凪のあすから ~変わりゆく時の中で~ (黒樹)
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第一話  始まりは海

気まぐれで書いてみました。


 そこは・・・・・・暖かくて・・・・・・冷たい海の中だった。海の中にはたくさんの生命であふれていて、俺はその中の一つ・・・・・・。そんな大きな海の中の一つの村・・・・・・汐鹿生で、俺は生まれ育った。俺の家族・・・・・・母さん、父さん、俺は幸せにその時を過ごしていた。俺はまだ、5歳のころだった。そんなときに、悲しいことは、突然やってくる・・・・・・。これは俺、長瀬(ながせ) (まこと)の物語。

 

 

 

 

「ほら、早く食べちゃいなさい。誠、あなたが早く食べないと片づけられないわ。」

 

「まあまあ、母さんもそれくらい、いいだろ。子供なんだし、ゆっくり食べても別に普通だよ。それに、こぼさないだけましだと思うよ?」

 

 俺の母さんにせかされ、俺は自分のペースで黙々と食べ続ける。父さんは俺に甘く、母さんは俺にちょっと厳しいが、すごく優しい。そんなとき、玄関から、大きな声が聞こえてくる。

 

「お~い、誠~! 遊ぼうぜ~~!!」

 

 相変わらず、行動が早い奴だ。朝ご飯を食べ終えていないのに、もう呼びにきたのか・・・・・・。どうしたら、あんなに元気なんだろうか? その秘密が知りたい。俺は朝ご飯を食べ終え、玄関に走っていく。今日は、まなかとちさき、要に光と遊ぶ約束をしている。

 

「お母さん、行って来ま~~す!!」

 

「はいはい、お昼までには帰ってくるのよ。それと、今日は家族みんなで海の外に食べに行くから、

夕方は早く帰ってくるの。わかった?」

 

「わかってるって、お父さん、じゃあね~。」

 

「おう、子供は遊んでこい! 気をつけてな。」

 

 俺はそんな親の注意を聞きながら、玄関に走ると、そこにはもう、まなか、ちさき、要と呼び出した本人の光がいた。光の行動の早さに、よく対応できるもんだな? 時刻はまだ午前8時、朝ご飯はそんなに早く食べるんだろうか? それとも、光の影響力か?

 

「おっせえぞ、誠~! 7時半には広場集合って言っただろ。じゃあ、今日も探検に出かけますか。

俺、リーダーで要が副隊長・・・・・・誠は戦闘員な。まなかとちさきは救護班。じゃあ、探検開始だ。者共は我に続け~! 新たな大地を開拓するときが来たのだ!」

 

 相変わらず、凄い設定を作ったな・・・・・・尊敬するよ。要は苦笑いし、まなかはあたふたとしているようだ。そうとう光について行けてないな。ちさきはずっと光を見て、心配そうだ。

 

「ひひ、ひーくん! また探検するの!? 怖いから止めようよ、それに、大人達も危ない場所もあるからあまり遠くにいくなって・・・・・・。」

 

「んなもん大丈夫だよ。そんな遠くに行かねえし、それに、そこの戦闘員さんが戦ってくれるさ。そうだろ? 誠、出来るよな?」

 

「相変わらずの無茶ぶりだね、頑張るよ。」

 

「ハハハ・・・・・・ごめん、誠がいないと光は止められないんだよ。」

 

「もう、光は誠に迷惑かけすぎだよ。もうちょっと、計画ぐらいしようよ。そんなんばっかりだから、やんちゃ坊主って言われるんだよ。誠は誠で、光に甘すぎるよ。」

 

 俺が光に甘いね~・・・・・・。でも、近くにいないと、問題を起こしそうで怖いから仕方ないんだよ。

それに、光のストッパー役はここにいる全員だろ? だって、あかりさんにも頼まれたが、どう考えても俺だけじゃ無理だ。

 

「じゃあ、行くぞまなか、ちさき、要に誠。」

 

「はいはい、じゃあ行こうか、誠。光のストッパー役として、十分に力を発揮しないとね。」

 

「だな・・・・・・もう、なれたもんはしかたねえか。」

 

 要に答え、俺と光達は家を飛び出した。まなかとちさきは慌てて走り出し、俺達のあとをしっかりとついてくる。要と俺は光のペースに合わせて走る。

 

 

 

 

 それから数十分が経って、俺達は暗い海の森の中を歩いていた。光についてったらこうなったとしか言えないが、俺達も何で止めなかったんだろうか? まなかとちさきは二人で抱き合って、ゆっくりとついてくる。凄いふるえ方だな・・・・・・もう、帰った方がいいんじゃないか?

 

「ひひひ、ひーくん・・・・・・もう帰ろうよ、こんな暗いとこにいても怖いだけだよ。それに、何か出るかもしれないし、帰ろうよ。」

 

「わぁぁ、帰ろう光。まなかもそう言ってるし、それに誠や要も何か言ってよ・・・・・・。このままさまよい続けたら迷子になるよ。」

 

 話しは俺と要にふられ、まなかとちさきは最後の希望? の俺と要に目を向ける・・・・・・。要と俺は顔を見合わせ、しょうがないという風に首を縦に振ると、光に話を持ちかけた。

 

「なあ、光。そろそろ帰ろうぜ、もしかしたら大人たちが心配してるかもしれないだろ? 家のまなかが・・・・・・とか、ちさきが行方不明とか、どうする?」

 

「誠・・・・・・俺はもうその手には引っかからねえぞ。何時もの俺だと思って、バカにすんな。そんな数十分で俺達がいないとかならねえだろ。第一、昼を過ぎても帰らないならわかるが、こんな数十分で探しに来る大人なんていねえよ。」

 

 ああ~あ、もうこの手には引っかからないのか・・・・・・残念。じゃあ、ほかの手でいこうかな? 俺は要の出方をみる・・・・・・。

 

「ほら、光は女の子を泣かせる気なの? 女の子を泣かせるな。ってあかりさんにも言われなかったかな? もうまなかとちさきは半泣き状態だよ?」

 

 おいおい、それはどうしたらそんな方法で光を説得できると思うんだよ・・・・・・。それに、光にそんな概念はないと思うが、要は相変わらずの紳士だな。そんな事を考えていると、光がこっちに向き直って、反論をする。

 

「んなもん習ってねえよ。それに、これぐらいで泣くなよめんどくせえな。今は探検中だ。帰りたいなら二人で帰ればいいだろ。別に、俺と要と誠だけでも探検は出来るんだ。お前たちが帰ろうが、別に気にしねえよ。」

 

 また、光は思ってもいないことを言う・・・・・・。頑固なのは、あの親父さん譲りなのかな。心の中では思っていても、表に出せない奴。光はそういう奴だが、意外と良い奴なんだよな。しょうがない、

出来れば使いたくない手だが、まなかとちさきが限界のようなので使おうか。

 

「光・・・・・・実は、そんな事を口では言ってても、本当は帰り道がわからないんじゃないの? もしかして、隊長さんが道に迷っちゃったとか・・・・・・笑えるね。」

 

「んな!? そうじゃねえよ。俺は帰り道くらい、簡単にわかるんだよ。それに、隊長である俺がこんなちっぽけな森で迷うはずがないだろ! お前はわかんのかよ、誠!!」

 

「え~、そんなの知るわけ無いじゃないか。隊長さんはリーダーなんだから、光が覚えていて当たり前だし、俺は覚えてねえよ。要はわかるか? 帰り道。」

 

 俺は嘘をついて、光をわざと怒らせる。そうしたら、光も帰る気になるだろう。俺の嘘に、要も察したのか、のってきた。

 

「さあ? ぼくも帰り道なんて覚えてないよ。誠も覚えてないし、困ったね? ちさきとまなかは始まって数秒でこんな感じだし、帰り道を覚えてるのは光だけ・・・・・・困ったな~、お昼まで時間の余裕を持って家につきたかったんでしょ? 誠は。」

 

「ああ、そうじゃないと母さんに怒られるんだ。「何時まで遊んでるの! お昼前には帰ってきなさい。そうじゃないと、ご飯は食べさせません!」って言われるんだよ。」

 

 俺は嘘をさらにのせて、でっち上げた話をさらに上乗せする。毎回、この嘘とかいろんな方法を使い、光を帰らせている。これが一番楽なんだ。

 

「うわああ、ひーくん帰ろうよ。ひーくんが帰り道忘れちゃうと、迷子になっちゃうよ! こんな暗い森の中で迷子なんて、絶対にいやだよう。」

 

「ええ~! 要も誠もまた覚えてないの!? ストッパー役を任されたのは何処の誰よ!! もうちょっと、二人も気を配ってよ。迷子になっちゃったらどうするのよ!!」

 

 まなかとちさきが慌てだし、光もこの光景を見たら、さすがに動くだろう。まなかは半泣きだったのが、通り越して、涙がポロポロと泣き喚くギリギリだ。ちさきはいまだに喋れるが、まなかの方がメンタル弱いもんな。当たり前か・・・・・・。

 

「ああ、もうわかったよ! 帰ればいいんだろ、帰れば!! じゃあ、ついてこない奴は置いてくからな。ちゃんとついて来いよ!!」

 

「なあ、要・・・・・・やっぱり光って素直じゃないよな~。それに、もう疲れたし、早く帰りたい。出来れば、もう少し早く帰りたかったな。なんか今日は、余計に疲れた気がする。」

 

「ハハハ・・・・・・僕も一緒だよ。このまま家につかなかったらどうする? 光も家の場所を覚えてなっかたら、僕ら帰れないよ?」

 

「ん? お前は本当に帰り道、覚えてなかったのか? てことは、覚えてるのは俺と光だけか。確かに、今日は複雑な道を通ったし、暗いもんな。」

 

 俺と要はみんなに聞こえないように会話をする。俺たちの前にいる光は、生い茂る海藻やら何やらをかき分けながら進んでいく。どう考えても、こんな道通った覚えはない。だが、光はずんずんと進んでいき、ちさきとまなかもそれに続く。

 

 

 

 

 それから光の先導で暗い、海の森の中を進み続けて一時間・・・・・・。だんだん、みんなの顔色が悪くなってくる。特に、光の顔色が焦っているように見える。ちさきとまなかは、『まだ家につかないのかな? もしかして迷ったんじゃ・・・・・・』と薄々思っているようだ。それに、行きに一時間かからなかったのに、帰りに一時間かかるなんておかしい。光・・・・・・確実に迷ったな。

 

「なあ、光・・・・・・もしかして、本当に迷ったんじゃないよな?」

 

「ひ、ひーくん迷ったの!? どどど、どうしよう、このままじゃ帰れないよ。ま、まーくんこの状況を何とかしてよ!」

 

「うるせえ! 俺は『迷ったんでしょ? しかも、帰り道までわからなくなった。』・・・・・・はい、そうです。道に迷いました。」

 

 光はあっさり迷ったことを認め、目を逸らしてこっちに目を向けないようにする。その言葉を聞いて、まなかとちさきは限界を越えたのか、泣き出してしまった。・・・・・・ああ~あ、遂に泣き出したのか。もう、帰ろうかな? どうせ、今から帰れば昼時だし、丁度いいや。

 

「う・・・・・・うわぁぁぁん!! ひーくんが道に迷った! このままじゃ帰れないよう!」

 

「うぅ・・・・・・ひっく、そんなの嫌だよ。帰りたいよ・・・・・・。」

 

 まなかとちさきは座り込み、泣き出すが、今回は本当に光が道に迷ったようだ。初めて、光が道に迷ったな。俺は溜め息をつき、歩き出す。光はパニック状態で、冷静なのは俺と要だけだ。

 

「んじゃ、早く帰ろうか。ほら、ちさきとまなかも立ってたって・・・・・・座り込んでたら帰れないから立ってよ。じゃないと、置いてっちゃうよ?」

 

「「もう歩けない! どうにかしてよ!」」

 

 ええ~、こんな事なら早く帰ればよかった・・・・・・。仕方ない、俺はちさきとまなかの手を取り、上に向かって泳ぎ出す。それに要と光がついて来る。最初っからこの方法を使えばいいのに、何で光は思いつかないかな?

 

 

 

 

 それから、俺はちさきとまなかの手を引っ張り続けて一時間。結構遠くまで来ていたので、帰るのに時間がかかってしまった。だが、何とか昼までには家に帰れそうだ。そんな事を考えていると、俺達は村の見えるところまで来た。

 

「あ、私の家! まーくんありがとう!」

 

「うん、誠ありがとう。どっかのリーダーと違って、頼りになるね。」

 

「うっせえ! 俺だって思いついたよ!」

 

「じゃあ、一時間くらい森の中をさまよったのは、何処の誰かな?」

 

 要がそう言うと、光はばつが悪そうな顔をして、逸らす・・・・・・。俺は、それを見て笑うと、スピードを上げて家に向かう。

 

「じゃあ、またお昼に遊ぼう。」

 

「おう! 今度は遅れるんじゃねえぞ!」

 

 俺はそう言うと、家の方に向かって泳ぎ出す。光にまた怒られるのは、勘弁して欲しいので、光達より早く家につかなければ・・・・・・。そんな事を思いながら、家へと急ぐ。

 

「ただいまーー!! お母さん、ご飯は~?」

 

「こら、先に手を洗ってきなさい。もう出来てるから、食べ始めてるわね。」

 

「は~い。」

 

 俺は返事をして、手を洗いに向かう。そうして、手を洗ったら俺はリビングに向かい。待っている母さんと父さんの隣に座ると、昼ご飯を食べ始める。そうして、朝より早く食べると、食器を片付けてから玄関へと飛び出した。

 

「行って来ます!!」

 

「誠!! 今日は、朝言ったとおりに早く帰るのよ! じゃないと、夕飯を食べる時間が遅くなるわよ。」

 

「わかってるって、5時前には帰ってくるよ!」

 

 俺はそう言って、光達とよく遊ぶ公園へと、走り出した。

 

 

 

 




さて、これからが問題だね。
原作開始まで地味にやっていきます。


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第二話  贈り物と失ったもの

 次の日、俺は母さんに起こされると、何時ものように朝食を食べ始める。何時も朝は7時に起きて、朝食を食べるのだが、今日は9時くらい・・・・・・。

 

「もう、毎回毎回起こすの大変なんだから、自分で起きなさい。小学校に通うときになってからそうしてたんじゃ、みんなに笑われるわよ。」

 

「その頃には起きれるようになってるから、大丈夫。ごちそうさま・・・・・・。」

 

 俺は食べ終えると、食器を片付けてリビングのソファーに座り、テレビを付けて番組をアサリ始める。そうしていると、母さんが聞いてきた。

 

「あら、誠・・・・・・今日は光君達と遊ばないの?」

 

「うん・・・・・・昨日の探検で疲れたし、今日は家でゆっくりとしてる~。」

 

 俺は床にソファーにべたっとへばりつき、そう答えると、ゴロゴロとソファーの上を転がり始める。毎回、光の遊びに付き合わせられると、次の日は決まってゴロゴロしていた方がいい。それに、毎日遊ぶのも面倒だしね。

 

「じゃあ、誠も一緒に鷲大師に行く? 家でゴロゴロとしてるより楽しいわよ~。それに、

毎回子供のうちからゴロゴロしてるより、外に遊びに出た方がいいわ。あ、でも鷲大師から電車で都市の方に向かうから、そこで買い物よ。」

 

「うん! 行く!」

 

 俺は母さんの提案に即答し、外について行くことにした。このまま家にいても、ゲームをするか、テレビを見るかの二択しかない・・・・・・。それに、毎回母さんと一緒に陸で買い物をするのは楽しみだった。何時も、新鮮なものが見られて楽しい。

 

「じゃあ、早く着替えないとおいてくわよ。」

 

「あ、待ってよ母さん! それはずるいよ。」

 

 それから、俺は自分の部屋に凄いスピードで向かい、タンスから服を引っ張り出して、今着ているパジャマから普通の服に着替える。そうして、脱いだパジャマは洗濯機に放り込んで、母さんのところに向かう。

 

「誠、ちゃんとパジャマは洗濯機に入れた? まさか、脱いだらそのまま床に置きっぱなしじゃないでしょうね? そうだと、連れて行かないわよ?」

 

「もう、ちゃんとするに決まってるじゃないか。母さんは心配しすぎだよ・・・・・・それくらいは自分で出来る。それに、早く行こうよ。」

 

「はいはい、あんたはいつもお利口さんね? じゃあ、早く靴を履いて外に出なさい。電車の時間もすぐに来るんだから。急ぐわよ。」

 

「あ、待ってよ母さん!」

 

 せかされて靴を履き、俺は母さんの後を追って家を飛び出す。毎回、母さんは意地悪して先に家を出るんだから、もうすっかり、なれてしまっている・・・・・・。でも、毎回母さんに陸に連れて行って貰うのが嬉しくて、笑顔で母さんを追いかける。母さんはもう、先の方まで行っており、点にしか見えない・・・・・・。俺の泳ぎの早さは、母さん譲りだろうか? お父さんはそこまで早くない。

 

 それから、俺は母さんを追いかけて海の上に出ると、太陽が眩しくて、目をふさいでしまう。何時も思うが、すごくまぶしい。太陽がはっきりと、海の中では見えない形で見える。

そんな事を考えていると、母さんはもう陸に上がっており、こっちを見ながら座っている。

 

「遅い! 誠、あんたはもうちょっと早く泳げるようになりなさい。そうじゃないと、何時かは光君達に追い越されるわよ。」

 

「母さんがフライングしたのが悪いんだろ・・・・・・。それに、母さんと並んで泳いだら、俺の方が早いよ。絶対に負けない。」

 

 俺は文句を言いながら、陸に上がる。母さんの泳ぎは俺と同じスピードなんだが、先に行かれると追いつけないので、困っている。というか、大人気ない・・・・・・。

 

「今、あんたは大人気ないとか思わなかった?」

 

「イエ、メッソウモゴザイマセン・・・・・・。」

 

 親子だからか、すぐに思っていることを当てられる・・・・・・。これじゃあ、悪口どころか、心の中でも文句は言えない・・・・・・。

 

「まあ、それは置いといて行くわよ。電車・・・・・・もうすぐなんだから。これを逃すと、待たなきゃいけないから。早く行くわよ。」

 

「は~い。今日は何するの?」

 

「よくぞ聞いてくれました。今日は、買い物と映画館に行こうか? お母さん、凄く見たい映画があるんだ~。」

 

 どうやら、俺がいなかったら、黙って1人で行く気らしかった・・・・・・。本当に自由な親だと思うよ。それに、父さんは毎回知っているのだろうか? 俺は早歩きで歩いていく母さんのあとを追いかけて、その後ろを歩く。そうして、駅についたら切符を買って電車に乗り込んで、大きなデパートのある町に向かう。

 

 

 

 

 それから数十分後、母さんと俺は電車から降りていた。俺は毎回、鷲大師にはつれてってもらっているが、此処には来たことがない。

 

「ほら、あんたは初めてでしょ? 此処にくるのは・・・・・・。」

 

「わぁ~。凄い、こんなところあったんだ・・・・・・。」

 

 俺は見るものすべてが新鮮で、周りを見渡すと、凄く活気に溢れている街だというのがわかる。周りには、沢山の人が歩いていた・・・・・・。

 

「じゃあ、まずは映画を見に行くわよ。」

 

「うん!」

 

 俺は返事をして、母さんの横を歩きながらついて行く・・・・・・。周りは色々と面白そうなものに溢れていて、好奇心が膨らんでいく。そして、母さんと数分ぐらい歩くと一つの映画館についた。

 

「母さん、何をみるの?」

 

「え? ああ、それはこれよ。このラブストーリーが一回見てみたかったの。あんたも、意外とドラマとか好きでしょ?」

 

「うん、面白そうだね。」

 

 俺はそう言うと、受付に向かう母さんを追いかけて、後ろにつく・・・・・・。此処じゃ離れそうなので、後ろにピッタリくっついていないと、迷子になりそうだ・・・・・・。そして、母さんが程なくして、受付を終えて歩き出す。

 

 

 

 

 それから2時間くらいがたち、映画も終わって外に出た母さんと俺は泣いていた。俺と母さんの趣味は、意外と似ているのかもしれない・・・・・・。いや、俺は意外と母さんの方に似ているから、趣味まで似てしまったのだろう。

 

「すごく良い話だったわ。誠もそう思うでしょ?」

 

「うん、最初っから最後まで良い話だった・・・・・・。」

 

 俺と母さんは同じ動作で目から涙を拭き取り、歩き出す・・・・・・。時刻は12時くらいになっており、丁度お昼の時間だ。俺と母さんはデパートに向かう。

 

「もうお昼ね・・・・・・じゃあ、ご飯はお父さんに内緒で外で食べましょうか? 誠、先に言っておくけど、父さんには内緒よ? 昨日も外で食べたのに、今日も食べたのがばれるのはまずいわ。『俺をおいて、二人で外食なんて酷いじゃないか!」って、きっとお父さんが泣いちゃうわよ。」

 

「うん、これは絶対秘密だね。お父さん、結構涙もろいから、すぐに泣いちゃうよ。」

 

 俺と母さんはデパートに入り、中にある食事用のお店に立ち寄ると、お父さんの事を思い出しながら席に案内される。俺の父さんは、今日は仕事中なのだ。つまり、俺と母さんは父さんに内緒で外に来ている。

 

「じゃあ、私はオムライスにしようかな? 誠は何が良い? なんでも好きなものを頼んで良いわよ。別に、黙っていればばれないんだし。」

 

「俺も母さんと同じオムライス・・・・・・それでいいや。」

 

 俺は母さんの考えは、父さんには結構悪いと思うが、俺も共犯者なのでとやかく言えない立場にある・・・・・・。それに、毎回、母さんと出掛けるときは母さんと同じものを食べる。別に自分の好きな食べ物が無いわけではないが、嫌いな食べ物もないのだ。

 

「お待たせしました。こちら、当店自慢のふわとろオムライスでございます。では、ごゆっくりどうぞ。」

 

 そう言って、ウェイトレスが運んできた料理を置いて、厨房の方に下がっていく。俺と母さんはほぼ同時に食べ始めた・・・・・・。

 

「そうだ、誠、あんた欲しいものはないの?」

 

「何? 急にどうしたの? 俺は欲しいものなんて無い・・・・・・。あ、あるとしたらバタピーにスルメに枝豆・・・・・・あとはプリンかな?」

 

「あんた、思考がお父さんみたいよ? そうじゃなくて、あんたは光君やまなかちゃんたちと違って、遠慮して物を欲しがらないから、何か買ってやろうと思ったの。」

 

「う~ん、特にない・・・・・・。」

 

 俺はそう答えると、オムライスを食べ進める。実際、俺には欲しいと思えるものが無かったのだ・・・・・・。欲しいもの・・・・・・それは、考えたこともない。何か食べたいとは考えるが、

欲しいもの・・・・・・それが形の残るものとなると、別に思いつくものもない。

 

「よし! じゃあ、買い物を済ませて帰ろうか。」

 

「うん。」

 

 俺が食べ終えると同時に、母さんが立ち上がって歩いていく。俺はそれを見て、椅子から降りて歩いてついて行く。母さんは会計を終え、店を出た。

 

 そうして数分後、俺と母さんは歩いていると、小物を売っている店の前を通る。それをみた母さんが立ち止まると、『ちょっとよっていこうか?』と言って、その小物店の中に入っていった。

 

 それから数分して、母さんが小さな袋を片手に店から出てくる。

 

「ほら、誠のものよ? これが誠を守ってくれるから持ってなさい。」

 

 そう言って、母さんが持っていた小さな袋をあけると、中には十字架の真ん中に青い輝く何かが入っているネックレスが入っていた。

 

「ほら、あなたは何も欲しがらないから代わりに持ってなさい。それに、お母さんとお揃いよ?」

 

 母さんはそう言って、首もとから似た十字架のネックレス・・・・・・真ん中には、緑色の何かがはまっている。それを取り出して見せてきた。

 

「母さん・・・・・・そんな事を信じてるの?」

 

「そんなわけ無いじゃない。でも、気分って大事なのよ。」

 

 全く、母さんはとんだ気分屋だよ・・・・・・。でも、貰ってみると、以外と嬉しいな。俺に欲しかったものは無いが、何故か気に入った。

 

「じゃあ、買い物をして帰りましょう。」

 

「うん。ありがとう母さん・・・・・・。」

 

「どういたしまして。」

 

 そうして、俺は首に勝ってもらったネックレスをかけると、母さんの後ろを歩き始める。母さんは歩幅を合わせてくれないから、すごく大変だ。

 

 

 

 

 それから、俺と母さんは買い物を終えて、電車の中にいる。俺は車窓から、移りゆく街の景色を眺めながら、うとうととしていた。

 

《え~、次は~~、鷲大師~鷲大師です。荷物のお忘れにはご注意ください。》

 

 アナウンスが流れ、次は俺と母さんの降りる駅・・・・・・鷲大師という事を告げる。

 

「ほら、誠、寝ちゃだめ。もうすぐ降りるんだから、しっかりしなさい。」

 

「・・・・・・うん。わかった。」

 

 俺は眠い顔を擦って、座り直すと、駅につく前のようで、電車が速度を下げ始めた。俺はそれが完全に停止するのを待つ。電車が停止し、ドアが開くと、俺は座席から飛び降りて先を歩く母さんの後を追う。

 

「ほら、早くしなさい。おいてくわよ。」

 

 母さんは先を歩いていく・・・・・・。俺は眠い頭を起こして、母さんの横まで走る。母さんは買い物袋を持ちながら、結構速いスピードで歩くが、俺はすぐに横に並ぶ。

 

「母さん・・・・・・今日の晩ご飯何?」

 

「え~と。今日はハンバーグよ。それと、お味噌汁に・・・・・・後は適当ね。」

 

 俺と母さんはただ、何も・・・・・・いつもと変わらない事を話ながら、歩道を歩いていく。そのとき、

母さんと俺は考えていなかった・・・・・・。

 

 ブォォォォーーー!! 

 

 俺と母さんに一つのトラックが近づく・・・・・・。俺と母さんは会話に夢中で気づかない。そして、その車は俺と母さんの目の前に迫っていた。

 

「・・・・・・え?」

 

「!? 誠、危ない!!」

 

 俺は迫るトラックに動けず、棒立ちになる。母さんは持っていた買い物袋を投げ捨てて、俺の手をつかんで海に落とそうとする。そして、俺は海に落とされたとき、大きな音が鳴ると同時に俺は海に落ちた・・・・・・。

 

 あれ? 母さんは?

 

 俺はそんな疑問と共に、海の上に浮かび上がると、近くの上がれるところを見つけてのぼると、俺が落ちた場所までかける。するとそこには、血にまみれた母さんがいた。

 

「母さん!!」

 

 俺はすぐに母さんのところに駆け寄ると、叫ぶ。

 

「・・・・・・あ・・・・・・誠・・・無事だった。・・・よかったわ。ねえ、母さんのお願いを聞いてくれる? このお母さんの持っている十字架は誠が持ってて・・・・・・それで、誠に・・・好きな人が出来たら・・・このネックレスを・・・その子に渡し・・・て欲しいな・・・・・・。」

 

 母さんはそう言って、俺のネックレスを買ってくれたときに見せたネックレスを首からはずして、

俺の手に握らせると、目を閉じた・・・・・・。

 

 それが・・・・・・俺と母さんの最後だった・・・・・・。

 




知識はアニメしかありません。


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第三話  お別れ

 

 

 俺はこの日、母さんのお葬式を執り行っていた・・・・・・。あの日、俺は母さんに突き飛ばされて助かったが、母さんは俺を突き飛ばすのに精一杯で、トラックに引かれたのだ・・・・・・。

俺はなんであれを避けれなかったのだろうか? 俺がちゃんと避けれたら、母さんも死なずにすんだかもしれない・・・・・・。

 

「お前の母さん、残念だったな・・・・・・。まだ若いのに、これからの人生もすべてなくなってしまったんだ。」

 

「光のお父さん・・・・・・。俺、俺のせいで母さんが死んだんだ・・・・・・。俺が気をつけていれば死なずにすんでいたかもしれない・・・・・・。」

 

 俺に話しかけてきたのは光の親父さん・・・・・・先島 灯。村の神社の宮司をしている人で、

今日の母さんのお葬式も手伝ってくれる人だ。

 

「そう自分を責めるな・・・・・・お前はまだ子供なんだ。あれは仕方の無かったことなんだ。あれは、トラックが突っ込んで来なければ、お前の母さんは死なずにすんだ。だから、お前も自分の事を責めるのは止めろ。・・・・・・とまでは言えないが、お前がそう自分を責めてたら、

お前の母さんも悲しむぞ?」

 

「・・・・・・はい。でも、俺は・・・・・・。」

 

 俺はそう言うと、口を閉じた・・・・・・。その時の俺の目には、あの母さんが死んだ日から目に光りが灯っていない・・・・・・。例えるなら、燃え尽きてしまったロウソク・・・・・・今の俺は、

その言葉が一番あっているだろう。

 

 それから、灯さんは俺の前から歩いていき、どこかに行った。俺はそれが一番ありがたいと思う。だって、今は誰にも会いたくない気分なのだから、誰にあったって、俺は平常心を保って対処出来ないだろう・・・・・・。

 

 そんな事を考えていると、光のお姉さんの先島 あかりさんが俺の前にきて、俺の前に膝をついて、俺を抱きしめた。・・・・・・でも、俺の心には何も無い。

 

「誠君、凄く辛いよね。その気持ちはわかるよ。でもね、早く元気になって、光達に顔を見せて欲しいんだ。光達は心配して来ようとしたけど、私とお父さんが止めたんだ。だって、

この気持ちだけはわかる・・・・・・大切な人が死んだら、一番会いたくないのは友達だもんね。

だから、光達には今日は会わないようにって言ってあるよ。」

 

「・・・・・・ありがとうございます。もし、今の俺が光達に会ったらどうなっていたか分かりません。でも、そのお陰でちょっと落ち着きます。あかりさん、ありがとう。」

 

 俺が礼を言うと、あかりさんは俺を離して、『出来るだけ早く元気になってね。』とだけ言って頭を撫でてから出て行った・・・・・・。

 

 それから俺は1人でいると、俺の父さんが俺のもとに来て、凄く悲しく、疲れたような顔をして俺の横に座った・・・・・・。今まで、他の人たちにいろんな言葉をかけられていたのだろう。俺も、その1人だからわかる・・・・・・。

 

「なあ、誠・・・・・・。母さん・・・・・・最後はどうだった? 母さん・・・・・・何か言ったりしてないかな。それと、母さんの最後の日の話をしてくれないか? 辛いのはわかってる。でも、父さんも母さんの最後は知りたいんだ・・・・・・。」

 

 母さんは秘密だって言ってたが、今は話していいだろう・・・・・・。だって、母さんの最後を父さんは知りたがってるんだ。母さんも許してくれる。

 

「母さんは・・・・・・あの日、街に出かけたんだ。一緒に映画を見て、ご飯食べて、それで俺にプレゼントを買ってくれたりして・・・・・・。母さん、すごく楽しそうだった。でも、帰り道の道路から来たトラックに跳ねられて・・・・・・俺は、母さんが突き飛ばしてくれたお陰で助かったんだ。」

 

 俺は話し終えると、またすぐに口を閉ざす・・・・・・。これ以上話すと、俺は壊れてしまいそうだった・・・・・・。でも、俺は泣かない為に黙る・・・・・・。それが俺の自己防衛手段。

 

「そうか・・・・・・母さん、最後は楽しかったのか・・・・・・。良かった。もし、いろんなことを後悔して死んだら、嫌だもんな・・・・・・。それに、誠・・・・・・お前を守って死ねたんだ。母さんもお前の事を最後に守れて、嬉しかったと思うぞ。」

 

 俺は父さんの言葉も、あまり耳に入らなかった・・・・・・。俺の中で、父さんよりも母さんの存在の方が大きかったのだろう。俺は顔を伏せ、最後の日のことを思い出していた。

 

 そうして葬式も終わり、俺は独りでフラフラと村の中を歩いて何処かに向かう。その行き先は俺にもわからず、ただの人形のように歩いていく・・・・・・。

 

 

 

 

 そうして何分歩いただろうか? 俺は来たことのない場所に来ている。そこはまるでお墓のようで、そこには母さんと見たおじょしさまの残骸がたくさんある。此処は、おじょしさまの墓場・・・・・・まるで、俺を呼び寄せたようだった。

 

「何をしておる。誠・・・・・・お主、ここを知っておったのか?」

 

「・・・・・・うろこ様・・・・・・。さあ、俺は何でここにいるんだろうか・・・・・・。知らないし、もしかしたら俺を呼んでいたのかもな。」

 

 俺に声をかけたのはうろこ様・・・・・・。汐鹿生の守り神で、自称『海神様の鱗』だ。

 

「ほ~う・・・・・・普通はこれを見たら驚くんじゃが、お主は驚かんのか・・・・・・いや、そういえば葬式があったのう。お前にはこれを見ても、考える余裕すらなかったか・・・・・・。」

 

「別に・・・・・・何時も驚かないよ。」

 

 俺は本心のまま、うつろな目でおじょしさまの残骸を見て、一言言う。今の俺じゃ、こんな残骸すら考える気もない。

 

「ほれ、用がないなら帰った帰った。此処はお前のような奴が来るところじゃない。もし今度くるときは、お前の意思で来るじゃろうからの・・・・・・。」

 

 俺はそんなうろこ様の言葉も耳に入れず、また何処かに向かってあるいていった。

 

 

 

 

 それから2年・・・・・・。俺は7歳になり、父さんと一緒に住んでいるが、明らかに最近の父さんはおかしい。俺は、あの日から立ち直れないが、まだ少しはましになった。それでも、

俺の心は欠けているままだった・・・・・・。俺の性格はあの日を境に変わっただろう。

 

「誠、お前は最近どうだ・・・・・・。光君達と遊んでいるのか? 最近、光君達が呼びに来る事があるんだが、その時お前はもう家を出てて、いないじゃないか。父さんはてっきり光君達のところに行ったと思ったんだが、どうしたんだ?」

 

「別に・・・・・・何時も独りでいたっていいだろ。それに、父さんも要件があるなら言ってくれないと、わからないよ。最近、父さんの様子が変だし、いったいどうしたんだよ?」

 

 俺はふてくされたように言い、それでいて的確に的をつく・・・・・・。今の父さん、最近は陸で仕事をしているんだが、明らかに様子がおかしい。帰ってきたら、何かのスプレーの匂いがするし、それに帰る時間も遅い・・・・・・。別に、心配してるのではなく、俺は違和感を指摘しているだけだ。それでも、感も母親譲りか・・・・・・父さん、鈍感だしな。

 

「実はな・・・・・・父さん、今つき合っている人がいるんだ。それに、もうすぐ結婚でな。誠にあってほしいんだよ。」

 

「・・・・・・俺は会わない。」

 

 俺は一言言うと、黙る・・・・・・。父さんがこんなに早く・・・・・・いや、俺は父さんが誰かと付き合うのが許せない。とまでは思ってないが、俺は母さん以外の母親なんて考えたくない。

あの日、死んでしまった母さん・・・・・・俺は、多分新しい親を母さんと呼べないだろう。

 

「そうか・・・・・・でも、一応話して置くぞ。その人はな、陸の人なんだよ。父さんは誠も気に入ると思うんだ。それに、何時までも母さんの事を引きずってると、母さんも悲しむぞ。それとその人は優しいから、お前のことも大丈夫だ。」

 

「父さん、俺は会わないって言ってるだろ! それに、俺は汐鹿生を離れない! 行くなら父さんだけで行けよ!!」

 

 俺は怒っていた。母さんの事を引きずる? 別にいいじゃないか。俺は父さんが母さんの事を忘れて、他の人と一緒になる。それは俺にとってはどうでもいい。でも、俺はこの家を離れたくなかった。母さんとの思い出が詰まった家を・・・・・・それに、掟がある。陸の人間を好きになるんだったら、この村を出て行かなければいけない。それは、母さんとの思い出を捨てること・・・・・・それと変わらない。

 

「そうか・・・・・・ごめんな、誠。じゃあ、父さんは数日後にはここを出るよ。母さんが誠の為に残していた貯金・・・・・・置いとくから、困ったら光君家に行くんだぞ。」

 

 俺はその日から父さんと口を利かなくなり、父さんはその数日後、村を出て行った。俺はその後は母さんと過ごした家で、一人暮らしを始めた・・・・・・。

 

 

 

 

 それから数日たち、光とまなか、ちさきに要は公園に集まっていた・・・・・・。最近、誠とあう機会が減っており、今日も行ったが、誰もいなかったのだ。

 

「なあ、最近の誠は変じゃねえか? なんかこうもやっとするんだよ・・・・・・。」

 

「そうだね・・・・・・多分、まだお母さんのことを悔やんでいるんじゃないかな? あかりさんは誠が自分を責めてるって、言ってたんでしょ?」

 

「ああ、要・・・・・・あいつってこのままなのかな・・・・・・。俺らに何か出来ることはないのか、

大人たちに聞いてみようぜ。」

 

「でも、ひーくん。あかりさんは放っておいたほうがいいって言ってたよ。まーくんは触れたら壊れちゃうくらい心が脆くなってるって言ってた。」

 

「そうだよ光、誠の心の回復は時間の問題だって言ってたよ。それに、私たちが無理に動いて誠が壊れちゃったら、それこそ駄目だよ。」

 

 光達は悩むが、今の誠には何も通じない・・・・・・。それどころか、心を閉ざしている誠には何も、誰の言葉も通じない。それが友達であっても、あの誠の父親ですら届かなかった。

 

「ああ、くそ! なんでいねえんだよ! どこ行ったんだ誠の奴!!」

 

「光、ちょっとぐらい1人にさせてあげなよ。多分、誠にもひとりになりたいときがあるんだよ。」

 

 光はむしゃくしゃしているが、ちさきが止めようとする。

 

「でもよ、誠の奴は一週間も俺達と遊んでねえんだぜ! 昔だったらちゃんとついてきたのに、おかしいじゃねえか!」

 

「こら、光! 誠君のことを悪く言っちゃ駄目でしょ。それに、誠君なら鷲大師で見たから今ならいるんじゃない?」

 

 光の頭を叩いて現れたのは先島 あかり。光の姉だ・・・・・・。丸めた雑誌で叩いており、まなかとちさきは驚く。光は頭を抑えて、振り返る。

 

「ひっでえ~、なんで誠が地上にいるんだよ?」

 

「それはあれよ。誠君のお母さんが引かれた場所に花を置きに行ったのよ。それに、光も止めなさい。そのうち誠君も立ち直るわよ。みんなも誠君に言いに言ったりしないでね。誠君には母親の話しは駄目よ。」

 

「わかったよ・・・・・・今度から、家にいなかったら諦める。それで良いだろ?」

 

 あかりはそれをみて頷くと、帰って行った。光は釈然とせず、その後も愚痴っていたが、

まなかとちさき、要にさっきの話をされて止められるのだった。  



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第四話  温かい人

俺の凪のあすからに対する疑問・・・・・・。
海の世界、汐鹿生では野口さんや諭吉さん・・・・・・。
千円札などの紙は濡れないのだろうか?


 朝・・・・・・俺の寝ている部屋に目覚まし時計の音が鳴り響く。俺は一人、布団の中にくるまって入っている。父さんがこの家を出て行って数年・・・・・・。俺は今は小学4年生、何もない日々をただ1人で過ごしている・・・・・・。

 

「・・・・・・はあ~、6時か・・・・・・朝食を作らないといけないな・・・・・・。」

 

 俺は1人になってから、いまだに誰にも頼らず、父さんが光の家に行けと言っていたが、

それすらもしていない・・・・・・。そのおかげか、俺は店で出される料理と同じくらいには、俺の料理は上手くなっている。

 

 俺は布団から起き上がり、ほぼ日課となっている朝食作りの為に布団から這い出ると、俺はタンスから服を取り出して着替える。そして数分後・・・・・・着替えた俺は、脱いだ服を洗濯機に放り込んで、キッチンに向かう。冷蔵庫をあけると、中には昨日買った食材が大量に敷き詰められており、いろいろと出しづらくなっている。

 

「・・・・・・昨日、買いすぎたな・・・・・・。でも、楽だしいいか・・・・・・。」

 

 俺は適当に材料をひっつかんで取り出して、調理を始める・・・・・・。今日はハムと目玉焼きという、

普通のメニュー・・・・・・。光達が俺を呼びにくる前に、食べて片づけなければいけない。時間は結構ある・・・・・・別に、呼びに来なくてもいいだろ。俺はそんな事を考えている間に料理が完成。俺はフライパンを流しに突っ込み、皿の上のおかずをリビングのテーブルに運んで座り、テレビをつける。

 

 俺は朝のニュースを見ながら食べていると、画面の端にある時間を見る・・・・・・時刻は7時、光達が俺を呼びにくる30分前だ・・・・・・。俺は食べ終わった食器を流しに持って行き、洗い始める。そうして終わったのが7時15分・・・・・・後、15分で光達が来る。

 

「はあ~・・・・・・光達、先に行けばいいのに・・・・・・。」

 

 愚痴をこぼしながら俺は準備を終えると、時刻は7時25分・・・・・・5分前だった。俺は母さんが亡くなってから、毎日何故か光達に迎えに来られる。最初は、俺は独りで学校に行っていたのだが、光が、「お前が来ないのが悪い。」とか意味不明なことを言い出した。俺は、独りで学校に行きたいのに、光達はそれをさせない。傍迷惑な奴だよ・・・・・・昔から変わらない。変わったのは俺、それも全部わかっている。あの日から、俺は楽しいこと、嬉しいことも全部無くなった。

 

「お~い! 誠、出てこ~い!! 学校行くぞ!! 出て来ないと、玄関をぶち壊してでも引きずり出してやる。それが嫌なら来い!」

 

 俺は迷惑な奴だと思いながらも、玄関に出る。そこには光とまなか、ちさきに要の姿がある。俺は靴を履いて外に出る・・・・・。

 

「おはよう、まーくん。」

 

「おはよう誠。」

 

「おはよう、誠・・・・・・今日も光がうるさくてごめんね?」

 

「ああ・・・・・・おはようみんな・・・・・・。」

 

 最初にまなかが挨拶、それに続いて要、そしてちさきが光のことを謝りながら挨拶・・・・・・。これは結構昔から・・・・・・。それも、小学校に入ってからすぐに始まった朝の挨拶。これも変わらない返事で返す。そうして、歩き始める光をみんなが追うようにして歩いていき、俺はその後ろについて行く。

 

「そう言えば、今日はテストだよね? 光はちゃんと勉強した?」

 

「ああ・・・・・・勉強してねえ。今日はテストか~、まなかはどうだ?」

 

「ええ~、ひーくん勉強しなきゃ駄目だよ!」

 

 俺は後ろからその会話を眺めて、俺はその会話に加わることはない。毎回俺の前で会話し出すが、

俺は興味すらなく、ただ歩き続けるだけ・・・・・・なんで、そんな俺にかまうんだろうな? こいつ等は俺を放って置いてもいいって一度言ったのに、なかなか聞かない。

 

「ええ、え~と・・・・・・まーくんはどうかな? 勉強した?」

 

「・・・・・・別に、関係ないだろ・・・・・・。」

 

 俺はいつもこの調子で会話すら避ける・・・・・・。見るからにまなかは落ち込んでいるが、俺には知ったことじゃない。周りのやつはダメだったか・・・・・・みたいな顔をしている。要は、そんな光景を見ても、顔色ひとつ変えない・・・・・・。相変わらずのポーカーフェイスだ・・・・・・。

 

 そうして、学校について俺は自分の席に・・・・・・。光達は俺がいすに座ると、声をかけずらくなるのか、こっちを見ているだけ・・・・・・。というより、最初は話しかける事が多かったのだが、そのたびに素っ気ない態度で追い返しているので、光達も非常に気まずいのだ・・・・・・。

 

 それから光達は俺に話しかけれずに、学校が終わる・・・・・・。

 

 

 

 

 時は変わって放課後の光の家・・・・・・。ここには光とまなか、ちさきに要、それと光の親父の灯さんとあかりさんの姿がある・・・・・・。勿論、ここに誠はいない・・・・・・。

 

「では、みんな集まったので、第何回目かもわからない。誠を元気にしようの会議を始めたいと思います。司会は俺、先島 光が行います。」

 

 そうすると、周りの人は不機嫌そうに光を見る・・・・・・。これは元気の会とか言っているが、実質は光の愚痴が多い会になっている。それを、周りは永遠と聞かされるのだ。

 

「さて、まずは俺からいこうか・・・・・・。あれから数年、誠も4年生・・・・・・俺やまなかも四年生になったんだが、一向に元気にならない誠をどうするか、決めたい。」

 

 光が周りに問いかける。それを聞いている灯さんが声を出す。

 

「光・・・・・・お前の不満もわかるが、家の中に引きこもるよりもましじゃないか。それに、あと数年もすれば元気になるだろ。待っていた方がいいんじゃないか?」

 

「そうよ、父さんの言うことも聞くべきよ。光・・・・・・あんた、また不満を漏らすためにみんなをここに集めたの? そうじゃないでしょ。それに、誠君も立ち直っている途中だと思うよ?」

 

 そう家族に言われる光は黙り、周りは苦笑い。この数年で誠は大人しく、前の誠のような正確は冷静なところだけ・・・・・・。それに、一番光達にとって、支柱のような存在だった。それが、今じゃ学校の中では空気になりかけている。

 

「だって、あの誠の影が学校の中で一番薄くなってんだぜ? それに、昔は俺たちの止め役だったりしただろ。一番すごかった誠がこんな空気・・・・・・。絶対おかしい! あいつがいつも通りにならないと俺らが俺らじゃねえんだよ!!」

 

「「「「・・・・・・」」」」

 

 最後に光が愚痴を漏らして、まなかとちさき、要は沈黙・・・・・・。そうしてその日の会議はお開きになり、みんな帰って行った。

 

 

 

 

 それから翌日・・・・・・。誠はいつものように朝速く起きて、朝食を食べる・・・・・・。そうして、片付けなどを終わらせた誠は靴を履いて外に出た。この家に訪ねてくるのは光達だけで、他は気を使って訪ねてこない。だから、俺は誰にもかかわらずに・・・・・・父さんが居なくなってからも、俺は誰にも一人暮らしのことを知られずに生きてきた。

 

そうして、俺は泳いで陸を目指し、海の上に出ると、そこはいつもと変わらない陸の世界が、母さんと過ごした思い出の場所が広がっていた。俺はすぐに海から出て、山上を目指す。今向かっている場所は、母さんと一緒に最初に来た場所・・・・・・。思い出のひとつだった。

 

「変わらないな・・・・・・。ここも、俺と同じ・・・・・・時が、止まってるんだ。」

 

 俺は山の上の草の上で寝転がる・・・・・・。昔、俺が母さんと来ていた時にやったことだ。海の中ではそんな事は出来ない。うみに浮かぶことは出来るけど。俺は目を閉じて、そのまま風の音を聞きながら眠った・・・・・・。

 

 

「ほら、起きて・・・・・・ここだと風邪引いちゃうよ。」

 

「・・・・・・母さん、違う・・・・・・誰?」

 

 俺はすぐに起き上がり、周りを確認する・・・・・・。俺の目の前にはひとりの女性がいる。どうやら、

俺はこの人に起こされたようだ。

 

「誰ですか・・・・・・別に、風邪なんて引きません。」

 

「君、海の子でしょ? それに珍しいなと思って声をかけただけだよ。それに、君がなんで泣いているのか知りたかったしね。」

 

 俺はそう言われて顔に触れてみると、俺の頬には涙が伝っていた・・・・・・。なんで俺は涙を流しているんだろうか? これまで、一度も泣いたことがないのに・・・・・・。それに、母さんが死んだときだって、光と喧嘩したときだって、泣いたことはなかった・・・・・・。

 

「・・・・・・別に、関係ないでしょ。俺を1人にしてください。」

 

 そう言うと、その女の人は俺を見て怒る・・・・・・。いや、どっちかと言ったら、不機嫌になったと言うべきだ。その人はいきなり俺の手を掴み、立ち上がらせた。俺は意味の分からないまま、抵抗できずに立ち上がらせられる・・・・・・。

 

「よし、決めた。ちょっとお姉さんと一緒に家に行こうか。話しはお茶を飲みながらにしよう。それに子供の君が心配だよ。ついて来て。」

 

 そう言って、その人は俺の前を歩いて行く・・・・・・。何故か、強引なところが母さんに似ている。そう思った・・・・・・。俺が動かずにいると、その人は振り返ってまた言ってくる。

 

「もう、早く君もついて来る! 遠慮しないでいいから、速く来なさい。じゃないと、おいってちゃうよ。」

 

 そう言って再び歩き出す人を・・・・・・初対面の筈なのに、俺は歩いて追いかける。もしかしたら、俺は影を重ねていたのかもしれない・・・・・・。でも、勝手に足が動いて、俺はその人のあとについて行ってしまった。普段なら、俺はついて行かないだろう。でも、母さんに似ていたんだ・・・・・・。姿がじゃない。その人の強引なところが、母さんに似ていた・・・・・・。

 

 

 

 

 それからその人について行くと、俺は一件のアパートの前についた。その女性は階段を登っていくと、俺を手招きして『こっちだよ。』と伝える。この人は初対面で、子供を連れてくるとか、どれだけお人好しなんだろうか? 不思議だ・・・・・・。

 

「ほら、君も速くおいでよ。外は暑いんだしさ。それに、そろそろ塩水を浴びないと、エナが乾いて体調悪くなるよ。」

 

「・・・・・・。」

 

 俺は無言で階段を上り、その人のところに行くと、ひとつの部屋の鍵を開けて中に入っていった。

俺は玄関で固まる・・・・・・。ここまでついてきたが、なんで俺は此処に・・・・・・。そんな事を思っていると、またせかすように話しかけてくる。

 

「ほら、遠慮しないでいいから、上がって。今は至さんは仕事行ってるし、美海は遊びに行ってるからいないんだ。あ、至さんは私の旦那さんで、美海は私の子供だよ。」

 

「・・・・・・そうですか。」

 

 俺は軽く返して、部屋の中に上がる・・・・・・。連れてこられたとはいえ、抵抗しかない。名前も知らない人にいきなり家に連れてこられて、びっくりしない方がおかしいだろう。

 

 俺がテーブルの前で座っていると、女性が俺の前にオレンジジュースを出して置く・・・・・・。そうして座ると、何故か笑顔で話し出す・・・・・・。

 

「えっと、まずは自己紹介をしよっか? 私は潮留 みをりって言うんだ。君はなんて名前?」

 

「俺は長瀬 誠・・・・・・。」

 

 そう言って俺に自己紹介・・・・・・。俺は反射的に答えてしまう・・・・・・。なんか強引だが、凄く優しい雰囲気のする人だった。光とは違う太陽のようだ・・・・・・。光はやんちゃで荒い太陽だとすると、このシヲリさんは優しい月の光を持った、明るい太陽・・・・・・。

 

「えっと、誠君、君はなんであんな所にいたの? それに、泣いていた理由も聞かせてほしいな。なんで寝ながら泣いていたのか・・・・・・怖い夢でも見たの?」

 

「あそこは死んだ母さんが連れて行ってくれた場所だから・・・・・・。それに、俺も何で泣いていたのかわからない。寝てたら急に起こされた・・・・・・。」

 

「そっか・・・・・・ごめんね。嫌なこと聞いて・・・・・・そうだ、誠君、ここで夕飯でも食べてよ。私も至さんも大歓迎だし、美海も大丈夫だから。」

 

 俺の話を聞いて、ミヲリさんは夕飯を此処で食べて行けと言うが、なんでここまでするのだろうかわからない。それに、旦那さんと自分の子供の承認なしに話を進めている。

 

「遠慮します・・・・・・。それに、旦那さんとあなたの子供に悪いでしょ。知らない俺がいきなり家にいて、それに夕飯まで食べていくって・・・・・・。」

 

 そのとき玄関から、元気な声と男性の声がした。どうやら、その旦那さんと子供が帰ってきたようだ。凄くタイミングがいいな・・・・・・でも、駄目だと言われればあきらめるだろう。

 

「ただいまお母さん!」

 

「ただいまミヲリ。誰か来てるのか?」

 

「あ、お帰りなさい。美海、至さん・・・・・・実は、この子も一緒にご飯を食べたいと思うんだけど、駄目かな?」

 

 そう言ってミヲリさんは座っている俺を指差す・・・・・・。それを見て、旦那さんと女の子はいいよと返事を返し、こっちに来た。何これ・・・・・・何でそんなすぐに決めれるんだ?

 

「じゃあ、一応自己紹介でもしようか。僕は潮留 至、そしてこっちが美海。これから仲良くしてくれるよね。」

 

「俺は長瀬 誠・・・・・・海に住んでる。なんで至さんは俺を嫌わないんですか? 陸の人は海の人間が嫌いだと思いますけど・・・・・・。」

 

「あれ? 誠君、知らないのかい? ミヲリは海の人間だよ。てっきり僕は知っているものだと思っていたんだけど、ミヲリは話してないのかい?」

 

「アハハ・・・・・・ちょっと誠君の話を聞くのに夢中で、つい忘れちゃった。」

 

 どうやら至さんは陸の人・・・・・・ミヲリさんは海の人・・・・・・。珍しくない組み合わせだが、まさかこの人が海の人だと思わなかった・・・・・・。

 

「誠! 一緒に遊ぼう。」

 

「・・・・・・え? いきなり呼び捨て?」

 

「アハハ・・・・・・ごめんね。美海は初対面でもこうなんだ・・・・・・。そうだ、誠君も美海を呼び捨てでお願いね。そうじゃないと、美海は膨れちゃうから。」

 

「・・・・・・わかりました。美海、遊ぼうか。」

 

 俺はこのまま何もしないわけにはいかないため、美海と遊ぶことを選ぶ・・・・・・。料理を手伝おうかと思ったが、客人に手を出させないタイプに見える・・・・・・。だとしたら、もう遊ぶ以外に選択肢はない。

 

 

 

 

 それから美海と遊んでいると、ミヲリさんが俺と美海を呼ぶ。美海は片付けずにテーブルに向かっていった。俺は折り紙などいろいろなものを片付ける・・・・・・。簡単なものしか使っていなかったために、片付けはすぐに終わった。そして俺は美海の横に座っていると、ミヲリさんが料理を持って歩いてきた。置かれた皿の上には、オムライスが・・・・・・。そう言えば、最後に母さんと食べたのもオムライスだったな~・・・・・・。

 

「ほら、遠慮しないでいいから食べて誠君。」

 

「そうだよ誠君。ミヲリのオムライスは美味しいから。きっと気に入ると思うよ。」

 

 ミヲリさんと至さんが言い、俺は美海の方をみると、おいしそうに食べている美海の姿が目に映る。俺の視線に気づいた美海は手を止め、首を傾げる。

 

「どうしたの? お母さんのオムライス美味しいよ。」

 

 俺は目の前に置かれたオムライスにスプーンを突っ込み、すくい上げる・・・・・・。それを俺は口に運んで噛むと、涙が溢れてきた・・・・・・。あの日食べたオムライスより美味しく、それでいて優しい味がオムライスからする・・・・・・。

 

「え? え??? どうしたの誠君!? もしかして美味しくなかった?」

 

「ち・・・がい・・・ます。美味しいです・・・・・・。それに、俺、誰かと家でご飯を食べたのは久しぶりだったから、目から涙が・・・・・・止まらないだけです。」

 

 俺はそのまま泣き出す・・・・・・。これまで、一度も泣かなかった・・・・・・。母さんが死んだ時だって、

俺は泣けなかった・・・・・・。でも、この家族の温かさが俺を包んだんだ・・・・・・。

 




ヤバイ・・・・・・会話が続かない・・・・・・。
こういうアニメはどう書けばいいのだろうか?
小説って難しいよね。


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第五話  幸せはまた消えた

地味に投稿・・・・・・。
これは書くのに結構時間がかかる。


 あれから数ヶ月、俺は以前のように元気になり、光達との仲もそれなりには回復しているのだが、静かで冷静な性格・・・・・・それは変わらなかった。

 

「早く学校行こうぜ、誠! 今日は日直だろ?」

 

「いや、日直はお前だけだ光。俺は一週間前に休んだ人と交代してやった。だから、今日はお前はまなかと日直だ。俺がやったから順番変わったんだよ。」

 

「なっ!? お前何時やったんだよ? くそ~、俺も誰かと日直を・・・・・・まあ、まなかと他の人じゃ心配だし、やってやるか。」

 

「お前、それは『まなかと一緒に日直やりたい』って言ってるようなもんだぞ?」

 

「な、ちげえよ。俺はただ心配でだな・・・・・・でも、お前ってつき合い悪いよな。昔は俺やまなかとちさき、要ともよく遊んでたのに、学校でしか遊ばねえじゃねえか。最近どこ行ってんだよ? お前、ほぼ毎日家にいねえじゃないか? 昔もそうだけど・・・・・・。」

 

 俺はあれから数ヶ月・・・・・・ほぼ毎日、俺はミヲリさん達の家に行っている。光達は知らないが、俺が元気になった原因だ。いや、お陰か・・・・・・。あの人達は何かと俺のことを気にかけてくれて、今じゃそのことに遠慮もなくなっている。

 

 俺は家から出て数分・・・・・・俺と光は何時もの集合場所に向かい、俺と光の目の先にはまなかとちさき、要の姿が・・・・・・。

 

「あ、ひーくん、まーくんおはよう!」

 

「ああ、おはようまなか、ちさき、要・・・・・・どうしたんだ? お前ら、何かぼーっとしてるぞ?」

 

 何時もなら先に挨拶をするちさきと要、それが二人はぼーっとしていて上の空、もしかしたらそれ以上かもしれない。

 

「どうしたんだ? まなかは何か知らないか?」

 

「それがね、今日はテストがあるんだって・・・・・・それで、二人とも点数が悪かったらお小遣いを減らされるんだって・・・・・・可哀想だよね。」

 

「へえ~・・・・・・別に二人なら問題ないだろ? 光ならともかく、ちさきと要が悪い点数とるわけ無いだろ? 光は悪い点数とっても平気だもんな。」

 

「おい・・・・・・まるで俺が、『毎回勉強もしないで点数を取れず、親に怒られても何時もへらへらしている奴』みたいじゃねえか。俺は点数悪かったら落ち込んだりするんだぞ? 俺はみた目通りにデリケートなんだよ。それに、お前が羨ましいよ・・・・・・。毎日どこかに行っても、クラスで一位なんだからよ。俺より遊んでるじゃねえか。」

 

「ちゃんと勉強してるよ。まあ、勉強するのは大体が夜なんだけど、それ以外にやる時間無いしね。仕方ないんだよ・・・・・・。」

 

 俺は実際、ミヲリさんの家に昼は行っているため、勉強する時間が夜しかない。でも、俺の家にはいろいろと言ってくる人もいないため、自由だった・・・・・・。

 

「それがね、誠・・・・・・。」

 

「それがさ~、誠・・・・・・。」

 

「「お母さんが誠に負けたらだめだって言ったんだよ・・・・・・。」」

 

 なる程・・・・・・残念だったな、ちさきに要・・・・・・。俺は頼まれても、この二人のために手を抜くつもりはない。俺はこれまで、一度もこいつらに負けたことが無い。

 

「ああ~、そりゃご愁傷様。俺は手を抜くつもりはないんで、がんばれとしか言えない。でも、俺と同じ点数とればいいんだろ? 百点なんて楽勝だろ?」

 

「「「この万年満点野郎!!」」」

 

「俺にとってはほめ言葉だ。そんな事言うなら、努力しろ。」

 

「あはは・・・・・・まーくん容赦ないね。ちーちゃん達の気持ちが分かる気がするよ。」

 

「同情する暇があるなら、お前も勉強しろよ? じゃないと、みんなと同じ学校に入れないぞ? 中学までは義務だけど、高校、大学・・・・・・確実に独りぼっちだな?」

 

「うわあぁぁーーーん!! まーくんの馬鹿!!」

 

「バカに負けてるおまえらは何なんだろうな? ちさきに要、まなかに光はおまえらの言うバカに負けてるんだぞ? と言うことで、みんなバカだ。」

 

 そうやって言い争っていると、俺と光達は学校につく・・・・・・。毎回、みんな自爆行為をしていることに気づかないのか? 毎回毎回、俺が言い争いには勝っているのでつまらない。それ以上に、何で毎回こんな言い争いになるんだっけ?

 

「返す言葉もないね・・・・・・。」

 

「要・・・・・・あきらめちゃだめだよ。もしかしたら、意外なところに誠の弱点があるかもしれないし、

そのうち誠の苦手な教科が・・・・・・。」

 

「無いからな?」

 

 要は諦めており、ちさきも若干諦めている? だが、苦手な教科は自分で克服しやがれ。俺だって苦手な教科は・・・・・・無いな。

 

「まあ、自分で努力しろ。そうすれば負けるか、同点にまではなるだろうよ。」

 

「余裕だな、誠・・・・・・。」

 

「光、勉強しないお前が悪い。あかりさんにも言われてんだろ? 毎日勉強しなさいとか、宿題はちゃんとしろだとか、守らないお前が悪い。」

 

「お前、毎回授業中寝てねえか?」

 

「気のせいだ。」

 

 授業中の居眠り? そんなのよくあることだろ? 

 

 

 

 

 それから放課後、俺は1人で走って帰っていた・・・・・・。光達はおいてきた・・・・・・だって、あいつ等遅いし、そんなの待ってたら日が暮れる。俺は泳いで陸を目指して、一直線。そして、俺が水面に上がったら、目の前にはミヲリさんがいた。あれ? 何時もは家じゃなかった?

 

「こんにちは、ミヲリさん。」

 

「やっと来たね。誠君、今日はどんな料理を教えてほしい? 実はさ、今日の献立に困っちゃってるんだよね。毎回三食考えるのって、結構大変なんだよ。美海はカレーが食べたいって言ってさ、至さんは海のものが食べたいって言うんだよね~。本当、親子なのに何処が違うんだろ?」

 

「う~ん、いっそのこと海老や魚を肉の代わり入れたシーフードカレーなんてどうですか? それなら至さんや美海の食べたいものが入っていると思いますが・・・・・・。」

 

「あ、いいねそれ。よし、今日はシーフードカレーで決まり! じゃあ、誠君も買い物手伝って。今日の料理はシーフードカレーで決定。まずは材料選びだよ。」

 

 そう言って、ミヲリさんは店に向かって歩き出し、俺は歩いてついて行く・・・・・・。俺が毎回ミヲリさんの家に行ったときに、俺は料理を教えてもらっていた。一人暮らしで子供が火を使うのは、危ないからだめだと言われ、料理を教わることになった。一回覚えたら、火事にならないだろうということだ。

 

「まずはカレーのルウと、野菜は人参とジャガイモ、それと玉ねぎ。う~ん、あとは海のものなんだけど、どうしようかな?」

 

「それなら、海老とホタテにイカ・・・・・・あとは、鮭でいいんじゃないですか?」

 

「鮭・・・・・・うん、面白そうだよね。じゃあ、材料は決まったし、買おうか。」

 

 そうして俺は野菜を取ってきて、ミヲリさんは魚類を・・・・・・。そして、カレーのルウを持ってきて

レジで精算。そうして、精算を終えた俺とミヲリさんは家に向かう・・・・・・。その時、歩道を歩いていると、前からあかりさんが歩いてきた・・・・・・。

 

「あれ? ミヲリに誠君・・・・・・? こんなとこで何してるの?」

 

「え? ミヲリさんとあかりさんは知り合いなんですか?」

 

「うん、というか、話してなかったかな?」

 

 聞いてねえよ・・・・・・。いや、海の人なら知っていてもおかしくないが、今まで知り合いとか聞く機会無かったし、知らないのも当然か・・・・・・。だって、誰が誰の知り合いかわからないしな。

 

「でも、なんで誠君とミヲリが知り合いなの? お互いに何処で知り合ったの?」

 

「う~ん、それがね、誠君が少し前に1人で陸で寝ているのを見つけて、家に連れて行ったんだ。なんかほっとけないくらい暗かったし、少しは元気になってもらおうと思って、家で一緒にご飯を食べたんだけど、その時に親がいないってきいて、よく遊びに来るようになったんだよ。」

 

 俺はそれを話され、ヤバいと思って走り出す・・・・・・。俺はまだ一人暮らしということが、まだ周りにバレていない。あかりさんも知らないはずだ。とにかくこのまま・・・・・・。

 

「「ちょっと待ってよ。誠君・・・・・・なんで逃げるの?」」

 

 俺はシヲリさんとあかりさんに腕を掴まれ、逃げられないようになっていた・・・・・・。しかも、片方をミヲリさんに・・・・・・もう片方をあかりさんに捕まれて、身動きがとれない。

 

「え~・・・・・・それは~・・・・・・その~・・・・・・。」

 

 それから数十分は尋問? が続いた・・・・・・。俺の父親が出て行ったが、毎月金を送ってくること、

それから一人暮らしを始めたことを全部聞かれた・・・・・・。

 

「ふ~ん、誠君が元気になったのはミヲリのお陰か・・・・・・。じゃあ、心配ないね。一人暮らしは問題だけど、ミヲリが毎回見てくれてるなら安心。でも、今まで話さない誠君もダメだよ? 大人に相談しなきゃ、もしかしたら、今頃餓死してたかもしれないんだし・・・・・・。でも、よく生きてこれたね。

これからはちゃんと頼ること。いいわね?」

 

「・・・・・・努力します。」

 

 俺はあかりさんの説教をくらい、少し疲れた・・・・・・。まさか、こんなとこでバレるとは思っていなかったし、これからも一人暮らしをするのはかわらない。誰かの家に居候なんて、余りしたくない。

 

「じゃあ、あかり。今日は誠君とシーフードカレーを作る約束だから、またね。」

 

「うん、誠君のことをよろしくね? この子、他の人に頼らないってところあるし。誠君が誰かに頼るのは初めてだから、これからも頼られてあげて?」

 

「うん、ほっとけないしね。」

 

 そう言ってあかりさんは海の中に消え、俺とミヲリさんは家に向かって歩く・・・・・・。あかりさんが大人達に喋らないことを祈ろう・・・・・・。あと、光もうるさそうだから駄目だな。

 

 

 

 

 それから数分で家につき、俺とミヲリさんは料理を作り始める・・・・・・。が、その前に米を炊かなければいけない。俺は米を洗って、炊飯器にセットする・・・・・・。

 

「じゃあ、料理教室を始めようか? まずは野菜の皮を剥いてくれる? 私は鮭の切り身を食べやすい大きさに切っておくから、全部お願いね。」

 

 俺はそう言ってピーラーを渡される・・・・・・。子供が包丁を使うのは危ないと言われ、皮をむくときはこれを渡されるのだ。包丁でやった方が面白そうなんだけどな? まあ、それは家でやるからいいのでおいておこう。俺が次々に皮をむいていき、鮭の切り身を切り終わったシヲリさんが、次々に俺が皮を剥いた野菜を切っていく・・・・・・。うん、凄く地味だ。でも、毎回こんな感じで料理は進められていく・・・・・・。

 

 材料を全部切り終えたら、ミヲリさんがあとは殆どやっちゃうから、俺のやることは無く、凄く暇だ。でも、料理を見てるだけでも楽しいので、俺は後ろからミヲリさんが作っているところを見ているだけでも、意外と覚えられる。

 

「ただいまーー!! カレーだ!!」

 

「はいはい、ちょっと待っててね。誠君、悪いけど美海と遊んでてくれる? もうすぐだから、見ててもおもしろくないわよ?」

 

「わかりました。じゃあ、あっちの部屋で遊ぼうか?」

 

「うん! 今日は友達と縄飛びしたんだ、それで私はいっぱい飛んで、それからブランコや砂浜で貝殻拾いをして、それから・・・・・・。」

 

 今日も美海の何をして遊んだかの話・・・・・・。楽しそうに話す美海は、とっても生き生きとして、本当にただの子供だ・・・・・・。昔の俺みたいだな・・・・・・俺も、昔はこんなに元気だったのかな? そんな事を考えていると、急に台所から大きな音がした・・・・・・。

 

 ────ドタンッ!!

 

 嫌な予感しかしない・・・・・・。俺はすぐにミヲリさんの名前を呼ぶ。

 

「ミヲリさん・・・・・・? 何かありましたか?」

 

「どうしたの? 誠、早く遊ぼうよ?」

 

 台所からの返事はなく、俺は慌てて台所に走る・・・・・・。嫌な予感は的中・・・・・・ミヲリさんは、床に倒れてつらそうだった。俺は今日の出来事を振り返る・・・・・・。ミヲリさんが海を見ながら座っていたこと、あれは俺を待っていたと言ったが、違うんじゃないか? もしかしたら、ミヲリさんは今日は病院に行っていたんじゃないか? それで、疲れたから海を見ながら休んでいた・・・・・・。

 

「お母さん!! どうしたのお母さん!!」

 

「───っ!? そうだ救急車!!」

 

 俺は慌てる美海の声で我に返り、電話をかける・・・・・・。まずは救急車、それから至さんに電話だ。

そうして数分後、救急車が駆けつけ、ミヲリさんを運んでいく・・・・・・。俺は美海を連れて一緒に救急車に乗って病院へ・・・・・・。

 

 そうして数日後、シヲリさんは退院して、いつも通りの元気な姿を見せた・・・・・・。でも、俺にはわかった。至さんがつらそうな顔をしている。でも、美海は喜んでおり、至って普通で何時もの光景に見えるが、多分、重い病気なのだろう・・・・・・。

 

 

 それから数ヶ月・・・・・・俺はいつも通りにミヲリさんの家に行く。毎回、俺は通い続けた。もしかしたら、本当に重い病気なのではないのか? そんな疑いも晴れず、俺は通い続け、ある日突然、ミヲリさんが死んだ・・・・・・。

 




はい、ミヲリさんが死んだ理由を知らないので、勝手に書いちゃいました。


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第六話  久しぶりの陸

久しぶりにこの作品を投稿。


 ミヲリさんが死んでから、約三年の月日がたった・・・・・・。あれからは、俺は陸に上がる事もなくなり、一度も至さんと美海とも会っていない。最初は俺も落ち込んでいたが、母さんが死んでからのことが役に立ったのか、立ち直れた。でも、最初の数ヶ月は光達ともろくに喋らず、母さんがなくなってからと同じ状態が続いていたが、ある日に俺は思い至った。それは、目の前で助けられなかった人を助けられるように『医者になろう』。それが俺の初めて持った夢で、いきる意味だ。それからは、医学の勉強に没頭した。

 

 ピーンポーン!!

 

 どうやら、誰かが俺を呼びにきたみたいだ。玄関のインターホンがなり、誰かが来たことを告げる。俺はもう食事をすませ、あとは制服を着るだけだったので、少し待つように言うために、玄関に向かった。ドアを開けると、そこにいたのはまなかだけ・・・・・・。

 

「おはよう、まなか。光達はどうした? それに、その制服って浜中のだろ? 光は波中の制服を着て来いって言ってなかったか?」

 

「おお、おはようまーくん。・・・・・・えっとね、私は波中の制服着てったら、異分子とかそういう扱いされるんじゃないかな~、って思ってね。その・・・・・・まーくんも浜中の制服着てくれないかな?」

 

「ああ、1人だけそれ着るのが怖いのか。わかった。俺も浜中の制服着てくよ」

 

「ああ、ありがとう、まーくん!」

 

 マナカにお礼を言われるが、言われる覚えはない。だって、まず、浜中の制服じゃなくて波中の制服を着て行く方がおかしいのに、光が言い出したことだ。内容はどうでもいいので忘れたが、『波中魂』がどうとかこうとか言ってたな。

 

「じゃあ、少しの間、待っててくれ。あ、やっぱり先に行くか?」

 

「えっ、ううん。私1人じゃ嫌だし、待ってるよ!」

 

 どうやら、マナカは光に怒られるのが怖いようだ。俺はそんなマナカを放っておいて、自分の部屋に着替えに行く。そして、クローゼットから浜中の制服を取り出して着ると、玄関に鞄を持って歩いていく。

 

「あ・・・・・・」

 

「ん? どうしたマナカ?」

 

「えっと、まーくんって何でも似合うよね。っと思ってさ。だって、波中の制服も似合ってるし、浜中のを着ても凄く似合ってるよ?」

 

「そりゃ、どう致しまして。そんなことより、早く行くぞ」

 

 玄関につくと、何故かマナカに褒められるが、時間もないので早く行くことにした。俺とマナカは玄関を出て、いつものように集合場所に向かう。そして、集合場所につくと、待っていたのはチサキと要だけだった。

 

「おはよう、チサキと要」

 

「おはよう・・・・・・あれ? ねえ、昨日は光が波中の制服を着てくるようにって言わなかったかな? もしかして、夢の中だけ?」

 

「いや、確かに言ったぞ。でも、今日はマナカに言われてこっちにしたんだ」

 

「そ、そう・・・・・・良かった。もしかしたら、私達が光が『波中魂』がどうとか言って、その夢を見たから間違えて着て来ちゃったかと思ったよ」

 

 それは嫌な夢だな・・・・・・。でも、俺がこっちを着てきたからって、その反応は無いだろ。

第一、人を基準にするのを止めてほしいところだ。毎回俺が基準じゃ、こっちが分けわからなくなってくる。そんなことを思っていると、光がきた。

 

「おっす、おはようチサキに要、マナカに・・・・・・誠、お前とマナカはなんで波中の制服着てねえんだよ! 言っただろ、浜中の奴らに目にもの見せてやろうぜって!」

 

 光が俺とマナカに詰め寄り、何かの宗教的な教えを説くが、意味が分からない。陸で長い時間を過ごしてきた俺にとっては、波中魂とかどうでもいい。それに、陸の人とは仲良くなれると思う。まあ、全部が全部、上手くはいかないけど。

 

「光、俺は3年前は陸で長い時間を過ごしてきた。でも、お前らのその精神がなくならない限り、仲良くなるのは無理だと思うぞ」

 

「なっ!? お前は陸で長い時間を過ごしてきたかもしんねえけど、俺たちは波中の生徒だろ! 波中の魂だけでも受け継がなくてどうする!! それに、マナカはなんで浜中の制服

着て来てんだよ! 言っただろ! 波中が潰れても、『波中魂』だけは忘れないために、浜中の制服じゃなくて、波中の制服を着るんだって!」

 

 熱弁する光に押されたのか、マナカが狼狽えだした。全く、こいつは自分でやりかけたことをすぐに人の意見に左右されやすいからな。

 

「わわ、私は異分子とか、そういう扱いされるんじゃないかな~って、思って。みんな仲良くできれば、怖いものはないと・・・・・・着替えてくる!」

 

 マナカは言いかけたが、途中で最後まで言えなくなって、家に向かって走り出した。最初に誘ったのはマナカなのに、無責任な奴だな。まあ、俺も着替えてくるけど。

 

「じゃあ、俺も着替えてくる」

 

「おう、先に行ってるからな」

 

「マナカをちゃんと連れてきてね?」

 

「ごめん。先に行ってるよ」

 

 俺はそう言って、家に向かって泳ぎだした。

 

 

 それから数分後、俺とマナカは集合場所に着いたのだが、突然マナカが泣き出す。

 

「う、うわぁぁーーん! まーくん、ひーくんやちーちゃんにおいてかれたよう!」

 

「おい、先に行くって言ってたから、泣きやめよ」

 

 相変わらず、メンタルの弱い奴だ。まあ、俺も人のことを言える立場じゃないし、俺も母さんやシヲリさんが死んだときは、殻に閉じこもってたからな。そんなことを考えていると突然、網が俺達に向かって進んできた。俺は咄嗟に避けるが、マナカは気付かずに網に捕らわれてしまった。そしてそのまま、陸に引き上げられていく。俺は追いかけずに、大丈夫だろうと思って、光達のところに行くことにした。

 

 

 

 

 それから学校につき、今は教室で、教卓の前に立っている。あの後、マナカは無事に網の中から下ろされ、学校に到着した。そして、今は先生が事情を説明している。

 

「は~い、みんな静かに・・・・・・って、静かだね。まあ、今日から、波中が廃校になったため、浜中と合同になることになりました。じゃあ、自己紹介してくれるかな?」

 

 先生がそう言うと、チサキが自己紹介を始める。

 

「えっと、私は比良平 チサキです。その・・・・・・よろしくお願いします」

 

「僕は、伊佐木 要です。趣味は特にないです」

 

 そうして、自己紹介が光に回ってきたとき、周りがざわつきだした。というか、凄く明らかに嫌な態度で、挑発してくる。

 

「ああ、クセェ~クセェ~。すげえ、塩臭いなぁ~。もしかして、魚の糞とか被ってんじゃねえか?」

 

 その言葉を聞いて、周りも笑い出す。それを聞いて、挑発に乗ってしまった馬鹿が約一名いた。勿論、それは光だ。

 

「ああ、本当にくせえな! まるで、クソだらけの豚小屋に入れられたみたいだぜ! 誠にマナカもなんか言ってやれ!」

 

「はぁ~、お前なぁ~。まあ、それは放っておいて、自己紹介をしよう。俺は長瀬 誠。趣味は料理で、あとは医学の勉強をしている。それと、得意なことは家事全般だ」

 

 周りがざわつくのを止めて、固まった。まあ、あれだけざわついていたのに、俺が普通の自己紹介をしたことに逆に戸惑ったんだろう。それからマナカの自己紹介が終わり、授業が始まった。

 

 

 そうして、今は体育の時間で、男は全員走っている。俺の後ろには、今朝、マナカを釣り上げた紡という男子生徒とが走っている。光は後ろの方で他人を追い越して、こっちに追いつこうとしてる。

多分、嫉妬か何かだろう。それも、マナカを釣り上げた男に対しての・・・・・・。

 

 あの時は、流石に何処のドラマだよ? とか思ったからな。奇跡的な出会いとか、運命とかは本当にあるんだろう。マナカがある漁師に釣られて、恋に落ちる。・・・・・・うん、はっきり言うと、今朝のそれが正しいだろう。それに、自己紹介の時もマナカは紡を見て、横の光はそれに気づいて、嫉妬してたし。

 

「お前速いんだな」

 

「ん? ああ、運動なら誰にも負けない自信がある。と言ったら、嘘になるけど。ある程度は鍛えたからな。まあ、それもあることの為だけにね」

 

 俺が考え事をしていると、いつの間にか横に並ばれていた。そうして話しかけてきた紡は無表情に見えて、なにを考えているか分からない。

 

「ところで、ちゃんとした自己紹介しようよ。俺は長瀬 誠。趣味は朝に話したとおりで、他には話すことはないけどね」

 

「そうか・・・・・・俺は木原 紡。一応、じいちゃんの手伝いで漁師をやっている。でも、お前は凄いよな。まるで他の人と雰囲気が違う。それに、挑発にも乗らなかった。お前は、あいつらの中でも、特別にいいやつだ。友達にならないか?」

 

「ん? じゃあ、今日から友達だ。これからは名前で呼ぶからよろしく。それと、光は切れやすい性格だから気をつけろよ? 他に聞きたいことは?」

 

「・・・・・・じゃあ、海について知りたい」

 

「じゃあ、明日話そうか。時間をあけておくよ」

 

「・・・・・・わかった」

 

 俺と紡がそんな約束をしていると、後ろから何時の間にか追い上げてきていた光がいた。はっきり言って、無理な加速は疲れるだけなんだけどな。そんなことを考えていると、突然、光が足をもつれさせて、こっちに思いっきりダイブしてきた。それを俺は避けるが、紡は直撃する。

 

 そして、光は紡と一緒に地面に転がった。

 

「おい、紡、光、大丈夫か? それと、光は少し気をつけろ。追い抜かそうとするのはいいが、他の人を巻き込んで、クラッシュするな」

 

「りょ・・・・・・了解」

 

「・・・・・・ありがとう、誠」

 

 俺は二人を引っ張り上げて、立たせるが、光は終始、紡の事をにらんでいた。そうして、今日の体育の授業は終わった。

 

 

 

 

 それから放課後、俺と光は二人で帰り道を歩いていた。この道は、昔、シヲリさんと通った道そのもので、俺の心をズキズキと痛ませる。それを感じるということは、俺はまだ割り切れていないのだろう。そんなことを考えていると、サヤマートの前を通りかかり、アカリさんに声をかけられた。

 

「お~い、光と誠君。今日の学校はどうだった?」

 

「ああ、アカリさん。こんにちは」

 

「アカリ・・・・・・別に、何ともねえよ」

 

 そうか・・・・・・光は隠し通す気か。お前のせいで印象悪くなったのに、これは放っておくのも面倒だな。いっそのこと、反省してもらおう。

 

「そうだ、友達は出来たの? 光は地上で友達なんて初めてでしょ?」

 

「はぁ? 出来るわけねえだろ。第一、誠の性格がこれなのに、友達が出来るなんて無いだろ」

 

 なんか光が言ってくるが、正直言うと、もう出来てたりする。というか、昔だったらいたんだが、

今じゃ1人だけだしな。

 

「はぁ~、全部お前のせいだろ。まあ、俺は友達出来たけど、光は大変ですよ? 自己紹介で口喧嘩はするわ。人を巻き込んで転ぶとかで、散々ですよ。印象最悪ですね」

 

「・・・・・・へぇ~、出来たんだ。でも、光はそんなことをして帰ってきたと・・・・・・うん、やっぱり誠君はしっかりしてるけど、光はねぇ?」

 

「なっ!? なんでバラすんだよ! 誠の裏切り者! というか、あの空気の中で何時話しかけたんだ? どうやって作ったんだよ?」

 

「そんなの決まってんだろ。お前の睨んでた奴。あいつはいい奴だぞ? 木原 紡って言って、少し感情が薄そうだけど、他の奴よりは性格はいい方だ」

 

 俺がそう言うと、難しい顔をして、光は悩み始めた。その時、光と俺の目に二人の少女が積まれているものの裏で、何かをしているのを見つける。こっちを見て、気付かれたと思ったのか、慌てて逃げ出した。

 

 あれは、もしかして・・・・・・美海? と横の奴はわからないが、美海は大きくなっているものの、俺にははっきりとわかった。一年くらしか一緒に居なかったけど、俺が見間違えるはずはない。

 

「おい、そこのお前ら待て!」

 

「光、あれはいいのよ! 放っておきなさい」

 

 アカリさんが追いかけようとする光を止め、さっきまで少女達がいた壁に近寄る。そこに俺と光も後ろから近づいていき、見てみると、ガムで『どっかい』と書かれていた。多分、『どっかいけ』と書こうとしたのだろう。アカリさんが掃除しながら、話し始める。

 

「なぁ、あれはアカリの知り合いか?」

 

「それは言えないけど、私はこれが最後まで書かれるのを見たいのかな? 『どっかいけ』って書こうとしたんだろうけど、理由がわからない」

 

「はあ!? 凄い酷い奴らじゃねえか! アカリは何もしてねえのに、海の奴だからって、こういう事をすんのかよ! やっぱり俺が捕まえて───」

 

「止めろ、光! あいつはそんなんじゃない! 絶対に、そんな理由でアカリさんにこんな事はしない! だから、あいつらを放っておいてくれ!」

 

「「───っ!?」」

 

 光が怒り、また追いかけようとするが、俺は叫んで止める。というか、何時もならこんな事はないのに、取り乱してしまった。それに驚くアカリさんと光は、無言になった。そして、その空気を変えるかのようにアカリさんが話し始める。

 

「あ、そうだ光。今日はあんたが当番なんだから、早く帰りなさい。晩御飯は期待してるわね。それと、誠君はここで買い物して行くでしょ? 話がしたいから、光は先に帰って。もしかしたら、話が長くなりそうだから」

 

「・・・・・・ああ、わかった。後でな、誠。何の話してたか、後で聞かせてもらうぞ」

 

「ああ、話せたらな。それが個人情報だった場合は、話さないぞ」

 

 光は俺に一言いって、汐鹿生帰るために海に向かって駆け出した。残された俺とアカリさんは居なくなったのを確認すると、話し始める。

 

「アカリさん・・・・・・あれは、美海ですよね? 俺がいない間に何があったんですか? 少なくとも、

美海はあんな悪いことする奴じゃありませんし、理由があるはずです」

 

「ああ~、やっぱり誠君は気付いちゃってたか・・・・・・。まあ、最初に話さなきゃいけないことは、光には絶対に内緒ね? 勿論、大人達にもだよ?」

 

「ええ、話しませんよ。それに、それは話さなきゃいけない事じゃないでしょ?」

 

「うん、ありがとう。で、まずはこれを知らないとダメだよね。えっと・・・・・・誠君、ミヲリさんが死んだのは知ってるよね? というか、知ってるから来なくなったんだよね?」

 

 アカリさんは遠慮がちに話し始めた。先の内容は、ミヲリさんに関すること。俺はゆっくりと頷き、次の言葉を待った。

 

「それでね、私と至さんは・・・・・・付き合ってるんだ」

 

「そうですか・・・・・・それで、どうしたんですか?」

 

「あはは・・・・・・驚かないんだね。それでね、昔の誠君のように仲良くなりたいんだけど、それがうまく行かなくて、今は見ての通りの状態。何故か私は嫌われてて、その理由がわからないんだ」

 

「なるほど・・・・・・多分、それは・・・・・・」

 

「それは? 何かわかったの?」

 

「ええ、わかりました。でも、これは美海の問題というか、あなた自身の問題ですから、あなたには答えを教えるわけにはいきません。それでも、俺から言えることは、俺と美海は似ているかもしれないってだけです」

 

 俺はそう言って、サヤマートの中に入っていく。アカリさんは難しい表情で、悲しい顔をしながら俺の後に続いて、俺を観察しながら、ずっと考えていた。

 

 

 

 

 翌日、俺は光とチサキ、要と一緒にマナカの家の前にいる。いつもの時間になっても、マナカが集合場所に来ないから、光が心配になって、見てくるとか言いだしたので、俺達も一緒に来たというわけだ。

 

「お~い、マナカ! 早く出てこいよ!」

 

「光、どこかのヤのつく職業の人みたいだぞ?」

 

「うっせえ、誠。というか、昨日は何の話してたんだよ! 俺にはなにも教えないし、お前等だけで俺に隠し事してるのか?」

 

「ハイハイ、隠し事ですから、愛しのマナカ姫でも起こしてきてください」

 

「なっ!? 誠、お前は何言って・・・・・・」

 

「ねぇ、早くマナカを連れてきてよ。学校、遅れちゃうよ?」

 

「ちっ! しゃあねえ、見てくる」

 

 光は渋々という風に、二回に向かって泳ぐ。そうして数メートル先にたどり着いて、窓を開けてはいっていった。そして数分後、マナカと光が出てくるが、足にはハンカチ・・・・・・うん、うろこ様に呪われたんだな。マナカの奴・・・・・・またあいつは暇つぶしに人を呪ったのか・・・・・・。

 

「あ、おはようマナカ。今日はどうしたの?」

 

「あ、ちーちゃん、まーくん、おはよう。えっと・・・・・・『どうせ、うろこ様に呪われたんだろ』なんでわかったのまーくん!?」

 

「ん? 俺は毎回、うろこ様に呪われてるからな。多分、今までで10回くらいは呪われたかな?」

 

「お前・・・・・・うろこ様に何したんだよ?」

 

「え? それは陸にばっかいくもんだから、うろこ様に暇つぶしに呪われてたんだよ」

 

 光達は俺の発言に、『えっ・・・・・・!?』とそれぞれに口にして、黙ってしまった。多分、うろこ様の気まぐれに呆れたんだろう。・・・・・・いや、そうであると願いたい。

 

 

 

 

 それから放課後、俺は今、紡と一緒に廊下を歩いている。移動授業を終えて、教室に鞄を取りに行くためだ。そして、教室に着いたのはいいんだが、何かもめてる。

 

「止めてよ、嫌がってるでしょ!」

 

「ええ~、私達、エナを見せてもらってるだけだよ」

 

「そうだよ~」

 

 なんか、マナカが腕をいろんな奴に掴まれて、もがいているように見える。というか、正直、エナを見たいんだったら、許可ぐらい取れよな。そんなことを思いながら止めようとするが、その前に紡が口を開いた。

 

「止めろ、嫌がってるだろ」

 

「あ・・・・・・紡君」

 

 紡が女子達に声をかけると、みんなで一斉に紡の方を見て、マナカの手を取るのを止めた。そして、解放されたマナカが慌てて離れようとしたときに、膝を机にぶつけた。

 

 ピギャッ!! プゥゥゥーーーー!!

 

 うろこ様に呪われてついた魚が悲鳴? を上げる。確か、俺の時もあんな音だすやつをつけられた覚えがある。そんなことを思っていると、マナカが顔を真っ赤にして、教室から走って出て行ってしまう。チサキは追いかけようとするが、女子生徒が前にいたせいで追いかけられなかった。

 

「紡、少し手伝ってくれ」

 

「ああ、話を聞かせてくれる約束だったし、いい」

 

 こうして、俺と紡はマナカを探すことになった。

 

 

 それから俺と紡は山の中を探しているのだが、もうすぐ5時になる。このままじゃ、エナが乾いてしまい、少し危険だ。俺も、最初は気にせずにエナを放置してたら意識が遠くなりそうになったことがある。俺はさっき、探す前に海に入ったから、平気だ。

 

「ところで、聞きたいのは海のどういう所なんだ?」

 

「ああ、俺が聞きたいのは海の中ってどんなんだろうと思ってな。それに、俺もこの目で見てみたいんだが、それも出来ないからな」

 

 俺が紡に海がどんなところか話しながら、森の中を歩いていると、草の向こうに倒れているマナカを見つけた。それと同時に、5時を告げる放送が流れる。

 

「見つけた。・・・・・・はいいけど、どうする?」

 

「ここからなら、俺の家が近いから、そこに連れて行こう」

 

 俺はマナカをお姫様抱っこの形で抱えて、紡に相談する。すると、紡の家が提案された。ここから海に向かうより、近い方がいいだろう。俺は紡の提案に乗り、紡の家に向かうことになった。




アニメの終わりまでは投稿したいですね。
でも、場面の移り変わりが多すぎる・・・・・・。


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第七話  再会と掟

はい、何日ぶりか忘れたけど、投稿しました。


 俺は今、紡の家におじゃましている。この家では、どうやらおじいさんと紡の二人暮らしで、漁をやっているそうだ。まあ、それは昨日見たから知ってるんだけど、マナカも釣り上げられちゃったし・・・・・・。

 

「じいちゃん、客を連れてきた」

 

 紡がそう言うと、ビールケースのようなものに腰を下ろして、網を手入れしているおじいさんが振り返り、少し興味深そうにこっちを見た。

 

「ほう・・・・・・海村の子か・・・・・・」

 

「初めまして、俺は長瀬 誠と言います。紡とはクラスメートで、友達です」

 

 俺はマナカを抱えたまま、少し頭を下げて、お辞儀をする。それを見たおじいさんも、頭を下げて挨拶してくれた。

 

「まあ、話は後にして、その子を風呂に入れてあげなさい。塩を少し入れれば、直にエナも元に戻るだろう」

 

「ありがとうございます。それと、電話を貸していただけませんか?」

 

「ああ、親御さんに連絡するといい」

 

 俺は礼を言ってから、電話を貸してもらえるように頼むと、快くいいと言ってくれた。俺はマナカを抱えて、紡と一緒に家の奥に進むと、目の前には風呂場。紡は水を浴槽に溜め始めて、どこかに行ってしまった。

 

 そして、数分後に袋を持って、俺の後ろから現れた。静かすぎて、近づいてくることすらわからなかった。

 

「誠、早くそいつを風呂に入れたらどうだ?」

 

「ああ、そうだったな。じゃあ、俺は電話してくるから、マナカをよろしく頼む」

 

 俺はそう言って、マナカを浴槽の中にゆっくりと下ろして、その場から離れて電話のある位置に行こうとして、風呂場を一回でるが、俺は踏みとどまって、紡の方を見た。

 

「なあ・・・電話って何処だ?」

 

「電話なら、さっきの通ってきた部屋にある」

 

「わかった。ありがとう」

 

 俺は礼を言って、今度こそ電話を探しに行く。俺はさっき通った廊下を歩いて、大きな部屋にでる。そこからは、紡のおじいさんが網を手入れしているところが見える。

 

 俺はキョロキョロと周りを見渡して、一つの黒電話を見つけ出し、近寄った。そして、俺は受話器を取って、ダイヤルを回し始める。黒電話はガラガラと音を立てながら、回って、

一つの連絡先に繋がった。

 

 プルルル───ガチャッ!!

 

『もしもし、どなたですか?』

 

 電話の相手はチサキ・・・・・・。チサキは少し焦っており、息遣いも荒い。今まで、マナカを探し回っていたようだ。と言うことは、光もそうだろう。

 

「ああ、チサキか? 俺だよ、誠。マナカは俺が見つけたから、他の奴らにも言っといてくれ。勿論、マナカの親にも話してるんだったら、親が優先だぞ?」

 

『誠!? マナカは無事なの!?』

 

「ああ、今はエナを保つために風呂に突っ込んだところだ。じゃあ、人の家で長電話も悪いから、お前がちゃんと伝えとけよ? マナカは俺が責任もって、届けてやる」

 

『うん、わかった。誠なら大丈夫だよね』

 

 チサキはそう言うと、電話を切った。俺は『ツーツー』という音を少し聞いた後、受話器を元の位置に戻す。俺はため息をついて、後ろを見ると、おじいさんが立っていた。

 

「あっ、電話ありがとうございました。えっと、おじいさんでいいですか?」

 

「ああ、紡の友達の誠と言ったかな? 何故、地上の人間と仲良くしようと思ったんだ?」

 

 紡のおじいさんが、質問をしてくる。その時、紡のおじいさんの腕から、何か光るものが見えた。

 

「・・・・・・もしかして、海村出身ですか?」

 

「・・・・・・ああ、そうだ。で、質問の答えは?」

 

 俺は、一呼吸してから紡のおじいさんの目をまっすぐと見た。おじいさんは怒っているわけでもなく、澄んだ目をしている。

 

「それは、俺が地上が好きだからです。地上も海も、海の人間も陸の人間も、何も変わらない。同じ人間です。俺にとっては、海村の掟の方が不思議ですけどね。地上の人間と結ばれた海の人間は、海村から追放される。俺の母さんは、事故で死にました。そして、父さんは陸の人間とくっついた。それでも俺は、父さんについて行かず、海に残りました。人間はみんな、自由なんです。エナがあるかどうかなんて、関係ありません」

 

「・・・・・・そうか、お前は大変な人生を送ってきたようだな。まあ、これからも紡と仲良くしてくれ」

 

 紡のおじいさんはそう言うと、網のところに戻っていった。俺はおじいさんがビールケースに座るのをみると、風呂場に向かって歩き出す。

 

 それから、風呂場に向かって歩いていたのだが、面白い声が聞こえてきた。

 

『綺麗だと思ってさ』

 

『ええっ!?』

 

『この魚・・・・・・それに、お前も・・・・・・』

 

 俺は風呂場を覗くと、魚に餌をやっている紡が見えた。マナカは顔を真っ赤にして、狼狽えているのだが、今はっきりした。紡は静かに見えるけど、意外と天然だ・・・・・・。

 

「やあ、お二人さん。仲良くなったようで、何よりだよ」

 

「ええっ!? まーくん!? なんで此処に!?」

 

 驚くマナカだが、紡は俺のことを一言も話していなかったようだ。俺はため息をついて、ことの顛末を話し始める。

 

「それはな、俺がここまで運んだからだよ。チサキも要も光も、心配してたぞ? まあ、ここの電話を使って連絡しといたから、遅くなっても大丈夫だろ」

 

「うぅ・・・・・・やっぱり、まーくんはみんなのストッパーだよ」

 

「ストッパー?」

 

 マナカがお礼の代わりに、俺に愚痴をこぼした。それが紡の興味を引いて、問いかけてくる。それに答えたのはマナカで、俺ではない。

 

「まーくんはね、みんなのまとめ役なの。昔から、みんなの面倒はまーくんが見てたんだよ? 同い年なのに、喧嘩やテストでも勝てないんだ」

 

「なるほど、お前は苦労してるんだな」

 

「ハハハ・・・・・・一番厄介なのは、光だからな。他の奴らは、あまり迷惑じゃないんだけど、光だけは別格なんだよ・・・・・・」

 

「まあ、いきなり啖呵きったからな」

 

 なんか紡とマナカに同情され、俺は苦笑い。それから夜になり、俺とマナカは家に帰るために、紡の家を出た。そこで、紡も送っていくことになり、一緒にいた紡を見て、光が怒りかけたのだった。

 

 

 

 

 それから翌日、俺は紡と机を挟んで、談笑していた。海村のことをもっと聞きたいというので、俺も陸のいいところを聞いている。まあ、いろいろと1人で回ったんだけど、それだけじゃ、いろんな所を見落としてたりするからな。

 

「あ、あの! まーくんと紡君!」

 

「おお、マナカ。どうした?」

 

 談笑している紡と俺のところに話しかけてきたのは、マナカだった。少しオドオドしながらも、成長したなと思いながら、俺は次の言葉を待った。

 

「えっと、昨日はありがとう。私、まーくんと紡君のおかげで助かったよ」

 

「・・・・・・どういたしまして、運んだのは誠だ」

 

「何言ってんだ? 家を貸してくれたのは、お前だろ? 風呂がなきゃ、今頃干からびてたぞ?」

 

 俺と紡の言い合いに、マナカは笑い出す。それを遠くから見ていた光は面白くなかったのか、近づいてきて、いきなり机を叩いた。

 

「おい、テメエ。マナカに・・・・・・海村にこれ以上関わるな」

 

「「・・・・・・」」

 

 俺と紡は沈黙し、光は用が済んだのか去っていった。それにマナカはついていき、俺と紡は硬直から解けた。

 

「まあ、あいつは素直じゃないだけというか、嫉妬してるだけだから、気にするな」

 

「・・・・・・? 嫉妬? どういうことだ?」

 

「あっ、俺は光みてくる。なんか、廊下でうるさいし、注意してくる」

 

 俺は口が滑りかけたので、廊下から聞こえるマナカと光の怒鳴り声を理由に、俺は椅子から立ち上がり、廊下にでた。だが、少し遅かったようで、もう光は去っていくところだった。

 

 俺はマナカに近づき、背中を軽く叩いた。そうすると、涙目のマナカがこっちに振り向き、こっちに飛びついてくる。

 

「うわぁぁーーん! 間違えたよう」

 

「え? いや、マナカが悪い訳じゃないだろ」

 

 俺が泣くマナカをなだめていると、そこにチサキがやってくる。

 

「あれ? もしかして、誠がマナカを泣かせたの?」

 

「ちょっと待て、泣かせたのは光だ」

 

 それから、マナカが俺とチサキに説明する。それを聞いていた俺は、光はやっぱり、マナカのことが好きなんだな~、とか思ってしまった。

 

「まあ、悪いのは光だ。俺は光でも探しに行くから、マナカはチサキに頼んだぞ」

 

「うん、行ってらっしゃい。やるとしても、軽い説教だよね?」

 

「ああ、心配すんな。別に、殴るとかじゃないから」

 

 俺はマナカをチサキの胸に預け、俺はマナカとチサキから離れて、廊下を1人で歩いていく。俺は光の嫉妬ぶりにあきれながらも、探し始めるのだった。

 

 

 

 

 それから、廊下を歩き続けて数分後、俺は暗い廊下に1人で居た。周りには、人の影すらない。そんな中、何処からか聞いたことのある声がする。俺は声のする方に近づき、開いている窓の外に身を乗り出して見てみると、そこには光とこの前の二人組・・・・・・美海とその友達? がいた。

 

 二人は、赤いランドセルを背負っているというか、今は学校の筈だよな?

 

「お前、あの女の知り合い?」

 

「あの女? あの女って、アカリのことか?」

 

 3人は俺に気づかないで、会話を続けている。俺は光の見える位置にいるのに、俺のことは全く見えていないようだ。

 

「やっぱ、あの女の仲間だ! この──」

 

 美海の横にいた女の子が、光を殴ろうとグルグル手を回しながら近づくが、片手で防がれてしまった。光は楽そうだ。そこに、何処からか要が現れる。

 

「光、女の子をいじめちゃいけないよ?」

 

「いじめてねえよ。ただ、なんであんな事をしたのか聞いてただけだ」

 

「まあ、光が悪いことしたら、誠が黙ってないもんね。特に、いじめとかは・・・・・・ね」

 

 要は俺を何だと思っているんだろうか? 確かに、昔から光達のストッパーだが、そんな怖いことはしない。

 

「誠? 誠って・・・・・・」

 

「はいはい、そこまでだよ要に光。久しぶりだね、美海。元気だった?」

 

 俺は窓から飛び出して、外にでる。その瞬間、4人がビックリしていたが、俺は気にせずに美海の前まで歩いていった。そして、美海に足を蹴られ、腹に頭突きされ、抱きつかれた。俺は痛みに耐えながらも、美海の頭を優しく撫でる。

 

「なんで・・・なんでどっか行っちゃったの!」

 

「ああ、ごめん。でも、美海もこんなとこで学校さぼってると、至さんが心配するよ?」

 

「だって、あの女が・・・」

 

「ああ、そうだ。美海の言っているあの女ってのは、あそこにいる光の姉だよ」

 

 俺がそう言うと、美海は俺から離れて、光のところに歩いていく。そして、一緒にいた女の子と同時に足を蹴った。それに光は悶絶して、足を抱える。その間に、美海と一緒にいる女の子は離れて、

校舎の角まで走り、立ち止まった。

 

「誠、また会いに来てもいい?」

 

「ああ、学校さぼるなよ?」

 

 俺がそう言うと、美海は走っていった。

 

 

 

 

 それから放課後、俺はホームルームの時間、外を見ていた。あの後、美海がなんで知り合いなのか聞かれたが、人には秘密がつきものだと言って、説き伏せた。

 

「え~では~おじょしさまを作る勇士をつのりたいと思います。今年のお船引きは中止になったんだけどね。僕は、学校でやりたいと思っているんだよ」

 

「え~、中止なら中止でいいじゃんか」

 

「そうよ~」

 

「やる意味ねえだろ」

 

 前の方からブーイングが飛び交うが、その中で勇士が1人。それは、俺の前の席にいる紡だった。

俺はそれを見て、同じように手を挙げる。

 

「おお~、勇士が二人も! 他にはいないかな~、おや、マナカちゃんも参加ですね。おや、それに光君も、おお! 海っこは全員かい?」

 

 周りを見渡すと、光もマナカも要もチサキも手を挙げていた。紡が挙げた理由はだいたいわかる。

それに、光もマナカにつられたんだろう。 

 

 

 そうして、ホームルームも終わり、俺たちは外でおじょしさまのための木を切っている。紡が枝を切り落として、俺が束ねる。

 

「そう言えば、紡君はどうして参加したの?」

 

「向井戸か? 俺、漁師やってるから、そのお礼みたいなものだ。船の上からたまに海の村を見るんだけど、たまに光の屈折で白い屋根が見えてさ、綺麗なんだ。あと、ぬくみ雪とか見てみたいし、他にも知りたいことはある。でも、実物は見たことないんだよな」

 

 それから紡が海への憧れとかを話し始めて、5時の放送がなる。

 

「う~ん、海村の子はそろそろ帰らないとね。続きは明日だよ」

 

「もう、5時か・・・・・・じゃあ、帰らせてもらうか」

 

 俺は工具とかを纏めて、先生に渡す。そして、光達と一緒に鞄を持って、降りていく。

 

 

 

 

 それから俺たちは工具や木を紡と先生に任せて、道路を歩いていた。普通に歩いていたのだが、そこで要が何かを見つけた。

 

「あれ? あれってアカリさんじゃない?」

 

「え? 誰の車だ?」

 

 要が指さした先には、車に乗ったアカリさん。俺は心の中で、アカリさんに謝った。別に俺が悪い訳じゃないが、知っているので、何とも言えない。

 

「なっ!?」

 

「わぁ・・・・・・」

 

「キスした」

 

「キス・・・・・・したね」

 

「・・・・・・」

 

 アカリさんが車から降りて、至さんにキスをした。それを不意打ちでされた至さんは赤面し、車を海に落としそうになりながらも、走り去っていった。それを見たアカリさんは、顔を赤くしながら、

見送る。そして、それを見ている光達も赤面。

 

 ああ、もうこれで言い逃れできない。でも、俺は絶対に話してない。

 

 そして、アカリさんは見送ってから海に飛び込んだ。

 

「アカリさんの彼氏かな?」

 

「何だよあの男? 俺は聞いた覚えねえぞ!」

 

「何って、アカリさんも好きな人が出来てたんだね」

 

「しかも、地上の男だぁ~? 今まで、そんなそぶり見せたことねえぞ!!」

 

 光は少し怒っているように見える。マナカは能天気に顔を赤くしながら、喜んでいる。だが、チサキと要は違った。多分、村の掟を知っている。

 

「そういえば、アカリさん、そろそろだもんね。多分、村から出て行くつもり何じゃないのかな?」

 

「はぁ~!? そんなの絶対無理だ。地上の男となんて、絶対うまく行かないに決まってる! それに、うまく行かなくて絶対に戻ってくるだろ!!」

 

 光は最近、むしゃくしゃし過ぎだと思う。要の発言に、異常に反応した。それを聞いた要とチサキは否定しだした。

 

「それは無理なんじゃないかな」

 

「そうだよひーくん! アカリさんはいい奥さんになるし、絶対にフられたりなんかしないよ!」

 

「いや、そうじゃなくて、地上の人と結ばれた海の人は、追放されちゃうんだ」

 

 要が言い切り、それを聞いた光とマナカが聞き返してきた。

 

「追放って?」

 

「はあ? なんだよその物騒ワード!」

 

「光、それは言葉通りの意味だ」

 

 俺はその問いに、簡単に答える。それを補助するように、チサキと要が付け足す。

 

「えっと、例えば、駄菓子屋のお兄さんとか、果物屋さんの高原さんちのお姉さん。あの人達は地上にでたまま帰ってないでしょ?」

 

「多分、それは追放されたからだと思うよ?」

 

 俺はその言葉に続けるように、親の事を話した。

 

「いや、確実に追放されてるよ」

 

「はあ? なんでお前がそんなことわかるんだよ? だいたい誠は物知りだよな。いつも、俺らの知らないことばかりを知ってて、ズルいだろ」

 

「だって、俺の父さん・・・・・・ずっと前から、地上で暮らしてるよ」

 

「どういうこと? 誠のお父さん、今まで見てないけど、どうしたの?」

 

 チサキに聞かれて、俺は一枚の紙・・・・・・いや、手紙を取り出した。それは、2年前に父さんから届いた手紙で、今の父さんの家族写真が入っている。今でも父さんは俺のことを気にかけてるが、俺は返事を一度も出していない。

 

「俺の父さん・・・・・・数年前から、地上の人とくっついてるんだ。それで、俺は一人暮らし。勿論、これは今まで、大人達には気付かれてないよ。俺も、父さんについてこないかと聞かれたんだけど、断った」

 

「「「「・・・・・・え?」」」」

 

 チサキ、要、マナカはフリーズして、さっきまで怒っているようだった光まで口を閉じた。バレそうになったことはあったけど、うろこ様に協力してもらった。

 

「ほら、これでわかったでしょ? 掟は本当にある。実際に俺の父さんも、一度も帰ってこれないんだ。俺は掟について、うろこ様から直接聞いた」

 

「・・・・・・なんで、なんで黙ってたの? 今まで、誠は独りで耐えてきたの? 私達の面倒を見ながら平気な顔をして、ずっと・・・・・・ずっと・・・・・・」

 

 チサキは涙を流して、俺に問い詰めてきた。俺はアカリさんの事を忘れさせるために手紙を出したのに、エラいことになったな。それに、今まで隠し通してきたけど、そろそろ需要がヤバかった。今まで隠し通せたのも、奇跡と言っていいほどだ。

 

「まあ、そろそろ隠し通すのも無理だからな。本当は、掟については俺が話しちゃいけない。でも、うろこ様に特別に許してもらったんだ」

 

「そうじゃないよ、誠。誠ならわかるでしょ? チサキの言ってることが」

 

 要が俺に説教をして、問いただそうとする。正直、わかっている。俺が隠してた理由は、本当にしょうもない事だからな。

 

「ん~、わかってるけど。お前ら呆れるぞ? 俺はただ、あの家に居たかっただけだ。母さんとの思いでもあるし、捨てられなかった。それに、バレたら養子とか、村で会議とかされるのも面倒だ。でも、今は中学生。ある程度の自立は村の大人達も認めてくれるだろ? それに、平気だったのは理由がある。まあ、それは言えないけど・・・・・・」

 

「それでも、村の人達は意地悪だよ! 好きな人とくっつきたいからって、村から追い出したり。それにまーくんのお父さんだって、今だに手紙を送ってくるってことは、会いたいに決まってるよ!」

 

 マナカが何時になく、自分の意見をはっきりと言った。それをどう受け取ったのか、光がマナカと喧嘩しだした。

 

「なあ、それってお前も地上の男とくっつきたいって思ってるのか?」

 

「な、ななな何言ってるの!? エッチなことを言うひーくんは嫌いだよ!」

 

「俺だって、エッチなことをいうマナカは嫌いだ!」

 

「言ってないもん!」

 

「だいたい、最近お前と誠はおかしいんだよ! 地上の奴なんかとつるんで、気持ち悪いんだよ!」

 

 それを聞いたマナカは、目に涙を溜めて、海の中に消えていった。そして、追いかけようとするチサキが口を開く。

 

「光、ちょっと言い過ぎだよ。光の気持ちもわかるけど、キツすぎるよ。少しは誠を見習ったらどうなの? 誠は、今まで耐えてきたのに、あんまりだよ・・・・・・」

 

「なんだよ、お前は毎回、誠の真似ばかりしやがって! お前も、大人ぶってるんじゃねえよ! だいたいお前なんかに俺の何がわかるんだよ!!」

 

 光がそういい返すと、チサキは泣きながら、海に消えていった。

 

「光、俺の事はどうでもいい。でも、あとでチサキに謝っとけよ? 人間はみんな、自分のことが一番わからないんだ。俺だって、そうだったよ」

 

 俺はそう言って、チサキを追いかけるために海に飛び込んだ。




もう、マジで訳が分からん。
このアニメ、時間の変動が激しすぎるよ・・・・・・。
いろいろとネタを突っ込んでると、頭が混乱してくる。


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第八話  いざこざ

やっぱり、書きにくいよこのアニメ。


 あれから数日後、俺は今、うろこ様とマナカと一緒に、一つの部屋にいた。マナカは土下座して、うろこ様に何かを頼み込んでいる。

 

「うろこ様、呪ってください!」

 

「おい、マナカ・・・・・・お前、なにしてんだよ?」

 

 呆けた顔のうろこ様と、真剣なマナカ・・・・・・そして、この光景にビックリする俺。自分から呪って欲しいなんて、マナカってそっちだったのか? いや、俺が見ないあいだにそっち方向に走ったのかもしれない。

 

「お前は何故、呪って欲しいのじゃ? そこの馬鹿は、何度呪われても、そっち側には落ちなかったんじゃがのぅ~」

 

「うるさい、うろこ様。俺にそんな特殊な趣味はねえし、これからもそんな趣味は作らねえよ。マナカの呪われたい理由って、だいたいわかるしな」

 

「あう・・・・・・そ、それは苦しいから、嘘つくのが・・・・・・でも、なんでまーくんが知ってるの?」

 

「ん? 俺が今まで、お前等のことでわからないことなんて、そんなにあったか?」

 

「うぅ・・・・・・ないよ。本当にまーくんって、魔法使いみたいだよね。心をみれる魔法があったら、かけて欲しいよ」

 

 質問に答えるマナカだが、俺にも質問をぶつけてきた。それに、魔法使いね~・・・・・・うろこ様呆れて、酒の入った瓶をゆらりと揺らしながら、暇そうに次の質問をぶつけてきた。

 

「はぁ、なら聞くが、何故苦しいのじゃ? お前が嘘をつく必要が、何処にある?」

 

「えっと、わからないよ・・・・・・。でも、胸がチクチクするんです」

 

 マナカはわからないというような顔をしながら、うろこ様を見ている。迷っているって言うか、自分の中にある感情に気づいていないって言うか、理解できていないようだ。そんなことを考えていると、マナカは立ち上がって、部屋から出ていった。どうやら、諦めたようだ。そんなとき、外から怒声のような声が聞こえてきた。

 

『おい、ちゃんと説明しろ! うろこ様の前で、ちゃんと話せ!』

 

 俺は気になって、外に出ていった。そこには、アカリさんが数人の大人達に掴まって、顔を伏せているところだった。近くには、マナカと光がいる。俺はマナカと光の隣まで、走っていった。

 

「あ、まーくん、アカリさんが・・・・・・」

 

「おい、ガキは引っ込んでろ。これは大人の問題だ」

 

「ちょっと待て、そろそろ、こいつらにも教えといた方がいいんじゃないのか? 村から出て行こうとしたら、どうなるか、教えとかないとな」

 

「追放の話でしょ? そんなの昔から知ってるよ。それに、アカリさんを離してよ。アカリさんなら逃げないし、離しても問題ないでしょ?」

 

 俺が掟を知っていることに驚いたのか、アカリさんを離して、こっちを見てきた。マナカと光は今だに動かずに、呆然と突っ立っている。

 

「何の騒ぎだ?」

 

「あ、宮司様・・・・・・それが、アカリの奴、地上で男を作ってやがったんですよ」

 

「地上で男とイチャついてるのを見た村の奴が居るんです」

 

 光の父さんが現れて、なにがあったかを説明する。それにわずかに怒ったような目をして、アカリさんを見ている。

 

「アカリ・・・・・・本当か?」

 

「・・・・・・」

 

 アカリさんは無言で、答えなかった。

 

「宮司様・・・・・・宮司様んとこから追放者が出たら、示しがつかねえぞ」

 

「・・・・・・悪いが、今日は帰ってくれ。俺がうろこ様のとこに連れて行く」

 

 灯さんは俯いているアカリさんを連れて、うろこ様のいる社の方へ向かった。俺と光、マナカは悲しそうなアカリさんをただ見送り、その場に突っ立っていることしか出来なかった。

 

 

 

 

 それから1時間後、俺達のところに、アカリさんのことを聞いたチサキと要が来た。俺達は5人で話をするために、波中へと訪れている。そして、今は教室の前だ。廃校になった波中はぬくみ雪が溜まっていて、埃っぽい。

 

「うわっ! なんだよこれ! 埃っぽいじゃねえか」

 

「本当だね。ぬくみ雪が教室の中まで溜まってるよ」

 

 光は教室の扉を開けて、中に入っていく。俺たちも光達の後に続いて、中に入り、机の上に腰を下ろした。

 

「絶対、男のせいだ! アカリが苦しんでるのも、あの男のせいなんだよ!」

 

「ちょっと待て、光。相手の男が悪いって、なんで決めつけるの?」

 

「そんなの泣かしてるのは相手だろ! 苦しめてるのも、相手の男だ! 絶対明日、ぶん殴ってやるからな! ここからは男の作戦会議だ。女子はどっか行ってろ」

 

 うん、ごめんなさい。至さん・・・・・・光は絶対殴ります。俺は心の中で誤りながら、至さんが光に殴られる姿を想像した。あの人だったら、わざと殴られると思うんだよな。俺がそんなことを考えていると、チサキが立ち上がった。

 

「もう、行こうマナカ。光達はほっといてさ」

 

「うん、わかった。ひーくん、酷いことしないよね?」

 

 チサキとマナカが部屋から出て行く。俺も立ち上がって、マナカとチサキのあとを追いかけようとしたところで、光に声をかけられた。

 

「おい、ちょっと待て。どこ行くんだよ、誠」

 

「ああ、俺はその作戦に賛同できないからな。俺はマナカとチサキと一緒に、終わるまで待ってるよ。まあ、手は貸さないけど、一緒に行くからな」

 

 そう言って俺は、教室から出ていった。

 

 

 そして、マナカとチサキを探して校舎の中を歩き回った。見つけたのは音楽室で、こっちでも机に腰掛けていた。俺は勢いよく扉を開けて、中に入っていく。

 

「あれ? 誠、作戦会議はどうしたの?」

 

「俺は参加しないし、止めるつもりだからな。まあ、真意は知りたいから、光を放し飼いって感じかな?」

 

「まーくん、放し飼いって、やることおかしいよ」

 

「俺もいろいろ問題があるんだよ。まあ、光の頭もそのうち冷めるだろ」

 

 至さんが本気なら、アカリさんの応援したいからな。まあ、美海がアカリさんのことを認めるかが問題だけど、嫌いな訳じゃない筈だ。あいつは俺と同じで、ただ、ミヲリさんの事を忘れて欲しくない。忘れたくないだけのはずなんだ。

 

「あっ、ウミウシ!」

 

 マナカが地面をずるずると這っているウミウシを捕まえて、こっちに持ってきた。そのウミウシはお腹が赤くて、綺麗だ。

 

「あっ、赤いウミウシ! 確か、願った人の思いがちゃんとしていないと、普通の石が出て来て」

 

「願いが純粋で、長く続くものだったら、ウミウシが出した石は何時までも、綺麗に輝く・・・・・・」

 

 マナカは優しげな瞳で、赤いおなかのウミウシを撫でていた。それを見たチサキは、ちょっとびっくりしたような表情で、マナカを見ている。

 

「マナカは・・・・・・紡君のことが好きなの?」

 

「えっ!? す、好き!? そ、そんなのわからないよ・・・・・・」

 

「マナカ、お前はどう思う? もし、自分が陸の人間と結婚するとしたら」

 

 俺はマナカにもしもの質問をした。それは、今も苦しんでいるアカリさんの気持ちを少しでもわかるかな? と思って、咄嗟にでた質問だった。

 

「もし、私が陸の人を好きになって、キスしたいとか・・・・・・って、私えっちだよね!?」

 

「ううん、マナカはえっちじゃないよ」

 

「そうだぞ。そういうことをしたいってのは、当然だ。好きな人と愛し合いたいとか、一緒にいたいとかの感情は、抑えなくてもいいんだよ。人間は、海も陸も、同じ人間なんだから。今の大人達は睨みあっているけど、好きとかはいい感情だと思うぞ」

 

「ええええ!! 誠、エッチだよ!!」

 

「そうだよ、まーくん! まーくんがそんなにえっちだと思わなかったよ!!」

 

 マナカとチサキは赤面して、えっちとかなんとか言ってくる。俺は真剣に言っただけなのに、なんで俺は『えっち』だとか言われなければいけないんだろうか? 第一、えっちの基準てなに?

 

「おい、真剣に人が言ってるのに、それはないだろ。はい、マナカ続きを言えよ」

 

「あっ、そうだったね。私は・・・・・・それで付き合って、結婚したいって思うのかな? 好きになってその人とずっと一緒にいたいと思って、海に戻れないのかな・・・・・・」

 

 ガラッ──!!

 

 俺達が話していると、ドアを勢いよく光が開けて、中に入ってきた。

 

「オーッス、帰るぞ。誠、マナカ、チサキ」

 

「やっと終わったのか、光。じゃあ、帰ろうぜ」

 

 多分、光は聞いていただろう。タイミングよすぎるしな・・・・・・。そして、俺達は明日、作戦を決行することになった。

 

 

 

 

 翌日、俺、光、要、マナカ、チサキは鴛大師漁協の建物が見える山上に立っていた。と言っても、

すぐ下に階段があって、降りれるようになっている。

 

「光、本当にやるの?」

 

「当たり前だろ。ぜってー、ぶん殴ってやる」

 

「もし、悪い人じゃなかったら?」

 

「軽くぶん殴る」

 

 聞いてくるチサキに、理不尽な答えを返す光・・・・・・。ぶん殴るのは止めないんだな。本当に至さんが可哀想になってきた。

 

 俺たちが話している間に、漁協から見覚えのある車。至さんの乗っている車が、何処かに行こうとしているのが見えた。

 

「あれ、あの人じゃない?」

 

 マナカが至さんに気づいて、指差した。どうやら、味方は俺以外にいないようだ。それを見た光は勢いよく飛び出して、道路に出た。俺たちもその後を追いかけて、ついていく。

 

「くそっ! あのやろう逃げやがった!」

 

「おい、会う約束してないのに、それはねえだろ」

 

「そうだよ光。あの人、私たちのことを知らないんだよ?」

 

 訂正、味方をもう1人発見。俺が会ってくればよかったのだが、教える気もない。俺が見送ろうとしている間にも、光は足掻いていた。

 

 そして、何処からか自転車を持ってきて、追いかけ始めた。

 

 おい・・・・・・盗難は犯罪だぞ。光・・・・・・。

 

「待て! 絶対逃がさねえぞ、コノヤロウーー!!」

 

「あっ、ひーくん!」

 

「ちょっ!? 光!?」

 

「あ~あ、行っちゃったね」

 

「いやいや、追いかけるぞ」

 

 光は全力で自転車をこいで、車に追いつこうとして見えなくなった。俺たちはその後を走って、追いかけることになった。

 

 

 

 

 それから走りつづけて、俺の後ろにいる要、マナカ、チサキは疲れ果てて、必死に諦めずに走っているのだが、かなり汗もかいていて、限界のようだ。その時、俺は途中の森の中に、自転車が止まっていることに気づいた。

 

「見つけたぞ」

 

「えっ、本当?」

 

「誠・・・・・・本当なの?」

 

「待ってよ、ちーちゃん、まーくん」

 

「ほら、あいつが乗っていった自転車」

 

 チサキ達はそれを見て、ホッとする。これ以上走ったら、こいつらがもたないからな。俺はゆっくりと登って、光を探した。すると、木の陰に光が隠れているのをみつけた。

 

「おい、光」

 

「あっ、誠───って、いてええ!? なにすんだよ!」

 

「お前は少し冷静になれよ。別に、アカリさんが望んだことじゃないだろ」

 

 俺は光の頭を殴りつけ、説教する。その間に、チサキ達も俺たちのうしろに来ていた。というか、

この家見たことあるな。俺がそんな事を考えていると、マナカが叫んだ。

 

「あっ! ここ、木原君の家だよ!」

 

「あっ、そういえば、そうだな」

 

 光を追いかけるのに必死で、わかんなかったけど。ここは紡の家だ。確か紡の家は漁師だから、その話でもしに来たんだろう。そんなことを考えていると、至さんが家の中から出てきた。

 

 光はそれを見て、走り出した。そして、殴りかかろうとした瞬間、網にかかる。まるで、陸で魚を捕っているみたいだ。そんな事はおいといて、話さなきゃな。

 

「ほう、嵐だな・・・・・・あの子は、まるで静かな波のような目だったが・・・・・・」

 

 紡のおじいさんが出て来て、光の顎を掴んで、目を見た。紡のおじいさん、ナイスだよ。特に網の使い方が・・・・・・。

 

「ひーくん、大丈夫!?」

 

「光! 光がいきなりそんなことするから・・・・・・」

 

「えっ? 光・・・・・・? もしかして、アカリの弟!?」

 

 至さんが驚いたような声をあげて、光に近寄る。網から這い出した光は掴みかかろうとしたが、俺が腕をつかんで止めた。

 

「すみません、至さん。お久しぶりです。すみませんね、光が失礼で」

 

「えっ? 誠君!? そっか、よかったよまた会えて。そうだ、誠君。美海に会ったかい?」

 

「ええ、会いましたよ。でも、面倒になりましたね」

 

「誠、テメエ、知り合いかよ! お前、こんな奴の仲間なのか!?」

 

 俺は暴れる光を抑えつけて、至さんと話をする。でも、よかったよ。至さん、ミヲリさんが死んだとき、結構落ち込んでたからな。だから、行かなかったんだけど、もう大丈夫そうだ。

 

 俺が気を抜いた瞬間に、光は俺のてをすり抜けて至さんに掴みかかった。

 

「コノヤロウ! お前のせいで、アカリが責められてんだよ! お前がアカリに近づいたせいで、村の大人連中がアカリを責めてんだ!」

 

「えっ!? アカリが!? どうしてそんなことに」

 

 光が至さんに詰め寄っていると、紡のおじいさんが質問してきた。

 

「子作りはしとるのか?」

 

 その発言に、光は顔を赤面して、至さんを離した。

 

「こ、子作り!?」

 

「こ、子作りって・・・・・・///」

 

 周りにいるマナカやチサキも赤面している。どうしてそこまで赤くなるのか、俺にはわからない。

 

「やはり、知らんのか・・・・・・誠、お前は知っているのか?」

 

「はい。そりゃあ、知ってますよ。光達は知りませんけど」

 

「はぁ? 子作りがどうしたんだよ!」

 

 光が赤面しながらも、聞いてきた。俺は知っているので、驚くことじゃない。その問いには、何処からか出てきた紡が答えた。

 

「その子作りが問題なんだよ」

 

 

 

 

 その数分後、俺と紡、おじいさんは話す側なので、ビールケースに座っている。そして、知らない至さんと光達は、反対側に・・・・・・。

 

「陸と海の違いはわかるか? 陸で生まれる人間と、海で生まれる人間の違い」

 

「えっ? それって、エナがあるかどうかじゃないの?」

 

 チサキが紡の問いに答える。俺は紡の方を見て、話を聞き続ける。

 

「そうだ。でも、問題はそこじゃない。問題なのは、産まれた子供なんだ」

 

「えっ? 子供って、なんで?」

 

「それは俺が話す。同じもの同士だと、そのまま生まれてくるだろ? でも、陸と海、エナを持った人間と持たない人間が混じり合ったらどうなると思う?」

 

「えっと、エナを持って生まれてくるんじゃないの?」

 

「違う。陸と海の間の子には、エナが無いんだよ。陸と海の間の子は、海の中じゃ生きられない」

 

 美海もその1人。ミヲリさんは海出身だけど、美海にはエナがない。昔、俺は聞いてみたけど、ミヲリさんが答えてくれた。至さんも知ってる筈だし、掟の内容は知ってると思う。

 

「まあ、結局の所、そういう理由でダメだったりするんだよ」

 

 その時、光がまた至さんに掴みかかった。

 

「おい、お前はアカリのことどう思ってんだよ! 結婚する気あるのか?」

 

「えっ、僕は真剣だよ・・・・・・結婚は・・・・・・」

 

「テメエ!」

 

 光は至さんを押し倒して、殴り始めた。やっぱり、至さんも忘れていない・・・・・・。ミヲリさんの事を簡単に忘れることなんて、出来ないんだ。




セリフ多し。
もうちょっと展開を早くしようかな?


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第九話  考え事と悩み

いろんな作品のせいで頭が・・・・・・。


 あれから数日、俺は考えた。至さんがアカリさんに本気なのかどうか、そうだとしたら美海はどんな気持ちなのか、俺なりに考えた。至さんはミヲリさんのことを忘れた訳じゃないけど、アカリさんのことは好きだろう。美海の気持ちがどうだとしても、アカリさんと至さんがどうなるかは変わらない。

 

 美海の気持ち・・・・・・それは、父さんに俺が再婚話を持ちかけたときと、一緒の筈だ。自分は死んだ母さんのことを忘れられずに、家に止まった。それも、結果のうちの一つだろう。美海は死んだミヲリさん大好きだった。だからこそ、他の人が来るのが許せない。俺も他の人がいやだから、父さんから離れた。

 

「ちょっと誠、誠・・・・・・!」

 

 誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。誰だか知らないけど、俺の考える邪魔をしないで欲しい。俺は今、

考え事をしてるんだ。少しそっとしておいて・・・・・・。

 

 ──シュッ!! って、痛!?

 

 俺の手を包丁が掠めて、おろされた。俺は意識を思考の中から引っ張り起こして、周りを確認するのだが、状況が分からない。

 

「ちょっと誠! 大丈夫!? 手に包丁が当たらなかった!?」

 

「え? あっ、悪いな、チサキ。俺、ちょっとこの授業休んでるから、おまえ等だけで作ってくれ」

 

 俺はやっと現実に意識を引き戻して、包丁を見つめた。どうやら、さっきまで俺に話しかけていたのはチサキらしい。俺の右手に包丁。左手は、切り刻まれた白菜が・・・・・・というか、切りすぎた。白菜は四分の1しか使わないって話だったのに・・・・・・。

 

「もう、誠にも苦手なことなんてあったんだね。でも、料理ってそんなに苦手だった?」

 

「いや、料理だけは負けないよ。ちょっと考え事をしてただけだから」

 

 俺の指先から小さな赤い点が現れて、小さな小さな川を作る。俺はそれをティッシュで拭おうとして、ポケットに手を突っ込んだ瞬間、怪我した手をチサキにとられた。そして、それをチサキが自分の口に持って行き、くわえる。

 

 え・・・・・・? 何してるんですか? 

 

 俺の思考は正常に作動しており、幻覚なんて見てないはずだ。

 

 チサキは俺の指から口を離して、こっちを見た。光とマナカ、要は顔を赤面させて、口をパクパクと動かしている。どうやら、言葉にもできないようだ。そう言えば、俺も一度、ミヲリさんの家で包丁握ったとき、こうされたな。まあ、最初の話なんだけど、それからミヲリさんは包丁を使わせてくれなくなった。

 

「誠、保健室行ってきなさい。今すぐ行かないと、ばい菌入っちゃうよ」

 

「いやいや、ちょっと待て。おまえ、何してんだよ?」

 

「・・・・・・・・・・・・っ!?」

 

 どうやら、今さら自分の行動に気づいたようだ。顔を赤くさせて、ボフンッて音がしたかと思うほど真っ赤になった。そして、マナカの後ろに隠れる。

 

「へえ~、おまえ等って、そんな関係だったんだな」

 

「海の奴らって、手が早いんだね~。もう発情期ですか」

 

 陸の奴らが茶化してくるが、俺は無視。茶化されたところで、別に事実でもないから、あわてる必要もない。陸の女子は、顔を赤くさせている。そんな中、慌てる馬鹿が1人・・・・・・。

 

「ままま、まーくん! まーくんってえっちだよね! こんなこと、まだしちゃいけないと思うんだ!」

 

「お、お前何やってんだよ!? こんな大勢の前で!!」

 

 やっぱり、二人に訂正だ。マナカも光も、これぐらいで騒いでるから、くっつけないんだろ。要は冷静とまではいかないが、何時も通りだ。

 

「何って、俺だけ? お前ら、見てただろ? 何で俺だけ責められてんの? それに、俺はそんな関係になった覚えはない。俺は保健室行ってくるから、あとはよろしくな~」

 

 俺は面倒になりそうだったので、調理室から出た。これで、考える時間は十分に出来たし、あいつらが料理を作り終えるまで待っていよう。

 

 

 

 

 それから、俺は1人で保健室に行った。そこまでは良いが、保健室には保健の先生すらおらず、自分で絆創膏を貼って、治療は終了。・・・・・・と、なるわけはなく。好き勝手に今まで独学で学んできた医学の知識を使って、少々遊んできた・・・・・・ではなく、学んできた・・・・・・じゃなくて、治療してきたのだ。そのお陰か、どれがどの薬か簡単にわかり、すぐに終わってしまった。

 

 そして、俺は今、調理室の扉に手をかけて開ける。と同時に、大きな音が響き渡った。

 

 ガシャン───!!

 

 俺の視界には、尻餅をついているマナカと、その横に転がる割れた皿。さらには、ちらし寿司の中身が全部、床にぶちまけられている。

 

「謝れ!」

 

 紡が男子生徒2人に向かって、謝罪を求める。紡がそう言うって事は、そこで突っ立っている男子生徒2名が悪いのだろう。

 

「・・・・・・す、すまん」

 

「・・・・・・悪かった」

 

 こういう時に頼りになる紡は、海の人間にとっては、いい存在だな。こうして、俺はちらし寿司を食べることなく、調理実習を終えるのだった。

 

 

 そうして、授業が終わってから、俺たちは教室にいた。マナカとチサキは少し、悲しそうな顔をしており、光は怒って、紡のおじいさんが言っていた嵐だった。

 

「ちらし寿司、残念だったな」

 

「あまり仕事してないお前が言うなよ・・・・・・。というか、お前のせいで白菜が無駄に多かったんだから、それ使っただけでも感謝しろ!」

 

「じゃあ、今度、俺の作れる最高の料理を食わせてやるよ」

 

「ああ、もう! むしゃくしゃする! 俺、おじょしさまみてくる!」

 

 光はそう言って、ズンズンと歩いていった。

 

「あっ、私も!」

 

「え? 待ってよ、マナカ!」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 マナカとチサキはそれを追うように小走りに歩いて、光についていく。俺と要は顔を見合わせて、

ため息をつく。

 

「まあ、行こうか」

 

「そうだね・・・・・・」

 

 俺と要は光達を追いかけて、教室を出た。俺たちが向かうのは工作室で、作っている途中のおじょしさまを置いてある。

 

 渡り廊下を歩いて、光たちが入っていった工作室を目指すのだが、突然、光が工作室から凄い勢いで飛び出してきた。俺は気にせずに、工作室の中に入る。

 

 そこには、落書きと取れた首のおじょしさまが転がっていた。多分、光はこれを見て、あいつらを殴りに行ったんだろう。

 

「誠・・・・・・! 光が!」

 

「チサキ、もう手遅れだ」

 

 俺はそう言いながら、おじょしさまの落書きの仕方を見てみる。顔には、なんともおかしなマークなどがついており、笑えてくる。クルクルと頭を回していると、名前が書いてあるのを見つけた。

 

 『さゆ、三じょう』・・・・・・うん、漢字を間違えてるね。

 

 美海がこんな事に加担したと思えないし、調べに行くかな? というか、昨日、説教したばかり何だよね。

 

 

 光が昨日、至さんの乗る車を見つけて、追いかけていった。俺は光がまた殴るかもしれないので、

俺も光を追いかける。そこで会ったのは、美海とさゆ。サヤマートの前で、張り込みみたいな事をして、光を気絶させようと、ハンカチで口をふさいだ。だが、子供の見たまま知識では、光を気絶させれずに、はがされてしまった。そして、美海が『パパとあの女を別れさせるのに協力して』と言い、

光は驚く。それから、光は美海の申し出を断り、俺が美海の頭を撫でて説教。その後に光に甘いとかなんとか言われたが、俺にはそこまでキツくできるわけではないので仕方無い。まあ、昔から美海は俺の言うことをちゃんと聞くけど。

 

 

「チサキ、要、マナカ、俺は早退するって先生に言っといて。理由は何でもいいや。兎に角、俺は今から早退するから」

 

「えっ!? ちょっと誠!?」

 

「まーくん! 早退ってなんで!?」

 

「あはは・・・・・・誠は自由だね」

 

 俺は後ろで何か言っているチサキ達を置き去りにして、学校から出て行くのだった。

 

 

 

 

 それから数十分後、俺はサヤマートの近くまで走って来た。もう既に、視界にはサヤマートの看板が見えている。俺は音をあまり立てずに、サヤマートの前を通る。そして、あの時のように壁にガムで文字を書いている美海がいた。

 

 俺はそのまま、美海がいる壁のすぐ裏に行き、バレないように座った。さっき早退してきた俺が言うのもあれだが、話しかけるしか無いだろう。

 

「こんなとこで、またサボってるのか?」

 

「・・・・・・誠、怒ってる?」

 

「いや、俺も学校、今さっきサボってきた。それに、気持ちもわかるし、怒るわけないだろ」

 

「誠は・・・・・・私の気持ちがわかるの? 私は今まで・・・・・・!」

 

 俺と美海が話そうとしていると、そこに本命というか、犯人が現れた。しかも、堂々と俺がいることを知らずに、美海に自慢する。

 

「美海! やってやったぜ! あのタコスケが大事にしてたおじょしさま、顔を落書きして、ボッコボコのバッキバキにしてやったぜ!」

 

「・・・・・・っ!?」

 

 さゆちゃんの自白に、美海の息をのむ音が聞こえた。どうやら、少し動揺しているようだ。本当はそこまでやる気も、昨日の説教も覚えているのだろう。

 

「あのタコスケ! 今頃、おじょしさま見て───」

 

「なんで! なんでそんな卑怯なことしたの! さゆの馬鹿!!」

 

 あっちでは、どうやら喧嘩しているみたいだ。駆けるような足音が聞こえ、サヤマートの出口あたりから美海が走っていくのが見えた。俺は立ち上がり、美海が走っていった方に俺も走っていった。

 

 

 

 

 それから美海を追いかけて、俺は追いついた。そして、手を掴んで、引き止める。美海はふりほどこうとしながら、俺は足を蹴られた。

 

「離して! 私は、私は───!!」

 

「あんなこと、頼んでもないし、する気も無かったんでしょ?」

 

 俺が美海の言うことを遮って、自分の考えを口にする。そうすると美海は、暴れるのをやめて、冷静になった。俺は手を離して、美海の目線に合わせる。

 

「・・・・・・どうして、わかったの?」

 

「俺が早退してきた理由はさ、美海がさっきの事を一緒にやったか気になってね。まあ、予想通りになったわけだけど。それにさ、俺、ミヲリさんにお礼を言ってないんだ。家に・・・・・・一緒に行こう」

 

「・・・・・・わかった」

 

 こうして俺は美海と一緒に、ミヲリさんの家・・・・・・美海と至さんの家に行くことになった。

 

 それから道を歩き続けて、数分たった後、俺は思いついた。今は美海は俺の後ろを歩いていて、俺はゆっくり前を歩いて、無言の状態が続いている。

 

「そうだ、昔みたいに手でも繋ぐ?」 

 

「私、子供じゃない。それに、もうすぐつく」

 

「そうだったね・・・・・・」

 

 はい、これで会話終了。俺はこの空気をどうにかしようとしただけなのだが、今だに何かを怒っているようだ。それも、俺に関して・・・・・・。

 

 もう既に日は暮れており、辺りは暗い・・・・・・。そして、すぐそこには馴染みのあるアパートが見えた。昔はよく、ここに来てたのにな・・・・・・。でも、あの日からは来れなかった。

 

 俺と美海は階段を上がって、目的の部屋を目指す。そして、最後まで登り切ると、誰かとぶつかりそうになった。

 

「おっと!」

 

「おわぁ!」

 

 俺はぶつかりそうになった相手をみる。相手は波中の制服を着ている男子生徒、それどころか見覚えがある。

 

「あっ、光にマナカか?」

 

「って、お前、誠かよ。お前こそ早退したくせに、何してんだよ?」

 

「あんたたち、こんなとこで何してんの」

 

 言い争う俺と光に、こんなとこで予想外な登場の光に不機嫌そうな美海が、聞いてきた。

 

「それがよ。あのあと、あいつら殴ったんだけど、早退させられてさ。それで海に帰ったら、上からあいつが落ちてきたんだよ。そんで、今帰るとこだ」

 

「ははは・・・・・・至さんか・・・・・・」

 

 どうやら、至さんが海に潜ってきたようだ。光の早退の話を聞いて、美海は小さくつぶやく。

 

「おじょ・・・・・・」

 

「ん? なんて言ったんだ?」

 

 聞き返す光。俺は黙って、美海の言いたいことを聞こうとした。

 

「おじょしさま、私が壊したの! 私が悪いの!」

 

「え・・・・・・? お前が・・・・・・やったのか?」

 

 美海は自分がおじょしさまを壊したと嘘をついた。それを聞いた光は、難しそうな顔をする。どうやら自分が間違った奴を殴ったことを、理解したようだ。

 

「行くぞ、マナカ。誠も早く帰ろうぜ」

 

「悪い、光。俺はちょっと至さんに用があるから」

 

 俺がそう言うと、光は『そうか・・・・・・』とだけ言って、階段を降りていった。俺は美海に向き直って、問いかける。

 

「一応、聞く。なんで罪をかぶったの?」

 

「・・・・・・なんで、誠は私じゃないって言わなかったの? 私の気持ち、わかったからでしょ?」

 

 美海に当てた質問は、質問で返されてしまった。美海の言うとおり、なんでさゆちゃんを庇ったかはわかっている。

 

 俺は分が悪くなったので、扉を叩いて、至さんに話しかけた。

 

「至さん、誠です。入っても良いですか?」

 

「ああ、誠君かい!? いいよ、遠慮しないで、入ってくれ」

 

 俺は扉に手をかけて、ドアを開けようとする。ドアを開けようとする俺に、美海はとどめの一言を放つ。

 

「なんで、私がいるのに、入って良いか聞いたの? それに、さっきの答えは?」

 

「俺も、なんで美海が犯人じゃないって言わなかったのか、わからないよ」

 

 俺はただ一言、そう答えて扉を開けた。

 




さて、一応言っておこう。
ヒロインは美海です。


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第十話  大きな決断

久しぶりの投稿です。


 side《アカリ》

 

 

 私は数日間、海の底に引きこもっていた。至さんに会うこともなく、美海ちゃんにも会うこともなくただ退屈な日々を過ごしていた。サヤマートでの仕事も、数日の間はお休みをもらっていたが、その期間を使って考えた・・・・・・どうしたら、美海ちゃんにもわかってもらえるか、それとも私は離れた方がいいのか・・・・・・その答えは、たどり着くのに・・・・・・決心するのに数日かかった。

 

「さてと、今日からサヤマートに行かないと」

 

 私は食卓を囲んでいるお父さんと光に聞こえないように呟き、食器を片づける。光はもう既に食べ終えていて、残っているのは私1人。

 

 カバンを手にして、私はゆっくりと立ち上がる。

 

「行くのか・・・・・・」

 

「うん、そろそろサヤマートにも出ないといけないしね」

 

 お父さんが聞いてきたが、私はいつものような声で答える。心の中にはもやもやした感覚が残っているが、これはこれで仕方ないだろう。

 

 私は居間を出て、玄関にでると、光が私を追い越して学校に行こうとする姿が見えた。

 

「あっ、ちょっと待ってよ光! 久しぶりに一緒に行こうよ」

 

「ああ、今さらそんな年じゃねえだろ。じゃあ、行って来まーす」

 

 光は話を聞かずに出て行き、私は靴を履いて外にでる。外にはいつも通りの海があるが、何処か悲しい感じがする・・・・・・いや、悲しいのは私かな?

 

 私は深呼吸をして、陸に向かって泳ぎ始めた。

 

 

 

 陸に上がると、久しぶりの太陽が眩しかった。きっと、誠君も同じことを考えて、陸に上がったのだろう。そんな事を考えながら、私はサヤマートへの道を歩く。

 

 遠くには誠君や光達が学校に向かう姿が見え、それが私には昔の至さん達を思い出させる。

 

 私がカフェの前を通りかかると、至さんが立っている姿が見える。私を見つけると、少し安堵したような笑みを浮かべて、走り寄ってきた。

 

「アカリ、話があるんだ・・・・・・」

 

「私も、至さんに話があるんだ。じゃあ、そこのカフェで話そうよ」

 

 私がカフェの方に歩き、それに至さんがついて来る。これで終わり・・・・・・全部、私が全部横取りしたのと一緒。それを返すだけだ。悲しむ必要なんて無い。

 

 カフェの前に歩いて、扉を開けて中に入る。此処はミヲリと至さん、美海ちゃんと過ごした思い出の場所の一つで、大切な場所・・・・・・ここから始まり、ここで終わる。

 

 私は空いている席に座り、その向かいに至さんが座る。お互いに無言で、至さんは私を見ているけど、私は水の入ったコップを見つめている。

 

「ご注文は何になさいますか?」

 

「コーヒーで」

 

「えっと、僕もコーヒーをお願いします」

 

 この店のマスターが注文を取りに来たので、適当にコーヒーを頼む。至さんも慌てたように私と同じものを頼み、マスターはその場を去った。

 

 しばらくすると、マスターが二つのコーヒーカップを運んできた。その中には黒いコーヒーが注がれており、コーヒーらしい匂いが立ちこめている。マスターは私と至さんの目の前にコーヒーを置くと、再び下がっていった。

 

 私はゆっくりとコーヒーを飲み、口を開く。

 

「私、もう至さんと別れようと思うんだ」

 

「何でっ? 僕は・・・・・・」

 

「最初から無理だったんだよ。海の人間と陸の人間が結ばれるなんて、最初から無理だったんだよ。

美海ちゃんの為にも、私と至さんは別れるべきだと思うんだ。誠君だって、お父さんについて行かなかったんだよ? 美海ちゃんだって・・・・・・同じ気持ちだと思うよ」

 

 至さんは驚いたような顔をして、何か言おうとするが、私を見て黙ってしまう。至さんは落ち着くためにコーヒーを飲んで、一息する。

 

「確かに海と陸はそうかもしれないけど、僕達は・・・・・・絶対に仲良くできるよ!」

 

「ううん、絶対に出来ない。美海ちゃんだって、私を嫌いだと思うし、これからは私はもう至さんや美海ちゃんにも会わない。決めたんだ、光もいるしね・・・・・・じゃあ、さようなら」

 

 私はコーヒーを飲み干して、席から立ち上がる。その際に至さんが悲しそうな顔をしたが、私は心のもやもやを無視しながらもカフェの外にでる。

 

 これで、終わりなんだろうな。これで、美海ちゃんも苦しまなくて済む。私の中でもやもやは残ってるけど、これでいいんだ。

 

 私はカフェを振り返らずに歩いた。振り返ってしまうと、泣いてしまいそうだから、だから振り返らずに歩いた。踏ん切りをつけるために、早足でその場を離れたのだった。

 

 

 

 道路を歩き、サヤマートへと付いた。そこで何時も通りにあの壁を見てみると、美海ちゃんがまた壁に文字を書いていた。最後まで読みたかったけど、もうそんな必要はないんだ。私はすぐに、至さんや美海ちゃんとは関係がなくなるのだから。

 

 私は壁に文字を書く美海ちゃんに近付くと、美海ちゃんもこっちを気づいて見上げてきた。その目はなにを考えているのかわからないが、伝えなければいけない。

 

「美海ちゃん、私決めたんだ。もう、美海ちゃん達には関わらないから安心して・・・・・・私は、至さんの前から・・・・・・美海ちゃんの前からいなくなるから」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美海ちゃんは数秒の間、下を向いた後に走り出した。私とは目を合わせず、ただひたすらに何処かに走り去っていく。目を合わせないまま、美海ちゃんは私の前から消えた。そして残ったのは、壁に書かれた書きかけの文字・・・・・・『どっかい』だった。

 

 

 

 それから私はサヤマートでレジをやったり、製品整理をしていた。あれから私の心は落ち着きが無く、ただ無造作にあの文字と美海ちゃん、至さんの事を思い浮かべながら仕事をする。

 

 時刻は7時頃で、日も暮れ始めている・・・・・・いや、もうほとんど真っ暗だ。もうすぐ7時になる頃だが、私の仕事も8時に今日は終わる。

 

「こんばんは? アカリさん、サヤマート来たんですか?」

 

「あっ、誠君。こんな時間に1人で彷徨くなんて、危ないよ~。私、8時にあがりだから一緒に帰ろうか?」

 

「いや、いいですよ。子供じゃないんだし、何時もこれくらいは普通です。それより、アカリさんは変わった・・・・・・というより、少し落ち着いたんですか?」

 

「あははっ・・・・・・というより至さんをフってきたんだ。それと、美海ちゃんにも今度から会わないって伝えてきた・・・・・・やっぱり、誠君は何でもお見通しなんだね」

 

 誠君は見透かしたような目で、私の目を見ている。その瞳は静かで、悲しい何かを見るような瞳だった。何でか知らないけど、それが私の心を見透かしているような気がする。流石は光達のまとめ役といったところだろうか・・・・・・あの中の誰よりも大人で、要君やチサキちゃんよりも大人のような雰囲気を持っている。

 

「じゃあ、この会計をお願いします」

 

「あっ、買い物だったね」

 

 誠君は籠を台の上に置いて、買い物の会計を頼む。中身はお菓子にお肉、野菜に調味料を少しと中学生に見えないような買い物。親がいないから仕方ないんだろうけど、やっぱり何処か違う雰囲気を持っている誠君は生活の所為か普通に見える。

 

「へえ~、今日はお肉主体の料理なんだ~。そう言えば、この前包丁で怪我したって聞いたけど大丈夫だった?」

 

「はい、ぼーっとしてただけですから。それに、チサキが舐めたのはビックリしましたけど」

 

「あははっ! 光もそれくらい積極的になればいいのにね~」

 

 私は誠君とたわいもない会話をしながら、次々にバーコードを押していく。そうして全部終わると、お金を誠君が出し、受け取った。

 

 レジを動かして、お釣りを出して誠君に渡す。

 

「はい、お釣り」

 

「ありがとうございます」

 

 誠君はお釣りを受け取ると、ポケットに突っ込んだ。そうして帰ろうとすると、そこにドタバタと大きな足音をたてながら至さんが駆け込んできた。

 

「た、大変だよアカリ! っと、誠君もちょうどよかった! み、美海が帰ってこないんだ!!」

 

 美海ちゃんが帰ってこない。私はその一言で、何かが心の中を揺らめいた。

 

 

 

 

 

 side out

 

 

 俺が買い物をしていると、至さんがサヤマートに駆け込んできた。美海がいなくなったと、必死の顔で俺とアカリさんに訴えかけている。あの美海が家に帰らないなんて、これはアカリさんや至さんのどちらかと何かあったのだろう。・・・・・・まあ、十中八九、アカリさんだと思うけど。

 

「美海、何時もは7時の間には帰ってくるのに、8時になっても帰ってこないんだ!!」

 

「至さん、落ち着いてください。俺が探してきます」

 

「ダメだよ誠君、子供は帰りなさい。この時間は大人に任せて───『美海は簡単には見つかりませんよ?』───だとしても、子供は・・・・・・」

 

 アカリさんが帰るように言ってくるが、俺はそれを聞かない。美海を見つけられるとしたら、俺だけだと思う。それに、美海は思い出の場所にいるはず・・・・・・だとしたら、簡単には見つからない。

 

「至さん、良いですよね?」

 

「ああ、美海の事を一番わかっているのは誠君だからね。頼むよ。僕は、漁協の人とかに手伝ってもらうから」

 

 至さんに許しをもらって、俺はサヤマートから出て行く。至さんは焦っているようで、アカリさんも普通じゃないほど焦っているようで、目には涙を浮かべていた。やっぱり、アカリさんは諦めてもないし、美海が心配なのは変わらないようだ。

 

 俺は走って、美海を探した。最初は海岸沿いを走って、昔隠れて遊んでいた場所を探したが、そこには美海はいなくて、次は森の中を探した。最初にミヲリさんと会った場所で、美海にも教えた秘密の場所。そこに1人の女の子が海を見ながら、座っていた。

 

 ランドセルは無いようで、ただずっと海を見続けている。

 

 俺はゆっくりと後ろから近づき、話しかける。

 

「美海、此処にいたのか・・・・・・」

 

「・・・・・・誠、どうして此処がわかったの?」

 

 俺は質問を質問で返され、美海の横に座る。美海は膝を抱えて、ただ海を見つめて俺の方を一度向くとまた海に視線を戻した。

 

「それは昔は美海とよく遊んだからね。3年立っても、変わってないだろ」

 

「誠は変わった。誠は私を連れ戻しにきたの?」

 

「いや、探してくるとは言ったけど、連れて帰るとは言ってないよ。美海の好きなようにすればいいし、つき合うけど?」

 

 美海が連れ戻しに来たと思ったのか、少し離れた。俺はそれを否定して、美海の好きなようにすればいいと思ったので、そのまま伝える。少なくとも、美海の気持ちはわかると思うし、このまま帰っても美海の気が済まないだろう。

 

「私、今日は帰りたくないから付き合って」

 

「はいはい、お姫様の言うとおりに・・・・・・」

 

 美海は立ち上がり、森を降りていこうとする。俺は今だに持っていた買い物袋を下げて、美海の後をゆっくりとついて行く。

 

 山を降りて、海の方に向かっていく。そこには、大きな廃船のようなものが置いてあり、それに向かって歩いていく。

 

 そうしてその場所に着くと思うと、そこには光達の姿があった。光とマナカ、チサキと要が美海の名前を呼んで探している。

 

 俺と美海は背後から音もなく忍び寄り、美海が『うるさい・・・・・・』と言うと同時に、光の足を後ろから蹴った。・・・・・・うん、痛そうだ。

 

「いてぇぇっ! て、お前こんなとこで・・・・・・誠も一緒かよ」

 

「私、今日は家に帰らないから」

 

「というわけで、よろしく光」

 

 俺は蹴られた光を苦笑しながら見て、美海の横に立つ。俺達に気づいたマナカ達も、駆け寄ってきた。まずは、アカリさんに伝えなければいけない。

 

「いや、心配してるぞアカリとあいつが・・・・・・」

 

「光、悪いけど美海の我が儘に付き合ってあげてよ。わかったら、さっさとアカリさんに見つけたけど、後は任せてくれとでも言ってこい。俺が責任を持つよ」

 

「・・・・・・ったく、わかったよ。そう伝えてこればいいんだな」

 

 光は渋々といった感じでその場から走って消える。美海は膨れっ面で何かを怒っているような気がする・・・・・・もしかして『我が儘』って言っちゃダメだったのかな?

 

 俺が1人で悩んでいると、チサキとマナカが美海の前に来る。

 

「美海ちゃん、それに誠も何処で見つけたの?」

 

「そうだよまーくん、何で知らせてくれなかったの?」

 

「あのな、今さっき見つけたんだよ。連絡する暇なんて無かったんだよ」

 

 チサキとマナカは俺を責め立て、俺はそれを否定する。俺が見つけたのに連絡が遅いことを怒っているのだろう。だが、美海から目を離すわけにはいかなかったので仕方無い。

 

 俺が要の横に避難すると、そこで光が走って戻ってきた。息を切らして、凄いキツそうな顔をしているが、気にしないで置こう。

 

「光、どうだった?」

 

「ああ、誠にあいつとアカリが任せるって・・・・・・でも、これからどうすんだよ? 帰らないって言ったって、限界あるぞ」

 

 光は俺を見て、どうするのか聞いてくる。正直、そんな事考えてない。本から美海の好きなようにさせるつもりだし、計画していたわけでもない。

 

 きゅうぅぅ~~~~~っ!

 

 突然誰かのお腹が鳴ったかと思うと、美海が顔を赤くして俯いた。どうやら、美海のお腹が鳴った音だったらしいが、昼から何も食べていないのなら仕方ないだろう。

 

「そうだな、俺も美海も飯を食ってないし、まずは飯だ。材料はあるけど、光・・・・・・魚を取ってきてくれ」

 

「誠の馬鹿っ!!」

 

 俺は美海の怒ったような声を無視して、光を海に飛び込むように言う。光ばかりが動いている気がするが、野生児だから仕方ないだろう。パシり? それも違う。

 

「光、腹が減っている状態で海に飛び込めると思うか?」

 

「わかったよ、行ってくる。ついでに自分の分も取ってくるわ」

 

 光は渋々といった感じで海に飛び込み、俺達は見送った。

 

 

 

 それから俺たちは火をおこしたり、食器などを廃倉庫から借りて光を待っていた。置いてあった食器などは、最近まで店をやっていたらしいのでそこから借りた。魚だけでは足りないので、俺は買ってきた食材で調理をしている。

 

「へぇ~、誠って料理も上手いんだね」

 

「当たり前だ。この前は、少し考え事をしてただけだ。一人暮らしをしてるのに、俺が料理を出来ないわけがないだろう」

 

 俺は現在、野菜炒めを作っている。ミヲリさん直伝の、ただの野菜炒めだが、調味料は全部揃ってるので作れた。

 

 野菜炒めが出来たと同時に、海の中から勢いよく何かが飛び出す。それは数分前に潜ったであろう光で、両手には魚を持っている。これで6匹目くらいで、量的には十分だろう。

 

「ああ~疲れた。おっ、美味そうなもん作ってるよな、誠」

 

「悪いが、家で食ってきたおまえ等の分はない」

 

「わかってるよ。俺ら全員食ってきたからな」

 

 俺は2つの皿に料理を盛り付けて、美海に片方を渡し、座った。光達は火で魚を焼いているため、

少し離れたところにいる。

 

 美海はゆっくりと食べて、少し顔色を変えた。もしかして、マズかったのかな? 俺はそう思いながら、感想を聞く。

 

「えっと、もしかしてマズかった・・・・・・?」

 

「違う、凄く美味しい・・・・・・でも、何か懐かしい」

 

 どうやら、マズくなかったようで、ドンドン皿からパクパクと食べて減らしていく。そしてすぐに食べ終わり、俺の皿をじっと見てきた。

 

「よかったら、食べる? 俺は魚だけで十分だし」

 

「いいの?」

 

「ああ、別に何時でも作れるしね」

 

 俺は皿を美海に渡して、その様子をまた見始める。その目には涙を流して、ただひたすら俺が作った料理を食べていた。そうして食べ終えると、皿を置いて足をぶらぶらとさせる。

 

 光達は魚を食べながら、楽しそうに談笑していた。その様子を美海は何処か遠い目で見つめ、ただ懐かしそうに目を細めた。あれがミヲリさんの生きていた頃に見えたのか、何処か悲しそうだった。

 

 

 

 俺と美海、光達は少しの間の時間を楽しみ、結構な時間が過ぎていった。焚き火の火も消え、今は光達と美海、俺が向かい合っている。

 

「本当に俺達だけ帰っていいのかよ? 俺もここに残るぞ」

 

「いや、おまえ等は帰れ。美海にも聞きたいことあるし、お前はマナカでも家に送ってこい。明日には帰ると思うからさ」

 

 光達が俺と美海を心配して残ろうとするが、俺が押し切る。美海の意志も変わっていないようで、

今は帰るわけにはいかない。それに、俺は帰っても誰もいないし・・・・・・。

 

「じゃあ、アカリにはそう伝えとく」

 

「おう、じゃあな。明日、学校に行けたら行く」

 

 この場所から遠ざかる光達を見送りながら、俺は手を振る。美海は無表情で、ただ帰って行く光達を見送った。

 

 美海は歩いて、木箱の上に座った。

 

「誠はどうして帰らないの? 一緒にいなくてもいいのに・・・・・・」

 

「それは心配だからに決まってるだろ。美海が怪我したらどうするんだ? それに、至さんに美海は任せてくれって言ったのは俺だしな。約束は最後まで突き通すよ・・・・・・それで、美海はアカリさんが嫌いなの?」

 

 俺は至さんとの約束を出して、一緒にいることを伝える。わかってはいるが、美海は悲しそうな顔しかしなくて、俯いた。

 

「私は好きな人なんていない! 私を好きな人なんていない! いらない!」

 

「俺は美海が好きだよ? 至さんも、ミヲリさんも・・・・・・それに、アカリさんも光達も」

 

 美海はそう言われると、もっと悲しそうな顔になった。目には涙をためて、今にも泣き出しそうな顔で立ち上がり、海の方にかけていく。

 

「私は、好きな人なんてもういらない! 誠も私を好きじゃない!」

 

 そう言うと美海は走り出し、俺は美海を追いかけて走るが、美海は前を見てなかったのか海の中に滑って落ちる。

 

 俺はすぐに飛び込んで、美海を泳いで捕まえにいく。沈んだ美海は上に手を伸ばしながら落ちていくため、俺はすぐに掴んで引き上げた。美海の体温は暖かくて、抱き締めて浮いているために心臓はバクバクと音を立てているのがわかる。

 

「全く・・・・・・俺も気持ちがわかるよ。俺も母さんが死んで、ミヲリさんも死んだ・・・・・・。美海はアカリさんが嫌いじゃない。ただ、またいなくなるのが怖いんだ。俺もそうだから、地上にはあまりでないようにしてた」

 

「だったら、どうして私の前から消えちゃったの? ママが死んで、誠もいなくなっていいことなんて無かった! 誠もいなくなっちゃった! 二人も好きな人がいなくなって、私は悲しかったのに何でいなくなったの? 誠はわかってたんでしょ!」

 

 美海は泣きながら俺に訴えかけ、俺は少し考え込む。美海がいなくなって悲しかったのは、ミヲリさんだけじゃなくて、俺もだったことに驚いた。全部わかっていたつもりだったが、俺は少しだけ勘違いをしていたらしい。

 

「そっか、ごめん・・・・・・でも、これからはいなくならない」

 

 俺が美海に怒られている理由はこれだったようで、謝ると少し曇ったような顔をしてから口を開いた。

 

「アカちゃんも好き・・・・・・誠も好き・・・・・・パパも好き・・・・・・ママがいなくなって、それからアカちゃんがお母さんみたいになった。でも、私は怖かった。アカちゃんも死んで、大切な人が遠ざかっていくのが嫌だった。それに、ママが忘れられるのも嫌だった」

 

「知ってる・・・・・・俺も、父さんが出てくのについて行かなかったから・・・・・・。全部わかっていたつもりだったけど、ミヲリさんが忘れられるのも嫌なのがわかる。大切な人がいなくなると悲しい気持ちもわかる。大切な人が消えるかもしれない、それもわかる。ごめん、俺も勝手にいなくなって・・・・・・」

 

 俺は再度謝り、美海を抱き締める。美海は俺が泳いで支えているため、溺れることはない。服の重みで、沈むこともない。美海は俺にしがみつく力を強くして、『陸にあげて』と言った。

 

 俺は美海を縁に捕まらせて、後ろから押し出す。その際に美海は半分登りかけたところで、こっちに振り向いて何時もより楽しそうな顔で、上がりながら聞いてきた。

 

「誠って、ドリコンなの・・・・・・?」

 

「それって、どういうこと・・・・・・?」

 

 ドリコン・・・・・・新種の言葉だろうか? しかし、何か聞き覚えがある言葉だ。俺が考え込んでいると、美海が説明をする。

 

「サユが言ってた。小さい子を好きな年上の人って、ドリコンだって」

 

「ああ、ロリコンか・・・・・・待て、俺にそんな事聞くな。絶対に違う・・・・・・」

 

 俺は陸に上がりながらそう答え、美海はその返答を聞いて少し曇ったような顔になる。これの何処に悲しむ要素があるのか、俺にはわからない。

 

 俺と美海はサヤマートのあの壁の前に行くことに決め、歩き出す。その際に、美海に手を握られたので握り返した。

 

 翌日、その壁の横で寝ているのが見つかって、美海をアカリさんが抱き締めるときに少し怖いと思った俺は間違いじゃないだろう。その後に、アカリさんが美海の書いた『どっかいかないで』という文字で涙を流したのを、俺は近くで見ていた。




今回は光の役目はパシり?
みたいな感じになりましたね。
そして、役目は全部誠にもってかれました。


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第十一話  ロリコン疑惑

11話目か・・・・・・。


 朝にアカリさんにサヤマートで見つかり、俺と美海は家に帰ってきた。アカリさんが俺らを見つけた後、昨日はずっと外にいたんだから、家でゆっくりしなさいだそうだ。ついでに言うと、アカリさんと至さんは結局くっついた。やっぱりアカリさんは、至さんが好きで諦めきれなかったらしい。

 

「じゃあ、私はサヤマートに行ってくるから、二人はお風呂に入って寝なさい」

 

「わかりました。じゃあ、美海が先に入ってくれ」

 

 俺は先に美海が風呂に入ることを勧めるが、俺は腕を掴まれる。その腕を掴んでいるのはアカリさんで、何故か俺と美海を見ていた。

 

「なに言ってんの、美海と誠君が一緒に入ればいいじゃない」

 

 なに言ってるんだろうかこの人は? 俺と美海が一緒に風呂に入るなんて、おかしいだろ。もう既に美海は小学三年生・・・・・・年としてはもう女の子だ。その美海と一緒に入れとか、アカリさんはなにを考えているんだろうか? 

 

 隣の美海は既に顔を赤くして俯いているので、可愛いと言えば可愛いのだが、アカリさんは何故かきょとんとして俺と美海を見ている。

 

「何って、美海と誠君は昔は凄く仲がよかったんでしょ? 一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりと何時も行動は一緒って聞いたわよ。まるで兄妹みたいで、凄く美海も楽しそうだったって」

 

「・・・・・・アカリさん、それは昔の話ですよ。この年で異性とお風呂に入る女の子なんて、何処を探してもいませんよ」

 

「そ、そうだよアカちゃん! 1人で入れるもん!」

 

 美海は慌ててアカリさんをポカポカと叩き、アカリさんはニヤニヤしながら美海を見ている。なにを思っているのか、俺にはわからない。

 

 美海は風呂の用意をして、慌ててお風呂の中に駆け込んでいった。アカリさんはひらひらと手を振りながら、風呂に駆け込む美海を見送った。

 

 アカリさんはくるっと俺に向き直ると、俺の顔をマジマジとみてくる。俺の顔に何かついているのだろうか? そう思って顔を拭うも、なにもついてない。

 

「ミヲリと至さんの言ったとおりだね~。じゃあ、私はサヤマート行かなきゃいけないから、お昼ご飯とかはよろしくね。誠君に任せるわ」

 

「はい、いってらっしゃいアカリさん」

 

 アカリさんは急いで家から出ていき、俺は1人部屋の中に残される。さて、俺はお昼ご飯でも作っておこうかな? 風呂に入ってからだと面倒だし。

 

 そう思って、俺は冷蔵庫をあさって料理を作り始めるのだった。

 

 

 

──────

 

 

 

「・・・・・・おい──起きろって───」

 

 誰かの声が聞こえる。俺はそう思って目を開けると、そこには光とマナカ、チサキに要が俺を見下ろしている姿が目に入った。俺の腕の中には、美海がぐっすりと眠っている・・・・・・うん、何時の間にか潜り込んでいたようだ。

 

 確か昼は俺がご飯を作り、お風呂に入ろうと思ったが着替えが無くて、俺は家に戻って風呂に入ってからここに戻ってきた。美海は眠らずに俺を待っていて、俺が戻ってきたのを確認すると布団を二つ敷いて寝たわけだが・・・・・・こうなっていたと。

 

「お前ってロリコンだったんだな」

 

「誠ってロリコンだったのか・・・・・・だからチサキやマナカに興味なかったのか」

 

「仲良いよね、まーくんと美海ちゃん」

 

「でも、女の子と一緒に寝るなんて・・・・・・///」

 

「違うからな。ロリコンじゃない、俺は至ってふつうだ。それよりもお前ら何でこんなとこにいるんだよ? 鍵はかけたはずだぞ、それと、美海が起きるからうるさい」

 

 光達が口々にロリコンとか言う中、マナカはずれた反応をして、チサキは顔を赤くして俺と美海を交互にみる。

 

 美海はもぞもぞと動くと、起き上がった。

 

「う~ん・・・・・・」

 

「おはよう美海。と言っても、今は夕方だけど」

 

 外は朱く染まり、日も暮れかけていた。美海はそれと同じくらい顔を真っ赤にして、俺から凄い勢いで離れる。少しショックだったのは、言わないで置こう。

 

「それで、光達は何でこんなとこに? 俺はそれを聞いてないんだけど」

 

「そんなの決まってんだろ。昨日はお前等だけ残ったし、アカリが様子を見てきて欲しいって言ったから鍵を貰って来たんだよ。今日はもうすぐアカリも帰ってくるってさ。で、何で布団が二つもあるのに一緒に寝てたんだよ?」

 

 光がニヤニヤとしながら俺と美海を見たが、流石は姉弟と言ったところだろう。ニヤニヤしている顔が、昼間のアカリさんのニヤニヤ顔と似ている。

 

「そう言えば、昔は光もアカリさんやマナカと一緒に寝てたよね。確か、光も小学三年生ぐらいまでは同じことを何回も───」

 

「お前、何で昔の話を出すんだよ!? む、昔の話だろ///」

 

「え~、そう言う話でしょ今は」

 

 俺は光の昔の話を持ちかけて回避して、起き上がる。光は顔を真っ赤にしながら、マナカをチラチラと見ているのでそれもバラしてやろうかな? やんないけど。

 

 俺が次々と暴露をしようとすると、そこで玄関の方から音がした。どうやら誰か返ってきたらしく、俺は布団を片付ける。

 

「たっだいま~。光~、誠君と美海ちゃん起きてる~?」

 

「お帰りなさい、アカリさん。アカリさんが帰ってこなかったら光達の話を暴露してやろうと思いましたけど、残念です」

 

「あれ? その話だったら私も混ぜて欲しかったなぁ~」

 

「やあ、誠君と美海ただいま。二人とも元気そうで良かったよ」

 

 どうやら至さんも帰ってきていたらしく、アカリさんの後ろから現れる。その手には買い物袋を持っていて、サヤマートで買い物してきたようだ。

 

「じゃあ、俺は帰るかな? アカリさん、至さん、美海、お邪魔しました・・・・・・って、何で3人で俺の腕や服を掴んでいるんですか?」

 

 今度は昼間と違い、3人に服や腕を掴まれている。どうやら俺は何故か帰っちゃいけないようだ。

理由は知らないけど、そうらしい・・・・・・。

 

「誠君、昔のようにゆっくりして行きなよ」

 

「私も昔の話、じっくりとしたいからね」

 

「誠、この二人の昔話は長いから帰っちゃダメ」

 

 やっぱり俺に、逃げ道は用意されていないようだった。

 

 

 

 あれから光達も帰り、夜になった。俺はアカリさんが作る料理を至さん、美海と待つのだが、ミヲリさんの生きていた頃を思い出させる。アカリさんの台所に立つ姿はそう見えないけど、昔のミヲリさんを思い出させる。

 

「こうやってゆっくり話すのも久しぶりだよね。ミヲリがいた頃を思い出すよ」

 

「そうですね。俺も思い出しますよ・・・・・・吹っ切るのに、数ヶ月かかりましたけど」

 

「ハハハ・・・・・・僕も同じだよ。でも、誠君がそれくらいミヲリの事を思っていてくれて、僕は嬉しいよ。まあ、今日は君も泊まっていかないか? 昔のように、布団ならあるからさ」

 

「遠慮します。明日は学校に行かないといけませんので」

 

 至さんが泊まることを勧めてくるが、俺は明日は学校を休むわけにはいかないので断る。少しくらい話をしていると、アカリさんが料理を運んできた。

 

「はい、料理できたよ~。いくら私が家に来るように言っても、昔は誠君、家に来なかったからね。

味の保証はできないけど、食べて」

 

「アカちゃんの料理、凄く美味しいんだよ?」

 

 アカリさんと美海が勧めて、俺は箸をとって料理を口に運ぶ・・・・・・その味はミヲリさんとは違うけど、凄く美味しかった。

 

「美味しいですね」

 

「そうでしょ~。・・・・・・で、ミヲリとどっちが美味しい? 美海と至さんには聞いたけど、誠君は初めて食べるから聞いておこうと思ってね」

 

「はっきり言うと、断然ミヲリさんですね」

 

「ありゃ。至さんははっきりしなかったけど、誠君は美海と同じか・・・・・・」

 

 俺ははっきりと感想を言い、アカリさんは残念そうにする。至さんの性格からして、はっきり言うことができなかったのだろう。まあ、ミヲリさんとアカリさんを比べること事態、至さんはやっちゃいけないことなんだが・・・・・・美海はハッキリしていたようだ。

 

「それで、アカリさんはもう帰らないつもりなんでしょ? 帰ったところで、あの胡散臭いうろこ様と親に説教喰らうだけですよ。村の人も一緒ですし」

 

「そうなんだよね~。美海ちゃんを必死に探すために光に連絡入れたらさ、『ああ、もううるせえよ! とっとと美海の母ちゃんにでもなりやがれ!!』だよ? 酷くない?」

 

「それは、光らしいですね」

 

「それに止めたのに『俺が絶対に見つけてやる!』って短歌切っちゃってさ。まあ、至さんの言うとおりに誠君が一番先に見つけたんだけどね」

 

「それも光らしいですね・・・・・・まあ、いろいろと無駄でしたけど」

 

「そう言えば、光愚痴ってたよ~? 海に潜らされたり、電話をしに行かされたりしたって。美海の事になると、誠君が凄い人の扱い荒くなるって」

 

 俺とアカリさんがこれからのことや昨日のことなどを話ながらおかずをつつく・・・・・・。どうやら俺やアカリさんに愚痴やら短歌やら切ったらしく、相変わらずの面白いことをする奴だ。やっぱり全員分の昔の(恥ずかしい)話をしてやればよかったかな?

 

「美海は昔から誠君にくっついてたからね。今も仲良くなってくれて、僕も嬉しいよ。危うくミヲリと考えていたことが、間違いだと思うところだったけど・・・・・・」

 

「確かに、大きくなったらそうなりそうだよね。でも、至さんもミヲリも気が早いんじゃない? 流石にその頃から予想して、当たるのは凄いよ? ミヲリの感も凄かったけど、流石にそこまでは当たらないと思ったな~・・・・・・でも、今ならわからなくもないかな?」

 

 至さんとアカリさんが頷きながら、よくわからない話をする。昔も至さんとミヲリさんがこんな話をしていたが、今でもどういうことかわからない。

 

「至さん、アカリさんも何の話をしてるんですか?」

 

「「将来の話」」

 

 この日は最後にもっとよくわからない答え方をされて、俺は疑問を胸に家に帰るのだった。

 

 

 

 

 

 翌日、俺は何時も通りに学校に来ていた。今日の授業はプールがあるのだが、みんな(特に女子)

が乗り気じゃなく、みんな(特に男子)が元気だ。女子は移動し始めており、その中で1人の男子が上の服を脱いだ。

 

「キャアーー!!」

 

「露出魔!!」

 

「変態!!」

 

「この馬鹿男子!!」

 

 上を脱いだ男子生徒は酷い言われようで、罵倒を浴びせられる。こういう男子って、クラスに1人はいるよね。例えば、よく目立つ奴とか、そう言う類だ。

 

「あなた達も、女子は更衣室」

 

「えっ、あっ、うん」

 

 チサキとマナカは女子に教えられ、教室から消えていった。光と言えば、マナカを見てぼーっとしている。やっぱり、恋の病って怖いよね。最近、無駄に紡に光が突っかかったりするんだよ。

 

 女子が全員消えたとともに、俺は着替え始めた。別に俺は水泳用に着るのは初めてじゃないし、疑問に思っている光と要は仕方ないと思う。夏にミヲリさんと至さん、美海に連れられてプールに行ったことがある。

 

「誠、着替えたか?」

 

「そっちも着替えたのか・・・・・・じゃあ、そろそろ行くか。紡、今日は一緒に泳ごうぜ。お前って聞いたところ、速いんだろ?」

 

「まあ、いいけど・・・・・・」

 

 俺は紡と泳ぐ約束をして、プールに向かった。

 

 

 

 俺は紡とプールに向かい、そのプールに着いた。周りには男子生徒がいろいろと好きに会話していて、要と光は壁にもたれ掛かっている。そう言う俺も、紡と壁にもたれ掛かっていた。

 

「ああ~あ、今年の女子はあれだよな~」

 

「そうだよな~」

 

 何処かの男子がそう話す中、女子がタオルを纏って出て来た。男子は全員がその姿に釘付けで、まさに年頃の男子と言ったところだろう。

 

「そうだ、今年は比良平がいたじゃねえか!」

 

「マジですげえ・・・・・・」

 

 ・・・・・・訂正。男子全員がタオルを纏っていないチサキに釘付けだった。俺は別に興味ないし、そんな過剰に反応するわけでもない。ただ、俺の首にある十字架のネックレスを二つ、手にしながらそれを眺めている。片方は青い綺麗な石。もう片方は綺麗な翡翠色の石。今までめったに離さなかったが錆びることもなく、ただ綺麗な形状を保っている。

 

「それ、どうしたんだ?」

 

「ああ、これは大切な物でさ。死んだ母さんが、最初で最後にくれた贈り物なんだ」

 

「そうか・・・・・・大事なんだな。形見ってことか」

 

「そう言うこと」

 

 聞いてきた紡に軽く答えて、そのネックレスから手を離す。本来は不要な物を持ってきてはいけないのだが、先生に許してもらった。

 

 俺がプールを眺めていると、先生が現れて号令をかける。

 

「はい、じゃあみんなタオルを脱いで、準備体操を始めるよ~」

 

「先生のエッチ。私達の体がそんなに見たいんだ~」

 

「先生にそんな趣味はありません。バカなこと言ってないで、早く体操始めるよ~」

 

 生徒全員がプールサイドに並び、体操をする。そんな中、光だけは壁にもたれ掛かっていた。

 

「光、やらなきゃ怪我するぞ」

 

「何で息すんのに準備が必要なんだよ」

 

 どうやら光は機嫌が悪いようで、やろうとしない。俺はそんな光を放っておいて、準備体操を続けた。理由を言ったのに、聞かない奴は知らないさ。後悔先に立たずだっけ? 兎に角、そう言うことだから頑張れ光。

 

 

 

 準備体操も終わり、みんなが自由に泳いでいると先生からやめの合図がかかった。みんながプールから上がり、泳ぐペアを決めようとしている・・・・・・ペアは4人までで、俺と紡は決まっている。

 

「紡、お前は何で泳ぐんだ?」

 

「俺はクロール」

 

「じゃあ、俺もクロールだから一緒に泳ごうぜ」

 

 光はまだ対抗心があるのか、紡と泳ぐことになった。

 

 俺は紡の左隣、光が紡の右に並んで位置に着く。周りは俺らの勝負を見たいのか、プールサイドに群がり始めた。女子は女子で、予想と言うか、応援をしようとしている。

 

「やっぱり海の子って速いのかな?」

 

「紡君が一番だよ。私は断然!」

 

「やっぱり野生児っぽい先島君かな?」

 

「ねえねえ、比良平さん、海の子は誰が一番速いの?」

 

「まーくんが一番速いよ!」

 

「じゃあ、私は長瀬君を応援する!」

 

「えっ、誠を!?」

 

 女子が口々にそう言い、チサキが慌て始める・・・・・・。それと、マナカが俺が一番速いことを言ったためか、光の視線が無茶苦茶怖い。俺にまで対抗心を燃やしているのか、殺気がここまで来ている。

俺は興味ないのに、何でこうなるのだろうか?

 

「それじゃあ、用意~スタート」

 

 先生のその合図と同時に、全員が飛び込む。俺はクロールを開始して、泳ぐとみんなより先に折り返すところに着き、蹴って反転する。そうして泳いでいると、女子の悲鳴が聞こえた。俺はその場で泳ぐのを止め、後ろの方をみる。そこには、足を抱えている光と飛び込んで光の本に行くマナカ、俺も後ろに向かって泳いで光達のところに向かう。

 

 先生と俺は着いた頃には、マナカと光はプールから上がって、座り込んでいた。

 

「全く、準備運動しないから・・・・・・爪がはがれてる。すぐに保健室に行って消毒してこい」

 

「・・・・・・お前、こう言うときでも親みたいだな・・・・・・」

 

「はい、マナカがついて行ってやれ」

 

「じゃあ、まーくんも行こうよ」

 

「二人で十分だろ。行ってこい」

 

 俺は光とマナカを二人になるように言い、二人が保健室に向かうのを見守るのだった。

 

 

 

 

 

 光とマナカを送り出した後、俺とクラスメイトたちは掃除をしていた。プールの授業も終わり、マナカと光は今だに帰ってこない。何か進展はあったのかな? まあ、あの二人が二人きりになったところでそれはないだろうけど。

 

「あっ、マナカお帰り。どうだった、光?」

 

「あっ、ちーちゃん・・・・・・」

 

 チサキが声をかけるが、何も進展は無かったどころか仲が悪くなっている。そんな風に見えるマナカは何時も通りというか、なんというか・・・・・・。

 

「遅いぞ向井戸。保健室で何やってたんだよ」

 

「おいおい、保健室でやることなんて一つしかねえだろ」

 

「なっ、何もしてないよ!」

 

 変な考えを起こす男子達・・・・・・そう言えば、こいつらがプールの先にもチサキのこと見てたな。名前は忘れたし、今度覚えておこう。

 

「向井戸さん、着替えてきて。誰かゴミを放ってきてくれない? 3人くらい必要なんだけど」

 

 1人の女子がそう言い、ゴミ箱をみる。

 

「じゃあ、俺が行くよ」

 

「誠が行くんだったら、僕も行こうかな?」

 

「じゃあ、私も行きます」

 

 俺と要、陸の女生徒が手を挙げる。珍しいな・・・・・・陸の奴が近づくなんて。俺はそう思いながらもゴミ箱を持ち、要と女生徒と歩いていくのだった。

 

 

 

 歩き続けて、数分後に俺と要、女子生徒はゴミ処理の為に焼却炉の前にきた。俺と要達の後ろでは怪しげな木が浮き出ている。

 

「そう言えば、伊佐木君と長瀬君って海の人に見えないよね・・・・・・」

 

 女子生徒がそう言い、下を向いた。どういうことか知らないけど、海っぽいとか陸っぽいとか、そんなのは人それぞれ。もともとエナがあるかどうかだけなんだし。

 

「どうして僕と誠が海っぽくないと思ったの?」

 

「だって、先島君って怖いし・・・・・・伊佐木君と長瀬君は怖くないし、長瀬君はそれ以前に他とは違う雰囲気を持ってるから・・・・・・」

 

「あはははっ、確かに誠って海っぽくないよね。陸で遊ぶのが一番多いし、昔から誠は1人で陸に上がってきてたからね。そうでしょ、隠れてないで出ておいでよ」

 

 要は笑いながら後ろの茂みに声をかけると、そこから美海とさゆちゃんが出て来た。手に持っている木は、何処かで調達したのだろう。それも、隠れるために・・・・・・というか、ランドセルを背負ってるから学校の帰りか。

 

「何でバレた!?」

 

「いや、どう考えても不自然だったぞ。小刻みに揺れる木なんて初めてみたからな」

 

「まあ、そう言うわけだけど、何しにきたの?」

 

「えっと、おじょ・・・・・・」

 

 さゆちゃんが木を振り回しながら聞いてくるが、俺が簡単に答える。要は気になったのか、ここにきた理由を聞き出した。それにさゆちゃんは口ごもり、恥ずかしそうにする。

 

「なるほど、おじょしさまでも手伝いに来てくれたのか」

 

「何でバレた!?」

 

「やっぱり子供のことは誠が一番だね」

 

「もしかして、プールの時にチサキさんに興味ないと思ってたけど・・・・・・ロリコンだったの?」

 

 最後の最後で、見ないでいいところをみているクラスメイトだった。  




はい、ロリコン疑惑で誠はいじられました。


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第十二話  完成したオジョシサマ

久しぶりの投稿・・・・・・。


 現在、此処は中学校の工作室。そこに俺と光、マナカとチサキ、要。陸の女子生徒2人と先生、狭山 旬と江川 岳、俺の親友?の紡。そして、美海とさゆの13名が集まっていた。

 

 理由は単純明快───

 

 

「「「「で、出来たぁぁーーーー!!!!」」」」

 

 

 ───と言うわけだ。

 

 現在、俺達の目の前には努力の結晶である、オジョシサマが立っている。素材は木という何の変哲もないそこらに落ちて居るもの、という訳だが、その出来は精巧。その他にも供物と呼ばれるお供え物の木で出来た家具などがあるわけだが、どれも手抜きではなくよくできている。

 

「こ、これは───良い出来だよ、よく頑張ったね!」

 

 先生は子供のように目を輝かせ、俺達で作ったオジョシサマを見ている。オジョシサマの形作りに削りだしなど、俺が全部やった。まあ、オジョシサマの本体を作ったのは俺。その外の小道具などが光達という単純な作業だった。

 

 相変わらず、俺の手先が器用というスキルは凄いわけで、オジョシサマの顔が歴代のものより、リアルだ。だって、作業中にみんな退いてたもん。

 

「これも美海と私が来たお陰だな!」

 

「うるせぇ! お前の言える事じゃねえだろ!」

 

 自分が頑張ったからと言うように自慢する、さゆちゃん。壊したのは君だと言いたいが、変わりに光が頭をぐりぐりとしているので良しとしよう。

 

 ───それに、美海とも仲は良くなったし。

 

 痛がっているが、その表情は楽しそう。ぐりぐりを受けるさゆちゃんは、痛がりながらも笑っている。それに、隣の美海も・・・・・・。

 

「どうしたの、誠?」

 

「いや、美海も笑うようになったな~って、思ってさ」

 

 俺を心配そうに見てくる美海は、そう問いかけた。見られていることを感じ取ったらしく、直ぐに俺をきょとんとした顔で見てくる。

 

「───だって、最初は俺を寄せ付けようとしなかったろ」

 

「むぅ~、それは誠が悪いもん」

 

 膨れる美海に、俺は苦笑しながら視線を外す。確かに、美海が俺を避ける要因となったのが俺。それに、自分からも避けてたし。

 

「おいおい、何いちゃついてんだよ、ロリコン」

 

「・・・・・・」

 

「い、イチャついてなんかないもん///」

 

 話しかけてきたのはクラスメートの、狭山 旬だっけ? そいつなのだが、こいつはあのアカリさんが働いているサヤマートの店長の息子。人は見かけによらないという事だろう。

 

 それに対して、俺はロリコンではないから反応しない。此処で反応したら、ロリコンだと認めてしまうことになるだろう。

 

 だが、それに反応した美海が頬を赤くして反論する。言われたのは美海じゃないのに、何で反応したのだろうか? 

 

「おお、あからさまに顔を赤くしちゃって。もしかして、脈あり? それと、誠。沈黙は肯定って言葉を知ってるか?」

 

「おい、もしかしてロリコンって俺のことか? 今まで気がつかなかったよ。悪いけど、俺はロリコンじゃない。期待に添えなくて残念だったな」

 

 狭山はニヤニヤしながら顔を赤くする美海を見ており、反応を楽しんでいる。"沈黙は肯定"という言葉を知らないわけではないが、反応したらそれこそ肯定だ。

 

「そうだ、みんなアイスをおごって上げるよ! ホームランバーかガリレオ君、どっちが良い?」

 

「うわっ、先生両方とも安いじゃん!」

 

「仕方ないだろう。人数が多いんだから」

 

「先生、プールも無くなるほど寒いのにそれはないと思います」

 

 アイスを奢ろうとする先生に、陸の女子生徒と岳がブーイング。今だに生徒に何かを奢ることに燃えているのか、その目は真剣だ。

 

 俺はそんなコントみたいな事を繰り広げている先生達を無視し、オジョシサマにもう一度、目をやるとそこには紡とマナカが。

 

 二人は近くでオジョシサマを見て、ぼーっとしている。そして、やがて一通りぼーっとしていたかと思うと、二人が同時に口を開き───

 

 

「「お船引きをやりたいな」」

 

 

 ───と言った。それにみんなは固まり、紡とマナカを交互に見ている。

 

「・・・・・・被った」

 

「おうおう、仲良いねお二人さん」

 

「何処までいったのかな?」

 

 女子生徒は『凄い・・・・・・』とでも言うように、二人を見ている。そんな中、陸のバカ二人組はマナカと紡をニヤニヤとしながら見だした。

 

 この2人はぶれないというか、そう言うネタが好きなんだな。と、思ってしまう。

 

 マナカは狭山と江川の二人の馬鹿の言葉に反応し、顔を真っ赤にする。茹で蛸とは、今のマナカが正しいのであろう。

 

「ふぇぇぇ! 違うよ、何もないよ!」

 

「またまた、ご冗談を」

 

 まだネタを続けるのか、狭山と江川は顔を見合わせながら笑っている。流石にこれでは話は進まないので、俺は助け船を出した。

 

「──で、どうするんだ?」

 

「うんっとね、まーくん。ただ、お船引きをやりたいな~って、思って・・・・・・もしかして、まーくん怒ってる・・・・・・?」

 

 マナカはこっちを伺うように言い、俺の顔色を伺ってきた。その瞳はうるうると潤んでおり、まるで捨てられた子犬・・・・・・いや、小動物全般。

 

「おい、俺は怒ってないだろ。どうすればいいか考えてんのか?」

 

「えっと・・・・・・それは・・・・・・お船引きをやりたいからです!」

 

 俺の問いに、間違った答えを出す、マナカ。だが、マナカも何時もの・・・・・・それも、昔と同じマナカだったら、こんな事は言わないだろう。

 

 俺も賛成したいところだが、簡易なら俺達だけでも出来る。──でも、マナカ達がやりたいのは恐らく大掛かりな奴だろう。

 

「はぁ・・・・・・お前が馬鹿なのはわかった」

 

「酷いよ、まーくん!」

 

「──でも、お前は変わったな」

 

「「「「えっ?」」」」

 

 俺の言葉に驚く光達、海村の子供。俺が褒めたことに驚いたのだろう。今まで、光達をほめた事なんてなかった・・・・・・チサキ以外。

 

「誠が、マナカを褒めた・・・・・・」

 

「初めて、みたね・・・・・・」

 

「誠が私以外を褒めるなんて・・・・・・雪でも降るのかな」

 

「えへへ、まーくんに褒められた///」

 

 光、要は驚愕の顔。それと違うのは、マナカが褒められては嬉しそうにしていることだろう。だが、一つだけ問題が・・・・・・横の美海とチサキが、ちょっとムスッとしてるが。

 

 それに俺がチサキ以外を褒めたこと無い理由は、単純明快。光はまともなことをしない。要は何か作ったような、道化師。マナカは他の人の様子を見て、自己主張をしない。

 

 それに対して、チサキは素直。悪いことはしないし、ちゃんと自分の意見ははっきりという。要もハッキリしているんだが、道化師なんだよな。傍観者というか、何というか・・・・・・。

 

 まあ、マナカが成長したことは良いことだ。

 

「それで、どうするんだ?」

 

「えっとね、まーくんならわかると思うけど、大きなお船引きやりたい!」

 

 予想通り、マナカは大きな注文をする。それを補足するように、紡がマナカの言葉に続いて意見を言ってきた。

 

「俺も、昔のようなお船引きがしたい。昔は汐鹿生と鷲大師で、凄いお船引きをしたって聞いた。それが俺らで、もう一度みんなでやりたい」

 

「でもね~、生徒だけの簡易なら出来るんだけど、それはね。みんなも知ってると思うけど、今回のお船引きが無くなったのは海と陸の喧嘩だからね」

 

 生徒の言葉に、真剣に・・・・・・冷静に考え込む。どう考えても、生徒だけでそんな大掛かりなお船引きは執り行えない。実質、あの頑固者共が頭を柔らかくしない限り無理だ。

 

「そんな・・・・・・折角、作ったのに・・・・・・」

 

「ねぇ、誠、どうにか出来ないの?」

 

 落ち込むマナカに、俺の服の袖を引っ張ってくる、美海。美海も作ったからには、本当のお船引きをやりたいんだろう。

 

「やろう! お船引き!!」

 

 意外な事にも、光が大きく叫んだ。さっきまで黙っていたのに、一体どうしたんだろうか? マナカ関連だとはわかるが、光にしては珍しい。

 

「デモねぇー、光君。お船引きは、陸と海の協力がないと出来ないんだよ」

 

「───俺らだけで出来ないなら、説得すればいいんだ! 汐鹿生の奴らは俺が説得する! だから紡は、漁協の奴らを説得してくれよ。紡が陸のリーダーとなって、俺らでお船引きをやろうぜ」

 

 先生の困ったような言葉に、光は堂々と言い放った。相変わらずの無茶苦茶ぶりだが、ちゃんと考えられた事だ。

 

 こうして俺たちはお船引きの為、準備に取りかかることになったのだ。

 

 

 

 

 

 翌日の昼過ぎ。俺と光、マナカにチサキ、要と紡。そして、美海とさゆちゃんはサヤマートの前で集まっていた。理由は昨日言ったとおりに、オジョシサマをお船引きで使いたいということなんだけど、熱い日差しが燦々と照りつけてくる。

 

 時期的には夏だし、仕方のないことだろうが、エナが乾くのは早くなる。もちろん、俺はそんなのもう既に馴れているから問題はない。

 

「お船引き、やりまーす!」

 

「お、お船引きします!」

 

 光とマナカがスーパーでやっている叩き売りみたいに、道行く人に紙を差し出している。それは昨日のうちに作った、お船引きの協力を願いというプリント。たったそれだけだが、やっぱり訴えるには署名を集めるという形に決まったのだ。

 

「あいつら、元気だな。やっぱり、光はこういう表立ってやることに向いてるな。でも、マナカがあそこまで声を出せるとは思わなかったけど」

 

「そうなの?」

 

「ああ、光は"やんちゃ坊主"。マナカはカクレクマノミってところかな? まあ、光は大人達に付けられた呼び名だけど」

 

「たこ助、やる~!」

 

 隣の美海はきょとんとしており、さゆちゃんは良いことを聞いたとでもいう風に、たこ助──間違えた、光を見ている。

 

 マナカと光は楽しそうで、見てると"変わったな"と思えてくる。この署名活動も、頭が堅い陸と海の頑固者共に話を聞かせるためなのだが、どっちもどっちだからな。

 

「よし、私も・・・・・・!」

 

 とさゆちゃんが言ったと思うと、息を大きく吸い込んだ。

 

「──ご・きょ・う・りょ・く・く・だ・さ───痛っ!!!」

 

 大声で呼び込もうとしたさゆちゃんに、光のグリグリ攻撃が入る。脇に紙を挟み、全力で小学生の頭をグリグリと。

 

「お前は、人を脅してどうすんだよっ!!」

 

「い、痛っ痛いーー!!」

 

 その一撃は痛そうで、さゆちゃんは目に涙を浮かべている。隣の美海は苦笑し、さゆちゃんが光から刑を執行されるのを傍観。そこで、俺は助けることにした。

 

「はい、お仕置き終了。じゃないと、過剰な罰を与えたとして──」

 

「して?」

 

「光の過去をばらまくか、それより痛いグリグリが待ってるかも───」

 

「それは勘弁願いたく、存じます!!」

 

 俺が光に半分脅迫の言葉を贈ると同時に、光がさゆちゃんを離した。さゆちゃんが泣いてたら、すぐにでもばらまいて上げようと思ったのに残念。

 

 光は凄い勢いで、『俺、マナカとちゃんと働いてきます』と言って前に行った。俺と美海、さゆちゃんに要達の居るところは日陰で、日当たりを気にせずに行っている。

 

 さゆちゃんも気を取り直したのか、改めて真面目にプリントを配り始めた。元気よく、子供らしい笑顔でプリントを掲げながら大声を出す。

 

「お船引きやりまーす! ご協力くださーーい!」

 

「お船引き・・・・・・やります・・・・・・」

 

 さゆちゃんに釣られるようにして、美海も小さな声で紙を配ろうとする。もし此処にロリコンが居たならば、抱き締めてお持ち帰りでもしてるだろう。それくらい小さな声で、恥ずかしそうに紙を配ろうとしているのだ。それも、震える手で・・・・・・まあ、お持ち帰りしようとしたそんな奴は俺とアカリさんが許さないと思うが。

 

 俺が美海の方を見て幸せそうにしていると、要もやる気を出したのか日陰から出て来た。

 

 そして、満面のイケメンスマイルで、通りがかった主婦を口説き落としに・・・・・・訂正、協力をお願いしている。

 

「奥さん、そこの綺麗な奥さん。僕に、力を貸してくれないでしょうか?」

 

「ま、まあ、仕方ないわね・・・・・・!」

 

 流石は要、主婦を口説き落とすのはお手のもの・・・・・・じゃなかった。日頃から光のお陰で、人の扱いを上手くなっているだけはある。

 

「要、凄いね。誠はやらないの?」

 

「チサキ、意味が違うよ、意味が。というか、俺は口説いたりしないって」

 

「えっ? 誠、カッコいいのに?」

 

「おい、俺がかっこいいなんて何処から出て来た?」

 

「それは、その・・・・・・私、一生懸命頑張ってみる!」

 

 チサキが誤魔化すようにビラ配りを始めたが、『お船引き、やります・・・・・・』と小さな声で言う。正直言うと美海より小さい。

 

「お前、美海より(声が)小さいぞ?」

 

「えっ、私の(胸の)方が大きいもん!」

 

 チサキは自分の胸から顔を上げると、反論する。

 

「俺は比良平には(声を出すの)似合わないと思うぞ?」

 

 何故か違和感のある会話に、俺達は全く気づかない。自分の思っている内容があっているのか、それさえも知らずに俺達は会話を続ける。

 

「木原君は黙ってて! 誠は(胸が)小さい方が好きなの?」

 

「いや、俺は(声は)大きい方がいいと思うぞ?」

 

「そ、そう・・・・・・///」

 

 若干の小さな喧嘩が起こった理由はわからないが、なんとか無事に収まった。チサキは顔を赤くして、俯いている。

 

 紡も紡で、訳が分からないと言う顔をしており、俺と顔を見合わせてぼーっとしていた。そして、俺の後ろからは至さんとアカリさんのカップルが、サヤマートの中から2人して出てくる。

 

「おお、やってるね、やってるね」

 

「パパ!」

 

 一番先に反応したのは美海で、アカリさんと至さんの所に駆けていった。俺も、美海に続くようにしてゆっくりとアカリさん達の前にでる。

 

「こんにちは、アカリさん、至さん」

 

「光に聞いたときはビックリしたけど、誠君がいるなら安心か・・・・・・」

 

「美海も楽しそうだし、誠君には悪いけど美海を頼むよ」

 

 始まった会話は、お船引きについて。至さんは美海の保護を俺に頼み、安心しているようにも見える。それを聞いて面白くなさそうな美海は、

 

「もう、子供じゃないもん!」

 

 と言って、顔を膨れさせる。あからさまに不機嫌そうに膨れるが、すぐに元に戻った。そして、そこに光が走ってくる。

 

「アカリ、署名してくれよ!」

 

「はいはい、わかったから、そうせかさない」

 

 光は紙を出して、アカリさんはそれを受け取り用紙に記入をしていく。そうして書き終わると、次は至さんに渡して、至さんが記入し始めた。

 

「そうだ、光、誠君。私も手伝うよ」

 

「それなら、サヤマートに置いてくんねえか? この用紙」

 

「いいよ、店長さんにも許可取ったし、サヤマートの店長さんの息子さんの狭山君もやってるみたいだし、置いてあげる」

 

 至さんが記入を終わると同時に、アカリさんがそう言ってきた。それに対して光は、紙を置いてもらえるようにアカリさんに頼む。

 

 クラスの狭山に頼めばいいのに、面倒な奴だ。

 

「そうだ、僕にも用紙とかをくれないかな? 知り合いに渡してみるよ」

 

「ありがとうございます!」

 

 至さんが記入用紙を光に返すと同時に、そう提案してくる。それに対して光は、綺麗なお辞儀で返事を返した。相変わらず、謝るときやお願いするときはキチッとしている。

 

「そうそう、誠君に頼んでた"あれ"出来た?」

 

「ええ、出来ましたよ。これですよね、これ」

 

 突然にアカリさんが何かを催促して来たが、俺は冷静に答える。光と至さん、美海は『何?』と言う風な顔をしているが、俺は気にせずに何処からともなく木で出来た人形を取り出した。

 

 それは小さな人形で、俺が暇潰しに作っていたもの・・・・・・。それは、美海人形と呼ばれる、美海にそっくりに作り上げた人形だ。

 

 まるで、本物のように表情が表現されているそれは、身長と頭のバランスが本物そっくり。着ている衣服も、ランドセルも同じ物に作り上げた。

 

「・・・・・・誠君、それ何? 頼んだものと違うよ?」

 

「あっ、違った。アカリさんが頼んだのは、こっちでしたね」

 

 俺は美海人形をしまい、ポケットから小さな木で出来た指輪を取り出す。それは、ちゃんと計算して作られた指輪で、宝石の代わりに薔薇の形に彫ってある。しかも、無茶苦茶立体的な薔薇だ。

 

「お前、さっきの何!?」

 

「さっきの美海だよね!?」

 

「何を隠したの? 見せて!」

 

 光、至さん、美海を無視してその木製の薔薇の指輪をアカリさんに手渡す。ちょっと作ってみてと言われて作ったが、それをアカリさんは受け取ってまじまじと見る。

 

「へぇ~、ミヲリの言ったとおり凄いね。これは貰っておくとして・・・・・・誠君、さっきの美海人形を見せてくれない♪」

 

「はい、良いですよ」

 

 俺はそう言って、アカリさん達に言われたとおりに取り出す。そして、それを渡した瞬間にアカリさんと至さんが感嘆の声を。光が『ロリコン!』と叫び。美海が自分の人形と俺を交互に見て、その度に顔を真っ赤にするという現状が続いた。

 

 

 ───後日、美海が少しの間は口を利いてくれなくなった事が、俺にとって痛い出来事であったのは、言うまでもない。 




アニメの一話の半分で終わっちゃったよ・・・・・・。
次は後半あたりだね。


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第十三話  初めて怒った

二日連続・・・・・・。


 

 

 あれから数日、凄い量の署名が集まった。数えるのはめんどくさいのでしてないが、大体二百は集まっただろう。まあ、光と親父さんでの一悶着あったらしいが、それも意外と平和的に収まったとか聞いた。その発信源は、アカリさん・・・・・・今だに海で暮らしてる。やっぱり、あの親父さんが心配なのは変わらない。

 

 ついでにもう一つ、やっと美海が少しだけ話をしてくれるようになった。美海人形を見せてから不機嫌というか何というか、それから至さん家にお邪魔しても、話してくれない日々が続いた。まあ、

その時も悲しいことに、昔一緒に寝てたからか、寝ている間に何時の間にか美海が転がり込んできて、朝起きたときに顔を真っ赤にした美海が『バカッッッ!!』と叫ぶのが切っ掛けだけど。

 

 

 まあ、それも置いといて今は漁協の事務室の中にいる。紡と光に先生、俺と美海が事務所の中で陸と海の頑固親父、3人ずつを見ているわけだが、なんとも空気が重い。

 

 まずは海側・・・・・・光の親父さんの先島 灯さんを筆頭に屈強そうなオッサン後二人。そして、陸側もこちらも負けないマッチョなオジサンが3人。喧嘩が始まったら、マジの殴り合いに発展しかねない性格のオジサン達は、こうも揃ったわけだ。

 

 因みに、このオッサン等は全員が俺と顔見知り。だから性格を知っているわけなのだが、光や先生は自信満々。若干、空気に圧されているのは先生と光、美海だけだ。

 

 

 ───俺? 俺は、ちょっと柔道を習ったことがあるから余裕だよ。

 

 

「で、では~始めましょうかねぇ?」

 

「先生、ビビりすぎ。もうちょっと堂々としてよ」

 

 若干震えてる声で、先生は司会を始める。

 

 この外には、マナカとチサキ、要が此処の様子を覗いている。本当なら美海も外に置いておきたかったんだが、美海の要望を飲むことになった。

 

「ええ~、中止になったお船引きについてです───」

 

「此処に署名がある。俺と誠、陸の奴らみんなで集めたんだ。それに、そこのオジョシサマだって陸の生徒と俺らで協力して作ったんだ!」

 

 先生の言葉を遮り、光が堂々と言い放つ。これくらいの気迫じゃないと、確かにこの頑固親父共は話を聞かないだろう。

 

「それに、陸と海は喧嘩ばっかりしてますけど、子供はこれだけ仲良くできるんですよ?」

 

 俺も遠回しに光を援護して、話を進めていく。出来映えのいいオジョシサマに反応したのか、陸と海の頑固親父共はオジョシサマに興味津々だ。近くによって観察するが、お互いに交互に見ている所をみると、本当に仲が悪い。

 

「これは、すげぇ。誰が彫ったんだ?」

 

「それに、供物もちゃんとしてらぁ。子供が作ったとは思えん」

 

「俺らの昔も、困難だったよなぁ?」

 

「これを本当にお前らが・・・・・・?」

 

 海のオッサン共は光に質問しながら、懐かしげにオジョシサマを見ている。供物も同様に良い出来で、そっちはみんなでいろいろと作ったものだ。

 

「そのオジョシサマ、誠が作ったんだぜ。顔を彫るのに、結構な時間をかけてたぜ」

 

「それ、誠が一生懸命作ったの! 誰よりも、感心を持って無さそうだったけど、それでも誠が一生懸命に彫ったんだよ?」

 

 光と美海が答え、陸と海の頑固者共が俺を一斉にみる。流石に威圧が凄いが、俺はジッと動かずに椅子に座っていた。別に、柔道の先生が襲ってくることに比べたら何でもない。

 

「ほお、お前がか、誠」

 

「灯さん、俺は陸に何度も上がって勉強したつもりですよ? 陸と海は手を取り合えるし、何度でも分かり合うことができる」

 

「一時期、外に出たのを見たことが無いぞ?」

 

「それは人のプライバシーやら、メンタルの問題なので触れないで下さい」

 

 落ち着いた雰囲気の灯さんの言葉に、俺は冷静に答える。光だったら親父さんに対してアツくなるだろうが、俺は至って冷静。

 

「えっと~・・・・・・まあ、生徒達も頑張っていることですし、どうですか皆さん? 此処は陸と海でのお船引きをやるって言うのは、どうでしょうね?」

 

 

 先生の言葉に、少しの沈黙が流れた。

 

 

 そして、陸のオジサン達がお互いに顔を見合わせると、先に口を開いたのは陸の頑固者共。

 

「しゃあねぇな、こっちとしても、お船引きはやりたかったんだ」

 

「おうよ、こっちとしても神様を疎かにするのもいけねえしな!」

 

 

 それに対して、海の灯さん率いるオジサン達も・・・・・・。

 

 

「坊主どもがこんな立派なもんを作り上げたんだ。灯さん」

 

「こっちも、過去のことは水に流そうや」

 

 海のオジサン達2人組は灯さんを見て、そう口に出した。そして、陸の頑固者共はやっぱり余計な言葉を口にする。

 

 

「じゃあ、早ようせんか」

 

 

「何や?」

 

 

 陸のオジサン一人の言葉に、海のオジサンの一人はそう聞いた。そう言った陸のオジサン皆がそれぞれにニヤニヤとし、謝罪の言葉を促す。

 

「そんなの決まっとるやろ。謝罪や謝罪」

 

「はぁ!? 何でそんなもんこっちが───大体、やらないと言い出したのはそっちだろっ!!」

 

「うるせぇ! 大体は数年前に海村が言い出したんだろ『金がないから小さなものにしてくれ』とか言ったのは、何処の何奴だッ!!!!」

 

 始まった喧嘩に先生はビックリ、美海はちょっと怯えている。頭を抑え、この頑固親父共の喧嘩を目だけで見ている。ついでに、先生は立ち上がりオロオロとして、『あの、落ち着いて』とか言いながらも止めようとするが、それも失敗する。

 

 陸のオジサン達と海のオジサン達両方が、リングの外から中に入るように、机を飛び越えて喧嘩を始めてしまったからだ。

 

 ついでに、灯さんは目を瞑って参加せずに傍観している。

 

 目の前で始まる掴み合いに、光と紡は間に入って止めようとする。だが、それも大人と子供の力の差には勝てず、掴み合いは続行。

 

「ガキはすっこんでろッ!!」

 

 その言葉とともに、灰皿が投げられて光と紡が避けた。そしてそれはそのまま、直線上に居た美海の方に飛んでいく。

 

「キャッ───!!」

 

 それに美海はビックリし、頭を抱えるが俺はその前に出て、手で弾こうとするがそのまま灰皿は俺の頭部に直撃した。

 

 結構な力が加わっていたためか、俺の額から血が流れる。それに、弾いた右手がビリビリとしていて無茶苦茶痛い。

 

「大丈夫か、美海?」

 

「誠っ!?」

 

 俺が美海を心配してみると、美海は逆に俺を心配した。机から出て、俺の方に駆け寄ってくる。そして、俺の服にしがみついてきた。

 

 周りのオッサン共は血気盛んで、美海に灰皿が当たりそうになった事すら気付いていない。光達も止めるのに必死で、こっちの心配をする余裕もない。

 

 美海は涙目で、俺の額を見て心配してくる。泣きそうな美海は、必死だった。

 

「失礼しま~す」

 

「失礼します」

 

 喧嘩が起こっている戦場に、至さんとアカリさんが入ってきた。それに気付いた美海は、急いでアカリさんと至さんのところに駆け寄る。

 

「えっ、ナニコレ、どうしたの!?」

 

「ちょっ、皆さん落ち着いて下さい!!」

 

 アカリさんは現状に驚き、至さんは焦りながらもこの場を静めようとする。だが、海のオジサン達は至さんの登場をよく思ってなかった。

 

 

「テメェ! アカリを騙した奴か!!」

 

 

 そんな濡れ衣の言葉と同時に、至さんに海の頑固親父が胸ぐらに掴みかかる。

 

「ちょっと、止めてよ! 源さん、至さんは悪くないんだから!!」

 

 アカリさんが至さんの腕を掴み、連れて行かせないように思いっきり抱き締めた。それで、引き剥がせないと思ったのか、もう片方の腕で至さんを殴ろうとする。

 

 ───だが、その腕に美海が掴みかかった。

 

 

「止めて! お父さんに怪我させないでッ!!」

 

 

「邪魔するな、ガキは引っ込んでろッ!!」

 

 その言葉と共に、源さんは美海がぶら下がっている腕を振り解くように振り、それに耐えきれなかった美海が腕を離し、飛ばされた。

 

 そのまま美海は飛んでいった先にあるオジョシサマにぶつかり、そのまま下に落ちると折れたオジョシサマが美海の上に落ちる。

 

 

 

 ───この時、俺は頭が熱くなるのを感じた───

 

 

 

 

 

 side《アカリ》

 

 

 至さんと私は、車に乗って漁協に向かっていた。さっきまで配達をしていて、その帰りなのだが心配事が一つ。誠君達が署名を集め終わったので、今日は陸と海でのお船引きをやるかやらないかの会議。それに、誠君と美海は出ている。

 

 まあ、説得するのは光の役目とか言っていたので、光には重いと思うが仕方ないだろう。基本だけど、誠君は光達の手助けをしてきた。殆どは見守る立場で、何時もは手助けしかしない。今回ばかりは光には重いが、何事も経験だという。

 

 

 ───あんたは何処のオッサンだ・・・・・・。

 

 

 とか思ったけど、誠君は今まで光達のお守りをしてきた。何事も大事にならないように、自分が皆を統率して行く。

 

 それは大人の仕事で、誠君の仕事じゃないけど、全部こなしてきた。あの中で一番大人で、誰よりも動じない子。まあ、ミヲリが気にかける理由もわかる。

 

 

「アカリ、ついたよ」

 

「あっ、ごめん」

 

 心配して顔をのぞき込んでくる至さん。見回してみると、何時の間にか漁協に着いており、車は止まっていた。

 

「誠君と美海の事?」

 

「うん。と言っても、一番は誠君。あの子、誰よりも早く大人になるから・・・・・・」

 

「まあ、心配なら今すぐ見に行ってくるよ」

 

「待って。私も行く」

 

 至さんは車から降り、私も続いて車から降りる。

 

 私の気がかりは、光や要君は怒ったことがあるのに、チサキちゃんも、マナカちゃんも・・・・・・でも、今まで誠君が怒った姿は一度も見て無い。一番一緒にいる光達でさえ、見てないのだ。

 

 車から降りた私と至さんは、足早に漁協のオジョシサマを運び込んだ場所に向かう。・・・・・・朝のうちに光達に頼まれて、車で運んだのだ。

 

 そして、私と至さんは扉の前まで来た。

 

「えっと、至さん・・・・・・本当に行くの? 私だけでも・・・・・・」

 

「いや、僕も一緒に見に行く。僕が君を守るから///」

 

 至さんは扉の前で、私の両手を握りながら、凄く恥ずかしそうな顔で、真剣な目で私にそう言ってきた。

 

 中からは怒声やら、怒声が聞こえてくる・・・・・・。

 

 でも、それに混じって光の声が・・・・・・。

 

 私の気がかりは、至さんがあの海の堅物親父達に殴られないか、だ。どう考えても、『アカリを誑かしたのはお前かぁぁーーッ!!』って、言いながら殴りかかってくる光景しか想像できない。非力な至さんでは、簡単に殴られるだろう。

 

 私と至さんは『失礼します』と言って、恋人繋ぎで手を繋ぎながら、部屋の中に入っていく。そしてそこには、予想以上の光景が広がっていた。

 

 光と紡君?は、必死にオジサン達の間に入って、止めようとする。しかも、床には麦茶とコップの残骸が散らばっていた。

 

 美海は私と至さんの所に慌てて駆け寄ってきて、その先には頭から血を流している誠君が涼しげな顔で立っている。

 

「えっ、ナニコレ、どうしたの!?」

 

「ちょっ、皆さん落ち着いて下さい!!」

 

 怪我している誠君は平常心で立っているが、自分の傷に気付いているのだろうか?

 

 私は動揺して、まともな判断が出来ない。そこで至さんに気付いた源さん・・・・・・海村のオジサンだが、その人が至さんに気付いた。

 

 

「テメェ! アカリを騙した奴か!!」

 

 

 そんな誤解の言葉と共に、源さんは至さんに近寄って掴みかかった。誠君の傷に気付いていないのか、周りの騒ぎは一向に収まらない。

 

「ちょっと、止めてよ! 源さん、至さんは悪くないんだから!!」

 

 至さんを連れて行こうとする源さんに、私は慌てて対抗するように、連れて行かせないように至さんの片腕を引っ張った。このままでは、至さんは真ん中でたこ殴り。そこで連れて行くのは無理だと思ったのか、源さんが片腕を振りかぶる。

 

 ───しかし、至さんを殴ろうとする片腕に、美海が思いっきりぶら下がった。

  

 

「止めて! お父さんに怪我させないでッ!!」

 

 

「邪魔するな、ガキは引っ込んでろッ!!」

 

 その言葉と共に、源さんは美海がぶら下がっている腕を振り解くように振り、それに耐えきれなかくなった美海が手を離し、飛ばされた。

 

 そのまま美海は飛んでいった先にあるオジョシサマにぶつかり、そのまま折れたオジョシサマが美海の上に落ちた。

 

 

「「「美海ッッッ!?」」」

 

 

 私と至さん、誠君の言葉が重なり、みんなが倒れたオジョシサマと美海に目が釘付けになる。そこで何を思ったのか、源さんが美海に近付こうとするが・・・・・・。

 

「ちょっと源さん。少し、反省してくれませんか・・・・・・?」

 

 何時の間にか美海に近寄る源さんの前に、誠君が立っており、右手で胸ぐらを掴んだと思うと一瞬でその筋肉質な巨体を転かした。

 

 転がされた源さんは、自分に何が起こったのかわからずに呆然としている。それに対して、誠君は誰も動けない中、美海の前に行った。

 

「大丈夫? 美海、今すぐ病院へ行こうか。───アカリさん、至さん、病院へ車を出して下さいお願いします」

 

「あっ、うん! 行くよ、アカリ」

 

 

 自分がパニックになる事の無かった誠君は、自分が怪我しているのにも関わらず、美海を心配そうに見つめながらこの中の誰よりも冷静だった。

 

 




何時もよりは、文字数が少ないですね。


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第十四話  病院

病院です。


 

 

 揺れる車内、通り過ぎる風景、エンジン音に赤信号、バックミラーに写る俺の血で濡れた額に俺はぼーっとしながら、美海を見ていた。

 

 俺の横では美海が心配そうに俺を見て、アカリさんはチラチラと何度も振り返り助手席から美海と俺の顔を見て、至さんは車を運転しながらも、バックミラーで俺の方をチラチラと見てくる。

 

「誠君、頭、ぼーっとしてない? 大丈夫? もうすぐ着きそうだから待っててね!」

 

「俺は大丈夫です。幸い、灰皿がガラスで出来ていることと、少し首を逸らしたからか皮膚が少し切れただけですから。もう血も止まってますし、美海と俺がクモ膜下出血にならないことを祈るだけです。でも、あれを直撃してたら、多分・・・・・・頭に罅でも入ってたんじゃないですか?」

 

 冷静な分析をしながら、俺はアカリさんの問いに答える。クモ膜下出血は頭をぶつけたときにも発症する病気・・・・・・子供でも、気付かずに何時の間にかなって死ぬというパターンがある。詳しい話しはしないけど、そう言う病気だ。この場合は怪我?

 

「冷静・・・・・・美海は大丈夫?」

 

「うん、誠に比べたら・・・・・・」

 

 アカリさんはちょっとほっとしたような顔をして、美海に聞く。だけど、美海は何故か元気が無いし、俺の方を泣きそうになりながら見てくる。

 

「着いたよ!」

 

 急に車が止まり、至さんがそう言った。誰かが喋る度に頭が痛むが、手の方が凄く痛い。

 

 アカリさんが車から降りて、俺も美海と一緒に車から降りる。至さんは車を駐車場においてから来るようで、俺と美海、アカリさんは先に降りた。

 

 降りたのを確認すると、至さんは駐車場に車を運ぶ・・・・・・俺と美海、アカリさんはそれを背に病院の中に向かって歩き出した。

 

 

 表玄関から入り、ゆっくりと受け付けに向かう。

 

 すれ違う人が多少驚いているが、病院だからか騒ぐ人はいない。

 

 

 数十秒ほどで、俺と美海、アカリさんは受け付けに着いた。至さんは走って俺達の所に、アカリさんの横に並ぶ。

 

 受付の人はビックリしながらも、俺の顔を見た。よく考えると、血を拭ってもいないので、俺の顔は流れた血の後が少しついている。それでも、冷静な受付さんは用件を聞いてくる。

 

「どうされましたか?」

 

「えっと、あっと・・・・・・喧嘩をしてて、えっと、何でこうなったの!?」

 

 事情を聞いてなかったアカリさんと至さんは、慌てながらも俺に聞いてきた。

 

「そうですね。喧嘩の仲裁をしていたら、ガラス製の灰皿が飛んできて手に当たって頭に当たったと言う感じです。それより、美海も怪我をしているかもしれませんので見て下さい」

 

「はい。では、大事になるといけませんので今から案内を呼ぶので、少々お待ち下さい」

 

 事情を聞いた受付は、今から診察を受けるための部屋への案内の為に後ろに控えていた看護士を呼び、事情を説明。よく見てみると、凄く見覚えのある看護士。確か、よく予防接種とか俺が怪我したり風邪を引いたときによくお世話になる看護士・・・・・・美和さんだ。

 

「あら、久しぶりね、誠君・・・・・・って、今回は凄い怪我ね・・・・・・」

 

「どうも、美和さん。でも、今回は美海を中心で見て下さい」

 

「それはどうかと思うけど・・・・・・まあ、それは言って上げるわね。じゃあ、付いて来て」

 

 そう言って美和さんは下敷きのような板に、紙を挟んで持ち、俺とアカリさん達の前を歩いて慣れたように道を進んでいく。

 

 美海は俺の横を、アカリさんは至さんと一緒に歩いてついて行く。

 

 美和さんは看護士をやっているけど、年齢はアカリさんと同じくらい? で、見た目が20歳よりも若く見えるお姉さん。茶髪のロングヘアーで、俺は身長が160位あるけど、俺と同じくらいの背だ。

 

「「誠君、知り合い?」」

 

 美和さんとアカリさんの声がかぶり、俺はかぶった・・・・・・とか、関心を示している。

 

「はい。美和さんは病院でよくお世話になる人で、美和さん・・・・・・この人達は・・・・・・昔からお世話になってる人、かな・・・・・・?」

 

 俺は質問に対する答えに、凄く困った。至さんとか美海とか、アカリさんは俺の昔からの知り合いではあるんだけど、お世話になっているんだけど。そう聞かれると、なんて答えればいいかわからなくなってしまう。

 

「あはは、もう誠君は家族同然だよ。美海だって、そう思ってるだろうしね。───それで、美和さん、僕は潮留 至です。えっと、誠君に関することだったら、気にかけて上げて下さい」

 

「あっ、こっちも自己紹介ね。私は美和です。えっと、誠君の知り合いをやってます」

 

「私は今は先島 アカリです。どうぞよろしく~」

 

「・・・・・・潮留 美海」

 

 至さんは俺を家族と呼び、自己紹介を始めた。別にいやな訳じゃないが、俺の心境は複雑に疑問を浮かべる。

 

 その間にも、美和さんとアカリさん、美海が自己紹介をした。何しにきたんだか、お互いに何故か意気投合しそうな二人だ。

 

 そうやって自己紹介をしている間にも、俺と美和さん、アカリさんに至さん、美海は診察室の前に辿り着く。そして、美和さんは中にズンズンと入っていった。俺と美海達も、それに続いてゆっくりと扉の中に入っていく。

 

「おや、また来たのかい誠君。それにしても、今回は結構な怪我で・・・・・・おっ? これは、ガールフレンドも一緒かい?」

 

「慎吾先生、違いますよ・・・・・・」

 

 扉の向こうで待っていたのは慎吾先生・・・・・・こちらは三十代くらいのお兄さん? で、俺の診察を何回もやっているベテラン? だが、この性格が面倒だ。

 

「ふむ、何時もはちゃんと処置をしてくるのに・・・・・・今回は何もなしか。何時も、こっちは君の処置の仕方を楽しみにさせてもらっているのに、ガールフレンドにかまけたか」

 

「あっ、そうだったのね誠君。どおりで今回は応急処置なしか♪」

 

「違いますよ。今回はいらなかっただけです」

 

 診察そっちのけで話をしてくるこのペアは、相変わらずだ。それと俺の苦手な人でもある。実際には、骨折したときなんか勝手に包帯を巻いてきたことがある。が、この二人は俺のその巻き方とかがちゃんとしていたため、俺に興味を持ったのだ。それからは、仲良く?している。

 

「じゃあ、診察を始めようか。まあ、誠君は心配ないとして・・・・・・『美海から見て下さい』──はいはい、じゃあそっちからか」

 

 慎吾先生は呆れたように、美海の方に向き直った。そして、何時も通りに何で病院に来たかを聞いて、診察を開始する。

 

 

 

 

 

 side《美海》

 

 

 私と誠、今は二人で病院に来た。アカちゃんに心配されて、パパの運転する車で何回か来た病院へ来た。此処には誠の知り合いもいるようで、綺麗な若いお姉さんの、美和さん? が、誠の事を知っていた。

 

 知らない誠を知れたけど、嬉しい気もするし、悲しい気もする。誠は私のことを車の中でも、自分の心配じゃなく私の心配をしてくれた。それでも、なんか嫌。誠がまた、どこかに行かないか心配になる。

 

「はい、じゃあ誠君のその腫れた右手も気になるけどこっちか。えっと~美海ちゃんだっけ? 今回はどうしたの?」

 

「・・・・・・頭と背中・・・・・・」

 

「なる程、誠君はガールフレンドがクモ膜下出血を起こさないか心配だと・・・・・・誠君、状況説明してくれるかな?」

 

「はい、美海は投げられてオジョシサマにぶつかり、そのオジョシサマが倒れてきたんですよ」

 

 それを聞いた医者は、何かを紙に書き込んでいく・・・・・・。誠は怪我も平気なのか、ずっと私の心配をしている。重傷は、誠なのに・・・・・・。

 

「はいはい。でっ、そっちは?」

 

「俺は手にガラス製の灰皿が当たって、頭にぶつかっただけです」

 

「ふーん、なる程・・・・・・じゃあ、レントゲンでも撮るか。そっちの方が早い」

 

 

 

──────

 

 

 

 数十分後、私と誠は最初に来た診察室に戻ってきた。お医者さんの手には、私と誠のレントゲンと呼ばれる紙?みたいなものが・・・・・・そしてそれを、お医者さんは光る板に張り付ける。

 

「ふむ、美海ちゃんは異常なし。誠君の頭も少し斬れた以外は正常・・・・・・あとは、また明日にでも病院に来てもう一度レントゲンだね。でも、お前は右手骨折な。ついでに、右手は巻いとくから絶対に使うんじゃねえぞ」

 

「わかってますよ」

 

 どうやら私は問題なしだけど、やっぱり誠は私の所為で怪我をしてる。お医者さんが頭にガーゼと包帯を巻いて、美和さんは右手に包帯を巻く。

 

 美和さんの目は優しげで、何か特別な感情を誠に抱いてる。優しく、いたわるように美和さんの腕は誠の右手に包帯を巻いた。何だかわからないけど、この人は誠を盗っていくような気がする。私から、誠を・・・・・・。

 

「にしても、今年はお船引きはやらないんじゃなかった?」

 

「おっ、そうだぞ誠君。そういや、何でオジョシサマで怪我なんて大騒ぎをしてるんだ? ガールフレンドが何で怪我しそうになったか、嘘か?」

 

 美和さんとお医者さんはそう言い、お船引きの話題を盛り込んできた。どうやら二人は気になるらしく、治療を施しながらも誠と会話する。

 

「あ~、それはですね、俺の通っている中学でオジョシサマ作ってたんですよ。それで、完成したら完成したで、お船引きをやりたいって奴が出て。せっかく作ったのに、勿体無いとか言う奴がいてそれで署名を集めました。で、今日がその陸と海の頑固なオジサン達の話し合いだったんですけど・・・・・・喧嘩を始めて、俺が灰皿に当たったってだけです」

 

「うわぁ~~、大人気なさすぎ!」

 

「それはそれは、何とも言えんな。まあ、大怪我を負わなかっただけましか・・・・・・うん? だとしたら、何でそんな危険な親父共のとこに美海ちゃんが・・・・・・?」

 

 誠の説明に疑問を持ったお医者さんは、私の方を見てくる。私はそれに対して、誠の怪我を見るように目を逸らしたが、目の前が段々とぼやけてくる。

 

「えっ、ちょっと美海ちゃんどうしたの!? オジサン、悪いこと言った?」

 

「美海? どうしたの、いきなり・・・・・・」

 

 涙が溢れて止まらない私を、お医者さんとアカちゃんとパパが心配してくる。止めようと思っても止まらない涙は、何度拭っても溢れてくる。

 

 

 ───私が一緒に行くって言ったから、誠は・・・・・・。

 

 

「ひっく・・・・・・うぅ・・・ごめんなさい、誠・・・ひっく・・・・・・。私の所為で、私が一緒に行かなきゃ誠は怪我をしなかったのに」

 

「えっと・・・・・・誠君、何か隠してる?」

 

 アカちゃんは私が泣いている理由を知りたいのか、そう誠に聞く。実際に私がいなかったら、誠は怪我するわけもなく、何時も通りだった。誠は頭と手に包帯を巻き、治療を終えたようだ。

 

「えっと・・・・・・その、美海が投げられた灰皿の直線上にいたんですけど・・・・・・避けれなくて、俺が前に飛び出しただけですよ」

 

「えっと・・・・・・こりゃ悪いことを聞いたな・・・・・・」

 

 簡単に話した誠は、椅子から降りて私の前に来る。そして、目の前に立つと左手で私の頭を撫で始めた。誠の手は気持ち良くって、安心する・・・・・・。

 

「気にするな。俺は、怪我して欲しくなかっただけだ。美海は悪くない。もう取り返しのつかない事になるのは、ごめんだからな」

 

「ひっく・・・・・・うぅ・・・」

 

 私は次第に落ち着いていき、誠の手の温かさと誠の強さに泣き止む。誠の心の温かさは、私の処方薬みたいに馴染んでいく。

 

 アカちゃんもパパも、お医者さんも申し訳無さそうな顔をして、私と誠を見ている。その目は温かくて、何処か見守るよう・・・・・・。

 

 でも、やっぱり私は好きなんだ・・・・・・誠が。

 

 誠にはただの妹みたいに思われているかもしれないけど、私は誠のことが好き。兄妹みたいじゃなくて、家族でもなくて、誠の事を私は男の人として見てる。

 

「ごめんね、誠君・・・・・・やっぱり、僕もついていれば・・・・・・」

 

「私も、至さんと一緒にいるなら居るべきだったよね・・・・・・」

 

 保護者としてなのか、パパとアカちゃんは誠に謝る。それに誠は困り顔で、私を膝の上に乗せながらもまだ頭を撫でてくる。

 

 ・・・・・・少し、心がぎゅってなる・・・・・・。

 

「謝られても別にやりたいことをやっただけです。謝る必要は無いでしょ? 元から、俺が面倒を見るって言ったんだし。まあ、俺もそろそろ帰りたいしこの辺で───」

 

「・・・・・・誠、帰っちゃだめ。今日は・・・・・・泊まっていって・・・・・・?」

 

 私は誠にしがみつき、わがままを言う。昔はよく言って困り顔だったけど、それでも誠は嬉しそうに一緒にいてくれた。

 

 でも、誠は・・・・・・

 

「えっと・・・・・・俺家に帰って勉強道具とか・・・・・・だから、無理なんだけど」

 

「誠君、君は家に泊まればいいじゃないか。美海も言ってるんだし」

 

「私も、今日はお父さんと話しつけてくるよ。だから、私が必要なものを持ってきてあげる」

 

 パパもアカちゃんも誠を家に泊めようと、協力してくれている。それに困り果てた誠は、お医者さんと美和さんに視線を向けた。

 

「あっ、言っておくけどお前は塩水に浸かるの禁止な。いろいろと不味いから」

 

「良かったね、誠君。君に女の子を泣かせることは出来なくて」

 

 お医者さんと美和さんによって、誠の退路は全部無くなった。

 

 

 

 

 




オリキャラさんの慎吾先生(職業お医者さん)
オリキャラの美和さん(職業看護士)

地味に、たまにちょくちょく使うつもりです。


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第十五話  仲良くしたい

今月、四回目の投稿・・・・・・。


 

 side《アカリ》

 

 

 此処はとある喫茶店。

 

 そこで私は1人で、ある人を待っていた。至さんに家に帰る前に此処で降ろしてもらい、美海と誠君を至さんに任せた私は、1人でコーヒーを片手に待っている。実は言うと此処はよく使うお店で、ミヲリとの思い出もある場所・・・・・・誠君にとっても、お母さんやミヲリとの思い出があるだろう。

 

 窓からは海が見え、此処が海の隣にある場所だとわかる・・・・・・。

 

 

 ───ガランッ───

 

 

 その音とともに、入り口のドアが開いて1人の大柄な男が入ってきた。年は40~30くらいのおじさんで、体格はまるで格闘家。・・・・・・私のお父さん、先島 灯だ。呼んだのは私で、振り返らないためにも少しは話をしなくちゃならない。

 

 ゆっくりと店内を見回す・・・・・・私を見つけたお父さんは、ゆっくりとこっちに歩いてきた。そして目の前の椅子に座る。

 

「ご注文は?」

 

「コーヒー1つ」

 

 お父さんはマスターの言葉に、目も向けずに答える。その目は私を見ていて、何を考えているかわからないけど心配はしてくれていると思う。───第一、子供の心配をしない親なんていない。

 

 数分でマスターはコーヒーを入れると、テーブルの上に、父さんの前に置く。そして、それが終わるとまたカウンターに戻っていく。

 

 それを見た父さんは、コーヒーカップを右手で持ち、少しだけ飲む。

 

「・・・・・・アカリ・・・・・・誠とあの娘は、どうだ?」

 

 先に子供たちの心配をしてくれているのか、止めなかったことで後ろめたいのか父さんはそう呟くように聞いてきた。

 

「・・・・・・誠君は右手を骨折。それに、頭を少し切っちゃって。美海は一応、脳震盪とかも無かったけど、明日も病院に行くつもり。・・・・・・誠君、クモ膜下出血にならないか心配してる。それよりも誠君が、頭に罅入らなくて良かったよ・・・・・・それと、誠君が自分の投げた源さんに謝っといてだって言ってたよ。自分は今日、帰れないから。至さん家に泊まるしね」

 

「・・・・・・そうか」

 

 現状報告と、誠君からの謝罪の言葉を口にした私はコーヒーを飲んだ。此処にくる前、誠君は自分が投げた源さんの心配をして、『すみませんがアカリさん、悪いんですけど源さんに謝っといて下さい』と言っていた。

 

 相変わらずの、大人精神。

 

 お父さんはそれに『伝えておく』と言って、また黙り込む。

 

「父さん・・・・・・私、美海ちゃんのお母さんになる」

 

「・・・・・・考えは変わらないか」

 

 話の続かない私は、そう父さんに伝える・・・・・・でも、父さんは難しそうな顔をしてテーブルの上に乗っているコーヒーを、ただ見ながら、悲しそうに呟く。

 

 お父さんは宮司で、一番にうろこ様に近くて、村の長みたいな存在。だからこそ、私が海から出て行くのは問題だ。

 

 

 ───でも、父さんに止める気配はない。

 

 

 私はそんな父さんを店において、お勘定を置いて店から出るのだった。

 

 

 

 

 

 夜。私は1人、誠君の家に勝手に侵入・・・・・・ではなく、1人で注文の品を荷造りする準備をしていた。鍵は誠君に渡されたし、ちゃんと玄関から入った。誠君がここに残った理由はただ一つ、お母さんとの思い出を捨てなかった。それだけなのに、しっかり者の雰囲気は凄い。部屋には塩も溜まってないし、綺麗。

 

 誠君なら美海の良いお嫁さんに・・・・・・違う違う、お婿さんだわ。誠君がしっかり者すぎて、危うく間違えて性転換させるとこだった。

 

 

 まずはキッチン───見たこと無かったけど、ちゃんと片付いていた。しかも、カビなんかも生えてないし汚れの一つもない。命を懸けた、台所! まさに、そんな感じだった。

 

 

 他にも紹介するところはあるんだけど、無理です。誠君に怒られる。と言うわけで、私は今は誠君の勉強部屋兼寝室兼倉庫に来ているのだが・・・・・・驚いた。

 

 棚には、医学の参考書や専門の色々な事が書かれた本。それも、世の中に出回ることもないであろうものまで勢揃い。というか、本格的すぎる。その数、なんと100を越えている。本気で、医学の道に進もうと努力しているようだ。

 

 ベッドはちゃんとシーツのシワが伸ばされ、飛び込んだら気持ちいいだろう。

 

 そして、もう一つの棚には卒業アルバムに、家族写真・・・・・・。そう言えば、誠君には家族写真を取りに行って欲しいなんて聞いてない。

 

 気になった私は、一つの真新しい、一番に埃を被っていない物を手にした。ページをパラパラ捲り続けて、私は夢中になる。

 

「へぇ~、見たこと無かったけど誠君、こんなの着せられてたんだ~」

 

 写っていたのは、誠君が親に兎の耳フード付きのパジャマ?を着せられて、一緒のペアルックをさせられている写真。お母さんの方は、ピンクで、誠君は白。実に、面白い写真だ。

 

 そしてパラパラとめくり続けると、とんでもない物を目にした。

 

 

 ───それは、家族写真

 

 

 ───でも、誠君の家族であって、家族じゃない

 

 

 ───お父さんと写っているのは

 

 

 ───髪を伸ばしてたであろう、美和さん

 

 

 その二人が、子供を抱えながら幸せそうに写っている。

 

 

 ───もしかして、美和さんは誠君の新しいお母さんになるであろう人?

 

 

 そんな考えが浮かぶが、すぐに疑問から消し去る。これは見てはいけないものであり、勝手に見ては良いものでもない。もしかしたら、美和さんに引き取られることもあるかもしれない。誠君の新しいお母さんは、もしかしたら・・・・・・。

 

 ───気付いているのか?

 

 ───だから親しい?

 

 ───美和さんも、だから気にかけている?

 

 ───でも、美和さんが近くにいるのに誠君のお父さんは何故、会いに来ない?

 

 私はその写真を握りしめたまま、アルバムを棚に戻し、再び誠君からの依頼の品を探し始める。心の中に一つの不安を、抱えたまま。

 

 

 

 

 

 side《誠》

 

 

 時刻は夜の8時・・・・・・俺は、美海と至さんと共にアパートの階段で座り込んでいた。今だに夏は過ぎていないのに、少しだけ肌寒い。もしかしたら、何か不可解なことが起こっているのかもしれないし、不安だ・・・・・・うろこ様も、あの御霊火の揺れを気にしてたし。

 

 ───絶対に何かある

 

 なんて思うけど、直接聞く以外に方法はない。俺は潔く諦め、美海を抱き締めた。

 

「わぁっ!? 誠!?」

 

「なんか寒そうにしてるから・・・・・・こっちの方が、温かいよね?」

 

 動揺する美海に、俺はそう言葉をかける。美海は頬を赤くして、耳まで真っ赤になり大人しく俺に従った。おそらく、寒いのは事実なんだろう。

 

「美海、寒いんだったら家に入ろう? 風邪を引くよ」

 

「いいもん。待ってる・・・・・・それに、温かい・・・・・・///」

 

 美海を中に入れようとする至さんは、苦笑い。それに対して美海は温かそうで、凄く満足げな表情だ。こんな可愛い笑顔だと、なんか泣けてくる。

 

「それはそうと至さん、もしかしたらアカリさん、凍らされたかもしれませんよ?」

 

「「・・・・・・えっ?」」

 

 俺はそう告げると、美海をカイロにして温まる。それに対して、至さんと美海は凍り付いたような表情で、俺に掴みかからん勢いで・・・・・・至さんが掴みかかるような勢いで、聞いてきた。

 

「ど、どど、どういうこと誠君! アカリが凍らされるって!?」

 

「いやさ、俺は昔、陸にばかり行ってたから、うろこ様からチョッカイ受けてたんですよ。呪いを受けたり、渦潮で道塞がれて凍らされる、とか・・・・・・渦潮が渦を巻きながらも、段々と海水の温度が下がり始めて、やがては自分の足下から凍りついて───」

 

「アカリ! 待ってろ、今から助けに───」

 

「アカちゃんッ!!」

 

 慌てる至さんと、叫ぶ美海。その目はマジで、助けに行こうとしているのがわかる。

 

 まあ、体験談だけど刺激が強すぎたかな・・・・・・?

 

 だけど、美海が飛び出した理由は違うらしい。道を行く人影が、こちらに向かっているのがわかるし、それは大きな女性と小さな男性の物。どう考えても、アカリさんと光の姉弟。

 

 美海は俺の腕から飛び出し、アカリさん達のところに走っていった。俺もそれに続き、ゆっくりと階段を下りてアカリさん達のところに向かう。

 

「アカリさん、光、どうだった?」

 

「何がだよ、誠?」

 

「誠君、寝てなくて大丈夫?」

 

 此処で怪我のことはどうでもいいのでスルーして、俺は深呼吸をする。俺の怪我は寝込むほどでもないし、ましてや重傷でもない。・・・・・・まあ、軽傷とも言えないけど。

 

「だから、───」

 

「アカリ! 凍らされかけたとか聞いたけど大丈夫かい!?」

 

「えっ? 何で至さんがそんなこと知って・・・・・・」

 

「誠が凍らされるって! それで、アカちゃん遅いから!!」

 

 何時の間にか走ってきた至さんに、俺は台詞をとられる。あわてる美海が凄い必死で、可愛かったのは俺にとってもアカリさんにとってもプラスだっただろうと、勝手な考えを組み立てている俺は冷えているであろうアカリさん達を温めるために味噌汁を温め直しに帰るのだった。

 

 

 

──────

 

 

 

 数分後、味噌汁を温め終えたと同時にアカリさんが帰ってきた。今日の夕飯を作ったのは美海なんだが、俺も作りたかった。いや、止められたけどね? 右手使うから、やっちゃダメって!

 

 

 そして、現在はご飯とおかずをつついてるわけだけど・・・・・・

 

 

「それで、誠君は何で渦潮と氷のこと知ってたの? 潜った?」

 

「酷いですよ、俺はちゃんと留守番してました。証人は二人ですよ、アカリさん」

 

 現在進行形で疑いをかけられる俺は、至さんと美海と言う名の証人を盾に、負けじと応戦して自由を勝ち取ろうとしていた。

 

「───過去に凍らされかけた経験があるだけですよ」

 

「・・・・・・うろこ様、容赦ないね」

 

 俺の経験談聞いたアカリさんは、固まる。確かにあの人がマジで凍らせようとすると、簡単に凍るからな。特に、小さい方が簡単なんだよ。

 

「それで、何で光まで出て来たんだ?」

 

「あんな親父と、毎日面を合わせられるかっての! 二人でんなことしてたら、そのうち殴りかかりそうだぜ!」

 

「俺の家、使えばよかったじゃん」

 

「・・・・・・あっ」

 

 光も家を出てきたらしく、理由は酷く反抗期な子供の物。だとしても、俺の家だったら貸すのにどうして出て来たんだろうか、この馬鹿は。

 

「誠君、光に貸したら家が燃えるよ?」

 

「それは勘弁して下さい!」

 

「んなことなんねえよ!」

 

「第一、誠君を一人暮らしにさせるってのも抵抗があったのに。光になると、ねぇ?」

 

「確かに、誠君だからよかった物の・・・・・・大丈夫かい?」

 

 ・・・・・・訂正。俺は光に家を貸さないことに決めた。いくら御霊火で、海の中とはいえ火事にならない可能性は否定できない。それに、あの参考書の山が・・・・・・考えただけでも、恐ろしい。

 

「でも、さ・・・・・・アカリ、本当によかったのかい?」

 

 いきなり暗い空気に変える至さん。その表情は、今までも何かを見てきたような優しさを含んだ目だった。アカリさんはキョトンとしている。

 

「何が・・・・・・?」

 

「その、ミヲリも昔は同じような目をしてたんだ」

 

「えっ? どういうこと?」

 

 至さんは落ち込んだような表情で、口を堅く結ぶ。今の至さんは、昔のことを悔やんでいるかのようで、いたたまれない。

 

 だから、俺は代わりに口にした。

 

「至さんが言いたいのは、こういうことですよ。『ミヲリは海を出て僕の妻になった。けど、時折ミヲリは海を眺めては悲しそうな表情になる。僕としては、アカリのお父さんに、海村の人に認めてもらった上で結婚したい』ですって・・・・・・俺も、ミヲリさんが羨ましそうに俺を見ていたんで、これくらいのことはわかりますよ」

 

「ちょっと、誠君は何を言って・・・・・・! いや、そりゃあ思ったけど。ミヲリの視線に気付いていたのかい?」

 

「そりゃあ、そうですよ。第一、俺は面倒見がいい方です。光とか、暴走列車みたいな暴れ牛がいるのにそれくらいわかってます」

 

 昔、俺はミヲリさんと仲がよかった。どっちかというと、家族というか、母親というか、姉というか不思議な人だった。でも、俺が帰るときに何時も、海のことを思い出しているのか、その瞳は悲しげだったのを覚えている。

 

「至さん・・・・・・それって、プロポーズ?」

 

「えっ? あっ・・・そ、それは・・・」

 

 嬉しそうに微笑むアカリさんに、顔を赤くしてショートしかけの至さん。新婚みたいと言うか、

初々しいカップルみたいだ。

 

 その空気に耐えられないのか、至さんはたこさんウインナーを口に放り込み、ご飯を勢いよく掻き込んでは誤魔化そうとする。

 

「ゲフッ! コフッ!」

 

 かき込んだ所為か、至さんは喉にご飯を詰まらせた。そんな光景に美海とアカリさんは笑いながらも、お茶を用意するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜中。

 

 

 俺は1人、目を覚ました。隣にいるはずの美海はいなくて、さらには光までもがいない。寝る直前になって、至さんが布団を四つしか無いことに気付いたのだが・・・・・・アカリさん、至さん、光が布団を1人一つ。俺が美海と、二人で一つとなった。

 

 アカリさんが美海と寝れば良かったのでは? とか思ったが、大人と子供が二人で寝るのはキツいらしいし、こうなったわけだ。でも、俺は光よりは大きくて、アカリさんとかと同じサイズだったのはツッコまない方が良かったのだろうか?

 

『ウワァァァ!?』

 

『何でそんなに驚いてるの?』

 

 光の悲鳴? と、美海の話し声。俺は起き上がり、そちらに向かってみることにした。幸いにもアカリさんと至さんは、俺らが寝ている間にも話をしていたために、起きない。

 

 台所に出て、お風呂場の方をみると、そこにはしゃがみ込んでひたすらに水をかけている光。それを立って見下ろす、美海の姿があった。

 

 俺は近づき、声をかける。

 

「お前ら、何してる?」

 

「「ウワァァァ!?」」

 

 流石は光、美海の後ろから顔を出して声をかけただけでまた驚く。美海も耳元で声がしたからかしらないが、凄いビクッとしてこっちに振り向いた。

 

「アッハッハ、そんな驚かなくてもいいじゃないか」

 

「誠、脅かさないでよ~もぅ・・・・・・」

 

「お前、いきなり美海の後ろから顔出すなよ。ビックリしたわ!」

 

 二人して俺を攻め、光は水を擦り込むことに集中する。

 

「で、二人して何で此処に?」

 

「んなもん、寝ている間に干からびたくないから決まってんだろ。というか、誠はコレしなくていいのかよ? 干からびるぞ」

 

 必死な光は、また塩水をつけ始めた。洗面器に水を張り、塩を足している。昔に俺もミヲリさんに勧められてやったが、拒食症みたいな症状。依存症とでも言うべきか。不安が行動に移し、止められなくする。これも、不安からくる依存症。

 

「お母さんも、やってた・・・・・・誠も」

 

「そうだね、やってたよ・・・・・・まあ、俺はミヲリさんが原因だけど」

 

 美海はミヲリさんのことを考えていたようで、少し悲しそうな表情になった。思い出した親の背中は、悲しく写るもの。俺もそうだ。

 

 1人でやると、悲しい感情に止まらない。二人でやると、なぜか楽しかった。不安どころか、笑みさえ出てくる。

 

「今日も上手く出来なかった・・・・・・決めたのに、上手く話せない。誠、私はどうやってアカちゃんに接したらいいの?」

 

 美海は突然、そんな事を聞いてくる。今日の美海はアカリさんと話そうとしても、少し一線を引いているという状態だった。まあ、そんな簡単に割り切れるものでもない。

 

 ───俺は、新しいお母さんとかいらない。そう思って、俺は家に隠った。写真が届いても、俺は知らんふりして話を聞かなかった。だからこそ、何かキッカケが必要。

 

 まあ、元は俺が家を、母さんとの思い出を捨てれなかった所為だけど。

 

「そうだ。贈り物を贈ったら? 俺、それで距離は縮まると思うよ?」

 

「えっ? 何で・・・・・・?」

 

 少し目を輝かせるが、理由を聞いてくる美海。俺はそこで、自分の首に掛かっていた十字架のペンダントを取り出した。

 

「これさ、俺が母さんに貰った最初で最後の贈り物なんだ。これ貰ったとき、俺は欲しいとも思ってなかったけど、凄く嬉しかった。値段は知らないけど、贈り物をされて嬉しくない人はいない」

 

「そっか・・・・・・じゃあ、そうする!」

 

 美海は満面の笑みで笑いながら、計画の話を俺と光に持ちかけてくる。俺は明日の病院、大丈夫かなと思いながら計画を聞くのだった。

 

 




地味に頑張っております。
お気に入りが40なったのは、驚きだね。


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第十六話  取り合う二人

なかなか話が進まない・・・・・・


 

 

 翌朝、俺は昨日の病院に行ったときと同じように美海、アカリさん、誠さんと一緒に病院へ行った。結果を言うと、バイタルは正常・・・・・・それに、頭も出血なしのいい状態だそうで異常なしだそうだ。

 

 それで今は車の中なんだけど、アカリさんは夜勤だった美和さんと話があるらしく残るらしい。

 

 まあ、仲良くなるのは運命、とは言え無いが、予想通りだ。最初からそんな気はしたし、俺もあの二人は何処か似ている気がする。気があうと言うのもわかってた。

 

「ほら、公園についたよ。光君も、それに他の子もいるようだね?」

 

「あっ、ありがとうございます。じゃあ、美海行くよ?」

 

「うん!」

 

 俺は止まった車から降りて、美海もそれに続く。目の前の公園には、光が集めたであろうチサキにマナカ、要がいた。光もこちらに気付いたのか、手を振って大声で俺と美海を呼ぶ。

 

「おーい、誠、美海!!」

 

 それに対して、チサキは目をそらしてチラチラとこっちを見てくる。そんな事をするくらいなら目を逸らさなければいいのに・・・・・・なんて思う。

 

 俺と美海は走り、光達のところに駆け寄った。マナカとチサキは更に目をそらし、要は美海の所持しているリュックを見ている。

 

「悪い、遅れた」

 

「仕方ないよ、診察だったんでしょ?」

 

「まあな」

 

 俺の謝罪に要は大人の対応。隣で光が『遅っせえよ!』とか言っているが、事情が事情なので無視することにした。

 

「えっと・・・・・・おはよう、誠・・・・・・」

 

「おはよう、まーくん!」

 

「ああ、おはよう。・・・・・・にしても、チサキ、マナカ・・・・・・似合ってるよ」

 

「えっ、そ、そう・・・・・・///」

 

「えへへ、まーくんに褒められた♪」

 

 褒められたチサキは頬を赤くして、マナカは若干嬉しそうに笑う。何故だか光から殺意が漂ってくるが、無視したい。

 

 

 ───嫉妬するなよ、本当の事だろ?

 

 

 いや、もう理由はわかってる。マナカが俺に笑ったことに嫉妬しているのだ。誰が誰を好きだかわかっているつもりだが、何で俺が恨まれなきゃ・・・・・・慣れてるけど。

 

 でも、何故だか美海からも危険な匂いがする。明らかに不機嫌で、俺をジト目で恨めしそうに見ているのは気のせいだろうか? ───そう思いたい。

 

「えっと・・・・・・美海、何で俺をそんな目で見てるのかな?」

 

「・・・・・・知らないもん!」

 

 美海は顔を赤くして、そういい放つ。明らかに嫉妬だが、それは触れないで置こう。兄を盗られたことに対する嫉妬だろうし。

 

「はい、じゃあ聞きたいことがあるんだけど・・・・・・光、何でチサキとマナカは不機嫌だったの? 何でか教えてくれないかな?」

 

「それが聞いてくれよ、誠。こいつら、町に行くってだけでこんな服着てくんだぜ? 何で町に行くだけでんなことしなきゃいけねえんだよ!」

 

 俺の質問の理由は、チサキとマナカの不機嫌な理由・・・・・・ではなく、光が何をしたかということだが、予想通りだった。

 

 相変わらず、そういうことに疎い。光は女子を褒めると言うことを知らないのか、さも当たり前のように言い放つ。

 

 光らしいと言えば光らしいが、それはダメだろ・・・・・・。

 

「はい、それは光が悪い」

 

「何でだよ!?」

 

「要はわかるでしょ」

 

「うん、光が悪いよね・・・・・・」

 

「美海は?」

 

「光が悪い」

 

 それで話は切られ、俺達は疑問を残す光を置いて出発するのだった。

 

 

 

──────

 

 

 

 現在、午前10時───場所は駅前の切符売り場。

 

 俺達は現在、切符を買うためにそこにいる。・・・・・・のだが、俺は表を見て値段を調べている。確か値段は620円だったが、年月によって変わっているかもしれない。

 

「おっ、あった。620円だな」

 

「誠、早いね・・・・・・」

 

「まあ、な・・・・・・」

 

 何故かこんな事でも褒めてくるチサキに、俺は軽く返事をして返す。母さんと来たときと値段は一緒だったからなのだが、別に話すことでもない。

 

 俺は金額ぶんのお金をいれ、ボタンを押して美海と自分の分を買う。だが、後ろの海組に任せると面倒そうなので全員分買った。

 

 そうして出て来た切符を取ると、みんなに順番に渡していく。

 

「ほら、買っといたぞ」

 

「「「「・・・・・・えっ、ありがとう」」」」

 

 そう言って受け取り、チサキは財布をとりだしてお金を出そうとする。

 

「ストップ。別にいらないからね」

 

「えっ、でも・・・・・・悪いし・・・・・・」

 

 チサキだけがそうしたが、俺は頑なに受け取らない。生活費の一部だが、別にコレくらいの額はどうでもいい。医学書とか、勝手に買ってるし。

 

「良いじゃねえか、誠もそう言ってんだし」

 

「此処は誠の言うとおりにするべきだと思うよ」

 

 光と要はそう言い、先に電車に乗ろうと歩いていく。俺も逃げるように、光と要の後を美海の手を引いてついて行った。

 

「チサキ、マナカ、早くしないともうすぐ来るよ」

 

「あっ、待ってよ誠!」

 

「置いてっちゃ、やだよ!」

 

 そう言う俺に、チサキとマナカは焦るようにしてついてくる。俺はそれを笑いながら、改札機に切符を通して、美海と一緒に通る。

 

 マナカとチサキも慌てながらも、ちゃんと改札を通って俺と美海を追いかけ、前には光と要が余裕の表情で俺に向かってドヤ顔・・・・・・いちいち、アホか。

 

 チサキとマナカが追いついた頃には、電車も入ってきた。ドアが開き、みんなでゆっくりと乗り込み、座る場所を探す。そして見つけると、俺は美海と隣同士で座り、チサキは俺の目の前に。光とマナカ、要は3人で通路を挟んだ向こう側に座った。

 

「チサキ・・・・・・何でこっちに・・・・・・?」

 

「えっ、だ、ダメだった・・・・・・?」

 

 俺は理由を知りながらも、意地の悪いようにそう言う。明らかに顔が赤いが、俺にとってはあまり大きな問題でもない。

 

 

 ───チサキは俺が好き

 

 

 自惚れかもしれないが、それは事実だろう。光や要、マナカとは扱いが違う。それもわかりやすいくらいに、何時もは俺の方ばかり見てる。たまに、マナカと光を見るが、マナカを見るときの目が明らかに母親。母性でもあるのか、母親なのだ。

 

 

 ───何度も見た

 

 

 ───俺に向けられた

 

 

 ───母さん

 

 

 ───ミヲリさん

 

 

 ───アカリさん

 

 

 ───美和さん

 

 

 美和さんの理由は知らないけど、心配する母親だった。

 

 それに対して、チサキは違った。最初は母性かと思ったけど、それだけじゃなかった。チサキは何度も俺を心配して、俺のことを気にかけたけど・・・・・・。

 

 

「ほら、誠も食べない?」

 

 何時の間にか、俺の口元にはチサキがお菓子を突き出していた。小首を傾げて、可愛らしく俺の目を見つめている。その瞳は、心配そうだ。

 

 ───心配させるわけにはいかないな

 

 俺はそう思い、チサキの突き出しているお菓子にかじり付く。チサキの持っているポッキーは、俺がかじり付くと、──ポキンッ──と音を立て、簡単に折れた。

 

「ん・・・・・・そう言えば、久しぶりにお菓子、食べたかな。ありがとう、チサキ」

 

「えっ、うん・・・・・・///」

 

 お礼を言われたチサキは、凄く嬉しそうに頬を緩める。少し顔を赤くしながら折れたポッキーをくわえて、モグモグと食べ進める。

 

「誠、間接キス・・・・・・」

 

「ふぇぇ!? 誰としたの、誠!!」

 

 美海は見逃さなかったのか、爆弾発言をムスッとした表情で放った。それに気付いていないチサキは、何故か俺に詰め寄ってくる。恐らく、『誠・・・・・・キス』としか聞こえていなかったのか、自分がしたことに気付いていないかだ。

 

「はぁ~、聞いて後悔しない?」

 

「しない!」

 

 必死なチサキは、ズイズイと詰め寄ってくる。間接キスかどうかは怪しいが、話した方がいいのだろうか? 多分、後悔するだろうが・・・・・・。

 

「チサキ、さっき俺が食べてたポッキーは何処?」

 

「え? それは、もちろん誠が・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言いながら、チサキは段々と顔を赤くして真っ赤なリンゴみたいになる。自分の恥じらうことすらしなかった行為に、思い出しては後悔しているのだろう。

 

「誠! これ、食べて!」

 

「えっ、あっ、うん」

 

 何故か美海はチサキの持っていたポッキーを所持して、俺に突き出してきた。震える手で、チサキと同じく真っ赤なリンゴみたいな顔で迫ってくる。

 

 仕方無く、俺は美海の持っているポッキーにかじりついた。

 

 折れたポッキーを咀嚼していると、何故か美海はその折れたポッキーの持っていた方を食べる。

 

「・・・・・・美海、何してる」

 

「え、えっと私も食べたかったから!!」

 

「じゃあ、もう一本出せばいいじゃないか」

 

「だって誠が美味しそうに食べるんだもん!!」

 

 利益の無い言い合いに俺は面倒になり、追求することを止めた。美海を見ているのも面白いが、俺はチサキに視線を移す。

 

「誠、これもどう?」

 

「・・・・・・えっとさ、俺が自分で食べるのはダメなの?」

 

 視線を移した先には、チサキがあの丸いアーモンドチョコレートを一つ、人指し指と親指で摘んで俺に震える手で差し出してきた。

 

 ───何で震えてるの?

 

 これはタブーだろうから、俺は言わない。意地悪をしたいが、チサキの頑張りを無碍に出来ないししたくない。チサキの悲しむ姿を、見たくない。

 

「ダメ、怪我してるから!」

 

「左手があるけど?」

 

「左手、使いにくいでしょ!」

 

「手のひらに乗せれば・・・・・・」

 

「電車が揺れる!」

 

「昨日は左手で食べたんだけど?」

 

「使ったのスプーンでしょ!」

 

「いや、箸だ。俺は左手も使えるように練習してたからな」

 

「だとしても、落とすかもしれないでしょ!」

 

「・・・・・・」

 

 これ以上、策は思いつかない。

 

 俺は諦めることにして、チサキの手にあるアーモンドチョコレートをくわえる。チサキの手を傷つけないように、唇でアーモンドチョコレートをくわえた。

 

「ひゃう・・・・・・!」

 

 チサキが顔を真っ赤にして驚くが、間違いなく触れた・・・・・・チサキの指に、小さくて細くて綺麗な

指に触れた。

 

 そう言えば、調理実習では逆だったな・・・・・・。

 

 どうせ暇なら、少しの間はチサキで遊ぶか。

 

「チサキ・・・・・・指、美味しかったよ」

 

「ふぇぇ!? あっ、ちょっと、指って・・・・・・!」

 

 チサキは今にも倒れそうな程、顔を林檎のような赤になっている。いや・・・・・・ハバネロソースを直接飲んだくらいだ。

 

「誠! これ、私も食べさせる!」

 

「今はっきり言ったよね!?」

 

 美海も対抗するように手にアーモンドチョコレートを持ち、ポッキーの時と同じように突き出してはまたもや赤面。

 

 

 

 その頃の隣の席は・・・・・・

 

 

 

「紡、君はてっきり誠と一緒に座るかと思ったんだけど」

 

「いや・・・・・・あれは、流石に座れない」

 

 何時の間にか、紡が要の隣に座って傍観。チサキと美海、誠の作り出す桃色?の空間に声をかけることが出来なかったのか、何時も通りの顔で眺めている。

 

「ちーちゃん、えっちだよぉ・・・・・・///」

 

「あ、あいつ、えっちすぎるだろ///」

 

 マナカと光は見ながらも赤面し、目をそらすことはしない。

 

 この光景を見られていることに気付かず、チサキと美海はお菓子が無くなるまでずっと俺に餌となるお菓子を食べさせ続けるのだった。

 

 




ちょっと修羅場?なチサキと美海。
危険を察知した紡君は避難しましたね。
無理ですよ、あの空間に入るのは。


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第十七話  チサキの思い

後半はチサキ視点です。


 

 

 

 電車に乗って数十分、俺とチサキと美海、光に要にマナカと何時の間にかいた紡の7人で街に来た。あの後、我に返ったチサキと美海は顔を真っ赤にして俺にもたれ掛かるようにして倒れ、両方の面倒を見た。

 

 しかも、見ている側に紡までいたとは・・・・・・別に俺は構わないが、チサキと美海は誰か1人に見られていただけでアウトなようだ。

 

 マナカに助けを求めるも、『えっちなまーくんは知らないもん!』と言うことで、チサキと一緒に見捨てられ、男共は目を逸らし、結局は俺だけで椅子から落ちないように支える羽目になった。

 

 自業自得と言えばそうなのだが、今度あいつ等は助けないことにしよう。一度くらい、自分で問題を解決するのもいいはずだ。

 

 

「んん~~~~!」

 

「・・・・・・頭クラクラする」

 

 チサキは復活したのか伸びをして、美海はぼーっとしている。背中のリュックに何が入っているか知りたいが、それどころじゃない。8時までには帰ると言っているため、美海の探し物をそれまでに見つけて帰る必要がある。

 

「ところで、紡。そう言えば何しに此処に来たんだ?」

 

「ああ、俺は用事。だけど、何時でもいいから町の案内を頼まれた」

 

「まあ、俺は一度来たっきり・・・・・・美海は期待できない。それに、光達はあまり此処とか来ないだろうから、当然か・・・・・・」

 

 俺は光達が案内を頼んだことに納得。目の前には町を見て、呆然としている美海。恐らく、見るのは初めてなのか、ビルを見上げて・・・・・・転けた。

 

「大丈夫か、美海」

 

「うん・・・・・・ちょっと驚いただけ。前も来たけど、お母さんが生きてたときだから」

 

 美海のその言葉には、何処か悲しみが含まれている。そう言う俺も、自分の母さんと来たときのことを思い出していた。

 

 手を引っ張り、美海を立たせると俺は周りを見渡す。

 

 見た限りに変わっているものは多くて、本当に数年で色々と変わったことがわかる。だけど、ミヲリさんと俺の母さんの死んだ年は俺の母さんの方が早い。それからは、俺も来ていないわけなのだ。

 

「変わったな・・・・・・」

 

「どうしたの、誠・・・・・・?」

 

 チサキまで心配し始め、俺は頭から昔のことを消し去った。思い出しているところだったけど、今は過去の感傷に浸っている場合じゃない。

 

「潮の香りしないね」

 

「当たり前だ。電車で一時間近くかけて中の方に来たんだぞ?」

 

「エナ、乾いちゃったらどうするんだろう?」

 

 エナの心配をするマナカだが、なにも知らないわけじゃない。前に来たし、まだ無くなっていないか増えているなら・・・・・・

 

「───あそこに、書いてあるだろ?」

 

 紡がそう言って指を指した先には、『塩水あります』という看板。こういう店には、海から来る客のために塩水が置いてあったりする。昔、母さんと来たときにも無理矢理、浴びさせられた。

 

「まあ、そう言うわけだから行くぞ」

 

 

 

──────

 

 

 

 歩いて数分で、俺達は大きなデパートについた。中にはいろんな店があるのだが、俺たちの目的は形に残るもので、俺が持っているようなペンダントに決まったのだが・・・・・・

 

「何かあった? 美海ちゃん」

 

「・・・・・・」

 

 コレと言ったものがなくて、困っている。俺も貰ってから嬉しいと感じたわけだし、母さんが渡してきたペンダントは選ぶのに時間はかからなかったわけだが・・・・・・予想以上だ。

 

 これで3軒目なんだけど、美海の思うものが無いのだ。俺達は手伝うと言っても、候補を探しているだけで最終決定権は美海にある。

 

 何度か壁の宣伝を見ているのだが、なんせ値段が値段。俺の生活費から出してもいいのだけど、それはなんか違う。プレゼントに他人から金を借りるのは、なんか違うのだ。

 

「もしかして、これ・・・・・・?」

 

 美海の視線に気付いたのか、チサキが美海に問いかける。俺はそれを美海の横で黙って傍観しながら、アカリさんに似合うアクセサリーを探している。

 

 

 だが、空気を読めない馬鹿が1人・・・・・・

 

 

「うっわ! 何だよこれ、高すぎんだろッ!?」

 

 その正体は光で、美海とチサキの見ていたポスターを間近くで見ていきなりのこの発言だ。正直に言うと、本当に空気が読めていない。

 

「光、ちょっと空気読んでくれ」

 

「──っ痛!? 何すんだよ、誠!?」

 

 明らかに光が悪いため、俺は何も言わない。だが、その代わりに泣き出しそうな美海の前にたってチサキが光に注意した。

 

「もう、光が悪いよ。女の子の気持ちをわかってないんだから」

 

「俺がそんなもん、わかるわけ無いだろ」

 

 開き直ったように喋り出す、光。

 

「だから、お前はマナカと何時までもくっつけねえんだよ」

 

「ちょっ、マナカは関係ねえだろ!」

 

 俺の発言にチサキと美海は笑い、光は顔を赤くしている。これがマナカに聞こえなかっただけ、マシと思えよ光。・・・・・・でも、聞こえたら聞こえたでいい方こうに進と思うんだけどな。

 

「ほら、美海、気にしないでいいじゃないか。こんな脳内マナカ一色の馬鹿はほっといて、次の店でも行こう」

 

「うん・・・・・・」

 

 なんか光が喚いているが、俺は気にしない。だいたい、周りの客の迷惑になるだけだからやめて欲しいところだ。

 

「ほら、光はほっといてチサキ、行くよ」

 

「あっ、うん。マナカ、行こう」

 

「待ってよ、ちーちゃん!」

 

 俺達は喚きながらついてくる光を無視して、店を出た。

 

 

 

 

 

 side《チサキ》

 

 

 本当に今日はどうしたんだろ、私・・・・・・。

 

 何時になく大胆な行動をしてしまった。電車の中で誠と普通にしていたはずなのに、何故か大胆にも誠に『はい、あーん』をするなんて・・・・・・しかも、バッチリとみんなに見られてたし。私に対抗して美海ちゃんが『はい、あーん』をしたときは取り乱しちゃったけど。

 

 思い出しただけで、また顔が熱くなってきた。

 

 でも、こんな機会は全然ないんだよね。誠ってば、誰よりも大人なんだ。何時も、誠がみんなの面倒を見ては文句も言わず、ただみんなを見て来た。みんなのお兄ちゃん的な立ち位置だが、それを放棄すらせずにただ、ずっと・・・・・・。

 

 もしかしたら、迷惑だったのかもしれない。その所為で誰よりも誠は大人になった。みんなの恋愛事情にも詳しいし、物知りだし、頭いいし、スポーツもできる。やっぱり遠い存在・・・・・・近づきたいけど、誰も隣には立つことが出来ない。寧ろ、誠が皆のために同じ立ち位置に立っているようなそんな感覚だ。

 

 

 ───誠の隣に立てるのは、妻になる人だけ

 

 

 きっとそうだ。私達なんかじゃ、近くに寄ることも難しい。

 

 

 ───それでも私は

 

 

 ───誠が好き

 

 

 何時からか、私は誠が好きになっていた。今まで、誠は皆のお兄さんみたいな立ち位置だった。それは、過去も今も未来も、絶対に変わらないだろう。

 

 でも、私はそこで止まりたくない。誠と彼氏彼女の関係になりたい。妹みたいだと思っているかもしれないけど、ちゃんと見て欲しい。誠のことだから、私の好きに気付いているかもしれないが今まで妹として見られていた分、気付かれていないかもしれない。

 

 私的には前者の方が嬉しいけど、それだと私はあまり興味を持たれていないことになる。

 

 一応、私は胸が大きい・・・・・・。クラスの中で、一番大きいかも。クラス中からの視線が凄くするし、男女問わずに見てくる。

 

 それでも、誠は私の胸をあまり見てこない・・・・・・私って、魅力無いのかな? 体重にも気をつけてるのに。

 

 マナカの方が可愛いし、私なんてちょっと胸が大きいだけだし、あまり積極的じゃないし、私に良いところなんて一つもない。

 

 ───誠って、えっちな事が好きなのかな?

 

 男の子なら、興味くらいあるよね。寧ろ、大人な誠だからこそそうかもしれない。中学生で早いと思うけど、好きになってくれるなら・・・・・・いいかも///

 

 でもやっぱり、私の胸には興味の無いような気がする。プールの時だって、誠は気にせずに1人でペンダントを見ていた。

 

 悲しそうな目で、顔で、懐かしむように。

 

 

 

「はぐれないように、ついて来いよ?」

 

「うっせぇ! 子供かよ!」

 

 目の前では、誠が光に向かって注意をしている。光はそれに対して、『美海に言えよ』とでも言いたいのか、誠の隣の美海ちゃんを見る。

 

 美海ちゃんの手は、しっかりと誠の手で繋がれていて、離れないようになっていた。

 

 いいなと思う私がいるけど、美海ちゃんだから仕方ないよね。はぐれちゃったら困るし、誠は面倒見がいいし。

 

「チサキ、ぼーっとしてるけど大丈夫か?」

 

「えっ? あっ、うん・・・・・・大丈夫」

 

 私の様子が可笑しいと思ったのか、誠は心配して私の顔をのぞき込んでくる。それだけでドキドキしてしまうが、顔にでていないだろうか?

 

 顔色を確認して、誠は顔を接近させ、私の額に自分の額を当てた。それと同時に、私の体温も急上昇する。

 

「熱はない、エナも大丈夫だな」

 

「う、うん・・・・・・///」

 

 周りが見たら、キスをしようとしているように見えるだろう。誠は離れ、また前を歩いては先に進んでいってしまう。

 

 気にしていないようだ。こっちはこっちで、凄く大変だというのに・・・・・・。

 

 気付いたらエレベーター前で、誠と美海ちゃんが乗り込み、それに皆が続く。私も慌てて乗り込もうとして、足を踏み入れると───

 

 

 ───ビィィィーー!!───

 

 

 重量オーバーを知らせるベルが鳴り、他の乗り込んでいる人たちの視線がこっちに向く。

 

「さ、最近、体重減ったのに・・・・・・」

 

 焦る私はそう呟いて、エレベーター前から動けない。みんなの視線が怖くて、恥ずかしくて私は泣きそうになった。

 

 そして、いきなり手を掴まれたかと思うと、誠が何時の間にか出て来て、私の手を引っ張ってエレベーター前から去ろうとする。

 

 なんだか、凄くほっとした。それと同時に、何か熱いものが私の心の中からこみ上げてくる。

 

「紡、美海頼む。上の階で、後で集合な」

 

「わかった」

 

 誠はそう言い、私の手を引いて離れた。エレベーターから、紡の返事が聞こえる前に誠は私を引いていく。まるで、昔みたいに・・・・・・。

 

 エレベーターが閉まり、誠はその少し離れたところの壁にもたれかかった。私は繋がれた手を離されそうになり、何故か握る力を強くしてしまう。

 

 ───此処で言わないと、後悔する

 

 そう思った。今なら、誠と二人きり。こんなチャンスは二度と無い。もし自分で呼び出そうものなら、私はそんな事できないから。

 

「どうした、チサキ?」

 

「ごめん、ね・・・・・・ちょっと、怖かっただけだから。少しの間、このままでいて」

 

 そう言うと、誠は何も言わずに手を握り返してくれる。

 

「──誠は昔から、そうだよね。いつもは皆の面倒を見て、自分の意見を通さずに他の人の意見ばかりを聞いて、引っ張ってくれて。我が儘、何時も聞いてくれたよね。人に迷惑をかけない限り、叶えられるものは何でも──」

 

 私の手は、震えていた。

 

 

「──私は誠が好き! 今まで引っ張られていくだけだったけど、私は誠の隣にいたい、支えたいから・・・・・・私じゃ、ダメ・・・・・・かな///」

 

 

 私の目の端は、涙が溜まっている。それでも言い切れた、やっと思いを伝えれた。何かを見透かしたような誠の瞳は、何処か悲しげだ。

 

 ───迷惑だったのだろうか?

 

 私がそう思っていると、誠が指で私の涙を拭う。優しくて、その行為だけが凄く温かくて、私は先程の誠の瞳の奥の感情は何だったのだろうかと、模索する。

 

「やっぱり、か・・・・・・」

 

「やっぱり、って・・・・・・誠は気付いてたんだね」

 

 気付いていた、誠は私の気持ちに。

 

「まあ、そうだな。・・・・・・俺さ、今まで妹とかと思ってた。チサキやマナカ、要とか光は弟だけどそう思ってた。だから、考えさせてくれないか? 中途半端に答えることは出来ないし、俺はそれでチサキを傷つけたくない。・・・・・・自分は誰が好きかわかんないんだ」

 

 正直で、大人な誠らしい答えだった。

 

 でも、今はそれで良い。焦っても、誠を困らせるだけだから。

 

「私はそれで良い。だって、誠だもんね。仕方ないよ、私もわかってたから」

 

 

 今日、この日・・・・・・私は一歩だけ大人になった。

 

 

 




チサキさん、大きな一歩です。


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第十八話  血は兄妹を・・・・・・

オリキャラさん登場です。
なんとなく、早めました。



 

 

 

 side《アカリ》

 

 

 私は美和さんと二人、一軒の家の前に立っていた。私と美和さんの前に建つ一軒家は立派で、何時かは至さんと美海、3人で一緒にこんな家に住みたいと思う。───おっと、未来予想図なんて頭の中で描いてる場合じゃないや。

 

 

 ───私が此処に来た理由

 

 

 それは、誠君の家族に関することだ。

 

 現在は誠君の実の父、誠哉さん・・・・・・元は海に住んでいたけど、元妻が死んでからは陸の人と結ばれて今は幸せに暮らしている。

 

 それが私の認識だ。これは誠君から聞いた話であり、実際に自分の目で見た話ではないがそれはそれでいいだろう。誠君も、本当に気にしてないし。寧ろ、今の生活に何の疑問も浮かべることはなく生活しているが、私の気にすることじゃない。

 

 ───それはわかっている

 

 ───でも、私は誠君が心配

 

 だからこそ、私は此処に来た。今日は休日で、予想通りなら誠哉さんも家にいて、運が良ければ会えるはずなのだ。

 

 

「ほら、アカリさん、遠慮しないでいいよ。家には、夫と娘が居るけどね」

 

「えっ? もう子供居るの!?」

 

 いきなりの娘発言に、私はビックリした。働いているのに、育児はどうしているのか気になるところだけど、聞いて良いことじゃない。

 

「いるよ、確か17で産んだかな?」

 

「ええ!? 早すぎない!?」

 

 また発掘される驚愕の真実。更に私の聞きたいという心が刺激され、質問の一つに入れることにした。・・・・・・いや、気になるでしょ?

 

 そんなことを思っている間にも、美和さんは家の中に入っていった。私もそれに続いて、『お邪魔します』と言って入っていく。

 

 玄関で靴を脱ぎ、揃えてからは美和さんの後に続き、眠そうな美和さんの後をゆっくりとついて行くのだが、本当に眠そう・・・・・・。

 

「ほら、この部屋だけど・・・・・・ちょっと待ってて、家の娘とか連れてくるから」

 

「あっ、うん・・・・・・」

 

 そう言った美和さんは何処かに消えて、私は居間で一人座布団を用意して座る。設計は何処か誠君の家に似てるのは、気のせいだろうか?

 

 そんな事を思っていると、襖が開いて見覚えのある男の人、美海と同じくらいの女の子、お盆にお茶と茶菓子を乗せた美和さんが来る。

 

 女の子は茶髪に、美海と同じようなグラデーションの瞳を持っている。それが、海と陸の子だとでも言うように見えた。

 

「やあ、アカリちゃん・・・・・・久しぶりだね」

 

「お久しぶりです、誠哉さん・・・・・・」

 

 美和さんは驚く様子もなく、ただお茶を用意する。少し変わった誠哉さんは、何処か罪悪感と心配事、両方を瞳に宿している。

 

 ───誠君の事は忘れていない

 

 それが読み取れただけで、誠哉さんを殴る必要は無くなった。本当は忘れてお気楽な顔をしてたらしてたで、殴ろうとも思っていたけど、その必要はないようだ。

 

「誠は・・・・・・元気かい?」

 

「はい、元気です。誰よりも大人ですよ、誠君は」

 

 途切れる会話、聞きたいことは山ほどあるのだろうが今はそれは問題じゃない。

 

「聞きたいことがあります。誠君になんで会わないんですか? 今では誠君、お金を送ってくれるだけでなに不自由なく生活しています。普通に考えたら異常ですけど、それも誠哉さんがこっちに来てからずっと誰にも頼りませんでした」

 

「えっ? ・・・・・・あの子、誰にも頼ってないの!?」

 

 私の誠君の今までの現状報告に、誠哉さんではなく美和さんは驚く。その顔は本当に心配そうで、

血が繋がっていないのにまるで本当の母親みたいに心配する。

 

「はい、寧ろ逆に隠してましたよ。私が気付いたのも誠哉さんが出て行ってから結構な日が経っていましたし、相変わらず誠君は凄いとしか言えません」

 

「そうか・・・・・・まあ、誠の性格なら当然か・・・・・・アカリちゃん、俺は美和に頼んで病院に来る度に誠の様子を見てくれるように頼んだんだ。幸い、誠には結婚した当時の写真を渡したから気付いていないみたいだけど、それでも俺はまだ誠の事を考えてる」

 

「私も、誠君が此処に住んでくれるなら嬉しいよ。アカリさん、私は自分が誠哉さんと結婚した事を誠君に隠してきたから言えないかもしれないけど、私は一緒に住みたいと思ってる。血が繋がっていなくても、私の子供なの。・・・・・・アカリさんなら、わかるよね・・・・・・?」

 

 私には、美和さんの言っている言葉の意味が分かった。美海のことを言っているのであろう、だいたいの予想はつく。

 

 ───でも、美和さんの娘が受け入れるのだろうか?

 

 ───それに、今までなんで隠してきたの?

 

 疑問が浮かび、私は美和さんと誠哉さんの座っている場所の間に座っている女の子に視線を向けるのだが、目を伏せてしまった。恥ずかしいのか・・・・・・そう言えば、名前すらも聞いてなかった。

 

「あの・・・・・・何の話をしてるんですか?」

 

「・・・・・・誠哉さん、美和さん・・・・・・教えてないんですか?」

 

「「あぅ・・・・・・」」

 

 女の子の問に、私はビックリした。誠君と一緒に住みたいとか言ってる割に、自分の娘には何も話していないのだ。これじゃあ、亀裂が生まれても可笑しくない。

 

「えっと・・・・・・美和さん、そう言えばこの娘の名前を知らないんだけど?」

 

「あっ、自己紹介をしてなかったね! この娘は美空。小学3年生で、美海ちゃんと同じかな?」

 

「美空です。あの・・・・・・」

 

「ああ、私は先島 アカリ」

 

 驚いたことに、美海と同じだ。でも、見た目からほとんど予想できていたから驚くことでもないんだけど、なんか誠君と同じで大人びている。

 

「美海ちゃんのお姉さん、ですか・・・・・・?」

 

「えっ? えっと・・・・・・美海の、新しいお母さん、かな?」

 

 美海を知っていることに驚き、私は曖昧な答えを返す。正直に言うと、親にはなると言ったものの実感がない。なんかギクシャクしてるし、美海との会話も二人じゃ成り立たないからだ。

 

「そうですか!? 美海ちゃん、凄く楽しそうに話してましたよ。アカちゃんって凄く良い人だって言って、それにお兄さんじゃない兄さんがいるって」

 

 どうしよう・・・・・・美和さん達、誠君のこと切り出せるのかな? 美空ちゃんも友達の義兄が自分の腹違いの兄って、相当な覚悟がいるだろう。主に、この子達が生活の変化に対する覚悟が必要になるんだけど。

 

「あれ? さゆちゃんとは遊んでいるところを見るけど、美空ちゃんって家に来たこと

あったっけ?」

 

「アハハ・・・・・・私は読書とか、1人でいることが好きなので・・・・・・美海ちゃんとは、学校でしか話をしませんよ? でも、今度見に行ってみたいです! 美海ちゃんのお兄さんが、どんな人なのか知りたいです!」

 

 

 ───性格、誠君に似てるよ・・・・・・

 

 

 1人って、誠君と一緒だよ。しかも、話す前に会っちゃったらもっと話が拗れる・・・・・・やっぱりまだ誠君に話しちゃいけないよね。話したとしても、美海が怒りそうだけど。

 

「誠哉さん、美和さん、私はコレで失礼します。誠君を引き取るなら、誠君の同意と美空ちゃんの同意の元にして下さい。親じゃないですけど、今までずっと見て来た。至さんだって、誠君の親のつもりなんです。誠君がもう傷つかないようにして下さい」

 

 私は美和さん達にそう伝え、美和さんの家から出て行った。

 

 

 

 

 

 side《長瀬 美空》

 

 

 今日は凄い日です。なんと、美海ちゃんの新しいお母さんが家に来ました。パパもママも何かを覚悟したような表情でしたけど、アカリさんの言葉に撃沈。見た感じ優しい感じでしたし、学校で美海ちゃんが自慢するのも頷けます。

 

 私は基本、読書とか料理とか、家事全般が得意です。美海ちゃんも料理は出来るようですし、たまに親の作る料理の話をしたりもします。

 

 アカリさんのことは美海ちゃんから知っていましたし、お兄ちゃんというのも興味があります。私は一人っ子ですし、一度は兄が欲しいとも思いました。でも、それは無理なんですよね・・・・・・私が生まれる前にその人は生まれなければいけませんし、弟や妹なら何とかなりますけどその願いはどう考えても叶えられません。

 

 ですから、私は無理は言いませんでした。美海ちゃんの話で羨ましいとも思いましたけど、私には無理です。そんな知り合いいませんし、知り合ってそんな関係にはなれません。

 

 

 ───アカリさんが帰って行った。

 

 

 その後、パパとママは難しそうな顔でこっちをチラチラと見てきました。お互いに目を合わせては逸らし、どうするかという話をしています。

 

「パパ、ママ、どうしたんですか?」

 

「ええ、あぁ、うん・・・・・・何でもないよ」

 

 パパはそう返し、しょんぼりとします。私が居ては出来ない話なのか、そう感じ取れました。だからこそ私は、座っている場所から立って・・・・・・

 

「パパ、ママ、私、少しお菓子でも買ってきます」

 

「うん、気をつけてね」

 

 元気のないママがそう返し、私は居間から出て行きます。財布を持って、サヤマートまで歩いて五分です。

 

 

 

──────

 

 

 

 サヤマートへは5分でつき、私はアイスを食べながらプリンを袋に入れて帰り道を歩いていた。アイスはソーダ味、プリンは百円で私の好きな食べものです。

 

 道路を歩いて、海岸沿いの道を歩く。学校には近いし、文句はありませんけど逆に近すぎると違和感があります。

 

 海岸沿いの道を歩いていると、見慣れた女の子が少し大きな人たちと、砂浜で何かしているのが見えました。遠目ですけど、間違いなくあれは美海ちゃん。休日ですし、友達? 確か、お船引きのオジョシサマを作っていると聞きました。その人たちでしょう。

 

 私はアイスのゴミをもう一つの袋に入れると、美海ちゃん達が何しているのか気になって近づいていく。話しかけるのは緊張しますが、気になります。

 

「美海ちゃん、なにしてるんですか?」

 

「あっ、美空。買い物の・・・・・・帰り?」

 

 美海ちゃんは質問に答えず、逆に私の持っている袋を見て質問してきました。それに、周りにいるお姉さんやお兄さんたちも集まってきます。

 

「ん? その娘、誰だよ美海?」

 

「あれ? 美海ちゃんお友達?」

 

 見るからにヤバそうなお兄さんと、凄く優しそうなお姉さん。二人が話しかけてきたんですが、正直言うとお兄さん、怖いです。

 

「えっと、美空だよ。私と同じクラスで、親友?」

 

「初めまして、美空と言います・・・・・・」

 

 美海ちゃんが私の紹介をして、私も自己紹介をする。でも、なんかチクチクした髪のお兄さんは凄い睨んできて、本当に怖いです。

 

 何時の間にか他のお兄さんも寄ってきて、周りには5人のお兄さんお姉さん。お兄さん3人に、お姉さん2人。 

 

 だけど、何故か1人だけ雰囲気が違う。普通の人が見ただけではわからないけど、凄く1人だけ違う。まるで大人の雰囲気と言いますか、この中で1人だけ雰囲気が異常に落ち着いている。

 

「ほら、光は小さな娘を睨むな。少し怖がっているだろ」

 

「うっ・・・・・・悪かったよ」

 

 その人が注意しただけで、目つきの悪いお兄さんは目を逸らす。もしかしたら、この人がこの集まりのリーダーなのだろう。でも、雰囲気は弱々しい。今にも、海の中に溶けてしまいそうな程の静かな雰囲気だ。

 

「悪いね、こいつは生まれつき目つきと性格が悪くて。・・・・・・俺の名前は長瀬 誠。好きに呼んでくれて構わないが、この目つきの悪い奴は先島 光な?」

 

「私は向井戸 マナカだよ! よろしくね、美空ちゃん!」

 

「私は比良平 チサキ。ごめんね、光が怖くて」

 

「僕は伊佐木 要・・・・・・まあ、要でいいから」

 

 驚いたことに、あの目つきの悪い人はアカリさんの弟?のようです。見た感じ面影があります、それでもこの性格の悪そうな人があの人の弟だとは思えません。

 

「悪かったな、目つき悪くて!」

 

「アハハ・・・・・・」

 

 思わず苦笑いしてしまいましたが、また睨まれました。本当に怖いです、この人。

 

 私が睨んでくる光さんに畏縮していると、突然に誠さんが私の頭を撫でてきました。その手は瞳の静けさと違って温かくて、落ち着きます。

 

「ごめんね、また光が・・・・・・光、後でちょっと家で話をしようか?」

 

「うわぁっ!? それは勘弁!」

 

 誠さんがこう言っただけで、凄い焦ったような顔の光さん。どんなお話をするのか気になりますと言うか、相当な回数を受けているのでしょうか? 流石は、リーダーです。

 

「・・・・・・兄さん」

 

「兄さん?」

 

「いえ、その・・・・・・私、お兄ちゃんに憧れていまして、すみません。家には、兄も姉も居なくて一人っ子ですので」

 

「そっか・・・・・・別にそう呼んでくれて構わないよ? 昔はチサキとか、マナカにそう呼ばれてたし問題ないよ」

 

 意外にも私の呟きが全部聞かれていました。それを聞いた誠さんは、そう呼んでいいと言いますが怖いんです。・・・・・・美海ちゃんが、何故か私を睨んでいます。もしかしたらこの人が美海ちゃんの自慢の義理のお兄さんなんでしょうが、私も分けて欲しいです。

 

 

 ───正直、凄く嬉しい

 

 

 今日から、私はこの人をお兄さん・・・・・・いいえ、兄さんと呼ぶことに決めました。美海ちゃんがなんと言おうと、私はこれを曲げる気はありません。

 

「お兄さん・・・・・・ところで、なんで此処で遊んでいるんですか? もうすぐ、日が暮れますよ? それに美海ちゃんも、アカリさんが心配してしまいます」

 

「ああ、それは大丈夫。俺が一応、面倒見るように言われてるから。・・・・・・で、質問の答えだけど俺と美海達は貝殻探ししてるんだ。プレゼント、アカリさんにね」

 

「なる程、新しいお母さんと仲良くしたいということですか・・・・・・私も手伝います!」

 

(なにこの娘、誠くらい鋭いかも・・・・・・)

 

 この会話を見ているチサキさん達はそう思い、自分がこの娘に負けているんじゃないかと思案し始める。それを知らない私は、ただ手伝いたいと思っていた。

 

 こうして私は手伝うことになり、

 

 

 

 一時間が過ぎ・・・・・・

 

 

 

 突然、私は胸が苦しくなってきた。

 

 時刻は7時くらい、当たりは暗くなって空気も冷えてきました。私が胸の苦しい理由は、喘息の発作を起こしているから。多分、冷えた空気を吸いすぎたのでしょうか。子供の頃から、何故か治らなくて困っている病気。

 

 ───辛い

 

 ───苦しい

 

 ───呼吸が

 

 ───誰か、助けて・・・・・・!

 

 私はその場に屈んで、胸を抑える。苦しいけど、息は出来る。段々と私はパニックになり、それにつれて呼吸も苦しさが増す。

 

「はぁ・・・はぁ・・・苦、しい・・・・・・」

 

 苦しさに涙が出てきて、目が熱くなる。体もどことなく熱いし、本当に苦しい。

 

「美空っ!?」

 

 美海ちゃんが私の発作に気づいて、駆け寄ってきた。周りの光さん達も、慌ててどうすればいいのか考えている。

 

 だけど、そんな中で冷静な人がいた。

 

 兄さん・・・・・・私の隣に座り、私の背中を優しく擦ってくれる。それだけで落ち着くし、呼吸もなんだか少しだけ楽な気がした。

 

「おい、お前ら落ち着け! ・・・・・・大丈夫、俺がついてるから。美空、落ち着け。光、悪いけどアカリさんが家にいるはずだから呼んできてくれ」

 

「わかった!」

 

「私は何をすればいい?」

 

「チサキはサヤマートで水を買ってきて」

 

 次々に指示を出していく兄さん。

 

 それに従い、落ち着きを取り戻す皆さん。

 

 私の所為で貝殻探しが中断されたけど、この後に私は救急車によって病院に運ばれた。そして、その時まで兄さんが私の様子を見て、心配してくれたことが嬉しかった。

 

 

 ───まるで、本当の兄妹みたいで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院。

 

 私は救急車に運ばれ、アカリさんと一緒に此処に来た。医師の簡単な治療も終わり、私は病院のベッドの上でアカリさんを見ている。

 

 兄さんや光さん達は、居ても役に立たないって。アカリさんが帰したのだが、その瞳は誰かと会わせたくないようだった。

 

 本当は、兄さんにいて欲しかった。でも、迷惑をかけるわけにはいかない。だって、美海ちゃんの大切な人なんだもん。私がこんな事で、独り占めはダメですよね。

 

「本当に良かった、美空ちゃん・・・・・・もうすぐ美和さん、来るからね」

 

「はい、心配かけて申し訳ありません」

 

 心配してくれているアカリさん、兄さんも心配してついてこようとしていました。まあ、兄さんも美海ちゃんの面倒を見ると言うことで帰りましたが。

 

「まあ、誠君がいる時点で心配なしだな! あれはいい医者になるぞ。大事にならないように、しかも喘息を見抜くとは流石だ! ───ハッハッハ!」

 

「慎吾さん、笑い事じゃありませんよ・・・・・・」

 

 大笑いする慎吾先生に、呆れるアカリさん。本当に笑い事じゃないし、兄さんが居ないとどうなっていたかわからない。

 

 ───本当に、温かい人だった。瞳の静けさは説明が付かないけど、それと違って心は温かくて安心する。

 

 そんな事を考えていると、大きく音を立てて病室のドアが勢いよく開かれる。そこからは、見慣れた大好きなママの姿。そして、パパも・・・・・・

 

「美空ッ!!」

 

 そう叫んだママは私に駆け寄り、抱き締めた。少し苦しいけど、落ち着く。

 

「良かった・・・・・・! ほんと、良かった!」

 

「ママ、苦しいですよ? 私は大丈夫です、助けてくれた人が居ましたから」

 

 それでも抱き締めることを止めないママ、凄く心配そうな顔です。パパも、ほっとしたような顔で私の頭を撫でてきます。

 

「アカリさん、ありがとう・・・・・・!」

 

「違いますよ、助けたのは私じゃない。助けたのは、誠君です」

 

「えっ・・・・・・?」

 

 驚くパパとママ、二人とも私に触れている手がピタリと止まり、顔は凄い驚いたような顔で、私とアカリさんを見ています。

 

「兄さ・・・・・・誠さんが、私を助けてくれたんです。美海ちゃんと砂浜で遊んでて、私も一緒に遊んでて発作が起きて・・・・・・それで」

 

「そっか・・・・・・もう、会っちゃったのか」

 

 説明する私に、ママは落ち着いたような顔で自分に言い聞かせるようにそう言いました。何か覚悟を決めたような、そんな顔です。

 

「美和さん、せめて美空ちゃんの意志と誠君の意志、両方が揃うまでは待って下さい。だから、少しの間は誠君に黙っていて下さい。せめて、お船引きが終わるまで・・・・・・まだみんな、諦めていませんから」

 

「・・・・・・わかりました、それは約束します」

 

 アカリさんはそう言って病室を出て行き、慎吾先生も病室から出て行く。残ったのは、私とパパとママの3人だけ。

 

「───美空、ママとパパは黙ってた事があるの・・・・・・」

 

 

 ───聞きたくない

 

 

 私はそう思った。何故だか、今の生活が変わってしまう気がする。でも、私は声が出せなくてそんな事は言えない。

 

 

 ───それは嬉しいかもしれない

 

 

 ───でも、何処か悲しい私がいる

 

 

 ───複雑な気持ち

 

 

 

「───美空が会った誠君はね、腹違いのお兄ちゃんなんだよ───

 

 ───だから、一緒に住みたいと思ってるんだ──」

 

 

 ママはそう言って、目を伏せる。

 

 

 お兄ちゃんが居ることに私は喜びを感じた。だけど、それと同時に何処か悲しいチクチクとした痛みに胸が痛くなる。

 

 

 ───なんで、今まで・・・・・・?




本当は5年後に出すつもりだったのに・・・・・・
今回、オリ主さんの視点なし。
主に、家庭の問題ですね。


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第十九話  温かい

オリ主の視点、減ったな・・・・・・


 

 

 

 朝。

 

 

「大分、おかしな事になったな・・・・・・」

 

「・・・・・・ん? どうしたんだよ、誠?」

 

 俺は至さんの家で、朝食を食べていた。料理はパンにサラダにウインナーに目玉焼きという簡単なものだが、俺の独り言も光に聞こえていたみたいだ。

 

 

【え~、続いては陸の天気です────】

 

 

 流れるテレビの天気予報には目もくれず、俺と光は外を見ている。外は雪が所々つもった後が見えていて、不思議な感じだ。それに、不思議な事に雪が降る季節としては、まだ早すぎるというものもあるし、寒さも最近急激に上がってきた。

 

「いやさ、ぬくみ雪も地上に降るんだな~っと、思ってさ」

 

「そうだよね。私も初めて見たかも?」

 

 俺の問いに答えたのは、アカリさん。今は弁当を作っており、その首には綺麗なペンダントがかけられている。

 

 そのペンダントは昨日、美海がプレゼントしたものだ。みんなで駆け回って探したのはいいが、良いものが見つからずに自力で貝殻を探して作った。要するに、手作りの物を贈ることになったのだ。

 

 そして、その時にちょっと病気を患っている女の子にも出逢った。

 

 名前は美空───美海の友達で、良い娘なのだがちょっと悲しそうな少女だった。昔から体が弱くて、友達とまともに話したことすら無いのだろう。遊ぶことさえ、あまりないらしい。

 

 そんな少女が発作で倒れ、俺はなんとか応急処置はした。器具とかが無くてやれることはたかがしれているが、大事には至らずに無事だったと聞く。

 

「そういえば、美空の苗字って何ですか? アカリさん?」

 

「えっ・・・・・・と、あれ? 私、そう言えば知らないや・・・・・・」

 

「・・・・・・そうですか」

 

 顎に手を当てて考えるアカリさんに、俺は疑問を持つこともなく納得。

 

「お前、今度はあの娘狙ってんのかよ?」

 

「おい、人聞きの悪いこと言うなよ・・・・・・まるで、俺が何処かのたらしみたいじゃないか」

 

 だが、光は俺の発言にロリコン疑惑をかけてきた。俺はロリコンになった覚えもないし、確かに中学生が小学生に目を付ける時点でヤバいが俺はそうじゃない。

 

 ガチャ───!

 

「───見て、雪がたくさんあったよ!」

 

 扉を開ける音と共に、興奮した様子の美海が雪を持って帰ってきた。両手に乗るくらいの大きさのそれは、海牛に見えないこともない・・・・・・その姿に、俺と光とアカリさんは固まっている。

 

「雪だるま?」

 

「違うもん! 雪ウミウシだもん! アカちゃんと誠はわかった?」

 

 何に見えたのか、光がそう言うと、美海が怒ったような顔で聞いてくる。光があれをウミウシではなく、雪だるまに見えた理由を問いたいところだ。丸いフォルムに小さな尻尾のようなもの。頭がない時点で、雪だるまの確率は正直低いと思うのだが・・・・・・何で雪だるまと思ったんだ?

 

「勿論、海牛ってわかったよ。寧ろ、光に毎日見てるような奴を間違えたのか聞きたい」

 

「私もわかったよ。毎日見てるし、わからないのが不思議だよ。───あっ、こうするともっとウミウシに見えるよ」

 

 アカリさんはそう言い、かいわれを美海の作った"雪ウミウシ"の頭に二本突き刺す。そうすると、さっきよりはわかりやすいウミウシになった。

 

 美海は笑顔で、凄く嬉しそうな顔をすると、少し暗くなった。

 

「パパ、帰ってくるまで残ってるかな・・・・・・?」

 

 ・・・・・・冷凍庫に入れたら、いいんじゃないか?

 

 

 

──────

 

 

 

 登校時間、俺と光は学校への道を歩いている。美海と話していたら『遅れるぞ』と言われて、少し早い時間に出て来たのだが、少し寒い・・・・・・。

 

「お前は、可笑しいと思わないか?」

 

「は? 何がだよ?」

 

 俺の質問に、光は『何言ってんだ、こいつ?』みたいな顔で、そう聞き返してきた。

 

 ・・・・・・質問した俺が馬鹿だったのかな?

 

 わからなければ良いことだし、別に"子供が知るような話"じゃないと言って何か隠すだろう。あの大人たちは、大きくなるまで掟の内容を知らせなかった。それが、現実───でも、地上のこの寒さは気になる。

 

「まあ、馬鹿に話しても何も変わらないか・・・・・・やっぱり、俺一人で考えるかな」

 

「悪かったな? 馬鹿で!」

 

 吠える光を無視して、俺は学校の校門を通ると、そのまま入り口まで歩く。その入り口には、チサキと要、マナカが3人で靴を変えている姿が・・・・・・うん、何時もより早いね。

 

「おはよう。チサキ、マナカ、要」

 

「あ、誠・・・・・・光も、今日は早いね?」

 

 チサキは手に靴を持ちながら、取り替えている間にも挨拶を交わす。学校の下駄箱で会うなんて、なんだか不思議な気分だ。今まで、みんな揃って登校してたし。

 

「そっちこそ早いんじゃないか? いつもの時間より、10分くらい・・・・・・どうしたんだ?」

 

「うん、それがね、大人たちが早く学校に行きなさいって。大人は大事な集まりがあるからって」

 

 珍しいな・・・・・・。大人たちが集まる? 何時もだったら、うろこ様と宮司の灯さん、後はちょっと歳を老いた4、50くらいのオッサンの集まりだけなのに。

 

「まだ、何か隠してるのか・・・・・・」

 

「ふぇ? どうしたの、誠?」

 

「いいや、何でもない。教室へ行こう、此処にいると登校してくる生徒の邪魔だからな」

 

「うん」

 

 俺は靴を履き替えると、何時ものメンバーで教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 

 遅れることもなく登校し、授業を終えた俺たちは、教室で椅子に座ってゆっくりとしていた。半数近くが、もう既に家に帰ったようだが、お船引きのメンバーはみんないる。

 

「誠、本当に大丈夫? 気分、悪くない?」

 

「うん、大丈夫。と言うか、心配しすぎだよチサキ」

 

 俺の隣にはチサキが座っていて、俺の頭の包帯と腕の包帯を心配そうに見ている。告白されてから、何時もこの調子なのだ。寧ろ、吹っ切れたと言うべきだろう。まだ返事を返していないが、元からチサキは優しい娘なので何時も通りと言っていいべきか・・・・・・。

 

「おいおい、放課後に夫婦を見せつけちゃってくれてるね~」

 

「ち、違うよ! まだ、そんな関係じゃ───」

 

 茶化す狭山に、チサキが反応。

 

 だが、それを聞き逃すはずもなく・・・・・・

 

「おっ、『まだ』と言うことは、いずれはそんな関係になりたいと言うことだな?」

 

「そ、それは・・・・・・」

 

 馬鹿の言葉に言いよどむチサキは、涙目で今にも泣きそうだ。しかも、こっちを見てくるのでなおのこと辛い。実際、俺が返事を返していないわけだし。自業自得と言えば、自業自得なのだろう。

 

「ん~、自業自得、か・・・・・・チサキ、告白の返事はすまないがお船引きが終わるまで待ってくれないか?」

 

「へぅ!? ・・・・・・う、うん・・・・・・///」

 

 俺は真剣な顔でそう言うと、チサキは変な声を出しては顔を真っ赤にして俯いた。その姿に周りは固まり始めて、俺とチサキを交互に見る。

 

「「「「・・・・・・・・・・・・」」」」

 

 まるで、魂が抜けたかのような屍が数匹イル。

 

 マナカは口をパクパクと金魚のように開けたり閉じたり、光も指を俺とチサキに交互に差しながらマナカと同じように口をパクパクと・・・・・・要は、なんか何時ものポーカーフェイスだが、開いた口が塞がってない。紡だけが、無表情で何事もないように俺とチサキを見ている。

 

 

 

「「「「ええええええぇぇぇぇ!!?」」」」

 

 

 

 大絶叫が、教室の中に響き渡った。恐らく、廊下どころか校内中に届くほどの声量だろう。

 

 

 

 

 

「あれ? みんな、何かあったのかい・・・・・・?」

 

 

 教室に先生が来るまで、みんな正気には戻らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 side《美空》

 

 

 キーンコーンカーンコーン───!

 

 

 授業の終わりをチャイムが告げて、私は使っているペンの腕を止めた。プリントには重要な部分が書いてあり、黒板を書いている先生の腕も止まる。

 

「む、もう終わりか・・・・・・宿題を出しておくから、やってくるように!」

 

 その言葉とともに、周りから『え~~~~』という愚痴が漏れる。書き終えた私の腕はもう片付けを始めていて、既に帰る準備は万端だ。それに、今日は特別な日でもあります。

 

「美海~! 早く行こう!」

 

「待ってよ、さゆ!」

 

 さゆちゃんと美海ちゃんはもう既に準備を終えており、ランドセルを背負って教室から飛び出そうとしていた。

 

 私は立ち上がると同時にランドセルを背負い、美海ちゃん達のところにゆっくりと歩いていく。

 

「待って下さい!」

 

「あれ? どうしたの、美空?」

 

 そう声をかけた私に、美海ちゃんはうずうずとして早く行きたそうな顔をしている。本当に兄さんは、美海ちゃんに慕われていて良い人だと思う。もし、一緒に住めたのなら楽しいだろう。

 

「私も行きたいです! オジョシサマ作り、手伝います!」

 

「ん~、美空って遊べないんじゃないの? それに、外だよ? 寒いし、発作も起こる危険性が高まるし・・・・・・」

 

 そう、私は今までまともに外で遊べませんでした。子供だけで遊ぶと、私の発作に対処する方法がわからないから、外だと凄く危険なんです。体育の時間も、キツくない運動だけでしたし、マラソンくらいでした。

 

「美空って親の許可が無いと遊べないんじゃなかった?」

 

「はい、そうです」

 

 さゆちゃんが頭に?を浮かべ、考えています。私の答えに、更に考え込んでしまいました。

 

「───でもですね、ママが許可をくれたんです。『誠君がいるなら安心だから、一緒にいるなら外で遊んできてもいいよ』と・・・・・・それに『その場合は、絶対に離れちゃダメ』とも言われました。だから、兄さんがいるところなら何時だって大丈夫です!」

 

「おぉ、タコスケ2号が認められた・・・・・・もしかして、親が認めた結婚相手」

 

「ち、違います! 兄さんと私は、絶対にそういう関係じゃありません! ・・・・・・それに、私と兄さんは・・・・・・」

 

 さゆちゃんがおかしな事を言うので、私はちょっと想像してしまいました。勿論、兄さんの事は大好きですけど、本当の兄妹は結婚なんて・・・・・・でも、一緒にいれたら絶対に楽しいですね。

 

 それと、こんな事も言われました。美海ちゃんとさゆちゃんには内緒ですが、『お兄ちゃんと仲良くなるには、一緒にいるのが一番』だと、ママは結構ノリノリです。パパはパパで、『俺、誠に会った瞬間に罵倒されないかな・・・・・・』と、少し落ち込み気味のパパが見られました。何時もはママとラブラブなので、レアです。

 

「? 行こう、美空。早くしないと、誠達先に始めちゃうから。それに、良いって言うなら、遊ばなきゃ」

 

「はい、楽しみです!」

 

 

 

──────

 

 

 

「来てやったぜ! 感謝しろ、タコスケ!」

 

 ついたと同時に、さゆちゃんがいきなりの上から目線な発言を言い放ちました。

 

 此処は知らない人の家で、庭で何人かの人達が集まっています。その中には、兄さんと、兄さんとは違う学校の制服を着た人、それとあの時の砂浜にいたお姉さん達までいました。

 

「ん? あっ、美海と美空、来たんだね。───美空は大丈夫だったか? 家で寝てなくても、此処にいても大丈夫なのか? 寒くないか?」

 

「はい、あの時はありがとうございました。その節はご迷惑をおかけしました」

 

 開口一番に心配してくる兄さんに、私は丁寧な返しで答えます。あの時は本当に助かりました。何時もは学校で、発作も1人で買い物に行ったときも全然ならないから焦りました。

 

「いいよ。迷惑はかけてくれて。寧ろ、1人の時の方が心配だからね。気付かれずに、知らないところで誰も知らずに何時の間にか死んじゃうって人もいるにはいるし、ね・・・・・・」

 

「誠は医者目指してるもんね」

 

「まあ、そうだな。一番やりたいって思ったのは、人を救うことだし」

 

 どうやら兄さんは医者を目指しているようです。でも、中学生であんなに知識がつくもの何でしょうか? 不思議です、

やっぱり兄さんに任せる理由はそれでしょうか?

 

「あの・・・・・・少し、いいですか・・・・・・?」

 

「どうしたんだ?」

 

 兄さんは屈み、私の目線まで来てくれました。

 

「えっとですね・・・・・・その、パパとママには兄さんとくっついているなら外にでてもいいと言われたので、出来ればずっと一緒にいてくれないかな~なんて。ダメ・・・・・・ですよね?」

 

 これは私の必死のお願い。

 

 我が侭だってわかってます。

 

 でも、怖いものは怖いです。

 

 痛みが何時襲ってくるか、何時か呼吸が止まるんじゃないか、家に居るときでも何処にいるときでも一緒の恐怖が襲ってくる。学校に行っている時なんて、家の時より落ち着かない。

 

「───ごめんなさい、忘れて『いいよ』・・・・・・え?」

 

 私が謝ろうとすると、兄さんは優しくて温かい笑顔でそう言いました。私の心の中は何だか温かくて、凄く安心できる不思議な気分です。

 

「───そういう病気って怖いもんね。何時来るかわからない、死ぬかもしれない、喘息の発作といえどもそれくらいあるかも知れない。今まで、楽しく遊んだ事なんてあまりないでしょ? なら、安心していいよ。もし、発作が起きたら絶対に助けてあげるから。我慢せずに行きたいとこややりたいこと、全部聞いてあげるよ」

 

「はい・・・・・・ありがとうございます、兄さん・・・・・・!」

 

 

 私は思わず、泣きだしてしまいました。

 

 

 自分が腹違いの妹だって言うのに、騙してる。

 

 誰にでも向けてくれる、兄さんの優しさに甘えてる。

 

 本当なら、自分を恨むかもしれない。

 

 

 泣いている私を抱き締めてくれる兄さんは、泣きやむまでずっと私の背中や頭を撫で続けて、私に心の温かみと優しさを与えてくれました。

 

 

 




シリアス?な進みのストーリー。
書くの苦手ですね、はい。
これ、元がシリアス?ですからね・・・・・・。


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第二十話  磯豚汁

次の投稿は12月です。


 

 

 

 時間は流れて夕暮れ時・・・・・・。

 

 

 作業は何の心配もなく進んでおり、今はペタペタと小学生組と一緒にオジョシサマのパーツである物体に、楽しく青い絵の具?を塗っている。正直言うと、俺も小物作りがしたかったのだが、チサキと美海に美空の3人に止められた。まさかのドクターストップじゃなくて、美少女ストップ。

 

 何故か俺の止め方は心得ているようで、仕方無くこの作業で妥協したのだ。

 

 それで、他の人はと言うと・・・・・・狭山と江川の変態コンビは小物作りと船の補強。紡と光は同じく船の補強なのだが、木を切ったりといろいろと忙しい。要は色々な雑用(光もたまに)。チサキは縫い物をやっていて、女の子らしい一面で頑張っている。ついでに、マナカは料理のための買い出しだ。

 

 まあ、たいしてやることもないのだろう。要はどっかで頑張ってるし、後は俺の骨折が治れば本当に自由なのに、逆に美海と美空、チサキの監視が凄い。

 

 

「もっと面白いことしたいな~・・・・・・はぁ~」

 

「文句はダメですよ、兄さん?」

 

「悪化するからダメ!」

 

「そうだよ、誠は一応、安静にしてなきゃいけないんだから」

 

 このように、俺は愚痴ですら止められるのだ。骨折なんてなんでもないのにひどい仕打ちだと思う。人間の生きる意味は何か? 退屈こそ、人間の敵だろう。

 

 道具が目の前にあるのに手を出せないとは、本当に悲しい。

 

 

「せめて、小物作りだけでも───」

 

「「「ダメだよ。───じゃあ、誠(兄さん)は私が怪我しててもやらせるの(ですね)?」」」

 

 俺の弱点はどうやら知れ渡っているようで、このシンクロぶりは本当に凄いと思う。もしかしたら、裏で打ち合わせとかしたのかもしれない。・・・・・・してないよね?

 

 

「さて、チサキはそろそろ水浴びてきなよ。暇でしょ?」

 

 チサキが縫い物を終えると同時に俺は、絵の具?をペタペタと塗りながら言う。時間で言えば5時くらいだし、マナカと光に要はもう行ったとしても、チサキだけは俺の監視で行ってない。俺のエナはどうしたと聞かれればそうなのだが、何せ陸で過ごす時間が多かったからか余り乾かないのだ。

 

「・・・・・・そう言って、私がいない間に小物づくりする気でしょ?」

 

「しないって。あそこまで言われて、俺がやると思う?」

 

 ジト目で見てくるチサキに、俺はそう返した。マジでやりたいけれどあそこまで言われて、やるような馬鹿ではない。一応は面倒を見るのが俺の仕事だし、役割だからね。

 

「───それに、立派な監視が二人いるだろ?」

 

 美海と美空に視線を向けてそう言うと、チサキは渋々と言った感じで・・・・・・

 

「・・・・・・うん、わかった。お願いね? 美海ちゃんと美空ちゃん」

 

「はい、わかりました」

 

「わかった」

 

 それに答える美空と美海は、楽しそうな笑顔で俺の隣に近づいて座る。右側に美空がしゃがみ込んで、美海が左側にしゃがみ込んで完全なる檻が完成したわけで。

 

 

 ───普通、そこまでするのだろうか?

 

 

 なんて思ってしまう。

 

「じゃあ、行ってくるから。誠、絶対にダメだよ?」

 

 そう言うと、チサキは立ち上がって歩こうとするが・・・・・・少しだけよろめき、倒れそうになった。殆どの人がわからないだろうが、俺がこれを見逃せるはずもなく。それに紡も見ていたようだ。

 

「紡、頼めるか?」

 

「わかった」

 

 チサキが歩いていった後に、俺は紡にそう言うと軽く了承してくれた。

 

 

 ・・・・・・俺はこの娘、見てないといけないしな。

 

 

 

 

 数分後。

 

 

「あれ、チサキは?」

 

 戻ってきた要が木を置いて、周りを見渡す。

 

「見て、綺麗に塗ったぞ!」

 

 さゆが要を見ると、嬉しそうな顔で立ち上がる。

 

「チサキなら、水浴びに行ってるよ」

 

「ふ~ん・・・・・・」

 

 要の事だからチサキのところに行くのだろう。笑顔で褒めて欲しそうなさゆには目もくれず、紡がいないことを確認すると歩き出す。

 

 残ったのは、悲しそうなさゆだけ。

 

 

 俺が褒めてもいいけど、それじゃあ意味がないんだ。・・・・・・傍観者気取っている割には、周りが見えていないのか、チサキだけしか見えていないのか・・・・・・。

 

 何時になったら、この道化師は自分に素直になるんだろうか?

 

 

 

 

 

 side《チサキ》

 

 

 私は縫い物をしながら、ただ1人の幼なじみを見ていた。頭には包帯を巻き、右腕にも包帯を巻いて美海ちゃん達と一緒に絵の具を塗っている、痛々しい姿の"大切な人"・・・・・・誰よりも優しくて、誰よりも大人で自分は根をあげない強くて届かない存在。

 

 私に医療の知識があれば、少しくらいは手助けできたかもしれない。でも、大切な人───誠の知識に比べたら、ちっぽけで何の役にもたたない。

 

 告白した後も、答えをまだ出せないけど変わらずに接してくれてる。もしかしたらこれが"答え"なのかもしれないし、これが最善策だと誠は思ったのかもしれない。

 

 だけど・・・・・・

 

 

『告白の返事はすまないがお船引きが終わるまで待ってくれないか?』

 

 という言葉。

 

 今日言ってくれた、有耶無耶にされてなかった安心があった。少しみんなの前で恥ずかしかったけど、忘れないでくれた事が嬉しい。

 

 

「さて、チサキはそろそろ水浴びてきなよ。暇でしょ?」

 

 自分の怪我は何ともないみたいに、誠は心配してくれているのか、そう言ってきた。

 

 本当に誠は、人を観察するのが上手だ。

 

 少しだけ、頭がクラクラする。エナが乾く時間ですら、自分の予想範囲内なんだ・・・・・・悔しいけど、なにをやっても勝てる気がしない。

 

 

 

 私は何かと理由を付けながらも、少しだけたわいもない会話をしてから移動を始めた。

 

 

 

 

 

 夕焼け空は輝いていて、凄く綺麗・・・・・・海も、空に映る夕焼けの明るいオレンジ色を反射して輝いている。これを誠と一緒に見たかったけど、誠は誠で役目があるから仕方無い。美空ちゃんだって、体が弱いと聞いたし、美海ちゃんの話しではあまり外に出てない。だから、私は楽しそうな美空ちゃんに誠を貸してきた。

 

 別に私のじゃないよ? 誠は、皆の誠だもん。美空ちゃんがこの先独占しちゃったからって、誠が嫌がるとは思えないし役に立つのを喜ぶと思う。

 

 私はそんなことを考えながら、海に足を踏み入れた。冷たくて気持ち良くて、エナが喜んでいる感じがする気がするのは気のせいだろうか?

 

 

 そんなとき、ふと目に入った人物・・・・・・紡君が岩の上に立っていた。

 

「あれ? 何で此処に・・・・・・」

 

「悪い、邪魔した・・・・・・ちょっと誠に頼まれたから見に来たんだが・・・・・・」

 

 何処かでわかっていた台詞を言う紡君は岩の上に腰掛けると、いつも通りの涼しげな表情で何だか不自然。例えると、要と話している時みたいだ。

 

「誠なら、そうだもんね・・・・・・1人にするわけ、ないか・・・・・・」

 

「・・・・・・」

 

 会話は続かないで、紡君は黙ってしまった。でも・・・・・・

 

 

「・・・・・・告白、したんだな」

 

「ふぇぇ!?」

 

 いきなりのそんな質問に私は驚いた。急に顔が熱くなってくるのがわかる、今頃私の顔は今の夕焼けと同じような色をしているだろう。

 

「あっ、悪い」

 

 そう言う紡君の顔には悪びれた様子もなく、変わらない表情で謝っているかどうかすらわからない。どっちかというと、

誠の傍観するときの、見守るときの質問に似てる気がした。

 

「・・・・・・うん、やっと決心できたんだ」

 

「・・・・・・そうか」

 

 だから、私は持ち直して答えた。今までの自分だったら、出来ないけど小さな進歩・・・・・・誠に届くための小さな一歩だけど、紡君はからかう様子もなく静かに聞く。

 

「───なんで、応えないのか聞かないのか? あいつだったら、最初から気づいていたと思うぞ?」

 

「気づいてたよ・・・・・・でも、誠は誠だもん。何時だって、自分のことは後でみんなが先。私にはなんで今答えてくれないかわからないけど、今はこれでいい。誠にだって、時間は必要だから。───付き合わせてごめんなさい、さあみんなのところに早く戻ろ?」

 

 私は海からあがりながら、岩を登っていく。

 

 

 

 

 

「・・・・・・誠は、わかってるのかな? 僕が、傍観してること」

 

 見えないところで、そう呟く1人の声は波の音でかき消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 side《誠》

 

 

 今日の作業を終えた俺はお茶を飲みながら、1人でビールケースの上に座っていた。目の前では焚き火がされており、ユラユラと揺れるその様はまるで波・・・・・・いや、嵐だ。今日の作業はみんな終えて、今頃は帰ってきたマナカがおいしい料理でも作っていることだろう。俺も料理をしたかったが、光と一緒に様子を見てくると言ったらいきなり服の袖を掴まれて止められたのは、本当に勘弁して欲しい。

 

 で、光は愛しのマナカの所に料理でも見に行ったのだ。俺を置いて、目的は料理じゃなくてマナカだろうが本当にそこで告白しちまえばいいのに・・・・・・チャンスなんて、今まで何度でもあったはずだ。

 

 

「ただいま。誠、いい子にしてた?」

 

「うん、してたよ・・・・・・」

 

 帰ってきたチサキにそう返し、俺は楽しそうに見つめてくるチサキを見たが、顔がもう俺を完全にかごの中の鳥だと思わせてくるのは気のせいだろうか?

 

「嘘ついたらダメですよ? 兄さん、さっき料理をしようとしてましたからね?」

 

「誠・・・・・・」

 

 気のせいじゃなかった・・・・・・。

 

 チサキが呆れたような顔でため息をつくと、ジト目で俺を見てくる。

 

「あっ、紡、悪いな。俺は動けなかったんで」

 

「ああ、別に・・・・・・」

 

 澄ました顔の紡に話をふって逃げようとした。丁度、チサキの後ろにいたがために悪いが、少しだけ有効活用させてもらおう。何せ、チサキがなんかちょっと怖いんです・・・・・・ちょっと怒ってるんだよ。

 

 

「みんな、磯豚汁出来たよーーーって、ちぃちゃんおかえりー」

 

「うん、ただいま。マナカ」

 

 

 助かった・・・・・・

 

 

 

 

 

「「「「いっただっきまーーーす!!」」」」

 

 磯豚汁の匂いと、全員の声が周りに届いた。作業を終えた俺達はマナカ特製の磯豚汁の入った皿を片手に、そう言うと各々は磯豚汁を食べ始める。

 

 俺の右側に美空、右側にチサキ、そして美海は美空の右側に座っている。さゆちゃんは何とか要の隣に座ったようで、目に見える範囲にはいる。マナカと光は当たり前のように隣同士、紡はお祖父さんと一緒だ。

 

 ついでに、あの江川と狭山は何故か俺の目の前に・・・・・・なんかこっちを見て、聞こえない声でお互いに耳打ちをしているのはなんかヤダ・・・・・・嫌な予感しかしない。

 

 

「美味しいです。ママのとは違って、これも!」

 

「うん、美味しいね・・・・・・でも、誠の料理の方が美味しいよ?」

 

 美空は大興奮で美海に話しかけており、とても楽しそうだ。美空にとってはこれが初めてなのだろう。外でご飯を食べることも、友達と楽しく過ごすことも・・・・・・そう言えば、美海の脱走事件以来だった気がするな。こうして、外で楽しくみんなで過ごすって。

 

「そうなんですか? 是非、一度は食べてみたいです」

 

「なら、今度作ってあげるよ」

 

「本当ですか? ありがとうございます!」

 

 なんとも可愛らしい笑顔の美空は、凄く引かれたのは何故だろうか?

 

 それに、なんか何処かで見たような気もしなくもない・・・・・・

 

 どっちかというと、誰かに似ていると言えばそれが当たりかもしれないのだが。

 

 

 ───まあ、今のゆういつの救いがチサキと美海の二人で俺に食べさせようとしないことだけど・・・・・・美海は家で俺の手の骨折を理由に、チサキは学校で同じ理由を使って食べさせようとしてくるのだ。したのだが、美海は自分の所為だからと断ったら落ち込み、チサキは悲しそうな目をしてくる・・・・・・そう、逃げ道はない。

 

 

「と言っても、俺の怪我が治らないと料理させてくれないけどね」

 

「当然です」

 

 作ってもらう側の美空まで、俺に枷をつけるつもりらしい。最近はアカリさんと美海が台所に立つため、俺は怪我も込みで料理ができていないのだ。

 

 ついでに、光まで料理しやがる・・・・・・まあ、その光はマナカの近くで磯豚汁を『海と陸混ぜるなんて邪道だ』と言いながらも頬張っている。

 

「おやおや、次は向井戸見てるのかな? 長瀬く~ん?」

 

「しかも、大きいおっぱいに囲まれながらも向井戸の大きさの方が好みってか?」

 

 俺の視線に気づいた江川と狭山が、子供に聞かせてはならない会話をふっかけてくる。その顔は嫌らしいの一言に尽きるが、ひそひそと話していたときの悪寒は当たったみたいだ。

 

 それに、チサキと美空が顔を赤くしている。

 

 美海はキョトンとしていて、今だに害はない・・・・・・筈だ。

 

「比良平なんて、あの学年では一番・・・・・・寧ろ、お前が告白に即答しなかったのが不思議なくらいのエロいボディ。そしてその反対側には、美空ちゃんの小学3年生とは思えない、胸の大きさと美空ちゃん自身の大人っぽさが自己主張している。

・・・・・・見てみろ、美海ちゃんと比べても、さゆちゃんと比べてもこの歴然な差を!」

 

 そう熱弁する江川は、ニヤニヤとしながら二人を見ている。隣の狭山もそうだ。

 

 それに対しての美空とチサキは顔を赤くしながら、自分の身を抱き締めるようにして胸を隠した。確かに江川の言うとおりに、美空の胸はマナカくらいはある。小学3年生とは思えないくらいだ。性格も大人びているし、本当に3年生か疑いを持つのは当たり前だろう。

 

 そして、隣の美海は自分の胸と美空の胸を見比べて、何故かこっちに視線を向けた。

 

「・・・・・・ねぇ、誠はおっきい方がいいの?」

 

「・・・・・・えっ?」

 

 ロリコンなら一発でKOするだろう、そんな質問をしてきた。純粋ながらも頬を赤くして、上目遣いで涙目になりそうな美海からは真剣な様子が見て取れる。

 

 そして元凶は、今だににやついている。美空とチサキまでもが俺を見て、頬を赤くしているのがなんとも怖い状況だと、

下手な返し方をしたら何かとヤバいことがわかる。

 

「う~ん。美海は普通だと思うよ、美空がちょっと発育がいいだけだ」

 

「・・・・・・どっち?」

 

 ・・・・・・逃げれなかった。

 

 寧ろ、美空が俺の言葉によって顔を赤くさせただけだ。

 

 

「どっちでもいいよ。好きになれば関係無いと思う」

 

 俺はそう言うと、美海の顔を見る。何故か赤さが増した気がするが、これで・・・・・・

 

 

「・・・・・・どっち///」

 

 

 ・・・・・・終わらなかった。

 

 顔を赤くしながらも美海は、この答えに納得などはしないようでまだ聞いてくる。結構、本気の答えだったのに納得出来ないということは気になるのだろうか?

 

 ───確かに、女の子にとって胸の大きさは問題だ

 

 七つの大罪の"色欲"に位置するだろうが、簡単に言うと、性欲・・・・・・美海も興味が出たのだろう。女の子の方が精神の成長は早いと言うし、かと言って俺の答えはどうすれば・・・・・・?

 

「・・・・・・小さい方も嫌いじゃないが、大きい方がいい・・・・・・かな?」

 

 敢えて小さい方をフォローしながらも、疑問系で答えた。断言するよりは、断然にこっちの方がいい。

 

 小さい方を推すと、確実にロリコン扱い。ならば、丁度いい位とか答えたらまた聞き返される。そして、男性的には大きい方がいいと思う・・・・・・自分の好みだから、仕方ないよね?

 

「「///」」

 

 約二名ほど、上機嫌になり・・・・・・

 

「・・・・・・私、小さい」

 

 約一名ほど、不機嫌になった。

 

 

 

 さて・・・・・・

 

 

「やっぱり、こいつはロリコンじゃなかったか?」

 

「でも、美空ちゃんって大きいぜ?」

 

 

 問題はこの二人・・・・・・

 

 

「何にしても───」

 

「そうだな───」

 

「「やっぱりお前も大きい方がいいよな!」」

 

 

 子供に変な事を教えた罰、与えなきゃね?

 

 

「・・・・・・覚悟はいいか?」

 

「「───へっ?」」

 

 何って───

 

「───もちろん、子供に変な知恵を与えた罰に決まってるじゃん♪」

 

 チサキは苦笑い。美海と美空はきょとんとしている。

 

 そんな死刑宣告は、無慈悲にも実行される。

 

「ちょっと、待った!」

 

「マジで、すんませんした!」

 

 俺は逃げながら謝る二人のエロ野郎を捕まえて、覚えた関節技の数々を実行するのだった。これを止められたものは、誰もいなくて、止める者すらいなかったという。  




はい。誠も男の子ですよ・・・・・・決して、ロリコンじゃありません。
ええ、断じて違います。何せ、まだ美海は恋愛対象じゃないので・・・・・・ね?
というか、気づいていないというか・・・・・・まあ、年齢が年齢ですので。


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第二十一話  移りゆく時間

やっと書けました。


 

 

 

 翌日。少し暑い中、いつも通りの時間に起きた。周りには朝ご飯の匂いが立ちこめており、光と至さん、アカリさんは起きたようで此処にはいない。隣の部屋で、学校に行く準備と仕事に行く準備、それぞれの準備を行っているのだろう。美海は俺と一緒の布団で寝ているため、まだ寝てる。

 

 その目の前で寝ている美海は、幸せそうな顔で寄り添うようにして寝ている。

 

 俺が起きた時間に起こす約束な為、問題は無い。今も俺が美海と一緒に寝ている理由としては、布団を買えば良かったのだが敷く場所がない。

 

 

 ───つまり、寝る場所がない

 

 

 ということで、俺が美海と寝るということになったのだ。一悶着起こしたのは俺だけで、美海は反発しなかったために多数決で負けという結果になったのだ。

 

 

「お~い、起きろ。美海」

 

「ん・・・・・・んぅぅ・・・・・・」

 

 美体を揺さぶりながら、声をかけると寝ぼけ眼の美海が一発で起きる。座ったまま体を起こすと、寝ぼけ眼をこっちに向けながらもまだ俺を見ている。

 

「朝だぞ、美海」

 

「うん・・・・・・おはよう」

 

「はい、おはよう。もうみんな起きてるだろうから、顔洗って朝ご飯を食べるよ」

 

 短い挨拶で、美海はよたよたと隣の部屋に向かって歩いていく。

 

 俺はその間に布団を片づけるのだった。

 

 

 

──────

 

 

 

 予想通り、隣の部屋ではアカリさんが弁当を作っており、至さんはもう漁協に出勤、光は席について出来上がった朝食を食べていた。

 

 先にこっちに来た美海は、顔を洗って着替えもしたようで、今は学校に行く準備中だ。

 

 

「おはようございます、アカリさん」

 

「うん、おはよう誠君」

 

 テレビは何時ものようについており、いつものように天気予報が流れている。アカリさんは弁当を詰めているため、美海の分と俺の分のご飯を茶碗によそうために茶碗を取り出してご飯を盛る。

 

「あっ、誠ダメ!」

 

「いやいや、これくらいいいでしょ?」

 

「私がやるから誠は座ってて!」

 

 これもダメなのか、美海が気づいてこっちにかけてきた。アカリさんと光辺りから来る暖かい視線が突き刺さるが、光の方はもうニヤニヤとした嫌な感じの顔をしている。

 

 

 ───正直に言うと、慣れた

 

  

 一々気にしているのも疲れるし、嫌な慣れだと思うけどそれも仕方ないだろう。ロリコンとか言いたいのだろうが、小学生に手を出すとヤバいからな・・・・・・捕まるよ。

 

 俺が美海か美空、どちらかと一緒にいるときにこの視線を感じるのだ。アカリさんにいたっては、美海といるときだけなのと、前から感じているが少し柔らかくて暖かい感じなので気にしない。

 

 

 押し切られた俺は仕方なく、朝食を食べている光の前に座る。流れる天気予報はこの前のぬくみ雪が嘘のように、気温の高さなどを伝えていった。

 

【え───、最近は異常気象が続いているので───】

 

 全く、その通りだ。

 

 まだ外では蝉が鳴いており、暑さを感じさせて夏だと言うことを実感させる。

 

「光、ちゃんと準備したか?」

 

「当たり前だろ。アカリにも言われたぞ」

 

 不機嫌そうにそう返すと、光はふてくされてしまった。特に気にすることもないが、いつものことなので放っておく。その間にも美海が皿を両手に持って、俺の目の前に置いた。自分の分も台の上に置くと、俺の隣に座ると持ってきてなかった箸を俺に渡して食べ始める。

 

「いただきます」

 

 美海は手を合わせてそう言うと、食べ始めた。俺も美海に遅れて『いただきます』と言うと、自分もおかずをつつき始めたのだった。

 

 

 

 数分で全部食べ終わった。

 

 

 

 皿を片づけると、俺は鞄を手にして家を出る為に靴を履く。美海はもう先にでて、学校に向かった。俺は光と学校に向かうために扉を閉める。

 

「行ってきます、アカリさん」

 

「行ってらっしゃい、誠君、光」

 

「行ってきまーす」

 

 少し遅い時間。このままいけば遅刻確定だろうが、昨日のお仕置きに凄く体力を使ったために走る気にもならない。のそのそと歩きながら、光と一緒に学校までの道を歩いていく。

 

 朝なのに殆ど人が通らない・・・・・・。

 

 光と俺は無言で歩き続けながら、アスファルトの上をゆっくりと歩いた。道路脇の歩道を歩いて、遅刻確定なのにそれを気にしない二人で。・・・・・・普段の俺なら気にしていただろう。人間、休みたい時なんていくらでもあるものだ。

 

 気づくともう校庭に入っており、終始無言だったのは光にしては珍しい。下駄箱で靴を履き替え、教室までの長い廊下を歩き、教室の扉の前にたつ。もう授業は始まっていて、遅れたのに悪気の一つもないのはどうでもいいだろう。

 

「すいません、遅れましたー」

 

「・・・・・・」

 

 俺が挨拶・・・・・・もとい、謝罪の言葉と共に教室に入るとみんなの視線がこっちに向く。先生も先生で、何故か驚いたような顔をしている。

 

「あれ、海村の子は全員休みかと思ったけど、光君と誠君は来たんだね」

 

「・・・・・・は?」

 

 その言葉を聞いた俺はマナカ、チサキ、要の座っているはずの席を見る。そこは本当に誰も座っていなくて、光も見た途端に驚いたような顔をした。

 

 ───昨日は元気だった。

 

 あいつ等が風邪に同時になるのは可笑しい、それに一応、チサキと要はしっかりしている。俺が気付かないはずもなく、

突然の休み・・・・・・村で何かあったか?

 

「村の連中・・・・・・!」

 

 光も何か気づいたのか教室に入らずに鞄を放り出して、走り出した。

 

 

 先生は唖然としている

 

 

 江川と狭山は『いきなりどうした?』とでも言いたげな顔

 

 

 他のクラスメイトも驚いている

 

 

 結論───うろこ様を殴りに行く。

 

 恐らくだが、今頃村で何かあったのだろう。それも登校できないような・・・・・・そんなことは一度もなかった。これまで過去を振り返ってみても、そんな事は一度もない。

 

「すいません、もしかしたら俺と光は休みます」

 

「え、ちょっ、誠君もかい!?」

 

 光が投げた鞄を拾うと、俺も教室を後にする。制止の声とか聞こえるが、それどころではない。

 

 

 走った

 

 不安を払いのけて

 

 

 鞄が邪魔だ

 

 でも、性分の所為か捨てない

 

 

 走り続けていると、曲がり角で目の前に見覚えのある影が映った。茶色の髪を持った、病院でよく会う以上に見かける女の人。当たりそうになったが、そこは当たらないようにギリギリかわす。

 

「キャア───!!」

 

 でも、かわしたはいいが自分は前のめりに倒れた。右手と左手を突いてしまい、少しピリッとした痛みが右手を襲うがそれどころじゃない。

 

 そのぶつかりそうになった美和さんは、びっくりして地面に座っていた。突き飛ばした訳じゃないから大丈夫だと思うけど、若干、涙目だ。

 

「いった~い──って、誠君!? ご、ごめん大丈夫!?」

 

「大丈夫です、すみませんが退いてください」

 

 心配してきた美和さんが俺の右手に向かって自分の手を伸ばす。そして触れた瞬間、振り払いたいのを我慢して触られるがままに触られる。温かくて、落ち着く・・・・・・。

 

「どうしてこんなとこに、学校は?」

 

「海の子が全員来てないんです。光も走っていきました。あいつらに何かあったかもしれないのに、俺はのんきに授業受けているなんて出来ませんよ」

 

 立ち上がると、驚いている美和さんを置いてまた走り出す。

 

 

 俺は気づかなかった───

 

  ───美和さんが凄く心配して俺の走り去るところを見ていることに。

 

 

 

 

 

 

 海に潜り、村に着いてみるとそこは悲しくて寂しい街になっていた。海の底にあるこの街は、まるで昔海に沈んだ都市のように人気がない。外に1人ぐらい人がいるだろうと思ったが誰も見あたらない。

 

 ───嫌な予感は当たった

 

 それが海に関することだって今、わかった。恐らくは昔聞いた、うろこ様の昔話が関係しているのだろう。それも海神様の鱗とはいえ、一応は神の一片だからバカにできない。

 

 ・・・・・・してたけど。

 

 兎に角、俺はうろこ様のいる社にでも向かうことにした。この現状はうろこ様と宮司の灯さん、町内のオッサン共で決められたことだと思う。確かこの前はチサキ達のとこも・・・・・・前言撤回、村全体で決められなきゃ、チサキ達が学校を休む理由にはならない。というか、理由を知りたがる。親としては、それくらいするだろう。

 

 歩き慣れた道・・・・・・踏む度にイライラする。ぬくみ雪を踏み、進んでいく中でも誰とも会わない。

 

 それから数分たち、社への道、後は曲がり角を曲がれば社が見える。そこで俺は見慣れた人物を目にした。私服に身を包んだチサキが、誰もいない中、社の前で立っている。

 

「チサキ、お前は何してるんだ。こんなとこで」

 

「誠・・・・・・だって、誠なら此処にくると思ったから・・・・・・」

 

 どうやら俺の行動はチサキに詠まれていたようで、先回りされていた。私服で大丈夫な様子から、風邪とか病気のたぐいではないことがわかる。それにほっとした。同時に、村の決定への怒りが沸いてくる。

 

「・・・・・・そうか」

 

「私ね、知らせに行きたかったんだ・・・・・・でも、どうすればいいかわかんなくて、何を話せばいいか分かんなくて気づいたら此処に・・・・・・」

 

 悲しそうなチサキは俯くと、ただそう呟く。

 

 チサキはこれからの村の方針を知っているのだろう。

 

 俺が知らない、まだ知らない話を知っている。だから答えることは出来ない。俺の中には現状を把握できていないために答えがなかった。

 

 

「ほう・・・・・・来たか。待っておったぞ、少年」

 

「じゃあ、なんでチサキ達が学校を休んだのか教えてくれるんですね?」

 

 

  ────────うろこ様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺とチサキ、うろこ様、光、マナカ、灯さんは社の中に集まっていた。青い炎がうろこ様の後ろで燃えており、その勢いは何時もより小さい。何回目だろうか、此処にきたのは・・・・・・よくうろこ様に文句を言っていた、話をしたことは何度もある。

 

「さて、皆そろったな・・・・・・チサキもまたいるようじゃが、まあ良いかの。特にこの昔話は、お前とチサキは2回目じゃろうが、覚えておろう?」

 

「いいからうろこ様、早く話してください」

 

 前置きをするうろこ様に、ピリピリした視線を送る光。マナカと光の様子が可笑しいが、それ以上に気になることがあるので今はどうでも良いだろう。

 

「・・・・・・昔、海神様は海を捨てた人間を見て悲しみ、海の底に引きこもった・・・・・・」

 

 昔、うろこ様が語った昔話をまた語り始めるうろこ様。

 

 

 海神様は人間に忘れられると同時に力を失っていった。弱まり続けて、力を失い続けた海神様は1人で孤独に嘆く。

 

 

 ───海神様が力を失った時

 

 ───ぬくみ雪が陸と海に降り積もり

 

 ───やがて人間が暮らせないくらいの寒さになる

 

 

 そんな中で、1人の陸の女性が海神様に会いに行った。海の奥底に潜んだ海神様にお願いをしに、自然が崩れるのを止まることを願った。

 

 降り積もるぬくみ雪と寒冷を止めるため、人間の絶滅を防ぐために会いに行ったのだ。

 

 

 

 ───これが言い伝えにある、今の現象の全てじゃ

 

 

 その言葉で締めくくられ、話は終わった。うろこ様は何時も通りの顔で、世界が滅ぶ宣言をした後とは思えない顔で、俺達を見据える。

 

「これを乗り切るために与えられたのが、エナ・・・・・・それが、海神様がお主らを眠らせて人間が住めるようになるまで無事に眠らせてくれるじゃろう」

 

 嫌な話だ・・・・・・世界の崩壊の話、これを知らずに死ねたら恐怖を感じることも無かっただろう。知らない幸せもこの世界にはある。それが今の話だ。簡単に言うと、俺たちはのうのうと眠り続け、寒冷が収まるまで待てと言うらしい。

 

「待てよ、じゃあ地上の人間は、どうなるんだよ!! 知らせねえと、学校の奴らはどうなるんだよ!!」

 

「光、地上は地上だ」

 

 怒る光に地上のことなど知らないとでも言いたげなうろこ様。

 

 このままじゃ死んでしまう。

 

 

 美海

 

 美和さん

 

 美空

 

 至さん

 

 慎吾先生

 

 学校の先生

 

 クラスメイト

 

 

 どれも俺の大切な人達で、海とは違った俺の居場所・・・・・・何も無くなった俺にとっては、大切で何よりも守りたいもので海だけを選ぶことは出来ない。

 

 

 

「誠は何で何も言わねぇんだよッ!!」

 

「うるせえ、黙ってろッッッ!!!!」

 

 光の八つ当たり同然の言葉に、俺は怒りを露わにして言い返した。光より大きな声で、チサキとマナカが怯えているがそんなことは関係無い。

 

「───俺は海で眠りはしない。どうせなら、陸で生きて死んだ方がマシです。今眠って、誰もいない世界で生きるよりは最後の時間を、俺は大切にします・・・・・・失礼しました」

 

 後悔なんてしない。そう思えた俺は1人だけ立ち上がり、この空間から出るために扉に手をかける。

 

 

 起きたときにいない人達

 

 いない世界 

 

 独りぼっち

 

 

 

 ───なら、未来なんていらない

 

 

 

 帰り際、一つだけ声をかけられた。

 

 

「誠、せめてお前は金曜の宴会くらい来い・・・・・・明日までは、此処におるんじゃぞ」

 

 うろこ様はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 side《うろこ様》 

 

 

 光もチサキもマナカも、誠も帰った後。儂と灯だけの2人は酒を飲んでいた。杯に酒を注ぎ、悩める若者達の苦悩をつまみとしての考え事。

 

「あやつは本当にまっすぐじゃのぅ・・・・・・灯よ」

 

「はい、うろこ様」

 

 必要以上の事を語らない灯に嫌気がさすが、儂の興味は誠だけ。光の坊主と娘共も興味の対象じゃが、オジョシよりは今の誠の現状にはひかれる。

 

 ───似ている

 

 そう言えばいいのか、あやつは今は海に居場所が殆ど無い状態。寧ろ、陸の方で楽しく過ごす機会が増えておる。親を亡くした今は、海で冬眠をしたところであやつに良いことはない。

 

 

 

 

「まあ、あやつは居場所がないからの・・・・・・好きにさせた方が、あやつにとっては幸せじゃろう」

 

 

 ───もしかしたら、惚れた女の気持ちも分かるやもしれん

 




シリアス過ぎるとネタに困るよね・・・・・・。
でも、これにはシリアスを外せない。
別物になっちゃうしね。


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第二十二話  冬眠の宴会

宴会ですね、オジサン達の


 

 

 

 久しぶりに我が家に帰ってきた。

 

 長い時間空けていたので、少し埃っぽい気もするが今はそんなの関係ない。どうせみんなが眠っている間は陸にいるんだから、この家とも少しお別れ・・・・・・母さんとの思い出を大切にするため、父さんについて行かなかったこの家を置いて陸にでるのは何とも妙な話だ。

 

 

 ───後悔はない

 

 

 美海には『絶対にいなくならない』と約束した。

 

 だからこそ俺は眠らない。

 

 

 第一、俺にとって新しい家族と言える人達とは眠っている間は会えないのだ。

 

 何時目覚めるかもわからない、そんな不確定な未来でもう一度会えなくなると言うのなら、俺は眠らないことを選んだ方がいいと思う。

 

 

 ───海に残っているのは『家』だけ

 

 

 みんなといるこの時間を大切にしたい。無機物は何時までも残る。壊れない限り、絶対に無くなることはないだろう。

 

 それとは別で、人間の一生はすぐに消えるもの・・・・・・あいつらには親がいる。それに対して俺はもう海には失うものは生まれ育った『家』だけで、家族なんていない。

 

 

 

「・・・・・・いや、まだ両方を取るって選択肢もありか・・・・・・」

 

 誰もいない玄関でそう呟き、靴を脱ぐと家の中を進んでいく。見慣れた光景を目に焼き付けるようにして、親との過去を振り返らないように目の奥へと焼き付ける。

 

 やがて、俺は一つの黒電話の前で立ち止まった。今日はあっちに行けないことを報告するため、至さん家の電話番号をダイヤルを回して繋げる。

 

 

 ガララララ────ガチャッ───プルルルルル───

 

 

 慣れた音と共に呼び出し音が鳴り響き、長いコール音が続く・・・・・・時刻は午後5時で、今頃は誰か1人ぐらい家にいるはずだと思ってかけたのだが、誰もでない。

 

 仕方なく受話器を戻そうとしたところで、繋がった。

 

『もしもし・・・・・・?』

 

「ああ、美海か・・・・・・アカリさんはいる?」

 

 出たのは美海で、綺麗な声で戸惑ったように『誠ッ!?』と驚くと、俺に対しての文句を連続で浴びせてくる。

 

 

 ───『何処にいるの?』

 

 ───『まだ帰ってこないの?』

 

 ───『学校を飛び出したって聞いた!』

 

 

 などと、まるで母親のように心配してくる。

 

 それと同時に、俺は少しだけ嬉しくて泣きそうになった。『あぁ、やっぱり俺は地上が好きなんだな・・・・・・』と思えてくるのは、自分のことを思ってくれるのは嬉しい。

 

「ごめん、ほんとにアカリさんに替わって欲しいんだけど・・・・・・」

 

『わかった・・・・・・帰ってきたら、知らないもん』

 

 少し不機嫌そうな声で美海は呟くと、受話器の向こうでアカリさんを呼ぶ。多分、学校に行っても俺が居なかったことを怒っているんだろうが、この際は後で謝っておこうと思う。その後、数分でアカリさんに替わった。

 

『はい、もしもし誠君?』

 

「どうも、アカリさん」

 

『ねえ、学校を飛び出したって美和さんに聞いたけど、どうしたの? 誠君にしては、珍しいくらいの行動だよね? 光も飛び出したって聞いたし』

 

「実は・・・・・・」

 

 

 俺はアカリさんに今日の事を話した。

 

 まずはみんなが来なかったこと。

 

 海村の人は冬眠をすること。

 

 うろこ様の昔話。

 

 

 それを休むことなく話すと、アカリさんは受話器の向こうで沈黙を続けた。

 

「でも、俺は明後日には帰りますよ。美海に怒られちゃいますしね」

 

『うん、そうだね・・・・・・至さんと美海には、誠君と一緒に話そうと思う・・・・・・私も、まだ信じられないし』

 

「お休みなさい、アカリさん」

 

『お休み、誠君』

 

 少し早い挨拶をすると、俺は受話器を黒電話に戻す。誰もいない空間で、拳を握り締めてただ黒電話の前で佇むことしか出来ないのは仕方ないことだろう。今までつけてきた医療の知識さえ、この自然という名の神の災いの下では無力なのだ。

いや・・・・・・無駄なのだ。

 

「まだ・・・・・・もしかしたら、止められるかもしれない・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、俺は天井を見上げながら目を覚ました。最初は『此処はどこだ?』なんて思ってしまったが、自分が家に帰ってきていたことを思い出す。隣にいない美海にも驚いて、少し探してしまったのは地上での生活が習慣になって、自分がそれを当たり前だと思っているからであろう。

 

 ・・・・・・ほんと、何時も一緒だな。

 

 机の上にある医学の参考書などを見つめ、ベッドを整理すると溜息をつく。何も口にする気にも慣れないまま、無理矢理胃に朝食を詰め込んで家を出た。

 

 

 

 

 

 家を出て、制服ではない私服姿で街を歩く。ジーンズにTシャツ、パーカーという格好だ。朝早いのであまり人と出くわすことはない。

 

 何時もより静かな街並み、泳ぐ魚達、太陽の光は何故か久しぶりに感じて、自分が海で生まれて育った事を思い出す。

 

 半分以上は陸のような気がするが、別に問題ではない。

 

 

「おっ、誠じゃねえか~、久しぶりだな!」

 

「ああ、久しぶりですね、おじさん」

 

 俺に話しかけてきたのはメカブを持ったおじさん。名前は忘れたが、一応は知り合い程度の人だ。名前を覚える理由なんてないし、それで話はできるから殆ど気にしていない。

 

 顔は覚えているが、一考に思い出せないのだ。

 

「おう、今日はメカブたいてやっからな。楽しみにしとけよ!」

 

「はい、眠る前に腰をやるとか気をつけてくださいよ?」

 

 注意を促し、去ろうとする。だが、ここで思い出したようにオジサンが立ち止まった。

 

「そう言えば、さっき光が通ってったぞ。お前ら、集まるのか?」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 今度こそ、俺はその場を立ち去った。

 

 

 

 そしてまた歩き続ける。静かな街並みが心地良すぎて、歩いている時間すら忘れそうだ。陸も同じくらい好きとはいえ、

俺も海で生まれた子供なのだろう。

 

「おう、お前か・・・・・・」

 

「・・・・・・源さん」

  

 今度は源さんに話しかけられた。正直、気まずいくらいの雰囲気だが、相手が目を逸らしているのでこっちは逸らす必要がないのは楽だ。この前の一件とか、大人げなさすぎるし。

 

「ああ~、この前はなんだ、すまなかったな」

 

「いえ、こっちもカッとなってすみませんでした」

 

(ほんと、あれは驚いたぜ・・・・・・)

 

 先に口を開いたのは源さんで、申し訳無さそうに右手を頭の後ろに当てながらクシャクシャとしている。恥ずかしいという自覚はあるのか、本当に申し訳無さそうだ。

 

「だがよ、それも俺が投げた灰皿なんだよな・・・・・・大丈夫か?」

 

「はい、避け方くらい心得てますよ。回避しきれませんでしたけど」

 

 どうやら灰皿投げたのも源さんらしい。俺の周りに起こる厄介事は、その名の通り"源"のようだ。笑えない冗談なのは、親のつけた名前がいけないわけではないことを祈ろう。

 

「そうだ、今日は宴なんだ! 誠、お前も子供だが、心は大人だ! 俺が良い酒を用意すっからよ、今日はそんなこと関係なく酒に付き合ってくれや!」

 

「酒を子供に勧めないでくださいよ・・・・・・特に、小学生とかダメですからね?」

 

 この人はどうなっているんだろうか、子供に酒を勧めるなど・・・・・・苦し紛れにも程がある。

 

 俺は被害者にマナカやチサキがならないことを祈りつつ、源さんと別れた。

 

 

 

 また街を歩いて、チサキ達がいるであろう場所を探す。

 

 歩いていく度に俺はいろんな人に出会い、挨拶をすると同時に少しだけ今日の話をする。全員が俺を気遣っていることは明白で、重苦しい・・・・・・何でか、喜べない。

 

 果物屋のおばさん、八百屋のオジサン、魚屋のオジサン、駄菓子屋のお姉さん、などなどいろんな人に会いながらもチサキ達がいる場所を目指した。

 

 そして、たまに集合していた、学校に行くときに集合することもあった木の側で4人を見つける。みんな私服姿で暗い表情だった。

 

 

「おい、なにしてんだよ、こんなとこで?」

 

「誠か・・・・・・まあ、な・・・・・・」

 

 話しかけると目を逸らす光達。そんな中でマナカだけは誰にも目を向けず、ただ木によりかかって下を向いている。マナカと光には何かあったのだろう。どう見ても、両方ともお互いを見ない。

 

「流石に眠るとなると、ね・・・・・・」

 

「まあ、そうだな」

 

 いつも以上に焦っている要に、俺は軽くそう返す。それに馬鹿が反応するのは当然のことで、誰よりも熱い奴が気にならないはずはなかった。

 

「お前、それでいいのかよ! お前は地上で生きるんだろ!! 死ぬのが怖くねえのかよ!?」

 

「えっ、なんで誠は地上に・・・・・・?」

 

 肩をつかんでくる光に、不思議そうに聞いてくる要。

 

 

 ───誰もが思っているだろう

 

 

 俺はなんで地上で生きることにしたのか。

 

 なんで死ぬ方を選ぶのか。

 

 1人だけ地上で生きて、どうするのか。

 

 

 そんなとき、チサキが悲しそうな瞳で泣きそうになりながら、俺の目の前まで歩いてきた。震える手を握り締めては力無く足で進み、俺の目の前にたつ。光ですら、退くほどその様子は見て分かる。

 

「誠・・・・・・本気、な、の・・・・・・?」

 

「ああ、本気だよ・・・・・・まだいきなりは死なない。それに、約束もしたしね・・・・・・」

 

 見てて悲しんでくれているのが分かる。

 

「だとしても、なんでお前は冷静でいられるんだよッ!!」

 

 

 光は怒鳴り散らすように言った。

 

 

「───そりゃあ、冷静になろうが怒ろうが何も変わらない。それにさ・・・・・・まだ手がないわけじゃないと思うんだ」

 

 

「・・・・・・え?」

 

 

 耳を疑っただろう。

 

 昨日、一晩中考えた俺ですら突拍子もない、ただの迷信に近いものだ。対抗策とは呼べない、かと言って確証もないからやってみるしかない。

 

 

 ────────お船引きだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜

 

 あの後はみんなに状況を説明して納得───とまではいかないものの、自分の考えを話した。誰もが諦める中で自分のいたった考えを、どうしても1人で出来ることではないから。

 

 ───原因は海神様

 

 考えるとしたら、海神様の力が弱くなったのが前提条件。それはうろこ様の話でわかるから問題はない。

 

 ───人間が海神様を忘れた

 

 ───海を捨て、陸に上がったから

 

 ───お船引きが大雑把

 

 なんて突拍子もない考えが思い浮かぶが間違いはない。上の二つは伝承通りだから、海神様が力を無くして今の寒冷化が起こったのも疑問はない。その次のお船引きに関しては、最近は簡素なものへと変わりつつあるから否定できないのが事実だ。それにより、忘れられたと、その所為で力が弱まったと思われる。

 

 うろこ様に聞いてみたいが、どうせ答えないだろう。わかりきっているし、わからない、と答えるのが目に見えているのだ。というか、海神様は陸の人間に興味がないとも言える。

 

 

「・・・・・・俺がか?」

 

「宮司のお前がしなくてどうすんだよ!」

 

 今まで考えていたことを、思考の片隅に追いやった。

 

 気づくと目の前で誰かが宮司の灯さんをはやしたて、宴会の開始の音頭をとらせようとしている。渋々ながらも灯さんは立ち上がり、酒を片手に咳払いをすると何かを話し始めようとした。

 

「え~・・・と・・・不束・・・『かんぱーーーっい!!』」

 

 結婚の挨拶か何かと勘違いしてしまいそうだが、可哀想なことに灯さんは立たせられるだけ立たされて、無視されて乾杯の声が上がった。

 

 宮司の立場とか関係無くスベった灯さん。誰だよ・・・・・・なんか凄いかわいそうなんだけど。

 

 俺は完全に同情したい気分で、ただ柱に寄りかかりながら呆れる。この会場は満員、村の大きな会合とかに使われるのだが今日は宴会だ。村人全員がいるだろう。

 

「やあ、誠君、今は1人かい?」

 

「どうも、チサキのお母さんにお父さん」

 

 話しかけてきたのはチサキの両親だった。手にはビールを持って、仲良さそうな雰囲気で近づいてくる。そして俺の目の前に座り、さらにはつまみを取り出した。・・・・・・メカブだ。

 

「いやね、何時もならみんなでいるから君だけ1人なのは気になってね」

 

「ふふふ、家の娘は奥手だからかしらね。今も厨房にこもって、誠君と何か食べればいいのに」

 

 チサキのお父さんは誤魔化すのが下手だ。恐らく、俺を心配して話しかけてきたのだろう。それに対してお母さんの方は娘の恋を応援しているのか、はたまた告白したことを知っているのか・・・・・・恋愛に女は強いって、この夫婦を見たら頷けるのが不思議だ。

 

「大丈夫です、チサキも成長してますよ?」

 

「あらら、それはどういう事かしら」

 

 食いついたチサキの母親が、興味深そうに聞いてくる。隣の父親は少し不機嫌になりながらも、自分の娘の成長に四苦八苦というか悶え苦しんでいる。

 

「この前、告白されました」

 

「あらあら♪」

 

「───グハッ・・・・・・!」

 

 本当のことを告げた瞬間、チサキの母親は嬉しそうな顔、父親は吐血しそうな勢いでビールを飲みながらもむせて吐き出しそうになった。チサキママに背中をさすられながらも、冷静になろうとしている。

 

「それで、なんと、答え、た、んだい・・・・・・?」

 

「ええ、保留にしておいてくれと」

 

 むせながらも必死に聞いてくるチサキパパにそう答えると、安心したのか複雑な表情をしながら落ち着いた。ビールを煽り、さらにメカブを食べる。チサキママの方はビールをちびちびと口にしていた。

 

「あら、それは娘に魅力がないからかしら?」

 

「う~~~ん・・・・・・どっちなんだい、誠君」

 

 興味があるのか、チサキママは楽しそうに、チサキパパは真剣な顔で聞いてくる。親としては複雑なのか、まだ娘をやりたくない一心なのかは複雑なところだろう。

 

 

 ───チサキが好きなのが誰か知ってたんだろうな

 

 

 娘の恋は応援したいのだろう、というかチサキがいないこの瞬間を狙って俺に聞きに来たとも言える。だからこそ親として複雑なのだ。進行状況と、自分の心と戦うために・・・・・・。

 

「別に、魅力なら充分ですよ。色気たっぷりですしね」

 

「あら、まあ」

 

 

 

 

 

 ───それから1時間───

 

 

 

 

 あれから1時間経ったというのに、俺の前ではまだチサキのパパママがお酒を飲みながら自分の娘自慢と共に自分の娘を嫁として推薦してきていた。あの後と言えば、すぐにこの二人はお酒で茹で蛸みたいに出来上がってしまったわけで俺は約50分程、二人から『家の娘はどうだ?』などと言っているのだ。

 

「ほら~、誠君はチサキの体に興味ないの~? 誠君だったら~、チサキもすぐにえっちな娘に育って~、尽くしてくれると思うよ~」

 

「もうくれてやるーーーーっ!!」

 

 出来上がった二人は暴走気味だが、これはもう修正のしようがない。寝かせておくか、離れるかのどちらかしか逃げ道はないだろう。

 

 それを俺は軽く受け流しながら、宥めるように二人の面倒を見る。立場逆転していることに関しては、もうこの際はどうでもいいだろう。そうしながら、何か逃げる理由を見つけようとする。辺りを見渡し、バカ騒ぎ状態の大人達を見渡してそれはすぐに見つかった。

 

 

「お~い、チサキお前も飲めよぅ、そんでもって酌しろい」

 

「いえ、あの・・・・・・お酒は・・・・・・ちょっと・・・・・・」

 

 

 みた感じ、困り顔のチサキが酔っ払いの(源さん)オッサンに絡まれている。少し離れたところで、本当に困ったようなその姿は小動物みたいだ。

 

「すみません、ちょっとチサキを見てきます」

 

「あら~、勇者さんいってらっしゃいね~」

 

 誰が勇者だ、とツッコミを入れたいところだが気にせずに立ち上がり、チサキの方に向かって歩いていく。チサキママとチサキパパは若干、眠そうに船をこいでいるから大丈夫だろう。

 

「はいはい、源さんそこらへんにしてよ。チサキが困ってるんだから」

 

「おう、お前も飲めや、誠~」

 

 源さんがコップを差し出し、俺はそれを受け取りながら座る。少しチサキの顔が赤くなった。それを気にせずに、俺はコップの中に入ったお酒を一気に飲み干す。

 

「ちょっ、誠!?」

 

「おう、良い飲みっぷりじゃねえか!」

 

 驚いたチサキは心配そうにこっちに寄ってきて、源さんの持っていたお酒の瓶を奪うようにしてとるとラベルを確認してアルコール度数を見る。

 

「これ、30%!?」

 

「良い酒だろ?」

 

「だからって、耐性がないチサキに飲ませないでくださいよ。成長途中なんですから」

 

「確かに育ってるよな~おっぱい、どんくらいだ?」

 

 この発言を聞いた瞬間に、チサキは俺の後ろに隠れた。顔をリンゴのように真っ赤にしながら、自分の体を抱きしめるようにして隠している。胸の膨らみは隠しきれていないが、オッサンにとっては酒のつまみだった。

 

 ・・・・・・別に、俺が言っていたのは肉体機能に関してなのだが。

 

 それをエロネタにもってきた源さんは凄い人だ。ついでに、奥さんに話を聞かれて何処かに連れて行かれればいいのにとも思っている。

 

「マナカよりはデケェーわな。それによぉ、お前ら若いもんには起きたらやってもらわなきゃいけねえことがある。いっぱい子づくりして、ドンドン産んでもらわなきゃ村が滅びちまうよ。特に光の坊主とマナカはあれだからなぁ、おまえ等がその分がんばんねえといけねえや」

 

「こ、こ、こ、こづくり・・・・・・///」

 

 チサキがオーバーヒートしかけるほど顔を真っ赤にして、源さんを再起不能にするまで俺は酒に付き合うのだった。




誠がついに飲酒を・・・・・・
お酒は二十歳になってから。
・・・・・・え、誠?


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第二十三話  私の日常

美海sideで金曜日のお話。


 

 

 

 side《美海》

 

 

 誠が帰ってこない・・・・・・。

 

 

 昨日、突然電話がかかるはずのないところからかかってきて、知った嫌なお知らせ。あれだけ海に入っちゃダメって言ったのに、約束を破った。もちろん、誠の家は海だってわかっているけど。

 

 

 ───やっぱりこっちに帰ってきて欲しい

 

 ───毎日、顔がみたい

 

 ───寂しい

 

 ───誠に触りたい

 

 

 どうしてもこう考えちゃって、勉強に集中出来ないのは誠の所為だ。きっと、どんどん好きにさせてくる誠がいけないんだと思う───絶対そうだ。

 

 それに、誠の声が聞けて嬉しいと思ったら今度はアカちゃんに電話を代わって、って言うし・・・・・・ちょっと話がしたかっただけなのに、電話はきられてしまった。

 

 その後、アカちゃんが少しして『あっ、ごめん美海・・・・・・』って謝ってきた。少し困り顔で、不安そうな顔で私に語りかけるように・・・・・・ちょっと恨んだけど。

 

 

 

「はーい、───み─ゃん───い───る?」

 

 私は黒板をぼーっと見つめ、先生の言葉を聞き流す。

 

 此処は学校で、時間は12時くらい。しかも今は授業中で、算数なのだ。耳に入ってこない言葉を聞き流しながら、じっと先生に視線を移して見る。

 

「あれ? 美海ちゃん、この問題わかるかな? おーい、美海ちゃん?」

 

「──っ? あっ、はい・・・・・・」

 

 見てみると先生が困り顔で、私の顔を心配そうにのぞき込んでいた。距離は50センチくらいで、少し驚いたがなんともないように見せて、立ち上がる。

 

【30×12=?】

 

 黒板の前に行くと、少し簡単な掛け算が書かれていた。今まで黒板に目は向けていたけど、意識は向けていなかったので今になって問題を知る。

 

【360】

 

 と書いた私は、ゆっくりと席に戻って座る。

 

「うん、正解よ美海ちゃん!」

 

「凄い、美海!」

 

「うん、さゆ。ありがとう」

 

 誠に教えてもらってたから、ちょっと算数は得意だった。

 

 

 

 

 

 授業もようやく終わって、給食の時間。私とさゆ、美空は机をくっつけている。班っていうグループも決めてあるから、

その余計な人も机をくっつけているのだが、残りは全部、男・・・・・・あまり関わりたくもないし、自分からは極力は接触を避けている。

 

「ねえ、美空今日はどうする?」

 

「うーん、兄さんがいれば遊べるのですが・・・・・・昨日はいませんでしたし」

 

 さゆが今日の予定を美空に聞いてる。少し困り顔の美空は申し訳無さそうで、多分、誠の不在を考えて不用意に外で遊べないのだろう。それを考えて、誠に対する申し訳なさであまり勝手な予定をたてれない。

 

「───美海ちゃん、兄さんは今日は学校に行ったんですか?」

 

「・・・・・・知らない」

 

「「っ!?」」

 

 私はつい、誠が帰ってこないからそう返してしまった。美空もさゆも驚いたような顔で、顔を見合わせるとすぐにこっちに向いて様子を伺ってくる。

 

「・・・・・・どうしたんですか?」

 

「別に、なんでもない・・・・・・」

 

「美海、へん・・・・・・どうしたんだ?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 美空もさゆも気になるようで、私を見ては何かひそひそと内緒話をする。

 

(美海が可笑しい)

 

(何時もなら、兄さんの話題に飛びつくのですが・・・・・・)

 

(昨日、いなかったから?)

 

(そうですね、昨日なにかあったのでは?)

 

((もしかして───))

 

 最後の答えにたどり着いたのか、ひそひそと内緒話をしていたのをやめるとこっちをもう一度見て、二人してもう一度顔を合わせると頷いて真剣な顔で聞いてきた。

 

「「───美海(ちゃん)、誠(兄さん)は帰ってきた?」」

 

「・・・・・・・・・・・・帰ってこなかった」

 

 

((だから心此処にあらず、なんだ・・・・・・))

 

 

 美空は『アハハ・・・・・・』と苦笑いして、さゆは『美海は誠、大好きだもんな~』ってちゃかすように言うと、ニヤニヤとした顔でこっちを見てくる。

 

「誠って誰だ? 長瀬」

 

「あっ、えっと、沢渡君・・・・・・それはですね」

 

 話しかけてきたのは同じ班の男の子。

 

 

 沢渡 勝(サワタリ マサル)────何時も元気で活発な性格。クラスの人気者というか、クラスの中心人物って言うのが当てはまる男の子・・・・・・でも、女子のスカート捲りをしたりしている。

 

 ───捕まっちゃえばいいのに

 

 ───私は嫌いだ

 

 それに美空は自慢するように答えて、沢渡は『へぇ~』とか、興味なさそうに聞くけど美空の顔を見ているのに必死だ。

恐らく、好きなんだろうが美空は気づいてない。どっちかというと、優しく答えているのが奇跡と言えるくらいに嫌われても言い人物だと思う。美空も、相手しなければいいのに。

 

「───兎に角、凄い人なんです!」

 

「へぇ~、でもなんで長瀬は『兄さん』って呼んでるんだよ? 別に呼ぶ必要無いだろ」

 

 話し終わった美空。沢渡は少し不機嫌そうな声で、そう美空に聞いた。別にそれは人それぞれだと思うし、誠も気にしてないからいいのに。

 

「だって、まるで"兄さん"みたいに暖かい人なんです。優しくて、カッコヨくて、"理想のお兄さん"だからです(あとで知った話、実際は"兄さん"ですけど)」

 

「だから、お前に美空は振り向かないもんねー」

 

 誠のことを話す美空はまるで、私と同じだった。凄く楽しそうで、誠のことを何処までも見ていて、あの短時間で知れる量じゃないほどの事を知ってる。

 

 さゆはさゆで、良いことを言った。でも、ちょっと複雑。

 

 誠はみんなので、好きになるのもわかる、だけどこっちはチクッとする。

 

 沢渡は何時ものニヤニヤ顔を崩壊させかけながら、隣の峰岸 淳を見ると、そのまま話しかけた。

 

「なあ、俺って人気者だよな?」

 

「・・・・・・スカート捲りはダメだと思うけど、ある意味人気者だよ・・・・・・」

 

 峰岸 淳───あまり話したことは無い。どっちかと言えば、大人しい性格に入ると思う男の子。でも、私と話すときには何か、狼狽えるから何を考えているかわからない。同じクラスってだけで、他は何も知らないし、興味ないから知る気もない。

 

 でも、的確なことを言った、それは見直した。もしスカート捲りを褒めていたら、もっと関わりたくないと思えたと思うのはさゆも一緒? だけど、さゆは誰とでも仲良くしやすいから関係ないかな。

 

「勝、やめた方がいいと思うよ」

 

「なんでだよ? 見れて嬉しいだろ?」

 

「・・・・・・いや、みんな嫌がってるし・・・・・・ね」

 

「やめる気はない」

 

 ついでに言うと、私は学校でスカートをはかなくなった理由も沢渡の所為だったりする。

 

「美海、美空、近づいたら変態がうつるぞ」

 

「近づかないから大丈夫」

 

「私も、それは嫌ですね・・・・・・」

 

 さゆの言葉に誰もフォローを入れることなく、頷くと言葉を返した。

 

 このあと、授業はなくて帰るだけだから掃除をして学校は終わり。私達はサヤマートでアカちゃんの監視つきで、美空と遊んでから帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 起きると少し寒い。今日は土曜日で、パパもアカちゃんも仕事がない日。いっつも誠と寝てたから、なんだか隣が空いていて少しだけ寒い気がする。何時もだったら、誠がいて暖かいのに・・・・・・でも、今日は帰ってくる約束だから早起きした。

時間は6時くらい、アカちゃんも起きてないし、パパも起きてない。

 

 眠いけど、いつ帰ってくるかわからないから1人、テレビを見ながら起きてる。

 

【え~、暑くなったり寒くなったりと、最近の気象は───】

 

 最近だと、こんな天気予報が多くなった。ぬくみ雪って言うのが降ってから、寒くなったり暑くなったり、気象予報士の天気予報が外れたりと、当てにならない天気予報。

 

 ───ガチャッ───

 

 そんなとき、後ろからドアの開く音がした。急いで振り返ると、誠が手に買い物袋を持って、びっくりしたように私を見ると、ただ一言だけ───

 

 

 ────────ただいま

 

 と言った。

 

 

 私はちょっとだけ怒ってたのも忘れて、誠のところに走っていく。そして、躊躇いもなく抱きつく。

 

 こんな事が出来るのは今だけで、大人になったら出来ない。誠は少し嬉しそうに、私の頭を買い物袋を持っていない方の手で、優しく撫でてくる。

 

 袋を持っている手が逆になっていて、包帯を巻いていない手で撫でてきている。温かくて、少し気持ちいいから、アカちゃんの手と違ってこれも好き。

 

 

 

 

 

 私と誠は朝食を作り始めた。みんなが起きていない間に朝食を作ろうとしたらしく、朝一で食料を買って帰ってきてくれた。でも、私は反対したけど、一緒に作るって言葉に惑わされて、仕方なく誠と料理をする事にした。・・・・・・仕方なくだよね、仕方なく。

 

 お味噌汁、ご飯、目玉焼きに鮭の塩焼き。

 

 私がお味噌汁を作って、誠がそれ以外を全部。慣れているような手付きで作っていくところは、ママに似ているから立ち姿も重ねてしまう。

 

 昔も、誠はママと一緒にご飯を作ってた。だから似ているように見えるのか、それとも海が生まれだからかわからない。

でも、ママとは違う安心感がある。

 

「ふぁぁ~~・・・・・・あれ? 誠君?」

 

「どうしたんだい・・・・・・って、誠君と美海」

 

「おはようございます。アカリさん、至さん」

 

「うん、おはよう?」

 

「ああ、おはよう?」

 

 起きてきたアカちゃんとパパが、誠の姿に驚きながらも朝の挨拶をする。パジャマ姿で、二人ともまだ眠そうな雰囲気でそのまま自然に座布団の上に座る。

 

 出来上がったおかずは誠が皿にのせて、私はお味噌汁とご飯をついでアカちゃんとパパ、私と誠の分を持って行くとそれぞれの前において座る。

 

「私のすることなくなっちゃったね」

 

「うん、でもどれも美味しそうだ」

 

 手を合わせるアカちゃんとパパ。

 

「じゃあ───」

 

「「「「───いただきます」」」」

 

 アカちゃんとパパはまず、お味噌汁を飲んだ。

 

「美味しいね・・・・・・」

 

「うん、私のより美味しいかも・・・・・・これって、どっちが作ったの?」

 

「美海ですよ。それ以外は全部、俺が作りました」

 

 アカちゃんは少し落ち込んだようにそう言うと、誠が質問に答える。二人はそれを聞くと、お互いに顔を見合わせて頷くと。

 

「「誠君、美海いらない?」」

 

 意味がわかった私は少し顔が熱くなるのを感じた。

 

「アカちゃん、パパ、何言ってるの!!」

 

「そうですよ。だいたい、美海はまだ小学3年生ですよ? 確かに料理は簡単なものができて、可愛いから大人になったら良い女性になるのは一目瞭然ですが、早いですよ」

 

 だから赤くなっているだろう顔を隠しながらも、誠の様子を見ながらそう言う。それに反論した誠は、否定はしなかったが褒めてくれた。

 

「・・・・・・誠君、否定はしないの?」

 

「否定ですか? 無理ですね、未来は何が起こるかわからない。だから、否定するのは可笑しいと思いますよ?」

 

 私は少し嬉しくなった。誠がそう言ってくれるだけで、少しだけあった壁がない気がして、ちょっとだけ近くにいけた気がする。

 

「・・・・・・誠君、なにかあった?」

 

「そうですね・・・・・・あったと言えば、チサキの両親に『チサキはいらないか?』と小一時間程、薦められたり。此処にくる前にうろこ様を一発だけ、殴ってきました。『義務教育だから、学校に行かせなかったら殴る』って言って」

 

 よほど疲れたのか、誠は少し疲れたような顔で話し始める。それを見るアカちゃんはちょっとだけ、苦笑いをする。その瞳の奥には、悲しそうな感情が隠されているようにも見えた。

 




沢渡 勝はオリジナルなキャラ───地味にモブに近い奴です。美空が好き。だけど、告白は一度もしていない。

峰岸 淳───アニメの5年後に出て来る、美海を恋慕している少年。

なんか可哀想なので、ちょっとだけ出しました。
(オリキャラを出すのが面倒なだけだったりしないこともない)

でも、タグで決まっちゃってるんだよね。
アニメでは出番が少なかったし・・・・・・。


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第二十四話  決めたこと

ちょっと何時もより短いです。


 

 

 朝食を食べ終えた俺と美海、アカリさん、至さんはちゃぶ台の前に座っていた。テレビは消されており、静かな、そして少し重い空気が流れている。

 

「そういえば、なんで昨日は帰ってこなかったんだい?」

 

「うろこ様に言われてですよ」

 

 至さんはまるで俺が帰ってくるのが普通だとでも言うのか、当然のようにそう言うと、俺の答えに疑問を浮かべる。陸の人間にとってはうろこ様と言っても、想像がつかないだろう。

 

 事実を言うと、ちょっと嬉しかった。至さんがそう言ってくれて・・・・・・まあ、此処に住まわせてもらうつもりで海を出てきたのだけど、幸いにも一応、金はある。断られたとしてもどこかで家を借りて、暮らすことも出来たがそれは高校までで金が足りなくなるだろう予想は出来ている。

 

 それに、なんで陸で暮らすと言ったんだか・・・・・・その時は宛も何も考えてなかったのだが。

 

「・・・・・・なんで言うことを聞くの? 誠、帰ってこれたもん」

 

「確かに、僕はうろこ様がどれだけ凄いか知らない。誠君なりに、理由があったんだろう? だから、美海もふてくされてないで『ふてくされてないもん!』・・・・・・ごめんなさい」

 

 不機嫌な美海は俺から目を逸らしていた。至さんも美海の機嫌を取ろうとするが、逆に謝るという可笑しな立場になっている。

 

「・・・・・・アカリさん、話しますよ?」

 

「うん・・・・・・本当なら年上の私が話すべきだろうけど、お願い」

 

 一応、俺はアカリさんに確認を取った。目の前の不機嫌な美海と至さんに納得してもらうには、この家に置いてもらうには話すしかない。隠し通すことも出来ただろう。知らないという幸せもあっただろう。だけど、知っている幸せもあるから話さないでいられない、寧ろ協力をして欲しい位なのだ。

 

 アカリさんはまだ信じられないのか、もしくは信じたくないのか、話せない自分を責めているかのように、その握られた手には力が入っている。

 

「・・・・・・実は、昨日は帰ってこれなかった理由・・・・・・冬眠するんです」

 

「・・・・・・? 誠君、冬眠って人間がかい?」

 

「はい」

 

「・・・・・・それはなんでか、教えてくれるかな?」

 

 至さんの反応は予想通りだった。でも、"冬眠"という言葉以外には説明できない。寒さを凌いで、寒い時をやり過ごすというのは生物が行う冬眠そのものだからだ。医学的にも、エナは海の中で呼吸できるという事しか知らなかった。

 

 ───いや、正確には知らなかったというべきだろう

 

 実際にその行動を、現象を、見たわけではない。それを知るのはうろこ様ただ1人、宮司の灯さんだって見たことがないだろう。

 

「まずは、この言い伝えからです───」

 

 

 

 オジョシサマのお話、昔話、うろこ様から聞いた神話のような話。

 

 ───訪れる氷河期のようなもの

 

 ───世界の終わり

 

 ───1人の女性の海神様への謁見

 

 

 

「───という昔話があるらしいです」

 

「・・・・・・悲しい物語だね」

 

 聞き終えた至さんは半信半疑といった感じで、腕を組んで考え始めた。

 

「だから、金曜日は食べ物を詰め込んで、後は絶食して眠ろうという話だったんです。エナがいずれ熱くなり、俺達を眠らせてそれが通り過ぎたら目を覚まさせてくれる・・・・・・」

 

「だから、帰ってこなかったわけか・・・・・・」

 

 半信半疑ながらも帰ってこなかった理由には納得してくれたようだ。至さんは頭をかいて、必死に整理して頭を落ち着かせようとする。

 

 俺は一番心配な美海の方をみた。子供には理解しがたい話で、今の美海には人間が死ぬという現実くらいしか理解できていないだろう。

 

 その美海は凄く寂しそうな、悲しいような、そんな視線を俺に向けている。さっきまでの不機嫌もこの話の何処かに消えて、凄くつらそうだ。

 

「美海、大丈夫か?」

 

「・・・・・・誠も・・・・・・アカちゃんも眠っちゃうの・・・・・・?」

 

 返ってきた言葉は、寂しがる子供のような震えた声で弱々しく発せられた。今にも泣きだしそうな美海は、俺の服の袖をギュッと握り締める。

 

 ───いかないで

 

 ───もう、消えて欲しくない

 

 ───一緒にいたい

 

 ───眠らないで

 

 ───死んじゃうのも嫌・・・・・・!!

 

 子供の我が儘みたいだと思うだろう、そんな感情で美海は声にしたくても出来ない。それを行動だけで示して、自分の意思を表そうとしている。服を掴んでいる手は弱々しく震えて、その小さな肩もその所為か我慢出来ずに揺れている。

 

「私はいなくならないよ。美海と一緒に起きてる」

 

「アカちゃん・・・・・・」

 

 今まで黙っていたアカリさんが、美海に語りかけるようにそう言った。美海も少しだけ安心できたのか、それで少しだけ震えが小さくなる。

 

「・・・・・・誠君は、どうするんだい?」

 

「俺も同じです。陸で起きてますよ。美海と約束しましたし」

 

 聞いてきた至さんに答えながら、俺は美海の頭の上に手を置いた。そして、ゆっくりと優しく撫でていく。髪が柔らかくて、さらさらしてて、凄く綺麗な髪・・・・・・美海の顔は涙でもうクシャクシャになっている。

 

「ほら、おいで。約束しただろ?」

 

「っ・・・・・・誠」

 

 俺が美海に優しく言うと同時に、美海は小さな体で抱きついてくる。俺は何も言わずに抱き締めた。その小さな体を優しく壊さないように、頭と背中を撫でながら。

 

 美海から啜り泣く声が聞こえる。必死に抑えようとしている声が漏れて。

 

 至さんはただその光景を見守り・・・・・・

 

 アカリさんは微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 十分くらい経っただろうか・・・・・・美海の啜り泣く声も聞こえなくなり、やがてそれは小さな寝息へと変わった頃。俺は美海をゆっくりと少し離してから、左手を美海の膝裏に、右手を美海の肩を抱くようにして持ち上げた。側から見たらお姫様抱っこにしか見えないそれ。美海が起きていたら、慌てていただろう。

 

「寝ちゃいましたんで、布団にでも寝かせときましょうか」

 

「そう・・・・・・なら、私の布団が出しっぱなしだからそれに寝かせてあげて」

 

 アカリさんが隣の部屋への扉を開き、美海を抱えた俺はそのまま入っていく。そこには出しっぱなしの布団が綺麗な状態で置いてあり、そこにゆっくりと美海を降ろして寝かせる。そして、布団をかけると音を立てないように忍び足で部屋から出て扉を閉めた。

 

 アカリさんと至さんは出てきた俺を見て、キョロキョロと辺りを見回し、その視線の先には俺が海から持ってきたリュックが一つおいてあった。玄関先に、結構大きめな黒のリュックは、二人にとっては気になる対象のようだ。誰だって中身は気になるだろうし、隠す必要もない。

 

 そのリュックを俺は掴むと、元座っていた場所に持って行き座る。

 

「結構、量多いね」

 

「まあ、アカリさんの時よりはですけどね」

 

「中には何が入ってるんだい?」

 

「えっと・・・・・・着替え、財布、預金通帳、教科書、ノート、筆記用具、寝袋、テント、調理器具と調味料。これぐらいしか思いつかなかったので、これだけですが他にも何か足りないものってありましたっけ?」

 

 そう言いながら、リュックから色々と部屋の中に広げていく。それをみたアカリさんと至さんは、『なんでテントに寝袋に調理器具?』と言いたそうな顔で、視線を順番に移していた。

 

「うん、もうこれ半分サバイバルする気だったよね」

 

「僕としては、それには反対かな・・・・・・」

 

 当然のように俺には拒否権など存在しないわけで。───かと言って、俺に当てがあるわけでもないので反論できなかった。父さんからのお金は今も途絶えずに届いてる。でも、陸で暮らす時点で俺が何処に住んでいるか、こっちから教える気もない。さらに言うと、聞かれても教えない訳だが。

 

「すみません、泊めて下さい・・・・・・」

 

「うん、誠君なら美海も大歓迎だよ」

 

 兎に角、俺は頭を下げてお願いした。帰ってきた言葉は『美海』が大歓迎という何故か美海の主軸な話なのだが、此処で俺は何故かアカリさんからの好機の視線を浴びることになった。

 

「そう言えば、誠君が頭を大人に下げるって初めてかも・・・・・・」

 

「そうなのかい?」

 

「うん、何時も村の大人達全員、誠君に口喧嘩が始まる前に負けてたから」

 

「それは凄いね・・・・・・」

 

 確かに俺は大人相手に頭を下げるのは初めてだった。今までそんなこと意識した覚えなんてないが、一度も頭を下げた覚えはない。

 

「あっ、それにアルバムもないよね? 家には幾つかあったのに」

 

「どうしてだい? 一つぐらい、写真を持っていてもいいだろう?」

 

 唐突な質問が飛んできた。でも、俺にとっては昔決めたことで、今も守り続けている・・・・・・いや、縛り続けている掟のような自分への言い聞かせ───

 

 

 

 ─────────今の俺に、過去を思い出す資格はありません

 

 

 そう躊躇いもなく答えた。

 

 




区切りがよかったので、何時もより短めに・・・・・・
この先に行くと、サブタイトルに困る!
って、理由で短めですが。


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第二十五話  家族として・・・・・・

オリキャラの追加設定。

進藤 慎吾(職業お医者さん)
年齢は30代後半。陽気な医者。
この人に診察を頼むのが怖い人は多数いる。
誠は慎吾先生と呼び、美和は進藤先生と呼ぶ。
陽気だから"狂った科学者"と間違えられることもある。
面白いことが好き。


 

 

 

 時刻は昼過ぎくらい。昼ご飯を食べた俺は今日、病院に来ていた。何故かというとアカリさん曰わく『美和さんが心配してて、来るように言ってたよ?』と言うことだ。俺も怪我の包帯は早々に解きたい(主に、クラスの連中が包帯を見て何処かのイタい病気を連想する)ため、定期的な病院通い・・・・・・骨折してから一度も来てないけど。

 

 兎に角、このままじゃ料理もしにくいから外す前に来なきゃいけないわけだ。治ってたら外せて、治ってなかったら後は何週間か様子見・・・・・・事実を言うと、これ以上は邪魔で面倒なのだ。ギブスじゃないだけマシだが、元から処置が包帯だけだというのも、おかしな話だ。

 

 目の前では白い棟が立ち、自動ドアの扉が俺の帰りを待っている。流石に病院の前で立っているだけにはいかないので、

何度目かになる自動ドアを通った。

 

 中に入ると看護師と医師が忙しなく動いており、何らかの理由で病院に来た人達はアナウンスで呼ばれるのを待つために椅子に座り、待っている。俺はその中を歩き出して受付に向かった。

 

 受付では1人のお姉さんがこっちを見て、最早、顔見知りを超えた知名度になっているのか、俺が近寄るともう何があったか分かるように、

 

「今日は、どうしました?」

 

 と声をかけてきた。

 

「ただの検査です」

 

「あら、子供が1人で・・・・・・噂の誠君ね? 最近は、包帯をしてるって聞いたわ」

 

 どうやら俺は、個人情報が慎吾先生あたりによってばらまかれているらしい・・・・・・。

 

「慎吾先生ですか・・・・・・」

 

「ええ、そうよ。珍しい医者志望の子供が昔からいるって」

 

 

 ───しかも、俺は珍獣扱いだった

 

 

 俺を見る看護師の目は物珍しいものを見るように、包帯を見たり、落ち着いた様子に疑問を浮かべたりしている。

 

(ほんと、大人びているわね・・・・・・)

 

 納得したような看護師は手際良く仕事をして、何かを書き込んでいく。俺の身長で見えるには見えるのだが、勝手に見て良いものではないので大人しく待った。

 

「じゃあ、診察券出して下さい」

 

「はい」

 

 あらかじめ用意しておいた診察券をポケットからだし、渡すとまた何かを書き込む。

 

「では、名前を呼ばれたらそこに向かって下さい」

 

「どうも」

 

 何時も通り慣れた受付だった。

 

 

 

 

 

 受付を終えた俺はただ1人、静かに椅子に座りながら待っていた。この退屈な時間は何時も通りで、やっぱり好きにはなれない時間だ。と言っても、この時間を好きという人はいないだろうが・・・・・・あったとしても、"待ち時間をただ待つ"のがよほど退屈じゃない人間だけだろう。

 

『長瀬さーん。長瀬 誠さーん、2番の診察室へお入り下さい』

 

 ついに呼ばれたので、俺は財布があることを確認して立ち上がる。落としたら生活費の一部が無くなるわけで、気をつけているのだ。

 

 俺は慣れた廊下をゆっくりと歩き出して、その診察室に向かう。扉の前に立つと、何時も通りに躊躇いもなくゆっくりと開け放った。後ろ手にドアを閉め、中にいる人を確認する。

 

「あっ、来てくれたんだ誠君♪」

 

「おお、来たか誠君」

 

 予想通り・・・・・・軽いノリの美和さんと慎吾先生。もう美和さん達が病院ではなく、"自分の家に軽く呼び出したノリ"なのは気にしないことにする。

 

「どうも、美和さん、慎吾先生」

 

「さて、診察と行きたいところだが・・・・・・その服にあるミステリーサークルは何か教えてくれないか? なんでそこだけ濡れているのか気になってね」

 

 そう言って、慎吾先生は俺が着ている服のお腹から胸までにかけての辺りを指差す。そこには何かで濡れたような、そんな黒い後が残っていた。

 

 覚えがあると言えば、美海が泣いていたからなのだが・・・・・・エナは人の涙で濡れた服の水分は乾かすことが出来ないようだ。海水と成分は似てると思うが、エナでも無理があったらしい。

 

「まあ・・・・・・女の武器ですかね?」

 

「ふむ、女の武器と・・・・・・なる程、君は女の子を濡らしたわけだ」

 

「卑猥な発言はやめて下さいよ・・・・・・」

 

「ならば、童貞卒業おめでとうとでも───」

 

「違いますよ!? だいたい、何を勘違いしたらそうなるんですかッ!?」

 

 話さない俺が悪いのか、何故か卑猥な方向に持っていこうとする慎吾先生。その側では美和さんが、口元を隠しながら頬を赤くしている。

 

 思わず叫んでしまったが、此処は病院なので───

 

 

「誠君、大声はいかんぞ?」

 

「そうだよ誠君、此処は病院だよ?」

 

「誰の所為ですか・・・・・・」

 

 

 ───怒られた

 

 俺の呟きは二人に届かず。

 

「溜息したら幸運が逃げるよ?」

 

「もうとっくの昔に逃げてますよ」

 

 という心配そうな美和さん。

 

 

 なんで俺が病院に来てまで疲れているのだろうか? 

 

 病院は怪我や病気を治すところで、疲れるようなところじゃないはずなんだが、美和さんと慎吾先生の相手は凄く疲れるとしか言えない。楽しいと言えば楽しいのだが、病院にそんな要素を求めているわけではない。

 

 だけどこれを気に入っているのも事実だった。

 

 

「さて、冗談はさておいて誠君が女を泣かしたか・・・・・・相手は誰だ?」

 

「う~ん・・・・・・あっ、もしかしてチサキちゃんかな? この前告白されたって聞いたし」

 

 話題が元凶の慎吾先生によって戻されるが、美和さんも美和さんだ。何故か"俺が悪い"という前提条件の下に会話がなされているのは、この二人のチームワークか。チサキの件については俺が悪いのは事実。だから、少し天然が入っている美和さんの予想もあり得ることだから意外と的を射そうな答えだ。

 

 だけど違う。

 

 いや・・・・・・俺が悪いのは事実だが、まだ泣かしていない。

 

「違います。美海ですよ」

 

「「・・・・・・・・・・・・???」」

 

 予想がつかないのか、顎に手を当てて考え始める美和さん達。当然、冬眠のことなど予想がつくはずもないのだが、必死に考える姿が俺の目には映っている。

 

「むぅ、逢い引きの相手は美海ちゃんだったか・・・・・・犯罪だぞ?」

 

「そのネタはもう引っ張らなくて良いですよ・・・・・・」

 

 慎吾先生は慎吾先生でネタを引っ張り出し、俺はツッコミを入れることに。美和さんだけは真剣に考えているようで、これ以上はストレスで胃に穴があく───胃潰瘍になるだろう。

 

「わかった! 痴話喧嘩だ!!」

 

「結局、答えはそこですか・・・・・・」

 

 

 ───前言撤回、美和さんは変な天然が悪い方向に発展したようだ。

 

 

「さて、冗談はこれもおいといて話してもらおうか」

 

「え? 違うの?」

 

 切り替えた慎吾先生と真面目にも答えていた美和さん。美和さんはあれを、持ち前の天然パワーで凄く真面目に答えたらしい。

 

 結局、俺は診察も進まないので話すことにした。

 

「美和さん、この前、ぶつかりそうになりましたよね?」

 

「うん、だから病院にきてもらったんだけど・・・・・・?」

 

 ちょっとだけ自己嫌悪に陥っている美和さん。良い人だな、と思いつつも話を続けるために一度ため息をついてから、一呼吸して口を開く。

 

「実はですね、汐鹿生・・・・・・冬眠するんです」

 

「・・・・・・冬、眠」

 

 その言葉だけじゃ理解できないだろう、美和さんが呟いた。慎吾先生も言葉の意味を模索し、頭の回転を早めて答えを自分からだそうとしている。

 

「・・・・・・ふむ。いったい、どの範囲が冬眠するのだね? 汐鹿生というと、海の村・・・・・・それが冬眠と言うことは恐らくだが、海村の人も・・・・・・ということか?」

 

「はい、そうです」

 

 慎吾先生は予想をあて、それを聞いた美和さんは何処か悲しそうな表情になった。

 

「人間が冬眠・・・・・・何故だ?」

 

「それがですね・・・・・・寒冷化が進んで、そのうち人間が住めなくなるらしいんですよ。だから、この前、美和さんとぶつかったあの日・・・・・・次の日に、ご飯を沢山食べて絶食・・・・・・冬眠するんです」

 

 ───だから、美海は泣いていたんですよ

 

 

 

 

 

 side《美和》

 

 

 今日は誠君がちゃんと病院に来てくれた。あのぶつかりかけた日から心配で、アカリさんに病院に誠君が来るように頼んでおいたけど、ちゃんと来てくれたことと、顔が見れたことに安心した。嬉しかった。

 

 誠君が病院に来る度に私と慎吾先生はいつも診察を担当しているけど。これも実は私が仕組んだことで、本当なら誠君の診察を毎回出来る訳じゃない。でも、病院の看護師や医師に事情を話して、必死にお願いするとみんな笑ってお願いを聞いてくれた。

 

 ───『誠君が来たら、担当を私にして下さい!』

 

 最初に事情を話していない時は変な人と思われたけど、事情を理解してくれた。みんな、優しくて私の職務中の我が儘を簡単に通してくれた。

 

 ───『子供の心配をしない親なんていないものね』

 

 そう言ってくれて、誠君が来る度に私と進藤先生に診察が回ってきた。それからは誠君が来る度に欠かさず、私と進藤先生は誠君の診察をやってる。

 

 たまに鷲大師でも会うことがある。偶然でラッキーでも、会えると嬉しくて、誠君の話は何時も楽しくて、一緒にちゃんと住めたらなとも思った。

 

 でも、伝えたら見守ることが出来ない・・・・・・出来るのならば、本当は早く伝えて家族として仲良くなって、親だと堂々と言えたらいいんだけど・・・・・・怖い。

 

 

 話せばこの関係も崩れて会えなくなるかも知れない。

 

 もう、二度と修復できないかも知れない。

 

 誠君に嫌われて、避けられるかも知れない。

 

『騙したのかよ・・・・・・! ふざけんなよッ!!!!』って言われて、嫌われるかも知れない。

 

 

 何度も考えた。

 

 そのたびに諦めた。

 

 怖かった。

 

 

 私は最初に会うこともなく拒絶され、誠君が独りで生きている間も家族で楽しく過ごし、暮らしてきた。たまに頭から誠君の存在が抜け落ちたり、考えなくなることもあった。

 

 思い出す度に心が痛くなって、誠哉さんも時々、思い出しては悲痛な顔をする。後悔と怒り、自分を責めているときは何時も決まってお酒を飲んだとき。そのたびに誠哉さんを慰めて、そのたびに犯されるって生活が幾度となく続いた事もあった。愛なんてない。

 

 朝になってからは謝られることもなく、起きた誠哉さんは仕事に無言で行き、気まずい空気も流れては美空に心配されたりと、誠君中心の生活が続いた。

 

 

 誠君が告げた世界の終わり。

 

 オジョシサマの昔話。

 

 そのための冬眠。

 

 

 だからこそ、それを知った瞬間に私は不安しかなくなった。誠君が眠ってしまう、これで見守ることも、一緒に住むという願いも叶わなくなってしまう。誠君が起きてくるのはその危険が去ってから・・・・・・つまり、私はその頃には死んでいるだろう。

 

 もう二度と会えることもなく、ただ悲しい日々が待っているだけ。

 

 

 

 今は誠君はレントゲンを撮っている最中で、私は進藤先生と一緒にその傍らで見ている。右手の骨折をしたというのにあの時は無表情で、痛みすら感じているようには見えなかった。昔、誠君は"どこかに感情を置いてきてしまった"と、思えるくらいに無表情が多い。

 

 誠君の持つ落ち着いた感じの雰囲気は大人を越えていて、私と比べものにならない。言うならば、私は感情表現が多いけど誠君は対極的・・・・・・つまり、私は子供っぽい。誠君の方が大人に見える。身長も、誠君の方が若干だけど高いし、並んだら親子とは思われないくらい。

 

「はい、終了・・・・・・誠君、さっきの部屋に戻るぞー」

 

「はい、わかりました」

 

 終わったレントゲンを持って、進藤先生が部屋から出る。私も誠君がゆっくりと歩いていくのを後ろから見ながら、また元の部屋に戻るために後ろから観察していた。

 

 

 部屋に戻るとレントゲン写真を進藤先生がボードに貼り付け、誠君もまた元の椅子に座って自分もそのレントゲン写真を見つけると、ため息をついた。それもその筈、骨はそろそろくっついても良いと思うのだけど、その骨はくっつくどころか新しい罅が入っている。

 

「見事だな、誠君・・・・・・おめでとう、君はまだ包帯を巻くことになりそうだ」

 

「・・・・・・嬉しくないですよ」

 

 骨折して治そうとして、今だに治っていない誠君・・・・・・それどころか、悪化しているのがレントゲン写真には写っていたのだが、進藤先生が皮肉な言葉を贈る。

 

「さて、まあこの話は今はどうでもいいだろう・・・・・・君は、眠るのか?」

 

「っ・・・・・・!?」

 

 進藤先生の言葉に私は驚いた。最も知りたかった答えを、聞こうとしてくれている。でも、それと同時に私は聞くのが嫌だった。

 

 ───わかりきった答え

 

 それを聞くのが怖い。それはお別れの言葉と同義で、聞けば私は泣いてしまうかも知れない。誠君の前で、バレてしまうかも知れない。

 

 現実を受け止めるのが怖い。

 

 その口から聞くのが怖い。

 

 はっきりと拒絶されるのが怖い。

 

 今にも耳を塞いで、聞くことが出来ないようにしたい。言葉が聞こえなくならないか、とか願ってしまった。だけど、紡がれる言葉は全く別のものだった。

 

 

 ───俺は陸で生きます

 

 

 耳を疑った。

 

 

「誠君・・・・・・ほんとに?」

 

「ええ、美海との約束ですから・・・・・・って、なんで泣いてるんですか!?」

 

 気づけば私は涙を流して、頬を濡らしていた。流れる涙は止まらなくなって、嬉しいはずなのに何故か涙が止まらないことに困り、慌てて拭くけど止まらない。

 

「ちょっと、美和さんどうしたんですか!?」

 

「ハッハッハ! 嬉し泣きだろう、美和っちは誠君大好きだからねぇ~。このやりとりが出来なくなるの、寂しいんだよ誠君。医者やってて、俺も一番楽しかったから」

 

 誠君は私が泣き止むまで、ずっと慰めてくれた。進藤先生のからかいに誠君が反発しながらも、私を抱き締めて頭を撫でて子供扱い・・・・・・ちょっと恥ずかしいけど、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 誠君が帰った後、私は進藤先生と一緒に同じ部屋で誠君のレントゲン写真を見ている。

 

「よかったな。美和っち」

 

「変なあだ名付けないで下さいよ」

 

「いやいや、あの慌てようは面白かったよ。良いものを見させてもらった」

 

「確かに・・・・・・あそこまで狼狽えた誠君なんて見たことありません」

 

「女の武器とはよく言ったものだ」

 

 誠君の私の涙を見てからの慌てよう、凄く新鮮だった。確かに、女の武器は涙とよく言ったものだと思う。誠君ですら、勝てないのだから、誠君のゆういつの弱点だ。

 

「───まあ、本当に良かったな・・・・・・」

 

「はい・・・・・・ありがとうございました」

 

 何時も陽気な進藤先生。今日だけは本当に感謝できるし、協力者としては良い人だ。私も折角のチャンスを無駄には出来ない、お船引きが終わったらちゃんと───

 

 ───伝えなきゃ。ね?

 




まだ前半が終わらない・・・・・・。
何でだろうか?
でも、疎かにするとね・・・・・・わからなくなるんだよね。
うん、頑張ろう。


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第二十六話  嫉妬 願い 約束

や、やる気が・・・・・・。


 

 

 side《美海》

 

 

 あれから何日か経っちゃった。経ってしまった。私が誠に抱きついて、泣きついて、誠の温もりと優しさに甘えて何日も何日も・・・・・・あれから私は誠と一緒にお風呂に入ったり、ご飯を食べたり、一緒に寝たりと甘え続けてはそれに答えてくれるって・・・・・・ダメとは言わなかった。

 

 流石に誠と一緒にお風呂に入るのは緊張して、恥ずかしかったけど。誠も最初は断ろうとしたけど、私のお願いを簡単に受け入れてくれた。

 

 ───何時か死ぬなら私は誠ともっと今のうちに楽しく過ごしたい

 

 だから私は精一杯、誠が眠らないってわかってても甘えた。私は自分だけの為に、自分の欲だけの為に、誠の事も考えずに私だけ・・・・・・誠の家が何処かも考えずに。

 

 誠の家は海にあって、光やマナカさん、要さん、・・・・・・そしてチサキさんがいる。

 

 私は昔から誠がなんで一人暮らしか知ってる。お母さんが死んで、お父さんは新しい生活を手に入れるために海からでて陸に上がり、誠を置いて何処かに行った。誠は自分から海からでないと言った。思い出を捨てたくない気持ちで家を捨てない誠と一緒だったのに、それを知っていたのに、誠は私の気持ちをあの時全部分かってくれたのに、私は今の誠の気持ちなんて一切考えていない。分かってない。

 

 それに、私は"あのときの約束"で誠を縛り付けている。

 

 小さな家出で海に落ちたとき、誠が助けてくれて、私の気持ちをわかってくれた。

 

 

 ───『もう二度と大切な人をなくしたくない』

 

 

 また、いなくなるのが怖くて出た私の気持ち。もうそんなこと起こって欲しくなくて、私は『大切な人』が消えて欲しくなくて、自分から遠ざけた。

 

 その時にした約束───

 

 

 ───『絶対にもういなくならない』

 

 

 誠はそう言って、海の中で抱き締めてくれた・・・・・・今じゃそれが誠の枷になってる。

 

 約束は破らない、それが誠の良いところで、誠が眠らない理由。この前も『約束したから』って私を慰めてくれた。それからだ、私が甘えて・・・・・・甘えすぎているのは。

 

 チサキさんに関してもそう・・・・・・

 

 誠に告白したって聞いたし、私には出来ないことだ。

 

 陸で起きているから優しい誠は未来がわからない約束はしない。もしチサキさんが眠っている間に誠が死んだら、起きたチサキさんはどう思うか・・・・・・私だったら、辛くて、悲しい。だから誠は応えない。あれだけチサキさんと仲が良いのに、

誠もチサキさんが好きなはずなのにだ。

 

 "大切な人"がいなくなる悲しみを知っているから、私の約束の所為で・・・・・・。

 

 チサキさんは優しいし、甘えないし、スタイルよくて綺麗だし、性格も良いのに。私からしたら誠とチサキさんはお似合いのカップルなのに、私の所為だ。

 

 ───私が誠を縛ってる

 

 

 

「私・・・・・・ひどい子だ・・・・・・」

 

 そう呟いた、私の口からは自責の念がこぼれる。

 

「? どうしたんですか、美海ちゃん・・・・・・?」

 

「・・・・・・?」

 

 私の呟きが聞こえた美空が心配して、私の顔をのぞき込んできた。さゆは形見分け?とか言いながら、ノートに何か必死に書いている。でも、美空しか私の呟きは聞こえなかったみたいだ。

 

「ううん、なんでもない・・・・・・」

 

「・・・・・・そうですね、私もそんな気分になります」

 

 美空はそう言うと、再び黙り込んだ。美空だけは私達の学校の中で一番、大人びているから上級生からの人気もあって告白されることもある。その余裕からか、そう呟き返した美空の声は皮肉にも聞こえた。

 

「ねぇ、美海。私のキラキラシールあげるからさ、美海のイチゴの匂いのする鉛筆をちょうだい」

 

 さゆは形見分け───死ぬ前にお互いの宝物を交換する───に集中していた。それを私は聞きながらも無視して、美空の言ったことに疑問を浮かべる。聞こえているのだが、私には宝物なんてもうどうでもよかった。だから、さゆの言うこともただ聞いて流すだけしかしてない。

 

「・・・・・・ねぇ、美海と美空聞いてる?」

 

「「・・・・・・」」

 

 私と美空は無言でただ階段に座っている。

 

「・・・・・・やっぱり、死ぬのって怖いのかな」

 

「「・・・・・・」」

 

 突然、出てきた言葉に驚くさゆと美空。私の口から紡がれたその言葉に、二人は暗い雰囲気で私の顔を悲しそうな目で見た。

 

「・・・・・・なんでそんなこと言うんだよ、美海」

 

「美海ちゃん・・・・・・さゆちゃん・・・・・・」

 

 忘れようとしていたのだろう、さゆは若干だけど震えている。そういう私もそう。だけど、美空だけは震えることもなくただ私とさゆの顔を交互に見る。その大人ぶった姿に、私はイライラした。

 

 ───嫉妬

 

 そんな言葉が似合うだろう、それくらいは分かっている。でも、私は誠に近い美空に嫉妬した。わかっているのに、美空の気持ちも今は考えないで。

 

「美空、何時もそうだよね・・・・・・大人ぶって、自分は死ぬのが怖くないって。死ぬのが怖くない人はいいよね。覚悟できてるんだから、もう心配することも無いんだから」

 

「み、美海・・・・・・それはっ・・・・・・」

 

 さゆが止めようとするけど私は止まらない。止めたいのに、私の口からは嫉妬やイライラのこもった言葉が美空を攻撃するように吐き出される。

 

「───原因不明なんだよね? いきなり肺が呼吸出来なくなったり、喘息じゃない病気。今は治療できない原因不明の病気だから、治し方もわからないって。覚悟なんて、昔から出来てるんだから」

 

「・・・・・・わ、私は・・・・・・」

 

 最後まで言い切った私は、ただ目の前で泣いている美空を見た。何時もの笑顔は消えて、ただひたすら涙を流してその場で私をいろんな感情のこもった目で見ている。

 

「わ、私は・・・・・・好きで、こんな体、になったんじゃ、ありません・・・・・・!」

 

 美空は泣きながらそう言うと、私達の前から走り去っていく。

 

 もし此処で誠が見ていたなら私のことをきっと嫌いになって、美空のことを追いかけて、それで慰めていただろう。もう心の中で何かわからないモヤモヤが渦巻く。私はただ、言ってはならないことを、言ってしまったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side《美空》

 

 

 私は少し涼しい夏の日差しの中、ランドセルを背負って走っていた。目から溢れ出る涙をぬぐいながら、運動にあまり慣れていない体を必死に動かして。

 

 もう体が悲鳴を上げている。

 

 肺は普段、運動をしないからか痛い。

 

 それでも私は走った。

 

 

 本当は美海ちゃんだってあんなことを言いたかったんじゃないってわかってる。でも、突きつけられた現実に私はただそこにいたくなかった。

 

 怖い・・・・・・

 

 もちろん、私は死ぬのが怖くないなんて思ったことはない。だけど、私は強がっていないと生きられないから、ママやパパに心配をかけたくないからそうしているだけ。

 

 それが美海ちゃんの何かに触れた。

 

 それが何かは分からないけど頭が変になって、私はそれ以上聞きたくなくて逃げ出した。

 

 走って

 

 走って

 

 走って

 

 サヤマートの前を走り去って、家を通り過ぎて、

 

 ただ独りになれる場所が欲しくて、独りだけで泣ける場所が、誰にも迷惑をかけないですむ場所が欲しくて私は誰もいないであろう森を目指す。

 

 昔から独りでいたい時に見つけた秘密の場所。

 

 それが見えると私は走るのを止めて歩く。此処なら誰にも見つからない、私だけの秘密の場所だから、痛みをこらえながらも私は歩いた。

 

「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

 漏れる息苦しそうな声は、森の中の風の音にかき消えていく。

 

 此処は森だから好き好んで来る人なんていない、私はそう思って、誰にも見つからない秘密の場所に座り込んだ。

 

 それと同時に、私の口から嗚咽が漏れる。目からは涙が溢れて、見える景色が滲んで見えた。

 

「ひっく・・・・・・うぅ・・・・・・うぇ・・・・・・!」

 

 漏れる声は抑えられない。

 

 でも、そんなとき・・・・・・

 

 

「あれ・・・・・・こんな所でどうしたんだ美空?」

 

「ひっく・・・・・・ふぇ・・・・・・?」

 

 ───兄さんが、私の前に現れた

 

 私は抑えきることが出来なくなって、涙も溢れ出るばかりで止まらない。兄さんは驚いたような顔でこっちを見て、さらに増す私の涙を見て、近寄ると抱き締めてきた。包まれる感覚と、温かさと、それらが私の中の涙の栓を崩壊させる。止まらない涙は大泣きへと変わった。

 

「大丈夫だよ。美空、泣いて良いから」

 

 その声は優しくて、すごく安心した。

 

 

 

 

 

 泣いていた私は膝を抱えて座り、その隣には無言で兄さんが鞄とレジ袋を地面に置いて、何も聞かないでただ隣に座っている。少し薄暗い此処は私の心を落ち着かせてくれて、兄さんが隣に座っているというのに全然違和感がない。慣れているのか、それともこれが当たり前か分からないけど、これが兄さんなのかな?って思ってしまう。

 

「・・・・・・兄さんは・・・・・・聞かないんですか・・・・・・?」

 

「ん? ・・・・・・まあ、聞かれたくないこともあるだろうし・・・・・・ね?」

 

 最初に沈黙を破ったのは私だった。自分の言ったことに自分で驚くが、不思議と話すのは嫌じゃないと感じられる。此処数日でわかった兄さんの性格に、安心して、私の心が慰めを求めているのだろう。

 

 でも、昔は違ったのに・・・・・・。

 

 私は今まで独りで耐えてきた。それなのに私は誰かにすがりつこうとして、今になって諦めたくないと思えるようになったのは、私が何かにすがりつきたいのだろうか。

 

「・・・・・・私は、実は原因不明の病気にかかっているんです」

 

「・・・・・・」

 

 兄さんは私の言葉に沈黙した。兄さんなら私の言っていることの重さを、簡単に理解することが出来たんだろう。

 

「昔から・・・・・・私は体が弱かったんです・・・・・・」

 

「そうか・・・・・・」

 

 私は産まれたときから体が弱かった。未熟児として生まれた私は奇跡的にも死なずに生まれ、危険な状態になりながらも生を受けた。

 

 ママとパパは泣いて喜び、私をとても大切にしてくれた。でも、私は免疫力が低いのかよく風邪にかかったり、毎年のようにインフルエンザにかかったりと、いろんな病気にかかった。

 

 生まれつき・・・・・・私はそんな自分の体が嫌いだった。

 

 風邪にかかるだけでも治るまでに時間がかかり、完全に治るまでは2週間近くかかることも少なくなかった。その私を見る度にママは私を強く産まなかったことを悔やんでは『ごめんね、強く産んであげられなくて』って泣いて、私に買ってきて欲しいものを聞いてきた。

 

 その時に私は無意識にも、ものではない物を頼んだ。

 

 

 ───『お兄ちゃんが欲しい』

 

 

 弱音を吐く代わりに出た言葉はママを困らせたような顔にして、私はその時の記憶が無いけど何でか悲しそうな顔で何かを呟いたのは覚えている。

 

 

 そして5歳の誕生日、私にまた神様が嫌なプレゼントをくれた。

 

 この時にはもう既に喘息を発症していて、それだけでも凄くママは辛そうな顔をしていたのに、私には大嫌いな神様が新しいプレゼントを用意していた。

 

 5歳の誕生日の夜に私は大好きなプリンとケーキを食べるはずだった。その日はママとパパ、二人ともが家にいて毎年必ず祝ってくれた。でも、私がケーキの火を吹き消したところで異変が起きたんだ。

 

 ケーキの火を吹き消すと同時に私はいきなり呼吸が出来なくなった。電気は消されていたから、ケーキの火が消えるとともに部屋は真っ暗になる。そして、電気をつけたママは私が床に倒れている事に気づく。その時には私の意識も失われていて、ママは看護士の知識として人工呼吸を行ったらしい。

 

 それが、私の原因不明の病気の始まり・・・・・・この後は病院に行ったけど、何処にも異常はなくて私は生まれつきの体が弱い所為で喘息で片付けられた。誰も、何もわからなかった。

 

 

「私って、神様に嫌われているんです」

 

「原因不明か・・・・・・」

 

 話を聞いていた兄さんは草の上に座り込み、何を考えているのか難しい顔をしている。

 

「ママは自分を恨みました」

 

「・・・・・・良い親だな」

 

 責めることよりも兄さんはその話だけでママの想いを、ママの性格だと感じた。それが本当に思っていることなら、私の兄さんは打ち明けても仲良くできるんじゃないかと思える。でも、私が勝手に話すのはダメだから、出そうな言葉を必死に飲み込むことしかできなかった。

 

 兄さんは話を一通り聞き終えたと思ったのか、レジ袋を漁りだして私はその姿を見つめる。数秒して取り出されたのは、

サヤマートで買ってきたであろうお菓子の数々だった。

 

「ほら、これやるよ」

 

「・・・・・・いいんですか?」

 

「遠慮するな、好きなんだろ?」

 

「はい!」

 

 そう言って兄さんが差し出してきたのはプリンだった。兄さんはクッキーを取り出すと、その袋をあけて自分も好きな物を食べ始める。

 

「・・・・・・美味しい。でも、生活費とか大変じゃないんですか?」

 

「ああ、気にするな・・・・・・美海あたりに聞いたんだろう? でも、送られてきているお金には一切手をつけてないから」

 

 そう生き生きと言う兄さんの言葉に疑問が浮かぶが、私はその姿に笑ってしまった。可笑しくて、さっきまで泣いていたのが嘘のように心の中はちょっとだけ光が射した。

 

「手を着けていないって・・・・・・どうしてですか?」

 

「ん? いやさ、何か負けた気がするから・・・・・・だな」

 

 私のクスクスとした小さな笑いは、私のお腹を痛ませる。兄さんの意地っ張りな性格に、印象があわなくて余計に面白いと感じてしまう。兄さんの意外な一面に、知れて嬉しいより可笑しいの方が勝ってしまったのだ。

 

「で、でも、生活費がなくならないんですか?」

 

「ああ、その辺は大丈夫。節約しているからね」

 

 そう言う兄さんの何処かたくましい姿に私は胸が熱くなった。やっぱりこの人は良い人。自分の力だけで生きようとするその姿に、私の心は好きって感情を持ってしまったんだろう。優しさも、強さも、憧れと恋慕という感情を抱いて私の心を締め付ける。

 

「・・・・・・それで、美海とはどうしたの?」

 

「ぁ・・・・・・」

 

 やっぱりこの人はズルい。

 

 私が美海ちゃんの事を話していないのに、私が泣いていた理由を的確に当ててきた。ほんとうに魔法を使えるんじゃないのかと疑うくらい、この人はなんでも知っている。

 

「喧嘩でもした?」

 

「・・・・・・はい」

 

 そう言う兄さんの顔は笑ってもいなくて、怒っているわけでもなく、ただ私達を心配しているような顔だ。もう私がこの病気の話をした時点で気がついているのだろう。

 

「私は言われちゃいました・・・・・・『死ぬのが怖くないのはいいよね』って」

 

「そうか・・・・・・」

 

 それを聞いたとたん、兄さんは凄く悲しそうな顔でクッキーをかじった。

 

「───まあ、仕方ない・・・・・・とまでは言えない、でも美空はわかってる。美海は本当は良い娘なんだけど、美海も美海で今が凄く大変なんだ」

 

 そして兄さんは続いて・・・・・・

 

「──ごめんね」

 

「そ、それくらい分かってます! だから、顔を上げて下さい兄さんっ!」

 

 謝った。

 

 両手を地面について、頭を下げる兄さんはそんな理由もないはずなのに、土下座を私にした。こんなただの子供相手に、大袈裟だと思う。それも、子供の喧嘩なのに。

 

「俺はそんな大きな病気にかかったことはない。でも、痛みくらいは、少しくらいはわかるつもりだ。何時死ぬかわからない恐怖も、それが凄く怖いってわかる」

 

「兄さん・・・・・・」

 

 真剣な兄さんは私を抱きしめて、ただそう呟いた。今にも私はまた泣き出しそうで、震える体を安心させてくれる兄さんの感触が心地いいと思った。

 

「でも、俺はそれでも、今を大切にして欲しいんだ。今すぐじゃなくて良いから、美海とまた仲良くして欲しい。でさ、俺は少し強がりなんだ・・・・・・自分が死ぬのは別にいい。でも、周りの人達に死なれるのが一番怖い。だから、気休め程度かも知れない。けれど、俺は美空に笑っていて欲しいんだ───」

 

 

 ───俺が絶対に病気を治すから、美海とまた仲良くしてくれないか?

 

 

 その言葉は私に希望を与えてくれた。今まで作り笑いで耐えてきた私に、また生きる希望を与えてくれた。光が心の暗闇に射すようで、暖かい気持ちが心の中に溢れる。もちろん、美海ちゃんが本心でそう言ったわけではないのはわかる。

 

 私はそれだけで、幸せな気分になれた。

 

 

 




美空はアンノウンな病気にかかってます。
ええ、喘息とは別物・・・・・・体が弱い。

美海は嫉妬しちゃいました。
美空に・・・・・・ね?


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第二十七話  未来に進むために

5年まで長いよ・・・・・・


 

 

 

 side《アカリ》

 

 

 時間はお昼くらい。私はサヤマートで何時も通り、社長と店で働いていた。最近じゃ何故か美海の態度も少しだけ変わって、誠君も何処か静まった波のような感じだ。何時も通りといえば何時も通りなんだけど、誠君の様子というか雰囲気が少しだけ余裕がない。言ってしまえば、何かを待っている感じだと思う。

 

「暇だね~~~」

 

「暇ですね・・・・・・」

 

 社長がそう言うのもその筈。この店の中にお客はいなくて、さらには仕入れや在庫など、売上に関する資料をチェックしているのだが、最近はお客も、収入も減っているのだ。

 

「うちは魚も売りだし、こんな海村に助けてもらってたとは」

 

「まあ、冬眠しますから、海のお客も減りますよね」

 

 海村は冬眠する。だから、最近の売上も落ちてきていて、このサヤマートは少しだけちょっとした危機に入っていた。大してダメージは少ないが、そのお客が減るのもダメージ。入荷を減らし、そこのところの調整もちゃんとやらなければ何時かは赤字になる。それを社長は危惧していた。

 

「こんちは~」

 

「おっ、誠君か、今日も買い物かい」

 

「あ、誠君お帰り」

 

 そんな店に入ってきたのは誠君。学校の帰りなのか、制服姿で鞄を持ち、財布をポケットに突っ込んでいる姿は見慣れている。

 

「まあ、今日も好きなもの買っていきますよ。美海には料理しないように怒られたし、俺が料理しようとするとアカリさんまで止めますからね」

 

「ははは、それは災難だな。怪我も治ってないし、当然だがな」

 

 誠君の言うとおり、我が家では誠君の料理を禁止している。その理由としては骨折が悪化したためだが、自業自得としか言えないので、苦笑いする誠君には同情するしかなかった。

 

「そうだ、今日も少し安くしとくから沢山買っていってくれよ」

 

「商売熱心ですね」

 

 社長はせっかく入ってきた客に売り込む。まあ、今月は在庫の整理とかで仕方ないのだが、この前も沢山誠君はお菓子を買っていったし、常連といえば常連なのかもしれない。昔から誠君は此処に来ていて、流石は顔見知りと言ったところだろう。

 

 その誠君はお菓子のコーナーでいろいろと見ており、適当に好きな物をかごに入れるとレジまで持ってくる。

 

「これ、お願いします」

 

「はーい」

 

 差し出された籠の中を見ると、大量のお菓子が入っていた。

 

 ポテチに飴、チョコレートにプリン、クッキーなどのおおよそ千円以上のお菓子類。ついでに、飲み物として紅茶まで入れてある。まあ、これだけ買って飲み物が欲しくなるのもわかる。でも、この子は金銭的に大丈夫だろうか?

 

「誠君・・・・・・毎回こんだけ買って大丈夫?」

 

「ええ。別に心配しないで下さい。一応、俺は考えてますよ?」

 

 誠君の事だからミスはしないだろう、そう思って私はレジで計算をしていく。通帳を見たわけでもないから、残金が何円あるかも知らない。誠君のお財布事情は謎だ。

 

「はい、これで1356円です」

 

「はいよ、なら1200円にまけておくぞ」

 

 社長も気前が良いのか、私が言った額よりも少し下げた。誠君の一人暮らしは知っているため、この社長も良い人であるのだが、赤字になるかどうか心配だ。

 

「社長、太っ腹ですね」

 

「まあな、一番のお得意さんだからね」

 

 それを聞き流す誠君はお金を置き、一礼するとサヤマートから出て行く。だけど、誠君は何故か入り口から少しのところで止まって振り返った。だけど、見ているのは少しずれた場所・・・・・・店の裏あたりだ。

 

 私は気になって、社長に店を頼んで誠君の隣まで小走りで行く。

 

「どうしたの、誠君?」

 

「いや・・・・・・あれ」

 

 そう言って指さす先には美海達の姿があった。サヤマートの裏でこそこそと、何か必死にしているのだが、此処からじゃ何しているのかわからない。

 

 でも、美海とさゆちゃんの両方はこっちに気づくと、慌てて立ち上がる。

 

「何して───」

 

「こ、こないでーーー!!」

 

 聞こうとした誠君の声を遮ったのは美海だった。精一杯の大声で叫ぶと、凄く辛そうな顔で誠君の顔を見ると狼狽えながらも次の言葉を口から必死に紡ぎ出す。

 

「───アカちゃんも、誠も、大っ嫌い!! 海に帰れ!! アカちゃんも誠も冬眠しちゃえ!!」

 

「そ、そうだそうだーーー!」

 

 そう言うと、二人は走り出して何処かに行った。言う度に美海は辛そうな顔をしていたのは誠君にも見えていたようで、

走り去るときも美海からは涙が溢れていた。

 

 誠君はそれを追いかけることもせず、たださっきまで美海達がいた場所に足を向ける。私も一緒に歩き、その場所に行くと予想通りだったのか、誠君は笑っていた。

 

 

『どっかいけ』

 

 

 壁にはガムでその文字が書かれており、誠君が予想したのはこのことだろう。でも、若干だけど文字が歪んだように見えるのは、それは考えてやったのか、はたまた考えた訳じゃないのか・・・・・・誠君には、ただそれがどういう意味かわかったのだろう。

 

「・・・・・・美海は優しいですね」

 

「うん・・・・・・」

 

 美海はまだ親に甘えていたい年頃で、でも冬眠と死ぬっておかしな状況で、美海は美海で私たちのことを考えてくれたのだろう。だけど、それは誠君にとっても、私にとっても、もう決めたことだから愛情の裏返しは、美海の考えは痛いほどわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後の昼。私と誠君、光は至さんの勤める漁協に来ていた。本当は私も少し怒りを感じているのだが、これも誠君が決めたことだから仕方無い。光もオジョシサマのことは気にしているようにも見えないし、成長したように見えるけどやっぱりまだまだ・・・・・・誠君とは比べられない。

 

 そして、その反対側の机についているのは漁協の人達の5人。前にお父さん達と取っ組み合いした3人と、2人の若い青年達・・・・・・漁協の青年部。つまり、漁協の未来を背負っていく人達だ。今はまだ取っ組み合いした人達よりは下っ端だけども、その人達が引退したときには継いでいく。

 

 誠君は前のことなど気にしてもいないような雰囲気で、3人だけを見るのではなく青年部の2人にも目を向け、光は落ち着かないように頬杖を突いては自分の頬をトントンと指先でゆっくりと叩いていた。

 

 対するオジサン達はバツの悪そうな顔で誠君の頭の包帯を見て、右手のギブスを見て、落ち着かない様子で視線を隣のオジサンと合わせては目で会話をしている。青年部の二人は、凄く真剣な表情だ。

 

 

 まあ、こうなったのにも理由がある・・・・・・

 

 

 あの日、美海が泣きながら私達に言葉だけの悪口を言った数分後。走り去った美海を追いかけることもせずに誠君は美海の成長を見て、私がガムを片づけようとしたとき、私達2人の前にある二人の青年が現れた。

 

 その人たちは漁協の青年部の人達───今いる2人───だが、その二人があるお願い事をしにやってきたのだ。もちろんそれは内容を聞くまで理解できなかったのだが、私は誠君の代わりに怒った。その二人は誠君の怪我の理由を知っていたらしく、謝罪を『うちのおっさん連中がスミマセン!』とされたが、それは私が怒ってから。私は聞く必要もないと誠君に言ったが、誠君は私が納得する訳を話した。

 

『アカリさん、俺の代わりに怒ってくれるのは嬉しいです・・・・・・が、それではやってることは子供です。それに謝る必要もないのに、謝ったこの人達の話は聞くべきだと思いますよ? それに“至さんに連れてくることを頼まずに此処にきた”のはいたってまともな判断。俺を至さんに連れてこさせる事も出来ましたし、至さんなら『誠君に怪我をさせたことを謝りたい』と言えば、聞き入れそうですしね』

 

 誠君の言い分はもっともだった。至さんに言うことも出来たのに、それをしなかったのは常識的な判断と言える。現に謝る姿勢を見せたのは源さんだけで、この二人はその場にいなかった。喧嘩を起こしたのはこの二人でじゃないのに、私は理不尽にも怒った。

 

『それで、内容はお船引きについてですよね?』

 

『・・・・・・ああ、それであってる。だから、後日、アカリさんの弟も交えてもう一度話がしたいんだ。悪いな、本当はあの人等も此処に来たかったが、門前払いされちゃあって、俺らが来たんだ』

 

 唖然としながらも的確に当てた誠君に、私達は驚くしかなかった。見透かしたその目に、まるで感情がないようで不思議だった。

 

 

 それがあの日。

 

 

 だから私達は此処にいる。私も至さんが此処に勤めている手前、来るのは仕方無いことだろうと思うが、私は再確認を行うことにした。

 

 その前に、漁協のまだ若い二人のうちの1人が口を開く。

 

「えっと、本当にすまない・・・・・・君に怪我をさせて」

 

「「「───すまんかった」」」

 

 それに続いておやじ連中も頭を下げた。頭の固いオジサン達は、ある意味で立派な進歩だといえる。

 

「いいですよ。別に、美海に怪我をさせないだけ、マシでしたから」

 

「・・・・・・いいの? 誠君、君は怒る理由もあるんだよ?」

 

「まあ、怪我したのが美海だったら全員病院送りにしてましたね」

 

 その言葉に私は苦笑した。美海を第一に考える思考、それと恐ろしい脅しの言葉、その言葉には殺気や怒りなどは感じられないが、誠君の怒っている姿が目の裏に浮かぶ。

 

「光もいいの?」

 

「ああ、誠は何時だって正しい」

 

 そう言う光はやっと話が始まったかのように、急いでいるようにも見える。でも、誠君への信頼はつい先日、自分だけは眠らない、そう宣言されたのに無くなっていない。今まで誠君が得た信頼が、光を納得させる理由にもなった。だから絆は切れない、違う選択をしたのに。

 

「本当にいいの? オジョシサマを壊したのもこの人達だし、思いを踏みにじったんだよ? 今なら、別に断ることだって簡単。聞き入れる必要はない」

 

「ああ、別にあんなのどうでもいい。今は、やれるだけの事をやる」

 

 再確認に光は動じることもなく答えた。

 

 

 そして、長い両者の沈黙・・・・・・。

 

 

 

 

 

「それで、もういいですから話を続けて下さい」

 

「わかった」

 

 それを破ったのは誠君で、若い眼鏡の青年が話し始める。

 

「実は、僕らはお船引きをしたいと考えているんだ。漁協でも最近の天候は可笑しい、そして夏の間に降ってきたぬくみ雪が不思議だった。でも、僕らはそれだけじゃ出来ない。だから、海に話を通せる人間が欲しい。けれど、誠君達がやろうとして持ちかけたお船引きの話をけったのは僕たちだ」

 

 その青年と横の活発そうな青年は同時に頭を下げる。

 

「「───俺らに、お船引きを手伝わせてくれないか?」」

 

 若い青年2人が頭を下げるなか、オジサン達も次々と

 

「そのよう・・・・・・俺らも最近可笑しいと思ってな」

 

「寒冷化の話もバカには出来ねぇ・・・・・・」

 

「地上ではビクつく人間も出て来ちまってよ・・・・・・」

 

 

「「「───俺らも頼むッ!!」」」

 

 

 頭を下げた。

 

 真剣な表情が伺えるところ、本気なのだろう。

 

「光、いいよな?」

 

「ああ、俺もうろこ様の言いなりはごめんだ」

 

 示し合わせる二人。もう誠君達の中では決まっていたようだ。恐らく、誠君が自分の予想通りに事が運んだのだろう。それでなくとも、誠君ならやった。

 

「こちらからもお願いします。俺は地上が好きだ。だから、このまま黙って凍り付くのを待ちたくない。俺と光は海の人間に話をつなげます。だから、漁協は漁協で手伝って下さい」

 

 こうして、私達の・・・・・・いや、誠君の大きな一歩。

 

 

 未来に向けての精一杯の悪足掻きが始まった。

 

 

 

 

 

 




早く5年後に行きたい!
でも、脳が限界・・・・・・。


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第二十八話  道化師二人

今回は要に絡んだりする


 

 

 

 side《チサキ》

 

 

 朝、私は何時も通りに目を覚ました。少しだけ体が熱くて、私ももうすぐ眠るんだなと実感がわいてくる。それと同時に、私は少しだけの恐怖・・・・・・もしかしたら眠ると、もう二度と目覚めないかも知れない。次の朝に誠の顔を見れない不安があった。

 

「今日も、ちゃんと起きれた・・・・・・」

 

 私だけ先に寝ちゃうのは嫌だ。まだ、私は誠の目的、お船引きの準備中なのに私だけ眠るのは怖い。それに、もし"村が眠らない"という選択肢があるのなら、誠が帰ってこれるようにしなくちゃ。

 

「早く、準備しないとね」

 

 1人そう呟くと、私はパジャマを着替え始める。壁に掛けてある制服をベッドの上に置き、私は着ているパジャマのボタンに手をかけ、ゆっくりと脱いだ。

 

 それをベッドの上に投げ捨てると、下も同じように脱ぐ。

 

 下着姿になった私は次に、ベッドの上に置いてある制服をとって着た。そうして放り出しているパジャマを手に取ると、

丁寧に畳んでいく。

 

 

 ───ピンポーン!!───

 

 

 畳み終わると突然インターホンが鳴った。恐らく要だろうけど、それにしては少しだけ早いと思う。何時も通りと言っても、それは眠ることになってから。待たせるのも悪いから、私は玄関へと向かう。

 

 

 ───ガチャッ───

 

 

 ドアを開けるとそこには要がいた。何時も通りの表情に、私は少し安堵する。

 

 

 ───誰も変わらない

 

 

 それは誠も一緒だ。

 

 自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、私は歯を磨くために洗面台に向かった。要は待っているようで、私は急いで歯を磨くと手に何時も通りのリボンを持って、髪を結びながら玄関へと戻る。

 

「ねぇ、チサキ・・・・・・」

 

「ふゅぅ・・・・・・?」

 

 突然話しかけてくる要に、私は口にリボンをくわえながら髪を整えているのでそんな返事になってしまう。それを聞いている要の顔は変わらずで、私は何を話してくるのかわからなかった。

 

 光とマナカのこと?

 

 それとも誠?

 

 お船引き?

 

 髪を纏めてリボンでくくろうとしたとき、私はそんなことを考えながら要を見た。

 

「僕は傍観してきた・・・・・・でもね、傍観者をもうやめようと思うんだ。これから先、誠が誠でチサキがチサキならそれで良いと思ってたんだけど・・・・・・」

 

 

 

 

 

 ───僕はチサキが好きだ

 

 

 

 

 

 私は要の言葉にびっくりして、リボンを取り落とし、髪もすべてほどけ、手から滑り落とす。いきなりの告白に動揺しすぎて訳が分からない。でも、まだ少し眠かった頭はクリアになった。

 

「別に返事が欲しい訳じゃない。僕はチサキが誠のことを好きってのは分かってるし、告白してその答えを待っているのも知っている」

 

「え、ええ・・・・・・!?」

 

 じゃあ、何で告白したんだろう・・・・・・?

 

「───あ、おはようございます。おじさん、おばさん、先程、お嬢様に告白させていただきました」

 

「え、ええ・・・・・・(三角関係・・・・・・)」

 

「ご、ご丁寧にどうも・・・・・・??」

 

 後ろに何時の間にかお父さんとお母さんがいた。聞いていたのか、両方とも呆然としている。

 

「では、誠達を待たせるのも悪いし行こうかチサキ」

 

「えっ、うん・・・・・・」

 

 私は居心地が悪い家から、その原因の要に連れ出されるように家を出た。

 

 

 

 

 

 俺は何時も通りに学校に行った。忙しくなるお船引きの準備、美海の作った壁、美空と美海の喧嘩、光とマナカの恋愛問題、要の傍観者気取り。中学生にしては悩みの種が多い気がするが、それも俺の性格が原因で自分が気にしすぎているのはわかっている。言ってしまえば、お船引き以外は個人の問題であり、俺が気にするような事でもないのだが気にしてしまうから仕方無い。

 

 ───何時も見てきた

 

 もうそれは俺の癖であり、性格であり、俺の一部。

 

 お節介とか言われるかも知れないが、それも気にすることはないだろう。俺は俺の目的のために、邪魔にならない程度で助言などを行っているだけ。言わば、自分のためだ。

 

 自己満足。

 

 失わないためにはこうするしかない、偽善者だと指摘されればそれが合うだろう。でも、俺はただ全てを失わないために生きているだけ。誰かのために生きることが、自分の為へと繋がっている。

 

 

「考えてみれば、俺は人のためとか・・・・・・結局は自分のためだよな」

 

 1人漏れたその言葉は教室で座っている俺の独り言。登校時間でも少し早い、人も少ししか集まっていなくて、俺の隣には紡がいるだけだ。

 

「どうしたんだ?」

 

「いやさ、人って『誰かのため』とか言いながら、結局は『自分のため』なんだから矛盾しているなと思ってさ」

 

「そうだな・・・・・・例え自分が『誰かのため』とか思っていても、自分がした行動も結局は自分の想いの中にあるものだから利益なんて、最後は『自分のため』・・・・・・自分自身が望んだ結果になるんだからな」

 

 紡も同じ考えのようで、中学生の会話とも思えない生々しい話が教室の隅で行われる。人間の行動原理そのものの話、普通はしないであろう、そんな会話だ。だけど、紡だからこそ俺の考えがわかり、愚痴のような相談にもかかわらずのってくれるのには感謝だ。

 

「偽善者、まるで俺だな」

 

「そうか? 少なくとも、お前は人のために動いていると思うぞ?」

 

「どうだか・・・・・・だから、結局は自分に利益が回ってくるんだよ」

 

「確かに、さっきの話の通りだな・・・・・・」

 

 結局は偽善───俺の思いが引き起こす行動でしかない。自分がそうしたいから動く、周りには傍迷惑な話だがこれも人間の定理───人間の行動理由だった。

 

「───だけど、お前はまだ告白に答えてない。"あいつ"を思ってのことじゃないのか?」

 

「いや、でも俺もわかんないんだよ。俺は“恋”って感情が理解できていない。“好き”って、ある程度はわかっているけどそれは、“恋”かどうか怪しい。確かにチサキは好きだけど、今まで好きって以上のことを考えたことがないんだ」

 

 紡が言う『あいつ』とは、要のことだろう。俺は無意識にも自分が口から出す言葉に、気づけば恐怖を抱いていた。もう何度も"嫌"だと思った。

 

 

 ───“愛”ってなんだろうな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 side《紡》

 

 

 ───“愛”ってなんだろうな

 

 

 そう呟く誠は、何処か悲しそうな顔だった。

 

 今まで何かを失って

 

 今まで何かを恐れて

 

 今まで何かを避けてきた

 

 そんな感じがする誠の瞳の奥は悲しさで溢れ、線引きされた境界線を張り、自分と他の人の距離をある一定に保っているようなそんな感覚。

 

 自分がそんな顔をしていると気付いているのだろうか?

 

「お前・・・・・・」

 

「どうした、紡?」

 

 気付いていない様子の誠は元の顔に戻り、何事もなかったように聞いてくる。誰の目にも完璧な人間に映る誠が、初めてみせた弱味。

 

 

 ───完璧な人間なんてこの世にはいない───

 

 

 海の奴らには自分の内を見せずに、ただ優しく接してきた。あいつらに迷惑をかけないように、自分だけの決まりを決めてはそれに従う。自分の弱みを見せないために、自分が傷つかないために必死で・・・・・・恐らく、あいつらは誰一人として気付いていない。

 

 自分から愛されることを恐れて、大切な人を作るのが怖くて・・・・・・。

 

 昔、こいつに何があったのだろうか?

 

 

 これが分かるのは本当の意味でこいつを理解できる人・・・・・・側にいるのも、支えるのも、誠という人間を内側から引き吊り出して、真っ直ぐに迎え入れる女性───比良平か、それとも別の・・・・・・。

 

 こんなにわかりにくいまでに自分を抑えて、言わなければ気づかない、それほどまでに深いところで相手を観察して生き続けているような。

 

 ───そこにいるけど、そこにいない

 

 そんな人間なんだ、こいつは・・・・・・人間の様子を伺って生きてきたような、自分は距離を置いて観察に徹して、愛だけを避けてもう二度と知ることがないように生きようと。

 

 ───偽善者じゃない、道化師だ

 

 

「お前・・・・・・いや、なんでもない」

 

 誠が『なんて言おうとしたんだ?』というような顔になるが、俺は話を止めた。これはこいつの問題で、気付かなければいけないのはこいつの隣をほしがってる比良平・・・・・・その人物がもう教室に入ってきているのだ。何時ものメンバーで、登校してきた。

 

「おはよう、まーくん」

 

「ああ、おはよう・・・・・・?」

 

 何を思ったのか、誠は少し言葉を止めた。その視線の先には、比良平と要、両者が少しの距離を置いてぼーっとしている姿が。

 

「おはよう、チサキ」

 

「・・・・・・え、あ、うん、おはよう」

 

 少し遅れて返された返事に誠は溜め息をついた。比良平は一瞬だけ要の方を見て、すぐに視線を下に向けると鞄から教科書などを取り出して、机にしまう。

 

 ───もう一匹の道化師が仮面を脱いだ

 

 恐らくだが、要が比良平に告白をしてそれに戸惑っているのだろう。それを、誠は比良平の行動を観察することで全部見抜いた。・・・・・・こいつ、自分が告白されていることを忘れてないか?

 

 無いとは思うが、こいつはこいつで馬鹿なんだな、なんて思ってしまう。

 

「まあ、紡も気付いただろ?」

 

「ああ、俺は焦らないお前に驚いてる」

 

「焦る必要はないさ・・・・・・チサキの好きにすればいいし、別に俺が干渉できるような問題じゃない。誰が好きかは自分で決めることなのに、縛る事なんてしたくない」

 

 やっぱりこいつは自分を偽って生きている。愛を知らないとか言いながら、こいつは考えないようにしているだけで本当は・・・・・・・・・・・・道化師だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 響き渡る金槌の音、ペンキなどの塗装液の匂い、忙しそうなオジサンやらおにぎりなどの差し入れを作ったりしている主婦の人達とそこは人でいっぱいだった。此処は漁協が提供してくれた港で、船なども出来る限り出すとのこと。昨年以上のお船引きが・・・・・・いや、最初のお船引き───それを再現するために頑張っている。

 

「坊主、船の補強と修理は後二日はかかるぞ」

 

「別にいいですよ。19日までに修理と補強、そしてチェック。安全第一ですから、浸水とか洒落にならない状況を作り出さないで下さいよ」

 

「おう、お前が状況を把握してると助かるからな」

 

 何ともない会話なのだが、大人が子供に相談とは奇妙な光景だろう。だが、何故か俺が進行状況の管理を任されていた。

俺も最初は断ったのだが、始めようとした奴がやらなくてどうすると、全員一致で押し切られた。それならば光にと思ったのだが、『悪い。俺、全くわかんねえ』と言い、俺がやることになった。

 

 中学生まとめるのにも、一番適任らしい。

 

 それを言うと紡がやってもよかっただろう。船のことも分かるし、適任だと思ったのだが、生憎にも海とのつながりが欲しいとのことで俺・・・・・・海への連絡は光だが。

 

 それに、怪我のこともあるので俺は塗装くらいしか出来ない。そこに、近づいてくる俺と同じくらいの陰が一つ。

 

「誠、ちょっといいかな?」

 

「ああ、要か」

 

 何時もとは違う雰囲気の要が俺の隣に立ち、少し清々しそうな顔をしている。

 

「どうした?」

 

「ちょっとだけ時間が欲しいんだ・・・・・・いいよね?」

 

 

 

──────

 

 

 

「それで、こんなとこまで連れてきてどうしたんだ?」

 

 

 場所は変わって造船所の近く。大きな捨てられた建物の陰で、俺と要は二人向かい合っていた。金槌の音もまだ響き渡っているが、俺と要は気にするようなこともない。

 

「僕はチサキに告白した」

 

「それで?」

 

 要の発言に驚くこともなく、俺はただ何ともないようにそう返した。登校してきたときには既に気付いていたし、そう言われて驚く必要もない。何れにせよ、時間の問題だと思っていた。寧ろ、俺がそうなるように仕組んだとも言えることだ。

 

「それで、って・・・・・・誠はそれでいいの?」

 

「別に、決めるのはチサキだろ。チサキが誰を好きになろうと、それを誰かが止めることは出来ない」

 

「そうじゃない・・・・・・僕が聞きたいのは誠がなんでチサキの想いに答えないかだよ!」

 

 

 珍しく要が声を荒げて、俺に掴みかかってきた。

 

 

「僕はチサキが好きだ! でも、僕はチサキが幸せになれるなら、誠とくっついてほしいとも思ってずっと側で見てきたんだ! なのに、なんで・・・・・・!」

 

 言葉を繋げようとする要に、俺は割り入れるように言葉を発した。

 

 

 ───お前は本当にそれでいいのか?

 

 

 それを聞いた要は掴む手の力を一瞬弱めて、また力を入れる。

 

「・・・・・・誠は僕がチサキを好きなことに気付いていたはずだよね。だからって、僕が焦るように仕向けて、わざとお船引きの終わった後を選んだ・・・・・・」

 

「それは偶然だ。俺だって冬眠なんて予想できなかったさ・・・・・・」

 

 だけど、ぬくみ雪が地上に降ってきた日にはもう既に気付いていた。俺はそれを利用しようとも考えていたのだろう。何かが変わることを・・・・・・冬眠は予想してなかったが、焦ることに期待した。

 

「でも、それでも僕は・・・・・・!」

 

「違うな・・・・・・」

 

 

 

 違う

 

 こいつが知りたいのは

 

 

 

 心の底では

 

 自分が隣にいれたらと

 

 

 

 チサキ

 

 どれだけ深いか知ってるから

 

 

 

 自分は

 

 見られてないと気付いたから

 

 

 

「違うな・・・・・・お前が知りたいのは、俺がチサキのことをどう思ってるかだ。お前の本当の心は、"チサキが欲しい"と思いながらも"チサキが幸せなら"って、諦めて・・・・・・俺にイラついてるんだろ。答えない俺と、悩む自分自身に」

 

 

 

 

 

 ───諦めをつけさせてほしい、諦めきれない、両方の矛盾した想いに決着をつけさせてほしいから、他人に頼ろうとして・・・・・・ふざけるなよ?

 

 

 




ということで、要に絡むかい・・・・・・
ちょっとだけ熱い要さんでした。


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第二十九話 やっと気づいた想い

最近、このサイトから失踪しかけた作者でございます。
実は最近、タブレットからスマホに変えまして非常に書きにくいです。
それに加えて、忙しいんですよね。



 

 

 side《美海》

 

 

お船引の日はすぐにやってきた。

 

今日がその日、そして、私にとっても大切な日。アカちゃんは街で買った衣装に着替えて、纏う青い衣はエナに影響されて薄く優しい海の光を放っていた。例えるなら、海の中の優しい光――海に差し込む太陽の光、それが海の色を照らしているようだった。淡い水色は本当に海みたいな色をしている。

 

「アカちゃん、綺麗……」

 

「ありがとう美海」

 

「僕は見ないぞ、絶対に見ないぞ!」

 

でも、パパはこんなに綺麗なのに見ようとしない。もし見てしまえば形だけとはいえ海神様に嫁がせるのが嫌なんだって……それは私もわかる気がする。

 

私も気になる人がいるから。

 

誠は少し破天荒で勝手な人だけど、誰にも取られたくないって思うから、かな……

 

その時、襖を軽く叩く音が聞こえてアカちゃんが入っていいよと促した。開いた戸の向こうからはチサキさんと誠が仲良さそうに入ってくる姿が……

 

――誠のバカ

 

 

「って、至さんどうしたんですか?」

 

まず、部屋の中の人を見渡して確認する。そうして誰がいるか確認するとパパに視線を戻した。部屋の隅っこでうずくまって耳を塞ぐパパは今も「絶対に見ないぞ!」と念仏を唱えている。どっちかというと、呪文にしか聞こえないけど。

 

「あはは……問題はないかな」

 

「至さん、こんなに綺麗なのに見ないんですか?元よりアカリさんも至さんに見られないと、この格好をした意味とかなくなっちゃいますけど」

 

「見ないと言ったら見ないんだ!今、見てしまえば海神様に嫁がせるなんて形だけでも嫌なんだよ」

 

そう言ってパパは目を瞑って走って出ていく。出ていく際に光にぶつかりかけたけど、何とかぶつからずに出て行った。

アカちゃんは苦笑いして、クスクスと笑いながら後ろ姿を見送る。

 

やっぱり、私はパパの子なんだろう。

少しだけ、同情しちゃった。

誠が誰かのものになるのは見たくない。

 

「もう、パパ!」

 

走り去ったパパを追いかけて部屋を出ようと私も自然と走ろうとしてしまう。部屋の中では走っちゃダメ。なんてもう何度か誠にも言われたのに。

すれ違う光は訳がわからないっていった顔で私をよけて、その右側をすり抜ける。

 

……っと、そこで思い出してひょいと襖から顔を出す。

 

「アカちゃん、終わったら言いたいことあるから。だから絶対に……」

 

「うん。行っておいで、美海」

 

「……ま、誠もだよ!」

 

「わかったから。至さんのことをちゃんと見てるんだぞ。ついでに説得もな」

 

 

――絶対に帰ってきてね

 

不安な私は言葉を飲み込んで二人を見つめた。

でも、大丈夫。

アカちゃんがもし海神様に連れて行かれそうになったらきっとパパはダイビング装備で助けに行く。前に海の人達に直談判しに行ったように、溺れて失敗に終わってしまったけどいいパパだから。

 

それに……

 

誠は嘘をつかない。

 

約束はちゃんと守ってくれるし、できない約束はしない人だから。

少し不安だけど、もし戻ってきたら……私の気持ちを伝えようと思う。昔から抑えこんだこの気持ちも、チサキさんの邪魔をしてしまう事になる。

 

出来れば、今の誠と同じ年まで抑えているつもりだったけど。

だって、小学生なんかに告白されても迷惑だろうし。でもチサキさんに答える前に伝えなきゃ私は一生後悔する。

 

 

廊下でさゆとすれ違い、パパを探して数分。

 

 

色んな人とすれ違うけれどみんな忙しそうだった。

パパを見ていないか聞くけど、すれ違う全員が『見ていない』それどころか、何処を探してもいなかった。

 

それもその筈、パパはアカちゃんからそう遠くないところでうずくまってアカちゃんがいる部屋を見ていた。

 

「もう、パパ!もうすぐ始まっちゃうよ!」

 

「……美海か……誠君のところには行かないのかい?」

 

そういうパパは元気がない。

誠誠って、まるで私が何時も誠に引っ付いているみたいに言うけど、そんな事は……ないとは言えなかった。

 

――って、違う!

 

そうじゃなくて私はパパを探しに来たんだ。アカちゃんもパパにあの姿を見て欲しいはず。何より一番大切な人に自分の綺麗な姿を一番最初に見て欲しいはずだ。

 

「それは今はどうでもいいの!それよりアカちゃんがあんな綺麗なのに、パパのママになるのに、なんでパパはアカちゃんの姿を見ないの。アカちゃんだって一番最初にパパに見て欲しいはずだよ?」

 

「それはそうだけど……」

 

不安そうに俯くパパ、その気持ちもわからなくない。

どうしても私達には不安な事があった。

海と海の男?の格好をした人達を見ながら、パパは続ける。

 

「もし…また…盗られると思うと怖いんだ。アカリは僕と一緒になってくれると言った。けれど、今日だけはどうしても胸騒ぎがして不安になる。また…ミヲリのようにいなくなってしまうんじゃないかって。今回のお船引は初めて普通の人間を使った…いや、最初の御伽話、おじょしさまが海神様にのところに行った話に近くしてあるから余計に――って痛い!?」

 

しかし、それもすぐに誰かに遮られた。

物理的な攻撃――チョップ――をパパの頭に喰らわせた人物は少し大胆な衣装に身を包んでいる。少し引き締まった身体は鍛えているのか無駄な肉がない。

 

見慣れた人――誠だった。

それがどうしてオジサン達と同じ格好を…似合ってるけど///

 

「痛いじゃないか誠君」

 

「あんた馬鹿ですか……美海が不安になるような事言って、余計に不安にさせるなんて何考えてるんですか」

 

「うぅ…時々、誠君って美海に関しては厳しくなるよね。僕は美海の親なのに」

 

「じゃあ、親としてせめて明るく振る舞ってくださいよ。子供の前で大人は見栄をはるものですよ。っと、これはミヲリさんの受け売りですけど」

 

子供の目の前で言うのは立つ瀬がないんじゃないか、誠はわかってて言っているんだろう。

もう手遅れだし、何より弱気になったパパが悪い。

 

にしても、ママの受け売りか……そんなに沢山思い出は無いけど、ママは未来が見えるんじゃないかって思えてくる。現にこうしてパパのことを誠を使って注意してるし。

 

海のような静かな笑みを見せて、安心させるように誠は私に向かって手を伸ばし、頭を撫でてくる。

 

 

 

「安心してください。もし何かあれば俺がどうにかしてアカリさんを助けます。もう、何も奪わせません」

 

 

――■■からは

 

 

最後の言葉は風に消えて聞こえなかった。だけど、私は何処か安心してしまう。

誠に全て背負わせてしまっていると気付かずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、日も沈み赤が黒に染まる。

 

妙な不安は大きくなっていった。もしかしたら、もう既に誠ならこの不安の正体に気づいているのだろう、なんて考えながら誠を見る。

もうすぐ始まるお船引、とある建物の二階で始まるお船引に胸のざわめきを覚えた。

 

しかし、誠は私の視線に気づいたようで船の近くから歩いてこちらに向かってきた。私は急いで階段を駆け下りると誠のところに向かう。

 

人混みから離れたところで、私達は向かい合った。

 

「美海、ちょっとあっち向いててくれないか」

 

……どうしたんだろう?

言われたとおりに私は誠の見ている方を向く。

聞こえてきたのは、金属が擦れぶつかる音。キンキンチャラチャラと何処か落ち着く音が響く。

 

その正体は何か、すぐにわかった。

誠の大切にしている御守り――十字架のネックレス。

それが私の首にかけられていた。

 

肌身離さず持っていた。何時も誠の心臓の近くから聞こえていた音は私にも聞きなれたものだった。慣れてるからか、落ち着いてしまう。

 

「誠……これ、お母さんに貰った物じゃ……」

 

「そうだよ。でもさ、これは美海に持っていて欲しいんだ」

 

 

 

大事なモノをどうして……

 

 

あんなに大切そうに持っていたのに

 

 

あんなに悲しそうな顔で見詰めていたのに

 

 

御守りだって、言っていたのに……

 

 

 

「美海が不安なのは知ってる。至さんも今日が不安なのもそうだけど、俺は……絶対に最悪の結果にはさせない。だから俺がもし道に迷ってしまったら、目印として、帰れるように持っていて欲しいんだ」

 

「でも、これは……」

 

――受取れない

 

誠の一番大切な物なのに、と突き返そうとしたけど、その前に誠の言葉に遮られた。

泣きそうな心で、まるで何かを決心したようだった。その瞳が目に焼き付く。決して顔に出さないのは心配させないためか、きっとそうだ。

 

「美海にあげるよ。君は……俺の――」

 

 

「おおーい!誠、始めるぞ!」

 

言い切れずにオジサン達が誠をせかす。

誠はふぅと息を吐くとまた何時もの顔に戻った。

じゃあ行くよ――そう告げると走っていった。

 

 

私は――十字架を握り締めたまま誠を見つめる。

 

 

――誠?

 

 

その後ろ姿を、私は引き止めることが出来なかった。

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

胸の中で青い光を放つネックレス、チャラチャラと鎖が音を立てて海の音と重なる。

どうしてか、俺は大切なネックレスを美海に渡した。けれど後悔するどころか、何故か少しだけ心が軽くなった。

 

 

『一番大切な人』

 

 

考えついたのは美海だけだった。

一緒にいると楽しい、一緒にいて幸せを感じられる、そんな小さな美海の笑顔が忘れられない。こんな時になっても俺が出来るのは美海の笑顔を守ることだけだ。

 

美海の笑顔を無くしたくない、なんて考えるのはどうしてか今の俺にはわからない。

大切な人だから、そんな当たり前の事実も頭の中で思いつき過ぎ去っていく。大切なのはわかっているが、どう大切かなんて考えても答えは出ない。

 

船に乗り込み、準備は整った。

 

美海は二階に戻り、蹲る至さんと身を乗り出して見ているさゆちゃんと一緒だ。

 

「始まったか……」

 

船がエンジン音を響かせて、夜にこだまする。

ユラユラと波に揺れながら、船には進み出した。アカリさんの乗る船を先頭に数隻の船は陣形を組み、予定通りの道をユラユラと……漁師達の歌に合わせながら進む。

 

光は旗をふり、主役のアカリさんもは船の先でただ行く先を見つめて、柔らかい笑みを見せていた。

俺の乗り込んだ船は光と一緒でアカリさんが乗る船の一つ後ろに位置をとっていた。

 

 

その時、海に青い光が灯る。

 

あれは――御霊火だ。

青い光が海の上に道を作り出す。それは船を先導しようとしているかのように感じられた。ウロコ様の仕業か、海村の人達は殆どが寝ているため、予想はつく。

 

 

 

 

 

そして、その道を進んで数分たった頃だろうか。

突然、竜巻のような光を放つ渦潮が目の前に現れた。示し合わせたかのように、タイミングよく、アカリさんが乗る船の真近くに……

 

「ま、まさか本当に迎えに来たってのか!?」

 

「海神様が怒ったんだ!」

 

狼狽える大人達、皆が渦潮を目にする。

かく言う俺は落ち着いていた。こんなのは予想の範疇だ。ウロコ様が邪魔することは、最初から。

 

――っと、揺れ出す船

 

潮に影響されて船は揺れを大きくした。

そのうちにも増えていく渦潮、潮の流れはドンドン早くなっていく。

 

「今のうちに戻れ!このまま続けるのは危険だ!!」

 

叫び、冷静な判断で指示を出す。

 

しかし、大きな揺れが起きた時に小さな悲鳴が聞こえた。

 

「きゃあ!?」

 

ドボンッ、という音と水しぶきが上がる。

それを見た光が叫ぶ。

 

「アカリーーーー!!!!」

 

「アカリさん!!!!」

 

光は旗を投げ捨て、俺は光と同時に飛び込む。躊躇なく飛び込んだ先に広がるのは海の世界。しかし、いつもと違う

この辺ではあり得ない数の渦潮。

 

その中の一つにアカリさんを引き込もうとする渦潮、アカリさんは流れに抗うことなく落ちていっていた。

何故か、気を失っている……

渦潮に当てられたか、水圧に耐えれなかったのかぴくりとも動いていない。

 

「先に行く!」

 

「悪い!」

 

光と俺の泳ぐスピードは俺の方が速い。

水を蹴り、光との返事も聞かずにアカリさんをこれ以上引き込まれないようにと捕まえに行く。渦潮に引き込まれるより速く、アカリさんに追いついた俺はアカリさんの腕を掴み、肩を貸すように潜り込ませるとそのまま上へと向かって泳ぎ続ける。

だが、流れの強過ぎるせいかゆっくりと引き込まれた。

このままでは海の奥底に引き込まれ、ウロコ様の望んだ通りにアカリさんは……生贄になってしまう。

 

昔、聞かされた悲しい物語のように

 

 

「光!!!!」

 

「悪い誠!」

 

やっと追いついた光が空いた方に潜り込み、アカリさんの肩を持ち上げる。

 

しかし、二人がかりでも結果は変わらない。上に進もうとするほど体力は減り続ける。このままではジリ貧だ、残された手は…一つ。

周りは水流によって作り出された螺旋によって、囲まれているが一人でならなんとかなる。

 

「兎に角、上に上がってアカリさんを船に乗せろ!絶対にアカリさんだけは上に帰すんだ!」

 

「誠はどうすんだよ?!」

 

「俺は……やることがある」

 

アカリさんから離れて光に任せると水を蹴った。

離れていく中、頭の中にあるのは元凶の顔。

渦潮に突っ込み、怒りに任せて無理矢理抜ける。

 

最初から行っておけばよかった。

そうすれば、もっと変わった未来があったかもしれない。何人かの人が落ちてくる、それでも俺は目的の人物を探す事に集中した。

 

「見つけた!」

 

 

 

「ウロコ様、これはいったい……」

 

「すまんのう、灯…お前の相手までしている暇はない」

 

ウロコ様と宮司の灯さんの二人、お船引が良く見える場所で見物をしているが、構わずに近寄る。

地面に降り立ち、目の前に立つが同時に灯さんが急に倒れた。

 

「巫山戯んなよ!やっぱりお前の仕業か!!」

 

「所詮、わしは海神様の鱗よ。…のぅ誠、お前には今の海神様の気持ちがわかるか?」

 

他人の気持ちなんてわかる訳が無い。

昔から人を見てきたが、ウロコ様みたいに海神様の側で一緒に時を歩んだ訳じゃない。同じ時を生きたわけではないし、心は持てど別格だ。

 

「……そんなの、知らないに決まってるだろ」

 

悲しげに呟くウロコ様。声音が何処か大人しい気がした。

 

しかし、彼もまた生物であり人間と同じように意思を持ち悩む事がある。神の鱗であったとしても、それは同じだということは初めて知った。その表情に人間性を感じたのも偶然か。

 

 

だけど…………

 

 

「悪いけど俺はもうこれ以上、美海に失わせる訳にはいかないんだよ!!あの笑顔はもう、曇らせちゃいけないんだ!!」

 

 

だから、少しでも邪魔をさせてもらおう。

足を踏み出し、駆け出してウロコ様に急接近しようと不意打ちを仕掛けた。右手を握り締めたまま振りかぶろうと思い切り踏み込む。

 

「目を覚ませよウロコ!お前は『海神』じゃないだろ!!」

 

鈍く響いた――ガンッ、という音。ウロコ様は容易に殴られてはそのままこちらを見る。ダメージひとつ無いのか、殴られたことも気にしてないようだ。

 

「気は済んだか誠。じゃが、お前はもう良い……海神様のお達しじゃ、よう休め…もう苦しむな。お前はよう頑張った。海神様も認めておる」

 

 

ウロコ様が杖を振る。

ただそれだけで……

 

 

 

くそ…段々と…眠くなってきた。

 

眠りたくないのに、まだあの“笑顔”を見ていたいのに、こんなにも……俺の“大切”は“陸にあるのに”どうして海神はウロコはわからないんだろうか。

 

何故か……美海の顔ばかりが頭に引っかかる。

 

ウロコ様は俺を、まるで昔の知っている誰かを見るような目で見る。彼らは重ねていた。いや、ウロコはただ俺を哀れんでいた。海神もそうだ。

 

 

大切な人を見送ったあの日……

 

 

取り残される、たった1人……

 

 

その悲しみは、別れ方が違えど、同じだった……

 

 

 

 

 

ああ、そうか……なんで十字架のネックレスを美海に預けて眠りゆく今でもこんなに美海の事が頭から離れないのかやっとわかった気がする。

 

 

きっと俺は好きなんだ。

 

誰よりも美海が好きなんだ。

 

 

妹のように思っていたけど違った。

 

俺は……美海をただ一人の女の子として愛していたんだ。




これにて第一部終了。
はい、これからは事情が事情なので出来るだけ1ヶ月に1回更新出来る様に頑張ります。
(でもね、文字を打つ練習には最適だと思うんだ)
一石二鳥だね!
ということで……作者の気分転換は終了しましたので、またこれを中心に書かせていただきます。
……実はこれが一番気に入ってたりする。


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second prologue――残された手紙――

文才なくて御免なさい……


 

 

 

side《美海》

 

 

お船引が海の荒れによって中断された。アカちゃんは意識を失って海の上に流れていたけど、

 

 

「くそ、誠達は見つからねえのか!?」

 

「皆で探してみたが何処にも見つからねえ!」

 

 

誠達、チサキさんを除いた海の人が見つからない。帰って来るはずだったのにどうして……約束をしたのに、帰って来るって言ったのに……

 

しかし、さっきまで荒れていた海には誰も潜れない。夜の海は危険で漁師でさえ無理だと言われている。

それでも、私は必死にお願いした。

 

「……お願いなんでもするから、誠を見つけてよ」

 

「でもなぁ、美海ちゃん。潜りたいのはやまやまだが、夜の海は危険でしかも荒れたあととなると……すまねえが探すことは出来ねえ」

 

「でも、誠は……!!」

 

もし、怪我をしていたら戻ってこれない。それに死んじゃう可能性だってある。

 

私の頬には……涙が溢れていた。

 

嘘つき、帰ってくるって言ったのにどうしてこんな事になってしまったんだろう。責めるのは誠じゃない筈なのに、流れてくる涙の悲しみは誠に向けられる。

 

そんな時、扉が大きな音を立てて開かれた。漁協の事務室にバンッという音と共に大声で叫ぶ声が響く。

 

 

「誠君は、誠君は無事なんですか!?」

 

 

揺らす茶色の髪がふわりと舞う。しかし、急いできたのか顔には汗が見えた。

確か、病院で働いている看護師の美和さん、という人。その人が血相を変えて凄く泣きそうな顔で漁協のオジサンに入ってくるなり問い詰める。

 

何を聞いてきたのか、その服は着替えておらず、看護師の制服のままだった。

 

「そ、それがよ……まだ見つかってねえんだ」

 

漁協の中で誠達の安否が確認できていない事を伝える。それが済むと、すまねえと言って顔を逸らす。

 

その瞬間、美和さんは床に力なく座り込んだ。制服が汚れることも厭わず、ただペタリと座り込むと目の端から涙を流した。

 

「そんな…なんで…」

 

「えっと……心配するのはみんな同じなんだけどよ。お前さん、誠の知り合いってのはわかるが、いったいどういう知り合いなんだよ?」

 

確かにここまで心配するのは可笑しかった。疑問に思うも無粋で聞けなかったことを、オジサン一人が聞くけど答えたのは聞きなれた声。

 

 

「その人は…美和さんは…誠君の母親です」

 

 

目を覚ましたアカちゃんの声が、騒ぐ漁協の事務室を静かにさせる。

 

そして、私の心に小さなトゲが突き刺さるのを感じた。

 

アカちゃんが起きたことよりも、私にはその事実だけがどうしても気になって頭から離れなくなった。

 

 

 

 

 

 

ガチャりという音を立てて開く扉、そこから一人の見たことのない人が現れる。……いや、確か一度だけ見たことがある。

と、思い出すと同時にその影から顔を俯かせながら一人の同じ齢くらいの女の子が入ってきた。その姿を見たサユが大きな声をあげる。

 

「美空がどうしてここに!?」

 

「……はい、こんばんはサユちゃん。

そして……美海ちゃんも」

 

そう…男の人は授業参観の時に一度だけ見た、美空のお父さんだった。何故か服は濡れていて、床にポタポタと雫を垂らしている。

 

「さて、人も揃ったし話そうかな」

 

「ちょっと待って、アカリは休んでないと――」

 

「ううん、そんな場合じゃないの。これは私の責任だし私が話さなくちゃ聞けないことだから」

 

アカちゃんは椅子に座り込んで泣いている美和さんに目を向ける。しかも、さっきまで落ち込んでいたはずのチサキさんは男の人を見ていた。懐かしそうな目で、それでいて悲しいものを見る目付きで。

 

その見られている男の人も、チサキさんを見つめ返していた。

 

「まず最初に言っておきます。この人は……誠君の実の父親です」

 

苦笑いしながら頭を下げる男の人、誠哉という男の人はしかしまたチサキさんに視線を戻す。泣いている美和さんを放置していったいどうしてか、その美和さんは美空に寄り添われている。

 

「久しぶりだね、チサキちゃん」

 

「……今更、何をしに来たんですか」

 

いったいどういう意味か、嫌悪の視線を送るチサキさん。その意味がわからない私は一瞬で思い出した。

確か誠のお母さんは事故でなくなって、お父さんはその後に何処へ消えたか――

 

そうだ、誠を置いて陸に消えた。

 

まだ小さいはずの誠をたった一人、海に残して陸に上がるとと新しい幸せを掴んだ。今では奥さんが一人、子供が一人で幸せらしい。

 

オジサン達もざわめき始めた。誠が一人暮らしなのを知っていて、その理由を一部だけ知っている人達は途端に厳しい目を誠のお父さんに向ける。

 

「テメエ、何しにきやがった!!」

 

「あの坊主を一人にさせて今更、なんのようだ!!」

 

よく考えれば、美空は……あんなに親しいけど、誠の幸せを奪った人の子供。じゃあ、誠は知っていて美空と接していたのか、美和さんと馴れ合っていたのか。

そう言えば、美空が『兄さん』と呼び始めたのも、出逢ったのも偶然だったのか。

 

男の人に掴みかかるオジサン達をしり目に、美空を見るけど、そちらにもオジサン達が群がる。

誠のことを思ってかその目は睨みつけるようだった。

 

「あんたも何しにきたんだ?」

 

「確かその嬢ちゃんも来てたよな。最近になって誠に引っ付いて、お船引の手伝いをしてた」

 

「もしかして会いに行けないから子供を利用してたのか?」

 

「今更、アンタまで何のようだよ?」

 

辛辣な言葉は二人に突き刺さる。それもそうだ、今まで何もせずに見て来たなんて許されない。あれから何年たったのか誰でも予想はつく。

縮こまった二人はオジサン達の様子に萎縮するけど、その時、私が美空のところに行こうとした時に胸から何かが落下する。

 

カツン、という音にみんなは振り向いた。

 

「おい、確かそれって誠の大切なペンダントじゃないか。見慣れねえロケットまでついてるぞ」

 

落ちたペンダントを拾う。しかし、そのペンダントには見慣れないロケットがくっついている。それも最近買ったような真新しいロケット。鎖が古くなっているのか壊れている。

 

私は気になってロケットを自然と開けようと手をかけてしまう。誰もが見守る中、震える手で手を掛けるが、一向に開かない。

 

「確かそれって、あの人が誠に渡した……その時にロケットなんてついてなかったけど、御免だけど貸してくれないか?」

 

「ダメ…これは私が渡されたの!」

 

この人だけには渡したくない、けど…

 

「美海、それはわかったからちょっとだけ貸して。少し気になることがあるから」

 

仕方なく私はペンダントを手渡す。この人は信用できないから、アカちゃんに渡すと、アカちゃんも開けようとロケットに手をかけた。

 

そして開いた先には写真ではなく、一つの小さな手紙が折り畳まれていた。それを慎重に開けるアカちゃんは無言で手紙を見つめる。

 

ゆっくりと読み出すアカちゃん、しかしその声は震えていた。

 

『この手紙を読む頃には多分、何かが起こってお船引が中断されたことでしょう。もし起こっていない場合はこの手紙を消去します。そして、この手紙を見る人には一つだけお願いがあります。もし此処に家族が来た場合はその人達は優しいですから責めないで下さい。昔、家族といることを捨てたのは俺自身です』

 

最初は重要な注意書き。訪ねてくるであろう家族を思った手紙だ。もし冬眠すればその噂は地上にも知れ渡る。そんなことですら誠には考えついたのだ。では、その先は?

――と、これも誠はちゃんと考えていた。

内容はまだ続く。誰もが見守る中、耳を傾けた。

 

『そして、御免なさい。俺はこんなことになるだろうと予想は出来ていました。貴方達を利用した形で御免なさい、それでも俺は……皆で生きる道を探したかった』

 

この言葉に唖然とする人達。

それでも十分、誠の想いは伝わった。

何かが起こらない可能性も期待した、けれどそれすらも叶わない。

誠は……お船引が計画されてからずっと苦しんでいたんだ。

 

そして、最初のお願いがアカちゃんの口から代弁される。

 

『美和さんと美空へ。やっぱり気になって調べさせてもらいました。あの今になっても律儀に生活費を送ってくる馬鹿親父のことだし、それに二人は優しく今も気にしてくれているから悲しむでしょう。でも、悪いのは俺ですから自分を責めないでください。俺は親を奪われた訳じゃない、貴方達を遠ざけたのも貴方達の所為じゃない、ただ怖くて逃げてたんです御免なさい。アカリさんが裏で何かをしていてくれたのも知っています、ありがとう』

 

誠哉という男の人はアハハ、と乾いた笑いを発した。

美空はただ泣き笑いのような表情を見せる。でも、何処か嬉しそうで切なそうだ。

美和さんは『ゴメンネ』と泣きながら繰り返している。こんなことも今まで過ごしてきただけで理解したのだろう。美空がどんな子か、美和さんがどんな人か、見てきた中でどう思うかなんて誠には簡単にわかったから、こんな手紙になったんだろう。

 

次の言葉にも驚くことになる。

 

『それから、もし光達の誰かが地上に残っていたら独りぼっちになるでしょう。特にマナカ、チサキ、二人は女の子です。アカリさんならきっと引き取る。でも、アカリさんの家は手狭だと思います。何時か限界が来る。もし親父がそこにいるのなら預けてください。美空と美和さんとなら少しは安心出来る筈です。親父は信頼出来ないでしょうけど、二人なら信頼出来ます。でも、決めるのはその人自身に決めさせてあげてください。お金ならアカリさんに預けたバックに銀行でお金を卸すのに必要なものが入ってます。そのお金を使ってください。もし必要のない場合は、美和さん達に渡して下さい』

 

もしも――可能性の話ですら考えていた誠には、誰もが頭が上がらない。確かにその話はしたけど、これじゃあまるでこの手紙は……

 

 

「誠君……これじゃあまるでこの手紙は……」

 

 

 

 

 

――遺言だよ……

 

 

 

泣きながら、美和さんは呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誠の実の父親とその家族

私とアカちゃんにパパ

そして、海に帰れなかったチサキさんが漁協の二階で集まっていた。

 

今はもう夜も遅く、皆は帰った。その中で私達はもう一度誠から送られた手紙を見詰める。

 

「それで、どうするチサキちゃん?誠君の言う通り私は誠君のお父さん、誠哉さんを信用できない。でも、誠君の言う通り美和さんと美空ちゃんはちゃんと信頼出来ると思う。私も出来れば引き取ってあげたい。でもね、これも誠君の言う通りチサキちゃんが後悔しないように決めて」

 

私もチサキさんが一緒に住むのは大歓迎、でもチサキさんには選ぶ余裕なんて無いはずだけど選ぶことができる。

元から誠は家に住む予定だったのを入れ替わったくらいで負担が増えるわけではないのだ。けれど、誠は過去に決着をつける覚悟で陸に残る予定だった。

 

美空の家もそう。元からお船引が終わったら家に誠を呼んで真実を話すつもりだった。誠の部屋も用意してある。だから結局は変わらない。

 

チサキさんは静かな表情で皆を見回し、そしてまた誠のお父さんに視線を戻した。

 

「私は……正直、選べる立場じゃありません。それに今だって怖いです。でも、私は……誠の作ってくれたせめてものチャンスを使うことを許されるなら。今まで苦しんできた誠の為に美和さん達と住んでみたいです」

 

少し攻撃的なのは起きた時の誠を思って、自分で誠の家族を見極めようとしている。チサキさんは同じだった。

誠の言葉を聞いて、迷いながらも自分のできることを見つけてやろうとしている。

誠の負担を軽くして、支えてあげたいから、こんな言葉になってしまったのだろう。

美和さんは目を赤く腫らしてチサキさんを見上げる。

 

「私のことを許せるわけないよね。でも、ありがとうチサキちゃん。私に……私の知らない誠君を教えてね」

 

そして手を取ると、お互いに笑いあった。

この状況で精一杯の笑みを見せるのは似合っていなく、笑い方も無理をしているようだ。

 

それでも、確かに……美和さんは心から受け入れていた。

 

「じゃあ、チサキちゃんの住むのは決まったね。でも、ゴメンネ美和さん。私が先伸ばしにしたから……」

 

「ううん。信じてる。私は誠君が絶対に帰ってくるって」

 

本当に子供みたいに泣く美和さん、そのセリフは涙で頬を濡らしている為に台無しだった。たけど、確かな強さが込められている。

 

……本当に誠ならひょっこり帰ってきそう。

 

私は気になっていた美空に近づく。今だけは誠に知っていてくっついていたのかはどうでもいい。あんなに沸き上がった感情もどうでも良くなった。

 

「ねえ美空、美空はどう思ってるの?」

 

「兄さん、のことですか?」

 

そうだ、あんなにくっついていたから悲しくない訳が無いと当たり前のことを聞く。

 

美空は少し考えると、小さく呟き(聞こえなかったけど)…元気に答えた。

 

「私は兄さんが大好きです!だから私は何があっても待ち続けます。兄さんは私の大切な人ですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして、二年と約半年――

 

 

海は凍りつき、海村は水流に隔離され誰もが近づくことが出来なくなった。あの日からお船引は傷跡となり、誰もが少年少女達をその日になると思い出す。

 

私と美空、サユは大きくなって誠の通っていた始まりの学校に入学する。

 

チサキさんは誠の後を追うために、辿り着くために、看護師の勉強を。どうやら美空とは姉妹みたいに仲良くなったらしい。

 

入学式の日、私は誠が来ていなかった正規の学校の女子用制服を着て門の前に立つ。

 

「ほら、撮るよー」

 

門の前に並び、サユは笑顔でピース。

美空は少し疲れた表情で遠慮気味にカメラを見詰める。

 

 

 

そして、私は……

 

 

 

 

 

海を見ていた。




そして、今だに第二部じゃなくて御免なさい。
誠がハイスペックなのは後悔してない。

なんか、この先内容がドロドロしそうです。


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第三十話 動き出す時

ちょっと短め


 

 

 

side《美海》

 

 

中学生になって一年の月日と少し

 

 

誠達が消えてから約5年……私はいつも通りに布団から起き上がる。物足りない隣の温もりに寂しさを感じながら、慣れたように掛けてある制服を外すとパジャマを脱ぎ捨て、制服に裾を通した。

 

脱ぎ捨てたパジャマは拾って畳む。

アカちゃんは何時もズルイ。私が誠を好きなことを知っているのか、畳まない私に『ちゃんと畳まないと誠君にまた注意されるよ。もしかしたら、嫌われるかもね』なんて平気で言ってくるのだ。

 

カバンに教科書が入っていることを確認して、自分に昔は与えられなかった部屋を出る。今の家は昔と違いローンを立てて買った一軒家、勿論新居。実を言うと誠が帰ってこれなくなるなんて駄々をこねたこともある。

そんな数年前から見慣れた廊下を歩き、リビングへと向かうとアカちゃんが朝食を並べていた。

 

「おはよう美海。ほら、遅れるから早く食べちゃって」

 

「うん……おはよう」

 

時間はいつも通り、学校に出るには早い時間。毎日この時間に起きているけど、誠がいるときは誠の隣で起こされるまで寝てたってけ。

そんなことを考えながら座る。

 

目の前には、先に食べ始めていた晃。

晃は私の弟でアカちゃんとパパの間に生まれた子、よくイタズラをするけど私の言う事を聞く以外にアカちゃんの、お母さんの言う事は聞かない。

 

私はゆっくりと朝食に手をつけ始めた。

 

「ねえ美海、今日は巴日でしょ? 」

 

「うん」

 

「ご飯はあっちだっけ?」

 

「…うん」

 

眠りかけの起きない頭でアカちゃんに答える。

そうだ、今日は巴日だ。

学校ではご飯をみんなで作って、みんなで食べて、巴日を観察するらしいけど正直どうでもいい。

私は海を見ていたいだけで、それ以外に目的はない。

 

あの日から私はそうだ。誠達が眠る海を見るために早く起きて、ただ何もない海を見詰める。もしかしたら誠が氷を叩き割って出てくるかもなんて、絵空事を並べて時を過ぎていくけどそんなことはなかった。

 

「ごちそうさま」

 

「行ってらっしゃい、美海」

 

「うん、行って来ます」

 

軽い挨拶だけで皿を片付け、部屋を出ていく。

右手には鞄をちゃんと持って、時間を確認すると、玄関をゆっくりと出た。

 

 

 

 

 

「おーい、美海ー!」

 

誰かが私の名前を呼ぶ声がする。朝の静かな時間の中、私の邪魔をするのは一人しかいない。

 

「おはよう、サユ」

 

「まーた海を見て、巴日がそんなに楽しみなのか?」

 

走ってきたサユは息を整えると海を見ていう。本当はわかっているくせにこういう空気の読み方をする、それは昔からだ。

私はサユの好きな人を知っていて、サユは私の好きな人を知っている。お互いに想い人が同じ場所にいるからこの朝の会話も何度か目。

 

でも、サユが走ってきたということは……

 

「ねえサユ、何時に出たの?」

 

「えっと、はは…今度こそ美空より早く起きて学校に行ってやろうと思ったんだけど」

 

どうやらまた寝坊したらしい。サユが慌ててない限りは大丈夫だ。美空は特別に早起きで誰よりも早く学校に来ている。別に今日はサユが本当にヤバイ時間に起きたわけじゃない。登校する生徒なんて一人も見ていなかった。

 

「行こっか」

 

「ん、もういいのか?」

 

「うん。誠は勝手だから、そのうちきっと現れるもん」

 

「今日は元気なんだな」

 

「何が?」

 

「なんでも!」

 

「もうサユどう言う意味」

 

笑いながら駆けていくサユの後を追うために走り出す。特にこの行動に意味なんてなかった。

 

歩道を走って

 

海の横を駆けて

 

見慣れた門を前にサユが止まっているのが見える。こっちを笑いながら見て、私を待っていてくれたようだ。

鞄を揺らしながら追いつくと、サユはまた先を歩いていく。

 

それについていく私、教室につくと何時も通りに二人が椅子に座っていた。

片や本を読む少女、もう片方は必死にその少女の気を引こうとしている。

 

「ああ!また、お前はストーカーみたいに!!」

 

「誰がストーカーだ!」

 

「美海ちゃんとサユちゃん、ですか……おはようございます」

 

何時も通りに挨拶してくる美空は誰にもわからないような作り笑いを浮かべる、疲れきって何処か悲しそうな表情もあの日から。

目の前で行われるサユと沢渡のやり取りにも笑わない。

 

サユは沢渡にキツく当たり、それを沢渡はノリ良く返すけど、気にしていないようだ。

誠が兄なら当然だと思う。誠と比べるとどうも他の人が低く見えて、恋愛対象にすら見れなかった。かく言う私もその一人で今もまだ好きでいる。

 

と、思っていると美空は読んでいた本をパタンと閉じた。

煩くて集中できなかったのか、美空は疲れと怒りが混じった顔で私達を睨みつける。

その瞳は誠に似ていて、雰囲気だけでもそこにいるようだった。蛇に睨まれたカエルとはこのことだろう。大分、美空がこの数年で怒りやすくなった気もする。

 

「煩いです。黙って下さい」

 

「あっ、悪い……」

 

最初に謝ったのは沢渡勝。今でも美空のことが好きらしく美空に怒られると、すぐにこうなる。

惚れた故の弱みといえば、そうなのかもしれない。だけど美空自信は男子に興味がないのか、告白されても全部フリ続けていた。

 

沢渡は告白をしない。どうしてか、美空にフラれるのが怖いのかまだらしい。

 

そんな何時ものやり取りが続いて、教室にはクラスメイト達が集まってきた。

 

「はーい、今日が楽しみなのはわかるけど早く席についてー。出席を取るからねー」

 

担任の先生も誠の時と変わらない。私の担任も少しは老けたようだけど、私の中の時は止まったままだった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

授業も流れるように進んで掃除の時間。サユと二人で私はゴミを捨てに来ていた。あの池も変わらない。葉っぱが水面で揺れている以外は、あの時と何も。

 

クラスメイト達は初めての巴日にワクワクしたり、ざわめき期待を膨らますけど私はそうじゃなかった。

 

こうして海の話題が来る度に思い出すのは誠達。

 

けど、理由はそれだけじゃないようだ。

 

「峰岸、美海に告白するつもりだよ」

 

「……?」

 

告白、か……

 

いきなりのサユの言葉に驚かなかった。対してサユは心配そうな顔で見詰めてくる。

事前情報は簡単に手に入るものだった。教室であれだけ男子がコソコソしていたら、気付かない筈がない。

 

私は焼却炉の蓋を開け、ゴミを放り込むとゴミ箱を傍らに置いてサユを見返した。

 

「それがどうしたの?」

 

「男子たちってさ、ほんと馬鹿ばっかり!こういうイベントで盛り上がって、浮かれて告白なんてさ。ロマンティックなら絶対に成功するとか思ってるよ」

 

「そうなの?」

 

それが本当ならどれだけ良いだろう。もしそんなことで成功するなら、私は悩んでない。

サユは男の人を嫌悪しているかのようで、クラスメイト達には厳しい。

八つ当たりのようにゴミを焼却炉の中に放り込み、力任せに蓋を閉めるとこっちを向く。

 

「男ってばバカしかいないよ。確か、沢渡も美空に告白するって話だよ」

 

「そうなんだ」

 

告白のタイミングは一度だけ、でないと今日の巴日の補正効果は効かない。それを利用する男子なんて何人いるか、美空のことを思うと大変だなーと笑うしかなかった。

主に抜け駆けしようとするのが何人かいるだろう。クラスメイト達はそれだけ美空に惹かれている。

 

「サユは告白されたらどうするの?」

 

もし告白されたら、サユはどうするのか。

 

「私は一生女一人で生きてくもん。働いて、稼いで、誰よりも強く生きる。男なんて荷物だよ」

 

気になった私は聞くけど返ってきたのは予想外の答え。

驚いた私は目を見開く。

 

「要さん、好きじゃなかったの…?」

 

「そうだけど…いつ帰ってくるかわかんないじゃん。それに、あの人には……」

 

 

好きな人がいる、そういうサユの顔は悲しそうだった。

要さんの好きな人、チサキさんは…今では看護学校で勉強していて、おまけに美人。スタイルもよくて元のクラスメイト達からは『最近、団地妻っぽくなったな』?なんて言われているらしい。

 

一度、サユには悪いけどチサキさんが要さんとくっついてしまえばいいとも思った。そうしたら誠はチサキさんとくっつかないなんて、嫌なことを考えた。

 

それよりも、とサユがこちらを見る。

 

「美海はどうするの? このまま帰ってくるのを待つのか、もしくは……」

 

諦めるのか……確かにチサキさんには勝ち目が無い。このまま待って待ちぼうけも時間の無駄だって言いたいのだろう。それでも私は……

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「はーい、これはこうなり…そして…」

 

午後の授業は掃除が終わってから始まる。

 

そんな中、私は憂鬱だった。

何故か、少しだけ眠い。重たい瞼をゆっくりと閉じながら海の音を聞く。

 

サユの言葉に……私はあの時、答えられなかった。

 

決して誠を嫌いになったわけじゃない。待つ間に“好き”という感情が薄れたわけでも、ましてや諦めたわけでもない。それに諦められなかった。

 

 

授業が続く中、聞こえない波の音に耳を澄ませる。

 

目を閉じれば聞こえそうだったけど、思い出すのは誠と見る海の風景。あの日は海は氷すらなくて、綺麗な水と青のグラデーションが好きだった。

 

本当は自分の“陸”と“海”の混ざった目の色が嫌いだったけど、誠が『綺麗』だって言ってくれた日から好きになった。

 

 

授業の内容も薄らと頭に入るけど、思い出す度に目の端が熱くなってくる。

 

「おい、お前の眠姫様が泣いてるぞ」

 

「えっ、う……うん」

 

そんな時聞こえた会話、それは沢渡と峰岸と多数の男子達がし始めた会話だ。

気になって、私は目元を手で拭った。そうしたら何故か一粒の雫が手を濡らす。

 

しかし、私はぼーっとする頭でまた目を閉じた。

 

これが一番、落ち着くし、誠を思い出せる。

 

今、胸の中で揺れている十字架もチャラチャラと慰めるように音を鳴らす。

 

 

 

――――――チャラララ

 

 

 

また、私の耳元で鳴り響いた。

そんな時、後ろからトントンと肩を叩く人が。

 

 

「美海、美海」

 

 

女の人の声、きっとサユだ。私の後ろの席はサユが座っている。

 

 

でも、邪魔しないで欲しい。

今だけは、私の時間だから……

 

 

「お嬢さん、お嬢さん」

 

 

今度は男の人の声が窓の方から聞こえた。

クラスメイトの男子の声ではない。懐かしささえ感じる、それでも色褪せて聞こえる。

 

私はこの声を無視。

それでも、声はまだ聞こえる。

 

 

「お嬢さん、お嬢さん。そんなとこで寝てると風邪を引いてしまう。人間は寝ている間に体温の調節能力が低下する、そのままこの季節に寝てしまえば風邪を引くぞ」

 

 

心配しているのか、笑っているのか声は不思議と軽口を叩いている。

そんな時、周りの音がざわめきだつ。教室内は一層に騒がしくなった。

 

 

―――誰?

 

 

―――不審者?

 

 

―――美海ちゃん危ないんじゃない?

 

 

そんな言葉が飛び交う。けれど、目を開けた私はその声の方を見て固まるしかなかった。

 

そこにいたのはフードを被った、白いパーカーの性別不明の人間。声は男の人の声。

 

ポケットに手を突っ込み、こちらをフードの下から覗き見ている。

 

その瞬間、私の目には涙が溢れた。

 

 

 

今までずっと待っていた

 

 

泣かないと決めて、待っていた……

 

 

けれど、私は授業中だということを忘れてその人の胸に飛び込む。窓を飛び越えて、彼は飛んできた私を抱き留めると、その衝撃でパーカーのフードは外れて顔が光に照らされてようやく見えた。

 

 

 

「…嘘つき!!…帰ってくるって言ったくせに、あんな手紙だけ残して誠の馬鹿!!」

 

「ごめん美海……ただいま」

 

 

 

―――お帰り、誠

 

 

泣きながら私は誠の温もりを感じる。久しぶりの感触は温かくて、凄く安心した。




不審者扱いを受けるも、峰岸君は飛んでこない。
……妹ちゃん何処に行った?
だがしかし、美海メインの作品であるのだ。
(美海を出したかっただけ)


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第三十一話 目覚めた時の中、不穏な少年

裏話です。



三日前には目覚めていた。しかし、目覚めた場所は俺にとって、ある意味全てが始まった場所。海の底にある村から少し離れた、人が行き着く先。

 

そう……墓だ。

 

海村の人間が死ねば大体はそこに埋葬され、海に骨がバラ撒かれることはない。その墓、母親の墓の前で俺は目を覚ました。

 

「……ここは」

 

何処だろうか、そう頭に浮かんだ瞬間、一瞬の頭痛が頭を襲う。

まず最初に思い出したのは、お船引を行っていたこと。その次にどうなったのか思い出していく。蘇る情景は今の場所にいることを驚かされた。

 

「そうか…あの時、あそこで眠らされて…」

 

眠らされたのは、お船引の見える社の前。

しかし、目覚めたのは……墓の前だった。この奇妙な状況に頭を整理させようとするが、上手く頭が働かない。

 

どうも頭が混乱しているようで、見渡しているうちに何かを探すが目に入ったのは…

 

「…母さん」

 

母親の墓だった。墓石に綺麗に文字が彫られている、それを見た瞬間に少しだけ気持ちが落ち着いた。

 

母さんが守ってくれたんだと、胸の中が熱く鼓動し、涙が流れそうになるが必死に堪える。

あの時、俺は決めたんだ。絶対に涙を流さないと、泣かないと決めた、強く生きて母さんの誇れる子供であり続けると―――。

 

「ありがとう……行ってきます」

 

母さんの墓に別れを告げて俺は立ち上がる。

行かなければ、美海のところに……

会いたい、合いたい、逢いたいと心が叫んでいる。

 

もう、俺の頭にはそれしかなかった。

 

心細い、不安、怖いというそんな感情に心の安定を求める俺は飛び出した。

まずは情報集めから。今が何年で、何世紀で、あれから何年の時を過ぎ去らせてしまったのか、知らなければいけない、俺は世界に小さな希望論を押し付けて、村から出るために向かったのは家。

 

そうして家に着くと、テレビを付ける。カレンダーは勿論のこと誰も触らないから時期がわからない。しかし、テレビをつけても同じく画面は黒と白が入り混じり、ザーザーと雑音を壊れたようにを発生させるだけで何も映らないし使えなかった。

 

多分、来るときに見た村を覆う水流の嵐が原因だろう。

あれが磁気を発生させ、村と外界を完全に隔離しているのだと、焦った俺にはそんなことも思いつかない。

 

「くっそ、なんでだよ!?」

 

力任せにテレビを殴りつけ、怒鳴りつけるが何も起こらなかった。画面の前に崩れ落ちる俺はズルズルと手をテレビから離さないで引き摺る。画面には真っ赤な血が痕を引きつけ、俺の手からは血が流れる。

画面を殴りつけた時に傷つけた、こともわからなかったのか血の跡が嘲笑っているようだった。

 

 

ようやく次の日に冷静さを取り戻した俺は、とある人物を探して歩き回った。

元凶である“海神の鱗”を探すために、まずは社に特攻をかけて、いたら一発殴ってやろうと意気込むが、社は意外なことにもぬけの殻。勿論のこと、村中を探したがウロコは何処にも見つからない。

 

そりゃそうだ。ウロコは何処か特別な場所にいて、宮司ですら知らないところにいるのだろう。

こういう異例の事態を観測し、見守る場所に……

 

この時、俺には光達を探すことなど頭になかった。

 

ウロコがいないとわかると俺は次の行動に移る。出れない村からの出る方法、最初に出ようとすると水流の嵐が出ようとする者を押し戻す為に、初日に抜けられずに我が家に仕方なく滞在していた。

 

美海や誰とも会えない日常に募る不安。

ちゃんと生きている人間はいない。

もしかしたら、このまま一生を出れずに過ごすんじゃないかと悲しくなる。美海と会えず、誰とも会えず、孤独を過ごすのだと思うと胸が張り裂けそうだ。

 

こんなにも俺は弱くなったのか……

 

孤独を昔は何とも思わなかったのに、今になってこんなにも会いたいと、寂しいと思うとは思わなかった。

 

その必死さに促され、次に考えることにしたのはこの海を調べて抜け穴を探す事。

海の水流の強さ、流れの向き、全部を調べれば何かわかるかもしれないと思い、調べたがよくわかったのは巴日の日に水流の嵐が弱くなり、流れも変わることだった。

 

巴日とは、ぬくみ雪が水中で一点に光を集め反射して輝き計3つの太陽のようなものを作り出すことだ。正体はぬくみ雪なのでその他の専門的な知識はいらない。要はぬくみ雪が光を反射させる、それが三角形を作ると覚えてくれればいい。

誰もが知るこの現象、実はこの日だけ水流が弱まる時間帯があるため、それを狙う。

 

 

 

そして、巴日の日がやってきた。

 

取り敢えず、長い間に出来なかった母さんの墓の掃除を終わらせて準備を終えた俺は水流の嵐を前に何も持たずに向かい合った。

確証はなかったけれど、今日中に抜け出すという思いから何回もチャレンジするつもりだった。

 

やがて、決心をつけると水流に飛び込む。

荒れ狂う波は確かに最初に突っ込んだよりは弱くなっており、流れも変わっている。

不要物を追い出すかのように、流れは押し戻すというより押し出す感じだった。

水圧に圧迫される心臓と身体、骨が悲鳴を上げて、やめてくれと叫ぶが心は外を求める。矛盾する自分に鞭をうち、最後の力を振り絞って泳ぎ、何分何時間にも感じる洗濯機の中のような掻き回しをくらい、気がつけば俺はなだらかな海の中を漂っていた。

 

「…氷?」

 

目の前に映る大きな氷の壁、思わず出られたことに安堵できると思えば、最初に映るのはそれ。

近寄り、叩いてみる。

コンコンと軽く叩くが、割れそうにない。仕方なく見回してみると遠くに小さな穴を見つけた。所々に幾つかの穴が空き、上に出られることに安堵する。

 

逸る気持ちを抑え、泳ぎ穴から出ると太陽の光が直接、顔を照らし出した。

久しぶりの太陽光が無茶苦茶痛い。

 

「ぷはっ、ようやく出られた!」

 

思わず叫び、我ながららしくない行動に苦笑しつつも、氷の上に上がろうと足をかけた時。

 

パリンッ、という音が響きわたった。

 

発生源に目を向けると、そこにいたのは見慣れないオジサンと……

 

「…お前、帰って……」

 

「ああ、お前やっぱり紡か」

 

見慣れた顔、しかし背丈も顔も違って見えるその人物は見間違えることもない、親友だった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「もう5年か……」

 

歩きながら、ふと呟く。

紡に教えてもらった情報によれば、この世界は5年の月日が流れた時間らしい。

先程、会った紡は海洋学の研究中で海について調べていたらしい。その傍らで質問攻めにしてきたのは紡が通う大学の教授で、名を三橋悟。

質問攻めには頭が痛くなり、美海に会おうと逃げ道を探すが紡が『取り敢えず、戻ってきたのを知らせる』という言葉に落ち着いた。

 

サヤマートへの道を急ぐ中、すれ違う人にわざわざ呼び止められて質問攻めに合うのも面倒なため、フードを深く被り顔を隠す。

 

何より、美海に会いたかった。

チサキもアカリさんも、至さんも、生まれたという美海の弟の晃君も、心の準備は出来ていないが兎に角会いたい、その気持ちが鈍い身体を動かす。

 

サヤマートが見えてきた時、見慣れた車がサヤマートに入っていくのが見えた。運転席には狭山、助手席には同じく大学生になったであろうチサキ。

 

 

「若旦那、またパチンコ行ってたでしょ」

 

「リフレッシュですよ。リフレッシュ」

 

楽しそうな会話が聞こえてくる。狭山は相も変わらず、自由人なようでアカリさんに怒られていた。

 

「おおっと、ははっ!」

 

「あっ、こら晃!仕事の邪魔しないの!!」

 

「そぉれ!」

 

やっと、サヤマートが完全に目に入り、皆の姿がハッキリと見えてきた。

狭山が子供を背中に背負い、走り回って遊んであげている中でアカリさんとチサキがそれを見て和む姿。誰もが時が過ぎ去ったのを示すかのように、大人になっていた。

 

また、深くフードを被る。

 

狭山は晃君?を背中から下ろすと、小さく耳打ちしてチサキを指さし何かを言う。

この顔はろくでもない事を考えている顔だ。それがわかった俺は、呆れるように溜息をついた。

 

晃君はコソコソとチサキの背後に回ると、両手を合掌させて指を4本合わせて突き出した。

チサキはアカリさんと話しているため、気づくこともなく後ろに無防備になっている。

 

昔は光もよくやっていたものだ。アカリさんを困らせ、村の皆を困らせるやんちゃ坊主、だが俺だけは全部察知してよけるために一度も当たらなかったが。

 

「―――ひゃっ!?」

 

と、懐かしんでいる間に晃君が悪意もなく手を発射した瞬間にチサキのお尻に指が柔らかく刺さった。

 

艶めかしく、甘く可愛い声で嬌声を上げるチサキはお尻を抑えると顔を真っ赤にした。あんな声が出たことが恥ずかしいのか、少し涙目で晃君を見る。

 

……取り敢えず、狭山が気に食わない。笑ってニヤニヤとチサキの様子を見ているのが、なんとも。

 

アカリさんは可笑しな様子のチサキに違和感と覚えがあったのか、後ろを見た。

 

「あっ、こら、晃!」

 

見つかった瞬間、逃げる晃君。

 

「もう、美海の言うことしか聞かないんだから…チサキちゃん、大丈夫?」

 

見る限り大丈夫そうじゃない。

逃げ回る晃君は俺に近づき、パーカーを握ると後ろに回り込んで盾にした。

チサキは今でもお尻を気にしている。

 

もうダメだ、笑いを堪えきれない。

 

「…くっくく、ぷあっはっは! ダメだよ晃君、女の子にそんなことしてたら。あの齢は何かとデリケートで、あの部位はセクハラになるからね。ついでに、女の子に嫌われるよ?」

 

晃君の年齢でセクハラにはならないだろう。俺の歳ではアウトだが。

ついでに、晃君にはとあるミッションを与えることにした。内容は言わずもがな。

 

「晃君、飴あげるからあのお兄ちゃんにしておいで。あのお兄ちゃんは実は昔、結構なやんちゃしてたから。悪いオジサンをやっつけたら、お姉ちゃんも喜ぶよ」

 

「…?…行ってくる(知ってる匂い?)」

 

飴を受け取った不思議そうな顔の晃君はトテトテと走り、司令塔であった元上司に特攻を仕掛ける。裏切りにあった狭山は驚いた顔だ。

 

何かわからなくても、悪い、良いの判断は出来るらしくそしてカンチョウの連撃を始めた。

俺と話していた晃君、何処で知り合ったのか不思議に思ったのか、会話を聞いていたアカリさんが何時の間にか近寄っていた。

 

「えっと、君は晃の……?美海の……?」

 

フードをゆっくりととる。その顔を見た瞬間、チサキは大きな声で騒ぎ、耳を塞いで蹲ってしまった。

 

 

 

――――――

 

 

 

「み、見た……?」

 

聞いてくるチサキは顔を赤らめて恥ずかしそうにしている。

先程の騒ぎ、カンチョウがチサキにヒットしたことを言っているのか……そうだとしたら手遅れである。

 

艶めかしい声、チサキの甘美な声は脳内に焼き付いて、もう既に離れることはない。

 

「…その…うん、可愛かったよ」

 

「もうお嫁に行けない……」

 

精一杯の励ましも意味をなさない。

これが限界だ、いくらフォローしようともこれ以上はどうしようもない。知り合いに会えて俺はテンションが上がっているのか、誰でも良かったのか、知り合いと話せて嬉しいと感じた。

 

「そうだ。誠君、美海には会いにいかないの?」

 

アカリさんが晃君を抱っこしながら聞いてくる。

もう少し話していたいけど、それもそうだ。

早く会ってあげなよ、美海ってば、ずっと待ってたんだから。

そういうアカリさんのニヤニヤが止まらない。

思わず、逃げ出したかった。

 

「あっ、それと……会ったらお医者さん呼んでおくから、検査するんだよ」

 

「いえ、それは夜にしてください」

 

身体を心配してのことだろう。が、俺は断りを入れる。

 

「もうすぐ、あいつも目覚めるでしょうし」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「……先にチサキさんと会ったんだ」

 

夕食のカレーが入った皿を片手に美海が零した言葉、何処か悲しげに俯く。

 

聞かれたのは、俺が目覚めてからのこと。

勿論、ちょっと恥ずかしいことは隠してある。チサキの恥ずかしいことと、俺の恥ずかしいことは、自然と隠してしまったのだ。

 

……美海を最初に見て、思ったのは“可愛い”と“綺麗”の二言だが、何故か気恥ずかしくて言えなかった。

美海を見てやっと安心を完全に手に入れた。チサキと話したいことは沢山あったけど、あちらもこちらもまだ心の準備が出来ていないし。

 

「ほんと……綺麗になったな」

 

言えないのは、あの時に得た感想だ。会って最初に思ったのが“可愛い”とか言えない。

 

「そう……かな?」

 

謙遜する彼女は恥ずかしそうに視線を逸らす。不機嫌さも何処かに吹き飛んだようで。

しかし、周りの視線が痛い……

 

何せ此処は見知らぬ生徒達――5年前の俺の通っていた中学校の後輩?――の中にいるのだ。巴日の日、これを観察に来ていた生徒達にぶち込まれたのが俺である。

 

「そう言えば、美空は何処に行ったんだ?」

 

「今日は……元から参加しない、って先生が言ってたよ。美空はお家の事情があるんだって」

 

美海との再開時、目に入ったのは美空だった。

美海と同じクラスの美空は成長していて、凄く美人になっていたのだが、この時間まで話していない。それどころか話しかけてくることもなく、遠ざけているようだった。

 

気になって美海に聞くが、この返答……美和さんなら飛びついてきそうな内容だが、不自然だ。

チサキとあった時もそう…無理しているようで、アカリさんも急かすように俺の背中を押した気がする。

 

まぁ、美空は最初と2度目の会った時の反応が違うから気づいていたんだろうが、俺が血の繋がりを持っていることを……

 

 

……それは置いといて、男子達、いや美海のクラスメイト全員の視線が痛い。

 

特に、男子…その中でも1人目立つ奴がいた。

周りの者ほど、こちらを凝視していないが、チラチラと明らかに心配そうな表情の男子生徒。周りの奴はそいつに向かって小さく話しかけている。その間も視線は外れない。

 

その人ごみを掻き分けて、やってくるのはサユちゃん。妙に大人っぽくなっている。

話している俺と美海に話しかけてきた。

 

「よう、タコ助二号。美海と何イチャついてんだよ」

 

「べ、別にイチャついてないよ!ただ話していただけで、そんなんじゃなくて……」

 

「へー、あんなにしっかり抱き着いて泣いてたのに?」

 

「そ、それは……!」

 

いきなり帰ってきた時の事を掘り返すサユちゃんに美海は顔を赤くして否定する。

サユちゃんはチラチラと後ろの男子共に視線を送り合図していた。どうやら、あの男の子のために人肌脱いでやっているのか……こちらとしては複雑である。

 

……美海の言葉に少し傷ついたのは内緒だ。

 

しかし、美海のこの反応は誤解とあらゆる考察を得ることができるために人の捉え方によって違う。女子は半分ガッカリして、片やガッツポーズ。

あの男子生徒は心の底から喜んでいる。

 

そんな中、女子生徒が数人前に出てきた。

 

「ねぇねぇ、えっと…昔のお船引してた人だよね?私、あのお船引見てました!」

 

「あ、ずるい私も! 私は――っていいます」

 

押し合う女子生徒が何故か群がる。わんさか集まってくる。

 

「もう、誠なんて知らない!!」

 

紳士的に対応しようと優しく接し、数々の女の子達に囲まれる中、美海は省かれ不機嫌そうに叫ぶと、1人でズンズンと歩いていく。

 

なんで怒ったのか……わからない。

 

その後を、例の少年がゆっくりと追ってくのを見て、胸がざわめきを覚える。

 

――まさか、な……?




さぁ、次回は誠のストーキングミッション。
美海をストーキングする峰岸君をストーキング、もとい見守ります。
……実は誠もちゃんとした人間だった。


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第三十二話 “呪い”の果てに

少年の人生は呪われている。
そう気づいたのは昔、二度目の大切な人を失ってから。
少年はまた一人になって、思い出した……
自分がどうして生きているのか、どうして昔の誓を忘れてしまったのか、どうして逃げていたのか。

自分ですら忘れていた事にも。



 

 

 

……誠の馬鹿!

 

 

胸の中のモヤモヤが凄く苦しい。昔はチサキさんと仲良くしていてもそこまで気にならなかった、けれども今の私は胸の辺りがチクチクして苦しんでいる。

大人になるに連れて、私は独占欲が強くなったのか……嫉妬という感情は止まることを知らない。

 

大体、誠があんなに女の子にへらへらしているのが悪いんだ。女の子に近寄られて囲まれて、頬を緩ませて鼻の下まで伸ばして……私がそう感じただけだけど、やっぱり誠がそうしているように見えて仕方ない。

 

目覚めて久しぶりに会って

『綺麗になったな』

なんて真剣な目で見詰めてきて、私の胸はそれだけでドキドキしっぱなしで今にも張り裂けそうだ。

本当はもっと話していたかったけれど、クラスメイト達が誠に群がって私だけ出て来てしまった。嫉妬する癖に自分から出てくるなんて、なんて馬鹿なことをしたのだろうと反省するけど今更、戻れない。

 

「……結局、悪いのは私だ」

 

自傷するように呟く。

海辺の砂浜を一人で歩きながら、私は後悔していた。誠はモテることがわかっていたのに、どうしてクラスメイト達の中に一人残してきたのか。

折角、チサキさんも誰もいないのに…

 

砂浜をじゃむっ、と蹴り飛ばしてみる。

少し空振り気味に空を蹴り、冷えた砂はそんな音を立てて乾いた音を鳴らした。

 

――じゃむっ

 

続けて同じような音が鳴る。

 

――じゃむじゃむ

 

それは近づいてきた。砂浜の上を走るような音に私はちょっとした期待を寄せる。

もしかしたら誠が追いかけてきたんじゃないか、なんて希望と期待に胸を膨らませる。もしそうなら、少しだけ気付かないふりをして誠を困らせようと無視をした。

 

「み、美海ちゃん!」

 

……あーあ、台無しだ。

私を呼ぶ声は誠な筈もなく(女の子に囲まれてるし)、振り返るといたのは峰岸淳。

私の夢の時間を壊した本人は、息を切らしながら必死に私を見ながら息を整えている。

 

サユの言っていた通りなら、私に告白をしにきたのだろうけど…私には好きな人がいる…それにバレている告白なんて気まずいだけだし。

出来るだけ邪魔されたくない私は先に話に終止符を打とうとした。

 

「もしかして告白?」

 

「え、あ、えっと……」

 

狼狽える峰岸君にとっては、告白することはバレていないと思っていたのか、違ったのか。

私の自惚れだったのかもしれない。別に期待していたわけじゃないけれど。

 

「ごめん、私が自惚れてた」

 

「――ち、違うよ、あってる!」

 

決心を決めたのか、謝る私に峰岸君は言い直した。

早く終わらせたい私は先行する。峰岸君が言い出すよりも早く、なにより……誠にこんな姿を見せたくない。そんな一心で受け流す。

本当なら聞くべきなんだろう。けれど、誠ならきっと文句は言わないだろう。そんな気がした。

『自分を一番大事にしろ』

昔、誠が言った言葉だ。自分を一番大事にしない誠が放った数々の言葉のうちで、一番誠に似合わない言葉。全部、自分の事は後回しにして誰かの助けになる彼が、これを言うのは変だった。

 

峰岸君は不自然な動きで私を見詰める。これでもう終わりは来た、今度も私から話そう。

 

 

「……ごめん、私には好きな人がいるから」

 

たった一人の大切な人。

お母さんより、お父さんより、晃より、他の誰よりも大切な人。

断られた峰岸君は悲痛な顔で私を見る。

まだ、終わってない。

目には困惑の色が浮かんでいた。

 

「だ、誰だよそれ!?」

 

叫ぶ峰岸君は必死に大声で呼び止めようとする。

 

「…無理だよ、小学校の時から好きだったんだ!諦められるわけないよ!」

 

――まるで子供みたい

駄々をこねて玩具を強請る大きな子供、自分が世界の中心であると信じて疑わない、何かが自分を中心に廻っていると本気で信じている、純粋な何も知らないただのちっぽけな子供。

 

君がそう言うなら、私だってそうだよ?

 

峰岸君がそんな感情を持つより前に誠に出会って、小さな好きが愛に変わって。恋を知って。今でも長い長い片想いに心を痛ませて、苦しんでる。

君よりも長い間の片想いをして、これ以上に出逢えない大切な人に好きを隠し続ける。凄く苦しい。

 

 

それに、君は……

 

「峰岸君、君は誠が不審者扱いされて、教室がざわめいた時に…私を守ろうとした?それとも、貴方は何もせずに黙って怯えて見ていたの?」

 

これは空想のお姫様の希望論。

とある危機に陥ったお姫様を何処かの勇者か王子が救ってくれて、恋に落ちるという“吊橋効果”が乗った在り来たりな話。

どんな昔話にもある、そんな話。一度は女の子が憧れる妄想でしかない夢物語。

 

もしかしたら、峰岸君が私を庇っていたら惚れていたかもね。そういう話だ。けれど、誠との再会を邪魔されたなら私は……恨んでいたかも。

 

図星だったのだろう。峰岸君は困惑した表情で、しかしその“私の大切な人”の存在が誰だかわかったのか、また大きな声で一つの思い違いをする。

 

「あの人なんだね?そうなんだ……でも、なんで、僕とあの人の何が違うんだよ!」

 

全く違う。

叫ぶ峰岸君は必死に呼び止めようと、近づいてきたと同時に腕を掴もうとした。

けれど、その行動は急に入ってきた声と海から出た光に遮られる。

 

「美海、探したぞ。時間だ」

 

何の時間?と聞き直さない。私にはこの現象の理由、それよりも誠が来たことが嬉しかった。

誠は不思議そうな顔で私と峰岸君を見比べて、私の手を少し強めに握ると走り出した。

 

 

 

私を連れ出した王子様は、一人の男から少し離れたところで手を優しく握りなおす。

私はそれをそっと握り返した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

美海が怒って何処かに行ったあと、それを追いかける少年に不安を感じた俺は尾行した。美海に追いついて話をしたいが、既に少年は先行して美海に向かっているために先につくことはできない。ならば、せめて美海の邪魔をせずに影から監視しようとしたが……クラスメイト達から聞いた話により一層、不安は大きくなった。

 

『あれ?峰岸君だよ』

『美海ちゃんに告白するんだって』

 

これを聞いた瞬間に俺は行動を開始する。女子達に少し面白そうだから見てくると嘘をつき。

本当の思いを隠して物陰、つまりは岩陰に隠れた。

聞こえてきた会話の最初は本当に驚いた。美海自身が告白されることを知っていたらしく、それを断る美海の言葉が少年と俺にまで突き刺さった。

『……私、好きな人がいるから』

聞こえにくかったが確かに聞こえた。美海の口から放たれた言葉は確かに胸に突き刺さる。

 

……そうだよな、あんなに可愛いしモテるだろうし、もう年頃の女の子だし。

 

あれから5年は経ってしまったのだ。俺のいない間に美海は恋をして変わって、本当に綺麗になって変わった。いない間に美海は成長している、と眠りに落ちた自分が恨めしくなってしまう。

後悔はもう取り返しのつかないところまで来ていて、悲しさが胸に溢れる。

俺が見ていた少女は一人でに俺を必要としていなかったと現実は残酷に伝えていた。

 

 

悲観に暮れる中、少年はまたアクションを起こした。必死に昔から好きだった事を伝え、俺とは違い自分の胸のうちを曝け出す。

 

……何時だったか、俺が自分を抑えるようになったのは。

 

少年は自分に正直に美海に告白をする。その姿と美海の姿にモヤモヤとした感情を覚えながら、邪魔したい衝動に駆られながら見守るのは非情に苦しい。

だが、聞く側の美海は迷惑そうな顔で峰岸氏の言葉を断り続ける。峰岸氏――少年はまるで子供のようだ。諦めきれないよ、と叫ぶ少年に諦めろよと自分ではできない願いを願望を胸に沸かせ、この感情に苦しみながら割り込みたいのを必死に抑え。

 

ああ、そうだ……そうなのか。

これは嫉妬してるんだ。

自分にはそんな勇気がないから、美海が好きだから、嫉妬するだけして自分はこうやって逃げている。しかし、俺にはそんな資格ないと、胸の中の何かが囁いていた。

 

 

……今だに手は震えている

 

この恐怖は何時まで経っても退いてくれることを知らず、どうしても拭えない不安を作る。枷になったこの恐怖は俺の成長と未来を閉ざして、右手はブルブルと。

 

 

正体は解っているけれど、どうしようもない。

諦めて逃げと守りに徹した俺に、未来など……

 

 

少年は去ろうとする美海の腕に手を伸ばし、掴もうとするが…迷惑そうだったのと、もう見てられない光景にモヤモヤとしながら声を掛けた。

 

「美海、探したぞ。時間だ」

 

少年と美海の間に割り込むようにして美海の手を掴み、引いて前を先導する。

握り締めた手は力強く、柔らかい美海の手を壊しそうな程に力強く握られる。

海から出た光が二人を照らし出して神秘的だった。

 

導かれるようにして走り、早歩きになった時には強く掴み過ぎていた手は優しく握りなおし、美海はそれを優しく握り返している。

 

「ねぇ誠…あの時…」

 

「!誠、美海か!?」

 

やっと口を開いた美海の声を遮るのは、先にたどり着いていた紡だ。

息を切らし気味に、こっちを見る。視線は俺の右手と美海の左手に向けられるが、すぐに逸らされた。

 

それを無視して辺りを見回す。

光が収束し、大きな光を発すると目くらましに思わず左手で遮るが……砂浜に横たわっている影が目に入る。

 

「光…!?」

 

先に声をまたもあげ、紡が横たわる影――光に駆け寄る。

俺は美海の手を引き、その後ろに立った。

 

「あれ…ここは…」

 

「よう馬鹿、やっと起きたか」

 

「…誠?それにお前の横のは…お前、誰だ?」

 

誰だかわからない、光が見るのは隣で手を握っている美海だ。彼女はそれを言われて、手に力を入れる。

哀しみか、怖さか、忘れられるということは何よりも悲しい。人は二度死ぬ。一度目は肉体とその人が死んだ時、そしてもう一つは……

 

――誰かに忘れられた時

誰かが覚えている限り死んだ人は人の胸の中で生き続ける。その逆で、誰かに忘れられた時、人は二度目の死を迎える。

 

慰めの言葉ですら、皮肉にも裏がある。

こんな言葉の矛盾に気づくのは何人いるだろうか……

 

「…美海だよ。お前、わからないのか?」

 

「はぁ?お前、何言って…」

 

本気でわからないようだ。そこで何かに気づいたように、辺りを見回し始めた。焦りの表情を浮かべながら、怒ったようにただ一人の名前を呼ぶ。

 

「そうだ…マナカは、マナカはどこ行ったんだ!?」

 

「残念ながらまだ…っておい、光」

 

マナカの安否を聞いて絶望の表情を浮かべ、聞き届けると同時に光は気を失い倒れた。

……多少、ふらつくことはあったが。

それでも俺は倒れることなどなかった。倒れたくとも倒れられない、理由があるから。

 

 

 

――――――

 

 

 

「……では、明日には脳外科医の先生も帰ってきますので、脳の検査は後ほど」

 

庭で聞こえる医者の声に横になりながらも、ただ目を閉じて耳をすませる。光が倒れ、それを紡に運んでもらいやっとの思いで美海の家に帰ってきたのだが……流石に医者の目は誤魔化せなかった。

行われたのは外傷の検査、光は問題なく通過したが、問題は俺の方。数日前にテレビを殴りつけ、切れた皮膚のあとが塞がらずに残っていた。それを見つけた医師に傷のことを聞かれ、ちょっと転んだだけと答えたが……外傷の隠蔽など出来るはずはない。

テレビを数回殴ったことで、できた傷は転んだ傷とは思われるはずもなく『まあ、大した傷ではありませんが…異常があればすぐに知らせてください』と見逃された。

しかし、これだけではない。

『ですが、今日はもう貴方は休んだ方がいいでしょう。見たところ足もふらついているし、右手は震えが止まっていない、それを抑えている左手もまともに動かせていない。寝起きと偽っているようですが、本当に演技が得意な少年だ。全く、慎吾君に注意されていなければ気付きませんでしたよ』

年配の医師は慎吾先生と面識があるらしく、最初から無茶をし通すことはバレていたらしい。

 

……その時の美海が哀しそうな顔をしていた。

それだけが忘れられない。

 

色々あったな、と目まぐるしく回る思考の中、部屋の外からした視線に目を向ける。

覗き込む目は美海と似たグラデーションを持つ、宝石のような瞳。

 

『こら、晃ダメだよ!誠は寝てなきゃいけないんだから』

 

急に瞳が隙間から引っ込む。

全く騒がしいな。頭は違和感あるけどそこまで酷くない。

トテトテと走り逃げる音に苦笑しながら、ベッドを出ると扉の前に隠れた。見つからずに偵察するにはこの手しかない。

扉の前の気配に息を殺しながら、座って覗いているであろう美海に上から視線を向ける。

予想通り、美海は扉の前で覗き込んでいた。

 

美海を脅かしてやろう、小さなイタズラ心が前に出て、気づかないのをいいことに手を伸ばす。

中を覗くことに集中している美海は当然の如く気づかず無防備だ。なんだか将来、今も心配になってくる。覗き込む美海は目的の人物が見つからない事に必死に集中して探しているが……結論が出るより先に悲鳴を上げることになった。

 

「――ひゃ!?」

 

頬に突然触れられた感触に驚き、可愛い声を上げながら飛び上がる。

美海は扉の前に座り込み、動かなくなった。

 

「まったく…美海、そんな覗きこんでないで入ればいいだろう。此処は君の部屋だろ?」

 

「…も、もう…脅かさないでよ」

 

顔を赤くした美海がホッとしたように、右手で胸を撫で下ろすように掴む。

しかし、俺がいたのは美海に割り当てられた部屋……彼女のベッドも服も置いてあるのは当然、

……下着だってあるだろう

一人の少女が生活している部屋に何故かぶち込まれた俺は気が気じゃない。それも好きな人の部屋……緊張しない筈がない。アカリさんも大変な事をやらかしてくれた。

 

入るように促すが、美海は立ち上がろうと手をつき…上手く立ち上がれずに滑る。何度やっても同じだった。繰り返し立ち上がろうとするがペタリと床に座り込んでしまう。

 

……腰を抜かすほど、ビックリしたらしい

 

立てない美海は俺を睨みつける。

 

「もう、誠の所為で立てなくなったじゃん馬鹿!」

 

「ゴメンゴメン、でもコレで問題解決だ」

 

ペタリと座り込んだ美海の横に座り込み、不思議そうな顔をする美海に何も言わせず、言われる前に行動に移す。

右手で肩を抱き寄せ、左手を失礼ながら彼女の膝裏に潜り込ませ抱えあげる。

――ひゃあ!!と小さく甘美な声を上げるが、すぐに何をされたかに気づき、俺の顔を見た。

 

「ちょっ、誠は寝てなきゃいけないんだから、それにお医者さんだって――」

 

「……」

 

……本当に成長したな。

美海の声に耳を傾けるが無視を決め込み、柔らかくも儚く強い身体の感触に安心する。

 

俺は卑怯だ。

こんな方法でしか合法的に美海に触れず、想いも告げないで、こんなことを……

 

愛した人の存在が誰かの手に渡ることを恐れて、相手には好きな人がいるというのに、その身体に触れている。

現実を直接、確かめることも出来ずに告白もしないで、卑怯だとは解っていても。

 

俺は……どうしても想いは伝えられない。

そんなことをする資格は、俺には……ないのだから。

 

 

美海をベッドの上に下ろし、俺も同じく隣にドサッと座り込む。

奇妙な光景だ。恋人でもなんでもないのに、同じベッドで腰をかけるというのは。

昔見た映画の光景に似ていて、今の俺ではどうしても、その光景と見当違いにも重ねる。

やめよう、そんな夢を見るのは。

 

フッと笑ったとき、いきなり服を掴まれた感覚にビクッと小さく反応し、そちらを見る。

美海が顔を隠すように俯いていた。落ち込んだように見える彼女は、口を開く。

 

「ねぇ誠は、何時からだったの……?」

 

「?何がだ?」

 

「…無理をしていたの?」

 

心配してくれている。そう気づくのに一秒とかからない。何について聞きたいのかも解っていた。

 

「……どうして教えてくれなかったの?」

 

「それは別に隠してたんじゃない。ただ眠かっただけだ、それに美海には…」

 

――教えたところで何も出来ないだろ

これでも言葉を選んで、わざと突き放す言葉を選んだつもりだ。

美海なら本当の事を言ったところで、気を使われていただろう。そんなことは知っている。優しい美海に少し体調が悪い、なんて言えば気を使わせてしまう。

それが嫌だった。

 

それに、好きな人がいるならば、もういいのだ。

こうして顔を見れた。それだけでいい。俺が諦めれば、この先もずっとその先も美海は幸せでいてくれれば。

 

独りになって、初心に帰って、やっと思い出して気づくことができた。

 

 

 

 

 

――大切な人を守りたいから

 

 

 

何かをする。

何を犠牲にしてもいい。

もう、悲しまないために……美海との約束を俺が破らずに、美海からその約束を無くす方法は一つだけ。

 

俺が嫌われれば、自動的に『美海のところからいなくならない』という約束は消滅する。

 

大切な人だから、決めたんだ。

今日で最後にするつもり。こんな幸せな日々はこの人生で一番に輝いていて、勿体無いくらいの幸せをくれた。

 

 

 

部屋から去りながら、願うのは一つだけ。

纏わりつく俺の“呪われた人生”から、美海が影響を受けずに幸せに暮らして、生きること。

 

 

この“呪い”は運命に絡みついていた。




誠は何かに気づいたようです。
しかし、すれ違いはこんなにも見ていて気持ちのいいものではないとは。
書いている間、心が折れそうでした…グスンッ
早く、くっつけよ!
たまに思います。
というか、イチャつかせたい。


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第三十三話 拭いきれない感情

誠がヘタレています、ご注意ください。


 

 

ようやく朝が来た。鳥達の歌が頭の中に木霊する。差し込む光に目を細めながら、ベッドから飛び出ようとするが身体には力が入らず、降りられなかった。

 

此処は美海の部屋。別のベッドでは美海が愛らしい顔で寝ており。結局のところ一睡も出来ずに起きていた。本当ならこの家から出ていくつもりだったのだが、出る前にアカリさんに気づかれて捕まってしまい

『行っちゃダメだよ。誠君、君の親は私でもあって、美和さんから頼まれているんだから。それに、美海を悲しませるのは誠君の理に反するんじゃない?』

私だって君のことを解っているつもりなんだから、と脅されて部屋に戻された。アカリさんは考え込んでいた美海に俺の監視を命じると引っ込み――と、今の現状が出来上がる理由はそれだ。

 

俺の決意すら知らず、アカリさんは自由奔放に勝手なことをする、その好意が辛い。

女性に手を上げられない俺は、弱点としてそれを利用された。光の部屋なら逃げおおせる隙もあっただろう。

全く、周りには勝手で強引な人しかいないのか……母さんもミヲリさんもそうだったと記憶している。ならその血を引く美海はなんなのかと考える前に美海は俺の手を引き、自分の部屋へと招き入れた。あんな態度をとったのに、彼女は今でも平然とした様子で俺を迎え入れた。

 

……何をすれば、嫌われるんだろうか。

考えれば考える程に上手く行かない。手を上げる事はさっき言った通り、俺には出来ない。ならどうすれば嫌われるのかと考えたが思いつかない。

……手詰まりだな。

いざ美海を突き飛ばそう、そう考えても身体は動かずに静止という行動を取るばかりで、拒絶した。

寧ろ、苦しむのは俺だけで耐えきれなかった。

 

 

ベッドの上から美海を見詰めていると、急にもぞもぞと動き何かを探す。美海がとった行動に布団は抱き寄せられ、起き上がるとパジャマ姿の彼女は寝ぼけ眼で周りを見る。

一瞬、俺に視線を素通りさせ。

ふぁ〜〜〜〜っ、と長い欠伸をすると今だに眠そうにベッドから立ち上がる。

 

自分から挨拶などしない。

相手がしたら素っ気ない態度で返せばいいのだ。

嫌われる為の第一歩として考えたのはそんな小さな行動であるが、美海は知ってか知らずか次の行動を始める。

 

立ち上がった美海は壁に掛けてある中学校の制服を手に取ると、ぼそりとベッドの上に落とすように置いた。

そこから先はもう、唖然とするしかない。

美海は恐らくは俺の存在に気付いていないのであろう。

パジャマの一番上のボタンに手をかけて、プチプチと手慣れたように外していく。その度に美海の綺麗なシミ一つない肌は露になっていき。服の間から可愛らしい水色の下着までチラホラ見える。

 

ようやく美海はボタンを外し終えて、軽く脱ぎ捨てるとベッドにボサりと落ちた。

その勢いのまま腰に手をかけ、ズボンの口の部分に指を引っ掛けるとスッと下ろす。

そこで美海は自然とこちらを向いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

バッチリと目が合い硬直する美海。

瞬きをして、もう一度見る。されど幻覚ではないようだ。

 

お互いに見詰めること、しばし……

 

色白く健康的な肌が薄く赤に染まり、段々と耳まで赤に染まり頬も熟したリンゴのようになる。

それはどちらだったか、言うまでもないだろう。

 

 

 

そして、家中に美海の悲鳴が響き渡った。

 

 

 

――――――

 

 

 

「あはは、くすっ…もう美海ったら」

 

そう言って笑うアカリさんは娘の裸が一人の男児に見られたというのに笑うばかり。

当の被害者の美海は顔を赤くしてむすっと膨れている。

 

あの後、騒ぎを聞きつけたアカリさんに光、至さんと晃君が部屋に来たのだが。

美海は当然のように下着姿な訳で最初に来たアカリさんは唖然とし、次に来た至さんはアカリさんに目を塞がれ、のそのそ『うるせぇな』と文句を言いながら光が駆けつけた。

……その際に、思わず光に目潰しをしてしまったが、問題はないだろう。

 

美海の肌を目に納めたのは俺だけである。明らかに美海は見られたことで俺には近寄らない。それはそうだ、脱ぎ出す姿を終始見ていたのだから……

 

光が美海に目覚ましを投げられたのも新しい記憶だ。

 

朝食を食べ続けるアカリさんも怒ってはおらず、寧ろ微笑ましそうに見てくる。この裁判は美海の不注意と俺の無警告の両成敗、結局はどちらも悪いということになった。

 

……わざと言わなかった。

そう言ったのにである。本当は唖然として止め損ねただけだが、聞く耳を持たないのはこの一族特有か。

 

『えー、誠君は美海の裸見たかったんでしょ?』

と、茶化すが。

 

『俺は男ですよ。興味は人並みにはある。もしかしたら、それ以上かも』

と、返してしまったのはどうしてか。美海が、誰かが立てた理想像を打ち壊す発言をして嫌われるように仕向けた。しかし、本心も混じっているかも知れない。

要はどう言ったっていいのだ。女性的にはそんな下心を向けられるのは嫌悪感がする筈、普通の女性であれば遠ざけようとするだろう……想い人でなければ、その筈だった。

 

「ごめんね……誠」

 

隣に座っているのは美海。

どうして謝るのか、皆目見当もつかない。

この状況もだ。

以前より、帰ってきた時より距離が近い。隣に座る美海はお互いの匂いが感じられる程の距離にいる。その幅、僅か数センチ。特別に卓が狭いわけでもなく、寄せ合う必要性もないのにコイツは…

 

「……何がだ。君が謝る必要はない」

 

決して、自分が悪いとは言わない。

他人行儀に答えると、美海が懐からチャラチャラと何かを取り出す。そこにあるのは十字架、昔――俺からしたら数日前に渡した大切な物。

 

思えば、あの時から心は知っていたのだろう。

 

彼女が……

 

 

好きだということを

 

 

 

――ピンポーン、ピンポピンポ――

 

突然、家の中に騒がしいインターホンの音が鳴り響いた。誰の家だと思っているのか恐れを知らない連打。

俺からしたら、迷惑させている相手は一人しか思いつかないのだが。

 

アカリさんが誰だろう?と玄関に向かっていく。

その後を追い、殴るべくしてアカリさんの後ろから開け放たれるのを待った。

開けられるは玄関じゃない、俺を囲う檻だ。

 

「やあグッモーニングまk」

 

「近所迷惑、朝から煩い、取り敢えず黙れ!!」

 

開け放たれた玄関に出てくる狭山の顔面にジャブより強めのパンチを喰らわせる。

アカリさんは驚いたような顔で倒れ逝く若旦那を眺め、頭に手を当てて「あちゃー」と溜息をつく。

 

半分は自業自得、もう半分は俺の勝手な、自分に対する怒りの奔流だった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

誠は私の裸を見て、そう思ったのだろうか?

あるいは脱ぎ出す私に興奮したのだろうか?

 

誠の顔は私が着替えている間、何処か哀しそうだった。気づかない私が悪いのも解ってる。それでも、誠に見られたことに羞恥心はあれど後悔はない。

 

お母さんとの会話する誠は、昔とは違う。

そういうネタは誰よりも否定したはずだった。狭山や江川に鉄拳制裁を下し、私に聞かせないようにして、率先して興味無いような顔で受け流す。

 

それなのに、今の誠は変だ……

 

なんだか距離を感じる。同い年になって、同じ部屋で寝たのに、裸を見られたのに。

本当なら有り得ない同い歳に浮かれる私には距離を取る誠が映り込む。

 

ああ、なんだろう……寂しいな。

何か共通の話題を出そうと必死に考える。構ってもらいたくて、思い出したのは誠の大切だった宝物。

 

謝ったのも私が無用心だったから。それに、私にはどうしてもこのペンダントを渡された理由が気になった。これだけじゃないような、そんな気さえする。

そうしてようやく聞き出そうとした時、インターホンが連打された。こんな時にと思っているとお母さんと誠が玄関へと歩いていき。

 

遅れて見たのはなんだったろうか。

伸びている狭山と誠と話すサユ、いくらかサユに対しての態度が軽いことにギュッと胸を締め付けられる。

 

内緒の話だったようで、私が行くとサユと誠は話すのをやめてしまった。

 

「ねぇ、何の話してたの?」

 

「……あぁ、うん、内緒だよ」

 

聞いても答えてくれないサユ、なんだかハブられてる気がして落ち着かない。

どうして隠すのだろうか。

誠の前では言及すら出来ずにモヤモヤする気持ちの中、話題を変えようとしたところで伸びていた狭山が起き上がった。

 

「おお!光ィィーー!!」

 

「うわっ、なんだよ」

 

玄関から出てきた光は抱き着いてくる狭山に怪訝な顔でされるがままに硬直する。

 

「聞いてくれよ光、誠の奴が俺のハグをよけて、もとい殴って来てな」

 

あぁ、だから伸びていたのか……

 

「知らねえよ。でも、誠が殴ってくるなんて…いや、お前ら結構な頻度でコテンパンにされてたな」

 

それも、謝るまで…主に悪いのはこの人と江川だけど。

思い出したように光は言いながら、頭をかく。

 

私はその間も誠を見ていた。

今の彼からは目を離しちゃいけない。何処かに消えてしまいそうな儚さがある。

 

「それよりさ、漁協とか行こうぜ。他にもお前らに会いたいって奴がいっぱいいるんだよ。俺が案内するからさ」

 

悪気はないのだろう。

けれど、今は誠は体調が悪い筈。昨日のお医者さんの話だと立ってるのも不思議なくらい、寧ろ気を失ってもおかしくないって。

 

「ダメ!誠はまだ…」

 

「ああ、大丈夫だ。知らなきゃいけないこともあるし」

 

「俺も行く」

 

「おう!……あと、お前らも学校まで送っていくけど、どうする?」

 

起きたばかりで辛い筈なのに、どうしてこうも無茶をするんだろうか。

車に乗り込む誠は何時も通りで、けれど何処か無理をしているようで、不安だ。

気づくと私は誠の袖を掴んでいた。

 

「誠は今日も安静だって……お医者さんは言ってたんだよ。誠はまだ…」

 

「俺は大丈夫だ。もう、俺に構うな」

 

取った袖は一瞬で振り払われる。まるで私を遠ざける様に振り払われた手は空に浮いた。

 

 

運転席には狭山、助手席に光、光に助手席を譲った誠は荷台に私達と乗り込む。

私はサユと隣同士、目の前の誠と流れ行く景色を見る。本当なら誠が助手席に座るべきだったろう。医者に注意される程の身体で荷台の揺れはキツイ。誠は清まし顔で海を見ているけど。

 

あまり遠くでもなく、少しの時間で漁協に着く。

車から降りて真っ直ぐ事務所に向かうけど、誰もいないのか擦れ違わない。

 

ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべる狭山に、誠は何も言うことなく、狭山が扉を開けて事務所に入るのを待った。狭山が扉を開けて中に入る。

そこにいたのは、集められたであろう漁協の人達。光と誠を見ると笑顔を浮かべた。

 

「よおオッサン達!誠と光を連れてきたぜ!!」

 

「おお!!本当に光に誠かよ!?」

 

「こりゃまた小さくなったなぁ」

 

「ホントにビックリだ。あの頃と何も変わっちゃいねえ!」

 

すぐに取り囲まれる光と誠。くしゃくしゃと髪をもみくちゃにされ、光は反応することもなく立ち竦む。

対する誠は嫌そうな顔で、手を払い除けた。

 

「痛いんでやめて下さい」

 

「おっと、すまねぇ。だがよ、元気な顔見れて安心したぜ。誠は変わらず、大人見てえだがな」

 

「違えねぇ。これじゃあ、育った美海とサユがまだまだ子供みてえだな。ハッハッハ!!」

 

失礼な、私だって成長している。

だけど、誠との距離は私も感じていた。性格とかそこらが大人みたいな誠と私を比べたら何か違うのかもしれない。

 

 

 

 

 

学校への通学路。私とサユは二人で歩いていた。光は気分を悪くして、誠は今だに漁協でオジサン達と話している。

狭山には送って行くか聞かれたけど、ここでいいと、私は厚意を断った。

 

「それで、美海どうしたんだ?朝から誠と仲が悪いし、あんなにベッタリくっつきそうだったのに…」

 

あったとしたら、私が誠に裸を見られたこと。

そんなことは言えない。

別に怒っているわけじゃないけど。

 

それよりも、気になって仕方ない。

ねぇ、サユは私に隠し事してるでしょ?

誠と朝から何を話してたの、と醜い感情が押し寄せてくる。

 

それを聞けないまま昼休みになって、私は一人で学校の裏のエナ用に作った池を見ていた。少し手入れがされていないけど、割と綺麗に私の顔を映し出す。

一人になりたくて、サユに問い詰めたい感情を抑えて、見てみる揺れない水面は私の心を映し出しているようだった。誠は近くにいるのにこんなに苦しいなんて、どうして……

 

彼は私の事をどう思っているのだろう?

不安で不安で仕方ない。

嫌われるような事をした覚えはないし、なのに何故嫌われているのか。裸を見られたのがいけなかったのかな?

 

風が木を通り過ぎて、水面の葉を揺らす。ユラユラと水面に浮かぶ葉はより一層激しく揺れた。

ジャリっ、と後ろの方で砂を踏む音が聞こえ、サユが探しに来たのだろうと振り返るも、そこにいたのは予想外の人物だった。

 

「……何しに来たの?」

 

「え、えっと…それは…」

 

峰岸君、彼は昨日フラれたのに私に近づいてきていた。

まぁ、いいや……聞きたいことあったし。

 

「峰岸君は私の事を好き、なんだよね…?」

 

「……え?す、好きだよ!」

 

再確認すると物凄い勢いで首を縦に振った。顔を赤くしながら、何かを期待するように。

何に期待しているのかはわからないけど、私にはどうやら男の子に対する認識が欠損しているようで、聞けるとしたら、一番真面目に答えてくれそうなこの人だけ。

 

じゃあ……

 

 

「私の裸……見れたら、嬉しい?」

 

惚けたような峰岸君が、えっと顔を更に赤く、赤くする。

返ってきたのは意外にも簡単な答えだった。




やっていること逆効果!
誠は気づいてないです。
いや、一応は成功ですけど…


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第三十四話 罪人

美和さんの設定は書いてなかったはずだと願いたい。


『美空のお父さんは……死んだよ』

 

サユちゃんに聞いた親の訃報。

こんなの誰も言い出せない、言えるわけがなかった。

 

誰が聞かれてもいないのに答えられる。誰が聞いて、その知らせを教えることができる。サユちゃんには悪い事を聞いたな、とポンポン頭を撫でて伝えると幾らか悲しそうな表情は和らぎ、何時もなら来るだろう反発も来なかった。

 

不思議と悲しみは沸いてこない。沸いてくるのは、美空や美和さんに対する同情だけ。

 

誰もが美和さん達の話をしなかったのも頷ける。会いに来ないのも、避けられるのも……帰って来たのは美空辺りから聞いてるだろうし。片親では十分な生活費も入らないだろう。

まして、保々他人の俺に会いに来たところで何になる?

枷にしかならない。

親子の何かがあるわけじゃない。愛なんてそんなものがあるとも思えない。本当の意味での独りぼっちになったんだと気づくには容易かった。

 

漁協では光が体調を悪くした中、一人だけ残りオジサン達を前に立っている。美海もサユちゃんも光も関係ないものはいない。足を突っ込むような輩もいない。

一番聞きやすく、答えを知っているのはこの人達だけだと確信している。

 

「聞きたいことがあります」

 

「おぅ?なんだ、言って見ろよ」

 

「長瀬誠哉の死因は何ですか?」

 

ビクリ、と反応する漁協のオジサン達。

顔を見合わせると、何かをコソコソと話し出した。隠すべきか隠さないべきかもめているようで、会話の合間に美和さんの名前も飛び交う。

口止めをされているのだろうか。

結論に至るには十分だった。

 

「話せない何かがあるんですね?それも、親父が関わっている何か」

 

美和さんのことだ。もしも親父が何かして美和さん達に迷惑をかけたなら、本来は怨むはずの俺にすら黙って何も教えまいとするだろう。

 

それに親父のことだ、知らぬ間に流されて犯罪に巻き込まれるような、そんな人。

母さんと結婚したのもそう、好きではあったが俺が身に宿ると同時に結婚したというし。強引な母さんには適わなくて、喧嘩なんて全部負けて。誰かに優しいというよりも流され気味な人だった。

 

半ば推察に当てられたのか、一人の男性が出てくる。

 

「うんそうだよ、誠君の考えた通りだよ」

 

「ちょっ、お前それは口止め――」

 

「いいだろ。もう誠君は気づいているんだし、何時かはバレることなんだしさ」

 

予想通り、何かあるようだ。

この人は確か、漁協の青年部の人だった。今では前のような若くオドオドした雰囲気はなく、落ち着いている。

軽く会釈すると、会釈で返される。昔のことを覚えているのだろう、だが言葉は交わさなかった。

 

「教えて欲しいのは、まず親父の死因、もしくは死んだ方法、経緯」

 

「……本当に良いんだね?これから話すことは子供達は知らない、大人達で口止めされている事だよ」

 

それに、君にとっては過酷だよ。全てを受け止めても尚、まともな判断を下すことが出来るか。

ああ、構わない。と返すと青年は話始めた。

 

 

 

約三年前、長瀬誠哉は酒に溺れた。仕事の疲れか生活の変化か、同棲する形だけの結婚をした早瀬美和と自分の娘である美空、更に引き取った比良平チサキにまで手を上げ始めた。

しかし、誰もこのことは警察にも何処にも相談することなく家内だけの秘密として隠し続けられ、早瀬美和も二人を守り続ける為に自分を『いくらでも殴っていいから、この二人だけには手を出さないで』と投げ出した。

自分の身を捨て、体を差し出し、しかし狂ったような姿の誠哉は段々とギャンブルにまで手を染め始め、そのうち美和の頑張り虚しく娘とチサキにまで性的に手をだそうとした。

ある日、長瀬誠哉は車に轢かれて死亡。残されたのは生前に連帯保証人に“早瀬美和”と勝手な契約をした、借金だけだった。

それから毎日、借金の取立てが来ているらしい。

死亡の原因は酔っ払いながら道路に飛び出した為、車に轢かれて出血多量のせいだと。

 

 

話終えた青年部の人も、周りのオヤジ達も顔を背けて目も当てられないような顔をする。

 

なんだか、馬鹿馬鹿しくて頭が可笑しくなりそうだった。今にも俺に怒りをぶつけていい筈なのに、彼女達は何もせずにこうして隠し続けていた。

それなのに俺はなんだ、自分の事だけじゃないか。美海に会うために無茶をして、会えたと思ったら失恋して、あの人達が苦しんでいる時にのうのうと眠って。

 

 

 

もう、甘さは捨ててしまおう。

 

俺が間違っていたんだ。

 

自分だけ幸せを求めて、今でも躊躇い続けて。

やっぱり俺は呪われている。最初に死んだのは母さんで、次は親父が消えて。優しくしてくれたミヲリさんも死んで

至さんも美海も悲しむことに。

美和さんも美空もチサキも、巻き込まれた。

 

俺から伸びる災厄を運ぶ種の苗。それから伸びるツルは誰かに絡みつき、ズルズルと“不幸”へ引きずり込んでいた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

家に帰るともう時刻は六時過ぎ。高鳴る胸に鼻歌交じりに機嫌よく鞄を投げ捨てると、制服も颯爽に脱ぎ捨てて私服に着替えた。

 

『ど、どう言う意味、美海ちゃん!?』

『いいから答えて』

 

思い出すのは会話の断片。

急かすように答えることを促すと、彼は答えた。

 

『そ、そりゃ美海ちゃんの裸を見れたら嬉しいよ!』

『そうなんだ……男の子はみんなそうなの?』

『そうだよ!』

 

だとしたら、誠もそういう気持ちで私の着替えを見ていたのだろうか。恥ずかしいけれど、なんだか自分にもチャンスがあると思えて、不思議と嫌悪感はない。

 

なんか峰岸君が声をかけようとしていたけど、まぁいいか。置いてきちゃったし。

 

私は素早く服を畳んで、制服は壁に掛けて、目指すのはお母さんが料理をしている台所。部屋を出る時に煌めいた何かを見逃しながら、進む。

お母さんは夕食の準備をしているところだった。

 

「ねぇお母さん……」

 

「んー?なに、美海」

 

「やっぱり男の人って、女の人の裸を見れたら嬉しいのかな?」

 

「――ゲホっ、っていきなり……何を…あ」

 

そういうのはお父さんに聞きなさい、と口に出すが何か思い当たるように黙り込む。

今日の朝の事、思い当たる様に“特定の人物”の顔を思い出すとクスッと笑う。

 

「それは人によるかなー」

 

「じゃあ……」

 

誠はどうだったんだろう。あれから、私に話しかけすらしていない誠は、怒っているようで、近寄り難さを出している。

やっぱり彼は私みたいなじゃなく、スタイルのいいチサキさんの裸の方が見たかったのだろうか。

名前なんて出せるはずもなく、隠しながらもその人の特徴を言う。

そして、彼の反応を話した。

 

「じゃあ……例えば、裸を見て冷静な人はどうなの?」

 

「んー、それは単に好きじゃないか。もしくは、自分自身の感情を隠しているか、どっちかだよ」

 

或いは特殊な性癖の人。

もしかして、とお母さんは考え込むけど「いやいや、流石にあの子でもそれは絶対にないな」と頭から振り払う。

 

私の中でまた新しい疑問が浮かぶ。

誠はどうして冷たくなったのか、どうして冷たくするのかわからない。

 

「ねぇお母さん、私ね……好きな人がいるんだよ」

 

「うん」

 

何故、こんなことを言うのか。

お母さんは静かに聞いてくれる。

 

「でもね、その人は……私の裸を見ても興味無さそうにしてるんだ。どうしてだと思う?それに、なんだか私に冷たくなるし」

 

目の端が熱くなり涙が溢れそうになる。こんなにも想っているのに届かなくて、凄く遠くて。

もう耐えきれなかった。冷たくされるのも、素っ気なくされるのも、辛い。だから私は相談しようとしたのだろう。どうしたらいいか少しでも知りたくて、少しでも彼の想いを知りたくて、近づこうと努力して。

 

お母さんは料理する手を止めて、私の後ろに回り込む。そうしてきたのはふわりと抱き締められる感触。温かくて落ち着く感覚に、慰められた気がした。

 

お母さんが懐かしむように、思い出すように語る。

 

「私にはその子の気持ちはわからない。でもね、美海、多分その子は凄く寂しがり屋で意地っ張りで、実は強く生きているように見せて、一人で抱え込む悪い癖があるんだよ。誰もがその子の行動に騙されて、それを本心だと思い込んで、これに気づく人はいなかった。けれどね、一人だけ心の底から解ってあげられる人がいた」

 

誰だかわかる?

お母さんはそう言って私の髪を撫でる。くくっていた髪留めは外されて、髪はバラバラと揺れた。

 

お母さんの言う、その子は……誠の事だろうか?

でも、口には出さないけどお母さんは知ってる。私の好きな人が誠だということを。なら、話からして誠のことだろうけど、想像がつかない。

誠は強くて優しくて、誰よりも大人で、私の一番大切な人で。

 

お母さんはふるふると首を横に振った。

 

「……誠君はね、みんなが思っているような子じゃないよ。自分の気持ちを押し殺して誰かの為に自分を犠牲にしてるんだ。その度に自分が傷ついてるのにね、それを止めない。自分の事になると周りが見えなくなって、全部一人で背負っていく程馬鹿なんだ。

きっと、美海ならわかるよ。だって誠君の事を本当に理解できたのはミヲリさんなんだよ」

 

 

ミヲリさんの血を受け継いだ美海なら、きっと――

 

 

私は本当に誠を理解できるのだろうか。ちゃんと解ってあげられるのだろうか。

私はやっぱり知らな過ぎたんだと。自分の事ばかりで知らないでいたんだと自覚する。

 

リビングに鳴り響く電話のコール音。突如として鳴り響いたそれにお母さんは電話を取りに行った。

そうしてすぐにお母さんが戻ってくる。

それも、顔色は少し悪かった。

 

「美海、誠君……家にいるよね?」

 

「私が帰ってきた時には靴が無かったよ?まだ、帰ってきてないんじゃないの?」

 

「え?…誠君はいる筈だけど」

 

ハッとした顔でお母さんは部屋をかけて、私はその後に胸騒ぎを覚えながらついて行く。

着いたのは私の部屋で、名前を呼びながら来たのに、出会すことも出てくることも無かった。

 

「ない!誠君のバックは!?」

 

「何時もなら、ベッドの横だけど……」

 

「ああもう、やっぱり!!」

 

お母さんは焦ったような表情で玄関へと飛び出す。その後ろをついて行こうとした時、視界の端で何かが煌めいて視線を惹かれる。

 

そこにあったのは……私の持っている十字架と同じ、違う光を放つ誠の大切なものだった。




誠の親父さん発狂しました。
というか、蒸発しました。


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第三十五話 明日に備えて、少女の決意

アカリさんが親を見せる時!


 

 

 

外は暗闇になった。今も私は机の上に置いてあった誠の十字架を胸に抱いて、涙を流す。溢れてくる涙は止まらなくて、止めようとするけど見つからない、帰ってこない誠に不安が募った。

 

「おーい、飯だぞ」

 

「……いらない」

 

少し遅い夕食の時間に呼び出しに来た光、私は振り返らずにベッドの上で小さく呟いた。

 

「つっても腹減るだろ」

 

「誠が帰ってくるまで待つもん」

 

「あいつなら心配する必要ねぇだろ。どうせすぐに帰ってくるって」

 

「どうしてそんなことがわかるの!!?」

 

光がビクリ、と肩を震わせる。思わず叫んでしまった私は目も合わせずにまた誠の十字架を握り締めた。

本当なら、誠が持っていた私に託した十字架の色違い。何時も大切にしていたはずのそれは机の上に置かれていたのだ。それを私が持っている。

もしかしたら、誠が取りに戻ってくるかもしれないと…そんな淡い期待を込めて。

 

その時に止めるんだ。

もうどこにも行かないで、大好きだと。

 

光は不思議そうな顔で、確認するように聞く。

 

「なぁ…お前って、誠のこと好きなのか?」

 

「……そうだよ。悪い?」

 

少しの躊躇いのあと、呟く。

この気持ちを隠す気はない。

 

「いや、意外というか何と言うか、やっぱりお前らってそうなんだなって」

 

昔から私は誠に引っ付いて、誠が迷惑がらずに面倒を見て仲のいい兄妹に見えたのかも知れない。

光は驚いた様子もなく、私を柱に寄りかかりながら見ている。頬をかいて、気難しそうに呟いた。

 

「なんていうかさ、俺達は誠のことを全く知らずに友達だとか幼馴染みだとか曖昧な関係をしてたけどさ。それ気づいたのは中学生なって陸に来たあとで、アイツが本当に笑うところなんて見たことなくて。

でも、お前といるとアイツすぐに笑顔なって俺達には見せた事ない顔するからさ」

 

なんだろうな。

 

「だからアイツの今やってることがわかんねえ。どうして家からわざわざ出てくんだよ。一番近くにいたいとか抜かしてた奴が、っと……そういやアカリが呼んでたぞ。大事な話があるんだってよ」

 

何でも誠に関係ある話らしい、光はそう言うと先に行ってるぞ、右手を振りながら部屋から出ていく。

 

幼馴染みですらわからないのに、誠の気持ちを私が気づくことが出来るんだろうか。

不安だ……でもなんだか嬉しい。チサキさんの見たこと無い笑顔が私は見れていて、それを独り占めする事が出来ていたんだから。

 

私は部屋を出てお母さんのところに向かう。

胸には二つの十字架が煌めいていて、ぶつかり合う音が私に勇気を与えてくれる。誠が置いていった物。捨てて行ったのか私に託したのか、捨てきれなかったのかわからないけど、持ってなきゃ会えない気がする。

 

「……来た、よね…うん」

 

リビングに並ぶ何時もの顔。お父さんにお母さん、晃に目覚めたばかりの光がいた。真ん中のテーブルには何時も通りのご飯が並べられている。その数は6、お椀には白米が入ってないのが一つだけ伏せられていた。

 

お父さんは目を瞑って腕を組み、トントンと指で腕を叩くのを繰り返し。

お母さんは私が来たと同時にお椀を拾い上げ、少しのご飯を注ぐ。

光は腹減ったとか言いながら、目の前のご飯に『待て』をして犬みたいだ。

晃はキョロキョロと何かを探して、

「まぁとはー?」

そう呟いてはお椀を見る。誠のことを言っているのだろうか、意外にも懐いたらしい。

 

座ると同時にお父さんは目を開けて私を確認。溜め息をつくとお母さんに助けを乞うように顔を引き攣らせる。

 

「もう、お父さん、覚悟決めなよ」

 

「いや、だって……」

 

「誠君に、美海に、二人の未来に関係することなんだよ。誠君は決めたら絶対に自分じゃ帰ってこないし、探しに行くしかないでしょ。美海が説得するにしても、これを知らなきゃ始まらない」

 

二人の未来……?

 

あぁ、そうか。そうだよね。

なにも自分の自己満足だけじゃダメだ。誠が少し強情で決めたことは変えないのは知ってる。自分じゃ変えられないと、そんな不器用さも。

何より、私が誠を説得して連れ戻せるか、それで誠の未来も私の未来も変わるのだから。

 

――って、何言ってんだろ私。まるで、私が告白するのが成功するみたいに。そんな筈は……

 

お母さんは私を見て、確信したように微笑んだ。

 

「それにこのままじゃ終われないよ。美海の初恋だもん、あの子はもう私達の家族だもん。美和さんにあんな事があったのに託されて、心配されて、そんなの勘違いなんかじゃ終わらせないよ」

 

光は終始解らない、そんな顔でお母さんを見る。私もなんだか顔が熱くなるのを忘れて、惚けるしかない。

初恋の指摘をされて、恥ずかしいのに。けれど、お母さんがお母さんだと、その姿に見惚れていた。

 

お父さんもお母さんの姿に触発されたのか、よしっ!と頬を叩くとスッと目を真剣なものへと変える。ようやくお父さんは喋り出した。

 

「話は戻るけど、美海、美空のお父さん……長瀬誠哉が死んだのは知っているよね?」

 

「…はっ?えっ、ちょっと待て…美空の親父さんが死んだ?」

 

驚く光は動揺する。それとこれと誠とどういう関係が、叫ぶように怒鳴ると頭の鈍さに私は頭が痛くなる。誠の事を知りたいのにいきなり中断して。

本当なら誠の父親の名前くらい知っているだろう。それに誠の名前も“長瀬”なのに。

 

「長瀬誠哉……美空のお父さん。でもね、誠君のお父さんは美空ちゃんのお父さんと同一の人だよ。美空ちゃんは腹違いの兄妹なの、誠君のね」

 

「じゃあ……墓参りか? え?誠と美空って、あれ?」

 

頭を抱える光はひどく困惑した。

本当に訳が分らない、瞳は驚きに揺れている。

整理できない頭の光に、黙ってて!と怒るとすぐにお母さんの理解しやすい話に大人しくなった。

 

ここから先は子供達に教えられなかった話だと、お母さんとお父さんは顔を合わせる。

 

「ねぇ美海、誠君がもし、酷い人になってしまったら、美海はそれでも愛する?もし罪を背負って生きていたなら、同じ苦しみに耐えれる?」

 

これは最後の確認。足を突っ込むか突っ込まないか、再度確認するお母さんの目は真剣だった。

まるで、誠が悪い人のように……何でそんなことを言うの?

この時、お母さんは悪役を買ったのだと。誠のために決意は先にしていたんだ、誠を理解していたのだと解った。

 

「私は誠を……好きだよ。愛してる。だから私は誠が何をしていても、何のために出ていったか知りたい。そして何をしていたとしても、それは変わらないよ」

 

最大の告白――みんな見ているけど、言い切ってしまう。

 

お母さんはそれを聞くと、クスッと笑って話し出す。

美空のお父さんの死因、その経緯。誠のお父さんがどんな人に変わり果てたか、その行く末を。

そうして……美空の家に出来た借金。誠のお父さんが美和さんや美空、チサキさんに手を上げたこと。

そして一番辛そうに言ったのが、

 

――二人を強姦しようとしたこと。

 

誠もそうなるかもしれない。冗談混じりにお母さんはそう言うけど、私にはそう思えなかった。

 

「ねぇ美海、いきなり誠君に襲われたらどうする?」

 

お母さんは期待するかのような、心配していないような声で聞く。全く何を聞いているのか、光は顔が真っ赤だ。

私は……きっと、そんなことを誠から望んでいるのかも。多分だけど、私は許しちゃうんだろうな。

それくらい誠が好きだ。

 

でも!

 

「誠は誠だよ。長瀬誠哉っていう美空のお父さんでも、誠のお父さんだった長瀬誠哉じゃない。誠は優しくて、人に優しすぎるだけだよ」

 

 

 

夜の、誠が居なくなった部屋で私は布団に入る。話が終わるとお父さんとお母さんは溜息を吐いた。娘の初恋の溺れぶりに呆れているのか、深さに感嘆しているのか。それでも誠のことは信じているらしく、誠君を探すのは明日にして今日は寝よう、そう言った。

疲れていては力が出ない。いざ誠君を見つけても逃げられたら、意味ない。引き止めるだけの理由と声が誠にいる。

 

「……誠」

 

本当に責任感だけで出ていったのだろうか?

家を出ていくのが効率の悪い方法だと誠なら知っている。巻き込まないように、そう考えたのかもしれない。

勘違いもあるかも。

お母さんはそう言うけど、何を勘違いしたのかおしえてくれなかった。自分で気づかなければいけない事だと、クスクスと笑うお母さんがちょっと憎い。

 

「どうして……誠は、私を…」

 

捨てたんだろう。捨てたのかな……?

胸が痛い。勘違いが関係しているのかな?

今の私には解らない。わからないことだらけだ。

 

美空が悩んでいた事も。借金に苦しんでいた事も。気づけずに私は、友達の事に盲目で。他人の気持ちに疎い私は凄く鈍感で。

 

あぁ、眠くなってきたな……

明日は休みだから、誠を一日中探そう。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

side《アカリ》

 

 

「僕らが知らない間に、本当に成長したね」

 

至さんは烏龍茶を飲みながら、呟く。美海の、娘の静かなる成長、これは誠君の影響で、ある意味、誠君が育てたと言っていいほどに。

私達、親は見守るだけで勝手に成長するものなのだ。

 

「本当、美海は成長したね」

 

「最初は誠君がミヲリに強引に連れてこられて」

 

ミヲリさんらしいな、誠君らしい。

 

「美海に誠君を紹介してすぐに懐いちゃったな」

 

運命って、こんなことを言うんだろうな。

幼い頃の美海には運命の赤い糸が見えていた。そんな気がする。

至さんは穏やかに笑みを浮かべながら続ける。

 

「ほんっと、ベッタリくっついて。誠君は嫌がらずに美海の面倒を毎日のように見てくれて、遊んでくれて、少しだけ嫉妬しちゃったよ」

 

「えー何それ。至さん、嫉妬してたの?」

 

「美海はその頃から、僕とお風呂に入ってくれなくなったからね……」

 

寂しそうに至さんは語る。もうその歳でお父さん離れしたんだと、誠君に娘を盗られたようだと。

思わず、その情景を想像して吹き出してしまう。

 

「あはは、女の子だねー」

 

「ああ、もう一度でいいから美海とお風呂に入りたいな」

 

その場合、美海に物凄く嫌われる事になるだろうが大丈夫だろうか。

それより、警察にお世話になる至さんが浮かぶ。

 

「至さん、それは犯罪だよ」

 

「だよね……」

 

ガックリ、と肩を落とす至さん。そんなに落ち込む事なら美海が幼い頃に、一緒にもっといれば良かったのに。

けれど、私は至さんの気苦労を知っている。あの頃から少しでミヲリさんが死んで、至さんが美海へ構うことが少しだけ減って。私はその後釜に入るように至さんに寄り添って今のこの場にいる。

 

誠君が、酷い男の子でも私は文句を言える立場ではないことくらい解っている。

 

「ふふっ、美海とお風呂に入るのは犯罪だけど、私が至さんと一緒に入ってあげようか?」

 

「ええっ!?」

 

少しだけ至さんの顔に朱が指す。やっぱり親と言っても流石は男の子。美海に見られていたら、どうなっていたか。

 

「まっ、冗談だけどね」

 

「ええっ!?!?」

 

そこまで落ち込まなくても……

私も少しだけ本気だったけど。主に誠君と美海の愛の深さに触発されて、私も至さんともっとラブラブになれたらなー、なんて嫉妬。

 

「羨ましいなー美海は。あんなにいっぱい愛されて、誠君に本気で嫉妬されるんだから」

 

思わず思っていた事が漏れてしまう。

実はあの日、巴日の日、私は心配で誠君を付け回していたのだ。

美和さんと一緒に。

美海が告白されたのも知っているし。それを見て誠君が嫉妬して美海の手を引っ張ったのも。美和さんの泣き言も知っているし、私達は本当に仲が良くなったと思う。

 

けれど、一つわかった事は……あの人は誠君の事を子供として見ていながら、見ていない。

『私ね、最初は傷の舐め合いだったんだ』

あの日、美和さんが漏らした言葉は覚えている。その言葉は私ではなく誠君に向けられていて、美和さんが誠君に熱っぽい視線を向けていた。

それは……紛れもない。美海と同じ。誠君に向けられたのは愛ではなく、恋だ。

弱々しく疲れた表情の美和さんには、私は何も言えず、理由を知っているからか小さな愚痴を見逃した。彼女はすぐにでも決壊してしまいそうな程ボロボロな心で、私には手に負えない状態だった。

 

まあ、それでも私には結局は止められない。なんだか苦しんできた美和さんが可愛そうだと思ったから。

 

――と、話が逸れたけど。

誠君は誠哉さんみたいにはならないと思っている。美海にはあんなこと言って確認したけど、誰よりも厳しく、誰よりも大人に育ったのは彼だ。

……多少、愛を知らない気がするけど。

誠君は誠君、美海が言った通り個であるのだ。

……それに私自身、孫の顔に期待しちゃっている。誠君と美海がどんな子を産むのか、ね?

 

「ほんと、誠君に美海の愛は届くかな……」

 

「……届くさ。届かなくても、美海は諦めないよ」

 

私達は笑いあった。

 

誠君の強情さと、美海の負けず嫌い、どちらが勝つか。

 

――妥協、和解もあるかなと




少々、至さんのヘタレぶりが……こんなのでしたよね。
アカリさんに尻に敷かれるみたいな。
アカリさんは酷い人でもないですけど。
何より、恋する乙女は強い。


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第三十六話 利用される形

これは美和さんの一日


 

 

 

side《美和》

 

 

土曜日、また心配なこの日が始まる。

長瀬誠哉、彼は家に借金を残して交通事故で死亡した。それも普通の金融機関であれば良かったのだけど、生憎と誠哉さんが借りたのはよくある利子の高い事務所だ。ガラの悪い人達が経営している、そんな会社。借金の返済が遅いと毎日のように取立てに来る。

 

だから、心配だった。

 

今日は土曜日。私は仕事で病院に行く。チサキちゃんは看護学校に試験をしに。

だけど、美空だけは中学校がない。一人で家に居たら危ないし、取立てに来られてもし美空が傷ついたら、なんて考えると凄く怖かった。

もしも連れて行かれたらどうしよう。もし風俗なんかで働かさせられたら、なんて不安しかない。

 

 

「美空、今日はどうするの?」

 

朝食を食べながら美空に質問を投げかける。対して、美空は困ったような笑顔を浮かべると、食べ終わった箸を皿の上に置いた。

 

「…えっと、ですね……」

 

歯切れが悪い。答えられなかった。

美空自身、どうしていいか決められないのだろう。ここら辺には図書館なんてないし、勉強する場所も満足に見つからない。もし図書館があったとしても、美空一人にして連れて行かれるなんて嫌だ。

 

……美海ちゃん、や友達にも頼れない。

 

もしバレてしまえば、美空は虐められるかもしれない。美空はそれが怖くて誰にも頼らない。離れていく友達が怖くて、何時も独りぼっち。

 

――誠君なら

そう考えるけど、あの子にだけはバレたくない。

 

きっと、美空もそんなことを考えているのだろう。頼りたくても頼れなくて、いざバレてしまえばそれが怖くて。誠君ならきっと自分を責めるから。

 

私は美空にある提案をする。

 

「美空、今日は私の職場に行こっか」

 

職場の人達は優しいから。理由を知っているから。美空を連れて行くことも何度か許してくれた。

彼女達の親切には本当にお世話になってる。借金取りが来るかもしれないというのに、ね。

少しだけ私のことをよく思っていない人もいる。

 

迷惑はかけたくなかったけど。

 

「……ママ、ありがとうございます」

 

「お礼なら、職場の人達にね」

 

顔を伏せてお礼を言う美空。本当は独りが怖いのだろう。独りで“あの人達”に会えばどうしていいのかわからなくて、怖くて、その声には涙の音色が混じって聞こえた。

 

なら、早く食器を片付けよう。そう言って食器を台所に持っていき、私が準備している間に美空が洗う。仕事に行く準備を終えると、美空は洗い物を全てこなして既に学校に行く時に持つ鞄を持ち、制服に着替えていた。

なんだか負けた気がする。それも娘に。

そんな小さな悪い感情を一蹴りすると、頭の隅に追いやった。相変わらず、娘の方が良くできていて、小さな冗談混じりの嫉妬は小さな微笑みになる。他愛もない会話が私の唯一の救いで、娘とチサキちゃんが支えだ。

 

家の戸締りをして、玄関で靴を履き、外に出るともう美空は一歩先で鍵を持って待っている。

最後に鍵をかけ、確認すると、私は美空の手を引いた。

嫌がることも無く、ただ「えへへ」と笑い返してくると今日一日を頑張れる気がした。

 

ふと、自然に視線を家に向けようとする。行ってきますと、挨拶を交わそうと見上げるように一階から二階まで顔を上げたとき、山の中腹に人影を見た。

 

……誠君?

 

私の願望だろうか。小さな少年がこちらを見下ろして、目が合った。

 

そんな筈ないよね。

 

よく見ようと首を伸ばした時、不意に鞄から携帯電話がプルプルと震えだし、マナーモードながらも着信を知らせた。山から目を逸らし、鞄から携帯電話を取ると着信相手はアカリさん、私の数少ない友達だった。友達と呼べるのかは微妙だけども。

 

「はい、もしもし?」

 

「あっ、やっと繋がった。美和さん?」

 

出るとやっぱりアカリさんだった。

その事に安堵しながら、美空に目を向ける。

電話の向こうのアカリさんは少し、切羽詰まったかのように、焦りを見せていた。

その様子に、私は不安を覚える……もしかしたら、アカリさんのところに借金取りがいったのかもしれない。

 

「……もしかして、そっちにあの人達が……誠君は!?」

 

一気に私の境界線は崩れさり、焦りは表に出る。

今まで装っていた平常心も形無しだ。

電話の向こうで、取り乱した私に声をかけるアカリさん。

 

「落ち着いて美和さん。来てないから。ただ……」

 

何を迷っているのか、声が段々と小さくなっていく。

そうして私に告げられたのは、嬉しい知らせか、悪い知らせか、胸の中でドクンッと何かが鳴った。

 

 

――漁協から連絡があったの。誠君に問い詰められて、あの事を話したんだって。それで誠君は出て行っちゃった。

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

溜息が口から漏れる。これで何度目だろうか、私の中のモヤモヤは拭い切れずに溜まっていく。

――誠君の行方不明

今思えば、山で見た小さな子供の影は誠君だったのか、確認しなかった自分を恨む。電話の途中で山を見たけどもうその姿は消えて幻の感覚だけが残った。

 

美空に確認したけど、誰も見ていない、って。

あの時、美空もちゃんと山を見ていて、確認したけどやっぱり私の思い違いかな。

 

手付かずの仕事に集中もせずナースステーションを見渡す。なんとか午後のこの時間まで耐えた。あとはあの人の呼び出しと、借金取りにさえ会わなければ。

そう思っていた矢先に、ナースステーションに内線の電話が届く。周りには一人しか看護師がいなく、近いのは私で必然的に出る必要が出てくる。

怯えながらも、その内線に私は受話器を取った。表記には見慣れた番号が並んでいる。

 

「はい、ナースステーションですが…院長」

 

最も嫌いな人の掲げる名称を呼ぶ。呼ばれた電話先の男の人は僅かに鼻息を荒くした。

……気持ち悪い。

私だとわかると、院長は興奮した声色で告げる。

 

「早瀬君か。丁度いい、院長室にきたまえ。話がある」

 

誰にも内緒の話だ。分かってるね?そう言うと電話は即座に切られた。

嫌だ……行きたくないよ。

弱音を誰かに向かって吐きながら、受話器を少し粗めに押し付けるように置くと、看護師から誰からだった?と問いに院長と答えると、あぁ……最近多いね、と同情のような視線を向けられる。それを背に歩き出す。

 

前の院長が代わってからそうだ。前の院長は優しくて人望のある熱い人だったけど、一年前に急に退職して、私を守ってくれていた後ろ盾もなくなった。借金取りが来るかもと言っても大丈夫だと言い張って私を解雇しないでくれた。評判も良かったのに。

その次の院長が今の院長、彼に代わってから病院の評判も下落していく一方だ。

理由は彼の裏の噂。

なんでも裏で怪しい粉の取引をしているとか。ヤクザと繋がっているとか。更に言うと、彼はよく女性の診察を引き受けるのだが、その診察の仕方や手付きがいやらしく、視線もいやらしいことから女性の評判は最も低い。

 

――その事は、私が一番知っている

 

最後の噂は事実だ。私は彼の診察の助手の看護師として幾度となくパートナーとして参加した。その度に女性患者から文句が飛んでくるが、私は見て見ぬふりをして、仕事に専念する。……私と家族を守るために。

 

 

長い廊下を終えて、目の前に電子ロックのついた大きな扉が鎮座する前に到着。院長室の扉。指紋認証装置に手を置いて――ピッと言う電子音が鳴ると、番号をゆっくりと叩いた。

また、ピッと言う電子音が鳴り、今度はガチャリという施錠の解除された音が鳴ると、扉を押し開ける。

 

そこには、中年男性が一人。

年齢は34歳、白髪混じりの髪、小太りした身体に白衣を着せた眼鏡の男――院長が、いた。

 

「おお!来たか!」

 

院長の高そうな椅子に座る彼は僅かに身を乗り出すと、私の体を舐め回すように眺める。

 

「……ご用はなんでしょうか。院長」

 

「またまた、わかっているくせに」

 

「……」

 

「……例の話、悪い話じゃないだろう?」

 

とぼけたふりをする。院長は鼻息荒く、欲望を剥き出しの目で私をもう一度舐め回すように眺めると、立ち上がり椅子を押し出して、私に近づく。

その脂身を纏った手が、不意にこちらに伸び。

 

「――あっ、やめてください…!」

 

涙が溢れそうになる。彼の手が私のお尻を撫でた。ナース服の上から、太腿へと渡るように。

……吐き気がする。気持ち悪い。

言葉を抑えながら、彼を睨むように見やる。

見ると、彼は満足というような顔をしていた。私の嘆く声に、上げる悲鳴に。嫌悪する声に。

 

「うん。君はやっぱり最高だ。でも、忘れたわけじゃなくて良かったよ。僕は君の何かな?」

 

「雇い……主です」

 

「そうだ。言わば、神だ。救世主だ」

 

崇めろと言わんばかりに自慢げに撫でる手を、揉むような手つきに変えた。

思わず、嫌悪感に振り払う。

すると院長は薄く笑い、また口を開いた。

 

「やっぱりいい体だ。思った通り。だが、君は後戻りできる訳が無い。解雇されたいのか?」

 

「ッ!? それは……」

 

俯き涙を堪えるしか、することは出来ない。

私がこの人を嫌いな理由。

一年前に院長にこの人がなってからだ。院長は私の弱味を握る事で、こうしてセクハラをして、耐え続ける日々が続いている。解雇をすれば私は仕事がなくなり、美空も学校に行かせることが出来なくなり、借金も返せない。それを知った院長がこうして何時ものように、触ってくる。

 

だけど、これだけじゃない。

何時しか私を利用して患者にまでセクハラをするようになった。それを私は黙認する。パートナーとはそういう関係で、そうした汚れ仕事を……私は自分の家庭を守るために続けた。

 

院長がまた、口を開く。

今度は、胸に手を伸ばして、撫でるように触ってくる。

 

「あの約束も早く決めた方がいい。何より、今の美味しいうちに君を頂きたいからね」

 

“あの約束”

私はある提案を持ちかけられていた。

私がこの人と結婚をする。そうすれば、借金を肩代わりしてくれる。言わば、結婚をすれば私は院長に身体を差し出し、私の体を目的とした結婚をしろと言うのだ。

結婚をすれば、私は彼に体を差し出し続けなければならない。愛していない人に、身体を触られ続ける。私の未来を売る代わりに、安定を得られる。

それが嫌で、私はこうして断り続けている。

 

「……御免なさい。いい話ですが、私は…」

 

と、そこまで言った時、院長がニヤリと笑った。

 

「そう言うと思ったよ。けど、確かこの前に陸に上がってきた子供、なんて名前だったかな…」

 

誠、院長がその名前を口にした時、嫌な予感が全身を駆け巡る。

そうして告げられたのは、残酷な選択肢だった。

 

「あの子、君の大切な子だそうじゃないか。男が死んで何年も立つのに、今も気にして、可哀想に……あの子を消してあげようか?」

 

体が凍りつく。手足の感覚が麻痺する。声も喉の奥から出なくなり、恐怖だけが残った。

やめて!と叫べない。叫びたいのに声は空回りして、自分の身体と彼の命を天秤に掛ける。

 

院長はナース服の上から私の胸を揉み、私の反応を伺うと今度はするりとボタンの間から手を滑り込ませた。

肉厚の手が肌に直接触れる。

嫌悪感すら忘れ、やめて欲しいのに、逃げたいのに体はいう事を聞かない。

ボタンが次々と外される。一番上のボタン、二番目のボタン、三番目のボタン、順番にプチプチと外されていきライトグリーンの下着と白い素肌が露になった。

 

ブラのホックを外そうと院長の手が伸びる。

――ピリリリリッ

しかし、その行動は突然、鳴り響いた電話に遮られる。こんな時に誰かと、院長は電話を取り受話器に耳を当てると次第に顔が青くなっていった。急いで部屋から飛び出すと

私は解放されたことに安堵して、生まれたての子鹿のように床に倒れ込んだ。

 

――助かった

 

電話がなければ、どうなっていたか。

私は……誠君の事しか思い浮かばない。

助けて、そう願って思い浮かんだのは誠君の優しい笑顔とカッコイイ姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうも、電話を貸してくれてありがとうございました」

 

「あぁ、だが坊主。本当に明日払えるのか?」

 

携帯電話を返す少年に、右目に傷をつけた男が聞く。歳は五十代だろうか、白髪混じりの髪、着物に身を包む姿は風格が感じられる。

誰もが近寄り難い雰囲気を出す男。職業はヤクザ、所謂、金貸しや薬の売買、他勢力との抗争をする世間から嫌われた存在だ。

しかし、隣の少年は歳の所為かヤクザには見えない。それどころか関わりすら見えない。

男が、今度は違う質問をした。

 

「何処にかけた?あんな脅し文句は普通じゃねぇぞ」

 

少年は溜め息を吐き、男に答える。

萎縮すらしておらず、堂々たる振る舞いで悪気もなく、

 

「病院ですよ。馬鹿な院長がこれ以上、あの人を傷つけないように。それが美空の願いです」

 

ただ、ちょっとした料金を払われたのは予想外だった。

少年は口元に手を当てる。まだ、微かに残る温かみの愛しさに惚けて、目を瞑る。

――これは、最終警告だ。馬鹿な院長が大切な人達に手を出さないように、少し冗談の効かない冗談。

 

非情になった少年は、今だに甘さを残している。

持て余し、脅し程度で済んだ。

院長は命拾いをして、電話向こうの美和は助かり、少年の願いは成就し続ける。

誰にとっても、幸せな選択だ。ただ少し、隣の男は不満げに海を見ているが。

 

――少年にとっては今できる最高の選択肢だった。




次は美空視点か、誠視点の話を予定。
時間軸は同じくらい。
最後に院長の説明。
ゲス。……以上です。


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第三十七話 禁断の遊び

一応、言っておこう。
ヒロインは美海だ!!



 

 

 

side《美空》

 

 

ママが見上げた先には誰がいただろうか。

 

『あれ?ねえ美空、さっきの人影は?』

 

気のせいだと願いたい。けれど、ママから聞いたのは兄さんが知ってしまったこと。山の上の人影はママが電話しているうちに消え去り、居なくなった。

 

でも、あれは兄さんだ。

私の大切な人。

見間違えなんて起こすはずもなく、はっきりと見えた人影に確信する。兄さんが出ていったなら、尚更その可能性は高く、認めるしかない。

けれど、

 

『山に人影なんていませんでしたよ』

 

私は嘘をママに吐いた。嘘に、そうか…そうだよね…、残念そうに俯くママになにもかけられる声はない。騙したことは後ろめたいけど、私には確認もできない。

ママが歩き出す。

私はそのあとをついて行く。

 

 

そうして、確認しないことが私の気がかりになった。

机の上の宿題達。あまり進まずに広げられたそれらは、広げた時とページ数が変わらない。

 

「はぁ……」

 

溜息を吐きながら、机に突っ伏する。頬は冷たい板に当てられて少し気持ちいい。考え過ぎた頭を冷やすには最高の時間です。

でも、やっぱり会いたいな。

同じ場所にいるかはわからないけど、会いに行きたいという思いが強くなっていく。

 

今まで、色んなことがあった。

パパが可笑しくなって、急に死んで、残していったのは多額の借金で正直、嫌いになった。恨んだ。

どうして私達が苦しまなきゃいけないのか。どうして私達がこんな目に遭うのか。死んだパパに最初は泣いたけど、知ってしまえばもう悲しみなんてない。あるのは恨む気持ちと怒り、憎しみ、負の感情ばかりだ。

 

「お姉ちゃん、帰らないの?」

 

同じ部屋にいた子供に声をかけられる。この病院に入院している少女、楓ちゃんだ。

病名はなんだったか。心臓移植を必要としている、ドナーが現れるのを待つ少女だ。年齢は12。小学生でありながら強く生きている、私よりずっと強い子。

 

時間は午後5時前。

夕暮れに染まりかけていた空、色を変える海、今にも夜の帳が落ちようとしている。

ママが上がる時間には少し早いけど、そろそろママの所に行かなきゃ。

 

「ありがとう楓ちゃん。待た、来ますね」

 

「うん。また聞かせてね。お兄ちゃんのこと」

 

「はい」

 

「連れてきてくれると嬉しいんだけどなー。お姉ちゃんのお兄ちゃん兼彼氏さん」

 

あはは、と愛想笑いを零す。

にっこりと微笑む彼女に悪気はない。ただ私が楽しく話してしまったが為に、純粋に気になるのだろう。

兄さんの話しをするのは楽しくて、嬉しく、つい限度というものを忘れて暴走してしまう。

 

病室から出て楓ちゃんに手を振り、振り返されると扉を閉める。鞄はちゃんとある。ゆっくりと歩き出し、私はナースステーションに向かった。

そうしてナースステーションに向かっている時、目的の人物であるママが歩いているのを見つける。トボトボと歩くその姿は元気がないようだった。私に見せる元気な姿は欠片もなく、疲れきった表情に声をかけるのを躊躇う。

 

ママがある扉に入っていく。電子ロック付きだ。

その扉の厳重さに違和感を感じ、閉まる前に走り寄ると扉に手をかけ、閉まるのを抑えた。

運良くママはこちらを見ない。中にもう一人いて、その人を警戒するように身体はこちらを見ない。あっちからは丁度いいくらいにママで扉が隠れていて、ママに集中しているからか私には両者気づかなかった。

 

僅かな隙間から覗き見る光景に妙な違和感を覚える。相手は確か、この病院の院長。悪評のある、人だ。

噂は知っているし、ママからも注意されている。あの人だけには近づかないように、と――

 

「例の件、悪い話じゃないだろう?」

 

院長が椅子から立ち上がり、ママに近づく。

会話内容は断片的にしか聞こえない。

けれど、ここから見えたのは――院長がママの身体にいやらしく触るところだった。お尻に触れる肉厚の手。ママは嫌そうな顔で耐えるけど、揉まれたことで振り払う。

 

その光景に私は嫌気が差す。

全てを、理解した。

“例の件”がママの身体を目的としていること。

今まで、私も何度か院長に会ったが、幾度かイヤらしい視線を感じていた。

扉から後ずさる様に離れ、扉には電子ロックがかかる。ママを助けなきゃという思いが強くなっていく。私はママに守られていたんだと、気づく。

 

そこから私は無我夢中で走った。

体が弱いのも、体力が不足しているのも、全て忘れてただ大切なママを守るために。

自分が非力なことは知ってる。

自分ではどうにも出来ないのも。幾ら知恵を絞っても、私には無理だから。

この身体がどうなろうと構わない。全てを救えるかも知れない、あの人に。願ってしまう。頼ってしまう。

 

家の近く、息も絶えだえになりながら私は苦しむ身体を抑えるために胸を掴みながら、目的の人物である彼を探した。

その彼は朝見たとおりに中腹で、寝転んで目を閉じていた。

 

……寝ているのでしょうか。

 

起こしたいけど、起こせない。

そんな意に反して身体は動く。

彼を見ると、変になりそうだ。胸の高鳴りが止まらなくなって、焦燥感も忘れて、自分の欲が顔を見せる。

彼の横に膝をついて、その顔に安堵して、もっと寝顔を見ていたい。それよりも、今しかできないことをしたいと思った。

 

「私に…勇気をください」

 

多い被さり、彼の頬に手を添える。

 

「もう、沢山でいっぱいいっぱいです」

 

彼の寝顔に魅入り、そして――私は禁忌を犯す。

 

「兄さん…大好きです。許して下さい」

 

兄さんの頬を親指で撫で、顔を近付ける。私は兄さんの身体にいやらしく多い被さるように、膝をついていた。

本当に寝ているようで、寝息がくすぐったい。

私は顔を十分に近づけると、彼の唇に自分の唇を、欲望を押し付けた。

柔らかいものがくっつき混じり合う。

境界線すら溶け、お互いに一つになった気がした。

唇どころか心と体、両方が溶けそう。

唇は相性がいいのか、元からくっついていたみたいだ。頭は熱く思考が溶け、何をしているかわからない。ただ幸せな感覚に心がいっぱいになった。

真っ白な頭で想う。

……こんな幸せな時間が続けばいいのに。

……もう、これ以外に何もいらない。

……兄さんが、愛してくれれば。

世間体としては邪な感情として認識される。そんなことは昔から知っているし、私だって馬鹿じゃない。こんな幸せなのに、周りからは気味の悪いものを見る目で見られるんだろう。そういう想像はできた。

 

けれど、なんでダメなんだろう。

愛されたいだけなのに。

欲しいだけなのに。

初恋なのに。

初恋は成就しない――とは、こういうことなのか。

 

胸が、身体が、ドンドン熱くなっていく。

思考は加速するくせに、何を考えているかわからない。

取り敢えず、私は目を閉じて兄さんの感触を楽しんだ。離したくなくて、わがままな身体が唇同士を擦り合わせる。もっと、もっと、欲しい――

兄さんの感触が、温もりが、届かない兄妹の壁の先にある犯してはいけない領域、禁忌の領域。誰も理解しないだろうその先の愛。バレてはいけない。リスクを負いながらも私は兄さんに恋焦がれ、こんなことをしている。

 

――――………。

 

――……。

 

……何分経ったのだろうか。

10分、1時間、何時間、永遠にも感じられる。

 

――パキッ。

 

不意に後ろで枝を踏んだ音と、ぬくみ雪がきゅっと可愛らしい音を立てた。

私の意識は、夢から覚める。

 

(み、見られた――!?)

 

咄嗟に振り返ると、一人の少女が驚愕の表情に顔を染めていた。

深い海のような髪に、海を彩ったグラデーションの瞳を持つ私の友達。親友、そう呼べたのかも。けれど、隠し事をしないといけない友達は、親友、そう呼べるのか。

 

「――美空、なに、して…た、の…?」

 

美海ちゃん。表情も声も、動揺を隠せないで。

私を見る目は、兄さんと、何度も行ったり来たり。でも、兄さんの上にはしたなく跨っているから、そう遠くない距離に誤解の起こしようもない。

 

「美海ちゃん……見ての、通りです」

 

あぁ、バレてしまった。

兄さんだけには、迷惑をかけたくないのに。

蔑まれるのは私だけでいい。兄さんは、この事には関係ない。全ては自分から求めてしまったのだから。

 

よく見れば、制服のスカートなんてもので私と兄さんは阻まれる事無く、直接触れている。無防備に股下は兄さんに密着して、薄い布越しに兄さんの服が邪魔だとすら感じていた。

黒の薄地のニーハイソックスの間からも、太腿が兄さんに密着している。

もし美海ちゃんが来なければ、私は寝ている兄さんの身体にいやらしく欲情していただろう。醜く、淫らに、欲望のままに全てを忘れて。

 

「……美空、自分が何をしたかわかってるの!?」

 

と、美空ちゃんが怒ったように声を荒らげた。

兄妹、じゃないの?そう目が訴えている。

さぁ?――私は悪いことをしたのか。そう聞かれれば、何が悪いのか……ふと、院長に触られるママの顔が浮かんだ。

 

――……ぁ、ゎたしは…

私はイケナイことをした。

そう気づくのには遅い。

兄さんの唇を強引に奪う。その行動はママを苦しめる院長と同じ行動ではないか。重なってそう見えた。

 

どうしていいか、わからない。

こんなの知られたら、兄さんに嫌われる。

そう思うが早いか、兄さんに跨っていることも忘れて急ぎ立ち上がる、その瞬間、腰が抜けていたのか立ちかけた足は崩れて思い切り兄さんの上に落ちた。それも、

――兄さんの顔に、私の股が

ひぅっ!!という艶のある悲鳴が口から漏れでる。兄さんの口と私の下の口が重なるか、その感触に身体がいやらしくも反応する。

 

お願い、起きないで下さい!

絶望的な願いを込めて、もう一度、立ち上がる。

しかし、兄さんは起きずに眠りについていた。

その寝顔に安堵しながら、私は鞄を忘れて、逃げるように走り去ろうとした。

美海ちゃんの驚いた、その顔を目の端に捉えながら、慌てて用意しておいた私の携帯電話の番号の紙を寝ている兄さんの手に握らせると、走り去る。

 

後ろを振り返ることもなく。ただ美海ちゃんは泣きそうな顔で、怒っているような、半々の顔。

急いで山を駆け下り、家に駆け込むと急いで鍵をかけた。居留守を決め込むつもりだ。美海ちゃんには家にいることは解るだろうけど、それでも会いたくない。

 

一安心した私に、心のドキドキは大きくなる。

山を駆け下りたからか、兄さんの身体にいやらしく密着した所為か、美海ちゃんにバレてしまった所為か。

自室に向かい、制服のままベッドにダイブする。布団を深く被り、もう何も聞きたくないと、そう――罪悪感より勝ってしまった幸せの余韻の中で、私は眠りについた。

 

 

 

 

 

朝焼けの中、目を覚ます。ママは私を起こさずにいてくれたのか、或いは――あの人に身体を差し出したのか。だから起こさずにいたのか、起きた瞬間、ベッドから飛び上がった。

最初に思いついたのはたったそれだけ。冷静に戻った私はママを探す為、部屋を出る。

 

そうして廊下から台所に向かうと、ママが――いた。

料理をする後ろ姿に、安堵はまだ出来ず、落ち着かない声色で声をかけた。

 

「ママ……おはようございます」

 

「う?うん、おはよう。もうすぐご飯できるから、あっちで待っててね」

 

そういうママの顔色はいい。元から隠し事が苦手なママは何もなかったのか、何時も通りだ。

これまでにもないくらい。しかし、なんでこんなにも機嫌がいいなか、何もなかったのか。

大人しく、リビングで朝ご飯を待つ。何時もならつけないテレビもつけた。音で借金取りにバレないように、そんなことも頭から抜けて、天気を見る。

 

「はい、美空」

 

「ありがとうございます」

 

「ご、ごめんなさい、美和さん!!」

 

その時、ママがご飯を運ぶと同時にチサキさんが慌てて降りて来た。

これで、みんな揃った。

目の前の朝食にそれぞれ座り、合掌すると食べ始める。

 

――…………。

 

――……。

 

何時も通りの沈黙が朝食の空気。

その中で、私はモヤモヤとした朝食に嫌気が差す。

ご飯を口に運ぶママに、隠せない表情で――不安げな声で質問をした。

 

「ねえ、ママ……」

 

「んー?なに、美空」

 

「ママは、嫌なこと、ありませんか」

 

今まで、なんで聞かなかったのか。あのセクハラは何時から続いていたのか。

ママはビクリ、と肩を震わせた。

 

(どう答えるべきか、な)

 

少しの間が、食卓に流れる。

うろうろと動く瞳は、動揺を隠せなかった。必死に隠すべきか、隠さないべきか迷っている。

やがて、ママは

 

「どうして……?」

 

と、はぐらかすように聞いた。

私の真意を測っているのか、慣れない事をする。

でも、兄さんは私のキスを、好きではない人からのキスをどう思うか、

 

「そんなの、あの……ママ、院長に呼び出されてましたよね」

 

「…!! うん…」

 

肯定するママの顔は、悲しげな瞳が揺れる。

何よりも、心配と、不安が私に知りたくもない事を聞かせた。

何を知っているの?――、知らないでよ。

様々な疑問が、突きつけられる。

聞かないで、そう言っているのか。

 

そんなのは関係無い。そう言うように、私の口は止まることを知らない。

 

「ママは……あんなことされて、身体を空け渡したんですか?」

 

「ッ!?――み、見たの!?」

 

悲しげな表情がいっそう濃くなるが、一度目を瞑ると私の目を見詰める。

 

「美空、絶対に近づいちゃダメ。大丈夫。あの後ね、院長宛に電話がかかって来て、院長はどっか行ったの」

 

だから、大丈夫。

――それは、その時だけだ。

けれど、私には解る。兄さんが何かをしたのだと、何故か何も知らせていないのに。

 

あれれ?私が知らせたのは、私の携帯電話、その番号。

兄さんは何処で、院長の部屋の連絡先を――知ったのか。

でも、信頼できるのは兄さんのみ……のはず。

 

その時、ピンポーンと玄関の来客を知らせた。

時刻は、10時……こんな時間に、美海ちゃんか。

昨日のことを、聞きに来たのか。警戒するようにママが玄関へと向かう。私とチサキさんは慌てて、窓の泣い部屋に隠れようと、そして――

 

ママが、玄関の戸を開けるのを見た。

そこにいたのは、よく見るガラの悪い人達、が――

ママは困惑した表情で、相手はにこやかに、今までとは違う声のトーンで告げた。

 

「おう。これが借金の返済の確認書の予備や。ちゃんと受け取ったからな。迷惑掛けて悪かったの!」

 

告げられたのは、借金の完済……開放。

その言葉に、私達の思考はフリーズした。




ちょっとした、美空の暴走。
ハプニングは付き物です。
これぞ修羅場。
これがほんとのネトラレ。(告白も何もしていないのにそんなのないが)
うん。……危なかった。セーフ、なのか?
心境は夫の不倫現場を見た妻。
中学生にはショッキングである。


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第三十八話 過去の柵

誰かの幸せのために少年はなんでもすることを誓った。
諦めと、諦めきれない想い、矛盾した想いを持って……


 

 

 

拠点、キャンプ、野営、野宿。

言い方は様々だが、新たに選んだ住処は丘の中腹辺り、美和さんと美空の家が見える場所。母親の趣味と思考で買われたキャンプセットを携え、テントを張った。本来は星を見るために買った品だが、その用途で使われる事はついになく、今は違う方法で役立っている。

まったく、いい趣味をしているものだ。こんな事に使うことになるとは誰も想像しないだろう。まして18にも満たない少年が一人で野宿など、笑えない。

 

「もう、朝か……」

 

日が昇ると、それは自動的に俺の目を覚まさせる。

小鳥達の歌がアラームだ。視覚は朝日を、聴覚は小鳥達の歌を、なんとも豪華な目覚まし時計である。

 

しかし、当然慣れない環境ながら眠れたのは……前日に美海の部屋で眠らされたせいだろう。正確には本当に寝ていないから、何徹したか、疲労は積み重なり身体は限界を迎えていた。

 

まずは朝食の調達、と行きたいところだが。

監視に徹するため、諦めて美空の家を見下ろした。朝食の調達をしている間に見逃すなど、御免こうむる。

――……。

そうして何分何時間か、経った時には日は段々と高く昇りはじめていた。民家はそろそろ起き出す頃で、通勤する人がチラホラと見える。

そんな中、美空の家に動きがあった。

チサキが早足に家から出てくる。そう言えば聞いてなかったが美空の所に住むと決めたのか。

昔、残した手紙。

こう考えればチサキに酷な経験をさせたのは俺で、加害者であるとも言える。罪悪感が頭を指す。取り敢えず、ことが終わったら謝ろうと決めた。

 

そうして時は進み、陽の昇りと日の出から計算して午前8時くらいに美空の家からまた人が出てきた。二人の女性が家の前で足早に逃げるように、去っていく。

一人は美海と同じ制服――美空。

もう一人は、清楚でふわふわした感じの私服を着る――美和さん。

こうして見れば、二人の性格が現れていると言える。休みだというのに制服を着る美空の真面目さ。性格がふわふわしている感じの美和さんの服は、なんとも近寄り難い感じはなく、清楚でありながら声をかけやすい。

性格は反対だと見えるが、やはり親子か。二人して近寄り難さなど一切無く、親しみすらある。

 

――と、不意に美和さんが“こちら”を見上げた。

気づいたのか、気づいていないのか、半信半疑か、首を傾げる仕草が愛らしい小動物のようで、伴う美空も同じくして母親の見る先を見た。

しかし、美和さんは鞄をごそごそと漁りだし、こちらから視線を外した。四角い何かを取り出す。おそらく、携帯電話であろうものに耳を当てると、優しげな表情を浮かべる。

 

その間に、違和感を感じた俺は木の裏へ。

――嫌な予感は当たる。

美和さんは急いで、また顔をこちらに上げた。さっきまでそこにいた何かを探すように、必死に視線を動かして。その間にも美空だけは俺を見ていた。隠れている俺の居場所を見据えて……やがて目を逸らす。

 

――気づかれたか?

いいや、そんなことはどうでもいい。

誰が俺を見つけようと、止まることはない。

俺は俺のやりたいことをやる。

たったそれだけなのだから。

 

 

 

□■□

 

 

 

美和さんと美空は仕事に行った。もちろん、美空はついて行っただけだが。

それを見送ったあと、俺は急いで山を駆け下りた。

目の前には立派な一軒家が建っており、ごく普通の家であることが伺える。

 

「……なんだろうな。どっかで見たような?」

 

――はて、何処でこの建造物に似たものを見たのか。

既視感が頭の中をぐるぐると廻る。頭の回転は早いほうだが、

――ッ!!

突然の痛みが頭を襲った。

記憶のどこかで思い出すな、そう警告しているようだ。

 

思考することをやめ、もう一度見上げる。外観は見慣れた家の形をしているから、親近感がわく。

ふぅ、と息を吐くと俺は当然のように玄関のドアに手をかけた。

 

ガ――チッ!!

 

まぁ、当然のように開かないわけで、ドアノブから手を離して仕方なく周囲を散策。窓を確認。

しかし、これまた当然のように戸締りはしっかりされていて開くはずもない。

 

だが、方法はもう一つある。

ここから見える2階の部屋の窓、その窓には鍵をかけた様子が見られない。もし2階に上がれれば、中に入ることが出来るわけで……しかし、海のようにいくかどうか。

ここは陸だ。海ならば泳いで2階まで上れたが、陸ではそうはいかない。

……まぁ、その問題も無きに等しいのだが。

 

ガスメーターに足をかける。2階から伸びた雨水の配水管に手を掛ける。そうして次々と手をかけて上り、軽々と登ると2階の窓にたどり着いた。

ピンクの壁紙、整理された教科書類、クローゼット、勉強用の机、さらには可愛らしいぬいぐるみ。

どうやら、この部屋は美空の部屋らしい。

案の定、開いていた窓から侵入する。確実に見つかれば警察沙汰だが、気にせずに靴を脱いだ。なんとも礼儀正しい泥棒だと自分でも思う。

 

「……ん?」

 

すぐさま他の部屋に移ろうとしたところで、机の上に倒れている写真立てを見つけた。

 

「あぁ……いつ撮ったっけか」

 

そこに写るのは――俺と笑顔の美空。

5年前、何時しか撮った写真、当然美空は小さく今ほど胸も大きくないわけで、しかし小学生としては少し発育が良すぎるくらいだ。

無邪気故か、その凶悪な兵器は少年――誠氏の腕に密着していた。写真の少年は意に介することなく、微笑ましそうにしていた。

 

懐かしさに浸り、部屋を出る。

事態は早急に解決しなければいけない。

遊んでいる暇など、ない――

 

廊下を歩き、僅か数秒でそれは見つかる。

『誠哉』ある扉に裏向けられたプレートを捲ると、ぎこちない文字でそう書かれていた。

躊躇なくその部屋のドアノブに手を掛ける。目的の部屋はここだと、わかっていた。

そうして開けた先には――案の定、手つかずの整理されていない、生活感のなくなっている部屋。誰かが住んでいたという事実しか残らない、寂しげの部屋。誰も入っていないのか埃は数年分溜まっている。

 

「まぁ、当然関わりたくないよな」

 

嘲笑うように、親父を非難するように、自嘲気味に呟いて足を踏み出す。

机、本棚、ベッド、その三つしかない簡素な部屋はまるで無趣味だという人格を表している。

しかし、本棚に並ぶのは思い出のアルバム。気にならないはずはないわけで、俺はその一つを取った。

 

「……馬鹿親父が」

 

漏れ出たその一言は誰を嗤う一言か。

開けたアルバム、パラパラと捲ると出てくるのは母さんの写真ばかりで他は一つもない。

美和さんも美空も、二人の写真は一つも――

俺の写真、成長記録はあるが、美空のはない。

……元から、父――誠哉は美和さんを美空を愛していなかったのか。未練たらたらで海を出たのか。身体目的で傷の舐め合いをしていたのか。

 

ふざけてやがる。

 

 

いや違う、もしも美和さんが“傷の舐め合い”ではなく一方的な癒しを与えていたのだとしたら……

 

美和さんはそういう性格の人だ。

自分より他人を思いやる。

そこに親父が甘えを獲たのだとしたら、美和さんに悩みなどなくそうなっていたら。

 

が、それは妄想だろう。

もしも――それは何通りもある。

美和さんに悩みなどない。そんな聖女みたいな存在ではなく、美和さんも優しければ人であるのだ。人間には悩みが付き物で、傷の舐め合いだって否定できない。

 

 

さて、冷静になろう。

そうして次のアルバムに手を伸ばし、手に取ると、それはするりと床に落ちた。

アルバムの隙間から落ちた紙――昔の癖は直っていないようで、簡単にも目的のものは見つかる。よもや見つかるなどと期待はしていなかったのだが。

 

――その時、この家に来客を知らせた音が響いた。

 

 

 

□■□

 

 

 

ヤクザ――とは、なんだろうか。

暴力行為、犯罪、それらをものともしない猛者。彼らは警察を相手にも屈しない、屈強な強者どもだ。その彼らは忌み嫌われ、犯罪で金を稼ぐという法律に楯突く者。すなわち、忌み嫌われる集団だ。

大事なことなので、二回言ったが。

 

――そんな彼らの巣窟に、一人囲まれながら紅茶を飲んでいる人物。アールグレイの茶葉の紅茶を啜る少年――こと、俺はやんちゃなお兄さん達を前にふんぞり返っていた。

 

「で、子供がなんのようや? 坊主」

 

意味が重複しているような気がする。

が、無視して、見下すように答えた。

 

「だから、お前らじゃ話にならないから頭を出せと言っているんだ」

 

尚も、強気で冷めた目つきで睨み返す。

それに少しビビるものもいれば、ガチでキレかけの怖いお兄さんまでいる。

 

さて、ここでフルボッコパターンは目に見えているが、なぜ彼らはそれをしないのか。答えは簡単だ。噂によると頭が変わってから

『子供には手を出さない』

という掟ができたらしく、正確には手が出せないのだ。これに反抗するやからもいるが基本は守るらしい。

あくまで、基本は――だけどな。

 

「ガキが調子にのってると――」

 

やはり、挑発は喧嘩を売っているのと同義で、一人の男が肩を掴んできた。

すごい強面おじさんである。

が、平然とスルーする。

 

「なっ!! このガキ――」

 

怒りのボルテージマックスになった男が拳を振りかぶった。しかし、やられてやる義務もないが。

ここは相手の陣地だ。

聞く耳を持たない相手も悪いが。

 

「っ――!!」

 

ボコンッ――頬を殴られて頭が揺れる。

白が視界を埋めるが、痛みなどどうでもいい。

脳は揺さぶられ、少しの間、真っ白な視界が広がったままだが時期に収まった。

 

「――で、覚悟は伝わったか?」

 

「……ふん、ただ殴られた程度で」

 

「じゃあ、こうすればいいだろ」

 

パーカーのポケットからナイフを取り出す。

刃渡り15cm、厚さ約1mm、幅3cm、バタフライナイフと呼ばれる携帯するのに便利なそれ。

獲物を見た瞬間、周りの男達が身構えた。この事務所に入れるまでこんな武器を持っていることを想定しなかった。故に驚き固まっている。

 

バタフライナイフを逆手に持ち替え、そこでようやく男達が事態の重さに気づいた。

捕えろ!!お頭に合わせるな!!と口々に叫び獲物を奪い取ろうとするが、逆手に持ち替えられたナイフが空を切る。

 

――ザスッ!!

 

小さな何かを刺した音が事務所に響く。赤い液体が机の上から流れ出し、小さな川を作る。

周りの男達は唖然とした表情で目の前の少年――否、理解のできない化物を見つめた。目には恐怖するかのような色を灯し、恐れおののくように近づけず後退る。

 

「何驚いてるの? 覚悟を見せた。君らの世界では日常茶飯事でしょ?」

 

手を刺したというのに、自分の左腕を刺したというのに、動じずにナイフを腕から引き抜く。

俺は血が沸き立つ沸騰する感覚とは逆に、心の底から冷たい感情と反応で腕を見た。

 

溢れ出す鮮血、新鮮な赤い血、肉はまるで綺麗に捌いたように傷は綺麗なものだった。

傷を最小限に、血管を避けるように、骨を避けるように意図的にやったのも成功を収めている。

 

「――なんの騒ぎだ? てめぇら、静かに……」

 

そこで事務所の扉を開きやってきた男。

白髪混じりの髪、風格漂う和服、五十代後半だろうその男は目の前の奇妙な光景に眉をひそめた。

 

 

 

□■□

 

 

 

「悪かったな坊主。うちのもんが手えかけさせて」

 

部下の消えた部屋で2人、俺は向かい合っていた。

俗に言う、組長、という男と。

その男はこちらを凄く気にしているような、そんな表情だ。しかし、その瞳には何処か悲しげな色を写している。

 

「それより本題に入っていいですか?」

 

だが、そんなことは関係ない。

 

「――長瀬誠哉の借金に関してです」

 

聞く耳を持たずして、話を進める。

何より、早めにここからは消えたいものだ。

組長は、口を開かない。

長瀬、と聞いた瞬間に眉が動いたが。

 

「長瀬誠哉が借りた金。連帯保証人は早瀬美和となっています。が、その連帯保証人は息子である俺に変えろ。明日払う、それで十分だろ。これから早瀬美和には嫌がらせも何もするな。関わるな」

 

気づかないふりをして話を進める。

相手がその条件を呑んでくれればいい。

と、そこでやっと男が口を開いた。

 

「金は払わなくていい」

 

「……は?」

 

耳を疑った。この男は今、何と言ったか。

約束を重んじるヤクザ、だというのに。返すべき金を返さないでいいと?

男はソファーから立ち上がると、俺の座るソファーの横に歩いてくる。そこで膝をつき、拳を地面につき、頭を床に擦り付けるようにしてつく。

 

「おめぇさんの新しい家族とは知らなかった。許してくれとは言わねぇ!」

 

――いったい、何のことだ?

何故、こいつは謝る?

男が見せた土下座は誠心誠意、俺に向けられたものだ。だが相手が対等にあるにも関わらず、こうして頭を下げている。

 

「おい、おっさん……あんたは……」

 

――何を言っている?

わからない。理解不能。今さら、借金を超消しにするなどどうして……と。

今一瞬、男の顔に見覚えを感じた。

 

 

ふと、蘇るのは母親との最後の日の記憶。叫ぶ親父が相手を罵り、冷めた表情で俺は見ていた。

面会している相手は防弾ガラスの向こうですまなさそうにこちらを見ている。向けられているのは、俺に向けられた悲しげな視線のみ。

 

――悪い。坊主

 

その男の表情は曇っていた。自分のやってしまったこと罪悪感を覚え、悔いている。

 

 

思い出した。

 

「ダメだ。金は払う」

 

「だが、坊主!お前は覚えてねぇかもしれねぇが」

 

今も尚、罪を償ってもなお、男は悔いていた。

ただ命を奪ったことを。少年の手から母親という大切な存在を奪ったことを。

 

馬鹿じゃないのか。出かけた言葉を飲み込み、冷たい視線で男を睨みつける。

 

「今思い出した」

 

「じゃあ――!!」

 

「うるせえよ。借金を超消しにするとかそんな方法で救われようとしてんじゃねえ!」

 

ビクリ、と男が肩を震わせた。

 

母さんの死因は事故死。歩道に突っ込んできたトラックが時速60kmで柔らかいその身を轢いた。トラックの運転手は飲酒運転をしていたらしい。

轢いた相手に親父が葬式後、会いに行った。手には母さんの写真を、持って……。

人間は脆い物だ。たったそれだけで死んでしまう。正確には轢かれた直後は生きているから、出血多量が原因だが。

 

恨んだことはない。

俺は無力で非力な自分を責めた。

警戒していれば、避けれたのに。

この人も、だだのトラックの運転手で、殺したくて殺したんじゃないとわかっていた。

 

「いい加減顔を上げろよ。あんたはちゃんと罪を償った。こうして出所した。罪を償ったんだから、もう償う必要はない」

 

「だが、俺は……お前から幸せを奪ったんだぞ。こうして新しい家族まで苦しめている。二度も幸せを奪おうとした」

 

今の今まで罪を忘れなかった、その時点で反省しているのではないか。

 

聞いていて、こちらの心の鍵まで開きそうになった。

美海に会いたくなってしまう。逢って美海の全てを奪い尽くしたいと、願ってしまう。

美海を自分のモノにできたらどれだけ幸せだろうか。誰にも触れさせず、独占することが。自分だけのモノとして手に置いておくことが。

 

……ここにいたら狂いそうだ。空気に毒されてしまったようで、支配欲は元からあったのか湧き出てくる。

どうやら血と空気の所為で脳は働かず、感情がコントロールできない。

 

 

……美海。

小さな声で、自分でも気づかずに呟いた。

――想い人の名を




誠、事務所に乗り込みました。
そして、過去、の因縁が少年を渦巻く運命に引き寄せる。
少年の人生は全て、過去も意味がなかった訳ではない。
書いてて思った。よく死ななかったな、と。


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第三十九話 日陰者の暗躍

 

 

夕暮れ、沈みゆく太陽を見ながらどさっと腰を下ろし倒れ込むように寝転がった。景色は朧げで腕に巻いた包帯の朱と夕日のオレンジが溶け込むように混ざり合う。

血が足りない。意識が飛びそうだ。

けれど、なんとかここまで帰ってこれた。

安堵と共に眠気が襲う。このまま痛みも忘れて眠りにつけたらどんなに楽だろう、と思考は全てを捨てようとする。

その痛みは腕を刺した傷の所為か、この胸の中で苦しみ締め付けるような痛みか。はたしてどちらの痛みから逃れたいのか。

 

傷なんて別に気にしていなかった。

だとしたら……

馬鹿みたいだな、未練しかないじゃないか。

 

この気持ちを墓場まで持っていこうと決めた。

何よりこの気持ちを忘れたくない。もしも叶わなければ、これよりも辛い、そうなるだろう。

ならば現実なんて見ない方がいい。これ以上深入りしなければ、俺は……

 

 

日が沈んでいく。

海は陽の光を反射させて、オレンジに染まっている。

そして、俺の意識は朧気に世界を映していく。眠気に抗うことなく目を閉じた。

身体は動かず、目も開けられず、動くことを拒絶するかのように鉛のような重さが身体にある。

 

不意にぬくみ雪がきゅっと音を鳴らした。

その足音は、近づいてくる。

早足で走っているかのようなその人は、こちらに向かい慌てているようだ。

 

その足音は俺の隣に来ると『兄さん』と儚い声で呼んだ。

愛おしい何かを呼ぶような声で――俺を。

泣きそうな声を振り絞り、また『兄さん』と。

もう誰だかわかった。美空が来たんだと、久しぶりに聞いた声は昔と違うが綺麗な声だった。

 

その声は段々と近づく。

気づけばお腹の上に美空はのしかかり、四肢は檻を作るようにピタリと身体につけられた。柔らかく、暖かい、擦り付けるように、蛇のように絡まっていく。

 

やがて…………

 

 

美空の息は荒く、悲しそうに呟いた何かとを聞いたかと思うと口を突然塞がれた。

 

柔らかい。

あたたかい。

しっとりとして。

 

キスされたと気づくのに数秒を有する。しかし、気づいたところで動くこともできなかった。

頭の中が妙な感じだ。

言い表せない、官能的な、扇情的、甘美な時間が流れる。

俺はそれに抵抗することができない……いや、抵抗することをしなかったのかもしれない。

悪い気はしなかった。目を開けることも出来たはずだ。だが拒む事を身体が許さない。少女の期待に答えようとしていたのか、俺の心が突き放すことを許さない。予想できず不意打ちされたとしても、今なら美空を離すことができたが。

 

だって、彼女の唇は――

 

 

 

涙の味がしたのだから。

 

泣いているのか、唇を重ねられる合間にしょっぱい何かが流れ込んでくる。

少女はキスをする前に泣き言を言った。おそらく、もう既にいろいろと限界なのだろう。心優しい美空には目の前の現実が過酷すぎて、しかし――

何故、俺がキスされたのか。

答えは簡単だ。美空は俺のことを好いているのか、でないとこんなことをするはずもない。が、そこには矛盾点も発生する。

 

兄妹、という俺と美空の関係。

 

これは近親相姦、に入るのだろうか。

それ以前に俺は一度として美空を家族として、妹として見たことがあるだろうか。

 

わからない。家族とは……美空は俺の何か。

 

数分間、美空にされるがままにキスさせた。美空は美空で体温を感じ取ろうと体中を密着させてくる。股下もはしたなく密着させて、夢中でキスしてきた。

嫌だと思わない。思えない。

 

美空の長くしっとりとした髪が頬を擽る。

鼻腔をほのかな甘い香りが過ぎ去る。

今すぐ美空を抱き締めてあげたい。そうして安心して欲しい。こんなに涙を流して縋るまで耐えたのだからこれくらいは正当な報酬だろう、俺は美空に手を伸ばそうとした。

 

――きゅっ!

 

しかし、動かそうとする前にぬくみ雪が悲鳴を上げた。枝が折れる音も重なり、誰かが立つことを知らせる。

 

叫ぶような声の主は――美海だった。

 

「……美空、自分が何をしたかわかってるの!?」

 

 

□■□

 

 

 

「行ったか……って、あれ? いつの間に寝たんだっけ」

 

誰もいない丘で目を開ける。夕日が異様に眩しく感じたがそれだけ長く目を閉じていた。それだけだ。

なんか後頭部をぶつけたようだが、顎の方も痛む。

思い出すのは柔らかな魅惑の感触……何かがいきなり口に落ちてきて、そのまま意識は朦朧とする。

 

覚えているのは、美海は激怒したかと思うと美空が先に走り去り、その後に美海は泣きながら走り去った。

『こんなのってないよ……!』

走り去る前に震えた声で、そう呟く。

その意図は……俺にはわからない。検索し続けても答えは今だ空欄だった。

 

「随分モテるな。坊主」

 

「なんだ、覗きですか?」

 

茂みから一人の男性が現れる。

組長、その男――赤城は微笑ましそうにしていた。

いったいどこから覗いていたのか、いつから覗いていたのか、

 

「ちなみにどこから」

 

「お前さんが夕日に倒れたところだ」

 

飄々と答えられた答えに顔をしかめる。

なんだ、最初からじゃないか。

だとしたら、美空のキスも当然見ていたわけで、さらに言えばキスもこの人の所為なわけで……

 

だが、この人は知っている筈だ。

美空が半分とはいえ、血が繋がっていることも。

 

「美空は妹だぞ?」

 

「よういうわ。満更でもねえクセして」

 

「そりゃあ、あんな綺麗で可愛い娘にキスされて、頼られてあんなことされたら、誰でも断れないですよ」

 

「ほう。矛盾してるな。じゃあ、何故起きなかった?」

 

む……そう言われれば返せない。嫌というわけではない。寧ろあんな可愛い娘にキスされて、嫌がる理由もない。

だが美空――妹のキスをなぜ受け入れたか、聞いているのだろう。

どかっと赤城は草原の上に腰を下ろす。

タバコを取り出し、火をつけた。

 

「……俺が好きなのはもう一人の方だ」

 

「ん――あの海のハーフか。ふむ、ちとばかし胸も小ぶりで妹ちゃんより…いやすまん、悪かったって」

 

ナイフを取り出して脅したら赤城は両手を挙げて降参だと意を示す。ナイフは紅く塗られ、妙な説得力がある。

俺は冷めた表情で自嘲するように呟く。

 

「だいたい、あの子には好きな人がいるし、美空は兄妹だからモテてません。と、それより――」

 

携帯電話を赤城に催促する。

右手には美空に握らされた紙が一切れ、そこに書かれているのは美空の携帯電話の番号だ。

 

「いいけど、何に使うんだ?いきなり口説き落としにかかるのか」

 

携帯電話を取り出しながらも赤城は愚痴るが、無視してひったくる様に受け取る。

そうして携帯電話を開くと、紙に書かれた番号ではなく、頭の中から浮き出てくる番号を押した。

発信。

これは昔の電話の番号だ。もし美空の慌てようと何かが重なり、その向こうに原因があるなら、この電話の先には俺の救うべき人がいる。

無論、その番号が今も続けて使われているならだが。

 

ワンコール、ツーコール、スリーコール、その後に苛立たしげに電話に男が出た。

開口一番にこういう。

 

「おい、院長だな? 薬の密売とその他の犯罪行為をバラされたくなければ、その目の前にいる女から手を退け」

 

確信はすぐそこにあった。

まず、来た時の美空の慌てよう。次に苛立たしげな院長らしき男の対応。普通、病院の院長であれば電話に出るときこんなに不機嫌さを表に出すことはない。

すなわち、これらの情報から予想される今の状況は、院長の評判と重なる。

 

「な、何を根拠に……」

 

「早瀬美和がそこにいるだろ?」

 

「ま、まさか何処かから見てるのか!?」

 

名前を言い当てられたことに若干の動揺が奔る。

 

「お、お前は誰だ?」

 

続けて放たれた言葉は愚問だ。

答えるわけが無いだろう。

 

「見えてるぞお前の行動は。権力を盾にセクハラとはいいご身分だな」

 

「――っ!?」

 

電話の向こうで見回すような音が聞こえる。

話によれば、院長室は改装され完全防音になったらしいが、それが逆に不自然な不信感を与えている。さらに窓ガラスは特殊な構造のガラスが張り巡らされ、白く曇って外からは中で何が起きているか見えない。中からは見える構造のようだが、そこに院長の意図も大方読める。

 

犯罪を起こすなら、全てはバレないように。

院長の権力を使い作り上げた部屋だ。

前任の院長は無論、窓は外からも見えるように作られ、防音もしない人だったが。

 

「いくら窓から覗けないようにしても無駄だぞ? お前の行動は全て、筒抜けだ」

 

「な、何が目的だ? 金か、金なのか?」

 

そんなものいらない。

が、話の流れはこちらに有利だ。

 

「要求は1つ。早瀬美和と美空に手を出すな」

 

ドスの効いた声で精一杯の脅しを食らわせる。

もちろん、脅しで済めばいいが…それはあちら次第。

 

「そ、それ以外だ! 私の獲物だぞ! どこの誰だかしらんが、こちらには龍神会がついてるんだ! 貴様のことなど調べて殺して――」

 

龍神会――言わば、赤城の組合とは違うヤクザのグループで張り合っている相手だ。過激な組織でありながら警察にしっぽを掴ませないことが有名だ。

 

「い、今、手を退くなら許してやっても――」

 

院長は必死に捲し立てるが、その気ははなからない。

いや、美和さんを脅す理由も明日には失くなるが。

 

「ええ、いいでしょう。こちらは手をひきますが、くれぐれも馬鹿な行動は謹んで下さい」

 

――荒事にならないように、ね。

もしこの人が手を出せば、迷わず潰す――そんな意味を込めて。

もし脅す理由がなくなっても足掻くのなら、その時はその時で全力で潰す。

社会的にも、全ての地位を奪う。

 

こちらから一方的に電話を切り、携帯電話を赤城へと投げ返した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

涙が止まらない。

ベッドの上で私は泣き崩れていた。

好きな人が親友とキスをしていた。ただ好きな人は寝ていたようだけど、それでも哀しくて、やっと見つけたと思ったのに……胸をナイフで刺されたみたいに痛い。

 

「ひっく…うぅ…ひどい、よ…」

 

誠の一番のキスが欲しかった。

なのに、わかっていた美空の好きの度合いに気付かずに先を越されたことが悔しい。

あんな方法が許されるなら、私だって……でも、嫌われたらと思うと……私には無理だ。それに、私にはそんな勇気なんてない。

 

結局は羨望しているだけだった。

美空の勇気と、あの位置に代われたらなんて、希望はただの欲望で、全部妬んでいるだけだ。

 

 

 

 

 

side《アカリ》

 

 

大きな音がしたかと思うと、ドタバタと足音は美海の部屋に向かった。美海が帰ってくるには早く、呼び掛けても誰も答えない。

仕方なく玄関に向かうと、靴はやはり美海のだった。普通なら見つけるまで探そうとする筈だと思ったのに、美海ならギリギリまで探すと思ったのに、どうしてか美海は予想よりも早く帰った。

 

「ねぇ、美海ー? 帰ってるの?」

 

部屋の前に行き、声をかけた。

静寂が返ってくる。美海は返事をしない。

何があったのだろうか? 気になる私は。

 

「美海、入るよー?」

 

扉に手をかけたところで気がつく。部屋の中から小さな啜り泣き、それが聞こえたのだ。

急いで扉を開ける。どうして泣いているのか、部屋の中には俯いたままの美海が膝を抱えて踞っていた。

 

「ちょっ、どうしたの美海!?」

 

何があったのだろうか、駆け寄り隣に腰掛けて背中を撫でる。美海は目も向けず、ただ泣くだけだ。

 

何があったの?

誰かになにかされたの?

怪我してない?

 

思いつく限りの言葉を並べていく。でも全てハズレなのか美海は俯いたまま首を振った。

あとは……もしかして、誠君を見つけた。とか。

 

「もしかして、誠君を見つけたの?」

 

誠――名前を聞いた美海はピクリと肩を震わせ、初めて顔を上げた。その顔は酷い。まるで大泣き寸前のように留めているが、泣けないから溜め込んでいる、そんな顔だ。

でも、なんで美海が誠君を連れ帰らなかったのか、引き摺ってでも連れ帰りそうなのに……。

 

「そっか……ダメだった、か」

 

「……違う!」

 

誠君が拒んだのだと思った。けれど、美海は首を横に振りながら叫ぶ。

 

そこからは何も喋らない。喋りたくないのだろう。

啜り泣きは止まず、決壊しかけのダムのように、少しずつ涙を流していく。いや寧ろ、涙の量と啜り泣く声の対比が可笑しかった。釣り合わない泣き方をして、涙だけがポタポタとベッドを濡らす。声だけが抑えられている。

 

「美海、なにがあったか知らないけど、今は全部吐き出して泣いていいよ」

 

寄り添うように美海を抱き締める。その肩は小刻みに震えていた。

 

――――……。

 

――……。

 

そうして何十分か待つと、美海は大泣きした。

長い間、大きな声で、私にしがみついて。それはもう昔の小さな頃の美海を思い出させた。その頃は誠君に何時も引っ付いていた。ミヲリさんと同じくらいの頻度で、それはもう凄く懐いていて。

素を見せるのは誠君、至さん、ミヲリさんの三人だけで泣く時はミヲリさんと誠君にだけだった。

 

「それで、どうしたの」

 

「…………誠を見つけた」

 

か細い声で呟くように美海は答える。その声は消え入りそうなほど小さく、気をつけないと聞き逃しそうだ。

でもね、と――間を置いて美海は口を開く。

声を出そうとするけど、声は出ない。もう一度。声を出そうとゆっくり喋り出した。

 

美海はちゃんと誠君を見つけた。そこまでは良かった。けれど、見つけた誠君は寝ていて、その上に美空ちゃんがのしかかりキスをしていた。それを見たのだという。

女の子にはショックな光景だろうな。好きな人が他の人にキスされているのを見るのは。

でも、誠君なら、美空ちゃんの意思を汲み取ってしまったのだろう。妹であれ何であれ、苦しんでいる女の子を放っておけるような性格ではない。その行動が間違いだとしても。

美海は知らないだろうけど恐らく美空ちゃんは泣いていたのだとしたら、誠君は起きていても、黙認して見逃していた筈だ。美空ちゃんの行動を、誰に見られたとしても。

 

例えそれを見たのが好きな人だったとしても。

今の誠君は勘違いしているから、余計に心配だ。

 

「それで、美海はそれをどう思った?」

 

「……嫌だった」

 

「兄妹でキスしてるのは、気持ち悪いと思った?」

 

美海は困ったような顔でぎこちなくこちらを見た。その質問に何の意味があるのか知らない。

 

「……ううん。嫉妬したよ。私があそこにいたら、美空の代わりにキスできたら、そう思ったよ」

 

おお、これは意外。

もしかしたら、美海と美空ちゃんはまた元に戻れる。

というか嫉妬? もしかして――

 

「ねぇ美海、もしかして、美空ちゃんに対して怒ってないんじゃない?」

 

あの子の事情を少なからず知っている。それを踏まえて美海は考えたのだろう。自分が美空ちゃんだったら、同じ事をするかもしれない。

それを羨ましがっただけで、美空ちゃんにも誠君にも、怒りなど向けていない。

 

ただ誠君が好きなだけなんだ。

好きだから誠君の一番を欲しがる。一番じゃなかったのが嫌なだけで、この子は……兄妹でキスしたのを怒ったわけじゃない。寧ろ推奨?

 

悔しかっただけで、もしかしたら……

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

翌日、事務所の机の上には5束くらいの札束が積み上げられた。全て一万円札、偽札なしの本物だ。その札束を前に赤城のおっさんは浮かない顔で、子分たちは驚いたように、俺を見た。

 

「すげぇな。ほんとに持ってきやがった」

「口だけの坊主かと思ったぞ」

「まさか、偽札が入ってるんじゃねぇだろうな」

 

口々に感心しているが、最後の言葉は最もだろう。子供がこんな大金、総額五百万円を現金で用意したのだ。不審に思わない筈がない。

 

「いや、引き出すところを直接見た。預金通帳もこのとおりだな」

 

しかし、俺は赤城のオッサンの前で――これ以降は赤城さんと呼ぶが、確かに目の前で引き出した。

さて、これで俺も保々預金はゼロ……一文無し寸前と言ったところか、本当のホームレスになったわけだ。勿論、家に帰ろうにも渦が邪魔して帰れない。

立ち去り際、返済済みの判子を押された借用書を手に赤城さんへと向き直る。このまま放置も美和さん達の不安を逆に煽るだけで、それを解決するには一つ報告して置かなければならない。

 

「すみませんがこの借用書、美和さんの家に返しといてください」

 

「それはいいが坊主。一緒に暮らさねえのか?」

 

確かにそれも考えたが、それを今更頼むなど無理だ。筋違いにも程がある。

というか、美空が可愛すぎて手を出しかねない。主に好きだと告白されている時点で無理だ。勿論、好きな人は美海だが美空は美空で理性を破壊しかねない。俺も男でありあの身体は凶器だと言える。

 

「さぁてね。海に戻れるまでなんとか生きますよ」

 

「まぁ、何時でも来い坊主。飯や寝床もあるし、何より俺らはお前の男気を気に入った」

 

組長の次の座はお前だ! そういう気迫が籠っている。

笑顔の人達は何時でも頼れよ、と前のような威圧は見られなかった。

案外、この人達は優しいのかもしれない。




実はいい人たちなのです。このヤクザ!
いや、評判もそこまで悪くないんですよ?
赤城さんは五十代のオッサン。
ほか、チンピラ多数。
構成員、みな赤城に忠実。
温厚な人達です。挑発しなければ……


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第四十話 見えない愛の形

タイトル変えました。


 

 

 

日曜日の昼。早朝に借金返済を済ませた俺は日向ぼっこと呑気に夏の涼しい気候をぼーっとしながら身体に受けていた。やることはした。親父の尻拭いなど嫌であったが、迷惑を被っていたのは美和さん達である為に仕方ない。

しかし、これからはどうするか……院長の秘密を暴露して完全に社会的にも殺して刑務所に放るのもいいだろう。美和さんにちょっかいを出さないように、薬の密売ルートを探り証拠を掴み、その上で完全に消す。

やるなら徹底的に、言い逃れが出来ないようにしなければいけない。

 

そんな物騒な今後の方針を立てながら、思う。

何をしているんだか。家に帰るなどそんな気は一つもないくせに、未練しかないくせに、海に潜ることなくこうして海に帰る努力をしていない。

それは帰りたくない、という思いを表していた。無論のこと自分でも気づいている。

 

なんともまぁ自分勝手だ。切ると言いながら今だに美海が会いに来てくれるかもなんて希望論を並べて待っているのだ。

 

そんな時、目を閉じてもなお、指す光に影が差した。

瞼の裏に焼き付く光がなくなったことで、太陽に雲が多い被さったのかと思ったが、今日は雲一つない晴天である。

 

が、気づけば雲が空を被い隠していた。目を開けた先には一人の女性がいる。二十代前半にしか見えないその人は凄く綺麗で、昨日見たよりもずっとイキイキしている。

 

「誠君、ありがとね」

 

お礼をいう美和さん。何処か悲しげな表情で、寝転ぶ俺の頭の横に座った。覗いたらスカートの中が見えそうなほどの位置に正座する。実際、顔を横に向けたら見えるだろう。

――この人は何を見当違いの事を言っているのか。

俺のやったことは義務だ。ましてこの人が謝る必要などない。

なのでしらばっくれてやることにした。

 

「なんのことですか」

 

「借金のこと。誠君がどうにかしたんでしょ」

 

「さぁ? 知りませんよ」

 

「ヤクザの人達が言ってたよ。生意気で強がりで強い子供が返しに来たって。誠君以外にそんな子いないよ」

 

それ言ったの誰だ。言うなとは言ってないが、美和さんのそれは肯定しているのと同じなのだが。

 

「あっ! 違うからね。けっして誠君が生意気だとか思ってないからね!」

 

――私にとって誠君は、特別だから!

柔らかな笑みで微笑む。

止めてくれ、これ以上好意を向けるのは。

 

「……でもね、誠君が強がりなのは知ってるよ。全部一人で背負い込んじゃうところとか。ほら、今も借金のことも誰にも頼らずに終わらせちゃった」

 

えへへ、と笑って見せるが。

ごめんね、力不足で――と自責の念が瞳には込められていた。

一方的に、美和さんの話は続く。

 

本当なら美海ちゃんのところから出てくる必要はなかったのに。もう終わったのなら、帰ってもいい筈なのに、そんな見当違いのことを並べていく。

俺は逃げているだけだ。美海が誰を好きとか、自分ではなく誰かを好きなのが嫌で逃げたのに。

 

不意をついて美和さんが頭を撫でてくる。

その手は柔らかくて、絹のように滑らかで、心地いいくらいの暖かさだった。少々ひんやりしていて気持ちいい。

 

この小動物みたいに人懐こい人は近所の優しいお姉さん、と言ったところだろうか。

何時もは小動物みたいに可愛らしくしているくせに、たまにこうやってお姉さんぶる。近寄り難さがないと、寄ってくる男の人も多数で、しかもこんなゆるふわした人はそうそういない。今も二十歳にしか、それどころか間違えればそれ以下に見えてしまう。

 

それだけ、可愛らしく見えた。

――同時に、年上の威厳など消えてしまうが。

まぁ、元からないと言っても間違いじゃない。

 

ポツリ、と美和さんは呟く。

 

「私ね、誠君が帰ってきて嬉しかったんだ」

 

冗談を言うな。

 

「もし誠君と一緒にいれるなら、って……だからこうして借金に怯えても強く生きれたんだよ」

 

――そんなのおかしいだろ。

原因は俺の親父だ。なら、恨んだって当然の筈だ。

なのに、なのに――なんで!

 

顔を見れなくなり、背けてしまう。

美和さんの膝とは反対方向に転がった。

 

「原因は俺の親父だ。当然のことをしたまでだ」

 

「違うよ。連帯保証人は私だった」

 

「それこそ親父が勝手にしたんだろ」

 

「うん。でもね、仕方ないんだ」

 

「……?」

 

――仕方ない?

思わず美和さんの方に首を向ける。真意を図ろうとそちらを見てしまった。見ないと決めていたのに、こんな不意打ちには勝てなかった。

――スカートの間、内股の間から、何か鮮やかな色の布が顔を覗かせる。

それを見た瞬間、顔を背ける。我ながら凄い反射神経だがこんな反応ができたなら、あの時も失わずに済んだだろう。

あまりにもこの人は無防備だ。院長につけ狙われたり、世の中の男が目を奪われるのも無理はないだろう。兼ね備えた魅力も男を誘惑する凶器だった。

 

「ふふ、誠君は紳士だね」

 

より優しく頭を撫でる手を強める美和さん。

しかし、そんな男ではない。

性欲だって、女の人への興味だって、人並み以上にはあるつもりだ。

昔は医学書を読んでも何も感じなかったが、今ではよくわからないが性欲を知った。もどかしく感じるが、胸の中のモヤモヤはそれだろう。

胸を押し付けられたり、肢体を擦り付けられたり、美海の肌が見えたり。下着が見えたり。

そんな時にモヤモヤは強くなる。

 

でもー

 

「ふざけないで下さい! なんで諦めてるんですか! だいたい美和さんは無防備で自分が綺麗だという自覚はないんですか!? そこにつけ狙われたりするんですよ! 頭は脳天気で騙されやすいし純粋だし、優しいし――」

 

言葉が続かない。美和さんの『優しさ』が俺の心には痛く突き刺さる。

仕方ない? ――ふざけるな!

確かに夫婦だったのかもしれない。だけどあんなことを聞いてしまえば親父が本気で美和さんのことを好きだとは思ってないことなどよっぽどの馬鹿でもわかる。あの部屋も見てしまえば、簡単だった。

この人はそれでも、なぜ――俺に構うのだ。

優しさが辛い。甘えが沸く。心の底から昔から求め続けた心の平静と愛が、欲しいと啼いている。

 

昔――失ってしまった愛されるということ。

欲しいと思いながら拒んで、中途半端な願いを矛盾したまま抱え続けた。

 

「――それに、知ってるんですか。親父はあなたを愛していたわけじゃない。俺も親父のように、何をするか……」

 

必死に胸の痛みを抑えながら吐き出す。

やっとの思いで吐き出したのは、そんな言葉だ。

 

「知ってるよ……誠君」

 

けれど、彼女は落ち着いた声音で返した。

 

「誠哉さんはね、何もない私に看護学校に行かせてくれたんだよ。だから、私は押し付けられても仕方ないよ」

 

それにね、と付け足す。

 

「私ね、誠君だったら……なにされてもいいよ」

 

言葉の意味を考える暇もなかった。

一瞬の思考の置いてけぼりをくらうが、同時に胸の中の苦しみがいっそう強くなる。

美和さんの優しさも甘さも全てに対して、モヤモヤが濃くなる。

彼女に対して、怒っていたのかもしれない。

 

「ぁ……」

 

身体を起こして驚く暇もない目の前の彼女を押し倒す。美和さんは艶かしい声をあげた。

――ほら、この人は無防備すぎる。

膝を内股の間に入れる。これでもう閉じることはできない。男に向かい、この人は股を開いたままだ。

あっという間の出来事だった。

 

「……抵抗しないんですか」

 

抵抗することに期待していた。

 

「……うん」

 

でも、美和さんはこくりと頷く。

ポタポタと雨は降り始める。

いつの間にか、空はどんよりとしていた。

服は濡れはじめて、美和さんの服がピタリと肌に吸い付いていく。美しい妖艶な身体だと思う。スタイルは美空と同じくらいか、美空のスタイルの良さが美和さんの遺伝だと

示している。

確かに男なら欲しがるだろう。それでも、俺が好きなのは美海でそれは変わらない。

 

「ねぇ、何をしてもいいからさ。誠君、私と一緒に住んでくれないかな?」

 

「……嫌です」

 

美和さんの身体から退いて、逃げようとする。元からこんな事をするつもりはない。

雨の中ではバレないだろう。――だけど、熱くなった目を見られるわけにはいかない。

しかし、逃げようとした矢先に美和さんに腕を引っ張られて転倒し美和さんの胸に引き寄せられる。しかも左腕だ。

ズキリッと痛んだ腕に顔をしかめて、気がつけば美和さんに抱き締められていた。美和さんの豊かな果実の双丘が視界を塞ぐ。予想以上に柔らかく、甘い香りが鼻腔をくすぶった。数秒で、美和さんの顔が目の前に来る。

 

「……泣いてる?」

 

「っ!? ――だとしても」

 

振り払い腕から摺り抜ける、が――

急にまた腕を掴まれて、激痛がはしる。腕を刺したのは昨日のはずだが傷口が開いたようで、パーカーの裾は紅く染まりかけていた。

 

「誠君? あ……うそ!?」

 

気づいた美和さんがパーカーの裾を捲る。

予想通り――傷口は開き、新たな鮮血を流している。

雨が染みた。美和さんが焦る。

昨日に引き続いた流血の所為か、意識はそこで途切れた。

 

 

 

□■□

 

 

 

低い天井、フローリングの床、白い壁、本棚にクローゼットにタンス、ぬいぐるみ。

洋風の部屋で目を覚ます。辺りを見渡せばそんな簡素な部屋で、状況を整理する。記憶は曖昧でなぜここにいるのかと思い出すのに時間がかかった。

服も何故かないが、雨が降り濡れたせいだと推測する。美和さんが脱がした。俺は素っ裸だった。

逃げようと思うも、服がなくては外に出ることすらできない。

 

見慣れない、とまではいかないがいつか見た部屋に似ている。

そうだ、美空の部屋――似ているのは最近見たからだろう。

 

「……すぅ……くぅ……」

 

俺はその部屋で眠っていた。おそらく、美和さんが運んで治療してくれたのか、ベッドの横では美和さんが膝をついてベッドそのものに突っ伏していた。

無防備にすやすやと寝息を立てて、安心したような顔で、あどけない顔で眠りについている。

今までまともに眠れなかったのだろう。借金の取立てに神経を張り詰めさせ、院長の権力の暴力に耐えて、嫌気をさして逃げ出したい思いの中でも必死に生きた。

 

「……ほんと、素直で無防備で、優しくて」

 

この世の中の悪など、濁りなどいくらでも見た筈だ。それでもなお、この人は変わらない。

無意識にも美和さんの頭に手を伸ばす。頭を撫でる。髪を梳く。

髪はふわふわとして綿菓子みたいだ。

流れるように自然と手は頬に……彼女は美容もしっかりしているのか、頬は柔らかくマシュマロみたいに弾み、触り心地は絹より繊細なものを思わせた。

 

「……あれ? あれれ?」

 

寝ていた美和さんを起こしてしまった。罪悪感があるが美和さんは寝惚け眼で俺を見る。

うーん、と唸ってから目をパチりと開ける。

 

「――あっ、誠君!」

 

意識を覚醒させること数秒で抱き着いてくる。寝起きだというのに、この人は元気だった。

しかし、考えても見て欲しい。お現在、俺は素っ裸にひん剥かれた状態で服を着ていない。服を着ていない分、美和さんとの布の壁は薄さを生む。

実った果実が自己主張するように、ほぼ感触は直に伝わっている。

 

「だから、あなたは――ッ!!」

 

「あぅっ!! ――ぁ、うごいちゃ」

 

抱き着いた美和さんを思い切り引き剥がす。押し返した為に美和さんは痛そうに呻いた。

――だから、無防備過ぎるんだこの人は。

俺は睨みつけた。これ以上関わるな、意思を込めて睨んだ瞳を美和さんが見る。

悲しそうに、愛おしそうに、切なそうに、零れた何かを見るような、すり抜けて行くあたたかみを追うような目で俺を見る。

俺の心の中は罪悪感が波のように襲う。

 

「無防備にも程がある。あなたはもう少し考えるべきだ。自分がどれだけ綺麗か、人を惹くのか」

 

「……名前で呼んでくれないんだね」

 

説教じみた言葉は美和さんの悲しそうな声で遮られた。

 

――……。

 

長い沈黙が続く。

 

いたたまれなくなって、口を開いた。

 

「服、返して下さい」

 

「やだよ。帰っちゃうもん」

 

そういいながらぷくっと頬を膨らませて、ぷいっと顔を逸らす。

子供かと、ツッコミたかったが抑える。

なんでこうも人の心を掻き乱すのか。まるで、純粋無垢な子供に『ねぇ、赤ちゃんってどうやって生まれたの?』と聞かれたみたいに自然と美和さんは隙間に入りいる。

おそらく、悪気はないけれど、全て自分の純粋な想いに従っているのだろう。

 

「……襲いますよ」

 

「うん、いいよ」

 

ほぼ即答だった。

よく観察してみれば、僅かに頬は赤く染まっている。

こちらを見つめて、期待するような眼差しを向けていた。

 

「……もういいです」

 

立ち上がり、背を向ける。

美和さんは悲しそうに小さな声を漏らすと、やはりまた俺の右手を掴んだ。

踏み出そうとした所為で、僅かに引っ張られる。

 

「逃げるの?」

 

もう、なんとでも言って欲しかった。

美和さんの掴む手の力が弱々しくなる。が、一瞬で迷いを吹っ切ったのか、強く確かに掴んだ。

 

「逃げるって、何からですか?」

 

「私から。美海ちゃんから。チサキちゃんから。美空から」

 

確かに逃げているのかもしれない。

恨んで欲しい。いっそのことそうされた方が楽だ。美海からも早くフラれた方がいいのだろう。

でも、美海の邪魔もしたくない。

 

そして、的を射るような、動揺を誘う言葉が予想外の言葉が美和さんの口から放たれた。

 

「……美空にキスされたんだよね」

 

――なぜ、知っている?

別段怒ったような声音でもない。

しかし、十分……俺は美和さんがそれを知っていることに動揺した。思わぬ不意打ちに、美和さんは顔をしかめて動揺を確認した。

不機嫌だと言うように、腕の力が強くなる。

 

「やっぱり起きてたんだ」

 

「……怒らないんですか?」

 

兄妹でキスとか笑い話にもならない。美空は妹で半分とはいえ血は繋がっている。それも、親である美和さんが怒らないはずも――あれ?

と、思ったが矢先に美和さんは柔らかい声音で呟いた。

 

「怒らないよ」

 

ううん。怒れない。そんな資格ない。

美和さんが腕に力を込めて、力に引っ張られ、俺は美和さんに寄られたと思うと。

ふと、口に何かが触れる。目の前には目を閉じた美和さんの顔がある。頬には何かが光る。一筋の雫だと、気づくには少しの時間を要した。

美和さんは硬直した俺に――キスをした。それも唇同士が重なり合う。親子の関係を求めたわけではない、美和さんは家族としてじゃなく違うことを求めていたようだ。

 

「――だって、私も誠君が好きなんだもん。家族としてじゃないよ。男の人として……好きだよ」

 

ほら、これで誠君に襲われても合法でしょ?

と言い訳じみた言葉に呆れる。確かにそれなら今までの行動も納得できた。

いや、納得したらいけない気がするが。

 

「やっぱり……わたしみたいな歳の離れた人とじゃ嫌?」

 

返事がこないことにおどおどと俯き、上目遣いでチラチラと美和さんはこちらを見上げる。

ため息を吐いて、呆れるしかない。今にも泣きそうな顔で訴えていた。

でも、まあ……

 

「わかりました。家に住むだけですよ」

 

妥協してみるのもいいのかもしれない。

美和さんは似ていた。いや、思い出させた。

母さんとミヲリさん、大切だった二人を。

強引なところが一緒で、でもそれ以上に美和さんは危なかしくて、不安になる。

美和さんは子供のように喜ぶと抱き着いてきて泣く。俺はその頭を撫で続けて、やがて美和さんは緊張の糸が張り詰めていたのが切れたように、眠りについた。

やはりまだ眠かったのか、疲れが溜まっていたのか、明日に備えて……眠気に抗うことなく目を閉じた。




楽園か巣窟か、誠は美和さん達と一緒に住むことに……
困惑する誠。
新しい生活、向けられた好意。
全てが新鮮だが……

と、なんとなくの次回予告。
まさか、美和さんとの言い争いが一話分続くとは思ってなかった。


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第四十一話 義妹の想い

あれぇ?どうしてこうなった……


 

 

 

そこは何もない、ただの道路。

 

夕焼けに染まる海、紅葉の……それよりも鮮やかな茜に着飾る山、それが見える道路にポツンと一人立っている。

 

どれも綺麗だ。

 

この光景を母さんは好きだった。

 

俺も、海から見える太陽と同じくらい、いやそれよりもこの光景を魅入り好きになっていた。

 

だんだんと暗くなっていく。陽は落ちて海の向こうに消え去ろうと、そこで目を閉じた。

 

そして、目を開くと……

 

「ぁ…ぁ……ぅぁ」

 

好きだった光景は真っ赤に塗り潰されていた。

 

転がる綺麗な四肢を持った何か。衣装は赤く赤く真っ赤に染まり果て、素の色などわからない。首は曲がり、手首は人間ではありえない角度に曲がっている。どこも同じように変形している。四肢は真っ赤に染まった何かから覗く、ただ一つの美しさを保っていた。

 

――見てはいけない

 

そんなのわかっている。

でも、俺はもう一度顔を見たいと思った。

 

――後悔する

 

そうだろう。

それでも、もう一度だけ……

 

これが誰だか知っている。知っている上での確認だ。だけど欲には抗えない。

 

歩み寄り、その死体の横に跪く。

血の池に膝が濡れてドロリとした感触が伝うが、それも愛であると受け止めた。何よりもその感覚さえ愛おしく懐かしいと思えた。

まだ原型を綺麗に保った顔を覗き込む。

 

「……ごめん、母さん」

 

懺悔しようがもう遅い。自分が見ている死体は二度と動くことはない。

事故とはいえ殺した相手も、憎めない。

寧ろ、哀しみは――己の無力さに向けられている。

 

目を瞑り、黙祷を捧げる。

そこでガシッと左手を何かが掴んだ。

 

「なんで……恨まないの?」

 

冷たく硬い皮膚の感触。伸びた手は母さんの右手。

ギョロリと目はこちらを見上げている。

冷たい声に惑わされる。これは怒った時の母さんの声だ。

もう、昔の温かさも柔らかさも感じられない。

 

「ねぇ、お母さんを殺したんだよ? 痛かったよ。苦しかったよ。それなのに、敵を打ってくれないの……?」

 

続けて誘うように声をかけられる。

 

「私、もっと生きたかったよ。誠の親でありたかったよ。それなのに……誠は私じゃなくて横の女を選ぶの?」

 

「横の……?」

 

隣に視線を向けると俺の服の袖をぎゅっと握っている美和さんがいた。

俺の腕を取り、嬉しそうにしている。

 

「酷いよ。お母さんのことを誠まで忘れて、私の夫を奪った女と一緒に住むなんて。あんなに……忘れないって、約束してくれたのに!!」

 

「忘れないよ。俺は母さんのことを……でも、俺は美和さんを傷つけたんだ。願いの一つくらい叶えても……」

 

「嘘つき!!」

 

死体が動く。硬く凍りついた肉体とは思えないほどに、俺に肉薄すると首に手を絡ませた。力を込めて締めあげる。息ができなくて苦しい。

避けることも容易かった。が、俺は避けれなかった。

 

「夫は私を忘れようとその女を抱いた!! 誠だって何時か忘れちゃう!! そんな汚い、穢らわしい女に……誠まで盗られたら私は、私の人生は――ッ!?」

 

ギリギリと首を締め付けられる。頭に血が上り、息も既に続かない。苦しい、けれど母さんはこれ以上の苦しみを味わい死んでいった。

今も、母さんは苦しんでいる。その苦しみは痛いほどわかる。いま、俺が美海に対しても抱いている感情のように。

好きなのに何もできなくて、遠くから見ているだけで、客観的にもなれずにただ見守る。本当は隣にいたいと願っても自分にはそんなことはできない。現実は過酷で非情で残酷だった。

俺よりも長い間ずっと母さんは耐えていた。

 

……どんな気分だろうか?

夫を盗られ、息子を盗られ、何もなくなり忘れられるのは死ぬより辛いのか。

 

俺にはわからない。

絶対に、忘れることはない。

ただ一つ言えることは、大切な人を盗られるのは何よりも辛い……それだけだ。

 

好きな人と愛し合えない人生に何の価値がある?

目的もない人生に何の価値がある?

ただ生きるだけに、何の価値がある?

その日をその場凌ぎに生きて、喜びも幸せもない人生など生まれてこなければ、そう思ったのは何時だろうか?

 

「美和さんは……いい人だよ」

 

「でも、今度は誠を誑かそうとしている!!」

 

「……違う。美和さんの気持ちは本物だ」

 

親としてではない。ただ一人の女性として、俺を好いているのは……美和さんが言ったことだが、それでも信じられた。歳の差とか色々を考えればありえないと思う。それでもあの人は真剣だった。

冗談を言うような性格だろうが、優しいことに変わりはなく、正直なところも信頼している。

 

それにあそこまでされて何を疑えばいいのだ。

 

「ふーん、誠君は忘れちゃうんだ」

 

「あ……」

 

後ろから女性の声がした。これまた懐かしく忘れようもない大切な人の声。

美海と同じ綺麗な髪に美海とは違った瞳、海の色の瞳はこちらを冷たい目で見つめている。

 

「ミヲリさん……」

 

「酷いよね。私はあれだけ親切にしてあげたのに、私に返されたのは何だと思う?」

 

それ以上は聞きたくない。

今にもここから逃げ出したい。

ミヲリさん、に見えるものは容赦なく口を開く。

 

 

「死――だよ」

 

そうだ。俺のせいだ。

 

「誠君に関わったから死んじゃった」

 

関わらなければ……

 

「神様も酷い仕打ちをするよね」

 

美海は母親を失わずに済んだのかもしれない。

ミヲリさんが死なずに済んだのかもしれない。

 

――君の所為だよ、誠君

 

ミヲリさんは冷めた表情でそう言った。

 

――だから……

 

美和さんのところに歩み寄り、死人のような顔でミヲリさんは俺を睨みつけ、何時の間にか母さんとミヲリさんの位置は入れ替わっていた。

俺の首は既に解放されて、ミヲリさんはトンと俺の胸を叩いて寄りかかった。

 

「逃げちゃダメだよ?」

 

上目遣いで死人の冷たい笑みを浮かべると、

その姿はブレて――

美海の姿と重なった。

 

「……っ」

 

母さんは美和さんを睨みつけて、手を伸ばす。

心臓に向けて手はナイフのように突き刺さり、血が傷口からトクトクと流れ出た。

あーあ、死んじゃうよ? 母さんはそう言うと美和さんの身体から手を抜き取り、真っ赤に染めた手を眺める。その後ろから黒い何か――男性達のようなものが現れ、痛みに呻く美和さんを取り囲む。黒い何かは美和さんの着ている服に手を掛けると、ビリビリと容易く引き裂いた。

恐怖を顔に浮かべる美和さん。もがいて脱出しようとするも男達に腕を掴まれる。次に二人の男によって、バタバタと暴れて抵抗を続けていた2本の脚も捕まった。完全に1人一つの脚を腕で固定しているために逃げるどころか、抵抗は最小限に抑えられる。

 

「やめろ! 母さん!」

 

「ダメだよ。この女だけ幸せになるなんて――許さない」

 

俺はミヲリさんの拘束を解こうと手を振り払う――が、死人故か力は彼女の方が上だった。腕はギリギリと締めつけられ、捻ることすらできない。

美和さんはその間にも男達に身体を触れられていた。ベタベタと胸を触られ、揉まれ、苦痛に顔を歪めて泣いている。泣き叫ぶ声は一人に口を手で塞がれて漏れることはなかった。

 

何故、俺は何もできない?

 

また、見捨てるのか?

 

無力だと、諦めて――

 

「ほら、大切な人が“また傷つけられるよ”?

非情になるんじゃ、なかったの?」

 

どちらの声だったかわからない。

でも、はっきりとわかった。

 

――今度こそ、守る

 

いや、守れと言い聞かせる。

そこで、意識はプツンと切れた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

目を覚ますと目の前には低い天井が見える。起き上がろうとしたが、身体は動かない、代わりに首だけを回して周りを確認した。

どうやら美和さんの部屋のようだ。インテリアは数少なく簡素にいるものだけ置かれている。

 

「……さむ」

 

気づけば汗びっしょりで裸だ。そう言えばと、あのまま寝てしまったんだと思い出す。

部屋の中には女性の寝息だけが聞こえていた。幸せそうに眠る美和さんは裸の俺に抱き着き、あどけない顔でスヤスヤと寝ている。

取り敢えず安心した――あの夢が現実では無かった事に、美和さんが傷ついていなかったことに。もしあんなことが現実で起これば、間違いなく……壊れていただろう。

顔の汗を拭おうと腕を動かし、拭う。

 

「……あっ」

 

手の甲には汗ではない、雫がついた。

涙――それが出るくらい、悲しかったのか、それとも何か俺はとんでもないことをしたのか。夢を見ながら涙を流すなんて、よくもまぁ美和さんが起きなかったものである。

少なくとも、一度は叫んだはずだ。例え夢の中でも人間は叫び、それが現実でも眠っている身体が実行することがある。所謂、寝言と言うやつだ。何を叫んだのか覚えてはいないが、あれの後の記憶も無い。

 

眠っている美和さんが起きないように、するりと腕の間をすり抜ける。何かつっかえたが気にしない。この状況を見られればとんでもない誤解を招かれるのだ。

服は洗濯したと言っていたから、今頃は干してあるのだろうが一夜にして乾くはずもない。仕方なく、家の中にあったダンボールを手に玄関へ向かう。

まだ明け始める前の空、夏にしては涼しげな気候、冷たい風が肌を刺す。俺は素っ裸のままダンボールを被り、歩を進めていった。

目的は野営したテント。そこにはバッグが置いてあり中には着替えが数着入っている。いっそのことこの時間に誰もいないことに賭けて全裸で疾走してもいいのだが、やはり羞恥心くらいはある。

 

コソコソと這い進むこと十分。山の上は遠くこのままでは朝のジョギングする人達が起き出す。しかし、あと数十メートルで目的地点だ。

めげずに這いずり、林の中についた。目的のテントは既に目の前で周りからは見えない、故にダンボールを被る必要はない。ダンボールを取り捨てるとすぐにテントに駆け込んだ。

 

「……えっ??」

 

「やっぱり、兄さんはここに来まし…………!?」

 

――テント内に誰かがいるという可能性も考えずに

誰も自分のテントに先客がいるなど、考えもしないだろう。寧ろ、いたら可笑しいぐらいなのだが、その人物はパジャマ姿でこちらを見上げている。それも今まで使っていた俺の寝袋に入って……

先客は俺の姿を見ると固まった。言い終わらないうちにだんだんと顔を朱に染め、紅に染め、頬どころか顔全体が真っ赤に染められた。林檎よりも赤い、例えるとデスソースあたりか。

よく考えてみよう。この状況を。先客である彼女がどうしてここにいるのか、は置いといて今の彼女の状況ではなくテント内の状況を。この際、勝手に寝袋を使われていたことは気にせずとも、それよりも重大な事があった。

 

俺は全裸だ!! 自慢ではないが、変態とみなされるであろうとは思っていた!!

その俺を見る少女はおそらく健全(寝ている男にキスしたのはともかくとして。性欲求は健全であるが)

そういう俺も羞恥心はある。が、ここで変態とみなされるのはどちらか、法的にも裁判をすれば負ける自信はある。

 

「――い、嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

「――ぐふッ!!」

 

強烈な張り手が顔面を強打する。美空から放たれた一撃はあまりにも速く見えなかった。

――パンッ!!

響く音は気持ちいいくらいに耳に届く。音の発生源が自分の頬なのだから当然だが、耳はキーンと痛くなる。

普段ならここで倒れなかっただろう。だが、血の量は例によって少ないために脳がグラグラと揺れ、力なく俺はテント内に倒れこむ。

 

「ひゃぁっ、兄さん!? ――そ、そんないきなり襲われても心の準備が……期待してなかったわけじゃありませんが」

 

それも今し方くらった平手打ちの美空に。倒れ込んだ先は運が良かったのか悪かったのか美空の胸に成る二つの魅惑の果実。柔らかくふにょんと擬音がしそうなそれに顔から倒れ込む。

実際、美和さんと比べても遜色はない。何と比べてるんだと思ったが、どうでもよかった。痛みの所為で感覚と神経が麻痺しているようだが。

でも、さっきの発言はどうかと思う……悪い男に騙されないことを願おう。

ここで意識は途切れた。

 

 

 

 

 

「ぅ…ん……」

 

暗闇に染まる視界。頭の裏は妙に柔らかく、今まで使ったことのない枕の感触がした。

家にひとつ欲しいな、そう思いながら目を開ける。

変わらないテントの布地。しかし、それより先に目に入ったのは大きな果実だ。自己主張するそれはこの年頃の男性には毒。次に美空の顔。

 

「あ、兄さん……」

 

申し訳なさそうに美空が声を上げる。俺の顔を見ると若干逸らした。張り手したことが後ろめたいのだろう。

膝枕をする美空は戸惑い気味に手を握り締めたり、開いたりと繰り返し、上げたと思えば下げると繰り返した。

取り敢えず、視界にいれないようにタオルがかけられていた。服は着ていない。

テント内は明かりをつけなくても、日差しが布越しに照らし出している。

 

「気絶して何分たった?」

 

「……10分です」

 

完全に落ち込んだように顔を下げる美空。答えると泣きそうな顔で、見るからに落ち込んだ。

 

「気にするな美空、俺が悪かった」

 

俺が悪いのだろうか?

釈然としないが、そう言っておく。

いや、確認しなかった俺が悪いのだが。

 

「で、でも……」

 

「確認しなかった俺が悪かった」

 

美空も釈放としないような顔で小首をかしげる。

こてん、と可愛らしい仕草をするのは母親譲りか。

 

「いいえ、悪いのは私です。兄さんは一方的な被害者です」

 

「違うな。美空は露出変態野郎に裸見せられて、通報せず喜ぶ変態だったのか?」

 

「ち、違います!」

 

卑怯な言い方だろう。美空は顔を赤くして反論する。瞳は自然とこちらを向くが、すぐにまた逸らす。

たまにこんな変出者が出る。コートを着た中身全裸のオッサンが女子高生、などの女性を対象に裸を見せて喜ぶ快楽主義の変態行為を行う輩が。

もちろん、あったことはない。でも、今の俺は悲しくもそれに似た状態だった。

美空は赤い顔を頬が朱に染められる程度に戻し、俺の左腕を取った。悲しそうに見つめる。その視線は真っ直ぐに包帯の巻かれた傷へと向けられている。

 

「兄さん、この傷は“あの人達”にやられたんですか……?」

 

あの人達――とは、赤城さんたちのことだろう。

 

「違う。自分で刺した」

 

「だったら、なんで刺したんですか?」

 

答えられない。この問に答えはない。この身体が勝手に行動し、相手の土俵に乗った上での駆け引きだったから。

ああ、答えはそれでいいか……

そう答えると美空の悲しみの色は一層に濃くなる。それがわかっているから、別の答えを用意していた。

 

「自分を保つ為だよ」

 

リストカット、怪我、そんな言い訳は考えた。だがこの人達には通用しない。したところで見破られるのが末だ。

それにこの答えもあながち間違いではない。

決意が鈍らないように、己を戒めるための傷でもあるのだから。

 

小さな雨が降ってくる。テント内に雨漏りとは運がない。

その雫はポタポタと俺の頬に降りかかった。

泣きそうな――いや、泣いている。美空はその頬を涙で濡らして俺を見下ろしていた。美空から流れる雫は一筋の小さな川となり、ポタポタと幾つもの水溜りを作る。

 

「……なんで、自分を傷つけるんですか」

 

「なんでって……」

 

どうやら間違えたらしい。選択肢は幾つもあった。それなのに、美空を泣かせてしまった。

そして美空は泣きながら、どこからかナイフを取り出した。赤く血塗られた、バタフライナイフ。それにはベッタリと俺の血が塗られている。

 

「嫌です。兄さんの傷つくところは見たくありません。そんなに傷つけたいなら、いっそのこと私に刺してください!

自分を保てないなら、兄さんの好きなように私を使ってください。なんでもしますから、どうか……もう無茶なことはやめてください」

 

「美空……」

 

自分の首にナイフを突き立てる美空、その覚悟は……本物であると同時に悲しいものだった。守りたい存在、ただそれを護ろうとしているだけなのに、どうして止められなければいけないのだ。

腕の傷は相手に威嚇する意味を持たせ、同時に大切な人達を護るという決意の表明でもある。

美空の気持ちは嬉しい。どこか忘れた感情が呼び起こされた。欲しい物はそれだった。しかし、俺の中には怒りが美空に向けられている、いや……自分自身にも。

美空が構えるナイフはピタリと首に当てられている。傷つけるのは本意ではない。美空を押し倒すと同時に、ナイフの刃を握った。

 

「離せ美空」

 

「兄さんこそ離してください」

 

俺は睨み、美空は見つめ懇願するように凶器の取り合いが繰り広げられる。のしかかるような格好の俺は美空に身を捻られ、体勢を崩して横に転がり、ナイフだけは離さなかった。美空も同様。

 

「俺は美空のために――」

 

「嫌です! 兄さんが約束してくれるまで絶対に離しません!! そうしないと、そうしないと……兄さんはどうしても無茶しちゃうじゃないですか……!」

 

悲痛な声で泣き叫ぶ声は、まだ届かない。

決めたのだ、必ず美空を幸せにしてやると。

美和さんも、チサキにも苦しんだ分できる限りのことはする。それには、仕方ないと。

無茶? そんなものは承知の上だ。無茶しなければ、己の身に余る以上のことをしなければ、勝てない世界なのだから当然だ。

護るのに犠牲など、付き物だ。

自分の人生なんてどうでもいい。何を捨てても構わない、その代わりに大切な人達だけは護ろうとして、何が――

 

「……ふざけるな。どうしてそんなことを言うんだ。美空は幸せにならないと…それなのに、男に向かって軽々しく『すきにしろ』なんて――」

 

血がまた抜け落ちていく。ナイフを握った手からは赤く小さな滝が流れ、柄を持つ美空の手に滴っていた。

今度は力づくで美空に跨り、完全にナイフを両手で持たれないように引き離したはずだった。手は拘束して体も拘束され、抵抗などはできないはずだった。

新たにつけられた手の平の傷からの流血の所為で、頭に血は回らずまともな思考――自分の思考を抑えることはできない。欲望は俺にだってある。

しかし、そんな考えさえも――突然、頭が真っ白になり吹き飛んだ。

美空の顔が目の前にある。顔は絹のように、健康的な白さを持ち合わせている。口は美空からの熱烈なキスが連発され、息すらできない。舌まで入ってくる始末だ。

 

「んむぅ……ぷはっ!」

 

「…………」

 

銀の糸が架け橋を作る。それを引かせながら美空は小指で顎についたのを巻き取ると、口の中に入れた。

扇情的で、妖艶な笑みと魅力を纏わせた美空がこちらに向かって切なげに微笑んでくる。

 

「……兄さん、私は軽々しく言ったつもりはありません。私は兄さんが男の人として好きだから、です…」

 

それに――

頬を赤くして、続ける。

 

「私達が幸せを手に入れたとして、兄さんは誰に幸せにしてもらうんですか?」




誠に逃げ道なし。
乙女は恋に貪欲です。

……何故、前半エグくなった。
トラウマものですね。
誠は流血沙汰が多いようです。


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第四十二話 抵抗の末

 

 

 

気まずい。ひじょーに気まずい。

トントンと野菜を切る音が木霊する中、背中には3つの視線を受けていた。それぞれ視線の意味合いが違うが、どれも似たようなものである。それを気にしない為にわざとまな板と包丁のぶつかり合う音を大きくしている。

野菜を鍋に放り込み、茹でる。味噌汁の具材はキャベツ、大根、人参、ジャガイモ、椎茸、豆腐、ほうれん草。

これで精一杯だ。なんとこの家にはまともな食料がなく、当然ながらこんなものしか作れなかった。借金をしていたから当然だろう。しかし、こんなもので栄養などが偏らないようにしないと工夫するのは大変だ。腹も膨れないだろうし。

 

今朝の話、最後の貯金を卸した俺は取り敢えずサヤマートに駆け込んだ。値切りに値切りまくって、できるだけ金がかからないようにした。米は買えたし、結果は上々と言ったところだ。

あとは海で魚を狩り、結果、朝食はできたわけだが。その全てが美空に監視されていた。……逃げないように。

 

「はい。できましたよ」

 

「わぁ、誠君の手料理だー♪」

 

「まさか、誠がここまでできたなんて……」

 

「兄さん、凄いです……でももう包丁持ったらダメですからね?」

 

ちなみに、起きてきた美和さんが料理を作ろうとして手を切るという事件が起きた。多分、料理はできるけどこの人は下手なんじゃないかと思う。

美空は美空で俺の流血を気にするし、料理は自分でやるとかいうから、ひと悶着あった。

 

「それで、兄さんは今日どうするんですか?」

 

食べ始めて数分後、美空がそんなことを聞いてくる。

実際、それについては考えていた。

美空につく悪い虫を排除するもよし、チサキの通っている学校に観察しに行くもよし、そして……あの院長の裏事情で証拠を抑えるもよし。

例えば、美空と同じ学年に復帰して勉強すればいいのだがそれは全てを終わらせてから。だが、この時期には戻らないと勉強にはついていけないだろう。丁度、眠りについた時期と被るし勉強の範囲もそれ程違わないだろう。

 

「悪い、今日は病院行くわ」

 

「えっ……兄さんどこか悪いんですか?」

 

心配したように聞いてくる美空、そういうことにしておいた方がいいだろう。

今からやることには関わらない方が身のためだ。

期待していたところ悪いが、まだ終わってない。

何よりいい病院を作るためだ。誰もが安心して診察を受けられるそんな病院に……美海も美空も、一番近い病院があそこなのだから。

 

「まぁ、ちょっと血を流しすぎたというか……うん」

 

「……ごめんなさい、兄さん」

 

今朝のことを思い出したのか、美空が俯き悲しそうにする。

それを見て、美和さんが腕に抱き着いてきた。

 

「えへへ、大丈夫だよ。誠君はちゃんと病院に連れていくから!」

 

グッと拳を握り天然か策略か美和さんは嬉しそうに豊満な胸で腕を圧迫し頬を緩ませていた。朝のことを知らない。

俺が病院に行くのが嬉しいのはわかる……が、病人になることを喜ばないで欲しい。

美空の謝罪の意味に気づくことなく、ただ『学校に誠君が行かない事が残念なんだろうな』と解釈したのだろう。

しかし、美和さんの行動を良しとしないものがいる。美和さんの行動に著しく反応し、二人は即座に行動に移した。

 

「ママ、くっつき過ぎですよー?」

 

「美和さん、誠は怪我人ですからね?」

 

二人の威圧が凄くこっちまで巻き添えをくらう。

美和さんはこてんと首を傾げる。

 

「えー? 親子なんだからいいでしょこれくらい。気にしない気にしない♪」

 

なんだろうな。美空とチサキは笑顔を浮かべているのだがその視線は俺に。もはや優しさなど感じない。

背中は汗が吹き出て、冷たくつう――っと伝う。黒い笑は僅かに心に突き刺さった。

それに――と美和さんは続ける。

 

「わたし、誠君のこと好きだもん♡」

 

「「…………」」

 

ピシリ、と空気に亀裂が入った気がした。二人の視線は冷たくなり、尚もいや先程より鋭い凶器となって俺の心臓を刺す。

何を言ってんだこの人は、自分の立場をわかっているのか!?

親権を渡した覚えはないが、仮にも親って自分で公言しておいて、……とにかく二人が違う解釈をすることを祈るのみで内心焦っていた。

 

甘ったるい猫撫で声で美和さんは今も抱き着いてくる。さながら甘えてくる小動物。つい無意識にも手が伸び頭を撫でると、より嬉しそうに抱き着いてきた。

同時に視線まで厳しさを増す。

 

「ママ……まさか、そう言う事ではありませんよね?」

 

「ん〜? そう言う事って?」

 

さすが天然、上手くかわした。

行動に精神年齢を疑うが、この際どうでもいい。

いや良くない。普段の美和さんがどんなのか知らないから、余計に危機感が増す。

それも、簡単に解放されることになった。

 

「……昨日、何かしましたか?」

 

美空もチサキも俺が同じ部屋で寝ていたことを知っているのだろう。

もちろん、美空の想像することは何もないが……。

 

「ほぇ? 誠君にキスして告白しただけだよ?」

 

「兄さん……」

「誠……」

 

天然か、暴露する美和さんに何言ってんですか!?と視線を送るが何ととったのか、微笑み返される。

美空とチサキは目が笑っていない。

 

「「どういうことか説明してもらいましょうか(おっか)?」」

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

side《美和》

 

 

怖かった〜〜〜!

 

誠君は誠君で凄い怒られてたし、質問攻めにされてたし、私は私で美空にお説教をくらった。

なんでだろうね? ホントのことを言っただけなのに……でもちょっとだけ残念だ。

『で、告白の返事は兄さんはどうしたんですか?』

誠君は答えてくれなかった。私達を大事に思ってくれているからふることも、応えることもしない。傷つけたくないから、そうやって凌いでいる。

私は誠君が好きだ。でも、誠君の心の針は美海ちゃんに向いていることを知っている。昔、美海ちゃんを病院に連れてきた時には気づいていた。誠君は病院に来れば医療のことを聞く以外に私から私生活を聞けば、大抵は美海ちゃんの名前が出てくる。

 

それでもいい。私はそんな好きでも表に出そうとしない、平行線の上を歩いていく姿も、好きだから。

どうやら彼は奥手なのか、怖がりなのか、人間関係になると必要以上に慎重になる。美海ちゃんに対しても今だ告白せずに停滞して、誠君の幸せを願う私としてはもどかしい。

 

私達は美空の説教とチサキちゃんの赤面を見たあと、二人で病院に向かっていた。

白く清潔感を漂わせる外壁、何時も通りの自動ドア、シンボルである赤十字、人で溢れるエントランス、行く道の人々が私達に視線を向ける。その視線は珍妙なものを見ているようだ。

釣り合わない年齢、雰囲気、私の様子と誠君の様子に様々な憶測を立てる。カップルだとか、親子だとか、姉弟だとか、夫婦だとか。傍から見たら私が誠君に腕を組んでもらっているからそう見えるのだろう。実際、大抵は顔を見たあと手の位置に視線が動く。たまに胸に視線がいく人がいるから不愉快だ。

エントランスから直接、ナースステーションへ。そこには私の様子にピクリと反応する私と同じ看護師達。

 

「おはようございま〜す♪」

 

「あらあら、美和さんと…………誠君よね??」

 

「うそっ、誠君だ」

 

「みんな、誠君も来たわよ」

 

挨拶をすっとばしてたくさんの同僚に囲まれる。みんなの視線は温かく、同時に好奇心もあった。

良かったわね、と異口同音に歓迎される。中でも誠君は看護師達と昔から仲がいいから、すぐに打ち解ける。この五年で増えた看護師も少なからず興味はあるようだ。

 

「……美和さんの彼氏さんですか?」

 

彼女にはどういう風に見えたのだろうか。誠君は中学生と言えど、高校生で通じるくらいの雰囲気がある。背も中学生の中でも高いほうだ。

さらに追加すると、腕を組んでいるため、そう見えないこともないらしい。

 

「う~ん、違うよ?」

 

煮え切らない答え、私もそれだと嬉しかったんだけど誠君はあははと笑いながら頬をかいた。

見慣れない顔に誠君は笑顔を浮かべると、普段は元気のない彼女――鷹白文香、チサキちゃんの通う看護学校の先輩でチサキちゃんともある程度仲が良かった。中でも私達の事情を理解していた、内気だけど優しい娘。

――彼女に手を伸ばして、握手を求める。

ビクリっと肩を震わせると、彼女は恐る恐る手を差し出した。普段は人見知りで男の人が苦手。だから最初は看護師になることを疑問に持つ人もいたが、何か事情があるのだろうと踏んでいた。

誠君はその様子に戸惑うことなく、微笑みかけて彼女を安心させるように手を握った。

 

「初めまして、長瀬誠です」

 

「……あの初めまして。チサキちゃんから話は聞いて……そのよろしくお願いします」

 

メンタリスト、そんな言葉が似合う。誰でもその心を掴み理解しカウンセリングができる。誠君はカウンセラーのような雰囲気がある。

……美海ちゃんに関しては無力だけど。

どれだけ観察眼に優れていても、恋にはやはり苦手意識があるのか。今の状態がそれを表している。

そこで看護師さん達が余計なことを言いはなった。

 

「彼女、看護師見習いだから、例によって相手をお願いね誠君?」

 

丁度傷だらけだし、そういう看護師長の笑には少し同情が含まれていた。

看護師見習いは注射など、する時があるためその練習を医者にお願いする。しかし、ここでは毎年のように彼が志願してくれるのだ。

そして……彼女――相当などじで実験台が痛い目を見ることになる。何があったかは言わないでおこう、彼女の名誉のためにも。そんな彼女の注射は受けたがる人もいなく、最初は可愛いからという理由で受けていた人も恐怖するようになった。

ちなみに、最初の頃は私も誠君にお世話になっていた。その時も練習台がいなかったのを覚えてる。寄ってくる人も数日後には居なくなった。当時の院長と誠君以外。私が練習の件を出すとすぐによっていた人も散るから、虫除け程度にはなったけども。

 

だから少し共感できるところはあるんだけど、なんだか不安だ。

戸惑い気味に、文香ちゃんは誠君を見つめた。

 

「えっと……よろしいんですか?」

 

「ああ、引き受けるよ」

 

二人して早速、裏手に消えていく。使っていない部屋はナースステーションの裏、これから起こることに私は不安だ。

 

「大丈夫かな……」

 

「大丈夫だよ……多分」

 

自信なさげに答える同僚、その視線は哀れみを含み、これから起こることを予想しているようだ。

実際、私は一度引き受けたが……結果は残念にも、腕が赤く腫れて後に青白くなり、治すまでに時間がかかった。もの凄く痛くて泣きそうになったり、半分涙目になったのを覚えている。確か私の時も看護師が同じ表情を――あぁ、誠君はあんな痛いのを何度も耐えてくれたんだ。

 

ものの数秒で、文香ちゃんの慌て声がナースステーションまで聞こえてきた。

 

――パシンッ!

乾いた音が響く。

 

「あ……そう言えば、男の人が苦手なの忘れてたわ」

 

文香ちゃんは男の人と二人きりになると、取り乱すという癖がある。だから何時もは看護師が一人つくのが定石でそれを義務づけていた。

文香ちゃんのビンタはなかなかに痛い……らしい。その虜になる医者もいるとかいないとか。

数分後、謝り続ける文香ちゃんと誠君が出てきた。

 

 

 

□■□

 

 

 

仕事も何時もより早く進んだ気がする。借金がない分気が楽でそれが原因かも知れない。なにより、もうあの院長の言いなりになる必要はない。

昼食を誠君と一緒に食べたり、文香ちゃんとコミュニケーションを誠君がとっていたり、やはり優しい誠君は昼食が終わってから何度も注射されていた。

さすがに申し訳ないと、誠君の腫れた腕を見て文香ちゃんが自粛すると誠君は食い下がらない。確か私の時もそうだった気がする。昔から変わらない優しい子なのだけど、それはそれで不安だった。

誠君の諦めの悪さと文香ちゃんの謙虚さはどこまで行っても平行線を辿る。

 

微笑ましくも懐かしい光景に和んでいると、ナースステーションにコール音がなった。内線の呼び出し。文香ちゃんが電話を取ると、慌てて私の方を見る。

 

「あの……また、院長の呼び出しです。美和さん」

 

毎度恒例となった、重苦しい空気。文香ちゃんは院長が何をするか知っているのだろう。表情には影が差し、先ほどの柔らかく少しは誠君に打ち解けていた空気も消えている。

 

「ん……わかったよ」

 

普段の私なら、落ち込んでいただろう。

でも、今回からは――私は違う。例え解雇されてももう心配することはない。

就職先は決まっていないけど、なんとかなる。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

「あ……待ってください。飲み物買いに行きますので、途中まで一緒に」

 

立ち上がると誠君も椅子から腰を浮かした。

なんだろうな……本当は不安だった、それなのに誠君が途中までついてきてくれる。勇気を貰えている気がして、嬉しくて今から嫌なところに行くのに表情が緩んでしまう。

 

私は誠君に手を差し出すと彼は自然に手を握る。文香ちゃんに大丈夫だよ、そう示すと頭を下げられた。

ナースステーションから出て、廊下を歩く。ナースステーションから少し離れたところにそれはあった。

重苦しい扉、両開きのそれは今も誘い込むように佇んでいる。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

私の声は震えていないだろうか?

早まる心音に、誠君の手を握ると離す。

誠君は不意に手を私の顔に伸ばし――と思ったら、看護服、首元を触られる。

 

「襟、乱れてますよ」

 

「あっ、うん……」

 

何と言う不意打ち、危うく抱き着くところだった。

なんだろう、ちょっと期待した私が馬鹿みたいだ。

襟を誠君が直すと誠君はすぐに手を離した。

 

そっか……知らないもんね。

 

院長のことなど一度も話していない。慰めて、勇気をちょうだい、そう言いたいけど言えない。

誠君は襟を正しても立ち去らなかった。その姿に心の中で『ありがとう』とお礼を言う。

誠君が立ち去らないまま、くるりと回って院長の部屋の扉を開ける。何時ものパスワード。院長と一部の人間しか入れない扉の向こうに、私は後ろ手に扉を閉めた。

 

「よく来たね。待ってたよ!」

 

目の前の高そうな席に座る男が声を弾ませながら、私を迎え入れる。

私は警戒しながら彼を見た。もうこれ以上触られる必要もない。耐える必要もない。椅子から重そうな腰を浮かして近づいてくる院長、彼は何時も通りに私の横に来ると手を伸ばして――

 

「っ!? なんのつもりだね?」

 

その手を私は叩いた。

驚く院長はこちらを睨む。

『解雇してもいいんだぞ』そう目が告げていた。

あぁ、今までこんなのに私は怯えてたんだ……

 

「院長、私はもうあなたの脅しには屈しません。解雇したければご自由にどうぞ」

 

こんな病院、こちらから願い下げだ。

呆然とする院長を尻目に、部屋から足早に出ていった。




誠は実は身長が高い。
アニメでは、美海は158cmだったはず。
そこで気になるのが、チサキの身長……頭一つ近く光より高かったはず。
5年ってすごいね。


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第四十三話 夕焼けの病室

 

 

 

病院に通い始めて三日。何度も通い続けて大方の患者とは話をした(情報収集)。何よりお船引の話が話題を作る、関係を作るネタになり入り込みやすかった。

お船引の話はあまりしたくなかったが、そのおかげで不審がられずに接触は完了。誰と会っても大抵は愛想良く返してくれる。

寧ろ、同情の方が多かったが……。

 

その中にも色んな患者がいる。

心臓病、病気で入院する子供達、肺炎・脳梗塞、などを患わせる老人、骨折患者。

その中でも酷いのはドナーを必要とする患者さん達で、一人の少女もその一人だ。

 

夕暮れに沈む病室、簡素な白い清潔な部屋で少女がこちらを向いている。顔は体調はいいのか血の気があり、健康的な色をしていた。

 

「ねぇねぇお兄ちゃん、美空お姉ちゃんとはどういう関係なの?」

 

「いや、そのな……」

 

告白されたとか言えない。そんなことを言えば、返事に関して聞かれるからだ。そして芋ずる方式に好きな人がいることがバレてしまう。

さて、ここに来た理由だが……無論、少女からの要望だ(ロリコンなわけじゃない)。彼女の友達になって欲しいと看護師達に頼まれて、仕方なくとまではいかないがこうして話をしている。病院内の院長などの話も何でもいいから聞き出すためであり、小さな娘の世話は慣れている。

どうやら俺は小さい娘の世話が好きらしい。嫌いでもないし嫌でもなかった。こういうのに美海や光達の世話で慣れたんだろうなと結論づけるが――光よりは楽で、光よりはある意味面倒だった。

 

なにせ――恋愛事情を聞いてくるのだ。

年は問わずこの手の話題が女性は好きらしい。目の前の少女もその一人、聞く立場が逆になっている。本来、大抵の子供は自分の話をしたがるのだが……妙に彼女は潜り込んでくる。

楓――少女の名前はそうだったか。美空の知り合いらしく好奇心旺盛だった。

 

「俺と美空は兄妹だぞ」

 

「うん、知ってる。でも、兄妹だとしてもあんな可愛いお姉ちゃんをほっとかないと思うけどなー」

 

知ってるなら、関係について聞かないで欲しい。

呆れ混じりに溜め息をつくと、今度はニヤニヤとしながら少女が俺の腕を取る。脈を取るようなポーズで本当に脈を抑えると、今度は違う質問をした。

 

「じゃあ、お兄ちゃんが野獣さんみたくならないのは好きな人が他にいるから?」

 

「……いない」

 

心拍数は正常だ。

美海について、悟られることは――

 

「うっそだー。お兄ちゃん、いま嘘ついた」

 

しかし、少女は手強い。嘘を見破られたことに若干、苦しいながらも何故か心の中は少し喜んでいる。

誰かに打ち明けられる方が楽になれるから? ――多分、俺は少女に感謝しているのだろう。

でも、隠し通さなければ、俺は――

 

「いないって。確かに美空は綺麗で可愛いけど、ほんとに兄妹だからな?」

 

「……じゃあ、お姉ちゃんのこと嫌いなの?」

 

また、少女が深く入り込んでくる。

少女の質問全てが心を掻き回しているようだ。荒い海に起こる潮の流れのように、グルグルと頭が、脳が、思考が絶え間なく少女の言葉に耳を傾ける。

美空を嫌いかと聞かれたら、そうではない。

 

「嫌いじゃないよ」

 

「う~ん、そうなんだ」

 

少女は嬉しそうに笑みを浮かべると、そうなんだ、と繰り返しながら手を離す。

視線はゆっくりと下に向い、落ち込むような仕草を見せた。

顔を上げ、俺はその表情に釘付けになる。

薄っすらと赤く染められた頬、少女と言えどその表情は可愛らしくも見るものを引き寄せた。

 

「――じゃあさ、私がお兄ちゃんの彼女になりたいって言ったら、お兄ちゃんはどうする?」

 

終いにはこの言葉だ。顔を見られないように下げると、そのまま彼女はこちらの様子を伺う。

心臓病を患う少女、本来の俺であれば多分ここで少女の願いを叶えようとしていただろう。

――真意を知らなければ。

儚い命に嘆き悲しみ、哀れんだ筈だ。でも、彼女が欲しいのはそんな言葉ではない。今まで散々、医者から一年以内には死ぬ、二ヶ月で死ぬ、そう言われて恐怖して怯えてきた筈だ。医者の無責任な覚悟を催す言葉に惑わされ続け、疲れ果てやがては生きるのを諦める。

戦って挫折して、苦しみながら今も諦めず戦い続けて何年か経ち、今がある。

 

そうだ。

 

この子は生きたくても、学校に生きたくても、人を好きになりたくてもなれない。親も最初は哀れみ看病をしていたがそのうち見舞いに来る回数も少なくなった。

毎日から一週間に5回、2回、1回、そして月に一度と段々と数は減り諦めの一途を辿っている。

 

少女の瞳は悲しそうに揺れていた。まるで、離れていく母親を見るかのように、ひっそりとこちらの様子を伺い見ている。

まだ、母親に甘えたい年頃だろう。

 

ポンポンと少女の頭に手を乗せ、髪を撫で付けるように撫でる。少女はくすぐったそうにしながらも、微笑み受け入れた。

 

「んっ……」

 

「なーに言ってんだ」

 

頭に来る感触に恍惚の表情で、身を任せる。

 

「……お兄ちゃんは私と遊んでくるけど、それは看護師さん達に言われてだよね」

 

楓ちゃん――楓が、悲しそうに呟く。

少女は不安だった。また母親のように自分から離れていくのを、見るのが辛くて、目の前の何かに縋る。

俺が自分と話しているのも、看護師さん達に言われたからとか、院長の、病院の情報を集めるためだと思っているのだろう。

 

少女の視線に合わせて指を出す。小指だけを突き立て、少女に向かってこう言った。

 

「違うよ。俺は好きでここにいるし、楓ちゃんが好きでまた来るし、これからも毎日来るよ」

 

少女は出された小指をしばし見つめ、やがてこちらの顔を見上げてくすりと笑った。

出された小指に自分の小指を絡めると、嬉しそうにお決まりの歌を歌って小指を切る。

 

「約束だからね。それと――」

 

言いよどみ、お腹をかかえて笑い出す。

 

「お兄ちゃん、そんなことばっか言ってるから勘違いする人が増えちゃうんだよ」

 

「……え?」

 

「お兄ちゃんがロリコンって言われるのもわかる気がする」

 

「ええっ!?」

 

少女に笑い者にされ、なんだか気分はげんなりとしてきた。励ますつもりが、この仕打ちである。

ロリコン、今さら掘り返すか。

 

「お兄ちゃんの担当は小児科だね」

 

「……そうならないことを祈る」

 

少女はまたクスクスと笑う。お腹をかかえてさも満足そうに、楽しそうに。

別に小児科でもいい。全ての手術ができて、全ての医学を学べれば、所属などどこでも。

 

笑い合う空間にコンコンと扉を叩く音が響く。まず初めに反応したのは楓ちゃんで、

「はーい、どうぞ」と言うと扉は開かれた。

扉の向こうから出て来たのは、中年位に見える一人の男が白衣を無理矢理纏ったような姿。

彼は――慎吾先生は今も尚、医者を続けていた。ちなみに楓ちゃんの担当医もこのお方、実はマッドと思われがちだが名医でもある。数少ないこの病院の戦力であり、嫌われ物である。

 

「さーて、今日も検査の時間だ……ぞ?」

 

「久しぶりです。慎吾先生」

 

「あぁ……やはり、ロリコンだったか」

 

「違いますからね」

 

開口一番、罵ってくるのは変わらない。容姿もそれほど老けたようではなく、昔と比べて少し顔に深みが増した程度だ。

 

 

 

□■□

 

 

 

検査が終わり、俺は出てくる慎吾先生を待っていた。病室から出てくる慎吾先生は俺に気づき、二人珍しく並んで歩く。

 

「さて、今日の本題といこうか」

 

「直球ですね」

 

曲がり角を右に曲がり、進んでいく。

実はもう既にコンタクトだけはとっていた。起きてから会うことはなくとも、目的には協力者が必要だ。そのために美和さんに伝言を頼んでおいた。

今日の夕方、楓ちゃんの病室に来るようにと、もちろん検査を理由にだ。が、真の目的は他にある。

 

眞平は白衣を揺らすと、一枚の紙を取り出し、俺に差し出してくる。

 

「君の言った通り、君はやはり眠ることになった。そしてこの5年間、君の要望通りに何度も美空ちゃんの病原を探る為に論文などを調べてみたが……まぁ、見ての通り、最近の新しい医学はそれだけだ。機器は新しくはなったが、技術は全くの向上を見せていない。それに美空ちゃんと同じ似たような症状はあるが、やはり免疫力の弱さが原因だという有力説が一番理に叶う」

 

そこから先は慎吾先生ですら口を継ぐんだ。

手詰まり、何も喋らないのはそう言う事だろう。

しかし、美空の病気は免疫力の弱さが原因だとは思えないほどに不可思議さを持っている。

 

「この5年間、美空は何度発作を起こしましたか?」

 

「いや、一度もない」

 

「一度も?」

 

「ああ、一度もだ」

 

その理由としては、身体の何処にも異常がないこと。

肺も、心臓も、喉も、脳も、呼吸器系と筋肉に関して調べてみたが異常なし。正常に働いているのである。なのに、彼女の身体は蝕むように発作を起こす。

 

そして、ようやく一枚目の紙をめくり、二枚目の紙に目を通す。

これは、美空のことについて調べた結果、その過程で見つけた心臓病に関してのいろいろな資料。つまり、楓ちゃんの病気をドナーなしに治す方法を記載しており、美空のために集めた資料の中から有力な楓ちゃん用の医療法をサルベージした資料だ。

 

慎吾先生はやっとたどり着いたかというように、まるで待っていたかと言うように、嬉しそうに話始める。

 

「美空ちゃんの病原は今だ不明だが――その5年は無駄ではない。誠君、大量の論文と成功例、俺の論と君の論を多種多様にシュミレートした結果――楓ちゃんの新たな治療法が見つかった。だが……」

 

とある扉の前に俺は立ち止まり、慎吾先生は難しそうな不満気な声で言い淀む。

 

『新たな治療法』

この言葉に問題があるのだ。今だ誰もやったことのない、そういう意味が含まれている。故に、こんな危険な賭けにあの人が乗るわけが無い。

それを遮るように、俺は扉を開ける。

 

「院長が許可しないんでしょ?」

 

この人はチャレンジャーだ。

新たな治療法を試したがる馬鹿とも言える。

怖いものなどない。

もう楓ちゃんの家族からは許可は取ってあるだろうし、あとは楓ちゃんだけだ。

 

しかし、院長は自分の失脚を恐れ、事を全て穏便に済ませようと無茶な医療はしない。

責任を慎吾先生が取ろうと、少なからず院長自体に責任が行くから、それを怖がっている。

 

そのための問題は、もうすぐ解決させる。いや、しなければいけない。

 

扉の向こうの病室は静けさの中で、カーテンが揺れている。2つベッドがあり、廊下側のベッドはカーテンで取り仕切られ、向こうには一人の白髪色黒の老人が帽子を深くかぶった人と話している姿が。

こちらに気づくと、二人は呆れ返ったように挨拶をしてくる。

 

「昨日ぶりだな、誠」

 

「こんにちは。紡のおじいさん」

 

「ほう、久しぶりじゃのう誠君。随分と…………変わらないようだがな。それと――元気にしているかの、慎吾」

 

「……その声は、まさか元院長ですか?」

 

片方は、紡のおじいさん。やや昔と比べてやつれているようだが、今は問題ない。

もう片方は元院長、この病院を背負っていた優しき老人だった。

元院長は帽子を少し上げて顔を見せると、すぐにまた被りなおす。

 

「ふっふっふ、ほんに久しぶりじゃ……しかし、すまなんだな。院長を辞めた今、この病院は私の手元には無く守れるものも守れなくなってしまった。早瀬美和の件も現院長の自分勝手な病院支配も……全てわしの責任じゃ。暴落の一途を辿るこの病院の全ての責任はわしにある」

 

「そんな、この病院がこうなっているのは現院長の欲を満たすだけの行動に――」

 

「いや、慎吾よ……」

 

言葉を続けようとする元院長だが、そこから先は言うべきか迷っているようだ。

俺は元院長の代わりに、割って入った。

 

「誰の所為でもないです。元院長、あなたは脅されてやむなく院長を辞めたのだから」

 

「!? 誠君、どういうことだ」

 

声を荒らげる慎吾先生、少なからず元院長は慎吾先生の目標であったために、気になるのだろう。

数日前――俺は元院長の突然の辞職について調べていた。誰からも慕われる存在であった院長が誰に話すこともなく突然の辞職をして、この病院を去った。その理由を調べていたのである。その点だけが、不可解だったのだ。

 

何故かは知らないが、現院長は早瀬美和の情報をさがしており、見つけたと同時に夫がいることを知った。

その夫が婚約したわけでも、それでもないのに子を持ちながら見かけだけの事実婚をしていることに、邪魔だと感じた現院長は、自分の持つ才能を使い……この計画を思いついた。

 

まず始めたのは手に入らない薬の製造。現院長にとっては至極簡単なことだった。心まで手に入らない、身体も手に入らない女を飼い慣らすにはそのための薬が必要だと考えた。思考を乱し、言いなりにするための薬。

それに製造成功した現院長は更なる凶器を、その過程で手に入れてしまう。俗に麻薬と言われる危険ドラッグであり副作用の強い目的の劣化版だ。

その薬、飲めば使用者に快楽を与え、幻覚作用さえ見せて現実と幻覚の見分けすら出来なくなり、やがては一部の欲望を強くするらしい。その欲望が、“性慾”だ。

これは元の作ろうとしていた薬の所為で、こんな副作用になったが完全な麻薬として作用しており、完全な誤算であったが武器ともなった。暴力団とも連携を取れる武器となり、金も入手出来る欠陥品、使わない手はなかった。

そこでどうやったか、この薬を俺の親父に流し、流されやすい親父はまんまと薬漬けにされ、薬を摂取しないと狂い暴動を働くようになった。賭博、豪遊、酒乱、と遊び尽くすようになりその足で金も借りた。

しかし、これが計算外だった。当初は暴言を吐き暴力を上げるようになった彼に対し、早瀬美和を守ることで、不信感もなく手に入れる予定だった。間違いなく、惚れると思ったのだろう。だが借金の額が一般でギリギリ払える持ち合わせではなかったために、次の手を考えた。

『これ以上膨れ上がる前に、長瀬誠哉を殺す』

手順は簡単。幻覚が酷くなる酒と薬の乱用、これを促せばいいだけだ。飲んでいた酒に薬を混ぜ彼にこうして、あとは後ろから押し出すだけだ。これもまた暴力団員に取引をし、車の運転手まで仕組んでいたのだ。自分の手で殺すことに喜びを得るために、自分で押し出して……

しかし、これでもまだ早瀬美和は自分のモノにならなかった。元から彼には針は向いていない。夫への愛ではなく、ある意味鎖が彼女を縛り付けていただけだった。

計画の根本から誤解をしており、殺すだけ無駄だったのだと悟った現院長は考える。もう正攻法で手に入れなくてもいい、心など後から向けさせれば。

元から正攻法とは言えない策略、手を汚したことなど気にせずに現院長はもう一度考える。いや、考える必要などとうの昔からない。早瀬美和を手に入れるのに、必要なのは惚れさせることではない、別に一方的にこちらの思いだけで十分、権力で、従わせればいいのだ。

自分は医者、それならば本来の用途で近づけば、もっと簡単に事は済んだ。

 

「……まぁ、現院長の考えについては憶測と推測を出ない領域なので断定は出来ませんが。院長、あなたは雇ってくれと行動を起こした現院長を受け入れず、真意に気づき、拒んだ。そして……今度は、暴力団を使い院長の奥さんを怪我させると脅し、院長の座を渡すしかなかった」

 

話終えると、皆絶句というように固まり、こちらを見ていた。

苦々しげに院長は帽子を深く被る。

数分の沈黙のあと、慎吾先生は口を開いた。

 

「待て、そこまでわかっているなら、なぜ現院長を警察に突き出さない?」

 

「証拠が不十分なんです。知り合いの警察の方に頼んでみましたが、やはり動けないらしいです。それに相手は暴力団ですから、下手をすると警察まで痛手を負いかねない」

 

事実、暴力団と警察は相容れない存在だ。

 

「それより、おじいさん、あれ持ってますか?」

 

「あぁ、お前の言う通り、簡単にだが集めておいた」

 

紡のおじいさんはテレビの下にある戸棚を開ける。取っ手を掴み引っ張り、中から紙の束を取り出した。

それは? と、医者二人が揃って紙を覗き込むと、その一番上に書かれた文字に固まる。

 

「これは……」

 

「見ての通り、沢山の被害届ですけど」

 

紙の上段に書かれた『被害届』という文字。

今まで、この一年間で出た被害――全て、現院長によるセクハラによるものだ。

 

「さて、院長には協力して欲しいことがあります。

――この病院を取り戻したくはありませんか?」

 

俺の問に、驚愕し、院長は俺を咎める。

 

「……誠君、いくらなんでも無茶じゃよ。それとも君は復讐のために……父親の敵のためにか?」

 

誰もがそう思ったのだろう。院長の言葉と同時に複数の視線が俺に向けられる。

なぜ、そう思ったのか――俺にはわからない。

父親のことなど、親父のことなどに怒りなどは湧いていない。寧ろ、美和さんの生に同情していた。

 

近いものに惹かれるのは、人間の証なんだろう。

俺の一生はまともではなかったと思う。だからこそ、美和さんの酷い人生に俺は共感し、助けたいと思った。

 

「……そんなことどうだっていい。親父はまだ母さんを好きで愛していた、それなら……もう一緒になれたことに何も言うつもりはない」

 

死んで母さんは1人寂しかっただろう。孤独の辛さは俺が一番知っている。

父も、母も、また一緒にいるのだ。

なら、それでいいじゃないか?

死んで後悔はしていないはずだ。

 

死ぬことが一番辛いというのは俺にはわからない。確かに誰かが死ぬのは嫌だ。でも、自分が死んでも……それが一番辛いとは思えない。

欠陥品なのだろうか? 俺は何時から壊れ、こんな思考を持つようになったかは知らない。何が正しくて、何が間違いで、何が人間から外れているのだろうか。

 

世界の見方が正しいのなら、世界が自分が死ぬことが一番辛いと考えるのなら。

この国では家族とキスすることを異端、外国ではキスを挨拶としている国もある。(マウストゥーマウスかは知らないが)ともあれ、美和さんの態度も、美空の態度もどうかと思うが。

 

別に嫌ではない。家族と思ってないのだろうか? 多分、いや家族とは思わない。そう決めた。

表面上も、擬似的に一緒に暮らしているだけで、どこか境界線を張っている。

それでも大切な人達だからこそ、守りたいと思っていて……

俺は昔から、変わっていなかった。

 

かさこそ、ぐすっ、と声と音が聞こえる。

それは他に誰もいない病室――そう思っていた、隣のカーテンがかかったベッドからだ。

 

「……すまんな誠」

 

切り出すタイミングが掴めなかった。そう言って、紡のおじいさんが隣のベッドのカーテンを開ける。

そこには、幼馴染みが涙を流している姿があった。




誰が盗み聞きを……ともあれ、またロリータとコミュニケーションする誠、これはロリコン言われても……。


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第四十四話 心の鍵

side《チサキ》

 

私は知ってしまった。誠が隠そうとした真実を、誠のお父さんが狂った事実を。

 

元々、私はおじいさんのお見舞いに来ていた。看護学校の帰りに様子を見に行って、美和さんと一緒に帰るのが週間になってしまった私は、いつも通りに。

『私、そろそろ帰るね』

その週間も借金がなくなって必要なくなった。そう言って帰ろうとしたとき、おじいさんは私を引き止めた。

『待て、もうすぐ誠が来る……せめてお前だけでもあいつの想いを知っておけ』

誠が来る? 私も誰も紡君のおじいさんが入院したなんて話はしていなかった。なのに、おじいさんは気になることをいう。

『あいつの想い』

その言葉に惹かれたんだろう。誠は何時も一人で何かをしようとしていて、私達は何も知らないまま誠に助けられている。

誠の本心を私は知らない。だから、誠のことを少しでも知りたかったのかもしれない。

私は促されるままに隣のベッドの上に乗り、カーテンを締められてその時を待った。

 

誠が来たのはその数分後、いやその前に誰かが来た。聞いてみると懐かしい声で、前院長だと理解するのに数分もかからない。

『木原さんの病室はここですかな?』

『あぁ、そうだ』

『ふむ、あなたも誠君の知り合いですかの?』

『なるほど、誠に呼ばれたのか』

何を言っているのか、誠が呼んだ? 院長とおじいさんを?

私はこの状況がわからずに動揺する。いったい、なぜ前院長が誠に呼ばれてやってきたのか、それがわからない。

 

それから数分もかからないで誠がやってくる。ガラガラという引き戸の音、二人の足音に先にいた老人二人が挨拶をした。

そこから聞いたのは地獄のような話だった。

誠のお父さんが狂った原因、死んだ理由、どれも理不尽なものばかりで、挙句の果てには美和さんは計画されて付き纏われていたなんて……

私たちを苦しめたのは誠のお父さんじゃない。現院長が問題なんだって、初めて聞かされた。

 

 

――そして私は、開けられたカーテン。おじいさんの座るベッドの隣のベッドの上に、泣く事しかできない。

 

「もう…終わったんじゃなかったの…?」

 

「チサキ……」

 

誠は私を見て動揺していた。

初めて、彼は目に見える態度で驚いてみせた。

そう――“初めて”

私は誠が本気で狼狽えたところなんて見たことがない。彼の泣く姿なんて見たことがない。彼が家族と一緒にいるところなんて一度もだ。

思えば、彼は独りでいることが当たり前のように生きていた。独りで出来る、何時だってそうして彼は助けを求めようとしなかった。

私達といるときもどこか境界線を張っていて、本当の意味で分かり合えたことはないのかもしれない。

 

だから私は、涙混じりの声で問い掛ける。

 

「どうして……誠はどうして、素直な心で向き合ってくれないの。どうして怒らないの? お父さんが殺されたんだよ、それなのに誠は――」

 

言ってみれば妙だった。誠のお父さんの所為で大変な目にあってきたのに、それと同時に誠のお父さんが私を引き取ってくれたから私は今生きている。

誠の代わりに怒って、泣いて、……ううん違う。

私はそれを知ってもなお、怒らず、泣かない誠に腹を立てているんだ。

 

「……親父のために泣いているのか?」

 

違う。そうじゃない。

 

「……美和さんか?」

 

違う。私が聞きたいのは、そんな言葉じゃ、答えじゃないのに……。

お手上げだ、と誠は頭をかく。そうしながらも頭を必死に働かせて、考えているようだ。

でも、誠の思考では絶対に辿り着かない。誠は他人のことは考えるけど自分の事は考えない、そんな性格だからこそ、自己犠牲のような他人優先の考え方を持っているからこそ、無理だった。

 

ここで誠は私の一番聞きたくなかった言葉を口にする。

私のことを知っていれば、出ないはずの答え――

 

「そうか……そうだよな。ごめん。辛い目にあってきたのはチサキだよな。それが仕組まれていたんだとしたらしたら、余計に悔しいよな」

 

私に謝り、頭を下げる誠。

私は謝って欲しかったんじゃない。ただ、誠の為に何かがしたいから、誠の支えになりたいから。

辛い目にあったのは私じゃない。身内を家族を殺された誠の本心が知りたかった。怒って欲しいわけでも、泣いて欲しいわけでもない。

 

それなのに、どうして誠は……こうも他人の心配ばかりしているのだろうか。

 

ベッドから降りて誠の目の前に。頭を下げている誠には脚しか見えていないだろう、それでも頭を下げ続ける誠に私は――

 

「……チサキ?」

 

――精一杯、彼を抱き締めた。

抱き締められた誠の顔は私の胸に圧迫され、そのまま沈み込む。

それでも、彼は動揺しない。

――私に魅力がないから?

ううん、誠はこんなこと程度で動揺するはずもない。

平然と誠は抜け出そうとするも、私は離さないように強く抱き締める。

 

「そろそろ、離してくれないか」

 

「……嫌だよ」

 

誠が逃れようともぞもぞ動き、擽ったい感覚が胸から伝わる。変な声を出しそうになるけど、耐えて抱き締め続けた。

頭を捻り、身体も捻る。

その感覚が酷くもどかしい。

捻るだけの行動は私が抱き締めている所為で、頭を擦りつけられているようだ。

 

離れようとする誠に、私は力をさらに強くした。

昔は誠の方が強く、私はどうしても勝てる筈がない。この五年の所為で私は誠より大きくなり、大人になっていく最中で体格差が出来たのもわかる。

それでも誠は――私は成長した筈なのに、どうしても大きく見えた。望んで成長したわけじゃない。みんなで一緒に大きくなりたかった。

私がこうして独り成長しても、やっぱり誠には届かなくて遠いことがわかる。

どうして……私は成長した筈だ。成長することを拒んでも逃れられなくて、停滞していたのかもしれないけど誰よりも変わったと思う。

なのに誠は届かない。いつも見上げれば、手を伸ばす方向には誠がいて、成長しても届かない程遠いところに誠はいる。

 

……ううん、違う、そうじゃない。

 

誠は高いところじゃなく、隔離したような孤独の中に身を潜めているんだ。

外界から隔離して、自分というものを客観的に捉え、まるで自分が自分ではないみたいに外側から見ている。自分を自分から外して、人形のように動かす。

――自分とは捉えない。そう捉えていても、まるでゲームをしているみたいに自分を一つのプレイヤーとして操作する様は、自分ですら駒とする傀儡師。

 

こうして誠は……感情を捨てていた。操作するのは自分でも自分は自分ではない。

誠がいくら操っていても、感情を殺しても、何処かでエラーを起こして、自分を写し表に出すこともあった。だから私達は誠の違和感に、気づかなかった。その時は本心が隠れることなく現れただろう。感情的に、そうなる時は大抵誠が表に出た時だ。

 

 

「……ごめんね誠。誠の時は、私達よりずっと前……あの時から止まったままだったんだね」

 

誠が力なく腕を垂らす。傀儡が解かれたように、糸の切れた人形のように足掻くのをやめた。

 

そして――

 

「…………もう限界」

 

――私は誠を圧迫していたことを忘れていた。

力なくした誠は、胸に埋もれている。

どうやら柔らか過ぎたらしく……見事に、誠の口を塞ぎ鼻を塞ぎ息を止めさせていた。

 

「ああっ!? あっ、ごめん、誠!?」

 

多分、幼い頃の、五年前の私なら解らなかった。

皆といた私には、わからない――……。

あの場所から離れて初めて、私は誠を知った。

 

 

□■□

 

 

 

ザクりッ――――……。

 

チサキの言葉が、心にナイフを突き立てる。ナイフに例えたそれは鍵のように、心にすっぽりと、穏やかな感覚の中で痛みを伴いすんなりはまった。

――痛いのに

――何故だか、落ち着く

開けようとされる鍵――錠のかかった扉をチサキが開けようとして、俺は抗う。

 

昔の話だ。俺は母さんが居なくなった時に、既にその時点で自分の心に鍵をかけた。

泣くこともなく、母親の死体を見て、親父が泣き崩れる姿を見て、ただ傍観していた。この頃には既に俺は自分というものを封じ込めたのかも知れない。

自分でも気づかなかった。鍵をかけることは自分の意思でもなく自動的に防衛本能がかけたのだろう。

 

まぁ、その扉も一度だけ、開いてしまったが……。

 

母さんは少し強引で自由な人だった。だからかミヲリさんにも心の扉を一度開けられたのだ。ミヲリさんは似ていたから、心が引っ張られたんだろう。

そして今も……チサキは変わらず、時に強引になることがある。優しい人。母性があるというか、昔はマナカの姉のように見えた。二人は姉妹みたいで、その光景が眩しすぎて羨ましくて。

今ではそれが“母性”となり、俺の心を引っ張る。

包容力のある人と言えばいいのか、昔からチサキは変わらない。

 

……変なところでぬけていなければだけど。

 

現に母性の象徴で死にかけた。抱き締められるのは構わないが、加減を知って欲しい。血が足りていないのも影響してか危うく昇天するところだった。

どうやらチサキはいろんな意味で成長しているようだが昔から変わらない。

 

「ご、ごめんね誠」

 

病院からの帰り道、美和さんとチサキ、二人と肩を並べて帰っているとチサキは謝る。身体のことを心配しているのか、若干暗い顔で。

 

「気にするな。けどな、抱き締めるのは極力止めてくれ。君は女の子だってわかってるのか? ……もう少しで取り返しのつかないことになるとこだったぞ」

 

「取り返しって……ぁ」

 

復唱しチサキは顔を真っ赤にする。

事実、俺も男性だ。少しは思うのも無理はない。

……胸に埋もれて死ぬのはああいうことかと悟ってしまったのだが、狭山と江川の言っていた意味が……理解したくなくてもわかってしまった。

 

美和さんが不思議そうな顔でチサキを見て、次に俺に視線を向ける。なんだか視線が痛い。

ずるい、とでも言うように美和さんは抱き着いてきた。

 

「私はいつでもいいからね♪」

 

精神力をガリガリと削るのは辞めてほしい。

するとチサキが、反対の腕を取った。

 

「ダメですよ美和さん。誠はさっき倒れかけたんですから自重しないと……」

 

自分のことを棚にあげてチサキが微笑みながら美和さんを牽制する。

さっきの瀕死は非常にまずい、主に鍵が外れかけていることと、一つ目の鍵が外れてしまった事。

どちらも俺にとって良くないことだらけだ。男にしても良くないことだらけで、今すぐここから逃げ出したい。

 

サヤマート付近に差し掛かったとき、美和さんが立ち止まり、同時に俺の腕が引っ張られる。チサキもその反動を受けて軽く引っ張られ、止まった。

 

「ねえねえ、誠君これみんなで行こうよ!」

 

「夏祭りですか……」

 

小さな町の掲示板――『夏祭り』とデカく書かれた紙が1枚張り付けてある。質素な割に目に入りやすく、黒い夜空のデザインが目を引き付けた。

美和さんはこれを見て、目を輝かせている。子供みたいにはしゃぐ姿に、なんだか心暖かくなった。

 

「俺行きませんよ……」

 

もしかしたら、美海に会ってしまうかも知れない。

それ以前に気掛かりなことがある。

確かこの祭りは赤城さん――即ち、赤城さん率いるヤクザの皆様方が主催する催しだ。地域関係を良くしようとする心意気を買わないことはないのだが、四年前からお船引が無くなって始めたらしい。

俺も誘われてしまったがために行かなければ、と思う反面この人を連れて行って大丈夫かと心配だ。

美海も来そうだから行きたくないのだが、一応は対応策も考えてある。

 

「……そっか。じゃあ、私もやめる……」

 

「え? 美和さんだけでも美空と行ってくればいいじゃないですか。チサキも連れていってください。俺はやること沢山あるん――ッで!?」

 

落ち込む美和さんにそう言うと、ぐいっと腕が引っ張られる。俯く彼女は頬に一雫の輝きを見せ、強く腕を抱き締めていた。

……グサリと心臓辺りに何かが刺さる。刺のような何かは簡単に沈みこんだ。

 

「……わかりました。行きますよ」

 

「えへへ、やったぁ♪」

 

聞くと同時に誤差無しで喜び、更に胸を押し付けてくる。

豊満な胸は柔らかく、腕に力負けして形を変える。腕に押し付けると同時に柔らかく跳ね返るわで、自己主張するように地球の引力によって戻ろうとする。

つまり、こちらから腕を押し付けなくても、相手が胸を押し付けなくても、自動的に腕を取るとこうなってしまうのだ。

 

「ねぇ誠、変なこと考えてない?」

 

「反発力と重力について考えていたとこだ」

 

「……ん〜どういうこと?」

 

知らなくていい。チサキが妙に勘ぐってくるも、その視線は美和さんの腕と胸、俺の右腕の丁度中間地点を捉えている。

今から数日後に行われる祭りの話題に花を咲かせ、チサキのじと目を天然でかわし美和さんは子供のようにはしゃいでいた。

 




なんでだろう……最近、誠がよく死にかける。
誠の弱点――女の涙、最強の兵器である。
押しにも引きにも弱い誠。
チサキさん、なんだか母性が見えるのは気のせいだろうか。


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第四十五話 恋敵?

いまさら
漂流→人口呼吸
の流れを使わなかったことを悔いている。
やっちまったよ!
というわけで、こんな美海が見たかった。



 

 

 

最近、美空は前のようによく笑うようになった。

お父さんが死んでから、まったく笑わなくなってからもう何年か、美空が前のように笑うようになって愛想も昔のように良くなった。

 

「おはようございます、皆さん」

 

「「……え?」」

 

クラスメイト全員が目を疑ったことだろう。もう何年も美空が笑顔になるところを見ていないような気がする。それに何時もは誰よりも速く登校して席についているのに、最近はどうしてか遅刻ギリギリに登校してくる。

 

一番気にしていた沢渡が一番驚いていた。

美空が好きなことは変わらないらしく、好きだというのに告白作戦を実行できずに失敗した経験ありの彼は美空に近寄ると美空の目の前で手を振って見せる。

 

「……お前、早瀬だよな??」

 

「? 私は私ですよ?」

 

「あぁ…そうだよな…そう」

 

納得のいかないような顔をしながら、無理矢理頷くと私とサユを見て何があったと聞いてくる。

多分、――

誠が帰ってきたことと関係しているのだろう。私でも嬉しくて有頂天になっていたし、それくらいは共感できるけどどうしても理解できない部分がある。

確か美空の家は借金があって、それの所為で何かと大変な目にあってきたのに……どうしてこんなに元気なのか。

無粋な質問はやめようと思ったのに、やっぱり馬鹿な質問をする人がいた。

 

「なぁ、借金って返したのか?」

 

子供達には知らされない事実、しかし子供は大人達の噂や周りの変化には目敏く誰でも知っている事実だった。

私も気づかないふりをして、変化に目を向けないでいたのかも知れない。美空はそう望んでいた筈だ。私だって周りには知られたくない、そう思う。

沢渡も知ってしまったのだろう。大人達の噂、美空の変化から考えれば後をつけようなどと考えたのかも知れない。

 

私だって好きで声を掛けられずについて行き、結局は声をかけずに帰ってきた経験は何度かある。

あの日だって、そう――美空が誠にキスした日も、声を掛けられずに逃げ出した。

 

美空は聞かれたことに薄々気づかれている、そう感じていたから動揺していなかった。

笑顔を咲かせると、彼女は手を合わせて幸せそうに、本当に幸せそうな声で、昔の優しい声音で答えた。

 

「はい♪ 兄さんが借金を無くしてくれた御蔭で今は凄く毎日が楽しいです♪」

 

クラスメイト達が、言葉に違和感を持つ。

 

「兄さん?」

 

「えっ、お兄さんってことだよね。美空ちゃんの……」

 

「お兄さんが借金を返したの?」

 

皆同様に動揺していた。喜ぶべきか驚くべきか、質問や疑問が飛び交い

 

「はい、私の兄さんです」

 

こう答えた。

確か美空は一人っ子じゃなかったか、そう思うのも仕方ないのかもしれない。

 

「お前の兄さん何者だよ……」

 

沢渡は新たな壁ができたと、頭を抱えた。

 

一方で女の子たちは様々なお兄さん理論を建てる。

美空は容姿端麗、成績優秀、体力に関してはあれだけど紛うことなき才女で男子曰く“女神”らしい。女子でもその意味はわかる……そこで、“お兄さん”の様々な予想が――もとい妄想が作り上げられることになる。

 

「美空ちゃんはこれだしやっぱりお兄さんもカッコイイのかな」

「ってことは、頭もいい?」

「借金を超消しでしょ? なら、普通に稼げる人なんだね」

「何歳なんだろ」

「……でも、今まで何してたんだろうね」

「そうだね。美空ちゃんが大変な時にどこにいたんだろ」

 

段々と雲行きが怪しくなってきた。

私の中でモヤモヤが生まれていく――誠はそんな人じゃないよ、美空を見捨てたことなんてない。

美空が気になり目を向けると、彼女は拳を一度握ると誰にも見られないうちに離した。

 

わかっている、いやわかっていた。

一番怒りたいのは美空だって。でも、私も同じくらい怒りたいと思っていた。誠を悪く言うなんて許せない。誠は今まで眠っていたのに、戻って来て大変な筈なのに周りの事ばかり気にして、私達のペースに合わせてくれていた。

 

思えば私も一緒にいられるって決めつけて……誠のことも考えていなかったんだから。

違う意味で私はクラスメイト達と一緒だ。

 

教室にタイミング良く担任の先生が現れる。

ガラガラと戸を引き、教壇に立った。

 

「はーい、みんな席についてー。今日は復学というか、転入というか、まぁみんなにしては新しい仲間を紹介するよ。もっとも古参というか何と言うか、まぁ取り敢えず入ってー」

 

そうして、先生の声に皆が注目する中、私の家に居候している男の子――叔父と言うべきか、光が教室に入ってくる。

そう言えば、今日から光は復学する。

 

……誠だったら良かったのに。

誠はいつからこの教室に戻ってくるんだろう?

 

そんな不安と期待が、心の中で渦巻いていた。

 

 

 

□■□

 

 

 

「ねえねえ、お船引すごかったよ」

 

「そうそう、あれは凄かったなー」

 

「光君は旗ふってたよね!」

 

休み時間になり、女の子たちが光に群がっていく。誠ほどではないけれど、結構な人数が集まっていた。教室内にいる女子の大半は集まっているだろう。尤も、誠がいたらそれどころじゃないだろうけど。

光は光らしく、女子でも誰でも話している。

 

でも、話題の種は尽きることがない。

 

「ねぇねぇ、そう言えば、もう一人の男の人は? 確か落ち着いた雰囲気の男の人がいたはずだけど、その人はまだ眠ってるの?」

 

「落ち着いた雰囲気の奴?」

 

思い当たるのは二人。光は幼馴染み達の顔を思い出しながら、聞き返す。

 

「要のことか? それとも、誠か?」

 

「要さんもカッコイイけど、それより誠さんかな」

 

「ええー、私は要さん派だよ」

 

「でも誠さんカッコ良くて優しいよ?」

 

「うん。どっちも頼れるお兄さんって感じだったよね」

 

「でもでも、大人っぽくて頼れるのは誠さんかな」

 

「分かる分かる。雰囲気がなんか大人っぽいというか色っぽいっていうか、ちょっとドキドキしたもん」

 

「なっ!? 俺だって先輩だぞ!?」

 

「えー、光君はどっちかというと手のかかる弟?」

 

女の子たちの言葉は光に明確なダメージを与えた。光は楽しげに笑いながら反発する。

 

それを見ながら、サユは不満気な顔で机に突っ伏する。斯く言う私も、窓に顔を向け空を見ていた。

 

「美海ー。えっと、さ」

 

言いづらそうに言いかけると、口をつぐみ私の顔を見ると光に視線を向ける。

 

「言いたいことあるなら言えば?」

 

私は不機嫌そうに返す。

――っと、サユは気にした様子もなく、私の目をじっと見て告げる。

 

「……タコスけがいるのに、タコ助二号はどうしたの」

 

「どうしたもこうしたも、ないよ」

 

「いや、美海あからさまにおかしいじゃん。数日前からずっと不機嫌だよ」

 

机の上にぐでーっと怠けながらもサユは的確な言葉を投げ放ってくる。実際、私は数日間は教室に入っても、サユと何時も通りに待ち合わせをしても、うん、としか返事を返していなかった。

お母さんに対しても、お父さんに対しても、ご飯に呼びに来たけどすぐに追い返したり、光が来ても光が怒って帰って行くような会話にしかならなかった。

構ってほしそうな晃を無視したり、素っ気なくあしらったりもした。

まぁ、元々は光は妙なところでお節介で怒りやすいからそんなことになったんだけど……あっちもなんだかギクシャクして思うところはあるみたいだ。

 

「別に誠がどこで何してようと知らないから」

 

つい、誠についての愚痴が漏れてしまう。

それだけ誠の事を知らないんだと、胸に針が刺した。

 

「……やっぱり美海の家に居ないんだ」

 

同時にサユの同情するような視線が私を指す。

 

(まったくこの二人はどうしてこうなるかなぁ……美海があいつを好きなのは知ってたけど、目覚めてからの誠も美海から離れようとしてなかった。それに、チサキさんと先に会ったって言ってたけど、話もろくにしないで授業中の学校に来るなんて……目覚めてからやることじゃない。学校が終わるまで待てばいいのに、わざわざ来る必要もないし。峰岸が告白しようとしていた時も一番に後をつけていったし……どうして両想いに気づかないかなぁ…はぁ…誠は少なくとも鈍感な人種じゃなかったかと思ったんだけど)

 

サユが溜め息を漏らしてまたこちらを見た。

哀れむような、もどかしいような、瞳はジレったさを体現したかのようにモヤモヤと私を映している。

 

「あーもう! そんなに落ち込むんなら、早く美空に頼んで会わせてもらえばいいじゃん! ちょっと美空!!」

 

大声を上げて、机で数人の女子と話している美空にサユは呼びかける。今は丁度、“お兄さん”の話をしていたようで会わせてくれないかせがんでいたみたいだ。皆に対して美空は会ったことありますよ? とはぐらかして、呼ばれているのでこの話はまた後でと美空はこちらにやってきた。

視線が一度重なる。

僅か数秒、一瞬の事だっただろう。合ったことすら錯覚するような一瞬の後で美空と私は目を逸らす。目を逸らしてもう一度チラリと見たが、その時には美空は完全にこちらを見てくすっと笑う。

どうやら逸らしたのは私の方――美空は逃げること無く、私を見据えている。

 

「どうしたんですか、サユちゃん」

 

「いや、それがさ、美海があいつと喧嘩したみたいでまだ仲直りしてないんだって」

 

「兄さんと……ですか」

 

「そう。だから、美海は今日もこんなんだしどうにか出来ないかなと思ってさ」

 

サユは知らないのかも知れない。誠が美空のお兄さんだということはあの場所で知っている。でも、美空が誠の事を兄妹としてではなく……男の人として好きだということを知らない。

美空が兄妹としてではなく、誠にキスをして、キスを求めたことも、愛を求めたことも、全部。

良いことをしているつもりなんだろう。サユは強引で強いところが、私と違う。

 

3人の間に微妙な空気が流れ、美空は数秒後に何か思いついたように手をポンっと打ち合わせる。

そして、私からは想像もできないような言葉を言い放つ。

 

「そうだ! 今度、山の上でお祭りがあるじゃないですか。私はそれに家族みんなで行くんです。だから美海ちゃんもサユちゃんも一緒にどうかと」

 

「家族みんなで……そう言えば、最近、チサキさんとか美空とか美和さんに男の影が出来たって聞くけど……」

 

「はい、多分それは全部兄さんですね」

 

サヤマート付近から流れている情報によると、美空の家に男の影がうろついているという。あとは美空の家から出てくる男の人だったり、家の内の誰かと腕を組み親しげにしている男の人だったり、噂は様々だ。

 

やっぱり私には理解できない――美空がなんで自分の好きな誠を私と会わせようとするのか。

私が誠を好きなことは美空なら知っている筈なのに……

 

「もちろん、お祭りには兄さんも来ますよ♪」

 

美空はどこか楽しそうな表情でそう言うと、私の耳元に自分の顔を寄せて他の誰にも聞こえない声音で言う。

 

「私は美海ちゃんとはフェアな関係でいたいです。ですから、ちゃんと仲直りして下さいね」

 

美空は離れると同時に視線を周りへと向けた。

聞き耳を立てる女子数人、男子数人、興味のある人は全員がこの話を聞いていた。

私は思う。誠を独り占めにしたい、誰にも渡したくない、ずっと一緒にいたい。

 

それに……キス、とかも。

 

お母さんがお父さんとしていたように。

美空が誠にしていたように。

 

私がそれを見た時に思ったのはそれだった。

羨ましくて、魅力的で、もし誠と愛し合えたら幸せなんだろうなぁ……。心から通じあったキスをお母さんはお父さんとしていて、幸せそうな二人に羨ましさを覚えて。

お母さんとお父さんのその光景は今でも覚えている。あんな光景いまでも忘れられない。本当に幸せそうに唇を重ねて……こっちまでドキドキして心臓が破裂しそうで、でも立ち去ることも出来ずに覗いていた。

 

 

 

□■□

 

 

 

授業が終わると美空は教室から足早に出て行く。声をかけようとした沢渡も逃したタイミングに踵を返し、こちらに戻ってくる。

 

「あーあ、なんであんなに足早いのに、体力だけはないんだろうな。つーか、前は遅くまで学校に残ってたのにどうして家に早く帰るんだか……」

 

それは俗に言う嫉妬だろう。

沢渡は“見えない兄”の姿に、美空の兄の存在に苛立ちを覚えている。

美空と誠の二人が一緒にいること。長い時間を二人で過ごせることに羨んでいる。

私だって、美空が羨ましいと思うと同時に……少し後ろめたいこともある。美空より私は昔から誠を知っていて、一緒の時間を過ごしたのだから。

当たり前の時間を美空は持っていなくて、誠も同じように家族とは過ごしていなくて、

 

美空の言う『フェア』にはそんな意味が込められていたんだと思う。私が誠と過ごした時間、それが欲しいから美空はそれだけ言って早々に教室から出ていった。

 

…………――。

 

……フェア、って平等って意味だったと思う。

 

美空が持っていなくて私が持っている。美空が持っていて私が持っていない。美空がしてなくて、私がしてる。美空がしていて、私がしていないこと。

 

……――。

 

…………キ、キキ、キス!?

 

つまり、私と誠が唇を重ね合わせるというわけで、でもどっちのキスをするんだろ、軽く触れ合う程度なのかあんなお母さんや美空がしていた深く長いキスなのか!?

で、でも美空がしてたのは混じり合うようなキスで!!

見てて心臓が破裂しちゃいそうなくらいのえっちではしたないキスで……私も美空みたいなエッチな顔に変わっちゃうのか

 

わああああぁぁぁぁ――――――!!!!

 

 

「ちょっ、美海どうしたのそんなに顔を赤くして」

 

「なっ、なんでもない!」

 

言えない。思わず自分が誠とキスをするところを想像したなんて。

 

話を切り上げるために、もとい逸らすために鞄を手に持ち椅子から立ち上がる。サユは驚きながらも自分の鞄を手にして立ち上がると先に出ていこうとした私を追いかける。

 

私は熱く治まらない顔の熱に胸を焦がしながら、夏の祭りのことを考えていた。




乙女な美海もいいじゃないですか?
ええ、見たかったんです。
気がついたらこうなってたんです。



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第四十六話 愛した人、祭囃子のその前に

〜前回のあらすじ〜
美空が美海に若干の宣戦布告



 

 

 

茜色に染まる空、水平線(氷の世界)の向こうに消えていく夕日、海と氷に反射する幻想的な風景、夏にしては冷たい風を受けながら帰路を歩く。

 

まだ、胸の熱さは消えてない。

焼き付いて離れない妄想に妄想だと言っても、どこか期待しているのか考えれば考えるほど深みに嵌っていく。

 

「待ってよ美海、速いって」

 

危うくサユを置いて行くところだった。

一度思考を置くと、なんだかモヤモヤした気分になりながらも立ち止まる。

 

「あ、ごめん」

 

「それならタコスケに言えば?」

 

そう言ってサユが指さした方には光が走る姿がある。学校の制服ではない、ワイシャツとキッチリとしたズボン、その姿は学校の正規の制服でないながらも見た目、中学生で通るような格好だ。

立ち止まっていた私達に息を切らしながら光は追いつくと、膝に手を立てて前屈みになりながらこちらを見上げる。

 

「ちょっ、お前な……ハァハァ……何勝手に行ってんだよ」

 

「別に私の勝手でしょ?」

 

同じ家に住んでいる居候――にしても、こんな事を言われる筋合いは無い筈だ。一緒に住んでいるにしても一緒に登校する義理はない。

素っ気ない態度で返すと、光は――

 

「お前な…そんなんだから誠に置いていかれたんだよ」

 

私の聞きたくない事を言った。

 

私のせい?

私の所為で誠は私から離れたの?

出て行ったの?

 

「あーあ、誠が嫌うのも仕方ねぇよな。こんな我侭娘、俺だったらゴメンだね」

 

私は……嫌われたの?

 

プツリッ――何かが切れた音がする。

光が言ったことがすっぽりと心の欠けた部分に今まで疑問に思っていたことが解けたみたいで、でもその答えに納得できなくて、私の頭の中はぐちゃぐちゃになる。

 

ポツリ、呟く。

 

 

「……さい」

 

「? 聞こえねぇーよ」

 

半分、無意識に言葉は出た。

聞き返す光に更に頭がかっと熱くなって、胸の中がざわざわと騒ぎ立てる。

 

もう一度……

 

 

「……う…さい」

 

「だから、聞こえ――――」

 

光が再度聞き返そうとした時、私の中の何かが爆発した。

 

「うるさいって言ってるでしょ!!」

 

サユも光も固まる。私の大声の怒声に驚き目を疑う姿に私自身が恥ずかしくなる。

わかっている、原因は私にあるんだろうって。誠に嫌われても仕方ないんだと、美空のところに行っても仕方ないんだと。私は美空みたいに誠の事を思えず、自分勝手に誠が帰ってきたことを喜んでいた。

 

謝ることもできずに私は居心地が悪くなって前を向き、再び歩き始める。

サヤマートの付近、美空の家に自然と近寄らないように避けて通り、無言のまま家の近くまでついた。何時の間にかサユは家に帰ったのかそっとしておくべきだと判断したのだろう。姿はない。

自分の家の庭と屋根が見え、見慣れた光景に安堵しながら歩を進めて少し力を入れて扉を開ける。

そこには、誠と親しかった元同級生――紡さんがいた。お母さんは手に紙袋を持って、紡さんを見送っていた。

 

「ただいま……」

 

「おっ、お帰り美海」

 

お母さんが返事を返す。優しい声音に安堵しながら、靴を脱ごうと紡さんの横に並ぶ。

靴を脱ごうとしたところで光が入ってきたようだ。足音に耳を過敏に反応させて背中で光の気配を感じ取り、顔を合わせないように靴を並べ、お母さんの横を通り過ぎて自分の部屋に向かう。

 

今話せば、私はきっとまた怒ってしまう。

自分の嫌なところに嫌悪しながら制服を着替え、私はベッドに思い切りダイブした。

目を瞑り最初に思いつくのは誠のこと。いくら考えないようにしても、どうしても考えられずにはいられない。

思考をリセットしようとしても、ぼーっとしていれば何時の間にか誠のことを考えてしまう。

 

――…………。

 

何分経った?

気がつけば私は寝ていて、外は暗くなり闇に覆われて寝たりない気だるさに目を覚ます。枕元にある時計を見ると時刻は七時、夕食の時間だった。

枕元に置いていた誠から貰った二つのロザリオを持ち、部屋を出てリビングに向かう。

何もない廊下、代り映えしない光景。

リビングに入ると、丁度お母さんが料理を並べ終えたところだった。

 

「あっ、美海丁度いいところに」

 

「なに、お母さん」

 

自分の席に座りながら、返事を返す。

多方、夕食に呼ぼうとしていたのだろう、そうなのだろうが反射的に返してしまう。

しかし、お母さんは予想と全く違う言葉を放つ。

 

「実は明日、光の制服仕立てるついでにデパート行くことになったんだけど……」

 

耳を疑ってしまうのも仕方ないだろう。今さっき喧嘩したばかりで光とは気まずい。

お母さんはそれを知ってか……様子を伺うように私に聞いてきた。見守る様な眼差し。

もちろん、私は――

 

「行かない」

 

当然のように言葉を返す。光もこちらを伺いながら、しかし哀れみを含んだ目で私を見る。

意味がわからない。

同情はされても、哀れまれる理由なんて無いはずだ。

会話は終わったかのように思えたが、私が箸を取ろうとしたところでお母さんが口を開く。

 

「えー、誠君達とお祭り行くなら浴衣の仕立てもしようと思ってたのに……」

 

絶対、卑怯だと思う。

 

「誠君、美海の浴衣姿見たら喜ぶと思うけどな〜」

 

絶対絶対卑怯だ。

 

そして、とどめの一撃はもっと卑怯だった。

 

「そう言えば明日、誠君達も浴衣を買いに行くって言ってたな〜。運が良ければ会えるかもね♪」

 

心が揺らぎ心境はお母さんの思うとおりに。

 

「……い、行く」

 

「良かった〜。じゃあ、明日は(至さんを除いた)みんなで行こっか」

 

「オムー」

 

「はいはい、オムライスも食べに行こうね」

 

どうやら晃は店で食べるオムライスが目的らしく楽しそうにはしゃいでいる。楽しみなのか、ご飯前にオムライスの話とは……目の前のご飯に失礼じゃないだろうか。

光は終始こちらの様子を伺うようにしている。後ろめたく思っているのかは明白、私だって少しくらい罪悪感はある。

ちょっとした不安と期待の明日の予定にモヤモヤしながら味も分からないままご飯を食べた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

私に連絡が来たのは午後のことだった。相手の美和さんは勤務中らしくお昼時に電話をかけてきた。その内容は最近の誠君の様子について、自分についてと以前より楽しそうに喋る。嬉しそうで幸せそうな声は、なんだかこちらまで和みそうな雰囲気だ。

 

「でねでね、誠君と今度のお祭りに行くんだけど、浴衣を買いに行くことになったんだ」

 

「へぇー」

 

ただ聞き流そうとした時、美和さんは信じられないことを言った。

 

「それでね、美海ちゃんもアカリさんもこないかなって思って……来るよね?」

 

……ん?

 

「ちょっと待って、美和さん、…いいの?」

 

「え、何が?」

 

聞き返す美和さんの言葉に何を聞いてんだろうと脱力感に苛まれる。

いや、聞かなければいけない。

誠君に好意を寄せる相手なら尚さら、同じ誠君を好きな美海を誘うことは私には意外だったのだから。

 

「だから、美和さんって誠君の事を自分の子として見てないし見てもいるけど結局は男の人、異性として見てるでしょ。なのに、美海にチャンスを与えるなんてどういう考えで……もしかしたら、美海に盗られちゃうよ」

 

数秒の間のあとに、美和さんが息を呑む音が聞こえる。

 

「……ん〜。そりゃあね、アカリさんの言う事もわかってるよ。でも、やっぱり誠君には幸せになって欲しいでしょ。今まであの子は普通じゃない生活を送り続けて、誰とも心の底から接することなくいた。存在しているだけで生きていない、そんな普通の幸せを得ない生活を人間らしい生き方をしなかった。家族なんてどこにもいなくて、独りぼっちの生活を続けて……私にはわかるよ。私も似たような経験があるし、だから誠君を放っておけない。寂しくても自分だけで生きようとする、一人で生きていく、それは私にはできなかったけど。ううん……私には絶対にできない。救いを求めた私は騙されて、それでも誰かが助けてくれて今がある。私の人生はもう汚れちゃってるから、せめて誠君には汚れた私なんかじゃなく、本当に想いを寄せる人と幸せになって欲しいんだ」

 

つまり、こういうことだ。

親としての部分も持っている。美和さんは誠君の幸せを考慮して、答えたのだ。

 

しかし――汚れている、とはどう言う意味か。

同じ経験、ということは同じく親がいないのか。

私は美和さんのことを極一部しか知らなかった。

 

あっでも、そう言って美和さんは訂正する。

 

「美海ちゃんにだけは本心でぶつかってるかな。なんて言うかやっぱりね、美海ちゃんにだけは心を開いてるんだ。誠君は他の人には本心を見せないけど、心の奥底では美海ちゃんに対して正直でいる。こうやって離れてしまったけど美海ちゃんの幸せを願う反面、だからこそ好きな人の為に動いちゃうんだ。自分の欲をさらけ出せばいいのに、想いをぶつければいいのに、人との繋がりに関しては不器用なのか他人同士のことはわかるくせに自分の事になるとすぐに誰かの為にって。損な人間だよね」

 

自分で言って自嘲気味に小さく笑う美和さん。自分の事も誠君のことも含めて笑っていた。

今の美和さんも、誠君のために、そう好きの裏で大切な人の幸せを願っているのだ。二人は似ている。血の繋がりがなくてもこういうところが親子と呼べるのだろう。

 

しかし――自虐の言葉が仇となったのか、嫉妬はとんでもない方向にシフトすることになる。

 

「でもさ、私も寂しいよ。そりゃあね私も気づけば×歳で誠君とは歳が離れてるけどさ。私も歳をとっても女性に変わりないし、人間だから性欲もあるんだよ。もちろん誠君を見てればスゴク身体が切なくなって、あんなことやこんなことをしたいと思うし、でも我慢して自慰をしても一人じゃ気持ち良くならないしかと言って逆に不満が募る一方で誠君は迫っても何もしてくれないし――」

 

「ちょっと待ってストップ!?」

 

「え、なに?」

 

暴走(現実で起こってないだけまし)しかけた美和さんの暴走を遮り、一呼吸。頭は正常、いや混乱しているのか。

まずなんて言った?

 

「美和さん、今なにしたって?」

 

「うん。迫ったよ」

 

「……そう」

 

聞き間違いじゃないことに安堵……っしようとして頭を抱える。誠君の周りの環境を侮り過ぎていた。実際、誠君の周りは巣窟と言っていいほどのハーレム?だ。

そこに男の子一人、女子多数。そんな中で思春期の男子が誘惑され、迫られ、しかも好意を向けられた数少ないお人好しである誠君は……他人の頼みを断れない人間である。

がしかし、誠実な人間で美海を忘れ切れていない反面もっとも性に興味がある年頃としては地獄だ。

 

「でも、キス以上は許してくれないんだ」

 

悲しそうに言う美和さんに見えない苦笑いをして誠君に同情する。

誠君は自分を愛してくれる人を無碍にできない。

独りぼっちの孤独の中で生きて誰かを求めたことは無いはずだ。だからこそ、彼はチサキちゃんに対しても冷静な返事を返したし、手を差し伸べられても頼れるのはミヲリさんだけだったんだと思う。

必要以上に深く入り込んでこない、自分を愛してくれる人の誰かを。もし私が強引に連れ出しても彼は心を開かなかっただろう、知らない他人だからこそ彼は油断し隙を作り自分の心を見せた。

 

「もう、キスだけで許してあげなよ」

 

「えー、ほっぺにだけなんだよ」

 

「それは誠君が正解」

 

つまり、もう美和さんには自分の心を教えるつもりもないだろう。唇同士かと思ったが違うようだし。

それだけ近くなり過ぎたということだ。家族、この関係性に誠君は凄く違和感を持つ。それもそうだ、これまで本当の家族なんていなくて一人で頑張ったのだから。

だから、誠君は擬似的な家族という関係に違和感を持ちながら、その関係性に付き合っている。美和さん達の願いを聞き届け、叶え、自分は家族という関係について苦悩しているのだろう。

 

「まぁいいや、誠君は誠君だもん。私は誠君がいてくれるだけで幸せだよ」

 

「そうだね。それが誠君らしいよ」

 

「自分を思ってくれる人には傷つけないように最善の選択肢を選ぶ。かぁ」

 

溜息の音が重なり、美和さんは黙り込んだ。数秒の空白の後にもう一度だけ美和さんは自分の思いを口にした。

 

「やっぱり誠君は私たちのためだけに家族してくれているのかな」

 

「……違うと思うよ。それだったら誠君は家族なんて不確かな関係で美和さん達のところに戻らない。本当に会いたくなかったら、もう二度と会いたくないと思ったなら、彼は絶対に見つからないところに行っていたはずだよ。美海に関しても心残りがあったから…だと…思う」

 

「だよね。じゃあ、絶対に会わせてあげなきゃね」

 

それから明日の予定の話をして、どの店に行くか、どの店で食事するか、話の中心は誠君と美海を引き合わせるための話になった。

チサキちゃんも美空ちゃんも同じく協力してくれるらしいのだが、それで本当にいいのか。疑問は愚問だ。想像出来ない苦しみを抱えて誠君は……生きてきたのだから。

 

因みに、誠君には秘密らしい。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

朝日が上り私は目を覚ます――っと言っても、実際はほとんど寝ていない。目の下にくまがてきていないか、部屋の中の鏡の前に移動して目元を確認する。

 

「良かった……」

 

会える喜びと遠ざけられる不安、お互いが邪魔をして私を寝かしてくれなかった。誠が寝かしてくれない。そもそもこんなに悩むのは誠のせいだ。

一息つき、目元にくまがないことを確認して安堵すると次は着替えを探すことにする。

誠に見せる服、そうであっては可愛いものがいい。タンスを漁り、クローゼットを漁り、手に取ったのはホットパンツとサイハイソックスにそれからパーカーと下着(最後のについては乙女の事情)。

パーカーの中に着るのも可愛いものを選び、しかし可愛いものと言っても選ぶのに時間はかかった。

パーカーはもしかしたら誠が着ているかもしれないから……なんて言えない。同じものが着たかったなんて。

速攻で着替えを掴むとお風呂場に行き、パジャマのボタンの多さにもどかしく思いながらも脱ぎ捨て、自分の裸体を見て少し落胆する。私の胸は少し残念で美空やチサキさんほどの大きさはない。

一旦、思考を戻すと脱いだ服を洗濯かごに入れて私はお風呂に入った。蛇口を捻りシャワーからお湯を出す。シャワーからは温かいお湯が降り注ぎ、私の体を濡らして目を覚ましてくれる。余計な匂いも、汚れも、全部洗い流すと急いでシャワーを止めてまた脱衣所に戻った。

 

「へんじゃ…ないよね…?」

 

用意した服を着て自分の姿を再確認する。事実、私はチサキさんや美空ほどのスタイルはない。だから、誠に変に思われない程度で可愛くいようと思ったのだが……誠の近くにいる美空とチサキさん、二人に比べれば確実に見劣りするだろう。

美空は大人っぽい服でも、可愛い系でも綺麗な清楚タイプの服でも着こなすし、それに対して……私は。

色気もなければ、可愛げもなければ、綺麗でもない。やはり私では叶わない恋なんだろうか。元から年は離れていたし、背は小さかったし、胸は小さいし……。

 

――コンコン。

 

突如落ち込む私の後ろで、扉を叩く音が聞こえた。静かな音にびっくりしながらも、服はちゃんと着ていたので扉を慌てて開ける。

 

「おー、やっぱり美海か。誠君と会う準備は進んでるようだね」

 

そこにいたのは、アカちゃん――もといお母さんだ。的確に胸を突く言葉を言いながら、私に向かってにっこり微笑む。

しかし、少し様子がおかしい……なんだか私に申し訳なさそうな顔でポリポリと頬をかいた。

 

「お、おはようお母さん」

 

見られたことに私は羞恥を覚えながら挨拶する。

そして、話を逸らそうとした時、お母さんは流れるような手付きで手を顔の前で合わせてこう言った。

 

「……えっとね、お楽しみというか楽しげなところ悪いんだけど……光と二人で行ってきてくれない?」

 

私は耳を疑う。謝罪しながら埋め合わせを話すお母さんの言葉の卑劣さ。今も光とは仲直りしていない、そんな中でお母さんは……勘違いの種を生む。




夏祭り……だと思ったか!
いや〜フェイントからの小さなデート?
というか、なんでスレ違ってるんでしょうね?
書いてる方ですらなんでこうなったかわかってないですよ。
勢いですもの!
因みに、やっぱり晃君はオムライス食べれないようです。


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第四十七話 誤解

※なんだか視点変更が多いようです。


 

 

 

side《アカリ》

 

 

さて、朝起きたら一大事……というのも本当に一大事なのだけれど問題が起きた。

晃が最初で最後のおたふくにかかり、今も絶賛駄々をこねてオムー!と怒ったように叫んでいるのだ。

美海には伝えたけど、やはり晃を病院に連れていかないわけにはいかない。でも、今回の作戦は非常に捨て難く美海が楽しみにしていたともなれば、実行しないわけにはいかないのである。

本来は私と美和さんが『偶然だね』とか言いながら合流して買い物をする予定だったのだが(美和さんと美空ちゃんは誠君の制服姿を見たかったらしい)、これもおそらく誠君にはバレるであろう。

 

――しかーし!

 

美海だけでも行かせたい。もちろん、建前として光を連れて行かせる手もある。幼馴染みがいた方がいいだろうし、何かとあの巣窟の中では不安だ。

もし光を連れて行かせることができれば美和さんの誠君の制服姿という目的も断れないばかりでなく、復帰も早めに済ませることができるのだが……やはり男一人に女四人っていうのは誠君も可哀想なのである。

そしてもう一つ、美海一人であれば声をかけることなく終わりそうな予感が私の中では警戒音を鳴らしていた。

光を連れて行かせる手もこの為で、実を言うと光が邪魔にならないかなっとも思ったのだが…建前が浴衣だけと制服の件ありでは、前提が全然違う。

 

故に

 

「じゃあ、今日じゃなくてもいいだろ。俺は別に制服とかどうでもいいんだからさ」

 

目の前で当然の如く遠慮をする光を説得しなければいけなかった。

私は玄関で駄々をこねて暴れる晃を肩に担ぎながら、至さんが車を出すのを待つ。漁協の車を借りに行ったのだがもうすぐ帰ってくる。もちろん、午前中の仕事はこのために休むことになった。

 

「オムーオム〜!」

 

「だからあんたはおたふくでしょーが!」

 

「オムぅぅぅぅー!」

 

「はいはい、今度連れてってあげるから今は病院に行こうね!」

 

泣き喚いて暴れる晃はオムーとしか叫ばない。

私は母親の根性で落ちないように気をつけながら、目の前の混沌とした光景に目を移していた。

 

「だから今日じゃなくてもいいだろ、晃もこんなんだし」

 

「今日じゃなきゃダメなの!」

 

美海の準備は万端で光はめんどくさそうに至さんのシャツを着ている。もちろん、美海が光とのパーカーのかぶりを指摘したわけなのだ。

あちらの喧騒もこちらの喧騒も、一筋縄じゃ終息することはないだろう。

 

「あーあもう! 光、お金渡すから行ってきなさい!」

 

「いいよ、今度で」

 

光なりに遠慮しているのだろうが今は余計だった。

やけくそでお金を叩きつけながら、今度はポケットから携帯電話を取り出してある番号を片手で登録者から見つけ出すと、決定ボタンを押して発信する。

ワンコール、ツーコール、そのあとガチャという音がしたと思えば向こうから女性の声が聞こえた。まだ幼げの残る優しげな声音、彼女は……と相手を間違えたがこの際どうでもいい。

 

「美和さん、じゃなくて美空ちゃん?」

 

「はい? えっと…どうしたんでしょうか、アカリさん、私の携帯にかけてくるなんて珍しいですね」

 

「うん」

 

「それにそちらは騒がしいようですが……何かあったんですか?」

 

同じ苗字で登録されているため、見間違えたのはよくあるミスだ。

しかも、ちょっと晃の所為で手元が狂ったし。

それに美空ちゃんへは基本はメールでやり取りしている。そう思うのは仕方のない事なのだけど、彼女はやはり誠君の妹らしく周りの変化に目敏い。

若干、声が浮かれて聞こえるのは美海と同じ心境なのだからだろう。

誠君に足りない人間らしさを差し引いても、彼女は腹違いとはいえ妹だ。人生の過酷さも、辛さも、お互いにどんな状況があったかも知らない、しかし何処かで繋がっていることが彼女ららしい。

 

と、そろそろ光が痺れを切らし始めたので世間話に兄妹の話は置いといて、

 

「それなんだけど美空ちゃん、今日の予定なんだけど私は行けなくなったから美和さんに伝えといて。あっ、美海は光と一緒に送りつけるから! 駅でね!」

 

早口に捲し立てると私は電話を切り通話の終了後の独特の音を聞く前に携帯電話を閉じる。

もちろん、伝わった……と願いたい。

いやまぁ、美空ちゃんなら断片的に聞こえても解釈できるはずだしと高をくくるが、念の為に一応の対応策として私は携帯電話を差し出した。

 

「――と、言うわけで光は美海と一緒に駅に行って美和さんと合流すること。携帯は美海が使い方知ってるから、美海に持たせておけば問題ないよね♪」

 

携帯電話を受け取る美海に急ぎ渡すと光はもう何も言うまいと固まったまま、私はそれを置いて丁度来た至さんの車に乗り込むと至さんは車を発車させた。

 

「それで、今日の件はどうなったの?」

 

「んー、まぁ大丈夫でしょ」

 

「大丈夫かなぁ…」

 

「もう、美海のことくらい信じてあげなさいよお父さん」

 

「了解」

 

少し心配だけど……美海の唖然とする顔がまぶたを閉じると思い出されるのだった。

いや、相当心配だ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

車が出ていき二人になると私にはどうしようもない不安が襲いかかった。怖い怖いどうやって話しかければ、どうしてどんな顔で顔を合わせれば、私は誠にどう接すればいいのかわからない。

 

わからない――――――から怖い!

 

私は携帯電話を握り締めながら祈る。若干の不安が色々な不安を呼び寄せた。

二人しかいない。ということは、二人で行かなければいけないというわけで、もし誠に勘違いされたらと思うと、異様に哀しくなる。

光は頭を掻きながら、面倒くさそうに言う。

 

「あー、俺いいから一人で行ってこいよ。誠いるんだろ」

 

「ダメ!!」

 

「じゃあ、二人で行くのか?」

 

「それも…ダメ」

 

二択のうち両方を拒否した。二人で、なんて余計に勘違いされるに決まっているじゃない。

あれもダメこれもダメ、そんな答えでは呆れられるのも当然だろう。光はガシガシと自分の頭をかき面倒くさそうに額に手を当てると何か思いついたのか、顎に手を当てると唸った。

 

「んぅ~、俺には恋とかそういうめんどくせえもんはわかんないけどよ。多分、その……そういう風に見えなきゃいいんだろ。なら、あいつ連れてけばいいんじゃねえか」

 

この時、光は柄にも無く名案を口にしたのだ。

それ以前に何を思い出していたのか……多分、マナカさんのことだと思う。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

side《チサキ》

 

 

電話の切れた音が木霊する。ツーツーと響く音に私は美空ちゃんの手元を見てから、徐々に顔に移した。

彼女は苦笑いしながら、私を見つめ返す。そうして困ったようにこう述べた。

 

「切れちゃいました」

 

「そうだね。アカリさんみたいだったけど…」

 

恐らく、声からしてそうだと認識できる。音は小さかったけど会話内容からも伺えたし、何より晃君の泣き喚く声とバックに聞こえた懐かしい光、美海ちゃんの言い争う声にマナカと光の言い争う光景を思い出してしまった。

 

彼女は電話を片手に固まったままこれからのことについて考えるも、内容が内容なだけに……突然の計画変更には少々の不安が伴う。

そうして心の中で思案していると、部屋の扉がノックされ慌てて携帯電話をしまうとパーカー姿の男が入ってきた。

 

「準備はもう終わった?」

 

「あ、はい兄さん、オッケーですよ」

 

「大丈夫だよ、誠」

 

誠だ。私達は笑みを浮かべて計画がバレないように返事を返し、様子を伺う。

しかし、誠がこう言うのにも理由がある。

かれこれ準備を始めてからもう1時間、その間、誠は飽きもせずに待ち続けてくれたのだ。文句を言うことなく、今の今まで確認をしに来なかったが、流石にそろそろ準備は終わったと感じたのか今こうして確認しに来た。

それより、もっと大事な一番大変な人がいる。

 

「えっと、美和さんは……」

 

「あぁ、もう来るよ」

 

確認したのは美和さんのことだ。朝になっても起きてこない美和さん、今日の予定を忘れたのか誠が見に行って見ると寝ていたらしく、こうして誠が面倒を見て準備に取り掛かっていた。本来なら私たちがフォローするところなのだが、如何せん面倒見がいい誠は放っておくはずもなく羨ましくも甲斐甲斐しく世話をした。

髪を梳かしたり、寝癖を直したり、ねぼけて下着を持ってくる美和さんを部屋にたたき返したり。寝起きにキスされそうになったとか良くある話だ。大抵、せがんでは起きたと共に説教の時間に早変わりだが。

ドタバタ、廊下を進む誰かの足音がすると誠は扉の方に顔を向け私の横に避ける。その数秒後、扉を開けると同時に躓きながら美和さんが入って来た。

 

「お、お待たせ」

 

「「あー…………」」

 

すぐさま誠が避けた理由を理解してしまう。美和さんが躓きそうになりながら踏みとどまったのは、誠が先程まで立っていたベストポジション。もうわざとやっているんじゃないかってくらいの、ピンポイント。

私と美空ちゃんは感心するとともに、同時に美和さんのドジ性に呆れ返ってしまう。

 

「それじゃあ、早く行きましょうか」

 

誠は何事もなかったように急かすと部屋を出ていき、私たちの先を歩いていく。美和さんは振り回されるように、親のあとをつく子供のように誠を追いかける。

しかし、彼女は綺麗で清楚な可愛らしさを持っている服に身を包んでおり、身長も近いこともあってどこからどう見ても親子には見えない。さらに言えば、まだミニスカートを穿いても映えているところが、年齢を感じさせない可愛さと大人の色気を出していた。

なんとなく、負けた気になってしまう。太腿まであるニーハイソックスとミニスカートの間が眩しい。ブーツまでもが味方をして、何故だか悲しくなってくる。

 

この人、本当に子持ち……?

 

そう見えるのも、思えるのも仕方ないのだろうか。あぁ誠が隣にいるからか、余計に若く見えた。

私は美空ちゃんと顔を見合わせながら、さらに遺伝子の恐ろしさに驚愕してしまう。わかってはいたけど、美空ちゃんも中学生になってより綺麗に可愛くなった。

比率は可愛い4・綺麗6

親子と言うより姉妹に見える二人は、遺伝子の素晴らしさ以前の問題があるのだろうか。美空ちゃんはミニスカートに美和さんが履いているのと似たようなサイハイソックスを履いていて、健康的でありながら若々しい美脚を魅せている。勿論のこと親子揃ってスタイルの良さは神様が与えてくれたのだろうか、モデルよりも理想的な体。

結論――二人して遥かにこの世のものとは思えない、女神の様な美しさを持っている。

なのに、誠はなんで美海ちゃんを選んだのか。

 

思考の深みに嵌っていると電車の音が聞こえ、前を向くと二人は誠を挟んで歩いていた。

汐鹿生、鷲大師、二つの街外れに属する小さな町、その街と街とを結ぶ小さな駅はひっそりと佇んでいる。田舎に近い街とはいえ、駅員が切符を売るわけでもなく券売機が置いてある。

それを見つけて、とある人物を探すが――いない。

 

すると、狂った打ち合わせを調整するために知らない美和さんの代わりに美空ちゃんが誠から離れる。

 

「えっと、私はみんなの分の切符を買って来ますね」

 

今まで抱き締めていた誠の腕を名残惜しそうに見ると、そのまま有無も言わさず券売機に走っていく。

券売機と入口は離れているわけではない。美空ちゃんの行動に疑問を持ったようで誠は疑問を浮かべても聞かないでついて行く。その先には美空ちゃんが電車の時間を確認する姿、誠は追いつくと美空ちゃんの頭に手を置いた。

 

「別に急ぐ必要もないだろ。それに、美空はあまり走らないでくれ……楽しみなのはわかるがな」

 

髪を撫で付けるように優しく撫で、美空ちゃんを優しい目で見ると、また顔を逸らす。

恐らく、美空ちゃんを心配してのことなのだろう。顔に出さない性格だが、その背中は哀しそうだった。

――若干、台詞がお父さんぽい。

はしゃぐ子供を宥める姿に、私は思わず笑を零す。

 

「もう、誠ってばお父さんみたいっ」

 

「ん? 俺はまだ中学生だよ。というか、結婚もした覚えはないし子供を産ませた覚えもない」

 

「でも、兄さんはやっぱり兄さんですよ。それも当てはまると思います」

 

「でもでも、誠君がお父さんってことは奥さんは――」

 

「だから、結婚した覚えも産ませた覚えもそれ以前に産ませるような行為をした覚えもないです」

 

「そんな……私、寝てる誠君に沢山愛をもらって……できちゃったのに」

 

「ちょっと待って、それ冗談ですよね?」

 

私も美空ちゃんも驚愕してしまう。が、誠自身覚えがないようだ。

――まさかその手があったなんて!

いやいや、でも誠が気づかないなんてあるはずもなく。

はぐらかす美和さんに誠は慌て始めた時、美和さんはさらなる追撃を実行する。

 

「これで誠君は責任取らなきゃね♪」

 

「その前に……俺は被害を訴えますので美和さんは捕まりますね」

 

「酷い!」

 

「よし、嫌ならば離婚しよう」

 

「なお酷いッッッ!?」

 

……どうやらお互いに冗談を言い合っていたようだ。美和さんは落ち込んだような素振りを見せると、再び元気になりながらしっかりと誠の手を離さない。

どうやら誠もカマをかけたようで、何時も通りの顔をしながら心臓に悪い冗談に笑っていた。

第一、誠はもし妊娠させるようなことがあれば中絶以前に結婚を選ぶ筈だ。

 

そもそも誠が酷いこともしない。もちろん、妊娠させてしまった相手には……それ相応に相手の話を聞くだろう。

 

 

しかし、その前に――

 

「お前、に、にににに妊娠って、ええぇぇ!?」

 

赤面しながら会話の断片を聞いていた、もう一人の幼馴染みと女の子二人の誤解を解かなければいけない。

光を見て、後ろを見た瞬間、誠は誤解を解くこともせずにするりと美和さんに手を繋がれたままホームへと向かう。

びっくりする美和さんは、予定外の美海ちゃんの出現に戸惑っていた。

 

――それが余計に信憑性を上げていたのを言うまでもない。




誠「……ほんとに焦った」

美和「ふふっ、冗談だよ♪」

チサキ・美空「お願いだから美和さん(ママ)は不安要素の種を自然とばらまかないでッ!?」


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第四十八話 半義妹の苦悩

文字通り妹ちゃんが奮闘する。


side《美空》

 

 

ガタンゴトンッ――!!

 

揺れる電車から規則的な音が聞こえる。一定間隔で耳に届く音は心地いいのだが、私はそれどころではなく必死に目の前の茫然自失する塊へと説得を続けていた。

 

――どうしてこうなってしまったんでしょうか?

 

和んでいる筈の空気がやけに重苦しい。美海ちゃんは結構なダメージを(冗談で)心に受けたようで、今も泣きそうなくらい暗い顔で俯いている。

というか、私だって泣きたいくらい心にダメージを受けたのです。ママは冗談を言っても何時もふわふわしているから余計に分かりにくく、兄さんも表情は余り変わらないから信憑性に大きく誤解を生ませた。

兄さんは窓側の席をママに譲り、楽しそうに外を見ているママを見ている。これではまるで親子としての立場が真逆だとか、そんなものは今更気にならなかった。

そして二人が座るのを見計らって、私が美海ちゃんを兄さんと同じく通路側に押しやったのだが……何の会話も行われないことから空気が重い。唯一の救いは、ママがはしゃいでいることだけだった。

 

しかし、ここだけではないのです。何故か光さんとチサキさんまでもが暗いムード、チサキさんの横に座るサユちゃんは完全に蚊帳の外と言うか、場違いというか……計二人の場違いさんが居た堪れない表情で座っていた。

 

「それでですね、美海ちゃんと光さん、さっきのは誤解というか冗談というか……いや単なる悪ふざけでして、兄さんは童貞で潔白ですよ!?」

 

何か失った気がしますがどうでもいいです!

『童貞』という言葉に兄さんの耳がぴくりと動きましたが反論する気は無いご様子、いやここで童貞じゃないとか言われたら相当ショックですけど。

それは兄さんだって医学の勉強をしていれば、生体について知らなければいけませんし隅々まで理解していないと治すにも実践だけでは何かと戸惑うでしょうし……そうともなれば基本としては体について勉強しているわけで、やはりすべての病気を治すには体のデータが必要不可欠で、勿論のこと男の子と女の子の違いも理解しているわけで、でも何時かは私の体を治すのであれば隅々まで知られてしまうわけで……今からでも結局は同じで……

 

ッ〜〜――って、私は何を考えてるんですか!

暴走しかけた思考を元に戻し、一旦落ち着かせると心拍数の上がった胸を抑える。どうやら私は何処かで枷が外れてしまったみたいだ。

危ない……まずは誤解を解かないと、そう決めてもう一度美海ちゃんと光さんに向き直る。

兄さんは依然として誤解を解く気がないようだ。それも計画のうちなのか、苦しいくせに我慢するところは生まれ持っていたのか後天的か、きっと私と同じなんだろう。

家族がいても、それは何処かでバラバラに別れていたのだから。壊れたと言ってもいい。独りぼっちのような感覚がどうしても抜け切れずに、私達は何時も一人だった。

 

私の目には意地を張っている子供にしか見えない。いや、昔の私と同じ小さな姿が映る。なんとなく影を重ねてみても私と似ていた。

我慢するから、兄さんは美海ちゃんのことを諦めた。

正確には諦め切れていないのだけど、それがかえって兄さんを苦しめている。

兄さんは気づきそうなのに何があったのやら。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

私とママ以外全員が沈黙する。しかし、何処か光さんが見かねたようで口を開く。

 

「なぁ、ほんとに何もないんだよな?」

 

「どうだろうな」

 

素っ気なく返す兄さんの言葉が事実を有耶無耶に使用とする。そこまでして美海ちゃんに嫌われたい訳とはいったい……、と私の視線を受ける兄さんが言いながらママに視線を移すと、ママはもうさっきの出来事を忘れたように呆ける。

 

「ふぇ? な、なに?」

 

「あのですねママ、さっきの冗談は冗談だったのか聞いてる訳でしてそれを知っているのはママだけというか…」

 

寝込みを襲われたら気づかなければ知っているのは加害者だけだ。ジト目で早く否定してください!と促すも、どこか抜けきっているのか忘れているのか、数秒考えると理解したのか否定する。

 

「うん! 私だって無理矢理なんて、そんなことはしないよ」

 

後半については聞き流したことにしましょう。確かに気持ちも大切だから、というより気持ちが篭っている方がいいとは思う。

 

「…そうなんだ」

 

やっと理解したのか美海ちゃんは安心したように胸を撫で下ろすと、ゆっくりと座席に背中を預けた。

 

 

 

□■□

 

 

 

誤解も解け、少しだけ空気が軽くなり皆各々の時間を過ごし始める。美海ちゃんは最初からずっと兄さんをチラチラと何度も盗み見ては、目を逸らして目を合わせることを怖がっては繰り返し何度も何度も……まるで同じ曲を延々と繰り返しているCDみたいだ。

 

方や、兄さんははしゃぐママを心配そうに見ては幼馴染み二人にすら目も呉れず、その幼馴染み二人はさっきまでの重い空気が嘘のように兄さんを見ていた。事実的には大人しい二人なのですが、暗中模索といった感じで二人はコソコソと兄さんに聞かれないように話している。

 

「どうしたんですか? チサキさん」

 

「あっ、美空ちゃん……」

 

思わず声をかけて私も会話に入ることにした。美海ちゃんと兄さん二人、どちらを放置しても進展はしないでしょうと考えていたらしく、私も同じ思いで見ていたのだ。

だから光さん達の提案『二人の関係を修復』を聞いた時には驚いてしまう。チサキさんも大概だが、光さんが恋愛に関してお節介を焼くなんて想像できない。

 

「悪かったな…俺が他人の恋愛に口出しして!」

 

「いえいえ、そういう意味では……」

 

「確かに光が誠の恋愛について口出しするなんて考えられないよね。だってマナカのことも不器用なのに」

 

私のフォローが届く間もなくチサキさんまでもが肯定し、ピクピクと眉間をひくつかせるが人物の名前で怒りは最高点に到達する。

マナカさんの名前に光さんはいち早く耳を動かす。が、怒りは一週回って冷静になる。

 

「あのな……いやもういいわ。それより誠だよ誠、つうか家もやべえんだぞ。あいつ家で飯も喉を通らねえし、食いにもこねえし、美海がなんか寝不足みてえな顔ばっかしてやがるし」

 

光も成長したんだね、と漏らすチサキさん。

しかし、それ以前にどうやらあちらも大変らしい。兄さんに至っては手間もかかることなく(寧ろお世話がしたいくらいです)不自由なく暮らしている。だが美海ちゃん自体は調子が悪いようでそれどころではないらしい。聞いてみると美海ちゃんが元気ないことから部屋の中が暗いのだとか。

一応、叔父としては心配しているよう。

この歳で叔父さんとはこれ如何に、聞き間違えたらとんでもないことになりそうだけど。

 

数分見守るが進展もない。こうなっては誰かの手助けが必要だと判断したのか、光さんはチサキさんに問う。

 

「なぁ、チサキ菓子もってないか?」

 

「えっ、あるけど……」

 

お腹が空いたのか、光さんにしては光さんらしい話だった。

見直した私が馬鹿みたいです。

そう思いながら、お菓子を取り出すチサキさんが光さんに渡すのを見る。取り出されたお菓子は慣れしたんだチョコ味の細長い棒、棒状のスナックにチョコレートがかかった甘いお菓子だ。

私自身そのお菓子は好きだけど、それを受け取る光さんは受け取っても開けることなく持ったまま、チサキさんに昔の話を始める。

 

「前にあっただろ。みんなで美海の案でアカリにプレゼントを買いに行った時、お前ら誠に雛鳥みたくあげてただろ」

 

「はぅ…!」

 

何かを思い出して顔を真っ赤にするチサキさん。私には理由がわからず問いかけるもチサキさんはなんでもないと言って誤魔化す。

これで何もないわけが無い。

でもチサキさんの口は意外にも固く、強固なため破ることはできない。

話を逸らすようにチサキさんが光さんの案を理解したのかお菓子の箱を奪い取る。

 

「つ、つまり誠に同じことをすればいいんだよね」

 

「おう」

 

「でも、美海ちゃんが誠にしないと意味ないような気が……」

 

「……そん時はそん時だ」

 

それは解決になってないよ!?とチサキさんはお菓子の箱を光さんに押し返す。

いったい何がダメなのか。

 

「何がダメなんですか?」

 

「うっ…だってさ、こんな大勢の前で『はいあーん』なんてできる!?」

 

二度目の質問にチサキさんは顔を赤くしながら箱を受け取らない光さんに業を煮やしたのか、今度は私に差し出してくる。

なんだ簡単じゃないですか……何時も家でやっていることになぜ恥ずかしがるのか。

家ではママが兄さんにいきなり箸で食べ物を出しても、黙って食べてくれるからいいものの、私達も対抗するように兄さんに食べさせるから、というより兄さん自体は遠慮して食べないからそうしているわけで(まあそれは言い訳ですけど)。

 

お菓子の箱を受け取ると私は席を立ち、二人の視線を受けながら兄さんの元へと戻る。僅か1mの距離、今までのひそひそ話は聞こえていなかったようで、目を瞑る兄さんを見ていると、気配に気づいたのか兄さんは目を開けた。

 

「……」

 

また、目を閉じる兄さん。よほど美海ちゃんと目を合わせたくないのか、必死だ。

その様をじっと見ながら手探りでお菓子の袋と箱をわざとらしく音を立てて開ける、その音に僅かながら美海ちゃんとママは反応した。

 

「はい、ママあーん」

 

「あー……っん」

 

自然にママに差し出すと彼女は口を開けて素直に受け取った。もちろん、これはお膳立てだ。兄さんに食べさせるための布石であり、しかしこの構図は親が雛鳥に餌を与えるのとは逆で子供が与えるという珍しい構図。

まあ、家族としてはこんなの当たり前でしょう。

 

ママが咀嚼してありがとうとお礼を言っている間に、またもう一本お菓子を取り出して今度は兄さんに向ける。

 

「兄さん。あーん」

 

「……何してんだ美空」

 

「差し出しても食べないでしょう。兄さんは」

 

「……そうだな」

 

潔く兄さんは負けを認めて肯定すると座席にもたれかかると目をこちらに向ける。

そうして、ようやく兄さんも折れて素直に受け取ると思ったら、私の持つお菓子は美海ちゃんに軽く奪い取られて無慈悲にも彼の口に突っ込まれる。

ぐむっ、と咳き込みながら数秒で咀嚼する兄さん、美海ちゃんはそれを見ながら何処吹く風というかのように目を伏せて睨む。

それは明確な嫉妬。私と兄さんに見せつけられることにより生じた、小さな心のズレでした。

 

兄さんは何も言いません。美味しいとも、不味いとも、文句も何も言いません。

でも、少しだけ顔の赤い兄さんは目を逸らして私の方を見ると、すぐに別の場所に視線を移す。

 

視線の先には、通路を歩く一人の男性。見た目三十代のおじさん?はサラリーマンのように堅苦しいスーツを着て、これまた似た色の営業用のカバンを手にしている。

 

それを見て邪魔だと判断したのか、兄さんは冷たい声で注意する。

 

「美空、席に座れ」

 

グイッと引っ張る兄さんにされるがまま、私は腕を引かれて元の席に戻る。美海ちゃんの隣、そこに収まろうとした時に――――私のお尻を何かが撫でた。

 

「ひぅっ!?」

 

変な声が出てしまい慌てて口を抑える。兄さんの目は冷たいままでまるで今の海のようだ。

撫でられた気味の悪い感触が残る。その感触に嫌悪感を覚え、思い出し、目尻が熱くなっていく。

私が耐えれば終わる話、今から買い物に行こういうのにみんなして暗くなることはない。そう決めて一人耐えようとしても、兄さんは私とすれ違い去り行く男の後ろ姿を見て睨んでいた。

 

「美空」

 

「…私…お尻…触られて…」

 

声をかけられるとどうしても耐えられない。漏れでる嗚咽に手を当てるも、栓は意味無くして涙が壊れ掛けのダムのように溢れてくる。

 

「……悪いさっきの人に落し物届けてくるわ」

 

「お、おう」

 

「だ、大丈夫、誠君っ。美空も顔色悪いけど……って泣いてる!? え。どうしたの美空」

 

どうやらママは気づいていないようで、私自身どこかでほっとしている。

誰も、兄さん以外は気づいていなかった。漏れ出た声は小さく、聞き取れたのは兄さんだけ。

いや、確実に美海ちゃんには聞こえていただろう。

 

慰めるママ、私の背中を優しく撫でて同じく優しい声音で落ち着かせてくる。

そんな中、私のすれ違った男の消えた車両へと、兄さんは静かに消えていった。

 

その背中を追うように、親友もまた消えてゆく。




ただでは終わらない!
よくやるね、痴漢さん、そんなすれ違いざまに触るなんて…
そこに痺れ――(憧れるわけ無いだろ)
そして用を思い出し席を立つ誠、
ガクガクブルブル……なんか最近主人様が凶暴になっている気が。

席を立つ誠、その背中を追うように美海は席を立つ。
しかし、恋する乙女が見た最も愛するものの所業とは……
次回は美海視点で話をすすめるでござる。


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第四十九話 鷹白警部

……どうしてこうなった。


 

 

 

席を立つ誠、泣いている美空、そして泣いている美空を慰める美和さんとチサキさん。

『…私…お尻…触られて…』

抑えようとして抑えられなかった美空の声、あまりにも嫌悪に溢れて……あそこまで笑顔を崩した美空は初めてだった。涙を流し、嗚咽を抑えながら、美和さんとチサキさんになんでもないと気丈に振舞う。

 

誠なら、慰めていただろう。

大丈夫、あいつはいないから。

ほら、おいで――そう言って頭を撫でたり、背中を撫でたりするんだ。優しい声と言葉で威嚇しないように、不安を取り除く言葉で。

 

しかし、それもなしに誠は通路を歩いて前の車両へと消えていく。

私も席から立ち上がり、誠を追いかけた。

次の車両は人が少ない。人も疎らどころか街に行く家族が一組いるだけで、他は見当たらない。

その中に目立つ組み合わせ――誠と先程のサラリーマンらしき男性が向かい合ったまま座っている。

なにやら男性の方は様子がおかしく、挙動不審な上に鞄を大事そうに抱えていた。

 

「――おっさん、お前触ったよな」

 

笑顔で言う誠は表情は笑っていても瞳は一切の柔らかい笑みを持たず、怒り一色が染め上げている。

 

「なんのことだ。君はあれか、私に因縁をつける気か」

 

「惚けんなよ。あいつに触っただろ。いい歳こいてみっともない、中学生に痴漢なんて」

 

「はぁっ!? あれが中学――」

 

男の口が滑ると共に、誠はしてやったりと口角を歪めると同時に怒りを顕にする。

しまったと口を塞ぐが、もう無意味な行動に男は冷や汗を流すも誠の眼光からは逃げられない。

 

「覚えはあるようだな」

 

すると男は突然、開き直ったように堂々としだした。

 

「……だとしたらなんだ。お前はあれか、あの娘の彼氏とかそんなとこか。はっ、中学生如きが……あんなの触ってくださいと言っているようなもんだろ。ミニなんて履いて通路に立っているからだろうが。それともあれだ、君はまだあの娘とそういうことをしてないから嫉妬か? それとも、自分以外の奴が触るのを見ると嫌ってか?」

 

出てくるのは美空を非難したような言葉ばかり。確かに触って欲しいというのは間違っていないだろう……誠にはという限定付きだけど。

ククッと笑う男はまるで罪悪感の欠片も抱いていない。

これじゃあ美空は可愛そうだ。被害者なのに加害者に嗤われる、泣いているのに謝りもしないなんて。

 

私も憤りを覚えている。ギリっと音が電車の音の間に聞こえたかと思うと、誠は右手に小さな紅い雫を垂らしてそれを握り締める。手の合間から小さな赤い川が流れ、車内の床にぽたりと小さなシミを作った。

そうだった。誠はそういう人だ。

美空は大切、そう想っているから血が出るほど手を握り締めて、自分の肉を爪で刺してまで、怒りに身を震わせる。

もし誠が女の子として美空を好きでも、そうじゃなくても今のように怒るんだろう。

誠は私にはわからない理由で我慢をして、殴りたい手を必死に抑えている。

 

「……別に謝ってもらおうなんて思ってない」

 

「ん? じゃあ、何しに来たんだ」

 

何か悪いことをすれば謝るのが普通、そう誠は昔口にしていた。それがどうしてか誠は最初に断りを入れる。

そう思っている間にも誠は周りを見回し、私は慌てて座席に隠れる。

間一髪、誠にバレていないと思う。

私のいた場所も私が隠れている場所も視線は素通りしていった。

そして、誠はポケットから一つの袋を取り出す。白い粉が入った袋は何の袋か、男はそれを見ると慌てだした。

 

「バカしまえ!」

 

「ってことは、この粉がなにか知ってるんだな?」

 

「ああ、知ってる! だから早く――」

 

「そっか。これ、あんたの鞄から落ちたものだぞ」

 

「っ!?」

 

鞄をゴソゴソと慌ただしく漁る男性、だが目的のものは見つかり男性は安堵の溜息を吐く。

それを見計らって、誠は言葉を続けた。

男性が出した鞄の中の粉は誠の持っているものと似ていて白く、男性の目の色は仲間を見るものに変わる。

 

「やっぱあんた服用してたんだな。それで、これは街のどこで手に入る?」

 

「あぁそういうことか。お前も使ってるんだな。ってことはあの娘と散々ヤりまくってるんだろ?」

 

「……まぁ、そうだな。否定はしない。それより答えろ、これはどこで手に入れて顧客は何人いる?」

 

怒りを抑えて誠は肯定した。

美空とそういうことをしたんだ……どこか切ない気持ちに私の目尻は熱くなり、なんとか泣かないようにするも鼻がなんだか緩くなった感覚に泣いているんだと実感する。

わかった、誠は美空が好きなんだ。私なんかより美空の方がスタイルも良くて可愛くて、対して私はスタイルも可愛げもないから……好意すら抱かれない。

変えられない悲惨な現実を叩きつけられた気分に泣き虫な私は目もとを拭う。

もっとよく聞こうと、自然と耳は聞きたくなくても澄んだように音を拾う。

 

「なんだ、あの娘だけじゃ足りないのか? だから同じ薬を服用している子を狙ってるのか? それともあれか、年齢的に年上の方が好みか」

 

「いいや、同じ学校に何人いるか知りたくてな」

 

「なるほど、彼女が心配なのか」

 

「まぁそういうことだ」

 

「ならいい同士として教えてやる」

 

男性は紙とペンを営業用の鞄から取り出すと鞄を下敷きに慣れた手つきでメモしていく。それも喋りながら。

顧客の年齢層、名前、特に女性の名前と年齢は的確に思い出して書いていく。怪しい粉を買える場所も、誠に説明しながら丁寧に教えていた。

今から行く場所にもそういう場所はあるらしい。特に頻繁なのが街と鷲大師の近くの大きな病院、美和さんの働き場所の名前が出てきた。

 

「……っとこれで全部だ。俺の知っている場所はここくらいというか販売はそこだけらしい。なんでもVIPだけが買える数千万する薬もあるそうだが、お前は……知らないよな」

 

ペンをかちりと鳴らし胸ポケットにしまう。紙は誠にすんなり渡すとそれを誠は小さく折り畳んでポケットへ。

私は話の内容が理解できない。どうして誠はこんなことをしてそんな情報を集めているのか…まさか、誠も本当にそんな訳のわからない薬を使っているんじゃ!

でも、誠なら薬の効力くらい理解している筈。なら誠は理解して危険だと知りながら使っているの?

 

思考がまとまらない。私には難しすぎる話で、でも誠が危ない事をしていることだけがわかった。

何にしても『薬』という単語だけでは、男性の焦ったような行動だけが何かを示している。

誠は席から立ち上がると男性に礼を言う。

 

「ありがとうございました。……だけど」

 

さっきまで握ったり離していた拳を強く固く握ると、右足を踏み込み右手で強く振りかぶり、驚く男性の顔面に一発撃ち込むと

 

――――ガンっ!

 

という音と共に男性は崩れ落ちる。

 

「誰もあんたを許すなんて言ってない。別に謝る必要もない。美空の前にその姿をもう晒すなッ」

 

誠は我慢していたのだ。美空を好き勝手に言われて怒らないはずもなく、冷静に何かを引き出すために。

男性は気絶していた。そうであればもとから何も聞こえていない、それでも誠は吐き捨てると立ち去ろうとする。

こちらに向いた瞬間、私は慌てて席に座ってフードを被る。

誠は通路を歩いて行く、それを横目で私は様子を伺い気づかれないことを祈った。私の隠れる座席を通り過ぎようとした時、あっさりと通り過ぎる誠はどうやら私にきづいていないよう。

過ぎ去った後を確認したとき、誠の通った通路には見覚えのない紙切れが折り畳まれた状態で落ちていた。

無意識にも私は誠が落としたのかもしれないと思い拾うがそれは――さっきの男の言っていた情報ではなかった。

 

『これ以上、俺に関わるな』

 

誠からの警告、彼は既に私がいることに気づいていた。それを知っていてあんな話をした、そうなのだろう。

『誰にも言うな』という言葉が込められている。ついてくるなとも言っている。

 

私は打ち拉がれた思いで元の車輌に帰ると誠はまだ通路を歩いており、視線の先には泣いている美空がいた。

まだ泣いてる……

私も触られたりしたら、悔しい思いをするんだろうか。

チサキさんと美和さんが美空を慰めているも効果はなく、いつも元気なサユまでが取り乱して慰めている。

誠はサユを退かせると、美空の隣に座る。そうして力強く優しく抱き締めた。

身を任せる美空、彼女は誠の胸で啜り泣く。

あんまりにも美空が泣き止まないから彼は『なんでもしてやるから』と美空に呟き、彼女はきょとんと聞き返した。

珍しい事らしい。

本当になんでもですか、と聞き返す彼女は泣きながら誠の背中に手を回す。豊満な胸もすらりとした脚も密着させて一瞬だけ私のほうを見る。

 

『ごめんなさい』

 

口を動かし誰にも聞こえない声で、そういった気がした。

否、誰にも聞こえないどころか音すら発していない。つまりこれは口元が読み取れて、なんとなくだけど読み取ってしまった私にしか分からなかっただろう。誠は美空の視線が私に向いたことを気にするも、口元は密着しているせいで見えなかったのか心の中で考えるも彼女には聞かずに放棄した。

美空はそれだけ伝えると、誠の耳元に顔を寄せる。

恥ずかしい事なのか、誰にも聞かれたくないらしい。

美空の願いを聞き、僅かに動揺する誠。

動揺を必死に隠したのか、誠が動じるほどのことを美空は言ったんだと思う。元から誠は大抵のことでは驚かないし動揺もしない。

顔を赤らめて美空は俯くと、彼の背中に回した手をゆっくりと動かし巻き込むようにして腕から肘、力なくした手を握るとそのまま自分の腰へ。

 

そして……――

 

 

「あぅぁッ……!」

 

「ちょっ、ぉまぇら……!」

 

彼女は自分の義兄にキスをした。

腹違いでも血は半分繋がっている。

サユと光はその光景を見て赤面し、目を逸らしながらもしっかりと見ている。

口に対する口付けは小鳥が啄むようなそんなキスで、一瞬のことだけど、私には凄く羨ましく、熱くなる胸を押さえて見ていた。

 

 

 

 

 

電車が駅に停車し、皆して降りる。初めて来たわけではない場所でも、光は何やら珍しそうに周りを見回す。誠は美空と手を繋ぎながらゲートを通ると、見慣れない街に目を細めて立ち尽くす。

 

あれから美空はずっとくっついている。誠自身それは嫌ではないようで、でも楽しそうには見えない。

美和さんとチサキさんは羨ましそうに繋がれた二人の手を見ていた、私もその一人。指同士が絡み合う繋ぎ方、二人の絡み合う指に視線が集中するも、やがて皆はさっきのがあったからなと逸らした。

進み出そうとした一行、その中で誠は美空の手をゆっくりと離して立ち止まる。

 

「すみません、俺は少し用事があるので少しだけ自由行動にしませんか」

 

誠から立ち上げられた提案に美空は不満そうだ。少しだけ彼の服の裾を握ると、彼に頭を撫でられてすぐに戻ると伝えられる。大人しく渋々と引き下がった美空は「約束は絶対ですよ」と言って裾を離した。弱々しい声は相当痴漢に内心ダメージを受けたようで、瞳は兄を離したくないと言っている。

それを見透かしたように、誠は母親に向かってポンと彼女を押し出して手を握らせた。

 

「三十分くらいで終わりますので、集合場所は何処にするのか教えてくれませんか」

 

確かに合流場所を決めなければ、合流するのに一苦労するだろう。でも、誠はそんなのお構いなしにほいほい見つけてくるからいらないだろと光が指摘する。

しかし、ここは5年も見ていない都市。簡単に、それどころか迷いそうなのに、どう見つけるのか。広さは汐鹿生や鷲大師と比べられないくらい広大で、尚且つビルも沢山あり路地にひっそりと佇む店もある。

 

「じゃあ、あのビルでいいんじゃない?」

 

そこで美和さんは一つの大企業のショッピング用のビルを指して言う。

確かに、昔と変わらないビルが佇んでいた。内装は少し変わったけど誠には関係無いだろう。しかも浴衣を買う店としては行くつもりだった。

 

「じゃあ、そこで……それでは」

 

誠は確認すると足早にその場を去っていく。角を消えたところで私は一人胸を押さえた。

違う、ダメ……。

誠を一人にしちゃ、ダメ。

今の彼には危なっかしいというよりも鋭く尖った鋭利な刃物のようなトゲトゲしさがある。何か失いそうで怖がっているような……そう、例えるなら昔の私、いやそれ以上に危ない危険な事をしようとしている。

 

「…行かなきゃ」

 

多分、私は一生後悔するだろう。

誠がもっと離れていくような、そんな寂しい感覚。

 

「私、誠についてく」

 

「ダメだよ美海ちゃん。誠は……」

 

何を知って、何を知らないのか。私には考える余裕さえもなく、チサキさんの制止を聞かずに走り出す。後ろでチサキさんが声を上げるけど、すぐに聞こえなくなる。遠ざかったからじゃない。寧ろ、彼女は知っている。彼がどうして別行動を取ろうとしたのか、美空についてくるか聞かずに去ったのか。

 

誠の路地に消えた曲がり角を曲がり、見えない背中を追い続けた。コンクリートの道は私の足音を響かせて反響させる。

――ぎゅむ

私の靴は少し変わった音を鳴らす。それは元から仕様で作られた靴だ、音が出るのは仕方ない。

しかし、見えない背中は遠くて、見失った誠は探すだけでも一苦労、誠と男性の会話を思い出しながら適当な見当をつけて路地裏を探す。

何度目かの角を曲がった時、その背中は見えた。

 

「…いた」

 

路地裏に消える見覚えのあるパーカー。色も形も朝見た時と変わらず、その背の高さも私の憧れた、焦がれた背中。

 

暗く陽の光が差さない影の路地裏、周りには小さな店が幾つかあるが彼は目も呉れずに目の前の集まる集団に近寄っていく。

明らかにおかしい……

まず目を引いたのは、上半身裸体の男性、歳は16ぐらいかまだ大人になり切れていない雰囲気がある。

――うぅ、は、はだか!

その裸体に目を逸らしつつも、次の人に目を移した。若干顔が熱くなるのは仕方ないよね。私だって見るのは誠の以外久しぶりというか何と言うか、子供の頃にお風呂に一緒に入ったきりだし。

なんとか出そうになった声を手で抑えつつ、今度は色気のあるお姉さん?が目を引いた。彼女は目敏く誠の姿を見つけるとすぐに駆け寄りじゃれつく猫のように猫なで声で彼の腕を取る。

 

男は何人もいるのに誠を選ぶなんて……少しだけイライラする。

 

「あら、お兄さんいい男ね♪ お兄さんもこの薬を買いに来たのかしら」

 

「……そんな格好をしていると痴女だと思われるぞ。とくにそうやってすぐに擦り寄るな、男に喰われても知らないからな」

 

親しげに注意する誠に、お姉さんは顔を赤らめて尚も離さず顔を逸らした。

もしかして、誠の意中の人だろうか。

薄いシャツを肌蹴させて胸元は顕になり、下着はシャツの合間から少し見えている。シャツの上からでも下着の色と形がわかるほどで、なんとも艶めかしいその姿に誠は視線を逸らす。

胸の谷間から目を逸らしたようにも見えた。知り合いなのか違うのか、私の胸うちはどんどん熱くなっていく。

 

「お兄さん、買いにきたんだったら安く売ってあげるよ。でもその代わり……」

 

耳元に顔を寄せる女の人に誠は溜め息をつく。

 

「そんなことを毎日してるのか」

 

「えーお兄さんはト・ク・ベ・ツ♡ それより早くしようよ〜私お兄さんに興奮しちゃった♡」

 

「他にもいるだろ相手が……じゃなくてそんなことはやめろ」

 

相手のペースにのせられかけるが、彼は微動だにせずポンと相手の頭を軽く小突く。

できれば私もして欲しいかも……。

自分のおでこを押さえながら見ていると、なんだろうか少しだけお姉さんの雰囲気が変わる。

 

「む〜、私だって相手を選ぶよ。あんなキモデブなんかとやると凄く痛いし優しくないし、仕方なくヤってあげてるけど。それより、お兄さんはすごく優しそうだし私の好みどストライクだし、いいかなぁ〜って」

 

「そのキモデブって――田部院長のことか」

 

ピクリ、とお姉さん――女性の眉が動く。それを見逃さなかった誠は確信したようにニヤリと笑い、女性の反応を面白そうに見つめる。

女性は顔を青白くさせて、血の気の引いたような顔で恐る恐る誠の顔を見た。

それを見た彼は悪いことをしたな、と少しの罪悪感からか表情に陰りを見せる。

 

「ねえお兄さん、薬もあげるしなんでもするからこのことは黙っててお願い!」

 

まるで懇願し、涙を浮かべる女性は何かを恐れているような顔で誠の服を腕ごと掴む。ついでにずいっと押し付けられた豊満な双丘に誠は一瞬だけの反応を見せると、今度はポンと動くほうの手を彼女の頭に置いた。

 

「……その前に二人だけで話ができる場所が欲しい」

 

「……え? あっ、そうだよね」

 

女性は辺りを見回すと客なのかなんなのか、男女問わずに解散の意を示した。数人の客達、年齢は様々だが十から三十あたりだと思う。

残念そうに帰り支度を始める人達、彼らが振り向いてくることを忘れていて慌てて私は隠れようとした。見回してもあるのはゴミバケツだったり積み上げられたゴミだったりと心許ない。

 

そこで、いきなり口が後ろから伸びた手に塞がれた。

 

――んんッ! んん〜!

 

声にならない声に男達も誠も気づかない。私の口はハンカチで抑えられて、息も苦しい。

 

「安心しなさい。私は警察だ」

 

聞こえたのは男の声、それが本当だとしよう。

誠は……今、この現場を見つかれば捕まってしまうのだろうか。それなら大声で知らせなきゃ。

しかし、私の意思に反して意識だけがどんどん遠のいていく。ゆっくりと来る眠気に身を委ねてしまいたい感覚。私は我慢できずに微睡みの中に旅立った、彼女と腕を組む彼のその姿を最後に。

 

 

 

□■□

 

 

 

「ん……っう、うんぅ……」

 

「おっ、やっと起きたのか」

 

男性の声が目を覚ました私の耳に響いた。まず先に状況を確認する。天井は低くもなく高くもなく、壁は普通の家のようだった。可愛い部屋、第一印象はそれ。女の子の私物らしきものが沢山置いてある。

どうしてここにいるのか、思い出せずにいると男性の顔が視界に入ったことにより急激に脳内を色んな光景が過ぎ去っていく。

目の前の彼は、私を拉致した変態だ!

 

「きゃあ!変態!」

 

「変態!? ちょっと待ってよお嬢ちゃん、だから私は警察だと説明しただろ」

 

言い訳無用、と言う代わりに手元にある何かを投げていく。目覚まし時計、枕、ペン立て、ペンケース、さらには私にかけられていた布団など。

そこで私の手は一旦止まる。確か私が気を失わされたのは路地裏で街で、こんな可愛らしい部屋じゃない。それもオジサンが住むならシンプルであっても清潔感溢れるその部屋は異様だ。

そこで目に入るのは――看護師の制服。

 

「やっぱり変態! 私に看護師のコスプレさせようとしてたんだ!」

 

「いや、あれは娘のであって君に着せるとかそういう目的ではなく……」

 

「娘っ!? 娘にコスプレさせるの!?」

 

「違う、娘の職業だ!」

 

男性の言葉は信じられない。

30代、いや40代辺りだろうか。白髪混じりの髪をボサボサにした風な髪型、ガタイの良さそうな肩の幅広さにしては普通の男の人じゃない。目元はシワが少しできていて妙なオジサンっぽさがあった。

 

「私が寝ている間に診察とか言って脱がせて、色々とえっちなことしたんだ!」

 

「いやね、そんなことしたらあの子に殺され――というか人の話を最後まで聞いてくれ!」

 

もう言いたい放題だ。男性がしたであろう、もとい女の子を睡らせて誘拐したあとの目的を次々に述べていく。私自身、誠に注意されたことでも何通りか答えがある。

そうして罵倒にも近い罵詈雑言、年の割には多いポキャブラリー(犯罪関連)を披露していると、慌てて部屋の扉を開ける女性が現れた。

 

「もうお父さん、何して――あっ……まさかお父さん、今その子に襲いかかって……」

 

お父さん――男性を見てそう言った女性。しかし、部屋の惨状を見ると見る見るうちに顔を青ざめさせていく。

見た目、歳は若干どころか親子の年齢差というのがしっくりくる。

彼女は誰?――否、言葉通りなら男性の娘だ。

しかし、誠の家がああなので信じきれない。もしかしたらこの人は一人目の誘拐された女の子じゃ……似てないし。

そうして思考の深みに入ると自然と落ち着いた。それは目の前で喧嘩する自称親子のお陰なのかもしれない。

 

 

 

 

 

「はぁ……それならそうと早く言ってください。お父さんが警察という職業に託けて、汚職に走ったかと思ったじゃないですか」

 

「いや、ほんとすまん」

 

娘に謝る親というのはとてもシュールな光景だ。しっかり者の娘とだらしない父、この光景は何度も見ているのでなんとなく懐かしく感じる。

 

「本当にすみませんお見苦しいところをお見せしてしまって父が……えっとお名前は?」

 

「ああ、その子は潮留美海ちゃん」

 

「お父さんには聞いてません」

 

また、怒られる父親。私は名前を知られていることに少しの悪寒を感じる。

仕方ないと言うふうに、女性が自己紹介をはじめる。

 

「私は鷹白文香、この情けない父の娘です。父が言った通り私は汐鹿生近くの病院で看護師の見習い…を勤めています。そしてこの父は、こんなのでも警察です」

 

萎縮する父に容赦のない言葉の嵐を浴びせていく。借りてきた猫のように小さい男性は、娘には頭が上がらないようだ。

しかし、ここで問題が発生する。私はなんでこんな所に連れてこられたのか。ここは彼らの家らしく、そしてここは文香さんの部屋らしい。散らかしたことに罪悪感を覚えつつも謝罪すると、文香さんは許してくれた。

それでもどうしてか聞くと、なんでも頼まれたらしい。

 

「文香、すまないが席を外してくれ。今から仕事の話しをするからな」

 

文香さんが扉を出て、ジト目で一度父を見ると扉を閉めた。信用のない父である。

足音が遠ざかり、消えていく気配、それを確認すると男性で警察の彼――鷹白警部は溜息を吐く。

 

「さてと、こうするに至った経緯だがな。もちろん私の依存ではないし、しかし誠君の頼みでもある。恨むなら恨めと誠君は言っていたがな」

 

……誠の?

 

「ああ、警察なのにこんな誤解されることを何でしたかというと……まぁ、誠君には借りがあるし、警察も手を拱いている案件があるからなんだ。そこで頼まれたのが誠君をつけていく女性の保護、薬品の染み込んだハンカチを渡された時は驚いたがね」

 

鷹白警部、彼は誠の知り合いだという。ほら、と警察手帳を見せてくると、それを確認ととったのか男は手帳を懐にしまった。

ごめんなさい、と謝るとあちらも謝ってくる。

しかし、拉致されたのは事実、少し怖かったのは本当で今も身震いさえする。

 

「ふむ……どこから話すかな」

 

男性が困ったように漏らした言葉。

私は身の回りを確認してから、彼に話しかける。

 

「その……えっと」

 

「あ、鷹白警部でいいよ」

 

「じゃあ、鷹白警部さんはいつ誠と知り合ったんですか?」

 

純粋な疑問、彼と誠の知り合う場所など警察署しか考えられない。もしかしたら誠がなにかしたんじゃないかと、凄く不安だった。

誠がそんなことをしないと信じているけど、聞き方を知らない私は少しきつい聞き方をする。

長い話になると、鷹白警部は言った。コクりと首肯すると一旦息を吐いて、彼は話し出す。

 

「確かあれは文香が中学生の頃だったか……」

 

きっと思い出したくないことなのだろう。

鷹白警部の顔が陰り、雲を思い浮かばせた。

 

「私は何人もの犯罪者を捕まえてきた。主に重い罪が多くてね、出所できるような人間はいなかった。私は犯罪者を捕まえる事が正義だと思う熱血主義者でね、報復されようなどとも思ってみなかったよ。

そんなある冬の日、もうすぐ、正月になるくらいか。

私は正月の休みを大晦日から確保するために署に出勤していた。娘は冬休みでね、だがいつものように本屋と図書館巡りに行っていたよ。家には妻が1人家事をしてた。

そしてお昼、娘が家に帰った時だ」

 

言葉が切られ、顔を上げると鷹白警部は表情に翳りを見せて溜息を吐く。気持ちを整理したのか、一息つくと震える声で続ける。

 

「娘の話になるんだが……家に帰ると中で争う声が聞こえたそうだ。ただいま、そう声をかけて母親の返事を待ったが返ってきたのは『逃げなさい文香!』と叫ぶ妻の声。

争い物が割れる音が響き、妻の苦しそうなそれでいて嬌声のような声を聞いて、娘は事態を把握し助けを呼ぼうと震える足で家を出た」

 

怖かっただろう。

 

「性知識に乏しい文香は、本能的に悪寒を感じたらしくてな」

 

必死に逃げて逃げて逃げて、後ろから来ないことを祈りながら走り続けたという。

玄関を出るまで、出ても、安心できなかった。

そうして、一番気になる部分に差し掛かる。

 

「そんな時だ、誠君に娘が助けられたのは。当時の誠君は偶然なのか街にいて逃げるような娘に違和感を感じたらしい。娘も道を歩いている誠君に助けを求めた。

“お願い助けて!”それを聞いた瞬間、物分かりがいい彼は見ず知らずの文香を路地裏の暗闇に隠し、当然のように娘が出てきた家を見た。見ず知らずの子を匿う、そんなこと誰もができることじゃない。

数分後に娘の出た家から出てくる男、そいつは誠君が家の近くで立っていると近づいてきたそうだ。

『いま、君と同じくらいの女の子が走ってこなかったか?』

娘を裏切ることも出来ただろう。しかし誠君は脅されるようなことを言われても、金をくれてやると言われても『それならあっちに行ったよ』と、嘘をついた。誠君と家の位置とは反対だ。

だが男は物怖じしない誠君に違和感を感じたらしく誠君の後ろを覗きこみ、蹲る娘を見つけた。

『なんだいるじゃないか。なんで嘘をついた? ――まあいい、お前には体でたっぷりと払ってもらうからな』

怯える娘に手を伸ばす男に、誠君は問いかけた。

『ねえ、オジサンはこの娘とどういう関係』

『お、親子だよ。なぁ、文香ちゃん?』

本当の事を言ったら、お前共々ガキを殺すぞと目が語っていたらしい。怯えた文香は元々臆病で、巻き込んだことに罪悪感を覚えて、その中で彼が通報してくれることにかけたそうだ。

『…はい』

手を掴まれそうになったとき、もうダメだと諦めた。私も嫌なことをされるんだろう。そう思ったら目をつぶっている時に手を掴まれる感覚の前に、娘は涙を堪えて待ったそうだ。

しかし、聞こえたのはバチバチという弾ける音と男の声にならない悲鳴。そして、優しい男の子の声だったと」

 

 

 

――終わったよ。もう怯えなくても大丈夫

 

 

 

「スタンガン、そんなものを誠君は持ち合わせていたよ。気絶した男を前に冷静な表情でね。自分がやったことに後悔すらしていない、冷酷な刃物のようだった。彼に母親のことを話したそうだが返ってきたのはどうにも煮え切らない返事で『期待しない方がいい』だ。家に帰ろうとする娘に引き止めたが、聞かなくて……娘は最悪の光景を目にしたよ」

 

笑い飛ばすように、無理な笑みを浮かべると鷹白警部は後日談として、文香さんのことを話した。もちろん事後の誠のこともだ。

 

「一番最初の容疑者は誠君だったよ。何せスタンガンなんて物騒な物を持っていたからね。思わず誠君には掴みかかってしまってな。娘に怒られたのを覚えている。次に誠君が気絶させた男でこちらは前科持ち。――私の昔捕まえた、男だった」

 

鷹白警部は寂しそうに呟く。自分のしてきたことがこうも仇になるとは……、正義の自分のせいで、妻を殺したんだと。

私はそこで純粋な疑問が浮かぶ。

 

「文香さんは覚えていないの?」

 

「その記憶は“忘れてしまった”いや思い出せない、封じ込めているというべきか。あの時、ショックが大き過ぎて娘は忘却して記憶を改竄している。自己防衛しなければ心が壊れていたんだろう」

 

付け足すように、小さく笑いながら看護師の制服を見る。

 

「娘が看護師を目指したのも誠君の影響だ。娘は本で読むような王子様に憧れて、本当に現れて、でも覚えているのは海のような青い瞳だけ」

 

その言葉に少しだけほっとする自分がいた。もし知っていれば文香さんは誠と会っているだろう。

 

「さてと、時間だ。そろそろ君を返さないと大事なデートが始まってしまうだろう。娘に送らせるから、聞きたいことがあればどうぞ。ま、娘は名前すら聞いてないがね」

 

時刻は午後2時、約束の三十分はもうすぐ。私は浅い眠りで余り眠らなかったようだ。誠が薬品を調整したのだろうけど、不可解なことに誠の目的は話されないまま。

狐に化かされた気分で私は文香さんと待ち合わせのビルに向かうのだった。




どんどんドロドロ、最初は男女関係をドロドロにするはずだったのに……元はと言えば美海といちゃつくだけのモノを作りたかったんだけど。
どうしてこうなった……。
ストーカーする美海、後ろをこっそりつける姿は見てみたいですね。と、何げにオリキャラの設定を暴露する回。
これも誠君の思い出……重すぎるだろ。


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第五十話 桐宮燕の悲劇

※胸糞注意



 

 

 

薬の密売、それは許されないことだ。服用した者だろうと売るだけの者だろうとやがては身を滅ぼす。

俺はその一人、桐宮燕――麻薬密売の数少ない院長と繋がる者と腕を組み、歩いていた。周りの視線は彼女の艶めかしい姿に釘付けで腕を取られる俺も巻き添えをくらっている。いい意味でも悪い意味でも男性女性と視線を集め、男性の方はカップルであろう女性に耳を抓られたり頬を抓られたり、散々な仕打ち…いや自業自得な制裁を受けている。

 

しかし、なんだか不安だ…。

 

「燕さん、少し離れてください」

 

「えぇー親密な仲なのにそういうこと言うの?」

 

「親密ではないです。二度は言いませんよ」

 

仕方なく離れる燕さん、彼女が離れたことを確認すると俺は着ているパーカーを脱ぐ。脱ぐ姿を燕さんは赤い顔で見つめて硬直していたが、そこにパーカーを羽織らせることで思考が戻ってくる。

 

「ほら、寒いでしょ」

 

「う…うん」

 

ギュッとキツくパーカーの裾を握り、彼女は顔を逸らしてブツブツと独り言をつぶやく。

 

「なんで…これからヤろうって時に優しいのよ」

 

「何か言いました?」

 

「ううん、なんでもない」

 

なんでもないながら、顔は赤いまま伏せられている。独り言を聞き取れなかったことを残念に思うものの、まともじゃない内容な気がする。

つまり、俺に聞こえないように言ったとはそう言う事だ。

 

止めていた足を動かし、また進んでいく。進むにつれて彼女はどんどん浮かない顔になっていく。

やがて、一つのホテルらしきものが集まった路地に差し掛かると、彼女はその一つのホテルの前で立ち止まる。

 

「さ、行こ」

 

「ここですか……」

 

「ん、君は何処か野外が良かったの?」

 

「いや、そういうわけでは……まぁ、確かに野外よりはマシなような気がしますけど」

 

看板はピンクのネオン、周りには白いのもあったりするのだがここだけはなんとなく違う。なんかイヤラシイというかなんというか、周りの普通のホテルではない雰囲気に精神的に何処か引っ張られた。

ひっそりと佇む建物、彼女の目的地、遠回しにしたがここは俗に言う――――ラブホテル。

確かに彼女のような人なら何度も来ただろう。だからこそ此処が二人きりになれると踏んで、彼女自身がここを選んだのだと。

そう、不安ながらも願っていた。期待してないとか嘘になるだろう、言い訳を心の中で考えながら。

 

自動ドアが俺と燕さんの来訪を歓迎する。近寄っただけで開いたドアは、俺達を喰らうと逃がさないというように入口を閉じた。

そして、燕さんに腕を引かれてエントランスで券売機にて一つの選択肢を迫られる。

 

「――ねぇ、どの部屋がいい?」

 

「えっと…いや、一番安い部屋でいいのでは?」

 

男子中学生の財布なんて高が知れてる。

しかし、彼女はぼそりと体を震わせながら言う。

 

「空いてる部屋は一つだけ……この部屋ね、実は人がひとり死んでるんだ。幽霊が出るって噂もある」

 

「なら、この中くらいの値段で日帰りならば問題ないでしょう」

 

「うん」

 

彼女の肩は震えていた。幽霊とか、そういうのに弱いのか意外にも女の子らしいところを見せる。

別に俺は怖くないのだが……そんな部屋に震える声で忠告されて彼女を無理矢理入れるなど、俺には到底できない。

なればと目に付いたのは、空いてる部屋の中で中くらいの値段で入れる部屋、そこはランプがついていない。即ち、無人ということで決めたがやはり浮かない顔。

 

お金を入れ、無造作にボタンを押す。選んだ部屋の鍵は自販機からぽとりと落ちた。呆気なさに呆然と立ち尽くすも意識を再び呼び起こす。鍵を大きめの取り出し口から取ると彼女は財布を用意していた。

 

「何してるんですか、行きますよ」

 

「え、お金は……」

 

「あぁ、そんなのはいりません」

 

「……え?」

 

聞き返す燕さんは意外だと、驚いている。そしてすぐに翳りを見せると俯いた。

その行動に何の意味があったのか。中学生にお金を払わせる罪悪感か、年下にお金を払わせる罪悪感か、それとも他の何か――と、何も思いつかない。

 

すぐに燕さんは笑顔を振り撒くと、また腕を取り自然と歩き出す。階段を上がって2回へ。短い通路、落ち着くような激情を誘うような、そんな色の赤い床。それを進むと一つの部屋に辿り着く。

 

[202号室]

さっき買った、もとい借りた部屋の番号、それを確認すると足早に彼女は手を引き誘う。

閉まる扉、鍵を後ろ手に閉めて燕さんは手を離すと足早に奥へと向かう。

その後に続き俺も奥へと向かうとそこにあったのはピンク色の壁に、眠たくなるような薄暗い淡い光の照明、照らされて清潔感のある2人用ベッド、木編みのオシャレなゴミ箱、さらにはソファーが一つと簡素な家具配置だった。

燕さんはベッドの前で立ち止まり、こちらを見て数秒、大きく深呼吸してから意を決した声で小さく呟くようにこう言った。

 

「お風呂入ってきてもいいかな…」

 

「……えぇ、どうぞ」

 

辛うじて聞き取れた声に疑問に思いながらも俺はソファーに腰を下ろしながら答える。

ありがと、と礼を言うと燕さんはシャワーが常設されているであろう扉の向こうに消えて行く。

問題その1――なぜ風呂に入るのか?

答えは簡単だ。いくら好意を持っていない異性だとしても女性は男性に対して少なからず恥じ入るもの。体臭などを気にしている、そうであれば……匂いは極力落としたい筈。

問題その2――なぜ、ビジネスホテルとか普通のホテルではなくここを選んだのか。さっきも言ったように彼女自身がここを選んだのに理由はあるだろう。そこで俺がビジネスホテルへ変更しなかった理由は、血なまぐさい話、此処が誰にも聞かれにくいから。

 

やがて彼女が消えていった扉の向こうから、布が擦れる音が聞こえてきた。服を脱ぎ捨てる音に、洗濯機に服を突っ込む音、そこで気付き声をかける。

 

「燕さん、俺のパーカーは洗わなくていいです」

 

すると、ガチャり、扉を開けて彼女が顔だけひょこっと扉の向こうから出す。肩も鎖骨も見えている限りを見るに、服は着ていないようだ。

 

「……私の匂いついちゃってるよ」

 

「いや、乾燥機にかける時間も惜しいんで。それ以前に俺は気にしませんよ」

 

「あとで隠れて嗅いだりしない?」

 

「用心深いのはいいですけど、俺はそんな変態ではないですよ」

 

そんな事をするとしたら、多分美海の匂いや美空の匂い、美和さんやチサキの匂いにも反応していることだろう。

それを踏まえて、自信を持って返せる。

まぁ、彼女自信が嫌なのなら少しの遅れくらい仕方ない。

 

「洗ってもいいですよ」

 

「そう……やっぱり、返しとくね」

 

1度、扉の向こうに消えると姿を現すと同時にパーカーが投げられる。

それを上手くキャッチして、コート掛けに掛けるとソファーに戻る。もう姿はない、と思ったらゆっくりと1度だけこちらをのぞき込む瞳が扉の隙間にあった。

確認のつもりだろうか、燕さんは一応と言ったように聞いてくる。

 

「できれば覗いたりしないで欲しいな。あと、入ってきたり……盗撮したりとか」

 

「流石にしません」

 

それなら美海にとっくの昔にやっていても可笑しくない。

因みに、子供の頃、一緒にお風呂に入ったのはノーカンだ。

 

今度こそ扉は閉まり、燕さんは消えて行く。その数秒後に蛇口を捻る音が聞こえ、水が流れだした。

水が体を跳ねる音。落ちる水音。

……何もしていないと全神経が自然と耳に向けられる。

風呂場へと耳を澄ませ――気が気ではない。仕方なくテレビをつけてニュースを確認しようとすると――

『あぁ♡』

思わず、反射的にテレビを消してしまった。

忘れていたが此処はラブホなるもので、そういう親父が隠していたようなビデオもあるだろう。次は一瞬で番組を現代放送に合わせようとつけるが――

『いやん♡』

たっぷり数秒、テレビはコマンドを受け付けない。地上の電波を受信していないよう。頭を抱えながら俺はテレビを消す。

家では極力節電でテレビをつけない。新聞も取っていない。何しろあの人達は新聞に興味が無いから。こうもなれば此処で情報収集をと思ったのだが、当てが外れた。

 

ぼーっと思考の海に嵌っていると数十分くらいでシャワーの音が消え、水が波紋する音が聞こえてくる。

彼女は湯船に使ったようだ――どうやらリラックスしているのか、その後の音は聞こえない。

 

――――ザバァッ!

 

湯船から立ち上がるような音がそれから数分。ひたひたと歩く音が聞こえ、浴室の扉を開ける音が聞こえた。

これでやっと本来の目的が行える。

そう思った直後、俺がいる部屋の扉が開かれた。

 

「ごめんなさい、待たせちゃって」

 

「いいえ、別に気にして……」

 

そこまで言いかけたところで言葉は止まる。

時が止まったように、二人の間は――湯気以外動かない。正確には心臓は絶え間無く動いているが、脳内はフリーズしている。

 

何故――バスタオル1枚なんだ? いや、何故人前にバスタオル1枚で出られる? 知らない男の前に。

 

見慣れた光景、棚に上げてしまっているが美和さんはよく裸で俺の前に出てくる。それを見慣れているが感性が狂ったわけではない。

白く細い首、鎖骨、細く括れた腰、胸の谷間、さらには細くも肉付きのいい足に腕と健康的な体がバスタオル1枚のせいか惜しげもなく晒されていた。

 

服は?――乾燥機に弄ばれている。

自問自答している間に近づいてくる燕さんがソファーに座る俺の手を取った。

 

「できるだけ早く終わらせて。私からじゃ無理だから、お兄さんからお願いね」

 

ベッドへと誘導される。燕さんは先にベッドの上に腰をストンと下ろすと、こちらを見上げた。

 

「……優しくしてね」

 

そして、謎の誘うような言葉――此処で俺は決定的な勘違いを彼女がしていることに気づく。

 

「………………非常に言いにくいんですが、覚悟を決めてもらったところ本当に申し訳なく……俺はあなたを慰み者にする気はサラサラありません」

 

「…………………えっ?」

 

長い空白の後に燕さんの声が部屋に響く。続けてだんだんと顔は赤く染まっていき、羞恥一色、彼女の顔から火が吹き出そうなほど真っ赤になり、煙を出したかのように見えた。実際はお風呂に入ったせいで湯気がそう見させたのだが彼女の熱は相応に上がっている。

瞳は潤み、涙を流し、まるで熱を追い出すかのように言葉は続けて発せられた。

 

「ほんとに、ほんとのほんとに……しないの?」

 

「ええ、そんな事をすれば……自分自身死にたくなります。嫌がる女の人にそういうことをするのは俺のポリシーに反するし、女の人の涙は見たくないです」

 

「で、でもお兄さんは院長の寄越した幹部の人じゃ…!」

 

「残念ながら違います。

俺は――――院長を潰す為にここに来たんです」

 

目の前の燕さんは泣いている。この涙は、俺にとっては心の痛みを生むものだ。ナイフで切り裂かれるような感覚に胸は痛い。

何故?――――それは、きっとわかっている。

薄汚れた世界で、昔見つけた。純粋であった頃、それは路地裏で寂しそうに、羨ましそうに、俺と母さんを見ていて世界を諦めた目をして。

親の趣味の映画、推理モノの小説、まるでそれみたいだった。俺も純粋に親の見る映画に興味を持って意味がわかるまで繰り返し何度も見ていた。純粋に楽しくて、小説も面白くて読んでいた。

当時の俺は――未だ純粋でいたのに、チサキ達と変わらず何も知らない子供でいたのに、その少女を見た瞬間に世界が変わって見えた。変貌し、闇を見せ、映画が全て作り物ではないことを知らせたのだ。

 

「……わたし、覚悟したのに……お兄さんに何されてもいいように覚悟したのに……わたしバカみたいじゃない!」

 

目の前で泣く姿は誰かと重なる――もう既に失われた記憶であるから思い出せないのに、何かが刺さる。

今では子供の頃の約束など、思い出など、全て朧げだ。

 

「もう私に優しくしないでよ! 私を殺してよ! もう嫌だよこんなの! 優しくされて、またあそこに戻るのはやなのよ!」

 

吐き出される言葉はどんどん本心に変わっていく。

思った通り、彼女――桐宮燕は被害者だ。

泣き叫ぶ姿は俺に怒りをぶつけ、掴みかかると縋るように寄りかかり、ドンッと俺の胸を叩いた。

 

「信用してください。もし信用してくれれば、俺は貴女の力に――貴女の未来を道を切り開いてあげますよ」

 

「幸せに……してくれないんだぁぁ」

 

泣きながら彼女は言った。そんなのは約束できない。

 

「俺は幸せへの道を拓くだけ。チャンスと切っ掛け、それを提示はしますが選ぶのは貴女自身です」

 

グスリと泣きじゃくり、燕さんはおずおずと手を伸ばす。一歩を踏み出すことを恐れるように。

そこで信頼してもらうには……俺からも手を伸ばしてあげることが必要だとわかる。

そして俺は、安心させるように彼女の手を取った。

 

 

 

乾燥機の音はいつの間にか消えている。燕さんが泣きじゃくる間に慰めていたので、気づいたのは少しあと。

泣いて落ち着いた彼女に服を着るように言い聞かせると、ううんと首を横に振った。

 

「お兄さんの体温を感じさせて欲しいの。こんな温かな温もり、初めてだから」

 

「と言っても、恥ずかしいでしょ」

 

「……うん。でも、お兄さんに見られるのは…平気…だから」

 

――いや、バスタオル1枚は流石に俺も我慢できないです。

とか

――どうして俺の周りは……こんな人達ばかりなんだろう。

とは、言えない。口が裂けても。

やっと落ち着いたのに面倒な争いごとを増やすのは気が引ける。それに燕さんが満足しているならそれでいいかと、楽観視している自分がいたのだから。

まぁ、裸で美和さんに抱きつかれたりお風呂に入ってこられたり同じベッドに入られたりよりはマシだと自分に言い聞かせると、気が楽になった。

男の前で『裸を見られても平気』は流石に俺も心に小さなダメージを受けたが。

 

「さて、まずは自己紹介をしますね。俺の名前は長瀬誠、年齢は14くらい、中学二年です」

 

まずは信頼してもらうには、自己紹介……それも包み隠さずに教えるのが妥当だ。

 

「……ごめん、今なんて言ったの?」

 

聞き返す燕さんに繰り返し再生するように俺の身分を明かす。

 

「中学二年です」

 

「嘘だよね?」

 

「大真面目です」

 

「で、でもお兄さんって二十歳超えて」

 

「そんなに老けて見えますかね」

 

「ち、違うわよ! そ、そうではなくて…カッコイイからてっきり歳上なのかと…」

 

これが――彼女の素だろうか。

身分のいいお嬢様みたいな、それを感じさせる喋り方。今まで媚びるような話し方だったが、少し砕けた感じで少しでも信頼されたことがわかる。

 

このままでは終わらない。燕さんがいろいろなことに驚くも、信頼を得るためにたくさんの事を話した。

俺の過去、母親の死、親父の行方不明?、そして出会えたミヲリさんと温かい家族。

 

「……苦労したんだね」

 

過去を聞いた燕さんは別の涙を流し、俺の為に泣いた。

 

「でも、なんで私にそんな事を話したの? 私があなたを騙しているかも、そう思わなかったの?」

 

「それを言うなら、俺が過去の話をでっち上げていると思わないのか」

 

「……嘘だったの?」

 

いや、紛れもない事実を話した。確かに嘘をついても良かったが、この人にあまり嘘はつきたくない。

嘘ではないと笑うと、燕さんはほっとしたような複雑な表情で俯く。

これだから、この人は信用できるのだ。他人の痛みをわかる人間は少なからず優しく、世界の残酷さを知っている。燕さんもその1人であり、俺も同類であるから。

 

しかし、俺の年齢を知ると不安になるものだ。

 

「……本当に、君は私の味方で、私を助けてくれるんだよね」

 

消え入りそうな声で最後の確認をとる。彼女の瞳は真剣に俺を信じようとしていた。

彼女なら、院長の目的を知っているだろう。その使い捨ての駒にされていることも、全て。

 

だから、話せるもう一つの事実。

 

「俺には新しい家族、と言っていいのか微妙ですけど。大切な守りたい人達がいます」

 

早瀬美和――俺の母親を自称しながら慎みを持たない自由奔放な人でありながらも、真っ直ぐな人。俺にはない真っ直ぐな性格。それが、俺を惹きつけた。

綺麗で素直で、儚く散りそうな弱さを持っていて、でも負けを知らない真っ直ぐな性格が好きだ。

親としてではない。人として。女性として見ている側面もあるだろうが、彼女をどうやら嫌いになれないのだ。

 

そして大切だと思えたから、守るために院長の目的を阻止して尚且これからも手出しできないようにする。

美海も、美空も、チサキも、その余波に曝されて安心できない状態なのだ。

 

「……君には大切な人達がいるのね」

 

「あなたも例外ではないですよ。言ったでしょう?――俺は理不尽を許せないんです」

 

寂しそうな燕さんの顔が薄らと赤くなる。別にそういうつもりではなかったのだが。

 

「信頼できなくてもいい。俺は貴女の協力がなくても、俺は別のやり方で院長を潰す。もちろん、此処で会ったのも何かの縁、燕さんも助けてあげますよ」

 

燕さんは唖然とした顔で俺を見つめる。その距離は僅か数センチ、燕さんのいい匂いが鼻腔を擽り、胸の柔らかさが腕に伝わる――そして彼女はハンドバッグから何枚もの紙を取り出したのだった。

 

 

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

 

 

それは桐宮燕――彼女が二十歳になり、成人式を“友達”と楽しんだあとのことだ。実家は大きな病院を営んでおり、親はそこの院長、つまりは経営者である。桐宮燕は小さな頃から医学の本に囲まれて育ち、『後継ぎ』として育てられてきた。

自由は許されず『男女関係』『友達関係』『作法』と様々なものを義務付けられてきた。管理されていたと言ってもいい。小さい頃から言う通りに習い事もしたし、家庭教師もいた。

そんな彼女の成人式、その後に訪れた、否――もたらされた縁談は衝撃的であったと言える。

昔からそんな予感はしていた。だが、彼女自身は恋に恋する少女そのもので恋にも憧れていた相応の乙女であった。故にそんな縁談は蹴ってやろうと、彼女自身初めての反抗を決心した。

 

「初めまして、田部太志です」

 

「……初めまして。私は桐宮燕、です」

 

しかし、親の選んだ相手との縁談の回避法を彼女は知らずして縁談は親と相手に進められてゆく。元々、桐宮燕はお嬢様で今の今まで親に従ってきたがために、反抗の仕方を知らなかった。いい娘と言えば体はいいが、完全な操り人形であるのだ。彼女自身は本当にいい娘であり性格的にも普通の女の子で未だ『悪』を知らない。

 

だが、自分の理想像とは違う太めの男性に桐宮燕はやはり落ち込んだ。

 

カッコ良くて、優しくて、スラッとしていて、自分を守ってくれるようなそんな男性。

年上であれば甘えたり、でも年下に甘えるのも憧れる。どちらかと言えば甘える願望があったのだろう。言い聞かされてきた身から言えば、たまには甘えたくなる。

今まで甘えられなかった分、全てを受け止めてくれる、愚痴を聞いてくれる優しい相手。

 

それがどうだ。こんな、キモデブで……いくら彼の技術が優れていようと、許容出来なかった。

 

「写真で見るより、綺麗だな」

 

「ふふ、気に入ってくれて何よりだよ田部君」

 

田部の言葉に危機感を覚える燕、彼の舐め回すような視線が体を撫で回す。そのおぞましさに恐怖し、そして察してしまった。

 

(この人は……私の体が目的なんだ)

 

初めから心なんて、中身なんて必要ないのだ。あるのは殻だけで人の本質には興味がない。

せめて優しければ、そう思った。そう彼女は願うがこうも何度か経験した視線は事実を示す。

学部でも、中学でも、高校でも、少なからずモテた彼女は自分がどういう目を向けられていたか知っている。異性にイヤラシイ目で見られ、脳内では散々男子生徒の欲望の掃き溜めになったことも。

 

「さて、顔合わせも済んだことだし、あとは若い者達だけでデートでもしてきてはどうかね?」

 

流石に顔合わせからいきなりデート、と思わなかった燕は親の言葉に振り返り睨む。

キッと睨んだはずなのに、文句があるのか?と脅すような目に彼女はまた、臆してしまう。

 

「……いえ、何もありませんお父様」

 

「では2人で楽しんできなさい。……彼は類間れない天才だ、私達の病院の存続は彼にかかっている…わかるな」

 

機嫌を損ねるなよ、と田部には聞こえない声音で燕の親は耳元で囁いて、退出していく。

彼女の親の営む病院――桐宮病院は祖父の代から続く大きな病院だ。それが今年に陥り経営難、さらには連日の手術の失敗により名声も危うくなっている。そのための捨て駒だと、知っていた。彼女の頭では――救えないとも。

だからこその縁談だと、彼女自身理解していた。元々頭の出来はいい方ではなく看護師ならぎりぎり目指せるとかそれくらい。

だがしかし、彼女自身夢見る乙女なので疑いなくデートを楽しむことにした。

 

 

 

が、ただのデートは全くの嘘だ。別に彼女の親が嘘をついたわけでもない。

割り切り、田部が話しかけて来るのに数分。

 

「じゃあ、行こうか桐宮燕さん」

 

その言葉に燕は違和感を持つも彼に仕方なくついていくことにする。しかし、彼は手を引くわけでも腕を取らせるわけでもなくスタスタと歩いていってしまった。

 

こうも味気の無いものだと、流石に燕も憧れていたデートに落胆し。

ホテルを出て、電車を乗り継ぎ、彼の足の向くままに鷲大師を目指す。

その鷲大師の中に彼の家はあった。

 

「入って」

 

「え、でも……」

 

「いいから。君も疲れただろう、周りに振り回されるのは。私自身、君とは結婚する気は無いから安心してくれ」

 

急かすように田部は燕を連れ込み、鍵をかける。甘い言葉に一瞬だけ「この人、いい人かも」と思い世間知らずのお嬢様はそのまま家の奥へと進んでしまう。

ソファーにゆっくり座ったところで、妙なことに気がついた。

 

 

家具が少ない……

 

 

一人暮らしで必要の無いものがあるのはわかるが、家具として、ソファー、テレビ、冷蔵庫。それらが配置してあるだけで机も一つと味気ない。

本来なら他にも電子レンジとかあってもいいのだが、まるで真新しくも高級な家具に、家に清潔感が強過ぎることがわかった。

 

「はい、お祝いにシャンパンなんてどうかな」

 

「あ、ありがとうございます」

 

いつの間にか冷蔵庫から取り出されたシャンパンをお盆に載せて田部が現れる。

二十歳――これでようやく大人になったわけで、お酒を飲める年頃。初めてのシャンパンに初めての男の部屋と、緊張していて――彼が自分に渡したシャンパンに何らかの粉を入れていたなどと気づくはずもなかった。

 

グラスは二つ、田部が選んで燕に渡す。シャンパンは目の前でなくキッチンで開けられていて、グラスに3分の一と注がれているだけだ。

受け取り、田部の嬉々とした表情と共に告げられる祝の言葉。

 

「君の新しい人生を願って。乾杯」

 

「……乾杯」

 

グラスはぶつかる事なく上げるだけで、燕自身の手で口元へと持っていく。

こちらを見て、ニヤニヤしている姿に彼女は感想が欲しいのだろうと黙って飲んだ。

お酒なんかに負けられるかと、ぐいっと一気に飲み干す。

 

ちょっと苦くて、甘い……何かが混ざったような味。

突如、お酒を飲んだからか……体が芯から熱くなり、下腹部に妙な疼きを覚えた。

 

「なに…これ…」

 

バたりと音を立てて倒れる燕の体。

手足が――動かない。身動ぎすらできない。

でも、意識はある……言葉も辛うじて喋れる。

 

「あ、私の体…可笑しいの。何が起こってるの?」

 

燕の疑問に答えたのは、なおも嗤う目の前の婚約者。

 

「大丈夫だ。私が治してあげよう。だがな、君はもう少し人を疑うことを覚えた方がいい。私が実験として入れた薬も効いたことがわかったが、この先そんなのでは生きていけないぞ?」

 

治す、その言葉にほっとしながら。

田部が薬を入れたという事実に――恐怖を覚える燕。

 

グラスを机に置いて田部は燕の体にのしかかるようにして陣取ると“本当に動かない体”をまさぐり始めた。

 

「ふむ。どうやら思った通りの成果を上げたな。体は動かずこちらも……イヤらしく湿っているじゃないか」

 

「な、なに、して…」

 

「ナニって、ここまで来てわからないのか。いいだろう答えてやる。君に飲ませた薬は私が研究している一種の“媚薬”のようなものでね。体の自由を奪うと同時に発情させる効果を持っている、と仮説はしたがまだ試験段階でターゲットより先に実験をと思ったのだが、思いのほか上手くいったようだ。君は記念すべき第一被験者だよ」

 

第一被験者――人に実検していない薬をこうも容易く婚約者になるであろう燕に飲ませた。もし副作用などが出ても、それは何が起こるかわからない。

……体を拘束する以上、考えられるのは心肺停止で死亡という結末。

可能性だけでは、無いとは言いきれない。

最も近いとも言えた。麻酔に近いようだが、逆に感覚神経が鋭敏になっていて反転したような効果をもたらしていることがわかる。

 

「……やだ。私…帰ります…解毒剤を…」

 

口だけは辛うじて動く。

しかし、田部は動かない。

それどころか、燕の体をまさぐる手は服を脱がしはじめてしまっている。

生理的恐怖に、彼女は懇願するように唯一残された声だけを発した。

 

「お願い…帰して…もう実験は…済んだでしょう」

 

涙が流れゆく感覚も熱い何かに変わっていく。

それを見て、田部は喜色を浮かべて感嘆すると服をビリビリと破き捨てた。

 

「素晴らしいッ! 本来であれば“涙”など流せない筈であったが、これは予想以上だ!」

 

ああそれと、そう付け足すと田部は下卑た目を曝け出された肢体に向ける。彼女は半裸の状態で横たわっている身、胸元も何もかもが下着で見えないところ以外は露出していた。

 

「まだ終わってないよ。本番はこれから、そしてその後も君には協力してもらわなければいけないのだから。例えば」

 

 

――犯された後の感想とかね。

 

 

燕の儚い夢と、初めては貪るような男の前に無惨にも散りゆく。

激しい悔しさと激痛の中で、彼女は思った。

痛い、痛い痛い――殺してやる!

私はただ普通に恋して普通の幸せが欲しかっただけなのになんでこんな…こんなのってないよ。

 

 

薄れつつある意識は辛うじて下腹部の激痛によって何度も目覚めさせられ、また意識が遠のいて。

血だらけのシーツ、血だらけの下腹部、ズタズタの体からは尋常ではない量の燕の血が流れている。

精神も体も傷だらけの彼女は……ようやく終わったと顔をぐしゃぐしゃにしながら眠りについた。

 

 

それから、数ヶ月が経ち……未だに田部太志を殺せずに桐宮燕は生きている。

写真を撮られ、脅されて仕方なく薬の売人をさせられながらも機会を伺い……自分自身も薬の依存症になりながら、必死に生き続けていた。

自分では殺せない事にも気づいている。もし万が一の場合に失敗してしまい、報復されるとしたら、怖くて動けない。それ以前に優しい彼女はそんな事を到底出来るはずもなかった。

 

 

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

 

 

瞳を潤ませ、震える声で燕さんは過去を語った。

あまりにも予想以上の過酷な現実に――胸が痛い。

震える手で、彼女は紙束を差し出す。

 

「…はい、これは薬を売った人の情報。私自身が警察に持っていっても良かったのだけど……」

 

途切れる言葉は続く事は無かった。もう一杯いっぱいで疲労困憊していることが伺える。

それを受け取る俺の頭は、脳は、胸は熱暴走を起こし怒りに燃えている。はっきり言って、胸糞悪い。

こんなに綺麗な人を無碍に扱い、優しいのに裏切り、捨石のように扱ったことが。

 

抱き締めてあげたい……しかし、それは恋人がするような行動だろう。美海が好きである俺は――どうしたらいいかわからない。

いや、違う。抱き締めてあげる事くらいできないわけはない。打ち明けるのは、それは覚悟のいることで、誰かに温もりを求めている時なのだから。

 

「……えっと、どうしたの?」

 

優しく抱きしめられた燕さんは戸惑う。抱き締められたことにどう反応していいかわからない。

情報を受け取るだけと思っていたのだから。その紙を素通りし、抱き締めてきた俺に戸惑っている。

 

「泣いていいですよ。辛かったでしょう。怖かったでしょう。今日からは――もう怖がることは無いですから。責任を持って貴女の身の安全を約束します」

 

「え、でも私は……このあと院長に会わないと」

 

「心配ありません。貴女の写真のデータは全て持っています」

 

事実。この人に目をつけたのは、写真のデータを見つけたからだ。写真がなければこの人に接触すらしなかっただろう。

 

予め用意していた赤城さんから借りた携帯を取り出し、鷹白警部に連絡する。

 

「予定通り手に入れましたよ。あぁそれと……少しだけある方達と協力して身柄を保護してほしい方がいるのですが」

 

一応の了解を取り、電話を切った。次は相容れない面倒な方、できればこちらはあまり燕さんにも会わせたくない相手。

 

「赤城さん、終わりました。それでちょっとの間だけ協力して欲しいことが……え、また女を誑し込んだのか? いやいやそうではなくて。あっ、先に言っておきますが手を出したりしたら“ブ・チ・キ・レますよ”。いや違いますって、俺は幸せになって欲しいだけで。取り敢えず組の人には釘を刺しておいてください。もし破れば、警部に引き渡すどころか生命の保証はしかねますので」

 

今度は、疲れる電話相手だ。

なんだ、女を誑し込んだのかって。まるで俺が何か悪いことしたみたいじゃないか。ナンパなんてしてないし、そういう行動をとった覚えはない。

 

電話を切ったところで、俺は忘れていた事実に気づく。胸には泣き腫らした目の燕さんが不思議そうな顔をしながら赤い顔で顔を隠している。

チラチラとこちらを盗み見る姿に、密着していることを忘れていた。それもバスタオルで。

 

着替えさせる前に、聞いて置かなければいけないことがある。

 

「警察の方と893の方と、どちらに保護して欲しいですか?」

 

――瞬間、彼女が絶望を目の前に叩きつけられたような表情で硬直したのだった。




院長――田部太志、と言う名が判明。
元は頭が良く桐宮燕のお見合い相手として一度会うが、その頃にはもう早瀬美和に惹かれている模様。
しかし、人体実験などとイカレタ人格を持っている。

桐宮燕――日本のどこかにある桐宮病院のご令嬢で大学に行っていたが休学、田部太志とのお見合いから学校には行っていない。両親は学校に行っていないことを知っているが田部太志の嘘を信じて2人の仲が良いと思っている。



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第五十一話 天国か地獄か

美海とくっつけるために進む物語


 

 

 

到着した赤城さんと鷹白警部、2人に桐宮燕を任せて護衛を頼むようにした。

燕さん本人は怖がっていたが、それもお構いなしに2人は俺に『いったいどうゆう了見だ?』と異口同音に聞いてきた。

『この男は母親を弾いた男では?』

『こいつは、刑事だぞ?』

お互いの意見には激しく同意するが、そんな過ぎたことをクヨクヨと話している暇はない。

そして、決まったのが燕さんの保護方針。燕さん本人に聞いたところ、手が出しにくい893の事務所と刑事の家の二つ。もちろん、俺の家は田部太志――院長に監視されているため、もといストーキングされている為に保護などできない。

 

「わぁ、これなんて可愛いです」

「ちょっ、美空過激過ぎ!」

「美海ちゃんはこれくらい可愛いのにしないと」

「えー、私はこっちの明るいのが似合うと思うよ」

 

彼女は渋った。俺に泊めてもらえないかと。

それこそ、何でもすると怯えた表情で。自分も薬の密売の片棒を担いでいたのだから、それがバレてしまえば逮捕され刑務所に収監されると思ったのだろう。

そこで決めたのが鷹白警部の家に引き篭もり、文香さんに面倒を見てもらうことで、更には893の周囲の見廻組。はっきり言って此処は龍神会のシマらしいのだがチュウガクセイニハカンケイゴザイマセン。

だからこそ燕さんはここに隠れるのは好ましくないのだ

が、893嫌なら仕方ない。

 

「兄さん、これとこれどちらがいいですか?」

 

まぁ、幸い?刑事の家に転がり込んでいるなんて夢にも思わないだろう。わかったとしても乗り込むことすら判断に困る案件だ。

 

 

さて、散々事後報告しているが……そろそろ美空が泣きかけているので現実逃避は止めよう。

――二つのランジェリーセットもとい、下着を両手に比べるように持つ美空。瞳は若干潤んでいる。頬は少し上気して桜色に染まっている。

 

俺が現在いるのは――ランジェリー専門店。

必死に目を背けていたが、もう無理だ。

 

「兄さん……その、下着を無感情に見られると、こちらとしても選ぶのに時間がかかるというか」

 

「……ああそうだな。美空はどんなのでも似合うよ」

 

「そう言っていただけると嬉しいですが、……やっぱり兄さんが好きな色の淡い色ですか?」

 

――確かに淡く明るい色は好きだ。

いやしかし、何故、美空はそれを知っているのか。

少なくとも、そんな話はしていない。

 

彼女の持つ二つの下着のセットが揺れる。そこで選べと言われても、如何せん答えに迷う。

下着を見て興奮する奴なんていないだろう。下着を選べと言われて、はいこれです、と男子が答えられるだろうか。

ふと、美空が着ている情景が否応なしに脳裏に浮かぶがぶんぶんと頭を横に振って振り払う。

 

 

 

どうしてこうなった…………

 

 

 

それは約30分前――集合するべくして、大企業のビルに立ち入り美海達を探していた時。

俺は――想定内の遅れに取り敢えず謝ろうとしていた。心が不安定な美空に約束しておいて、待ち合わせに遅れるなど……と、探していると件の集団は何故かチンピラ共に絡まれてナンパされていたのである。

 

「おー、すごい上玉揃いだぞ」

 

「確かにガキも混ざってるが、すげえな」

 

イヤらしく視線を美女達にさ迷わせ、視姦する男達に遠目から見つけた俺の思考はプチりと軋ませ、血管が切れそうな感覚が襲う。

正直、あんな話を聞いた後では――男共がゴミ虫に見えて仕方ない。

実際、目はゴミ虫を見るようで冷徹な殺気を伴っていた。

 

「てめぇら、俺のことは無視かよ!」

 

間に入るように光が男達に怒鳴った。

 

「あぁ? あーぶつかったことは許してやるから、お前はさっさと消えな」

 

「ふざけんなっ、ぶつかってきたのはそっちだろ!」

 

「そうだそうだ、たこすけの言う通りだ!」

 

食い下がらない光は勇敢だと思えたが、大方だいたいの話は読めてしまう。

光達は俺を探して歩いていた。時間になっても俺が現れないことに誰かが探そうと言い出したのだろう。そして皆で探すことになったが――向こうから歩いて来たチンピラ多数に衝突。おそらくは女を捕まえようとして美和さん達を見つけたはいいが、見惚れて本当に衝突したと。

更に予測するならば、彼らは計画的にぶつかり断れないような状況を作り出そうとした。逃がしたくないほど滅多にいない女神達だから。

――俺がチンピラであればそうしたのかもしれない。確かに綺麗だし可愛いしと同意するし、全員手にしたい気持ちはわからないでもないが。

 

そんな男達の意図も知らずにやはり突っかかってしまうのが光だ。

 

「しつけぇな、お前にはもったいないだろ」

 

「そうそう、ガキがなんでこんな大学生とか捕まえられたのかね。あ、幼馴染みってやつ?」

 

「でもこの数はないっしょー」

 

ゲラゲラと嗤う男達にびくり、と反応する肩が1つ。相当な場違いにも見えるというか、初めのメンバーにはいなかった女性が1人。

鷹白警部の娘、文香さん――彼女が何故ここにいるのかはわからないが非常にまずい。繋がりとしては美和さんの後輩にあたり、チサキの先輩に当たるから一緒にいる違和感はないのだが、彼女がフラッシュバックを起こさないかそれだけが気掛かりだ。

 

「ガキが2匹」

 

美海とサユを見て。

 

「高校生1匹」

 

美空を見て。

 

「大学生3匹」

 

文香さんとチサキ――に美和さん?

イヤらしく視線がさ迷い、彼女達の体を舐めるように視線が這いずり回る。

少なくとも、美空と文香さんの怯え方は普通以上。

 

「おい、数的に丁度いいんじゃね」

「こっちも6人であっちも6人か」

「俺はあっちの威勢のイイコ」

光と共に反抗していたサユに目を向ける男。

「じゃあ、大人しそうな中学生」

美海に視線を向ける男。

「ちょ、お前らロリ専かよ」

「こっちの清楚系なんていいじゃないか?」

文香さんにイヤらしく視線を絡みつかせる男。

「俺はこっちの高校生。高校生の癖してエロ過ぎだろ」

美空の胸や太股に目を向ける男。

「なら、俺はこっちのむっちりした団地妻みたいな大学生」

チサキの育ったムチムチボディに視線を向ける男。

 

そこで美和さんだけが、男達の前に手を広げて立ちはだかる。庇うように広げられた手には、一寸の迷いもない。

 

「この子達に手を出さないで」

 

「おっ、じゃあ俺はこの強がってるお姉さんに」

 

聞く耳を持たない男に美和さんは手を下ろさず、何時もふわふわしたような雰囲気を取り払い、冷たい静音で彼ら全員を相手にしようとした。

思わず足が止まり、美和さんの殺気に当てられる。

向けられたのは――6人の男達だというのに、俺は美和さんの覚悟が本物だと感じた。殺しかねない、そんな危険な雰囲気さえ漂わせている。

男達は見たところ高校生あたりだが、その行動を見て一人の男が呟く。

 

「うわ、一番綺麗な子、勇気あるねー」

 

「1人で6人相手にするって? 全員満足するまで休憩できないよー」

 

テンプレートだが、小説とかによく出る男達、そして警官やら男性が現れる、とはいかない。

現実はそんな簡単ではない。そう、昔から誰かが助けてくれることなど有り得ない。

 

そんな中で美和さんは、本物の勇気のある人だと、優しい人だと実感する。

 

周りは関わらんと通り過ぎていく人達――知り合いでも素通りしていくだろう。

俺は、勇気を絞り出すでもなく自然と輪の中に入る。

 

「すみませんお待たせしました」

 

「あっ、遅いよ誠君! もう、ほんと探したんだからね」

 

男達から目を逸らして離脱しようとする美和さん。彼女はここから穏便に抜け出そうと、その意思を読み取ったに違いない。

話を合わせてくる美和さんはこれも天然でやっているのだろう。無意識下に逃げる。考えなくても、彼女はそうできるのだ。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

「ちょっと待てよ、お前、何横からカッさらおうとしてんの?」

 

しかしそうは問屋が降ろさない。今だに彼らの愛玩具行きの列車は運行中で、肩を掴まれた。

 

「何って……俺が先に約束をしていて待ち合わせに来たんですけど、それが何か?」

 

尚も笑顔を保ち微笑み返す。

実際、胸内は煮えくり返っているが。

もう、それは……今すぐに殴りたいくらいに。

 

「おいおい、いまさら出てきて彼氏面か?」

 

何を勘違いしたのか男の1人が妙なことを言う。

それを筆頭に他の男達も美海達から外れ、俺と美和さんを取り囲むように立ち位置を見つける。

1人を残して逃げないと思ったのだろう。最悪、彼らにとっては一人いればいいようだ。

 

重大な勘違いに、美空の雰囲気が重くなる。ジト目で俺を見つめて『否定してください』と言っていた。

溜め息をついてから、男達に忠告を開始する。

 

「貴方達は知っていますか? 此処は龍神会という組合の縄張り、下手なことをすれば彼らの怒りに触れる」

 

「龍神会? ――はっ、そんな事は俺らの知ったことじゃない」

 

「そうですね、どうでもいいです。彼らはあまり表に立って行動したがらない人達ですから」

 

本当にどうでもいい話、龍神会というのは借金の取立てと縄張り争いに過激なだけで凄くブラックではあるが警察の目に止まらない程度で活動するらしい。

 

「はハッ、ただのチキン野郎じゃねえか」

 

男の一人に釣られて周りの仲間達も違いないと笑い出す。

俺はちらりと、近くにいた強面のおじさんに視線を素通りさせて――歪み青筋をたてた顔を確認した。

やっぱり……ここにも、一人いるようだ。

多分、彼らが本当に院長と結託しているならばここらを見張っているのも当然だ。

 

「貴方達が組合を馬鹿にするのは俺には関係ないのでそれはそれとして……この人何歳に見えます?」

 

話題を変え、美和さんの肩に手を置く。

 

「あ? 何歳だろうと関係――」

 

「実はこの人、この子と親子」

 

そう言って美空の手を握ると嬉しそうに握り返される。

彼らは、なんというか間抜けな顔で呆然とこちらを見ている。

それもそうだ、こんなに若く見える人が“高校生?”の娘を持つなど有り得ない。

 

「というわけで、帰ってくれませんか?」

 

家族で買い物だと主張してこの場のチンピラの場違い感を大きくさせる。下手に出たのは煽らない為ため。

もうこれで終わりだろう。

人妻に手を出すような輩は――

 

「だ、誰がそんな嘘っぱち信じるかよ」

 

――あぁ、認めないんだな。

流石にこの展開は予想できなかった。

そうだそうだ、と周りの仲間達も口々に否定した。

 

「信じないなら信じないでいい」

 

ふいっ、と美空と美和さんの手を引いて美海達のところに戻ろうとした。

瞬間――――

 

「無視してんじゃねぇよっ!」

 

肩を掴まれ、俺は二人の手を離して。

振り向いた瞬間には目前に拳が迫っていた。

 

――ガッ! ドサ――……。

 

殴られたと理解するのには数秒もかからずに受身を取り、大袈裟に倒れる。

 

「……はっ、無様だな。こんな情けない男より俺達とくれば楽しくいい思いができるぜ」

 

「夫だか彼氏だか知らないけど、助けに入っといてこれだもんな」

 

違いないと殴った男の仲間が笑う。その時には俺はゆっくりと立ち上がり、美和さんと美空に支えられていた。

二人は余程心配なのか顔を見てくる――殴られたところなど看護師が見ればすぐに治るだろう。

頬は痛むが――灰皿程じゃない。

 

「殴ったな?」

 

「あ?」

 

再確認に男はピクリと動かなくなる。

平然と立ち上がった俺に訝しむ目を向け、周りの男達に視線を向ける。

 

「……いやいいや。もう関わるのも面倒臭い」

 

殴り返そうと思ったが、そんな気にすらならない。

美和さんと美空、それに後ろの光達も怒ったような目で彼らを睨みつけて――忘れていた。

怯えていたはずなのに、激情を瞳に宿す少女を。

 

「……謝って。誠に謝ってよ!!!!」

 

美海が、珍しく大声で叫ぶ。

俺自身、びっくりしていて、予想していなかった。

美海があいつらに怒る? ――何故?

理解出来ない。俺が殴られたから?――違う。

違う違う違う違う違う違う。

そんなことはないはずだ。俺は嫌われた筈だ。

なのに、何故?

 

「あー気分悪いわぁー。うるさいなーそこの中学生、なになに君が一肌脱いでくれるなら謝るよ?」

 

気味の悪い視線を美海に向けて、美海はその視線と言葉に顔を赤らめた。羞恥、言葉の意味がわかったのだろう。

 

 

 

そこで俺は考えていた。

皆に向けられた視線が嫌だった。

それ以上に、美海に向けられる視線と言葉が聞いていてイライラと怒りを沸き上がらせる。沸騰したように頭に血が上るのを感じた。

 

チンピラの1人が、美海に触れようとする。

 

 

 

――――触るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

 

 

 

心の中で何かが切れ、思考が切り替わる。心の中で叫んだことを願いながら、薄い理性で激情を制御。

美海に触れようとしたチンピラの懐に入り、顎に向けて小振りのフックを放つ。予想外の接近にチンピラは対応出来ずに直撃。ドサリと音を立ててチンピラ1人が崩れ落ちた。

 

「……は? お前、何した?」

 

簡単に言うと、脳を揺らして脳震盪に近い状況を作り出し意識を混濁させた。

しかし、そんな種明かしをすれば今度は警戒されて打つことが出来ないだろう。

 

「む、無視してんじゃねえよ!」

 

「あー無視、ね。何って正当防衛ですが? 殴られた借りを返しただけでこれで同じくらいだし。もう一度警告しますが帰っていただけないでしょうか」

 

「なめやがって!」

 

「全員で抑えろ!」

 

チンピラ一人の声に全員が動き出し、俺だけを取り囲むようにして挟み撃ちにしようとする。

流石に人数が多すぎて、一斉にはかかれない。

目の前から来るチンピラに、後ろから同時に襲い来るチンピラ。俺は目前に来たチンピラに殴りかかられ、その勢いを利用して後ろに背負い投げの容量でチンピラを投げ――後ろから誤差数秒で襲いくるチンピラにぶつける。

 

元々、これは鷹白警部に教わった柔道やらボクシングやらを応用した護身術。ただのチンピラ如きが適うはずもない。

そこから先は、残りの1人になるまで続き……それ以外の全員の意識を刈り取った。

残りのチンピラは仲間を回収することもなく、ただ俺から逃げようと走っていく。

 

「ちょっと誠君!」

 

「あ、美和さん、すみません厄介ごとに付き合わせて」

 

そこまで言ったところで美和さんが抱きついてくる。

 

「殴られた所大丈夫?怪我はない?痛いところは?今すぐに病院に行こう!」

 

「えっと……取り敢えず、ここから移動しましょう」

 

そうしてその場から離れ、警備員に捕まることを避ける。最悪、鷹白警部にどうにかしてもらおう。正当防衛だったのだしそれくらいできるはずだ。

何より、娘の危機にあの人が黙っているはずは無い。

エレベーターに乗り全員で上に向かう。

服売り場。数々のそれが密集した売り場の階に降り立ち、全員の視線が俺に向かう。

 

「兄さん……」

 

寄ってくる美空は俺の手を握り、求めた。

 

「えっとほんと悪い。まさかあんなことになるとは思わなくて、時間……守らなくて」

 

取り敢えず、今のうちに謝っておこうと頭を下げる。

美空は若干泣きそうだ。今日はいろいろあり過ぎて何について泣いているのか――きっと、美空は今日に限って酷い目にあっているから怖かったのだろう。

肩が震えている。

 

「兄さん……約束しておいて、ヒドイです。ほんとに怖かったんですよ」

 

「う……」

 

「「「「……ジィー」」」」

 

「う…………」

 

お前のせいだ!とみんなの視線が俺に突き刺さる。それどころか見知らぬ客すらも美空の涙に目を止め、足を止め。

 

「……わかった。何でもいうことを聞く」

 

そう、答えるしかなかった。

それを待っていたかのように美空は笑顔になると、すっと腕を上げて一つの店を指さした。

 

「兄さん、今から兄さんはみんなの分の服を選ばなければいけません」

 

「……えっと、美空さん? あの、あそこを選んだ理由は……」

 

「えー? そんなの、兄さんが知る必要は無いですよ」

 

冷めた声が潤み始め、また泣くように震え出す。

俺が渋ったのには理由がある。美空が示した店は見た感じ小さいが――その、男性とは全く無縁の場所なのだ。

ランジェリー専門店。即ち、下着屋、女性用下着を取り扱う店である。

 

「光」

 

「あっ、俺、気になっている漫画あるんだよな」

 

「ちょっと待て。光もだよな?」

 

「兄さん、光さんは空気を読んでくれているんですよ。珍しく。それともマナカさんに着せる下着を選ばせるつもりですか? いないのに」

 

なんでこんな時だけ空気を読むのか。

光は俺が美空に目を向けている間に消えていた。

 

 

 

 

 

そして、冒頭に戻るわけである。

 

美空はレースの下着とフリルの着いた可愛らしい下着を手に俺に迫る。

光は逃げた。柄にもなく空気を読んで。

 

「……美空、罰ゲーム他のにしてくれない?」

 

「嫌です。兄さんには、全員分選んでもらいますから。これで兄さんの趣味が露見しますね♪」

 

ほんとに、似合っていたらどうでもいい。

俺は一生に一度の最大の危機に直面していた。

下手すれば、俺の性癖が露見する!

とくに見つかってやばいような趣味はないのだが、見慣れた光景のためか耐性が出来てしまった自分が憎い。

 

「……美空、俺は両方とも似合うと思う」

 

「えへへ、では白ですか、黒ですか?」

 

……一瞬、なにかの光景が頭を過ぎる。

どちらも、美空には似合っていて、選ぶことが出来ない。

人それぞれだと思う。美空には似合う服があるだろうし、美海には似合う服があるように、人それぞれあった服装が一番だと思考回路は正常に判断した。

 

「美空、両方とも似合うと思う。だけどな、人それぞれで似合う服があると思うんだ」

 

「ということは、兄さんはみんなの分の下着を選ぶんですね」

 

何故だ。

話を逸らすように下着屋からの脱出を図ろうとしたのに、余計に拗れていく。

 

「あのな。俺は普通に服を着ていた方が――」

 

「まさか兄さん、裸や下着になびかないのは着衣でする方が好きだから、なんですか」

 

ああいえばこう言う、というのはまさにこの事だろう。

 

「脱がす方が好きとか!」

 

「おい」

 

「じゃあ尚更、下着は興奮するものがいいですよね」

 

結局、美空との会話は永久的にループして『下着』という話題にすり変わる。

桜色に染まった頬が色っぽく、恥ずかしさを表していた。

彼女は痴女というわけではない。ただ、まっすぐに好きな人を追いかけたいだけなのだろう。

 

 

 

 

 

やっと美空の作り出した地獄から抜け出せたと思い、店の外に逃げようとすれば必ず美空に捕まった。

微笑ましそうに見てくる店員、嫉妬に怒りを顕にする店員と――さらにその手には携帯電話が握られている。もし美空と離れようものなら、通報されてもおかしくはない。

 

「次は美海ちゃんですよ、兄さん」

 

「帰る」

 

しかし、美海だけはダメだ。

いま、彼女と話してしまえば、戻れなくなる。

今日、できるだけ話さずに過ごしてきたのに、美空が意図的に会わせようとしているところ、気づいてしまった。

いや、知ってて美空はくっつけようとしている。

まだ好きだと、心は叫んでいた。

美空はそれを知りながら積極的にアプローチを続けて、さらには美海と話させようとするのだ。

 

「ダメです。兄さんは今日1日離しません。それに、兄さんが殴られたことでほんとに心配だったんですよ。美海ちゃんにも皆にもお礼と謝罪をきちんと言ってください」

 

「だからって、下着を男に選ばれるってなんだよ! だいたい、そんな男に選んでもらうなんて恥ずかしくてできないだろ」

 

好きではない人に、下着を選んでもらう。

うん、速攻で刑務所に収監されること間違いなしだ。

 

「なら、許可が取れれば兄さんはちゃんと選ぶんですね」

 

「……あぁ」

 

どうせ無理だろうと高をくくる。

そういえば美空も諦めるだろうと、本気で思っていた。

美空は俺から離れると美海とサユのところに行き、何やら口論をして……数秒で戻ってきた。

美海は何かを手に、試着室へと消える。顔が赤いのは風邪だろうか。

 

「それでは兄さん、許可はちゃんと得たので感想を言ってあげてくださいよ」

 

彼女に手を引かれて試着室の前へと誘導される。

中からはガサゴソと布が擦れる音が聞こえ、否応なしに耳は音を拾い脳内に映像を送る。

美海が、脱ぐ姿、前に見た彼女の着替えの光景が脳裏に映し出されてぶんぶんと頭を振った。

 

「ちょっと待て、俺は美海が了承したかちゃんと聞いて」

 

そこまで言ったところで、いつの間に後ろに回ったのか後ろから押された。

――はっ?

後ろを向こうとして見ると、美空が笑顔で

 

「そんなの人前で言えるわけないじゃないですか。兄さんだってわかってるでしょう。美海ちゃんがどんな子か」

 

そのまま俺は試着室に突っ込む――美海が着替えている試着室へと。

 

顔にはカーテンがかかり、手で受身を取ろうとしたところで俺はスッこけた。

むにゅ。

何かを掴んだ気がする。

むにゅ、もみゅに……。

 

「あっ、んん……♡」

 

柔らかく色っぽい艶のある喘ぎ声が小さな室内に木霊し、俺の耳に届いた。何度でも聞きたくなるような、懐かしいようなその声は大人びている。

手には柔らかい感触。マシュマロのように柔らかく、指が沈むと弾んで、きめ細やかでなめらかですべすべしていて何度でも触りたくなった。

手のひらには柔らかい突起物が触れて擦れ、次第に固くなっていく。

 

――――いや待て、これは何だ?

 

感触は違えど覚えはある。何だったか、美空や美和さんが一緒にお風呂に入ろうとする度に、感じていた筈。

大きさは違えど、間違いない。

じゃあ、誰の? ――そう問いが出た瞬間に俺が突っ込んだ場所を思い出した。

 

はらりとカーテンが顔から離れて、やっと視界が開ける。

 

そこには、美海が上半身裸、下半身は下着の姿でニーソを穿いて横たわっている。

それも、俺が押し倒して。胸を揉みしだいて。

美海の顔は桜色に染まり、恥ずかしそうに涙を目に光らせて、何が起きたかわかっていないようだ。

 

「……ぁ、ぅそ、まこと……?」

 

一呼吸置いて、美海が確認して、目を瞑る。肩を震わせ泣き叫びそうなところで――

その瞬間、俺は美海の口を咄嗟に塞いでしまった。

もごもごと美海が暴れるが、抑えつけて叫ばないようにする。なにせ美空がここに突っ込ませた張本人で、見張っているだろうけど店員が来たところで、信用出来ない。弁明弁解してくれる事などないだろう。

 

「ちょっ待て美海、叫ばないでくれ、すぐに出て行くから」

 

ピタリと美海の抵抗が収まり、涙目で見上げてくる。その姿に扇情的な何かを思わせつつも、理性をひっぱたいて正常な思考に戻す。

叫ばないとわかったところで、手を離して、俺は早々に出ていこうと立ち上がり、ズボンが何かに引っかかるように引っ張られた。

 

「……待って、まこと」

 

顔だけ動かし振り返ると、美海が胸を片手で抑え隠しながら俺のズボンの裾を引っ張っている。

その姿に、思わず見惚れて動けなくなってしまう。

絞り出されたような声に、甘さが加わり、美海の可愛さに大人っぽさが加えられたようで、脳内に響いた。

 

「……なんだ」

 

ぶっきらぼうによそおい、無表情を保ち返す。

しかし、美海は怒ると思っていたのに、桜色に染まる頬と同じくして処女雪のような綺麗な肌を魅せながら、俺を上目遣いに見上げて、

 

「わたし……誠ならいいよ」

 

そう、告げたのだ。

薄いピンクの唇に手を這わせて、今までで一番に育った自分を魅せつけるように。

昔はなかった胸の膨らみ、伸びた身長、肢体、子供ではない体の柔らかさに理性は飛びそうで。女の子特有の甘い香りが鼻腔をくすぐり、理性は限界を迎えていた。




普段デレデレしていてもちゃんと仕事をする美空。
健気ですねぇ〜。
やりすぎな気がしますけど。


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第五十二話 夢か現か

何故か美海の乗り越える壁のハードルが高くなるお話


 

 

 

試着室の中で私は考える。あの言葉の意味を、私に触れようとした男に殴りかかる前の誠の言葉を。

『触るな』

小さく漏れた言葉にドキリと胸は高鳴り、心臓は早鐘を打ったように鼓動を繰り返していく。その時まで聞こえなかった心臓の音はトクトクと耳に響いた。

誠は私のことを嫌いになったんじゃ……なかったんだ。

安心? 安堵? 言いようのない嬉しさが胸のうちからこみ上げてくると、幸せな気分になった。

彼が殴られたのを見ると頭に血が上ったものの、冷静さを失った頭は不思議と落ち着いた。

 

「ふふ、早く着替えなきゃ」

 

ここに入る前に美空に渡された下着を手にしているけど、誠に見られるのは恥ずかしくても、今なら素直にこの体を見せることが出来る。

幸せ過ぎて正常な判断ができなかったと言えばそうなのかもしれないけど。

下着姿なんて一度見られているんだし、誠と仲良くなれる機会なら、そう楽観視していた。

 

服を脱いで、下着姿になると、それも脱いで美空が持ってきた可愛らしい下着に着替える。何でも誠の好みに合わせたらしく、色は淡く綺麗だ。ニーソは脱ぐ必要もなく、なんだか体全体がすーすーしたような感覚、足だけが何かに守られた感覚に妙な気分を味わいながら、先に下を穿いて自分の姿を確認した。

 

我ながら奇妙な格好だ。下着にニーソなんて変だと自分でも思う。

そうして鏡を見ながら上もつけようとした所で――

美空と誠の声にドキリとした瞬間、カーテンが揺れた。

 

飛び出してくる何かに押し倒され、振り向きかけていた私は仰向けに倒れる。

むにゅ…。

誰かの手が私の胸を掴んだ。

ビクリ、と体が跳ねる。

むにゅ…もみゅに…。

さらに胸が揉みしだかれ、ついつい、漏れでる声が我慢できずに口から吐息が吐かれる。

 

「…あっ、んん……♡」

 

黒と白の視界。混濁する世界。刺激が脳に電撃のように走り何も考えられなくなった。

視覚も聴覚も、一心に求めているのは刺激に変わっていく。その人の手はひんやりしていて気持ち良く、痛くもなかった。

 

ふと、動いていた手が止まり脳内に溶け込んできていた麻酔が溶ける、とそこには……誠が、いた。

じゃあ私の胸を揉んでいたのは誠?

さっきの触られた感触が、残っている――……。

理解した途端、熱い脳がさらに熱く火照っていく。軽く熱暴走を起こしそうなくらい、私の頭は熱を帯びて。

パニックになった私は叫ぼうとして、誠に口を塞がれてしまう。

僅か数センチの距離――きっとこのままえっちなことをされるんだろうかと、不安と言いようのない期待が高まった。

私の体を見つめる誠。見つめている事を取り繕う理由でもなく、彼は私の体を年頃の男子のような目で見ていた。

そして、彼が何もせずに立って出て行こうとする。

恥ずかしかった。けれど、気がつけば裸を見られ胸を揉まれたせいか羞恥心は薄れ、彼のズボンの裾を掴んでいた。

 

「誠なら……いいよ」

 

もし、それで私に触れて、振り向いてくれるのなら。

彼の気持ちを少しでも、悩みも、溜めていることも欠片でも零してくれるのなら。

気がつけばそう口にして、顔を赤らめている始末。

また、私を……今度は哀しそうに見つめた。

一瞬だけ、昔の優しい顔になって、またすぐに静かな海のような無表情。

 

一緒だ。誠に初めて逢った時と――

 

若干の誤差はあるものの私にはそう感じられ、今の誠は逃がしてはいけないと思った。

昔の私は、行動で示すタイプだったけど。

誠は、誰にも何も打ち明けないタイプ。

でも、わかる。昔と全く違わない想いを胸に、私が得ていた感情と同種のものを抱えてるって。

 

『人は自分の事をわかって欲しい人と、そうじゃない人がいる。でも、そんな事関係なく想いを直接伝えなければ、ぶつからなければ、きっとどっちも解らずじまいだよ』

 

昔、誠はそう言った。今ならわかる気がする。昔はただ誠の話だから聞いていたけど、それは誠自身が望んだこと。

光達のことを指しているようで、本当は自分の事も指していて。

誠のいう言葉は説教に聞こえて、実は開けてみたら何のこともない自嘲でした。

自分でも思うところに蓋をして、自分ではないと言いながら求めていたのかも知れない。

そんな話ばかりしていたのは、きっと誰かに聞いて欲しいと心のどこかで想っているからなんだ。

 

 

「ねぇ、誠。私ね、誠のこと好きだよ」

 

自分に素直になれなければ、誠には一生届かない。強引にでもそうしないと、きっと誠は自分を否定し続ける。

告白されても、それは――一時の感情に流されているに過ぎない。

俺は何もしちゃいない。

君の思っているような人間じゃない。

他にもいる、そんなやつは。

君に……俺は不相応だ。

こうやって何度でも否定し続けるんだ。俺は君が思っているほど優しくないとか。

立派な人間じゃない、って。

 

 

「……美海は何か勘違いしてる。俺は好かれるような人間じゃない。一緒に居過ぎただけだ。勘違いだよ、“兄”として好きなだけだろう」

 

ほら、こう言って自分に向けられた好意を否定する。

立ち去ろうとする誠は、強引にも私の手を振り払い、それでも私は誠を掴もうとして外に。

 

「待って……!」

 

「そのまま外に出るな。裸見られるぞ」

 

「――ッ!?」

 

忘れていた。私は上半身裸で、下半身は半裸に近い。

慌てて引っ込むも、誠は離れていく。

私は追いかけることが出来ず、まだ治まらない胸の高鳴りを必死に抑え、壁に背を預けた。壁の冷たさが心地よくて剥き出しの背中には染みる。

 

目を瞑ってさっきの誠の顔を思い出す。

告白された時――顔を赤くして、哀しそうな瞳で、泣きそうな顔で。可愛かった。

私の胸を揉んだ時の顔も気づけば、彼は複雑な顔で動揺していた。珍しい。

思えば初めて顔を赤くする誠を見たかもしれない。

 

 

 

□■□

 

 

 

目の前には美空と手を繋いでいる誠がいる。美空は楽しそうに、嬉しそうに誠の手を引いて寄り添う様に歩いていた。

結局、あれから誠には話しかけられていない。話しかけようにも私の意気地がないせいか、他の人がいると緊張してしまって何も出来ない。

 

「あっ、見てみてこれ綺麗!」

 

浴衣専門店――店先に展示してある浴衣を見て、美和さんがはしゃいで行ってしまう。子供のような大人に誠は微笑みながら、ついていく。

自動ドアのない開放的な入口から入り、中を見渡す。店員が二人にカップルが数組と人は疎らで外とは違い静けさがある。和風の店の静けさが妙に心地よかった。

 

「ねぇ誠君、これなんてどうかな」

 

男物の浴衣を手に美和さんが誠に広げてみせる。

 

「どうかな、って……まさか俺が着るんですか」

 

「そうだよ。誠君のを私たちが選んで、私達のは誠君に選んでもらうの」

 

「俺はパーカーでいいです」

 

「ダメだよ。それじゃあ、お祭りが可哀想だよ」

 

「そうですね。兄さんが浴衣を着ないと私たちだけ魅せ損ですし、見るんなら着てください」

 

「なにそれ、逃げ道ないだろ(自分から見せてくるんだもんなぁ)」

 

「えへへ、やっぱり兄さんに見られるなら可愛くいたいじゃないですか♪」

 

美空は笑顔でこちらを見てそう言う。きっと私に話を振ってくれたのだろうけど、どうすればいいのか。

私自身、それを肯定するのは恥ずかしい。いやさっき着替えの時とは違う意味で発展した裸を見られたから恥ずかしいなんて言ってられないけど、意識するとやっぱり緊張してしまって。

 

「そう、だね……」

 

俯いてそう返すしかない。

でも、私は勇気を振り絞って言う。

 

「誠に選んで欲しい」

 

若干、誠の視線が怖くて顔は伏せたまま、やっぱり気になってチラチラと見てしまう。

彼は――顔が少し赤くなって、何かを思い出したように顔を逸らす。

私の裸……うぅ、揉まれたんだ誠に。

きっと誠は思い出して顔が赤くなったんだ。私自身そこまで嫌というか、寧ろ嫌悪感なんてないわけで。

 

「兄さん、美海ちゃんの分も今度はちゃんと選んでくださいね。あんな私に押し付けるのではなく」

 

「……誰のせいかな?」

 

「それは兄さんが着替え中の美海ちゃんの入っている試着室に押し入ったり、押し倒して胸を揉みし抱いたり、そんな私にもしてくれないようなことをしてるのが悪いんです」

 

わざとらしく大きな声でいう美空に誠は頭を抱えてため息をついた。結局、彼は選んでくれたんだ。美空経由だったけど色も形も選ばれた下着、それを美空に渡して試着室にいる私に……何故かサイズがぴったりだったけど。

 

「ねぇ誠君、それはどういうことかな」

 

「うん。答えて、誠」

 

「……あれ?」

 

ぎゅむっと両脇をつかまれる誠、抵抗はなく顔には僅かな汗が流れていた。

 

「ねぇ誠君、私なら……最後までいいんだよ。流石に中学生にするのは……ね?」

 

「ほら、誠って見た目高校生に見えなくもないし」

 

「……俺の場合、犯罪一歩手前なんですね」

 

「うん。中学生を高校生が襲う構図は犯罪臭いかなって」

 

「俺は中学生なんですが」

 

「心は20歳だもん」

 

講義するが誠の言葉は簡単に折られて、美和さんとチサキさんにズルズルと引き摺られていく。その後を文香さんが心配そうに見つめ、追っていった。

彼女は話し相手が美和さんとチサキさんくらいしかいなくて仕方ないのかもしれない。若干、光を避けたようにも見えたけど。

 

そうして、30分くらいの時間がサユと過ごしているうちに流れ、光にからかわれ、経ってしまう。帰ってきた美和さんとチサキさんの手には買ったであろう浴衣が、大事そうに握られていた。

 

「次は私と美海ちゃんの番ですね。あっ、サユちゃんも選んでもらいます?」

 

「何であたしがタコ助二号に……」

 

「兄さんなら、要さんの好みを知っているかも知れませんよ」

 

その刃は唐突にサユの急所を突く。『一生一人で生きていく!』なんて豪語していたサユも即座に返事を返せずに戸惑う。

しかし――

 

「……いらないよ」

 

サユは落ち込んだような表情で、そう呟くと遠くに歩いて行ってしまった。

その気持ちはわかる。例えわかっていても、本人に選んでもらった方が嬉しいに決まってる。美空には悪気はないのだろうけど、少しいじわるだった気もする。

 

「残念ですね、兄さんの予測ならもうそろそろ要さんも起きてくる筈だと言ってましたのに」

 

そして、美空はそう私に同意を求めるように言った。

 

「……それを言ってあげれば良かったんじゃないの?」

 

「いえ、兄さん曰く予想、推測に過ぎない希望を他人に持たせてもそれが本当に起きなければ悲しむだけ。そう言ってましたし、私もそんな事サユちゃんには教えられません」

 

確かに、誠は無責任なことを言わない。誠の推測などは殆ど当たる事実に近いものだけど……美空もやっぱり誠の妹なんだ。

美空も昔から無責任なことは言わなかった。ううん、喋らないだけだったのかも知れないけど。

私にはない、絆があるような気がして、すごく羨ましい。

 

 

 

「美空、余計なこと喋るな」

 

と、誠が自分から話しかけてきた。さっきまで私がいると近づいてこなかったのに。それほど口止めが必要な事だったのだろうか。

 

「それより、選んで欲しいのなら早くしろ」

 

どちらに向けて言った言葉なのか――はたまた、二人に向けて言った言葉なのか。誠は顔をそらしながら言う。

美空は意を汲み取ったのか――

 

「別に大丈夫ですよ。夜になってもご飯を食べていくと連絡を取ればいいだけですし」

 

と、名案です!と言わんばかりに主張してくる。

 

「そういう問題じゃない。夜道は危険だぞ」

 

「光さんもいるんですから……というか、光さんだけで心配なら兄さんが送ればいいじゃないですか」

 

「あのな。サユはどうする。それに文香さんもいるんだぞ」

 

「兄さんのことだから一人一人送ってくれるんじゃないですか」

 

「……」

 

否定できない誠は口を紡ぐと黙ってしまった。沈黙は肯定と言うけれど、今の誠は優しすぎるためにそうするんだろう。昔から、少し過剰すぎるのだから。

 

とはいえ、そこまで遅くなるとも思えない。これが終わればあとは誠の制服と光の制服を買うだけ。十分に7時までには帰れる筈だ。

 

「もういい、口論するだけ時間の無駄だ。早く選ぶぞ」

 

そう言って、誠は私達二人の手を握り引っ張っていく。美空は嬉しそうにとことことついて行った。私も多少引き摺られていくようにしてついていく。まるで昔のようで懐かしくて嬉しかった。

 

そうして連れられて来たのは、多くのマネキンに飾られる浴衣の前でいろんな柄のものが目を惹く。

赤、黒、青、黄、緑に藍とそれに合わせた花や雪の柄が織り込まれた浴衣。

 

「おや、お客様今日はどのようなものをお探しに?」

 

見蕩れていると、若いお姉さん店員が話しかけてきた。年は二十代前半だろうか。

それに、美空が本当に嬉しそうに答える。

 

「ふふ、兄さんが私の浴衣を選んでくれるんです♪」

 

「そうですか、ではそちらも?」

 

姉妹には見えないだろう私に店員は首を傾げた。

それに、美空は本当に微笑む程度の笑みで、

 

「あ。そっちは兄さんの彼女さんです」

 

面白そうに様子を伺いながら言う。

バッと美空を見た誠は声にだそうにも出せない。ここで否定しても空気が悪くなるだけと判断したのか、何か言いたそうにするも押し黙った。

私はとても恥ずかしいの半分と、誠が否定しなかったこと半分、さらには誠がなんで否定しなかったかの疑問半分に心臓はドクドクと鼓動を続ける。

 

「ふふ、両手に花ですねお兄さん」

 

「いや、可愛すぎて困りますよ」

 

「惚気ですか」

 

「そうですね、妹は誰にもやりません。もし欲しいのなら、俺を倒してから、ですね」

 

店員と誠の会話は続いていく。社交的な交流に美空はなんだか上機嫌で鼻歌混じりに彼の手を握り直した。

自然な感じで話を浴衣に切り替える誠。女性店員に最近のオススメなどを聞き出していく。それに答え浴衣の生地を広げて見せて、店員は……私の視線に気づく。

近くにありながら、ポツリと寂しそうに佇む浴衣、それは女性店員が頑なに紹介しようとしていない浴衣だ。綺麗なのにそれは置物みたいに置かれている。

 

「……あ、これですか?」

 

「はい、それ……どうして紹介しようとしていないの? 綺麗なのに」

 

「それはですね、えっと……」

 

なにか言いずらそうに店員は口篭る。視線はチラチラと誠を見て、なんだか落ち着かない。確かに誠は珍しいのかも知れない。海の人は海と共に眠りにつき、今じゃ絶滅危惧種のような扱いで見ることは無い。

五年前――彼らが望み眠った時から、少なくとも報道陣は異常気象と共に報道してきた。

彼が海の人か、気になっているんだろう。

 

「失礼ですが、お兄さんは海の人ですか?」

 

「……? はい、そうですが」

 

「えっ、でも……妹さんって」

 

「あぁ、海と陸のハーフですよ」

 

「え、じゃあお兄さんは」

 

「純粋な海の子、です」

 

女性店員は察すると申し訳なさそうに頭を下げる。誠は両親ともに海の人、美空は片や“海”“陸”の私と同じ瞳はグラデーションを持っている。

それがどう意味か、わかったんだ。

その空気を察して、誠はヘラヘラと笑う。

 

「まぁ、俺も目覚めたばかりですけど、正直こんな可愛い妹ができて嬉しいですよ」

 

「目覚めたばかり……。そうですね、フフッ♪ お兄さんって意外にゲンキンな人ですね」

 

女性店員は敢えて触れないで、誠の発言に同意した。

改めて、仕事に戻る女性店員。

 

「――さて、海の人がいるなら説明しやすいですね。こちらの浴衣は本当は“海の人”をモデルに作られたものなんですが、ほらお兄さん、少し手を貸していただけますか?」

 

無言で手を差し出す誠はわかったようだ。

手を浴衣に翳し――――浴衣が僅かに発光する。まるで海の揺らぎのように淡い青の光、それが優しく光る。水色の生地に輝く雪の結晶の柄はなんとも神秘的だった。

 

「――このように、海の人が着ればエナに反応して発光してくれます。まぁ、海の人が今は眠っているせいで売れ筋は良くありませんけど、これを作られた方のデザインが評判なんですよ。陸用を一切作ろうとしませんが」

 

昔、お母さんの着た衣装と同じ構造。お船引の日に着飾る姿がとても綺麗で私も着てみたいと思った。でも、私にはないエナが、非常にもどかしくて……。

きっと、これを作った人は海に思い入れがある人なんだろう。恋人が海の人。本人が海の人。色々と思いつくけどその予想は遠くも近くもない。

でも、だからこそ海の人用以外に作らない。

デザインはすごく綺麗だ。

 

「……私、これにする」

 

「えっと……よろしいのですか?」

 

「うん。これがいい」

 

美空と誠は不思議そうに私を見た。止めるようなことは言わずにただ見るだけ見て、逸らす。私の意思が本物だと知ったのだろう誠は、茶化しもしないし笑わないし、見守るような瞳で悲しげな色を灯した。

……元から彼は茶化したりしない性格だけど。その哀しそうな瞳が私の胸に刻まれる。

 

「じゃあ、私はこっちの桜にしましょう」

 

同じ種類の浴衣を手に取り、美空は広げて見せて誠に感想を問う。

夜のような闇色に咲く桜の花、少し大人っぽいのが美空に似合っている。きっとどっちを着ても似合っているだろうと、そう思えば嫉妬してしまう。

 

採寸、試着、そしてちょうど置いてあったピッタリなサイズの浴衣を手に私達は店を出た。

 

 

 

□■□

 

 

 

「なんでそんなもん買ったんだよ」

 

「いいでしょ別に、可愛かったんだから」

 

口論を光としながら街を歩く。さっきからずっとこれだ。私が買ったものを気にしたかと思うと、文句を言ってくる。他人の買い物に口出ししないで欲しい。

そうして口論をしていると、目的地に到着する。

戸田制服店――汐鹿生から鷲大師、さらには都会の中学校の制服まで何でも作るらしい。学生服をオーダーメイドで注文できる数少ない、私もお世話になった店だ。

 

ガランっと音を立てて扉を開ける。上についた小さなベルが落ち着く音色をきかせると、そこは色とりどりの生地が姿を現し、店主が1人顔を覗かせた。珍しい客に眼鏡をかけ直してこちらに向き直る。

 

「いらっしゃい」

 

愛想の良さそうな顔の店主に美和さんが近づき、遠慮がちに遠くに立つ、今にも逃げ出しそうな二人を見て。

――その義兄の隣に立ち、腕を取ることで逃げることを防ぐ美空。

ここに来るまで、誠は遠慮しっぱなしだった。家族の壁とでも言うのか、小さな日々を過ごしただけでは心の距離は埋められない。関係も、距離も、家族という定義すら揺らいでいる彼にとっては充分過ぎる“壁”の要因だ。

例えば、『家族が増えた』なんて言われて新しい家族を家に連れてこられたらどうだろうか。いくら誠がそれを理解しても、心まではすぐに順応することは出来ない。

 

私だって、最初はそうだったのだから。

 

「――ふむ、鷲大師の制服ですか……」

 

店主が二人を見比べる。まずは採寸をと、二人に協力を申し込んだ。

 

「さて、ここはママとチサキさんに任せて私達は外に行きましょう」

 

それを見計らい、美空が私の手を引っ張る。

私自身も、言いたいことは沢山ある。

外に出て、美空とサユと一緒に外の寒い空気に晒される。寒空の下――私は、美空に問う。

 

「美空、なんで今日はあんなことしたの?」

 

あんなこと。若干、思い出して顔と胸が熱くなるも抑えて答えを待つ。

嫌いな相手だったら、激怒していた事だろう。だけど目的が薄らと理解している故に怒れない。

それに美空は笑顔で答えた。

 

「ふふ、お気に召しませんでしたか? でも、美海ちゃんにとっては良かったんじゃないですか。兄さんに告白できましたし、兄さんの普段は見れない反応を見れたんですから」

 

私では見れなかった。と、寂しげに美空は俯き零した。

彼は――他の人の告白では、あんなに顔を赤くすることはなかったらしい。

それを言っている美空の表情はどこか切なそうに、瞳を潤ませていく。

義兄に拒絶されているようで哀しい。

私では、伴侶に成り得ない。

そんな過酷な現実が美空を滅多うちにしていた。心の暴力が彼女の心に残る傷をつけ、誠の無反応が彼女を蔑む。彼女は知る前から兄を好きであり、知らないからこそ恋をしてしまった。

それを口で告げる。

 

「美海ちゃんは恵まれてますよ。私のように血は繋がらず、兄さんには拒絶されることは無い。兄さんは少なくとも理性的な判断が下せる人ですから、きっと私には何もしてくれないでしょう。私は――こんな世界が憎いです」

 

欲望を泣きそうな顔で吐き出す。それは――彼女が望んだ数少ない願望であり、理想。自分の体に起こっている理不尽に対する、怒りだ。

 

「兄さんは美海ちゃんを押し倒しました。胸を揉みし抱いたり、告白に顔を赤らめたり……。どうして私は兄さんに手を出して貰えないのでしょうか。どうして私は兄さんに女性としての愛を貰うことをできないのでしょうか」

 

自問するようにして私に視線を向け、サユにも視線を向けて答えを待つ。

そして、わかっていたかのように目を逸らす美空。

今日の行動の納得がいく。胸を揉まれることだって美空の願望だ。押し倒されることだって、美空は誠にそう望んでいたのかもしれない。告白も、誠の心を揺らすことも、彼女がしたかったのかも知れない。

 

思考する私達に美空が顔を伏せ、笑った? ――錯覚かもしれない美空の笑みは何だか嫌な予感がする。

そして、私にとっての悲報は告げられた。

 

「だけど、一度だけ。兄さんは一度きりの約束で私と安全な日にシテくれるそうです」

 

「…? シテくれる?」

 

妖艶に薄く笑うと美空は天を仰いだ。サユは意味がわからなかったのか、聞き返す。

何故? どうして? 誠はそんな約束をしたのだろう。

ふと浮かんだ疑問と胸のざわめきに、美空がとどめを刺すように答える。

 

 

思えば、簡単な事だった。

 

――電車の中で兄さんに頼んだ願いです。その時、私は卑怯なことに心は向いてくれなくても、“体”の関係を求めました。それでも拒絶した時に、こう言いました。

――この嫌な感覚は消えません。兄さんが上書きしてくれないと、私は自殺します。

 

「卑怯――そう美海ちゃんが罵ってくれても構いません。早くしないと、兄さんは私のモノになっちゃいますよ」

 

クスリ♪ 悪びれもなくそう笑いかける。

きっとこれは夢だと、私の脳は対応しきれない情報量に熱暴走を起こしていた。




ただで終わらない、デート?
寧ろヒロイン化しているんじゃないかな誠。
でも、このルートは美海グッドエンドに向かってます。
ネタ尽きたんだけどね。


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第五十三話 脈動の雨

若干のキャラ崩壊注意でございます。
それはそうと待ちました? 待ってない?
oh……駄文ながら、頑張らせていただきました。
ええ、最近『夜廻』というゲームを買ったから作者の思考までブラックに……。
夜廻で妄想ものをやりたいなーっと思いながらこんな結果になりました。個人的にはバイオハザードより怖かったよぅ。



 

 

 

あの日以来。誠達と浴衣を買いにでかけたあの日以来、私は美空の家を尋ねられずにいる。告白もしたのにどうして私はこうも怖じ気付くのだろうか。

誠を強引にでも話を聞かせようと思ったのに、いざとなれば布団の中で燻っている。

 

あれから――3日? いや、もっと経ったかもしれない。

 

帰れば布団にダイブして見悶えたのを覚えている。あまりの恥ずかしさと格好と、あの時の状況で言う言葉ではないとは……後に気づいた。

 

私ってバカなの? バカなんだよね?

うぅ、私のバカぁ!

せっかくの告白をあんな格好で行うなんて!

痴女?以外の何者でもないよね。あんなの襲ってくださいって言ってるようなもんだよね!

 

無心になろうとすればする程、深みに嵌っていく。これで何度目か数え切れない。正確には、二回目から数えるのをやめてしまったのだけど。

……けど、誠の顔を思い出すと顔がどんどん熱くなってくる。これも誠のせいだ。誠が裸(半裸)なんて見てくるから

妙に意識してしまって……もうお嫁に行けない。

責任取ってもらわなくちゃ。うん。それがいい。いや、そうじゃなきゃヤだ。

 

 

「美海ー、早く起きないと学校遅刻……」

 

部屋の扉を開けてお母さんが入ってくる。ピタリと足を止めると、呆れたように溜息を吐いた。

 

(またやってる……)

 

気づかない私はころころと布団を自分の体に巻き付けながら、自分の世界にダイブしていた。

呆れたような視線、それすら気付かずに顔が赤いまま羞恥に悶える。

 

「ほら、美海ー学校に行かないと誠君に怒られるよ」

 

(誠っ!)

 

「おっ、起きた」

 

布団を跳ね除けちょこんと座りながら、見下ろすお母さんを見上げた。面白そうにくすくす笑うこともなく慣れたように私を急かす。

 

「……やっぱ誠くんは美海の元気だね」

 

部屋から立ち去るお母さんの声は、私の心に暖かい何かをもたらし、赤面させるのに十分だった。

 

 

 

□■□

 

 

 

午前中の授業は誠のことを考えていると内容が頭に入らずに過ぎていく。一瞬でもぼーっとすると何時しか頭は誠のことしか考えられなくなっていた。

私の心はそれだけで充分幸せなのにそれだけでは飽き足らず、心に残る小さな虚しさが穴を埋め尽くしていた。

 

「もう、美海ってば聞いてる?」

 

何度目かのサユの言葉も聞こえないくらい、泥沼に嵌るように心は沈んでいる。

目の前で私怒ってます、と言いたげなサユは不機嫌そうに頬を突いてきた。

 

ぷに。

ぷにぷに。

ぷにぷにぷに。

 

「あぁ、これは重症だわ……もう美空!」

 

誰かを呼ぶ声が聞こえた。それに応える声は女性のものだろうか、ゆっくりと私達の方に近づいてくる。

サユの隣にその女の子は立ち、同じく上から私を見下ろすようにした。

 

「どうしたんですか?」

 

「美海がまた変になった」

 

「ふーん、またですか」

 

「……早く“あれ”連れてきなさいよ」

 

「でも、兄さんが一向に学校に来てくれないんですよ」

 

「引き摺ってでも連れてきてよ。そうしないと、美海ずっとこの調子だよ」

 

溜息の音が片方から漏れ、片手で自分の頭を抑える。まるで頭痛に悩まされるかのように目を瞑った。

 

「そろそろ教えてくれてもいいでしょ? あの日、美海と誠は何したの?」

 

「それは言えませんね」

 

これも何度目の問いだろうか。学校に来たサユが何度目かの既視感に再度の質問をする。

うん、私も言えない。胸を事故とはいえ揉まれたなんて。

 

「でも、もうすぐ祭りじゃなかったっけ。こんな調子で美海はあいつに会えるの?」

 

「そうですね、来ると思いますけど」

 

ピクリと起き上がり、私は耳だけを周りの会話に移した。

 

「ねぇねぇ、今度の祭り何着ていく?」

「お母さんが浴衣用意してくれたんだ」

「いいなー」

 

「そういやもうそろそろ祭りだよな。お前ら、誰と行くんだよ?」

「……あの子を誘えたら」

「美空ちゃんを誘えればなぁ」

「……やめとけ、お前ら死ぬぞ」

 

光が仲良くなった男子生徒と何やら話していたり、周りはお祭りの話題一色だ。浮かれる生徒は沢山いる中で私もそのひとりだったりするのだけど。

もう美空の予定は埋まっている。家族水入らずを邪魔する人はいないだろう。もし祭りで美空に気づいても、誰も話しかけられないはずだ。

……家族に見えれば、の話だけど。

 

盗み聞きをしているわけじゃない。

空は曇天、雲で覆い尽くされた空を見ているとやはりどこかぼーっとして周りの話に耳が向いてしまう。私の妄想も注意していても誠のことを考えているばかりで、ふと気がつけば考えてしまっている。

 

その教室にガラガラと音を立てて戸を開き、入ってくる男の先生、担任教師はパンパンと手を叩き合わせると話していた生徒は席に戻った。

 

「みんなー、授業始めるから席についてー。お祭りのことで浮かれているのもわかるけどねぇ」

 

「それより先生、あの人はまだ学校に来ないんですか?」

 

1人の女子生徒が好奇心に瞳を輝かせながらそう言う。

その“あの人”とは――誠、彼だ。

きっとカッコイイから群がりたいだけなんだろう。男子も可愛ければ美空に群がる、それと同じ原理だ。

答えに期待を輝かせる女子生徒に先生は応える。

 

「あー誠君はねぇ事情があってもう少しかかるらしい。まぁあの子の家族はちょっと特殊だから、光くんより早く目覚めたとしても少し時間がかかるかなぁ」

 

それより、と、繋げる。

 

「夏祭りだけど。最近は妙な薬やらが流行っているけど皆は手を出さないようにねぇ〜。確か名前は《ラフレシア》と呼ばれているそうだけど、それが増えるにつれて犯罪も多くなってきているから。特に夏祭りに変なお店や買い物をしないように気をつけて」

 

そこで、ふと疑問に思うことがある。そんなに流行るような薬なら名前を知っていても可笑しくないのだけど、テレビなど報道関係では一切その話題は出たことがない。

誠が海にいる時は四六時中テレビの前でニュースのチェックをしていたものだ。

そう思い出しながらも、やはり習慣となってしまったニュースのチェックは止められないわけで、その疑問も一心に強まる。

気がつけば、クラスメイトの一人が手を挙げていた。

 

「先生、ラフレシア?って薬は危険な薬物として認定されていない筈ですけど……先生はその薬の名前をどこで知ったんですか?」

 

「うん。まぁ、誠君の受け売りなんだけどねぇ。あの子は物知りだからそういう情報に強いんだよ。特に生徒達が手を出さないように注意してくれって言ってたかなぁ」

 

「へぇー……?」

 

つい数日前に長い眠りから目覚めた人としては想像以上に行動が早い。困惑することなく、異常なように思えるその行動は違和感はない。

誠だから、といえば説明はつくのかもしれない。

だけど、名前を言われても薬の実物を見たことのないクラスメイト達は半信半疑で聞き流していた。

――僅か数名を除いて。その数名のうちの私は興味なさげに視線を落とす。

 

そして、外に視線を移せば気も病むような曇天が広がっていた。

 

 

 

 

 

長く長く外を見ていた。いつの間にか授業は終わりを告げて下校の時間となる。その前に、数名のクラスメイトとの居残り掃除が私には待っていた。

 

肌寒い夏の風、曇り空、気温とどれも夏らしくない風景が広がっている。

その中で私は学校の裏山にある焼却炉の近くにある、昔誠達が作った池を掃除しに来た。

誰も来たがらない中、教室のゴミ箱をついでに運び、軽い足取りで向かったものの気鬱だ。長年使われていなかった池は落ち葉が沢山水面で揺れている。沈み込んでいるのもいくつかあった。

私が何故こんな役回りを受けたのか――それは近く誠が使うかもしれないから、という期待半分、褒めてもらいたい意思半分で不純ながらもこうしている。

 

ゴミ箱から焼却炉の中にゴミを放り込み、ボンとゴミ箱を傍らに置く。空の容器の音が山に消えていく。

それを見届けて、放置された掃除道具に手を伸ばした。いつからかそこに置いてある道具は片付けた痕跡すらなく少しだけ真新しい感じがする。

 

ザブッ、チャップ――ざぱぁ! …ぼと。

ザブッ、チャップ――ざぱぁ! …ぼと。

 

繰り返し繰り返し、そんな音が響いた。永遠に終わらないようなその音に意識を無にして余計なことを考えないように作業を続けていく。何度も何度も何度でも、葉っぱが減っているのは目に見えているけど、それ以上に多い有限に道具を突き出した。掬っては外に捨てるの繰り返し、そして最後に森に捨てれば完了なのだけど終わらない、終わる気配すら見えない。

 

……何度繰り返しただろう。

道具を水から引き揚げて杖のように立てて寄りかかり、額の汗を拭う。実際には汗は殆ど掻いていないにも関わらず一連の動作は止まらない。

 

「……何年掃除してないんだろ」

 

確かチサキさんが卒業してから二、三年。少なくて2年くらいか。

気分転換にそんなことを考え、また掃除を再開しようとした時、

 

「……あの、美海ちゃん」

 

聞き覚えのある男子生徒の声が聞こえた。私の後で遠慮がちにかけられた声に驚いて振り向くと、そこにはやはり見覚えのある男子生徒。

峰岸淳――同じクラスの男子生徒であり、私を好きらしい(告白以降は知らない)、大人しめの子。

彼が、後方5メートルの位置で私に話しかけてきていた。

 

「……」

 

ザクっと無言で無視を決め込み作業を続ける。

 

「……」

 

それに対して彼も何も話さず、ただこちらを見ていた。

スカートの中の下着が見えないように気をつけながら同じく作業を続けていく。

何度か繰り返した後、引き下がらない峰岸に私は作業を続けながら、

 

「……なに?」

 

そう、不機嫌にかえした。

 

「えっと、美海ちゃん!」

 

話しかけてもらえたことが嬉しいのか若干の喜色を声に載せて、彼は気分が高揚したように緊張した面持ちで、今度は予想外の言葉がその口から放たれる。

 

「その、僕と今度の夏祭りに行ってくれないっ!」

 

「? どうして?」

 

「そ、それは、その……」

 

普段より高い声で、病的に彼は消え入りそうな声で最後には押し黙ってしまう。

確か、私は彼に告白されてふッたはずだ。それなら彼は私を夏祭りに誘う理由がわからない。

雨が降りそうだ。彼の勇気を前に場違いなことを考えながら空に目を向けて、雲を見た。僅かだけど池の水面にはぽつりと雨が跳ねている。

 

「ぼ、僕は、少し急ぎすぎたかな、って思って! 美海ちゃんとはあまり話したことないし、クラスは一緒でもやっぱりお互いを知る機会がなかったかなって思って……」

 

続ける彼の言葉は何だか嫌な予感がする。彼の言葉には恐怖を感じるようなものがある。興、陽したような顔と震える普段より高い声は熱暴走を起こした機械のように、何か知らないものと話している感覚がした。

 

違和感が、拭えない。

言葉と共に、彼は一歩右足を踏み出した。

縮まる距離に、思わず体が強ばる。

 

 

「ごめん、その日は予定があるから」

 

恐怖を感じた私は、鼻先を掠めた甘い香りにぴくりと反応しながら1歩足を後ろに下げようとして、池の淵に辿り着く。

踏み場のない後ろに、下がる術はない。

誠が言っていた。

『明らかに動きが怪しい奴には近づくな。もし関わったなら怒らせないようにして逃げろ。そういう相手は何言っても聞かないから聞くかどうかはわからないが』

頭を過る言葉に自分はよくやったと言いたい。怒らせるような言動はしていないし、相手は早々に怒るような相手ではなく温厚な人間だ。温厚な人間ほど怒らせると怖いとは聞いたことがあるし実例(誠)も見たことがあるから、余計にその怖さがわかった。

だから、私は事実を言ったのに、彼はもう1歩近づいてくる。

 

「予定って、またあの男と?」

 

あと、3メートル……。

彼の顔は修羅のように必死な形相に変わる。

 

「う、うん」

 

「……なんで、僕にはチャンスはないの?」

 

また躙り寄るように彼は一歩近づいた。

そして、続くのは彼自身の葛藤と疑問。

 

「どうして…どうしてなんだよ。僕は少しでも君と話して理解して欲しいだけなのに、僕のことを知って欲しいだけなのに、もっと美海ちゃんのことを知りたいだけなのに! 僕にだってチャンスはあっていいじゃないか」

 

あと、1メートル……。

じりじりと距離を縮める峰岸に生理的恐怖を感じ、足を踏み外して池に片足を突っ込んだ。冷たい水温と音。足首に来る刺すような冷たさも気にならず、私は周りを見回して逃げ場を探す。

 

その中で、狂ったような彼は私の腕を掴んで名案とばかりにこう言う。

 

「大丈夫だよ。お互いにわかり合うには最適な方法を僕は知ってるから。僕もしたことはないけど、やっぱり最初は美海ちゃんとしてみたいしね。

……少し痛いらしいけど、僕は優しくするから。深く繋がれば、きっと――」

 

そこまで言ったところで私はもう聞いていなかった。がむしゃらに逃げようとして、もう片方の足が池に入り幸を制したのか竦む脚のせいでよろめく。

予想外の動きに、彼は手を離してしまう。

私はその言葉の意味を知っている。だから、恐怖に飲まれ掛けて、運がいいことに手を離された。予想外にも普段の彼からは考えられないような力に振り切れないかもと思ったけど、性別的に考えても逃げれるはずがないと諦めながら力の強さの違いに諦めかけて、ここで運が向いたのかもしれない。

 

目の前は峰岸で塞がれ、左右は逃げたところですぐ捕まる。そう本能的に考えて選んだのは後退、そしてそのまま森に消えることだった。幸いにも誠と小さい頃遊んだせいか森のことは少なからず知っているし、地の利でいえば彼よりはある。

ザブザブと数歩で池から脱し、そのまま森に駆け込み走る。木々の合間を抜けながら、足を緩めない。

 

 

 

そして、走りながら後ろを振り返ると――

 

 

 

「待ってよ美海ちゃん。なんで逃げるの?」

 

 

 

――彼は追いかけてきていた。

普段の彼からはありえない身体能力で木々の合間を軽々と抜けながら追ってくる。

声を返す余裕はなく、ただひたすら逃げて逃げて逃げての逃走劇を繰り広げた。

 

雨が降り、土が泥濘、脚を取られる。いつの間にか雨は強くなっていたようで、転ぶ私は手を前にしながらも強く体を打ち付けた。

 

「あぅっ! ……うぅ」

 

土がぬかるんでいるせいで強打とはいかないものの、痛みはなくなる事は無い。あちこち打ったようで全身から苦痛を感じた。

しかし、幸いにも土は柔らかく、荒い息で立ち上がる。

 

「……ねぇ、鬼ごっこはもう終わり? 美海ちゃん」

 

「……うそ、なんで……」

 

「まさか、僕を振り切れると思った?」

 

確か、彼は大人しく激しい運動には弱いはずだ。それなのに彼はどうして、峰岸はどうして息も切らさずに私を追いなおも平然としているのか。

……その疑問は、彼の不思議そうな顔と共に告げられる。

 

「うん。なんだかね、身体が軽いんだ。これならいくらでも美海ちゃんを追いかけれる。愛せる。きっと、これもあの薬がくれた幸運のおかげなんだ」

 

「薬…?」

 

「そう、先生が今朝話してた薬だよ。最も美海ちゃんは聞いていなかったみたいだけど……大丈夫だよ、僕が教えてあげるから」

 

血走った目が私を舐め回すように視姦する。彼は観念したと思ったのかゆっくりとした足取りで近づく。

 

……もう、終わりなのかな?

 

ふと、そう思ってしまう。諦めるな、そう誰かが言ったような気がしたけれども誰の声か困惑する頭は思い出さない。

僅かな抵抗として身体が勝手に後ろへと下がろうとするも気がつけば、後ろは足場がない。

ここは鷲大師の裏側の山の中、平たく言えば誰も来ない山の奥深くで、急な崖の上だった。高さはそうないながらも骨折する程度は高さがあり、海に飛び込もうにも海はココ最近の寒冷化で進んだ海の氷化、それに伴う水温の低下で落ちればまず命はない。

そう、諦めても仕方のないことだった。

 

声は出ない。

足も動かない。

ここに来て疲労が溜まったのか、体はいうことを聞かない。

 

そして、腕を掴まれて、彼は喜色を顔に浮かべると私は最後の抵抗を始める。

やはり、普段の彼からは考えられないような力強さ。握力は腕を折りそうな程に強く、骨が悲鳴を上げる。

 

「やっと受け入れてくれるんだね。美海ちゃん」

 

「いや、離して――」

 

最後の抵抗も虚しく、両腕を掴まれた時だった。

ゴオォォォォォ――――!!

激しく地面が振動するような音が辺りを揺らす。森の木々も悲鳴を上げるようにせり上がり、足場がなくなるような感覚と共に私の意識は闇の中へと深く沈んでいった。




峰岸君のファンの方ごめんなさい!
彼には華々しく散っていただくために、もとい捨石になってもらうために若干のキャラ崩壊が。だって出番がないんですもの。押しにも弱そうだし。
キャラ崩壊と言っても、薬って怖いですよね。
それはキャラ崩壊と言っていいのか……。
得るは美海と誠のラブラブな生活!
捨てるわ一人の男!
……決して行き詰まったわけでは。


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第五十四話 結びつく月と海

最近寒いですね。夏なのに雪が降るって気候は寒いんでしょうか?
……美海の夏服が見てみたい。主に制服の!



 

 

 

薄暗い闇の中で目を覚ます。身体のあちこちは何処か打ち付けたようで、鈍い痛みが走った。

っ!――ダメだ、起き上がれない。

なんでこんなにも体が痛いのか。思い出そうとするも鈍い痛みは一時的な記憶の混乱を生み出し、絡みつく。

 

状況を理解するために、周りを見回す。暗がりの中にあるのはジメジメした土と岩の壁と湿気、そして地面は僅かに湿り気を帯びた砂だった。波の音が聞こえ視線を向けてみると、ゆったりとした波がこの空間に押し寄せている。

ここは何処かの洞窟か、小さな入江なのかもしれない。

 

ふいに肌寒さを感じる――自分の体に視線を落とすと、あられもない姿になっていた。パーカーと下着だけという淫らな姿は誰にも見られなくて良かったとほっと一息付き、

 

パチリ、チリ――パチッ。

火が弾けるような音を聞き、バッと振り返る。

焚き火が赤い炎を舞い上がらせ、美しく温かく踊るようにして場を温めている。その近くには、私の制服が干されていた。

 

「あっ、私の服……あれ? でも」

 

もう一度視線を落とす、その先には見慣れたパーカー。白い布地に長めのそれは、ひどく懐かしい。

思い出に浸り、惚ける。確かこのパーカーの持ち主は――

 

「気がついたか。美海」

 

「ッ!?」

 

突如聞こえた声に思考は止まり、声のした薄暗い闇に目を向けた。

 

「……ま、こと?」

 

薄暗い闇から顔を出したのは忘れるはずがない、ただひとりの大切な人。立ち上がりこちらに歩くと、思い留まるように一定の距離から近づかない。

 

「――それよりも少しは隠してくれ」

 

「ふぇっ!?」

 

彼に注意されたことにより、自分の姿を改めて認識する。下着にパーカーとあられもない姿に戸惑い、隠そうとパーカーの裾を伸ばし……白い布状の物が目に入る。

太股に巻かれたそれは綺麗に巻かれており、手馴れた感じがしていかにも応急手当しましたと告げている。

 

「……手当、してくれたんだ」

 

「…そうだな、いろいろと見たが」

 

「えぇっ!?」

 

顔が熱くなり身体を抱き締めるようにして引き下がった。いきなりの自白――彼は正直過ぎるのだろう。それ以上に私を遠ざけようとしている。

考えてもみよう。手当したとなればないニーソの説明もつくわけで、着替えさせたのも彼ということになる。足に巻かれた包帯は、彼の優しさだ。だから憎めもしないし尚更好きになってしまう。

――さぁ、俺を罵倒してくれ。嫌ってくれ。

彼はそう言いたげな瞳で悲しそうにこちらを見続けるも無駄だと感じたのか、顔を逸らす。

 

 

 

そんな雰囲気のせいか、私は思い出した。なんでここにいるのか。

私が口を開く前に、気づいた誠が説明を始める。

 

「美海、やっと思い出したか。君は峰岸に追いかけられて逃げたがここ5年で起きた地表の変化によって出来た地盤の緩みにより、崩落に巻き込まれた。でも、君が落ちた場所は奇跡的にも下が空洞で、洞窟となっていた」

 

「……私、もしかしたら……」

 

「そうだな、死んでいたかも知れない」

 

ぞっとする言葉に私は戦慄する。生き埋めも圧死もありえると誠は続けていく。

誠はギリっと歯を噛み締め、悔しそうな顔で俯く。その姿は泣いている子供のようにも見えた。まるで昔の私のように、彼は拒絶している。しかし、遠ざけてきた時より彼の表情は目も当てられないほど歪んでいた。

どうしてもその姿が愛おしい。悩んでいる姿すら私にとっては支えてあげたい、と思えてくる。

 

「……大好きだよ、誠」

 

気がつけば彼の前に膝まづき、逃げられないように抱き締めていた。

 

「ふざけるな、そんなのはただの気の迷いだ」

 

「違うよ、私は誠のことをずっと昔から好きだったもん」

 

「いいから離れろ。そうだとしても、男に軽々しく抱きついたりするな」

 

「じゃあ、誠が私を突き放してよ」

 

身じろぎする音が洞窟に木霊するも誠は動かず、いつまで経っても彼は私を突き放そうとしない。見れば彼はTシャツ1枚で、私に服を貸したせいか肩が震えている。迷う誠はやがて肩をだらりと垂らして、再度語りかけるような声で私の耳元で呟く。

 

「俺は聖人君子じゃない。君が思っているほど良い人ではないし、マシて性欲なんて同じ同年代の奴よりはある。今もこうして美海の体に欲情しているんだ」

 

顔がカァッと熱くなっていくのがわかる。それ以上に彼を抱き締めているのが恥ずかしくなった。それでも私は誠を離さず抱き締め続ける。

私は知った。確かに誠もそうなのかもしれない。男の人は怖いし、さっきだってそうだ。峰岸が私を下卑た目で見たのだって覚えている。

でも、優しい人がこんなことを聞くだろうか。忠告なんてして、自分が危険だと知らせる悪い人が。本当に悪い人なら有無も言わさず押し倒して、今頃は体を好き勝手に弄られて、眠っている間にもそういうことはできたはずだ。

 

「知ってる。誠は、男の子だもん」

 

「なら、今すぐに――」

 

彼は聞こえているのだろうか。この胸の鼓動は彼といることで激しく脈打っている。何故かこの気持ちは心地よく私には手放せないものだ。

誠を一層強く抱きしめ、彼の言葉を遮るようにして声を張り上げた。

 

「それでも私は好きだよ! 誠が昔から、多分出会った時から一目惚れだった。あの日から5年経っても、やっぱり教室の男子達より、世の中のどの男よりも好きなんだよ」

 

言い切った。初めて、あれからちゃんと話したのかもしれない。

誠はそんなこと構わずに、突然苦しみ出す。

 

「ぅぁ……うぐぅっ」

 

頭を抱え苦しみ始めた誠は何かを拒絶するように左手で片目を抑え、呻き声をあげる。子供が泣くようなそれは、初めて見たかもしれない。

と、思っていると、急に体を押し倒されて、私は砂の上に仰向けに転がる。誠が器用に右手で押し倒した、わかるのはそれだけで彼は目に涙を溜めながら私を見た。

 

「――ほら、俺はこういう人間だ」

 

右手が私の着るパーカーのチャックへと伸び、するりとジャーという音を鳴らして下ろされる。

あられもない姿が、余計に艶めかしくなっていった。

パーカーが剥がされたことにより中の水色の下着が露になり、白い肌とともに晒される。右手は私の手首を掴み、それ以上は動かない。

 

「……いいよ。誠が、私を少しでも思ってくれるなら」

 

「ふざけるな。俺は――俺は――」

 

「愛してるよ、誠」

 

――嫌われるための行動だ。でも、彼の本心も混じっている。

私は掴まれていない手で誠を引き寄せて、唇に軽くキスを交わし、溢れそうな微笑みが止まらなくなる。

涙を僅かに溢れさせた誠にあともう一押し、そうすれば本心を打ち明けてくれるだろうと思ったところで、

 

 

ゴォ――ガラガラガラガラ――!!

 

 

地面に響くような音が洞窟にこだまし、頭上から私たちを押しつぶそうと降り注いできた。

 

 

 

□■□

 

 

 

激しい轟音に美海から目を離し、一瞬だけ上へと視線を向ければ数え切れないほどの土砂が振り注ごうとしていた。

このままでは自分と美海は押し潰され、死ぬだろう。直感的に掴んだ死に臆することなく浮かんだのは、美海を死なせないということだけ。

 

「くそっ」

 

「まこと?」

 

怯えたような美海の声が耳に響く。

何か、何かないだろうか。美海を守るための方法は?

見回し見つけたのは自分が通ってきた海からの通路、しかしそれは海の人間だからこそ通れた穴だ。

迷っている暇はない。美海の膝裏と肩に腕を差し込み持ち上げると、お姫様抱っこのようにして抱き上げた。ガラガラと崩れ落ちてくる土砂から逃れるように、迷いなくその足を海水の通路へと向ける。

ガラガラガラガラガラガラァァ――ドボン!!

最後は押し流されるようにして、驚愕に瞳を染める美海が何かいう前に水に飲まれた。夏といえど水温は常人が入ればすぐに凍死しそうなほど冷たく、海の人間ではない美海では自殺行為だ。海の人間はエナがあるからこれでも服を着て泳げているのだから、寒さによる身体能力の低下は考えなくていい。しかし、美海は手を離せば簡単に海の底へと沈み死んでしまうだろう。

 

これは問題の一つ。

問題二つ目は――陸が少し遠い、ということだ。

自分が独りで泳げば陸には五分で着くものも、人間一人抱えては速くは泳げない。いや、その前に俺1人で泳いだとして美海の息が続くはずも無い。

 

やがて大きな海に出る。海面へと向かい泳ぐ足を止めることなく、動かした。

 

――ごぷぉっ!

 

そこで嫌な音が美海の口から気泡と共に溢れ出る。顔は苦しそうにもがき酸素を求めるように手を動かしている。それを俺は見捨てれない。

方法は一つだけあるのだ。

嫌われても、致し方ないだろう。

 

俺は苦しそうに藻掻く美海の顔に顔を寄せて、暴れる美海を取抑えるとその口に口を被せる。

もがくのを止める美海は、予想外の状況に落ち着きを取り戻し、冷静になる。送り込まれる酸素、それは俺の体から送られたものだ。

 

原理は簡単にして単純明快。

海の人間はエナがあり、海の中でも息をすることが出来る。それは肺に空気が送られるということであり、つまりは海でも酸素を取り入れることができるということだ。

その肺にできた空気を美海へと口移しに送り込み、 人間を空気のポンプ、酸素ボンベとして使う。

 

俺は人工呼吸器――そうだ、やましくない。

 

海の中だからか、唇の感触は薄い。しかし、触れている部分はお互いの熱を交換するように、その存在を表明してここにいるよと教えてくる。

美海は必死に俺から空気をもぎ取ろうとして、キスが段々と深いものになっていく。

 

――違う。キスじゃない。

 

心は砕けそうだ。何故、守ろうとしてこんな危険な目に合わせているのだろうか。

こんなにも心は不安定で不確かなもので、いつもより暴走気味な心は正常な判断を下してくれない。

 

美海に酸素を根こそぎ取られる中、泳いで海面へと向かっていく。暗い海の上には薄い光が灯り、歓迎しているようにも、儚く消え去ろうとしているようにも見えた。

あともう少し……手を伸ばす、かき寄せる、一連の動作を絶え間なく繰り返し足を動かした。

 

ダメだ、独りでは二人分の酸素は作れない。

意識が朦朧としていく。そして、海面へと顔を出した。

 

 

 

□■□

 

 

 

私は誠にされるがまま口を塞がれ、送られてくる空気を何度も何度も取り入れた。

そして、海面へと出ても、それがわからなくて誠に必死にしがみつくと、彼は何事もなかったように動く。冷たい海水が肌を刺しているというのに何故か熱く、私の体は火照っている。

陸地に近づくと彼は、私を押し上げて自分も上がろうとして、上がれずに留まっていた。

 

「誠!」

 

「……いらない」

 

「大丈夫じゃないでしょ!」

 

手を伸ばし、拒絶する誠に私は底知れない悲しみを感じる。私を頼ろうとしない誠は、波に晒されながらこちらを見上げて呆けている。

その手を無理やりにでも掴み、引っ張りあげ、戸惑うような仕草すら見せない彼を私は見つめた。

弱々しい――普段の彼からは見られないようなそんな様子が目に見えてわかった。

 

「ねぇ誠、しっかりしてよ!」

 

「美海……?」

 

私がわからないのか、誠の目は虚ろだ。濁ったような色をした彼の目は恐怖を浮かべている。だとしたら、彼はあれで本当に死を理解してしまったのだろうか。襲いくる死に恐怖したのだろうか。

少なくとも私は諦めて死ぬかと思った。でも、彼は咄嗟に私を助けてくれた。

誠の様子に困惑する私はどうしていいか迷っていると、不意に彼がしなだれ掛かり抱き締めてくる。

 

「きゃっ! ……誠?」

 

弱々しい力の感覚、力強く抱き締められているはずなのに痛くない。それよりも気になったのは、彼の震える声で呟かれた言葉、耳元で繰り返すそれはあまりにらしくない。

 

「良かった……君が死んだら、俺は……」

 

――上手く聞き取れないけど、私のことを心配してくれていたのがわかる。

私も、抱き締め返す。今度は存在を表明するように、私は無事だと伝えるように。

 

「大丈夫だよ。私は、ここにいるから。誠が助けてくれたおかげで死んでないよ」

 

「……みう、な」

 

力がすべて抜け切り私に倒れ込んできて、少し吃驚したけど誠はそのまま意識を失ってしまう。

彼を揺すり、起こそうとする。

でも、その手の裏にはベットリとした生暖かい感覚が背中から手に染みる。

嫌な予感がして…自分の手を目の前に持ってくると見えたのは、赤い赤い液体だった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

きっと私のせいだ。

私があんなところに逃げていなければ、誠は血を流し倒れることもなかったのかもしれない。

私がもっと上手く峰岸を捌いていれば、追いかけられて誠が出てくることもなかったのかもしれない。

本当なら彼は今頃、私とは会ってないのに。

土砂に紛れた木の破片で彼は背中を貫かれ少なくとも危ない橋を渡った。それは、私を庇ってのことであり、よくよく考えてみれば思い当たる節はあった。

 

土砂に押されるようにして、強い衝撃とともに私達は脱出したのだけど、余波なんて生易しいものじゃない。まず、土砂崩れの余波では風など起こらないし流れあたり崩すのは土砂そのものだ。

そう、ということは土砂に押され私達は脱出した。

私はもちろん無事だった。でも、それは強い衝撃を受けたのに……そう考えても、私は生き残った不思議がある。

けど、結局は強い衝撃を受けたのは彼の体からだと気づければもう少し何とか出来たのかもしれない。

 

彼に守られた――その事実だけが、私の胸には刺になった。

私を守らなければ、彼は怪我をしなかったのに。

 

 

 

「……すぅ……すぅ………」

 

「ふむ。何事かと思ってきてみれば、よくこんな無茶をしたものだ。まぁ、久しぶりの休息としては十分だろう。全くあれほど安静にしていろと言ったのに……ただでさえ血が関わるような厄介ごとに巻き込まれるのになあ。ほんと善意の塊が聞いて呆れる。元も子もないぞ、それで命を落としては……」

 

医者とは思えない罵倒の嵐、それは目の前で眠る誠に向けられたものだ。

先生は愉快に笑いながら、全てを吹き飛ばす。

 

「ちょっと慎吾先生、不謹慎です」

 

「何を言っている。この程度で誠君が死ぬはずがなかろう」

 

「で、でも、子供だし、ほんとに危険で……」

 

「なに、体は十分に成熟している。このまま夜伽に身を任せても大丈夫な歳だが?」

 

「確かにそれはそうですけど……ってそうじゃないです!」

 

言い争っているのは、美和さんと慎吾先生の二人だ。

声を荒らげる美和さんは本当に誠のことを心配しているのが伺えるけど、対して慎吾先生の方はお気楽に冗談まで言ってしまう始末。

きっと、場を和ませようと彼なりの配慮のつもりなのだろうけど、今は冗談ですら私たちには刺になる。

彼を貫いたのは直径5cmの木の破片、しかしそれは断片であって全長は測れない。どんな大きさだったのかも、想像するだけで恐怖に足が竦んだ。

 

私はあの時、何も、何もできなかった。

あそこで美空が来てくれなければ、誠は出血多量で死んでしまっていただろう。

 

 

「まぁ何はともあれ安静第1だな。鎮痛剤と塗り薬くらいは置いておくから、美和くんは頑張りたまえ。あっ、どうせならチサキ君の治療の練習も兼ねてやってみてはどうだ」

 

「ちょ、そんなこと……!」

 

「素人がやるよりはマシだろう。急所から外れてるにしろ起きるには数日時間がかかるが……まぁ、今ここでくたばるような子供じゃないさ」

 

正論であるがために言い返せない。けど、本当の看護師である美和さんがそれをすれば解決だとは、誰も言わない。

冗談だ、と笑いながら慎吾先生は立ち上がり、帰り支度を終えて何も言わずに外へ出て行った。

 

重たい空気が沈黙をさらに重くさせ、他の皆は一様に口を閉ざす。

誰も、私に何も聞かない。

美空に言われたのだろうか?

そんな中、一人だけ立ち上がり、同じようにして笑い飛ばすように光が口を開いた。

 

「あー、うじうじしても仕方ねえだろ。意図的に急所からずらしたのもすごいと思うぜ。だから、余裕ぶっこいてるこいつが死ぬはずねえって」

 

慎吾先生の話では、急所だけは全て外されていたらしい。それを意図したのかは誰にもわからない。でも、誠ならそうするとみんな思っているはずだ。

 

「あーもう! そんな葬式みてえな雰囲気出してるとほんとに起きねえかも知んねえだろうが!」

 

光へと視線が集中する。思わず言ってしまったと、光は口を閉ざした。この空気で冗談など言えない、まして『死ぬ』など不謹慎にも程があった。

 

「光」

 

「うっ……お前だってこいつが死ぬなんて考えてねぇだろ」

 

「……うん、私だってそう信じたいよ。でも、脳は理解しても心はわかってくれないんだよ。私はもう、その気持ちは知っているから」

 

悲しそうな瞳のチサキさんが光を諌め、何かを思い出すようにして目を閉じた。

――地上に一人残されたチサキさん、彼女が独りになって思ったことはなんだろうか。きっと、今のような言葉では安心できないような不安なのだろう。

光がガシガシと頭を掻き乱し、一唸りすると行き場のない感情を見せながら部屋を出ていく。

そんな中、お母さんが締めるように切り出す。

 

「はい、やめやめこんな話。私達ができることは誠君を見守ることだけなんだから。それにこんなに大勢で囲まれていても安心して休めないよ。だから、美和さんとチサキちゃんに美空ちゃん、……と、美海以外撤収」

 

お母さんはそれ以上は何も言わずに晃を抱えて部屋を出ていく。

また、1人、2人と続いて消える。

そして、残ったのは呼ばれた4人だけで誠の周りに鎮座している形が出来上がった。

 

「……それじゃあ、皆さんの布団を敷きましょうか。でも少しだけ狭いですね」

 

提案したのは美空であり、善意なのだろう。何時でも何かできるようにと思ったが、少しだけこの部屋は狭すぎた。

――無言で頷きあうとチサキさんと美和さんが誠を抱えて部屋を出ていく。

私は、自分の部屋を提案したのだった。

 

 

 

□■□

 

 

 

暗闇が視界を遮る。そこには何も無い『無』だけが広がっている。開けても閉じても、全ては虚無だ。

僅かだが身体に感覚が戻ってくる。何かに浮いてるような感覚がして、次にはそれが液体ということがわかり、冷たい海水のようなものだともわかった。

 

「……俺は――いや、当然のバツか」

 

人間諦めが肝心だ。例え、あそこに戻りたくとも、戻ったところで何も出来ない。あれだけ彼女の気持ちを無碍にして遠ざけたのだ、いまさら“あの姿がまた見たい”“一緒にいたい”など不可能だ。

 

 

――そんなことないよ

 

 

誰かが呟く。囁かれたような声だ。女性の声は知っている誰かに似ていて、聞いていて気持ちのいいものだ。

答えるようにして、俺は諦めの言葉を口にした。

 

 

「俺は――死んだ方がいいんだよ。チサキも美和さんも美空も美海も、沢山の人に好かれながら……答えられないんだ」

 

――それはなんで?

 

「だってさ、怖いんだ。もし答えてしまったら、皆は俺から離れていくんじゃないかって思ってさ」

 

――気にしてもらえることが嬉しいの?

 

「……そうなのかもしれない」

 

――でも、美海が好きなんでしょ?

 

「あぁ、そうだけど……たぶん、そう。俺は兄妹でもあんなに想ってくれる美空も手放せないんだ。それに、チサキや美空が哀しむのも見たくない」

 

――だから、誰にも応えないって?

 

「うん」

 

――どっちにしろ、残酷だよ。その応えは。

 

「わかってる。だから、ここで死んでも、それが一番いいと思っていることが自分のエゴだということも」

 

 

 

 

 

つんつん。

不意に後ろから肩を叩かれる。反射的に振り返り、いきなり両頬からバシンと音が鳴った。

 

「ダメだよまだこっちにきちゃ。それは逃げているだけ。まだまだ若いんだから、命を無駄にしちゃダメ」

 

両頬からじんじんとした痛みが走り、その上に手を載せると彼女は――ミヲリさんは怒った顔で、しっかりと俺の目を見つめる。

いつの間にか地面に降り立っている。周りは水、海の底で景色は統一された。

 

「ねぇ、君は哀しませたくないって言ったけど、君は君が死んだ後のことを考えてる? ホントは何も考えたくないだけじゃない?」

 

そして、垂れる説教に若干押されて俺は何も言えなくなる。確かに哀しむかもしれないが、死ぬのが早いか遅いかだけの話だ。

 

「――ほんとにそう思う?」

 

諭すように彼女は続ける。

 

「もう、素直になってもいいんじゃないかな。君が欲しかったのは何? 君はどうしたいの? 君は美海と美空に同じ思いを背負わせて、チサキちゃんを苦しませて、君が本当に欲しかったものは……こんな結末なの?」

 

ふわりと抱き寄せられると死者の感覚はなく温かい人の温度が伝わってきた。

 

「今度こそちゃんと生きて。君はまだまだ沢山のやることがあるんだから。私は君が何を選んでも文句は言わない。近親相姦でも何でもすればいいよ。それが悪いとは言わないし、それも一つの答えだから。もちろん、美海と結ばれることも全然OKだよ」

 

「……俺は、あなたを見殺しにしました」

 

「違うよ、君は必死に頑張って助けようとした。君の中の葛藤は、積み重ねた迷いは、君自身の責任感の重さからくるものだから、君は悪くない。あの時は至さんでも私を助けられなかったんだから」

 

 

――思い詰めないで。それが君の悪いところだよ。

それから昔話をし、それを最後に、映像は途切れた。

 

 

 

□■□

 

 

 

皆寝静まった夜、5人で入った部屋は寝息がいくつも響いている。深夜二時、まだ中途半端な時間に起きてしまったと時計を見るも妙に気になってしまう。

なにか、動いたような気がした。配置は誠は私がいつもつかうベッド一段目に寝ており、私は二段目、それが見える位置に布団を敷いて3人が寝ている。まるで、美空達は長い間一緒に過ごした、本当の家族に見えた。

そう、その3人は今だに寝ている。だから動く人間などいないわけで私は何を感じて目覚めたのか。

 

もしかしたら、誠が寝返りを打ったのかと下を覗き込み、一瞬目を疑ってしまう。

 

「……ぁ」

 

――いない。誠が忽然と消えた。

まるで、突然の別れのように消えた彼は何処へと消えたのか。起きたのかと、気になるも声は出ない。

ベッドからゆっくりと降り何度も確かめたが、眠っているはずの誠は姿形がなく、転げ落ちたわけでもない。

 

 

 

ガラガラ……ガラガラァ。

戸を開け閉める音が何処かで聞こえた。

 

 

 

寝ている美空、美和さん、チサキさんには声をかけずに私はこっそりと部屋を抜け出した。全員で探せばいいのだけど、大事にすれば誠は大袈裟だと笑うだろう、そんな気がして私は廊下を進む。

――そして、見つけた。彼は庭と海が見える縁側で足を伸ばして、海を見ていた。その視線はふらりと揺らぐとこちらへと向けられる。

 

「……無事か」

 

「無事だよ。……みんな、心配したんだからね」

 

生死の境をさまよったというのに平然とそう言いのける誠に安心感を覚え、震える声で言いながら隣に座る。いつもの彼なら少し間を開けるだろうけど、間を開けることなく一瞥するとまた海に視線を戻す。

そうか、と呟く彼の独り言は虚空に消えた。

 

そして、話しかけてくることはないと思っていた誠が唐突に呟くように言った。

 

 

 

「……ミヲリさんが死んだ時のことを覚えてるか?」

 

普段なら、絶対に話題にはしない。私の死んだお母さんの話は昔から、忘れなくとも誠の心にはあったのだろう。

私の顔はどんな表情なのか、誠は私の顔をチラリと見てから伏せた。

 

「いや、聞いて悪かった」

 

「ううん、大丈夫」

 

少しの空白が二人の間に広がる。優しく見守る月を見ながら、私は一度目を閉じ、また開く。

 

「覚えてるよ。何もかも。誠が助けようとしてくれたことだって、お母さんが笑ってた理由だって、今ならなんとなくわかる。私は何もできなかった。でも、誠は必死に助けようとしてくれてた」

 

「……死んじゃ元も子もないぞ」

 

「やらないのと同じって言いたいんでしょ? 違うよ、できなかったのは私もだもん。だから、誠が気に病む必要はないよ」

 

お母さんの死因、それは病によるものだ。なんという病状かは忘れたどころか理解出来ていないけど、あの日、入院をやめて家で死んだのはお母さん自身の願いだ。

入院をやめたのは、助からないからだろう。だからせめて好きな場所で死にたいと願った。

そして、その日は訪れて、お母さんは旅立ち――誠が救急車を呼んだことも無駄に終わった。

誰にも覆せなかった。お父さんがいても、それは変わらず運命として受け入れるしかない。それでも誠は側にいて何もできなかった自分を悔いているのだろう。

悔いはない、それは嘘になる。私も泣く事しかできずただ呆然と死を見た。目の前で電話をかけたり蘇生をする誠とは違い泣くことしかできない子供の私、それが私の唯一の心残りだ。

 

二人で海を見て、またお互いに違うお母さんの姿を思い出す。同じ人物であれど、印象深いのはどうしても笑っている時の優しい顔、怒っている時の顔、死んだ時の安らかな顔はない。

誠は深呼吸をすると、また切り出した。

 

「俺さ、死にかけて夢の中をさまよっている時にミヲリさんに会ったんだ。相変わらず優しくて、どうしても勝てる気がしなかったよ。そんで説教されてさ。どうして俺は生きてるのか、生きなきゃいけないのか、再確認させられた」

 

「お母さんに?」

 

「あぁ、ミヲリさんだって生きたかったんだ。だから、ある命を粗末にするなって……本当はミヲリさん自身が美海の成長を見ていたいはずなのに、な」

 

悲しげに呟く言葉は夜の闇に消えていく。

確かに、死にたくて死んだわけじゃない人にとっては命を粗末にされては腹立たしいだろう。

彼が、脈絡のない言葉を、私の一番聞きたかった言葉を紡ぐ。

 

 

 

「……美海、好きだよ」

 

「…えっ?」

 

唐突に訪れた告白に私は振り返り誠を見る。しかし、彼は月を見て海を見て顔を隠していた。

――さっきのは幻聴かな? と、思い少しだけ彼に近寄ると暗闇でもわかるくらい顔は赤くなっていた。

 

「もし君が俺をまだ好きなら、男として好きなら、――してくれ。もし嫌いなら……一緒にはいられないというのなら、目を瞑るから黙って消えて欲しい」

 

彼は私の返事を聞かずに目を瞑り、ぴくりとも動かなくなる。緊張して肩がこわばっているのがわかった。もしかしたら、痛みでそうなっているだけかもしれないけど、誠でも緊張するんだなと、少しだけ意外に思った。

迷わず私は誠の投げ出している足の上を跨ぎ、跨るようにして迫る。一呼吸し、バクバクと破裂寸前の心臓の鼓動を抑えながら、近い顔に顔が熱くなる。

ゆっくりと近くなる顔に私自身もどんな表情をしているかわからない、そしてそのまま彼の唇に私の唇を合わせてキスをした。




アニメでは美海からの告白だ。なら…これもいけるよね!と血迷った結果、こういう結ばれ方をしました。
回復力と流血沙汰に異常に愛されている誠は羨ましいのか残念なのか、我なら美海ちゃんのために命を捨てることも厭わん!……冗談ですよ、たぶん。


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第五十五話 初めての朝

日常かい。



 

 

 

朝日が昇る。温かい光が部屋に満ちた。

眠る四人の寝息が、部屋に木霊する。

その中で、私は気分良く起き上がる。

 

「ふふ♪ ……ちょっと、可愛いな」

 

視線は同じベッドの上、隣で眠る最も愛しい人、彼が肩の荷がおりたような顔で寝ているのは、非常に可愛らしく見えて微笑みが止まらない。

なんでだろう、ニヤけてしまう。

上がった頬は抑えても抑えても、すぐに元通りになると私を笑顔に変えた。

 

昨日、彼は奇跡的にも目覚め、告白してきた。

吃驚してしまったけど、長年思い続けていたこともあって彼の要望『キス』を受け入れ、結ばれた。

彼が『キス』を求めたのは、不安だったからかも知れない。もし本当は自分ではなく他の人が好きなんじゃないかと悩んでいたのかも。

だから、キスだったんだろう。

初めては私からの強引なキスで、二回目は人口呼吸(ノーカウント)、そして、二人で望んだキス。

 

手に入った私の願い事はあまりにも大きくて、何気ないのかもしれないけど、やっぱり告白して良かったと思ってる。

早速、誠に一緒に寝ようと誘ったのは恥ずかしかったけど、図々しいのかもしれないけど、彼はいつも変えない表情を笑顔に変えて言ってくれた。

『じゃあ、部屋に戻ろうか。このままだと風邪をひく』

 

もう一度寝ようかな?

夢じゃないことを願って。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

side《アカリ》

 

 

変わらない日常、朝日が登って間もない頃に私は一人、家事をするために起き上がる。

至さんは眠っている。

晃は、父の顔に足を乗せて眠っていた……うん。今日も変わらない。うんうんと唸る至さんは何と戦ってるのか、気になるも起こすのはやめておいた。

キッチンへと辿り着くと、お味噌汁とご飯の用意をするために調理をしていく。が、その過程でやはり気になるのは娘と一人の男の子の容態。

 

「……大丈夫だろうけど、一応、見とかないとね」

 

お米を炊飯器にセットしスイッチを入れ、もしもの為に美海の部屋へと足を向けた。

 

 

美海の部屋――そこは、そう明記しておこうか。正しくは私と至さん的には『愛の巣』と。

建てる前から決めていたことだけど、もし美海と誠君が結婚するなら部屋が欲しいよね!なんて考えてできた部屋の結果が現状の美海の部屋だったりする。

だって、美海がお嫁に行ったら寂しいじゃない?

それに誠君は親がいないし……美和さんには流石に、至さんが美和さんに手を出してしまったらやばいなと思って部屋を作るのはやめておいた。

ということで、お嫁に行くことは無い、誠君がお婿に来る前提の部屋は完成したわけで。

 

そう、何度目かの構想を思い出しながら、『美海の部屋』と書かれた札のかかっている扉を開け、中を覗いて見た。

こっそりと中に入り、抜き足差し足忍び足と進んでいく。

が、目の前には寝ていると思っていた三人は何かの前でしきりに言い争っていた。

 

「むー……羨ましいなぁ」

「起こした方がいいですよ」

「うー、美海ちゃんだけ抜け駆け」

「いやそうではなくてママ、兄さんは怪我しているので添い寝はちょっと危ないかと……」

「私も混ざろうかな」

「美和さん、ダメですよ…! 美和さんまで添い寝したら怪我が酷くなっちゃいます」

「わたし、そんなに重くないんだけど」

 

「何やってんの」

 

「「「あっ……」」」

 

声を掛けられ、みんなして人差し指を立てて口に当てると静かになる。それは、私にも向けられているようだ。誠君が寝ているから安静にさせていないといけないけど、彼女らの争いももっとも。

私は促されるまま彼女達が囲むベッドに足を運び、誠君が寝ているであろう中を見ると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。

 

「「すぅ…ふぅ…くぅ…」」

 

寄り添うようにして、美海と誠君が眠っている。

同じ毛布を一緒に使い、体を寄せ合い、殆ど密着した状態で、顔が近いのも伺えた。

美海が起きていたら赤面するだろう。それくらい近く、昔のような微笑ましい光景だと言える。

仲睦まじい光景に……私は察した。誠君の手は美海の腰にかけられ、美海は誠君の腕を枕にしている。

守るように、守り合うように、この子達は安眠を手にしていた。

 

「お赤飯と性のつく料理でも作んないとね♪」

 

「アカリさん、それはどうかと…兄さん怪我してますし。それに起きるかどうかもわからないんですよ」

 

「大丈夫。誠君が元気になるだけだから! ほら、やっぱりお祝いしないとね」

 

それから、美海と誠君が起きるまで、私達は微笑ましい光景に目を奪われていたのだ。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

朝起きると、生暖かい視線を感じた。起きるに起きれない状況に四苦八苦しながら目を閉じて、状況の打開策を講じる。

目の前には、美海の顔。

そして、ベッドの向こう側には何やら生暖かい視線を感じたので、あえて寝たフリをしておく。

 

「……誠君の寝顔って可愛いよね」

 

唐突に、アカリさんが変なことを言い出した。

ぷにぷに。頬をつつかれ、くすぐったさに耐える。

 

「私は……初めて見たかも」

「そうですか? 兄さんに添い寝すると見れますよ。部屋に侵入すれば見れないですけど」

「で、でも、そんなの悪いし……」

「兄さん、嫌がりませんよ。一度目は拒否しますけど、二度聞くと絶対に断りませんから」

「そうなんだ。……私も小さな頃は、誠に一緒に寝ようとしても寝てくれなかったのは」

「多分、押しが足りなかったんですね」

 

幼馴染みの知らない一面を見た、チサキは溜め息を吐き残念そうにだらりとベッドに腕を垂れる。

……なんだか、自分の秘密を知られたようで恥ずかしくなる。そうだ、確かにそうかもしれない。断るにも断れないし決断できないのは自分のせいなのだろう。

 

ぷにぷに。

また、今度は両方からつつかれ、見悶えると布団をかき寄せるように目の前のものを抱き締めた。

 

「「「あ……」」」

「あららぁ」

 

3人+一番見られては不味い人から少しばかり高くなった声が聞こえた。

 

「んっ…んん〜…ふぁぁ」

 

目の前の抱き締めた者が体を動かし、眠たそうな目をこじ開けてしょぼしょぼとした目を擦り、わずかに広がった視界から俺を見て、首を動かし見てはいけない生暖かい視線を感じる彼女達に視線を向けた。

 

「あ、おはよ、美海」

 

「っ――〜〜〜!! こ、これは、ね、お母さん!」

 

言い訳を何か言おうとしたのだろう。顔を赤らめ上ずった声の美海が、どうにかしようとする前に、せめてここは男らしく逝こうともう一度引き寄せ、彼女の顔が隠れるように抱き締めた。

 

「おはようございますアカリさん。できれば、あまり俺の可愛い彼女を虐めないでください」

 

「「「「…………え?」」」」

 

二重の意味で四人は困惑したのだった。

 

 

 

□■□

 

 

 

「ほうほう、重症なのに愛の力で復活したあげく付き合うことになったと……急展開過ぎて心の準備が不足してたわ」

 

朝御飯を食べながら、呆れたようにしかし何処か安心したように呟くアカリさん。が、光は俺を見て言う。

 

「そ、そそ、添い寝って何してんだよ!」

 

「なにって、添い寝だけど。あれなに叔父さんもしかして嫉妬ですか? 残念、お前に美海と添い寝はさせない」

 

「ば、バカそんなことどうでもいいわ! つうか、なにしれっと惚気てんだよ!」

 

赤い顔の光はあたふたと慌て、指摘してくる。

もちろん、惚気たのはわざとだ。

箸を置き、溜め息を吐く。

それも、チサキと同時に……彼女は今から起こることに光の進歩を見いだせず呆れたのだ。

 

「そういうお前は、いつになったらマナカとイチャイチャできるのか。大体な、俺が言えたことではないけど気づくのおせえんだよ。どっちかと言うと俺が美海のこと好きだって気づいたのお船引の最後の数秒だし」

 

とまあ、自爆はここまでにしておく。

 

「それより、添い寝だけで動揺してんなよ。添い寝通り越してあんな事やこんな事そんなこと、さらに言えばお前らの言う“えっち”の最上限など――」

 

「わあ!わあわあ! お、おま、何言って」

 

「否応なしに、というか寧ろお前はそんなことは考えたことないのか。健全なんだから否定するな。一度は思ったことあるだろう、例えば――チサキが思いの外エロくて興奮したりとか」

 

「ごフッ――!? ま、まま、まことぉ!?」

 

お茶を飲んでいたチサキは吹き出し場はさらなるカオスを呼び込む。

 

「チサキってなんか、大人っぽいってのも相まって身体付きも誰よりも同年代の中では育ってたからな。たまに、要の視線がエロくなってた。それどころか、お前の周りのよくしてくれるおじさん共も、思ってただろうな」

 

要にも犠牲になってもらおうか。

そう、いない相手だから言えることで、否定する人がいない話でもある。

なれば、とさらなる矛先を恩人に向けた。

 

「例えば――至さんとか。チサキって可愛いし綺麗になったし一度くらいは思ったんじゃないかな。抱きた――」

 

遮るように至さんが割って入る。

 

「ちょっと待って誠君! ぼ、僕までなんの生贄にしようと思ってるんだい!? いやあの、アカリ? ほら、誠君のはどう見ても今はからかう目で――」

 

「えー、誠君って殆どというか冗談は言わない子なんだよ。まして、人のための嘘以外は全面否定派なのに……」

 

「ちなみに、美和さんと美空を見る目もなんだか怪しいですよ」

 

「……へぇ。ねえ、少しあっちの部屋に行こうか」

 

引き摺られていく至さんに南無さんと俺とチサキが手を合わせる中で、俺は思う。今日も平和だなと。

しかし、俺の信憑性ゼロの嘘は美和さんだけに真剣に受け取られていたのだ。

 

 

 

 

 

 

そして、せっかく話題を逸らしたというのにいとも簡単に俺はアカリさんに正座させられることとなる。足が痺れることはなく、まだ痛む背中に耐えながら許しを待った。

 

「お、お母さん、誠は怪我してるんだからそのくらいにして…それに、冗談だったんだから」

 

「うん知ってる。でもね、私が怒ってるのは冗談ではなくてこっちのことだよ」

 

入院患者が着るような服を剥がされ、はたして隠していた心配事は表に出される。

白い包帯が、赤く染まっている。

全体でないにはしろ、それは普通の人間が目を背けるほど痛々しかった。

 

「やっぱり、からげんきもいいとこだよね。傷は縫ったにしろ本当は病院で療養しなくちゃいけないのに。それを無理言って家に連れ戻したんだから。ほら、逃げられると困るし」

 

「はは…」

 

確かに病院から抜け出すとも考えられたのかもしれない。今回に限ってはそうならないが、寧ろ病院に入院していた方が好都合だと言えただろう。

それに、病院はそこまで入院患者がいるわけでもなく空きがある。病室は空いてるし、看護師の手を煩わせないとなれば看護師も喜んで面倒を見るだろう。

 

心配そうな視線が辛い。

美和さん、美空、チサキ、そして……美海。

からげんきもここまでかと、悟った俺は潔く項垂れて降参の意を示すように手を挙げた。

 

「わかりました。大人しく入院しますから、逃げませんからできればその目をやめて頂けると嬉しいのですが」

 

――罪悪感が、心配されているはずなのに罪悪感が胸を突く。

 

「ほんとに? 美海と離れるけど、耐えれる?」

 

アカリさんが疑うような目付きで俺を見た。

 

「はい。というか、なんで俺はそんな質問をされてるんですか」

 

「うん、即答は嬉しいとこなんだけど、隣見てみなよ」

 

言われるがまま隣に視線を向ける。そこには、肩を落とした美海が寂しそうにこちらを見ていた。

なんだか、嵌められた感覚と、罪悪感が更に強くなる。

即答は不味かっただろうか。それも、よりによって恋人の前で恋人と離れることに寂しさを感じないと思わせるようなことを淡々と、軽薄にも程かあるだろう。

 

「いや、美海、離れるのが寂しくないというかそういう訳じゃなくて、なんか俺は信頼されてない気がしてだな」

 

言い訳も甚だしい。事実だが、自分でもよくわからない感情に四苦八苦しながら美海を宥める。

 

「私は寂しいのに。せっかく付き合えるのに、誠は看護師さんに看病してもらえるのが嬉しいんだ」

 

「いや、美海に看護して欲しいけど、ほら大事があるとダメだし」

 

「誠は人気だもんね。……エッチな看護とかされるんでしょ」

 

ぷいっと顔を背け、不貞腐れる美海。

エッチな看護、それは何処からきたのか。そもそもそんな好意を寄せてくるような人間はいないわけで、そんな夢物語は終わるどころか始まらない。

光は顔が終始真っ赤になり、目も当てられないほど困惑している。――何を想像したのか。

さっそく、不倫疑惑をあてられた俺は溜まったものじゃない。

 

美海を抱き寄せ、頭を撫でる。

気づくと、そうしていた。これからもそうなっていくのだとなんだか日常が戻ってきた気がする。

昔、むかしの話、まだ美海が小さい頃、無邪気に甘えてきた美海が可愛くてついつい構ってしまうそんな日。

成長した美海は気持ちよさそうに目を細め、気恥ずかしそうに身体をあずけてきた。

 

 

「今夜はやっぱりお赤飯かな」

 

アカリさんの祝の言葉は聞かなかったことにする。




なんか最近エグエグした話が多かったのでほのぼのとスローペースに日常を展開。
誰だ、シリアスを過度にしたヤツ。
因みに、誠君の嘘や冗談は冗談として受け取られないので悪しからずご容赦ください。
普段滅多に冗談は言わないので。


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第五十六話 定番の品?

日常ってなんだろね。


 

 

 

病院の一室、白い部屋に足を踏み入れた。昼の暖かい光が射す病室には、一人の少女がベッドで看護師と話をしていた。笑顔咲かす少女。彼女は扉の音に驚くもこちらを見て嬉しそうにまた、笑顔が満開へとなる。

 

「お兄ちゃん!」

 

「うん、こんにちわ、楓ちゃん」

 

お兄ちゃん、という言葉に若干の動揺をしつつも妥協をする。視線は、隣の看護師へと移す。

 

「ふふ、よく来たわね」

 

「お世話になります」

 

「いえいえ、寧ろお世話になるのはこちらの方かしら。楓ちゃんをよろしくね。何かあったらナースコールで呼べばいいから。それじゃあ私はもう行くから、楓ちゃんと適度に安静にしていてね」

 

隣のベッドメイキングされたベッドを指すと、看護師は足早に立ち去っていく。

と、思い出したかのように振り返った。

 

「そうそう、今日は文香ちゃんと美和さんが夜勤だからできるだけ手を貸してくれると助かるわ。……ほら、ちょっとあの二人だと不安だけどね」

 

「あはは…そうですね。わかりました」

 

よろしく頼んだわよ、看護師は今度こそ扉を開け出ると閉めて消えて行く。

思えば、入院なんて初めてかもしれない。

それをいきなり放置されても困るのだが、楓ちゃんは目の前の異質な光景に首を傾げた、

 

「お兄ちゃん、なにしてるの? “おようふく”着ないの?」

 

「あー、これかな」

 

楓ちゃんが指し示しているのは、彼女自身が着ている入院着のことだろう。薄い水色の、白い死者の服とは違った死人が着るのに近い色は何処か抵抗があった。

自分に割り当てられたベッドに鎮座するそれを見て、なんとも奇妙な感覚がする。

そう言えば、ドラマでは患者はいつの間にか着ているが俺は自分で袖を通すのである。意識不明で緊急オペをされた患者は何時の間にか着ているが、入院してから着るのはなんだか不思議な感じだ。

 

少女に配慮し、カーテンで仕切ってから服を脱ぐ。もぞもぞと服を脱ぎ、下着は脱ぐのかどうか曖昧な知識に迷いかけたところで――カーテンが開かれた。

 

「あっ! ご、ごめんなさい」

 

顔を覗かせたのは相部屋である隣のベッドの住人、楓ちゃんだが、顔を赤くすると引っ込んでしまう。

彼女は良識のある女の子のようだ――それはもう男の裸を見れば赤面するくらいには。つまり、女の子として自覚を始めた年頃の女の子ということで、俺は少なくとも注意し続けなければいけない。

取り敢えず、女の子の浴衣の下は下着を穿いていないなんて夢物語のような迷信を迷信と信じて、パンツは穿いたまま入院着を着る。

カーテンを開けてベッドに腰掛けると、楓ちゃんは顔を赤らめたまま、自分のベッドに腰掛けていた。

 

「あー、ごめん、見苦しいものを見せて」

 

「ぅ…ううん、お父さん以外の男の人の裸って初めてだったから、こっちも聞かずに顔を出して…ごめんなさい」

 

「いや、こっちも人声かけるべきだったよ」

 

少女がまさかカーテンを捲ってくるなんて思わず、更には油断していた自分のせいだろう。

まして、純粋無垢な少女のせいにできようか。

 

二人の間は気まずい。

重く、空気がのしかかる。

どんよりとした空気は、少女から発せられているものだった。俺も非がある。彼女にも一応の非はある。それなら彼女に自分のせいだと言っても、彼女自身が思っている限りこの話は終わらない。

 

「……えっと。俺も着替えるから、と人声かけなかったのは悪かったし。君がいきなりカーテンを開けたのも悪かった。でもね、楓ちゃん。君は君で早くお話がしたくて、カーテンを開けたんだろう?」

 

「うん…」

 

「それでも、君は君で助けてくれようとしてたんだよな。ありがとう」

 

実際、入院着を見てもたついてた俺を見て、楓ちゃん自身が力になりたくて、協力しようとしたのだろう。

構って欲しい――遊びたい、親に構って欲しい盛の子からすれば親からお見舞いの回数の少ないこの状況では余計に思うことで、必然だ。

――急遽、病室に隣人が居住しに来る。それも若く子供であれば、年が近しいこともあって、尚更嬉しかったのだろう。

そんな、子供視点じみたことを言っている時点で俺も変わらないようなものなのだが。

頭を撫で、楓ちゃんはえへへと笑いながら擽ったそうに身をよじる。頭が押し付けられる感覚。もっと撫ででと自己主張してくる頭に何度も撫で、こちらまで楽しくなってしまった。

 

「ん……ねぇ、お兄ちゃん」

 

不快だったのだろうか、手を両手で触り止める楓ちゃんは哀しそうに呟く。

 

「お兄ちゃんは……私のこと、嫌いにならない?」

 

「なんでそう思うんだ?」

 

「だって、パパとママはもう……私のことを嫌いになったちゃったのか、来ないんだよ」

 

「……それは、いつから」

 

「もう、半年くらいは会ってないよ」

 

少女から発せられた言葉は意外なことだった。少なくともそれは、異常なこと。例え、どんなに俺と似たような境遇でも、次元が違う。

俺の方が酷かった――かもしれないが、違う。

少女の方が、死活問題だ。俺からすればまだ耐えられることでも、楓ちゃん自身からすればすごく悲しいことなのだろう。

――看護師から聞いた話、楓ちゃんの両親は催促しても会いにこないそうだ。俺が何か反発するだろうと隠していたのか、看護師たちは今になってその情報を開示した。

 

父性だろうか、途端に少女を抱き締めたい衝動に駆られる。気がつけば、楓ちゃんの手を縫うようにして脇下に手を入れて持ち上げ、次の瞬間には膝の上に乗せていた。

 

「半年かー、半年ねぇ」

 

抱き締め、語り出す。

まるで、自分も同じだと主張するように。

 

「俺はさぁ、両親とはもう会ってないんだ。君より小さい頃には一人暮らしを始めて、でもお金だけは送られてきてね、会って欲しいという要望は全部無視してやった。8年くらいはそれが続いたよ。ん、6年か?」

 

眠った時の後遺症か詳しくは思い出せない。

 

「……気がつけば一人だった。独りだった。でも、なんだか幼馴染みたちを見ていると馬鹿らしくなってね。全部どうでもよくて、楽しかった」

 

少女に強用しているわけではない。共感を得て欲しいわけではない。ただ、経験上の何かを生かそうと、少女に注意を呼びかける。

 

「でも、ね、後悔だけはしないほうがいいよ。君が望むなら俺は手を貸してあげるから」

 

「……じゃあ、パパとママが私をいらないって言ったら、私を貰ってくれる?」

 

予想外の返答――否、質問に驚くも1度だけ考える姿勢を見せると、そこで気づく。考えるだけ無駄だ。考える姿勢は逆に不安を与える要素でしかない。さらに言うと、彼女の視線で気づいたのだが、彼女の不安げな瞳がなんとも痛ましかった。

 

「…うん。君がそう望むなら」

 

楓ちゃんの表情、曇っていた顔は太陽の光が射すような笑顔となる。向日葵。高く伸びて、きれいな花を咲かせる、そんな様子を思わせた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

「よぉーっす! ……って、あら?」

 

静けさを保つ病室に来訪者が現れた。その手には、書籍が内蔵された紙袋を手にしている。

挨拶に返される声はなく、訝しげに病室を見回すと、一つのベッドに二人が眠っていた。方や高校生っぽい中学生、もう片方は小学生、それも二桁に満たすか満たさないかのロリータ。

犯罪臭がする光景に、元クラスメイトは元クラスメイトへとさらに視線をきつくさせ、やがて柔らかく笑った。

 

「おうおう、美海ちゃんと結ばれて即不倫とは……やっぱり欲求不満?」

 

「黙れ。狭山」

 

「うおっ!? 起きてたのか」

 

「底知れぬ悪意を感じた」

 

「なにそれ、俺って悪いヤツ?」

 

「そうだな。江川と悪友名乗っていたくらいには」

 

起きた少年――誠は少女が寝ているのを確認してから、目の前の来訪者である狭山に目を向ける。

その目は幾らか不機嫌だ。眠りを邪魔されたことと、起きて最初に見た顔がこれだというのもあるのだろう。

 

それに、だ。

 

御見舞に来たのだろが、そうでもないとも言える。

狭山はからかいに来た。間違いなく、アカリに美海と自分の関係を聞いて来たのだろうと、推測する。御見舞はそのついでに過ぎない。

見舞いの定番品である果物を持っていなければ、手にされている厚紙を見てやはり顔をしかめ――察してしまうのは自分も同じ思考だと肯定しているようで我慢ならない。

 

「いやー、誠が土砂崩れに巻き込まれて重傷って聞いたから見舞いだよ。見舞い。それ以外に何がある? ほら、俺っていいやつじゃん?」

 

明らかににこやかな笑が誠にとってじゃに見える中、手を広げて自分をアピールする狭山に『自分で言うな』とツッコミたくなったが我慢する。

なにせ、これからツッコムことは山程あるのだから。

 

「帰れ」

 

とりあえず、軽くあしらうつもりでそう言ったのだが、狭山は気にせず茶色い包を破ろうとする。

そして、ビリビリと音を立てて茶色い包を無造作に破くと、狭山は中身を広げて見せた。

出てきたのはピンク色の冊子、薄い本、裸に近い女の人の写真が表に載せられたそれはあまりにも刺激が強く、男にとっては魅力的な18禁の書籍。

 

「どうよ誠、どうせ持ってこれないだろうと思って持ってきてやったぜ」

 

自信満々に悪びれもなく言う狭山。

感謝しろと言わんばかりに胸を張る。

しかも、それだけではない。茶色い包からはまたビニール製の小さな包が出てきた。中身はゴム製品の様だが、中身が何に使う道具か知った誠は、プルプルとそれを指差して声を絞り出す。

 

「……お前、これ……」

 

「ああ、アカリさん公認だから安心してくれ」

 

「ファッ!? いや、そんな筈は――」

 

「もしもの時の為にだってさ。あ、あとこれも。こっちは薬だが使い方はわかるよな? 医学者目指してるんだし」

 

××と書かれた避妊具、もとい薬。そんなものまで、茶色い包から出てくる。

頭が痛くなってきた。それも、二つの要因で。

まさか、アカリと狭山が結託してまでこんなものを送り付けてくるなんて想定外、その範疇を超えている。

誠は少女を見て、心を保つことにした。

 

「……天使だ」

 

「おーい、お前の天使は美海ちゃんじゃなかったか」

 

「今学校、仕方ない」

 

「口調おかしくなってんぞ」

 

「誰のせいだよ……」

 

諦め気味に嘆息すると、対して狭山はニヤニヤと悪い笑みを浮かべた。

視線は自然とサヤマートの方角へ。きっとまだ、アカリさんは働いているんだろうな。と、恨めしい念を込めながら項垂れた。

 

 

「んっ……お兄ちゃん、なにこれ?」

 

――と、隣から無邪気な声が聞こえてくる。

ギギギ、と不快な音が似合うような、壊れたブリキの動きで誠はそちらを見た。

 

少女、楓は起きていた。正確には今起きた。

楓の手にはゴム製品の様なものが封をされたまま握られており、誠は胃が痛くなった。

 

「……風船?」

 

「違うよ、違うから! お願いだから楓ちゃん、それをこちらに渡してくれないかな」

 

「じゃあ、何に使うものなの?」

 

純粋な小学生がここまで恐ろしいと思ったことは無い。小首を傾げる楓に誠はたじろぐと、元凶である狭山へと視線を向ける。

 

「あのお兄ちゃんに聞きなさい」

 

「ん、ホントのことを言ってもいいの――?」

 

そこまで言ったところで、狭山は襲い来る視線に戦慄を覚え数歩後ずさる。

誠が、睨んでいる。蛇に睨まれたカエルの如く、金縛りにあったように動かない体と思考を凍りつかせた。

 

「……えっとだな、それはなぁ」

 

言い淀む。誠が説明を押し付けたのはこんな小さな子に嫌われたくないからなのだが、狭山は自分が生贄だということを知らない。元からそういうキャラなのだからと、見捨てられたのだが……ニヤリと口元を歪めると、心底楽しそうに説明を始める。

 

「男の人と女の人が仲よーくなるための道具なのだよ。これを使えば心も体も一つなんだぜ☆」

 

「うん。でも、楓ちゃんにはちょっと早いかな」

 

ちょっとではない。だいぶだ。そう言いたいのを堪えて誠は優しく幼子をあやす様に言い聞かせる。

が、なにか思うところがあるのか、少女はその袋を握りしめると抗議してきた。

 

「そんなことないもん! 私もっともっとお兄ちゃんと仲良くなる!」

 

顔が青くなる誠。

対して、赤く怒ったように楓はずいっと迫った。

 

「いや、これは仲がいい男女が使うものでね」

 

「ん! 私はお兄ちゃんと仲良くないの?」

 

これまた返答に困る質問である。個人的には仲がいいとは思っているが、そういう意味ではない。

そこを説明しなかった誠にも非があるだろうが、助けを求め用とベッド脇を見れば――

 

「――って、あいついないっ!」

 

狭山は既に逃亡していた。楓に気を取られていたうちに逃げられたのだが、そう勘づいた誠は心の中で悪態を吐く。

素直に、率直に、少女に告げることにした。

 

「えっとね。俺は楓ちゃんとは仲がいいとは思ってるよ。思っているんだけど、これは親密な関係じゃないと使えないものというか、夫婦とか恋人同士が使うものでね」

 

「……グスッ。私じゃダメなの?」

 

ついには泣きそうな顔で、見つめてくる少女。

聞き間違えたら大変なことになりそうだ。

かと言って、『ダメ』と言えば泣き出しそうな少女にかける言葉が見つからない。

こんな展開初めてだ。対処できない。

膝上に乗っている楓に頭を撫でることしかできず、窓の外を仰ぎ見た。

 

「ダメというわけではないのだけど。俺がそんなことをすると不倫というか浮気というか、それ以前に犯罪になっちゃうからさ。いやそれ以前に浮気か」

 

どっちが先に来てもアウトである。

 

「――とにかく、そういうことは大人になったらわかるよ。楓ちゃんが大人になって、好きな人ができて、いつか添い遂げたい人と愛し合いたいと思ったらね」

 

「……私のこと、嫌いなの?」

 

まだ、諦めていないのか。悲しそうな表情、何もわかっていない状況でそんな顔をされると辛い。

だから、この場だけは捌こうと、意を決する。

主に自分の胃が破裂しないためにも。少女に無駄な知識がつかないためにも。もしも、間違った行動に出ようとすれば、悪漢に騙されるかもしれない。

離れていく家族を見て不安になったんだろう。なら、少しでもわかってもらおうと、最終手段に出た。

 

「楓ちゃんのことは好きだよ。だから、君が大きくなってそれでも理解して、使いたいと思うなら……その時はその時で受け入れるよ」

 

小さな嘘をついた。少女が大きくなって忘れてくれることを祈りながら、反応を見る。

無知は――罪だ。

楓はわかっていない。いないのだが、好奇心旺盛なのか頬を膨らませて怒っていた。

 

「もういい! 看護師さんたちに聞いてくる!」

 

勢いよく楓が立ち上がり、床に降りる。誠はもちろん追おうとしたのだが、膝に乗られていたせいか若干痺れてしまってまともに立てない。

それに、楓が立ち上がる時に胸を蹴られ、傷口にヒットするという事故が起き、悶える誠。

このままではまずい。一番まずい。何よりも他の人に聞きに行くことが……そう思っても、看護師たちに誤解されないことを祈ることしかできないのだった。




狭山を絡ませようと思ったらこうなった。
サヤマートには何でもござれなんですよ。


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第五十七話 待ち焦がれて

お待たせしました。


 

 

戻ってきた楓ちゃんは案の定、看護師に連れられ不機嫌そうにしていた。対して看護師さんは何とも言えないような表情で、固まったまま俺を見る。

 

「ねえ、誠君、これ何かな。楓ちゃんが持っていたんだけど……いくら美海ちゃんと結ばれたからってねぇ。いきなり浮気に走るのはどうかと思うけど」

 

「誤解ですよ。それ、狭山が持ってきた見舞いの品というやつです。それも、彼女の母親と共謀ですよ」

 

「……まぁ、だろうとは思ったけど、まさか相手方の母親と共謀って……信頼?されてるのかな」

 

看護師がニヤニヤしながら取り出したのは狭山が持ってきた“見舞いの品”。

しかし、それは別として。

看護師の間ではもう既に噂は伝達されているようだ。俺に彼女が出来たという噂。だが、美海ちゃんということは知っているわけで、美海という人物を理解しているということになる。どこの誰か、誰の子か、情報は拡散し看護師たちはお互いに共有した。……女の人の情報網って怖い。

 

「さっきの間はなんですか」

 

「誠君ってロリコンじゃなかったっけ?」

 

「断じて違います」

 

ロリコンではない、子供好きだ。いや、世話焼きか。

ともかく、不純な動機で年下を可愛がっているわけではなく、恋愛感情も向けては……。と、ここで美海の昔の顔が出てくるのは何故だろうか?

自覚がなかったから、セーフだと思う。

 

「どうしたの顔真っ赤にしちゃって。珍しいわね」

 

「いえ、何でもないです」

 

顔は水が沸騰したように熱く、赤みを帯びていた。

それを冷まそうと一旦心を落ち着かせるも、美海の顔が頭から離れなくなり、脳裏から消そうとするも逆に意識してしまっている。

しかし、これが相手に自分の隙を与えることとなり、次に放たれた言葉が厄介だった。

 

「それで、誠君はどこまでいくつもり?」

 

「どこまでとは?」

 

「それは決まってるじゃない。付き合うだけでデートとか行ったりして、今の現状をいつか来る日まで続けるのか。それとも、結婚を前提に付き合って結婚するのかよ。もしくは彼女さんとはお遊びで済ませるのか」

 

ここで答えて良いのだろうか。看護師さんは楽しそうに口元を歪めながら、俺をまっすぐに見る。

 

――答えは決まっている。

 

「相手次第ですが、俺は遊びで終わらせるつもりは無いですよ」

 

「へぇー、妬けるわねなんだか。それとも、彼氏いない歴=年齢の私に喧嘩売ってる?」

 

若干、恨みがましい口調で発せられた言葉は驚愕とともに呆れを生じさせる。先に聞いたのはどっちか。

聞くことを放棄して、頬をポリポリとかくと気まずそうに言う。

 

「……将来、いい人が現れますよ」

 

「お兄ちゃん無責任だね」

 

無責任、とは痛い言葉だ。グサリと刺さる言葉に引け目を感じつつも今までいることを忘れていた楓ちゃんからも目を逸らした。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

お昼時になって昼食を食べ、アカリさんのお見舞いに四苦八苦し、時間を過ごすこと数時間。見舞いに来る元クラスメイト達は居らず、一つだけ心配していたことがあった。

美海は同じく土砂崩れに巻き込まれて軽傷だったものの、軽い検査を受けると学校に行ってしまった。そういえば事の発端である『峰岸』なる人物はどうなったのか、学校にいたらと思うと少しゾッとするが、美空がいれば酷いことにはならないだろう。

そう、思案していた時、ガラッと扉が開けられた。

 

「誠君、大丈夫?」

 

「美和さん、今日は夜勤と聞きましたが」

 

「ん。ちゃんと寝るから大丈夫だよ」

 

現れたのは美和さんだった。バッグをひとつ抱えているだけで他は何もなし、目には薄らと寝不足の跡がある。

その原因である俺は、本を置いて出迎えた。

膝の上に乗っていた楓ちゃんは本を読まれるとすぐに眠ってしまい、いまだ腕の中、彼女をゆっくりと動かしベッドに寝かせると布団をかぶせる。

 

「さっき寝たの?」

 

「はい。よく寝る子ですよ。寝顔を見ていると飽きませんし、可愛いですから、苦にはなりません」

 

その代わり、夜になって元気に遊び出さないか心配だが疲れている上で起きておけというのも苦だ。

寝息を立てる楓ちゃんから離れ、自分のベッドに戻ると腰を下ろし、美和さんを見る。

いつもだが、ふわふわした雰囲気。しかし、今日は妙にふらふらと危なっかしい足でその場に立っていた。

 

「横になったらどうですか」

 

ポンポンとベッドを叩き、誘導してみる。

美和さんはああ見えて実は警戒心が高く、人に懐くことはあまりない。他人とは仲良く見えても、心のどこかで閉ざしている節があった。

仮眠室を使ってみては? ――そう、提案しても、彼女は使わないことは容易に想像できる。

 

「……いいの?」

 

「ええ、俺はもう寝ましたから」

 

パァーっと表情を柔らかくし、喜ぶ美和さんは足早に駆け寄るとベッドに入ってくる。脱いだヒールは揃えられることもなく、散らばったままだ。

 

「えへへ、誠君から誘ってくれるなんて初めてだね」

 

「それは夜勤の人を寝かせずに仕事に行かせるなんてできませんから」

 

「えー、そこは嘘でも『君と寝たかった』とかいうところじゃない?」

 

「そんなことを言えば、俺はあの人に枕元に立たれて死後の世界で引きずり回されます」

 

「あの人、って……美海ちゃんのお母さん?」

 

ミヲリさん、話の内容からして相手が誰だかわかった美和さんは納得してころんと横になると、こちらに視線を向けて微笑んでくる。

答えなくてもいいようだ。

それよりもと、美和さんは気を引き締めたような顔で俺を見ると両頬に手を当ててきた。

 

「……夜勤ってね、気を抜けないんだ。もし看護師さんが寝ちゃうとナースコールにもでられなくてね、緊急事態になってしまって死んじゃったら」

 

自分に言い聞かせるように美和さんは呟く。

次の言葉は――哀しそうだった。

 

「眠くても気をしっかりしないとね。仮眠室はあまり使いたくなかったから、受け入れてくれてありがと。今まで事情があって一度も夜勤したことがないけど、初めてで緊張してるけど。私は……何があっても頑張ってみせるから安心して寝ててね。部屋から出ちゃダメだよ」

 

「手を貸さないで、ということですか。確かに仕事に口出しは出来ませんが……。俺は病院の規則を守れない問題児なんで、ナースコール鳴らすかも知れませんよ」

 

「ふふっ♪ その時は寝かしつけに来ようかな」

 

彼女の本当に言いたいことは言葉の一部に隠れていた。冗談に笑う美和さんはおやすみと言って寝てしまう。

すぐに寝息を立て始める美和さん。

俺はそっと本を手に取り、また読み始めた。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

夕暮れ時、寂しげな空気が病室に流れ込む。ナース達は丁度入れ替わりの時間帯になり、耳を済ませれば聞こえてくる筈の声もなくなっている。

美和さんは夜勤へと赴き、交代をして、今では引き継ぎ等に追われているのだろう。

 

ただ、なんだか……。

予想以上に、心の中にはポッカリと何かが空いたように寂しい、寂しいと何かを求めている。

こんなにも弱かったのか、俺は初めて寂しいと感じてしまったのかも知れない。

 

それに、だ。

なんだか、美海と恋人になった事が、嘘のようだ。

消えてしまいそうな事実に、夢現だと、不安にさせられている。

安らぎ、安定、不安、不安、不安。僅かな幸せが心を満たしてくれている。でも、それだけでは飽き足らずやはり美海の顔が見たかった。

 

「……相当依存してるよな」

 

溺愛とか言われてもいい。事実だ。

麻薬や脱法ハーブ、あるいはアルコール中毒者にヘビースモーカーのように、彼女がいないと生きられなくなってきている。一度手にしてしまえばあとは容易くどんどん美海の魅力に惹かれていく。

 

捨てられたら……死ぬんだろうなぁ。

 

そう思った。一度、禁断の果実を手にし味を占めた中毒者は抜けられなくなり、精神的に、あるいは肉体的に死んでしまう。抜ける方法はあるのだが、やはりその特効薬は要員よりは大きくなければ薬になり得ない。中毒者もまた幻覚や幻聴に悩まされる。

 

だから、俺の耳はおかしいのだろうか。美海が病院の玄関を足早に通り抜けた気がした。ゆっくりと開く自動ドアに焦らされながら、すり抜けていく。すり抜けると俺の病室を知るためにナースステーションで入院患者の場所を聞くとエレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け上がり気味に登っていく。フロアを抜ける事に美海の心臓の音がこちらにも感じられるようにドントン大きくなっていった気がした。廊下を走り夜勤のために出勤している美和さんに走りながら微笑み注意され『走ると危ないよー』と言われてもその早足は止めない。『ごめんなさい』と一言だけ謝るとまた足はどんどん速くなっていく。

 

足音が扉の外で止んだ気がした。ハァハァと学校から全力疾走してきたかのような荒い息づかいが聞こえ、深呼吸する音も聞こえた。コンコンと扉がノックされ、俺はその音に苦笑する。若干焦りを抑えたそれはゆっくりと叩こうとしているのにも関わらず、気持ちが早ってどうしようもなく急いでしまっている。

 

「誠……!」

 

どうぞ、と言葉をかけようとする前に扉が開かれ大切な人が入ってきた。制服は乱れ若干肩で息をしながらその娘は俺の座るベッドに駆け寄り、その勢いのせいかもどかしそうに一定の距離で止まる。

 

距離感がわからないのだろうか。昨日まではタダのとは言い難いが、赤の他人とまではいかないまでも兄妹のような関係だった。

故に初めて恋人同士で離れて、再会すればどうすればいいのかもわからない。昔のように抱き着いて頭を撫でたり、とは別の話、初めての距離感で戸惑ってしまうのだ。

 

「だ、大丈夫だった?」

 

「ああ、大丈夫だよ、美海」

 

その事とは別に彼女自身も心配してくれていたのだろう。ほっと息をつくと、肩の力を抜いて倒れかかる。腰の力までも抜けたのか倒れかかってきた美海を優しく抱き留めると……自然と顔が近くなって、彼女の顔はみるみるうちに赤くなった。

 

「なに赤くなってるんだ、これくらいの事で」

 

この状況よりももっと凄い事になったことだってある。思い返すように、頭の中でいろいろな光景がリフレインしていく。昔の無邪気で純粋な子供の頃の美海、一緒にお風呂に入ったり、同じ布団で寝たり、ご飯を食べたり、時々俺が理由もなく怒られたり(可愛いわがまま)。

そして、少し大人になった美海の裸や見るだけでなく事故的に胸を揉んでしまったり……キスも。その事を思い出したのだろうか、美海の体は熱かった。走ってきたのもあるのだろうが、

 

「……だって、私…キス、したんだよね」

 

恥じらい、視線をどこに向けていいかわからずに足下を見つめた。

俺は優しく首を痛めないように美海の頬に当てると、そのまま顔を上げさせる。上気し頬は僅かに赤く染まり、表情は色っぽく唇が艶のある輝きを魅せる。

 

「いまさらだな。キスよりも……もっと恥ずかしいことあっただろ。……裸を見たり、触ったり」

 

あの時の美海は必死だったから。わかっている。

その思いとは離反し光景が蘇り、手は感触を思い出し、沸騰するように胸は熱くなり、医学を覚える過程で覚えた性知識が色情だけを増幅させていく。

もっと可愛い美海が見たい。恥ずかしがる美海が見たい。美海に触れていたい。もっともっと君の体と心を奪いさってしまいたい。

 

だから、ついイジメたくなってそんなことを呟いた。両頬を挟まれた美海は顔を真っ赤にし、目を逸らそうにも両頬を挟まれたままでは無理だった。目の端だけで俺を捉えてしまうのか、目を閉じる彼女はフルフルと小さく震えて肩を揺らす。

 

俺にはいたずら心と欲求が勝ってしまい、キスをせがんでいるようにも見えた。――否、これは俺自身の欲求だ。脳内では恥ずかしくて震えているためだとわかっていても、そうしたくなってしまう。

 

欲が制御に打ち勝ち――理性の何処かで恋人同士だからいいだろうと、思ってしまった。何より思い出した美海の唇の柔らかさと味がもう一度、味わいたかった。

美海の顔に自身の顔を近づける。彼女の顔が近くなると少し恥ずかしくなった。その半ばで、俺は美海の唇を強引に奪うようにキスをする。

 

「……ふぁぁ♡」

 

突然のキスに驚いた、というよりも少しだけ期待していたのか美海は甘い声を漏らす。反射的にパッと瞼から瞳を覗かせると、恍惚とした表情で再び目を閉じてその身を任せるようにキスに応じた。

 

きっと、彼女の脳内ではここが病院だということも切り取られたように忘れられているんだろう。

 

柔らかくほんのりとしたピンク色の薄い唇。

恥ずかしそうに紅く上気した頬に、俺の心までもが奪われてしまう。心地よい感覚。呼吸することすら忘れて永遠に続く時間に、ずっと留まっていたくなる。

 

「……ねぇ、誠」

 

「なに?」

 

「……大人の、キス……がしてみたい」

 

キスを終えて顔から耳の先まで真っ赤にした美海がそう言った。強請るように、媚びるように、彼女は潤んだ瞳で上目づかいにこちらを見上げ、恥ずかしそうに顔を隠す。

 

「なんでそんなもの知ってるんだよ……」

 

「み、美空がしたって、言ったんだよ。それにお母さんもお父さんとやってるし……」

 

問い詰めたら出てくる妹の名前に俺は戦慄を覚える。どうしてこうも情報が漏洩しているのか。アカリさんと至さんに至ってはうまく隠れて欲しかった。

 

――そんなこと、どうでもよかった。

 

ただ、少しこのままでは物足りないと思っていた。

 

「してもいいのか?」

 

「う、ん……」

 

控えめに答えた美海の唇は、肩は少し震えている。

未だ見ぬ行為が怖いのか、羞恥で何も言えないのか、はたまた両方か。

 

――ここで引き下がったら、失礼だよな

 

“据え膳食わぬは男の恥”という言葉もある。

とは言い訳してみたものの、やはり目の前でねだってきた女の子には勝てなかった。

 

「ひゃっ……ん」

 

催促するように目を閉じた美海の唇にもう一度、唇を合わせる。重ねあった唇の熱に酔いながらも先程とは違い、唇を舌で舐める。

ビクリ、と跳ねる体。

同時に堅く結ばれていた口を美海が驚いて力を緩めた隙に俺は彼女の口内に舌を差し込んだ。

 

「あっ……んふぅ……ちゅ…ちゅぷ……ぁぁ♡」

 

反射的に逃れようとした美海の舌を舌で弄り、弄ぶように蹂躙していく。苦しそうに空気を求めながら、ただ受身の体制の美海はされるがままになった。

 

次第に薄れていく抵抗。

力も抜けていき、美海の体はガックリと崩れ落ちる。

 

 

その時、クシャリ――と何かビニール製の包みが音を立てた。

 

 

「……これって」

 

その音は美海の崩した体勢により、反射的に突いた手の下からだった。迷わずピンク色の包み紙を手に取ってまじまじと見る美海の顔が羞恥に染まる。

 

そう。あれだ。

見舞いの品、と呼ばれる迷惑品だ。

全部、看護師さんが回収したと思われていた包み紙はどうやらベッドの中にまだあったらしく、その一つを美海が拾ってしまったようだ。

 

「……誠はしたいの?」

「いや、それは……」

「こんなものまで用意してあるし…」

「それは狭山とアカリさんが――」

「正直に答えて」

 

正気なのか、美海の顔は熱を帯びてそれが余計に色っぽく感じさせた。

彼女の知識、全てはアカリさんのせいだろう。

道具について知っている、キスなど、そういう知識がついてくれたおかげで変な人にひっかけられはしないし、そこについては感謝するのだが。

俺は真剣な美海にこう答えた。

 

「……まぁ、したくない、と言ったら嘘になるかなぁ…」

 

歯切れが悪い答えに美海の顔はさらに熱を帯びた。その熱さはこちらまで届いてきそうな気がする。という俺も、顔が熱く火照りかなり恥ずかしかった。

 

「………」

 

「………」

 

お互いに無言で顔を逸らし、こちらは気まずそうに、対してあちらは恥ずかしさに耐えながら考え込むように俯き目を逸らす。

 

――健全だ。そう、これは健全な欲求だ。

 

言い聞かせて平常心を保とうとする。

曲がりなりにも男。それが美女、美少女の類にアプローチとかされて平気なわけがない。むしろ、誘われて襲わないのにこちらが苦しめられていることに疑問だった。

傷つけるのが嫌だから拒んでいるのに、それとは別に心の中はズタズタに引き裂かれていく。何度だか美海に誘われたような気もするが、やはり何処かで理性がストッパーとしての役割を果たしてくれていたのだろう。欲求とは別に。中学生で妊娠は不味いだろうと、手を出すのは不味いだろうとストッパーさんは役割を果たしてくれているのだが、それも置いておいた心はというより人間の男の部分は“求めている”。それと、もう一つ。

 

――もし襲ってしまえば妊娠させかねない。

 

自信がある。嫌な自信だ。

仮に美海にその行為を迫ったところで受け入れられたら、避妊なしにしてしまいそうだ。そのための避妊薬を入れられていたんだろうが……若さゆえの過ちとかもある。

精神だけが大きくなり、まるで大人になっていない、俺は人間としての本能だけが否定出来なかった。

 

 

「……誠、ゃ…優しく、ね」

 

やがて、俯いたまま絞り出された声が耳に響く。霞む声に俺の耳は一字一句聞き漏らすことなく捉えた。

美海は覚悟をした、ということだろうか。ふわりと倒れ込んでくると胸にすっぽり収まり、その感触が愛おしく、愛らしくて、儚い重さが胸に心地よかった。

 

「ん……」

 

そして、何故か俺が押し倒された。震えながら唇を押し付けてくる美海。キスを受け入れられると、安堵したような溜め息を漏らし、俺が腰に手を回したところで――

 

 

「わ、わわわあっ! 何やってるんだ、美海!」

 

「これはお邪魔してしまいましたね」

 

 

二人の声が響いた。我に返ったように美海が声のした方向に振り向くと、そこには美空とさゆが、とくにさゆに至っては顔を真っ赤にして狼狽えている。

 

「そう言えば兄さん、産婦人科は下の階ですよ。と言っても病院で入院する人を増やさないでくださいね」

 

ここで、俺はここが病院だということを思い出したのだ。その後、さゆは俺を危険性物として美海を守るように立ちはだかったのだ。




キスだからグレーゾーンだ。
もうこのまま二人して病院にお世話になって欲しかった、と願ってたりするのですがねぇ。


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第五十八話 夜勤

ちょっとブラックな話。
これが終われば物語は進む筈。
前回、美海と誠はいちゃつきました。


 

 

 

「あっ、あれ……?」

 

ナースステーションの中、椅子に座りながらポケットの中をゴソゴソと探っている美和は立ち上がり、ちゃんと確認しようと服にパタパタと手を当てていく。

 

「どうされたんですか、美和さん」

 

「えっとね、ないの」

 

目の前で探し物をしている先輩の行動を観ながら文香は聞き返した。それに行動を続けながら美和は答えるも、やはりポケットの中に入っていた探し物は見当たらない。

 

「どのような物なんですか?」

 

「ん、ピンク色の包み紙だよ」

 

「ピンク色の包み紙?」

 

音も立てずにお茶を飲む文香は首を傾げると、マグカップの中の液体を飲み干そうとしながら――

 

「避妊具だよ」

 

「ゴ、ケファッ―――ケフっケフっ!?」

 

 

――気管に流れ込んだお茶を吹き出した。

 

 

「ご、ごご、ごむ………………ですか?」

 

「そう、それ」

 

興味はあるのか、年頃の女の子は赤面しながらも話に食いついてくる。文香ちゃんもまだまだそういう事には興味があるのだろう、とは……男嫌いの文香ちゃんからはあまり予想ができなかったけど、それでもその辺りについては少しくらいは理解しているんだね。と、美和自身流しながら少なからず彼女の人間らしさに安心していた。

 

後輩がタオルで口元を拭き始めた頃、美和の頭の中を一つの光景が過ぎる。

 

「あ〜……もしかして、あの時かな」

 

「あの時って……落とした場所がわかったんですか?」

 

一息を着こうとお茶をまた口に含む文香は、冷静になるために温かいお茶を啜り、

 

 

「うん。誠君と一緒に寝たベッドの中と思う」

 

 

ガシャン!!

 

 

文香の手からマグカップが滑り落ち、大きな音が鳴る。派手な音がナースステーションに響いたかと思うと、それは激しく飛び散り砕け散った。

 

「え……っ?」

 

「だ、大丈夫、文香ちゃんっ!?」

 

「あ、すみません……聞き間違いですよね」

 

落ちて壊れたマグカップより詳細が気になるのか、美和を見つめる彼女の目はなんというか……ものすごく怖かった。

 

「え? 何が?」

 

「で、ですから、その!」

 

言い澱み言葉に困る文香は、内心決心して言葉を続ける。

 

「……誠さんと、寝たって、いうのは」

 

「あぁ、うん」

 

「ど、どこでですか?」

 

まさか、自宅で娘やチサキさんがいる中、二人して夜の営みに耽ってはいないはず。

なら、何処か? 街の方のホテルか何か、そう予想した文香に告げられたのは予想外の場所だった。

 

「病院。誠君が入院しているベッド」

 

「び、びび、病院……美容院じゃなくて?」

 

「病院だよ。誠君はいま部屋にいるはずだし外出もしてないし、昨日寝たのは美海ちゃんとだし」

 

「びょういんでそんなこと、いやらしいです!」

 

彼女の脳内で再生されたであろう光景は正しく子作りとも言えるもので、年相応な知識が誤解を招き、文香は顔を真っ赤にしてアタフタと取り乱す。

ただ、残念なことに話がどこかズレていることに気づくわけもなく、そんなお互いの立場に気づかないながら美和は心配そうに後輩の顔を覗き込んだ。

 

「顔真っ赤だよ。大丈夫……?」

 

「ふあっ、誰のせいですか」

 

「んー? 私? でも、寝るくらい普通でしょ」

 

「普通じゃないです! 小説でも漫画でもそんな近親相姦だなんて、イケナイことですよっ!」

 

ついに言い切り、文香はハァハァと荒い息で胸を抑えながら自分の先輩を見る。しかし、さっきの言葉でようやく会話のズレを理解したかと思えば、そうでもなかった。

 

「でもねー、私は誠君と血は繋がってないんだ。なのに誠君ってば誘惑しても何しても平気そうなんだよ」

 

「……え、あれ?」

 

そこで後輩である文香だけが会話のズレに気づいた。

『誘惑しても何しても平気そう』ということは、男女間のねるという言葉とは意味とは違ってくる。それを理解すると同時に、文香の頭の中は羞恥に呑まれバグを起こしシステムエラーを起こしそうになり、ついには処理限界を超えてオーバーヒートしてしまう。

 

“寝ただけ”

 

エッチな事や交配ではなく、そのままの意味の“添い寝”と言われる就寝行動。

美和自身が誠に迫っていたのは事実なので近親相姦に関しては何も突っ込まれなかった。

その事実にすら頭はピントを合わせられず、目の前の問題提起に気づかないまま文香は狼狽え、全てにおいて切り捨て忘れ去ることを選んだ。

 

「うわわぁ、ごめんなさい忘れてください!」

 

「何を……?」

 

「ナニについてです!」

 

言葉が伝わらなかったのか美和は首を傾げる。

後輩である彼女、文香は先輩の馴れた天然ボケにも対応出来ず混乱し状況は混沌と化す。

 

―――その時、助け舟か泥船かナースコールが発せられた。

 

いきなりの事に二人して驚き、飛び跳ねるとそちらに振り向く。名前の横、点灯したランプには『長瀬誠』と表記されていた。件の議題の原因の一つである男の子がどういう要件か、タイミングよくナースコールを発したのだろう。

 

「あれ、誠君……だよね」

 

「そうですね。間違いないと思います」

 

だとして、美和自身疑問に思ってしまう。

彼は並大抵のことではナースコールを押さない。さらに言うと、傷口が開いたところで自分でどうにかしてしまう性格で、元より傷口を開かせるような事をする人ではなかった。

 

「あっ、もしかして楓ちゃんじゃないですか」

 

「なるほどね。じゃあ、私が行ってこようかな」

 

受話器を取り、相手の言葉を待つ。

が、受話器の向こうからは何も聞こえず美和は首を傾げるのみで、聞き返しても反応はなかった。

 

「うーん、おかしいな」

 

「誰も出ないんですか?」

 

「……もしかしたら」

 

――応答できないほど、危険な状態なんじゃないか。

不安が募り込み上げると、どうしても確かめたくなった。

 

「急いで行ってくるから、他の人が鳴らした時のために文香ちゃんは待機してて」

 

「わかりました」

 

返事が早いか、美和はナースステーションを出て廊下を駆けていく。焦燥感が胸の中で胸騒ぎとなり、もしものために走り出す。

 

 

そうして辿りついた病室、心臓病の少女と相部屋の部屋の前で美和は立ち止まり、躓きかけながらも扉を開き中に入る。

 

「誠君、いったいどうした……の?」

 

しかし、少年の姿は――なかった。

名前を呼びすぐに出てくることを願うも、どこかに抜け出したのかベッドの上は空っぽだった。

隣のベッドの上を見れば、見知った少女がスヤスヤと気持ちよさそうに寝ている。添い寝をしているために彼がその女の子と寝ているわけでも、ない。

 

部屋には誠はいなかった。

ただ、抜け殻のような布団だけが彼女を不安にさせたのだ。

 

 

 

□■□

 

 

 

同時刻、日の境目に入る前に院長室と書かれた部屋の中で男が笑みを浮かべながら、机にあるモニターを凝視していた。

 

「……思った通りだな」

 

モニターにはナースステーションが映っている。

その中、一人の女性――文香が出て行った先輩の心配をしながら椅子に座っていた。

 

受話器を取り、番号を打ち込む。

数回のコールの後、画面の中の文香は内線に驚きつつも電話を取るべく机に向かい、男はそれを見ながら相手が電話に出るのを待った。

 

『はい、ナースステーションです』

 

可憐な声が響く。その音に身を震わせながら、男は鼻息荒く応対する。

 

「あぁ、文香君か。実は少しこっちに来てもらいたくてね」

 

『はい…? えっと…私が出てしまうと無人になってしまうのですが…』

 

「院長命令だ。責任は私が取ろう」

 

『わ、わかりました……!』

 

すぐに伺うことを伝えると相手の方、ナースステーションの方から電話を切られる。彼女自身、上や下などの上下関係についてはある程度遵守するつもりで、性格も真面目なほうなのだ。だからこそ、院長命令とあらば従わないわけにもいかず戸惑いながらも仕事だと理解した。

 

 

電話を終えて数分後、扉をノックする音が響き渡る。

その音に誰が来たか確信を持っていた男は、期待に胸を膨らませながら扉を遠隔操作で開ける。

ピッ、という電子音を後に、

 

「入ってくれ」

 

と、言ったが外からは何も聞こえない。

この扉、部屋、防音加工が施されていて中の音は全て外に出ないようになっている。即ち、中から声をかけようが外には全く伝わらないのだ。

浮かれていた男は自分の今日この日のために重ねた計画から出た失敗に内心笑うと、椅子から立ち上がり些細なことだと割り切る。

 

「さあ、入って入って。君を待っていたよ」

 

「え、あ…はい…」

 

扉を開け、遠慮気味に文香は扉の中に足を踏み入れ後ろ手に扉を閉めた。途端、ピッという電子音とともに施錠され部屋は密室となる。

 

「座りなさい。楽にしてくれて構わない。すぐに紅茶を淹れよう」

 

「いえ、そんな…! 私がいれますので院長はお座りになっていて下さい」

 

上司に対する敬意から紅茶をいれようと申し出るが、ここはあまり入ったことのない場所であり、普段のように生活している院長とは違い全部の場所が判らない。

彼女自身、そう言ったはいいがポットなど勝手がわからない状況では、普段紅茶やコーヒーをいれることがあっても道具類を探すしか道はない。

 

―――ガシャン!!

 

そして、当たり前のように周りにあるものをひっくり返して、顔を青くする始末。

 

「はっはっは。いいから座ってなさい。道具の場所も判らないのであろう。客をもてなすのは私の仕事だ」

 

「は、はぃ……」

 

ひっくり返してしまったものを片付け、文香は大人しく椅子に座ることにした。ふかふかのソファーに腰掛け院長が手際良く紅茶をいれるさまを観ながら、ふと院長が取り出した包に視線を向けた。

 

「あの、それは……?」

 

「あぁ、これかな。砂糖だよ」

 

納得し、サラサラと零れ落ち紅茶に降り注ぐ光を見ながら疑問を抱いたまま胸を撫で下ろす。

何故か、胸騒ぎがした。どうしてかは判らないが彼女自身にはその粉は見慣れないものだった。そう、感じたことが一番の要因であるというのに、院長だからと内心安心していければ良いのだが……職務中とありそちらが気が気で仕方ない。

 

なら、早く紅茶を飲んで去ってしまおうと決めて院長の邪魔をすること無く終わらせようと思った。

 

漸くして紅茶がいれおわり、文香の前に紅茶が差し出される。差し出された紅茶は、

 

「アールグレイですね」

 

「正解。つい先日仕入れたんだ」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ、君もこれが終われば立派な看護師だからね。その前祝いにと思ったんだ」

 

「それ…では、遠慮なくいただきます」

 

カップを持ち上げ、口元に持っていく。院長はその間ずっと文香の方を見ており、その視線が気になり手の動きを止め目を瞑る。

 

「……見られていると非常に飲みにくいのですが」

 

「すまないな。感想が聞きたくてつい」

 

顔をゆっくりと背ける院長。

目を開けその姿を捉えた文香は、ゆっくりとカップを口に近づけ……そして。

 

 

 

―――ガシャァァン!!!!

 

 

 

カップを手から滑らせ、派手な音を立てて砕け散る。砕けると共に残った中身が飛び散り、それを見ることもなく文香は僅かに肩を震わせ、体の異変を感じた。

 

「わ、たし……あ、れ……」

 

二の句を継げられずに開いたままの口を塞げもせず、ソファーの上に倒れ込む。

そして、目に入ったのは院長――彼が下卑た笑みを浮かべて椅子の上に満足といった顔でこちらを見ている姿だった。

 

(私、なんで、動かないの……? 院長は、なんで……あれ、すごく眠くなって、きた……)

 

「疑問に思うこともあるだろうが、まずは眠るといい。おやすみ。そして、目覚めた時、君は新しい生活を手にするだろう」

 

微睡みに襲われる中、手放してはいけない意識を文香は手放した。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

私がナースステーションに戻ると、そこに後輩である彼女――鷹白文香ちゃんの姿はなかった。トイレかな、と思ったけど何が違う気がする。

そう言えば、誠君も院内にはいなかった。ベッドの上はもぬけの殻で……まさか、美海ちゃんに会いに行ったんじゃないかと思うけど……それはそれで安心だ。きっと明日の朝にはケロッとした顔で上機嫌に本を読んでいるに違いないのだから。

 

「どこに行ったのかなぁ……二人とも」

 

それでも気になる。

もしかしたら、あの子達……。

 

「……逢引?」

 

いやいや、あの子に限ってそれはない。

 

「文香ちゃんは男の子、無理だもんねぇ。誠君と会っているにしても、誠君って……いやいや、せがまれたら断れない性格だしなぁ。どっちかと言うと愛してくれる人を末永く愛しちゃう性格だし。まぁ、生まれて育ちがあれじゃあ歪んじゃうのも仕方ないんだけど」

 

時計が差す時間は午前1時。

時計を見る私は、今か今かと文香ちゃんが帰ってくるのを待っていた。

それにしても遅い。彼女は職務怠慢をやらかすような性格ではなくすごく真面目で、肩の力の抜き方を知らないくらいの真面目さを持っている。冷静で優しくてそんな彼女に限ってどこかに行く、というのもおかしな話だ。

 

「……やっぱりなんか可笑しいよね。探しに行こう」

 

親として、先輩として、ナースステーションを離れてはいけないけどそれでも探しに行く。

そう決め、懐中電灯を手に私はナースステーションを出た。緑の薄い光以外、全てが黒に染まった廊下で身震いを感じながら勇気を振り絞る。

 

「オバケなんていない、よね……ハハ」

 

幽霊なんているはずない、って信じたい。

病院で誰も死んでない、って信じたい。

噂では、たまに出るらしいのだ。

昔、この病院で亡くなった患者さんの霊が今でも何かを求めて夜な夜な徘徊する。

 

 

 

その時だった。

 

 

 

「あれ……? あの部屋……」

 

何回廊下を曲がったのか、気がつけば院長室の前まで来ていた。部屋から漏れる光は間違いなく、院長室からの光だった。

 

こんな時間に仕事なのか、今まで夜勤に参加したなど聞いたことは無い人、その人がこの時間帯に院内に残っているのはどうも不思議というよりも、何かしらの不安があった。

 

足音を抑えるように歩き、扉に忍び寄る。

そうして、私が中の気配に耳を澄ませた時――不意に手はいつものパスワードを入力してしまう。

文香ちゃんがこの中にいるかも。もしくは、院長が行き先を知っていたら。見ていないか、そう尋ねようと扉を開き私は胸騒ぎの……

 

「やぁ。よく来たね、美和くん」

 

 

―――元凶を知るのだ。

 

 

「えっ、あ…っ…文香、ちゃん?」

 

まるで来るのがわかっていたかのような口調に、私は驚愕に目を見張る。

部屋に入り、院長と同時に目に入ったのが――

あの娘、鷹白文香ちゃん。後輩だったのだから。

 

手錠のようなものでソファーに拘束された後輩。

眠るような表情、いや眠っているのだろう。両手はソファーの端に広げられるように手錠で固定されて、僅かに身動ぐことが出来るかどうか。両足も同じように広げられ、足首で同じ手錠のようなものを付けられている。

 

それは、そう……。

まるで、奴隷の拘束具のような物だった。

 

「院長、何やってるんですかっ!?」

 

「何って、セレモニーさ」

 

「セレモニー? こんなこと……っ!」

 

「許されるはずがない、とでも言いたいのか」

 

最初から問答は無用、議論する余地すらないと院長は最後の拘束を終えてこちらに向き直った。

それでも、まだ、間に合うかもしれない。院長も、文香ちゃんも幸せになれるようなハッピーエンド。まだ、彼は間に合うかもしれない、そう願い声を掛ける。

 

「これ以上はやめて下さい。そうしないと、本当に戻れなくなる。取り返しのつかないことになる前に、文香ちゃんを解放してください」

 

「ハハ……取り返し、ね」

 

嘲笑うように、院長の浮かべた酷く歪んだ笑みに私は一歩下がった。

 

「取り返しなどとっくにつかないところまできてるさ。それに私が告発されたところで、私の裏には暴力団が付いているから何の問題もない。むしろ、この娘を傷つけられて困るのは君だろう?」

 

「……っ!」

 

文香ちゃんから離れ、私に近づく院長はそう耳元で呟いた。

 

どうすればいいの。

そう聞いたところで、誰も答えてくれはしない。

文香ちゃんを置いて逃げて、電話で警察を呼ぶ?

―――ダメだ、その間に逃げられたり、文香ちゃん自身を傷つけられたら本末転倒、助けたとはいえない。

 

誠君なら、どうするのか。

私は必死で考え、思考を遮るように院長は一つの取引を囁き持ち掛ける。

 

「……もし君が私の提案を呑むというのであれば、この娘だけは解放しよう。なに、まだ一切手はつけていない」

 

「……提案って何ですか」

 

そう言うと思った。

ニヤリと院長が笑みを浮かべ、一つのマグカップを差し出す。

 

「簡単だ。君には私の妻になってもらうんだ。その上で今ここで、夫婦の営みをするのだよ。簡単だろう?」

 

「そのマグカップは……?」

 

「避妊用の液体さ。要らないかね」

 

簡単、とは口では言えたものの。

その行為は全てを裏切ることになる。

もしも、私が従ったら、文香ちゃんは返してもらえるのだろうか。

 

迷う必要なんてない。

 

迷う必要なんてない、筈なのに……思い出すのは家族たちの、私の大切な宝物たちの顔。こんな関係を持ってしまったら、美空にまで飛び火してしまうのだろうか。誠君はこれを知ったら、きっと……

 

 

 

 

 

「おこるんだろうなぁ」

 

 

 

 

 

差し出されたカップをひったくるように奪い、私は一つだけ約束をさせる。

 

「この娘だけは、解放する。私の家族には手を出さないって約束出来ますか」

 

「ああ、もちろんだとも」

 

その言葉を聞くと同時に、カップに口をつけて一気に中身を口の中に流し込む。味は普通の紅茶、のはずだけどやはり薬品の味がする気がする。

 

―――あ、れ?

 

突如、私の手からカップが滑り落ち、大きな音を立てて床に衝突すると砕け散った。それに続くように私の体からは力が抜け、倒れ込むようにして床に伏す。

そんな私の目に見えたのは、院長のニヤリと浮かべる笑みだけだった。

 

「因みに、副作用は体が動かなくなることだよ。それと、避妊効果があるというのも嘘だ。実は……この薬、媚薬よりも強力な効果があるんだ。むしろ妊娠しやすくなる」

 

首も、体も、足も、手も、指一本すら動かない。

そんな何も出来ない私を放置して、院長は――文香ちゃんの方へと向かった。

 

「おや、お目覚めかい。文香君」

 

「え、あ……院長? 私、なんで縛られて……」

 

「ふむ。同じものを飲ませたにしても、睡眠薬を混ぜたからか喋れるか。と言っても、十分には動けないようだけどね」

 

起きて漸く状況を理解したのか、倒れている私を見ると次第に文香ちゃんの顔は青くなっていく。言葉を口にしようとしても、パクパクと音を立てるだけで恐怖故か一言も発せないようだった。

 

 

「い、……いやあああぁぁぁぁぁ!!」

 

 

そして、泣き叫ぶように喚く文香ちゃん。

瞳からは大粒の涙を流して、抵抗しようにも薬のせいで動くこともままならず、ゆっくりと手足を動かすだけ。首だけは意外にも早く回り――ふと気づいたことがある。

 

「見当違いか。どうやらこの薬は筋肉そのものを抑制するのではなく、神経性のものだったようだな」

 

飲まされた薬は、筋肉そのものを動かせなくするものではなく、神経に抑制を働きかけるのか、と実験のように仮定していく院長。

つまり、本来は、神経系統に異常をきたしているということで、脳から神経に行われる命令そのものを無効にし動けなくするといったところだろうか。

それを打ち破ったのは、そういう理屈でもなく彼女の中にある恐怖心が無理矢理に体を動かしている。彼女には、それだけ怖い思いがこの状況にある。

 

 

なのに、私は何も出来ない。

 

 

「これもまた面白い。それとだな美和、残念なことに私はこの娘を解放する気などないよ」

 

制服に手を掛け、ビリビリといとも容易く破かれていく。

文香ちゃんはさらに声を高く、普段の彼女からは想像もできないほどに泣き叫び、目の前の男を見た。

看護師の制服が破け、白い肌が顕になる。最後の防衛ラインの下着ですら、無意味に見え、彼女の心の色と同じ明るい色が……薄暗く染まって見える。

そう見えたのは、院長が彼女を穢して、汚して、そういう未来が見えてしまったからだろうか。

 

院長は楽しんでいた。

泣き叫ぶ文香ちゃんを見て、何も出来ない私の反応を見て嘲笑うかのように、騙された私を『君もこうなるんだ』というように。

 

文香ちゃんの瞳は虚ろで、何も映していなくて、読み取れたのは助けを乞う色だけだった。

そして、思いつく限りの人の名前を呼ぶ。

泣き叫びながら、そう助けを乞うのは――私じゃなく。

 

「お父さん! お母さん! 助けて……!」

 

 

予想外の人物だった。

 

 

「―――誠さん、助けてっ!」

 

 

 

 

 

――――ピッ。

 

 

 

 

 

突如、誰も来ない筈の部屋に電子音が鳴る。続けて扉はガチャリと開き、1人の少年が入ってきた。

 

「……誠さん?」

 

静かに入ってきた少年が何事も無かったかのように文香ちゃんを見ると、その少年――誠君は僅かに微笑み安心させるように穏やかに……そして、院長へと向ける目は鋭く私へとチラッと視線を寄せると、そのまま目の前の的に何が起こっているか判っているかのように右手に怒りを灯らせた。

 

「もう大丈夫。絶対に手は出させないから」

 

「あ……っ!」

 

今度は別の涙が彼女の頬を伝う。

文香ちゃんの瞳には、僅かながら希望の色が見えた。

私が約束できなかった、その言葉に救われたのだろうか。

歳上なのに、そこまで気が回らなかった自分が悔しい。と同時に、いつもの誠君だと私自身嬉しかった。

 

そのいきなりの登場人物に、院長は驚愕に目を見開き文香ちゃんから離れ誠君を正面に捉える。

 

「お前、どうやって入ってきた! ここの扉は電子ロックが付いていてパスワード無しには開かないはずだぞ!」

 

「見れば判るでしょう? そのパスワードとやらを入力してこの部屋に入りました」

 

「巫山戯るなっ! ここのパスワードは美和にしか教えていないぞ!」

 

「馴れ馴れしく呼んで気持ち悪い。パスワードなんていくらでも見て盗める。例えば―――誰かがこの部屋に入る時に手の動きを観察したりとか」

 

確か、1度だけ誠君の前でパスワードを入力してこの部屋に入ったことがある。その時、間違いなく誠君は後ろにいて、多分その時にパスワードを覚えたんだろう。

 

……いつから手癖が悪くなったんだろう。

どうしようもない親としての叱らなければいけない気持ちと、今はこれのおかげで助かっている、という矛盾した思いが心を温かくしてくれる。

 

ありえない、有り得ない。

そう呟き続ける院長ははたりと口を止め誠君を見た。

 

「……待て、お前は何故ここにいる?」

 

「さぁ、どうしてでしょう。何故だか新型の危険指定の麻薬作っているあなたに辿りついちゃいました。そこで提案ですが、あなたには大人しく自首して欲しいのですが、如何でしょうか。その方が刑も軽くなりますよ」

 

「……残念ながら、その気は無い。成功を目の前にして逃げるなど愚か者のすることだ。もう止められはしないし、君にも止められない。君ごとき子供に何が出来る? 最後まで準備も全て計画済みなんだよ!」

 

「しょーもない。じゃあ、俺の勝ちですね」

 

おちゃらけた雰囲気の誠君は院長に見えない敗北を突きつける。それを鼻で笑い、相手にしなかった院長。それも予想通りだったのか、誠君の手回しは陰湿なようで、一触即発の事態に、私の頭はもうついていけなかった。

院長が懐に手を入れる。

次に手を出した時、その手には銀色の光るメスが握られていた。

 

「証拠がないだろう。人質がこっちにいるんだ。大人しくしていてもらおうか。それとも、君は目の前で彼女が凌辱されるさまを見るのがお好みかね?」

 

「あー、ほんと手遅れです。俺が何もせずに勇敢に死地に飛び込んだ馬鹿だと思ってるんですか」

 

誠君からすればそれは有り得ないほどの失態だ。

ここに一人で来ている、そう確信していた私は、後ろからの走る足音に一瞬ビクリと体を震わせた。

何故だか、すごく怖い。殺気が漏れ出ており近づくにつれて身震いが酷くなる。ただ、それは温かく心地のいいものだと知るのには十分だった。

 

「文香ぁぁぁぁ!!」

 

「誰―――あぐぉぉぁッ!?」

 

院長が一瞬、扉に視線を向けた瞬間、誠君が袖から何かを取り出し投擲すると、見事にそれは院長のメスを持つ手に刺さった。

煌めくナイフが、血を滴らせ、院長は無我夢中で手を抑え今にも転げ回らん勢いで悶絶する。

 

「この野郎ぉぉぉぉぉ!!」

 

悶絶する院長に扉からいきなり入ってきた人は、怒声を浴びせながら殴りつけ、突然のことに反応できず院長は床を転がる。

 

見たことのない人だった。

いや、そう言えば……1度だけ見たかも。

文香ちゃんと院内で言い争っていた。その時、喧嘩の内容はお父さんが心配して娘の職場を見に来た、んだっけ。

 

その人は院長の胸ぐらを掴み持ち上げると、あの時の娘から叱られている顔とは別に、激昴していた。今の娘の現状を見て、それも当然だろう。

 

「落ち着いてください鷹白警部。それ以上殴ったら謹慎になりますよ」

 

「構うか! よくも娘を、娘を」

 

「あんたが謹慎処分になったりしたら、生活費はどうするんですか。文香さんに頼みます?」

 

「貯金がある」

 

場を諌めようとする誠君は文香ちゃんの前に座り、鍵穴に針金を差し込みながら彼女を安心させようとしていた。怒り心頭の男の人は、娘にコートを着せることすら忘れているようで、ぐったりとしている文香ちゃんに代わりに誠君が持っていた毛布をくるまらせる。どこから出したんだろうか。

 

それよりも、気になる言葉があった。

 

「こんなことしてただで済むと思っているのか! 今にも私の仲間がここに――」

 

「あっ、来ませんよ。先に交渉してお帰りいただいたんで。因みに契約は破棄だそうです。それともう一つ、もう既にあなたの証拠という証拠は全部、この鷹白警部に渡したんで……というか現状を刑事に見られただけで詰みですけど。それ以前にこんなことしてただで済まないのはあなたの方でしょう」

 

誠君はいつから全てを知っていて、いつからこの時を止めようと必死に動いていたんだろう。また危ないことをしていたのか、私は気が気じゃない。

 

脱力する院長の肩、尚も激昴し怒りの矛先を向け損ねた男の人、被害者のケアをする誠君、そして安心し脱力すると共に眠ってしまった後輩の顔を見て私もまた安心するのだ。

 

警察車両に乗せられていく院長。

何事かと、騒ぎ始める病院。

誠くんはその日、勝手に退院した。




院長さん物語から退場。
殴り込むお父さんカッコイイね!
殺しかねない勢いでしたけど。


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第五十九話 再・初登校

投稿しない日が続いたので短くも投稿。
尚、打ち込むはいいがスランプから抜けられない。
脳みそがどんどん退化していく……。
あれ、俺、僕、私、ワシは何をして……?
やりたいことしか出来ないのは人間の性である。
そう思いたい。


 

 

 

【大手柄!? 〇〇病院院長逮捕ッ!!】

 

 

朝刊の見出し、トップを飾るのはこの記事だった。

でかでかと大きく文字で書かれた見出し、中央の写真にはとある病院で院長を勤めていた男と、厳つい自警団の組長の顔が写し出されている。

 

 

【今日未明、とある町の病院院長が緊急逮捕された。〇〇〇氏、〇〇歳。以前の院長が退職してからその病院の院長を勤めた男は、強姦未遂、麻薬取締法違反を行い、現場に駆けつけた自警団及び刑事が身柄を拘束した。他にも、院内の立場を利用したセクハラなど、患者への不快極まりない接触が行われたとして噂が絶えないが、当の本人は容疑を否認している。『あのガキッ!!』と何度も取り調べの最中に呟いていることから、彼自身も自らが作り出した麻薬中毒と断定。尚、現場には少年のような人間はいなかったと刑事、自警団、看護師は述べている。ただ……一人の看護師は一度、少年の存在を仄めかすような言葉を放ったが後に否定した。警察はその後も捜査を続けている】

 

 

新聞の内容に目を通しながら俺は紅茶を啜り、飲み干すとカップを机の上に置く。

と、ふんわりとした雰囲気の女性がティーポットからおかわりの紅茶をカップに注ぎ、

 

「でも良かったの? 誠君、正直に話してれば今頃学校の人気者だよ」

 

そんなことを言う。

あの事後処理の時、鷹白警部には協力の見返りとして情報の一部隠蔽を頼んだ。それは、俺の名前と存在を出さずに事を終えること。その身代わりとして、自警団ならぬ元ヤクザ――極道(赤城さん)な方々に協力を仰ぎ、ことを収めたのだ。

ただ、美和さんだけは納得のいかないようで憤慨したり苦々しげに笑ったりと、一応はいうことを聞いて黙秘を通してくれている。

――尚、眠ってしまっていた文香さんには口止めが出来ていないこともあり、少々不安だが。

それは置いておき、一先ず一件落着と、全てに置いて平和という日常は戻ってきたのだ。

 

「……それはどうでしょうかねぇ」

 

「え……?」

 

聞き返す美和さんに、俺はくすりと笑い紅茶にまた手を伸ばす。

 

「こういう荒事っていうのは、報復や復讐なんて全部を消さない限り続くんです。人間っていうのは単純で、怒りに素直ですから」

 

まぁ、囮にした赤城さん達には悪いと思っているけれど。それと同時に彼らは新しい仕事を手にし、新しい形の生活を手に入れるのだ。

初めて、世間から嫌われた彼らが、人の役に立った。

それは事実であると同時に彼らに二度と抜けない嬉しいという感情を打ち込み、彼らに生きがいを感じさせ、またその仕事に取り組もうとさせる。

そのデメリットが、ちょっとした危険というのは警察と変わらない気もするのだが。

これからは警察と協力し、事を運ぶという。

 

話し終えてから気づく。

学校の時間まで、後、一時間。

今日は編入――もとい復学。

遅れては、美海に怒られる。

 

「じゃあ、行ってきます。そろそろ行かないと美海が心配してくるんで」

 

これから美海の家に行き、二人で登校――なわけはなくサユや光、美空と一緒だ。

個人的には美海と二人で海を見ながら歩いたり、手を繋いだり、昔は出来なかった恋人繋ぎとかしてみたいのだが。

蒼穹、茜色の空、桜並木も、月明かりの下も、二人で歩けばそれはとても大切で特別な時間になるのだろう。

考えるだけで楽しい時間が、水泡のように現れては消えていく。

描いた二人の未来予想図は美空の提案で二人きりにしてくれるとのことで、サユと光は後から来るらしい。

妹の厚意に、俺は気恥ずかしく思いながらも、家を出た。

 

 

 

美海の家に着くとまず、インターホンを押す。

それだけの行動に僅かに躊躇い、深呼吸を繰り返す。

よしと意気込むと、今度こそインターホンを押した。

 

「はーい……って、誠君?」

 

ガラリと開けられた玄関から出て来たのは、アカリさんだった。

 

「あれ、そう言えば誠君って入院してるはずだけどねぇ。やっぱりそれも愛の力ってやつ?」

 

「はは……おはようございますアカリさん」

 

俺の姿を見て逡巡した後、理解する。

現在の格好は患者着などではなく、陸の生徒用制服だった。それに袖を通した俺を見て理解したのだろう。

『ちょっと待ってて』と言うと、奥に引っ込む。

その数秒後―――ドッタンバッタン!!

何度か少女の悲鳴にも似た声の後、アカリさんが再び玄関に戻ってきた。

 

「ごめんね誠君。美海ってば、寝癖を直してて、もう少し待っててもらえるかな」

 

「そうですか。別に気にしなくてもいいのに」

 

「ねぇ誠君、それって素で言ってる?」

 

「俺は寝癖だらけの美海も見てみたいですよ。むしろ俺がやりたいくらいです」

 

女の子の髪を梳かすというのは、男子にとっては至難の技だ。男と違い絹のような髪は厄介極まりないほど絡まったり、ダメージを受けやすい。

それをやると言っているのは、ただの興味本位ではなく、昔は良くやっていたからであり、美海に触れる口実が欲しいだけなのだが、

 

「お、おはよう誠!」

 

意外にも早く件の少女は玄関に現れた。

おはようと返すと、美海は僅かに視線を逸らす。

 

「あらぁ〜。初々しい。これからデート?」

 

「ガ・ッ・コ・ウ!」

 

「冗談に決まってるでしょ。それで誠君、今日はどっちに帰ってくるのかな?」

 

恥ずかしそうに叫ぶ美海を無視してアカリさんが聞いてくる。今のところ、俺は二つの選択を余儀なくされていた。美海と一緒の家に住むか、美空とチサキ、美和さんのいる家に戻るか。

もちろん、彼女と過ごしたいという願望もあれば、家族と共にゆっくりするという選択肢もあるのだが。

 

「実はアカリさん……少し提案が」

 

アカリさんを手招きし、耳元に口を近づけ囁く。

あからさまに、不機嫌そうになっていく美海が視界の端にちらついたが、その顔を見て親であるアカリさんはしたり顔。

 

「へぇー。うん、誠君がそう言うなら一応、至さんにも相談しておくよ。まぁ、絶対OKだと思うけど。それよりも気になるのは至さんが不倫しないかだね」

 

「その点は俺がいるので物理的に無理かと。というか、させませんし」

 

「ねぇ、二人で何の話してるの?」

 

話もまとまりかけたところで美海が乱入してくる。

相変わらず、アカリさんはニヤニヤと笑顔を浮かべるだけで何も無いと答えた。

 

「私だけ仲間外れなんだ」

 

「んー。まぁ、そのうち分かる」

 

適当にはぐらかして置いていく風に見せて、俺は歩き出す。その後を美海は必死に付いてきた。

家を出て、道路脇の舗装された道を歩く。

海の隣、その道は僅かながら、母親が死んだ時を思い出させたというのに。

 

 

「ねぇ、誠」

 

 

少し後ろを歩く少女がいると、それだけで掻き消えてしまう。

なんと薄情な子供だろうか。

親不孝な、息子だろうか。

今が楽しくて仕方なくて、昔のことが霞んで見える。

俺が立ち止まると美海は少し後ろで立ち止まり、僅かに距離を保ったまま、俺の手に視線を向ける。

 

「なんだ、隣を歩かないのか?」

 

少しいじわるく挑発してみた。

昔とは違う。いや、昔も、隣を歩いていたけれど。

子供のように背中にぴったりとくっついていたけれど。

いまは俺の彼女なのだ。

 

「……て、繋いでもいい?」

 

「くくっ。どうぞ」

 

おずおずと差し出された手が揺らぎ、俺は内心その行動に笑ってしまった。

まるで焦らされているようなその感覚。

待っていたのは、俺だったのだろうか――少女のゆっくりとした心の準備運動に苦笑しながら、手を優しく引っ張っる。赤面する美海。そこから俺は更に指先を絡めるようにして、繋ぐ。

温かくて、安心するその小さな少女手はなめらかで絹のような肌触りだった。

 

「…………」

 

二人して沈黙する。

 

「どうしたんだ。行くぞ、美海」

 

「う、うん」

 

そして再び歩き出す。

二人で、二人して手の感覚に幸せを感じながら。

もっとも、焦っていたのは美海で俺ではない。

ぼーっとした美海は隣を歩きながら、顔を見せないように俯いていた。

 

数分間そうしていただろうか。

 

 

「だから、美海の邪魔しちゃダメだって!」

「おせぇんだから仕方ねぇだろ。誰かが呼びにかなきゃあいつらいつまでもイチャラブしてるぞ!」

「それがいいんですよ、光さん」

「意味わかんねぇ! だいたいこんな朝っぱらからイチャイチャするなよ」

 

 

気がつけば、光とサユが言い争う声が聞こえ、仲裁に入るというより――サユ派の美空の割りいるような声が聞こえてくる。どちらかと言えば、光を諭す美空の大人びた対応そのものが原因なのだが。

 

「朝っぱらからイチャイチャして悪かったな」

 

「おぉ、わかる奴がいたか……。ほらな、朝からくっせえラブコメみたいにしてる奴の神経疑う同士が…うん?」

 

振り返る光は般若でも見たような顔をする。

その頭に、俺はアイアンクローを決める。

 

「いだだだだッ!! なにすんだよ誠!?」

 

「いやー、ほら。俺ってさ、いますごい機嫌いいけど俺も恋愛脳で悪かったなと邪魔な光を洗脳しようかと。というか、お前も考えたことくらいあるんだろ? マナカと手を繋いで歩いたりとか――」

 

「わっ、わわっ!? わかった、わかったからお願いですからこの手を離してください誠さん!」

 

「よろしい」

 

アイアンクローを解き、光の頭は潰れることなく野に放たれる。

隣で赤面する美海はまだ他の人に言われることに慣れてないのか、手まで熱くなっていた。握る力が強くなったり弱くなったりと変わる中で、俺が一度手を離すとがっしりと掴んできた。

 

「んじゃあ行こうか……って、美空さん、何で俺の腕をがっちりホールドして離さないんでしょうか」

 

その反対に妹が腕を組むようにして抱き着いてきた。

豊かな胸は俺の腕へ押し付けられるように、形を変えて卑猥にゆがむ。

 

「妹の特権です♪」

 

―――の割には楽しそうですね。

と、自然な笑みを浮かべる妹にはかなうはずも無く、心の内に言葉を押し留めた。

尚、美海は恋人の余裕か気にすることは無かった。

 

そうしてダラダラと通学路を歩く。

生暖かい視線半分、男子の殺気に似た視線を半分受けながら。

この時、その後のことを考えていなかった俺は、後に大変なことになるのをまだ知らない。




因みに、これは後日談的なあれも兼ねている。


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第六十話 教室の蟲惑魔

〜前回のあらすじ〜
仲睦まじく、両手に花で登校。


 

 

 

――動物園の猛獣はこんな気分だったに違いない。

 

目の前の奇怪なものを見るような視線を静かにスルーする中で俺が思ったのはそれだった。

 

今、目の前に新しいクラスメイト達が席に着き、動揺や興味、苛立ち、嫉妬、傲慢などの様々な種類の視線で壇上に立つ俺を凝視していた。誰もが騒ぎ立てることもなく、皆一様にポカンと口を開けている。

 

「初めましてだか久しぶりと言った方がいいのか、巴日の日に会った人はお久しぶりです。長瀬誠です。よろしくお願いします」

 

流れのまま自己紹介を即決で終えた。

それでもまだ、クラスメイト達は何も話さなかった。

 

「えーっと、最初にも言ったようにこんな見た目だけど彼は五年前眠った一人で、光と同じ中学生だからね」

 

再度の注意と共に席を紹介される。指定された席は奇跡的にも美海と美空の隣、二人の間に入るようにとそこは空っぽがあった。欠席者ではなく空いている席らしいそこに腰を下ろすと、俺は鞄を置いて目を瞑った。どうやら席替えが行われていたようである。前とは違い、微妙な人の入れ替わりが感じられた。

 

男子生徒の視線が凶器のように背中を刺す。その中で救いなのは、女子生徒の視線が黄色いことだ。何やらひそひそと噂話が聞こえるが俺は頬杖をつき、知らんぷりを決め込みやり過ごそうとしたのだが、

 

「今から一時間目は好きな質問をするといいよ。あと、彼は怪我人だからほどほどにねぇ」

 

善意のつもりか先生が宣言すると、女子生徒の僅かな悲鳴が上がる。

 

あぁ、動物園の猛獣なんて生温い。

例えるなら、首に鎖をつけた猛獣の群れに餌の兎が一匹真ん中に放り込まれ、鉄柵のない中己の選択を頼りに誰に食われるか、はたまた動かず生き延びるかの選択を迫られているようなものである。

 

実際、兎の首輪はついておらず自由の身であるにもかかわらず、猛獣と兎は同じ檻に入れられているために生死の境をさまよっている感じだ。

 

「それじゃあ、あとは美空と美海の二人に任せるからねぇ。先生は別件の用事があるから」

 

そうして、教師(飼育員)は話題に腹を好かせたクラスメイト(猛獣)を同じ教室(檻)の中に放置して去っていった。

頼りない、俺の飼い主に全てを任せて。

 

 

 

 

 

先生が教室を出た瞬間、すっと音が消えたように場は静まり返る。誰もその場を動くことはなかった。

僅かな沈黙が教室を支配し、声を掛けたいのにかけられない、そんなクラスメイトの様子が伺える。そんな中、堂々と横から椅子を動かし近づいてくる一人の少女が、俺の隣へと陣取った。

 

「では、皆さんに代わり私が質問しましょう」

 

妹だ。美空だった。

ゴクリ、とクラスメイト達の息を呑む音が一致する。

 

「皆さんが一番聞きたいのは、私と美海ちゃんと兄さんの関係ですよね?」

 

『兄さん』と呼んだ瞬間、動揺が走りクラスメイトの一部はさらに息を呑むもの、ほっと安心する声が増え主に男子生徒達がなんだライバルじゃないのか、と力を抜くものに別れた。

 

――なんだ? 嫌な予感がする。

 

しかし、どちらかと言うと美空が一人でに質問を自分で起こして、答えようとしているようにも見えた。

そんな不安を現実にするように、美空はクスリと微笑むと口を開き、

 

「まず、私と長瀬誠、つまり兄さんは私の腹違いの兄妹です。血は半分繋がっています」

 

「え。え? どういうこと?」

 

「母親が違うんです。兄さんは海で生まれたのですが、私は陸で生まれたのでパパは同じでも私にはエナがありません。確かに特徴的に似ていることもそこまでありません。それに兄さんは小さな頃から、一人で生きてきました。兄さんのママが死んでパパが出て行って……私が兄さんの存在を知ったのも五年前で、それまで兄妹はいないと思っていました。その間、兄さんは一人だったのに」

 

「ということは……」

 

「はい。私の母親は兄さんから父親を奪った悪い人ですね。それから兄さんは一人暮らしをしているのですから、それを知らないで毎日を過ごしていた私は酷い女の子です」

 

思った以上に暗い話に場まで暗くなる。

割り切った話だったから、美空を咎めることも出来なかった。何より美空自身も自分を責めているのだろう暗い表情に俺は嘆息する。

気にしなくていいのに。

そうでもならなければ、美空は生まれてこなかったのだから。今では妹の存在に感謝している。俺の想いを知ってか知らずか女子生徒の一人が励ますように身を乗り出した。

 

「美空ちゃんが気負っても仕方ないよ!? お兄さんを棄てたのは、こう言ったら悪いけど、お父さんで。それに美空ちゃんだって、病気で苦しんでたんだから」

 

果たしてそれはお相子で済むのかと言われれば、お相子ではないのかもしれない。

そうだそうだ、と美空を励ますよう他の子達まで声をかけ始める。主に男子生徒が、美空を好きなのであろう者達が便乗していく。ある者は俺を横目で睨み、優しい声で美空に好かれようと群がっていく。

 

――それ自体が罠だとは知らずに。

その一人である、男子生徒が面白くなさそうに呟いた。

 

「早瀬は悪くねぇ。……なぁ、あんたはどう思ってるんだよ。兄貴なんだろ?」

 

周囲の視線が一斉にこちらを向く。一触即発の雰囲気に気圧された様に、また教室は静まり返った。答えが知りたいのだろう。

この空気に耐えられない、責め立てられているような雰囲気に、バンっと机を叩いて彼女が立ち上がる。

 

「誠を責めるような言い方は止めてよ! 誠は怪我してるんだよ、本来なら病院にいなきゃいけないくらいの。興奮して傷口が開いたらどうするの!?」

 

「んなの俺が知るかよ。潮留こそお前、家族のような存在だって言ってたけど結局は赤の他人だよな。小学校の頃からずっとだ。散々、実の兄貴みてぇに自慢して、よくもまぁ早瀬相手にそんなことできたよなぁ!」

 

「ちょっと、沢渡! 美海も美空もその時はお互いに知らなかったんだから、言う必要は無いでしょ! そんなの当人達が一番知ってるわよ。というか、あんたも何なわけ? あんただって赤の他人じゃん!」

 

美海の心配から喧嘩に発展し、サユまで参加しての言い争いが激化。その様子をとうの起こした本人である美空はいつもながらのニコニコとした表情で傍観している。

 

「なぁ、あれ止めなくていいのか?」

 

肩を後ろから叩き、光が囁くような声でそう聞く。

それに対し、やれやれと掌を上に向けてみせる。

 

「今のうちに吐き出したいことは吐き出しとけばいいんだよ。まぁ、多分、言いたいことは増えるけど」

 

「お前は言いたいことねえのかよ? 例えば、美海は俺の彼女だから手を出すなよ、的な」

 

茶化すように光がニヤリと笑った。

 

「言うよ。頃合を見てだから、光は無駄に手出すなよ。お前が口を出すとややこしいことになる。あっ、俺の叔父になるんだからやっぱり参加する? 間接的に美空も家族になるんだし」

 

「お前、もう結婚する気なんだな……」

 

呆れたように光が机にもたれかかって、ギシリと椅子が悲鳴を上げた。その音すら意に介することなく目の前の喧嘩は激化を続ける。

俺が叔父さんかなんて呼んで欲しい、と聞くと苦い顔で気色悪いと返す。昔から俺達は幼馴染みで呼び方が決まっている。今更変えるなんて到底できやしない。そんな話題に乗り換えながら目の前の喧嘩を眺めていると、俺が意図的に避けていた質問へと辿り着いてしまった。

 

「――そういやさ、お前って何でも出来るから当たり前だとか思ってたけど。実際、自分の妹のことどう思ってるんだよ?」

 

「あー……それ聞く?」

 

恨んでいるのか、妬んでいるのか。

そんなの昔から決まっている。元から、俺は、

 

「別に恨んでなんかないよ。もし親父が出て行かなければ俺は美海に会えなかった。強いて言うなら、借金やら何やら残して妹と美和さんを不幸に貶めた親父を殴りたい」

 

――妹には罪なんてない。そう思っていたのだから。

 

恨んだことも妬んだこともない。美和さんにも怒ったことは無い。家族の関係とはかけ離れてはいるけれど、純粋な気持ちは好ましいものだった。

 

「なら目の前のこれ止めろよ。答え出てるんじゃねえか」

 

「あれ、お前の質問に対する回答は出してないぞ」

 

「まだあんのかよ」

 

「言ってないけどさ、俺だってまだ割り切れてなかったりするんだよ。美和さんや美空が家族であったとしても、裸を見せられたりしたら男として反応するし密着されたら逃げられないし、しかも逃げたりしたら何か凄く寂しそうで泣きそうな目で見てくるんだ。昨日今日まで家族じゃなかった人達が好意を持っていて……。そうだな、お前はマナカがいきなり実の兄妹って言われて諦められるか?」

 

光にわかりやすく例話を言ってみると、同感したように頷き腕を組んだ。

 

「……なんとなくわかったわ」

 

実際、それより質の悪い話なのだがそこは理解してもらわなくても少しだけこちらの気分が晴れた分楽だった。

 

「――で、お前の気は済んだのか?」

 

「はい、それはもう。兄さんが私に肉欲を抱いているということは大収穫でした。じゃないと私、本当に女の子としての自身失っちゃいますよ」

 

盗み聴いていたであろう美空は満面の笑みで擦り寄るようにして、俺の隣へと移動する。本当に嬉しいようでえへへ♪と上機嫌に俺の腕を絡めとっては抱き着いてきた。美海が喧嘩に混ざっているのをいいことに。

それを拒まないあたり、俺も同罪だ。罪悪感免れぬ状況から逃げるために、美空を引き剥がすことなく別の解決策へと俺は挑むことにする。残念ながら妹を引き剥がす選択肢は解決策に含まれていなかった。

 

「おーい、喧嘩してるそこの3人」

 

「なんだよ部外者は引っ込んでろ!」

「なに!?」

「あっ、誠……」

 

部外者云々は気にしないことにした。

美海だけは俺を見て、少しだけ冷静になったが、隣にいる美空を見てむっと怒ったように脹れた。

私のなのに―――。

そんなオーラがひしひしと伝わり、挑発するようにわざと美空は抱き締める腕の力を強くした。制服の上から感じる柔らかさ。間違いなくそれは、女性的な象徴で男性には凶器と言える代物だ。クラスの中で比較すると一番大きく形の良いそれは理性を崩壊させるには充分にある。

 

その光景が面白くなかったのだろう。喧嘩をしている沢渡なる少年と周囲の男子生徒達の目は『嫉妬』『羨望』に変わる。

 

「あのさー、君たちはなんで喧嘩してるのかな?」

 

「うるせえよ。お前は何してんだよ、早瀬から離れろよ!」

 

話の腰を折らないで欲しい。

仕方なく、言うことに従って俺は席を離れて美海のいなくなった椅子へと座る。若干、男子数名が反応したようだが無視した。

これで満足だろ? と、視線で示した時だった。

美空は自分の椅子から降りると、俺が先程まで座っていた椅子に腰をかけて俺の腕をとる。その行動が想定外だったのか少年は苦い顔をして舌打ちを打つ。

 

「さっきの質問に答えようか。お前はそれに答えて貰えば満足なんだよな?」

 

「……ああ」

 

沢渡と呼ばれる少年はまだ言い足りなかったのか、それとも聞ければいいと思ったのか、急に大人しくなる。

俺の答えはさっきとほぼ変わらないものだった。

美空に聞こえていようがいまいが構いやしない。

喜ぶならそれでいいし、ドン引きするならそれでいい。

俺は愛おしい蠱惑で魅力的な妹の頭を撫でながら、その答えを吐き出した。

 

「端的に言うと、俺は美空のことを恨んでもないし憎んでも妬んでもない。さっき美空が言ったことは本当だ。小さな頃から一人で暮らしてきたし不安はなかった。それに一つ言うと、美空が知る前、生まれる前か……俺は自分から提案を蹴ったんだよ」

 

「……は?」

 

「家族になろうって美和さんから、美空の母親に言われたんだ。間接的にだけど、親父にそう言われて、会うこともなく俺は迷わずそうした。自分で選んだんだ」

 

自ら茨の道を選びそこを進んだ。迷うことは無かった。誰よりも母親を忘れたくなかったから、死んだ原因は自分だから。責任感がそうさせたのか、今では正しくもなく間違いでもない選択だった。

だって、美海に会えたのだから。

そうしなければ、今の俺は此処にいない。

 

それにだ。

 

「今では良かったと思ってるよ。美空のことは嫌ってなんかない。生まれてきてくれて本当に嬉しかった。家族としても、女の子としても、大好きだ」

 

「はい。私も兄さんのこと大好きですよ。兄さんのことは一人の男の人として愛してます♡」

 

愕然と沢渡は口を開けたままだ。

女子生徒達が黄色い声でキャーキャーと騒ぐ。

放たれた美空の爆弾発言。

それをスルーしながら、俺はちょいちょいと美海に手招きをする。

 

「次は俺からだ。お前さ、美海は赤の他人だとか言ったよな。知らずに美空相手に自慢したとか、それが恥ずかしいだとか」

 

寄ってきた美海は俺の隣に立つと、不安げに見つめてくる。その手を優しく掴み引っ張る。掴むだけで少し心が温かくなる。

そして、引っ張られた美海は体勢を崩し俺の膝上へと尻から着地した。引っ張った腕はそのまま繋ぎ、後から腰を抱くように回し固定する。

 

「ちょっと誠!?」

 

恥ずかしそうに美海が顔を赤らめ、抵抗を見せる。

形だけの抵抗。本気で嫌がっているわけではなく、スカートを抑えて見えると注意すると大人しくなった。

 

「そんなことは無い。俺は少なくとも美海を妹のように大切にしていたつもりだよ。無関係でも赤の他人でもない、今じゃ俺の大切な恋人だ」

 

そう言って、美海の頬へとキスをする。

本日二度目の、黄色い歓声が上がった。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

放課後。

堤防の横を歩いていた。

サユ、光、俺の横で朝と同じく腕を組む美空、疲れきったような美海の手を握り、5人で帰路を進んでいく。

茜色が海を染める。

その光景に俺は惹かれていた。

 

「――まったく、あんたのせいで美海はとんでもない目に遭ったんだからね」

 

「キスの事?」

 

「そうに決まってんじゃん! いきなりみんなの前でキスとかどういうつもり。美海見てみなよ、抜け殻みたいじゃん」

 

あれから、質問攻めにあい大変だった。

主に女子生徒が恋愛関係について気になるのか、俺と美海を質問攻めにしたのだ。告白したのはどっちだとか、どっちが先に好きになったとか、いつ好きになったとか、いつから付き合っているのかだとか、初キスはいつどこでどんなシチュエーションで……など。その先は言えない。

その大半が美海である。告白したのは美海、先に好きになったのはおそらく美海、初キスは実は俺が寝ている間に幼い美海が奪っていたとか。

今度、いたずらをしてやろう。そう思った。それくらいなら俺にも許される権利のはずだ。元は美海が寝ている俺にしているのが悪いんだし。

 

「……」

 

美海を見てみると、赤い顔でぼーっとしながら無心で道を歩いている。心ココにあらず、といった感じだ。

 

「で、あんたなんであんなことしたわけ? 美空もいまさらだし」

 

サユのジト目が射抜く。

俺は美海の耳を優しくつまみ、頬をぷにぷにとつっついたり、好き勝手していた。

ああ、愛おしいなこの娘は。

と、現実逃避も程々に美空へと目を向ける。

 

「……全部、美空の仕組んだことだぞ」

 

「はぁ?」

 

「俺を利用したんだよ。自分が好ましい状態へとことを持っていくために、な」

 

ふふふっ、と美空が妖しく微笑む。

 

「実はですね、全部振り落とすためのお芝居だったんですよ。私が兄さんとゆっくり学校生活をおくるための、計略といえばいいでしょうか」

 

それにしては蠱惑的過ぎた。

 

「俺の目的は美海と美空に這い寄る狼を遠ざけること」

 

「私の目的は、兄さんと私に言い寄る人達を排除して静かな生活を送ることです」

 

二人の目的は一致しているようで違う。

美空の願いは、もっと奥深くにあった。

 

「のように見えてそれは前段階で、美空の目的は皆に兄妹で恋愛関係と思わせることだ。それもいい方向に」

 

「兄さん、知ってたんですか?」

 

「気づくに決まってんだろ。あれだけくっついてきて気づかない方がおかしい」

 

不思議そうな美空にデコピンをくらわせると、酷いと言いながらも嬉しそうに笑顔を見せる。

 

「兄さんの目的は美海ちゃんと学校生活を静かに送りたいだけだったんですよ。それには付き合っていると公言するだけで良かったんです。でも、私の爆弾発言と裏切りがあったこと、ついでに沢渡君に美海ちゃんのことを悪く言われたのでつい兄さんは熱くなっちゃいました」

 

だから、キスをしてしまった。

本当なら口でも良かったけど、自重した。何よりも美海がキスしているのを見られたくなかったから。

けれど、美空の爆弾発言は不発どころか女子生徒ウケはすごく良かった。

 

「結局、何がしたかったわけ?」

 

「ハハ……、それ言われると俺の負けだな。俺は美空の近親相姦発言を回避してゆっくり過ごしたかっただけ。美海と一緒に平凡に進んできたかったんだ。でも、美空が兄を男として見ていることを公言した上に応援されて、俺の周りには逃げ道がなくなってる。少なくとも美空の思惑通り、男子の友達やら女子やらは寄ってこなくはなったな」

 

つまりあれだ。

美空は教室の仲間達に恋を応援されているのだ。

気味悪がる人はいない。同情を煽った上に、自分の気持ちを他人に認めさせた。

だから、美空が教室内で愛を囁いてもおかしく思う人はいなくなるわけだ。その対象が俺だとしても。

そのついでに自分に言い寄る男をなくすために、俺にデレデレと胸をくっつけたり見せつけたりするようにして、隙に入る余地すらなくしたわけだ。

 

「兄さんってば、あそこで私を大嫌いって言っておけば良かったのに、優しいんですから」

 

美空の願い事が叶っただけで完全敗北だ。

初めて負けた。

それでも、悪い虫を払えただけ良かったのもしれない。

 

「お前ら、いつそんなこと相談したんだよ」

 

「してないですよ、光さん」

 

「は?」

 

「どっちもお互いを利用したけど、俺はまんまと美空にしてやられたわけだよ」

 

意外そうに光がニヤリと笑う。

まさか、誠が負けるなんて、と。嬉しそうだ。

茜色の空の下。

夕焼けに染まった俺の彼女はとても綺麗だった。




お久しぶりでごめんなさい。
最高で一ヶ月空けるだけのつもりが、約二ヶ月も空けることになってしまいました。
久しぶりに凪のあすから見たらテンション上がったよ。
やっぱり美海は癒しです。
それはそうと、書きたいものがいっぱいあるこの頃。
チサキルートを模索中です。
初めから書くのは面倒だしどうしたものか……。
色々とポイントはあるんですけどね。
凪のあすからを全話見直さなければ、夏は越せない!


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第六十一話 過去を乗り越えて

お久しぶりです。
寒くなってきましたね。
こんな季節になってくると冬眠が羨ましく思います。


 

 

 

夏という季節は暑いという印象が一番に思い浮かぶだろう。そうめんが美味しい季節、と答えるものがいるかもしれないが、近年稀に見ぬ気温の低下のせいか夏というものは雪の見える季節になってしまった。

 

それすらも忘れてしまいつつある、異常が異常だと認識できなくなった脳で、目の前の生徒達は目前の光景に全てを思い出した。

 

暑い。今って、夏だっけ?

夏って、こんなに暑かったっけ。

あれ、変な汗が止まらないよ。

 

その原因は間違いなく目の前に立つ、一人の男と整列する若く屈強で人相の悪そうな人達だった。

 

「お前ら、一つだけ約束事だ。絶対に中坊共と喧嘩すんじゃねぇぞ。協力して、成し遂げるんだ。いいな?」

 

「「「「へい!! 親父」」」」

 

赤城さんにその下っ端等々が元気に返事を返す中、固まった表情のクラスメイト達は一心に思う。

 

――いったい、どうしてこうなった。

 

 

 

――数時間前。

 

 

 

午前の授業が終了し、残るは午後の授業のみとなった昼下がりのこと。授業の開始時刻に遅れてやってきた先生が、突然告げたのだ。

 

「今日の授業は中止。これから、夏祭りの準備の手伝いに向かうからねー」

 

上がる歓声は生徒全員分ほどだろうか。よっしゃーと喜び拳を握ってガッツポーズをする生徒がチラホラと見えた、その中に美海と美空はいないが、サユちゃんと光は間違いなくそうしていただろう。

背後の気配から、光とサユちゃんはうっしと男らしい声を上げていたのだから。

 

しかし、沸き立つ教室の中で、一人だけ怪訝に手を挙げる妹が尋ねる。

 

「えっと……因みに、もしかして、この山の上で行われる祭りのですか……?」

 

「うん。よくわかったね、美空」

 

肯定に少しだけ美空の表情が曇る。

それもそうだろう。今まで、取立てやら何やらで相当に怖い思いをしてきたはずなのだ。祭りの出資者であるその相手の手伝いとなると、容易には喜べない。

なにせ、出資者は赤城さんで、祭りの主催者は組員達が総出で準備を行っているのだ。それの手伝いとなると、不安が大きく出てしまうのだろう。続けて、一度下げた手を挙げて美空がおずおずと尋ねる。

 

「人の配置は決まっているんでしょうか…?」

 

これに男共は耳を欹てる。嬉々として聞き入り、先生の言葉を待つまでもなく、一人の男子生徒が挙手すると同時に声を上げた。

 

「先生、人員配置なら男女混合がいいと思います!」

 

――願望がありありと見て取れる。

美空とお近付きになりたい男子生徒が、僅かでもその可能性を大きくしようとしたのだろう。あわよくばいい雰囲気になって、恋仲になろうと、打算した結果。

そう見ても可笑しくない言動に、他の男子生徒も便乗しながら自分の優位に持っていこうとする。

 

「先生、なら今の班で行動ってのは――」

 

「はぁ!? ふざけんなよ、振り直しだろ!」

 

「班分けは先生に決めてもらおうよ」

 

堂々巡りで振り出しに戻った。不安げに美空が制服の裾を引っ張ってくる。兄さん、とは口に出さないものの訴えているようにも見えた。

だから、この先の結果すら見通していない先生が口を出す前に、俺は先手を打つ。

 

「先生。振り分けは“あちらとの相談”で決めた方がいいかと思います。先に、お待たせしている人達と顔合わせをしませんか?」

 

「だ、だけどねぇ……ある程度は決めておかないと申し訳ないと言うか、ねぇ」

 

「問題ないです。すぐに決まりますから」

 

「……そうだね。お船引の時もきみがまとめ役だったんだし、任せてみようか」

 

こうして、移動の間、全く無意味な自分の有用性の売り込みが始まったのだ。

努力が全て、無駄になるとも知らずに。

 

 

 

――回想終了。

 

 

 

誰もが知っていたはずの祭り。それを取り仕切っていたのは鷲大師でも有名な組員達。勿論のこと、毎年恒例の祭りに参加している少年少女は夢見ただろう。店員の顔を一々見ていない、覚えていなかった、目は祭りと大切な人に向けられるばかりでいいとこ見せようとした結果がこれだ。

 

こんな怖い顔の奴らと普通に喋れ?

――冗談じゃない。

 

誰もが動けなかった。可愛いあの娘に格好つけていいとこ魅せようと、他の男子を出し抜くチャンスだというのに、声すら出すこと叶わず。

 

思った。

 

身動ぐことあらば、殺られる、と。

 

 

「あー、挨拶をさせて頂く。赤城って、まぁ……こいつら馬鹿どもの親みてぇなもんだ。祭りの準備にあたり基本は俺が指揮させちゃ貰うが、もし何かあれば俺に言ってくれ」

 

赤城さんの長話も程々に言うこともなかったのか、よく通る声で手短に挨拶を済ませると、中学校から来た増援を見渡す。そうして、一瞬俺を見るとニヤリと笑みを浮かべて、目を瞑った。

 

「それでだ。役割を分担するにあたって、先にそちらの統括をするリーダーは誰か決めてもらいてぇんだが?」

 

威圧する眼光に男子生徒達普通は身震いする。

美空を見て、己を奮い立たせる者もいたが、流石にあの強面相手には勝つほどではなかったのか、頭を下げて目を合わせないように俯く。

お前行けよ。お前が逝けよ。嫌だよ。早瀬さんにいいとこ見せるチャンスだろ。

次第にそれは言い合いと押し付け合いにヒートアップしていく。その最中で、俺はわざとらしく声を上げた。

 

「じゃあ、俺でいいか?」

 

あ、はい、としか頷けない男子生徒達がやむを得なく了承する。それを見届けてから、赤城はこうなることをわかっていたかのように、

 

「よお、坊主。随分と久しぶりだな」

 

「ええ、まぁ。燕さんは元気ですか?」

 

「あー、一度、実家に帰ったんだがなぁ。どうやらこっちと実家を往復しまくってるみてぇだが、その話はお前が聞いた方が早いだろう」

 

直後、木が地面を踏み鳴らす音と共に、一人の女性が足早にこちらへと接近してきた。

 

「誠様ぁー♡」

 

猫なで声で俺の名を呼ぶ、浴衣を着た燕さんが生徒の群れを掻き分けて危なっかしく走ってきた。手前で停止しようとしたのか、足を止めようとするも上手く行かず、もつれさえこちらに転けかける。

その身体を抱き留めた。数歩の距離が足りなかったが為に一歩前に出て、抱き留めた瞬間、慌てた彼女は顔を真っ赤にして離れる。

 

「わわっ、ごめんなさい!」

 

「謝ることじゃないですよ」

 

「そうだね。ありがとう。……でも、恩人の君にそう言われちゃうと、ね。敬語はやめにしない? その話し方だと、他人行儀みたいだから……」

 

俺としてはそれこそこそばゆいのだが、哀しそうに俯かれるとそうも言ってられない。

何よりも、組員達の刺すような殺気が痛かった。

 

「わかりました」

 

「もう、敬語抜けてないよ」

 

――ごめんなさい。性分なんです。

 

「……努力させてもらいます」

 

「ふふっ、でも、誠様の優しい喋り方は好きだよ」

 

今度は、美海のジトっとした視線が突き刺さりやむを得なく会話を切り上げることにした。積もる話もあるようだが、今は夏祭りの準備に忙しく、時間を割いている場合ではない。

 

「じゃ、任せるぞ燕」

 

「はい、承りました」

 

頃合を見計らって赤城さんが脇へと移動する。

先程まで頭が立っていた場所に迷わず燕さんは立つと、座り縮こまっている中学生達を見回して、元気に挨拶を仕掛けた。

 

「はーい、ちゅうもーく!」

 

唖然としていた生徒達が正気を取り戻す。

ああ、まともな人だ、しかも可愛い、綺麗。

と、男子生徒達が生気を熾し再稼働する中で、女子生徒達も次第に燕さんに見惚れ始める。

そうして沢山の注目を浴びた中で、燕さんは心を掴むためか自己紹介を始めた。

 

「私は桐宮燕、っていいます、よろしくね」

 

微笑む聖母に天使だと騒ぎ始める。

女子生徒が男子は単純だと、汚物を見るような視線を浴びせた。

それを気づいているのかいないのか、燕さんは無視して司会を務めていく。その最中で決心したように俺を見て、微笑んでから、

 

「私はね、実はこの人達とある人に助けられてここにいるの」

 

そう、告白した。

誰もが黙って聞く中、昔語るように、

 

「私が結婚するはずだった男性は最悪で、災厄だった。ドラッグを使うは人を非検体とかいって新薬の実験に無理矢理使うし、私もその例外じゃなかったの。地獄のような日々だった」

 

何人かの肩が震えた。

同じものを見るような目で、燕さんは続ける。

 

「それで諦めて、何日も経った時だったかな。――私に一つの光が射したの」

 

笑顔が咲く。

 

「その子は突然、ドラッグの密売所に来た。まったく薬とは無関係そうな子なのに、どうして、て少しだけ罪悪感に駆られた。でもね、その子は薬を欲しがるでもなく、私を必要としてくれたの」

 

「普通、誰から見ても敵である私に、一緒に悪徳非道の極悪人を倒さないかって……不安だったよ。もちろん私の人生を変えて、奪ったあの悪魔は許せなかったし、かといって抵抗できるわけでもなかった。もし、失敗したら、もっと酷いことをされるってわかってたから、怖くて動けなくてね。でも、そんな私に提案したのは隠れて時を待つことだけだったの」

 

心の奥底から、泥の塊を吐き出すように、

まるで、その泥の中から、一つの命が芽吹くように、

彼女はその想いを口にする。

消したい過去の鎖から、自らを解き放つ。

 

「その時の私は一番重要な書類を幾つか持っていてね。誰がどう見ても幹部だった。例え、必要なのが書類だったとしても、彼は私を必要としてくれた。手を差し伸べてくれた。だから、今ここに私はいるの。彼の伝で会ったこの人達はすごく怖かったけど、実はそんなことはなくて、優しくて不器用で、だからこそ私はこんな人達だけどこの人達が好きになれた。匿ってくれたこの人達は存外悪い人達じゃないし、いろんな過去だってあるけど、私は全部を知らなくても信用してる。だから、みんなも少しは怖がらずに話してみることからはじめよう? 仲良くなんてならなくてもいいから、まずは一歩から踏み出そう」

 

燕さんの演説に生徒達は顔を見合わせる。彼女の言葉はしっかりと心に届いたようで、しかしまだ怖いのか歩み寄ることはない。

第一印象というものは、見た目からくる。次に素行が見られるのが、人というもの。

感動して泣いている組員達もいれば静かに目を閉じる赤城さんに倣い、同じく静かに佇む男達。そんな姿を見て少しだけ空気は柔らかくなった。紅一点の言葉に歓喜する男達は見慣れないものだというように、遠目からひそひそと話す声が聞こえた。

 

「……」

 

くいっ。袖が引かれる。制服の袖を引いたのは美空だった。不安そうに見つめてくる。肩は震えいつものニコニコとした表情は伺えない。

だからこそ、俺は決心した。できるだけ過去の話をしたくはなかったのだが、立ち上がると共に赤城さんのところへ歩み寄る。

その姿に妹は驚き、目を見張った。同様にクラスメイト達にも疑問が浮上する。

 

その答えは自ずと知ることになるだろう。赤城さんに視線を向けると、了承の頷きが返ってきた。そして、俺も赤城さんも過去を解放する。

 

妹の為に。

美海と進む為に。

二人がいる今なら、できる気がしたのだ。

 

「……お前らは不思議に思ったことはないか?」

 

「どういう意味だよ」

 

光が俺の意図をわからずしても乗っかったように質問を返してくる。それこそ、俺の欲していた質問だった。

 

「なんで俺がこの人と知り合いなのかだ。知っているかもしれないが家の馬鹿な親父が多大な借金を背負いやがってな、妹の美空を含めて多大な迷惑をかけた」

 

それは俺の懺悔だ。

もし俺がいたのなら、そんなことはさせなかった。

美空が恐怖を覚えることもなかった。

本来なら恨まれていいはずなのに、それなのに妹は好意を向けてくれている。

それは伝えずとも、皆が知っていることだった。

けれど、俺が言いたいのはそんなことじゃない。

妹の為なら不安さえ取り除く、その為なら自分の過去の話すら笑ってみせる。

後ろを隠れてでもいいから、少しだけでも彼女の不安を無くせるのなら俺は全てを打ち明けれる。

 

「――でも、はっきり言ってそんな小さなことどうでもいいじゃないか」

 

「なっ――!?」

 

男子生徒達の驚愕の声が漏れた。激怒、憤怒、妹に対する態度に怒号が飛ぶ。

5年も眠っていたからわからない、所詮は赤の他人だと罵る、男子生徒達。美海は黙って訊いているようで俺を信頼してくれているようだ。

 

俺だって知ってるさ。

怖かった。そう、美空に泣きつかれたこともある。

軽んじたわけでもない。

妹のあんな顔を見て、幼馴染の顔を見て、美和さんのあんな顔を見て何も思わなかった訳ではない。

 

「怖かったら、俺の後ろに隠れていてもいい。美空の気持ちは痛いほどわかる。言葉にはしなかったかな。だから、言わせてもらうけれど、大切な女の子に甘えられて嫌がる男なんていないんだよ」

 

俺だって例外じゃない。美空に頼られて嫌な気どころか力になりたいと思う。

 

「早瀬がどんな思いで耐えていたか、お前はっ!」

 

沢渡なる少年が立ち上がる。お前のせいだ。そう罵って続け様に言いたいことをすべて言う。胸ぐらを掴み上げ、怒りを顕に俺に怒声を浴びせる。

 

「お前のせいだろうが! お前は知らないんだよ、借金を取り立てられる恐怖も、それが何度も何度も何度も! 重ねる度に積もっていくことを!」

 

「それをお前が知っているとでも? 一回でも、お前はそんな過酷な過去を背負ったことがあるのか?」

 

用意しておいた回答に、沢渡は息詰まる。

掴まれた胸ぐらを離した。美空は俺の発言の真意を測りかねているようで、首を傾げる。不安そうに見つめるその姿に俺の胸は熱くなる。

酷いことを言ったはずなのに、彼女はまだ俺を必要としてくれているのだ。決意はした。俺は今まで自ら口にしなかったことを口にする。

 

「そういえば、俺と赤城さんの関係の話だったな。確かに借金の話もあるが、俺はそれ以前に赤城さんとはずっと昔に面識がある」

 

首を捻る生徒が増えた中で、美空は俺と赤城さんを見比べた。似ても似つかない二人、関連性のない二人に目を向けるそれは訝しむようで、答えは出なかったのか美空はもう一度俺に視線を戻した。

 

「一度目は、俺が幼い頃、トラックに乗っていた」

 

これだけ言えば偶然、通りすがったようにしか聞こえはしない。

 

「二度目は、ガラス越しだった」

 

どこかのショッピングモールだろうか。ショーウィンドウを見ている情景を思い浮かべたのか、それも通りすがったようにしか聞こえない。

 

「三度目は、最近、あの馬鹿の不始末をつけるためだった」

 

そして、四度目、五度目――今がある。

何度か会ったがやはり簡単には人の心は変えられないのだろう。一発くらい殴りたかった。

 

妹の顔が、青くなる。

気づいてしまった。気付かざるを得なかった。

誰もが知っている。実はこの人、奇妙なことに花を毎年、海と道路に備えているのだから。俺といることも目撃されている上に言い逃れはなかった。

 

「まさか…兄さん…兄さん…!」

 

できれば掠めるだけで良かったのだが、相変わらず感のいい美空は、気づいてしまった事実に震えている。美空の動揺に美海もサユもただ事ではないと悟ったようだった。

 

「赤城さんは……俺の敵だよ。別に変に同情して欲しいわけでもないから言っておくけど、今更俺には関係ない話だ」

 

これで少しでも美空の不安が和らぐのならいくらだって話してやろう。交通事故ということを明確に伝えながら、誰にも悪意が向かないようにコントロールしていく。

 

沢渡は唖然としたようで、僅かに声を絞り出す。

何も言えなかった。いや、言っちゃいけなかったことに気づいたのだろう。

でも、訊かずにはいられない。

やっとのことで紡いだ言葉は、

 

「お前は……復讐とか考えなかったのかよ」

 

「そうだな。一発くらいぶん殴ってもバチは当たらないだろう。でも、俺は殺人なんてしねぇよ? 守りたいものがあるのにそれを手放してまでやることじゃないからな。事故のおかげで美海に会えたのかもしれない、美空に出会えたのかもしれない、そう考えると何も無駄じゃなかったさ」

 

詭弁だ。そう言われても良かった。

だけど、過去を積み重ねて今がある、と俺は信じていた。事故起こした本人には感謝しないけれど、許すくらいのことは簡単なのかもしれない。




兄として妹を引っ張るのは使命。
今日から一ヶ月ごとに美海ルートを投稿しようかと思います。では、また。


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第六十二話 三人目

 

 

 

そういえばと思い出す事がある。

左には美海が滑らかなものを押し付け、右からは美空が対抗するように、しかし余裕を見せながらその豊満なマシュマロをこれ見よがしに当ててくる。

口を開けば、ダメだからねと小言を貰い、俺は有り難くそのポジションに男子生徒達に恨まれ睨まれ怨恨を残して居座り続ける。

一件不条理による扱いの差、だがこれも正当なものであると美海は証明する。

 

『誠は怪我をしているんだから』

 

一言。たったそれだけを俺は忘れていた。

ナイフで刺した手、木の枝が刺さった胴体、傷だらけでボロボロの俺は包帯だらけだということを漸く思い出した。

幸せ過ぎて、怪我のことなんて……さらに言うと、二人が胸を押し付けてくるせいでそれどころではない。柔らかい感触が痛みより優先されて脳に伝わるお陰で、全く以て事実を忘れていたのだ。

俺も男である。故に、反応はする。

不感症? 同性愛者? 無論、そんなことは無い。ノーマルだ至って普通だ。美海がもしも男の子だったらどうするか言われても、多分悩む。性転換された日には多分泣く。

 

……あ、やばい、マジで泣くかも。

 

話は逸れたが思い出した。昔も今も変わらない。

お船引もこんな風に二人に挟まれて作業を制限されていた記憶がある。既視感というやつだ。

ペンキ塗りを二人に挟まれながら前もやったっけと思いながら、俺は計画書ないし配置図を見ながら、目の前でせっせと働く男子共に指示を飛ばす。

 

 

「そこの屋台は間10センチ離せ。そう……等間隔だ」

 

「畜生、お前も働けよ!」

 

光の声が聞こえたが、俺は隣の美少女二人に視線を向ける。左の美海は俺に抱き着きながら監視。右手の美空は配置図を見やすいように広げて持ちながら、俺の顔を覗き見る。

『絶対にやらせませんよ?』

と、二人はホールドを続けていた。逃げようとすれば悲しそうな顔をする上に、胸に腕が当たるもんだから逃げようがない。俺は退屈を持て余しながら悪くない日々に安心の溜息を吐いた。

 

「そういや、女子の方は何してるんだっけ」

 

「屋台に使う飾り付けですね。御品書きとかデザインだとか。あとは、買い付けた品の確認と屋台一つ一つに振り分ける材料の配分です」

 

基本難しい作業ではない。屋台ごとに使うものは決まっている筈だった。たい焼きなら生地と小豆、焼きそばなら麺と野菜、わたあめなら種と機械、とうもろこしならコーンと七輪、ホットドッグフランクフルトは中身は変わらない。フライドポテトはジャガイモから切っているそうで自慢なのだとか。しかも、ジャガイモや野菜は自家製らしい。

 

現状把握をしていた美空が得意気に女子の仕事を話していると、ドタバタと一人の女子生徒が彼女らの作業場から姿を現した。

 

「大変だよ長瀬くん! 発注ミスだって!」

 

頭を抱える。担当者は恐らく、燕さんだ。

続けて、何処からか組員まで姿を現した。

 

「大変だ若頭! 金魚屋のオヤジがギックリ腰で届けられなくなったってよ、金魚!」

 

「若頭って誰だよ……。あーもう全部聞くから、というか赤城さんはどうした?」

 

肝心の頭に話を通さずして組員が走ってきたわけでもないだろう。そう思って居場所やら聞いておこうと思ったが、予想外にも簡単な答えが返ってきた。

 

「親父なら色々と買い付けに回ってますぜ」

 

それを何でこの人達に任せず、自ら行っているのか。

むしろこんな状態で、よく祭りが何年も回ったなと思う。

 

「それにトラブルは若頭が解決してくれるから大丈夫らしいと聞いてます」

 

「……丸投げしやがったな」

 

頼る、という言葉の限度を察して欲しい。

幸いにも優秀な義妹と美海がいるからか、さほど不安は感じなかった。

立ち上がろうとして思う。美海と美空がくっついているからか上手く上がれない――なんてことはなく、試しに立ち上がると引っ張ることも引っ張られることもなく立ち上がれた。

 

「……せめて、手を繋ぐくらいにしてくれないか」

 

「やだ」

「嫌です」

 

即答だった。

仕方ないな、と俺の頬は弛んでいた。

 

 

 

 

 

結局、発注ミスは一桁少なかっただけでどうにかなると赤城さんに連絡することで収拾。残る問題は金魚となりそれについては、屋台の組み立てに人を回している為、暇な俺と監視役の美海、美空で行くことになった。

 

ガラガラと転がすリアカーの音が青空に響く。舗装された道の上を、金魚の回収を終えて三人で引いていた。

 

「兄さん、本当に大丈夫ですか? その…傷口が開いたりしたら言ってくださいね」

 

「無茶したら怒るから」

 

怪我を心配する二人が口々に言う。怒るとかいう割に声色は全く怖くない。

 

「ははは、説得力ないぞ」

 

「そうですよ。兄さんは上目遣いに涙目で甘えてくる女の子に弱いんですから。弱りきったりなんかもいいですね。兄さんってば放っておけない性格ですから」

 

完全熟知している義妹が怖い。

 

「……大丈夫だって。俺が嘘ついたことあるか」

 

「誰かの為だったら嘘をつくのが問題なんです」

 

「誠は……誰にも根を上げないもん」

 

意味を曲げれば『意地っ張り』な性格だと二人は言った。自覚こそないが多分、そうなのだろう。何も欲していないように見えて、実は欲張りで美海を独占したいと考えている。心の底では否定出来ない。思考していなくても心はそう直接的に脳を凌駕した命令を下しているのだ。

思考しないで行動する原理ってのはいつも明白で、咄嗟に動くから心理的に行動させる。脳が身体を動かすのではなく心が身体を動かす。考えて行動するタイプとか能動的に動いたりだとか直情的だとか、結局は人間の根本の心の部分が深く関わっているのだ。

 

「今更だけど、俺は嘘つきだってか」

 

「嘘つきで正直者なんです。矛盾した人。だから優しい人って部類だって答える方がより正解に近いんじゃないでしょうか」

 

「誠はもっと本能的に行動したらいいのに。私はどんな誠でも、だ、……大好きだから」

 

二人して何を言っているのかわかっているつもりだ。

『大好き』の一言に頬を染める美海が可愛い。が、

 

「……二人とも俺のこと好きなんだよな。俺、なんか存在そのものの在り方を全否定されてる気がするんだけど」

 

「違っ、そんなんじゃなくて、もっと一緒にいたいっていうかその……」

 

ちょっとした意地悪に言葉が見つからない美海は言い淀む。

どう答えていいのか、美海は悩んだように数秒思考して立ち止まる。舗装された道の上、ぎゅっと握り締めた手から漸く力を抜くと、一呼吸して口を開く。

 

「……誠はもっと自由に生きていいんじゃないかなって、そう思うんだ。誠って普段から我慢してるように見えるし、大人っぽいのって私達が子供過ぎるから、私達のせいで自由を束縛してるんじゃないかなって。いつも隣にいてくれるし我儘だって聞くし、私達が甘えてばかりだから誠は自分の本音を言えないのかなって」

 

視線を下げた美海が青空の下で不安そうに呟く。最後には殆ど声は出ていない。誰もが辛うじて聴けるかわからない言葉に、俺の耳は全て拾った。

前にも誰かから聞いたような言葉。いつ聴いたのか思い出せない。

でも、はっきりとわかるのは。

美海が自分を少しなりとも責めているようなそんな気がした。

 

「俺が我慢してるように見えるだって?」

 

「えっと、違くて……なんていうか誠は全然そういう風に見えないんだけど、感じるっていうか」

 

「いや、一緒じゃねぇか」

 

「ち、違うもん!」

 

「思ってるからそんな不安が出たんだよ」

 

うっ、と息詰まる美海は黙り。

心配してくれているのだろうか。だとしたら、なんだか凄く嬉しい気がする。

彼女は自分を責めているのか。愛おしい感情が胸の内から湧き上がってくる。

 

「心配するなよ美海。俺は十分自由だよ。それに、甘えられるのは嬉しいし我儘を聞くのだって俺が甘やかしてるんだ」

 

思えば、美海を甘やかしてるのは基本俺だった。

何かしらダメなんて言った記憶がない。

美空に対しても甘やかしてるのは自覚している。

どうやら俺は女の子に弱いらしい。

そろそろ反省しなければいけないとは思うが、やはりダメらしい。

 

「でも……」

 

食い下がろうとする美海に俺は数瞬考えて、とんでもない発言をする。

 

「じゃあ、そこまで言うのなら、美海と一緒にまた昔みたいに風呂に入りたいな」

 

「ふえぇっ!?」

 

「いいですね。なら、ご一緒させてもらいます」

 

さも当然というように会話に入ってくる美空。

狼狽える美海にニコニコと挑発的な笑みを浮かべている、その思惑はわざとらしくあざとい美少女の微笑、もとい戦略的なからかいだ。

八割九分が私欲に塗れているが、それは俺も同じで言える立場ではないので文句は言わない。半分、いやおそらく俺の揶揄いは本音の一部であるからして……と認めよう。

 

「本当に……一緒に……入りたいの?」

 

「隅々まで洗ってやる」

 

「うぅ…い、いいよ……」

 

珍しく欲望を交えて肯定した。美海は戸惑いながらもオーケーのサイン。

収拾がつかなくなってしまった……嬉しいけど。

顔を赤くして俯きがちに荷車を引く美海、ニコニコと楽しそうな美空、二人を両端に挟まれた俺、青空の下で仲良く荷車の輪に包まれて、不意に視界の端に何かが映った。

 

肌色。

それを見た瞬間、警鐘が俺の中で鳴った。

美海と美空に耳打ちする『絶対に声を掛けられても、気になっても顔を上げるな右を見るな』と。

二人は疑問に思いながらも従う。俺は二人を密着するほど近くに置いて、手を重ねる。

そして、肌色の前を通過しようとした。

 

ひたり…ひたり…。

水質のある何かが、舗装されたアスファルトを叩く音。ピタピタと滴る水温がその者から発せられた。

それは不意に立ち止まる、俺達の横で。

 

「え、あ…あれ…? 誠?」

 

その肌色――ではなく、全裸の変態が声を発した。

驚いて顔を上げようとする美海と美空の頭を咄嗟に抱えて抱き留めて、見ないように制する。

さらに耳打ちした。『絶対にみちゃいけない変態だから、キビキビ歩こう』と。

大人しく従う二人を連れて、もう一度荷車を引く。

全裸の変態を無視して前に進む。金魚を届ければいけない使命感を前に全裸の変態に構っている余裕はない。

 

「絶対に見るなよ。変出者に関わるとろくなことないから」

 

「兄さんったら、大切な人に他の人の裸を見せるのが嫌なんですね」

 

「ど、どういうこと?」

 

「ほら、下の部分とか比べられちゃうと嫌なんじゃないですか? 女の子も大きさを気にするように、男の子も一緒なんです。部位は別ですけど。あっ、でも安心してください美海ちゃん、兄さんのは規格外ですよ」

 

何を安心すればいいのだか、義妹で愚妹の発言に俺はヒヤヒヤしながら荷車を引く。数メートル引いたところで、既に戦意喪失、全裸の変出者兼変態はもう追いかけてくることは無かった。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

漁協の会議室――にて、俺は冷めた態度で目前の光景を眺めていた。幼馴染の全裸狂――ではなく、光の服に袖を通した要がこちらを遠巻きに見てくる。その俺の隣で美海と美空はがっしりと腕を掴んで離さない。

 

そんな微妙な空気の中、見えない空気すらぶっ壊す災害はやってきた。

 

「要――!!」

 

――ドバンッ!!!!

 

正しく扉すらぶっ壊しそうな勢いでそいつはやってきた。吉報に戦前の武士のような顔から懐かしい人物を見るや一転、顔を綻ばせてそのままムササビのように硬直していた全裸の変態、改め、要に飛びつく。

 

「ひっさしぶりだなー要!」

 

「うん。元気そうで何よりだけど……一つだけ聞いていいかな?」

 

挨拶も、再会の喜びも後に要はこっちを見る。

明らかに、俺とその周りを見たのだろうその瞳は信じられないといったものだ。

 

「あれって…………誠だよね?」

 

随分と躊躇った後に恐る恐る尋ねた。

 

「眠っている間に顔も忘れちまったのかよ。正真正銘の誠だよ誠。皆の頼りになるリーダーで面倒見よくて大人ぶって意地っ張りなバカ」

 

「おい、後半バカにしてんだろ」

 

「……そっか、相変わらずだね」

 

にしても、と要は俺の隣の二人を見た。

 

「えっと……そっちの二人は?」

 

「まぁ、わかんねぇよな。片方が美海で片方が美空だって言ったらどっちかわかるか」

 

「ああ……確かに」

 

納得したように頷くと要は目を細める。

昔の姿と今の姿を照らし合わせ、漸くいろいろと思い出したようだ。長い月日。それも5年だ。離れていたせいか変化に慣れないらしく適当に頷くと理解した風に扮う。

それでも、要は要だ。表情を一転していつものポーカーフェイス。

 

「でも、何で二人はくっついてるの?」

 

「そりゃあ、美海が誠の彼女で美空が誠の兄妹だからなんじゃねぇか」

 

「へぇー、叶ったんだね恋が。昔も変わらず『兄さん』って呼んでたし今もその呼び方ってことかな、美空ちゃんは」

 

「あー、違うぞ?」

 

要の間違いを指摘する光。恋云々を要は知っていたようだが、それはともかく、決定的な間違いが一つだけ。

 

「美空は誠の異母兄妹だぜ」

 

「………………えっ!?」

 

この事実には要ですら驚いた。珍しく表情を大きく変えて驚くとじっとこちらを見る。見比べる顔と顔。

はっ、と要はなにかに気づいたように、ぽんと手を打ち合わせる。

 

「ふふ、あはは、よく考えたら妙に大人っぽい雰囲気の美空ちゃんとか昔の誠にそっくりだね」

 

「そうか?」

 

「そうだよ。一人だけ成長が早いのも早熟なのも、昔から誠だった」

 

俺にはわからない兄妹という関係。

隣で美空は嬉しそうに頬を緩ませていた。

つられて俺の頬も弛む。

 

「……そうかもな」

 

 

 

 

 

日は暮れた。一緒にいたがる二人を置いて砂浜を歩く。要と二人という奇妙な組み合わせ、昔はこんなこともなかったのだろう。思えば二人になるといえばチサキくらいのもので要とは1:1で話したこともない。

そんな要に呼び出されて、二人だけの空気に沈黙を置きつつやがて前を歩いていた要が立ち止まった。

 

「随分と変わったんだね」

 

「変わった、か。どういう意味だ?」

 

「雰囲気が。昔はもっと鋭い空気を纏っていたと思うけど、なんだか今の誠は凄く明るい雰囲気だなって。それも美海ちゃんが彼女になったから?」

 

聞くというよりも確信的な問いに俺は肩を竦めてみせる。

 

「さぁな」

 

前座はここまで。

最も聞きたいことはそんなことじゃない。

要が知りたいのは、こんな話題じゃない。

既視感のあるやりとりに俺は笑って聞く。

 

「それで、お前の聞きたいことは違うだろ?」

 

「あはは、やっぱり鋭いね、誠は」

 

微笑してみせるその顔には何もかもが隠れている。

まだ見合わない幼馴染。要の思いはただ一点だ。

 

「チサキがどうしてるか、彼氏はいるのか俺は完全にふったのか、居場所はどこかむしろ早く会わせろ、ってそんなところだろ」

 

「流石は誠だよ。そこまで見透かされてるんだ」

 

「俺だって似たような感情くらいあったからな。目覚めて一番に想ったのは美海のことだった。五年も経って空白の時間があって自分の大切で、大好きな、愛していた人は成長していて……不安にならないことは無い。五年ってのは長いようで短い時間だ。あっという間に過ぎ去ってしまう。チサキも幼馴染で同い歳だった筈なのに五年分歳をくいちがった。だから、お前は不安なんだろ。急いているんだろう」

 

「っ!?」

 

大切な人。チサキに会わせる前に幾つか警告しておかなければいけない事がある。今の要は俺同様不安定で何かしら危険なことでもしかねない。だからこそ二人きりでの話し合いに応じたのだ。

俺には要とチサキの二人の間に割りいる資格はない。されども、チサキの幸せを願うものとして、チサキの幸せだけは壊させない、日常は破らせない。

 

「いいか、よく訊け。お前が今もチサキを好きでいるのは構わないが、チサキを傷つけるような行動だけはやめろ。程々にしろよ。いくら昔がそうだったからって今は違うんだ。それだけは頭に入れとけ」

 

月明かりの下で一人の少年がわかっているよと答えた。それならいいんだと目を瞑る。

二人の恋愛に手を出すつもりも手を貸すつもりもないのだが、果たしてどうしたものだろうと俺の中ではもやもやが立ち込めていた。

 

 




……全裸で横断するって結構勇気いるよね。
いえ、普通に捕まりますよ。逮捕ですよ。職務質問の単語すら出てきませんよ(なったことがないから知らないけど)。
なにわともあれお久しぶりでございます皆様方。
今回は、というか最近になって要くんがイケメンではなく腹黒イケメンに見えてきた私ですが、こんな掛け合いができるのは主人公と要っちの特権だと思っています。
恋敵的な設定ですが、誠くん結婚――してないな彼女いるだけだな! ということですけどやはり偉大な幼馴染には壁というものが存在するわけで客観的に“お父さん”やってるないしは“お兄ちゃん”という名の壁に挑戦的な要っち。

――後悔はしておりませんっ!!


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第六十三話 夏祭り«前»

メインとサブの混同会


 

 

 

夕日が海に沈みかける。茜色と暗色に変わりゆく海が見える山の上、夕日とは別に彩られた明かりが灯る場所は人々がごった返していた。

祭囃子と灯、食欲の湧く屋台の匂いが漂う中で家族連れの人達を見て俺は何故かここで待たされていた。鳥居のような門の真下で待たすのはあの娘たちで家で待とうとしたのだが何故か美海に悲しくも追い出された結果である。

悲しくも一人で山を登る階段に足をつけ、そうして辿りついた祭りの会場は俺にとって場違い感あふれる場所だった。何よりひとりでいる場所じゃない。昔から祭りごとには興味がなかった俺には退屈が噛み殺してきそうなほど憂鬱だった。

 

――要と光は先に行った。今頃祭りを楽しんでいる二人を差し置いて女性達の浴衣姿でも堪能しよう。我先に。

 

と、一人の孤独に――というか美海に会えてない時間、二時間を切った時だった(待たされた)。

 

「誠」

 

表の階段を見ていた俺の後ろから柔らかで可愛い声が確かに俺の名前を呼んだ。想像以上にびっくりしたが振り返るとそこには……絶世の美女がいた。

 

美海。今日は可愛らしいパーカーでもなく、ホットパンツでもなく、制服でもなく、あの日選んだ浴衣を着こなし、普段は下ろさない髪を下ろしている。なんだか落ち着いた雰囲気の彼女は何処か大人びていて、輝いて見えた。

 

「…………」

 

言葉が出ないとはまさにこの事。呼吸すらするのを忘れて見惚れていた。惚れ直した。むしろもっと好きになっていく、愛が深まった自覚がある。

 

「……へんかな」

 

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 

慣れない髪を撫で付ける仕草ですら扇情的で、魅力的に映る中、俺はどうしようもなくまた見惚れていた。

 

「……なんて言うのかな。綺麗で、可愛くて、言葉にしたいのに上手く出来ない」

 

ただ言わせて欲しいこととすれば、

 

「……髪を下ろしてる美海の方が大人っぽく見える。もっとずっと見ていたい」

 

「も、もう……言ってくれたらするのに……いつでも」

 

二人で言ったことに照れ合って、目を逸らした時に美海が俯いてしまうものだから、チラリと視界に入れば俺はまた目を奪われる。

 

「あ、そうだ」

 

何かを思い出したように、突然、美海が胸元に手を入れた。浴衣の間に手を滑り込ませると必死に何かを探して数秒くらいそうしていただろうか、何かを引っ掴んだらその手を引き上げる。

握られていたのは十字架のペンダント。真ん中に埋め込まれた青い石が輝く神秘的な遺物は俺の大切なものだったもので、俺の決意の表明だった。

捨てたはずのそれを美海は俺の目の前に差し出す。

 

「はい、これ」

 

「残ってたんだな……それ」

 

「うん。誠の大切なものだから。過去を乗り越えるのも捨てるのも、確かに必要だけど……捨てたら悲しいことだって私にだってわかるもん。一番大切なものだから誠は捨てたんだって、私はわかってたから……」

 

受け取ろうとして戸惑う俺に対して、美海は少しだけ考え込むと屈むように促してくる。催促されてようやく屈んだ俺の首に手を回してペンダントがつけられる。そうしてふたりで近い距離に少しだけ顔を赤くして、美海がこけないようにと腰に手を添えて、抱き合っているような体勢。

 

周りの喧騒すら蚊帳の外。

そんな二人きりの空間、可憐な声がまたひとつ。

 

 

 

「――兄さんってば、このお祭りに来たの二人だけだと思っていませんか」

 

 

 

不機嫌そうに、されど自信たっぷり余裕綽々の表情で義妹の美空が腰に手を当ててじと目を投げかけてきた。これまた美海に似た、けれど大人っぽさと儚さ、両方を両立させている浴衣に身を包んだ彼女はなんとなく色気を感じる。

 

「……いいや、忘れてない」

 

「兄さん、優しい嘘は嫌いですよ」

 

「……ごめんなさい。一瞬だけ忘れてました」

 

これが本当に中学生か。洞察力とか云々の前に妹に勝てる気がしない。

……でも、まぁ、こんな可愛い義妹を見たら兄であろうと何であろうとお父さん的感性が浮いてくるわけだ。誰にもやらんぞとか、フィクションの話だと思っていた時期もあったが本当に幸せになって欲しいと思うからで、手放すのが惜しくもなる。

 

「美空、似合ってる」

 

「もう、それだけですか」

 

不満らしい美空はぷくっと膨れた。

 

「ナンパに気をつけろよ。ただでさえ人目を惹くぐらいに可愛いんだから、今日とか洒落にならん」

 

「ふふっ、捻くれた感想ありがとうございます。でも大丈夫です。兄さんの傍を離れたりしませんし、もしそうなっても兄さんに助けてもらいますから」

 

正論と極論と、平たく言えば兄任せ。モテる女の子もそれはそれで面倒らしい。主に今日の美海も特に注意しなければいけないかもしれない。

それにだ。

後ろで控えている、美和さんやチサキも美人であることには変わらないから、変な輩に絡まれることが多そうな気がする。特に美和さんが変なドジをやらかさないか心配だった。

 

 

 

□■□

 

 

 

気鬱なんて言葉が懐かしいと思ったのはこれが初めてかもしれない。屋台道を練り歩けば美空や美和さん、チサキに声が掛けられたりハメを外す輩が多かった。

……その度に、怖ーいお兄さん達に連れていかれるナンパ野郎も悲惨な事には変わらないのだが、家族水入らず邪魔建てする輩なので言うこともない。むしろ、平和的に解決するのは有難いことだった。

 

そんな道中にて、またも一人あからさまなナンパに遭っている不運な女性が一人。これまた高価そうな浴衣を着て着飾られた女性は、見慣れた人だった。

 

 

「――ですから、その……私は……」

 

「独りでしょ。大丈夫だよ、一緒に回ろうよ、ね?」

 

「そうそう、俺ら華が無くて困ってたの」

 

「奢ってあげるからさ」

 

 

典型的というかなんというか、男嫌いな文香さんは今日もやはり萎縮した様子で応対している。断っているはずなのになかなか立ち去らない男達に囲まれて、迷惑そうに、されど優しく断っていた。

 

「あ、文香ちゃんだ〜」

 

そこに自然と話し掛けられる先輩、美和さんは颯爽とその間に割り込む。

その後ろ姿に、俺達も続いた。

美海を左に手を繋ぎ、右腕には美空がしっかりと抱き着き、逃げる隙すら無い俺はさらなる火種なる事を覚悟して前に出ると、文香さんに声を掛ける。

 

「ここにいたんですね。さぁ、行きましょう」

 

「は、はい」

 

俺が着ている甚平を後ろから掴んで逃げるように回り込む。と、縮こまりながら顔を出す。

小動物的な仕草に俺は安心しながら、信頼されているのだと感じた。

 

「では、これで」

 

ナンパ野郎達に会釈して立ち去ろうとすると、やはりそうは問屋が卸さないとでも言いたげに、男達は食い下がることは無い。

 

「ちょっと待てよ!」

 

「何か?」

 

「ふざけんなよ、横から入ってきて――」

 

「祭りで気分が高揚するのはわかりますが、人の気分を害してまでナンパなどやることではありません。反省してください」

 

反省。そう、反省だ。

いつの間にか横に控えていた怖ーいお兄さん達がナンパ野郎達の首を掴んで裏に引っ込んでいく。

あぁ、可哀想に……だけど、戻ってきた頃には更生しているだろう。犠牲者に黙祷を捧げる。

 

改めて思うが、ここまで完璧なシステムの祭りはそうそう無い。警備員は対応が迅速、トラブルに対処、被害を大きくせずに事態の終結を求めるのは平和を望む人として当然だ。純粋に祭りが楽しめる。

 

そうやって遠い目をしている俺に、文香さんは肩越しにおずおずと頭を下げてくる。

 

「どうも、ありがとうございました」

 

「お礼なら美和さんに言ったらどうですか? いい先輩を持てて、幸せですね」

 

「はい、私もこんな先輩が誇らしいです」

 

先程までと変わってクスリと微笑む彼女。

 

「でも、なんでこんな辺境の祭りに来たの?」

 

多少言い過ぎだが、打って変わって疑問を口にする美和さんに真剣な表情を向ける文香さん。

その視線は俺に向けられる。どうやら大切な話があるらしい。きっと、それは彼女が前に進むのにも大切な話なのだろう。俺は素直に頷いていた。

 

「少しだけ席を外してくれないかな、美和さん」

 

 

 

 

 

美和さんは美海と美空、チサキを連れて祭りの中へと消えて行った。その背中を見送ってから、文香さんは話を切り出しづらいのか立ち往生。沈黙がふたりの間に流れた後で、引っ込み思案な彼女に提案する。

 

「ここでは話もできないですね、神社の方にでも行きましょうか」

 

手を差し出して繋ぐように促すが、男嫌いの彼女からしたらダメなものなのか、首をかしげては見上げてくる。戸惑ったような彼女に俺は思案する。

そうして出た答えが一つだけ。言い訳じみたものだが、彼女は頷いてくれるか、

 

「はぐれたら大変ですので」

 

「あ、はい」

 

どうやら意味がわかっていなかったらしい。文香さんは差し出された手ではなく袖の先をちょこんと摘む。だがそれも一瞬で、手繰り寄せるように手に一度触れると離れて、今度はしっかりと繋いだ。

 

人混みの中、神社へと目指す。人の流れに沿って進むこと数分で、静かな場所に出た。神社の方は人がまばらで殆ど誰もいない。いるとしたら夏祭りに浮かれて熱狂しているカップルが二組くらい愛を語らっている。その光景を見た文香さんの顔は赤くなり下を向く。目のやり場のない、所在なさげな彼女は俯くしかなかった。

 

社の階段まで辿り着くと、周りにはもう誰もいない。ふたりきりになったところで、階段の上にブランケットを敷きそこに促す。

 

「どうぞ」

 

「えっ、いいですよ、そんな……」

 

「普通に座ったら汚れますから。それに、折角用意したんだから使ってください。使われないと用意した俺が恥ずかしいです」

 

別に恥ずかしいとは思わないが、こうでも言わないと従わなさそうな彼女には、こうするしかない。

困らせて、迷って、困惑した文香さん。それでも、決意を固めたようだ。

 

「……なら、一緒に座りましょう」

 

「えっ?」

 

流石にそう返されるのは予想していなかった。優しい文香さんの事だから普通に予想できた筈が、俺は少しだけ驚いていた。

その優しさと同じくらい男嫌いな彼女。だから、俺は距離を空けて座ろうとしていたのに、先に座った文香さんはそうやって隣をポンポンと叩いて座ることを促してくる。

促されるまま、流されるままに隣へと腰を下ろす。

 

「……」

 

「……」

 

流れる沈黙。遠くに聞こえる祭囃子や人の笑い声だけが木霊して、届く。

 

待っていた。

文香さんが切り出すのを……。

これは準備期間。引っ込み思案な女の子が気持ちを切り替えるための、臆病な人のペース、それに合わせて俺は静寂に溶け込む。

 

「えっと……ですね……」

 

数分くらいして、ようやく文香さんが声を発した。

指先を交えて一点を見つめ、気恥ずかしそうに俯きながら、

 

「昔のことを思い出して……お父さんに、聞きました」

 

と、切り出した。

 

「全部。全部、思い出しました。あの日、何でお母さんが死んで、私は助かったのか。誰に助けられたのか。記憶が殆どありませんでしたけど、あなただったんですね」

 

「……らしいですね」

 

首を縦に振り肯定する。

不思議と、悲しい記憶の筈なのに文香さんの顔に翳りはなかった。

 

「あの時からです。俺はあなたのお父さんに柔道を教えてもらいました。精神も、体も、強くなる為に。あの人は俺の先生ですよ」

 

「お父さんもそう言ってました。でも、あなたには少しだけ危なっかしさがあったって……」

 

理解している。あの時は何の目的もなく街を彷徨っていたのだから。孤独に打ち負かされそうだったから。生きることに大した思いも抱いていなかったから。

世界が変わって見えた俺は、文香さんの親父さんに構われて憂さ晴らしに付き合っていたというのも後になっては、それもまた奇縁だった。

 

「ふふ、今のあなたを知ってしまうと想像できません」

 

「まるで、更生した後の不良みたいですか」

 

「そうなのかも知れませんね――っすみません!」

 

肯定しては手をわたわたと横に振り否定する。

違うんです。違うんです。と、早口にまくし立て、

 

「ゆ、誘導尋問に引っかかっただけです…!」

 

なかなか天然ボケをかましてきた。

思わず笑ってしまう。腹を抱えて前に屈折。声を押し殺すのに必死。

すると、文香さんが肩をぽかぽかと叩いてくる。

 

「す、すみません。でも、まさか文香さんがここまで普通に男の人と話せるなんて思いませんでしたから」

 

「うっ…まぁ、学生の頃……あなたと会う前も後も異性とおしゃべりなんてしませんでしたから」

 

確かに、そんな雰囲気だった。

 

「話をした異性は警部にこってりやられるんじゃないですか」

 

「そうですね。投げ飛ばすくらいはしそうです。となると、誠さんも明日には……」

 

「……ば、バレなきゃ大丈夫ですよ」

 

冗談じゃない。

何度、昔に投げ飛ばされたと思ってるんだか。

今でも勝てる気がしないのだ。

 

憂鬱に引かれる俺に文香さんが微笑みかける。

ここからが、本題だったのだろう。

 

「それで、いまさらなんですが……私にお礼をさせてくださいませんか。この前のも兼ねて」

 

断ったところで引き下がるとは思えない。真剣な表情の彼女に俺はたじろぐ。逃げ場がない。好意を受け取らなかったらなかったで般若が押し寄せてきそうだ。

だから、考えた。

俺が本当に欲しいもので、文香さんにも出来て納得する“お礼”は何か?

 

「じゃあ、俺が眠っていた間のおすすめの本はありますか? 5年くらい眠っていたせいでわからないので」

 

「そんなのお礼のうちに入りません。私が差し上げちゃいます。友達なんですから」

 

「いや、いいですよ。自分で買いますから」

 

――知らずのうちに友達認定されていた。

遠慮しようとすれば、何故か悲しそうな顔で、

 

「……私が触った本なんて欲しくないですよね」

 

と、誤解を招きそうな発言をする。本当の本気で落ち込んだ文香さんは本の話になると目をキラキラと輝かせるのだが、一転して悲哀に満ちていた。

さすがにこんな哀愁に暮れた小動物的な女性をこのままにしておけない。

 

「欲しいです。……その、文香さんが迷惑でなければですけど」

 

「はい! えっと……私のおすすめでいいですか」

 

肯定すると、満面の笑みになる。

本当に楽しそうな表情で喜ぶものだから、水を指すわけにもいかない。

 

「――それで、お礼はどうしましょう」

 

振り出しに戻った。

 

もう一度、深く考える。

結局、道はひとつしかないらしい。

 

「なら、勉強を教えてくださいませんか」

 

「えっと……私がですか?」

 

驚いたような顔をされた。

成績は悪くないと警部から聞いている。というか娘の自慢話ばかりするものだから、地雷は踏まないようにと注意していた筈だった。それが、困惑顔。なんだか罪悪感が沸いてきた。

 

「いえ、ダメならいいんです」

 

「あっ、そうではなくて……」

 

含みのある言い方で言い淀む。と、申し訳なさそうにチラチラとこちらを見ながら、

 

「誠さんは頭がいいと聞いていますから、私なんて必要ないんじゃないかと思いまして……」

 

謙遜か。それとも褒めているのか。

どちらにしても発信源は美和さん辺りだろうか、職場で子供の自慢話をする姿が思い浮かぶ。この人にあの親がいたからもの凄く理解出来た。

そして同時に、会話内容が少しズレていることも。説明すらしていない気がする。

 

「俺が教えて欲しいのは高校や大学の勉強です」

 

「飛び級でもなさるんですか?」

 

美海がいる限りそれはない。

 

「そうではなくてですね。本を読むのにも受験をするのにもいろんな知識が必要になってくるじゃないですか。違った見方で、もっと先の見方で読んでみたい本があるんです」

 

「……っ」

 

無言で息を呑む音が隣から聞こえた。

気づいた時にはもう遅い。いきなりぎゅっと手を握られる感触がした。包まれるようなそんな感覚。その握った本人を見てみれば、キラキラと目を輝かせて、

 

「友達なんですから当然です! お姉ちゃんが教えてあげます」

 

――大きな地雷を踏み抜くとともに、また振り出しに戻ったことを痛感した。

 

「……それで、お礼はどうしましょう」

 

むしろこっちがお礼をしたいレベルなのに律儀なのか何なのかもはやわけがわからない。再三、催促されると内容にとても困ってしまう。

お礼、って何か呪いの言葉だっけ。拷問的に辛いところがある。善意というのはわかっているが、お礼を求めないこちら側とお礼をしたいあちら側では色々と噛み合わない点があるらしい。

 

 

 

「――ならば、保健体育の授業なんてどうかのぅ」

 

 

 

不意に声が頭の中に響いた。直接的に干渉するようで違う。社の屋根。その上から何処かで聞いたような腹立たしい声の主の要求が届いた。

 

「ひぅっ!?」

 

吃驚した文香さんに腕を組まれ抱き着かれる。突然の男の声に怯えた様子の彼女は、完全にぴったりと密着すると離れなくなった。

 

「出てきたらどうだ。ウロコ」

 

「さっきから背後におるぞ。まったく……お主は変わらず無愛想よな、神の鱗に対して」

 

減らず口はお互い変わらずか、首だけで背後を振り返ると懐かしくも見たくない姿があった。白い魚のような肌に鱗と一見、病弱そうに見えるがこの男こそ俺を眠らせた本人だ。

 

「お前、本当に呪殺したいよ。もし美海と同じ年代で起きてなかったら殺ってたかもな………ありがとうございました」

 

と言っても、同年代になれたということは一緒に卒業などもできるわけで悪い気はしない。

 

「呪うのか感謝するのかどっちかにせい。あれか、お礼参りというやつかの」

 

「それは違うんじゃないか」

 

「難しいもんじゃな、近頃の若者の言葉は」

 

感慨深そうに顎を撫でると、徳利からお猪口に酒を注ぎ飲み干した。

 

「しかしまぁ、また結構なべっぴん連れおるのぉお主は。保健体育も一応は医学の基本を学べるぞ? 女体を見るのが恥ずかしければまともに治療なんてできぬからな。それに生態を知るのもまた勉強じゃ」

 

「お前は一片たりとも医学のことなんて考えてねぇだろ、エロウロコ」

 

余程、警戒しているのか文香さんの腕を締め付ける力が尋常じゃない。半分、俺の背中に隠れるようにして座っているからか、関節をキメられる。さすがは警部の娘か身じろぐことすら出来ない。

 

「ほほぅ……よいのぉ。女子のカラダというのは神秘的じゃ。また惚れられて、満足じゃろう?」

 

「ひゃぁっ!?」

 

今度は、ウロコが文香さんの背後1メートル以内に現れて、驚いた彼女に関節が悲鳴を上げる。跳ね上がるような反応が不幸を呼んで限界点ギリギリを通過した。

ズキズキ、と関節が軋む。

このウロコ、絶対にわざとだ。嫌がらせだ。もしくは妬みの部分も入っているかもしれない。ニヤニヤとした喜色の感情が声に乗っている。

 

「さて、面白いものも見れたし行くとするかのぅ。ではな」

 

「あっ、待て――」

 

最後の一歩をウロコが前に進んだ瞬間、痛覚が限界点へと到達した。どうやら文香さんも近づかれる限界点を超えたらしい。つられて肩の関節から何かわからないヤバイ音が響く。

 

「何しに…来たんだよ…」

 

痛みに耐えながら出した声に、あの自由奔放な神様もどきが答えるはずもなかった。




苦痛を伴っても胸を押し付けられて嬉しいものかどうなのかわからないですね。
後悔はしてない。ただ、やられないとわからない。力は非力でも関節はダメですね。


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第六十四話 夏祭り«後»

 

 

ウロコにまんまと逃げられ一杯食わされた。その後になって、男性拒絶症なる精神的ストレスを抱えた文香さんを説得したのがほんの十分前。

今からウロコを探したところで、捕まえられるわけがないと断念し、素直に祭り会場へと戻った。

そうして数分、光や美海を探して彷徨っていると案の定、全員が固まって行動していた。

 

出店の中でも、遊びを生業とする『射的屋』で光とさゆが競うように銃を構えていた。

 

「なんで当たんねぇんだよ!」

 

「ああっ、もうオジサンもう一回っ!」

 

文香さんと並んで首を傾げる。

そんな俺達に目敏く気づいたのは、美空と美海の二人だった。

 

「あっ、おかえり、誠……」

 

「兄さん、おかえりなさい」

 

なんだかドロっとした視線が絡みつく。

美海が訝しげにすんすんと鼻を動かして、俺の匂いを嗅ぎ取っているのがわかる。

 

「……文香さんの香水の匂いがする」

 

「ですね〜。それも数分くっついていたらしいですね。兄さんの浮気者♪ 早漏なんですか兄さん?」

 

ありもしない疑いをかけられた。二重で。

 

「やましいことは何もしてない。というか、美空さん何言ってるんですか、俺がやったって前提で話を進めるのやめてもらえません」

 

「なるほど、兄さんは女の子におあずけする方が好きなんですね。だから手を出さないと」

 

曲解が激しいなぁ。なんて、悲観に暮れながら他人事のように今の状況を眺め見た。

立ち聞きしている奴なんていないだろうが、傍から見ればやはりイヤラシイ会話だ。卑猥だ。などと、白い目を向けられるに決まっている。

 

「だって……美海ちゃんにキス以上のことはまだしてないですよね」

 

「……俺って妹に情事のこと握られるの?」

 

いったいキスの情報なんてどこから持ち出したのか。公言したような気はするがそれから先の話はしてない。

だが、性事情を熟知される兄というものは威厳も何もあったものじゃない。

 

「……文香さんからも誠の匂いがする」

 

今だに色々なことを疑っているのか、美海は嫉妬したように不機嫌そうな瞳をむけてくる。

 

「そりゃ俺からしたらするだろうに」

 

不満の種は早急に解決するに限る。男が正しくなければ折れればいいのだ。離婚の原因にもなっていること。他人は尻に敷かれているとか言うがそうじゃない。

 

「それで、なんであいつらはこんなに白熱してるんだ?」

 

「はい、それはですね……」

 

当然のように隣へと移動し、瞬く間に腕を絡めてきた異母兄妹曰く。

最初はただ、合流した皆で楽しく祭りを満喫していたらしいのだが、事ここに至って射的屋に寄ったのが始まりらしい。そこでお祭り小僧の光が要に射的で勝負を挑むという事態に至り、さらに掘り進めると射的屋のオジサン曰く一万円相当の景品を置いているとか。それを取ろうとして二人して躍起になっているらしい。

 

「なんだかなぁ……」

 

可哀想なことにオジサンの思惑通り、金を落とすカモネギとなったわけだ。

しかし、景品はどれも良品ばかりで粗悪品はない。むしろどれも景品として豪華なものばかり。これはもう普通の射的ではない。

 

「それでね、一番景品が良かった人は好きな人とデートできるっていう賭けまで始まってるんだ」

 

「副賞の方が豪華に聞こえるぞ。それで、お前はなんで参加してないんだ?」

 

要が肩を竦めて、

 

「……まぁ、釘を刺されたらね」

 

と、皮肉を込めた言葉を送ってくる。

にしてもだ。光まで一緒になって、マナカはいないというのに熱心なことだ。

多分、そんなこと頭の中にはなくて、デートのことすら知らないのだろうが。

 

「……ん?」

 

それにしてもおかしい。沢山屋台がある中で、射的屋だけが人だかりに溢れている。屋台に群がり列を作る少年達がひーふーみーよー……たくさん。

見たことあるよう顔がチラホラと、ようやく思い出したのは同じ中学の連中だ。クラスメイトの顔もある。名前は忘れてしまったが結構な数だ。

 

「なんの行列なんだ?」

 

「ふふっ、どうやらこの屋台で取った景品が良い品物だと好きな人と付き合えるッてジンクスがあるらしいです」

 

「発端は?」

 

「私が兄さんにも聞こえるように大きな声で宣言したからですね」

 

男を惑わす魔性の困った妹だ。でも、実際可愛いのだから仕方ないのかもしれない。まぁ、心中察するがそれでも同情はしない。男というものは哀れなものだ。

それでも妹のわがままというものは可愛くて、なんとなく察してしまう。

 

「……」

 

俺と話していない時だけ、一点をチラチラと見ては少し物欲しそうにしながら我慢したような顔をする。不機嫌そうで歯がゆそうで、なんだかもう心の奥がもやもやする。感情の伝染か、美空の暗い感情は手に取るようにわかった。

 

「ふぁ。……オッサン、2丁くれ」

 

「はいよ! 彼女へのプレゼントかい、若旦那」

 

なるほどそういうことか。やたら銀のアクセサリーやぬいぐるみが多いと思ったら、そういう趣向で品揃えを良くしていたらしい。

 

六百円を払い、2丁のコルク銃を受け取る。

射的屋の台へと進み出て目に入ったのは美空が見ていた、黒いケースに入ったクローバーのネックレス。

 

どうやら列は見目麗しい少女達に集るハエだったようだ。傍観している気配を微かに背中越しに感じる。

 

「っ」

 

ポコンッ――一発目は中心に入れてみたが安定性はないのか外れる。どうやらコルク銃は曲者のようで真っ直ぐ飛ばない。なればと、精神を集中させ再度、演算を繰り返した二発目を放つ。

ポコンッ――今度は、命中。後ろで「あぁ…!」と息を呑む美空の声が聞こえた。

その声の通りに黒箱は落ちることもなく、ぐらりと揺れただけで元に戻った。

 

「まぁ、そうだよな」

 

じゃなきゃ、一発で取れるなら誰だって苦労はしない。今だに豪華そうな景品が並んでいるのも、取れないからなのだろう。泣きに見たカップルの顔がチラホラと人だかりを作り始めていて……流石に面倒くさくなってきた。

 

残りは2丁合わせて六発。

 

次弾を装填して今度は2丁構える。そうして、引鉄を引いてコルクは真っ直ぐ飛んだ。

見事に二発とも黒箱に命中して、クローバーがぐらりと揺れたかと思うと、棚の向こう側に落ちて袋に受け止められるトサッという音が。

 

「さすがは若旦那、今日一番の商品だったんですぜ。さぁ、景品だ!」

 

棚の向こうの受け皿から景品を取り出すと、射的屋のオヤジは快く渡してきた。本当に細かいところまで銀細工のクローバーは光る石が葉の代わりとなっており、相当な業物だということが理解できる。

 

「ほら、美空」

 

「えっ……?」

 

美海ちゃんにじゃないんですか。と、驚いたせいで言えなかったのだろう。本当に吃驚した様子の美空は戸惑いながら立ち尽くしている。その手を握り先程ゲットした景品を渡すと、

 

「えっと……」

 

受け取りづらいのか戸惑い俺の顔を見る。

 

「ほら……礼だ」

 

「お礼、ですか……?」

 

今度は首を傾げられた。そんな覚えはないと言うかのように……。

 

できれば口に出したくはない。恥ずかしいから。

きっと、当たり前のことで、そんな祝いの日は別にあるんだろうけど、それじゃ少し遅い気がする。

やるなら、皆が見てない時を選ぶんだったと今更ながら後悔している。ついでに、小っ恥ずかしい今の状況も公開している。

 

「……本当は誕生日とかに伝えるべきなんだけどな。生まれてきてくれて、俺を受け入れてくれて、ありがとうっていうかな……」

 

多分、こんなに堂々としないから恥ずかしいのだろう。俺に家族の距離感とかわからない。どちらかと言うと見ている側だったから。ミヲリさん達と居てもやはりどこか壁があった気がするのだ。

 

言葉にするのは難しい。

 

そんな言葉もあったか。今の状況も、その状況なのだろうと結論付けて、まとまらない言葉を必死に模索して、

 

「家族になってくれてありがとう」

 

ようやく紡ぎ出したのはそんな言葉だった。

 

「兄さん……」

 

弱い足取りでよろよろと近づいてくる美空。俯いているせいで表情は窺えない。身長差とはこの時に厄介なもので覗き込もうとした時だった。

 

「兄さん!」

 

履物を置き去りに美空がぴょんと飛びつき、胸の中に収まる形になった。やられた俺は抱きかかえる形で受け止めるしかない。

甘えるように猫撫で声を発した美空は「兄さん」と連呼し続ける。その節目、頬を赤らめた美空は、

 

「……大好きです♡」

 

ぐいっと、俺の首に回した腕を強引に引いて唇を塞がれた。もう一度言おう、頬じゃない、唇だ。

吃驚して、硬直して、何も言えたもんじゃない。

ただ全身が石化した、冷凍された。

目の前の燃え上がる愚妹の想いとは別に、一周どころか脳内を千回転くらいコイルが周りようやく状況を察する。脳内は真水によって冷却。

 

「お、お前何やってんだよっ!?」

「……うん?」

「あはは……」

「ちょっと美空!?」

「……ふぇ」

 

キス現場を目撃して慌てる光と。

呆然とする要。

目を逸らしチラチラと口元を見てくる苦笑いのチサキ。

おかんむりな美和さん。

まじまじと口元を隠しながら見つめてくる文香さん。

海外式の挨拶とはいかないらしい。

 

「…………」

 

そして、一番怖いのが美海。

怒っているのか、どう思っているのか無言で立ち尽くす俺の彼女。振り向く勇気のないまま、背中に刺すような視線を美海から感じる。

 

「……ずるい。美空」

 

「…………え?」

 

怒って責められるかと思いきや、美海は責めることもせず顔を背けた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

大変だ、どうしよう、美海が口効いてくれない。

 

 

 

射的屋で欲しそうにしていたテディベアをプレゼントしても顔を逸らされ、夏祭りデートを決行しても手は繋いでくれるものの口は開かず、かといって不機嫌でもない美海は口を利いてくれない。

 

同じく夏祭りデートを決行していたアカリさんと至さんに洗いざらい吐いて相談したが、苦笑されて「年頃だからねぇ」とはぐらかされる始末。

 

いっそのこと怒られた方がマシだった。

不倫なのだろうか。浮気なのだろうか。多分、裁判官が十人いたら全員が有罪判決を裁決するに違いない。そのうち情状酌量の余地があると判断した者はおそらく前科ありだろう。

 

 

 

「美海ー」

 

 

 

色んな屋台を廻り、二人デートを続けながら最愛の彼女の名前を呼んでみる。生憎、美空はキスしたことを咎められて美和さんに引き攣られて行ってしまったので今はいない。久しぶりな気がするふたりきりの時間、美海は何か言いたそうにするも結局は何も言わない。

 

美海に見られているなと思って振り返れば、彼女は無言で顔を逸らすばかり。さすがの俺も乙女心を完全に理解しろとか無理難題だ。乙女じゃない。

 

「美海さーん」

 

そりゃあ、俺だって美海が知らない男(知ってるやつでも)とキスしたら泣く。むしろ男の方をしばき倒すレベルで憤怒する。

けれど、美海の反応が噛み合わなさ過ぎていまいちわからない。

 

「……」

 

ぼーっと歩く美海は人形のよう。

抱き締めてみたり、ハグしてみたり、頭を撫でたり恋人繋ぎで歩いてみたり、好きにできるのはいいのだが。

そうでもなくて、ここまでされるとさすがに俺も反省を通り越して落ち込む。

 

もうすぐ花火の時間。

花火の見える丘に夏祭りの参加客が移動していく。

 

「ほら、行くぞ」

 

「……」

 

いつの間にかこちらの顔を窺っていた美海は、急いで顔を逸らす。けれど、ちゃんと訊こえていたようで腕を引くとついてくる。

人の群れを離れて、人の流れに逆らい逆流を登っていく。そうしてたどり着いたのは、昔、ミヲリさんと初めて会った場所。

人気はなくふたりきりになれた。心做しか美海の頬も少しだけ赤いような気がする。

よく海が見える位置に風呂敷が敷いてある。今日の朝のうちに用意していた特等席だ。そこに座らせると、俺は手足を投げ出し寝転ぶ。

 

「見てみろよ」

 

「……ぁ」

 

空は黒いカーテンが敷かれ、星が散りばめられている。都市部では見られない絶景。

美海は知らなかったのか、驚いたように星空を眺め見た。

 

「ここは、海も、空も、いつ見ても綺麗だった。ミヲリさんと出会ったのもここだ。海や空を眺めてるといきなり現れたんだ」

 

今でも思い出せる。どんな服を着ていたか、どんな顔をしていたか、はっきりと記憶に残っている。

美海は覚えているだろうか。母親の顔を、優しさを、アカリさんのことばかりではなくミヲリさんとの思い出を。あそこまで反抗していたのだから、少しくらいは忘れたくない気持ちなどあったはずだ。昔の俺と同じように……。

 

感傷に浸る胸の奥。

そこに一輪の花が咲いた。

 

「美海、花火――」

 

夜空に咲いた一輪の花。

大きな音を響かせながら、空が次々と色とりどりの花を開花させやがて散る。

そんな儚い光景を目の前に。

頬に温かく湿った何かが触れた。

 

「……美海?」

 

暫くして、状況を理解する。

隣には頬を林檎のように赤くした美海が、胸に手を当ててもじもじと太股をすり合わせていた。

花火の光にも見えなくない。けれども、それだけじゃ説明がつかないほど色付いている。

 

「……私はいなくならないよ」

 

かぼそい声で美海は恥ずかしげに呟き、隣にぴったりとくっついて、花火ではなく俺を見上げた。

 

「……ずっと誠のこと好きだもん。美空よりも」

 

対抗心はあったのか、熱の篭った瞳で見つめてくる。

そして、花火の光に重なる影が写った。




いつでもどこでも爆弾な美空。
押すのも引くのも苦手な美海。
まぁ、さすがに美海には人前でキスする勇気はないわけで……やはり人前でイチャイチャするのは恥ずかしいようです。
浴衣が肌けるなんてことはないのであしからず。


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第六十五話 湯けむり

たまにはこんなことがあってもいいと思うんだ。


 

 

 

懸念すべきことがある。

あの祭りの日、どうしてあの鱗は山の上に現れたのだろうか。元々は海を守っているはずの、神の片鱗、その鱗が地上に出ているのを見たのは初めてのことだった。昔は地上に出てもその姿を目にしたことは無い。それどころか地上に上がる話も聞いたことはない。

 

そんな懸念すべきことなのか、気にするべきことではないのか、曖昧な議題に俺は風呂の中に顔を沈める。夏にしては暑い風呂に頭まで浸かり、己の探求心をお湯に溶く。顔を浮かした頃には脳内は茹で上がっていた。

 

お湯で熱を冷却するなんて、土台無理な話なのに俺は何をやっているんだろう。というか、あの鱗の思考を理解しろとか無理にも程がある。

何も考えずに美海とくっついて過ごしたい。それこそイソギンチャクにクマノミが住み着くように。学校に登校するのも、就寝するのも、お風呂に入るのも……。

美海脳とか言われても否定はしない。いまだに積極的に迫ってくる美空を突き放せないのも今後の課題だが、妹離れできない兄と兄離れできない妹では相性が抜群に矛盾するほど良いのか悪いのか判断できない。

最近、久しぶりに感じた家族というものに俺は弱くなっているらしい。それが俺の弱点だ。

 

「幸せだなぁ……」

 

浴室にひとり伸びをする。広々とした空間にあくびをしながら腕を突き上げる。

――むにゅん。

手の先には何か柔らかいものが当たる。

右は大きい果実というかなんというか、言葉では表せない柔らかさと大きさ。

左は成長途中なのか熟していないのか小さいながらも触ってて柔らかいと感じれ十分に揉める果実。

 

びっくりして、思わず手を丸める。

そうすれば手に当たっている果実を握ることになり、より良い感触が甘美に手全体から電流のように伝わる。触覚による衝撃。

 

「んっ……兄さっ」

「ひゃっ…誠」

 

次いで、聴覚による甘い声の衝撃。

脳内が真っ白になるほどの大打撃。柔らかいはずのそれは、一瞬で俺の脳をフルスイング。

理解したからこそ、なのだろうか。

幸せだなぁなんて感じるものの、言い訳を考え始めるのも早かった。

 

俺を除いて誰もいないはずの浴室。その浴槽に浸かる俺は何故か女の子の母性の象徴に手を当てて揉みしだいて、ついでに美空と美海の艶かしい声さえ聞こえて……これ以上触っていたら理性を保つ自信がない。

――いや、幻聴だ。感触も幻だ。

現実逃避して、柔らかくて人肌のようなものと、人肌の温度を手のひらに感じながら見たくもない頭上を見上げる。

 

「…………はぁ」

 

「兄さん、女の子の胸を揉みしだきながら溜息はないんじゃないですか」

 

幻覚じゃない。頭痛がする。美空の叱責も上の空でどうにか頭の中を独占している男としての喜びを――手放そうとしても躊躇してしまう。

だって、現実的に美空と美海の胸に触ってるんだ。平常心保てる奴がいたらそいつは特殊な奴だ。

顔を出しかけた狼の首根っこを締めながら、俺は同時に手のひらの幸福感を手放す。

 

「悪い。気づかなかった」

 

「その割にはたっぷり数秒放しませんでしたね。3回くらい兄さんに揉まれてしまいましたし」

 

「……んん。私は、4回……」

 

いたずらっぽい美空の微笑みと、恥じらい顔真っ赤な美海を見て思う。裸の二人……。確かに触ったが何回も意識的に揉んだ覚えはない。あったとしたら手が痙攣しただけ。

――いや、待て、そもそもなんで俺の入浴中にこいつらは堂々と服を脱いで入ってきてるんだ?

原因はこの娘達にあるとしても、百歩譲っても何歩譲ってもすぐに手を離さなかった俺が悪いのか。むしろすぐに手を離しても路上で見知らぬ女性にやったら監獄行きだ。

 

「すみませんでした。――それで、なんでふたりして入ってきてるんだ?」

 

「……だって、誠が前に……言ったから」

 

うん。言ったな。

――前言撤回。俺が全面的に悪いです。

 

「でも、なんで今日になっていきなり――」

 

「ふふっ、私やママがいつも一緒に入っているって言ったらすごく慌てちゃって」

 

「言っておくけど、お前らが勝手に入ってきてるんだからな。あといつもじゃない」

 

誤解のないように言っておくが、泣きそうな顔で強請られたら断れないだろう。中学生にもなって義母親とお風呂に入るとか……ダメだ、彼女に知られるなんて死にたい。もう手遅れだが。

 

「絶対に光には言うなよ」

 

それでも、光に知られるよりはマシだろう。

あいつなら、だっせぇとか言うに決まってる。

そんな小さな意地を張ると、

 

「クシュン!」

 

美海がくしゃみをした。

 

「取り敢えず、体洗うか」

 

 

 

 

 

美海のサラサラとした髪を梳くようにシャンプーした後。

 

「や、優しくしてね」

 

プラスチック製の椅子に座る美海が背中を向ける。綺麗な白い肌に、解かれた長い黒髪がピタリと張り付く。出だしから少々パニックに陥ってしまったがために、ようやく異質なほどの美海の裸体の美しさに気づいた。身内贔屓なのかふともかく可愛いし綺麗だ。

スポンジを手に取り、愛用のボディソープで泡立て、少しばかりの緊張を胸に、一度お湯を被った美海の背中に押し当てる。

 

「ん……」

 

漏れた艶美な吐息。小さな薄桃色の唇がプルプルと震えていて、なんかもぅ可愛い。肩も少しばかり震えていて、羞恥に耐えぬこうという意思が伝わってくる。それなら俺も早く終わらせてやろうと、なめらかな肌にスポンジを滑らせる。

 

本来、自分で洗うのなら首からなのだが、今回は昔のように背中にスポンジを這わせた。何回もやっていたからか体は覚えているらしく、躊躇とか大事なものを置き去りにして指が動く。恥ずかしげに丸められた背中を硝子を扱うかのように愛撫して、美海はくすぐったさに背中を反らせた。

 

「はぅん……♡」

 

「美海ちゃん気持ちよさそうですね〜♪」

 

淫美な雰囲気。美空の存在があるからか愚行には及んでいない。美海が大人っぽく艶やかな声を上げるものだから、少し顔が熱くなる。

 

「兄さん、もしかしてサディストですか?」

 

「いじめてるんじゃなくて愛でてるだけだから」

 

華奢な背中を洗い終えると、美海の白い腕にスポンジを這わせる。されるがままの美海の手を後ろから重ねるように握ると、若干の抵抗が見られた。腕を上げるのは嫌らしい。でも、戸惑いながらも迷っているようにも見える。傍から見たらイヤラシイ光景は美海の羞恥によって昇華している。確かに男としてはちょっといじめてみたいが……。

 

「ひゃあんっ♡」

 

――結論。白い手首を洗い終えると、腋の下にスポンジの魔の手が伸びてしまいました。

一際大きく喘ぐ声に、俺の脳内はオーバーヒート寸前。平常心と無心の神に祈る。

なぞるように下へ――次は、もう片方も。

 

「ふぅっん……♡」

 

今度は耐えたらしい。背筋が伸びてしまった美海の右腋下を通過して、お腹へと手を回す。

 

「――わっ、だ、ダメ!」

 

突然、美海が我に返ったように大声を上げた。きゅっとスポンジを持つ手を抑えてきた。

 

「お、お腹はダメ!」

 

「なんで?」

 

「うぅ」

 

腋がよくてお腹がダメ。……もしかして、太っているかもとか気にしているのだろうか。チラチラと美空のお腹を見つめる美海の行動からも一目瞭然、美空のくびれと比べると自信がないらしい美海の女の子っぽさに俺は微笑、反対の手で美海のお腹に触れる。

 

「すごく可愛らしいぞ、美海のお腹。それに太っているわけでもないし、俺好みの女の子だよ」

 

「……こんな時に言うなんていじわる」

 

背後から抱きしめる形で囁くと、美海は嫌がる様子すら見せなくなった。合わせられたお腹の上の手。

……妊娠した女性のお腹に手を当てる場合、こんな形になるのだろうか。もちろん妊娠などさせるような行為はしてないが若干――いや、形容できないほど幸福感が溢れて言い表せない。

 

「続けるぞ?」

 

「……うん」

 

美海の了承を得たところで、止めていた洗いっこを再開する。スポンジを美海の可愛くて小さなおへその周りに渦巻くように撫でつけて、お腹を洗い終えるとそのまま上へと手を伸ばした。

 

「ん……あ……っ♡」

 

さっきよりは大人しく落ち着いた美海。今までで一番大きく肩を震わせた。

幼い頃より成長した胸は女性らしく膨らみかけていて、慣れない男性には洗いにくい。柔らかいそれはスポンジで撫でる度に逃げる。逃げる。逃げる。

 

 

 

――その時、幸か不幸か美海が大きく身じろいだことでスポンジが手から滑り落ちた。

 

 

 

時が止まった。俺の呼吸も、美海の呼吸も完全に停止して自分の感覚を確かめる。色々なものが止まったにも関わらず、手だけは滑るように美海の胸を鷲掴み。硬直。

泡のせいかさっきよりも滑る――はずなのに、手からは零れ落ちることがなかった。

 

『あ……』

 

声が三人分重なった。紅潮した頬を照れ隠すようにもじもじと手を股の前で擦り合わせる美海だけが言葉を続けて、

 

「……難しかったら手で…いいよ…」

 

大胆な告白。

 

「事故だ」

 

「……私のじゃ小さくて不満?」

 

「違う」

 

「誠は事故って……興味なさそうなんだもん」

 

美空の胸と比べてるのか美海は自信なさげに俯く。

やめなさい、あれは特殊なだけです。発育がいいだけの美空を相手にしてはいけない。全国の女子中学生の胸の平均値超えてる超人だから。

 

渋々と美海は引き下がってくれる。所在なさげな手をスポンジ装着。今度は太腿から足首にかけて流れるような作業。やはり美海はくすぐったそうにしていたが、不満そうなのは変わらない。無理矢理に足を上げさせて裏も丁寧に洗っていく。その時、美海の頬がさらに紅潮した。

 

そうして、やっと終わったと安堵の息。横から口を挟むのは美空だった。

 

「……いまさらですけど、背中を流すだけで良かったんじゃないですか兄さん?」

 

「あ……」

 

尤もな美空の意見に俺は意表を突かれた。

 

「つい、昔のように……」

 

「えぇ!? ずるいです。私もやってください!」

 

「だ、ダメ!」

 

羨ましがった美空が背後から抱きついてくる。美海は美空に反抗しようとこちらに振り返り、押し合い圧し合い耐えようとした俺は美海に付着していた泡に足を取られて滑らせる。

 

 

 

『キャアアアァァ!!』

 

 

 

美海を巻き込み押し倒し、美海を絡みつかせたまますっ転んでなんとか怪我を最小限にしようとふたりを抱える。膝やら何やらを打ったが、ふたりが柔らかいおかげで俺にはダメージなんて殆どないが、回った視界に少し状況を整理するのに時間が掛かる。

その間にも、ドタバタと廊下を走る音が聞こえて俺は何故か暗くて柔らかい視界から顔を離した時、丁度外から扉を開かれた。

 

「あらまぁ」

 

運悪く現れたのはアカリさん。ニヤニヤと表情を面白いものを見たと歪ませている。

 

俺の下には押し倒した美海と、おそらく顔を埋めていたであろぅ美空の大きな胸。ふたりと絡み合いながら俺は倒れ込んだまま、寿命が縮まったという感覚を血の気が退くとともに味わう。

 

「今夜はお赤飯だ」

 

「やましいことはしてません」

 

「――にしても、さすがにいきなりふたり同時はねぇ」

 

「だから違いますって」

 

「初孫だ」

 

「事故ですから!」

 

「やった人ってお酒が回って――とか、事故とか一瞬の気の迷いで済ますんだよね」

 

よく使われる言い訳だ。が、事故とはそういう意味合いではない。

 

「……そんな思春期の下半身で言われてもねぇ。それに手は正直だよ」

 

「あ……」

 

本日、三度目のトラブルボディタッチ。二人の胸に触れているのは俺の手だった。お嫁さんの母親には一生勝てない気がした。

 

 




健全だよね?……だって事故だもん。
ただ、光や至さんが出てきたら覗きとして処理をしよう。
そんなネタがあったが、あえなく没。
光「……いや、行ったら殺されるだろ。誠に」
至「大丈夫だよ。……たとえどんな薬品を使われようと光君なら生き残れる。僕はほら、既婚者だし、孫ができても驚かないよ」
と、おふたりは茶の間でお茶を啜ってました。もちろん、尊い犠牲にならないように晃くんは至さんが抱っこ。


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第六十六話 海への道

 

 

 

「陽性です」

 

 

 

病院の診察室で慎吾先生はカルテを見てそう告げた。いったい何が原因でこうなってしまったのか、興味深そうに診断書を睨むその姿は数年前とはまた別物で、医者の風格が備わり迫力を増している。

 

「二人とも間違いありません」

 

丸椅子に座った美海と美空にはっきりとそう告げて、ばさりと診断書を机に投げ捨てる。

告げられた二人といえば、今も状況がわからないといった様にきょとんとお互いを見つめ、すぐにお互いの手を取り合い、嬉々として椅子から飛び跳ねん勢いで、

 

「美空!」

「美海ちゃん!」

 

互いの名を呼んだ。喜びほころばせる表情は見ていて安心するもので、なんとなくそれでいいのかと納得してしまう。

看護師の役割を担っていた美和さんはクリップボードを胸に抱いて、心底恨めしそうに娘を見た。

 

「ずるい。私も欲しいのに……」

 

ありありと不満を俺にぶつけてくる美和さんは、背中にもたれかかり胸を押し付けてくる。

 

――つい、先日のお風呂の件が脳内を掠めた。

 

押し付けているわけではないのだろう。極めて自然体で甘えてくる職務中の美和さんは俺の肩の上に顎を乗せて、まだ二人を恨めしそうに睨んでいる。

 

「いいことばかりじゃないですよ。どうしても気になってしまいますから」

 

「誠君がねー。……でも、私だって誠君と同じ位置に立って見たい景色もあるんだよ」

 

「大丈夫ですよ。海に帰る気はありませんから」

 

「そーゆー問題じゃなーいー」

 

駄々をこねる母親。こればっかりはどうしようもないのにどうしろというのだろうか。それより、目の前の問題に意識を戻そうか。目を逸らしてばかりでは前に進まない。

 

「しっかしわからんな。いったい何をした? 誠君」

 

「俺が何かした前提で話しかけないでくださいよ」

 

昨日、お風呂で二人と混浴した時、妙な光の煌めきを二人の肌から感じた気がして観察したところありえない結果が出てしまった。

肌に光るベールのような薄い膜。

それが二人を覆っている。その事実を認めたくなかったのか、脳は考えを破棄しようとするものの口は正直に言う。エナ、だと直感で感じてしまった。

口に出したらそれを認めるような気がしてはばかれるものの、無意識にも呟いた。

 

――そして、今日の診断に至るわけだ。

まずはチサキ、俺、光と要のエナを検査し差異があるかどうかの確認を行い、次に二人のエナと思われる薄い膜の検査を行ったところ――結果は“陽性”。

構造も少し薄いもののそれは間違いなく、海の人間が受ける加護、そのものだった。

 

「……」

 

ウロコが地上に現れたのは、そのためか。

祭りの日の神の片鱗の様子を思い出すも、やはりあっけらかんと神秘的な雰囲気を放つのみで変わったところは見受けられなかった。

 

「……兄さん」

「……誠」

 

二人が物言いたそうに見つめてくる。そして、とうとう痺れを切らしたのは美空だった。

 

「もう少し喜びましょうよ、兄さん」

 

「あのな……これは異例なんだ。過去に陸と海の二つが交わってエナができたことはない。それだって異常だってのに、途中でいきなりエナが生えるなんて」

 

成長と一言で片付けてしまえば簡単だが、前例がない上に海の世界の異常性が、どうしても結びついてしまう。

子孫を増やすため、――エナを持つものが増えたか。

言わないが、美海が喜べば俺はその分警戒するし美海が怯えれば俺はその分喜ぶ。一緒に泣いて笑うのもいいが、俺はそういうの似合わない気がした。というか、こっちとしては色々と複雑なのだ。

 

「……でもね、誠」

 

美海がゆっくりと手を伸ばして、こちらの手を握ってくる。手の甲に重ねられた手を握ろうとして裏返そうかと思ったが、それより先に美海の言葉の方が早かった。

 

「私、誠のお母さんの御墓参りしたいんだ」

 

美和さんではない実母。その人の墓は海にある。それを知っている美海からのいきなりの提案に俺は少し驚いてしまった。

 

「……」

 

「ダ、ダメだった?」

 

「あっ、いや、そうじゃなくて」

 

眠っている間、墓参りに行けていない。確か、死んだのも夏の日でもうすぐ……。

それだけではなくて、ミヲリさんのも行けていない。最近はバタバタとし過ぎて……報告も兼ねて。

 

「……ミヲリさんのも行かなきゃなって思ってさ」

 

「うん。お母さんも喜ぶよ」

 

手を裏返し握り合う。

大人になった美海に負けた気がした。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

光と要から連絡があった。エナの検査を終えた二人は紡の

通う大学の教授に呼ばれているらしく、四人で漁協に集まっているらしい。美海と美空を連れて漁協へと赴く。ほぼ顔見知りの人達と顔パスで通過する。昔と変わらぬ会議室に足を向けて、辿り着いて扉を開けるともう一人見慣れた人がいた。

 

「あ、至さん」

 

「お、どうだった検査?」

 

「陽性ですよ」

 

がっしりと肩を掴まれる。真面目くさった顔で何を言うかと思えば、

 

「いきなり二人暮らしとかダメだからね」

 

「海に移り住む前提で話さないでください」

 

そんな事だった。

娘を嫁にやるような気迫の男に対して、俺はどうすればいいのか。至さんはパッと手を離すと、落ち込んだように斜め下へ視線を逸らし、

 

「……僕も見たかったよ。アカリの育った海。ミヲリの故郷の景色を」

 

「そうですね」

 

至さんの変わりに美海がやる。むしろそれは俺が美海に教えるべきことなのだろうか。至さんに代わり、美海に見せてやれるのは俺かアカリさんで、アカリさんがやるようなことじゃないとも思う。アカリさんは自分の海を見せるのが正しいと思う。

静かに頷きながら、ぼそりと漏らす。

 

「……そこでミヲリさんの名前が出てなければ殴っているところでした」

 

「ちょっ、自分のお嫁さんの親を殴る普通!?」

 

「――アカリさんに代わって」

 

「アカリにも殴られる前提!?」

 

しんみりとした空気を追い払うように、一人芝居をして一区切りついたところでこちらの様子を伺っていた紡がホワイトボードを叩く。

 

「じゃあ、はじめようか」

 

 

 

 

 

議題『海村に入る方法』

最終目的はそれをテーマに話は進められていく。

海村を囲う潮流、方角すらわからなくなるような氷の壁に遮られた太陽の光と海村の姿、場所、それらを頼りに海村を中心とした海図を作っていく。

光の現れた場所、要の乗っていた潮流、俺が出た場所と潮流の流れを組み込み、完成した海図に教授は顔を顰めて地図をなぞる。

 

「これは……まるで、海村を守っているかのようだね」

 

外から来る者を拒み、中から出るものを拒む、潮流の流れに教授は感嘆の声を漏らした。そうして少しの間、研究の進みに喜びを得た後、俺に視線を向けてくる。

 

「海村の位置は間違いないんだね。誠君?」

 

「はい。昔から何度も出入りしてますから間違いはないです」

 

海と陸を渡ること、他の誰よりも多い俺は感覚的に距離が身体に染み付いている。海の上から陸の位置もわかるし海村の真上の氷の地面だって特定してみせよう。それくらいの自信はある。

 

「じゃあ、今すぐ行こうぜ!」

 

「まぁ、待つんだ光君」

 

急ぎ先走ろうとした光を教授が呼び止める。今すぐにでもマナカを探したい一心の彼を宥めるように、丁寧に説明してみせる。

 

「何度も試して入れないと聞いた。それなら入口を見つけられなければ、海村には入れないよ」

 

諭す教授の声にうずうずと足踏みする光は気性荒く叫び返す。

 

「じゃあ、どうしろってんだよ」

 

「そこで僕らの出番だ」

 

先程、完成させた海図。海洋学の研究を日夜行っている二人にしたら当然の摂理なのだろう。一つの場所に、一つの赤い印をつける。それは正門でも何でもない場所、どこか村の入口とは異なる場所だった。

 

「多分、潮流の流れを計算すると、ここが最適なポイントになるはずなんだ。ここからなら海村に侵入できる」

 

それは摂理であり法則である。

人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すように。体を駆け巡る血流のように。箱には一定量の物しか入らず容量を越えれば溢れる。海流もまた始まりがあって終わりがあるのだ。自然の法則は確かにあるのだ。例え、何か超常現象が関係しているとしても。

 

「そうとわかれば今すぐ――」

 

「頭を冷やしなさい。まずは頭を冷やしてそれからだ。明日、決行しよう」

 

光の先走る性格を理解しているのか、教授はそういうと資料を鞄にしまいはじめた。

紡もホワイトボードの文字を消して、要は静かに光を見守っている。俺の隣の二人といえば、ちょいちょいと服を引っ張ってくる。

 

「どうした?」

 

「私も行く」

 

「では、私も」

 

言うと思った。頬をポリポリと掻きながら、少し思案して椅子にもたれ、

 

「わかった」

 

仕方なく了承。

 

「嬉しそうだな、誠」

 

いつの間にかホワイトボードの文字を消し終えた紡が振り返り見ていた。表情はわかりにくいが温かい目をされているのがわかる。

 

「え、どこが?」

 

「いつも通り……ではないね。いつもなら、危ないって言って止めるだろうし」

 

光と要の指摘も尤もだ。いつもなら止めているところなのかもしれないが、

 

「いつもと違うぞ? ものすごく喜んでいるようにしか俺には見えない」

 

紡曰く、そういうことらしい。俺ですらわからないような感情の変化を感じ取れるのは似たもの同士だからだろうか。感情を表に出さないことにかけては二人とも同じなのかもしれない。

 

「私にもそう見えます」

 

「うん。誠はそうだもん」

 

微笑んでいる美海を見ていると、反論する気すら起きなくなった。

まぁ、美海が喜んでくれるならいっかと思うところそろそろ俺も末期だ。抱きしめたくなるし、ずっと触れていたいと思ってしまって、逆にいないと不安になるくらいだ。

 

「そうだ。話がある、誠。時間あるか?」

 

「……あぁ」

 

苦渋の決断に渋々頷き、紡の誘いに乗った。

 

 

 

 

 

「で、話って?」

 

珍しい紡からの話に乗った俺は紡の後に続いて漁協を出た。漁協の裏から小さな山を登り、途中で置いてある自販機にお金を投入し、紡は紅茶を買うと投げ渡してくる。それをキャッチすると紡はなにやらファンシーな色合いの缶ジュースを買ってプルタブを起こして、中身を口に含む。

 

「まだその飲み物あったんだな」

 

紡お気に入りの缶ジュース。つぶつぶみかんジュースはなおも健在のようだ。

俺も紅茶の缶のプルタブを起こして呷る。

 

「実は、誠に協力して欲しいことがある」

 

「研究、だろ?」

 

言わずもがな、紡と三橋悟教授は大学で研究をしている海洋学科。海の突然の変異と、海村の調査は今まで不可能だったために是か非でも成し遂げたい調査だ。

普通の人間では不可能な為、俺に頼んだのだろう。もし普通の人間が酸素ボンベを持って潜れば、戻ってくることどころか数分で根を上げることになる。今の海はエナを持った海の人間ですら冷たいのだ。

だが――、

 

「なんで、光に頼まなかった?」

 

海をどうにかするためなら立ち上がることを知っている身からすれば、あいつは格好の餌だ。

紡はベンチに腰掛けて、缶に再び口をつける。

 

「そりゃあ、お前の方が理解は深いし持って帰る情報が濃厚だからだろ。それに……」

 

チラリ、と漁協に視線を向ける。眼下の漁協には美海が今も俺のことを待っているだろう。

 

「お前から話しかけてただろ? 釘を刺すために」

 

「確かにな。それで、どこまで論文として発表し公表するつもりだ?」

 

「海村に入れたら海村の様子。あとは、突然変異で得たエナを持つ陸と海のハーフのこと。そして海から帰ったお前達のこと。もちろん場所や誰かなどの情報は公開しない。それを約束と、確認させるためにお前なら話しかけてくると思った。美海と美空に群がるマスコミ報道とかお前は絶対に許さないだろうから」

 

さすが、親友――幼馴染とはまた違った距離感で攻めてくる。

 

「守る為なら黒いよな、おまえは」

 

「時にはそういうのも必要なんだよ。全部、守る為には」

 

「そうだな。おまえはそういうやつだったな。自分だけ犠牲にするのが誠だ。公表されることの危険性とかわかっていないんだろ、彼女は」

 

「そりゃあ家族として当然のことだろ。美海は俺の彼女なんだし。問題のないことに心配させるのもな」

 

飲み終えた缶をゴミ箱に投げ入れる。

自分で言っておいてなんだが、“彼女”だと言うのはまだ少し恥ずかしい気がする。

 

「俺も知りたいことはあるんだよ。ウロコ探した方が手っ取り早いんだけど、一応そういうの集めておいた方が得だろ。じゃあ、帰るな」

 

「あぁ、また明日」

 

 

 

 

 

夜。家族ぐるみの付き合いを終えた後、宿題に取り掛かる俺と美海、美空の三人はリビングでお風呂上りの飲み物を飲みながら寛いでいた。

遅くなってきた時間、時計に目を向けると少しどころか長い間ここに居座っていたようだ。

 

「じゃあ寝るか」

 

切り出すと、美海が顔を赤くして、

 

「うん」

 

と、頷きコップを片付ける。三人揃って美海の部屋へ移動した。パジャマ姿の美海は先に布団に入ると奥へと詰める。つまり、入っていいということだ。

電気を消して同じ布団に入ると、美海は恥ずかしそうに壁の方を向いてしまう。俺の背後にはさらに柔らかい物体が抱きついてくる。

 

「美空、さすがにベッドに三人は無理だ」

 

「じゃあ、床に布団でも敷きますか?」

 

どうやら抜ける気は無いらしい美空はそんな提案をしてくるが、本当に狭い。

 

「それとも兄さんが二人に腕枕でもしますか? 少しは狭くなくなりますよ」

 

「俺の両腕を鬱血させたいようだな」

 

明日には俺の腕の感覚がなくなっていることだろう。

 

「なら、二人を抱きしめて寝るなんてどうですか。どこに触っても怒りませんよ」

 

「よし、そうしよう」

 

美空に背を向けて美海を抱きしめる。「きゃっ」と驚く美海の声が聞こえたが、ぴったりと背中を押しつけてくるあたり嫌ではなさそうだ。

 

「兄さん、妹をイジメて楽しいですか?」

 

ぎゅっと背後から胸を押し付けてくる。サンドウィッチになった気分だ。俺は具。大人になるまではレタスでありたいと思う。

そんなことをして数分じゃれてから、俺は美海を解放して天井を向く。

 

「えへへ、実はドキドキして眠れません。本当は兄さんの隣なら安心して眠れると思ったのですが、上手くいきませんね」

 

「……」

 

「ねぇ、美海ちゃん?」

 

「……うん」

 

「むしろドキドキが倍になりました」

 

それでいて人の心臓をわしづかむようなワードを放つ美空と美海。きっと明日のことを思っているのだろうが、二人の存在のせいか落ち着いたり落ち着かなかったりわからないでもない。

好きな人と一緒にいればドキドキしたりもするし、落ち着いたりもする。なんていうか人間は不思議だ。

 

「遠足前夜の子供だな」

 

「誠の心臓もドキドキ鳴ってるよ?」

 

いきなり胸に頬を押し付けてくる美海は不意打ち気味にそう言った。

 

「男だからな」

 

そして、それはあいつもそうだ。男なら足踏みなんてしていられない。目の前にゴールがあるのなら飛びついてしまう。

――ミシリ、と床が軋む音が廊下に響く。

その音にびくりと肩を震わせた美海は、ぎゅっと抱きついてくる。美空も同様に抱きついてきて、正直苦しい。

 

「だ、誰……?」

 

「……」

 

二人の口元を抑えて声を抑えるように促す。

遠ざかっていく足音は、やがて玄関を抜ける音に変わった。扉を引いて外に出る人。やがて扉をそっと閉めたのか気配は消えた。

 

「光だよ。やっぱり我慢出来なかったか」

 

「もしかして、一人で海に!?」

 

「大丈夫だ。追いかける必要はない。どうせ、辿り着けなくて戻ってくる」

 

その日は結局、寝付かない二人と朝まで思い出話に付き合わせられることになり、ようやく寝たのは朝日が顔を出してからだった。




幼馴染と親友って別だよね?
という、謎の理念を掲げてみる。
とくに光君が夜に出たのは意味が無い。付箋にあらず!


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第六十七話 氷裏の海の境界線

遅くなりました。
先に長ったらしいのもあれなんで言い訳は後書きで。


 

 

海村探索の決行日。昼食を終えたあと飛び出した光を追いかけて、海に浮かぶ氷の地面を歩き、約束の場所へと辿り着いた。既に光と要さんは揃っているらしく、とくに光は今にも飛び込みそうなほどの準備運動を見せつけてくる。

その隣に設営されたテントで、紡さんと教授が機材のチェックをしていた。

 

「へっぷし! 遅せぇよ、早く行こうぜ」

 

「マスクしろ」

 

クシャミをした光に抗議の声を上げる誠。

風上10m。十分に離れたところで、私と美空と揃って光を敬遠した場所に立つ。

 

「おまえ、なんでそんな離れてんの?」

 

「昨日、馬鹿やって風邪をひいて帰ってきたおまえのせいだと思うけど。ほら、咳やくしゃみは5〜8飛ぶって言うだろ」

 

「あはは……」

 

乾いた笑みを浮かべて要さんは変わったね、っと呟くように話しかけてきた。いったいそれは誰に対してか、返答したのは紡さんだった。

 

「こういう奴だよ。……根本は」

 

「ですよねー。兄さんってば、優しいところは少し過度な気もしますけど」

 

「昔から、こうだよ」

 

どっちかというと、私のお母さんじゃなくて私と遊んでくれて一緒にいてくれて、兄妹みたいな時間を育んで生きてきた。病気になったら心配してくれた。付きっ切りで看病して今度は風邪をひいたのは誠だったり。そんなところが大好きで、私は誠といることが子供の頃から当たり前なんだと思う。

 

「さて、誠君これを」

 

「これは?」

 

「海中の濃度や水流の流れを計測する機械だよ。簡単にボタンさえ押してくれれば起動するようセットしてあるから、あっちで組み立ててスイッチを入れてくれれば問題は無い。あとは生態系について変化があるか調べてきて欲しいんだけど……これくらい」

 

言い淀みながら教授は心配そうな表情。正確にはあまり期待してなさそうな、そんな顔。渡した紙にはぎっしりと項目が並んでいて、私には判らなくて眩暈がしそうだった。

 

「大丈夫ですよ、教授。誠は信頼できるんで」

 

「あー……そこじゃなくて。デートに夢中で忘れないか不安で」

 

「俺をいったいなんだと思ってるんですか……」

 

しょうもない言い争い。けれど、ちょっと内容は気になるかもしれない。

デート……なのかなぁ?

誠の家に行けるのは嬉しいけど、よく考えて見ても光や要さんなどの付属品がついてくるわけで、ちょっと複雑な気分だ。別に美空はいいけど。

 

「行く前にはい、これ」

 

「ん、ありがとうな。チサキ」

 

当たり前のようにチサキさんが魔法瓶から温かい飲み物を注いで手渡す。私から見たら、というか誰がどう見ても夫婦みたいなやり取りに、ちょっとだけ嫉妬したりもして、こんなところが私には足りないんだろうなと思う。

 

「はい」

 

「ありがとう、チサキさん」

 

誠が飲み終わった湯呑みに魔法瓶の中身を注いで私に手渡して来た。ちょっと複雑な気持ちで受け取って飲むと、中身は紅茶だった。

美空も同様にそうやって手渡して、回して飲んでいく。四度目注いだ時、差し出されたのは光だった。

 

「いらねぇ」

 

「僕もいいかな」

 

次に差し出された要さんも拒否して、チサキさんは仕方ないなぁと湯呑みに口をつける。そしてゆっくりと全部飲み干してしまった。

 

「よし行くぜ」

 

「お先に」

 

先にふたりが氷上に作った抜け穴から海へと降りる。残ったのは私と美空と誠。誠は機材を背負い直すと私と美空の手を取る。

 

「行ってくる。もし怖かったら、少しだけ目を瞑ってろ」

 

私と美空は誠に手を引かれて暗い海へと旅立った。

 

 

 

 

 

コポコポ。ゴポゴポ。

水泡が地上へと還る音が聞こえた。

私の耳はそんな音が止むのを待って、ぎゅっと目を瞑りながら誠に抱き着く。少しだけ怖いのと海の中の浮遊感はまるで世界に一人取り残されたような感覚で、でもどこか包まれているような感覚で、美空も同じように反対側から誠にぴったりとくっついているのがわかった。

 

「まずはゆっくりと呼吸をしてみて」

 

恐る恐る水中で口を開けて、水を受け入れると、息苦しさは消えて息が出来ているのだとわかった。

 

「目を開けて」

 

数拍、誠からの指示に従ってゆっくりと瞼を開ける。

すると、視界に飛び込んできたのは――

 

 

 

「これが海の世界……」

 

 

 

広大な海の一端だった。少し薄暗い氷に隔てられた海を自由に泳ぐ魚達。生えた海藻。どれもが新鮮で静寂が心を満たしていく。

 

「大丈夫か、ふたりとも」

 

「……うん、大丈夫」

 

「……問題ないですよ、兄さん」

 

ふたりして見惚れ、空返事気味になってしまって、それをわかったかのように誠は行こうかと手を引っ張る。少し下で待っていた光達に合流して、遅いと責められる誠は適当に謝っていて、その輪が少し羨ましかった。

ズンズンと先に行ってしまう光。その斜め隣を悠々と泳ぐ要さん。そんなふたりの後を誠は私と美空の手を握りながら追って、これがいつもの誠なんだなと思う。

私がいない、海での誠は、幼馴染といる誠はこんな風にいつも背中を見守っていて、背中を押してくれるようなそんな人であって、彼の生き方が全部一歩足を退いていてまるで今の海と陸を隔てる“氷の壁”があって、どこかひとりの世界は寂しくて……。

本当は誠は私が追い求めた輪の中にはいなくて、どこかにまだ薄いのか厚いのかわからない壁があったことに気づいてしまった。

 

「おい、あれ」

 

突然、光が立ち止まる。続くように降りて前を見れば靄のような何かが海の向こうへと広がっていた。

 

「雲のような何かが覆っているな。方角的にはこの向こうだ」

 

「実際には海の中で雲なんてありえませんからね、潮流みたいなものでしょうか。兄さん、どうしますか?」

 

「俺が先に行く。安全を確認したら、戻ってくる」

 

そう言って、離そうとした手を私は強く握り返す。

 

「私も一緒に行く」

 

「何があるかわからないんだ。だから、連れていけない」

 

首を縦に振らない私。一歩も退かない誠。

ふたりして視線を合わせていると、美空が私に加勢してくれる。

 

「もし兄さんが私達を置いて行こうとするなら、置いて行った直後に追いますよ。ふたりで」

 

にっこりと言い切った。美空の強い姿に誠は重い溜息を吐いて、二人分の手を離すと右手を自分の額に当てる。

 

「……わかった。絶対に手を離すなよ」

 

また繋ぎ直した手をぎゅっと握り、私は美空と誠を挟んで微笑み合う。繋がれた手は優しく、強く守るように握られていて、寄り添うように誠の隣へとぴったりくっつき泳ぐ。

 

私達が先に進む。その後ろを今度は光と要さんが追う。

 

「行くぞ」

 

一声かけて、雲のような霞へと突入した。私は思わず誠の手をぎゅっと握る。今まで以上に強く握ったせいか、恐怖を感じたのを誠に悟られて、今度は誠が強く握り返してくれる。

何分かそれを続けて――不意に呟く。

 

「おかしい……もう着いていてもおかしくないはずなのに」

 

「どういうこと?」

 

「今日の潮流は全く感じない。流れに逆らっても、流されてもいない。なのに汐鹿生に着かない」

 

「なんかおかしくねぇか?」

 

「うん……なんだろうね。いつもと違うみたいだ」

 

光と要さんまでもが異変を感じ取った。

焦燥がふたりから感じ取れて、私にまで伝染する。美空も同様に動揺を隠せず、不安そうに誠にくっついているのが見えた。

誠は誰よりも冷静だった。こんな状況で、海の中で目を瞑り耳を澄ませている。

 

「……なぁ、美海、美空。この音が聞こえるか?」

 

「音……?」

 

私と美空は揃って目を瞑った。誠と繋いだ手だけは離さず耳を澄ませる。すると、微かにザラザラと何かが擦れ合うような音が聞こえた。

 

「聞こえます」

 

「私も」

 

「俺には聞こえねぇぞ」

 

「僕も聞こえない」

 

私と美空と誠だけに聞こえた音。私と美空は頷き合うと水を蹴って進む。音の聞こえる方へ。誠は何も言わずただ私と美空に引っ張られる。

やがて、泳いだ先で、視界は開けた。

 

光が差す。溢れる光に目を細めて、左手で光を遮ると前を向く。眩しすぎて細めた目をようやく開けた時、飛び込んできた光景はさっきよりも眩い夢に描いたような、それが少し色褪せたみたいな場所。

 

 

 

「帰ってきたんだな……汐鹿生に」

 

 

 

愁い漂う雰囲気で誠は呟く。近くの地面へと降りると、次々に降り立つ。光と要さんも懐かしい光景に周りを見渡していた。

 

「これから、どうするんですか?」

 

「まずは装置を設置して、村を回ろう。俺が見た時とあまり変わってないけど、やりたい事もあるしな」

 

誠の提案に光と要さんも頷く。教授に渡された装置を誠は設置し始めた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

装置の設置を終えた後、五人で村中を歩き回ることに予定通りなった。私と美空はおっかなびっくり誠にやっぱりくっついて歩く。

水中都市、なんてものが外国にある。遥か昔に沈んだ街が古代都市と呼ばれるように、ここにある海村は生きた化石のようで不可思議で、私自身どうやって海の中で生活しているんだろうかと気になっていた。

誠に聞けば解決するだろうけど、見るのと聞くのではだいぶイメージに差があって、私自身聞いていた以上に少し怖い。

村を歩くと、まるで石像のように固まって座っている人がいて、その前を通るのに緊張する。足早に誠を盾にしながら通り過ぎる。美空も同じだ。別に誠は気にすることなく盾になってくれて、まるで廃都市のような村が、怖くて少し足が竦む。

 

「おまえ何ビビってんだよ!」

 

そんな私達を見て光が怒鳴った。誠もクリップボードから顔を上げて、光を睨む。そのまま光は私の肩に掴みかかって、説教だと言わんばかりにまた怒鳴る。

 

「死んでるみてぇだっていいてぇのか! 眠ってるだけで死んでねぇよ! 失礼だろ!」

 

「ひ、光……」

 

止めといた方が……。と、要さんが注意する前に光の頭を誠がパコンとクリップボードで叩く。

 

「事実だろ。この村はどう見たって廃都市だ。良くて時が止まっている、くらいの評価しか下らん。人は住んでいてもこれじゃあ生き殺しみたいなものだろ」

 

「おまえまで何言ってんだよ!」

 

私への非が飛び火した。

憤る光に対して、なおも誠は冷静だった。

 

「じゃあ、おまえは生きているって言えるか? 眠ったまま目を覚まさない人間を、抜け殻のような人間を」

 

「それとこれとは話が違うだろ!」

 

「変わらないさ。たとえば、脳死で植物状態に大切な人がなってしまって……おまえは『生きてて良かった』なんて本気で言えるのか?」

 

光が黙ってしまって、誠は言葉を続ける。

 

「何を持って人は生きているって言えるのか。そんなのたった一つしかない」

 

答えを言う代わりに私の手を強く握る誠。光に答えを教えないまま歩き出した。もしくはそれが答えなのかもしれない。誠は幼子を叱りつけるように言った。

 

「頭を冷やしてこい。家に帰れば、少しは冷えるだろ。一時間後にまた集合だ。学校でな」

 

光と要さんだけを取り残して進む。美空も同じくクリップボードで塞がった手の方に並ぶ。すると、誠は無言でクリップボードを仕舞って、美空の手を握った。

行き先はわからないまま。汐鹿生を深く知らない私達にとって、誠の行く先が全てで。誠の行動に合わせてついていくと一軒家の前で止まった。

 

「……ただいま」

 

見上げて一瞥、ポケットを探って何かを取り出すと玄関に近づく。鍵らしきものを差し込んで、扉を開いてその奥へと消えていく。

私と美空は顔を見合わせた。

 

「ここって……」

 

「家と似ていますね。兄さんの汐鹿生での実家ってところですよね」

 

美空の家に似ていると思った。きっと誠の家だ。

 

「ついて行きましょう」

 

「うん」

 

玄関に揃えられた誠の靴。その横にふたり並んで靴を脱いで揃える。玄関を上がって廊下を進む。部屋一つずつ覗き込んで、誠を探す。慣れない家に興味と遠慮を持って、見回っているとリビングで誠が手を合わせているのを見つけた。何に手を合わせているのかと思って、見えない場所から見える場所へと移動すると一つの写真立てが目に入る。

女の人が写っている写真。笑顔で優しい笑みを浮かべたその顔は、何処か誠に似ていて、それが遺影だと気づくのには少しかかった。

 

「……」

 

誰も何も言わない。静寂が過ぎていく。掛ける声を私は知らない。だけど、どうすれば落ち着いていられるかそれだけはわかる。

願い、祈り、報告する、彼の背中を抱き締めるようにぎゅっとして首に手を回す。

たったそれだけで、私は救われる気がして、泣ける場所も縋る誰かもそこにいる。私は少なくとも誠にそうしてもらったことがある。きっと誠は覚えていないだろうけど、私にとっては全部が彼との思い出で、それでも忘れることはないから思い出とは言い難くて、

 

「……美海」

 

「私も挨拶したい」

 

「私もお願いしますね。兄さん」

 

昔があって今がある。

けれど、昔も私にとっては誠との“今”で。

密かに私は心の中で呟く。

 

 

 

――初めまして。お義母さん。

 

 

 

 




バンドリガルパのイベントが買ったゲームの攻略すらさせてくれないほどのラッシュ。
ラノベとゲームは買って溜まっていくばかり。





“裏話”

Part1。

遺影らしくもない写真の前で手を合わせる誠。その背中を抱きしめるように、美海は覆い被さる。必然的に背中に当たる慎ましくふくよかな膨らみに、視界が届かない中、判断すべき材料はひとつしかない。
「美海……」
密かに正面から抱き締めたくなる衝動を抑えて、彼女の行動を甘んじて受け入れる誠君だった。


こんなことがあったりなかったり、真相は彼の心中に。


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第六十八話 水泡の夢

思ったよりも進まない。


 

 

 

次に帰ってくる時は……。

小さな約束を写真立てに祈るように捧げた。

今日は、彼女になったって報告。私じゃ釣り合わないかもしれないけど、認めてくれればなって思って。

もし今度来る時は、結婚した、って報告になればいいなと思う。少なくとも、私は誠を絶対に放したりしないし離れたりしない。誠も手放さないでいてくれると思うから。

 

ちょっと恥ずかしいけれど、そんな約束をしていられることが幸せだと思った。

 

この先、何があるとしても。

やっぱり私は誠の隣以外見えていない。

フラレそうになったら私は泣いて追い縋ると思う。それくらい誠が好きって言える。

だから、安心していいのかわからないけど、私は誠と一生を共にします安心してください。

 

 

 

……なんて、報告をした。

 

 

 

□■□

 

 

 

「――それで、時間あるけどどうする?」

 

誠の家での残り時間。いきなり後ろから誠に声を掛けられたようで、一瞬だけ肩がびくついた。それを悟られないように私は探っていたアルバムをゆっくりと棚に戻す。

 

「学校に行きたい」

 

やってみたいことといえば、誠の過去巡り。

海で生きた彼はどこで何をして育ったのか、彼のことを何でも知りたい私は提案した。

さっき戻したアルバムもその一環で、誠の小さい頃の写真を探していた。私と出逢うもっと前の彼が知りたくて、許可も取らずに勝手にこそこそ……たぶん、誠は絶対に見せてくれないだろうし。

 

「集合場所だぞ? 今から行っても、まだ余裕あるしもう少し他を回ってからでも……」

 

「じゃあ、誠のよく通る道とか、行く場所とか」

 

「……わかった。そこを通りながらな」

 

さっと手にしていた写真を隠す。どうやら誠は気づいていないようで私はほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

汐鹿生の学校。光の言う波中。

それは村の少し高い所に存在した。

廃れたような、時間の中に置き去りにされたような寂しさの残った校舎は、どこか帰りを待っていたように存在を保っていた。

校庭から遠目に眺めながら進む。

私達、3人だけで。

 

「人の数が減って閉鎖した学校だから、一応老朽化とかは大丈夫のはずだが、気をつけろよ」

 

久しぶりのはずの学校に誠はそう言って、校舎全体を見渡す。たぶん、私達が心配でそうしてくれているのだろう。

 

「そんなのどうやって調べたんですか?」

 

「調査書に書いてあったんだよ。学校が閉鎖した時、学校側が依頼したやつに。あと二十年は大丈夫らしいって」

 

「……そんなの一般生徒は見られないと思うんですけど」

 

美空の言い分も尤もで、たぶん私達が気にすることでもないんだろうと思う。

 

「閉鎖して残った資料とか漁ってたら普通に出てきたぞ?」

 

「……そんなものですか」

 

「そんなものなの?」

 

「実際、今から見てみればいいんじゃないですか?」

 

「そうだね」

 

他愛もない会話も楽しくなってくる。

誠って意外とそういうことしてたんだ……。

なんて、彼のことを知れるのが嬉しくて楽しくてどうしようもなく顔がにやける。

誤魔化すため、私は鞄から棒状のチョコレートスナック菓子を取り出して開封。落ち着く為にポリポリと齧り食べ終えると二本目を咥えてさらに一本を突き出した。

 

「ふぁべる?」

 

「いただきます」

 

先に美空が喰い付いて、魚が餌を食べるように手元から離れていく。もう一本取り出して誠にそんな風に食べてほしいなと思っていたら、魚が寄ってきて残念ながら全部持っていかれた。

 

「じゃあ、一本だけ」

 

何も持っていない私に誠が微笑む。

この顔は、イタズラを思いついた顔だ。

昔から知っている、この後はいつも私がそんなイタズラに翻弄されるのだ。

 

誠の顔が気づけば至近距離まで近づいて。キスできそうなほど近いと思ったら、誠に私が咥えているポッキーの反対側を咥えられて、遠慮なくポリポリと……。

 

「な、ななな、何やってるの誠っ!?」

 

思わず口を離した。

もう少しでキス、だったからなんとなしに残念なようなほっとしたような妙な気持ちになる。

 

誠は落ちそうになったポッキーをパクッと飲み込んで、してやったりな表情だ。

 

「ポッキーゲーム」

 

「それは知ってるけど、そうじゃなくて!」

 

「因みに、男女でやると信頼度や仲の良さが試されるらしい」

 

「うっ……」

 

そう言われたらなんて返せばいいのか。

やり直しを要求したい。ちょっと心の準備ができてなかっただけだから。

でも、なんか悔しくて「もう知らない」なんて言って2人から離れて校舎に入る。跳ねたい気分だったからジャンプして生徒玄関を幅跳びして、舞うぬくみ雪にやっぱり時の流れを感じた。

――此処は、時が止まっている。

昔の私のように、変わらなかった誠のように、停滞するだけで置き去りにされたような感覚だった。

 

「記録更新♪」

 

走り幅跳びを美空がした。地上ではありえない記録にご満悦の表情で、私と同じように楽しんでいた。

 

「さて、それでは行きましょうか美海ちゃん」

 

「うん。誠は?」

 

「ひとりで考え事をしたいって、校庭の方で座っていますよ。気をつけるようにとも」

 

「なんか言ってた?」

 

「少し慌てたような兄さんの顔は本当に面白かったです」

 

ならいいや。と、頬が緩む。

大事にされているって、わかったから。

本当に喧嘩したわけじゃなくて……。

お互いに、昔のようにじゃれていただけで。

昔よりも近い、そんな距離で何でも言い合えるこんな関係が私は好きなんだと思う。

 

 

 

 

 

 

「凄いですね」

 

「うん」

 

それから私達は誠の学校を見て回った。

過去、海で通っていた波中は時が止まったように静寂が校舎を包んでいて、色褪せながらも“あの時”という時代を残した写真にも見えた。

 

「あっ、本当にありました調査書」

 

職員室でこの学校の資料を見つけた。その上にこの建物の寿命が記されていて、二人して笑う。誠の言った保証期間は間違いじゃなかった。つまり、あと十五年は大丈夫っぽい。

 

私も通いたかった。けど、閉鎖してしまった。

エナがあっても、届かない。

――あと数年で復活しないかな?

そうしたら私は通えないけど、自分の子供ができたら通わせられるかもしれない。……ギリギリ。

――十六か。誠が許可しないかも。

 

「美海ちゃん、何考えてるんですか?」

 

「ここに通いたかったなぁって」

 

「兄さんがいればの話ですよね」

 

「うん」

 

教室を見て回る。

だいたいは陸と一緒で音楽室や職員室等の小部屋が幾つかあるだけで目新しさはなかった。

壁に沿って歩く。想像が、教室に誠達の姿を映し出して、やがて消える。

途中で見つけた教室の一部屋。そこには机が5つ寂しげに放置されていて、ここが5人の教室だったんだとすぐにわかった。

 

「兄さんの持ち物があるかもしれません。探しましょう」

 

「あるかな? 誠は全部持ち帰ると思うけど」

 

「穴を見つけるんですよ。完璧って言われる人間ほど、存在しませんから」

 

一理あって美空の提案に乗る。

結論を言うと、そんなことは全くなかった。

それどころか4人の持ち物、ひとつすら見当たらない。

 

「他人にまで持ち帰らせるなんてキッチリしてますね」

 

「そういう人だったね」

 

4人に注意する誠の姿が脳裏に浮かぶ。まるでお母さんというよりは、お兄ちゃんだろうか。どっちにしても世話を焼いていたのは変わらないらしい。

2人で雰囲気を楽しんでから、教室を出ようとした。なんか誠がいたって思うだけで元気になるあたり私も相当好きなんだろう。また、壁に沿って歩こうとして、目の前の美空が立ち止まる。

 

「いたっ! もうなんで止まったの?」

 

勢い余ってぶつかった私は非難の視線を向けて、美空が立ち止まって見ている柱に視線を投げる。

 

「あっ」

 

そこには、残り香みたいな。記録。この校舎に刻み込まれたものがひとつ。唯一、見つけられたのは、背比べをした証拠だ。

『ひかり』『まなか』『かなめ』『ちさき』『まこと』の名前の横に、棒線と数字。

やっぱり誠が一番高くて、昔からスタイルの良かったちさきさんは背が高くて、誠に近いのに少し嫉妬したような気持ちになる。

 

「やらないと損だよね」

 

「兄さんに怒られますよ?」

 

「そう思ってないくせに。それに誠だってしてたんだからいいでしょ」

 

「ふふっ、真似したくなるのはお互い様ですね」

 

たぶん、渋々やったのだろう。渋い顔をして拒否しようとしていた誠の顔が目に浮かぶ。基本真面目な誠が柱に傷をつけるなんて考えられず、一体何があったのだろうと想像するのも楽しい。

 

「む……」

 

結果、チサキさんより小さかった。

 

「やっぱり届きませんねぇ」

 

「そうだね」

 

今のチサキさんも、美空も、美和さんもすごくスタイルがいいから。少し羨ましい。

そんな自分の記録を並べるようにつけて、満足げにクスクスと笑う美空を見た時だった。

 

 

 

――世界が色付いた。

 

 

 

出てきた教室に誠の影が見えた気がした。椅子に座る誠が本を読んでいる。そんな静かに過ごす誠にチサキさんが話し掛ける。光は要さんと遊んでて、マナカさんもその輪に加わる。

――隣を誰かが駆けた。

不意に振り返ると廊下を進む生徒達が何人もいた。見たことのない人達。全員が笑って学校生活を楽しんでいる。

 

――私が見たかったのはこれだ。

 

海の世界に、恋焦がれた。

誠と居たかった場所は。

お母さんの故郷は。

こんなに素敵だったんだ。

 

「美海ちゃん、これって……」

 

「うん……。来てよかった」

 

映像を見たら、誠が恋しくなって私は駆け出す。美空に早く帰ろうと急かして。

生徒玄関まで走った。廊下は走らないって誠は怒る。

そんな誠に会いたいから走ったなんて言ったら、どんな顔をして迎えてくれるだろう。期待に胸が膨らむ。

もっと時間を大切にしたいのは、ふたりともが共有している願いで、切望で、後悔をなくすための誓いみたいなもので、お互いに時間の大切さを知っているから私達は省みない。

 

だから、私は校庭の玄関前で立ち止まっている誠に声を掛けてから飛び込む。

 

「誠!」

 

「おっ、と……どうしたんだよいったい」

 

「ん〜ん♪」

 

「まったく……」

 

子供のように頭を擦りつける。誠は呆れたようなこと言ってるがどうも言葉に刺がない。それを裏付けるように追撃する美空。

 

「顔緩みきってますよ〜、兄さん」

 

「なにそれ見たい!」

 

ぎゅっと抱き締めて私が離れることを阻止する誠。

 

「……美空、私の彼が束縛激しいんだけど」

 

「どう言われようと離さないからな?」

 

一生。と、前につきそうだった。



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第六十九話 サルベージ

寝ても寝ても寝たりない。


 

 

誰かの視線を感じた。校舎の上を見上げてみれば気配は一瞬にして消え入り、霞のような幽かな残滓がたゆたう。

 

「どうしたの? 誠」

 

「いや、何でもない」

 

心配そうに見上げてくる美海の髪を撫でるように梳いて視線を外す。その先には約束の時間通りに合流しようとしている光と要がいた。

 

「相変わらず早いよな、おまえ」

 

「そういうおまえらも時間通りだな。どういう風の吹き回しだ?」

 

「時間通りに行かないと、誠は怖いから……」

 

「そうそう。んでもって、時間に遅れたりすると嫌われるぞ。気をつけろよ、ふたりとも」

 

要の顔に影が差す。光はからかうように美海と美空に忠告する。そうすると美海はおろおろと落ち着かなくなる。正反対に美空は余裕の表情で、

 

「大丈夫ですよ。兄さんなら遅れたら心配してくれるでしょうし、光さんのようなそんな理由でキレたりしません」

 

「俺ってどんな風に思われてんの……」

 

「子供ですね」

 

「おまえもだろうが!」

 

からかっていたはずがからかわれるハメに。

光はペース乱れっぱなしでやはり適わんと口に出す。要はクスクスと笑い、いつもの日常に安心感を得て、そして。

 

まぁ…。俺も時間に遅れられたりすると心配じゃないわけじゃない。何かあったかだとか、悪い予感ばかりが脳裏を掠めて最悪の事態ばかり想像してしまうのも悪い癖だったりする。

 

「兄さんってすごく心配性ですから。怒るのも心配して、というのはよくわかりますし」

 

「そういうところ、昔からあるよね」

 

「遅れて怒ってないかな、って影から確認していたらすごくおろおろしてましたから」

 

――よし。もう美空とは待ち合わせはしない。

心内で誓う。

へぇー。とか、ニヤニヤしている光は今度、折檻だ。

個人の処遇を決定して歩き出す。と、美海が不愉快だというように対立する。小さな拳を握りしめて前のめりながらも真剣に言うのだ。

 

「ダメだよ、美空。そんなことしたら」

 

一番に長瀬誠を知っているのは自分だと。

主張するように豪語する。

 

「誠は待ち合わせする前、一時でも別れるとおろおろしはじめるんだから。待っている間ずっと同じ本の頁を読んでるんだから」

 

うわぁ、重ぉ……。

とか、聴こえてない。

美海のフォローがフォローではなく、心底恥ずかしい気がするのだが。ここはもう開き直るしかない。

 

「別に心配するくらいいいだろっ」

 

「……ソウダナ」

 

中身のない返事が光から。俺は面倒なことになる前に話を切り上げる。

校門を出て、ひたすら歩く。

気づいたら早歩き。美空と美海がちょこちょこと走り寄ってくる。気づいてペースダウン。今度は大きく息を吸って吐く、深呼吸をしてリラックス。

 

「待てよ。どこ行くんだよ。学校はいいのか?」

 

「いいんだよ。別に目的地はここじゃない」

 

「どこ向かってんだよ?」

 

あぁ、そういや話してなかったな。

なんて失念したことを思い出す。

訝しげな光に告げる。

一番知りたいのは、彼だろうから。

 

「何処っておまえの探し物しに来たんだろ。あの迷子ほっといたらいなくなるんだから」

 

「だから、何を探して――」

 

聞き分けの悪い。察しの悪い光に俺は溜息混じりに告げた。

 

「だから、マナカだよ」

 

「……おまえ、知ってんのか? どこだよ、どこにいんだよ」

 

「知らん。……が、大体の予想くらいはしてる」

 

一瞬落胆した光。

気休め程度にそう告げて、また歩き出した。

大人しくついてくる光。

そうして、ようやく目に灯火を宿した光は顔を上げてバシバシと背中を叩いてくる。

 

「やっぱ、おまえって頼りになるよな」

 

「考えなしで探すなら人手が必要だろ。だから、必然的に数より予測が必要だっただけだよ。それより叔父さん痛いんだけど」

 

「よし、本当にマナカが見つかったら誠には美海を進呈しよう」

 

「いったいおまえに何の権限があるんだよ」

 

要らない訳では無い。むしろ欲しい。

けど、悪くはないような気もする。

真っ赤な顔の美海が愛おしく感じられた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

寂しさと切なさ。まるで、時代に取り残されたような世界観が溢れるその場所は世界と切り離されたような錯覚さえ覚える。

――オジョシサマの墓場。

おふねひきで使用したおじょしの模造品が沈む、文字通りの『墓』であり、神聖な土地とされ本来なら子供が入っていい場所ではない。

昔、ここに迷い込んだことを思い出して、もしかしたらマナカはここにいるんじゃないかと予想してみたが、案の定と言っていいのか、良くも悪くもその姿は遠目に入口からでも見えた。

まるで、誰かの手のひらを模造した台座の上に裸の少女が眠りこけている。それは御伽噺のような眠りさえ思わせ、同時に光を駆り立てるには十分だった。

 

「マナカ!」

 

入口から勢いよく滑走、飛んで跳ねておじょしの足場を器用に転びそうになりながらも降りていく。要も続いていく中、俺と美海、美空だけは入口前でその様子を眺めていた。

その場から動けなかったのは偶然だったのだろうか。心的要因だったのだろうか。過去の光景と情景に心は波打つように揺らぐ。

光はマナカに辿り着くと同時に、人の手のような座へと近寄ろうとして、

 

「うわぁっ!?」

 

弾かれた。まるで、その手の中の何かを守るように皮膜のような何かが光を拒絶した。

 

「兄さんはどう思っていますか?」

 

俺の行動は傍から見れば不自然の塊なのかもしれない。美空は『幼馴染が見つかったというのに動じない』俺に対して不可思議だというように顔を覗き込んでくる。

 

「俺にもわからない。見つかってよかったと思っているのか、これが当たり前の光景のように思えているのか、なんとも言えない」

 

「冷たいような温かいようなそんな感じですか」

 

「そうなんだろうな。俺はやっぱりあんなに必死になれないけど」

 

「誠はスイッチのオンオフが激しいから。むしろ邪魔しないように行かなかったんだと思うけど」

 

「そうかな」

 

「そうだよ。誠はすこぐ優しいから」

 

マナカを見つけて喜ぶことはできなかった。

素直に喜べないのは“いつもの光景とは違うから”だとか適当なことを言ってれば説明はつきそうだが、何か胸騒ぎがするのだ。

自分ではわからないことも美海と美空は知っているようで一番に理解出来ない俺という存在は二人がいるから成り立っているようなものだ。定義されたからそうである、と自分はそんな人物であると言えるから。

 

――そして。あいつはどんな存在なのだろう。神にすらなれない鱗の一部。

 

「なぁ、ウロコ。さっきから付け回してないで出てこいよ」

 

「なんじゃ、気づいておったのか」

 

どこからともなく。まるで最初からそこにいたかのように墓場の入口脇へとウロコが数日前と変わらない姿を現した。

煙のように現れた神の一部に美海と美空はびくりと反応して俺の腕を掴んでは離さず、隠れるように背中の後ろへと回り込む。

 

「ほっほっ、随分と嫌われたもんじゃな。で、どっちがヌシのこれじゃ?」

 

小指を立てて見せるウロコがニヤニヤと……。

別に答えてやる義理はなく、顔を顰める。

不満そうな美海の横顔が見えた気がしたが気にしないことにする。

 

「それより聞きたいことがある。地上の危機とやらは去ったのか?」

 

「ほぉ……どうしてその考慮に至った?」

 

「単純に考えて、眠っていた筈の俺達が冬眠から目覚めたということは地上の危機が去ったことを意味する。元々、俺達は危機を脱すべく眠りに落ちた。より良い未来に生き残るために……」

 

「ほぉ……」

 

けど、どう考えても危機は去っていない。

 

「だが。海は今や昔と変わって海氷に覆われている。危機なんて去っていない。どうして俺達は目覚めた?」

 

「さぁてな、儂にはわからんよ」

 

自己完結した問にウロコは答えない。はぐらかすばかりでろくに聞きやしない。別にわかっていたことだからどうでもいい。あわよくば答えを得ようとしていただけなのだから。

そして、浮かび上がる疑問。

前提として色々と情報が少な過ぎる。幾つかの仮説は立ったが立証できるわけでもない。

ただの海神の気まぐれという、神様の気まぐれという名ばかりの戯れも否定出来ない。

 

「おーい、誠こっちに来てくれ!」

 

対峙していると下から光が叫んだ。だいぶ慌てているような口調で焦りが篭っている。

 

「呼んでおるぞ、ヌシを。行かんくて良いのか」

 

「大抵、相場は決まってんだよ。あんたが現れるとロクなことが起こらない」

 

「わしは黒猫か」

 

「いや、ただの神の片鱗だよ。神にも逆らえず、一部にもなれない、可哀想な奴」

 

おじょしの墓山を進む。ウロコの横を素通りして、足場の悪いおじょしの山を跳ねるように進んでいく。美海と美空には来るなとだけ伝えて、ようやく下へと辿り着くと予想だにしない光景が広がっていた。

 

「エナが剥がれて……?」

 

台座の上に眠姫。その眠姫のエナが煌めき剥がれ光を反射している。

ばっと振り返ると叫ぶ。

 

「ウロコ!」

 

返答はない。しかし、その代わりに美空から不在の返事が帰ってきた。あいも変わらず神出鬼没で消える時も煙や霞のように消えていく奴だ。

 

「クソッ! たぶん台座を被うこの皮膜のようなものはおそらくエナのようなものだ空気は僅かにマナカに送られている。だけど、時間の問題だ。光、要、起こしたり触ったりするのは何が起こるかわからないが……このままは不味い。引き上げるぞ。マナカを抱えて、美海と美空の二人はあいつらについて行ってくれ」

 

「わかった!」

 

支持に従い光と要がマナカを捉えようとして、踏み込むも領域には壁があるらしく弾かれる。

そこに俺は迷わず足を踏み込んだ。違和感が体を襲う。弾き返される。感覚は奇妙なもので、一瞬意識をそちらに奪われるも足を踏み込み踏ん張ると両手でこじ開けるように指をねじ込み引き裂く。

 

「あとはお前達だけで大丈夫だな」

 

「ま、誠はどうするの?」

 

「泳ぎが一番速いのは俺だ。俺は先に行って医者を呼ぶ手筈を整える」

 

マナカの状態を診断する限りエナには一刻の猶予もない。だが、光と要の力なら十分に安全に運べる。自分がマナカを運ばなかったのはそのためだ。それに、美海にやった時のように自分が人間ボンベになるとなると光や誰かに反感を買うだろう。

あとは、念のためにAEDや使えるものをかき集める為でもある。今のところ心肺に異常は見られないが、エナが剥がれるなど普通ではない。

 

美海と美空を置いて出口へと向かう。

精一杯の速度で足掻く。随分と皆から離れて、ようやく海面へと顔を出せたのは五分後だった。

ザバッ――と、海水が巻き散る音が跳ねた。

その音にビックリして、チサキは穴へと顔を覗かせる。

 

「ま、誠。おかえり」

 

手にはタオルと毛布。それから来た時に飲んだ魔法瓶の中身を注いで……。

 

「あぁ、ただいま。じゃなくて!」

 

急に大声を出したもんだから魔法瓶の中身をチサキは零したようで、よほど熱かったのか手を抑える。

 

「あっつ――!!」

 

「悪い、大丈夫か」

 

すぐさま氷の上へ。チサキの手を冷えた手で冷ます。両側から優しく握り、ってそうじゃなくて。現役の看護師がいるのは心強い。この中で一番足が速いのはあいつだ。

 

「紡、今すぐ医者呼んでくれ」

 

「いくらお前が怪我させたと言って、チサキの火傷にそれは大袈裟過ぎないか?」

 

「違うんだよ、マナカが見つかった。まだ眠っているがエナが剥がれている」

 

「! そうか、わかった」

 

チサキの火傷は大事ないようで、火傷の痕は残らないだろうと安心する。それこそ傷が残ったら責任問題だ。

走って最寄りの家へと電話を借りに行く背中を見送って数分。チサキの準備の良さに感謝する。

 

「しかし、よくタオルや毛布なんて用意してたな」

 

「まぁね」

 

だが、一組しかないのはどういうことだろうか。

 

「重いし何枚もとなると大変だから、美海ちゃんと美空ちゃんと誠で一組でいいかなって」

 

そのお陰でマナカを受け入れる準備は整っているわけで体温の確保やら何やらはチサキがいれば心配することはないだろう。とにかく、裸のマナカをそのままというのは忍びなかったので一安心だ。

 

「それで、見つかったマナカって子はエナが剥がれているって話は本当なのかい?」

 

背後から教授が声を掛けてくる。頃合を見ていたのか真剣な表情だ。その話は含め後でいいだろう。それより注意しておかなければならない事もある。

 

「教授は悪いですけど、いいと言うまでテントの方に居てくれませんか」

 

「え?」

 

「あ、これデータです」

 

押しやるように背中を押す。なんだなんだと言いながらすごく残念そうに食い下がろうとしない。エナが剥がれている状態を観察したいらしい。

 

「裸の女の子に興味を持つなら俺は医者だけではなく警官を呼ばなければいけないのですが」

 

「あぁ、光君や要君と一緒か。ごめんごめん」

 

そんな時、美海と美空が海面から顔を出した。

 

「速いですね、兄さん」

 

「もうすぐ二人がくるよ」

 

「そりゃあ毎日泳いでるみたいなもんだからな」

 

軽口程度に留めて二人を引き上げる。その直後、マナカを抱えた光が上がってきた。

 

「チサキ」

 

「うん」

 

光からマナカを受け取り引き上げる。タオルを用意したチサキがマナカを受け取り体を拭いて、美海と美空はその手伝いをする。

そして、服の代わりに毛布に包む。

マナカを引き渡す際、チサキが非妙な表情をしていたのが印象的だった。

 




美海が氷の穴から顔を出した。
可愛いと思ってしまう誠君である。


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第七十話 成功した恋と停滞した恋

3ヶ月ぶりくらいの投稿である。


 

 

 

マナカさんを救出して一週間が過ぎた。

–––彼女はまだ目を覚まさない。

 

ようやく戻ってきた日常と、言いようのない不安。最初はマナカさんが見つかって安堵していた皆は、今か今かと彼女が目覚める時を待つ不安な日々を過ごしていた。状態は安定して正常とのこと。医者が言うには異常は見られないらしい。そんな彼女が目を覚まさないことに不安になったのは最初は光だった。

マナカさんを救出して、毎日のように彼は寄り添った。

それを邪魔しないようにしようと私が気を遣っていたのを知ったのか、誠は私を小さなデートに誘った。学校帰りに急いで帰る光をよそに最初はどうしたんだろうと思ったけど、誠の優しさがわかった時は本当に嬉しくて顔から火が出そうだった。

ただの帰り道。近所の散歩。私達の思い出の場所巡り。病院。まるで私達の仲を見せつけるようなそれがとても嬉しくて、知っている人で私達の関係を知らない、誠と私のことを知る人達にはおめでとうと笑って応援された。

 

誠はマナカさんのことを心配じゃないのか。

ある日、気になった私が聞くと誠は私の手をぎゅっと握って言う。

『色々と考えてはいるけど、一番手っ取り早いのはウロコを探すことだ』

だけど、

『あいつ昔から逃げ足速いんだ』

因縁の敵みたいな、そういう炎を誠は燃やしていた。

だから私は、彼を応援することにしたのだ。

私との時間を大切にしてくれるのは嬉しいけど、やっぱり少しだけ遠慮している彼には昔の皆と揃って笑っていて欲しいから。

 

 

 

 

 

そんな幸せな日々も少しだけ休暇届けを出す。

私は学校の図書室でばったりと倒れるサユの隣、積み上げた本を崩して私も倒れ込む。

 

「ねぇ、聞いてよサユ。誠が構ってくれない」

 

「はいはーい、もうそれ何回目の話よ。今日で軽く10回は聞いてるからね」

 

「もう2日も会ってないんだよ」

 

「そうなったのもあんたがこんな雑用引き受けたからって理解してる?」

 

ある仕事を誠に頼まれていた。海村に関する資料、おじょしさまにまつわる文献、マナカさんの目覚めに関する資料その他の捜索。頼まれた時は頼られたことが嬉しくて即答したけど、今じゃ私は深海の底にいるような気分で本の山を彷徨う。

–––誠が足りない。

もう2日も会っていない。お義母さんの同僚と街で海村関係の資料を漁るためにあっちで泊まり込みで作業しているのだとか。誠の義母の仕事とは看護師で、つまりは女性。色んな間違いがあるかもしれない。その上で乗り換えられる可能性もあるかもしれない。なにせその人は美人な上に私より胸が大きいから。

 

きゃ。美和さんをお義母さんって呼んじゃった。

なんて、頬を赤らめる暇もなく淡々と沈む船。

撃沈だ。燃料切れだ。至急補充を求む。

主に胸の栄養と誠成分があれば文句はない。

 

「でもさぁ? 学校の図書室なんてあいつが調べ終えたと思うんだけど」

 

「ほ、ほらそこは念には念を入れて?」

 

「あんた、あいつがそんなヘマすると思う?」

 

「……うぅ」

 

根本的にサユの指摘も正しいわけで、私達の作業って無駄なんじゃないだろうか。そう思えて仕方なくなってきた。美空は美空で別のルートとか言って他のところに探しに行っちゃうし、やっぱり私って間違った選択をしているのだろうか。

 

私とサユが集めた資料は『眠り姫症候群』『ナルコレプシー』等々に加えて『御伽噺シリーズ』だ。毒リンゴを食べた美少女が王子様のキスで目覚める話。そう白雪姫。人魚姫とか。どれも的外れな気がする。

 

「私って実は相当なバカ……?」

 

「バカはバカでもバカップルだけどね」

 

そういう風に見られてたの!?

いや、でも悪くない…かも…。

 

もう少しくっつきたいなぁ。

もっと一緒にいたいなぁ。

歩く度に手を繋ぎたい。

密着したい。

抱きしめて欲しい。

 

私って少し邪魔なくらい思われているかもしれない。

こんなこと更に要求したら、誠はどうするだろうか。

うざいって思うかな?

実は最近の私って……。

ベタベタし過ぎてる……?

 

「ねぇ、私って誠から見たらどう思われてるんだろう?」

 

「直接聞け」

 

それができないから困ってるんでしょ。

サユは資料漁りをしながら、冷たく言い放つ。

というか、今物理的に聞けない状態だし。

 

「電話したら?」

 

「電話番号知らない」

 

「お母さまに聞けばいいでしょ。美空も知ってるかもよ。最近じゃ、あいつにべったりなのは一緒なんだし」

 

なるほど、その手があったか。

物理的な距離のせいで盲点だった。

 

「って、そうじゃなくて私は会いたいの!」

 

「なら行けばいいじゃん」

 

「いや、追っかけてもし迷惑だったりしたり、嫌われるかもしれないし」

 

どっちつかずな私に呆れたような顔だ。サユは溜息まで吐いて、頬杖をついた。

 

「そんなことで嫌うような人じゃないって自分でわかってるくせにそれは惚気か? いい加減聞き飽きたよ、そのループするパターンの台詞も何もかも」

 

「まだ3回しか言ってない」

 

「今日だけじゃなく昨日も聞いたけど。7回目だよ、この会話」

 

「あれ、そうだっけ?」

 

「最初はあいつが泊まり込みで作業してくるって決まったことを知った途端、夜に電話してきて長電話してお母さんに怒られたんだけど」

 

「ご、ごめん……」

 

謝るのも2回目だと言う。どうやら私は忘れっぽいらしい。誠がいないと本調子じゃないというか、調子が狂うというかなんというかなんて言うんだろ。

一日に一回はハグしたいし、抱きしめて欲しいし、そうでもしないと気が狂ってしまいそうだ。

私だけかな? 誠は、私と離れて平気なんだろうか。

これだけ思いが強いのって私だけ……?

やっぱりこれって少しうざいんじゃ……。

 

「ねぇ、サユから見て私ってどう思う?」

 

「誠と付き合いだしてからうざくなった」

 

「ひどい!」

 

「安心しろ、半分は冗談だ」

 

なお酷い。もう半分は本気ってことだ。

でも開き直る。私は今が一番幸せだから。

お母さんがいた時と比べると、比べられないけれど。

私は今が一番、今の中で、好きな気がする。

 

「ねぇ、サユは告白しないの?」

 

ふと、気がついた今。

サユはこのままでいいのかと疑問に思った。

何も動かない、今の状態を彼女はどう思っているのだろうと。

 

「私は…その…あれだし」

 

「焦れったい」

 

「悪かったな根性なしで」

 

意趣返しとばかりに本音を言ってしまえば二人して笑い合う。

誠ならどんな言葉を掛けるだろうと考えながら、私は言葉を奥底にしまった。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

美海は寄るところがあると言って先に帰ってしまった。私は一人、帰路につくことにする。学校を出て海沿いの道を一人で歩いているとちょうど、学者先生と木原紡の海の調査の拠点でもあるテントが見えた。あれは目立つしなんとなく誰かいないかなと見ていると海中から何かぎ上がって氷の上に出た。

 

–––あっ、要だ。

 

そのシルエットを見た瞬間、嫌でも自分が喜んでいることがわかった。

我ながら人のことを言えない。好きな人を見た瞬間、こんなにも心臓は早鐘を打ちバクバクと高鳴っているのだから。

正直、美海が羨ましかった。初恋が成就してよかったねと思うと同時に、本当に羨ましかった。

誰が見ても長瀬誠はスペックが高いし釣り合うとしたら、美空くらいの美人じゃないと割に合わないだろうと思う。なんで美海を選んだのか不思議なくらいだ。こう言っては悪いけど、少しだけ釣り合わないような気がした。確かに優しいし美少女の類ではあるけど、普通の女の子だと思う。エナも羨ましい。あれが一番複雑怪奇だ。

 

そんなことを思って声を掛けようとしていると、今度はまた新しい影が海の中から浮き出た。人魚が踊るように綺麗にスムーズな動きで氷の上に飛び出ると着地する。その影は先程いなくなった美空だ。

二人が並んだ瞬間、胸が痛くなった。

上げた手を下ろす。

 

そっか。そうだよね。誠の次にスペック高いのって要さんか〜。そりゃ違う人と仲良くなってもおかしくないよ。美空は腹違いの兄にフラれているんだし。

 

私の知らないところで針が動いていると思うと、私はどうも二人がお似合いのカップルのように見えて悲しくなってきてしまう。涙を堪えて立ち去ろうとすると、こちらに気づいたのか美空の精一杯搾り出した声がかかる。

 

「サユちゃーん!」

 

ここで呼ぶなよ、と言いたくなった。

惨めな気がした。しかし、驚いて振り向いてしまったからには寄る他ない。観念して立ち竦んでいると二人は駆けてこちらまで来た。

 

「何してんの?」

 

ちょっと棘のある口調になってしまった。二人がセットで見つかることが初めてでどう接したらいいのか。毎日、学校では美空とあっているはずなのに嫉妬が先に出た。

たぶん、その一言で気取られたのだろう。

美空は首をこてんと傾げるとわざとらしくぽんと手を打つ。

 

「それがですね、海村に昔の文献が残っていないかと行ってみますとなんというか兄さんに先回りされていたみたいで、要さんが見張りとして立っていて……ご覧の通り捕まってしまったわけです」

 

「まぁ、だいたいその通りかな。これくらいはやらないとね。それにぼくらだけじゃどうしていいかもわかんないから、誠に頼っているのはお互い様だし」

 

両手を広げて首をすくめてみせると要が笑う。その笑顔にやっぱり私はドキっとした。

美空は堤防を登って私の横に並び立つ。相変わらず、運動神経はいいのに体力がないからこっちはドキドキハラハラと見守っていると普通に堤防の上に立って私の耳に顔を寄せる。

 

「サユちゃんが想像しているようなことは何もないですよ。私は兄さん一筋ですし」

 

「なっ⁉︎」

 

思いっきり惚気られた。それは別にいい。まさかあの態度だけで本当に察せられるってことが不味い。要なら気づくかもしれない。そう思うと、視線があの人へと泳いだ。

 

「ん、どうしたのサユちゃん?」

 

大丈夫だ。きっと気づいていない。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちでホッとする。

なんでもないと告げると易々と引き下がって、実は構って欲しいみたいな、そんな自分にやきもきとどうしようもない腹立たしさに少し拗ねてしまう。

美海に言った言葉の半分は「冗談」と「嫉妬」「羨望」。

本気でうざいなんて思ってない、昔から願っていたことが叶って、美海の初恋の成就がまるで私の初恋の成就のようにも感じられたのだから。理由は単純明快ながら、彼女の恋が叶ったなら私も可能性はあると捨て切れない想いがあるからで、何処か私と美海の初恋は似ていたのだ。

歳上で、届かなくて、遠い場所で、私達は輪には入れないとそう決めつけていた頃の自分に、ようやく光が見えたような気がした。

 

「要もかっこいいのに残念ながらあいつに人気全部持ってかれたねってさ。思ったんだけど……」

 

言ってて恥ずかしくなってきた。

言葉が尻すぼみに消えていく。

でも、それほど気にした様子もなくあっけらかんと爽やかな笑顔で要は言う。

 

「誠だからね。昔から誰かしらにモテるんだ。たぶん、チサキ以上に優しいのは誠だよ。チサキでも比べものにならないかな。自分で言っててよくわかんないんだけど、誰もそういうとこで勝てないんだ。結局は誠の優しさに折れるんだ、みんな。喧嘩しても勝てる気がしないから絶対に挑んじゃダメだよ」

 

「へー……」

 

わからないでもない。喧嘩しても引き下がられたはずなのにこちらが負けた気がしてしまうのだ。

勝てるとしたら、誰だろう。美海か、美空か?

美空はとてもズル賢いし私達は喧嘩しても勝てた試しがない。どこか大人っぽい対応でこちらを口喧嘩で勝たせてるはずなのに、負けた気がするのだ、似た者兄妹だと思う。

 

「美空は兄貴と喧嘩したことある?」

 

「そうですね。ないと思いますよ」

 

そもそも、喧嘩する理由すら存在しなかった。

私の聞きたいことに気づいたのか、便乗して頷く要。

 

「誠は基本的に喧嘩は仲裁役だからね。誠と美空ちゃんか美海ちゃんと喧嘩したらどうなるのかな?」

 

どっちが勝つんだろう。想像がつかない。

 

「もし互いに譲れないものがあって、本気で喧嘩した場合どっちが勝つ?」

 

二人して美空を見た。当人は指をあごに当てて考える仕草。やがて、パッと表情を明るくしたと思うと断言してしまうのだ。

 

「そんなことになっても兄さんは絶対に悪い結果にはしないので、すぐ仲直りしてしまうと思います。美海ちゃんと私は優しくされたらされたで甘えちゃうと思うので、というか甘えます」

 

「おまえもう生存本能の領域だな……」

 

「兄さんがいないと生きていけませんから。因みに勝ち負けで言えば引き分けで終わっちゃうんじゃないですかね。兄さんは私達のこと大好きですし」

 

結局、私は惚気られるだけ惚気られた気がする。二人とも同じようなことしか言わないし、なんでこうもフラれたのに幸せオーラいっぱいで振る舞えるのか意味がわからない。

今更ながらどうやって二人は結ばれたんだっけ?

と、思う反面、結ばれたんだ良かったね、で終わっていた気がする。

そもそもどう結ばれたか私は知らないような気もする。

気づいたら二人はくっついていた。美海と誠が自然過ぎて、そういう方面に突っ込んでいけてなかった。あのイチャつきで前からそうでしたと言われても信じれる自分が怖い。

 

「なんだろ。いつかはくっつくと思ってたけど、いざくっつかれると釈然としない微妙な気持ち」

 

「あはは。確かに誠って恋愛と無縁そうだから、だからなのかな。あの二人が付き合ってるって聞いて、釈然としない理由がなんか少しだけわかった気がする。ありがとう、サユちゃん」

 

不思議だった。好きな人の前で前はこんなに話せなかったのに、今では会話が結構弾んでいる。本当は要のことを話したいけど、グッジョブ誠と今はあのバカップルを褒めてやりたい。

よし、この流れで会話を二人のものに……。

なんて思って私はとんでもないことを言い出す。

 

「要って好きな人とかいないの?」

 

知ってるだろバカァーーー‼︎

何をトチ狂って言ってるんだ私、好きな人知ってるよね。

その上で聞くなんてマゾじゃん、バカじゃん。

自分を痛めつけて何が楽しいんだ、相手の傷を抉って何がいいんだ。

言ってから冷静になった。下手したら好意がバレる。いや、いいんだけど。むしろ気づいて欲しいんだけど。

 

「あはは、いたんだけどね。もう完膚なきまでにフラれたというか……僕の好きな人はさ、その人は想い人がいるんだけどその人もまた付き合っている人がいてさ。トライアングルっていうかスクエアというか、ね…。直接的にフラれたわけではないんだけどね、もう壁が高過ぎて見上げているのが辛いっていうか…」

 

「も、モテるんだなその人」

 

知っているやつだから気まずい。そして、ごめんチサキさんの想い人と付き合っているのが美海で。チサキさんがもしその想い人と上手くいっていたらもっとちゃんと苦しめたのだろう、泣けたのだろう、私も同じだからその気持ちはわかる。だから、複雑な気持ちで共感を得ていた。だから、失恋ができない。私達は。

いっそのこと告白すればいいのに、それはどちらにも言えること。

でも、勝敗の決している勝負に突っ込む勇気がなくて停滞を繰り返す。

 

「よく言うだろ、女は星の数ほどいるって。他にも要のことを好きな人っているかもしれないよ」

 

「そうかな? 僕は、誰かに必要とされているかな……」

 

「おう。あたしが保証してやる。だから元気出せ」

 

私は心の奥底を隠したまま要の背中を叩いた。

少しほっとしていたのかもしれない。

最低だと思うけど、チサキさんが誠を好きで良かったと思っている。

私はまだ失恋をしていないままだ。だから、どうしたって話だけど。




突然、さゆちゃんにスポットライトを当てたくなった。
悪くないよね。あと一歩で意識させることができるのにできない。
今度こそ、まずはマナカを目醒めさせないと……。
途中で空気の妹ちゃんはドロンしました。
恋愛の後押しが楽しくて仕方ないようです。


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第七十一話 目覚めのキス

言い訳をさせてもらおうか。
他作品を見てゲームしてたら遅くなった。
二週間前に書き始めたはずなのになぁ……。
最近、遠出が多いんだよね。


 

 

 

久しぶりの我が家。と、言ってもいいものか。

美海の実家であるこの家を「我が家」と称することはなんだか微妙な気持ちになる。

目の前に立っているだけで、なんとなく普通に開けるのを気後れしてしまうほどに。

 

確かにほとんどこっちで寝泊まりして、あっちの家に帰っていたのは昨日のこと。終電ギリギリで帰った挙句に美海の家に押しかけるのは失礼だろうと自重して美空と美和さんのいる家に帰ったわけだが、やはりインターホンを押さず呼び掛けもせずに戸を開けるのは少し抵抗がある。

 

それでもなんとか気を取り直して。

ガラッと玄関を開け放ち、ただいまを言おうとして–––……。

 

 

 

「ふぇっ……?」

 

 

 

黒電話の前で正座している美海を発見した。

 

いや、してしまった? こんな朝早くから黒電話の前で正座。理由が思いつかなければなんとも珍妙なものに思えてしまう。流石の俺にも真意はわからず、振り返った美海と目があった。

 

「ただいま」

 

たった一言だけ思いついたことといえば、帰ると美海によく言った言葉。

いつもなら駆け寄って来てくれる。そうして「おかえり」と最愛の人が最高の言葉で出迎えてくれる。

 

「誠!」

 

立ち上がってすぐに駆けてくる。名前を一回だけ、それで幸せな気分になった。

いつものことながら近くで「おかえり」そう言うのだろう。

そう思っていたが、まぁ予想通りに美海は近寄って口を開く。

 

「おかえり!」

 

「美海、ただい–––っ」

 

ただ、この時は完全に忘れていた。

美海は幼い頃、よく頭からお腹に突っ込んでくる癖があった。

 

痛い。美海の頭突きが直撃した。いや、嬉しいんだけど嬉しくないというか、忘れていたせいで受身は殆ど美海のために使ってしまい威力の軽減はできずその場に屈む。

美海は廊下に膝をついて腕を肩に回すと俺の肩を揺すって心配そうに見つめて来た。

 

成長した美海。昔の癖は、引っ込んだものだと思っていた。いや、本当はそんな癖もう治っていたのだろう。多分、会えない日々が続いて美海自身も加減できなかったのだと思う。

 

「ご、ごめんね誠」

 

「いや、大丈夫……」

 

愛=威力=痛み。

だから、この痛みは美海の愛の大きさだと思う。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「これが数年前から教授が研究している海の資料で、おまえの望み通り統計データも合わせて全部持って来たぞ」

 

午後。かねてより予定していた海のデータの資料を紡から受け取る。本来ならこのデータは他人への譲渡は禁止されているが難なく教授は許可を出してくれた。まぁ、所謂取引的なやつが行われたのもあって、学会に顔を出さないことから研究データを盗み自分勝手に利用する心配もないから故の信頼だ。

 

「ありがと……」

 

「いや、別にいいが……何かあったか?」

 

どうやら紡の目から見ても俺はおかしかったらしい。資料を受け取る手をそのままに瞳の交信を図る。

 

「聞いてくれるか?」

 

「……長くなるか?」

 

「多分」

 

「なら、少し上がれ」

 

玄関を進み紡に促されるままに居間へと通される。座布団を敷いて座るように言うと、コーヒーかお茶のどちらがいいか聞くまでもなく紅茶を選択し持って来てくれた。人の好みをよくもまぁ覚えているもので。

 

「それで、美海関連か?」

 

居間にて向かい合うと突然、紡は決まりきったように断言する。

さすが親友、俺のことは結構知っているらしい。

 

「まぁな。でも、よくわかったよな美海のことだって」

 

「昔から四六時中美海の話しかしないやつが今日はしないなんて変だなと思っただけだ」

 

「あれ? 昔は付き合ってなかったぞ」

 

「それ以前からおまえは美海のことばかり話してたぞ。俺が海のことを聞くたんびに話が逸れて海と陸のハーフの女の子の話にすり替わるから」

 

あぁ、そういえばそんなこともあった気がする。だが、そんなに美海の話をした覚えなんてない。

考えても思い出せないので、スルーすることにした。

 

「実は美海と少し喧嘩してしまって……」

 

「……は?」

 

そんな驚くことでもないだろうに。紡はガチトーンで真顔を崩した。

 

「おまえが美海と喧嘩……?」

 

「なにその反応。怖いんだけど」

 

「いや、おまえが喧嘩って……」

 

「喧嘩の一つや二つ昔もなかったわけじゃないぞ。というか、おまえの驚いた顔の方が初めて見た気がするんだけど」

 

普段は真面目で冷静で沈着で。と、できた人間の紡だが、よほど衝撃的なことだったのだろう。無表情を崩してまで驚く姿は初めて見たかもしれない。それが美海との喧嘩の告白って先行きが不安過ぎる。

 

「原因は?」

 

早く話せ。急かすように机に肘をつく紡は行動から色々と見て取れた。それが悲しいことに初めて取る態度だったのでこっちも驚きっぱなしで言ってやる。

 

「……ここに来るって言ったら頰膨らませて口を聞いてくれなくなった」

 

「なんだ、平常運転か」

 

これはこれで死活問題だ。昔なら美海が拗ねただけで終わったかもしれないが今は彼氏彼女という付きあわせてもらっている関係で、ヘタを打てば嫌われるかもしれない。小さな拗れが大きく拗れて別れに繋がる。俺はそれだけを懸念してちょっと距離を置いてみることにしたのだ。すぐに謝ったが口を聞いてくれなかったし。

 

「俺がそっちに届けに行ってもよかったんだぞ」

 

「悪いだろ。それに約束は守るものだろ」

 

一度でも約束を破ってしまえば自分は堕落する。

そんな気がして、俺はあまり約束を反故にできないでいる。

 

「律儀なやつだな」

 

「俺が悪いってのはわかってるんだよ。2日も会ってない上に会った瞬間、出掛ける宣言だからな。休みくらいもっと一緒にいたいってのはわかってるんだけど」

 

「融通の利かないやつだよ、おまえは」

 

「……融通の利かない?」

 

自分ではわからない点が多々出てきて俺は考え込むように顎に手を当てる。ダメだ、思い当たる節がない。そんな俺にアドバイスするように紡は俺の欠点を示す。

 

「おまえは自分の都合は後回しにして、他人の都合を優先する節があるんだ」

 

「美海のお願いは分類するなら他人の都合だろ?」

 

仮に彼女だとして、それ以上に優先するべきものだと思っている。

だからこそ、なのか……?

帰ったら構うつもりだったが、今日のことが優先されてしまった。

許してくれる。と、信じて俺は後回しにしている。

いや、もうどうしろと?

そんな迷宮に入ってしまった俺にまた紡は呆れたように言う。

 

「おまえ、美海と一緒にいたいって思ってるけど分類としては自分の都合って考えてるだろ。一緒にいたいけど約束をしてしまったから、他人との約束を優先する。美海といたいってのは誠の都合。だから後回しにしてる」

 

「……」

 

極力、美海のお願いは聞くべきだ。

俺も美海といたい。休日は二人でごろごろしたい。

いや、でも、美海のお願いを無視するわけじゃない……。

今日はたまたま用事があっただけで、板挟みになったわけでこの先はもっと上手く……。

 

「おまえは自分のことだって処理してるんだよ。自分の願望だって。多分、おまえの周りの奴らはわかってると思うぞ。美海だってそんな理由で後回しにされたら嫌なんじゃないか」

 

「……俺だって美海が一番だよ」

 

「なのになんでこっちに来たんだろうな」

 

「……なんで俺は優先した方に責められてるんだろうな」

 

いくら考えたってキリがない。言い争う無駄な時間をもっと有効活用しよう。でも、今回のことは事前に防ぐとか結構難しい気がする。

 

「仮にだけど」

 

紡が仮定として何かを話そうとした。だが、口を閉ざして考え込むようにやっぱ聞くのやめたと言い出す。どうせなら最後まで言えばいいのに。

 

「言えよ。気になる」

 

「後悔しないか?」

 

「するほどなのか?」

 

「いや、でもどうせいつかは……」

 

そうなるだろうな。と、含みを持たせて言葉を濁す。

だから、なんだというのだろうか。

コーヒーを一口飲んで、決心を固めたようだ。

 

「例えばだが–––」

 

なんだ、事実じゃないのか。

ほっとする俺に紡は遠慮なく言葉を続ける。

しかし、このパターンは事実を濁して仮にと挙げただけなのかもしれない。

覚悟だけはしておいた。

 

「おまえが医者になったとして、その日は結婚した美海と大事な約束があったんだ。結婚記念日だったりデートの約束だったりおまえならなんでも美海との約束を大切なものにするだろ」

 

決めつけられたが、事実である。虚偽ではない。

 

 

 

「その日、やっと勤務終了時に急患が入って他に出られる先生がいない場合。美海との約束を破ることになってしまうがどうする? どっちを取るんだ?」

 

 

 

–––覚悟だけは、しておいたはずだった。

 

紅茶の入ったマグカップを手にする。何故かカタカタと揺れて落ち着かない。持ち上げて一口啜ろうとすると歯がマグカップに当たる。気分は曇天。

 

「……学校の保健医になろうかな」

 

「おい」

 

呆れたような紡のジト目。

揺らいだ覚悟が俺を翻弄する。

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

夕方。……まだ、美海は口を聞いてくれない。

家にいた美海は不貞腐れて、話し掛ければぷくっと頬を膨らませる。顔を逸らして怒ってます機嫌悪いですアピールは昔から見慣れているが、なんだか新鮮に見える。落ち込むのも程々にというかそれ半分に可愛い半分、少し反応を楽しみながらご飯を食べてお風呂に入る。

お風呂に入ると美海は無言で乱入してきた。やっぱり怒ってます、とむくれながらもスポンジを差し出すところ怒っていながらも近くにはいたいらしい。

 

単純というかなんというか。

まぁ、自分も人のことは言えない。

そんな美海の姿に何度惚れているのか……。

 

「俺が悪かったから、そろそろ機嫌なおしてくれないか」

 

さすがにこのままっていうのも気が引けた。放置は亀裂になる可能性があるので早めに不安は払拭しておかなければと美海に声をかけたが反応はなし。

じゃあ、ちょっとだけこっちの土俵に上がってもらおう。

あっちに引っ張られたままではダメだと思い、あらゆる手を尽くして美海に罠を仕掛ける。

目の前をスタスタと歩きながらも背後に俺の姿を感じ、歩くスピードを合わせている美海に聞こえるようにわざとらしく言った。

 

「ちょっとマナカの様子を見てくるか」

 

「っ⁉︎」

 

他の女のところに行くと聞いて美海は僅かながらに反応した。たったそれだけで十分だ。最低な方法だがこれ以外に思いつかなかったためこのような方法をとったが有力だったようで足をぴたりと止めた。

 

下準備はほとんど終わった。

今度は、美海の横を素通りしてマナカが寝ている部屋へと向かう。

その後ろを美海はついてきた。

計画通り、まずまずといったところだろうか。

 

しかし、やはりマナカは眠りについたままだった。

和室に入るとマナカが布団で眠っている。起きる気配どころか寝返りの一つもなし。その代わりと言ってはなんだが枕元ではカセットテープにて流される延々と続く歌が。

確か、お船引の時に漁師連中が歌っていたものだ。

 

「光の案か?」

 

背後の美海の表情が驚きに変わった。

どうやら正解らしい。

真っ直ぐというか、バカというか、あいつらしい単純な案だが。

記憶喪失もまた似たような刺激で記憶が戻るというから、間違いでもないのかもしれない。

 

「さて、と」

 

眠るマナカの隣に座り込み、何をするわけでもなく……。

いや、本当にどうしようかと悩み始めていた。

美海を抱きしめてみるか? そんな単純なことで解決するのか?

そんなちょろいはずがない。

試しに脇に控えていた美海の腕を引く。

そうすると、案外あっさりと引き込まれ膝の上に乗った。

 

「……」

 

「んっ!」

 

美海は目を逸らすだけで膝の上から退こうとしない。膝の上で背中を預けるだけの姿勢で三角座りを始めてしまった。

予想外の安易な考えの結末に、俺は説得を試みる。

 

「もう二度と口は聞きたくないか?」

 

「そ、そんなわけじゃ……!」

 

あっ、やっとこっち向いた。

くるっと体を捻りこちらを向いた美海は悲しそうな顔をする。卑怯な方法を使ったのは謝るから、そんな泣きそうな顔で見られると罪悪感が沸いてくるのだが。

 

「そりゃ休みの日に紡のとこ行ったのは謝るけど」

 

本当は早く帰って二人でいたかった。

なんて口に出せば言い訳のようで出せなかった。

 

「……それだけじゃないもん」

 

反省が足りないというのか?

事細かく美海は説明してくれる。

 

「帰って先に美空に会ったし、連絡もしてくれないし、そのうえ男の人との約束を優先されるし……」

 

「美空は家族だろ。それに連絡は……として。男にわざわざ嫉妬するなよ」

 

「……じゃあ、明日は晃とお風呂に入ろうかな」

 

「…………」

 

平常心を保つ。そうしようとして、美海の体を強く抱きしめてしまう。

いったい俺は何に反応したのか……。

いや、わかってはいるんだが……弟だぞ?

何を嫉妬してるんだろう。至さんだって美海と入ったじゃないか。

それに相手は子供だ。

 

「……昨日、美空と一緒にお風呂に入ったって聞いた」

 

「まぁ、兄妹だからな」

 

錯乱するな。まず、兄妹ってなんだっけ。兄妹だからって意味わからん。それを言うと昔の美海と一緒にお風呂に入っていた俺はいったい誰なんだ。血の繋がりがあったわけでもないのに。

今更になって色々おかしかったような気がする。

いや、でもミヲリさんが兄妹は一緒にお風呂に入るものだと……。

 

「別にそれはいいの。私が怒ってるのは先に私と会おうとしてくれなかったことだから」

 

問題提起を放棄して、美海の一言で我に帰る。

 

「夜遅かったし……」

 

「勝手に入ってくればいいのに」

 

「鍵が……」

 

「私の部屋の窓、開いてたよ」

 

「不用心だな!」

 

思わず突っ込んでしまった。

年頃の娘が部屋の鍵開けながら寝るって。

 

「頼むからそれはやめてくれ」

 

「わかった。じゃあこれ、鍵」

 

そう言ってポンと手渡された家の鍵。

そういえば、なんだかんだで美海の家の鍵を貰うのは初めてだ。

 

感傷に浸っていると美海はもぞもぞと近寄って来る。

実際には密着しているため、より鎖骨に顔を近づけたことになる。

必然的な上目遣いに俺は目を逸らした。

このままだと雰囲気に呑まれてしまう、と。

 

そんな俺の心の動揺を肯定するように美海は真剣な顔でお願いをする。

 

「……不安にさせた分、キスして」

 

「じゃあ、目を閉じてくれ」

 

「うん」

 

美海は上を向きながら目を閉じた。柔らかそうな唇、風呂上がりの上気した頰、体温と女の子らしいまつ毛が魅力的に映る中、ちょっとした幸福感に俺は少し震えていた。

 

妙に色っぽい美海にキスをする。

 

緊張しないはずがなく、溢れ出る感情にきゅっと抱きしめる。

美海はお腹伝いに腕を回してきた。軽い抱擁のまま数秒の子供のキスをする。

 

 

 

…………。

 

 

 

そして、静寂の中、息を呑む音がした。

 

いったい誰がしたのだろう。

俺はもう美海との世界に入り込み過ぎて彼女の吐息や心臓の音くらいしか聞き取ることは叶わない。

ただ、美海の声でも、音でもない。

ならなんだ。と、疑問に思い薄く目を開けると–––。

 

 

 

「……っ⁉︎」

 

視界の隅に、顔を手で覆った眠り姫が口をパクパクと開閉していた。

正確には覆った指の間から瞳を覗かせてることから隠すどころか直視だ。

互いに硬直する時間の中、美海は瞳を見開いて、周囲を確認した。

そして、今し方寝起きのマナカ姫の隙間から覗き見る眼と視線を交わす。

 

「…ぁ、わぁっ⁉︎」

 

見られたことに対する羞恥心か美海は奇声を上げて行き場のない感情を弄ぶ。慌てて何を言っているのかわからないが混乱しているらしいのはわかった。

金魚のようなマナカを放置して、美海を連れて退場する。

俺だけのお姫様を抱きかかえ、正常な判断のできない彼女と共に報告しに行った。

 




–––シーン。
誰がキスするとは言ってない。タイトル詐欺ではない。
主人公と美海のイチャイチャを見せられただけのあなた。紡君に同感ですね。
主人公を公的に安全に弄れるのは妹ちゃんと美海と紡君くらいかな?
大人になって紡君絡み少ないから増やさないと……。


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第七十二話 失くしたモノ

なんとなくマナカ視点。


 

 

 

深い眠りが一発で覚めるような光景が目の前には広がっていた。

知らない女の子とまーくんがチューしてたのだ。まだぼーっとしていた頭がスッと冴えるのがわかり、緩やかな血の流れが少し沸騰するのを体の中で感じた。まるで絵本に見たお姫様と王子様のキスを見せられているようだった。ただ、その一人はとてもよく知ってる人物で、もう一人は知らないような知っているようなそんな女の子。二人はとても幸せそうで私もあんな風に×がしたいと思った。

 

–––×××?

 

あれは誰だろう。まーくんと一緒にいるのを見たことがない。それにちーちゃんがまーくんを×××でそれならちーちゃんはどこに行ってしまったのだろうか。

わからない。わからないことだらけだ。でも、知っている顔を見て私は少し安心してしまっているのかもしれない。

何処か違う世界に来てしまったようなそんな感じ、不安と安心が入り混じった奇妙な感覚。

でも、思う。まーくんの腕の中にいる女の子は幸せで、まーくんも幸せそうだって。あんな表情見たのはいつ以来だろう。もしかしたらあれはまーくんじゃないのかもしれない。そう疑いたいけど、あの本来のまーくんはかなり昔に見たことがあるような気がする。あれが本来あるべき姿だった。私達の前では絶対に見せない姿だった。

 

どうしてかその光景に名前をつけることができない。頭に霜が降りたように思考は何かの前で停滞する。彼を変えたのはなんだっけなんて不出来な頭で考えるも、答えだけがぽっかりと抜け落ちて–––。

 

泣きそうになる。

もう、気づかないうちに頰には涙が流れていた。

この光景が綺麗で優しくて。

ずっと見ていたいな、って思った。

まーくんのあんな顔、初めて見たから。

きっとまーくんなら私が忘れたことすら忘れたこの感情を教えてくれるだろう。

 

 

 

–––どうして、こんなに哀しいのかな?

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

まーくんの膝の上には同い年くらいの女の子が座っている。可愛くて綺麗で、黒髪ロングにいつか見たような海の底へ底へと進んで行くと観れるようなグラデーションの瞳を。私はその子が誰だか解らない。他にはひーくんとちーちゃんにあかりさん。あとはちっちゃい男の子がいて私はこの光景がまた奇妙なものに見えて来た。

 

「ねぇ、まーくん。その子誰?」

 

「美海だよ。俺達が眠っている間に綺麗になっただろ?」

 

「えっ、美海ちゃん!?」

 

思わず私は驚いて目を白黒とさせる。まぁ、確かに面影がないわけでもないと思う。まーくんにべったりだしまーくんだって付きっ切りで一緒にいる光景は眠る前も見た。その時は少なくとも幸せそうだったし、今思えばまーくんは美海ちゃんを性的な目(女の子として)で見てなくもなかったような気がする。

 

「ついにまーくんが手を出しちゃったんだ」

 

「おーい、犯罪者っぽく聞こえるぞそれ」

 

「あのね、そういうのは身内だけに留めた方がいいと思うな。美海ちゃんでもギリギリだから」

 

「流石に俺も怒るぞ?」

 

小さな子とそういう関係になってしまったのだろうか。まさか、まーくんがそんな小さな子に手を付けるなんて考えても見なかったけど。美海ちゃんなら仕方ないかなぁ。

 

「一応言っておくが、俺と美海は付き合ってるぞ」

 

「……え?」

 

家族公認の仲なのか誰もあの状態を咎めないのは不思議に思ったのだけど、ひーくんですら慌てず騒がず見て見ぬ振りをしているのに今更気づいた。

 

「付き合い始めたのも美海が中学生になってからで、小学生の時は何もなかったからな」

 

「小学生より、もっと前……?」

 

「聞け。人の話を」

 

改めて見ると本当に綺麗になったと思う。あの頃は小さくて可愛いかったのに……きっと美海ちゃんは頑張ったんだろうなって、勇気を出したんだなって思えた。何に対して? どうして付き合っているんだろう。××だから。どうして、××なんだろう。わからない。付き合うってどうすれば付き合うことになるんだっけ。

頭が痛い。この先に何かあるはずなのに、前に進めない。

私はこの話を終わらせるために終始、まーくんの膝の上でじっと座っていた美海ちゃんに話しかける。祝いの言葉。どうしてかそれが言いたくなった。

 

「良かったね、美海ちゃん」

 

「……うん。頑張ってね、マナカさんも」

 

何に対しての応援なのか今の私にはわからない。

私は精一杯の笑顔を作った。

 

 

 

 

 

それから元気になっていった私は所々でまーくんと美海ちゃんが二人一緒にいる現場を目撃している。一緒に昼食を作ったり、お風呂から出て来たり、一緒の寝室から出て来たり、登下校も一緒の仲良しさんだ。昔と同じで変わらない日常がそこにあった。変わっていないようで、変わってしまったのは世界で、私達は何も変わっていない気がする。そうであってほしいと願う。

あぁ、いやでも、少なくともまーくんは良い方向に変わっていたように見える。美空ちゃんが家族になっていたり、ちーちゃんがまーくんの実家?の方に居候していたり。彼女ができていてそれが美海ちゃんだったり、とても驚いたけど、まーくんはかなり温和な雰囲気を持つようになった。ちょっと冷たかった海のようなあの人が、何処か違う私達とは別のところを見ているようで、実際は人間で美海ちゃんが恋人になった影響なのかな。恋ってすごいなぁって。思う。

きっとそれはいいことなのに、私の知らないところで変わっていくそれがなんだか寂しくて、二人が一緒にいる姿を何日も眺めるに至ってしまうわけだ。今日もまた、二人で勉強をしている。

 

「……あ、どうも、こんにちわ」

 

二人の姿を追っていると晃くんが私の後ろで同じように後をつけ–––いや、二人を眺めている。柱の陰に隠れてコソコソとするのはちょっと懐かしい気もしない。同じことをやっている晃くんはアカリさんの実子でつまりはひーくんの甥っ子なのだ。やんちゃなところは本当にひーくんに似ているかもしれない。

 

「う?」

 

「何見てるの?」

 

「……」

 

無言で指差すのは仲睦まじい二人の光景。邪魔するのが悪いような気もするが、晃くんはそれをわかっているのだろうか。

 

「遊んでほしいの?」

 

「……や。おねー怒る」

 

ふるふると首を横に振り怯えたように晃くんは柱の陰に隠れた。あの状態の美海ちゃんは邪魔すると怖いらしく、昔の美海ちゃんがまーくんにべったりだった時、何かある毎に嫉妬したようにくっついたことを思い出す。その頃から美空ちゃんやちーちゃんと熾烈な争いを繰り広げていたかと思うと、普通に勝つのはちーちゃんだと思っていたのに……年の差って関係ないのかな、と思えてしまうわけだ。実際、今は年の差が無いがそれでもかなり特殊ケースのように思う。小さな子が大きな人に憧れるのはわかるけど、それはきっと夢物語のまま叶わない小さな初恋として海に溶けてしまうから。

 

……あれ、恋ってなんで恋って言うんだっけ。何をしたら恋になるんだっけ。

 

また、私の頭の中にノイズが奔る。

突然の頭痛に私は耳を塞ぎ、耳鳴りがするような気がして晃くんに向き直った。

 

「そっかー。邪魔しちゃ悪いもんね。じゃあ、なんで見てるの?」

 

「おねーたんがにーたんとイカとふじゅーいせーこーゆーしないか」

 

聞いてもわからない、そもそも呂律と知識が足りない。

お姉ちゃんとお兄ちゃんはわかった。

『イカ』と『ふじゅーいせーこーゆー』とはなんだろうか。

気になって私も二人を凝視していると、背後から声が聞こえた。

 

「如何わしいこととか、不純異性交遊のことじゃない?」

 

「あ、アカリさん」

 

同じく二人の姿を盗み見る義母。二人からしても『義母』でも関係性はかなり違う。そのアカリさんが何やら楽しそうに二人の様子を見ているものだから、もっと先の問題に気づくのが遅れてしまった。

 

「……誰に言われたのかな」

 

「私達は公認だからねー。大方、光でしょ」

 

「ひーくん……」

 

あはは。と乾いた笑みが漏れる。確かにひーくんならやりかねない。不純異性交遊(二人が過度にいちゃついてる件)はどうでもいいとしても、立場的に複雑そうだ。別にそういう心配とかじゃなく、ひーくんはまーくんに勝てるようなネタを探しているだけなんじゃ……初心なひーくんには返ってダメージになると思うけど。

 

「ねぇ、あきらー。字面的に『お姉ちゃんとお兄ちゃんが如何わしいことしてる』は世間体的にもまずいからやめな。間違ってないんだけどさ」

 

まぁ、確かに間違っていない。晃くんからしたら美海ちゃんと結婚すれば兄も同然なんだ。ついでに、ひーくんとは親戚のような感じになるからなんとも言えないもどかしさが胸の内に込み上げてきた。

 

あぁ、そういえば……。

 

私は気になることがあるのを思い出した。

 

「そういえばどうして二人は付き合ってるの?」

 

「んー。難しい質問だねー。好きって一言では言い表せないと思うんだ、あの二人の関係は。馴れ初めって言われても何処から何処までが二人を繋げたのかわかんないし、どうしてか収まるべくして収まったって感じだから」

 

「す…き…」

 

「まぁ、気になるなら聞いてみなよ。答えてくれるかは知らないけど」

 

「好き」という言葉が胸に突き刺さる。頭痛が酷くなる。その言葉を知っているはずなのに、どうしてか思い出そうとするたび頭は真っ白になる。

 

二人の姿を見ていると新たな進展を迎えていた。美海ちゃんがまーくんに抱きついて顔を近づけている。それをまーくんがツンとおでこを突いて止めた。途端に振り返った美海ちゃんが私達に気づいた。顔が真っ赤になってペンを握る手はわなわなと震えていて、恥ずかしそうに彼の胸元へ泣きつくのだった。

 

 

 

 

 

その夜、私はまーくんと美海ちゃんの部屋にお邪魔することにした。扉をノックして声を掛けると二人は寝る準備を済ませて就寝の直前だったらしい。まだ学校に復帰していない私としてはちょっと失礼な時間だったのかもしれない。けれど、私は心の中にあるモヤモヤを出来るだけ早く解消したかったのだ。

座布団に座して、二人と向かい合う。私はこんな夜更けに訪ねたことをまーくんに咎められると思ったが、なんのお咎めもなしに彼はもてなしてくれた。そういえば、こういう時はまーくんはどんな時間だろうと相談を受けてくれる人だったっけと今更ながらに思い出す。

 

「で、聞きたいことって?」

 

「うん。それなんだけどね」

 

二人の座布団も肩の距離もだいぶ近い。膝こそくっつきそうな距離で私は苦笑いするしかなかったが、どうもこの二人に距離はないらしい。

 

「……どうして付き合ってるのかなって」

 

その距離感をまーくんは持っているのだろうか。どんな距離感で二人はいるのだろうか。そこには大切な感情があったはずなのに私はそれが理解できなかった。

まーくんと美海ちゃんがお互いに視線を重ねた。

 

「……好き、だから?」

 

二人して同じ言葉を違えず、声を揃えた。

私はどうしてか「好き」という言葉を聞いた瞬間、さざなみが押し寄せたように心が痛くなった。頭の中で潮騒が鳴っている。鬱陶しいくらいで耳を塞ぎたくなった。

 

「まなか」

 

名前を呼ばれて意識が戻る。心配そうな目でまーくんは私を見ていた。

 

「大丈夫か?」

 

「うん。平気……」

 

そこまで平気じゃないのもまーくんはわかっているのだろう。私が虚勢を張ったことも、全部見通した上で心配しているという顔を消すのだから、本当に上手い人だと思う。何事もなかったように話を続けるのは、美海ちゃんだった。

 

「好き、って言ったけどそれだけじゃなくて……。ずっと一緒にいたいって思うから、そばにいて欲しいって思うから、この先も二人でいられたらと願うから、付き合うんじゃないかな。私の勝手な感想なんだけど、前と全く変わってないよ。でも、デートしたり、意識的なところでは変わったのかな……好きって、チクチクしてドキドキしてザワザワして温かくて、苦しくて、せつなくて、いろんな感情が混ざってると思うんだ」

 

「俺も好きって言ってるけど言葉の意味をそんなに理解できたわけでもないんだ。形容できないし、表現もできない、好きにはいろんな形があって……考えると余計にわけわかんなくなる。でも、誰にも渡したくないって気持ちもあって複雑なんだよ。やっぱり言葉にできないもどかしさがあるんだ」

 

いつも以上に優しそうな顔をした。それは昔も美海ちゃんといる時に見せた顔だった。ふとした時に見せるそれは、どこか知らないのに彼らしいと思えた。

 

「そういえば、前にも同じような相談をしに来たよな」

 

「えっ……?」

 

私は一瞬、呆けた。

 

「お船引の前くらいだったか。俺に『好き』ってなんだって聞いて来たんだよ。その時の俺には答えられるような質問じゃなかったから上手く返せなかった、だからまた来たんだと思ったんだけど……覚えてないか?」

 

「うん。知らない」

 

私は完全に拒絶した。記憶の中を探ろうともせず、断言した。まるで自分の体じゃないかのように口を勝手に開いた。

 

「……まなか?」

 

まーくんの表情が硬くなった。どうしてそんな顔をしているんだろう。まるで、信じられないものを見たと言わないばかりで声は少し震えていた。

 

「なぁ、巴日のことは覚えてるよな?」

 

「私が遅くてみんなで見られないってわんわん泣いちゃったやつだよね」

 

その日のことはすぐに思い出せた。

あの時は、ちーちゃんと少し喧嘩になってしまったんだっけ。

 

「最初に紡と会ったのは?」

 

「ちょうど漁をしてた紡くんに網で上げられたんだよね。懐かしいなー」

 

その時は、まともに陸の人を見たのは初めてだったのかもしれない。

 

「膝に魚が生えたやつは?」

 

「私がいつまでもしょげてて、山に駆け出しちゃって転んで、初めて紡くんの家に行ったんだよね」

 

あの時は恥ずかしかった。皆にバレないように必死だった。でも、俺なんてしょっちゅうだってまーくんは笑って励ましてくれた。いつか鱗をぶん殴るとも言っていた気がする。

 

「じゃあ……おまえが紡のこと好きって言ったやつは?」

 

「えええ!? わ、私そんなこと言ったかな!?」

 

「悪い。嘘だ」

 

こんな嘘を吐くなんてまーくんらしくなかった。

思案顔で顎に手を当て考えるポーズ。

何やら隣で美海ちゃんが構って欲しそうにしているけど、それすら目に入っていないようで……。

きっと知らない話をされて、仲間外れにされているのが寂しいのだろう。

やっと気付いたまーくんが心此処に在らずなまま美海ちゃんの頭を撫でて、その手はいつしか止まってしまう。

 

「俺に対して、一度だけ本気で怒ったことあったよな。その時のことは?」

 

「まーくんが少しやさぐれててひーくんより酷かった時の話だよね。あの時はお世話しに行ってあげてたちーちゃんを泣かせちゃったから、私が怒ってお説教したんだよね。本当にあの時のまーくんは危なっかしかったよね」

 

あれはおそらく、今思えば美海ちゃんのお母さんが死んだ時期だ。孤独に身を落として塞ぎ込んでしまったまーくんは私達とも関わらなくなってしまった時期がある。部屋に篭って勉強ばかりでろくに食事も睡眠も採っていないことをちーちゃんに言われて、世話を焼くちーちゃんにお節介だとかなんだとか言ったことがある……と私は人伝に聞いたのだ。そして、私はまーくんを叱りに行った。確かあの時はまーくんは父親は出稼ぎに行っていると嘘を言っていた。私だけがまーくんの変化に疎かった。

 

「……じゃあ、最後にもう一つだけ」

 

「うん。なに?」

 

質問というか昔話だったような……私は久し振りにこんな話がまーくんとできて少し満足感を覚えていた。だから、次の言葉もどんなのだろうってわくわくしているとまーくんは言ったのだ。

 

「光を好きかもしれないって相談、したよな?」

 

「ううん。してないよ」

 

今度は確信めいた顔でまーくんは頭を抑えた。疲れたような表情でもある。それを一瞬にして消すと、普段殆ど笑わないまーくんが笑って見せる。目だけは相変わらず笑ってないと思うけど、優しい色をしていた。



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第七十三話 もう見てるだけじゃ嫌だから

※カタカナもひらがなもめんどくさくて鱗様にした。


ある日から誠はフラフラと出掛けるようになった。今に始まった事ではないし、そういうところがあるとわかっているとしても、私としてはもう少し一緒にいたい。学校でも家に帰っても地図とにらめっこしている誠に「何してるの?」と聞くと「ちょっとな」って空返事ばかり返ってくる。特に何かをしたいわけでもないけど、そんな態度で居られると私だって寂しい。はっきり言って構って欲しいのだ。

 

地図を覗き見るとバツ印に赤い丸。まるで宝物の地図みたいなそれは、鴛大師の地図だった。

 

「ねぇー、まことー」

 

「あとでな」

 

要件も何も伝えてないのに誠は私の頭だけ優しく撫でる(だけどちょっと荒い)と他の資料を引っ張り出す。私はやはり構って欲しくて少しでも意識を向けさせるために腕に抱き着いた。すると誠は片手だけで作業を続行、それも利き手ではないはずの左手でパラパラと資料を捲りペンでメモを取る。

 

–––邪魔するつもりはなかったけど、失敗だった。

 

いや本当に。少し構ってもらうだけでよかったのに。これでは意味がない、本末転倒というか抱きついてくっつけることは嬉しいけど私が求めたのはこういうことじゃないような……。だから、私は誠の中の抱えてる悩みにさらに対抗心を燃やして胡座をかいている誠の膝中に座り込んだ。

 

「むぅ〜……」

 

それでも誠は作業を続けた。自分でも何やってるんだ、なんて思わなくもないがそれでも作業を続ける誠に少し呆れを感じる。呆れを感じたのも一瞬で、邪魔をしているという自覚が罪悪感へと変わる。鬱陶しく思われたり、嫌われたくなかったので膝の上から退こうとすると、中腰の姿勢になった私のお腹を抱き竦めて誠が私を抱え込んだ。もちろんお尻から彼の膝の上に落ちた形なので私は少しびっくりしたけど嬉しくなってしまう。

誠は私の肩に顎を乗せて資料を閉じた。腕をお腹に回してふぅーとため息を吐く。呆れられたのかな、なんて少し不安になっていると誠は自分からこんなことを言い出した。

 

「美海が可愛すぎて集中できない」

 

文句? 褒めてるの? どっちだろう。

私はおそるおそる聞いてみた。

 

「……やっぱり邪魔だった?」

 

「んー。なんというか、邪魔は邪魔でも嬉しい邪魔というか……一言で言えば可愛い。ちょうど、自分一人でもこんなことするのは飽きてきたところだし、巻き込みたくはないんだけど……」

 

思っているところがあるようだ。

 

「焦っても仕方ないよな。気鬱であればいいんだけど……」

 

一人で抱え込もうとする彼の力になりたかった。

 

「何してるの?」

 

「ちょっと鱗に聞きたいことがあって探してる。ほら、あの時もいただろ。マナカを見つけた時、あいつだ」

 

今度は答えてくれた。

 

「つーか聞きたいことは山ほどあるんだ。海に関しても、マナカの件に関しても納得いかないしな」

 

「じゃあ、探すのは海じゃないの……?」

 

誠が持っているのは地上の地図だ。私が指摘すると彼は笑う。

 

「それがあいつ海にはいないんだよ。だから、地上の海神に関係ありそうな祠を虱潰しに探してるんだ。鴛大師の爺さん婆さんに聞けばそういう祠はゴロゴロ出てきたからな」

 

「へー……」

 

「美海も行くか?」

 

「えっ、いいの?」

 

「あんな奴に会わせたくはないけどな……これ以上、美海に不機嫌になられても困る」

 

いや、まぁちょっとは不機嫌になってたかもだけど。

とにかく私は少しでも誠が話してくれた事が嬉しかった。

 

 

 

 

 

土曜日。軽いお出掛けの準備をして手を繋いで鴛大師を歩いた。出会う人、殆どが知り合いで小さな村だからそれも当然、でもくっついてるのは意外だったのか冷やかしたりなんだりと出会う人にはいじられた。それもきっと悪い事じゃなくて、私にとっては幸福を噛みしめる一端になりつつある。

山を登って、山を降りて、三つほど祠を回って夕暮れ時。

収穫もなく、もう帰ろうか、と帰路に足を戻した時だった。

 

「あれ、なんだろ……?」

 

私の視界には小さな祠が映った。林とも呼べない木々の間にぽつんと立っている。それはとても胸中をざわつかせるような奇妙な感覚だった。私はちょっと怖いらしい。夕暮れに見る祠はとても不気味だ。

 

「じゃあ、あれ最後にするか」

 

誠のことだから、道中見つけたら最後ではなくなるような……とは言わないでおく。ついでだからと見つければ立ち寄りそうだ。

 

「うん」

 

誠の腕にしがみつく私はちっとも怖くない。何が来ても耐えられる。鬼だって海神だって鮫だって幽霊だって。

 

「いや、本当にこれで最後だから。美海を夜遅くまで出歩かせるのは危ないし」

 

「私怖いなんて言ってないもん」

 

「そういうことじゃないんだけど……それ自白してる?」

 

私は誠を盾–––じゃなくて、腕にしがみつく形で押し出しながら早くと祠へ歩いて行く。小さな祀られた社のようなそれは数本の灯籠らしき何かが建てられていて異様な雰囲気を放っている。

そして、辿り着いて何もないとわかった瞬間に誠は手頃な石を掴んで祠に振り向くと同時に、屋根の上へと全力投球した。

 

「–––ぬぉ!」

 

男性の声で何かが驚いた。驚いたのは鱗を持つ人間のような何かで、長い髪を持った不思議な雰囲気を持つ何か。その人が誠の全力投球を避けると石は木々に跳ね返りカツーンと音を鳴らした。

 

「危ないじゃろ!」

 

「あー、不審者の気配がしたから……」

 

「不審者ではない。海神の鱗じゃぞ」

 

「されど鱗だろ?」

 

まるで知人に話すような物言いに私は察する。鱗様とはこの変な人のことなのだと。祠を祀る社の上に座した人型の鱗を持った人間はそれはもう見たことがないような人である。人であるのかすら疑わしい。

 

「まったく……人気のない場所に女を連れ込むとはおぬしもやるようになったの」

 

「誰のせいだ」

 

そういえば、一日中人気の無いところを回っていたけど何もなかった。いや別に何かをして欲しかったわけでもないけど。本当に二人きりになれる時間は殆どないし。

会話が引っ張られがちな誠の袖をちょいちょいと引く。夕日が海に沈みかけている。早くしようと促すと、誠は冷静さを取り戻したように話を切り替える。

 

「で、どうせ俺がなんでおまえを探していたか知っているんだろう」

 

「そうじゃのう。あの娘の件か」

 

あの娘の件、とは–––。

また、私の知らないところで他の女の話だろうか。

とても気になる。心の中がもやもやする。

浮気、とは考え難いけど、知らないのは何かヤダ。

私はもう一度、誠の袖を引いた。

 

「–––おぉ。中々面白いのぅ。おぬしの嫁が嫉妬しておるぞ」

 

話を聞く前に、鱗様がニヤニヤしながら茶々を入れて来た。

嫁だなんて……まだだもん。

私は頬を赤くしながら誠の背中に隠れる。

なんというか、あぁいう人は苦手だ。

誠も敢えてそのことには触れず、質問を続ける。

 

「マナカのエナが剥がれている件–––」

 

それは私も知っていることだった。

 

「–––そして、マナカの感情とそれに纏わる記憶が欠けている件だ」

 

それは私の知らないことだった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

話が終わった頃には既に日が暮れていた。誠が何をしているのかを聞いてみた結果、わからないことが増えただけだった。けれど、なんとなくわからないこともない事もある。

誠はマナカさんを元に戻す方法を問い詰めた、もしくは戻すように迫った。だけど鱗様とやらは、神に頼らずともその方法に心当たりがあるのではないかと誠に問うた。

私にエナができた理由も誠は理解している、と鱗様は言った。

憶測に過ぎない、と誠は返すけど鱗様は鼻で笑った。

 

『薄々勘付いておるのに知らぬふりか?』

 

私にはどうしてエナがあるのか。どうしてマナカさんのエナが剥がれたのか。

どうして世界はこんなにも変わってしまったのか。

どうしてマナカさんの記憶が欠落しているのか。

私にはわからないことだらけである。

 

『奇跡も、不可思議も、起こらないとは思っていないじゃろう。のぅ? 全部繋ぎ合わせれば解けるはずじゃぞ、わしにはわからん海神の心も何もかも』

 

だから、去り際に鱗様が発した言葉の意味なんて私にはわからないのだ。

誠は奇跡や超常の力を信じているのだろうか。

あぁ、いやそもそもの話……。

私は奇跡が起きて、誠と同い年になった。

少なくとも、これは奇跡で、不可思議で、デタラメだ。

普通は私が年齢で一緒になるなんて無理な話だと思っていたのに……世間一般的には無理な話なのに。きっと私達はその夢を見ているのだろう。醒めない夢を。戻らない今を。取り戻せない時間を。

失っているのに喜ぶのはとても失礼なことなのだろうか。

私は思う。奇跡は、実在すると–––。

 

 

 

「ねぇ、誠」

 

それから数日も経たずに光がマナカさんの異変に気付いた。どうすればいいか会議が開かれた。鱗様を探すという案も出た、けれど誠はもう探し終えて次の段階に移行している。相変わらず、光は誠に頼ったけど、今回ばかりは誠も少し慎重に事を運んでいるようでそれだけは伝えて肝心のマナカさんを救う方法は話さないまま……。鱗様との会話の一部を誠は隠し、結局は停滞したまま進むという光らしい案が出た。

 

私は誠を裏切らない。

 

彼の傍で私は彼を支える。

その役割が私にできる事なのだ。

だから、鱗様との会話を隠した時も私は敢えて口を出さなかった。

『おぬしは答えを知っている』

そう言った鱗様の言葉を私は言わなかった。

誰にも告げず、誠に任せた。

 

「……わかってる。なんで俺がマナカを救う方法を知っているかもしれないと言わなかったのか、だろ」

 

そして、私は誠が何故その事を言わなかったのか、答えを知っている。

 

「えいっ!」

 

「おわっ!」

 

誠を自分の膝の上に倒して膝枕をした。誠は抵抗せずに私の太ももに後頭部を預けた。その髪を撫でながら、私は少し満足げに誠の心中を語ってみせる。

 

「誠は確証がないから言わなかったんでしょ。絶対にできる、って思ってないから誰にも希望を持たせたくなかった。それが誠の言葉の責任と重さだから……だよね」

 

これまで皆のリーダーをやってきた誠には期待という重い責任が掛かっている。誠の言葉は励みになる代わりに重さがあるのだ。失敗は失望に変わる。より深く誠の言葉は受け止められる。期待されればされるほど、失望は高くなる。きっとそれは誰にも理解できず皆が知らない誠の抱えてる責任感。誰もが押し付けてるとは知らない、それだ。

 

「ねぇ、私には話せない内容なの?」

 

「……憶測だって言っただろ」

 

「私は誠の考えを知りたい。私が知りたいのは答えじゃないもん」

 

少しでも安心してくれたら、そう思って髪を一撫ですると誠は脱力したまま私の手を握った。

 

「どうして美海にエナができたかわかるか?」

 

最初の誠の質問はそんなものだった。教授にも、医者にも、誰にもわからない神秘の答えについてまるで誠は理解しているかのようだった。当然のように私はわからないと答える。そうすると誠は数秒後口を開いた。

 

「おそらくだけど……マナカの剥がれたエナが美海にくっついて何らかの作用が起こって、血が呼び覚まされたんだろ。美海は陸と海のハーフだから今まで起きなかったそれが起きなくても不思議じゃない。もしくは減り過ぎた海の民を増やす為にハーフのエナを強制的に成長させたとか……ここのところはやっぱり神秘だな。多分、美海とマナカを調べたらエナの構成とか一致するだろう」

 

「えっと……私のエナはマナカさんのってこと?」

 

「少し違う。マナカのエナだけだったら無理だ。おそらく先天的なものを持っていて、それを呼び覚ます切っ掛けになっただけなんだ」

 

なんとなくわかった気がする。

だけど、それとマナカさんの解決策がどう繋がるのか。

 

「簡単な話だ。マナカにエナを返せばいい。思いと共にエナが欠けてしまったのならそれで全てが元に戻るはずだ。だけど、それにはより特殊な状況下で行う必要がある。あの時、あの日と同じ、いやそれ以上の儀式をしないと–––少なくともただ風呂に一緒に入っただけで全て戻るなら楽なんだけど」

 

「ええっと、それってつまり……?」

 

「もう一度、お船引をするしかない」

 

その案は光からも出ている。もう一度、お船引をやろうと。多分、深く考えてもいないだろうけど、お船引をやることで何か変わる気がしたのだろう。私もそれで何か変わると思う。あの日みたいに、良くも悪くも奇跡は起きる。

 

「まぁ、結果的に試す形にはなってるな。だから俺が口出すことはない」

 

私は誠の手を握った。なんか握りたくなった。

思いを伝えるにはこれしかないと思った。

私の手の感触で何かを感じたらしい。

不思議そうな瞳で私を見つめる。

 

「……ねぇ、今度は見てるだけじゃ嫌だからね」

 

「じゃあ、約束だ。俺の傍から離れるなよ」

 

–––と言われたので、私は寝転ぶ誠の横にコロンと横になった。心臓の音がとても心地良かった。

 




最初は光、要、マナカ、チサキ、紡、さゆ、美海、美空、誠、ついで鱗様を誠君に拘束させて出そうと書き出したが筆が止まるという事故が発生してボツにした。
美海と一緒にいるのが一番だよね。
その人数は流石に捌けなかったので。


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第七十四話 二人の形

著しくモチベ下がることに気づいた。


 

 

 

 

お船引の準備は着々と進みもう間もなくといったこの頃、私はいつもと同じように誠と幸せな時間を過ごしていた。特に何かをしたわけでもないけど、敢えて言うなら「誠と〜」とつけば私は大抵幸せである。大抵というか、もう全部幸せだ。幸せ過ぎて何が幸せなのかわからないくらい幸せだ。これ以上幸せになったらどうしようってくらいに。

 

今日は誠に膝枕をしている。帰ってきてからこんな感じ。そんな私達の邪魔をするのは一つの電話だった。

 

「美海ー、電話。さゆちゃんから」

 

お母さんがひょっこりと顔を出して告げたのは、親友からの連絡。

 

「誠、ごめんね」

 

「うー……ん」

 

夢見心地で気の抜けまくった最愛の人に断りを入れてから私は黒電話に向かった。優しく枕を差し入れて私はその場を離脱する。そうして外されていた受話器を取って応対する。

 

「なに、さゆ?」

 

『ごめん美海、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……』

 

開口一番に謝ってからとは一体何か。皆目見当もつかないので相手の出方を待っているとさゆは少し手持ち無沙汰に間を空けてからこんなことを言い出した。

 

『で、デートってどうすればいい⁉︎』

 

「デートって……要さんと?」

 

「う、うん…」

 

そんな話をされましても……。私は基本、誠がどうにかしてくれるし……。誠がいればデートなんてなんでもいいし……。やりたいことはほとんどやったし……。夢見たことは、全部、それこそ誠は実現してくれた。不満がない。

 

「いや、そう言われても……」

 

『だって、あんたら付き合ってるんでしょ⁉︎』

 

「基本は誠が考えてくれるもん」

 

『あぁもうこのバカップル!』

 

「えへへー、それほどでも」

 

『……本格的に美海がやばくなってきた』

 

お互いに不満はない。不満はないはずなのだ。だから言わせてもらうけど、この先誠との未来以外考えられないから、いくら何が起ころうとも私はレールの上を走るだけだ。そりゃ喧嘩もするだろうけど、多分私簡単に言いくるめられるだろうしそれで納得しちゃうしで、何言ってるかわからないけど、他人のデート先なんてなんでもいいわけで。

 

取り敢えず、やれることは大体やった私達にはまだ付き合い始めて一月も経ってないわけで……。

 

「あれちょっと待って。どうして要さんとデートすることになったの?」

 

ふと、気づいた。

電話口からは静寂が訪れて。

 

『……その、付き合うことになったから』

 

そう、私の親友は告白した。

とても恥ずかしそうに、嬉しそうに、その感情は私に伝染した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、土曜日。今日はさゆと要さんの初デートの日。私と誠は二人の初デートに合わせてデートをすることになった。理由は単純、二人が普段はどうしているのかと聞いてきたからだ。それにより私達はダブルデートをすることになった。初めての経験だ。さすがの私と誠もこういうことはしたことない。……まぁ、誠も最初は渋っていたけど、要さんに相談されて仕方なく付き合う羽目になったと言っていたし、それはそれでいいのかもしれない。何故渋っているのかを聞いたら、言いたくなさそうに目を逸らしたけど。

 

私達は一緒に家から出て、駅前へと向かった。二人と待ち合わせている場所は駅前の時計台の下。しかし、一向に二人は来ない。昨日は誠と私も初デートの前夜の二人に振り回されて、どんな服が良いか、色々な相談をされたものだ。それも深夜が回っても子供が遠足前夜に眠れないみたいに騒ぎまくったものだから、私はまだ眠い。

 

誠の肩でうとうとし始めたその時だった。

 

「…はぁ…はぁ…間に合ったかなっ」

 

最初に来たのは要さん。もっとも私達は二人の待ち合わせを観察するためにだいぶ早く来ているのもあるけど、要さんが到着したのは約束の時間三十分前。

 

私達はその間も、姿を表すことなく物陰に隠れてその姿を眺めていた。

 

「……お、おまたせ、ま、待った…?」

 

そして、さゆが来たのは二十分後。とても初々しい態度で要さんを見つけると駆け寄っての第一声。しきりに前髪を弄び緊張がここまで伝わってくる。

 

「……いや、それよりも誠達遅いよね」

 

「そ、そうだね、なにしてんだろっ」

 

この場合、そんなことより先に誠は服装を褒めてくれる。可愛いとか、綺麗とか、似合ってるとか。

今日はこの日のために何度も服装についてさゆと試行錯誤したのだ。どんな服で行けばいいか、どれが可愛いか、どれなら要さんは喜んでくれるか、もっともこの疑問は私ではなく誠に相談するべきだったと思ったのは今更だが、もうそれはしょうがないとして……これって私達要らなかったんじゃ?と思ってしまわないわけでもない。

さゆが着ているのはゆったりとした長めの丈のワンピース。さゆに合わせて色合いも試行錯誤の結果、明るくて綺麗な色で揃えている。誠も交えて評価させたほどだ。もっともその誠からは本人に見せれば?と指摘をいただいたわけだけど、生憎最初からそういうのは求めていない。

 

本当は服について要さんが心根を喋ってくれるまで隠れているつもりだったけど、待っても二人は緊張したままなので私達は仕方なく物陰から出て行くことにした。

 

姿を見せれば二人はホッとした表情。

それでいいの?二人とも。

 

「それじゃあ全員揃ったし行くか」

 

券売機で切符を買う。程なくして来た電車に乗って街の方へ。

私は昨日、さゆに振り回されたこともあって眠かったから、ついうとうとして。誠の肩を借りてやっぱり眠りに落ちていたみたいだ。

着いたと同時に誠に起こしてもらって、何故か二人が顔を真っ赤にしていた。

誠のことだから二人の前ではなにもしないだろうけど……なんだろう、私の知らないことがあるのは少し気になる。大方、二人をからかったのだろうけど。

 

定番と言えば定番。

私達がデートに選んだのは遊園地だった。

もちろん、私達は既に行ったので複数の中から二人に選ばせた結果になるが、これはこれで新鮮だ。

ダブルデートをするなんて思ってもみなかったから、少しドキドキしている。

私と比べて二人は少し緊張した様子で私と誠の繋がれた手を見ている。何を見ているのかというかそれとしか言いようがなく、何故見ているのかと言うとそれもわからないんだけど。……不満があるとすれば、誠が全然緊張もドキドキもしてくれないことだけど。

 

チケットを買って中へ。少し名残惜しいけど、入り口は二人じゃ入れないから順番に入るために手を離して、再度合流した時にまた繋ぎ直す。全員が通り終えたのを確認すると誠は言った。

 

「どこ行く? 俺と美海はどれでもいいけど」

 

–––私は誠となら何処でも行くよ。

 

と、告げなくても理解しているようで誠は二人に選択を差し迫った。

元々来たことあったので私は異論はない。強いて言うなら、最後に観覧車は外せないけど。

 

「何処にするさゆちゃん?」

 

「うーん……あ、そうだ」

 

ニヤリと私の親友が笑みを浮かべる。口角が釣り上がってる。これは何か悪戯を思いついた悪い笑み。けど私はその思惑が全外れすることを知っている。この際、何も言わずに黙っておこう。

要さんに耳打ちするさゆが今日一恋人に顔を近づけているのを見ながら、ちょっと指摘してやりたい気持ちを抑えながら眺める。なんというか付き合いたてのカップルをからかいたくなる気持ちがわかった瞬間だった。

 

「取り敢えず、ジェットコースターでもどうかな?」

 

「取り敢えずの割にはいきなりハードだな……。まぁ、昼食食べた直後よりはいいか」

 

どんな打算があったのかは知らないけど、全員でジェットコースターに乗ることになった。長い行列に並んだ後カップル同士で座席に着いて安全レバーを下ろして誠の手を握る。あの浮遊感はちょっと慣れないけど、誠と一緒なら怖くない……。ゆっくりと登る恐怖を堪能した後の急降下が私は苦手だ。

そうして、絶叫系アトラクションは私達を空の旅へと連れて行く。

 

–––数分後……。

 

アトラクションが終わって全員揃って出た。誠はなんともない表情で、私は少し強く彼の手を握っていて、それでもなんとかしがみつきながら出ると私の後ろで二人は顔が引きつっていた。

 

「……何あれ。ちょっと走馬燈が見えたかも」

 

「……な、なんで二人は平気なの」

 

 

 

 

そのあともいろんなアトラクションを廻った。

 

 

 

お化け屋敷。

 

「わー!」

 

「きゃー!」

 

私とさゆが叫んで自分の彼に抱き着く。

もちろんのこと、誠は驚かない。とても冷静にお化けの出てくる場所を分析していた。

要さんは要さんでちょっとびっくりしたり、また別の驚きを感じているらしい。

 

 

 

コーヒーカップ。

 

「行くよ、誠!」

 

「……何をする気だ?」

 

「覚悟しろ!」

 

四人で一つのコーヒーカップに乗る。回せば回すほど回転するコーヒーカップに私は振り落とされないように誠にしがみついていた。二人は何故か全力でコーヒーカップを回転させている。

 

「なんで…全然…平気そう…なの…」

 

「ちょっ、ちょっと休憩……」

 

「おまえら覚悟はいいな?」

 

疲れて目を回す二人が手を止めた瞬間を狙って誠は宣戦布告。反撃開始。

コーヒーカップを二人が回した以上に逆回転させる。それを受けて二人は抱き合いながら耐えていた。

 

終わった頃には二人はグロッキー状態。

斯く言う私も、ベンチで誠の膝を借りてぐでっとしていた。

 

「うぅ〜〜〜……」

 

「ごめん美海」

 

妙なところで対抗心を燃やした誠は私のことを忘れていたらしく、心配そうに髪を梳いたり頭を撫でたりしてくれる。背中もさすってくれてだいぶ楽になった。もう大丈夫だけど、もう少しだけこうしていたい。

 

「要、飲み物買いに行くぞ」

 

「……ごめん。誠一人で行ってきて」

 

「そうか。俺一人なら美海の分しか買ってこないけど?」

 

「……いつになく辛辣だね」

 

「おまえ、一人で持てると思うのか?四人分」

 

「ごめんなさい。行きます」

 

誠と要さんは二人して売店へ行く。残された私達は二日酔いの大人ってこんな感じなのかなぁと想像しながら二人を待つ。そんな時だった、さゆは口を開いて問いかけてきた。

 

「ねぇー、美海〜……」

 

「なに?さゆ?」

 

「……なんであんな自然にいちゃつけんの?」

 

いきなり何を言いだすかと思えばそんなこと。私は疑問に思いながら言い返した。

 

「さゆだって割といちゃついてたよ」

 

「うそ。してないよ」

 

「お化け屋敷で抱き着いたり、コーヒーカップで抱き合ったり。耳打ちしたり」

 

「……うそ、私そんなことしてた⁉︎」

 

今更恥ずかしそうに頰を抑えて赤らめられても……。

 

「そういえばなんで電車降りた時、二人して顔を赤くしてたの?」

 

ちょうどいいので気になっていたことを聞いてみる。すると、さゆは更に顔を赤くした。

 

「あ、あんな風に目の前でいちゃつかれてその上『やってもらえば?』だぞ!できるか!」

 

「……ん?何を?」

 

「あ、あんな風に肩を借りて熟睡なんてできるわけないでしょって言ってんの!」

 

ダメだ。さゆの言ってることがわからない。

 

「そりゃ最初は私も恥ずかしかったけど、我慢してても何にもならないよ?」

 

我慢してたらこんなに時間が経ってしまったわけで、残りの人生全てを使ってでも足りないわけで、大人になるのが待ち遠しいのと同時、怖いとも思う。歳をとれば取るだけ死は近づく。人間であるなら避けられない理だ。

 

「……できるなら、手を繋ぎたいけど……私達にはまだ無理だよ」

 

「この後、観覧車で二人きりになるのに?」

 

「無理無理無理無理ッ!」

 

いじらしい親友の姿を見て私は思うのだ。

私には初々しさというものが欠けているのかもしれないと。

 

 

 

 

 

昼食を食べて、他のアトラクションも廻って、最後の観覧車。緊張してガチガチのさゆを見てやっぱり思う。私には初々しさが足りなくて、誠がドキドキしないのもきっとそれのせいだって。初々しい二人を見送って私と誠も別のゴンドラに乗り込む。夕日の差し込むゴンドラで私は向かい合いながら、誠の顔を見ていなかった。

 

「どうしたんだ?美海」

 

「な、何もないけど……」

 

心配してくれた誠に咄嗟に嘘をついた。本当はいろいろと言いたい。でも、言えない。

 

「嘘だろ。なんかいつもより楽しくなさそう」

 

見抜かれていたことに結局のところ嬉しくなってしまうわけで、私の口は簡単に滑った。

 

「誠の方こそ、私といて楽しい?」

 

「当たり前だろ。好きな人といて不満なんてあるか」

 

「嘘、全然誠はドキドキしてないもん」

 

「じゃあ、確かめてみるか?」

 

そう言って誠は私を抱きしめた。向かい合う私の席へ移動して、前から覆い被さるように……そして、心臓に最も近い位置で、トクトクと鳴る心臓の音を聞いた。それがたまらなく心地よくて、安心して、やっぱりドキドキしてない。

 

「やっぱり普通だ。私はこんなにドキドキしてるのに」

 

今度は誠を自分の胸に抱き寄せてみる。

ちょっと恥ずかしいけど、幸せな気持ちはすぐに溢れてきた。

器から溢れ出すように、心臓はドキドキと高鳴る。

舞い上がった私の気持ちを誠は理解してくれたようで、そのまま私の背中に腕を回した。

 

「……さすがに俺もそんなことをされたら、ドキドキしないわけがない」

 

「本当?」

 

「好きな女の子の胸に顔を埋めるのって割と恥ずかしいんだぞ」

 

「もう、言わないでよ!恥ずかしいから…」

 

夕陽のように頰が染まるのを感じた。それでも私は誠を離さない。

 

「……それに他人がどうとか気にするなよ。安心できる相手っていうのも幸せの形の一つだろ。美海と俺にしかできないことがあって、あいつらにはあいつらにしかできないことがある。俺と美海は誰よりも深く繋がっているって思えば、それはそれでとても幸せだろう」

 

「……そっか。そうだよね」

 

安心した。安心したらなんだか……。

もっと、もっと甘えたくなった。

 

「……ねぇ、あの二人にはまだできないことしよ」

 

観覧車が廻って最も神様に近いところで。

夕陽に重なる私達の影。

繋いだ手と手、触れ合う唇の熱。

降りる時まで私は彼の隣で永遠にも思える一瞬を過ごした。

 




これにて一旦完結とさせていただきます。
お船引を通るルートを考えていたのですが、原点に還ると美海ちゃんと主人公をいちゃつかせたいだけだったので必要ないのでは?という結論に至りました。それを言うともう結ばれた時点で完結してるのですが。あとはお船引をするだけなんですけど、アニメと展開はそう変わらずですし。
もしかしたら、番外編として続きを投稿するかもしれません。


モチベーションの都合上、新しくちさきをヒロインに設定を思いついたのでそちらを見切り発車で投稿したいと思います。それでは。


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IF
Diary1 人知れず伝えて


チサキがロザリオを貰ったパターン。
と仮定してください。
べ、別にそのシーンを書くのが面倒とかじゃないんだからね!


 

 

 

藍に染まる月の光が見えた。

遥か頭上、海の向こうの空には優しい光を灯した月が海を見守っているはずだ。

光のない海、暗闇に吸い込まれそうな水中、微かな希望の光は揺らぎただ呆然と見つめる。

 

――俺って、何してるんだっけ?

 

なんで水中で上を見上げ、海の向こうにある空を見上げているんだろうか。

 

「あれ、身体が動かない……」

 

意識は朦朧として、視界も朧気。身体も限界まで酷使していたようで指すら動かすのにも痛みが走り、水の流れに逆らえず流されるまま海の向こうを見据えた。

 

躯が熱い。

 

燃えるように体温が上がっている。いつもの水温ではなく自分が感じる熱量が、とても息苦しく感じた。

熱でもあるのか、風邪をひいたのか。

わからない。けれど、気持ちのいいものではなかった。

 

「まだ、終わらない……俺は眠らない」

 

手を伸ばす。

左手を海の向こう、空へと向けた。

伸ばされた手は何も掴めず、まだ止まない。

それでも、俺は感じた。感じてしまった。

 

『――約束だよ。訊かせてね、誠の気持ち』

 

脳裏に浮かんだ少女の顔と声が浮かんでは水泡のように消えていく。

その少女は、上にいる。

海の向こう。陸。空の下に。

 

「なぁ、チサキ」

 

その少女の顔を、声を思い出すと、すごく胸が苦しくなった。今までこんなことは無かったのに。

 

光は墜ちた。マナカもアカリさんの代わりになった。要も波に浚われた。

残るのはチサキだけ。幼馴染の中で、優しくて一人の少女のお姉さんのように振る舞って、強く見えて実は寂しがりやの女の子。

 

「バカだよな。いまさら気づくなんて」

 

嗚呼、本当に俺は大馬鹿者だ。

別れ間際に好きな人が誰か、自分が愛する人が誰か気づいた。もう少し早く気づいていれば、もっと幸せな過ごし方を、人生を歩めたかもしれないのに。

後悔すればするほど悔しくなって、求めた。

手を伸ばす。あの少女の手に、頬に、肌に触れたい。熱を感じていたい。温もりが欲しい。

こんな暗くて冷たい海よりも、彼女の側で笑って過ごせる大切な時間が――。

 

「なぁ、神様、あんた残酷な生き物だよな」

 

失った時は戻らない。

過去、彼女に冷たくしてしまった事もあった。

口煩く心配してくれた彼女に、俺は一人にしてくれ放っておいてくれと、怒鳴った事もあった。

今更ながら後悔する。

それでも傍にいてくれる、彼女に優しくすればよかった。

 

「……失った時は戻らない。なら」

 

俺にこんな人生を与えた神様。

死んだ人は戻らない。帰ってこない。

後悔する事も沢山あった。やり直したいこともあった。

あの人にまだ話したいことはあった。

だけど、そんな時間は戻らないことは知ってる。

 

「――だから、俺は眠らない。もう後悔しないように生きるんだ……!」

 

徐々に記憶が明確になっていく。

おふねひき、その際中でこんな状況へと追い込んだ、今も下で眺めている“神モドキ”へと視線を移す。

いつも通りの道化師のような表情が目に障った。やれるならやってみろ、と言わんばかりに見据えている。

 

最後の力を振り絞り、俺は最後の行動に出た。

賭けだった。危険な賭けだ。

 

「……っ」

 

ズシンッ!!――不快な音が鳴る。身体には衝撃が走り。

痛みで意識は朦朧としながらも、海に混じりゆく赤い煙を呆然と見つめる。

ただ、限界の身体で出来たのはそれだけだった。

水の流れに逆らわず、抵抗するにはそれしかなった。

 

「全部、あんたの…思いどおりに…なるとは」

 

意識が薄れていく。

パキキィィッ、と何かが破れるような音を響かせ、熱い身体は凍りついていった。

そして、意識は海の暗闇へと消えた。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

おふねひきは中止になった。海が荒れ、退きあげた漁協の人達に囲まれながら、私は一人蹲る。

膝を抱えて、泣きたい気持ちを堪えて。実を言うと信じたくなくて、泣く余裕なんてない。

それでも、非情な現実は、私の耳に届く会話の内容は残酷だった。

 

「光達はまだ見つかんねぇのか!」

「仕方ねぇだろ、海は荒れててプロのダイバーでも呑まれたら一瞬で終わりなんだ!」

「海の子一人も上がらねぇぞ!」

「どうすんだよ、この娘一人っきりだぞ」

 

それから、会話内容は私をどうするかに変わっていく。

 

「この娘どうする?」

「誰かが育てるしかねぇだろ」

「うちは無理だぞ。ジリ貧だし」

「こうなりゃ施設に預けるしかねぇよ」

 

やっとわかった。

私は一人なんだ。独りでもう誰もいない。私が持っていた普通の日常は海の底に消えてしまった。

誠もこんな気持ちだったのだろうか。

独りになるって、こんな感覚だったのだろうか。

今更、私は理解する。誠が独りで生きてきた意味を、その大変さをようやくだ。わかっていたつもりだったのに、いざ自分がその状況に陥ってしまえば、想像以上の辛さに泣きたくなってしまう。

 

「嫌だよ……」

 

ここから離れたくない。

ずっと、誠の消えた海を見ていたい。

それが叶わないなら、私も沈んでいってしまいたい。

幼馴染みの消えたあの海へ。

 

 

 

大好きな人が眠るあの海へ――。

 

 

 

わがままだってわかってる。

今の海が危険なことも知っている。

そして、私達は最初に決めていた。

もし、おふねひきの最中に海が荒れたのなら、地上にいる私達は海に戻らず陸にいよう。危険だから。

そう決めた。その筈なのに、誠が皆と交わした約束なのに私はそれでも、嫌だった。

 

「ん? どうしたんだ、嬢ちゃ――って、おいっ!」

 

立ち上がると訝しげに、けれど心配したように一人の男性が私の様子に気づく。

全員に気づかれる前に、早く。

私はこの部屋から出て行って、海に潜るつもりだった。

走り出そうと全身に力を入れる。

けれどそれは、出口の扉の一番近くにいた人に腕を掴まれて止められた。

あと一歩。ドアを開けるだけだった。

 

「離してっ!」

 

「あほか、海に潜るつもりだったろ! 今の海はいくら海の子でも危険だ! 行かせられねぇ!」

 

「だったら何ですか!? あなた達には関係無いでしょ、私の気持ちなんてわからないくせに!」

 

今度こそ、腕を振りほどいて私はドアへと手を掛けた。一瞬迷ったあと、伸ばされた手が見える。その手が辿り着く前にノブを捻り扉を開けると、私は暗闇へと消える筈だった。

 

誰かが止めろと叫んだ。その声につられて動こうとした人達がいた。

 

「きゃっ」

 

それよりも早く、私は何かにぶつかる。

ドンッ、と強く頭から石のようなものへ、そんな衝撃が走り私は弾き飛ばされた。

尻餅をついて数秒、わけがわからず、明滅する視界の中に目を凝らす。するとそこには看護師の制服を着た見知らぬ人が同じく尻餅をついていた。

 

「いったたぁ――あっ、そうだ! 誠くんは!?」

 

ぶつかったことを気にしていないのか、目の前の看護師の制服姿の女性はキョロキョロと辺りを見回す。

それは、私が一番知りたいことだった。

その時の私は、両者ともに謝れる状況じゃなかったことを後に知るのだ。今の私にとってもぶつかったことはそれほど重要でもなく、私は呆然と目の前の女性を見つめるだけで、この人は誰なのだろうと気になってしまう。

 

「ママ!」

 

それよりも先に顔見知りの子が漁協の部屋へと、入ってくる。淡い栗のような色の髪色をして、その髪を腰よりも長く伸ばしている女の子。美空ちゃんだった。彼女が母親だと呼んだ人へと詰め寄り、

 

「もぉママってば、焦りすぎです。私達が焦ったところで何も変わらないんですよ」

 

「だ、だってぇ」

 

説教を始める。

 

「そうだよ美和。でも、あの子は僕が思っているよりも強い子だから安心して」

 

その少女の後ろだっただろうか。

懐かしく耳に残る声が聞こえた気がした。誰か知っている人のような気がした。男性の声。闇の奥から響いた声の主が姿を現した時、私の中でどくんと何かが脈打った。

 

「誠の……お父、さん…?」

 

あぁ、この感情は何だろうか。

ぐちゃぐちゃと私の中を駆け巡っていく。

この人は、誠を捨てた。

だから、何で捨てたのか聞くつもりだったのに。

私の中ではもっと黒い感情がいっぱいだった。

誠が眠って、この人が起きている、幸せそうな家族に囲まれている。どうしても許せない。どうせならこの人が眠っていれば良かったのに――!!

 

「どうして…今更…!」

 

「チサキちゃん……」

 

男の人が、長瀬誠哉がそう呼ぶと、似てそうで似ていない二人の影が重なり合った。

 

「気安く呼ばないでよっ! あれから誠はずっと一人だったのに、いまさら親の面してノコノコと現れて……」

 

これ以上の言葉は見つけられなかった。

静かに聞き届けると、誠の父親は淡々と告げる。

 

「違うんだよチサキちゃん。僕は誠に頼まれてここにいるんだ」

 

何処か慈しむように彼はそう言い、海へと視線を移していく。それから語られる、誠の親への願いに、私はずっと孤独感を覚えていた。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

暗闇の一室。遠い海を眺めながら私は独りで、胸の上で踊るアクセサリーを見つめた。

ロザリオと一般的に言われる、誠の大切な宝物の一つ。彼が存在した、存在していたことの証明。大切なはずのそれはおふねひきの前に私へと渡されていた。

何を思って渡したんだろう。ふと、そんな考えすらもどうでもいいやと思考の海に消す。

 

私の処遇は決まった。

まだ未成年の私を誠哉さん、美和さん、美空ちゃんの一家が引き取ってくれることになった。

それが『誠の初めて親を頼ったお願い』だと、苦笑いしながら教えてくれた。

 

あてがわれた一室で私は窓際に腰掛けながら海を見て、下を見つめ直す。もしここから飛び降りれば、皆と一緒だったあの頃へと戻れるんじゃないか。夢ならば覚めるんじゃないかと痛切に願う。

 

 

 

―――コン、コン。

 

 

 

部屋の扉を叩く音が響く。

続いて、幼げながら優しく綺麗な声が部屋の中へと届く。

 

「あの……チサキさん、入りますよ?」

 

一応の確認を無視していると部屋の扉が開く。そこからは案の定、美空ちゃんが顔を出していた。私の姿を確認するとほっと胸を撫で下ろして、部屋へと入り後ろ手に扉を締める。

 

…………。

 

お互いに無言だった。

そうしてタイミングを見計らうと、美空ちゃんはとんでもないことを言い出す。

 

「私、兄さんのことが好きです」

 

「……」

 

「家族としてではなく、男の人、異性の人として大好きです。愛してます」

 

「……え?」

 

つい首を、顔を美空ちゃんの方へと向けてしまった。

やっとこっちを向いたと、彼女はくすりと微笑み、さらに追い討ちをかけるように言った。

 

「チサキさんはどうなんですか?」

 

どう答えようか迷ったあと、私は自分の胸で輝くロザリオを見つめて、数秒、沈黙。

 

「……好きに決まってるよ」

 

そう声に出した途端、色々と溢れ出してしまう。

 

「好きだよ、愛してる。私は昔から誠のことをずっとそう想ってるもん。冷静で、沈着で、強くて、凄くて、優しくて、誠のどこも好きだった」

 

溺れているとわかってる。

でも、そんな執着ばかりの醜い愛を、私は捨てきれない。

 

 

 

けれど、私は――そんな愛を持ちながら、好きだと言いながら彼に寄り添えなかった。

 

 

 

私は見て見ぬフリをしてた。

 

「本当は最初っから気づいてた…! 誠のお父さんが実は家に帰ってないことも、誠が独りで生きていたことも全部。それを知っていて誰にも話さなくて、私は世話焼きのふりして言い寄って……それでつい感情的になっちゃって誠には『お前には関係ないだろ』って、言われて自分だけ傷ついたみたいに逃げ出して……本当はあそこで気づいて誠の手を掴んでいれば、抱き締めてれば良かったのにバカみたいっ」

 

あの時の後悔はきっと戻らない。でも、何かで埋め合わせをしなくちゃと慌てて、結局は何も出来ず誠なら一人でも大丈夫だと思い込んで……。

 

いまさら孤独を知って、後悔した。

誠の父親の厚意を蹴り、それでも美空ちゃんが食いついてきて、くらいついて離れなくて、結局は許せない誠の父親の家庭へと転がり込んで何をやってるんだと自分を責めたくなる。

こんなにも思ってくれることが温かいなんて、今まで気づきもしなかった。誠にあの日、嫌がってでも抱き締めていればと後悔した。

 

時は戻ってこない。過去は過去、今は今、未来は未来で、今は過去になり未来は今になっていく。

後悔だけが過ぎていく。

誠にもらったこのロザリオも、いつかは壊れて無くなってしまうんだろう。そう思うと、胸が痛くて死にたいくらい泣きそうになる。

 

「チサキさん」

 

ロザリオを握り締める私の手に、美空ちゃんが手を重ねた。

 

「知ってますか? この兄さんの大切な宝物の秘密」

 

「……え?」

 

驚いて離してしまった手から滑り落ちるように、美空ちゃんの手へと大切なものが零れ落ちていく。

それを抱き締めるように受け取った美空ちゃんは、瞳をとじて、またぎゅっと掻き抱き艶めかしく溜息を吐いた。

 

「兄さん自身から聞いた話です。このロザリオは兄さんのママが死んだ時、貰ったものです。これがお守りになってくれるようにと、母親のそんな一途な願いが込められていると聞きました」

 

それは知ってる話だった。

だから、私はここに一人無事なんだろうと、願いは叶ったのだとそのロザリオを見つめる。

そして、そんな私を見て、微笑みながら美空ちゃんは思い出を語るように呟いた。

 

「それだけじゃないんですよチサキさん。これにはもう一つだけお願いが込められているんです。兄さんはこれを世界で一番愛する人へ渡すことを、約束させられていたんです」

 

友愛。親愛。

そして、たったひとりに向ける――異性への愛。

恋慕の感情。

 

「――きっと兄さんは自分の気持ちに気づかずに渡したんだと思います。本能的に、チサキさんを誰かに盗られたくないから、印をつけておきたいから、そうしたんです。本当にばかな兄さんですよね。もっと早く、想いを伝えれば良かったのに」

 

泣き笑いのような笑顔を見せながら、美空ちゃんは手に持った宝物を返してくる。ロザリオを受け取りながら、私は再確認するように握りしめ、抱きしめた。

 

肌に冷たい銀の感触がした。

どこか、海よりも冷たくて、温かい。

そうして私の心のダムは決壊したのだ。

愛おしい感触と、寂しい感情。今すぐ逢って抱き締めて欲しくて、壊れるくらいの強さで存在を証明して欲しくて、その気持ちを本当かどうか確かめたくて。

私は泣く。

独りになってしまったことに。

子供のように泣きながら、似たような温もりを持つ女の子に抱き締められていた。

 




ifですね。
※しかし、この先、本編よりドロドロした人間関係が都合上出来上がっちゃいます。許容できない? ブラウザバックよろし。原作どこいった? さぁ、どこでしょう。


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Diary2 流されて、死にかけて

 

 

 

半月の時が流れ地上は様変わりを始めた。海水の温度は急激に降下をはじめ、漂流する氷がちらほらと見え始め、さらにはもうすぐで氷が海を覆い尽くすだろうと海洋学者は告げた。

寒冷化は進み、ぬくみ雪が降り積もる。

そんな世界のどこかの海の上に一つの影が大きな音を立てながら浮上する。

 

「まったく、この小僧は無茶苦茶にも程があるぞっ」

 

愚痴を言いながら水を滴らせる男の背中には、その男の背丈と同じくらいの少年が背負われている。身体中ボロボロの血だらけ、肌には氷が張り付き虫の息のまま、さらには顔色も悪く生気すら伺えない。

 

「わしが助けなければどうなっていたことか……」

 

と、独り言のように呟く男へと、微かに小さな声が返ってくる。

 

「…は、は。眠るのは嫌だったんでな。癪だけど、信じさせてもらった…」

 

「お主こういう時だけ神の片鱗を利用するとか罰当たりにも程があるぞ! じゃがな、誠。言っておくが起きていてもいいことはないし、ましてここは鷲大師でもない。というか死ぬぞ、その怪我では」

 

それから男の愚痴は加速する。

少年がいきなり水流に逆らうどころか沈みゆく柱へと体当りしたり、冷や冷やしながら怪我を凍らせたり、その反動からか眠りに落ちず少年が起きていたり。普通なら起きていられるケガでもないのに、痛みに顔をしかめるどころかケロッとしていたり。

 

「しかも、お主の所為で凍らせたあとに眠らせることもできなくなったではないか! わしの奇跡は無尽蔵ではないのだぞ? こっちも疲れとるのにこっちの身になれ!」

 

「知るか」

 

「怪我を治すのにも力を使ったが、完治まではいっとらんぞ。流石にそこまではねじ曲げられん。というかお主、わしが助けるという確信はあったのか?」

 

訝しげに問いただす男に少年は、苦笑い気味に口を開く。

 

「ないよ。でも、俺達は少なからず『意思』を『心』を分け与えられた、希望なんだろ。海神の消えた海の、海神の知りたいパンドラの匣そのものだ。あいつはずっと好きだった一人の女性を追っているだけ……だから、俺達という種族は消えないんだ」

 

「本当にお主はどこまで知っておるのか……わしとの意見の相違を是非、討論したいところじゃが、ふむ命拾いしたな」

 

ぽいっと乱雑に男が少年を放り投げた。

ドスン、ズキッ―――……。

 

「ぐぉっ、!?」

 

「わしはもう行くぞ。眠い上に誰かに姿を見られるのもかなわん。……ほっほ、えらい美人ではないか。よかったのう拾ってもらえるぞ」

 

言うなり、足元に転がる少年へと視線を向けるが返事をしないただの屍があるだけだ。

 

「聞こえておらんか。しかしまた羨ましいのぅ。見たところ胸は普通にある上に美人ときた。まぁ、せいぜい口説き落とすなりなんなりして親密な関係になるとよい。好きに乳繰りあえ」

 

「…お前、なぁ…ぶれないな」

 

荒い声で言葉を返す少年に驚くも、男は知らん顔して言葉を続ける。

 

「吉と出るか凶と出るか。何せお主は優しくて寂しがりじゃからの。求められたら断れん、よお海神様に似ておるわ」

 

今度こそ意識を失った少年を一瞥し、氷の上を足早に駆ける人影を見て薄く笑い目を瞑る。

その男だけが、もう一度海の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

空が赤く染まっている。学校からの帰り道、少女がふと海に視線を向けた。海は僅かに氷が浮きはじめ、煌びやかに反射する赤の光を纏った氷が、綺麗に輝く。

そんな中、不自然な漂流物が目に映った。肌色なのか赤褐色なのか夕焼けのせいでよくわからないが、何か人影のようなものが見えた気がした。

 

「なにあれ……?」

 

嫌な予感がする。倒れている人のようにも見えた。

近くで見たい。けれど、氷の上を歩くのは危険性を伴うためテレビなんかではよく注意をされていた。

どこかの偉い学者が言うには、三年後には氷の上を歩いても大丈夫になるだとか。

そんなのは、待っていられない。

 

「よいしょっと…わっ」

 

堤防を乗り越え、砂浜へと着地する。

その際にすっ転んでスカートなどが捲れる。

 

「いったぁーい」

 

幸い、人は近くにいないようでスカートの中は覗かれることはなく、少しの羞恥だけで済んだ。

なんでこんなことをしているのだろうか。

と、思う。痛い思いをして、ちょっぴり恥ずかしい思いもして、危険を伴い、興味を埋めにいくなど。

普段の自分ならありえない行為だ。少女自身、優しさは備えてはいるが、そういう話ではなく、実際、家でのストレスや日々のストレスが重なってこういうことをしたくなったのかもしれない。要は鬱憤を晴らすために善意ではなく興味で動いているのだ。

立ち上がり歩く。ただ、小さな興味のために。

そうしてやっと、その物体が何かわかる距離まで来た時、少女の顔から血の気が引いていった。

 

「うそ………大変っ!」

 

目標の漂流物は漂流物ではなく、漂流者だったのだ。血だらけで傷だらけのボロボロ、しかも見た目は自分とほぼ変わらない十代。男性。全裸。

急いで少女は駆け寄る。そうして、自然と仰向けに転がし、目にしてしまう。

 

「きゃあぁぁぁああ――っ!!」

 

なにあれ!? なにあれ!? なにあれ!?

なんか見ちゃいけないものを見た気がする。何はと言われれば答えられない。男性器的なあれ。エレファント。エクセレント。エレガント――っ、そうじゃなくて!

 

バチン、と手を一振りし横たわる少年の顔に少女は平手をかまし、

 

「うわぁあああ!? 違うの、違う、間違えたっ。ちょっと起きて起きて!」

 

盛大にパニックを起こす。

止めを刺してしまった。初めて見たグロテスクな物から目を逸らして、ゆさゆさと少年の肩を揺する。

この少女、実に生娘なのか箱入りなのか。耐性のなかった故の行動に自己嫌悪しながら必死に揺り起こした。

 

「うっ……っ…」

 

「良かったまだ生きてる!」

 

甲を制したのか人影の男は息を吹き返した。

取り敢えず、止めを刺していないことに安堵しながら脈を測る。正常。異常はない。それでもまだ危険にはかわりなかった。

少年の身体は深い傷が幾つもあり、氷が張り付き、触るとすぐにわかるほど体温が低下している。

 

「待ってて、すぐに病院に連れていってあげるから」

 

疲労困憊の少年の脇下へと身体を滑り込ませ、肩を貸し歩き出そうとするも、少年の方に力が入らないのか、そのままもつれこむようにして倒れ込んでしまう。

少女は押し倒される形で、少年は覆いかぶさり。

初めての体験に少女は顔を真っ赤にして、迫る男の顔に少しの間見蕩れる。

 

「あっ、ひゃっ……!」

 

顔立ちは良かった。何処かあどけない雰囲気はあるものの大人になる途中、男らしい顔つきになっているというのかそんな雰囲気が見て取れる。

そうして数秒固まりながらも、少女はバクバクと高鳴る音を耳に聞きながら、顔を逸らした。

 

好みのタイプだ。

 

押し倒された身体が密着している。少女の制服に隠れた豊満な胸が少年の胸板で押し潰され、細く綺麗な肢体は交互に絡み合い、ピンポイントで危ないところを刺激していた。

思わず甘い吐息が漏れるも、少女は頭をぶんぶんと振り思考をクリアにさせる。

 

「お願い、待ってて!」

 

声に呼応するように少女の身体から、少年が重たい身体を持ち上げる。その隙間を縫うように少女が這いずりでると少年は力尽き、意識を手放す。

その様子に少女は慌てて陸へと走り出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

白い天井が視界に映り込む。消毒液の香りと何やら謎の甘い香りが嗅覚を刺激する。次に聴覚が小鳥の囀りと柔らかな寝息を捉えた。

重い体を無理やり起こすことで、その寝息の主を捉える。ベッドの傍らにその女性は椅子に座り、俺の眠っていたベッドを枕にすると眠りこけていた。

 

「ここは……」

 

どうやら天国ではないようだ。地獄でもない。

女性に全てを聞きたい衝動に駆られるも、寝ているのだから寝かせておいた方がいいと、感情を抑え込む。

きっと助けてくれたのはこの女性なのだろう。清潔感溢れる私服に身を包んだ女性は、まるで天使のようで、

 

「……やっぱり天国か」

 

そう思った瞬間、冗談気味に笑ってみた。

そうしなければ、なんとなくやりきれないような気がした。生きているのも不思議だ。結構な重傷を負っていたはずなのだから、死んでもおかしくない。その傷といえば包帯でぐるぐる巻にされ僅かに染みた血痕が、白いキャンバスに赤い絵の具を塗っているようにも見えた。

 

「そうね。むしろ出てきた時は地獄から這い出てきた変態かと思ったけど」

 

不意に足下から声がした。視線を移すとさっきの寝ていた女性が同じ体勢のまま、目をぱっちりと開け、視線が合うとゆっくりと起き上がる。

 

「おはよう。ふわぁぁ……」

 

「あっ、おはようございます」

 

欠伸をしながら両手を天井へと伸ばす女性は、高校生くらいだろうか。堅苦しい挨拶をする俺に笑いかけると、

 

「敬語禁止♪」

 

楽しそうに弾んだ声で、そう言った。続け様に愚痴を言うような口調で、心配していたのかほっと息をつくと、早口にまくし立てるのだ。

 

「本当にびっくりしたんだからね。海の氷の上に倒れてるし、全身傷だらけだし、死にかけてる上に傷の所々が凍ってるからで」

 

「……すみませんでした」

 

「それに押し倒されるし」

 

「重ね重ね申し訳ありませんでした」

 

「挙句、唇奪われた上に襲われるし」

 

「……っ」

 

最後のはもう謝って済むならいいのだが、謝る方法すら見当もつかない。いやそれで事態の収拾を図れというのも無理な話だ。

しかし、彼女はくすりと口元に笑みを浮かべると、腹を抱えて笑い出す。

 

「あははははっ! 最後のは嘘よ嘘。人は生存本能に真っ当だとしても、あんなボロボロのボロ雑巾じゃ何もできないもの」

 

「……心臓に悪い冗談を言わないでください」

 

「だって、こっちだって大変だったのよ? 私の制服は血で染まるし近所の人には変な目で見られるし。これだけじゃ足りないわ」

 

「……いや、本当にすみません」

 

再三謝る俺を見て彼女は笑顔でまたクスリと笑う。

自己紹介を始めたのは、彼女からだった。

 

「まぁ、それはそれとして。わたしは桐宮燕。あなたの名前を教えてくれないかしら?」

 

「俺は誠です。長瀬誠」

 

自己紹介を軽く終えたところで彼女からの質問はこうだった。

何処から来たのか。

何故海から出てきたのか。

年齢はいくつか(中学生ということには驚いていた)。

海の中はどうなっているか。

 

それに引換えて、こちらが聞いたのはこうだった。

 

ここは何処か。

何年何日の何曜日か。

陸はどうなっているか。

最近のニュース。

 

ここは桐宮病院。大きな市にある有名なもので、俺自身も聞いたことがある名前だ。

お船引から数週間、新学期まであと二週間程。

今や海は凍りつき、地上ではぬくみ雪が降り始めた。

気温変化でいっぱいらしい。オカルト的なことが流行っているとか。

 

「ふーん……私のことは何も聞かないんだぁ?」

 

何やら寒気を感じる口調で燕さんは黒い笑顔を向けてくる。けれど、まぁいいか、と続けて、それよりもお願い事があるの。と言う。

 

「……俺に出来ることであれば、何でもしますけど」

 

流石に、拾ってもらった上に何もしないとは言えず、提案を受け入れる。

パッと彼女は笑顔を輝かせると、手を叩き合わせる。

 

「良かった…! 実はね」

 

もったいぶるようにそこで切ると、真剣な目で俺を見つめてこう言った。

 

「婚約者になって欲しいの!」

 

 

 

 

 

要約すると、こういうことらしい。最近、桐宮病院の跡継ぎとして縁談をいくつも用意されているらしく、その縁談は相手方にとっては非常に好条件であるのだが、どうも燕さん自身の気に入る人間というものが現れないだとか。

本当なら、自分で恋をして、寄り添う人を見つけたい。そのために時間が欲しいと彼女は語る。

 

“偽の婚約者”

 

彼女が求めているのは、ダミーだ。時間稼ぎに嫁ぐ相手を後腐れなく協力してくれる人間に決め、そこに俺はタイミングよく現れたようだ。

鷲大師に帰るまで療養と、時間がある。少しだけチサキに心配は掛けてしまうものの、新学期までに帰ればいい。婚約者を演じるにしても、鷲大師に帰ったところで問題は無いらしい。むしろ、バレる可能性も低くなる。

 

「じゃあ、いきなりだけど――」

 

「あら、お目覚めになったのね。燕、起きたらすぐにナースコールで呼ぶように、と伝えたはずだけど?」

 

燕さんの言葉を遮るようにして、唯一無二の扉が開き、一人の女性が入ってくる。茶髪を一括りにしたポニーテールの女医。白衣を纏う姿は自然感があり、ヒールの音がカツカツと床を鳴らす。

 

「いいじゃない。私の婚約者だもん。少しくらい話してたって」

 

「婚約者……?」

 

早速、言い訳として使われた“偽の婚約者”。

いったい、この人は誰だろうか――いや、一度だけ雑誌で見たことがある。確か、桐宮病院でも有名な女医であり院長と結婚した“桐宮鷹乃”と呼ばれる天才だ。

そのもう片方、院長の方も凄腕の医者として名を馳せている、故に燕さんはある意味ハイブリッドと言っても過言ではないほどに一家して医者の血を継いでいる。

 

「へー……なるほど。婚約者ねぇ? 初めまして、燕の母親の――」

 

「桐宮鷹乃さんですよね。俺は長瀬誠といいます」

 

品定めするような目つきで、彼女はボードを手に包帯の状態を見ていく。顔を見ると一瞬睨みつけたり、鋭い視線を何度か浴びせると納得したように頷き、

 

「燕とはどこまでいったの? A・B・C?」

 

とんでもない親らしからぬ爆弾を落とした。

 

「ちょっとお母様。ど、どこまでいったって」

 

顔を赤らめてわたわたと慌てる燕さんはこういうことに慣れていないらしく、シューシューと湯気を吹き出すように顔には熱を帯びていく。

 

「不思議も何もないわよ? この年頃の男の子は性に貪欲なんだから。まさか、キスもまだなの? そんなことしてると逃げられるわよ」

 

「し、したわキスよね。したに決まってるじゃない。ラブラブなんだから!」

 

怪訝な顔の鷹乃さんが、一瞬、燕さんを睨む。

 

「嘘おっしゃい。そんなのでキスできるわけないじゃない。まさか、婚約者の話も――」

 

流石にここまで言われると、黙ってはいられなかった。このままバレてもこちらとしては痛手にならないのだが、そこは救ってもらった恩があるとして、口を開く。

 

「――俺からしたんです。不意打ちで」

 

「ふーん……他には?」

 

「彼女を(血で)汚しました」

 

嘘はついてない。これには鷹乃さんも驚いたようで眼をむいて、しかしすぐに冷静になる。

 

「随分と大胆な告白をするのね」

 

カルテに目を通し、怒るわけでもなく娘へと視線を一瞥する。燕さんは睨めつけられるような視線にうっと息を漏らし、恥ずかしげに目を逸らした。

迫真の演技だった。

いきなりの彼から親への性事情の告白に、戸惑う少女。題目は恋愛観溢れる青春ドラマだろうか。

 

「まぁいいわ。あなたがその気なら私からも打診してあげる。好きに恋なさい」

 

カルテを一通り書き終えたのか、立ち上がる鷹乃さんは最後にベッドへと身を傾け、俺の耳元に囁く。

 

「燕をよろしくね。偽の恋人さん?」

 

ヒールの音を鳴らしながら、彼女は扉から出ていく。その扉に手をかけた。開けようとしたところで、俺は最後に一つだけ聞きたいことを質問する。

 

「どうしてわかったんですか」

 

「医者を舐めないでちょうだい。それに、私は母親よ? あとは女の勘かしら。まぁ、夫の方は自分らでどうにかなさい」

 

今度こそ、病室から出ていく。

名医はある意味強者だった。

ほっと息を吐く勘違い娘を余所に、深い溜息を吐いた。

 

 




本編の使い回し? IFルートですもの。
ともあれ、ネタバレるとドロドロ事件の回避ルートです。
平和に生きます。修羅場はします。
でも、波乱万丈な人生からは抜けられないようです。



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Diary3 愛の揺籃

1ヶ月以上空いていたのでなんとなしに投稿。


 

 

世界の色は一変する。

私が見てきた色鮮やかな世界は既に、空虚と虚像と虚無が埋め尽くしてしまった。いつしか“あの人”が好きだった世界は私にとって何でもない、言うなれば、どうでもいい現実へと書き換わっていく。彼と見た景色は非常に色褪せ灰色が映るばかり。彼の見えていた世界は既に、私の目と心では感じられない。

 

歯車が動くように私も生活を続ける。

ループしてループしてループして、何度も既視感と同じ動作を繰り返し、生きていく。

しかし、歯車の欠けた私には以前と同じ動作も行動もとることは出来なかった。壊れた玩具が狂い始めるように私の心も壊れてしまったから。それにつられて私という世界の構築されている歯車も連動するように異常をきたし、自壊してゆく。

 

私に優しくしてくれる人はみんなそうだ。

同情する。何もわからないくせに……。

一夜にして全てを失った気持ちなんて誰にもわからないくせに。

 

夜になると、夢を見る。

昔の記憶。一番楽しかった思い出。一番私の心がときめいたとき。そして、最低な夢。

誠がお母さんを失って数年。お父さんが出ていって何ヶ月経過した……でも、これだけははっきり言えた。美海ちゃんのお母さんが死んだあと、実は知っていた。誠が独りぼっちになっていたことを。

私だけしか知らない事実。それを利用して誠と二人きりなんて通いつめて、それが嬉しくてたまらなくて。誠を独り占め出来ることが最高に気持ち良くて……。

そこで、自分と照らし合わせて気づいた時に夢が覚める。

 

――私は最低だった。

 

 

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

 

 

目が覚めるともう見慣れた光景が視界に入る。誠が使うはずだった部屋の天井。シミ一つない清潔で簡素な部屋。誠が使うことを想定してか医学系の文学書がずらりと並ぶ本棚。使い勝手の良さそうなデスク。それに合わせたデザインの椅子。何の用途か配置されたソファー。最新型のテレビ。パソコン。

 

誠が使うはずだったベッドの温もりに少しだけ誠の影を感じながら、彼が使っていないはずのベッドに誠の影を覚えて私は起き上がる。

時刻は――6:30。

時計が差す時間、もう起きないと学校に遅れる。

今日は始業式だから、昨日みたいにベッドの中に身を縮めて時を忘れて眠るなんて出来やしない。まずは階段を下りて洗面所に行き、顔を洗う。部屋に戻ってパジャマを制服に着替える。汐鹿生の学校の制服に身を通してから、壁に掛けてある鷲大師の制服をちらりと見た。

あぁ……あれは、誠のお父さんが私にと買ったものだ。誠に勝手ながら少しでも忘れられるようにと、配慮した結果なのだろう。そんな厚意すらも私には、余計に思える。

 

階段を下りてリビングへ。

すると、もうそこには美和さんと美空ちゃん、誠哉さんが食卓へとついていた。重なる情景に頭を振ることで無理やり思考から追い出すも、気分が悪くなる一方で、なおさら余計に不機嫌になる。

 

「……おはようございます」

 

「おはようございます、チサキさん」

 

「おはよう、チサキちゃん」

 

「待ってて、すぐ用意するから」

 

テーブルに着くと美和さんが朝食を全て運び終える。その光景から目を逸らした先には、瞳を覗き込むようにして私を見ている美空ちゃんがいた。

 

「今日は起きてきたんですね。起きなかったら、私が起こしに行っちゃうところでした」

 

「…うん」

 

「顔色が悪いですよ。どうしたんですか?」

 

目敏く私の様子に気づいた美空ちゃんは額を当てて熱を計るような仕草をする。誠の影がまた重なる。私は思わず身を仰け反り、椅子を引く。

 

「ううん……少しだけ、気分が悪いだけだから」

 

寝覚めは決まって悪い。

あの日、全部を失ってから――。

たいしたことでもないと虚勢を張る私に美空ちゃんは気にしながらも納得してくれたようだ。

出された朝食を気が進まないまでも半分食べ、私は席を立つ。学校のカバンを手に玄関へと向かう。

 

「あれ? もうそんな時間だっけ」

 

「……少しだけ、寄り道したいですから」

 

不思議そうに首を傾げる美和さんのいってらっしゃいを背に、早めに家を出た。

 

 

 

 

 

息苦しさから開放された私は海沿いの道を歩いていた。あの家にいると息苦しさと心に来る重苦しさで押し潰されそうだったから。

サヤマートを通り過ぎて、海を見渡せる歩道に向かう。そこから全てを失った“あの場所”――造船所の脇に辿り着くと海にもっとも近く、海のほとんどを見渡せる二階へと上った。

 

「あっ……」

 

あの頃の景色はもう見ることは無いのだろうか。

開いた窓から、凍りつく海が見える。流氷と海水と氷の地面が海を覆っている。その景色に私は胸からくる激情で声を出せなくなり、口を抑える。

 

「なんで…私だけ…!」

 

目の奥からくる熱を抑えながら、畳の上に転がる。

私もあの向こうにいたかった。温かいベッドで深い眠りについて、寝坊する私に誠が起こしに来る。もしくは、私が誠を起こしに行く。

 

――そんな未来が見たかった。

 

最愛の人に寝起きにキスされて、そのまま二人で眠りにつくのもいい。ただ一緒にいたい。そのまま雰囲気に酔って身を任せるのも……。

 

一通り泣いた後で、私は身をゆっくりと起こした。

誠の海の家から勝手に持ってきた腕時計。時刻を確認して着衣を正す。乱れた制服をシワのないように戻すと、腕時計をカバンに入れて立ち上がる。

部屋を出て階下に降りようとした時だった。

階段を小走りに駆け降りようとする音が聞こえて、私は反射的に名を呼ぶ。

 

「美空ちゃん」

 

「っ――!?」

 

階段に続く通路から、見慣れた幼くも綺麗で可愛い顔が恐る恐る覗き込んできた。

 

「えへへ……バレちゃいました?」

 

「こんなことするの、誠か美空ちゃんくらいだもん。でも誠なら声を掛けるから、美空ちゃんだろうって。やっぱり兄妹なんだね……」

 

「兄さんのことなんでも知ってるんですね」

 

「だって、幼馴染で大切な人だから……」

 

隠すこともないのでそう告げると、苦笑する美空ちゃんが申し訳程度に、

 

「私に兄さんのこといっぱい教えてください。学校に行く道すがらでいいので」

 

話題をふってきた。

仕方なく頷くと階段を降りる。造船所を後にして歩道に出たところで、静かについてきた美空ちゃんが口を開いた。

 

「兄さんって……すごいですよね」

 

「……うん」

 

心なく返事をしたところで、美空ちゃんは訊いていると理解したのか話を続けた。

 

「誰にもできないことをやってのけて、周りにも気配りができて勉強もできて運動もできて、容姿端麗でかっこいい上に優しくて……傍にいたら安心させてくれるし、傍にいたいと想わせてきちゃうんですから」

 

でもその実、と美空ちゃんは繋げる。

 

「自由奔放で自分のことには少しルーズで、誰かとの約束だけはちゃんと守るんです」

 

それはそう。

まるで、

 

「自分がどうなろうと構わないみたいな」

 

そんな危うさを持っている。

と、私は思わず口を開いた。

昔、塞ぎ込んでいた時も誠は食事に手をつける気すらなかった。世話をしないと食事すらろくに取らなかった。それくらい勉強に没頭していた。むしろ取り憑かれたと言ってもいいくらいに彼は自分の身を削っていた。

 

不意についた私の言葉に、美空ちゃんは首をかしげた。笑顔のまま私を見上げる。

だから、と私の言葉は気にした様子もないように彼女は言葉を続けた。

 

「兄さんは神様に抗っても……約束を守りますよ」

 

それだけ言うと美空ちゃんは小学校への別れ道へと小走りに去っていった。

 

 

 

 

 

十分くらい歩いた。学校への道のりは遠く、足は重く感じる。一分一秒が何時間にも感じられる。まばらに増えてきた同じ学校へ登校する人たちも足早に向かっているのに、どんどん追い抜かされてゆく。

 

私はどうしてこんなことをしているんだろう。

 

ふと思い立ち止まる。

そんな時、後ろからドンッと背中を叩かれる。

 

「よぉ! 比良平」

 

「おっす。比良平」

 

狭山くんと江川くんだった。あいも変わらず何かを企んでそうな笑みを浮かべる二人は連んでいるようだ。

不機嫌さを顔に表しながら、私は二人を睨みつける。

 

「……セクハラ」

 

「辛辣っ!?」

 

「くそっ、ボディタッチがセクハラ扱いとは俺達は手を握っただけで犯罪者じゃないかっ」

 

悲観に暮れる雄叫びを上げながら、狭山くんはちらりと視線を泳がせて、私の胸元を見る。

 

「変態」

 

さっと胸を隠すと今度は太ももに視線が向けられる。いったいこの行動のどこに変態ではないと言い切れる自信があるのだろうか。

悪びれた様子もなく、江川くんは相づちを打つ。

 

「仕方のないことなんだよ。男にとって……エロスは必要不可欠なんだ!」

 

「そう。誰だって可愛い女の子がいれば少しくらいはあんな期待をしちゃうんだ。人類にとっては子孫繁栄のため仕方ないことなのだ」

 

「……確かに誠も言ってたけど、私が好きなのは誠だから」

 

力説する二人をばっさり切って捨てる。

こんな人達放っておこうと立ち去ろうとする背中に、二人は小さく呟いた。

 

「……本当に一途だよな」

 

「まぁ、良かったんじゃね? あれから元気なかったし」

 

「だよな。まぁ、本当にそういうことしたら誠に殺されるじゃすまねぇや」

 

「だな」

 

風の音と周りの話す声に、霞んだ声は聞き取れなかった。

 

 

 

□■□

 

 

 

教室に入ると大多数の生徒は既に教室にいた。見慣れたクラスメイトの顔が私の方を向く。様々に表情を変えると私を認識してもの悲しげな表情になる。

 

「お、おはよう、チサキちゃん」

 

クラスメイトの一人の女子が会話をやめて、私に声をかけてくる。

 

「…おはよう」

 

「……えっと、最近寒くなってきたよね」

 

「別に気を使わなくていいから」

 

気を使われているのがわかった。余計に惨めだ。

いつも通り一人の席に座りながらカバンを下ろして、会話を蹴ると机に突っ伏する。

そんな私の前に、影が差す。それだけ確認すると頭を上げることもなく目を閉じる。私の態度に腹が立ったのか目の前の影は鼻息荒く、

 

「……お前、わかってる?」

 

憤慨したように怒気を孕ませた声で唸った。

 

「…何が?」

 

本気でわからないという私に影はついに爆発した。

 

「だからお前が暗いせいで教室の空気まで重くなってんだよ! 別にそれは構わねぇけど、さっきのにも言い方ってもんがあるだろ!」

 

「ちょっ、近藤くん……っ!?」

 

「うるさい黙ってろよ! だいたい死んだわけでもねぇのにうじうじして抱え込んで――」

 

反射的に椅子を立ち上がった。

椅子が反動で傾き、倒れる。ガンっという木材と鉄の独特な音を聞きながら私は怒鳴る。

 

「――あなたに何がわかるの!!」

 

一瞬、雲行きを見守っていたクラスメイト達の顔がひきつり焦りを見せる。心配そうな顔、驚愕に満ちた顔、何が起こったと不思議そうな顔、それを横目に私は歯を噛み締める。口を開けてあらん限りの声で叫ぶ。

 

「一日で私は全部失った、幼馴染も家族も全部! 独りきりになってどうしたらいいかわからなくて、部屋にこもってひたすら考えてもまだわかんなくて……っ」

 

机の上に置いてあったカバンを引っ掴み、影であった目の前の男子生徒に投げつけた。予想外だったのかこめかみに避ける間もなくヒットする。その拍子にバラバラと中身が零れ落ちて机と床に散乱した。

 

「大切な人も消えちゃって――」

 

手当り次第に投げ捨てる。

拾ったものを、目の前の男子生徒へ。

呆気にとられた男子生徒は抵抗もなく、飛んでくるものを手で防ぐだけで。

 

硬く冷たい金属質な何かを掴んだ瞬間、手に痛みが走る。尖った刃物が自分の手のひらを刺しているのがわかっても、今の私の頭では正常な判断を下すことは出来なかった。

 

再度、振り上げる。

クラスメイト達の驚愕した顔が、唖然、騒然としたものに変わっていく。

ただ、木原くんの顔だけは無表情なままで……。

少しだけ、口元を歪めて笑うのがわかった。

なにがおかしいのか。普段は表情一つ変えない木原くんの態度に私の頭に血が上り、手の中の武器を投げようとしたところで――。

 

パシリ、と手を優しく包み込まれ止められた。

刃物で傷つかないようにゆっくりと解かれる。そのあいだ無機質な金属は私の手を傷めなかった。アドレナリンや等々の成分もあるのだろう。興奮状態の私の頭に鎮静剤のような声が耳元から響く。

 

 

 

「――ダメだよ、チサキ」

 

 

 

懐かしい優しく子供を叱りつけるような声。後ろから抱きしめられ、体温が伝達する。

私の首に回された腕は少し傷だらけで、見慣れた傷もあった。朧げな映像が、光景が、フラッシュバックする。前にもこんなふうにあの人に抱きしめられたと。

 

振り向けば、壊れてしまいそうな。

消えてしまいそうな夢現に私は振り向けなくて、夢なら覚めて欲しくなくて。

でも、顔を見たくて、切なくて……涙が溢れ出てくる。顔を上げられない。身体が動かない。動けない私にここにいるよと安心させるように左手を握る男の人の手。少しだけ固くて温かい感触が、私を正面から抱きしめた。

 

「……ま、こと…?」

 

「他に誰がいるんだよ。あー、もうほら切れてる。鋏の刃先を手で握るから……せっかく綺麗なのに」

 

不意に顔を見あげた。

大好きな人の顔は優しい笑みを浮かべて、視線はさっきまで鋏を握っていた手のひらに向けられている。私の視線に気づくと誠は微笑み返して頭を撫でてくれた。

 

私の心のダムはここで決壊する。

 

「ひっく…ふぇ…ぐすっ……うわあぁぁぁん!」

 

「……もう消えたりしないから。独りにしないから。好きなだけ泣け」

 

優しく受け止めて、抱きとめて、幼子をあやすように誠は声をかけてくれる。私は必死でそんな誠の胸元にしがみつき、嗚咽を漏らして泣く。

そうして泣ききった私は大好きな人の腕の中で、泣き疲れた子供のように眠りに落ちた。

 

 

 




美海ルートはエンドを決めてからもう一度入る予定です。


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