【習作】IS/C~Ichika the Strange Carnival (狸原 小吉)
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プロローグ 「恋する少女 Lv1」

改訂第一話。中学生時代の箒さんの生活を捏造しております。色々感覚がつかめないのでネタ少なめのまじめ話。


 雪が僅かにちらつく灰色の曇り空。

 

 昼というには遅く、しかし、夕暮れ時にはまだ少し早い時間。未だ役目のこない街灯達が静かに並ぶ薄暗い道にさくさく、という音が響く。

 

 音の主はアスファルトの上に薄っすらと積もった雪を軽快に踏んで歩く学生服――――長い黒髪をまとめたポニーテールを揺らして歩く少女。その手には皮製の鞄と弁当屋の店名がプリントされたビニール袋が握られている。

 

 制服の上から胸元に学校の校章が入ったトッパーコートを羽織る彼女は、この日珍しく積もった雪に足をとられまいと注意しながら家路を行く。

 

 季節は冬。吐き出される息が真っ白になる気温にも関わらず凛と背筋を伸ばして歩く彼女は、どこか不機嫌そうな表情をしている。もし彼女と視線を合わせる人間がいたならば、その吊りあがり気味な目との相乗効果による重すぎる威圧感を与えられるのだろうが、幸いなことにこの十分ほどは誰ともすれ違うことは無かった。

 

――寒いな。

 

 まるで寒さを感じていないかのように姿勢良く歩いている彼女であるが、今は一月の終わりだ。まだまだ真冬の冷気が人々の身を縮こまらせている季節であり、その鼻先は薄っすらと赤く染まっている。少女は未だ遠い春の陽気を恋しく思いながら、早くこの寒さから逃れるべく家路を行く足を速めた。

 

 

 それからいくつかの道を曲がり、夕餉の香り漂う民家の間を抜けてさらにしばらく歩いた先、そこに一際背の高いマンションが姿を現す。周囲を睥睨しているかのような威圧感を感じさせる高層マンション、その最上階が現在の彼女の住居であった。

 

 

 

 

 大理石貼りの玄関床と廊下の先にリビングルームがある。白を基調としたその部屋には、広い室内空間にも余すところなく光を取り入れる巨大な窓がある。広い部屋に見合った大きな窓の外には、薄暗い灰色の空と遠方の雑多な街並みまでしっかり見える。

 

 それを横目にしながら彼女は水を入れた薬缶を火にかけた。買ってきた弁当は中の漬物だけを別皿に取り分け電子レンジにいれる。特に難しい作業は無い。だがその行動に一切の淀みが無い辺り、彼女が日々このような工程を繰り返していることが見て取れる。

 

 実際、彼女の食生活の大半はほぼ同じ店で購入される弁当に支えられていた。

 

 それは見る者が見れば、あまり健康的な生活では無いと眉をしかめるかもしれない。というか彼女自身、今の自分の生活を良いものだとは思っていなかった。

 

 彼女は幼い頃から剣術を学んでおり、成長期の身体を形作るのに食事がどのような役割を担うのかは理解できていた。それに物心ついた時には既に木刀を振るっていた彼女は、厳しくも尊敬できる父の指導と共に競い合う同門の少年の存在もあり昔から剣術一色の生活を送ってきた。その鍛錬で毎日腹をすかせていた彼女は、母の手料理を好き嫌いせず完食し、さらにはおかわりを要求する健啖家でもあった。

 

 よく動き、よく食べ、よく眠る。昔からそんな健康的な生活を送ってきた彼女にしてみれば、今の一人暮らしの食事事情は健全ではない。そこで自分で料理を――――と言いたくなるところだが、残念ながら一身に剣の腕を磨いてきた彼女は料理はあまり得意ではなかった。

 

 それでも幸いだったのは学校帰りに味の良い個人経営の弁当屋があったことだ。そして重畳なことにその店はチェーン店とは違い野菜の多いバランスのとれたメニューが豊富で、その濃すぎない味付けが彼女好みであった。当然、食事はそこを利用することが増えた。

 

 部活帰りに肩から竹刀袋をさげて入ることが多かった彼女は、何度も通ったお陰で年老いた店主夫婦に『生真面目な剣道少女』として認知され、たびたびおかずを一品おまけしてくれるようになっていたりするの。

 

――もしあの店が無かったら、問答無用で家政婦を雇われていたのだろうな……。

 

 彼女の実家はそれなりに由緒正しい神社であり、剣道場まで持っている大きな家である。とはいえ家政婦を雇うような名家ではなく、その生活は厳格な父の性格もあり余分なものが極力省かれた質素なものだった。

 

 そう、ある出来事を切欠にその生活が一変するまでは。

 

 彼女は湯が沸き弁当が温まるのを椅子に座って待ちながら部屋の中を見渡した。広い床に敷かれた複雑な模様柔らかい絨毯。シンプルだが上品な雰囲気をかもし出す北欧系の家具の数々。そして一人暮らしの人間が何に使うのかと言いたくなるような部屋数。

 

 実家で質素な生活をしていた人間に全くといっていいほど見合わない。

 

――確か50坪ぐらい、だとか言ってたな……。

 

 昔テレビで見た『ヒルズ族』なる人々が住む部屋がこのような感じだったな、と彼女は思い出す。

 

 初めてここに案内されてきたときは驚いたものだった。部屋にも驚いたが、それ以前に二重扉になっているマンションの入り口を通った時点で既に異世界が広がっていた。

 

 広いエントランス。そこには上品な木製のテーブルや柔らかそうなソファーが置かれラウンジがあり、夜になると暖色系の間接照明に照らされ優雅で穏やかな時間が演出される。それだけでも少女のマンションという建造物に対する認識が一変したのに、そこで何の冗談なのかホテルのフロントのような上品な服を着た初老の男性が『おかえりなさいませ』などと言ってくるのだ。

 

 ここでは常にそんなフロントスタッフが数人つめており、24時間いつでも入居者をサポートしているのだ。

 

 純和風の家屋で生まれ育ち、自分でできることはできるだけ自分でする庶民的家風の彼女としては、 

 

――落ち着かない。

 

 その一言だった。

 

 彼女にしてみればこのような豪勢な環境にいる自分があまりにも場違いなような気がしてならなかった。住まいだけではない。今日の帰りだって学校から少し離れた人目の無い場所で政府側の用意した黒塗りの車に乗り込み、マンションの近くで降ろしてもらっていたのだ。こんな光景を誰かに見られたら、いったい彼女はどこの極道一家のお嬢様なのだろうと周囲にいらぬ勘違いをされかねない。

 

 この上家政婦を雇うと言われたときにはもう結構、と全力で遠慮したものだ。そもそも彼女は昔から人付き合いがあまり得意では無く、他人に話を合わせるのも苦手だ。そんな彼女にしてみれば、家に帰ってまで見知らぬ人間と過ごすというのは苦痛以外の何ものでもなかった。

 

――今考えると、昔はあいつがわたしと色々な人間との間に入ってくれていたんだな。

 

 生真面目な父の教えのもと真直ぐな気性に育った彼女は曲がったことが許せない性質で、小さい頃はそれが原因でよく周囲の男子から色々と心無いことを言われた。箒はそんな馬鹿な男子連中が許せずよく喧嘩になりかけたものだったが、そこで当時はあまり好ましく思っていなかったある少年が彼女を庇うように立ち、

 

『暴力はよくないな』

 

 とか言いながらいきなり先頭に立つ悪ガキの側頭部をとび蹴りでぶち抜いたときには驚いたものだ。

 

「……」

 

 当時は子供だったのであまりよく考えていなかったが、今になって思い返してみると物凄い理不尽な人間だなコレ、と汗を一筋流す。

 

 

 と、

 

 そこで彼女は思い出すのをやめて頭を振った。今は失われてしまった懐かしい日々を思い出して憂鬱になる。

 

――どうしてこうなったんだろう。

 

 溜息を吐く。そして自分がこのような状況に身を置くことになった、その原因となった彼女の『実姉』について考える。

 

 彼女の姉――――篠ノ之束(しのののたばね)は自他共に認める天才的な科学者だった。

 

 彼女を天才たらしめている研究の成果がIS――――インフィニット・ストラトスと呼ばれるパワードスーツの開発である。 

 

 宇宙空間での活動を想定したマルチフォーム・スーツとして開発されたそれは、それまで最先端と呼ばれていた技術の一部が古臭い手遊びだと評される程の馬鹿げたSF仕様装備の数々によって、当時宇宙服開発に関して先端を走っていたロシアや、パワードスーツ開発のトップであるアメリカに大きな差をつけて日本をその研究開発分野の頂点にしてしまった。

 

 当時、何人もの科学者達が言っていた。

 

『こんなものはありえない』『こんなものがあるわけがない』

 

 と。

 

 ISとそれに用いられる技術は、科学者達がそんなことを言ってしまうほど既存の技術とは一線を画すものだった。

 

 世界は彼女を今世紀を代表する科学者の一人になると騒ぎ立てた。人間に残された最後の開拓地(フロンティア)――――宇宙。一般人から見ればじれったくなるほどにゆっくりした歩みであった人類の宇宙進出。それがここにきて一気に進むと人々は期待を寄せた。

 

 しかし、それでもまだ足りなかった。束という天才と、ISに対する世界の認識はまだ甘かった。それは後に明らかになる。

 

 IS発表からしばらくして起こった『白騎士事件』と呼ばれる事件。それを皮切りに、世界は知ることになる。ISが人類の未来を切り開く優秀なパワードスーツとしてだけではなく、予想を超えた恐るべき兵器にもなりえるということを。

 

 それ以降世間では『歴史を変える転換点をつくった偉大な天才発明家』だの『無秩序に発明品をばらまいて世の中を混乱させるマッドサイエンティスト』などと非常に両極端な意見が叫ばれるようになった。

 

 

 人々の胸中にISに対する恐怖心が刻まれたのだった。

 

 

 彼女はさらに当時の姉のことを思い返す。

 

 自分を批判するメディアの前で、他人を見下したような薄っぺらい笑顔を浮かべていた姉。

 

 実家の剣道場に通っていた少年の(かなり……もとい、少し怖い)姉に無邪気な笑みを浮かべて抱きついては引き剥がされていた姉。

 

 父との折り合いが悪く顔を見合わせるたびに不機嫌な表情を浮かべて、家族の団欒の場である実家の居間に滅多に姿を見せなかった姉。

 

 夜に家の二階から一緒に星を眺め、難しい宇宙の話と、自分の夢を楽しそうに語ってくれた姉。

 

 

 色々な姉の姿が頭の中をよぎる。

 

「……わからない」

 

 力無く頭を振る。 

 

 それから束を取り囲む環境はさらに変化する。

 

 ISというものを構成する技術の中で最も重要不可欠なものとして『コア』と呼ばれる技術がある。

 

 ISに関する精密制御のほとんどを担う『コア』を構成する中核技術は開示されておらず、その時点で新たに『コア』を製造することができるのは束ただ一人であった。世界中の研究者が政府の後押しを受けてその解明に取り組むも、もはや異世界の技術で構築されたのでは無いのかと言いたくなるような複雑怪奇なセキュリティを突破することができたものは一人も現れず、今なお『コア』の中枢はブラックボックスとなっている。

 

 当然ながら世界各国は束に研究協力という名目で技術を明らかにするように求めたが、それに対する束の返答は『失踪』であった。

 

 こうしてISを世に送り出した後、その身を世間から隠すように世界中を転々としていた実姉。その好き勝手な行動が家族の生活を乱すことになる。

 

 

『篠ノ之束の関係者であるあなた方は、犯罪組織や他国の諜報機関から狙われる危険性がある』

 

 

 と言う言葉を聞いた当初、彼女はその意味をうまく飲み込めなかった。当時まだ小学生だったということもあるが、それでなくても非現実的な台詞だ。

 

 神社に道場という一般家庭とは少し毛色の違う家庭ではあったかもしれないが、それでもそれなりに平穏な生活をしていた。攫われるだの、命を狙われるだのといったテレビドラマのような危険に自分達が晒される日が来るなどと思ったことは一度も無かった。

 

 だがある日、日本政府の関係者だという男達(ドラマに出てくるような黒服で統一されており、それが一層現実感を無くさせた)が彼女の実家を訪問し、何やら細かい字が書かれた書類を父と母に見せながら先程の台詞を告げたのだ。

 

 馬鹿げている、とは思った。だがそれを口にすることはできなかった。

 

 そして彼女達家族は、その三日後には実家を後にすることになった。これまで当たり前だと思っていた生活が手から砂がこぼれるようにあっさりと失われた。

 

 その事について考えた結果はいつだって同じことの繰り返しだ。毎回同じような感情が泡のように沸き出て消える。怒りが思考を染め上げ、尽きることのない恨み言が頭を埋め尽くす。『何故だ』という疑問をぶつけたくなり、自分の手から失われてしまった色々な可能性を思い出し悔しくて泣きそうになり、しかし結局のところ実姉がその場に、否――――

 

 

 

 もうこの世界にはいないことを思い出して、行き場の無い感情に苛まれるのだ。

 

 

 

「そんなことを考えても、もう何の、意味も無い――――!」

 

 呻くように漏れた独り言が部屋に響き、隅の暗がりに吸い込まれ霧散する。ああ、と彼女は思う。やはりこの部屋は落ち着かない、と。

 

 一人でいるにはこの部屋は広すぎるのだ。

 

「――――一夏」

 

 気付けばそれを口にしていた。かつて道場で共に剣を学んでいた少年の名前を。

 

 そして思い出す。出会ったばかりの頃は子供心に生意気な奴だと思って敬遠していた少年のすまし顔を。

 

 

 駄目だ! と彼女は頭を強く振る。

 

 

 もうずっと前に諦めたのだ。呼べば会いたくなる、色々なことを話したくなる、聞いて欲しくなる。寂しくなる。

 

「弱く、なる……!」

 

 今の自分の置かれた状況が落ち着くまでは彼と再会することは難しい。それがどれぐらいの期間続くのかはわからない。そしてもし再会が叶ったとしても、もうかれこれ6年近くも会っていないのだ。自分も彼も全く別の場所で、全く異なる時間を過ごし成長した。そう――――成長してしまったのだ。

 

 もう彼は自分のことなどほとんど覚えていないかもしれない。会えたところで辛い思いをするだけなのかもしれない。

 

――怖い。

 

 考えると怖くなる。まるで血の繋がった兄妹のように遠慮の無い関係だった彼に忘れられているかもしれないという可能性を思えば思うほどに不安が身と心を苛み、気を張って保ってきた自分を維持できなくなる気がする。

 

 だから考えてはならない。意識してはならない。これからも続くであろうこの生活でも、自分を保っていくために強くあらなければならない。 

 

 でも、

 

――会いたい。

 

 震えだした自分の身体を抑えるように抱く。それでも感情は溢れ出る。

 

「嫌、だ……一人は、寒、い……」

 

 目の端から零れ出た一筋の流れが、未だ温まらない顔の肌の上を滑り熱を与える。

 

「会い、たい……一夏ぁ!」

 

 家族ではなく、かつての友人の名でもなく、ただ一人の少年の姿だけが彼女の胸を占める。

 

 止まらない。これまで抑えてきた色々な感情が溢れ出る。忘れようとしていた思い出が再生される。遠くなってしまったあの笑顔が浮かび上がる。

 

 ひ、という嗚咽が一度漏れるとあとは雪崩のように波がきた。は、は、と心の一番奥底にある水をくみ上げようとするかのように断続的に息が吐き出され、それは目か涙という形をとって溢れ出る。

 

 

 

 この夜、彼女――――篠ノ之箒(しのののほうき)は声を上げて泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 箒は温め直した『鯖の塩焼き弁当』を目の前に置き、沸いた薬缶の湯を茶葉の入った急須に入れ急須を傾け愛用している桜色の湯飲みに緑茶を注いだ。

 

 湯が落ちる音が部屋に響き、湯飲みの中でお湯と茶葉の欠片が渦を巻いている。それを一口すすると、ざわついていた心が少し落ち着いた。

 

 泣き終えた後もしばらく俯いてぼんやりしていた箒だったが唐突に、ぐう、と腹の音が鳴った。

 

 人間生きているかぎり腹が減るものである。

 

 せめてこんな時ぐらい鳴らなくても、と思う箒であったが三つ子の魂百まで。小さい頃から繰り返して身に染み付いた生活習慣は大よそ決まった時間に一切の容赦なく彼女の腹の虫を鳴かせたのである。

 

 まだ頭の中がごちゃついている部分はあるが、それでも声を上げて泣いたことで幾分すっきりした。あくまで幾分だが。

 

 とりあえず食べよう、と割り箸に手にしかけた箒は自分が制服のままであったことに気付く。

 

 帰宅後はたいてい直ぐに部屋着に着替える彼女だったが、今日は色々と感情が高ぶってしまいまだ制服である。どうしようか、と一瞬悩むが『早く食わせろ』と言わんばかりに再び腹の虫。

 

――まあ、食べてからでいいか……。

 

 ぐい、と目端に残った雫を拭い取ると、温まった『鯖の塩焼き弁当』の容器のふたを開けた。赤くなった箒の鼻先に美味しそうな魚介の香りが漂う。

 

 箒は弁当を前で手を合わせて、小さく『いただきます』と言うと割り箸を割る。そして目の前で湯気を上げて鎮座している鯖の塩焼きの身の一部をほぐして口に運び、

 

「……美味い」

 

 やはり味が良い、と箒はほどよい塩加減の鯖の身を噛み締めて思い、その後に我ながら食い意地が張っているよな、と気恥ずかしくなった。 

  

 それをごまかすようにリモコンでテレビの電源をつける。帰宅してからしばらく経ったため、テレビでは神経質そうな男性キャスターが夕方のニュースを読み上げている。

 

 

「あれ、この学校は……」

 

 テレビの画面が変わり、建物の一角がブルーシートで覆われた学校が映し出された。

 

 それは数日前に何故か校舎に無人の大型トラックが連続して突っ込んだというニュースで出ていた私立の高校だ。突っ込んだトラックと校舎の一部が派手に壊れたということだったが、幸いなことに怪我人は出なかったようだ。

 

 しかし今は受験シーズン。その事故で受験会場として使う予定だった複数の教室がピンポイントで全壊したため、急遽受験会場を近くにある町の公共ホールに変更すると言っていた。

 

 そして今日がその受験日であったらしい。

 

「ん? ここは……」

 

 画面の右上のテロップにある町の名前が現れる。それは、箒の実家がある町の名前だった。

 

「そうか、わたしが引っ越した後にあんな立派な施設が出来ていたのか」

 

 前にニュースを見たときは参考書を眺めて適当に聞き流していたから気付けなかった。

 

 だが町を出てもう6年だ。当然そのような変化もあるだろう、と箒は一抹の寂しさを感じながらも画面を見続ける。

 

 その後も箒の考えなどわかるはずもないキャスターは、その後も淡々と文章を読み上げていく。

 

 公共ホールは町の発展と人々の交流の場となるべく建設されたらしく、広い多目的ホールや集会室、レクリエーションルームにIT室があり、図書館や国際交流センターなども隣接した複合公共施設だとのことだ。

 

「受験、か。皆、自分の進路を決める大事な時期なのだな……」

 

 『進路』という言葉に箒は表情を暗くする。それは自分の身が置かれた状況を改めて振り返る、そもそもの切欠となった言葉だった。

 

 彼女は視線をテレビから目の前のテーブルへと向ける。これまた一人で使うには大きすぎるそのテーブルの端には表紙に『IS学園』と印刷されたパンフレットと、所々に付箋が挟まれた分厚い参考書が置いてある。

 

 

『IS学園』

 

 それは篠ノ之束が開発したIS(インフィニット・ストラトス)の操縦、技術、法律、国際的な扱いを始めあらゆる事柄を学ぶ機関であり、来年度の春から箒が通うことに『なってしまった』場所の名だ。

 

 箒がIS学園に通うことが決定される際、そこに彼女の意思が反映されることは無かった。ただ今の自分の生活をサポートする政府の担当者から『君の身の安全を保証するために春からここに通ってもらう』という事実が端的に告げられた。

 

 それに対して、自分が自由の無い生活を送る原因となったISについて学ぶ場所など、と思う箒であったが元より彼女に選択肢は無い。そもそも自分の身の安全を守るためだ、と言われてしまえば言い返すこともできない。

 

 それに今となっては箒にも思惑があった。許したい、許せない、姉に対する相反する感情が渦巻く箒だったが、同じことで悩み続けることにもう疲れてしまっていた。ならばいっそのこと実姉が生み出したISについて触れることで、いなくなってしまった束が考えていたことが何か少しでもわかるのではと期待したのだ。

 

 兎にも角にも、そのような経緯もあって一般受験者とは異なる形で入学が決まった箒は、色々なことがままならないのならせめてその状況を十全に利用しようとしたのであった。

 

 今は春から始まる学園生活についていけるよう、事前に配付された参考書を読み耽る日々を送っている。

 

 と、

 

――ん? 何だ?

 

 突然テレビ画面が騒がしくなった。見ると画面には先程の公共ホールが映し出されている。

 

 

 すると現場近くで施設のことを解説をしていた若い女性アナウンサーの背景――――何故か屈強な警備員達が脇に立っている公共ホールの入り口、その奥が騒がしくなり、テレビ画面越しではあるが中から怒声のような声が聞こえた。さらに何か重いものが倒れる音や女性の悲鳴まで聞こえる。

 

 アナウンサーもそれに気付いたらしく『何かあったの?』と言わんばかりに視線を背後に向けた。

 

 その間に入り口に立っていた警備員達が胸元の通信機器に触れると皆一様に身を硬くし、その場に二人を残して慌てた様子で入り口の中へと入っていく。

 

 明らかに普通ではない。

 

 そして、

 

『いったい何が……あ!? け、煙です。真っ白な煙が凄い勢いでホールの入り口から出て、か、火災でしょうか?』

 

 アナウンサーが焦りの色を見せながら言っているように、突然ホールの入り口から真っ白な煙が勢いよく吐き出された。残っていた警備員達が咳き込んでいる。

 

『あ! 煙の中から……学生が、試験を受けに来た生徒がまだ残っているのでしょうか? 女の子が一人出て、って、えぇっ!』

 

 アナウンサーが疑問の声を上げた。それも仕方の無いことだ。何故なら――――

 

『お、女の子が警備員から追いかけられています!』

 

 そう、煙の中から駆け出てきた女子生徒は何故か数人の警備員に追いかけられていた。

 

 体格の良い男達が次々に少女へと飛び掛る。事情を知らない人間が見れば、変態集団に襲われているようにも感じられる。だが女子生徒は飛び掛る男達を華麗に回避し、時には足の間を滑るように通り抜け、よろけた者の背中を跳び箱のように飛び越え、更には自分より大きな男を投げ飛ばし映画のスタントのように逃げ回っている。

 

『すご、え? もしかして何かの撮影? な、何なんでしょうかコレは!』

 

 興奮したアナウンサーの声にあわせるように逃げ回る少女の姿がズームされる。

 

 映し出されるのは黒髪長髪の少女だ。その年頃の女子生徒にしては背が高く、顔立ちは整っているがそれは『かわいい』というより『綺麗』『美しい』に分類される顔だ。そして彼女はこのような状況にあっても表情に一切の焦りや疲れを浮かべることもなく、凛々しい表情のままカメラの前を駆けていた。 

 

『す、凄い……』

 

 その姿にアナウンサーは一言呟いた。普通の女子学生ができるような動きではない。

 

「……」

 

 そしてアナウンサーとは違う理由で箒は驚愕の表情で口を開けていた。

 

――凄く、似てる。

 

 そう似ているのだ。画面の中で駆け回る少女の顔が彼女の思い出に残る少年の顔と。画面に映っているのは女子生徒なのだから強いて言うならその姉に似ていると思うところなのかもしれないが、何故か箒は真っ先に彼のことを思い浮かべていた。

 

「ち、千冬さん以外に姉妹はいない……はず?」

 

 何故か最後は疑問系だった。色々な意味で常識ではかりきれない姉弟だったので箒は断言できなかったのだ。

 

「い、いや……落ち着けわたし。世の中は広い。似た人間の一人や二人いても不思議は無い」

 

 と自分を納得させようとするがどうにもあの少女のことが気になる。

 

 うむむ、と腕を組んで頭を捻るが答えは出ない。

 

 そのとき、ただでさえ騒がしかった画面から爆音のような音が聞こえた。

 

――今度は何事だ!

 

 箒は画面の中で次々と起こる変化に混乱しながらも事態を見守る。

 

『え? 何? えー、ゆ、輸送ヘリ? 輸送ヘリでしょうか? 大きなヘリコプターがこちらに向かって――――』

 

 アナウンサーが音のする方向に視線を向け戸惑いながら声を上げると、カメラもその視線を追うように少女から音のする空へと動く。そこに迷彩色の塗装がされた胴長の輸送ヘリが映し出される。ヘリ特有のやかましいプロペラ音をたてて上空に浮遊するそれはゆっくりとその高度を下げており、カメラも自然にそのヘリの動きに合わせる。

 

 と、

 

 唐突にその扉が開け放たれた。扉の中には何人かの人影が見えるがその中から一人、前に出てくる者がいる。すらりとした長身に黒のスーツ、そしてサングラスといういでたちの女性だ。首裏あたりでまとめられた黒髪が強い風により揺れているが女性の身体は微塵も揺らぐことはなく、開け放たれた扉の傍まで進み出ると扉に手をかけ身を乗り出した。

 

 危ないな、と箒は思う。ヘリは大分低空を飛んでいるが、それでもロープも無しに降りることができるような高さではない。誤って落下でもしようものなら大怪我では済まないだろう。

 

 と、

 

『え?』

「は?」

 

 箒とアナウンサーの声が重なった。否、姿は見えないがこのニュースを見ている日本全国のお茶の間の声が一つとなった、かもしれない。

 

 あろうことか、そのやり手のキャリアウーマンのような服装の女性は、眼下を睨みつけるように視線を向けると、ゆっくりとした動作で、しかし迷い無くヘリから足を出して――――

 

 

 飛び降りた。

 

 

 彼女の身体が空中に投げ出され、アナウンサーが悲鳴を上げる。

 

 箒もそれを目にした瞬間、恐ろしいものを見たかのように一瞬で体中に汗が吹き出た。

 

 だが、

 

 女性は体操選手もかくやと言うぐらいにその身を空中で回転させると、

 

「『あ』」

 

 音も無く地面に着地した。まるで猫のように優雅でしなやかな着地。そしてよく見たら足の履物はバンプスだった。

 

――ありえない。

 

 全国のお茶の間の声が再び一つになった。

 

 そしてそのありえないことを平然とやってのけた女性は、いつの間にか立ち止まり女性に視線を向ける少女に足早に歩み寄る。

 

 そして、

 

 歩きながら腕を振り上げる。それが打撃の前動作であったと周囲の人間が気付いたのは、女性が少女の頭頂部に拳骨を落としてからだった。

 

 鈍い音がした、ような気がした。

 

 振り落とされた腕の勢いに一切の容赦は無く、くらった少女は『ぬおお!』と頭を抱えてその場に蹲り、痛みで転がりまわった。

 

 そのとき彼女の長髪がずるりとずれ、ぽてり、と落ちた。

 

 何が、と集中する視線の先にあるのは美しい黒の長髪の――――ウィッグ(かつら)。

 

 少女から少女(?)へジョブチェンジした謎の生徒Aはそのことに気付いた様子も無く地面の上でのた打ち回っていたが、サングラスの女性が『ふん!』という気合の声とともに股間を突き刺すように踏みつけると『おうふ!?』という珍妙な奇声を発し、脂汗を浮かべそのまま動かなくなった。

 

 

 その場に嫌な沈黙が漂う。

 

 周囲の警備員達が冷や汗を流しながら腰を引いている。

 

 アナウンサーはもはや事態に思考が着かなくなったのか遠い目をしている。

 

 そして箒は目を限界まで見開いてその光景を見ている。

 

 

 そんな周囲の雰囲気を無視して、女性は周りをサングラス越しに睨みつけ口を開く。

 

『馬鹿は確保した。各員速やかに自分の仕事をしろ! 一班は被害状況の確認を急げ、二班は周囲の警戒にあたれ。許可が出るまでホール内に人を入れるなよ! あとは――――』

 

 この場の空気を支配した女性は周囲の警備員に迅速に指示を出した。

 

『え? 撮影終了? ちょ、ちょっと待ってください! い、いきなりそんな! いったいあの人達は……』

 

 女性の指示でショックから復活した警備員達が後ろの光景を隠すようにアナウンサーとカメラの前に立ちはだかった。

 

 そのあとはアナウンサーと警備員達との問答が続き、唐突にカメラはスタジオに戻され、キャスターたちが何も無かったかのように次のニュースに入った。

 

 箒はしばらく呆然としていたが、これ以上先程の続きが放送されないと判断してリモコンでテレビを切った。

 

 騒がしかった音源が無くなり、部屋に静寂が訪れる。身を乗り出すような姿勢だった箒は、力が抜けたようにソファーに背を預けると先程の放送の内容を思い返した。

 

 あの光景は何だったのか。あの謎の女子生徒(?)と後から登場した女性は何者なのか。

 

 ぐるぐる、と箒の思考は回りだし、やがてある結論に達した。

 

 

「いったい何をしてるんだ……一夏と千冬さん」

 

 

 例え6年越しであろうとも見間違えるはずがない。それは会いたい、と先程まで涙した少年と、その姉の名前だった。

 

 思いも寄らない形で6年ぶりにその姿を目に入れることになった箒の脳内は、その後も嵐のように疑問が噴出し混乱が続いたが、結局彼女を納得させる答えが出ることは無かった。

 

 

  

 その答えを彼女が知るのは、この日から二ヶ月と少し後になる。

 

 

 

 




六年ぶりに見た愛しい彼は女装していました。


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第1話 「マイネーム イズ イチカ オリムラ」

前作1話の改訂版。まだバランス模索中です。それにしても一度できたものを作り直すのは、普通に推敲するより難しい。また色々つめこんだ感。


 春の陽光に照らされた穏やかな海、その上を海中から突き出た複数の支柱に支えられている一本の線が伸びている。そこを行くのは銀色の車体を持つ懸垂式のモノレールだ。車体の上部と下部にそれぞれ一本ずつ赤いラインが引かれたそれは、吹きつける潮風に揺れることもなく目的地へと向かっている。

 

『まもなく学園前に到着致します。お降りの方はお忘れ物の無いよう――――』

 

 その車内にオルゴール音の後にアナウンスが響いた。六人がけの座席から見て斜め上――――天井付近にある空間投影式のモニターに、これから停車する駅の映像と先程のアナウンスと同じ内容を意味する文章が様々な国の言語で表示されている。

 

 それを見て車内にいる乗車客――――大半が十代の少女――――の中には自分の手荷物を確認する人が何人かいる。

 

 その中に、

 

――近代的、かつ国際的……!

 

 と、頬を紅潮させている少女がいる。短い黒髪の先が外側に飛び跳ねているクセっ毛の少女は、地元ではまだ導入されていない空間投影式のモニターを見てぷるぷる、と身を震わせる。

 

 そう、彼女はこの春からIS学園に入学するべく遠方よりやってきたのであった。

 

 ISが世に発表されてから大よそ10年。未だその中核を担う『コア』の解析は進んでいないが、ISから組み上げた或いは参考にした技術は研究者や企業の努力により既存の技術と合わさり様々な方面の技術が発展した。

 

 この空間投影もその一つだ。元々基礎と成りえる技術は存在したが、ISの登場からその開発が一気に加速したのだ。

 

 ISは何故か女性にしか扱えない。そのことは世の保守的な男達を『女尊男卑時代が来る』『男の居場所が無くなる』と不安にさせた。だが実際には航空、軍事、医療、宇宙、etc……多くの分野に多大な恩恵が与えられ、技術開発の最前線は性別による差別など入る余地もなく優秀な人間達が日夜その力を振るっている。

 

 むしろ、一部の開発畑の男連中はいくら汲み上げても底の見えない井戸のような存在であるISの技術解明に心血を注いでおり、そのハイテンションなヒャッハーぶりによって周囲にドン引きされるほど活躍している者もいる。

 

 そして、この空間投影を始めとした一般人の生活に用いられるレベルになると、それを扱うのにISを用いなければならないというようなことは当然無い。よって、それを使って『ISが女しか扱えない』という問題を思い浮かべる人は皆無だ。

 

 いくら『女尊男卑の世の中』などといったところでそれを真に受ける人間はほとんどいない。騒いでいるのは男女問わず、ありもしない自分の立場を勘違いしている人間だけだ。

 

 IS発表当初、最もその影響を受けると思われていた軍隊でさえそこから男の姿が消えることは無かったのだ。

 

 確かに完全にリミッターを外されたISの戦闘能力は驚異的だ。空中で戦闘機にはありえない機動をとることが可能であるし、バリアーなどというSFじみた防護機能を持っている。

 

 初期に軍用として調整されたISは、当時最新鋭の無人戦闘機と能力検証のための戦闘を行い、そして最終的にはその強力な防護機能と機動力を盾に無人機を戦闘用マニピュレーターでぶち抜いたのだ。

 

 公式発表は無いが、ネット上ではとある紛争地帯において戦車を上空から奇襲し貫く人型の機体の姿が見られたという眉唾ものの噂もあった。だがそれが可能な能力をISが有しているのは事実だ。

 

 この結果だけを見れば一般人は誰でも戦闘の主役がISとなると思うだろう。

 

 しかしそうはならなかった。

 

 ISの中核たる『コア』は発表から10年たってなおその全貌が明らかにされないブラックボックスだ。よって『コア』を生産できるのは開発者である篠ノ之束ただ一人。そして彼女は世間から姿を消しており、現時点ではこれ以上『コア』が量産されることはない。

 

 全貌の見えない技術、女性しか扱えないという仕様、得体の知れない『適性』という基準、量産できず補充のきかない兵器、そんな不安要素が多く存在するISに国防を担わせる国などどこにも無かった。

 

 ただその能力は魅力的だし、学び取れる技術は大きい。それに他国が軍用として扱えば一時的でも脅威となることも事実だ。

 

 それ故に各国政府はISの扱いに関する国際条約を作った。無人戦闘機や独自の戦闘用パワードスーツを開発していた米国が強力に支持したこともあり、ISの軍事転用及び軍事転用可能なISの取引の禁止が盛り込まれたそれは『IS運用協定』――――通称・アラスカ条約と呼ばれる形で国家間で協定が結ばれた。

 

 それ以降IS研究はその技術の平和利用のための解析と、米国が既に長年かけて下地を作っていたパワードスーツを用いたスポーツ大会のIS分野開設に伴う装備の研究が中心となった。

 

 それ以外にも欧州におけるISを利用した宇宙開発計画の第一段階でありフランスが中心となって進める『U計画』や、ISを用いて紛争地帯や厳しい環境下での救助活動と医療行為を行うための試験計画『ROA』といった計画も進んでいる。中には初期のISを改良して強力な耐圧殻を持ち深海を高速で移動可能な深海探査用IS『トリアイナ』を用いた海洋開発計画といったものまである。

 

 これから彼女が行くのはそういった人類の未来を切り開く計画の数々を支えるISについて学ぶ場所――――IS学園。全寮制であるこの学園に北九州の片隅にある田舎町から出てきた彼女としては、空間投影のモニターに流れる多様な言語を見ただけでも、これまで自分が過ごしてきた場所とは異なる世界に来たのだと痛感していた。

 

 これから始まる三年間は忘れられない色々なことがあるに違いない、と少女は期待に胸を弾ませた。

 

 彼女の期待に応えるように、進行方向にある目的地が段々と大きくなってくる。 

 

 それは緑に囲まれた美しい島だ。

 

 陸地には周囲から来る潮風に揺らされる新緑の木々が豊富に存在し、緑に寄り添うように近代的な造りをした研究施設、広大な運動場と思しきスペース、多数の客席を持つアリーナまで設けられており、海沿いにはISに関する機材を始め食料や生活用品といった様々な物資を受け入れるための港がある。

 

 それ以外にもこの島にはここで生活する人間のための様々な商業施設を有している。

 

 また、ここに来るためのモノレール乗り場の周囲にはISに関わる企業が集まり、そこに勤める人々を目的に店が集まり、さらにその人々の居住区があり――――と、いつのまにこの一帯は学園都市といっても差し支えない規模となり繁栄している。

 

 その繁栄の中心が島の中央にある。螺旋を描きつつ天へとその鎌首を上げる龍のような独特の形状の白い塔を持つ建造物、それがこの島の中心施設『IS学園』だ。 

 

 それを目にした周囲の少女達がわあ、と湧き立った。彼女達がモノレールに乗る目的は同じだ。

 

 それは明日のIS学園入学式である。

 

 既に大きな荷物は数日前に島の学生寮に送っており、一週間前から寮で生活することも許可されていたのだが、ここにいるのは色々な用事が重なってため今日到着となった前日組であった。

 

――ようやく新生活が始まるんだね!

 

 少女は溢れてくる『喜』の感情を表情に滲ませながら、今日持ってきた僅かな手荷物の入った鞄を忘れないように握りなおす。

 

 

 そして、

 

 

 

 いい加減現実から目を逸らすのをやめよう、と思った。

 

 

 

 いきなりそんなことを言っていったい何事か、と思う人もいるだろう。

 

 彼女がそのような覚悟を決めることになったその原因は同じモノレールの車内にいる一人の少年だ。年の頃は自分と同じ十代半ばといったところで、彼はその隣側の席に座るスーツ姿のサングラスの女性とずっと会話をしていた。

 

 少年の顔立ちはどちらかといえば整っている。背は170ぐらいだろうか? 憧れの誰かに似ているような気がする吊りあがり気味の瞳は、本来であれば他者に激しい印象を与えることもあるのかもしれないが、少年自身からは他者を威圧するような雰囲気は発していなかった。

 

 強いていうならば落ち着いた、静かな空気を放っていると言えるだろう。

 

 彼はこのモノレールに乗ったときから隣の女性と言葉を交わす中で何度か笑顔を見せている。北九州の女子中学出身である少女としてみれば、その心の底から浮かべているような透明感のある笑みに何度もドキリとしてしまったのも事実だ。

 

 

 事実なのだが、

 

 

――何で、あの人簀巻きにされたまま微笑んでるん?

 

 

 そう、彼は顔こそ爽やかに微笑んでいるのだが、その身体は身動きが取れないように茣蓙(ござ)で簀巻きにされて座席の足下に芋虫のように転がされていた。

 

 少女はモノレールに乗り込みそれを見た際に、自分が間違えてどこかしらの『流刑地』への直行便に乗ってしまったのではないかと激しい不安に苛まれた。

 

 そんな時代錯誤な場所が現代日本に存在するわけはないのだが、彼女はそれぐらい混乱していた。

 

 それは一緒に乗った周囲の少女達も同じだったらしく、それぞれが初対面にも関わらず周囲の人間とこの不安感を共有し、自分が取り返しのつかない過ちを犯したわけではないということを確認しようとした。 

 

 彼女も同じくそうやって不安を払拭しようとした人間の一人であり、ちょうど隣にいたおっとりした少女とお互いに『自分達は正気である』と励まし合い、会ったばかりではあったが熱い友情を育み、そうしてようやくモノレール内に足を踏み入れたのだ。

 

 そんな彼女達をさらなる試練が襲う。

 

 彼女達がモノレールに乗り込んだときはまだ少年は座席の上に乗っていたのだが、そこで乗客が増えたことで彼女達が座る席が無かったのだ。しかし、このモノレールは最新の技術により懸垂式で海上を進んでも揺れがほとんど無いことを売りにしており、彼女達としてはつり革につかまって立ち乗りしても問題は無いと思っていた。

 

 だが、簀巻きにされた少年は無駄に紳士的だった。彼は突如床に転がり落ちると、彼女達に席を譲ったのだ。

 

 そんな思わぬ親切を受けた少女達の心は、

 

 

――座りたくねぇ!

 

 

 その一言だった。

 

 彼女達ははっきりいってそこに座りたくなかった。この魔球と言いたくなるような変化球的ご厚意はいったい何なのであろうか。どう考えてもデッドボールだろう、と彼女は叫びたくなった。

 

 時間にして10秒程度、彼女は葛藤した。だが隣のサングラスの女性が『早くしろ目障りだ』と言わんばかりに睨んできた(ような気がした)のでしぶしぶだが彼女は譲られた席に座った。とりあえず席は生温かった。

 

 そうして何の因果か今だかつて無い珍妙な状況下に置かれた少女であったが、その少年は簀巻きにされていることを除けばかなりの好青年であるらしく、隣の女性(どうやら姉らしい)との会話でも彼女の身体を労わるような言動が目立った。女性の方も満更ではないらしく、少年と良く似た、しかし深みのある微笑みを浮かべながら返事をしていた。

 

――見た目はアレだけど親切だし、何か事情があるのかな? 女の人も一見すると怖そうだけど、あの男の子のこと凄く想っている感じがするし……。

 

 そうなると、先ほど席を譲ってもらったとき怯えてきちんとお礼を言わなかったのはかなり失礼だったのではなかろうか、と彼女は思う。

 

 彼女は憧れの人物に対してミーハー気味な反応を示すということを除けば、普通の一般良識を持つ善人であった。ちなみに今の憧れの人物はIS操縦の第一人者でありブリュンヒルデの称号を持つ『織斑千冬』である。

 

――ちゃんと受けた親切にはお礼を返さないといけんよね! お父ちゃん、お母ちゃん!

 

 彼女の脳裏に苺農家である実家の両親の姿が浮かび上がり、笑顔でサムズアップしている。

 

 思い立ったら即行動だ。彼女は気合を入れ、隣に座る姉弟へと視線を向けると、

 

 

 一瞬で逸らした。

 

 

 モノレールに入ったときは影になってよく見えなかったのだが、女性の右手には一本の縄が握られていた。それは手の中から伸び、座席をつたった先にある茣蓙の中――――のさらに少年の服の中まで伸びていた。

 

 そして彼女が隣へと視線を向けた瞬間目に入ったのは、彼が纏っている茣蓙の間から見える服の襟――――の影になる箇所で首元を締め付けるように食い込んだ縄だった。

 

――へ、変態! 変態姉弟がおるよーーーーー!?

 

 脳裏に浮かぶ両親のイメージ映像が一瞬で霧散し、今度は脳裏をSとかMといったアルファベットが渦巻いた。

 

――ふ、服の上からならまだしも……なんで直接なん!?

 

 そういう趣味の人間がいることは知識としては知っていた。だが、こんな近くに、しかも姉弟でだ。

 

 真実を言うと、少年は服の上から縛り上げても瞬時に縄抜けできるという無駄な高等技術を修得していた。そのことを良く理解できている彼の姉は素肌を直接縛ることで脱出を少しでも困難にしたのだ。

 

 ちなみに巻かれた茣蓙で見えていないが少年の両手は後ろ手で縛られており、おまけに手錠が三つはめられている。足も同様の処置が施されており、真っ当な人間であれば身動きをとることも困難な状況であった。

 

 ただ、彼がモノレールの乗り場に着く前はまだこんなあんまりな拘束はされていなかった。そこまでは屈強な二名の警護役がついており、自分の置かれた立場を理解していた彼は大人しくついてきていた。だが彼がモノレール乗り場に近付いたあたりでいきなり駆け出したのだ。

 

『馬鹿が逃げ出した』

 

 それが警護の人間達の率直な感想だった。いくらなんでもあんまりだと言いたくなる感想であるが、これまで彼の周辺警護を担い、普段の少年の理解不能な行動の数々を目にし振り回されてきた男達にもはや遠慮は無かった。

 

 しかし一度動き始めた少年を捕獲するのは至難の技である。彼は警護役達を散々振り回しモノレール乗り場へと駆け寄り、そしてそこのお手洗から絶妙なタイミングで出てきた実姉である女性にウェスタンラリアットをくらい沈黙した。

 

 その後彼が再び逃亡することを懸念した女性は、彼が正真正銘一切の身動きが取れないように現在のような処置を施したのであった。 

 

 

 だが、

 

 

――と、都会は怖いところだよお父ちゃん、お母ちゃん!  

 

 

 当然ながらそんな事情を知らない少女は期待感が勝っていた心中の振り子がここにきて一気に不安側へと傾き、心中で実家の両親に助けを求めた。

 

 だが目の前の現実は結局変わらなかった。その後、IS学園の駅に降り立った彼女は理解できないものから逃げるように学園の校舎がある方向へと全力疾走したのであった。

 

 

 そうして、そんなこんなでIS学園入学式前日にあやしい少年が舞台へと入場した。

 

 

 

 

 

 

 第1話 「マイネームイズイチカオリムラ」

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん揃ってますね。それでは一年一組最初のSHRをはじめますよー」

 

 手の板上の端末に映る出席簿と目の前の生徒達を交互に見やりながら、IS学園一年一組副担任・山田真耶(やまだまや)は教壇で穏やかに微笑んだ。

 

 しかしその笑みは見る者にどこかぎごちない印象を与えるものだった。

 

 今の自分の表情に硬さがあることを真耶自身も自覚していた。そしてその原因にも。

 

――うう、どうしてこんなことになっているんでしょうか……。

 

 今の彼女の体は緊張で強張っている。

 

 今日は関係者の誰もが気を引き締めるIS学園入学式。

 

『まだまだ半人前の域を出ていない』と自己を評価する彼女ではあるが、全寮制の学園で新たな生活を迎える新入生の力になろう、と朝から鏡の前で気合を入れてきたのである。

 

 しかし入学式を終えた後の一年一組教室。そこでまず初めに行った自己紹介に対する生徒の反応は――――無言。

 

 これには朝から入れてきた気合も萎んでしまいそうになった。新入生達を不安にさせることのないようスマートに、余裕ある大人として振舞うべく考えてきた自己紹介の内容とその流れはものの見事に不発に終わってしまったのである。

 

 目の前で床に固定された学生席に整然と座っている少女達――――この学園の専門に学ぶISの特性から生徒は少女のみ――――は、童顔の副担任の自己紹介など興味無しと言わんばかりに全員が教壇とは別の場所に視線を向けていた。

 

 はあ、と真耶は心中で溜息を吐く。

 

――仕方ない、ですよねー。 

 

 諦めの言葉を思い浮かべながら真耶は少女達の視線を辿る。その先にいるのは教室の最前列中央の席に座る『男子』生徒。

 

――自分達のクラスに学園で唯一の……いえ、世界でただ一人の男のIS操縦者『織斑一夏(おりむらいちか)』くんがいるんですから。

 

 そう、少女達は真耶が心中で織斑一夏と呼んだ、女子校の教室の席に座っている男子生徒興味津々であった。

 

 そして教室の視線を一身に集める彼は、

 

「……」

 

 何故か先程から無言で真耶を見つめている。

 いや、今後の学園生活やその他諸々の注意について説明している副担任に視線を向けることは決しておかしなことではない。むしろ誰もが真耶を見ていないこの状況でのその姿勢は好ましいことである……はずなのだが。

 

――な、何か話を聞いているというより、物凄い観察されてませんか私……!?

 

 目の前の少年の視線は、どちらかといえば興味の湧いた対象を観察する小学生のようなものであった。何故か時折『緑……たぬき……』などという呟きが聞こえる。

 

 ひどく居心地が悪い、と真耶は思ったが、そういえば、と一つ思い出した。IS学園の教員に採用される前に、口頭試問もかねた面談があった。今の彼の視線から受ける居心地の悪さはあの時に似たものがある。

 

 表層だけでない、山田真耶という人間の奥底にあるものを探ろうとする瞳。彼はその顔を揺らすことなく一心に真耶を眺めている。その顔立ちは真耶が尊敬する先輩教師を思い起こさせ、一層心を落ち着かなくさせる。

 

――うう、何でそんなに私の顔を見て……ま、まさか!? 今日の私の服装におかしなところが!? それともお化粧が崩れて? も、もしかして入学初日にして年上のあの女性(ひと)にフォーリンラブとかそういうラブ&パッション溢れる展開ですかー!?

 

 だんだん緊張から嫌な汗が流れてきた彼女の心はぐるぐると混乱をきたし、それに伴い思考が混沌としてきた。

 

 このように山田真耶の思考の混乱を助長させている最大の要因が一つある。

 

 それは学園の実技試験において目の前の少年の相手を真耶が務め、特に勝敗を決める必要が無かったにも関わらず、かなりあんまりな流れで敗北してしまったことである。

 

――単にISコアの起動に合格した人の中から、さらに一定以上の適性を持つ人を選抜するだけの筈だったんですけど……。

 

 思い出すだけでも恥ずかしい。彼はいきなり機体に抱きついてきたのだ。 

 

 その効果は絶大にして一撃必殺。これまで異性と触れ合う機会が少なく男慣れしていないことも手伝い、教え子の少年に抱きしめられるという突発的イベントを受けた真耶は腰が抜けてしまったのであった。

 

「はう……」

「?」

 

 と、その時の光景を思い出して赤くなった頬を両手で抑えるようにしながら、真耶は声を漏らした。

 そしてその様子を不思議そうに、しかし視線は逸らさず眺める一夏。

 

――こ、このままじゃ駄目ですよね! 私は副担任なんですからちゃんとしないと! と、とにかく織斑くんのことは一端置いて仕事に集中しましょう! ええ、現実逃避とかじゃないですよー!?

 

 何かに言い訳するように考えながらも真耶は残った連絡事項を伝えた。そして生徒の自己紹介へと話は進む。

 

 

 

 

 どこか気弱そうな印象を受ける顔に『見る者の警戒心を解くような笑顔』を浮かべる副担任。そんな彼女を見ながら織斑一夏は思考を走らせる。

 

――幼い。

 

 目の前で連絡事項を伝える副担任の容姿は、彼の十数年の人生の中で出会ったいかなる教員のタイプとも一致しなかった。

 

 その幼い顔立ちや不自然にサイズの合っていない衣服や眼鏡。そして全身からほとばしる小動物オーラ。唐突に『わたし実は同級生なんです。騙されましたか?えへへ』と可愛らしく言われても、何の疑いもなく納得してしまいそうだ。

 だが世の中は広い。全国規模で見れば彼女のような教員がいたところでおかしくはない。

 

 しかし、今自分がいる場所は特殊な場所だ。

 

 IS学園。

 

 この世界ではかつて『白騎士事件』と呼ばれる――実際には事件と呼ぶのも生ぬるいが――人類の技術革新の一つ転換点と呼べる出来事があった。その事件を転機として世界の軍事バランスに大きな影響を与えたのがIS(インフィニット・ストラトス)だ。

 

 本来は宇宙空間での活動を想定したマルチフォーム・スーツとして開発が始まったそれは、ある天才の手によって従来では実現困難と考えられていた慣性制御、シールドバリアー、無機物のデータ領域への収納等々――高度な技術から成る圧倒的なSF仕様の塊に昇華した。

 

 その技術の制御はある意味ISそのものとも言える『コア』と呼ばれるパーツに依存していた。あまりにも時代の先を行く数々の技術、そして先の『白騎士事件』における謎のISの行動――それいったものを制御する『コア』の無秩序な軍事転用を恐れた各国は、その扱いをどうするかを決めるべく大小合わせて膨大な回数に上る話し合いを行った。

 

 各国が自国の不利にならないよう牽制し合う場面も多々見られた国家間による話し合いは、紛糾の末に『IS運用協定』――――通称『アラスカ条約』と呼ばれる協定を生み出した。

 

 ISの取り扱いについて学ぶこの学舎はその設置場所こそ日本だが、これも先のアラスカ条約により『いかなる国家機関にも属さずまた干渉をよせつけない』国際的にも特殊な場所となっている。

 

 世界中から筆記、面接、実技の難関試験を突破し、更には適性試験という本人にはどうにもならない要素を見る試験さえもパスしてきた才能あるエリートが集まるこの学園だが、純粋にISについて学びたいという者もいれば何らかの組織の意向を背に入学してくる者もいる。

 故に、一見すると才女達が集う華やかな女子校にも見えるIS学園はその裏で、企業や国家の思惑が入り混じり煮えに煮立った混沌の坩堝(るつぼ)と化している。

 

 そのような教育機関に属する教員が、この思わず頬をつねり倒したくなるような愛らしい見た目通りの人間だとは到底考えられない。

 

――恐らくは、相当なやり手のたぬきだ。何か緑色だし。

 

 それからしばらくは学園生活に関する説明が続いた。そして次は学生であれば誰もが経験したことがあるであろう自己紹介タイムだ。

 

「あ、あの、ね? お、織斑くん。自己紹介、出席番号順で次は織斑くんの番なの。だから自己紹介してくれるかな? ダメかな?」

 

 何故か身を乗り出す形でこちらを見据えるのは害の無さそうな表情。おまけにやたらこちらに対して低姿勢な、どこか小動物を感じさせるオドオドした態度。だがこれも全ては計算し尽くされた上での行動だろう。そして頭ではそのことが理解できていても、実際に眼前でうろたえている人物からはそのような『切れる』気配は全く読み取れない。

 

――並の人間では無い、ということか。

 

 積み重ねた思考の末、一夏は眼前の女性に最終的な評価を下した。

 

「――この、狸め!」

「自己しょ……って、えぇ!? ど、どういうことですか織斑くん!? どうして私が狸なんですか!?」

 

 それまで黙りこんでいた彼がくわっ、と眉根を寄せて言い放った言葉を受けた真耶は身をのけ反らせて慌てふためいた。

 

「隠しても俺の目はごまかせません。 ――――何より、さっきから尻尾が見えている!!」

 

 勢いよく眼前の狸系教師に指を突きつける。

 

「わ、私に尻尾なんてありませんよぉ!?」

 

 額に汗を浮かべて抗議する彼女ではあったが、それでも一瞬身をよじって自分の背後――臀部(しり)――を確認するあたりに彼女の人間性が見てとれるようだった。

 

 そんな副担任の反応に一夏は一転してふむ、と顎に手を添える動作で何事かを考える素振りを見せ、

 

「いや冗談なんですけどね?」

「え……?」

 

 簡潔にそう告げた。彼の表情はそれまでとはまるで異なる真顔だった。まるで『こいつは何を本気で焦っているんだ?』と言わんばかりだった。

 こうなると恥ずかしくなってくるのは焦っている側だ。一夏のそんな態度を受けた真耶は、ふるふると目の端に涙をためた。

 

 そして、

 

「な、なんなんですかコレはーー!?」

 

 真耶はたぬーっと鳴いた。

 

 

 

▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽

 

 

 

「……で? 挨拶も満足にできないのか、お前は」

 

 静かに、しかし力強く響いたその声の主は織斑一夏の実姉にしてクラス担任である織斑千冬だ。スーツに包まれたその長身はまるでアスリートのように余分な肉がそぎ落とされ、均整のとれた隙の無い身体をしている。

 彼女は二分ほど前に、自分の出席簿による打撃で強襲・制圧され机に突っ伏している実弟に対して諦念の混ざった問いをした。

 

 昨日学園に連れてくる途中のモノレール乗り場。そこで逃亡騒ぎを起こした愚弟である。彼を向かえに来ていた彼女がとりあえず打撃して捕獲した上で逃亡できないよう入念に拘束した。その騒ぎで乗る予定だったモノレールに乗ることが出来ず、次の線を待つ間に事情を聞いてみると彼は縛られた状態で首だけを上げて『千冬姉、さっき行ったモノレールに箒に似た女の子がいたんだ』といった。

 

 それを聞いてなるほど、と千冬は思った。学園の教員としてそれなりに責任ある立場である彼女は、今年度の新入生に関する情報も色々と把握している。中でも自分とも古い付き合いであるその少女のことは千冬の頭の中に残っていた。

 

 実際、彼女が学園入りしたのも昨日であり、恐らく彼が見たのは本人に間違い無いだろう。

 

 久しぶりに見かけた幼馴染に駆け寄るとはなかなか可愛いところがある、とは思った千冬であったが、事情も話さず突っ走って静止しようとした警護の人間から距離を離すのはやめろと注意した。

 

 彼女の弟が置かれた立場は極めて微妙で危ういものだ。警護がなければいつ攫われてもおかしくないのである。

 

 とりあえず無事学園内に連れてくることができほっとした千冬であったが、いざ学園に入れば姉と弟と言う前に教師と生徒という関係になる。

 

 昨日は厳密には学外ということもあり、その理由も考慮して後は談笑して過ごしたが、今日以降はそうはいかない。

 

――必要以上に甘やかすことはできん。

 

 そのような思いから容赦なく制圧した。

 

 そんな千冬に対して一夏は顔を上げ口を開く。

 

「いや、千冬姉、俺は――」

 

 スパンッ! 出席簿により小気味好い音が教室に響き渡った。

 ここで自宅にいる時と同じように接することは、公平性を欠くとして他の教師や学生からの不評を買いかねない。

 

 それは誰のためにもならないし、何より一夏がこの学園に馴染み、様々な物事を学び、力をつけていくことを阻害しかねない。そう判断した千冬は実弟に対しても特別扱いせず、むしろ他の生徒より厳しく接することにした。

 

「織斑『先生』だ」

 

 自分で言っておきながら何ともむず痒さを感じずにはいられない千冬だが、それを表情に出すことなく、つり上がった視線を一夏に向けた。

 

 それは他者から見れば、教師を軽んじる発言をした生徒を戒める光景に見えなくもない。

 

 そんな千冬の態度を見て一夏は先程の実姉に対する呼称がこの場に適したものでは無いことに気付いた。彼はそのことを反省し、この場で実姉をどう呼ぶべきかを判断した。

 

 だが、

 

「いや、千冬お姉ちゃん、俺は――」

 

 スコンッ! と、何かの角をぶつけたような軽快な音が教室に響き渡る。千冬に手に握られた出席簿が彼の頭を打った音だ。

 

「織斑『先生』だ」

 

 懲りない奴だ、と思いつつも根気よく訂正するあたり、実は結構特別扱いしているのだが千冬は気付かなかった。

 

「いや、ちーちゃん、おれ――――ッ!」

 

 瞬間、千冬のタイトスカートからスラリとのびる脚が翻り、ゴスンッ! と先ほどまでとは明らかに質の異なる鈍い音が響き渡った。

 ぬおお! といううめき声が響き、一夏の身体が力なく机の上に倒れ伏した。

 

「つべこべ言わずに織斑先生と呼べ」

 

 千冬はそんな馬鹿の頭の上に手を置くと、グリグリと力を込めながら絶対零度の瞳で命令した。今度は一切甘やかさなかった。脳裏で兎が笑った気がして微妙に腹立った。

 

「……や、了解(ヤー)、織斑先生」

 

 その返事にうむ、と頷いた千冬は猫の子でも持つように彼の襟首を掴み上げると、かくかくとその身体を揺らしながら命令を付け加えた。

 

「ほら、さっさと自己紹介をしろ。他人を惑わすような虚言戯言無しで簡潔にな」 

「わ、私は織斑一夏です。今後ともよろしく……」

 

 そこまで言って彼の震える首はがくんと下がった。

 

「よし、この馬鹿の自己紹介は以上だ」

 

 千冬の手が離され一夏は再び机に伏した。その様はもはや完全に糸の切れた人形であった。

 このやりとりで姉弟なのがクラスの人間に完全にバレたが、二人の様子に全員頬を引き攣らせておりどう反応すればいいのか判断できずにいた。というより今の千冬相手にそのことを指摘すれば、確実に睨まれるとクラス全員が察していた。

 

 なお余談だが、織斑姉弟と旧知でありその片割れとは共に剣道場に通った間柄であるポニーテールの剣道少女は頭を抱えて机に突っ伏していた。

 

 そうこうしているうちにチャイムが鳴り、結局自己紹介は終わらなかったことを明記しておく。

 

 

 そして真耶はずっとたぬー……と泣いていた。

 

 

 

▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽

 

 

 

 授業終了を知らせるチャイムが鳴り、教室にはモニターの端末を操作するデジタル音や筆記用具を置いたりノートを閉じるアナログな音が溢れた。

 

 IS学園では入学式当日から最初の授業が始まる

 学園の生徒は通常の学校で言うところの一般科目レベルの内容は、既に筆記試験をパスするためにそれぞれの出身国で身につけている。それは膨大な数に昇る受験者の中で勝ち残るための最初の壁だ。

 

 そうして入学した少女達は今度はその知識を『基礎』として、より応用的な内容を学ぶことになる。それは日本で言えば知識を詰めこむことに傾いていたそれまでの授業とは異なり、より自分で考えることを求められる内容となる。IS学園にはそのための一般科目専門の教師も在籍している。

 

 こうしたカリキュラムを経た学園の生徒はISの知識は勿論、それ以外の様々な知識をバランス良く持ち、さらにはそれを活かすために何をするべきかを自分で考えることの出来る人材となって巣立っていくのだ。

 

「……ふう」 

 

 一夏は息を吐きながら身体の凝りをほぐすように伸びをした。

 慣れない環境で緊張した、というようなことは特になかった。そのようなまっとうな神経など彼は持ち合わせてはいない。

 彼の神経の図太さは自他共に認める強靭さを誇っており、まだ遭遇(であっ)て数時間しか経過していない一年一組のメンバーにさえも、それは共通認識として受け入れられつつあった。

 

 世界で唯一ISを扱える『男』として世に認識されたその日から、彼の日常は絶えず他者からの視線に晒されるようになった。それもそのはず、ISは女性にしか使えない――――それは子供でも知っている常識である。

 にも関わらず彼――織斑一夏は何故かそのISの起動に成功した。男であるにも関わらず。

 一般人はもちろん、様々な国の政府関係者やIS研究者、得体の知れない企業、組織が彼に興味を抱き接触を図ろうとした。

 

 幸いにも日本政府にしては迅速な要人保護プログラムの適用を受け、そうした組織の人間が許可無く彼に接触することが禁止された。そして身辺に警護の人間が密かに配備されるようにもなり、そういった人間の接触はほとんど無くなったのだが、一般人の不躾な視線までは止めようがなかった。

 

 彼に向けられた視線の中には、好奇心以外の仄暗い感情のこもったものも少なくなかった。

 人は自分の内に無いものを持つ他者に対して嫉妬する。特別な存在というものに憧れもするし、突き出た存在を排斥しようともする。

 

 自分が享受していた特権を揺るがそうとするものに穏やかな感情を向けることはできないだろうし、手に入れれば他社や他国に先んじれば莫大な利益が入る可能性がある存在がいたら、手を伸ばそうとするのも仕方のないことだろう。

 

 そして普通の人間が長期間そのような濃密な視線に晒されば精神的に疲弊してしまうであろうことは明白だ。

 だが、元々の育ってきた環境と周囲の人間の影響で斜め上に真直ぐに育まれた一夏の性根は、そういった視線に晒されても決して揺らぐことはなく、むしろその頑強さを一層強化させたのであった。

 

 そんな彼にしてみれば、現状のように多数の女子生徒の中で男が自分一人という聞くだけで胃が痛みそうな状況にあったとしても、同年代の小娘たちに向けられる好奇の視線(時には大人の事情が絡んでいる者もいるが)程度は余裕を持って受け流すことができた。

 

 我が事ながら実に理不尽な状況に晒されている、とは思わなくも無かったが、それは一重に自分の身を守るための措置であることは理解していた。おまけにIS学園の教育制度は極めて充実しており、学園卒業後の生徒の進路は一部の変わり者を除けば皆一様に良い条件の職に就いていることも大きい。

 

 彼に両親はいない。肉親は織斑千冬ただ一人。そして幼かった一夏は自分が実姉にただ養われ、苦労をかけていることを申し訳なく感じていた。彼のそんな考えに気付いた千冬が『気にするな』と言ってくれたため後ろめたさは軽減されたが、一刻も早く職に就いて実姉の力になりたいという想いは一層強まった。

 

 そんな一夏にしてみれば条件の良い場所への就職率が高い学園への入学は渡りに船であり、これから三年間男一人で過ごすことに対する憂いなど微塵も無く、ただただ己を磨き、知識を得て、力をつけていくことに何の迷いも無い。

 

 故に、彼がこの状況に与えられる緊張は皆無だ。むしろ余裕さえ感じていた。

 そうして彼の内側からあふれる余裕の発露は、授業中の鼻歌付きのペン回しという形で結実し、その手中におさめられた細身のシャープペンシルは風切り音を出しながら高速回転していた。

 

 幼少の頃より特に意味も無く鍛えてきたその業(わざ)から彼は『イチカ・カザキリ』という異名を付けられ、近隣のペン回し業界を荒らしまわる謎の孤狼として恐れられた。

 無謀にも彼に挑んだ猛者たちは皆、その十指の間で生きているかのように動き回るペンの軌跡の前に敗北した。

 

 授業中彼が持つペンはその畏怖の感情を込められた異名に相応しい回転速度を叩き出し、その回転に比例して真耶の愛らしい眼(まなこ)からはとめどなく涙があふれた。そして一夏は出席簿に制圧されて机に突っ伏し、ペンは宙を舞い、窓際の剣道少女を頭痛が襲い、世界のどこかで兎耳がくしゃみをした。

 

 そしてこのやり取りによって、クラスの人間の彼への評価はうなぎ上りとなった。ただしななめ上に。

 

 ついでに己の無力さに絶望した真耶は、世のままならない様にぽんぽこ涙したのであった。

 

 

 何はともあれ、そんなはぢめての授業が終了した彼は、ノートに『ペンの回転速度と山田先生の涙量の相関関係』なるレポートを極めて真剣な表情でまとめていた。完全に確信犯であった。

 

 そんな彼には現在多数の人間の視線が向けられている。それらの視線は教室の出入り口にある扉の内と外で、その性質を異ならせていた。

 織斑一夏という人間をまったく知らない外側の人間は、彼の整った顔立ちとノートをまとめている真剣な表情を見て頬を赤く染め、想像によって補強された好意的な視線を向けている者が少なくない。

 

 ISは女性にしか扱えない。故にISに携わる環境はほとんどが女性で構成されている。彼女達もその例外ではなく、つまり何が言いたいのかというと彼女達は男慣れしていなかった。

 

 全員がそういうわけではないのだが、そうでない生徒も唯一ISを扱える『男』であり、憧れの的である織斑千冬の弟であり、悪くない顔立ちをした彼に少なくない興味を持っていた。

 しかし今回わざわざ教室まで見に来ているミーハーな生徒達には、先に述べた方の人種が多かったようである。

 それに対して織斑一夏という人格の発露に間近で晒された一年一組の人間は、次はどのような突飛な行動に出るのだろうという好奇心、恐れ――――でも顔は良いのよね、背も高いし、という外の人間と同種の感情等が入り混じった複雑な視線を向けていた。

 

 両者に共通しているのは、そのどちらもが織斑一夏という人物が発する独特の雰囲気に物怖じして、未だに交流の切欠をつかめずにいる点であった。

『一声かけて色々なことを聞いてみたい、でも……』という躊躇いが足を踏み留まらせ、互いをけん制し合い、いつのまにか『抜け駆けは駄目よ!』という空気が醸し出されている。 

 

 そのような状況を打破したのは――――

 

「……ちょっといいか?」

「んあ?」

 

 何故か痛みを堪えるように頭を抑えた、六年ぶりの再会となる幼馴染の少女だった。

 




前半は色々と後先考えず捏造盛り込み。後半は大体前と同じです。ちなみに前半登場の名無しの北九州出身少女は原作一巻の最初の方で千冬さんに憧れて北九州から来ました的な台詞を言ってた子という設定です。毛先のはねた短髪という設定はアニメの映像由来。


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第2話 「間合い:遠間」

屋上での箒さん&一夏さん邂逅シーン。箒さんの過去話ねつ造。まじめ。


一夏『久しぶり。2年ぶりの投稿だけど、すぐに「誰だテメーは!」と思ったよ』



「……ちょっといいか?」

「んあ?」

 

 それだけだった。

 

 ただそれだけのやり取りで、IS学園1年1組の教室から音が消えた。代わりに、それまで好き勝手な話題に花を咲かせていた生徒(しょうじょ)たちの目は一点へと集中した。

 

 彼女たちは舞台の上で今まさに始まらんとしている劇の幕開けを見逃すまいとするかのように、教室の誰もが身じろぎすることも忘れて静止している。

 

 そんな観客の目をくぎ付けにするこの舞台。始まるのは手に汗握る大立ち回りか、はたまた喜悲の入り混じったラブストーリーか。

 

 それを知るのは客の視線のその先の、男女二人の役者(キャスト)のみである。

 

 さて、その片割れたる我らが女優(ヒロイン)――――篠ノ之箒の内心はといえば、

 

 

 

――――言ってしまった。いきなり声をかけてしまった……!

 

 

 

 あまり穏やかではなかった。

 

 

 

 

 

 

 第2話 「間合い:遠間」

 

 

 

 

 

 

 微かに潮の香りがするのは、学園の屋上から一望できる風景の四方に海が広がっているからだろう。時折吹く風が前髪を揺らすたびに、鼻先に海のにおいが運ばれてくる。

 

 今日はIS学園の入学式であったが、天候は幸いなことに晴れ。

 

 その陽光が降り注ぐ学園の屋上には本物と見紛うような瑞々しい緑の人工芝が隙間無く床に敷き詰められており、今日のように天候に恵まれた日に寝転がるには最適の場所となっていた。 

 

 恐らく昼休みには昼食をとる生徒で賑わっているであろうこの場ではあるが、授業の合間にある短い時間に足を運ぶ者はおらず、現在は二人の生徒が立つだけだ。

 

 二人のうちの一人、授業を終えてすぐに理由も解らないまま屋上へと連れられてきた少年――――織斑一夏は、今は何をするわけでもなく落下防止用の手摺に手をついて海からの潮風に心地良さそうに目を細めている。

 

 そしてもう一人、気難しい表情のまま一夏の腕を取りここまで引っ張ってきた箒はといえば、一夏から五歩ほどの距離を空けた位置に立ち、睨みつけるようにその背を見つめていた。

 

(……どうしよう)

 

 率直に言うと箒は焦っていた。声をかけて屋上まで彼を連れ出したは良いが、その先のプランが真っ白だった。ここからどう話を切り出すのか、何を話せば良いのかが今の箒にはまったくわからなかった。

 

 自分の顔が緊張で強張っていることは、鏡を見るまでもなく自覚できた。そしてその緊張の原因は明白だ。

 

(――――いちか)

 

 かつて幼少時代を共に過ごし、そして周囲の人間によって引き離された少年。この六年もの間一度たりとも顔を合わせることが無かった幼馴染。箒はその顔を唐突に見ることになった。

 

 二ヶ月と少し前、彼は何の前ふりもなくテレビ画面に姿を現した。それも女装である。

 それが一夏であると気付くまでに僅かな時間がかかってしまったが、それも仕方のないことであった。だって女装である。

 

 今この屋上で潮風を受けて揺れるその髪は、長く美しい黒髪のウィッグの下に隠れ、こちらからは見えないその瞳もウィッグの前髪部分で隠れていた。さらに記憶を辿ってみると、テレビ越しのその顔には(今こうしている顔と比べて気づいたのだが)薄く化粧をしていた。服装は地元の中学の女子制服だったし、群がる警備の男共をいなしたり投げ飛ばしたりする際のかけ声が女のように高かった。

 

 これでよく気付いたものだ、と箒は今さらながらに思った。

 

(開いた口が塞がらないというのはああいうことを言うのだろうな……)

 

 『謎の少女』が彼(いちか)であると気付いた当時の箒の思考はしばらく混乱していた。何故にいきなりテレビ画面上に現れたのか? 何故にそんな場所にいるのか? 何故に女装しているのか? 何故に彼の実姉である織斑千冬が厳ついヘリの中から飛び降りてきたのか? 何故、なぜ、ナゼ――――

 

 

――――六年前(あのころ)と変わらないその表情で、わたしの前に姿を現したのか?  

 

 

 箒にとってこの六年間の生活は決して幸福とは言えなかった。安全が十分に配慮された豪勢な部屋を用意され、生活費も十全に手渡されており物質的には非常に豊かであった。だがそれでも彼女の目に映る世界の何もかもが精彩を欠いて見えた。

 

 家族や友人、近所の人間や父の道場の門下生まで、近しい人間関係を一度に失うということがどれほど目に入る光景を色褪せさせるのかを箒は嫌と言うほど知った。

 それからの生活では箒は以前のように学校の同級生達と親密な友人関係を築くことも許されなかった。元々生真面目で人付き合いが得意とは言えない彼女であったが、それでも何とかその場所に馴染んできたという辺りで『身辺の安全上の問題』で転校する――――そんなことがしばらく続いた。

 六年前の箒の心は厳しい父への憧れ、優しい母への憧れ、疑い揺れることの無い真直ぐな正義感、友達と駆け回り共に笑う楽しさ、そして淡い恋心、そういったものを(幼さゆえにどれも無自覚ではあったが)焚き木として鮮やかに燃えていた。

 だが、そうしたものを与えてくれていた人々は皆いなくなり、彼女の心は冷え、やがて平坦になっていった。

 そうしてその内面は物事を新しく積み重ね昇華していくことへの諦め、心の寄る辺の無い不安、そしてぶつける場所の無い漠然とした不満がその表情を『不機嫌』の色に染め上げ固めてしまった。

 

 一時期はそのことを振り払うようにひたすらに剣道に打ち込んでいた。たとえ人がいなくても、居場所がなくても、それでも、あの輝かしい時間の中で鍛え上げた『剣』だけは、まだ彼女の手にあったのだ。

 

 だから彼女はそれにすがった。すぐにリセットされる人間関係の構築にリソースを割くようなことはせず、ただ一心に、不乱に、寡黙に、苛烈に剣を振るった。

 

 そんな箒の姿は、見る者が見れば痛々しいと感じさせるものであったが、心の幼い者が見ればストイックに剣の道に邁進する立派な人間にも見えた。

 

 箒が中学3年生の時間を過ごした学校は夏休みに入る前に部活の現役を引退する生徒が少なくなかった。きたる受験勉強に備えるためだ。

 

 多く言葉を交わす仲ではなかったが、同学年の生徒たちが少しずつ引退していくのを横目にしながらも箒はその特殊な事情から他の3年生のように受験勉強に煩わされることはなかった。それゆえ彼女は夏休み中もずっと剣道場を使用していた。

 

 学業面における箒の成績は悪くなかった。性分なのか、はたまた余分な人間関係が殆ど無くなったために他にすることが無かったためか、部活以外の時間のほとんどを学生の本分たる勉学に割いていた彼女は学年でも10位以内に入る成績を維持していた。

 

 文武両道、才色兼備、そして憂いを帯びたその立ち姿。これらの要素は箒本人も自覚しないうちに、彼女にある種の歪んだ神秘性を纏わせていた。

 

 そんな彼女に憧れる人間も少なからず周囲にいた。

 

 その中の一人に1年生の少女がいた。同じ女子である箒から見ても小さい、と思えるほど小柄な体躯の持ち主で、竹刀を握るよりは泡だて器でケーキやクッキーを作るほうが似合いそうな少女だ。

 

 少女は夏休みの初めは遠くから、一週間が経つとすぐ横で箒が竹刀を振るう様を目を輝かせて見学していた。そうして次の週に入る頃には箒のことを『篠ノ之先輩』と呼び慕い、指導を願ってきた。

 

 箒も最初はそんな彼女を煩わしく思い『先生か2年に聞け』とあしらっていた。それでも諦めない少女にやがて箒も根負けし、いつしか二人並んで竹刀を振るうようになっていた。

 

 どちらも物事に対して真面目で一途であったためか、二人は気が合った。もっとも少女は箒とは異なり少しお調子者でもあったのだが、箒にはそれも昔の楽しかった時間を思い出すようで好ましく思うようになっていた。そうして箒にとって放課後の部活の時間は静かながらも心地よいものとなった。

 

 世界は僅かではあったが色を取り戻しつつあった。  

 

 

 そして、

 

 呆気なく破局を迎えた。

 

 切っ掛けはほんの些細なこと。どこでも見られるような学生同士の会話。

 

 

『お母さんが勉強しろって煩いんです』

 

 

 誰でも言うような親に対する愚痴だ。守られるだけの子供から少しだけ成長し、拙いながらも『自分』というものが立ち上がりだす年頃である少女は、他の例にもれず親との考えの違いを無意識ながらも感じ取っていた。

 

 そうして気軽に、本当に軽い気持ちで愚痴をこぼしたのだ。少女にしてみれば尊敬する先輩に同意してもらってもいいし、ほんの少し笑みを浮かべながらもたしなめてもらってもよかった。ただただ、目の前の憧れの人とちょっとしたおしゃべりを楽しみたかっただけなのだ。

 

 箒も微かに困った顔をしながらも、笑って可愛い後輩をたしなめた。その胸の痛みに気付くことなく。

 

 

 そんなやり取りが何度か続き、ある日それは起こった。

 

 

『ほんの少し力加減を間違えた、僅かに踏み込みを鋭くしすぎた、微かに威をのせすぎた』

 

 

 目の前で足首を抑えて横たわる後輩に言い訳するかのように、箒の心中はそんな言葉で満ちていた。

 

 後輩の愚痴は箒の気付かないうちにその胸の内に根を張って、大きく育っていたのだ。

 

 保健室に運ばれていく後輩の目には、痛みによる涙のほかに、恐怖の感情が見て取れた。

 

 結局、夏休みが終わる前に箒は逃げるように部活を退部し、学校で竹刀を握ることはなくなった。中学最後の大会に出ることもなく箒の細やかな幸せも消え去った。

 

 やがて箒の学生生活は、部屋と教室を行き来するだけの空虚なものに戻った。

 

 否、むしろ世界に色が戻りつつあった箒には、その僅かな色の欠乏にさえ一層強い飢えを感じるようになっていた。

 

 だからより強く、感じる心を止めたのだ。

 

――――もう、何も変わることはない。

 

 変化の無い繰り返すだけの毎日をただ耐え、感情の起伏が全く起こらない薄っぺらな時間を消化していくだけの日々を箒は受け入れつつあった。抗い反発して心を揺らすことさえ、もはや彼女には億劫であった。灰色の世界の中にあり、顔も名前も記憶に残ることなく通り過ぎていくだけの白くのっぺりとした人々の隙間で漂う年月は『篠ノ之箒』という個性を緩やかに、しかし確実に磨耗させていった。

 

 

――――何も変わらないのだから、心を動かす必要もない。

 

 もはや彼女を支える最後の糸は『実姉である篠ノ之束の考えていたことを知る』ことだけだった。それさえも希望の感情からくるものではなく『何故わたしが?』という負の感情によるものであったが。

 

 それでもその感情は箒の最後の支えとなった。

 

 自分がこんな思いをしなければならないほどISは重要なものなのか。夜の空に輝く星を、月を、そしてその先に広がる宇宙のことをあんなにも楽しそうに話してくれた実姉が、メディアの前で薄っぺらい笑みを顔に貼り付けて酷くつまらなそうに発表する必要が本当にISにはあるのか。

 

――――わたしの生活は変わらない。それは仕方の無いことかもしれない……でも、この生活にどんな意味があるのだろう? わたしがこんな思いをするに足るだけの価値がISにあるのだろうか?

 

 最初、箒はその問いの答えを得ようとすることに躊躇った。

 答えによっては今の箒の生活は本当に何の意味も持たなくなる。『意味があるかもしれない』という希望と可能性までも無くなれば、箒は完全に寄る辺を失ってしまうと思った。過ぎていくだけの日々に一片の価値も無かったのだと思い知らされてしまう。

 

――――怖い。

 

 そして、大好きだった実姉が、あの日一緒に星空を見上げた篠ノ之束が、今度こそ完全に失われてしまう気がした。

 

――――だけど、

 

 それでも箒は選んだ。IS(たばね)を知ることを。

 それは今にも切れそうな細い糸だった。辛い日々を耐えるべく必死に『意味』を見出しそれに縋る。

 先に行くためでなく、停滞の日々に身を置き磨り減っていく己を誤魔化すために『意味』を探すということの空虚さは、箒自身もどこかで感じていた。

 

 だがもはや日常に意味を求めずにいられるほど箒は強くあることができなかった。そんなことを考えずに済むように彼女を満たしてくれるものは既に無い。あるのは空っぽの心と、その空虚な闇の中へ答えの無い問いを投げ続けてさらに闇を成長させる時間だけだった。

 

 

 そんな時だったのだ。テレビ画面に彼の姿が映ったのは。

 

 

 

「なあ」

「え」

 

 

 目の前の背中が動き、一夏と顔を向き合わせる形になると、自分の顔が一気に熱くなっていくのを箒は感じていた。

 

――――ああ。

 

 長らく静止していた心が、感じていなかった熱が、顔を合わせただけで蘇る。その圧倒的な変化に、箒はただ茫然としていた。

 

 そんな箒に気付いた様子もなく一夏は次の言葉を続けた。

 

「久しぶり」

 

――――そうだっけ。

 

 その一言で、箒の胸の鼓動は驚くほど跳ね上がった。

 

 

 

 そうして、

 

 

 

「六年ぶりだけど、箒ってすぐわかったぞ」

 

 

 

 ほほ笑みとともに言われたその一言が、灰色の世界を一瞬にして崩壊させた。

 

 空白にがちり、と何かがはまり、急速に働き出した五感が世界をとらえた。

 

 海を駆ける風が肌を触れた。胸を打つ鼓動が聴こえた。心まで融かすような熱を感じた。止まっていた時間が動き出す音がした。

 

 

 

 そして見開かれた瞳に映るのは成長した少年と、

 

 

――――こんなにも、世界はきれいだったんだ。

 

 

 その背後に見える|どこまでも広がる空(インフィニットストラトス)の青。

 

 箒は一度息をはきだした。言うべきことを言うために。

 

 今度は大きく吸う。空気が舌の上を滑っていくのが、僅かに熱が下がったことで感じられる。

 

 色々な感情が渦巻きすぎて何を言うのが正解なのかはわからない。

 

 ただ、

 

 この時だけは『感じる心』に従おうと箒は思った。

 

 

 

 

 

 




箒さんはIS学園入学前の剣道の大会に出ておらず、しばらく竹刀も握っていない感じのねつ造です。

小さい頃にそれまでの人間関係全部真っ白になったのに原作であんな感じに振る舞ってるけど、本当に箒さんはそんなにタフなんだろうかというところから膨らんだ妄想。


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幕間1 「教師の日々」

特に話は進まない。

何故こんなに長くなったのか。

モコモコ捏造が入ってきておりますのでご注意下さい。


 島を覆うようにして計画的に植樹された緑の木々。それに囲まれるようにして建つ白亜の色はIS学園のものだ。その教室棟の1階、よく清掃が行き届いた長い廊下を颯爽と歩く女性がいる。

 

 いるだけで場の空気が引き締まるような雰囲気を身にまとう女は1年1組担任である織斑千冬だ。

 

 片手に薄い出席簿――――のようにも見えるが、その実は学内のネットワークにリンクして様々な情報を引き出したり、学園内の設備を操作することも可能な教員用の情報端末――――を携え向かうの学園の教員室だ。

 

 初日の授業も無事終わり、廊下には千冬の他にも生徒の姿が多くある。入学式を終えたばかりだが早くもグループを形成している者たちもいれば、慣れない校舎に戸惑いながら視線を動かしている者などその動きは様々だ。

 

 彼女たちは急峻とも呼べるような学園の倍率を掻い潜って入学してきた才女たちだ。性格は人それぞれではあるが、それでもその立居振る舞いは他の一般的な同年代の少年少女と比べると隙の無いものだ。

 

 だが、そんな少女たちの姿を視界に留める千冬には、どの少女にも皆一様に浮ついた雰囲気があるのが読み取れた。

 

 そして、それも無理は無いことか、と千冬は思う。今日この日を迎えるまでに、彼女たちとその周囲が積み重ねてきたであろう努力は並大抵のものではない。学園に入学するためのテストは学力・体力だけではなく幅広く多岐に渡る。それでもまたこれらは本人の頑張り次第では身に着けることができる要素だ。ただ、ISにはそういったものの他に『適正』という要素がある。

 

 大抵は早いうちに適正の有無を判断してから受験勉強に臨むので受験生の中に『適正無』という者はいなかったが、他のテストの成績が同程度であるのなら最後に者を言うのがこの『適正』だ。

 

『適正』がより高いという事実が結果を左右する。こればかりは本人の努力ではどうにもならない先天的な『才能』の領域であり、恐らくこの少女たちは受験の際には、個人の信仰の有無に関わらず祈らずにはいれなかっただろう。

 

だからこそ、全てのテストをパスしてきた彼女たちは文字通りの『才』女と言える。

 

 そういった様々な障害を突破して制服に袖を通すまで至った念願のIS学園。その入学式を終えた後ということで少し気が抜けたのだろう。

 

――――妙に緊張しているよりはマシだが、ずっと気が抜けたままであれば困る……と、こう考えるのも毎年の恒例となりつつあるな。

 

 と、考え事をしていると、千冬に気付いた生徒たちが一斉に道を開ける。皆一様に目を輝かせ、続いて甲高い声が上がり『千冬様』だの『お姉さま』だのといった言葉が次々と耳に入ると、千冬は何とも言えない気持ちになった。

 

――――これもまた毎年の恒例だな……。

 

 やれやれ、と息を吐かずにはいられない。千冬はもはや現役を退いた身だ。それにも関わらず今だにアイドルの類を見たような反応には辟易していた。

 

 ISを扱えるのは女性だけで、各国の頂点である代表生の座に着くべく切磋琢磨する候補生は自然とうら若き女性となる。そのためか、候補生達は大企業や各国の広告塔としてメディアに露出する機会も少なくない。代表生にまでなればその回数はさらに増える。

 

 メディアへの露出を好む人間もいれば好まない人間もいる。結局は人次第であるのだが、千冬はどちらかというと後者だ。彼女はそれでも代表生の義務と考え(あきらめて)様々なメディアに出る羽目になったのだが、それにより千冬の知名度はぐんぐん上がっていき、一番酷い時期には少し買い物に出かけるのも一苦労だった。

 

 今の生活は教員なりの苦労がある。だがかつてを思えば気苦労が少なくて良い、と千冬には思えた。

 

――――そもそも豪州女と飲み比べなどしていた無骨者の容姿にどんな需要があったものか……世の中わからないものだ。

 

 当時はメディアからの写真撮影などの依頼も多かった。その頃の自分の様々な悪行――――もとい素行を思い出し、世間の求める『織斑千冬』像と実際の自分の両方を天秤にかけてみて何とも言えない気持ちになった。

 

――――あのゴリラ女も今では自国で後進の教育か……。

 

 時代は変わるものだ、と千冬は独り言ちる。ちなみに飲み比べも千冬の勝利だった。相手がゴリラ女なら、そのゴリラに勝つ千冬はいったい何なのか、とは一切思わなかった。

 

 手をついて落ち込む豪州女を見て腹を抱えて笑う英国女と、鉄面皮と言わんばかりに無表情のくせにやたら負けず嫌いな独逸女が自分もやると言って来たり、物腰穏やかなくせにジャイアニズム全開な米国女がナチュラルに喧嘩売ってきたりで色々と大変だった。

 

――――思い返すとヴァルキリーなどと呼ばれる連中は、第一回大会の頃から馬鹿ばかりだったな。

 

 負けた腹いせにやたら日本語で語尾に『ブリュンヒルデ』を付けて挑発してきたものだから思わずマジ殴りの喧嘩に発展したことを思い出した。

 

『ブリュンヒルデって日本語の発音だと何かひり出している感じがするわね? ええ、トイレとかに行って。具体的にはお尻から――――!』

 

――――とか最悪なことを言い出した女は宿泊していたホテルの窓からたたき出してやったが。

 

 ちなみに部屋は10階だった。途中途中でやたらベランダやらなにやらが突き出ていたので大丈夫だと思ってやってみたら案の定無事だった時に思わず舌打ちした自分の行動に矛盾は無いと思いたい。

 

 とにもかくにも、当時は篠ノ之束が無節操に様々な言語で論文や研究資料を書き散らかした弊害に頭を痛めながらも千冬は『あれが年頃の女のすることか』と思った。

 

 ちなみに朝起きたら半壊した酒場で全員下着姿で寝ていた残念集団の筆頭が自分であったが、千冬はその事実を意図的に無視した。

 

 ともあれ、馬鹿をやりながらも世界の頂点に君臨していた面々も、今ではそのほとんどが第一線を退いた。どいつもこいつもろくでもない狂人の群れではあったが、それでもIS操縦の技術は一級であった。

 

 ISの技術は日進月歩。第一世代や第二世代型のISでしのぎを削り合った自分の現役の頃から技術は更に発展し、今までにない第三世代型の装備が今後主流になっていくのだろうが、それでもISの基本的な動作は変わらない。

 

 自分がやるべきことは、あの時代に得た知識と経験を、卵の殻も取れていない新入生ひよっこたちに叩き込むことだ。既に候補生で専用機持ちという者もいるが、磨けば光りそうな優秀な者は他にもいる。彼女たちが三年間でどのように成長し、どのような光を放つのか。千冬は今からそれが楽しみだった。

 

 しかし、と千冬は考える。

 

 IS学園は入学したその日から授業が始まる。今日の入学式に備えて色々と駆け回ってきた千冬にしてみれば『忙しないことだ』と思わなくもなかった。

 

 何よりIS学園という特殊な場所では一般的な学校以上に気に掛けることが多い。ましてや千冬が今年担任を受け持つ1年1組は自分の実弟のことを差し引いても色々とややこしいクラスだ。心身とも強靭な千冬にしてみてもやや気疲れ気味だった。

 

 とはいえ、そんな様子をおくびにも出すわけにはいかない。自分は学園の教員であり、毅然とした態度で生徒たちの教育に当たらなければならないのだ。

 

 改めて気を引き締める千冬であったが、進行方向から千冬のほうへと歩いてくる人物を見て一気に脱力した。

 

 

 

 

 

 

 幕間1 「教師の日々」

 

 

 

 

 

 

「やあ織斑君じゃないですか」

 

 気さくに声をかけてくるのは初老の男だ。学園の廊下で年配の男というだけで場違いなのだが、頭にかぶった麦わら帽子と用務員然とした服装がその場違い感を緩和している。麦わら帽子の下で柔和な笑みを浮かべるその顔には年相応の皴が刻まれているが、それが見る者に『好々爺』といった印象を与える。

 

「……生徒の目がありますので『織斑先生』でお願いします轡木先生? 聞くものが聞けばややこしく思いますので」

 

 悩ましい、と言わんばかりに顔に手を当てる千冬に、轡木と呼ばれた初老の男は苦笑交じりに頬を掻いた。

 

「はは、すみません。つい癖でね。それと私はもう教師ではありませんよ。私はただの自称用務員の十蔵です」 

「自称用務員などという怪しい人物がいたら迷わず警備の人間を呼ぶのも我々教員の給料のうちなんですが?」

 

 怖いなあ、と眉尻を下げて頭を掻く轡木に千冬は追及するのを諦めた。千冬は1年生が生活する学生寮の寮長も兼任している。今日は授業が終わったとはいえ本格的に始まる寮生活の前に生徒たちが羽目を外しすぎないように初日のうちに釘を刺しておかなければならない。

 

 本来であれば千冬は忙しいの身の上のため同僚の数学教師に押し付けようとも思ったのだがじゃんけんで負けてしまったのだ。じゃんけんの勝敗で仕事が増えるなど真に不本意極まりなかったが、やるとなればしっかりと務めを果たさねば気が済まない性分である。よって今はあまり目の前の人物の追及に時間をとられるわけにはいかなかった。

 

「というより、そんな恰好でいったい何をしているんですか?」

 

 そんな姿? と首を傾げた轡木は自分の服装を確認すると、何かに気付いたのか『おお!』と驚いたように声を挙げる。

 

「軍手を忘れていました。素手で草むしりをすると爪に土が入ってしまいますからね。いやぁ耄碌耄碌。織斑先生ありがとうございます」

「……いやそうではなく、何故あなたがそんな雑務を……いや、もういいです」

 

 目の前の老人は一見すると穏やかで気弱なように見えるが、実際はそんな調子ですべてを受け流し学園の様々な権利をもぎ取ってきた男だ。ムキになって指摘したところで同じように受け流されるに決まっている。

 

 色々と堪えるようにしている千冬に、ところで、と轡木は変わらぬ口調で声をかける。

 

「更識くんがロシアに『淑女』のお迎えに行っていますが『生徒会』の活動で何か不備はありませんか?」

「それを見越して布仏の者に随分細かく指示を出していたようです。少なくとも現時点では問題はありません。お気遣い感謝します」

 

 表情はそのままに、しかし目を細めて言う轡木に淀みなく応える。裏の警備、のさらに裏を統括する少女は現在学園を不在にしている。そんな中で『世界で初めてISを動かした男』と『天才・篠ノ之束の妹』と、それより少し落ちるが『英国の令嬢』など身の危険にさらされそうな人物にことかかない現状である。世間では『ISコア強奪事件』など物騒な事件も起きている。轡木としては不足する部分があれば早期のうちに補うべくこうして声掛けしてきたのだろう。

 

 それを聞いて轡木はほうほう、と嬉しそうに笑う。

 

「はは、17代目は頼りになるでしょう織斑先生?」

「……そうですね」

 

 問いというより確認の響きの強い轡木の言葉を受け、千冬は素直に頷く。更識――――17代目と呼ばれる少女には千冬も一夏の身辺警護の件で頼み事をしていた。そんな彼女は今年で学園の2年。普通であれば高校の2年だ。その年齢にもかかわらず、彼女の両肩に載せられた重責は相当なものである。

 

 おまけに彼女の『家』の特殊な事情から時折こうして学園を不在にしてロシアという遠方に出向くこともある。今はロシアにいる千冬と旧知の女に『淑女』の『最終調整』と称してかなりしごかれているらしく、昨日連絡を入れてみたところ、いつも飄々としている少女の表情には隠しきれない疲労の色がみてとれた。

 

――――あの露西亜女に付き合わされるとは気の毒に。あの女の近接戦闘のえげつの無さは半端ではないからな。

 

 現役時代の『露西亜女』と呼ぶ人物とのIS世界大会モンド・グロッソ格闘部門での試合を思い出し、千冬はややげんなりとした。IS操縦もそうだが、そもそも本人の体裁きが極限まで洗練されており、千冬がどれほど追いつめても対応してくる驚異的な粘り強さの持ち主だった。

 

――――あれで民間出などとのたまうのだからお笑いだ。どう考えても堅気の出では無いだろうに。更識は合気道の他に色々と武術を身に着けているが、訓練や機体調整とはいえあの女と戦うぐらいなら普段の仕事のほうがずっと楽だろうな。まったく、あの年齢で苦労が絶えないなあいつも。

 

 自分が少女と同じ年頃にはどうであったろうか、と千冬は考え――――途中でそれをやめた。先ほどから昔を思い返してばかりだな、と苦笑する。

 

「そういえば織斑先生の弟の、一夏くんでしたか。それに篠ノ之姓の……そう、箒くん。二人の様子はどうですか? 特に一夏くんは昨日も護衛の人間を随分と振り回したと聞いていますが? はは、とても元気の良い子のようですね?」

 

 唐突に振られた身内に関する話題に千冬は微かに頬を引きつらせる。そう、確かに一夏が警備の人間を散々振り回した昨日の一件は報告した。だがこのタイミングでその話題が振られるとは千冬も思っていなかった。

 どう答えたものか、と僅かに思案する。脳裏に愚弟(いちか)の顔が思い浮かぶ。良い笑顔である。何故だか無性に腹が立ってきた。

 

 何とも言い難いので、とりあえず箒の様子を先に説明することにする。こちらはこちらで一夏とは別の意味で複雑だ。

 

「篠ノ之は……あまりよくはありませんね。一見すると新入生にありがちな新しい環境に対する緊張というものを抱いていないように見えます。ですが――――」

 

 千冬はそこで一度言葉を切る。篠ノ之箒――――かつて千冬自身も短時間ではあるが師事していた道場の娘にして実弟いちかの幼馴染と言える少女だ。会うのは6年ぶりとなるが、未だ直接会話はしていない。先ほどのSHRの際にそっと様子を観察していた。箒も千冬のことを忘れてはいなかったようであるが、向けられた視線には硬いものがあった。何よりその表情には6年前には見られなかった陰があった。  

 

 あれは憂いの陰だ。

 

 千冬と箒は長い付き合いであったとはいえないが、しかし古い付き合いと言える関係だ。だからこそ、自身がその行方を把握できなかったとはいえ、箒があのような表情を浮かべるようになるまで何もできなかったことに対する罪悪感が胸中に渦巻いた。

 

 箒のIS学園入学に際して政府側から提出された資料は事前に目を通している。彼女が抱える事情に関しても、少なくとも他の教師陣よりはよく理解しているつもりだ。幼い頃に両親と離れ離れになり、それからは要人保護プログラムにより様々な場所を転々としてきた。事情も解らないままISに、そして何よりも実の姉に振り回されることになった6年間だ。

 

 苦労してきた、と一言で片づけるのは容易い。だが箒は千冬にとってまったくの他人ではない。生真面目で真っ直ぐな娘だった。何故かたまに顔を合わせると妙に怯えられたような不本意な記憶があるが、基本的には裏表の無い純粋な娘だった。そんな彼女の表情にあのような陰がこびりつくようになるまで、どのような思いをしてきたのか。

 

「彼女の事情とこれまで置かれていた状況を鑑みますと、やはり何らかのケアが必要なように思います。元々純粋で、頑なな娘です。その気質が6年間で悪いほうへと向かってしまっているようです」

 

 千冬の言葉を聞き、轡木は眉を下げる。

 

「……痛ましいことです。庇うわけではありませんが、政府側の対応は間違いなく彼女とその家族を守るための措置でした。しかしそのことで失ってしまうものが多感な子供の心にどれほどの影響を与えるのか、そのことを深く気に掛けるだけの余裕がこれまで無かった。しかしこれからはそうであってはいけません。この学園での生活で彼女が何かを得られるように。そのためにできる限りのことをしましょう。それが私たちの責務です」

 

「無論です。ですが……」

 

 静かだが、後になるにつれて強くなる轡木の言葉を受けて千冬も頷いた。ただ同時に、千冬には轡木が言うこととは別の考えも浮かんでいた。

 

「何かあるのですか? 織斑先生?」

「私はこの件に関して我々にできることはあまりないと――――ただそれでも何とかなるかもしれないと、そんな身勝手なことを考えています」

 

 それは確証のない千冬の個人的な予想だ。自分自身、そんなことを思うのを身勝手だと考えるのだ。他人から責められても仕方がないとさえ思う。だが不思議と『そうなるだろう』と、強く感じられる。

 

 千冬の表情に僅かながら楽しげな色が混ざっているのを見てとった轡木は、はて、と思いながらも問いかける。

 

「ひょっとして一夏くんですか? そういえば彼の様子はまだ聞いていませんでしたが……」

「いちか……いえ、織斑一夏は相変わらずです。あの馬鹿は真面目な顔をして周囲を振り回して方々にご迷惑を……いや、その、本当に申し訳ありません」

 

 後になるにつれて言葉の勢いを失っていく千冬に轡木は苦笑した。眼前の人物の性格とその在り様はそれなりに良く知っている。優秀で柔軟な人物だが、聊か硬さが強すぎる。先ほど千冬は箒のことを『純粋で頑な』と評したが、轡木にしてみればそれは目の前の千冬にも当てはまることだと思った。

 

 そんな彼女が戸惑いながら、心底申し訳なさそうに頭を下げる姿は必ず彼女の実弟である『織斑一夏』が絡んだときだ。だがそれは普段の彼女の頑なさが緩む瞬間でもある。

 

 どこまでも公平なようでいて、その実身内には非常に甘いのが織斑千冬という人物であった。

 

 そのことを危ういと評する人間もいるかもしれないが、轡木にとっては織斑一夏という人間がいたからこそ、織斑千冬という人間が本質的に抱えた危うさを抑えられているのだと見ている。

 

 だとすれば、

 

――――織斑千冬くんと篠ノ之箒くん。書類を見ていたときも少し感じていましたが、二人は似た者同士なのかもしれませんね。これは一度箒くん本人と話をしたいものです……と考えるのは身勝手な野次馬根性かもしれませんね。

 

 己の考えに苦笑した轡木は千冬に問う。

 

「謝る必要はありませんよ織斑先生。それよりも私たちにできることはないと、それでも何とかなるかもしれないというその根拠を聞かせて欲しいのですが」

 

 

 それは、と千冬は口元に微かに笑みを浮かべる。

 

 

「篠ノ之箒という娘にとって、織斑一夏という男はいつだって、問答無用でその導火線に火をつける存在でしたから」

 

 

 

 廊下に面した窓の外で、少し強い風が吹いて木々を揺らした。 

 

 

 

 

 

 

▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ 

 

 

 

 

 

 

 IS学園に授業終了のチャイムが鳴り響く。授業を行っていた千冬が一足先に教室から出ていくと同時に、1年1組の生徒たちは皆僅かに戸惑いながらも『初めての』帰り支度を始める。

 

 それは織斑一夏も例外ではない。彼は授業内容を書き込んだノートや教科書を自分の机の上で揃えながら、本日の授業について思い返す。

 

 

 授業内容に関しては、彼は事前に配付されていた参考書に目を通していたため、初日からつまずくというようなことは幸いにして無かった。強いて問題点を挙げるとすれば、授業の途中で童顔の副担任――――山田真耶が『わからないところがあったら聞いてくださいね』と言ってくる場面があったので素直に『ありません』と答えたところ『ほ、本当ですかー?』と疑わしげな目で返してきたので、思わずSHRと同じ勢いで『この狸め‼』と叫びながら頬をつねって遊んでしまったことぐらいだろうか。

 

 最初は少ししたら止めようと考えていたのだが、ワタワタと涙目で慌てるタヌキ教師のリアクションに段々と止められなくなってしまい、最終的に嬉々として弄んでしまっていた。

 

 その後当然のようにクラス担任である実姉の出席簿の閃きの前に一夏は崩れ落ちることになったが。

 

 

 織斑一夏は『自分に夢中にさせて相手を破滅に追い込む、これが魔性の女か……』と考え愕然とした。

 

 

 山田真耶は、生徒である織斑一夏にとって自分という人間が教師ではなくいじりキャラとして定着しつつあるという事実を半ば確信して涙を拭った。

 

 

 

 そしてクラスの人間は、早くもこの状況に順応しつつある自分達の姿に気付き戦慄していた。

 

 

 

 一夏にとってはクラスの人間のそんな考えなど知る由も無いが、おおむねそのように推移した授業であった。その光景を思い出し、未だに教室に残って何やら端末の操作をしている副担任に目を向けると、あちらも視線に気付いたようでビクリ、と身を竦めて警戒するような姿勢をとった。

 

 まるで天敵を前にした野生動物のような反応に一夏は、ふむ、と一声もらす。自分とこの副担任の間には何か不幸な行き違い、誤解の類があるようだ。この副担任と自分との間には朝から色々とフレキシブルなコミュニケーションが展開されていたが、自分は何も山田真耶という教師が嫌いなわけではない。

 

 色々と疑問に思うところはあるが、少なくとも外見上は一生懸命な教師である。

 

 そうしてこのタヌキ娘をどうしたものかと考え、静かに自分の胸に手を当てた。聴こえるのは心臓の鼓動。そして静かだが熱く燃えたぎる芸人魂(こころ)が何の良心の呵責無く囁きかける『やれ』という言葉の二文字。

 

 そこで一夏は胸から手を放すと、何故かニヒルな笑みを浮かべながら思う。

 

――――今後の学生生活を考えるならば、こうした人間関係のしこりを残していても益は無い。

 

 ならば、

 

――――心に、従おう。

 

 

 やたら良い台詞だったが、意味していることは割と最悪だった。

 

 彼は一人頷くと、己の両の手を開いて自分の顔の高さまで掲げる。自然とクラスの人間の視線も一夏に集中する。

 

 それは目の前の副担任・山田真耶も例外ではなく、彼女は警戒しながらもその訳のわからない動作に表情を訝しげなものにする。

 

――――視線をひきつけることに成功した。

 

 一夏は事を成し遂げる前の第一段階が達成されたことに満足すると、ゆっくりと掲げた両の掌を握った。彼の手が拳を形成したことに、真耶の警戒が一層強くなるが一夏は特に気にしない。

 

 そのまま握る力を強めていく。ググ、という音が聞こえそうなぐらいに握られた拳は僅かに痙攣するように震えた。同時に真耶の体も同じぐらいプルプルと震えだす。心なしか目元に涙が浮かんでいるように見える。

 

 それすらも無視すると、己の表情を真顔で固定しゆっくりと目標へと近づく。両手の位置はそのままに、しかし親指と人差し指の腹を合わせると震える副担任へ向ける。同時に真耶の体の震えも最高潮に達しようとしていた。心なしか『ひ、ひぅ……!』などという小さな悲鳴が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽん、と音が鳴るようにして真耶の眼前に赤、青、白、黄――――色鮮やかな色彩が現れた。

 

 見るといつの間にか一夏の両手それぞれに小さな花束が握られている。そのことに一瞬遅れて、わ、と周囲のクラスメイト達が驚きの声をあげ、続いて歓声を教室に響かせた。

 

 予想外の展開に真耶は口を開けて呆けていたが、クラスの少女たちの声に押されるようにワンテンポ遅れて事態を飲み込み始め、自分の眼前にあるのが極彩色の凶器ではなく可憐な花々をまとめた花束だと認識した。それでも現状に理解が追いつかない真耶は目の前の花束を差し出している生徒(いちか)に視線を向けた。

 

 そこにいるのは先ほどまでこちらを野生動物か何かと思っているかのような冷酷な表情ではなく、微かにほほ笑みを浮かべた少年の姿があった。そのほほ笑みは同じクラスを受け持つ尊敬する人間に似ており、緊張して硬くなった肩から力が抜けていくのを感じた。

 

 その様子を見た一夏は、

 

――――相手の警戒を解くことに成功した。

 

 心の中で第二段階をクリアしたことを確認し密かに笑みを浮かべた。その笑みは擬音で表すとすれば『ニヤリ』という感じであり、どう考えても最後に碌な死に方をしないダークヒーローのような邪悪なものだった。

 

 同時に思い返すのは中学の頃――――男友達三人で作った『私設・楽器を弾けるようになりたい同好会』のアンプ担当をしていた男のことだ。

 

 彼は常に男と女が紡ぐハートフルな青春学園生活というものに憧れて色々と『恋の指南書』的なろくでもないハウツー本を読み漁っていた。

 

 そんな彼が常日頃言っていたことがある。

 

 

『――――女はプレゼントに弱い!!』

 

 

――――さすがだよ。それとごめん。中学時代お前が本から得た知識が役に立ったことなんて一度も無かったから、お前は虚飾で彩られた中身の無い文章に踊らされて貴重な小遣いを浪費する資本主義の犬ぐらいに思っていたよ。

 

 酷い言いざまだが残念ながら的を射た評価を向けていた友人を再評価しながらも、一夏は改めて自分の手にしている花束を前へと差し出す。

 

 その勢いに釣られた真耶は、躊躇いながもそれを受け取った。

 

「あ、ありがとうございます織斑くん。でもどうしてこんな……」

 

 言いかける真耶に一夏は黙って花束を指さした。

 

 その行動を疑問に思いながらも真耶は言われるがまま、目の前で咲き誇る花々を手折ってしまわないようそっと掻き分ける。

 

――――あ、バラの香り。生花なんですねコレ。

 

 そんなものをどこから、と考えずにはいられなかったが花束の中に小さく丁寧に折りたたまれた紙が挿まれているのを見て思考をストップした。

 

――――手紙、ですか?

 

 花束を落とさないよう脇に抱えるように持ち直すと、空いた手で紙を開く。紙が擦れる軽い音がして、中から手書きの文字が現れる。

 

 

 

 山田真耶先生。突然このようなことをされてさぞ驚かれていると思います。

 

 そのことについては本当にすいませんでした。

 

 ですが俺も口下手で、大人の女の人である先生に自分の気持ちを上手く言葉にして伝えることができませんでした。それで苛々してつい優しい山田先生にいじわるのようなことをしてしまいました。

 

 俺は本当に最低な人間です。

 

 

 文頭のその部分を読み、真耶はハッとなる。

 

――――お、大人の女の人……そうだったんですね。織斑くんも男の子ですから、私みたいに年上に素直に言葉にできなこともある……あるんでしょうか? あるんでしょうね? あ、あるんですとも!

 

 自身の男性経験の少なさから断言するまでには至らないが、話が進まないので真耶は気合いでとりあえずそういうことにして手紙の先を読む。

 

 

 どうすれば本当の気持ちを先生に伝えることができるのか、授業中ずっと考えていました。

 

 授業の内容なんてそっちのけで先生のことが頭の中から離れませんでした。

 

 結局、悩みぬいた結果がこんな方法です。先生は呆れているかもしれませんね。

 

 でも言葉を口にするのではなく、こうして手紙に書いていると口にしたくてもできなかった色々なことをちゃんと形として表すことができました。

 

 人間って不思議ですね。それとも俺が単純なだけなのでしょうか?

 

 

――――いえ、そんなことはありませんよ織斑くん。織斑くんの一生懸命な気持ちは先生にしっかり伝わってますよ!

 

 真耶は一度手紙を読むのを止めると、一夏に目を向けた。先ほどまで警戒していた筈の目の前の人物が、手紙を読んだ今では年頃の少年特有の悩みを抱える普通の少年に見える。

 

 自然と目が合い真耶は気恥ずかしくなり、それをごまかすように手紙へと視線を戻した。

 

 

 俺はどうしても先生に伝えたいことがあります。

 

 今日会ったばかりの生徒に突然こんなことを言われたら、きっと先生に迷惑をかけてしまうとわかっています。

 

 でも、それでも俺の心が、それを伝えずにはいられない。

 

 授業中に先生を見ていると湧き上がってくるこの気持ちをずっと隠しておくことなんてできない。

 

 こんな気持ちをずっと抱えたままでこれからの学園生活を続けるなんて、俺には耐えられない。

 

 自分勝手な俺を許してください。

 

 

 

――――え、ちょ、何を伝えようと……織斑くん!? というかこれはもうアレですよね! アレに間違いないですよね!? つまりは『千冬お義姉(ねえ)さん』と、そういうことで良いんですよね織斑先生!?

 

 真耶はそこで手紙を読むのを一度強制的にストップした。絶え間ない怒涛の展開の変化に真耶はただただ翻弄され、混乱により目が回ってきていた。

 

 続きが非常に気になるが、しかし果たしてこの続きを本当に読み進めて良いものだろうか。この先を見てしまうと色々とアンモラルというかインモラルというか背徳的というか、どれも意味するところは大きくは変わらないが兎に角そういう展開になりそうだという思いが彼女に先を読むことを躊躇わせる。

 

 全身に汗をかいているのを感じる。不快な汗、というのとは少し違う。ついこの手紙の送り主の方を見ると、そこには先ほどまでとは違い目をつぶり静かな表情の一夏がいる。

 

『たとえどのような結果となっても構わない。俺は先生を信じている』

 

 彼女の目には一夏がまるでそう言っているように見えた。

 

 

 そこには紛れもない、彼女が月曜の夜9時に見ている熱血教師ドラマ『ヤンキー大地に立つ』というタイトルに教師要素が微塵も感じられない番組内で見られる教師と生徒間の信頼のようなものが見えた。

 

 

 彼の気持ちを受け取った(と勝手に判断した)真耶は思う。教師として、一人の大人として、これを適当に流して済ますことはできない。

 

 先ほどは突然のことに混乱し、また仮にそういう事態になった場合に自然と付随してくる義姉特典に撹乱されたが今はきちんと応えを返すことができると――――そうしなければならないという気持ちが彼女の心中で固まった。

 

 

――――最後まで読みます。織斑くんの気持ちをきちんと受け止めて、誠実に返しますから。

 

 

 真耶は迷いを振り切った。

 

 手に汗が滲んでいるが、それでも何かに突き動かされるようにその先へと目を動かす

 

 

 

 俺は。

 

 

 

 先生のことを――――――

 

 

 

 

 

 ごくり、と唾を飲む。これはアレだ。アレに違い無い。告白だ。『変』という漢字ととよく似た形状で表される感情のカタチを相手に伝えるアレだ。学生の頃に同性の自分から見ても美人だと思うような友人が良く貰っていたアレだ。あれ? そういえばあの子は今は自衛官だっけ? 学生の頃から美人だけど男前だったからなぁ。そういえば同窓会の案内が来てたっけ。皆元気かな? 去年は色々あって出席できなかったけど、今年は出られるかな? 出席するとなるとちょっと服を新調しちゃおうかな? そういえば『ちゃんとした服装すれば真耶は凄い美人さんなんだから』とか言って世話を焼いてくれたっけ。あの子は美人で男前な上に、優しくてちゃんと女らしいんだからずるい――――――――って! いやいや、そんことを考えている場合ではない。読もう。読まなくては。読んで答えなければ。この手紙を。その先を――――!

 

 

 

 

 読む。

 

 詠む。

 

 手紙を握る手に力が入り、くしゃり、と音がする。

 

 よむ。

 

 ヨム。

 

 

 

――――キチント目ヲ開イテ、ヨム。

 

 

 

 副担任の鬼気迫る様子に何かただならぬ気配を感じたクラスの生徒たちが応援するように視線を向けてくるのを感じる。

 

 

 ヨシ。

 

 

 覚悟完了。

 

 

 真耶は一息に読んだ。

 

 

 それを。

 

 

 その最後の言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 先生。

 

 

 俺は。

 

 

 

 先生のことを―――――――――

 

 

 

 

 

 

――――先生のことを!?!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だに同級生にしか見れません。本当に年上なんですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――時間が止まったような感じ、というのはこういうことを言うんですね。ええ。

 

 

 と彼女は後に同窓会で再会した友人に酔った勢いで喚くことになる。

 

 

 真耶の手から手紙が落ちた。ひらりひらりと、蝶のように儚く宙を舞うそれは、やがて力なく教室の床に落ちた。

 

 諸行無常。

 

 盛者必衰。

 

 何故かそのような言葉が真耶の脳裏に浮かび上がる。

 

 それに続けて引きずられるように浮かぶイメージは真耶の学生時代。先ほども思い返していた、今は自衛官をしている友人の言葉だ。

 

 

『ちゃんとした服装すれば真耶は凄い美人さんなんだから。でもあまりサイズの合わない服を着るのはやめなさい。みっともないとか以前にあなたは童顔で本当に子供みたいに見えるんだから』

 

 

 

 

 あなたは童顔で本当に子供みたいに見えるんだから。

 

 

 本当に子供みたいに見えるんだから。

 

 

 子供みたいに見えるんだから。

 

 

 子供みたい。

 

 

 子供。

 

 

 子。

 

 

 ユーアーチャイルディッシュ。

 

 

 

 

 

 じわ、と一気に目元に涙が滲むのを止めることは、もはや真耶にはできなかった。

 

 IS学園という国際的な職場で、同僚のカナダ人の数学教師にも『アジア人は本当に若く見えるわね』と言われたものだから『アジア人は若く見える』というある種の虚飾で目を反らして楽な恰好を選んできた山田真耶――――忘れていた現実を数年ぶりに直視させられ彼女は、たただただ感情のままに叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「わ、私は子供じゃありませんからーーーー!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 真耶はたぬーっと鳴いた。本日三回目だった。

 

 

 

 この日、一人の女教師の悲しみを代償に一つの誤解が解けた。

 

 

 だが、このことで幸せになった人間は誰もいなかった。

 

 

 真実は必ずしも人に幸福を与えない。

 

 

 これはそんな残酷な現実を象徴するかのような事件だったわけでは別に無い。

 

 

 

 

 

 

 

 




改めて話を作り直すようになってから真面目な話が多いよな、と思っていたらできた話。金髪さんと遭遇する筈だったのに。

昔『にじファン』様に投稿させてもらっていたときは、割と後半みたいなノリばかりの話でした。


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第3話 「金髪との遭遇」

金髪さん現る。

皆なにかを抱えて生きている。


 夕時。

 

 島を囲む海の先――水平線に沈んでいく日に照らされて、IS学園は夕暮れの赤色と校舎が纏う影に包まれている。

 

 近代的なデザインの建造物が多いIS学園ではあるが、夕日に染まり影の色を徐々に濃くしていくその姿は見る者に――――少なくとも一定数の日本人に――――寂寞感を感じさせる何かがあった。

 

 そんな学園の一角――――広大な敷地から成る実技試験場に乾いた音が響く。知る者にその音が何かと問えば『銃声』と答えるであろうそれは、一発ではなく幾ばくかの感覚を空けながらも連続して響いている。

 

 音は銃声ばかりではない。物体が高速で飛翔することで揺れる大気の音。金属のような硬質の物体が何かにぶつかったような甲高い音。ざりざり、と擦れて削がれる硬い土の音……と挙げていけばきりがない。

 

 実技試験場は主に二つのエリアから構成されている。建造物もそれを囲む木々も無い整地された土地のみのグラウンドと、周囲を外壁と膨大な客席に囲まれるようにして楕円形を形作っているアリーナだ。音はそのうちのアリーナ側から生じている。

 

 ISの競技が行われるアリーナの地面。そこより高い位置にある無数の観客席。音の主はそれらとほぼ同じ高さで浮遊している人型――――パワードスーツIS(インフィニット・ストラトス)・ラファール・リヴァイブだ。そして、濃紺の装甲に『疾風』の名を冠するその仏国(フランス)製の量産型ISを纏うのは金の長髪の少女だ。

 

 少女は手に握られたIS用に調整された自動小銃の銃口を油断なく地上へと向けると、意志の強さが光として点ったような碧眼の片方を静かに閉じ、躊躇いなく引き金を引いた。

 

 

 と、

 

 

 銃口から高速で吐き出される弾丸。続くのは硬い物体が大地に衝突する鈍い音。それと同時にアリーナの中央に土煙が生じると、少し遅れて再び無数の銃弾がその土煙をさらに濃くするかのように中空に一瞬の軌跡を残して撃ちこまれた。

 

 弾丸が土を穿つ音と硬いものに衝突する音が鳴り、周囲に土塊が飛び散る。

 

『容赦』という言葉は一切見られない銃撃は唐突に止み、アリーナには抉られた土が崩れる微かな音。

 

 静寂、とまではいかないまでもさきほどまでの騒音とはうって変わって、アリーナで動くのは土色の大気のみ―――――――と思われた。

 

 小銃を下ろしかけていた少女の口元が不快そうに歪み、その視線の先に変化が生じた。

 

 ギ、と金属が軋む音。それより数瞬の後。夕時の暗さと相まって見る者の視界を妨げる土色が、その内部から飛び出した鉛色の腕に払われ弾けるように霧散する。

 

 生身の人間にはあり得ない速度と力で振るわれたその腕が視界を開き、現れるのは鋼の人型――――純日本製の第2世代IS・打鉄(うちがね)だ。攻めよりも守りに特化した防御型の基本性能と、派手さは無いが抜群の安定感を誇る量産型ISであるそれは、傷一つ無いその姿をもって己に与えられた評価に恥じない力を示した。

 

 そのことに、ふう、と安堵の息を吐く者がいる。

 

 打鉄を纏いアリーナに立つ少年、織斑一夏――――――――の姿をアリーナの客席から盗み見る少女、篠ノ之箒である。

 

 自分の姿を客席の背もたれに隠すように身を低くしながらも、その視線は一心にアリーナ中央で向かい合う二機のISに向かっていた。

 

 そんな彼女の視線を気にした様子も無く、静止していた濃紺と黒のISは再び動き出す。両者の動きは極端なものだ。

 

 打鉄はただ愚直に真っ直ぐに。

 

 ラファール・リヴァイブは一定の距離を保つよう慣れた様子で後ろへと。

 

 続く光景は小銃より放たれる銃撃。それを躱そうとし、しかし逃げきれず被弾する黒色の装甲。

 

 そのことが箒の表情を不安と、同時に不機嫌な色も雑じった複雑なものにする。

 

 不安の正体は目の前の戦いだ。

 

――――だ、大丈夫なのか一夏?

 

 素人目に見てもこの二者の戦いで優勢を誇っているのが彼女の幼馴染である一夏ではなく、ラファール・リヴァイブを纏う金髪の少女であることが理解できた。それが彼女の眉尻を下げさせている。

 

 それに対し不機嫌の正体は――――やはり目の前の戦いだった。

 

――――どうしてそんな女と訓練をしているんだ一夏!

 

 6年ぶりに再会した幼馴染である一夏。彼に対する様々な感情で渦巻く箒の心は、本格的な試合形式の厳しい訓練とはいえ放課後の人気の無い時間に男女二人という幼馴染の状況によって一層複雑さを増していた。それが彼女の口元を不機嫌そうに曲げている。

 

――――どうしてこんなことになっている……。

 

 今、自分が一夏に向けている不機嫌の感情が理不尽なものであることをどこかで感じながら、箒は自分が見たここに至るまでの経緯を思い返した。

 

 

 

 

 

 

 第3話 「金髪との遭遇」

 

 

 

 

 

 

「ちょっとよろしくて?」

 

 一人の金髪碧眼の少女が放ったその一言は、1年1組の教室に本日何度目になるかもわからない静寂と、その後に続くやはり何度目になるかわからないどよめきを与えた。

 

――――学園生活初日で1組話題のツートップが衝突!?

 

 果たしてそれは誰の心の声だったのか。ただ一声かけただけで『衝突』という極端な未来を想像したその人物の心中はどのようなものであったのか。それを確かめる術は残念ながら無いが、その声は1組に所属する生徒の限りなく総意に近いものであった。

 

 1年1組に所属する生徒達は入学初日にして既に一つの認識を共有している。それは、この1組には今後の学生生活を送る上でクラスの中心に成りえる人間が少なくとも二人いるということである。

 

 一人は当然ながらというべきか、たった今金髪の少女に声をかけられている男子生徒、織斑一夏だ。世界初にして唯一のISを動かせる男であり、女子のみのIS学園において唯一の男子生徒。この二つに一夏の容姿が悪く無いということも相まり、一夏はクラスの人間とろくに会話を交わしていないという現状にありながらもその身に周囲の生徒達の意識を集めていた。それが良いものか悪いものかはともかく。

 

 そしてもう一人、そんな彼の対抗馬と成りえる人物がいる。それが彼の机の正面で腕を組んで仁王立ちする少女だった。

 

 流れるような金の長髪に意思の強い光を点す碧眼。常識の範囲内での制服の改造が許されたIS学園において膝下までの長さを持つロングスカートはパニエを仕込み若干のボリュームを持たせてある。そこから伸びる細い脚は、他人に素肌を見せまいとするかのような濃い目の黒のタイツで包まれており、それが美しい脚線を一層引き立たせていた。おまけに、歩き、立ち止まるという何気ない動作の一つ一つに余裕が感じられ、組んだ腕の間で制服の袖に着いたフリルが揺れる様にさえ嫌味のない優雅さを感じさせる徹底ぶりだ。

 

 

 

 どれ一つとっても周囲の視線を惹かずにはいられない、その少女の名をセシリア・オルコット。才女集うIS学園においてなお頭一つ飛びぬけた英国(イギリス)の才媛である。

 

 

 

 IS学園は一年を通して様々な学内行事を行う。それら多数の学内行事を運営していく上で積極的に動いていくのが学園の教師陣、生徒会、そしてクラス代表だ。

 

 このクラス代表は一般の学校におけるクラス委員と同じように、行事の際にはクラスの意思統一をはかりこれに臨み、他のクラス間との調整を行ったりするという役割があるが、それ以外にIS学園ならではと言える役割がある。

 

 それがクラス代表が矢面に立たされるクラス対抗戦『リーグマッチ』である。ここでクラス代表は文字通りクラスの代表選手として試合に出場する。

 

 リーグマッチ開催の目的はいくつかあるが、IS学園1年のリーグマッチにおける主たるものとしては二つが挙げられる。一つは本格的な学習が始まる前にスタート時点での実力の指標を作ること。そしてもう一つはクラス単位での交流およびクラスの団結力を強めることだ。

 

 学園生活が始まったばかりの1年生のリーグマッチは他の学年とは異なり、新入生歓迎のお祭りイベント的な側面が強い。そのためこの対抗戦での結果が悪かったからといってクラス間やクラス内で形成される歪んだヒエラルキー構造の犠牲者になるというようなことはない。なお余談ではあるが、対抗戦において見事に一位に輝いたクラスには優勝賞品として豊富な品数を誇る学食デザートの半年フリーパスが配られるという特典があり、これが少女たちの乙女心っぽい何かの琴線に触れて毎年恒例のお祭りイベントを死闘に変貌させているがそれは割とどうでも良い話である。

 

 重要なのはクラス代表が文字通りそのクラスの『顔』となることである。

 

 先にも述べたように学内行事で積極的に動くのは教師陣と生徒会とクラス代表である。

 

 よってクラス代表は学園の教師や生徒会、他学年や他クラスの代表と顔を合わせる機会が一般の生徒よりも多い。また、リーグマッチのようなクラス対抗戦は学年ごとに開催されるため最初の1年は良くても、後の2年間はその役割の重さがまるで変わってくる。

 

 才能豊かな少女たちが通う学園にあってさらなる能力――――人をまとめる能力、ISを扱う技量、他者を惹きつける魅力(カリスマ)が求められていくことになるのである。

 

 クラス代表が不甲斐なければ、それはそのままクラスへの評価につながる。クラス代表一人だけの問題では済まないのだ。

 

 

 

――――だからこそ、クラス代表という地位は極めて重要なものとなりますわ。

 

 

 

 と、織斑一夏の席の正面で腕組みしているセシリア・オルコットは思っていた。

 

 彼女の考えは決して間違ってはいない。ただ満点解答というわけでもない。

 

 アクの強い人物も多く集まるIS学園では、面倒事は『まあ適当にやってよ』とクラス代表に放り投げて我が道を行こうとする人間も多くいるし、クラス総出で他人を笑かす路線で行こうと団結する狂った集団もいる。

 

 そのため、セシリアの考えるクラス代表像というのは様々な人間が選出されるクラス代表者の一側面でしかない。当然セシリアのように真面目に考えるいわゆる委員長気質な生徒もいるにはいるが、一概に多数派とはいえないのである。

 

 とはいえ、セシリアもそのようなことは理解していた。

 

 だが、先ほど述べたセシリアの『クラス代表』観はそれでも確かに一側面を担っているのは事実だ。

 

 だからこそ、

 

――――その地位に就くことはこの先の学生生活において、きっとわたくしの為になりますわ。

 

 セシリアは学園に入学する前から様々な伝手を使いIS学園に関する情報を集めていた。

 

 彼女は英国の名門貴族の生まれであり、家を支えるべく海千山千の魑魅魍魎が跋扈する一見優雅なように見えるがその実は伝説におけるサルガッソ海ばりの恐ろしさを持つ貴族社会に若い身空で飛び込んでいる女傑である。

 

 優雅に見えるその立居振舞の裏には泥臭いまでの努力の集積がある。

 

 家を支え、会社経営などにも携わる忙しい身の上である彼女が長期間母国を離れることになってでも日本のIS学園に入学したのには理由がある。

 

 

 繰り返すがセシリア・オルコットは英国の名門貴族の生まれである。

 

 しかし、セシリア・オルコットの両親は彼女が幼い頃に他界している。

 

 両親が他界した当時のセシリアは幼く、いかにセシリアが才能豊かな努力家であろうとも、いかに周囲に信頼できる人間がいたとしても、その小さな手にはオルコットという家は大きすぎた。

 

 後は想像通り。オルコット家の遺産は周囲の人間に好き勝手に食い尽くされ、何も残らなくなる――――かに思われた。

 

 しかしそれを防ぐ手立てが一つあった。

 

 ISだ。

 

 幸いなことにセシリアは生まれながらにして高いIS適性を持っていた。それは前の英国代表生であった女性が絶賛するほどに。英国政府がセシリアが成人するまでオルコット家の適切に管理し、彼女を保護するという条件と引き換えにしてでも欲しいと思うものだった。

 

 そうしてセシリアはISの世界へと身を投じた。

 

 今ではその立場を英国代表候補生へと変え、第3世代装備『BT』にも高い適性を示した彼女はデータサンプリング目的の試験機的な面が強いとはいえ専用機を与えられるまでに成長した。

 

 それまでの間にも彼女はIS以外の家を守るための知識をがむしゃらに詰め込み己の血肉としてきた。

 

 彼女が成人するまでにはまだ数年の時間がある。しかし、がむしゃらにひた走ってきたセシリアにとって、これまでの数年は瞬く間に過ぎ去っていった年月であった。ならばこれからの数年もまた、瞬く間に過ぎ去っていくのだろうと考える。だからこそ、その間に少しでも僅かでも己の力になるものを得るべく彼女は貪欲に動く。それはIS学園1年1組クラス代表の地位という小さなものであってもだ。

 

 セシリアは朝からこの1年1組というクラスを静かに観察していた。より正確に言うならば、周囲の人間が自分に向ける視線、そして1組の中にクラス代表に選出され得る何かしらの能力を持つ人間がいるかどうかを彼女は見ていた。

 

 そうして入学式を終え、自己紹介を兼ねたSHRを終えて、初日の授業も終えた後、彼女は一つの結論に達した。

 

 

 

――――馬鹿がいる。

 

 

 

 いったい誰のことだ、などと今さら言うまでもなく一夏のことである。いったい何が、などということも今さら問うまでもなく思い浮かぶのは朝からの数々の奇行である。

 

 SHRでいきなり狸よばわりすることで副担任を叫ばせ、実の姉にして第一回モンドグロッソ総合優勝者であるクラス担任に撃沈され、授業中に流麗なペン回しを披露して副担任を泣かせて、クラス担任に撃沈され、日本人にしてはやたら胸囲の発達著しいクラスメイトと意味ありげな会話をしてクラスの視線を惹きつけ、素直に授業を受けていると思ったらいきなり奇術を披露してクラスの興味を惹きつけた後にとりあえず副担任を絶叫させ、駆け付けたクラス担任に撃沈された。

 

 その行動には脈絡がないようにも見えるが、こうして列挙してみると自然と浮かび上がるその行動の骨子。

 

 

――――どれだけ副担任狙い撃ちですの!?

 

 

 これが日本のお笑い界に伝わる伝統技能ジャパニーズ・テンドン!? とセシリアは慄いた。

 

 同時に、織斑一夏という人間は危険である、とセシリアは判断した。

 

 世界で唯一のIS操縦者で一人の男子生徒というだけで目を惹くのだ。おまけに朝から続く奇行の数々は、本来セシリアに向けられるはずであった興味関心の視線を根こそぎ奪い去っていった。

 

 このまま手をこまねいていれば、自分ではなく一夏がクラス代表として選出され、そればかりか自分が所属するこの1年1組が一夏を先頭にして笑いのレッドカーペットの上を全力疾走するはめになりかねないのだ。

 

 なにより、英国貴族にして代表候補生たる自分が所属するクラスがそのような路線に走るなど、

 

 

――――そんな、そんなことを……このセシリア・オルコットが認めるわけにはいきませんわ!

 

 

 彼女は決断した。このタイミングで行動を起こすことを。一夏への関心が高まっているのなら、それを利用して自分も一気に同じ高みへと昇り、雌雄を決することを。

 

 利用できるものはどんなものでも利用する――――表現は悪いが、そんな決意を持ってセシリア・オルコットはここにいる。

 

 だが彼女は知らない。一夏のこれまでの人生で彼に関わった周囲の人間が、その行動にどれほど振り回されてきたのかを。IS学園入学前、彼の警護の人間や織斑千冬にどれだけ『思うようにいかない』と頭を抱えさせたのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとよろしくて?」

 

 

 甘い声質だ、と一夏は思った。こちらに問いかけるその言葉は丁寧なもので、しかし声の中には相手をチクリと指すような硬さがある。

 

 一夏は鞄からノートを取り出そうとしていた手を一度置いて一息吐く。そして視線を眼前の人物へとちらりと向ける。すると視界に入るのは腕組みする少女。その姿は先の声もあり脳裏に『御令嬢』という言葉が浮かぶ。

 

 視覚から得た情報に一夏はハテと考える。声に混ざる硬さ。その出所。自分の容姿か行動か、何かしらの要素に相手を苛立たせるものがあったか。

 

 しかしいくら考えたところで答えは出ない。自分が他者に不快感を与えるつもりで行動したことなど、物心ついたときから一度たりともありはしない。世間一般の常識に照らし合わせて己の朝からの行動を顧みてみるも、

 

 

――――うん。何も問題は無いな。今日も宇宙は千冬姉を中心に回っている。ああ……太陽だとも!

 

 

 誰にも知られぬ意識下でお手軽なスナック感覚で『実姉を宇宙の中心に据えた天動説』という狂人の思考を披露した一夏は、大宇宙の神秘的な流れで己の潔白を確信した。己の行動に瑕疵が無いのなら、後は相手の問題だ。

 

 考え方を変え、一夏は改めて目の前の少女を観察する。

 

 整った容姿だ、と素直に思う。言葉は丁寧でも己を良く見せる術が叩き込まれているのか、妙に目を惹く存在感がある。表情には若干の不機嫌の色があり、どこかこちらに挑むように真っ直ぐ向けられる視線がある。

 

 一夏は目の前の少女のことを良くは知らない。以前雑誌か何かの記事で目にしたことがあるような気がするが思い出せない。何か当時の一夏の興味を引く要素がその記事にあったような気もしたのだが、今となっては忘却の彼方というやつだ。だが今こうして本人を見ていて感じるのは、他者に傲慢とも取られかねないほどの気位の高さ。

 

 ああ、と思い、それならばこちらが気に入らないのだろう、と思う。

 

 我が事ながら面倒な身の上で、何の因果かIS学園という女の園に自分はいる。そのことを面白く思わない者はこれまでもいた。

 

 ならば彼女もその種の人間だろう。

 

 納得いった、と一つ頷くと一夏は難問の解を導き出した爽快感を持って思考を打ち切り、視線を鞄の中へと戻し一冊のノートを取り出す。

 

 一夏はともかく周囲の人間は誰もその行動は予想していなかったのかクラスのざわめきが一層増したが、もはや彼の意識にそれが影響を与えることはない。それは目の前で呆然とする少女の顔さえも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠のきかけた意識を慌てて引き戻し、目じりを険しく吊り上げたセシリアは並の人間ではないと言っていいだろう。

 

「ち・よ・つ・と・よ・ろ・し・く・て!」

 

 彼女は額に青筋を浮かべながらも、何とか怒りを抑えてもう一度声をかける。しかしそれすらも目の前の男は何食わぬ顔で無視する。

 

 この行動がいよいよセシリアのプライドを刺激した。彼女は一夏が眺めている『観察日記』と書かれたノート(題名の下に緑色のペンで大きく『狸』と書かれている)を細い指先で掴んで引っ張った。

 

「わたくしの話をお聞きなさい!」 

 

 そこでやっと一夏は視線を向けた。ようやく自分の要求が通ったことに満足したセシリアだったが、向けられた黒い瞳に何の感情の色も読み取れず、僅かに焦り後ろずさる。

 

「さ、先ほどからあなたは! わたくしの声が訊こえていませんの? このセシリア・オルコットの声が響いたら、きちんとお返事を返すのが礼儀というものでしょうに!」

 

 焦りを表情には出さないまま、崩れかけたペースを持ち直すべくあえて高圧的な態度をとる。

 

 しかし、そこで一夏はぽん、と両手を合わせた。また先ほどの副担任のときのように花でも出るのかと身構えたがその様子は無い。

 

 ただ小声で『思い出した』と言っているのが非常に気になった。

 

 と、

 

「日本語がお上手ですね」

「え?」

 

 褒められた。唐突にである。ただの社交辞令かもしれない。だがこの流れで何故そのような言葉を言う必要があるのか。あるとすればどのような意図があるのだろうか。相変わらず向けられた瞳に感情の色は無い。

 

 セシリアに対して、一夏はさらに考える暇を与えないと言わんばかりに話を続ける。 

 

「他言語をそこまで流暢に使えるなんて、よっぽど努力したんだろうな」

「え、ええ訓練の合間に……いえ! このわたくしにとって他言語の習得の一つや二つ、わけもないことですわ」

 

 脳裏に日本語の教本を片手に勉強していた光景を思い出したがそれは言わなかった。他人に弱いところは見せない。常に余裕をもって、泰然とあるのがセシリアの記憶の最も古いところに根付いた貴族像だ。

 

 強がり、と思われなかったか少し心配になったが一夏の様子は変わらなかった。そのことに少し安心する。

 

「インフィニット・ストライプスっていう雑誌の特集で海外の代表候補生の記事があったんだけど、セシリアさんも英国の代表候補生なんだよな?」

「ご、ご存じでしたの?」

「代表候補生ってIS操縦者としての技量を高めるだけじゃなくて、そういうモデルみたいなこともやってるし、そのうえ同年代なのにグループ企業の代表も務めているんだろ? 凄いよな」

「ま、まあそれほどでもあるかもしれませんわね」

 

 雑誌名に覚えは無かった。恐らく直接取材を受けたものではないのだろう。しかし目の前の男が自分のことを知っていることに微かな驚きを覚える。この男は自分のことと、実姉のこと以外には一切興味が無い人形のような男なのだろうと思っていた。意外に思い、先ほどまでの無礼な振る舞いによる悪いイメージをほんの少し良くした。

 

「日本にも関連企業があるんだろ? 確か家電系と製薬系で。代表候補生として頑張りながらそれだけ手広く展開している企業の代表なんて大変だろう?」

「わたくしにとってはやって当たり前、できて当たり前のことをしているだけですわ」

 

 そう、セシリアにとってそれはやらなくてはならないことであって『きちんとこなす』以外は道は無かったのだから。

 

「苦労を苦労と思わないタイプなんだな。それだけ能力があって、責任のある仕事をしっかりとこなしているんだな。本当に頭が上がらないよ」

「ま、まあそれほどでもありますわね」

 

 自分だって疲れることはある。それを口に出すことは幼馴染である専属メイドの前以外ではないのだが。

 

「しかも立ち姿が凄く綺麗だし、高貴さが身に染みついているっていうのか? 立ち振る舞いが凄く優雅なんだ。背筋が真っ直ぐで、歩き方もかなり気を使っているんだろ?」

 

 容姿のことは当然のことで言われ慣れている。社交の場でお世辞のような言葉はさんざん耳にしてきた。しかし同年代が集うIS学園という場所で、自分の立居振舞について指摘されたことにセシリアは更なる意外性を感じた。織斑一夏という男が予想以上に自分のことを良く見ていたことに戸惑い、この変わった男は一体どのような人間なのかわからなくなってきた。

 

 そこに、

 

「俺はセシリアさんのことはあまりよくは知らないんだけど、凄い美人だよな。きっと性格も天使みたいに優しいんだろうな」

 

 歯の浮くような台詞、しかもえらく直接的な言葉で褒められた。真っ直ぐに面と向かって、真面目な表情で言われたそれは、似たようなことは言われ慣れているはずなのに、何故かぐらりとセシリアの心を揺さぶった。率直に言うと、セシリアは少し照れた。

 

「ちょっ、いくら本当のこととはいえそんなに褒められても困りますわ。……まあ本国では幼い頃から女神のような美しさと評判でしたけど」

「いや、女神は千冬姉だな」

「え? 今なにか仰いまして?」

「ん? いや何も言っていないよ」

 

 小声で何か言われた気がしたがとりあえず気にしないことにした。

 

「それよりも、そんな天使みたいなセシリアさんの下で働ける人は幸せだろうな。俺だったらきっと神棚にセシリアさんの写真を飾って毎朝炊き立てのご飯をお供えしてお参りするレベルだ」

「神道はあまり馴染みがありませんけど、それはご遠慮願いたいですわ……。でもまあ、周囲の人には助けられていますから、待遇面や環境面では他所よりも少し気を使っているつもりではいますわ。まあわたくしが勝手にそう考えているだけですけど、もし働いている人が幸せに思ってくれているなら良いですわね」

 

 そこで一夏は唐突に身を乗り出し、話しているセシリアの手を取った。驚き、思わず『きゃ』と声をもらす。何が琴線に触れたのか、一夏の瞳は先ほどまでは無かった情熱的な色の光で輝いている。

 

「いやそう考えてくれる代表がいるのならきっと幸せだよ。だから……俺はもっとセシリアさんのことを知りたい。いきなりこんなことを言われて戸惑うかもしれないけど、どんな小さいことでもいいんだ! セシリアさんは美しく偉大で、俺は愚かで卑小かもしれないけど、君のことを少しでも知ることができたら俺は幸せになれるかもしれない。そしてほんの少しでも、セシリア・オルコットという少女の人生の一片にでも関われたら、もっと幸せになると思う」

「ちょ、ちょっとお待ちになって。と、突然そんなことを言われても困りますわ!?」

 

 いきなり手を掴まれて頬を赤くする、など街場の小娘のすることで、それは貴族たるセシリア・オルコットのすることではない。

 

 だいたい、いきなり会って間もない淑女(レディ)の手を握り告白めいたことを言うなど段階を飛ばし過ぎている。それもまた貴族であるセシリア・オルコットに認められるところではない。

 

 自分はそんな安い女ではない。そう言いたかった。しかしそれを言わせないだけの迫力が、セシリアに口を噤ませる何かが今の一夏にはあった。

 

 この僅かな時間のなかで次々と色々な面を見せる男。恥ずかしい言葉を躊躇いなく口にする織斑一夏という人間はセシリアの持つ日本人像とは異なっていた。

 

 金か、地位か、身体目当てなのか。しかしそのどれもが目の前の男に当てはまる気がしなかった。相手はこちらの素性を知っていて、それでも何の興味を示していなかった男なのだ。そんな人間が僅かな会話の中で、うって変わったようにして自分に迫る。その理由が何なのかを知りたい、という思いがセシリアの胸中に渦巻いた。

 

――――ま、まあ小さいことならいいですわよね? ええ、持てる者は持たざる者に施しを与えるのも高貴な人間としての務めですわよね!

 

 そうしてセシリアは自分を納得させる。

 

「で、では少しだけならいいですわよ」

「本当か?」

 

「ええ、あまりプライベートな質問は困りますけど」

「ああ、大丈夫だ。セシリアさんが嫌がるようなことは絶対に聞かないよ」

 

 そこで一夏は笑った。嬉しそうに、本当に心から嬉しそうに笑う顔にセシリアは胸を動かされた。それほどまでに一夏の表情は邪気が無かった。直前に一夏が言っていた『君のことを少しでも知ることができたら俺は幸せになれるかもしれない』というその言葉が嘘ではないと信じられるような笑みだった。

 

 じゃあ、と一夏が前置きする。

 

 何を聞くのだろうか? 想像以上に自分のことを良く見ていた少年だ。そんな彼の心境を僅かな時間の中で変化させたのは自分のどんなところなのだろうか? 彼は――――

 

――――これまで見てきた男とは違うのかしら?

 

 

 そして、

 

「まずは日本にある家電系の関連企業の就職に求められる能力や資格、それと年収と福利厚生面について教えてくれ」

「え?」

 

 その言葉にセシリアの思考は停止した。

 

 クラスの誰かが呟いた『シューカツだ……!』という意味不明の言葉が妙に教室に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 英国の海千山千の貴族達に挑んできた(口先で弄ばれてきたともいう)セシリアはあまりに繋がらないように思えるこの現状について深く考え込む。必要以上に。

 

 その結果、ある答えに行きついた。

 

――――やられた……!

 

 嵌められた、という認識がセシリアの脳裏に渦巻いた。

 

――――意味の無い行動、脈絡の無い言動はこの男の十八番。そうすることで相手のペースを乱し、強引に場の流れを自分に有利なものへと変える。先ほどの会話さえもそのための算段でしたのね?

 

 セシリアの脳裏に母国である英国を出国する直前に参加した茶会の光景が思い浮かぶ。

 

 ティータイムの時間に談笑する優雅な淑女の集い。暖かな日差し。ソーサーに置かれたティーカップの中で静かに波打つ紅茶。黄金の焼色のスコーンとクロテッドクリーム。銀のフォークと甘い香りを漂わせるケーキ。そこで静かに、上品に囁くように紡がれる会話の流れはこうだ。

 

『わたくし以前にお話ししたように英国風和食にこっておりますの。セシリアさんは春からIS学園にご入学されるのでしょう? 帰国されたときは色々と和食のお話を伺いたいわ』

『そ、そうですわね。奥様に楽しんでいただけるようにわたくしも色々と勉強してきますわ』

 

『あ、そうそう! わたしの夫は健康のために英国風ブラジリアン柔術のマスターを家に呼んでいて師事しているんです。セシリアさんには是非とも本場の――――』

『え、ええ!? その本場は本当に日本ですの?』

 

『そういえばわたしは英国風ジャーマンスープレックスで――――』

『カー○・ゴッチ!?』

 

『ほら奥様方、セシリアさんが困っていますよ』

『あらごめんなさい。ついお話に夢中になってしまいましたわ』

『ごめんなさいねセシリアさん。皆セシリアさんが可愛くてついついからかいたくなっちゃうの』

『そ、そうですか。で、では先ほどまでのお話は全て冗句でしたのね』

『……え?』

『え!?』

 

 他国の名を冠する単語が次々と『UK(英国)』の字に浸食されていくその様はまるで大航海時代を経て世界を席巻した偉大なる大英帝国の雄姿を見るようであった。しかし何故か自分にとってはアウェーにいる気がしてならなかった。

 

 楽しく歓談する筈の茶席でいつの間にか追いつめられている謎の感覚を思い出し、セシリアは冷や汗を流す。

 

『何かはわからないがヤバい』

 

 そんな感覚から来る焦りがセシリアの脳を焼いた。馬に跨り、猟犬を従え、猟銃を掲げて意気揚々と野山を駆けて狐を追っていたら、いつのまにか狐に化かされて深い森に迷い込んだような和洋折衷の気分であった。

 

 同時に、

 

『やはりこの男はどうしようもありませんのね』

 

 という思いがセシリアの胸を苦しくした。

 

 この感情は怒りだ、とセシリアは考えた。ただ、怒っているはずなのにどうして胸が苦しくなるのかセシリアにはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ 

 

 

 

 

 

 

 その後は滅茶苦茶だったな、と箒は思い返した。

 

 顔を不快気に歪ませて、何も言わずにセシリアは自分の席へと戻っていった。箒はその時のセシリアの表情が誰かに似ている気がしたが、それが誰なのかは思い出せなかった。

 

 とにかくセシリアはそれ以降の時間ずっと黙り込み、周囲の人間も居心地悪そうにしていた。

 

 そうこうして、若干変則的ながらも帰りのSHRの時間がきた。様々な連絡事項があるため長めの時間を取ってあるこの時間に『クラス代表』の話が千冬より出された。

 

『では候補者は織斑一夏……私が言うのもなんだが、お前ら本当にいいのか? 他に候補はいないのか? 自薦でも他薦でも構わないぞ? ……おい。どうして全員私から目を逸らしている?』

 

 クラスの人間の多くが面白さ重視で一夏を推薦する最中で、悠然と立ち上がる人間がいた。

 

 セシリアだ。

 

 彼女の口からはクラス代表という役職の重要性と、そんな地位に一夏を推すことの危険性を滔々と説いていき、最後は私怨の入り混じった『馬鹿』だの『愚かで無礼』だの『年上好きの狸好き』だのと言った悪口が息継ぎすることなく続いた。

 

 そうして、

 

『とはいえ、それでもこの男を代表にと推す方もいるでしょう。ですから実力を持って誰がクラス代表に相応しいのかを決めさせていただきたいですわ』

 

 と千冬に向けて言い放った。対する千冬は、

 

『構わんぞ。やれ』

 

 と返した。その表情はひどく愉快そうで、箒を含めて誰もそのことに異を唱える人間はいなかった。 

 

 そうしてこの日、1年1組ではクラス代表の候補が二人挙がった。

 

 決戦は一週間後の月曜日。

 

 英国の代表候補生で疑い無い実力を持つセシリア・オルコットに対して、インパクトはあるが操縦は素人の域を出ない織斑一夏。

 

 普通に考えれば相手にならない。勝負の結果は行うまでもなく明らかだった。

 

 しかしそれでも避けては通れない戦いがある。

 

 だからこそ箒は、恥ずかしながらも勇気を出して一夏に『一緒に訓練をしよう』と言おうとしたのだ。

 

 

――――そのはずなのに!

 

 

 SHRの後。箒が両手の人差し指を合わせていじいじと戸惑っているその横を通り過ぎていく人間いた。

 

 一夏である。

 

 彼はそのまま真っ直ぐ教室から出ようとしていたセシリアに歩み寄った。

 

 その時のセシリアの表情はお世辞にも育ちの良い令嬢とは言い難い、年相応の少女のような不機嫌そうなもので、周囲の人間は『これ以上さらに火に油を注ぐのか』と不安に思うもの、期待するものに分かれた。

 

 最初はセシリアが『今になって怖くなって、ハンデでももらいに来ましたの?』と言った。だがその後に一夏が『貰えるのならば遠慮なく』と言い放ち交渉を開始した。

 

 しかし一夏がハンデのレートを際限なく上げていき、とうとう『射撃武装無し、目隠しあり、IS本体に重り3トン』というところに至って交渉が決裂した。

 

 とうとう肩を怒らせて教室を出ようとするセシリアに、一夏が言い放った。

 

『じゃあ、試合の日まで俺に稽古をつけてくれ』

 

 セシリアだけではなく、クラスの人間全員と、そして何よりも似た提案をしようとしていた箒がぽかんと口を開けた。

 

 一夏の提案が意味するところを瞬時に理解できたものは恐らくいなかっただろう。

 

 だから箒は『ありえないことだ』と思った。

 

 だが少しの間を置いてギャラリーの中から『実力的に間違いの無いセシリアさんが教えれば良い勝負になるかも』という言葉が出て、段々とその発言に乗る人間が現れていった。最初の発言をしたのは一夏の隣の席の谷本なにがしという生徒で、箒は密かに『あの野郎許さねえ』とおどろおどろしい気焔を上げた。

 

 とはいえそんな提案をセシリアが素直に呑むはずがなく、セシリアは『ありえませんわ!』とその提案を両断した。

 

 箒はこのとき初めてセシリアを『話のわかるやつじゃないか』と会話もしていないのに評価を上げた。

 

 しかし元を辿れば言い始めたのは一夏である。この男が素直に引き下がるはずがなかった。

 

 教室を出るセシリアを追って一夏もそのまま出て行ってしまい、有耶無耶のままにその場は解散となった。

 

 箒はその後しばらく学園を歩いて一夏の姿を探して回ったがとうとう発見できず、諦めて明日に一夏に訓練のことを伝えようと考えて割り当てられた寮の自室へ行った。相部屋と聞いていたのだが、この日に箒の部屋をノックする人間は何故か現れず、そのことを疑問に思いながらも箒は一人寂しく眠りについた。

 

 この日の夜。どこかの部屋で悲鳴のような声が聞こえたり『いくら頼まれても絶対にダメですわ!』という絶叫が響いたり、廊下を誰かが走るような音と『ウナギはもう嫌ぁ……』という酷く疲れたような声が聞こえたり、廊下を這うような音に続いて荒く息を吐くような音と『や、やります。やりますから……も、もう許し』という声もした気がしたが、とりあえず明日に備えて気にしないことにした。

 

 そうこうして朝になり二日目の授業が始まり、そして終わった。

 

 いつもと変わらない様子の一夏を横目で見つつ、目の下に隈を作って憔悴しきった様子でいたセシリアの姿に首を傾げたが、放課後に一夏に訓練することをどう切り出すかに頭を悩ませる箒はそれほど長く気に掛けなかった。

 

 そうこうして放課後になり、日は傾いていった。

 

 箒は今度こそ、と気合を入れて立ち上がり、そして場面は冒頭に戻る。

 

 

――――その結果がこれか!

 

 と、箒は脳内で絶叫した。

 

 それを煩いと言わんばかりに箒のいる位置の近くに小銃の弾丸が飛来し、客席を守るシールドに弾かれた。

 

 そのことに少し驚きつつも、くそう、と箒は歯噛みした。

 

 昨夜何があったのかは箒の知るところではない。ただ、予想だにしない何事かが起こったのだ。それが状況をあるべき自然なカタチから強引に捻じ曲げて今の目の前の光景――――セシリアと一夏の訓練という認め難い光景を見せつけられるに至ったのだ。

 

――――何故、わたしではないんだ一夏……。

 

 セシリアの実力を考えれば、それがいかにおこがましいことかは箒もわかっている。それでも、容易く割り切れはしなかった。

 

 こうして二人から隠れるようにして盗み見ていると、セシリアも嫌がっていたわりには訓練が始まると至極真っ当に一夏にISの操縦を教えているのがわかった。

 

 一夏もそれに答えるように真剣にセシリアの教えに聞き入り、そうして実践していく。

 

 一夏の横顔を遠目に見て、いっそのことぞんざいにやってくれれば、と言いそうになり慌てて口を噤む。

 

――――わたしは……嫌な女だ。

 

 胸が酷く重苦しくなり、箒はそのまま前の席の背もたれの裏に背を預けるようにしてずるずると体育座りをして、顔を伏せた。

 

 一夏が変わっていることを恐れた。

 

 自分が変わっていることを恐れた。

 

 それでも会いたいと思った。

 

 そうして会ったら世界が鮮やかに見えた。

 

 でもやっぱり色々なことは変わってしまっていて、何より辛いのが、自分がそんなことを考えてしまうような嫌な人間になってしまっていることだった。

 

 こんなやつに好かれる人間は迷惑だろうなと考えて、唐突に目が熱くなった。

 

 箒がゆっくりと顔を上げると、二、三の滴が膝を濡らした。

 

「あれ? あれ? おかしいな……何で、こんなに、弱くなっちゃったんだろう」

 

 誰も聞いていないと思って出した声が自分でも驚くほど弱弱しく震えていた。

 

 いつのまに日はすっかり落ちていて、アリーナの客席の影も一層濃くなっていた。

 

 箒はいつのまにかアリーナから音が消えていることに気付いた。携帯を取り出して時間を見るともう夕食の時間も半ばほどだ。恐らく今日の二人の訓練は終わったのだろう。

 

 帰ろう、と呟いたが立ち上がる気力が一切湧かない。

 

 アリーナ中央の明かりもいつのまにか消えている。僅かに残っている明かりは教員の見回りのためだろうか。

 

 箒はこのまま目をつぶれば、自分の身体が闇に呑まれていくような気がした。 

 

 それでも、こんな嫌な気持ちも呑みこんでくれるならそれでも良いかな、と目を閉じようとして、

 

 

「こんな時間に、こんなところで何をしている不良娘」

 

 

 闇を引き裂くような声がした。

 

 驚いて顔を上げると、いきなり明かりを向けられた。手持ちの懐中電灯の光らしいそれをまぶしく思いながらも、光源の正面から顔を反らして見た先によく知った顔があった。

 

 織斑千冬だ。

 

 千冬はいつもの厳しい表情を一層強めており、その理由が何の届けも出さずに遅くまでこんなところで蹲っている自分にあると気付く。

 

「す、すいません千冬さ……いえ、織斑先生」

 

 とりあえず謝罪の言葉を言えたことに安堵していると、千冬は大きく息を吐いた。同時に場の空気が弛緩していくのを感じる。

 

 やれやれ、と言いながら箒の近くの席に千冬は腰を下ろすと、手の中の懐中電灯の明かりを消した。一瞬で闇が戻ってくる。

 

 その闇の中から缶のプルタブを開けるような音と同時に、プシュ、と空気が漏れるような音がして、続いて勢いよく液体を飲み干す音がし、最後に『ぷはー!』とひどく親父くさい声が聞こえて、箒の鼻先まで酒精の匂いが漂ってきた。

 

「あ、あの……織斑先生?」

「千冬さんでいい。もう飲んだから今日の仕事は終わりだ」

 

 目が闇になれてきて箒が千冬のほうを見ると、片手には銀色の缶があった。何ですかそれ、と聞くと『炭酸入りの麦ジュースだ』と答えた。そのときに見た表情は困った人間を見るようなものと、優しげな笑みがない交ぜになったようなもので、それが何を意味しているのかわからず箒は戸惑った。

 

 どうしたものかと考えて、そこであることを思い出して箒は口を開けた。

 

「あの……千冬さん」

「何だ?」

「その、お久しぶりです」

 

 言った後、千冬は呆けたような顔した。昔も見たことが無かったようなその表情に箒が驚いていると、千冬は唐突に顔を伏せて、肩を揺らし始めた。

 

 笑いをこらえている、と気付いたのは千冬がいよいよ堪え切れなくなって顔を上げて大笑いし始めてからだった。

 

 初めはおろおろしていた箒だったが、いつまでも止まない千冬の笑い声に段々と何で自分がこんな思いをしなくてはならないのか、と考え始めて不貞腐れた。

 

「お? 何だ怒ったのか?」

「怒っていません」

「怒っているだろう、それは」

「怒っていません!」

 

 言ってから『どう考えても怒っているよな』と思い、箒は先ほどは違う理由で顔を伏せた。久しく感じたことの無かった脱力感が身体を包んでいく。

 

 対して、千冬は相変わらず『くくく、すまんすまん』とどう考えても謝罪していない意地の悪い笑い声を漏らしながらも、どこから出したのかもう一本の缶を取り出して躊躇いなく開けた。

 

 またも液体を飲み干す音がして、空気中を漂う酒精の匂いが増した。

 

「しかしなあ、お前も悪いんだぞ篠ノ之箒。今さら『お久しぶりです』などと。そこは笑うしかないだろう」

「……言うタイミングを逃していただけです。別に千冬さんを笑わせようと思ったわけではありませんから」

 

 何故かフルネームで呼ばれたことに戸惑いながらも反論する。 

 

「ふむ、そうか。ところで箒、こっちを向け」

「はい?」

 

 言われて顔を動かすと、いつのまに至近距離で突き出されていた千冬の人差し指が左の頬に触れた。きょとん、としていると千冬は『馬鹿め、引っかかったな』と言ってまたも愉快そうに笑い始めた。

 

――――あ、駄目だこの人。酔っ払いだ。

 

 箒は心底思った。そうして昔を思い出して、こんな人だったかな、と思った。

 

 かつて道場に出入りしていた千冬に対して幼い箒が抱いたイメージは『怖い人』だった。それは幽霊が怖いとか、そういうのとは違っていて、いつも張りつめた空気を纏っていた千冬は当時の箒にとって近寄りがたい感じがしていて、上手く言えないがそういう向きの怖さがあった。きっと当時の千冬と会ったことある同年代の人間ならば同意してくれるのではないだろうか。

 

 それが今では自己申告で『仕事終了』とのたまったうえに、コレである。

 

 6年という時間はあの怖い千冬さえも変えるのか、と箒は思った。

 

「おい、何か失礼なことを考えているだろう?」

「そ、そんなことはありません!」

 

 ふん、と鼻をならす音がした。怒られるのではないか、と箒はびくついた。

 

「一夏とオルコットが一緒に訓練していたのがそんなにショックか?」

「……え?」

 

 突然の指摘に驚き、しかし落ち着いてみるとそれが図星であることに諦めて、箒は小さく『はい』と返した。

 

「わかりやすいんだよお前は」

「……そうでしょうか?」

「そうだとも。まったく、授業中も気もそぞろにして、あれで気付かないわけがあるか。教卓というのはお前ら生徒のことが実によく見えるんだぞ」

「す、すいません」

 

 慌てて謝罪した後、すん、と鼻をならした。これでは泣いていたみたいじゃないか、と思って慌てて誤魔化すように咳払いをしたが、

 

「おまけにこんなところで一人で泣いていたときたものだ」

 

 容赦ないなぁ! と箒は頭を抱えた。こちらの思惑など気付いたうえで踏み込んでくるのは、あの弟(いちか)にしてこの姉(ちふゆ)ありという感じだった。

 

「まあ許してやれ。あいつもお前のことを気にかけていないわけじゃない」

「そうですか?」

「そうだとも。いいか? あいつは学園に来る日にモノレールの駅でな……」

 

 そうして聞いた話に箒は顔が赤くなっていくのを感じた。

 

 モノレールの駅。自分の姿をみて駆け寄った一夏の話は、箒の頬をだらしなく『にへぇ』と言った感じに緩ませた。

 

 しかしニヨニヨと笑っている千冬の視線に気づき慌てて表情を戻した。

 

「そういうわけでな。それにまあ、あいつが結果を得るために最も効果的な道を選ぶのは、多分私のせいだ」

「え、千冬さんのですか?」

 

 うむ、と千冬は頷いた。厳かなようでいて、しかし緊張感のかけらもないその様子に『大丈夫かこれ』と思うが箒は黙って続きを聞こうとした。

 

 しかし、

 

「……」

「……」

「……」

「……あの、千冬さん」

 

 続く沈黙に耐えられず、箒は声をかけた。

 

「何だ?」

「話の続きは?」

 

 箒の言葉に千冬は少し沈黙し、しかし先を促す箒の視線に耐えきれなくなった。

 

「……まあ色々と細かいところは省くがな。ようはあいつは私に苦労をかけまいと、早く給料をもらうようになって一人前になりたい、とそういうことらしい」

「はあ……」

 

 少し恥ずかしそうに言っているあたり、先ほどまでの沈黙は照れていたのだろうか。怖くて確かめられないが。

 

「しかし苦労というのなら普段の行動を改めたほうが……」

「……それは言うな。あれはもう改まらん。あいつは変なところが変な方向にずれているんだ」

 

 私もどれだけ苦労したか、という言葉はひどく実感がこもっていて、箒は乾いた笑い声を出す。

 

「まあただあんな変な奴だから、四六時中効率よくやろうというわけではない。だからまあ、そこは大目に見てやれ」

「は、はい。でも効率重視というのなら、それこそ千冬さんが一夏に教えれば……」

「馬鹿者。私は教師だぞ。生徒一人を特別扱いするような真似ができるか。それが実の弟というのならばなおさらだ。それに私は忙しいんだ」

「そ、そうですね」

 

 頷いた。しかし、

 

「納得がいかないか?」

「い、いえ……そうではなく」

 

 納得がいかないというのとは少し違った。千冬の言葉は理解できた。6年前から一夏にとって千冬がどれだけ大事な家族なのかもわかっている。

 

 もし納得のいかないところがあるというのなら、それは自分がこのまま大人しくしていなければならないのだろうか、というところであって、

 

「別に大人しくしている必要はあるまい」

「千冬さんはひょっとしてエスパーか何かですか?」

 

 考えていることをずばり言い当てられて動揺する箒に、千冬は『エスパーとは今日この頃では聞かない単語だな』と呟き、

 

「あいつらと一緒に訓練をしてもいいだろう。別に絶対に変えられない取り決めということではないんだ。訓練が駄目でもまあ、茶でも差し入れるとかな。あとはまあ――――」

 

 と一息入れて、

 

「お前が代表候補生の小娘共と肩を並べられるぐらい強くなって、一夏に頼られるという道もあるかもな」

「は?」

 

 それを聞いて、いやいや、と首を振り、箒は千冬の顔を見た。箒の表情を見た千冬は一瞬怪訝そうな顔をしてその後に苦笑する。

 

「おい、何をワクワクが止まらんというような顔をしている」

「……そ、そんな顔は」

「している」

「……」

「認めろ」

「はい」

 

 うむむ、と呻いていると、いきなり頭に手を置かれて思い切り髪をくしゃくしゃにされた。

 

 わ、と驚くと、目の前には酒精の気配の欠片もない不敵な笑みの千冬がいた。

 

 あ、これマズイんじゃね? と箒は思ったが時すでに遅く、

 

「立て」

「……はい」

 

 立った。

 

「そういうことでいいんだな?」

「え? いえ、ちょっと考える時間が欲しいかもしれません」

「では行くぞ」

「え?」

 

 驚く間も無く手を惹かれた。そんなに強く握られているわけでもないのに抵抗ができない。

 

「轡木先生に大丈夫だと言った手前、大丈夫じゃないと困るんだよ」

「く、轡木先生とは学園の学園長のことですか?」

「その旦那だ」

 

 旦那、と言われても箒にはその顔が思い浮かばない。その間も千冬はずんずん進む。

 

「しばらく夕食の時間が遅くなるかもしれないが、そこはきちんと届けを出せば問題ない」

「は、はい」

 

 頷く。

 

「初代ブリュンヒルデの個人レッスンだ。喜べ。具体的には血反吐を吐くぐらい喜べ」

「ええ!?」

 

 驚き声を上げる。そしてこれはマズイという本格的な実感が箒の肌の表面にジワリと汗をにじませた。

 

「ち、千冬さんはお忙しいんでしょう? それに生徒一人を特別扱いできないと言っていましたし」

「生徒のメンタルケアは教師の立派な仕事だ」

 

 一刀両断だった。

 

 目に見えるのは暗い客席の間を迷いなく進む千冬の背中だけだった。だが、一瞬こちらに見せた横顔――――その口元が獰猛な笑みを作っていて……。

 

「い、いちか……!」

 

 助けて、という言葉を口には出せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初日の夜は色々なところを奔走していて寮の自室で眠れなかった。故に一夏は二日目の夜にして初めて寮の自室に入る。

 

 それにしても、と一夏は思う。

 

 確か相部屋ということだったが大丈夫なのだろうか。どう考えても一般的に考えてもマズイのではないだろうか、と思った。

 

 しかし一夏が部屋に入ると、そこには誰もいなかった。

 

 はて、と一夏は思う。よく見ると部屋の奥に二つ並ぶベッドがあり、窓際のベッド脇には私物と思しき鞄があった。やはり相部屋らしい。しかし訓練後ということもあり大分遅い時間である。姿が見えないとはどういうことだろうか。

 

 気になった一夏は携帯端末を取り出し、担任兼寮長である実姉へと連絡した。しかし繋がらない。

 

 では、とSHRの時間に配布された緊急時の学園関係者の連絡リストにある副担任・山田真耶に電話をかける。

 

 電話に出た真耶は一瞬こちらが誰かわからなかったようで、一夏だと理解した後に『と、とうとう先生の個人情報まで把握されてる!?』とわけのわからないことをのたまっていたが、とりあえず訓練で疲れていた一夏は連絡リストのことを話して、自分の部屋番号を伝えると同居人の不在を伝えた。

 

 若干の間が空き、続く真耶の答えは『織斑先生の許可が出ています』ということ。

 

 なるほど、と一夏は頷く。

 

 この同居人が誰かは知らないが、実姉と一緒にいるのならば間違いはない。

 

 一夏は礼を言って電話を切ると、疲れた身体を手前のベッドに投げだした。

 

 電話を切る直前、電話口で真耶が『あれ? というかこの部屋番号って……』と言っていたようだったが聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

 翌日、授業を受けていた一夏は目の下に隈を作り、妙に憔悴した様子の箒を見て首を傾げた。

 

 

 

 

 

 クラス代表決定戦まであと四日。

 

 

 

 

 




その後、箒の行方を知る者は誰もいなかった(嘘)

次が試合です。多分。どうすんだこれ。


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