ごめんなさいね」

「いえ、ウチの方こそ……」

 

 丸々と太ったおばさんと美波がそんな会話をしていた。どうやらおばさんがぶつかってきたようだ。

 

「大丈夫? 美波」

「うん。ちょっとぶつかっただけよ」

「人が一杯で危ないね。はぐれないように気をつけないと」

「えぇ。そうね」

 

 僕が左手を差し出すと、美波も右手を差し伸べる。そして僕たちは固く手を結んだ。その時、唐突に思い出した。あの元旦の初詣の帰り道、秀吉に言われた言葉を。

 

 

 ―― その手、二度と放すでないぞ ――

 

 

 そうか……あの言葉は背中に背負っていた葉月ちゃんのことを指していたわけじゃないんだ。その手っていうのは、今握っている僕の大切な人の手のことだったんだ。

 

「どうしたのアキ?」

「あ……ううん。なんでもない」

 

 秀吉、気付かなくてごめん。僕たちを応援してくれてたんだね。でも大丈夫だよ。この手は二度と放したりしないから。

 

「あっちの方に人だかりがあるね。行ってみようか」

「うんっ」

 

 僕たちは手を取り合い、王宮方面に向かって歩き出した。しっかりと指を絡ませて。

 

「それにしても凄い人だなぁ……美波、大丈夫?」

「うん。平気よ」

「迷子にならないようにね」

「大丈夫よ。葉月じゃないんだから」

「ははっ、それもそうだね」

 

 美波の手を引きながら人を掻き分け、僕は道を進む。すると次第にリズミカルな音楽が耳に入ってくるようになってきた。この道の先で演奏会を開いているようだ。

 

「なんかノリのいい曲が聞こえてきたね」

「ジャズみたいね」

「ジャズ? そうか。なるほどね」

「知ってるのアキ?」

「聞いたことくらいはあるよ」

「へぇ、意外ね」

「失礼な。さすがに僕だってそれくらい知ってるさ」

 

 なんとなく分かる程度だけどね。前にゲームの中でそれっぽい音楽を聴いたからね。

 

「ねぇアキ、ちょっと聞いていかない?」

「うん。いいよ」

 

 僕らは音楽の聞こえてくる方面へと歩き進む。するとすぐに人が密集しているのが見えてきた。

 

 そこは道と道がクロスする十字路にある噴水広場だった。その広場では噴水を取り囲むように人の垣根ができている。音楽はこの中央付近から聞こえてくるようだ。歩いてきた道はガヤガヤといった感じの話し声ばかりが耳についた。けれどこの付近だけは様子が違っていた。

 

 人垣の中央には、蝶ネクタイのスーツを着た男たちが様々な楽器を手に演奏しているのが見える。

 

 サックス、トランペットなどの管楽器。巨大なバイオリンのような弦楽器。あれはコントラバスという名前だっただろうか。それに大きなピアノ。

 

 5人の演奏家たちはそれぞれの楽器を巧みに操り、息の合った演奏を披露している。そんな彼らの奏でる調(しらべ)はとても心地よく、誰もが(もだ)して聞き入っていた。

 

 実を言うと、これまで僕はこういった音楽にあまり興味は無かった。けれどこの演奏会はそんな僕の考え方を覆すほどに楽しく、聞いていてつま先でトントンと拍子を取ってしまうほどに僕の心を躍らせた。

 

 一緒に聞いている美波も気に入ったようで、楽しそうに目を細めて演奏の様子を眺めている。そんな彼女を見ていると幸せな気持ちになってきてしまう。この瞬間(とき)を大切にしたい。そんな気持ちになってしまう。……皆が僕らの帰りを待っているというのに。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

 しばらくして演奏は終了。周囲の人垣からは盛大な拍手が送られた。僕と美波も演奏者に惜しみない拍手を送った。そしてひとしきり拍手が鳴り止むと、ピアノを演奏していた男が前に出て話し始めた。どうやら自己紹介をするようだ。

 

 彼らはガルバランド王国のルルセアという町から来たらしい。ルルセアは国の西側の海岸沿いにある町で、ワインが美味しい町だという。じゃあなんでワインを売らずに演奏会なんてやってたの? と疑問に思っていると、その理由も語ってくれた。

 

 ルルセアはワインと音楽の町。美味しいワインを片手にな音楽を聞く。そんなスタイルがルルセア流なんだそうだ。

 

(ねぇアキ、ルルセアって坂本と翔子がいた町よね?)

(うん。確かそんな名前だったと思う)

(じゃああの2人ってワイン飲んでたのかしら)

(そ、それはどうかな……)

(でもワインと音楽なんて、あの2人なら似合いそうね)

(う~ん……)

 

 雄二と霧島さんがワイングラスで乾杯ねぇ……と、2人が酒場でグラスを片手にする姿を思い浮かべてみた。

 

 薄暗い店内。

 テーブルに掛けられた白いテーブルクロス。

 その上にに置かれた2つのワイングラス。

 BGMに流れる曲はお洒落なジャズ。

 

 そこで席に座る、キラキラと輝く紫色のドレスに身を包んだ黒髪ロングの女性。向かいに座るのは……白いスーツ姿の……。

 

 ……

 

 うん。霧島さんはよく似合うけど、あの赤ゴリラにはまったく似合わないね。というか僕ら未成年じゃないか。

 

(いつかウチもそんなデートに連れて行ってね)

(へっ? う、うん)

 

 いいのかな。僕もそんなお洒落なデートは似合わない気がするんだけど……。

 

 小声で僕らがそんな会話をしているうちに、演奏会のリーダーと思しき人は話を進めていた。掻い摘んで言うと、ルルセアに観光に来てほしいということのようだ。そういえば雄二があの町は「人の出入りが少ない」なんて言ってたっけ。産業的には大きな問題なんだろうな。

 

 そんなことを考えているうちにリーダーの話は進み、最後に「ぜひルルセアに来てワインと音楽を堪能してください」と締めくくった。すると周囲からは再び盛大な拍手が贈られた。演奏者たちは拍手に対して深々と礼をする。

 

 こうしてひとつの演奏会が終わった。綺麗に円を描いていた人垣はあっと言う間に崩れ、周囲は一気にガヤガヤと騒がしくなっていく。

 

「ふぅ。こんなに音楽に聞き入ったのは久しぶりだよ」

「ウチもよ。年末にテレビで歌合戦を見て以来かしら」

「僕は……覚えてないや」

「アンタがいつも聞いてるのはゲームの音楽だものね」

「まぁね。あははっ」

「でも楽器が()ける人って素敵よね」

「そう?」

「もちろんよ。だって格好いいじゃない。アキも何か楽器を習ってみたら?」

「楽器ねぇ……」

 

 とりあえず自分にやれそうな楽器を思い浮かべてみた。

 

 トライアングル。

 カスタネット。

 タンバリン。

 

 ……全部打楽器だ。

 

(小学校の学芸会かよ……)

 

 あまりにも情けなくて思わず呟いてしまった。

 

「学芸会? 何が?」

「気にしないでいいよ。ちょっと自分の不器用さに嘆いてただけだから……」

「?」

「とりあえず移動しようか。ここで立ち止まっていたら通行の邪魔みたいだし」

「そうね」

 

 ごめん美波。僕は楽器のできる格好いい男にはなれそうにないよ。歩きながら僕は謝った。もちろん心の中で。

 

 さて、次はどこに行こう? と再び周囲を見てみると、相変わらず人ばかりが視界に入ってくる。道は食べ物や手芸などを売る露店がひしめき合い、辺りには甘い香りや(こう)ばしい香りが充満している。

 

「とりあえず向こうに行ってみようか」

 

僕たちは人の波に逆らわず進むことにした。しっかりと手を繋いで。

 

「それにしても凄い人ね。これじゃお祭りを見るというより人を見に来たって感じがするわ」

「ははっ、言えてるかもね。でもお祭りなんてこんなもんじゃない?」

「そうかしら」

「初詣の時だってこんな感じだったじゃん」

「そういえばそうだったわね。あっ、ねぇアキ、あれって何かしら?」

「ほぇ?」

 

 美波の指差す先には先程と同じような人垣ができている。しかし今度は円陣ではなく、道脇に設置された柵に対して一直線に人が並んでいる。

 

「行ってみようか」

「うんっ」

 

 早速僕らも周囲の人の真似をして柵に張り付いてみた。目の前に広がるのは広い空き地。この観客たちはこの空き地での催し物を見ているようだ。

 

 いや、これって空き地というか、もしかして……演習場? 僕にそう思わせたのにはもちろん理由がある。柵の向こうにいたのは大きな馬に跨った全身鎧の騎士。それも2人だった。2人の騎士は共に長い槍と大きな丸い盾を持ち、数十メートル離れた場所で向かい合い、睨み合っている。まさに一騎打ちの様相だ。

 

「ね、ねぇちょっとアキ、もしかしてこれって……決闘?」

 

 美波が僕の袖をクイクイと引っ張り、不安げな表情を見せる。彼らの出で立ちは僕の目にも決闘に見えた。ただ、それが本気の殺し合いではないことは分かっていた。

 

「大丈夫だよ美波。槍の先っぽを見てごらん」

「えっ? 槍?」

「ほら、先端に布が巻かれてるだろう?」

「あ、ホントね。あれなら突き刺したりできないわね」

「そういうこと。つまりこれは練習なんじゃないかな」

 

 僕がそんな説明をしていると、2人の騎士の間に立っている男が大声を張り上げた。彼もまた全身を鎧で包み、腰には長い剣を携えている。

 

『ご高覧の皆様! これより王宮騎士団による演習の模様をご覧に入れます! 身を乗り出すと大変危険です! どうか柵から手を放してご覧いただきますよう、お願いいたします!』

 

 柵に身を寄せていた観客は男の説明に従い柵から手を放す。僕たちも少しだけ柵から離れ、広場の様子を見守った。

 

『ありがとうございます! あ、そこの坊ちゃまもお下がりいただけますでしょうか!』

 

 男の視線の先に観客が一斉に目を向ける。そこには柵に跨って遊ぶ1人の男の子の姿があった。その男の子はすぐに母親と思しき女性に抱きかかえられ、柵から下ろされていた。

 

『ありがとうございます! それでは始めさせていただきます!』

 

 進行役の騎士がそう告げると、左側の馬に跨った鎧の騎士が大きな声で名乗りをあげた。

 

 彼は半年前に入団した新米騎兵らしい。これまでの厳しい訓練を乗り切り、今回初めて騎乗することを許されたそうだ。もちろん今回が初めての対人演習であると彼は語り、すべての力を出し切って必ずや勝利を収めると声高らかに訴えた。

 

 すると観客からは拍手と歓声が湧き上がった。馬上の彼は声援に応え、槍を持った手を高く掲げて雄叫びをあげる。

 

 続いて右の騎士が名乗りをあげた。彼の声は騒々しいこの町の中でもよく通る、大きな声だった。

 

 右の騎士は新米というわけではないが、やはり騎乗するのは初めてらしい。彼もまた同じように意気込みを語り、「勝利をわが手に!」と腕を掲げて雄叫びをあげた。するとまた観客から盛大な拍手が送られた。いよいよ試合開始だ。

 

「ドキドキするわね……」

「うん」

「アキはどっちが勝つと思う?」

「やっぱり右の人が勝つんじゃないかな」

「そう? ウチは左の人だと思うんだけど。凄く気合入ってるし」

「そうかな? 右の人の方が経験ありそうだし、戦い方も知ってると思うんだけど……」

 

『はじめッッ!!』

 

 進行役の騎士の声が会場に響くとそれぞれの騎士は馬を駆り、突撃を開始した。馬は一気に速度を上げ、騎士たちは槍を真っ直ぐ前に構える。そしてついに中央でお互いの槍と盾がぶつかり合った。

 

 ――ドッ

 

 鈍い音と共に2人の騎士は仰け反った。しかし2人とも衝撃を堪え、馬もまた左右に逸れて衝突を避けた。周囲からは「おぉ~」という感嘆の声が漏れ、パチパチと拍手が贈られる。

 

 どうやら初撃(しょげき)は引き分けのようだ。2人の騎士は再び元の位置に戻り、体勢を整える。

 

「凄い迫力ね」

「うん。こんなの初めて見たよ」

「ホントね。ウチも映画とかで見たくらいよ」

「そりゃそうさ。馬と騎士なんて現実社会には無いからね」

「そういう意味では貴重な経験とも言えるわね」

「まぁね」

 

 と、美波とそんな話をしているうちに準備が整ったようだ。

 

『再試合――はじめッッ!!』

 

 進行役の男の合図で再び2人の騎士は馬を駆り、突撃する。2人は槍と盾を構えて真っ直ぐ突き進む。お互い速度は十分。今度こそ決着がつきそうだ。そして数秒後、2人は再び僕たちの目の前でぶつかり合った。

 

『うぁっ!』

 

 片方の騎士が叫びと共に弾き飛ばされ、地面に叩き落された。衝撃に耐えられず落馬してしまったようだ。

 

『勝負あり! そこまで!』

 

 進行役が片手をあげて大声で叫ぶ。すると周囲から歓声と共に大きな拍手が送られた。勝者の騎士は槍を掲げ、その拍手に応えている。

 

 勝敗は決したようだ。でも大丈夫なんだろうか。あの騎士さん、結構な勢いで地面に落ちたけど……と心配をしていると、地面に寝転がっていた鎧の騎士がむくりと起き上がった。

 

『くっ……なんたる不覚……』

 

 兜を取り、地面に座り込んで項垂れる騎士さん。よかった。怪我はしていないみたいだ。

 

 勝者の騎士は馬から降り、敗者の騎士に向かって歩いて行く。着ている鎧を重そうに一歩一歩、ゆっくりと歩いて行く勝者の騎士。彼は座り込む騎士の目の前まで歩み寄ると、スッと手を差し伸べ、握手を求めた。

 

 そして2人はがっちりと握手を交わす。

 

 彼の紳士的な振る舞いに、周囲からは更なる拍手が送られる。もちろん僕と美波も手を叩き、惜しみない拍手を送った。

 

「ウチの勝ちね」

「ほへ? 何が?」

「どっちが勝つかって予想したでしょ?」

「うん。まぁ確かに予想したけど……」

 

 今回の勝者は左の新米騎士。僕の予想は外れている。そういう意味では僕の負けではある。

 

「さぁて。何をしてもらおうかしらね」

「へ? 何それ?」

「だってアンタの負けなんだから。ウチの言うことを聞いてもらうわよ」

「えぇっ!? 何それ! そんなバツゲームの約束なんてしてたっけ!?」

「今決めたの」

「そ、そんな無茶苦茶な!」

「なによ。男らしくないわよ? アンタもあの騎士さんたちを見習いなさい」

「理不尽だぁぁっ!」

「そうねぇ。普段できないことがいいわね」

「うぅっ、そんなぁ……」

 

 まさかこんな所でバツゲームをさせられるなんて……と、とにかく無茶なことを言わないように誘導しないと!

 

「あ、あのさ美波」

「ちょっと黙ってて! 今考えてるんだから!」

「はい……」

 

 って、あっさり引き下がってどうするんだ!

 

「ね、ねぇ美波、とりあえず他を見に行かない? 考えるのはそれから――」

「よし、決めたっ!」

「もう決めちゃったのぉぉ!?」

 

 お、遅かったか……こうなったら無茶な要求じゃないことを祈るしかない……。

 

「えっと……それで僕は何をすれば……?」

「今はナイショ。時が来たら言うわ」

「ふぇ?」

「さ、他を見に行きましょ」

「えっ? な、何? どういうこと??」

「だから言ってるでしょ? アンタへの要求は後で言うわ」

「えぇ~……そ、そんなぁ……」

 

 美波が満面の笑みを浮かべて僕の手を握る。できれば今バツゲームの内容を言ってくれた方が気が楽になるんだけど……歩きながらそう思っていたけど、彼女の笑顔を見ていたら言えなくなってしまった。まぁいいか……きっと今の美波なら無茶を言ったりしないだろう。うん。美波を信じよう!

 



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第五十九話 もしもの備え

 王宮騎士団の演習場を後にし、僕たちは再び人混みの町を歩き始めた。相変わらず右を見ても左を見ても人だらけ。その合間には”のぼり(ばた)”がチラチラと見え隠れする。そこには「飾」や「焼餅」「飴」といった漢字が書かれている。日本ではないのに僕の知っている漢字が並ぶ。なんとも不思議な光景だ。

 

 ここレオンドバーグの中央道路は馬車が4台並んで通れるほどの幅がある。道路は僕らの世界のように中央分離帯で分離されていて、上りと下りで分けられている。露店はこの中央分離帯に沿うようにずらりと並び、それが延々と続いているのだ。僕たちはそんな中を歩き、気になった旗を見ては露店に立ち寄り、売っている物を眺めて祭りを堪能していた。

 

「わぁ……これ可愛い……」

 

 露店の中にはアクセサリのような装飾品を売っている店もあり、美波はそれに惹かれているようだった。

 

 こうして目を輝かせている彼女を見ているのは楽しい。それに美波が欲しいのならば買ってあげたいと思った。ところが僕が値段を聞こうとすると美波はそれを制止し、アクセサリを元の場所に戻してしまった。

 

 欲しいからといって何でも買っていたらお金がなくなるからと彼女は言う。それに元の世界に持ち帰れるのかも分からない。だから今は見て楽しむだけにすると。

 

「でも本当に見るだけでいいの? 僕は買ってもいいと思うんだけど」

「いいのよ。その代わり元の世界に戻ったらアキに作ってもらうから」

「は? ちょ、ちょっと待って。僕が作るの?」

「そうよ?」

「いや、そうよ? じゃなくてさ! 僕にこんな細かい物が作れるわけないじゃんか!」

「冗談に決まってるじゃない。ウチだって不器用なアンタにこんなのが作れるなんて思ってないわよ」

「なんだ冗談か。よかったぁ……」

 

 ……ん?

 

 本当によかったのか? 今軽くバカにされた気がするんだけど……。

 

「あっ、ねぇねぇアキ! あれ見てあれ!」

「ふぇ?」

 

 美波がまた何かに興味を持ったようだ。こういうところは葉月ちゃんにそっくりだ。いや、むしろ葉月ちゃんが美波に似たのかな。

 

「どれ?」

「ほらあれ!」

 

 美波は僕の腕をぐいぐいと引っ張りながら道の先を指を差している。といってもその指の先には人の頭しか見えない。

 

「分かんないんだけど……どれのことを言ってるのさ」

「今人影で見えなくなっちゃったのよ。見える所まで行くわよ!」

「えっ? ――おわっ!」

 

 急に美波が僕の腕を掴んだまま走り出した。

 

「ちょ、ちょっと美波、こんな人ごみの中で走ったら危ないよ」

「いいから早くっ! 行っちゃうでしょ!」

「何が行っちゃうのさ」

「見れば分かるわよ!」

「一体何なのさ……」

 

 わけが分からず美波に引っ張られて走る僕。彼女は人ごみを掻き分け強引に突き進む。人にぶつからずに進めたのが不思議なくらいの勢いだった。そうして50メートルほど走っただろうか。そこでようやく彼女が見たかったものを理解した。

 

 美波が立ち止まったのは、大きな十字架を屋根に乗せた建物の前だった。尖った青い屋根の下に巨大な金色の釣り鐘。それはまるで教会のような建物の前だった。というか教会そのものだ。その建物の前には純白のドレスを着た女性と、同じく白いタキシードに身を包んだ男性が1人ずついるようだ。

 

『おめでとう~!』

『お幸せに!』

『おめでとう!』

 

 彼らは周囲から多数の拍手と祝福の言葉を受けていた。2人は教会の前で手を取り合い、周囲に笑顔を振りまいている。この様子は僕の知る限り”結婚式”という非常にめでたい式典だ。

 

 でも、なぜこの大混雑のハルニア祭の真っ最中に結婚式を? と一瞬疑問に思ったが、よく考えたらある意味結婚式も祭りの一種。あながち場違いでもないのかな、と思い直す僕であった。

 

「素敵……」

 

 隣では美波がうっとりと新郎新婦の様子を眺めている。きっと新婦の豪華なドレスに見惚れているのだろう。美波もしっかり女の子してるんだな。

 

「ああいうドレス、一度でいいから着てみたいな……」

「えっ? でもあのドレスだと胸が――」

「なぁにアキ? 胸がどうしたって?」

 

 美波が笑顔をこちらに向ける。しかし目は笑っていなかった。もの凄く怖い……。

 

「なっ……な、なんでもない」

「言いたいことがあるのなら言っていいのよぉ?」

「(ブンブンブン)ありませんです!」

「遠慮しなくていいのよぉ~?」

 

 ガッと腕を掴まれ、笑顔で威圧される。

 

「め、めっそうもございませんっ!」

「……ふんっ、分かってるわよ。どーせウチじゃドレスの胸が余っちゃうわよーだっ」

 

 頬を膨らませ、口を尖らせてプイと顔を背ける美波。今の僕にはそんな怒った顔も可愛いと思えるから不思議だ。って、そんなことより美波の機嫌を損ねてしまった。せっかくのデートなのにこれじゃ台なしだ。なんとかフォローしないと。えぇと、まず思いつくのは……。

 

 笑って誤魔化す。

 

 いやダメだ。そんなことをすれば今度は怒らせてしまう。これが逆効果であることは今まで何度も経験済みだ。

 

 じゃあひたすら謝る?

 

 いつものパターンだけど、これじゃあまりに進歩が無さ過ぎる。もっと説得力を……そうだっ!

 

「大丈夫だよ。探せばきっと美波に合うドレスだってあるはずさ」

「……どうかしら」

「だってほら、前に大人召喚獣が出てきた時にモデルやってたじゃない? モデルができるってことは合う衣装だって沢山あるってことだよ?」

「……パットをつければね」

「うっ……!」

 

 し、しまった! あの時はそういうオチがあったんだった……!

 

「で、でもほら! えーっと、えーっと……!」

 

 くうっ……! だ、ダメだ! フォローするネタが思い浮かばない!

 

「ハァ……もういいわよ。アキに慰めてもらっても状況は変わらないもの」

「うぅっ……ご、ゴメン」

 

 やれやれ……なんとか許してもらえそうだ。

 

「でもそんなに気になる? 僕は別に気にしてないんだけど……」

「だって……せっかく可愛いお洋服見つけてもいっつも胸が合わないんだもん……」

 

 なるほど。どうやら彼女にとっては重大な問題のようだ。男の僕には分からない悩みだ。

 

「でもさ、きっと美波みたいに悩んでる人だって多いと思うんだ。だからきっと美波にも合う服だって沢山あるんじゃないかな」

「ウチみたいに悩んでる人が多い……ホントに?」

「うん」

「どれくらい?」

「10万人に1人くらい?」

 

 ミシッと首が鳴った。頬に重たい拳をもらったようだ。

 

「この町に1人ってことじゃないの! つまりウチだけってことじゃない! アキのバカっ!」

「ご、ごごごめん! 間違えた! 1万人に1人だった!」

「アンタは~っ……!」

 

 あれ? もしかしてフォローになってない?

 

「ハァ……やめたわ。なんだかバカらしくなってきちゃった。そもそもウチの悩みは今始まったことじゃないし。アンタのバカもね」

 

 肩を落として大きく溜め息を吐く美波。許してくれた、というより諦めたのかな。これ以上は何も言わない方が良さそうだ。更にボロが出そうだし。

 

「……でもやっぱり素敵ね」

「ん? 何が?」

「決まってるじゃない。あのウェディングドレスよ」

「ふ~ん……美波はああいうのがいいんだ」

「ウチだけじゃないわ。あんなドレスを着るのは女の子みんなの夢なんだからね」

「へぇ、そうなのか」

 

 ということは姫路さんや霧島さんも同じような夢を持ってるってことか。そういえば霧島さんのウェディングドレス姿は一度見てたっけ。凄く綺麗だったなぁ。

 

 ……

 

 きっと美波が着たら、もっと綺麗なんだろうな……。

 

 結婚式か……。

 

 

 ―― 人生ってのは何があるか分からないんだ ――

 

 

 この時、僕の脳裏にはウォーレンさんの言葉が蘇ってきた。美波との未来を考えた時のことだった。

 

 僕たちは目的である2つの腕輪の入手に成功した。他の皆もきっと残りの腕輪を見つけてくる。僕はそう信じてる。

 

 けど……。

 

 白金の腕輪があれば元の世界に帰れるというのは雄二の推測でしかない。確かにあいつの理論には説得力があった。でもこの理論が正しいとは限らない。腕輪を集めても帰れない可能性だってあり得る。

 

 もし白金の腕輪が帰るための鍵でなかったら、もう帰る手段は思いつかない。そうなったら僕たちはこの世界で暮らして行くしかないのだろう。ゲームやテレビはおろか、電気さえ無いこの世界で。魔獣や魔人という脅威の存在するこの世界で。

 

「あっ! ブーケトスよ! ちょっと行ってくる!」

 

 そう言って美波はササッと人垣の中に潜り込んでいってしまった。そんな彼女を見届けながら、僕は考えた。

 

 もし、雄二の理論が……ここが召喚フィールドで作られた世界だという理論が間違っていたとしたら。もう二度と元の世界に帰れないとしたら。もしそうなったら……僕は……この世界で美波と……?

 

「見て見てアキっ! ブーケもらっちゃった!」

 

 真剣に考えている僕とは対照的に女の子全開の美波。でもこんな笑顔を見せてくれる美波が僕は好きだ。

 

「あの……さ、美波」

「え? なぁに?」

「ひとつ聞いておきたいことがあるんだ」

「どうしたのよ改まって」

 

 人生というのは何があるのか分からない。まったくもってその通りだ。あの魔人だって恐らくまだ僕のことを諦めていない。だから……もしもの時、後悔しないために。

 

「もしも、もしもだよ?」

「? うん」

「もしもアテが外れて元の世界に――」

 

 …………いや。やめよう。

 

「やっぱりなんでもない」

 

 僕は何を弱気になっていたんだろう。こんな楽しいお祭りの場で。こんな後ろ向きな考え方ではダメだ。

 

「なによ。気になるじゃない。言いなさいよ」

 

 美波は目を細め、(いぶか)しげな視線をこちらに向ける。僕が言いかけたことを気にしているようだ。彼女がこういう顔をする時に変に誤魔化すと余計面倒なことになる。でも弱気なことを言って楽しんでいる今を台無しにしたくはない。そうだな……よし、ならばこうだ。

 

「絶対に元の世界に帰ろう! お父さんやお母さん、それに葉月ちゃんも待ってるから!」

「? それが言いたかったことなの?」

「そうだよ」

「ふぅん……そうなんだ」

 

 花のブーケを手に、ジロジロと僕の顔を見つめる美波。この目は僕が嘘を言っているのか見破ろうとしている目だ。でも大丈夫。僕は本気だ。

 

「そうね。でも帰るのは皆も一緒よ。瑞希も翔子も。坂本や木下、土屋もね」

「うん。もちろんさ」

 

 そうさ、僕らの目的に”もしも”は無いんだ。絶対に元の世界に帰るんだ。美波との未来は元の世界に帰って実現すべきなんだ。

 

 

 僕は心にそう刻み込んだ。

 



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第六十話 奇妙な出会い

 結婚式の観覧を終えた僕たちは再び祭りの催し物に興じた。この世界でのお祭りは僕らの世界のものとそれほど変わりはなかった。

 

 複数人でダンスを披露する人たち。ジャグリングのような大道芸を披露する人たち。力自慢が主催する腕相撲大会。弓を使っての射的屋なんかもあった。もちろん食べ物を売る店も多数並んでいる。祭りは(とど)まるところを知らず、昼を過ぎても勢いは衰えるどころか増すばかり。

 

 空を見れば、太陽はもう頭上を通り越していた。もうランチタイムは過ぎているようだ。でも昼食は不要だ。なぜならここは祭りの会場。食べるものならいつも以上に沢山売っている。そしていつもは買い食いを許さない美波が「今日だけは」と許してくれた。おかげで僕は美味しい祭りを存分に味わっている。でも今日一番の目的はこうして食べ歩くことじゃない。メインイベントはこれからなのだ。

 

(……まだ大丈夫だな……)

 

「何か時間を気にすることでもあるの?」

 

 懐中時計で時間を確認していると、美波が覗き込んできた。

 

 この世界の住民は皆健康的だ。夜明けと共に目を覚まし、日が沈むと眠りにつく。そんな生活がこの世界での常識だった。おかげで僕もほとんど時計を見ることがなくなっていた。だから美波も不思議に思ったのだろう。

 

「うん。ちょっとね」

「何があるの?」

「んー。後のお楽しみ、かな」

「なによ。もったいぶらずに言いなさいよ」

「へへっ、今は言えないよ」

「ふ~ん……そう。ウチに隠し事をするなんていい度胸じゃない」

 

 なんとなく殺気を感じた。

 

「言いなさいっ!」

 

 やはり美波が掴みかかってきた。だがそんなものはお見通しさ。僕は身を屈め、美波の手をスルリとかわしてみせた。

 

「へっへ~ん。そう簡単には捕まらないよ」

「む~っ! なによっ! アキのくせに生意気よ! もう許さないんだから!」

 

 目を吊り上げてキッと睨む美波。彼女は腕を振り上げて今度は殴り掛かってきた。どうやら本気で怒らせてしまったようだ。

 

「うわわっ!」

 

 あまりの剣幕に僕は条件反射的に走り出してしまった。こりゃちょっと調子に乗り過ぎたかな?

 

「待ちなさいアキ! 本当の事を言いなさい!」

「だ、だから今は言えないんだってば!」

「今言うのもあとで言うのも一緒よ!」

「それを言うならさっきのバツゲームの内容だって言うべきじゃないか!」

「あれはいいの! 楽しみは後にとっておくんだから!」

「僕だって同じだよ! っていうか楽しみなのは美波だけじゃないか!」

「いいから言いなさ~いっ!」

「い、嫌だぁぁーーっ!」

 

 言い合いをしながら混雑の中で追いかけっこをする僕と美波。この時、走りながら”ちょっと危ないかも”とは思っていた。でもこの感覚――美波に追われるという、久しぶりの感覚に僕の心は高揚していた。

 

 僕らは1年生の頃からこうして一緒に遊んできた。これからもこうして一緒にバカをやって遊んでいたい。3年生になっても……高校を卒業しても……ずっと。

 

「こらぁ~っ! 待ちなさ~いっ!」

「へへっ! 待てと言われて待つバカはいないよ!」

 

 楽しかった。こんなわけの分からない世界に来てしまったけど、ここには美波がいる。こうして一緒に楽しく生活できるのなら、ここがどこだろうと構わない。そんなことを考えながら逃げていたためか、僕の警戒心はかなり薄らいでいた。

 

 すると……。

 

 ――ガチンッ!

 

 僕はついに……というか、やはり通行人にぶつかってしまった。

 

「っててぇ~……」

 

 頭のてっぺんがジンジンと痛む。まるで鉄人にゲンコツを貰った時のようだ。この感覚からして、誰かの顎に思いっきり頭突きをしてしまったのだろう。僕の頭がこれだけ痛いのだから相手はもっと痛かったはず。

 

「す、すみません! 大丈夫ですか!?」

 

 すぐさま起き上がり、僕は謝罪の言葉をかける。すると目の前でパーマ頭の男が仰向けに倒れているのが見えた。気を失っているのか? やってしまった……と、とにかく相手を起こして謝らないと!

 

「ハァ、ハァ、ハァ……お、追いついたわよ。さぁアキ! 観念しなさい!」

「ご、ごめん美波。それどころじゃなくなっちゃったんだ。手を貸してよ」

「誤魔化そうったってダメよ!」

「いやそうじゃなくてさ。これを見てよ」

「誰? それ」

「さぁ?」

 

 まったくの見ず知らず。僕にこんなパーマ頭の知り合いはいない。

 

「さぁ? じゃないわよ! ウチをバカにしてるの!?」

「違う違う! そうじゃなくて! 実はこの人とぶつかってこんなことになっちゃってさ!」

「えっ!? これアンタがやったの!? 大変! 救急車呼ばなくちゃ!」

 

 この世界にそんなものがあるわけがない。

 

「お、落ち着いてよ美波。とりあえずこの人をそこのベンチまで運びたいんだ。手伝ってよ」

 

 と美波に頼んだ直後、周囲がざわめいた。ベンチまで運ぶってことがそんなに意外なことなんだろうか? と疑問に思っていると、

 

「いったぁーーーーい!!」

 

 突然男性の金切り声が鼓膜に響いた。

 

「痛い! 痛い! 痛ぁぁーーいっ!!」

 

 目の前ではパーマ頭の男が両手を頬に当てて悲鳴をあげている。そうか、周りの人がザワついたのはこの人が起き上がったからか。無事でよかった……ってそうだ、とにかく謝らないと。

 

「ご、ごめんなさい。よく前を見ていなくて……怪我はありませんか?」

「キィーッ! 痛いわ! 痛いわのヨサ!」

「えと、あの……」

「キィィーッ! 痛い! 痛いのヨーッ!!」

 

 僕の声が聞こえてないんだろうか。それにしてもなんだか変な言葉遣いの人だな……。

 

「むキィーッ!!」

「う、うわわっ!?」

 

 パーマ頭の男は奇声をあげながら突然僕に向かって突進してきた。どう見ても怒っている。身の危険を感じた僕は咄嗟(とっさ)に逃げ出した。

 

「えっ!? ちょっとアキ!?」

 

 僕は美波を盾にするようにして身を隠す。

 

「キィィーッ!」

 

 すると男は回り込んで僕を追ってきた。や、ヤバイっ!

 

「うわわわっ!?」

 

 今度は美波の前に回り込んで男の追跡を逃れる僕。しかしパーマ頭の男の追跡は終わらなかった。更に回り込んで僕を追いかけてきたのだ。

 

「う、うわぁーっ!」

「キィーッ! イィーッ! キェェェーッ!」

「わーっ! ぎゃーっ! わぁぁーーっ!」

「キリリリイェァァーーッッ!!」

「わーっ! わーっ! ぎゃぁーっ!」

 

 男はわけの分からない叫びをあげながら僕を追い回す。追われる僕は捕まるまいと必死に逃げる。僕たちは美波を中心にぐるぐると回り、奇妙な追いかけっこを展開した。

 

「あ……アンタらねぇ……」

 

 目が回りはじめたな、と思いはじめた時、美波が拳を握っている姿が見えた。そして、

 

「いいかげんにしなさいっ!!」

 

 ――ゴ、ゴンッ

 

 美波の怒鳴り声が聞こえ、目から火花が散った。

 

「「いっててて!」」

 

 脳天に拳を受け、逃走を止めて頭を押える僕。隣では謎のパーマ男も同じように頭を抱えて痛がっていた。

 

「な、何すんだよ美波ぃ……」

「バカなことやってんじゃないわよ! 恥ずかしいでしょ!」

「だ、だってこの人が追ってくるから……」

「だってじゃないっ! それからアンタも変な声で叫ばない!」

「ホェ? ミー?」

「そう! アンタ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ美波、その人は――」

「分かったら返事は!!」

 

「「は、はいっ!」」

 

 なぜか見ず知らずの男と一緒に叱られる僕。やっぱり美波に叱られると凄く悪いことをした気になってくる。

 

 ……

 

 って。

 

「忘れてた! すみません突然頭突きをかましてしまって! 顎、大丈夫ですか?」

 

 慌てて謝罪をすると、男は頭を(さす)りながらキョトンとした顔をしていた。

 

「あぁ、大丈夫ヨ。むしろソッチの子のゲンコツの方が痛かったネ」

「っ……そ、そうですか……」

 

 あれ? 怒ってないの……? じゃあなんでさっきはあんなに追いかけてきたんだろう?

 

「デモおかげでパニクった頭がスッキリしたヨ。ありがとネ。ミセス」

 

 片言の日本語を喋るパーマ頭の男がキラリと出っ歯を輝かせる。頭突きを食らった上に殴られたのに笑って許すというのか? なんて心の広い人なんだ…………ん? よく見るとこの人、この世界ではあまり見ない格好をしているな。

 

 逆三角形を2つ繋げたような大きな眼鏡。頭は短めの黒い髪をくるくると巻いたパーマヘアー。服装は白いシャツに赤い蝶ネクタイ。それにピンク色のジャケットに白いスラックス。なんともハデな格好だ。そして最も特徴的なのは、口を閉じていても隠れない大きな出っ歯。

 

 どう見ても日本人だった。それだけに口調とのギャップが激しい。

 

「いえ、あの……こちらこそすみませんでした。アキがあんまりバカなことをするもんだから……」

「え。僕のせいなの?」

「決まってるじゃない。アンタが逃げるからいけないのよ? だからちゃんと謝りなさい」

「う……」

 

 責任転嫁されたような気もするけど、間違ってはいない。調子に乗ってこんな人混みの中を走って頭突きをブチ当ててしまったのだから、謝るのは当然の責務だ。

 

「そうだね。美波の言う通りだね」

 

 僕はパーマ頭の男の人に向き直り、姿勢を正して頭を下げた。

 

「ごめ――」

「オーゥ!! ミラクゥーールルルゥゥーッ!!」

 

 !?

 

 頭を下げた瞬間、目の前のパーマ男が突然大声で叫んだ。この奇声に周囲の人たちの視線が一斉に集まる。この奇妙なパーマ頭の男……というより僕たち3人に。

 

「ちょっ、えっ? 何? ミラ……何だって?」

「なんという奇跡!! これぞ神の(おぼ)()しネ! ミーの首は繋がったのヨ!!」

 

 男は両手を広げ、天を仰いでわけの分からないことを口走っている。なんだか関わっちゃいけない人な気がする。ここはさらっと謝って早々に立ち去る方が良さそうだ。

 

「へいユー! チミこそミーの捜し求めていた人ネ!!」

「んなっ!?」

 

 この変な人はいきなり手を握ってきた。

 

「えっ!? ウチ!?」

 

 それも美波の。

 

「そうヨ! 無駄ナ脂肪の無いスラリとした手足! 凹凸の無いボディライン! ユーこそ――ぶべっ!!」

 

 いつもの美波ならこんな風に殴り飛ばしていただろう。でも今この不審な男の頬にめり込んでいるのは僕の拳だ。

 

「美波にいきなり何をするんだ!」

 

 僕の頭は沸騰していた。まるで瞬間湯沸かし器で沸かしたかのように。理由はもちろん突然美波の手を握られたからだ。見ず知らずの、それもおかしな言動をする男に大切な彼女の手を握られたんだ。腹が立たない方がおかしい。

 

「そ、それはコッチの台詞ネ……」

 

 男が頬を押さえながら崩れ落ちる。その隙に僕は美波を取り返し、後ろに(かくま)った。

 

「美波! 大丈夫か!?」

「えっ? う、うん」

「おいあんた! どういうつもりだ! 美波に手を出したりしたら絶対に許さないからな!!」

 

 とりあえず今は手を握られただけのようだ。何かされるまえにさっさと退散しよう。

 

「行こう美波」

「え? でも……」

「いいから行くよ!」

 

 また変なことをされたら堪らない。僕は多少強引に美波の手を引いた。すると、

 

「ちょっと待つネ!」

 

 男がガバッと起き上がってきて、僕らの前に立ちはだかった。しつこい奴だ。いっそ召喚獣を使ってぶっとばしてやろうか。そんなことを考え始めた時、目の前の男は意外な行動に出た。

 

「お願いネ! このトオリ! ミーに手を貸してほしいネ!」

 

 パーマで出っ歯の男は地面に両膝を突き、更に両手をも地面に突いた。一般的にこの行動は土下座という。彼はモシャモシャの頭を僕らに向け、大衆の前でひれ伏す。この人、もしかして本気で困っているのか?

 

 ……いやいや。騙されちゃいけない。きっとこうやってこちらを油断させる作戦なんだ。そうだ、そうに違いない。よし、やはりさっさと退散しよう。

 

「悪いけど他を当たってください。さ、行こう美波」

「ちょっと待ってアキ。この人、本当に困ってるみたいよ? 話くらい聞いてあげてもいいんじゃない?」

「いや、でも……」

「いいじゃない。話を聞くだけなら」

「う~ん……まぁ、美波がそう言うのなら……」

「ホントに!? 感謝感謝ヨ! ありがとネ!」

 

 男は立ち上がり、僕の手を握ってぶんぶんと上下に振っている。変な話に巻き込まれなきゃいいんだけど……。

 



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第六十一話 僕と美波とファッションショー

 僕たちは近くの喫茶店に入り、パーマ頭の男の話を聞くことにした。とりあえずジュースを頼んで席に着く僕たち。すると男は(せき)を切ったようにペラペラと早口で事情を話し出した。

 

 彼の名はマクレガー。様々なイベントの司会を請け負う仕事をしているらしい。つまりフリーアナウンサーのようなものだろう。ただ、この人は司会だけでなく、出演者の調整なども一手に受けているそうだ。司会兼プロデューサーといったところだろうか。

 

 彼はこのハルニア祭でレスター新作発表会の司会を請け負ったと興奮気味に言う。レスターとはこの世界で知らない人はいないくらいに有名なファッションデザイナーだそうだ。そして今日はそのレスターという人の新作20作を発表する大事な日らしい。

 

 今回彼が助けを求めてきたのは、この出演者に関する問題だった。なんでもイベントの最後を飾るステージの出演者が急病で出られなくなってしまったらしいのだ。しかし今さら発表会を中止にするわけにもいかない。かといって他に最終ステージの衣装を着られる者は出演者の中にはいない。そもそも着付けに時間が掛かるので、他の者が着替えていたのでは間に合わないのだという。

 

 大弱りの彼はなんとかして代わりの出演者を見つけ出そうと、祭りの中を必死に探した。そこでハチ合わせした僕らを見て「ビビッと来た」と彼は言うのだ。

 

「なるほど。つまり美波にそのモデルになってほしいってことですか?」

Exactly(そのとおり)!! ユーはあの衣装にピッタリの人ネ! ユーほどの適任者は他にいないネ!!」

 

 バンと机を両手で叩き、身を乗り出して熱弁するマクレガーさん。ホントにテンションの高い人だな。

 

「でもウチみたいな体型に似合う衣装なんて無いと思うんですけど……」

「no! そんなコトないヨ! ユーは千年に一度の逸材ネ! ミーが保証するネ!」

「そ、そうですか? ウチそんなこと言われたの初めてなんですけど……」

「oh! ミンナ見る目がナイネ! コンナ逸材を見逃すナンテ信じられないヨ!」

「え~っ? そんなぁ~っ ねぇアキどうしよっ ウチ褒められちゃったっ」

 

 両手を頬に当ててイヤンイヤンと首を振る美波。彼女のこんな仕草を見るのは初めてだ。なるほど。こんな風に褒めれば美波は喜ぶのか。よし、ここはひとつ、もっと褒めるように仕向けてやろう。

 

「マクレガーさん、美波のどんな所がモデルに適してるんですか?」

「what? ユーにはワカラナイのデスか?」

「実は僕はファッションとかあまり分からないものでして。教えてもらえませんか?」

「ヨロシイ。ナラバ教えまショウ!」

 

 彼はすっくと立ち上がり、ビシッと美波を指差すと眼鏡をキラリと輝かせた。

 

「ユーが適任者たる理由! ソレハ3つあるのヨサ!」

「その3つとは……?」

 

 ゴクリと生唾を飲み込み、僕は次の台詞を待つ。一体どんな褒め言葉を使うんだろう。言葉のレパートリーが少ない僕にとってこれはいい機会だ。ここで褒め殺しのテクニックを学ばせてもらおう。

 

「そのシナヤカな腕! カモシカのような脚線! ソシテなによりその直線的なバストゥ!!」

 

 あ。ダメだこれ。

 

 ――コキッ

 

 諦めた直後、乾いた良い音がした。

 

「ンノォォォーーーーーーウウ!!」

 

 今のは美波がマクレガーさんの腕を捻った音だ。僕も以前はあんなのをよくもらってたなぁ。なんて懐古に浸っている僕の横では黒いパーマ頭が手首を押さえながら踊っている。これは痛そうだ……。

 

「まったく、失礼しちゃうわ!」

「あ、あのさ美波」

「なによっ!」

「いやほら、その……す、少しは手加減しないと……」

「平気よ。ちょっと手首を捻っただけなんだから」

「で、でも結構痛そうだよ?」

「大丈夫よ。ちゃんと手加減してるんだから。もしアンタだったらこんなもんじゃ済まさないわ」

「っそ、そうなんだ……」

 

 これで手加減してるのか。マクレガーさんすっごく痛そうなんだけど……っていうか僕にも手加減してほしいんだけど?

 

「えっと、それでどうする美波? この話、受ける?」

「せっかくだけど断るわ」

「え……なんで? 新作の衣装を着られるなんて機会、めったに無いよ?」

「嫌よそんなの。いい晒し者じゃない」

「そうかな。これってモデルの仕事みたいなもんだし、美波にはぴったりだと思うけどな」

「えっ? そ、そう? ウチってモデルになれる?」

「うん。なれると思うよ。美波は手足が長くてモデル体型だし」

 

 ちょっと胸のボリュームが足りない気がするけどね。でもこれを言ってしまったらマクレガーさんの二の舞だ。

 

「ユーが逸材なのは間違いないネ! オ願いネ! ぜひミーのショーでトリを飾ってクダサイ!」

 

 逆三角形を繋げたような眼鏡を光らせ、マクレガーさんは真剣な声で言う。っていうかこの人復活したんだ。結構回復早いな。

 

「でも発表会って舞台に立つんですよね?」

「イェース! レスター師匠のスバラな衣装を着て舞台を歩くネ!」

「ウチそんな舞台経験したことないし……」

「ダイジョーブ! 長サ10メートルほどの道を歩いて戻ってクルだけヨ! 簡単ネ!」

「でも歩き方だってよく知らないし……」

「フリースタイルでいいのヨ! 決まった歩き方なんテ個性がモッタイないネ! 心配ナラ出場前に練習するとイイのヨサ!」

「ん~……でもやっぱり大勢の人の前に立つなんて恥ずかしいし……」

「ソレジャこっちの人と一緒に出るといいネ!」

 

 マクレガーさんが今度はキラリと出っ歯を光らせ、ピッと指差す。

 

 ――僕を。

 

「えぇっ!? ぼ、僕ぅ!?」

「アキも一緒に出ていいんですか?」

「モチロンヨ! 実は欠員は2名なのヨ! だからユーたち2人で出演してほしいネ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ。僕なんかじゃ舞台がブーイングの嵐になっちゃうよ?」

「ダイジョーゥブ! ユーにピッタリの衣装もあるネ!」

「マジで!?」

 

 かっこいいタキシードとかかな? そうかぁ……美波と一緒にタキシードで舞台かぁ……それもいいかもしれないなぁ……。

 

「ドウ? 出演してもらえマスカ??」

 

 彼はテーブルに手をついて身を乗り出し、キラキラと目を輝かせる。まるで葉月ちゃんのような純真な目をしているが、彼の容姿にはまったく似合わない。正直やめてほしいと思ったが、これほど本気だと言いづらい。

 

「ウチは……アキと一緒なら出てもいいかな」

 

 隣でモジモジしながら美波が言う。美波はオーケーなのか。なら僕は……。

 

「そ、それじゃ僕も美波と一緒なら……」

「ブラボーーゥゥ!! 2人ともアリガトーネ!!」

「いいわよねアキ」

「うん。よろしくお願いします。マクレガーさん」

「ノンノン。ミーのことはマックと呼んでほしいネ!」

「分かりましたマックさん。ウチは島田です」

「僕は吉井です」

「オッケェェイ! ソレじゃシマダにヨシイ! 早速会場に向かうネ! もう開演まで時間が無いヨ!!」

「「はいっ!」」

 

 こうして僕らはマクレガーさんの新作発表会の舞台に立つことを了承した。大丈夫。例の時間まではまだ1時間ある。移動時間を含めても十分間に合うはずだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ショーの会場は屋外だった。町の広場の一角を借り、高さ2メートルほどの舞台を設置し、その端っこに被せるようにテントが建てられた構造だった。どうやらこのテントが出演者の待機所と更衣室のようだ。今僕たちはそのテントの中に案内され、マクレガーさんから説明を受けている。

 

「えぇっ!? 僕らの出番って最後なんですか!?」

「ソウヨ。だからトリを飾って欲しいと言ったネ」

「トリってそういう意味だったんですか……」

 

 困った……まさか出番が最後だとは思わなかった。時間的にギリギリだ。ショーが延長したりしたらマズイな……。

 

「アキ? 何か予定でもあったの?」

「うん。ちょっとね」

「ウチ何も聞いてないわよ? どんな予定?」

「あっ……ううん! 無いよ! 予定なんてなんにも!」

「なによそれ。見え透いた嘘をつくんじゃないわよ」

「ホントだよ! ホントに予定なんて何にも無いよ!?」

「嘘おっしゃい! さぁ何を隠しているの! 正直に言いなさいっ!」

「うぅっ……!」

 

 ここで話してしまったらせっかくの作戦が台なしだ。なんとかして誤魔化さないと……。

 

「そんなことより早く着替えようよ! 出番の前に歩き方の練習するんだったよね!」

「う……しょうがないわね。後できっちり説明してもらうからねっ!」

「あぁ、分かってるよ」

 

 そうさ。あとでちゃんと説明するさ。

 

「これがレスター師匠とっておきの最新作ネ! 絶対に汚したらダメヨ!!」

 

 マクレガーさんが大きな布を両腕に掛けて僕たちに差し出す。そんな彼の目は逆三角形のメガネの奥でキラキラと輝いていた。

 

「そのレスターってどんな人なんですか?」

 

 美波が薄水色の衣装を受け取りながら尋ねる。それは僕も聞きたいと思っていた。何度も名前を呼んでいるし、マクレガーさんはその人を慕っているように感じたから。

 

「……トテモ気難しいヒトネ。デモ仕事に誇りを持ってるヒト。ホントは今日のショーの最後で挨拶をしてもらう予定だったノヨ。でも急用が出来てシマッタと連絡がアッテ衣装だけが届いたのヨサ」

 

 今までのテンションが嘘のように静かに語るマクレガーさん。こんなにも寂しそうな顔をするなんて、余程会いたかったんだろうな……。

 

「そうですか。それは残念ですね……」

 

 僕は少し同情しながら、彼の渡す衣装を受け取った。

 

「サァ2人トモ早く着替えるネ。ソノ衣装は着るのに20分ほど掛かるネ。急がないと出番に間に合わないヨ」

「「はいっ!」」

「それじゃ美波、また後で」

「うんっ」

 

 僕たちはそれぞれ個室の更衣室に入り、渡された衣装に着替え始めた。確かに新作衣装は着るのに時間が掛かった。というのは結構複雑な構造をしていて、着る方法がすぐには分からなかったからだ。でも着方が書かれた紙を一緒に渡されたので、なんとか1人でも着られそうだ。

 

 

 ――そして20分後。

 

 

「ねぇ見て見てアキ! このドレスすっごく可愛いと思わない!?」

 

 更衣室から出てきた美波がくるくると回りながらドレスを見せつける。

 

 薄い水色のドレス。腰の辺りからふわりと大きく広がった、地面に付きそうなくらいのロングスカート。胸元から両肩に向かってVの字に白い布を掛け、左肩に青いコサージュ。両腕には二の腕を覆うほどの長いグローブをつけ、彼女の腕の細さを強調している。

 

「うん。とってもよく似合ってるよ」

「ホント!? 嬉しいっ!」

 

 ポニーテールをピコピコと揺らし、美波が喜ぶ。そんなに喜んでくれると、こちらまで嬉しくなってきてしまう。

 

「アキも素敵よ! よく似合ってるわ!」

「う、うん……」

 

 興奮気味の美波が僕の衣装を褒める。

 

 男らしさを強調する逆三角形のジャケット。すらりと足を長く見せるようなスラックス。ジャケットに合わせた白系のネクタイ。胸元を飾るのは情熱を感じさせる真紅の薔薇。

 

 

 

 ――なんてものは無かった。

 

 

 

「っていうかさ! なんで僕までこんな衣装なの!?」

 

 純真無垢をイメージさせる純白のドレス。襟元が大きく開き、ウエストまでをキュッと締め付けるコルセットのような上半身。美波のドレスと同じように、へそのあたりから大きくふわりと広がったロングスカート。スカート全体には微細な宝石のようなものが散りばめられ、照明の光をキラキラと反射させる。

 

「これって普通にウェディングドレスじゃないか! なんで僕が女物の衣装を着なくちゃなんないのさ!」

 

 ご丁寧に胸パットまで用意されていたのが(しゃく)に障るが、それを使ってまで着てしまう自分自身にも腹が立つ!

 

「いいじゃない。とっても可愛いわよ?」

「良いわけないよ!? 僕は男なんだから! ねぇマックさん! もっとかっこいいタキシードとか無いの!?」

「no! レスター師匠は女性専用のデザイナーネ。男物なんて作らないヨ!」

「ちくしょぉぉーーっ!! なんてこったぁぁーーっ!!」

 

 と、とにかくこれを脱ごう。こんな服で舞台に上がるなんて冗談じゃない!

 

「僕ちょっと着替えてくる!」

「ダメよアキ、もう時間が無いわ」

「ユーたちの出番までアト6分ネ。ダイジョーブ。ユーたちならショーのトリに相応しいネ!」

 

 この出っ歯野郎……歯が折れるまでぶん殴ってやろうか。

 

「ほらアキ、歩き方の練習をするわよ」

「うわわっ! ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 美波が僕の手を取り、遠心力を使って振り回す。(かかと)の高いハイヒールなんかを履いているから歩き辛いったらありゃしない。

 

「上手い上手い。この調子ならまったく問題ないわね」

「問題大ありだよ! まず男の僕がドレスを着ていることに疑問を抱いてよ!」

「ウチはぜんぜん構わないわ。だってどんな格好をしていてもアキはアキだもの」

「っ……! そ、そう、かな……?」

 

 そ、そんなこと言われると……なんか嬉しくなっちゃうじゃんか……。

 

「はいワン、ツー、ワン、ツー」

「わ、ワン、ツー、ワン、ツー」

「いい調子よアキ。ワン、ツー、ワン、ツー」

「ワン、ツー、ワン、ツー」

 

 美波と手を取り合い、僕らは狭い部屋の中で回りながら踊る。うん。こうしていると悪くない気がする。

 

 ってそんなわけあるかぁーーっ!!

 

「ねぇ美波、やっぱりやめない? 僕たちみたいな素人が舞台に立つべきじゃないと思うんだ」

「マックさん、ウチらの出演は何分くらいなんですか?」

「話を聞いてよ!」

「3分間ネ」

「結構短いんですね」

「ソウ? じゃあ延長スル?」

「いえ! 3分で結構です!」

 

 僕は全力で拒否した。冗談じゃない。こんな(はずかし)めは3分でも長いくらいだ。ってそうじゃなくて!

 

「だ、だからさ、僕らなんかよりもっと適した人を――」

「サァ、シマダ! ヨシイ! そろそろ出番ネ!」

「人の話を聞けぇーーーーっ!!」

 

 なんで2人して僕を(おとし)めようとするんだ! 僕が何か悪いことしたか? そりゃ確かに顎に頭突きをしたけどさ!

 

「まずミーがユーたちを紹介するネ。ソしたら右側からシマダ、コッチ側からヨシイが出るヨ。ワカッタネ?」

「はいっ!」

 

 美波はこれ以上ないくらいの笑顔を見せている。そんなに楽しみなのか? ここまで来たらもう止めるのは無理か……。

 

「はぁ~い……」

「ヨシイ! そんな顔はダメヨ! スマイルネ!」

「わ、分かりましたよ! こうなったらもうやぶれかぶれだ! やってやるさ!!」

「そのチョーシネ。ジャ、行くわのヨサ!」

 

 マクレガーさんはニッと出っ歯の笑顔を見せると、幕から外へ出ていった。

 

 あぁもう……どうしてこんなことになっちゃったんだろう……。

 




ここでマクレガー氏の容姿について少しだけ補足します。彼はおそ松さんのキャラクター《イヤミ》を参考にしています。イヤミの髪をモジャモジャのパーマ頭にして、逆三角形のミラーグラスをかけてみてください。それがマクレガー氏のイメージです。

以上、補足でした。


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第六十二話 恥はかき捨て

『ルェディィース!! エーンド! ジェントルメェェーン! お待たせしたネ! これが本日のラストショーヨ! レスター師匠のサイコー傑作! その目にシッカリと焼きつけてクダサーイ!!』

 

『『『うぉぉぉぉーーーーっ!!』』』

 

 赤い幕の向こうから波打つような歓声が響く。や、ヤバイ……すっごいドキドキしてきた……こんな格好を誰か知り合いに見られたらどうしよう……!

 

『今日は特別ゲストでお送りスルヨ! とってもキュゥートな2人を見てやってホシイネ! ソレではシマダとヨシイ! カモォーン!!』

 

 軽快なダンス風のミュージックが会場に流れ、ざわついていた会場が一気にシンと静まり返る。あわわ……どどどどうしようっ! 心臓がバクバクいってて口から飛び出しそうだっ……!

 

(しっかりしなさいアキ! この期に及んで怖じ気づいてどうするの!)

 

 向かいのカーテンの陰から美波が小声で声を掛けてくる。薄水色のドレスに身を包んだ彼女はとても落ち着いた様子を見せていた。相変わらず美波は度胸があるな……よ、よぉし! 僕だって……!

 

(よ、よし! それじゃ行くよ美波!)

(えぇ!)

 

 意を決した僕はハイヒールのかかとで床を蹴り、舞台に躍り出た。

 

 ……つもりだった。

 

 

「んべっ!」

 

 

 突然何かに引っ張られ、格好悪くずっコケた僕。顔面から床に突っ込み、したたかに鼻を打ち付けてしまった。

 

「っっ……くぅ~っ……!」

 

 鼻の頭にツーンとする痛みが走る。どうやら長いスカートにヒールが引っ掛かって足を取られてしまったようだ。まずい! 早く立ち上がらないと……! 焦る僕。しかし慣れない靴やスカートのせいでうまく立ち上がれない。そうしているうちに会場から「わはは」「あはは」と笑い声が出始める。

 

 うわぁぁーーっ! は、恥ずかしいぃーーっ!

 

「何やってんのよっ!」

 

 すかさず美波が僕の腕を引っ張り、強引に起き上がらせる。

 

「ほら両手出して!」

 

 言われるがまま、僕は手を差し出す。すると美波は僕の両手を掴み、ぐぃっと振り回した。

 

「うわっとっとっ!」

 

 咄嗟に足を運んでバランスを取る僕。緊張と恥ずかしさでガチガチになっている上に、ハイヒールなんて慣れない物を履いているので歩きにくいこと、この上ない。

 

(いい? ウチの真似をして歩くのよ)

 

 目の前で美波がいつもの吊り目でじっと僕を見据え、囁く。どうしてこんな大勢の前でそんなに平然としていられるんだろう……この時、僕は彼女の心の強さを垣間見た気がした。

 

 するとどうだろう。今まであんなにガチガチに固まっていた僕の体が動くようになったのだ。自分が女物のドレスを着ていることさえ恥ずかしくなくなってきた。今ならやれる。大勢の観客だって怖くない。そんな気がした。

 

(分かったよ美波。僕を導いてくれ)

(任せてっ)

 

 そう返事をした彼女は軽くウインクをし、僕の手を放した。もう足は震えていない。僕は美波のポーズの真似をしながら舞台を歩き始めた。

 

『アクスデントがあったみたいダケド問題ナッシングネ! デハご紹介シマース!』

 

 幅2メートルほどの舞台は真っ直ぐ観客席に向かって伸びている。観客は全員立ち見で超満員。レスター師匠と呼ばれる人の人気が伺える。

 

 舞台は観客席より高い。そのため観客全員が首を上に向け、舞台を見上げる格好になっていた。そんな観客らの視線を一身に浴びながら、美波はゆっくりと、そして堂々と歩いて行く。

 

『まずはレスター師匠渾身の作品! 水の妖精をモチーフにしたドレス! 題して”ダンシング・フェアリー”ネ!』

 

『『『おおぉ~~……』』』

 

 マクレガーさんの紹介と共に会場がどよめき、拍手が巻き起こる。踊る妖精(ダンシング・フェアリー)とはよく言ったものだ。目の前を歩く美波のドレスはウエストの位置に巨大なリボンを備えている。それは彼女が歩を進める度にふわふわと揺れ、まるで妖精が羽ばたいているように見える。まさに踊る妖精だ。

 

『妖精に扮するは今回の特別ゲスト! シマダ・ミ・ナーミ!』

 

 美波は手を振りながら笑顔を振り撒き 、ゆっくりと舞台を歩いて行く。すると観客席からは再び大きな拍手が巻き起こった。こんなにも注目を浴びているというのに、彼女は雰囲気にのまれていないようだ。

 

『ソシテこれが本日最後の作品! 女性ナラ一度は着てみたいと誰もが憧れるコノ作品! ウェディングドレス、題して”ホワイト・エンジェル”!』

 

 ついに僕の着ているドレスが紹介され、観客の視線が一斉にこちらに向いた。観客全員の視線が全身に突き刺さる。

 

 けれど僕は気にならなかった。いや。気にしている余裕が無かったというのが正しい。このハイヒールは”かかと”が棒のように細く、足を踏ん張ってもグラグラしてしまう。もう転んで笑い者になるのは御免だ。そう思って、とにかく歩くことに集中していたから。

 

(なぁ、あの黄色いリボンの子、可愛くね?)

(あぁ。元気そうな感じがいいよな)

(あんな子を彼女にしてぇなぁ)

(俺はどちらかというとあっちのショートカットの子の方が好みだな)

(なんだ? お前はドジッ子が好みか)

(ああいう子を見てると守ってあげたくなっちまうんだよな。それに化粧もしてねぇみてぇだし、素朴な感じがいいよなぁ)

(あー分かるわ。けどドジっ子も程度によるよな)

(いいんだよ! 俺の趣味にケチつけんな!)

 

 会場の最前列からそんな話し声が聞こえてくる。一番前の男2人の会話のようだ。悪いけど美波の彼氏の座を譲るつもりは無い。それと僕は男に守ってもらいたくなどない。というか、さっき転んだのは僕がドジだからじゃないんだからね!

 

『天使に扮するはモウ一人の特別ゲスト! ヨシイ・アッキーナ!』

 

 ちょっと待てぇっ! 誰がアッキーナだ!!

 

(ほらアキ! 笑顔よ笑顔!)

(くうっ……!)

 

 確かに今ここであの出っ歯野郎をぶん殴りに行ったらショーが台無しだ。そうなったら美波にも不快な思いをさせてしまうだろう。とにかくこの数分のショーを終わらせるしかない。

 

 それにしても僕のことを知っている人がいない世界で良かった。知り合いにこんな姿を見られたら僕はもうお婿に行けないよ……。

 

『2人トモ、お客様にレスター師匠のグゥレイトな作品をよく見せてあげてホシイネ!』

 

 マクレガーさんが大声で僕らに声を掛ける。すると美波は片手を腰に当て、舞台の先端でくるりとターンしてみせた。まるで本物のモデルのようだった。なるほど。ああやって一回転して見せるのか。あの真似をすればいいんだな。

 

「うわわっ……!」

 

 僕も真似をしてくるりと回ろうとしたものの、やはり上手く行かなかった。またもスカートにヒールを引っ掻け、転びそうになってしまったのだ。でも今回はさっきのようにみっともなく転ばずに済んだようだ。美波が僕の手を掴んでくれたからだ。おかげで僕は体勢を立て直すことができたのだ。

 

(ありがとう美波。助かった)

(ふふっ……ホント不器用ね。アンタって)

(わ、悪かったね!)

(別に悪くなんかないわよ? だってそれがアキなんだから)

 

 褒められているのかバカにされているのか。どっちなんだ。

 

(さぁアキ、もうひと頑張りよ)

 

 そう言うと美波はくるりとターンしながら僕の横へと移動。ビシッとポーズを決めて静止した。

 

(ほら、次はアンタの番よ。もう一回やってみて)

(う、うん。やってみる)

 

 僕は一歩前に出ると両腕を広げ、右足に体重を乗せる。そして思い切って左足を振り回し、くるりとターン。硬いヒールがタタンと地面を鳴らす。おぉ、今度はうまくいった。決めポーズもビシッと決まったぞ。

 

『『『おおぉ~~!!』』』

 

 すると観客たちは感嘆の声をあげ、拍手で僕たちを称えてくれた。

 

『2人は諸事情にヨリ急遽来てもらったピンチヒッターネ! 妖精のシマダと天使のヨシイに感謝を込めて、モウイチド盛大な拍手をお願いシマァーース!!』

 

 パチパチパチと会場全体から盛大な拍手が贈られる。それを受けて美波は僕の左手を取り、ドレスの端を持ち上げて礼をする。こんな時に僕が棒立ちなのはおかしい。僕も同じように右手で軽くドレスを持ち上げ、観客に向かってお辞儀をした。

 

『シマダにヨシイ! アリガトーネ! 観客の皆サンもアリガトーネ!!』

 

 こうして僕らの出番は終わった。

 

 ほんの数分間の出演だったけど、僕にとっては色々な意味で記憶に残る数分間であった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 僕たちは舞台脇の幕に入り、楽屋に戻ってきた。

 

「ん~っ……! はぁ~……緊張したぁ~っ」

 

 ぐーっと背伸びをし、大きく息を吐いて美波が言う。先程の堂々たる歩みのどこが緊張していたのだろう。僕なんか今でも足がガクガクと震えているというのに。

 

「でもすっごく貴重な経験ができたわね。アキはどうだった?」

「とりあえず一刻も早くこの服を脱ぎたいかな」

 

 今更だけど、僕はあんなにも大勢の人にウェディングドレス姿を披露してしまったんだな。なんて恥ずかしい真似をしてしまったんだ……もしムッツリーニに見られていたら大変なことになっていただろう。あいつがサラス王国に行ってくれて良かったよ……。

 

「しばらくそのままの格好でいたら? せっかく可愛いんだし。それにこんな機会なんてもう二度と無いわよ?」

「もし二度目があったら僕はもう社会で生きていけないよ……」

「そうしたらウチがお嫁に貰ってあげるわよ」

「そこはお婿じゃないの!?」

「どっちだっていいじゃない。ふふ……」

 

 水の妖精の美波が楽しそうに笑みを浮かべる。僕にとっては切実な問題なんだけどな……。

 

 ――っ!?

 

「し、しまった!!」

 

 脇のワゴンに置かれた時計を見て、僕は仰天した。時計の短針は右下を。長針は真っ直ぐ上を指していた。つまり今の時刻は午後4時。

 

「どうしたのアキ? 何が”しまった”なの?」

「説明してる時間なんて無いよ! とにかく行こう!」

「えっ? 何? きゃっ!」

 

 僕は美波の手をガッと掴み、慌てて楽屋を飛び出した。まさかこの楽屋に来てから1時間も経っているとは思わなかった。もう約束の時間が過ぎてしまっている。着替えている暇は無い!

 

「ちょ、ちょっとアキ! そんなに引っ張らないでよ! このドレス走りにくいんだから!」

「ごめん! ちょっと黙ってて! 僕も走り辛い!」

 

 左手でロングスカートを持ち上げ、右手で美波の手を握って僕は全力で走る。町中を歩く人は1時間前よりは減っていた。そのせいもあってか、僕と美波のドレス姿での疾走はかなり目立つようだった。右や左に通り過ぎる人々の視線は、必ずと言っていいほど僕らに向いていた。

 

「待ちなさいよアキ! 一体何だって言うのよ!」

「約束の時間が過ぎてるんだ!」

「約束? 何の?」

「とにかく行けば分かるよ!」

「もう! 何なのよ!」

 

 僕は美波を連れて町中を走り続ける。懐中時計を置いてきてしまったので今の時刻は分からない。この世界に来てから時間を気にすることがなくなって、時計を見なくなってしまったからな。失敗した……いや、反省するのは後だ。今はとにかくあの人が帰ってしまう前に約束の場所に行かなくては!

 



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第六十三話 あの人との約束

 町中を5分ほど走っただろうか。中央通りの先に天を刺すように吹き上げている噴水が見えてきた。最初にジャズバンドの演奏会を見た所。あれがあの人との約束の場所だ。

 

「い、居たっ! 急ぐよ美波!」

「えっ!? あ、あれってまさか……!」

 

 約束の人はそこにいた。黒いロングスカートのメイド服。高い身長に、大きなお腹と胸。ふくよかな身体つきの彼女の名は――――

 

「ジェシカさーん!」

 

 僕は呼びかけながら走る。彼女の名はジェシカさん。このハルニア王国の西の都『ガラムバーグ』でメイド長をやっているおばさんだ。彼女はこの世界に迷い込んだ美波を救ってくれた恩人なのだ。

 

「あぁ、ヨシ――っ!?」

 

 ジェシカさんは片手を上げてこちらを見ると、表情を強ばらせて固まった。なんだか分からないけど、とにかく急がなくちゃ。僕は美波の手を引きながら彼女の元へと駆け寄った。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……す、すみませんジェシカさん。遅れてしまって……」

「いや、えーと……なんだ。アンタ、ヨシイなのかい?」

「ふぇ? 何を言ってるんですか。昨日会ったばかりじゃないですか。もう忘れちゃったんですか?」

「アタシが昨日会ったのはそんな可愛らしいお嫁さんじゃないんだがねぇ」

「お嫁さん……?」

 

 ハッ!

 

「こここれには深~いワケがありまして! べ、べべ別に趣味でやってるわけじゃないですからね!?」

 

 そういえば白のウェディングドレスのまま来ちゃったんだった。なんてことだ……知り合いに恥ずかしい姿を見られてしまった……。

 

「ど、どうしてジェシカさんがこんなところにいるんですか!?」

 

 がっくりと肩を落とす僕の横では水色ドレスの美波が目を丸くして驚いている。そう、この驚く表情が見たかったんだ。でも今は嬉しさよりもドレス姿を見られてしまった恥ずかしさの方が圧倒的に上回っている。

 

「久しぶりだねシマダ。元気にしてたかい?」

「ジェシカ……さん……」

 

 美波の声は上ずっていた。見れば彼女は目を細め、指で目尻を拭っていた。

 

「こらこら、久しぶりに会ったってのに泣く子があるかい」

「だ、だって……」

 

 すすり泣く美波。けれどそれは悲しみの涙ではない。喜びの涙なのだ。

 

「ヨシイから聞いたよ。ずいぶん心配をかけたみたいだね」

「……ううん。そんなことないです! ジェシカさんなら大丈夫って信じてましたからっ!」

「まったく、アンタって子は……相変わらず強がりだねぇ」

「それがウチの取り柄ですから」

「アハハッ! そうだったね。でも元気そうで何よりだよ」

「はいっ! おかげさまで!」

「ところでシマダ。その格好はどうしたんだい?」

「あっ、これですか? どうです? 似合います?」

「あぁ、とってもよく似合ってるよ。アンタにぴったりじゃないか」

「ホントですか!? ありがとうございますっ! 実はちょっと事情がありまして、レスターって人の新作衣装発表会のモデルになったんです」

「レスターだって!? そりゃ凄いじゃないか!」

「そうなんですか?」

「当たり前だよ。レスターといえば世界的に有名なデザイナーさ。あの人の新作衣装のモデルなんていったらアタシら女性の憧れの的さ」

「そうだったんですか……だそうよアキ。貴重な経験ができて良かったわね」

「ふぇ?」

 

 突然話題を振られた僕は間抜けな声を出してしまった。しかも純白のウェディングドレス姿で。穴があったら入りたい気分だ。いや、むしろ穴を掘ってでも隠れたい……。

 

「あぁ、そういうことかい。それでヨシイまでそんな格好をしてるんだね」

「いや……その……み、見ないでっ!」

 

 なぜこんなことになってしまったんだろう……予定外もいいところだ。こんなことなら美波をからかったりするんじゃなかった……。

 

「それでシマダ、自分の世界には帰れそうなのかい?」

「それはまだ分からないんですけど、鍵になりそうなものを手に入れました」

「ほ~? 何だい? その鍵ってのは」

「えっと、楽屋に置いて来ちゃったんですけど、白金の腕輪って言って次元の壁を撃ち破れるかもしれない物なんです」

「シロガネ? ジゲン? う~ん……なんだか難しくてアタシにはよく分からないね。でも期待はできそうってことなんだね?」

「はいっ!」

「そうかい。なら良かった。それにしてもアンタ、少し(たくま)しくなったね」

「えっ? ウチがですか?」

「あぁそうさ。ミロードの町でアンタを拾った時は泣いてばかりいたのにねぇ」

「そ、それは言わないでくださいよジェシカさんっ」

「いいじゃないか。褒めてるんだよ。アハハッ!」

「そういえばあれから王子様の様子はどうですか?」

「殿下かい? 実はあの後レナード陛下が家庭教師を送ってきてね。その人が付きっきりで教育することになったのさ」

「へぇ~、そうなんですか」

「とっても厳しい人でね。おかげであのやんちゃ坊主もすっかり大人しくなっちまったよ」

「じゃあもう戦争なんてしないですよね?」

「あぁもちろんさ。あんな馬鹿な真似はもう二度とさせやしないよ」

「そうですか。良かったぁ……メイド仲間の皆はどうしてますか?」

「気になるのかい? まずアンジェリカなんだけど、アンタのことを凄く心配してたよ。まぁアンタの教育係をやらせてたから無理もないけどね」

「アンジェリカ先輩……」

「帰ったら無事だってちゃんと伝えておくよ。それからリサはね――――」

 

 ジェシカさんと美波は話し込み始めてしまった。僕は完全に蚊屋(かや)の外だ。けれど寂しいとは思わなかった。なぜならこの待ち合わせはもともと美波とジェシカさんを会わせるためのものだったから。

 

 ガルバランド王国にて雄二たちと合流後、僕たちはここハルニア王国に戻ってきた。それからというもの、美波はしきりにジェシカさんのことを気にしているようだった。あれだけ話題にされればいくら鈍感な僕でも気付く。

 

 けれど美波は決して「会いたい」とは言わなかった。きっと腕輪の入手を最優先と考え、自分の想いを押し殺してきたんだと思う。それは僕も気になっていたのだけど、腕輪の入手が最優先なのは事実。だから昨日までどうすることもできなかった。

 

 それが昨日、偶然にもこの町でジェシカさんと遭遇した。夕食の買い物に出た時のことだった。本当に凄い偶然だった。まさかサンドイッチ屋での隣の客がジェシカさんだったとは夢にも思わなかった。

 

 この時、僕たちは既に目的である2つの腕輪の入手を果たしていた。そして集合時間まではまだ日数がある。もう美波も我慢する必要はないはずだ。そこで僕は「美波に会ってほしい」とジェシカさんに願い出た。けれどジェシカさんは仕事の途中だったらしく、どうしても都合が合わないと言う。そこで僕はサンジェスタへの帰還を1日遅らせ、今日はハルニア祭で遊ぶことにしたのだ。

 

 そう、今回のデートの一番の目的。それはこうしてジェシカさんと美波を会わせることなのだ。

 

 

 ――ドンッ パラパパパッ

 

 

 話し込む彼女らを眺めていると、突然上空から胸に響くような低音が響いてきた。音のするほうに目を向けると、黒いキャンバスには綺麗な赤い花が描かれていた。この光景は見た事がある。

 

 打ち上げ花火。

 

 僕らの世界ではあれをそう呼んでいた。どうやらこの世界でも祭りに花火を打ち上げる風習があるようだ。

 

 

 ――ドン、ドン、ドンッ パラッパパパパッ

 

 

 立て続けに花火が打ち上げられ、夜空に赤や橙色に花が咲く。僕は薄緑色の膜に覆われた空を見上げ、花火に見入る。周囲の人たちも僕と同じように空を見上げ、夜空に咲く花を楽しんでいるようだ。もちろん美波とジェシカさんも。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……や、ヤット見つけたネ」

 

 そんな花火観賞の中、妙な口調で話し掛ける者がいた。

 

「あれ? マックさん?」

「コラ! ヨシイ! シマダ! 大切な衣装を返すネ!」

「あ……」

 

 そういえばこの服、借り物だった。せっかく手に入れた腕輪も文月学園の制服も楽屋に置きっぱなしだ。

 

「すみませんマックさん。もう少しだけ待ってもらえませんか?」

 

 美波があんなに楽しそうに話しているんだ。今あの2人を引き離すのは野暮ってもんだろう。

 

「no! スグに返しなサーイ!!」

「そこをなんとか……今とっても大事な話をしてるんです。もう少しだけ……お願いします!」

「明日は別の地区に行くのデース! 今返さないとユーたちごと運搬するヨ!」

「そ、そんなぁ……」

「アキ、ウチなら構わないわ。一度楽屋に戻りましょ」

「あ、美波。もういいの?」

「うん。もう十分話せたし。ね、ジェシカさん」

「ん? あぁそうさね。シマダが元気だってことも確認できたし、アタシは満足だよ」

「そうですか。分かりました」

 

 仕方ない。マクレガーさんも困っているようだし、ここは一旦戻るとしよう。

 

「それじゃマックさん、僕らすぐ楽屋に戻ります」

「そうしてクダサイ」

「ジェシカさん、本当にお世話になりました。ウチ、このご恩は一生忘れません」

 

 ドレス姿の美波がペコリとお辞儀をする。ジェシカさんはその様子を見ると両手を腰に当ててアハハと豪快に笑った。

 

「そんなこと気にすんじゃないよ。アタシが好きで世話したんだからね」

「ジェシカさん、僕からもお礼を言わせてください。美波を助けてくださって、本当にありがとうございました」

「まったくアンタらは律儀だねぇ……。いいかい。ちゃんと自分たちの世界に帰るんだよ?」

「「はいっ!」」

「いい返事だ。それじゃ元気でね」

 

 こうして僕らはジェシカさんと別れ、楽屋に戻ることにした。夜空に色とりどりの花が咲き乱れる中のことだった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 僕たちは楽屋に戻り、文月学園の制服に着替え、借りていたドレスを返却した。楽屋を出るともう花火を終わっていて、露店もほとんど閉められていた。今日の祭りもそろそろ終わりのようだ。

 

「帰ろうか」

「そうね」

 

 ここから借りている家まではほんの数分。僕らは魔石灯の灯で橙色に染まる街を歩き、帰路に就いた。

 

「楽しかったわね」

「うん。でもあのファッションショーだけは余計だったかな」

「そう? ウチはあれが一番楽しかったけど?」

「そりゃ美波は楽しかったかもしれないけどさ。僕にとっては人生の汚点だよ……」

「なーに言ってるのよ。観察処分者なんて汚点をもう背負ってるじゃない」

「う……そ、それとこれとは別だよ」

「ふふ……大丈夫よ。坂本たちには内緒にしておいてあげるから」

「うん。頼むよ。特にムッツリーニにはね」

「分かってるわ。あ、でも瑞希には言っちゃおうかなっ」

「いや、それもやめてっ!」

「冗談よ。ふふ……」

「ホント冗談にしておいてよ……」

 

 そんな会話をしながら僕たちは家路を歩く。今日は家に帰っても食べるものがない。けれど今日は昼間に色々と買い食いをしたので、僕も美波もあまりお腹は減っていなかった。そこで近くにあった軽食の店に入り、軽い食事を取ることにした。

 

 食事を終えて店を出ると、町はもう静けさを取り戻していた。道を歩いている人も(まば)らだ。祭りとはいえ、夜が早いのは変わらないようだ。僕たちもこれ以上寄り道はせず、今日は真っ直ぐ家に帰ることにした。

 

 これでこの国での目的はすべて果たした。明日はガルバランド王国に向かうことになる。今夜は借りた家でゆっくり休むとしよう。

 

 

 

 ――と思っていたら、まだ難問がひとつ残っていた。

 




次回、第二章最終話になります。


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第六十四話 僕のバツゲーム

 ハルニア祭をたっぷり堪能した僕らは借りている家に戻ってきた。当然だが、家の中は真っ暗だった。窓から月明かりが差し込み、僅かな灯りを部屋の中に注いでいる。こういう光景も、もはや当たり前に感じられつつある。

 

(あか)りを点けてくるわね」

「うん。頼むよ」

 

 美波がリビングの魔石灯に火を灯し、僕は部屋の隅に荷物を置いて一息つく。

 

「ふぅ。すっかり遅くなっちゃったね」

「そうね。明日はガルバランドに戻るのよね?」

「うん。でもその前にこの家の鍵を返しに行かないとね」

「分かってるわ。あっそうだ。アキ、アンタちゃんと腕輪持ってるわよね?」

「もちろんさ。ほらこの通り」

 

 僕はリュックから腕輪を取り出し、指に引っかけてくるくると回してみせる。形からはこれが本物の白金の腕輪かどうか判別できない。けれど例えこれが白金の腕輪でなかったとしても、きっと何らかの手掛かりになる。僕はそう信じてる。

 

「ちゃんと持ってるみたいね。失くしちゃダメよ?」

「分かってるさ。ちゃんとリュックにしまっておくよ」

 

 1個目の腕輪は美波に風を起こす力を与えるものだった。だが2個目は僕にも美波にも反応しなかった。つまりこの腕輪が白金の腕輪である可能性がある。絶対に失くしたりするもんか。

 

「今お茶を入れるわね。座って待ってて」

「あ、うん」

 

 美波は上着を脱いでキッチンへと向かう。この世界での生活は今日で23日目。6日目に美波と再会したから、彼女との共同生活は17日に及ぶ。この時、既にこうした光景にも違和感を感じなくなっていた。

 

 ……

 

 しかしこの腕輪で本当に元の世界に帰れるんだろうか。雄二の説明には説得力があったけど、あいつはたまにヘマをやらかす。そう、最初のAクラス戦のように。

 

「はい、お待たせ」

 

 ソファに座って考えていると美波が2つのカップを手に戻ってきた。

 

「サンキュー」

 

 僕は差し出されるカップを受け取り、暖かい紅茶をすする。うん。美味しい。

 

「明日はすぐに出るの? それとももう少しお祭りを見ていく?」

 

 美波が隣に腰掛けて訪ねる。

 

「う~ん……船の時間が分からないから、できるだけ早めに出た方がいいかも」

「それじゃ朝食前に出た方がいいかしらね」

「うん。そうしようか」

 

 ここレオンドバーグからサンジェスタへはまず港に行かなければならない。ノースロダンという港町だ。そこから船で1日かけてガルバランド王国に渡航する。結構時間が掛かるのだ。今日1日を遊んで過ごしてしまったから、もう寄り道はしない方がいいだろう。

 

「……ねぇ、アキ?」

「ん? なんだい?」

「昨日お祭りに行こうってウチを誘ったのって、ジェシカさんと約束していたからなのね?」

「へへっ、まぁね」

「それならそうと言ってくれれば良かったのに。どうして秘密にしてたのよ」

「だって待ち合わせは夕方だったからさ、言っちゃったらそれまで落ち着かないだろう?」

「それは……そうかもしれないけど……でもウチは言ってほしかったわ」

「ん~。でも僕も美波とお祭りを楽しみたかったんだよね」

「えっ? そ、そうなの?」

「うん。やっぱり美波と一緒だと楽しいからね」

「調子のいいこと言っちゃって……う、ウチがそんな台詞で喜ぶと思ったら大間違いなんだからねっ」

 

 台詞は少し拗ねたように聞こえる。けれど頬に”えくぼ”を作る美波の表情はとても嬉しそうに見えた。僕の行動は間違っていなかった。この表情を見て、僕はそう実感した。

 

「でも途中でマックさんの横やりが入っちゃったね。もう少しジェシカさんと話したかったんじゃないの?」

「ううん。話したいことは全部話せたから大丈夫よ。メイド仲間のことも聞けたし」

「そういえば王子のことも話してたね。大人しくなったって」

「リオン王子よね。ウチも何度か話したことあるけど、あの人すっごく偉そうに言うのよ?」

「いや、実際に偉いんじゃないかな。王子様だし……」

「でも年はウチらと同じくらいなのよ? もう少しフレンドリーに接してくれてもいいと思わない?」

「あ、あはは……」

 

 美波もこういうところは遠慮が無いんだな。

 

「でもさ、王子って大人に対して指示する立場になるわけだよね。だから偉そうに振る舞う必要があったんじゃないのかな」

「そうかしら」

「きっと僕らには分からない苦労もあるんだよ」

「ふ~ん……それならウチは普通の生活がいいな」

「僕だって普通の生活がしたいよ」

「それじゃアキが思う”普通の生活”って、どんな生活?」

「ん? う~ん……そうだなぁ」

 

 まずは高校を卒業して、それから大学? ん~……やはり料理学校に(かよ)って調理師免許だろうか。それから成人して――――

 

 ……

 

 美波と……。

 

「どうしたのアキ? 急に顔を赤くして」

「ふぇっ!? か、顔!? そ、そんなことないんじゃないかな! あははは!」

「怪しいわね。ウチに何か隠し事してるんじゃないの?」

「い、いや、別に隠し事なんか……」

 

 美波のウェディング姿を思い浮かべただけなんだけどね……ただ、お祭りで結婚式なんか見たもんだから、やたらとリアルに想像しちゃって……あぁもう! やめやめ! こういうことを考えるのは元の世界に帰ってからにしよう!

 

「なんかちょっと疲れたかも。そろそろ寝ようか。明日は朝早くに出発だし」

 

 僕は立ち上がり、美波の前を横切ってキッチンへと向かう。もちろん紅茶のカップを片付けるためだ。すると、

 

「あっ……ま、待ってアキ」

 

 座ったまま美波が僕を呼び止めた。

 

「ん? どうかした?」

「……えっと……ね……」

 

 もじもじと指を通わせ、美波は恥じらいを見せる。この仕草は何度も見てきている。美波がこういう仕草をする時は、僕にとって恥ずかしいことを要求してくる時だ。ふふん。僕だって学習しているのさ。こんな時はさっさと逃げるに限る。

 

「それじゃおやすみ美波!」

「ま、待ちなさいっ! 約束を忘れたとは言わせないわよ!」

 

 急いで逃げようとすると、再び呼び止められた。

 

「え……や、約束?」

 

 僕は立ち止まって考えてみる。付き合い始めてから、美波とはいくつかの約束を交わしてきた。教室の席を隣にしろだとか、お弁当を作り合おうとか。でもそれは学園生活での話。この世界では通用しないことばかりだ。他に約束なんてあったかな……?

 

「えっと……約束ってなんだっけ? 僕、また何か忘れてる?」

「えぇ、忘れてるわ」

「うっ……ご、ゴメン」

 

 でも全然思い出せないんだよな。何を約束したんだったっけ。

 

「忘れたとは言わせないわよ。今日、王宮騎士団の演習を見学した時に約束したでしょ?」

「王宮騎士団? 演習? えぇと……」

 

 あ゛っ……。

 

「い、いや~何のことかな? 僕には分かんないな」

「思い出したみたいね」

「いや全然!? 僕には何のことだかさっぱりだよ!?」

「とぼけてもダメよ。あの時の賭けでウチが勝ったわよね」

「い、いや、あれは賭けというか、ただ予想しただけだったんだけど……」

「やっぱり覚えてるじゃない」

「んがっ」

 

 し、しまった。見事に墓穴を掘った……。

 

「往生際が悪いわよアキ。ウチが勝ったんだから何でも言うことを聞いてもらうわよ」

「え……あれって本気だったの?」

「当たり前じゃない。さぁ覚悟しなさい」

「そ、そんなぁ……」

 

 うぅっ、まさかあのバツゲームがまだ有効だったなんて……なんとか誤魔化して逃げたいところだけど、今は難しそうだ。これ以上逆らうと怒り出しそうだし、素直に言うことを聞いておくか……。

 

「分かったよ。僕の負けだよ。で、要求な何なのさ?」

「う、うん。それじゃ言うわよ!」

 

 美波は意を決したようにキッと表情を固くする。何か悪い予感がする……。

 

「こ、今夜はウチの……だ……抱き枕になりなさいっ!」

 

 

 …………………………

 

 

「は?」

 

 えっ? 何? 抱きま――っ

 

「えぇぇっ!? だ、抱き枕ぁっ!?」

「そう! 抱き枕! 嫌とは言わせないわよ!」

「うぐっ……」

 

 つまりそれは一緒に寝ろということで……美波に抱きつかれて(トコ)に入るということで……。

 

「う、ううっ……!」

 

 葛藤する僕。そんなことをされたら今夜の睡眠は絶望的だ。でも約束した以上、断るわけにもいかない。それに……。

 

「やっぱり……ダメ……?」

 

 恥ずかしそうに頬を桃色に染めながら、上目遣いで美波が問いかける。そんな目で見つめられて断れるほど僕の神経は図太くない。

 

「わ、分かった。……いいよ」

「ホント!? ホントにいいの!?」

 

 ぱぁっと花が咲くように可憐な笑顔を見せる美波。こんな風に表情が変化する彼女はやっぱり可愛いと思う。

 

「僕だって男さ。約束は守るよ」

「やったっ! それじゃ早速準備しましょっ!」

「う、うん」

 

 い、意識しないようにすればなんとか眠れるかな……。

 

 

 

 ―― 僕と美波、寝巻きに着替え中 ――

 

 

 

 寝床として使うのはいつも僕が使っていた部屋のベッド。結構大きなベッドなので、2人で入ってもそれほど狭いとは感じないだろう。しかし……。

 

「あ、あの、さ、美波」

「なぁに?」

「やっぱり、その……だ、抱きつくの?」

「当たり前じゃない。抱き枕なんだから」

「だよねぇ……」

 

 この運命からは逃れられないようだ。

 

「ほらアキ、明日早いんだから寝ましょ」

「う、うん」

 

 仕方なくベッドに入る僕。するとすぐ横に美波が入り込んできて、腕を絡ませてきた。

 

「んふふ……あったかい」

 

 耳元で美波が囁く。首筋にかかる彼女の息が凄くくすぐったい……。

 

「あ、あのさ、美波」

「今度はなによ」

「いや、あの……息が当たってくすぐったいんだけど……」

「それくらい我慢しなさい。男でしょ?」

「そ、そんなこと言ったってさ……僕がそういうのに弱いの知って――」

「フ~ッ」

「ひあぁっ!?」

「ちょっと、暴れないでよアキ」

「い、今わざと息を吹き掛けたよね!?」

「何のことかしら? いいからほら、じっとしてなさい」

「くっそぉ……絶対にわざとだ……」

 

 サワッ

 

「うひゃぁっ!?」

「ちょっとアキ、これじゃ眠れないじゃない」

「そ、それはこっちの台詞だよ!? 髪でくすぐらないでよっ!」

「ふふ……分かったわよ。ほら、抱き枕は動かないの」

「くぅっ……」

 

 こ、こんな状況で寝られるわけないじゃないか……よぉし……美波が寝込んだらこっそり抜け出してやる。

 

「ねぇ、アキ」

「ん? な、何?」

「アキはやっぱり元の世界に帰りたい?」

「えっ……? な、なんで?」

「いいから答えて」

 

 僕の右肩に顔を埋めているので彼女の表情は見えない。けれどその声はとても真剣に尋ねているように思えた。笑って誤魔化すような雰囲気ではない。ここは真面目に答えるべきだろう。

 

「そうだね。やっぱり帰りたいかな」

「どうして?」

「やっぱり高校は卒業しておきたいよ。こんな中途半端な状態じゃ気持ち悪いし」

「……そうね」

「それに観察処分者の汚名もまだ返上できてないからね」

「そんなことまだ気にしてるの?」

「そりゃ気にするよ。だって学園一のバカだって言われてるようなものなんだよ?」

「いいじゃない。言いたい人には言わせておけば」

「でもかっこ悪いじゃん……」

「いいのよ。ウチはぜんぜん気にしないわ。アキがバカなのは分かってるし、別にかっこ悪いなんて思ってないわ」

 

 これは喜んでいいのか嘆くべきなのか。判断に困る……。

 

「それじゃあさ、美波はどうなのさ」

「どう、って?」

「美波は元の世界に帰りたい?」

「ウチは……」

 

 彼女はそこで言葉を一旦切ると、僕の右腕をぎゅっと強く抱き締めてきた。

 

「ウチはアキがいてくれるなら……どこでも……いいかな」

 

 その言葉を聞き、僕は再認識した。美波にとって僕はかけがえのない存在なのだと。そして僕にとっても彼女は何ものにも代えがたい存在なのだ、と。

 

「帰れるかしら。ウチら」

「帰れるさ。きっと」

「……そうよね。こんなに頑張ったんだものね」

「うん」

 

 

「「…………」」

 

 

「それじゃもう寝ようか。おやすみ。美波」

「うん。おやすみ。アキ」

 

 この時、僕の頭からは”抜け出そう”なんて考えはどこかへ飛んでいってしまっていた。当然だろう。彼女のあんな台詞を聞いてしまったら、そんな気は失せてしまう。

 

 

 ……

 

 

 けど……。

 

 

「すぅ…………すぅ…………」

 

 

 ぼ……僕はいつになったら……美波に触れても、ドキドキしなくなるんだろう……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 翌朝。

 

 目を覚ますと美波の姿が無かった。というか、あの後僕もすぐに眠ってしまったようだ。あんなにドキドキしていたのに、不思議なものだ。

 

 ところで美波はどこだろう? 僕はベッドから降り、部屋を出て彼女を探した。

 

「おはよう、美波」

 

 キッチンで洗い物をしている美波を発見。僕は声をかけた。

 

「あ、おはよアキ」

 

 振り向いて笑顔で朝の挨拶をする美波。髪を下ろして寝巻き姿の彼女を見るのも慣れてきた。

 

「あ、昨日カップ洗わずに寝ちゃったんだっけ」

「ウチもうっかりしてたわ。でも汚れは落ちたから大丈夫よ」

「そっか。ありがとうね、美波」

「そんなの気にしないでいいわよ。それよりもアキは先に着替えてて。すぐ出るんでしょ?」

「うん。それじゃお言葉に甘えるよ」

 

 僕は部屋に戻り、着替え始めた。今はまだ夜が明けたばかり。窓から朝日が差し込み、部屋の中を柔らかな光で溢れさせている。

 

 今日はここレオンドバーグの町を出て、ガルバランド王国に向かう予定だ。サンジェスタ到着は早くても明日の夕方になるだろう。

 

 皆と会うのも久しぶりだ。サラス王国に行った姫路さんは無事かな。怪我とかしていなければいいのだけど……でも秀吉やムッツリーニが一緒だから大丈夫かな。

 

 雄二は……まぁ心配はいらないか。でも霧島さんはちょっと心配だな。雄二のためなら無茶をしてしまう性格をしているからな。

 

 そんなことを考えながら僕は出発の準備を進めた。

 

 

 

 ――――30分後

 

 

 

「アキ、忘れ物は無い?」

「大丈夫。腕輪も家の鍵も持ったよ」

「おっけー。それじゃ行きましょ」

 

 僕は借りていた家の鍵を閉め、木の扉をじっと見つめた。

 

 ……二度も世話になっちゃったね。……ありがとう。

 

 心の中でそう呟き、僕は背を向けた。そこには晴れ晴れとした表情の美波がいた。

 

「さぁ、行こう! ノースロダンへ!」

「うん! そして皆の所へ!」

 

 僕たちは手を取り合い、レオンドバーグの町を歩き出した。

 

 

 

 

 こうして僕たち”チームアキ”は使命を終え、ガルバランド王国への帰路に就いた。

 

 そしてサンジェスタの町で再会した僕たちは、衝撃の事実を知らされることになる。

 




第二章 僕と腕輪と皆の使命(クエスト) -終-


次は第三章。7人の仲間が揃い新たな行動に入ります。


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第三章 僕と仲間と異世界冒険記!
第一話 集う仲間たち


「すみませんっ! 遅くなりました!」

 

 弾むような声で部屋に入ってきたのは姫路さんだった。マフラーとコートを羽織った彼女は、寒そうに白い息を吐きながら深々と頭を下げていた。その後ろには同じ格好をした秀吉とムッツリーニの姿も見える。

 

「瑞希! 遅かったじゃない!」

「おかえりなさい姫路さん。秀吉とムッツリーニもおかえり」

「んむ。ただいまじゃ」

「…………ただいま」

 

 3人を迎えるのは僕と美波。

 

「よく戻ったな姫路。無事で何よりだ」

「……瑞希。おかえり」

 

 それに雄二と霧島さん。チームを分け、ここサンジェスタで解散してから10日目の夜のことだった。

 

「ホント3人とも無事で良かった。なかなか帰ってこないから僕ら心配してたんだよ?」

「そうよ瑞希。ウチらすっごく心配したんだからね!」

 

 僕と美波は前日のうちに帰還していた。その時、雄二と霧島さんはホテルで僕らを待っていた。残るは姫路さんたち3人。ところが待ち合わせ期限である今日になってもなかなか姫路さんたちが姿を現さない。何か事故に遭ったのではないか? もしや事件に巻き込まれているのでは?

 

 僕は心配した。だが雄二は迎えに行こうとする僕を制し「信じて待て」と言う。確かに今飛び出して行っても入れ違いになってしまう可能性もある。雄二の意見が正しいと判断した僕はひとまず待つことにした。

 

 だが午後になっても姫路さんたちは一向に姿を見せない。そして夜になり、さすがに遅すぎると心配して迎えに行こうとした矢先、部屋の扉をノックする音が響いたというわけだ。

 

「まぁ待てお前ら。まずは姫路たちを入らせてやれ」

「ほぇ? あ、そうだね」

「おつかれさま瑞希。寒かったでしょ? さぁ入って。すぐにホットミルクを入れるわね」

「はい。ありがとうございます美波ちゃん」

「秀吉、ムッツリーニ。ご苦労だったな。首尾はどうだ?」

「すまぬがその前にワシらにも暖かいものをくれぬか。ガルバランドの夜は冷えるわい」

「…………体の芯まで冷えた」

 

 そう言う秀吉とムッツリーニは白い顔をしていた。特にムッツリーニが寒そうだ。ガチガチと歯を鳴らさんばかりに震えている。秀吉も寒そうにはしていたが、表情はいつものポーカーフェイスだった。

 

「秀吉もムッツリーニもマント着てるじゃん。それでも寒いの?」

「これは乾燥地帯用じゃ。寒冷地ではあまり役には立たんのじゃ」

「へぇ。そんなのにも違いがあるんだ」

「おい明久、そんな話は後にしてそいつらを座らせてやれ」

「あ、そうだった。ゴメン、座ってよ2人とも」

「んむ」

 

 こうして僕たちは再び7人揃うことができた。

 

 僕と美波のチームアキ。

 雄二と霧島さんのチームしょうゆ。

 そして姫路さん、秀吉、ムッツリーニのチームひみこ。

 3つのチームが帰還。全員無事だ。

 

 問題は白金の腕輪が確保できたかどうか。それについてはこの後、報告会を開き、じっくり話すことになった。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「よし、それじゃ報告会を始めるぞ。まずは俺と翔子の状況から報告する。姫路たちは飲みながらでいいから聞いてくれ」

 

 雄二はここガルバランド王国での出来事について語り始めた。

 

 もともとこの国にあるとされていた腕輪は2つ。その2つのうち1つは既に僕がアレンさんから貰っていて、姫路さんが持っている。つまり雄二たちが確保すべきは1つのみ。1つならば確保は簡単だろう。誰もがそんな風に楽観的に考えていた。けれど雄二の説明は重苦しかった。

 

 確かに2つ目の腕輪は存在していたらしい。ところがその腕輪はある女の手に渡っていて、しかもその女の人は行方不明になっているというのだ。更にはその人の旦那さんもが行方をくらますという異常事態。これ以上踏み込むのは危険と判断した雄二は探索を断念し、女の人の捜索を国の機関に任せ、僕らの帰りを待っていたそうだ。

 

 なるほど。どうりで昨日雄二が話したがらなかったわけだ。何度聞いても「全員揃ってから話す」と言っていたのはこういうことだったのか。きっと腕輪が入手できなかったことが悔しいんだ。だから何度も話したくなかったのだろう。

 

「そんなわけで俺たちの役目は果たせなかったんだ。すまん」

 

 珍しく雄二が頭を下げて謝っている。いや、珍しいというか初めてかもしれない。もし腕輪を手に入れてなかったら思う存分いびり倒してやろうと思っていたけど、こんなに素直に謝られたらそうもいかないじゃないか。

 

「私、この国でそんな事件が起きてるなんて知りませんでした……」

「そんな話はワシも今初めて知ったぞい。奇っ怪なこともあるものじゃな」

「ウチは坂本の判断は正しいと思うわ。そんな危険なことに首を突っ込むべきじゃないもの。ね、アキ?」

「えっ? う、うん。そう……だね……?」

 

 おかしいな。つい数日前に魔人と本気で命のやりとりをした気がするんだけど? アレは危険じゃなかったとでも言いたげな口調じゃないか。それとも美波はあの死闘を忘れてしまったのだろうか。

 

「以上で俺の話は終わりだ。次は明久、お前の番だ」

「僕? フフン。しょうがないなぁ。それじゃ説明しよう」

 

 この時、僕は少し天狗になっていた。なぜなら雄二が果たせなかった腕輪の回収を、僕は完璧に果たして帰還したのだから。

 

「まず結果から言うと、腕輪2つはこの通り回収済みさ」

 

 僕は上着の両側のポケットから1つずつ腕輪を取り出し、それぞれを指に引っかけてくるくると回して見せた。

 

「明久! 大事な腕輪を粗末に扱うんじゃねぇ!」

 

 すると突然雄二が怒鳴り散らした。ハハーン? 僕が完璧に任務を(こな)したのが気に入らないんだな? 雄二も大人げないなぁ。

 

「別にいいだろ。これくらいで壊れたりしないよ」

「そういう問題じゃねぇ!」

「そうガミガミ怒るなよ雄二。もっと心にゆとりを持たなくちゃ」

「アキ。やめなさい。怒るわよ」

「う……わ、分かったよ」

 

 美波に叱られては仕方がない。確かにちょっと調子に乗りすぎたかもしれないな。これくらいにしておくか。

 

「えーっと、それじゃまず1つ目の入手から」

 

 僕は腕輪入手の経緯について話し始めた。

 

 ハルニア王国1つ目の腕輪があったのは最南端の町、ラドン。この世界に来て最初にお世話になったマルコさんご夫妻のところにあった。それにしてもまさかルミナさんが王女様だったなんて、今でも信じられない。でもよく考えると物腰や話し方には気品があったし、言われてみれば納得する部分も多い。それに王家に伝わる腕輪を持っていたことが何よりの証拠だ。

 

 結局レナードさんはルミナさんに会いに行ったのだろうか。今は2人の親子関係が少しでも元に戻ることを祈るばかりだ。

 

「なるほどのう……お主はつくづく王家に縁があるようじゃな」

「もしかしたら明久君は王様の素質があるのかもしれませんね」

「へ? 僕が? あははっ! ないない。そんな素質、僕になんかにあるわけないじゃないか」

「そうだな。お前には王の素質があるかもしれん」

「雄二まで何言ってんのさ。そんなにおだててもおごってやんないよ?」

「裸の王様の素質がな」

「黙れこの唐変木」

「……吉井。2つ目は?」

「あ、うん。それじゃ2つ目を説明するよ」

 

 2つ目は本当に苦労した。ラドンからレオンドバーグに戻って王様に聞いたら湖に落としたと言うし。探しに行ったら魔人がまた襲ってくるし……。

 

 あいつ……本当に何者なんだろう。

 

 あの容姿からして、まず人間ではない。でも僕には人間以外の知り合いなんていない。ましてや、あんな素行の悪いお友達なんているわけがない。けどまぁ、今となってはどうでもいいことだ。

 

 結局、湖の底に沈んでいた腕輪は美波の力で引き上げることができた。本当ならこの時点でここに戻るべきだったのだが、僕らはもう1日ハルニア王国に滞在した。ま、この辺りは言わないでおこう。ハルニア祭で1日遊んだってことは皆に内緒って約束してるし。

 

「おい明久」

「ん? 何? 雄二」

「お前、俺が言ったことを覚えていないのか?」

「雄二の言ったこと?」

「そうだ。10日前にこの部屋で作戦会議を開いただろ。あの時言ったはずだ」

「作戦会議?」

 

 はて。何か言われたっけ? 10日前の作戦会議というと、チーム分けして探そうって話をした時のことかな? 白金の腕輪が元の世界に戻るための鍵になるって話は聞いたけど……。でもそのことじゃなさそうだ。

 

「なんだっけ? 忘れちゃった」

「やれやれ……お前は本当にAkihisafulだな」

「はぁ? 何だよそれ」

「お前はバカだって言ってんだよ!」

「そんなこと分かってるよ! だからどうして僕がバカなのさ!」

「…………自覚しているらしい」

「意外じゃな」

 

 ……なんか墓穴を掘ったような気がする。って、そうじゃなくて。

 

「ちゃんと約束通り2つの腕輪を手に入れてきたんだぞ! それがどうしてバカなのさ!」

「いいか明久。俺はあの時言ったはずだ」

「? 何を?」

「道中は何があるか分からん。絶対に無理はするな。危険を感じたらすぐに戻れ。とな」

「……あ」

 

 そうだ。確かに言ってた。

 

「そ……それは……! 言ってたかも……しれないけど……

 

 すっかり忘れてた。あの時は僕が魔人に襲われたことを知って雄二が注意を促したんだった。

 

「……ゴメン」

「ゴメンじゃ済まねぇんだよ! 命があったからいいようなものを! お前みたいなバカはどうでもいい! だが島田の身に何かあったらお前はどう責任を取るつもりだ!!」

「ぐ……」

 

 ”責任”と言われて僕はすっかり萎縮してしまった。雄二の言うとおりだ。

 

 あの時もし美波が魔人にやられていたら、僕は葉月ちゃんや美波のご両親になんと報告すれば良いのか。それ以前に美波という掛け替えのない人を失ったら……僕は……。

 

「あ、あのね坂本、その件についてアキに非は無いの。だからあんまり責めないで」

「いいや! このバカはどれだけ言ってもすぐ忘れやがる! 言う時は徹底的に言って頭に叩き込まねぇといけねぇんだよ!」

「そうじゃないの! あの時はウチが先に戦ってたの! アキはウチに加勢しただけなの!」

「何? おい明久、それは本当か?」

「……」

 

 僕は返事ができなかった。美波の言うことは本当だけど、命の危険があったことは確かなのだから。そしてチームリーダーである僕は危険を避けるべきだったんだ。

 

「本当かって聞いてんだよ! 返事をしやがれ!」

 

 雄二がいきり立ち、僕の胸倉をガッと掴んで怒鳴る。

 

「……美波は悪くない。僕の責任だ」

 

 僕は殴られる覚悟で雄二をじっと見据えた。こいつのことだ。けじめのために一発くらい殴ってくるだろう。そう思って雄二の次の言葉を待っていた。

 

「「……………………」」

 

 雄二と僕は瞬きひとつせず睨み合う。お互いの顔の距離は約20センチ。けれどガンを飛ばし合っているわけではない。大真面目な顔でお互いの目を見つめていた。

 

「明久」

「なんだ」

 

 雄二はフッと笑みを浮かべ、意外な言葉を口にした。

 

「ちょっと見ない間にいい顔をするようになったじゃねぇか」

「……は?」

 

 何を言ってるんだろうこいつ。いい顔になった? 僅か10日の間に人相が変わったりするわけないじゃないか。そんなことよりも僕を殴るつもりで胸倉を掴んだんじゃないのか?

 

「ようやくお前にも責任ってやつが分かるようになってきたようだな」

 

 雄二は掴んだ胸倉を放し、背を向ける。格好付けてるつもりらしい。

 

「いいか明久。リーダーに必要なのは、いかなる時でも責任を負う覚悟だ。これだけは肝に銘じておけ」

「? うん」

 

 言うことは理解できるけど、なんで僕にそんなことを言うんだろう。ま、いいか。よく分からないけど雄二のやつ機嫌が良いみたいだし。

 

「えっと、まぁそんなわけで2つの腕輪はちゃんと持ち帰ってきたよ」

「あぁ。よくやった明久。それじゃ最後は姫路、お前たちの状況を報告してくれ」

「はいっ、分かりました」

 

 姫路さんが立ち上がり、元気に返事をする。彼女の雰囲気は以前と変わらない。けれど話し始めた姫路さんの言葉には、以前より力強さを感じるような気がした。この旅で何か得るものがあったのだろうか。

 

 姫路さんたちチームひみこの担当は腕輪3つ。結果から言うと、そのうち2つの入手に成功したそうだ。その2つはサラス王家に保管されていたらしく、洞窟に住み着いた魔獣の討伐およびレスター氏を連れてくるという交換条件により得たという。

 

 ……

 

 あれ? レスター? どこかで聞いたような?

 

(ねぇアキ、レスターさんって……)

「なんかどこかで聞いたよね。どこだっけ?」

 

 つい最近聞いたような気がするんだけど……と記憶を探っていると、美波が更に耳打ちしてきた。

 

(ほら、マクレガーさんのファッションショーよ)

 

「あぁ! レスターってあの出っ歯の人のファッショ――」

(バカっ! 声が大きいわよ!)

「むぐっ……」

 

 突然美波に口を塞がれる僕。し、しまった。ハルニア祭で遊んだことは皆に内緒なんだった……。

 

「レスターさんを知ってるんですか? 明久君」

「い、いや! えっと、その……ま、まぁね。ちょっと町でその名前を耳にしてね。あはははっ!」

「そうなんですか。世界的に有名なお方なのでハルニア国でも噂になっていたのかもしれませんね。ふふ……」

「そ、そうだね! あはははっ!」

 

 ふぅ。ヤバイヤバイ。余裕があったから美波とデートしてた、なんて知られたら何を言われるか分かったもんじゃないからな。

 

「ところで姫路。なぜ2つなんだ? 3つ目はどうした」

「えっと……それはですね……」

 

 雄二の問いに対して、姫路さんは答え辛そうに俯いた。何か事情がありそうだ。

 

「それは、なんだ? ハッキリ言え」

「えと……砂漠に……」

「砂漠? 砂漠がどうした」

「……」

「おい姫路、砂漠がどうしたってんだ。黙ってないで言え!」

 

 詰め寄る雄二。姫路さんは辛そうに俯き、唇を噛み締めて押し黙っている。これでは姫路さんが可哀想だ。

 

「……雄二」

「ん? なんだ翔子?」

「……そんなに強く言ってはダメ」

「強く……? お。そ、そうだな。すまん姫路」

 

 と思っていたら霧島さんが止めに入ってくれた。やれやれ。雄二のやつ、何を焦ってるんだ。

 

「雄二よ。続きはワシから説明しよう」

「あっ……木下君、私が……」

「よいのじゃ。ここはワシに任せい」

「……はい。お願いします」

 

 ここで姫路さんから秀吉にバトンタッチらしい。秀吉は事の経緯を語り始めた。

 

 サラス王家に保管されていたのは2つだけだったこと。残る1つが砂漠の藻屑と化していたこと。それを追って砂上船の船長に会いに行ったこと。その砂上船が運航停止状態であったこと。

 

 語り部口調でひとつひとつ、丁寧に説明していった。

 

「なるほど。そういうことだったか」

「やっぱり秀吉の説明は聞きやすいね」

「すみません。私、喋るのはそんなに得意じゃなくて……」

「あっ! 姫路さんの説明が聞きづらかったわけじゃないよ!? 大丈夫! 姫路さんの説明も上手だったから!」

「……吉井の言うとおり。瑞希はもっと自信を持っていい」

「そうですか? ……ありがとうございます」

 

 姫路さんは柔らかな微笑みを浮かべる。この感じ、やっぱりルミナさんとよく似てるな。

 

「しかし砂漠とはまいったな。それこそ砂漠から米粒を探すようなモンじゃねぇか」

「すみません……」

「謝る必要はねぇよ。お前のせいじゃねぇんだからな」

「それは……そうかもしれませんけど……」

「まぁ気にするな。それに米粒よりは遙かに大きいしな。ひとまず状況は大体把握した。皆、報告ご苦労だった。それじゃ集めた腕輪をテーブルに置いてくれ」

 

 僕は美波から預かっている腕輪と、湖で見つけた腕輪をテーブルに置いた。

 

「こっちは美波に反応したから違うと思うよ」

「分かった。姫路、お前のもここに置いてくれ」

「はい。これがサラス王家から頂いた物で……それから……これが明久君から頂いた腕輪です」

 

 姫路さんは3つの腕輪をテーブルの上に置いた。

 

「全部で5つだな」

「サラス王国で頂いた2つは木下君と土屋君に反応しました。だから白金の腕輪じゃないと思うんです」

「何? 本当か? 秀吉」

「んむ。片方はアクセル。もう片方はイリュージョンという文字が出ておった」

「美波のはサイクロンって文字が出てたよ。すっごい風を巻き起こすんだ」

「美波ちゃんは風の魔法使いというわけですね」

「それなら瑞希は火の魔法使いってとこかしら」

「そうかもしれませんね。ふふ……」

「明久、もう1つのはお前に反応したのか?」

「いや、それが僕にも美波にも反応しなかったんだ」

「ほう? なら可能性はあるな」

 

 5つのうち、4つは雄二以外の誰かに反応している。もし腕輪が1人につき1個あるのだとしたら、持っていない僕、雄二、霧島さんの誰かということになる。確率は3分の1だ。

 

「坂本、試してみてよ」

「言われるまでもねぇ。明久、どっちだ?」

「こっちだね」

 

 僕は湖で拾った腕輪を取り、雄二に手渡した。

 

「他の腕輪とデザインはまったく同じだな。どれ」

 

 雄二は腕輪を右腕に装着。サイズはぴったりのようだ。

 

「おぉっ!? 見るのじゃ! う、腕輪が光っておるぞ!」

「ほ、ホントだ!? 雄二! これって……!」

「あぁ! こいつぁ当たりかもしれねぇ!」

「坂本! 早く使ってみなさいよ!」

「確か腕輪の効果は装着しなきゃいけねぇんだよな。そんじゃ――試獣装着(サモン)!」

 

 雄二の足下から光の柱が吹き出し、一瞬にしてあいつの体を飲み込む。光はすぐに消え去り、中から白い特攻服を来たゴリラが姿を現した。

 

「間違いねぇ! 白金の腕輪だ!」

 

 一層輝きを増している腕輪を見ながら雄二が歓喜の声をあげる。

 

「やったぁーっ! ウチらこれで帰れるのね!」

「坂本君! 早く帰りましょう! 私たちの世界に!」

「おう! じゃあいくぜ!」

 

 皆が目を輝かせながら雄二を見守る。この不思議な世界に飛ばされて26日。やっと自分たちの世界に帰れる。この時、誰もがそう思っていた。

 

「――起動(アウェイクン)!」

 

 雄二が右腕を掲げ、声高らかに叫ぶ。

 

 

 ――ガコン

 

 

 どこからともなく、そんな音がした。

 その瞬間、視界が真っ暗になった。

 



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第二話 明かされる謎

「えっ!? 何!? 何なの!?」

「き、急に真っ暗になっちゃいましたよ!? 坂本君! どうなってるんですか!?」

「落ち着け島田。姫路も慌てるな。こいつはひょっとするかもしれねぇぞ?」

「なによそれ! どういうことよ!」

「いいから落ち着けって」

 

 真っ黒な空間に雄二の冷静な声が響き渡る。この声の反響、明らかに先程のホテルの一室ではない。それにさっきのガコンという音に聞き覚えがある。

 

 そう、あのブレーカーが落ちるような音。あの時、僕がゲーム機の電源ケーブルに足を引っかけた時に聞こえた音と同じだ。ということはつまり……。

 

「翔子! 秀吉! ムッツリーニ! 居るか!」

「……うん」

「ここにおるぞい」

「…………俺はここだ」

 

 各自が自分の位置を報告すると、それぞれの姿がスゥッと暗闇に浮かび上がってきた。美波や姫路さんは先程叫んだ時に既に見えている。全員がこの空間にいるようだ。

 

「雄二よ、これはどういうことなのじゃ? 何も見えぬが……」

「……相殺されて召喚フィールドが消えた?」

「分からん。前にもこの腕輪で相殺したことがあるが、あの時と様子が違うようだ。恐らくこの空間に何か仕掛け――」

 

 と、雄二が何かを言いかけた時、その言葉を遮るように誰かの声が響いた。

 

《あーあー、あー。聞こえるかいジャリども》

 

 明らかに僕ら7人の声ではない。けれど聞き慣れた声。それは耳からではなく、直接頭の中に響いて聞こえた。

 

『『『(ババァ)(学園)長!?』』』

 

 その場の全員が同時に叫ぶ。そう、このしゃがれた声は間違いなくあの妖怪ババァの声だ。

 

《坂本と吉井の2人は留年したいようだね》

 

「「なぜにっ!?」」

 

「ちょっと待ってください! どうして僕が留年なんですか!」

「そうだ! 明久のバカはともかく俺の出席日数はまだ足りてるはずだぞ!」

「失礼な! 僕だって出席日数は足りてるはずだよ!」

 

《やれやれ……少しは大人への礼儀を覚えたかと思ったけど全然進歩しないねぇ》

 

「へ? 大人への礼儀? 何それ?」

 

《いい機会だから社会のなんたるかを教えてやろうと思ったんだが、アンタらにゃ無駄だったかもしれないね》

 

「はぁ?」

 

 何を言ってるんだろこのババァ。僕らがこんなに苦しんでいるのに社会がどうとか、何を悠長なことを――

 

「学園長先生! 学園長先生なんですよね? 私です! 姫路です!」

 

《あぁ分かってるよ。姫路、坂本、吉井、島田、木下、土屋、それに霧島。ひとまず揃っているようだね》

 

 暗闇の中、ババァ長の声だけが響き渡る。皆はキョロキョロと辺りを見回している。全員ババァ長の姿が見えていないようだ。そういう僕にも見えていない。一体どこから話しかけてるんだろう……?

 

「学園長殿、ここはどこなのじゃ? ワシらは一体どうなってしまったのじゃ?」

「学園長先生! 早くウチらを元の世界に帰してください!」

 

《まぁ待ちなジャリども。すぐにというわけにはいかないんだよ》

 

「どうしてですか!? ウチらもう20日以上もこんな所に閉じ込められてるんですよ!?」

 

 秀吉と美波は見えない相手に向かって話しかけている。見えないけど、ババァの反応からするとこちらの声も向こうに届いているようだ。

 

「島田。俺に話をさせろ」

「えっ? う、うん。いいけど……」

「学園長。まず俺たちの置かれている状況について説明してくれ。ここが現実世界じゃねぇってことは分かってる。じゃあこの世界は何なんだ? 召喚システムとゲームが融合した世界なのか? 召喚システム。つまり召喚フィールドでできた世界なのか?」

 

 そうだ。10日前の作戦会議で雄二はこの世界をこう位置付けた。この世界が”ゲームと召喚システムが融合してできた世界”であると。僕らはこの前提のもと、白金の腕輪を探したのだ。召喚フィールドで組成されているであろう、”次元の壁”を打ち破るために。

 

《さすが神童と呼ばれただけのことはあるね。半分正解といったところだね》

 

「半分? 半分ってのはどういうことだ? ここが召喚フィールドでできた世界だから、白金の腕輪でフィールドを破壊できたんじゃないのか?」

 

《もしそうだとしたらアンタらはもうこっちの世界に戻ってるはずだろう?》

 

「そうだ。だが戻っていない。だから聞いているんだ」

 

《いいかいよく聞きな。確かにアンタらのいる世界は召喚システムが関係している。けど召喚フィールドでできた世界じゃないんだよ》

 

「なんだと? じゃあこの世界は一体何なんだ?」

 

《召喚獣はどこから来ているか、考えたことはあるかい?》

 

 召喚獣がどこから来たかって? そんなこと考えたこともなかったな。科学とオカルトの融合でよく分からないシステムだって話は聞いたけど。

 

「……別次元の世界」

 

《正解だよ霧島。つまりアンタらの居るそこはアタシらのいる世界とは別次元の世界ってわけさ》

 

「ど、どういうことなんですか学園長先生!?」

 

《聞いてのとおりさ。姫路はこういった話には疎いかね。要するにそこは元は召喚獣の住んでいた世界ってことさ》

 

『『な、なんだってぇぇーーっ!?』』』

 

 じゃ、じゃあ僕がいつも呼びだしていた召喚獣はここに住んでいたってこと!? こんな中世ヨーロッパのような世界で、あの可愛らしい召喚獣たちが暮らしていたってこと!?

 

「そ、それじゃウチらが今まで会ってきた人たちってみんな召喚獣なんですか!?」

 

 美波が驚きながら声をあげる。ババァ長の言うことが本当だとしたら、ルミナさんもマルコさんもレナードさんもウォーレンさんも、町で会った全員が皆召喚獣だったということになる。

 

 でも皆普通の人間の姿をしていたじゃないか。召喚獣って3頭身の小さい体をしてるんじゃないの?? し、信じられない……。

 

《そいつはちょっと違うね。彼らはもともとこの世界には居なかった者たちさ》

 

 へ……?

 

「学園長。もったいぶらずにちゃんと説明してくれ。明久のバカにも分かるようにな」

 

《難しいことを言うね。善処してみるがね》

 

 ムカッ

 

「失敬な! 僕だってちゃんと理解できるよ!」

「いいから黙って聞け。あのひねくれババァが素直に説明するっつってんだからよ」

「ぐ……わ、分かったよ……」

 

《坂本。アンタはその世界に残りたいようだね》

 

「はぁっ!? なんで俺だけ!?」

「やーいやーい。ざまぁみろ~」

「明久てめぇ!」

「なんだよ! 雄二が僕をバカにするからだろ!」

「…………静かにしろ。話が進まない」

 

 !?

 

「「お、おう……」」

 

 びっくりした……まさかムッツリーニに叱られるとは思わなかった……。

 

《土屋は早く帰りたいようだね。いいかいジャリども、よくお聞き。あまり時間がないので一度しか言わないよ》

 

「時間? どういうことだ?」

 

《いいから聞けと言ってるだろう。まずアンタらが置かれている状況だがね、さっきも言った通りそこは召喚獣の世界さ。なぜそんな所に居るのかはそこにいるバカに聞いてみな》

 

 ギクッ!

 

「明久君、何か知ってるんですか?」

「い、いや何にも!? っていうか”バカ”でどうして僕だって分かるのさ!?」

「やっぱりアキなのね?」

「あ……」

 

 バカっ! 僕のバカっ! これじゃ自分が犯人だって言ってるようなもんじゃないか!

 

「白状しなさいアキ! アンタ何を知ってるの!」

「そうですよ明久君! 何か知ってるのなら言ってください!」

「し、知らないよ! 何にも知らない! ホントだって!」

「嘘おっしゃい! さぁ正直に言いなさい!」

「いや、だって……」

 

 ど、どうしよう……本当のことを話したら絶対怒るよね。美波も怖いけど、怒った姫路さんはそれ以上に怖いし……。

 

《吉井を吊し上げるのは後にしな。時間が無いから話を続けるよ》

 

「そ、そうだよ皆! とにかく今は学園長の話を聞くべきだよ!」

「うっ……そ、そうね。でも後でしっかり白状してもらうからね!」

「仕方ありませんね」

 

 た、助かった……。でも時間って何だろう?

 

《その世界の細かいことについては後回しにするとして、先に帰り方から説明するよ。まずアンタらがその世界から戻るためには腕輪の力がいる。坂本、アンタが持っている腕輪さ》

 

「やはりこいつか。で、こいつをどうすればいいんだ?」

 

《普通に力を発動させればいい。けど残念だけどすぐには戻れないよ》

 

「何? なぜだ?」

 

《まぁこっちにも色々と準備が必要でね。それに今アンタらが居る場所ではダメなのさ》

 

「この場所ではダメ? どういうことだ?」

 

《そこでは力が発揮できないからさ》

 

「じゃあどこなら力が発揮できるんだ?」

 

《アタシが指定する場所に行って腕輪の力を発動させな。そうしたらこっちから扉を開いてやるよ》

 

 指定した場所に行って腕輪を使え……か。ますますもってゲームらしくなってきたな。

 

「学園長殿、その場所とはどこなのじゃ?」

 

《その世界で言う……なんと言ったかね……そうそう。サラスって国さ。この国の南東の海に島がある。その島の中央がその場所さね》

 

「サラス王国ですか……あの国は大陸が中央砂漠で分断されているんですよね……」

「ちょっと待て。学園長、島に行けってことはそこに行く船があるってことか?」

 

《さぁね。そこまでは知らないよ》

 

「えぇっ!? それじゃウチら泳いで行かなくちゃいけないんですか!?」

「そんな! 私、海を泳いで渡るなんてできませんよ!?」

「どっ、どうしよう……ウチ、水着なんて持ってきてないし……」

「私もです……それにダイエットしなくちゃ……」

「何を言ってるんだお前ら……。船を調達するに決まってんだろ」

 

 あ、そうなんだ。ビックリした……。てっきりトライアスロン並に遠泳しなくちゃいけないのかと思ったよ。

 

「なぁんだ。そうなのね。それを早く言いなさいよ坂本」

「お前らが早とちりしただけだろうか……。で、学園長。俺たちがその島に辿り着いたとして、正確な場所を把握するにはどうしたらいいんだ?」

 

《場所が近くなったらその腕輪が光って教えてくれるだろうよ。さっきも光っただろう?》

 

「つまり歩き回ってみて一番強く光る場所が指定の場所ってわけか」

 

《ま、そういうことさね》

 

 要するに白金の腕輪は鍵であると共にレーダーでもあるってことか。あの腕輪は雄二しか使えないみたいだし、雄二の責任は重大だな。

 

《そろそろ時間が無くなってきたね。他に質問はあるかい》

 

「学園長殿、その時間とは何なのじゃ?」

 

《白金の腕輪の力の持続時間さ。こうして話ができるのは腕輪の力が持続している間だけさね》

 

「そういうことであったか。なるほどのう」

「ウチも質問! 学園長先生! ウチらのこの腕輪って学園長先生が作ったものなんですか? 100年以上前に作られたって聞いたんですけど」

 

《あぁ。そいつは確かにアタシが作った物さ》

 

「じゃ、じゃあ学園長先生って100歳を超えてるんですか!?」

 

《島田……お前さんも吉井の影響を受けてるのかい? アタシが100歳なわけがないだろう? その世界ではそういう設定にしてあるのさ》

 

「設定? 設定ってなんですか?」

 

《その世界にアタシはいないんだよ。だから特別な設定を与えてあるのさ》

 

「???」

 

《まぁフィクションってことさ。そう思っておくれ》

 

「フィクション……ですか?」

 

 美波は”わけが分からない”という顔をしている。この世界は仮想空間。つまり架空の世界だ。きっとこの世界でのババァ長の役割は(いにしえ)の科学者とでもなっているのだろう。

 

《あぁそれとね、その腕輪には特別な力を与えてあるよ》

 

『『『特別な力?』』』

 

《アンタらも知ってるだろう? もともと腕輪の力は400点を超えた者にのみ許可したものさ。それを特別にアンタら自身が使えるようにしたのがその腕輪ってわけさ》

 

「へぇ~……それで瑞希が火を出せたのね」

「私の召喚獣の力そのものですね」

 

《島田は風の力、土屋は速度を増す力、木下には幻を操る力を与えてある》

 

「じゃあウチの召喚獣も400点を超えたらこんな風の力が使えるのね」

「ワシのは幻を見せるのか。これは試召戦争で役に立ちそうじゃのう」

「ちょ、ちょっと待ってよ! 僕の力は!? まだ腕輪も無いんだけど!?」

「……私も無い」

 

《吉井は白金の腕輪の力さ。何度も使ってるだろう? 霧島には光を操る力を与えてあるよ。まぁ運が良ければどこかで手に入るだろうさ》

 

「そっか。やっぱり二重召喚(ダブル)かぁ……」

 

 できればもっと別の力がほしかったな。美波が風で姫路さんが火だから、僕は雷とか氷とか。敵に雷撃を落とすとかカッコイイよね。でも絶対零度の氷でクールに決めるってのも捨てがたいな。

 

「学園長、俺は?」

 

《坂本は扉を開く役さ。それ以外の力は必要ないだろう?》

 

「俺はただの鍵役だってのか……」

 

 がっくりと項垂れる雄二。ははっ、いい役目じゃないか。戦闘ではまるで役に立たないけどね!

 

「ん? ちょっと待て。学園長、そんなに色々と設定を入れ込んでるってことは、あんたはこの世界に干渉できるのか?」

 

《あぁ、できるよ。けど微妙なバランスで成立してる不安定な世界だから無茶なことはできないのさ》

 

「微妙なバランス? そういえばなぜこの世界ができたんだ? さっきも明久に聞けとか言っていたが、それはどういう意味だ?」

 

 うっ……! や、ヤバい!

 

《原因はそこのバカが妙な機械を召喚システムに繋いだせいさ。そのプログラムが逆流してシステムに障害を起こしたってわけさ》

 

「ちょっとアキ! やっぱりアンタのせいだったのね! なんてことしてくれるのよ!」

「そうですよ明久君っ! 黙ってるなんて酷いです!」

「ご、ごごごめんっ! こんなことになるなんて知らなかったんだ!」

「やれやれ。元凶は明久じゃったか」

「…………許すまじ」

「だ、だからごめんってばぁ~っ!」

 

 そんなに皆して責めなくたっていいじゃないか……。悪気があってやったわけじゃないんだからさぁ……。

 

「学園長。召喚システムはどうなったんだ?」

 

 皆が僕を責める中、雄二だけは暗闇の天を見上げながら質問を続けていた。相変わらずこいつは冷静だな。

 

《システムの異常に気付いてすぐに停止したんだがね。結局間に合わずシステムの一部が浸食されてしまったんだよ。おかげで電源を切るわけにもいかず困ってるのさ》

 

「なぜ電源を切れないんだ?」

 

《そりゃアンタらが入ってるからさ》

 

 ……は?

 

「えっ? ちょ、ちょっと待って? それってもしかして僕らがコンピューターの中に入っちゃったってこと?」

 

《そう聞こえなかったかい?》

 

「ま、マジでぇ!?」

 

 し、信じられない……まさかそんなことが現実に起こりうるなんて……そんなのフィクションの世界だけかと思ってた……。

 

「明久君、どういうことなんですか? 私さっぱり分からないんですけど……」

「え、え~っと、それはつまりだね、コンピューターの中に僕らがデータになって取り込まれちゃって異次元な世界を作り出したって感じで……」

「?? すみません……よく分からないです……」

 

 困った。これ以上どう分かりやすく説明したらいいんだろう。なんとなく理解はできていても言葉にできない……。

 

《つまりこういうことさ。アンタらのいる世界は召喚システムの異常に伴って発生した異次元の世界。召喚システムとそこのバカが繋いだゲームが複雑に絡み合った世界さ。アンタらの意識はそこに電子データとして取り込まれてしまったってことさ》

 

「えっと……それじゃウチらがここから出ない限り召喚システムを止められないってことですか?」

 

《そういうこと。だからさっさと出てきな。緊急用の予備電源だけで動いてるからそう長くは持たないよ》

 

「どれくらいもつのじゃ?」

 

《そうさね……アンタらの世界で10日……長く保たせても12日間ってとこかねぇ》

 

 12日間か……そんなに猶予は無いな。のんびりしていると出席日数もヤバくなってきそうだ。それにしても緊急用の電源って12日も動かせる物なんだね。てっきり2、3時間が限度かと思ってたよ。

 

「…………俺の体はどうなっている」

 

《こっちの世界で眠ってるよ。意識不明の昏睡状態でね。でも安心しな。命に別状は無いよ。……今のところはね》

 

「…………今のところ?」

 

《アンタらがそこから出られなければどうなるか分からないねぇ》

 

「え……それってまさか、このままだと僕ら死んじゃうかもしれないってこと?」

 

《そういうことになるね》

 

「えぇっ!? そんなの冗談じゃないぞ! 早くなんとかしてくれよ! あんたシステムの開発者なんだろ!?」

 

《やれやれ。一体どの口が言うのかねぇ。お前さんの引き起こした事態だってことを忘れたのかい?》

 

「そうよアキ。アンタに学園長先生を責める資格は無いわ」

「そ、そうかもしれないけどさぁ……」

「ダメですよ明久君。ちゃんと謝ってください」

「う、う~ん……」

 

 美波と姫路さんにこう言われてしまうと弱いなぁ……。

 

「わ、分かったよ…………ゴメンなさい。反省します」

 

 ペコリと頭を下げ、僕は謝った。確かに今回は僕のせいみたいだし、責任を感じなくもない。

 

「学園長先生、アキもこうして謝っていることですし、許してあげてもらえませんか?」

 

《フン、いいだろう。まぁアタシにも保護責任ってやつがあるからね。責任をもってこっちに帰してやるよ。けどアンタらが動いてくれないとアタシにもどうにもならないんだ。だからしっかり頼むよ》

 

「俺たちだって元の世界に帰りてぇんだ。約束は果たすぜ」

 

《よし、それじゃもういいかい。通信を切るよ》

 

「ちょっと待ってほしいのじゃ」

 

《なんだい木下》

 

「ひとつ質問じゃ。召喚獣の衣装はなぜ一学期のものなのじゃ?」

 

《気に入らないかい?》

 

「いや、気に入らないわけではないのじゃが……。二学期で新しい衣装に変わったのに、なぜ旧式なのじゃろう? と疑問に思ったのじゃ」

 

《そりゃバックアップから取り出したデータだからさ。繋がっているサーバーに最新のデータは入ってないんだよ》

 

「ふむ……なるほどのう。では頭に付くバイザーのようなものは何じゃ? 召喚獣にあのような装備は無かったと思うが?」

 

《アンタらが使えるようにした時に追加したモンさ。召喚獣の力にも限りがある。それを視覚的に分かるようにするために作ったのさ。そいつに黄色いゲージが表示されていただろう? それが召喚獣のエネルギーを示しているのさ。そいつが切れると召喚獣の力は消えるよ。力を使わずにほっとけば回復していくがね》

 

 へぇ、やっぱりエネルギーゲージだったのか。確かにこれなら分かりやすい。妖怪ババァも結構僕らのことを考えてくれてるんだな。

 

「あの、学園長先生、私からも質問いいですか?」

 

《今度は姫路か。なんだい?》

 

「召喚獣の力って個人の学力で大きく差がありますよね? この試獣装着って仕組みにも差があるんですか?」

 

《一応あるよ。科目の概念は無くて総合力だけだがね》

 

「じゃあ、この中では翔子ちゃんの力が一番強いんですか?」

 

《そういうことになるね。けどこのシステムにはもう一つ特徴があるのさ》

 

「特徴……ですか?」

 

《熟練度というステータスを追加しておいたんだよ》

 

 熟練度? ホントにゲーム染みてきたな……。でもなんだかこういうのを聞くとワクワクしてきちゃうな。

 

《召喚獣の力は総合力が高ければ力も強い。それに対して熟練度が高ければ回復力が高いようにしてあるのさ》

 

「なるほどな。瞬発力と持続力ってわけか。面白いじゃねぇか」

 

 ふ~ん……。でももう召喚獣を使うことも無いだろうし、関係無いかな。

 

《それと腕輪にはもう一つ効果を加えてある。身につけていれば召喚獣の持続力を飛躍的に向上させることができるのさ》

 

「飛躍的? どれくらい?」

 

 質問した僕は、せいぜい2、3倍ってとこだろうなんて思っていた。ところが学園長の回答はとんでもないものだった。

 

《ざっと20倍ってとこかね》

 

「にっ、20倍いぃ!?」

「元が10分ならば200分。つまり3時間弱ということじゃな」

「チート級じゃねぇか……」

「…………ゲーム性の破綻」

 

《文句があるのなら削除したっていいんだよ?》

 

「「「「すいませんっしたぁーー!!」」」」

 

 僕ら男子全員の心が一つになった瞬間だった。

 

「もう……何やってんのよアンタたち……」

「あ、あはは……」

 

 この様子を見て呆れる美波と苦笑いをする姫路さん。霧島さんは変わらず無表情だ。

 

「ところで学園長。俺からも質問いいか?」

 

《なんだい。早くしな》

 

「先程社会勉強がどうとか言っていたが、どういうことだ?」

 

《お前さんも細かいことをよく覚えてるねぇ》

 

「ちょいと気になったんでな」

 

《アンタらは学校生活で教師か同世代の者とばかり話をしているだろう? アンタら――特に坂本と吉井は目上の者に対する礼儀がまるでなっちゃいない。だからその世界での主要人物はほとんど大人にしておいたのさ。事を進めるに当たり、どうしても大人と接しなければならないようにね。まぁ少し調整を誤ったような気がしないでもないがね》

 

 主要人物を大人に……? そういえば今まで高校生くらいの人に全然会わなかった気がする。同世代くらいの人で思い当たるのは2人の王子くらいだ。

 

「そういえば町の人たちって大人ばかりだったわ」

「私もサラスで会った方は大人の人ばかりでした」

「……私も」

 

 そうか、子供や大人ばかりだったのはそういうことだったのか。てっきりこの世界にも学校があってそこに行ってるのかと思ってた。でもよく考えたら朝や夜も一切学生風の人を見なかったな。

 

「ちょっと待て。学園長、そこまでできるのなら俺たちを元の世界に戻すくらい、どうってことないんじゃねぇのか?」

 

《だからさっきも言っただろう? あまり無茶なデータを放り込むとシステムがハングアップしてしまうんだよ。そうなったらもう修復はできない。アンタらはデータの藻屑さ。そうなりたいのかい?》

 

「冗談じゃねぇ! こんな所で死んでたまるか!」

「そうだよ! 僕だってまだまだ色々とやりたいことがあるんだ!」

 

 まだ観察処分者の汚名を返上していないし、このまま学園に名を残すなんて冗談じゃない! っと、そうだ! 僕も一つ聞きたいことがあった!

 

「学園長! 僕からも質問いいですか!」

 

《今度は吉井かい。しつこいねぇ。早くしな》

 

「この召喚獣って通信機能とか無いの? 離れた場所で会話できると凄く便利なんだけど」

 

《そんな機能は無いね》

 

「なんで無いのさ。それがあれば離れていてもすぐ連絡が取れるじゃないか」

 

《急ごしらえでそんな機能を付けてる余裕があると思うかい? 魔獣と戦う力があるだけでもありがたく思いな》

 

「ちぇっ。ケチ」

 

《何か言ったかい!》

 

「な、なんでもないです!」

 

 地獄耳め……。

 

《もうそろそろタイムリミットのようだね。質問は以上でいいかい?》

 

「ちょっと待って! もう一つ質問! 魔獣って何なの!?」

 

《お前さんの繋いだ機械から流れ込んだデータが作り出したものさ。おかげでアタシらもとんでもない苦労してるんだ。少しは反省しな》

 

「ぐ……も、もう一つ! 魔人ってやつ! あいつもゲームが作り出したの??」

 

《あー。時間切れだね。いいかいジャリども。12日間のうちにサラス南東の島に来るんだよ。いいね》

 

「あっ! ちょ、ちょっと待って! まだ答えを聞いてないんだけど!?」

 

《…………》

 

「ねぇ! 学園長! 学園長ってば! このくそババァーっ!!」

 

 叫んでいるうちに辺りが次第に白くなっていき、徐々に元のホテルの部屋の風景に戻っていく。どうやら本当に時間切れのようだ。

 



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第三話 次の目標へ

 完全に元に戻った部屋の中、皆は呆然と立ち尽くしていた。

 

「くっそぉぉーっ! 大事なことが聞けなかったじゃないか!」

 

 バンと机を叩き、僕は悔しさをぶつける。

 

「雄二! もう一回腕輪を発動させてよ! あのババァに問いただしてやる!」

「無理だな」

「なんでだよ!」

「見てみろ。腕輪が光を失っている。しばらくは使えないだろう」

「そ、そんなぁ……」

「いいじゃないアキ。とにかくウチらが元の世界に帰る確実な方法が見つかったんだから」

「そりゃそうかもしれないけどさぁ……」

 

 僕にとっては一番気になっていたことなのに……。こんなことなら最初に聞いておくんだった。

 

「美波ちゃんの言う通りですよ。いいじゃないですか。学園長先生も私たちが帰るのに協力してくださるそうですし」

「はぁ……そうだね。それじゃ魔人のことは帰ってから聞くことにするよ」

「それがいいと思います」

「とりあえず俺たちが取るべき行動は決まったな」

「まずはサラス王国に行かねばならぬということじゃな」

「そういうことだ」

「でも私たちがコンピューターの中に入っていたなんて……驚きました……」

「ウチはよく分からなかったけど、とにかくあと12日間のうちに帰らないといけないってことは理解できたわ」

「早くしねぇと出席日数もやべぇな」

「……期末テストに間に合う?」

「俺たちがこの世界に入ったのが1月の10日だ。あれから26日経ってるから2月の6日ってことになる。今からサラスに移動しようってんだから期末テストには間に合わねぇだろうな」

「えぇっ!? そ、それじゃ僕ら全員留年決定じゃないか!」

「なんとか交渉するしかないだろうな。後からでも試験を受けさせてくれ、とかな」

「学園長先生、受け入れてくれるでしょうか……」

「……皆で頼めばきっと大丈夫」

「そうですね翔子ちゃん。皆で頼みましょう!」

 

 あの妖怪ババァ、聞いてくれるかな……でもなんとかしないと2年生を2度も経験することになる。そんなことになれば僕の人生に更なる汚点を残すことになる。それだけはなんとしても避けなければ!

 

「よし、状況を整理するぞ。皆席に着け」

 

 雄二の号令で皆は椅子やベッドに腰掛ける。10日前と同じように作戦会議を開くつもりなのだろう。僕もテーブル席に着き、雄二の出方を伺った。

 

「今の学園長の話を整理するぞ。まず、俺たちの置かれた状況だが――」

 

 雄二は先程の学園長の話を要約して説明をはじめた。

 

 ここが召喚システムとゲームが融合した電子の世界であること。僕たちが電子データになり、その世界に入ってしまったこと。あと12日間でこの世界が消滅してしまうこと。それまでにサラス王国の南東にある島に行かなければならないこと。

 

 悔しいけど、雄二の説明は分かりやすかった。美波たち女子3人は電子の世界というものにピンと来ていないようだったが、最後には納得してくれたようだった。

 

「以上が俺たちが置かれている状況だ。ここまでで質問はあるか?」

 

 部屋の中はシンと静まり返る。誰一人として手を上げる者はいなかった。

 

「無いようだな。問題はこれから俺たちがどうすべきか、だが……そうだな……姫路、サラス王国の状況を聞かせてくれ」

「何をお伝えすればいいですか?」

「まずは地理。それと気候だ」

「分かりました。ではまず地理ですが……これを見てください」

 

 姫路さんは腰のポシェットから1枚の紙を取り出し、テーブルの上に広げて見せた。どうやら地図のようだ。

 

「この国の中央にはこんな形で大きな砂漠が広がっています。町の配置は西側と東側に分かれているようです。西側はサバンナのような気候で、ほぼ熱帯です。東側は行かなかったので私にも分かりません」

 

【挿絵表示】

 

「ねぇ坂本、確か目的の島はこの国の南東って言ってたわよね?」

「そうだ。つまりこの砂漠を突っ切って東側に渡る必要があるってことだ。姫路、この砂漠を渡る手段はあるのか?」

「私の知る限りマッコイさんの砂上船だけです。ですが今はもう……」

「運航停止か」

「はい……」

「他に渡る術は無いのか?」

「すみません。砂上船が動いていないことが分かった時点で時間が無くなってしまって調べてないんです」

「そうか……まいったな」

「姫路さん、なんとかして砂上船を動かしてもらうわけにはいかないのかな」

「難しいと思います。マッコイさんは船が大好きな方なのでたぶん説得できないことはないと思います。でも王妃様を説得できないと思うんです……」

「そっかぁ……どうする? 雄二」

「姫路、その王妃とはどういう人物なんだ?」

「とても厳しいお方です。王様の代わりに国の実権を握っておられるようです。それと綺麗なドレスがとってもお好きな方です」

「歳はいくつなんだ?」

「どうなんでしょう……お化粧でよく分かりませんでしたけど、学園長先生よりはお若いと思います」

「ドレスが好きな頑固者の女王様か。交渉で運営権を取り戻すのは難しそうだな」

「ん~……。じゃあさ、ここの海を通るってのはダメなのかな」

 

 僕は地図の下側を指でなぞり、南側の海路を示す。

 

「この国からサラス王国に行く船だって普通に運航してるしさ、ここを通る船だってあるんじゃないの? もしここを通る船があるんだったら、こう……真っ直ぐ目的の島まで行けると思うんだけど」

「明久よ。ワシらもそこまでの情報は持ち合わせておらぬのじゃ」

「だよねぇ……」

「ま、行ってみるしかねぇだろうな」

 

 つまりサラスに渡った後は島への行き方を探すってことか。面倒だなぁ。ババァがもっと詳しく教えてくれればこんな苦労はしなくて済むのに。

 

「ところでその島はなんという名なのじゃろうな」

「ほぇ? 名前?」

「んむ。”目的の島”では呼びにくかろう。それにワシらの世界でも島には一つ一つ名前が付いておるじゃろう?」

「それもそうだね。雄二、なんて名前?」

「俺が知るわけねぇだろ」

「なんだよ。知らないのかよ」

「ババァは”サラス南東の島”としか言ってなかっただろうが」

「そうだっけ?」

「ったく、こいつは……まぁいい。確かに秀吉の言う通りだ。では目的の島を便宜上”扉の島”と呼称する。皆いいな?」

「故障? 島が壊れるの?」

 

『『…………』』

 

 シンと静まり返る室内。それはまるで時が凍りついたかのようだった。

 

「えっ!? なんで皆そんな顔をするの!? 僕、何か変なこと言った!?」

 

「このバカは……」

「明久君、呼称というのは”()び”、”(たた)える”という漢字を書くんです。名前を付けて呼ぶって意味なんですよ」

「「へぇ~」」

 

 僕と美波の声が重なる。

 

「あれ? 美波も知らなかったの?」

「うん。初めて聞いたわ」

「そっか。なら勉強になったね」

「いいですか2人とも。ちゃんと覚えてくださいね」

「「は~いっ」」

 

 またも僕と美波の声が重なり、僕らは揃って手を上げた。

 

「ここは幼稚園かよ……」

 

 眉間を指で押さえて呟く雄二。そんなにおかしいことだろうか。楽しく勉強しているんだからいいと思うんだけどな。

 

「まぁいい。とにかく俺たちは前に進むしかねぇんだ。その島行きの船があればよし。無ければ船を調達してでも行く。いいか、やっと見つけた帰る方法だ。なんとしても帰るぞ!」

 

『『『おーっ!』』』

 

 雄二の檄に全員が呼応する。

 

 よぉし! やっと元の世界に帰る目処がついたぞ! ここまで長かったなぁ……1人で草むらに放り出されてから26日。もうすぐ1ヶ月になるんだもんなぁ……。

 

「うっし、今日は終わりにすっか。とりあえず飯だ飯!」

 

 ガタッと勢いよく立ち上がり、雄二が拳を握る。でもそれでいいんだろうか。

 

「ねぇ雄二、急いで出発した方がいいんじゃないの? 12日しかないんだよ?」

「急いだところで今日はもう交通機関が動いてねぇだろ。とっくに日が暮れてんだぞ?」

「あ、そっか。それじゃ明日だね」

「そういうことだ」

「…………サラスに行ったとして船はどうする」

「ンなもん向こうに行ってから考える」

「…………そうか」

「え……ちょ、ちょっと待ってよ雄二、そんな行き当たりばったりでいいの?」

「ま、なんとかなるだろ」

「えぇ~……」

 

 雄二のやつ、ずいぶんと楽観的だな。何か考えでもあるんだろうか。

 

「坂本君、島の場所は分かるんですか?」

「いや。知らん」

「えっ……? じゃ、じゃあその島はどうやって見つけるんですか?」

「港で働く人に聞けば誰かが知ってるだろ」

「そ、それは……そうかもしれませんけど……」

 

 う~ん……さすがに楽観的過ぎやしないか? 姫路さんも不安がってるじゃないか。ちょっと聞いてみるか。

 

(おい雄二、どうしたんだよ。やけにノリが軽いじゃないか)

(そうか? 俺はいつも通りだぞ?)

(だって目的地の正確な位置が分からないってのに調べようともしないじゃないか)

(いいか明久、こいつはゲームと召喚獣の世界が融合した未知の世界だ)

(それはさっき聞いたよ)

(ゲームってのは行き先は必ずどこかで示されてるモンだろ?)

(そりゃまぁ、そうだね)

(なら俺たちの行き先も必ずどこかで示されるだろ)

(う~ん……そうかなぁ……)

(どうせ後ろであのババァが糸を引いてるんだ。なんとかするだろ)

(そっか。そうかもしれないね)

 

 まぁ雄二がそういうのならいいだろう。どうせこの後は皆一緒に行動することになるし、僕らは雄二についていくだけさ。

 

「ま、そんなわけだ。とりあえず晩飯にするぞ。ムッツリーニ、準備だ」

「…………了解」

「ワシも手伝おう」

「美波たち女子は部屋でゆっくりしててよ。夕食の準備は僕ら男子がやっておくからさ」

「そう? 悪いわね。それじゃお言葉に甘えさせてもらおうかしら」

「……瑞希。旅の話を聞かせて」

「あっ! ウチも聞きたい!」

「え? でも……明久君たちにすべてお任せするわけにも……」

「ううん! 大丈夫だよ姫路さん! ぜんぜん気にしなくていいからね!」

「そうですか……?」

「もちろん!」

 

 フフ……これで僕らの命は守られる。姫路さんに任せると何を入れるか分からないからね。ん? そういえば……。

 

「秀吉、よく無事に帰ってきてくれたね」

「んむ? 当然じゃろ。約束したではないか。”必ずここに戻る”とな」

「うん。まぁ、そうなんだけどさ。……ちょっと耳貸して」

「なんじゃ?」

 

 僕は秀吉の耳元に口を寄せ、小声で話しかけた。

 

(僕が心配したのは秀吉たちの体なんだ。姫路さんの料理的な意味でね)

(なんじゃそのことか。安心せい、あらゆる手段を講じて阻止したわい)

(さすがだね秀吉)

(ふふん。ワシとてここで命果てるわけにはいかぬからのう)

 

「それじゃお願いしますね、明久君」

「あ、うん。任せておいてよ!」

 

 姫路さんたちはベッドに腰掛けて話し始めた。美波と霧島さんを左右にし、姫路さんを真ん中にして。あの3人はいつも仲が良いな。

 

「ところで明久よ」

 

 女子の微笑ましく楽しげな姿を眺めていると、秀吉が僕の肩に手を置いて話しかけてきた。

 

「ん? 何? 秀吉」

「島田との二人旅はどうだったのじゃ?」

「どうって?」

「相変わらずニブい男じゃのう。進展はあったのかと聞いておるのじゃ」

「進展?」

 

 進展かぁ。うーん……どうなんだろ。なんかいつも通りだった気がするけど。

 

「やれやれ。その顔ではたいした進展は無かったようじゃな」

「あはは……秀吉には敵わないな」

「情けないのう。先が思いやられるわい」

「そ、そんなこと言ったってさ……」

 

 今回の旅は腕輪を探すのに必死だったし……。あ、でも魔人戦で美波の強さは知ったかもしれない。

 

「おい明久、ノロケてないで早く支度しろ」

「べ、別にノロケてなんかないよ!?」

「いいから手を動かせ」

「へーいっ」

 

 でも美波との旅は本当に楽しかったな。大変な目にも遭ったけど、それよりも楽しかった思い出の方が大きい。元の世界に戻ったらあの湖みたいな場所でデートしようかな。

 

 へへ……楽しみだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 夕食を終え、()()()は明日に備えて寝ることにした。部屋割りは以前と同じように男子部屋と女子部屋の2つだ。部屋の(あか)りを消し、ベッドに入った俺は眠ろうと目を閉じていた。

 

 ……眠れない。

 

 昼間はバイトで肉体労働をしていたのだから疲労はあるはず。にもかかわらず眠れないのは、このモヤモヤした気分のせいだ。

 

 この10日間、俺の行動はほとんどが裏目に出ていた。姫路には3つの腕輪を。明久には2つの腕輪の回収を命じておきながら、この俺はたった1つの使命すら果たせていない。

 

 先程、俺は明久に説教染みたことを言っている。何が「覚えておけ」だ。偉そうなことを言っておきながら自分は何もできていないではないか。あの明久(バカ)ですら”責任感”が生まれ、明らかな成長を見せているというのに。

 

 飯前に楽観的な態度を見せたのも、この悶々とした気分を隠すものだ。まったく……いつから俺はこんな情けない男になったのだろう。自分で自分に腹が立つ。

 

(雄二よ。眠れぬのか?)

(……すまん。起こしちまったか?)

(先程からお主がもぞもぞと動いておるので気になってな)

 

 この部屋にベッドは2つ。今日は俺と秀吉がペアで使っている。俺は静かに寝転がっていたつもりだったが、どうやらそうでもなかったらしい。

 

(そうか。すまん)

(どうしたのじゃ。お主らしくないではないか)

(……なんでもねぇよ)

 

 秀吉のやつ、妙なところで鋭いじゃねぇか……。けどこいつは俺自身の問題だ。誰かに相談するようなことではない。

 

(ワシにはお主の悩みは分からぬ。それもお主ならば自ら解決してしまうかもしれぬ)

(…………)

(じゃがの……)

 

 秀吉はそこで一旦言葉を区切り、しばらくして意外なことを言ってきた。

 

(世の中にはどうしても1人では解決できぬこともあるのじゃ。そんな時はワシらを頼ってほしいのじゃ)

(…………)

(ワシに言えることはそれだけじゃ。では寝るぞい)

(……あぁ)

 

 ……

 

 まさかこの俺が諭されるとはな……。

 

 ……

 

 すまねぇ秀吉。お前の気持ち、ありがたくいただいておくぜ。

 

 確かに俺は少し焦っていたのかもしれないな。あの明久(バカ)が成長して帰ってきたのを見てな。だがあいつはあいつ。俺は俺だ。俺には皆を無事元の世界に帰すという役目がある。今はその目標に向かって進まなくちゃいけねぇな。

 



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第四話 塞ぐべきは目か口か

「あれ? すぐ出発するんじゃないの?」

 

 翌朝、朝食後にすぐ出ると思っていたら、雄二のやつはベッドに寝転がっていた。何をのんびりしているんだと責めると、あいつは僕をバカにするように言った。

 

「昨夜言っただろうが。出発は今日の昼だ。姫路たちを休ませるためにな」

 

「あ、あれ? そうだっけ?」

「ったく。少しはメンバーの体力も考えろ」

「そうだね。ゴメン忘れてた」

 

 そっか。雄二はそこまで考えていたのか。僕もまだまだ配慮が足りないな。

 

「分かったら今のうちに休んでおけ。ここから先は長旅になりそうだからな」

「あぁ、分かったよ」

 

 とはいえ、どうしたものか。すっかり朝のうちに出発するもんだと思い込んでいたものだから、やることがない。休んでおけと言われても、ただゴロゴロしているのも勿体ない気がする。

 

「どうした。暇をもてあましてんのか?」

「ん。まぁ、そんなとこかな」

「ンじゃお前、アレを手伝ってこいよ」

 

 ベッドに寝転がりながら雄二が親指で窓の方を指差す。その指差す先にあるのは、大きく円形状に空いた穴。あれは以前、姫路さんが腕輪の力で開けてしまった穴だ。昨日までは布と板で塞がれていたが、今はそれが取り払われている。

 

「なんでまた穴が開いてるのさ。まさか雄二がまた壊したのか!?」

「ンなわけあるか。修理に決まってんだろ」

「だよねぇ」

 

 そうか、業者に依頼した修理の日が今日だったのか。それで応急処置した布や板が取り払われてるんだな。

 

「それじゃ手伝ってくるよ。暇だし」

「おう」

 

 そんなわけで僕はホテルの外に出てみた。すると道路には頭にハチマキを巻いた体格の良い男がいた。その人は大きな(たらい)のような物に長い棒を突っ込み、一生懸命に何かをかき混ぜているようだった。

 

 あれが修理の人かな? と早速話しかけてみると、それは確かに修理業者のおじさんだった。けれど手伝いを申し出てみると、「触るな!」と怒鳴られてしまった。専門的な技術が必要なので素人には触らせたくないらしい。

 

 そんなわけでやることがなくなってしまった僕は道路脇のベンチに座り、修理の様子を見守ることにした。

 

「ハァ……」

 

 暇だなぁ。こんな時に携帯ゲームでもあればな……でもあのゲーム機のせいでこんな世界になっちゃったんだよね……。

 

 ……

 

 召喚獣の世界……か。あのおじさんは元は召喚獣なのかな。それともゲームが作り出した架空の人物なのかな。どちらにしても実在する人物じゃないんだよね。でもこうして会話もできるし、普通の人間と変わらないん――

 

「ムぐッ!?」

 

 突然口と鼻が塞がれた。って! 息! 息ができない!!!

 

「だーれだっ」

「ンーっ! ンーっ!? ンンーっ!?」

 

 声の主が誰なのかは分かる。だがこのままでは窒息してしまう!!

 

「ぷあっ!」

 

 ようやく振りほどいて振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた少女の姿があった。

 

「なっ……何すんのさ美波ぃぃ!?」

「えへへっ、どう? 驚いた?」

「そりゃ驚くよ!!」

 

 いきなり背後から鼻と口を塞がれて驚かない人はいないと思う。

 

「あぁビックリしたぁ……本当に殺されるかと思ったじゃないか……」

「ふふ……ゴメンね。ほんの冗談よ」

 

 冗談で息の根を止められてたまるか。っていうかさ、こういうのって普通目を塞いで「だーれだ」ってやるものなんじゃないの?

 

「ところでアキ、こんなところで何をしてるの?」

「ん? あぁ、暇だったから壁の修理を手伝おうと思ったんだけど、断られちゃってさ」

「それでやることなくて見てたの?」

「うん」

「ふ~ん……ウチも一緒に見てていい?」

「うん。いいよ」

「ありがと」

 

 美波はニコっと微笑むと、僕の横に腰掛けた。

 

「なんだか嬉しそうだね」

「そう? ウチはいつも通りのつもりだけど?」

 

 そう言いながらも美波は笑顔を絶やさない。でも理由はなんとなく分かる。

 

 今までは雄二の推測をもとに行動していた。腕輪が元の世界に帰る鍵になるという話も雄二の推測でしかなかったのだ。それが昨日、確実に帰る方法が分かった。これ以上喜ばしいことがあるだろうか。

 

 ただ……この世界の原因が僕であることを考えると、僕は素直に喜べない……。

 

「それにしても不思議ね」

「ん? 何が?」

「だってこの世界って作られたものだったんでしょ? しかもウチらが電子データになってたなんて、今でも信じられないわ」

「……そうだね」

 

 電子データか。10日前に作戦会議をした時に”もしかしたら”って思ったけど、まさか本当にそうなっていたなんてな……。

 

 それに原因を作ったのはやっぱり僕だった。あまり信じたくはなかったけど、学園長が言う以上本当なのだろう。しかも今回の学園長は、召喚獣を装着できるようにしたり腕輪を用意したりと、とても協力的だ。今まで僕らをモルモット程度にしか考えていなかったあの学園長が、だ。それほど今僕らが置かれている状況が深刻なのだろう。

 

「アキ? どうしたの? 考え込んじゃって。アンタらしくないわよ?」

「え……そ、そう?」

「だっていつも何も考えずに思った通りに突っ走っちゃうのがアンタじゃない」

 

 僕はそんな性格だと思われていたのか。それは大きな誤解だ。いつだって僕はちゃんと順序立てて物事を考えてから行動――――

 

 ……

 

 してたよね……? ちょっと自信なくなってきた……。

 

「それでどうしたの? 何か悩み事?」

「悩み事というか……う~ん……」

「どうしたのよ。話してみなさいよ。相談に乗るわよ?」

「うぅ~ん……」

 

 悩み事ってほどでもないんだよね……悪いことしたなって思ってるだけで。

 

「もうっ! いつまでも1人で悩んでないで話しなさいっ!」

 

 美波は(ひたい)がくっつきそうなくらいに顔を近づけて声を荒げる。こんな時は逆らわない方が身のためだ。

 

「わ、分かった。話すよ」

「最初から素直にそう言えばいいのよ。それで何を悩んでるの?」

「えっと、それがさ……」

「うん」

 

 やっぱり素直に謝ろう。今回の騒動が僕のせいだってことは間違いないんだから。

 

「ご、ごめんっ! 僕のせいでこんなことになって!」

「えっ? 何が?」

「いや、その……こ、この世界の原因を作ったのって僕だから……本当にごめんっ!」

「なんだ。アキの悩みってそんなこと?」

「え。そ、そんなことって……」

 

 あ、あれ? あんまり怒ってない? おかしいな。僕のせいでこんな目に遭ってるんだから怒ってると思ったんだけど……。

 

「あのねアキ、確かにアンタのせいでウチらはこの世界で大変な目に遭ってきたわ。でも今それを責めたところでウチらの置かれた状況は変わらないでしょ?」

「まぁ……そうかもしれないけど……」

「だったら原因を作ったアキを責めることより、これからどうするかって考える方が大事じゃない?」

「う~ん? そう……なのかなぁ」

「それにね、ウチはこの世界に来て良かったって思うこともあるの」

「へ? 良かった?」

「学園長先生が言ってたの覚えてる? 『社会勉強のためにこの世界の人たちをみんな大人にしてる』って」

「そういえばそんなこと言ってたような……」

「ウチね、それを聞いて思ったの。確かにウチらって先生と両親以外の大人と話すことってほとんど無かったじゃない? でもこの世界に来て、いろんな大人の人と話をして、いろんな人のお世話になってきた」

「……そうだね」

「上手く言えないんだけど……いろいろ経験できて良かったなって思うの。学園生活じゃできない……すごく大切な経験だって、思うの」

 

 美波は薄緑色の空を見上げながら言う。その表情はとても清々しく、思い出に浸るかのような目をしていた。

 

 いつもの大きくて綺麗な瞳。そよ風にサラサラとなびく綺麗な髪。

 

 こんなにも可憐で可愛い女の子が僕の彼女でいいんだろうか。僕は彼氏として相応しくないんじゃないだろうか。幾度となく自らに問い掛けてきた。

 

「ね? アキもそう思わない?」

 

 彼女はいつものように笑顔を僕に向ける。その笑顔を見る度に思う。

 

「……うん。そうだね」

 

 相応しいかどうかなんて、どうでもいい。僕はこんな美波の笑顔が好きだ。それでいいじゃないか。と。

 

「ありがとう美波。なんか吹っ切れた気がするよ」

「どういたしまして。ふふ……あ、でも落とし前はちゃんと付けてもらうわよ?」

「げっ……」

「当然でしょ? アンタのせいで大変な目に遭ってきたのも事実なんだから」

「は、はい……」

 

 とほほ……やっぱり美波は厳しいなぁ。

 

「分かったよ。じゃあ僕は何をしたらいい?」

「そうね。まずは…………うん。まずはウチと一緒に元の世界に帰ること!」

 

 ビッと僕の鼻先を指差し、美波はいつもの吊り目で僕を睨む。そして、

 

「それから、帰ったらデートすること! もちろん全部アキのおごりでね」

 

 彼女は片目を瞑ってウインクをしてみせた。僕の食費がピンチになりそうだけど、この命令には逆らえそうにない。

 

「うん。分かったよ」

「ホント!? 絶対だからね? 約束よ?」

「うん。約束するよ」

「やったっ! それじゃぁね、まず映画に行って、その後でスイーツ! それからそれから……」

 

 美波は色々と妄想をはじめてしまった。彼女はあれはどうだ、これはどうだと話を持ちかけてくる。その度に僕は自分の財布を心配してしまう。

 

 ……とても心地よい時間だった。

 

 美波とは今まで何度も元の世界に帰った後の話をしてきた。けれど今までは”本当に帰れるんだろうか”という気持ちが頭のどこかにあった。今はそんな不安はどこにもない。それが僕の心を晴れやかにしているのだと思う。

 

『おーい、明久に島田よー。そろそろ支度をせぬかー。出発するぞーい』

 

 その時、頭上から中性的な声が聞こえてきた。見ればホテル2階の窓から誰かが身を乗り出し、手を振っている。あれは……秀吉か。

 

「あれ? 修理のおじさんは?」

「とっくに帰ったわよ?」

「え……いつの間に……」

「さっきウチらが話してる間よ」

「そ、そっか」

 

 お喋りに夢中になってて気付かなかったのか。そういえば秀吉が乗り出している窓の横にはさっきまで大きな穴が空いていたはずだけど、今は綺麗に埋まっている。それに壁に掛けられていたハシゴもなくなっている。つまり壁の修理は終わったということなのだろう。

 

「戻りましょアキ。準備しなくちゃ」

「うん。そうだね」

 

 僕たちは駆け足でホテルに戻り、すぐに出発の準備を始めた。といってもリュックに寝巻きを丸めて入れるくらいで、そんなに時間の掛かるものではない。10分もしないうちに荷物をまとめた僕たちはホテルの外に集合した。

 

「お前ら、忘れ物は無いな?」

 

 赤いトレンチコートを羽織った雄二は、仁王立ちで僕らを見つめる。他の6人は皆、マントやコートを羽織り、鞄やリュックを手にしている。

 

「大丈夫。全部持ったよ」

「よし、明久に忘れ物が無いのなら全員大丈夫だな」

「なんだよそれ。それじゃまるで僕が忘れ物の王様みたいじゃないか」

「違うとでも言うつもりかお前は」

「もちろんさ! ……なんて、言えないよねぇ」

 

 今までの実績からすると、残念ながら僕に反論の余地は無い。

 

「そうね。言えないわね」

「そうじゃな」

「そうですね。ふふ……」

「よく分かってんじゃねぇか」

 

 寒空の下、僕らはしばし”あはは”と笑い合う。頭上からは薄緑色の膜越しに日の光が僅かな暖かさをもたらしている。

 

 今、僕らは次の目標に向かって旅立とうとしているのだ。今度こそ全員で元の世界の帰るという目標に向かって。

 

「よし! 出発だ!」

 

『『『おーっ!』』』

 



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第五話 いざラミール港へ

 サンジェスタの町を出発してから1時間が経過している。車窓から見える風景はゴツゴツとした灰色の山肌ばかり。馬車は既に山道に入っている。行き先は東の海岸沿いの町”オルタロード”。この町を経由し、更に北に向かい、港町ラミールまで行くのだ。

 

 馬車の乗客は僕ら7人のみで貸し切り状態。全員揃っての移動はこの世界に来て初めてだ。こうして皆で乗り物に乗るのは強化合宿以来だろうか。

 

 山道は路面が悪く、下から突き上げる揺れはまるで尻を叩くかのようだ。そんな中で僕たちはわいわいと話をしながら楽しい時間を過ごす。揺れなんてまったく気にならなかった。

 

 それぞれの旅の経験。

 学園生活での様々な出来事。

 海水浴や強化合宿、体育祭。

 それに将来の夢。

 

 ガタガタと揺れる馬車の中、僕たちは時を忘れて語り合った。しかし1つだけ失敗した話題がある。それは試召戦争の作戦の話だ。Aクラスの霧島さんがいるというのに、雄二のやつがペラペラと得意げに話してしまったのだ。おかげで作戦のうち1つが使えなくなってしまったじゃないか。雄二のバカタレめ。

 

 そんな話をしているうちに時は流れ、出発から約2時間。馬車はオルタロードへと到着した。

 

「よし皆、ここでしばらく休憩するぞ。明久、ラミール行きの馬車の時刻を調べてこい」

「えー? なんで僕が……」

「嫌ならいい。島田、頼めるか?」

「僕が行くよ!」

 

 って……あれ? なんかデジャヴ?

 

「雄二」

「なんだ?」

「覚えてろよ」

「嫌なこった」

 

 雄二がニヒヒといやらしい笑みを浮かべる。くそっ、今に見てろよ……!

 

 復讐を胸に誓い、僕はラミール行きの馬車乗り場へと向かった。

 

 

 

 ―― 10分後 ――

 

 

 

「何? ラミール直行便が無いだと?」

「うん。1日1本しか出てないらしくてさ、今日の便はもう午前中のうちに出ちゃったらしいよ」

 

 馬車の停留所に書かれていた時刻表はとてもシンプルだった。

 

 [ 9:00発 ]

 

 これだけが書かれていたのだ。それはもう悪戯(いたずら)かと思えるほどにシンプルに。けれど付近を歩いていたおばさんに聞いてみると、あれは悪戯ではなく本物らしい。なぜならラミール港へは8時間も掛かるため、直通は朝の9時に出る一便しかないそうだ。ただ、一便と言っても同じ時間帯に4台の馬車が連続して出るため、1日の運搬人数は40名らしい。

 

「というわけなんだよ」

「なるほど……しかしこいつはまいったな」

「どうする雄二? 今日移動するのは無理そうだし、明日の朝までこの町で待つ?」

「……期限は12日間。あまりゆっくりしていられない」

「翔子の言う通りなんだが……明久、他に移動手段は無いのか?」

「僕だって馬車しか知らないよ。この国にいた雄二の方が知ってるんじゃないの?」

「俺はメランダ行きにしか乗ってねぇんだよ。姫路、お前たちがサラスに行く時はどうしたんだ?」

「私たちが通った時はちょうど馬車が停車していたのでそれに乗ったんです。特に時間は気にしませんでした」

「そうか。さてどうするか……」

 

 雄二は顎に手を当て、考え込む姿勢を見せる。でも考えたところで馬車が出ていない以上、明日まで待つしか無いよね。

 

「よし、一旦メランダに行くぞ」

 

 しばらくして雄二が顔を上げてそんなことを言った。

 

「メランダ? なんでさ。行き先はラミール港だろ?」

「メランダはこことラミールの途中にある町だ。まぁ途中というか少し西側に外れるがな」

「なんでそんな所に行くのさ」

「今日のうちにメランダまで行っておけば明日の移動距離が短くて済むだろ?」

「そうなの? 霧島さん」

「……うん。この地図で見た感じではたぶんメランダから2、3時間」

「どれどれ? 見せて」

 

 霧島さんは手にしていた紙を裏返してこちらに見せてくれた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「んー。僕にはここからメランダと、メランダからラミールは同じくらいに見えるけど……」

「……メランダからラミールは下り坂。だから馬車も早く走れる」

「なるほどね。それなら納得だよ」

「おい明久、なぜ俺ではなく翔子に聞く」

「だって霧島さんの方がよく覚えてるし」

「てめぇ! 俺の記憶があいまいだって言いてぇのか!」

「だってそうだろ! 小学生の問題で負けたくせに!」

「お前まだその話を根に持ってるのか。古い話だ。いいかげんに忘れろ」

「そうはいかないよ! あの時Aクラスに勝っていれば僕らはバラ色の人生だったんだから!」

 

 あの時の悔しさは忘れられないよ。あと一歩のところで豪華設備が僕らの物だったのに!

 

「これ明久よ、今はそのような話を蒸し返している場合ではないじゃろ」

「だってさぁ……」

「そうよアキ。今はそれより目的地に向かうことが大事よ」

「へ~い」

 

 しょうがない。今回は引き下がろう。でもこの責任はいつか絶対に取ってもらうからな。雄二!

 

「…………メランダ行きはもうすぐ来る」

「おっ、そうか。気が利くなムッツリーニ。皆、乗り場に急ぐぞ!」

 

 そんなわけで急ぎメランダ行きの馬車乗り場に向かう僕たち。到着してみると、そこはさっき僕が見た停留所の隣だった。

 

「なんだ隣だったのか……」

 

 がっくりと項垂れる僕。こんなことなら最初から両方の時刻を見ておけば良かった。

 

『おーい明久、置いていくぞー』

 

「へ?」

 

 気付いたら周りに誰もいなかった。雄二の声がする方を見てみると、馬車に乗り込んでいく皆の姿が見えた。……って!

 

「わーっ! 待って待って! 置いていかないでよ!!」

 

 こうして僕たちは馬車を乗り換え、オルタロードの町を出発した。目指すはメランダ。このガルバランド王国の北側、山脈の中にある町だ。

 

 運転手のおじさん曰く、ここからはとても険しい山道のコースらしい。だから走っている間は立ち歩くなと注意を受けた。オルタロードへ向かう時もだいぶ揺れたが、それ以上に揺れるということだろうか。しかも5時間という長時間をここで過ごさなければならないとは、なんという苦行だ……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 5時間後。

 

「うぅっ……」

 

 予定通り馬車はメランダの町に到着した。馬車を降りて呻いているのは僕だ。言いつけを守ってずっと大人しく座っていたため、腰が痛くなってしまったのだ。しかし痛がっているのは僕だけのようだ。

 

「大丈夫アキ?」

「だ、大丈夫……とは言いがたいなぁ……」

 

 さすがに5時間という長時間乗っていたのでは、暇をもてあましてしまう。そこで僕たちは”しりとり”や秀吉の持っていたトランプでゲームをしていた。

 

「それにしてもお主は本当に顔に出る男じゃのう」

「…………あんな顔をすれば誰でも分かる」

「そ、そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。僕だって好きでやってるわけじゃないんだからさ……」

 

 どうも僕は”手の内が顔に出てしまう癖”が抜けないらしい。おかげで僕はボロ負け。結局一度も勝てなかった。

 

「ったく、もう少し秀吉やムッツリーニを見習えよな」

「だからって寄ってたかって僕をターゲットにしなくたっていいじゃないかぁ」

「すまぬな明久よ。ワシも負けたくなかったのじゃ」

「勝てる相手を狙うのは勝負の鉄則だろ。それに何かを賭けようって言い出したのはお前だぞ?」

「う……確かにそうだけど……」

 

 5時間という長い時間を過ごすには、ただゲームをするだけではすぐに飽きてしまう。だから何かスリルがあった方がいいと思ったのだ。でも僕たちは何もかも元の世界に置いてきた。一応この世界のお金はあるけど、これは皆の生活費だ。これを賭けるなんてことはできない。そこで僕たちは尻の下のクッションを賭けることにしたのだ。

 

 だがこれがマズかった。ババ抜きやダウト、大貧民など、様々なゲームで皆は盛り上がった。でも盛り上がったのは僕以外の6人だけだ。なぜなら僕はこれらゲームでことごとく負けてしまったから。その敗因が”自分の手札が顔に出る”ということらしい。

 

「う~ん……そんなに顔に出てるかなぁ……」

 

 秀吉の真似をしてポーカーフェイスを決め込んでるつもりだったのになぁ……。

 

「んむ。出ておったぞい。これ以上無いくらいにな」

「…………これほど分かりやすい男もいない」

「くっそぉぉっ! 次こそ勝ってみせるからな!」

「はいはい。アンタたち遊ぶのはそれくらいにしなさい。急いでホテルを探さないと今夜は野宿よ」

「ん? そっか、そうだね」

 

 この世界の住民は寝るのが早い。夜中になるとホテルの受付も閉まってしまうのだ。昼過ぎにオルタロードを出て、既に5時間が経過している。見上げれば空は闇に覆われていた。早く宿を探さないと美波の言う通り今夜は野宿だ。

 

「あぁ島田、それなら心配無用だ」

「えっ? どうして?」

「俺に心当たりがあるんだ」

 

 雄二が自信たっぷりの顔をして言う。殴りたい。この笑顔。

 

「坂本君、ホテルに心当たりがあるということなんですか?」

「あぁ。なかなか安くていい所だぜ?」

「そういえば坂本君は一度この町に来ているんでしたね」

「ま、そういうこった。皆ついてこい。こっちだ」

 

 そう言うと雄二は魔石灯の灯りで橙色に染まる道を歩き始めた。まぁ探す手間が省けたと思えばいいか。

 

「行きましょアキ」

「うん」

 

 僕たちは雄二のあとについて歩いた。雄二の歩みに迷いはなかった。あいつは人気(ひとけ)の少ない商店街の中をずんずんと進んでいく。

 

「なぁ雄二、どこまで行くのさ」

「黙ってついてこい。行けば分かる」

「なんだよ、教えてくれたっていいじゃないか」

「口で説明するより行った方が早いだろ。お前に説明するのは特に骨が折れるからな」

「はいはいそうですねーっと」

 

 ちぇっ、雄二のやつ調子に乗りやがって。まぁいいさ。バカにされてまで聞きたいとは思わないよ。とにかく今夜寝る場所を確保できればいいんだから。なんてことを考えながら歩いていると、

 

「ここだ」

 

 雄二が立ち止まってそう言った。どうやら目的のホテルに到着したらしい。目の前にはレンガ造りの2階建ての建物がある。装飾からして普通のホテルのようだ。

 

 そして後ろを見ると、高さ200メートルはあろうかという巨大な塔が聳え立っていた。塔の先端からは薄緑色の光が溢れだし、頭上を大きく覆っている。この光景は何度も見てきた。これは町の中心である証、魔壁塔(まへきとう)だ。つまりこのホテルは町のド真ん中にあるというわけだ。

 

「見た感じ普通のホテルみたいですけど……坂本君、どうしてここを選んだんですか?」

「この町の東側にホテルはない。ここが一番近くて一番安いんだよ」

「単純明快じゃな」

「でもあんまり安いとベッドが悪くて休めなかったりするんじゃないのかな。僕、今日は柔らかいベッドで寝たいんだけど……」

「安心しろ。ここのベッドは悪くないぜ」

 

 雄二のやつ、そんなことまで覚えているのか。結構記憶力いいんだな。今回は褒めてやろうじゃないか。もちろん僕の心の中だけでね。

 

「俺が話をつけてくる。お前らはロビーで待ってろ」

 

 雄二はそう告げると木製の扉を押し、ホテルの中へと入って行った。

 

 

 ―― 数分後 ――

 

 

「部屋、取れたぜ」

 

 雄二が戻ってきた。2つの鍵を手にして。

 

「4人部屋が2つだ。男子と女子で分けるぞ。ほれ、女子部屋の鍵だ」

 

 雄二はそう言って片方の鍵を霧島さんに渡した。

 

「……雄二の部屋の鍵も頂戴」

「ん? この鍵が欲しいってのか? これは俺ら男子部屋の鍵だぞ?」

「……違う。雄二の家の」

「誰がやるか!」

 

 次の瞬間、霧島さんの鷹のような爪が雄二の顔面に食い込んでいた。

 

「さてと。雄二は忙しいようじゃ。明久、ムッツリーニ、ワシらは先に部屋で休ませてもらうとしようかの」

「そうだね秀吉。2人の邪魔をしちゃ悪いし、行こうか」

「…………お先」

 

 おっと、鍵がなくちゃ部屋に入れないね。

 

「雄二」

「あだだだだだだだだ!!! 割れる割れる割れる! 頭蓋が割れる!!」

 

 うん。やっぱり雄二は忙しそうだね。

 

「んじゃ鍵は僕が預かっておくからね」

 

 じたばたしている雄二の手からサッと鍵を奪い、僕たち男子は移動を始めた。

 

「こ、こら待てお前ら! 俺を置いていくんじゃねぇ!」

「……どうして雄二の鍵をくれないの」

「バカ言ってんじゃねぇ! この世界に持ってきてるわけがねぇだろ! それにたとえ持っていたとしてもお前には渡さん!!」

「……(ギリギリギリ)」

「うぎゃぁぁぁーーっ!!」

 

 やれやれ。騒々しいなあ。夜中に大騒ぎするなんてバカのやることさ。えぇと、鍵の番号からすると男子部屋は1階か。

 

「美波と姫路さんはどうするの?」

「ウチらは翔子を待ってるわ」

「そうですね。鍵は翔子ちゃんが持ってますし」

「そっか。もし待ってて寒かったら僕らの部屋においでよ」

「そうね。時間が掛かりそうだったらそうさせてもらうわ」

「それじゃ雄二、お大事に」

 

 

『この薄情者ォォーーーッッ!!』

 

 

 メランダの夜にゴリラの叫びが響き渡った。

 

 うるさいなぁ。寝ている他の人たちに迷惑じゃないか。

 



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第六話 深夜の人影

今回からしばらく雄二のターンです


「っっててて……酷い目にあったぜ……」

 

 明久たちが俺を見捨ててから10分ほど経っているだろうか。ようやく翔子のやつを説得できた俺はあいつの手から解放され、ホテルの廊下を歩いていた。

 

 まったく。あいつが入って来られないようにと鍵を掛けたのに、その鍵を渡すわけがねぇだろ。しかしあいつの事だ、どんな手段を使ってでも手に入れようとするだろうな。ま、どのみち今は持ってねぇからどうにもなんねぇけどな。

 

 あーあ。バカバカしい。無駄な時間を使っちまったぜ。さっさと部屋に行って寝るとするか。

 

 

「……………………」

 

 

 借りた部屋に入って唖然とした。

 

 部屋の両脇にはダブルベッドが1つずつ設置されている。正面には大きめの窓があり、既にカーテンが閉められていた。部屋の中央には丸いテーブルと椅子が設置されている。

 

 だが別に部屋の構造に驚いているわけではない。今まで泊まってきたホテルと同じような殺風景な部屋だからだ。問題は灯りが消されていて、左側のベッドでは明久とムッツリーニが。右側のベッドでは秀吉が毛布をかぶってスヤスヤと寝息を立てていることだ。

 

「お前ら眠るの早過ぎだろ……」

 

 俺が翔子に捕まっている10分やそこらの間に寝ちまうなんてな……。ま、今日は一日馬車に揺られっぱなしだったからな。疲れが溜まっているんだろう。実を言うとそういう俺も結構眠い。けどこの構成だと俺は秀吉と一緒のベッドか。仕方ねぇ。秀吉、ちょいと脇にずれてもらうぜ。

 

「よっ……と」

 

 まったく、女子みたいな顔しやがって。クラスの連中が騒ぐのも分かる気がするぜ。んじゃ俺も寝るとするか。

 

 ベッドに潜り込んだ俺は目を閉じた。うん。やはりいいベッドだ。わりと大きくて隣で秀吉が寝ていても気にならない。今夜はゆっくり眠れそうだぜ……。

 

 俺は仰向けになって目を閉じる。するとすぐにふわふわした感覚が襲ってきた。そして数秒後、俺はそのまま深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 だが……。

 

 

 

「ん……」

 

 ふと何かの気配を感じ、俺は目を覚ました。

 

「……?」

 

 何だ? 誰かがトイレに起きたのかと思ったが全員いるじゃねぇか。じゃあ今の気配は一体――っ!

 

 窓の外に人影が映っていることに気付いた俺はぎょっとした。誰かがこの部屋を覗いている!?

 

「誰だ!!」

 

 勢いよく窓を開けて辺りを見回す。だが周囲に人の姿はなかった。おかしい。確かに今そこに誰かが居たと思ったんだが……。

 

「んもぅ~なんだよ雄二ぃ……トイレなら寝る前に行ってこいよぉ……」

 

 寝ぼけた声で明久(バカ)が言う。お前に言われるまでもなくトイレなら済ませてある。そもそもトイレに行くのに窓から出るわけがないだろ。しかしやはり誰も居ないな。気のせいだったのか……?

 

「……俺もだいぶ疲れてるのかもしれねぇな」

 

 外に向かって呟き、俺は窓を閉めようと手を伸ばす。――その時だった。

 

 

  カチャ……カチ……カチャ……

 

 

「ん?」

 

 どこからか金属をこすり合わせるような音が聞こえてくる。いや。こすり合わせるというか、これは……機械をいじるような……? 何だ? この音は?

 

 音の方角はすぐに分かった。窓の外。それも道路を隔てた先にある建物の前だ。まさか強盗か? ……いや待て。確かあの建物は魔壁塔のはず。あんなところに強盗が入るのか?

 

 気になった俺は目を凝らし、闇夜にうごめく人影をじっと見つめてみた。

 

 髪は……短い。俺と同じくらいだろうか。背丈は……さすがに10メートルほどある道路の向こう側では判別不可能だ。だが体格からして男だろう。

 

 しかしあの男は何をしているんだ? 魔壁塔に金目の物があるのか? それとも強盗ではなく塔の管理者か? もしそうだとして、こんな真夜中にメンテナンスをするのか? 夜は魔獣の動きも活発になると聞く。こんな時間にメンテナンスなど考えにくいが……。

 

  カチャ……カチャカチャ……カチャチャ……

 

 俺が考え込んでいる間も黒い人影は門の鍵を開けようとしている。ヤケに手こずっているようだ。これは管理者ではないな。やはり泥棒か。

 

 ……

 

 やめだ。たとえあれが泥棒だとしても、この世界の問題はこの世界の住民が解決すべきだ。俺がかかわるようなことではない。あーあ。やめだ、やめやめ。寝よう。明日は朝から移動だからな。

 

 俺は自分にそう言い聞かせ、窓を閉めて再びベッドに横になった。

 

 

 …………

 

 

 …………

 

 

 …………

 

 

「だーっ! 気になって眠れねぇ!」

 

 忘れようとしても、どうしてもバルハトールでの一件が脳裏に浮かんでしまう。

 

 あの夜、俺はトーラスの外出に気付かなかった。いや、気付いていたが無視したのだ。その結果があの事態だ。俺は親を求めて泣きじゃくる、あんな子供の姿を見たくねぇ。

 

 

 …………

 

 

 チッ。しゃーねぇ。どのみちこれじゃ眠れねぇしな。

 

 俺は起き上がり、ホテルを出た。少なくとも犯人の顔くらいは見てやろうと思って。

 

「ふぉっ――!?」

 

 外に出た瞬間、思わず俺は息を止めた。氷のように冷たい空気が肺に入ってきたのだ。さすがに夜の山岳地はどえらく寒い。気温は恐らく氷点下だろう。吐く息すらも凍り付きそうだ。

 

 って……何やってんだ俺。こんな深夜に寝巻姿にサンダルで外に出るなんて自殺行為じゃねぇか。せめてコートを羽織ってくれば良かったぜ……。こうしちゃいられねぇ。ぐずぐずしてると俺自身が凍り付いちまう。さっさと確認してベッドに戻――ん?

 

「あれは……?」

 

 道路を横断しようとして気付いた。左手の道を誰かが去って行くのが見える。もしや先程の人影か? まさか本当に泥棒なのか……? いや、いきなり人を疑うべきではない。あれが魔壁塔でゴソゴソやっていた男とは限らないんだ。そうだ、まずは魔壁塔の状態を確認すべきだ。

 

 俺はパタパタとサンダルを鳴らしながら道路を渡った。辺りはシンと静まり返り、俺のサンダル以外に音を立てるものは無い。灯りは月の光のみ。冷たい空気のせいか、その光景はまるですべてが凍り付いた町のようだった。

 

「こいつは……」

 

 門の前に着いた俺はその様子を見て思わず呟いた。先程の人影が弄っていたのは確かにこの門の鍵だ。だが今、この南京錠には鎖が繋がれていて、門は完全に封鎖されている。

 

 もし先程の人影が泥棒なのだとしたら元通り鍵を掛けて行くなどありえない。一刻も早くこの場を去りたいと思うのが当然の心理だからだ。ということは先程の男は真っ当な管理人だったのだろう。どうやら俺の取り越し苦労だったようだ。

 

 やれやれ。こんな寒い思いをしながらバカみてぇだ。さっさと帰って寝るとしよう。

 

 ガチガチと歯を鳴らすほどに震えながら、俺は元来た道を戻った。そしてホテルの部屋に戻ると、秀吉の隣で毛布をかぶり、再び眠りについた。

 

 

 

 ――町の存亡に関わる大事件が起きているとも知らずに。

 

 

 

『――――! ――――――! ――――!』

『――! ――――!』

 

 俺は騒々しさを感じ、目を覚ました。

 

「ったく……なんだよ。こんな朝早くから……」

 

 ボリボリと頭を掻きながら俺は体を起こす。昨夜変な時間に起きちまったから寝足りねぇぜ……。

 

「んぅ~……なんじゃ。何の騒ぎじゃ……?」

「静かにしてよ雄二ぃ……まだ眠いんだからさぁ……」

 

 秀吉や明久も起きたようだ。それと明久には後で氷水をぶっかけてやる。

 

「…………装置が無いと言っている」

「あァ? 誰がだ」

「…………外で言っている」

「何? 外だと?」

 

 ムッツリーニに言われて耳を傾けてみると、確かに窓の外から話し声が聞こえてくる。声の感じからすると爺さんや婆さんのようだ。

 

「老人は朝が早いって言うからな。井戸端会議でもしてんだろ」

「ん~……雄二ぃ……寝るんだから静かにさせてきてよぉ~」

「知るか! 静かにさせたきゃお前が行ってこい!」

 

 ったく、迷惑な話だぜ。立ち話をするなとは言わねぇが、余所でやってほしいもんだぜ。

 

「オラ起きろお前ら。出発の支度をするぞ」

「なんじゃ、もう行くのか?」

「あぁ。馬車は9時だが、それまでに町で朝食を取りたいからな」

「なるほど。そういうことならば起きるしかあるまいのう」

「そういうことだ。ムッツリーニ。そのバカを起こせ」

「…………了解」

 

 この時、俺は確かに「起こせ」とだけ指示した。だからどんな起こし方をしようがムッツリーニの勝手だ。しかしあの起こし方はいかがなものかと、俺は思う。

 

 

 

『にぎゃぁぁぁぁぁーーーーっ!!』

 

 

 

 朝っぱらからこんな蛙の潰れたような叫びを聞きたくはなかったから。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 俺は女子の部屋にも出発の準備をしろと伝えた。これに対し、翔子は1時間ほどほしいと言う。相変わらず女子は時間が掛かるな。俺は男に生まれて良かったと熟々(つくづく)思うぜ。

 

「~~~~~~っ……!!!」

 

 部屋に戻ると、明久のやつが尻を押さえながらベッドに突っ伏し、悶絶していた。

 

「なんだお前、まだ寝てんのか。いいかげん起きろ。女子も支度を始めたぞ」

「こ……この痛みを……貴様にも……味あわせてやる……」

「嫌なこった」

「っくぅぅ~っ……む、ムッツリーニぃぃ……覚えてろよぉぉ~っっ……!!」

 

 こうして明久が腰を浮かせて悶絶しているのには理由がある。それはムッツリーニが俺の指示に従って行った行為によるものだ。

 

「…………秘技、千年殺し」

 

 ムッツリーニが真顔で両手を合わせ、両人差し指を突き出してそう言った。

 

 

 ――――千年殺し。それは禁断の技。

 

 

 この技を受けた人間はあまりの苦痛に千年苦しみ続けるという。まぁ千年というのはオーバーだが、それくらい痛いってことだ。

 

「オラ早く支度しろ。出るのが遅くなるだろうが」

 

 ――ドムッ

 

「ふぎゃぁあっ!?」

「雄二よ……あの技を受けた者の腰を蹴るとは、お主も存外鬼畜じゃな」

「そうか?」

 

 枕の下に変な手紙を置いて翔子をけしかけやがった礼だ。少しは反省しやがれってんだ。

 

「うっし、秀吉とムッツリーニも準備しろ。女子どもに遅れんなよ」

「承知した」

「…………了解」

「っうぅっ……くぅぅ~っ……」 ←まだ悶絶している明久の呻き声

 

 さすがに少しやり過ぎたか? ……仕方ねぇ。

 

「明久、荷物は俺がまとめておいてやる。けど着替えは自分でしろよな」

「う、うぅっ~っ」

「OKと言っておるぞい」

「そうか。すまんな秀吉。通訳までしてもらって」

「なんのこれしき。お安いご用じゃ」

 

 秀吉のやつ、今のでよくあのバカの言葉が分かったな。ま、俺もなんとなく理解していたけどな。

 

 さて、ラミール港に行ったらまず乗船の手続きだな。この世界の船に乗るのは初めてだ。明久や姫路の話によると魔石を動力にした帆船らしいな。ちょっと楽しみだぜ。

 

 こんな具合に、この時の俺はサラス王国へ行くことで頭がいっぱいだった。この後とんでもない災厄が降りかかってくるとも知らずに。

 



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第七話 濡れ衣

 1時間後。

 

「よし、皆行くぞー」

 

 準備万端整った俺たちはホテルの部屋を出てきた。この時間ならもう飲食店も開いているだろう。馬車の時間にはまだ2時間ほどある。余裕だ。

 

 まずは飯を食うとして……サラス王国へは船で丸一日かかるというから、暇つぶしが要るな。さすがにトランプばかりでは飽きるから……そうだな。何か面白そうな本でも探してみるか。確かこのホテルの道沿いに書物屋が一軒あったはずだ。

 

 俺はロビーを歩きながら、この後の行動を頭に描いていた。昨晩の出来事などすっかり忘れて。今朝の老人たちの立ち話のことなどもまったく気に掛けていなかったのだ。だがこの直後、俺は昨晩のアレが重大な事件に発展していることを思い知ることになる。

 

「なっ、なんじゃこれは!?」

 

 ホテル正面出口の扉を開けた秀吉が驚きの声をあげた。あいつがこんな声をあげるということは相当なことなのだろう。

 

「どうした秀吉。何かあったのか?」

「人が沢山おるのじゃ」

「人が? それが驚くようなことか?」

「とにかく見てみるのじゃ」

 

 秀吉に言われ、俺は外に出てみた。

 

「うぉっ!? なんだこりゃ!?」

 

 俺も驚いた。ホテル前の大通りが大勢の老人でごったがえしているのだ。まるで町中の人がここに集結しているかのようだ。

 

 彼らは全員同じ方向を向いていた。ここからは薄くなって肌の見え始めている頭や、白髪の頭ばかりが見える。その全員が道路の向こう側の建物、”魔壁塔”に向かっていて、大声を張り上げている。

 

『いったいどうなっているんだ! 早く説明しろ!』

『この町はどうなるのじゃ! ワシらの生活をどうしてくれるんじゃ!』

『とにかく責任者出てこい! 状況を説明しろ!』

『そんなことより逃げた方がいいんじゃないの!? もうこの町には住めないわ!』

 

 老人たちは口々に不安を訴えている。何なんだこの騒ぎは? 生活? 逃げる? 一体何の話だ?

 

「坂本? どうしたの? そこに突っ立っていられるとウチらが出られないんだけど」

「あ? ……あ、あぁ。そうだな」

 

 とりあえず脇に移動して島田らをホテルから出させる。だが出てきた皆は同じように目を丸くして驚いていた。

 

「なによこれ……何の騒ぎ?」

「どうしたんですか美波ちゃん? ……えっ? な、何ですかこの人だかり?」

「どれどれ? 僕にも見せて」

「……抗議デモ?」

「…………賃上げ要求?」

 

 少なくともムッツリーニが間違っているのは確実だ。聞こえてくる言葉からすると翔子の言うことが正しいのだろう。しかし誰に向かって抗議しているのだ?

 

『ただ今状況を確認中です! どうか皆さん落ち着いてください!』

『これが落ち着いていられるか! このままじゃ魔獣が町に入ってくるんじゃないのか!?』

『装置はすぐに直るのか!? それが問題だろう! 専門家を呼べ!』

『現在手配中です! すぐに魔障壁が停止することはありません! 停止する前になんとかしますので、どうか落ち着いてください!』

 

 比較的若い男の声が聞こえてくる。どうやらこの人だかりの向こう側に責任者がいるようだ。声の様子からすると、責任者の人も相当泡を食ってるように思う。だが気になるワードを口にしているな。魔障壁が停止する? 一体どういうことだ?

 

「雄二、魔壁塔で何かあったみたいだよ?」

「あぁそうだな。ちょっと聞いてみるか」

 

 俺はとりあえず集団の一番後ろにいた爺さんに声を掛けてみた。

 

「あのーすんません。何かあったんスか?」

「あァ?」

 

 振り向いた白髪の老人は、前髪の後退が進んだ爺さんだった。眉間に深い縦ジワを刻み、やや青ざめた顔色をしているようにも見える。

 

「何かって、お前さん聞いてないのか? このままだと魔障壁が動かなくなるんだよ!」

 

 魔障壁が動かなくなる? 何を言ってるんだこの爺さん。そうならないために昨夜管理人がメンテナンスをしていたのではないのか?

 

「爺さん、すまないがどういうことなのか詳しく話を聞かせてもらえないだろうか」

「どうもこうもねぇよ。魔壁塔の魔石タンクが盗まれたんだよ。このままじゃ半日もせず魔障壁が出せなくなるって話だ」

「な、何だと!?」

 

 バカな……では昨夜のあの人影はやはり泥棒だったというのか? しかし元通り鍵をかけて去る泥棒なんているのか? だから俺も真っ当な管理人だと思ったのだが……。だが今の話からすると、十中八九あの夜中の男が犯人だ。では俺はみすみす犯人を取り逃がしてしまったというのか? なんてこった……。

 

「お、おい、あんた、まさか……」

 

 予想外の事態に愕然としていると、横から別の老人が話しかけてきた。

 

「俺ッスか?」

「や、やっぱりそうじゃ! あんた夜中に魔壁塔で何かやっとったじゃろ!」

「は? いや、俺は何も――」

「ワシは見たのじゃ! こやつが管理棟の前で鍵を弄っておったのをな!」

 

 ビッと俺を指差し、白髪の老人が大声で喚き散らす。そうか、昨晩様子を見に行った時このジジイに見られていたのか。こいつはやべぇ……このままだと俺が犯人にされちまう。

 

「待ってくれ。確かに俺は昨夜そこの鍵を確認していた。だが妙な人影を見たから様子を見に行っただけなんだ」

「嘘を言うでない! お前さん以外に誰も居なかったではないか!」

「い、いや、そいつは俺が見に行く前に――」

「えぇい! 見苦しい言い訳などするでない! 盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しいヤツじゃ!」

「だから俺じゃねぇって! 話を聞けよ! 怪しい人影を見たんだって言ってンだろ!」

「問答無用じゃ! さぁ盗んだ魔石タンクを返すのじゃ!」

 

 ダメだこいつ……人の言うことを全然聞きやがらねぇ。こんなジジイにかかわってるとロクなことにならねぇな。こういう時はさっさと退散するに限る。

 

「わりぃな爺さん。俺はそんな戯れ言に付き合ってる暇はねぇんだ。じゃあな」

 

 俺は爺さんを軽くあしらってその場を立ち去ろうとする。

 

 だが……。

 

「おい聞いたか!? こいつが犯人だ!」

「何!? 犯人だと? どいつだ!」

「こいつだ! この妙な格好をした連中だ!」

 

 いつの間にか俺は――いや、俺たちは町の老人たちに包囲されていた。どいつもこいつも俺たちに対して疑いの眼差しを向けている。マズった……話なんて聞いてないでさっさと立ち去るべきだったぜ……。

 

「ま、待ってください! 坂本君が泥棒だなんて、きっと何かの間違いです!」

 

 姫路が俺を庇うように前に立ちはだかり、老人たちに抗議する。無駄だ。老人の頭は硬い。お前が言って聞くわけがないだろう。

 

「あんたも共犯か! 女子(おなご)とて容赦せんぞ!」

「そうだそうだ! そんなおかしな格好しやがって! 一体どこのモンだ!」

 

 老人どもは揃って姫路を睨み付ける。石でも投げつけそうな勢いだ。頭が硬いとは思ってはいたが女にまで容赦ないとはな。

 

「……瑞希。喧嘩はダメ」

「分かってます翔子ちゃん。でも黙って見ているなんてできません」

「……雄二を悪く言われて怒っているのは私も同じ。でも証拠がないから説明できない」

「でも、だからって犯人扱いなんて酷いです!」

 

 俺の目の前で翔子と姫路が言い争っている。こんなことをしている場合じゃないんだがな……。

 

「そうか! こいつら全員犯人グループか! どうりで見ない顔だと思った!」

余所(よそ)から来てワシらの生活を脅かすとは、とんでもないヤツだ! 出て行け!」

「そうだそうだ! 出て行け!」

「その前に盗んだ物を返せ!」

「これだから最近の若いモンは信用ならん!」

「かーえせ! かーえせ!」

「かーえせ!! かーえせ!! かーえせ!!」

 

 次第に騒ぎが大きくなり、返せの大合唱。もはや四面楚歌だ。

 

「雄二! どうして黙ってるのさ! 反論しないのかよ!」

「こいつらに何を言っても無駄だ。聞く耳なんざ持っちゃいねぇよ」

「でも悔しいじゃんか! このまま犯人扱いされたままでいいってのかよ!」

「良くはないな」

「ならちゃんと事情を説明して分かってもらおうよ!」

「だから無駄だって言ってんだよ! この状況でこいつらが納得してくれると思うのか!」

「くっ……それじゃどうすんのさ!」

「それを今考えてんだよ!」

 

 夜中にゴソゴソやってた奴が犯人なのは間違いない。だがあいつを見たのはどうやら俺だけのようだ。この状況でこの老人どもを説得するのは難しい。

 

「返せ! 魔石タンクを返せ!」

「出て行け! 二度とこの町に来るな!」

 

 ついに町の老人たちは道端の石を投げ始めた。

 

「バカ野郎ーっ!!」

「帰れ!!」

「返せーっ!!」

「出て行けーっ!!」

 

 投石は見る間にエスカレートし、小石が雨のように降り注いでくる。こ、こいつら……!

 

「痛っ!」

「……瑞希。下がって」

「ちょっと! 瑞希になんてことするのよ! ウチら何も悪いことなんてしてないじゃない!」

「待て島田! 抵抗するな!」

「何言ってんのよ坂本! このままじゃ――――きゃっ!」

 

 島田の(ひたい)に石がヒットした。一歩前に出ていたから格好の(マト)になっていたのだ。

 

「美波! くっそぉぉ! も、もう……我慢の……限界だァーーーッッ!!」

 

 拳を振りかぶった明久が飛び出して行こうとする。あのバカ!

 

「秀吉! あのバカを止めろ! ムッツリーニ! 逃げるぞ!」

「…………了解」

「了解じゃ!」

 

 俺の指示に従い、秀吉が明久を羽交い締めに捕らえる。

 

 ――ボンッ

 

 それと同時に、足下で小さな爆発音がした。そしてすぐにモクモクと灰色の煙が立ち上り、あっという間に俺たちを包み込んでいった。

 

「ゲホッ! ゲホッ! な、なんじゃこりゃ!」

「げほげほっ! け、煙い! げほげほっ! な、何も見えんぞ!」

 

 老人たちにこの煙は効果的のようだ。それにしてもムッツリーニのやつ、煙幕なんか持ってやがったのか。俺は女子を連れて逃げろという意味で言ったんだがな。だが上出来だ!

 

「翔子! 姫路! 島田! 今のうちに走れ!」

「は、はいっ!」

「……分かった」

「どっちに向かって走ればいいのよ!」

女子(じょし)は手を繋いで走れ! 絶対にはぐれるな! ムッツリーニ! 先導しろ!」

「…………ついて来い」

 

 パタパタと足音がして、視界から翔子ら女子の姿が消える。よし、あとは明久(バカ)の始末だな。

 

「は、放してよ秀吉! あのクソジジイどもを一発ぶん殴ってやるんだから!」

「よさぬか! 事態を余計にややこしくするだけじゃぞ!」

「大切な仲間が傷つけられたんだぞ! それに話も聞こうともしないで! こんなの許せるもんか!」

「だからといってお主が暴力を振るえばそれこそ話にならんじゃろうが!」

「いいから放してよ! うがぁぁーーっ!」

 

 あのバカ、まだ分かってねぇのか。

 

「秀吉! そのバカを持ち上げろ!」

「ど、どうするつもりじゃ雄二よ!」

「運び出す!」

「りょ、了解じゃ! んぐぐっ……!」

 

 秀吉は羽交い締めの体勢のまま仰け反り、明久を持ち上げる。よし、足が上がった! 俺は明久の両足を両脇に抱え、

 

「っしゃぁ! 撤収すンぞ!」

「了解じゃ!」

「何すんだよ! 放してよ秀吉、雄二! くっそぉぉ!! 放せ! 放せってばバカぁーーーーっ!」

 

 じたばたと暴れる明久(バカ)を2人がかりで運び、俺たちはその場を退散した。ったく、どっちがバカだ。世話を焼かせやがって。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 こうして俺たちはホテル前を離れ、人気(ひとけ)のない場所で身を隠すことにした。

 

「くっそぉぉーーっ! なんで止めるんだよ! 雄二は悔しくないのかよ!」

 

 ドンと地面に拳を突き立て、明久が怒りを顕にする。

 

「お前、老人に向かって暴力を振るうつもりか? それも見ず知らずの老人を」

 

 明久の怒りは分からないでもない。盗人の濡れ衣を着せられた挙げ句、

 

「美波ちゃん……痛みますか?」

「ありがと瑞希。これくらいへっちゃらよ」

「……傷にはなってないみたい」

「ホント? よかったぁ……もし傷になっちゃったらウチお嫁にいけないもの」

 

 こうして女子に危うく怪我をさせるところだったのだから。しかもそれが島田ということもあり、明久のやつは怒り心頭なのだろう。

 

「老人だろうが見ず知らずだろうが絶対に許すもんか! 美波! 石をぶつけた奴の顔覚えてない!?」

「やめなさいアキ。怒ってくれるのは嬉しいけど仕返しなんて絶対にダメよ」

「で、でも!」

「でもじゃないの。いいことアキ。もしアンタがこの町の人に危害を加えるようならウチは一生アンタを許さないからね」

「えぇっ!? そ、そんなぁ……」

「分かったらハイは?」

「……は……ハイ……」

 

 島田の言葉に急にシュンとなる明久。こいつ、間違いなく尻に敷かれるタイプだな。

 

「しかし雄二よ、これからどうするのじゃ?」

「そんなん決まってンだろ。ラミール港に行く」

「ふむ……しかしこのとおり町中大騒ぎじゃ。このような状況では馬車なぞ出ておらんのではないか?」

 

 秀吉の言うように、今、町の中は大変な騒ぎになっている。大きな荷物を抱えた老人が慌てた様子で駆け抜けて行く姿が多く見受けられる。恐らく魔壁塔の故障が伝わったのだろう。だから町から逃げ出そうとしているのだ。

 

「ンなモン百も承知だ。だからムッツリーニに調べさせてるんだろうが」

 

 俺たちの目的地はサラス王国だ。この騒動に巻き込まれていては先に進めなくなってしまう。なんとしてもこの町を出てラミール港へ行かなくてはならない。そのための情報収集をムッツリーニに指示したのだ。良い情報を持ち帰ってくれればいいのだが……。

 



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第八話 もう一人の坂本雄二

「ハァ~……ムッツリーニ遅いねぇ」

 

 明久が地面に座り込んで溜め息を吐く。明久はもともとせっかちな性格をしている。だから遅いと感じているのかもしれないが、この時はさすがに俺も遅いと思い始めていた。ムッツリーニが偵察に出てからもう1時間が経とうとしている。ムッツリーニがこれほど時間を掛けるのは珍しい。

 

()しものムッツリーニも今回ばかりは厳しいのやもしれぬな」

 

 俺の指示は「駅馬車の様子と、犯人についての情報を探れ」だ。このような情報収集はムッツリーニが適任だが、秀吉の言うように今回ばかりはあいつ1人では難しいかもしれない。

 

「あの……私も行って来ましょうか? いつも土屋君ばかりにお任せするのも心苦しいですし……」

「そうね。確かに頼り過ぎかもしれないわね」

「はい。それじゃ私、行ってきますね」

「待ちなさい瑞希」

「はい? 何ですか?」

「瑞希が行くのならウチも行くわ」

「えっ? でも美波ちゃんは怪我を……」

「こんなの怪我のうちに入らないわ。それにアンタ1人じゃ迷子になっちゃいそうだからね」

「ひ、ひどいです美波ちゃんっ! 私、そんなに簡単に迷子になったりしませんっ!」

「ふふ……冗談よ。でも1人で行くのは危険よ。だからウチも行くわ」

 

 まずいな。姫路と島田がその気になっている。もしノコノコ出て行って先程の老人どもに見つかったら、今度はタンコブどころじゃ済まないかもしれん。

 

「待てお前ら。今はムッツリーニに任せておけ」

「でも皆で探せばそれだけ見つかる可能性も高いはずです」

「そうよ坂本。ここは皆で手分けして探すべきよ」

「だから待てと言ってるだろ。お前らさっき石を投げつけられたのを忘れたのか?」

「それは……忘れてないけど……」

「もしお前が本当に怪我をしてみろ。このバカが何をするか分からんだろ」

「へ? 僕?」

 

 このバカが。何をすっとぼけてやがる。さっき老人をぶっ飛ばそうとしたのはどこのどいつだ。しかしムッツリーニだけに負担が掛かっているのも事実だな。仕方ない。

 

「とにかくお前らはここで大人しくしていろ。代わりに俺が行ってくる」

「坂本が? 1人で行くつもりなの?」

「あぁ。ぞろぞろと大人数で行くと目立つからな。ここは俺に任せろ」

「アンタがそう言うのなら反対はしないけど……」

「いいんですか坂本君? さっきの人たちに見つかったら坂本君だって危ないんじゃないですか?」

「俺1人ならどうとでもできる。翔子、お前もここで待機だ。理由は分かるな?」

「……うん」

「ま、ついでに何か食べるものを調達してくるぜ。朝食もまだだからな」

「分かりました。坂本君、すみませんがよろしくお願いします」

「あぁ。そんじゃ行ってくるぜ」

 

 と、そんなわけで隠れていた空き地を出て単身町の中へと繰り出したわけだが……さて、どうするか。行き先はラミール港になるわけだから、交通手段があるとすれば町の東側だろう。だが当然そこはムッツリーニが調べている。ならば俺は敢えて西側を当たってみるか。意外な所に手段が残されているかもしれないからな。

 

 早速俺は町の西側に向かって歩き始めた。この辺りは民家ばかりのようだ。だが町中が騒々しい。それはもちろん町から逃げ出そうとする者が慌てて駆けて行くからだ。

 

 荷台に家具や大量の生活品を積み込んだ馬車が何台も駆け抜けて行く。あれらは自前の馬車なのだろうか。彼らは皆西方向に向かって走り去って行く。ここから西にということは奥地のバルハトールに避難するつもりなのだろう。しかしあの様子からすると簡易魔障壁を備えているようには見えない。そもそも険しい山道をあんな軽装備で越えられるとは思えないのだが……いや、どうしようが彼らの勝手だ。俺が気にするようなことではない。それに西に行く者に用は無いからな。

 

 ……ん? どうやらこの道の先に商店があるようだな。ちょうどいい。朝食に何か食べるものを調達するとしよう。

 

「あのー、すんません。店やってないんスか?」

 

 扉の開いていたパン屋を覗き込んで尋ねてみると、「それどころではない!」と怒鳴られてしまった。なんでも逃げ出す準備をしていて開店どころの話ではないらしい。どうやら他の店もすべてが休業状態のようだ。まぁ魔障壁が無くなった今、商売などやっている場合ではないのだろう。

 

「チッ、しゃーねぇな……」

 

 食い物の調達を断念した俺は移動手段を探すことにした。現時点で移動手段として考えられるのは2つだ。

 

 1つは、町を脱出しようとする馬車に便乗することだ。今もこうして何台もの馬車が目の前を通り過ぎていく。彼らの目的は別の町への避難だ。ここからの避難先として考えられる町は、東のラミールと西のバルハトール。つまり東に向かう馬車に便乗すれば良いわけだ。

 

 だがこの方法には無理があるようだ。なぜなら俺たちの人数は7人。見た感じでは7人を追加で乗せられるような馬車は1台も見かけない。やはり個人所有の馬車にこの人数で乗るのは無理だ。

 

 となれば考えられるのはもう1つの手段。取り残されている馬を利用して馬車を作ることだ。問題は馬を操る技術を持っている者が俺たちの中にいないことだが……まぁ見よう見まねでなんとかなるかもしれん。

 

 と、いうわけで町中をゆっくりと歩きながら見て回ったわけだが……さすがに捨てられている馬など見かけないな。けど諦めるわけにはいかねぇんだ。この際、犬ぞりだって構いやしない。とにかく何かしらの移動手段を――――

 

「おいあんた! 何をしとるんじゃ!」

 

 道を歩いていると突然後ろから声をかけられた。振り向いてみると、大きな風呂敷を背負った白髪白髭の爺さんがそこにいた。爺さんはじっとこちらを見つめている。別の誰かに話し掛けているものと思ったが、この場には俺と爺さん以外誰もいない。ということはやはり俺に言っているのだろうか。

 

「あー。俺ッスか?」

「そう、あんたじゃよ! 今この町がどういう状態か知らんのか!? 魔獣が襲ってくるんじゃよ! だからお前さんも早く逃げんか!」

 

 鬼気迫る表情で喚き散らす爺さん。見ず知らずの俺にそんな忠告をするとは、お人好しの爺さんだ。

 

「サンキューな爺さん。逃げ出したいのは山々なんだが、そう簡単には行かなくてな。今はその手段を模索している最中だ」

「何を悠長なことを言っておる! もはや一刻の猶予も……?」

 

 まくし立てていた爺さんが突然、口を開けたまま固まった。と思ったら、すぐに顎をフルフルと震わせはじめた。何なんだこの爺さん?

 

「背が高くて……襟に青い布を巻いて……短い髪を逆立てた……若い男……お、お前さん……もしや……」

 

 ブルブルと手を震わせながら俺を指差す爺さん。だから何だというのだ。

 

「何だ? 俺の顔に何か付いてるか?」

「い、いや、そうではない! あ、あんた名前は!? 名は何というのじゃ!?」

「は? 坂本雄二だが……」

 

 何気なく返事をすると、その瞬間、爺さんの態度が一変した。

 

「さっ……サカモトユウジじゃとぉぉぉぉ!?」

 

 くわっと目を見開き、信じられないくらいに大きな声で喚く爺さん。

 

『なんだって!? サカモトユウジだと!?』

『どこだ!? どいつがサカモトユウジだ!?』

 

 突然ざわつく町の人たち。なんだかヤバイ感じだ……。

 

「こ、こいつじゃ! この男が今サカモトユウジと名乗ったのじゃ!!」

 

 ビッと俺を指差して爺さんは周囲の者に言いふらす。この感じ、どんなにポジティブに解釈しても歓迎されているようには思えない。こんな時は逃げるに限る!!

 

『あっ!? こら逃げるでない! だ、誰か奴を捕まえてくれぇーーっ!!』

 

 捕まってたまるかってんだ!

 

 俺は全力でその場を離れ、無人となった家の垣根裏に隠れることにした。

 

『いたか!?』

『いや、こっちにはいない!』

『探せ! まだこの辺りにいるはずだ!』

『ま、待ってくれ。わしらももう避難した方がよいのではないか?』

『そうよ。あたしたちだってここに居ちゃ危険なんじゃないの?』

『……確かにそうかもしれん。よし、わしらも避難するとしよう』

 

 道の方からそんな声がして、パタパタと駆けて行く足音が聞こえてきた。どうやら諦めてくれたようだ。けどこの様子だと馬を探すどころの話じゃねぇな。もう皆の所に戻るしかなさそうだ。やれやれ……この町では妙なことにばかり巻き込まれるな……。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「あ、おかえり雄二。どうだった?」

 

 とぼけた顔で迎えたのは明久だ。俺がどんな目に遭ってきたかも知らずに、のん気な奴だ。

 

「ダメだ。馬の調達どころか朝飯すら得られなかった」

「えぇ~……何だよ期待してたのにさ」

「しょうがねぇだろ。町中大騒ぎで話なんかマトモに出来なかったんだからよ」

「ちぇっ、役立たず」

「ぐっ……」

 

 さすがにこの言葉にはグサッと来た。ここ最近、ずっと俺自信が抱えてきた悩みをストレートに示した言葉だからだ。

 

「アキ。やめなさい。坂本だって頑張ってるんだからそんなことを言うのは失礼よ」

「だってさぁ……」

「そうですよ明久君。お友達でも礼儀は尽くさないとダメです」

「わ、分かったよ……ごめん雄二。言い過ぎたよ」

「あ、あぁ……」

 

 くそっ……謝られたところでこのモヤモヤした気分は晴れやしねぇ。

 

「あ。ムッツリーニも帰ってきたみたいだよ」

「ん? そうか」

 

 そうこうしているうちにムッツリーニが帰還したようだ。良い知らせを持ち帰っていれば良いのだが……。

 

「おかえりムッツリーニ。どうだった?」

「…………全線ストップしていた」

「そっか……やっぱりね……」

 

 魔障壁の無い町に人は住めない。皆この町から逃げ出そうとするだろう。そうなれば唯一の交通手段である馬車は奪い合いになる。このような状態で運転すれば、些細なことでいざこざが生まれる。だから無用なトラブルを回避するため、運転をすべて取りやめる。まぁ当然の判断だろう。

 

 しかし予想はしていたとはいえ、こいつはまいったな……。

 

「ムッツリーニ、魔壁塔の状態は分かるか?」

「…………すぐに機能を失うわけではないらしい。だが徐々に魔障壁は小さくなっているらしい」

「あとどれくらい保つんだ?」

「…………聞いた話ではあと1、2時間」

「そ、それじゃもうすぐ魔獣が町に入ってきちゃうんじゃないんですか!?」

「まだ町から逃げていない人だっているのよ!? そんなことになったらその人たちはどうなっちゃうのよ!」

「…………そうならないように馬車用の小型魔障壁を一ヶ所に集中するらしい」

「なるほどのう。一ヶ所に身を寄せ合って守ろうというのじゃな。それなら安心じゃな」

 

 果たして本当に安心できるだろうか。魔壁塔から発せられる光は町全体を覆っていた。だが馬車用の簡易魔障壁はかなり小さい。馬車1台を守れば良いだけなので当然だ。そんなものを組み合わせた程度で残った者たちを守り切れるんだろうか?

 

「…………補修品を取り寄せるまでの時間を凌ぐらしい」

「なるほど。一時凌ぎってことか。ところでムッツリーニ、犯人の行方についてはどうだ?」

「…………それについては2つ情報を得た」

「何っ! 本当か!? 言ってみろ!」

「…………お婆さんが夜中に大きな箱を抱え上げた男を見ている」

「大きな箱……きっとそいつに違いねぇ! どこで見たんだ!?」

「…………俺たちの泊まったホテルから西に少し行った所」

「俺も怪しい人影が西の方角に向かうのを見ている。間違いない! でかしたぞムッツリーニ!」

 

 問題は犯人の行方だ。魔石タンクというのがどのくらいの大きさなのか俺は知らない。だがあれだけの大きさの魔壁塔に備え付けられているのなら、相当な大きさのはず。そんなものを運べるのは恐らくは大人の男、もしくは俺たちくらいの年代の者だろう。

 

 だが学園長の話が正しければ、同世代の人間はこの世界にはいないはず。となれば、やはり大人の男性ということになる。若い男がいるならばジジババばかりのこの町では目立つはず。そいつを探し出して盗んだものを取り戻すのが一番の近道かもしれん。

 

 ――トントン

 

 と、思案に暮れていると、肩をつつかれた。

 

「ん? なんだムッツリーニ。まだ何かあるのか?」

「…………情報は2つあると言った」

「そうだったな。もう1つは何だ?」

「…………犯人の名前」

「な、なんだと!? 本当か!?」

「…………目撃者のお婆さんが名前を聞いたらしい」

「マジか!? で、なんて名前のヤツなんだ!?」

 

 思わぬ吉報に興奮する俺。だがムッツリーニの答えは俺の予想を遙かに超えるものだった。

 

「…………サカモトユウジ」

 

『『『は?』』』

 

 きっとこの場にいる全員が我が耳を疑ったことだろう。当然俺も聞き違いかと思った。

 

「すまんムッツリーニ。今なんと言った?」

「…………サカモトユウジと言った」

 

 どうやら聞き違いではないらしい。

 

「えっ? な、なんで雄二? えっ? えっ? じゃあ、じゃあ、えーっと……やっぱり雄二が泥棒の犯人ってこと!?」

「ンなわけあるかっ!!」

「見損なったわ坂本! 結局アンタが犯人だったなんて!」

「坂本君……私、信じていたのに……!」

「……雄二。自首して」

「ちょっと待てお前ら! おかしいと思わないのか!? 俺がそんなものを盗む理由が無いだろうが!! おいムッツリーニ! どういうことなんだ!」

「…………お婆さんがそう答えた」

「そんなバカな!! じゃあ俺と同じ名前の奴がこの町にいるってのか!?」

「嫌だなあ。雄二の名前が世に2人いたら気持ち悪いだけじゃないか」

「お前はちょっと黙ってろ!」

 

 クソっ! どこのどいつだ! 俺の名を語りやがって! 見つけ出してぶん殴ってやる!

 

「ムッツリーニ! その婆さんはどこにいる! 俺が直接話しを聞く!」

「…………もういない」

「なんだと!? 何故だ!」

「…………さっきここに戻ってくる時にすれ違った。町を出ると言っていた」

「っ……!!」

 

 なんてこった……唯一の手がかりが……! どうしたらいい。考えろ俺。このままじゃ本当に俺が犯人になっちまう。考えろ……考えろ……考えろ……!

 

 ――トントン

 

「ンだよ。今考え事してンだから邪魔すんな」

 

 ――チョンチョン

 

「だから邪魔すんなっつってんだろ!」

 

 ――ツンツンツン

 

「なんだムッツリーニ! 何か用か!」

「…………話には続きがある」

「あ? 続きだと?」

「…………続きだ」

「ったく、今はこの濡れ衣をどう晴らすかの方が大事なんだが……まぁいい。言ってみろ」

「…………その男は町を出て西に行ったところに住んでいるらしい」

「何!? それを早く言え!」

 

 って、ちょっと待て。町を出て西だと? そんなバカな。町の外に人が住めるはずがない。もしや奥地のバルハトールのことか?

 

「なぁムッツリーニ、それはバルハトールって町のことか?」

「…………そこまでは聞いていない」

「そうか……」

「…………森の中の城に住んでいると言っていたらしい」

 

 森の中……。

 

 ……

 

 まさか……。

 

「ねぇ、どうすんのさ雄二。このままじゃ僕ら完全に足止め状態だよ?」

「うっせぇ! 黙ってろ!」

「な、なんだよ急にマジな顔になっちゃってさ……」

 

 森の中。

 城。

 このメランダから西。

 

 これらキーワードすべてに一致する場所が一ヶ所だけある。そう、翔子が見つけたあの怪しい城だ。あの城にはひょろっとした金髪の男が住んでいた。

 

 なるほど……読めてきたぜ。

 

 俺の名を語ったことも。敢えて森の城という情報を漏らしたことも。

 

 ケッ…………上等だぜ!

 

「そういえばさ、簡易魔障壁って凄く小さいよね」

「そうじゃな。大きく見積もっても直径10メートルをカバーするのが精一杯じゃろうな」

「んー。そしたらさ、そんな小さいのをいくつ組み合わせても町全体を覆うなんてできないんじゃない?」

「等間隔に並べて隙間無く敷き詰める感じなんじゃないでしょうか?」

「でもそんなに数があるようには思えないわね。あれって凄く高いらしいし……」

「そうなんですか? 美波ちゃん」

「うん。前にお店で見たことがあるんだけど、ゼロがいっぱい並んでたわ」

「…………魔壁塔を中心にしてある程度の範囲に敷き詰めるらしい」

「あ、そうなんだ。じゃあ姫路さんが正解だね」

 

 理由は分からんが、どうやら俺は喧嘩を売られたようだ。まさかこんな異世界に来てまで喧嘩を吹っ掛けられるとは思ってもみなかったぜ。

 

「じゃあ町の中心だけ守ってあとは見捨てるってことなのかな」

「そういうことになるのじゃろうな」

「家、壊されちゃうよね……」

「そうね……」

「でも日中は魔獣の活動は控えめだって聞きましたよ?」

「どうなんだろう。僕、大きな熊の魔獣に出会ったことがあるんだけど、昼間だったよ?」

「あ、そうでしたね」

 

 どうやら明久が余計なことを考えているようだな。この話の流れからして、恐らくあいつが余計なことを言い出すだろう。

 

「ねぇ、皆。ひとつ提案があるんだけど……」

「なんですか? 明久君」

「補修品が届くまで何時間もかかるんだよね?」

「そうね」

「それまでは町の中心しか守れないんだよね?」

「そうじゃな」

「じゃあさ、僕らで町を守れないかな」

「私たちで……ですか?」

「うん。だって僕らには召喚獣の力があるし」

「確かにワシらには魔獣と戦う力がある。じゃが良いのか? ここにはワシらに石を投げつけた者たちがおるのじゃぞ? あれほど疑われ、(ののし)られても尚あやつらの家を守るというのか?」

「それはそれ、これはこれさ。だってこのままじゃ帰る家がなくなっちゃうかもしれないんだろ? そんなの放っておけないじゃん」

「やれやれ。お主は相当なバカじゃな」

「でもそういう所、明久君らしいです。私は賛成です」

「ウチも賛成。襲われるって分かっていて見て見ぬふりなんてできないわ」

「…………同意」

「あははっ! な~んだ、結局皆バカなんだね」

 

 やはりこういう流れになったか。こいつらとの付き合いも2年弱になるが、こういう所は出会った当初と何一つ変わってねぇな。

 

「あーあ。バカは単純でいいよな」

「なんだよ。じゃあ雄二は町が魔獣に襲われるのを黙って見てろって言うのかよ」

「そのとおりだ。前にも言っただろ。俺たちはこの世界の出来事にかかわるべきじゃねぇんだよ。それに俺たちの目的はどうなる。タイムリミットがあるんだぞ? 元の世界に帰れなくなってもいいってのか?」

「う……それは……」

 

 姫路と島田も俯いて黙り込んでいる。ムッツリーニと秀吉も返す言葉が無いようだ。ま、正論を言ったのだから当然だな。

 

「俺はまっぴらゴメンだね。どうしても守るって言うのならお前らだけでやるんだな」

 

 冗談じゃねぇぜ。こんな馬鹿げた話に付き合っていられるか。

 

「坂本君……? どこに行くんですか?」

「……ちょいと知り合いに野暮用だ」

「なんだよ雄二。逃げるのかよ。あ、分かった。石を投げられたのを根に持ってるんだろ。しょうがないなぁ雄二は。いいかげん大人になれよ」

「お前がそれを言うか!?」

 

 ったく、さっきまでジジイをぶっ飛ばすと息巻いてたのはどこのどいつだよ。

 

「悪いが俺はお前らの提案には乗れねぇんだ。じゃあな」

「あっ! おい雄二!」

 

 俺は歩きながら腕を上げ、ぶらぶらと手を振る。すると後ろから翔子の声が聞こえてきた。

 

『……吉井、皆、町をお願い』

 

 その(のち)、タッタッタッと足音が近付いてくる。翔子のやつめ……。

 

「来るな!」

「……あの城に行くつもり?」

「あぁ。ちょいと行ってくるからお前は明久たちと一緒に待っていろ」

「……私も行く」

「ダメだ。前にも言っただろ。危険過ぎる」

「……それなら尚更。雄二を1人で危険な場所に行かせられない。私も一緒に行く」

「ダメだっつったらダメなんだよ!」

「……どうしてダメなの」

「危険だからって言ってンだろ!」

「……どうして危険だと私が行っちゃいけないの」

「だっ、だから、それは……お前を危険な目に遭わせるわけには……」

「……自分の身は自分で守れる。雄二の足手まといにはならない」

「しかしだな……」

「……学園長先生も言ってた。この中で一番強いのは私」

「確かにそうかもしれねぇが……」

「……雄二は私が信じられない?」

「ンなことねぇよ。ただ――――」

「……私も雄二と同じ気持ち。だから私も行く」

 

 あぁもう! めんどくせぇな!

 

「か、勝手にしろ!」

「……うん。勝手にする」

 

 もう説得するのも面倒だ。翔子の抜刀は以前に一度見ている。猪の魔獣を一振りで両断したあの強さがあればなんとかなるだろう。

 

「町を出たら装着して一気に城まで駆け抜ける。いいな」

「……うん」

 

 俺は翔子を連れ、西の方角に歩き始めた。

 

 今回の事件で犯人は俺の名を語っている。この世界で俺の名を知っているのは大臣のパトラスケイルと、バルハトールの町のトーラス。それとあの怪しい森の城主だけだ。大臣やトーラスが俺の名を語るとは思えない。だとすると、残るはあの男だけだ。

 

 前回あの城を訪れた時も生臭いような、妙に陰湿な感じがしていやがった。それにあの城主からも生気が感じられなかった。奴にはきっと何かある。今回の事件の犯人も恐らくは奴がかかわっている。

 

 だから真意を確かめに行く。すべてに関して見て見ぬフリをしてラミールに向かおうと考えていたが、喧嘩を売られたとなれば話は別だ。

 

『明久君、止めなくていいんですか? 2人とも行っちゃいますよ?』

『そうよアキ、あの2人がいないんじゃ戦力もかなり落ちるわよ?』

『いいんだよ。雄二は犯人を捕まえに行ったんだから』

『そうなんですか?』

『うん。あいつならきっと真犯人を見つけてくるさ』

『そういうことであればここはワシらで守らねばならぬな』

『よし、町の周囲を手分けして警備しよう』

 

 俺の耳にはあいつらのそんな会話が届いていた。フ……明久、お前も少しはリーダーらしくなったじゃねぇか。そっちは任せたぜ。俺は俺のけじめを付けてくるぜ!

 



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第九話 信じる心

 雄二と霧島さんが行った後、()()()は手分けをして町を守ることにした。この町は周囲に高い山が聳えているため、出入り口は西口と東口の計2ヶ所。そこで僕らは残ったメンバーで相談し、西側を僕と美波が。東側を姫路さん、秀吉、ムッツリーニの3人で守ることにした。東側の人数が多いのは道が大きいからだ。

 

「ホント、人っ子ひとりいないわね」

 

 後ろの町中を見ながら美波がボソリと呟く。確かに町の中に人影はひとつもなく、吹き抜ける風が落ち葉を舞い上げる様が見えるのみ。まるでゴーストタウンのようだ。

 

「本当に人が住めない町に……なんて、ならないようにしないとね」

「えぇ。そうね」

 

 僕は美波と共に町の外で待機している。いや、西門を背にし、魔獣の襲撃に備えているのだ。もちろん魔獣の侵入を阻止するために。

 

 雄二たちが出て行ってから1時間ほどが経っただろうか。今のところ魔獣らしきものは見当たらない。できれば遭遇したくな――

 

  ぐきゅうぅぅぅ

 

「……? 何? 今の音」

「あ、あはは……僕のお腹の音……」

 

 そういえば朝ご飯を食べてないんだった。ホテルを出てから皆と一緒に食べに行く予定だったからなぁ。まさかこんなことになるなんて……。

 

  ぐぅきゅうぅぅぅ……

 

「うぅ~っ……」

「だ、大丈夫? アキ」

「は、腹へったぁ~……」

 

 このままじゃ町を守るどころか飢え死にしてしまいそうだ。昔はこの程度の空腹は気合いでどうにかなったのに、どうしてこんなに贅沢になっちゃったんだろう……。

 

「何か作ってあげたいところだけど……あいにくウチも今は何も持ってないのよね」

「いいよ美波。その気持ちだけで十分さ」

 

 なんて強がってみたけど、この空腹は耐えがたい。お腹と背中がくっ付きそうだ。くぅぅ~っ……こんなことなら昨日の夜腹一杯食べておくんだったなぁ。

 

「あんまり無理しちゃダメよ? いざとなったらウチ1人でも守り切ってみせるから」

「そうはいかないよ。言い出しっぺの僕が何もしないなんてさ」

「んー。でもねアキ」

「うん」

「そんな状態じゃかえって足手まといよ?」

「え……そ、そう……かな?」

 

 美波も遠慮なくズバッと言ってくれるなぁ。でも間違ってはいないか。腕輪の力がある今、美波は僕より遙かに強いだろう。加えてこの空腹状態。これではあまり戦力にならないかもしれない。でもだからといって彼女1人を危険に晒して自分だけ隠れているわけにもいかない。さて、どうしたものか……。

 

「って言うかさ、僕さっきからずっと気になってるんだけどさ」

「? 何が?」

「この扉、開けっ放しでいいのかな?」

 

 この扉とは僕らの背後にある大きな木製の扉だ。これは外周壁の西側出口に設置されているもので、扉は縦横共に5メートルほどある。馬車が通るから大きく作ってあるのだろう。それが今は観音開きに全開状態なのだ。

 

「そうね。ウチもずっとそれを思ってたわ」

「町を出て行った人が開けっ放しで行っちゃったのかな」

「きっとそうでしょうね。閉めちゃいましょ」

「だね。万が一にも魔獣が入ったら困るし。それじゃ早速……」

 

 僕らは立ち上がり、扉を閉めに向かった。すると、

 

「ん? 君は?」

 

 出入り口の向こう側に1人の男の子が立っていることに気付いた。一体いつから居たんだろう。全然気付かなかった……。

 

「どうしたの君? ここは危ないから町の真ん中に避難した方がいいわよ?」

 

 その子に向かって美波が優しく話しかける。男の子の身長は美波の腰丈ほどで、刈り上げ頭。見た感じでは5、6歳くらいだろうか。しかしなぜこんな所に子供が1人で居るんだろう?

 

「えと……あの……お、おれ、ば、婆ちゃんの、言いつけで……」

 

 しどろもどろに話し始める男の子。俯いてモゴモゴと口を動かしているので、聞き取りづらい。つまり何が言いたいんだろう?

 

 などと思ったのはほんの0.5秒。今、僕の興味は男の子が手にしている皿に全力で注がれている。

 

「こ、これっ! ば、婆ちゃんが持っていけって!」

 

 男の子は急に大声でそう言うと、持っていた皿をぐっと僕らの方へと突き出した。その皿に乗っているのは僕もよく知っている物だった。

 

「これをウチらにくれるの?」

 

 美波の問い掛けに男の子は黙って頷いた。ぎゅっと強く目を瞑り、僕らを見ないようにして小さく震える男の子。その様子はどこか怯えているようにも見えた。

 

「アキ、どうする?」

 

 皿に乗っている物は間違いなく”おにぎり”と呼ばれるものだ。この世界でこれを見るのは初めてだ。どうもこの世界の主食はパンやパスタなどの洋食がメインのようで、《こめ》米|自体の存在が稀なのだ。そして僕のお腹はもうあれを中に納めたくて堪らないと言っている。この状況で断る理由がどこにあろうか。

 

「もちろんありがたく頂戴するよ!」

 

 僕はがっつきたい気持ちを限界まで抑え、男の子から皿を受け取った。丸いゲンコツ大のおにぎり。それは黒く鈍い光を放つ海苔で丸ごと包まれていた。こ、これは美味しそうだ……! おにぎりはやっぱりお弁当の王道だよね!!

 

「ありがとう。お婆ちゃんにも”ありがとう”って伝えてね」

 

 にっこりと微笑んで僕は男の子に礼を言う。すると男の子は、ぱぁっと笑顔を咲かせ、

 

「うんっ!」

 

 と、元気いっぱいに返事をした。うんうん。男の子はやっぱりこうじゃないとね。

 

「あ、あのね、あのね! 婆ちゃんがね!」

「ん? なんだい?」

「婆ちゃんがね! 兄ちゃんたちは町を守ってくれてるんだって言ってたんだ! それってホント??」

 

 小さな両手に拳を握り、目を輝かせて尋ねる男の子。これは憧れの目だ。見た感じ、この子は正義感が強いように思う。もしここで僕が「そうだ」と答えれば、この子も一緒に町を守るなんて言い出しかねない。

 

「残念だけどちょっと違うかな」

 

 だから僕は嘘をついた。

 

「え……違うの……?」

 

 すると男の子は肩を落とし、俯いてとても残念そうに口をへの字に結んだ。

 

「お兄ちゃんたちはね、ここで人を待ってるんだ」

「人? 誰?」

「んー。大切な仲間……いや、悪友かな?」

「あくゆう?」

「そう。悪友。悪い友達って書いて、悪友だよ」

「悪い人なの?」

「あーいや。まぁ、悪い奴じゃないんだけど……」

「悪くないの?」

「う、うう~ん……」

 

 困った。上手く説明できない……。

 

「悪っていう字を書くけど、親しい友達っていう意味があるんだよ」

「ふ~ん……そのあくゆうって人はどこに行ったの?」

「どこって……。えーっと……あっち?」

 

 僕は後ろの道を指差してみた。雄二の向かった先がどこなのか、僕は詳しく知らない。でも西って言っていたから、たぶんこの道を出たんだと思う。

 

「何しに行ったの?」

「え……な、何しにって……み、皆の生活を取り戻しに。かな?」

「ホント!? じゃあやっぱりいい人なんだね! 正義の味方なんだ!」

「あはは……そ、そうだね」

 

 雄二がいい人で正義の味方……か。いつも偉そうで、いつも人を顎で使うようなあいつがねぇ。

 

「兄ちゃんはどうしてその人と一緒に行かなかったの?」

「どうしてって言われても……」

「友達なのに、どうして?」

 

 まさかそんな質問をされるとは思わなかった。なぜ、共に行かなかったのか? 今この問い答えるならば、こうだろう。

 

「あいつのプライドを傷つけないためだよ」

「ぷらいど?」

「僕の友達はね、プライドがとっても高いんだ。だから僕が一緒に行くとそのプライドを傷つけちゃうんだ」

「ふ~ん……よく分かんないや」

「ははっ、君にもきっと分かる時がくると思うよ」

 

 そう。あいつはプライドが高い。あんな濡れ衣を着せられたまま終わるはずがない。だからあいつは必ず真犯人を捕まえて戻ってくる。そして自ら無実を証明する。僕はそう信じている。

 

「さ、そろそろ君も避難した方がいいよ。ここは魔獣に襲われるかもしれないからね」

「兄ちゃんたちは?」

「僕らはここを守――――友達を待ってるからさ!」

「でも危ないよ……?」

「大丈夫だよ。兄ちゃんだって結構強いんだぜ?」

「そうなの?」

「うん。それにこっちのお姉ちゃんはもっと強いんだ。だから大丈夫」

「ふ~ん……」

 

 大きな目をぱちくりとさせて僕と美波を交互に見る男の子。怪しまれたかな……?

 

「さ、ここは僕らに任せて――」

「おれ、逃げないよ!」

「え……どうしてさ」

「だって婆ちゃんが家に残ってるから」

「えぇっ!? なんで逃げないのさ! この辺りはもう魔障壁が無いんだよ!?」

「婆ちゃんが家を捨てて逃げるなんてできないって言うんだ。ずっと住んでた家がなくなるなんて嫌だって。おれも家が無くなるのは嫌だ。だから婆ちゃんも家も、おれが守る!」

 

 男の子は再び両手に拳を作り、声を張り上げる。なんて純粋な子なんだろう……。

 

「そっか……分かった。それじゃ少しでも魔獣を防ぐためにこの扉は閉めておくよ。婆ちゃんは任せたぜ」

「うん! おれにまかせろ!」

「よし、男と男の約束だ」

 

 僕は少し屈み、拳を突き出した。すると男の子も同じように拳を突き出し、僕らはコツンと拳を合わせた。

 

 そしてあの子は身を翻し、町の中へと帰っていった。

 

『兄ちゃんたち、負けんなよ~~っ!』

 

 男の子は立ち止まってこちらを振り返り、元気良く手を振る。

 

「あぁ! もちろんさ!」

 

 僕と美波は応えるように手を振り返した。満足げな顔をして再び町の中を駆けて行く男の子。しばらくその様子を眺めていると、あの子はひとつの家に入っていった。どうやらあの家があの子とお婆ちゃんが住んでいる家のようだ。そうか、すぐ近くだから僕らの様子が見えたのか。だからおにぎりを作ってくれたんだな。

 

「……とっても元気な子ね」

「んぅ? (モゴモゴモゴ)」

 

 空腹に耐えかねた僕は既におにぎりにかぶりついていた。

 

「あーっ! ずるいっ! なんでアンタ1人で食べてるのよ!」

「だってお腹がすいて堪らなかったからさ」

「ウチだってお腹すいてるのよ!」

「美波も食べる?(モグモグモグ)」

「当然よ!」

 

 美波はマントの下から手を出し、おにぎりを鷲づかみにする。そしてそれを口に持っていくと、大きな口を開けてかぶりついた。

 

「ん~っ……お・い・しい~っ!」

 

 満面の笑顔で喜ぶ美波。空腹は何物にも勝る調味料。そして美味しい物は人を笑顔にするのだ。

 

「はむっ! ……(もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ)」

 

 彼女の笑顔を見ながら僕もおにぎりにかぶりつく。あぁ、おいしいなぁ……。

 

「アキ、もう1個ちょうだい」

「うん(モぐモぐモぐ)」

 

 《こうざん》高山|の町の外。地面に座り、おにぎりを頬張る僕と美波。太陽の下で食べるおにぎりはとても美味しく、ほぼピクニック気分であった。ただ、気温が異常に低いのが残念だった。これで気温がハルニアのように暖かければ文句無かったのだけど。

 

「ウフフ……」

 

 美波がおにぎりを食べながらニヤニヤしている。

 

「何だよ美波。ニヤニヤしちゃってさ。そんなに美味しい?」

「おにぎりは美味しいわよ。でもこれはただの思い出し笑いよ」

「一体何を思い出したってのさ。まさか僕のかっこ悪いところ!?」

「違うわよ。さっきアキが言ったことを思い出してたの」

「ん? 僕なにかおかしいこと言ったっけ?」

「えぇ。とっても意外なこと言ってたわよ」

「はて……?」

 

 さっき言ったことというと、男の子と話した時だろうか。つまり子供への接し方がおかしかったということか。

 

「笑わないでよ。しょうがないじゃないか。僕にはあれが精一杯の接し方なんだからさ」

「えっ? 接し方?」

「そうだよ。美波は妹の葉月ちゃんがいるから子供の扱い方は慣れてるだろうけど、僕に妹や弟はいないんだからさ」

「?? アンタ何か勘違いしてない?」

「ふぇ? 何が?」

「おかしかったのは坂本のことを話してた時のことよ?」

「なんだそうなのか。……って、あれのどこがおかしいのさ」

「だってアキったら、坂本のことをあんなに信じてるんだもの」

「え……そ、そう?」

「いつも憎まれ口を言い合ってて喧嘩ばかりしてるのにね」

 

 美波が肩を揺らせてクスクスと笑う。確かに雄二の話はしたけど、そんなにおかしいかな?

 

「なんだかんだ言ってもやっぱりアンタたちって親友なのね」

「ま、親友っていうか、腐れ縁ってやつだね。あははっ」

 

 でも雄二、今回ばかりは信じてるぜ。お前が真犯人を捕まえてこないと僕らの濡れ衣も晴れないんだ。以前のAクラス戦のようなヘマをやらかしたら許さないからな!

 

「でもいいのアキ? アンタも町の中で待っててもいいのよ?」

「ん。なんでさ」

「だってアンタの召喚獣の装着時間ってせいぜい10分か20分くらいなんでしょ? もし魔獣が立て続けに襲い続けたらアンタすぐに時間切れじゃない。坂本たちがいつ戻ってくるかも分からないのよ?」

「うっ……」

 

 そうか。僕には腕輪がない。美波の言うように、もし連続して襲われたら僕はあっという間にタイムアウトだ。くそっ、僕にも腕輪があればなぁ……。

 

「ふふっ、安心しなさいアキ。アンタが戦えない時はウチがフォローするから」

「え……でも……」

「なぁに? 坂本は信じてもウチのことは信じられないとでも言うつもりかしら?」

「い、いや、そんなことはないけど……」

 

 やはり戦いを女の子に任せて隠れるというのは男が廃る。そんなみっともないことができるわけがない。とはいえ、腕輪の力がある以上、今は美波の方が実力は上か。とほほ……情けないなぁ……。

 

「ゴメン美波。今回は頼りにさせてもらうよ」

「ウフフ……任せてっ」

 

 なんだか美波は楽しそうだ。こんな状況に置かれても楽しめる彼女の前向きな性格は羨ましいとさえ思える。でもこの笑顔を見ていると、なんだか僕の方まで楽しくなってきてしまうから不思議だ。

 

「アキ。おにぎりもう1個ちょうだい」

「ん。ほい」

「ありがと」

 

 こうして僕と美波は遅めの朝食を取りつつ、町の警護を続けるのであった。

 



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第十話 押し寄せる獣たち

 ―― その頃、東門の防衛に回った瑞希ら3人は ――

 

「…………来た」

 

 魔獣の襲撃に備え、町の外に座り込んでから数時間。それまで腕組みをしたまま微動だにしなかった土屋君が、目を開いて呟いた。

 

「土屋君?」

「どうしたムッツリーニよ。何が来たのじゃ?」

「…………招かれざる客」

 

 土屋君はすっくと立ち上がり、腰を落として前方を見据える。私や木下君には感知できない何かを感じているみたい。

 

「あの……土屋くん? お客様がいらしたんですか?」

「いや。姫路よ。どうやらワシらの出番のようじゃ」

「えっ? そ、それじゃ……!」

 

 坂本君が町を出た後、私たちは手分けをして町の警護に当たることにした。

 

 ほとんどの人たちは町の中心に避難している。魔壁塔の補修部品は手配しているけれど、届くのは早くても今日の夕方。それまでは馬車用の簡易魔障壁を組み合わせて凌ぐのだという。

 

 でも簡易魔障壁では守れる範囲はとても狭く、町全体を覆うことはできない。だから町の中央以外は魔獣に破壊されても諦めるしかない。そういう判断らしい。

 

 それを聞いた明久君は「そんなのはダメだ」と言い、皆で守ろうと言い出した。あんなに町の人から「出て行け」と言われ、石を投げつけられてもこの町を守ろうとする。そんな真っ直ぐな所が明久君らしいな、と改めて思った。私はそんな明久君が好き。

 

 ……

 

 そう……まだ私は……明久君のことが……。

 

「姫路よ! 何をぼぅっとしておる! 来るぞい! 召喚するのじゃ!」

「あっ!? は、はいっ! ――試獣装着(サモン)っ!」

「ワシらも行くぞいムッツリーニよ! ――試獣装着(サモン)!」

「…………試獣装着(サモン)

 

 私たちは片腕を上げ、召喚獣を喚び出す。呼び声と共に光の柱が足下から溢れ出し、私たちは光に包まれる。

 

「さぁ……守るぞい!!」

「はいっ! ――っ!?」

 

《ガァァッ!!》

 

 腰の剣を抜いて身構えると、すぐに大きな獣が飛びかかってきた。襲い掛かってきたのは身の丈2メートルはあろうかという程の大きな獣だった。人間すらも一飲みにしてしまいそうなくらいに大きな口。まるでホオジロザメのような巨大な牙。灰色の毛で覆われたそれは、紛れもなく狼の形をしていた。

 

「…………任せろ」

 

 土屋君の声が聞こえたかと思うと、彼の姿がフッと消えた。次の瞬間、

 

 ――ガキィンッ!

 

 と金属の音が響き、巨獣の動きが止まった。

 

「つ、土屋君!」

「…………今のうちに弱点を突け」

 

 土屋君は両手に持った小太刀をクロスさせ、魔獣の牙を受け止めていた。けれどその手はブルブルと震え、次第に下がってきている。このままでは土屋君が食べられてしまう……!

 

「で、でも弱点って……ど、どうしたら……!」

 

 突然襲ってきた巨獣を目の前にして、私はすっかり動揺してしまっていた。しかも土屋君が今にも食べられてしまいそうな状況に、完全に慌てふためいてしまっている。

 

「ワシに任せい!」

 

 そうこうしているうちに木下君が横から飛び出し、薙刀を狼の(ひたい)に突き立てた

 

《ギャイィン!》

 

 まるで犬のような叫びと共に巨大な狼は動きを止め、その場に崩れ落ちる。そして体中から黒い煙を吹き出しはじめた。一瞬の出来事だった。土屋君の瞬時の判断。木下君の正確な攻撃。私は身構えただけで何もできなかった……。

 

「ナイスじゃ。ムッツリーニよ」

「…………どうということはない」

 

 2人とも凄い……やっぱり私は実戦では役に立てないのかも……魔獣1匹に襲われただけで怖くて何も考えられなくなってしまうし……。

 

「んむ? どうしたのじゃ? 姫路よ」

「あ、いえ! な、なんでもないです!」

 

 慌ててブンブンと手を振って取り繕う私。どうしよう……私、町を守るなんてできるのかな……。

 

 

 

 そんな私の不安を煽るかのように、この後も魔獣の襲撃は続いた。それはだんだんとエスカレートしてきて、魔獣の数は2匹、4匹と徐々に増えていった。

 

 

 

「くっ……! 姫路よ! お主の力が必要じゃ! 頼む!」

「は、はいっ!」

 

 けれど私も次第に状況に慣れてきて、戦えるようになってきた。

 

「…………加速(アクセル)

 

 土屋君は腕輪の力を使い、次々に魔獣を倒していく。襲ってくるのはほとんどが狼型の魔獣。道幅がそれほど広くないせいか、魔獣たちは素早い動きができないみたい。それもあって私たちは1体ずつ相手にすることができている。それでも魔獣たちは仲間の屍を超え、次々と襲ってきた。

 

「やぁぁーーっ!!」

 

《ギャィン!!》

 

 隙を見せた魔獣の額めがけて大剣を振り下ろす。魔石を砕かれた魔獣は剥製のように固まり、黒い煙となって消え去る。その魔獣が消えるとまた次の魔獣が襲い掛かってくる。私は振り下ろされる爪を飛び退いて避け、すぐに切り返して剣でなぎ払う。こんなことの繰り返しだった。

 

《ンメェェーーッ!!》

 

「っ……!」

 

 そして、たまに狼に紛れて襲ってくる山羊のような魔獣が私の胸を痛める。

 

 アイちゃん……。

 

 山羊の姿を見る度に思い出してしまう。あの仔山羊のアイちゃんのことを。

 

「姫路よ! ぼんやりするでない!」

「は、はいっ! ごめんなさい!」

「良いか! ここはなんとしても死守するのじゃ!」

「…………分かっている」

「はいっ! 私、負けません!」

 

 私たちの戦いはこの後、数時間に及んだ。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ―― 一方、こちらは西門を防衛している明久美波ペア ――

 

 

「あれ? ねぇアキ、見て見て、兎よ」

「ん? どこどこ?」

「ほら、あそこに」

 

 道の先を指差す美波。その黄土色の道の先には、茶色い毛並みの動物がモフモフしている姿が見えた。あのぴょこんと飛び出した耳は間違いなく兎だ。兎は愛玩動物の類い。つぶらな瞳と愛くるしい仕草が人々に愛されるのだ。

 

「ホントだ。へぇ~、こんな寒い所にもいるんだね」

「あっ、もう一羽出てきたわよ」

「一羽? 一匹じゃなくて?」

「兎は一羽二羽って数えるらしいわよ」

「へぇ、そうなんだ。よく知ってるね」

「ウチも最近知ったのよ。鳥みたいな数え方よね。あっ、また出てきたわよ。ふふ……可愛いっ」

 

 兎たちは道の両脇の森から出てきているようだった。一匹、また一匹とその数は増えていく。こうしてのんびりと野兎(のウサギ)を眺めている時間っていいなぁ……。

 

「ふふ……まるで眠れない時にやる羊数えみたいね」

「ん? 美波も眠れない時があるの?」

「そうね。前に何度かあったかも」

「へぇ~。たとえばどんな時?」

「えっ……? そ、それは……その……」

 

 急にモジモジと指を絡ませはじめる美波。心なしか顔色も少し赤いようだ。

 

「き……強化合宿の後……とか……」

 

 美波はそう言うとプイとそっぽを向いてしまった。こういう仕草をするということは恥ずかしいことだったのだろうか。でもなんで眠れないのが恥ずかし――――あ、そうか!

 

「ハハーン? 分かったぞ」

「な、なによ。何が分かったっていうのよ」

「怖い映画とか見たんだろ?」

「はぁ!? 違うわよ! ウチがそんなことで眠れなくなるわけないでしょ!」

 

 ……絶対嘘だ。

 

「じゃあなんで眠れなかったのさ」

「えっ? だ、だからほら、それは……あ、アレよあれ! そう! 中間テストで点取れるかなって心配になってたのよ!」

「な~んだ。そんなことかぁ」

「わ、悪かったわね! そんなことで!」

 

 ん? ちょっと待てよ? 強化合宿って中間テストの後じゃなかったっけ? もしかして期末テストの間違いかな?

 

(……あぁもうっ……ウチのバカぁ……)

 

 美波がポカポカと自分の頭を叩いている。何をしてるんだろう……。たまにこんな風によく分からない行動を取るんだよな、美波って。

 

 ……ん?

 

「美波、見てごらん。兎がこっちに来るよ」

「えっ? 兎?」

 

 悩んでいるのなら少し気を紛らせた方が良いだろう。そう思い、兎に話題を戻してみたのだ。

 

「あっ、ホント。ウチらに餌をねだりに来たのかしら」

 

 兎たちはぴょんぴょんと地面を跳ねながら僕らの方に近付いてくる。いつの間にかその数は10を超えていた。

 

「ははっ、なんだか人懐(ひとなつ)こ――――」

 

 いや待て。何かおかしい!

 

「美波! 召喚だ!」

「えっ? 何? 急にどうしたの?」

「いいから立って! 急いで召喚するんだ! ――試獣装着(サモン)!!」

「もう! 何なのよ! ――試獣装着(サモン)!」

 

 迂闊だった……。一体何のためにここで待機していたのか。そう、あれはただの兎じゃない。あれは――――!

 

《シャァァーーーッ!!》

 

 あれは兎型の魔獣! 僕らが警戒していた輩だ!!

 

「きゃぁーーっ!!」

「美波!!」

 

 先頭の1匹が飛び上がり、美波に襲い掛かってきた。僕はすぐさま彼女の前に立ち塞がり、手にした木刀をフルスイング。魔獣の顔面に叩きつけた。

 

 ――ガシィッ!

 

 これにより兎の魔獣は動きを止めた。この時、僕は改めて魔獣の異常さを認識した。兎ならば本来僕の膝よりも低いはず。それが今、目の前にある茶色の毛むくじゃらは僕の身長よりやや低い程度。兎にしては気持ち悪いほどにでかいのだ。

 

《フーッ、フーッ、フゥーーッ!!》

 

「くぅっ……」

 

 しかもこの魔獣は木刀で抑えられても尚、グイグイと顔を押しつけてくる。こいつ……力任せに押し切ろうと言うのか? そ、そうはいくかっ……!

 

「こ、こんの……やろォォーーッ!!」

 

《ギャフゥッ……!》

 

 僕は両手に渾身の力を込め、奴を強引に打ち返してやった。すると魔獣はくるくると回転しながら空高く舞い上がり、森の中へと消えていった。もしこれが野球なら場外ホームランだ。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…………み、美波! 大丈夫か!」

「う、うん。ごめんねアキ。ウチ、油断してたわ」

「そりゃお互い様さ」

 

 でも……まいったな。できれば来てほしくなかったけど、こうなったら戦うしかないよね……。

 

「よォしッ!! 守るぞ! 美波!」

「えぇ!」

 

 

 

 ――1時間後

 

 

 

「美波! 召喚獣の時間はまだ大丈夫!?」

「うん! 平気! でもさすがに量が多すぎるわ!」

「魔障壁が直るまでの間、なんとしても持ちこたえるんだ!」

「言われなくたって分かってるわよ!」

 

 襲撃に来る魔獣は兎や鼠のような小動物型ばかりで弱い。武器の一振りで消えるほどだ。しかし数が多い。倒しても倒しても次から次へと湧いてくるのだ。一体どこから湧いてくるんだろう。

 

「姫路さんの方は大丈夫かな……」

「あの子なら大丈夫よ! 今は自分の心配をしなさい! まだまだ来るわよ!」

「わ、分かった!」

 

 美波の予想通り、魔獣は波状攻撃を仕掛けてきた。といっても統制の取れたものではないので、退けるのは容易い。だが問題がひとつある。それは僕の装着時間が短いという欠点があることだ。そのため、僕だけは10分おきに休憩を取らざるを得ない状況だ。

 

「!? し、しまった! 装着時間が!」

 

 そしてたまにこんな状況に陥ってしまう。

 

「下がってアキ! 一気に行くわ!」

 

 その度に僕はこうして美波に守ってもらっている。男として本当に情けない……。って!? 大技を行くつもりか!?

 

「ま、待って美波! 大きな消耗はまずいよ!」

「いいから下がりなさい! つべこべ言ってるとアンタも巻き込んじゃうわよ!」

 

 美波は叫びながら手に持ったサーベルを天にかざす。

 

「わわわっ! ちょ、ちょっとタンマ!」

「――大旋風(サイクロン)!!」

 

 掛け声と共に彼女の右腕の腕輪が激しい輝きを放つ。そしてサーベルの切っ先が振動を始め、彼女の頭上に小さな風の渦を作り出した。

 

「さぁ行くわよっ!」

 

 美波はサーベルを持つ手にぐっと力を込め、一振りする。それを合図に風の渦は急激に膨れあがりながら、魔物の群の方へと進み始めた。

 

《ギィー!!》

《クァァーーッ!?》

《キュイィッーーッ!?》

 

 生まれた大きな竜巻は魔獣の群を飲み込み、空中へと巻き上げていく。その中で魔獣たちは断末魔の叫びをあげ、次々に消えていった。竜巻はゴウゴウと轟音を轟かせながら僕の頭上で渦を巻く。そしてこの巨大な竜巻は魔獣の群をしばらく蹂躙すると、突然フッと消えた。

 

「うぅっ……」

 

 激しい風がおさまった後、がくりと美波が膝を落とした。やはりこの技は体力を大きく消耗するようだ。だから言ったのに……でも今のですべての魔獣は消え去ったよう――

 

《ギィ……》

《ギィィ……》

 

 ……どうやらすべて消し去ったわけではないようだ。残った数匹の魔獣たちが警戒しながら距離を詰めてくる。まずい! 今の美波は動けそうに無い!

 

「させるかっ!」

 

 僕は咄嗟に彼女の前に出て、木刀を構え……?

 

「あれ……?」

 

 しまった! 装着してないんだった!

 

「ちょっとアキ!? アンタ何やってるのよ!」

「うわわわ! さ、さささ試獣装着(サモン)っ!」

 

 ――――ドン!

 

 光の柱が立ち上り、凄まじい衝撃波が周囲の魔獣たちを吹き飛ばした。そうか。今頃思い出したけど、この光は周囲の物をはじき飛ばす効果があるんだった。

 

「よ、よっしゃぁッ! 復活ぅッ!!」

 

 先日、学園長は熟練度による召喚獣の回復力向上の話をしていた。あの時はいまいちピンと来なかったけど、今なら分かる。ほんの数分解除していただけで僕のバイザーに表示されているゲージが2、3割も回復しているからだ。

 

「さぁ! どこからでもかかってこい!」

 

 僕は美波の前で格好良く両手で木刀を構えて見せる。よぉし、今度こそ僕が守る番だ!

 

「もう。張り切っちゃって。無茶すんじゃないわよ?」

「へへっ、少しはカッコイイ所を見せておかないとね」

「別にそんなもの見せてくれなくたっていいわよ」

「えぇ~。なんでさ」

「……」

「? なんでそこで黙るのさ」

「あ、アンタなんかどう頑張ったって格好良くなんかならないからよっ!」

 

 今の()は何だろう。

 

《シャァァーッッ!!》

 

 !

 

「うぉらぁっ!」

 

 飛びかかってきた猫のような魔獣を木刀でなぎ払う。兎型よりやや大きく、体長は2メートルほどあるようだった。けれど装着した僕なら片手でも十分だ。

 

「ここは一歩も通さないぞ!」

 

 しかしこの魔獣たちはなぜ人里を襲うのだろう。見たところ魔獣同士で争う様子はない。こうして見回すだけでも兎、鹿、猿といった種類の魔獣がこの場に集結している。なぜだ? なぜ彼らは町ばかりを襲うのだ?

 

「うりゃっ! おらぁーっ! とぁぁーっ!!」

 

 襲い来る獣の(むれ)を退けながら僕は考える。だが答えなどでるわけがなかった。なぜならこの世界は召喚獣とゲームの世界が混ざり合ってできたもの。こういう”設定”なのだ。そう理解するしかないのだから。

 



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第十一話 恐怖の館

「ったく。何が”足手まといにはならない”だ。しっかり足を引っ張ってんじゃねぇか」

「……私は1人でも歩いていくと言った」

「歩いてたら何時間も掛かっちまうだろうが」

「……だから先に行っていいと言ったのに」

「ンなことできっかよ」

「……どうして?」

「どうしてって、そりゃお前、こんな森の中にお前1人を置いていけるわけねぇだろ」

「……自分の身は自分で守れる。だから雄二は気にせず先に進んでいい」

「だからそういうわけにいかねぇっつってんだよ!」

「……どうして雄二はそんなに急ぐの?」

「だ、だからそれは、だな……」

「……町が心配?」

「はぁ? ありえねぇだろ。あんな扱いを受けたんだぞ? 心配する道理がどこにあるってんだ」

 

 ったく、ジジババどもめ。俺の偽物に簡単に乗せられやがって。疑うってことを知らねえのかよ。ま、身近にも疑いを知らないバカがいるけどな。

 

「……じゃあ、吉井が心配?」

「なぜ俺があいつを心配しなくちゃなんねぇんだ。あいつが勝手に町を守るなんて言い出したんだぞ?」

「……でも、心配してる」

「んなことねーよ」

「……雄二は素直じゃない」

「けっ、言ってろ。そんなことよりしっかり掴まってろよ。今は時速100キロは超えているはずだ。この速度で落ちたら怪我じゃ済まねぇぞ」

「……うん」

 

 俺は明久たちと別れ、馬車道を走っている。向かう先は例の怪しい城だ。目的はもちろん、あのネロスって野郎と話を付けることだ。

 

 昨夜からの一連の騒動に”ネロス”の名は出ていない。だが状況からして犯人は奴以外にありえない。もちろん根拠はある。今回メランダで起きた盗難事件の犯人は俺の名を名乗った。つまり俺の名を知っている者の犯行というわけだ。先にも述べたが、この世界で俺の名を知っているのはアレックス王と大臣のパトラスケイル。それにバルハトールのトーラス親子と、残るはあの城の城主ネロスだ。

 

 王や大臣や俺に濡れ衣を着せることはありえない。トーラスは行方不明で、4歳の息子ルーファスがこのようなことをできるわけがない。つまりネロスしかいないのだ。問題はなぜ俺を標的にしたのか、だ。

 

 今にして思えば、赤毛の女リンナやトーラスの件も奴の仕業であるとも考えられる。行く先々で俺の思惑をことごとく潰され、結局何の成果も得られなかった。何者かが裏で俺の行動をあざ笑っているのだとしたら、これ以上の屈辱はない。もし奴が張本人だとしたら俺は……。いや。どうするか今はまだ決めていない。それは奴に会ってから決めればいい。

 

「……雄二」

「おう。なんだ?」

「……装着時間は大丈夫?」

「あぁ。まったく問題無い。腕輪の力ってすげぇよな。ほとんどゲージが減らねぇ」

「……そう」

 

 今、俺は試獣装着し、翔子を背負って走っている。本来ならば馬車を使いたいところだが、町から逃げ出す者が奪い合う状況では不可能だ。まぁ馬車が出せたとしても俺は使わないけどな。あんな扱いを受けて尚世話になろうとは思わん。

 

 それにしても腹立たしいのは、この俺を(おび)き出そうとしていることだ。俺を名を語って盗みなんかしやがって……。多少の悪戯なら俺だって笑って許す。だがこういった回りくどい陰湿なやり方にはどうにも腹の虫がおさまらねぇ!

 

「……雄二」

 

 しかしどれだけ考えても分からねぇのはその理由だ。俺はあの野郎とは一度しか会っていない。それも二、三、言葉を交わした程度だ。あの会話で俺が恨まれるようなことを言ったのか? 思い当たる(ふし)は無いが……。

 

「……雄二」

「なんだよ。今考え事と走るので忙しいんだよ」

「……何を考えていたの」

「お前にゃ関係ねぇよ」

「……あの城主のこと?」

「分かってンなら聞くなよ!」

「……どうしてあの人のことを考えているの?」

「うっせぇなぁ。どうだっていいだろ」

 

 悪いが今は話す気分じゃない。腹の奥がムカムカして、口を開くと毒を吐いちまいそうだ。

 

「……そんなにあの人が気になる?」

「あぁ。気になるね」

「……あの人に会いたい?」

「あぁ。会いたいね。一刻も早くな」

「……浮気は許さない(ギリギリギリ)」

「っ……! ばっ、バカっ……やめっ……! う、運転手の首をっ……し、絞め奴が……あ、あるかっ……!」

 

 ギリギリと首の骨がきしむ音が聞こえる。や、ヤバイ……! このまま締め上げられたら……事故るっ……!

 

「お、俺の名を語った……理由を……き、聞きに行く……だけだ……! だ、断じて浮気などでは……ないっ……! 俺を……信じろっ……!」

 

 というか、なぜこの俺が背負っている翔子を宥めなければならないのだ。ワケが分からん……。

 

「……本当?」

「ほ、本当だ! だ……だから……こ、この状況でチョークスリーパーは……や、やめろっ……!」

 

 ようやく理解してくれたのか、翔子は手を緩めてくれた。やれやれ……相変わらず手間の掛かるやつだ。

 

「ったく、こんな技どこで覚えて来やがったんだ……」

「……美波に教えてもらった」

「ンなもん教えてもらうんじゃねぇっ!」

 

 毎度のことながら島田も余計なことをしてくれるぜ。ったく、なんとかしろよ明久。翔子が姫路の必殺料理と島田のサブミッションの両方を持ったら最凶すぎるだろ……。お? そうこうしているうちに見えてきたな。

 

「……雄二。あれ」

「あぁ、間違いねぇ。ネロスって野郎の城だ!」

 

 さぁ、どういうことかきっちり説明して貰おうじゃねぇか!

 

 

 

          ☆

 

 

 

 俺たちはついに目的の城に辿り着いた。見たことのない植物が鬱蒼(うっそう)と茂る森の中。目の前には巨大な茶褐色の城が(そび)え立つ。意外だったのは、ここに到着するまで魔獣に遭遇しなかったことだ。昼間で魔獣の行動が鈍かったのだろうか。

 

「……雄二。どうするの?」

「決まってンだろ。こうするんだよ!」

 

 ――バキャァッ!

 

 木製の扉に蹴りをくれてやると扉は粉々に砕け散り、入り口が開いた。召喚獣を装着しているのだからこの程度のことは造作も無い。

 

「出てこいネロス! 色々と話を聞かせてもらうぞ!」

 

 俺は開いた扉から城内へと踏み込み、大声で叫んだ。

 

 とてつもなく広い空間。正面や両側にはステンドグラスが備えられ、赤や緑の光が室内に溢れる。そこはまるで礼拝堂のようだった。だが室内に椅子などの類は一切無かった。がらんとしていて、ただ床石が敷き詰められているのみであった。

 

 見上げれば天井は恐ろしいくらいに高く、暗い。照明の(たぐ)いも一切ない。薄暗くてジメジメした雰囲気が身震いするような寒気を感じさせる。

 

「ここにいることは分かっている! なぜ俺の名を語って悪さをする! 姑息な手を使いやがって! 俺に用があるのなら直接言いに来い!」

 

 …………

 

 …………

 

 …………

 

 返事なし、か。どこかに隠れてやがるのか? 見たところ広間の両側に木製の扉が複数。それと正面には講壇のような台があり、その両脇には階段があって2階へと通じているようだ。

 

「……いない?」

「いや、いるはずだ。さっき外から見た時も部屋に(あか)りが見えたからな」

 

 俺は腹に力を込め、再び大声で叫んだ。

 

「聞いてるんだろネロス! 出てこい! 出てこないというのなら勝手に探させてもらうぞ!」

 

 この呼び掛けにも返事は無かった。……いいだろう。趣味ではないが、家捜しさせてもらうぜ。

 

「行くぞ翔子」

「……どうするの?」

「ネロスの野郎を探すんだよ」

 

 俺は薄暗い室内をゆっくりと、慎重に歩き始めた。足下は大理石のような石で作られた床。凹凸が無く、つるつるしていて歩きやすい。

 

 両脇の部屋は扉の間隔からしてかなり小さい部屋のようだ。居住スペースとは思えない。礼拝用の小部屋だろうか。

 

「……人の気配がしない」

「いや。そうでもないぜ」

「……そう?」

「あぁ。妙な視線を感じる。……嫌な感じだぜ」

 

 翔子の言うように、この空間には生気を感じない。人が暮らしている様子を感じられないのだ。長らく人の住んでいない、まるで廃墟のようにも思える。

 

 だがあの時、ネロスは確かにここにいた。それにこの感じ。誰かに見られている。それも1人や2人なんてもんじゃない。もっと多数の者が俺たちの様子を見ている。奴か? ネロスの野郎が俺たちを――――!

 

「止まれ翔子」

「……どうしたの?」

「静かに!」

 

 何だ……この異様な気配……何かが……来る……!

 

 

  ギィィィー……

 

 

 身構えて警戒していると、そんな音を立てて両側の小部屋の扉が一斉に開いた。

 

「な、なん……だと……!?」

 

 そこから出てきたのは俺の予想を遙かに超える集団だった。

 

《ウゥゥー……》

《アァー……ウゥゥ……》

《ウ……ォ……ォォゥ……》

 

 そいつらはゆっくりと、とてもゆっくりと出てきた。言葉にもならない呻き声をあげながら。

 

「……ゆ、雄二」

 

 翔子が俺の腕にしがみついてくる。あの恐れを知らぬ翔子ですら、この異様な光景に怯えているようだった。正直言ってさすがに俺もこの光景には戦慄した。

 

 そいつらは人の形をしていた。いや、恐らくはかつて人であったのだろう。皮膚は黒く変色し、髪は抜け落ち、肌が朽ち果てて顎骨が見えている者もいる。ボロボロになった衣類を纏ったそいつらは、まさにゾンビそのものであった。

 

「くっ……な、何だ……こいつら……」

 

 奴らは続々と小部屋から出てくる。その数は既に30……40……まだまだ増える。まるでホラー映画のワンシーンを見ているようだ……。

 

「……雄二……どうしよう」

「あぁ。こいつはまいったな。さすがにこれは想定外だぜ……」

 

 ゾンビの集団はゆっくりとこちらに向かってくる。明らかに俺たちを狙っている。ネロスをぶっとば――――いや、話を聞くだけのつもりだったが、とんだ歓迎だぜ……。

 

「逃げるぞ翔子!」

「……ダメ。囲まれてる」

「な、何ぃ!? いつの間に!?」

 

 気付けば俺たちはすっかりゾンビどもに囲まれていた。奴らは上体をゆらゆらと揺らし、腕をだらりと下げ、ゆっくりと包囲を狭めてくる。手に剣や斧のような武器を持っている奴もいる。こ、こいつはヤベぇ……!

 

《……やれやれ。無礼ですね。貴方達は》

 

 その時、この礼拝堂に澄んだ声が響き渡った。

 

「て、てめぇは……ネロス!」

 

 正面の階段の上から黒いローブを着た者が降りてくる。白い肌に長い金髪。間違いない。あの澄ました顔はネロスだ。

 

「てめぇ……人間を操ってやがるのか……」

 

《……操る? それは違いますね》

 

「何が違うってんだ!」

 

《……私はただ再利用しているに過ぎません》

 

「再利用だと?」

 

《……そう。貴方達が魔獣と呼んでいる固体。あれは動物の死骸から作り出したものです》

 

「な、なんだと!? 死骸から作り出した!?」

 

《……そうです。なかなか良くできているでしょう? 魔獣化する際に細胞が異常膨張して身体が大きくなってしまうのが欠点ですがね》

 

 そうか……魔獣が動物の姿をしていて異常にでかいのはそういう理由だったのか。まさか魔獣という存在がこいつの仕業だったとは……。こいつ、思っていた以上にとんでもない野郎だぜ……。

 

「では今この世界に蔓延(はびこ)っている魔獣はすべてお前が作ったということか! なぜこんなことをする!」

 

《……すべてではありませんがね。まぁそんなことはどうでもいいのです。今は違う生体の研究をしていますので》

 

 こいつ、マッドサイエンティストなのか? 生き物を何だと思ってやがるんだ……。

 

《……魔獣は生物の死骸を用いたものであることは今お伝えしたとおりです。しかし何故か人間の死体だけは魔獣化できなかったのです。私は何度も何度も実験を繰り返しました。ですが300体を超える死体を用いても、ひとつとして成功することはありませんでした。何故だか分かりますか?》

 

 なんだ? こいつ突然何を言い出すんだ? 言っている意味がさっぱり分からんぜ。

 

《……人間は死して尚、その体には思念が残るのです。それが魔獣化を阻害していたのです》

 

 奴はコツコツと靴音を鳴らしながらゆっくりと階段を降りてくる。その澄ました表情には何か自信のようなものを感じさせる。ひょっとして自慢話のつもりなのか?

 

《……私は考えました。どうすればこの思念を排除できるのだろう。どうすれば純粋な死体になるのだろう。そればかりを考え、長い歳月を費やしてきました》

 

 そして奴は講壇の前に立つと、その顔にニィっと笑みを浮かべて言った。

 

《……ですがある時、気付いたのです! アプローチそのものが間違っていたことにね! それに気付いた瞬間、生まれ変わった気分になりましたよ! そして私はついに人間を魔獣化することに成功したのです! そう! 人体に残る思念を利用するという逆転の発想でね!!》

 

 まるで別人のように顔を歪ませ、狂気に満ちた表情を見せるネロス。人間を魔獣に……だと……? ば、バカな……!

 

「そ、それじゃ……まさかこいつらは……!」

 

《……そう! この者たちは私が手塩に掛けて育て上げた作品たちです! 絶望が濃ければ濃いほど能力の高い魔獣となるのです! 恋人! 夫婦! 親子! それらの者が目の前で死んで行く様を目にした時、その絶望は最高のエッセンスとなるのですよ!! 貴方に分かりますか! サカモトユウジ!》

 

 こ、こいつ……イカれてやがる……とても正気の沙汰とは思えねぇ……ひょっとして俺はとんでもない奴に喧嘩を吹っかけちまったのか……?

 

 ……いや、待てよ?

 

 こんな異常な精神を持っている奴が本当に人間なのか? まさか……!

 

「て、てめぇ……ただの神父じゃねぇな? 一体何物だ! 正体を現せ!」

 

 嫌な予感がした。人ならざる者。明久に聞いた”魔人”という存在。まさかこいつ……。

 

《……フフフ……既に名乗ったはずですよ? 私はネロス。我が種族を魔人と呼ぶ者もいますがね》

 

 !!

 

「へ、へへ……まいったぜ……。まさか嫌な予感的中とはな……」

 

 やべぇ。こいつが明久の言っていた魔人だったのか……。だが聞いていた容姿とはたいぶ違うようだ。体は深い緑色ではなく肌色で、(つの)も生えていない。どういうことだ? 明久を襲った魔人とは別の個体なんだろうか……?

 

《……お喋りはここまでです。さぁ! ご覧なさい! これが我が研究の成果です!!》

 

 スッと両腕を前に出すネロス。するとゾンビどもは再び呻き声をあげながら前進をはじめた。

 

 どうする……既に俺たちは包囲されている。逃げ場は……無い!

 



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第十二話 怒りの鉄拳

 迫り来るゾンビどもは包囲の輪を徐々に狭め、じりっじりっと俺たちに(にじ)り寄ってくる。今はまだ少し距離を置いているが、恐らくネロスの一声で一斉に襲い掛かってくるだろう。

 

 だがこんなやつらの相手をする必要はない。もともと俺の目的は泥棒の犯人を捕らえることだ。しかしこのような状況で探すのは不可能。ネロスも引き渡すことはないだろう。とにかく今は引くべきだ。

 

(翔子。一旦引くぞ)

「……でも囲まれてる」

(俺が一点突破で道を切り開く。お前は俺の後についてこい。いいな)

「……うん」

 

 この時の俺は逃げることだけを考えていた。魔人などというワケの分からない存在と対峙するなど愚の骨頂。島田から聞いた明久の傷は相当に酷いものだったと聞く。もしこいつが明久を襲った魔人そのものだとしたら、俺は翔子を守り切る自信はない。

 

《……逃げるのですか? ハハハッ! これはとんだ腰抜けですね! サカモトユウジ!》

 

 ネロスが講壇から高らかに笑う。なんとでも言え。俺は最善と思われる道を選択しただけだ。

 

「俺もそれほど暇じゃないんでね。今日はあんたの顔を見に来ただけだ」

 

《……貴方は嘘が下手ですね。分かっていますよ。貴方は魔壁塔を壊した犯人を捜しに来たのでしょう?》

 

「そういう台詞を吐くってことはここにいるんだな?」

 

《……えぇ。居ましたよ》

 

「居た? なぜ過去形だ」

 

《……既に居ないからですよ。この世にはね》

 

「な、なんだと!?」

 

 まさかこいつ……くそっ! 手遅れだったか!

 

「やいネロス! なぜ俺の名を語って盗みを働かせた! 俺に恨みがあるのなら直接言いやがれ!」

 

《……貴方に恨みはありませんよ。ただ、興味があるのです》

 

「何が興味だ! 俺はお前のように陰湿なやり方をする奴が大っっ嫌いなんだよ!!」

 

《……つれない台詞ですねぇ。私はこんなにも貴方に興味津々だというのに》

 

「知ったことか! いいから質問に答えろ! なぜ俺の名を語らせた!」

 

《……貴方が悪いのですよ》

 

「何? 俺が悪いだと?」

 

《……そうです。貴方が町に籠もっていてちっとも出てこないから少し強引な手段を使わせていただきました》

 

 責任転嫁か。この台詞から察するに、こいつの性格は極めて自己中心的。自分の行いのすべては他人の責任だと言い張る人格破綻者なのだろう。ますますもって相手にしたくない人間だ。いや……人間じゃないんだったな。

 

《……私は町に入ることができません。あの魔障壁のせいでね。だから彼に一働(ひとはたら)きしてもらったのです。……夢操蟲(むそうちゅう)を使ってね》

 

「ムソウチュウ? なんだそりゃ?」

 

《……あいつの作ったものにしては良くできたものです。人の夢を操る力を持った蚊ほどに小さな虫のことです。その小ささ故、魔障壁の影響を受けないのが特徴です。思うように操れないのが欠点ですがね》

 

 人の夢を操る……。よく分からんがそれを使って人を操ったということか。だが”あいつ”とは誰だ? 明久を襲ったという魔人のことなのか?

 

《……それにしても不思議な方ですね貴方は。夢操蟲(むそうちゅう)で操れない人間なんて初めてですよ》

 

「何? てめぇ! 俺に何かしやがったのか!」

 

《……そちらの女性には効果があったようですが、貴方には効きませんでした。なぜでしょうね。とても興味があります》

 

 こいつ、何を言ってやがるんだ? 翔子に効果があった? 一体何のこと――っ!

 

 夢を操る……だと? まさかあの時の……!

 

「てめぇ……翔子に何をしやがった」

 

 俺は思い出した。翔子が夢遊病のようにフラフラと夜道を歩いていたあの時のことを。

 

 あの時、俺は謎の高熱で酷い頭痛に襲われていた。その時だった。翔子が夜道を1人で歩いていたのは。それはまるで何者かに操られたかのように、無意識に歩いているようだった。

 

《……だから言っているでしょう? 夢操蟲(むそうちゅう)で操ったのですよ》

 

「フざけんな!! 翔子を操って何をしようとした!!」

 

《……何って、貴方先程の話を聞いていなかったのですか? 失礼な方ですね。想いが強ければ強いほどより良い素体となるのです。そう申し上げたでしょう?》

 

「ンなこたぁ分かってンだよ!! なぜ翔子に手を出した!!」

 

《……やれやれ。落ち着きのない人ですねぇ。それに思ったより理解力の無い人だ。ここまで話してもまだ分かりませんか?》

 

「ぐだぐだ言ってねえで答えやがれ!」

 

 この時、奴の言っていることを俺は理解していた。理解した上で問うていた。どうにかこの怒りを抑えようと、冷静になろうとして発した言葉だった。だがこの問答は結果的に俺の怒りに油を注ぐだけだった。

 

《フ……まったく。結論まで言わないと分からないほど頭が悪いとは思いませんでしたよ》

 

 ネロスの奴が(あき)れ顔で首を左右に振りながら言う。いちいち仕草が勘に触る野郎だ。

 

《ここまでヒントを与えても理解できないのなら仕方ありません。答えを言って差し上げましょう》

 

 そう言うと奴はニィっと歯をむき出して笑みを浮かべ、虫唾(むしず)が走るような台詞を吐いた。

 

《決まっているじゃないですか! 最も優れた……最高の死体を作り出すためですよ!》

 

 奴の声が礼拝堂全体に響き渡る。これまでの紳士的な話し方とは一変した、狂気に満ちた声だった。この瞬間、俺の頭の中でブチンと何かが切れた。

 

「悪い。翔子」

「……何?」

「俺たちはこの世界のことに深入りすべきじゃない。この世界にとって俺たちは異物だ。そんな俺たちが関われば何が起こるか分からねぇ」

「……うん」

「けどな……」

 

 ぐっと握った拳に一段と力が入る。

 

「けど俺は今! あいつをぶっとばしたくてたまらねぇ!!

 

 妙な怒りが腹の底からふつふつと沸いて来やがる。

 

 これは俺らには関係のない、異世界で起きた事件だ。誰が死のうが、誰が行方不明になろうが、町が襲われようが、知ったこっちゃない。

 

 だが、こいつだけは――――翔子に手を出しやがったこいつだけは許せねぇ!!

 

「……雄二は間違ってない。吉井たちも正しいことをしてる」

「正しいかどうかなんてどうだっていい! 俺は……俺は……!!」

 

 この時の俺の頭には泣きじゃくるルーファスの姿が浮かんでいた。目撃者の証言からして、トーラス夫妻の行方不明事件もこのネロスが関わっている可能性が高い。いや、十中八九こいつの仕業だ。だとしたら、このゾンビどもの中にあの子の両親がいるのかもしれない。

 

 もしあの時、夜道を歩いていた翔子を止めていなかったら、今頃翔子もこの場に並んでいたことになる。そう思うと頭に血が上って、カッカとして、もう我慢がならなかった。

 

「……雄二の気持ち、私にも分かる」

「あぁ! 悪いな翔子! 俺もバカだったみてぇだ! あいつのようにな!」

「……雄二のやりたいようにして。私もやりたいようにする。――試獣装着(サモン)

 

 翔子の足下から光の柱が沸き上がり、その身を包む。そして消えた光の中からは鎧武者姿に転身した翔子が姿を現した。

 

「サンキュー翔子! じゃあ好きなようにさせてもらうぜ!!」

 

 俺は両拳のメリケンサック同士をガチンとぶつけ、気合いを入れる。魔人だろうがなんだろうが構いやしねぇ。あの澄ました顔を一発ぶん殴ってやる!

 

《……どうやら戦うつもりのようですね。ですが貴方にこの者たちを倒せるのですか? この者たちも元は貴方と同じ人間なのですよ?》

 

「……雄二」

躊躇(ためら)うな! 確かに元は人間だったかもしれないが、こいつらは既に死んでいる。なら地に返してやるのが道理ってもんだろ」

「……」

 

 翔子は黙って腰の刀をスラリと抜き、両手で構える。俺の言葉を理解してくれたと思って良いだろう。

 

「……雄二は私が守る」

「ぬかせ。お前に守られるほど落ちぶれちゃいねぇぜ」

 

《……やれやれ。仕方ありませんね。では貴方がたの力、見せていただきましょう! さぁ行きなさい! 我が作品たちよ!》

 

《ヴォォォーーッ!!》

 

 俺たちを取り囲んでいたゾンビどもが一斉に得物を振り上げ、襲い掛かってくる。だが遅い!

 

「フッ!」

 

 一体目の攻撃をフットワークで避け、すかさずジャブを顔面に叩き込む。するとベチッ! と音がして、顔面の皮膚が飛び散った。跡には骸骨だけとなった頭が残り、ゾンビは膝を折り崩れ落ちていく。

 

《ア、アァァ~……》

 

 ボロボロになった歯をむき出しにして、別のゾンビが斧を振り下ろしてくる。だがこんな遅い動きに捕まる俺じゃない。軽く避けて今度は横から右ストレートを打ち込む。するとそいつもあっけなく倒れ、そしてまた次のゾンビが間髪入れずに襲ってくる。

 

 奴らの動きは緩慢だった。ビデオのスローモーションのように動くので、難なく避けられる。翔子も長い黒髪をなびかせながら巧みに攻撃をかわし、刀でゾンビの腕を切り落としている。

 

 なるほど。武器を持つ手さえ奪ってしまえば脅威は無いということか。一理あるな。だが俺にはそんな器用な――っ!

 

「うらあっ!」

 

 後ろからの攻撃を間一髪で避け、肘で殴る。グシャッという嫌な感覚が肘に残る。この場に姫路や島田がいなくて良かったぜ。こんな状況、あいつらにはキツすぎるぜ……。

 

 しかしこいつら、ゾンビなだけに気配が無いのか。こいつは俺にとっては少々やりづらい相手だ。油断していると死角から攻撃を受けちまうな。

 

「……雄二」

「あァ? なんだよ! 今忙しいんだよ!」

「……後ろに気をつけて」

「言うのが遅ェよ!!」

「……ごめんなさい」

「いいからお前も気をつけろ! こいつら気配が無い!」

「……分かってる」

 

 そんなやりとりもしながら、俺たちは襲い来るゾンビどもを次々と倒していく。だがどれだけ倒しても一向に数が減らない。一体どうなってやがるんだ?

 

《……酷いことをしますね。せっかくの実験体が台なしじゃありませんか》

 

 ネロスの野郎が講壇からそんな台詞を吐く。あの野郎……高みの見物ってわけか。

 

「何が酷いことだ! 酷いのはてめぇの方だろうが! 一体どれだけの人間をゾンビにしやがったんだ!」

 

 もう100体は始末してるってのにまだ沸いて来やがる。クソっ! 攻撃は大したことねぇが数が多すぎるぜ!

 

《……何を言うのです。私の崇高な研究に酷いことなどあるわけがないでしょう?》

 

「その高慢な台詞を吐く口を今すぐ黙らせてやる!」

 

《……ハハッ。今のあなた方の状態で何ができるというのです。防戦一方ではありませんか》

 

「クッ……」

 

 確かにネロスの言う通りだ。ゾンビどもからの攻撃は受けていないが、四方八方から攻撃が来るので前進できない。一歩進んでは一歩下がるの繰り返しだ。このままでは俺も翔子も消耗していずれは――――

 

「がはっ!?」

 

 突然背中に激しい衝撃を受け、俺の体は宙を舞った。

 

「……雄二!」

 

 ――バキィッ!

 

 翔子の叫びが聞こえた瞬間、俺は小部屋の扉に頭から突っ込んだ。

 

「っ――っててぇ……」

 

 小部屋の中にまで吹っ飛ばされた俺は上体を起こし、後頭部や背中を確認する。どうやら血は出ていないようだ。だが背中がジンジンと痛みやがる。鈍器で殴られたのか。刃物じゃなくて良かったぜ……しかしゾンビのくせになんて力だ。

 

《ウアァァ~……》

 

「うっ!」

 

 気付くと目の前に斧を振り上げるゾンビの姿があった。俺は慌てて体を転がし、横に避ける。

 

 ――ドカッ

 

 間一髪で斧を避けると、(やいば)は床に突き刺さった。あ、危ねぇ……頭をカチ割られるところだったぜ……。

 

《ウ? ウ~……ア、アァ~……》

 

 ゾンビが呻き声をあげて床に刺さった斧を抜こうとしている。だが深く刺さっているのか、なかなか抜けないようだ。ケッ、ざまぁねぇぜ。

 

 ……

 

 ってヤベぇ! このまま小部屋に押し込まれたら逃げ場がねぇ!

 

「オラぁぁーーッ!!」

 

 すぐさま起き上がり、目の前のゾンビに全力の拳を叩きつけ吹っ飛ばす。

 

 っ――!?

 

 その時、俺の目に意外なものが映った。

 

『……雄二! 大丈夫!?』

 

 小部屋の外から翔子の声が聞こえる。そうだ、今はこんな所でモタモタしてる場合じゃない。

 

「あぁ! 大丈夫だ!」

 

 俺は答えながら部屋から飛び出した。だが広い空間に出た瞬間、俺は再びゾンビどもに囲まれてしまった。まったく、なんてしつこい奴らだ。それにしても今見えたのは確か……俺の見間違いか?

 

《ウォォ~……》

《ア、ア、アォォ~……》

 

 考える余裕を与えるものかと言わんばかりに次々と得物が振り下ろされる。一発ネロスの野郎をぶん殴ってやらねぇと気が済まねえが、こうなると多少強引に行かねぇと突破できそうにねぇな。……だがその前に確認だ。

 

「翔子! 右側の3つ目の小部屋の中を見ろ!」

 

 今の俺の位置からは見えないが、翔子の位置からなら見えるはずだ。

 

「……誰かいる」

 

 やはりか! さっきのは見間違いじゃなかった! だがどうする。生存者とは限らない。ゾンビである可能性も高い。そもそもこの囲まれて前進すらままならない状況で救出は難しい。……けど、あの顔は間違いなく……しゃーねぇ。手はひとつしかねぇか。

 

「ついてこい翔子! 俺が道を切り開く!」

「……うん」

「行っくぜェェ!!」

 

 俺はゾンビどもの群に正面から突撃。振り下ろされる剣や斧を腕で払いながら強引に進む。

 

 痛てェ。

 

 中学の頃から何度か刃物で切られたことはある。だがそれはナイフなどの小さな刃物であり、これほど殺傷力のある武器ではない。今は召喚獣のおかげで致命傷にはなっていないが、それでも切り傷はつく。もしこれを召喚獣なしに受けていたら俺は即死していただろう。

 

「どきやがれッ!!」

 

 蹴りも交えて小部屋前のゾンビどもをなぎ払う。よし、ひとまず道は開いた。だがすぐに奴らに囲まれるだろう。

 

「おい、あんたら! 無事か!?」

 

 小部屋に首を突っ込んで中を見ると、大柄の男と、それに寄り添う女の姿があった。

 

 生気のある肌の色。

 恐怖に怯えた表情。

 

 間違いない。ゾンビではなく生きた人間だ。生存者だ!

 

「あ、あの……」

「……」

 

 彼らは座り込み、互いを抱きしめ合って震えていた。この様子からすると長い間この牢屋のような小部屋に閉じ込められていたのだろう。これもネロスの野郎の仕業か。

 

「翔子! 彼らを救い出せ!」

 

 俺の指示に従い、翔子がタタッと小部屋に入る。よし、翔子が彼らを救い出すまで俺はここを死守する!

 

《……何をするのです! その者は私の大事な研究材料です! その者から離れるのです!》

 

 講壇から慌てた様子を見せるネロス。そうか。やはり彼らの失踪事件も奴の仕業か。

 

 ……そうかそうか。

 

 そういうことかよ!!

 

「ふザけんな!! 誰がてめェの研究材料だ! リンナとトーラスは返してもらうぜ!!」

 

 そう。この2人はかつて俺が探し求めていた赤い髪の女リンナとその夫トーラス。どちらも行方不明となっていた者だ。

 

「翔子、2人を連れて城を出ろ」

「……雄二は?」

「俺にはやることがある」

 

 そうだ。俺にはやることが残ってる。あのクソ野郎の顔を一発ぶん殴るっていう大事な用がな!

 

「さぁ行け翔子! また俺が道を切り開いてやる!」

 

 既に小部屋前は大量のゾンビどもで埋め尽くされている。先程無茶をした傷が痛みはじめているが、泣き言を言っている場合じゃない。今は無茶をしてでもあのクソ野郎をぶん殴る!

 

《ア、ア、アゥゥ……》

《ウゥゥ……》

《ガァウゥゥ……》

 

「だっっしゃァァーーッッ!!」

 

 俺はまず礼拝堂の出口側に立ち塞がるゾンビをぶちのめした。先頭の一体を吹っ飛ばせば後方の数体もろとも排除できるからだ。そして思惑通り、出口に向かって若干の道が出来上がった。

 

「よし、行け翔子! 城を出たら馬車を捕まえて町に戻れ!」

「……雄二を置いていけない」

「俺に構うな! 自分とその2人の身を守ることだけ考えろ!!」

「……ダメ!」

「いいから行け! 俺を困らせるな!!」

「……雄二……」

 

 渋っていた翔子は出口に向かって移動を始めた。いいぞ翔子。2人はお前に任せたぜ。

 

《……やってくれましたね……サカモトユウジ……! 絶対に許しませんよ!!》

 

 礼拝堂に落ち着いた澄んだ声が響き渡る。けれどその言葉には怒りが込められていた。

 

「待たせたなネロス! 次はてめぇをブチのめす!」

 

《……戯れ言を! お前たち! その男を捕らえなさい! 生死は問いません!》

 

「上等だコラァァーーッ!!」

 

 俺はまっすぐ講壇に向かって駆け出した。周囲のゾンビどもが一斉に俺めがけて襲ってくる。ザクリ、ザクリと刃物で斬りつけられ、その度に腕や背中に激痛が走る。それでも俺は真っ直ぐに講壇に向かって突き進んだ。

 

 こうして俺が真っ直ぐ奴に向かえば、あの野郎は全兵を俺に向けるだろう。そうすることで翔子の身の安全を確保しようとしたのだ。そしてこの思惑は見事にハマってくれた。

 

《……えぇい何をしているのです! 早くあの男を取り押さえるのです!》

 

 奴の指示で翔子を追っていたゾンビまでもが俺の方へと向きを変える。いいぞ、ついてこい!

 

「オラオラどけどけェェーーッ!」

 

 俺はわざと目立つように振る舞い、前進する。しばらくしてチラリと後ろを見ると、翔子が扉を開けて外に出ていくのが見えた。よし、これで翔子の身の安全が確保できた。

 

《……えぇい! 早く止めなさい! このノロマどもめ!》

 

 苛立ちを隠せなくなってきたのか、ネロスの表情が険しくなってきたようだ。平静を装っていても肝の小せぇ野郎ってことだな。

 

「待ってろネロス! 今そこまで行ってブチのめしてやっからよ!!」

 

《……ハハッ! やれるものならやってみなさい! 貴方には無理です!》

 

「無理かどうかそこでじっくり見てな!」

 

 俺は両腕の筋肉を緊張させ、ぐっと力を込める。だいぶ傷を負ったが、まだあの野郎をぶん殴るだけの力は残っている。あいつの所まで殴り込みに行く力もな!

 

《ウォ、ォォ~……》

《ウ、ウァァ~……》

 

「邪魔くせぇ!」

 

 次から次へと寄ってくるゾンビども。いくら倒してもキリがねぇ。この城のどこにこれだけの死体を隠してやがったんだ。

 

《……しぶとい人ですね。ならばこれならどうです!》

 

 ネロスの野郎がバッと両腕を上げる。

 

 ――バコッ バコォッ

 

 すると2ヶ所の床石が大きく割れ、そこからまたもゾロゾロと不死の集団が湧き出てきた。こ、こいつはキツいぜ……。

 

「ネロス! ひとつ聞かせろ! さっきの2人を誘拐したのもお前か!」

 

《……誘拐とは人聞きが悪いですね。あの2人は自らここに来たのですよ》

 

「見え透いた嘘をつくんじゃねぇ! 人間が歩いてここまで来られるわけがねぇだろ!」

 

《……貴方だって歩いて来たじゃないですか。それとも貴方も人間ではないとでも言うつもりですか?》

 

「ンなこたぁどうでもいい! 質問に答えろ!」

 

《……まったく。騒々しい人ですねぇ。あの2人は以前馬車で通りかかったのをお見受けしましてね。非常に仲睦まじいお2人でしたので、ご協力いただいたのですよ。……夢操蟲(むそうちゅう)を用いましてね》

 

 そうか。やはりこいつが犯人か。つまり俺はこいつのせいでさんざん振り回されたってわけだ。

 

 行方をくらませた腕輪を持つ赤毛の女。

 その旦那の失踪。

 メランダの町での盗難騒ぎ。

 

 俺の行動は何もかもコイツに狂わされたんだ。すべてはコイツの仕業だったんだ。しかも翔子にまで手を出しやがって……!

 

「ネロス! 俺はてめぇを許さねぇ!」

 

《……許さなければどうだというのです! 貴方自分の置かれている状況が分かっていますか? 私は手駒をまだ半分も使ってはいないのですよ!!》

 

「ンなモン関係ねェ!」

 

 俺は再び正面突破を試みる。前方にはゾンビどもが敷き詰められたように立ちはだかっている。いや、前方だけじゃない。右も左も、後方さえも無数のゾンビで埋め尽くされている。1対多の喧嘩をしたことはあるが、ここまで包囲されるのは初めてだ。

 

 姫路のような熱線技(ブラスト)が使えれば、この状況を打破するのも容易いだろう。だが俺の腕輪にそのような力は無い。白金の腕輪には扉を開ける力しか備わっていないのだ。けどな、技なんざ無くたって俺には……そう、俺には……!

 

「俺にはこの拳が――――あンんだよォ!!」

 

 俺は正面のゾンビを裏拳でなぎ払い、自ら道を切り開いていった。それでも前方の視界は開かれず、視界は灰色やどす黒い肌色をしたゾンビ集団で埋め尽くされている。そいつらを殴り、殴り、殴りまくり、俺は少しずつ前に進んだ。

 

「ぐっ……がはっ……!」

 

 頭や腕、背中に次々に(やいば)が振り下ろされるが、もはや防御もしない。至る所から血が流れ出し、白い特攻服は破け、血で赤く染まっていく。

 

 パキンと音を立て、半透明の破片が飛び散った。どうやらバイザーも割られてしまったようだ。もう召喚獣のエネルギー残量も分からない。だがそれももはや不要。目指すはネロスの顔面! この一撃にすべてを……賭ける!!

 

「うオォォーーッ! ネロォォーース!!」

 

 俺はついに包囲網を突破し、講壇に辿り着いた。

 

《……な、なんだとォッ!?》

 

 奴もこの捨て身の突撃には驚いたようで、目を見開き、顔を歪ませていた。

 

「ブッ飛べェェーーッ!!」

 

 ――ドッ

 

 俺の右拳が奴の顔面を捉えた。

 



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第十三話 俺のけじめ

 俺は全身全霊を込め、ややアッパー気味に拳を突き出す。それは真っ直ぐ奴の左顎めがけ吸い込まれていく。そしてヒットの瞬間、ぐしゃりという骨のきしむ感触がメリケンサックを通して伝わってきた。

 

 ――ガッシャァァァン!

 

 凄まじい破砕音と共にガラスが砕け散る。俺の殴り飛ばしたネロスが講壇後方の壁にまで吹っ飛んだのだ。赤や緑に着色されたステンドグラスは奴の体が叩きつけられたことにより粉微塵に砕け散り、ガシャガシャと音を立てて落ちていく。しかし骨組みはしっかりしているらしく、これほどの勢いで叩きつけているにもかかわらず、窓枠を貫くことはなかった。

 

「へ……へへっ、ざ、ざまぁ……みやがれ……ぐっ……!」

 

 なんとかネロスの野郎をぶん殴ってやったが、さすがに無茶をし過ぎたようだ。だいぶ出血が酷くなってきている上に、今頃になって体中に負った傷が激痛を生み出している。

 

《……ゴフッ……! く……ま、まさか……こ……こんなことが……こ、この私が……人間……風情……に……!》

 

 大の字になり、ステンドグラスに(はりつけ)状態のネロスの野郎が呻く。奴の背部からは太陽の光が差し込み、その光景は教科書で見た”聖者の磔”によく似ていた。ただし教科書のそれとは違い、目の前にいるのは聖者ではなく魔人だが。それにしてもあの野郎……全力で殴ってやったのにまだ動けるのか。思いの外タフな野郎だぜ。

 

《ンンンンンッ……!》

 

 ガシャアッと音をたて、ネロスがステンドグラスから抜け出した。そして奴は着地すると、バンと両手を床に突き、ブルブルと身を震わせ始めた。……何だ? この異様な殺気は……。

 

《……オノレ……》

 

 奴は苦しそうに震えながら呟く。俯き、長い金髪で顔を隠したまま、凄まじい殺気を放っている。危険を察知した俺はすぐさま身構え、警戒した。

 

《……オノレ……オノレ……オノレオノレオノレオノレオノレェェェーーーーッッ!!

 

 ガバッを上体を起こし、鼓膜を破かんばかりの大声を張り上げるネロス。その左頬には4つの穴が空き、顔は醜く歪んでいた。無論、俺のメリケンサックの棘の跡だ。だが歪んでいるのは俺の拳のせいだけではなさそうだ。

 

《よくも……! よくもこの俺様ノ顔に傷をォォォーーーーッッ!》

 

 怒りをむき出しにして叫ぶネロス。なんだ? コイツ急に雰囲気が変わりやがったぞ?

 

《ンンンンンゆ、(ゆる)ッさァァんンンンンッッ!!》

 

 プシッと黒いものが奴の頬の穴から吹き出す。まるで魔獣を倒した時の黒い煙のようだった。いや、吹き出しているのは頬からのみではない。全身から吹き出しているようだ。こいつ、もしや魔獣の一種なのか……?

 

《クゥアァァァァーーッ!!》

 

 奴が一際大きな雄叫びを上げると、その体からボンッと一気に煙が吹き出した。直後、その中から異形の者が姿を現した。

 

 全身赤褐色の体。瞳孔の無い真っ黒な瞳。左右に大きく引き裂かれた口からはみ出す2本の牙。破れたローブの上半身が剥ぎ取られ、むき出しになった隆々たる筋肉。背中には漆黒の翼を背負っている。

 

 そして何より特徴的なのは、頭の両側でグルリと巻かれた2本の大きな(つの)。羊――いや、まるで悪魔のような(つの)のようだった。

 

「けっ、ついに本性を現しやがったな。このゲス野郎が」

 

 これが魔人の正体か。なんという禍々しい姿だ。島田の言うように悪魔そのものじゃねぇか……。

 

《良い実験材料ト思ッテ殺さズ捕らえルつもりであッタが、もはヤいらヌ! 貴様ハここでソいつらノ餌トなるがいい!! さァ行け下僕ドも!!》

 

 なんだ、結局自分では何もしねぇのか。どっちが腰抜けだよ。まったく。

 

 とはいえ、こいつはヤバいな。無茶な突撃をしたせいで腕どころか全身が動かねぇ。それに体中の傷が焼けるようにズキズキと痛みやがる。今大量のゾンビどもに襲われたら守る術がねぇぞ……。

 

《ハッハッハッ! どうやら動けナいようだナ! 愚かナ奴メ! ざマァみろ! ハーッハッハッハァ!!》

 

 奴の指示によりゾンビどもが再び群がってくる。その手に斧や剣を携え、じりっじりっと躙り寄ってくる。く……ダメだ。足に全然力が入らねぇ。へへ……こりゃ俺も年貢の納め時かな……。

 

 

 ……

 

 

 すまねぇ翔子。……俺、ここまでみてぇだ……。

 

 

『……雄二!!』

 

 諦めかけたその時、礼拝堂に女の声が響き渡った。この声……まさか……翔子!?

 

「し、翔子!?」

 

『……雄二! 今行く!』

 

 なっ……!?

 

「ば、バッカやろう!! なぜ戻ってきた! 町に戻れと言っただろ!」

 

『……私も言ったはず! 雄二は私が守る!』

 

「バカ言ってんじゃねぇ! 状況を考えろ! お前の召喚獣はもうすぐ時間切れだろが!!」

 

 この城に入ってから既に30分以上が経過している。腕輪を持たない翔子の召喚獣はもうエネルギー切れのはずだ。なのにこんなヤバい状況の中にノコノコ出てきやがって、一体何を考えてやがるんだ!

 

《時間切れ? ほほウ……それは良いことを聞いた》

 

 うっ……! あの野郎、何かするつもりか!?

 

「翔子! 今すぐここから出ろ!」

 

 俺はゾンビどもにもみくちゃにされながら叫ぶ。だが翔子のやつは耳を貸す様子もなく、両手で刀を振り回しながらこちらに向かって走ってくる。あのバカ……!

 

「えぇい! 世話の焼ける……!」

 

 俺は翔子の援護に向かおうと身体を捻る。

 

「ぐぅっ……!!」

 

 少し動いただけでも脳天を貫くような痛みが神経を駆け巡る。けどそんなもん気にしてる場合じゃねぇ!

 

「て、てめぇらどきやがれ!」

 

 ゾンビどもが俺の腕や足、首にまとわりついている。加えて全身を襲う激痛。動ける状態ではなかった。

 

「く……うがぁぁっ……!」

 

 助けに行こうにも、この大量のゾンビをどうにかしないと進めない。けれど俺の体力はもう限界に近い。弱音を吐きたくはないが、さすがにこの状況は厳しい。しかしこのままでは翔子が……! どうする。どうすればいい!

 

《フハハハハ! 見つけタぞサカモトユウジ! 貴様の弱点!》

 

 思案に暮れる俺の後ろからネロスの野郎の声が聞こえてくる。俺の弱点……だと?

 

「て、適当ほざくな! 俺に弱点なんかねぇ!」

 

(ツヨ)がッテいられるノも今のウちだ! さア、()いテ()びろ! サカモトユウジ!!》

 

 ――バァン!

 

 奴が言うのとほぼ同時に、天井の方から木の板を割るような音がした。

 

《キシャァァーーッ!!》

《ウシャシャシャシャァーーッ!!》

 

 奇妙な音を発しながら、高い天井から何か黒いものが落ちてくる。暗闇の中に黒い物であるがため、正体が掴めない。大きさからすると……人型? まさかあれもゾンビなのか!?

 

《奴ラはなかなかに凶暴ダぞ? なにシろ何人もノ人を(あや)めタ者を素体に使ッテおるかラな!!》

 

「な、何ぃっ!?」

 

 そうか……今理解した。この世界に来て最初の町、ルルセアで聞いた墓荒らしの噂。あれもこいつの仕業だったんだ。墓から死体を盗み出してやがったんだ。この外道が……どこまで性根が腐ってやがるんだ。いや、今はそんなことはどうでもいい!

 

「下がれ翔子! 上からヤベぇのが来る!!」

 

 暗くてよく見えないが、落ちてくる奴らは鎖や短刀の類いを握っているように見える。それが5、6体、真っ直ぐ翔子の頭上に向かって落ちていく。ネロスの言うことに恐らく嘘は無い。きっと奴らは凶悪な犯罪者の遺体で作られたゾンビなのだ。

 

《貴様ノ弱点はあノ女よ! 愛すル者ノ命が消えル時、貴様はどんナ顔をすルノだろうナァ? 楽しみダよ! ハーッハッハッハッハッ!!》

 

「翔子! 来るな! 翔子ォォーーッ!」

 

 俺は大声で怒鳴った。ネロスの野郎の言葉を遮る気持ちで叫んだ。にも関わらず、翔子のやつは真っ直ぐこちらに向かって走ってくる。この時ほどあいつの頑固な性格を恨んだことは無かった。

 

「て……てめぇら邪魔だァァーーッッ!!」

 

 俺はまとわりつくゾンビどもを強引に振りほどいた。腕や足を動かす度に凄まじい痛みが全身を襲う。それでも俺は前に進もうと足を踏み出した。

 

 だが2、3歩進むとまたゾンビどもが立ちはだかる。俺は無我夢中でそいつらを排除。するとまた別のゾンビが行く手を阻んだ。繰り返し、繰り返し、ゾンビの集団を打ち払う。執拗なまでの包囲。そのせいで一向に翔子の元へと辿り着けない。それでも諦めず、俺は前進した。

 

 常に無表情で愛想が無い。

 我田引水で人の言うことを聞かない。

 何かと言いがかりを付けては俺の顔面を掴んでくるあいつ。

 

 今までどれだけ酷い目に遭わされてきたことか。

 

 ……けど。

 

 あいつは常に俺の傍に居てくれた。どれだけ邪険に扱っても離れなかった。こんな俺の傍に……あいつはいつも居てくれた。そんなあいつを……翔子を……俺は……失いたく……ない!!

 

「うぉぁぁあぁぁーーーッッ!!」

 

 俺は限界をも超えるつもりで駆け出した。体中の傷から血が噴き出し、今まで経験したことの無いほどの痛みが脳髄を叩く。全身の関節が悲鳴をあげているようだった。

 

《ハーッハッハッハッ! 無駄ダ無駄ダ! 貴様はそこデあノ女が引き裂かれル様を見テいルがいい!!》

 

 ネロスの野郎が何かを言っている。だが俺の耳に奴の言葉は届いていなかった。翔子のことだけを想い、ただひたすらに目の前の邪魔者に拳を叩きつけていた。

 

「……?」

 

 翔子がふと上を見上げた。気付いてくれたのか? だが既に殺人鬼どもは翔子の頭上4、5メートルの所にまで迫っている。ダメだ……もう間に合わない……。

 

 俺は目を瞑った。

 

 

 翔子……バッカやろう……。

 

 

 この時、俺は不覚にも涙を流してしまった。

 

 こうなってしまったの誰のせいだ? 無論、俺のせいだ。俺の状況判断ミスだ。あいつの性格を考慮しなかったのが間違いだったのだ。

 

 そうだ。俺のせいだ。翔子の命がここで消えるのはすべて俺の責任だ。

 

 俺は自らを責め、悔やみ、目を瞑った。

 

 

「……閃光(フラッシャー)

 

 

 その時、暗闇の中でそんな声が聞こえた気がした。

 

 ……?

 

 いや、気のせいじゃない。確かに翔子の声だった。そしてこの直後、ほぼ暗闇であった礼拝堂の中に”太陽”が降臨した。

 

 

 ――ズンッ

 

 

 腹の底に響くような重低音と共に突然現れた眩い光球(こうきゅう)。その光の玉は急激に、爆発的に膨らんでいった。

 

 

 ――ヴゥゥゥウン……!

 

 

 光の玉は低周波を撒き散らしながら瞬く間に膨れあがる。この巨大な礼拝堂の中を覆い尽くさんばかりに。

 

《ギィアァァーーーッ!》

《ウ、ウガォアォアァァーーッ!》

《キァァァォォーッ!!》

 

 光の球は周囲のゾンビどもを飲み込み、次々に消滅させていく。断末魔の叫びをあげて光の中で消えていくゾンビたち。それは翔子の頭上から襲い来る殺人鬼どもも例外ではなかった。い、一体何が起きているんだ……?

 

「くっ……!」

 

 翔子を中心とした光の球体は俺をも飲み込みはじめた。強く目を瞑り、腕をクロスさせて防御の構えを取る俺。だが光に飲み込まれても俺の身体には何の異常も生じなかった。

 

《ヒィァァーーーッ!》

《グァォァァーーーッ!?》

 

 凄まじい光は室内全体を包み込み、ゾンビどもを巻き込んで消し去っていく。こんな光景、現実世界で見ることはない。まるでゲームや映画のワンシーンを見ているようだった。

 

 ただ呆然とこの不可思議な現象を眺める俺。しばらくすると光は次第に弱まっていき、周囲は元の暗い礼拝堂へと戻っていった。

 

「……雄二をいじめるのは……許さない」

 

 がらんとした礼拝堂には、片手に持った刀を頭上に掲げる翔子の姿があった。あれほどひしめき合っていたゾンビどもの姿はひとつもない。すべて消え去ってしまっている。

 

「しょ……翔……子……?」

 

 あまりに不可解な事象に俺の頭がついてこない。ただ、翔子が無事であることは認識できた。この事は俺の心に正常な判断力を戻してくれたようだった。

 

《ナっ、ナんだ!? 今のハ!? オ、俺様ノ研究成果が……い、一瞬にしテ……!? な、ナンだその力は!? 時間ギレで力を失うのデはナカッタのか!?》

 

 振り向くと講壇の前で狼狽えるネロスの姿があった。そしてこの時、俺は理解した。間違いない。あれはあいつの腕輪の力だ。赤毛の女リンナを救出したことで腕輪を入手したのだろう。そしてあの光の玉が翔子の腕輪の力なのだ、と。

 

《バ、バカな……! こ、こンナバカナァ……ッ!》

 

 このだだっ広い礼拝堂にいるのは俺と翔子、それとネロスの野郎の3人。もはや障壁はない。

 

「ネェロォォォォス!!」

 

 俺は一気に奴との間合いを詰める。そして右手に拳を握り、残ったすべての力を右腕に集中させる。不思議な感覚だった。先程まで俺の全身を襲っていた痛みがほとんど無い。あまりにダメージを負いすぎて、感覚が麻痺しているのかもしれない。だとしたらこれ以上の無茶は危険だろう。ならばこの一撃に俺のすべてを……込める!!

 

《こ……こンな……こンなバカなアァァァッッ!!》

 

 顔を歪ませ、大口を開けて叫ぶ赤褐色の悪魔。

 

 恐怖。

 

 そう。あいつの顔には恐怖が浮き出ていた。ついさっきまで俺が抱いていた感情を、今度は奴がそれを胸に刻んだのだ。

 

「こいつで――――最後だァッ!!」

 

 俺はすべての力を凝縮した、渾身の右ストレートを奴のボディにブチ込んでやった

 

「うぉぉぉぉーーーッ!!」

 

《うゴォォォーーーッ!?》

 

 拳を奴の腹に当てたまま、俺は更に右腕に力を込める。これ以上やれば筋を壊してしまうかもしれない。そう思えるくらいにまで力を込め、右腕を突き出した。

 

 

 ――ドォォン!!

 

 

 轟音と共にレンガの壁が崩れ去った。俺の一撃が奴の身体を一瞬にして壁に叩きつけたのだ。そしてこの一撃は壁をも貫き、奴を城の外にまで吹き飛ばした。

 

《……ク……クオォォ……ッ! き、貴様らノ顔……わ、忘れンぞ! か、必ずやこノ恨ミ晴らしてくれる……!!》

 

 ぽっかりと開いた壁の向こうで奴が口から黒い液体を溢しながら言う。まるで絵に描いたような小悪党の捨て台詞だ。そんな言葉を吐く時点でお前の負けは確定なんだよ。

 

「けっ、おととい来やがれってんだ!」

 

《……ク……》

 

 奴は一瞬、鬼の形相を見せた。しかしその直後、背中の黒い翼をバッと広げると空中へと舞い上がっていった。

 

「ま、待ちやがれ!」

 

 奴を追い、俺は開いた壁の穴から外に出る。しかしそこに奴の姿は既になかった。空を見上げると、翼を羽ばたかせながら飛んでいく黒いものが見える。

 

 くそっ、逃がしたか。まだ盗んだ魔石タンクの場所を聞いていないが……まぁいい。正直言って俺の体力も限界だ。これ以上暴れられたらもう俺の手には負えん。

 

装着解除(アウト)

 

 装着を解き振り返ると、開いた壁の穴から出てくる翔子の姿があった。俺を追ってきたのか。

 

「サンキューな翔子。助かったぜ」

「……雄二」

「あの野郎、逃がしちまったな。まだまだ殴り足りねぇんだがな」

「……雄二」

「けどま、いいだろ。腕輪も手に入ったことだしな」

「……雄二!」

「なっ、なんだよ」

「……雄二。どうしてこんな無茶をしたの」

「どうしてって、そりゃお前……なんだ、その~……」

 

 俺は答えられなかった。”翔子を狙われてカッとなった”なんて言えない。そんな明久のようなバカな理由を俺が言えるわけがない。

 

「お、俺はああいうスカした野郎が大嫌いなんだよ。それにあいつは俺に濡れ衣を着せやがった。それが許せなかっただけだ」

「……本当に?」

「あぁ。本当だ」

「……本当にそれだけ?」

「あぁ。それだけだ」

「……本当に本当?」

「しつけぇな。本当だっつってんだろ」

 

 ――グキッ

 

「んがっ!?」

 

 突然、首をグリッと捻られた。

 

「……雄二。泣いてるの?」

 

 !?

 

「ばっ……バッカ! ンなわけねぇだろ!?」

 

 しまった……。さっき翔子のことを想った時に流れた涙が頬に残ってやがったのか。俺としたことがなんという失態……。

 

「く、くだらねぇこと言ってねぇで魔石タンクを探すぞ!」

 

 俺は血で赤く染まった袖でぐしぐしと目尻を拭う。……血生臭い。我ながら酷い無茶をしたもんだ。

 

 ……ん?

 

「お、おい、翔子?」

 

 翔子がハンカチのようなもので俺の頬を拭い始めている。

 

「や、やめろよ翔子。そんなの必要ねぇって」

「……じっとして」

 

 あいつは真剣な顔をして俺の頬を拭っていた。とても、とても真剣な表情だった。そして今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 

「お……おう」

 

 こんな顔をした女の前で抵抗できるわけがなかった。俺は素直に従い、腕を下ろした。

 

「……こんなに血だらけになって……」

「これくらいどうってことねぇよ」

「……もうこんな無茶をしないで」

 

 そんな顔をして言われたら逆らえねぇだろうが……。

 

「悪かったな。もうしねぇよ。……たぶんな」

「……約束して」

「約束ったってなぁ……」

「……約束して!」

「わ、分かった! 分かったから泣くな!」

 

 ったく、こういうのはどうにも苦手だ。いつものアイアンクローの方がよっぽどマシだぜ。

 

「……翔子。もういいぜ。お前のハンカチが血だらけになっちまう」

「……構わない」

「そうは言ってもな……」

 

 あぁくそっ! こういう雰囲気は苦手だぜ。さっさと帰るとするか。

 

「とにかく盗品を探すぞ。そんでさっさと帰ろうぜ。明久たちが首を長くして待ってるはずだ」

「……うん」

 

 こうして、魔人との戦いは俺たちの勝利に終わった。

 

 この後、俺たちは城の中をくまなく探した。盗まれたのは魔石タンク。大男が肩に担ぐほどの大きさの箱らしい。それは程なくして翔子が城内の小部屋の中で発見。大男の遺体のすぐ横に転がっていたという。

 



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第十四話 傷だらけの英雄

「遅いわね。坂本と翔子。一体どこまで行ったのかしら」

 

 隣で体育座りをしている美波がハァと溜め息をついた。ひとしきり魔獣を追い払い、僕たちは休憩中だ。

 

「う~ん。道に迷ってんのかなぁ」

 

 行き先は僕も知らない。知っているのは西の方角に向かったということだけだ。この町から出ている道は西と東の1本ずつ。だからあいつが帰ってくるとしたらこの道のはずだ。けれどあいつは一向に姿を見せない。あれからもう3時間が経とうというのに。

 

「翔子がいるから道に迷うってことはないと思うけど……」

「そうだね。雄二1人だけだったらどうか分かんないけどね。……ん? あれは?」

「えっ? 何?」

「ほら、道の向こうから何か来るみたいなんだ」

 

 正面の道の先に、ゆらゆらと揺れながらこちらに向かってくる黒い物体が見える。馬車……じゃ、なさそうだ。何だろうアレ?

 

「……何かしら。あれ」

「さぁ?」

 

 真っ直ぐに伸びた西の道を僕はじっと見つめる。けれどその正体はまったく分からなかった。僕のすべての記憶を総動員しても類似する物が見つからないのだ。

 

「美波。用心して」

「そうね」

 

 僕たちは立ち上がり身構える。また魔獣が襲ってきたのかもしれない。でも今までの魔獣とは少し違うようだ。あんな黒くて四角い魔獣なんて見たことが――って。

 

「待ってアキ! あれって翔子たちじゃない!?」

「うん! そうみたいだ!」

 

 見えてきた黒い物体は箱のようなものであった。その物体の下には人影が2つ。町の外を歩いてくるなんて、あの2人以外に考えられない。そうだ! 間違いない! 雄二たちが帰ってきたんだ!

 

「おぉぉーーーーい! 雄じえぇぇぇぇぇぇえーーーー!?」

 

 彼らの元へと走り出してすぐに驚いた。黒い箱を抱え上げていたのは武者鎧姿の霧島さんだったのだ。しかもその箱の大きさは霧島さんの身長とほぼ同じ。あんな大きな物を霧島さんは片手で支えながら肩に乗せているのだ。

 

「翔子ぉ~~っ!!」

 

 驚く僕の横を美波が風のように駆け抜けていく。あの状況に驚かない美波も凄いな……まぁいいや。僕も行こうっと。

 

「お~~い! 霧島さ~~ん! 雄二ぃ~~っ!」

 

 駆け寄ってみて僕は再び驚いた。驚いたのは霧島さんに対してではない。その隣で腕をだらりと下げ、憔悴しきった顔をしている雄二に対してだ。

 

「な、なんだよ雄二! その姿は! 一体何があったんだよ!?」

 

 あいつはボロ雑巾のようにボロボロだった。黒かった制服はあちこちが赤く染まり、顔には酷い切り傷や打撲の跡が見える。いつもはツンと逆立った髪もぐしゃぐしゃで、(ひたい)からは血も流れていた。

 

「へ、へへ…………ちょいと大立ち回りを……な」

「大立ち回りって……酷い怪我じゃないか! 何をしたらそんな怪我になるんだよ!」

 

 いつもなら雄二の怪我など心配しないが、さすがにこの状況ではそうはいかない。僕も以前、同じようにボロボロになるまで叩きのめされたことがあるから、これがどれほど深刻な状況か分かるのだ。

 

「とにかく手当てしないと! 霧島さん! 美波! 雄二を早く医者に!」

「……うん。分かってる」

「翔子はここで待ってて。ウチが探してくる!」

「ま、待て……!」

 

 霧島さんの肩に掴まりながら雄二が呻くように言う。

 

「い、医者は……呼ぶな……っ!」

「はぁ!? こんな時に何意地張ってんだよ! とにかく町に入るぞ! 霧島さん、雄二をこっちに!」

「い……嫌だね……」

「バカ言ってんなよ! お前、自分の状態が分かってないのかよ!」

「誰がなんと言おうと……お、俺は……この町のモンの世話には……ならねぇ……っ!!」

 

 苦悶の表情を浮かべながらギリッと歯を食いしばる雄二。何がお前をそこまでさせるんだ。そう思ったが、こいつの顔を見ていたら、その意思が相当に硬いものだということが分かった。

 

「まったく……強情な奴だなぁ」

 

 雄二の気持ちも分からないではない。僕だってこの町の人たちを好きにはなれない。人の話を聞こうともせず、女の子に対して石を投げつけるような人たちなのだから。

 

「美波。治療帯ってまだあったよね?」

「えぇ、あるわよ」

「それじゃ雄二の手当てを頼める?」

「オッケー。任せて」

「……私も治療帯持ってる」

「霧島さんも? そりゃ丁度良いや。雄二をそれでぐるぐる巻きにしてやってよ」

「……分かった。――装着解除(アウト)

 

 霧島さんは黒い箱と雄二を下ろし、装着を解いた。

 

「坂本。上着、脱がすわよ」

「あ、あぁ……」

 

 雄二は地面に座らされ、上着とワイシャツを剥がれて上半身を裸にされた。するとあいつの怪我の状態が想像を遙かに超えるものであることが分かった。身体には無数の切り傷が刻まれ、赤く腫れ上がった打撲傷も多数ある。しかもそれら無数の傷からは今もジワジワと真っ赤な血が流れ出しているのだ。なんて酷い傷だ……これは治療のプロが必要だ。そう、秀吉の力が要る。

 

「美波、霧島さん、雄二を任せたよ。僕は秀吉を呼んでくる!」

 

 秀吉は姫路さんムッツリーニと共に東門を守っている。もし必要なら僕と秀吉がバトンタッチすればいい。そう思い、僕は町の中に向かって駆け出した。

 

「……吉井。待って」

「ん? 何?」

「……これ、返してきて」

 

 そう言って霧島さんは横に置いた大きな黒い箱を指差した。これって……そうか! これが盗まれた魔石タンクか! 雄二はやっぱりこれを取り返しに行ったんだ! さすが雄二。やるときはやるもんだ。

 

「分かった! 魔壁塔に返してくればいいんだね!」

「……うん」

「よし、任せてよ。これで誤解も解けるってもんだね!」

 

 これを返して町の人たちに説明すればきっと分かってくれる。石を投げたことも謝ってくれるさ!

 

「あ……甘いな……明久……」

 

 ところがこの考えを雄二は否定した。

 

「何でだよ。これを返せば町の皆だって納得してくれるだろ?」

「俺はそうは……思わん。犯行がバレて……こ、怖くなって返しに来たと……思われる……だけだ。いっつつ……」

「じっとしてなさい坂本。包帯が巻けないでしょ」

「……すまねぇ」

 

 苦しそうな雄二の表情。そこまで言うのなら、お前はなんでこの魔石タンクを取り返しに行ったのさ……。

 

「じゃあ、こっそり返してくるよ。それでいいだろ?」

「あぁ……それでいい」

 

 ちぇっ。誤解が解ければ皆が笑顔になれると思うんだけどな。まぁいいや。とにかくこれを返して秀吉を呼んでこなくちゃ。

 

「じゃあ行ってくる。……ふんぬっ……!!」

 

 黒い箱の(はじ)に指を差し込み、思いっきり力を込めてみる。けれど箱はピクリとも動かなかった。

 

「ぐぬぬぬ……!!」

 

 腰を落として更に力を込める僕。僅かに(はじ)が持ち上がったが、2、3センチ持ち上げるので精一杯だ。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァ……! ちょ、ちょっと待って! こんなのどうやって運べばいいのさ!」

「アンタバカね。装着すればいいじゃない。翔子だってそうしてたでしょ?」

「あ。そうか」

 

 我ながら愚かしい真似をした。こんなの召喚獣の力なしで運べるわけないね。

 

「それじゃ――試獣装着(サモン)!」

 

 僕は召喚獣を装着。これで力も数倍だ。木刀は……とりあえず腰のベルトに挿しておくか。

 

「美波、霧島さん、まだ魔獣が出るかもしれないから気をつけて」

「分かってるわ。アンタこそそれを落っことして壊すんじゃないわよ」

「あぁ分かってるさ! じゃあ行ってくる!」

 

 僕は黒い箱――魔石タンクを肩に抱え上げ、町の中へと駆け出した。さすが召喚獣の力。軽い軽い。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「……人がいっぱい居るなぁ」

 

 僕は今物陰に隠れ、魔壁塔の様子を伺っている。誰もいないと思っていた魔壁塔の周辺は何人もの老人たちが剣や斧を手に警備をしていた。

 

 こっそり返すって言ったって、これじゃこっそりやりようがないじゃないか。う~ん……どうしたらいいんだろう……って、あんまりノンビリもしていられないな。すぐに秀吉を連れてこないと。

 

 えぇい、面倒だ。あの人たちの前に放り出して逃げるか。そうだ、それがいい。

 

「うんしょっ……と」

 

 僕は魔石タンクを抱え上げ、バランスを確認した。さすがにこのサイズの箱を抱えて走ると、落として壊してしまう可能性がある。放り出すにしても慎重にやらないと。

 

「……こんなもんかな。よぉし、行くぞっ!!」

 

 

 ――シュッ ←俊足を活かして道を駆ける僕

 

 

 ――ゴトン ←箱を道端に放り出す

 

 

 ――シュッ ←そのまま一瞬で駆け抜ける僕

 

 

 電光石火。自分で言うのもなんだけど、我ながら完璧な動きだったと思う。この早業を皆にも見てもらいたいくらいだ。

 

『? なんじゃこれは?』

『なぬ!? こ、こいつは盗まれた魔石タンクじゃなかんべか!?』

『ほ、本当じゃ! 間違いない! 一体どこから出てきたんじゃ!?』

『と、とにかく皆に報告すんべ!』

『そうじゃな! よし、ではワシがこいつを見守っておるからお主は皆を呼んできてくれ!』

『よっしゃ! すぐ呼んでくるだ!』

 

 お爺さんたちのやりとりを物陰からじっと見つめる僕。ふっふっふ。完璧だ。これで魔障壁も元通りになるだろう。

 

 あの人たちの驚く顔をもっと眺めていたかったが、ノンビリもしていられない。留まりたい気持ちをぐっと抑え、僕は走り出した。目指すは東門。装着した僕なら1分ほどで着くだろう。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 ――シュッ

 

「姫路さん! 秀吉! ムッツリーニ!」

 

 東門に到着すると休憩中の3人の姿を発見。僕はすぐさま声をかけた。

 

「あ、明久君!? 西門はどうしたんですか!?」

「えっと……と、とりあえず後で説明する! 秀吉、雄二が酷い怪我をしたんだ! 見てくれないか!」

「ワシは医者ではないのじゃが……」

「とにかく見てほしいんだ! 今、西門で美波と霧島さんが手当てしてる!」

「その2人と聞くとツープラトンの構図しか思い浮かばぬな」

 

 それはちょっと酷いと思う。美波だってもう殴ったり蹴ったり関節()めたりはしない。……と、思う。

 

「ワシとて専門家ではない。対処できるか分からぬが……しかしその様子からするとただ事ではなさそうじゃな。急ぐとしよう」

「助かるよ秀吉!」

「…………なぜ怪我を負った」

「それも後で説明するよムッツリーニ。とにかく急ご――」

 

 ――ヴンッ

 

 秀吉たちと話していると後ろの方でそんな音がした。振り返ってみると、薄緑色の膜が上空から降り注ぎ、町全体を覆っていた。

 

「えっ? これって……魔障壁……ですか?」

 

 姫路さんの言う通り、これは魔障壁だ。きっと僕が置いていった魔石タンクを元の場所に戻したのだろう。これで町はもう大丈夫だ。

 

「どうやら戻ったようじゃな」

「じゃあ私たちの任務もおしまいですね」

「んむ。そういうことじゃな。明久よ、案内せい」

「うん!」

「私たちも行きましょう。土屋君」

「…………うむ」

 

「「「――試獣装着(サモン)!」」」

 

 3人は同時に召喚獣を装着。姫路さんは赤いドレス風のワンピースに銀の胸当て。秀吉は胴着に袴姿に薙刀。ムッツリーニは忍び装束姿に変身した。

 

「さっき雄二と霧島さんが帰ってきたんだけど、どうも何かと戦ったみたいでさ、雄二が全身傷だらけで帰ってきたんだ」

 

 僕は町中を疾走しながら3人に状況を説明した。

 

「坂本君がそんな酷い怪我をするなんて……私信じられないです……」

「僕だって信じられなかったさ。でも実際に血だらけで帰ってきたんだ」

「そうなんですね……ところで魔障壁がこんなに早く戻ったということは、もしかして盗まれた物が戻ったんですか?」

「うん。それは雄二たちが取り返したんだ。それでさっき僕が魔壁塔の所に返してきたのさ」

「そうだったんですか。翔子ちゃんは大丈夫なんですか?」

「霧島さんは無傷みたいだったよ」

「きっと坂本君が守ってくれたんですね」

「そうかもしれない。でもあんなボロボロの雄二なんて見たことがないんだ。だからちょっと……」

「心配なんですね」

「う……」

 

 ここで”心配だ”などと言うと負けた気がする。でも自分の気持ちに嘘はつけない。

 

「明久よ、雄二は何故そのような傷を負ったのじゃ?」

「それが僕にも分からないんだ。理由もまだ聞いてなくてさ」

「…………魔獣と戦った?」

「そうかもしれないけど……でもあの雄二が苦戦する魔獣ってどんなやつなんだろ?」

「事情は坂本君ご本人に聞くのが一番かもしれませんね」

「そうだね。急ごう!」

 

 昼下がりの町。まるでゴーストタウンの町を、僕たちは風の如く駆け抜けた。

 

 

 

          ☆

 

 

 

 西門に辿り着くと門は閉められ、雄二たちは町の中で座り込んでいた。

 

「いた! あれだよ!」

 

 超特急で駆けつけた僕たちは急停止。雄二の元へと駆け寄った。

 

「坂本君! 大丈夫ですか!?」

「秀吉、早速で悪いけど見てくれる?」

「承知した」

 

 既に雄二は全身を白い包帯でぐるぐる巻きにされていた。どこからどう見てもミイラ男だ。

 

「……島田に霧島よ」

「何?」

「……?」

「手厚い手当てに文句を付けるつもりはない。じゃがひとつだけ言わせてほしいのじゃ」

「えっ? 何? ウチ何か間違ってた?」

「……吉井に言われた通り巻いた」

「いや、それは構わぬのじゃが……」

「なによ。言いたいことがあるのならハッキリ言いなさいよ」

「んむ。せめて鼻と口は開けてやってくれぬかの」

 

「「……あ」」

 

 うん。雄二のやつ、顔まで包帯でぐるぐる巻きにされてる。どうりで大人しいと思ったら、失神してたのか。

 

「これで良いじゃろ」

「し、死ぬかと思ったぜ……」

 

 秀吉によって包帯が巻き直され、雄二は息を吹き返した。無事でなによりだよ雄二……。

 

「ご、ゴメンね坂本。夢中で巻いてて気付かなかったのよ」

「……ごめんなさい」

「ったく、勘弁してくれ……治療どころか殺されかけたぞ……」

 

 でもさっき見た時よりは元気になったような気がする。さっきは本当に苦しそうな顔をしていたけど、今は普通に話せるみたいだ。

 

「ふむ。どうやら諸々片付いたようじゃの」

「……あぁ。片付いたぜ。色々とな」

 

 雄二はそう言って顔に巻かれた包帯の隙間から笑みを溢す。朝に町を出て行った時の険しい表情とはまるで違う。この数時間で何があったんだろう?

 

「ねぇ雄二、教えてよ。一体何があったのさ」

「そうだな。一応話しておくか。けどその前にこの町を出るぞ」

「え……そんな状態で? それはちょっと無理しすぎだよ」

「俺なら大丈夫だ。いいから行くぞ。忘れ物すんなよ」

「ちょっと待ってよ雄二。少し傷を癒した方がいいって。何をそんなに慌ててるのさ」

「明久、お前忘れたのか? 俺たちに残された時間はあと12日なんだぞ?」

「それは知ってるけど……」

「俺たちには時間がねぇんだ。ここでゆっくり休んでる暇なんかねぇんだよ。……それにこの町は……嫌いだ」

 

 雄二はそう言うと立ち上がり、フラフラと歩きはじめた。”大丈夫”とは程遠い状態だ。無理をして怪我が悪化したらどうするんだ。

 

(ねぇアキ、坂本どうしたの?)

(それが僕にも分からないんだ。なんでこんなに意固地になってるんだろう)

(あんな状態で移動なんて無理よ。休ませなくちゃ)

(僕もそう思う。よぉし、僕に考えがある)

(どうするの?)

(へへっ、任せてよ)

 

 恐らく今の雄二には何を言っても無駄だろう。きっと馬車すら使わずラミール港へ向かうつもりだ。けど、そんな無茶ができるわけがない。ここはなんとしても馬車に乗ってもらうぞ。

 

「ムッツリーニ、ちょっと頼みがあるんだ」

「…………なんだ」

「ちょっと耳貸して」

 

(……ゴニョゴニョゴニョ……)

 

「…………任せろ」

「頼んだよムッツリーニ」

 

 ムッツリーニはコクリと頷き、後ろから雄二の元へと忍び寄る。

 

「明久君、土屋君に何をお願いしたんですか?」

「まぁ見ててよ。あいつならうまくやってくれるからさ」

「?」

 

 ムッツリーニは足音ひとつたてずに近付いていく。まるで忍者のようだ。そしてあいつは雄二の真後ろまで行くと、ツンツンと肩をつついた。

 

「あぁ? なん――」

 

 ――ポンッ

 

 雄二が振り向くのと同時に、ムッツリーニは何かの袋をあいつの鼻先で破裂させた。すると雄二はカクンと膝を折り、その場に崩れ落ちた。

 

「グッジョブ。ムッツリーニ」

「…………うむ」

 

 互いにグッと親指を立て、僕らは成功を祝う。

 

「……何をしたの」

「あ、霧島さん。安心して。ムッツリーニに頼んで眠らせてもらっただけだから」

「……そうなの」

「うん。こうでもしないと無茶苦茶しそうだったからね」

「……ありがとう吉井」

「へへっ、礼ならムッツリーニに言ってよ。止められたのはムッツリーニのおかげなんだからさ」

「……うん。ありがとう土屋」

「…………あいつがいないと俺も困る」

「そうね。坂本のおかげで帰る方法が分かったわけだし。きっとこれからも必要になるわよね」

「そうですね。ふふ……」

 

 結局みんな雄二のことを信頼してるんだな。まぁ僕もあいつの知恵に頼ってるってことは、必要としてるってことなのかもしれないな。

 

「それじゃ皆、雄二を運んでしまおうか」

「ではワシが連れて行こう」

「へ? 秀吉が? 大丈夫なの?」

「お主ではこやつの体重を持ち上げられまい。召喚獣も既に時間切れじゃろう?」

「あ……ホントだ」

 

 いつの間にか装着が解けている。雄二が帰ってくる直前まで魔獣と戦ってたからエネルギー残量がほとんど無かったのだろう。でもこうなると運ぶのは大変だ。雄二は体が大きいから。

 

「それじゃ秀吉、任せていい?」

「んむ。構わぬぞい。……どれ」

 

 秀吉はスヤスヤと眠る雄二の両腕を掴み、ぐいっと担ぎ上げる。そしてやや前傾姿勢になり、一歩ずつゆっくりと歩き始めた。しかし秀吉の身長は低い。その身長差のため、雄二の足はずるずると地面に引きずる形になってしまっている。なんだか泥酔した父を運ぶ子供の姿を見ている気分だ。

 

「ウチらも行きましょ瑞希、翔子」

「はいっ。これでやっとラミールに向かうことができますね」

「とんだ寄り道だったわね」

「……私はいい寄り道だったと思う」

「何か良いことでもあったんですか? 翔子ちゃん」

「……内緒」

「なによ。水くさいじゃない。教えなさいよ」

「そうですよ。私も何があったのか知りたいです」

「……じゃあ、後で」

「そうこなくっちゃ。ふふ……楽しみね」

「そうですね。それじゃ行きましょう」

 

 こうして僕らは雄二という荷物を抱え、東側の馬車乗り場に向かった。目指すはラミール港。そこから船でサラス王国に向かうのだ。

 



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第十五話 旅の再開

 メランダから馬車に乗り、約2時間半。僕たちはついにラミール港に到着した。

 

「う~っ……! さ、寒う~っ……!」

 

 馬車から降りた美波が風に煽られる髪を押さえ、身を縮込ませている。春のような陽気のハルニア王国に対し、ここガルバランド王国は真冬のような気候だ。防寒用のマントを羽織っていてもこの寒さは身にしみる。しかもここは港町。頬に張り付く潮風はまるで氷を当てられたかのように冷く、”凍てつく”という表現がもっとも適しているとさえ思える。

 

「ったく、なんで俺がこんな目に……」

 

 僕に続いて降りてきた雄二がボヤく。

 

「な~に言ってんのよ坂本。そんなこと須川に言ってみなさい。アンタ校舎の屋上から吊されるわよ?」

「そうじゃねぇよ。俺が言ってるのは眠らされたことに関してだ」

 

 雄二が言っているのはメランダの町で眠らされて馬車に連れ込まれたこと。対して美波が言っているのは、雄二が馬車の中で霧島さんの膝枕で寝ていたことのようだ。

 

 メランダの町でムッツリーニに眠らされて以降、雄二はずっと眠り続けていた。それはもう泥のように。目を覚ましたのは馬車がラミールに到着する10分ほど前のことだった。

 

「それじゃ翔子ちゃんの膝枕は気持ち良かったんですね。良かったですね。翔子ちゃんっ」

「……とても嬉しい」

「これ、姫路に霧島よ。そこで立ち止まってはワシらが降りられぬではないか」

「あっ、すみません木下君」

 

 更に姫路さんと霧島さん、それに秀吉とムッツリーニも馬車から降りてきた。これで全員だ。

 

 それにしても治療帯の効果は改めて凄いと思う。あれほど傷だらけで憔悴しきっていた雄二が、今ではすっかり元通り元気な姿を見せているのだから。

 

「まぁいいじゃんか雄二。少し予定より遅れたけど、こうして全員無事にラミールに着いたんだからさ」

「チッ。人の気も知らねぇで……」

「そりゃ知らないさ。言ってくれなきゃ分かるわけないだろ? 言いたいことがあるならハッキリ言えよ」

「坂本君。過ぎたことをくどくど言うのは男らしくありませんよ?」

「なんだよ姫路まで……わーったよ。もう言わねぇよ!」

「はいっ。よくできました」

「くそっ……」

 

 姫路さんも最近雄二の扱いに慣れてきたかな? 前は一方的に雄二の方が命令するだけって感じだったのにな。今回の旅で成長してるってことなんだろうか。僕も頑張らなくちゃいけないな。

 

「って、あれ? 美波は?」

 

 気付いたら美波の姿がない。最初に降りたはずだから馬車に残っているはずは無い。どこに行ったんだ?

 

 ――トントン

 

 美波の姿を探していると、肩をつつかれた。

 

「ん? 何? ムッツリーニ」

「…………あそこだ」

 

 ムッツリーニが海の方角を指差して言う。そこには大きな帆船がドンと聳えていた。よく見てみると、その船の前でペコリと頭を下げる女の子の姿がある。あの赤みがかった髪は美波だ。その前には、船員風の帽子をかぶった男が立っているのが見えた。

 

 美波は頭を上げると、ポニーテールをピコピコと揺らせながらこちらに走ってくる。どうやら船員の人に何かを聞いていたようだ。こんなに寒いのに元気だな美波は。

 

「ねぇ皆、サラス王国行きの船は出港まであと2時間くらいあるみたいよ」

 

 彼女は白い息を吐きながら言う。なるほど。出港時間を聞いていたのか。

 

「そうか。だいぶ時間があるな」

「どうする? 雄二」

「そうだな……」

 

 包帯の取れた顔で真剣な表情を見せる雄二。こういう表情を見ていると、いつもの雄二が戻ってきたようでちょっと安心する。

 

「よし、皆聞いてくれ。今から時間の許す限り情報収集に当たる」

「情報収集? 何の情報を集めるのさ」

「決まってんだろ。扉の島の位置だ」

「あぁ、なるほど」

 

 扉の島。それは僕らが元の世界に帰るための扉が開く場所。学園長の話では、島はサラス王国の南東にあるという。しかしその具体的な位置については聞かされていない。

 

「えっと、島の位置を聞いてくればいいんですね?」

「そうだ。それとそこへ行く航路もだ」

「分かりました。じゃあ行ってきますね」

「あぁ待て姫路」

「はい? なんですか?」

「1人で行くな。2人以上で行け」

「2人以上……ですか?」

「そうだ。この港町は狭いと言ってもそれなりの広さがある。迷子になりかねんからな」

「雄二も心配性だなぁ。皆この世界でもう20日以上暮らしているんだから誰も迷子になったりしないよ」

「明久、お前が一番心配だ」

「やれやれ。僕には雄二が何を言っているのかさっぱり分からないよ。僕が迷子になる? そんなことあるわけないじゃんか」

「お前のその自信はどこから来るんだ……」

 

 いつもながら失礼な奴だ。この歳で迷子になるわけがないだろ。

 

「大丈夫よ坂本。アキはウチがしっかり見張ってるから」

「おう。頼むぞ島田」

 

 むう。今ひとつ釈然としないけど……まぁ美波が一緒に行くのならいいか。

 

「翔子ちゃんはどうしますか?」

「翔子、お前は姫路と一緒に行ってこい」

 

 霧島さんは黙って首を横に振る。

 

「……私は雄二の傍にいる」

 

 そう言いながら霧島さんは雄二に寄り添った。

 

「そうですね。翔子ちゃんは坂本君についていてあげてください。坂本君の傷も完全には癒えていませんからね」

「いや、俺も聞き込みに出る。お前らに任せっきりにはできねぇからな」

「いいえ。ダメですよ坂本君。今はしっかり休んで傷を癒してください」

「そうはいかねぇよ。人に指示しておいて自分だけ休んでるわけにいかねぇだろ」

「翔子ちゃん、しっかり見張っていてくださいね」

「……うん。頑張る」

「っておい! 聞けよ! っつーか何を頑張るんだ!」

 

 翻弄される雄二が珍しい。っていうか、面白い。

 

「チッ……しゃーねぇ。そんじゃ俺はここで荷物番でもするか」

「では姫路にはワシがついて行こう。ムッツリーニよ、お主はどうする?」

「…………俺は1人でいい」

「じゃが雄二はペア以上と言うておるぞ?」

「あぁ、ムッツリーニは1人でもいいだろ。俺らの中じゃ一番土地勘があるしな」

 

 雄二に褒められて無表情でブイサインをするムッツリーニが憎い。これじゃまるで僕が一番子供みたいじゃないか。

 

「ほらアキ、そんな顔してないで行くわよ」

「うわっ! ちょっ、美波!? マントの襟を引っ張ったら首がっ……!」

「何してんのよ。しっかり歩きなさいよ」

「後ろ向きに引っ張られたら歩けるわけないじゃんか!」

「後ろ向きでもなんでもいいからちゃんと歩きなさい」

「そんな無茶苦茶なぁ~っ!」

 

 こうして僕は美波に引きずられるようにして賑やかな店の建ち並ぶ方面へと向かった。そう。ラミールの町は賑やかだった。老人ばかりのメランダの町とはまるで違う。小さな子供を連れた夫婦や、行商風のおじさん。それにハチマキを巻いた漁師のような人の姿が見える。ただ、僕らと同世代の者は1人も見かけなかった。やはり学園長の「年上ばかりにしておいた」という言葉は本当のようだ。それにしたってここまで徹底しなくたっていいのに。

 

 そんなことを思いながら僕たちは島についての情報を求め、町の人たちに声を掛けまくった。だが町の人は誰もが首を横に振り、そんな島の話は聞いたことがないと言う。やはりサラス王国の島だからこの国の人には知られていないのだろうか。

 

 そして聞き込みをするうちにあっという間に時は流れ、1時間が経過。

 

「ん~……ダメだね……」

「そうね。まったく手がかりなしだわ……」

「どうする? 一旦雄二の所に戻る?」

「そうしましょ。瑞希たちが何か見つけてるかもしれないし」

「よし、それじゃ戻ろうか」

 

 僕たちは聞き込みを打ち切り、荷物番をしている雄二の元へと戻ることにした。

 

 

 

          ☆

 

 

 

「ただいま~」

「おう明久。どうだった」

「全然ダメだね。誰に聞いてもそんな島は聞いたことがないってさ」

「そうか……」

「姫路さんたちは?」

「まだ戻ってないぞ」

「そっか」

 

 さて、どうするかな。姫路さんたちもまだ頑張ってるみたいだし、もう一度聞き込みに行った方がいいんだろうか。

 

「あっ、そうそう。ウチらサンドイッチ買ってきたのよ。食べるでしょ?」

 

 そう言って美波が持っていた茶色い紙袋を差し出した。

 

「……ありがとう。美波は気が利く」

「ううん。これはウチじゃなくてアキが買おうって言い出したの」

「……そうなの? 吉井」

「ん。えっと、ま、まぁそうだね」

 

 今日は朝からトラブル続きで、僕らはここまでろくに食事をしていない。

 

 朝、ホテルを出た瞬間から泥棒扱いされ、そのまま逃走。町中を逃げ回っていたら町の人たちがどんどん出て行ってゴーストタウンになって。魔障壁が消えてからは町を守るために西門と東門で防衛線を張り、雄二が盗まれた魔石タンクは取り戻しはしたけど、結局メランダの町を逃げるように出てしまった。

 

 僕と美波は西門を守っていた時におにぎりを貰ったから大丈夫。でも、他の皆は何も食べていない状態のはずだ。既にランチタイムは過ぎ、夕方に差し掛かろうとしている。きっと皆お腹を空かしてるに違いない。そう思って僕はサンドイッチを5人分買ったのだ。

 

「……吉井は優しい」

「そ、そうかな? あ、あははっ」

 

 なんかちょっと恥ずかしいや……。

 

「助かったぜ明久。俺もハラペコだったんだ。ありがたく貰うぜ」

「うん。あ、でも皆の分残しておけよ? お前だけに買ってきたわけじゃないんだからな」

「わーかってるよ」

 

 雄二は紙袋からサンドイッチを取り出すと、むさぼるように食べ始めた。大きめのサンドイッチだというのに、ほぼ2口で平らげてしまった。そういえば治療帯で傷が治った後ってお腹が空くんだっけ。きっと傷の治癒には栄養が要るんだろうな。

 

「翔子も食べて。お腹すいたでしょ?」

「……うん」

 

 霧島さんもサンドイッチを取り出し、食べ始めた。雄二と違いゆっくりと。

 

『明久く~んっ! 美波ちゃ~ん!』

 

 するとその時、遠くから僕たちを呼ぶ声が聞こえてきた。あの声は姫路さんだ。声のする方を見ると、駆け足でこちらに向かってくる姫路さんが見えた。後ろからは秀吉も来ている。どうしたんだろう。心なしか2人とも明るい表情をしている気がする。

 

「瑞希たちも戻ってきたみたいね」

「うん。なんか嬉しそうだね。もしかして何か手がかり見つけたのかな」

「えっ? ホントに!?」

「いや、そんな風に見えただけだから……聞いてみなきゃ分かんないよ」

「なぁんだ。がっかり。期待させないでよ」

「いやだからまだ分かんないってば……」

 

 美波も早とちりだなぁ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……お、お二人とももう戻っていたんですね」

 

 息を弾ませて姫路さんが言う。かなり息苦しそうだ。余程慌てて走ってきたのだろう。

 

「どうだった姫路さん? 何か良い情報聞けた?」

「直接の情報じゃないんですけど、知っているかもしれない人がいるんです!」

「マジで!? お手柄だよ姫路さん!」

「はいっ! 私もびっくりですっ!」

「それでどんな情報なの? 瑞希、早く教えてよ」

「その前にお水を一杯いただけますか? 喉がカラカラなんです……」

「わ、ワシにも一杯頼む。それと腹が減ってたまらぬ。誰か食べ物を持っておらぬか……?」

 

 秀吉は上半身を支えるように両膝に手を置き、肩で息をしている。やっぱり何も食べてなかったんだね。サンドイッチを買ってきて良かったよ。

 

「秀吉、ちょうどサンドイッチがあるんだ。これ食べてよ」

「ほ、本当か!? 助かるぞい……」

 

 息も絶え絶えに秀吉は頭を上げる。誰がどう見ても疲労困憊という表情をしている。でもひとつ疑問がある。

 

「ねぇ姫路さん」

「はい? なんでしょう?」

「姫路さんも朝から何も食べてないんだよね?」

「はい、そうですよ?」

「それにしては元気だよね。秀吉はこんなに腹ペコなのに」

「そうですね……私はダイエットで食事を減らしたり抜いたりしているので平気なのかもしれません」

 

 なるほど。そういうことか。そういえば僕も以前は食費を切り詰めてだいぶ無茶な食生活をしたな。姉さんが帰ってきてからはちゃんと食べるようにしてるけどね。あと、美波にも「ちゃんと食事をしなさい」って叱られたし。

 

「な、なんですか美波ちゃん? そんなに見つめられると恥ずかしいです……」

 

 気付くと隣で美波が目を細め、じっと姫路さんの方を見つめていた。姫路さんというか……〔姫路さんの胸部〕を。

 

「ふ~ん……」

「どうしてそんな目をするんですかっ!? 私、嘘なんかついてませんよっ!」

「アンタが平気なのはその胸に栄養を蓄えてるからなんじゃないの?」

「ふぇっ!? 何を言ってるんですか美波ちゃんっ!? そ、そんなわけないじゃないですか!」

「ふんっ。どーせウチには蓄えなんかありませんよーだっ」

 

 顔を真っ赤にして胸を押さえる姫路さん。これに対して美波は頬をぷぅっと膨らませ、ツンとそっぽを向いて拗ねている。美波が拗ねている理由は分かる。でもこんな時ってどうフォローしたらいいんだろう……?

 

「あー。話し中悪いんだが、姫路の得た情報を教えてくれないだろうか」

 

 そこへ雄二の一言。ナイスだ雄二!

 

「あ、そうですね。でも土屋君が戻ってませんけど……いいんですか?」

「構わん。ムッツリーニには戻ってきたら伝えればいい」

「分かりました。ではお話ししますね」

 

 姫路さんは得た情報について話しはじめた。

 

 情報を得たのは漁師の人だったという。その人はこの近海で魚を捕り、生計を立てている人だった。港で網の手入れをしていた所に姫路さんが声をかけたらしい。その人が言うには、サラス王国のリットン港に知り合いがいて、その人も漁師をしているという。そしてその知り合いの漁師は大きな漁船を所持していて、何度も遠洋に出ているそうだ。だからその人なら何か有力な情報を持っているかもしれない。

 

 姫路さんと秀吉の得た情報とは、そういうものだった。

 

「なぁんだ。結局先に進むしかないのね」

「ま、そういうことだな」

 

 先に進めばいいのであれば好都合だ。もし”情報を持っている人がサンジェスタにいる”なんてことになったら、Uターンしなくちゃいけない。そんなのはまっぴらゴメンだ。

 

「それにしてもさ、こういう展開ってホントゲームみたいだよね」

「もともとこの世界は召喚システムとゲームプログラムが混じって出来たものだからな。当然とも言えるだろう」

「でもそうなるとさ、やっぱりゲームオーバーとかもあるのかな」

「そりゃ俺たちが時間までに目的地までに行けない、もしくは全滅する時だろうな」

 

 全滅……つまり死ぬってことか。そういえばこの世界で死んだらどうなるんだろう? 学園長の話では、僕たちの身体は意識不明状態で元の世界にあるという。つまり意識だけがこの世界に来ているわけで……だからここで死ぬと……どうなるんだ?

 

「全滅なんて絶対にダメです! 私たちは全員一緒に帰るんです! 元の世界に!」

「瑞希の言う通りよ! やっと帰る方法が分かってここまで来たっていうのに全滅なんて冗談じゃないわ!」

 

 赤いコート姿の姫路さん、それにベージュのマントを纏った美波が興奮気味に抗議する。

 

「待て待てお前ら。もしもゲームオーバーと言える時があるとしたらの話だ。たとえ話なんだよ」

「あっ、そうなんですね。すみません。早とちりしました……」

「なによ。それならそうと早く言いなさいよ」

「お前らが勝手に勘違いしただけだろうが……」

 

 確かに雄二の言う通り、今の話はたとえ話だ。

 

 でも……。

 

「美波、姫路さん」

 

 ”もしも”なんて状況はあってはいけないんだ。

 

「はい、なんですか明久君?」

「なぁにアキ?」

 

 そうだ。僕らは絶対に……。

 

「大丈夫だよ。僕らは元の世界に帰るんだ。全員で。絶対にね」

 

 僕は魔人に負け、一度大切な人を失いかけている。あの時の絶望感。もう二度とあんな気持ちを味わいたくない。誰にも味合わせたくない。

 

 そうだ。誰が欠けてもダメなんだ。美波はもちろん、姫路さん、秀吉、ムッツリーニ、雄二と霧島さんだって欠けちゃダメなんだ。7人全員揃って元の世界に帰る。これが僕らの絶対達成しなければならない目標なんだ!

 

「なーに一人で盛り上がってんだよ。バーカ」

 

 ――コツン

 

「いてっ」

 

 いきなり後ろから頭を小突かれた。それほど……というかほとんど痛くなかったが、なんだかバカにされたような叩かれ方だったので少しムッとしたのだ。

 

「痛いなぁ。何すんだよ雄二」

「そんなことお前に言われるまでもねぇんだよ。ったく、格好つけやがって」

「別に格好つけてるつもりなんてないよ。ただ、もし何かあったら僕も頑張らなくちゃって思っただけでさ」

「バーーーカ。俺らの中じゃお前が一番弱いんだ。お前に守られるようなことはねぇよ」

 

 ムカッ

 

「そんなの分かんないだろ! この先何があるか分からないんだぞ!」

「この先何も起きないとは言ってねぇよ。ただな、何かあった時、一番危険なのはお前だ。腕輪が無いのはお前だけなんだからな」

「うっ……そ、そりゃそうかもしんないけどさ……」

 

 ん? 腕輪が無いのは僕だけ?

 

「ちょっと待ってよ雄二。腕輪が無いのは霧島さんもだろ?」

「いや、翔子の腕輪は既にあるぞ」

「へっ? なんで?」

「なんでってお前、そりゃ手に入れたからに決まってんだろ」

「いや、そうじゃなくてさ、いつの間に手に入れたのさ」

「ん? 言ってなかったか? メランダ西の城でちょいとな」

「そんなの聞いてないよ!?」

 

 だって話を聞こうとしたら雄二のやつ寝ちゃって全然目を覚まさなかったし。まぁ眠らせるようにムッツリーニに頼んだのは僕なんだけどね。

 

「そうか。言ってなかったか」

「翔子ちゃんの腕輪も見つかったんですね」

「……うん」

「ねぇねぇ翔子、その腕輪ってどんな力があるの? 教えてっ!」

「……よく分からない」

「あ、まだ使ってみてないんですね」

「……ううん。使ってみたけどよく分からない」

「ふ~ん……そうなの。それじゃここで使ってみない? ウチも見てみたいし」

「おいおい。こんなところで使うなよ翔子」

「……ダメ?」

「やめておけ。お前の腕輪はもしかしたら俺らの中でも最強かもしれん」

 

 霧島さんの腕輪が最強……。確かに学年主席だし、総合得点は姫路さんより上だ。一体どんな力なんだろう。気になるけど、町を破壊するくらいの威力だったらマズいよな……。

 

「取り込み中すまぬ。ムッツリーニが戻ったのじゃが……」

 

 気付いたら秀吉の隣にムッツリーニが立っていた。

 

「あ、おかえりムッツリーニ」

「お帰り土屋」

「おかえりなさい土屋君」

「…………手がかりなし」

「あぁそれなんだけどね、姫路さんがひとつ情報を持ち帰ったんだ」

「…………そうか」

「雄二、皆揃ったし、船に乗らない? 霧島さんの腕輪の話も聞きたいし」

「そうだな。そうすっか」

 

 というわけで、僕たちはサラス王国行きの船に乗ることにした。早速乗船券を購入して船に乗り込む僕たち。もちろん部屋は一番安いやつにしておいた。

 

 しばらくして船は出航。サラス王国リットン港に向けての航海がはじまった。そしてその船室で、僕らはメランダ西の森で何があったのかを聞かされた。

 

 ネロスという魔人。魔獣は魔人が作っていたものであり、動物の死骸を元にしていたこと。人間の遺体を(もてあそ)び、人体を魔獣にする実験を行っていたこと。雄二をも実験材料にしようと誘き出したこと。そしてゾンビ集団を操り、雄二と霧島さんの命を奪おうとしていたこと。

 

 雄二は静かに、とても静かに語った。だがその目の奥には怒りの炎が熱く燃え上がっているように見えた。こんなにも静かに怒る雄二を見たのは初めてだった。

 

 霧島さんの腕輪については、魔人の城で監禁されていた赤毛の女性から貰ったらしい。魔人は赤髪の女リンナとその夫トーラスの失踪にも関わっていたそうだ。あの時の雄二の怪我は、魔人というより、ゾンビとの戦いによるもの。ゾンビ軍団については霧島さんが腕輪の力で一掃。そして魔人ネロスについては雄二が撃退したのだという。

 

 この話を聞き終えた時、僕の中に新たな疑問が生まれた。

 

 僕を襲ってきた魔人ギルベイトは(あるじ)の命令だと言っていた。その”(あるじ)”とは一体誰なのだろう。この魔人ネロスとも関係があるのだろうか。そもそも魔人とは一体何者なのだろう。その答えは誰も知らない。分かったのは、魔人という脅威が少なくとも2つあるということだけだった。

 

「なんて奴なの……」

「亡くなった方を無理矢理操るなんて……酷いです……」

 

 最初はゾンビと聞いて青い顔をしていた姫路さんと美波。けれど聞き終わる頃には2人とも両手に拳を作り、唇をぎゅっと噛み締めていた。

 

「安心しろ。あの野郎は俺がブチのめしてやった。これに懲りて当面は大人しくしてるだろ」

 

 雄二はそう締めくくり、報告会を終わりにした。

 

 

 魔人……か。

 

 

 ギルベイトは2度目の対峙において、僕と美波で撃退している。けれど去り際の奴の顔を見た限りでは、まだ諦めていないようにも思う。この先また僕の前に立ち塞がることがあるのだろうか。できるならもう二度と会いたくはないものだ。

 

「どうしたのアキ? 深刻な顔しちゃって」

「ん? そう?」

「あの魔人のことを考えていたの?」

 

 美波にはお見通しってわけか。……そうだな。万が一もう一度出会ったら、今度はなんとしても逃げてやろう。もうこれ以上美波を危険な目に遭わせたくないし。

 

「ううん。なんでもないよ」

「ホントに?」

「うん。ホントさ。ところで皆、晩ご飯にしない?」

「そうですね。さすがに私もお腹が空いてきました」

「確かこの船には食堂があったと思ったのじゃが……」

「……中央ホールの隣」

「よし、そんじゃ皆で行くとすっか」

 

 こうして僕たちは旅を再開した。

 

 目指すはサラス王国リットン港。

 

 気になるのは扉の島の場所だ。今はまだその場所の特定には至っていない。リットン港にいるという漁師は本当に島の場所を知っているのだろうか。多少の不安はあるが、今はその人を頼りにするしかない。まともに話ができる人だと良いのだけど……。

 



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第十六話 男の葛藤

「まったく……あいつどこに行っちゃったんだろ……」

 

 今、僕は船内を探し歩いている。探し物はもちろん雄二だ。

 

 1時間ほど前に食事も終わり、夜も更けてきた。そこで僕たちは寝支度を整えていたのだが、雄二がトイレに行くと言って出て行ったきり、なかなか戻ってこない。さすがに30分も戻ってこないのはおかしい。この船は広い。もしかしたら迷子になっているのかもしれない。というわけで仕方なく僕が探し回っているのだ。

 

 でも勘違いしないでほしい。僕は別に雄二を心配して探しているわけではない。あいつが戻らないと部屋の鍵を閉められないからだ。そして僕が行くことになったのは、自ら進んでのことではない。ただ、じゃんけんで負けただけなのだ。これだけは間違えないでほしい。

 

 それにしても本当にどこに行ったんだろう。船内の施設にはトイレのほか、食堂や酒場、それにトランプカードやビリヤードといった遊戯施設などがある。でもこれらすべてを見て回ってみても雄二の姿はなかった。こうなるともう思い当たる場所がないんだけど……。

 

 う~ん……困った。どうしよう。もう探す場所もないし……。一旦部屋に戻ってみるか? もしかしたら部屋に戻っているかもしれないし。うん。そうだね。そうしよう。

 

 そんなわけで回れ右をする僕。その時に気付いた。すぐ横の重要なものの存在に。上り階段だ。その脇の壁には白いパネルが張られていて、”甲板出口”と黒い字で書かれていた。

 

 へぇ。ここから甲板に出られるのか。知らなかったな。……まてよ? そういえば甲板は探してなかった。そうか、あいつがいるとしたらきっとここだ。

 

 早速階段を上って甲板に出てみると、そこにはコートやマントを羽織った数人の人たちの姿があった。どうやら皆夜空を眺めているようだ。そしてその中には赤い髪をツンと立てた男の姿もあった。黒いジャケットに青いスラックス姿のその男は甲板の端で手すりに手を置き、1人で夜空を見上げていた。

 

「こんな所にいたのか。探したぞ」

「……明久か」

 

 後ろから声をかけると、男は振り向き、ハァとひとつ溜め息をついた。人の顔を見て溜め息を吐くとは、なんて失礼な奴だ。

 

「何してんのさこんな所で。まだ完全に傷が治ってないんだから寝ないとダメだろ」

「ちょっと考え事をしてたんだよ」

「考え事?」

「あぁ……」

 

 雄二は手すりに手をかけたまま溜め息のような声を吐き、再び空を見上げた。

 

 星ひとつない、ほぼ透明の膜で覆われた夜空。ただひとつの明かりは遙か上空から降り注ぐ満月の光。その月明かりの中、雄二は何もない空に虚ろな目を向けていた。

 

「なぁ、明久」

「ん? 何?」

「ひとつ聞いていいか?」

「うん」

「お前、さ……」

「?」

 

 何だろ。雄二のやつ、言い辛そうだ。

 

「なんだよ雄二。お前らしくないじゃないか。そんなに聞きにくいことなのか?」

「ん。まぁ、そうだな」

「そっか。でも聞きたいんだろ? 何?」

「……まぁ、そうなんだが」

「? なんだよ。早く言えよ」

「あー……なんと言うか……だな……」

 

 あぁもう、なんかイラつく!

 

「どうしたんだよ雄二! もっとシャキっとしろよ! いつも堂々としてて、人の考えを先読みして、知識をひけらかして高笑いするのがお前だろ!」

「いつもそんな風に見られてんのか俺は……」

 

 どこか間違っているだろうか。いや、間違ってなどいないはずだ。

 

「まぁいい。ならひとつ聞く。お前、前に俺が言ったことを覚えてるか?」

「前に言った? 何のこと?」

「俺たちはこの世界の住民じゃない。何が起ころうとも関わるべきじゃない。そう言ったよな」

「ん?」

 

 そういえば聞いたような気がする。いつだったかな……。

 

「えーっと……」

「お前のことだから忘れているかもしれんとは思っていたが、本当に忘れてやがるとはな……」

「う、うるさいな! しょうがないだろ! 色んなことがあって頭が飽和状態なんだよ!」

「まぁいい。聞きたいのは俺自身が言ったこの言葉についてだ」

「ほぇ?」

「俺はいままでずっとこの言葉が正しいと思っていた。サンジェスタでお前と再会してから昨日まで。ずっとな」

「? うん。それがどうしたってのさ」

「……」

 

 雄二はまた空を見上げると、溜め息交じりに言った。

 

「結局俺は関わりを持っちまった。触れちゃいけねぇと思いつつも、この国で起きた事件に触れちまった」

「事件?」

 

 そうか。雄二のやつ、今朝の盗難事件のことを気に病んでるんだな。

 

「だってあれはしょうがないじゃないか。たまたま雄二が見かけた怪しい奴が泥棒の犯人だったってだけさ」

「いや。違う。あれも仕組まれたものだったんだ」

「へ? そうなの?」

「あぁ。すべてあのネロスって野郎の仕組んだことだったんだ」

「そうだったのか……」

「結局すべては仕組まれていたんだよ。関わらざるを得ないようにな。どれだけ逃げようとも……どれだけ足掻こうとも……な」

 

 なんか難しいこと言ってるなぁ……。

 

「つまり雄二は自分の言ったことが否定されたのが悔しいんだね?」

「まぁ……そういうことになるんかな」

 

 まったく、なんて歯切れの悪い答えだ。

 

「いいじゃんか! そんなの気にすんなよ! 僕なんか思惑外れっぱなしだよ? いちいち気にしてたら人生やってらんないよ!」

「お前はそれでいいかもしれんけどなぁ……」

「僕だって雄二だって変わんないよ! 誰だって生きていく上で人と人の関わりは絶対に避けられないだろ!」

「まぁ、そうなんだが……」

「それが分かってんならもう気にすんなよ! 行方不明になってた女の人も旦那さんも見つかったんだろ? それに霧島さんの腕輪も手に入ったのなら十分じゃないか! あとは元の世界に帰るだけ! 違うか!?」

 

 ウジウジしている雄二にイラついた僕は早口でまくし立てた。こんな雄二は見たくなかったから。

 

 雄二は僕らFクラスの代表であり、常に打倒Aクラスを目標に燃えていた。この世界に来てからも白金の腕輪が鍵であることを見つけ、僕らを導いてきた。そんな雄二を僕は嫌いじゃない。むしろ信頼を寄せていた。だから雄二にはいつもの自分を取り戻してほしかった。自信家で頭の切れる、いつもの雄二を。

 

「……あぁ。そうかもしれねぇな」

 

 そう言う雄二の顔からは立ち込めていた暗雲が消えつつあった。薄緑色の空を見上げ、口元に僅かに笑みを浮かべる雄二。そうさ、やっぱり雄二はこうでなくちゃ。

 

「分かったんなら戻ろうよ。秀吉もムッツリーニも疲れたから寝るってさ」

「そうか。……しかしお前に(さと)されるとはな。俺も落ちぶれたもんだぜ」

「別に諭したつもりなんてないよ。ただ雄二がウジウジしてんのが気に入らなかっただけさ」

「ぬかせ。この野郎」

 

 口角を上げてニヤッと笑みを作る雄二。どうやらいつもの調子に戻ったようだ。やれやれ。世話の焼ける男だ。なんてことを思っていると、あいつはスッと右拳を突き出してきた。これは殴ろうとしている拳ではない。

 

「へへっ、前に僕が落ち込んだ時のお返しってとこかな」

 

 僕は突き出したあいつの右拳に自らの左拳を合わせ、コツンと突く。これは男同士で交わす、いわゆる挨拶のようなものだ。

 

「さ、戻ろうぜ雄二」

「ちょっと待て明久」

「ん。なんだよ。まだ何か用?」

「実はもうひとつ聞いておきたいことがあってな」

「なんだよ。早く言えよ。僕だってそろそろ眠いんだ」

「時間は取らせねぇよ。お前、島田と付き合ってるだろ?」

「うん。それがどうかした?」

「まぁその……なんだ。ふ、2人で出掛けたりなんかも……するんだろ?」

「? たまにね」

「それってお前の方から誘ってんのか?」

「ほぇ?」

 

 変なこと聞くやつだな。今まで僕と美波の関係には一切口出しすることなんてなかったのに。

 

「ん~……どちらかというと美波が誘ってくることの方が多いかなぁ」

「そ、そうか。ならいい」

「は?」

 

 一体何なんだ?

 

「どうしたのさ雄二。なんでそんなこと聞くのさ」

「気にするな。後学(こうがく)のために聞いただけだ。お前には関係無い」

「はぁ?」

 

 よく分からないやつだなぁ。ま、いいか。そろそろ僕も本格的に眠くなってきたし。

 

「ほら行くぞ明久」

「あ、うん」

 

 僕と雄二は船内に戻り、皆の待つ船室に向かった。それにしても最後の質問は一体なんだったんだろう。そもそもコウガクって何? 明日姫路さんに聞いてみようかな。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 ガルバランド王国ラミール港を出港してから丸一日。船はようやくサラス王国リットン港に到着した。太陽は頭上を越え、だいぶ傾いている。1時間もすれば日が沈み、夜が訪れるだろう。

 

 この日、僕らは異世界生活29日目を迎えた。この世界に飛ばされ、まもなく1ヶ月が経とうとしているのだ。学園長の示した期限まであと9日間。まだ扉の島の位置は分かっていない。

 

「姫路、その漁師ってのはどこにいるんだ?」

 

 昨日姫路さんと秀吉の得た情報では、このリットン港に海に詳しい人がいるという。その人ならば扉の島のことを知っているかもしれないということで、僕たちはその人に会いに行くことにしたのだ。

 

「えっと……確か定期船の船着き場からちょっと離れた漁港にお住まいだと言っていました」

「漁港か。まずはそれを探すか。ところで名前は聞いてるのか?」

「はい。ハリーというお名前だそうです」

「ハリーか。よし、今回は全員で行くか」

「そうね。それじゃ瑞希、翔子、行きましょ」

「はいっ」

「……うん」

 

 美波は右手に姫路さんの手を、左手には霧島さんの手を取り、歩き出した。やっぱり女子は仲が良いな。

 

「それじゃワシらも行くとしようかの」

「まさか俺らまで”お手々繋いで”なんて言うんじゃねぇだろうな……」

「さすがにワシもそこまでしろとは言わぬ……」

「だよな」

「…………気持ち悪い」

「僕もそう思う……」

 

 やっぱり男子は仲が悪い。というか、これが正しいと思う。この4人が手を繋いで歩いている様を想像してみてほしい。不気味なことこの上ないだろう。

 

「この国って気温高いのね。防寒用のマントじゃ暑くてダメね」

「私はこの港で砂塵用マントを買ったんですよ」

「へぇ~。それがそうなのね?」

「はいっ、どうですか? 似合いますか?」

「マントはちょっと地味だけど帽子は素敵よ。ねっ、翔子?」

「……大きな羽根が可愛い」

「ありがとうございますっ。ふふふ……」

 

 前を歩く3人は楽しそうに会話に華を咲かせる。これに対して僕ら男子は黙って彼女らの後を歩いている。いつもの光景だ。

 

『みんな~っ! あっちみたいよ~っ!』

 

 美波が僕らに向かって大声で叫んでいる。どうやら漁港を見つけたようだ。

 

「島田は元気じゃのう」

「それが取り柄みたいなもんだからね」

「さすが明久じゃ。嫁のことは良く分かっておるようじゃな」

 

 ぶっ!?

 

「ばっ……! そっ、そんなんじゃないよ!? た、ただ美波の性格を理解してるってだけで……嫁だなんてまだそんな……」

 

 た、確かに美波との結婚を考えたことはあるけど……。僕まだ17歳だし、それにこういうのは本人同士の同意が必要なわけであって……その……。

 

「やれやれ。お主がその様子ではまだまだ先の話のようじゃの」

「ほ、ほっといてよ!」

 

 くっそぅ……秀吉め……僕をからかってるんだな? いつか仕返ししてやる……!

 

『アキ~っ? どうしたのよ! 早く来なさいよ~っ!』

 

「おい明久、嫁が呼んでるぞ。さっさと行ってやれよ」

「分かってるよ! うるさいな!」

「…………逆ギレか」

「違うよっ!」

 

 ちくしょうっ! 皆で僕をバカにして! っと、こんなことしてる場合じゃない。美波を怒らせたら後が怖いからな。

 

「今行くよ~っ!」

 

 僕は大声で叫び、駆け出した。

 

 ……うん。

 

 でもあんな風に笑顔で手を振っている姿を見ると……。

 

『早くしないと日が暮れちゃうわよ~っ!』

 

 やっぱり可愛いなって……思っちゃうよな……。

 



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第十七話 近くて遠い手がかり

 漁港は定期便の港から海沿いに20分ほど歩いたところにあった。見たところあまり大きな漁港ではなさそうだ。湾岸に停泊している船舶は3隻。僕らの乗ってきた客船とは違い小さな帆船だ。それが等間隔に並び、岸に着けられている。

 

 そこでは頭にハチマキを巻いたガタイのいい男たちが忙しそうに動き回っていた。荷揚げをしたり網の手入れをしたりしているようだ。人数はそう多くない。見たところ7、8名といったところだろうか。きっとこの中にハリーさんがいるに違いない。早速僕は一番近くで網の手入れをしているおじさんに話し掛けてみた。

 

「あのーすみません。ちょっとお聞きしたいことがあるんですが」

「あァ?」

 

 おじさんは僕の声を聞くと手を止め、目だけをこちらに向けてギロリと睨みつけた。話し掛ける人を間違ったかな……。なんだか凄く気難しい人のような気がする。

 

「人にものを尋ねる時はまず自分から名乗るモンだろが。あァ?」

 

 もの凄い形相で睨まれ、そう言われた。思わずたじろぐ僕。怒らせてしまったかな……。

 

「失礼しました。俺は坂本雄二といいます。こいつは吉井明久です。お仕事中大変申し訳ありません。少々お話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」

「……フン。言ってみろ」

 

 雄二が丁寧に頭を下げると、おじさんは視線を手元に戻し、ぶっきらぼうに言った。良かった……一応話は聞いてくれそうだ。

 

「実は俺たちはこのサラス王国にあるという島の場所を探しています。ガルバランド王国のラミール港にて、この町のハリーという方が遠洋に詳しいと伺いまして、参りました」

 

 腰を折り曲げ、頭を下げながら丁寧に事情を説明する雄二。そうか、こうやって聞くものなのか。しかし雄二のやつ、こんな作法なんかどこで学んだんだろう。相変わらずなんでもできるやつだな。僕は感心しながら雄二の真似をして頭を下げた。

 

「ハリーだと? ……その様子だと何か事情がありそうだな」

 

 するとおじさんの厳しい表情が少し緩んだ気がした。

 

「おーい!! ハリーー!! おめェに客人みてェだぜェー!?」

 

 とてつもなく大きな声で叫ぶおじさん。まるで目の前で爆発でも起きたかと思うくらいに大きな声だった。それはもう「ドーン!」という犠牲音が相応しいほどに。

 

「俺に客人? おやっさん、そりゃ人違いじゃねぇっスか?」

 

 するとすぐ隣の船で荷揚げをしていた別のおじさんが振り向いて答えた。というか、こんなに近くにいるのに今みたいな大声を出す必要があったんだろうか。

 

「ハリーっつったらおめーしかいねーだろ。ほれ、こいつらだ」

「はぁ……?」

 

 やれやれ、といった感じに頭を掻きながらおじさんがこちらに向かってくる。小柄だけどずいぶん筋肉質な人だ。タンクトップが大胸筋ではち切れそうになっている。それと顎には無精髭を生やし、頭に巻いたハチマキが四角い顔にヤケに似合っていた。

 

「あー。……誰っスか?」

 

 ハリーさんと思われる男がボリボリと頭を掻きながら言う。そりゃまぁ初対面だし、当然の反応かもしれない。

 

 ――ゴンッ

 

 なんてことを思った瞬間、網を編んでいたおじさんがパッと立ち上がり、ゲンコツを振り下ろした。

 

「いっててて!! な、何すんスかおやっさん!」

「てめーは挨拶ひとつマトモにできねーのか! こんな(わけ)ぇやつらだってしっかり頭下げて挨拶しやがったんだぞ!」

「だからってポンポン殴んねぇでくだせぇよぉ……」

「てめぇがいくら言っても礼儀を覚えねぇからだろーが!!」

「わ、分かりやしたよ! その話はあとでゆっくり聞きやすから! 今はほら、俺に客人でやんしょ?」

「チッ。あとで覚えとけよ! ったくよぉ……」

 

 何なんだ。恐らく誰もがそう思っただろう。

 

「あー。そんで俺に用ってのは? なんか買えってんならお断りだよ?」

 

 頭を擦りながら言うハリーさん。よく見るとこの人、意外に若いのかも。体格や顎髭のせいでおじさんっぽく見えているけど、肌や顔の感じからすると歳は25、6といった感じだ。

 

「いえ、俺たちは押し売りではありません。実はハリーさんが遠洋に関するの知識をお持ちだと伺いまして、ガルバランド王国から来たのです」

「俺が遠洋の? 誰から聞いた?」

「えぇっと……」

 

 雄二が言葉に詰まっている。そういえば誰から聞いたんだろう?

 

(おい姫路、情報源の人の名前は?)

(すみません。お名前は伺っていないんです)

(マジか……じゃあどこで働いてたか分かるか?)

(ラミールの定期船乗り場から東に少し行ったところの漁船に乗っていました)

(分かった)

 

 雄二と姫路さんがヒソヒソと話しているのは僕の耳にも入っていた。そうか。名前が分からないのか。雄二のやつ、どうするつもりだろう?

 

「すみません。お名前は分からないのですが、ガルバランド王国のラミール港東で漁船で働いていた方です」

「ラミール港? そこで俺の名前を知ってる奴がいるとしたらグレンっスね」

「グレンさん……ですか」

「あぁ。あいつは俺の古くからのダチっス。で、俺が遠洋の知識を持っていたらどうだってんスか?」

「俺たちはある島への行き方を調べています。このサラス王国の南東にある島です。そこへの行き方を知っていたら教えていただけないでしょうか」

 

 雄二がこう言うと、ハリーさんは急に顔をしかめ、

 

「……それを聞いてどうするつもりっスか」

 

 と無愛想に聞き返した。

 

「ということは知ってるんですね?」

 

 更に聞き返す雄二。するとハリーさんは辛そうな目をして黙り込んでしまった。

 

(ねぇ秀吉、もしかして聞いちゃいけない話だったのかな)

(ワシにも分からぬ。じゃがあの顔はあまり気が進まぬようにも見えるのう)

(だよねぇ……)

 

 ここでハリーさんの機嫌を損ねてしまえば、せっかくの手がかりが失われてしまう。でもこの様子では簡単には話してくれそうにもない。どうアプローチすべきなんだろうか。

 

「あの……すみません。何か事情がおありなんでしょうか……?」

 

 すると姫路さんが僕らの疑問を聞いてくれた。それでもハリーさんは返事をせず、黙って俯いていた。姫路さんはこれ以上言葉はかけず、彼の様子を見守っている。他の皆も同じように彼が何か言うのを待っていた。

 

「……どうせ信じてくれねぇっス」

 

 しばらくしてハリーさんはボソリと返事をした。暗く沈んだ口調。その言葉には悲しみが満ちているように感じた。

 

「俺たちは今まで信じられないものを沢山見てきました。今なら何を聞いても驚きません。どうか話していただけませんでしょうか」

 

 キリッとした表情で訴える雄二。悔しいけど今のお前は格好良いぜ。

 

「ま、信じてくれなくても構いやしねぇっス。とりあえず俺の知ってることは話すんで、あとは好きにしてくんなせぇ」

 

 そう言うとハリーさんは語り出した。航海中に体験したという、摩訶不思議な現象を。

 

 

 ――それは2年前のこと

 

 

 その日、彼は初めての遠洋漁に出たという。それまではこのリットン港付近に限った漁しか認められていなかった。彼は以前より遠洋の見たことのない魚を捕りたいと常々思っていた。そしてその日、親方から初めて遠洋での漁を認められたのだという。

 

 彼は幼少の頃から海に憧れ、常人を遙かに超える知識を独学で得ていたらしい。そして彼は当然のように漁師となった。だがそんな知識豊富な彼でも、漁船には簡単には乗せてもらえなかったそうだ。だから遠洋航海が認められたこの日、彼は喜びに満ちていたという。しかも船長という立場で許されたことにより、その喜びは天にも昇るほどだったと彼は語る。

 

 ハリーさんは早速船を準備し、出港した。目標はサラス王国南東の海。この国の漁業は西と東であまり交流がないらしい。そのため、彼は東側の漁手法や取れる魚について興味があったのだそうだ。

 

 ここリットン港から南の海路を辿れば東海岸まで約5日。そう計算した彼はこの海路を使い、東海岸の漁港マリナポートを目指した。奇怪な現象に遭遇したのは、その5日目の朝のことだという。

 

 いよいよ到着間近という時、突然異常に濃い霧が発生したらしい。しかし特に海が荒れているというわけでもなく、航海に問題はなかった。そしてその濃い霧の中でひとつの島を見たと彼は言う。サラス王国の海域はだいたい頭に入れていた。しかしこのような場所に島があるのは知らない。もしや新発見か? そう思って彼はその島への上陸を試みたそうだ。

 

 ところが近付こうと船を進めていると、忽然とその島が消えてしまった。目の錯覚などではない。間違いなくそこにあったはずの島が、跡形もなく消えていたのだ。しかしそれは消えたわけではなかった。

 

 なんと、いつの間にか船が180度逆を向いて走っていたのだという。コンパスが壊れたわけでもない。船の舵も正常だった。彼は不思議に思いながらも再び島に向かって船を進めた。だがしばらくすると、またも船は逆走していた。負けるものかと何度も霧の中を進もうとするが、何度やっても船は逆走してしまう。まるで何かに拒まれているかのようだったという。

 

 この時、僕は思った。ゲームでもよくある迷いの森。先に進んでいるつもりでも同じ所をぐるぐると回っているという、幻覚系のトラップ。あれの海バージョンなのではないかと。

 

 結局彼はマリナポートに行くのを諦め、このリットン港に成果なしで帰って来たのだという。もちろんこのことは漁師仲間に話した。だがこのような島の存在は誰一人として知らず、信じてもくれなかった。そしてこのことはハリーさんが失敗したことを隠すために嘘を言っているのだと噂されるようになった。以来、彼はこのことを誰にも話さなくなったのだという。

 

「そんな……嘘だと思われたなんて……」

「信じてもらえないなんて……酷すぎるわ……」

 

 姫路さんと美波は彼に同情し、目を潤ませている。

 

「ハリーさん! 僕はこの話、信じます!」

「ワシも信じるぞい。なにしろワシらはそこに向かおうとしておるのじゃからな」

「…………嘘なら俺たちの行く場所は存在しないことになる」

 

 僕や秀吉、ムッツリーニも彼の話を信じている。黙っていたけど、当然雄二と霧島さんだって信じているだろう。

 

「ハリーさん。俺たちをその島に連れて行っていただけないでしょうか」

 

 雄二は真剣な目で言う。ハリーさんの話では、ここからその島まで5日。僕らに残された時間があと9日間なので、この海路を辿れば余裕で間に合う。もし船で連れて行ってもらえるのならばこれ以上の近道はない。

 

「悪いけど船は出せねぇっス」

 

 しかしハリーさんの答えは僕らの期待に応えるものではなかった。

 

「な……なんでですか!? 行き方を知ってるんだから連れてってくれたっていいじゃないですか!」

 

 期待していた答えを得られず、思わず食ってかかる僕。それでも彼の答えは変わらなかった。

 

「そう言われても親方の許可がなければ勝手に船は出せねぇんスよ。それにたとえ親方が許しても俺はもうあの海域には行きたくねぇっス。勘弁してほしいっス……」

 

 ハリーさんは目を背けながらボソボソと呟くように言う。でもせっかく見つけた手がかりだ。無駄にしてなるものか。なんとか説得して連れて行ってもらわなくちゃ!

 

「落ち着け明久。おまえは口を挟むな。ハリーさん、そこをなんとかお願いできませんでしょうか。俺たちはなんとしてもその島にいかなくちゃならないんです。俺たちの未来が掛かってるんです」

「何度言われても答えは同じっス。悪いけど他を当たってくんなせぇ。俺はもう二度と東には行きたくねぇっス」

「しかし――」

「いいかげんにしてくれ! 嫌だって言ってんスよ!!」

 

 雄二の説得についに切れてしまうハリーさん。さすがにこの反応には僕も驚いた。

 

「帰ってくだせぇ。仕事の邪魔っス」

 

 ハリーさんは冷たくそう言い放つと、船の方へと戻っていってしまった。これほど(かたく)なに拒否するということは、余程嫌な思いをしたのだろう。こうなってしまうともう頼むのは無理か……。

 

「どうする雄二? これじゃ連れてってもらうのは無理そうだよ」

「……」

「雄二?」

「ん? あぁ、そうだな」

 

 雄二のやつ、何か考えているみたいだ。良い作戦でも思いついたかな?

 

「親方さん、お仕事中大変失礼しました。俺たちはこれで失礼します」

「……おう」

 

 座って網を編んでいた親方さんはムスッとした顔で、こちらを見ることもなく返事をした。僕らが邪魔をしたのが気に入らなかったんだろうか。やっぱり気難しい人のようだ。

 

「皆、一旦帰るぞ」

 

 雄二はそう言うとスタスタと歩きはじめた。

 

「えっ? ちょっと坂本! どうするのよ!」

「出直しじゃ島田。他の手を考えるほかあるまい」

「そんなこと言ったって今はあの人しか手がかりないじゃない!」

「じゃが本人があれほど嫌がっておるのに無理強いするわけにはいくまい」

「それは、そうかもしれないけど……」

 

 僕も秀吉の意見は正しいと思う。あの様子ではこれ以上頼み込んでも無駄だろう。

 

「仕方ないよ。今はどうにもならないみたいだし。帰ろう美波」

「う、うん……」

 

 雄二に続いてぞろぞろと歩き始める僕たち。誰もが浮かない顔をして歩く中、雄二だけはいつもと変わらない堂々とした顔をしていた。

 



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第十八話 岐路に立つ

 ハリーさんと別れた後、僕たちは手頃な値段のホテルを探し、宿を取ることにした。部屋は2部屋。もちろん男子部屋と女子部屋に分けるためだ。そして今、僕たちは男子部屋に集まっている。これから作戦会議が始まるのだ。

 

「それで雄二、これからどうするの?」

 

 両手をポケットに突っ込み、窓から外を眺めている雄二。あいつは僕が聞いても口を一文字に閉じたまま、じっと外を見つめていた。

 

「雄二のことだから何か作戦を考えてるんだろ? 教えてくれよ」

 

 先程の雄二の顔を見て、あいつは頭の中に何か作戦を描いているのだと思い込んでいた。ああいう顔をした後の雄二はいつも何かしらの作戦を打ち出してきたからだ。ところがこの時、雄二の口から返ってきた答えは僕の期待を裏切るものだった。

 

「ない」

 

 ただ一言。雄二は振り向きもせずそう言った。

 

「へ? ない? どういうこと?」

「どうもこうもない。作戦なんかねぇよ」

「ははぁ。分かったぞ? そんなこと言って僕を騙して遊ぼうっていうんだろ。そうはいかないぞ!」

「この状況でお前をからかって遊ぶほど俺は楽観主義じゃねぇんだがな」

 

 そう言って振り向いた雄二の目は笑っていなかった。

 

「…………Realy?」

 

 信じられない状況に思わず英語が出る僕。

 

「…………俺の真似をするな」

「いや、だってさ! こいつ作戦がないって言うんだよ!? どうすんのさこの先!」

「…………それを相談するために集まっている」

「でもさっき雄二はあんな顔して歩いてたじゃんか! 何か考えてたんじゃないの!?」

「俺がどんな顔をして歩こうが勝手だろ。とにかく今は打つ手がない」

「そ、そんなぁ……」

 

 雄二のことだからとにかく進む手立てを考えていると思ったのに……。

 

「明久よ。雄二ばかりに重荷を背負わせるわけにもいくまい。ここはワシら全員で考えるべきじゃろう」

「そうよアキ。たまにはアンタも頭を使いなさい」

 

 円卓に座る秀吉と美波が言う。ムッツリーニは腕組みをしながら壁にもたれ掛かり、目を閉じている。姫路さんと霧島さんは並んでベッドに腰掛けているようだ。

 

「う~ん……そう言われてもなぁ……」

 

 作戦立案はクラス代表である雄二の役目だと思っていたからな。そもそも僕は頭を使うのが苦手だ。何か考えろと言われても……う~ん……。

 

「雄二よ、扉の島の場所はだいたい分かったのであろう? どの辺りなのじゃ?」

「姫路、お前確かサラス王国の地図を持っていたよな」

「はいっ、持ってますよ」

「よし、ここに広げてくれ」

 

 姫路さんは上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出した。そしてその紙をテーブルの上に丁寧に広げると、指を差しながら説明をはじめた。

 

「私たちがいるのはここ、リットンです。ハリーさんのお話によると、ここから大陸沿いに南側に出て、そこから真っ直ぐ東へ。たぶん最短距離を取って大陸中央のこの半島部分をかすめて進んだものと思います」

 

 姫路さんは地図を指でなぞりながらハキハキした口調で説明していく。凛々しい横顔も決まっていて、とても格好良い。なんだか姫路さんが凄く大人に見える。

 

「半島からマリナポートへは、やや北寄りに進むことになります。マリナポート到着間近で島を見たということですから、恐らくは――――この辺りに私たちの行くべき島、つまり扉の島があるのではないかと思われます」

 

 地図に赤い×を書いて場所を示す姫路さん。その印の書かれた場所は大陸東南の町マリナポートから真っ直ぐ南に行ったところだった。

 

「なんだ。それならこの町から直接行かなくたっていいじゃないか。定期便でマリナポートまで行って、そこから船を出してもらえばいいんだよ」

「明久君、それがそうも行かないんです」

「ほぇ? なんで?」

「南側の海は海流が荒れていてとても危険らしいんです。だから定期便は出ていません」

「え……そうなの?」

「はい。だから漁師の方もマリナポートに行こうとする方がいないんだと思います。ハリーさんは凄く危険な海路を辿ったことになるんです」

「ふ~ん……なら陸路を使えばいいんじゃないの?」

「アキ、アンタ瑞希の話聞いてなかったの? サンジェスタで集まった時に言ってたでしょ」

「? 何を?」

「ハァ……」

 

 あきれ顔で溜め息をつく美波。気付くと他の皆も同じような顔をして僕を見つめていた。皆がこういう反応を示すということは、きっと僕は何か間違いをしているのだろう。よし、考えてみよう。

 

 美波の言う”サンジェスタで集まった時”とは、腕輪の回収を終わらせて集合した時だろう。あの時はそれぞれのチームの成果を報告し合った。そこで姫路さんが話していたのは――――!

 

 ……そうか、そうだった。

 

「あははっ! じょ、冗談だよ冗談! いやだなぁ皆! 忘れるわけがないじゃんか!」

 

 この大陸の真ん中は砂漠が広がっていて普通には通れないんだった。前は砂上船ってのが交通手段になっていたけど、事故があってから廃業状態だって言ってた。だから今は陸路で砂漠を渡る手段が無いんだ。すっかり忘れてたよ……。

 

「ホントに冗談? アンタ忘れてたのを誤魔化してるんじゃないでしょうね」

 

 ジト目で僕を見る美波。ヤバい。バレてる。

 

「い、いやだなぁ美波。そんなことないよ? だってほら、地図にもしっかり”砂漠”って書いてあるし!」

「明久よ。目が泳いでおるぞ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃ……」

 

 やっぱり誤魔化せなかった。

 

「まぁ明久のバカはほっといて話を進めるぞ。南の海路が使えず、姫路が言ったように砂漠の横断は不可能。となれば残るは北の海路しかないだろう」

「そうじゃな。ワシもそう思う。ムッツリーニよ、お主は何か知らぬのか?」

「…………北の海路はグエンターナからバダン。暗礁海域を避けるため4日かかる。俺が知っているのはこれだけだ」

「暗礁海域じゃと?」

「…………海が浅くて船が通れないらしい」

「ふむ……浅瀬か。どの程度のものなのじゃろうな……。雄二よ、やはり北の海路について調べるべきではないか?」

「あぁ、そうだろうな」

 

 ん? なんだ、方針は決まってるんじゃないか。作戦がないなんてやっぱり嘘だったんだな?

 

「なんだよ雄二、もう次の手は考えてたんじゃないか。つまり北の海路を使うってことなんだろ? なんで作戦がないなんて嘘をついたのさ」

「……嘘をついたわけじゃねぇよ。徒労に終わるかもしれんと思って言わなかっただけだ」

「徒労ねぇ……」

 

 と疑いの目を雄二に向けていたら、隣の美波がキョトンとした目をしていた。

 

「美波ちゃん、徒労というのは”骨折り損の草臥(くたび)れ儲け”という意味なんですよ」

「えっと……つまり頑張ったけど無駄に終わっちゃった。ってことかしら?」

「はい、そのとおりです」

「ふぅ~ん……日本語って色々表現があってやっぱり難しいわね」

「そうですね。でもそれだけ表現が豊かとも言えますよ」

「そうね。ありがと瑞希」

「どういたしまして。ふふ……」

 

 確かに日本語には色々な言い回しがあり、時としてそれが誤解を招くこともある。でもこれはこれで面白いと思うんだよね。だから僕は日本人に生まれて良かったと思っている。ただし、やっぱり古典は学ばなくてもいいんじゃないかと思う。っと、それはさておき。

 

「でもさ雄二、どうして徒労に終わると思ったのさ。そんなの行ってみなくちゃ分からないだろ?」

「いいか明久。俺たちに残されたのはあと9日間だ。南の海路を使えば5日。残りは何日だ」

 

 バカにされてるんだろうか。

 

「そんなの決まってるじゃないか。4日だよ」

「さすがに算数は間違えないようだな」

「当たり前だろ!」

「じゃあもう一度地図を見てみろ」

「地図?」

 

 言われるがまま卓上の地図に目を向ける僕。

 

【挿絵表示】

 

 西側がきゅっと窄んだ(いびつ)な地形。地図上に書かれた丸は町の存在を意味している。そして大陸の中央には2本の縦線が引かれ、砂漠が大陸を分断していることを示していた。

 

「見たけど……これがどうかした?」

「北の海路はグエンターナから船に乗ることになる。ここから行く場合、位置的に王都モンテマールを経由することになるだろう」

「うん。まずグエンターナに行って、そこから船に乗ってバダンに。それから南に下ってマリナポートまでだろ?」

「そうだ。つまり大きく遠回りすることになる。こうして真っ直ぐ線を引いただけでも南の海路の2倍はあるわけだが、これがどういうことか分かるか?」

「え~っと……」

 

 南の海路が5日。2倍の距離があるから、これの2倍の日数がかかるとして10日か。

 

 ……あ。

 

「9日を超えてるね……」

「そういうことだ。単純計算ではタイムオーバーなんだよ」

「う~ん……そうかぁ……」

 

 徒労に終わるっていうのはそういう意味だったのか。

 

「だから言っただろ。徒労に終わるかもしれんと。俺たちには試している時間はないんだ。確実な手段を見つける必要があるんだよ」

「じゃあ坂本はどうするのが一番だと思ってるの?」

「そうだな……俺もまだ悩んでいるところだが……」

 

 雄二は顎に手を当て、考える仕草を見せる。上手いぞ美波。これで雄二の意見が聞き出せそうだ。

 

「見たところこの世界の船は帆船のみのようだ。帆船ってのは風を推進力とする船だ。速度はせいぜい8ノット……時速にして15キロ程度だろう。この世界では魔石を使っているからもっと速度が出るかもしれんが、それでも馬車の方が早いように思う」

「ん? ちょっと待ってよ雄二。それじゃ船を使うべきじゃないってこと?」

「使わずに行けるのなら良いんだが、問題は砂漠の横断だ。現状では船を使わざるを得ない。だから海路を使う距離を最短にすることでなんとかならないかと考えているんだが……」

「それならもう結論は出てるじゃないか。この砂漠の切れ目から南側を船で通過するのが一番の近道だよ」

「明久君、それはたぶん無理だと思います」

「ほぇ? なんで? 姫路さん」

「この国で砂漠近くの港町は北側のグエンターナだけなんです。地図で見るとカノーラの町が南側の海に近いように見えますけど、実際はかなり離れているんです」

「う……それじゃ南側で海に出られるのはこのリットンだけってこと?」

「そういうことになります。それに仮に船が出せたとしても、海流が激しくて危険だと思います」

「そっか……」

 

 なかなか上手くいかないもんだな……。

 

「しかしまぁ、明久の意見は現状では最善の選択だろう。もし荒波に負けないくらいの船を出せるのであれば、だがな」

「そ、そうだよね! やっぱりこの道が一番だよね! この方法を探してみようよ!」

「あぁ。だが姫路の言うように港町が無い以上、船が出せない可能性が高い。北側の経路についても詳しい情報を得ておきたい」

「つまり北側の経路を使って9日以内にマリナポートに到着する経路を調べろってことだね?」

「実際にはマリナポートから船で島に向かうことになるから、港町には少なくとも7日以内には到着しておきたいところだ」

「こうして考えると時間的に余裕はないのじゃな……」

「じゃあまとめるとこういうことでいいのかな? まずはカノーラの南から船を出せないか調べる。それと、北側の海路を使ったらどれくらい時間がかかるのか調べる」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そういうことだ。だが今日はもう遅い。行動は明日にするぞ。皆いいな?」

 

 雄二の言葉に全員が頷く。やれやれ……。一時はどうなることかと思ったけど、なんとなく進むべき道が見えてきた感じだ。

 

「よし、今日はもう休むとするか」

 

『『『賛成~っ』』』

 

 ふぅ……やっと休めるか。船旅って結構疲れるんだよね。ずっと揺られてるから落ち着かなくて眠りも浅かったし。でも今夜は揺れないからぐっすり眠れそうだ。

 

「それじゃウチ、何か食べるものを買ってくるわ」

「そいつは助かる。けどお前1人で大丈夫か?」

「もちろんもう一人連れていくわよ。ね、アキ」

「へ? ぼ、僕?」

「当たり前じゃない。皆疲れてるんだから」

「いや、僕も疲れてるんだけど……」

「アンタはいいのよ。いくら疲れたって」

「り、理不尽だぁぁっ!!」

「いいから行くわよ。支度しなさい」

「いや、でも……」

「つべこべ言ってるとアンタの分だけ買ってこないわよ」

「えぇっ!? そ、そんなぁ……。分かったよ行くよ! 行けばいいんでしょ!」

「そう。行けばいいのよ。ふふ……」

「とほほ……」

 

 相変わらず美波は強引だなぁ……。しょうがない。面倒だけど行くしかなさそうだ。

 

「……美波。気をつけて」

「ありがと翔子。じゃあ行ってくるわね。ほら、行くわよアキ」

「へ~い……」

 

 そんなわけで僕は美波に連れられ、買い出しに出ることになった。まぁ初めての町に美波1人で行かせるわけにはいかないし、やっぱり僕がついて行くべきなんだろうな。

 

 などと思いながらホテルを出てみると、町は橙色の灯りで照らされていた。見上げれば頭上には真っ黒な空がある。いつの間にか夜が訪れていたようだ。

 

「もう日が暮れてたんだね」

「のんびりしてるとお店が閉まっちゃうわね。急ぎましょ」

「うん」

 

 早速町に繰り出す僕と美波。けれど灯りに照らし出された看板は”close”ばかりで、閉めようとしている店も目立つ。もう選んでいる時間はなさそうだった。

 

 そこで僕たちは最初に目に付いた店で買うことにした。幸いにしていくつかのパンや惣菜が売れ残っているようだ。選ぶほど種類もなかったので僕たちはそれらを買い占め、急ぎホテルに戻った。

 

 そしてホテルに戻ったあとは円卓を囲んで皆で夕食。やはり仲間と一緒に取る食事は楽しい。タイムリミットまであと9日。これを過ぎてしまうともう元の世界には戻れない。切羽詰まっている状況だが、僕に緊迫感はあまりなかった。その理由も自覚している。

 

 美波が。そして皆がこうして一緒にいるからだ。きっとなんとかなる。僕の仲間はそんな気にさせてくれるのだ。

 



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第十九話 女たちの機転

 翌朝。僕たちはすぐに行動を開始した。

 

 今回は少し変則の3チーム構成。ひとつは美波と姫路さん、それに霧島さんの女子チーム。もうひとつは僕と雄二、秀吉のトリオという男女に分かれた構成だ。今回もムッツリーニは自ら単独行動を望んだ。なお、僕たちの組には秀吉が入っているので男子チームとは呼べない。

 

 この構成を決めた後、僕たちは2時間後にこのホテル前に集合することを約束して散開した。

 

 

 ――そして1時間後

 

 

「なぁ……雄二」

「あー?」

「これからどうする?」

「……それを今考えてんだよ」

「サンジェスタで休憩しておらんで、すぐに出れば間に合ったのかのう」

「今さらそれを言っても仕方ねぇだろ。とにかく今は別の手を考えるしかねぇよ」

「そうじゃな。しかし困ったのう……」

 

 僕たち3人はホテル前の道に座り込み、揃って溜め息をついていた。

 

 女子チームと別れた後、真っ先に確認したのは北の経路に関する情報だ。その情報はすぐに手に入った。しかしそれは僕たちの期待する内容ではなかった。

 

 リットンからマリナポートまでの日数。いくつかの断片的な情報から雄二が算出した所要日数は10日間だった。結局、懸念していた通りの結果だったのだ。他にもバダンからアルミッタ、アルミッタからマリナポートの間に1つずつ小さな宿町があることが分かったが、既にどうでもいいことだった。

 

 次に確認したのは南の海路について。しかしこれについて町の人に聞いたところ「あんな断崖絶壁から船を出すなんて無理無理」と笑われてしまった。更にここリットンから船で行く手段を尋ねると、「そんな危険を冒す物好きはいない」と、これも笑われてしまった。どうやらこの国の海は全体的に人の進入を拒むかのような過酷な環境のようだ。

 

 それならばと一縷(いちる)の望みを掛けて砂漠横断の手段を聞いてみるも、やはり砂上船が運行していない今、手段は無いに等しいという。一応ラクダを使った横断という手がないこともないが、魔獣が出るので非常に危険だという。そもそも時間が掛かりすぎて論外だったのだが。

 

 こうなってしまうと、もはや八方塞がりだ。でもだからといって諦めるわけにはいかない。元の世界に帰るためには、なんとしても東側に渡る必要があるのだ。そこで僕たちは何か別の方法が無いかと知恵を寄せ合った。

 

 現状、陸海がダメ。ならば空から行くしかない。だがこの世界には飛行機や気球なんて技術は無い。アニメや漫画のように自ら空を飛ぶなんてことも当然できない。空を飛ぶと言えば美波の腕輪の力だが、仮に彼女の腕輪の力を使って全員を飛ばしたとしても数分しかもたない。砂漠を飛び越えるなど不可能なのだ。何度も繰り返し力を使って移動する方法も考えたが、腕輪は力を使うと大きく体力を消耗する。美波にそんな無茶をさせるわけにはいかない。

 

 ダメだ……一体どうしたらいいんだ……。

 

「「「ハァ……」」」

 

 もうこの世界で暮らしていくしかないんだろうか。姉さん心配してるかな……葉月ちゃんや美波のご両親も心配してるだろうな……でもどうにもなんないよな……これ……。

 

「ねぇ秀吉。何かいい案ない?」

「すまぬがワシも打つ手なしじゃ……」

「雄二は?」

「手があればとっくに行動している」

「だよねぇ……」

 

「「「ハァ……」」」

 

 座り込んで何度も溜め息を吐く僕たち3人。

 

『アキ~~っ!』

 

 するとその時、道の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。あの弾むような声は美波だ。彼女はマントから片腕を出し、元気に手を振りながら走ってくる。

 

「美波~ おかえり~」

 

 僕は手を振り返し、彼女を迎える。後ろから姫路さんと霧島さんも走ってくるようだ。3人とも表情が明るい。何か見つけたんだろうか?

 

「ねぇねぇ聞いてアキ! ウチら間に合うかもしれないのよ!」

 

 戻ってきた美波が息を切らせながら、嬉々とした表情で言う。

 

「へ? 間に合う? どういうこと?」

「北の経路を使わなくても東に行く方法があるのよ!」

「えぇっ!? ま、マジで!?」

「本当か島田! どういうことか説明しろ!」

「もしや砂漠を抜ける他の方法が見つかったのか!?」

 

 思わぬ吉報に飛び上がってしまう僕たち。そこへ姫路さんと霧島さんが到着した。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……み、美波ちゃん、早すぎですよぉ~……」

「……瑞希。ゆっくり深呼吸して」

「は、はい……すぅ~……はぁ~……すぅ~……はぁ~……」

「……そう。その調子」

「瑞希、アンタ運動不足よ? ちょっと走っただけでそんなに息が上がっちゃうなんて」

「ちょっとじゃないですよ美波ちゃん……」

 

 うん。それはきっと抱えているものの質量が違うせいもあるんじゃないかな。

 

 ……主に胸に。

 

「島田よ、早く話すのじゃ。どういうことなのじゃ?」

「あっ、そうね。えっと、まず北の経路なんだけどね、やっぱり10日かかるって話みたい。だからこの経路は使えないわ」

「うん。それは僕たちも聞いたよ。それと南側から船を出すのも無理だってさ。だから何か他に手が無いかって探したんだけど……」

「それでウチ思ったの。だったらもうここから行くしかないんじゃないかって」

「ここ? ここって?」

「ここよここ。この町の港」

「つまりこの町の港から船で行くってこと?」

「そう! だってこの町から5日で行った実績はあるんでしょ?」

 

 5日で行った実績とはハリーさんの話のことだろう。つまりハリーさんの取った海路を使おうということか。

 

「確かに5日だって話は聞いたけどさ、でもハリーさんあんなに嫌がってたじゃん。あんな状態じゃ頼んでも聞いてくれないと思うよ?」

「分かってるわよ。ハリーさんには頼まないわ」

「へ? どういうこと?」

「ハリーさんが行くのが嫌だったら、船だけ借りればいいのよ」

「船だけ? それじゃ操舵士なしで僕らだけで行けってこと?」

「そう。ウチらだけで行けばいいのよ。そしたら誰にも迷惑かけないでしょ?」

 

 なるほど……その発想はなかった。でもそれって無理があるような気がする。

 

「待つのじゃ島田よ。ワシらは船など操れんぞい?」

「そうだよ美波。船舶って免許がいるはずだよ? そんなもの誰も持ってないと思うんだけど」

「いや待て明久。それは俺たちの世界での常識であって、この世界では通用しない可能性が高い」

「それはそうかもしれないけど……じゃあ雄二は操縦できるの?」

「できるわけねぇだろ」

「だよねぇ」

「だが船のみの調達というのはいい案だぞ島田。操舵士は手当たり次第に探す。最悪は俺たちが運転方法を学べばいい」

 

 う~ん……そんなに上手く行くだろうか。

 

「さすが坂本ね。話が早いわ。それでね、ウチら3人で聞きに行ったの。空いてる船が無いかって」

「聞きに行った? 誰にさ」

「もちろんハリーさんよ」

「え……そうなの? ちゃんと答えてもらえた?」

「えぇ。もちろんよ」

 

 へぇ。昨日の様子からして口も聞いてくれないかと思った。もしかしたら相手が女の子だと話を聞いてくれるのかな?

 

「でもね、やっぱり空いてる船は無いんだって言うの」

「そりゃそうだ。船ってのは維持費がかかるんだ。無駄に遊ばせておくほどの余裕はねぇだろ」

「坂本君、それがですね、ひとつだけ可能性があるんです」

 

 ここで姫路さんが話に加わってきた。乱れていた息も整い、いつもの喋り方に戻っている。

 

「どういうことだ? 姫路」

「美波ちゃん、ここからは私が話しますね」

「うん。いいわよ」

「私たち、ハリーさんに船を貸してくださいってお願いしたんです。最初はそんな船は無いって断られました。でも一生懸命お願いしたら、船は貸せないけど放置されているであろう船ならあるって教えてくださったんです」

 

「「「は??」」」

 

 僕ら男子3人は揃って頭にクエスチョンマークを浮かべた。姫路さんが何を言っているのか分からない……。

 

「なぁ姫路。その”放置されてるであろう”ってのはどういう意味だ?」

「実は以前、王妃様がこちらにいらして、漁船を1隻ご所望されたそうです。海釣りをしたいという理由だったそうです。それで漁師の方たちで小型船を1隻王家に納品されたらしいんですが……」

「なるほどな。読めたぞ姫路。その船が恐らく使われずに放置されてるってことだな?」

「はい、そうなんです」

「つまりその船を貰おうということじゃな」

「はいっ! そうなんです!」

「んー……でもさ、そんなに簡単に譲ってくれるのかな。この前も腕輪を譲ってもらうために姫路さんたち凄く苦労したんだよね?」

「確かにあれこれと注文を付けられはしたが、話が分からぬ御人ではないと思うぞい。最終的には腕輪も譲ってもらえたのじゃからな」

「そうですね。ちゃんと筋道を通して話せば分かっていただけると思います」

「……つまり対価の支払い」

「要するに金がいるってことか。相場が分からねぇな……」

「いえ。たぶんお金では解決できないと思います」

「なんだと? それじゃ何を対価にすりゃいいんだ?」

「私たちが腕輪の交渉をした時も物ではなく、行動を求められました。船についてお願いしたら同じように行動を求めるかもしれません。とにかくお願いしてみる価値はあると思うんです」

「そうか。分かった。でかしたぞお前ら。僅かだが光が見えてきやがったぜ」

 

 雄二の顔にはいつもの不敵な笑みが戻っていた。先程までのどんよりとした曇り顔とは雲泥の差だ。なんて思いながらも、僕の口元にも自然と笑みが浮かんでしまう。

 

「よし、ムッツリーニが戻り次第移動するぞ。姫路、王妃への取り次ぎはお前に任せる。いいな?」

「はいっ! もちろんです!」

 

 こうして僕らの方針は決まった。まだ王妃様から船を譲ってもらえると決まったわけではない。けれど今はこれに賭けるしかなさそうだ。

 

 それにしてもまさか美波たちがこんな機転を利かせてくるとは思わなかった。僕ら男子は雄二含めてノーアイデアだったというのに。今までは雄二ばかりに作戦立案を任せていたけど、昨夜にも言われた通りこれからは皆で考えた方がより良い案が出てくるかもしれないな。

 

 もちろん試召戦争の話だけど。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 僕たちはムッツリーニの戻りを待ち、リットン港を出発した。行き先はこの国の王都”モンテマール”。もちろん王妃様から小型船舶を譲ってもらうためだ。モンテマールまでは馬車で3時間ほど。地図上では距離があるように見えるが、意外に早く着くようだ。

 

 しかし馬車乗り場は非常に混雑していて、到着してすぐの便には乗れなかった。定員があと2名だったからだ。そこで僕たちは次の便を待つことにした。

 

 そして次の便でモンテマールまで移動する僕たち。王都モンテマールも例に(たが)わず、上空から見ると真円を描く形をしていた。当然魔障壁も完備だ。

 

 馬車が到着したのは町の南側。姫路さんの話によると、王宮までは停車駅から徒歩で1時間ほどかかるらしい。時刻は昼過ぎ。そこで僕たちは町に入ってすぐのところの飲食店でまず腹ごしらえをすることにした。

 

「ねぇ姫路さん、もしかして王宮ってアレ?」

 

 飲食店の窓から見えた一際大きな建物を指差して僕は尋ねる。

 

「はい、そうですよ」

「結構近そうに見えるね」

「あれは大きいから近いように見えるんですよ。実際に歩いてみたら1時間かかりましたから」

「ふ~ん、そうなんだ」

 

 屋根が丸っこい感じでどことなくアラビア風な感じがする建物だ。やっぱり住んでる人たちもアラビア風なんだろうか。

 

「おい明久、さっさと食え。時間がなくなるだろうが」

「わ、分かってるよ」

 

 雄二にせかされ、急ぎのランチを終えた僕たちは王宮へと向かった。それにしてもなんだか埃っぽい町だ。道は舗装されておらず、土と砂で固められたもので、歩くと砂埃が舞い上がる。気温も高めで歩いていると汗が垂れてきてしまうくらいだ。これがサラス王国の気候か……ガルバランド王国と違って乾燥地域のような気候だな。

 

 そんな王都の町を歩くこと1時間。僕たちはようやく王宮前に到着した。

 

 目の前には巨大な建物が(そび)え立っている。飲食店の窓から見えた建物そのものだが、近くで見るとその大きさに改めて驚く。他の国の王宮が中世ヨーロッパを彷彿させる城の形をしているのに対し、この国の王宮は先程も感じたとおりアラビア風だ。

 

 それにしてもでかい……地上何階まであるんだろう。まるで巨人の城のようだ。

 

「じゃあ行ってきますね。明久君たちはここで待っていてください」

「以前のメンバーで行った方が良いじゃろう。ワシとムッツリーニも行こう」

「…………俺も行くのか」

「そうじゃ。面識のある3人で行った方が良いじゃろう?」

「…………分かった」

「それじゃ荷物はウチらが預かるわね」

「あ、そうですね。お願いします。美波ちゃん」

 

 鞄やリュックなど、姫路さんたちの荷物を預かる美波。

 

「はいアキ、そっちにまとめておいて」

「へいへいっと」

 

 そして僕はその荷物を受け取り、バケツリレーの要領で道の脇にまとめる。

 

「……瑞希、頑張って」

「はいっ! 任せてください! なんとしても交渉を成功させてみせます!」

 

 姫路さんは気合い十分。この様子なら期待できそうだ。

 

「では行ってくるぞい」

 

 姫路さんと秀吉、それにムッツリーニは並んで正門の方へと歩き出した。その姿を見て僕は思った。あの3人、堂々としていて格好良いな……と。勇ましい感じのBGMを流してやりたい気分だ。

 

 しかし僕らだけで船旅か。こんな経験初めてだ。本当に僕らだけで行けるんだろうか。まぁこの世界での経験なんて、すべてが初めてなんだけどね。



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第二十話 新たな使命(クエスト)

「遅いわね……瑞希」

 

 僕と背中合わせに座る美波がボソリと呟いた。心配するのは当然だろう。姫路さんたちが行ってから既に1時間半ほどが経過しているのだ。交渉ってこんなに時間が掛かるものなんだろうか。ちょっと遅すぎる気がする。さすがに僕も心配になってきたな……。

 

「僕、ちょっと見てくるよ」

 

 トラブルに巻き込まれていたら大変だ。もしそうなら助けなくちゃ。

 

「やめておけ明久。お前が行ったら余計面倒なことになる」

「大丈夫だよ。ただ様子を見てくるだけだから」

「それでもやめろ。あいつが自分でやると言ったんだ。姫路を信じてやれ」

 

 信じろ……か。確かにこういう時は信じて待つのも大事かもしれないな。あれだけ姫路さんも張り切っていたわけだし。よし、ここはぐっと我慢だ。

 

「そうだね。もう少し待ってみるよ」

 

 そう言って上げかけた腰を下ろそうとした時、

 

「あっ! 戻ってきたわよ!」

 

 王宮の方を見ていた美波が声をあげた。彼女の視線の先には3つの人影がある。その3人は何かを話ながらこちらへと歩いてくるようだ。

 

「瑞希~っ!!」

 

 美波は立ち上がり、大声で叫んで手を振る。すると3つの人影のうち、真ん中の1人がそれに応えるように手を振り返した。間違いない。姫路さんだ。どうやら交渉を終えて戻ってきたようだ。結果はどうだったんだろう?

 

「お待たせしました。ただ今戻りました」

「すまぬ。交渉に入るまでが長かったのじゃ」

 

 戻ってきた3人の表情に陰りはない。きっと良い結果が聞けるに違いない。

 

「どうだ姫路、上手く行ったか?」

「一応成功……といった感じでしょうか」

 

 そう言って姫路さんは苦笑いをする。一応って、どういうことなんだろう?

 

「姫路さん、一応って? 成功は成功なんじゃないの?」

「それがですね、明久君……」

 

 姫路さんは王妃様との交渉について詳しく説明してくれた。

 

 まず、時間が掛かったのは王妃様に面会するまで、かなりの時間を待たされたからだそうだ。王妃様に面会できたのは、王宮に入ってから1時間後だという。この国の実権を握っているのは王妃様であり、国王に代わり様々な仕事を(こな)している。だから急な訪問者だからといってすぐに会えないのだろうと、雄二は補足する。

 

 そして王の間に招かれた姫路さんたちはすぐに本題の交渉に入った。すると王妃様は彼女らの問いに対し、「確かに海釣り用にと船舶を購入したことはある。それが今は使われていないことも事実」と答えたそうだ。

 

 ところが船の譲渡をお願いしたところ、「使っていないが譲れはしない」と断られてしまったらしい。もちろん姫路さんは事情を詳しく説明し、食い下がった。秀吉やムッツリーニも共に頼み込み、頭を下げて礼を尽くしたという。

 

 しばらくの間、彼女らは問答を繰り返した。すると、最初は拒んでいた王妃様も姫路さんたちの熱意に打たれたのか、ついに「ならば行動で誠意を見せよ」と、交換条件を出してきたのだという。やはり姫路さんの予想通り、金銭ではなく行動を求めてきたのだ。

 

 その王妃様が交換条件として求めたのは、マトーヤ山の山頂付近に咲くという紫色の山百合。その花は良い染料になるそうで、お気に入りのドレスには欠かせないらしい。この花と交換で小型船舶を譲ってくれるということになったそうだ。

 

「え……花? 花と交換で船なんかをくれるの!?」

「はい。王妃様は確かにそう仰いました」

「いやでも花と船じゃまるで価値が違うと思うんだけど? 本当にいいの?」

「姫路、本当に花と交換で船をくれるってことで間違いないんだな?」

「はい。間違いありません。マトーヤ山に咲く紫色の山百合を採取してきなさい。これが王妃様の命令です」

「こいつは驚いたな……とんだ”わらしべ長者”だぜ……」

 

 わらしべ長者とは日本のおとぎ話のひとつだ。”わらしべ”とは、その名のとおり(わら)を干した物。ある貧乏な男がこの藁一本から様々な物々交換を経て、最終的に大きな屋敷を手に入れるという成功物語だ。今回の話はそれに似ているが、花から船とはいきなり飛躍しすぎているような気がする。

 

「ねぇ瑞希、それって何か罠があるんじゃないの?」

「罠……ですか?」

「だって話がうますぎるもの。お金も払わずお花を摘んでくるだけで船をくれるなんておかしくない?」

「私もそう思います。もしかしたらマトーヤ山に何か問題があるのかもしれません」

「分かった! 摘んでくる花の量がとんでもなく多いんだ! たとえば4トントラック1杯分とか!」

「明久よ、それは違うぞい。摘んでくるのはこの篭に1杯じゃ」

 

 そう言って秀吉が差し出す篭は、ごく普通の手提げ型の篭だった。それも童話の赤ずきんちゃんが持っているような小さなものだった。

 

「へ? それっぽっちでいいの?」

「んむ。この篭にありったけ摘んでこいとの命令じゃ」

「ん~……そうか! それじゃその花ひとつひとつが崖の真ん中にあるとかで凄く摘みづらいとか!?」

「それも違うぞい。王妃殿は山頂の一角にまとめて生えておると言っておった」

「あれ? そうなの?」

「んむ」

 

 う~ん……これ以上思いつかない。どうも何か裏があるような気がするんだけどな……。

 

「明久が疑うのも無理もあるまい。ワシらも半信半疑なのじゃからな。姫路の言うように恐らくはその山に何か問題があるのじゃろう。王家の者では対処しがたい何かがの。たとえば――」

「…………魔獣」

「んむ。もしくは道中が想像を絶するほどに険しく、登頂自体が困難であるか、じゃな」

「何にしても一筋縄じゃ行きそうにねぇな」

 

 危険を伴う花摘み……か。一体どんな危険があるって言うんだろう。

 

「ねぇ姫路さん、そのマトーヤ山っていうのはどこにあるの?」

「……」

 

 ん?

 

「姫路さん?」

「……えっ? あ、はい? なんですか明久君?」

 

 なんだろう。今、凄く辛そうな顔をしていたような気がしたけど……。

 

「姫路さん、もしかして体調でも悪いの? なんだか顔色も少し青いみたいだし……」

「えっ? そ、そんなことありませんよ? 全然平気です! まだ疲れてもいませんから!」

 

 そう言ってパッと明るい笑顔を見せる姫路さん。おかしいな。今のは僕の見間違いだったんだろうか。

 

「明久よ、マトーヤ山はこの町を出て西に30分ほど歩いたところにある山じゃ」

「あ、うん。サンキュー秀吉」

 

 徒歩で30分か。町の外ってことは魔獣に出くわす危険性があるな。そこ行きの馬車とかあるんだろうか?

 

「……瑞希?」

「……」

「……瑞希。どうしたの?」

「えっ? あっ……な、なんでもないですよ翔子ちゃん」

「……?」

 

 霧島さんも姫路さんの異変に気付いたみたいだ。どうも姫路さんの様子がおかしいな……。

 

(なぁ雄二、なんか姫路さん変じゃない?)

(安心しろ。お前以上に変な奴はこの世にはいない)

(そうじゃなくてさ! なんかさっきからボーっとしてるみたいなんだ。旅の疲れが出てるのかもしれないよ?)

(ん? そうか? 見たところ普通にしているようだが?)

(ちょっと目を離すと下を向いたりしてるんだ。たぶん皆に気を遣ってるんじゃないかな)

(そうか。なら今日は休ませた方がいいかもしれねぇな)

(うん。そうしようよ)

 

 こうして雄二と小声で話している最中も姫路さんは下を向いてぼんやりとしていた。

 

「皆、聞いてくれ。この後は王妃様の依頼を果たすためにマトーヤ山に行く。だが往復で1時間以上掛かるとなると、戻る頃には日が暮れるだろう。従って今日はこの町で宿を取ることにする」

 

 サンキュー雄二。これで姫路さんも休めるだろう。

 

「……ホテルはさっき見つけておいた」

「そうか。助かるぜ翔子。案内してくれ」

「……こっち」

 

 さすが霧島さんだ。ホテルの場所はきっちり記憶しているらしい。皆は霧島さんに続き、ぞろぞろと歩き始めている。よし、それじゃ少しでも姫路さんの負担を軽くするために……。

 

「姫路さん、荷物は僕が持つよ」

「あっ、いえ。本当に大丈夫ですから」

「いや、でも姫路さん疲れてるんじゃ――」

「いえ。本当に大丈夫ですから。お気遣いありがとうございます」

 

 姫路さんはそう言うと自分の鞄を拾い、タタッと駆けて行ってしまった。どう見ても無理をしてるようにしか見えないんだけど……。

 

「ねぇアキ、瑞希の様子、おかしいと思わない?」

 

 走り去っていく姫路さんの様子を見ていると、横から心配そうな声が聞こえてきた。

 

「美波も気付いた?」

「うん。何か悩んでいるみたいに見えるわ」

「悩んでる? 僕は疲れたんじゃないかなって思ってたんだけど……違うのかな」

「それは本人に聞いてみないと分からないわね」

「う~ん。それもそうだね……」

 

 悩みがあるのなら相談に乗ってあげたい。でもさっきみたいに「なんでもないです」って断られてしまうと、どうしようもない。かといって放っておくわけにもいかない。僕はどうしたらいいんだろう……。

 

「ふふ……」

 

 ん? どうして今の話で笑うんだろう。

 

「なんで笑うのさ。僕なんかおかしいことでも言った?」

「ううん。やっぱりアキはアキなんだなって思って」

「へ? 何それ。どういう意味さ」

「瑞希のことが心配なのよね。ありがと。心配してくれて」

「ほへ?」

 

 なぜ美波が礼を言うんだろう。なんかもうわけが分からないや……。

 

「アキ、瑞希のことはウチに任せて。悩み事があるのなら聞いてみるわ。女の子同士なら話してくれるかもしれないし」

「ホント? 助かるよ」

 

『おーい、そこのバカップル。行くぞー』

 

 ぶっ!?

 

「だ、誰がバカップルだよ! バカ雄二!」

「そうよ! 失礼じゃない!」

 

『いいから来ーい。置いていくぞー』

 

 っと、しまった! 本当に置いて行かれたら困る!

 

「急ごう美波。見失ったら迷子だ」

「えぇ」

 

 慌ててリュックを背負って走り出す僕。美波も手提げ鞄を手に駆け出した。

 

 ひとまず姫路さんのことは美波に任せよう。それで、もし手伝えることがあれば僕も手伝う。今はこれしかない。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 僕たちは霧島さんの案内でひとつのホテルに入った。値段は安め。ルームサービスなどをカットして部屋のみを借りる形だ。いつも通り2部屋を借り、片方を男子部屋。もう片方を女子の部屋とした。

 

「ねぇ坂本、マトーヤ山なんだけど、ウチが行くことにしたわ」

 

 男子部屋の部屋を開けるなり、そう言ってきたのは美波だ。

 

「お前が? 姫路じゃないのか?」

「瑞希はちょっと疲れてるみたい。だからまだ余力のあるウチが行くことにしたの」

「俺は構わんが……けどお前、マトーヤ山までの道は分かるのか?」

「場所は瑞希から聞いたわ。単純な道だから迷うことは無いと思うわ」

「だ、そうだが、どうする明久」

「なんで僕に聞くのさ。美波が行くって言ってるんだからいいんじゃない?」

「いや、お前はどうするんだって聞いてんだ」

「そりゃ僕も行くに決まってるじゃないか。美波1人で町の外になんて行かせられないよ」

「んじゃ決まりだな。島田、花摘みはお前に任せる。明久と2人で行ってこい」

「オッケー! それじゃウチ準備してくるわね」

 

 ……ハッ!

 

「や、やられた……」

 

 この国の事情は姫路さんや秀吉、それにムッツリーニの方が詳しいはず。だからマトーヤ山に行くとしても”チームひみこ”のメンバーか、全員で行くかのどちらかと思っていた。けれど今の美波の発言で、僕ら2人の仕事になってしまったのだ。

 

「では頼むぞ明久よ。ワシらはここで待っておるでな」

「お前のおかげで俺らはゆっくり休めそうだ。感謝するぜ」

「…………お土産よろしく」

「くぅぅっ……!」

 

 僕だって休みたいのに……美波も余計なこと言ってくれるよなぁ。でもどうせ美波のことだから僕が断っても強引に引っ張っていくだろうな。仕方ない。往復1時間程度の近い場所だし、サッと行って任務を果たしてくるか。

 

「ムッツリーニ、マントを貸してくれる?」

「…………なぜ俺の」

「だって秀吉のじゃ小さいし、そもそも雄二は砂塵用マントなんて持ってないし」

「…………お土産3倍だ」

「花を摘んでくるだけなんだからお土産なんてないよ!? っていうかなんで3倍なのさ!」

「…………チッ……絶対に汚すな」

 

 舌打ちされたよ。なんで僕がこんな仕打ちを受けなくちゃなんないのさ……。

 

「ハァ……それじゃちょっと行ってくるよ」

「元気が足りぬぞ明久よ。笑顔で”行ってきます”じゃ」

「あぁもう! はいはい! 行ってきます!」

「んむ。良い笑顔じゃ。では頼むぞい」

 

 なんかどっと疲れた……もういいや。さっさと行ってきて僕も休もう。

 



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第二十一話 二人だけのハイキング

―― タイムリミットまであと8日 ――



 なにやらよく分からないうちに、僕は美波と共に花摘みに行くことになってしまった。行き先はこの王都モンテマールの西にあるという”マトーヤ山”。この山の山頂に咲くという、紫色の山百合を摘んでくるのが僕たちの使命だ。

 

「ところでさ、姫路さんの様子はどうだった?」

 

 マトーヤ山は町を出て30分ほど歩いたところにあるそうだ。早速王都の西門を出てみると、それはすぐに目に飛び込んできた。見渡す限りの大平原。その先には大小合わせて4つほどの山が見える。それらの中でも一番手前の一際目立つ山。位置的にもあれがマトーヤ山で間違いないだろう。

 

 そんなわけで今、僕たちはあの山を目指し、草もまばらな大平原を歩いているところだ。

 

「そうね。アキには話しておこうかしら」

 

 マトーヤ山に向かって歩きながら僕たちは話した。僕が気にしているのは先程の姫路さんの様子だ。話し掛けてもすぐに反応せず、ぼんやりとしていたのが気がかりなのだ。

 

「やっぱり何かあるんだね? 教えてよ。できることなら力になりたいんだ」

「まったくアンタは……いいアキ。今から話すことは絶対に誰にも言っちゃダメよ? これはウチと翔子だけに話してくれたことなんだからね」

「分かった。約束するよ」

 

 美波は歩きながら話し始めた。なぜ姫路さんが急に暗い顔になってしまったのかを。

 

 それは僕たちが腕輪を探して各地へ飛んだ時のことだという。姫路さんをリーダーとする”チームひみこ”は腕輪を求め、ここ王都モンテマールで王妃様との交渉に当たった。その時に腕輪の対価として「ある場所から魔獣を排除せよ」命じられたらしい。その場所というのが、今から行くマトーヤ山の麓にある洞窟なのだそうだ。

 

 腕輪を譲り受けるためとあっては断れない。姫路さんはこれを承諾した。そしてすぐに洞窟に向かい、命じられた通り洞窟内で生息していた山羊型の魔獣2頭を討伐したそうだ。しかしその後、念のためにと洞窟の奥を確認したところ、1頭の仔山羊が震えているのを発見。姫路さんはその仔山羊を保護し、4日間を共に過ごしたという。

 

 その仔山羊の名はアイちゃん。とても元気な男の子で、腕輪の入手が果たせたのもアイちゃんのおかげだと言い、姫路さんは目を潤ませていたそうだ。

 

 しかし討伐した魔獣2頭は、恐らくは仔山羊の両親。自分は仔山羊の両親を奪ってしまった。姫路さんはそのことをずっと悩んでいて、今もその罪悪感に心を痛めているのだという。

 

「そっか。そんなことがあったのか……」

「瑞希のことだからマトーヤ山って聞いて辛くなっちゃったんでしょうね」

 

 なるほど。事情は飲み込めた。やっぱりさっき見た辛そうな顔は見間違いじゃなかったんだ。

 

「だから美波が行くって言い出したんだね」

「そうよ。そんな悲しい場所にあの子を行かせるわけにいかないでしょ?」

「そうだね」

「いいことアキ。さっきも言ったけど、このことは絶対に誰にも言っちゃダメだからね? 木下と土屋は知ってるみたいだけど、この2人にも言っちゃダメよ」

「へ? 秀吉とムッツリーニも知ってるの? そんなこと一言も言わなかったけど……」

 

 2人ともどうして黙ってたんだろう。話してくれればもっと早く姫路さんの気持ちに気付けたのに。

 

「皆に心配かけたくないってことよ。それくらい察しなさい」

「そ、そっか。そういうことか。あははは……。それにしても仔山羊を保護したなんて、姫路さんはやっぱり優しいね」

「そうね。最近強くなったと思ったけど、あの子の優しさは変わらないわね」

 

 そういう美波は凄く優しくなったと思う。以前は事ある度に僕を天敵のように責め立てたというのに、最近は僕の失敗をフォローしてくれるくらいだ。いや。僕が知らなかっただけで、これが本来の美波の姿なのかもしれないな。

 

「さ、早く行きましょ。せっかく瑞希がハリーさんから船の情報を聞き出したんだもの。今度はウチらが頑張らなくちゃ」

「ん? 姫路さんが聞き出した? 聞き出したのは美波じゃないの?」

「あっ……」

 

 しまった。という顔をして手で口を塞ぐ美波。これはひょっとして……。

 

「まさか美波、姫路さんの手柄を横取――」

「ち、違うわよ! ウチがそんな卑怯なことをすると思ってるの!?」

 

 突然怒り出す美波。今にも殴りかかってきそうな勢いだ。

 

「うわわっ! じょ、冗談! 冗談だってば!」

「まったく……アンタのは冗談に聞こえないのよ」

「はは……ご、ゴメン」

 

 うん。冗談には聞こえないだろうね。だって本気でそう思ったんだから。でもよく考えたら美波がそんなことするわけがないか。

 

「まぁいいわ。ホントのことを言うとね、船だけを借りればいいんじゃないかって言い出したのは瑞希なの。それで王妃様の船の話を聞いた後で、瑞希が3人で力を合わせた成果だって言って……あっ、でもウチだってハリーさんに一生懸命お願いしたんだからね?」

「ふ~ん……そういうことだったのか。だから美波が張り切ってるんだね」

「そうよ。翔子だって泥棒の犯人を見つけたんだから、今度はウチが頑張る番ってわけ」

「頑張るって言っても花摘みだけどね」

「いいのよ。とにかく何か皆の役に立たなくちゃ」

「そうだね。……っと、あれが入り口かな?」

 

 話ながら歩いていると、山の麓に登山道のようなものが見えてきた。周囲の平原は茶色い土が目立つサバンナのような地形。これに対してマトーヤ山には背の低い木々が生い茂り、全体が緑で覆われている。そしてその麓の一角には、ぽっかりと穴が開いたように草木の無い箇所があるのだ。

 

「見えてきたわね。それと……きっとあれが瑞希の言ってた洞窟ね」

 

 登山道のすぐ脇を指差す美波。その指差す先では、緑色の草木の中に紛れ、黒い鉄格子のようなものが見え隠れしている。そうか、あれが例の洞窟か。あの洞窟の中に魔獣がいたんだな。……それとアイちゃんって仔山羊も。

 

「気をつけて美波。魔獣が出るかもしれない」

「えぇ。分かってるわ」

 

 一旦話をやめ、周囲に気を配りながら登山道に入る僕たち。登山道は細く、2人が並んでギリギリ歩けるくらいの、”人が入れるスペースがある”といった程度のものだった。細い道の両側からは様々な植物の枝が張り出し、行く手を阻んでいる。そして足下には見たこともない植物が生い茂り、踏む度にポキペキと音を立てる。それはまるで獣道のようだった。

 

「足下に気をつけて。草がトラップみたいな感じになってるから」

 

 草の陰にちょっとした段差があることに気付いた僕は、後ろの美波に手を差し出した。

 

「うん。ありがと」

 

 その手に美波がスッと手を伸ばす。すると――

 

「うわっ!?」

「きゃっ!」

 

 突然足下がズルッと滑り、僕は危うく転びそうになってしまった。”危うく”というのは、周囲の植物がクッションとなり、支えてくれたからだ。

 

「ふぅ。危ない危ない」

「……ね、ねぇ、ちょっと……」

 

 なぜか美波の声が顎の下から聞こえる。不思議に思って見下ろすと、目の前に赤い髪と黄色いリボンがあった。理由は考えるまでもなかった。転びかけた僕は美波の手を取っていた。だから仰向けに倒れた僕は結果的に彼女を引っ張ってしまい、彼女を胸の中に抱える形になってしまったのだ。

 

「ごっ……! ごめん……だ、大丈夫?」

「う、うん……」

 

 な、何をドキドキしているんだ僕は……。美波とは付き合っていて、こうして触れ合うことなんてよくあることじゃないか。なのに……なのにこんなにもドキドキと胸が高鳴ってしまう。なぜこんなにも意識してしまうんだろう……。

 

「ちょ……頂上まであとどれくらい……なのかしら……ね」

 

 立ち上がり、マントに付いた草の葉を払いながら美波が言う。なんだかそわそわしていて落ち着かない様子だ。そういう僕も実は顔が燃えるように熱い。いや、照れている場合ではない。ちゃんと受け答えしないと。

 

「え、っと、そ、そうだね……」

 

 麓から見た時はそれほど高い山には見えなかった。そして登山口に入ってから10分――いや、20分くらい経っている。ここから見える麓までの距離からしても、恐らく5合目を過ぎた辺りだろう。

 

「たぶん半分は越えたんじゃないかな」

「意外に時間が掛かるわね」

「道がこんなだからね。進むのに時間が掛かるんだよ」

「急ぎましょ。日が暮れたら厄介よ」

「うん。分かってるさ」

 

 僕たちは再びマトーヤ山を登り始めた。道は相変わらず狭い獣道。けれど脇道などもなく一本道であるがため、迷うことはなかった。

 

 気温は高い。体感では30度を超えているように思う。こうして歩いていると、こめかみにタラリと汗が垂れてくるくらいだ。先程の顔の火照りは既に治まっている。しかし代わりに気温による体温の上昇が著しい。水筒を持ってくるべきだったかな……などと思った直後、

 

「見てアキ! 先が明るいわよ!」

 

 美波が前方を指差して声をあげた。その前方に目を向けると、道が唐突に途切れ、彼女が言うように真っ白な光が溢れていた。

 

「ホントだ! きっと頂上だよ!」

 

 登頂開始から約40分。僕たちはようやく頂上に辿り着いたのだ。

 

 獣道が終わり、開けた広場が目の前に広がる。そこには木と呼べるようなものはほぼ無く、辺り一面、見たことのない草が生えていた。

 

 空は青く、さんさんと太陽の光が降り注ぐ。魔障壁で覆われた薄緑色の空に見慣れてしまったので、こんなにも青い空を眺めるのは久しぶりだ。

 

「綺麗……」

 

 隣で美波が目を輝かせて言う。そう、この頂上から見る景色は絶景だった。

 

 清々しいほどに青い空。遠くに見える山々。山頂の端から見下ろすと、緑や茶色に染まった広大な大地が視界を埋め尽くす。所々で豆粒のように見えるのはサバンナに住む動物たちだろうか。

 

 いや、ここはサラス王国という僕らの住む世界とは別の世界。サバンナとは呼べないか。などと考察に耽ろうとしても、やはり隣が気になってしまう。

 

 風に(なび)く赤いポニーテールとベージュのマント。太陽の光を受け、キラキラと汗の輝く横顔。

 

 僕にとってはこの風景より、彼女の笑顔の方が遙かに綺麗に映っていた。

 

「さ、早く山百合を集めちゃいましょ」

「……」

「? アキ?」

「へっ?」

 

 し、しまった。思わず見とれてしまった……。

 

「あっ……とっ! そっ……そうだね! えっと……えーと……」

 

 探すのは山百合。この山頂の一角で紫色の花を咲かせているはず。山頂の広場をぐるりと見渡すと、それはすぐに見つかった。

 

 緑一色に染まるの山頂の脇に一際目立つ濃い紫色。登ってくる途中にはなかった色だ。間違いない。あれが王妃様が欲している山百合だ。

 

「あれみたいだね」

 

 僕は早速花の元へと行き、一輪を摘み取ってみた。

 

 香りはほとんどない。先端が破裂したラッパのような形をしたその花は、とても鮮やかな紫色をしていた。この色は見たことがある。子供の頃、夏休みに育てたアサガオ。その紫色に良くいている。

 

「どのくらい摘んでいけばいいのかしら」

「これに1杯って言うんだから……溢れない程度にって感じかな」

「溢れない程度ね。それじゃ――」

 

 プツリ、プチリと音を立てて花を摘み取っていく美波。僕も同じように手を伸ばし、山百合を摘んでは篭に入れていく。そうして15、6本を摘み取ると、篭は紫色で一杯になった。

 

「こんなもんかしら」

「うん。これだけあれば十分じゃないかな」

 

 これで約束の物は手に入った。あとは下山して王妃様に届けるだけだ。しかし拍子抜けするほど簡単な仕事だったな。こんなので本当に船が貰えるんだろうか。

 

「よし。それじゃ戻ろうか」

 

 立ち上がり、元来た道を引き返そうとする僕。すると美波が僕の袖を引っ張って言った。

 

「ちょっと待ってアキ」

「ん? 何?」

「景色も良いし、少しここで休んでいかない?」

「ここで? 別にいいけど……」

 

 さすがに美波も少し疲れたのかな。だとしたら無理をさせちゃいけないな。

 

「それじゃそこで少し休んでいこうか」

「うんっ」

 

 紫色の花園のすぐ横には、座るのに丁度良いくらいの岩が転がっている。あれをベンチ代わりにして休憩しよう。

 

「ふぅ……」

 

 早速岩に腰掛ける僕。すると美波はすぐ横に、僕に寄り添うように腰掛けた。ひんやりと冷たい岩が心地よい。

 

「静かな山ね。ウチら以外誰もいないみたい」

「そりゃ王妃様が船と交換条件で行ってこいって言うくらいなんだから誰もいないんじゃない? ここには魔障壁もないみたいだし」

「そうね、ウチらも召喚獣の力が無かったらこんなことできないものね」

「でも王妃様はなんでこんな物と船を交換してくれる気になったんだろうね。魔獣が出て危険な所かと思ったら一匹も見かけないし……」

「ウチもそれは考えてたんだけど……さっぱり分からないわね」

「だよねぇ」

「でもいいじゃない。この花を持っていけば船をくれるって言うんだから」

「まぁね」

「それにしてもこの世界が召喚獣の世界だなんて、未だに信じられないわ」

「僕だって同じさ。それより気になるのは出席日数だよ。ここに飛ばされてからもう1ヶ月になるんだから」

「まずいわね……学園長先生、何か手を打ってくれるのかしら」

「どうだろう。今まで僕らをモルモット扱いしてきたからね。もしかしたら3年に進級しない方が都合が良いって考えてるかもしれないよ?」

「留年ってこと? そんなのダメよ!」

「ダメって僕に言われても……」

「いいアキ、なんとしても進級するわよ。留年なんて人生の恥だわ」

「もちろんさ」

 

 そんな会話をしながら僕たちは山頂で休憩を続けた。

 

 サラス王国の気温は高く、こうしてじっとしていても汗が滲んでしまう。けれどこの山頂は瑞々しい空気で溢れていて、その暑さをあまり感じさせない。周囲の植物が気温を下げてくれているのかもしれない。

 

 眺めは良いし、涼しくて風も気持ち良い。ちょっとしたハイキング気分だった。この快適な空間での会話は楽しく、心躍る。何より、こうして彼女の笑顔を見ていることが僕にとって至福の時であった。

 



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第二十二話 アクシデント

 ―― その頃、ホテルに残った雄二は ――

 

 明久と島田が出掛けた後、俺は姫路の様子について秀吉に意見を求めた。すると秀吉は「敢えて報告しなかったのじゃが」と前置き、ある出来事について語り出した。それは魔獣となった2頭の山羊を倒し、仔山羊を保護したというものであった。王妃の指令による魔獣討伐の件は以前聞いている。だが仔山羊の保護については初耳だ。

 

「なるほどな。そんなことがあったのか」

「んむ。このところ落ち着いておったようじゃが、思い出してしもうたのじゃろうな」

 

 魔獣とは動物の死骸から作られたもの。これは魔人ネロスが言っていたものだ。秀吉の言う”洞窟内に巣くっていた魔獣”も山羊の死骸から作られたものであるに違いない。姫路はその仔山羊の両親を救えなかったことを罪に思っているのだろう。だがそれは……。

 

「む? 雄二よ、どこへ行くのじゃ?」

「ちょっと女子部屋にな」

「待つのじゃ! あやつはお主と違って繊細じゃ! 余計なことを言うでないぞ!?」

「当たり前だ。俺は明久とは違う」

 

 余計なことなど言うつもりはない。あいつが立ち直るには、黙って見守るのが一番無難だろう。だが言うべきことは言ってやるべきだ。それが姫路のためにもなる。俺はそう確信している。

 

「俺だ。坂本だ。少し話があるんだが、いいか?」

 

 女子部屋の扉をノックし、俺は声をかける。するとすぐに扉が開き、翔子が顔を出した。

 

「……プロポーズしに来た?」

「違う。姫路に話しがっ!?」

 

 話し終える前に俺の”こめかみ”に激痛が走った。

 

「……瑞希にプロポーズしにきたの」

「ば、バカを言え! そんなわけないだろ!? あだだだだ! ち、違う! 姫路に魔獣のことで話をしに来ただけだ!」

「……魔獣?」

「そ、そうだ! お前もネロスって野郎から聞いただろ! 魔獣が何から作られたものかを!」

 

 ここまで話すと翔子はパッと手を開き、ようやく俺を解放した。

 

「っててて……お前の早とちりは命にかかわるぜ……。話は最後まで聞――」

「……瑞希。雄二が話しがあるって」

「最後まで聞けって!!」

「……雄二、入って」

「お前なぁ……」

 

 ハァ……まぁいい。こいつの早とちりは今に始まったことじゃない。そんなことより今は姫路だ。

 

「邪魔するぜ」

 

 女子部屋に入ると、姫路はベッドに腰掛け、暗い顔をしていた。まだ気にしているようだな。やはり来て正解だった。

 

「なんでしょう……坂本君」

「秀吉から聞いた。お前、山羊の魔獣を倒したそうだな」

「っ――! は…………はい……」

 

 俺の問い掛けに対し、姫路は1度ビクンと体を震わせる。そしてゆっくりと頭を下げると、力なく返事をした。それはまるで古傷に触れられたかのような表情だった。間違いない。姫路は魔獣を倒したことを後悔している。

 

「お前は魔獣を倒したのは間違いだったのかもしれないと悩んでいる。そうだな?」

「……はい」

「そうか」

 

 俺は一度大きく息を吐き、頭の中で言葉を組み上げた。今の姫路に対してどのような言葉をかけるべきか。慎重に、慎重に言葉を選んだ。

 

「姫路。船の中で俺が話したことを覚えているか?」

「船……ですか?」

「そうだ。魔人ネロスの話だ」

「はい。覚えています」

「あの時話したよな。魔獣とは動物の死骸を用い、偽りの命を与えて人を襲わせているもの。所謂(いわゆる)ゾンビだ」

「はい……」

「しかも奴は人間さえも魔獣に改造して俺たちを襲わせた。恐らくはそいつらにも家族がいただろう。お前の出会った山羊の親子のようにな」

「……」

 

 姫路は俯いたまま返事をしない。俺は構わず話を進めた。

 

「奴は俺にこう言った。”失うものへの愛情が深いほど能力の高いゾンビができる”と。正直言ってゾッとしたよ。これほどまでに狂った思考を持つ者が存在していることにな」

「……私も……許せません……」

 

 俯いたままの姫路が小さく呟く。あいつは両膝に置いた手に拳を握り、ブルブルと震わせている。それは紛れもなく”怒り”を表したものだった。

 

「俺も同感だ。ネロスの野郎は絶対に許せねぇ。だからブチのめしてやった。だがゾンビにされた奴らはどうすればいい」

「元に……戻してあげたいです……」

「そうだな。それが一番だ。だがそいつらは既に死んでいる。死んだ者が生き返ることはない。それが世の常だ。ならばそいつらに対して俺たちは何をしてやれる?」

「……」

 

 姫路は悲しげに目を潤ませ、ぎゅっと口を噤む。あいつも分かっているのだろう。その答えを。

 

「俺たちはそいつらをすべて地に返してきた。だが俺たちは後悔なんかしちゃいねぇ。そうだな? 翔子」

 

 隣で俺たちの様子を見ていた翔子は黙って頷いた。いい返事だぜ。翔子。

 

「翔子ちゃん……」

「彼らは死してなお無理矢理起こされ、操られていた。そんなの可哀想じゃねぇか……」

 

 姫路は俯き、黙って俺の話を聞いている。表情はまだ暗く沈んだままだ。

 

「俺たちがあいつらにしてやれることはただ一つ。安らかな眠りにつかせてやることだ。違うか?」

「そうで……しょうか……」

「少なくとも俺はそう思う。だから奴に操られた者たちを地に返してやったんだ。ネロスの呪縛から解き放ったんだ。お前が倒した山羊だって同じだ。お前は山羊の命を奪ったんじゃない。彼らを呪縛から解き放ってやったんだ」

「……」

 

 姫路は再び沈黙してしまった。やはり俺の説得では心を開かないのか? こういう時は明久のように感情のままに言った方がいいんだろうか。それとも俺が選ぶ言葉を間違ったんだろうか……。

 

「……私も雄二の言うことは正しいと思う」

 

 これ以上どう言葉を掛けるべきか悩んでいると、翔子がゆっくりと歩み寄り、姫路の横に腰掛けた。そして姫路に寄り添うと、彼女の髪を撫で、優しく語りかけた。その表情はこの俺ですら見たことがないくらいに優しい笑顔だった。

 

「……瑞希はアイちゃんの両親を救ったの。きっとあの山羊さんたちは瑞希に感謝してる」

「翔子ちゃん……」

「……それにもし瑞希がアイちゃんを連れ出していなかったら魔獣と間違われて殺されていたかもしれない。瑞希は最善の選択をしたの」

「ありがとう……ございます」

「……でも命を大切に思う気持ちは大事。その気持ちだけは忘れないで」

「はいっ……」

 

 あぁ、こういう時俺はダメだな。翔子が励ましたら一発で笑顔になりやがった。そういえばサンジェスタで壁に穴を開けた時も翔子が励ましたんだったな。こんなことなら最初から翔子に任せれば良かったぜ。

 

「もう大丈夫だな。姫路」

「はい。ご迷惑をおかけしました」

「あまり心配をかけさせるなよ。バカがえらく気にしていたぞ?」

「明久君が?」

 

 ほう。姫路の中でも”バカ=明久”の式が成り立っているのか。

 

「あいつが戻ってきたらその笑顔を見せてやってくれ。じゃあ俺は戻るぜ」

「はいっ! 坂本君、ありがとうございました!」

「礼なら翔子に言え。俺はただ言いたいことを言っただけだ」

 

 こうして俺は女子部屋を後にした。やっぱ”女子を慰める”なんて柄にもねぇことするんじゃなかったぜ。けどこれで姫路も元気になって明久も安心するだろ。それに、もし今回の件で姫路が戦えなくなるとこの後の試召戦争にも影響するからな。

 

 一件落着。あとは明久が依頼の花を持ち帰るのみだ。

 

 男子部屋に戻った俺は気分良くベッドに寝転がった。この後、明久のやつが血相を変えて飛び込んでくるとは夢にも思わずに。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 ―― 一方、マトーヤ山で休憩中の明久たちは ――

 

 

「っと、そろそろ戻らないとマズいかな」

 

 僕と美波はマトーヤ山の山頂で休憩をしていた。……はずだった。

 

 ほんの10分ほどのつもりだった。しかし既に30分以上が経過してしまっている。”ちょっと休憩”と言うには長すぎる。あまり遅くなると王宮に届ける時間がなくなってしまいそうだ。

 

「なんか長話しちゃったみたいね。戻りましょ」

「そうだね」

 

 僕たちは語らいの時を終え、町に戻ることにした。集めるべき花はこうして手元の篭の中にある。忘れ物は無しだ。

 

「この風景、写真に収めておきたかったわね」

「僕もそう思ったけど、カメラなんてこの世界には無いからなぁ」

「残念ね」

「元の――」

 

 いや、やめておこう。

 

「元の……何?」

「ううん。なんでもない。さ、戻ろう。皆が待ってるだろうし」

「そうね」

 

 ”元の世界に戻ったらこんな感じの場所に行こう”なんて死亡フラグだ。今は言うべきではない。そう思った僕は言葉を飲み込んだのだ。

 

「帰り道は簡単ね」

「元来た道を戻るだけだからね」

 

 このマトーヤ山には登ってきた道の他に道は無いようだ。だから帰りもこの道を辿ればいいだけ。何も難しいことはない。

 

 そう、何一つ困難に出会っていないのだ。ここに来るまで何度も繰り返し考えていた。何か裏があるのではないかと。たとえば摘んでから枯れるまでの時間が恐ろしく短いとか。しかし篭の中の山百合は鮮やかな紫色を今も維持している。やはり分からない……。

 

 尚も考えながら僕は山道を下る。道は細く、ザワザワと風に揺れる枝葉がこすれ合う音のみが聞こえる。魔障壁に守られていない地域だが、ここまで魔獣の襲撃もない。あまりにも何も起こらない。そのため、この頃の僕はすっかり油断してしまっていた。きっとこのまま何も起こらないのだ。心のどこかでそう決めつけてしまっていたのかもしれない。

 

「見て見てアキ、あの花とっても綺麗よ」

「ん? どれどれ?」

「ほらあれ」

 

 美波の指差す先には一輪の真っ赤な花があった。特に大きいわけでもなく、特別に変わった形をしているわけでもない。どこにでもありそうな普通の花だったが、美波の関心を引いたようだ。

 

「ほんとだ。見たことの無い花だね」

「そりゃそうよ。この世界は召喚獣の世界なのよ?」

「あ。そうだった」

「そもそもアンタ花の名前なんて知らないでしょ」

「へへっ、まぁね。でもどうする? せっかくだしあれも摘んでいく?」

「ん~……そうね……摘んでしまうのはちょっとかわいそう……かな」

 

 美波はその花に向かって手を差し伸べる。だがその一輪の花を支える枝には、何か動く物が巻き付いていた。茶色く、木の枝とほぼ同じ色の長いもの。それは僕らの世界でも見たことのある生物だった。

 

「待った美波! 蛇だ!」

「えっ?」

 

 僕が叫ぶと、美波は大きな目を見開いて叫び声をあげた。

 

「きっ……! きゃあぁぁぁーーーっっ!!

 

 叫びながら長い紐状のものをぶん投げる美波。それは放物線を描きながら、脇の森の中へと消えていった。

 

「そっ……! そういうことは早く言いなさいよ!!」

「えっ? ご、ごめん」

 

 なぜ僕が怒られているんだろう。蛇がいるのは僕のせいじゃないぞ。それに早く言えって言われても気付いたのは今だし……。それにしてもずいぶんな叫び声だったな。

 

「もしかして美波って蛇が苦手だったりする?」

「ふぇっ!? な、何言ってんのよ! そ、そんなわけないでしょ! 平気よ平気! あんなのどうってことないわ!」

 

 冷や汗を垂らしながら強がってみせる美波。

 

「そう? どう見ても怖がってたような……」

「う、ウチが蛇なんかを怖がるわけないでしょ! それより行くわよ! 瑞希が待ってるんだから!」

 

 そう言って美波はズンズンと獣道を歩き出す。やっぱり嘘を言ってる気がする。まぁいいか。ここで問い詰めたところで美波が正直に言うわけがないし。

 

「待ってよ美波。慌てると危ないよ」

 

 声を掛けても彼女は立ち止まらず、どんどん先に行ってしまう。

 

「ねぇ美波、聞いてる? あんまり急ぐと危ないってば」

 

 再度声を掛けてみたが、美波はツンと拗ねたまま口を利いてくれない。そんなに怖かったのかな? まったく、強情だなぁ。

 

 この時の僕は彼女の態度をその程度にしか思っていなかった。

 

 

 無言で獣道を下る美波。

 その後をついて歩く僕。

 

 行きと違って帰りは下り坂で、足取りも軽かった。

 

 

 の、だが……。

 

 

「……」

 

 どうもおかしい。後ろからチラリチラリと見える美波の表情が、だ。

 

 汗をかいているのは暑いからだろう。呼吸が乱れているのは山道を歩いているからだろう。けれどあの表情は暑さや疲労というより、苦しさや痛さのように見える。

 

 確かに足下は木の根が張り出したりしていて、歩き辛い道ではある。でもそんなに険しい表情をしながら歩くほどでもない。歩きっぱなしで疲れたんだろうか。

 

「美波、大丈夫? 少し休もうか?」

 

 堪りかねた僕は休憩を提案してみた。

 

「へ……平気よ。急がないと……日が……暮れちゃうわ」

 

 辛そうに絞り出すような声を出す美波。どう見ても平気じゃない。それに(しき)りに左腕を擦っているようだ。よく見れば顔は青ざめ、歯を食いしばるような表情も見せている。

 

 これは…………まさか!

 

「美波、ちょっと手を見せて」

「あっ……」

 

 僕はやや強引に彼女の左手を取り、袖を捲ってみた。するとそこには信じられないものがあった。

 

 真っ赤に腫れ上がった腕。白くて綺麗だった肌は見る影も無い。彼女の左腕は腫れによって異様に太くなり、通常の1.5倍ほどに膨れ上がっていたのだ。

 

「なっ……!? なんだよこれ! どうしたんだよ!!」

 

 怒鳴りつける僕に彼女は苦しそうに答えた。

 

「っ……さ、さっきの……蛇に……か、咬まれた……みたい……」

「な、なんだって!? どうしてそんな大事なことを黙ってたんだ!!」

 

 僕は本気で怒った。これほど腫れているということは、さっきの蛇は毒蛇であった可能性が高い。そして蛇の毒は死に至る場合もある非常に危険なものと知っていたから。

 

 い、いや、今は怒っている場合ではない。とにかく処置しないと! えぇと、毒蛇に咬まれた時は……確か傷口を水で洗って口で吸い出して……。

 

「だ、だって……せっかく……アキと……ふ、2人きり……だから……」

 

 慌てふためく僕に対し、目を強く瞑りながら美波が辛そうな声を出す。デート気分だったというのか? それは嬉しいけど、こんな状態になるまで言わないなんて間違ってる!

 

「と、とにかく解毒を!」

 

 うっ……! いや、ダメだ! ここには水が無い! 下手をすれば口に含んだ毒で僕までやられてしまう! もしそうなったら美波を救うことができない!

 

「美波! 急いで山を下りよう! 医者に見てもらうんだ!」

「ハァ……ハァ……」

 

 まずい、もう返事もできないくらい悪化している! 一刻も早く医者に見せなければ!

 

「――試獣装着(サモン)!」

 

 僕は装着し、美波を背中に背負った。召喚獣の力を使えば町まで数分で到着する。とにかく急ごう!

 

「ちょっと飛ばすよ! しっかり掴まってて!」

「……」

 

 美波は返事をしない。だが返事の代わりに右腕を僕の首に回し、掴まってくれた。まだ意識はあるようだ。

 

「よし! 行くぞ!」

 

 僕は篭を口に咥え、猛烈な勢いで走り出した。

 

 岩を飛び越え、左右から張り出す枝を顔に受けても気にせず走り続けた。耳に美波の荒い吐息が当たる。それが僕の心を乱し、慌てさせ、足に力が入る。

 

 くそっ! 油断した! まさかこんなことになるなんて!

 

 僕は全力で走った。美波が蛇に咬まれたのは下山を始めてから10分ほどのこと。登る時は40分ほど掛かっているので、普通に歩けば残りは30分。この獣道を、僕は3分で駆け抜けた。

 

 そして平原に出ると、すぐさま町に向かって疾走。背中の美波を振り落とさないように神経を尖らせ、光の矢のように走った。

 

 町の中に入り、更に僕は走る。行き交う人や馬車に何度もぶつかりそうになりながら、雄二たちの待つホテルへと向かった。

 

 

 ――バンッ!!

 

 

 ホテルに到着した僕は乱暴に部屋の扉を開ける。すると雄二がニヤけ顔で話し掛けてきた。

 

「戻ったか明久。首尾はどうだ?」

 

 こんな状況にもかかわらず、雄二はのんきに尋ねる。

 

「あぁ! 取ってきたよ!!」

 

 僕は口で篭を放り出し、怒鳴り散らした。

 

「そんなことより大変だ! 美波が毒蛇にやられた! 早く医者に見せないと!」

「なんだと!? いつやられた!」

「10分くらい前!」

「治療帯は!」

「あれは外傷にしか効かないんだ! とにかく医者を探して来る! 美波を頼む!」

「分かった! ここに寝かせろ!」

 

 ぐったりとする美波を雄二に預け、僕は飛び出そうとする。

 

「…………待て明久」

 

 するとムッツリーニが僕の前に立ちはだかり、制止した。

 

「なんだよムッツリーニ! 邪魔をするのなら容赦しないぞ!」

「…………医者ならさっき見た」

「ほ、本当かムッツリーニ!? 案内してくれ!」

「…………急ぐぞ。試獣装着(サモン)

 

 ムッツリーニが黒い忍び装束姿に身を変える。

 

「…………ついて来い」

「頼む!」

 

 ダッと駆け出すムッツリーニは早かった。自分も駆け足に自信はあったが、あいつの足の速さは異常だった。見失わないように追うのが精一杯だった。けれど見失っては美波を救えない。僕は必死になってムッツリーニの後について走った。

 

「…………ここだ」

 

 ムッツリーニが立ち止まってひとつの建物を指差した。ここまで1分とかかっていない。その建物には看板が掲げてあり、赤い十字マークが描かれていた。このマークは僕らの世界と同じ。医者のマークだ!

 

「よし!」

 

 ――ドンドンドンドンガンドン!

 

 僕は乱暴に扉を叩き、大声で叫んだ。この時に何を言って医者を呼び出したのか覚えていない。もう形振(なりふ)りかまっていられなかった。とにかく誰か出てきてくれ。祈りにも似た思いをぶつけ、必死に扉を叩いた。

 

 すると程なくして扉が開き、丸い眼鏡をしたのんき顔のおじさんが顔を出した。

 

「美波が毒蛇に咬まれたんだ! すぐに来てください!」

「は? えっ? ちょっ、き、君!?」

 

 軽く事情を説明した僕は医者の腕を掴んで走り出した。もはや一刻の猶予もならない! 1秒でも早く連れていかなくては!

 

 おじさんの手を掴み、僕は夕暮れの町を疾走した。

 

 美波……今行く……! だから……!!

 



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第二十三話 大切な人のために

 ホテルに戻ると男子部屋の前で秀吉が待っていた。

 

「明久よ! こっちじゃ!」

 

 秀吉は僕の姿を見るなり女子部屋を指差す。直感的に理解した僕は医者のおじさんを背負ったまま女子部屋に駆け込んだ。そしてベッドに寝かされている美波を視認すると、医者を床に放り出す。

 

「お願いします! 美波を助けてください!」

 

 すぐさま床に伏し、僕は両手をハの字について(ひたい)を床石に擦りつけた。有無を言わさず引っ張ってきた無礼は承知している。もしかしたら誰かを診療中だったのかもしれない。だとしたらその人にも謝るし、どんな罰でも受ける。けれど彼女は――美波だけは助けて欲しい。心の底からそう願い、(ひたい)で床石を割らんばかりに土下座した。

 

「やれやれ……すいぶん乱暴な案内だ」

 

 連れてきた白衣の医者は呆れ気味にそう言うと、ベッドの方へと歩いていった。向かう先では美波が苦しそうに息を吐いている。

 

「なるほど。この子が毒蛇に咬まれたのだね?」

「はい!」

「どこを咬まれたか分かるかね?」

「左腕です!」

 

 医者の問い掛けに僕は必死で答えた。とにかく正確に伝えて、治す方法を見つけてもらわなければならない。自分の知り得ることはすべてを答えるつもりだった。

 

「ふむ……」

 

 医者は美波の袖を捲り、患部をまじまじと見つめている。丸い眼鏡に無精髭。オールバックに決めた髪型はどこか”頼りがい”のようなものを感じさせてくれる。思えば僕がこれほどまでに医者を頼りにしたのは生まれて初めてかもしれない。

 

「咬まれたのはどれくらい前かね?」

「15、6分前です!」

「なるほど……」

 

 顎に手を当て、難しい顔をする医者。どうなんだ? 治せるのか? いや! 治してもらわなくては困る!

 

「君、この子はマトーヤ山に入ったのかね?」

「は……はい!」

「やはりそうか。こいつはマトーヤ山に生息する猛毒を持った蛇の咬み跡だ」

「も、猛毒!?」

 

 頭が真っ白になってしまった。なぜこんなことになってしまったのだろう。何が悪かったのだろう。自分がもっと気をつけていれば良かったのか。王妃様の依頼など受けなければ良かったのか。美波が行くと言い出した時点で僕が止めれば良かったのか。そもそもこの世界を生み出してしまった僕がすべて悪いのか。

 

 一瞬で様々な思いが頭の中を駆け巡る。けれど、どれだけ考えても結論は僕の責任になっていた。

 

「このまま毒が全身に回ると命にかかわる。だが幸い応急処置がしてあるので今ならまだ間に合うだろう」

「ほ、本当ですか!?」

「この応急処置は誰が?」

 

 医者は周囲をぐるりと見渡して尋ねる。気付けば部屋には雄二や秀吉も集まってきていた。

 

「あの……私です」

 

 そう言って手を上げたのは姫路さんだった。

 

「そうか、君か。見事な処置だよ。よくやってくれた。後は私が受け持とう」

 

 医者のおじさんはニッと笑顔を見せる。よかった……この人ならきっと美波を助けてくれる。

 

「よ…………よろしくお願いしますっっ!!」

 

 僕は再び床石に額を擦りつけ、土下座をした。

 

「君、そんなことをしていないで使いに行ってくれ。解毒に必要な花を取ってくるんだ」

「へ? は、花?」

「そうだ。このままでは左腕が壊死(えし)してしまう。一刻も早く解毒しなければならない」

「え、えっと、エシ? エシって……なんですか?」

「体の組織が死んでしまうこと。このまま毒が進行すれば腕を切断しなければならないのだ」

「なっ……! う、腕を!?」

 

 再び強いショックを受ける僕。腕を切断だなんて……そんな……そんな……!

 

「分かりました!! 花を取ってくればいいんですね! それはどこにあるんですか!?」

 

 ガバッと起き上がり、僕は大声でわめく。すると医者のおじさんは冷静に答えた。

 

「マトーヤ山だ」

 

 なんてことだ……つい先程行ってきたばかりじゃないか。知っていれば取って来たのに!

 

「マトーヤ山ですね! わかりました! すぐに取って来ます! ――試獣装着(サモン)!!」

「あ! おい君!」

 

 召喚獣を装着した僕は医者が呼び止めているのにも気付かず、部屋を飛び出した。扉を出てホテルの外へ。そして町の西門を目指して全力で走った。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「やれやれ……嵐のような子だね」

 

 明久が出て行った後、医者のオヤジはそう言って肩を竦めた。まったくもって俺も同意見だ。だが、あいつらしいとも言える。

 

「迷惑をかけたみたいですんません。あいつ、頭に血が上るといつもああなっちまうんです」

「そうか。まぁそれはいいんだが、彼は何の花かも聞かずに飛び出して行ってしまったぞ。これはどうしたものかね」

「あ……」

 

 あンのバカ!

 

「すんません。バカがとんだヘマを……すぐに俺が追いかけます」

「君が? 彼はもの凄い勢いで出て行ったが、追いつくのかね?」

「たぶん追いつきます。俺たちにはちょっと特別な力が――いや、そんなことより先に花の特徴を教えてもらえませんか。恐らく花の名前を言われても分からないと思うので」

「特徴か。まず花の色は白。5枚の花弁(かべん)を持つ小さな花だ。こいつはマトーヤ山の山頂付近に咲いている。そいつを……そうだな。5、6本取って来てくれ。根っこごとな。他に白い花は無いからすぐ分かるだろう」

「分かりました。注意すべきことはありますか?」

「時間が経つと花弁(かべん)が落ちやすくなる。落ちても構わんので必ず回収してくれ」

「花弁……花びらですね。分かりました。では――試獣装着(サモン)!」

 

 俺は召喚獣を喚び出し装着。あの時血で真っ赤に染まった俺の特攻服だったが、この時には驚くほど真っ白に戻っていた。割られたバイザーも元通り修復されている。完全復活だ。

 

「じゃあ行ってくるぜ」

「頼んだよ。それまで私はできるだけの処置をしてみる。君と……君。手伝ってくれるかね?」

 

 医者が指名したのは翔子と姫路だった。この2人が助手だと? 大丈夫なんだろうか。

 

「は、はいっ!」

「……何をすればいいですか?」

「まずその子の上着を脱がせてくれ。シャツは残していい」

「分かりました!」

「他の者は退場願おう」

「わ、ワシらにも何か手伝わせてくれぬか!」

「…………俺も手伝う」

「では桶に湯を張ってくれ。それと蒸したタオルを数枚だ」

「了解じゃ!」

「…………タオルを調達してくる」

 

 意外に手際が良いものだ。これなら心配は無用だな。少し安心した俺はあいつらに後を任せ、走り出した。

 

 さて、あのバカに追いつかねぇとな。まったく、猪突猛進もいいところだぜ。しかしこうなると一年の春のことを思い出しちまうな。あの時もあいつは島田のために体を張って……なんだか懐かしいぜ。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 再びマトーヤ山へ入った()は無我夢中で走った。もう周りのことなどほとんど見えていない。頭の中は美波のことで一杯だった。

 

 知り合ってすぐの日本語を話せなかった美波。友達になり、一緒に遊んだ学園生活。強化合宿や海水浴、体育祭。そして美波の気持ちを知り、付き合い始めてからの日々。喧嘩をしたこともあるけど、彼女はいつも元気で明るい笑顔を見せてくれた。

 

 片腕を失えば生活は一変するだろう。きっと辛い毎日になる。ご飯を食べるのだって一苦労だ。もしそうなったとしたら僕は人生のすべてをかけて彼女をサポートする。だって責任は僕にあるのだから。

 

 ……

 

 ……

 

 ……

 

 やっぱりダメだ! 腕を切ってしまうなんて絶対に嫌だ! 美波は全身で意思を表現する女の子だ。そんな彼女の悲しむ顔なんて見たくない! なんとしても救ってみせる!! そうさ! このマトーヤ山に生えるという花を持って帰れば――――って、あ、あれ? 花?

 

「し、しまったぁぁぁあっ!!」

 

 山頂に到着した僕は大失敗をしたことに気付いた。そう、花の名前も特徴も何も聞いていないのだ。

 

「ううっ……ど、どうすれば……!」

 

 日が暮れ始めた山頂で僕は一人悩む。今から戻って花の特徴を聞いてくるか? そんなタイムロスをしていては間に合わなくなってしまうかもしれない。では手当たり次第に花を摘んで行くか? ダメだ。周りは植物が一杯で花の種類も沢山ありすぎる。全部摘んでいくのは物理的に不可能だ。く、くそっ! 僕はなんてバカなんだ!

 

『明久あぁぁーーっ!!』

 

 その時、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。この声は……。

 

「ゆ、雄二!?」

「ハァ、ハァ、ハァ……お、お前、なんてスピードだ……やっと追いついたぜ……」

 

 暴走族のような白い特攻服。頭に装着した薄水色のバイザー。それは召喚獣を装着した雄二だった。

 

「な、なんで雄二がここに!?」

「お前バカか! いや、バカだったな。いやそんなことはどうでもいい。お前どんな花かも聞かずに飛び出して行ってどうするつもりだったんだ!」

「うぐっ」

 

 そうさ、今まさにどうするか困っていたところさ。我ながらバカなことをした……ん?

 

「そんなことより雄二は何しにきたのさ」

「お前にその花の特徴を教えに来たに決まってんだろが!! この大バカ野郎!!」

「そっ……そうだったのか。ゴメン。助かった」

「ったく、慌てるにも程があるぜ」

「それより早く花の特徴を教えてよ!」

「あぁ。山頂付近に咲く小さくて白い花だ。これを6本ほど根っこごと摘んでこいとさ」

「白い花……分かった!」

 

 とはいえ、この付近に白い花なんてあっただろうか。さっき美波と一緒に来た時は紫の山百合を摘んだが、その時には見なかった気がする。

 

「えっと……白い花……白い花……」

 

 僕は目を皿のようにして辺りを探す。太陽は既に山の向こうに落ち、空は黒に染まりつつある。まずい。これ以上時間をかけると真っ暗になって探せなくなる。焦る僕は山頂のあちこちを駆け回る。しかし該当するような白い花は見当たらない。

 

「ううっ、くそっ、ど、どこだっ!」

 

 慌てるあまりに平常心を失い、イラつく僕。その時、広場の反対側で雄二が声をあげた。

 

『あったぞ! こっちだ!』

 

 雄二は山頂の広場から少し身を乗り出し、下の方を指差している。あんな所にあったのか! と急いで駆け寄って崖の下を覗き込む。すると斜面にいくつかの小さな白い花が咲いているのが見えた。

 

「サンキュー雄二!」

「あ! おい明久!?」

 

 僕は斜面を滑るように降り、白い花をむしり取った。これで……これで美波を治せる……!

 

 ――ズルッ

 

「うわっ!?」

 

 ホッとした瞬間、落下するような感覚に襲われた。エレベーターで降りるような――いや、絶叫マシンで落ちるような感覚だった。それは足下を支えていたものが急になくなったためだった。

 

 僕の全体重を支えていたのは斜面に生える草。その草の根が限界を超えてしまい、抜け落ちてしまったのだ。足場は崖とも呼べるような急斜面になっている。もしあのまま藪の中に転げ落ちていたら怪我では済まなかったかもしれない。

 

「明久ァぁ!!」

 

 足が滑った瞬間、雄二の叫び声が聞こえた気がした。それと同時に首にガクンという衝撃を受けた。

 

「う……ゆ、雄二……」

 

 見上げると、雄二が崖の上から身を乗り出していて、僕の腕をがっちりと掴んでいた。

 

「こんのバッカやろう!! なんて無茶をしやがるんだ!」

「だ、だって――」

「いいから上がってこい! その花は絶対に放すなよ!」

「あぁ!」

 

 雄二に引き上げてもらい、僕は間一髪のところで救い出された。

 

「ごめん……雄二。助かったよ」

「ったく、やってることが無茶苦茶だぞお前……」

「ご、ごめん」

 

 僕は謝りながら手の中を確認する。白い花を咲かせた小さな植物は間違いなく手の中にある。数は……6本。指示された本数だ。よし……大丈夫だ。いや、安心するのはまだ早い。これを医者に届けて解毒剤を作ってもらわないと!

 

「戻ろう雄二!」

「おう!」

 

 僕は立ち上がり、獣道に目をやる。すると――――

 

《グルルルゥ……》

 

 そこには異様にでかい灰色の犬が立ち塞がっていた。

 

「うっ……こ、こいつは……!」

 

 雄二ですら見上げるほどの大きな犬。鋭い牙を持ち、ツンと立った耳。そいつは登山道を完全に塞ぎ、僕らの行く手を阻んでいた。

 

「い、犬の……魔獣……」

 

 愕然とする僕。夜になると魔獣の活動が活発になるという話は本当だったのか……。

 

「違うぞ明久。こいつは犬じゃねぇ。狼だ!」

「お、狼……?」

 

 犬であろうが狼であろうが、行く手を阻まれたことに違いはない。あれを排除しなければ美波の元へ帰れないのだから。

 

「くっ……こ、このぉぉぉっ!!」

 

 僕は腰に差しておいた木刀を抜き、魔獣に向かって猛然とダッシュする。だがその時、学ランと武器がシュンと消えてしまった。

 

「し、しまった! 時間切れ!?」

 

 僕の服装は元の文月学園の制服に戻ってしまっている。武器も何もない。丸腰だ。こうなってしまっては戦えない。

 

 ……いや、そんなことを言っている場合じゃない。なんとしてもここを突破し、美波の所に戻らなくては!

 

「く……ど……どけぇぇーーッ!!」

 

 脇に落ちていた太めの枝を手に取り、僕は再び魔獣に向かって行った。この様子を狼の魔獣は微動だにせず見下ろしている。僕のような弱小の人間など恐るるに足らず。ということなのだろう。

 

「うあぁぁーーッ!!」

 

 僕は枝を片手に魔獣に向かっていく。確かに召喚獣の力は消えてしまった。けどそんなことはどうでもいい! なんとしてでもここは通させてもらう!

 

《ガァァァーーッッ!!》

 

 あと2、3歩で奴に攻撃が届く。と思った瞬間、狼の魔獣は前足をガッと広げ、雄叫びをあげて戦闘体勢を取った。奴の雄叫びは空気をビリビリと振動させ、僕の全身を襲う。そのあまりの迫力に僕は思わず足を止めてしまった。そしてその直後、魔獣は巨大な口を開けながら僕に向かって真っ直ぐに突進してきた。

 

 ……怖かった。

 

 今までも魔獣とは何度も戦ってきた。けれど今の僕はただの高校生。力が強いわけでもなく、頭も悪い、ただの高校生なのだ。そんな僕がこの巨大な魔獣に敵うはずがないのだ。

 

「う、うわぁぁあーーっ!?」

 

 食われる……! そう思った瞬間、

 

 ――ゴキャッ

 

 骨が砕けるような音が聞こえた。

 

「バッカ野郎ォ!! いい加減にしやがれ! てめぇ死ぬ気か!」

 

 ネクタイを勢いよく掴まれ、僕の身体は宙に浮いた。

 

「そんな無茶をしてお前が先にくたばっちまったら島田はどうなる! 俺はあいつに何て説明すりゃいいんだ!」

「ぐ……そ、それは……」

「いいか! これ以上命を捨てるような無茶をしてみろ! 俺はお前をぶっとばしてでも止めてやる! 全力でな! いいな! 分かったか!!」

 

 雄二が怒っている。ぐいぐいとバイザーを押しつけられ、鼻が痛い。気付けば視界に魔獣の姿が無かった。雄二がこうして僕の胸ぐらを掴んでいるということは、もうここにはいないのかもしれない。たぶんさっきの音は雄二が魔獣を殴った音だ。きっと今ので退散したのだろう。

 

「……ご、ごめん……。分かった……」

「ったくよ。これ以上世話焼かせんじゃねぇよ」

 

 掴んでいたネクタイを放し、雄二が呟く。さすがに少し反省した。確かにあのまま魔獣に立ち向かっていたら僕は食われていただろう。

 

 俯いて僕は自らの行動を反省する。落とした視線の先にはキラキラと赤い輝く石が転がっている。魔石だ。魔獣は退散したのではなく、雄二によって倒されたようだ。

 

(……けどお前のそういう所、嫌いじゃないぜ……)

 

 更に小さな声で雄二が何か言ったような気がする。しかしその声は僕の耳には届いていなかった。

 

「雄二。反省はするけど今は急ぎたい。僕を連れて行ってくれないか」

 

 僕の召喚獣のエネルギーは尽きてしまった。しばらくは装着できない。既に辺りは闇に覆われつつある。試獣装着せずに歩いていたら、また魔獣に襲われる可能性だってある。

 

「しゃーねぇな。1つ――じゃねぇ。これで貸し3つだ」

「いつかまとめて返すよ。体でね」

「んなっ!? おっ……お前、そりゃ工藤の真似か!?」

「へ?」

 

 工藤さんの真似って……あ!

 

「ち、違うよ! 働いて返すって意味だよ!?」

「なんだそうか。脅かすな……」

「ご、ごめん……って、そうじゃなくてさ! 頼む雄二! 召喚獣の力で僕を引っ張っていってくれ!」

「おう! 間違っても花を落とすなよ!」

「当たり前さ!」

 

 

 

      ☆

 

 

 

「もう大丈夫だ」

 

 女子部屋の扉を開け、中から出てきた医者がそう言った。

 

「じゃ、じゃあ……腕は……切らなくても……?」

 

 恐る恐る僕は尋ねる。すると丸い眼鏡のおじさんはニコッと微笑んで答えた。

 

「大丈夫。傷も残らず元通りになる」

 

 その言葉を聞いて僕はようやく落ち着いた気がした。もう慌てなくていい。もう気を張る必要も無いんだ。

 

「入っていいぞ。ただし眠っているから起こさないようにな」

 

 医者のおじさんは道をあけ、僕を部屋の中に導いてくれた。部屋に入ってみると、ベッドの横に並べられた椅子に姫路さんと霧島さんが座っているのが見えた。心配そうに視線を下ろす2人。ベッドには美波が赤い髪を枕に広げて眠っているのが見える。

 

(……明久君……)

 

 姫路さんは小さな声で囁き、微笑む。そして人差し指を唇にあてがうと片目を瞑ってみせた。僕は足音をたてないように静かに歩き、ベッドの横から覗き込む。

 

 薄く口を開けた美波がすぅすぅと寝息をたてている。青白かった顔色も元の血色の良い肌色に戻っている。表情からも先程のような苦痛の色が消えていた。

 

(もう心配ないそうですよ。朝にはすっかり元通りだそうです)

 

 隣で姫路さんがそう言ってくれた。その隣では霧島さんが優しい笑顔を見せている。

 

「そっか……よか……た…………」

 

 僕の記憶はここで途切れている。後で聞いて分かったのだが、僕はそのままベッドにもたれ掛かり、すぐに眠ってしまったらしい。安心したことで気が緩んだのかもしれない。

 

 次に目覚めた時は夜が明けていて、男子部屋のベッドの上であった。

 



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第二十四話 外れる思惑

―― タイムリミットまであと7日 ――



「え? ムッツリーニが?」

 

 男子部屋で目を覚ました後、僕はすっかり忘れていた王妃様からの依頼の件がどうなったのかと尋ねていた。どうやらそれは昨日のうちにムッツリーニが届けてくれたようだ。”今自分たちにできることを”という雄二の指示で届けに行ったのだそうだ。

 

「助かったよムッツリーニ。それで船は貰えたんだよね?」

 

「…………」

 

 僕が聞くとムッツリーニは黙り込み、何も答えなかった。

 

「どうして黙ってるのさ。まさかダメだったとか言わないよね?」

「…………船は貰えた」

「なんだ。貰えたのならいいじゃん。どうしてそんな顔してるのさ」

「…………予想外」

「ほぇ? 予想外? 何が?」

「いいか明久、よく聞け。依頼の品は確かに届けた。王妃も約束は守った。だが大きな問題があったんだ」

「? どういうこと?」

「王妃の船はマリナポートにあるそうだ」

「それのどこが問題なのさ」

「俺が悪かった。お前にはヒントではなくすべてを話すべきだった。お前の頭の出来を考慮しなかった俺のミスだ」

 

 ムカッ

 

「ちゃんと説明してくれれば僕だって理解できるよ! 起きたばっかりで頭が働いてないのは認めるけどさ!」

「分かった分かった。じゃあよく聞けよ。俺たちは確かに王妃より小型船を譲り受けた。王妃が言うには、”マリナポートに停めてあるから勝手に使え”ということらしい。つまり船を得るためには砂漠を渡った先の漁港、マリナポートに行かなくてはならないんだ」

 

 雄二がゆっくりとした口調で告げる。船が漁港にあるのは当然だろう。もともと海釣りをするための船なのだから。けれど雄二がこんな言い方をするということは、恐らくこの言葉のどこかに問題が潜んでいるのだろう。よし、寝起きで少し頭がぼんやりしているけど、真剣に考えてみよう。

 

 まず、僕たちはこの国の南東にあるという”扉の島”を目指している。先日リットンで聞いた話では、この島は東側の漁港町(ぎょこうまち)”マリナポート”の沖にあるようだ。だがこの国は中央を砂漠で分断されていて、東側に渡るためには砂漠を越えなければならない。

 

 ふむ。船がマリナポートにあるというのならば島に行くのに丁度良いじゃないか。どこに大きな問題があるというのだろう。まったく問題ないと思うのだけど。

 

 うーん……でもあの雄二がこんな顔をしているということは、きっとどこかに問題があるんだ。よし、もう一度よく考えてみよう。

 

 僕たちは”扉の島”に行きたい。それには中央砂漠を越えマリナポート漁港に行く必要がある。そして先日の作戦会議で最短距離を取らないとタイムリミットに間に合わないことが分かっている。

 

 マリナポートへの一番の近道は漁師ハリーさんの辿った海路――南側の海路を使うことだ。しかしハリーさんに船を出すよう頼んだところ断られてしまった。他の手段として北側の海路もあるが、日数が掛かりすぎてこれでは間に合わない。手詰まりに近い状態だったが、美波たち女子の機転で王妃様の漁船を譲り受けることになった。

 

 で。

 

 雄二が言うには、その船がマリナポートにあるという。

 

 

 ……

 

 ……

 

 ……?

 

 

 マリナポートに行くための船がマリナポートにある?

 

「ダメじゃんそれ!」

 

 本末転倒も甚だしい。一体何のために船を手に入れたのか。

 

「そういうことだ。急ぎ別の手を考えなくちゃならん」

「ううっ、そうかぁ……がっかりだなぁ……」

 

 せっかく良い手段が見つかったと思っていたのに残念極まりない。まさか肝心の船がそんなところにあるとは思いもしなかった。しかし別の手をと言われてもどうしたものか……。

 

 もともとこの大陸の東側に渡る手段は3つあった。ひとつは先程まで計画していた、南側の海岸沿いを船で進むルート。もうひとつは北側の海岸を通る連絡船を使うルート。最後は砂漠を横断するルートだ。

 

 北側のルートは日数が掛かりすぎてアウト。砂漠の横断は現状手段が無くてアウト。そして王妃様の船が使えなくなった時点で、これら3つの手段すべてが断たれてしまったことになる。だから別の手と言われても、もう手段は残されていない気がする。

 

「雄二は何かいい案ないの?」

「まぁ、ひとつ考えていることはあるんだが……」

本当(マジ)で!? さすがクラス代表だよ! で、どんな方法?」

「もともと船を俺たちだけで動かすってのはかなり危険な賭けだったんだ。海ってのは船の操縦方法が分かればいいってわけじゃないからな」

「と、いうと?」

「姫路が言っていただろ。南の海路は海流が荒れていて定期船が出ていない、とな」

「うん。そうだね」

「そんな荒れた海域を素人の俺たちだけで乗り切れると思うか?」

「うーん……。まぁ……難しいかもしれないね」

「海ってのは天候によっては大荒れすることもあるんだ。たとえ召喚獣の力を借りたとしても俺たちでは波の力には到底及ばないだろう」

 

 ん? 雄二のやつ、やけに否定的だな。

 

「ちょっと待ってよ雄二。それじゃそもそも船を手に入れたとしても無理だったってこと?」

「無理とは言ってねぇよ。俺だって無理をしてでも行くつもりだったんだ」

「じゃあどうして今になってそんなこと言うのさ」

「お前が眠りこけてる間に考えたんだよ。王妃の船という当てが外れた今、どうすべきなのかをな」

「なるほどね。それで考えてることってのは何なのさ」

「あぁ。これも可能性の話でしかないんだが――」

 

 と雄二が何かを話し始めようとした時、

 

 

 

 ――バンッ!

 

 

 

 勢いよく部屋の扉が開いた。

 

 

「アキっ!!」

 

 そして女の子の元気な声が部屋中に響き渡った。

 

「「「きゃーーっ!!」」」

 

 思わず黄色い叫び声をあげる僕たち。

 

「瑞希から聞いたわよ! お医者さまを連れて来たり薬草を取りに行ったりしてくれたのね!!」

 

 そんな男子たちの反応などお構いなしに僕に飛びつき、まくしたてるロングヘアーの女の子。彼女は両腕を僕の首に回してぶんぶんと左右に振る。もの凄い勢いで振り回されるものだから、視界がぐるぐる回ってしまい、まるで洗濯機のドラムに放り込まれた気分だ。

 

「いや……あの、み、美波っ、ちょっ……ちょっと……落ち着いっ……てっ……!」

「隠さなくたっていいのよ! アキって前からこういうことを自分から言わないのよね!」

「いや、だ、だからちょっと待っ――」

「去年のボロボロになった教科書の代わりを探してくれた時もそうだったものね! あれを知った時もウチ嬉しくて堪らなかったんだからっ!!」

 

 彼女は状況に気付かず喋り続ける。なんとかこの暴走を止めたいが、怒濤の勢いで話してくるのでなかなか言い出すタイミングが掴めない。

 

「お、おい島田、感激するのはいいんだが……す、少しは状況を考えてくれ……」

「えっ?」

 

 雄二が話しかけたことで彼女はようやく周囲に目を向けてくれた。

 

「えっと……僕たち、着替えの真っ最中なんだけど……」

 

 部屋の中にはパンツ一丁の男子が3人。起きたばかりの僕たちはいつもの制服に着替えようとしていたのだ。着替えるためには当然寝巻を脱がなくてはならない。寝巻はワンピース型で、頭からすっぽりかぶるタイプ。それを脱ぎ、さぁワイシャツを……と思った瞬間に美波が飛び込んで来たのだ。

 

「きっ……! きゃあぁぁーーーーっ!?」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ美波。悲鳴を上げるのは本来僕らの方だと思うのだけど……。

 

「はははは早く言いなさいよねっ!! 恥ずかしいじゃないっっ!!」

 

 いや、恥ずかしいのは僕たちの方です。

 

「もうっ! アキのバカぁっ!!」

 

 美波は両手で顔を覆いながら走り去ってしまった。なぜ僕がバカと言われなくてはならないのだろう。

 

「「…………」」

 

 雄二とムッツリーニはパンツ一丁のまま、呆然と立ち尽くしている。気持ちは分かるけど、そろそろ服を着た方がいいと思う。

 

「今、島田が真っ赤な顔をして走って行きおったが……一体何の騒ぎじゃ?」

 

 そこへ別の部屋で着替えをしていた秀吉が戻って来た。なんというか、説明しづらい状況だ。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 着替えた僕らはひとまず宿の食堂で軽い朝食を取り、部屋に戻った。船の調達が失敗に終わったので、また作戦会議だ。

 

「いいか皆。学園長が言っていたタイムリミットまであと7日だ。もう1日だって無駄にはできない。だから確実な方法を探るぞ」

 

 男子部屋に集まった僕らは全員で頷く。

 

「でも雄二、確実な方法って他に何があるのさ」

 

 こう尋ねた僕は雄二の答えに期待していた。先程着替えの最中に雄二が言いかけたこと。それがきっとあいつの言う”確実な方法”なのだろう。この後、あの話の続きをするつもりなのだ、と。

 

 ただ、気になるのは先程言いかけた時、あまり自信が無さそうだったことだ。つまり何か問題があるのだろう。でもそれなら皆で知恵を出し合って解決すればいい。

 

「俺に案が2つある。だがどちらも今の時点ではまだ確実とは言えない。調査が必要だ」

「2つ? さっき言いかけたやつじゃないの?」

「さっきお前に言いかけたのはそのうちの1つだ。案はもう1つある」

 

 この状況で案が2つもでてくるとは……さすが雄二だ。これは期待できそうだぞ。

 

「まず島田ら女子が発案した南の海路だが、これについては断念する」

「そうね……もう船を調達している時間も無いものね」

「船の件もそうだが、漁師でさえ嫌がる海域に俺たち素人が踏み入るのは危険だ。昨日の毒蛇のこともある。不用意に危険に近付くべきではないだろう」

 

 雄二がそう言うと、美波は肩を落としてシュンとしてしまった。自分の責任だと思っているのだろう。

 

(……美波。気にすることないよ。あれは事故なんだから……)

 

 小声でそう言ってあげると彼女は申し訳なさそうに笑顔を作った。その作り笑顔は僕にとっては辛い。美波には心の底から笑ってほしいんだ。

 

「そこでだ、やはり安全な陸路を使うべきと俺は思う」

「つまり砂漠を横断するということじゃな?」

「そうだ」

「じゃが先日も言ったとおり砂上船は運航停止しておるぞ?」

「もちろん知っている。それをなんとかするんだ」

「なんとかと言うてものう……」

「姫路、砂上船技師の名はなんといったか覚えているか?」

「はい。マッコイさんです」

「そのマッコイという人を説得できないか? やはりこの方法が一番確実だと思うんだが」

「どうでしょうか……あの王妃様の逆鱗に触れてしまったので難しいと思いますけど……」

「その人に直接頼んだことは無いんだろ?」

「はい。前回お会いした時はもう時間がなかったのでお聞きしていません」

「そうか。ならやってみる価値はありそうだな」

 

 ん? おかしいな。確実な方法を探すんじゃなかったのか?

 

「雄二、それだと確実とは言えないんじゃないの? 頼んでもダメって可能性もあるんだろ?」

「もちろんだ。だからもう1つの手を考えている」

「あ、なるほど」

「もう1つの手は北の海路を短縮する方法だ」

「へ? そんなことできるの?」

「分からん。だから手段が無いか調べるんだ。だがこちらは可能性としては低いと思う。移動距離が長い分、リスクも高いからな」

「まぁ……そうだね」

 

 う~ん……現時点ではどちらも確実とは言えないわけか。不安だなぁ……。

 

「俺が考えたのは以上の2案だ。他に案がある者は提案してほしい」

 

 雄二が皆の顔を見渡す。しかし口を開く者は誰一人としていない。つまり皆他に案は無いということなのだろう。

 

「あの、坂本君。いいですか?」

 

 と思っていたら姫路さんが手を上げた。

 

「なんだ姫路」

「南側の海路を使うのはもうダメですか?」

「駄目ではないが極力避けたい。先程も言った通り安全確実な方法を取りたいんだ」

「分かりました。私には他に案はありません」

「他の者も…………無いようだな。ではこの2案を進めるぞ」

 

 この後、僕たちは再びチーム分けをすることになった。

 

 1つは砂上船の再稼働を説得をするためにマッコイ氏のいるカノーラの町へ。もう1つはなんとかして北の海路の所要日数を減らす手段を探すこと。

 

 マッコイ氏の説得には美波が手を上げた。彼女は「昨日迷惑をかけた分、役に立ちたい」と願い出る。これに反対する者はいなかった。この参加メンバーには当然のように僕も選ばれ、”面識がある”という理由で秀吉も同行することとなった。

 

 次に北の海路に関する調査だが、これは残る4人で手分けして調査することとなった。可能ならばグエンターナまで行って詳しい情報を得る。それが無理ならばこの王都モンテマールで王宮や行商などに聞いて調査するということになった。

 

 こうして僕たちの方針は決まった。カノーラへは片道4時間かかる。時間は無駄に出来ない。そんなわけで僕たちはすぐに出発することにした。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「明久君、美波ちゃん、気をつけてくださいね。木下君も」

「ありがと瑞希。行ってくるわね」

「明久、くれぐれも無茶をするなよ。秀吉、こいつがバカをやりそうになったら止めろよ」

「ワシは制止役なのか……」

「大丈夫だよ。もう無茶はしないよ」

 

 カノーラ行きの馬車乗り場にて、僕たちは残る4人に見送られている。もうすぐ馬車の出発時刻だ。

 

「美波ちゃん、お願いしますね。たぶん可能性が高いのはそちらですから」

「任せて。絶対に交渉を成功させてみせるわ」

 

 交渉か……どうなんだろう。大人の事情で停止されているわけだし、僕らの願いなんて聞いてもらえるんだろうか。

 

「2人とも馬車に乗るのじゃ。時間のようじゃぞ」

「あ、うん」

 

 そんな不安を抱えつつ、僕たちはモンテマールの町を発った。

 



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第二十五話 造船技師マッコイ

 マッコイというお爺さんが住んでいるのは、砂漠に一番近い町カノーラ。今にも砂漠に飲み込まれそうな位置にある町だ。秀吉はその町に行くのは3度目だという。1度目はレスターという機織り職人の元へ。2度目はマッコイさんに砂漠での事故のことを聞くために行ったそうだ。

 

 ここで僕はようやくレスターという人について詳しく聞くことができた。頑固一徹を貫く気難しい人で、小動物が大好きなお爺さんらしい。姫路さんたちは王妃様の依頼を果たすため、そのお爺さんの元で4日間を過ごしたという。そしてその依頼を果たせたのものアイちゃんという仔山羊のおかげだと秀吉は語った。

 

 レスターという名前は僕も知っている。その名を聞いたのはハルニア祭でのファッションショー。あの口調のおかしな人――マクレガーさんが慕っていた人の名だ。

 

 ショーにおいて美波は綺麗な水色のドレスを。僕は純白のウェディングドレスを着せられた。僕がドレスを着たことについては記憶から抹消するとして、美波のドレス姿は本当に可愛くて綺麗だった。まさかあんな可愛いデザインのドレスを作っていたのが頑固者のお爺さんだったとは正直驚きだ。女の美人デザイナーを想像していただけに、なんだか夢を壊された気分だ。

 

「んむ? なんじゃ、島田は寝てしもうたのか」

「へ?」

 

 気付けば一緒に話を聞いていたはずの美波が隣で寝息をたてていた。彼女は僕の肩に頭を凭れかけ、気持ちよさそうに眠っている。

 

「ワシの話はつまらなかったようじゃな」

「そんなことはないと思うよ? きっと病み上がりで疲れてるのさ」

「そうじゃな。そうかもしれぬな」

「秀吉、悪いけどそっとしておいてくれる?」

「んむ。分かっておる」

 

 でもよかった……。

 

 あの真っ赤に腫れ上がった腕を見た時は本当に恐ろしかった。医者に腕を切らなければならないと言われた時は胸が張り裂けそうだった。けれど今はこうしていつも通りの姿を見せてくれている。毒に犯された左腕もすっかり元通りだ。

 

 ……そういえば初詣の帰りに言ってたっけ。

 

 

 ―――― 本物、待ってるからね ――――

 

 

 あの時、美波は左手を振ってそう言っていた。僕のプレゼントしたガラスの指輪を薬指にはめて。もし左腕を失っていたらあの望みも叶えられなかったんだ。治って本当によかった……。

 

「お主も寝て良いぞ? 昨夜は走り回って疲れたであろう?」

「あ、あはは……まぁね」

 

 秀吉の言うように、この時の僕は既に頭がほわわんとなっていた。体力が完全に戻っていないのだろう。やはり昨日は無茶をしすぎたようだ。

 

「それじゃひと眠りさせてもらおうかな」

「んむ。カノーラに着いたらワシが起こしてやろう」

「うん。……たの……む…………よ…………」

 

 話しているうちに意識が遠くなり、まぶたが降りてきてしまう。美波の寝顔を見て安心したのかもしれない。僕は目を閉じ、そのまま深い眠りに落ちていった。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「2人とも起きるのじゃ。カノーラに着いたぞい」

「うぅ~ん……うるさいよ秀吉ぃ……」

「ん~……あと5分~……」

「ほれ、2人とも寝ぼけておらんで起きるのじゃ。馬車を降りるぞい」

 

 秀吉に無理矢理起こされ、僕たちは馬車を降りた。結局僕はあの後ずっと寝ていたようだ。おかげでスッキリいい気分だ。

 

「ふ~ん……ここがカノーラの町かぁ」

 

 町に降りた僕は町の様子に目を配る。カノーラの雰囲気はモンテマールとさほど変わらないようだ。土色の建物。平らな屋根。2階建てが多かった他の国とは違い、背の低い建物ばかりだ。

 

 空を見上げると、日がだいぶ傾いていた。今日は少し朝寝坊をしたので、モンテマールを出るのも昼に差し掛かる頃だった。のんびりしているとあっという間に夜が訪れる。とにかくマッコイさんの所に行こう。

 

「秀吉、そのマッコイって人の家はここから近いの?」

「そうじゃな。歩いて2、30分といったところじゃ」

「そんなに遠くないわね。それじゃ日が暮れないうちに行きましょ。木下、案内お願いできる?」

「んむ。任せよ」

 

 秀吉は舗装されていない土の道を歩き出した。僕と美波もその後ろについて歩き始めた。

 

「こうして見るとモンテマールと区別つかないね」

 

 先程感じた町の雰囲気を改めて感じた僕は呟いてみた。しかし美波の感じ方は少し違うようだ。

 

「町の構造が一緒だから尚更同じに見えるのよね。でも少し違うみたいよ? ほら見て、この町って緑が無いの」

「緑?」

 

 言われてもう一度町の様子を見てみる。辺り一面、土色の建物ばかり。しかし、なんら変わらないと思っていた町並みも、よく見ると確かに植物がほとんどない。

 

「ホントだ。全然木が無いね」

「でしょ? モンテマールは町の所々に緑色があったのに、ここは茶色だらけなのよ」

「それは砂漠の影響かもしれぬのう。ほれ見てみい。あの外周壁の向こう側は砂嵐じゃ」

 

 秀吉はそう言って左の空を指差す。その先はどんよりと曇っていて、時折砂塵が巻くように舞っているのが見えた。

 

「凄いわね……」

「確かにあれじゃ誰も通ろうなんて思わないよね……」

「じゃがワシらは渡らねばならぬのじゃ」

「……そうだね」

「マッコイさんの所に急ぎましょ」

 

 僕たちはマッコイさんの家へと急いだ。足下は砂埃が舞うほどに乾燥した砂利混じりの道。道の両脇には茶色くて四角い建物が立ち並ぶ。道を歩く人の数は目に見える範囲で2、3人。どうやらこの辺りは民家ばかりのようだ。

 

 

 そんな砂漠の町を歩くこと約30分。

 

 

「ここじゃ」

 

 しばらくして、秀吉がひとつの建物の前で立ち止まって言った。背後には見上げるほど高い壁が聳え立つ。どうやらここは町の最外周部らしい。

 

「ここが砂上船技師の家?」

 

 僕がこういう尋ね方をしたのには理由がある。砂上”船”というからには、船であるはず。船というのはドック――つまり造船所で作られるものだ。それには非常に広大な敷地を要すると以前教科書で読んだことがある。

 

 海を渡る船ならば海上にドックがある。だから砂を渡る船ならば地上にそのドックがあるものと思っていた。しかし秀吉の案内した場所は何の変哲も無い、ただの一軒家だったのだ。

 

「んむ。間違ってなどおらぬぞ。以前一度訪れておるからな」

 

 ――コツコツコツ

 

 秀吉がノックリングで扉を叩き、呼びかける。

 

「夜分恐れ入ります。マッコイ殿、おられますか?」

 

 正直言って驚いた。いつも爺言葉の秀吉が”ですます”調の言葉遣いをするなんて、まったく予想していなかった。あまりに唐突かつ奇妙な光景を目の当たりにした僕は呆気にとられてしまった。

 

「なんじゃその顔は。ワシが何かおかしいことでも言うたか?」

 

 不服そうな顔で僕を睨む秀吉。

 

「あ……ううん! そんなことないよ!?」

 

 秀吉も普通の喋り方ができたんだね。てっきり癖で爺言葉しか喋れないのかと思ってたよ。

 

「返事が無いわね」

「むぅ……もう寝てしまったのじゃろうか」

「もしかしたら留守なんじゃないのかな」

「その可能性はあるのう」

 

 と秀吉が言った瞬間、目の前の扉がガチャリと開いた。

 

「誰じゃこんな時間に。年寄りの夜は早いんじゃぞ?」

 

 そこから出てきたのは赤いナイトキャップを被ったお爺さん。サンタクロースを思わせるようなフサフサの髭を顎にたくわえ、眠そうに目を擦っている。というか、この容姿だと本当にサンタクロースにしか見えない。

 

「寝ておったのですな。これは申し訳ない」

 

 背筋を延ばし、丁寧に頭を下げる秀吉。なるほど。お願いをするのだから丁寧に接しなければいけないというわけか。僕は秀吉の真似をして頭を下げてみた。美波も隣で同じように頭を下げているようだ。

 

「マッコイ殿、今日はお願いがあり参上(つかまつ)った。どうかワシらの話を聞いていただけぬじゃろうか」

「こんな時間に話じゃと? ……む? お前さんがたの格好、見覚えがあるのう。以前にも来たことがあるかの?」

 

 僕らは砂塵用マントを脱ぎ、3人とも制服姿になっている。きっと秀吉たちが前回来た時のことを言っているのだろう。

 

「覚えておいでか! 嬉しいぞい!」

「む……その容姿にちっとも似合わぬ言葉遣い……。覚えておるぞ。そうじゃ、確か乳のでかい嬢ちゃんや垂れ目のボウズと一緒じゃったな」

 

 うん。間違いなく姫路さんたちのことだ。

 

「そのとおりじゃ! 数分お会いしたのみじゃというのに覚えていてくださるとは、まこと感激の極みじゃ!」

 

 ……なんだろう、この違和感。飛び交う言葉だけを聞けばお爺さん同士の会話のようだが、目の前ではシーズンオフのサンタと美少女のやりとりが繰り広げられている。

 

「ホッホッホッ、なかなかめんこい奴じゃな。いいじゃろう。お主の話ならば聞いてやるわい。さぁ上がるがよい」

「ありがとうなのじゃ!」

 

 珍しく秀吉が歓喜溢れる表情を見せている。こんなにも感情豊かな秀吉を見るのも珍しい。そう思いながら、僕はその摩訶不思議なやりとりに口を挟めず、呆然と眺めることしかできなかった。

 

「明久よ、何をボサッとしておる。お主も入るのじゃ」

 

「……えっ? あ、うん」

 

 なんだか不思議な時間だったな……。

 

「行こうか」

「えぇ」

 

 僕と美波も秀吉に続き、マッコイさんの家に上がらせてもらった。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 僕たちは丸いテーブルに案内され、酒を出された。

 

「あの、すみません。僕ら酒は飲めなくて……」

「なんじゃそうなのか。つまらんのう。他には水しか無いが良いか?」

「す、すみません」

 

 というか、訪問客にいきなり酒を出すのって当たり前のことなの? 普通はお茶だと思ってたんだけど……。

 

「マッコイ殿、お気遣いめさるな。ワシらは主様にお願いがあって来たのじゃ」

 

 部屋の隅の保冷庫でゴソゴソやっているお爺さんに秀吉が声をかける。しかし振り向いたお爺さんは既に3つのコップを手にしていた。

 

「喉が乾いたであろう。これで潤すがよい。冷酒用の水じゃがな」

 

 マッコイさんはそう言って3つのコップをテーブルに置いた。氷も入っていてなんだかとても美味しそうだ。

 

「ありがとうございます。いただきます」

 

 僕は一言お礼を言い、コップに口をつけた。喉に染み入る冷たい液体。それはジュースや紅茶よりも美味しく感じられた。乾燥した町を歩いてきたから、喉がカラカラだったのだ。

 

「ホッホッ、良い飲みっぷりじゃの。これが酒ならば良かったのじゃがの」

「あ……」

 

 気付けば僕は水を一気に飲み干してしまっていた。

 

「す、すみません……」

「ホッホッホッ、なぁに謝ることはあるまい。お主が酒を飲めるようになったらぜひ付き()うてほしいものじゃ」

「はい……」

 

 僕がお酒を飲めるようになるのは3年後。でも僕はそこまでこの世界にいるわけにはいかない。なぜなら7日後には元の世界に帰るからだ。そのためにここに来ているのだから。

 

「マッコイ殿。早速で申し訳ないが、ワシらの話を聞いてもらえぬじゃろうか」

「そうじゃったな。どれ、話してみぃ」

 

 秀吉は順を追って僕たちの置かれた状況を説明してくれた。

 

 異世界人であること。元の世界に帰るために扉の島に向かおうとしていること。そのためにはこの大陸の東側に渡らなくてはならないこと。

 

 丁寧かつ、分かりやすく説明してくれた。

 

「王妃殿の許可が必要なことは承知しておる。じゃがワシらにはもう時間がないのじゃ」

「許可が必要ならウチらが王妃様にお願いしてきます! だから……お願いします!」

「僕らにできることならなんでもやります! マッコイさん、どうかお願いします!」

 

 僕らは根気よく頼み込んだ。しかしマッコイさんが首を縦に振ることはなかった。

 

「無理じゃよ。あの王妃のことじゃ。周りの者が何を言うても聞くまい。しかもお主らのような若造の言葉になど耳を貸さぬじゃろう」

 

 大きく溜め息をついて肩を落とすマッコイ爺さん。テーブルに視線を落とすその瞳には僅かに涙を浮かべているようだった。

 

「どうしてダメなんですか? 瑞希から聞きました。前は砂上船の仕事を生き甲斐にしてたって。本当はマッコイさんも砂上船に乗りたいんじゃないんですか?」

「……もちろん生き甲斐じゃった。いや、今でも生き甲斐と思うておる。じゃが……無理なものは無理なのじゃ……」

「夢を諦めちゃうんですか!? 失敗したら反省して正せばいいじゃないですか! たった一度の失敗ですべてを取り上げちゃうなんておかしいと思います!」

「ホホッ……威勢の良い嬢ちゃんじゃな」

「だって、だってそんなの酷いです……!」

 

 美波は立ち上がって拳を握り、フルフルと肩を震わせている。ぎゅっと噛み締めた唇と悲しそうな瞳は、彼女の優しさを物語っているようだった。

 

「ハァ……」

 

 マッコイさんはその様子を見ると、大きく息を吐いた。そしてゆっくりと立ち上がると、

 

「ついて来るがよい」

 

 そう言って奥の部屋へと入っていった。

 

「なんだろ?」

「行ってみれば分かるのではないかの」

「そうね。行ってみましょ」

 

 言われるがままついていく僕たち。入った部屋はベッドやタンスが置かれているだけの大きな部屋だった。どうやら寝室のようだ。こんなところに連れてきてどうするつもりだろう? 今日はもう寝ろってことなんだろうか。

 

「少し離れておれ」

 

 ベッド脇でマッコイさんは僕らにそう指示した。何をしようとしているのか、さっぱり分からない。不思議そうに部屋の中を眺める僕たち。マッコイさんはそんな僕たちを気に止める様子もなく、ベッドの脇に屈み込んだ。

 

 ――カチリ

 

 ベッドからそんな音が聞こえた気がした。その直後、

 

 ――ギ、ギギギギィィィ……

 

 (きし)む音を立てながら、なんとベッドが横に移動して行くではないか。ゆっくりと、ぎこちなくスライドしていくベッド。そしてその下からは四角い大きな穴が現れた。

 

「も、もしかしてこれって隠し部屋!? すごい! すごいよマッコイさん!!」

 

 他にもからくりがあるのかな! たとえばそこの壁がクルッと反転する”どんでん返し”になってるとか! たとえば天井がスルッと開いて縄ばしごが出てくるとか! 他には、えぇと、えぇと……!

 

 心躍った僕は思わず大はしゃぎ。こんなからくりはテレビでしか見たことがなかったから。

 

「もう、アキったら子供ね」

「だって見てよ! ベッドがズズズって動いて隠し階段だよ!? まるで忍者屋敷みたいじゃないか!」

「ホッホッホッ。そんなに喜んで貰えるとは嬉しいのう。さぁついて来るがよい」

 

 嬉しそうに口元を緩ませ、マッコイさんは地下へと入って行く。

 

「ほれ明久よ、興奮しておらんで行くぞい」

「うん!」

「まったくアンタは……」

 

 僕たち3人もベッドの下から現れた階段に入って行く。

 

「暗いから足元に気をつけるんじゃぞ」

 

 マッコイさんの言うとおり、階段は暗かった。この階段には照明がない。頼りはマッコイさんの持つ松明――魔石灯の灯りのみだ。

 

「マッコイ殿よ。この先に何があるのじゃ?」

「……」

 

 秀吉が尋ねてもマッコイさんは答えなかった。ただ黙って暗い階段をゆっくりと下っていた。僕たちは顔を見合わせ、「分からないね」という表情を見せ合う。一体この先に何があるというのだろう。

 



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第二十六話 夢の形

 階段は思っていた以上に長かった。もう何段降りたかも分からなくなってしまった。感覚的には5階分ほど降りたように思う。けれどまだ階段は続いているようだ。一体どこまで降りるんだろう。まさか地獄の底へご案内……なんてこと、ないよね?

 

「着いたぞい」

 

 と思っていたら着いたらしい。振り向いたマッコイさんの足下は直線の廊下になっていて、その先には真っ黒な鉄の扉のようなものが見える。これが地獄の扉なんだろうか。

 

 マッコイさんはその扉の前に立つと、松明を壁に掛けた。そして扉に付いている丸いハンドルをおもむろに回し始める。キュッキュッと音をたてて回っていくハンドル。それを5、6回ほど繰り返すと、どこからかカチリという音が聞こえた。

 

「さ、入るがよい」

 

 そう言うとマッコイさんは重そうに体で扉を押し開け、中へと入っていった。どうやらこの中に見せたい物があるらしい。僕たちは彼に続き、扉の中へと入ってみた。

 

「真っ暗だね」

「何も見えぬな」

 

 僕ら4人の姿以外何も見えない。背後からの松明の光で足下が照らされているくらいで、前方は真っ暗で何も見えないのだ。魔石灯の(あか)りでは弱すぎるのか。それにしても……なんだろうこの香り。木の香り? 何なんだここは?

 

 ――カチッ

 

 暗闇でスイッチを入れるような音が聞こえた。すると突然辺りがパッと明るくなった。照明のスイッチを入れたようだ。

 

「うっ……く……」

 

 真っ暗なところにいたせいで光が酷く眩しい。目を開けられずにぎゅっと強く目を瞑る僕。光に目が慣れていくのを待ち、うっすらと目を開けてみると……?

 

えぇぇぇーーーーっ!?

 

 目の前に現れた光景に思わず大声で叫んでしまった。

 

 異様に広い空間。前方の壁は遙か遠く、その距離は優に100メートルは超えている。天井は屋外かと勘違いしそうなくらいに高く、まるでドーム球場の中にいるかのようだった。

 

 そして目の前には巨大な建造物がドンと(そび)え立っている。

 

 滑らかな曲線を描いて降りてくる木製の壁。その壁は遙か向こう側まで湾曲しながらずっと伸びている。真上を見上げると、きゅっと窄んだ壁の先端に一本の棒が立てられていて、その根元では王冠をかぶった王様のような彫刻が腕組みをしていた。

 

「マッコイ殿! こ、これは砂上船ではないのか!?」

 

 隣で秀吉が目を丸くして興奮気味に言う。

 

 目の前に聳えていたのは木で作られた船体。そのボディの上には3本の柱が立てられ、帆が巻かれている。それは多数の照明に照らされ、金色に輝いているように見えた。

 

 そう、秀吉の言うように、それは船にしか見えなかったのだ。

 

「フ……どうしても諦め切れなくてな……こうして秘密裏に夢を形にしておったのじゃよ」

 

 懐かしむように目を細めて船を見つめるマッコイさん。照明に照らされたお爺さんの横顔も心なしかキラキラと輝いているように見える。

 

「これなら運送業再開できるんじゃないんですか!? どうしてやらないんですか!」

 

 興奮しながらマッコイさんに尋ねる僕。けれどお爺さんの反応は僕のテンションとは対照的にとても低かった。

 

「できるものならとっくにやっておる。それができない理由はさっき言うたじゃろ」

「で、でも……!」

「それにこいつはまだ未完成でな。致命的な問題が残っておるのじゃよ」

「へ? 問題? どう見ても完成してるようにしか見えないんだけど……」

「見た目はな。じゃがこいつには動力が無いのじゃ」

「動力?」

「そうじゃ。動力が無ければこいつはただの置物じゃよ」

 

 マッコイさんはそう言って顔を上げ、悲しげな視線を船に向ける。その表情を見ているうちに僕の高ぶっていたテンションも次第におさまっていった。

 

 そうか。たとえ船があっても……仮に動力があったとしても動かすわけにはいかないんだ。王妃様に動かすことを禁止されてしまったのだから。

 

「マッコイ殿。その動力とはどのような物なのじゃ?」

「魔石の力を利用して風を起こす6枚の羽じゃよ。こいつの製造を王妃のバァさんに禁じられてしもうてな」

「そうであったか……」

 

 風を起こす6枚の羽……つまりプロペラのようなものだろうか。砂上船は風力を推進力にしていたのか。

 

「でももったいないわね……こんなに立派な船なのに動かないなんて」

 

 美波は船体を見上げながら脇をゆっくりと歩き始めた。

 

「あ、美波」

「えっ? なに?」

「足元見て歩かないと(あぶ)な――――」

 

 ――ガシャッ

 

 遅かった。美波が転がっている道具箱に足を引っ掛け、顔面から着地してしまったのだ。これは痛そうだ……。

 

「いったたぁ……もう、何なのよ! おでこ打っちゃったじゃない!」

 

 (ひたい)をさすりながら身体を起こす美波。僕は彼女に駆け寄り、手を差し伸べた。

 

「大丈夫? 怪我は無い?」

「大丈夫じゃないわよ。いったた……ねぇアキ、ちょっと見てくれない? おでこ擦り剥いてない?」

 

 美波は僕の手を取って立ち上がる。見たところおでこから血は出ていない。傷もないようだし、大丈夫だろう。

 

「うん。大丈夫みたいだよ。ちょっと赤くなってるくらいかな」

「ホント? 良かったぁ」

「いやぁすまんすまん。動力を調達できないと分かってから気力がのうなってしもうてな。片付けるのも億劫(おっくう)で放置しておったんじゃ」

 

 後ろではマッコイさんが散らばったスパナやバールのようなものを道具箱に片付けている。僕にはその姿も寂しそうに見えた。気の毒だな……せっかく叶った夢が消えてしまったんだもんな……。

 

「うむ? ……はて。こんな物、入れておったじゃろうか?」

 

 気付くとマッコイさんがドライヤーのような物を手にして覗き込んでいた。ん? あれには見覚えがあるぞ。確かハルニアのレナード国王が作った……えぇと、名前は春風機(しゅんぷうき)だったかな。そんな名前の風を起こす機械だったはず。そうだ、思い出したぞ。あれは美波が王様から取り上げたんだ。あれからずっと鞄に入れていたんだな。きっと転んだ拍子に転がり出たんだろう。

 

「それ、覗き込むと危ないですよ」

「む? お前さんこいつを知っておるのか?」

「知っているというかなんというか……美波が持っていた物なんです」

「なんじゃ。これはお前さんがたの物じゃったか。しかし危ないとはどういうことじゃ? 火でも噴き出すのか?」

「いえ、そうじゃなくて、それは――――っ!?」

 

 突然殺気を感じ、口を止める僕。その殺気はすぐ隣から発せられていた。スカートの前をギュッと押さえながら凄い形相で僕を睨む美波。それはもうゴゴゴゴというう音が聞こえてきそうなくらいの迫力だった。

 

「えっと……す、凄い風を噴き出すんです」

 

 大丈夫だよ。もうあんな使わせ方はしないから。僕は目でそう語り、美波にアイコンタクトを送った。

 

「ほ~……こんな小さな物で風を起こせるとはのう。異世界には珍しい物があるのじゃな」

「あ、いえ。それは元の世界から持ってきたものじゃなくて、レナードさんから――」

 

 まてよ? 言葉は選ぶべきかもしれない。”取り上げた”だと僕らが王様より偉いみたいだ。でも、”貰った”というような感じでもなかった。こういう時はなんて表現すべきなんだろう? くぅっ……言葉の引き出しが少ない自分が恨めしいっ! などと悩んでいると、

 

「レナード陛下から譲り受けたんです」

 

 美波がさらりと言ってのけた。なるほど。この表現なら差し障りのない言い回しだ。少し詐称のような気もするけど。

 

「レナードじゃと? まさかレナード・エルバートンか?」

 

 そういえば王様のフルネームはそんな感じの名前だった気がする。

 

「はい、ハルニア国の王様のレナード陛下です」

「なんと! お主らあやつと知り合いじゃったのか!」

 

 僕が答えるとマッコイさんは驚きの表情を見せた。って……あやつ? レナードさんは王様なんだけど、その王様を”あやつ”呼ばわりするってどういうことなんだろう?

 

「レナード陛下はハルニア王国でとてもお世話になった方なんです。もしかしてマッコイさんも知り合いなんですか?」

「知り合いもなにも、あやつはワシが大学の講師を務めておった頃の生徒じゃ。30年ほど前の話じゃがの」

「「「え、えぇぇーーっっ!?」」」

 

 こ、これは驚いた……まさかこのお爺さんが王様の教師だったなんて……。

 

「すっ、すみません! 大変なご無礼を!」

「ウチらそんなこと全然知らなくて……! すみませんっ!」

 

 揃って頭を下げる僕と美波。その横では秀吉が不思議そうな顔をして見つめていた。

 

「なぁに、そう(かしこ)まらんでえぇ。ワシが教師をしていた時にたまたまあやつが生徒になっただけじゃ」

「いや、でも……」

「そうかそうか。これはあやつのこしらえた物じゃったか。なるほど。そう言われるとどことなくあやつめの作りそうな形をしておるわい」

 

 マッコイさんは僕らの態度を気にする様子もなく、春風機(しゅんぷうき)を眺めながら嬉しそうに目を細める。この顔、玩具を与えられた子供のようだ。いや、昔を懐かしんでいる目かな?

 

「ところでヨシイよ。これはどうやって使うのじゃ?」

「あ、そこのグリップにスイッチがありますよね。それを押し込むんです」

「グリップ? この手に持つようなところかの?」

「はい、そうです。危ないから人がいない方に向かってやってくださいね」

「ふむ……こうかの?」

 

 マッコイさんはグリップを握り、銃のように構える。そして人差し指でトリガーを一段引いた。

 

 ――キュィィィン……

 

 甲高い金属音がその機械から出始める。そこへ美波が小声で話し掛けてきた。

 

(ちょっとアキ!)

(大丈夫だよ。美波には向けさせないから)

(本当でしょうね。嘘だったら一生許さないわよ)

(だっ、大丈夫。嘘なんかつかないよ)

 

「これで(しま)いか?」

「あ、いえ。それで30秒くらいしたらもう一段トリガーを引くんです」

「ふむふむ……こうじゃな?」

 

 マッコイ爺さんは、ぐっとトリガーを強く引いた。

 

 ――ドンッ!!

 

 一瞬の出来事だった。機械から凄まじい風が吹き出し、床に散らばった工具や木の破片を一気に吹き飛ばしたのだ。飛ばされた物はまるで重力が横向きになったかのように飛んで行き、ドカカカッと壁に突き刺さる。

 

「なっ……なんじゃこれは!? 明久よ! お主なんと危険な物を持ち歩いておるのじゃ!」

「えぇっ!? ちょ、ちょっと待ってよ秀吉! 僕じゃないって! 持ってたのは美波だよ!」

「えっ? だ、だって捨てるわけにもいかないし、しまっておく場所なんかも無かったから……だから……しょ、しょーがないでしょっ!」

「人に向けんで良かったわい……マッコイ殿、大丈夫かの?」

 

 秀吉はマッコイさんに歩み寄り、手を差し伸べる。

 

「ふぇ~……お、驚いたわい……」

 

 マッコイさんは秀吉の手に掴まり起き上がる。そして機械をまじまじと見つめながら、ひとつ大きく溜め息をついた。

 

「しかしなんちゅう出力じゃ。こりゃ家ごと吹っ飛ばせるくらいの力があるのう」

 

 ん? 家ごと? ……待てよ……?

 

 今困っているのは船に動力が無いってことで、その動力というのはプロペラを回すものであって……プロペラは風を起こすためのものであって、だから……。

 

「こ、これだっ!!」

 

 閃いた僕は思わず叫んでしまった。

 

「なによアキ急に大声出しちゃって。何がこれなの?」

「だって動力が無いんだろう? だったらこれを動力にすればいいじゃん!」

「えっ? これって、この機械?」

「そう! この春風機(しゅんぷうき)!」

 

 昔は飛行機だってプロペラで飛んでいた。今もそういった機体はあるが、今の主流はジェットエンジンだ。そしてこの春風機(しゅんぷうき)はまさにジェットエンジンそのもの。ならばプロペラの代わりにこれを取り付ければ船を動かせるはず!

 

「待つのじゃ明久よ。お主大事なことを忘れておるぞ」

「大事なこと?」

「砂上船の運航は王妃殿によって禁止されておるのじゃぞ? 動力を付けたところで許可が下りねば動けまい」

「う……そ、そうか……」

 

 秀吉の言う通りだ。良い案だと思ったんだけどなぁ……。

 

「キノシタよ。それはちと違うぞい」

「む? 何が違うのじゃ?」

「確かにワシは王妃の(めい)により製造を禁止されておる。じゃが禁止されておるのは動力の製造じゃ。船そのものの製造と操舵については禁止されておらん」

「ならばこの機械を取り付けることも禁止と思うのじゃが……」

「ホッホッホッ。甘いのうキノシタ。この6枚羽の動力はワシが国に独占的な製造の許可を貰ったものじゃよ。禁止されたのはこの6枚羽の製造だけじゃ」

所謂(いわゆる)特許というやつじゃな。しかしなにやら中途半端な辞令じゃのう」

「ワシは造船技師じゃからな。造船自体を禁止してしまうと海を走る船すら作れなくなる。王妃のバァさんはワシに海の船を作らせ、しかも運転させたかったのじゃろうな」

「なるほどのう……故に特許のみ剥奪したわけじゃな」

「ま、作れと言われても海の船になどもはや微塵も興味は無かったがの。ホッホッホッ」

 

 このお爺さんも相当な頑固者のような気がする……。

 

「じゃあ羽以外の製造だったら問題ないんですよね?」

「そのとおりじゃ。ヨシイよ、お主良い物を持ってきてくれたのう」

「ちょっと待ってアキ。そんなに簡単に行かないと思うんだけど」

「ん? まだ何か問題?」

「だって船ってこれなんでしょ? これだけ大きなものをこんな小さな機械で動かせるわけないじゃない」

「そうかな?」

「よく考えてみなさいよ。この船って何トンもあるのよ? 普通に考えたら無理よ」

 

 美波の言うことも(もっと)もな気がする。むぅ……やはり僕は考えが浅はかなんだろうか。

 

「ホッホッ、嬢ちゃん心配は無用じゃよ」

「えっ? 無用、って?」

「ワシを誰と思うておる。この機械を作ったレナードの師なのじゃぞ? あやつの作った物ならば分解してみれば構造などすぐに分かるわい。構造さえ分かればあとは大型化して船に取り付けるだけじゃ」

 

 マッコイさんは両手を腰に当てながら反り返り、自信たっぷりに言う。これは頼もしい。

 

「じゃあ砂上船動かせるんだね!?」

「無論じゃ! ヨシイよ、感謝するぞい! これでワシの夢も再び動き出すわい!」

「いやぁ、不幸中の幸いってやつですよ」

「とにかく部屋に戻るぞい。諸々準備をせねばならん」

「「「はいっ!」」」

 

 よっしゃぁっ! これで問題はすべて解決だ!

 



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第二十七話 愛の形

 地下ドックを後にした僕たちは最初の部屋に戻り、再び丸いテーブルの席に案内された。

 

「ではマッコイ殿、この機械を預ければ良いのじゃな?」

「そうじゃ。調べるのには少々時間が掛かるが、明日には解析してみせるぞい」

「じゃあ、砂漠を越えることもできるのね?」

「うむ。しかも以前より高速になり、アルミッタまでの時間短縮も可能となるじゃろう」

 

「「「いやったぁぁ!!」」」

 

 僕たち3人は両手を上げて喜ぶ。よぉぉし! これで問題だった砂漠越えができるぞ! 扉の島までの船はマリナポートにあるし、砂漠さえ渡ってしまえば問題はすべてクリアだ!

 

 と思っていたら、

 

「喜ぶのはまだ早いぞい」

 

 マッコイさんは僕たちに向かってそんなことを言ってきた。

 

「えっと……まだ何か問題ありましたっけ?」

「うむ。大きな問題が残っておる」

 

 問題ってなんだろう? 禁止された動力の代わりは見つかったし、船自体もあんなに立派なものがある。運転する資格を奪われたわけではないと言うし、問題なんて残ってないと思うんだけど。

 

「美波、分かる?」

「ん~……ウチはもう問題なんて残ってないと思うけど……」

「秀吉は?」

「ワシも思い当たるものは無いのう」

 

 当然僕も問題はすべてクリアしたと思っている。大きな問題って何のことだろう?

 

「やれやれ。分かっておらんようじゃな。砂上船が完成したとして、お主らをタダで乗せてやるとでも思うたか? 当然対価は払って貰うぞい」

 

 なるほど。エンジンを作るためには材料が必要で、それを買うためにお金が要るってことか。そりゃそうだよね。善意でこれだけのものにタダで乗せてくれるはずがないか。でもいくら掛かるんだろう。

 

「分かりました。乗船料を払えってことですよね。いくら払えばいいですか?」

 

 全部で7人もいるからあまり吹っ掛けてほしくないな……。

 

「何を言っとる。金などいらんわい」

「へ? お金いらないの? でも今、対価を払えって……」

「対価が金などと誰が言うた。お主らから金を取るつもりなどないわい」

「んん? じゃあ、お金じゃなかったら何なんです?」

「うむ。それはな────」

 

 マッコイさんは真っ白な顎髭をしゃくりながら、舐め回すように僕らを見つめる。そして真顔でとんでもないことを言ってきた。

 

「ほ……」

 

「「「ほ?」」」

 

「ほっぺにチューしてほしいんじゃ」

 

「……はい?」

 

 僕の耳がおかしくなったのかな。マッコイさんの口から変な言葉が出た気がする。見れば美波や秀吉も目をぱちくりとさせて首をかしげている。どうやら理解できないのは僕がバカだからという理由ではなさそうだ。

 

「えっと……すみません。もう一回言ってもらえます?」

「だ・か・ら! ほっぺにチューしてほしいのじゃ!」

「えぇぇぇっ!?」

 

 こ、このジジイ頭がおかしいんじゃないの!? お金の代わりにチューをしろだなんて非常識もいいところだ!

 

「良いではないか明久よ。それだけで砂上船に乗せてもらえるのならば安いものじゃ」

「いいわけないよ!? どうして僕がこんな爺さんにキスしないといけないのさ!」

「はぁ? 何を言うとる。小僧のチューなんぞ死んでもいらん」

「へ? どういうこと?」

「決まっておろう。ほれ、お主じゃ」

 

 マッコイ爺さんはニヤつきながら指を差す。

 

 ――秀吉を。

 

「なっ!? ワ、ワシじゃと!?」

「いいじゃないか秀吉。それだけで砂上船に乗せてもらえるんだよ?」

 

 へへっ、さっきのお返しだ。

 

「別に構わんじゃろ? 減るものでもあるまい」

「良いわけがなかろう! ワシは男じゃ! そのような趣味は持ち合わせておらぬ!」

 

 秀吉がそう叫ぶと、マッコイ爺さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 

「「「「…………」」」」

 

 なんとも言えない、気まずい空気が僕ら4人を包む。

 

「ヨシイよ。そうなのか?」

 

 信じられないという顔をして僕に尋ねるマッコイ爺さん。そりゃ僕だって信じられないけど、少なくとも女の子じゃないみたいなんだよね。

 

(まこと)に残念ではあるのですが、秀吉は女子ではないみたいなんです」

「残念とはどういう意味じゃ! ワシは男じゃと何度も言うておろう!」

「なんじゃ女子(おなご)ではないのか……つまらんのう」

「もうこのやり取りは疲れたのじゃ……」

 

 しょうがないよ。だって秀吉が可愛いのがいけないんだから。

 

「では代わりにお主にやってもらおうかの」

「えぇっ!? やっぱり僕!?」

「……お主、今の話をまったく聞いておらんかったな? 男のチューなぞいらんと言うておろう」

「ですよねぇ」

「ほれ、そこのリボンの嬢ちゃんじゃ」

「えっ!? ウ、ウチ!?」

「そうじゃ、お主がワシのほっぺにチューしてくれたら砂上船にタダで乗せてやろう」

「で、でも、ウチは……その……」

 

 美波は困った顔で僕を見つめる。この爺さんに美波がキスをするなんて、僕だって黙って見過ごすわけにはいかない。でも要求を受け入れなければ砂上船には乗せてもらえないらしい。砂上船に乗れなければ砂漠を横断できなくなり、僕たちは元の世界に帰れなくなるのだ。

 

 雄二たちの成果に期待するという手もあるが、一旦戻って雄二に確認するほど時間に余裕はない。やはり確実なのは砂上船による砂漠横断。つまり最善の策は”この要求を受け入れる”ということになる。

 

 

 …………

 

 

 でも……。

 

 

「島田よ、今は躊躇(ためら)っておる場合では無いぞ? 覚悟を決めるのじゃ」

「そ、そんなこと言ったって……」

 

 秀吉までもが催促し、美波は困り果てた表情を見せる。こんな時は僕がフォローするべきなのだろう。けれど僕には何も言えなかった。どうするべきか僕自身、悩んでいたから。

 

「あの……ど、どうしてもウチがやらなくちゃダメですか?」

「ダメじゃ!」

「えっと、何か他の物とかじゃ……ダメですか?」

「もちろんダメじゃ!」

「たとえばおいしいお酒とか……?」

「酒は大歓迎じゃが、それとこれとは話が別じゃ!」

「乗船料払うとか……」

「金などいらんと言うたじゃろ。ワシは嬢ちゃんのチューが欲しいんじゃ!」

「どうしても?」

「どうしてもじゃ!」

 

 僕の目の前で美波とマッコイ爺さんがそんなやりとりを繰り広げる。この色ボケジジイめ。そこのスパナでぶん殴ってやろうか。

 

(明久よ、この様子ではいくら言っても引かぬぞ?)

(そんなこと僕に言われても……)

(お主が島田に言えば良いのじゃ。お主らの気持ちは分からぬでもないが背に腹は変えられまい)

(う~ん……)

 

 美波はどうなんだろう。砂上船のためとはいえ、こんなジジイにキスしてもいいんだろうか。僕だったら断りたいけど……。

 

 美波はぎゅっと握った手を胸に当て、苦しそうな表情を見せている。悩んでいるのだろう。そういう僕だって結論を出せていない。砂上船に乗せてもらえなければ、扉の島への道は時間的に非常に厳しいものになるだろう。もし間に合わなければ元の世界に戻ることもできない。僕たち7人の未来にかかわる問題なのだ。

 

「いいじゃろ? チューひとつで済むのなら安いもんじゃ」

 

 ジジイはいやらしい笑みを浮かべながら美波を見つめる。これに対して美波はぎゅっと唇を噛みしめ、俯いて苦悶の表情を見せていた。

 

 助けたい。でもどうやって助けたらいいんだろう……。

 

 僕が代わりに爺さんにキスをすると進言するか? けど男のキスなどいらないと言っていた。これでは爺さんの要求は満たせない。秀吉が女の子ではないことはバレてしまっているし、姫路さんや霧島さんに頼むわけにもいかない。そもそもここに2人はいない。一体どうすれば……!

 

「……わかりました」

 

 頭を抱えて悩んでいると、美波が呟くように言った。顔を上げ、大きな目でキッとジジイを睨みつけて。

 

「そうか! 嬉しいぞい!」

「そ、そんな! 美波はそれでいいの!?」

「だって仕方ないじゃない……こうしないと砂上船に乗せてもらえないんだから……」

「た、確かにそうかもしれないけどさ……」

「小僧。嬢ちゃんがいいと言ってるんじゃ。往生際が悪いぞい。ささ、(はよ)うチュッっとやってくれ!」

 

 ジジイはそう言って頬を突き出した。

 

「アキ……ごめんね」

 

 悲しそうな目で美波が謝り、ジジイの方へとゆっくり歩いていく。その様子を見ながら僕はまだ悩んでいた。

 

 チューとはキスのこと。接吻、口づけとも言う。主に愛情表現のひとつとして使われるものだ。外国では親しい者同士の挨拶としても使われるらしい。

 

 僕のファーストキスの相手は美波だった。あれは停学明けの登校中のこと。彼女は僕に目を瞑れと言い、皆の見ている前で唇を重ねてきた。この時の僕は美波の想いを知らなかった。だから僕が間違えて送ったメールで勘違いをしていたものだと思っていた。「僕のことを好きなのか?」との問いに美波も「そんなわけない」と否定したこともあり、結局この時は”酷い勘違い”ということで終わりにしてしまった。

 

 でもそれは違っていた。彼女はずっと僕のことを想ってくれていた。それも1年生のころからずっと。彼女の告白により僕はそれを知り、ようやく自分自身の想いにも気付くことができた。そして僕たちは互いの気持ちを打ち明け、恋人同士としての付き合いがはじまった。

 

 それからというもの、美波は度々僕にキスをしてきた。もちろんこれは彼女の愛情表現であり、挨拶の類いではない。

 

 今回マッコイ爺さんが要求してきたのは挨拶の類い。そう、挨拶としてのキスなのだ。それは分かっている。分かっているのだけど……。

 

「ささ、ここんとこに頼むぞい」

 

 美波が僕以外の人とキスをする。そう思うと胸が苦しくなってくる。とても嫌な気分だ。

 

 僕にとって美波のキスは特別だ。たとえそれが挨拶や砂上船のためだとしても…………僕にとって……美波は……。

 

 

 

 ……

 

 

 

 皆……………………ごめん!!

 

「っ――――!!」

 

 僕は弾けたように駆け出し、美波の前に立ちはだかった。そして彼女の体をぎゅっと、思いきり抱き締めた。

 

「ちょ、ちょっとアキ!? 何するのよ! 放しなさい!」

「い……イヤだっ!!」

「そんなこと言ったって他に手段が無いのよ? 元の世界に帰るためには仕方ないじゃない!」

「なら僕は元の世界になんて戻らなくていい!」

「はぁ!? それじゃ瑞希たちはどうするのよ!」

「っ……! み、皆には悪いけど……で、でも、僕は……! 僕は……! やっぱり嫌なんだ!!」

「アキ……」

 

 皆、ごめん……こんなことなら美波を連れてくるんじゃなかった……本当に……ゴメン……。

 

「なんじゃ小僧、この嬢ちゃんに惚れとるのか?」

「……」

 

 後ろからマッコイさんの声が聞こえてくる。けれど僕は答えず、必死に美波を抱き締め続けた。

 

「ホント……バカなんだから……」

 

 すると美波は僕の背中に腕を回し、抱き締め返してきた。その抱擁はとても優しく、僕の心に安心感を与えてくれた。

 

「お、お主ら……いくら想い合っているとはいえ、人前でそのようなことを……」

「ホッホッホッ。そうかそうか、お主ら両想いじゃったか。若いのう」

「み、見ているこちらが恥ずかしいのじゃ……」

 

 背中に秀吉やマッコイ爺さんの冷やかしを受けながら、僕は美波の細い身体を抱き締め続けた。皆には申し訳ないと思いつつも、僕はこの腕を放すことはできなかった。僕にとって美波は特別な存在。なにものにも代えがたい、僕の一番大切な人だから。

 

「まぁ良いじゃろ。これも何かの縁じゃ。お主ら全員乗せてやるわい」

 

 するとしばらくして、マッコイ爺さんがそんなことを言い出した。

 

「なんと! 良いのかマッコイ殿!?」

「ふぉふぉふぉ、久々に熱き愛を見せてもろうた礼じゃ。お主の仲間全員連れてくるがよい」

「まことか!? 感謝するぞい! ほれ、お主らもいつまでも抱き合っておらんで礼を言うのじゃ!」

 

 ……あ。

 

「え、えっと……その……あ、ありがとうございます!」

「す、すみません! ウチったらなんて恥ずかしいことを……」

 

 僕たちはパッと身を離し、慌てて頭を下げた。は、恥ずかしい……顔から火が噴き出しそうなくらいに恥ずかしい……。

 

「良い良い。ワシも久々に胸が熱うなったわい」

「ところでマッコイ殿。王妃殿には何も言わなくて良いのかの?」

「構わん。言ったところで王妃のバァさんに反対されるだけじゃ。ワシはワシのやりたいようにする」

「主様も度胸があるのう……」

「ホッホッホッ。こうして再び砂上船を動かせるのじゃ。誰にも邪魔はさせぬわ」

「それを聞いて安心したぞい。ではワシらはそろそろお(いとま)するとしよう。マッコイ殿、明日また来て良いかの?」

「無論じゃ。もし居なければこの鍵を使って入るが良い」

 

 そう言ってマッコイさんは鍵を渡してきた。

 

「む? 勝手に入って良いということかの?」

「そうじゃ。恐らくワシは地下ドックにおる。ここに居なければ地下に来るがよい」

「承知した。では行くとするかの。……んむ? どうしたのじゃ? お主ら」

 

 秀吉がマッコイさんと話している間も僕はずっと目を逸らしていた。すぐ隣では美波が顔を真っ赤にして前髪をいじっている。

 

 初対面の人の前で美波と抱き合ってしまったのだ。こんなに恥ずかしいことはない。たぶん美波も同じくらい恥ずかしい思いをしたのだと思う。これは僕の責任だ……。

 

「なんじゃヨシイ。まだ照れておるのか。なんならここで2人でチュッとやっても良いのじゃぞ?」

 

 ぶっ!?

 

「そっ……! そ、そそ、そんなことできるわけないじゃないですか!!」

「そ、そうよ! いくらなんでもそんな……! 恥ずかしい……こと……」

 

 も、もう嫌だ……一刻も早くこの場を去りたい。というか穴があったら入りたい。むしろ穴を掘ってでも入りたい。地中深く埋まってしまいたい。

 

「カッカッカッ! 冗談じゃよ! 冗談!」

「ほれ、お主ら帰るぞい。マッコイ殿に礼を言うのじゃ」

「……あ……ありがとうございました……」

「深く感謝します……」

 

 僕と美波は揃って頭を下げ、礼の言葉をかけた。しかし恥ずかしくて……とてもいたたまれない。

 

「うむ。また明日来るがよい。待っておるぞ」

 

 こうして僕たちはマッコイさんの家を後にした。

 

 それにしてもすっかり調子を狂わされてしまった。まさか人前でこんな恥ずかしいことをしてしまうなんて……痛恨の極みだ……。

 



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第二十八話 見えてきた未来

 マッコイ爺さんの家を出ると町には既に夜が訪れていた。人通りもほとんど無く、魔石灯の揺れる灯りが周囲の建物を橙色に染めている。もともと茶色い建物ばかりなのであまり色は変わっていないのだけど。

 

「むう。これは急がねばなるまい。今夜の宿を探すぞい」

 

 この時間ではもう馬車は出ていない。つまり雄二たちを連れてくるのは明日になるということだ。現状では秀吉の言うように、まずは今夜の寝床(ねどこ)を確保しなければならないだろう。

 

「でもこの辺にホテルは無さそうね。探すなら町の中心付近がいいんじゃないかしら」

「そうだね。中央通りならホテルの2つや3つはありそうだし」

「では行ってみるとしようかの」

 

 マッコイさんの家は町の最東端。少し南側に行けば町の中央道に出る。中央道とはこの町を横一線に横切っている大きな道だ。

 

「それにしても辺り一面橙色だらけだね」

「そうね。それと地面が土でちょっと歩きにくいわね」

 

 この町――というより、この国はどの町も道が舗装されていない。ハルニアやガルバランド王国の町では道が石畳で舗装されていた。けれどこの国の道路は土がむき出しなのだ。一応何か特殊な加工で固めてあるようなのだけど、やはり歩くと砂埃が舞い上がる。美波の言うように、やや歩きにくい道だ。

 

「あそこから中央通りのようじゃな。じゃがあまり()(ごの)みをしている時間は無さそうじゃ」

「それじゃ最初に見つけた所に泊まるってことで、どうかな」

「ウチは構わないわよ。余程変な所じゃない限りね」

「決まりじゃな」

 

 中央通りに出た僕たちは道沿いに歩きながらホテルを探した。中央道は幅10メートルほどの大きな道。道の両脇には商店と思しき家屋が建ち並んでいる。だがどの店も(あか)りが消されている。既に閉店しているようだ。

 

 思ったより遅い時間になってしまったな。まさかハルニア祭の時みたいにすべてのホテルが満員なんてこと……ないよね?

 

『おーい。見つけたぞーい』

 

 先行していた秀吉が道の向こうで手を振っている。どうやらホテルを見つけたらしい。

 

「見つけたってさ。行こう美波」

 

 秀吉の後を追い、僕は土の道を駆け出した。

 

「あっ、ちょっと待ってアキ」

「ん? 何?」

 

 立ち止まって振り向く。すると美波は真面目な顔をして聞いてきた。

 

「あのねアキ、さっきのことなんだけど……」

「さっき?」

「マッコイさんの所での話」

「う、うん……」

 

 キスをしろって言われた話かな……あれは恥ずかしいからあまり触れないでほしいんだけどな……。

 

「あんなことして、もし砂上船に乗せてくれなかったらどうするつもりだったの?」

「へ?」

 

 あ……そっちの話か。

 

「え? じゃないわよ。乗せてもらえなかったらウチら帰れないかもしれないのよ?」

「う、うーん……確かにそうなんだけど……」

 

 どうするつもりかと聞かれれば、”何も考えてなかった”が答えになる。なぜならさっきの僕は無我夢中で、後先のことなんかこれっぽっちも考えていなかったから。とにかく美波のキスを阻止したい。それだけが僕の頭を支配していたからだ。

 

「じ、実は、何も考えてなくて……」

 

 正直に答えるしかなかった。嘘を言えば美波にはすぐ見破られる。それに言い訳を考える思考力なんて僕には無かったから。

 

「ハァ……やっぱりね」

「ご、ゴメン……」

 

 今にして思えばなんと愚かなことをしたものか。今更ながら後悔の念に駆られてしまう。マッコイさんが笑って許してくれたから良かったが、もし怒って乗船を拒否されたら雄二や姫路さんたちに合わせる顔がない。元の世界に帰るのは諦めろと言っているようなものだ。

 

「やっぱりアキはアキね」

「だ、だってしょうがないじゃないか。頭がふわーってなってわけわかんなくなっちゃって……それで……その……ゴメン……」

「そうね。今回はしっかり反省してもらうわよ。危うくウチらの未来が断たれるところだったんだから」

「はい……ごめんなさい」

 

 がっくりと項垂れる僕。やはり僕は感情に任せて動いてしまう悪い癖が抜けないようだ。

 

「いいことアキ。これからはもっと考えてから行動するのよ。いいわね?」

「はい。反省します……」

 

 こんなことでは近い将来に痛い目を見ることになるだろう。本気で直す努力をしないと……。

 

「……アキ。ちょっと耳を貸しなさい」

「ほぇ? 耳?」

「いいから早く!」

「う、うん」

 

 きっと罰として思いっきり耳を(つね)るつもりなのだろう。仕方ない。罰を受けるとするか。

 

「あんまり痛くしないでよね……」

 

 僕は呟きながら耳を差し出した。すると、

 

(……ウチの唇はアキだけのものよ)

 

 美波は耳元で囁き、

 

「さぁ行きましょ! 木下に置いて行かれちゃうわよ!」

 

 そう言うとスキップするように土色の道を走り出した。

 

 

 

 ――頬に優しい湿り気を残して。

 

 

 

 

 〔 タイムリミットまであと6日 〕

 

 

 

 

「でかしたぞ明久!」

「す、凄いです明久君! 本当に砂上船を動かせるんですか!?」

 

 翌日、王都モンテマールに戻った僕たちは雄二たちに経緯のすべてを説明した。もちろん皆は大喜び。早速マッコイさんの所に行って皆で船の準備を手伝おうという話になった。

 

 そしてカノーラの町への馬車の中、僕は王都に残った雄二チームの成果を聞いた。

 

 まず、北の海路については時間短縮の術なしという結果だった。この国の北側はリアス式海岸になっていて、非常に入り組んだ暗礁海域らしい。このため、定期船は大きく沖に出て暗礁を避けているそうだ。しかも海流が激しく、小型船などを出そうものなら、あっという間に岩に叩きつけられて沈没してしまうと言われたそうだ。

 

 では雄二たちに全く成果がなかったのかというと、そうでもない。姫路さん曰く、なんと扉の島に関する情報を得たらしい。

 

 それはモンテマールを訪れていたというマリナポートの漁師から聞いたと言う。男が言うには、1ヶ月ほど前、新しい魚場を求めて沖へ繰り出した時に奇妙な島を目にしたというのだ。その島は異様と思えるほどの黒くて濃い霧に覆われていて、その霧の中で連なる灰色の山が見え隠れしていたそうだ。

 

 今までこんな所に島があるなんて聞いたことがない。興味を持った漁師は船を進めたが、霧の中に入るといつの間にか出てきてしまっていたのだという。不思議に思いながら何度か進入を試みるも、やはり出てきてしまう。まるで何者かが侵入を拒んでいるかのようだったという。気味が悪くなった漁師はそのまま帰還。そして仲間にこの話をし、翌日再びその場所へ行ってみると、なんとそこには何も無かったのだそうだ。

 

 この話は普通の人が聞けば「不思議なこともあるもんだね」で終わるだろう。しかし僕らにとってこの話は重要だ。なにしろまったく同じ話をリットン港で聞いてきたのだから。

 

 これで目撃証言が2つになった。どちらの証言もマリナポートの南海。扉の島はきっとそこにある。砂上船の問題も解決し、島の存在も確認できた。馬車の中、僕たちの士気はこれ以上にないくらいに上がっていた。

 

 ただ、気になるのは”翌日その島が消えていた”という話。もしかして移動する島なのだろうか。それとも潮の満ちかけで沈んだり浮上したりする島? 真相は分からない。けれど僕たちはそこに行くしかないのだ。

 

 雄二も”百聞は一見にしかず”と言っている。きっとこの目で見れば何かが分かるはず。これは僕たち全員の一致した意見であった。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 雄二たちを連れ、僕は再びカノーラの町へ戻ってきた。この頃には既に日が落ちかけていた。往復で8時間も掛かる上に、馬車の便が少ないので時間が掛かってしまうのだ。

 

 ――コツコツコツ

 

 早速マッコイさんの家の扉を叩く僕たち。しかし中から返事はなかった。

 

「う~ん……いないのかな」

「明久よ、こんな時のためにこれを預かっておるのじゃ」

 

 秀吉が上着のポケットから小さな金属の棒を出して言う。

 

「そういえば合い鍵を預かったんだっけ」

「んむ。では開けるぞい」

 

 秀吉が合い鍵を使って扉を開ける。すると家の中は真っ暗だった。

 

「マッコイ殿、失礼しますぞい」

 

 そう言って秀吉が中に入って行く。家の中は真っ暗闇。返事をする者もいない。やはりここにはいないようだ。

 

「おらんようじゃな」

「きっと地下ドックね。行きましょ」

 

 美波も続いて家の中へと入って行く。

 

「あ、あの……美波ちゃん? 勝手に入っちゃっていいんですか?」

「いいのよ。だって昨日来た時に入っていいって言われたんだもの」

「でもちょっと……気が引けます……」

「……瑞希。美波は嘘をつかない」

「それは分かってるんですけど……でも……」

「瑞希ったら心配性ね。大丈夫よ。もし叱られたらウチが責任を取るから安心しなさい」

「……美波もああ言ってる。行こう瑞希」

 

 霧島さんは姫路さんの背を押して家の中へと入って行く。雄二やムッツリーニもそれに続き、僕たちはぞろぞろと家の中へと入って行った。

 

 地下ドックへの行き方は覚えている。寝室のベッドの下にスイッチがあり、それを入れることでベッド下の隠し階段が現れるのだ。

 

「おおっ? なんだこりゃ!? すげぇな!」

「…………からくり屋敷」

 

 早速スイッチを入れて階段を出すと、雄二やムッツリーニが興味を示した。特にムッツリーニの鼻息が荒い。エロ以外にも興味を示すとは意外だ。

 

「マッコイさんが作ったんだってさ。地下ドックはこの先だよ」

「家の地下に秘密のドックか。面白ぇじゃねぇか」

 

 雄二とムッツリーニが面白がって地下階段に入って行く。2人の気持ちはよく分かるよ。僕も最初にこれを見た時はワクワクしたからね。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「おうキノシタ。来よったか」

 

 そして地下ドックに入ると、黄色いツナギを着たマッコイさんが出迎えてくれた。至る所に黒いシミが付き、いかにも作業着といった感じだ。この格好からするとまだ作業中なのだろうか。

 

「マッコイ殿。すまぬが勝手に上がらせていただいたぞい」

「構わん。しかし茶は出せんぞ。見ての通り作業の真っ最中じゃからな」

 

 そう言うマッコイさんの背後には巨大な船の姿があった。見た目は昨日とほとんど変わらない。マストが取り払われているくらいだ。本当に進んでいるんだろうか。

 

「マッコイさん。俺たち7人を代表して礼を言わせてください。ありがとうございます」

 

 雄二は一歩前に出るとペコリと頭を下げた。学園長に言われた通り礼儀を実践しているのだろう。それにしてもこいつ、目上の人にちゃんと挨拶ができるんだな。いつも横柄な態度を取っていたから、てっきりできないものだと思っていたよ。

 

「フン。男に感謝なんぞされても嬉しぅないわい」

「……」

 

 あ。この雄二の顔、イラッと来てるな? 頬がピクッと動くからすぐ分かる。

 

「マッコイさん、よろしくお願いしますね」

「おぉ、お前さんも来たか! このマッコイにすべて任せておくがよい! お主らに快適な旅をプレゼントしてやるぞい!」

 

 ところが姫路さんが挨拶するとこの対応である。こちらも分かりやすい性格だ。

 

(おい明久、このジジイ蹴り飛ばしていいか)

(だ、ダメだよ! そんなことしたら乗せてもらえなくなっちゃうじゃないか!)

(俺はこのジジイと仲良くできる気がしねぇんだ)

(ちょっと変わった人ではあるけど我慢してよ。今怒らせたら砂漠を越えられないんだからさ)

(チッ、わーったよ。けど口を開くと喧嘩しちまいそうだから俺は黙ってるぜ。後は任せる)

(へいへい。りょーかい)

 

「マッコイさん、動力はどんな感じですか?」

「既にほぼ完成しておる。あとは魔石タンクとの接続部分のみじゃ。なぁに、心配するでない。明日の朝には完成してみせるわい」

 

 美波の問いにマッコイさんは自身たっぷりに答える。なるほど。このお爺さん、女の子”だけ”に優しいんだな。

 

「マッコイ殿。手伝えることは無いじゃろうか。ワシらは一刻も早く東に渡りたいのじゃ」

「ならん! 何人(なんぴと)たりともワシの船には触らせん!」

「しかしワシは――」

「ワシの夢が詰まった大事な船じゃ! たとえキノシタであろうとも触らせはせぬ!」

「むぅ……」

 

 秀吉にまで怒鳴るなんて……この船にはそれほどまでに大事な船なのか。

 

「まぁ慌てるでないキノシタよ。焦ると思わぬ失敗を招くものじゃ。事は慎重に運ばねばならんぞ」

「そうじゃのう……」

「ここはワシに任せてお主らは休むがよい。先程も言うたが明日の朝には完成じゃ。楽しみにしておれ」

「分かり申した」

 

 ということは明日の朝にまた出直しかな?

 

「すまぬ皆。明日の朝また出直しじゃ」

「ウチらに手伝えることは無さそうだし、仕方ないわね」

 

 そんなわけで僕たちは町に戻りまた宿を取ることにした。来たばかりだけど出来ることが無い以上、居ても邪魔になるだけだからね。

 

 しかし明日はいよいよ砂漠越えだ。砂上船なんて初めてだ。一体どんな旅になるんだろう。なんだかワクワクしてきた。

 



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第二十九話 いざ、大海原へ!

―― タイムリミットまであと5日 ――



『『『………………』』』

 

 

 僕たちが言葉を失っているのには理由がある。

 

 今日は約束の日。砂上船に乗せてもらい、東の町アルミッタへと向かう日だ。

 

 僕たちは期待に胸を膨らませ、駆け足でマッコイさんの家に向かった。乾いた大地を蹴り、砂埃を巻き上げながら町中を疾走する僕たち。それはもう競い合うように走った。そしてトップで到着した僕が扉を叩いてみると、家の中から出てきたのは見たこともない人物だったのだ。

 

「えっと……誰??」

 

 映画などでよく見る、海賊の船長がかぶっているようなドクロが描かれた黒い三角帽子。羽織っているのはカカトまで届きそうなくらいに長い真っ黒なロングコート。足には膝丈のロングブーツを履き、そしてなぜか左目には黒い眼帯を巻いていた。

 

「マッコイじゃ!」

 

 なんだ、やっぱりマッコイさんなのか。変な格好をしてるから分からなかった。

 

「マッコイ殿。その格好は何なのじゃ?」

 

 ナイスな質問だ秀吉。たぶん僕だけじゃなくて全員が同じ疑問を持っていたと思うし。

 

「何を言うておる。ワシは船長なのだぞ? 船長と言えばこの格好に決まっておろう」

 

『『『………………』』』

 

 再び言葉を失う僕たち。なんかこのお爺さん、もの凄く偏見に満ちた思考回路を持ってるのかもしれない。

 

「ほれ、ボサっとしとらんで入るのじゃ。既に準備はできておる」

 

 そう言うとマッコイさんはくるりと身を返し、家の中へと戻っていく。

 

(ねぇちょっとアキ、あれどういうことなの? まるで海賊スタイルじゃない)

(なんかあれが船長スタイルだって思い込んでるみたいだね。凄く勘違いしてると思うけど……)

(あんな調子で大丈夫なのかしら)

(う~ん……どうなんだろう。でもマッコイさん以外に頼る人もいないし、信じるしかないんじゃないかな)

(それもそうね)

 

「明久、島田。さっさと来い」

「うん。今行くよ」

 

 僕たちは家に上がらせてもらい、昨日のように地下ドックへと向かった。暗くて狭い階段を慎重に下る僕たち。階段の幅は狭くて1人が通るのがやっとだ。しかも天井が低く、雄二だと頭を擦りそうなくらいだ。そんな細い道をしばらく下ると重そうな金属の扉が見えてくる。これが地下ドックへの入り口だ。

 

「さぁ見るが良い! これがワシの砂上船、”キングアルカディス号”じゃ!」

 

 マッコイさんは扉をゆっくりと開けていく。暗かった階段にパァッと光が溢れる。あまりの眩しさに目を開けていられないくらいだ。

 

「こ、こいつぁ凄ぇぜ……」

 

 すぐ隣で雄二の声が聞こえる。雄二が驚くほど凄い物なのか? 僕は思い切って目を開けてみた。

 

 目の前にドンと聳える巨大な船体。奥行きは20メートルほどあるだろうか。木で作られた船体の上部には1本の(マスト)が突き立てられている。見た目は前回来た時とあまり……というか、ほとんど変わらないようだ。

 

「マッコイさん、これが砂上船なんですか……?」

 

 姫路さんが問いたくなる気持ちも分かる。それはこの船がどう見ても教科書に載っていた普通の帆船だったからだ。砂の上を走るのだからもっと特別な形をしていると思ったのだけど……。

 

「砂上船はもともと老朽化した帆船を改造したものなのじゃよ。故に見た目はさほど変わらん」

「そうだったんですか。それじゃこれで海も走れるんですか?」

「いンや。海用の装備はすべて外してしもうた。もうこいつは砂漠専用じゃよ」

 

 う~ん……見た感じ普通の船みたいだなぁ。なんかちょっと拍子抜けだ。これだと普通の船旅になっちゃいそうだ。

 

「ところでマッコイ殿。ひとつ聞いていいかの?」

「なんじゃ? キノシタ」

「ここは地下なのじゃろう? このように大きな船をどうやって地上に出すのじゃ?」

「……フ」

 

 にやりと片頬を吊り上げ、マッコイさんは不敵な笑みを浮かべる。よくぞ聞いてくれたとでも言いたいのだろうか。

 

「……」

 

 あ。また雄二がイラついてる。

 

「そう言うと思うとった。なぁにすぐに見せてやるわい。ふぉふぉふぉ」

 

 マッコイ爺さんは満足げに笑いながら歩いて行く。見たところ天井は塞がっているし、この巨大な部屋には窓もない。あるのは壁に空いた通気口と思しき数個の穴のみ。こんな密閉空間からどうやって出すつもりなんだろう?

 

「何をしておる。(はよ)う来い」

 

 皆は不思議そうに顔を見合わせ、歩き出した。

 

 乗船口は船の後ろ側らしい。僕たちは船体を見上げながら脇をゆっくりと歩いた。船体を構成しているのは張り合わされた木の板。高さは7、8メートルほどあるだろうか。それに何か特殊な加工がしてあるのか、船全体が魔石灯の光を反射している。まるで船そのものが輝いているかのようだ。

 

「なんだかキラキラしていてとっても綺麗ですね」

「そうね。普通の木で作られてるみたいだけど、金色に光ってるみたいね」

 

 姫路さんや美波が左の船体を見上げながら言う。確かに照明でキラキラしてるけど、僕にとってあんまり感動は無いな。

 

 ちょっぴり残念な気持ちで歩く僕。この時、朝の町を疾走していた頃の高揚感は既に失われていた。しかし船体の最後尾に到着した時、この気持ちは一変した。

 

「ほぇ……」

 

 乗船口から見上げた船の最後尾には、美波が持っていたドライヤーが2機取り付けられていたのだ。と言ってもサイズが根本的に違う。レナードさんが作った機械は直径10センチほどの円筒形。だがこの船に取り付けられているそれはどう見ても直径2メートルを超えていた。

 

「…………邪魔だ」

「ほぇ?」

「…………立ち止まるな。俺が入れない」

「あ。ごめん」

 

 ムッツリーニに声を掛けられて気付いた。どうやら僕はポカンと口を開けてこの船を見上げていたらしい。

 

「…………早く行け」

「わ、分かってるよ」

 

 船内に入ってみると、そこはとても綺麗な部屋だった。壁、椅子、テーブル。すべてが明るい木目調で統一された配色。壁や天井には魔石灯が輝き、橙色の炎が揺らめいている。

 

「わぁ……とっても素敵なお部屋ですね」

「ホント、すっごく綺麗ね」

「……今までの船旅の中で最高」

 

 女子3人の評価は上々のようだ。飾り気がないのが少々残念ではあるが、言われてみれば確かに綺麗な内装だ。なにより新品というのは気持ちが良いものだ。

 

「なぁ爺さん、甲板に出てみてもいいか?」

「…………俺も」

「ワシも見てみたいぞい」

 

 男子+秀吉の興味の対象は部屋より甲板のようだ。

 

「ふぉふぉふぉ、構わんぞい。むしろそこでこのキングアルカディス号の出航を刮目するがよい」

「サンキュー爺さん!」

 

 雄二たちは嬉々として部屋脇の階段を駆け上がって行った。

 

「あっ! ちょっとアンタたち! ちゃんと荷物をまとめてから行きなさいよ!」

 

 なんていう美波の言葉も聞かずに。

 

「まったくもう……だらしないんだから」

「いいじゃないですか美波ちゃん、きっと皆さん嬉しくて堪らないんですよ」

「それはそれ、これはこれよ。しょうがないわね……アキ、ちょっと手伝ってくれる?」

「えー。なんで僕が……」

「当然でしょ。これはアンタたち男子の荷物なんだから」

「そんなの雄二たちに言えばいいじゃないか」

「つべこべ言わない!」

「わ、分かったよ。もう……」

 

 とほほ……美波にはかなわないや。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 荷物の片付けが終わった僕は美波たち女子と共に甲板に上がってみた。

 

「凄ぇな。まさにジェットエンジンだぜ」

「んむ。見事に巨大化しておるな」

 

 甲板の後方では雄二たちが備え付けられた春風機(しゅんぷうき)を見上げ、感嘆の声を漏らしていた。なるほど、近くで見ると凄い迫力だ。しかし本当に巨大なドライヤーを2つ付けたような感じだな。

 

(……計器異常なし……魔石エネルギー伝送開始……魔導エンジン出力上昇……)

 

 雄二のすぐ横の舵が付いた台座ではマッコイさんがなにやら呟いている。これはもしかして……既に出航準備を進めている?

 

「お主ら! そろそろ離れるのじゃ! まもなくエンジン始動じゃ!」

 

 マッコイさんの指示に従い、雄二たちは甲板の前方に移動した。もちろん僕や女子3人も一緒に。

 

 ――キュィィィン……ィィン……ィィン……

 

 すぐに2機のジェットエンジンから唸るような金属音が聞こえはじめる。この感じ、春風機(しゅんぷうき)とまったく同じだ。

 

「魔導エンジン出力80%……90%……よぉし! そろそろ出航じゃ! 危ないから何かに掴まっておれ!」

 

 皆は言われるがまま柱や手摺りに掴まる。それを見届けると、マッコイさんは巨大なハンドルのような形をした舵をぐっと握った。すると急にマッコイさんの目付きがギラリと鋭くなり――?

 

「うぉっしゃぁぁぁ! 行っくぜぇぇぇ!! 上部ハッチ! オーープゥゥンンン!!」

 

 !?

 

「な、何? ど、どどどういうこと!?」

 

 マッコイ爺さんの豹変っぷりに驚く僕。いや、驚いていたのは僕だけじゃないようだ。見れば雄二や秀吉、それに女子3人も全員が唖然とした様子で舵輪台を見つめているようだった。

 

 

 ――ガコン ギ、ギギギギ、ギ、ギ、ギ……

 

 

 頭上からそんな音が聞こえ、パァッと光が差し込んできた。それは太陽の輝きだった。

 

「て、天井が……開いてく……」

 

 きしむ音を立てながら天井が左右に割れていき、開いた天井の両側からはザザァッと大量の砂が落ち始める。そ、そうか! ここって町からはみ出して砂漠の地下だったんだ!

 

「しっかり掴まってな! 傾くぜェェーーッ!!」

 

「あ? 傾くって――――おわっ!?」

 

 雄二が尋ねるのが早いか、船体が大きく傾いた。

 

「う、うぉぉっ!? な、なんだこりゃぁ!?」

 

 甲板を滑り落ちていく雄二。船はドッドッドッという音を立てながら次第に傾きを増していく。まるで車の先頭がジャッキで持ち上げられるかの如く。

 

 そして40度くらい傾いただろうか。船首が大きく持ち上がり、天を仰ぐ形になったところで動きは止まった。

 

「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっ!? な、なんなんですかこれーーっ!?」

「瑞希! しっかり掴まりなさいよ!」

「そ、そんなこと言ってもこんなに傾いたら落ちちゃいますっ!」

「アンタがそんなに重い物を胸にぶら下げてるからよ! 少しウチによこしなさい!」

「そんな! 重いだなんて美波ちゃん酷いですっ!」

 

 姫路さんは美波がサポートしてくれている。さすが美波。こんな時でも冷静だ。交わされている言葉については触れないでおこう。

 

「…………見え……見え……!」

「や、やめんかムッツリーニ! こんな状況では手当てもできぬぞ!?」

 

 甲板の後方では姫路さんのスカートの中が見えているのか、ムッツリーニが真っ赤な顔をしていて、秀吉が必死にそれを押さえようとしている。

 

 一方、雄二は、

 

「こ、こら翔子! ズボンを引っ張るんじゃねぇ!」

「……夫の脱ぎ捨てた服を片付けるのは妻の役目」

「脱ぎ捨ててねぇよ! 脱がそうとしてんのはお前だろうが!」

「……雄二は恥ずかしがり屋」

「恥ずかしいに決まってンだろ!! あっ、こら! ベルトを外すなって!」

「……不慮の事故」

「事故を装うなぁぁーーっ!」

 

 ズボンを半脱ぎ状態で手摺りにしがみついていた。僕はこの時、この恥ずかしい絵を写真に収めておきたいと心底思った。もちろん後日脅迫に使えそうだから。

 

「あまり喋らん方がいいぜェ! 舌噛むからよ! 魔導エネルギー充填120%! 滑走路展開! 魔導エンジン始動!!」

 

 ――キィィィィイイン……!!

 

 後方のエンジンの音が更に大きなうねりをあげる。それと共に船体がガタガタと激しく震えだした。――って! ちょっと待て! この船、あの春風機(しゅんぷうき)と同じ勢いで飛び出すのか!?

 

「み、皆! 強く掴まるんだ! この船飛ぶぞ!!」

「何ぃ!? と、飛ぶだとォ!?」

 

 僕は目を強く瞑り、手摺りを握る手に力を込める。

 

「キングアルカディス号! 発ッッ進ッッ!」

 

  ドンッ!!

 

 マッコイさんの掛け声と共に、ものすごい衝撃が僕たちの身体を襲う。軽く脳震盪を起こしそうだった。ふわふわと身体が浮くような感覚は天国への旅立ちか。目を開けると視界は青かった。

 

 

 ……

 

 

 あぁ……。

 

 

 世界って、こんなにも青かったんだ……。

 

 

 そんな感情が芽生えたと思ったら、今度はジェットコースターの下りにも似た嫌な感覚が襲ってきた。

 

「○▼☆♪δ◆√Σ!? い゛ゃぁぁーーっ! 落ちるぅーっ!? 落ちる落ちる落ちるうぅーーっっ!!」

 

 思わず叫び声を上げてしまう僕。後で思い返しても最悪にかっこ悪い醜態を晒したと思う。そして叫んでいるうちに、

 

  ドォン!!

 

 と再び衝撃が襲ってきて、掴まっていた手を放してしまった。そのせいで僕は甲板に放り出され、尻をしたたかに打ち付けてしまった。

 

「いっ……て、て、てぇ……」

 

 今の衝撃は……そうか、船体が着水したのか。いや、この場合は”着砂”と言うべきなんだろうか。そんなことはどうでもいい、とにかく僕は生きているようだ。

 

「な、なんという乱暴な船出じゃ。寿命が縮まったぞい……」

「いってて……こら翔子! ズボンを返しやがれ!」

「……夫の服は妻のもの」

「わけ分からんこと言ってんじゃねぇっ!」

「いったたぁ……瑞希、大丈夫?」

「は、はい、なんとか……」

 

 どうやら皆無事のようだ。やれやれ……それにしても酷い船出だった。

 

「ハッハッハァーッ!! 見たかおめぇらァ! キングアルカディス号の勇姿をよォ!!」

 

 マッコイさんのバカでかい声が耳にガンガンと響く。ホントにどうなってるんだこの人……と思いながら、僕は改めて周囲の様子に目を配ってみた。

 

 青い空。

 黄色い大地。

 その間にある地平線。

 

 それしかなかった。右を見ても左を見ても砂漠、砂漠、砂漠。そこには砂と空以外、何も存在していなかった。

 

 船はそんな砂漠のド真ん中をもの凄い勢いで突き進んでいる。正面からはビュウビュウと風が吹き込み、圧迫感を感じるほどだった。

 

「こ、これが……砂上船……」

 

 あまりに壮大な光景に僕は呆気にとられてしまった。ここまで何度か海を渡るのに船は使ってきたが、その時には特に何も感じるものはなかった。それは恐らく僕らの現実世界でも経験があるからだろう。

 

 けれども、この砂漠の上で風を切って走る感覚は経験が無い。この未知の体験が僕の心に感動を呼び起こしているのかもしれない。

 

「なぁ明久」

「ん? あ、雄二。何?」

「俺、こんな経験初めてだぜ」

「僕だってそうさ。そもそも砂漠なんて所に入ったのも初めてなんだから」

「あぁ。俺もだ。けどなんか……凄ぇって、思うよな!」

 

 キラキラと目を輝かせ、正面を見据える雄二。あいつはまるで童心に返ったかのような綺麗な目をしていた。こんなに嬉しそうな顔を見せる雄二も珍しい。

 

 ただし、その下半身はパンツ一丁だ。

 

「ちょ、ちょっと坂本! アンタそれ隠しなさいよ!」

「おわっ!? そ、そうだった!」

「翔子ちゃんっ! 坂本君にズボンを返してあげてくださいっ!」

「……瑞希がそう言うのなら」

 

 姫路さんに言われ、渋々とズボンを差し出す霧島さん。

 

「くそっ! 早くよこせっ!」

 

 雄二はズボンをひったくると、慌てて履き始めた。でも慌てているせいか、なかなか上手く履けないようだ。か……かっこ悪いぞ。雄二……。

 

「ぃよっしゃァーーッ! そんじゃぁ行こうぜェ! 俺たちの大海原によォ!!」

 

 再びドでかい声で言い放つマッコイ爺さん。それにしてもマッコイさんってこんなに荒っぽい性格だっけ? なんか性格ずいぶん変わってない?

 

「マッコイ殿、楽しそうじゃな」

「最初に会った時はただの白髪のお爺さんだったわよね」

「でもマッコイさんのお気持ち分かります。だって一度なくした夢を取り戻したんですから。嬉しいに決まってます」

 

 なるほど。夢を取り戻した、か。そりゃ嬉しいに決まってるよね。まぁ喜び方は人それぞれだけど。

 

 夢か……僕の夢ってなんだろうな。今までただ毎日をなんとなく過ごして来たから、特に夢って無いんだよな。

 

「…………ひ」

 

 唐突にムッツリーニが1文字を呟き、ペタリと座り込んだ。

 

「土屋君!? どうしたんですか!?」

 

 姫路さんをそれを見て慌てて駆け寄った。

 

「土屋君!? しっかりしてください! どうしたんですか!? 気分が悪いんですか!?」

「…………ひ」

「ひ? ひってなんですか!? 土屋君っ!」

「…………ひ……ひ」

「ヒヒ? オナガザル科のヒヒがどうかしましたか!?」

「…………ち、違う……」

「違うんですか?? じゃあヒヒって何のことですか?」

「…………ひ、日差し……が……痛い……」

「えっ? 日差し? あ……そ、そう……ですか……」

 

 どうやらムッツリーニにはこの照りつける太陽が痛いらしい。いつも日の当たる所には出ないあいつには堪えるのだろう。人騒がせな……。

 

「こいつぁいけねぇ。おぅおめぇら、そのボウズを連れて船室に戻んな。そんな格好で甲板にいたら熱でくたばっちまうぜ」

「んむ。そうさせてもらうぞい」

「おうよ、さっき案内してやった部屋で待ってな。アルミッタの町までカッ飛ばしてやっからよ!」

「あ、あの、ひとつ聞いていいですか?」

 

 そう言って手を上げたのは姫路さんだ。

 

「うん? なんだ? 嬢ちゃん」

「最初から中に入っていれば振り落とされそうになることも、熱にやられることもなかったと思うんですけど……」

 

 うん。尤もな意見だと思う。

 

「ん? おぉ、そいつぁ気付かなかったな。嬢ちゃん頭がいいな! ハッハッハッ!」

「笑い事じゃないんですけど……」

「まぁ男なら細けぇこと気にすンな!」

「女ですっ!」

「カッカッカッ! まぁいいじゃねぇか! ほれ! その垂れ目のボウズを中に連れてってやんな!」

 

 ホント何なんだろうこの人……車でハンドルを握ると性格が変わるとか、そういう類いの人なのか? まぁいいや。深く考えるのはやめよう。考えているとこっちが疲れそうだ……。

 

 そんなこんなで僕たちの船旅は始まった。無茶苦茶な出発だったけど、全員で砂漠越えができるのだから贅沢は言えない。目指すは東の町、アルミッタ。そこまで行けばゴールは目前だ!

 



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第三十話 黄色い悪魔

 それは出航してから数時間が経過した昼下がりのことだった。

 

「……なぁ、明久」

「うん」

「お前、今までRPG(ロールプレイングゲーム)は何本くらいやってきた?」

 

 僕は雄二と共に甲板で外の様子を眺めていた。

 

「うーん……そうだなぁ。20本はやってるかな」

 

 辺り一面金色に輝く砂だらけ。その中を突き進む一隻の船。恐らくは二度と経験できないであろうこの光景を目に焼き付けておきたくて、僕たちはこうして景色を眺めているのだ。

 

「そうか。俺もそれくらいだな」

「なんでそんなことを聞くのさ」

「……この光景を見ていて思ったんだ」

「光景? 砂漠のこと?」

「あぁ。こういう砂漠を見ていると思い出さねぇか?」

「? 何を?」

「あぁ。なんつーかさ。こう……」

「なんだよ。もったいぶらずに言えよ」

「こんな感じの砂漠、ゲームではよくあったよな」

「そうだね。他にも氷の世界とか緑で覆われた町とか色々あるね」

「あぁ。そんでよ、こんな感じの砂漠にはよくいるだろ?」

「いる? 生き物?」

「あぁ」

 

 僕は今までプレイしてきたゲームたちの記憶を思い起こしてみた。確かにこういった砂漠エリアはRPGの定番だ。この世界で言うカノーラのような”砂漠の町”なんてのもよくある。そしてこういった砂漠は往々にして冒険者の行く手を阻むものだった。

 

 しかしゲームではその障害を乗り越える何らかの手段が用意されている。それはラクダのような乗り物であったり、今僕らが乗っているような砂上船であったり。空を飛ぶ飛行船なんてのもある。ただ、こういった障害を乗り越える際はコントローラーを握る手に汗が滲むほど緊張していたことも少なくない。なぜなら強敵が潜んでいることが多かったからだ。

 

 そう、こういった砂漠に潜む強敵とは────

 

「あんな感じの……ヤツがよォォォ!!」

 

 雄二が目を見開きながら大声をあげる。その視線の先では、管状の巨大生物が砂の中から長い首を出していた。

 

「「さ、サンドワームだぁーーっ!!」

 

 僕と雄二はその名を叫ぶ。

 

 サンドワーム。それは砂漠に生息するミミズ型のモンスターだ。砂漠の砂の中に潜み、近付くと姿を現し、その大きな口で人でも乗り物でもあらゆるものを飲み込んでしまうのだ。そんなヤツのことを僕は”黄色い悪魔”とも呼んでいる。

 

《グロロロォ……》

 

 黄色い悪魔は鎌首をもたげながらこちらを向き、気味悪く喉を鳴らす。なんとおぞましい姿だろう……。

 

「ムゥッ!? あれはまさしくあの時の魔獣!!」

 

 突然、舵輪台の上で舵を握っていたマッコイさんが身を乗り出して叫んだ。あの時の魔獣? ”あの時”ってなんだろう? って! そんなこと考えてる場合じゃない!

 

「じいさん! 船を止めろ!」

 

 雄二がマッコイ爺さんに停止を命じる。そうだ。止めなければヤツに正面からブチ当たってしまう。ヤツの体長はぱっと見でこの船の倍以上はある。あんなのに体当たりされたら木造のこの船はひとたまりもないだろう。

 

「船長だ」

「は?」

「船長と呼べ!」

 

 マッコイさんの返答は僕にもよく分からなかった。この状況で何を言ってるんだろうこの爺さん。こんなわけの分からない問答に付き合っていられない。無理矢理にでも船を止めさせないと!

 

「ねぇマッコイさん! そんなこと言ってないで止めないと――」

「マッコイ船長。船の停止をお願いします」

 

 僕が止めにかかると、それを遮るように雄二が言った。その雄二の対応は驚くほど意外なものだった。なんと背筋を伸ばし、頭を下げて丁寧にお願いしたではないか。そうか……君も大人になったんだね、雄二。などと感慨に耽っていたら、マッコイ爺さんは更にわけの分からないことを言ってきた。

 

「だが断る!」

 

 さすがにこれには雄二もキレたらしい。

 

「はぁ!? 何をバカなこと言ってやがる! あれが見えねぇのか! 魔獣だよ魔獣!」

「ンなモン分かっとる! それに奴はクイーンエメラルド号の仇! 今こそ奴を討ち、我が恨みを晴らす時!! いざ行かん! 宿敵の元へ!!」

 

 く、クイーンエメラルド号? 何それ? この人ホントに状況分かってんの!?

 

「いいから止めてよマッコイさん! このままじゃあの化け物に激突しちゃうよ!?」

「やかましいッッ! 邪魔をするでないッッ!!」

 

 あぁもうっ! なんなんだよこの爺さん!!

 

「翔子! お前からも何とか言ってやってくれ! この爺さん俺たちを乗せたまま体当たりする気だぞ!?」

「……雄二がキスしてくれるなら」

「ンなことするか! いいから早く止めるように言え!」

「……約束してくれないなら止めない」

「分かった分かった! 分かったから早く爺さんを止めろ!」

「……本当に?」

「あぁ! 約束でもなんでもしてやるから早くしろ!!」

 

 雄二のやつ、あんな約束しちゃって大丈夫なのかな。きっと後で後悔するんだろうな……。

 

「……船長。お願い。船を止めて」

「おうよ!」

 

 霧島さんの願いに対して威勢の良い返事がひとつ。僕らがお願いしても聞く耳持たずって感じだったのに、女の子の言うことならあっさり聞き入れるんだな。もう嫌だこの爺さん……。

 

  シュゥゥゥン…………プシュウウー……

 

 後方のエンジンが蒸気を噴き出しながら止まり、船は進行を停止した。やれやれ……これでひとまず激突は避けられたか。

 

《ヴロォォォォ~~ン》

 

 しかし現れたワーム状の魔獣は雄叫びをあげ、砂の上をくねりながらこちらに向かってにじり寄ってきた。僕らを襲うつもりのようだ。ゲーム中では何度か見た光景だけど、こうしてリアルに迫られるともの凄く気持ち悪い……。

 

「おいやべぇぞ! あいつこの船を狙ってやがる! あんな巨体をぶつけられたらこの船なんか粉々だぞ!」

「分かってるさ! 奴を倒すんだね、雄二!」

「あぁそうだ! 行くぞ! 試獣装着(サモン)!」

「おうっ! サモ──」

「どうしたんですか!? 明久君!」

「何なの!? 何が起きたの!?」

 

 召喚しようと手を上げると、船室から姫路さんと美波が飛び出してきた。急停止したことに驚いたのだろう。

 

「「っ────っっ!?」」

 

 だが2人は目の前の巨大生物を見るなり絶句し、顔を真っ青にしてしまった。そして、

 

「「きゃぁぁぁーーーっっ!!」」

 

 と叫びながら僕にしがみついてきた。

 

「きゃーっ! きゃーっ! わわわわわ私ああいう虫、だ、だだだダメなんですぅぅ!!」

「ううううウチもむむむむ無理ぃぃっ! は、ははは早くなんとかしてぇぇっ!」

 

 悲鳴をあげながらぐいぐいと僕の胴を締め付ける姫路さん。美波も同じように悲鳴をあげながら僕の首を締め付けている。

 

「ぐ、ぐるじ……い……」

 

 しがみつく2人を振り払おうともがく僕。しかし凄い力で掴まれていてまったく身動きが取れない。装着もしていないのになんて力だ。

 

「や、やめて2人とも……っ と、特に美波……く、首はやめて……」

「なんじゃ! 何事じゃ!?」

 

 美波たちの大騒ぎを聞き付けてか、秀吉とムッツリーニも船内から飛び出してきた。

 

「ど……どうもこうも……ないよ……ま、魔獣が……ほら……あ、あれ」

 

 僕は死の抱擁に耐えながら前方を指差し、秀吉たちに状況を知らせる。

 

「なっ……!? なんじゃあれは!?」

「み、見てのとおりサンドワームだよ……。と、突然砂の中から……現れ、て……」

「なんじゃと!? ……で、お主は何をしておるのじゃ?」

 

 秀吉が呆れ顔で僕を見つめる。僕だって好きでやってるわけじゃないのに……。

 

「いや、なんていうか……魔獣がドバーって出てきて、美波たちがきゃーって怖がって、それでこの有様なんだけど……」

「やれやれ……お主も大変じゃのう」

「あ、ありがと秀吉……」

 

 そんな会話をしている僕の横では、霧島さんがじっとこちらを見つめていた。

 

「……」

 

 しばらくして”ピン”と何かを閃いたような顔を見せる霧島さん。そして彼女はくるりと向きを変え、スタスタと雄二の方へ歩いて行った。何をするつもりなんだろう? と見ていると、

 

「……きゃー。雄二助けて」

 

 彼女は静かに叫びながら雄二に抱きついた。”叫ぶ”というにはあまりにも静かな口調だったが。

 

「フっざけんなぁぁっ!! その棒読みのどこに助ける必要性があるってんだ!」

「……雄二は冷たい。吉井のような包容力が必要」

「あぁもう! 今はそんなことやってる場合じゃねぇ! 明久! てめぇもイチャついてねぇで手伝え!」

「これのどこがイチャついてるっていうのさ! むしろ動けなくて困ってるんだよ!」

「くそっ、役にたたねぇ奴だ! 翔子! 秀吉! ムッツリーニ! 手伝え!」

「……うん」

「了解じゃ!」

「…………了解」

 

「「「──試獣装着(サモン)」」」

 

「よし、行くぞ!」

 

 雄二を先頭に皆は甲板から飛び降りていく。

 

『秀吉とムッツリーニは先行して奴の足を止めろ! 俺と翔子で頭を討つ!』

 

 船体の脇から雄二のそんな指示が聞こえてくる。直後、砂漠を駆けていくムッツリーニと秀吉の姿が視界に映った。雄二たちはあの魔獣と戦うのか。こうしちゃいられない。僕だって!

 

 と思ったが、やはり身体が動かない。

 

「ね、ねぇ2人とも、ちょっと放してくれないかな。あの魔獣を倒さないといけないんだけど」

 

「「っ…………!!」」

 

 ダメだ。姫路さんも美波もガクガク震えていて全然放してくれない。

 

「ねぇ雄二ぃー! 僕はどうしたらいいの!?」

 

『てめぇはそこで2人を抱えてろ!』

 

「えぇ~……そんなぁ~……」

 

『変に暴れられて船を壊されては困る! 姫路と島田の力はお前も知ってるだろ!』

 

「う……わ、分かったよ」

 

 姫路さんの腕輪の力は熱線。ぶ厚い石の壁を軽々とブチ抜くほどの力がある。そして美波の力は風の力。凄まじい竜巻を発生させ、湖の水をすべて巻き上げるほどの力がある。こんな2人がパニック状態で装着したらどうなるだろう。想像するのも恐ろしい……。

 

「明久君っ、明久君っ!」

「うぅ~っ……ま、まだなの? は……早く処理しちゃってよぉ……」

 

 ……こんなに震えている女の子を放って行くわけにもいかないか。

 

「大丈夫だよ。雄二たちが行ったからすぐ終わるさ」

 

 右腕に姫路さん、左腕に美波が必死にしがみつき、彼女らはブルブルと震えている。いざとなると頼もしい2人だけど、やっぱり苦手なものはあるんだな。

 

『だめじゃ! こやつワシの(やいば)が通じぬ! 思いのほか表皮が硬いぞい!』

『……私の剣なら切れる。でもすぐ回復してる』

『弱点に攻撃を集中させろ! 魔獣なら魔石がどこかに埋め込まれているはずだ!』

『…………そこら中に埋まっている』

『なんだと? そんなバカな!? うぉっ!?』

『……雄二!』

『大丈夫だ! けど気をつけろ! こいつ凄ぇ馬鹿力だ! マトモに食らったらひとたまりもねぇぞ!』

『承知した! しかしこやつ、どうやって倒せばよいのじゃ!?』

『とにかく片っ端から魔石を潰せ! それしか方法は考えられん!』

 

 船の前方では雄二の指揮のもと、秀吉たちが魔獣と戦っている。でも巨大なワーム相手に苦戦を強いられているようだ。やはり僕も加勢したほうがいいんじゃないだろうか。たとえ装着時間が短時間でも、1人でも多い方がいいはず。でもそれには美波と姫路さんをどうにかしないと……。

 

「2人とも、船内に戻ろうか」

「は、はい……」

「そっ、そうね。見えないほうがいいに決まってるわよね。そうしましょっ」

 

 僕は2人を両脇に抱えるように船内に入り、客室のベッドに座らせた。すると美波は少し落ち着いたようで、ホッと胸をなで下ろしていた。けれど姫路さんはまだガタガタと震えているようだった。

 

「美波、姫路さんを頼む」

「アキはどうするの?」

「決まってるさ。雄二たちに加勢してくる」

 

 そう告げて僕は外へ出ようとする。

 

「あ、アキっ!」

 

 すると美波はそれを呼び止め、

 

「気をつけてね……」

 

 大きな目を潤ませながら、そう言ってきた。こういう台詞は何度か映画やゲームのシーンで見たことがある。戦地に赴く兵士や決戦に向かう勇者を送り出すヒロインの台詞だ。まさかこの台詞を自分が本気で受けることになるとは想像もしていなかった。しかも美波の言葉ということもあり、僕の心にこの言葉は深く染み入っていった。

 

「大丈夫さ。皆と一緒だからね。じゃあ行ってくる! ――試獣装着(サモン)!」

 

 へへっ……なんか僕、格好良いかも。

 

 装着した僕は少し調子に乗っていた。自分が映画やゲームの主人公になったつもりでいたから。

 



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第三十一話 双頭の悪魔

「こりゃぁ~っ! 何をやっとるんじゃ~っ! しっかり腰を入れてやらんかぁ~っ! ほれっ! そこじゃぁ~っ!」

 

 甲板に出た瞬間、マッコイさんの声が耳に入ってきた。お爺さんは船首の突き出したポールに片足をかけ、身を乗り出しながら大声を張り上げている。どうやら雄二たちを叱咤激励しているようだ。この様子からすると雄二たちは苦戦しているのだろう。急がなくちゃ!

 

 腕を振り回しながら叫んでいるマッコイ爺さんを尻目に、僕は船の脇からバッと飛び降りた。船の高さは7、8メートルある。普通に飛び降りたら足を骨折するレベルの高さだ。しかし召喚獣を装着している今、この程度の高さなど、どうということはない。

 

「うっ……こ、これは……」

 

 着地の瞬間、足がズブリと沈む。さすが砂漠だ。公園の砂場なんか比にならないほどに足場が悪い。でもそんなことを気にしていられない。

 

 砂地につけた右足が沈む前に左足を前に踏み出す。そして左の足が沈む前に、今度は右足を前に出す。召喚獣の力を得ているからこそできる歩行方だ。こんな具合に砂漠を走り、僕は魔獣と戦う雄二の元へと向かって行った。

 

「雄二! お待たせ! 僕も戦うよ!」

「遅ぇよ! 早く手伝え!」

「なんだよ。さっきは役立たず呼ばわりしたくせに」

「お前がグズグズしてるから状況が悪化しちまっただろうが!」

「悪化? 悪化って何が────」

 

《グォォゥ~~ン!!》

《シュゴォ~~!!》

 

「って!? なんで2匹になってんの!?」

「こいつ、ぶった切ったら両方が固体になりやがったんだよ!」

「気をつけるのじゃ明久よ! 不用意に切り付けると更に分裂するやもしれぬぞ!」

 

 まるで単細胞生物かプラナリアのようなヤツだ……。

 

「…………足場が悪い」

 

 ムッツリーニが凄いスピードで移動しながら呟く。スピード自慢のあいつでも砂漠の砂の上では思うように動けないようだ。

 

「こうなったらあれを試してみるほかあるまい。こやつに効果があるのか分からぬが……」

 

 秀吉が左腕に装着した腕輪を見ながら言う。きっと腕輪の力を使うつもりだ。ところで秀吉の腕輪の力ってなんだっけ?

 

「ムッツリーニよ、少し離れるのじゃ!」

「…………了解」

「ゆくぞい! 幻惑の光(イリュージョン)!」

 

 考える間もなく、秀吉は腕輪の力を発動させる。すると空の青と砂漠の黄色ばかりであった周囲の風景が一変した。パァッと辺りが桃色一色になり、召喚フィールドにも似た空間が広がる。

 

「か……可愛い……女の子が……」 ← 幻覚に惑わされる僕

 

「なんて……美しい……絶世の美女だ……」 ← 同じく雄二

 

「…………(ブバッ!)」 ← 耐え切れなくて噴水のごとく鼻血を噴き出すムッツリーニ

 

 秀吉の力により幻覚を見せられ、僕たちはすっかり夢の世界に陥ってしまっていた。

 

『――お主らが魅了されてどうするのじゃぁ~~っ!!』

 

 秀吉が叫んでいたような気がする。けれど僕の意識はキラキラと輝きながら舞うように踊る”胸の大きなポニーテールの女の子”に完全に奪われていた。

 

『――こ、この(うつ)け者どもめ! 霧島よ! そやつらの目を覚まさせてくれ!』

『……分かった』

 

  パーン!

 

「はっ!」 ←ハリセンで後頭部を叩かれて正気を取り戻す僕

 

  スパァン!

 

「ハッ!」 ←同じように叩かれて我に返るムッツリーニ

 

  プスッ

 

「うぎゃあぁぁぁあっ!!」 ←チョキで目を潰されて悶絶する雄二

 

 霧島さんの喝で僕たちはようやく幻術から解かれた。

 

「あ、危なかった……さすが秀吉。すべてを持っていかれるところだった……」

「…………恐る……べし……(ガクリ)」

 

 正気に戻ったものの、ムッツリーニはダメージが大きいようだ(血液的に)。この技は非常に危険だ。仲間のうち半数が動けなくなってしまう。

 

「な、なんで俺だけ……目潰し……」

「……雄二は私に魅了されるべき」

「だからってこんな時に目を潰すやつがあるか!」

 

《ウヴォォォ~~ッ!!》

《ゴァァ~~ッ!!》

 

 うっ!

 

「散会!」

 

 雄二の指示で全員がパッと飛び退く。

 

 ――ズ、ズズゥン

 

 2本の巨大な(くだ)が僕たちのいた場所の砂をまき散らす。重い砂がまるで水のようだった。

 

「こんの――やろぉぉーーっ!!」

 

 目の前に横たわる丸太のような身体を見て、僕は攻撃のチャンスと判断。思いっきり木刀を叩きつけてみた。

 

 ――パリィン!

 

 ガラスが割れるような音と共に、奴の身体の一部が砕けた。砕けたのは体に埋め込まれていた魔石だった。

 

《ゴハァッ!? グオォァァァ~~ッ!!》

 

 すると奴は(よじ)るようにして身を起こし、天を仰いで叫んだ。なんだ? ひょっとして今の一撃は効いたのか?

 

《ゴァァァッ!》

 

「うひゃぁっ!?」

 

 (そび)えるような管状(くだじょう)の身体を天から落とし、再び襲いかかってくるサンドワーム。僕は咄嗟に脇に飛び、これを避ける。

 

「わたっ、たったっ……! んべっ!」

 

 しかし足下が砂地で思うように動けない。間一髪ワームの一撃をかわしたものの、顔面から砂に突っ込んでしまった。

 

「明久よ! 無事か!?」

「ぺっぺっぺっ、うえぇ~……口に砂が入っちゃったよ……」

 

 ううっ、口の中がジャリジャリする……皆こんな足場で戦ってたのか。そりゃ苦戦するよね。

 

「おい明久。お前、今何をやった」

 

 シュッと隣に雄二が飛び降りてきて聞いてきた。

 

「何って……攻撃を避けただけだけど?」

「違う。今攻撃しただろ。どうやって攻撃した」

「どうやってって言われても……普通に木刀で叩いただけだよ?」

「こいつ、今までどれだけ攻撃してもまるで効果が無かったんだ。それがお前の攻撃で苦しんだように見えるんだ」

 

 そういえば魔石を叩き割ったらグォーって叫んだっけ。

 

「魔石を叩き割ったからじゃないかな。今までの魔獣も魔石を割ると消えていったし」

「いや。俺たちもいくつかの魔石を叩き割っったんだが、あの野郎平然としてやがったんだ」

 

《ウオォォ~ン!》

 

 話しているところへ、もう一方のワームが襲ってきた。だが奴の動きはそれほど速くない。

 

 ――ズ、ズゥン……

 

 砂の上を走って避ける僕と雄二。避けるのは造作も無いが、問題は足場が悪くて着地しづらいところだ。

 

『明久! お前どの魔石を砕いた?』

 

 魔獣の向こう側へと避けた雄二が奴の身体越しに聞いてきた。どんな魔石って言われても、そんなのよく覚えてないよ……。

 

「よく覚えてない! でも黄色かった気がする!」

 

 このサンドワーム型の魔獣の身体には無数の魔石が埋め込まれている。それこそ全身に散りばめたように。魔石の色は赤、緑、黄色、青、紫などで、大きさも大小様々。僕が叩き割ったのはこのうち小さな黄色い魔石だ。……たぶん。

 

『黄色だと!? そういうことか!』

 

 どういうことだ?

 

『翔子! 秀吉! ムッツリーニ! 黄色い魔石を狙え! 今まで身体の色と同化していて気付かなかったが、きっとそいつが弱点だ!』

 

 雄二は大声で皆に指示をする。そうか、こいつの弱点は特定の色の魔石だったのか。僕が偶然それを見つけたってわけか。

 

「了解じゃ!」

「…………加速(アクセル)

「……吉井。ありがとう」

 

 雄二の指示で皆がサンドワーム2体に一斉に攻撃を仕掛ける。ムッツリーニは腕輪の力を発動させ、超高速で一気に勝負をつけるつもりだ。

 

《グォ……ォォ~ゥゥ…………》

 

 ――ドズゥゥン……

 

 やがて1体のワームが大きな身体を横たえ、動きを止めた。直径3メートルはあろうかという巨大なサンドワーム。その身体のあちこちからはシュウシュウと黒い煙が吹き出しはじめる。こういった光景はこれまで何度か見てきた。魔獣の最期だ。

 

 ――ド、ドォン……

 

 僕の後ろで大きなものが倒れる音がした。振り向けばもう片方のサンドワームが横たわり、全身から煙を出していた。あっちの魔獣はムッツリーニが倒したようだ。

 

「…………任務完了」

「よくやったムッツリーニ。しかし1人で倒しちまうとはな」

「…………動きは遅かった。弱点さえ分かればどうということはない」

 

 両手を腰に当てて自慢げに胸を張るムッツリーニ。その後ろでは巨大な丸太のようなサンドワームが徐々に煙となり、消えていく。それを見ながら僕は思った。

 

 以前雄二から聞いた話では、魔獣は動物の死骸から作られたものだという。この巨大な虫も骸から作られたのだろうか。今まさに目の前で消えようとしている虫型の魔獣。こいつも魔獣なんかにされなければ安らかに眠っていたのだろうか。勝利したものの、僕の胸にはやるせない思いが(くすぶ)り始めていた。

 

『おぉ~~~いぃ! お主ら~~~っ!』

 

 そこへどこからかお爺さんの声が聞こえてきた。あの声はマッコイさんだ。どうやら砂上船を降りてきたようだ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……す、砂の上は走りづらいのう……ハァ、ハァ……」

 

 全力で走ってきたマッコイ爺さんは苦しそうにゼェゼェと息を切らせる。口調が完全に元の爺言葉に戻っているようだ。やはり舵から手を放すと元に戻るんだな。

 

「いやぁ~よくやったぞお主ら! よくぞワシの積年の恨みを晴らしてくれた! おかげで胸がスカッとしたわい! これで安心してここを通れるってモンじゃよ! カッカッカッ!」

 

 うん。完全に口調が元のお爺さんに戻ってる。こうして見ると結構面白い人かもしれない。

 

「マッコイ殿。魔獣の消えた跡からなにやら色々と出てきたのじゃが……見てもらえぬじゃろうか」

「む? どれ、見せてみぃキノシタ」

「こっちですじゃ」

 

 秀吉はマッコイさんを連れ、自身が倒した魔獣の跡に向かって歩いて行く。何が出てきたんだろう。僕も見に行こうっと。

 

 秀吉の後について行くと、そこには沢山の木の破片が散乱していた。どれも圧力をかけて割られたような感じになっている。でもなんで魔獣の跡からこんなものが出てくるんだろう? この疑問にはすぐにマッコイさんが答えてくれた。

 

「こ……これは……!」

「? どうした爺さん。何か大事なものでも見つけたか?」

「大事も大事……こいつぁ……ワシのクイーン……エメラルド号の……破片じゃ……」

 

 お爺さんはそう言って破片を握る手をワナワナと震わせる。その手に握る破片には、筆記体の黒い字で”Queen Emerald”と書かれていた。

 

 クイーンエメラルド号。先程もマッコイ爺さんがその名を口にしていた。仇だと言っていたと思う。つまりこれは例の魔獣の襲撃を受けたという、先代の砂上船の欠片ということなのだろう。

 

「そうか……まぁ、なんだ。見つかって良かったじゃねぇか」

「……」

 

 雄二の掛ける言葉にマッコイさんは反応しなかった。ただ手に握った板をじっと見つめ、小刻みに肩を震わせている。このお爺さん、本当に船を愛しているんだな……なんだかその気持ち、分かるような気がする。

 

「ムッツリーニよ、お主は何をしておるのじゃ?」

 

 気付けばムッツリーニが散らばった木箱や布の袋を漁りまくっていた。

 

「…………宝物」

「や、やめんか! これらはマッコイ殿が預かった品じゃ! 持ち主に返すのじゃ!」

「…………」

「そのように悲しそうな顔をするでない……」

 

 砂漠には魔石以外にもキラキラと光る物が多数散乱している。ムッツリーニが拾っていたのはこれらのようだ。それはネックレス型であったり、指輪の形をしているものもある。食べ物の類いもありそうだが、既に干からびていて食べられそうにない。なるほど。これらが運搬していた貨物というわけか。

 

「マッコイ殿、これらの品々を王妃殿に返却すれば運営の再開も許可してくれるのではないか?」

「いや、あの王妃のことじゃ。返却したものを受け取りはしても許しはせぬじゃろう」

「そうじゃろうか……」

「いいんじゃよ。ワシにはもうキングアルカディス号があるによってな」

「主様がそう言うのならば良いのじゃが……」

「……でも預かった物は返すべき」

「嬢ちゃんは律儀じゃのう。分かった。返すべき物は返そう。手伝ってくれるか?」

「……うん」

「おいおい、これ全部持って帰るつもりか? 俺たちは先を急ぐんだが……」

「……持って帰る。絶対に」

「分かった。分かったからそう睨むな翔子」

「しかしこうして見ると壊れている物もだいぶあるようじゃな」

「破損した物はワシが見よう。キノシタたちは綺麗なものをそこらの袋に詰めてくれ」

「承知した。では掛かるとするかの。ムッツリーニも手伝うのじゃ」

「…………報酬……」

「まだ言うておるのか。ワシらの報酬なら魔石があるではないか。ほれ始めるぞい。明久よ、お主も手伝うのじゃ」

「へいへいっと」

 

 えぇと、魔石は僕らの報酬で、それ以外はマッコイさんに返す物……と。それで壊れた物は無視して、綺麗なものだけを拾う……と。

 

 僕は砂漠に散らばった木片の中から無事なものを選び、布の袋に詰めていった。けれど正直言ってどれが壊れていてどれが無事なのか分からない。面倒なので、とりあえず木片以外を全部放り込むことにした。

 

『アキ~~っ!』

『明久く~~ん!』

 

 その時、どこからか女の子の声が聞こえてきた。どうやら砂上船の方から聞こえてくるようだ。

 

「美波~! 姫路さ~ん! こっちこっち~!」

 

 手を振りながらこちらに走ってくる2人に手を振り返す僕。きっと静かになったから様子を見に来たんだな。

 



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第三十二話 思いがけない報酬?

「ね、ねぇアキ、どうなったの? あの気持ち悪いのはどこにいったの?」

「こんなに魔石が転がっているということは……倒したん……ですよね??」

 

 (すが)るような目で僕を見つめる美波と姫路さん。この怯えた様子。ああいった虫が心底苦手なのだろう。まぁどちらかというと僕だって好きでは無い。むしろ苦手な部類だ。

 

「大丈夫だよ。もう2匹とも倒しちゃったから」

「えぇっ!? あ、あんなのが2匹も居たの!? じょ、冗談じゃないわ……」

「ふぅ……」

 

 美波は自らの身体を抱くようにしてガタガタと震えだす。姫路さんは膝の力が抜けたようにヘナヘナと座り込んでしまった。おかしいな。もう安心だよって伝えたつもりなんだけど……。

 

「おい明久、遊んでないで手伝え」

「遊んでるわけじゃないよ。見てよ、美波と姫路さんがすっかり怯えちゃってさ」

「なんだよだらしねぇな。おい姫路に島田、心配するな。もう虫はいねぇよ」

「うぅ……ほ、本当に?」

「あぁ、嘘はつかねぇよ。それにもしまた出ても倒してやるよ。明久がな」

「なんで僕なのさ。雄二がやればいいだろ」

「嫌だね。あんなデカブツを相手にするなんざ金輪際お断りだ」

「嫌なものを人に押しつけるなよ! 僕だってお断りだよ!」

 

『おーいお主ら、遊んでないで船に運ぶのを手伝うのじゃ』

 

「「……」」

 

「ま、やるべきことをやるか」

「そうだね。美波と姫路さんも手伝ってくれる?」

「ウチらは何をすればいいの?」

「この散乱している物の中から壊れていないものを袋に詰めてほしいんだ」

「オッケー。役に立てなかった分、挽回しなくちゃ。ね、瑞希」

「はいっ、そうですね」

 

 どうやら美波と姫路さんもいつもの調子を取り戻したようだ。やれやれ。これで一件落着かな。しかし先代砂上船の破片が出てきたということは、以前マッコイさんを襲ったのはあのサンドワームだったのかな? だとしたら本当に仇を討てたことになる。マッコイさんにとっても良い一日になったに違いない。僕は最初の1個の魔石を割っただけで、結局ほとんど何もしてないけどね。

 

『…………?』

『どうしたのじゃ? ムッツリーニ』

『…………腕輪を発掘した』

『なんじゃと? どれ、ワシにも見せてくれぬか』

『…………これだ』

 

 ん? 秀吉とムッツリーニのやつ何をしてるんだ? 何か玩具(おもちゃ)でも見つけたのかな? 行ってみようっと。

 

「2人ともどうしたの? 何か面白いものでも見つけた?」

 

 早速彼らの元へ駆け寄ってみると、秀吉がリング状の物を手にしていた。

 

「おい秀吉、そいつは白金の腕輪じゃねぇのか?」

「んむ。ワシにもそう見える」

 

 もちろん僕にも白金の腕輪に見える。学園長に貰って何度も使っているから見間違えるはずがない。

 

「俺らの中でまだ腕輪が無いのは明久、お前だけだ」

「つまりこれは明久の腕輪ということかの?」

「ほぇ? そうなの?」

「それしか考えられねぇだろ」

「明久よ、持ってみるのじゃ。これがお主の腕輪ならば何かしらの反応を示すはずじゃ」

「うん」

 

 秀吉が腕輪を手渡してきたので、僕は言われるがままそれを受け取ってみた。ちょうど(てのひら)に収まるくらいのサイズ。それは僕の手に渡るとすぐに怪しげな光を放ち始めた。

 

「ふむ。光っておるな」

「間違いねぇな。明久、そいつはお前の腕輪だ」

「マジで!? いやったぁーーっ!」

 

 やっと僕にも腕輪が! と喜び飛び跳ねる僕。その腕輪には小さくDOUBLEという文字が刻まれている。もはや疑いようがない。これは僕の使っていた白金の腕輪だ。

 

「良かったわねアキ」

「うん! これでやっと底辺から脱却できるってもんさ!」

「バーカ。腕輪を手に入れたところでお前の底辺は揺るがねぇよ」

「なんだとバカ雄二! なら今ここで僕の力を見せてやろうか!」

「あァ? 俺とやろうってのか? いい度胸だ。返り討ちにしてやるぜ!」

「あとで吠え面をかくなよ!」

 

 僕は腕輪を握りしめ、砂地に足を踏ん張って身構える。雄二もグッと拳を握り、ボクシングスタイルのファイティングポーズをとった。

 

 僕の召喚獣の力は先程切れてしまった。今は装着も解かれているが、この腕輪の力があれば再び装着が可能なはずだ。なにしろ持続力が20倍にも跳ね上がるのだから。

 

「ちょっと! やめなさいよ2人とも! 今はそんなことしてる場合じゃないでしょ!」

「うるせぇ! 男にはやんなきゃいけねぇ時ってモンがあンだよ!」

「そうだよ美波。こいつとはいつか決着をつけないといけないと思ってたんだ。今がその時なのさ!」

「もう……バカなんだから。男子ってどうしてこう好戦的なのかしら。ね、瑞希」

「あ、あはは……そ、そうですね……」

 

 さぁ、雄二はどう出てくる? 足下が砂で踏ん張りがきかないのはあいつも同じはず。いつもの軽いフットワークは使えないはずだ。そうなると恐らく知恵を使って意表を突いた攻撃をしてくるだろう。ならば小細工をされる前に装着して一気に勝負をつけてやる!

 

試獣(サモ)――」

「ちょっと待て明久。お前の腕輪って確か二重召喚だよな」

「なんだよ突然! 緊張感が削がれちゃったじゃないか! そうだよ二重召喚だよ!」

「ということはお前が2人になるのか?」

「へ? 2人? ん~~……どうなんだろう。やってみないと分かんないな」

 

 と雄二と話をしていると妙な視線を感じた。その視線は僕の後ろから注がれているようだ。気になって振り向くと、そこでは姫路さんと美波が祈るように手を合わせ、キラキラと目を輝かせていた。

 

「どうしたのさ2人とも。そんなに期待に満ちた目をしちゃって」

「えっ? そ、そんなことないですよ? ね! 美波ちゃんっ!」

「ふぇっ!? そそそそうよ! べ、別にアキが2人になったら色々と問題が解決するなんて思ってないんだからね!」

「は? 問題?」

「ななななんでもないっ! いいからアンタはさっさと腕輪を使いなさいっ!」

「んん? まぁ、いいけど……」

 

 なんなんだ……ま、いいか。それじゃ――

 

試獣装着(サモン)っ!」

 

 僕は召喚獣を喚び出し、装着。赤いインナーシャツに黒い学ラン姿に変身した。この姿になるのは何度目だろう。文月学園の制服も良いけど、このスタイルもわりと好きだ。

 

「よぉし!」

 

 気合いを入れて僕は白金の腕輪を右腕に通す。

 

「……えっと……」

 

 後ろからの視線が一層激しくなる。な、何だろう。この妙な緊張感……僕は何を期待されてるんだろうか。まぁ、とりあえず――――

 

「――だ、二重召喚(ダブル)!」

 

 僕の掛け声と共に、右腕の腕輪が激しく光りだした。ついに僕の腕輪の力が発動だ!

 

「あ、あれ?」

 

 と思ったら、シュンと腕輪の輝きがすぐに治まってしまった。

 

「おっかしいなぁ」

「なんだ? 何も変わってねぇじゃねぇか」

 

 辺りを見回しても分身の姿はどこにもない。それに二重召喚すれば2体分の感覚が頭に流れ込んでくるはず。けれど今はそんな感覚もない。

 

「う~ん……故障かなぁ」

 

 試しに腕を振り回したり、木刀でコンコンと腕輪を叩いてみても何の変化もない。見たところ先程見せた輝きも完全に失われているようだ。

 

「魔獣に食われて力を(うしの)うてしもうたのかのう」

「う~ん……そうなのかな」

「なんだよ。結局スカかよ。ガッカリさせやがるぜ」

「ちぇっ。もし2人になれれば片方で勉強して、もう片方で遊ぶとかできたのにな」

「バカ言え。お前の分身だぞ? 両方遊ぶに決まってんだろ」

「失礼な! 僕に限ってそんなことあるわけないだろ!」

「お前のその自信はどこから来るんだ……」

「違うわよ坂本。アキは2人になったら2人で勉強して2倍覚えるのよ」

「ゴメン美波。さすがにそれは勘弁してほしいな……」

 

 ただでさえ2体の召喚獣の操作は頭が混乱するのに、この状態で更に勉強なんて冗談じゃない。そんなことをしたら僕の頭が壊れてしまう。

 

 というか、なんかすっかり冷めちゃったな。さっきまでアツくなってた自分がバカみたいだ。今雄二と争ってもしょうが無いし、やめておくか。

 

「……二刀流」

 

 その時、霧島さんがポツリと呟いた。

 

「あ? 何がだ?」

「……吉井の武器。2つになってる」

「ほぇ? 僕の武器?」

 

 言われて改めて手元を見てみる僕。左手にはいつもの木刀。緩やかに湾曲した刀を模した焦げ茶色の木の棒。そして右手には……同じ形をした木の棒が一本?

 

「ほ、ホントだ! いつの間にか両手に木刀持ってる!?」

「…………なぜ気付かない」

「い、いやほら! てっきり分身が出てくると思ってたからさ! っていうか気付いてたんなら教えてよムッツリーニ!」

「…………気付いていないとは思わなかった」

「だってこんな能力だなんて夢にも思わなかったし……」

「なるほどのう。明久の腕輪は武器がダブルなのじゃな」

「うん。そういうことみたいだね。でもこれ全然重くないし、なんかかっこいいかも」

 

 僕は両手に持った木刀をそれぞれ振り回してみる。ビュンビュンと空気を裂くように振れる。まるでお祭りとかで売っている玩具の刀のように軽いのだ。へへっ、こいつはいいや。2本の武器で攻撃力もアップだ。魔獣との戦いも楽になるかな。もう戦いたくはないけどね……。

 

 なんてことを考えながら2本の木刀を振り回していたら、姫路さんを慰めている美波の姿が目に入った。

 

「ごめんね瑞希……」

「いえ、いいんです……明久君が期待の斜め上を行くのはいつものことですから……」

「こういうところは全然変わらないのよねぇ……」

「明久君ですからね……」

「「はぁ……」」

 

 なぜ僕を見て溜め息をついているんだろう。僕、何か期待外れなことでも言ったっけ? などと考えていると、

 

『野郎どもォーーッ! 出航すんぞーッ! 早くしねぇと置いてくぞォーーッッ!!』

 

 どこからかマッコイさんの声が聞こえてきた。というか、口調がまた変わってる。……ん? 置いてく?

 

 ハッと気付いて船の方を見ると、マッコイさんが船首から身を乗り出し、呼びかけていた。大変だ! こんなところに置いて行かれたら干からびてしまうぞ!?

 

「わーっ! 待って待って! 今行きまーす!」

「急ぐわよ瑞希!」

「はいっ!」

 

 こうして黄色い悪魔との戦いを終えた僕たちは砂上船での旅を再開した。マッコイさんが言うにはこのペースで行けばアルミッタまであと4時間ほどらしい。恐らく日が暮れる前に到着するだろう。東側に渡ればゴールは目前だ。

 

 それにしても意外な収穫があったものだ。まさかここで僕の腕輪が見つかるとはね。これで僕の装着時間も皆と同じくらいになる。効果は分身ではなかったけど、これはこれで悪くはないし、結果オーライだ。

 



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第三十三話 次なる道へ

 砂漠の昼は異常なほど高温になる。灼熱の太陽は”これでもか”と言わんばかりに燃えさかり、まるで地上を焼くかのように照りつける。甲板でこの光景を眺めていたい気持ちはあるが、さすがに危険だ。なにしろ汗を垂らしたらジューと音をたてて一瞬で蒸発してしまったくらいなのだから。これほど過酷な環境で見学するほど僕も愚かではない。

 

 一方、船室は快適だ。見た目は木でできた部屋だが、外気はほとんど入ってこない。室温は体感で23、4度くらいだろうか。外の灼熱地獄が嘘のようだ。

 

 ただ、この船には娯楽の類いが一切ない。あるのは椅子やテーブルが置かれた部屋と、トイレくらいだ。ここまで何も無いと暇を持て余してしまう。甲板で景色を見ていたのも、あまりに暇だったからなのだ。

 

 この退屈な時間を救ってくれたのは秀吉だった。秀吉が「そんなに暇ならば」と言い、荷物からトランプを取り出したのだ。トランプには色々な遊び方がある。中でも僕たちが一番好きなゲームが”ダウト”だ。遊び方についてはもはや説明の必要もないだろう。そんなわけで僕たちはアルミッタに到着するまでの間、トランプゲームに興じることにした。

 

 旅は快適。あれから魔獣の襲撃もない。食料もあるし、何より勉強せずに遊んでいても良いところが素晴らしい。

 

『野郎どもォーッ! アルミッタが見えてきたぜェーッ!』

 

 カノーラの町を出てから6時間ほど経過した頃だろうか。船室内のスピーカーから怒鳴り声が聞こえてきた。マッコイさんが舵輪台から話しているようだ。

 

「もう着いたんですか? 思ったよりずっと早いですね」

 

 姫路さんは早いと感じているようだけど、僕にとっては”ようやく”だ。皆とのトランプゲームは楽しかったのだけど、さすがに数時間は長かった。

 

「まだ外は明るいようじゃな。これならば町で食事をしている時間もありそうじゃ」

「だからといってノンビリもしていられないぜ。まだ扉の島を見つけたわけじゃねぇからな」

「分かっておるわい」

「ふふ……さぁ皆さん降りましょう。忘れ物をしないようにしてくださいね」

 

 僕たちは荷物を取り、出口へと向かった。降り口は乗ってきた時にも使った乗船口。船の後部だ。

 

「ん? あれ?」

 

 船を出てみて、その光景に疑問を感じた。出口を開けて目に飛び込んできたのは、黄色い砂と青い空だったのだ。

 

「ねぇマッコイさん、これで到着なの? まだ町に着いてないみたいなんだけど……」

 

 そこはまだ砂漠だった。もしかしてからかわれたんだろうか。

 

「町ならそこに見えるじゃろ」

「そこ? ……ん~……っと?」

 

 マッコイさんの指差す先をじっと見つめる僕。ゆらゆらと揺れる空気の向こうには、ドーム状のものが見える。

 

「かなり遠いな……なぁ爺さん、まさかここから歩いて行けってのか?」

「うむ。これ以上は砂上船では進めぬからな」

「何故だ?」

「ここから先は砂が薄くて船が進まんのじゃよ。砂上船は砂を水の代わりにして進むものじゃ。無理に進めば大地にひっかかる。つまり座礁してしまうのじゃよ」

「なるほどな……」

 

 ふぅん……てっきり町のすぐ横に着けてくれるのかと思ったけど、そうもいかないのか。

 

「しょうがないわね。ここからは歩いて行きましょ」

 

 美波はこの状況をあっさりと受け入れる。いつもながら彼女のポジティブな考え方には感心させられる。

 

「この砂の上を歩くのかぁ……歩きづらそうだなぁ」

「そんなこと言ったってしょうがないじゃない。これ以上進めないって言うんだから」

「…………ここまで来ればすぐだ」

「そうだね。しょうがない。歩くか」

 

 でも面倒だなぁ。砂の上って凄く歩きづらいんだよね……さっきサンドワームと戦った時も足がズブズブ沈んで凄く動きづらかったし。

 

「ところでマッコイ殿」

「なんじゃ? キノシタ」

「主様はこれからどうするつもりなのじゃ? 運送業を再開するおつもりか?」

「今は再開するつもりはないのう」

「なんと。運送業の再開は主様の悲願と思っておったのじゃが……」

「ふぉふぉふぉ。それは違うぞキノシタ。ワシの悲願は砂上船でこの砂漠(うみ)を走り回ることじゃよ。運送業はそのついでに過ぎぬ」

「そうであったか。それは失礼した」

「なんの。久々に楽しかったぞ。ワシは一旦戻って相棒のメンテナンスじゃ。今日の航海で調整すべき点がいくつか見つかったからのう」

「ワシの方こそ世話になり申した。おかげでこれほど短時間で砂漠を渡れたのじゃ。深く感謝申す」

 

 秀吉は丁寧に頭を下げ、マッコイさんに感謝の意を示している。すると雄二や霧島さん、姫路さん、ムッツリーニまでもがマッコイさんの元に集い、頭を下げた。

 

「マッコイさん。本当にありがとうございました。私たち、これで元の世界に帰れそうです」

「……ありがとうございました」

「爺さ――マッコイ船長。無理を聞いていただき感謝します。良い船旅をありがとうございました」

「…………ありがとう」

「ウチ、レナード陛下の発明がこんな風に役に立つなんて思ってませんでした。また砂上船が動かせて良かったですね。ありがとうございました」

 

 皆も口々に感謝の言葉を述べる。こうしちゃいられない。僕だって!

 

「マッコイ艦長! ありがとうございました! このご恩は忘れません!」

「艦長と来たか。じゃがキングアルカディス号は戦艦ではないぞ? ふぉっふぉっふぉっ」

「あ……そうでしたね。あはははっ!」

 

 しばしの間、僕たちは笑い合う。こんな風に笑ったのはいつ以来だろうか。なんだか久しぶりな気がする。

 

「さて。ワシはそろそろ行くとするかの。……元の世界に帰れると良いな」

「なんとしても帰ってみせるぞい。色々と世話になり申した」

「……お元気で」

「砂漠の魔獣には注意してくださいね」

「ホッホッホッ。こんなワシを気遣ってくれるとは嬉しいのう。では達者でな」

 

 マッコイさんは一度スッと手を上げると、黒いコートを靡かせながら砂上船の中へと戻っていった。

 

 

 

 ――キュィィィン…………

 

 

 

 しばらくすると後部エンジンから金属を擦り合わせるような音が出始め、火が灯った。すぐにドンッという衝撃波と共に砂上船は動き出し、一気に加速。あっという間に砂漠の彼方へと消えてしまった。

 

「行っちゃいましたね」

「なんだか変わったお爺さんだったわね」

「そうですね。ふふ……」

 

 姫路さんや美波もあのお爺さんが”変わっている”という認識を持ったようだ。そう思っていたのは僕だけじゃなかったんだな。ちょっと安心したよ。

 

「さてと。俺らは俺らの目的を果たさねぇとな」

 

 船が完全に見えなくなった後、雄二が言い出した。

 

 僕たちの目的は扉の島。リットン港と王都モンテマールにて、この島が実在することは確認済みだ。ただ具体的な位置の把握には至っていない。僕たちが急いでいるのは、この不確定要素があるがためだ。

 

「ところで土屋君、王妃様の船ってどこにあるんですか?」

「…………マリナポート港」

「それじゃ私たちの目的地もそこになるわけですね」

「ま、そういうこった。ムッツリーニ、具体的な所在や形、それと名前は聞いているな?」

「…………俺を誰だと思っている」

「ムッツリーニだろ」

「ムッツリーニだね」

「ムッツリーニじゃな」

「…………」

 

 ムッツリーニは何故か困ったような顔をして砂漠を歩きはじめた。何か気に入らなかったのかな?

 

「きっと土屋君は”王宮諜報員の土屋君”って呼ばれたかったんですよ」

「へ? そうなの? なんで?」

「なんでと言われましても……私がそう感じただけですので、本当のことは本人に聞いてみないと分かりません。……ごめんなさい」

「ふ~ん……あ、別に姫路さんが謝る必要はないよ? なんにも悪いことなんかないからね?」

「はいっ、ありがとうございます」

 

 でも確かにムッツリーニの本名を久しく呼んでない気がする。女子は皆名字で呼んでいるけど、僕らにとっては”ムッツリーニ”が当たり前になってるんだよね。

 

 ……っと。

 

「皆、急ごう。ムッツリーニを見失っちゃいそうだ」

「だな。砂漠の夜は死ぬほど冷えるって言うし、こんなところで夜を迎えるわけにはいかねぇからな」

 

 僕たちはムッツリーニの後を追い、砂の大地を歩き始めた。蜃気楼のように揺らめくアルミッタの町へと向かって。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 アルミッタの町に入った後、僕たちはすぐに次の行動に移ることにした。

 

「えーっと、マリナポートはここからずっと南に行った所だったよね?」

 

 最大の難関であった砂漠越えを果たした今、大きな問題は残っていない。あとは扉の島へと突き進むのみだ。

 

「そうだ。だがここから結構時間が掛かるらしい。恐らくこの時間では馬車の定期便も出ていないだろうな」

「え。そうなの? じゃあどうすんのさ」

「まぁ、ここで宿を取るほかないじゃろうな」

「やっぱそうなるよね」

「それじゃウチ、ホテルを探してくるわね」

「あ、僕も行くよ」

 

 初めて来る町に美波1人を送り出すわけにはいかない。僕は彼女を追って走り出した。

 

「おい、ちょっと待てお前ら!」

 

 すると雄二が僕たちを呼び止めた。

 

「なんだよ雄二」

「お前らひとつ忘れてやしないか?」

「忘れる? 何を?」

「ったく、やっぱり忘れてやがる」

 

 こいつ、こういう勿体ぶる性格は相変わらずだな。じれったくてしょうがない。

 

「なんだよ。早く言えよ。何を忘れてるってのさ」

「リットンで聞いただろうが。ここアルミッタからマリナポートの間には小さな宿町があるってことをな」

「宿町?」

 

 リットンで聞いたって? え~っと……そういえばそんな話を聞いたような気がするような……しないような?

 

「やれやれ。本当に物覚えの悪い奴だな」

「悪かったね! どうせ僕は物覚えが悪いですよーだ!」

「何を開き直ってんだお前は……」

「だって物覚えが悪いのは事実だし、開き直るしかないじゃないか」

「あーもういい。話が進まん。いいかよく聞け。この町からマリナポートの中間には小さな宿町がある。そこは文字通り大きなホテルが一軒あるだけの町らしい」

「ふ~ん。で、それがどうしたのさ」

「まだ分からねぇのか。俺たちは少しでも時間を短縮したい。見ての通りまだ日は高い。ならここで宿を取るのではなく、その宿町に行くべきだろ」

「おぉっ! なるほど!」

「なるほどのう。確かにそのような話に聞き覚えがあるぞい。名を確か……”ローゼスコート”と言ったか」

「それじゃウチらが探すのはホテルじゃなくてそのローなんとかって町に行く方法ね?」

「ローゼスコートじゃ」

「私もその名前は聞いたことがあります。庭園に植えられた薔薇が特徴のホテルだそうです」

「へぇ~、それは女の子に人気ありそうだね」

「…………行き方を調べてくる」

 

 ムッツリーニはそんな言葉を残すと忽然と姿を消した。行動の早いやつだ。それにしてもあいつ、機嫌を直してくれたのかな? 残していった言葉もどことなく嬉しそうな感じだったし。

 

「ムッツリーニのやつ、張り切ってやがるな」

「女子に人気と聞いてやる気が出たのじゃろう」

「あ、あはは……土屋君らしいですね……」

「よし、ムッツリーニが戻るまで一応地図を確認しておくか。姫路、例の地図を出してくれ」

「はいっ」

 

 姫路さんが鞄から一枚の紙を取り出すと、雄二はそれを受け取って説明を始めた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「いいか。俺たちはこんな感じで……砂漠を渡ってきた。今いるのがここ、アルミッタだ」

「ねぇ雄二、この三角は何を意味してるの?」

「山脈だ」

「こんなに沢山の山があるんですか?」

「あぁ。そうらしい。北の海路を調べた時に疑問に思ったんだ。王都からカノーラまでは半日程度で着くのに、なぜアルミッタからマリナポートまで2日かかるのか」

「……山脈があるから真っ直ぐ進めない」

「そういうことだな。こいつは地図で見ても分からなかった点だ。砂漠を横断して正解だったってことだな」

「ふ~ん。そうだったのか。それでここんとこに宿町があるんだね」

「この宿は最近できたもので、それまではこの山岳地帯を通る者はほとんどいなかったって話だ」

「無理もあるまい。夜の山道は危険じゃからな」

 

 ということは、また山道を走る馬車に乗るのか。あれってお尻が痛くなるからあんまり好きじゃないんだよね……。

 

「俺たちに残された時間は今日を含めてあと5日。ローゼスコートで宿を取るとして、マリナポートに到着するのは明日の昼過ぎから夕方だろう」

「つまり港に着いてから3日以内に扉の島を見つけないといけないってことね」

「その通りだ島田。今までに得た証言で扉の島がマリナポート沖にあることは分かっている。だが正確な位置については情報が無い」

「その点はどうするのじゃ?」

「マリナポートの漁師に聞くしかねぇだろうな」

「やはりそうなるかのう」

「また聞き込みかぁ……この世界に来てから聞き回ってばっかりだよ」

「仕方ねぇだろ。この世界にはインターネットも何もねぇんだからよ」

「まぁ、そうなんだけどさ」

「…………調べてきた」

 

 !?

 

「む、ムッツリーニ!? もう戻ったの!?」

「…………召喚獣を使った」

「そこまでしなくたっていいのに……」

「…………善は急げだ」

 

 何が”善”なんだろう。

 

「戻ったかムッツリーニ。で、どうだった」

「…………今日はあと1便ある」

「時間は?」

「…………30分後」

「そうか。なら決まりだな。皆、そいつに乗ってローゼスコートまで行くぞ。ムッツリーニ、案内してくれ」

「…………了解」

 

 雄二の指示のもと、僕たちは移動を始めた。それにしても残り日数も少なくなってきたな。寄り道をしていると間に合わなくなって元の世界に帰れない――なんてことになりかねない。よし、気を引き締めて行こう!

 

「薔薇園のあるホテルってどんな感じなんでしょうね」

「きっと良い香りでいっぱいの庭よ。それで夜はライトアップされてすっごく綺麗な夜景になるの」

「わぁ……良いですねっ!」

「……楽しみ」

「翔子は何色の薔薇が好き?」

「……雄二が私のために用意してくれる薔薇なら何色でもいい」

「えっ? 坂本が買ってくれたの?」

「……ううん。これから用意してくれる」

「ちゃっかりしてるわねアンタも」

 

 ……

 

 なんだろう。この緊張感の無さ。まるで遊びに行くみたいじゃないか。せっかく気合いを入れたのに台無しだよ。

 

「んむ? どうしたのじゃ雄二よ。気分が優れぬのか? 顔が真っ青じゃぞ?」

「あぁ……なんだか妙な寒気がしてな……」

 

 前を歩く2人からそんな会話が聞こえてくる。きっと後ろの女子3人の話が聞こえているのだろう。雄二も大変だなぁ。霧島さんに薔薇のプレゼントをしなくちゃいけないなんてね。

 

 ……薔薇か。

 

 僕もプレゼントしてみようかな。情熱的な真っ赤なやつを……さ。

 



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第三十四話 薔薇の宿町

 ――――こんなことになるなんて夢にも思わなかった。

 

 

 アルミッタに到着後、僕たちはすぐに町を出て、宿町と呼ばれる”ローゼスコート”に向かった。移動はもちろん馬車。馬車道はとても細く、山岳の合間を縫うように走っていた。

 

 似たような地形はガルバランドでも見ている。だが決定的に違うものがある。それは気温だ。ガルバランド王国の山岳は吐く息すら凍り付きそうなくらいに寒かった。それに対し、ここサラス王国は気温がやたらと高い。温度計が無いので詳しくは分からないが、37、8度くらいあるのではないだろうか。乾燥しているのがせめてもの救いか。もしこれで熱帯のようにジメジメしていたら人間は暮らせないかもしれない。

 

 そんな気候の中、馬車は僕たちを乗せ、曲がりくねる山道をひた走る。馬車内は左右両側に座席があり、乗客は綺麗に並んで座っている。それも肩が触れ合うほどに狭いため、ほぼ身動きが取れない。乗客は僕たちの他にも数人が乗っていて、14人席は満席だ。おかげで横に美波やムッツリーニが座っていても大きな声で話すわけにもいかない。心身共に窮屈な時間だった。

 

 そしてアルミッタを出発してから4時間ほど経過した頃、先頭の馬2頭がヒヒィンと嘶いた。

 

「到着かしら?」

「そうなのかな?」

 

 しばらくすると馬車は次第に速度を落としていった。覗き窓から首を出してみると、前方の岩山の合間に城のような建物が見えた。きっとあれがローゼスコートだ。美波の言う通り到着のようだ。

 

 そして馬車は程なくして停止。僕たちは客車を降りた。

 

「わぁ……」

「綺麗……」

 

 姫路さんや美波が感嘆の声を漏らす。

 

 赤、白、黄色、ピンク。色鮮やかな花が咲き乱れる(その)が、そこにはあった。

 

「これはまた見事な庭園じゃのう」

「…………薔薇しか見えない」

 

 その町は他の町同様、円形の外周壁で囲まれていた。町の上空には薄緑色の膜が張られ、魔障壁が存在をアピールしている。これだけの説明では他の町と変わりはない。だがこのローゼスコートは他の町と比べて大きく違う部分があった。

 

 それは建物の数。町とは人や家屋が集まって成すもの。ところがこの町には建物が1つしかない。広大な敷地内の真ん中にドンと、まるで宮殿のようなに大きな建物が1つ。この町にはそれしかないのだ。果たしてこれが町と呼べるのだろうか。

 

 そして大きな違いがもう1つ。僕たちが降りた場所は町の端。外周壁を入っですぐのところだ。ここからは町内――いや、むしろ園内か。この園内に敷かれた石畳の道を進み、あの宮殿まで行くことになるようだ。

 

 今までも、目的地が町の中でそこまで徒歩で行くことは何度もあった。けれどそこまでの道がこれほど花で満たされていることは一度も無かった。しかもこの道は無駄と思えるほど曲がりくねり、遠回りをさせるようになっている。恐らくは薔薇の花道を楽しませるがための構造なのだろう。

 

「……薔薇園」

「あぁ。しかし見事に薔薇しかねぇな」

「……とっても綺麗」

「そうだな」

「……雄二はどの花を贈ってくれるの?」

「なんの話だ」

「……私への愛の証」

「何を寝ぼけたこと言ってやがる。俺が花なんかを贈るガラじゃねぇのは分かってんだろ」

「……私は赤が好き」

「聞けよ!」

「……赤は情熱の色。私は緋色の薔薇がいい」

「ホントお前って話を聞かないよな……」

「……じゃあ緋色の薔薇をプレゼントしてくれる?」

「あぁ分かった分かった。また今度な」

「……本当に?」

「あぁ。覚えてたらな」

「……楽しみにしてる」

 

 前を歩く雄二と霧島さんがそんな会話をしている。雄二のやつ、意図的に忘れるつもりだな? バカだなあ。霧島さんにそんなのが通用するわけがないのに。

 

「いい香りですね」

「ホントね。それに色も鮮やかでとっても綺麗」

「そうですね。私、こんな山の上でこんなにも綺麗なお花を見られるなんて思いませんでした」

「砂漠と違って気温があんまり高くないからお花も咲くのかしら」

「あ、そういえばここって暑くないですね。むしろ涼しいくらいです」

「過ごしやすくていいわね」

「いつもの制服でいられるのって楽でいいですよね。ふふふ……」

 

 僕の後ろでは美波と姫路さんが楽しげに話をしている。2人とも薔薇園内の散歩を楽しんでいるようだ。本当は散歩しているわけじゃなくて今夜の宿に向かっているのだけどね。

 

「…………腹が減った」

「そうじゃな。今日は朝食以降何も食うておらぬからのう」

「…………この薔薇は食えるのか?」

「バカを言うでない。このようなものを食せば腹を壊してしまうぞい?」

「…………食用の薔薇もある」

「なんと……それは本当か?」

「…………エディブルという」

「お主も妙なことに詳しいのう」

「…………今の問題はこの花が食えるかどうかだ」

「やめておいた方が良いと思うぞ? どう見てもこれは観賞用じゃ」

「…………腹が減った……」

「宿に着いたらまずは食事じゃな」

 

 最後尾を歩く秀吉とムッツリーニはこんな会話をしながら歩いている。むう。秀吉たちがあんな話をしているから僕もお腹が空いてきちゃったじゃないか。だいぶ日も暮れてきたし、秀吉の言うとおりホテルに入ったらご飯かな。

 

 

 

 ――そんなこんなで30分後

 

 

 

 僕たちはようやく中央に聳えている建物に到着した。

 

「やれやれ。近くに見えていたわりに時間が掛かったのう」

「あれだけ回り道させられたら時間が掛かるのは当然だろ」

「……観光用だから当然」

「ま、そうなんだけどな」

「それにしても大きなホテルね。まるでお城じゃない」

「うん。ホントだね……」

 

 こうして目の前で見ると、本当に城のようだ。入り口の木製の扉は高さおよそ3メートル。幅は4、5メートルほどありそうだ。トラックでもまるごと入れそうなくらいの大きさだ。

 

 よく見ればこの扉には薔薇模様が刻まれ、所々に金色の飾りが施されている。なんと豪華な入り口だろう。上を見上げると縦に並んだ窓が3つ見える。どうやらこのホテルは3階建てらしい。そしてその更に上には、天を貫くかと思うほどに高い2つの塔が立っている。これを城と言わずして何というのか。

 

「これはまた巨大なホテルじゃのう……」

「…………元は王妃の別荘だったらしい」

「なんと。それはまことか? ムッツリーニよ」

「…………この前依頼の花を届けに行った時に聞いた」

「へぇ~、どうりで大きいと思ったわ。こんな豪華なホテルなんて見たことないもの」

「こ、こいつが別荘だってのか? なんて規模だ……贅沢にも程があるだろ……」

 

 よく大きさのたとえとして、ドーム球場3個分といった表現がある。これに習って言うならば、このホテルは文月学園の校舎2個分といったところだろうか。縦も横も2倍ずつあるような感じだ。しかもこれが別荘だなんて、雄二が驚く気持ちもよく分かる。

 

 ……ん? 待てよ? 縦横2倍って建物2個分でいいんだっけ? なんだか分からなくなってきちゃった……。ま、まぁいいや。とにかくそれくらい大きいってこと!

 

「しかし解せぬのう。何故王妃殿の別荘がホテルなどやっておるのじゃ?」

「…………それも聞いてきた」

「ほぅ。さすがじゃな。して、その理由とは何じゃ?」

「…………一度使って飽きたらしい」

 

 

 ―― どんだけ()(まま)な人なんだ ――

 

 

 僕ら全員の心が一致した瞬間だった。

 

「あ、あの……坂本君?」

「なんだ姫路?」

「ここってもしかしてすっごく高いホテルなんじゃないですか……?」

 

 姫路さんが恐る恐るといった様子で尋ねる。それは僕も感じていた不安だ。こんなにも豪華なホテルだと宿泊料がもの凄いことになっていそうだ。手持ちの魔石やお金(ジン)で足りるだろうか……。

 

「大丈夫よ瑞希」

「えっ? どうしてですか?」

「実はウチね、メランダで町を守っていた時に魔石を沢山拾っておいたの。これを売ればかなりのお金になるはずよ」

「拾ったのは僕だけどね」

「う、うるさいわね! どっちだっていいじゃない!」

「リュックに入れて持ってるのも僕なんだけど……」

「と、とにかくそういうこと! だから少しくらい高くても大丈夫のはずよ!」

 

 魔石を持ち帰ろうって言ったのも僕なんだけどな。まぁいいか。2人で集めたことには違いないんだし。

 

「あ、そういえば私も少し拾ってきましたよ」

「ワシもじゃ」

「…………俺も」

「なんだ、結局皆資金源は持ってるんじゃないか。なら問題無いよね、雄二」

「あぁ。今回はそいつを頼りにさせてもらうぜ。じゃあ行くか」

 

 雄二は巨大な扉の取っ手に手を掛け、引いていく。

 

 

 ――ギ、ギ、ギィィ……

 

 

 木の扉が音を立てて開いていく。そう古くないように見えるのにこんな音を立てるのは、扉そのものの重量のためだろうか。

 

 そしてロビーに入って再び驚いた。

 

 両側の壁に設置された、眩しいと感じるほどに明るい魔石灯の灯り。その光を反射し、キラキラと輝く天井から吊された巨大なシャンデリア。他にも様々な装飾が施され、すべてが煌めいていた。床には真っ赤なじゅうたんが敷き詰められ、その豪華な造りは王宮を思わせる。そしてこのロビー内にも沢山の薔薇の花が飾られ、室内は花の香りで満ちていた。

 

「ほぇ……」

 

 表現するならば、”開いた口が塞がらない”だろう。こんなにも立派な宿は初めて見た。まるで高級ホテルだ。

 

「何してんのアキ。行くわよ」

 

 ……ハッ!

 

「わわっ、ま、待ってよ皆!」

 

 気付けば皆は既に奥の受付に移動していた。慌てて後を追う僕。

 

「思ったほど高くはないようじゃの」

「あぁ。町中のホテルに比べて若干高いくらいだな」

 

 秀吉と雄二が受付カウンターで何かを覗き込んでいる。話からして料金表だろう。

 

「どれどれ、僕にも見せて」

 

 

  シングル    8000

  ダブル    10000

  ツイン    12000

  クァルテット 20000

 

 

 非常にシンプルな料金表だった。

 

「あれ? ホントだ、そんなに高くない?」

 

 自分の目が悪くなったのかな? と思って目を擦ってみても、丸の数は変わらなかった。ガルバランド王国の王都サンジェスタで借りてた部屋より少し高いくらいの値段だ。

 

 受付の蝶ネクタイの男性に聞いてみると、どうやらこの値段は管理人の方針らしい。彼らはこの別荘を維持するために雇われた国の職員だという。しかし王妃がここを使ったのは過去に1度だけ。それも1週間ほど使った程度だという。それ以来王妃はここを訪れることもなく、彼らはただこの施設を維持しているだけだった。

 

 この別荘の部屋は大小合わせて100ほどあり、数百人規模の食事を用意できるキッチンや大きな風呂もある。これらはすべて王妃一行を迎え入れるためのものであるという。これほどの施設をただ維持するだけではもったいない。地理的にもアルミッタとマリナポート港のちょうど中間地点に位置する。そこで管理人はこの別荘を景観が変わらない程度に改造。旅人の憩いの場として宿の経営を始めたという。

 

 つまり、王家から維持費を貰っているのでこの程度の値段で運営できるということらしい。

 

「へぇ~……そういうことだったのか」

「良心的じゃのう」

「…………腹が減った」

「とりあえず部屋の契約だな。幸い部屋はそこそこ空いているようだ。問題はどう割り振るかだが……」

「やっぱり男子と女子で分けるのがいいんじゃないかな」

「また秀吉も一緒にすんのか?」

「ワシも男なのじゃが……」

 

 なんて相談をしていると、受付の方から霧島さんの声が聞こえてきた。

 

「……ダブルを一部屋」

「ダブルをお一つですね。ディナーはお付けしますか?」

「……部屋で食べられる?」

「もちろんお部屋にお持ちすることも可能です」

「じゃあそれも付けて」

「かしこまりました」

 

 ん? 霧島さんがもう部屋の契約を始めている?

 

「ちょっと待てぇぇーー!!」

 

 血相を変えて受付に飛んでいく雄二。

 

「お前何を勝手に契約してんだよ!」

「……お金に心配はない」

「そうじゃねぇよ! なんでダブル借りようとしてんだよ! 俺たちは7人だろうが!」

「……雄二と2人で過ごすため」

「それじゃ残りの5人はどうすんだよ!!」

「……?」

「そこでなぜ不思議そうな顔をするんだお前は……」

 

 キョトンとした顔をしながら霧島さんはもうひとつの受付カウンターを指差した。

 

「えっと、ダブルもうひと部屋ありますか?」

 

 隣のカウンターでは、赤い髪をまとめ上げた女の子が受付の女性に向かって話し掛けていた。

 

「ちょっと待って! 美波まで何やってんの!?」

 

「えっ? えっと……じょ、冗談よ冗談! ダブルってどんな部屋かなーって見てみたかっただけよ!」

 

 あははと愛想笑いをしてみせる美波。でも今「ありますか?」って聞いてたよね。本当は借りるつもりだったんじゃないの?

 

「お前らな……いくら金に余裕があると言っても無駄遣いするなよ」

「……残念」

「はぁ~い」

 

 美波と霧島さんは不服そうだ。そりゃあ僕だって美波と2人で綺麗な夜景を見たりとかしたいけど、今は姫路さんたちもいるからね……。

 

「うん? 君はもしかして……」

 

 そんな話をしていると、不意に後ろから声を掛けられた。まさかこんなところで生き別れの兄さんが!? なんてね。僕には姉さんしかいないさ。それにここは召喚獣の世界なんだから姉さんがいるわけがない。でもそうすると誰なんだろう?

 

 後ろを振り返ってみると、短い真っ白な髪を逆立てた四角い顔のお爺さんが立っていた。知らない人だ。もしかして人違いかな?

 

「おぉ! やっぱり君たちか! 俺だ、レスターだ!」

「レスターさん!?」

「いやぁ、どこかで見た服だと思った。まさかこんな所で会うとはね」

「お元気そうで何よりです。あら? そういえば王妃様はどうされたんですか?」

「うん? あぁ、逃げ出してきた」

「えぇっ!? ほ、本当ですか!?」

「ガハハッ! 冗談だ冗談!」

「そ、そうなんですか……びっくりしました……」

 

 突然現れたお爺さんは姫路さんと楽しそうに話し始めた。この人がレスターさん? あのファッションショーの妖精風のドレスや天使風のドレスを作った? こんな(いか)つい顔をしたお爺さんが? し、信じられない……。

 

「…………久しぶり……です」

「レスター殿、その節は世話になり申した」

「おう。キノシタにツチヤも一緒か。皆元気そうで何よりだ」

 

 レスターを名乗ったお爺さんは腕を組みながらうんうんと頷いている。このお爺さんがあのキラキラした女の子用の衣装を作ったなんて、やっぱり信じられない。どう見ても肉体労働系の人にしか見えないよ……。

 

「なんだ姫路、知り合いか?」

「あ、はい。そうなんです。腕輪を探している時にちょっとご縁がありまして。こちらレスターさんです」

「はじめまして。代表の坂本雄二と申します。仲間が大変お世話になりまして……深く感謝いたします」

 

 雄二は姿勢を正し、深く頭を下げる。こいつが頭を下げる所は今までも何度か見ている。けれどその度に強い違和感を覚えてしまう。たぶん胸を張って皆に指示をする姿ばかりを見ていたからだと思う。

 

「そうか、君がヒメジ君の言っていたサカモトか。なぁにそう(かしこ)まるな。世話になったのはこちらも同じ。お互い様ってこった。ガッハッハッ!」

 

 レスターさんは腰に両手を当てて豪快に笑い飛ばす。う~ん……イメージと全然違うなぁ……。

 

「ところでレスターさんはどうしてこんな所にいるんですか?」

「うん? それはこっちの台詞だ。君たちこそ腕輪を手に入れて元の世界に帰ったんじゃなかったのか?」

「色々と事情がありましてのう。これからなのじゃ」

「フーン……そうか。色々と事情か。まぁ深くは聞かねぇよ。俺は王妃の依頼品を作るための材料を買いに行くところでな」

「材料って、ドレスを作るための、ですか?」

「もちろんだ。俺が食材や雑貨を買うためにこんなところまで来ると思うか?」

「そうですよね……」

「しかしこの先は港町じゃぞ? そんなところにドレスの材料があるのかの?」

「染料のための貝がマリナポートで取れるんだよ」

「貝が染料になるんですか?」

「あぁ。貝紫(かいむらさき)と言ってな。いい紫色が取れるんだぜ」

「へぇ~……私、知りませんでした」

「実はこれも王妃の指示でな」

「えっ? 王妃様の? でもさっき逃げてきたって……」

「それは冗談と言っただろ。まぁ今回ばかりは言うことを聞いてやろうと思ってな。ヒメジ君の面目もあるからな」

「そうなんですね……すみません。ありがとうございます」

「まぁいいってことよ! ガッハッハッ!」

 

 ふ~ん……姫路さんとレスターさんって仲が良いんだな。こんなに歳が離れているのに。そういえば秀吉もマッコイさんと仲が良かったっけ。皆年上と上手くやれてるんだな。

 

 学園長は大人との接し方を学ばせると言っていた。こうして見ると皆は学園長の思惑どおり成長しているように思う。僕は……どうなんだろう。自信は無いな……。

 

「皆、チェックインしたわよ」

 

 そこへ美波が2つの鍵を手に戻ってきた。どうやら部屋と取ってくれていたようだ。そうか、レスターさんが来て皆が話し込んでしまったから気を利かせてくれたのか。

 

「ん? 君たちもこれからチェックインか。では俺も一旦部屋に戻るとしよう」

「はいっ、ありがとうございました」

 

 こうして僕たちはレスターさんと別れ、借りた部屋に移動した。

 

 

 

 城内――もとい。宿町の中はとても賑やかだった。借りた部屋に向かう途中、絶えず人とすれ違う。しかも誰もが笑顔を弾ませ、楽しそうに話しながら歩いて行くのだ。

 

「なんだか楽しそうですね。明久君」

「ん? 僕? そう?」

「はい。とっても」

「へへっ、なんか皆楽しそうだなって思ってね」

「そうですね。きっとお花が皆さんを笑顔にしてくれるんだと思いますよ」

「なるほど。そうかもしれないね」

 

 こうして話している最中も何組もの家族連れとすれ違う。はしゃいで廊下を駆けていく子供たち。それを窘めながら歩いて行く夫婦。そんな人々の笑顔を見ていると、僕まで楽しくなってきてしまう。

 

 ……王妃様の()(まま)もたまには人の役に立つんだね。

 

 そんなことを考えながら、僕は笑みをこぼすのであった。

 

 

 

 ――――この後あんな事態に陥るなんて、夢にも思わずに。

 



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第三十五話 束の間の日常

 借りた部屋は4人用が2つ。結局いつも通り男子部屋と女子部屋に分けることにしたのだ。早速それぞれの部屋に別れて荷物を下ろす僕たち。その後は全員を男子部屋に集め、明日の行動について確認することになった。

 

「お待たせしました」

「来たか。まぁ入れ」

「お邪魔するわね」

 

 美波と姫路さん、それに霧島さんがこちらの部屋に移動し、ベッドに腰掛ける。部屋は今まで借りたどのホテルよりも広く、装飾品もお洒落で高級感に溢れている。これほど安価な宿泊料で本当に良いのだろうかと疑問を抱いてしまうくらいだ。

 

「よし、それじゃ明日の予定を伝えるぞ。皆よく聞いてくれ」

 

 広い部屋の中、雄二の声が響く。皆は黙って頷いた。

 

「明日、朝一番の馬車でマリナポート港へ向かう。恐らく丸一日の移動になるだろう。マリナポートについたらすぐに管理人に証書を渡して小型艇を受け取る。ムッツリーニ、証書は持っているな?」

「…………当然」

「ちょっと待って坂本。島の場所ってまだ分かってないわよね」

「そうだ」

「どうすんのよ。船を貰ったところで行き先が分からないんじゃしょうがないじゃない」

 

 そう、僕たちはまだ扉の島の正確な位置を知らない。目撃したマリナポートの漁師の話では「港町から真っ直ぐ南下した」と言うが、その島は翌日には消えていたとも言う。にわかには信じがたい話だが、嘘だとも思えない。こうなると行ってみるしかないのだろうけど、漠然と海を彷徨って辿り着けるほど甘くはないだろう。雄二には何か考えがあるんだろうか。

 

「分かっている。だが俺たちは前に進むしかねぇんだ。幸いマリナポートには他にも目撃者がいるというからな。その人を尋ねて、見たという場所を教えてもらう」

「そういうこと……納得したわ」

「しかし雄二よ、島の位置が把握できたとして運転はどうするのじゃ? ワシは船の運転などできぬぞい?」

「…………俺もできない」

「僕だって無理だよ? 免許も持ってないし」

 

 船といえばマッコイさんだけど、マッコイさんは砂上船と共にカノーラに戻ってしまった。今から呼び戻すなんてこともできないし、他の運転ができる人を雇うしかないんじゃないだろうか。

 

「その点は心配無用だ」

 

 皆の疑問に対し、雄二は自信満々に答えた。やはり何か手を考えていたようだ。こいつってホント用意周到だよな……。

 

「この世界の船のことは本を買って頭に叩き込んでおいた。特に小型艇を中心にな」

「あ、もしかしてアンタが馬車の中で読んでた本?」

「そういうことだ。姫路にも読ませてあるから運転の関する心配はないと思ってくれ」

「えっ? 瑞希も?」

「はい。一応本は読みました」

「船の運転ができるなんてアンタ凄いじゃない!」

「いえ、運転できるかどうかは実際にやってみないと分かりません。ただ頭で覚えただけですので……」

「大丈夫よ。瑞希ならきっとできるわよ」

「そうでしょうか……?」

 

 そうか、雄二と姫路さんが船の運転をできるようになったのか。これは心強い。でもどうして姫路さんなんだろう?

 

「ねぇ雄二、どうして霧島さんじゃなくて姫路さんなの? 霧島さんだって記憶力良いと思うんだけど」

「お前忘れたのか?」

「? 何を?」

「翔子は機械が苦手なんだよ」

「あ……そっか」

 

 そういえば霧島さんは機械音痴なんだった。以前も使い方が分からないって、携帯電話の操作について聞かれたことがあったっけ。

 

「……ごめんなさい」

「あっ、別に翔子ちゃんが悪いわけじゃないんですよ? 苦手なものって誰にだってあるものですから」

「……瑞希は優しい」

 

 うんうん。そうだね姫路さん。苦手なものって誰にでもあるものだよね! でも君はもう少し食べられるものとそうでないものを区別してほしいな!

 

「以上だが、何か質問はあるか?」

 

 

  ぐうぅぅぅ~……

 

 

『『『…………』』』

 

 突如として部屋に響き渡った奇妙な音。全員が何事かと辺りをキョロキョロと見て回す。……1人を除いて。

 

「…………俺の腹の虫だ」

「あ、あはは……」

 

 真顔で答えるムッツリーニに、姫路さんが愛想笑いする。

 

「質問もないようじゃし、晩飯にするかの」

「じゃあ私、何か作りましょうか?」

 

 !?

 

「い、いや! 作っておってはムッツリーニの身がもたぬ! ここはひとつレストラン街に行くのはどうじゃ!?」

「はいはい賛成! 僕もここの料理に興味あるんだ!」

「よし、今日はこのホテルの料理を楽しもうぜ! 実は俺も腹が減ってたまらないんだ!」

「ウチは別に食事を作ってもいいけど……。でも手っ取り早く食べに行くのもいいわね」

「美波もこう言ってるし、決まりだね! じゃあ皆で行こう!」

 

「「「おーっ!」」」

 

「どうしたのよ皆。やけにノリがいいじゃない」

「まぁまぁいいじゃないか。さ、早く行こうよ美波」

「えっ? な、何?」

「ほらほら、ムッツリーニが餓死しそうだってさ」

「ちょ、ちょっと待ってアキ。そんなに押さないでよ」

 

 やや強引に美波の背中を押して部屋を出る僕。お腹が空いたというのもあるけど、この空腹状態で姫路さんの手料理は勘弁してほしいからね……。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「美味しかったわね」

「私、こんな山奥でシーフードグラタンが食べられるなんて思いませんでした」

「ウチの頼んだパスタも海の幸いっぱいでとっても美味しかったわよ」

「私もそれにすれば良かったかな……」

「瑞希ったら食いしん坊ね。2つも食べるつもりだったの?」

「ふぇっ!? ち、違いますっ! パスタもちょっと美味しそうって思っただけですっ!」

「ホントに?」

「ほ、本当……です……」

「ふふっ、無理しちゃって。でも2つを半分ずつ交換すれば良かったかもしれないわね」

「あ、その手がありましたね。もっと早く気付けば良かったです」

「じゃあ今度はそうしましょ」

「そうですね。ふふふ……」

 

 2人はそんな話をしながら通路を歩いている。僕たちは飲食エリアで食事を済ませてきたところだ。

 

 食事をしたのはホテルの1階。レストラン街だ。そこは多数の飲食店が集まり、デパートのレストランフロアのようなものを形成していた。カフェレストラン、肉料理店、エスニック料理店など、種類も様々だ。僕たちが入ったのはそのうちの一つ。パスタをメインにした洋食屋だった。

 

「む? どうしたのじゃ?」

 

 そんな秀吉の声が後ろから聞こえた。振り向いてみると、壁をじっと見つめているムッツリーニと、それを見つめる秀吉の姿があった。2人とも何をしてるんだろう?

 

「…………館内図」

「ほう。どれ、ワシにも見せてくれぬか」

 

 館内図か。せっかくだし僕も見てみようかな。と思って秀吉たちの元へと行ってみると、他のみんなもゾロゾロとついてきたようだ。

 

「ふ~ん……このホテルって綺麗な三角形をしてるのね」

「私たちが入ったのは下側の正面入り口ですね」

「……ここは西側のレストラン街」

「へぇ、西と東にも入り口があるんだな」

「3ヶ所の出入り口がそれぞれ通路で繋がっておるのじゃな」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 なるほど。この建物は3本の通路で囲むような形になっているのか。1階の中央部分はイベントホールのようだ。それにしてもなんて広い通路だ。向かいの店舗があんなに遠くに見える。まるで4車線道路だ。これが建物の中だというのだから本当に驚きだ。さすが王家の別荘。このスケールは僕の常識を覆すほど壮大だ。

 

「この辺りは全部レストランなんですね」

「凄いわね。お店、40くらいあるんじゃない?」

「本当ですね。あ、東側はお洋服やアクセサリのお店なんですね」

「……行ってみる?」

「そうですね。時間があれば行ってみたいですね」

「北側は食品売り場か」

「このような山奥で買っていく者などおるのじゃろうか」

「さぁな。ここら辺の飲食店が買っていくんじゃねぇか?」

「なるほどのう。それにしても沢山の店があるのう」

「これがホテルとは思えねぇな」

「…………ショッピングモール」

「あぁ。まさにそれだな」

「これがこのホテルが(まち)と呼ばれる由縁というわけじゃな」

 

 皆の言うように、このホテルにはあらゆるものが揃っていた。3階には大浴場が。2階には娯楽施設もあるというのだから、至れり尽くせりだ。ここで暮らそうと思えばできなくもないくらいだ。

 

「ねぇ瑞希、翔子、ショッピングもいいけどその前にお風呂に行かない?」

「確か3階に大浴場があるんでしたよね」

「そうよ。すっごく広くて見晴らしも良いらしいわよ」

「……行く」

「私も行きますっ」

「じゃあ決まりね」

 

 美波たち女子はお風呂か。僕もひとっ風呂浴びて馬車旅の疲れを癒すとするかな。

 

「雄二、僕らも風呂にしようか」

「そうだな。明日は早くに出発だ。風呂に入ってさっさと寝るか」

「じゃあ部屋に戻ったらすぐ準備を…………って、なんで睨んでるのさ」

 

 痛いほどに視線を感じると思ったら、美波の視線だった。彼女は腕を組んで目を細め、横目でじっとこちらを睨んでいる。どうみてもこれは何かを疑っている目だ。

 

「大浴場って言うと思い出すのよね」

 

 大きな目を吊り上げて美波が言う。

 

「思い出す? 何を?」

「決まってるじゃない。あれだけの騒ぎを起こしておいて忘れたとは言わせないわよ」

「騒ぎ? あれだけ? はて……?」

「アンタ本当に忘れてるの?」

「あ……」

 

 思い出した。美波が言っているのはきっと強化合宿の時の話だ。あの時はお尻に火傷の痕がある女子を探すために女子風呂を覗きに行ったんだ。盗撮の犯人を探すためにね。結局目にしたのは世にもおぞましい光景だったけどね。うげぇ……思い出したら吐き気が……。

 

「どうやら思い出したようね」

「う、うん。2度と思い出さないように封印していた記憶もね……」

「いいことアキ! あの時みたいに覗きなんかしたら承知しないんだからね!」

「いくら僕だって公共の場でそんなことしないよ!?」

 

 それに大浴場+覗きは僕にとって、もはやトラウマに近いし……。

 

「ふ~ん……どうかしらね」

「もう2度とあんなことはしないよ! 神に誓って!」

「怪しいわね」

「大丈夫ですよ美波ちゃん。明久君は嘘はつきません」

「そうね。アキってホント嘘が下手だものね。いいわ。信じてあげる」

 

 良かった。信じてもらえたようだ。というか、今回は本当に嘘は言っていない。

 

「……雄二は私だけなら見てもいい」

「見るかっ!」

 

 あ、なんかデジャヴ。

 

「こ……公衆の面前で……そんなことはできないという……意味だ……」

 

 霧島さんの細い指が、鷲の爪のように雄二の顔面に食い込んでいる。いつもの光景だ。

 

「……じゃあ2人きりなら?」

「ばっ! バカ言ってんじゃねぇ! ンなことするわけねぇだろ!?」

「ふふ……坂本君、顔が真っ赤ですよ?」

「うがーっ! からかうんじゃねぇっ!」

「……雄二は素直じゃない」

「お前は少し場を(わきま)えろ……」

「やれやれ、騒々しいのう。ほれお主ら、他の者の邪魔になるぞい」

 

『『は~い』』

 

 そんなこんなで僕たちは一旦2階の客室に戻ることにした。まったく、秀吉の言うように騒々しいな雄二は。でもこんな騒々しさは嫌いじゃない。いつもの生活に戻った気がするからかな?

 



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第三十六話 はじまる異変

「ふぅ~……やっぱり汗を流すと気持ちいいなぁ」

 

 大浴場で1日の汗を洗い流し、さっぱりした僕はホテルの中をそそくさと歩いていた。

 

 え? 覗きがバレて逃げているんだろうって? いやだなぁ。僕がそんなことをするわけないじゃないか。そんなことをしたら美波に殺されるし、そもそもここは不特定多数の人が泊まる場所。あの時のような騒動を起こせば今度は警察に突き出されてしまうからね。この世界に警察があるのか知らないけど。

 

「あれ……カジノ?」

 

 2階に降りた僕はガッカリしてしまった。理由は単純。期待したものがそこに無かったからだ。

 

 この世界では僕が遊べるような娯楽がほぼない。ボール遊びや公園の遊具などはあるのだけど、携帯できる遊ぶものと言えばトランプカードゲームくらいしかない。いつも遊んでいたような携帯ゲーム機などの類いがないのは寂しい。だからさっき1階で”娯楽施設”の字を見た瞬間、行こうと決めていたのだ。そのために風呂も”烏の行水(カラスのぎょうすい)”並にして出てきたというのに、これでは期待外れもいいところだ。

 

「ちぇっ。これじゃ楽しめそうにないや」

 

 カジノやビリヤードに興味は無いんだよね。クレーンゲームやビデオゲームとかのゲームセンターを期待していたのにな。しょうがない。他を見てみるか。

 

 早速2階をぐるりと歩き回ってみる。しかし2階には巨大なカジノの他に遊べるような施設はなく、あとは客室だけだった。これ以上2階を歩き回っても面白くなさそうだ。そんなわけで3階に戻り、歩き回ってみることにした。

 

 ……よく考えたらこの世界には電気がないんだからテレビゲームの類いなんてあるわけないか。我ながら無駄な期待をしたものだ。

 

「ん? これは……」

 

 3階の廊下でふと目にした看板。そこにはこう書かれていた。

 

 

 ~~~~~~~~~~

 

   ↑大展望台 

 

 ~~~~~~~~~~

 

 

 このホテルは確か3階建て。この先は屋上だ。つまり屋上が展望台になってるってことか。

 

 ”展望台”という文字になんだか不思議な魅力を感じる。娯楽施設の内容が残念だったことも影響しているのだろうか。

 

(……行ってみようかな)

 

 僕は看板の横の階段を上り始めた。階段は1段が低く作られていて緩やかだった。そんな階段を上っていくと、開け放されている扉が見えた。扉の外からは橙色の光が斜めに、まるで空間を切るかのように差し込んでいる。

 

 誘われるようにしてそこから出てみると、そこは月の光で溢れていた。周囲には魔石灯も備えられ、月の光と相まって綺麗な夜景を作り出している。

 

 屋上の周囲には手すり付きの柵が張り巡らされ、バルコニー状になっていた。背後には2本の大きな塔が聳え立ち、その天辺からは薄緑色の光が吹き出している。どうやら屋上全体が展望台になっているようだ。この広い空間にはいくつものベンチが置かれ、何人もの客が腰掛けて空を見上げている。皆この夜景を楽しんでいるようだ。

 

「ん~っ……! ふぅ……」

 

 僕も近くのベンチに腰掛け、天を仰ぐように伸びをしてみた。うん。気持ちいい。砂漠の暑さが嘘のように涼しい。まるでハルニア王国の夜のようだ。

 

 空には大きな満月が登り、柔らかな光を注いでいる。現実世界と同じか少し大きいくらいの満月だ。そういえば今まで気にしなかったけど、この世界にも月があるんだな。

 

「……」

 

 やや緑がかった黒い空を見上げ、僕は思った。

 

 ここは召喚獣の世界が変異した世界。この世界に来てから今日で33日目。もう1ヶ月以上が経過している。姉さんはどうしているだろう。やはり僕のことを心配しているのだろうか。色々と理不尽なことをする姉だけど、こうして離れてみると寂しくも感じる。美波や姫路さんの家族、それに他の皆の家族だって心配しているだろう。

 

 普通に考えたら、家族が1ヶ月間も帰らなければ警察に届ける。あの非常識な姉さんだってきっとそうするだろう。もしかしたら既に行方不明事件として警察が捜索しているかもしれない。……いや、学園長は僕らがここにいることを知っている。もし警察沙汰になれば学園長も困るだろうし、きっと皆の家族に説明してくれているはずだ。

 

 ……

 

 説明してくれてる……よね?

 

「みーつけたっ」

 

 ぼんやりと夜空を眺めていると不意に横から声をかけられた。

 

「こんな所で何してるの?」

 

 赤いミニスカートに黒のブレザー。黄色いリボンでまとめ上げたポニーテール。吊り上がった大きな瞳に整った睫毛。この女の子の名は島田美波。僕の彼女だ。

 

「ちょっと長湯しちゃってね。夜風に当たって少し冷やそうかと思ってさ」

「ふ~ん……それにしては深刻そうな顔してたけど?」

「そう?」

 

 確かに考え事をしていたけど、そんなに深刻な顔をしてたかな。

 

「隣、座っていい?」

「うん」

 

 ベンチの隣に美波が腰掛ける。するとサァッと風が吹き、彼女の髪をなびかせた。目を細めて髪を押さえる美波。

 

 シャンプーはいつもと違うはずだ。この世界に美波の使っていたシャンプーがあるはずもないから。けれど風に舞う彼女の髪はいつもと変わらず、とても綺麗だった。

 

「ウチね。最近思ったの」

「ん? 何を?」

「アキに頼りすぎてたって」

「ほぇ? 頼りすぎ? そんなことないと思うけど?」

 

 むしろ僕の方が頼っていると思う。実際、あの魔人との戦いも美波の力が無ければ勝てなかった。他にも色々な局面において、彼女の機転が無ければ進まなかったことだって多い。

 

「ミロードの町に1人で放り出された時ね、ウチ何もできなかったの。どうすることもできなくて、ただ泣いてた」

「あれ? あの時、”泣いてない”って言ってなかったっけ?」

「そ、それは……! その……かっこ悪いかなって、思って……」

 

 別にかっこ悪いなんて思わないけどな。何の前触れもなく突然こんな異世界に飛ばされたんじゃ不安に押し潰されそうになっても仕方ないと思う。僕だって泣きたかったんだから。

 

「ウチね、この世界でどうしたらいいか分からなくて……ジェシカさんに拾われてからもどうしていいか分からなくて、薦められるままメイドの仕事をしてた。それでアキが来てくれた時に気付いたの。ウチって1人じゃ何もできないんだって。アキは1人でも元の世界に帰ろうって頑張ってたのに、ウチは何も考えられなかったから」

 

「……」

 

 何も言えなかった。

 

 こんな時、気の利いた彼氏なら勇気付ける言葉のひとつでも掛けるのだろう。けれど僕は黙って彼女の告白に耳を傾けることしかできなかった。情けない。男として本当に情けない。この時、僕は自分の未熟さを改めて思い知った。

 

「だからウチ思ったの。もっと強くならなきゃって。もっと自分から行動しなくちゃって」

 

 違うんだ。僕は無我夢中で、ただじっとしていられなくて行動しただけなんだ。計画性なんてあったもんじゃない。こんな風に褒められること自体、間違っているんだ。

 

 それに美波は弱くなんてない。明るくて心が強くて、度胸もいい。こうして自分を戒めることができるのも心が強いからだ。

 

「……美波」

「うん」

「えっと……大丈夫。美波は自分が思ってるよりずっと強いよ。だから自信を持っていいと思うんだ」

 

 これが僕の精一杯の言葉だった。でもこんなことで励ましになるわけがない。言った後で僕は自らの発言を後悔した。けれど美波はそんな僕を見て、にっこりと微笑んでくれた。

 

「ありがと。アンタっていつでもどこでも変わらないのね」

「そうかな?」

「うん。いつでもどんな時でもアキはアキ。昔から変わらないわ」

「それって全然成長してないってことだよね……」

「そうとも言うわね」

「はっきり言わないでよ! 結構気にしてるんだから!」

「ふふ……いいじゃない。ウチはアンタのそんなところが……」

 

 美波はそこで言葉を止め、急に黙り込んでしまった。

 

「そんなところが、何?」

「……ううん、なんでもないっ」

 

 あはは、と愛想笑いを見せる美波。何を言いたかったんだろう。

 

『ママーお空が真っ黒ー』

『あら本当、お月様がこんなはっきり見えるなんて初めてだわ』

 

 その時、隣のベンチから親子の会話が聞こえてきた。ホテルの客のようだ。空? 空がどうしたというのだろう? 流れ星もで出たのかな?

 

 そう思って空を見上げてみると、先程と変わらぬ大きな月が目に入ってきた。ただ、先程より鮮明に見えるような……?

 

『お、おい、ちょっと待てよ。なんか様子がおかしくないか?』

『おかしいって、何がだ?』

『なんつーかよ、ほら、アレだよアレ。アレが無いんだよ』

『あれじゃわかんねーよ。ハッキリ言えよ』

 

 他の人のそんな会話も耳に入ってくる。アレが無いって何のことだろう?

 

「ねぇアキ、なんかおかしいわよ? 魔障壁がなくなってるみたい」

「え……な、なんだって!? そんなバカな!?」

 

 慌てて周囲を見渡すと、確かに見えていた緑色の膜がない。真上を見ても、先程まであった巨大なシャボン玉のような膜がなくなっている。

 

「たっ、大変だ! すぐに皆に知らせないと!!」

 

 慌てて立ち上がり、僕は入り口に向かって走り出す。

 

「あっ! 待ってよアキ!」

 

 美波もそんな僕の後を追って走り出した。

 

『おいやべぇぞ! 魔障壁がなくなってる!』

『えぇっ!? そんな! どうしてよ!』

『俺が知るかよ! とにかくなくなってるんだよ!』

『このホテルは王家が出資してるから対策は万全なんじゃなかったの!?』

『いいから早く建物の中に入れ! 魔獣が襲ってくるぞ!』

 

 屋上を走っていると、その場にいた多くの人たちが騒ぎ始めた。皆異変に気付き始めたようだ。まずいぞ。これは大混乱になりそうだ。

 

『緊急事態! 緊急事態! 魔障壁装置に異常発生! 館外の方は至急館内に避難してください!! 繰り返します! 魔障壁装置に異常発生! 至急避難してください!!』

 

 3階に降りた途端、館内にこんな放送が流れた。鬼気迫る声での放送。この声を聞いた人たちは皆恐怖に顔を引きつらせ、館内は騒然となった。

 

「ちょっ……! な、なんだよ! 装置に異常ってどういうことだよ!」

「何が起こってるの!? 誰か教えて!!」

「冗談じゃねぇ! こんなところで死んでたまるか! 俺は逃げるぞ!」

「逃げろったってどこに逃げろってんだよ! こんな山奥じゃ逃げ場なんてねぇじゃねぇか!」

 

 ホテルの客たちは右往左往。文字通り廊下を右へ左へと走り回っている。皆どこへ逃げたらいいのか分からないのだ。

 

「皆さん落ち着いてください! 落ち着いて職員の指示に従ってください!」

 

 すると下の階から従業員らしき男が駆け上がってきて、皆にそう伝えた。

 

「これが落ち着いていられるか! お前ホテルの責任者か!? 早くなんとかしろ!!」

「とにかく状況を説明しろ! 装置はすぐに直るのか!?」

「あーーん! ママぁーー! ママぁーー!」

「現在職員が全力で対応に当たっています! 皆さんは万が一に備えて2階に避難してください!」

「いいからどういう状況なのか説明しろ! 俺は金を払ってんだぞ!」

「ですから今確認中です! とにかく指示に――――」

「ふざけるな! 魔獣に襲われたらこんな建物簡単に壊されちまうだろ! さっさと馬車を用意しろ!」

 

 男の怒鳴り声。

 女の悲鳴。

 親を求めて泣きじゃくる子供の声。

 

 様々な声が飛び交い、ホテル従業員の声をかき消してしまう。そうしているうちに騒ぎはますます大きくなり、館内はあっという間にパニック状態に陥ってしまった。

 

「アキ、ウチらも坂本たちと合流しましょ」

「う、うん!」

 

 美波に言われ、僕は廊下を走りはじめた。するとその時、

 

「明久! ここにいたか!」

 

 怒号の飛び交う中、聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「雄二!」

「お前こんな所で何やってんだ! まだ風呂に入ってるのかと思ったじゃねぇか!」

「美波ちゃんも一緒だったんですね。良かった……」

「……美波。吉井。心配した」

「ご、ごめん! それよりも雄二、これどうなってんの??」

「詳しいことは分からん。だが魔障壁が消えたという話が聞こえた」

「やっぱり!」

「なんだと? お前知ってるのか!?」

「いや、屋上で景色を眺めてたら急に見晴らしが良くなってさ、それで魔障壁がなくなったのが分かったんだ」

「そういうことか。しかしなぜ消えたかが分からねぇな」

「さっきから職員の人が一生懸命説明してるんだけど、周りがうるさくて何も聞こえないんだ」

「聞いたところで無駄だぜ。彼らもまだ原因を掴んじゃいない」

「そうだったのか……でもなんで魔障壁が消えたんだろう」

「…………また盗まれたか」

「分からん。だが気になるのはつい先日も同じような状況があったことだ」

「メランダの町だね」

「そうだ。あれは魔人が首謀者だったが……」

「まさか……! 雄二はまた魔人の仕業だって言うのか!?」

「だから分からんと言ってるだろ。とにかく今は情報が足りない」

「推測してもはじまらぬ。支配人に聞いてみるのはどうじゃ?」

「説明を求める人がひしめき合っている光景が目に浮かぶが……とにかく行ってみるか」

 

 早速全員で1階の管理人室の前まで行ってみると、雄二の予想通り既に人の壁ができあがっていた。部屋の前は状況を聞き出そうと詰め寄る人々でスシ詰め状態だ。

 

『押さないでください! 非常に危険です! 今から状況を説明しますので、お静かに願います!』

 

 人垣の向こうから従業員と思しき男の必死な声が聞こえてくる。その男の説明によると、魔導コアが故障し、装置が動かなくなってしまったらしい。しかし修理できる者はおらず、現状では他の町から取り寄せるしかないそうだ。

 

『取り寄せている間どうするんだ! 馬車を全速で走らせても往復で6時間はかかるんだぞ!』

 

 と詰め寄る客に従業員の男は説明した。今、管理室には馬車用の魔障壁装置が3つある。3つだけではホテル全体を守ることはできないが、身を寄せ合って補修品の到着まで持ち堪えるということらしい。この状況。ますますメランダの時にそっくりだ。

 

「まずいな。あんな馬車用の小さな装置3つじゃ200人を超す客全員なんてカバーしきれねぇぞ」

「どうする雄二?」

 

 雄二は顎に拳を当て、苦々しい表情を見せる。こういう顔をするのはヤツの頭がフル回転している時だ。きっと最善の策を練り出すだろう。

 

「……明久」

「うん」

「この状況、お前ならどうする?」

 

 まさか雄二に尋ねられるとは思わなかった。けれど僕だってただ雄二の回答を待っていたわけではない。僕なりにやれることを考えていたのだ。

 

「見た感じ、お客さんの中で戦えるような人はいなかった。たぶん皆観光か商売で来てるんだと思う。だから戦えるのは僕らだけと思った方がいい」

「このホテルは元は王妃の別荘ゆえ、防壁は堅牢じゃ。衛兵など必要なかったのじゃろうな」

「うん。でも馬車用の魔障壁装置は3個って言ってたよね。そのうち1個を馬車に使うとしたら、残りは2個ってことになる」

「ほう。お前も一応算数はできるようだな」

 

 バカにされているようだが、今はそんなことで言い争っている時間は無い。僕は冷静に話を続けた。

 

「たぶん2個じゃこの建物の半分もカバーできないと思う。だったら3個全部を建物に使って、それで……馬車の方は……」

 

 夜は魔獣の動きが活発になる。魔障壁装置なしに馬を走らせれば襲われるのは必至。……そうか、それは誰かが守りながら走ればなんとかなるかもしれない。問題は簡易装置3個で全員を守り切れるほどの魔障壁を展開できるのか。これは僕にも分からないな……。

 

「よくやった明久。そこまで聞ければ十分だ」

 

 言葉に詰まっていた僕を雄二が褒める。こいつ、もしかして既に案が頭にあったんじゃないのか? この緊急事態にのんきな奴だ。

 

「俺も同じ考えだ。3個をホテルの守りに充て、馬車は俺たちのうち誰かが護衛する。ただし、それでもこの建物全部は守りきれねぇ。だから残りのメンバーで守りを固める」

 

 なるほど。やはり馬車に警護をつけるのか。そういえばハルニア王国では馬車に警護という職があったけど、ここサラス王国ではそういった類いの乗客は見かけなかった。あのウォーレンさんのような職はこの国には無いのだろうか。

 

「反対意見はあるか?」

 

 雄二の提案に異を唱える者はいなかった。僕ら7人、誰もが事態を理解しているのだ。

 

「決まりだな。で、誰が馬車の護衛に当たるかだが……」

 

 そんなことは相談するまでもなく、高速な馬車を守りながら走れるような人なんて1人しかいない。

 

「ムッツリーニ。頼めるか」

 

 ムッツリーニの腕輪は高速移動(アクセル)の力を持っている。その気になれば全力疾走する馬車に追いつくことだってできるだろう。

 

「…………任せろ」

「頼むぞ。翔子はこのことを支配人に伝えてきてくれ」

「……分かった」

「残りはパニックに陥っている人の誘導と各門の守りだ」

 

 それなら姫路さんや美波には誘導に当たってもらおう。戦いは僕や雄二、それにちょっと気が引けるが秀吉の役目だ。

 

「分かりました! それじゃ私、正門を守りに行きます!」

 

 姫路さんは力強くそう言うと、タタッと駆けて行ってしまった。

 

「あ! ちょっと姫路さん!?」

 

 思わぬ彼女の行動。呼び止めた時には既にその姿は無かった。

 

「姫路のやつ張り切ってやがるな。秀吉、客の避難誘導を頼む」

「承知した」

「ムッツリーニ、翔子と一緒に行って支配人に遣いの馬車を出してもらえ。翔子は説明が終わったら避難誘導に当たれ」

「…………(コクリ)」

「……行ってくる」

 

 秀吉と霧島さんは指令を受け、それぞれの役目を果たしに向かった。

 

「それじゃウチは東門を守るわ」

「ちょっと待って美波。東門には僕が行くよ。美波には姫路さんを手伝ってほしいんだ」

「ううん、瑞希の所にはアキが行ってあげて。ウチは1人でも大丈夫よ」

「え? でも――――」

「いいからっ! それじゃ任せたわよ!」

 

 美波はそう言い放つと、あっという間に人混みの中に消えてしまった。もしかしてさっき屋上で言ってた”強くならなきゃ”っていうのを意識してるんだろうか。だからと言ってあんまり危険なことをしてほしくないんだけど……。

 

「じゃあ俺は西門の守りにつく。どちらの応援に行くかはお前に任せる。しっかり守れよ!」

 

 そう言い放って雄二は廊下を駆けて行く。さて、僕はどうすればいいだろう。

 

 正門を守りに行った姫路さん。

 東門を守りに行った美波。

 

 美波は「姫路さんの所に行け」と言っていたが、美波のことも心配だ。うぅっ、こ、困った。本当にどうしよう。こんな時、僕の腕輪効果が分身だったら両方を助けに行けたのに……。

 



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第三十七話 一夜の攻防

 シンと静まり返った正門前。大きな扉を背にした()は召喚獣を装着し、魔物の襲撃に備えていた。空は漆黒の闇。月は建物の裏側に上っているため、こちらには光が届かない。目前に広がる薔薇園も照明が消され、すっかり闇に染まってしまっている。そんな暗闇の中、私は周囲の気配に全神経を集中。動く物を見逃さないようにと気を張っていた。

 

 ――ガチャリ ギィィ~……

 

 その時、突然背後から不気味な音が聞こえてきた。私は驚いてパッと振り向く。

 

「あ、姫路さん?」

 

 音はホテルの正面扉が開いた音だった。そしてその扉からひょっこりと首を出したのは明久君だった。

 

「明久君……? どうしてここに? 美波ちゃんの所に行ったんじゃないんですか?」

 

 私がこう尋ねると、明久君は人差し指でポリポリと頬を掻きながら出てきた。

 

「いやぁそれがさ、姫路さんの所に行けって美波に言われてさ」

「美波ちゃんに……ですか?」

「うん。問答無用って感じで一方的に言われちゃったよ」

 

 明久君は少し困ったような笑顔を見せる。きっと明久君は美波ちゃんのことを心配している。それでも美波ちゃんの意見を尊重したい。明久君の微妙な表情はその現れなのだと思う。

 

 こんな時に明久君が応援に来てくれたのは嬉しい。でも美波ちゃんはそれで良かったのかな。

 

「正直言ってちょっと心配なんだよね……美波って時々信じられないくらいに無茶をすることがあるからさ」

 

 やっぱり美波ちゃんのことが心配なんですね……そう思うのと同時に、少し呆れてしまった。だって信じられないくらいの無茶をして心配させるのはいつも明久君の方だったから。

 

「ん? どうしたの姫路さん? ぽけーっとしちゃってさ」

「えっ? い、いえ……なんでもないですよ。ちょっとびっくりしちゃっただけですから」

「ビックリ?」

「えっと……まさか明久君が来てくれるなんて思っていなかったので……」

 

 明久君って自分の言動についてはあまり把握してないんですね……。

 

「あははっ。そう言ってくれると嬉しいな。でも美波の言うことに従って良かったかもしれないな」

「えっ? どうしてですか?」

「だってここってこんなに広いじゃん? こういうのって狭い方が守りやすいと思うんだ。だからこれだけ広いとやっぱり2人で守った方が確実だと思うんだよね」

 

 屈託の無い笑顔を見せながら言う明久君を私は少し不謹慎だと思った。魔障壁が消えて人々の命が危険に晒されている今、笑っている場合ではないと思ったから。けれどそれと同時に明久君らしいな、とも思った。きっと会話をして少しでも私の緊張を(ほぐ)そうとしているのだとも思ったから。

 

「そうですね、ふふ……頼りにしてますよ。明久君」

「何言ってるのさ。召喚獣の強さは姫路さんの方が圧倒的に上なんだよ? 僕は足手まといにならないように精一杯頑張るだけさ」

「そんなことないですよ? 扱い方は明久君の方が上手なんですから。それに――」

「それに?」

「……やっぱりやめておきます」

「えぇ~気になるじゃないか。教えてよ」

「ふふ……秘密です」

「そう言われるとなおさら気になるんだけど」

「たいした話じゃないんです。だから忘れちゃってください」

「う~ん……まぁ、姫路さんがそう言うのなら……」

 

 明久君は少し不服そうに口を尖らせる。そんな顔をされても、ちょっと恥ずかしくて言えない。

 

 誰かのために一生懸命になった明久君は誰よりも強い。倒れた美波ちゃんのためにお医者様を連れてきたり、マトーヤ山に薬草を採りに行ったり、信じられない勢いで解決していった。そんな明久君は私なんかより遙かに強いんです。

 

 なんてことを言おうとしていたのだから。

 

「そんなことより気を抜いちゃダメですよ。魔獣はどこから襲ってくるか分からないんですから」

「おっと、そうだったね。ごめん」

 

 そう言って明久君はキッと厳しい表情に変える。そんな彼を見て私は思う。

 

 効率が悪くていつも先生に叱られてばかり。いたずらをして叱られていることも多い。けれど本当はとても真面目で、いざという時には凄く頼りになる。

 

 坂本君は知識豊富で相手の裏をかくのが上手。これに対して明久君は突拍子もない発想で裏をかく。たとえ坂本君の作戦が失敗したとしても……どんな逆境でも明久君ならきっとなんとかしてくれる。そんな不思議な頼もしさを彼は持っている。

 

「姫路さんは左側を注意して見てて。僕は右側を中心に警戒する」

「はいっ!」

 

 明久君はやっぱりここに留まるつもりみたい。でもきっと彼は我慢している。本当は美波ちゃんの所へ応援に行きたいに違いない。

 

 美波ちゃんが毒で倒れた時の明久君の青ざめた顔は今でも脳裏に焼き付いている。あれほど不安と後悔の入り交じった明久君の表情は見たことがない。明久君はそれほどまでに美波ちゃんのことを大切に思ってる。つまりそういうことなのだろう。

 

 

 ……

 

 

 私が……。

 

 もし私が毒で倒れても……同じように心配してくれる……の、かな……。

 

 ……

 

 いけない。どっちが不謹慎なんだろう。今はそんなこと考えてちゃいけない。しっかり見張っていないと。

 

『……ヒヒィィイン……』

 

 その時、どこからか馬の(いなな)きが聞こえてきた。右手の建物の陰から聞こえてくるみたい。耳を澄ませていると、ガラガラガラと木製の車輪を転がす音が聞こえてくる。魔獣の足音とは違う。これは……馬車の音?

 

 

「ヒヒィィィーーーーン!!」

 

 

 ガラガラガラガラガラガラガラガラガラ……

 

 

 もの凄い勢いで2頭の馬が目の前を通り過ぎて行った。その馬たちは小さめの客車を引いていた。あれは……修理部品を取りに行く馬車?

 

「ムッツリーニ!」

 

 走り去って行く馬車に向かって明久君がそう叫んだ。見ると馬車の後部からは土屋君が顔を出してこちらを見つめていた。

 

「ムッツリーニ! こっちは僕らでなんとかする! そっちは頼んだよ!」

 

 明久君は馬車に向かって大声で叫び、手を振る。これに対して土屋君は表情を変えず、ぐっと親指を突き立ててみせた。

 

 信頼。

 

 私はこうしたやりとりを見て、2人に信頼関係を感じた。こんな風に仲間を信じ合えるって本当に素晴らしいと思う。そんなことを思いながら私は馬車を見送る。明久君も馬車が見えなくなるまでずっと手を振っていた。

 

《ウゥ~~ゥゥ……》

《ウゥ~~……グルルルゥ……》

 

 するとその直後、どこからか動物の唸る声のようなものが聞こえてきた。それも複数。

 

 ……動物? 違う。これは……!

 

「姫路さん!」

「はいっ!」

 

 明久君も気付いたみたい。そう、あの声は動物の声なんかじゃない。あれは……魔獣の唸り声!

 

「――試獣装着(サモン)!!」

 

 明久君は手を天に掲げ、召喚獣を喚び出す。すぐに光の柱が足下から吹き出し、彼の身体を包み込んだ。既に装着している私は明久君の前に躍り出て、彼が装着している間の守りを固める。

 

「よぉし! ここは一歩も通さないぞ!」

 

 赤いインナーシャツに黒い学生服。手には茶色い木刀を構え、目の周りに薄水色のバイザーを装着した明久君。その姿はとても凛々しく、頼もしく思えた。

 

 でも私だって成長している。この世界にきてからは身も心も強くなった……と、思っている。

 

 大丈夫。私たちはメランダの町だって守り切った。土屋君が帰ってくるまで、なんとしても守り切ってみせます!

 

「明久君! 守りましょう! 私たちの手で!」

「うん! でもくれぐれも無茶はしないでね。危なかったら下がるんだよ?」

「大丈夫です! 私だって立派に戦えるんですから!」

「……そっか。それじゃ僕も負けてられないな!」

 

 

 

      ☆

 

 

 

「姫路さん! 大丈夫!?」

「は、はいっ! 大丈夫です!」

「こいつら動きが速い! 深追いせず防御に徹するんだ!」

「はいっ!」

 

 正門の警戒を始めてから既に30分以上が経過している。ここまでの間、私たちは多種多様な魔獣の襲撃を受けていた。

 

 魔獣のタイプは豹、狼、鹿など、中型の四足動物が多い。といってもどれもが異常に膨れあがった巨大な姿をしていて、とても普通の動物には見えない。まるで明久君たちがやっていたゲームに出てくる巨大モンスターのようだった。

 

「やぁぁーーっ!!」

 

《ガァウッ!》

 

「えーーーーいっ!」

 

《フッ!》

 

「やぁーーっ!」

 

《ガァァッ!》

 

 見上げるほどの大きな狼に向かって大剣を振るい、私は撃退を試みる。けれど私の攻撃はことごとく避けられ、剣は大地に突き刺さるばかりだった。

 

「はぁっ! はぁっ! はぁっ……! あ、当たりませんっ……!」

 

 私の剣は大きいけれどそれほど重くなく、振り回すこと自体に問題はない。でもどうしても風の抵抗を受けてしまって素早い攻撃ができなかった。魔獣の動きはとても俊敏で、パッパッと薔薇の垣根を跳び越えて襲ってくる。そんな獣たちの攻撃に私は防戦一方だった。

 

「姫路さん! 斬るんじゃなくて先っぽで払うように振るんだ!」

「は、はいっ!」

 

 斬るのではなく……切っ先で払うように……。

 

《ガウゥッ!!》

 

「っ――――!」

 

 魔獣の前足による攻撃を避けつつ、切っ先を引っかけるように振り抜く。するとスパッという感触が剣を通して伝わってきた。

 

《ギャインッ……!》

 

 ドズン、と大きな地響きをたて、魔獣が目の前で地に伏した。

 

《……グ……グフッ……!》

 

 大きな体を横たえ、ブルブルと震える魔獣。まだ起き上がってくる……? と少し距離をとって警戒する私。すると魔獣はその身体から黒い煙を吹き出し、スゥッと大気中に溶け込むかのように消えていった。や、やったの……?

 

「や……やりました! やりましたよ明久君!」

 

 嬉しくなって明久君の元へと駆け寄る私。けれど明久君はそんな私に強ばった表情を向けていた。

 

 明久君の助言のおかげで退治できたことにお礼を言いたいだけなのに、どうしてそんな顔をするの? 少し悲しくなって彼の表情を見つめていると、明久君は何かを叫びながら慌てた様子でこちらに向かって走り出した。わけが分からず、呆けてしまう私。すると明久君は凄い形相で手に持っていた棒をブンと放り投げた。それも私に向かって。

 

「きゃぁっ!」

 

 思わず頭を抱えしゃがみ込む私。すると、

 

《グギャッ!?》

 

 頭の上で犬の叫びのような声が聞こえた。

 

「えっ……?」

 

 恐る恐る目を開くと、目の前には大きな灰色の毛むくじゃらが倒れていて、黒い煙を吹き出しはじめていた。

 

「えっ? えっ? な、何……ですか……これ……?」

 

 事態が飲み込めない私。明久君はそんな私に駆け寄り、安堵の表情を見せた。

 

「ふぅ……間に合った……良かったぁ……」

「明久……君?」

「油断しちゃダメじゃないか! 上から魔獣が襲ってきてたんだよ!?」

「えっ? そうなんですか?」

 

 全然気付かなかった……明久君にお礼を言うことばかり考えてて……。

 

「すみません明久君。油断してしまいました……」

「でも無事でよかったよ。いやぁ、それしてもこんなに上手くいくなんて思わなかったよ」

「? 何が上手くいったんですか?」

「今投げた木刀さ」

「木刀?」

 

 私は先程魔獣が落ちた場所に目を向ける。魔獣の姿はもう跡形も無く消えている。魔石という名の宝石と、茶色い木の棒をひとつずつ残して。

 

「実は前にこの世界の剣士さんと一緒に戦ったことがあってね。ウォーレンさんっていうんだけど、凄く剣の扱いが上手い人だったんだ」

「ウォーレンさん……ですか?」

「うん。ハルニア王国で知り合ったんだ。その人がやってた剣投げを真似してみたんだけど、結構できるもんだね」

 

 嬉しそうな顔で”あはは”と笑う明久君。その笑顔は彼の言うウォーレンという人への尊敬の表れにも思えた。明久君もこの世界で色々経験しているんですね。

 

「っと……どうやらのんびりしてる場合じゃなさそうだね」

「……そうみたいですね」

「立てる? 姫路さん」

「はい。もちろんです!」

 

 私は立ち上がり、大剣を両手で握って身構えた。襲ってくる魔獣を撃退するために。

 

《フーッ フーッ フーッ……》

《ヴルルルゥゥ……》

 

 暗闇の中からまたも巨獣がヌゥッと姿を現す。枝のような角を携えた見上げるほどに巨大な鹿が2体。彼らもまた魔獣。私は明久君と目を合わせ、黙って頷いた。

 

「「はぁぁーーっ!」」

 

 大丈夫。絶対に守り切れる。この時の私はそう信じて疑わなかった。

 

 この後、あのような悲しい出来事が待っているとは知らずに。

 



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第三十八話 私の長い夜

今回は瑞希の強い心を表したくて用意した話になりますが、瑞希派には辛い内容になっているかもしれません。ご覧になる際はご注意ください。



 魔獣の襲撃は終わる気配を見せなかった。外周壁を乗り越えて襲ってくる魔獣たちを私たちは撃退する。魔物たちは一斉に襲ってくるわけではなく、数匹が順番に襲ってくる所謂(いわゆる)”波状攻撃”を仕掛けてきた。

 

 私たちは2人。数匹が相手ならば扉に到達される前になんとか撃退できる。けれど一通り撃退して静かになったと思ったら、しばらくしてまた別の群が襲い掛かってくる。それも2分も経たずに繰り返し繰り返し襲ってくるので、私たちは精神的な負担が大きくなってきていた。

 

「くっそ……次から次へと……これじゃきりが無い」

 

 明久君はこの波状攻撃に(いら)ついてきているみたい。でもこのやり方、前に坂本君がとった作戦に似ているような気がする。数人単位で何度も繰り返し攻め、退却した人はテストを受けて点数を回復。再び戦列に加わる。あれは相手を疲弊させて判断力を鈍らせるのが目的だと坂本君は言っていた。私にはこの魔獣の襲撃方法があの時の戦法によく似ているように思えていた。まるで私たちを疲弊させるのが狙いであるかのように。

 

 でも私たちは負けるわけにはいかない。腕輪の力で装着持続時間は飛躍的に伸びている。土屋君が出発してから既に2時間ほどが経過しているけれど、バイザーのパネルに示されたエネルギー残量は8割。だから時間切れの心配は無いのだけど……。

 

「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 問題は私の体力。以前より体力が付いているとはいえ、さすがにこのまま数時間戦うのは厳しい。

 

「姫路さん、少し休んでて。休んでる間は僕がなんとかする」

「す……すみません……」

 

 私は明久君の言葉に甘え、石畳に膝を突いて身体を休めることにした。そんな私の前で明久君は木刀をドンと床に突き立てて仁王立ちで立ち塞がる。それを見て思った。

 

 結局また明久君に頼ってしまっている。また私は守られる側に回ってしまっている。この世界を旅して強くなったと思っていたのに、結局何も変わっていないんだ……と。

 

『失礼します! 当ホテル従業員の者です! 今扉を開けてもよろしいでしょうか?』

 

 その時、背後の扉の中から声が聞こえてきた。とても歯切れの良い男性の声。この様子からすると何か話があるのだと思う。幸いにして今のところ魔獣の姿は見えない。

 

「どうぞ。でもいつ魔獣が襲ってくるか分からないので気をつけてください」

 

 私が返事をするとガチャリと扉が開き、中からグレーの制服と帽子を着用した男性が出てきた。

 

「ご、護衛の任、深く感謝しております! おかげさまで館内のお客様を一ヶ所に集めることができました!」

 

 男性は左手で敬礼をしながら、その手をブルブルと震わせていた。魔障壁のない屋外に出るのを恐れているのでしょう。

 

「へへっ、感謝だなんて大げさですよ。僕らは自分たちにできることをやってるだけなんですから。でもまだ油断できませんよ。補修部品が到着するまで皆さんは建物の中で隠れていてください」

 

 庭園を見据えた明久君が背を向けたまま男性に言う。すると従業員の男性はホッと表情を緩めた。そして背筋を伸ばすと、再びハキハキとした口調で各所の状況を報告してくれた。

 

「それでは現在の防衛線の状況をご報告します! まず西門ですが、白い服を着た赤毛の青年が鬼神のごとく戦っております! 魔獣、青年、共に激しい戦闘状態にあり、近寄ることすらできませんでした!」

 

 白い服を着た赤毛の青年? あ、坂本君のことですね。鬼神ですか……さすが坂本君です。この様子なら心配はなさそうですね。

 

「ははっ、雄二はほっといても大丈夫だろうね。それで東門の方は?」

「はい。東門はリボンの少女が懸命に戦っておりますが魔獣の集団に押され気味です。我々も加勢したいのですが、あいにく戦闘経験を持つものがおらず……お役に立てず申し訳ありません!」

「そ、そっか……苦戦してるのか……」

 

 従業員の人の説明を聞くと明久君は驚いたような顔で振り向き、唇を噛み締めた。”リボンの少女”とは美波ちゃんのことに違いない。つまり美波ちゃんは1人で東門は守っているということ。その美波ちゃんが苦戦している。明久君の表情は”すぐにでも助けに行きたい”という気持ちの表れに違いない。

 

「明久君。美波ちゃんのところへ行ってください」

「えっ? でもここを離れるわけには……いかないし……」

 

 明久君が躊躇(ためら)っている。きっと私のことも心配してくれているんだと思う。でも私には分かる。本当はすぐにでも美波ちゃんの元へ飛んで行きたいはず。

 

「明久君! 躊躇っている時間はありません! 行ってください!」

「ぐ……だ、ダメだ。姫路さん1人を置いては行けない。美波にも言われたんだ。姫路さんを頼むって」

「私なら平気です。だから行ってください。美波ちゃんに力を貸してあげてください!」

「美波なら……大丈夫。僕よりも強いから……きっと大丈夫さ」

 

 明久君は背を向けたままブルブルと両肩を震わせている。明久君は心と正反対のことを言っている。こんな背中を見せながら信じろという方が無理です。

 

「いいえ。美波ちゃんには明久君が必要なんです。だから行ってあげてください!」

「で、でも……! 僕は姫路さんも失いたくない!」

 

 明久君……。

 

「やっぱり変わりませんね……でも安心しました。どんなに大きくなっても明久君は私の好きだった明久君のままです」

「えっ? 今なんて……?」

「美波ちゃんを……お願いします!」

「えっ、ちょ、ちょっと待っ――――!?」

 

 私は気付いていた。明久君に忍び寄る巨大な影に。その影は音も無く忍び寄り、明久君に襲いかかろうとしていた。

 

 ――ガキィンッ!

 

 大きな口を開けて明久君を一呑みにしようとしていた狼の牙を、私は剣を横にして受け止めた。

 

「ひっ……! ひぃぃーーっっ!!」

 

 従業員の男性は悲鳴と共に建物の中へと駆け込んでいった。

 

「さぁ早く! 明久君も今のうちに行ってください!」

「で、でも……僕は……」

「迷っている時間はありません! 私なら大丈夫です! 急いでください!」

「や、やっぱりダメだ! 姫――」

「これ以上私を困らせないでください!」

「ぐぅっ……!」

 

 これほど言ってもまだ躊躇っているの? どうしたら私の気持ちを分かってもらえるんだろう。美波ちゃんのように怒鳴りつければ聞いてくれるのかな……。

 

「明久よ!」

 

 その時聞こえてきた中性的な声。これは……木下君の声?

 

「秀吉!?」

「すまぬ、遅くなった! 客の誘導がやっと終わったので加勢に来たのじゃ!」

「丁度良かった! 東門に加勢に行ってくれ! 美波が1人で苦戦してるんだ!」

「そうか。あい分かった!」

 

 違う。東門に向かうのは木下君じゃない。

 

「いいえ! 東門には明久君が行ってください!」

「えっ? で、でも僕は姫路さんを――」

「何度言わせるんですか! 私は大丈夫です! 明久君は美波ちゃんの所に行ってください!」

「でも美波は姫路さんを守れって……だから……僕は……約束を……」

 

 明久君……本当に真面目な人ですね。本当に……。

 

 ……

 

 こうなったら無理にでも行かせるしかありませんね。

 

「うぅ~~っ!!」

 

 私は押さえ込んでいた狼の魔獣を強引に押し返す。身体の弱かった私がこんな力を出せるのは召喚獣のおかげ。こうして自分より大きな相手を押し返すなんて、現実世界の私には絶対にできない。私たちのことを色々と実験台にしてきた学園長先生だけど……今は感謝したい。

 

《グ……グ……グルル……ゥ……》

 

 私の力押しに一瞬怯む狼の魔獣。その(ひたい)には青く光る(ひし)形の宝石が埋め込まれていた。

 

「やぁぁーーっ!!」

 

 私は思いっきり力を込めて魔獣を突き放し、剣を持ち替え、切っ先を(ひたい)の魔石に向かって突き出した。

 

 ――パリィン

 

《ガ……ガハゥッ……!》

 

 巨大な狼は大きな口を開けて天を仰ぐ。そして、ぶわっと全身から黒い煙を吹き出し、その身を大気中に溶かしていった。

 

「私ならこのとおり大丈夫です。だから明久君は美波ちゃんの所に行ってあげてください」

「……」

 

 私は明久君に向き直り、意思を伝えた。けれど明久君は返事をしなかった。両手に拳を握り、俯き、身体を震わせていた。

 

「明久よ」

「秀吉……」

「姫路がこう言うておるのじゃ。ゆけ明久。島田の力になってやれ」

「でも……約束が……」

「やれやれ。融通の利かぬ奴じゃな。ワシとバトンタッチと言うておるのじゃ。ワシはまだ消耗しておらぬ。お主の約束はワシが果たそう」

「う……くぅ……」

「明久よ。島田は孤立無援で戦っておるのじゃぞ? 大切な人を(うしの)うても良いのか?」

「っ――! わ……分かった……。秀吉! 後を頼む!」

「んむ。承知した」

 

 木下君がスッと右手を上げると、明久君はその手に勢いよく自らの手を重ね、

 

 ――パァン!

 

 乾いた音を立て、2人はハイタッチを交わした。そして明久君はそのまま猛烈な勢いで館内へと走り去って行った。

 

「まったく。世話の焼ける奴じゃ」

 

 開け放された扉を閉めながら木下君が呟く。私も同感です。明久君はもっと自分の気持ちに素直な人だったはず。こんなにも説得に手間取るなんて思いませんでした。

 

 

 ……

 

 

 明久君。美波ちゃんをお願いします……。

 

 

「さて……姫路よ。ワシらはどこまで持ちこたえられるじゃろうな」

「……もちろん土屋君が帰るまでです。なんとしてもここは守り通します。皆さんのために!」

「ふ……そうじゃな。――試獣装着(サモン)

 

 木下君は静かに召喚のキーワードを呟く。すぐに光の柱が彼の身体を包み込み、衣装を変化させていった。

 

「姫路よ。ワシはお主に言うておかねばならぬことがあるのじゃ」

 

 白い胴着と袴姿になった木下君が薙刀を構えながら言う。

 

「……今じゃないとダメですか?」

「んむ。今言っておかねばこの先チャンスがあるか分からぬからの」

 

 両手で剣を構え、正面を見据えながら視線だけを木下君に送る。彼もまた私と同じように薙刀を構えながら顔は正面を見据えていた。

 

《キ、キ、キュィィ~ッ》

《ケェェ~ッ》

 

 闇夜にけたたましい鳴き声が響く。あの鳴き声はたぶん鹿のもの。きっとあれも魔獣だろう。

 

「すまなかった」

「えっ? 何がですか?」

「明久と島田を引き合わせたのはワシなのじゃ。お主の気持ちも知りながらの」

 

 木下君の言葉を聞いた瞬間、ズキッと胸が痛んだ。今まで胸の奥底にしまい込んでいた想いに針を刺されたような気持ちだった。

 

「……その話は美波ちゃんから聞きました」

 

 そう……美波ちゃんは想いを明久君に打ち明けた。そして明久君はそれに応えた。

 

 私には告白する勇気なんてなかった。もし断られたら……という恐怖に駆られ、何も出来なかった。

 

 それに――――

 

「私……思うんです」

「……? 何をじゃ?」

「ずっとあの2人を見ていて思ったんです。美波ちゃんと明久君は、言葉では言い表せないような強い信頼で結ばれてるって。私、かなわないなって……思ったんです」

 

 木下君は何も言わない。ただ黙して私の言葉を聞いていた。

 

「それに木下くんが言わなくても美波ちゃんならきっと自分から気持ちを打ち明けたと思うんです。美波ちゃんは勇気がありますから。……私と違って」

「……」

「だから……いいんです。私は…………私は決めたんです。前に進もうって」

 

 私は絞り出すような気持ちで告げた。自分の想いを。幾度となく自らに言い聞かせてきた言葉を。

 

「姫路よ……」

 

 木下君は言葉に詰まっているようだった。優しい木下君のことだから、慰める言葉を探しているのかもしれない。けれど私は慰めを求めてはいない。

 

「ふ……お主は強いな」

「いいえ。弱いですよ。さっきまで明久君に頼りっきりでしたから。それに……今もこんなに震えてますから」

「……そうか」

 

 土屋君がここを出発してからまだ2時間。魔獣は一度退けてもまた別の個体が襲ってくる。こんな状況であと3時間も守りきれるのだろうか。仲間の誰かが力尽き、倒れてしまうかもしれない。真っ先に考えられるのは一番体力の無い自分だ。だとしたらさっきのが明久君との最後の会話になるのかもしれない。そう思ったら急に腕が震えだしてしまった。

 

「ならばその震え、ワシが全力で止めてみせようぞ。……あやつの代わりにはならぬかもしれぬがな」

 

 薙刀を下段に構えながら木下君が摺り足で一歩前に出る。そんな彼の横顔を見た時、私は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 

「木下君……」

 

 そうだ。弱気になっちゃダメだ。美波ちゃんのように強くならなくちゃ! もう振り向かない。前に進むと決めたんだから!

 

「代わりになる必要なんてないと思います。木下君は木下君ですから」

「そうか。そう言ってくれると報われるわい」

「ふふ……お気遣いありがとうございます。でも私は大丈夫です」

「すまぬがお喋りはここまでじゃ。来るぞい! 覚悟はよいか!」

「はいっ!」

 



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第三十九話 一番大切なこと

 僕が間違っていた。どうして(そば)を離れてしまったのか自分でも理解できない。魔獣の危険性は身をもって思い知っているはずだ。姫路さんと組ませて2人体制にするという方法だってあったはずだ。なのになぜ彼女を1人にしてしまった。なぜ危険な任務を1人で背負わせてしまった。僕の頭の中は後悔の念でいっぱいだった。

 

「美波……頼む! 無事でいてくれ!」

 

 僕は全力で疾走した。まるで町中の大通りのように広い廊下を。召喚獣を装着している今、東門まで1分と掛からないだろう。けれど僕にはこの時間がとても長く、何十分も走っているように感じていた。

 

 この時の僕の頭にはあの時の記憶が鮮明に蘇っていた。初めての敗北。”ギルベイト”と名乗る魔人との戦い。2度目の戦いにおいて僕らは奴に勝利している。だが1度目の戦いにおける敗北はどうしても記憶から消すことができない。

 

 ――大切な人を失う怖さ。

 

 あの時、僕はそれを思い知った。それは奴に勝利した今もなお僕の深層心理に強い恐怖を植え付けている。そして今、美波が苦戦しているという情報を聞き、僕の心は激しく動揺している。もう2度と危険な目に遭わせない。心にそう誓っていたはずなのに――っ!

 

《ミ゛ィーッ!》

 

 突然、物陰から全長1メートルを超す白い毛むくじゃらの物体が飛び出してきた。それは長い耳を携え、白く濁った目をした生物だった。考えるまでもない。魔獣だ。それも兎型の。

 

退()けぇぇーーッ!!」

 

 飛び掛かってくる獣をすれちがいざまに木刀で斬り付ける。断末魔の叫びを上げることもなく、魔獣は一瞬で消滅した。僕はそのまま速度を落とさずに走り続けた。そして走りながら考えた。なぜ館内に魔獣が? どこから入ったのか? まさか東門が破られて?

 

「くっ……美波!」

 

 僕は走った。広い廊下には商店のものと思われる木箱や大きな壺などが散乱している。それらは倒れたり割れたりして、そこら中に飛散していた。たまに釘が上を向いて転がっていることもあり非常に危険だ。恐らく避難する際に誰かがひっくり返していったのだろう。

 

 だがこの程度の障害で足を止めたりはしない。1秒でも早く美波の所に行きたい。ただそれだけを思い、壺を避け、木箱を飛び越え、ひたすらに東門を目指した。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……こ、この先に……!」

 

 そして長かった廊下を抜け、ようやく東門への隔壁扉に到着。扉はとてつもなく大きく、金属でできていた。道幅は約10メートル。片側だけでも5メートルほどある重い扉だった。扉の鍵は内側から金属の棒が横向きに渡してある簡単なもの。この棒を取り払えば僕にでも開けられる。

 

「よし……!」

 

 掛けられた3本の棒を取り払い、重い扉を力一杯押す。ギギギと音をたて、扉が観音開き状に開いていく。

 

 そこで目に飛び込んできたのは高さ4メートルの天井にまで届きそうなくらいに巨大な獣。そしてそれに襲われている1人の少女の姿だった。巨大な灰色の狼は仰向けに倒れる少女を前足で押さえつけている。魔獣は大きな口を開け、今にも少女の顔に食らいつこうとしていた。あの青い軍服……間違いない。美波だ!

 

『うぅっ……こ、このぉっ……』

 

 美波はサーベルで大きな牙を受け止め、噛み付かれまいと阻止している。だが圧倒的なサイズの魔獣に押さえ込まれ身動きがとれないようだ。

 

「っ――!!」

 

 自分でも驚いた。確かに駆け足には自信がある。けれどこれほどまでの俊足が出せるとは自分でも思っていなかった。まるで頬が空気で切り裂かれるような感覚だった。

 

「だっしゃぁぁぁーーーーッッ!!」

 

 一瞬で至近距離にまで詰め寄った僕は、力任せに木刀を振り抜いた。

 

 ――ゴッ

 

《ギャインッ!?》

 

 何も考えずに振り回した木刀は魔獣の鼻っ面に命中。これにより魔獣は地面で数回バウンドしながら建物の外へと吹き飛んでいった。

 

「美波! 大丈夫か!? 怪我は!?」

 

 彼女の前に躍り出ると僕は両手で木刀を構え、ザッと足を踏ん張る。

 

「う……ア、ア……キ……?」

 

 美波は歯を食いしばりながら体を起こそうとするが、なかなか起き上がれない。結構なダメージを負っているようだ。でも大きな怪我はなさそうだ。

 

「間に合ってよかった……なんとか無事みたいだね」

 

 ひと安心した僕は改めて周囲に目を配る。見たところ魔獣は今ぶん殴った1匹以外は見当たらない。地面に魔石が散乱しているということは他は美波が倒したのだろう。一体何匹の魔獣を倒したんだろう。これほど大量の魔石が転がっているところを見ると10や20では済まなそうだ。でも今のところ残るのはこの1匹のみのようだ。その1匹は頭をブンブンと振り、よろめきながら体を起こそうとしている。

 

《ウゥ~~……グルルル……》

 

 立ち上がった魔獣はこちらを向くとギラリと目を光らせて牙をむく。薔薇でできた垣根を踏みつけているにもかかわらず棘を気にする様子もない。巨大な獣にとってこの程度の棘は無いに等しいのだろう。どうやら今の一撃では仕留めるには至らなかったようだ。

 

「上等だ……美波に手を出したこと、後悔させてやる!!

 

 この時の僕は完全に頭に血が上っていた。言うまでもなく、こいつが僕の大切な人を食おうとしたからだ。冗談じゃない。こんな奴に美波を奪われてたまるか!!

 

《ウオォ~~ン…………アオォ~~ン…………》

 

 武器を手に身構えていると魔獣は突然遠吠えを始めた。なんだ? なんのつもりだ?

 

《アオォォ~~ン…………オォ~~ン…………》

 

 天を仰ぎ、口笛でも吹くかのように口を尖らせて遠吠えを続ける魔獣。これはもしかして……仲間を呼んでいるのか? このサイズの魔獣が大挙して襲ってきたら守り切るのは難しい。まずい! すぐにやめさせないと!

 

「や、やめろおぉーーッ!!」

 

 僕は遠吠えを続ける魔獣に向かって突進する。しかし後ろからの怒鳴り声に驚き、急ブレーキを掛けた。

 

「待ちなさいアキ!」

 

 声の主はもちろん美波だ。彼女は既に立ち上がり、いつもの吊り目でキッと僕を睨み付けていた。

 

「アンタ一体どういうつもり!? どうしてアンタがここにいるの! 瑞希はどうしたのよ!」

 

 美波はぐっと拳を握り、大きな声を張り上げる。しかしその姿にいつもの迫力は無かった。

 

 所々が破れた青い軍服。

 土汚れが付いた白いズボン。

 自慢のポニーテールは乱れ、黄色いリボンはほつれかけている。

 

 やはり加勢に来て良かった。その姿を見た時、僕は強くそう思った。こんな痛々しい姿にさせてしまった後悔と共に。

 

「姫路さんなら……大丈夫」

「何が大丈夫よ! ウチの言ったこと忘れたの!? 瑞希を守りなさいって言ったでしょ! あの子ひとりで正門を守れると思ってるの!?」

「大丈夫。姫路さんには秀吉がついている」

「えっ? 木下が……? でもそれとこれとは話が別よ! アンタはウチの言いつけを守らなかっ――」

「僕は!!」

 

 美波の言葉を遮るように声を張り上げた。言いつけを守らなかったのは確かだ。当初は僕だって姫路さんを最後まで守るつもりでいた。

 

 でも……。

 

「僕は……考えたんだ。自分はどうするべきなのか。どうしたいのか」

「……それで?」

「結論は出たよ。今の僕にとって最も優先すべきことがね」

「ふぅん……なら言ってみなさいよ。その最も優先すべきことっていうのを」

 

 ……これを口に出すのはちょっと恥ずかしい気もする。でも美波を納得させるには必要なのかもしれない。

 

「僕は……」

 

 そう。あの時、胸に熱く込み上げてきた感情。それが僕にとっての最優先事項なんだ。

 

「僕は美波と……一緒にいたい」

 

 もちろん姫路さんを守りたいという気持ちも強かった。それが美波の指示でもあり、言いつけを守らなければならないという使命感もあった。でも姫路さんや秀吉に「行け」と言われ、気持ちが揺らいだ。

 

 僕は考えた。自分がどうするべきなのか。そして行き着いた答えがこれだった。美波と気持ちが1つになったあの日の言葉。僕にとってはこれがすべてだった。

 

「ホント……バカなんだから……」

 

 美波はそう言いながら目尻を指で拭っていた。その瞳に宝石のように輝く涙を溢れさせながら。

 

「ごめん。1人にしてしまって」

「……ううん。謝る必要なんてないわ。ウチが勝手に1人でやるって言ったんだから」

「それはそれ、これはこれさ」

「でも大丈夫なの? 瑞希を木下に任せちゃって。木下ってそんなに強いイメージ無いんだけど……」

「大丈夫さ。秀吉は強いよ」

「そうなの?」

「うん。だってチームひみこの一員として立派に役目を果たしたじゃないか」

「……そうね。そうだったわね」

 

 確かに秀吉は見た目は女の子のようで試召戦争でも目立たない存在だ。でも僕は知っている。雄二とは少し違うけど、秀吉は確かな判断力を持っている。きっと姫路さんを危険な目に遭わせたりしないだろう。

 

「大丈夫。僕は秀吉を信じる!」

 

 僕は魔獣に視線を戻し、両腕に力を込める。狼型の魔獣は遠吠えを止め、遠巻きにこちらの様子を伺っている。どうやら警戒心の強い魔獣のようだ。

 

「アキが信じるのならウチも信じるわ」

 

 美波は隣にやって来てサーベルを一度、ピッと振った。その表情に迷いや疲労は感じられない。

 

 ムッツリーニがここを出てから約2時間。姫路さんと共に町を守っている間、体力もだいぶ消耗してしまった。でも大丈夫。美波と一緒なら守り切れる。僕の胸の中にはそんな不思議な自信が湧き出していた。

 

「よぉし! 絶対に守り抜くぞ!」

 

 そうだ。守り抜いてみせる。人も町も――――美波も!

 

「……アキ」

「うん」

「今のアンタ。かっこいいわよ」

「……美波もね」

「ふふ……ありがと」

 

 身構える僕らは2人。対して狼型の魔獣は1匹。不利なことを知ってか、魔獣は先程から唸り声をあげながらこちらを警戒している。先程の遠吠えで呼んだ仲間を待っているのかもしれない。ならば敵が増える前にあいつだけでも倒しておくべきだ。

 

 腕輪のおかげで装着時間は飛躍的に延びている。エネルギーゲージはまだ半分以上残っている。この様子ならムッツリーニが戻るまで()つだろう。けれど腕輪の力を使えばその時間が短くなってしまう。ここは二重召喚を使わず、守りに徹するべきだ。

 

《ガウゥッ!》

 

 しびれを切らせたのか、狼の魔獣が突然襲い掛かってきた。

 

「美波!」

「うんっ!」

 

 

 僕と美波の防衛戦が始まった。

 



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第四十話 悲しい再会

「ふぅ。姫路よ、少し休んでよいぞ」

「だ……大丈夫です。まだやれます!」

 

 このローゼスコートの防衛を始めてから既に4時間以上が経過している。この頃になると元々体力の無い私はもちろん、木下君の表情にも疲労の色が見えはじめていた。

 

 魔獣は絶え間なく襲ってくるわけではなく、ある程度の塊で襲ってくる。4、5匹くらいの群が一斉に襲って来ては数分の間隔を空け、また次の集団が襲ってくる。そんなことを何度も繰り返している。でもおかげで休憩を挟むことができて体力の無い私でもなんとか持ち堪えている。ただ、私はこの不自然な波状攻撃に違和感を感じ始めていた。

 

「のぅ姫路よ、おかしいと思わぬか?」

「何がですか?」

「この魔獣の襲来じゃ。魔障壁が消えてからこうして何度も迎え撃っておるが、なぜ一斉に襲いかかって来ぬのじゃ?」

 

 木下君も私と同じ違和感を感じていたんですね。

 

「私もずっとそれを思ってました。最初は魔獣でも種族ごとに仲が悪かったりするのかと思いましたけど……」

「だとするならば狼と鹿が共に来るのは妙ではないか?」

「そうなんです。狼は鹿を食料として襲うものだと思うんです。だから一緒に行動するのって変ですよね」

「魔獣化とは動物の特性までも変えてしまうものなのじゃろうか」

「どうなんでしょう……たまたま通りかかった集団が襲って来てるのかもしれません」

「それにしては周期が一定過ぎる。まるでワシらを試すかのよう――っ!」

 

 話の途中で急に木下君が身構えた。キッと正面を見据え、何かに警戒している。きっと次の魔獣が来たのだろう。そう思って私も剣を両手で構え、目を凝らしてみた。

 

「「……」」

 

 じっと暗闇を見つめていると、1つの影が見えてきた。それは暗い庭園の中をこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。ほとんどの魔石を魔障壁装置に回しているため、光は僅かな月明かりと背後の小さな松明1本のみ。あまりに暗くて薄らとしか見えないけれど、その影は人の形をしているように見えた。

 

《ンミ゛ェェ~……》

 

 その小さな声を聞いた瞬間、私の心臓は一度大きく鼓動した。それは明らかに山羊の鳴き声だった。それも幼い仔山羊の声。山羊は私にとって辛い思い出の残る動物。

 

 あれは白金の腕輪を求めてこのサラス王国に来た時のことだった。私は木下君、土屋君と共にこの国を治めている王妃様の宮殿を訪れた。そこで腕輪と交換条件として示されたのが”洞窟に巣くう魔獣の退治”だった。私たちはその依頼を受け、早速マトーヤ山の洞窟に行った。

 

 魔獣は確かに洞窟内にいた。それは山羊の形をした魔獣だった。私たちはその2匹の魔獣と戦い、苦戦しながらもどうにか退治することができた。ただ、そこにいたのは魔獣だけではなかった。魔獣を退治した後に洞窟奥で発見した動物。それは小さな山羊の子だった。

 

 仔山羊は洞窟の奥で震えていた。この子は恐らく退治した魔獣の子。両親を奪ってしまったことに私は責任を感じ、この仔山羊を保護した。

 

 最初は怯えていた山羊の子は、洞窟から出してやると元気な姿を見せるようになった。トコトコと私の周りを走り回り、愛くるしい姿を見せる。私はこの子を「アイちゃん」と名付けた。

 

 その後、私は腕輪探しの日々をアイちゃんと共に過ごした。

 

 4日間という短い間だったけど、あの子との生活はとても楽しく、充実していた。けれど私はこの世界の住人ではない。アイちゃんとずっと一緒に過ごすわけにはいかなかった。だから私はあの子を何度か出会った遊牧民の人に預けた。

 

 今ごろあの子は仲間と楽しく暮らしているはず。こんな所にいるわけがない。そうだ。目の前に現れた山羊は別の山羊なのだ。そう自分に言い聞かせた瞬間、我が目を疑った。

 

《……フゥッ……フッ……フゥッ……》

 

 松明の光が照らす範囲に入ってきたのは声の通り、仔山羊だった。

 

 つぶらな瞳。

 まだ生えかけの小さな(つの)

 真っ白な体にピコピコと揺れる小さな尻尾。

 

 それは紛れもなくあの子の姿。アイちゃんそのものだった。

 

 なぜ? どうしてここに? 同じ山羊の子供だからあの子に見えてしまうの? もしかして私は夢を見ているの? 予想だにしなかった事態に頭が混乱してしまう。

 

「な……なぜじゃ! なぜお主がここに……!?」

 

 隣では木下君が目を見開いて驚きの表情を見せている。混乱しているのは私だけではなかった。それと、今見ているのは夢でも見間違いでもなく、正真正銘、アイちゃんだった。なぜならあの尻尾の仕草と鳴き声は忘れたくても忘れられないから。

 

「……あ……アイちゃん……」

 

 また会えるなんて……思わなかった……もう二度と……会えないって……諦めてたのに……。

 

「アイちゃん……アイちゃんですよね……?」

 

 夢心地の私はふらふらと歩を進める。もう一度あの子を抱きしめたい。あの子の頭を撫でてやりたい。私の胸はそんな思いで一杯だった。

 

「待て姫路よ! 近寄るでない!」

「どうしてですか! アイちゃんが私に会いに来てくれたんですよ!?」

「よく見てみぃ! そやつの(ひたい)を!」

「えっ? (ひたい)……?」

 

 木下君に言われてもう一度アイちゃんを見てみる。純白の毛で覆われた小さな体。ちょこんと飛び出た2本の(つの)。どう見てもアイちゃんなのだけど……。

 

「っ――!? そ、そんな……!!」

 

 それを目にした時、胸に突き刺すような痛みが走った。それはアイちゃんに再び会えたという喜びを示すものではなかった。

 

《ミェェ~……》

 

 弱々しく(いなな)くアイちゃん。その(ひたい)には共に過ごしていた時には無かったものがあった。魔獣の証である宝石……魔石。あの子の(ひたい)にはそれが埋め込まれていた。

 

「そんな……アイちゃんが……魔獣……?」

 

 腕の力が抜け、思わず剣を落としてしまう。ガランと音を立てて大剣が地面に横たわる。私はカクンと膝が折れ、その場にへたりこんでしまった。信じられない……一体……どうして……。

 

《クックックッ……どうだね? 我が傑作の姿は》

 

「……?」

 

 放心状態であった私はその声に疑問を抱くことすらできなかった。このホテルを訪れている者は全員が館内に避難している。だから正面から人が入ってくることなどありえない。にも関わらず、その人は暗闇の庭園から現れた。

 

「む? お主は……?」

 

《久しいな。人間。確かヒメジと申したか?》

 

 人間? そう、私は人間。アイちゃんは山羊の子。でも私たちは友達。大切な……友達。でもアイちゃんはあの時、遊牧民のルイスさんに預けたはず。どうしてここにいるの?

 

 ……

 

 えっ? この声って、まさか……?

 

「ルイス……さん……?」

 

 暗闇の中から現れた1人の男性。

 

 遊牧民風の緑色の服。

 ベージュ色のマフラー。

 服の色に合わせた緑色の帽子。

 

 その容姿は間違いなくアイちゃんを預けた遊牧民のルイスさんだった。けれど今日の彼は前回お会いした時とは様子が違っていた。暗い灯のせいかと思ったけれど、帽子の影から見える顔は明らかにあの時のものとは違う。

 

 青。

 

 そう。彼の顔は青かった。人間は病気や恐ろしい経験をした際、顔が青ざめる。でも彼の顔の青さはそんなものとはまるで違っていた。例えるならば塗装用のペンキ。まるで青いペンキでも塗っているかのような深い青だった。

 

「ルイス殿、なぜ主様がここ――っ! お主、何者じゃ! なぜルイス殿と同じ出で立ちをしておる!」

 

 チャキッと薙刀を構え、木下君が意外なほどの大声を張り上げる。木下君もルイスさんの異変に気付いたみたい。

 

《ん~? ルイス? はて。誰のことかな?》

 

「何を言う! その容姿は紛れもなくルイスラーバット殿のもの! じゃがルイス殿はそのような青い肌はしておらぬ!」

 

《当然であろう。我が名はラーバ。ルイスなどという名ではない。……いや。ルイスを名乗っていたこともあったかな? クックックッ……》

 

「な、なんじゃと?」

 

 あの服装はルイスさんに間違いない。でも喋り方が全然違う。あの人はとても紳士的で、こんな人を見下したような話し方はしなかった。そうか、この人はきっとルイスさんの姿を真似た悪い人なんだ!

 

「ルイスさんをどうしたんですか! 返してください! それとアイちゃんも元に戻して返してください!」

 

《物分かりが悪いな人間。はっきり言わねば分からぬか。貴様が以前会ったのは我なのだよ。それに返すもなにも、この生物は元々我のものだ》

 

「違います! アイちゃんは誰かのものなんかじゃありません! アイちゃんは野生の山羊の子です! 山羊の仲間と幸せに暮らすべきなんです!」

 

《やれやれ。本当に理解力の乏しい者だな。元々この生物は実験体として保管庫に入れておいたものだ。それを貴様らが勝手に持ち出したに過ぎぬ》

 

 実験体? 入れておいた? どういうこと?

 

《見張りとして置いた2体を(ほふ)ったのも貴様らであろう? まったく困ったものだよ。せっかくの実験材料を持ち出されては研究に支障を来すではないか》

 

「あの洞窟はお主の保管庫であったとでも申すつもりか! 実験とは何じゃ! お主は一体何を研究しておったのじゃ!」

 

《ククク……そうか知りたいか。……そうかそうか……知りたいか!! よかろう! ならば教えてやろう!!》

 

 赤く無気味な目をくわっと見開き、狂気に満ちた笑みを浮かべるルイスさん。そして彼は得意げに語り出した。

 

《貴様らの言う”魔獣”とは我ら一族の作り出したものだ。この鉱石を用い、死した屍に新たな命を与えるのだ。だがこうして作り出したものは知性を失い、また元来持っていた本能さえも失ってしまう。我はこの変容が気に入らんのだ。個体本来の性質を持ったままの従順な部下を作り出したいのだよ》

 

 魔獣が死体から作り出されることは坂本君から聞いていた。だからその話自体は驚くことではなかった。けれどそれをこうも当たり前のように言われると改めて驚いてしまう。

 

「その実験のために山羊を用いたと申すのか!」

 

《我は研究を重ねた。どうすれば知性を失わずに魔獣化できるのか。どうすれば本能を失わない個体が作り出せるのか》

 

 木下君の問い掛けを無視し、ルイスさんは得意げに語り続けた。それは身の毛もよだつような禍々しい研究だった。

 

《実験はなかなか成功しなかった。だがある時気付いたのだ。素体にしているもの自体に問題があるのではないか? 屍を素体にしているからではないのか? 生きたままの素体を魔獣化すれば良いのではないか? さすれば日中においても能力が低下することなく活動できる個体ができるのではないか? そう考えたのだよ》

 

 この人、何を言ってるんだろう。言葉は理解できるけれど話の内容が私には理解できない。なぜこんなことをこうも平然と口にできるのか……。

 

《我は研究の方針を変更し、屍ではなく生体を素体にすることにした。そして長年の研究の末、答えを導き出したのだ。素体にするのはできるだけ幼い個体、それも自我の芽生えていない頃のものが良いとな!》

 

 彼は青い顔で真っ赤な目を光らせ、ニィっと狂気の笑みを浮かべる。私はその内容と笑みに寒気を感じ、身が氷りつくような感覚に襲われた。

 

《この研究も協力者がおれば捗ったであろうに、ネロスの奴めは人間を魔獣化することに躍起。ギルベイトに至っては魔獣を遊び相手としか見ておらぬ。まったく、役に立たぬ連中よ》

 

 ギルベイトって……確か明久君が言っていた魔人の名前? 話の内容からすると、魔人が仲間であるかのように聞こえる。ということは、もしかしてこの人も……。

 

「あ、あなたは……ま、魔人……なんですか?」

 

 恐る恐る尋ねてみると、彼の口からは予想通りの答えが返ってきた。

 

《その通りだ。だがネロスやギルベイトの馬鹿と一緒にしないでもらおうか。奴らと同類と思われるだけで虫唾が走るわ》

 

「な……なぜ魔獣なんてものを作り出すんですか!」

 

《愚問だな。ただの戯れよ》

 

 そんな……魔獣を作るのがただの遊びだっていうの? この世界の人たちは昔からずっと魔獣という存在に怯えている。命を落としてしまった人だって沢山いる。それなのに……遊びだって言うの……?

 

「き……貴様……なんということをするのじゃ! 命を弄ぶでない! 恥を知れ!」

「そうです! この世界の皆さんが迷惑しています! こんなことすぐにやめてください!」

 

《何故だ?》

 

「なぜって……あなたには人の苦しみが分からないんですか!? 人々が今までどれだけ苦しんできたと思っているんですか!」

 

《それがどうしたというのだ?》

 

「どうしたって、そんな……」

 

 私は彼の返事に愕然とした。

 

 この人、私たち人間とは考え方が根本的に違う。ここまで人の迷惑に無頓着な人格に出会ったのは初めてです。やっぱり魔人って人間とは相容れない存在なんでしょうか……。

 

《そんなことはどうでもよい。それよりずいぶん探したぞ。よもやこのような小屋におるとは思わなかったがな》

 

「えっ……? 探した? 私たちをですか?」

 

《そうだ。貴様らにこの作品を見てもらいたくてな》

 

 魔人はそう言いながらゆっくりと屈み込むとアイちゃんの背を一度撫でた。その瞬間、私の背筋にゾクリと悪寒が走った。それは私自身、今まで感じたことのない激しい嫌悪感だった。

 

「アイちゃんに触らないでください!!」

 

《アイチャン? なんだ? それは》

 

「その仔山羊の名前です! 私の大切な友達です!!」

 

《何を言っているのか分からんな。これは我が実験体9713号。勝手に名前を付けてもらっては困る》

 

「きゅ、9713号……?」

 

《そうだ。9713番目の実験体だ》

 

 つまり今まで9713もの命を弄んできたということ? なんて……なんて酷いことを……!

 

「あなたこそ勝手に実験体なんかにしないでください!! 命は遊び道具なんかじゃりません! アイちゃんを今すぐ元の姿に戻してください!」

 

《分からぬ奴だな。これは元々我の実験動物だと言うておろう。ならば我がどう扱おうと自由であろう?》

 

「アイちゃんはアイちゃんです! 決してあなたのものなんかじゃありません!」

 

 私は心底震えていた。いつもの私ならこのような異形の者を前にしたら、怖くて堪らなくて目を塞いで小さくなっていたと思う。けれどこの時の私は心の底から怒りに打ち震えていた。

 

「待て姫路よ。落ち着くのじゃ。怒ってはならぬ。怒れば奴の思うツボじゃ」

 

 そんな私を抑えてくれたのは木下君だった。こうして止めてくれなければ私は我武者羅に攻撃を仕掛けていたかもしれない。

 

《勝手なことを言うでないわ!! 我の大事な研究材料を奪っておいてイケシャアシャアと! 盗っ人猛々しいわ!!》

 

 今までの静かな言葉が嘘のように怒りを顕にする魔人。開けた大きな口からは牙がむき出しになり、その姿はまるで悪魔のようだった。そう、明久君も言っていた、まるで悪魔のような存在。それが魔人という存在……。

 

《ふん。まぁ良い。我もそのような議論をするために来たのではない。今宵は貴様らに成果を見せてやろうと思うて来たのだ》

 

「成果……ですか?」

 

《まったく、このような辺鄙(へんぴ)な所におるから一苦労してしまったではないか。おかげでネロスのやつの実験体を使い、更にはギルベイトの手下までも使うことになってしまったではないか》

 

「なぜワシらを探しておったのじゃ! お主の目的は研究ではないのか!」

 

《たわけが!! 我の研究材料を奪った貴様らに仕置きをするために決まっておろう!! でなければネロスの実験体を使ってまでして面倒な障壁を排除したりせぬわ!!》

 

 障壁を排除……? まさか……!

 

「まさか魔障壁が消えたのって……」

 

《ネロスのやつは気に入らんが、我らの意思下にあるものを障壁内に入れられる物を作ったことだけは評価に値する。おかげでこうして貴様らをおびき出せたのだからな》

 

「く……なんということを……そんなことのためにこの町を襲ったと申すのか!」

 

《そんなことだと!? 我の崇高な研究を邪魔した罪、万死に値する! 貴様らには最高の苦しみを与えてやる! このアイチャンとやらの素体を用いて完成した新たな魔獣によってな!!》

 

「どこまで性根が腐っておるのじゃ……」

 

《腐る? 違うな。この素体は生きているのだよ。屍を用いると細胞が膨張して体が大きくなってしまう。だがこの作品はどうだ? まだ不安定ではあるが、このとおり細胞の膨張もない。素晴らしい出来映えであろう?》

 

 出来映え? アイちゃんをまるでお菓子を作るかのように言うなんて……。許せない……許せない……! 許せませんっ!!

 

「い、命を一体なんだと思ってるんですか!! 命は大切な……掛け替えのないものなんです! 弄ぶなんて以てのほかです! 私はあなたを絶っ対に許しません!!」

 

《フハハハハ! 我を許せぬと申すか! ならば何とする! 我が命を奪うか! だがこれもまた命! 貴様の言う掛け替えのないものぞ!》

 

「う……」

 

《それに貴様らとて家畜と称して生物を飼育するではないか! そしていつしか貴様の言う大切な命を奪い、あまつさえその血肉を食らう! それは罪とは言わぬのか! 違うか! 答えてみよ! 人間!》

 

「そ……それは……」

 

《そもそも貴様の主張は矛盾しておるのだよ! 偽善なのだよ! 貴様の主張は!》

 

「……」

 

 私は魔人の言うことに言い返せなかった。彼の主張が正しいのか、私の考えが正しいのか分からなくなってしまったから。

 

 確かに私たち人間は食肉用として牛や豚、鳥などを育てる。そして時として出された料理が多いと言って残し、廃棄している。これを命の無駄と言わずして何と言おう。であるならば、人間の本質は彼ら魔人と大差無いのかもしれない。

 

「姫路よ。惑わされるでない。ヤツの言葉に耳を貸してはならぬ」

「木下君……」

「確かにワシらは家畜を育て、食料として命を奪う。じゃがその命は血となり、肉となり、ワシらの中で生きておるのじゃ。ワシらはその者たちに感謝しておる。食料となり、ワシらの命となってくれたことに感謝の気持ちは忘れてはおらぬ。じゃがお主は単に命を弄んでおるに過ぎぬ! お主とは根本からして違うのじゃ!」

 

《クク……戯れ言を。どうやらこれ以上話しても無駄のようだな。ではそろそろ始めるとしようか! さぁ行け! あの者たちを喰い尽くすのだ!》

 

 魔人がスッと右手を前に差し出す。

 

《…………》

 

 するとアイちゃんは歩き始めた。一歩一歩、ゆっくりと。

 

「アイちゃん……」

 

 瞬きひとつせず、無表情のアイちゃんがこちらに向かって来る。とてもあの無邪気で元気だったアイちゃんとは思えない表情だった。悲しい。山羊の仲間と一緒に元気に暮らしていると思ったのに。こんなことならあの時預けなければよかった。私の胸の内は後悔と悲しみでいっぱいだった。

 

「完全に操られておるようじゃな……姫路よ! しっかりせい! 呆けていてはアイ殿を救えぬぞ!」

 

 木下君の声で我に返った。そうですね。こうなってしまった責任は私にある。私がアイちゃんを助けなくちゃ!

 

「アイちゃん! 目を覚ましてくださいアイちゃん! あなたは強い子です! そんな人に操られたりしません! 人を襲ったりできない優しい子のはずです! だから……目を覚ましてください!」

 

《…………》

 

 アイちゃんは私の声に反応しない。ただ無表情のまま、ゆっくりとこちらに向かってくる。私の声が聞こえないの……?

 

「そんな人の言うことを聞いてはダメです! アイちゃん! アイちゃん!!」

 

 私は必死に呼びかける。それでもアイちゃんは歩みを止めなかった。私の声が全然聞こえていないみたい。一体どうしたら……。

 

「……お願いです……アイちゃん……元に戻って……お願い……」

 

 これ以上どう呼びかければよいか分からず、涙が出てきてしまう。

 

「アイ殿! 姫路の想いが分からぬのか! いい加減に目を覚ますのじゃ!!」

 

 木下君も共に呼びかけてくれる。諦めちゃいけない。私にそう訴えかけているようだった。でも私にはもう打つ手がない。

 

「ごめんね……私のせいで……怖かったよね…………ごめんね…………」

 

 ぽろぽろと涙が溢れてきてしまう。どうにもできない自分が情けなくて。

 

 

《…………》

 

 

 その時、アイちゃんがピタリと足を止めた。

 

《ん? どうした。早く行け。行って奴らを噛み殺せ!》

 

《…………》

 

 魔人の言うことにも従わない。アイちゃんは完全に動きを止めていた。まるで剥製のようにピクリとも動かない。

 

「きっとお主の声が届いたのじゃ! 姫路よ! もっと呼びかけるのじゃ!」

 

 本当に呼びかけに応じたのかは分からない。でもアイちゃんは魔人の指示にも従っていない。今なら(ひたい)の魔石を外して元に戻せるかもしれない。

 

 ……

 

 ダメ。マトーヤ山の洞窟で出会った2頭の山羊は(ひたい)の魔石を壊したら黒い煙となって消えてしまった。もしアイちゃんから魔石を外したら同じように消えてしまうかもしれない。だったら、もう……。

 

「……アイちゃん……おいで」

 

 私はあの子を受け入れる覚悟を決めた。魔獣だっていい。私は膝を突いて両腕を広げ、今のままのアイちゃんを受け入れた。

 

 

《…………》

 

「…………」

 

 

 薔薇の園を静寂が包み込んだ。時が止まったかのようだった。

 

 

《メ……ミ゛……ミ゛ェ……ェェ……ッ!》

 

 

 しばらくして硬直していたアイちゃんが苦しそうに呻き声をあげた。そしてブルブルと身悶えし、小さな頭を左右に振って抵抗する様子を見せる。アイちゃんも戦ってる……操られまいと一生懸命に抵抗している……!

 

《どうした! 行かぬか! 貴様は数々の失敗から生まれた初の成功体なのだぞ! 行け! 行って奴らに貴様の完成度を見せてやるのだ!》

 

《……フゥッ、フゥッ、ブフッ……ミ……ンミ゛……ミィ…………》

 

 息遣いが荒くなりはじめ、頭を激しく振って一層苦しそうに声をあげるアイちゃん。アイちゃん……頑張って! 魔石の力を追い出すんです……!

 

《えぇい! 行かぬか! この期に及んで抵抗などするでないわ!! 貴様にどれだけの労力を注いだと思っている!》

 

 魔人は黒い鞭を取り出すと、ピシッとアイちゃんに向かって振り下ろした。

 

《ピィッ!?》

 

 甲高い声をあげ、アイちゃんが小さな体を仰け反らせる。

 

「アイちゃん!!」

「待て姫路!」

「でもアイちゃんが!」

「行くでない! 危険じゃ!」

「このままじゃアイちゃんが死んじゃいます!」

「まだアイ殿の魔獣化は解けておらぬ! 今行けば奴の思う壺じゃ! 堪えるのじゃ!」

「でも、だからって……!」

「お主が倒れれば誰がアイ殿を救い出すのじゃ!」

「っ……ア、アイ……ちゃん……」

 

 本当なら木下君を振り払ってでも助けに行きたい。けれどこのまま飛び込んで行けば、木下君の言うようにあの魔人に襲われる。そう、きっと魔人は私がアイちゃんを助けに行くのを待ち構えている。そんなことは分かっているのだけど……!

 

《貴ッ様ァァ! 我に恥を掻かせるつもりか!》

 

《ンミ゛ッ! ミ……ミェ……ェ……》

 

《クッ……この役立たずめがァァ!!》

 

 ――ヒュッ!

 

 苛立った魔人が黒い鞭を振るう。長い鞭は彼の頭上からアイちゃん目がけて落ちてくる。それはまるで獲物を襲う蛇のようだった。

 

《ッ……!》

 

 その瞬間、アイちゃんがパッと体を反転させた。

 

 ――ビシィッ!

 

 乾いた音がして鞭はあの子の顔に命中した。

 

《な、何……ィ……ッ!?》

 

 

「アイちゃぁぁーーん!!」

 

 頭が真っ白になった私は立ち塞がる木下君を払い除け、無我夢中で走った。

 

 真っ直ぐアイちゃんの元へ。

 



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第四十一話 激闘の果て

 横たわるアイちゃんに駆け寄り、私はその身を抱え上げる。そしてあの子の顔を覗き込んだ瞬間、心臓が止まりそうなくらいの衝撃を受けた。

 

 左の(つの)から斜めに右の顎にかけての激しい裂傷。傷は小さなアイちゃんの顔を深く抉っていて、その傷からは真っ赤な血が止めどもなく流れ出ている。そのせいで白かったアイちゃんの顔は真っ赤に染まってしまっていた。

 

「アイちゃん! しっかりしてください! アイちゃん!!」

 

 胸の中のアイちゃんを揺らし私は必死に呼びかける。するとアイちゃんは僅かに首を動かし、小さく嘶いた。

 

《ミ……ミェ~…………》

 

 この一声を出すのが精一杯だったのか、アイちゃんはそのままカクンと首を垂れてしまった。直後、(ひたい)に埋め込まれていた赤い魔石にピシッとヒビが入った。

 

「アイちゃん! アイちゃん! 目を開けてください! アイちゃん!!」

 

 私は小さな身体を抱きかかえながら呼びかけ続けた。その間に魔石はパラパラと静かな音を立てながら崩れ、私の腕や膝を撫でるように伝って落ちていく。

 

「姫路よ!」

 

 そこへ木下君が駆け寄ってきた。

 

「姫路……アイ殿は……」

「……大丈夫です。アイちゃんは……生きています……」

 

 そう、アイちゃんは生きている。この子の体からはトクトクと心臓の鼓動が聞こえる。でもその鼓動はとても弱々しく、不定期になってきている。このままでは出血多量で本当に死んでしまうかもしれない。一刻も早く手当てしなくては……。

 

《な……何故だ! 調整は完璧だったはず! 何故我が意思に逆らえるのだ!》

 

 気付くと魔人が頭を抱えながらワナワナと身体を震わせていた。これほど取り乱した様子を見せているということは、きっとアイちゃんの行動が心底予想外だったのだろう。

 

「残念であったな魔人とやら! お主の研究は失敗じゃ! 姫路とアイ殿の絆を崩せなかったのがお主の敗因じゃ!」

 

《お、おのれぇェェッ!! 人間風情が我を愚弄するか! 許さん! 絶対に許さんぞ貴様ら!!》

 

「許さなければどうだというのじゃ!」

 

《この下等生物めが! 我自ら始末してくれようぞ!!!》

 

 緑色の服をバッと脱ぎ捨て、魔人が本性を現す。

 

 真っ青な肌。

 冷気を帯びたような銀色の頭髪。

 頭部後方に伸びた山羊のような2本の(つの)

 そして背に背負った竜のような黒い翼。

 

 その姿は明らかに人間ではなかった。けれど恐怖は感じなかった。むしろ怒りの感情が溢れ、私の体中の血は熱く(たぎ)っていた。

 

「アイちゃん……どうしてアイちゃんがこんな目に……」

 

 私はアイちゃんをそっと寝かせ、転がしていた剣を取り立ち上がる。

 

「許しません! あなただけは……絶対に!!」

 

 剣を握る手に力が入る。こんなにも怒りに満ちた気分は初めてだった。相手は魔人。危険な存在であることは明久君や坂本君から聞いて知っている。それでも私の怒りは恐怖を遙かに上回っていた。

 

《許さぬのはこちらの方だ! 実験体の分際で我に刃向かいよって! すべて貴様が余計なことをするのが悪いのだ!》

 

「無理矢理改造しておいて勝手なことを言わないでください!!」

 

《小賢しい! 貴様のその偽善、聞き飽きたわ! もうよい! 死ねぇぇぇい!!》

 

 怒鳴ると同時に魔人が5本の指から爪を伸ばし、襲いかかってくる。その大きな手から不気味に突き出す爪の長さはおよそ10センチ。ホラー映画などで見た、人を殺傷することを目的にした刃のように見える。

 

「姫路!」

「っ!」

 

 ――ガキィンッ!

 

 突き付けられた黒い爪を剣の腹で弾きあげる。この防御は以前坂本君から教わったもの。至近距離戦に弱い私にと身を守る術を教えてくれたものだった。

 

《貴様のせいで我が実験は失敗した! これまでの苦労が水の泡だ! その罪、貴様らの命で(あがな)ってもらうぞ!!》

 

 魔人はすぐに体勢を立て直し、両腕を乱暴に振るう。私は大剣を盾のように扱い、その攻撃を防いだ。爪が当たるたびにガキンガキンと金属がぶつかるような音がする。あの爪は金属のように硬く、ナイフのように鋭い。そう思わせるのに十分な音だった。

 

《えぇい! しぶとい奴め! ならば――!》

 

 と大きく腕を振りかぶる魔人。その大振りに隙を見た私はすかさず剣を横一線に小さく振り抜いた。

 

《ヌゥッ!?》

 

 魔人は紙一重でこれを避け、一旦距離を取る。私も体勢を立て直し、魔人に向かって剣を構えた。

 

「絶対に負けません。あなただけには!」

 

 剣を持つ手にぐっと力を入れる。大丈夫。私にも戦える。今の攻防で私はそう感じた。けれど斬ることにはやはり抵抗がある。できることなら諦めて退いてもらいたい。

 

小癪(こしゃく)な……。ならばこうするまでよ!》

 

 魔人が突然向きを変え、横に向かって走り出す。私との正面衝突を避けて一体何を……。

 

 ――っ!

 

「木下君! アイちゃん!」

 

 魔人の向かった先はアイちゃんを抱える木下君だった。虚を突かれた私は反応しきれず、足が動かない。ダメ! 間に合わない!

 

 強く目を瞑った瞬間、

 

《ぐッ!? き、貴様……!》

 

 聞こえてきたのは魔人の悔しがるような声だった。私は恐る恐る目を開けてみる。するとそこには装着した木下君がいて、魔人の喉元に薙刀を突きつけていた。

 

「甘く見てもらっては困る。ワシとてアイ殿を守る力くらいは残っておるぞ」

 

《き……貴様らァ……そんなに我を怒らせたいかァァ!!》

 

 逆上した魔人は木下君の薙刀を払いのけ、黒く鋭い爪を突き出した。

 

《許さん! 許さんッ! 許さァァン!!》

 

 もの凄い勢いで何度も何度も攻撃してくる魔人。けれど木下君も負けてはいなかった。巧みに薙刀を操り、繰り出される爪のすべてを受け流している。

 

《お、おのれェェ! 小賢しい真似を!》

 

「この程度でワシを落とせると思うたか! たとえ魔人であろうとやられはせぬ! 特にお主のような外道にはな!」

 

《小娘が生意気を言うでないわ!》

 

「ワシは男じゃあぁぁぁっ!!」

 

《どうでもよいわぁぁッ!!》

 

「ワシにとっては切実な問題なのじゃ!」

 

 木下君と魔人は繰り返し刃を交え、激しく火花を散らす。2人は一進一退を繰り返しながら少しずつ遠ざかっていく。私がこれに気付いたのは木下君が戦いの最中にチラリと私の方に目をやった時だった。その視線の意図していることはすぐに分かった。

 

 ―― アイちゃんを安全なところへ ――

 

 木下君の目はそう言っていた。私は彼の意思を察し、魔人に気付かれないようにじりじりと移動を始めた。

 

《えぇいしつこい奴め! いいかげんに離れぬか!》

 

「お主が訂正するまでは許さぬ! ワシは男じゃ!」

 

《どうでも良いと言っておろうが!》

 

「どうでも良くないのじゃ!!」

 

 2人は言い合いながら庭園の中央へと移動していく。木下君が魔人を遠ざけようとしている。今のうちにアイちゃんを……。

 

(……少しだけ我慢してね……)

 

 アイちゃんの耳元で囁き、私はその体をそっと抱き上げた。小さな仔山羊の体は暖かく、私の胸の中でか弱く息をする。できることなら今すぐにでも手当てしてあげたい。けれど魔人を木下君だけに任せるわけにはいかない。今私がすべきは、この子を誰かに預けて手当てしてもらうこと。そう判断した私はアイちゃんを抱き、そっと扉を開けてホテルの中に入った。

 

「ヒメジ様!」

 

 ホテル内に入るとすぐに奥から先程のホテル従業員の男性が駆け寄ってきた。また状況の報告に来てくれたのかもしれない。良かった……これでアイちゃんの治療を頼める。

 

「すみません! この子をお願いします!」

 

 私も駆け寄り、胸に抱えたアイちゃんを男性に見せる。

 

「こ、この仔山羊は……?」

「アイちゃんといいます。魔獣にされかかって傷を負ってしまいました。すぐに手当てをお願いします!」

「え……えぇぇっ!? ま、ままま魔獣ぅぅぅ!?」

「大丈夫です! もう元に戻りましたから!」

「へ? そ、そうなんですか? ……わ、分かりました! これは酷い傷だ……すぐに治療帯を!」

「お願いします!」

 

 アイちゃんを託した私は体を反転。すぐさま駆け出した。

 

「あっ! ヒメジ様! どちらへ!?」

「すみません! まだ襲撃が続いているので! アイちゃんをお願いします!」

 

 私は振り向かずに返事をし、館内を走り抜ける。そして扉を開けて庭園に出ると、

 

《ハッハッハッ! さっきまでの威勢はどうした! やはりその程度か! 人間!》

 

 木下君が押されはじめ、防戦一方になっていた。早く加勢に行かないと……。幸い今なら魔人の気は木下君に向いている。不意打ちなんてちょっと卑怯な気もするけど……でもそんなことも言っていられない。とにかく追い払うことが最優先!

 

 私は剣を右下方に構え、タタッと2人の元へと駆け寄る。そして、

 

「やぁぁーーっ!」

 

 地面の砂をすくい上げるように剣を振り抜いた。

 

《ウッ……!》

 

 咄嗟(とっさ)に身をかわす魔人。けれどこの一撃は元々当てるために放ったものではない。

 

「はぁっ!」

 

 一瞬怯んだ魔人に対し、木下君が薙刀を突き出す。そう、私の攻撃は隙を作るためのもの。木下君を援護するために仕掛けた攻撃。

 

《ぐッ……!》

 

 薙刀の切っ先は魔人の腕を捉え、傷をつけた。すると魔人はパッと飛び退いて距離を取り、私たちを恨めしそうに睨み付ける。

 

《お、おのれ小娘がァ! どこまでも小賢しい真似をしよってェェ!!》

 

 魔人はギリッと歯を食いしばり、低い声で呻くように言う。青い腕からはシュウシュウと真っ黒な煙のようなものが吹き出している。あの感じ……魔獣を倒した時の様子と同じ? まさか魔人というのは魔獣の一種なの?

 

(姫路よ、ワシに策がある)

 

 その時、木下君が小さな声で呼びかけてきた。私は剣を構え、魔人から視線を逸らさないようにしながら小さく頷いた。

 

(お主もワシも得物が大物故、素早い攻撃ができぬ。こんな時はムッツリーニが頼りじゃが、それも今は叶わぬ)

(そうですね……)

(ワシはこれ以上素早く動くことはできぬ。じゃがお主には1つだけ素早く強力な技がある。その攻撃ならば奴にも当てられるじゃろう)

(えっ? 私に?)

 

 私にそんな攻撃があったかな……考えてみても思い当たるものがない。剣は自分の身長ほどの大きさがあるし、足だって遅い。他に武器になりそうなものは持っていないし……と考えていると、木下君は私の疑問を察知してか、答えをくれた。

 

(腕輪じゃ。お主の腕輪の力ならば瞬時に奴を焼くことができるじゃろう)

 

 そうだった。私の腕輪の力は”熱線”。遠距離からでも攻撃することができる。

 

(じゃが腕輪の力はエネルギーを大きく消耗する。残量はどうじゃ?)

 

 バイザーに映る棒はだいぶ短くなっている。けれど1回使うくらいは残っていると思う。

 

(大丈夫です。行けます)

(よし、ワシが囮になる。隙を見て撃つのじゃ)

(えっ? でも木下君に当ったら……)

(お主の腕、信じておるぞ)

(……分かりました。必ず魔人だけに当ててみせます)

(良い返事じゃ)

 

「では行くぞぃ!」

「はいっ!」

 

 木下君が飛び出し、薙刀を大きく振りかぶって魔人に攻撃を仕掛ける。

 

《一度攻撃を当てたからといって自惚れるなよ! 人間!》

 

 魔人はその攻撃を片手で難なく受け止める。

 

「まだまだぁっ!」

 

 木下君は薙刀を強引に引き抜き、再び刃を突き出す。ところがこの攻撃も軽く避けられてしまう。それでも木下君は繰り返し繰り返し、何度も何度も突きを繰り出した。

 

《ハッハッハッ! どうしたどうしたァ! その程度で我に歯向かおうなど片腹痛いわ!》

 

 魔人は避けながら余裕の表情を見せる。今、魔人の注意は再び木下君に向いている。チャンスは一度きり……外せばもう後がない。私は左腕を真っ直ぐ前に突き出し、狙いをつけた。

 

《オラオラ! もう終いか! ならばこちらから行くぞォ!!》

 

 狙っているうちに木下君が押されはじめる。でも私が狙っていることには気付いていないようだった。慎重に狙いを定める私。けれど2人が激しく動き回るせいでなかなか合わせられない。

 

 ――ガッ!

 

「う……っ! しもうた!」

 

 そうこうしているうちに木下君が武器を弾かれてしまった。くるくると空中で回転した後、カランと音を立てて地面に落ちる薙刀。

 

《くたばれ! 人間!!》

 

 魔人が右腕を大きく振りかぶる。撃つなら今しかない!

 

「木下君っ!」

 

 私が叫ぶと木下君は地面の砂を掴み、魔人に向かって投げつけた。

 

《ぐォッ!? き、貴様――》

 

「今じゃ!!」

 

「――熱線(ブラスト)っ!」

 

 私の声と共に腕輪がカァッと激しく輝いた。その光は私の開いた手のひらに集中し、一筋の光となる。そして次の瞬間、魔人の青い身体は真っ赤な炎に包まれ、燃え上がった。

 

《ギァァァーーッ!?》

 

 燃えさかる炎の中、魔人が悲鳴をあげる。や、やったの……?

 

《ぐ……ぐゥゥッ……! お、おのれェェ……! に、人間の分際でェェ!》

 

 炎は魔人を焼き尽くすには至らなかった。魔人は炎に包まれながらもゆっくりとこちらに向かって歩を進める。

 

「そんな……これでもダメだなんて……」

 

 私はやむなく両手で剣を構え直す。この時、バイザーに表示される棒は今にも消えそうだった。やっぱり腕輪の力を使うと消耗が激しいみたい。このまま戦い続けたら装着が解けてしまう……。

 

《こ、このムシケラども……ゆ、許さん……絶対に……許さんぞォ……》

 

 (くれない)の炎に包まれたまま、魔人は一歩、また一歩と近付いてくる。その表情はまさに鬼か悪魔のようだった。今まで気を張っていて気にしなかった恐怖の感情が前面に出てくる。この時、私の剣を持つ手はガタガタと震えはじめていた。

 

「させぬぞ!」

 

 その魔人に対し、横から飛び込んでくる影があった。木下君だった。しかし魔人は身体を仰け反らせ、この攻撃を紙一重でかわす。すると木下君は間髪入れずに薙刀をぐぃっと持ち上げ、振り上げた。

 

《ガはッ……!》

 

 木下君の刃が魔人の胸を引き裂いた。苦悶の表情を見せる魔人。その胸からバッと黒いものが吹き出す。それはきっと人間で言う血に当たるもの。魔人はそのままガクリと片膝を突いた。

 

《ぐッ…………お、おの……れェ……ッ!》

 

 私の腕輪が放った炎はまだ魔人を包み込んでいる。燃えさかる炎の中、ギラリと目を光らせる魔人。その目はまだ戦意を失っていない。魔人の恐ろしさを目の当たりにし、私の恐怖感は急激に増大していく。それは剣がカタカタと音を立てるほどの腕の震えが証明していた。

 

「観念せい! まだやるというのならワシも奥の手を出さざるを得ぬぞ!」

 

 木下君は庇うように私の前に立ち、ぐっと両手で薙刀を構える。こんな異常な者を相手にしても木下君はちっとも臆する様子を見せない。なんて強い心を持っているのだろう。この時、私は木下君を心底頼もしいと感じた。

 

《ク…………やむを……得ん……》

 

 魔人はそう呟くと、黒い翼を広げ、パッと後方へとジャンプした。そしてザッと葉の擦れる音をたて、魔人は森の中へと消えていった。

 

 吐き捨てていった台詞からすると諦めたようにも思える。けれどまだ安心はできない。相手は今まで私たちを欺いてきた魔人。退いたように見せかけて不意打ちをしてくるのかもしれない。私は襲撃に備え、警戒を続けた。

 

 

 …………

 

 

 …………

 

 

 …………

 

 

 数分が経っても襲ってくる気配はない。耳を澄ませても聞こえてくるのは風でざわつく葉の音のみ。魔獣が襲ってくる様子もなかった。

 

「……逃げた……の……?」

 

 静けさを取り戻した庭園。動く物はなく、魔石灯の薄暗い灯が私たち2人の影を庭園に映し出している。

 

「やれやれ……どうやら去ったようじゃな」

 

 木下君のこの言葉を聞いた瞬間、私は気が抜けてしまい、へったりとその場に座り込んでしまった。よかった……もう戦わなくていいんだ……。

 

「姫路よ、助かったぞい」

 

 チャキッと薙刀を下ろし、木下君が優しく微笑む。そう。戦いは終わったのです。私たちの勝利という形で。

 

「こちらこそありがとうございました。でも魔人、逃げちゃいましたね……」

「構わぬ。退けただけでも上出来じゃ」

「そうですね……」

 

 その時、衣装がスゥッと消え去り、いつもの制服に戻ってしまった。ちょうど時間切れみたい。

 

「それにしてもあのルイス殿が魔人であったとはな……」

「はい……」

「しかし今にして思えば確かに不審な点はあったのう」

「えっ? そうなんですか?」

「思い出してみぃ。最初に奴に会ったのはどこじゃった?」

「えっと……」

 

 最初に彼に会ったのはアイちゃんを救い出した後。マトーヤ山の洞窟で魔獣を討伐した後、町に帰ろうとした時だった。

 

「確かマトーヤ山の麓でした。あ……」

「お主も気付いたか。奴めは町の外を歩いておったのじゃ。王宮騎士団のニール殿やヒルデン殿さえあれほど怯えていたのに、一般人が平気な顔をして外を出歩いておるのもおかしいじゃろう」

「そうですね……そういえばカノーラの町の外も歩いてました……」

「んむ。当初は気にしておらなんだが、今にして思えば解せぬ部分も多い」

「もっと早く気付くべきでした……」

「お主のせいではない。それにアイ殿も救い出せたのじゃ。結果オーライじゃろう」

「……はいっ」

 

 その時、どこからか馬の嘶きが聞こえてきた。声のする方角を見ると、暗闇の中にぼんやりと光る何かが動いているのが見える。光はこちらに向かって徐々に近付いてくるようだった。あの光は……馬車の光?

 

「どうやら到着のようじゃな。――装着解除(アウト)

 

 装着を解いた木下君は、ふぅと一息ついた。あれは間違いなく馬車の光。それはつまり修理用の魔導コアを取りに行った土屋君が帰ってきたということ。

 

「……私たち、守りきったんですね」

「そうじゃ。これでもう安心じゃな」

「はいっ……」

 

 すぐにガラガラという車輪の音が聞こえてきて、1台の馬車が見えてくる。2頭の馬が引くその馬車は私たちの目の前を通り過ぎ、建物を回り込んで東へと通り抜けて行った。

 

 その直後、サァッと眩しい光が目に差し込んできた。私は眩しくてその光に手をかざす。目を細めると、山の向こうがどんどん明るくなっていくのが見えた。

 

 

 

 長かったローゼスコートの夜明けだった。

 



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第四十二話 夜明けと舞姫

 清々(すがすが)しい夜明けだった。

 

 目の前をムッツリーニを乗せた馬車が通り過ぎた直後のことだった。眩い光が山の向こうから差し込み、辺りが急に明るくなってきた。太陽が昇りはじめたのだ。光は徐々にその光量を増し、ローゼスコートの町に夜明けを告げる。それはまるで戦いの終わりを示す合図(ゴング)のようだった。

 

「ふぇぇ~……つ、疲れたぁ~……」

「遅いわよ土屋ぁ~……」

 

 差し込む太陽の光の中、僕たちは大の字になり、石畳の上で寝転んでいた。あれからどれだけの魔獣を倒しただろう。30匹くらいまでは数えていたのだけど、そこからはもう必死で数えている余裕もなかった。

 

「なんとか守り切ったみたいだね……美波、怪我はない?」

「うん。なんとか……でもアキが来てくれなかったら危なかったわ」

「ははは……ホント間に合って良かったよ」

 

 試召戦争なら戦死したら補習室送りで済む。けれどこの世界における死はどうなるか分からないのだ。前回学園長と通信できた時はこの件について聞き出すことはできなかった。ただ、この世界でも怪我をすれば血が出て痛いということは身をもって知っている。あんな苦しみを美波に味合わせたくはない。それだけは確かだ。

 

「そうだ。こうしちゃいられない。すぐ皆の所に行こう!」

「”みんな”じゃなくて”瑞希の所”でしょ?」

「んがっ!? ち、違うよ! そんなんじゃなくて……!」

 

 まずい。見透かされている。以前美波と喧嘩してしまった時も僕が姫路さんのことを言いすぎたからだった。ここでまた美波を怒らせたら非常にややこしいことになる。なんとか誤魔化して――

 

「ほらアキ、言い訳してる暇があったら走る!」

「へっ? あれ? えっと……」

「もう、何をボサっとしてるの。瑞希のことが心配なんでしょ? 早く行くわよ!」

 

 そう言って美波は僕の手を掴んでくる。

 

 ……暖かくてしなやかな手。

 

 こんな風に手を繋ぐのもなんだか久しぶりだ。それにしても美波の機嫌が良いような気がする。拗ねるかと思ったけどこれは予想外だ。まぁいいか。とにかく姫路さんと秀吉が心配だ。

 

 

 こうして僕は東門の警護を終え、美波と共に正門へと向かった。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「ねぇアキ、あれって瑞希たちじゃない?」

「ホントだ。何してるんだろ?」

 

 東門から正門への通路を抜けると、ロビーに集まっている人たちの中に姫路さんの姿があった。秀吉、霧島さん、雄二の姿もある。でも皆浮かない顔をしているように見える。皆は姫路さんを中心にして、心配そうに何かを覗き込んでいるようだ。

 

「瑞希が怪我でもしたのかしら?」

「えぇっ!? そ、そりゃ大変だ!」

「あっ、待ってよアキ!」

 

 思わず駆け出す僕。美波も後ろからついてきているようだった。

 

「姫路さん!」

「あ、明久君……」

 

 姫路さんの元へ行くと、皆が心配そうな顔をしている理由が分かった。彼女の胸元には全長50cmくらいの白い物体があった。それは頭に小さな(つの)を2本生やしていて、顔には包帯――というか治療帯を巻いていた。この動物はもしかして……山羊?

 

「姫路さん、その仔山羊は?」

「私の友達です。私が間違った選択をしたせいで酷い目にあってしまって……」

 

 姫路さんはぐっと唇を噛み、仔山羊をぎゅっと抱き締める。今にも泣きそうなくらいに顔を歪ませて。

 

「一体何があったのさ」

「それは……」

 

 彼女は俯き、言葉を詰まらせた。きっととても話しづらい事なのだろう。こんな表情をされれば僕にだってわかる。

 

「……吉井、今はそっとしておいてあげて」

 

 霧島さんにそう言われて姫路さんをもう一度見てみる。彼女は目に涙を浮かべ、辛そうに胸元の仔山羊に視線を落としている。何があったのか僕には分からない。でもこの表情からすると心に傷を負ってしまったようにも思える。だとしたらどうにかして癒してあげたい。僕に何かしてあげられることはないだろうか……。

 

「アキ、あんたの考えてること、分かるわよ。でも今は何も言わないであげて」

「う……わ、分かった」

 

 美波には姫路さんの気持ちが分かるようだ。やっぱり女の子の気持ちは女の子の方が良く分かるのかな。

 

「姫路よ、ともかくその子を安静にせねばなるまい。借りている部屋で休ませるのじゃ」

「……はい」

 

 皆が見守る中、姫路さんは秀吉に付き添われて部屋に戻って行った。あの仔山羊は顔に治療帯を巻いていた。つまり頭を怪我したのだろう。でもきっと大丈夫。治療帯の治癒力は素晴らしい。僕が全身に傷を負った時も一晩でほぼ治ってしまったのだから。傷の深さは分からないけど、あのくらいの傷ならばきっとすぐ元気になるだろう。そうすれば姫路さんも笑顔を取り戻してくれるはずだ。

 

「ところで雄二は治療しなくていいの?」

 

 僕がこう聞いたのは、あいつの姿がボロボロであちこちから血が出ているからだ。メランダの町に戻ってきた時ほどの傷ではないが、見ていて痛々しい。

 

「ん? あぁ、これか? そうだな。一応治療帯を巻いておくか」

 

 自分が傷だらけで(ひたい)から血が出ていることに気付いていなかったのか? どんだけ鈍感なんだコイツは……。

 

「目の前の敵を倒すことだけに集中してたからな。多少の傷なんざ気にしていられなかったんだよ」

「……私が行かなかったら危なかった」

「ったく、せっかく1人で思う存分暴れてたってのに、のこのこ出てきやがって」

「……でも数匹に噛み付かれてた」

「あ、あれは! だな……その……なんだ……。ちょ、ちょっと油断しただけだ!」

「……雄二は素直じゃない」

「うっせ! いいから治療帯をよこせ!」

「……巻いてあげる」

「いらんことするな! 自分で巻ける!」

「……いいから」

「あ、こ、こら翔子!?」

「……じっとしてて。でないと首に巻いてしまう」

「お……おう……」

 

 霧島さんはひと巻の治療帯を鞄から取り出すと、雄二の頭に巻いていった。不服そうな表情の雄二。これに対し霧島さんはニコニコと嬉しそうにしていた。

 

 やっぱり霧島さんは雄二のことが心配なんだな。霧島さんは料理もできるし、頭も良いし、女の子らしい優しさも持ち合わせている。ホント、雄二には勿体ないくらいだ。

 

「おわっ!? ちょ、ちょっと待て翔子! これじゃ前が見えねぇだろ!」

 

 気付いたら雄二の頭は完全に治療帯でぐるぐる巻きにされていた。まるでミイラのようだ。

 

「ぷっ、あはははっ!」

「明久てめぇ! 笑ってンじゃねぇ! おい翔子! 巻くのは頭だけでいいんだよ!」

「……沢山巻けば治りも早い」

「関係ねぇトコ巻いて治りが早くなるかっ! いいから早くほどけ!」

「まぁまぁ、いいんじゃない? せっかく霧島さんが巻いてくれたんだしさ」

「……吉井はいい人」

「余計なこと言うんじゃねぇっ! てめぇも同じ目に合わせてやる!」

「あっ! 何すんだよ雄二! うわっ!?」

 

 油断していたら治療帯で足を掬われ、ズデンと床に転がされてしまった。

 

「へへっ、ざまぁみろ」

「くそっ! よくもやったな!」

「んだよ! やんのか!」

 

「こらっ! アキに坂本! こんなところでふざけるんじゃないの!」

 

「「は、はいっ!」」

 

(みろ、お前のせいで島田に怒られたじゃねぇか)

(なんだよ、僕のせいだっていうのかよ)

 

「…………何を騒いでいる」

 

 雄二と(たわむ)れているとムッツリーニが戻ってきた。

 

「おかえりムッツリーニ。ご苦労様」

「…………うむ」

「どうだ、魔障壁は直ったか?」

「…………今修理中。交換するだけだから10分程度らしい」

「そうか。これで一安心だな。ご苦労だったなムッツリーニ」

「ところで馬車はどうだった? 魔獣に襲われたりしなかった?」

「…………7回ほど襲われた」

「そんなに襲われたのか……よく無事だったね」

「…………俺の役目は馬車を守ることだ。魔獣を倒すことではない」

 

 ムッツリーニの話によると、行きも帰りも何度か魔獣の集団に襲われたらしい。それでも馬車は停止せず走り続けたという。そこでムッツリーニがとったのが”前方のみに集中し倒すか()ける”という行動。後ろからの魔獣は振り切ってしまえばいいということらしい。なるほど。一理ある。確かに襲われたからといってすべて倒す必要はない。やっぱりムッツリーニは冷静だ。僕だったらひたすらに戦っていたかもしれないな。

 

「よし、全部片付いたみてぇだし、俺たちも休むとすっか」

「そうだね。僕ももうヘトヘトだよ」

「ウチ、シャワー浴びた~い」

「……私も」

「じゃ部屋に戻るぞ」

 

『『は~い』』

 

 こうしてローゼスコートでの一件は終結した。

 

 当初の予定ではこの朝にここを発ち、マリナポートを目指す予定だった。でも皆夜通し町の防衛や馬車の警護をしていたため睡眠不足だ。そこで僕たちは予定を変更し、このホテルでしばし休息を取ることにした。

 

 

 

 〔 タイムリミットまであと4日 〕

 

 

 

 目が覚めたのは昼過ぎのことだった。ベッドから降りた僕はふと思い立ち、昨夜戦いの場になった場所に行ってみた。

 

「……これは……」

 

 東門の外に出てみて驚いた。

 

 至る所に穴が空いた石畳。そこら中に散らばっている赤や青色の魔石。壁や扉には無数の爪痕が残り、戦闘の激しさを物語っていた。

 

 そうか、昨日僕たちはここで戦っていたのか。なんて有様だ……昨日は暗くてよく分からなかったけど、まさかこんなにめちゃくちゃになっていたなんて……あんなに綺麗だったのに……きっと僕が壊してしまった部分も多いんだろうな……。

 

 呆然と惨状を眺める僕。周りには壊れた箇所を直したり清掃するホテル従業員の姿がある。

 

『ミィ! ミィ! ミェェ~!』

 

 その時、左手の方からこんな山羊の鳴き声が聞こえてきた。

 

『待ってくださいアイちゃん! そんな走り回ったら危ないですよ! ほら、薔薇の棘でいっぱいなんですから!』

 

 続いて女の子の声も聞こえてくる。あの声は……姫路さん?

 

『もう、ダメですよ。やんちゃをしたら。こんな所で転んだら危ないじゃないですか』

『ミィィ~』

『ふふ……分かってくれるんですね。やっぱりアイちゃんは賢いですね』

『ミェェ~?』

『でも良かった。元気になって……ごめんね。酷い目に遭わせちゃって……』

『ミィ、ミェェ~!』

『あっ! 走っちゃダメですってば! もうっ! 全然分かってないじゃないですか!』

『ミィィ~!』

『こらっ! 待ちなさいアイちゃんっ!』

 

 どうやら姫路さんと仔山羊が遊んでいるようだ。2人は元気に庭園を走り回っている。明け方の姫路さんはあんなに悲しそうな顔をしていたけど、この様子なら大丈夫そうだ。

 

「おう、ここにいたか明久」

「あ。雄二」

「どうした。そっちに何かあるのか?」

「うん。舞姫がね」

「はぁ? 頭でも打ったか?」

「見てみれば分かるよ」

 

 雄二が隣まで来て僕の見ている方に目を向ける。するとあいつはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「なるほどな。舞姫とはよく言ったもんだ」

「でしょ?」

「あの仔山羊もすっかり元気になったようだな」

「うん。そういえば雄二も傷、治ってるね」

「おうよ。治療帯ってのはすげぇな。現実世界に持ち帰りてぇくらいだぜ」

「ははっ、そうだね」

 

 そうか、僕たちは現実世界に戻るために旅をしているんだった。昨夜の一件ですっかり忘れていたよ。

 

「うっし、そろそろ出るか。これ以上ノンビリもしていられねぇからな。戻って支度するぞ」

「うん。でもあの仔山羊はどうする? 一緒に連れて行く? 姫路さんは友達だって言ってたけど」

「連れて行ってもいいがマリナポートまでだな。さすがに海に連れ出すわけにもいかねぇだろ」

「だよねぇ……」

「よし明久、お前姫路に話してこい」

「えぇっ!? なんで僕なのさ! 雄二が話してくればいいだろ!」

「断る」

「ふざけんなっ! それじゃどうして僕にそんな役を押しつけるんだよ!」

「お前、姫路があんな顔して遊んでいるのに言えると思うか?」

「そんなの僕だって同じだよ!」

「……私が話してくる」

 

「「うわぁっ!?」」

 

 あぁ、霧島さんか。びっくりしたぁ……突然背後に現れるんだもんなぁ……。

 

「お、お前、いつからそこにいた!?」

「……雄二が舞姫って言ってたあたりから」

「お、おう……そうか……でもいいのか翔子? 姫路にとっては酷なことを言うことになるんだぞ?」

「……うん。なんとか説得してみる。雄二たちは出発の準備をして」

「そうか、すまねぇな。頼むぜ」

「ありがとう霧島さん。助かるよ」

 

 あとを霧島さんに任せ、僕と雄二は部屋に戻り旅支度を整えることにした。部屋に戻ると既に秀吉やムッツリーニが身支度をしていた。僕たちも荷物をまとめ、出発の準備をはじめた。

 

 

 ――そして20分後

 

 

「くっそぅ……置いていくなんて酷いじゃないか……」

 

 僕はホテルの廊下を走っていた。トイレで用を足して戻ってみると部屋の中は既に空っぽだったのだ。皆の荷物もない。残されているのは僕のリュックだけだった。つまり僕は置いて行かれたらしい。

 

「まったく。1人くらい待っててくれたっていいじゃないか」

 

 ブツブツと愚痴をこぼしながら走る僕は階段を駆け下り、ロビーに入る。そして皆の姿を探すと、すぐに姫路さんの姿が目に入ってきた。誰かと話しているようだ。周囲には美波や霧島さんの姿もある。あのお爺さんは誰だろう?

 

「女子は集まってるようだな」

「あ、雄二。あの姫路さんが話してる人は誰?」

「お前覚えていないのか? 昨日紹介されただろ」

 

 昨日? 昨日……昨日……?

 

「えーっと……」

 

 うーん。ダメだ思い出せない。どこかで見たことがあるような気がするんだけど……。

 

「お前な……昨夜のことだってのにもう忘れたのかよ。機織り職人のレスター爺さんだよ」

「あー! そうか!」

 

 すっかり忘れてた。確か姫路さんと秀吉、それとムッツリーニの知り合いなんだっけ。このホテルに来たのは昨日のことなのに、もう何日も前のことのように感じるな。

 

「とにかく行こうぜ」

「うん」

 

 僕らは早速彼女らの元へと向かった。

 

「それじゃよろしくお願いします」

 

 話の輪に加わろうとすると、姫路さんが深く頭を下げ、礼を言っていた。ちょうど話が終わったところのようだ。レスターさんに何か頼み事だろうか?

 

「あ、アキ。待ってたわよ」

「ごめんごめん。ちょっとトイレ行ってて遅れちゃった。ところで何の話をしてたの?」

「アイちゃんをレスターさんが預かってくれることになったのよ」

「へ? そうなの?」

「あ、明久君。おはようございます」

「うん。おはよう」

 

 本当はさっき庭で会ってるし、もう昼過ぎなんだけどね。

 

「いやぁ、本当は俺も仕事があるから動物を飼うなんて厳しいんだがね! でもヒメジ君の頼みとあっては断れないだろ? だから仕方なく引き取ることにしたのだよ!」

 

 どう見ても”仕方なく”の顔に見えないんだけど。こんなにデレッとした顔で言われてもね。

 

「レスターさんなら安心です。アイちゃんをよろしくお願いします」

「おう! 任せておけ! この子は立派に育ててみせるぜ!」

「はいっ! アイちゃん、それじゃ今度こそお別れですね」

「ミェ~?」

「ふふ……やっぱり分かってないみたいですね。……元気でね」

「ミェェ~!」

「皆さんお待たせしました。行きましょう」

 

 そう言う姫路さんの表情は晴れ晴れとしていた。心を痛めるんじゃないかと思って心配したけど取り越し苦労だったみたいだ。

 

「よし、目指すはマリナポート。あと少しで目的地だ。気合い入れていくぞ!」

 

『『おぉーっ!!』』

 

 こうして僕らは薔薇の町ローゼスコートを後にした。

 

 元の世界に戻るまでの期限はあと4日。もう寄り道をしている余裕はない。真っ直ぐ目的である”扉の島”に向かわなくては。

 



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第四十三話 海辺の恋人たち

 マリナポートへ向かう馬車の中、僕たちは事の顛末(てんまつ)を聞いた。事の顛末とはもちろん昨晩の魔獣襲撃の件だ。

 

 姫路さんは語った。アイちゃんという仔山羊との出会い、別れ、そして再会。更にはラーバという魔人の存在。魔障壁の故障はこの魔人に仕組まれたものだったと言うのだ。

 

 この第3の魔人の登場には僕はもちろん、その場の全員が驚いていた。ハルニア王国で僕を襲った魔人ギルベイト。ガルバランド王国で雄二を陥れた魔人ネロス。そして仔山羊を生体改造し、ローゼスコートを襲った魔人ラーバ。彼らは一体何者なのか。なぜ僕らを襲うのか。その正体は未だに不明だ。こうなると学園長と繋がった時に聞けなかったのが悔やまれる。

 

 それにしても意外だったのがムッツリーニの反応だ。仔山羊が魔人に改造され操られていたことを聞くと怒りを顕にしたのだ。この話が出る前のムッツリーニは寝ているのかと思うくらいに微動だにしなかった。ところが話を聞いた直後、あいつは座席をバンと叩きブルブルと拳を震わせたのだ。こんなにも感情を表に出したムッツリーニを見るのは久々だった。

 

 こうした姫路さんの話のおかげで一連の騒動は魔人の引き起こしたものだと分かった。3人の魔人が僕らに敵意を抱いていることも分かった。けれど僕らには恨みを買うような覚えはない。雄二や姫路さんは事前に接触があったので関連性がまったく無いとは言い切れないが、僕を襲ったギルベイトについては理由が皆目見当もつかない。気になるのは奴の言っていた”(あるじ)”だ。残る2人の魔人のどちらかがその主に当たるのだろうか。

 

 考え込む僕に対し、雄二は気にするなと言う。残り時間が少ないので今は無事元の世界に帰ることだけを考えろというのだ。雄二の言うことも分かる。ただ、僕にはこのままでは終わらないような予感がしていた。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 夕刻になり、僕たちはついにマリナポート港に到着した。

 

「やっと着いたのね」

「ここがマリナポートかぁ」

「さすが港町じゃな。潮の香りがするわい」

 

 町の形は他の町と同様に上空から見れば円形。もちろん町の真ん中には魔壁塔が聳え立っていて魔障壁で町全体を包み込んでいる。ただし南側の端は湾岸になっていて、そこから海に出られるようになっているようだ。

 

 構造だけを見ればリットン港とさほど違いはない。しかし雰囲気はだいぶ違うようだ。リットン港には大きな帆船が停泊していて、町にも旅行客用の店が多かった。しかしこのマリナポートには小さな船しかなく、店もほとんど見当たらない。町を歩いていた人の話によると、ここは漁港であり、町を出入りする人も行商がほとんど。だから旅行客用の店はあまり無くて、海で捕れた魚を扱う店ばかりなのだそうだ。

 

「なるほどな。王妃がここに船を置いた理由も納得だぜ」

「魚釣りをするなら漁港ってわけだね」

「そういうことだな」

「坂本君、それで船はどこにあるんですか?」

「知らん」

「えっ? し、知らないんですか!?」

「あぁ。知らん」

「ちょっと坂本! どうすんのよ! せっかくここまで来たのに聞きに戻れって言うの!?」

「ンなわけあるか。最後まで話を聞け。ムッツリーニ、例の物を」

 

 ムッツリーニは小さく頷き、上着の内ポケットから1枚の紙を取り出した。

 

「土屋君、なんですか? それ」

「…………証明書」

「証明書……ですか?」

「…………船の譲渡証明書」

「あ、分かりました。つまり引換券というわけですね」

「…………そういうことだ」

「これを管理している者に渡せってことらしいぜ。あとはそいつがどこにいるのか調べればいいってわけだ」

「なんだよ、それならそうと早く言えよ雄二。無駄に心配しちゃったじゃないか」

「まぁいいじゃねぇか。それで肝心の管理者ってやつなんだがな――」

「……聞いてきた」

「と、いうわけだ」

「な~んだ。もう翔子が聞きに行ってたのね。おかえり翔子」

「……ただいま」

「早かったな翔子。で、どうだった?」

「……管理人室は一番東側の建物。でも今日はもう閉まってる」

「そうか。それじゃしょうがねぇな。……よし、今日は宿を取って休むぞ。明日の朝一番で船を受け取る」

 

 宿を取る……か。昨日みたいな襲撃はもう勘弁して欲しいな……。

 

「では宿を探さねばなるまいのう」

「そういえばさっき歩いてる時に一軒見かけたわよ」

「よし島田、そこへ案内しろ」

「えっ? いいの? 値段とか見てないわよ?」

「桁違いに高くなければいい。昨夜は魔石を大量に仕入れているからな」

「それもそうね。じゃあ行きましょ。こっちよ」

 

 こうして僕たちは美波の案内によりひとつのホテルに入った。そこは確かに高くはなかった。むしろローゼスコートより安いくらいだ。ただ、少々ボロっちいのが残念な感じのホテルだった。

 

 ここでも部屋は2つ借りることにした。当然、男子部屋と女子部屋だ。たった一晩の宿なのだからどのような部屋であろうと文句はない。ただ……。

 

「ねぇ雄二、もう1つ部屋借りない?」

「そうだな……さすがにちょっと狭いか」

「どう見たって狭いよ。だってここ2人部屋だろ?」

 

 部屋にはベッドが2つ置かれていて、他には何もない。そのベッドもわりと小さくて完全に1人用だ。つまりこの小さいベッドに2人ずつ入り、密着して寝ることになる。テーブルや椅子が無いのは気にしないが、またゴリラと一緒になったり床で寝たりするのはゴメンだ。

 

「よし明久、お前受付に行ってもう1部屋借りてこい」

「いいけど部屋割りはどうすんのさ」

「ンなもんグーパーに決まってんだろ」

「だよねぇ……まぁいいや。行ってくるよ」

「おう」

 

 そんなわけで僕たち男子は部屋を2つに分けることにした。でも女子は3人が1つの部屋でいいんだろうか? そう思った僕は女子部屋に行って聞いてみた。

 

「ウチらは大丈夫よ。ね、瑞希」

「はい。私と美波ちゃんが一緒のベッドで寝ますので」

「……私と一緒でもいい」

「それなら3人一緒に寝るというのはどうですか?」

「それもいいわね」

「……それだとベッドが1つ余る」

「そうね。あ、それじゃアキがこっちの部屋に来る?」

 

 ぶっ!?

 

「そっ……! そんなことできるわけないだろ!?」

「み、美波ちゃんっ! さすがにそれはちょっと……」

「ふふ……冗談よ」

 

 ペロリと舌を出して(おど)けてみせる美波。本当に美波は人をからかうのが好きだな……。

 

「えっと、それじゃ女子はこのままでいいいんだね?」

「いいわよ。ウチはやっぱり瑞希と一緒にするわ。ごめんね翔子」

「……美波がそうしたいのなら私はかまわない」

「明久君、お気遣いありがとうございます」

「あ、うん。それじゃ僕はこれで。おやすみ」

「うん。おやすみアキ」

「おやすみなさい」

「……おやすみ」

 

 こうして僕は女子部屋を離れ、廊下を歩き始めた。そして思うのだった。相変わらず女子は仲が良いな……と。まぁ僕ら男子があれを真似できるかって言うと絶対無理だけどね! そもそも真似したら気持ち悪いし!

 

 

 

      ☆

 

 

 

 ホテルの受付で事情を話すと、受付の男性は快く受けてくれた。この町は外部からの宿泊客が少なく、借す部屋が増えるのは大歓迎なのだそうだ。なるほど。言うなればここは辺境の地。ハルニア王国で言うラドンの町のような存在なのだろう。追加で借りた部屋は男子部屋のすぐ隣。結果、女子部屋と連なって男男女という並びで3部屋を借りることになった。

 

 そして交渉を終えた僕は2階の部屋へと向かった。だがその途中、ある場所に差し掛かった所で僕はふと足を止めた。

 

「……」

 

 廊下の窓から斜めに差し込む光。省エネ志向なのか、ホテル内の照明はほとんどない。この歩いている廊下も灯りの類いは一切なかった。

 

 頼りになるのはこの窓からの月明かりのみ。そう、窓から差し込んでいるのは月明かりだった。それはシンと静まり返った廊下を静かに照らし、心和む雰囲気を作り出していた。

 

「月……か」

 

 何気なく窓から外を見てみる。

 

 黒い空。

 黒い海。

 その中に浮かぶ2つの月。

 

 月は僕の目にはこうして2つ映っている。だが月が2つ存在しているわけではない。片方は空に浮かぶ満月。もう片方はそれが海に映し出されたものだった。海に浮かぶ月は波によってゆらゆらと揺らめいている。何だろう。この景色を見ていると胸に不思議な好奇心が湧き上がってくる。

 

「……綺麗だな……」

 

 僕はその光景に魅了され、誘われるように外に出た。

 

 

  ザァ……ザァ……ザザァ……

 

 

 いくつもの小さな波が海面を盛り上げ、そのたびに海をざわつかせる。気温は低くもなく、高くもない。湾岸に吹く潮風は心地よく、磯の香りを乗せて僕の耳を優しく撫でる。

 

 漁港の船はすべてが港に接岸され、沖に見えるのは映り込んだ黄色い月のみ。誰も居ない海辺。優しげな光を放つ月。定期的な波の音は僕の心を落ち着かせてくれた。

 

 ……この海のどこかに扉の島があるのか……。

 

 思えばここまで長かったな。最初にハルニア王国の草原に放り出されてから今日で……34日か。もう1ヶ月以上経つのか。ここに飛ばされた時が1月の上旬だったから、もう2月の初旬になるんだな。

 

 学校はどうなってるんだろう? 僕らがいない間も授業が行われていて須川君たちはどんどん先に進んでいるのだろうか。いや、彼らなら先に進んでいてもあまり変化は無いか。どうせ頭に入ってないだろうし。

 

 むしろ気になるのは出席日数だ。留年の基準はよく知らないけど、たぶん3分の1くらいの欠席があると危険域だと思う。僕は強化合宿の時に1週間の停学処分を受けている。美波や姫路さんは大丈夫かもしれないけど、僕ら男子は危ないんじゃないだろうか。学園(ババァ)長が事情を知っているから何かしらの手を打ってくれると信じるしかないのだけど……。

 

「なーにしてんのっ」

 

 ぼんやりと考え事をしていると、突然後ろから声を掛けられた。

 

「あ……美波?」

「海辺にアキが見えたから来てみたの。こんな所で何してるの?」

 

 月明かりの中で輝く瞳。潮風にサラサラとなびく長い髪と黄色いリボン。いつもと変わらない文月学園の制服。

 

 美波は寝る時はいつもポニーテールを解き、寝巻に着替えている。この姿でいるということはまだ寝る準備をしていないのだろう。

 

「ちょっと……ね。この夜景が気になってさ」

「夜景って、この真っ暗な海のこと?」

「うん。窓から見た時とっても綺麗に見えたんだ」

「ふぅん……言われてみれば確かにちょっと綺麗かも」

 

 美波はそう言って僕の隣に並び、海を眺めた。

 

  ザァ……ザザァ……

 

 目の前の黒い海は繰り返し同じ音をたてる。月明かりの下、僕たちは何も言わずにただ海を見つめていた。

 

 ……そういえば美波には悪いことしちゃったな。美波だけじゃなくて姫路さんや霧島さん、それに雄二たちにも。こんな目に遭ってるのは僕が携帯ゲーム機を無理矢理繋いだりしたのが原因なわけだし。あれさえなければ今頃は普通に学園生活を送っていたはずなんだよね……。

 

「あの……さ、美波」

「なぁに?」

「えっと……」

 

 待てよ? そういえばサンジェスタを出る時も謝ったけど「気にするな」って言われたっけ。同じ事を繰り返すのは人としてどうなんだ? これじゃ物覚えの悪いバカみたいじゃないか。

 

「? どうしたのよ。何か言いたいことがあるんじゃないの?」

「いやぁ、その……」

 

 どうしよう。悪かったって気持ちはあるんだけど、同じ事を2度も言わせるなと怒られるかもしれない。

 

「もうっ! ハッキリしなさいよ!」

「ご、ごめん。やっぱりなんでもない」

「……嘘ね」

「うっ……」

「やっぱりね。アンタって本当に嘘が下手ね。で、何なの?」

「いや、いいよ……怒るかもしれないし……」

「まさかアンタまたウチが怒るようなことしたんじゃないでしょうね」

「い、いや! そんなことないよ!? 絶対に! たぶん!」

「何よそれ! ウチをバカにしてるの!?」

「えぇっ!? ち、違うよ!?」

「何か言いたいことがあるんでしょ! 男らしくハッキリ言いなさい!」

 

 美波は大きな目をキッと吊り上げ、掴みかかってきた。

 

「う、うわわっ!?」

 

 僕は屈んでそれを咄嗟に避ける。

 

「こらっ! 逃げるなんて卑怯よ!」

「ちょ、ちょっと待ってよ美波!」

「問答無用よ! (いさぎよ)く隠してることを話しなさい!」

「だ、だから本当に何でもないんだってば!」

 

 掴みかかろうとする美波。それを紙一重で避ける僕。

 

「む~っ! アキのくせに生意気よ! もう許さないんだからっ!」

 

 ヤバいっ! 捕まったらバックドロップか卍固めだ! それどころか関節技のフルコースかもしれない!

 

「あっ! こら! 待ちなさいアキ!」

 

 危険を察知した僕は一目散に逃走。湾岸に沿って走り出した。

 

「待てと言われて待てるか~っ!」

「いいから待ちなさ~いっ! ウチに隠し事なんて百年早いわよ!」

「だから何でもないって言ってるじゃないか~っ!」

「嘘おっしゃい! アンタ今何か言いかけたじゃない! 白状しなさ~いっ!」

「い、嫌だぁ~っ!!」

 

 誰も居ない町中。月明かりの湾岸。僕たち2人は薄暗いマリナポートの町を駆け回る。

 

 美波とこうして追いかけっこをするのは何回目だろう。もう数え切れないくらいだ。思えば美波とは1年生の頃からこうして一緒に遊んできた。知り合った当初、僕たちは「島田さん」「吉井」と呼び合っていた。けれど2年生になったある日、ひょんなことから「美波」「アキ」と下の名前で呼び合うようになった。そして去年の暮れ。僕たちは互いの気持ちを知り、恋人同士となった。

 

 それからの僕は美波を”特別な女の子”として見るようになった。登下校は必ず一緒。土日にはデートもした。それまで女の子と付き合った経験の無い僕は”女の子との付き合い方”について様々な物を参考にし、考えるようになった。

 

 その中にこんなシーンがあるのを思い出す。砂浜で遊ぶ2人の男女。楽しそうに砂浜を走り、追いかけっこをしているシーン。「捕まえてごらんなさ~い」「あはは待てこいつぅ~」ドラマや漫画ではそんな台詞と共に描かれていた。

 

 こんなシーンを目にする度に自分と美波に当てはめて想像した。いつか僕たちもこんな風に砂浜を舞台に遊ぶ時が来るんだろうか……と。それはいつしか僕の願望となり、そう遠くない未来に向けての目標にもなっていた。

 

 そして今、僕たちの状況はそれに近い。

 

 そう、ついにその時が来たのだ!

 

 

 

 …………と、いう気がしていた。

 

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……ちょ……ちょっと……た、タンマ……ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

「はぁ、はぁ、はぁ……や、やっと……つ、捕まえ……た……はぁ、はぁ……」

 

 真っ直ぐ湾岸に沿って走っていた僕は東側の外周壁にまで到達。行き止まりになってしまった。けれど捕まるわけにはいかない。僕はそのまま外周壁に沿って北上し、更に逃亡を続けた。

 

 しかしそれで諦める美波ではなかった。彼女はどこまでも追いかけてきたのだ。逃げる僕。追う美波。僕たちはいつの間にか町中を全力疾走していた。そして体力の限界を迎えた時、僕たちはマリナポートの町を3周半も回っていたのだった。

 

「ぼ、僕が……ぜぇ、ぜぇ、はぁ……わ、悪かった……はぁ、はぁ、はぁ……」

「わ、分かれば……はぁ、はぁ……いいの……よ……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 どうやら僕たちにベッタベタの恋仲というのは無理のようだ。ところでなんでこんなに走り回ったんだっけ?

 

「あぁ~疲れたぁ……アンタのせいで無駄に汗かいちゃったじゃない」

「それも僕のせいなの?」

「当たり前でしょ? アンタが逃げるからよ」

 

 理不尽だ……。

 

「そろそろ帰りましょ。ウチ、シャワー浴びたくなっちゃった」

 

 美波はそう言って座り込む僕に手を差し伸べてきた。この微笑みを見る限り、怒って追いかけてきたのではないような気もする。やはり女の子の気持ちを理解するのは難しい。

 

「そうだね」

 

 僕は差し出された手に自らの手を重ねた。少し汗ばんだ手の平。けれど嫌な感じはしない。

 

 僕たちは互いに手を取り合い、借りている宿へと帰っていった。

 



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第四十四話 魔の海域

―― タイムリミットまであと3日 ――



 翌朝。

 

 町に出て朝食を済ませた僕たちは早速”小型船舶を管理している”という管理人室に向かった。そこで出迎えてくれたのは茶色いゴワゴワの髭をたくわえたおじさんだった。頭に手ぬぐいを巻き、タンクトップ姿に丸太のような腕を組んで仁王立ちするおじさん。そのはち切れんばかりの筋肉は鉄人をも驚かせるであろう。

 

 おじさんは僕たちが事情を話すと眉間にシワを寄せてあからさまに怪しむ顔を見せた。見知らぬ者が突然やってきて「王妃様の船をよこせ」というのだ。管理する者としては当然の反応だろう。でもこちらには譲渡証明書がある。これを見せれば納得してくれるはず。

 

 と思っていたのだけど、おじさんの態度はムッツリーニが証明書を渡しても変わりはしなかった。それどころか「お前らのような若造がなぜこんな物を持っている」とますます疑われてしまった。王妃様から話が伝わっていないのだろうか。けれど僕たちにはこれ以上証明するものがない。信じてもらう以外に手は無いのだ。

 

「証明書に王妃様のサインがあります。どうかご確認ください」

 

 雄二がそう進言するとおじさんは「しばし待て」と言い、奥の部屋へと入っていった。

 

「信じていただけなかったらどうしましょう……」

 

 姫路さんが心配そうな顔をして言う。証明書を見せたらすぐに貰えると思ってたけど、簡単には行かないもんだな……。

 

「ねぇムッツリーニ、あれは本当に王妃様から貰ったものなんだよね?」

「…………そうだ」

「偽装したものじゃないんだよね?」

「…………その手があったか」

「いや、しなくていいんだけどさ……」

 

 本物なら大丈夫。きっと信じて貰えるだろう。

 

「姫路さん、今は信じて待とう。きっと大丈夫さ」

「……そうですね。今私たちにできるのは信じて待つことだけですものね」

 

 パッと明るい笑顔を取り戻す姫路さん。やはり姫路さんには笑顔が似合う。

 

 

 

 ――そして10分後

 

 

 

「おいお前ら、名を名乗れ」

 

 口をへの字にして戻ってきたおじさんは僕たちにそう言った。確かに人にお願い事をするのならば名を名乗るのは礼儀だ。

 

「坂本雄二。坂本と呼んでください」

「吉井明久です。僕も吉井でいいですよ」

「ウチは島田美波です」

「……霧島翔子」

「木下秀吉じゃ。ワシも木下と呼んでくだされ」

「姫路瑞希です」

「…………土屋康太」

 

 皆が口々に自らを名乗る。すると(いか)つい顔をしたおじさんはムッツリーニに向かってこんなことを言ってきた。

 

「お前、ツチヤと言ったな。それを証明する物はあるか」

「…………」

「証明するものがなければお前が偽の名を名乗っていると見なす」

 

 ムッツリーニがムッツリーニである証拠を出せって? そんなの持ってるわけないじゃん。学生証も携帯電話も現実世界において来ちゃったんだし。エロい所でも見せれば証拠になるか? って、そんなの通用するわけないか。

 

「…………これを」

 

 僕がこうして頭を悩ませていると、ムッツリーニは(ふところ)から1枚の紙切れを取り出し、おじさんに見せた。

 

「こ、これは……!」

 

 すると髭のおじさんは目を見開き、食い入るような目でその紙を見つめた。

 

「うむ。これは間違いなくハルニア王家の証。そうか。お前がツチヤか。先程の証書には王妃様の筆跡でツチヤの名が書かれていた。お前たちを信じよう」

 

 厳つい顔をフッと緩め、おじさんは笑みを見せる。そうか! ムッツリーニはハルニア王国の諜報員の証を持ってるんだった!

 

『『ぃやったぁぁーーっ!』』

 

 僕たちは全員で万歳。歓喜の声をあげた。よぉし! 扉の島は目前だ! とうとう元の世界に帰る時が来たんだ!

 

「ところでひとつお伺いしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 

 飛び上がって喜ぶ僕たちの中で1人、落ち着いた声で尋ねる者がいた。

 

「俺の知っていることなら答えよう」

「ありがとうございます。俺たちはこの海の沖にあるという島を目指しています。その島は深い霧に包まれ、しかも姿を消すこともあると聞きます。そのような島にお心当たりはありませんでしょうか」

 

 雄二が落ち着いた声で丁寧に尋ねる。いつもながら紳士な対応だ。こういったところは見習わないといけないと思うのだけど、どうにも苦手だ。

 

「……誰から聞いた」

 

 しかし管理人のおじさんは眉間にしわを寄せて嫌悪感を見せた。これに対して雄二は顔色ひとつ変えずに答えを返す。

 

「カノーラの町でリックという方から伺いました。マリナポートで漁師をしていたと仰っていました」

「リックか……あの野郎、カノーラなんぞにいやがったのか」

「ご存じなのですか?」

「ご存じも何も、そいつは俺の息子だ」

「そうでしたか……」

 

 管理人のおじさん曰く、息子は「漁師が飽きた」と言って出て行ってしまったらしい。もちろん父親であるおじさんは引き留めた。しかし息子リックは一切耳を貸さず、何も持たずに町を出て行ってしまったそうだ。父親としては当然息子を探しに行きたい。けれど立場上、この町を離れるわけにはいかないのだという。おじさんの名はジェラルド。この漁港の最高責任者らしい。

 

「よく教えてくれた。えぇと……確かサカモトだったな。感謝する。近いうちに休暇を取って連れ戻しに行くとしよう」

「お役に立てて何よりです。それで島の方はどうでしょう? 何かご存じないでしょうか」

「息子の言う島は俺も船に同乗して見ていたので知っている。あれは本当に不思議な出来事だった……だがあの島に何があるというのだ?」

「俺たちの未来を左右するものです」

「ほう。そいつは深刻だな。まぁ深くは問わん。だが俺が知っているのはだいたいの場所くらいだ。それでいいのか?」

「はい。それで十分です」

「いいだろう。今海図を書いてやるから待ってろ」

「ありがとうございます。とても助かります」

 

 こうして僕たちは扉の島への海図を手に入れた。そして管理人のおじさんは王妃様から預かっていたという小型船舶も港に出してくれた。しかしやはり運転は自分たちでなんとかしろということらしい。

 

「どうする雄二?」

「そりゃ俺たちで運転するしかねぇだろ」

「だよねぇ……」

 

 確かローゼスコートで話した時に雄二と姫路さんが船の操縦を覚えたって言ってたっけ。

 

「それじゃ雄二が運転するの? それとも姫路さん?」

「ま、俺だろうな」

「いいんですか? 坂本君」

「あぁ、一度やってみたかったしな」

 

 雄二は歯を見せてニカッと笑う。こいつも相当な物好きだな。確かに船舶の運転とかできたらカッコイイかもしれないけど、僕には手漕ぎボートが限界かな。

 

「よし、皆乗れ! すぐに出発するぞ!」

 

 雄二の指示に従い、僕たちは王妃様の船に乗り込んだ。船は帆船。全長は10メートルといったところだろうか。屋根の付いた船室もあり、7人が入るのに十分な広さがある。操舵台もこの中にあった。

 

「これはなかなか快適じゃな」

「小さいわりに中は結構広いのね」

「さすが王妃様のお船です。これなら雨が降っても平気ですね」

「みんな席に着け。遠洋に出ると結構揺れるぞ」

 

『『は~い』』

 

 僕たちは雄二の言葉に従い、座席についた。特にシートベルトなどは無いようだ。

 

「……これが推進装置で……こいつでスタートか。まぁなんとかなるだろ」

 

 雄二は操舵台で舵を握り、ブツブツとなにやら呟いている。大丈夫なんだろうか……。

 

『海は荒れると危険だ! 危ねェと思ったらすぐ引き返せよォー!』

 

 船の外からおじさんの声が聞こえてくる。さっきの管理人のおじさん、ジェラルドさんだ。僕たちを心配してくれているのか。最初は凄い顔で睨まれたけど、結構いいおじさんなんだな。

 

「おじさ~ん! ありがとうございま~す!」

 

 僕は感謝の気持ちを込めて手を振った。

 

『おう! 気ィつけてなァ~~ッ!』

 

「は~い!」

 

「よし、出発だ!」

 

 ――ガコンッ

 

 雄二が操舵台のレバーを倒すと、船の底から振動が伝わってきた。この世界における動力は人力か馬などを用いたものがほとんどだ。たまにマッコイさんのような科学者が作った動力もあるが、魔石を使った僕には理解できない構造のものばかり。この船に搭載されているエンジン(のようなもの)もきっと”よく分からない魔石の力”で動いているのだろう。

 

 ――ドッ、ドッ、ドッ、ドッドッドッドドドドドド……

 

 エンジンの音が次第に早くなり、景色が動き出す。手を振るおじさんの姿も景色と共に流れ始めた。

 

 こうして僕たちは扉の島を目指し、ついに海に繰り出した。客船以外で海に乗り出すなんて初めてだ。それも案内役もなしに僕ら7人だけなのだから不安は大きい。でもこの先に世界の扉がある。そう思うと不安よりも期待感の方が上回ってしまう僕であった。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「雄二よ、この辺りではないか?」

 

 出発から1時間ほど経過した頃だろうか。秀吉が海図を見ながら雄二に声をかけた。

 

「そうだな。けど何も見えねぇぞ?」

 

 青い海と青い空。その間にある水平線。船上から見えるのはそれだけだった。周囲をぐるっと見渡してもそれ以外に何も見えないのだ。

 

「ねぇ秀吉、本当にこの辺りなの?」

「この海図が間違いなければこの辺りのはずなのじゃが……」

 

 そうは言っても島なんか影も形もない。おかしいな。それじゃジェラルドのおじさんが海図を書き間違えたのかな。もしそうだとしたら困った。こんな広い海の上で島を探すなんてできないぞ? そう思っていた矢先、

 

「……皆、後ろを見て」

 

 外にいた霧島さんが船室に戻って来てそう言った。

 

「どうしたんですか翔子ちゃん? 後ろに何かあるんですか?」

「……黒雲が見える」

「ねぇアキ、もしかして……」

「うん。行ってみよう!」

 

 早速甲板に出て後方に目をやると、遙か後方に入道雲のような形をした黒い雲が見えた。それはまるで煙のようにモクモクといった感じで海面から立ち上っていた。

 

「ほ、ホントだ! きっとあれに違いないよ!」

「でもおかしいわね。ウチら海を真っ直ぐ進んでたのよね? 途中にあんな雲あったかしら」

「気付かないうちに通り過ぎてしまったんでしょうか……」

「ともかく位置的にもあそこに違いないじゃろう。雄二よ! Uターンじゃ!」

 

『あァ? なんでだよ。忘れ物でもしたってのか?』

 

「ワシを明久と一緒にするでない。忘れ物などしておらぬわ。そうではなく、扉の島が後ろにあるのじゃ」

 

『はァ? 何言ってんだ。島なら前に……って()ェ!? どこ行きやがった!?』

 

「だから後ろにあるのじゃ。先程の黒い雲が後ろに回っておるのじゃ」

 

『俺は追い越したつもりはないんだが……。分かった。旋回する。皆を船室に戻せ、横に揺れるぞ』

 

「了解じゃ」

 

 僕たちが船内に戻ると雄二は大きく舵を切り、船は左に旋回。前方に黒い雲が見えてきた。

 

「あれが扉の島なんですね」

「ついにウチらここまで来たのね」

「…………ようやく帰れる」

「土屋君も早く帰りたいんですね」

「…………当然だ」

「帰ったら真っ先に愛子ちゃんに会いたいですか?」

「……………………」

「土屋君?」

「…………そんなことはない」

 

 なんだ、その()は。

 

「ふふ……私は会いたいですよ。もちろん両親にも」

「でも帰ったらきっと叱られるわよね……」

「そうでしょうか?」

「だって1ヶ月も行方をくらませたのよ? その間、何の連絡もしてないし……」

「学園長先生が説明してるんじゃないですか?」

「だとしてもやっぱり叱られる気がするわ……」

「まぁ良いではないか。叱られるだけで済むのならば安いものじゃ」

「そうですよ。だから帰ったらしっかり言いましょう。”心配かけてごめんなさい”って。ね、美波ちゃん」

「そうね。瑞希や木下の言うとおりかもしれないわね。分かったわ」

 

 そうこうしているうちに船は進み、黒い雲が目前に迫って……って、あれ?

 

「ちょっと待って皆、黒雲はどこいった?」

「何言ってるのよアキ。目の前に…………えっ? また無くなってる!?」

 

 そう。つい今しがたまで目前に迫っていた黒い雲が無いのだ。今目の前にあるのは青い海。それと一切雲のない澄み切った青い空。一体どういうことなんだろう……。

 

「おかしいですね。ついさっきまで前に見えてたんですけど……」

「……幻を見ていた?」

「そうなんでしょうか……」

 

 どうだろう。全員が同じ幻を見ていたというのは考えにくい気がする。もしや蜃気楼のようなものだったのだろうか。でも蜃気楼にしては真っ黒な雲だったけど……。

 

『皆、こっちに来るのじゃ!』

 

 その時、甲板の方から秀吉の声が聞こえてきた。いつも落ち着いている秀吉にしては珍しい大声だ。

 

「どうしたの? 木下」

 

『いいから来てみるのじゃ!』

 

「だって。行ってみましょアキ」

「そうだね」

 

 早速秀吉の声がする方に行ってみると、秀吉は甲板の後方で後ろを指差していた。

 

「見るのじゃ! あの黒い雲を!」

 

 指差す先にあった物。それはついさっきまで見ていた黒い入道雲だった。

 

「なんだ。後ろにあったのか。急に消えたからビックリしたよ」

「待つのじゃ明久よ。ワシらは確かに真っ直ぐあの雲に向かって進んでおったはずじゃ。それが何故後ろにあるのか疑問に思わぬのか? しかもこれで二度目じゃ!」

「そんなの雄二がまた操縦をミスしたに決まってるじゃん」

「お主は楽観的じゃのう……」

「おーい雄二! ちゃんと操縦してくれよ! 島がまた後ろに行っちゃってるじゃないか!」

 

『あァ? なんだと? そんなハズはねぇぞ。俺は間違いなく真っ直ぐ舵を握ってたぞ』

 

「そんなこと言ったって後ろに来てるんだからしょうがないじゃん。Uターンしろよ」

 

『っかしいナァ。わーったよ』

 

 こうして船は反転。再び暗雲立ちこめる扉の島に向かって進み出した。

 

 

 

 ところが――

 

 

 

「あ、あれぇ? おっかしいなぁ……」

 

 またも黒雲が目の前から消えたのだ。それも瞬きをした瞬間に。

 

「どういうことなんでしょう。また消えちゃいました」

「……急に見えなくなった」

「翔子ちゃんもですか? 私も注意して見てたんですけど突然なくなっちゃいました……」

 

 皆が同じように見失ったのか。やはり僕らは幻を見ていたのかな。でもあんなにハッキリ見える幻なんてあるんだろうか。

 

「…………こっちだ」

 

 その時、ムッツリーニが船の右側を見ながら呟くように言った。その方角を見てみると、そこには黒い雲が先程と同じように海面から吹き出す煙のような姿を見せていた。今度は右に移動してるのか……なんだかバカにされてるような気がする。

 

「こいつは間違いないな」

「ん? 何が間違いないのさ雄二」

「あれが扉の島だってことがだ」

「なんでそんなことが言えるのさ」

「考えてみろ。今まで聞いてきた話の通りじゃねぇか」

「話?」

「リックって人やハリーって人の話だ。2人とも島が消えちまったって言ってただろ」

「あ……そういえばそうだね」

「つまりあの島には真っ直ぐ突っ込んだところで何らかの力が働いて追い出されちまうってことだ」

「なるほど……」

 

 と納得してみたものの、どうすりゃいいのさこんなの。

 

「どうすんのよ坂本。これじゃ島に近付けないじゃない」

「そいつを今考えている」

「まるで蜃気楼みたいですよね……近付いたらフッと消えてしまって、また別の所に現れるなんて……」

「雄二よ、船の位置はどうなのじゃ? 間違いなく真っ直ぐ進んでおったのか?」

「そのハズだ。だがこの羅針盤を見る限り、見えない力で反転させられちまってるようだな」

「ふむ……やはり何かしらの拒む力が働いておるように見えるのう」

「問題はその力をどうやって打ち払うか、だな」

「そうじゃのう……」

 

 見えない力が船を押し返す……か。そういえば昔やったゲームでもそんな場所があったな。あの時はどうやって解決したんだったかな。確か……呪われた魂を鎮めるアイテムを入手して岬で使う、だったかな。ダメだ、参考になんないや。だってここ海のド真ん中だし……。

 

「……雄二」

「ん。どうした翔子」

「……蜃気楼は昔、巨大なハマグリが作り出した幻だと言われていた」

「今そんなことはどうだっていいだろ!!」

「……現代では空気の温度差によって光が屈折して見えるものだと解析されている」

「で? お前は何が言いたいんだ?」

「……光の屈折によって生まれる幻なら、別の光線を与えることでその屈折は打ち消せる」

「うんまぁ、そうだな」

「……私に考えがある」

「まったく意味が分からん……」

 

 ゴメン霧島さん、僕にもさっぱり分からないよ。

 

「どうするんですか? 翔子ちゃん」

「……私の腕輪を使う」

「腕輪の力ですか? 翔子ちゃんの腕輪ってどんな力でしたっけ?」

「……強い光を放つ」

「そうなんですね。あ、だからそれで蜃気楼を消せるかもってことなんですね?」

「……うん」

 

 なんだかよく分からないけど、姫路さんは納得しているみたいだ。ならきっと良い案に違いない。

 

「おいおい、これは蜃気楼ってわけじゃねぇんだぞ?」

「……やってみなければ分からない」

「いや、やらなくても分かるだろ……」

「……雄二。船をできるだけあの雲に近付けて」

「やれやれ……無駄だと思うがな」

 

 雄二は渋々と舵を切り、船をあの黒い雲へと向かわせた。雄二は信じてないみたいだけど、僕は霧島さんの”やってみなければ分からない”という考え方には賛同する。この世界では僕らの世界での常識が通用しない部分も多い。このような不可思議な事象ならば尚のこと常識にとらわれるべきではないと思う。

 

「で、翔子。どの程度近付けばいいんだ?」

「……もう少し」

「もう少しってどれくらいだよ……」

「……私が止めてと言うまで」

「ったく、わーったよ。好きにしろ」

「……うん」

 

 霧島さんは船内の前方でじっと前を見据える。彼女には何かが見えているのだろうか。そう思わせるほどに真剣な眼差しだった。

 

「……止めて」

 

 しばらくして霧島さんが小さく呟いた。

 

「おう」

 

 その指示に従い、雄二は船を停止した。動力の音が止まり、急に静かになった船内。

 

 ……どうするつもりなんだろう。

 

 恐らく誰もがそんな気持ちで見ていたに違いない。僕たちは霧島さんが次に何をするのか黙って見守っていた。

 

「……やってみる」

 

 霧島さんはそう言うと、スッと船室を出ていった。何をやってみるつもりなんだろう。霧島さんの行動はいつもミステリアスだ。

 



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第四十五話 幻の島と小さな太陽

 霧島さんが船室から出て行った後、僕たちは顔を見合わせていた。考えがあるって言ってたけど、どんな考えなんだろう?

 

「ワシらも行ってみるとするかの」

「だね」

「ウチも行くわ」

「私も見てみたいです」

「雄二とムッツリーニはどうする?」

「俺はいい。ここで見ている」

「…………俺も」

「そっか。それじゃちょっと行ってくるよ」

 

 霧島さんが何をするつもりなのか。僕たちはそれを見届けるため彼女の後を追って甲板に出てみた。船の前方にあるのは黒い入道雲ただひとつ。あの怪しい雲までの距離はざっと見て100メートルといったところだろうか。意外に近くに寄れるものだ。

 

「えーっと、霧島さんは……」

 

 甲板に出てみたものの、彼女の姿が見えない。

 

「明久君、あそこです」

 

 姫路さんが指差したのは前方だった。よく見ると船首から突き出ているマストの上に誰かいる。

 

「霧島よ! そのような所に立つのは危険じゃぞ!」

「ねぇ翔子、そんな所で何をするつもりなの?」

 

 秀吉や美波が声を掛ける。そんな彼女らに対し、霧島さんはチラリと振り返って微笑んでみせた。黙って見ていろってことなんだろうか。

 

「――試獣装着(サモン)

 

 右手を上げ、霧島さんは召喚獣を喚び出した。すぐに光の柱が彼女を包み込み、一瞬で衣装を変化させる。

 

 赤い上着。

 ピンク色のミニスカート。

 黒色の手甲(てっこう)に銀色の武者鎧。

 頭にはほぼ透明のバイザー。

 

 アンバランスなこのスタイルもこうしてよく見ると結構かっこいい。美波にも似合うかもしれないな。

 

「おい翔子、本当にやるのか?」

 

 どうやら雄二も甲板に出てきたようだ。後ろにはムッツリーニの姿もある。なんだかんだ言っても2人ともやっぱり気になるんだな。

 

「……伏せていて」

 

 霧島さんはそう言うと腕輪を装着した左手をスッと天にかざした。僕たちは言われた通り、匍匐(ほふく)前進の体勢で甲板に伏せる。”伏せろ”ということは相当な衝撃が来るということだろう。そう思った僕は両手両足にぐっと力を入れ、衝撃に備えた。

 

「……閃光(フラッシャー)

 

 伏せていると霧島さんの小さな声が聞こえた。すると彼女の腕輪がピカッと輝き、

 

 ――ドンッ!

 

 低く重い音が鼓膜に響き、僕の身体は甲板に強く押しつけられた。とてつもない重圧がのし掛かってくる。意識して呼吸しないと息が止まってしまうくらいだった。この感覚は飛行機が離陸する時の重圧を遙かに超える。

 

「うぅっ……!」

 

 何が起きているのか一目見ようと思い、僕は両腕で上半身を支えて首を上げてみた。

 

  !?

 

 そこに見えたのは光だった。いや、これは……光の玉? まるで太陽のように激しい輝きを放つ光の玉だ。その光の玉の下、霧島さんは手を高く掲げていた。

 

 

 ――ヴゥゥン……ヴゥゥン……ヴォゥン……ヴォォン……!

 

 

 腹の底に響くような低音を響かせ、光の玉はどんどん大きくなっていく。その迫力は凄まじいものであった。その大きさは直径10メートル……いや、20メートルは超えている。既にこの船の倍以上のサイズに膨れ上がっているのだ。しかもそれを身体の小さな霧島さんが1人で支えている。

 

 僕は夢でも見ているんだろうか。この光景はそう思ってしまうほどに現実離れしていた。まるで魔法バトルもののアニメを見ているような感覚だった。

 

「しょ……翔子! そ……そいつを……ど、どうする……つもりだ……!」

 

 後ろから雄二の息苦しそうな声が聞こえてくる。あの雄二でさえもこの重圧に苦しんでいるようだ。

 

「……これをぶつける」

 

 僕たちが重圧に押し潰されている中、霧島さんは直立不動で平然としている。もちろんそれが召喚獣の力であることは理解している。けれどそれを含めて見たとしても、この時の霧島さんは強く、凛々しく、美しかった。

 

「ぶ、ぶつけるってお前――」

 

 と雄二が言いかけた瞬間、霧島さんは掲げた左手をスッと前方に向かって下ろした。それと共に頭上の巨大な光の球がゆっくりと動き出した。

 

 

 

 ――ヴォォン……ヴォォン……ヴォォン……ヴォン……

 

 

 

 光の玉はゆっくり、ゆっくりと海の上を進んで行った。身体に掛かっていた重圧が徐々に薄れていく。ようやく立ち上がれるようになった僕は上半身を起こし、光の球の行方を見守った。

 

 美波や姫路さん、秀吉たちも起き上がり、その行方を見守っている。皆が見守る中、光の球はその大きさを維持したまま真っ直ぐ黒い入道雲に向かって進んで行った。

 

 それにしてもなんて大きさだ。アドバルーンなんてもんじゃない。まるで月を放り投げたような感じじゃないか。あれを霧島さんが作り出したのか。学年主席の力がこれほどとは……。できれば試召戦争でも相手にしたくない人だ。

 

 そんなことを考えている間も光の玉はゆっくりと進んでいく。そしてついに光の球は黒い雲と接触。

 

 

 

 ――カッ!

 

 

 

 その瞬間、光の玉は破裂した。同時に凄まじい爆発音を発し大気を振動させる。爆発は海面を激しく揺らし、大きな”うねり”を生み出した。海面は大きく隆起と陥没を繰り返し、4、5メートルもの巨大な波を作り出す。舞い上がった大量の海水は大粒の雨となって降り注ぎ、大波と共に僕たちの船を襲う。

 

「きゃぁぁーーっ!」

「ちょ、ちょっと翔子! アンタ(ちから)入れすぎよ!」

 

 船は大波に(あお)られ、グラグラと上下左右に大きく揺れる。姫路さんや美波は手すりにしがみつき、なんとか(こら)えているようだ。

 

「……普通に腕輪を使ったらこうなった」

 

 霧島さんはこの揺れの中でも顔色ひとつ変えず船首に立っていた。これが普通に使った力だって? ヤバイ……もうAクラスに勝てる気がしない……。

 

「な、なんという恐ろしい力じゃ――うぷっ!」

 

 ザァッと右手の波が大きく盛り上がり、手すりに掴まっている秀吉を襲った。

 

「秀吉!」

「……な、なんのこれしき!」

 

 波はすぐに引き、その中からずぶ濡れになった秀吉が現れた。無事でよかった……そ、そうだ! 美波と姫路さんは!?

 

「美波! 姫路さん!」

 

 僕は手すりに掴まり、辺りを見渡す。今僕は船の左端の手すりにしがみついている、右側には秀吉。僕の後ろ側には雄二とムッツリーニの姿が見える。2人の姿がない……ま、まさか波にさらわれて……!?

 

『ここです明久君!』

『アキ! こっちよ!』

 

 その時、どこからか2人の声が聞こえてきた。だが声はすれども姿が見えない。ど、どこだ?

 

『こっちよこっち!』

 

 更に美波の声。こっちってどこさ……って。

 

「なんだそこにいたのか。あぁ良かった……波にさらわれたのかと思ったじゃないか……」

 

『だってここが一番安全だと思ったんだもの』

『ご心配おかけしてすみません……』

 

 彼女らは霧島さんの足下にいた。なるほど。この揺れの中でも微動だにしない霧島さんは確かに一番安全な場所かもしれない。

 

 なんてことをやっているうちに、どうやら波がおさまってきたみたいだ。船の揺れも緩やかになってきた。もう大丈夫だろう。

 

「ふぅ……ったく、なんて無茶をしやがるんだ」

「…………海水を飲んだ」

 

 雄二やムッツリーニも無事のようだ。でも皆ずぶ濡れだ。

 

「ねぇ皆見て! 雲が消えていくわよ!」

 

 突然大声で叫ぶ美波。彼女は船の前方を指差していた。見れば先程までの黒い入道雲は散り散りになっていた。霧が晴れていくかのように次第に視界が晴れていく。いよいよ扉の島の登場か? でも凄い爆発だったけど中は無事なんだろうか。まさか島ごと吹き飛ばしちゃったなんてこと……ないよね……?

 

「む? なにやら見えてきたようじゃな」

「あれは……島……ですかね?」

「ホント!? どこどこ!?」

 

 喜び勇んで身を乗り出す僕。次第に(あらわ)になってくる黒雲の内部。目を細めてよく見てみると……?

 

「え……島って……あれが?」

 

 僕が疑問に思った理由はその姿形が僕の予想していたものと違っているからだ。

 

 通常、島とは海に浮かぶ盛り上がった大地のことを呼ぶ。緑が生い茂っていたり、ゴツゴツした岩山もしくは火山を乗せたもの。それが僕にとっての島のイメージだった。ところが前方に現れた”あれ”は僕のイメージとはかけ離れていたのだ。

 

 そいつは味噌汁のお椀をひっくり返したような形の”半球体のドーム状”だったのだ。僕の記憶にあのような形をした島はない。

 

「何か膜のようなもので覆われているように見えますね」

「うん。僕にもそう見えるよ。っていうかさ、あれってなんか……」

 

 何かに似ている。この世界に来てから何度も見ている光景。

 

 

 ―― 魔障壁 ――

 

 

 そう。あの黒いドーム状のものは、町を守るために張られている魔障壁にそっくりなのだ。

 

「雄二よ、あれが扉の島なのか?」

「ちょっと待て。…………お。白金の腕輪が反応してやがるぜ」

 

 雄二の左腕に装着された腕輪がぼんやりと妖しい光を放っている。学園長と通信が繋がった時の光り方と同じだ。

 

「この反応からして扉の島に間違いなさそうだな」

「うぅむ……しかしあの様子はどういうことじゃ? まるで魔障壁ではないか」

「見たとおり魔障壁なんじゃねぇか?」

 

 もし雄二の言う通りあれが魔障壁なのならば人体には無害だ。けれど見た感じ、町を守るそれとは根本的に違う物のような気がする。なぜなら――

 

「…………黒い」

「雄二よ、このように黒い魔障壁などあるのじゃろうか」

 

 その魔障壁は黒かった。通常の魔障壁はよく見なければ分からないほどの薄い緑色をしている。だがこの魔障壁はよく見なくても分かるほどはっきりと見える”黒”なのだ。

 

「そうだな……不用意に近付かない方がいいかもしれねぇな。とはいえ、俺たちの目的地はあそこだ。もう少しだけ近寄ってみるか」

 

 雄二はそう言うと船内に戻って行った。しかし黒い魔障壁か……なんか不気味だな。常に黒雲で覆われていて、僕たちから逃げるように姿を消していたことも気になるし。

 

『おーいお前ら! 中に入るか掴まるかしろ! 少し揺れるぞ!』

 

 操舵台から雄二が叫ぶ。僕たちは指示に従い、手すりに掴まった。

 

 

  ドッ……ドッ……ドッ……

 

 

 エンジン音が轟き、船はゆっくりと進みはじめる。海は既に静けさを取り戻していて波も穏やかだ。風はほぼ無風。船の進行により、優しいそよ風が頬を撫でるように流れていくのみ。この静けさが不気味だ。何か大きな災いが待ち受けているような……そんな気がしてならない。

 

「こんなもんでどうだ?」

 

 雄二が船室から出て来て尋ねる。船は例の黒い膜までほんの数メートルの所まで来ている。つまり90メートルほど進んだということだろうか。

 

「見れば見るほど魔障壁にそっくりね」

「……中に島が見える」

「本当ですね……こんな膜が張られているということは中に誰かいるんでしょうか」

「でも見た感じ岩ばかりよ? ウチには人が生活しているようには見えないけど……」

 

 確かに目の前の黒い膜の中には島らしきものが見える。その島はゴツゴツした岩山が見えるのみで、人どころか生き物がいるようにすら見えない。島そのものにまるで生気が感じられないのだ。これじゃまるで死の島だ。

 

「これってこのまま入れるのかしら? 魔障壁なら害は無いはずよね」

 

 美波はそう言って船首から身を乗り出して手を伸ばした。そして彼女の指が黒い膜に届こうとした瞬間、

 

「待つのじゃ島田! 触れてはならぬ!」

 

 何かに気付いたのか、秀吉が大声をあげた。

 

「……えっ?」

 

 ――バチィッ!

 

「きゃぁっ!?」

 

 しかし秀吉の声が届くよりも先に美波は黒い膜に触れてしまっていた。その瞬間、電気のような衝撃がほとばしり、彼女を襲った。

 

「美波!!」

 

 僕は慌てて駆け寄り、彼女の身体を強引に引き戻した。

 

「大丈夫か美波!? 怪我は!?」

「う、うん。大丈夫……ちょっとビリッとしただけ……」

 

 甲板で尻もちをつく美波。そう言う彼女の右手はピクピクと痙攣していた。まるで電撃を受けた時の反応のようだ。でも見たところ傷を負った様子はない。

 

「よく気付いたな秀吉。助かったぜ。島田も不用意に近付くなと言っただろ」

「そうだったわね……ウチが迂闊だったわ」

「まぁ無事で何よりだ」

「じゃがやはりこの島はワシらの侵入を拒んでおるようじゃな」

「あぁ。どう見てもな。さてどうするか……」

 

 雄二は目の前の黒いドーム状の膜をじっと見つめる。僕も釣られて見てみると、ドーム内の中央に細長い岩山があることに気付いた。天辺に向かって伸びる針のような山。それもまた町中で言う”魔壁塔”にそっくりだった。

 

 この感じ。どう見ても人が作ったものにしか思えない。だとしたら秀吉の言うように僕らの侵入を拒む何者かが居るということなんだろうか。でも学園長はここに扉があると言った。ならばなぜ僕らを拒むのだろう。ひょっとして学園長は僕たちを帰らせたくないんだろうか?

 

「……現実世界に帰るには入るしかない」

「けどこのバリヤーをなんとかしねぇと入れねぇぞ。このまま突入したら船がぶっ壊れちまうぜ」

「…………破るか」

「それしかねぇんだろうけど、問題はその手段だ」

 

 魔障壁を打ち破る手段か。そんな方法なんてあるんだろうか。今まで魔障壁には守られてばかりだったし、すぐには思いつかないな……。

 

「それなら今度は私の番です!」

 

 と、そんなことを考えていると姫路さんが声をあげた。

 

「――試獣装着(サモン)っ!」

 

 姫路さんは召喚獣を喚び出し装着。タタッと小走りに前に出て船首に立った。そして腕輪を左腕に装着し――

 

「ま、待て姫路! 早まるな!」

「大丈夫です! 人がいない場所を狙いますので!」

「そうじゃねぇ! とにかく俺の――」

「――熱線(ブラスト)っ!」

 

 雄二の制止も聞かず、姫路さんは腕輪の力を発動させてしまった。腕輪から発せられた一筋の赤い光は防壁に向かって真っ直ぐ突き進む。そして光が触れた瞬間、

 

 

 

 ――バチィンッ!

 

 

 

 打ち返すかのように壁はその光を反射した。そして跳ね返った赤い光は僕たちの乗っている船のすぐ下の海面に吸い込まれ――

 

 

 

 ――ドッバァァォン!!

 

 

 

 凄まじい爆発音を轟かせ、僕らは船ごと空中に投げ出された。

 

「きゃぁぁぁぁーーーーっ!?」

「だから待てと言っただろぉぉぉぉーーっ!」

「な、なんじゃこの爆発はーーっ!?」

「……水蒸気爆発。水が温度の高い物質と触れることによって気化する爆発」

「冷静に解説してる場合かぁーーっ!」

「アキぃぃーっ!」

「み、美波ぃーーっ!」

 

 空中で見えたのは粉々に粉砕された船の破片。それと悲鳴を上げる美波の姿だった。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 



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第四十六話 魔獣ミノタウロス

―― タイムリミットまであと3日 ――



  ザァ……ザザァ……

 

「…………ん…………」

 

  ザァ……ザァ……ザザァ……

 

「ぅぅ…………ん…………?」

 

 何度も繰り返し同じフレーズが耳に入ってくる。その音に騒々しさを感じた僕は目を覚ました。

 

「……ここは……」

 

 頭がボーっとする。それになんだか口の中がジャリジャリする。

 

「えっと……」

 

 視界に入ってくるのは白い砂地だった。どうして僕はこんな所で寝てるんだっけ……? 頭の中がフワフワしていて思い出せない。

 

 

  ザァ……ザァ……

 

 

 後ろの方から打ち寄せる波の音が聞こえる。振り向いてみるとそこには青い海が広がっていた。

 

「ここは……海岸……?」

 

 頭をコンコンと叩きながら僕は記憶を辿る。えっと……確か僕たちは扉の島を見つけて……霧島さんが幻を打ち払って……それで……えぇと……その後……。

 

「うぅ…………ん…………」

 

 その時、どこからか呻き声が聞こえた。女の子の声のようだった。こんな海岸に女の子が? 不思議に思って辺りを見回す僕。するとすぐ隣で女の子が俯せになっていることに気付いた。赤みがかった髪に、ほどけかかった橙色のラインが入った黄色いリボン。それに赤いスカートと黒いジャケットを着た女の子だった。

 

「みっ! 美波!?」

 

 その存在を認識した僕は慌てて彼女を抱き起こした。

 

「美波! 美波!! しっかりするんだ美波!」

 

 僕は彼女の身体を揺すりながら必死に呼びかける。すると彼女はゆっくりと目を開けた。

 

「ア……キ……?」

 

 目をぱちくりさせながら美波は僕の顔を見上げる。良かった……無事みたいだ。

 

「大丈夫美波? どこか痛い所はない?」

「……うん。平気」

 

 彼女はそう言って身体を起こす。見たところ怪我をしている様子もない。すらりとした手足もペッタンコな胸もいつも通りだ。違う所と言えば全身がぐっしょり濡れていることくらいか。

 

「そっか……良かったぁ……」

 

 僕はホッと胸をなで下ろす。

 

「あれ? ここは……ウチ、どうしてこんな所にいるんだっけ……?」

 

 なぜここにいるのか。それは僕にもよく分からない。ただあの時、もの凄い爆風で船ごと吹き飛ばされたことだけは覚えている。それとその爆風の中で咄嗟(とっさ)に美波の手を掴んだことも。

 

 …………

 

 そうだ……思い出したぞ。あの時、姫路さんが腕輪の力を使ってバリヤーを打ち破ろうとしたんだ。その攻撃が跳ね返されて船が……というか海が爆発したんだ。

 

「近くの海岸に打ち上げられたみたいだね。でも無事で良かったよ」

「ねぇアキ、何が起きたの?」

「詳しくはわかんないけど、確か霧島さんが”なんとか爆発”って言ってた気がする。たぶん海が爆発して船がバラバラになっちゃったんだと思う」

「えっ……? 爆発!? それじゃ他の皆はどうなったの!?」

 

 泣きそうな顔をしながら美波は辺りをキョロキョロと見渡す。するとリボンが解け、スルリと落ちた。皆がどうなったのかは僕にも分からない。少なくともこの辺りに他の人の姿は見えない。たぶん僕が美波の手を掴んだから僕たち2人だけが一緒に流れ着いたのだろう。

 

「……僕にもわからない」

 

 僕は砂浜に落ちたリボンを拾いながら答えた。あの時、爆発で船は完全に砕け散っていた。爆風で僕たち7人全員が空中に投げ出された所までは覚えているけど、その後の記憶は残っていない。ただ、無我夢中で船の破片にしがみついたような気がする。

 

「でもきっと大丈夫だよ。僕たちだってこうして流れ着いたんだし」

 

 リボンについた砂を払いながら僕は言う。けれど僕の言葉には何の根拠もない。ただ願望を込めて言っただけなのだ。

 

「でも……あんな海の真ん中で船がなくなっちゃったら……」

 

 目に涙を浮かべながら彼女は小刻みに身体を震わせる。美波が不安に押しつぶされそうになっている。こんな時は僕がしっかり支えてあげないと……。

 

「こういう時はいつも雄二が適切な指示をしてるんだ。だから大丈夫。きっと皆無事だよ。それに召喚獣の力だってあるんだ。その気になれば木の破片をビート板代わりにして港まで泳いで帰ることだってできるはずさ」

 

 リボンを彼女の髪に巻き付けながら僕は言い聞かせた。この言葉に確実性はない。姫路さんは泳げないし、僕のように意識を失ってしまえば溺れてしまう可能性だってある。けれど今は皆を信じるしかない。

 

「こんなもんかな。リボン結んだよ」

「えっ? あ……ありがとアキ」

 

 僕がリボンを結んでいたことに気付いていなかったようだ。それほどまでに気が動転していたといことなのだろう。

 

「……そうよね。ここまで乗り切って来たんだもの。きっと皆無事よね」

 

 美波にも僕の言葉が根拠のない慰めであることくらい分かっているだろう。それでも彼女は素直に受け入れてくれたようだ。

 

「……ねぇアキ。これからどうしよう……」

 

 服に付いた砂を払い落としながら美波が尋ねる。だが”どうする”と聞かれて即答できるほど僕の頭は良くない。とにかく状況を整理しよう。

 

 まず、目的の島は見つけたわけだが、それは魔障壁のような防壁に守られていた。島に入るにはあれを取り除かなければならないだろう。でもそれ以前にやるべきことがある。仲間の探索だ。帰るのは皆一緒。サンジェスタでそう誓い合ったのだから。

 

 そうだ。たとえ再び扉の島に行き着けたとしても全員一緒でなければ意味がないんだ。……大丈夫。きっと皆どこかの海岸に打ち上げられているさ。もしそうだとすると皆はどこに向かうだろう? 僕たちの目的地はあの扉の島なのだから、行くにはやはり船が必要だ。となれば僕らが向かうべき場所はただひとつ。

 

「よし、マリナポートに帰ろう」

「マリナポートに? 海に皆を探しに行くんじゃなくて?」

「うん。きっと皆もどこかの海岸に辿り着いてると思うんだ。僕らは最終的には扉の島に行かなくちゃいけない。もし皆が無事なら船を求めて港町に行くと思うんだ。だから――」

 

 

 ――ズドォォン!!

 

 

 話の途中で突然、爆音と共に地面が地震のように揺れた。な、なんだ!? また水蒸気爆発か!?

 

 

《ヴオォォォォーーーーンンッッ!!》

 

 

 直後、獣のような雄叫びが海岸を襲う。何が起ったのかを理解するのに数秒の時間を要した。それは巨大な人のような――いや、牛のような生き物だった。たとえるならば神話に出てくる獣人”ミノタウロス”。身の丈は10メートルはあるだろうか。以前、渓谷で戦った熊の魔獣と同じかそれ以上の大きさに見える。

 

「な、何!? なんなの!?」

 

 いつもは肝が据わっている美波もさすがにこの猛獣の登場には驚いたようだ。そういう僕はもっと驚いていたわけだが。ただ、僕の身体は本能的に美波を後ろに庇い、守ろうとしていた。

 

「なっ……! なんだ……こいつ……!?」

 

 僕らをひと呑みにできそうなくらいに大きな口。筋肉隆々の不気味な深緑色の身体。顔は牛そのもの。金色の頭髪を持ち、2本の(つの)が……途中で折れている? いや、左側はスッパリと刃物で切られたように切断され、右側はぽっきりと折られている。

 

「う、牛の……魔獣……」

 

 美波が身体を硬直させて呟くように言う。確かに牛の魔獣のようだけど何かが違う。今までの魔獣の姿形は動物そのものだった。リス型ならば後ろ足で立ち上がる仕草。狼型ならば4本の足で大地を踏みしめていた。熊型の魔獣も2本足で立ち上がっていたけど、短い足などは動物そのものだった。

 

 そして今、目の前に現れたのは牛型。牛は4本足の動物であり、後ろ足2本で立ち上がれるような骨格はしていない。けれどこいつは2本の足で立ち、蹄の付いた前足ではなく、人間のような腕が付いているのだ。体格も筋肉質な人間そのもので、むしろ人間の身体に牛の顔を付けたような感じになっている。だから僕はこいつを”ミノタウロス”だと思ったのだ。

 

 それと気になるのは頭にある折れた(つの)。人型で牛のような(つの)を持つ者には強烈な思い出がある。

 

「ち……違う……こ、こいつは……!」

 

 そう、あいつは見たことがある。奴とはこの世界に来てから2度、相まみえている。けれど奴の身長は2メートル程で、これほど巨大ではなかったはずだ。それにこんな牛のような顔はしていなかった。確かに牛のような(つの)は生やしていたが、前回出会った時は人間に近い姿をしていた。

 

《ウゥ……ゥ……ヨ、ヨシ……ィィ…………》

 

 巨大なミノタウロスは苦しそうに声を発する。姿は完全に魔獣だけど、僕の名前を口にするということは間違い無い。奴は魔人ギルベイトだ。でもどういうことなんだ? あの姿は一体……。

 

「ギルベイト! あんたギルベイトなんだろ? その姿はどうしたんだ!」

 

《ウゥ……ウ、ウ、ウオォォォォーーーーッ!!》

 

 奴は頭を抱え、天を仰いで雄叫びをあげる。ダメだ、完全に理性を失っているみたいだ。

 

《ヨォスイィィィィーーーーッッ!!》

 

 ドスドスドスと地響きを立て、奴が向かってくる。なんという迫力だ……まるでミノタウロスそのものだ。これが本当にあの魔人ギルベイトなのか? もしかしたら奴とは別の”半獣人の魔獣”なのかもしれない。

 

「アキ! 来るわよ!」

「に、逃げるよ美波!」

「う、うん!」

 

 僕は美波の手を取り駆け出した。けれど足下が砂地でズルズル滑り思うように走れない。水分を含んでいる分、砂漠よりはマシだ。でもやはり全力で走ることができない。

 

《ウオォォーーッッ! ウオォォーーッッ! ブモオォォーーッッ!!》

 

「う、うわわわっ!」

 

 だ、ダメだっ! このままじゃ追いつかれる! なんとかして美波だけでも逃がさないと!

 

「美波!」

「ダメっ!」

「まだ何も言ってないよ!?」

「ウチだけでも逃げろって言いたいんでしょ! そんなのダメ! 絶対にこの手は放さないんだからね!」

 

 そう言ってぎゅっと僕の手を強く握ってくる。僕の思考は完全に見透かされているようだ。

 

「でもそれじゃ僕たち2人ともやられちゃうよ!」

「冗談じゃないわ! あんな化け物にやられてたまるもんですか! 絶対逃げ切るのよ!」

「そ、そんなこと言ったって……!」

 

《ヴオァァーーッッ!!》

 

「ひぃいっ!?」

 

 手を繋ぎながら必死に砂浜を駆ける僕と美波。ドスドスと砂を撒き散らしながら襲い来る巨獣。もう奴は僕たちの後方数メートルの所まで迫ってきている。やはりこのまま砂浜を走っていたのでは追いつかれる。かといって左の土手は結構な急斜面。あそこを登っていたらあっという間に捕まってしまう。となれば手はひとつ。

 

「く……し、仕方ない! 迎え撃つよ!」

「分かったわ!」

 

「「――試獣装着(サモン)ッ!」」

 

 僕たちは同時に召喚獣を装着。僕は赤いインナーに改造学ラン。美波は青い軍服に姿を変え、サーベルを構える。

 

《ヴォアァァーーーーッ!》

 

 奴は巨大な右拳を振り上げ、ブンと振り下ろす。僕と美波はそれぞれ右と左に散開。奴の攻撃を避けた。

 

 ――ドズゥゥン!!

 

 巨大なモンスターの拳は砂浜をえぐり、まるでクレーターのような穴を作り出した。な、なんて力だ……あれがギルベイトなんだとしたら以前とは比べ物にならない。とんでもない腕力だ……。

 

《ウゴァァーーッ!》

 

 魔人……いや、魔獣ミノタウロスは我武者羅(がむしゃら)に腕を振り回す。だがこんな無茶苦茶な攻撃を見切るのは造作もない。僕と美波は軽々と奴の攻撃を避け、それぞれ奴の腕を斬り付けた。ところが今までとは違い、僕はおろか美波のサーベルでも奴の身体には傷ひとつ付かなかった。

 

「なんなのこいつ!? ウチの剣がぜんぜん効かないわ!」

「僕の攻撃もダメだ!」

 

《ガァ! ガァ!? ゴァァーーッ!!》

 

 奴は僕たちを捕まえようとしているのか、腕をブンブンと振り回して掴みかかる。しかし動きは遅い。僕たちは奴の攻撃を避けつつ、何度も武器で斬りつけた。だが何度斬りつけても奴の身体には刃が通らない。僕の木刀ではなおさら傷も付かないようだ。

 

「ダメよアキ! このままじゃ埒があかないわ!」

「でも一体どうすれば……!」

「腕輪を使ってみるわ!」

「そ、そうか! 分かった!」

 

 ザッと砂浜に着地した美波が上着のポケットから腕輪を取り出す。そして左腕に装着すると、その手を高く掲げ、キーワードを口にした。

 

「――大旋風(サイクロン)ッ!!」

 

 掛け声と共に彼女の手から風が巻き起こる。その風は一気に膨れあがり、周囲の砂を巻き上げて大きな竜巻と化した。

 

「これでも食らいなさいっ!」

 

 美波はその竜巻を放り投げるように飛ばし、ミノタウロスの身体に巻き付けた。ゴウゴウと轟音を発しながら巨体を飲み込んでいく竜巻。美波の竜巻は何度か見ているけど、やはり凄い迫力だ。

 

《ガゥ? ヴゥゥ~~……》

 

 しかし奴は激しい竜巻の中でも平然としていた。前回の戦いで僕の身体を持ち上げた風も奴の巨体は持ち上がらないようだ。それにこれほどの粉塵を叩きつけているにもかかわらず、奴の身体は僅かに傷が入る程度だ。剣で斬りつけるよりは効果的ではあるようだが、腕輪の力は連発できるわけではない。無茶な使い方をすれば(たちま)ちエネルギー切れを起して、装着が解けてしまうだろう。

 

「な、なんて奴なの……これでもダメだなんて……」

「美波! 一旦下がるんだ! 危険だ!」

「う、うんっ!」

 

 僕の指示に従い、美波はパッと飛び退く。それと同時に竜巻がフッと消えた。

 

《ヴォォォォーーーーッッ!!》

 

 竜巻が消えるとヤツは目をギンと光らせ、再びドスドスと地響きをたてて向かって来た。

 

 ……僕の方へ。

 

「えぇっ!? なんでこっちに来るの!?」

 

 てっきり攻撃してきた美波を襲うかと思ったのに、こっちに来るなんて! と僕は慌てて逃げ出す。

 

《ヨ、スィ、イィィィィーーーーッッ!!》

 

「うわーーっ!? な、なんで僕ばっかりぃぃーーっ!?」

 

 やっぱりあれはギルベイトに間違いない。なぜならこうして僕だけを追ってくるからだ。あいつは以前も僕だけを狙ってきた。美波が割り込んでくると逃げるし、それに関して苛立ちを見せていた。自我を失っているようだけど、僕が襲う対象であることは潜在意識にあるのだろう。

 

 でもこれで奴を美波から引き離すことができた。よし、なら追ってこい! 姿が変わっても奴は魔障壁には近づけないはず。逃げて逃げて逃げまくって、町の中に逃げ込んでやる!

 



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第四十七話 譲れない思い

《ウォオォォォーーッッ! ブモォオォォォーーッッ!》

 

 ドスンドスンと地響きをたてながら、しつこく追ってくる巨獣。筋肉で膨れ上がった身体のせいか、奴の動きはそれほど早くはない。だがその一歩一歩が数メートルの跳躍に等しく、召喚獣の力を使って全力疾走する僕にも追いつきそうな勢いだ。

 

『アキ! どうするつもりなの??』

 

 魔獣ミノタウロスの後ろから美波が追いかけてくる。まずいな。せっかく引き離そうとしているのに、その本人がついて来てしまっては何にもならない。やはりここで迎え撃つべきなんだろうか。

 

 ……

 

 それにしても……。

 

《ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ヨ、ヨシ、イィィィィーーーーッ!!》

 

 あいつ……なんであんな風になっちゃったんだろう。あの様子では自分が何をしているのかさえ分かってないんじゃないだろうか。そう思ったらなんだか妙に胸がザワつき始めてしまった。

 

 魔人ギルベイト。

 

 ハルニア王国においてあいつは突然目の前に現れ、「お前を始末しに来た」と言ってきた。酷く乱暴な性格で、好戦的で、人の命をなんとも思わないような奴だった。あの時僕は(やいば)を交え、言葉が通じても話は通じない相手だと認識した。

 

 ただ、今のあいつを見て思う。確かにあいつは人の話を聞こうともしなかった。何を言っても聞く耳を持たず一方的に襲ってきた。でも今、後ろから追ってくるアレは話を聞かないとかそういったレベルの問題じゃない。理性そのものが失われているのだ。

 

 果たしてアレは奴自身が望んだ姿なんだろうか。どうしても僕にはそうは思えない。何か理由があるような……助けを求めているような……そんな気がしてならないんだ。僕の名を呼ぶあのバカでかい声。あの声が僕には悲痛な叫びに聞こえてならないんだ。

 

《ブルァアァァーーーーッッ!!》

 

 

 ――ズドォン!

 

 

 再び奴の拳が砂浜をえぐる。

 

「うわっ!?」

 

 拳をかわしたものの、大量の砂が津波のように押し寄せてくる。それを頭から浴びてしまった僕は完全に足を止められてしまった。

 

「ぺっ、ぺっ、ぺっ……く、くっそぉ……なんて馬鹿力だ……」

 

《ヴァアァァーーーーッッ!!》

 

「うっ……!」

 

 ビルのように(そび)え立つ巨大な獣が、僕の頭上数メートルの所で大きく拳を振りかぶる。このままでは潰される! と飛び退こうとしたものの、腰から下が砂で埋まっていて身動きがとれない。

 

「う、うわぁぁーーーーっっ!?」

 

 やられる! そう思って強く目を閉じたその時、

 

「こんのおぉぉーーっ!!」

 

《ゴファッ!?》

 

 

 ――ズ、ズゥゥン……

 

 

 ……?

 

 あれ? 潰されてない? どういうこと? それに今の音は一体……?

 

「ちょっとアンタ! ウチのアキに何すんのよ!」

 

 気付くと目の前に美波の後ろ姿があった。その美波は正面に向かってビッと指をさして啖呵(タンカ)を切っている。それと気付いたことがもうひとつ。さっきまで僕の目の前にいたはずのミノタウロスが、20メートルほど先で逆さまになって地面に突き刺さっているのだ。

 

「身体が大きいからっていい気になるんじゃないわよ! アキに怪我なんかさせてみなさい! 絶対に許さないんだから!!」

 

 張りのある声で更に怒鳴りつける美波。なんて頼もしい姿なんだろう。惚れてしまいそうだ。いやもうとっくに惚れてるんだけどね。

 

「アキ。立てるわね?」

「う、うん」

 

 そうか、今のは美波が奴をぶっ飛ばした音か。殴ったのか蹴ったのか分からないけど、あの巨体をぶっ飛ばしてしまうなんて奴と同じくらいの馬鹿力だ。これからは美波を怒らせないように注意しようっと……。

 

「アキ、どうして逃げ回ってるの? このままじゃあいつどこまでも追ってくるわよ?」

 

 立ち上がった僕に美波が問う。

 

「それは……」

 

 僕は返答に悩んだ。先程感じた哀れみ。これを美波に話すべきなのだろうか。僕を殺そうとしている奴を哀れむなんて間違っているのかもしれない。それに”奴が魔障壁に近づけない”というのも推測でしかない。万が一魔障壁が効かない奴だとしたら、僕が町に逃げ込むことで無関係な人々に被害が及んでしまう。

 

「言わなくてもいいわ。町に逃げ込んじゃえばあいつが手を出せないって思ったんでしょ?」

「よ……よく分かったね」

「当然よ。アンタの考えてることなんてすぐ分かるわ。だって顔に出てるんだもの」

「そ、そっか。あ、あはは……」

 

 嬉しいような悲しいような。これじゃ隠し事なんてできないな。

 

「でもホントに町に逃げ込んで大丈夫なの? もし魔障壁が効かなかったら大変なことになるわよ?」

「う、う~ん……そうだね……」

 

 確かに美波の言う通りだ。それに仮に魔障壁で奴の進入を防げたとしても、奴は僕を探して町の周りをうろつくようになるだろう。そうしたら今度は町の外を走る馬車が危険に晒されてしまう。やはり奴はここで止めるべきなんじゃないだろうか。

 

「よし……美波。手を貸してくれる?」

「なによ今更。ウチの手ならいくらでも貸すわよ。でもちゃんと返してもらうわよ?」

「あぁ。もちろんさ」

「でも手を外して「はい」って貸すわけじゃないからね?」

「いくら僕でもそこまでバカじゃないよ!?」

「ふふ……分かってるわよ。冗談よ、冗談。それでウチはどうすればいいの?」

「そ、そっか。冗談か。ハハ……って、そんなこと言ってる場合じゃなかった。あれを見てほしいんだ」

 

 地面からやっと抜け出したミノタウロスを僕は指さす。

 

「起き上がってきたみたいね」

「うん。あいつの背中をよく見て」

「背中?」

 

 地面から頭を抜こうと奴がもがいている最中、僕はあるモノに気付いた。それは奴の背中。両肩甲骨(けんこうこつ)の間で鈍い輝きを放っていた。

 

「何か突き出てるわね」

「うん」

 

 これまで出会ってきた魔獣たちの額には必ず魔石と呼ばれる鉱石が埋め込まれていた。あのミノタウロスの背中にもそれと同じものが埋め込まれているのだ。サイズは見たところ50センチほど。魔獣たちのものよりかなり大型だが、弱点であることには違いないと思う。きっとあれを砕けば奴は元の姿に戻るに違いない。僕はそう直感したのだ。

 

 だが魔石を砕くと魔獣は消滅した。同じようにギルベイト自身が消滅してしまうことだってあり得る。それでも他に方法が思いつかない以上、今はこれに賭けるしかない!

 

《ヴォォーーッッ! ヨ、ヨシ、イィィーーーーッッ!!》

 

 真っ赤な目を見開き、魔獣ミノタウロスが真っ直ぐこちらに向かって突進してくる。どうやら先程の美波の一撃ではそれほどダメージになっていないようだ。

 

「美波! 離れて!」

「きゃっ!?」

 

 彼女をドンと突き飛ばし、僕は走り出す。

 

《ウガァァーーーーゥゥゥ!!》

 

「美波! 背中だ! 奴の背中の魔石を狙うんだ!」

 

 そして走りながら指示を出した。奴は上手い具合に僕の方を追ってきている。ちょうど美波と僕とで挟み撃ちにする形になっているのだ。今なら奴は美波に背を向けている。

 

『そんなこと言ってもこいつ結構すばしっこいのよ!? 捕まったら握り潰されちゃうじゃない!』

「分かってる! だから――」

 

 僕は立ち止まり、奴と向き合った。追いついてきた牛の化け物は両腕をガバッと上げ、両手を組んで振り下ろす。ハンマーナックルの状態だ。

 

「――二重召喚(ダブル)!」

 

 僕は腕輪の力を発動。右手に現れた木刀と左手の木刀をクロスさせ、奴の拳を受け止めた。その瞬間、ドズンという重圧と共に僕の足下に衝撃波が広がる。

 

「くぅっ……!」

 

 2本の木刀で受け止めたものの、奴の拳は想像以上に重い。肘や膝がギシギシと悲鳴をあげるようだ。だがこうして両腕を塞いでしまえば背中がガラ空きになる。今がチャンスだ!

 

「み……美波! 今だ……ッ!」

 

「はあぁぁーーっ!」

 

 僕の合図で美波が奴の背後から飛び込む。それに気付いた奴は振り下ろした拳を緩め、彼女を迎え撃つべく上半身をよじる。

 

「させるかぁーーッ!!」

 

 僕はすかさず飛び上がり、2本の木刀で奴の腕を叩き落とす。

 

《ゴァッ!?》

 

 ドズゥンと地響きをたて、奴は右腕を砂浜にめり込ませて動きを止めた。

 

「やぁぁーーッ!」

 

 ――ガシッ!

 

 間髪入れずに美波の(やいば)が奴の背中の魔石を貫く。

 

《ガ……ハァッ……!》

 

 すると奴は一度ビクンと大きく身体を震わせ、そのまま硬直した。

 

「や、やったか……?」

 

 巨大な牛人間は大きな口を開けたまま頭を垂れ、ピクリとも動かない。数秒経っても硬直したままだった。まるで剥製になったように微動だにしない。これって効果があったってことなんだろうか?

 

「……? あれ?」

「ねぇアキ。これってどういうこと?」

「う~ん……動きは止まったけど……」

 

 僕はそっと近づき、奴の顔が見える位置に行って見上げてみた。真っ赤な目を見開き、大きく口を開けて完全に固まっている魔獣ミノタウロス。もしこいつが魔獣の一種なのだとしたら、魔石を砕いた時点で煙を吹き出して消えるはず。魔人ギルベイトであろうこいつの場合、元の姿に戻ると思ったのだけど……違うんだろうか。

 

 と思った瞬間、

 

《ヴオォォォーーーーッッ!!!》

 

 突如奴は上体を反らし、ビリビリと空気を震わせるような雄叫びをあげた。

 

「いっ!? や、ヤバっ!」

 

 僕は咄嗟(とっさ)に飛び退く。そこへ身の丈ほどある拳が迫ってきた。早い! ダメだ! 避けられない!

 

 やむなく両手の木刀をクロスさせ、先程と同じようにそれを正面から受け止める。ズシンと、まるで鉄球をぶつけられたような重い衝撃が両腕に響く。力が全然衰えていない。なんて奴だ……!

 

「くぅぅっ……!」

 

 正面から受け止めてはまずいと感じ、僕は身体をよじって攻撃を横に流した。すると奴は瞬時に体勢を立て直し、また飛び掛かってくる。とにかくあの攻撃を受けちゃダメだ!

 

《ウォッ! ヴォッ! ブォォッ!》

 

 しつこく追ってきて拳を振り下ろす巨獣。なんとか反撃に出たい所だが、いかんせん足場が悪い。こんな砂地では足を取られてしまって踏ん張りがきかないのだ。

 

「いいかげんにしなさいよアンタ!」

 

 美波がサーベルで奴の二の腕をビシュッと斬り付ける。

 

《ガハァッ!?》

 

 すると奴は斬られた腕を押さえ、苦しみ悶えた。

 

「「えっ?」」

 

 驚きの表情を見せる美波。いや、僕も驚いた。先程まで僕らの攻撃はまったくと言っていいほど効いていなかった。けれど今の美波の攻撃で奴の腕からは黒い煙のようなものが吹き出しはじめている。一体どういうことなんだ?

 

《グオァァッ!》

 

「おわっ!」

 

 ぼんやりしていて危なかった。間一髪奴の攻撃を避けると、またもドズンと砂浜にクレーターが生まれる。こいつ……砂浜を月のようにするつもりか? でも今なら攻撃が効くみたいだ。もしかして背中の魔石を破壊したからなのか? だとしたら今がチャンスだ!

 

「美波! 今なら僕らの攻撃が効くみたいだ! 倒せるぞ!」

「うんっ!」

 

「「はぁぁぁっ!」」

 

 美波がサーベルで奴の肩や腕を斬り付ける。僕の二刀は足を重点的に攻め立てる。勢い付いた僕たちは次々に攻撃をヒットさせていった。巨獣の身体は攻撃が当る度に黒い煙を吹き出していく。

 

 そうして10分ほど攻め続けただろうか。僕は奴の変化に気付いた。

 

「美波! ストップ!」

 

 蝶のように舞っていた美波は動きを止め、僕の傍に降り立った。

 

「もういいよ美波」

「……そうみたいね」

 

 魔獣ミノタウロスはもう僕を追ってこない。いや、もはやミノタウロスとは呼べない姿になっている。奴の身体がいつの間にか小さくなっていたのだ。シュウシュウと全身から黒い煙を吹き出しながら、背を丸め、両腕をだらりと下げる魔人……。そう、奴は元の魔人ギルベイトの姿に戻ったのだ。

 

《ウ……グ……ガハッ……!》

 

 奴は口から黒い液体を吐き出す。人間で言う血のようなものだろうか。

 

「やっぱりこいつ魔人だったのね……」

「……うん」

 

 初めて会った時、僕はこの魔人ギルベイトに負けた。

 

 ……恐ろしかった。かつて本気で命を奪おうとする存在に出会ったことは無い。奴の本気の殺意に恐怖し、戦慄した。けれど今はそんな奴を哀れに思える。こんな姿を見てしまうと尚更……ね……。

 

《ウ…………》

 

 魔人は小さく呻き声をあげると、ズゥンと地響きを立て、大の字になって倒れた。

 

《よ……よゥ……ヨシイ……また会ッた……な……》

 

 奴がまともに話しかけてきた。自我を取り戻したのか?

 

「ギルベイト……お前……」

 

《う……く……あ、あの……クソ野郎…………こ、この俺を……いいように……操りやがッ……て……》

 

 操る? じゃあさっき襲ってきたのは自分の意思じゃなかったってことなのか?

 

「ギルベイト。さっきの姿は何なのさ。まるで魔獣みたいだったけど……」

 

《……へへ……そ……そうさ。……魔獣の力を……無理やり……ね、ねじ込まれ……ちまッた……のさ……》

 

 息も絶え絶えに奴が答える。こうなると本当に可哀想になってくる。なんとかして奴を救えないのだろうか……。そんなことを考えていると美波が腕を絡ませてきた。見れば彼女の目は潤んでいて悲しそうに魔人に視線を落としていた。

 

「……どうしてそんなことになったのさ」

 

《……ケッ……あの野郎が…………あーだこーだと……うッせェから……よ……だから……無視したら…………こ、この……ザマよ……へ……へへへ……》

 

 苦しそうにしながらも口元に笑みを浮かべる魔人。どうしてこんな状態になっても笑っていられるんだ……。

 

「なんで……無視なんかしたんだよ……」

 

《……奴が……俺を……用済みだと……動くなと…………言いやがッた……! からよォ……!》

 

 一転してギリッと歯を食いしばり憎しみの表情を見せる魔人。用済みと言われたのが余程悔しかったのだろう。

 

《……お……俺は……! 俺は……おめェを……! 倒したかッた……ッ! こ……この俺と……同じくれェ(つェ)ェ……おめェ……を……ッ!!》

 

 こいつ、本当に強い奴と戦いたいだけだったのか……。でも僕にとっては迷惑だ。こんな命のやりとりなんてゴメンさ。だって僕は普通の高校生なんだから。

 

「魔獣の力をねじ込まれたって……誰にそんなことをされたのよ」

 

 怯えたような震えた声で美波が尋ねる。それは僕も聞いておきたかった。聞かなくても分かっているけど、奴の口から聞いておきたかった。

 

《……ケッ……(あるじ)……だよ……》

 

 奴の答えは僕の期待を裏切らなかった。やはりそうか。最初に戦った時もあいつは”(あるじ)”の命令で引き上げていた。すべて(あるじ)って奴の仕業なんだ。

 

「その(あるじ)ってのは何者なのさ?」

 

《……知らねェよ……ただ…………俺は(あるじ)に……作られた……。だから……本来なら……逆らえねェん……だよ……ゴフッ!》

 

 魔人が再び口から黒い液体を吐いた。だがそれも瞬時に煙と変わり、消えていく。

 

《なァ……ヨシイ……》

 

「うん」

 

《……ありがと……よ……。……け、結構……楽しかッた……ぜ……》

 

「そっか……」

 

《へへ……あ、(あるじ)に……会ッたら……俺の代わりに……い、一発……ぶん殴ッ……といて……くれ……や…………》

 

 魔人は一際苦しそうにそう言うと、最後に口元にニヤリと笑みを浮かべた。直後、奴の身体はポゥッという音と共にすべてが煙と化した。

 

 それはまるで黒いシャボン玉のようだった。かつて魔人であったそれはしばらくその場に留まっていた。僕はその様子をただ呆然と眺めていた。

 

 ――魔人の最期。

 

 それを見届けているのだと認識するのには少し時間を要した。サアッと海から風が吹き、黒い水玉が踊るように円を描く。やがてそれはふわふわと宙を舞いながら空高くへと登っていった。

 

「……」

 

 僕は掛ける言葉が見つからなかった。

 

 ……魔人。

 

 ハルニア王国王都レオンドバーグの東の湖。そこであいつは突然現れた。”(あるじ)の命だ”と言い、僕の命を狙ってきた。

 

 あの時の僕は少し思い上がっていた。召喚獣の力を得て、誰にも負けないと思い込んでいた。けれどあいつの力は僕と同じ……いや、僕を超えていた。そして僕は敗北した。

 

 命を取り留めた僕は奴の存在に恐怖した。未だかつて経験したことのない”本気の殺意”に恐れ(おのの)いた。

 

 2度目の遭遇は同じ場所。湖で白金の腕輪を探している時だった。あいつには勝てない……。僕は前回の戦いの恐怖から立ち直れずにいた。

 

 窮地を救ったのは美波だった。本気になった彼女は強かった。腕力や剣術といった意味ではなく、精神的に強かった。僕は彼女の不屈の精神に勇気をもらった。そして僕たちは力を合わせ、魔人に勝利した。

 

「これで……良かったのかな……」

 

 隣で美波が悲しそうな目をして呟いた。彼女は空へ舞い上がる黒いシャボン玉を見つめながら、ぎゅっと唇を噛み締めている。

 

 今日この時、3度目の対峙で僕たちは魔人に完全勝利した。

 

 でも……これで良かったんだろうか。あいつは僕の命を狙っていた。当然僕だってこの命を譲るわけにはいかない。だからといって逆に命を奪うことは許されることではないはずだ。確かにあいつは人ではない。十中八九、魔獣と同等の存在であろう。けれど命であることには違いないのではないだろうか。

 

「……行こう。皆を探しに。元の世界に帰ろう」

 

 今ここで考えていても答えは出そうにない。今はとにかく前に進もう。

 

「……そうね。ウチらにはやるべき事があったわね」

 

 あいつは最期に礼を言っていた。僕は感謝された。僕はきっと奴を救うことができたんだ。

 

 そう自分に言い聞かせ、僕は昼下がりの砂浜を後にした。

 



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第四十八話 再始動

「へぇ~そうかいそうかい。それにしてもアンタよく生きてたねぇ」

「……そうですね。自分でもそう思います」

 

 ガラガラと騒々しい車輪の音の中での会話。あまり気乗りしない会話だった。

 

 魔人との戦いの後、僕は美波と共に近くの町を探すことにした。と言っても町がどの方角にあるのかなんて分かるわけがない。だからまず道を探すことにしたのだ。

 

 土手を上がって見えたのは、緑豊かな山がいくつも連なる壮大な光景。この辺りは海岸から少し内陸に入るとすぐに山脈になっているようだ。そして僕たちの求める”道”はその山脈に沿うように作られていた。

 

 路面には幾重にも重なった車輪跡。間違いない。これは馬車道だ。きっとこの道沿いに進めばどこかの町に着く。そう判断した僕たちはこの道を歩きはじめた。するとそこへちょうど馬車が通りかかったので、無理矢理止めて乗せてもらったというわけだ。

 

「それでその一緒に海に投げ出されたっていうお友達はどうなったんだい?」

 

 今話している相手はもともと馬車に乗っていたお婆さんだ。なんだかやたらと親しげに話し掛けてくる。正直言ってこの時の僕はあまり話したい気分ではなかった。先程の魔人のことが頭から離れなかったからだ。けれど乗客は僕と美波、それとこのお婆さんの3人のみ。このような状況で冷たくあしらうわけにもいかなかった。

 

「それが分からないんです。僕と美波は砂浜に打ち上げられていたんですけど、他の皆はいませんでした」

「そうかい……無事だといいね」

「……はい。でもきっと大丈夫です。僕だってこうして助かったんですから。きっと皆無事だと思います」

 

 なんて言ったものの、実際無事かどうかは分からない。でもそれを知る術がない以上、僕にできることは皆を信じて町に向かうことだけだ。

 

「そうだね。そう思うのは大事だね。……おや、お連れさんはお疲れかな?」

「ふぇ?」

 

 お婆さんの目線は僕の右隣に向けられていた。

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 気付けば隣に座っている美波が僕の肩に頭を乗せ、寝息をたてていた。ずるい……僕だって寝たいのに……。

 

「ふふふ……可愛い寝顔だねぇ。妹さんかい?」

「へ? あ……いえ。妹じゃないんです」

「おや、そうなのかい? あぁ、お嫁さんだったのかい。こりゃ悪かったねぇ。オホホッ」

 

 ぶっ!?

 

「ち、ちちち違います! 美波はお嫁さんなんかじゃなくて! なくて……その……なんというか……」

 

 眠ってるみたいだし、いいか……。

 

「えっと……ぼ、僕の一番大切な人……って感じで……」

 

 は、恥ずかしい……って、なんで見ず知らずの人にこんな紹介しちゃったんだろう。普通に仲間だって言えばいいじゃないか。バカだな僕……。

 

「そうかいそうかい。つまり将来を誓い合った仲というわけだね?」

「いや、まだそこまでは……」

「なんだい、だらしないねぇ。さっさとモノにしちまいなよ」

「も、モノってそんな……美波はモノじゃないし……そ、それにそういうのはお互いの意思がですね……」

 

 ホント、何言ってるんだろう僕。なんだかこの世界に来てからこうやって冷やかされることが多い気がする。まさかこれも学園長の仕業じゃないだろうな。もしそうだったら1年間呪ってやる!

 

「いいかいアンタ。言うべき時は言わんといかんよ? 人生何が起こるか分からないんだ。今日だって船が壊れて溺れ死にそうになったんだろう?」

「それは……そうかもしれないけど……」

「だったらちゃんと言ってやんな。この子だってきっとそれを待ってるよ」

「は、はい……」

 

 つまり将来の話をしろってことだよね。確かに僕たちは付き合っている。僕は美波のことが好きで、美波も僕を慕ってくれている。でもどうなんだろう。美波は霧島さんみたいに”結婚したい”とか思ってるんだろうか。そういえば似たようなことをウォーレンさんにも言われたっけ。”後悔だけはするな”とか。そりゃ僕だって後悔したくはないけどさ……。

 

 ……

 

 そうだね……お婆さんの言う通りかもしれないな。

 

「分かりました。タイミングをみて伝えることにします」

「それがえぇ。しっかりやんな」

「はい。……ふぁ……」

 

 心を決めたら気が緩んだのか、思わず大あくびをしてしまった。

 

「アンタもお疲れみたいだね。アタシに気を遣わんでえぇ。少し眠んな。マリナポートに着いたら起こしてあげるよ」

「すみません。それじゃお言葉に甘え……させて……」

 

 僕の記憶はそこで途切れている。どうやらすぐに眠りに落ちてしまったらしい。次に目を覚ました時、そこは町の中だった。

 

 

 

 〔 タイムリミットまであと3日 〕

 

 

 

「思ったより早く戻って来られたわね」

「うん。でも問題はこれからさ」

「そうね。瑞希や坂本たちを探さなくちゃ」

 

 馬車から降りた僕たちはまず他の皆を探すことにした。美波は姫路さんたちが無事だと信じているようだ。でもあれほどの爆発に巻き込まれたのに無事なんだろうか。

 

 あの状況で生還するには、まず”浮き”が必要だ。けれど僕たちは救命具の類いは持っていなかった。召喚獣の力を使えばなんとかなるかもしれないが、姫路さんは以前に「水に浮くくらいしかできない」と言っていた。それにたとえ召喚獣を装着して泳いだとしても、岸の方角が分からないはず。最悪の場合、力尽きて海に沈んでしまったなんてことも……。

 

『明久く~んっ! 美波ちゃ~んっ!』

 

 あれ? おかしいな。姫路さんの声が聞こえる。考えすぎて耳までおかしくなってきたんだろうか。それとも気付かないうちに天国に……? なんてことを考えていると、横を美波が猛ダッシュで駆け抜けて行った。

 

「瑞希~っっ!」

 

 右手とポニーテールをブンブン振りながら駆けて行く美波。その向こう側からも走ってくるひとつの人影が。黒い上着に赤いミニスカートの……女の子? まさか……!

 

「お~い! 姫路さ~~~ん!!」

 

 僕は美波の後を追うように走り出した。

 

 あの長くてふわっとした髪。あの”たゆんたゆん”と揺れる凶悪な胸部。間違いない! 姫路さんだ! 無事だったんだ!

 

「美波ちゃん! 無事だったんですね! 良かった……本当に良かったです……」

「それはこっちの台詞よ! アンタこそよくあの爆発で無事だったわね!」

「たまたま通りかかった船の漁師さんに助けていただいたんです。でも本当に良かった……凄く、すっごく心配したんですよ? 気付いたら美波ちゃんと明久君がいないんですから……」

「ウチだって一杯、いーーっぱい心配したんだからね! でもウチは大丈夫よ。この通りピンピンしてるんだから」

「ふふ……そうみたいですね。さすが美波ちゃんです。あっ! 明久君!」

 

 姫路さんはこちらに気付いたようで、タタッと駆け寄ってきた。

 

「明久君。ご無事で何よりです。もうダメかと思っちゃいました……」

 

 彼女は目にキラリと光るものを浮かべながら両手で僕の手を握ってきた。そんなに心配してくれたのか。やっぱり姫路さんは優しいなぁ。

 

「心配してくれてありがとう姫路さん。僕もこの通りなんとか生きてるよ」

「もう……当たり前です……明久君にもしものことがあったら私……私……」

 

 ポロポロと涙を溢し始めてしまう姫路さん。ど、どうしよう……心配してくれるのは嬉しいけど泣かれると困ってしまう。こんな時はどう言ったらいいんだろう……。

 

「えと、ご、ごめんね姫路さん。心配かけちゃったね」

 

 姫路さんは体を震わせ、僕の左手を握ったまま放さない。うぅっ……こ、困った。これ以上言葉が見つからない……。

 

「姫路よ、それくらいで手を放してやるのじゃ。明久が困っておるぞい?」

 

 困惑していると姫路さんの後ろから美少女の声が聞こえてきた。この声に似つかわしくない爺言葉は間違いようがない。

 

「秀吉! 秀吉も無事だったんだね!」

「んむ。ワシだけではないぞい」

 

 気付くと秀吉の周りにも数人が立っていた。全員同じ格好。文月学園の制服を着て。

 

「霧島さん! ムッツリーニ! 無事だったんだね! それに雄二も!」

 

 そっか、全員無事だったのか。本当に良かった……。

 

「おい明久、なんか俺だけ”おまけ”扱いしてねぇか?」

「ん? そんなことないよ? たぶん」

「だぶんじゃねーよ! まぁいい。とにかくこれで全員揃ったわけだな」

「そうだね。……って、なんで美波まで僕の手を握ってるのさ」

 

 左手を姫路さんに両手でぎゅっと握られ、右手は美波にぎゅっと両手で握られ。なんだろう。この状況。

 

「えっ? そ、それはその……ほらあれよあれ! そう! ウチは瑞希の手を握りたかったのよ! でもアンタが瑞希の手を握ってるから仕方なくウチはアンタの手を握ってるの!」

 

 何がどうしてそういう発想になった。美波って時々理論的におかしなこと言うんだよな。でもまぁ、そんなところも可愛いんだけどさ。

 

「……雄二」

「ん? どうした翔子」

「……ここにいると通行の邪魔」

「おっと。そうだな。姫路、再開を喜ぶのは後だ。ひとまず広い所に移動するぞ」

「あ、はいっ」

 

 そんなわけで僕たちは町の中心付近にある広場に移動した。そこは樹木で円形に囲われた、公園のような場所だった。地面は土がむき出しで舗装されていない。いくつかのベンチが設置され、その下では数匹の猫が背を丸くして寝ている姿も見える。なんとものどかな風景だ。

 

「さてと。明久、島田、よく無事に帰ってきたな。さすがに心配したぞ」

 

 雄二が片手をポケットに突っ込んで言う。いつもと変わらない偉そうな態度。いつもならここで少しイラッとするところだが、今回はさほど感じなかった。仲間が全員無事であったという安堵の気持ちが大きかったからだろう。

 

「心配したのは僕たちだって同じさ」

「そうよ。気付いたらウチとアキ2人だけだったんだから。そういえば漁師の人に助けてもらったって言ってたわよね?」

「そうだな。まずは俺たちの方から状況を説明しよう」

 

 雄二はここまでの経緯を順を追って説明してくれた。

 

 あの爆発は水蒸気爆発。熱線によって海水が急激に熱せられたことにより発生した爆発現象らしい。これにより王妃様より譲り受けた船は大破。粉々になって海の藻屑と化したそうだ。

 

 乗っていた僕たち7人はその爆風によって吹き飛ばされ、海に放り出されてしまった。雄二たちはなんとか船の破片に掴まって潮に流されずに済んだという。泳げない姫路さんはムッツリーニが救出したらしい。ただ、その後鼻血を吹いて動けなくなってしまったそうだが。何にしてもグッジョブだムッツリーニ。

 

 どうやらその時、僕と美波は皆とは違う方向に飛ばされていたようだ。僕ら2人が板に掴まっているのを雄二が見たらしい。しかし潮の流れで僕たちはどんどん離されていく。雄二が呼びかけても僕の返事はなく、救う手立てもなかったらしい。そうして手を(こまね)いているうちに僕たちは波の彼方へと消えてしまったという。そんな状態でよく助かったな……僕たち……。

 

 一方、雄二たちはというと、その後しばらくして救助されたらしい。たまたま漁船が通りかかり、漁師のおじさんたちに引き上げてもらったのだそうだ。いっそ装着してバタ足で岸まで泳ぐかと覚悟を決めようとしていた時だという。

 

「すみません! また私のせいでこんなことに……! 本当にすみません!」

 

 姫路さんはベンチから立ち上がり、深々と頭を下げる。まるで立位体前屈をしているような姿勢だった。

 

「なぁに気にするでない。済んだことじゃ。むしろ今考えるべきはこれからどうするか、じゃ」

「秀吉の言う通りだ。ただし今後は落ち着いて考えてから行動してくれ。もう時間的に失敗する余裕は無いからな」

「はい……」

「で、明久。お前らはどうやってここまで戻ってきたんだ?」

「えっとね、僕たちの方は――」

 

 僕はここまでの経緯を説明した。気付いたら砂浜に打ち上げられていたこと。ミノタウロスと化した魔人ギルベイトが襲ってきたこと。そして奴との戦いに勝利したことを。

 

「そうか。そんなことがあったのか」

「お主らよく無事じゃったな……」

 

 僕もそう思う。まず、無事に海岸に流れ着いたことが奇跡に近い。意識を失いながらも板に掴まり、尚且つ美波の手も離さなかった自分を褒め称えたい。それと偶然通りかかった馬車。あの馬車が来なければこれほど短時間で町に戻ることはできなかっただろう。

 

 ただ、悔やむべきは魔人の襲撃。やむを得ず応戦してしまったけど、やはり目くらましをするか隠れるかして逃げるべきだったのかもしれない。そうすればあいつの命を奪うことだってなかったのだから……。

 

「……美波。元気ない」

「えっ? そ、そんなことないわよ? こうして皆無事だったんだもん。嬉しいに決まってるじゃない」

「……でも浮かない顔をしてる」

「き、気のせいよ気のせい! あはっ」

 

 いや、霧島さんの感じていることは正しい。美波の表情は僕から見ても暗く沈んでいるように見える。今こうして笑って見せているのは作り笑いだ。きっと先程の魔人との戦いにおいて、あいつが煙となって消えてしまったことを気にしているのだろう。その気持ちは痛いほど分かる。

 

「それで明久、その魔人はどうなったんだ?」

「……」

「? どうした。また逃げたのか?」

「いや。勝ったよ。完全勝利さ。でもあいつ……消えちゃったんだ……」

「消えた? どういうことだ?」

「魔獣みたいに煙になって……フワフワって空を飛んで……消えてしまったんだ……」

「なんだと? 本当か? 島田」

「うん……」

「ならば良かったではないか。これ以上襲われる心配がないのであろう? なぜそのように深刻な顔をしておるのじゃ?」

「そうなんだけどさ……なんか、これで良かったのかなって……思ってさ……」

「明久君……」

 

 この時、僕はまだ迷っていた。自分のやったことは正しかったんだろうか。とんでもない罪を犯してしまったんじゃないだろうか……と。

 

「なぁ、明久」

「……うん」

「俺思うんだがな、魔人ってのはもしかしたら魔獣がなんらかの変異を起こしたモンなんじゃねぇのかな」

「え……?」

「だってよ、煙になって消えたんだろ? それって魔獣と同じじゃねぇか」

「違うよ。魔獣はただの獣さ。でもあいつには意思が……会話する知性があったんだ……」

 

 魔獣はただ本能のみで動くゾンビのようなもの。でもあいつは……魔人は僕らと同じように意思を持っていた。確かに酷く乱暴で好戦的で、命を軽んじていた。けれど言葉を交わし、言い争うことができた。もっと話し合えばもしかしたらお互いに理解できたんじゃないだろうか。そう思うと、やるせない気持ちで一杯になってしまうんだ。

 

「確かに奴には言葉を交わすほどの知性があった。けどな明久、煙になって消えたということは恐らくは魔獣と同質のものだ。だとしたら奴もまた遺体から作られた可能性が高い」

「遺体……」

「そうだ。つまりゾンビだ」

「それじゃあいつは元は人間だったって言うのか?」

「これは俺の推測に過ぎない。だが確度は高いと思っている。この謎を解く鍵を持っているのは恐らくそいつが言っていた”(あるじ)”って奴だ」

「……」

「その主って奴が魔人を作った張本人。俺はそう思うんだ」

 

 そうだ。確かにあいつは”(あるじ)に作られた”と言っていた。だとすると雄二の言う通り遺体から作られたゾンビの類いなのかもしれない。でも雄二の出会った魔人……ネロス……だっけか。あの魔人は墓荒らしをしてゾンビを作っていたと聞く。じゃあゾンビがゾンビを作っていたということになるのか? そんなことってあるんだろうか。

 

 ……

 

 ダメだ。僕の頭じゃ考えても分からない。この謎を解くには、やはり魔人の(あるじ)に会うのが一番早くて確実だ。それにギルベイトは自分の代わりに一発ぶん殴っておけと言っていた。僕もその願いは叶えてやりたいと思っている。

 

「おっと。明久、変な気を起こすんじゃねぇぞ。俺たちの目的を忘れるなよ」

「へ? 目的?」

「そうだ。俺たちが何のためここまで来たと思っている」

「そりゃもちろん元の世界に帰るためさ」

「分かってるならいい。いいか、魔人の正体が何であろうと俺たちの進むべき道は変わらねぇ。そのことを忘れるな」

「……そうだね」

 

 雄二の言う通りだ。これ以上悩むのはやめよう。タイムリミットまであと3日しかないのだから。

 

「島田もいいな?」

「えっ……? う、うん」

「よし、そんじゃこれからのことを決めるぞ」

「そうは言うてもどうするのじゃ? 船を(うしの)うてしもうた以上、海に出ることは叶わぬと思うのじゃが……」

「決まってンだろ。船を借りるんだ」

「じゃがワシらは今無一文じゃぞ? なにしろ荷物はすべて海に沈んでしもうたからな」

「あ……そういえば僕のリュックも無いや……」

「問題はそこだ。だからまずは金を得る必要があると思っている。このままじゃ晩飯すら買えねぇからな」

「本当にすみません……私が考え無しに腕輪の力を使ったりしたから……」

「姫路、それはもういいと言っただろ。今は金を得るために知恵を貸してくれ」

「はいっ!」

「でも雄二、お金って一体どれくらいあればいいのさ。バイトするにしたってもう日数がないよ?」

「時間がないことなど百も承知だ。けど船を調達できるくらいの金は必要だ」

「なるほど。船か」

 

 ……ん?

 

「ちょっと待って雄二。それってすっごく高いんじゃないの?」

「だろうな。100万ジンくらい必要かもしれねぇ」

「ひゃ、ひゃくまんんん!? そんなにバイトで稼げるわけないじゃんか!」

「いちいちうるせぇな。だから手段を考えようとしてんじゃねぇか」

「そ、そっか。そりゃそうだよね……」

 

 しかし100万とは……そんな大金、この2、3日中に稼げるわけないじゃないか。一体どうすりゃいいのさ……。

 

「あ。そういえばウチ、魔石持ってるわよ」

「何!? 本当か島田!?」

「うん。ほら」

 

 美波はそう言ってポケットから数個の石を取り出した。それは赤く輝く、3センチほどの小さな魔石だった。

 

「でかしたぞ島田! けどちょっと少ないな。持ってるのはこれで全部か?」

「そうよ。他は全部アキのリュックに入れてたから今はこれしか無いわ」

「そうか……この大きさじゃ船を借りるほどの金にはなりそうにねぇな」

「でもホテル代と夕食代くらいにはなると思うわよ」

「まぁ、そうだな」

「…………なら魔獣退治して稼ぐか」

「それも考えたが、できれば避けたい。召喚獣の力があるとはいえ危険を伴うからな」

「…………そうか」

「よし、まずは船を譲ってもらえる人を探すぞ。新品じゃなくてもいい。どうせ乗り捨てるからな」

「なるほど。それなら安く譲ってくれる人もいるかもしれないね」

「そういうことだ。手分けして漁師を当たるぞ」

 

 早速僕たちは手分けして町中の漁師を手当たり次第に当たった。

 

 この町の人たちは愛想の良い人が多く、ほとんどの人が僕の話に耳を傾けてくれた。けれど行き先を告げると誰もが断り、やめておけと言うばかりだった。理由を聞くと「あれは魔獣の巣だ。悪いことは言わんからやめておけ」と漁師たちは口を揃えて言う。でもあの島って魔獣の巣なんだろうか? 前回見た時は生物が居るようには見えなかった。それに僕たちにとっては元の世界に帰る重要なポイントなのだけど……。

 

 ところで今回は7人全員がバラバラに行動している。そう広くない町であり、タイムリミットが迫っていることもあるからだ。雄二からの指令は”乗り捨てて良い船を格安で譲ってもらえ”。見れば船着き場には多数の帆船が接岸されている。どれもわりと小型で、王妃様から譲り受けた船によく似たサイズの物もある。

 

 でも誰に聞いても答えはノー。結局、何ひとつ良い返事を聞けないまま夕暮れを迎えてしまった。

 

「……吉井」

「あ、霧島さん。もう戻ってたんだね、どうだった?」

「……駄目だった」

「そっか……僕の方も収穫なしだよ」

「……そう……どうしよう」

「んー。ひとまず雄二を待とうか。あいつなら何か考えてるかもしれないし」

「……分かった」

「っと、皆戻ってきたみたいだね」

 

 姫路さん、秀吉、美波。皆が次々に中央公園に戻ってくる。その誰もが暗く沈んだ浮かない顔をしていた。あの様子からすると良い結果は期待はできないかもしれない。

 

「どうだったお前ら」

 

 続いてムッツリーニと雄二も戻ってきたようだ。これで全員だ。

 

「その様子だとどうやら結果を聞くまでもなさそうだな」

「うん。収穫なしさ」

「ウチもダメだったわ。余ってる船なんて無いって言われちゃった」

「私もです……」

「ワシは使っていない船はあるが譲れぬと言われてしもうた」

「…………扉の島に行くと言ったら断られた」

「あ、それ僕も言われた」

「翔子、お前はどうだった?」

「……皆と同じ」

「そうか……やっぱ難しいな」

「どうする雄二? やっぱりお金作る?」

「いや、いくら金を積んだところで恐らく譲っては貰えないだろう。何か別の手を考えるべきだな」

「別の手……ですか? 何か考えがあるんですか?」

「いや。無い」

「えっ? そ、それじゃどうするんですか!?」

「まぁ落ち着け。とりあえず今日は休まねぇか?」

「そうじゃな。さすがにワシも疲れたわい」

「…………賛成」

「僕も賛成。今日は色々と疲れたよ」

 

 でも雄二のやつ、どうしたんだろう。いつもだったらすぐに何か代案を出してくるのに、今日はもう休もうだなんて。しかもあんなに曇った表情をして。それほどまでに今の状況が深刻ってことなんだろうか。あぁでも今日は本当に疲れた……とにかく体を休めたい。

 

「ウチさっき魔石を売っておいたの。このお金でホテルに泊まりましょ」

「ありがとうございます。美波ちゃん」

「困った時はお互い様よ瑞希。ふふ……」

 

 そんなわけで僕たちは宿を取ることにした。場所は昨日泊まったホテル。広場から少し南下した所にあるし、何より値段が安いからだ。

 

 早速部屋を借り、簡単に夕食を済ませた僕たちは風呂で汗を洗い流し、すぐにベッドに入った。余程疲れていたのだろう。ベッドに横になった数秒後、僕は深い眠りに落ちていった。

 

 夜が明ければ残り時間はあと2日。なんとかしなくちゃ……。

 

 夢の中でそんなことを考えながら。

 



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第四十九話 責任感

ここから3話に渡り、雄二のターンになります。



 目を覚ました()は上体を起こし、溜め息をついた。

 

「……ハァ……」

 

 朝からこんなにテンションが低いのは低血圧のせいなどではない。そもそも俺の血圧は正常値だ。こうして気分が滅入っている理由はただひとつ。目前に迫っていた扉の島を逃してしまったからだ。

 

 姫路は自分のせいだと自らを責めている。確かに姫路の力が直接船の破壊に繋がっているが、誰かが無茶をしないよう予め手を打っておかなかった俺にも落ち度がある。残り日数も僅かになり、焦る気持ちは誰にでもあったはずだ。しかも目的の島が目の前にあるのだから浮き足立つのも無理はない。

 

 ただ、俺は”問題を起こすとしたらあの明久(バカ)だろう”と決めつけていたのだ。だから姫路のあの行動は正直予想外だった。つまり責任は俺にもあるということだ。それに姫路を責めたところで船が戻るわけでもないからな。

 

 とにかく俺たちは扉の島に行く手段を失ってしまった。残された時間はあと2日。もはや船を買う金を稼ぐなどと悠長なことは言っていられない。俺たちはどんな手を使ってでも扉の島に行かなくてはならない。だが今はその”手”が思いつかねぇ……。

 

「ハァ……」

 

 またひとつ大きく溜め息を吐く。ふと窓に目をやると、カーテンの隙間から僅かに灯りが溢れているのが見えた。日光ではない。この弱々しい光は月光だ。まだ夜が明けていないのか。

 

 ……少し頭を冷やしてくるか。

 

 思い立った俺はベッドを降り、制服に着替えた。隣のベッドでは明久がスヤスヤとアホ(ヅラ)を晒して寝ている。

 

(まったく、気楽なもんだぜ……)

 

 のんきな明久(バカ)の寝顔を横目に、俺は音を立てないように部屋を出てきた。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 ホテルを出てきた俺は町を見渡した。町中を歩く者は誰ひとりとしていない。

 

 ざわつく波の音。

 漆黒の空。

 同じ色の海。

 上空の満月からは妖しくも神秘的な光が降り注いでいる。

 

 この世界では夜中に活動する者がいないと聞いていたが、本当なんだな。しかしここまで人の姿が無いとまるでゴーストタウンだ。まぁ、頭を冷やすにはちょうどいいがな。

 

 俺は暗い夜の町を歩き始めた。気温はわりと低い。寒いほどではないが、長袖を着ていても少々ひんやりするくらいだ。

 

 しかしこうして歩いてみて気付いたが、この町の構造は他とは少し違うようだ。

 

 今まで訪れた町の建物は、中央の魔壁塔を中心に円を描くように内側を向いて建てられていた。だがこの町の民家や商店はすべて海の方角を向いて建てられている。町の外形は円形なのに対し、建物は東西に一直線に並べて建てられているのだ。他の町との共通点は、町自体が丸い円形であること。それと魔壁塔が守護シンボルとして町の中心に聳え立っていることくらいだ。

 

 ふと海岸に目を向けると、多数の帆船が陸付けされているのが目に入ってきた。それら船たちは波に揺られ、俺に向かってフリフリと帆を振って見せる。

 

 ―― どうだ、俺たちが欲しいか。ざまぁみろ ――

 

 小さな帆船たちの姿はそう言っているかのように見えた。

 

 そうだ。俺はお前たちがほしい。島に行くためにはどうしても船が――お前たちが必要なんだ。だがそれが叶わぬことは昼間に思い知らされた。ならば……俺はどうすればいい?

 

 こうして悩んではいるが、完全に手が無いわけではない。一応、現時点で手段は2つ頭に浮かんでいる。

 

 1つはそこらへんの船を盗むこと。

 

 一番手っ取り早く解決する手段で、最も確実だ。どうせ扉の島に辿り着ければこの世界とはおさらばだ。盗んだことがバレようが構いはしない。だが、そんなことはあのバカ正直な明久や姫路が許すわけがないだろう。それに俺自身も盗みというのはあまり気が進まない。

 

 もう1つの手段は船を自ら作ること。

 

 これなら誰にも迷惑をかけることはない。だがこの手段には大きな問題がある。それは俺たちに造船技術が無いことだ。マッコイ爺さんの力を借りれば可能性はあるが、あの爺さんは今ごろ自宅で自分の船を弄りたおしている頃だろう。そもそもカノーラの町まで戻っていては時間切れになってしまうから、この案は使えない。

 

 つまりどちらの案も実行に移すわけにはいかないのだ。最悪の場合は1つめの案で行くしかないのだろうが、それは最後の手段だ。まだ他にも手があるのかもしれない。……いや。きっと何か手があるはずだ。俺はまだ手を尽くしていない。考えるんだ。

 

 俺はゆっくりと歩きながら頭をフル回転させた。

 

 島の位置からして陸路は無理だ。海路は船を使う以外に何かあるだろうか。クジラやイルカ、もしくは亀などの動物の背中に乗って……? ゲームの世界ではわりと定石だが、この世界で話ができる動物がいるとは思えない。

 

 ならば空路はどうだ? 飛行機や気球ならば扉の島まで辿り着けるかもしれない。だが飛行機などという技術はこの世界では聞いたことがない。気球ならば構造はわりと単純だが、あれは進む方向が風に左右され非常に難しいと聞く。そもそも気球という技術自体もこの世界の文献で見たことがないし聞いたこともない。もしこいつが現存するのならば既に移動手段として運用されているはずだ。

 

 ……ダメだ。空路も使えない。やはり翔子や他の者の知恵を募るべきなんだろうか。

 

「ハァ……」

 

 考え疲れてしまった俺は思わず溜め息をついた。そしてこの時、気付いた。岸壁に沿って歩いていた自分がいつの間にか西側の端にまで到達していたことに。目の前には高さ5メートルもの高い壁。外周壁が俺の視界を遮っている。

 

 この町の外周壁は海上には建てられていない。つまり上空から見ると南側がCの字状に口を開けているのだ。頻繁に船が出入りするためにこのような構造になっているのだろう。そんなことを考えながら俺は壁を目で追っていく。すると壁の途切れた部分にあるモノを発見した。

 

 そいつは海上からぴょこんと首を出していた。といっても生き物ではない。あれは船の鼻面。船首だ。恐らく操作をミスったかで座礁し、やむなく廃棄された船の残骸だろう。

 

 

 ……

 

 

 待てよ?

 

 

 ……そうだ。

 

 

 船を買うことも作ることもできないのであれば、捨てられている船を修理すればどうだ? 一から作るより時間も掛からない。捨てられているものならば誰かに許可を取る必要もない。動力が無事で船体が残っていれば俺でも修理できるかもしれない。要は浸水しなければよいのだ。

 

 この手なら行けるかもしれねぇ。よし! 探してみるか!

 

 早速俺は岸壁から海を覗き込んでみた。暗闇の中で見えるのは先程の船首のみ。だが目を凝らしてよく見ると周囲にも残骸があるようだ。更に海上を目で追っていくと、右手の外周壁の外側でも木片のようなものが顔を覗かせていた。

 

 ……町の外なら何かありそうだな。

 

 この時間は門が閉まっていて外には出られない。だが夜が明けるまで待つのは時間が惜しい。ならば手段はひとつ。俺には召喚獣の力がある。この程度の壁ならば飛び越えることだって可能だ。

 

「――試獣装着(サモン)!」

 

 召喚獣を装着した俺はまず付近の民家の屋根に飛び乗る。そして立ち幅跳びの要領で一気に壁を飛び越えた。

 

 

 

      ☆

 

 

 

「おっ? 意外とあるじゃねぇか」

 

 月明かりの下、思わぬ収穫に俺の胸は躍っていた。マリナポート西の海岸には、元は船の一部であったと思われる残骸が多数放置されていたのだ。船としての形を保っている物もいくつかあるようだ。

 

 よし、片っ端から当たってみるか。

 

 装着を解いた俺は砂浜に打ち上げられている船体をひとつひとつ見て回り、状況を確認していった。船首部分しかない物。塞ぎようがないくらいに大きな穴が船底に空いている物。真っ二つに割れているもの。いくつかの残骸を見て回ったが、どれもこれも使い物にならない。

 

「チッ。こいつもダメか……」

 

 暗い砂浜に1人。俺は藁にも縋る思いで船を探し回った。それにしてもなぜこれほど大量の残骸が放置されているのだろう? この散らかり具合は誰が見ても汚らしいと思うだろう。町の者は掃除をするつもりがないのか?

 

 いや、待てよ? そういえばここは町の外か。魔障壁もここまでは届いていない。つまり危険なので手を出せないってわけか。なるほど。単純な理由だった――っ!

 

「誰だ!」

 

 急に背後に何者かの気配を感じ、俺は拳を握り振り向いた。

 

  ザァ……

 

 波の音と共に潮風が吹き抜け、そいつの髪をなびかせる。暗闇の中。月の光を受けたその髪はとても艶やかで、キラキラと輝いていた。

 

「……雄二ならきっとここに来ると思った」

 

 黒い人影がゆっくりとした口調で静かに言った。女の声。それもよく聞き慣れた女の声だった。

 

「なんでお前がここにいるんだよ」

「……?」

 

 女は小首を傾げてじっと俺を見つめる。「私が居るのがなぜ不思議なの?」とでも言いたげな顔だ。

 

「ったく、とぼけやがって。ここは魔障壁の外だ。ってことは魔獣に襲われる危険性があるってことだろうが。そんな危険な場所になぜ来たのかって聞いてんだよ」

「……雄二もそんな危険な場所にいる」

「いいんだよ俺は。いざとなりゃ召喚獣の力があるんだから」

「……私にも召喚獣がある」

「そりゃまぁ、そうなんだけどよ……」

 

 なんか説得しづらいぜ。さて、どう言ったら帰ってくれるか。こいつは何を言っても聞きそうにないからな。とにかく強引に追い返した方が良いだろう。

 

「とにかくお前はすぐに帰れ。ここは危険だ」

「……危険なら尚さら雄二を1人にしておけない」

「だから俺はいいんだっつってんだろ! いいから帰れ!」

「……雄二はここで何をしているの?」

「何って、そりゃお前、船を調達してんだよ」

 

 言った直後、”しまった”と思った。こんなことを言って翔子が引き返すわけがなかった。

 

「……私も手伝う」

 

 そう言うと翔子は砂浜を歩き始めた。

 

「待てよ翔子! どうしてそんなに意地っ張りなんだよ!」

 

 イラッと来た俺は思わず大声で叫んでしまった。すると翔子は足を止め、こちらを振り返り、

 

「……帰りたいから。雄二と一緒に」

 

 あいつはそう言って可憐に微笑んだ。なんなんだよ。ったく……そんな顔を見せられたら怒れねぇだろうが……。

 

「しゃーねぇ。分かったよ。お前の好きにしろ」

「……うん。一緒に探そう。雄二」

「あぁ」

 

 俺は翔子と共に暗い砂浜を歩き、転がっている船体を確認して回った。気付けば辺りは明るくなってきていた。海を見てみると、水平線の向こうが徐々に薄い青に変わりつつある。そろそろ夜明けのようだ。

 

「それにしても翔子。どうして俺がここにいると分かったんだ?」

「……昨日の状況からして漁師の人に頼むのは無理。だから廃棄寸前の中古を探すと思った」

「そりゃそうだが……なら港で中古を探すと思わなかったのか?」

「……町の人にはほとんど聞いた。だからきっと雄二なら捨てられた船を探すと思った」

「お、おう……そうか」

 

 俺はこいつのこういうところが苦手だ。まるで俺の全てを見透かしたようなことを言いやがる。しかも実際に言い当てているところが更に気に入らねぇ。

 

 実は以前、不覚にも明久の前でこのことを愚痴ってしまったことがある。それを聞いてあいつは『それって雄二の気持ちをよく理解してるってことだよね。だったら良いことなんじゃないかな』なんてぬかしやがった。翔子が俺を理解しようとしていることなど知っている。だが俺は自分の思考を読まれるのが嫌いなんだ。何の意外性も与えられないし、そもそも翔子に読まれたら今後Aクラス戦で不利だ。

 

 ただ、この話を明久にした後、俺の心に少しだけ変化が現れたような気がした。”嫌だ”と思う気持ちが少しだけ薄らいだような気がしたのだ。俺もあのバカに感化されちまったかな。

 

「……雄二。これが使えそう」

 

 どうやら翔子が何かを見つけたようだ。

 

「どれだ。見せてみろ」

「……こっち」

 

 翔子が指差しているのは完全に裏返しになっている船体だった。長さは7、8メートル。曲線を描いた船底は至る所に傷が入っていて、全体に緑色の藻が生えていた。この様子からすると打ち上げられてから相当年月が経っていそうだ。よく見ると船底の板を貼り合わせた部分に隙間がある。これでは浸水してしまうだろう。

 

「惜しいな。もう少し傷んでなければ使えそうなんだがな」

「……ダメ?」

「あぁ。板が傷んで隙間ができちまってる。これじゃあっという間に沈んじまう」

「……修理してもダメ?」

「修理か。確かにこの程度なら修理できるかもしれねぇな」

「……何があれば修理できる?」

「そうだな。まずはこの隙間を埋める木片だな。それと浸水を完全に防ぐ接着剤のようなものが要る」

「……あそこの板は使えない?」

 

 翔子は浜に転がっている木片を指差す。そこには何枚かの木の板が折り重なって放置されていた。

 

「使えそうだな。削る必要はあるがな」

「……拾ってくる」

「あぁ。頼むぜ」

 

  ゾクッ

 

「っ――!?」

 

 突然首筋にとてつもない悪寒を感じ、俺は思わず背筋を伸ばした。すぐさま左右を見渡して視線の主を探す。だがいくら見て回してみても悪寒を感じさせるような存在は見当たらなかった。

 

「……雄二?」

「ん。あぁ……いや。なんでもない」

 

 何だったんだ? 今の悪寒は。凄まじく嫌な視線を感じたような気がする。殺意というか嫉妬というか……須川たち異端審問会の連中に狙われているような気配だった。まさかあいつらもこの世界に来ているのか? ……いや、学園長(ババァ)は俺たち7人を指して”全員”と言っていた。他の者が来ている可能性は限りなく低い。だとしたら今のは何だったんだ……?

 

「……あっちにもある」

 

 翔子は海岸の西側に向かって歩いて行く。なんでこいつはこんなに楽しそうなんだ。

 

「おい翔子、あんまり町から離れると危ねぇぞ」

「……大丈夫。雄二がいるから」

「ンだよ。俺に守らせようってのか?」

 

 俺は翔子の後を追って歩き出した。

 

  !?

 

 その直後、頭上からとてつもない圧迫感が迫ってくるのを感じた。それに気付き空を見上げてみると、

 

「うぉっ!?」

 

 もともと空は黒かった。夜明け前なのだから暗い夜空なのは当然だ。この世界では月は昇るが、俺たちの世界のような星空は無い。故にただ黒いだけの夜空だった。それが今、俺の頭上には更に黒い巨大な物体が浮き上がり、視界を覆っている。いや、浮いているのではない。落ちてきているのだ。

 

「……?」

 

 翔子はポカンと空を眺めている。やべぇ! あいつ状況を理解していないのか!

 

「翔子!!」

 

 俺は咄嗟に翔子の元へと駆け寄った。そして少々乱暴に翔子を抱きかかえると、そのまま砂浜を駆け抜けた。だが砂に足を取られて思うような速度がでない。く、くそっ! このままではあのデカイやつの下敷きだ!

 

「うおぉぉぉぉーーーーっ!!」

 

 俺は無我夢中で走った。足を踏み出す度にズルリ、ズルリと滑る。それでも俺は走った。

 

 ――翔子を守らねば

 

 その思いだけが俺を突き動かした。

 

「……雄二?」

「ちっくしょぉぉぉーーっ!」

 

 俺は翔子を抱えたまま砂浜にダイブする。

 

 ――ド、ズゥゥン……

 

 その直前、凄まじい地響きが空気を震わせた。音が背後で聞こえたということは、どうやら退避に成功したようだ。

 

「は、は、ははは……ま、間に合ったぜ……」

 

 膝を折ってへたりと座り込み、俺は安堵の声を漏らした。それにしても一体何が落ちてきたんだ? そう思って振り返ってみると、そこには山のような岩がドンと聳えていた。高さは俺の身長の約2倍。幅はその更に2倍はあるようだった。

 

「な、なんだこいつは……なんでこんな岩が降って来やがったんだ?」

 

 この世界では雨ではなく岩が降ってくるのか? そんなバカな。いや、ここは召喚獣とゲームの世界が融合した異常な世界だ。何が起こっても不思議ではない。

 

「……あの」

「ん。あぁ、怪我は無いか翔子?」

「……嬉しい」

「あァ? なんで嬉しいんだよ。危うく潰されるところだったんだぞ?」

 

 と尋ねた瞬間、えらい状況になっていることに気付いた。俺は砂浜に膝を折って正座をしている状態だ。そして俺の両腕の中には頬を赤く染めた翔子がすっぽりと収まっているのだ。いわゆる”お姫様抱っこ”というやつだ。

 

「すっ……! す、すまん……!」

 

 慌てて身を離し、背を向ける俺。と、咄嗟のこととはいえ、なんて恥ずかしい真似をしちまったんだ俺は……。

 

「……雄二」

「わ、忘れろ! 今のは忘れろ!」

「……そうじゃなくてあれ」

「いいから忘れろっつってんだろ!」

「……違う。あそこに誰かいる」

「誰か?」

 

 翔子は土手の上の方を指差していた。ここはマリナポートの西側。町を出ですぐの海岸だ。先程落ちてきた岩の向こう側には町の魔石灯の灯りが見える。そしてこの砂浜から内陸側は結構な角度の斜面になっていて、登った先はすぐに背の高い木々が茂る林になっている。翔子が指していたのは、その林の方角だった。

 

「っ――! お前はここで待ってろ!」

 

 俺は見つけた人影に向かって走り出した。

 

 あの黒いローブには見覚えがある。今落ちてきた岩は恐らく奴の仕業だ。黒いローブを着たこんなにも大きな岩を落とせる者。俺の知る限り、こんなことができる奴はただ1人。

 

「待ちやがれ!」

 

 俺が坂を登り始めるとその人影はスッと林の中に消えていった。くそっ! こそこそと付け狙いやがって! 俺に用があるのなら正々堂々、正面から来やがれってんだ!

 

『……雄二!』

 

「そこを動くなよ翔子! すぐに戻る!」

 

 俺は猛ダッシュで斜面を駆け上り、怪しい人影の後を追った。

 



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第五十話 芽生えた愛情

 俺が坂を登り切った時、怪しい人影は既に林の中に消えていこうとしていた。林の中は見通しが悪い。あの中に逃げ込まれたら捕まえるのは難しい。

 

「クソッ! 逃がすか!」

 

 奴を追い、俺は林の中へと駆け込んでいく。

 

 林の中は木々が行く手を阻むように生えていた。1本1本は間隔が開いているため、通り抜けられないほどではない。だがこの中を走るとなると困難を極める。

 

 幹の太さはどれも約5、60センチ。わりと細い木が並んでいる。これらが整然と並んでいるのならば苦労したりはしない。しかしこの林の木々は不規則に生えていて、走りながら1本を避けるとすぐに別の1本が目の前に迫ってくる。中には幹がぐにゃりと曲がって進路を塞いでいるものもあり、非常に走りづらい。

 

 にもかかわらず、黒いローブの()はこんな障害物の中をスイスイと駆け抜けて行く。まったく、どうなってやがるんだ。このままでは見失っちまう。

 

「おいお前! ちょっと止まれ!」

 

 走りながら怒鳴ってみたが黒いローブの男は止まらない。それどころかますます加速して木の間をスルリスルリと駆け抜けていく。チッ。無視ってわけか。どうやら俺を誘い出しているつもりのようだな。そうは行くか!

 

「俺に用があるんだろ! ネロス! 言いたいことがあるのなら聞いてやる! 正面から来たらどうだ!」

 

 ――決めつけはよくない。

 

 ここに翔子や姫路が居たならそう言ったかもしれない。だが俺が奴の姿を見間違えることはない。あのイカれ狂ったゲス野郎はな。

 

「姑息な手使ってんじゃねぇぞ! 俺に用があるのならそう言えばいいだろ!」

 

 俺がこう叫ぶと奴はピタリと足を止めた。ようやく観念したか?

 

《……》

 

 黒いローブの男はフードで顔を隠したまま振り向いた。林の中は薄暗くてよく見えない。だが間違いない。こいつはガルバランド王国で俺がぶっ飛ばした魔人、ネロスだ。

 

《……人違いじゃありませんかね》

 

 ローブの男が静かに答える。この期に及んでしらばっくれるつもりらしい。

 

「あんなでかい岩を投げられる奴が他にいるわけねぇだろ。魔人ネロス!」

 

《……おやおや。もうバレてしまいましたか》

 

 このすました口調。間違いない。

 

「やはりお前だったか」

 

《……お久しぶりですね。会いたかったですよ》

 

 そう言うと奴はゆっくりとフードを脱いでみせた。

 

 この氷のように冷たい青い目。

 欧米人のような高い鼻。

 サラサラの長い金髪。

 

 人間に化けた時のネロスの姿だ。

 

「俺は二度と会いたくなかったがな」

 

《……そうですか? 私は貴方に会いたくて会いたくて堪りませんでしたよ》

 

「けっ、気色悪(きしょくわり)ぃ。俺にそんな趣味は無ぇぞ。それより俺に会いたかったと言うのなら、なぜ逃げた」

 

《……何を言うかと思えば……決まってるじゃないですか》

 

 奴はそこで一旦言葉を区切ると、ニタァと不気味な笑みを浮かべてみせた。

 

《……貴方と2人きりになりたかったからですよ。……サカモトユウジ! 貴方とね!》

 

 開いた口には上下から2本ずつ牙が生えていた。青い瞳はまるで獲物を狙う蛇のように鋭く、狂気に満ちている。こいつ……やべぇぞ……。

 

「なぜだ! なぜ俺につきまとう!」

 

《……私にそれを言わせるのですか? 無粋な人ですねぇ》

 

 奴はそう言うと身をくねらせて頬に片手を当てた。なんだこいつ……急に女みたいな雰囲気になりやがった。狂ってることに違いは無いが……しかしこの背筋と腹に同時にドライアイスを当てられたような悪寒。こいつは生理的に受け入れがたい……。

 

《……貴方に興味があるからですよ。サカモトユウジ》

 

「はァ? なんだそりゃ。ワケわかんねぇぞ」

 

《……おや、分かりませんか? 貴方に好意を寄せている。と言えばご理解いただけますか?》

 

「ぶっ!?」

 

 奴の台詞を聞いた瞬間、全身の毛が逆立った。更に背中や胸の辺りにゾクゾクと強烈な寒気を感じ、体中から変な汗が噴き出してきた。人は恐怖を覚えた際にこのような症状を引き起こす。今俺が感じたのも恐怖だった。ただしそれは魔人という脅威に対してではなく、奴のイカれた愛情に対してだった。

 

「ふっ……! ふ、ふふふふざけんなてめぇ! 頭おかしいんじゃねぇのか!?」

 

《……ふざけてなどいませんよ。それにどこがおかしいと言うのです? 人を求めてやまない想い。これを愛と言うのでしょう?》

 

「バカ言ってんじゃねぇ! てめぇのようなイカれた野郎の愛なんざ死んでもお断りだ!」

 

《……あぁっ、なんと冷たい言葉なのでしょう。私はこんなにも熱く燃えたぎるほどの想いを寄せているというのに》

 

「だぁーーっ!! やめろぉーーっ!!」

 

 そうだ思い出した。この雰囲気、久保に似ているんだ。明久の奴はバカだから久保の思いには気付いていないようだったが。だが久保はここまで狂った思考の持ち主じゃないだけマシだ。そうか、野郎に好かれるってのはこんなにも寒気がするものだったのか……。

 

 ――ザッ

 

「……見つけた」

 

 その時、落ち葉を踏む音と共に女の声が聞こえてきた。驚いて振り向くと、そこには長い黒髪の女が息を切らせて立っていた。

 

「しょ、翔子!?」

「……やっぱり魔人」

「お前なぜ来た! 待ってろと言っただろ!」

「……嫌な予感がしたから」

 

 あぁ。嫌な予感的中だよ。しかも心底寒気のする異常な愛のおまけ付きでな。

 

《……おや、もう来てしまいましたか。残念です。貴方ともう少しお話をしたかったのですけどね》

 

「じょ、冗談じゃねぇ! これ以上話すことなんかねぇ! さっさと()せろ!」

「……雄二」

「なんだ」

「……この人と何をしていたの」

「何もしてねぇよ。ただ睨み合ってただけだ」

「……見つめ合ってたの」

「ちげぇよ! どうしてそういう発想になるんだ!」

「……雄二」

「なんだよ!」

「……浮気は――」

「やっ、やめろッッ! それ以上言うな! 俺にそっちの()はねぇっ!!」

 

 あぁくそっ! また鳥肌が立っちまった! こ、こんな変態野郎に構っていられるか! とっとと帰ってやる!

 

《……どうやら邪魔が入ったようですね。ですがサカモトユウジ。これだけは貴方に伝えておきたいのです。聞いてください》

 

「聞くわけねぇだろ!」

 

《……そう言わず聞いてください。私の想いを》

 

「わぁぁーーっ! やめろぉぉーーっ!!」

 

 俺は耳を塞ぎ、音声を遮断した。それでも奴の声は俺の耳に届いてしまった。

 

《……愛していますよ! サカモトユウゥゥジ!!》

 

「うぎゃぁぁああーーっっ!!」

 

「……雄二。やっぱり浮気――」

「うがぁーっ! やめろっつってんだろ! こいつ男だぞ!? しかも人間ですらねぇ!」

 

 くそっ! どいつもこいつもバカばっかりか! なんだって俺の周りは性別どころかヒト科の壁すら超越する思考の持ち主ばかりなんだ!

 

《……さぁご覧ください! これが私の……愛の深さです……!!》

 

 奴は語気を強めながらそう言い、両腕を広げてみせた。すると奴の姿が一瞬ぼやけた。目の錯覚か? そう思って目を擦った次の瞬間、俺は仰天した。

 

 青いスラックスに黒いブレザー。

 短くて青いネクタイ。

 ツンと逆立った赤い頭髪。

 そして自信に満ちた口元。

 

 そう、目の前には俺が立っていたのだ。

 

「……雄二が……2人……」

 

 後ろから翔子の声が聞こえてくる。その声はどこか嬉しそうに弾んでいるように聞こえた。翔子のことだから俺が2人になったとか言って喜んでいるのだろう。だが俺の心中は穏やかでない。

 

「てめぇ……何のつもりだ」

 

 ネロスの野郎が俺に化けたことにより、俺の中で何かのスイッチが入った。もう寒気など感じない。代わりに湧き上がってくるのは激しい怒りだった。

 

 俺は余程のことがなければ怒りはしない。疲れるし、正常な判断ができなくなるのが分かっているからだ。とはいえ、あの野郎の執拗なまでの挑発行為はいいかげんウンザリだ。しかも俺の姿を真似をするなどというフザけたことをしやがった。ここまで来るとさすがの俺も怒りが抑えきれなくなってくる。

 

《……分かりませんか? 私もサカモトユウジになったのですよ》

 

 その一言に危うくプッツン切れるところだった。すんでの所で堪え、なんとか平常心を保つ。そうだ。挑発に乗ってはいけない。怒ってしまえば奴の思う壺だ。

 

「姿形を似せただけで俺になったつもりか? おめでたい奴だな」

 

《……さて。どうでしょうね。試してみますか?》

 

「ケッ、そんな安い挑発に乗るとでも思ってンのか?」

 

 こう切り返したが俺は警戒していた。奴の言葉はハッタリではない。必ず何か仕掛けてくる。古城での時のようにゾンビどもを(けしか)けるのか。それとも奴自身が襲ってくるのか。俺は神経を研ぎ澄ませ、奴の行動に備えた。

 

《……ところでサカモトユウジ。貴方はそこの女性を愛していますね》

 

 ぶッ!?

 

「なっ……! 何バカなこと言ってやがンだ! ンなわけねぇだろ!? て、適当なことほざいてんじゃねぇぞ!?」

 

《……おやおや。もしやと思いちょっと鎌をかけてみたのですが……図星でしたか。これは失礼しました。クックック……》

 

 く……こ、この野郎……いちいちカンに触ること言いやがって……!

 

「……雄二、それ本当?」

「ばっ、バカ! こんな奴の言葉を信じるんじゃねぇ! 嘘に決まってンだろ!」

 

《……この期に及んでまだしらを切るおつもりですか? 往生際が悪いですねぇ》

 

「黙れ!」

 

《……ふむ。何故かは分かりませんが貴方はご自身の想いを隠しているようですね。何故なのでしょう?》

 

「うるせぇ! 貴様にとやかく言われる筋合いはねぇ!」

 

《……ハハハッ! 実に良い顔ですよ! サカモトユウジ! その顔が見たかったのです! 憎悪に満ちたその表情をね! もっと……もっと憎しみなさい!》

 

「くっ……」

 

 い、いかん。奴の言葉で完全に頭に血が上ってしまっている。落ち着け。心を静めるんだ。奴の言葉に惑わされるな……。

 

《……おや。もう恨み顔はおしまいですか?》

 

「けっ。てめぇの思い通りにはならねぇよ」

 

《……そうですか。では次に――》

 

「黙れ!!」

 

 きっとまた俺の心を乱すようなことを言うに決まっている。そう思った俺は奴の言葉を無理矢理遮った。だが奴は余裕の表情でとんでもないことを言ってきやがった。

 

《……まぁいいでしょう。大体分かりました》

 

「あァ? 何が分かったってんだ?」

 

《……貴方という人物像が、ですよ》

 

「ケッ、馬鹿馬鹿しい。たかだか2、3のやりとりで俺のすべてを把握したつもりか。本当におめでたい奴だな。てめぇは」

 

《……フフ……2、3ではありませんよ》

 

「なんだと?」

 

《……先日の一件の後、私はずっと貴方を見ていたのです。砂漠の横断。山岳の町での防衛。実に見事でしたよ。その中で貴方について色々なことを学ばせていただきました》

 

 こいつ、俺の行動をずっと見てたってのか? まるでストーカーそのものじゃねぇか。き、気味が悪いぜ……けど一体どうやって見ていやがったんだ? こいつら魔人も魔障壁の中には入れなかったはずだが……。

 

《……そして今、もうひとつ学ばせていただきました。貴方はその女性を愛しています》

 

「だっ! 黙れ! これ以上何か言いやがったらぶっ飛ばすぞ!」

 

 ああくそっ! イラつく! なんでこいつはこうも俺の神経を逆撫でするようなことばかり言いやがるんだ!

 

《……その憎悪に満ちた顔。良いですね。実に良い顔ですよ! サカモトユウジ! さぁ! もっと憎しみなさい! そして絶望するのです!》

 

「くっ……」

 

 何度も同じ手に乗るな。冷静になれ、俺。

 

《……なかなかしぶといですね。ではこういうのはどうでしょう》

 

「口を閉じろネロス。そして消えろ。もはやお前の話など聞く耳持たん」

 

《……やれやれ。大人げないですねぇ。心配しなくても良いのですよ。ちょっとそこの女性に協力いただくだけですから》

 

 !!

 

「てめぇ……翔子に手を出してみろ。地獄に叩き落としてやる!」

 

《……クックックッ……良い表情ですよ。そう。それで良いのです。ですがまだ足りません! 憎しみと悲しみが足りないのですよ! だから私が手伝ってさしあげましょう! 愛する者を失い、絶望しなさい! そして私のものになるのです! サカモトユゥゥゥジ!!》

 

 頭の中で何かがキレる感じがした。次の瞬間、俺は奴の胸ぐらを掴み、拳を握り振り上げていた。

 

 目の前にあるのは鏡を見ているかのような自分の顔。いやらしく口元に笑みを浮かべた自分の顔。俺は拳を握った手を震わせ、戸惑った。

 

《……乱暴ですね。それが貴方の性格。分かっていますよ。でも貴方は本当の自分を隠しています》

 

 奴が氷のように冷たい視線を俺に向ける。すべてを見透かしたような目。俺もこんな目をして他の連中を見ていたのだろうか。そう思うと余計に目の前の男に対する嫌悪感が増す。

 

「黙れ……」

 

《……図星を指されて悔しいですか? そうでしょうね。けれど貴方はもっと自分をさらけ出すべきです。ありのままの自分をね》

 

「黙れ!!」

 

 俺は怒りに任せて拳を突き出した。すると奴は首をひょいと傾け、この拳をかわした。胸ぐらを掴んでいるのだから拳を外すなど通常ならあり得ない。にもかかわらず軽々しく避けられたのは、俺の心が激しく乱れていたためだろう。

 

《……良いですよその表情! さぁもっと感情を表に出すのです! さぁ! さぁ!!》

 

「黙れぇぇーーっ!!」

 

 完全に頭に血が上った俺はもう一度大きく拳を振りかざした。するとその時、

 

 ――ヒュッ

 

 空を切るような音が聞こえた。それと同時に、左頭上から何かが迫り来るような圧力を感じた。危険を察した俺は掴んでいたネロスを咄嗟に放し、身を仰け反らせた。直後、俺と魔人ネロスとの間に銀色に輝く刃が割って入った。

 

「……雄二。呑まれてはダメ」

 

 チャキッと片刃の剣を構え、翔子が静かに言った。ピンクのミニスカートに和風の武者鎧。いつの間にかあいつは試獣装着していた。

 

 そうだ。翔子の言う通りだ。俺は奴の言葉に惑わされ、ペースを乱されていた。奴の目的は俺を怒らせて正常な判断力を失わせること。そして俺たちを捕らえ、殺し、ゾンビの材料にしようとしている。

 

「すまん翔子。だがもう手出し無用だ」

 

 もうこんな奴の言葉は聞くに堪えない。

 

「ネロス。お前の言いたいことは分かった。だが俺もお前の思い通りにはならん。だから――――試獣装着(サモン)!」

 

 足元に幾何学模様が現れ、俺の身体は光に包まれる。その中で俺は体が浮くような感覚を覚えた。

 

 恐らくこの光は装着中の者を守るためのもの。きっと学園長が仕込んだものなのだろう。光の中で服が書き換えられる中、俺は常々そう思っていた。

 

「終わりにしよう。ネロス!」

 

 光が消えると、俺の衣装は白い特攻服に変わっていた。見慣れた召喚獣のスタイル。メリケンサックを装着した両手に力があふれる。奴に対する怒りが俺の力を増幅しているかのようだった。

 

《……そう来ると思っていました。その力、既にこの身をもって知っています。ですが前回のようには行きませんよ》

 

 奴はそう言うと、スッと片手を天にかざした。すると一瞬奴の身体に(もや)のようなものが掛かった。先程俺の姿に化けた時と同じ光景だ。そしてその靄が消えると、奴の服は俺と同じ白い特攻服に変わっていた。

 

「てめぇ……どこまで真似しやがる……」

 

《……無論、どこまでも。です》

 

 この野郎……とことんカンに触る野郎だ。もうこんな奴にかかわるのは御免だ。

 

「翔子、下がっていろ。奴は俺が倒す」

「……でも」

「いいから任せろ。これは俺と奴の問題だ。……大丈夫だ。あんな偽物野郎はすぐにぶっ飛ばして黙らせてやる」

 

《……ぶっとばす、ですか。ふむ……まだ私は完全に貴方になりきれていないようですね。……では》

 

 奴は数回咳払いをすると、「アー、アー、あー」と発声練習のような真似をしはじめた。秀吉も声真似をする時にこういった仕草をよくやっていた。ということは、まさかこいつ……。

 

《オラかかってこいや! てめぇなんざこの俺が叩きのめしてやる!》

 

 片手に拳を握り、グッと突き出して奴が怒鳴る。眉間にしわを寄せて睨み付ける俺の顔。それに加えて声までも俺と同じとあっては、もはやドッペルゲンガーだ。

 

「て、てめぇ……! いい加減にしやがれ! この人マネ野郎!」

 

 握った右拳にすべての力を込め、俺は奴との間合いを一気に詰める。そして渾身のストレートを奴の顔面に放った。

 

《そんなのろい攻撃が当たると思ってンのか!》

 

 奴の言う通り、俺の拳は空を切った。だがこの攻撃が当たらないことなど分かっている。俺は空振りでつんのめったフリをし、すかさず足払いを放った。

 

《フッ、甘いぜ!》

 

 奴はスッと身を引き、俺の足を難なくかわす。

 

「くっ……」

 

 間髪入れずに間合いを詰め、懐に潜り込んで下から伸び上がるようにしてアッパーを繰り出す。鋭い拳線は奴の腹から胸を伝い、顎を目指す。だが奴は上半身を軽く仰け反らせ、涼しい顔をして避けやがる。

 

《どうしたどうしたァ! サカモトユウジとはこんなものなのか! 期待外れもいいところだぜ! 女の手を借りた方がいいんじゃねぇのか!》

 

「うるせぇ! 余計なお世話だ!」

 

 俺はフットワークを使い、奴との距離を詰め、連続して素早い拳を放つ。ボクシングで言うジャブに当たる拳だ。これは当てて大ダメージを狙うものではない。むしろ避けさせて相手の隙を作る”牽制”として用いるものだ。

 

《遅い遅い! まるで蚊が止まるようだぜ!》

 

 召喚獣を装着した俺は力も速度も常人の数十倍になっているはず。だが奴はそんな俺の攻撃をのらりくらりとかわしていく。この俺がまるで子供扱いだ。

 

 このままでは奴の思う壺だ。とにかく主導権を握らなくては負ける。奴の行動は俺の思考をベースにしているはず。考えろ。奴の――いや、俺の思考パターンを。

 

 俺は相手を挑発して正常な判断力を奪うやり方が多い。興奮した相手ほど手玉に取りやすいものはない。今回の奴の手法がまさにそれだ。もうひとつは有無を言わさず力でねじ伏せるやり方。だがこれは不意打ちや相手の力が弱い時に使う手法であり、奴のように力が拮抗している相手には適さない。

 

 やりにくい相手だ。正直言って有効な手が思いつかない。やはり翔子の手を借りるべきなのだろうか。いや、そもそも相手にするべきではないのかもしれない。

 

《ところで貴様、船を直すとか言っていたな。あれはどういうことだ?》

 

「あァ? 俺が答えると思ってんのか?」

 

《いや? ただ、貴様らが先程見ていた船なら既に無いと思ってな》

 

「何だと? どういうことだ!」

 

《気付いていないのか。アッハハハッ! こいつぁお笑いぐさだ!》

 

 魔人ネロスは背を丸くして肩を揺らせて笑う。しかも俺の姿をしたままで。こいつ、俺を苛立たせることに関しては天才的だな。

 

「何がおかしい!」

 

《分からないのなら教えてやる! 貴様の言う船は俺の投げた岩の下敷きよ! あれを直せるものならやってみるがいい! ハッハッハッハッハッ!!》

 

「なっ……なんだ……と……!」

 

 そ、そうか。あの時は翔子を守ることで頭が一杯だったが、確かに岩の落ちた位置には見つけた船もあった。なんてこった……せっかく見つけた船が……お、俺たちの希望が……!

 



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第五十一話 狂った愛の末路

「てめぇ! なんてことをしやがる! あれは俺たちの最後の活路なんだぞ!」

 

《活路ォ? 知ったことか! 俺は貴様さえ手に入ればいいんだよ! そうだ! 貴様だけは絶対に(のが)さん! 絶対にな! 捕らえて実験動物としてじっくり弄り倒してやる! この俺に屈辱を与えた罪、その身をもって償うがいい! ハーッハッハッハァ!!》

 

 俺の声で高らかに大笑いするネロス。ここまでバカにされて黙っていられるほど俺はできた人間じゃなかった。

 

「く……こ、こんの野郎ぉォォーーッ!!」

 

 完全に頭に血が上ってしまった俺はネロスの野郎に殴りかかった。隙を見て逃げてやろうと思っていたが、もうどうでもいい! とにかくコイツをぶっ飛ばさねぇと腹の虫がおさまらねぇ!!

 

《ハーッハッハッハッ! そうか悔しいか! いいぞ! もっと怒れ! もっと悔しがれ! 俺の受けた屈辱はこんなものではないぞ!》

 

 ひょいひょいと涼しい顔で俺の拳を避けるネロス。ダメだ。ただ我武者羅に殴りかかっても奴には当たらねぇ。ならば――!

 

《むっ?》

 

 俺は奴の腹に頭突きをかまし、胴に両腕を回してガッチリとロックした。このタックルには奴も対応しきれなかったようだ。

 

《な、何をする! コイツめ! 放せ! 放せというのだ!》

 

「放せと言われて放すバカがどこにいる!」

 

《えぇい小賢しい! 放せ! 放せェェーーッ!!》

 

 ドスドスと背中に奴の拳が落とされる。けれど俺には痛いだとか反撃だとか考える余裕はなかった。ただひたすらにコイツをぶちのめしたかった。

 

「うおぉぉ……ッ!!」

 

《うッ!?》

 

 ネロスの野郎が驚いたのは俺が奴の体を持ち上げたからだ。腹に頭を当てたまま背筋にぐっと力を込め、一気にゴボウ抜き。後にして思えば俺にしてはずいぶんと強引な戦い方であったようにも思う。

 

「おるぁぁぁーーーーッ!」

 

 抱え上げた奴の体を前方に振り下ろし、そのまま地面に叩きつける。プロレス技で言う”パワーボム”に近い形だ。

 

《ぐハッ……!》

 

 さすがの魔人もこの攻撃にはダメージを受けたようだ。その隙に俺は奴に跨がり、マウントポジションを奪った。

 

「てめぇッ! 俺の苦労を台無しにしやがってッ! このッ……このッ……! クズ野郎がッ……!!」

 

《うッ……! ぐッ……! ガッ……! ハッ……!》

 

 右、左、右、左と一言ごとに拳を振り下ろす。マウントポジションからの拳は奴も避けようがないらしく、俺の拳のすべては奴の顔面を捉えていた。

 

《ちょ、調子に……》

 

 奴は振り下ろした俺の右拳をガッと掴んだ。それでも構わず左拳を振り下ろす。

 

《乗るなァーーッッ!!》

 

 だがそれも掴まれ、俺は両腕を掴まれる格好になってしまった。

 

「うぉぁぁぁあーーッ!!」

 

 俺は奴の手を強引に振り払い、更に拳を握って奴の顔面めがけて振り下ろす。だがこの一撃は外れ、俺の拳は地面にめり込んでしまった。

 

 そこから先はよく覚えていない。とにかく無我夢中で殴りかかり、もみくちゃにしてやったという記憶だけは残っている。ただひとつ後悔すべき点は、このあと完全に後ろを取られ、羽交い締めにされてしまったことだ。

 

「くそっ! 放せ! 放せこの変態野郎ッ! 放しやがれ!!」

 

 肘鉄や頭突きで奴を引き剥がそうとするが、凄い力で両肩を締めつけられ、思うように動けない。そうしていると次第に熱くなった頭が冷めてきて、自分の状況を理解できるようになってきた。

 

 どうやら俺は無茶苦茶な攻撃をしたらしい。白い上着はそこら中が破れ、土まみれだ。頬や背中、腹にもズキズキという痛みがある。きっと奴の攻撃を受けたのだろう。

 

《こいつ、手こずらせやがって……いい加減大人しくしやがれ!》

 

 後頭部付近から自分の声が聞こえてくる。それだけでも気持ち悪い。

 

「くっ……こ、このっ……!」

 

 両腕に力を込めて振りほどこうとするが、やはり振り払えない。ならばと体を後ろに倒して押し潰そうとするが、今度はくるりと向きを変えられて倒れることもできない。

 

《こ、こいつ! 暴れるんじゃねぇ!》

 

「くそっ! 放せ! この野郎!」

 

《てめぇ! いい加減にしやがれ! 往生際が悪いぞ!》

 

 力任せに振りほどこうとするが、やはりビクともしない。カカトで奴の足を踏みつけようとしても、サッと避けられる。両腕を上げて腰を落として抜けようとしても、両肩をがっちり固められていて抜け出せない。もはやどうすることもできなかった。

 

 完全に俺の心理戦負けだ。しくじったぜ……けど後悔しても仕方がない。問題はこの状況をどうするかだ。自力で抜け出せない以上、翔子の力を借りる以外に手はない。

 

 だが俺が「手を出すな」と言った以上、あいつが自ら手を出すことはないだろう。それに前言撤回するのは俺の主義に反する。やはりなんとかして自力で脱出する術を――

 

《翔子! 俺ごとこいつをぶった斬れ!》

 

 な、なんだと!? こいつ正気か!?

 

「てめぇ俺と心中するつもりか!? 放せ! 放せってんだこのバカ野郎!!」

 

 じたばたともがいてみたが、奴の力は凄まじく、召喚獣のパワーをもってしても振り払えない。くそっ、このままではマズい。今の奴は俺とまったく同じ姿をしている。どちらが本物か翔子にも区別は付かないだろう。

 

《何をしている翔子! 早くやれ!》

 

「やめろ翔子! こいつの言葉に耳を貸すな! こいつは偽物だ!」

 

《騙されるな! こいつはお前を騙そうとしているんだ!》

 

「てめぇフざけんな! 騙そうとしてんのはてめぇの方だろ!」

 

《黙れ偽物! やれ翔子! 早くしろ!》

 

「く、くそっ! この野郎……ッ!」

 

 俺はもう一度もがいて脱出を試みる。だがやはり抜け出せない。ダメだ、身動きが取れん。

 

「……雄二……」

 

 翔子は刀を両手で構え、困惑した目をしていた。あいつは滅多に表情を変えない。だが俺には分かる。翔子の微妙な表情の変化が。あいつは今、どちらが本物の俺か見極めようとしている。

 

《今こいつを倒さなければ次に狙われるのはお前や仲間たちだ! さぁ斬れ! 俺に構わずこいつをぶった斬れ!!》

 

 ネロスの野郎は俺の声を使って翔子に訴えかける。また言葉で惑わすつもりか。だが翔子は俺と違って冷静だ。と、言いたいところだが、あの顔はかなり動揺しているように見える。俺が本物だと伝えるにはどうすれば……。

 

「翔子。俺たちが最初に試召戦争をした時のことを覚えているか?」

「……最初……」

「そうだ。あの時、俺はお前に――――ぐっ!?」

 

 話している最中に、絞められている両肩と首を更に締め上げられた。痛みで息が止まり、声を発することができない。この野郎……俺に話をさせないつもりか。

 

《翔子! こいつの話を信用するな! 早く斬れ! 長くはもたん! 俺の努力を……む、無駄にする……つもりかッ……!》

 

 魔人の野郎はわざと苦しそうに声を発した。危機感を煽り、考える時間を与えないようにするためだろう。まずい、このままでは本当に斬られてしまう。もはや一刻の猶予もない。こうなったら――――

 

「しょ、翔子……す、すまねぇ、ドジっちまった。……手を貸して……くれねぇか……」

 

 後ろから頭部を圧迫され、首に激痛が走る。俺は痛みに耐えながら声を絞り出し、翔子に訴えかけた。

 

「……」

 

 翔子はしばらくの間こちらをじっと見つめていた。瞬きひとつせずに見つめる翔子の瞳に映るのは俺か、魔人か。

 

《は、早くしろ翔子! 俺のことはいい! お前や仲間のためなら俺の命など……や、安いものだ……!》

 

「く……しょ、翔子……ぜ、絶対に……帰るぞ……! あいつらと……一緒に……!」

 

 その時、翔子の目がキラリと光ったような気がした。そしてあいつはスッと目を閉じ、呟いた。

 

「……分かった」

 

 そう言うと翔子は刀を真っ向に構え、走り始めた。鋭く、迷いのない目。俺と魔人のどちらの言葉を信じたのかは分からない。今はただ翔子の判断を信じるしかない。

 

 翔子は刀を真っ直ぐ前に突き出し、俺の胸目がけて突進してくる。

 

 そうだ。俺は信じる。翔子の判断を。

 

 俺はじっとあいつの目を見つめ、刀の向かう先を見守った。

 

 

 

 

 やがて翔子の刀は貫いた。

 

 

 

 

《グ……ァッ……!》

 

 突き刺さったのは俺……の、腋の下。羽交い締めにしている魔人の腕だった。魔人は堪らず腕を放し、俺を解き放った。

 

《く……くそ……な、なぜだッ……!》

 

 奴はガクリと膝を突き、左腕を押さえながら顔を歪ませる。その指の合間からはシュウシュウと黒い煙が立ち上っていた。

 

《貴様ならば我が身を犠牲にしてでも敵を討ち、仲間を守るはず! 助けを求めるなど、決してしないはずだ!》

 

 魔人は苦々しい表情で翔子を睨む。確かに俺が助けを求めることなど滅多にないことだ。だが完全に無いかといえば、そんなことはない。時と場合によりけりだ。

 

「……あなたは雄二のことを分かっていない」

 

《なんだと? そんなはずは無い! 夢操蟲(ムソウチュウ)を操りずっと貴様らを観察していたのだ! 間違うハズがない!》

 

「……そのムソウチュウって何」

 

《人に取り憑き悪夢を見せる蟲だ。同時に取り憑いた者の意思を読み取るのだ。あいつが作った物にしては便利なものだよ。魔障壁とやらの影響も受けぬのでな。ウグッ……!》

 

「……それを雄二に付けたの」

 

《つ、付けたのは……サカモトユウジのみではない。お前の記憶も読ませてもらった。フフ……なかなか……興味深かったぞ……》

 

「……町の人を操ったのはその蟲の力?」

 

《その通りだ。クックックッ……愉快だったぞ。ノコノコと町から出てくる人間どもの姿――――グはァッ!?》

 

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。気付いたら翔子が刀を握った手をピッと横に払っていた。あいつの前で(うずくま)る魔人の右腕からは黒い煙が勢いよく吹き出している。

 

「……許さない」

 

 翔子が静かに言い、両腕を上げて刀を上段に構えた。ま、まさかあいつ、ブチ切れてるのか!?

 

「よ、よせ翔子!」

 

 俺は慌てて翔子の腕を掴み、止めた。

 

「……放して。こいつのせいでルーファスや町の人が悲しんだ。放っておけばもっと悲しむ人が増える」

 

 翔子の腕から震えが伝わってくる。怒り。普段の翔子からは想像もできないほどの怒りを感じた。

 

 ルーファスとはガルバランド王国で知り合った4歳くらいの子供のこと。行方不明となった赤毛の女リンナとその夫トーラスの息子だ。あの時、翔子はルーファスをとても可愛がっていた。だからこの魔人の所業が許せないのだろう。だが人外とはいえ、翔子に命を奪うような真似だけはしてほしくない。

 

「もういい翔子。お前に手を汚してほしくないんだ」

「……でも人が悲しむのは……嫌」

「そうだな。俺も嫌だ。けどな、こんな奴の血でお前が汚れるのはもっと嫌なんだ」

 

 不思議だった。こんなにも素直な気持ちで翔子と話したのはいつ以来だろう。普段なら照れくさくてこんな台詞など言えない。だがこの時はなぜか自然にこのような言葉が出てきた。

 

「……」

「頼む。分かってくれ。翔子」

「……雄二がそう言うのなら」

 

 翔子はそう言って上げた腕を下ろした。

 

《……ひ……ヒとつ……聞かせロ……女……》

 

 魔人ネロスは両膝を突いたまま顔を上げ、翔子に尋ねる。あちこちが破れ、土が付いた特攻服。顔や腹部に残る打撲痕。ボロボロになった俺がそこにいた。

 

「……何」

 

《なぜ……俺様が偽物……だト……分かっタ……》

 

「……確かに雄二はとても仲間思いで皆を引っ張ってくれる。でもあなたは勘違いしている」

 

《か……勘違イ……だと……?》

 

「……雄二がいなければ私たちは元の世界に帰れない。だから雄二はどんな手を使ってでも生き延びる。私たちと一緒に帰るために。自分が犠牲になるなんて言うはずがない」

 

 その通りだ翔子。俺たちが元の世界に帰るためには白金の腕輪の力が要る。そしてこの腕輪を使えるのは俺だけだ。だから俺は負けるわけにはいかなかったのだ。ならば魔人と戦うこと自体が間違っていたのではないか? と聞かれたら返答に苦しむがな。

 

《グゥッ……オ……オノレ……ェェ……ッ!》

 

 奴はゆらりと立ち上がると、その姿を変えていった。白い特攻服は消え去り、どす黒い血のような色の肌を露出していく。顔も赤く変色し、金色の髪の中から羊のように巻いた(つの)()り出してくる。その姿はまさに空想上の生物、”悪魔”のようだった。

 

《ま……まだ……終わってハ……おラん……!》

 

 ネロスの奴はギリッと歯を食いしばり、憎悪に満ちた顔を見せる。だが両腕には力が入らないらしく、だらりと下げたままだ。背を丸めて睨み付ける魔人。こうなるともはや脅威でもなんでもない。むしろ気の毒とも思える程だ。

 

「よせ。もう勝負はついた。今のお前に勝ち目はない」

 

《ほ、ほざクな……! 俺様は……ぐゥッ……》

 

 ブシュウッと両腕から黒い煙が血のように吹き出す。翔子の(やいば)がこれほどまでに奴にダメージを与えていたのか。俺の拳なんか比にならないな。そういえば学園長が”全科目の総合力で力が強くなる”と言っていたな。なるほど、こうして翔子の力を目の当たりにすれば嫌でも信じるしかないな。

 

《ク……これまデ…………か…………》

 

 ガクリと両膝を突き、奴が呟く。

 

《………………私の……負けだ……。(とど)めを刺すが……よい……》

 

 その口調はこれまでの荒っぽい口調とは異なり、紳士的であった。

 

 こいつ、荒っぽい性格と紳士的な性格のどちらが本性なのだろうか。そもそも魔人がどこからどうやって生まれたのか、俺は知らない。学園長からは魔人について聞き出せなかった。俺の予想では魔人とは遺体から作り出されたものだ。ひょっとしてこの性格は生前の人間が持っていたものなのだろうか。しかしトドメを刺せ……か。

 

「けっ。嫌なこった」

 

 この時、俺は魔人の最期を語った明久の表情を思い出していた。あいつは”人格”を持っている魔人を倒したことを後悔していた。あのバカに感化されたのだろうか。この時の俺は魔人の「トドメを刺せ」の言葉に対し嫌悪感を抱いたのだ。

 

《……敵に情けを……掛ける……気か……》

 

「俺たちは元の世界に帰りたいだけだ。お前の命を奪う理由は無い」

 

 召喚獣とゲームの世界が融合してできたこの世界において、こいつらは電子データに過ぎない。つまり命を奪ったとしても電子データが消えるだけなのだ。それにこいつらは俺たちの邪魔をし、人々の生活を脅かす魔獣を作り出す者。しかも傷を負った時の特性から見ても魔獣に類似する存在だ。つまり死体から作り出された”偽りの命”を持つものだ。ただ迷惑なだけのこいつらを排除することに何を躊躇う必要があろうか。俺はずっとそう思っていた。

 

 だが今まさにその状況を迎え、俺の気持ちが揺らいだ。明久が言った時の気持ちが少し分かったような気がしたのだ。今の俺はこいつに(とど)めを刺す気にはなれない。無論、翔子にもそんなことはさせたくない。

 

「行くぞ翔子。俺たちには時間が無いんだ。――装着解除(アウト)

 

 俺は魔人ネロスに背を向け、歩き出した。気付くと既に日は昇り、空は青く澄み渡っていた。まったく、無駄な時間を使っちまったじゃねぇか……。

 

「……でも、魔人は?」

「放っておけ。いいから行くぞ」

「……うん」

 

 この時の俺は甘かった。両腕を封じられては、もはやどうすることもできまい。そう(タカ)を括っていたのだ。

 

《ク……クク……クハハハハ! 甘い! 甘いわァァ!!》

 

 後ろから魔人の笑い声が聞こえ、驚いた俺は振り返った。そこに見えたのは、奴が……ネロスが牙を剥きだしにして翔子に飛び掛かる姿だった。し、しまった! あいつまだ動けたのか! まだ装着を解くべきではなかった!

 

「しょ、翔子ォぉーーッ!!」

 

 なんとしても守らねば! そう思うよりも早く俺は駆け出していた。だが気付くのが遅かった。奴は既に翔子の目の前にまで迫っている。

 

 ダメだ! 間に合わない……!

 

 自分の甘さを悔やんだその時、不思議なことが起こった。

 

「…………」

 

《…………》

 

 翔子と魔人ネロスが見つめ合ったまま、動きを止めたのだ。なんだ? 何が起こったんだ?

 

「翔子!」

 

 駆け寄ってみて俺は事態を把握した。

 

《……ぐぼぁッ……!》

 

 魔人が口から大量の黒い液体を吐いた。よく見ると奴の鳩尾には銀色の棒状の物が真っ直ぐに突き刺さっていた。こ、これは……翔子の……刀?

 

「……はっ……はっ……は……ぁ……」

 

 翔子は目を大きく見開き、全身をブルブルと震わせていた。そうか、咄嗟に刀を突き出したのか。無事で良かった……。

 

《……ウ……》

 

 魔人は胸から刀をズルリと引き抜くと、仰向けにズンと倒れた。翔子は刀を持ったまま放心状態だ。

 

「翔子、大丈夫か? 怪我はないか?」

「……だ……だいじょう……ぶ……で、でも……」

 

 震えながら翔子は魔人に目を向ける。こんなにも怯えた翔子を見るのはいつ以来だろうか。先程のブチ切れた時とは別人のようだ。恐らく突然襲われたことで奴に対して恐怖感を抱いたのだろう。

 

「すまなかった。俺がしっかり(とど)めを刺しておくべきだった。俺が甘かった。すまん」

「……ううん。違う」

「違う? 何が違うってんだ?」

「……あ、あの人……わざと刀に……飛び込んで……」

「なんだと?」

 

 自分から刀に刺さったというのか? そんなバカな。あの魔人が自ら命を絶つなんてことがあるわけが……。

 

《……フ、フフ、フ……こ……これで……いい……ゴフッ!》

 

 転がっている魔人に目をやると、奴は口と胸から激しく黒い煙を吹き出していた。もはや虫の息だ。

 

「お前、まさか本当に……」

 

《……こ、このままでは……(あるじ)に……改造されて……しまうから……な……》

 

(あるじ)? 改造? どういうことだ?」

 

《……わ……我々魔人……は……あ、(あるじ)(めい)に……より……動いている……。だが……わ、私は……(めい)に……背いた……》

 

「命令を無視したから処罰されるってのか? それは自業自得だろ」

 

《……フフ……そ、その……通り……。しかし私は……(あるじ)(めい)より……お、お前が……欲しかった……ッ》

 

「けっ! 冗談じゃねぇぜ! さっきも言っただろ! てめぇのような変態野郎は死んでもお断りだ!」

「……命令に背いたらお仕置きに改造されてしまうの?」

 

《……そう……だ……。あの……ギ、ギル……ベイトの……ように……な……。あ、あのような……! 獣に……な、成り下がる……くらい……なら……ッ! わ、私は――グはァッ!》

 

 再び大量の黒い液体を吐き出す魔人ネロス。胸の傷跡を見ると、そこには巨大な魔石が埋め込まれていて、完全に割れていた。やはり魔人とは魔獣の一種なのだろうか。それに”ギルベイト”とは、もしや明久が倒したという魔人のことか? 確か巨大なミノタウロスのような化け物になっていたと聞いたが……。

 

《……さ、サカモト……ユウジ……》

 

「なんだ」

 

《…………あ……愛し……てる……ぜ…………》

 

「なっ! 何を言ってやが――!」

 

 返す言葉は奴の耳に届くことはなかった。俺が言い終える前に奴の身体は一気に煙へと変わり、全てが空気中に溶け込んでいったのだ。

 

 黒い煙はいくつもの球体となり、空高く舞い上がっていく。それは差し込んでくる朝日に照らされ、不思議な光景を作り出していた。フワフワと登っていく黒い気泡。俺と翔子はその様子をただ呆然と見守っていた。

 

 

(けっ……最後の最後まで……イカれた野郎だぜ……)

 

 

 俺は空に向かって呟いた。

 

 

「……雄二……」

()が明けちまったな。戻ろうぜ」

「……うん。――装着解除(アウト)

 

 こうして俺と魔人ネロスの戦いは終結を向かえた。

 

 それにしても(あるじ)とは一体何者なんだ? ネロスの話を信じるならば俺たちを襲わせているのはこの(あるじ)だということになる。では明久の元に現れた魔人も、姫路の撃退したという魔人も、同じように(あるじ)の命令で動いている? 明久の話では初対面の魔人が俺たちのことを知っていたらしい。ということは、その(あるじ)が俺たちの存在を知っていたということになる。

 

 問題は(あるじ)って奴が異世界人である俺たちのことをなぜ知っているのか、だ。まさか学園長の仕業か? ……いや、ババァは俺たちの脱出のために腕輪を用意した。それを妨害するような存在を作り出すとも思えない。一体どういうことなんだ……?

 

「……雄二?」

「ん? あぁ、すまねぇ。考え事だ」

 

 何にしても、今はどうにかして扉の島に渡る方法を考えなきゃならねぇ。一旦帰って考え直しだ。元の世界に帰りさえすれば、(あるじ)が何者だろうが知ったこっちゃねぇからな。

 

「行こうぜ」

 

 

 

      ☆

 

 

 

 林を出ると海辺は完全に朝を迎えていた。和やかな太陽の光が砂浜に降り注ぎ、さざ波の音が耳をくすぐる。

 

 俺たちは先程見つけた船の所に戻り、状況を確認した。だがネロスの言う通り、船は岩の下敷きとなり、木っ端微塵に砕けてしまっていた。もはや修復は不可能なほどに。

 

「……せっかく見つけたのに……」

「諦めるな。まだ他にも使えそうなのがあるかもしれねぇ。探すぞ」

「……うん」

 



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第五十二話 降りてきた救世主

「ふわぁ~……おはよう~雄……って。あれ? 雄二?」

 

 ふと目を覚ますと、もう片方のベッドで寝ていたはずのゴリラの姿がない。どこに行ったんだろう。大人しく動物園に帰ったのかな? まさかね。いくらあいつが動物に似ててもそれはないか。トイレに行って道に迷ってるんだろう。しょうがない奴だ。探してやるかな。

 

 手早く着替えて早速ホテル内を歩き回り、赤毛ゴリラを探してみる。まずは館内のトイレ。ここにはいなかった。続いてロビー、浴場――いない。食堂……は、まだ開いていなかった。おかしい。館内のどこを探してもいない。あと考えられるのは女子部屋だけど……まさか雄二のやつ、霧島さんを襲うつもりか!?

 

『アキ~っ!』

 

 廊下で考え込んでいると、どこからか女の子の声が聞こえてきた。この声は美波だ。

 

「おはよう美波。朝から元気だね」

 

 彼女は手を振りながらこちらに向かって走ってくる。既に文月学園の制服に着替えているようだ。いつものポニーテールも可愛く決まっている。

 

「おはよアキ。ねぇアキ、翔子見なかった?」

「ん? 霧島さん? 見てないけど?」

「そう……どこに行っちゃったのかしら……」

「もしかして霧島さんもいないの?」

「”も”ってことは、他にも誰かいないの?」

「うん。雄二がどこにもいないんだ」

「坂本まで……もしかして2人でどこかに行ったのかしら」

「なるほど。そうかもしれないね」

 

 でもこんな時間じゃ店も開いてないだろうから、朝食の買い出しとも思えない。となると……デートかっ!

 

「明久君」

「あ、姫路さん。おはよう」

「おはようございます。明久君、翔子ちゃんを見ませんでしたか?」

「その話は今美波から聞いたよ。いなくなっちゃったんだって?」

「そうなんです。気付いたら翔子ちゃんのベッドが空っぽになってまして……」

「実は雄二もいないんだ。だから2人でどこかに行ってるんじゃないかって美波と話してたところなんだ」

「…………デートか」

「うわっ!?」

「…………そんなに驚くな」

「あぁ、ムッツリーニか。いや、突然耳元で囁かれたら驚くよ普通……」

「どうしたのじゃ? 何かあったのか?」

「あ、秀吉。おはよう」

「んむ。おはようじゃ」

 

 なんだかんだで雄二と霧島さん以外全員集まった僕たち。けれど誰も2人の行方を知らないという。2人とも誰にも行き先を伝えていないというのはおかしい。何かトラブルに巻き込まれたのでは? そう考えた僕たちは相談し、皆で手分けして探すことにした。

 

 姫路さんは2人は船を探しに行ったのではないかと言う。僕もその可能性はあると思う。なぜならあと2日以内に扉の島に行かなくてはならないからだ。そこで僕は美波に姫路さんと共に港を探すよう指示。秀吉、ムッツリーニと僕は町の外を探すことにした。外を探すことにしたのは、この町で船を調達することが難しいことが分かっているからだ。

 

 そう。この町で船を調達するのは現実的ではない。このことは雄二のみならず僕ら全員が思い知っている。町の中がダメとなれば、あとは外しかない。昨日の巨獣化したギルベイトと戦った海岸にはいくつもの船の残骸のようなものが転がっていた。このことを思い出し、雄二ならばあれを頼りにするのでは? と思ったのだ。

 

 まぁ、思ったのは僕じゃなくて美波なんだけどね。

 

「しかし明久よ、海岸となると町の外なのじゃろう?」

「そうだよ」

「ならば危険ではないのか? 魔障壁は町の外までは届いておらぬはずじゃ」

「まぁ安全ではないだろうね」

「昨日雄二は危険なことをすべきでないと言っておったぞい? そのような場所に霧島を連れて行くじゃろうか」

「もし霧島さんが言い出したのなら雄二は反対するだろうね。でも逆に雄二が言い出したのなら霧島さんは絶対についていくと思うんだ」

「確かにそうじゃな。お主、意外にあやつらのことを理解しておるのう」

「そうかな?」

「…………門を開けてもらった」

「サンキュームッツリーニ。仕事が早いね。そんじゃ行こうか」

「んむ」

 

 早速僕たちは開けてもらった門から外に出てみた。町から出る馬車道は真っ直ぐ西に向かって続いている。その道の遙か先には緑色の木々が生い茂る”森”が見える。昨日、僕と美波はこの道を通って町に戻ってきた。左手が海岸で、右手が山脈。右手の山の向こうにはローゼスコートがあるのだ。

 

「海岸はあっちじゃな」

「うん。行ってみよう」

 

 僕たちは海岸に向かった。しかしここは町の外。魔障壁が届かないため魔獣が出没する危険性がある。この近辺にまで近付ける魔獣は小さくて弱いもののみだが、できれば遭遇したくない。そこで僕たちはできるだけ外周壁に沿って移動することにした。

 

 この頃には既に日が登り、朝を迎えていた。そのためか気温はわりと高め。しばらく歩いているとじんわりと汗がにじみ出てくるくらいだった。

 

「それにしてものどかな風景じゃのう」

「ん? そう?」

「見てみぃ。青い海。白い砂浜。緑や山もある。まさに大自然じゃ」

 

 秀吉に言われてぐるりと辺りを見回してみる。なるほど、確かにこれ以上ないくらいに大自然の中だ。僕たちの住む世界はアスファルトの道やコンクリートの建物が多く、こういった光景はあまり目にすることがなかったりする。そういう意味では貴重な経験とも言える。

 

「ホントだね。こんなところで皆でバーベキューしたら楽しいだろうね」

「んむ。そうじゃな」

「…………いた」

「えっ? どこどこ!?」

「…………あそこだ」

 

 ムッツリーニが海の方角を指差して言う。しかし指差す先には青い海と青い空しか見当たらない。

 

「えっと……まさかもう船を手に入れて海に出てるの!?」

「…………違う。もっと手前だ」

「手前?」

 

 再度目を凝らせてよく見てみると、砂浜に2つの動く人影が見えた。その2つの黒い影はゆっくりと移動しているようだった。

 

「いた! 雄二と霧島さんだ!」

「そのようじゃな。2人で早朝デートかの?」

「…………妬ましい」

「んー。だとしたら声をかけるのはマズイかな」

「少し様子を見るべきかもしれぬな」

「…………当然様子を見る。これをネタに脅迫できる」

「お主も変わらぬのうムッツリーニよ」

「…………カメラが無いのが悔やまれる」

「は、はは……」

 

 美波とのデートは撮られないようにしようっと。雄二たちの様子を見ながら僕はそう心に刻んだ。

 

「うぅむ。ここからではよく見えぬのう」

「…………近付くぞ」

 

 ムッツリーニはそう言うとバッと地に伏せた。両肘を突っ張り、胸を地面に付ける。僕と秀吉も真似をして地面に伏した。

 

「へっくしぃっっ!」

 

 伏せたら短い草が鼻に入ってしまい、思わずくしゃみが。

 

「…………静かにしろ。気付かれる」

「ご、ごめん」

「…………行くぞ」

 

 ムッツリーニは右、左、右、左と肘を前に出しながら少しずつ前進する。いわゆる”ほふく前進”というやつだ。僕らもその後に続いた。

 

 雄二と霧島さんはこちらには気付いていないようだ。距離が400メートルほどあるから僕らが見えていないのだろう。2人は何か話をしながらゆっくりと砂浜を歩き、町から遠ざかって行くようだ。

 

 ……

 

 それにしても……。

 

「ね、ねぇ秀吉」

「なんじゃ?」

「なんか僕たちさ、覗きをやってるみたいじゃない?」

「”みたい”ではなく、覗きそのものじゃな」

「…………問題ない」

「いやムッツリーニはいつものことだからいいだろうけどさ、なんか悪いことしてるような気がしない?」

「むぅ……確かにそうじゃな」

「やっぱり声掛けようよ」

 

 僕はすっくと立ち上がり、声を掛けようと片腕を上げた。

 

「お――」

 

  キィィイイン……

 

 ん? なんだこの音? ジェット機……の、音? まさかね。そんなものがこの世界にあるわけが――

 

  ドオォォォォオン!!

 

「ひっ!?」

 

 突然、上空でもの凄い爆音が轟いた。それと共に凄まじい突風が巻き起こり、周囲の砂を舞い上げる。

 

「いてっ! いててててっ!」

 

 風に巻き上げられた砂が体にビシバシと当たってきて、かなり痛い。まるで嵐のようだ。それとも美波が腕輪の力でも使ったんだろうか?

 

「なっ、何じゃ!? 何が起こったのじゃ!?」

 

 砂が目に入らないように腕でガードする僕たち。あまりに激しい突風のため目を開けていられない。けれどすぐに風はおさまり、爆音も遠くに消えていった。一体なんだったんだ? 今のは……。

 

「…………また来る」

 

 ボソリとムッツリーニが呟いた。って! また来る!? 何が!?

 

  キイィィィィン……

 

 再び金属を擦り合わせるような音が近付いてくる。ん? この音は……どこかで聞いたような? 思い出そうとしていると、今度は上空から拡声器を使って叫ばれたような声が聞こえてきた。

 

『おぉぉーーいぃ! ガキどもォーっ! こんな所におったンかァーっ!』

 

 ビリビリと空気が振動するかのようなバカでかい声。この声には聞き覚えがある。つい最近、確か砂漠で聞いた声だ。って、そうか! 思い出した! さっきの音は砂上船のエンジン音だ! でもなんで空から聞こえてくるんだ?

 

 疑問を抱いた僕は腕で目をガードしつつ、チラリと上空を見上げてみた。

 

「え……えぇぇぇぇーーっ!? ふ、船ぇェーーッ!?」

「な、なんじゃと!?」

「…………船が……飛んでる……」

 

 こんな夢みたいなこと、ゲームの中だけの話だと思っていた。けれど今、僕たちの目の前では全長20メートルほどの”船”が空中に浮いているのだ。何度か目を擦って見直してみても間違いはない。どう見てもマッコイさんの砂上船、”キングアルカディス号”だ。でもどうして船が空を……?

 

 ポカンと口を開けたまま空を見上げる僕たち。そんな僕たちの目の前で、船は激しい風を吹きながら高度を下げていく。どうやら馬車道に着陸するつもりのようだ。

 

「秀吉! ムッツリーニ! 行ってみよう!」

「んむ!」

 

 僕たちは着陸する船の方に向かって走り出した。向かう先では空飛ぶ船が船底から足のようなものを出しはじめている。よく見れば船体の左右には大きく板がせり出し、飛行機でいう翼のようなものを形成していた。

 

 これって飛行船? 飛行船だよね!

 

 僕はワクワクしながら着陸するキングアルカディス号の元へと向かった。程なくして砂上船はガシュウンという音を立てて馬車道に着陸。僕たちはその船体の脇へと駆け寄った。

 

「やはりマッコイ殿の船のようじゃな」

「うん! 間違いないよ!」

 

 船体の横には”King Arcadis”と黒い字で殴り書きされている。完全には読めないけど、きっとキングアルカディスと書いてあるのだろう。

 

「でもなんで砂上船が空を飛んで来たんだろう?」

「なんとなくじゃが、分かる気がするのう……」

 

 横で船体を見上げていた秀吉がどこか嬉しそうに言う。秀吉はマッコイさんと仲がいい。何か知ってるのかもしれないな。そう思って僕も船体を見上げた。すると、ひょいっと船の上から縄ハシゴが降ってきた。そしてその縄ハシゴを伝って誰かが降りてくる。

 

『おー! キノシタァー! また会ったのうー!!』

 

 彼は縄ハシゴの途中で片手を離し、手を振っている。なんだかとても嬉しそうだ。

 

「マッコイ殿ぉーっ! 手を離したら危険ですぞー!」

 

 黒いロングブーツに黒のロングコート。

 どくろマークの入った黒い大きな帽子。

 左目に巻かれた黒い眼帯。

 

 この海賊のようなスタイルをする人なんて他に考えられない。間違いなくマッコイ爺さんだ。

 

『なーに! この程度平気――――おわっとととっ!』

 

「わぁぁーーっ!?」

 

 バランスを崩して落ちそうになるマッコイさん。僕は堪らず両手で目を覆ってしまった。

 

 ……?

 

 しかし数秒経っても落下音が聞こえない。落ちたのならドスンといった感じの音がすると思うのだけど……。

 

『なーんちゃって。冗談じゃよ~』

 

 爺さんのおちゃらけた声が聞こえてくる。恐る恐る目を開いてみると、爺さんは縄ハシゴに両足を引っかけ、逆さまにぶら下がっていた。

 

『カッカッカッ! この程度どうってことないわい!』

 

「なんとも人騒がせなご老人じゃな……」

 

 マッコイ爺さんは体勢を戻してスルスルとハシゴを降りてくる。まったく、秀吉の言う通りだよ。

 

「久しぶりじゃなキノシタ、ツチヤ」

「お久しぶりですじゃ」

「…………久しぶり……です」

「それとお主は……あー……。確かヨシイじゃったかな? お主も元気そうじゃな」

「あ、はい。お久しぶりですマッコイさん」

 

 僕はおまけ程度に覚えられているのか。秀吉やムッツリーニとはずいぶん扱いが違うじゃないか。まぁ別にいいんだけどさ。

 

「相変わらずお達者のようですな。マッコイ殿」

「カッカッカッ! 当然じゃ! これもお主らが生きる目的を与えてくれたおかげじゃ。感謝しておるぞ」

「礼を言うのはワシらの方じゃ。主様のおかげでここまで来られたのじゃからな」

「キノシタは変わらず謙虚じゃのう。どうじゃツチヤ、お主も元気にしておったか?」

「…………そこそこ」

「フフ。そこそこか。お主も変わらぬな」

「ところでマッコイ殿。この船は一体どうしたのじゃ?」

「ん? おお、そうじゃった! 見てくれ! キングアルカディス号の新たな姿を!」

 

 マッコイさんは両腕を広げて船体に向かって声を張り上げる。目の前にあるのは木造の帆船。いや、よく見るとマストがなくなり、帆もなくなっている。代わりにあるのは船体の横に大きくせり出した翼。その翼には以前後部に取り付けられていたジェットエンジンが、左右に1個ずつ搭載されていた。ここまで来ると、もはや飛行機だ。

 

「お? なんだ明久じゃねぇか。こいつはお前の仕業か?」

 

 その時、後ろから雄二の声が聞こえてきた。

 

「あ。雄二」

 

 霧島さんも来たみたいだ。まぁこんな物が降りてくれば気になって見に来るのは当然か。

 

「そんなわけないだろ。マッコイさんに決まってるじゃないか」

「エッヘン! どうじゃ凄いじゃろう!」

 

 両手を腰に当て、胸を張るマッコイさん。ははっ、やっぱりこの人面白いや。

 

「あぁ、まさに奇想天外な発想だな。こんなものを飛ばそうなんて考えるのはアンタくらいなもんだぜ」

「ホッホッホッ! お主、なかなか話が分かるではないか。見直したぞい?」

 

(……別に誉めたつもりはないんだがな……)

 

 ボソッと雄二が何か言ったようだけど、気にしないでおこう。

 

「……船長、お久しぶりです」

 

 霧島さんが丁寧にお辞儀をして挨拶する。これが正しい挨拶のやり方だね。

 

「おぉキリシマ、お主も元気そうでなによりじゃ!」

 

 僕の名前はうろ覚えでも女の子の名前はしっかり覚えてるんだね。なんかこの人が話に入ってくると僕の存在感がとても薄くなる気がする。

 

「ところで船長、今日はこいつを見せびらかしに来たのか?」

「まぁ簡単に言うとそういうことじゃな。ホッホッホッ。しかしお主らもうこんな所まで来ていたとはのう。間に合わんかと思ったぞい」

「もうというか、やっとここまで来たって感じなんだけどな……」

「む? なんじゃサカモト、そのシケた面は。そのようなことでは運気も逃げてしまうぞ?」

「いやまぁ、なんだ。もう逃げちまったのかもしれねぇな」

「なんじゃ。ずいぶんと弱気ではないか。何やら訳ありのようじゃな」

 

 ……

 

 えーっと。何だろう。なんかこう、今すっごく大事な事を忘れてる気がする。なんだっけ?

 

「どうしたのじゃ明久よ? そのように難しい顔をして」

「いやぁそれがさ、なんか大事なことを忘れてる気がしてさ。う~ん……なんだっけ?」

「ワシに聞かれても困る。お主の頭の中がワシに分かるわけがあるまい?」

「だよねぇ」

「…………トイレに行きたいとか」

「いくら僕だってそれを忘れたりしないよ」

「マッコイ殿に関係することではないのか?」

「そう、そうなんだよ。うぅ~ん……なんだっけ。喉まで出てきてるんだけどなぁ」

 

 うー。もどかしい。何かの拍子にポンと出てきそうな気がするんだけど……。

 

「なんじゃヨシイ。ワシに何か用があるのか?」

「あ、はい。そうなんですけど、思い出せないんですよね。なんだかとっても大事な用だったはずなんですけど……」

「ふむ。ならばそれを思った時に何をしていたかを思い出すべきじゃな。何をしておったのじゃ?」

「えっと、雄二の監視?」

「はぁ? なんじゃそりゃ?」

「おい明久。俺の監視ってのはどういうことだ」

「えっ? いや、その……あはははっ!」

「笑って誤魔化すんじゃねぇ! てめぇ何を企んでやがる!」

 

 しまった。思わず口を滑らせてしまった……って、そうだ! 思い出した!

 

「ね、ねぇマッコイさん! 実は僕たち、船のことで困ってるんです! 相談に乗ってくれませんか!」

 

 そうだった。船が無くて困っていたんだった。しかも空飛ぶ船なんて、願ってもない救世主じゃないか!

 

「なんじゃと? なぜそれを早く言わん! 船のことなら任せておけ! で、どんな船が欲しいのじゃ? 小型船くらいなら2日もあれば作れるぞい!」

「いや、それが、その……」

 

 僕は順を追って事情を説明した。

 

 扉の島に向かっていたこと。王妃様の船で行ったものの、魔障壁のようなもので阻まれてしまったこと。攻撃したら反射されて大事な船を失ってしまったこと。そして残りの日数が2日しかないこと。すべてを伝えた。

 

「なるほど。そういうことじゃったか」

「マッコイさん! お願いです! どうか僕たちを乗せて扉の島まで送ってもらえませんか!」

「フ……ワシを誰だと思うておる。船で送るなどお安いご用じゃ!」

「ほ、ホントですか!?」

「無論じゃ。お主らには礼をしたいと思うておったしな」

 

『『『ぃやったぁーーっ!』』』

 

 僕たちは歓喜した。残り2日。船を失ったことで僕たちの胸の内には不安が立ちこめていた。そんな僕たちにもたらされた希望の光。まさに救世主の登場だった。

 

「では早速乗り込むがよい。目的の場所は分かっておるのじゃろう?」

「あ、ちょっと待ってください。まだ美波と姫路さんが町の中にいるんです」

「ミナミ? 誰じゃそれは」

「あ……えっと、美波というのは島田美波でして……」

「おぉ! あの時のリボンの女子(おなご)じゃな! さっさと連れてくるのじゃ! ほれ! はよう!」

「は、はい……」

 

 この爺さん、また美波にチューをしろとか言い出すんじゃないだろうな……。

 

「それじゃ雄二、僕は美波たちを呼んでくるよ」

「あぁ、任せる。俺たちは先に乗って待ってるぜ。戻ったら俺を監視していた話をじっくり聞かせてもらおう」

「う……い、いや~何の話かな?」

「とぼけても無駄だ。とりあえず姫路と島田を呼んでこい」

「わ、分かった」

 

 こうして僕は1人で町に戻ることにした。それにしてもまさかマッコイさんが来てくれるなんて思いもしなかったな。でもこれで元の世界に帰れそうだ。そうだ、今度こそ……今度こそ本当に元の世界に帰れるんだ!

 



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第五十三話 バリヤーを打ち破れ!

 町に戻った僕は美波と姫路さんを探し、合流した。”探した”と言っても待ち合わせの場所は中央の公園と決めていたので、探し回るようなことはなかった。2人を連れ、僕はすぐに砂上船――いや、飛行艇(ひこうてい)キングアルカディス号の元へと向かった。

 

「まったく、どうして翔子をそんな危ないことに付き合わせたのよ」

「いや僕に言われても困るんだけど……」

「別にアンタには言ってないわよ」

「え。でも僕の方を見ながら言ってるよね?」

「アンタを見てるけどウチは坂本の話をしてるの!」

「そ、そっか。ならいいんだけど」

 

 それなら雄二の前で言ってほしいんだけどな……。

 

「とにかく急ぎましょう。皆さんが待ってますから」

「そうね。ちょっと走るわよ。ちゃんとついてくるのよ瑞希」

「はいっ! がんばります!」

 

 僕たちは駆け足で西門に向かった。そして門を出て馬車道を西に向かって走っていくと、すぐに黄金色(こがねいろ)の船体が見えてきた。

 

「見えてきた! あれだよ!」

「ほ、ホントに砂上船だわ!」

「でもなんだか様子が変ですよ?」

「そうなんだ。翼が生えて飛行機みたいになってるでしょ? ホント凄いよね!」

「あ、いえ。そうではなくて、何か声が聞こえませんか?」

「ほえ? 声?」

 

 言われて耳を澄ませてみると、確かに人の声が聞こえてくるようだ。それも話し合っているとかの声ではなく怒鳴り声のようなものが。

 

『おい! 早くこのデカブツをどかせっつってんだよ! こんなモンどこから持ってきたんだ! おら持ち主出てこい! 馬車が通れねぇだろうが!』

 

 どうやら船の向こう側から聞こえてくるようだ。「通れない」ということは、この道を通行する者。それも馬車の定期便のようだ。そういえばここ馬車道だっけ。そりゃ怒るよね。

 

「道を塞いでしまっていてご迷惑になっているみたいですね」

「うん。急ごう!」

 

 

 

      ☆

 

 

 

「お待たせ! 2人を連れてきたよ!」

 

 乗船口から駆け込み、客室に入った僕たち。そこでは雄二たちがテーブルを取り囲んで話し合っていた。

 

「来たか。待っていたぞ」

「すみません。私、走るのが遅くて……」

「気にするな。とにかく座れ。今あのバリヤーの突破方法を検討しているところだ」

「ちょっと待って雄二。その前にこの船動かさないとヤバイよ」

「あ? なんでだ?」

「なんか馬車が立ち往生してるみたいなんだ。この船が道塞いじゃってるからさ」

「そういやそうだな。よしムッツリーニ、船長に全員揃ったと伝えてこい」

「…………了解」

 

 とムッツリーニが席を立った瞬間、

 

『聞こえてるぜェ! そんじゃ出港だ! 野郎どもォ!』

 

 船室内のスピーカーから怒鳴り声が聞こえてきた。この声はマッコイさんだ。っていうか、また口調変わってるし。

 

「お、おう……頼むぜ船長」

 

『おうッ! 任せろ! よッしゃ行っくぜぇぇッ! 魔導エンジン始動ォ! 出力最大! 離陸(テイク・オフ)!』

 

 どこでそんな言葉を覚えてきたんだろう……なんてことを一瞬思ったけど、マッコイさんの言動をいちいち気にしていたらキリが無さそうなので気にしないことにした。

 

  キュィィィィン……

 

 船内に例の金属音が響き始める。その直後、船体がガクンと揺れた。滑走をはじめたようだ。

 

  ドゥッ!

 

 しばらくして船内に爆発音が響く。それと同時に大きく船体が揺れ、傾いた。この感覚は飛行機が離陸する時に近い。つまり船が離陸したのだろう。

 

「おい船長! もうちょっとやんわりと頼むぜ!」

 

『あァ? チンタラやってられるわけねぇだろ! 空が俺を呼んでるんだからよォ!』

 

 何言ってるんだろう、この爺さん。もうわけが分からない。

 

「ったく、調子に乗りすぎだろ……まぁいい。とりあえず会議を続けるぞ。お前ら席に着け」

 

 実は僕ら全員ずっこけているのだ。理由はもちろん離陸の衝撃で船内が激しく揺れたからだ。いや、揺れたというより”ひっくり返った”という表現が適しているかもしれない。

 

「いっててて……酷い揺れだった。み、みんな大丈夫?」

「もう、大丈夫じゃないわよ。思いっきりお尻打っちゃったじゃない」

「わ、私もです……」

「き……霧島よ……どいてくれぬか……く、苦しいのじゃ……」

「……ごめんなさい」

 

 どうやら秀吉は霧島さんの下敷きになっていたようだ。それにしても今の衝撃で転ばないなんて雄二とムッツリーニは足腰が強いな。

 

「やれやれ……シートベルト無しがこれほど心許ないとは思わなかったぞい」

「そうですね。これから飛行機に乗る時はもっとしっかりシートベルトを確認するようにします」

「そういった話は後だ。とにかく話を進めるぞ」

「ねぇ雄二、会議って言うけど議題は?」

「さっき言っただろ。扉の島を取り囲んでいるバリヤーの破り方だ」

「あ、そっか」

 

 昨日、僕たちは海洋上で扉の島を見つけた。最初は近付こうとするといつの間にか場所が移動しているという状況であった。しかしその幻覚は霧島さんの腕輪の力で払うことができた。ところが姿を現した扉の島は、魔障壁のようなバリヤーで覆われていたのだ。

 

「ウチがそのバリヤーに触れた時はバチッって感じで電気が走ったわ」

「私の熱線は(はじ)かれてしまいました。本当にすみません……」

「もういいんだよ姫路さん。腕輪の力でも破れないってことが分かって良かったじゃないか」

「そうよ瑞希。もうくよくよするのはやめなさい」

「はい、ありがとうございます」

「しかし姫路の力でも破れないってことは、それ以上の力で打ち破るしか無いってことになるわけだが……」

「…………霧島か」

「じゃが昨日、霧島の力で幻は排除しておるが、バリヤーは残っておったぞい?」

「でもやってみる価値はあるんじゃない? あっ! そうだ! ウチの風の力も合わせてみるっていうのはどう?」

 

 んー。ゲームだとこういう場合は解除する(すべ)が用意されてるんだよね。たとえば……そう、たとえばバリヤー発生装置が島の周囲にあって、それを壊すと消えるとか。

 

「まぁ待てお前ら。俺はもっと単純な方法であのバリヤーを排除できるんじゃないかと思ってるんだ」

「えっ? それじゃ坂本君はあれを破る方法を知ってるんですか?」

「知っているわけじゃない。これは想像なんだがな、俺は魔障壁の発生装置――つまり魔壁塔を破壊すればいいと思っているんだ」

「あ。それ僕も同じ意見。きっとあの島の真ん中に立ってる細い山を崩せばバリヤーは消えると思うんだよね」

「だが問題はあれをどうやって壊すか、だ」

「え? そんなのあの山の天辺に下ろしてもらってぶっ壊せばいいんじゃないの?」

「バーカ。バリヤーは島の上空にも展開されてるんだぞ。電撃で黒焦げになりてぇのか?」

「あ、そっか……じゃあどうしたらいいんだろう?」

 

『『『う~ん……』』』

 

 皆は唸ったまま黙り込んでしまった。誰も手段が思いつかないのだろう。なにしろバリヤーに触れない上に姫路さんの熱線(ブラスト)すら効かなかったのだから。

 

 でもここで諦めるわけにはいかない。きっと何か方法があるはずだ。もしかしたら皆の腕輪の力をよく考えたら何か手が見つかるかもしれない。よし、皆の腕輪の力を考えてみよう。

 

 まず、僕の腕輪の効果は二重召喚(ダブル)。試召戦争では召喚獣が2体になるものだけど、この世界での効果は『武器が2つになる』だ。でも武器が2つになったところでバリヤーを打ち破れるわけがない。僕の腕輪は論外だ。

 

 次に美波。彼女の腕輪は大きな風を巻き起こす大旋風(サイクロン)。その力は湖の水をすべて空中に巻き上げてしまうほど強力だ。けれど姫路さんの腕輪の力、熱線(ブラスト)でも弾かれてしまったのだから、風がバリヤー内に入り込めるとは思えない。

 

 あとはムッツリーニの加速(アクセル)、秀吉の幻惑の光(イリュージョン)。加速したところでバリヤーに凄い勢いでぶつかるだけだし、秀吉の誘惑の力は僕ら男子にとって非常に危険だ。そもそもバリヤーなんかを幻惑できるわけがない。

 

 残るは雄二と霧島さん。霧島さんの力、閃光(フラッシャー)は幻を払ってくれた。けれどバリヤーを打ち破るには至っていない。雄二の腕輪は扉を開けるだけなので、ここではまったくの役立たずだ。

 

 うーん……こうして考えてみると可能性があるのはやっぱり霧島さんの力なんじゃないだろうか。とはいえ、美波の言う「力を合わせる」というのは霧島さんの力が強すぎて危険だ。

 

「ねぇ雄二、やっぱり霧島さんの腕輪をもう一度試してみるべきなんじゃないかな」

「そうだな。俺もそう思っていたところだ」

「……私の力でバリヤーを破れる?」

「分からん。だが試してみる価値はあると思う」

「……じゃあやってみる」

 

 これでダメだったら本当に打つ手が無くなってしまうなぁ……。

 

『なァおめぇら。その扉の島ってやつに入るには何かぶっ壊さねぇといけねぇのか?』

 

 その時、船室内の隅からマッコイさんの声が聞こえてきた。いや、船室内というか潜望鏡型のスピーカーを通じて。

 

「あぁ。実は扉の島には魔障壁型のバリヤーが張られていてな。前回はそいつに阻まれて入れなかったんだ」

 

『魔障壁か。それで塔をぶっ壊してェってんだな?』

 

「まぁそういうことだ」

 

『よォし! そンなら俺に任せろ! いい考えがあるぜェ!』

 

「何だと!? 本当か船長!」

 

『あァ! だがそれには手が足りねェ! キノシタ! それとツチヤ! 甲板に来い!』

 

「ワシらを指名とは、一体なんじゃろうな」

「…………行ってみれば分かる」

「それもそうじゃな。ではちと行ってくるぞい」

 

 2人は席を立ち、甲板に上がる階段の方へと歩いて行く。あの2人で何をするんだろう? ちょっと気になるな。

 

「俺たちも行ってみようぜ」

「へ? 僕らも行っていいの?」

「別に来るなとは言われてねぇだろ?」

「まぁそりゃそうだけど……」

「ウチらも行きましょ瑞希、翔子」

「そうですね。何をするのか気になりますからね」

「……私も」

 

 結局、僕たちは全員で甲板に行ってみることにした。ぞろぞろと階段を上っていく僕たち。扉を開けて甲板に出てみると、そこで待っていたのは眩しい太陽の光だった。

 

『――――。――――――』

『――? ――――――』

 

 甲板の後方から話し声が聞こえてくる。見ると操舵台の脇に机と椅子のようなものが設置されていて、秀吉がそこに座っていた。

 

 更によく見ると、操舵台を隔てた反対側にも机と椅子がもう一台設置され、そちらにはムッツリーニが座っていた。2人は机の上で何かを見ているようだ。それにマッコイさんは秀吉とムッツリーニの間を行ったり来たりして、何かを教えているように見える。

 

「木下たち、何をしてるのかしら」

「何か説明を受けてるみたいだね」

「ふ~ん。でもあんな机なんて前にあったかしら?」

「ん~……よく覚えてないけど、確か無かったと思うよ」

「2人とも忙しそうですね」

「よく分からんが俺たちが入ると邪魔になりそうだな」

「そうですね。話が終わるまで待ちましょうか」

 

 姫路さんの言う通り、僕たちは彼らの話が終わるまで待つことにした。とはいえ、ただ待っているのも暇だ。そこで甲板の上を歩いてぐるりと回ってみた。

 

 構造は以前乗せてもらった時とそれほど変わらない。甲板中央の(マスト)が無いのと、秀吉やムッツリーニが座っている机が追加されていること。それに船体横に大きな翼が付いていること以外は同じようだ。

 

「……いい風」

 

 甲板で各々(おのおの)が見学をしていると、霧島さんが呟いた。言われてみると確かにいい風だ。

 

 空を飛んでいるのだからもっと激しい風が吹いていてもおかしくない。けれどこの甲板には女子3人の髪をなびかせるくらいの風が吹くのみ。気温もそれほど高くない。前回と比べて風に乗る潮の香りがちょっと気になる程度で、とても快適な空間だった。そもそも砂漠の過酷な気候と比べること自体が間違っているのかもしれないけど。

 

『よっしゃァ! そんじゃ準備はいいな! キノシタ! ツチヤ!』

 

 突然、甲板の後方から大きな声が聞こえた。マッコイさんの威勢のいい声だ。どうやら説明が終わったようだ。

 

「行ってみましょアキ」

「うん」

 

 早速操舵台に向かう僕たち。雄二たちも集まってきたようだ。

 

「秀吉、何を教わってたの?」

「ふっふっふ……それは秘密じゃ!」

 

 秀吉はニコニコと笑顔を見せながら断ってきた。なんだか楽しそうだ。でもこんな笑顔で言われると尚更知りたくなる。

 

「何よそれ。教えてくれたっていいじゃない」

「そうですよ木下君。私たちだって知りたいんですから」

「まぁ楽しみは後に取っておくのがよかろう」

「楽しいことなんですか?」

「そうじゃな。少なくともワシは楽しみじゃ」

 

 鼻歌でも歌い出しそうなくらいに嬉しそうな秀吉。くそう……秀吉は口が堅いから聞き出すのは難しそうだ。じゃあムッツリーニはどうだろう?

 

『なぁいいじゃねぇかムッツリーニ、教えろよ』

『…………守秘義務』

『俺は仲間の受けた仕事は把握しておきたいんだ。いいだろ?』

『…………後で分かる』

『チッ、お前意外と頭固ぇんだな』

『…………頭突き勝負で明久に勝てる』

『そういう固さじゃねぇよ!』

 

 どうやらムッツリーニも教えてくれないようだ。仲間に秘密にされるというのはちょっと寂しいな……。

 

「よーし! おめぇら! そろそろ目的地だ! 前に行ってその目で確かめろ!」

 

 えっ? もう着いたの!?

 

「船長、もう着いたのか? やけに早くねぇか?」

 

 雄二も同じ疑問を抱いたようだ。確か昨日船で行った時は1時間ほど掛かっていたはず。それが今回はマリナポートの町を発ってから30分も経っていないのだ。

 

「ったりめーだろ。こいつぁ空を飛んでんだぜ? 水をかき分けて進むより早いに決まってンだろ」

「そりゃそうだな」

「いいから早く見てこい。おめぇらの目的地で間違いねぇのかどうかをよ」

「あぁ、分かった」

 

 雄二はタッタッタッと船首の方へと走っていく。そして一番前の手すりに手を置いて身を乗り出す。

 

『見えた! 間違いねぇ! 扉の島だ!』

 

「よォォし! 時は来た! キノシタ! ツチヤ! アレの出番だァ!」

 

「「ィエッサー!!」」

 

 秀吉とムッツリーニの2人が元気良く返事をする。ムッツリーニがこんなに元気よく返事をするのを僕は初めて見た(エロ以外で)。でもアレって何だろう?

 

「魔導砲ォ! 発射準備(スタンバイ)!!」

 

「「ィエッサー!!」」

 

 

 

 ……

 

 

 

 えっ? 何? マドーホー?

 

 何それ!? なんか凄そうなんだけど!?

 



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第五十四話 貫け! 魔導砲!

「了解っ! 魔導砲、発射用意(スタンバイ)!」

「…………魔導砲、発射用意(スタンバイ)

 

 秀吉とムッツリーニが復唱する。その返事に迷いはない。つまり2人はその”魔導砲”という物についての説明を受けているのだろう。よく分からないけど、名前からして砲撃の類いな気がする。いや、きっとそうに違いない!

 

「艦内電源遮断! 非常弁閉鎖! 魔導伝導路切り替え完了じゃ!」

「…………魔導コア圧力上昇。魔導エネルギー充填開始。5%……10%……17%……」

「よォし! キングアルカディス号、変形(フォームチェンジ)! 砲撃形態(キャノンモード)!」

「「ィエッサー!!」」

 

 へ、変形!? マジで!? なんかすっごいワクワクしてきた!!

 

「ね、ねぇマッコイさん! 何か僕にできることない!? 僕にも手伝わせてよ!」

 

 マッコイ爺さんの元に駆け寄り僕は願った。だってこんな貴重な経験、現実世界じゃ絶対にできないし!

 

「フ……悪いがヨシイに手伝うてもらうことはない。そこでしっかり見ておけ! キングアルカディス号の勇姿をな!」

「そんなぁ……」

 

 ちぇっ。秀吉とムッツリーニだけなんて、ずるいじゃないか。

 

「おぉーーぃぃ! サカモトォ!」

 

『おう! なんだぁーーっ!』

 

「そこをどけェーーッ! 開くぞォーーッ!」

 

『あァ? 開く? 何が――』

 

 ――ガコン

 

『おわっ!?』

 

 突然、雄二の足下付近の甲板に亀裂が入った。亀裂は船の前方を切り離すかのごとく真横一線に入り、ゴゴゴゴという音と共に開いていく。

 

『うぉぉぉぉッッ!! な、なんだこりゃぁぁっっ!?』

 

 雄二が泡食った顔で必死に駆け戻ってくる。その姿はゴリラが慌てて走っているようで、思わず吹き出してしまいそうなくらいに滑稽(こっけい)だった。

 

「ぜぇっぜぇっぜぇっ……い、一体なんだってんだ!」

 

 冷や汗を垂らしながら息を切らせる雄二。この時、船首は既に2メートルほど前方に切り離された感じに開いていた。そして今度はその船首部分がグォングォングォンという音を轟かせながら左右に割れていく。

 

「ね、ねぇちょっとアキ、何なのよこれ……」

 

 美波が僕の右腕を掴んで揺さぶる。驚くというか、少し怯えているような感じだ。

 

「大丈夫。心配いらないよ。きっとこの船が僕らの活路を切り開いてくれるんだよ」

「活路?」

「うん。きっとね」

 

 船首部分はしばらくして動きを止めた。すると今度は左右2つに割れた間から黒くてドでかい筒がせり出してきた。直径3メートルくらいあるだろうか。とてつもなく巨大な砲身だ。

 

「あ、あの……これって大砲みたいにみえるんですけど……も、もしかしてあの島に向かってこの大砲を撃つんですか?」

 

 左腕には姫路さんがしがみつき、不安げな表情を見せている。

 

「うん。だぶんそうだと思う」

「そ、そんな! 大砲なんか撃って大丈夫なんですか!?」

「どうだろう。マッコイさんも秀吉もムッツリーニも本気みたいだし、たぶん大丈夫なんじゃないかな」

 

 大砲を撃つ衝撃で船が壊れないか心配するなんて、姫路さんは心配性だなぁ。やっぱり女の子には男の浪漫なんて分からないのかな。っていうかさ、2人ともなんで僕に聞くのさ。僕が説明を受けていないのは2人とも知ってるよね?

 

「変形完了ですぞい! 船長!」

「キノシタ! 座標修正! 右、回頭5度! 照準固定(ターゲットロック)!」

「了解じゃ!」

 

 そんな彼女らの動揺はおかまいなしに彼らは真面目な顔をして準備を進めている。

 

「……船長、これは何?」

 

 その時、唐突に落ち着いた声が隣で聞こえた。やっぱり霧島さんは冷静だ。僕に聞いても分からないことくらい知ってるんだね。

 

「こいつぁ魔導砲と言ってな。魔障壁のエネルギーを凝縮して弾にして撃ち出す装置よ」

「……魔障壁のエネルギー?」

「そうだ。あのバリヤーみたいなモンは人間を拒むらしいじゃねぇか。つまり魔障壁とは逆の働きをするモンってこった。なら魔障壁エネルギーをブチ当ててやれば相殺(そうさい)して消えちまうってェ寸法だ」

「な、なるほどな……そいつは考えもしなかったぜ。っつーか船長、いつの間にこんなモンを作ったんだ?」

「おめぇらと別れてカノーラに戻ってすぐ着手した。思わず徹夜しちまったがな。カッカッカッ!」

「あんた、やっぱすげぇよ……」

「フン。男などに褒められても嬉しくもなんともねぇよ」

「へーへー。そうですかっと」

 

 徹夜しただけでこれだけの物を作ってしまうマッコイさんって、やっぱり天才なんじゃないだろうか。色々と性格に問題はありそうだけど。

 

「…………エネルギー充填90%」

「マッコイ殿! そろそろ準備をしてくだされ!」

「おっと、こうしちゃいられねぇ。おめぇら、ちょっと離れてろ」

 

 僕たちは指示に従い、数歩下がる。それを確認するとマッコイさんは操舵台の脇に付いていたレバーをぐっと引いた。

 

 ――ヴィーッ! ヴィーッ! ヴィーッ! ヴィーッ!

 

 警告音が鳴り響き、舵が床にズズズと沈んでいく。

 

「フッフッフッ……まさかもうコイツを使う時が来るとはな」

 

 腕組みをしながら不気味な笑みを浮かべるマッコイさん。そんな彼の目の前では舵に代わり、別の台が床からズズズとせり上がってきている。その台はとても特徴的な形をしていた。

 

 教卓のような木製の台。その上に備え付けられた……マイク? いや、マイクではない。あの形は以前この世界でも見たことがある。ドライヤーのような形をした機械。作った人はあれを”春風機(しゅんぷうき)”と呼んでいた。銀色の、まるで銃のような形をした機械。それが教卓の上に取り付けられているのだ。

 

「ターゲットスコープオープン! 目標! 前方、扉の島!」

 

 マッコイ船長はそう叫びながら教卓の銃を両手で握る。すると銃の上でカパッと透明な板が起き上がった。この光景……前にどこかで見たことがある。確か昔見たテレビアニメのワンシーンだった気がする。

 

「…………エネルギー充填120%」

「各部異常なし! 対衝撃制御準備よし! マッコイ殿!」

「よォォッし! 野郎どもォ! どこかに掴まってな! ブッぱなすぜェェ!!」

 

 ついに発射か! 凄い! 凄いぞ! これは僕の人生においてとても貴重な経験になるに違いない!

 

  がしっ! ←抱きつくように僕の首にしがみつく美波

 

  ひしっ! ←同じように僕のお腹に腕を回す姫路さん

 

「ちょっ! なんで僕に掴まるの!?」

「しょーがないでしょ! 他に手頃な物が無いんだから!」

「そうですっ! 一番安定してそうな所がここなんです!」

「そんなわけないよ!? 2人とも手すりに掴まってよ!」

「もう間に合わないわ! アキ! ちゃんと足を踏ん張りなさい!」

「お願いします明久君!」

「そ、そんな無茶言わないでよーーっ!」

 

 なんて言い合いをしているうちにマッコイさんが高らかに発射の合図をした。

 

「魔導砲ォォ! 発ッ射ァァ!!」

 

 ――ッッドォォォォン!!

 

 マッコイさんの掛け声とほぼ同時に爆発音が轟き、床がガクンと大きく傾いた。

 

「ぐっ……! ぐぬぬぬぬぬっっ!!」

 

 ここで転べば美波と姫路さんに怪我をさせてしまう。僕は両足をぐっと踏ん張り、腰を低くしてガニ股で激しい揺れに耐えた。

 

「おわぁーーっ! っとっとっとっとぉぉっっ!」

 

 船は大きく揺れ、まるでバイクがウイリーをするような形で大きく後ろに傾く。この激しい揺れの中でバランスを保つのは容易ではなかった。なんとか体勢を立て直そうと片足で踏ん張るものの、どうしても重力に引っ張られてしまう。僕は2人を抱えたまま歌舞伎のように片足で甲板の上を跳ねていった。

 

「…………着弾まで5秒、4、3、2、1」

 

 そんな僕の横ではムッツリーニが机のモニターを見ながらカウントダウンをしていた。

 

 ――ズンッ……

 

 ムッツリーニがゼロをコールした瞬間、船の下の方から小さく爆発音が聞こえてきた。たぶん弾が当たった音だ。

 

「アキ」

「うん。見に行こう!」

「私も行きます!」

 

 僕たち3人は甲板を走り、船の右端から揃って身を乗り出した。手すりに掴まりながらぐっと背を伸ばして島の様子を見つめる僕たち。見えた海上には灰色の煙が吹き上がっていた。けれど完全に煙に包まれてしまっていて、あの黒い魔障壁がどうなったのか分からない。

 

「煙で隠れてしまって何も見えませんね……」

「ね、ねぇ……島ごと全部吹っ飛ばしちゃった……なんてこと、無いわよね……?」

「え……ど、どうなんだろう……」

 

 確かにあんなに凄いエネルギー砲で攻撃したら、跡形も無く吹き飛んでも不思議は無い。島ごと消えちゃったら帰れなくなっちゃうんじゃないのか?

 

「…………状況報告。防壁は健在」

 

 机上のモニターを見ながらムッツリーニが呟くように言った。よかった。島は無事か。

 

 

 ………防壁?

 

 

「ちょっと待ってムッツリーニ! 今防壁が残ってるって言った!?」

「…………魔障壁は消えていない」

「そ、そんなぁ……」

 

 こんなにでっかい大砲の攻撃でもダメだなんて……姫路さんの熱線も軽々と弾き返されてしまったし、もう力ずくでこじ開けるのは無理なのかな。でもじゃあどうしたらいいんだろう……。

 

「おい、どうすんだ船長。自慢の大砲でもビクともしねぇじゃねぇか」

「そう慌てるなサカモト。おいツチヤ! よく見てみろ! 本当に健在か?」

「…………? 了解。再確認」

 

 再びムッツリーニが机上のボタンをピッピッと押し始める。僕は再び船体の横から身を乗り出し、島の様子を確認してみた。しかし濛々(もうもう)たる煙が吹き上がり、島の様子どころかバリヤーがどうなったのかも見えない。

 

「あっ! 見てください明久君! あそこに穴が開いてます!」

「穴? どこどこ!?」

「あそこです! 島の一番手前の辺りです!」

「ちょ、ちょっと瑞希、そんなに身を乗り出したら危ないわよ!」

 

 姫路さんは興奮気味に島を指差している。その方角をじっと見つめると……。

 

「ほ、ホントだ!」

 

 風で煙が飛ばされ、徐々に島の様子が見えてきた。煙の合間からは黒い魔障壁(バリヤー)が見えている。けれどその一番手前の一部にぽっかりと穴が開いているのだ。

 

「…………魔障壁の一部の消滅を確認」

「どうやら目標が少しズレちまったみてぇだな。だがあれくらいの穴が開けばおめぇらも入れるだろ」

「さすがじゃマッコイ殿! これでワシらの目的も果たせるぞい!」

「フッ……礼などいらん。そんなことより早く行け。グズグズしてるとすぐに魔障壁が復活してしまうかもしれんぞ」

「そうじゃな。では船を降下させますぞい」

 

 今度は秀吉がピッピッと机上のボタンを押し始める。すると船はゆっくりと高度を下げ始め、島に近付き始めた。

 

「やったぁ! これでウチら帰れるのね!」

「私のせいでとんだ寄り道をしてしまいました……すみません」

「いいのよ瑞希。”終わりよければすべてよし”って言うじゃない」

「そうだよ姫路さん。美波の言う通りさ。よし、それじゃ島に上陸の準――」

 

 ――ドガァァン!!

 

 突然、耳のすぐ横で爆発音がして、バラバラと何かの破片が飛んできて僕らを襲った。

 

「いてっ! いてててっ!」

「何!? なんなの!?」

 

 薄目を開けて辺りの様子を伺う僕。すると――

 

「げっ!?」

 

 僕は思わず声をあげた。それは翼に付いているエンジンから煙が上がっていたからだ。しかもそのエンジンの先の翼はポッキリと折れ、なくなっている。

 

「えっ? えっ? な、なんですかこれ!?」

「ちょっとアキ! どういうことよ! どうして翼が無くなってるのよ!」

「そ、そんなの僕に聞かないでよ!」

 

『地上からの攻撃じゃ! 右舷破損! 推力低下! 姿勢制御不能! このままでは海面に激突してしまうぞい!』

 

『『『な、なんだってェーーッ!?』』』

 

 あ、あわわわ! ど、どどどどうしよう! そ、そうだ! 脱出だ! パラシュートか何かで脱出するんだ!

 

「チッ、やられたか。おいサカモト、あの島には敵がおるんか?」

「いや。そういう話は聞いていない。だが攻撃された以上そう考えなきゃならねぇだろうな」

 

 って船長も雄二も何を落ち着いて話してんのーーーーッ!?

 

「ねぇ船長! 何をノンビリしてるのさ! この船落っこちてるんだよ!?」

「そりゃ動力炉をやられたら落ちるのが道理ってもモンだ」

「そういう話じゃないってば! とにかく脱出しようよ!」

「まぁ落ち着け。騒いだところでどうにもなんねぇよ」

「あぁもうっ! その落ち着きっぷりはなんなのさ!」

 

 マッコイ船長とそんな話をしているうちに船はどんどん落下速度を上げていく。

 

「うわぁぁーっ! お、落ちるぅぅーっ!」

 

「「きゃーっ!」」

 

 美波と姫路さんも同じように叫びをあげる。ただ、彼女らの”きゃー”は心なしか喜びの声のように思えた。

 

 ――まるでジェットコースターを楽しむように。

 

「うわあぁぁぁーーーーっ!」

「「きゃぁぁーーっ」」

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 



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第五十五話 上陸。扉の島

「いっててぇ……」

 

 また思いっきり腰を打ってしまった。今日はよく腰を打つ日だ。これじゃ尻が腫れ上がってしまうじゃないか。いくら小さい頃から叩かれ慣れてるとはいえ……ってそうだ! そんなこと言ってる場合じゃない! 船は!? 皆はどうなったんだ!? 慌てて上半身を起こし、辺りを見渡す。

 

『……雄二。大丈夫?』

『あぁ、なんとかな。ってお前! なに抱きついてやがんだ!』

『……雄二がクッションになってくれた』

『お前が抱きつくから図らずもそうなっちまったんだよ!』

『……でも落ち始めた時、雄二は私の手を握ってくれた』

『うっ……いや、その、なんだ……ぐ、偶然だ偶然! 何かに掴まろうとしたらお前の手だっただけだ!』

『……でも私の名を呼びながら手を伸ばしてた』

『ぐっ……う、うるせぇっ! 気のせいだ気のせい!』

『……雄二は恥ずかしがり屋』

 

 状況が分からないけど雄二と霧島さんがイチャイチャしている。ゴリラと霧島さんの組み合わせだと、どうしても美女と野獣に見えてしまうな。

 

「いたたぁ……絶叫マシンにしてはちょっと安全性に問題があるわね」

 

 右の脇からそんな声が聞こえてきた。腰を(さす)りながら起き上がる美波。彼女も腰を打ってしまったようだ。

 

「せめてシートベルトがほしいですよね」

 

 左の脇からも声が聞こえてくる。どうやら姫路さんも無事のようだ。

 

「そうね。座席を作って安全策を講じるべきだわ」

「座席は前の方に欲しいですね」

 

 あの、美波さん? これ絶叫マシンじゃありませんよ? それに姫路さんも同調しないでほしい。

 

『…………右舷魔導エンジン大破。機能完全停止』

『魔導伝導路破損。魔導コア出力20%に低下(ダウン)。マッコイ殿、もはや修復不能ですじゃ……』

『気にすんなキノシタ。こんなモン(ドック)に入れさえすればすぐ直せる』

『ワシらのために……すまんですじゃ』

『いいってことよ。俺が好きでやってンだからよ』

 

 秀吉とマッコイ船長が話している声が聞こえてくる。そっか……この船もう動けないのか。今の状況はどうなってるんだろう? このゆらゆらと揺れる感じは海の上だろうか。甲板の端まで行って身を乗り出し下を覗き込んでみると、すぐ下に青い水面が見えた。

 

「海……? これ水に浮くのか」

「ったりめーだろ。こいつぁ元は海用船だ。そいつを改造して砂上船にしたんだからな」

 

 気付いたら黒いコート姿のマッコイ船長が後ろに来ていた。黒い眼帯にどくろマークの入った黒い大きな帽子。相変わらずの海賊スタイルだ。

 

「そんなことより見てみろヨシイ。おめぇらの目指してる島ってのはアレじゃねぇのか?」

「ほぇ?」

 

 マッコイ船長が僕の隣で海上を指差す。その指す先に視線を移すと、例の島が目に入った。

 

「そうです! あれです!」

 

 扉の島は前回見た時と同じように黒い膜に被われていた。しかしよく見るとドーム状の一部にぽっかりと穴が開いている。そうか! あれが魔導砲で開いた穴か! ぱっと見で4、5メートルほどある。あれなら入れそうだぞ!

 

「皆! バリヤーの穴がまだ開いてるよ! きっと今なら入れるよ!」

「ほんとアキ!? それじゃ急いで行かなくちゃ!」

「でもどうやってあそこまで行きますか? やっぱり泳いで……ですか?」

「あ。そういえばアンタ泳げなかったわね」

「はい……」

 

 見た感じ、島までの距離は200から300メートルくらいはあるように見える。海はそれほど荒れてはいないけど、泳げない姫路さんはもちろん、僕や美波でも泳いで行くのは厳しそうだ。

 

「なぁ船長、小型船は積んでないのか?」

「あるぞい?」

「マジか!? それを早く言ってくれ!」

「あるにはあるが、飾りで乗っけとるだけじゃから浮くくらいしかできんぞ? それでも良いのか?」

「構わねぇ! あとは俺たちでなんとかする!」

 

 なんだ。他に船があるのか。なら全然問題無いじゃないか。っていうかマッコイさん元の爺言葉に戻ってるね。もしかして眼帯を外すと戻るのかな?

 

「小型艇はこの後ろに積んでおる。下ろしておくから、お主らは準備をしてくるがよい」

「俺たちの準備はもうできている。全員身ひとつなんでな」

「なんじゃと? お主ら無一文じゃったのか」

「ま、そんなとこだ。持ってたモンはたぶんこの海の底だからな」

「無茶をするのう」

「へへっ、まぁな。そんなことより船を頼むぜ船長」

「おうよっ」

 

 そんなわけで僕たちはマッコイさんの用意してくれた小型艇に乗り込んだ。船は本当に小型で、全長5メートルほどのボートだった。動力どころか(オール)すら付いていない。これではマッコイさんの言う通り浮くことしかできないだろう。だが問題はない。なぜなら僕らには風力という動力があるのだから。

 

「今度こそお別れじゃな。キノシタ」

「マッコイ殿、本当に世話になり申した」

「なぁに、ワシも楽しかったぞい。もし帰れなんだら戻ってくるがえぇ」

「そうじゃな。もし帰れなければまたお世話になり申す」

 

 んー。秀吉の言う”もし”は、たぶん無いかな。もう元の世界への扉は目の前だし、学園長の示した期日まではあと2日ある。だから大丈夫さ。

 

「ところでお前さんがた、どうやってあの島まで行くのじゃ? まさか手で漕いで行くつもりではあるまいな」

 

 うん。知らないマッコイさんには疑問だろうね。

 

「心配には及びません。僕らには秘密兵器があるんです」

「ほほう。秘密兵器とな? それはどのようなものじゃ?」

「まぁ見ててください。それじゃ頼むよ。美波」

「ふふっ、任せてっ」

 

 美波は楽しげに片目を瞑り、ウインクしてみせる。こういう所が可愛くて、僕の心は踊ってしまう。

 

「――試獣装着(サモン)!」

 

 美波が装着すると、その衝撃で船が大きく揺れる。僕たちは船の(へり)に掴まり、船の体勢を維持した。

 

「さぁ行くわよっ!」

 

 彼女は腰のサーベルを抜き、意気込んでそれを天にかざす。

 

大旋風(サイクロン)!」

 

 右手に持ったサーベルをスッと前に下ろし、技を発動させるキーワードを叫ぶ。すると彼女のサーベルから激しい風が巻き起こり、小舟を押し出した。

 

「な、なんと! お主そんなことができるのか!」

 

 甲板の上から見送るマッコイさんは目を丸くして驚いている。

 

「僕ら全員こういった力が使えるんです! それじゃ行ってきます! マッコイさん、お世話になりました!」

 

 小舟は徐々に加速し、キングアルカディス号から離れて行く。

 

『あぁ! こちらこそ世話になった! 達者でな!』

 

「マッコイさん! お世話になりました! 私たち、このご恩は一生忘れません!」

「元気でな爺さん! 最高の航海だったぜ!」

「……ありがとうございました」

「まこと楽しい旅じゃった! マッコイ殿もお達者で!」

「…………お元気で」

 

 小舟の上から手を振る僕たち。美波の風は徐々に勢いを増し、どんどん船を加速させていく。マッコイさんはいつまでも甲板の上から手を振っていた。

 

「ところで島田よ、ちょっと飛ばし過ぎではないか?」

「何言ってるのよ。ウチの力はまだまだこんなもんじゃないわよっ!」

 

 彼女は得意げにそう言うとサーベルを持つ手にぐっと力を入れた。すると船は更に加速し、まるでモーターボートのような勢いで海面を切って走り出した。

 

「あ、あの……さ、美波? ちょ、ちょっと張り切りすぎなんじゃないかな?」

「まだまだよっ!」

 

 まずい、美波が調子に乗ってしまっている。どうにかして止めないと島に突撃してしまいそうだ。

 

「で、でもさ、あんまり加速すると今度は止まれなくなっちゃうんじゃないかな。そしたら島を通り越したり、バリヤーにぶつかったりするんじゃないかな?」

「大丈夫よ。止まる時はウチが反対を向いて風を起こせばいいんだから」

「いやまぁ、そうなんだけどさ……」

「あの……美波ちゃん、すみません。少し速度を落としてもらってもいいですか? 私、酔ってしまいそうで……」

「そうなの? それじゃ少し緩めるわね」

 

 姫路さんの訴えでようやく風を緩める美波。やれやれ。これで一安心かな。

 

 落ち着いた僕は船の進行方向に目を向けた。目前に聳えるのは半球型の黒いドーム。魔障壁に守られた扉の島。その一角にはぽっかりと穴が開いていて、時々ジジジと電撃がほとばしる。あれが先程魔導砲で開いた穴だ。

 

「どうやらこのまま入れそうだな。よし島田、ここからは慎重に行け。船がバリヤーに触れたらどうなるかわからん」

「分かったわ」

 

 雄二の指示に従い、風を更に弱めて巧みに船をコントロールする美波。こんな細かい操作ができるなんて、やっぱり美波は器用だ。

 

「そのまま真っ直ぐだ。……いいぞ。そのままゆっくりだ」

 

 船は静かに、とてもゆっくりと前進する。海は不気味なくらいに静かで、船を揺らすほどの波もない。チャプチャプという波音の中、雄二以外の者は押し黙り、息を呑んで青い軍服姿の美波を見守る。

 

「よし、バリヤーの中に入った。よくやったぞ島田」

 

『『『ふぅ~……』』』

 

 雄二の言葉に全員が安堵し、息を吐いた。やれやれ。ただ見守っていただけなのに手にじっとりと汗をかいてしまったよ。

 

「……あそこに船を着けられそう」

「そうだな。島田、あの緩やかな浜の所に行けるか?」

「やってみるわね。少し勢いつけるわよ。皆掴まって」

 

 掴まる……。

 

「アキ。ウチに掴まったりしたら蹴っ飛ばすからね」

「な、なんで考えてることが分かったの!?」

「アンタの考えてることなんてお見通しよ。今集中してるんだから余計なことするんじゃないわよ」

「うぐ……わ、分かった」

 

 ちぇっ。さっきのお返しに掴まってくすぐってやろうかと思ったのに。でも見透かされていたのなら仕方がない。仕返しはまた今度だ。

 

 なんて余計なことを考えているうちに船はやや勢いを増し、扉の島に向かって行った。目の前に広がるのは灰色の山肌。どうやらこの島は海岸からすぐに山になっているようだ。

 

「乗り上げるわよ。皆、気をつけて」

 

 美波の呼びかけに皆は頷き、船の縁をぐっと強く握った。

 

 ――ガガガッ、ゴン、ゴンッ!

 

 何か石のようなものが当たる音がして、小舟は砂浜に乗り上げた。しかし思っていたほどの揺れはなく、少し体を揺すられた程度だった。見事な接岸だ。

 

「皆お待たせ。到着よ」

 

 どうやら無事到着のようだ。ついに扉の島に辿り着いたんだ。

 

「美波ちゃん、お疲れ様です」

「……ありがとう。美波」

「どういたしまして。ふふ……」

 

 美波はなんだか楽しそうだ。もしかして美波にはボートを漕ぐという趣味があったりするんだろうか。そういえばまだボートに乗るようなデートには行ったことがないな。

 

 ……帰ったら誘ってみようかな。

 

「雄二よ、ここが扉の島で良いのか?」

「あぁ、間違いねぇ。俺の腕輪がこんなに反応しているからな」

 

 そう言う雄二の右腕では白金の腕輪がぼんやりと怪しい光を放っている。この光り方は学園長と通信が繋がった時と同じだ。でも少し光が弱い気がする。

 

「ここが扉の島なんですね……なんだか寂しい感じがします」

「ホントね。きっと植物が無いからそう感じるのね。見てよ。そこら中、岩だらけよ」

 

 美波と姫路さんが話しているのを聞き、僕は島の様子を左から右へと見渡してみた。ぱっと見た感じ、そんなに大きくない島のようだ。ここから見える範囲では、端から端まで歩いたとしても1時間も掛からないと思う。

 

 ただ、彼女らの言うように植物があるようには見えなかった。この砂浜から数メートル先は灰色の岩山になっていて、緑は一切見えない。右も左も、どこを見ても岩、岩、岩。こんな環境に生き物がいるとしてもイグアナとかの爬虫類くらいしか想像できない。

 

「お前ら気をつけろよ。まだ何があるかわからん。魔導船が攻撃を受けた以上、敵対する意志があるのは確かだからな」

 

 雄二が注意を促す。そんなことは言われなくても分かっている。飛空艇が攻撃を受けた後、僕はずっと考えていた。その攻撃してきた者が何者なのかを。

 

 目的の島は幻で包まれ、更に黒い魔障壁(バリヤー)で守られていた。それに加えて先程飛空艇を襲った謎の攻撃。ここまで明確な拒否の意思を示されているのだ。僕たちに敵対する何者かがこの島に存在している。そう考えざるを得ない。

 

 問題はそれが何者なのか、だ。この世界で僕たちに敵意を見せたのは魔獣。それと魔人だ。魔獣は本能で動いていて意思が無い。つまり現時点で考えられる犯人は魔人だ。もしくはギルベイトの言っていた、魔人の”主”か。

 

「雄二よ、目的の島に入ったのじゃ。ここで腕輪を使っても元の世界への扉が開くのではないか?」

「いや、扉を開くポイントはここじゃない。学園長(ババァ)の言っていたことを思い出してみろ」

「そういえば何か言っておったな」

「……島の中央で腕輪の力を発動させる」

「そういうことだ。つまり扉を開けるためにはこの山の向こうに行かなくちゃなんねぇってことだ」

 

 そういえば学園長がそんなことを言ってたっけ。島の中央か。中央というのがどの辺りか知らないけど、きっとこの岩山を登れば見えるだろう。

 

「それじゃ行こうよ。その敵対する意思って奴に見つかる前にさ」

 

 僕は先陣を切って歩き出した。

 

「ちょっと待ってアキ」

「ん? どうかした?」

「アンタこんな崖を登るつもりなの?」

 

 美波が目の前に聳える岩山を見上げて言う。何か問題があるのだろうか?

 

「そうだけど?」

「そうだけど、ってアンタね……こんな断崖絶壁を登るなんてロッククライミングみたいなものじゃない。そんなことをウチらにやれっていうの?」

「美波ならこんなの簡単に登れるんじゃないの?」

「そりゃあウチは登れるけど、瑞希や翔子はどうするのよ」

「あ……そうか」

 

 もうすぐ目的地だから気が急いてすっかり忘れていた。僕は登る気満々だったけど、確かに姫路さんや霧島さんにはちょっと無理かもしれない。

 

「……私は平気。雄二が背負って頂上まで行ってくれる」

「お断りだ」

「……じゃあお姫様抱っこで」

「両手が塞がっていてどうやって登れってんだ!」

「……そして頂上で式を挙げる」

「なら俺は登らずにこの岩山をブチ抜いて進む!」

「……バージンロードを作ってくれるなんて雄二は気が利いてる」

「何を言えば諦めてくれるんだお前は……」

「……私は諦めない。絶対に雄二と一緒に帰って式を挙げる」

「俺、この世界に残るわ」

「……じゃあこっちの世界で式を挙げる」

「だーっ! もう勘弁してくれ!」

 

 霧島さんの意思は硬いようだ。雄二もそろそろ年貢の納め時なんじゃないかな。

 

「あ、あの、坂本君……?」

「ん? なんだ?」

「いくら坂本君の力が強くても、この岩山を()り貫くのは無理があると思うんですけど……」

「姫路……あれは冗談だ。本気にしないでくれ」

「あっ、そうなんですね。安心しました」

 

 姫路さんがポンと両手を合わせて笑顔を作る。この子も意外と天然だよな……でも確かにこの岩山を刳り貫けたら一直線に中心に行けるかもしれない。

 

「雄二の召喚獣なら力もあるし、岩山をブチ抜くくらいできるんじゃないの?」

「あのな明久、教室の壁とは違うんだぞ? いくらなんでもこんなモンをブチ抜けるわけねぇだろ。召喚獣の力は多く見積もっても人間の10倍だぞ?」

「そっか。でもどうする? 確かに姫路さんにここを登れって言うのは厳しいと思うし」

「ワシもあまり体力に自信は無いぞい」

「…………俺は登れる」

「そりゃムッツリーニは装着しなくても登れるだろうけどさ……あ、そうだ! 試獣装着して登るっていうのはどうだろう? きっとこんな岩山だって簡単に登れるよ?」

 

 我ながら良いアイデア!

 

「いや、ダメだ」

 

 と思ったら雄二が速攻否定した。

 

「なんでさ。装着すれば10倍の力が出せるんだろ? それなら姫路さんだって登れるじゃないか」

「さっきも言っただろ。恐らくここには俺たちを敵視する奴がいる。それがもし魔獣や魔人だとしたら召喚獣の力が必要だ。だから今は温存すべきだ」

「う……」

 

 雄二は慎重だな。けど分からないでもない。僕だって今まで何度も魔獣や魔人と戦う羽目になったし。

 

「って……あれ? 美波?」

 

 気付けばすぐ横にいたはずの美波が姿を消していた。どこに行ったんだ?

 

「島田なら周りを見てくると言って……ほれ、あそこにおるぞい」

 

 秀吉は岩壁に沿って左側を指差す。その方角を見ると、岩山に沿って歩いていくポニーテールの姿が見えた。なるほど、考えるより行動か。美波らしいな。

 

『ねぇ皆! こっちに歩けそうな道があるわよ!』

 

 どうやら何かを見つけたようだ。なんだか今日の美波はとても行動的だ。

 

「よくやった島田! よし皆、向こうから行くぞ」

 

 雄二が歩き出し、僕らはそれぞれ歩き出した。

 

「……雄二、バージンロードは?」

「作らねぇよ!」

 

 雄二が大声で答えると霧島さんはシュンと俯き、悲しそうな目をする。

 

「ま、まぁなんだ……か、帰ったら好きなもの買ってやるからよ……」

 

 すると雄二は目を逸らしながらポリポリと頬を掻き、意外なことを口にした。ついに観念したか?

 

「……じゃあ、2人のスイートホーム」

「すまねぇ翔子、俺の財力じゃ無理だ……」

「……それなら出世して稼いでもらう」

 

 霧島さんには将来の夢があるんだな。スイートホームか。そういえば数日間だけど僕も美波と2人暮らしをしてたんだよね。いわゆる未来のシミュレーションってやつ……? な、なんか考えたら急に恥ずかしくなってきた……。

 

「…………何をニヤついている」

「うわぁっ!?」

 

 急に耳元でムッツリーニの声が聞こえて、驚いて飛び上がってしまった。

 

「べべべべつにニヤついてなんかないよ!? 2人暮らしってあんな感じなんだなって思っただけでさ!」

「…………? 2人暮らし?」

「あ……い、いや。なんでもない……行こうか……」

 

 危うく恥ずかしい話を自分から暴露するところだった……。

 



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第五十六話 うごめく影

 美波の見つけた道は断崖絶壁を登るより遥かに楽だった。けれどきちんとした道にはなっておらず、デコボコした岩が連なる岩道となっていた。このため慎重に足を運び、ゆっくりと進まざるを得ない。非常に歩きづらい道だ。

 

 この道は岩壁に沿ってぐるりと回りながら登る形になっているようだ。今、僕の左側には灰色の岩山が。右手には見渡すかぎりの青い海が広がっている。

 

 それにしても既に30分以上こんなゴツゴツした岩の道を歩いている。見た感じではまだ5合目といった感じだろうか。歩きにくい上にずいぶんと遠回りな道だ。

 

「姫路さん、大丈夫? 少し休憩取ろうか?」

 

 このメンツの中で心配なのは姫路さんだ。彼女は身体が弱く、体力が無い。登山なんて滅多にしないだろうし、こんな足場の悪い登り道なんて初めてだろう。

 

「はい、大丈夫です。まだ歩けますよ」

 

 僕の予想に反し、姫路さんの笑顔には余裕があった。彼女も以前のままではないということなのだろう。きっと彼女も成長しているんだ。そう思うとなんだか嬉しい気持ちになってくる。僕も頑張って成績を上げて観察処分の称号を返上しなくちゃな。

 

 そんなことを思いながら登り続け、約1時間。ついに僕たちは頂上に辿り着いた。

 

「凄い眺めね……」

 

 美波が溜め息を吐くように感嘆の声をあげる。他の皆は薄く口を開け、壮大な景色に見入っていた。

 

 この岩山は島の内側を円状に囲うように連なり、尾根を形成しているようだ。今、僕たちが立っているのはその一角。見下ろすと尾根で囲われた中は窪地になっていて、その中央には針のように尖った山がひとつ聳え立っている。この光景はまるで中央が盛り上がった丸い容器――そう、ババロアを作る容器のようだった。

 

「この島ってカルデラ式だったんですね」

「んむ? 姫路よ、カルデラとは何じゃ?」

「こんな風に真ん中が窪んだ地形のことを言うんですよ。周りの輪っか状の山は外輪山(がいりんざん)って呼びますね。こういった地形は火山活動でできたものが多いみたいです」

「なるほどのぅ。ではあの真ん中の尖った山は火山ということかの?」

「それはどうでしょう……ここからだと良く見えないですけど、少なくとも火山には見えないですね」

 

 姫路さんの言うように僕にもあれが火山には見えない。ここからだと大きさは分からないけど、たぶん高層ビルくらいの高さだと思う。色は岩のような灰色をしているけど、形はまるで葉の落ちた枯れ枝のように細い。

 

「坂本、目的地は島の真ん中なのよね?」

「そうだ。つまりあの尖った岩山の辺りってことだな」

「じゃあ、あそこまで行けばウチら元の世界に帰れるのね!」

「そういうことだ。だが安心するのはまだ早そうだな」

「? どういうことよ」

「見てみろ。あの山の脇っ腹をな」

 

 雄二の言葉に従い、全員が目を凝らして中央の山を見つめる。

 

 ……

 

 なんだ? あれは……?

 

「…………神殿」

 

 小さく呟くムッツリーニ。僕はそれとまったく同じことを思った。見えたのは山から突き出した白く平らな屋根。そしてその屋根を支える数本の柱。それは以前、世界史の教科書で何度か見た”神殿”のような形をしていた。

 

「雄二、あれって……」

「あぁ。どう見ても人工物だ」

「それじゃ、あそこに誰かいるってことなんですか?」

「分からん。ただ、あそこに誰かがいたとしても、そいつは恐らく味方じゃないだろうな」

「なんじゃと!? 敵じゃと申すのか!」

「考えてみろ。俺たちの乗った魔導船は攻撃を受けただろ? いるとすれば恐らくその張本人だ」

 

 なんてことだ……やっとここまで辿り着いたのに、目的地で敵が待っているなんて……。

 

「ど、どうすんのさ雄二」

「状況次第だな。戦わずに済むならそれに越したことはない。元の世界への扉を開けてさっさと出てしまえばいいわけだからな」

「そう上手く行くかなぁ」

「ま、敵がいるにしてもいないにしても、俺たちの進む道はひとつしかねぇさ」

「それはそうなんだけどさ……」

 

 きっと魔人の言う”(あるじ)”があそこにいる。僕はそう直感していた。攻撃してくる存在なんて他に考えられなかったから。恐らくそいつはギルベイトよりも強い存在だろう。なにしろあのギルベイトが恐れているくらいなのだから。しかしギルベイトにあれだけ苦戦していた僕らがそんな奴に太刀打ちできるのだろうか。

 

「さ、行くぞ。足元に気をつけろよ。下りは登るより楽だが踏み外すと一気に転がり落ちるぞ」

 

 雄二を先頭に皆が道なき道を降りて行く。けれど僕は雄二の楽観的な発言に不安を隠しきれないでいた。

 

「アキ? 行くわよ」

「あ、う、うん」

 

 躊躇(ちゅうちょ)していてもしょうがない。誰が居ようとも元の世界に帰るにはあそこに行くしか無いのだから。僕は自分にそう言い聞かせ、歩き始めた。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 確かに下るのは楽だった。前を歩く美波はもちろん、後ろの姫路さんも問題なくついてきているようだった。もっとも、姫路さんの後ろには秀吉がついてくれているから特に心配はしていなかったのだけど。

 

 そうして30分ほど歩いた時だった。前を歩いているムッツリーニがキョロキョロと辺りを気にしていることに気付いたのは。

 

「ムッツリーニ? どうかした?」

「…………視線を感じた」

「雄二! ストップ! ムッツリーニが何かを感じたらしいよ!」

「なんだと? ムッツリーニ、どこだ!」

「…………分からない」

 

 ムッツリーニは目を鋭く光らせ、周囲に視線を走らせる。

 

「何なの土屋? 何かいるの?」

 

 不安げに美波が問う。しかしムッツリーニは答えず、黙って周囲に目を配っていた。僕も真似をして辺りを見てみる。だが灰色の山肌以外、何も見えない。

 

「…………気配が……消えた」

 

 ひとしきり見回した後、ムッツリーニが呟くように言った。

 

「あんた凄いわね……そんなことが分かっちゃうの?」

 

「…………なんとなく感じる」

「まるでレーダーみたいですね……どうやって身に付けたんですか?」

「…………自然と身に付いた」

 

 うん。なぜ身に付いたのかは問わないでおこう。

 

「警戒した方が良さそうだな。ムッツリーニ、最後尾を頼む。何か感じたらすぐ知らせてくれ」

「…………了解」

 

 ムッツリーニが移動し、最後尾に付く。これで僕らの隊列は雄二、霧島さん、美波、僕、姫路さん、秀吉、ムッツリーニの順になった。

 

 再び歩き始める僕ら。しかしこの数分後、急に白い霧のようなものが辺りに立ち込み始めた。霧は徐々に濃くなり、僕らの視界を奪っていく。しばらくすると先頭を歩く雄二の姿すら見づらいくらいにまで濃くなってきた。

 

「こいつぁマズいな……霧で視界が遮られちまう。下手をするとはぐれるぞ」

「……雄二、一旦止まろう」

「だな。皆! 一旦停止だ! 霧が少し晴れるのを待つぞ!」

「そうね。足元も見づらくて危ないものね」

「ちょっと休憩もしたかったし、ちょうどいいかもしれないね。ね、姫路さん」

 

 って……あれ?

 

「姫路さん?」

 

 後ろを振り向いて気付いた。すぐ後ろを歩いていた姫路さんと秀吉、それにムッツリーニの姿が無いのだ。

 

「ゆ……雄二! 大変だ! 姫路さんたちがいない!」

「なんだと? 少し遅れてるだけってことはないのか?」

「それが霧が濃くて良く見えなくて……とにかく探してくる!」

「待て明久!」

「なんだよ! まさか探しに行くなってのか!?」

「そうだ。今ここで探しに行けばお前まで迷子になる」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 姫路さんに何かあったらどうするんだよ!」

「落ち着けバカ。こんな時のためにムッツリーニに最後尾についてもらったんだろうが。俺たちは動かずにここで待つ。お前も座って落ちつけ」

「で、でも……!」

「アキ。坂本の言う通りよ。瑞希なら大丈夫。大人しく霧が晴れるのを待ちましょ」

「う、うん」

 

 本当に大丈夫なんだろうか……。

 

 この時、僕はなんだか嫌な予感がしていた。ゴールは目の前。そんな状況で罠が仕掛けられているゲームをいくつも見てきた。僕の経験ではとんでもない強敵が潜んでいることが多いのだ。

 

 姫路さんたちがいなくなったのはこうした敵の罠にかかってしまった可能性がある。仮にそうだとしたら、それは飛行艇を攻撃してきた張本人。つまり魔人たちの”(あるじ)”の仕業(しわざ)に違いない。

 

「ねぇ雄二、やっぱり探しに行こうよ。嫌な予感がするんだ」

「ダメだ。下手に動けば更に分断されて敵の思う壺だ」

「ぐ……」

 

 くそっ……こんな時に何もできないってのか。

 

 秀吉、ムッツリーニ、頼む。姫路さんを守ってくれ。

 



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第五十七話 復讐

―― その頃、霧の中ではぐれた瑞希たちは ――

 

 

「なんだか霧が濃くて前が見えなくなっちゃいましたね」

「むぅ……姫路よ、明久たちは見えておるか?」

「いえ、見えなくなっちゃいました」

「な、なんじゃと!? 姫路よ、止まるのじゃ!」

「えっ? は、はい」

 

 木下君に言われるがまま私は足を止めた。この時、私の辺りは既に真っ白になっていた。後ろの木下君の姿がかろうじて見える程度で、他はまるで雲の中にいるみたいに真っ白。

 

「しもうた……完全に見失うてしもうたわい」

「すみません。もっと早く言うべきでした……」

「仕方あるまい。ムッツリーニよ、明久たちのいる場所は分かるか?」

「…………俺にも分からない」

「むぅ。やはりこの霧が晴れぬ限り見えぬか」

 

 私たち3人は完全にはぐれてしまったみたい。でも目的地はこの山を下った先の神殿のような所。真っ直ぐ下れば良いはず。と思っていたのだけれど、今の足下は平坦で傾斜もない。これではどの方角を向いているのかまったく分からない。つまり私たちは迷子になってしまったのです。こんな時どうするか。それは決まってます。

 

「木下君、土屋君、霧が晴れるのを待ちましょう」

「そうじゃな。確かにこの霧では岩場を歩くのは危険じゃ。休憩するかの」

「はいっ、そうしましょう」

 

 私たちは近くの岩に腰かけ、休憩を取ることにした。周囲は先程よりも更に真っ白。こんなに濃い霧なんて見たことがない。

 

「それにしてもどうしてはぐれちゃったんでしょうね。私、明久君のすぐ後ろを歩いていたはずなんですけど……」

「ワシも明久の姿は見えておったのじゃが、霧が濃くなってからお主しか見えなくなってしもうた。てっきりお主には明久の姿が見えておるものとばかり思っておったのじゃが……」

「なんとかついて行けると思ったんですが……霧で前が見えなくなってきた時にすぐ声を掛けるべきでしたね。すみません……」

「まぁ過ぎたことをあれこれ言うても仕方あるまい。ワシも迂闊じゃった。目の前にゴールが見えておるゆえ、気が()いてしもうたのかもしれぬな」

「明久君たちは大丈夫でしょうか……」

「心配は無用じゃ。あやつらには雄二がついておるからな」

「そうですね。美波ちゃんや翔子ちゃんもいますもんね」

「なんじゃ? お主、明久だけを心配しておるのか?」

「ふぇっ!? そ、そんなことないですよ? もちろん皆のことが心配ですっ!」

「その中でも特に明久が、というわけじゃな」

「き、木下君っ!」

 

 もうっ! 土屋君の前で恥ずかしいじゃないですか!

 

「…………静かにしろ!」

 

 その時、割って入るように土屋君が大きな声を上げた。

 

「す、すみません騒いでしまって。そうですよね。はぐれてしまったのに不謹慎ですよね……」

「…………違う」

「えっ? 何が違うんですか?」

「…………誰かが来る」

 

 とても警戒した様子で霧の中を見つめる土屋君。でもその方向を見ても真っ白な霧が立ち込めるのみで、私には何も見えなかった。

 

「ワシには何も見えぬが……」

「私にも何も……土屋君には見えるんですか?」

「…………見えない」

「えっ? 見えないんですか? じゃあどうして誰か来るって分かるんですか?」

「…………気配だ」

 

 土屋君はそう言って真っ白な霧をじっと見据える。私ももう一度その方角を見てみたけれど、やっぱり何も見えないし、何も感じなかった。きっと忍者みたいな土屋君だからこそ私たちには分からない気配を感じ取ることができるのだと思う。

 

「きっと明久君たちですね。私たちを探しに来てくれたんですよ」

 

 私は立ち上がり、土屋君の見つめる方向に向かって叫んだ。

 

「明久く~ん! こっち――」

「待つのじゃ姫路」

 

 呼び掛けようとすると、木下君が私の顔の前にスッと手を出して制止した。

 

「どうしたんですか?」

「何か様子がおかしい。ムッツリーニよ、気配は明久たちのものか?」

「…………違う」

 

 明久君たちと違うって、それじゃあ一体誰が……?

 

(姫路、用心せい。雄二が言うておった敵対する意思やもしれぬ)

 

 木下君が小声で話しかけてくる。敵対する意思って……私たちを襲ってきたってことですか!?

 

(は、はいっ! わかりました!)

 

 私はすぐ動けるように身構え、土屋君の睨む先をじっと見つめた。でも敵対する意思って誰なの? どうして私たちに敵意を向けるの? そんなことを考えながら私は霧を見つめる。すると霧の中にひとつの人影がぼんやりと浮かび上がってきた。あの背の高さは坂本君のような気がする。

 

《ようやく分断できたと思ったのだが……余計なものが1匹混じっておるな》

 

 霧の中から聞こえてきたのは男性の声。坂本君じゃない。明久君とも違う。でも聞き覚えのある声。この声は……。

 

《まぁ良かろう。1匹程度、目的を果たす障害にもなるまい》

 

 声の(ぬし)を思い出すと胸がドキドキしてくる。もちろんその人に恋をしているからじゃない。このドキドキはとても嫌な感じの――恐怖の感情。

 

《久しいな。人間。確かヒメジと申したか》

 

 そんな言葉と共に1人の男性が霧の中から姿を現した。

 

「ルイス……さん……」

 

 私はその名を呼び、体中の筋肉を強ばらせる。なぜこの人がここに? 先日のあのホテルでの戦いで彼の身体は焼けただれているはず。それなのに涼しい顔をしているのはなぜ?

 

《違うと申したであろう。我が名はラーバ。ルイスとは人の世に紛れ込むための仮の名よ》

 

 首にベージュのマフラーを巻き、頭には緑色の帽子。彼は以前のように緑色の服を着ていた。肌もローゼスコートで見せたような青い肌ではなく、私たちと同じ肌色をしていた。

 

「お主……もう回復しよったのか……」

 

《フン。貴様ら人間とは出来が違うのだよ》

 

 彼はまたあの人間の姿をしていた。けれどあれは魔人。実験や研究と称して動物の命を(もてあそ)ぶ魔人。もう二度と会いたくは無かった。私はあの人の考え方を受け入れることができないから。

 

「…………ルイス……? ラーバ……? 別人??」

「そういえばムッツリーニには詳しく説明しておらなんだな。奴の――ルイスの正体は魔人だったのじゃ。あの洞窟で山羊が魔獣化しておったのはあやつの仕業じゃ。あやつは動物を魔獣化させて楽しんでおったのじゃ」

「…………そうか」

 

 木下君の説明を聞いて土屋君は冷静にそう答えた。ただ――

 

「…………アイちゃんを傷つけたのはお前か」

 

 土屋君は眉間にしわを寄せ、ギリッと歯を食いしばる。そして凄い形相で魔人ラーバを睨んだ。

 

 彼は普段あまり感情を(おもて)に出さない。明久君たちと遊んだり愛子ちゃんと話をしている時に表情は変化させるけれど、これほどまでに怒りの感情を顕にした彼を私は見たことがない。

 

《アイチャン? 何だ? それは》

 

 けれどあの人は仔山羊の名前すら覚えていなかった。ホテルで戦った時にあれだけ私たちが名前を呼んでいたというのに。つまり彼にとってアイちゃんは記憶にも残らない程度の存在であったのだろう。

 

 あんな仕打ちをしていながら罪悪感の欠片もない。記憶にも残していない。アイちゃんが一体何をしたというのか。何故か弱い仔山羊のアイちゃんがこんな人に弄ばれてしまったのか。そう思ったら急に目頭が熱くなってきてしまった。それと同時に強い怒りの感情が溢れてきてしまった。

 

「……それよりご用件はなんですか。私に用があるんですよね」

 

 ぐっと涙を堪え、心を静めて私は彼に問う。けれど言った直後、しまったと思った。このような冷たい言葉を投げかければ彼も反発するに決まっている。

 

《フ……》

 

 ところが彼は怒らなかった。それどころかニヤリと口元に笑みを浮かべた。それはまるで私が冷たい態度を示すのを(よろこ)んでいるかのようだった。

 

《今日この場に来たのは他でもない。我の造りし生命(いのち)の素晴らしさをご覧に入れようと思うてな》

 

 彼は青い目で、冷たく凍りつくような視線を私たちに向ける。口元に僅かに笑みを浮かべ、その表情には自信に満ちていた。

 

「まさか……また生き物を改造したんですか!」

 

《実は(あるじ)より知識を(たまわ)ってな。なかなか興味深いものであったぞ。フフフ……》

 

 彼を笑いながら得意げに話す。私の質問に答える気は無いみたい。なんて失礼な人だろう。さすがに私もムッと来てしまい、彼をキッと睨み付けた。その時気付いた。彼の後ろから近付いてくる巨大な影に。影はズシンズシンと足音をたてながら白い霧の中をゆっくりと近付いてくる。

 

《さぁ見るがいい! 我が研究の成果を!》

 

 魔人ラーバが語気を強めて言う。すると霧の中から、ぬぅっと1匹の獣が顔を出した。それはとても巨大で、彼の身長の3倍はあるように見えた。

 

「なっ……! なんじゃ!? こやつは!?」

 

 木下君は巨大な影を見上げ、目を丸くして驚きの声をあげる。私は驚きのあまり声をあげることすらできなかった。まさかこんな生き物が存在しているなんて……。

 

「…………キマイラ」

 

 巨大な生き物を見上げながら土屋君がボソリと呟いた。その名前は以前、明久君から聞いたことがある。確か山羊の身体にライオンの頭を持ち、毒蛇の尻尾を持った合成生物だと言っていた。(おも)にゲーム上の敵モンスターとして現れ、様々な攻撃を仕掛けてくるのだという。土屋君がその名前を口にしたということは、じゃあこの獣は……。

 

《ほう? こやつのことを知っておるのか人間。ならばこれが如何(いか)に素晴らしい生命体か理解できるであろう?》

 

 彼が行なったのは生物の合成。きっと魔石を使って複数の生き物を無理やり合成したに違いない。アイちゃんを魔獣化した時のように。それを悟った時、私の胸の中に激しい嫌悪感が沸き上がってきた。あのホテルでの一件の時のよう――いえ、それ以上に。

 

「なっ……なんてことをするんですか!! 命はあなたの玩具(おもちゃ)なんかじゃありません! 早くその子たちを元に戻しなさい!!」

 

(たわ)けたことを抜かすな! 貴様にはこの素晴らしさが分からぬのか! こやつはこれまでの研究の中でも類を見ぬ傑作ぞ! 見よ! 3種の生命が見事に融合しておるわ! これほどの完成度は環形動物(かんけいどうぶつ)の実験体以来であるぞ!》

 

 環形動物? それってミミズのような……? と思った瞬間、砂漠でのあの巨大なミミズを思い出してしまい、全身にゾゾゾと悪寒が走ってしまった。

 

「姫路よ、か、カンケイ動物とは、何じゃ……?」

 

 木下君はこの単語が指すものが分からないみたい。やっぱり答えなくちゃダメですよね……。

 

「あの、それは……その……みっ、ミミズ……とか、ヒル……とか……」

 

 あぁっ! やっぱりダメっ! 口にしただけでも鳥肌が立ってきてしまう!

 

 思い出すと酷い寒気に襲われ、身体が震えてしまう。私はガタガタと震える自分の身体を両手で抱くように押さえ、しゃがみこんでしまった。

 

「す、すまぬ。お主の苦手なものじゃったか。忘れてくれ」

「は……はい……」

「む? ミミズの魔獣……じゃと? ……そうか。ワシらが倒した砂漠のサンドワームのことじゃな? こやつ、一体どれだけの魔獣を作り出しておるのじゃ……」

 

《うむ? あの実験体のことも知っておるのか?》

 

「そうじゃ! あれがおっては砂漠を横断できぬ! 故に排除したのじゃ!」

 

《そうか。あれが姿を消したのは貴様らの仕業か。……そうかそうか……まったく……》

 

 魔人はそこで言葉を切り、黙り込んでしまった。目を瞑り、俯いて体をプルプルと震わせる魔人。その様子は何かを我慢しているようにも見えた。そして次に発した言葉はこれまでの冷たい口調とは打って変わり、感情に溢れていた。

 

《一体どこまで我の邪魔をすれば気が済むのだ! 人間!! 我の作品を次から次へと(ほふ)りよって! もはや我慢ならん! 貴様ら全員この場で始末してくれるわ! 二度と邪魔の出来ぬようになァ!!》

 

 彼は眉間にしわを寄せ、尖った歯を剥き出して怒りを顕にする。

 

「それはこっちの台詞じゃ! お主はなぜ魔獣を作る! なぜ人間を襲わせるのじゃ!」

 

《研究だと言うておろう! より強い生命体を造り出すことの悦びが何故分からぬ!!》

 

「命はお主の遊び道具などではない! 己の欲望のために生命を弄ぶなど以ての外じゃ!」

 

《えぇい(わずら)わしい! やはり貴様ら人間には我の崇高な研究など理解できぬか!》

 

「何が崇高か! 勘違いも(はなは)だしい! お主の行為は外道と申すのじゃ!」

 

 魔人と木下君が激しく言い合う。私はその会話に入り込むことができず、横でただ息を呑んで聞いていた。

 

《戯れ言を申すな! えぇい! 腹立たしい! もはや問答無用! そもそも貴様らを分断したのは先日受けた我が傷の礼をするためなのだからな!!》

 

 魔人ラーバが遊牧民風の服をバッと脱ぎ捨てる。服の下から現れたのは青い色をした筋骨隆々の身体。竜のような翼を背負い、頭には天を指すように伸びた2本の角。まるで悪魔のような容姿。ローゼスコートで見たあの姿そのままだった。

 

「…………試獣装着(サモン)

 

 その時、いち早く召喚獣を呼び出す者がいた。土屋君だった。

 

「どれだけ言うても無駄のようじゃな」

 

 木下君はひとつ溜め息を吐くと、キッを顔を引き締める。

 

「――試獣装着(サモン)!」

 

 そして召喚獣を装着し、薙刀をビュッと振り下ろし、下段に構えた。

 

「姫路よ、ここはワシらに任せい」

 

 木下君はそう言うと私を庇うように前に出た。私が魔人を恐れていると思って気を使ってくれているのだろう。魔人の力は一度戦って理解している。その力は強大で、試獣装着した私でも勝てないことも分かっている。

 

 でも、私は――

 

「――試獣装着(サモン)!」

 

 私は右手を天に掲げ、召喚獣を()び出す。かけ声と共に足元に現れる幾何学模様。そこから溢れ出す光に包まれ、私は大剣を携えた騎士に姿を転じた。

 

「姫路、お主……」

「私も……戦います!」

 

 腰の大剣をスラリと抜き、切っ先を魔人に向けて両手で構える。

 

 私だって以前のように怯えてばかりじゃない。彼を止めないとまた多くの命が玩具にされてしまう。私は彼を止めたい。たとえ1人では敵わなくても3人で力を合わせれば、きっと止められる! いえ。止めてみせます!

 



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第五十八話 霧の中の死闘

 魔人ラーバは不気味な青い顔で牙をむき出し、フーッフーッと荒く息を吐く。今にも襲いかかってきそうな雰囲気だった。一瞬の判断の誤りが命取りになる。私は剣を持つ手にぐっと力を込め、いつでも動けるように身構えた。

 

「……決意は変わらぬようじゃな。分かった。お主の意思を尊重しよう。じゃが絶対に無理をするでないぞ」

「はいっ! 分かってます!」

 

 きっと魔人はあの大きな魔獣を使って攻撃してくる。ただでさえ強い魔人に加え、あんな魔獣も相手にしなければならないとなれば苦戦は必至。ちゃんと作戦を考えないと、きっと3人がかりでも勝てない。

 

 魔人の動きがとても早いことは身をもって知っている。たとえ召喚獣の力があったとしても動きの遅い私では守ることで精一杯だと思う。それに魔人は私の腕輪の力を知っている。きっと私を集中的に狙ってくるに違いない。だったら考えられる作戦はひとつ。私が囮になればいい。

 

「木下君、私が――」

「お主はあの魔獣を頼む」

「えっ? あの、でも私……」

「ラーバの奴めはワシとムッツリーニで抑える。その間に魔獣を地に還してやるのじゃ。今のお主ならばあの程度の魔獣など恐るるに足りぬじゃろう」

「そ、そんな危険な役を木下君や土屋君にお任せするなんてできません!」

「危険だからこそワシらがやるのじゃ。お主にもしものことがあれば明久に申し開きできぬからな」

 

 木下君はそう言って微笑む。気遣いは嬉しい。でも状況からして一番の足手まといは私。だから囮なら私が一番適任だと思っているのだけど……。

 

「そのような顔をするでない。安心せい。遅れは取らぬ。じゃがお主が手間取っているとどうなるか分からぬ。早めに決着をつけるのじゃぞ」

 

 木下君の目は本気だった。強い決意と優しさの入り交じった不思議な目だった。

 

 ――信頼してくれている。

 

 彼の目を見た時、私はそう感じた。

 

「……分かりました」

 

 私は大きな剣を両手で構え、魔人の後ろに聳え立つ魔獣を見据える。魔獣は「グルル……」と唸り声をあげ、白く濁った目で私たちを睨んでいる。

 

 ……まずは魔獣を引き離さないと。私が動けば魔人はこちらを追ってくるだろうか。それとも意表を突いて木下君を狙ってくる? どちらにしても初対面の土屋君を狙ってくることはないと思う。だとしたら、まず土屋君に動いてもらって……と思考を巡らせていると、魔人はキマイラに対して意外な指示を出した。

 

《こやつらは我が相手をする。お前は下がって”あやかし”を吐き続けるのだ》

 

 魔獣はコクリと頷くような仕草をすると、スゥッっと霧の中へと消えていった。あの人……1人で私たち3人を相手にするつもり?

 

「ワシらもずいぶんと甘く見られたものじゃな」

「…………好都合」

 

 3対1で戦おうとするなんて、余程自信があるのだろう。私たちは彼と一度戦い、不意を突いたとはいえ撃退している。それに加えて今回は土屋君もいるのだから当然私たちが優位であるはず。なのに何故あんなにも余裕を見せているのか。何か嫌な予感がする。あの魔人が自ら不利な状況を選ぶなんて考えられない。何か裏があるような気がする。

 

《さぁ! 始めようかァ!》

 

 魔人は嬉々とした声で言うと、私たちの目の前で忽然と姿を消した。

 

「しもうた! 霧に紛れよったか!」

「…………あやかしの霧」

「っ……! そうか、明久たちとはぐれたのもあの魔獣の仕業というわけじゃな。やってくれるわい……」

 

《――――ククク……だから言ったであろう? 類を見ぬほどの傑作とな――――》

 

 どこからともなく魔人の声が聞こえてくる。けれど姿は見えない。真っ白な霧で視界を遮られ、声も反響していて右なのか左なのかも分からない。土屋君も木下君にも分からないようで、2人とも私と同じようにキョロキョロと魔人の姿を追っていた。

 

「…………うっ!」

 

 突然後ろからそんな声が聞こえたかと思うと、ガキンと金属のぶつかり合うような音が聞こえてきた。

 

「つ、土屋君!?」

「…………問題ない」

「今の、魔人の攻撃ですか?」

「…………そうだ」

「今行きます!」

「…………いや。また隠れた」

「そ、そんな――」

「むっ!?」

 

 今度は木下君が声をあげた。振り向くとシュッと黒い影が横切るのが見えた。

 

「おのれっ!」

 

 ブンッと大きく薙刀を振る木下君。けれどその刃は空を切っていた。

 

「くっ……どこじゃ! どこへ行きよった!」

 

 木下君が叫ぶも当然ながら返事は無い。いけない……2人とも魔人の攻撃に翻弄されている。最大の要因は霧のせいで視界が悪く、相手の位置が特定できないこと。このままでは私もいつ攻撃されるか――っ!?

 

 突如として黒くて尖った物がニュッと目の前に現れた。私は反応しきれず、驚きと恐怖で思わず強く目を瞑ってしまった。

 

 ……やられる!

 

 そう思った瞬間、

 

 ――ギィンッ!

 

 けたたましいと感じるくらいの金属音が鼓膜を震えさせた。

 

 …………

 

 …………?

 

「……えっ?」

 

 貫かれているのなら身体のどこかに痛みがあるはず。でもそのような痛みはどこにも無い。不思議に思った私は恐る恐る目を開けてみた。すると目の前には黒装束に身を包んだ土屋君の後ろ姿があった。彼は小太刀を逆手に持ち、枝のように伸びた黒い爪をその刃で受け止めていた。

 

《――――チッ。小賢しい――――》

 

 呻くような声が聞こえ、黒い影が土屋君の前から消えた。

 

「…………加速(アクセル)

 

 直後、土屋君がそう呟いたかと思うと私の前からシュッと姿を消した。あまりの展開の速さに目と頭が追いつかない。私はただ呆然とその様子を見守ることしかできなかった。

 

「姫路よ! 無事か!」

 

 そうしていると木下君が駆けてきて声をかけてくれた。私はハッと我に返り、再び両手で剣を構えなおした。

 

「どうやら無事のようじゃな。姫路よ、この霧では至近距離しか見えぬ。分散して戦っては不利じゃ。背を合わせるのじゃ」

「は、はいっ!」

 

 木下君が私の後ろで背を向けて立つ。魔人のあの速さとこの濃い霧では動きを目で追うのは厳しい。頼れるのは耳から入ってくる音。それと肌で感じる空気の動き。私は全神経を集中させ、耳を澄ませた。

 

「「……」」

 

 背中合わせの木下君も動く気配が無い。私と同じように耳を澄ませて警戒しているみたい。

 

  キンッ――キンッ――キィンッ――

 

 遠くの方で音が聞こえる。それは金属同士がぶつかり合うような音だった。土屋君が魔人と刃を交えているのだと思う。けれどその音はトンネルの中で聞いているかのように反響していて、その方角を見極めるのは困難だった。

 

「どうやらこの霧、視覚のみならず聴覚までもあやかすようじゃな」

「……そうみたいですね」

「この状態で奴に対抗できるのはムッツリーニだけのようじゃ。ならばワシらはワシらにできることをやるぞい」

「私たちにできること……ですか?」

「んむ。この霧を打ち払うのじゃ。さすればワシらも奴の姿を捉えることもできよう」

「そうですね! でも霧を打ち払うって、どうすればいいんでしょう?」

 

 美波ちゃんのような風を操る力があれば霧を吹き飛ばすことができるかもしれない。でも私も木下君もそんな力は持っていない。息を吹き掛けたり扇いだりするくらいじゃこの霧は晴れないと思う。

 

「先程奴が言っておったじゃろう? ”お前は下がってあやかしを出し続けるのだ”、とな」

「あっ! 魔獣ですね!」

「そういうことじゃ。霧の発生源である魔獣を倒せば視界も晴れるじゃろう。姫路よ、魔獣の位置は分かるか?」

 

 私には土屋君のように気配で魔獣の存在を感じることはできない。だから記憶に頼るしかない。魔獣があの時の位置から動いていないとすれば、たぶん――

 

「あっちだと思います!」

 

 私は先程腰かけていた岩を基準に記憶を辿り、魔人と対峙した際の方向を指差した。

 

「さすがお主は記憶力があるな。ムッツリーニよ! しばし頼む! ワシらはこの霧をなんとかする!」

 

『…………分かった』

 

 土屋君の声も反響していて、どこから聞こえてくるのか分からない。でも意思は伝わったみたい。

 

「では行くぞい!」

「はいっ!」

 

 私たちは魔獣がいるであろう場所に向かって走り出す。するとすぐに霧の中から低い声が響いてきた。

 

《――――やらせんぞ――――》

 

 それと共に、ぬぅっと青い身体が霧の中から姿を現した。止むなく立ち止まり、私たちは魔人と対峙する。この霧は魔人が戦いを有利に進めるために魔獣に作らせているもの。今の話を聞いて私たちを阻止しようとするのは当然だった。

 

《――ッ!》

 

 私たちが身構えると何かに感づいたのか、魔人はその場からパッと飛び退いた。するとすぐさまそこに黒装束の忍者が降り立った。

 

「…………行け」

 

 土屋君は私たちに目も向けずにそう言うとシュッと姿を消した。なんだか忍者ものの時代劇を見ているみたい……。

 

「奴はムッツリーニが抑えてくれる。ワシらは魔獣を討つぞい」

「は、はいっ!」

 

 

 

      ☆

 

 

 

 それから魔人が私たちを追って来ることはなかった。きっと土屋君が抑え込んでくれているのだと思う。

 

 試召戦争の時、土屋君はいつも隠密行動を取っていた。だからこうして戦う姿を見ることはほとんどない。でも今日、私は知った。土屋君が動物好きで情に厚く、そして強いことを。

 

「このまま真っ直ぐのはずです」

「急に襲ってくるやもしれぬ。十分注意するのじゃぞ」

「はいっ」

 

 私たちは先程の魔獣を探した。白い空間を慎重に、警戒しながら歩き、魔獣が姿を消した地点を目指した。

 

「――っ! 木下君、いました」

 

 魔獣キマイラは真っ白な霧の中で足を畳み、静かに座っていた。それはまるで主人の言いつけを守り”伏せ”をしている犬のようであった。ただし、その姿は高さ8メートルほどもある怪物。ライオンの顔を付け、山羊の身体に蛇の尻尾を持つ怪物だった。よく見れば背中には山羊の頭も付いていて、その口からは白い霧が止めども無く吐き出されている。

 

「どうやら襲ってくる様子はないようじゃな」

「そうみたいですね。それに霧はあの上の頭が吐き出しているみたいです」

「よし、ではこやつを倒すぞい」

「……やっぱり倒すんですね」

 

 私は躊躇(ためら)った。この子たちは魔人に勝手に身体を改造されてしまった可哀想な動物たち。確かに姿は異形の怪物だけど、だからといって私たちが命を奪っていい理由にはならない。

 

 でもこの子を止めなければ魔人と戦っている土屋君が危ない。でも……私は……私は……どうしたらいいの……?

 

「お主、この魔獣を気の毒に思うておるのじゃな」

「えっ……?」

 

 木下君の思わぬ発言に私は驚く。隣では優しい目をした木下君が微笑んでいた。

 

「図星のようじゃな」

「いえ! そんなことは……!」

「誤魔化さずともよい。誰も責めはせぬ」

「……すみません……」

「お主は優しいな。じゃがこやつを放っておけば他の魔獣のように人を襲うやもしれぬ。放っておくわけにはいかぬのじゃ」

「それは……そうなんですけど……」

「こやつも恐らくは屍より作られた魔獣じゃ。あの目を見てみぃ」

 

 木下君がそう言ってライオンの顔を指差す。その指が指す先には、人間なんてひと呑みにできそうなくらいに大きな顔があった。魔獣は大きな目を見開いたまま、私たちがこうして目の前で会話をしていてもまるで反応を示さない。

 

「目があれほど白く濁っておるのは死んでおる証拠じゃ」

「……」

「雄二も言うておったじゃろ。このように無理やり生かされておる方が気の毒じゃ。地に還してやるべきなのじゃ」

「……そう……ですね……」

 

 気が進まなかった。これまでも魔獣とは何度か戦ってきた。その度に考えていた。人間を襲うのを止めてもらう方法はないのかな……と。でも答えは出なかった。

 

 坂本君が言うには、魔獣とは動物の死骸に魔石の力で再び命を吹き込まれたもの。知能は無く、植え付けられた本能で動くゾンビのようなものだと言う。だから言葉はもちろん、思いなど通じないのだと。

 

「……分かりました」

 

 私は大剣を真っ向に構え、魔獣を見つめる。すると魔獣は私に気付いたのか、首を動かすこともなく、ギロリと視線のみを下ろした。その額には赤く大きな宝石のようなものが輝いている。あれを破壊すれば魔獣は活動を停止するはず。そう、あのマトーヤ山の山羊のように。

 

 ……やはり気が進まない。でも……やらなくちゃいけない!

 

「ごめんなさいっ……!」

 

 意を決し、私はライオンの顔に向かって飛び上がる。そして空中で剣を逆手に持ち替え、振りかぶると、

 

《ガオォン!》

 

 魔獣は突然ガバッ起き上がり、雄叫びをあげた。そして片方の前足を振り上げ、私を払い落とそうとする。それはまるでハエでも落とすかのような仕草だった。

 

「あ……っ!?」

 

 空中にいた私はどうすることもできず、身体を硬直させることしかできない。

 

幻惑の光(イリュージョン)ッ!」

 

 その時、木下君の叫びにも似た声が聞こえた。直後、魔獣は前足を掲げたままピタッと動きを止めた。

 

 一瞬、何が起ったのか分からなかった。けれどすぐに木下君が動きを止めてくれたのだと理解し、私は構えた剣を眉間の魔石めがけて突き下ろした。

 

「やぁぁーーっ!!」

 

 ――ガシッ!

 

 剣の切っ先が魔石を捕らえた。赤い魔石はパリンと音を立て、砕ける。

 

「ごめんね……助けられなくて……」

 

 謝罪の言葉を残し、私は剣から手を放して地面に降り立つ。そして前髪で顔を隠し、更に両手で顔を覆った。涙を見られないように。

 

 ……悲しい。もうこんなこと終わりにしたい。

 

《……グ……グル……ゥ……ゥ…………》

 

 魔獣はぐぐっと天を仰ぎ、苦しそうに呻いた。その声は「ありがとう」と言っているようにも聞こえた。私がその言葉を望んでいたからそう聞こえたのかもしれない。

 

「危ういところであったな。姫路」

 

 木下君が駆け寄り、声をかけてくれる。でも私は返事をすることができなかった。声を出せば泣いているのがばれてしまうから。

 

「姫路……辛い役を押しつけてしまったな。すまぬ」

「……いえ」

 

 魔獣の身体は徐々に崩れていき、煙となって消えていく。私は涙を袖で拭い、空を見上げた。

 

 黒い煙は気泡となり、白い霧の中をゆらゆらと登っていく。その光景はとても綺麗で……とても悲しく私の胸に刻まれていった。

 

「……姫路よ」

「……はい」

「決着をつけに行くぞい。もうこのような悲劇を生まぬためにな」

「……はいっ!」

 

 周囲にはまだ白い霧が充満している。でも僅かながら薄れてきたような気もする。しばらくすれば周囲の様子も見えるようになってくると思う。

 

 

 私は木下君と共に魔人と戦う土屋君の元へと急いだ。

 



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第五十九話 果てなき探究心

「ムッツリーニよ! 無事か!」

 

 土屋君の戦っていた場所に戻ると、彼は魔人と対峙して睨み合っていた。見たところ怪我をしている様子はない。間に合ってよかった……でもかなり息が上がっているみたい。

 

「ムッツリーニよ! 魔獣は倒したぞい!」

「…………遅いぞ」

「すまぬ! 少々手間取ったのじゃ!」

 

 その時、魔人ラーバがピクッと身体を震わせた。

 

《き……貴様ら……またも貴重な実験体を……!》

 

 魔人は真っ赤な目を見開き、ぐぐっと首をこちらに向ける。

 

《ゆ、許さん……許さんぞ貴様らァァ!!》

 

 ガァッと牙を見せるように口を開けて怒りを身体全体で示す魔人。最初は説得できるかと思っていた。けれどあの様子では、もはや聞く耳は持っていないと思う。やっぱり戦うしかない。もう魔獣を生み出させないためにも!

 

「ラーバよ! お主の負けじゃ! ワシら3人を相手に勝てると思うておるのか!」

 

《笑止! 貴様らなど何人集まろうが我の足下にも及ばぬわ!!》

 

「強がりを言うでない! もうやめるのじゃ! 魔獣を作ることもやめるのじゃ!」

 

《魔獣を作るなァ? ハッハッハッ! 何を言うかと思えば! そのような戯れ言を我が受け入れるとでも思ったか!》

 

「聞かぬと申すか! ならばワシらも容赦はせぬぞ!」

 

《人間風情が粋がるでないわ!! 容赦しなければどうだというのだ! やれるものならやってみるがいい! 返り討ちにしてくれる!!》

 

 魔人ラーバは牙を剥き出し、怒りを顕にする。やっぱり話し合いには応じてくれないんですね……。

 

 私はやむなく剣を抜き両手で握る。木下君も薙刀を構え、魔人をキッと睨み付けた。魔人も両手の長く鋭い爪を不気味にうごめかし身構える。3対1。分は私たちにある。でも油断はできない。前回は私と木下君の2人がかりでも追い払うのがやっとだったのだから。

 

 

『『『……………………』』』

 

 

 魔人も私たちの出方を伺っている。互いに互いを警戒し、静寂が辺りを包み込んだ。

 

 ――カラ……

 

 その時、小石が転がる音が小さく響いた。それとほぼ同時に土屋君の姿が消えた。

 

《邪魔だ!!》

 

 ――パキィン!

 

 魔人が爪で何かをなぎ払うのが見えた。気付くと魔人の右脇に土屋君の姿があった。彼は驚いた表情をしながら身を仰け反らせていた。

 

「つ、土屋君!?」

 

 土屋君の右手には小太刀が握られている。けれどそこに(やいば)は無く、焦げ茶色の柄だけが残されていた。一瞬の出来事で私の目には何も映らなかった。でも状況から推測することはできる。土屋君が先手を取って攻撃したのだと思う。しかし攻撃は弾かれ、魔人の鋭い爪によって土屋君の小太刀は砕かれてしまった。たぶんそういうことなのだと思う。

 

「…………く……刀が……」

 

 ガクリと岩場に片ひざを突き、土屋君が小さく呟いた。その彼の右腕をツゥッと赤い血が伝って落ちていく。

 

「土屋君! 離れてください!」

「…………!」

 

《ッッしャァ!》

 

 魔人がすくい上げるように爪を振り上げる。その瞬間、土屋君はサッと後ろに飛び退いた。くるりと空中で一回転し着地する土屋君。トッと華麗に降り立ったものの、彼は右腕を押さえながら再び膝をついてしまう。もしかして右腕に傷を負ってしまったの!?

 

《手こずらせよって。貴様は後でゆっくり始末してやる。まずは我の大事な実験体を台なしにした貴様らだ!》

 

 魔人はギラギラした赤い目を見開き、私たちを睨みつける。その異様な殺意に地獄のような冷たさを感じ、背筋が凍るような感覚に襲われてしまう。

 

「姫路よ。やれるな?」

 

 そんな私の心境を察してか、木下君が声を掛けてきた。ここで恐がっている場合じゃない。皆で元の世界に帰るんだから!

 

「はい! やれます!」

 

 恐怖を振り払い、私はお腹に力を込めて言う。

 

《あァ? やれます、だァ? …………舐めるなよ……人間の分際でェ!!》

 

 魔人がいきり立ち、真っ直ぐ私に向かって突進してくる。しかしホテルで戦った時ほどの勢いは無いように感じた。土屋君と戦って疲弊しているのだろうか。そんなことを考える余裕すらあった。

 

「来るぞい!」

「はいっ!」

 

 魔人の身長は約2メートル。高い身長に比例して腕も長い。でも爪の長さを足したとしても私の剣の方が長い。だからタイミングさえ合えば――

 

「やっ!」

 

 横一線に剣を振り、カウンターを狙う。しかし魔人はひょいと身体を横に反らし、これを簡単にかわしてしまった。そして私の剣が振り抜かれたところを見計らって再び爪を突き向けてくる。大振りし過ぎた私はすぐには体勢を整えられなかった。

 

「姫路!」

 

 そこへ木下君が薙刀を割り込ませる。魔人はそれを素早く避け、後方転回(バクてん)して距離を取る。隙を見た私は剣を肩に担ぐように構え、彼の着地点を狙って突進した。そして剣の切っ先が届くくらいの間合いで勢いよく振り下ろす。けれど魔人はニィッと笑みを浮かべ、これをいとも簡単に避けてしまう。

 

「逃さぬ!」

 

 今度は木下君が私の横を風のように駆け抜け、魔人に向かっていく。そして槍のように薙刀を何度も突き出す。ところが魔人はそれを”ひょうひょう”といった感じでかわしていた。

 

 やっぱり私の大剣や木下君の薙刀じゃ当らない。土屋君と戦って疲れているみたいだけれど、それでも私たちの攻撃では遅すぎるみたい。つまりそれほどまでに実力に差があるということ。でも土屋君は傷を負ってしまって動けない。こんな時はどうすればいいの……?

 

「あやつ、やはり早い……」

 

 考え込んでいると木下君が横に戻ってきた。

 

「やっぱり土屋君の力がいりますね」

「じゃがムッツリーニは負傷しておる。その上武器も(うしの)うておっては戦えまい」

「そうですよね……」

 

 土屋君が魔人に対抗できるといっても、負傷した彼を戦わせるなんてできない。今自分たちにできることを考えなくちゃ。明久君や坂本君のように状況を判断して作戦を立てなくちゃ。そう思って懸命に策を煉ってみたものの、こういった経験の薄い私には思いつく策は無かった。

 

 ――ひとつを除いて。

 

(木下君、やっぱり私の腕輪を使うしかないと思うんです)

 

 私は小声で話しかける。すると木下君も同じように小さな声で返してくれた。

 

(じゃが前回あやつはそれで痛い目を見ておる。当然お主を警戒しておるじゃろう)

(やっぱりそうでしょうか……)

(んむ。さすがに同じ策が2度も通用するとも思え――――しばし待て)

 

 話していると急に木下君が私を制止した。何だろう? と見ていると、その視線が魔人の方に向けられていることに気付いた。魔人に何かを見つけたのかしら? と私も同じように魔人に目を向けてみる。

 

 真っ青な身体をした魔人は腕をぐるぐる回したり、肩をコキコキと鳴らしたりしている。私たちをあざ笑うかのように。でも木下君の視線は魔人ではなく、もっと先に向けられているようだった。魔人の向こう側にあるもの。それは――

 

(木下君、土屋君が……)

 

 魔人の後方で(うずくま)るのは土屋君だった。彼はしきりに自分の胸を指差すような仕草を見せている。それが私たちに対してのサインであることは木下君の顔を見てすぐに分かった。

 

(姫路よ。気付いたか)

(はい)

(さすがムッツリーニじゃな)

(そうですね。しっかり弱点を見つけていたなんて、やっぱり土屋君は凄いです)

 

 土屋君の示していたもの。それは魔人の弱点。激しく動き回るので今まで気付かなかったけれど、よく見ると魔人の鳩尾には黒くて小さい、魔石のようなものが埋まっている。魔獣が魔石で作られていることを考えれば、あれがまったくの無関係とも思えない。きっと弱点かそれに近い何かに違いない。

 

(やはりあの作戦で行くぞい)

(はいっ!)

(じゃが少々アレンジする。良いな?)

(アレンジですか?)

(前回同様、ワシが奴に隙を作る。お主は腕輪の力で撃つのじゃ。恐らく奴はかわすじゃろう。そこを突いてワシが胸のアレを破壊する)

(わかりました!)

(良い返事じゃ)

 

「姫路よ、お主はそこで休んでおれ!」

 

 木下君が急に大声を出す。もう作戦は始まってるんですね。

 

「は、はい……」

 

 私はわざと精魂尽き果てたような声を出す。

 

「木下秀吉、参るッ!!」

 

 木下君が荒っぽく薙刀を振り回しながら魔人に突っ込む。私は剣を地面に突き刺し、両膝を突いて柄に掴まるような仕草をしてみせた。それは疲れ果て、立ち上がることも困難な状態と見せかけるため。木下君と示し合わせた作戦を遂行するため。

 

(木下君……しばらくお願いします)

 

 腕輪の力は連発できない。ホテルの時と同じようにチャンスは一度と思った方がいい。私は剣の(つば)に左腕を乗せ狙いを定める。けれど魔人は激しく動き回り、うまく狙いを定めることができない。

 

 お願い……一瞬でいいから動きを止めて……! 私は祈るような気持ちで木下君の戦いを見守った。魔人は木下君の攻撃を軽々とかわしている。木下君はそれでも構わず薙刀を振り回し続けた。右へ、左へ、激しく位置を変える魔人と木下君。

 

「うっ……!」

 

 その時、木下君が大きく体勢を崩した。もしかして石に足を取られた!? ……ううん、違う。木下君が目でサインを送っている。

 

 撃て、と。

 

 つまり今のは足を取られたのではなく、魔人に隙を作るための演技!

 

《隙だらけだぞ人間!》

 

 魔人ラーバは木下君に襲いかかる。今なら彼の意識は木下君に集中している。撃つなら今しかない!

 

「――熱線(ブラスト)ッ!」

 

 左腕の腕輪が激しく輝き、開いた手から光が真っ直ぐ魔人に向かって突き進む。当たれば木下君が攻撃するための大きな隙を作れる。もし外れたとしても――――

 

《甘いわ!》

 

 魔人はサッと横に飛び、熱線を避けた。外された! ――――でも!

 

「はぁぁっ!!」

 

 降り立った所へ木下君が一気に詰め寄り、薙刀を突き出す。お願い! 当たって! 私は祈るような気持ちで木下君の(やいば)の行方を見守る。しかしその祈りは天に届かなかった。

 

「なっ!? 何じゃと!?」

 

 木下君が目を丸くして驚いている。魔人は体勢を崩していたし、今のタイミングなら当たると私も思っていた。けれど薙刀の切っ先が触れようかという瞬間、魔人が忽然と姿を消したのです。

 

「ど、どこじゃ! どこへ消えよった!?」

 

 私は木下君と一緒になって魔人の姿を探す。右、左、後ろにもその姿は無い。撤退した? そんなはずは……。

 

《フハハハ! どこを見ている!》

 

 その時、上空からゾッとするような声が聞こえてきた。恐る恐る見上げると、10メートルほど上空で魔人が宙に浮いているのが見えた。……違う。翼を羽ばたかせて……飛んでいる?

 

 そういえば明久君も言っていた。「魔人が空を飛んで不意を突かれた」と。あの翼は飾りではない。完全に忘れていました……。

 

《惜しかったな人間! 切り札は最後に取っておくものだよ!》

 

「く……お、おのれ……」

 

 木下君がギリッと音が聞こえてきそうなくらいに歯を食い縛り、上空を睨みつける。私たちには空を飛ぶなんてできない。これじゃ私たちに勝ち目は……。

 

 と諦めかけた時、木下君の口元が緩んだことに気付いた。なぜこの状況で笑っていられるの? この時、私は木下君が”諦めた”という意味の笑みを浮かべたものと勘違いしていた。でもそれは違っていた。

 

『…………同感』

 

 どこからか土屋君の声が聞こえる。でも先程彼が蹲っていた場所にその姿はなかった。一体どこに? と彼の姿を探していると、

 

《な、何ィ!? き、貴様! いつの間に!?》

 

 上空の魔人が何かに驚いた。見上げてみると、魔人の肩口に黒い影が見えた。あれは……!

 

「土屋君!?」

 

 なんと魔人の背に土屋君が乗っていた。いつの間にあんな所に……。そう思って見ているうちに土屋君は魔人の背に小太刀を突き立た。

 

《き、貴様! 何を!? は、放せこいつッ!》

 

 じたばたと空中でもがく魔人。けれど土屋君は翼をしっかりと握り、どんなに揺すぶられても放さなかった。そうしているうちに土屋君は(やいば)を握る手に力を込め、バリッと背中の片翼を剥ぎ取る。

 

《ギヤァァァァーーーーッッ!!》

 

 魔人が苦痛の叫びをあげ、落下してくる。土屋君はすかさずその背から飛び降りた。翼を奪われては魔人も空を飛ぶことはできない。あとは重力に引かれて落ちるのみであった。

 

 ――ドズンッ

 

 魔人は空中で体勢を変え、両手両足を突いて着地した。

 

《ぐ……お、おのれェェッ……! き、貴様……(たばか)ったなァァ……ッ!》

 

 翼を失った魔人はゆっくりと立ち上がり、苦悶の表情を見せる。けれどまだ戦意を失っていないみたい。この時、私は咄嗟(とっさ)に判断した。

 

 ――倒すなら今しかない!

 

 私は地面に突き刺した剣を力任せに引き抜き、よろめいている魔人に向かって突進する。

 

「やぁぁーーーーっ!!」

 

 大剣を持つ手に渾身の力を込め、(やいば)を突き出す。

 

《うゥッ!》

 

 魔人は小さく呻くと身体を僅かに横に逸らす。そして私の(やいば)を脇に挟むようにして避けた。か、かわされた!? そう思った瞬間、

 

《ガハッ……!》

 

 再び魔人が呻いた。それは驚きの声ではなく苦しみの声だった。

 

「……えっ?」

 

 魔人の鳩尾には長い棒が突き刺さっている。それは木下君の薙刀だった。彼の(やいば)は魔人の黒い魔石を正確に貫いていた。

 

「……ラーバよ。ワシらの勝ちじゃ」

 

 そう言って木下君が(やいば)を引き抜く。すると黒い宝石はパラパラと音を立てて崩れ落ちていった。魔人は鳩尾を押さえ、膝をガクガクと震えさせながら後ずさる。

 

《……こ、こんな……我が……人間……ごときに……》

 

「…………二刀流は明久だけじゃない」

 

 よろめく魔人に土屋君が静かに言い放つ。そういえば土屋君は山羊型の魔獣との戦いで2本の刀を使っていた。つまり魔人に気付かれないように1本を隠し持っていたということ? あんなにも強い魔人を相手にこんな手を考えられる土屋君って、凄い策士なのかもしれない。そんなことを思いながらも、私の目は体中から黒い煙のようなものを吹き出している魔人の姿に釘付けだった。

 

 魔石を失った魔人はどうなる? 今まで戦ってきた魔獣は魔石を破壊すれば煙となって消えてしまった。じゃあ魔人も同じように消えてしまう?

 

 そもそも魔人とは何なのだろう。魔獣は魔人が作り出したと言っていた。魔獣には魔石と呼ばれる宝石のようなものが埋めこまれていた。たぶんこの魔石が動物を魔獣化させるための鍵になっているのだと思う。じゃあ魔人も魔石を使って誰かに作られたもの? 一体誰に……?

 

 色々な疑問が湧いてくる。もう少しで元の世界に帰れるというのに、こんなにも気になってしまう。

 

《……ウ……》

 

 そう呻くと魔人はスゥッと仰向けに倒れていく。それはまるで糸の切れた操り人形のようでもあった。

 

《……これも……(あるじ)(めい)を…………等閑(なおざり)にしてきた……報いか……》

 

 大の字になった魔人が苦しそうに意味不明の言葉を吐く。そういえばこの魔人、何度か”(あるじ)”という言葉を口にしている。(あるじ)とは一家の長を意味し、家来が主人を指す際に使う言葉。つまり魔人はその”(あるじ)”によって作られた……?

 

 次第に晴れていく霧の中、私は考えながら魔人の最期を見守っていた。

 

《……き、キノシタと……いったな…………た……頼みが……ある……》

 

「お主の頼みを聞く義理はない」

 

 木下君が冷たく言い放つ。確かに義理はない。でもこの状況からしてこの人はもう……。

 

「木下君。聞いてあげませんか? せめて……最後くらいは……」

「むぅ……お主がそう言うのならば仕方あるまい。良いじゃろう。ラーバよ、申してみよ」

 

《……感謝する……》

 

「感謝か。お主の言葉とも思えぬな」

 

《……フ……そうだな。……こ、これまで我……は……(あるじ)の……(めい)に……背いて……きた……》

 

(あるじ)(めい)じゃと? ではその(あるじ)とやらの(めい)に従い、ワシらを襲ったと申すか」

 

《……否。……(あるじ)(めい)は……貴様では……ない》

 

「なんじゃと? では誰が狙いじゃ。何故ワシらを目の敵にする」

 

《……くッ……き、貴様らが……! 我の研究を……ッ! だ、台無し……にッッ……!》

 

 苦しそうに歯を食いしばり、上体を起こそうと力む魔人。けれど起き上がれず、力が抜けて再び大の字になってしまう。そして彼は虚ろな目で天を見つめ言った。

 

《……フ……フフ……ど、どうやら……これまでの……ようだ……》

 

 そう言う魔人の口には笑みがこぼれていた。それはどこか”安堵”したような表情にも思えた。魔人の身体はこうして話しているうちにもどんどん黒くなっていく。

 

《……頼む……あ、(あるじ)に会ったら……伝えて……くれ……》

 

「ワシらはその”(あるじ)”とやらを知らぬぞ」

 

《…………フ……会うさ……だから……伝えてくれ……》

 

「分かった。もう()うたならば伝えよう」

 

《…………も、もう……我を……起こすな……と…………な…………》

 

 最後にそんな言葉を残し、魔人の身体はすべてが煙と化し天に昇っていった。

 

 ……

 

 本当に……これで良かったのかな……。もしかして私は取り返しのつかないことをしたんじゃないのかな……。人を襲う魔獣を作る危険な存在とはいえ、大切な命を奪ってしまったのでは……。魔人の消えゆく空を見上げ、私は様々な疑問を自らに投げかけた。

 

「姫路よ。気にするでない。これはあくまでも仮想空間での出来事じゃ。お主に非は無い」

 

 そう、これは学園長が作った仮想空間で起った出来事。この世界に住む人も、魔獣も、魔人も。すべておとぎ話のようなもの。でも私はそう簡単に割り切れるほど気持ちの切り替えが上手くはない。

 

 

『――おぉーい! 姫路さ~ん!』

『――瑞希ぃ~!』

 

 

 その時、明るい声が私の耳に飛び込んで来た。あれは……明久君と……美波ちゃん?

 

「どうやら霧が晴れてワシらを見つけたようじゃな。お~い! ここじゃ~! ほれ姫路よ、お主も手を振ってやるのじゃ」

「あっ……はいっ」

 

 私は木下君に言われるがまま、明久君たちに手を振った。明久君と美波ちゃんは坂道を転がるように降りてくる。なんだかちょっと危なっかしい。

 

「ふふ……」

 

 そんな2人の姿を見て、思わず私は笑ってしまった。それはきっと”いつもの日常”を少しだけ取り戻せたような気がしたから。

 



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第六十話 決戦の地へ

「……晴れてきた」

 

 姫路さんたちを見失ってから30分くらい経った頃だろうか。霧島さんがボソリと呟いた。

 

「どうした翔子」

「……霧が薄くなってきてる」

「霧が? お。本当だな」

 

 先程までは2メートルほど先までしか見えなかったが、確かに周囲の岩が先程よりハッキリ見える。島の中央にある針のような山も(うっす)らと見えるようだ。

 

「これなら姫路さんたちを探せそうだね」

 

 たぶん姫路さんのことだから僕らとはぐれた時点で動かずに立ち止まっているだろう。そう思い、後方の坂道に視線を巡らせてみた。

 

「う~ん……いないなぁ……」

 

 僕は来た道をさかのぼるようにして人の姿を探す。しかし山の一番上まで視線を登らせても灰色の岩しか見当たらない。人どころか植物の姿すらなかった。

 

「おっかしいなぁ。どこに行ったんだろ」

「ねぇアキ、あそこに誰かいるみたいよ?」

「ほぇ?」

 

 美波は斜面の下のほうを指差していた。指差す先を見てみると、そこには確かに3つの人影があった。

 

「ホントだ! きっと姫路さんたちだ!」

 

 その時、3人の前で黒っぽい何かがフッと消えたような気がした。なんだろう今のは? それに3人のうち2人が手に長いものを持っているようだ。あれは何だろう?

 

「間違いねぇな。姫路と秀吉、それにムッツリーニだ。けどあいつら装着してねぇか?」

「装着って……まさか!」

 

 召喚獣を装着する理由なんてひとつしかない。雄二の言っていた敵対する意思。きっとそれに遭遇したに違いない!

 

「大変だ! すぐ助けに行かなくちゃ!」

 

 僕は堪らず駆け出した。

 

「あっ! ちょっと待ちなさいアキ! そんなに走ったら危ないわよ!」

 

 美波が注意を促しているのは聞こえていた。だが嫌な予感がしてしまい、足を止めることはできなかった。

 

「おぉ~い! 姫路さ~ん!」

 

 転がり落ちるように斜面を駆け降りながら姫路さんに呼び掛ける。

 

「瑞希ぃ~!」

 

 気付いたら隣に美波がいた。足下に気を配りながらとはいえ、僕は全力疾走に近いスピードを出している。にもかかわらず追いついてくるとは、相変わらず男顔負けの運動能力だ。

 

「お~い! 姫路さぁ~ん!!」

 

 何度か呼び掛けていると、長い髪の人影がこちらを向いて手を振ってくれた。姫路さんが気付いてくれたようだ。良かった。無事みたいだ。

 

 でも姫路さんは赤いロングスカートに銀色の胸当て姿。それに大きな剣を右手に持っている。雄二の言う通り装着しているようだ。ということは、どこかに敵がいる!?

 

「ハァ、ハァ、ハァ……ひ、姫路さん! 大丈夫!? 敵はどこ!」

「えっ? 敵ですか?」

 

 姫路さんはキョトンとした顔で僕を見つめる。周囲を見渡すと、所々岩が砕かれているように見える。戦闘の跡だろうか。

 

「明久君、それなら大丈夫ですよ。もう終わりましたから」

「へ? そうなの?」

「はい。だからもう襲われる心配はありませんよ」

 

 彼女はにっこりと微笑んで答える。彼女の笑顔は、やせ我慢や隠し事をしている顔ではない。その笑顔を見て僕は安心した。

 

「そっか。良かったぁ……」

「ところで瑞希、あんたたちウチらの後ろを歩いてたはずよね。いつの間に追い越したのよ。ウチらずっとあんたたちが来るのを待ってたのよ?」

 

 胸をなで下ろす僕の横で美波が尋ねる。そう、それは僕も聞きたかった。

 

「えっと、それはですね――」

「島田よ、すまぬがその前に治療帯をひと巻くれぬか」

 

 姫路さんが答えようとすると紺色の袴姿の秀吉がそれを制止した。治療帯? ってことは……!

 

「怪我をしたの秀吉!? 誰にやられたんだ! もしかしてまだ敵がいるのか!?」

 

 秀吉を傷付けるなんて許せない! 魔獣だろうが魔人だろうが僕がこの手で成敗してやる! と再び周囲を見渡してみたが、やはり岩ばかりで僕ら以外に動くものはない。さてはどこかに隠れているな?

 

「くそっ! どこだ! 出てこいっ!」

「…………落ち着け」

 

 苛立って声を荒げるとムッツリーニがやって来た。

 

「あ、ムッツリーニも無事だったんだね」

「…………無事とは言いがたい」

 

 そう言うムッツリーニは赤く染まった右の袖を押さえていた。

 

「どうしたんだよその怪我!」

「…………まぁ、色々あった」

「色々じゃないわよ。そんな怪我をしたってことはあんたたち何かと戦ったんでしょ? はい木下、治療帯よ」

「すまぬ。助かる。ほれムッツリーニよ、巻いてやるから腕を出すのじゃ」

「姫路さん、何があったのか教えてよ」

「はい。でもちょっと待ってください。それは坂本君たちが来てから説明します」

「あ……そういえば雄二と霧島さんを置いて来ちゃった」

「大丈夫よアキ。ほら、ちゃんと来てるから」

 

 美波の言う通り、雄二と霧島さんはすぐそこまで降りて来ていた。

 

「姫路、無事だったか」

「……心配した」

「すみません。ご心配おかけしました」

 

 全員が揃ったところで姫路さんははぐれた後に何が起ったのかを説明してくれた。

 

 魔人の襲撃。

 合成された魔獣”キマイラ”。

 彼らとの戦いとその結末。

 

 すべてを話してくれた。

 

「そっか……この島には魔人がいたのか」

「でも瑞希たちが戦ったのはウチらの出会った魔人とは違うみたいね」

「俺が倒した魔人とも違うな」

「……じゃあ魔人は全部で3人?」

「いや。魔人が3人と決まっているわけじゃない。少なくとも”3人は”倒したってことだ」

「んむ? では雄二よ、まだ他にもいるということか?」

「さぁな。俺にも分からん。けど――――」

 

 雄二がスッと顔を背け、ぶっきらぼうに言う。

 

「あそこに行けば分かるんじゃねぇか?」

 

 その雄二の視線の先を見て気付いた。すぐ横には針のように細長い山が(そび)え立っていた。いや、それは山と呼ぶには小さすぎた。この大きさを例えるならば、繁華街の50階建ての高層ビル。それに近いサイズであった。その(ふもと)の一角には例の神殿のような建造物が見えている。僕らはいつの間にか島の中央に降りて来ていたのだ。

 

 雄二の横顔はあそこに魔人に関する何者かが居ると確信しているようだった。真剣な顔をしたあいつを見ていて僕も確信した。ギルベイトの言っていた”(あるじ)”。それがあそこに居るのだと。

 

 ようやくここまで来たのだから、できることなら無駄な争いは避けたい。けれど僕らの目的地は島の中央――あの神殿の中ということになる。もし本当にあそこに”(あるじ)”がいるのならば対面は避けられないだろう。でも大丈夫。もし何者が控えていようとも、ここまで来た僕らなら乗り越えられるさ。何しろここには召喚獣の力を持った7人の勇者が揃っているのだから。

 

「なぁ、雄二」

「ん? 何だ?」

「何かさ、ラスボスとの最終決戦って感じだよね」

「あぁ、そのまんまだな」

「燃える展開じゃな」

「…………倒してエンディング」

 

 あの神殿の中にいるであろうラスボスを倒せばゲームクリア。その報酬として僕らは元の世界に帰れる。僕ら男子にはあの神殿がそんな最終決戦の場に見え、士気が高まっていた。

 

 しかし美波たち女子は頭にクエスチョンマークを浮かべながら顔を見合わせている。きっと僕ら男子の気持ちなんて理解できないんだろうな。

 

「なんだかよく分からないけど……とにかくあの神殿に行って坂本が腕輪を使えば帰れるのよね? それなら早く行きましょ」

「やっと元の世界に帰れるんですね。でもお母さんになんて説明したらいいんでしょう……1ヶ月も家に帰らなかったから、きっと凄く怒ってると思うんです……」

 

 言われてみればその通りだ。僕らがこの世界に迷い込んだのが1月の10日。それから1ヶ月といえば2月の中旬だ。もう三学期の期末テストも終わって振り分け試験の直前だろうか。そもそも出席日数が足りなくて僕ら全員留年かもしれない。

 

 留年かぁ……でも三年生になったら受験勉強をしなくちゃいけないし、美波と一緒なら留年もいいかもしれないな。

 

「……大丈夫。私が一緒に説明する」

「ありがとうございます。翔子ちゃん」

「まぁその辺りはさすがに学園長が説明してるだろ。そもそもこいつは召喚システムの不具合みたいなモンだ。学園長も対外的に体裁が悪くなるような真似は避けるはずだ」

 

 チッ、余計なことを。なんて思わないでもなかったが、雄二の言うことも(もっと)もだ。

 

「ンじゃ、最後の(シメ)と行くか!」

 

『『『おぉーっ!』』』

 

 

 

      ☆

 

 

 

 雄二を先頭に僕らは神殿に向かって歩く。近付くにつれ、その神殿の様子が(あらわ)になってきた。

 

 山頂から見た時は遠くて分からなかったけど、この神殿凄く大きい。柱は全部で6本。高さは20メートルを超えているように見える。その柱の上には、6本すべてに跨がるように(ひさし)のようなものが乗せてある。それも1枚の石の板だ。

 

 こんな巨大なものをどうやって作ったんだろう。もしかして例の”(あるじ)”が1人で作ったんだろうか。だとしたらあそこに居るのは巨大化したギルベイトと同じか、それ以上のとんでもない化け物なんじゃないだろうか。

 

 僕らは召喚獣の力を使えるとはいえ、何の訓練も受けていない普通の高校生だ。そんな僕らが魔王のような化け物を相手に勝てるんだろうか……?

 

 僕は歩いているうちに徐々に不安を募らせていった。先頭の雄二はそんな僕の心配を知ってか知らずか、どんどん先へと進んでいく。あいつには不安とか恐怖とか無いんだろうか。

 

 ……

 

 少しはあいつの度胸も見習わなくちゃいけないのかな。僕も。……今後のためにも。

 

「? なに? アキ」

「へ? あぁ、いや。なんでもない」

「?」

 

 どうやら僕は無意識に美波を見ていたようだ。いや、意識していたから見たのかな。

 

 思えばこの世界に来てから僕はずっと美波と一緒だった。正確にはハルニア王国のガラムバーグで再会して以来だけど、あれから僕はほとんどの時間を彼女と共に過ごしてきた。

 

 間もなく僕たちは元の世界に帰る。現実世界に帰れば美波は自分の家に帰り、僕も姉さんの待つ自宅に帰ることになる。ここでの生活より一緒にいる時間が減るだろう。

 

 こうして考えてみると少し寂しく感じる。美波は”僕と一緒ならどこでもいい”と言ってくれた。僕も同じ気持ちだ。美波との時間が減るのは寂しい。彼女と共に居られるのならば帰れなくても構わない。そう思ってしまうのだ。

 

 でも……そうはいかないよね。

 

 葉月ちゃんや美波のご両親だって心配しているはずだ。目の前に帰る術があるのだから、やはり帰るべきなのだ。僕のわがままを押し通すわけにはいかないのだ。

 

「わぁ……まるで教科書に載っていた神殿みたいですね」

「信じられないくらい大きいわね……ね、アキ」

「……へ?」

 

 急に呼ばれてハッとした。気付けば目の前には巨大な神殿が聳えていた。見上げれば首が痛くなりそうなくらい高い天井。柱の太さは僕が両腕を広げた長さの2倍はあるだろうか。

 

「ホントだね……すっごい大きさだ……」

 

 こんなにも大きな入り口は見たことがない。以前戦った熊の魔獣ですら入れそうなくらいだ。……ん?

 

「……ぷ……」

 

 思わず笑ってしまった。なぜなら僕ら7人は神殿を前に横一列に並び、全員が同じように口をポカンと開けて天井を見上げていたからだ。

 

「なぁにアキ? なんか面白いものでもあった?」

「あ、いや。なんか修学旅行みたいだな、って思ってさ」

「修学旅行?」

「うん。こうしてると遺跡見学に来てるみたいじゃない?」

「あ、そういうこと? ふ~ん……そうね。こういう修学旅行も悪くないわね」

「でしょ? それでこの神殿をバックに皆で集合写真撮ったりしてさ」

「アンタも想像力豊かね。ふふ……あ、でもこの世界にはカメラなんて無いわよ?」

「そうなんだよね。それが残念でならないよ。あ、そうだ。もし修学旅行で遺跡に行ったら僕が遺跡を背景に写真を撮ってあげるよ」

「ダメよ。それじゃアキと一緒に写らないじゃない。そういう時は誰かに撮影を頼むものよ」

「あ、そっか。それは気付かなかったな」

「もう、それくらい気付きなさいよね」

 

 あはは、と2人で楽しく笑う。こうしている時間はとても楽しくて、ほんわかした気持ちになれる。やっぱり僕らにはこうした日常が似合うと思う。

 

「でも修学旅行の前に行くべき所があるんじゃない?」

「へ? 行くべき所?」

「そうよ。まずは映画ね。それからショッピング。そのあとはカフェでスイーツよ」

「え……それってデートなんじゃ……?」

「そう聞こえなかったのならウチはアンタをここに埋めていくわ」

「えぇっ!? そ、そんな無茶苦茶な!」

「どうなの? 分かったの? それともここに埋まっていく?」

「わ、わかった! 分かりました! デートさせていただきます! だから埋めないで!」

「ふふ……よろしいっ。まぁ埋めるっていうのは冗談だから安心しなさい」

「冗談にしちゃキツいよ……」

 

 まったく、ここまで来て置いてけぼりなんてシャレになんないよ。でもデートか。そうだね。帰ったら次の土曜くらいがいいかな。この世界みたいな危険はないし、きっと楽しい一日になるに違いない。

 

『おーい、お前らー。イチャついてねぇで行くぞー』

 

 ぶっ!?

 

「なっ!? ななな何言ってんのさ! べべべ別にイチャついてなんかないよ!?」

「そ、そうよ! ただ普通に話してただけじゃない! ね、アキ!」

 

『いや……まぁなんだ。お前らそう言うところは良く似てやがるな』

 

「「えっ?」」

 

 僕と美波が似てる? どこが?

 

「ねぇ美波、僕らって似てるのかな」

「似てるわけないじゃない。ウチはアンタほどバカじゃないわ」

「失敬な。僕だって周りが言うほどバカじゃないよ」

「どうかしら。ウチはアンタほどのバカは見たことないわよ?」

「そんなぁ……」

「ふふ……アンタみたいにバカ正直な人は見たことがないって言ってるのよ」

「それって褒めてるの? それとも(けな)してる?」

「両方よ」

「そ、そっか。両方か……」

「でもウチはあんたのそういうトコ、嫌いじゃないわよ」

「あはは……あ、ありがとう」

 

 うーん。これは喜ぶべきなんだろうか。それとも悲しむべきなんだろうか。美波も難しいことを言ってくれるなぁ。

 

(……むしろ好きっていうか……大好きっていうか……)

「ん? 何か言った?」

「ううん。なんでもないっ」

「?」

 

『おいこらー。バカップルやってっと置いていくぞー』

 

 おっといけない。僕らだけ神殿の入り口に取り残されてるみたいだ。

 

 

 …………

 

 

「誰がバカップルだよ!!」

「アキ、そんなことより急がないと置いて行かれちゃうわよ」

「あっ、そ、そうか」

 

 こうして僕たちは巨大な神殿の中へと入って行った。

 

 それにしても雄二のやつ、僕らがバカップルだなんて失礼じゃないか。そういえば美波と如月ハイランドに行った時、ランチタイムに隣でイチャイチャしてるバカップルがいたっけ。それはもう見ているこっちが恥ずかしいくらいにアツアツのカップルが。もしかして今の僕らもあんな風になってたんだろうか。そんなことないよね?

 



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第六十一話 創造主

 神殿に入った僕たちは奥へと進んで行く。内部は右を見ても左を見ても暗闇が広がっていた。うっすらと見える壁面はまるで洞窟内を思わせるようなゴツゴツした岩。足の下も岩に近い土のようだ。上を見上げれば真っ暗で天井があるのかさえ分からない。きっと岩山の内部全体が1つの空洞になっているのだろう。

 

「ご、ごめんくださ~い……どなたかいらっしゃいますか~……?」

 

 さすが姫路さん。どんな時でも礼儀正しい。けれど彼女の挨拶に返事を返す者は居ないようだ。

 

「誰もおらぬようじゃな」

「そうみたいですね……」

 

 僕らは暗い神殿の中を歩き進む。入り口は石で作られた人工物だったけど、中は自然にできた洞窟のような感じだ。暗くて照明の類いが一切無いため、視界が非常に悪い。しかも奥に行けば行くほど徐々に暗くなっていく。今では背後の入り口からの光で僅かに地面が見える程度だ。

 

「ね、ねぇ坂本、どこまで行くの? もうここら辺でいいんじゃないの?」

「いや。もっと奥まで行く。ババァは”真ん中”と言ってたからな」

「もういいじゃない。きっとこの辺りが真ん中よ。早く腕輪使いなさいよ」

「そう慌てるな島田。万が一にも失敗するわけにはいかねぇんだ。ここは慎重に行く」

「うぅっ……どうしてこんなに暗いのよぉ……」

 

 後ろから美波の震えた声が聞こえてくる。更には首筋に生暖かい吐息が……。

 

「ね、ねぇ、美波、そんなにくっつかれると歩きにくいんだけど……」

「べっ、別にいいでしょ! ちょっとひんやりしててアンタが寒いかなって思って暖めてあげてるんだから! 感謝しなさい!」

「そ、そうなんだ。ありがとう?」

 

 確かに神殿内は気温が低めだ。でも震えるほどでもない。にもかかわらず、僕の背に当てられている美波の両手はガタガタと震えている。これはひょっとして……。

 

「美波。もしかして怖いの?」

「ばっ……! バカ言ってんじゃないわよ! い、いくら暗いからってウチがこんなのを怖いだなんて思うわけないでしょ!」

 

 これほど分かりやすい嘘もないな。まぁこの計り知れない広さと暗闇に恐怖を覚える気持ちは分からなくもない。それに美波はお化けが苦手だし。でもこれはこれで頼られてる感じがして悪い気はしないね。

 

「……雄二。私も怖い」

「ちょっ!? お、お前までくっつくな!」

「……私も暗いのが苦手。だからしっかり手を握ってほしい」

「嘘をつくな! 危ねぇから離れろ! 足下が見えねぇだろ! いててててっ! う、腕を捻るな!!」

「……暗くてよく見えない」

「よく見えない奴が的確に関節を極めるんじゃねぇっ!」

 

 暗くてよく見えないけど、きっと霧島さんが雄二の腕を後ろ手に捻っているのだと思う。霧島さんは相変わらず積極的だ。

 

「どうじゃムッツリーニ、何か見えるか?」

「…………何も見えない」

「さすがのお主にも見えぬか」

「…………俺は探査機じゃない」

「それもそうじゃな」

「でも土屋君の気配を感じる力って凄いと思います。私も頼りにしてます」

「…………」

「んむ? なんじゃムッツリーニ、照れておるのか?」

「…………そ、そんなことは……ない」

 

 姫路さんと秀吉、それにムッツリーニがそんな会話をしながら歩いている。どうやら姫路さんの中でムッツリーニの評価が少し上がっているみたいだ。

 

 そんな感じで楽しく話をしながらデコボコした歩く僕たち。この時には光はほとんど届いておらず、ぼんやりと光る雄二の腕輪の灯りだけが頼りになっていた。

 

「んむ? どうしたのじゃ?」

 

 しばらくして先頭を歩くムッツリーニがピタリと足を止めた。

 

「…………何か居る」

「なんじゃと!?」

 

 ムッツリーニの一言で全員がバッと身構える。やはり例の”(あるじ)”なのか? それとも魔獣の類い? どちらにしても装着した方がいいんじゃないだろうか?

 

「雄二、装ちゃ――」

「シッ! 黙れ!」

 

 あの雄二が異常なまでに警戒している。他の皆も黙り込み、緊張した空気が張り詰める。相変わらず僕の背中には美波の手が添えられていて、その手がカタカタと震えているのを感じる。

 

(僕の後ろに隠れてて)

(う、うん……)

 

 美波はそう返事をしても背中に伝わってくる震えは止まらない。

 

 ……やっとここまで来たんだ。魔王だろうがなんだろうがやってやる!

 

 僕はぐっと腰を落とし、いつでも動けるように警戒を強める。すると、

 

《――やはり来よったか。まったく、役に立たたぬ魔人どもめ》

 

 そんな声が神殿内に響き渡った。どうやらお出ましのようだ。

 

「何者じゃ! 名を名乗れ!」

 

 秀吉が声の主に向かって声を張り上げる。皆は息を呑んで声の主の答えを待つ。

 

《――余は魔族の王。魔人王なり》

 

 え? 魔人王? 魔王じゃないの? まぁいいか。どちらにしても魔人のボスであることに変わりはなさそうだ。ということは、やはり襲ってくるのか?

 

「魔人王さん。ひとつ教えてください」

 

 意外なことに姫路さんが率先して魔人王に質問をした。こう言っては失礼かもしれないけど、怯えて何かを発言するようなことはないと思っていた。それは他の皆も同じようで、誰もが姫路さんに対して意外そうな視線を送っていた。

 

《――余が答える道理は無い。だがまぁよかろう。申してみよ》

 

「ありがとうございます。では質問させていただきます。魔人を作ったのはあなたなんですか?」

 

《――いかにも。余が土より作り上げたものだ》

 

「土……ですか?」

 

《――左様。我が力を込めた結晶体を用いて土より錬成したものよ》

 

 力を込めた結晶体? そうか! あの胸に埋め込まれていた魔石のことか! な、なんてことだ……魔人は魔獣と違って無から作られたものだったのか……!

 

「魔人王、俺からも聞きたいことがある」

 

《――つけ上がるなよ人間。余が貴様らすべての疑問に答えるとでも思うたか》

 

「まぁいいじゃねぇか。それともアンタは王を名乗っていながら何も知らねぇってことか?」

 

《――口の減らぬ者め。よかろう。申してみよ》

 

「へへっ、そうこなくちゃな。それじゃ聞かせてくれ魔人王。魔人族を産み出したのがあんただとして、なぜ魔人に魔獣を作らせた」

 

《――それは余が命じたものではない。余は力を込めし結晶を与えたのみ。魔人どもが魔獣とやらを産み出したのは余の真似をしただけであろう》

 

 えぇと……つまり、魔人とは魔人王が土から作ったもので、その魔人が魔獣を作った理由は知らない。彼らが勝手にやったこと。ということか。ずいぶん無責任な話じゃないか。

 

「……まるで人ごと」

 

 静かに呟くように霧島さんが言う。ただ、いつもの静けさとは違う。その言葉には怒りの念が込められているようにも感じられた。

 

「質問を変えよう。なぜ魔人を作った」

 

《――恨みを晴らすため》

 

「恨みだと? 俺はあんたとは初対面であって恨みを買う覚えは無いぞ」

 

《――貴様など知らぬ。余の目的はヨシイただ一人だ》

 

「えぇっ!? ぼ、僕ぅ!? なんで!?」

「明久てめぇ! 今度は何をしやがった!」

「すべてはお主が原因じゃったのか!」

「…………返答次第では抹殺」

「ちょ、ちょっと待ってよ皆! 僕にはまったく身に覚えが無いんだけど!?」

 

 皆して僕を責めるけど、本当に覚えなんてない。そりゃ今まで色々な人に迷惑はかけてきたかもしれないけど、この世界で恨まれるようなことはしてない。……ハズだ。

 

「えっと……ま、魔人王! なんで僕を恨むのさ! 理由を教えてよ!」

 

《――知らぬ》

 

「はぁぁ!? 何だよそれ! 知らないのにどうして僕を恨むんだよ!!」

 

《――余は個体の意思に従ったまで。理由など知らぬ》

 

「はぃ? 個体? 意思? わけ分かんないだけど……」

 

 コイツ、頭がイっちゃってるのかな。もしかして相手にしない方がいい系統の人なんだろうか。

 

《――されど魔人どもは全て愚作であった。よもやここまで余の(めい)に背くとは思わなんだぞ》

 

 ……

 

 話しはじめてからずっと思ってたんだけど……なんか口調と声が凄くアンマッチなんだよね。まるでお殿様のような口調に対して、声は甲高くて女の子のような声。でもこの声、どこかで聞いたことがあるんだよな。どこで聞いたんだったかなぁ……。

 

《――まぁよい。話は終わりだ》

 

 !

 

「く、来るのか……!?」

 

 あいつの言うことが本当ならば狙っているのは僕ひとり。理由はよく分からないけど、名指しで狙われた以上、僕がなんとかしなければならないだろう。少なくとも美波には被害が及ばないようにしないと……!

 

「美波。少しだけ離れて」

 

 もし装着するのなら周囲に衝撃波が発生する。くっついていられると美波を巻き込んでしまう。そう思って僕は美波を遠ざけた。

 

《――そういえば魔人のうち1匹がなかなか面白い趣向を凝らしておったな》

 

 コツコツと靴音を立てて魔人王が歩み寄ってくる。この軽い足音。それほど大きな身体ではないようだ。音から察するに二足歩行。それも人間サイズ。巨大化したギルベイトのような化け物ではなさそうだ。

 

《――どれ。余も試してみるとしようぞ》

 

 ……なんだ? さっきからあいつ何を言ってるんだ? 全然話が読めない。もしかして僕を混乱させるためにわざと意味不明なことを口走っているのか?

 

「気をつけろよ明久。何か仕掛けてくるぞ」

「あぁ、分かってる」

 

 謎の言動の魔人王。だが僕に対して敵意を抱いていることだけは確かだ。異様な不気味さを感じなら僕はその行動を見守った。あのギルベイトが恐れ、従っていた奴だ。きっと何かとんでもないことを仕掛けてくるに違いない。

 

 ――カツッ、カラン、カララン

 

 ? なんだ? この音。何かガラスのようなものを転がすような……?

 

《――さぁ、再び蘇り、余の(めい)に従え。あのゴミどもを踏み潰すのだ!》

 

 魔人王が甲高い声で叫ぶ。その声は神殿内に反響し、エコーがかかったように何度も僕の耳に入ってきた。

 

「な、何ぃッ!? こ、こいつは……!?」

 

 続けて雄二の驚きの声が聞こえてくる。その驚きは誰もが感じていたに違いない。

 

《ヴォォォォーーーーンッ!!》

《ゴヴァォォーーーーッ!!》

 

 鼓膜を破らんばかりのドでかい雄叫び2つが神殿内に響く。その声の主は僕らの目の前でみるみる巨大に成長していった。

 

「そ……そんな……こんな……ことって……!」

「ば、バカな……ワシは夢でも……見て……おるのか……?」

 

 美波や秀吉の声が震えている。当然だ。この僕だって今目の前で起きていることが信じられない。こんなことが現実に起こりうるなんて……い、いや、ここは現実世界じゃないんだった。だから何が起きても不思議は無いんだ。しかし……こいつは……。

 

「ギ……ギル……ベイト……お前……」

 

 僕は目の前に(そび)える灰色の塊に向かってその名を呼んだ。そう、岩の塊は奴の姿によく似ていたのだ。あの時、海岸に現れた巨大なミノタウロスの姿をした奴に。

 

 しかし……こ、この異様な形は何だ……?

 

 足は4本。腕も4本。とてつもなく巨大な体が1つに、首が2本出ている。片方は牛の顔。もう片方は……あの(つの)の感じ。羊……か? まるで2つの生命体がぐちゃぐちゃに混ざり合ったような感じだ。

 

「ネ、ネロス……? お前、ネロスなのか……?」

 

 ガクガクと身を震わせながら雄二が灰色の塊に向かって問い掛けている。ネロスというのは確か魔人のうちのひとり? ま、まさか……!

 

「ゆ、雄二……まさかあれって……」

「あぁ。あの頭の感じ、間違いねぇ。ネロスの野郎だ」

「そ、そうなんだ……あのもう片方はギルベイトだよ。たぶん……いや、間違いなく」

「やはりそうか……くそっ、なんてバケモンを作りやがるんだ……」

 

 もはや動物でも人でもない。まさしく化け物だった。このモンスターを前に僕たちは呆然と立ち尽くした。ただ、その姿を見ているうちに僕の胸の内には怒りのような感情が芽生え始めていた。

 

「ねぇちょっとアンタ! どうしてまた出てくるのよ! アンタあんな顔して消えたじゃない! ありがとうって言ってたじゃない! それなのに……どうして!? どうしてなの……!!」

 

 美波の涙声でハッと我に返った。そうだ。あいつは最期に僕に礼を言っていた。あんな最期を迎えたはずなのに、また僕らの前に現れて……こんな姿を晒すなんて……こんなの……こんなの間違ってる!!

 

「美波。下がって」

「もう嫌! いい加減にして! こんなの絶対におかしいわよ!」

「美波!」

「!……アキ……」

「いいから下がるんだ。ここは僕に任せてくれ」

 

 この時の僕は震えていた。だがこれは恐怖による震えではない。握る拳に力が籠もる。これまでに感じたことのない怒り。それが僕の全身を打ち震わせているのだ。

 

「皆も手を出さないでくれ。あいつは僕1人でやる」

 

 僕は皆にそう告げ、スタスタと歩を進める。巨大な岩の塊は言葉にならない呻き声をあげ、ウネウネとうごめいている。

 

(……ギルベイト。今度こそ地に還してやるからな……)

 

 僕は巨大な塊の目の前で立ち止まり、想いを込めて呟いた。すると、

 

「悪いな明久。お前の指示は聞けねぇ」

 

 すぐ隣からそんな声が聞こえた。気付けば横で雄二が異形の生物を見上げ、怒りの表情を見せていた。

 

「ダメだ雄二。こいつはギルベイトだ。決着は僕が付ける」

「いや。こいつはネロスでもある。だから決着を付けるのは俺だ」

 

 どちらの言い分も正しい。あれは2人の魔人が融合した化け物なのだから。普段の僕なら雄二がこんなことを言ってきたら殴り倒してでも引っ込ませる。けれどこの時の雄二の目は今まで見たことがないくらいに怒りに燃えていた。きっとあいつも僕と同じ想いを抱いているに違いない。それを感じた僕は雄二の参戦を受け入れた。

 

「……分かった。でも半分は僕のものだからな」

「あぁ。もう半分は任せろ」

「じゃあ行こうぜ! 雄二! ――試獣召喚(サモン)ッ!」

「おう! ――試獣召喚(サモン)!」

 

 僕らの足下に同時に現れる幾何学模様。そこからあふれ出す光は僕たちの体を包み込み、神殿の中を明るく照らす。その中で一瞬だけ小さな人影が見えた。魔人王の姿だ。しかしすぐに光が消え、その正体を見ることはできなかった。

 

「「おっしゃぁッッ!!」」

 

 かつて無いほどに気合いを入れる僕たち。僕は赤いインナーの改造学ラン姿に転身。雄二は前をはだけた白い特攻服姿へと転身した。

 

《――妙だな。なぜ2匹しか蘇らぬ。余は3つの力を与えたはずだ》

 

 ボソリと魔人王が呟く。一応耳には届いていたが、僕にはその言葉の意味を考えている余裕なんてなかった。それはもちろん目の前の魔人融合体をぶっ飛ばすことしか頭になかったからだ。

 

「雄二!」

「おう! 一気に決めるぜ!」

 

「「うおぉぉーーッ!」」

 

 僕と雄二は同時に飛び上がり、得物を振りかぶる。

 

《《ゴォアァァーーーーッッ!》》

 

 それを見た魔人融合体は4本の腕をゆっくりと伸ばしてくる。僕らを捕まえようとしているようだ。――だが遅いッ!

 

 僕の木刀は牛の首を真っ向から叩き割り、雄二の強烈な拳は羊の鼻面にめり込み、粉砕する。

 

《グ……ゥ……》

《ァ……ア……ァ……》

 

 ガラガラと崩れ落ちる魔人融合体の首2つ。それは岩のみで出来ていた。残るは体のみ。完全に地に還すには、恐らく――――

 

「明久! 魔石だ!」

「あぁ! 分かってる!」

 

 そう。地に還すには、力の根源である魔石を砕けばいい。

 

「「でぇりゃぁぁあーーーーッ!!」」

 

 ――バゴォッ!!

 

 木刀を握る手に渾身の力を込め、僕は奴の胸に埋め込まれていた青い石を叩き割った。それとまったく同時に、雄二もまた奴の背中の宝石をその拳で貫いていた。

 

 ――ズズズズ……

 

 轟音と共に崩れていく巨大な岩の塊。腕。足。体。それらが次々に剥がれ落ち、粉々になって崩れていく。そして数秒後、かつて魔人であったそれはただの土の山へと変わっていた。

 

「けっ、ざまぁみやがれ」

 

 雄二がスッと僕の隣に降りてきて吐き捨てるように言う。けれど僕はそういった口を利く気にはなれなかった。

 

 ……ギルベイト。もう蘇ってくるんじゃないぞ。たとえ魔人王に呼び出されたとしてもな。

 

 僕は心の中で呟き、崩れゆく魔人たちを眺めていた。

 

『す、すごいですっ! あんな大きいのを簡単に倒しちゃいました!』

『2人とも~っ! かっこいいわよ~っ!』

 

 後ろから姫路さんや美波の声が聞こえてくる。普段の僕ならば得意になって鼻高々だったかもしれない。でも今回ばかりは喜んでもいられない。先程の魔人への思いもあるが、後ろに魔人王が控えているということが僕の警戒心を高めていたからだ。

 

《――フン。ラーバめ。どこまでも刃向かいよって。おかげで不完全な物になってしまったではないか。少し余計な知恵を与えすぎたか……まぁよい》

 

 暗闇の中からそんな声が聞こえてくる。魔人王が独り言を言っているようだ。しかし魔人王とはいったい何者なんだろう。魔人を作り出したということは命を造り出せる存在……まさか……神様のようなもの? いやいや、ここは召喚獣とゲームの世界が融合して出来た世界だ。ならば魔人王とはその影響で発生した不具合(バグ)の一種のようなもの? 何にしてもマトモに相手をする必要はなさそうだ。

 

(なぁ雄二、ここで白金の腕輪を使えば扉が開くんじゃないか?)

(あぁ、たぶんな)

(それなら一気に脱出しようよ。もうここに用はないんだし)

(そうしたいのは山々なんだが……どうやら問屋が卸してくれないようだぜ)

 

 問屋って何だろう? と考えていると、カツ、カツ、と足音が聞こえてきた。

 

《――逃さぬぞヨシイ。貴様はここで果てるのだ》

 

 暗闇の中、次第に近付いてくる足音。どうやら逃がしてはくれないようだ。でもどうして魔人王は僕を付け狙うんだろう。やはり僕が今までに迷惑をかけた人のなれの果てなんだろうか。

 

「明久。こっからはお前の役目だ」

「え……えぇっ! 雄二助けてくれないの!?」

「俺の出る幕はねぇよ。お前をご指名なんだからな」

 

 そう言って雄二はスタスタと後ろに下がって行ってしまう。なんて冷たい奴だ。困っていたら助けるのが友達ってもんじゃないのか?

 

「ねぇアキ……どうするの?」

 

 すると代わりに美波が駆け寄って来てくれた。嬉しいけど、美波に迷惑をかけるわけにはいかない。やはり僕がなんとかするしかないのだろう。

 

「なんとか話し合いに持ち込んでみるよ」

「大丈夫なの?」

「分からない。でももし僕が悪いことをしていたのならちゃんと謝るよ」

「ウチには謝って済むような感じには見えないけど……」

「心配いらないよ。大丈夫さ。きっとね」

 

 そんなことを話しているうちに魔人王は数メートル先の所まで近付いて来たようだ。暗闇の中にその姿が浮かび上がってくる。……なんだ? 意外に小さい?

 

「へっ? えっ!? あ、あれれっ!?」

「え? えぇぇぇぇーーっ!?」

 

 僕と美波は魔人王のその意外な正体に思わず素っ頓狂(すっとんきょう)な声をあげてしまった。

 



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第六十二話 魔人王の正体。そして

 (あるじ)。魔人たちはこの者の(めい)であると言い、僕を襲ってきた。あの筋骨隆々で身長2メートルはあろうかという魔人ギルベイトでさえ恐れていた(あるじ)。この世界におけるラスボス的存在。きっととんでもない化け物なのだとずっと思っていた。それこそ様々なゲームにおける魔王的な存在なのだと。けれど目の前にいる”主”の正体は僕の予想を大きく裏切るものだった。

 

 暗闇の中から現れた魔人王を名乗る人物は雄二より小さかった。いや、雄二どころか秀吉、美波よりも小さかったのだ。その者は頭の両側に縦ロールの髪を吊るし、自信に満ちた口元から僅かに八重歯が見えていた。この顔には、いやというほど見覚えがある。

 

 そう。彼女の名は――

 

「みっ、美春ぅぅぅ!?」

 

 美波が裏返るような声で叫ぶ。そうなのだ。魔人王の顔はどう見ても清水さんだったのだ。

 

『雄二よ! 一体どういうことなのじゃ!? なぜ清水がここにおるのじゃ!』

『俺に聞くなよ!』

『あの……清水さんそっくりな別人って可能性はないんでしょうか?』

『……あの制服は文月学園の制服』

『あ、本当ですね。じゃあやっぱり清水さんなんでしょうか』

『女子のことならムッツリーニが詳しいはずじゃな。どうじゃムッツリーニ、あやつは本物か?』

『…………女子のことなど分からない』

『お前な、こんな時まで嘘をつかなくてもいいだろ』

『…………(ブンブンブン)!』

『あ、あはは……土屋君らしいですね……』

 

 皆混乱している。そりゃそうだよね。ずっと僕ら――というか僕を狙っていた魔人の親玉が清水さんだったなんて混乱するに決まってる。でもよく考えたら確かに納得できる部分も多いかもしれない。

 

 清水さんのフルネームは”清水美春(みはる)”。美波のことを「お姉様」と言って慕うDクラスの女の子だ。清水さんは美波のことが好きで、僕が美波と付き合っているのが気に入らないのだ。だから彼女の(めい)で襲ってきたギルベイトも対象は僕だったし、美波を襲おうとした時に止めたのだろう。彼女にしてみれば僕()()が邪魔なのだから。

 

 それを考えるとあれは清水さん本人に間違いないのだろう。でもどうしてあんな口調なんだろう? 「余は」とか言ってるし。いつもは「ミハルは」とか、「ですわ」とか言ってたような気がするけど……。

 

「美春! 今すぐこんなバカな真似をやめなさい!!」

 

 なんてことを考えていたら、隣の美波が急に怒鳴り声をあげた。

 

《――ミハル? 余は魔人王ぞ。そのような――》

 

「わけわかんないこと言ってないでやめなさいっ! ウチら本当に死ぬところだったのよ!? いいかげんにしないとぶっ飛ばすわよ!!」

 

 うわぁ……本気で怒ってるなぁ……。

 

《――無礼者め! 余にそのような下劣な言葉を吐くとは言語同断!》

 

「バカなこと言ってんじゃないわよ! 魔人とかいうのをけしかけたのはアンタなんでしょ!」

 

《――その通りだ。だがすべて失敗作であった。余興にはなったがな》

 

「余興? 冗談じゃないわ! アンタ魔人たちがどんな気持ちで消えていったのか分かってるの!?」

 

《――知らんな。そもそも余が与えた命。余に従わぬ失敗作に気を回す必要などどこにある》

 

「アンタね! あいつが最後になんて言ったか知ってる!? ありがとうって言ったのよ! 命を奪ってしまったウチらに!」

 

 美波の目が潤んでいる。叫ぶ声も少し震えているようだ。……そうか。美波はギルベイトを救えなかったことを気にしているのか。僕の命を狙ってきた奴なのに、こんなにも悲しむなんて……やっぱり優しいな美波は……。

 

《――それがどうした。失敗作の末路などどうでもよいわ》

 

「っ――! それが生み出した命に対する態度!? 生みの親なら子の心配をするのが当たり前でしょ!!」

 

《――騒々しい小娘だ。余の生み出したものをどう扱おうが勝手であろう》

 

「勝手じゃないわよ! 彼らの気持ちを考えなさいって言ってるの! どうしても分からないって言うのならウチが分からせてあげるわよ!」

 

《――えぇいやかましいわ! 先程から聞いておれば世迷い言を! この余に対して分からせてやるだと? やれるものならやってみるがいい!》

 

 ……

 

 う~ん。妙な言葉遣いになっていて清水さんって感じがしないなぁ。清水さんならもっとこう、汚い言葉で悪口を言ったり、罵倒したり、悪態をついたり……って、僕は清水さんにどんなイメージを持ってるんだ。

 

「……分かった」

 

 美波がボソリと呟いた。そして彼女は肩を尖らせながら清水さんの方へとツカツカと歩いて行く。

 

「えっ? 美波? な、何を……?」

 

 美波は呼び掛けにも答えず、肘を突っ張りながら歩いて行く。それはもうズンズンと足音が響いてきそうなくらいに。そして彼女は清水さんの目の前まで行くと、仁王立ちで立ちはだかった。彼女の全身からは怒りのオーラが吹き出している。こ、これはまずい!

 

「ちょっ、ちょっと待って美波!」

 

 慌てて僕は彼女を止めにかかった。だが間に合わなかった。

 

「覚悟はいいわね。歯を食いしばりなさい!」

 

《――フン。余に刃向かうとは身の程――》

 

 清水さんが何かを言いかけた瞬間、美波は右腕をスッと振り上げた。そして両足を広げてガッと踏ん張ったかと思うと、

 

 ――バっチぃぃぃん!!

 

 もの凄い打撃音が神殿内に響き渡った。

 

 こ、これは痛そうだ……このビンタの痛さは僕も知っている。クリスマス直前の喧嘩をしてしまったあの日。あの時に思いっきり貰ったからね。あれは痛かったなぁ。まぁ僕の場合は物理的というより精神的に痛かったんだけどね。それにしても清水さん大丈夫かな……。

 

 と少しだけ心配になり清水さんの様子を見てみると、彼女は美波の(かたわ)らで目を回して倒れていた。

 

 あちゃぁ……これは完全に気を失ってるね……さすがにこれはちょっとやり過ぎなんじゃないかな。いくら清水さんでも少し可哀相になってきた……。

 

「いいこと美春! 今度やったらこんなもんじゃ済まさないんだからね! 分かった!?」

 

 いや、気を失っていて聞こえてないです。っていうか、こんなもんじゃ済まさないって、この上があるっていうのか? 一体どんなお仕置きなんだろう……。さ、寒気がしてきた……。

 

 まぁさすがの清水さんも今回ばかりは懲りただろう。これで少しは大人しくなってくれれば良いのだけど。

 

 ……ん?

 

 なんだろう。今、清水さんの口から灰色のエクトプラズムのようなものが出てきてポッと消えたような気が……今のは何だろう?

 

「ほら坂本! ボサッとしてないで扉を開けさない!」

 

『は? あ……お、おう、そう……だな……』

『もの凄い剣幕じゃのう……』

 

「何か言った!」

 

『な、何でもないのじゃ!』

 

 うん。こういう時の美波には逆らわない方が身のためだね……。

 

「――覚醒(アウェイクン)!」

 

 雄二が腕輪の力を発動させると周囲が真っ暗になった。いや、もともと真っ暗だったのだけど。でもこの感じはサンジェスタの町で発動させた時。学園長と通信が繋がった時と同じだ。これで扉が開いたんだろうか? 特に扉らしいものは見えないけど……?

 

《アーアー。ジャリども聞こえるかい。アタシだよ》

 

『『『学園長!!』』』

 

 やった! 学園長(ババァ)と通信が繋がった! ここで正解なんだ! これでようやく帰れるんだ!

 

《よくここまで来たね。でも時間ギリギリじゃないか》

 

「へ? ギリギリ? 何言ってんのさ。まだ1日くらい残ってるじゃないか」

 

《口答えすんじゃないよ吉井。アンタだけ置いてくよ》

 

「うわわっ! ごめんなさいごめんなさいっ! 今のナシ!」

「変わり身の早い男じゃのう……」

「ほっといてよ!」

 

《それはさておき、()()全員揃ってるようだね。それじゃこっちから扉を開けるよ》

 

「あぁ。頼むぜバ――学園長」

 

 雄二、今ババァって言おうとしたよね。言おうとしたよね?

 

《扉を開けていられるのは5分間だよ。その間に出てきな。でなきゃそっちの世界に置いてけぼりさね》

 

「扉はどこに開くんだ? 遠かったりしたら5分じゃ足んねぇぞ」

 

《数メートル離れた所に開くだろうさ。いいかい、開けるよ》

 

 

 ――ヴンッ

 

 

 そんな音と共に真っ黒な空間に白い四角が現れた。あれが世界の扉か!

 

「よし、あれだな。皆、あそこから出るぞ。――装着解除(アウト)

「やれやれ。やっと帰れるのう」

「…………苦節40日」

「あぁ、長かったな」

「そうじゃ、気を失っておる清水を運ばねばならぬな。ワシが行こう」

「私も手伝います」

「そうか。すまぬな姫路よ」

「いえ、これくらいしかお役に立てませんので……」

「そうでもないぞい。……まぁその話はまた後じゃ。とにかく清水を運び出すぞい」

「はいっ」

 

 そうか、僕たちは40日間もこの世界にいたのか。長かったような気もするし、あっという間だった気もする。思えば色んな人に出会ったな。

 

 ……

 

 そういえばこの世界の人たちはこの後どうなるんだろう? 元が召喚獣の世界だから、みんな召喚獣に戻るんだろうか。いや待てよ? 確か学園長は「彼らはもともとこの世界には居なかった」と言っていた気がする。ということは、ゲームから来たデータだってこと? それじゃどうなるんだ? う~ん……?

 

「おい明久、何をしてる。行かないのか?」

「あ、うん。今行くよ。――装着解除(アウト)

 

 どうやら姫路さんと秀吉はもう清水さんを連れて出たようだ。ムッツリーニや霧島さんも扉から出て行く姿が見える。考えるのは後だ。今最も優先すべきは脱出だ。

 

 ん? なんだ、美波がまだ脱出してないじゃないか。

 

「お~い、美波、行くよ~」

 

「………………」

 

 ……あれ? 返事がない? どうしたんだろ。

 

「美波? どうしたのさ。早く行こうよ」

 

 再び呼びかけるが、それでも美波は反応しない。暗い空間の中で突っ立っているだけだった。

 

 どうしたんだろう。何か考え事でもしてるんだろうか。もしかして清水さんに対してやり過ぎたと後悔してるのかな。そんなこと気にしてる場合じゃないのに……仕方ない。

 

「何してんのさ美波。早く行かないと扉が閉まっちゃうよ?」

 

 美波に歩み寄り、ポンと肩を叩いてみた。けれどこれでもまだ彼女は反応しない。これはおかしいぞ?

 

「美波? 美波! どうしたんだ美波! しっかりするんだ!」

 

 肩をガクガクと揺らして何度も呼びかける。にもかかわらず彼女は俯いたまま虚ろな目をし、まったく反応を示さなかった。一体どうしてしまったんだ……。

 

《――ク……クク……》

 

 その時、美波が反応した。いや。反応したというか……笑った? しかも変な笑い方だ。

 

「えっと……美波?」

 

《――ミナミ? ……違うな。余は魔人王なり》

 



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第六十三話 最終決着

 声は確かに美波だ。しかしその口調、その台詞からは彼女が話したものとは思えなかった。

 

「何言ってるのさ。こんな時に冗談なんてやめてくれよ。ほら、早く行こうよ」

 

 美波は度々冗談を言っては僕を困らせてきた。困った僕の反応を面白がっているのだ。だからきっと今回も僕を困らせようとしてこんなことを言っているのだ。そう決めつけていた。いや、そうであってほしいと願っていたのかもしれない。

 

《――冗談などではない。現実を受け入れよ》

 

「そんなこと言ってないで早く帰ろうよ! 扉が開いてるのは5分だけなんだよ!? このために40日間も旅をしてきたんじゃないか!」

 

 僕は大声で怒鳴った。耳に入った言葉を振り払うように。

 

 赤い髪。

 黄色いリボン。

 すらりとした長い手足。

 控えめな胸部。

 

 どこをどう見ても目の前にいる女の子は美波だ。そうさ。これが魔人王であるはずがない。今のは空耳だ。魔人王の正体があまりにショッキングだったので僕が変に意識してしまっているだけなんだ。自らにそう言い聞かせた。

 

『明久! 何してんだ! 急げ!』

 

 空間に浮く白い箱に片足を入れながら雄二が叫ぶ。

 

「分かってるんだけどさ! 美波が動いてくれないんだ!」

 

『なんだと? 動かないのなら抱えて連れてこい!』

 

「そ、そんなこと言ったって……!」

 

 僕は完全に動揺してしまい、慌てふためいてしまった。

 

「ほら美波、雄二もああ言ってるしさ、変なこと言ってないで帰ろう? 葉月ちゃんだって帰りを待ってるはずだよ」

 

 先程の言葉が空耳であると信じ、僕は再度呼びかける。だがもはや疑いようがなかった。

 

《――ハハハ……フハハハハ!! 無駄だ! この体は余が貰い受けたのだ!》

 

「っ――! そ、そんな……バカな……」

 

 信じられなかった。聞き慣れたこの声は間違いなく美波の声だ。けれど冗談でも彼女がこんな台詞を吐くはずがない。この言い方は先程の清水さんの話し方にそっくりだ。どうしてこうなってしまったのかは分からない。でもこの状況からすると、美波は魔人王に乗っ取られてしまったと考えるしかない。

 

『おい明久! いいかげんにしろ! 時間がねぇっつってんだろ!』

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! 美波が……美波が魔人王に乗っ取られちゃったみたいなんだ!」

 

『バカ言ってんじゃねぇ! 寝言は寝てから言え!』

 

「嘘じゃないんだよ! ねぇ雄二! どうしたらいいんだよ!」

 

『だから言っただろ! 抱えてでも連れてこいと!』

 

「あ、そうか」

 

 気が動転していて気付かなかった。美波が自分で動かないのなら抱えて脱出すればいいんだ。よし!

 

「さぁ美波、行くよ」

 

 僕は彼女の手を取り、ぐっと引き寄せ――――られない。

 

「くっ……! ぐぬぬぬ……!」

 

 いつもなら僕が手を取ればすぐに握り返してきた。だがこの時の美波は微動だにしなかった。体を引き寄せるどころか、指の一本でさえ動かせなかったのだ。まるで石像にでもなったかのようだった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……こ、こんな……ことって……」

 

 説得にも応じない。無理矢理動かすこともできない。それじゃ一体どうすればいいのさ……。

 

『おい明久! 何やってんだ! 急げっつってんだろ!』

 

「それがダメなんだ! まるで石になったみたいにビクともしないんだよ!」

 

『はぁ? そんなわけあるか! いいからさっさと連れてこい!』

 

 雄二のやつ、状況が分かってないな。

 

「だから魔人王に乗っ取られちゃったみたいなんだってば! こんな時ってどうしたらいいのさ!」

 

『知るか! さっき島田が清水にやったようにショックでも与えてみろ!』

 

 ショックを与えるって言ったってそんな……美波に暴力を振るえるわけがないじゃないか……。

 

『明久よ! 早くするのじゃ!』

『明久君! 美波ちゃんも早く!』

 

 秀吉や姫路さんまでもが僕をせかす。どうして皆分かってくれないんだ……。

 

「美波、頼むよ。動いてくれよ。急がないと帰れなくなっちゃうんだよ?」

 

《――何を言っても無駄だ。この者の意識は我が力により封じている。貴様の声が届くことはない》

 

「美波の声を使って喋るな!」

 

 つい大声を張り上げてしまった。いつもの可愛らしい声。それに似合わぬ高圧的な台詞。迫り来るタイムリミット。それらが複合して襲い掛かり、僕は頭の中はぐちゃぐちゃだ。もうどうしたらいいのかさっぱり分からない。

 

《――フン。粋がるだけか。まぁよい。さて、この体は余が貰って行くぞ。我が肉体になることを光栄に思うがいい》

 

 !

 

「ま、待て! 美波を返せ!」

 

《――フハハハ! 返せと言われて返す馬鹿がどこにいる! さらばだ!》

 

 美波がくわっと目を見開いて言う。その目には光が宿っておらず、焦点も定まっていなかった。完全に乗っ取られているのか……もう……ダメなのか……。

 

《――む? ……これはどうしたことだ。……う、動けぬ。何故だ?》

 

 顔を歪ませて美波――に入った魔人王が言う。……待てよ? 今なんて言った? 確か「動けない」って言ったよね? どういうことだ? 体を貰っていくって言ってたくせに動けない? もしかして自分で体を動かせないってことか? つまり……体を硬直させているのは魔人王自身じゃないってこと? ということは……まさか!

 

「……美波? 美波なのか?」

 

 恐る恐る尋ねてみる。

 

《――ミナミ? 先程から言っておるそれはもしやこの者の名か?》

 

 やはり気のせいか……? いや。そんなことはない!

 

「美波。聞こえるかい。僕だよ。明久だよ」

 

 僕は心を込めて優しく声を掛ける。

 

「魔人王とかいう奴に取り憑かれちゃったみたいだね。でも大丈夫。僕が必ず助けるから」

 

《――愚かな。貴様の声は届かんというのが分からんのか》

 

 今、美波の口から発せられているのは魔人王の言葉だ。耳を傾ける必要はない。

 

「体を止めてるのは美波なんだろ? もしそうなら片目を瞑ってみて」

 

 魔人王は確かに体を動かせないと言った。ならば美波の体を硬直させているのは彼女自身。そうとしか考えられない。

 

 奴は美波の意識を封じ込めたとも言っていた。だが彼女の心はとても強い。僕なんかより精神的にずっと大人だ。だから意識を封じられていても彼女の強い意志が魔人王の行動を阻止しているのだ。そう信じ、僕は話し続けた。

 

「美波がそんな奴に負けないことは僕が良く知ってる。魔人王に好き勝手させないようにしてるんだよね?」

 

《――そのようなことができるはずがなかろう。この者の意思は我が手中にあるのだ》

 

「大丈夫。君は魔人王なんかにはならない。これからもずっと島田美波だ。僕の大切な彼女さ」

 

《――否! 余は魔人王! この世を統べる者ぞ!》

 

 美波は口を薄らと開けたまま瞬きひとつしない。やはり完全に意識を乗っ取られているのだろうか……。そう思い始めた時、美波に僅かな変化が現れた。

 

 それはとてもぎこちない仕草だった。今までも彼女は何度か自らこの仕草をしている。僕と話をしている時。話題が盛り上がっている時が多かったように思う。頬に()()()を作り、楽しそうに片目を瞑ってウインクしてみせた。

 

 そう。魔人王に乗っ取られているはずの彼女がウインクをしたのだ。ただしその表情に笑みはない。ぼぅっと立ち尽くしたまま、左の(まぶた)だけを下ろしたのだ。

 

「そっか……」

 

 嬉しかった。美波は完全に封じ込まれたわけではない。それが分かったから。

 

 ならば手はある。

 

 美波はすべてを乗っ取られたわけではない。僕の指示したことを実行できたのだから。今、彼女の体は自らの意思で止めている。やはり魔人王が自分の体を使って現実世界に出てしまうのを防いでいるのだ。

 

 だがこのままでは扉が閉まってしまう。魔人王の流出は防げても美波を置いていくことになってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。

 

 この状況下で僕が考えられる解決策はただひとつ。それは美波の意思を呼び覚ますことだ。彼女が目覚めれば魔人王を追い出すことだってできるはず。美波のように気の強い女の子があんなわけの分からない奴なんかに負けるはずがないんだ。

 

 だが現時点では彼女はほぼ意思表示をできない。魔人王の意思が(まさ)っているのだろう。だから――

 

「そのまま聞いて美波。まずは謝るよ。ごめん。謝るなって言われたけど、責任は僕にある。この世界を作ってしまったのは僕だからね。だからやっぱり謝るよ」

 

 美波の意思を呼び覚ますには、彼女の意思を魔人王より強くしなければならない。それにはやはり僕が話し掛けるしかない。

 

「でも僕だってビックリしたんだよ? 突然目の前が真っ暗になったかと思ったら見たこともない草原に放り出されてたんだから」

 

 あれからもう1ヶ月以上も経っている。あの時、僕があの変なコンセントを使わなければこんなことにはならなかった。

 

「最初はどうしたらいいのかさっぱりだったよ。帰り道は分からないし、携帯は無いし。それにでっかいリスは襲ってくるし」

 

 思えばあれが魔獣との最初の遭遇だった。

 

「前にも話したよね。鍛冶職人のマルコさんに助けてもらったって。あの時はまさか奥さんのルミナさんが王女さまだなんて思いもしなかったよ」

 

 僕はハルニア王国での出来事を思い出しながら話し続ける。けれど美波は反応する様子がない。これらの話はハルニア王国の王都ガラムバーグで再会してから何度も話している。だから彼女にとってそれほどインパクトのある話ではないのかもしれない。

 

「でも美波がジェシカさんみたいにいい人に助けられて本当に良かったよ。この世界で美波と再会できたのもジェシカさんのおかげさ。あと王様のレナードさんも面白い人だったよね。ちょっとエッチだったけどね。あっ! あの時下着を見ちゃったのは不可抗力だからね!? だ、だからその……! なんというか……ご、ゴメンっ!」

 

 ハルニア国王であるレナードさんは発明家だった。話を聞きに行った際、王様は”春風機(しゅんぷうき)”なる風を起こす機械を作っていた。まさかその機械がスカートをめくるためのものだなんて夢にも思わなかった。

 

「……?」

 

 この話をしたら恥ずかしがって殴りかかってくるかと思った。けれど美波はやはり反応を示さなかった。人形のようにピクリとも動かず、棒立ちのままだった。こんな話題じゃダメだ。もっと強く気を引く話題にしなくちゃ。

 

「ねぇ美波。覚えてる? 最初にハルニアからガルバランドに渡った時のこと」

 

《――先程から何を言っている貴様。余はそのようなことに興味はない》

 

 口を開いたと思ったら魔人王だった。まだ奴の意思の方が強いようだ。くそっ……諦めるもんか!

 

「あの時、船の上で誓ったよね?」

 

《――愚かな。余が貴様のような下賤の者と約束を交わすはずもあるまい》

 

「あのさ魔人王さん、ちょっと黙っててくれないかな。僕は美波と話してるんだ」

 

 僕は美波の両肩に手を沿え、彼女の目をじっと見据えた。その瞳にいつもの輝きは無く、焦点は定まっていない。それでも僕は懸命に語りかけた。彼女の意識が戻ることを信じて。

 

「皆と一緒に帰る。僕と一緒にそう誓ったじゃないか。忘れたの?」

 

《――無駄だ! いくら話し掛けようとも貴様の声など届かぬ!》

 

「それにさ、僕は美波が完全に乗っ取られたなんて思ってないよ」

 

《――この状況でまだそのようなことを言うか。どこまでも愚かな者だ》

 

「僕の声、聞こえてるんだろう? でも返事ができないんだよね?」

 

《――聞こえるわけがなかろう。余がこの者の五感を支配しておるのだからな》

 

「そんな変な奴、追い出しちゃえよ。美波ならできるだろ?」

 

《――無駄だと言うておろう! 諦めよ!》

 

「美波は心が強い。僕が魔人を恐れて戦えなくなった時だって励ましてくれたじゃないか。そんな君が魔人王ごときに乗っ取られるはずがない。僕はそう信じてる」

 

《――えぇい! いい加減にせぬか小賢(こざか)しい! 何をしても無駄だと言うておろう!》

 

 美波の声で喚く魔人王。まだ彼女の様子に変化は現れない。やはりダメなのか……ただ語りかけるだけでは取り戻せないのか……もう時間がない。早くしないと(ゲート)が閉まってしまう。かといって美波を置いていくわけにもいかない。

 

 雄二はショックを与えろと言っていた。美波が清水さんにしたように。けれど僕にはそんなことはできない。愛する人を殴るなんて、できるわけがないじゃないか……。

 

 

 ……………………

 

 

 愛する……。

 

 そうか……。

 

 ショックを与えられるのは暴力だけじゃない。他にも方法がある。

 

 僕は美波からビンタをもらったことがある。確かにあれはもの凄いショックだった。けれど僕は以前、美波からそれ以上のショックをもらったことがある。あれと同じことをすれば美波の意識を取り戻せるかもしれない。

 

《――ウヌヌ……! おのれ! 何故動けぬ! 余は五感すべてを掌握しているのだぞ! だというのに何故動けぬのだ!》

 

 どうやら魔人王はまだ美波の体を動かせないようだ。やるなら今のうちだ。とはいえ、さすがに抵抗が……。

 

 僕の気持ちに嘘偽りはない。でもこれはいつか”自分に自信がついた時に”と決めていたこと。僕の現状はその目標には程遠い。できるならばこの手段は未来の自分にとっておきたい。

 

『明久ァ! もう時間がねぇぞ! モタモタすんな!』

 

「しつこいな! 分かってるってば!!」

 

 もうあれこれ悩んでいる時間はない。やるしかない!

 

「美波。よく聞いて。僕はまだ半人前で頼りないかもしれない」

 

《――黙れ人間! 集中できぬではないか!》

 

「観察処分もまだ解かれないし、成績も思うように上がってない。でも僕は……君と一緒にいたいんだ」

 

 これが美波にとってショックになるのか分からない。まったく効果が無いことだって考えられる。でも他に手が考えられない以上やるしかないんだ!

 

「だから……一緒に帰ろう! 帰ってデートするって約束したんだ! 僕に約束を守らせてくれ!」

 

 僕は少し乱暴に美波の両肩を掴んで揺らした。すると彼女がピクリと頬を動かした。

 

《――あ……キ……》

 

 今のは……美波の意思? 美波の意思が戻り始めているのか?

 

 じっと彼女の目を見つめる僕。すると僅かに彼女の表情に苦悶の色が現れはじめた。そうか……美波が魔人王の意思と戦っているんだ。

 

「そうだよ! 僕だよ! 頑張るんだ! 魔人王を追い出すんだ!」

 

《――残念だったな小僧。たった今この体は完全に余のものとなったぞ!》

 

「なっ……!」

 

 わ、渡すもんか……絶対に渡すもんか! 僕の大切な……僕にとって一番大切な人を!!

 

「美波! 頼む! 帰ってきてくれ! 僕の美波に戻ってくれ!! 君がいなくちゃダメなんだ! 君がいない世界なんて考えられない! 僕には君が必要なんだ!」

 

 僕は心の底から願い、叫んだ。彼女の肩を掴む手にぐっと力を入れ引き寄せる。そして――――

 

《――貴様何のつもりだ!? 離せ! 離せ無礼も――――ッ!?》

 

 僕は息を止め、彼女の口を塞ぐように自らの唇を重ねた。

 

 この世界で共に過ごした日々。ここで美波の色々な面を知った。今まで学園生活では知り得なかったことをいくつも知った。そして僕は彼女のことを()()()知りたいと思った。この先、僕たちは三年生になり、いずれ卒業する。その後もずっと、ずっと一緒に過ごしたい。

 

 僕はこの想いのすべてを込め、彼女の唇を通じて伝えた。

 

《――……あっ……く……あ……あぁ……っ!》

 

 突然、美波が頭を抱えて苦しみ始めた。それと同時に彼女の全身から灰色の煙のようなものが吹き出しはじめた。

 

「み……美波!?」

 

 この光景は見たことがある。それもつい先程。美波が清水さんを殴り倒した後、清水さんの身体に起こった現象だった。そ、そうか! 魔人王の正体ってこの煙だったんだ! 清水さんから追い出された後、今度は美波の身体に入り込んでいたんだ!

 

「もうちょっとだ! 頑張れ美波! 頑張るんだ!」

 

 彼女の身体は華奢(きゃしゃ)で、僕の両腕に丁度収まるくらいに細い。僕は美波の身体をぎゅっと抱き締め、怒鳴るように励まし続けた。

 

《――っ……!》

 

 フッと糸が切れたように美波の身体から力が抜ける。

 

「美波!」

 

 僕は崩れ落ちる彼女を支えるように屈み込んだ。

 

「美波! しっかりするんだ! 美波!!」

 

 力が抜けてぐったりとしている美波。抱えたまま顔を覗き込んでみると、先程のような苦悶の表情は消えていた。どうやら気を失っているようだ。

 

《――ヌォォッ!? な、何故だ! 何故弾き出される!? 貴様何をした!!》

 

 気付けば上空では灰色の煙が集まり、モヤモヤした塊を形成していた。そしてその塊は低く呻くような声を発する。それはまるで地獄の底から響くような、寒気のする不気味な声だった。

 

「……あれ? ウチ……?」

 

 美波が目を覚ましたようだ。ぱちくりと瞬きをする瞳には光が戻り、無表情だった顔にも感情が現れていた。

 

「気が付いた?」

「アキ……? あれ……ウチ……どうしたんだっけ……? なんだか頭がぼーっとして……」

 

 彼女は頬に手を当て、疲れた表情を見せている。きっと無意識のうちに魔人王と戦って疲れたのであろう。

 

「おかえり美波。よく帰ってきてくれたね」

「? 何言ってるのよ。ウチはどこにも行ったりしてないわよ?」

「……そうだね」

 

 良かった……本当に良かった……。

 

「ねぇ……アキ? もしかしてウチ、知らない間にアキに何かした?」

「ん? どうして?」

「ここ数分の記憶が無いのよ。美春にお仕置きしたところまでは覚えてるんだけど……」

 

 そうか、清水さんをぶっ飛ばした後、すぐに魔人王に取り憑かれてしまったのか。それでずっと棒のように立っていたんだな。

 

「心配いらないよ。美波は戦いに勝ったのさ」

「えっ? 戦い? ウチ何かと戦ったの?」

「……うん。あれさ」

 

 僕は上空でモヤモヤと(うごめ)いている物体に目を向けた。奴は暗い空間の中で右に左にとフラついている。もしかして新しい宿主を探しているのだろうか。

 

 ……そうはさせない。

 

「どうやら最後の仕上げが残ってるみたいだね」

「仕上げ? さっきから何言ってるのよ。分かるように説明しなさいよ」

「ほら。あれだよ」

 

 僕は上空の灰色の物体を指差す。美波はそれを見ると大きな目を見開き、驚きの表情を見せた。

 

「っ――!? な、何よあれ! 何なのあの変なの!?」

「魔人王さ」

「えっ!? あれが魔人王なの!? あの変な雲みたいなのが!?」

「うん。でももう終わりさ。……さぁ、全部終わらせて皆のところに帰ろう」

「あっ! そうだった! ウチら元の世界に帰るところだった!」

「そうだよ。でも……あれを片付けてからにしようか」

 

 僕は立ち上がり、手を差し伸べる。

 

「……そうね。分かったわ」

 

 美波は微笑み、僕の手を取り立ち上がった。

 

 そして僕たちは煙と化した魔人王の塊をキッと睨みつける。器を失った奴は何もできず、上空でうろうろと逃げ場を探しているようだった。

 

 最初に魔人と出会ったのがレオンドバーグの東。あの時は魔人の"(あるじ)"がこんな物体だとは想像もしていなかった。僕を狙っていた理由もまったく分からなかったけど、結果を見れば納得だ。だって僕を毛虫のように嫌っている清水さんに取り憑いていたのだから。

 

「美波」

「うん」

 

 僕は美波と目を合わせ、頷いた。彼女もまた同時に頷き、ニコッと笑顔を作って見せた。

 

「「――試獣装着(サモン)!」」

 

 真っ暗な空間に2本の光の柱が吹き上がる。光の柱はそれぞれ僕と美波の体を包み込み、召喚獣の力を与える。

 

「さぁ、終わりにしよう!」

「えぇ!」

 

 青い軍服に着替えたポニーテールの少女。彼女は腰のサーベルを抜き、切っ先をピッと上空の魔人王に向けた。腕輪の力を使うつもりだ。それを認識した僕は彼女の左手を取った。そうするのが自然と感じたから。そして自分も左手の木刀を上空に向け、魔人王に狙いを定めた。

 

 今、僕たちは手を繋ぎ、2本の剣を天にかざしている。

 

「「二重(ダブル)! 大旋風(サイクロン)!!」」

 

 こんな合体技ができると知っていたわけではない。ただ不思議なことに、この時の僕はできると信じて疑わなかった。それは同時に叫んだ美波も同じだったに違いない。

 

 そして腕輪は僕たちの想いに答えてくれた。

 

 美波の腕輪。そして僕の腕輪が激しく輝きだす。次の瞬間、それぞれの剣の先から渦巻く風が吹き出した。2つの竜巻は爆発的な勢いでその大きさを増していく。それはやがて浮遊する魔人王の塊を飲み込むほど強大に成長していった。

 

《――や……! やめろォォァァ―――!?》

 

 竜巻の轟音と共に、真っ黒な空間に低い声が響き渡る。

 

 ……アディオス。魔人王。もう二度と現れてくれるなよ。

 

 僕は心の中で囁き、彼女の手を握る右手に少しだけ力を込めた。

 

《――ギィヤァァァァァァァァァ……!》

 

 一際大きな叫びが木霊する。激しく渦巻く2つの竜巻はその断末魔の叫びをもかき消していく。風はすべてを飲み込むかのように吹き荒れた。

 

 やがて風は勢いを失い、渦はうねりながら次第に穏やかな風へと変化していく。そして”そよ風”にまで落ち着いた風はついにフッと消えてしまった。手元を見ると腕輪の輝きも失われていた。すべての力を使い切ってしまったのだろうか。

 

 その直後、スゥッと衣装が消えて元の文月学園の制服に戻ってしまった。手に持っていた剣も音も無く消えてしまった。やはり召喚獣のエネルギーが切れたようだ。

 

「終わった……の?」

「そうみたいだね」

 

 目の前には黒い空間のみが広がる。灰色の煙は見当たらない。攪拌(かくはん)したことで元に戻れなくなったのだろうか。

 

『明久! 島田! 早く来い! ゲートが閉まりはじめてるぞ!』

 

 後ろから雄二の声が聞こえた。振り向くと、白い四角が上からズズズと消えていっているのが見えた。まずい! もうゲートの解放時間が限界だ!

 

「美波。帰ろう。皆のところに!」

「うんっ!」

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 



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第六十四話 帰還

 ゲートをくぐった瞬間、凄まじい光が目に飛び込んできた。あまりの眩しさに目を開けていられないくらいだった。僕は腕で目を伏せて光の道を走るが、目を伏せていても眩しさは増す一方。光が脳内に直接届いているかのようだった。あまりに強烈な刺激に次第に意識が遠くなり、僕はいつの間にか気を失ってしまっていた。

 

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 

「――――君! 明久君! ――っかり――ください! ――久君!」

 

 ……ん……。

 

 この……声は……姫路……さん?

 

「――明久君! 目を開けてください! 明久君!」

 

 姫路さんの悲壮な叫びが聞こえてくる。なんだか起きなくちゃいけない気がする。

 

「う……」

 

「あっ! 明久君!? 気が付いたんですね! 良かった……」

「うう……な、なんか……頭がぼーっと……して……」

「大丈夫ですか明久君? 私が分かりますか?」

 

 心配そうに覗き込む女の子の姿がぼんやりと見えてくる。ふわっとした長い髪。上から見下ろされているので強調されているのだろうか。凶悪なほどに大きな2つの膨らみが目の前に聳えている。

 

「姫路……さん?」

「私が分かるんですね。良かった……本当に良かった……」

 

 いくら僕だってこんなに強烈なものを見せつけられて分からないほどバカではない。

 

「おぉ、気が付いたか明久よ」

 

 ひょい、ともう1人の美少女が僕の顔を覗き込んできた。秀吉だ。

 

「秀吉……無事だったんだね」

「んむ。お主も無事で何よりじゃ」

 

 次第に目が慣れてきて、周囲の様子が見えるようになってきた。

 

 古ぼけた壁。

 痛んだ畳。

 傷だらけのちゃぶ台。

 

 それは見慣れた風景だった。

 

「ここは……?」

「Fクラスの教室です。私たち帰って来たんですよ」

 

 姫路さんがにっこりと微笑んで言う。

 

「うん。このボロっちい教室はどう見てもFクラスの教室だね」

 

 そうか。ようやく帰ってきたんだな。僕たち……。

 

「ってそうだ! 美波! 美波は!?」

 

 ガバッと跳ね起きて教室内を見回す。姫路さん。秀吉。ムッツリーニ。それに雄二と霧島さんの姿が見える。畳の上で仰向けに寝ているのは清水さんだ。美波がいない!? ま、まさか取り残されて――!?

 

「ウチならここよ」

 

 その時、後ろから女の子の声が聞こえてきた。驚いて振り向くと、そこには可憐に微笑む美波の姿があった。

 

「美波! 無事だったんだね! 良かったぁ……」

「当たり前じゃない。ウチが1人で向こうの世界に残るとでも思った?」

「あ、はは……そっか……そうだよね」

 

 僕たちは手を繋いでゲートをくぐったんだ。美波だけ取り残されるはずがないか。それにしてもまさか最後の最後であんな罠が待っているなんて思わなかったな。まさか美波が乗っ取られちゃうなんてね。でも良かった。清水さんを含めて全員脱出できたみたいだ。

 

「しっかしまぁなんだ。お前もなかなかやるじゃねぇか」

「ん? 僕?」

「あぁ。まさかあの土壇場であんなことをするなんて思わなかったぜ」

「なんだよ雄二。何が言いたいのさ」

「いいのか? 言っちまって」

 

 ん……? おかしい。雄二がニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている。このいやらしい顔は僕に都合の悪いことを言う時の顔だ。

 

「なんですか坂本君? 明久君が何かしたんですか?」

「ワシも知りたいぞい」

「へへっ……実はな、さっきなかなか島田が出てこなかった時にな」

 

 !?

 

 さっき僕が美波にしたことを言うつもりか!?

 

「わーっ! わーっ! わーっ! 言うなーっ! 言うなぁーっ!」

「なんだようっせぇな。別にいいだろ言ったって」

「そうよ。ウチだって聞きたいわよ」

「尚更ダメーーッッ!!」

 

 じょ、冗談じゃない! あのことが皆に知られたらこれをネタに一生からかわれるに決まってる! しかも美波も聞きたいだなんて公開処刑みたいなもんじゃないか! 何としても秘密を守らないと!

 

「なによ。どうして尚更ダメなのよ」

「それは、その……えっと……ぼ、僕のプライマリーだから!」

「明久よ……それを言うならばプライバシーじゃ」

「わ、分かってるよっ! とにかく秘密! 雄二! もしバラしたらひ孫の代まで呪ってやるからな!!」

「どうやら明久にとって都合の悪いことのようじゃな」

「…………興味津々」

「ダメったらダメェーーッッ!」

 

 ムッツリーニなんかに知られたら最悪だ! よ、よし、ここは誤魔化してさっさと帰るように仕向けよう!

 

 ――ガラッ

 

 その時、突然教室の扉が開いた。そして、

 

「コータくーーーーん!!」

 

 ショートカットの女の子が飛び込んで来て、ムッツリーニに飛びついた。って……。

 

『『『コゥタくぅぅん!?』』』

 

 その場の全員が疑問の声をあげた。理由はもちろん飛び込んできた女の子が発した言葉が僕らの常識を覆すものだったからだ。

 

「コータくん! コータくん!! やっと目を覚ましたんだね! ボクとっても心配したんだよ!!」

 

 彼女はそう叫びながらムッツリーニに頬を寄せ、すりすりしている。こ、こんなバカな……。

 

「……愛子?」

「あっ、代表! 代表も無事だったんだね!」

 

 霧島さんのことを”代表”と呼ぶ女の子。名は工藤愛子という。Aクラス所属でいつもムッツリーニと保健体育で張り合っていた女の子だ。彼女は以前からよくFクラスに遊びに来ていた。なので教室に飛び込んで来たこと自体は珍しいことではないのだが、問題はムッツリーニの呼び方だ。

 

「あ、あの、愛子ちゃん? ちょっと質問……いいですか?」

「ん? なに? 瑞希ちゃん」

「その……こ、こーた君っていうのは……?」

「えっ? コータ君はコータ君だよ?」

「いえ、その……いつもと呼び方が違うような気がして……」

 

 そう。僕もそれが聞きたかった。工藤さんがムッツリーニを呼ぶ時はいつも”ムッツリーニ君”だった。最初のAクラス戦で知り合った時からずっとそうだった。それが突然”コータくん”になったのはどういうことなんだろう?

 

「あぁ、そのこと? えへへ~っ、実はちょっと事情があってね。呼び方を変えさせてもらったんだ~」

 

 ペロリと舌を出して答える工藤さん。呼び方を変える事情ってなんだろう? そういえば僕も最初は美波のことを「島田さん」って呼んでたっけ。美波も僕のことを「吉井」って呼んでたし。それが突然美波が呼び方を変えろって言い出したんだよね。あれにも何か事情があったのかな?

 

「……事情って?」

「え~? 代表も知りたいの? でも秘密だよ」

「分かった! ねぇ愛子、アンタ土屋に告白したんでしょ!」

「えっ!? 美波ちゃんどうしてそれを知ってるの!?」

 

『『ええぇぇーーーーっ!?』』

 

 く、工藤さんがムッツリーニに告白だなんて……そんなバカな……!

 

「お、おいムッツリーニ! それは本当か!?」

「無駄じゃ雄二よ。とっくに気を失っておる」

「ンなこと関係ねぇ! いいから答えろムッツリーニ!」

「お主も無茶を言うのう……」

 

 さすがの雄二も今回ばかりは混乱しているようだ。秀吉の言うようにムッツリーニは工藤さんに抱きつかれた瞬間から気を失っている。それも大量の鼻血を吹きながら。こんな状態で答えられるわけがないのは僕にだって分かるのに。

 

「あ、愛子ちゃん! 本当に土屋君に告白したんですか!?」

「バレちゃったらしょうがないね……実はそうなんだ。でも返事は貰えなかったんだよね」

「えっ? そうなんですか?」

「ボクが勇気を出して告白したのにコータくんってば何も言わずに逃げちゃったんだ。顔を真っ赤にしてね。それから何度も話そうとしたんだけど、いくら探しても全然見つからなくてさ。きっとどこかに隠れてたんだと思うんだよね。でも断られたわけじゃなさそうだからボクが勝手に呼び方を変えさせてもらったんだ」

『『へぇ~~~~』』

 

 これは驚きだ……まさか工藤さんがムッツリーニのことを好きだったなんて……でも今まで事ある度にムッツリーニに絡んできたことを思うと納得できなくもない。そうか、ムッツリーニにもついに彼女が……って、まだムッツリーニが答えてないからカップル成立ってわけじゃないのか。

 

「やるじゃない愛子。いつか告白するとは思ってたけど、もうしてたなんてびっくりだわ」

「や、やめてよ美波ちゃん……恥ずかしいよ……」

「愛子ちゃん、なんて言って告白したんですか?」

「そ、そんなの言えないよ!」

「いいじゃない。教えなさいよ愛子」

「そうですよ。私も知りたいですっ」

「美波ちゃんの告白を教えてくれたらって条件ならいいよ!」

「えぇっ!? う、ウチの!? ダメッ! 絶対にダメッ!」

「ほ~ら。美波ちゃんだって恥ずかしいんじゃないか~」

 

 えっと……あの……と、とりあえずムッツリーニを放してあげてほしいんですけど……このままじゃ出血多量で本当に死んじゃうよ?

 

 ――ガラッ

 

「ようやく帰ってきたねジャリども」

 

 色恋話に花が咲いている所にまったく無縁の人が入ってきた。なんと空気の読めない老人(ババァ)だろう。

 

「あぁ、この通りなんとか帰れたぜ」

「まったく、世話を焼かせんじゃないよ。どれだけアタシが苦労したか……ん? おかしいね。全部で8人だったはずだが1人多いね」

「学園長先生、愛子ちゃんはさっき来たばかりなんです」

「そうかい。それで土屋は何をやってるんだい?」

 

 ムッツリーニは既にぐったりと首をもたげてしまっている。何をやっているというか、助けてあげてほしい。

 

「……愛子。土屋が」

「えっ? ……わっ! どうしたのコータくん!? すっごい鼻血だよ!?」

 

 工藤さん、それはあなたが抱きついているからです。

 

「まったく……どこまで世話を焼かせるつもりだい。仕方ない。西村先生に言って土屋は保健室に連れて行ってもらうよ」

「学園長先生! 、ボクが連れて行きたいです!」

「あぁ? これ以上手間掛けさせんじゃないよ! お前たちは今すぐ帰んな! メンテナンスの邪魔だよ!」

「えっ……で、でも学園長先生! 私たち1ヶ月以上も――」

「うるさいね! ごちゃごちゃ言ってると姫路であろうと留年させるよ!」

 

 うわ、学園長が本気で怒ってる……こりゃ変なとばっちりを受ける前に帰った方が良さそうだ。

 

「帰ろう姫路さん。ここに居たら迷惑みたいだ」

「えっ? で、でもまずはお(うち)に連絡を……」

「いいからいいから。はい、鞄」

「あ、ありがとうございます……」

「ほれほれ、アンタらも帰った帰った。まったく……これから徹夜でメンテナンスだよ」

 

 そうか、召喚システムを元に戻す作業をするのか。確かに僕たちは邪魔になりそうだ。

 

「へいへいっと、じゃあ帰ろうぜ皆」

「そうだね」

 

 こうして僕たちは教室を追い出され、それぞれの家に帰ることになった。

 

 それにしてもずいぶん長いこと異世界に迷い込んでたよな。えぇと……36日間……かな? 姉さん心配してるだろうな……それに美波のご両親にも謝りに行かないといけないかな……。

 

 

 ……

 

 

 美波のご両親……。

 

 

「む? どうしたのじゃ明久よ? ずいぶんと顔が赤いようじゃが」

「っ――!? な、なんでもないよ!?」

「何を慌てておるのじゃ。帰ろうと言い出したのはお主じゃろう。ほれ、行くぞい」

「う、うん」

 

 今更だけど、ここに帰ってくる直前、なんだかとんでもないことを言ってしまった気がする。魔人王を追い出したい一心で我武者羅になって叫んだけど、今にして思うと僕が言ったことって、なんていうか……その……ぷ、プロポーズ……みたいな……?

 

 もし美波があのことを覚えてたらどうしよう……。今更嘘だなんて言えないし、だとしたら責任を取って……? そしたらやっぱり美波のご両親には挨拶に行かなくちゃならないよね。こういう時ってどう言えばいいんだろう……。

 

『アキー? どうしたの? 早く出ないと先生に叱られるわよー?』

 

 ビクッ!?

 

「わ、分かってる!」

 

 だ……大丈夫。あの様子なら僕の言ったことは覚えてないはず。そうさ、あの時は魔人王が美波の五感を奪っていたんだ。きっと聞こえてない。うん。そうに違いない。

 




ついにここまで来ました。
本作品もあと2話で完結を迎えます。
最後まで気を抜かずに全身全霊を込めて書き上げます!


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第六十五話 いつもの日常へ

 学園を出ると外は真っ暗だった。色とりどりのネオンが輝く夜景。見上げれば夜空は澄み渡り、無数の星が瞬いていた。足下はアスファルトで固められた道路。土むきだしの馬車道などではない。暗い夜道を照らすのも魔石灯の橙色の光ではなく、蛍光灯の白い光だった。

 

 僕たちは帰ってきたんだ。元の世界。僕たちが本来暮らすべき世界に。

 

「この感じ、なんだかとっても懐かしい気がするわね」

「なにしろ1ヶ月ぶりだからね」

「そうね。ウチら1ヶ月も向こうの世界にいたのよね」

「うん。でも全員無事に帰れてよかったよ」

 

 夜道を歩きながら僕はこのことを実感していた。美波、姫路さん、雄二、秀吉、それに霧島さん。いつものメンバー。いつもの帰り道。ムッツリーニがいないけど、大体いつも通りだ。

 

 もし1人でもあの世界に取り残されていたら、こんなにも晴々とした気持ちになれなかっただろう。色々なことがあったけど、こうして皆が揃って帰れたのも全員の協力があってのことだと思っている。

 

「どうしたの瑞希? なんか浮かない顔してるわね」

「あっ……はい……実はお父さんやお母さんにどう言って説明したらいいのかと思って……」

 

 う……そうだよね。1ヶ月も音信不通だったんだ。どんな顔をして帰ればいいのか困るのは当然か。今回の原因を作ったのは僕なんだし、やっぱり僕が皆の家を謝って回るべきなんだろうな。

 

「姫路さん、この後姫路さんの家に行ってもいいかな?」

「ふぇっ!? ど、どどどうしてですか!?」

「そんなに動揺しないでほしいんだけど……ほら、あの世界に飛ばされちゃったのって僕のせいだから姫路さんのご両親に謝ろうと思ってさ」

「あ……そ、そういうことですか……勘違いしちゃいました……」

 

 どういうことだと思ったんだろう。

 

「明久よ。その必要は無いかもしれぬぞ」

「へ? なんでさ」

「ほれ、この時計を見てみるのじゃ」

 

 秀吉は左腕に付けた腕時計を僕に向かって見せた。革製バンドの小さな腕時計。デジタル式のようだ。こうしたアイテムも懐かしく感じる。

 

「可愛い腕時計だね。秀吉にとっても良く似合ってるよ」

「お主は何を言っておるのじゃ……そうではなく、ほれ、時計のカレンダーを見てみるのじゃ」

「カレンダー?」

 

 どれどれ、と僕は再び秀吉の腕時計を覗き込む。1月10日と表示されているようだ。

 

「1月10日がどうかした?」

「お主この日付に何の疑問も抱かぬのか?」

「疑問? なんで?」

「…………」

 

 秀吉が「やれやれ」と言わんばかりに首を横に振っている。僕何かおかしいこと言った??

 

「アキ、木下は日付がおかしいって言いたいみたいよ」

「あぁそういうこと?」

 

 それならそうと言ってくれればいいのに。で、日付がおかしいって? 1月10日の何が――――って、待てよ? 1月10日?

 

「あれれ? ちょっと待って。1月10日?? それっておかしくない?」

「ようやく気付きよったか」

「ウチらって確か1月の始めにあの世界に飛ばされたのよね? あれから1ヶ月も経ってるのにまだ1月ってどう考えてもおかしいわよ。アンタの時計止まってるんじゃないの?」

「いや。間違いなく動いておるぞい」

「そうなの? 変ね……」

 

 僕が例のゲーム(ハンターズフロンティア)を買ったのは1月9日だ。その翌日に学校に持ち込んで遊んでいたのだから、あの世界に迷い込んだのは1月10日に間違いない。もし秀吉の時計が正しい日を示しているのなら、まるで日が経っていないことになる。でもそんなことってあるんだろうか?

 

「……皆、あれを見て」

「翔子? どうしたの?」

「……あの時計台」

 

 霧島さんは道路右側の遠くを指差している。あれは駅の時計台だ。遠くからでも分かるくらいに大きな時計で、夜でも見える電光時計だ。そこには日付も載っていて1月10日と表示されているのが見える。

 

「1月10日……それじゃ私たちがあの世界に行っている間、ぜんぜん時間が経ってなかったってことなんですか?」

「んむ。そう考えるべきじゃろうな。あの世界は召喚獣とゲームが融合した世界じゃ。ゲームでは数分で1日が経過したりするからのう」

「え……ちょ、ちょっと待ってよ秀吉。それじゃ僕たちがあの世界に行ってた間、数時間しか経ってないってこと?」

「そういうことじゃ」

「いや、そういうことって言われても。そんなの信じられないんだけど……」

「仕方あるまい。事実時計が進んでおらぬのじゃからな。それともお主は時計台の時計が嘘をついておるとでも言うのか?」

「う、う~ん……」

 

 秀吉の時計と駅の時計台が同じ日を指している以上、信じるしかない。でも僕たちは確かに1ヶ月という長い期間をあの世界で過ごしてきた。これだけは間違いないんだ。

 

「それじゃお父さんやお母さんに謝らなくてもいいんですか?」

「それはどうじゃろうな。もうすぐ午後9時故、女子がこの時間まで外におれば叱られるやもしれぬな」

「あ……そ、そうですね……」

 

 うん。やはり僕が謝りに行った方がいいな。

 

「姫路さん、やっぱり僕が謝りに行くよ」

「あ、大丈夫ですよ。ちょっと遅くなるとメールしておきますので」

「そう? それならいいんだけど……」

「ありがとうございます明久君。早速メールしますね」

 

 姫路さんは携帯を取り出し、操作しはじめた。そういえば僕の携帯は? ゴソゴソと上着のポケットを探ると……あった。良かった。これでいつもの生活に戻れそうだ。

 

「ところでムッツリーニは大丈夫かな」

「土屋なら西村先生が見てくれるって言ってたわ。だからきっと大丈夫よ」

「あれ? 保険の先生は?」

「とっくに帰ってるわよ」

「そっか。工藤さんは?」

「西村先生に言われて渋々帰ったわよ」

「あ、それで居なかったのか」

 

 しかしムッツリーニも災難だな。やっと帰ってこられたのに即ダウンだなんてさ。それにしても工藤さんに告白されたなんてホントビックリだよ。これでムッツリーニも異端審問会脱退して須川君に追われる立場になるのかな。そうなれば対異端審問会として強力な助っ人になって僕も助かるんだけどな。

 

「それにしても不思議な世界だったわね」

「そうじゃな……ワシはローゼスコートでの一件が印象深いのう」

「私もです。それに私、あの戦いで少し考え方が変わった気がします」

「ほう? どのように変わったのじゃ?」

「私、今まで食材になった動物たちのことを考えたりしたことなんて一度もなかったんです。でも……木下君の言ってくれた言葉で気付いたんです」

「はて。ワシが何か言うたかの?」

「はい、言いましたよ。動物たちの命は血となり、肉となり、私たちの中で生き続けるんだって」

「う~む……記憶にないのう」

「誤魔化してもダメですよ。私はしっかり覚えているんですからね」

「へぇ~、木下もいいこと言うじゃない。アキも少しは見習いなさいよね」

「あははっ! 僕には無理だね! そんな気の利いたこと言えるわけないじゃんか」

「最初から諦めるんじゃないわよ!」

「わわっ! ご、ごごごめん!」

 

 美波が殴りかかってきたので思わず逃げてしまった。すると美波は更に追いかけてきた。

 

「こらアキ! 待ちなさい! 止まらないと怒るわよ!」

「もう怒ってるじゃないか~っ!」

「いいから待ちなさ~いっ!」

 

 秀吉と姫路さんを中心にぐるぐると回る僕と美波。こんなバカをやっている時間は楽しい。そう、ここが僕らの現実世界。ようやくいつもの日常が戻ってきたんだ。僕は走り回りながらそれを実感し、楽しんでいた。

 

「……雄二? どうしたの?」

 

 霧島さんの声で気付いた。そういえばここまで雄二がまったく話に乗ってきていない。それにずいぶん遅れて歩いているようだ。

 

「…………」

 

 雄二は難しい顔をしたまま何も返事をしない。何か問題でもあるんだろうか?

 

「何を考えてるのさ雄二。何か問題でもあった?」

「問題なんかねぇよ」

 

 ぶっきらぼうに答える雄二。こういう受け答えをするのは機嫌が悪い時だ。きっと何か気に入らないことがあったんだろう。

 

「そんな顔をしてるってことは何か腑に落ちないことがあるんだろ? 言ってみろよ」

「…………」

 

 雄二は口をへの字に結んだまま何も言おうとしない。頑固なやつだ。

 

「……気に入らねぇ」

 

 なんて思っていたらあいつは小さく口を開いてボソリと呟いた。

 

「ん? 何が?」

学園長(ババァ)のことだよ」

「学園長が? なんでさ。今回は気持ち悪いくらい協力的だったと思うけど?」

「お前にはそうとしか感じられねぇんだろうな」

 

 何が言いたいんだ。

 

「なんだよ。何が気に入らないのさ」

「お前ら、サンジェスタで最初に学園長と話した時に聞いたよな。”あの島でなければ扉が開かない”と」

「そういえばそんなこと言ってたっけ。確かに聞いたよ」

「ウチも聞いたわ」

「私もです」

「……私も聞いた」

「ワシも覚えておるぞい」

「結局な、あれは嘘だったんだよ」

「へ? 嘘? なんでそんなことが言えるのさ」

「思い出してみろ。さっき教室に入ってきたババァがなんと言った?」

 

 えぇと……確か……。

 

「すぐに帰れ。だよね」

「ちげぇよ。”全部で8人”と言っただろ」

「あぁ、そっちか。確かにそう言ってたね」

「俺たちはムッツリーニを入れて何人だ」

「んーと……7人? あれ?」

「おかしいわね。数が合わないわ」

「そういえばそうですね……」

「……清水さんを入れれば8人」

「あ、そうか。清水さんか。すっかり忘れてた」

 

 と僕が言った瞬間、雄二はハァと大きく溜め息を吐いた。

 

「明久。俺はお前の脳天気が少し羨ましいぜ」

「失礼な。僕のどこが脳天気なのさ」

「自覚が無い辺りが救いようがねぇな。まぁいい。翔子の言う通りだ。清水を入れて8人が正解ってわけだ」

「うん。それがどうかした?」

「つまり学園長は最初から8人があの世界に行っていることを知ってやがったんだ」

 

 何が言いたいのか分からない。じれったいな……。

 

「つまりどういうことなのさ。勿体ぶらずに教えてくれよ」

「めんどくせぇな……いいか、つまりこういうことだ」

 

 雄二は真面目な顔をして話し出した。

 

 まず、学園長の”あの島でなければ扉が開かない”という言葉が嘘だったのだと言う。本当は白金の腕輪を手に入れた時点で帰れたのだと。つまりサンジェスタで通信が繋がった時点で僕たちは帰れたはずだと言うのだ。

 

 仮にそうだとして、なぜその時点で僕たちを元の世界に戻さなかったのか。その理由は清水さんだと雄二は言う。

 

 清水さんは知っての通り、魔人王に体を乗っ取られていた。もしサンジェスタで僕たちが帰ってしまえば清水さんは置き去りだ。そうなればこちらの世界の清水さんは意識の戻らない植物人間状態。学園長自慢の召喚システムでそんな不祥事を起せば、たちまち評判は悪くなる。スポンサーもすべて降りて、学園を維持できなくなってしまうだろうと雄二は言う。

 

 つまり学園長としては、清水さんを含めた僕ら8人を元の世界に帰したい。けれど清水さんは乗っ取られていて意識が無かった。そして外部からは手が出せない状態にあった。唯一の手段が、俺たちを清水さんの元へ向かわせて連れ帰らせることだったというのだ。

 

「なんだよそれ……それじゃ僕たちはダシに使われたってこと?」

「ま、そういうことだ」

「ふ~ん……それならそうと言ってくれればいいのに。学園長先生はどうしてそんな嘘をついたのかしら」

「そりゃ言えねぇだろ。清水が明久と仲が悪いことは知ってるだろうからな」

「僕は別に仲が悪いつもりなんてないよ?」

「お前って本当におめでたい奴だな……」

「そう?」

「それにな、先程も言った通り、もし俺らが帰らなければ学園長の責任となる。だが清水を救うことは俺たちに命をかけて戦えと言っていることに等しい。そんなことを学園の指導者が言えると思うか?」

「た、確かに……」

 

 そうか、学園長にも色々と事情があったんだな。

 

「ま、だからこそ召喚獣や腕輪の力を俺たちに与えたんだろうな。サポート用アイテムとしてな」

「なるほど。そういうことだったんだね。色々と納得したよ」

 

 納得はしたけど、1つ疑問が残っている。そう、あの魔人王という存在だ。

 

「それじゃさ雄二、あの魔人王って変な奴は何だったのかな?」

「さぁな。それは俺にも分からん。けど、もしかしたらあれは清水の邪悪な心が造り出したものかもしれねぇな」

「雄二よ……お主も口が悪いのう」

「ほっとけ。まぁそういうわけだ」

「ふ~ん……」

 

 邪悪な心ねぇ。清水さんってそんなに邪悪なのかな。確かに僕に対してはやたらと突っかかってくるけど、それは美波と僕が付き合っているのが気に入らないってだけだし。……あれ?

 

「そういえばさ、どうして清水さんも一緒にあの世界に飛ばされてたんだろ。あの時飛ばされたのってFクラスの部屋に居た人だけじゃないの?」

「なんじゃ。お主気付いておらんかったのか。清水ならばあの時掃除用具入れに潜んでおったぞい?」

「え……マジで?」

「んむ。ムッツリーニも気付いておったぞ?」

「ぜんぜん気付かなかった……なんで言ってくれないのさ秀吉」

「あれほどの殺気を(はな)っておれば誰でも気付くと思うのじゃが……」

「そんなの分かんないよ……ま、まぁいいや。それでその清水さんはどこへ?」

 

 まさか今もどこかで見張ってるんじゃないだろうな……。

 

「先程西村先生が土屋君と一緒に連れて行きましたよ。すぐお家に連絡して迎えに来ていただくそうです」

「そ、そっか……それなら安心だね」

 

 ……

 

 家の人って、ひょっとしてあのバーサーカーな父親? だとしたらちっとも安心できない。明日学校で暴れなければいいけど……。

 

 

 そんな不安に駆られながら、僕は夜の坂道を下って行った。

 




次回、最終話。


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第六十六話 僕と仲間と異世界冒険記っ!

 坂道を下って行くと、十字路が見えてきた。あそこから皆それぞれの家に帰ることになる。長かった皆との共同生活もいよいよ終わりだ。そう思うとやはり寂しくなってしまう。

 

「私はこっちですね」

 

 十字路で立ち止まり、姫路さんが右手の道を指して言う。寂しく思っても仕方が無い。これが本来あるべき姿なのだ。むしろ今までの生活が異常だったのだ。僕は自分にそう言い聞かせた。

 

「……私もこっち」

「それじゃ一緒に帰りましょう。翔子ちゃん」

「ねぇ翔子、2人で大丈夫なの? もう真っ暗なんだから危ないんじゃない?」

「……大丈夫。雄二も一緒だから」

「そうだったわね。頼んだわよ坂本」

「お前に言われるまでもねぇ。俺もこっちの道だからな」

 

 うん。雄二なら安心だ。霧島さんが一緒なら姫路さんを襲うことも無いだろうし。

 

「ウチはこっちよ」

「ワシもじゃ」

 

 美波は正面の道を指差して言う。秀吉も一緒の道のようだ。

 

「それじゃアキ、しっかり護衛頼むわよ」

「へいへいっと」

 

 僕の家は左の道に入るのが近道だ。けれどこの暗い夜道を美波と秀吉の2人で帰すわけにはいかない。僕が護衛の任に就くのは当然だろう。

 

「ではここで解散じゃな」

「あぁ。寄り道すんじゃねぇぞ明久」

「そっちもな雄二」

「では皆さんまた明日。おやすみなさい」

「うん。おやすみ姫路さん。霧島さんも気をつけて」

「……うん。頑張って我慢する」

 

 ……我慢? 何を?

 

「ではワシらも行くとしよう」

「そうね。行くわよアキ」

「うん」

 

 こうして僕たちはそれぞれの帰路についた。

 

 僕たち3人は暗い夜道を話しながら歩いた。話題は当然、あの融合世界での出来事。僕たちはそれぞれの経験を語り、36日間に渡る生活の日々を思い起こしていた。

 

 町の光景。

 馬車や船での移動。

 魔獣や魔人との戦い。

 そして魔人王という正体不明の存在。

 

 苦しい思いもした。楽しい思いもした。色々な出来事があった。今となってはそのすべてが懐かしく思える。これが思い出補正というやつなのだろうか。

 

「ではワシはここでお別れじゃな」

「あ、僕が送っていくよ」

「ワシを女扱いするでない。1人で帰れるわい」

「そう? 秀吉がそう言うのならいいけど……」

 

 秀吉は可愛いからちょっと心配だ。できれば家まで送って行きたいけど……でも本人が断っているのなら仕方ないか。

 

「それじゃ気をつけてね秀吉」

「んむ。お主はしっかり島田を送り届けるのじゃぞ」

「分かってるよ」

「では、おやすみじゃ」

「うん。おやすみ秀吉。また明日」

「おやすみ木下」

 

 僕は美波と共に手を振り、秀吉を見送った。秀吉はゆっくりと商店街の中へと歩いて行き、次第に人の陰で見えなくなっていく。

 

「行こうか」

「うんっ」

 

 2人きりになった僕たちは自然に手を取り合い、街灯の照らす夜道を再び歩き始めた。

 

「なんだか夢みたいな旅だったわね」

「そうだね。でもこっちに帰れてホントに良かったよ」

 

 確かにあれは召喚システムの不具合により発生した仮想空間での出来事だったのかもしれない。でもそこには僕らの世界と同じように暮らす人々がいた。

 

 マルコさん。ルミナさん。ウォーレンさん。ジェシカさん。レナード王やアレックス王。それにマッコイさん。彼らのことは鮮明に記憶に残っている。

 

 この1ヶ月間の不思議な旅の中で、僕は”命”というものを強く認識させられた。人類と魔獣の戦い。魔人との遭遇も僕にとって意識改革となった。今、僕はこうして美波と共に歩いている。当たり前になりつつあったこのことが今ではとても大切なことのように思える。それは彼のこの言葉が僕の胸に強く刻まれているからかもしれない。

 

 ―― 人生ってのは何があるか分からないんだ。だから後悔だけはすんなよ ――

 

 これは青い鎧の剣士、ウォーレンさんの言葉。この話を聞いた時は特に感じるものは無かった。でも今ならなんとなく分かる気がする。未来に何があるのか分からないのはこの現実世界でも同じこと。だから伝えたいことは伝えられる時に言うべきなんだ。

 

「ね、ねぇ、美波」

 

 僕には今まで胸の奥に封じていた思いがある。いつか自分が理想の男へと成長した時に告げるつもりでいた思いが。

 

「なぁにアキ?」

「えっと……その……」

 

 口に出して言うのは恥ずかしい。だが今こそ伝えるべきなんだ。後悔しないために。

 

「僕は……」

「? うん」

 

 街灯の光が美波の瞳をキラキラと輝かせる。大きくてぱっちりとした瞳。この時の彼女はどこか嬉しそうに微笑んでいた。その可憐な微笑みが僕の決意を揺るがせる。

 

「僕は……その……」

 

 本当に今言うべきなんだろうか。今の僕は理想には程遠い。こんな僕が言ってもバカにされるだけなんじゃないだろうか。

 

「どうしたのよ。そんなに言いにくいこと?」

「うぅっ……」

 

 そりゃ言いにくいさ。だって観察処分者を返上するまではと心に決めていたことなんだから。

 

「もう! ハッキリしなさいよ! 男なんでしょ!」

 

 美波が睨みつけながら僕の腕関節をガキッと絞めに掛かる。

 

「うわわっ! わわわ分かった! 言う! 言うから!」

「最初からそうすればいいのよ。で、何?」

「……えっと、一度しか言わないからね?」

「分かったから早く言いなさいよ」

 

 か……覚悟を決めろ、吉井明久!

 

「す……」

「す?」

「……す………………すき焼き、食べたいな! 美波の作ったすき焼きがさ!」

 

 って、ちっがぁぁぅう!!

 

「なんだ、そんなこと? いいわよ? じゃあ今度アキの家に作りに行くわね」

「う、うん……」

「どうしてそんな残念そうな顔をしてるのよ。すき焼き食べたいんじゃないの?」

「もちろん食べたいさ! いやあ楽しみだなぁ!」

 

 あぁもうっ! 僕の意気地なし! たった一言じゃないか! なんで「好きだよ」の一言が言えないのさ!

 

「あ、葉月も連れて行っていい? 夕食だとどうしても葉月を外せないから」

「え? う、うん。もちろんいいよ」

 

 そうか。葉月ちゃんと会うのも久しぶりだな。まぁこれはこれでいいかもしれないな。問題は姉さんだな。余計な言動をしないように注意しておかないと……。へへ……こんな心配をするのも久しぶりだ。あぁ、なにもかも久しぶりな感じがする。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 僕たちはついに美波の家の前にまで来てしまった。とうとうお別れの時が来てしまったのだ。

 

「送ってくれてありがと」

「うん。でも本当に僕から説明しなくて大丈夫?」

「そんなこと気にしなくていいわよ。どうせお父さんもお母さんも帰ってきてないと思うし」

「そっか」

「じゃあ明日、授業が終わったら買い出しに行ってからアキの家に行くわね」

「あぁ、買い物なら僕も一緒に行くよ」

「そう? それなら荷物持ってもらうわね。ふふ……それじゃまた明日」

 

 美波はニコッと笑顔を見せ、玄関へと向かって行く。

 

 ……

 

 この1ヶ月間、昼夜を通して一緒だったけどそれもおしまいか。やっぱり寂しいな……。

 

「あっ、そうだ。忘れてた」

 

 ドアノブに手を掛けていた美波はそう言って戻ってきた。はて? 鞄は手に持っているし特に預かっている物は無いと思った。ひょっとして僕が忘れているだけなんだろうか? なんてことを考えていると、彼女はトトッと僕の前にやってきて、

 

「おやすみ。アキ」

 

 そう言って僕の頬に軽く唇を当ててきた。

 

「……え? えっ?」

 

 突然のキスに気が動転してしまい、どう返答したらいいのか分からなくなってしまう。こうした挨拶は今までも何度かされているというのに。

 

「色々あったけど……この1ヶ月間、とっても楽しかったわ。また明日ね!」

 

 美波はそう言って身を翻すと、踊るように玄関へと入っていった。

 

 やっぱり愛情表現じゃ美波には敵わないなぁ……僕も頑張らなくちゃ。直近の目標は三年生への進級と、観察処分者の返上かな。

 

 よし、やるぞ!

 

 決意を胸に、僕は自宅への帰路に就いた。

 

 

 

      ☆

 

 

 

 翌朝。

 

 いつもの待ち合わせ場所に駆け付けると、両手で鞄を持ったポニーテールの女の子が待っていた。

 

「おはよう、美波」

「あっ、おはよアキ」

「ごめん。ちょっと遅れちゃった」

「まだ時間あるから大丈夫よ」

「そっか、それじゃ遅れないうちに行こうか」

「うん」

 

 僕たちが異世界に飛ばされてから約1ヶ月。しかしこの世界ではまったく日が経過していなかった。数時間が過ぎただけだったのだ。おかげで僕たちは出席日数不足による留年を免れたのだ。

 

「1ヶ月も勉強から離れていたから、授業が頭に入ってくるか心配ね」

「そう? 僕はあんまり変わらないと思うけど」

「アンタはいつも頭に入ってないから同じでしょ」

「まぁね。あははっ!」

 

 でもやっぱりこうして登校して授業を受けるって良いもんだな。魔獣や魔人と戦うより、僕はこうした日常の方が好きだ。

 

「ところでアキ、昨日西村先生が言ってたこと覚えてる?」

「ん? 鉄人? ……なんだっけ」

「そんなことだろうと思ったわ……」

 

 美波がやれやれといった感じに溜め息を吐く。でも本当に覚えていないのだから仕方がない。

 

「明日授業が終わったら残れって言われたでしょ?」

「そういえばそんなこと言われたような気がする……」

「いい? 変な抵抗せずにしっかり反省するのよ? 今日はアキの家にすき焼き作りに行く約束なんだからね」

「分かってるよ」

 

 こってり絞られるんだろうなぁ、きっと。日常の中でもこれだけは不要だな。うん。

 

「? ねぇアキ、あれ何かしら?」

「ん?」

 

 学園の校門が見え始めた時、美波が前方を指差して言った。そこでは制服姿の生徒たちが行列を作っていた。

 

「なんだろ。何かの特売?」

「バカね。学校にそんなものがあるわけないじゃない」

「だよねぇ」

 

 それじゃ一体何なんだろう?

 

「行ってみましょ」

「だね」

 

 早速行列の最後尾につき、一番後ろに並んでいた生徒に尋ねてみた。

 

「ねぇ、これって何の行列?」

「なんか手荷物検査らしいぜ」

「へ? 手荷物検査?」

「あぁ。2年のバカがバカなことをしたから、これから毎日やるんだとよ」

「えぇっ!? ま、毎日!?」

 

 そんな! それじゃゲームを持ち込んだりDVDを持ち込んだりできないじゃないか!

 

『いいかお前ら! 確かにこれは一部の”バカ”の所業のせいだが、お前ら生徒全員にも言えることだ! 授業に関係無い物はこの場で容赦なく没収するから覚悟しておけ!』

 

 前方からバカでかい声が聞こえてきた。考えなくても分かる。あれは鉄人の声だ。くそっ! 犯人はどこのバカだ! いい迷惑だ!

 

 なんてことを思っていると、行列の横を砂煙を巻き上げながら向かってくる人影が見えてきた。もしやあれが犯人か? よし、とっ捕まえて吊し上げてやる!

 

おぉぉぉーーッ!! 明久あぁァーーッ!!』

 

 と思ったら、走ってくるのは赤いゴリラだった。そのゴリラは数十人もの男子生徒たちを引き連れてこちらに走ってくる。

 

「やぁ雄二。朝からマラソンとは元気だね」

 

 こんなにも爽やかに声を掛けてやったというのに、雄二のやつは返事もせずただ走ってくるのみ。人がせっかく挨拶してやっているというのに、愛想の悪いやつだ。

 

「ねぇアキ。マラソンじゃなさそうよ?」

「ほぇ?」

「ほら。あの男子たちって坂本を追いかけてるように見えない?」

 

 言われてみると確かに雄二の表情が慌てているようにも見える。でもなんで追いかけられて――

 

「そうか! 持ち物検査が始まった原因は貴様だな!!」

 

 なんて迷惑な奴だ! これからの僕の学園生活をどうしてくれるんだ! 何の楽しみもなくなっちゃうじゃないか! よし、ここで奴をとっ捕まえてやる!

 

『おいてめぇら! 主犯がいたぞ! 犯人は俺じゃねぇ! あの明久(バカ)なんだよ!』

 

「はぁ!? 僕が犯人!? なんで!?」

 

『おい本当だ! 吉井がいるぞ!』

『よし! あいつもふん縛れ! 俺たちの自由を奪った罪を償わせるんだ!』

『もう分かったろ! 俺は犯人じゃねぇ!』

『いや、お前も犯人のうちの一人だ! 吉井が犯人なら坂本もグルに決まってるからな!』

『だーっ! ちげぇっつってんだろ!』

 

 雄二と男子生徒たちが言い争いながら凄い勢いでこちらに向かって走ってくる。

 

『坂本ォーーッ! 待ちやがれェェーーッ!!』

『ちくしょぉぉーーッ! 明久ァ! 俺の代わりに生け贄となれェェーーッ!』

『吉井も確保しろ! 二手に分かれて追え! どちらも絶対に逃がすな!』

『『『おぉぉーーっ!!』』』

 

 ひいっ!?

 

「生け贄なんて冗談じゃない! 捕まってたまるか!」

 

 僕は180度反転。一目散に駆け出した。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ! く、くそっ! お前のせいだぞ! なんとかしやがれ!」

 

 追いついてきた雄二が息を切らせながら言う。妨害してやりたいところだが、今は走らないと追ってくる男たちに捕まってしまう。

 

「雄二こそなんとかしろよ! 説得や交渉はお前の得意分野だろ!」

「俺の交渉術はパンチから始まること知ってんだろ!」

「そんなことしたら鉄人に捕まるに決まってるじゃないか!」

「そういうことだ! とにかく逃げるぞ!」

「言われなくたって逃げるさ!」

 

 僕たちは更に加速。歯を食いしばり、全力で走り出した。

 

『あ! ねぇちょっとアキ! アンタ授業はどうすんのよ!』

 

「ごめん! 今それどころじゃないんだ!」

 

『もう! どうなっても知らないんだからねーーっ!!』

 

 

 この後、僕と雄二は学園の周りを10周ほど駆け回った。

 

 

 ごめん美波。僕の観察処分返上への道は思ったより険しそうだ。

 




ここまで読んでいただいた皆さんに厚く御礼申し上げます。

初投稿が2014年の6月。もう3年半経つのですね。時が経つのは早いものです。本作品はこれにて終了となりますが、この後エピローグを投稿する予定です。

また、長い期間書いていたのでどこかに不整合が生じている可能性もあります。もしご意見や「ここがおかしい!」等あれば感想にていただければ幸いです。


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エピローグ

 ――とある休日

 

 それは青空の広がるよく晴れた日だった。この日、僕は美波と共に家でのんびりと遊んでいた。

 

 彼女と過ごす(とき)は心地よい。一緒に勉強するのも悪くないが、やはりこうして遊んでいる時が一番楽しい。

 

 ……

 

 けど……。

 

「どうしたのアキ? 浮かない顔しちゃって」

「ん。いや、なんでもないよ」

「嘘ね」

 

 ……彼女には僕の頭の中が見えるんだろうか。

 

「はは……やっぱりバレちゃうか」

「そりゃそうよ。だってアンタってすぐ顔に出るんだもの。それで何を悩んでるの?」

「んー。悩んでいるというかなんというか……」

「相談に乗るわよ? 言ってみなさいよ」

 

 まぁ、誤魔化してもまたすぐにバレるか。

 

「それじゃ正直に話すよ。実は今日ずっと思ってたことがあってさ。聞くべきか迷ってたんだ」

「ウチに遠慮なんかしなくていいのに。いいから言いなさいよ」

「うん。それじゃ聞くけどさ、せっかく補習もないっていうのに、出掛けたりしなくて良かったの?」

「出掛ける? どこに?」

「いや、美波は買い物とかに行きたかったんじゃないのかなって思ってたんだけど……」

「別にいいわよ。一緒に出掛けるだけがデートってわけでもないでしょ?」

「そんなもんかな?」

「そんなものよ。それにアンタ買い物するお金なんてないでしょ?」

「まぁそうなんだけどね」

 

 今週末は補習もないので一緒に遊ぶ約束をしていた。言い出したのは美波だった。つまりデートの約束だ。

 

 例の事件――召喚システムが携帯ゲーム機と融合し、召喚獣の世界に閉じ込められてしまったあの事件から2週間が経とうとしている。あの日以来、登校時の持ち物検査は続けられている。おかげで教科書やノート、筆記用具以外を学校に持ち込めなくなってしまった。

 

 このことにより、HR(ホームルーム)後のFクラス教室は一瞬で無人になる。最初は学年全体から酷く恨まれたが、この頃にはほとぼりも冷め、落ち着いた生活を送れるようになっていた。

 

「そうそう、聞いてアキ。土屋ったらまだ愛子に答えてないらしいのよ」

「答えるって、何を?」

「決まってるじゃない。告白の答えよ」

「へぇ~。そうなんだ」

「あんまり感心なさそうね」

「いや、そんなことないよ? ただあいつが女の子と付き合うとか想像できなくてさ」

 

 まぁ僕もこうして女の子と付き合う日が来るなんて思わなかったけどね。

 

「そうね。土屋ってばすぐに鼻血吹いて倒れちゃうものね」

「そうなんだよね。だから工藤さんに抱きつかれたりしたら耐えられないんじゃないかなって思ってさ」

「ふふ……そうね。愛子にはほどほどにするように言っておくわ」

 

 そういえば以前は美波もよく抱きついてきたなぁ。チョークスリーパー。四の字固め。卍固め。コブラツイスト。腕ひしぎ逆十字固め。ベアハッグなんかもやられたな。

 

 ……

 

 あれ? これって抱きつかれたって言うんだっけ? むしろ痛かった記憶しかないんだけど。

 

「ねぇアキ、この武器ってどうなの?」

「ん? どれ?」

 

 実は今、僕たちは2人でゲームで遊んでいる。ゲームのタイトルは〔ハンターズフロンティア〕。そう、例の事件を引き起こした引き金になったゲームだ。とはいえ、このゲームが悪いわけじゃない。召喚システムに直結していたあのコンセントに繋いだのがいけなかったのだ。それさえ注意していれば問題無いのだ。そもそも、もう学校に持ち込めないのでその注意も必要ないのだけど。

 

「そうだなぁ。悪くはないんだけどオプション性能がちょっと微妙だね」

「ふ~ん。じゃあ売っちゃっていいかしら」

「うん。いいと思うよ」

「じゃ売っちゃうわね。……売却っと」

 

 小さなテーブルを隔てた向かい側で美波がボタンをカチカチと押している。押しているのはもちろん携帯ゲーム機のボタンだ。

 

 言われて僕も驚いたのだけど、なんと先週末に美波もゲーム機を買ったと言うのだ。それもハンターズフロンティアをセットで。

 

 彼女は今までこういったゲームにはあまり興味を示さなかったから、これを言われた時は何か裏があるのではないかと思ってしまったくらいだ。でも理由は単純で、僕と一緒に遊びたかったかららしい。

 

「それにしてもこのゲーム、結構思った通りに動いてくれるのね」

「へっへ~。でしょ~? こうして剣を振るモーションもかっこいいんだよね」

「ウチはこの二刀流が好き。素早くて扱いやすいのよね」

「あ、でもその武器は防御できないから気をつけてね」

「攻撃を受ける前に避ければいんでしょ?」

「うんまぁ、そうなんだけどね」

 

 さすが美波だ。風のように舞い、蝶のように刺す攻撃はお手の物ってわけか。いや、嵐のような怒濤の攻撃かな。あれ? 蝶って刺すんだっけ? なんか違うような気もするけど……ま、いいか。

 

「よし、そろそろレベルも上がってきたし、次の狩り場に行ってみようか」

「はいっアキ先生」

「せ、先生ぃ? 僕が?」

「だってそうでしょ? ゲームに関する知識はウチよりアンタの方がずっと上だもの」

「そうかもしれないけど……それにしたって先生ってのはなぁ」

「ふふ……冗談よ。それより次の狩り場でしょ? どうやって行くの?」

「あ、うん。それじゃまず乗り物を借りて――」

 

 

 冬の休日。彼女を自宅に招いてゲームで遊ぶ。まさかこんな日が来るなんて思わなかった。

 

 

 2週間前、僕たちは召喚獣の世界に閉じ込められてしまった。

 

 

 原因は僕が携帯ゲーム機を召喚システムに繋いでしまったことによる、システムの暴走。最初は何が起きているのかさっぱり分からず、ただ途方に暮れるだけだった。けれど様々な人の助けを借り、僕は――いや、僕たちは全員無事に帰ることができた。

 

 ルミナさん。マルコさん。ウォーレンさん。レナード王。クレアさん。

 

 色々な人に力を貸してもらった。今思えば彼らの協力なしに生還することはできなかったかもしれない。こうして幸せな時間を過ごせるのも、彼らのおかげなのかもしれない。そう思うとあの40日間は僕にとってとても貴重な経験だったように思う。雄二は学園(ババァ)長の策にまんまと乗せられたと面白くなさそうな顔をしていたけどね。

 

「そうだ。ついでに僕の武器も取りに行っていいかな?」

「いいわよ。一緒に行きましょ」

「サンキュー」

 

 このゲームでは長い距離は馬で移動する。馬と言っても馬車ではなく、またがって乗るタイプの馬だ。この馬がなかなかよく出来ていて、たてがみが風になびく様子もリアルに再現しているのだ。と言っても僕は本物の馬に乗ったことなんてないから、あの異世界での馬と比べてるんだけどね。

 

 ……

 

 それにしても……。

 

「この馬の尻尾、美波の髪に似てるよね」

「そうなの?」

「このふわふわってなびく感じが特にね」

「自分では後ろは見えないから分からないのよね」

「あ、そっか」

「ふ~ん。ウチの髪って後ろから見るとこんな感じなのね」

「うん。そんな感じだよ」

「ふぅん……って、何? それ」

「ん? それって?」

「その箸みたいな物のことよ」

「あぁこれ?」

 

 美波が言っているのは僕が手に持っている”トング”のことのようだ。

 

「お菓子を食べながらゲームするとコントローラーが汚れちゃうだろ? 特にポテトチップスなんかだと油でベタベタになっちゃうじゃん?」

「あ、そういうこと。だから箸でつまんでるのね」

「箸というかトングなんだけどね」

 

 実はこれは雄二が持っているのを見て良いと思ったので買ったものだ。最初は面倒かと思ったのだけど、よく考えると指についた油をティッシュで拭きながら遊ぶより断然楽なのだ。

 

「ねぇアキ、ウチにもポテチちょうだい」

「ん。いいよ」

 

 テーブルに置いたポテチの袋をスィと美波の方に寄せる。すると彼女は「違う」と言い出した。

 

「ウチに素手で食べろって言うの?」

「へ? あー。そっか、それもそうだね」

 

 とトングを渡そうとすると、彼女はそれも違うと言う。

 

「ウチは両手が塞がってるの。分かるわよね?」

「うん。そだね」

「じゃあどうしたらいいか分かるわよね?」

 

 にっこりと何かを求める笑顔を見せる美波。この表情。彼女が言いたいのは……そういうことか。

 

「へいへい。それじゃお口を開けていただけますか。姫」

「うむ。くるしゅうないぞ」

 

 嬉しそうな美波。僕はトングでポテチを1枚つまみ、彼女の口元へと差し出す。

 

「はい、ではどーぞ」

「あーん」

 

 差し出したポテチをパクッと口に咥える美波。それをひょいっと口に放り込み、もきゅもきゅと食べる。

 

「ん~おいしっ」

「ではもうひとついかがですか? 姫」

「んむ。くるしゅうないぞ」

「何言ってんのさ。美波にそんな言葉遣いは似合わないよ?」

「そうかしら。あ~ん」

「いいからよこせってことね。はいはい」

 

 もう1枚ポテチをつまみ、差し出す。彼女はそれを美味しそうに食べていた。

 

 こんなに落ち着いた時間も久しぶりだ。よし、今日は2人の時間を満喫するぞ!

 

 

 

 ――そんなこんなで1時間後

 

 

 

 美波のキャラクターレベルも上がり、僕と同じくらいの狩り場にも行けるようになってきた。そこで次は僕の武器を手に入れるクエストに着手した。クエストは魔竜の討伐。なかなか強いモンスターだけど、2人がかりならば倒せないレベルではない。

 

「ブレスに気をつけて。喉が光ったら左から右に向かって撃ってくるよ」

「喉が光るのね。分かったわ」

「その後煙に紛れて突進してくる。ブレスが止まったら右に大きく回り込むんだ」

 

 今までの経験から得た戦略を伝え、2人で戦いを挑む。あの異世界でもこうして美波と共に戦ってきた。そのためか、今の僕には彼女の動きがなんとなく想像できる。そういう意味ではあの世界の経験も役に立っていると言える。

 

「よっしゃぁ! 倒した!」

「やったぁ!」

「サンキュー美波! これで僕の武器も更新だ!」

「それじゃ早速もらいに行きましょ」

「うん!」

 

 こうして討伐クエストは無事完了。町に報告に戻り、報酬として新たな武器を得ることができた。

 

「新武器ゲットぉ!」

「伝説級の武器にしては結構あっさり取れるものなのね」

「2人がかりで片方が囮になると楽なんだよね。ありがとう美波。おかげで楽に取れたよ」

「どういたしまして」

「よ~し、早速試し斬りだ」

「ちょっと待ってアキ。村長さんの話だとその武器はまだ完全じゃないみたいよ?」

 

 村長とは今武器をくれた町のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のことだ。僕は読み飛ばしていたけど、美波はしっかり台詞を読んでいたようだ。

 

「このままでいいんだ。僕にはね」

「でもそれじゃ最高の威力が出ないわよ?」

「かまわないさ。だってこれを完全にするためには人の命が必要なんだ」

「え……そうなの?」

「うん。人の命と引き替えに強い武器を手に入れるなんてこと、したくないからね」

 

 ”命”はかけがえのない大切なもの。あの異世界で僕はそれを思い知った。それまではこうして生きていることは当たり前だと思っていた。何の疑問も抱かなかった。

 

 けれどあの異世界の度重なる魔獣との戦いを経験し、それが当たり前でないことを思い知った。だから今、僕は誰かの命を引き替えに何かを得るなんてことはしなくないんだ。たとえそれがゲームの世界だとしても。

 

「ふぅん……」

「やっぱり変かな?」

「ううん。そういうトコ、アンタらしいなって思うわ」

「まぁどうせ今は中盤だし、もう少し先に行けば次のランクの武器があるからね」

「それもそうね。それじゃ次はウチの武器も新調したいな。付き合ってくれる?」

「……う、うん。いいよ」

「? どうしたの?」

「ううん。なんでもない」

 

 

 美波の「付き合って」という言葉には、やはりドキッとさせられる。こうして恋人同士として付き合っている今でも。それは僕の心がまだ成長していないのが原因なんだろうか。

 

 

 ……あれ? そういえば告白される前にも美波に「付き合って」と言われたことがあるような? う~ん……いつだったか忘れちゃったな。なんだか体育の時間だった気がするけど……。

 

 

  Prrrrrr

 

 

「あ。ウチの電話みたい。ちょっと待ってて」

 

 美波がポシェットの中から携帯電話を取り出して耳に当てる。美波の家からの電話かな?

 

「お母さん? どうしたの?」

 

 予想通り美波のお母さんからの電話のようだ。

 

「うん。うん。そう、分かった。えっ? 葉月を? うん、いいけど……」

 

 美波の表情が次第に曇っていく。この様子。あまり好ましくない事態が起きているのだろう。

 

「分かった。じゃあ……」

 

 そう締めくくって美波は通話を切る。そして彼女は申し訳なさそうな顔をして言ってきた。

 

「あのね、お母さんが今から仕事に出るんだって。それで葉月を独りにできないからって……」

「そっか。それじゃ帰ってあげないといけないね」

「ううん。そうじゃなくてね」

「ん? 違うの?」

「うん。それがね……葉月がそっちに向かったから、って……」

「んん? つまり葉月ちゃんが今からここに来るってこと?」

「うん。そうみたい……」

 

 なんだそんなことか。でもなんでそんなに暗い顔をしてるんだろう?

 

「それじゃ迎えに行こうよ。葉月ちゃんこの家の場所をちゃんと覚えてないかもしれないし」

「えっ……? いいの?」

「ほぇ? いいもなにも、もうこっちに向かってるんでしょ?」

「うん。そうなんだけど……」

「だったら行こうよ。迷子になっちゃったら大変だよ?」

「アキはそれでいいの?」

「んん? どういうこと?」

「だって、せっかく二人きりだったのに、葉月も一緒になっちゃうのよ?」

 

 美波が真面目な目をして言う。確かに2人だけの時間は楽しかった。でもだからといって葉月ちゃんに寂しい思いはさせたくはない。

 

「僕だって美波と遊ぶのは楽しいさ。でも葉月ちゃんをほっとくわけにいかないよ」

「でも……」

「そんなに気にしないでよ。葉月ちゃんなら大歓迎さ。それにもう向かって来ちゃってるんだし」

「そう? ゴメンねアキ」

「別に謝る必要なんてないさ。さ、迎えに行こう」

「うんっ」

 

 

 

      ☆

 

 

 

 

 歩き出して10分ほどすると、ツインテールの女の子が道を歩いているのが見えてきた。

 

『あっ! お姉ちゃんですっ!』

 

 その女の子はこちらに気付くとタタッと駆け寄ってきた。葉月ちゃんだ。

 

「こんにちは。バカなお兄ちゃんっ。葉月、来ちゃいましたっ」

 

 満面の笑顔で挨拶をする葉月ちゃん。この笑顔も久しぶりに見る。

 

「こんにちは葉月ちゃん。ここまで道に迷わなかった?」

「葉月もうすぐ5年生です。迷子になったりしないですっ」

 

 天真爛漫(てんしんらんまん)。まさに太陽のような子だ。そういえば今日は鳩尾(みぞおち)に突撃してこないんだな。

 

「葉月、お母さんはもう仕事に行ったの?」

「はいですっ。葉月、お母さんと一緒にお家を出たですっ!」

「そう。ホントお母さんの仕事っていつになったら楽になるのかしらね……」

「ところでお姉ちゃん、バカなお兄ちゃんと何してたですか?」

「えっ? な、何って、その……」

 

 なぜそこで口ごもる。

 

「葉月ちゃん、今日は僕の家でゲームをして遊んでたんだよ」

 

 しゃがんで目線を合わせ、頭を撫でてやる。サラサラの絹のような髪。髪質は美波にそっくりだ。

 

「そうなんですか。じゃあ葉月、お邪魔ですか……?」

 

 僕が説明すると葉月ちゃんは急にしゅんとしてしまった。そんなこと気にしなくていいのに。

 

「そんなことないよ。今日はもう美波と沢山遊んだからね」

「そうですか。安心しましたっ」

 

 ぱぁっと花が咲くように笑顔になる葉月ちゃん。やはりこの子にも笑顔が似合う。

 

「ねぇ葉月、今日お母さん帰ってくるの遅いの?」

「はいです。お姉ちゃんと2人でご飯食べなさいって言ってたです」

「そう。ねぇアキ、玲さんは?」

「ん。もうすぐ帰ってくるんじゃないかな」

「ふぅん……」

 

 思案顔の美波。姉さんに何か用があるんだろうか。

 

「ねぇアキ、ウチらで晩ご飯を作って玲さんにごちそうするっていうのはどうかしら」

「姉さんに?」

「うん。いつもお世話になってるからそのお礼ってことで」

「なるほど。そういうことか。いいんじゃないかな」

「じゃあ決まりね。葉月にも手伝ってもらうわよ?」

「もちろんですっ! 葉月、卵焼きを作るですっ!」

「まだメニュー決まってないわよ? ふふ……」

「そうでしたっ」

「じゃあこれから買い出しに行こうか。うちの冷蔵庫ほとんどからっぽだからさ」

「いいわよ。葉月もいいわね?」

「はいですっ!」

 

 そんなわけで僕たち3人はスーパーに買い出しに行くことになった。

 

「んふふ~」

 

 葉月ちゃんが僕と美波の間に入り、手を繋いでくる。

 

 いつもの日常。姉さんも葉月ちゃんもいる、いつもの日常。

 

 だというのに、どこか違和感を覚えてしまう。何故なのだろう。その理由はなんとなく分かってはいる。それはあの異世界での生活。

 

 僕たちは40日間をあの世界で生活してきた。携帯どころか電気もなく、魔石と呼ばれる不思議な石を使った生活。魔獣や魔人。人類の脅威と隣り合わせの生活。何もかもが異常だった。けれどそこでは多くの人々が生活していた。沢山の人が知恵を絞って生活していた。

 

 確かにあれは召喚システムと携帯ゲームのデータが融合してできた仮装世界。雄二も「作られた空想の世界だ」と言う。けれど僕たちは40日間をそこで暮らしてきた。この経験は架空のものではない。今もこうしてしっかりと記憶に残っているのだから。

 

 今感じている違和感はきっとこの記憶のせいだろう。命のやりとりをしてきたあの世界での記憶のせいなのだ。

 

「そういえばアキ、お金持ってきてるの?」

「あ。持ってきてなかった」

「それじゃ買い物どうするのよ」

「う~ん。どうしよう?」

「どうしよう? じゃないわよ、まったく……一旦ウチの家に戻るしかないわね」

「お金なら葉月が出すですよ?」

「へ? 葉月ちゃんお金なんて持ってるの?」

「はいです。お母さんにもらったです。これでお夕食の準備をしてお兄ちゃんを落としなさいって。バカなお兄ちゃん、お夕食で落とすってどういう意味ですか?」

「……僕にもわかんない」

「お母さんったら……」

 

 でもこうして元の生活に戻れたのだ。この違和感もいずれ消えていくだろう。

 

「お姉ちゃん、どこで買い物するですか?」

「そこのスーパーがいいわね」

「それじゃ葉月が一番乗りですっ!」

「あっこら葉月! 走ったら危ないわよ!」

 

『平気ですっ! ちゃんと車には気をつけてるですっ』

 

「こらっ! 待ちなさいってば葉月っ!」

 

 ただ、この言葉だけは胸に刻んでおこうと思う。

 

 

 ―― 後悔だけはすんなよ ――

 

 

「まったく。葉月ったらすぐ調子に乗るんだから」

「ねぇ美波。ちょっと聞いてくれる?」

「なぁに?」

 

 もしもの時、後悔しないために。

 

 将来、彼女に後悔させないために。

 

 

 

「僕は――――」

 




ようやくエピローグを書くことができました。最後に設定集のようなものを掲載して完結にしようと思っています。


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設定集

ここからは本作品の設定集です。

 

執筆前から取っていたメモを元に整形、加筆したものになります。

 

ご興味のある方はこのままお進みください。

 


 

■世界

 

 召喚獣の世界とゲーム(ハンターズフロンティア)の世界が融合した世界。電子の世界に作られた仮想空間だが、入り込んだ者たちには五感が存在する。ゲーム世界が色濃く出ているため、住民はすべて人型。大陸もゲームの世界観を引き継ぎ、ハルニア王国、ガルバランド王国、サラス王国の3国が存在する。大陸ごとにそれぞれ民が国を築き上げ、王政により統治している。

 

 

・ハルニア王国

 国王レナード=エルバートンの治める国。オーストラリア大陸に似た形をしている。気候は温暖で常春。街の周辺は緑生い茂る草原だが、大陸の中央には険しい山脈が連なり、その規模は国を東西に分断するほど。この東西を行き来するには大陸中央に位置する峠町サントリアが唯一の道であるが、明久が通りかかった時は王子たちの兄弟喧嘩により通行止めになっていた。兄弟紛争終息後は自由に行き来できるようになっている。首都は北西のレオンドバーグ、西のガラムバーグ、東のドルムバーグの3つ。

 

・ガルバランド王国

 国王アレックス=サンドロスの治める国。キ○ラの翼のような形をしている。気候は寒冷。大陸の北側は標高が高く更に寒い。寒冷地だが雪や雨は降らない。行方不明事件、墓荒らしなどの事件が発生している。王都サンジェスタの裏手(北側)からすぐに険しい山脈となっていて、北部への移動は大陸東側の道を使わなければならない。自由奔放な国王に代わり、大臣パトラスケイルが王政の大部分を担っている。首都は大陸中央やや南側に位置するサンジェスタ。

 

・サラス王国

 王の名はフレデリック=ローガン。だが引きこもってずっと本を読んでいる。この国はそんな王に代わり、王妃(キャスリン=ローガン)が治めている。大陸の形はハルニアに似ているがサバナ気候。気温が高く乾燥している。大きな砂漠が大陸の中央を縦断していて東西の行き来を阻んでいる。大陸周囲の海流は荒れていて船による航行も難しい。砂漠の西側は平地が広がっているが、東側は山地になっていてやや気温が下がる。また、東の海では美味しい魚介類が捕れる。首都は大陸西側に位置するモンテマール。

 

 

 3大陸の位置関係はハルニアが南側。サラスがその真北にあり、ガルバランドはこの2大陸の東側に位置する。詳しくは挿絵参照。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

■時間

 

 時間の概念は現実世界と同じ1日=24時間。ただしこの世界での1日は現実世界においては5分程度。外で見守る教師たちには恐ろしい速度で進行しているように見えるが、入り込んでいる明久たちはしっかり24時間に感じている。

 

 

■街の構造

 

 魔獣の侵入を防ぐため、どの街も例外なく高さ5、6メートルほどの石で作られた外周壁で囲まれている。後述の魔障壁の効果が円形のため、必然的に街も円形になる。このため建物の配置もリング状になり、上空から見れば木を輪切りにした年輪のようなイメージになる。なお街の中央には高さ200メートルほどの魔壁塔が建てられ、魔障壁光波をドーム状に発して街全体を守っている。

 

 

■建物

 

 基本的に石または煉瓦(レンガ)造り。目地には魔石によって粘度を高めた砂を用いる。木造はこの世界には存在しない。照明は魔石による加工を施した棒に火を灯した松明(たいまつ)状のもの。屋外の街灯にも同じものが用いられる。テーブル、椅子、ベッドなどの家具は木製。窓にはガラスが用いられる。

 

 

■人々の生活

 

 電気がないため生活様式が中世に近い。水は井戸から汲み上げたものを魔石の力にて浄水したものを使う。ガスコンロのようなものも存在するが、燃料には魔石を用いている。火は火打ち石のようなものを用いて着火する。蒸気機関などの機械類は存在しない。代わりに魔石から取り出したエネルギーを用いる動力機関が存在している。ただし恐ろしく高価なため、大型船舶に使われる程度。

 

 金属が存在し歯車などによる機械仕掛けも存在する。魔石の力とこれらの機械を組み合わせた”時計”も存在している。しかし夜明けと共に目覚め、日没と共に寝るという人々の暮らしにおいて時刻は重要ではないため、ほとんどの人が時計を持っていない。

 

 この世界独自の特殊な職業として〔魔石加工商〕が存在する。魔石加工には国家資格が必要とされ、年に一度資格の更新試験が必須となっている。この世界における生活の(かなめ)となる職業のため、その待遇は世界トップクラス。その他の職業は農業、工業、畜産業、小売業、飲食業など一般的なもの。なお農地や放牧地は街の中に存在している。

 

 一般市民の服装はウール素材を用いたシンプルなデザイン(無地)のものがほとんど。貴族や王族になると絹や綿を用いた凝ったデザインの服に宝石を(ちりば)めたものが多くなる。

 

 

■乗り物

 

・馬車

 大陸内の街から街への移動に用いられる。定期便である駅馬車と個人で所有する小型馬車の大きく2種類が存在する。馬車には”簡易魔障壁”の設置が義務づけられている。この義務は違反すると処罰されるほど重い。簡易魔障壁は後述の魔障壁を小型にしたものであり、車内に吊り下げる”ランタン状”のものになっている。

 

 駅馬車は2頭の馬が客車を引く形で、客車は木製のフレームに厚手の布をかぶせたもの。布には覗き窓が開けられているが、通常は内側から布が当てられて塞がれている。この当て布は上部のみを縫い付けてあり、下からぺろっとめくることで覗き窓が開く形となる。基本は10人乗り。過疎区間では1日に2、3便しか運行していない。

 

 個人所有の馬車は小型で2、3人乗り。馬は1頭であることが多く、客車ではなく荷台を引く。ただし商用では2頭の馬を用いることもある。

 

・船

 大型の帆船、小型の漁船、湖などで用いるボートの類いが存在する。

 

 大型船は定員200名ほど。動力には魔石を用いたモーター式のものが搭載されている。馬車と同じように魔障壁を備えるが、簡易的なものではなく街で用いられる魔障壁装置を小型化したもの。大陸間の運搬・移動に欠かせない存在となっている。

 

 小型漁船は大陸近海の漁業に用いられる。大型船と違い、基本的に風頼り。高価な小型エンジンを搭載したものもあるが、かなり高価で王家や上級貴族など極限られた者しか購入できない。物語終盤で明久たちが手に入れた小型船はこの類いのエンジンを搭載したもの。簡易魔障壁装置を搭載している。

 

 ボートの類いは物語中ではハルニア国王の昔話にあるのみ。オール2本が付いた現代でも存在するような単純な手こぎボート。魔障壁装置は無し。

 

・飛行船

 物語開始時点においてこれは存在しない。しかしレナード国王と造船技師マッコイの技術融合により”空飛ぶ船”が完成する。船体の両脇に翼を持ち、その両翼に1機ずつと後方尾翼に1機(計3機)の魔道ジェットエンジンを搭載する。現代におけるジェット機に似た構造だが、両翼エンジンの向きを変えることにより空中静止も可能。なお、飛行船という名にしているが現代のバルーン型飛行船とは構造が大きく異なる。

 

 

■通貨

 

 単位はジン。1ジン=1円くらいの価値。硬貨は存在せず、紙幣のみが存在している。魔石を用いた特殊なインクにより、光にかざすと絵が浮き出る。これにより偽造を防いでいる。ハルニア、ガルバランド、サラスの3国において通貨は共通。価値にも違いはない。

 

 

■魔石

 

 魔力が秘められた鉱石。魔獣を倒すことで得られる。魔獣の落とした原石はくすんだ黒みがかった色をしていて、そのままでは何の効力も持たないただの石。特殊な薬品を用いて不純物を取り除くことで様々な効果を発揮する魔石となる。色によって効果が異なり、緑はその用途から需要が高い。

 

 白(治癒に使われる)

 青(水などを浄化)

 黄(インク、染料など)

 赤(熱を発する)

 緑(対魔効果。魔障壁に使われる)

 黒(謎。使えないので廃棄される)

 

 

■魔障壁

 

 魔なるものを退ける壁。膜状の光であり、触ったりすることはできない。魔障壁は通常は無色透明。だがこれだとその存在が見えないため、敢えて薄緑色に着色している。この光の波長は魔獣にとって不快なものであり、魔獣の体が大きければ大きいほどその影響度は増す。だが反対に蚊ほどのサイズの魔獣には効果がほぼない。

 

 

■魔獣

 

 この世界にも通常の動物は生息している。それらは現実世界に生息しているものと同じ姿をしている。魔獣もこれら動物と同じ姿をしているが、身体のサイズが通常の動物に比べて異常に大きい。また、魔獣は額に輝く宝石を埋め込まれているのが特徴。弱点はこの宝石(魔石)であり、これを砕くと体を維持できなくなり、黒い煙となって消滅する。この時、魔石だけは残る。

 

 魔獣は動物の死骸から作られている。死骸に魔石を埋め込むことで急激に細胞が膨張し、身体が2倍から4倍のサイズになり、凶暴化する。ただし魔獣が襲うのは人間のみ。通常の動物などを補食したりはしない。また元が死骸であるため飲食を必要とせず、人間を襲うものの食らったりはしない。

 

 作中に登場する型は以下の通り。

 

 ・リス

 ・猿

 ・熊

 ・猪

 ・山羊

 ・狼

 ・羊

 ・ウサギ

 ・ネズミ

 ・猫

 ・鹿

 ・人

 ・ミミズ

 ・豹

 ・仔山羊(アイちゃん)

 ・キマイラ

 ・蚊(夢操蟲)

 

 この中での最大サイズは明久、美波コンビが戦った熊型で全長約10メートル。反対に最小は蚊型で1センチほど。これは物語中での夢操蟲(ムソウチュウ)であり、戦闘には至らない。

 

 

■物語構成

 

・第一章

 メインはハルニア王国における明久と美波の物語。ムッツリーニも一度合流するが基本的に単独行動を取る。世界観の説明、魔獣との戦闘、魔人の登場までを描く。

 

・第二章

 舞台をガルバランド王国に移し、いつものメンバーが揃う。7つの腕輪の存在が明らかになり、これを探すためにチーム分けをする。明久美波ペア、雄二翔子ペア、瑞希秀吉ムッツリーニのトリオで各国へ飛び、各チームリーダーごとに腕輪探索のエピソードを描く。なおこの章ではすべての腕輪回収には至らない。

 

・第三章

 腕輪の力により帰還の方法が確定。全員でサラス王国へと渡り、海上の島を目指す。本章で全員の腕輪が揃う。一時美波のリタイヤあり。魔人との決着、ラスボスの登場および決着、帰還までを描く。

 

 

■登場人物

 

〔文月学園〕

 

吉井 明久

 腕輪:二重召喚(ダブル)

 能力:武器の木刀がもう1つ現れ、二刀流になる。

 

 今回の異世界を作り出した張本人。携帯ゲームを召喚システムに直結するコンセントに繋いでしまったために意識だけがコンピューターの世界に入り込んでしまった。前作からの続きに当たり、美波とは恋人同士の関係。作中においては基本的に明久が主役。暴力的な魔人ギルベイトと敵対し、対戦成績は2勝1敗。

 

 異世界突入直後は一人旅で始まる。舞台はハルニア。街の外で目覚め魔獣に襲われる。その時、異世界の住民に助けられ、元の世界への帰還するため旅立つ。旅をするうちにムッツリーニ、美波の順に再開を果たし、この世界で起きる問題に首を突っ込んでいく。第一章は明久美波ペアを中心に描く。第二章以降は全員が合流するがチーム分けをして行動する。明久は美波とペア。このペア時は明久が作戦指揮を執る。

 

島田 美波

 腕輪:大旋風(サイクロン)

 能力:巨大な竜巻を発生させる。

 

 明久と同じように意識だけが異世界に飛ばされる。見知らぬ世界の異常な事態に弱気になることも。ただし基本はいつものように強気で前向きで、明久が(くじ)けた時は励ます。ラスボス戦の鍵を握る。

 

 ハルニア王国の住民(メイド)に拾われ職を得る。そこへ明久が現れ、共に旅をすることになる。仲間捜し→腕輪探し→扉の島探しの流れ。一時離脱(ダウン)もあるが明久と合流後は基本的に離れず行動する。最終戦において体を乗っ取られるが明久により救出される。

 

 

姫路 瑞希

 腕輪:熱線(ブラスト)

 能力:強力な熱線(ビーム)を放つ

 

 普段はあまり前面に出て行動しようとしないが、今回の旅でリーダーを勤める。瑞希がメインのエピソードにおいては主役となる。仔山羊との出会いと別れを経て精神的に強くなる。また、旅を通じて秀吉やムッツリーニの心を知り親密度を上げる。生物を玩具にする魔人ラーバと敵対し、対戦成績は2勝0敗。

 

 ガルバランド北部の街にて目覚める。すぐに秀吉と合流し、元の世界へ戻る手段を探す。同国にて雄二、翔子と合流。二章に入りムッツリーニ、明久、美波とも合流して元の世界への帰還方法を探す。腕輪探しは秀吉、ムッツリーニとのトリオでの行動。リーダーとして2つの回収に成功する。魔人の実験体にされそうになっていた仔山羊を救出し、数日を共にする。

 

 

木下 秀吉

 腕輪:幻惑の光(イリュージョン)

 能力:周囲の男に幻を見せる

 

 いつもはあまり喋らず傍観することが多いが、異世界に飛ばされてからは瑞希を支える存在となる。一番の苦労は食事だったようだ。状況判断能力は雄二に次いで高い。大立ち回りをするのが夢だったため、試獣装着するとテンションが上がって動きが派手になる。

 

 ガルバランド北部の街の外にて目覚める。すぐに街に入れてもらい瑞希と合流。共に元の世界へ戻る手段を探す。腕輪探しはチームの影のリーダー的存在となり瑞希を支える。魔獣戦や魔人戦においても常に瑞希をサポートし勝利へと導く。腕輪探し以降は指揮を雄二に任せ、サポートに徹する。

 

 

土屋 康太

 腕輪:加速(アクセル)

 能力:自身を超加速する

 

 カメラや盗聴器がないため必死になって現実世界への帰還方法を探る。と思ったら理由はそれだけではないようだ。意外に動物好きで瑞希の救った仔山羊を(いと)おしむ。その反面、動物を虐待するような者に対しては怒りをむき出しにする。

 

 ハルニアの王宮内で一人目覚める。明久との合流一人目になるが、すぐに別行動を取るようになる。7人のうち誰よりもこの世界に順応していて王直属の諜報員に抜擢される。腕輪探しでは瑞希、秀吉とトリオを組み行動する。魔獣戦や魔人戦では持ち前のスピードを活かした戦法で仲間を救う。帰還後は工藤愛子との新たな関係が明らかになる。

 

 

坂本 雄二

 腕輪:覚醒(アウェイクン)

 能力:現実世界への扉を開く

 

 明久と同じように意識だけが異世界に飛ばされるが、いつもと変わらず沈着冷静。飛ばされた世界の状況を分析し「この世界の事象に関わるべきではない」と周囲に注意を促すが、翔子に被害が及びそうになると頭に血が上ってしまい結局関わってしまう。ゾンビ研究に没頭する魔人ネロスと敵対し、対戦成績は2勝0敗。

 

 ガルバランドの街中で翔子と共に目覚める。明久とは第二章で合流。ガルバランドでの腕輪探しは成果を出せず苛立ちを募らせる。ただし第三章に入ってから腕輪も入手し、魔人にも勝利して一気に解消する。その後は扉の島探索の指揮を執る。世界の謎、帰還方法、学園長の思惑などを察知し仲間を導く。7人の中では唯一、腕輪の力が戦闘向きではない。旅を通し、翔子が自分のことを如何に理解しているのかを知る。

 

 

霧島 翔子

 腕輪:閃光(フラッシャー)

 能力:太陽のような強い光を発する

 

 雄二と共に意識だけが異世界に飛ばされる。雄二以上に常に沈着冷静。ただし雄二が危機に陥ると途端に冷静さを失う。試獣装着した際の戦闘力は7人中トップ。魔人に臆することもない。雄二以外にはあまり感心を示さないが、ガルバランドにて両親が行方不明になった男の子を心配する優しさを見せる。

 

 ガルバランドの街中で雄二と共に目覚める。常に雄二と共に行動する。腕輪探しでは思い通りに事が運ばないことに苛立つ雄二を支える。魔獣(ミミズ)に対して怯える瑞希や美波に対し、翔子はまったく動じない。扉の島では腕輪の力にて幻を打ち払う。雄二を模し惑わす魔人の罠には、僅かな違和感から本物を見極める。

 

 

清水 美春

 腕輪:なし

 能力:なし

 

 邪悪な意識体”魔人王”に体を乗っ取られる。体は美春だが、意識は完全に抑えこまれ魔人王の意識のみで行動する。だが魔人王の性格はかなりの自信家で自ら行動しようとしない。そのため魔人族を生み出し明久の抹殺を企てるものの、生み出した魔人族はどれも言うことを聞かない失敗作であった。そんな状況でも扉の島を出ない魔人王はもしかしたら引きこもり症なのかもしれない。結局魔人王の正体は謎のまま終わるが、清水美春の邪悪な心が生み出した架空の存在という話で決着している。

 

 

〔ハルニア王国〕

 

マルコ

 性別:男

 年齢:30歳

 

[容姿]がっしりとした逆三角形の体格。髪の色はブラウン。瞳の色はブルー。ごわごわのあごヒゲをたくわえている。

 

[紹介]ラドンの町で鍛冶屋を営んでいる。性格は快男子。小さな魔獣なら倒せるくらいの腕前を持っている。明久たちを送り出した後もラドンの街で鍛冶屋を継続。妻ルミナとの間に第二子となる男の子が生まれ、幸せに暮らしている。

 

 

ルミナ

 性別:女

 年齢:29歳

 

[容姿]髪や瞳の色はマルコと同じ。髪は腰まで伸ばしたストレートヘア。姿勢が良く、スレンダーな体つきは美波に酷似している。

 

[紹介]本名はルミナ=エルバートン。もと王女だが、マルコの生き様に惚れて駆け落ち。以降、王家から存在しない者として扱われていたが、明久たちの行動により和解。王家には戻らないが、時々国王とは会っている。その後、マルコとの間に第二子となる男の子を授かり、幸せに暮らしている。

 

 

ハーミルのお婆さん

 性別:女

 年齢:不明(70歳過ぎと思われる)

 

[容姿]腰の曲がった町のお婆さん。完全な白髪に赤い頭巾をかぶっている。

 

[紹介]たまたま明久の前を通りかかっただけのお婆さん。野菜を詰め込んだ袋を重そうに運んでいたところを明久に手伝ったもらった。明久が公園で仲間の情報を聞くきっかけになった人。

 

 

ハーミルの男の子たち

 性別:どちらも男

 年齢:8~10歳

 

[容姿]1人はおかっぱ頭。もう1人は雄二のように短い髪を立てている。どちらも髪色はブラウンで青い瞳をしている。

 

[紹介]明久が休憩した公園でサッカーをして遊んでいた男児。このうちの1人が明久と同じ服(文月学園の制服)を着ている人を見たと証言。明久はこれにより仲間の存在を知ることとなる。

 

 

剣士ウォーレン

 性別:男

 年齢:33歳

 

[容姿]青と銀の混ざったような色の鎧をまとい、大きな諸刃の剣を背負った剣士。無造作にかき上げた茶色い髪と顎に生やした不精髭は”ワイルド”という言葉がよく似合う。

 

[紹介]ハーミル→サントリア間の馬車を護衛していた青い鎧の剣士。性格はチャラい。明久と共に乗っていた馬車が魔獣に襲撃され、迎撃に出る。そこで明久の召喚獣の力を見て気に入り、兄弟のように接するようになる。サントリアの町で再開した際は明久の美波への煮え切らない態度に苛立ち、助言を与える。この時の言葉は明久の教訓となり、後に明久の考え方に変革をもたらすことになる。

 

 

カール

 性別:男

 年齢:不明(40歳前後と思われる)

 

[容姿]やせ形でハンチング帽をかぶっている。背は低く短足。

 

[紹介]ハーミル→サントリア間の馬車の御者。つまり運転手。某スナック菓子とは無関係。剣士ウォーレンとは親しいらしく、彼のことを旦那と呼んでいる。「ました」を「やした」と発音する口調が特徴。

 

 

サーヤ

 性別:女

 年齢:6歳

 

[容姿]茶色い髪を左右でお下げにした元気な女の子。瞳の色は青。

 

[紹介]母と共にハーミルからサントリアまでの馬車に同乗していた。簡易魔障壁の故障により魔獣に襲われ、ウォーレンや明久にその命を救われる。この時に明久の大ファンになってしまい、ハーミルで再会した時に自宅に招こうとするが、腕輪探しの最中であったことを理由に明久に断られる。最初は納得しなかったが美波の「ヒーローは一ヶ所に留まっていられない」という説得もあり、サーヤは断念。今でも明久のことを慕い「お嫁さんになりたい」と周囲に言いふらしている。

 

 

サーヤの母

 性別:女

 年齢:39歳

 

[容姿]茶色い髪を片側三つ編みにしている。瞳の色は青。

 

[紹介]音信不通となった夫の身を案じ、娘サーヤと共にサントリアに向かっていた。明久に救われた後は戦争から戻った夫と無事再会を果たした。この時に明久たちの功績を聞かされ、このことを英雄物語として子孫にまで語り継いでいるという。

 

 

サーヤの父

 性別:男

 年齢:44歳

 

[容姿]茶色の髪をオールバックに決めている。瞳の色は青。どこにでも居そうな普通のおじさん。

 

[紹介]サントリアにてハルニア王国ライナス軍の兵士として警備の任に就いていた。強制的に兄弟戦争に参加させられたが、熊の魔獣の乱入や明久たちの介入により戦争が中止。その後はハーミルに戻り、町の警備任務に就く。給料は減ったが、おかげで愛する妻や娘と幸せに暮らしているという。

 

 

アルフレッド

 性別:男

 年齢:32歳

 

[容姿]丸顔でまるまる太っていて、口ひげを生やしている。白いエプロンをしていることもあり、その姿はまるでゆきだるまのよう。

 

[紹介]峠町サントリアで魔石加工商を営んでいる。明久が最初に魔石を売りに行った店の店主。容姿からは想像が難しいが、実は峠町サントリアでは有名な魔石加工商。

 

 

ライナス=エルバートン

 性別:男

 年齢:18歳

 

[容姿]茶色い髪のおかっぱ頭。青い瞳はレナード王譲り。赤いマントと宝石類でキラキラ輝く豪華な衣装に身を包んでいる。

 

[紹介]東の王都ドルムバーグに居を構えるハルニア王国第一王子。負けず嫌いの性格で弟のリオンと喧嘩ばかりしている。明久やムッツリーニたちに戦争を阻止された後は大人しくしているという。

 

 

リオン=エルバートン

 性別:男

 年齢:17歳

 

[容姿]髪型は額を出したオールバックスタイル。髪の色や瞳の色は兄ライナスと同じ。兄と同じような赤いマントを羽織り、衣装もキラキラしたものを好んで着る。

 

[紹介]西の王都ガラムバーグに居を構えるハルニア王国第二王子。兄に負けず劣らずの負けず嫌い。こちらも戦争を阻止された後は強制的に大人しく勉学に励んでいる。

 

 

ジェシカ

 性別:女

 年齢:52歳

 

[容姿]大きなお腹と大きな胸。それと明久よりも若干高いくらいの高身長が特徴。黒いメイド服に身を包んだふくよかな体型は頼もしさを感じさせる。

 

[紹介]西の王都ガラムバーグの王宮に勤めるメイド長。メイドだが台所を掌握しているため王宮内では結構影響力がある。地の声が大きく、おおらかな性格をしている。

 

  この世界における美波の恩人。迷い込んだ美波を保護しメイドとして雇っていたが、王宮前で土下座している明久を見て仲間だと直感。2人を引き合わせた。美波はこのことに恩義を感じ、慕っている。明久と美波は戦争のゴタゴタで挨拶もろくにしないまま別れてしまったが、ハルニア祭で再び会い、きちんと別れの挨拶をすることができた。その後も彼女は元気に王宮内のお母さん役を担っているという。

 

 

レナード=エルバートン

 性別:男

 年齢:51歳

 

[容姿]立派な顎髭を蓄え、白髪混じりの茶色い髪を肩まで伸ばしている。瞳の色は青。最初に現れた時は黄金の全身鎧で身を包んでいた。髪は長いが清潔な印象。ただし研究室に籠もると容姿は一変。ボサボサの髪にヨレヨレの白衣。髭も伸び放題で、とても一国の王とは思えない姿に変貌する。

 

[紹介]ハルニア王国の国王。2人の王子の仲の悪さに頭を悩ませていた。その2人の仕掛けようとしていた戦争を明久が仲裁に入ったことをきっかけに明久のことを親友のように扱う。

 

  無類の発明好きであり、ムッツリーニの入れ知恵によりエロさが前面に出てきてしまったが、彼の発明した”春風機(しゅんぷうき)”は砂上船のエンジンとなり、明久たちの旅の手助けとなった。また、明久たちの進言により、絶縁状態であったルミナ=エルバートンとの(わだかま)りも解け始め、最近では隠れてラドンの町へ視察に行っているようだ。語尾に「じゃ」を付けているのは威厳を持たせるため。

 

 

クレア

 性別:女

 年齢:30歳

 

[容姿]白い肌と前髪パッツンの金髪ショートカットが特徴的な美女。藍色の瞳で、いつも小さな丸めがねを鼻の頭に乗せている。

 

[紹介]レナード国王に仕える秘書。研究に夢中になると執務が疎かになる国王に頭を悩ませている。普段は清楚で丁寧な物腰だが、実は金属の扉を蹴破るほどのパワータイプ。細身の体に似つかわしくないくらいの巨乳で、美波の嫉妬の対象にもなっている。

 

  明久らが去ってからは王と共に孫の出来たルミナに会いに行っている。その幸せな様子を見て「自分もこんな幸せな家庭がほしい」と思い始めているとか。

 

 

トニー&ロイド

 性別:男

 年齢:不明

 

[容姿]全身鎧で身を固めているため、声でおじさんと分かること以外、容姿は不明。

 

[紹介]レオンドバーグの東門を守っている王宮兵士。実は外周壁を守る兵士は組織内でも1、2を争うほどの手練(てだ)れ。装着した明久たちほどではないが、この2人も猿型魔獣程度ならば難なく倒せるほどの力を持っている。明久と美波が東の湖に出ようとした際に引き留めたが、装着した明久の力を見て門を開ける。今でもあの時のことは夢だと思っている。

 

 

マクレガー

 性別:男

 年齢:36歳

 

[容姿]黒髪で天然パーマ。逆三角形の眼鏡を着用し、ピンクのジャケットと赤い蝶ネクタイが特徴的過ぎる男。

 

[紹介]通称マック。明久美波コンビがハルニア祭の最中に出会った男。自分のことを「ミー」、相手のことを「ユー」と呼び、やたらハイテンション。片言(かたこと)の日本語を操り、いかにも怪しい風貌に明久たちは最初は警戒していたが、ひょんなことから彼の主催するファッションショーに出演ことになる。ハルニア祭後も明久たちを「神の遣わした天使」とベタ褒めして言い回っているという。明久にとっては生涯忘れられない汚点になっている。

 

 

 

〔ガルバランド王国〕

 

アレン(アレックス=サンドロス)

 性別:男

 年齢:34歳

 

[容姿]青い瞳にボサボサの茶色い髪。顎には不精髭を生やしている。カウボーイハットにマントという、西部劇に出てきそうなスタイルを好む。普段から王宮の外で暮らしているため、王としての執務服は不明。

 

[紹介]明久と美波が散歩の途中に出会った男。本当はガルバランド王国のアレックス王なのだが、身分を隠しアレンを名乗っている。好奇心旺盛で、大臣が呆れるくらいにいいかげんフリーダムな性格。度々城を抜け出して国中を遊び回っているが、実は国民の生活を知るための視察。町の人たちからは”遊び人のアレンさん”として慕われている。

 

  明久たちの制服を見た彼は腕輪が明久たちのものであると直感。帰還のきっかけを作る立役者となった。王であることを知りながら対等に接する雄二の性格を気に入り、親友のように扱う。雄二たちがガルバランド王国を去った後も相変わらず釣りや放浪を楽しむ毎日だという。

 

 

パトラスケイル

 性別:男

 年齢:34歳

 

[容姿]やや面長の顔に切れ長の目。青い瞳と肩まで伸ばした栗毛のイケメン。ハルニア王国のクレアと同じ眼鏡をしているが、特に関係はなさそうだ。外出時は胸から腰を守るタイプの銀鎧を纏い、執務時は法衣のような白い衣装を着ている。

 

[紹介]ガルバランド王国の大臣。アレックス王に仕える側近であり、あらゆる事案を総括管理する。国王であるアレックスとは学生時代からの親友で、王を呼び捨てにしているのは王宮の中でも彼のみ。アレックス王も彼を「パティ」と呼び親しんでいる。雄二たちが去った後も王に代わり執務に多忙の日々を送っている。

 

 

リンナ

 性別:女

 年齢:25歳

 

[容姿]美波によく似た赤い髪をしている。胸のサイズは――(ここで文章が切れている)

 

[紹介]酒場でアレックス王から腕輪を譲り受けた後、行方不明となる。息子ルーファスを溺愛している。夫トーラスと共にメランダ西の古城に監禁されていたが、雄二と翔子の手により救い出され、今はバルハトールで親子3人幸せに暮らしている。

 

 

トーラス

 性別:男

 年齢:28歳

 

[容姿]身長は雄二とほぼ同じ。筋肉質な逆三角形の体型をしていて、見た目は雄二より一回り大きい。口髭と顎髭を生やしているため30代後半に見えるが実は28歳。

 

[紹介]山岳奥地の町バルハトールで抗夫として働いている。行方不明事件が相次ぐメランダからバルハトールに移り住んだが、一週間もせずに妻リンナが行方不明となる。料理下手で日々の生活に困っていたところに雄二と翔子が現れた。その後彼も行方不明となったが、メランダ西の古城で妻リンナと共に救い出された。現在はバルハトールで妻や息子のために張り切って抗夫の仕事に打ち込んでいる。

 

 

ルーファス

 性別:男

 年齢:4歳

 

[容姿]4歳の男の子。母リンナに似た赤い髪をしている。おかっぱ頭で性格は純真無垢。

 

[紹介]雄二たちが訪れた時は行方不明となった母リンナの帰りを信じて待っていた。翔子に(なつ)いていて、翔子もまたこの子のことを気に掛けている。最近は「とーちゃんみたいになりたい」と身体を鍛え始めているらしいが、母に止められている。

 

 

トーマ

 性別:男

 年齢:20歳

 

[容姿]全身鎧に身を包んでいるため容姿は不明。

 

[紹介]サンジェスタ王宮の新米衛兵。雄二と翔子が王宮を訪れた際に対応に当たった。仕事熱心で協調性もあり、パトラスケイルに目をかけられている。王宮メイドたちからもモテモテだが、本人は仕事一途で女性には無関心。それがまたクールで良いと評判。

 

 

ネロス

 性別:不明

 年齢:不明

 

[容姿]金色のサラサラの髪を肩まで伸ばし、瞳の色は藍色。色白の肌をしたイケメン。

 

[紹介]魔人ネロスが人間に化けた姿。メランダとバルハトールの間にある古城で人間の死体を使った実験をしていた。リンナとトーラスもこの城に幽閉されていた。最初は物静かで必要なこと以外は話さないくらいに無口だったが、本性を現した後はよく喋るようになった。言葉遣いは丁寧だが、考えていることはえげつない。この容姿が誰をモデルにしたものかは不明。美春の意識内にある美男子像なのかもしれない。

 

 

〔サラス王国〕

 

王妃(キャスリン=ローガン)

 性別:女

 年齢:64歳

 

[容姿]元の髪の色はブラウンだが、金髪に染めている。瞳の色はこの世界に一番多い青。ピンクを基調としたドレスを好んで着用する。化粧により若作りしているが64歳。

 

[紹介]宝石やドレスが大好きで、かなり我が儘。引きこもって本ばかり読んでいる国王に代わり、サラス王国の実権を握っている。我が儘な性格をしているが暴君というほどではなく、過酷な環境のサラス王国のことを真面目に考えている。

 

  王妃との対面は瑞希たちが最初。白金の腕輪を求めて訪れた瑞希たちに対し、交換条件としてマトーヤ山洞窟に住み着いた魔獣の排除を命じた。その後も小型船舶を譲るなど、明久たちの旅にとって重要な人物になる。

 

 

王(フレデリック=ローガン)

 性別:男

 年齢:62歳

 

[容姿]王宮の極一部の者としか会わないため容姿は不明。

 

[紹介]先代から王の座を引き継いだものの本人はあまり興味がないらしく、ずっと引きこもって本を読んでいる。性格は温厚で誰も怒ったところを見たことがないという。

 

 

ニール

 性別:男

 年齢:22歳

 

[容姿]常に銀色の全身鎧に身を包んでいる。いつも兜を被っているが、脱ぐとサラサラの栗毛色の髪をしている。瞳の色はブラウン。

 

[紹介]サラス王国の新米兵士。剣の腕はそれなりにあるようだが、臆病な性格で自分の腕を信じ切れていない。王妃より瑞希ら3人をマトーヤ山に案内するよう指示され、怯えながら案内することになった。瑞希たちの任務成功後は吹っ切れたのか魔獣とも戦えるようになり、その後は急速に力を伸ばしている。

 

 

ヒルデン

 性別:男

 年齢:23歳

 

[容姿]ニールより若干大柄。ニールと同じようにいつも兜を被っている。髪型は短く切った金髪を逆立てた雄二タイプ。瞳の色は青。

 

[紹介]槍の使い手であり、ニールとは同期。ニールが王宮勤務なのに対しヒルデンは外周門の警備勤務。王妃の命を受け、瑞希たちに同行してマトーヤ山に向かう。

 

  彼は街の警備兵にもかかわらず魔獣との戦闘経験がない。心優しい性格が災いして本来の実力が発揮できていないが、実力的には猿型魔獣程度なら一人で倒せるほどの腕前。瑞希たちの任務後は多少自信を付けたようではあるが、やはりその性格は変わらない。

 

 

レスター

 性別:男

 年齢:70歳

 

[容姿]白髪の角刈りで、四角い顔をしている。非常に気難しい性格をしていて決して他者を受け入れない。いつも口をへの字に結んでおり、人に笑顔を見せることはない。機織(はたお)り職人であるが服装は地味。いつもグレーやダークグリーン単色のポロシャツを着ている。

 

[紹介]世界一の機織り職人。彼のデザインしたドレスはハルニア王国でのファッションショーにおいて明久と美波も着用することになる。彼の姿を見たことのない女性たちからは憧れの人として見られていて、上級貴族からの評価も高い。サラス王妃からも大変気に入られているが、レスター本人は王妃を毛嫌いしている。

 

  常に眉間にしわをよせていて子供から怖がられることも多いが、実は小さくて可愛いものが大好き。瑞希が仔山羊のアイちゃんを連れてきた時は別人かと思われるくらいに溺愛する。この時、動物愛に目覚めてしまったようだ。最初は瑞希たちにも冷たくあたっていたが、数日を共に過ごすうちに彼女らに心を開く。ローゼスコートで再会した後はアイちゃんを引き取り2人(?)楽しく暮らしているという。

 

 

マッコイ

 性別:男

 年齢:69歳

 

[容姿]髪型は真っ白に染まった白髪を肩まで伸ばしたロングヘアー。禿げてはいない。髭も白くて長く、赤いパジャマを着た姿はサンタクロースと見間違うほど。

 

[紹介]造船技師兼操舵士。砂上船の開発者であり、運転士でもあった。砂上船キングアルカディス号を数日で飛行船へと進化させるほどの天才的技術力を持つ。砂漠での魔獣事故により船を失い飲んだくれの生活をしていたが、明久たちに出会い、再び夢を追う決心をする。実は若き頃のレナード王の教師でもあった。

 

  女好きのため男の頼みは聞かないが、女子の言うことならホイホイ聞いてしまう。いつもは秀吉と同じような爺言葉を使うが、ひとたび舵を握ると性格が一変。俺様系で大雑把な性格になる。また、彼の趣味でキャプテンハー○ックのような服装を船長服にしている。

 

  第三章における明久ら一行の(かなめ)となる人で、秀吉と仲が良い。砂漠の横断、扉の島への渡航の手助けを行う。明久たちを扉の島へと送り届けた後はこの飛行船を運航し、ハルニア、ガルバランド、サラスの3国を股にかける運送業を営んでいる。

 

 

ハリー

 性別:男

 年齢:25歳

 

[容姿]リットン港で漁師をしている男。小柄だがタンクトップがはち切れそうなくらいのマッチョ。五分刈りの髪と無精髭、それに四角い顔にハチマキも相まって容姿はガテン系そのもの。25歳だが、容姿のせいでおじさんと見られることも多い。

 

[紹介]2年前リットン港からマリナポートへの南の海路を開拓しようと試みるも、謎の島(扉の島)による怪奇現象により断念。以来、嘘つきハリーと揶揄(やゆ)されるようになる。だがこの話のおかげで明久一向は目的地の位置が判明することになる。未だ嘘つきハリーの汚名は消えないが、もはや気にすることもなく漁師を続けている。

 

 

 

■魔人族

 

魔人ギルベイト

 牛をモチーフにした角を持つ魔人。深い緑色の身体に銀色の胸当てをしている。頭髪は金色。瞳孔は無く、全体が真っ赤な目をしている。背には竜のような黒い翼が生えている。

 

 完全なパワータイプで非常に好戦的。自ら造り出した魔獣も特訓用の道具としか見ていない。武器は両手の指に生えた刃のような黒くて長い爪。通常時は3センチほどの爪だが、戦闘時は10センチほどに伸びる。スピード(脚力)は試獣装着した明久や美波と同等で、力(腕力)は装着時の明久を上回る。

 

 魔人王により生み出され、明久の抹殺の命を受ける。最初は「面倒な仕事だ」とそれほど興味を示さなかったが、明久と刃を交えたことでその強さを知り、好敵手(ライバル)として見るようになる。

 

第1戦:

 最初は明久と互角の戦いをしていたが、召喚獣の力を過信していた明久の粗い動きの隙を突き、空中戦法により深手を負わせる。その後ギルベイトは美波も手に掛けようとするが、(あるじ)からの念話により止められ、やむなく引き上げる。

 

第2戦:

 第1戦と同じ場所にて明久が湖に潜っている間に美波と対峙。駆けつけた明久と美波の2人同時攻撃にギルベイト劣勢。美波の腕輪の力により空中戦においても劣勢となり、角を折られ屈辱の撤退。

 

第3戦:

 サラス王国の海岸にて明久美波ペアと三度(みたび)対峙。この時は(あるじ)により巨大な魔獣と化した姿”魔獣ミノタウロス”状態で現れる。完全に理性を失っていて破壊衝動のみで行動する。明久と美波の連携攻撃により魔石を破壊された後、明久に友としての感情が芽生えるものの消滅してしまう。

 

 

魔人ネロス

 羊をモチーフにした角を持つ魔人。全身赤褐色の身体をしている。頭髪は金色。瞳孔は無く、全体が真っ黒の瞳をしている。指に鋭い爪を持ち、背には竜のような黒い翼が生えている。

 

 人間に擬態することができ、ガルバランド王国北部の古城に住み着いている。(あるじ)(めい)は明久の始末だが、完全に無視して研究に没頭している。その研究とは人を魔獣化することであり、実験体確保のために王国各所で行方不明事件を発生させる。通常は紳士的な言動をとるが、思い通りにならないと粗暴な性格が表に出てくる。

 

第1戦:

 ガルバランド王国の古城にて魔石タンクを取り返しに来た雄二と対峙。雄二を実験体にすべく100体を超す実験体(ゾンビ)を繰り出すも、翔子の腕輪の力によりそのすべてを消し去られてしまう。動揺するうちに雄二の渾身の一撃を受けたネロスは撤退。この時、雄二に対して特別な感情を抱くようになる。

 

第2戦:

 サラス王国東地区の林にて再び雄二と対峙。この時は雄二に擬態し、その想いを告げる。これにより雄二に対しては優位に戦闘を進めるが、雄二の正義感を読み違い、翔子により敗北。最後は自ら命を絶つ。

 

 

魔人ラーバ

 山羊をモチーフにした角を持つ魔人。全身ペンキを塗ったかのような青い身体をしている。頭髪は銀色。瞳孔は無く、全体が真っ赤の瞳をしている。指に鋭い爪を持ち、背には竜のような黒い翼が生えている。

 

 人間に擬態することができ、ルイスラーバットを名乗りサラス王国内を放浪している。魔人ネロスと同じように(あるじ)の命令を無視して研究に明け暮れている。ネロスが人体実験であるのに対し、このラーバは生き物全体を対象にしている。蚊を魔獣化した夢操蟲(ムソウチュウ)もラーバの作品であり、他の魔人からも便利に使われている。命をなんとも思わない冷酷な性格をしていて、瑞希の大事にしている仔山羊を生きたまま魔獣化しようとして失敗する。

 

第1戦:

 明久ら一行が宿泊するサラス王国東部の宿街ローゼスコートを襲撃。瑞希秀吉ペアと対峙する。実験体として確保していた仔山羊を瑞希らに連れ出されたことを恨み、その復讐と実験体の自慢を兼ねて現れる。しかし完全だと思っていた実験体の仔山羊が反抗。激高して仔山羊を始末しようとしたところを瑞希と秀吉により妨害され、更に激高。だが瑞希の腕輪の力により深手を負い撤退する。

 

第2戦:

 完成した融合魔獣”キマイラ”を従え、扉の島に乗り込んできた明久ら一行を迎え撃つ。キマイラの霧能力により恨みのある瑞希と秀吉を一行から分断。個別に襲撃するつもりであったが、アイちゃんを傷つけたことに怒るムッツリーニに押さえ込まれてしまう。結局キマイラも瑞希に倒され、自身もチームひみこ3人を相手に敗北。秀吉に魔石を砕かれ消滅する。

 

 

魔人融合体

 扉の島、中央の洞窟内にて魔人王により創造される。魔人ギルベイトと魔人ネロスの残骸より作られた融合体。彼ら2魔人の潜在的な意識のみが宿り、理性はない。そのため明久や雄二に対する敵対意識のみで行動する。もともと3魔人融合の予定であったが魔人ラーバは自らの意思により蘇生を拒否している。RPGにおけるラスボス前に現れる中ボス融合体の類いだが、不完全のため弱い。明久雄二コンビに即倒される。

 

 魔人族は基本的に筋肉隆々の人間の姿をしている。だがこの融合体は2体の魔人を無理矢理融合したものであり、人型を成していない。足が4本。腕が4本。岩と砂でできた巨大な身体が1つと首が2つ。片方は牛の頭。もう片方が羊の頭となっている。全長は14、5メートル。岩と砂でできているため全身が灰色に近い黄土色をしている。

 

 

魔人王

 3人の魔人を操っていた張本人。正体はモヤのような寄生体。人に取り憑き身体を乗っ取ることができる。宿主の記憶を覗くことが可能でそこから知識を得ている。

 

 今回はこの世界に迷い込んだ清水美春に取り憑いていた。本当は身体のみを奪い、本人の意思など取り込むつもりはなかった。しかし美春のあまりに強い恨みの念は魔人王の意識に明久抹殺を強く植え付けてしまった。この意思に従った魔人王は3人の魔人を生み出し、そして彼らに明久抹殺の(めい)を下す。

 

 だが生み出した魔人たちはすべて指示に従わない失敗作。美波のビンタにより取り憑いていた美春の身体から追い出され、最後は明久と美波の合体技によりかき消されてしまう。

 

 

 

以上、『バカと仲間と異世界冒険記!』設定集でした!

 




最終話を投稿してから1年以上が経ってしまいましたが、ようやく完結させることができました。ここまで読んでくださった皆さんに心より感謝いたします。

こうして見直していると、〔バカテスの登場人物は個性豊かで面白い〕と改めて思います。原作終了から数年が経ちますが、今でも彼らはとても魅力的ですね。そんな彼らの物語をもっと観ていたいという想いは今なお尽きません。というわけで井上先生! 新たな短編集をお願いします!

さて、この設定集を整理している間に実は短編を1本投稿しています。『僕と彼女と異国の事情』というタイトルで投稿しました。これはリアルにドイツに行く機会に恵まれ、この目で見てきたドイツを紹介するものになります。ご興味とお時間があればこちらもご覧いただければと思います。

それではまた! see you!


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