コウ君がちょろかった世界線 (くるくる)
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第一夜「……なってんじゃん……」
「あ、お酒買ってる。いいなあ」
突然、隣から女の声がした。
魔が差した。
夜守コウが自動販売機でお酒を買った理由は、そんなものだ。あるいは、夜という非日常に浮かれていたのかもしれない。とにかく、夜守コウは自動販売機で酒類の販売ボタンを確かに押した。
押すまでの間は、緊張と興奮によって全身が熱くほてっていたが、声をかけられ、一気に全身が冷えていくのを感じる。
コウは、声のした方を向いた。顔中に冷や汗をかいているのを感じながら。
夜だというのに真っ黒な服装。フードまで目深にかぶっているが、自動販売機の明かりに照らされて、銀色の髪と色白の肌、整った顔立ちの持ち主であることは確認できた。最も、容姿に感心している余裕などコウにはない。
女は、そんなコウをさらに追い詰めるように深い笑みを浮かべて。
「あれぇ? 君いくつ? ハタチ過ぎてるようには見えないけどなぁ……?」
煽るように言って。
コウはその場から全力で駆けだそうとして、捕まった。
☆
その後、色々あってその女と同じ布団で眠ることになり、眠ったふりをしていたコウは、血を吸われた。
「その、お姉さんは……吸血鬼的な……奴なんですか」
首を抑えた時に手に着いた血液を見つめながら、コウは尋ねる。
「まあ、そうなるね……」
あっさりと肯定した女吸血鬼の言葉に、コウは流石に戦慄を禁じ得なかった。伝説にある。創作物にある。吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になると。
身体に変化は感じない。
けれど、コウはその知識を頼りに、今の自分の状態を分析した。
「じゃあ、俺は、吸血鬼になったってことなのか……?」
思わず独り言ちる。
しかし、それを聞いた吸血鬼の反応は。
「いや、なってないよ多分。だいじょうぶだいじょうぶ」
その後夜守コウは吸血鬼になるには、吸血鬼に恋をしていなければならないということを聞かされる。恋愛の話に異常に照れる吸血鬼に呆れながらも、コウは決心した。
吸血鬼になる。
そのために吸血鬼――七草ナズナに恋をしなければならない。ナズナを照れさせながらもそう宣言したコウだったが。
「………………なってんじゃん……」
家に帰って、誰も映っていない洗面所の鏡の前で、コウは絞り出すように声を漏らした。
☆
「な、七草さん! ちょ、っちょ!? 七草さん開けてください!!」
先ほど案内されたビルの、ナズナの部屋の扉をガンガンと叩きながら、コウは叫んだ。中から億劫そうな表情で出てきたナズナは、コウの顔をじっと見つめて。
「あ? なんだまた……忘れ物かぁ?」
「違いますよ! なんなの!?」
「なんなのってなんだ!? 急にやってきて、そっちこそなんだ!?」
「お、俺! 吸血鬼に! なってるんですけど!?」
「は? そんな訳……ない、だ……ろ……?」
徐々に言葉尻が小さくなっていったナズナは、顔をずいっとコウの方へ近づけて。すんすんと鼻を鳴らして。
「…………まじでぇ?」
「か、帰って鏡見たら、映って無くて……俺、吸血鬼に、なったんですよね……?」
「いや、ちょっと待って……」
「つまり、俺、気づいていないうちに七草さんのことを――」
「まっ!? わーったから!? それ以上言うな!!」
「好きになってったあばぁ!!」
「言うなって言ってんだろ!!?」
全力で殴られてコウはくるくると錐もみ回転をしながらビルの壁に叩きつけられた。
「いってぇ!? いきなり何するんだよ!? 痛い! 滅茶苦茶痛い!」
「うるさいなあ……吸血鬼になってんだからそんくらい平気だって」
コウは暫くナズナを睨んでいたが、ナズナが自分の背後を指さしていることに気が付いてそちらを見やった。言葉を失う。
壁には亀裂が入って、所々欠けていた。今まさに自分が叩きつけられてできた傷なのだとすると、途轍もない威力で殴られたことになる。それこそ、人間なら簡単に死んでしまうくらいの。
身体を確認すると、おそらくいま殴られてできたであろう傷が、逆再生されるように回復している。
その光景を呆然と眺めていたコウは、ナズナの方を見て。何か言葉を発さなければと思うが、何を話したらいいかわからないでいた。
「あー……とりあえず。いったん部屋入りなよ」
ナズナに言われて、コウは小さく頷いた。
ほんの数時間前に、ここで血を吸われた。その時にはすでに、コウは吸血鬼になっていたのだろうか。不思議な感慨を胸に、コウは床に敷かれた布団を眺める。
「いや……まさかねぇ……だって、そんな様子微塵も……」
「お、俺だって。まさか気づかないうちに七草さんのことを好きになっていたなんて!」
「ぐうう……ていうか、今日会ったばかりだぞ。数時間も話してないし、何なら夜守君……す、好き……好きな気持ちとかわからないみたいなこと言ってて」
「い、言ったね。言ったけど。しょうがないじゃん。吸血鬼になっちゃったものは」
コウとしてもいまだに実感はわかないし。つい先ほど夢として、なりたいものとして吸血鬼を目標に掲げたばかりだというのに、実はその時にはすでに吸血鬼に成れていたらしいというのは拍子抜けだ。
「えっと、とりあえず、俺は何をしたらいいんですかね?」
「何をしたらって言われたって。あたしだってわかんないんだよ……君が初めての眷属だし。誰かに聞きに行くか……?」
考え込んでしまったナズナを横に、コウは今さらというか、急にいろいろと不安になってきた。まだ夜の魅力をナズナに教わり切っていないし、ナズナ自身のことも詳しく知らない。そんな相手のことをあっさりと好きになっていたらしい自分のことに呆れるし、吸血鬼になったという動かぬ証拠を見せつけられても未だに好きだの恋だの言うものがよくわからない。
要は、初めて眷属のできたナズナと、あっさり夢をかなえてしまったコウと、それぞれ軽いパニック状態に近かった。
ナズナが考えこむように、コウもまた考え込んで、ふと尿意を感じた。
「あ、あの。すみません。七草さん……トイレ貸して欲しいんだけど」
「あー、そっち行ってそこの扉……」
ナズナに指示された通りにトイレへ行き、生理的欲求を解消し、手を洗う。そういえばもう鏡に映らないんだよなと、確認するように鏡を見たら。
「……?」
鏡には見慣れた自分の姿が。
「ななななななな七草さん!!!!」
「うわああぁ!! びっくりした! 今度は何だ!?」
「吸血鬼じゃなくなってるんですけど!!?」
「はぁ? さっきは間違いなく吸血鬼の匂いがしたし、そんな訳が――」
「だってほら、鏡! 鏡に映ってるよ俺!?」
コウが手招きすると、ナズナは素直に近づいてきて、トイレの鏡に映るコウを見た。当然、角度的に鏡に映り込んでいなければおかしいはずのナズナの姿は、鏡の中にない。
「…………わけわからん」
その後コウが考えた、不完全な吸血鬼になっているという意見。ひとまずそれを採用して、人間に戻ったコウは家に帰ることにした。
「えっと、じゃあ、また遊びに来てもいいですか?」
「まあ……また血を吸わせてくれるなら。今度こそ、眷属にしちまうかもしれないが……」
「俺の目標、あっという間に叶っちゃいましたね」
どうやらコウは、あっという間に七草ナズナに恋をしてしまったらしい。けれど、理由は分からないが、まだ完全に吸血鬼になってはいない。
それならば、最初にナズナと交わした条件と何も変わらない。
夜守コウは七草ナズナに夜遊びを教えてもらい、吸血鬼になる。この目標が叶うまでに、それほど時間はかからないだろう。
最初はあまり変化はないでしょうが、徐々に大きくなっていく気がします。
タグにある通り、原作既読推奨です。最新刊(単行本)までの。
単行本未収録の内容に関しては配慮しますが、普通にアニメ勢にとってはネタバレの設定も出ると思います。
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第二夜「……なってないじゃん……」
スニーカーを履いた時、玄関に落ちていた細かな砂が音を鳴らした。朝や昼であればまるで気にならないであろう小さな音だが、夜の静けさの中では響いた。
慎重に玄関扉を開けて、ゆっくりと閉める。
団地の、階段の踊り場。開放的になっており外が良く見えた。コウは夜の団地を眺める。
「今日もいい
団地の中は暗い。明かりをつけている部屋はなく、対照的に夜空の星が眩しいほどに煌めていた。
遠くのビルの夜景は、コウを楽しい夜の世界へといざなう誘蛾灯のようで、音を立てないように気を付けながらも、可能な限り急いで夜の街へ。
☆
「吸血鬼にとって、吸血とは食事とまぐわいを同時に行うものなのだ!!」
公園でナズナと出会ったコウは、吸血鬼についての説明を受けていた。
「ところで、やっぱり今も俺は吸血鬼になっていないんですよね」
家から持ってきた手鏡を手に、コウはナズナに確認する。手鏡にはコウが映っており、その横のナズナは映っていない。
「昨日夜守君が大慌てでやってきた時は、確かに吸血鬼だった。吸血鬼の匂いがしたし、そもそも人間だったら殴りつけた時に死んでるし」
「……あれ? ひょっとして俺危なかったんじゃ?」
「ま、まあ……細かいことはいいとして! あたしにも今の君の状態はよくわからない」
コウが冷や汗をかきながら、昨日渾身の力でナズナに殴られたことを思い出していると、ナズナは無理やり話を変えるようにして言った。
コウもそれを承知の上で、今の自分の状態について知る方が優先だろうと耳を傾ける。無論、不満顔ではあるが。
「気は進まないが……他の吸血鬼に聞いてみた方が良いかもしれない。けどまあ、もうしばらく様子を見てからでもいいだろ。約束通り血は吸わせてもらうわけだし」
ナズナのその言葉に、コウは思い出したように。
「あ、そうだ。吸います?」
コウはジャージとシャツをずらして、ナズナに向けて首筋を露出させた。吸血鬼と言えば首に吸い付く印象がある。事実、昨日ナズナに血を吸われたときは首からであった。
夜の冷たい空気が肌と服の隙間に入り込んで、心地いい気がした。
「コ、コラ!! いきなりなんてもん見せんだ!! 夜守くんのえっち!!」
「え!?」
予想外の反応にコウは思わず目をむき、驚きの声を上げる。
「うおー……びっくりしたー……お前そんなポーズしたら駄目だろ……スケベすぎる……」
「……」
女性らしさを感じない、そんな反応にコウは思わず無言になる。
「それに、タイミングってのがあるんだよ」
☆
「人の血は夜が一番美味い。血が"夜"を溜め込んでいるからだ」
高層ビルの屋上に連れてこられてコウは、ナズナからそんな話を聞かされていた。
「それに……もしかしたら次が最後かもしれないから。なるべく美味い方がいい」
昨日。たった一日で、不完全だったと思われるが、それでもコウは確かに吸血鬼になった。次に血を吸われたときが、そのまま人間をやめる時になるかもしれない。
「だからな夜守君。君にはもっと夜を溜め込んで欲しいんだ」
そう言うナズナに、コウは内心首を傾げながらも。
「夜更かしすればいいんですか? まあそのつもりですが……?」
屋上から下を見下ろす。堕ちたら間違いなく助からない。
「夜更かしというのはただ起きてればいいって訳じゃない」
言いながらナズナは、屋上の縁に立っているコウの側に近づいて、突然足で突き飛ばした。
「え」
思わずそんな言葉が零れて、コウの身体は重力に任せるまま地面に向けて真っ逆様に堕ちる。
「うわあああああああああああ」
叫びながら堕ちるコウと地面の距離はみるみると近づく。先ほど考えたように、あの高さから落ちたら確実に死ぬ。
困惑の中、ただ確実に己に待つ運命。つまり死ぬことだけが理解できた。
「死ぬじゃん!?」
コウの目の前にナズナが現れたのは、叫んだのと同時。
「死なない」
「え?」
「夜は遊ぶもんだ。遊ぼうぜ少年」
ナズナに抱きかかえられて、夜の闇を飛翔する。風が心地いい。冷たいくらいだ。
それでも、この高揚感は冷める兆しを見せない。
確かに存在した恐怖心は、その高揚感に飲み込まれて見えなくなって、次第に交じり合い。
「どうだ少年!? 夜守くん! 夜守コウくん! どんな気分だ!?」
「最高……」
最高に楽しい。
☆
ナイトフライトの行き着く先は、コウの学校だった。
「じゃ、じゃあ。吸うから……」
心なしか、コウよりもナズナの方が緊張していた。これから夜守コウは、七草ナズナに吸血される。昨日ちょっと接していただけで、吸血鬼になりかけてしまったコウが、今ナズナに血を吸われれば、ほぼ確実にナズナの眷属になるだろう。
ナズナの犬歯がコウの首筋に突き刺さり、鋭い痛みを感じる。その後血が吸われていくとともに、快感へと溶けていく。身体から血が失われる分、スッと脳が冷えるような、心地の良いだるさを全身で感じる。それからまた、波のように快感が押し寄せてきて、ナズナの牙が身体から離れると同時に、引いて行った。
「……」
「……」
暫くの間、二人とも無言だったが、コウは身体に変化を感じないものだから、思わず首を傾げた。とはいえ、それは昨日も同じこと。
ひとまず確認しようと手鏡を取り出して、自らの顔を映す。
「…………なってないじゃん……」
ばっちりと鏡に映る自分の顔を見て、コウは膝から頽れるようにして落ち込んだ。
☆
「ま、まあ……気楽に行こうや」
暫く落ち込んだ様子のコウに、気を遣うように言うナズナ。コウはそれに頷きながら、思考を巡らせる。
確かに今日は昨日より楽しかった。初めての夜よりもよほど楽しかったのだから、今度こそ完璧に、吸血鬼に成れるだろうと思っていた。
しかし、昨日は不完全ながらにも確かに吸血鬼に成っていたにもかかわらず、今日は全く変化がない。
その原因が、コウにはいくら考えても分からなかった。
「まあ、思ったより良いスタートが切れているのは確かだろうけど」
そう自分に言い聞かせても、思考は止まらない。
昨日と違う点があるとすれば、なんだろうか。コウは、ナズナに対して好意よりも憧れの感情の方が強くなっているのではないかと思った。
それならば、まずは対等な関係になる必要がある。
じっとナズナを見つめるコウに、ナズナが何を考えているのか聞いてきたところで。
「ナズナちゃん」
「ちゃっ……」
「って呼んでもいいですか? もっと仲良くなれるように………」
言いながらコウは、ナズナが思いっきり照れていることに気が付いた。それほどまでにちゃん付けが恥ずかしかったのだろうか。
「ガチ照れじゃないですか……」
赤面し、上着で少しでも顔を隠そうとするナズナは、とても可愛らしい。可愛らしいと思うし、一緒にいて楽しいと思えるし、これからも一緒にいたいとも思う。それでも、これが恋でないというのなら、今はそれでいい。
スタートダッシュが切れたからと言って、無理に急いだら転んでしまうだろう。
「ねぇ、ナズナちゃん」
「いや、さんだろそこは……さんだろそこは!!?」
「まずは友達からって言うじゃないですか」
「……友達なんかいねーくせに……」
コウの、ナズナとの楽しい夜ふかしは始まったばかりだ。
次回は多分、他の吸血鬼たちが登場するまで飛びます。それまでは基本的に原作をなぞるからです。
コウ君自体にもまだ謎がありそうですが、まずはこの設定で続けます。
漫画と違い、小説なので、三点リーダーは「…」→「……」としています。
タイトルも、なんとなく漢数字にしています。
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第三夜「血も全然……ちょっと滲んでいる、くらいで……」
七草ナズナと、鮮烈な出会いを果たしてからしばらく。
あれ以降も夜守コウは夜に出歩いてはナズナと会って遊び、人間の友達の朝井アキラと久々に交流し、白河
その間。定期的に血を吸われたコウに、これと言った変化は起こらなかった。
ひょんなことからナズナとキスをした時、コウはナズナに恋をしているのだと感じたのだが、これはナズナ曰く性欲によるもので、勘違いだった。コウの身体に変化がなかった事からも、勘違いであったことに間違いない。
「……うーん。本当にこのままでいいんだろうか」
コウは雨降りの中、喫煙所で雨宿りをしている人を眺めながらつぶやいた。最初に血を吸われたときに、吸血鬼に少しの間だけなった。結局その後なぜだか人間に戻ってしまったわけだが、コウは夢に向かって良いスタートが切れたのだと前向きにとらえることにしていた。
だが、それからはどうだろう。
血を吸われても一向に吸血鬼に成らない。コウがナズナに対してあの時本当に恋心を感じていたのかすらも、定かではない。
何かをしようにも、具体的に何かができるわけではないのだから、こうして悩む時間が無為なものだと理解はしているが。
そもそも、恋ってなんだろうかと、コウは考える。人を好きになろうと思ったからと言って、本当に好きになれるのか。積極的に堕ちようと思って、恋に堕ちることは出来るのだろうか。
ふと、喫煙所で制服を着た、女子高生らしき女が声をかけられているのを見た。スーツを着た男が、指を二本立てながら何かを言って。対し女子高生の方は手を振って断っていた。
「ナンパ……かな……? 断られてる……」
何となしに眺めていると、女子高生がこちらを向いて手を振っていたので、コウは振り返した。どうして女子高生がそのような行動をとったのかわからずに困惑するが、深く考えずに、先ほど偶然会ったキヨスミに貰ったジュースを飲むことにした。
缶を開け、一口飲んだところで、コウに向かって影が差していることに気が付く。目の前に誰かいるらしい。
視線を上げると、先ほどまで喫煙所にいた女子高生が目の前に立って。
「今見てたっしょ?」
☆
「ありがと。優しいんだね。夜守コウ君」
「え?」
抱き着かれて、コウの思考は加速する。それこそ、これまでに感じたことのない速度で。
どうしてこの高校生らしき女は自分の名前を知っているのか。
それは分からない。
どうして抱き着いてきたのか。
きっと血を吸うためだ。
コウには不思議と抱き着いてきた女が吸血鬼に違いないと確信できた。今更ではあるが、まだ遅くない。
「っ!!」
コウは慌てて女を突き飛ばした。
以前にひと時でも吸血鬼に成ったからか、あるいは窮地に立たされたことで人間として生存本能が刺激されたのか。普通の人間には不可能と思われる速さと強さで押し、その直後女の腕が肩から捥げた。
コウが一瞬ばかり自分の仕業かとも思ったが、ナズナが見えて、女の腕を奪った張本人が誰なのかを知る。
「ナ、ナズナちゃん!」
「大丈夫かコウ君……おいテメー。なにヒトのエモノに手ェ出してんだァ? クソビッチが」
「ナズナ……」
☆
不思議な感覚だった。人間離れしているナズナの運動能力。そしてそれに負けず劣らずの女吸血鬼。どちらもコウからしたら驚くような動きをしているはずだ。それだというのに、二人の動きがコウにははっきりと見えた。もちろんそんなはずは無いのだが、あの中に混ざっていって、ナズナの援護が出来そうだとさえ思えるほどに。
そんな己の思い上がりとでもいうのだろうか、感じたことのない不可思議な感情から逃げるように一歩退いて。
コウが何かにぶつかるのと、女吸血鬼がナズナの脚を握るのと同時に。
「「捕まえた」」
声が重なって聞こえた。コウが首だけで後ろを確認してみると、また別の女が現れている。この女も吸血鬼だと、コウは確信した。
「ナズナ。ちょっとこの子、借りるわよ」
コウを背後から捕まえた女が言うなり、全身に強い重力を感じた。思わず叫び声をあげながらコウは、新しく現れた女がナズナと同じように空に飛びあがったのだと理解する。これもいつもと違う。
ナズナに運んでもらって、夜の街を飛ぶのは珍しい事ではない。その時の感覚とは明らかに何かが違った。コウ自身も軽くなってしまったような感覚で、夜景の光が足元を流れていく様もいつもに比べて異様に遅い。
「夜守くんだったかしら」
「えっ、あ、はい」
「ナズナと仲良くしてくれてるんですってね」
「はぁ……」
「ふぅん……」
じっと見つめられて、コウも同じように女の眼を見つめる。どこか慈しむ様な、寂しがるような、そして何かを見定めるような眼だった。
「降りるわよ、舌噛まないようにね」
「は、はい!」
急降下。そしてこれもまた、コウにはいつもとは異なった感覚を覚えさせた。怖くないのだ。たとえ空中で放り投げられても何とかなるのではないかという、得体のしれない万能感に似た何か。
「ようこそ。人間の少年。手荒なマネしてすまないね」
運ばれた先は、どこかの建物の屋上。板張りの床に、テーブルを囲むようにしてソファ。そこには三人の女が座っており、そのうちスーツを着た女がコウに声をかけてきた。
どこか尊大にも思える堂々としたその振舞い、整った容姿、全員がどうやら吸血鬼らしい。
ナズナ以外の吸血鬼を知らないコウにとって、突然現れた四人の吸血鬼の存在というのは、随分と戸惑ってしまうものだ。それぞれ好き勝手にコウについて喋っているのを聞いていると、またスーツの女がコウに声をかけた。
「夜守くんだったっけ。単刀直入に言おう。この中で好きなタイプを選びたまえ。君を吸血鬼にする。そうすれば殺さないでおいてやる」
「え? えー……と」
コウはもうすでにナズナに血を吸われて、少しの間とはいえ吸血鬼に成ったことを説明しようとしたが、説明する言葉を選んでいるうちに、スーツの女は話を進めてしまう。
吸血鬼の存在を知っている人間がいると困るという話から始まり、この場にいる吸血鬼たちの紹介が終わったところで。
「俺、ナズナちゃんに血を吸われて、前に一瞬だけ吸血鬼に成ったんですけど……」
コウはようやくそのことを説明した。その場にいた全員が愕然とした表情を浮かべ、
「は?」
「え? どういうこと?」
「どういうことと言われましても。ナズナちゃんに血を吸われて、鏡に映らなくなったり、ナズナちゃんに殴られても平気だったり……その時の傷もあっという間に治って――けどまたすぐに人間に戻ったというか」
説明を試みるが、その場にいる吸血鬼の誰もがコウの状態について知らなかった。コウはあの時の状態を、半吸血鬼化していたと仮定しているが、そんな話は見たことも聞いたこともないというのだ。
コウが一時的にでも吸血鬼化していたことについて、証拠は何もないが、吸血鬼というヒトの機微を読み取ることに長けた存在故か、それぞれ全員がどうやら嘘はついていないという結論を出し。
「それじゃあ、結局今回夜守くんを連れてくる必要はなかったわけか」
「えっと、そうっすね……」
「あー、ごめんね……? まあ、えっと、じゃあ、吸血鬼に成ったらよろしく?」
「あ、はい」
「………………」
「……カブラ? なんでさっきから無言でビール飲み続けてんだ?」
「まあ、気は早いけれど乾杯する? 七草さんが来るのを待つのが筋かもしれないけれど」
「あー……どうせナズナは来てもすぐに夜守くん連れて帰るだろ」
「というか、夜守君はナズナちゃんのことを好きってこと? 吸血鬼に……なりかけた? ってことは」
「あー……それがちょっとわからなくて。誰かを好きになったことなんてないですから」
吸血鬼のひとり、小繫縷ミドリの質問にコウが答えようとし。
「だから、俺はナズナちゃんのことをしっかりと好きになりたいんです」
コウが言った直後。どこからかナズナがやってきて、勢いよく床に着地した。
「あ」
誰かが小さく声を漏らし、全員がナズナに注目する。
「…………」
ナズナは誰かに文句を言うでもなく、コウに近づいてくるでもなく、着地した時と全く同じ姿勢で固まっていた。そのことに疑問を感じ、蘿蔔ハツカがナズナの顔を覗き込み。
「だめだめ! 顔真っ赤になってる! しばらく話せないよこれ!」
「眷属候補までできて、まだ恋愛系の話駄目なの直ってないの?」
「そうっすね……」
コウも、ナズナの方へ近づいて。
「ナ、ナズナちゃん……大丈夫?」
「うるさい。話しかけるな」
そう言うナズナの顔は、ハツカの言った通りに真っ赤に染まっており、確かにしばらく話せそうになさそうだ。
「ほらー、そういう態度だからナズナちゃんはモテなんだよ」
「そうだそうだ」
「ありがとうって言って肩借りて立ち上がる時にがばっとさぁ……」
「うるせーーーーー!!」
吸血鬼たちのいじりによって気が紛れたのか、叫んだと思うとナズナはふと冷静になり。もっとも顔はまだ赤みを帯びていたが、コウの方へ向き直って。
「ふー……帰るぞコウ君………? コウ君、手、見せてみ」
「え?」
言われてコウはナズナに手を差し出し、その時にコウも初めて気が付いた。切り傷が出来ている。
「セリの時、あの時コウ君が動くとは思わなかったから……感触からしてもしかしたらと思ってたけど」
少しだけ申し訳なさそうな表情を見せたナズナに、コウは慌てて。
「いや、今言われるまで全然気づかなかったくらいだから。それにほら、血も全然……ちょっと滲んでいる、くらいで……」
「? え?」
はて、どうしたことだろうか。どうして外で朝を迎えているのだろうか。
コウは首を傾げながら体を起こし、自分がそれまでまくらにしていた存在に目を向ける。
「起きた?」
ナズナがコウに向けて、微笑みながら声をかけてきた。いつもより優し気な笑みにも感じるが、どこか疲れている。
「あ、ナズナちゃん……うん。ここ何処だっけ」
辺りを見渡して、コウは強く困惑した。昨日、吸血鬼である本田カブラに連れてこられた場所なのだが、その状態はあまりにも昨日と異なっている。
床板は所々が陥没して、木片があたりに散乱していた。テーブルは原形をとどめず、ソファもいくつかがなくなってしまっている。疲れ切ったように吸血鬼が座り込んでいて、目を覚ましたコウを警戒の眼差しで見つめていた。
「なんだ……これ……?」
あまりの事態に、コウの身体が知らずと震えだす。そんな様子を見て、平田ニコは大きく息を吐いて。
「ナズナ。昨日は好意的にとらえたが、そうもいかなくなった。こんな不安定な状態を長引かせるのは危険だ。我々にとっても彼にとっても」
「……うん」
「分かってるな?」
「…………わーってるよ……あたしも、あんなコウ君は嫌だ」
「えっと……」
コウは、ただ一人。どうやらこの破壊の原因に自分が絡んでいるらしいことだけは感じながら、それでも困惑することしかできないでいた。
アニメ最終回で震えてる。
漫画ではこの時ミドリは「ナズナ」と呼び捨てにしてますが、アニメやそのほかのシーンに合わせて「ナズナちゃん」にしてます。
セリフの句読点は、キリが良い場合は吹き出しを一文、繋げた方がいいと判断した場合は読点を付けています。
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