演じざかりのエトセトラ (ナカイユウ)
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1幕 静流の休日
1.墓参り






 私はみんなが知っている“普通”を知らない。なぜなら私は生まれた時から、“女優”になるためだけにずっと育てられてきたから。“女優になりたい”とか、“女優になりなさい”とか、そういうことじゃない。気が付くと私は、“女優”になっていた。

 

 いや、生まれる前から私は、“女優”になる“運命(こと)”が決まっていた。

 

 

 

 “『静流・・・役者は自分に嘘をついてしまったら、その瞬間に終わりなのよ・・・』

 

 

 

 だから“普通の世界”を知らない私は、どんなに足掻いても“彼ら”のようにはなれない。

 

 

 

 でも、“それ”でいい。“それ”に想い焦がれ“それ”に抗い続けることが、私にとって牧静流(女優)で在り続けるための原動力(血液)になるのだから・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 2000年3月18日_12時05分_北鎌倉_

 

 「ここに来るのは久しぶりね、静流」

 「うん、去年は仕事が入っちゃって一度もお墓参りに行けなかったから」

 

 春のお彼岸。綺麗に晴れ渡った空の下、北鎌倉の駅からすぐのところにそびえ立つように構える円覚寺の階段を、お供え物の仏花(ぶっか)を片手に持ちながら3段先を歩く斜め前のママと共に“おばあちゃんが眠っている場所”へと向かうために上っていく。

 

 私がこうして花を片手にここに来たのは、一昨年の秋のお彼岸以来だから1年と半年ぶりになる。

 

 「それも“人気女優”になった証ね、静流?」

 

 階段を上った先にそびえ立つ総門のところでママは私のほうへと振り返り、静かに微笑む。

 

 「普通のことでしょ?ママ

 

 そんなママの微笑みに、私は感情という感情を極限まで押し殺した“笑み”で答える。

 

 「・・・その心意気を忘れないことよ静流・・・いまの言葉で“浮かれてしまう”ような女優(やくしゃ)は、いつまで経っても二流のまま終わるでしょうから

 

 そしてママは私の“無感情”に、静かに“歓喜”する。

 

 「ひとまず、今日も真波さんに顔向けができるわね」

 「・・・・・・そうだね」

 

 

 

 この人が私のママ、一ノ瀬真純(いちのせますみ)。私が生まれるほんの少し前まで“元永(もとなが)ますみ”という名前で女優をしていた。女優だった頃には数々の映画やドラマで主演や準主演を張り、アカデミー賞で優秀助演女優賞も獲ったことのある“まあまあ名の知れた”女優だったけど、私が生まれた時には芸能界から距離を置いた元芸能人になっていて、私が芸能界に入った2歳の時にはすっかり“過去の女優(ひと)”になっていた。

 

 私はママ(この人)によって、“女優・牧静流(まきしずる)”としてずっと育てられてきた。

 

 

 

 

 

 

 “女優として“真美さん”と肩を並べ、行く行くは“真波さん”をも超える存在になれ

 

 

 

 物心がついた頃から、私はママから女優になるための“英才教育”を受けていた。パパが舞台監督として家庭を顧みず家を留守にして年中公演で日本全国を飛び回るような生活を送っていたのも、それに拍車をかけた。

 

 ちなみにお彼岸の今日も、パパは舞台の仕事で大阪に行っている。

 

 “『今日からあなたの名前は、“牧静流(まきしずる)”よ』”

 

 最初に入った児童劇団へ入団する日の朝に、ママから言われた言葉。これが私の頭の中にある一番古い記憶。そう、私には本名の“一ノ瀬静流(いちのせしずる)”という名前だけで生きた記憶が、全くない。

 

 ママは15歳。おばあちゃんは14歳。子役時代から活躍していた私の伯母にあたる“あの人”ですら、8歳までは傍から見ればただ女優さんに憧れている“普通の女の子”だったというのに。

 

 “『あめんぼあかいなアイウエオ!うきもにこえびもおよいでる!かきのきくりのきカキクケコ!』”

 

 こうしてママの伝手で業界内では名門と呼ばれていた児童劇団に2歳で入団した私は人気子役、やがては一人前の女優として羽ばたいていくために稽古漬けの日々を過ごした。挨拶や礼儀作法はもちろん、五十音に喜怒哀楽、果ては外郎売と基礎から応用まで芝居をする上で必要な稽古(こと)は小学校に上がるまでに全部やった。

 

 “『誰が頬を痛ませろと言ったの?もっと普通に笑いなさい、静流』”

 

 そして家に帰れば、元女優のママからの英才教育という名の自主稽古が待っていた。劇団で団員(私たち)を教えていた先生たち以上にママの指導は厳しかったが、それはそう遠くないうちに成果として現れ始め、小学校に上がる頃には私は“天才子役”として周囲の大人達からチヤホヤされるようになっていた。

 

 

 

 芝居や稽古のことを考えていない日なんて、一日足りともなかった。

 

 

 

 “『静流ちゃんってさ・・・何か怖いよね・・・』”

 

 2歳からずっと牧静流として“芸能界”で生きてきた私には、一ノ瀬静流として“普通の世界”で“普通に生きる”なんて真似は無理だった。芸能人やその周りの大人達に囲まれた世界しか知らないから、どうやって“普通の小学生”と接していいのか分からなかった。

 

 その時には既に私は子役としてお茶の間に名が知られ始めていたことが幸いしてか虐めには遭わなかった。だけど季節が変わるにつれて私はどんどん独りになっていった。

 

 これが牧静流として生きるための代償だとしたらどうってことはないけれど、私にとって学校という閉鎖的な空間の中で一ノ瀬静流として生きている時間は、“この世の中で一番生きづらく退屈な瞬間”として深く心に刻まれた。

 

 

 

 “でもいいんだ。私の生きている世界は、“芸能界”なんだから

 

 

 

 それでもカメラの前で与えられた役を演じる瞬間だけは“普通の世界”の人たちに囲まれる生きづらさから解放され、全てを忘れられた。他人(うそ)の人生を生きる喜びに魅せられながら別人を体験することが、何よりの至福だった。

 

 “『牧には負けてられないな』”

 “『次のドラマ、がんばれよ。静流』”

 

 それに私には同じ生き方を選んだ戦友(ライバル)と友達の2人がいたから、芸能界(この世界)で寂しい思いをしたことは一度もなかった。

 

 もちろん自分がとうとう到達できなかった“女優としての高み”にどうしても立たせたかったママは、誰よりも私の活躍を喜んでいた。まだ何も知らなかったあの頃の私は滅多に感情を表に出さないママの静かな微笑みを見るたびにもっとママを喜ばせようと、“芝居の世界”により一層のめり込んでいった。

 

 

 

 “『あなたは織戸先生の映画で星アリサの演じる役の幼少期を演じるという大役を任されるチャンスを与えられた。仮に子供時代とはいえ主演(アリサちゃん)の幼少期を演じることになればあなたにとって大きな“財産”になるわ。“子役”としてではなく“女優”として臨みなさい。静流』”

 

 

 

 転機は8歳の終わり際、巨匠として知られる織戸幸比古(おりどゆきひこ)監督が10年の構想を経たという大作映画のオーディションのオファーが来た時のこと。

 

 “『ねぇ・・・お願い・・・置いていかないで・・・』”

 

 オーディション当日の演技審査。私は1時間前に渡された台本を元に、両親を不慮の事故で失い色んな場所をたらい回しにされる女の子をいつもの()り方で演じた。途中で審査員でもある監督の織戸先生からも直々に演技への助言(フィードバック)を貰うなど、オーディション自体は特に波乱はなくほぼ順調に終わった。

 

 でもどういう訳か、自分の全てを出し切って残ったものはいつもの達成感ではなく自分の中にある理想を演じ切る前に終わってしまった不完全燃焼のようなモヤモヤした気持ちだった。

 

 

 

 “『・・・及第点だな。近頃の“子役”にしちゃ上出来だ』”

 

 

 

 全ての審査を終えた織戸先生が私に言ったこの言葉が、全てを物語っていた。

 

 監督の織戸先生は最後まで私を“女優”として認めてくれなかった。ママの言う通り“女優”として挑んだはずなのに、その覚悟はいとも容易く打ち砕かれた。そして私は、自分の実力がまだ“女優に値しない”程度だったというどうすることもできない事実に打ちのめされた。

 

 最終的に織戸先生が下した決断は、“適任者なし”。すなわち主演(星アリサ)の幼少期を演じられる“女優”は誰もいなかったということだった。

 

 

 

 結局その映画で、アリサさんの演じる役の幼少期が直接的に映されることもなかった。

 

 

 

 私は初めて心の底から悔しくなった。今まで積み重ねて来た努力(モノ)が全部無駄にされた気がして、心の底から悲しくなった。

 

 芝居が全てだと信じて疑わずに生きてきた自分の人生そのものを否定された気がして、どうしていいか分からなくなった。

 

 “『もうわかんないよ!!』”

 

 オーディションを受けた日の夜、私は感情を抑えきれずに生まれて初めてママに感情を爆発させた。どのタイミングで感情が爆発したのか、あの瞬間に私がどんなことを言ったのかはあんまり覚えていない。

 

 けれどもいつもなら口ごたえをしようものならすぐにキツく叱ってくるはずのママがやり場のない気持ちを泣き喚く私のことを無言で見つめていたことだけは、今でもはっきり覚えている。

 

 “『静流・・・』”

 

 そんな私に、ママはどうして私を女優として育ててきたのかを始めて打ち明けた。

 

 

 

 “女優として“真美さん”と肩を並べ、行く行くは“真波さん”をも超える存在になれ

 

 

 

 ママの口から語られたのは、自分は生まれた時から真美さんとありとあらゆることで競わされるように育てられてきたが、8歳の時に“薬師寺家に女優(こども)は2人もいらない”と真波さんから捨てられたこと。その後は自分には女優になる資格はないと一度は夢を諦めたが、薬師寺真波の娘として順風満帆に女優として活躍していた真美さんの姿を見て再度奮起し芸能界入りを果たし自分も女優として一定の成功を収めたが、どんなに追いつこうともがいても自分は真波さんから“女優として認められた”真美さんの足元にも及ばないことを思い知らされ挫折したこと。

 

 そして自分を捨てた真波さんから認めてもらえるために自分を捨てた“薬師寺家”への復讐も兼ねて、自分がとうとう叶えられなかった“女優としての高み”に立つという野望(ゆめ)を私に託したということ。

 

 “『・・・・・・なにそれ』”

 

 ママがどれだけ辛い思いをしてきたのかは、ママと“薬師寺家”との関係を子供心ながらに知っていた私にはすぐに理解が出来た。ママはあくまで私に愛情を持って育ててきたことも分かっていた。

 

 でも、これじゃあまるで私はママの私欲のためだけに動かされてる “操り人形(言いなり)”も同然だった。幾らそこに“愛情”があったとしても、そんな現実は耐えられなかった。

 

 “『・・・・・・ママなんか・・・大っ嫌い』”

 

 この後、自分でも把握しきれないほどの色んな感情に一遍に襲われた私はそのまま涙が枯れるまで一晩中泣いた。

 

 

 

 あの日が、今のところ私が演技以外で涙を流した最後の日だ。

 

 

 

 

 

 「毎度毎度、お供え物の数がすごいわね」

 

 空を覆い尽くすような樹木に囲まれながら弁天堂へと続く遊歩道の階段を上り、私とママは洪鐘のすぐ傍にある“おばあちゃんのお墓”に着いた。

 

 「お彼岸の初日でこれだから、きっとここからどんどん増えていくよ」

 「そうでしょうね。なにせ今年は真波さん(あなた)が逝去されて25年の節目ですからね」

 

 今日は3月18日。お彼岸もまだ初日だというのに、既におばあちゃんのお墓にはお供え物のお花やお菓子などが墓石を覆い囲むように置かれている。この場所に訪れた時には必ずと言っていいほど見てきた光景。

 

 いや、亡くなってから25年が経とうとしている今でもここまで愛されているおばあちゃんにとっては、お彼岸も命日も関係ないのかもしれない。

 

 「本当・・・・・・あなたほど時代を超えてみんなから愛されている女優は後にも先にもいませんよ・・・“真波さん”・・・

 

 

 

 薬師寺真波(やくしじまなみ)。“撮影所時代”と呼ばれる戦後の日本の映画界を支えた稀代の大女優であり、言わずと知れた“日本一の女優”。生まれる前に亡くなってしまったけれど、私にとっては母方の祖母にあたる人だ。

 

 

 

 “『静流に見せたいものがあるわ』”

 

 

 

 もちろん実際に会ったことなんて一度もないけれど、モノクロのフィルムの中で動くおばあちゃんの姿はママから何度も観させられてきたから知っている。

 

 「・・・意地でも“おかあさん”って呼ばないのね?」

 

 ちなみに私のおばあちゃんにあたる真波さんとはママが8歳の時に一家離散も同然に離婚したらしく、血こそ繋がっているが私とママの関係は法律上だと親族ですらない“他人”だ。

 

 「真波さんと私たちは今では家族でも何でもないわ。だからこれでいいのよ」

 「でも血は繋がってるでしょ」

 「お線香あげるから静流も手伝って」

 「・・・はいはい」

 

 実の母でもあるおばあちゃんとの話はよほどしたくないらしく、ママは無理やり話を遮り持参してきたライターとお線香を取り出す。それを見た私はお供え物の花束を添えてお線香を持ち、火付けを手伝う。

 

 もちろんママにとっておばあちゃんの話はタブーだということは、5歳の時から知っている。

 

 「・・・でも意外ね。真波さんの血が流れていることを嫌っているはずの静流(あなた)がそんな言葉(こと)を言うなんて」

 

 お線香を供え、目の前で“眠る”おばあちゃんへ両手を合わせて挨拶を済ませたママが、“”の一文字が刻まれた墓石を見つめたまま私に声をかける。

 

 「だってしょうがないじゃん。どんなにこの国の法律が他人だって言い張っても、私に“真波さん(おばあちゃん)”の血が流れてるって事実は変わらないし、どうせ私たちはこれからも真波さん(この人)の亡霊に翻弄されていくんだから」

 「これ以上は慎みなさい。真波さんの前よ

 「・・・・・・振ったのはママ(そっち)でしょ」

 

 つい口が滑り出した私のことを、ママは静かに叱る。

 

 ママは決しておばあちゃんのことを嫌っているわけじゃない。寧ろ、他の誰よりも“真波さん”のことを女優として尊敬し、母親として敬愛している。“真波さん”から女優(こども)として認めてもらえず、8歳の時に捨てられたのも同然で母方の祖父に連れられ薬師寺家を出て行ったにも関わらずだ。

 

 そんな“薬師寺家”を追い出されたママを引き取った“おじいちゃん”とも今では色々あってほぼ絶縁状態で、私は会ったこともなければどこに住んでいるのかも知らない。

 

 そして肝心のおばあちゃんは最後までママのことを女優として認めることなく、25年前の夏に47歳という若さでその生涯を終えた。

 

 あれから25年、ママは未だに“真波さん”の幻影を追い続けている。だからこそママは、おばあちゃんのことを頑なに“おかあさん”とは呼ばない。

 

 

 

 私が“真波さん(おかあさん)”から“女優”として認められる、その時まで・・・

 

 

 

 “・・・あなたがいなければ、私はもっと普通に生きていけたはずなのに・・・

 

 

 

 お線香を供え、私は墓石の前で手を合わせながら心の中で“おばあちゃん”に声をかける。

 

 はっきり言って私は、薬師寺真波(おばあちゃん)のことが本当に嫌いだ。おばあちゃんがママのことを捨てなければ、あるいは私のおばあちゃんが“薬師寺真波”じゃなかったら、私はもっと普通に女優として生きていけたかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 

 “『静流に見せたいものがあるわ』”

 

 

 

 ママに初めて感情を爆発させた日の翌日、ママは押入れの奥で厳重に保管されていた映画のビデオ(コレクション)を私に見せた。もちろんまだ機嫌が直っていなかった私は“ママの言うことなんかもう聞かない”といった感じで一旦は断ったが、“『女優を続けたいという気持ちが少しでもあるならば見なさい・・・これはあなたのためよ』”といつになく覚悟を決めたかのようなママの感情に押し負ける形で、映画のビデオを見ることになった。

 

 それは女優・薬師寺真波を一躍有名にし、半世紀以上が経った今でもなお彼女の代表作として語り継がれている映画だった。

 

 

 

 “・・・すごい・・・

 

 

 

 モノクロのフィルムに映る彼女の姿は、小難しい言葉で表すことが物凄く陳腐に思えてしまうくらい、輝いていた。

 

 モノクロだけどモノクロだと感じさせないぐらいに鮮やかなのにどこか落ち着いていて、それでいて見ているだけで眠くなるような、まるで子守歌のような温かさと母親のような安心感があって、演技が上手いだとか下手だとかの範疇を超えた、誰にも彼女の替わりを演じることのできないたった1つだけの輝きを放っていた。

 

 “『真波さんがこの映画を撮影した時の年齢はいくつだと思う?』”

 “『えっ・・・にじゅう、さんとか?』”

 

 さらに衝撃的だったのは、この映画を撮影していた時の彼女の年齢だった。

 

 “『・・・この映画の撮影が行われたのは1946年。つまり真波さんが18歳の時よ』”

 “『・・・じゅうはち・・・』”

 

 当時の並み居る名俳優(大スター)たちを複数相手にしても全く劣らないどころか、それらを全て蹴散らすように一等星の輝きを放つ堂々とした“風格”を持つ18歳の少女。この光景がどれだけ異常なことなのかは、8歳だったあの頃の私でもすぐに分かった。

 

 “『・・・本当は恐かった・・・いつかは見せようと思っていたけれど、真波さんの芝居を見せてしまったらあなたに余計辛い思いをさせてしまう気がして・・・』”

 

 おばあちゃんの名前を一躍有名にした映画を見終えると、ママは私にあの映画を見せた本当の意味を打ち明けた。あの時に見せたたった一度の弱音を吐いたママの姿はずっと忘れられない。

 

 “『・・・それで諦めちゃうくらいだったら、もうとっくに私は芸能界をやめてるよ』”

 

 実際にそう言ったのかどうか、私は覚えていない。後からママに聞いた話だと、昨日まで耳にタコができるぐらい“わかんない”と泣き喚いていた人とは思えないくらい堂々とした顔つきと自信でそう言ったらしい。

 

 “『静流にはいずれ真波さんのような芝居1つで世界を変えていける、そんな女優になって欲しい・・・もちろん“真波さんの生まれ変わり”ではなく、“牧静流”として・・・』”

 

 でもあの後にママから言われた言葉に返した一言は、ちゃんと今でも覚えている。

 

 

 

 

 

 

 “・・・おばあちゃん・・・私は絶対に女優としてあなたを超えてみせるから・・・

 

 

 

 

 「いつまで真波さんと話しているのよ?

 

 目の前で“眠る”おばあちゃんへ向けてあの時と同じ意味を持つ言葉を心の中でぶつけていた私に、ママが少しばかり呆れ気味に声をかける。

 

 「“宣戦布告”ぐらい好きにやらせてよ、ママ」

 「・・・まったく。1人暮らしを始めた途端に随分と“偉く”なったわね?」

 「偉くなったんじゃないよ。私は自分に正直なだけ。それに1人暮らしをしろって言ったのはそっちでしょ。だからママの自業自得だよ」

 

 いったん話は逸れるけど、私は“一ノ瀬家の掟”として中学2年に上がったタイミングで実家から車で10分ほどの距離にあるマンションで1人暮らしをしている。もちろんただでさえ忙しい芸能活動と最低でも週2日の学校への登校を両立しながら掃除・洗濯・炊事までこなすのはさすがの私でも身体への負担が尋常じゃないから、マネージャーや夏に突然転がり込んできた“同居人の後輩”と折半してやっている。

 

 「でも同じ事務所の女優さんと2人暮らしをされたのは誤算だったわ。誰だっけあなたのところに住んでいる同居人の女の子の名前?」

 「環蓮(たまきれん)。入学の手続きした帰りに話したでしょ?」

 「・・・そんな記憶ないわよ」

 「いや絶対話したからね私?忘れたなんて言わせないよ?」

 「知らないものは知らないわよ」

 

 2学期の最終日に来月晴れて入学する高校との手続きを済ませた帰り道の助手席で私が話したことをママが覚えているか忘れているかはともかく、私はいま環蓮(たまきれん)という同じ事務所の後輩と2人で同じ部屋で生活している。

 

 「だったら小夜子(さよこ)ちゃんのところに挨拶した帰りにマンション(ウチ)に寄ってく?ママに紹介するから」

 「別にいいわよめんどくさい」

 「えぇ~いいじゃん今日ぐらい、それに蓮は一回会ってみたら分かるけどほんとに“ママ好み”の良い子だから」

 

 蓮のことを簡潔に表すと、私の可愛い後輩にして“ブッキー”と“十夜(とおや)ちゃん”の次くらいには心を開いて接している友達。ってところだろうか。

 

 もちろん女優としての実力は10年ほど先輩の私からしてみれば“まだまだ全然”だ。それでも自分に足りないところはどんどん周りの先輩たちからアドバイスを聞いて自分なりに頑張って実現しようと挑戦して、例えそれが通用しなくて悔しい思いをしても持ち前の明るさと負けん気ですぐに立ち上がりひたすら愚直に芝居を探求する。そんな馬鹿がつくほど自分に正直で真っ直ぐな彼女の姿勢は、私は嫌いじゃない。

 

 あまりに真っ直ぐ過ぎて、見ていてつい羨ましく思えてしまうこともあるけれど。

 

 「静流・・・女優(やくしゃ)たるもの、隙は絶対に見せてはいけない。例えそれがかけがえのない友人であろうとも・・・・・・分かっているわよね?

 

 ただ残念なことに私を中心に芸能界(せかい)を視ているママにとって、蓮は単なる私のライバルでしかない。

 

 「・・・いちいち言わなくても分かってるよ。蓮と友達でいられるのは、“永遠”じゃないから

 

 そんなことは私が誰よりも知っているし、蓮とはこのまま友達のままで関係がずっと続いていくなんて全く思ってなんかいない。

 

 

 

 “『静流・・・役者は自分に嘘をついてしまったら、その瞬間に終わりなのよ・・・』”

 

 

 

 “あの人”と出会ったことで“子役(つくりもの)から女優”へと変身(ばけ)るための生き方を見出した私のように、蓮にも何かのきっかけ1つで化ける程度の才能と素質は秘めている。今のところ決定的なきっかけには辿り着けてないけれど、きっかけになり得る“幼馴染くん”次第で彼女はきっと同じ女優(やくしゃ)として脅威になる。いや、そうなってくれたら私は何より嬉しい。

 

 

 

 自分の周りに誰一人として“脅威”がいない状態で真波さん(見えない敵)と戦う孤独ほど、真っ暗で虚しいものはないから。

 

 

 

 「最後に真波さんに挨拶するわよ」

 

 斜め後ろからかけられた言葉で私は立ち上がり2歩ほど下がってママの隣に立ち、被っていたキャスケットを取ってママと一緒におばあちゃんへ深く一礼する。ここを訪れた時には必ず行う帰り際のあいさつ。

 

 

 

 何度でも言うけれど、私は薬師寺真波(おばあちゃん)のことが本当に嫌いだ。世間では時代を超えて今もなお日本中から愛され続ける“日本一の女優”として神格化されているけれど、私にとってはママを捨て死してなおも“遺された子孫”に苦しみを与え続ける“亡霊”にして、私が“女優・牧静流”として芸能界(この世界)で生きることになった一番の“元凶”。

 

 でも、心の底からおばあちゃんの何もかもを嫌っているかと聞かれたら、それは嘘になる。ママとは理由が少し違うけど、私は私でおばあちゃんのことを女優として尊敬している。

 

 ママが大切に保管していたコレクションの中で輝きを放っていた18歳の少女(おばあちゃん)の姿を見て、私は彼女の“モノクロの輝き”に魅せられ、“彼女の輝き”に憧れてしまったから。

 

 

 

 だからこそ彼女には、何も余計なことは考えずに只々“憧れられる存在”でいて欲しかった。

 

 

 

 “おばあちゃん”としてではなく、“薬師寺真波”として・・・・・・

 

 

 

 5秒間のお礼を済ませて顔を上げると真横()から春風が優しく身体を撫でてきて、無意識に左肩のあたりに手を掛け風で乱れた髪を後ろへ払う。

 

 “あっ、そうだ。髪切ったんだった”

 

 胸上まで伸びていたはずの髪が無くなっていたことに私は心の中で一瞬だけ驚いたが、すぐに役作りのために昨日30センチほどバッサリと髪を切ったことを思い出した。そういえば朝起きて鏡の前に立った時も目の前に映る自分が別人に見えてしまって、いまみたいに少しだけ驚いてた気がする。昨日の夜にシャワーを浴びた時は何とも思わなかったのに。

 

 ショートヘアにしたのは今まで生きてきて初めてのことだから、まだちょっと慣れていないのもあるからだろうか。

 

 「髪・・・切ったのね?」

 「うん。役作りでバッサリ・・・・・・ってママ?ひょっとしていま気付いたの?」

 「えぇ。帽子を取ったら静流の髪が随分と短くなっていたから」

 「いやいや、もうかれこれ2時間以上はママ(あなた)の隣にいるんですけど。えっ?ほんとに今の今までずっと気付かなかったの?」

 「気付いていたらとっくに言っているわよ」

 

 一方で隣に立つママは、私が髪を切ったことにたったいま気が付いたらしい。私の住んでいるマンションから北鎌倉の駐車場まで助手席に座って、駐車場からここまでずっと一緒に歩いてきたというのに。確かにママの言う通りずっと帽子(キャスケット)は被っていたけど、普通ここまでバッサリ切ったらパッと見で分かるはずなのに。

 

 本当にママは私が小さい時から、変なところで抜けている。

 

 ていうか・・・

 

 「ていうか・・・何でよりによってこのタイミング?」

 

 何でおばあちゃんへのご挨拶という“一大行事”をしているタイミングでこの話題を振るかなママ(この人)は?さっき口が滑りかけた私に“慎みなさい”と言ったあの言葉を、そっくりそのまま返してやりたい気分だ。

 

 「おばあちゃんに思いっきり見られてると思うよこのやりとり?」

 「仕方ないでしょたったいま気が付いたんだから」

 「ママのほうこそ慎んだら?“真波さん”が見てるよ?

 

 というか、本当にそっくりそのまま返してやった。ついでにその反動で口調はいつものままに来月から撮影に入る映画で演じる“母親を殺して少年院に入った少女”の感情が混ざった設定(おまけ)付きで返した。

 

 「・・・今のは静流自身の言葉?それとも“役”が喋った言葉?

 「“役”だよ。悪い?

 

 そして隣にいるのに30センチも髪を切ったことに2時間以上も気が付かなかったママは、私が“役に入り込んだ”ことには一瞬で気が付いた。

 

 「・・・“自覚”はあるみたいね・・・

 「・・・・・・女優なんだから当たり前でしょ

 

 もちろん私が全部“わざと”やったことにも、ママは一瞬で気が付いた。

 

 「・・・でも、ショートもお世辞抜きで似合っているわ静流」

 

 そしてすっかり忘れた頃に、ママは生まれて初めてのショートヘアを褒めた。

 

 「・・・今更おそいわ・・・」

 

 ママが私のことを“女優”として常に見てくれていることは純粋に嬉しい。でも時々ぐらいでいいから、“女優以外”の私の変化にも気付いて欲しいと思ってしまう瞬間(とき)もある。

 

 

 

 “・・・私は牧静流(女優)であって、一ノ瀬静流(ママの子)でもあるから・・・

 

 

 

 「あらまぁ、こんな日に奇遇ですね

 

 おばあちゃんへの最後の挨拶を終えてお墓の前に鎮座する2段の階段を降りてキャスケットを再び被ろうとした瞬間、目の前から独特な覇気に満ちた優美な声が聞こえ、緊張感が一気に全身へと走る。声の主が誰なのかは第一声で分かった。

 

 私は緊張(それ)をおくびにも出さずに声のするほうへと視線を向ける。その間際の一瞬でふと隣に立つママの表情を視ると、ありとあらゆる感情が禍々しく交錯する凄絶な笑みを浮かべながら、目の前に立つおばあちゃんの遺した“忘れ形見”と対峙していた。

 

 

 

 「・・・・・・あなたがこの場所に来るのは “真波さんの命日”だけだったはずですが・・・これはいったいどういう風の吹き回しなのでしょうか?・・・・・・“真美さん”・・・・・・

 




ということで始まりました、スピンオフ。季節や時系列が明らかに不釣り合いな感じになっていますが、始めるのに一番ベストなところがここだったのでそうしました。はい。

ちなみに来週中に次の話を上げる予定でいますが・・・更新頻度はマジで不定期です。ごめんなさい。


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2.姉妹


主人公:プロフィール

・牧静流(まきしずる)
職業:女優
生年月日:1985年1月1日
血液型:B型
身長:153cm

好物:レアチーズケーキ、それ以外は気分次第でコロコロ変わる
好きなもの(または人):猫、おもしろい人、真面目な人
嫌いなもの(または人):牛乳、満員電車、高いところ、惰性で生きている人
好きな映画:ピアノ・レッスン


 「あらまぁ、こんな日に奇遇ですね

 

 目と鼻の先から聞こえてきた独特な覇気に満ちた優美な声。一気に全身へと襲い掛かる緊張を意地で払い除けて視線を向けると、お供え物の花束を片手に着物を上品に着こなした壮年の女性が荘厳な笑みを浮かべていた。

 

 夜会巻きで纏めた“母親譲り”の艶やかな黒い髪と、“薬師寺”の血を引いた人間に共通する透き通った青紫色の瞳。そして年齢の割に若々しくもなければ年齢不詳というわけでもないが、芸能界という異端な世界で40年近くの歳月を“生きる”この人にしか出せない“絶対的な美しさ(人生そのもの)”を放つ唯一無二の出で立ち。

 

 この人とこうやって面と向かうのは、3年前の日本アカデミー賞で私が新人賞を獲った時に会場で初めて挨拶して以来、二度目だ。

 

 「・・・・・・あなたがこの場所に来るのは “真波さんの命日”だけだったはずですが・・・これはいったいどういう風の吹き回しなのでしょうか?・・・・・・“真美さん”・・・・・・

 

 ママからの穏やかで禍々しい再会の挨拶(火花)を、この人は余裕の笑みで受け流す。

 

 「“そんなこと”をあなたに話したところで何になるのかしら・・・・・・それにせっかくこうして“偶然”とはいえ“真波”の前で久しぶりに再会したのだから、“そんな怖い顔”をするのはよしなさいな・・・“真純ちゃん”・・・

 「・・・果たして本当に“偶然”なのでしょうかね・・・?

 

 

 

 薬師寺真美(やくしじまみ)。“日本一の女優”として没後25年が経とうとしている今でもなお国民から愛され続けている大女優である故・薬師寺真波の長女にして、子役時代から名だたる巨匠と映画を撮り続けてきた今の日本を代表する大女優の1人にして、ママにとっては“因縁の相手”となる実の姉だ。

 

 ちなみに真美さんは実の妹にあたるママとは二卵性の双子の間柄で、瓜二つというほど似てるわけじゃないし髪型や着ている服の種類も違うけど、並んでみると何も知らない人でも見た瞬間に姉妹だと分かるくらいには似ている。

 

 そして何を隠そう真美さんは法律上だと他人になるが、私にとっては正真正銘の“伯母”にあたる人になる。ただし、真美さんとは3年前のアカデミー賞のときにしか会ったことがないから、真美さん(この人)が私の伯母さんだという実感は全くない。

 

 

 

 「・・・静流ちゃんも来ていたのね。先ずはお久しぶり」

 

 ママからの“見えない火花(あいさつ)”を受け流すと、真美さんは張り詰めた空気を一旦和らげるかのように私のほうへ視線を向ける。

 

 「お久しぶりです。真美さん」

 「それからご卒業おめでとう」

 「ありがとうございます」

 

 伯母にあたる人とはいえ、今のところアカデミー賞の席でたった一度だけしか会話を交わしていない私は“伯母さん”を前にすると自然と呼び名が“真美さん”になり、話す言葉も自然と敬語になる。

 

 「こうして真美さんと直接お会いするのは3年前のアカデミー賞の授賞式以来ですね?」

 「3年ですか・・・それだけの月日が経てば静流ちゃんも大人らしくなるわね」

 「いえいえ、私は芸能界(この世界)では“まだまだ”子供ですよ」

 

 そんな真美さんは私にとって“伯母さん”ではなく、“芸能界の大先輩”にして同じ女優として一番の“脅威”だ。

 

 「・・・しかし、前に会った時は“どことなく面影がある”程度だったはずなのに、この3年で静流ちゃん(あなた)は随分と“真波”に似てきたわね

 

 ちなみに真美さんもママと同じく、おばあちゃんのことを決して“おかあさん”とは呼ばない。

 

 

 

 

 

 

 “『・・・なるほど・・・あなたが“真波の初孫(ういまご)”にあたる“天才子役(女の子)”というわけですか・・・』”

 

 3年前に初めて会った時にも、真美さんの口からは“おかあさん”や“母親”という単語は一切出てくることはなく、頑なに“真波”、あるいは“彼女”と言っていた。

 

 “『真波が私のことを娘として見ていたことは一度足りともありませんでした。もちろん私にとっても真波という存在は母ではなく女優としての師であり、ライバルでした・・・』”

 

 落ち着いた口調はそのままに、真美さんは意気揚々と私に“真波さん”の話をしてくれた。真波さん(あの人)は自分のことを娘としてではなく“女優(ライバル)”として見ていたこと。 

 

 真波さんの恐ろしさと美しさを誰よりも知っているのは私だということ。

 

 “『それにしても、あなたのような“温室育ち”の天才子役(女の子)に・・・・・・“真波”の何が分かるというのかしら?

 

 ついでに私のような子役風情が、“真波の代わりとなる女優になどなれるはずがない”ということもわざわざ私に教えてくれた。

 

 “『・・・私は“薬師寺真波”ではなく、牧静流です』”

 

 私はおばあちゃん(薬師寺真波)に憧れてはいたけど、彼女のような女優になろうだなんて思っていなかった。真美さんが私のことを“女優”として見ていないことは明らかだったけど、それ自体に“怒りの感情”はなかった。

 

 “一番上の頂き”を目指す “エゴイスト”にとって、それは“当たり前に持ち合わせている感情”。純粋(ピュア)な気持ちのまま仲良しこよしで山の頂上まで登れるほど、芸能界(ここ)は優しく創られていない。

 

 “『今までも、そしてこれからもずっと、私は“牧静流”のまま芝居を続けて、“薬師寺(あなたたち)”と同じ“高み”にいきます』”

 

 だから私は私のまま“あなたたちに追いついて見せる”と、強がることも取り繕うこともせずありのままの気持ちを真美さんに伝えた。

 

 “『・・・真純ちゃんからずっと“甘やかされて”きた割には、 “節操”に育ったものね・・・』”

 

 それがどのような形で伝わったのかは本人にしか分からないことだけど、私のことを視る真美さんの口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。彼女からはまだ“認められて”はいないことは別にして、何だかそれがまた一歩自分が“女優と呼べる存在”に近づけた気がして、ほんの少しだけ嬉しかった。

 

 さり気なくママのことを侮辱したことだけは、3年経った今でも根に持っているけれど。

 

 

 

 “『・・・こう見えて私、“嘘吐き”は世界で一番嫌いなので・・・』”

 

 

 

 

 

 

 「・・・しかし、前に会った時は“どことなく面影がある”程度だったはずなのに、この3年で静流ちゃん(あなた)は随分と“真波”に似てきたわね

 

 あれから3年。私と“真波さんと真美さん(この人たち)”との距離は、一向に縮まっていない。

 

 まぁ、仮に芸能界がたった3年でこの人たちと同じ“領域”に立てるような“甘い世界”だったとしたら、退屈すぎて逆に私は耐えられない。

 

 「真波譲りの小顔で可憐でありながらも凛とした顔立ちに少しばかり大きめな胸・・・特に宝石のように透き通ったその瞳と右目の黒子(ほくろ)は、本当に彼女の生き写しのようだわ・・・」

 

 まるで美術館に飾られた名画をゆっくりと吟味するかのように、真美さんは視線で私の顔をなぞる。

 

 「そうですね・・・真美さんの言う通り“顔立ち”だけは似てきたかもしれないですね」

 

 別に嬉しいなんて全く思っていないけど、私と“若い頃のおばあちゃん”の顔立ちはお世辞抜きでよく似ている。右目の泣きぼくろに至っては薬師寺の血筋において“おばあちゃんと私”しか持ち合わせていない“唯一無二の共通点”だ。明らかに違う部分は“一ノ瀬の血筋”から受け継いだ赤い髪と、160の後半はあったとされる恵まれた体型ぐらいで、それ以外は真美さんの言う通りよく似ている。

 

 

 

 でもそんなもの、真美さんにとっても隣で私を見守るママにとっても、何より私にとっては単なる“皮肉の題材”でしかない。

 

 

 

 「・・・であれば尚更、女優としてより“内面”も磨いてもらわなければさぞ真波も悲しむことでしょうね

 

 優美な笑みを浮かべたまま心の内側(ふところ)に隠し持っていた“本性(どく)”を垣間見せる真美さんに、私は可憐な笑みを浮かべ真っ向から対峙する。

 

 「えぇ、もちろんです・・・あくまで私は薬師寺真波の“生き写し”ではなく、ただ一人の“牧静流(女優)”ですから・・・

 

 真美さんが目の前にいるだけで、ほんの僅かに草木を揺らすそよ風でさえもひどく冷たく身体へと突き刺さり、鳥肌となって全身を容赦なく襲い掛かる。指先の1つでも気を緩めてしまえばこの身体ごと飲み込まれてしまいそうな緊張感と底知れぬ恐怖。

 

 「・・・さも真波に比べて自分のほうが優れていると言いたげな“物言い”ね?静流ちゃん?

 

 そんな真美さんの立ち姿を見ているだけで、この人がおばあちゃんからどのような“仕打ち”を受けてきたのかは容易に想像がつく。いや、きっと私の想像なんて当てにならないくらい、真美さんにとって“真波”の存在は恐ろしいものだったのだろう。

 

 「“物言い”なんてとんでもないですよ・・・

 

 はっきり言って真美さん(この人)とは対峙するだけで尋常じゃないくらいに緊迫が走るが、“こんなこと”で何も言い返せず動揺してしまうような女優は、いつまで経っても“頂上”には辿り着けない。

 

 「3年前にも話させていただきましたけど私は“嘘吐き”が世界で一番嫌いなもので。ただそれだけのことです・・・・・・ちなみに先ほど“おばあちゃん”には無礼など関係なくはっきりと、“私の意思”を申し上げていただきました・・・

 

 

 

 だから私は女優として“一番の存在”になるためだったら、“毒”だろうと何だろうと()べてやる。

 

 

 

 「・・・自分の中にある“芝居(自分)”に磨きをかけ続けていくことは“女優”として、ましてや芸の道を進む人間として当然の義務・・・・・・静流ちゃん(あなた)が薬師寺真波を超える“女優(やくしゃ)”になるというのであれば、先ずはそのことを肝に銘じて己の探求に努めることね・・・

 「・・・・・・ありがとうございます

 

 おばあちゃんの遺した“忘れ形見”からのあまりにも重い言葉を、私は真正面から受け止める。

 

 同じ女優として今の私は、真美さんの足元にも及ばない。私が一歩を進めるたびに、彼女もまた一歩、二歩と歩を進め、頂上(おわり)の見えない階段を上り切った先で待つ薬師寺真波(あの人)の元へと突き進んでいく。

 

 “この人たち”に追いつくためには、ただひたすらに“女優”を続けて、頂上(おわり)の見えないこの階段を這いつくばってでも上り続けるしかない。

 

 

 

 “・・・自分より上に誰かがいるのは、牧静流(わたし)の存在意義そのものを否定されているような気がして、死にたくなるくらい悔しいから・・・

 

 

 

 「・・・それにしてもまぁ、相変わらずお供え物が多いこと多いこと」

 「無理はないですよ。なにせここに眠るのは“日本一の女優”、薬師寺真波なわけですから」

 

 おばあちゃんのお墓に目をやり毎度のお供え物の多さをボヤく真美さんに、それまで隣でずっと私のことを“女優として”静かに見守っていたママが“にこやかに”言葉をかける。

 

 「ほんと・・・これじゃあ私たちが来る意味がまるでないじゃない・・・」

 「そんなことはないと思いますよ。少なくとも真波さんは“誰よりも可愛がっていた真美ちゃん(あなた)”に逢いたがっていたでしょうから」

 

 ただお互いが女優だった頃から絶対に共演NGで、生まれたばかりの時から常に競わされて育てられてきた2人がもしも“同じ現場”で“共演”してしまったら、どうなるかは明らかだ。

 

 「・・・そうね・・・少なくとも“勝手に芸能の道に進み勝手に芸能を捨てた真純ちゃんよりは”望んでいるのかもしれないわね」

 「おやおや挑発ですか?いい歳をこいた“おばさん”の“子供じみた”挑発を目の前で見せられたら、それこそ真波さんはさぞ頭を抱えて悲しむことでしょうね?

 

 お互いが穏やかな笑顔を浮かべ、お互いが口角を上げ穏やかな口調で語らいながら、お互いが敵意剥き出しの見えない火花を容赦なく散らしまくる。これが“超豪華キャストによる姉妹喧嘩”だと言えば幾分か聞こえはいいかもしれないけれど、実態は昼ドラの愛憎劇ですら“プロの俳優たちのお遊戯会”に成り下がってしまうほどの“ホンモノの修羅場”だ。

 

 「挑発だなんて滅相もないわ。私はただ静流ちゃんと同じように“変えようのない事実”を言っているだけよ?」

 「うちの娘を棚に上げて物を言うのはみっともことないですよ?真美さん?」

 

 もう分かると思うけど、私のママと真美さんは“犬猿の仲”じゃ収まらないくらい仲が悪い。小さい頃、ママが頑なに私を真美さんと会わせようしなかったことも、この2人の関係性を直接目にすれば頷ける。

 

 「さっきから真純ちゃん(あなた)は何をそんなに怒っているの?そうやって身の回りのものを全て“敵視”してしまう見地の狭さが、あなたが真波から“認められなかった”一番の理由ではなくて?

 

 優美に微笑みながら何の悪気もなく平然とした態度で、私の前で真美さんはママに対する“最大級の侮辱”を言い放つ。

 

 ちなみに私は生まれた時からずっとママから“大切に育てられて”きたこともあってか、真美さんがママのことを侮辱すれば、それが正論であろうと基本的に私もママと同じようにその侮辱には怒りを覚える。

 

 でもここで我慢出来ずに“相手の罠”に易々と乗ってしまうのは、牧静流(わたし)”の“美学”に反する。

 

 「女優が女優で在り続けるための最終的な本質なんてそんなものでしょ?そういう意味では真美さんこそ、身の回りのもの全てを“敵視”する“エゴの塊”そのものじゃないですか?

 

 だから私は真美さんと“対峙した”私をただ黙って見守っていたママと同じく、恐らく芸能界において1位2位を争うレベルで贅沢であろう“姉妹喧嘩”を特等席で見守り続ける。

 

 「・・・そのことを自分でも分かっていながら、真純ちゃんは最後まで自分にすら勝てなかった・・・・・・それが“全て”よ

 

 悪びれることも悪意を込めることもなくママに“死体蹴り”も同然の言葉を投げかけると、真美さんはそのまま墓石の前に鎮座する2段の段差を上がり、左手に仏花の花束を持ったままお墓の前に立つ。

 

 さすがに何をどう言い返しても“言い訳になってしまう”言葉を投げられてしまったママは、無言で抵抗するのが精一杯だ。これに関しては同じ女優として真美さんの言っていることは圧倒的に正しく、正論以外の何物でもない。

 

 自分の中にいる自分に勝てない女優(やくしゃ)が、(ライバル)に勝てるわけがないのだから。

 

 「・・・昨今は映画やドラマのみならず、芸能界そのものも“画一的で節操のないお利口さん”が随分と増えてしまいました・・・・・・映画こそが娯楽、映画こそが人生の全てだったあなたの生きていた時代が・・・私は本当に羨ましく恋しい限り・・・

 

 そんなママからの無言の憤りなどどこ吹く風と、真美さんは墓前で花束を片手に独白をするかのように目の前で眠っている“真波”へ語りかける。

 

 「・・・私が“妹”のように可愛がっていたアリサちゃんも芸能を捨てまもなく2年、今ではすっかり“お金に目の眩んだ甘ちゃん”に“成り下がって”しまった・・・・・・こんな有り様では、先が思いやられるばかりで嫌になりますよ・・・

 

 

 

 “・・・アリサちゃん・・・

 

 

 

 「・・・まだ未練たらしく“気に掛けて”らっしゃるのですね?アリサちゃんのこと?

 

 “真波”へと語りかけていた真美さんに、ママが沈黙を破って言葉をかける。

 

 「・・・未練も何も・・・“女優・星アリサ”を失った日本の映画界の損失は計り知れないほど大きい・・・・・・それは真純ちゃん(あなた)でも分かるわよね?

 「えぇ・・・・・・彼女の引退で、間違いなく映画はおろか芸能界の歴史そのものも大きく変わってしまいましたからね・・・

 

 

 

 1998年4月。老若男女を問わない国民的な人気と他の追従を許さない圧倒的な演技力を持った日本はおろか世界をも誇る1人の天才女優が、自らの足で表舞台を降りた。

 

 

 

 「・・・・・・ようやく・・・真波に堂々と自慢できる“女優”が現れたと信じていたのに・・・・・・“馬鹿たれ”が・・・

 

 どんな時でも穏やかな口調だけは崩さないはずの真美さんの口から、ふと“人間臭い”感情が姿を見せた。真美さん(この人)がどれだけ星アリサのことを女優として認めていたかを既に知っていた私には、それが “本気で怒っている”というサインだとすぐに理解が出来た。

 

 

 

 もちろん、ここまでアリサさんが“芸能を捨てた”ことを“悲しんでいる”理由も、“それに近い経験”をしている私には痛いほど分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 “『・・・こう見えて私、“嘘吐き”は世界で一番嫌いなので・・・』”

 “『・・・・・・それはアリサちゃんの“悪知恵”かしら?』”

 

 私の中にある“役者観”が大きく変わったきっかけを、真美さんはあっという間に言い当てた。

 

 “『・・・どうしてわかったのですか?』”

 “『・・・・・・ふふふっ』”

 

 あまりに呆気なく当てられてしまった私が大真面目に理由を問うと、真美さんはまるでドジをした自分の娘を微笑み交じりに近くで見守る母親のような表情を浮かべ上品に笑った。

 

 “『何が、おかしいんですか?』

 

 そんな真美さんの表情(かお)を見て馬鹿にされたと思ったのと同時に、私は真美さんの“もう一つの顔”を垣間見た。

 

 “『私がアリサちゃんと初めて会った時、いまあなたが言ったことと全く同じことを啖呵を切るかのごとく私に言ってきたことがあって、何だかそれが懐かしくてね・・・』”

 

 穏やかでありながらも底の知れない暗闇を孕んだ独特の覇気が、アリサさんの話をしているときだけはどこか遠くへと消え去っていた。その表情(かお)は“自分の娘が可愛くて仕方がない”とでも言いたげな、“優しい母親(おかあさん)”そのものだった。

 

 “・・・噂通り“恐い人”だけど・・・・・・アリサさんほどの女優(ひと)が真美さんのことを慕っている理由が・・・分かった気がする・・・”

 

 

 

 私は不覚にも真美さんの“魅力”に気付き、感心してしまった。

 

 

 

 “『いま、この芸能界において彼女を超える女優は誰一人としていないわ』”

 “『・・・それは真美さんも含めてという意味(こと)ですか?』”

 

 可愛くて仕方のない“”のことを誇らしげに話す真美さんに、私は正々堂々と思ったことをアリサさんと同じように伝えた。一応、無礼は承知の上だ。

 

 “『・・・・・・全く、あなたはアリサちゃんの“悪いところ”まで影響されちゃったみたいね・・・』”

 

 すると裏表のない微笑みに“”が一気に落ちて、氷のように冷たい青紫の瞳が私を横目に捉えた。

 

 “『・・・だけれどあながち間違いだとは言い切れないかもしれないわね・・・・・・所詮私はアリサちゃんや女優時代の真波とは違い、“日本(この国)で輝ける”程度の才覚しか持ち合わせていないから・・・』”

 

 そして複雑な感情が入り交じった微笑みで静かに溜息を溢しながら答えたのは、自分には“あの2人”のような女優になれる才覚(ちから)はないという、弱音とも捉えられかねない“本心”だった。

 

 “『・・・そんな自分の才の無さを分かっていても・・・私は女優を辞めてしまおうと思ったことは1秒足りともなかった・・・・・・どうしてかあなたには分かる?』”

 

 もちろんそれが弱音でも何でもないことは、“同じような立ち位置”にいる私にはとっくに分かっていることだった。

 

 

 

 “『・・・・・・それが“女優(やくしゃ)”だから・・・・・・』”

 

 

 

 どれだけ自分より芝居が上手い人が居ようと、どれだけ自分より才能に満ち溢れた人が居ようと、例え自分が“ニセモノ側の女優(にんげん)”であったとしても、“この世界の主人公”は私。

 

 それを証明し続けなければ、生きる意味生きる価値もない。

 

 

 

 女優(やくしゃ)として生きていく選択肢を選んだ”ということは、そういうことだ。

 

 

 

 “『・・・・・・あなた自身が本当に心の底からそう思っているのであれば、それを信じてこのまま“女優”を続けてみなさい・・・・・・』”

 

 

 

 私からの答えに真美さんは、これまでで一番冷酷な表情(かお)を浮かべながら私の心にズシリと突き刺すかのように、“挑戦状”を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 「・・・お花、供えないのですね?」

 「えぇ、これ以上お供え物が増えても真波は困ることでしょうから」

 

 “真波”との挨拶を終えると、真美さんは花束を墓前に置くことなくそのまま段差を降り、そのまま私とママには目もくれずに立ち去ろう・・・としたところで立ち止まる。

 

 「・・・静流ちゃん・・・・・・もしあなたに“薬師寺真波”を超えられる“自負と覚悟”があるというならば・・・私が真純ちゃんの代わりに“面倒”を見てあげても構いませんよ?

 

 真美さんは私たちに背中を向けたまま、3年前の私に“挑戦状”を叩きつけたときと同じような表情を浮かべ、私とママに揺さぶりをかける。

 

 「・・・丁重にお断りします

 

 もちろん答えはたった1つだ。こんなあからさまな“挑発”に乗ってしまうほど、“牧静流”として生きた時間はヤワじゃない。

 

 「・・・そう・・・ならこれからも好きになさい・・・

 

 丁重に断りを入れて一礼をする私に、真美さんは振り向くこともなく背中越しに色んな意味の(こも)る一言を私に告げると、今度こそ歩みを止めることなく私とママの前から立ち去って行った。

 

 「・・・・・・よく耐えたわね、静流

 

 真美さんの姿が見えなくなって何秒かたったところで、ママは真美さんが歩いて行った方角を見つめ続ける私の背中に、優しく手を当てる。

 

 「当然だよ。だって私は“薬師寺家(あの人たち)の言いなり”なんかじゃないから」

 

 挑発めいた口調だったけど、真美さんが私のことを“本気で育ててやってもいい”と思っていたのは、3年前と全く同じ口調からして明らかだった。真美さん自身にその気があるのであれば、彼女の下について“女優”として更なる高みを目指す選択肢も“アリ”だ。

 

 恐らくあのアリサさんも、“女優を続けていく”ために真美さんの後を追っていた時期があったのかもしれない。

 

 でも私はそうしなかった。その選択だけはしたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 “星アリサ以来の天才” “第二の星アリサ

 

 これが、10余年に渡って“牧静流”が芸能界(この世界)で生きてきた証。嬉しさなんて全くない。

 

 

 

 “『静流・・・役者は自分に嘘をついてしまったら、その瞬間に終わりなのよ・・・』

 

 

 

 裏を返せば、私は永遠に“星アリサ(ホンモノ)”を超えることはできないということ。どんなに足掻こうとも、私は“誰かの二番煎じ”にしかなれないということ。

 

 私は誰かの代わり?冗談じゃない。そんなもの、たとえ死んでも受け入れることなんかできない。

 

 

 

 “・・・あなたも同じですよね・・・・・・真美さん?

 

 

 

 だから私は、同じ“苦しみ”を背負い続けている真美さんと同じ“選択肢(みち)”を選んだ。

 

 

 

 

 

 

 「・・・それよりママのほうこそ大丈夫?散々な言われようだったけど?」

 「人の心配をする暇があるなら“内面を磨く”努力をしなさい。“あの2人”を超えるのでしょ?」

 

 私の背中に優しく手を当てたママを気持ち程度に気遣うと、いつもの冷徹な口調が返ってきた。

 

 「・・・うん。分かってる

 

 こういうところを見てしまうと、私のことを“牧静流”としてずっと育て上げてきたように、関係が途絶えていようがちゃんと“此の親にして此の子あり”を真美さんと共にママもしっかり受け継いでいるのが分かる。

 

 「・・・分かっているのなら真美さんに見せつけてやりなさい・・・・・・牧静流(あなた)芝居(ちから)を・・・

 

 

 

 “でもやっぱり・・・ママは真美さんと違って優しすぎる

 

 

 

 もしもいま私の隣にいるのが真美さんだったら、最後の“余計な一言”で人の背中を押すような真似(こと)はしないだろう。こういう“非情になりきれない”ところが真美さんとは大きく違っていて、故にその“優しさ”を最後まで捨てきれなかったからママは真美さん(あの人)に最後まで勝てなかった。

 

 「・・・・・・ありがと、ママ

 

 もしもママが未だ捨てきれずにいる“人のことを想う優しさ”が女優を続けていく上で必要のない“贅肉”であるならば、私はそれを躊躇なく捨て去って“”なっても構わない。

 

 

 

 その選択を選んだことによって、かけがえのない“家族や友達(存在)”を全て失う未来が待っていようとも・・・・・・

 

 

 

 「・・・そろそろ私たちもここを出るわよ。これ以上ここにいると野次馬が湧いて出てくるでしょうから」

 「そうだね、今日の予定(こと)を考えるとここであんまりのんびりはしてられないし」

 

 真波への墓参りを終えた2人は軽い昼食を済ませたのちに駅近くの和菓子屋で菓子折りを買い、従姉(いとこ)の小夜子が半年ほど前に結婚した“作曲家(パートナー)”と共に暮らす新居へと向かった。




真美さんが登場するとどうあがいても修羅場になってしまう・・・・・・一応これで、修羅場は一旦終わり、になると思います。多分。

あと真波の没年については、あくまで原作で環が言っていた「40余年」という台詞を元に考察した年数となっています。


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3.少女は車の中で夢を見る

“『静流。明日の朝、1泊2日で京都に行くわよ』”

 

 あれは、私が初めてフィルム越しに女優時代の薬師寺真波(おばあちゃん)の“輝き”を目にしてから3か月後の春休みのこと。ママは何の前触れもなくいきなり京都に行くと言い出した。

 

 “『・・・どうして京都なの?』”

 

 当然ながら何が何だか分からないままの私は、感情を表に出さないまま“わけの分からない”ことを言い出したママに理由を聞いた。

 

 “『行けば分かるわ』”

 

 案の定、ママから返ってきたのは理由というにはあまりに抽象的すぎるものだった。私に向けた表情からして、何を言っても“その場所”に着くまでは絶対に明かす気が全くないことはすぐに分かった。

 

 “『ねえ・・・もしかしてこれは“ご褒美”なの?ママ?』”

 

 それでもママの“魂胆”だけはどうしても知りたかった私は、1泊分の荷造りを始めたママの前に顔を近づけ揺さぶりをかけた。

 

 ちょうどあの日は久しぶりに3日間の纏まった休みが取れていたこともあって、これは普段あまり母親らしいことをして上げられなかったママからの“ささやかなご褒美”だと心の中で“ほんの少し”だけ期待していたところもあった。

 

 “『そうね・・・・・・あなたが“子役から女優”になるための、私からの“ご褒美”ってところかしらね・・・』”

 

 もちろんそんな微かな期待なんてするまでもなかった。まぁ、私のことを娘ではなく“女優”としてずっと育ててきた人の思考回路は、9歳の私でもとっくに分かり切っていた。

 

 “『明日は早くにここを出るから、今日は早く自分の分の支度をしてすぐに寝なさい』”

 

 それからママは“目的地”に着くまでこれ以上の理由を教えてくれることはなく、何が何だか分からない状況のまま私は自分の分の荷造りをして眠りに就き、翌朝の空がまだ暗い夜明け前にママの運転する車の助手席に乗って京都に向けて出発した。

 

 ちなみに私のママはタクシーから飛行機も含めて滅多に公共交通機関は使わず、近場の買い物だろうが遠出をしようが専ら自分の愛車を移動手段にしている。別にドライブが趣味というわけじゃないのにも関わらず。

 

 “『ねぇ?何でママは新幹線を使わないの?どこに行くのか知らないけど京都だったら絶対そっちのほうが早いでしょ?』”

 

 何となく返ってくる答えは予想していたけれど、京都の“ある場所”に向かう道中で私はハンドルを握るママに“叱られる”覚悟で聞いた。

 

 “『知らない人がごちゃごちゃといるような空間は“1人になれないから”落ち着かないのよ・・・でも(ここ)なら“1人の時間”を確保することが出来る・・・・・・それは役と現実を行き来する女優(やくしゃ)にとっては絶対に必要な時間(こと)』”

 

 私の左側でハンドルを握るママから返ってきた答えは、意外にも予想の斜め上をいくものだった。てっきり“芸能人がそんなところに無防備で行ったらどうなるか想像出来ないの?”とか、“もっと自分の立場に自覚を持ちなさい”だとか、そういう“お叱り”が来るものだと思っていたら、急に冷淡ながらも穏やかな口調で自分のことを語り出したから少しだけ拍子抜けしたのを覚えている。

 

 “『だから静流・・・・・・あなたも大人になったら私と同じように、“自分の空間”を持ちなさい・・・』”

 

 結局のところママが私に言ったことは、いつもの“女優としての助言(アドバイス)”の1つに過ぎなかった。

 

 “『それは絶対にクルマじゃないとダメ?』”

 “『・・・何だっていいわ。ただ無理強いして“しつける”だけじゃなくて“ある程度”は好きにさせないと、“子ども”は“大人”にはなれないから』”

 

 でもハンドルを握り前に視線を向けたまま私に語りかけていたその時の表情は、今まで見てきたママの中で一番“母親”らしい表情(かお)だった。

 

 

 

 “・・・・・・私に“躾け”しかしてこなかったくせに・・・・・・

 

 

 

 ママの言葉と表情を視た私は、無性に腹が立って仕方がなくなってしまった。私に“女優”としての生き方しか教えて来なかった癖に、“おばあちゃんへの復讐”のために私に牧静流として生きることを強いた癖に、今さら好きにしろだなんて。

 

 “『・・・・・・私に“躾け”しかしてこなかったくせに・・・・・・』”

 

 その憤りが独り言になって、口から溢れ出した。いま思うとママにとっては全て“思う壺”だったかもしれないけれど、それが分かっていたとしても言わなきゃ気が済まなかった。

 

  “『・・・・・・私はママの“操り人形”じゃないんだよ・・・・・・』”

 

 多分この瞬間が、私のママに対する“反抗期”の始まりだったと今にしてみれば思う。

 

 “『・・・・・・私のことが憎い?』”

 

 そして本音の独り言を吐いた私の左隣で、ママは視線を前に向けたままそう聞いてきた。

 

 “『・・・なんでそんなことを私がママに言わなきゃいけないの?』”

 

 答えたらまたママの“思うがまま”になりそうな気がして、私はそのまま眠ったふりをして“だんまり”を決め込んだ。ていうか憎いだとかそんなの、急に言われたって説明できるわけがなかった。

 

 

 

 “・・・だって私は女優以外の生き方なんて知らないから・・・

 

 

 

 微弱なアスファルトのロードノイズだけが静かに響く車の中で、あれからママは一切言葉を返すことなく何食わぬ顔でハンドルを握り続けていた。

 

 “『・・・別に・・・憎くはないよ・・・』”

 

 眠ったふりをしながら“だんまり”を続けること20分。私は沈黙に負けた。というより、ママのことが憎いか?という答えを出すまでに、それだけの時間がかかった。ほんの一瞬だけ外の景色に目を向けると、車はもう山間部のトンネル地帯をとっくに抜けて静岡県に入っていて、防音壁から朝焼けの太陽が姿をちらつかせて車の中を照らし始めていた。

 

 “『・・・・・・私は自分の意思で女優になるんだから』”

 

 私はママの“言いなり”だとか、ママの願望のために“牧静流”になったわけじゃない。もちろんそんなママがいなかったら私は“女優・牧静流”じゃなくて“一ノ瀬静流(本来の名前)”で普通の学校生活を送って、普通に同じクラスの友達と遊んだり勉強したりして思い出を作っていたかもしれない。もしかしたらそっちのほうが幸せだったりするのかもしれない。

 

 でも私は“自分の力”で芸能界という“異端の世界”で生きる喜びを見つけることができた。きっかけはママだったけど、牧静流として生きてこられたのは他の誰が何を言おうと私の実力。それだけは自負してきた。

 

 

 

 そうしなければ私がこの世界で生きる意味や価値なんて、無いも同然だから。

 

 

 

 “『・・・静流・・・・・・もしもあなたが“真波さん”を超える女優になるというなら・・・そのためだったら私は“母親”としてやれることは全部やるつもりよ・・・』”

 

 私からの答えに、ママは静かに微笑んだ。

 

 “『・・・・・・これから行く場所・・・“撮影現場”でしょ?』”

 

 その今までで一番“母親”らしい微笑みを視た瞬間、ママが私を京都に連れ出した本当の目的が分かった。もちろんその場所で何を“撮って”いるのかも、全部分かった。

 

 “『・・・“今日”は普通に“観光”をするわよ・・・現場に行くのは明日の朝』”

 

 私が女優として成功することしか眼中になさそうなママから“普通に観光する”というワードが出てきたのは、ちょっとだけ想定外だったけど。

 

 “『ママがそういうことを言うなんて、ちょっと意外』”

 “『昨日言ったじゃない。これは私からの“ご褒美”だって』”

 “『・・・分かりづらいにもほどがあるわ』”

 

 それから私とママは、道中のサービスエリアでそれぞれ朝食と昼食を摂って京都に入り、夜にかけていくつかの名所を巡りながら最後は撮影現場から最も近い(と言っても車で約30分)ところにある老舗の高級旅館に泊まり、つかの間の観光の時間を楽しんだ。

 

 清水の舞台にて_

 

 “『静流(あなた)”は“清水の舞台から飛び降りる”ということわざの意味は分かる?』”

 “『“思い切って大きな決断をする”、でしょ?』”

 “『そうよ。あなたも4月から4年生。そして“10歳”になる・・・私の言っている言葉の意味は分かるわよね?』”

 “『もちろん・・・子役上がりにとって“10歳からの10年間”は将来を決める大きな“分岐点”だから・・・』”

 “『そう・・・あなたにとっては“これからの10年間”が、女優として最も重要になるのよ・・・』”

 “『・・・だから清水寺なのね・・・“お母さん”』”

 

 移動中の車内にて_

 

 “『静流は女優として“これからの10年”をどうするかってことぐらいは考えているわよね?』”

 “『当たり前だよ。ただ“可愛い”だけの女の子なら、幾らでも“代わり”がいるからね』”

 “『どんな役を()りたいかビジョンは考えているの?』”

 “『う~ん、例えばものすっごく陰湿ないじめっ子の役とか?』”

 “『静流がいじめっ子ね・・・』”

 “『だって私って芸能界に入ってからずーっと“人気者”でチヤホヤされてきたからさ・・・だから一度でいいから、“みんな”から思いっきり嫌われてみたいんだよね・・・もしも私の芝居でみんながテレビに映る“牧静流(わたし)”のことが嫌いになったら、それだけ私の芝居が上手いってことの証明になるから・・・』”

 “『・・・くれぐれも事務所や家のポストに嫌がらせされない程度に頼むわよ』”

 

 とは言っても記憶に残ってる会話は基本的にどれもこんな調子で普段と何ら変わらない感じだったけれど、隣にいるママの様子も普段と比べて幾分か穏やかだったのが印象的だった。そして何だかんだで“沈黙の20分間”と比べるとまるでジェットコースターかのように1日はあっという間に過ぎ去り、私たちは翌朝の8時前には撮影現場に着いていた。

 

 “『ここよ』”

 

 宿泊先の高級旅館からママの車に乗って約30分、私は京都の街から少々離れた山の麓にある一軒の古民家に着いた。

 

 “『・・・ここって・・・』”

 

 パッと見だとここは、集落の一角にあるごく普通の風情漂うただの古民家。そのごく普通な古民家の中で、撮影機材を持つスタッフの人たちが朝早くから撮影の準備を進めていた。やっぱり、ママが私を連れてまで尋ねた場所は、“あの映画”の撮影現場だった。

 

 

 

 “『・・・本当に“嬢ちゃん”まで連れてくるとはなぁ・・・』”

 

 

 

 真っ先に私はママに連れられる形で、映画でメガホンを取る織戸先生に挨拶をした。

 

 “『・・・済まないね嬢ちゃん。“京都観光”の最後の行き先が観光地でも遺産でも何でもないこんな古びた古民家だなんて・・・心底ガッカリしたろ?』”

 

 白い髭を生やした優しい“おじいちゃん”のような顔つきと同調した少しこもった低めの声と、温和な雰囲気とは対照的などこかのある言葉遣いが、“オーディション”の時と同じように深く胸に突き刺さった。

 

 あの日の悔しさが、再び心の中で一気に広がっていく感覚を覚えた。

 

 “『いえ・・・私は“女優”なので、こういう機会を頂けたのはむしろ光栄です。今日ここで“土産として持ち帰れるもの”は、全部持ち帰ります』”

 

 “女優(やくしゃ)たるもの、隙は絶対に見せてはいけない”というママからの教えを忠実に守り、私は堂々とした態度で織戸先生に“感謝”を告げた。

 

 “『・・・そうか・・・がんばれがんばれ・・・』”

 

 女優として挨拶をした私の頭を、織戸先生は控えめに笑みをこぼしながら掌で軽く掴むようにして撫でた。相変わらずこの人は、私のことを“可愛い子役”としか視ていない。

 

 “・・・馬鹿にしやがって・・・

 

 織戸先生への復讐心にも似た想いが再度込み上げ、笑顔の裏で何度も爆発しそうになる感情が掌に伝わり、自然と拳に力が入っていく。分かっている。こんなことで感情的になってしまったら、今までの努力が全部水の泡になる。こんなことでまた涙を流してしまうようじゃ、私はいつまで経っても“女優”になんてなれない。

 

 “・・・盗めるものは全部盗んで、絶対にあなたを女優として惚れさせてやる・・・

 

 “『・・・よろしくお願いします』”

 

 どうにか手元に伝わる感情を抑え込むことのできた私は、織戸先生の目を真っ直ぐに見据えながら“決意”をぶつけた。

 

 “『・・・・・・』”

 

 そんな私を見た織戸先生は、何を言うでもなく私のことを数秒ほど凝視すると、そのまま何も言わずに再び撮影の準備に取り掛かった。あの時の私には数秒間の無言が何を意味していたのかは分からなかったけど、私は一瞬たりとも織戸先生の視線を離さずに視ていた。

 

 本当の意味には辿り着けなかったが、“試されている”ことだけは分かっていたからだ。だから私はあの“沈黙”に勝つことが出来た。

 

 “『おはようございます』”

 

 すると突然、男の人の声が背後から聞こえ、私はママと共に声のするほうへと振り返った。

 

 “『初めまして、カイ・プロダクション所属の早乙女雅臣(さおとめまさおみ)です。この度は大変光栄なことに、織戸監督のもとで非常に有意義かつ素晴らしい経験をさせて頂いております』”

 

 その声の主は、早乙女雅臣(さおとめまさおみ)。彼が“イケメン俳優の頂点”として申し分ない顔立ちの良さとスラっとした高身長の出で立ちに加え、安定した演技力とカリスマ性を武器に“日本で最も“視聴率”を稼ぐ主演俳優”の異名で呼ばれるようになって、人気絶頂の最中に事務所を辞めてニューヨークに旅立つのは、もう少しだけのこと。

 

 “『・・・あなたが牧静流さんですね。ドラマやCMで活躍している姿は“芸能界の先輩”として尊敬しています』”

 “『・・・どうも』”

 

 そしてこれが、後に何度もドラマやCMなどで一緒に仕事をすることになる早乙女さんとの初めての出会いだった。ちなみにこの時の早乙女さんは今と比べるととても謙虚で真面目な振る舞いをする全く飾り気のない“ただの二枚目”だった。もちろん次の現場で会った時からニューヨークに飛ぶ前くらいの人が変わったように“二枚目半”な振る舞いばかりをするようになった早乙女さんも嫌いじゃないけれど、私は最初に会った時の“ほぼ素”のままの早乙女さんのほうが個人的には好きだったりする。

 

 もちろん早乙女さんが誰よりも真面目な努力家で、本当に真摯に芝居に取り組んでいることは今も変わらない。

 

 “『“お母さん”もわざわざ遠いところから来て頂いて本当にありがとうございます』”

 

 そんな真面目で真っ直ぐな早乙女さんは、あろうことか隣にいるママの正体が誰なのかを知らずに悪気のない笑顔で“お母さん”呼ばわりをした。はっきり言って芸能界で例えるなら、“共演者の主演女優”よりも先輩だと言うのに。

 

 “ねぇ・・・早乙女さんは真純さん(この人)が誰だと思っているの・・・?

 

 “『・・・そっか。今の若い子たちは私のことを知らないのね?そういうものなのかしら静流?』”

 “『そんなの私に聞かれても困るよ、“お母さん”』”

 

 寸でのところで心の中で思っていた一言が口からこぼれかけたが、早乙女さんからの無自覚な無礼をママが受け流してくれたおかげで私は余計な一言を言わずに済んだ。

 

 “『えっ・・・あぁすいません。今から思い出すんでチョットだけ時間いいですか?』”

 

 このやり取りで“やらかした”ことを察した早乙女さんは、私たちの前で必死になってママのことを思い出そうとアタフタし始めた。どんなに親しい人にも一切隙を見せない早乙女さんがここまで取り乱している姿を私が見たのは、今のところこの時が最初で最後だ。

 

 “『・・・ごめんなさい・・・僕の勉強不足です・・・』”

 

 10秒以上くらいの時間をかけて必死で頭を回転させたながら考えていたみたいだけど、とうとう早乙女さんは“元永ますみ”という答えに辿り着くことができずギブアップした。

 

 “『この人の名前は“元永ますみ”。今は芸能界を離れ結婚されて本名の一ノ瀬真純さんに戻ったけれど、私にとっては駆け出しの頃に同じ作品で世話になった“芸能界の先輩”よ』”

 

 ギブアップした早乙女さんの後ろで、この映画の主演でもある“あの人”が私に向けて早乙女さんが言った“芸能界の先輩”という言葉をもじって無礼を働いた早乙女さんを独特な台詞回しで叱りながら現れた。

 

 “『・・・知らなかったことはともかく、次からは変に意地を張らずに知らないことは正直に言うことね。不器用であっても何事にも正直であることが雅臣の“強み”なんだから』”

 “『はい、肝に銘じておきます』”

 

 あくまで失態をした後輩に怒るのではなく“叱っている”その姿が、まるで学校で悪さをした息子を優しく叱りつける母親のように私には映った。もちろん彼女のことはスクリーンや舞台で何度も観てきて、その度に驚かされてきたから知っていたけれど、今までで一番近い距離で視た彼女の姿は・・・今まで私が観てきたどの“人物”とも異なっていた。

 

 

 

 そんな私の前に現れた彼女の“色”が、あらゆる人間の人格を吸収した“ブラックホール”のように視えてしまって、恐怖心とも似つかない得体の知れない初めての感覚が私の身体を貫いたのを、私はずっと覚えている。

 

 

 

 “『申し訳ありません。朝早くからこんな遠いところに呼び出す形になってしまって』”

 “『いや、無理言って見学させて頂くことになった私たちのほうこそ寧ろ謝るべきだわ』”

 “『いえいえそんな・・・・・・ところで、もしかしたら彼女とは初めましてになるのかしら?

 

 ママと談笑をし始めた彼女が、不意に隣に立つ私に目を向けると膝を曲げて私と同じ視線になって私を見つめた。

 

 その瞬間、私の身体に人生史上“一番(ダントツ)”の緊張が走った。

 

 “『初めまして、星アリサです。あなたのことは真純さんから今回のことを聞かされる前からずっと知っているわ・・・』”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・静流・・・・・・静流

 「・・・・・・んー・・・」

 

 遠くの方からママの呼ぶ声が聞こえ、声のするほうへ意識を向けると視界が一旦ぼやけるのと同時に一気に開けた。

 

 「いい加減起きなさい。もうすぐ着くわよ」

 「・・・・・・ここって」

 

 つい1秒前まで私は京都の古民家にいて、目の前でアリサさんがやや緊張気味の私をじろじろと見つめていたはずなのに、どういうわけか私はママの車の助手席に座っている。徐に右側の窓に視線を向けると、マンションが立ち並ぶ市街地の景色が広がっていた。

 

 同時に車道と歩道を分断する“イチョウ模様”が型取られたガードパイプが目に映った瞬間、今いる場所が京都ではなく東京だということを理解した。

 

 「・・・・・・なんだ夢か」

 

 もちろんつい数秒前まで目の前に広がっていた光景が、9歳の時の記憶だったことも。

 

 「・・・あとどのくらいで着く?」

 「そうね・・・順調にいけばあと5,6分ってところね」

 

 そう。私の向かっている場所は“撮影現場”なんかじゃなく、小夜子ちゃん(いとこ)の暮らす新居。

 

 「・・・5分以上もあるならもうちょっと寝かせてよ」

 「もう既に車の中で30分以上もあなたは寝ているわ。これ以上“昼寝”をしたら身体に悪影響が出る・・・ただでさえ不規則な生活を強いられる身である以上、自己管理は徹底しないと駄目よ」

 「別に2,3分ぐらいなら関係ないでしょ?」

 「その2,3分の油断が“危ない”って言っているのよ。そしてたかが2,3分という油断が後々になって女優としての在り方にも」

 「ハイハイ私が悪うございました以後気を付けます。これでいいでしょママ?

 

 小さい時から変わらず私のことを常に“女優”として見ているママの“お叱り”、もとい説教を寝起きで耳にしたときの私は普段以上に虫の居所が悪くなる。しかも今日は真美さんと対峙した気疲れの“おまけ”つきときたから、気分はなおのこと最悪。

 

 「・・・それが人に対して謝る態度?

 「相手が“ママだから”に決まってんじゃん

 

 気が立ってやっつけ気味に謝った私の神経を逆撫でるように普段の態度で追い打ちをかけてくるママに、何なら今すぐにでもこの車の助手席から降りたいくらいにイライラは最高潮に達する。

 

 「分かってることをいちいち言わないで。ほんと腹立つから

 

 ママはいつもこうだ。“女優”としての私に対しては鬼のように厳しいのに、役作りで髪を30センチも切った“娘の変化”に2時間以上も気付いてくれない。

 

 「分かっているなら日頃からちゃんと自分で正すところは正しなさい。女優以前に人としての基本よ

 

 ママが“私のことを想って”嫌われることも厭わずに“女優の母親”として私を育てていることは知っているし、ママが本当に“子ども思い”な人なのも育てられた私は痛いくらい分かっている。

 

 「だから“そういうところ”だっつの・・・

 

 でも芝居を通じて色々な経験を重ねてひとりで出来ることが増えていくうちに、そんなママの“優しさ”に言葉では言い表せない苛立ちに似た感情を覚えることが増えた。“それ”は中学2年でママのところから離れて生活するようになってから一層増えていった。

 

 これを言葉で表現するとしたら、再び私の中で反抗期が加速し始めている・・・

 

 

 

 いや、多分そんなに単純なものじゃないってことは、確かだ。

 

 

 「・・・なんで久しぶりに小夜子ちゃんのところに会いに行くっていうのにここまでイライラしなくちゃいけないんだよ・・・

 

 溜息と一緒にママへの不満を吐き出して、私は右側の景色に視線を移す。言いたいことは言えたから、ちょっとだけ気分は落ち着いた。

 

 

 

 “『・・・・・・私はママの“操り人形”じゃないんだよ・・・・・・』”

 

 

 

 夢で見たばかりだけど、私がアリサさんの芝居を生で見に行くためにわざわざオーディションで落ちた映画の撮影現場へ向かう道中も、こんな感じで互いに違う方角を向いて険悪な沈黙がしばらく続いたことがあった。

 

 「・・・・・・どんな夢を見ていたの?」

 

 そしてある程度の時間が過ぎたところで、私とママのどっちかが沈黙を破るところも一緒だ。今日は1分の沈黙をママが破ったから、私の“勝ち”だ。別に勝ち負けもへったくれもないけど。

 

 「・・・・・・何でそれを聞くの?」

 「気になったからに決まっているじゃない・・・久しぶりに“心地よさそう”に眠る静流の寝顔を見たから・・・

 

 右側を見たまま答える私に、ママは普段の冷徹さからは想像もできない“母親らしい”感情で言葉をかける。

 

 「・・・こういうことを話せるのは“今のうち”よ、静流

 

 こんな感じでママは、ふとした瞬間にいきなり“元女優”から“お母さん”になる。もちろん、そのどちらもがママの“本性”で、“子ども思い”の母親なのは変わらない。

 

 「・・・・・・ばか

 

 こういうところがあるから、ママのことが“世界の誰よりも嫌いになる瞬間”が押し寄せた時でも、私はママにだけは非情になりきれない。きっとそれは、私がママのことを嫌いになった瞬間(こと)は数えきれないくらいあるけれど、本当に心の底から“憎悪”を感じた瞬間(こと)は一度もないからだ。

 

 

 

 

 

 

 “『・・・・・・ママなんか・・・大っ嫌い』”

 

 

 

 初めてママに感情を爆発させた“あの日”でさえ、私は自分のことを“操り人形”も同然に育ててきたママのことを恨み切れなかった。だから私は泣いた。一晩中泣き続けた後に、それでも“女優”として生きていくことを決めた。

 

 そんなかけがえのない“存在”を失ってでも、私は女優を続けていけるのだろうか?

 

 

 

 “もう・・・またこれだよ・・・

 

 

 

 真美さんと対峙した時に今一度心に決めたはずの決意が、たかが1人の母親によって早くも揺らぎ始めている。私はいつもこうだ。常に平然を装いながらも周りにいる人たちの何気ない一言で心が常に振り回される、どこにでもいるただの弱虫

 

 

 

 “『牧さんって・・・本当に強いんだな』”

 

 

 

 蓮の幼馴染くんとあるドラマの顔合わせで初めて会ったとき、幼馴染くんは私のことを“強い”と言ってくれた。私から見れば綺麗とは言えない“荒削りな感情”を隠そうともせず、愚直なままに架空の世界を真実だと信じて疑わず芝居にのめり込める(あなた)のほうが、私なんかよりよっぽど強い

 

 “普通の世界”を知らない私は“普通の世界”で“感情”を手に入れたあなたのことが、どうにかなってしまいそうなほどに羨ましい。

 

 

 

 もしもあなたが私たちと同じ女の子だったら・・・・・・きっと私は・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・9歳のときの夢だよ

 

 溢れ出しそうになった“制御不能の感情”を呼吸と一緒に再び心の奥底へとしまい込み、私はママにさっきまで見ていた夢、というか9歳の記憶のことを打ち明ける。絶対に言わないと思っていたのに、いつかのために心の中で飼い慣らしている“感情”の隠れ蓑に使ってしまったけれど、“この気持ち”のためなら致し方ない。

 

 「・・・あぁ・・・アリサちゃんの芝居を見るために京都の撮影現場に行った時のことね?」

 「なんですぐに当てちゃうかな」

 「だって静流が9歳のときの思い出と言ったら、“アリサちゃんと出会った”ことでしょ・・・」

 

 “9歳のときの夢”という単語だけで、ママは私が見た夢の内容を言い当てた。まぁ、アリサさんとの出会いがあまりに大きすぎて、9歳の頃にあったはずの他の思い出は全て記憶の片隅に飛ばされてしまったのだけれど。

 

 「確かあの時・・・静流ったらアリサちゃんと目が合った瞬間にガチガチに緊張して、いきなり訳の分からないことを言い出したわよね?」

 

 その流れでママは、私が見ていた“夢の続き”を話し始めた。

 

 「えっ?私なんか変なこと言ってたっけ?」

 「覚えているくせにとぼけるんじゃないわよ。ていうよりさっき夢で見てたばかりでしょ?」

 「ごめんその手前ぐらいでママに起こされたから見てないわー」

 「・・・現金な子ね」

 

 当然、この後の出来事はちゃんと覚えている。というか、この後の出来事は私の人生における最大の“分岐点(ターニングポイント)”としてこれからも残り続けることは、もうほぼ確定している。

 

 ただはっきり言ってこれは、私にとってあんまり思い出したくない記憶でもある。

 

 「・・・思ったんだけどさ・・・アリサさんのことを“アリサちゃん”って呼ぶところは、一緒なのね?」

 

 とにかく出来る限り今だけはその話題に触れて欲しくなかった私は、険悪な空気にならない程度に“わざと”ママの機嫌を損ねさせる言葉をかける。やり口が随分と子供っぽいけれど、さっきの“仕返し”だ。

 

 「・・・・・・目上の人を揶揄うにも限度というものがあるわよ静流

 

 案の定、私からの仕返しにママは呆れ半分な口調で叱る。当然、これが“わざと”だということにママが気付いていることは知っているから、ギリギリ険悪なムードにはならない。

 

 「言われなくても

 

 普通の家族とはちょっとだけ違うかもしれないけれど、それでも15年もの間こうして家族として一番長い時間を一緒に過ごしてきたママの考えていることは、良し悪しも含めて全てが手に取るように分かる。

 

 「・・・でもやっぱり、横顔を見るとちゃんと“姉妹”だよね」

 「これ以上言うと本当に怒るわよ?

 「・・・はいはい」

 

 とにかくお互いの仲が良かろうが悪かろうが“血の繋がった唯一無二の関係”は、切っても切り離すことはできない。

 

 

 

 もしもそういうのが“家族”だと神様が言うのなら・・・・・・きっとそうなのかもしれない。

 

 

 「静流。後ろに置いてある菓子折り、先に持って行ってちょうだい」

 「りょーかい」

 「それから“城原(きはら)さん”とは今後も仕事で関わっていくことがあるだろうから、くれぐれも無礼のないように」

 「だから言われなくても分かってるっての」

 

 そうこうしているうちに、私たちは小夜子ちゃんの住む新居に着いた。




夜凪や千世子の世代が主役じゃないアクタージュも、一つや二つぐらいはあってもいいじゃないか・・・・・と、ほざいてる駄作者はこちらです。〈ユウ〉





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4.十夜ちゃん

 「あ~静流ちゃん久しぶり~」

 

 南麻布の住宅街に鎮座する白を基調に彩られた鉄筋コンクリート造りの邸宅の玄関が開くと、従姉(いとこ)の小夜子ちゃんが笑顔と挨拶(ハグ)で私を出迎えてくれた。

 

 「何年ぶりくらいになるかしら?静流ちゃんとこうして会うのって?」

 「えーっと私が中学校に上がった時の入学祝い以来だから、ほぼ3年ぶり?」

 「そっか、もうそんなに経つのね」

 

 小一時間ほど助手席に揺られた身体を優しく包み込むようにハグする小夜子ちゃんに、私も同じように挨拶(ハグ)をしながら3年ぶりに会話を交わす。私も女優の仕事でずっと忙しいけど、小夜子ちゃんもコンサートで日本中を駆け回るような生活をしているから会いたくてもお互いに休みが取れない&都合が合わないせいでずっと会えずにいた。

 

 「うん、ほんとにこの1,2年くらいはずっと忙しかったからさ~・・・だからずっと小夜子ちゃんに会えるの楽しみにしてた」

 「も~静流ちゃんは可愛いな~」

 

 それにしても、小夜子ちゃんのハグは本当に“心地よい”。何というか力加減だとか、香りだとか温もりだとか、とにかく全部が心地よい・・・

 

 心地良すぎて・・・少し疲れ気味の身体には逆の意味で堪えそうだ・・・

 

 「・・・ふあぁ~・・・」

 「静流ちゃん?もしかして疲れてるの?」

 

 やばい。完全に油断してた。私としたことが完全な不覚。

 

 「・・・ううん、別に疲れてなんかないよ」

 「そう?」

 

 久しぶりの小夜子ちゃんのハグがあまりに心地良すぎて、思わず“生理現象(あくび)”が出てしまった。これはきっと、常に“牧静流”として生活し続けている反動に違いない。

 

 「ただ小夜子ちゃんにこうやって会えて嬉しいってだけ」

 

 小夜子ちゃんのように、パパとママ以外で“一ノ瀬静流”という名前だけで生きていた頃を知っている人間と一緒にいると、ついつい“”が生まれがちになってしまう。

 

 ただし、肝心の“本当の名前”だけで生きていたときの記憶は全くないのだけれど。

 

 「どうもこんにちは~」

 「あぁ~真純さんもお久しぶりです~」

 

 背後から車を来客用のガレージに止めてきたママの声が聞こえ、私はハグをやめて小夜子ちゃんの身体から一歩後ろへ下がる。背後から聞こえるママの声は、心なしかいつもと比べて穏やかだ。

 

 「静流ちゃん、随分と大人っぽくなられましたね?」

 「いえいえそんな」

 「実を言うとこの間に公開された主演映画、先日にちょうど休みが取れたので千里さんと観に行ったんですよ~」

 「本当に?」

 「はい。詳しいことはここで立ち話をさせるのも失礼なので、中でお茶を飲みながらでも」

 「ではお言葉に甘えて」

 

 ともあれ私は玄関前で軽く談笑しつつ、小夜子ちゃんに案内される形で“城原(きはら)邸”の中に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 私の従姉でヴァイオリニストとして世界的にも知られている“小夜子ちゃん”こと一色小夜子(いっしきさよこ)(姓は城原(きはら))と、映画音楽を中心に数々の賞を受賞している作曲家の城原千里(きはらせんり)夫妻が半年前に建てた新居、“城原邸”。

 

 ただ邸宅とは言っても漫画に出てきそうなお城のように立派なザ・大豪邸というわけではなくて、高級住宅街と呼ばれている場所ではたまに見かける程度の大きさの邸宅。だけれど来客用も含めて最大で車4台を止められるガレージがあったりと、周りの家に比べたら一回りは大きく立派な邸宅(いえ)だっていうのは風格のある鉄筋コンクリート造りのモダンな外見を見ただけで明らかだ。

 

 まあ、小さかった頃に何回か遊びに行っていた小夜子ちゃんの“実家”は冗談抜きでお城のような“ザ・大豪邸”だったから、アレと比べると世間的には十分すぎるぐらい立派に思われているはずの城原邸ですら、ただのごく普通の家に思えてしまうけれど。

 

 「えっ?十夜(とおや)ちゃん?」

 「あ、誰かと思ったらマキリンじゃん。おつかれ~」

 

 小夜子ちゃんの背中を追うようにそんな城原邸のリビングにお邪魔すると、そこには芸能界に入ってからまともに休めないくらい忙しい日々を過ごしているはずのもう一人の従兄(いとこ)がソファーにふんぞり返るような姿勢で座っていた。

 

 「何で十夜ちゃんがここにいるの?」

 「ちょうど今日が休みだったから、暇つぶしでここに来たってとこかな」

 「奇遇だね、私も今日がちょうどオフなんだ」

 

 

 その従兄の名前は一色十夜(いっしきとおや)。芸能界に入ってまだ1年足らずながらも“スターズの王子様”っていう“通り名”で今や私と負けず劣らずの有名人としてドラマにCMに映画と引っ張りだこだ。ただ十夜ちゃんの場合は両親と姉の小夜子ちゃんが揃って世界的な有名人なのに加えて、まるで少女漫画の世界からそのまま飛び出してきたかのような中性的で整った美形な顔立ち(ルックス)のおかげで芸能界に入る前から“絶世の美少年”として“こっちの世界(芸能界)”では名が知られていたから、芸能界(この世界)に入ったらあっという間に“スター”になることは業界の先輩として予感していた。

 

 

 

 唯一の誤算は、まさかの“新星”が現れてそう遠くないうちに十夜ちゃんのライバルになりそうだということ。

 

 

 「ていうかマキリンめちゃくちゃ髪切ったよな?」

 「うん、結構バッサリ切った」

 「ひょっとして役作り?」

 「さすがは察しがいいこと」

 「オレの勘は良く当たるんだよ」

 

 そんなすっかり有名人になった十夜ちゃんはキザっぽい言葉と共にソファーから立ち上がるや、菓子折りの入った袋をテーブルに置く私の目の前にスッと近づき被っていた帽子(キャスケット)を取ると、ほんの少しだけかがんで顔をややわざとらしく眼前に近づけていきなり役作りでバッサリ切った髪の毛を両手でとくように耳元から後ろ髪にかけてを触り始める。

 

 「・・・どうしたの十夜ちゃん?」

 「いや、ショートにしたマキリンを見るのは生まれて初めてだから、ちょっとどんな感じか確かめたくて」

 「髪を触るのはまだ分かるけどここまで顔を近づける必要はあるのかな?それとも視力でも落ちた?」

 「何となくだよ。あと、オレの視力は相変わらず2.0のままだからそこは心配しなくて大丈夫」

 「(何となくって、それじゃあ全然理由になってないんだよなぁ~・・・)・・・ふ~ん」

 

 こんな感じで十夜ちゃんは、まだ小さくて“天使のように可愛かった”頃からたまに何を考えているか分からないような“エキセントリック”なことを私に対して唐突にしてくる。正直、こんな感じで“一色十夜”から一歩間違えればキスしそうなほどの至近距離に顔を近づけられたら、“耐性”がないそこら辺の女の子は間違いなく卒倒しちゃうと私は勝手に思う。さすが、“絶世の美少年”に偽りなしだ。

 

 でもそんな十夜ちゃんの何を考えているのかちっとも分からない“気まぐれ”なところが、私は一番好きだったりする。もちろん、決して恋愛的な意味じゃない。

 

 

 「・・・何やってんのマキリン?」

 

 もちろん私もただ黙って“おもちゃ”にされるわけにはいかないから、お返しとばかりに十夜ちゃんの襟足を結んでいたヘアゴムに手を掛けてゆっくりと外すと、首筋をはねるように沿う少しだけ癖のあるマッシュウルフの襟足が露になる。

 

 「いや、何となく十夜ちゃんは襟足を下ろしているほうが男っぽくてカッコイイって思ったから」

 「“男っぽい”ってより生まれたときから男なんだけどオレ?」

 

 “さっきから私たちは何をしているんだろう”と考えたり心の中でツッコんだりしたら、私の負けだ。もちろん勝負なんか全くしてなくてただ十夜ちゃんのたまに見せる“気まぐれ”に付き合っているだけだけど。

 

 「それにしても十夜と静流ちゃんは一緒にいるといつも“子ども”に戻るよね?」

 

 すると私たちのことをママと見守る様に談笑していた小夜子ちゃんが話しかけてきた。

 

 「“子ども”じゃなくて“年上”としてマキリンを可愛がってるだけだよ、姉さん」

 

 小夜子ちゃんの声に反応するように、十夜ちゃんは私の髪から手を放して分かりやすくつよがる。

 

 「も~人に指摘されたらすぐそうやってはぐらかすんだから十夜(この子)は」

 「この子って、親じゃないんだからその言い方はやめろよ姉さん」

 「(ホント仲良いな~この姉弟・・・)おませな反抗期の子どもか」

 

 私と同じ一ノ瀬家の血が色濃く残る父親似で赤い髪の小夜子ちゃん(あね)と、一色家の血が色濃く残る母親似で白銀(しろがね)色の髪の十夜ちゃん(おとうと)

 

 「・・・でもショートになっても本当に可愛いわね静流ちゃん?」

 「そう、かな?」

 「むしろこっちのほうが好きかもしれないわ私・・・十夜は?」

 「オレはどっちも同じぐらいってとこかな?ていうかマキリンはどんな髪型でも似合うでしょ」

 「どんなって言っても限度はあるけどね・・・」

 

 琥珀色の瞳と揃って超がつくぐらい美形だってこと以外は外見も性格も姉弟(きょうだい)とは思えないくらい似てない10歳差の2人だけど、“こういうところ”を見ると本当に姉弟だなってつくづく思うし、ちょっとした仕草や言動があまりにも“似ている”から見ているだけで微笑ましくて癒される。

 

 

 

 “・・・私もこういう温かくて幸せな家族のところに生まれたかった・・・

 

 

 

 「十夜くん、アリサちゃんとは上手くやれてる?」

 

 こうして久しぶりに“水入らず”な時間を楽しむ私たちに、最後まで傍観していたママの声がいつもより穏やかに加わる。

 

 「そんなのはオレの活躍を見れば一目瞭然だよ、真純さん」

 「そう・・・だとしたら安心だわ」

 

 もう既に芸能界から距離を置いていながらも所属事務所の社長のアリサさんよりも目上の元女優のママに対して、十夜ちゃんは親戚の伯母さんを相手にするような感じで自慢げな態度で話す。2歳から芸能界(この世界)でずっと生きている私から見れば、元とは言え芸能界において30年以上の先輩にあたる“大物”に芸能界に入って1年足らずの世間知らずな新人が全く臆することなく堂々とフランクに話しているように見えてしまう。本人からしてみれば、ただ親戚と会話しているだけだろうけど。

 

 「それから十夜くんの活躍はいつもテレビで拝見しているけれど、1年目からこんなに働いて大変じゃない?」

 「全然、こういうのは好きでやってるし」

 「時間が取れなくて大変だろうけどご飯はちゃんと食べれてるの?」

 「当たり前だよ。どんなに忙しくても1日3食と野菜は心掛けてるからねオレ」

 

 私とはちょっと違うけれど、生まれたときから十夜ちゃんもまた各界の著名人や世界的なアーティストの人たちに囲まれるような“特殊な環境”でずっと育ってきたから、事務所の先輩や大物俳優を前にするとすぐに委縮しちゃうようなそこら辺の新人の子たちと比べるとやっぱり感覚はどこかズレている。

 

 「ほんとに偉いわね、十夜くん」

 「いやいや、オレはただ“あの人たち”の食生活に身体が慣らされちゃってるってだけだから、偉くも何ともないよ」

 「静流にも口うるさく言っているけど、芸能活動において食事や睡眠を始めとした健康管理は本当に大事だから・・・お芝居に熱中するのも良いけれど、まずはそういう“人としての基礎”がしっかりしてないとすぐに自分に跳ね返ってくるのが芸能界だから、そこは絶対忘れないようにね」

 「“芸能界の先輩”としてお気遣いとアドバイスありがとうございます、真純さん」

 

 そんな十夜ちゃんの少しズレた“感性”を、ママはまだ十夜ちゃんが“天使のように可愛かった”幼少のときからずっと気に入っている。

 

 「・・・でも私は本当に嬉しいわ・・・十夜くんが芸能界に入ってくれて

 

 

 

 もちろん、一人娘と兄妹みたいに仲の良い可愛い従兄弟なんかじゃなく、私と一緒に“芸能界で頂点に立てる逸材”として。

 

 

 

 「だって十夜くんは“芸能界”で必要とされるべくして生まれた人間なのだから

 

 

 

 “『十夜くんならきっとなれるわ・・・・・・素敵な俳優(やくしゃ)さんに・・・』”

 

 

 

 「ママ・・・・・・“十夜”は

 「あれ、千里さんまだ戻ってこないの?」

 

 まだ“私たち2人”が小さかった頃の記憶を思い出して制御(コントロール)していたママへの感情が溢れそうになった背中を十夜がさり気なくさすりながら話を逸らしてくれたおかげで、私はどうにか表に出かけていた内側の感情を引っ込めることができた。危うく仲の良い親戚同士の“水入らず”な時間を台無しにするところだったと、心の中で少し反省。

 

 「・・・言われてみれば城原さんの姿がないわね?」

 「あぁ、ごめんなさい。実は十夜がうちに来てすぐに “いいアイデアが浮かんできた”と言ってそのまま地下(した)のスタジオに入って、それっきりですね」

 

 ちなみに話題の中心になった小夜子ちゃんの旦那になった城原さんは、この家の地下1階にあるスタジオで私とママが訪ねてくることなどそっちのけで作曲に没頭しているらしい。

 

 「せっかくですから一緒に行きますか?特に真純さんや静流ちゃんはうちの地下室は始めてでしょうから」

 「そうね、まだ挨拶も出来てないことですからね」

 「わざわざ時間を割いて来て頂いたのにすいません手数をかけてしまって」

 「いえいえ、私も城原さんが本当に“音楽を生き甲斐”にしている素晴らしい芸術家(アーティスト)だということはご存じですし、親族として改めてご挨拶できることは1人の“ファン”として光栄だわ」

 「とんでもないですよ、あの人は自分の世界に入りがちなただの“めんどくさい音楽人”なだけなので」

 

 正直私はまだ城原さんが作曲で携わる作品に出たことは一度もないから今日が初めましてになるけれど、かなりの“芸術家気質”な人だってことはもう何回か会ったことがあるというママからは事前に聞いている。多分、ママと小夜子ちゃんのやり取りを見る限り本当みたいだ。

 

 「では案内しますので、どうぞこちらへ」

 「ごめんなさいね色々と」

 

 そうこうしているうちにママと小夜子ちゃんの“建前合戦”は終わり、私は小夜子ちゃんに案内される形でこの家の地下にあるスタジオへと向かうことになった。

 

 「大丈夫か?

 

 小夜子ちゃんの後に続いてスタジオにいこうとした私に、十夜がママと小夜子ちゃんには聞こえないくらいの声量で呟く。

 

 「ごめん・・・ありがと

 

 十夜からの気遣いに私は同じ声量で素直に感謝を返して、ママと小夜子ちゃんの背中を追う。

 

 「あ、マキリン」

 「ん?」

 「ヘアゴム返して」

 「えっ、今?」

 「だってちょうど思い出したから」

 「・・・はいはい」

 

 ついでに、ショートになった髪を触られていたときにさり気なく強奪していたヘアゴムを十夜に返した。

 

 

 

 

 

 

 “『“いっしきとおや”。これがおれのなまえ』”

 

 十夜と初めて会ったのは、記憶が正しかったら3歳くらいのとき・・・本当のことを言うと私がまだ“牧静流”というもう一つの名前を授けられる前の1歳のときには既に会っているけれど、初めて会ったときのことはあまりに幼すぎて全く覚えていない。

 

 “『一緒にあそぼう、イッチー』”

 

 小さかった頃の十夜は、それはもう思わず嫉妬してしまいそうなくらい可愛かった。白銀のように透き通ったサラサラなショートボブっぽい髪と色白な肌、パッチリとした琥珀色の瞳と女の子みたいな顔立ちで1コ上のくせに年下の私に弟のように甘えてくる姿は、冗談抜きで“天使そのもの”だった。

 

 “『これ、お芝居を頑張ってるイッチーにプレゼント』”

 

 “『クレッシェンドはこう弾いて、デクレッシェンドはこう弾くんだよ、イッチー』”

 

 “『見てて、今から目を瞑ったままあそこのゴールに入れるから』”

 

 という感じで普段は弟みたいに甘えてくるくせに、天才子役としてチヤホヤされ出したときに“労い”で小夜子ちゃんと一緒に作ったクッキーをプレゼントしてきたり、3歳から興味本位で弾いていたピアノの弾き方を私に教えたりするときはちゃんと“お兄さん”らしく私のことを引っ張ってくれて、可愛い顔に見合わず運動神経は抜群でサッカーとかスポーツをしてる時の姿は別人のようにカッコよくて・・・という具合でそんなふたつの顔がある1コ上の天使と一緒にいる時間は、本当に楽しかった。

 

 

 

 “『・・・イッチー、何で泣いてるの?』”

 

 

 

 忘れもしないのは私が7歳のとき。夏休みでちょうど仕事のほうもまとまったオフが取れたことで一色家が前に住んでいた一色邸に1泊2日で泊まりにいった日に、悪夢を見て飛び起きた真夜中のこと。

 

 “『・・・・・・カントクさんから怒られた・・・・・・“言う通りにお芝居できないからおまえはもういらない”って・・・』”

 

 一色邸の子ども部屋のベッドで、私は十夜ちゃんと隣同士になって眠っていた。あの時に見た夢は、未だに半年に1回くらいのペースで見るからすっかり内容は覚えてしまった。自分が思うように演じることが出来なくてNGを連発して、それまで私のことをチヤホヤと褒めていた大人(味方)たちがどんどん愛想を尽かして離れて行って、最後に監督からも見捨てられる、考えうる限り最悪な悪夢(ゆめ)

 

 ただでさえ今でもあの悪夢(ゆめ)を見た直後は目が冴えてしまって小一時間は寝れなくなるくらいやられてしまうから、自分で言うのもおかしいけれど初めてあの悪夢(ゆめ)を見たときの絶望と悲しみは計り知れないものだった。

 

 “『・・・私って・・・・・・本当はみんなから必要とされてないんだ・・・』”

 

 そう言ったかどうかはまでは覚えてないけど、この前に会ったときに一色邸のシアタールームで2人きりで他愛もないことを話しながら映画のビデオを鑑賞していて、たまたまその話になった流れで十夜が珍しく真面目な感情で私にそのことを打ち明けていたから、きっと本当のことなんだろう。

 

 ていうかまず7歳でこれだけのことを言うとかどんな人生を送っているんだって話だけど、育てられてきた環境を考えたら当然っちゃ当然だから驚きはない。“誰かさんのせいで普通の女の子だった感性が失われた”・・・なんて嘆いても、何もかも遅い。

 

 “『・・・嫌だ・・・・・・嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ』”

 

 てことは置いておくとして、とにかくあの瞬間の私は生まれて初めて見る地獄のような悪夢に魘されたせいでアイデンティティーが崩壊しかけていた。多分、絶望具合だったらママから“復讐のために女優として育てられていた真実(こと)を打ち明けられたあの日といい勝負かもしれない。

 

 

 

 “『大丈夫・・・・・・イッチーは誰にも負けないくらいお芝居が上手だから、“仲間外れ”なんかじゃない・・・』”

 

 

 

 そんな地獄のような悪夢を見てパニックになっていた私を、隣から聞こえた泣き声で起きていた十夜が優しく抱きしめて、泣きじゃくる私の背中をあやすようにそっとさすった。

 

 “『・・・いま見ていたのはただの悪い夢だから大丈夫だよ、イッチー・・・』”

 

 涙に溺れて十夜がどんな顔をしていたのかはほとんど分からなかったけど、この時の十夜の姿は私が知ってる同じくらいの背丈の1コ上の天使とは思えないくらい、もの凄く大人っぽく感じた。

 

 “『・・・でも・・・・・・さっき見てた・・・夢が・・・・・・予知夢、とか、だったら』”

 “『ならないよ・・・だって“俺”はずっとイッチーの味方だから・・・・・・もしみんながイッチーのことを仲間外れにしたら・・・力ずくでも“牧静流”は凄い女優さんだってことを俺がみんなに思い知らせて、一人残らず連れ戻してやるから・・・』”

 

 

 

 その瞬間、私は生まれて初めて私以外の人の腕の中で本気で泣いた。

 

 

 

 “『・・・じゃあ、さ・・・ひとつだけ・・・・・・十夜ちゃん、に、ワガママ言って・・・いいかな?』”

 “『うん。いいよ』”

 

 

 

 その瞬間、私は生まれて初めて芝居以外で人に我儘を言った。

 

 

 

 “『・・・明日(あした)から・・・私のこと・・・・・・“イッチー”って呼ぶの・・・・・・やめて』”

 

 十夜が私の名前を呼ぶときに使っていた“イッチー”というあだ名。 “静流”や“シズちゃん”だと何だか言いづらいから本名の一ノ瀬をもじって“イッチー”になったというしょうもない理由だったけど、自分のことを“牧静流”として視ている人たちしか知らない私にとってずっと“一ノ瀬静流”として視てくれる十夜は特別だったし、何より“女優じゃない自分”ごと受け入れてくれるたった1人の存在だった。

 

 “『・・・どうして?』”

 “『・・・なんか・・・・・・嫌だから』”

 

 

 

 けれどもあの悪夢(ゆめ)を見た瞬間、私の心は自分のことを“牧静流”として視てくれないと“自分がこの世界で必要とされていない”という漠然とした不安と苦痛に駆られ、“一ノ瀬静流”でいようとする“もう一人の自分”を拒む構造(からだ)になってしまった。

 

 

 

 “『分かった・・・・・・じゃあ明日からは“マキリン”って呼ぶよ』”

 “『・・・マキ・・・リン?』”

 “『・・・やっぱり“マキリン”じゃだめ?』”

 

 あの日の夜を境目に、私のあだ名は“イッチー”から“マキリン”になった。

 

 “『・・・ううん・・・・・・いいよ』”

 

 

 

 こうして私は7歳にして、“普通の女の子(一ノ瀬静流)”として生きていた(自分)の片割れを自らの手で殺めた。

 

 

 

 

 

 

 「おぉ、やってるやってる」

 

 カラオケボックスなどにありそうなやや分厚い扉を開け、地下室に繋がる階段を降りた先に見えたいかにも“音楽スタジオによくある”防音扉の向こうから微かに聴こえるピアノの音色に、私の真後ろを歩く十夜ちゃんが襟足を結ぶ仕草をしながら反応する。

 

 “・・・新しい曲?”

 

 扉の向こうから聴こえてくるのは、多分私だけじゃなくてここにいるみんなも聴いたことのない未知の曲。けれどもたった一小節を耳にしただけでそれが“城原千里の音楽”だということがはっきりと五感に伝わってくる、たった1人しか作れない唯一無二の美しさと儚さに満ち溢れた綺麗な旋律(メロディー)

 

 「あんまり聴き馴染みがないような曲だけど、新曲かしら?」

 「そうですね、いま弾いている曲はまだ発展途上で楽譜すら完成していない新しい曲ですから」

 

 私が心の中で思っていたことを代弁するかのような言葉をママが溢すと、小夜子ちゃんはどこか得意げそうにママの言葉に答えながら頑丈な防音扉を開ける。本人にわざわざ言うほどのことじゃないけど、城原さんのことを“めんどくさい音楽人”って言って謙遜しておきながら誰よりも旦那(パートナー)として誇らしく想っている“惚気”っぷりが駄々洩れで、可愛らしく思える。

 

 「千里さん、真純さんと静流ちゃんが来ましたよ

 「!?」

 

 防音扉の向こうに広がるワンルームくらいの白い空間で“自分の世界”に耽りながらグランドピアノを弾いていた城原さんが、16歳ほど歳の離れた小夜子ちゃん(フィアンセ)から優しく声をかけられると大きな物音に驚いた小動物のようにビクつきながら椅子に座ったまま勢いよく私たちのほうへと振り返った。

 

 「あ、あぁこれはこれはすいません、まさかもうお越しになられていたとは・・・せっかくお忙しい中来て頂いたというのにとんだご無礼を」

 

 そしてすぐさま立ち上がるや否やあたふたしながら来客の私とママに向かって深々と頭を下げる。

 

 「そんなそんな私たちのことはお気になさらずに、頭を上げて頂いて」

 「あぁはい、すいません」

 

 城原さんのこのまま少しでも放置し続けたら土下座をするんじゃないかってぐらいの本気の謝り具合に、普段は常に冷静沈着を保っているママも困惑を隠せない。

 

 「・・・そういえば静流さんとは初めましてになりますよね?」

 「はい、そうですね」

 「あの、この度・・・と言っても半年ほど経ちますが、僕は小夜子のパートナーとなりました作曲家の城原千里と言います。静流さんの女優としてのご活躍は家内の小夜子と共に拝見しております」

 

 ママから半分促される恰好で頭を上げた城原さんは、続けてママの斜め後ろにいた私に目を合わせて深々とお辞儀をしながら挨拶してきた。出会ってたったの数秒で、この人がママの言う通り本当に“芸術家気質”な人だということは扉の向こうから聴こえてきた唯一無二のピアノの旋律(メロディー)と、4度の日本アカデミー賞・最優秀音楽賞を始め国内とアジアで数々の音楽賞を受賞してきたとは思えない温厚で腰の低い人柄で強く感じた。

 

 こんな感じの振る舞いのせいで全然伝わらないけれど城原さんは“日本の音楽界の第一人者”と呼ばれているほどの巨匠で、超がつくぐらいの大物音楽家だ。“類は友を呼ぶ”っていうことわざがあるけれど、それはまさに家系図の人間がことごとく有名人ばかりになっていく私たちのために存在すると言われても、これじゃあ仕方ないのかもしれない。

 

 「牧静流です。城原さんが私の女優としての活躍を拝見してくれたこと、本当に光栄に思います」

 

 そんな半年前に私たちの家系図に加わり親戚になった著名な音楽家を相手に、私は“牧静流”として挨拶する。

 

 

 

 “『城原さんとは今後も仕事で関わっていくことがあるだろうから、くれぐれも無礼のないように』”

 

 

 

 もちろんそれは、同じ“業界人”として今後とも長くお付き合いしていくためだ。

 

 「いやとんでもないです、僕はそんなふうに敬われる大層な人間じゃありませんので」

 「4度の日本アカデミー賞・最優秀音楽賞に輝いている方がまたご冗談を」

 「あれは強運が重なっただけですよ。僕はただ、映像作品の持つエネルギーと物語の素晴らしさを自分が表現する音でどうにか1人でも多くの人の心に届けたいという想いだけでやってきたので・・・本当に称賛されるべきなのは作品を作る監督さんや俳優さんたちであって・・・僕はその人たちの表現したいものを、音楽という形で最大限に引き立てる裏方に過ぎませんから

 

 腰の低い謙虚な言葉とは裏腹に、城原さんはサラリととんでもなくハイレベルな美学(こと)純粋な感情で投げつけてきた。音楽家としてあれだけの実力と才能と個性を持っていながら自分自身という“たった1つの存在”を押し出していこうとする欲望なんか一切なく、映像作品においてはあくまで物語を盛り上げるための“脇役”に徹し続ける。

 

 「だとしても、城原さんの音楽によって救われた映画は曲の数だけあると私は思っていますよ

 

 そんな“天性の才能”と“純粋な心”が噛み合うことで、この人の両手から数多の名作と呼ばれる映画と音楽が邦画界で揺るがない1つの歴史として創られ続けている。役者で例えるとしたら、ただそこにいるだけで場の空気が全て染まってしまうほどの個性を持っていながらも、脇役として存在感を消すことだっていとも容易く出来てしまう天才肌(カメレオン)

 

 考えたところで城原さんは役者じゃないから意味がないんだけど、こういう人が共演者だったらはっきり言って私はすごく厄介だ。

 

 「だから私は、そんな城原さんの手掛ける音楽に見合うような“たった1人の女優”になれるように、これからもお芝居を頑張ります

 

 “天性の才能”と“純粋な心”。そのどちらも手にすることが出来なかった私は、普通じゃない“ニセモノの才能”で抗いながら身を削って勝負することしか出来ない。それなのに、私は女優以外の生き方を知らずに引き返すことの出来ない場所まで来てしまった。

 

 「いやそんな・・・僕から見れば静流さんはもう十分に一流の女優さんですよ。寧ろそんな女優さんからここまで有難い言葉を頂けて、逆に光栄な限りです

 

 

 

 欲のない純粋な感情で私のことを讃えてくれる(内心を抉ってくる)城原さんにはきっと分からない。“ニセモノ”として往生際悪く“ホンモノ”の影にしがみつきながら芝居を続ける、女優(わたし)の“醜さ”なんて・・・

 

 

 

 “・・・いつからこんなに“醜く”なっちゃったのかな・・・・・・私・・・

 

 

 

 「・・・もしいつか同じ作品で“出演者と作曲者”として携わるような機会が来たときは、よろしくお願いします

 

 7歳のときに一度は殺めた“弱虫な普通の女の子(制御不能)”の感情を、女優としてちゃんと視てくれている城原さんへの感謝の言葉と引き換えに“女優(じぶん)感情(こころ)”で奥底にしまい込む。見くびるな、私は女優(やくしゃ)だ。己の感情を殺して心の中で再構築して表に吐き出すことぐらい、台本もカチンコもカメラもなくたってどこだろうと瞬時に出来る。

 

 「はい・・・僕もその時が来るのを非常に楽しみにしています

 

 もちろん他人(ひと)から一流の女優って褒められたくらいじゃ、私はちっとも満足なんてしない。

 

 

 

 “『・・・静流ちゃん・・・・・・もしあなたに“薬師寺真波”を超えられる“自負と覚悟”があるというならば・・・私が真純ちゃんの代わりに“面倒”を見てあげても構いませんよ?』”

 

 “『静流・・・役者は自分に嘘をついてしまったら、その瞬間に終わりなのよ・・・』”

 

 

 

 女優として“あの人たち”が築き上げてきた“時代と呪い”を完膚なきまでに超えることで、私は初めて女優(にんげん)になれる。“二番煎じ”のままで終わってしまっては・・・牧静流(じぶん)がこの世界で生を受けた意味がないのだから。

 

 

 

 「あのさ、オレちょっとマキリンと話したいことがあるから姉さんたちは先に上がっててくれない?

 

 斜め後ろから少し大人っぽくなった聴き馴染みのあるどこか甘めな声が聞こえて視線を移すと、十夜ちゃんが少女漫画の王子様(ヒーロー)みたいに爽やかな笑みを浮かべていた。もちろん十夜ちゃんがどうして私と“2人だけ”で話したいって急に言い出したのかは、余裕で想像できる。

 

 「えっどうして?」

 「いやほら、オレとマキリンってどっちも芸能活動が超忙しいじゃん?こんな感じで次に会えるのもいつになるか分からないし・・・10分だけだから」

 

 十夜ちゃんの一言に小夜子ちゃんは思わず困惑するが、そんなことはお構いなしに当の本人はここぞとばかりに“ただの弟”になって姉に“お願い”をする。傍から見れば、もうあと10分だけと言ってテレビゲームを続けようと親にねだる小学生だ。

 

 「私は全然構わないんだけど・・・千里さんは?」

 

 可愛い弟からの“おねだり”に根負けした小夜子ちゃんは、ひとまず城原さんに意見を求めた。

 

 「僕は良いと思いますよ。大人は大人同士、子どもは子ども同士で“水入らず”で語り合うことも大切ですし、あぁ何ならこのピアノとか全然弾いてくれても大丈夫ですので、寧ろ良かったら是非」

 

 温厚そうな笑みと一緒に返って来た答えは、割と予想通りな言葉だった。

 

 「調子乗って壊さないようにね、十夜ちゃん?」

 「壊すわけないじゃん、こう見えてオレは物にも命があると思って大切にする“平和主義者(パシフィスト)”だから」

 「“平和主義”って関係あるのそれ?」

 「いやあるでしょ普通に」

 

 その実態は、女優(やくしゃ)と人間観察を続けているうちに相手の無意識な視線の動きで“何を考えている”のかを半分ぐらいまでは予想して当てられるようになったという、生きてく上でロクに役に立たない特技に過ぎないけれど。

 

 「しかし、この2人が並んで話しているとそれだけで映画のワンシーンのように華やかになりますね

 

 “・・・・・・” “・・・・・・

 

 そんなこんなで軽くふざけた会話をし始めた私と十夜ちゃん(わたしたち)の様子を微笑ましく見ていた城原さんから純粋な感情をぶつけられ、私たち2人は仲良く同時に我に返って少しだけ羞恥に浸る。

 

 “嘘吐き”として生きてきた人間は、こと“嘘のない感情”を直接向けられると自分の意思とは関係なく弱ってしまうものだ。

 

 「そりゃあだって・・・オレたちは“主演俳優”だから

 「十夜ちゃん、調子に乗らない」

 「いやホントのことじゃん」

 「そんなふうにして浮足立ってるとすぐ誰かに追い抜かされるよ」

 「安心しろよマキリン、オレだってちゃんと弁えてるからそういうとこは」

 「十夜、先輩には礼儀正しく」

 「こういうときだけマキリンのほうに付くのはズルいって姉さん」

 

 もちろん私たちは役者(にんげん)だから、心の中で感じた動揺なんて一瞬たりとも表には出さずに平然を装い続ける。

 

 「静流・・・これからは“先輩”として十夜くんのことも、よろしく頼むわよ

 「ちょっといきなりマジなこと言ってこられたら何にも言えなくなるって真純さん。なぁマキリン?」

 「てことだからこれからもよろしくね、一色十夜(しんじん)くん?」

 「この親子マジで・・・」

 「まぁ何はともあれ、お2人が役者さんを楽しくやれているのが見ているだけでこっちにも伝わってくるので、僕は本当に嬉しいですよ。僕が言うのが一番おかしい話ですけど

 「言っとくけど“何はともあれ”で〆られると思ったら大間違いだからね千里さん?」

 

 

 

 当然、私たちのことを知り尽くしている“身内(ひとたち)”の前であろうと・・・

 

 

 

 「・・・ってごめんなさい。私ったらまだ真純さんに何も聞いていませんでした」

 

 私たちが役者らしく自分を演じていたなか、小夜子ちゃんがついに気付いた。まぁ、私にとっては気付いたところでっていう話だ。

 

 「別に私は最初から構わないわよ。こういう時ぐらいは我儘をさせないと、役者という仕事は身が持たないでしょうから・・・

 

 基本的にママは、最も近しい一色家(親戚)といるときはほんの少しだけ甘くなる。汚い表現をすると、親戚としての付き合いだとかというより芸能界にも太い“人脈”を持つ十夜ちゃんの両親との関係を考慮した“戦略的”な部分が大きいんだけれども。

 

 「それで良いわよね?静流?

 

 だからこそ私は時々ふと思ってしまう。“母親(おかあさん)”の感情を捨てきれないくらいなら、自分の私情で十夜ちゃんを芸能界(この世界)に巻き込むような真似はするなと。十夜ちゃんや小夜子ちゃんをそうやって巻き込むくらいなら、真美さんみたいな“突き抜けた非情(女優)”になって私にとっての“憎悪”であってくれと。

 

 

 

 “・・・全部が“中途半端”だから・・・・・・ママは真波さん(おばあちゃん)から捨てられたんだよ・・・

 

 

 

 「うん。ありがとうママ

 

 

 

 なんて酷い言葉を口にできるほど私は強い女の子(にんげん)じゃないし、いまそんな言葉(こと)をママに言ってしまったら、きっと“牧静流(わたし)の存在意義”は消滅して私は“死んで”しまうだろう・・・・・・だから例え、“自分”の命と引き換えに“大切な人”の首元にナイフが突きつけられようが・・・・・・この“感情”だけは私が“独りきり”になるまでは絶対に使わない・・・

 

 

 

 「じゃあ私たちは上でお茶を飲んで話しているから、静流ちゃんと十夜も好きなだけ“2人だけ”の時間を楽しんで」

 「好きなだけと言ってもずっとここに居座られるのは無理だわ。静流(この子)のスケジュールもあるから夕方には帰らなければならないし」

 「さすがにそこまで長くはならないよママ。十夜ちゃんが調子に乗らなければだけど」

 「まだ続いてたんかいそのネタ」

 「まぁいいじゃないですか、お2人ともお仕事を本当に頑張ってらっしゃるので今日ぐらいは互いに好きに過ごしても」

 「本当にごめんなさいね」

 「いえいえとんでもないです」

 

 

 

 そしてワンルームほどの地下室には、私と十夜ちゃんだけが残った。




お久しブリトニー・・・・・・3ヶ月ぶりでございます。ここから物語は徐々に本編の『或る小説家の物語』にも繋がる伏線や補完する部分が色々と出てくる予定です・・・・・・なお更新頻度はお察しください。

ちなみに本編で既に登場している一色十夜ですが、キャラデザのモデルは『不滅のあなたへ』の主人公でもある“フシ”です。なお作者の画力は画伯にすらなれないレベルで終わっているため、描けと言われても無理です。気になった人はググってください。


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5.ピアノ・レッスン

『或る小説家の物語』第二部、2月27日(月)より連載開始


 「改めてみると地下にスタジオがあるって凄いよね?」

 「まぁね、地下1階ってパターンはそれなりによくあるけど家にスタジオを持ってる人はあんまりいないからね」

 「十夜ちゃんにとっては地下1階ってよくあるパターンなんだ(多分だけど聞く相手を間違えたわ私)」

 

 大人組3人が1階のリビングに上がって、地下1階のスタジオには私と十夜の2人きりになった。

 

 「あと城原さんは普通に触っていいって言ってたけどさ、このピアノ絶対高いでしょ?」

 「当然だよ。コイツはYAMAWAのEX-A、普通にコンサートホールとかに置かれてるようなやつだから低く見積もっても2000万はかかる」

 「さすが城原さんのレベルになるとスケールが違うね」

 

 10畳ほどの広さの白い壁で囲まれたスタジオには、城原さんが使っている推定2000万円以上はするという高級グランドピアノが奥のほうに鎮座していて、ちょうど反対側になる位置にはシンセサイザーと録音機材が同じく鎮座して、そのすぐ横のスペースにはクラシックギターと数種類の民族楽器が掲げられているから広さはあまり感じない。ただそれらが綺麗に3等分のスペースで分けられているおかげからか、閉塞感はなく絶妙なバランスで纏まっている。

 

 「と言っても、前に俺の住んでた実家にあったピアノと全く同じものを“母さん(あの人)”が結婚祝いで姉さんと千里さんにプレゼントしたから、実質タダなんだけどね」

 「やばいな一色家」

 

 ちなみにこのピアノは一色邸にあったグランドピアノと同じモデルのうえに十夜のお母さんでもある真夜子(まやこ)さんからタダでプレゼントされたらしい。よくもまぁ、こんな“大掛かり”なものをポンっとプレゼントできるものだ。

 

 相変わらず、世界を股に掛ける一色夫婦のお金の使い道はじつに豪快だ。

 

 「そういえばあの“お城”はどうなったの?」

 「姉さん曰く結局買い手が現れなかったから、美術館に改装するってさ」

 「なるほど、なんだかんだで綺麗に収まった感じだね?」

 

 そして一色夫妻が活動と生活の拠点を完全に海外へと移したことで“日本一豪華な空き家”と化していた“お城”のような旧邸は、外見はほとんどそのままに来年に“20世紀最後の現代美術”の異名を持つ芸術家として世界的に活躍する真夜子さんの名前を模した“一色真夜子(いっしきまやこ)美術館”に生まれ変わる予定だという。

 

 もちろん“お城”っていうのはあくまで比喩で、それぐらい立派な邸宅(いえ)って言うだけのこと。まぁ、初めて目にしたときはマジでお城だって本気で思ったけど。

 

 「ま、俺には関係のない話だけどな」

 「そんなことないでしょ、“親子”なんだし」

 「“親子”だろうと関係ないものは関係ないよ」

 

 けれども肝心の十夜にとって“両親のこと”は本当にどうでもいいらしく、関係ない話だとやや冷めたように話す。

 

 「・・・これはまた“反抗期”なことで」

 「“反抗期”はお互い様だろ?マキリン?」

 「うん、十夜ちゃんほどじゃないけどそれは言えてる」

 

 十夜と一色夫妻の間にある事情を知っている私は、本音の感情を隠して遠回しに十夜の核心へと触れてみる。私が“薬師寺真波”の遺した呪いと戦っているとしたら、十夜は“一色家”という十字架を背負って戦っている。生まれ持った血筋があまりに大きすぎる私たちには、私たちにしか“共有できない感情(モノ)”があるから、私は十夜には心を開いて話すことができる。

 

 「でも・・・なんか懐かしいよね、この感じ?」

 

 だから一色家の人たちと会うときの一番の楽しみは、こんなふうに十夜と2人だけになった空間で映画を鑑賞したりピアノを弾いたりしながら何気ない話をすることだった。当たり前だけど、そこに恋愛的な感情は一切ない。

 

 「そうだね・・・マキリンとこうやって2人きりになるのは芸能人になってからは初めてだから」

 「・・・そっか・・・確かに」

 

 思えばこの3,4年で十夜と会う回数は、十夜が両親の活動の関係でアメリカに行ってたとき以上に減っていた。私の芸能活動が今まで以上に忙しくなって中々会えなくなって、幸か不幸か両親と姉が有名人なだけの一般人が同じ芸能人になってまた定期的とは言えなくても会う機会が増えるかと思ったら、こんな感じで2人きりで会える機会は減る一方だ。

 

 

 

 “『おつかれ、元気そうじゃん』”

 

 

 

 だからあの月9ドラマの撮影現場に何の予兆もなく見学にやってきたときは、周りに共演者やスタッフがいたから感情を表には出さなかったけど、普通に嬉しかった。同じくらいだったはずの背丈は視線を上に向けないと目が合わなくなるくらい大きくなって、中性的な顔つきはそのままに声も顔も大人っぽくなって雰囲気は“天使”というより“王子様(ヒーロー)”らしくなっていたけど、中身だけは何も変わっていなくて私はホッとした。もちろん、“みんな”がいる前だったからその感情を表には出さなかった。

 

 

 

 ただ十夜との思ってもみない再会は、直後に撮影現場で繰り広げられた“蓮の幼馴染くん”の芝居のせいでほとんど“上書き”されてしまったけれど。

 

 

 

 「・・・マキリンはアリサさんの第一子(こども)が生まれたって話はもう知ってる?」

 「えっ?あ~、先月ぐらいだっけ?(なんでいきなりアリサさんの話?)」

 

 城原さんのグランドピアノを前に意味もなく感傷に浸っていたら、十夜が急に何の前触れもなしにアリサさんの話題を私にふってきた。こんな感じでいきなり話をガラッと変えてくるところはもう慣れっこだから、心の中でツッコみつつもいつも通りに私はスルーでやり過ごす。

 

 「そう。それでアリサさんの子どもの名前がさ、“(あきら)”っていうんだよね」

 「あきら?」

 「彗星の“”っていう字の下に“”をつけて(あきら)。カッコ良くね?」

 「・・・ていうか誰から聞いたのそれ?」

 「ご本人。元々一色家(ウチ)がアリサさんとは家族ぐるみで面識があってお見舞いとか普通に許されてるから、そこで聞いたわ」

 「さすが一色ファミリー」

 

 淡々とした語り口で、十夜はまだ公にされていない“機密事項”を平然と私に教えてきた。一応私は“守るべき秘密”はちゃんと守るほうだから言われたところで誰かにバラしたりとかはしないけど、危機感はないのか十夜(こいつ)は・・・と、芸能界の先輩として余計なことをふと思ってしまう。

 

 「けどさ、そんなこと私に教えちゃっていいの?もしかしたら何かの気まぐれでマスコミさんにリークしちゃうかもよ?」

 「マキリンはそういう真似は絶対しないって分かってるからいいんだよ」

 「まあ、しないけど」

 「大丈夫。俺は弁えるところはちゃんと弁えるタイプだから

 「(言ってることに嘘がないのがタチ悪いんだよなぁ・・・)・・・ならいいけど気を付けてよねそういうとこ」

 「りょーかい」

 

 もちろん、私がそういう汚いやり口で相手(ライバル)を陥れる行為を嫌っていることを知った上で “心を許している相手”としてアリサさんの第一子のことを教えてくれていることはとっくに気付いているし、“弁えるところはちゃんと弁える”という言葉に何一つの嘘がないことも分かってる。

 

 

 

 私や小夜子ちゃんのように心を許した相手と2人きりになったときの十夜は、“周りのみんな”がいるときとは違ってちゃんと“心を開いて”いるから。

 

 

 

 「でも姉さんが自分の子どもに付けるって決めてる名前も、“アリサさんちのアキラくん”と同じくらいいい名前なんだぜ」

 「へぇ~そうなんだ。どういう名前なの?」

 「もしも生まれてくる子どもが男の子だったら千の夜と書いて“千夜(ゆきや)”、女の子だったら千の夜の子と書いて“千夜子(ちよこ)”。どっちも親の名前をくっつけたってだけだけど、いい名前でしょ?」

 

 そして今度はアリサさんちの“アキラくん”を棚に上げて、小夜子ちゃんがいつか生まれてくる子どものために命名している名前のことを自慢げに話してきた。

 

 「千夜(ゆきや)千夜子(ちよこ)・・・・・・なんかロマンチックだね」

 「由来はすげぇシンプルだけどな」

 「でも、ほんとに良い名前だと思うよ」

 

 まぁ、普通にセンスがあってとても良い名前だから文句は一つもないけど。

 

 「そっか・・・マキリンから言われるとやっぱ嬉しいな」

 「逆に十夜ちゃんだったらどんな名前にしてた?」

 「俺?そうだなー・・・・・・男だったら百の夜で“百夜(びゃくや)”、女の子だったら百の一文字で “(もも)”とか?」

 「何で“”?」

 「兄さんが“一夜(かずや)”で、俺が“十夜(とおや)”だから」

 「うん。とりあえず十夜ちゃんと小夜子ちゃんのネーミングセンスがちゃんと“姉弟”だってことはよくわかった」

 

 ていうか、何で子どもの名前の話でこんなに盛り上がっているんだろう・・・と、心のどこかでほんの少しだけ呆れつつも、小夜子ちゃん(お姉さん)がいる十夜と違って家族の中に心を開いて話せる人間がいない私にとってはこういう何気ない時間が本当に心地良い。

 

 「てか、さっきからどんな話題で盛り上がってんだよって話だよな俺たち?」

 「正直私もそう思ってた」

 

 って思った傍から、十夜が内心で少し呆れていた私の気持ちを代わりに言葉にしてきた。

 

 「だけどこういう他愛もない話ができる相手とざっくばらんに話せる時間は大切だなって・・・芸能人になってからは一層思うようになったよ」

 

 そして十夜は城原さんのピアノにもたれかかりながら独白の台詞を喋るように自分の思いを打ち明ける。

 

 「そういうことが自然に言えるようになったってことは、十夜ちゃんも“芸能人らしく”なってきた証拠だね?」

 

 それにしても、ただピアノにもたれかかり立っているだけで雑誌の表紙みたいに華やかになってしまう“天性の産物”は、相手があの“十夜ちゃん”だと分かっていても芸能人として思わず嫉妬してしまいそうになる。

 

 

 

 “『十夜くんならきっとなれるわ・・・・・・素敵な俳優(やくしゃ)さんに・・・』”

 

 

 

 悔しいけれど、こういうところを見てしまうとママが小さい頃の十夜に言っていた“あの言葉”が正しかったと認めざるを得ない。

 

 「かもしれないな・・・果たしてそれが良いことなのか悪いことなのかは置いとくとして・・・

 「・・・分からなかったら自分で“良いこと”にするしかないよ・・・・・・それが私たちにとっての“生きてく”ってことだから

 「マキリンっていまいくつだっけ?」

 「来月から高校1年生の15歳」

 「これだから芸歴10年越えの子役上がりは精神年齢がバカ高くて恐ろしいんだよなぁ」

 「それは“嫌味”?それとも“称賛”?」

 「もちろん“称賛”だよ」

 

 別に十夜には私と違って家族に心を開いて話せる人がいることはどうだっていいし、私と違って役者(にんげん)として“天性の才能”を秘めていることだってどうでもいい。

 

 「よかった~、十夜ちゃんからこんなふうに言われるのは初めてだから一瞬だけ嫌われたかと思ったよ」

 「そもそも俺がマキリンのことを嫌いになる理由なんてどこにもないから安心しろよ」

 

 だけど、十夜が一番嫌っていたはずの芸能界(この世界)に染まっていって“”と同じような“壊れモノ”になっていく光景だけは、見たくない。

 

 「・・・ホント、“イケメン”は何を言ってもサマになっちゃうからズルいよね?

 

 

 

 そんな人を想う優しさが捨てられないからいつまで経っても“ニセモノ”止まりだと言われてしまったら、それまでだけど。

 

 

 

 「何を言ってもサマになるようじゃ、俺が役者になった意味はないからね・・・・・・どれだけ世間が“あの人たち”と一括りにしようと、“俺は俺”で在り続けたままで全部を塗り替えてやるから

 

 私からのちょっとした揺さぶりに、十夜は余裕の表情でちゃんと自分自身の感情のままに答えてくれた。

 

 「そう・・・なら良かった

 「何が?」

 「ううん、何でもない」

 

 それを見て十夜の心はまだ完全には“染まりきってない”ことを知り、私は安心を覚える。

 

 「あ、そうだ。せっかくピアノもあることだし一曲何か弾いてくれないマキリン?」

 「えっ?何で私?」

 「マキリンの演奏を聴きたい」

 

 すると十夜はまた例の気まぐれで脈略もなく私にピアノを弾くようにせがむ。相変わらず、十夜(この子)といるとただ話しているだけでも理由なく面白い。

 

 「・・・言っとくけどここんところ全然弾けてないからまあまあ悲惨なことになると思うよ?」

 「悲惨なことになってもいいから、俺はマキリンの弾くピアノの演奏を聴きたい」

 「(悲惨なことになってもいい、か・・・・・・十夜ちゃんのほうが私なんかより全然上手かったくせに

 

 褒めているのか貶しているのか分からない言葉で“天使”だった頃と同じように甘えた態度でせがむ“王子”に内心でムカッとなった私は、絶妙に王子の心を抉る悪態をつきながら半年ぶりぐらいに鍵盤の前に座る。実家を出て事務所の後輩の蓮とピアノがない部屋で暮らし始めてからは、仕事がオフのときに気が向いたら学校の休み時間に音楽室にあるピアノを弾くぐらいだったからか、変な緊張が走る。

 

 「もう昔のことだよ

 

 トムソン椅子に座った私からの悪態に、十夜はピアノにもたれかかったまま明後日の方向を向いて静かに言い返して、徐に右手で自分の前髪を意味もなくクルクルと回し始める。

 

 「・・・さすがに怒っちゃった?」

 「“ワケあり”なものを蒸し返されたら、マキリンも良い気分はしないだろ?」

 「まぁ・・・確かに」

 

 “天使”だったときから何も変わらない、普段は常に余裕綽綽に振る舞ってる十夜が余裕をなくしてイライラしてるときによく出る手癖。

 

 「でもマキリンが俺にそういうことを言ってきたってことは、俺にも非があるってことだよな?」

 「うん、ごめんね。怒りたくなかったけど“悲惨なことになってもいい”なんて馬鹿にするような言い方されたから、ちょっとだけムッとした」

 

 逆に十夜も、私が感情的になるとつい“余計なこと”を口走ってしまうことを知っているから、すぐに冷静になってくれる。

 

 「そっか・・・じゃあ元を辿れば俺が悪いってことか・・・・・・ごめん、マキリン。馬鹿にするつもりは全くなかった」

 「ううん、私のほうこそごめんね。さすがに仕返しが過ぎたわ」

 

 だから私たちは偶に喧嘩になることもあるけれど、それぞれ原因は知り尽くしているから、互いの喧嘩は10秒と持たずにヒートダウンして終わってしまう。それはもちろん、十夜とは喧嘩になること自体が滅多にないからっていうのもあるかもしれない。

 

 

 

 何より“心を許している”相手にはなるべく負の感情は使ってほしくないと思っているのは、お互い様だから。

 

 

 

 「・・・なんか私に弾いて欲しい曲とかある?」

 「マキリンの弾きたい曲でいいよ」

 「弾きたい曲って言われてもなぁ・・・」

 

 十夜からのリクエストに答えながら、城原さんのピアノの鍵盤に指を置いて、右手と左手でそれぞれ音階を奏でて、即興でぐちゃぐちゃな旋律を奏でながらピアノを弾いていたときの感覚を思い出して、蘇らせる。

 

 「・・・意外といけそうじゃん?」

 「うん。思っていたより指が覚えてくれてたみたい」

 

 城原さんの即興には遠く及ばないぎこちなさの残る私のウォーミングアップの即興演奏を、十夜はクールに笑いながらも嬉しそうに聴き入る。最初は小学生レベルの簡単な曲で済ませようと思ってたけど、これだけ感覚が戻っているなら私の一番好きな映画の“あの曲”も何とか行けそうだ。

 

 「“慣らし”は大丈夫?」

 「大丈夫、もう行ける」

 

 自分の言葉を合図にして、私は最初の一音目を奏でる鍵盤にそっと指を置いて目を瞑り、深く深呼吸をする。

 

 

 

 “・・・十夜なら分かるでしょ?・・・・・・私が今から何を弾こうとしてるか・・・

 

 

 

 そして心の中でピアノにもたれかかった姿勢のまま目を瞑って聴く姿勢になった十夜に声をかけ、私は鍵盤に触れる指にゆっくりと力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 “『いつか私もこの曲弾けるようになりたいな~』”

 “『ひょっとしてマキリンって本当は女優じゃなくてピアニストになりたいの?』”

 “『違うよ、ピアノはただの趣味。ま、いつか天才ピアニストの役を()る機会が来るかもだから続けといて損はないけどね』”

 “『意外だね。何事にも“負けず嫌い”なのがマキリンだから、俺はピアノも本気でやってるものかと思ってた』“

 “『私は何でも出来る全知全能の天才じゃなくて人よりほんの少しだけ器用なだけの“普通な女の子”だから、女優(やくしゃ)をやってくだけで精一杯だよ』”

 

 4年前の春休み。私は4月から都内の中学校に通うことになって2年ぶりに国内中心の生活に戻った十夜と2人で一色邸のシアタールームの特等席(ソファー)に座り、私が9歳のときに出会った恋愛映画(ラブロマンス)を観ながらいつものように十夜とお喋りしていた。

 

 “『・・・“普通”か・・・俺たちみたいな奴には到底縁がない話だな』”

 

 ただ両親と一緒に東京での生活を再び始めたあの日の十夜は、私の知っている“十夜ちゃん”とは少し違う様子だった。

 

 “『・・・ま~確かに、強いて言うなら私は2歳から芸能界にいるし、十夜ちゃんはご両親が有名人だからみんなが言う“普通”とはちょっと違うかもだけど』”

 “『マキリンだって本当は気付いているんじゃないの?俺たちが“普通になりたくてもなれない”こと?』”

 “『・・・十夜ちゃん?』”

 

 言おうとしていた言葉を遮った十夜に視線を向けると、左隣に座る十夜は自分の前髪の毛を右手でクルクルと回し始めていた。自分が何か気に障るようなことを言ったかどうかを考えてみたけれど何で急に十夜の機嫌が悪くなったのか、何も思い浮かばなかった。

 

 いつもだったらすぐに原因(それ)が分かっていたはずなのに、この瞬間だけは十夜の感情(こと)が何一つ読めなかった。

 

 “『とりあえずピアノでも弾くか、ほら、映画ももうすぐ終わるし』”

 

 機嫌を悪くした理由を理解出来なかった私は苦し紛れに話題を逸らす。

 

 “『ごめん。ピアノはもう弾かないって決めたんだ』”

 

 すると十夜は、今まで私に見せたことのない苛立ちと悲しみが入れ交じったような顔を浮かべて、コンクールで賞まで獲ったことのあるピアノを辞めたことを打ち明けた。

 

 “『なんでやめちゃうの?あんなに上手だったのに』”

 “『母さん(あいつ)”がいつまで経っても俺のことを兄さんの生まれ変わりだと比べるから、もう全部が嫌になった』”

 

 そして自分の母親を“あいつ”呼ばわりする十夜の冷めた眼を視た私は、知らない間に十夜と両親の関係が大きく変わっていたことを知った。

 

 “『もし話せるなら私に聞かせてよ。何があったか?』”

 “『・・・さすがにこれはマキリンにも話せないよ。俺が話したって、何かが変わるわけじゃないし』”

 “『100%は理解できないかもしれないけど、十夜ちゃんがいま感じてることは誰よりも分かる自信があるから・・・だから吐き出してよ。別に誰にも言わないし、かといって私に何か出来るかって言われたら何もできないけど・・・・・・十夜ちゃんがそんな顔をしてるのを見てると、ほっとけなくて・・・』”

 

 私はずっと、十夜は自由奔放に生きる一色家の家族と一緒に気ままで幸せな生活を送っていると思っていた。ママから“薬師寺真波(おばあちゃん)への復讐”という糸に吊るされた操り人形のように育てられた私には、幸せ過ぎるくらい幸せな家庭で“天使”のように無邪気に笑っていた十夜のことが本当に羨ましく思えて、純粋にその幸せに憧れていた。

 

 “『・・・やっぱりマキリンは優しいな』”

 

 でもそれは表向きなだけで、十夜は十夜で“一色家”という特殊な環境に人知れず苦しんでいた。両親と姉は共に世界的に名の知れた著名人、そして十夜が生まれる前に亡くなった兄もまた、将来を期待されていたピアニスト。そんな一人の人間にはあまりに重すぎる十字架を背負わされたら、心も身体も疲弊する。

 

 “『うん・・・・・・十夜ちゃんには“操り人形”のようにはなって欲しくないから・・・』”

 

 子役から女優になって、現実よりも芝居の世界で生きる時間が増えて遠い存在になっていた十夜が自分と“同じ痛み”を感じていたことに、私は説明のつかない妙な“安心”を覚えた。

 

 

 

 それと同時に、どう足掻いても最終的にはママの“操り人形”のようになってしまう現実を自覚して、そんな自分に生まれて初めての“醜さ”を覚えた。

 

 

 

 “『ありがとう・・・マキリンのおかげでやっと“決心”がついた』”

 

 新たに芽生えた黒い感情を心の奥にしまい込んだ私に、十夜は流れ始めたエンドロールに視線を向けながら静かな口調でゆっくりと思いを吐き出した。

 

 “『・・・マキリンは一夜(かずや)兄さんのことは知ってるよね?』”

 “『うん。知ってるよ』”

 

 

 

 十夜がピアノを辞めた一番の理由は、十夜が生まれる前に亡くなった一色一夜(いっしきかずや)という兄の存在だった。生前の一夜さんは十夜と同じくピアノを弾いていて“天才少年”と呼ばれるくらいの活躍をしていたが、病魔に侵され弟の十夜が生まれる2年前の春に11歳で生涯を閉じた。命日の日付は、十夜の誕生日と1日違いの“4月1日”だった。

 

 そして一色邸にあったグランドピアノは、十夜の両親が10歳の誕生日として一夜さんにプレゼントしたものだという。もちろん私は、このときにその事実を初めて知った。

 

 

“『俺はただ自分の好きなように好きなことをしたかっただけなんだよ。ピアノだって“母さん(あいつ)”が家のアトリエで絵を描く合間に弾いてる姿を真似て触れてみたら面白くて、それで始めただけだったのに・・・“あいつ”はいつも兄さんと俺を重ね合わせて、さも俺が本当の生まれ変わりのように俺のことを視るんだよ・・・・・・兄さんは俺が生まれる前にとっくに死んだし、そもそも俺は“一夜”じゃなくて“十夜”だってのに・・・俺は兄さんの“レプリカ”かよって・・・・・・それに気付いたら・・・何のためにピアノをやってるのか分からなくなった・・・』”

 

 

 

 最初は純粋に楽しくピアノを楽しんで弾けていた。“一夜の生まれ変わり”だという真夜子さん(おかあさん)の言葉も、自分のための誉め言葉だと信じていた。だけれど、時が経つにつれて両親がともに世界的な有名人という異端な家庭環境を肌で分かり始めるようになってから、真夜子さんが十夜に向けて口癖のように言っていた“愛情表現”が自分を縛り付ける“呪い”に変わって、趣味の感覚でちゃっかりコンクールで賞まで獲るぐらいの実力があったピアノも、常に周りから両親と比較されて“要らない期待”をされる環境も、全てが嫌になってしまった。

 

 

 

 “『・・・・・・』”

 

 果たしてこれが十夜の抱えた思いの全部なのかは分からなかったけど、初めて打ち明けられた十夜の“本音”に、私はどんな言葉を掛けたらいいのか分からなくなった。

 

 “『・・・ごめん。こんな暗い話されたって、マキリンも困るよな?』”

 

 

 

 “・・・私は芸能界での生き方しか知らないから・・・“家族”と一緒に色んな世界を見てきた十夜の悩みは・・・・・・やっぱり贅沢にしか思えないよ・・・

 

 

 

 “『ううん・・・・・・私に言ってくれてありがとう、十夜ちゃん』”

 

 あのときに沸き上がってきた感情は十夜が可哀想だからっていう同情とは違うものだったけれど、私は湧いて出てきた“負の感情”を演技で殺して、必死に同情した。

 

 “『十夜ちゃんの思いを知れて・・・苦しんでるのは私ひとりじゃないんだってことを知れて、本当によかった』”

 

 

 

 “負の感情”でありのままを喋ってしまったら、私と十夜はもう二度と互いに心を開けなくなってしまうような気がしたから。

 

 

 

 “『・・・そっか・・・俺もマキリンがそういうふうに思っていたことを知れて、嬉しいよ・・・』”

 

 どんな表情(かお)で十夜に言葉を返したかは覚えていないけれど、十夜は思いを吐き出せてスッキリしたと言いたげな安堵した笑みで私に言葉を返してきた。

 

 “『でも俺・・・芸能界だけは絶対に入らないって決めてるから・・・・・・だからもしマキリンが芝居のこととかいまの俺みたいに真純さんとのことで困っても、俺は“頑張れ”としか言えない・・・』”

 

 そして安堵の笑みに少しの寂しさが交じった表情で、“芸能人にはなりたくない”というもうひとつの本音を溢した。

 

 “『・・・そうだよね・・・・・・十夜は“操り人形”にはなりたくないんだもんね』”

 “『誰だってそうだよ。親の勝手に振り回される生き方で満足してるような奴は、親と一緒に仲良く“堕落”していくだけ・・・・・・だからマキリンも女優を続けているんだろ?』”

 

 

 

 “・・・ほんと・・・・・・そうやってすまし顔で意図せず私の心を読み解いちゃうところだけは・・・“嫌い”だよ・・・

 

 

 

 “『言われなくても。私は最初から“おばあちゃん”を名実ともに超えるために“この世界”を生きてるから・・・』”

 

 その本音と核心を突いた言葉に、私は心の中で毒を吐きながら“マキリン”として十夜に自分の思いをぶつけた。

 

 “『・・・良かった。マキリンは今日もちゃんと“マキリン”のままだ』”

 “『当然でしょ?』”

 

 そんな嘘吐きの私に、十夜は本当の感情で再び安堵して笑いかけた。

 

 “『俺も自分で自分の道を開いた姉さんのように、一色家の“操り人形”のまま死んでいくつもりはないから・・・・・・“お前”も頑張れよ』”

 

 

 

 十夜が両親と決別し、音楽留学から帰国した小夜子ちゃんとの2人暮らしを始めたのはそれからちょうど1週間後のことだった。奇しくもその日は、一夜さんの15回目の命日だった。

 

 

 

 

 

 「ブラボー」

 

 ピアノの演奏を終えた私に、十夜はピアノにもたれかかったままクールに称えながら掌で小さく拍手を送る。勢い半分なノリで弾き始めたけど、何とかノーミスで“完走”できたから気分はクランクアップを迎えたときのように晴れやかだ。

 

 「ブランクを感じさせない良い演奏だったよ」

 「そうかな?私の中じゃまだ65点ぐらいなんだけど」

 「マキリンにとっては65点でも、俺にとってはマキリンが“楽しみを希う心(この曲)”を弾いてくれたってだけで100点だから」

 「(もう、すぐそうやって気のいいことを言う・・・)・・・十夜ちゃんからそう言ってもらえると、私も嬉しいよ」

 

 正直なところ学校の休み時間に音楽室のピアノで弾いていたときと比べると明らかに劣る出来栄えだったけど、そんな及第点ギリギリの私の演奏を十夜は優しい言葉と甘い評価で褒めちぎる。多分これが“楽しみを希う心(十八番)”以外の曲とかだったら感想もガラッと変わっていただろうけど。

 

 「・・・マキリンは覚えてる?」

 

 ピアノにもたれかけていた身体を立て直した十夜は、トムソン椅子に座る私のほうを向いて意味深な表情を浮かべて何かを問いかける。

 

 「ん?何を?」

 

 と、私は少しだけわざとらしくとぼけたけれど、十夜が何を言おうとしているのかは一瞬で予想はついていた。

 

 「俺がマキリンに“芸能界だけは絶対に入らない”って言ったこと・・・

 

 

 

 “『でも俺・・・芸能界だけは絶対に入らないって決めてるから・・・・・・だからもしマキリンが芝居のこととかいまの俺みたいに真純さんとのことで困っても、俺は“頑張れ”としか言えない・・・』”

 

 

 

 「・・・うん。ちゃんと覚えてるよ

 

 忘れるわけがない。4年前のシアタールームで私の好きな映画を2人で観ていたときに初めて“本音”を打ち明けてくれたことは、ずっと鮮明な思い出になって私の中に残り続けている。

 

 「俺さ・・・ずっと謝ろうと思ってたんだ・・・・・・マキリンとの約束を破っちゃったこと・・・

 「・・・わざわざそれを言うためにママたちを先に上がらせたってことね?

 

 その記憶を一言の言葉で返すと、十夜は儚げな眼で笑みを浮かべながらこのスタジオで私と2人きりにした本当の理由を明かした。

 

 「正解

 

 芸能界という世界において、“有名すぎる身内”の存在は使い方によっては最大級の武器になる反面、自分自身をがんじがらめに縛り付けてしまう最大級の足枷になってしまう。もちろん十夜はこのことを痛いぐらいに理解しているし、私が芸能界で“一ノ瀬”という本当の苗字を封じられている理由もそういった側面が大きい。

 

 ついでに言っておくと私に与えられた“”という第二の苗字は、おばあちゃんの母方の祖母にあたる“文代(ふみよ)さん”の苗字から取ったものだ。だからどうしたって話に聞こえるけれど、この苗字にはママからの“強い想い”が込められている。

 

 

 

 けれどもその由来はいざ思い出すと感情が制御不能になりそうだから、意図的に“忘却”している。

 

 

 

 「・・・十夜ちゃんって意外と“おセンチ”なとこあるよね?」

 「だろ?これでも俺ってどっちかというと空元気で物事を乗り切るタイプだし」

 「なんだ自覚あったのか」

 

 本音を言うと、十夜には望んでいた普通から最もかけ離れた芸能界(この世界)に来てほしくなかったという想いは今も心の奥に残っている。それは私のように“染まって欲しくない”とか、“壊れて欲しくない”とか、“あれだけ嫌ってた癖に”って思いもあるけれど・・・私が一番恐れていたのは、そういうことじゃない。

 

 「だからどんなに“自分らしく”生きようとしてもそれを許してくれない“普通の世界”に嫌気がさしたって理由だけで“(しん)ちゃんの代役”を引き受けて芸能界に入ったときは、結構ガチで自分の選択を後悔したよ・・・・・・気が済んだら芸能界(こんな世界)なんてすぐにやめてやるってさ・・・

 「・・・そうなんだ」

 

 

 

 私が一番恐れていたことは・・・喰う必要がなかった“大切な存在”が、“喰うべき存在”へと変わってしまった現実(こと)。もしも4年前に時間を戻せたなら。あるいは3年後の未来を既に知っていたら・・・あの日の私は十夜にどんな言葉をかけたのだろう・・・

 

 

 

 「だけどマキリンの出ていたドラマの現場で“糸のない役者(にんげん)”と出会えたおかげで、俺も芸能界(この世界)で“生きる理由”を見つけたから・・・・・・今は後悔なんて1ミリたりともない・・・

 

 

 

 でも結局・・・何を言っても十夜は遅かれ早かれ芸能界(この世界)に足を踏み入れて、芸能界(この世界)に“魅了”されてしまっていただろう。どんなに未来を否定する言葉をかけても、何一つ止めることは出来なかっただろう。

 

 

 

 「・・・だったら私に謝る必要なんてないじゃん。だって“十夜”は・・・

 

 

 

 “だって十夜は・・・・・・私なんかとは違って“自分の意思”で俳優(やくしゃ)になったんだから”

 

 

 

 「・・・じゃあ何でマキリンは女優を続けてんの?

 

 十夜の一言で私はハッと我に返る。その瞬間、自分が無自覚に“心の中”に隠していた感情をそのまま言葉にして吐き出していたことを自覚した。これまで十夜に“マキリン”という盾で隠し通していた“負の感情”が、自分の意図に反して溢れ出ていた。

 

 「・・・何で、って何?

 「“自分の意思”じゃなかったら“女優”なんていつでもやめられたはずなのに、どうして続けてんの?

 

 十夜とだけはこれからもずっと何でも話せる“従兄弟の関係”でいたかったのに。あなたが“天使”のままでいたら、“こんな想い”はしないで済んだはずなのに。

 

 「それともマキリンは・・・・・・真純さん(お母さん)の“操り人形”なの?

 

 

 

 それなのに・・・・・・

 

 

 

 「・・・・・・十夜

 

 

 

 “・・・・・・なんで十夜まで私を“苦しめる”の・・・・・・

 

 

 

 「どうしてそんな酷いこと言うの?

 

 気が付いたら私はトムソン椅子から立ち上がり、両手で十夜の胸ぐらを掴んでいた。




10年ぶりくらいにグループ魂の『君にジュースを買ってあげる♡』をまともに聴いたら歌詞が最高にド畜生で草が生えました。〈ユウ〉


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6.敗者は笑う

 「どうしてそんな酷いこと言うの?

 

 トムソン椅子から立ち上がった私は、感情のままに十夜の胸ぐらを両手で掴んだ。7歳のときに悪夢を見たあの日以来に爆発した、十夜への制御不能(よわむし)の感情

 

 

 

 “『もしみんながイッチーのことを仲間外れにしたら・・・力ずくでも俺が“イッチー”が凄いやつだってことをみんなに思い知らせて、一人残らず連れ戻してやるから・・・』”

 

 

 

 その正体は私にとって喰うべきではない“大切な存在”が、“喰うべき存在”に変わってしまったことへの恐れか?

 

 

 

 “『・・・じゃあ何でマキリンは女優を続けてんの?』”

 

 

 

 はたまた“自分と同じ”だと何の疑いもせずに信じていた特別な存在が、“自分の意思”で俳優(やくしゃ)になってしまったことへの怒りに似た悲しみか?

 

 「・・・マキリン・・・もしかして俺のこと“殺そう”としてる?

 「・・・えっ?」

 

 自分を前に生まれて初めて抱いた殺意を露にした私を全く恐れたりすることなく、十夜は琥珀色の瞳を儚げに開いたまま冷静に問う。その恐いくらいの落ち着き具合に私は逆に呆気にとられ、言葉を失う。

 

 「言える範囲で良いから・・・そうまでしてマキリンが俺に怒る理由を、教えてほしい

 

 そして十夜は弁明の機会を与えることなく畳みかける。もちろん一瞬だけだが十夜のことを本当に“殺そう”としていた私に、嘘を吐く権利などない。

 

 「・・・私にだってよく分かんないよ・・・分かんないけど・・・・・・ほんの一瞬だけ十夜のことを本気で“殺してやろう”かと思っちゃった・・・ただそれだけ

 

 口から言葉を吐き出すたびに殺意が消えて平常へと戻っていく心に比例して、まるでカットがかかって(ウソ)に染まっていた感情が次第に自分(ホント)の感情に戻っていく過程を再現するかのように、胸ぐらを掴む両手の力が抜けていく。どうして私は十夜に、ここまで激しく感情をぶつけたのか。

 

 「でも安心して・・・私は十夜のことを恨んだりはしてないし、殺そうとも思わない・・・・・・深い意味なんかなくて・・・ただ単純に感情が抑えきれなくなっただけだから・・・・・・もう大丈夫

 

 

 

 “『それともマキリンは・・・・・・真純さん(お母さん)の“操り人形”なの?』”

 

 

 

 そこに深い理由なんてない。全ては十夜が向けてきた一言にムカついて、感情を抑えきれなくなった私の落ち度。別にママのことを尊敬しているとかじゃないけど、“女優(やくしゃ)たるもの、隙は絶対に見せてはいけない”という“母”の教えが、これでは聞いて呆れる。

 

 「・・・うん、分かった。ありがとう

 

 “一瞬の過ち”とはいえ殺意を向けてしまったことを打ち明けた力なく胸ぐらを掴む私の両手を私の手より少しだけ大きな左手が優しく添えて、私の手より少しだけ大きな右手で私の頭を優しく撫でながら十夜は儚げな表情を浮かべたまま感謝を告げる。

 

 「ありがとうって・・・何が?」

 

 私を見つめる神様の悪戯かと愚痴りたくなるほどの美少年な顔立ちから放たれる真っ直ぐな感情に、私はいま“喰われよう”としている。もしこれがカメラや観客の前だとしたら、私は完全に十夜の引き立て役に成り下がっている。たった一つのアドリブで形勢が逆転されて、それまで集めていた視線を奪われていくような、理不尽な屈辱感。

 

 「マキリンのおかげでやっと分かったよ・・・・・・人から“殺意”を向けられるときの感覚がどういうものか

 

 

 

 “・・・そっか・・・・・・十夜も“こっち側”の人間だったんだ・・・

 

 

 

 「十夜・・・・・・あなたはいま自分が一体何をしているのか分かってるの?

 

 心の中から湧いて出てきた感情で問いかけると、十夜は私の身体からスッと両手を離す。それに合わせて私も十夜の胸ぐらから両手を離して琥珀の瞳を見上げ凝視する。この瞬間、十夜がスタジオで2人きりにした“本当の狙い”が分かった。

 

 「言われなくても・・・・・・俺はマキリンと同じ“役者”だぜ?

 

 十夜は私の感情を利用して、自らの“血肉”として私を喰った。全く、どうしていつもならとっくに気づいていたはずの“子供騙し”に、私は最後まで気づけなかったのか。私が知っている“天使”なんて4年前にはもういなくなっていたことは薄々分かっていた。

 

 「そうだよね・・・・・・十夜はもう“十夜ちゃん”なんかじゃないもんね・・・

 「・・・ああ・・・少なくともいまの俺は、もう“その呼び名”が似合うような子供(ガキ)じゃないから・・・

 

 でも・・・分かっていてもそれを受け入れることが私には出来なかった。心のどこかで私は、年上のくせに弟のように甘えてくる“十夜ちゃん”の存在を捨てきれないでいた。もちろん捨てきれていないのは、今だってそうだ。

 

 

 

 そんなもの、今さら持っていたところでただただ自分だけが苦しくなっていくだけなのに・・・

 

 

 

 「・・・ぁははっ・・・はははっ・・・・・・ぁははははははっ・・・!・・・ぁははははっ・・・!

 

 あまりの自分の無様さに、笑いが止まらなくなった。私と同じ芸能界(この世界)に足を踏み入れた十夜は、未だに私が未練がましく抱えている感情(モノ)を捨てて大人へと移り変わろうとしている。それに引き換えて私は7歳のときに視てしまった悪夢に時折魘されては、その度に移り変わる前の環境(せかい)を再び欲しがろうとする。二度と戻れないことを分かっていながらも、“それ”に依存しようとする。

 

 

 

 “・・・真波さん(おばあちゃん)・・・・・・こんなにも無様に翻弄される“置き土産”の私は・・・あなたにはどう視えているのかな・・・

 

 

 

 「ははははっ・・・・・・あ~あ、何を馬鹿みたいに淡い“期待”なんかしてたんだろ・・・私

 

 騙されたと言われたらそれまでだ。十夜(あいて)の術中に完全にはまってしまったいまの私は罠にかかった兎も同然。ここまで相手に完膚なきまでに敗北を突きつけられたのは、いつぶりになるのか。そんなことなんか、今は考えたくもない。

 

 「やっぱり変わったよね・・・・・・十夜

 

 確かなことがあるとしたら、十夜はもう、隣にいるのが誰であろうと自分のためなら平然と喰えるような人間になってしまったということ。十夜はもう・・・本当の意味で役者になってしまったということ。

 

 「・・・かもしれないね・・・・・・けど、おかげでやっと“牧静流(マキリン)”に近づけた

 

 グランドピアノに寄りかかって狂ったように笑った後、全てを悟って逆に心が幾分か晴れやかになった私を黙って見ていた十夜が、儚い表情はそのままに静かに笑いながら私に思いをぶつける。

 

 「・・・“近づけた”っていうのは、“役者”としてってこと?」

 「半分正解で、半分不正解」

 「じゃあもう半分は?」

 「それはマキリンの想像に任せるよ」

 

 もちろん十夜が私に“近づけた”もう半分の正解(いみ)は、1秒とかからないで頭の中に浮かんだ。

 

 「“私”

 「言っとくけどマキリンが何を言おうと俺は答えないよ」

 

 頭の中に浮かんだ正解を言うと十夜はわざとらしく鼻で笑って私を欺くが、正直に私の眼を視る瞳の奥の感情が“正解”だとこの私に告げている。人様のことを喰えるように変わったのに、相変わらず私の眼を見つめる瞳は正直者の“十夜ちゃん”のままだ。

 

 「・・・うん。十夜なら絶対にそう言うと思ってた」

 

 これが瞳の奥までが何もかもが別人になってくれたら、どれだけ楽なことか。でもそんなのは一色十夜なんかじゃない。私のことなんか全く気にも留めない感情なんか、私が求め望んでいる十夜なんかじゃない。

 

 「でも先輩として1つだけアドバイスをするけど、どうせ嘘を吐くならもっと芝居が上手くなってからのほうがいいと思うよ?“十夜ちゃん”?

 

 結局十夜(あなた)は、自分の心を偽って他人を演じる私とは逆の生き方を選んだ。別にそれを止める権利なんて私にはないし、何をどう目指そうがみんなの自由だ。それが役者としての正しい生き方であって、色んな人間がいるからこそ理論派が机上の上で定めた人知という“限界値”を逸脱した傑作(ドラマ)が出来上がるから、私たち役者は役者のままで生きることができる。

 

 「だったら俺は・・・嘘を吐かずにマキリンを騙す

 「どうやって?

 「それをマキリンに教えて何になる?

 

 十夜(あなた)がそういう生き方を選んだなら、だったら私も甘んじて依存を断ち切りそれを受け入れるしかない。女優(やくしゃ)として生きている以上、負けたまま終わることは絶対に許されないのだから。

 

 「さあ・・・・・・何になるでしょう?

 

 

 

 “ありがとう、十夜。今日あなたに会えたおかげで・・・私はまたひとつ女優(おとな)になれた

 

 

 

 「その答えはいつか共演するときの“お楽しみ”ってことにしておくよ。マキリン

 

 地下一階のスタジオに鎮座するグランドピアノに寄りかかりながら感情に任せて笑ってみせる私に、十夜はいつもと変わらない調子でクールに笑いながら“駆け引き”の末に自分の導き出した答えを言葉にして返す。

 

 「そっか・・・じゃあ、ここからは“駆け引きなし”で話さない?」

 「うん。いいね」

 

 そして“駆け引きなし”の一言を合図に、私と十夜は互いに自分の“人格(ペルソナ)”を解くようかのように“これまでの2人”に戻って他愛のない会話を1時間ほど続けた。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 「十夜くんと随分長いこと話していたわね?静流」

 「ごめんねママ。十夜と2人きりで話すのは本当に久しぶりだったからさ、つい盛り上がっちゃった」

 

 夕暮れ時。城原邸を後にして私の住むマンションへと向かう車の中、左側の運転席でハンドルを握るママが視線をやや混雑気味な大通りの流れに向けたまま、ほぼ無表情で地下一階のスタジオで十夜とつい長話をしてしまったことを聞いてきた。

 

 「別に謝る必要なんてないわ。役者を続けていく上では、たまには“息抜き”をすることも大事よ」

 

 結局のところ私と十夜は、10分程度で終わらせるつもりが何だかんだで1時間も喋ってしまった。“ひと悶着”の後に話したことは、お互いの近況だとか、俳優デビュー作になった探偵モノのドラマの映画化が決まって私と同じように来月から撮影が始まるだとか、本当に他愛もない話を十夜が一色家から家出をした4年前と何ら変わらない感じで笑い合いながら話していた。

 

 「言われなくても分かってるよ。ずっと張り詰めた状態が続いていたら、人は壊れちゃう生き物だから」

 

 もちろんあくまで“変わらない感じ”というだけであって、私と十夜の間にあった関係性は4年前のあの日を境目に少しずつ変わり始めて、十夜が“絶対に入らない”と誓っていた芸能界に足を踏み入れて、“天使”から“王子様”になったことで音を立てるように変化した。

 

 「・・・どんなことを話したのかは、聞かないでおくわ」

 「あれ?いつもだったら口うるさくこと細かく聞いてくるママが珍しい」

 「口うるさいは余計よ。それを聞き出してしまったら静流と十夜くんを2人だけにした意味がないしょうから」

 

 

 

 “『じゃあ、ここからは“駆け引きなし”で話さない?』”

 

 

 

 「・・・意外と優しいんだね。ママって

 

 そして十夜が他人を演じるというこれまでの現実とは“全く別の世界”に適応してすっかり“移り変わった”現実を私が受け入れたことで、私と十夜(わたしたち)はついに元に戻れなくなった。例えるなら異性の壁を超えて何でも気兼ねなく話せていた親友に間違って恋をして、それまで築いていた“幸せ”を手放してしまった・・・ようなものかもしれない。

 

 誤解のないように言うけれど、私と十夜の間に恋愛感情なんて全くない。

 

 

 

 “『十夜』”

 “『ん?今度は何だマキリン?』”

 “『さっきのことだけどさ・・・』”

 

 

 

 ともかくそうなるに至った過程については、出来るならば墓場まで持っていくつもりだ。私と十夜が交わした、2人しか知らない“瞬間”。戻れなくなったからといって関係は終わることはなく、役者同士であること以前にこれからも従兄弟同士という間柄は続いていくし、どんなことが起ころうともこの関係は壊せない。

 

 十夜がどう感じているのか全部は知らないけれど、それだけ私にとって十夜は友達とも恋人とも“それ以上それ未満”とも違う“特別な存在”だということは・・・どんなに私と十夜が同じ世界に染まって移り変わろうとも、これだけは変わることはないと思う。

 

 

 

 “『おかげでやっとマキリンに近づけた』”

 

 

 

 「・・・優しさなんかじゃないわよ・・・・・・全てはあなたが女優(やくしゃ)で在り続けるためだから・・・

 

 横目で左隣を見ながらわざとらしく笑みを作って揶揄い半分な言葉を向けると、ママは私を一瞥することなく“無表情”のままムスっとした口調で呟く。それがママなりの“優しさ”だというのは、優しさじゃないと吐き捨てた後の“余計な一言”のおかげで考えるまでもなく分かる。

 

 “・・・そういうのを“優しさ”って言うんだよ・・・

 

 「・・・あっそ」

 

 もちろん私は、本音を心の奥にしまってそれっぽい相槌を送り反対車線へと視線を移して、ゆっくりと感情をリセットさせていく。

 

 「・・・にしても今日は色んなことがありすぎて疲れた」

 「でしょうね。真美さんが“ご挨拶”に来たことは私にとっても誤算だったわ」

 「私は撮影現場じゃ絶対に味わえない本物の修羅場を間近で観ることが出来てちょっとだけ楽しかったけど」

 「あなたも随分と“天邪鬼(あまのじゃく)”なことを言うようになったわね?」

 「だってああいう空気って狙って出せるようなものじゃないからさ・・・だから今日はママのおかげで良い“引き出し”が増えたよ」

 「それは良かったわねと言いたいところだけど・・・・・・理由が理由だけに複雑だわ」

 

 リラックスさせた心で、隣でハンドルを握るママと互いに視線を合わせることなく淡々と今日を振り返る。そんなベンツの運転席と助手席で繰り広げられる、“一ノ瀬家”の日常の一コマ。

 

 「もしかして“真美さん”のこと?」

 「静流、話し相手が身内だからといって何をしても許されるとは限らないことは分かっているわよね?

 「はいはい分かってますよ・・・けどさ、ほんとママって私が“名前を出した”だけでいっつも不機嫌になるよね?」

 「触れて欲しくない事柄を無理やり掘り起こされたら不愉快になるのは当然のことよ。静流だってそうじゃないの?」

 「まぁね。そんなことされるのはみんな不愉快だし」

 「分かってるなら慎みなさい

 「安心して私はママにしかやらないから

 「それをやめなさいと言ってるのよ

 

 ちなみにママが“真美さん”の名前を出すと決まって機嫌を損ねるのもいつもの日常(こと)だ。当然、私が“その名前”を言って地雷を踏むときは決まって“わざとのノリ”だということも含めて。

 

 「・・・そういう静流は自分のことを“操り人形”だと言われたらどう思うのよ?

 「うーん・・・人にもよるけど、そんな酷いことを言われたら私はその人のことを“一生恨む”と思う

 

 ただいつもと少しだけ違うところがあるとしたら、今日は2人揃って“お疲れモード”だということ。片や“この世界で一番会いたくない人”からよりにもよって自らを産んだ母親の前で屈辱的な仕打ちをされて、私も私で“この世界で一番戦いたくなかった人”から心に留めていた感情を喰われてしまった。

 

 

 

 “『真純ちゃんは最後まで自分にすら勝てなかった・・・・・・それが“全て”よ』”

 

 

 

 幸にも不幸にも、身の回りの人間関係には何一つ影響は起きていない。だけれど今日、私とママは親子揃って相手に“喰われた”。

 

 「もしもその人が“十夜くん”だとしても、あなたは同じことを言える?

 

 十夜は何も悪くない。悪いことなんか何一つしていない。役者にとって身の回りにあるものは全て“喰い物”だから、十夜は俳優(やくしゃ)として正しいことをしただけ。例えそれが他人の逆鱗に触れる地雷であったとしても、それで感情を喰えたのなら喰ったもの勝ちなのが正しい縮図(せかい)

 

 

 

 “『それともマキリンは・・・・・・真純さん(お母さん)の“操り人形”なの?』”

 

 

 

 十夜が私に“あんなこと”を言ってきたことには、本当に何の恨みもない。悪いのは願ったところで叶うはずもないものに“依存”して、感情を抑えられなくなってしまったこの私。だから、誰も何も悪くない。

 

 「うん。普通に言える

 

 

 

 誰も悪くないから、私が全く同じ行為(こと)をしたとしても、私のことを“糾弾”することなんか誰もできないし、権利も資格もない。相手が“同類の生き物”だと分かれば、“自然の摂理”に身を任せて感情を()べて自身の血肉にするだけ。例えそれが私にとって“特別な存在”であったとしても、やることは同じだ。

 

 

 

 「・・・本気で言っているの?

 

 冷酷無比にクールを取り繕っていたママの感情が、少しだけ驚いたように感じた。きっと私のことをまだ心のどこかで“甘えと優しさを捨てきれない可愛い娘”だと思っているママにとっては、何の迷いもなく“イエス”と言った私のことが意外に思えたのだろうか。

 

 もしもそれが本当だとしたら、私のことを“買い被り”過ぎにも程がある話だ。別に“人のことを想う優しさ”から決別できたわけじゃなく、心の中でしぶとく生き続けている“弱虫な普通の女の子(もう一人のわたし)”を完全に殺める勇気も覚悟もない。

 

 「もちろん・・・・・・だって私は“女優(やくしゃ)”だから

 

 

 

 だけど・・・私が牧静流(わたし)で在り続けるために、かけがえのない“家族や友達(存在)”を全て失う未来すらも受け入れて“鬼”になるくらいの覚悟なら・・・・・・もう出来た。

 

 

 

 「・・・・・・ははははっ

 

 すると私の覚悟を聞いたママが、珍しく声を上げて笑い出した。少なくともそれは“純粋に嬉しい”から笑っているというより、色んな感情が禍々しく入れ交じった先にある“笑い”だ。

 

 「・・・何が可笑しいの?ママ?

 

 

 

 “・・・なるほど・・・・・・十夜には“さっきの私”がこんなふうに視えていたってことね・・・

 

 

 

 「可笑しいことなんて何もないわよ・・・・・・ただ・・・あなたがそういう“良い眼”を魅せれるようになれたことが・・・・・・本当に嬉しくて・・・

 

 心の底から溢れ出る歓喜にも似た興奮を理性で必死に抑えながら、言葉の句読点ごとに呼吸を挟むような独特な間合いを取りながらママは言葉を紡ぐ。いつもならどんなに私が良いお芝居をしようとも一瞬の薄笑いだけで終わらせるママが私に初めて見せた、“感情の綻び”。

 

 「初めて見たよ・・・・・・こんなに心の底から“笑ってる”ママの表情(かお)・・・

 

 芸能界や演劇界においてはそういう類の役者(にんげん)は必ず一定数はいるから別に驚くほどのことはないけれど、普通に考えてたった1人の自分の子供が“こんな状態”になってしまったことに歓喜するママの人間性は、薬師寺家の血筋に漏れずれっきとした“狂人”の類だ。もちろんママが狂っているのはママのせいなんかじゃなく、全ては自分を捨てた薬師寺家への復讐心とたった1人の味方(こども)である私への愛情が複雑怪奇に交錯して黒く染まった、なれの果て。

 

 「怖いかしら・・・?・・・静流から見た今の私は?

 「ううん。ちっとも怖くなんかないし・・・ずっと剝がせなかったベールをこの手で剥がせたような気がして・・・むしろ嬉しいよ

 

 そんなママから輪をかけて、真美さんという人間は更に狂っている。そしてママが私を育てたのと同じように真美さんを“女優”として大人にしたおばあちゃんは・・・なんて考えたところで全部が考察になってしまうのだけど、“女優・薬師寺真美”という役者(にんげん)を持ってしても恐怖を感じる“女優・薬師寺真波”こそ、私が歩き出そうとしている道の果てにある終着点・・・なのかもしれない。

 

 「でも、これはママの為でもおばあちゃんの為でもなくて・・・全ては“自分”の為だから

 

 

 

 だったら私は・・・その終着点の先へ飛び超えて、“薬師寺真波(おばあちゃん)”を神様の座から引きずり下ろしてやる。

 

 

 

 「・・・・・・その通りよ静流・・・例え相手が誰であろうと、隙は一瞬たりとも見せてはいけない

 

 私の本心からの言葉で、ママは普段の落ち着きを取り戻して普段の冷酷な表情(かお)で静かに語りかける。ずっと育てられてきたから分かり切っていることだけど、“元女優”として冷酷無比に自らのメソッド(教え)を叩き込むママも、“おかあさん”として子ども想いな優しい言葉を投げかけるママも、私が“非情”に手を染めたことに歓喜の感情が溢れ出る狂ったママも、全てが一ノ瀬真純・・・いや、“薬師寺真純(やくしじますみ)の本性”だ。

 

 「ただし・・・“捨てる”必要はないわ

 

 

 

 薬師寺真純(ママ)”が薬師寺真波(おばあちゃん)から捨てられ、最後まで薬師寺家に“人間”として認められないまま女優(やくしゃ)の道を捨てざるを得なかった理由は・・・ママは真美さんとは違って“女優としての冷酷さと役者としての狂気”だけで生きることが出来ない、“狂気を隠し持った普通の人”だったからだ。

 

 

 

 「・・・・・・分かってる

 

 そんなママに育てられた私も、所詮は“狂気を隠し持った普通の人”でしかない。どんなに周囲(みんな)が私のことを“狂人”だと指をさすときが来ようが、私は真美さんのような“突き抜けた非情”にはなれないし、なりたいとも思わない。

 

 

 

 “『・・・静流ちゃん・・・・・・もしあなたに“薬師寺真波”を超えられる“自負と覚悟”があるというならば・・・私が真純ちゃんの代わりに“面倒”を見てあげても構いませんよ?』”

 

 

 

 「・・・“自分(それ)”まで捨てちゃったら・・・・・・“牧静流(わたし)”は死んだも同然だから・・・

 

 

 

 だって私は非情な心だけで“綺麗”に生きていける“薬師寺なんちゃら(操り人形)”なんかじゃなくて、非情(つよき)有情(よわき)の“2人の私”に翻弄されながら“醜く”生きていける“牧静流(女優)”だから。




多分、1幕はあと2話ほどで終わります。

ちなみに本編の補足として、静流の“ママ”こと真純が運転している愛車はメルセデスベンツ・SLクラスのR129 500SLです。


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7.可愛い後輩

決して忘れていたわけではございやせん。


 「ただいま・・・・・・って、寝てるし

 

 ママの車の助手席に乗り、おばあちゃんの墓参りをして、その帰りに城原邸に立ち寄って十夜ちゃんと久しぶりに会って、約10時間ぶりに中学2年に上がったときから住処にしているマンションの部屋へと帰ってきたら、“同居人の後輩”がリビングのテーブルに突っ伏してた体勢で椅子に座って寝ていた。

 

 「(いや・・・これは起きてるな)」

 

 ように一瞬見えたけど、どうやらそうではないというのはリビングに流れる“どんより”とした空気で分かった。

 

 「さて、と・・・・・“レンレン”はどうして寝たふりをしてるのかな?」

 「・・・・・・」

 

 呼ばれたら確実に機嫌を損ねる“あだ名”で呼んでも、蓮は狸寝入りを必死に決め込みながら声が届いていないふりをし続け顔を隠す。そうやって誤魔化そうとしたって、先輩の眼は欺けないのは知ってるはずなのに。

 

 「(・・・仕方ない)・・・すきやりっ」 スッ_

 「んっ!?」 ビクッ_

 

 それでも頑なに顔を見せようとしない蓮の顔をどうしても見てみたい私は、真横から至近距離で覗きながら顔をガードしているせいで無防備になった背中を指でなぞり、反射で身体がビクついた隙をついて一瞬だけ上がった顔を覗く。

 

 「やっぱり起きてる」

 「・・・起きてない」

 「いや言い返してる時点で自分から“起きてます”って言ってるんだけどね?」

 

 一瞬だけ見えた金色の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 

 「それで・・・蓮はどうして泣いてるの?」

 「・・・・・・泣いてない」

 

 無理やり見せたくない顔を覗き込んでみたら、蓮は5歳児みたいに拗ねて再び泣き顔を隠す。これはもしかしなくとも、絶対に何かあったなこの子。

 

 「だったら今すぐ顔を上げなさい。泣いてないんでしょあなた?」

 「・・・やだ」

 「どうして?」

 「・・・嫌だから」

 「答えになってないよそれ?(これは相当参ってるなー)」

 

 何があったかは答えてくれそうにないから分からないけど、誰がどう見てもいまの蓮は大ダメージを受けているのは明らか。はて、これはどうしたものか・・・敢えて言うなら先輩として“女優だったら涙のひとつぐらい止めてみせなさい”とキツく言う選択肢はある。少なくとも“薬師寺家”の人間だったらきっとそうする。

 

 

 

 “女優(やくしゃ)たるもの、隙は絶対に見せてはいけない。例えそれがかけがえのない友人であろうとも・・・

 

 

 

 「・・・何か飲む?」

 

 もちろん私もそういう類の生まれたときから女優として芝居以外で泣くことは絶対に許されない環境で育てられたけど、それはあくまで“私たち”だけであって蓮は違う。だから私は、“自分”のやり方で友達に優しく寄り添う。ただし、隙は見せないが。

 

 「・・・ココア」

 「ホット?それともアイス?」

 「ホット」

 「オッケー」

 

 テーブルに突っ伏したまま、何か飲むかと聞いた私に蓮は“ココアが飲みたい”と拗ねたような口ぶりで答える。どうやら食欲だけはまだ残っているみたいで一安心だ。

 

 「ちょっと待ってね。すぐ作るから」

 「・・・ありがと」

 「“ありがとう”はちゃんと相手の目を見て言うこと。ほら?

 

 そして私がキッチンに向かおうとしたのを足音で判断してふと顔を上げたところで、蓮の両頬を押し付けるように手を当ててやや無理やりに顔を上げる。泣いてないと言い張っていたはずの両目には、やっぱりうっすらと涙が溜まっていた。

 

 「ありがとぅ・・・ございましゅ」←※“アッチョンブリケ”されてるせいでちゃんと言えてない

 

 私から強制的に“アッチョンブリケ”をされていよいよ誤魔化す術を失くした蓮は、涙目で“じろじろ見るな”と言わんばかりに眼を睨ませながら素直な気持ちをぶつける。普段の明るく元気で余裕ぶったところも、弱ったらその反動で反抗期の幼稚園児みたいに我儘になるようなところも、実は“ド”がつくぐらい真面目で繊細なところも、ふとした仕草が乙女なところもまるで本当に“”を持ったかのように可愛らしいから、つい私は“”のような気分になって甘えそうになる。

 

 

 

 特に・・・嫌な気分を散々味わって疲れ切った“今日”みたいな日は尚更・・・

 

 

 

 「はい。よくできました

 

 と、本当に“可愛い後輩”へ甘えそうになる前に私は蓮の両頬から手を放して、キッチンに向かう。

 

 「・・・ほんと静流ってすぐそうやって“お姉さん”ぶるよね」

 「だって本当のことじゃん。誰がどう見ても私と蓮じゃ“お姉さん”なのはこっちだし」

 「言っとくけど外見だけなら私のほうがお姉さんだし」

 「(ほぉ、意外と言うじゃんふ~ん・・・“外見だけ”ねぇ?

 「・・・あ」

 「ははっ、墓穴掘っちゃってレンレン可愛い」

 「・・・うっさいし“レンレン”って呼ぶなし」

 

 泣き顔を見られてご機嫌斜めな蓮を相手にしながら、私はストックしてあるココアパウダーを耐熱容器に入れて砂糖と水と牛乳を混ぜて電子レンジに入れる。これで後は500Wで1分半ほど過熱して色違いのマグカップに淹れたら、あっという間にホットココアの完成。もちろん、何一つ拘りなんてない。

 

 「できたよー」

 

 そんな普段料理をしないような人でも簡単に作れるレベルのホットココアが入ったマグカップをふたつ持って、オレンジ色のほうを蓮の前に差し出す。

 

 「さぁ飲んだ飲んだ。こういうときこそ甘いものは最高の調味料だから」

 「言われなくても飲むっつの・・・・・・いただきます」

 

 向かい側に座って笑みを作る私に悪態をつきながら、蓮はマグカップを両手で持って出来立てのホットココアに軽く息を吹きかけ、音を立てずにゆっくりと口に運ぶ。こういう何気ない仕草すらも役者っぽくて華やかに見える人が芸能界(この世界)には少なからずいるのだけれど、私からみれば蓮はそういうのとは真逆なタイプで仕草に全く着飾りがない。まぁ、単純に私が蓮との生活にすっかり慣れてしまったのと、育ってきた環境があまりに特殊過ぎたせいでそう見えてるだけかもしれないけど。

 

 「どう?美味しい?」

 「・・・うん。美味しい」

 

 一口だけ飲んでマグカップを置いた蓮に、ホットココアの感想を聞いてみる。

 

 「そっか。お気に召してくれたみたいで何より」

 

 どうやら普通に美味しく作れたみたいだ。別に手なんて何一つ込んでない拘りゼロの誰でも作れるホットココアだけど、こうやって美味しいって言われると無性に嬉しくなってしまうのは何故だろうか。

 

 「・・・そういえば蓮って、今日はオーディションだったよね?」

 「うん。そうだけど」

 

 さて、ホットココアを飲んで少しずつ蓮が本来の落ち着きを取り戻し始めたところで、私は落ち込んでいた原因を探ってみる。

 

 「えっと何だっけ?学園モノ?」

 「“バトルロワイアル”。ある意味学園モノだけど全然違う」

 「うそ?蓮がバトルロワイアル?人殺すの?」

 「・・・なんか私には“人殺し”なんて似合わないって感じの言い方じゃんそれ」

 「だって蓮が人を殺してるとこなんてちっとも想像できないし・・・ていうか“人殺しの役”が似合うなんていわれても、それって嬉しい?」

 「そんなの聞かれたってわかんないよ・・・・・・てか、まず受かったか決まってないし」

 

 私が貴重な休みを満喫していた一方で、今日は蓮にとっては大事なオーディションの日。今までで一番ってぐらいに気合を入れて臨んでいた、ちょっと前に出た原作小説が社会現象になったのが記憶に新しい“バトルロワイアル”の映画化に向けたオーディション。蓮が落ち込んでいた原因として考えられるのは、間違いなくこれ。

 

 「それでどうだった?オーディション?」

 

 ひとまず最初は、自然な流れでオーディションの感想を聞いてみる。私とは違って咄嗟の嘘が大の苦手な蓮のことだから、これだけでボロはきっと出る。

 

 「どう・・・うん。オーディションは、上手くいったと思う」

 

 ほらみたことか。やっぱりオーディションで何かあったじゃん。本当に(あなた)は、“幼馴染くん”の芝居と同じで馬鹿なほどに正直で真っ直ぐだ。

 

 「オーディションは・・・ってどういうこと?」

 「だからそれは、普通にオーディションは上手くいったって意味に決まってるじゃん・・・2回も言わせないで」

 「じゃあどうして蓮は泣いてたの?

 

 一度ボロが出れば、こっちはもう核心を一気に突くだけだ。

 

 「・・・蓮には関係ないよ」

 「関係はあるよ。だって私はあなたの先輩である前に蓮の友達だから

 「それとこれとは」

 「大丈夫・・・絶対に何があっても怒らないから“お姉さん”に言ってごらん?

 

 分かりやすく言葉を詰まらせ下のほうを見つめる“罪悪感”に満ちた視線に、私は“お母さん”になった気分でわざと大げさに寄り添う。自分のしでかしたことを後悔しているような人は、こうやって過剰に味方をしてあげると本当のことを言いやすくなる・・・と、どこかの番組で専門家が言っていた気がする。

 

 「・・・“子ども”扱いしやがって」

 「実際まだ“子ども”でしょ。蓮も私も」

 「・・・・・・分かったよ・・・別に怒りたかったら怒っていいから・・・」

 

 その専門家が言っていたかもしれない1つの迷信が割と現実を突いていて正しかったのかは分からないけど、蓮は意外にもすんなりオーディションで何があったのかを私に話してくれた。

 

 

 

 “『今回のオーディション。“これといった”人がいないからラッキーだよね』”

 

 それは“バトルロワイアル”の配役を決める“女子組”のオーディションが終わり、解散となった直後に起こった出来事。最初に言っておくけど今回蓮が受けたオーディションは主人公とヒロインのキャストを決めるものではなく、メインの周りを囲む“助演”を決めるオーディションらしい。

 

 “『それねー、ヒロイン役の子が“堀宮杏子(ほりみやきょうこ)”ってつい最近まで私たちと一緒で無名だった人なのはなんか気に食わないけど』”

 “『堀宮杏子・・・あぁシェアウォーターの?

 “『そうそう。確かに可愛いのは分かるけど、それまでずっと売れなかったってことは大したことないってことじゃんどうせ?』”

 “『アハハッ、それはさすがに言い過ぎでしょ』”

 

 アクションを取り入れた最終審査の1つ前に控えた本読み形式の演技審査を終えた蓮は、応募者が待機していた控え室からオーディション会場の廊下を歩き外に出る途中、ちょうど前を歩いていた同じ“女子組”で本読みに出ていた2人の応募者の会話が耳に入る形になった。

 

 “『もちろん多少は悪いなとは思うよ私も・・・でもそれぐらいは言いたくなるでしょ、だって堀宮杏子なんてシェアウォーターなかったらバトルロワイアルのヒロインになんてオーディションなしで選ばれてないし・・・どうせ大手事務所のゴリ押しか運が良かっただけよあれは』”

 

 そのとき蓮の前を歩いていた2人の会話は・・・言ってしまえば私だったら余裕で聞こえないフリをしてスルーできてしまうぐらいには“低俗”な、自分の実力不足を認められない“負け犬”の遠吠えのようなものだ。

 

 

 

 「ほんと最低だねその人たち。ヒロインに選ばれた人は腐らずにずっと頑張ってきたはずなのに」

 「静流もそう思うでしょ!?もう後ろで聞いててほんっと頭に来た!」

 「(一気にスイッチが入ったなこの子・・・)・・・まぁ私だったら聞こえないフリして無視するけどね?」

 「うそ?あんなの目の前で聞いても静流は無視できるの?」

 「これぞ芸歴13年で培った“スルースキル”ってものよ」

 「おぉ・・・さすがは“ベテラン”

 「ベテラン?なんかムッとくるなその言い方・・・)」

 

 私が愚痴の聞き役に徹すると、さっきまでとは打って変わり蓮はいつもの元気と調子を取り戻し始めた。こんな表現をすると“どの口が”って私に文句を言うママの顔と声が浮かんでくるからあまりしたくないけど、蓮のこういうところは本当に“現金な子”だ。

 

 「でもヒロインにキャスティングされた堀宮さんって人の悪口をずっとグチグチグチグチ言うから・・・・・・ったく、グチる暇あるなら素直にヒロインに選ばれるまで頑張った堀宮さんをまずは認めてそこから這い上がって見せなさいよって話じゃん」

 「うん・・・そうね」

 

 ちなみに芸歴10数年目の私からすればそんな人たちの言葉に耳を傾ける必要なんてないし、そんな哀れな思考でよくもまぁ最終審査の一歩前まで残れたなって思ってしまう。ある意味で強運だよ、ほんと。

 

 「それにさ・・・本読みにまで進めてあともう一回乗り越えたら映画に出れるところまで来れるぐらいの実力はあるのに、なんで “自分を下げる”ようなこと言うんだろうって・・・そんなこと言ったら選ばれるために死ぬほど努力してオーディションに来てる人に失礼だって思ってさ・・・・・・だから、居ても立っても居られなくなった

 

 なんて割り切れるくらいには悪口を言っていた2人に負けず劣らず性格が捻くれている私とは違って良い意味でも悪い意味でも誠実すぎる蓮は、受け止める必要なんてない言葉も真っ直ぐに受け止めようとした。

 

 「それで、どうしたの?

 

 

 

 “『そうやって誰かを悪く言えば、確かに気分は楽になるかもね?』”

 

 そんなこんなで“引き立て役”を決めるオーディションを終えて卑屈になっている前を歩く2人を見ていられなくなった蓮は、我慢できずに“優しさ”故の言葉をぶつけた。

 

 “『だけど・・・そんなんじゃいつまで経ってもオーディションなんて勝ち抜けないよ』”

 “『・・・いきなり人に話しかけてなに言い出すかと思ったら説教始めるとか何様?』”

 

 当然のことながら、神経を逆撫でるようなことを言われた前の2人は蓮を睨みつけた。

 

 “『・・・って何様かと思ったら環蓮じゃん。ウチらより“ちょっと”だけ名前が売れてる』”

 “『別に私は自分のことを“売れてる”だなんて1ミリも思ってないけど、わざわざ嫌味ありがとう』”

 

 だけれど私に女優として身も心も鍛えられた蓮はこれぐらいのことでは動じず、堂々と対峙し続けた。

 

 “『で?何?わざわざ無名のウチらにカッコつけて説教ですか?』”

 “『そうじゃない・・・ただ、せっかくここまで選ばれてるのに“自分を下げる”ようなことしか言えないあんたたちが“もったいない”って思った。それだけ』”

 “『もったいない?・・・アハハッ、笑わせないでくれる?言っとくけどこのオーディションはヒロインを決めるものじゃなくてあくまで“ヒロインの引き立て役”を決めるものよ?どう頑張っても主演になれない場所でイチャモンつけるのはちょっと場違いなんじゃない?』”

 

 やっぱり話を聞けば聞くほど、私からすれば相手にする価値すらない馬鹿げた“わからずや”なのが分かってきた。

 

 “『だから何?演じる役が引き立て役だからって役者だったら本気で演じるだけでしょ?主演の人の悪口言って誤魔化すくらいならいい加減素直に言えばいいじゃん。選ばれなくて悔しいって?』”

 

 実際に対峙した蓮も“この人たちには何を言っても無駄かもしれない”っていうのは思い始めていたみたいで、話しているうちに“ふざけんな”って怒りの感情が大きくなっていったらしい。

 

 “『あのさぁ、さっきから環さんの言ってることってものすっごい“身の程知らず”だと思うよ?環さんと同じ事務所の牧静流から言われるならまだしも、人気も実力も大して変わんないくらいの人に私たちのことをあーだこーだ言われてもさ・・・それってただウザいだけだから』”

 “『・・・“身の程知らず”はどっちだよ』”

 

 ただそれでも蓮は、“優しさ”を捨てずに受け止める必要のない言葉を受け止め続けた。

 

 “『まだ勝ててもないのにそうやって勝ち目がないって自分勝手に頑張ることを諦めて、今まで積み重ねてきた努力を自分で踏みにじるような真似をして平然としてられるあんたたちのほうがよっぽど“身の程知らず”でしょ・・・・・・こんな馬鹿みたいなことしてる暇あるなら自分の芝居を磨く努力のひとつぐらいしなさいよ・・・せっかく“ここまで”は選んでもらえているんだから・・・』”

 

 そして“最後の良心”をぶつけて立ち去ろうとしたとき・・・

 

 パチン_

 

 

 

 「叩かれたの?」

 「うん。左の頬を平手で一発」

 

 蓮はそのうちの1人から、去り際に頬を手で叩かれた。

 

 「顔は・・・パッと見大丈夫そうね」

 

 顔を視る限り平手打ちされた頬に腫れは見られず、口元も切れていない。ひとまず後輩の綺麗な顔に残るような傷が残らなかったことに、私は“友達”として心の中で胸をなでおろす。

 

 「一応怪我は大丈夫。演技のときみたいにいなせなくて不意打ちをモロに食らったから結構痛かったけど、綺麗に頬にだけあたってくれたおかげで口は切らずに済んだから」

 「そっか・・・本当に良かった。顔は女優(やくしゃ)の“”だからね」

 

 女優(やくしゃ)にとって、“顔は命”。そんな“”とされる俳優の顔を叩いて傷をつけるという行為は、もはや人の命を奪うに等しいといっても過言ではない一番やってはいけない愚かな行為・・・と、2歳のときから徹底的に叩き込まれてきた私にとっては、芝居以外で人に暴力を振るうのは同じ人間として考えられない行為だ。

 

 

 

 “『どうしてそんな酷いこと言うの?』

 

 

 

 って、言った傍から私も十夜ちゃんに同じようなことしてんじゃん・・・・・・“顔”は最初から狙ってないけど。

 

 

 

 「じゃあ、蓮が泣いたのは顔を傷つけられたことがショックだったから?

 

 心の中に浮かび上がった“弱虫の感情”を奥に隠して、私は蓮へと意識を向ける。

 

 「ううん・・・違う

 

 私からの問いかけに、蓮は心なしか気まずそうに首を横に振る。この瞬間、どうして蓮が泣いていたのかおおよそ察しはついた。

 

 

 

 

 

 

 “『ねえ・・・人の顔を引っ叩くってことが何を意味してるか分かってやってんの?アンタ?』”

 

 

 

 

 

 

 「あーあ、これはやっちゃいましたね環さん?」

 「・・・もう・・・ほんと自分が惨めすぎて嫌になる」

 「あのまま何食わぬ顔で立ち去って事務所にクレーム入れたら10対0で勝ちなのに」

 「そこまで頭が回らなかった」

 

 結論から言うと、顔を平手打ちされたことでいよいよ堪忍袋の緒が切れてしまった蓮はあろうことかその人に“大外刈り”を仕掛けて、それをきっかけに取っ組み合いの喧嘩になったところをちょうど通りがかったオーディションの関係者に止められた。もちろん喧嘩の一件はマネージャーの中村さんや“社長(ボス)”のところにもすぐ伝わっていった・・・らしい。

 

 「はぁ・・・こんなに時間を戻したいって思ったのは今まで生きてきた中で初めてかもしんない」

 「うーん、話を聞く限り蓮はあとちょっとだけ“大人”になって我慢してたらこうはなってなかったかもね?」

 「・・・今さらながら静流の言ってる“無視”の大切さが分かってきた気がする」

 

 まぁ、蓮のたまに負けず嫌いや正義感が行き過ぎて暴走する傾向のある性格からして、“いつかはやるな”とは事務所の先輩として思ってはいた。

 

 「うんうん。そうやって“子ども”のうちに何回も“間違い”っていう怪我をして、どうやったら自分は怪我をしないで済むかを学んでっていうのを繰り返して・・・人は大人になるんだから

 

 

 

 同時に、一緒にいると眩しくて時に息苦しさを覚えるくらい真っ直ぐで誠実な蓮でも怒りの感情に“負けてしまう”ことがあると知って、きっとこの子は女優(やくしゃ)としてまだまだ全然強くなれると確信することが出来て不意に嬉しく思った。

 

 

 

 「“ここ”に帰るとき、中村さんからも同じようなこと言われた・・・

 

 

 

 “『“子供”っていうのは互いの気持ちやこの後のことなど考えもしないで自分の感情をぶつけ合う正直な生き物だから、故によく今日みたいに転んでは怪我をするものです・・・そして自分が“怪我”をした原因が何なのかを一つ一つ学んでいくことを繰り返して、人は大人になっていくのです・・・・・・だから良かったじゃないですか?“子ども”のうちに自分がまだ“子供”だったことを自覚することが出来て・・・それから“社長(ボス)”は電話伝手で“ついにやったか”と嬉しそうに蓮さんのことを話してましたよ』”

 

 

 

 「怒られるどころか逆に周りから慰められて気付いたよ・・・きっとあの2人だって卑屈になりたくてなったわけじゃないはずだって・・・・・・そんなことなんか考えもしないで自分の思ったことを一方的にぶつけてた私も私で、本当に他人(ひと)の痛みも自分の気持ちも何にも分かってない“身の程知らず”だったって・・・

 

 オーディションでの出来事を一通り話し終えた蓮は、後悔と罪悪感と自己嫌悪が交じった溜息を吐くような感じで絶妙な温度になったホットココアをグッと口に運ぶ。“もしかしたら蓮が何かとんでもないことをやらかしたかもしれない”っていう1コンマだけ頭に浮かんだ心配は杞憂だったみたいで、結局はこっぴどく怒られると思っていた中村さんやボスから逆に慰められたことで自分の“幼稚さ”を自覚して、私が帰ってくるまで自己嫌悪のあまりリビングで籠るように落ち込んで泣いていたという・・・終わってみれば明日には“笑い話”になっていそうないかにも“蓮らしい”顛末だった。

 

 「・・・“身の程知らず”ねぇ・・・

 

 とりあえずは“大ごと”にはなりそうになくて一安心、というのが正直なところだ。

 

 「別にいいじゃん。女優(やくしゃ)だったら“身の程知らず”のままで」

 「・・・どうして?」

 

 やり返したことやどんな事情があったかを踏まえても悪いのは明らかにわざと顔を狙った相手のほうなのに、その相手のことさえも気に掛けて“私も身の程知らずだ”と攻める必要なんて全くない自分を責める蓮に、私は“大人”になるためのアドバイスを先輩として送る。

 

 「だって自分の“身の程”を知って限界を作っちゃったら、自分より上にいる役者(ひと)にはずっと勝てないって白旗上げてるのと一緒だし

 

 自分の“身の程”・・・そんなものは“薬師寺家(あのいえ)”に生まれた挙句に捨てられたママの人間性に育てられたから、嫌でも分からされてきた。私たち“親子”は所詮、薬師寺の名を継げなかった“落ちこぼれ”に過ぎないから・・・真波さん(おばあちゃん)の忘れ形見の真美さん(あの人)からは家族として認められていない。

 

 「自分の“身の程”なんて人それぞれで違うし、そんなの自分で勝手に作って決めてるだけで科学的な根拠もへったくりもない・・・だからそんな“下らない”ものに囚われるくらいならどうでもいい外野の言葉なんて無視して誰にも文句の1つすら言われないくらい前に進んで行けばいい・・・・・・って、私だったら思う

 

 

 

 どんなに足掻いてみせたって、私の進む先には“あなたは私たちから逃れられない”と“薬師寺家の歴史”が呪いのように付きまとう。あの悪夢(ゆめ)を見ては、いっそのこと全部何もかもを投げ出して世界の果てにでも飛んでしまおうかと思うことも何回かあった・・・・・・けれどそれは自分が“あの人たち”に敵わないって決めつけていい理由にはならないし、そんな“下らない”考えに・・・私は負けたくない。

 

 

 

 「・・・やっぱり、静流にはまだまだ敵わないや

 

 アドバイスを受け止めた蓮は、少しだけ俯き気味だった視線を上げて私の眼をしっかりと正面で捉えるように前を向く。

 

 「でもいまの言葉を聞いたら、俄然このオーディションを勝ち抜いてもっと良い役貰えるように爪痕残したいって思えた

 

 そして私の眼を真っ直ぐ見つめて、ようやく笑みを浮かべた。本当にこの“可愛い後輩”ときたら生まれたときから強制的に十字架を背負わされている私とは違って背負うものがないからか、生き様が単純明快でシンプルに面白い。

 

 「そっか・・・でも関係者に喧嘩を止められたのがちょっと不安材料だね?」

 「うっ・・・やっぱり厳しいかな?」

 「つい数秒前までの自信はどこ行った

 

 まぁ、彼女なりに背負ってるものはきっとあるだろうけど、とにかく育った環境も価値観も全く違う蓮と一緒に過ごしていると“一ノ瀬家”という身の程に囚われている自分を幾分か忘れることが出来るぐらい楽しくて、何だかこうして近くで見つめているだけでも癒される。

 

 

 

 “ほんと・・・・・・あなたはお気楽でいいよね”

 

 

 

 そしてそれと同じくらいに、私は何にも縛られずに好きなままに好きなことをしていられる(あなた)のことを羨ましく思い・・・・・・その“幸せ”に気づけないでいるあなたを嫌っている。

 

 

 

 なんて・・・そんなの言ったところで“良いこと”なんか何一つないのは分かっているから、言わないけれど。

 

 

 

 プルルルル_

 

 「あ、中村さんだ」

 

 リビングに置いている電話が鳴り、私は席を立つ。何となく中村さんだろうなと思って適当に独り言で予想してみたら、やっぱり中村さんだった。

 

 「お疲れ。静流も帰ってるよー」

 『お疲れ様です。夕食の用意が出来ましたので適当な時間になったらこちらに来てください』

 「りょうかいした」

 

 同じ階に住むマネージャーの中村さんからの、事務連絡のような電話。ふと壁に飾った時計を見ると、針はちょうど19時00分を指している。

 

 「中村さん。夕飯の用意できたって」

 「そっか・・・もうそんな時間か」

 

 その流れでふと蓮のマグカップに視線を向けると、オレンジのマグカップに入っていたはずのホットココアは綺麗になくなっていた。

 

 「じゃあちょうどお互いに飲み終えたところだし、仲良く片して中村さんの部屋に行きますか」

 「・・・うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・ん」

 

 ついさっきまで見ていた景色がいきなり朧げになり、夢現(ゆめうつつ)な意識の向こうでうっすらと朝日に照らされた見覚えのある別宅の板張り天井が目に留まる。

 

 「(・・・夢か)」

 

 その瞬間、私は今まで見ていた景色が夢だったことを察する。横になった体勢のまま枕元に置いてある目覚ましを手に取り時間を見ると、6時にアラームをセットした目覚ましは5時45分を指していた。どうやら私は少しだけ早く起きてしまったみたいだ。

 

 “・・・どうして私はこんな夢を・・・”

 

 随分と懐かしい夢を見た。私がまだ15歳のときの春、真波さんのお墓参りに行った日の記憶・・・どうしてまたこんなタイミングで、あの日の夢を見たのか・・・

 

 “あぁ、そういうことね”

 

 思い当たる節はすぐに見つかった。今日の日付は6月30日・・・“おばあちゃん”の命日だ。あんなに忌み嫌っているはずの真波さんの命日に、よりによってお墓参りに行った日の記憶を夢で見るなんて、私は結局あの人のことをまだ“意識”しているということなのだろうか・・・・・・なんて考えるのは、大人になるのと同時に止めるようにした。

 

 

 

 もうこの世界にはいない人のことを嫌悪するのは、“時間の無駄”でしかないからだ。

 

 

 

 「・・・・・・“誰かさん”のせいで早く起きちゃったじゃない

 

 “43年前の今日”に亡くなったおばあちゃんへ一言だけ嫌味をぶつけて、布団から起き上がる。

 

 “・・・そういえば・・・今日でちょうど“10年”にもなるのか・・・

 

 それと同時に、“10年前の今日”から眠り続けている“いつかの幼馴染くん”の姿が脳裏に浮かんで、消えた。




1幕は次回で最終話となる予定です。多分、年内には上げられると思います。


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