シン星紀エヴァンゲリオンー神も泣くかもしれない (サルオ)
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プロローグ 神話

 

かつてこの星を、大いなる災厄が襲った。

 

 

 

神を騙る、大いなる力を持った黒き天使は、人々を裁きの光によって塩の柱へと変えた。

 

 

 

また、黒き天使は、偉大なる槍によって大地と海とを吸い上げ、天に浮かぶ月を落とさんとした。

 

 

 

空を飛ぶ事のできる『鳥』という獣だけが、この災厄より逃れる術を持っていた。世界の終わりを感じ取った『鳥』たちは、やがて、この星から姿を消した。

 

 

 

しかし、人よ。人の子らよ。恐るる事なかれ。

 

 

 

神より与えられた真なる福音は、大いなる光の巨人の姿と成り、全ての災いを退け、遂には黒き天使を打ち倒した。

 

 

 

そして福音は星の海を渡り、暁の明星に辿り着き、新たな月と大地を手にし、新しき神の国を興された。

 

 

 

世界に安寧がもたらされた。

 

 

 

神の福音は大いなる父と母となり、今も星を見守っておられる。

 

 

 

祈りましょう。

 

 

 

父と、母と、子と福音の名において。

 

 

 

天にまします我らが福音よ。

 

 

 

願わくは御名の尊まれんことを。

 

 

 

御国の来たらんことを。

 

 

 

御旨の天に行わるる如く、地にも行われん事を。

 

 

 

我らの罪を拭い去り給う、福音よ。

 

 

 

我らを試みに引き結まわざれ、我らを悪より救い給え。

 

 

 

我らに平安を与え給う、福音よ。

 

 

 

今も永劫も、我らを導き給え。

 

 

 

──────シン星紀1216年、ある教会の祈り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『祈りましょう』、か・・・」

 

 

 

分厚い雲に覆われた空を更に黒く塗り潰す、翼をもったナニカの群れ。

 

それは神話にある『鳥』を彷彿とさせた。

 

しかし翼を持ったナニカは、獣というには悍ましすぎた。

 

 

 

 

 

それは、人の赤子の姿をしていた。

 

 

 

 

 

赤子の泣き言が木霊する。

 

 

 

その光景にある者は涙し、ある者は正気を失い、ある者は両手を上げて喜んだ。

 

 

 

まさに、世界の終わりの光景にふさわしい。

 

 

 

空を見上げていた男も、そんな大勢の人々の1人にすぎない。

 

 

 

「せめて、結婚して嫁さん貰いたかったぜ。福音さまよぉ・・・・・・」

 

 

 

男は地に膝をつき、天を仰いだ。

 

 

 

そこに神はいない。

 

 

 

「神よ、どこにおられるのですか」

 

 

 

男の頬を涙が伝う。

 

 

 

「!!!?」

 

 

 

男が「神」と口にした瞬間、空の赤子たちが一斉に泣き止み、男を見下ろした。

 

 

 

男の全身の毛穴に、氷柱を突き刺されたと感じるほどの悪寒。恐怖によって男の喉が絞め上げられる。

 

 

 

「・・・ひゅッ、ひゅッ!」

 

 

 

空の赤子が一斉にニタァと笑みを浮かべる。それは幼子が母を見つけて喜ぶ様に似ていて。

 

 

 

圧倒的な悍ましさだけが、男を支配した。

 

 

 

赤子が、男に殺到した。

 

 

 

「ひぃやぁあああああああああああ・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤く光る帯が煌めいた。

 

 

 

「!?」

 

 

 

その2本の帯は空を舞い、赤子たちを切り裂いていく。

 

 

 

それを追うように、淡い紫の光が空を駆け抜け、空の赤子たちを焼いた。

 

 

 

「あ、あぁ、ああああ!!」

 

 

 

男の喉に声が戻る。

 

 

 

神はいない。

 

 

 

だが、福音は在った。

 

 

 

「大いなる・・・福音・・・。天におられる、我らが父と母・・・!」

 

 

 

男は立ち上がり、そして再び地に跪いた。

 

 

 

「エヴァンゲリオン・・・・・・!」

 

 

 

男は、人々は、歓喜に咽び泣いた。

 

 

 

雲の切間より光が差し込む。

 

 

 

空に浮かぶは2人の巨人。

 

 

 

光を背負う、大いなる福音。

 

 

 

エヴァンゲリオン最終号機。

そして、アスカエヴァ統合体。

 

 

 

シン星紀1939年、神話が甦った日であった。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 



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a,ルクレティウスの槍

 

崩壊した世界を立て直すためには、何が必要なのか?

 

生物が生きていける環境を失った星はどうすればいいのか?

 

そういった、まるで途方もない議題を真剣に考えようというネルフJPNの会議は、吹き荒ぶハリケーンから避難した人々が、少ない食糧を分け合いながら夕餉の支度に取り掛かろうとする時間に始まった。

 

かつて『地球』という名前であったこの星は、宇宙に漂う青い宝石とまで呼ばれた瑞々しい姿を失い、その大きさを半分ほどまでに縮めていた。文字通り『枯れ果てた星』となったのだ。

 

そこに至るまでの詳細は、ここでは割愛しよう。様々な戦いがあり、地球から多くの大地と、多くの海水と、そして、全ての鳥が失われた。それらはかつて『月』と呼ばれていた衛星を箱舟として、宇宙の遥か彼方、太陽の裏側まで旅立ってしまった。残されたのは、まるで搾りカスのような『地球だったモノ』だけである。

 

『地球だったモノ』に残された人々は、まず、未曾有の天災が去った事に喜びを抱き、次に、絶望した。この地球の搾りカスは体積の半分と月という衛星を失い、環境がガラリと変わってしまっていたからだ。月が失われたという事はつまり、月の引力も失われたという事である。月の引力が失われれば、地球の地軸が不安定になり気候の変動も激しくなる。かつて発生したセカンドインパクトという大災害の際、地球の地軸が傾き全世界の気候が変わったという前例があるが、地軸の安定性が損なわれる事は無かった。それが失われた今、その環境変化の激しさはセカンドインパクトの比ではない。また、地球の体積が小さくなったという事は、地球の自転速度が以前とは比べ物にならない程に速くなったという事でもある。1日24時間をかけて一周していた地球の自転間隔は徐々に短くなり、今では約18時間で一周という速度まで早まっていた。

 

気候の変動と自転速度の上昇がもたらす影響は計り知れず、日光の照射があらゆる地域で滅裂となり、至る所でハリケーンと高波が発生していた。当然、そんな気候では作物も育たず、動物も極端な環境変化に耐えきれず、地球に残された命は刻一刻と、確かに失われていった。

 

『このままでは遠からず、この星は死の星に変わる』

 

早々に決断を下した先進国の首脳陣の動きは早かった。世界中に向けて無人偵察機を飛ばし、人類が比較的生存可能な地域の探索に乗り出した。また、地球の外から現状を確認するため、それこそ山ほどの数の人工衛星が打ち上げられ、少しでもデータを手に入れようと躍起になった。

 

だが。

 

気候変動の激しくなったこの星におけるデータの入手は困難を極めた。まるで別の惑星とでも言えるような環境のなか、必要とされるのはまさに月面探索や火星観測に用いられるような機体であったが、それらを飛ばすための前提として、安定した地球の気候が何よりも不可欠だった。無人偵察機も人口衛星も、打ち上げたその場から次々と墜落していった。ハリケーンの吹き荒ぶ中、空を飛べる機体は存在しない。少なくとも、既存の機体では。

 

人類存続の危機を幾度となく目の当たりにし、綱渡りのようにそれらを乗り越えてきた各国の首脳陣も、これには頭を抱えた。偵察機や人口衛星の墜落自体は想定内であったが、そのうちの一機だけでも飛び立てれば、という希望的観測があった。そして、やはりそれは希望的観測でしかなかった。

 

次に首脳陣が考えた事は『他の惑星への移住』。つまり、この星を捨て、宇宙の海に繰り出す事であった。この案には極少数ではあるが、現状を正しく認識できていない一部のSFマニアが面白いほどに食いついた。ただ実際の問題として、人類がそれほどまでに追い詰められている、という現実が目の前にあるために、加速度的にその思想は広まっていった。

 

だが、またしても人類の前に2つの大きな壁が立ちはだかる。つまり『どこへ』という問題と、『どうやって』という問題だ。当てのない宇宙の旅路に臨むには地球の資源は枯渇しきっている。船に乗せるための備蓄は十分ではない。旅立つにしても、せめて大まかな目的地と距離を絞る必要があった。また、先の事情から無人偵察機ですら飛び立つ事が困難な状況であることは分かりきっており、そういった無数の条件をクリアできるのかが全人類にとっての最大の焦点となった。幸いなことに、熱狂的なSFファンの盛り上がりを皮切りに、宇宙航空技術は加速的な進歩を見せてはいた。

 

しかし、少なくとも地球外への脱出は叶いそうだ、という段階まで来たところで、またしても厄介な問題が浮かび上がる。即ち『誰が乗るか?』という問題である。目に見えて命が失われていっている現実に直面していた人類は、まさしくノアの方舟と呼ぶべき宇宙船へと殺到した。古代より選民思想を目の当たりにし、実際に被害を受けていた人たちを筆頭に、船への搭乗券の奪い合いに走ったのである。標的になったのは各国の首脳陣。その官邸、または宮殿に民衆は襲い掛かった。『切り捨てられるくらいなら』。民衆にそういった心情が生まれても不思議ではない。世界はまさしく『世界の終わり』に向かって、自らの手でその糸を手繰り寄せようとしていた。

 

そういった世界情勢を横目にしつつも、人々からの信頼ある有力者や、人々が生き残るためのリーダーシップをとってきた人間たちは、より良い方法はないかと模索する。抜本的な解決には、問題の根っこがどこにあるかを見極めなければならない。途方もなく、また途轍もない事ではあるが、彼らが導き出した答えは『地球を元の環境に近いところまで戻す』というモノだった。即ち、星の地軸を戻し、安定させ、自転速度を以前に近い状況にまで減速させる。およそ人の身で叶う事のない計画、いや夢物語と言って差し支えないだろう。

 

「バカなのかしら?」

 

ネルフJPNの総司令、葛城ミサトは開口一番、その夢物語を切って捨てた。しかし、その切れ端を拾い集める者もいる。

 

「あら?こういった成功率が絶望的に低い作戦立案は貴女の専売特許だと思ってたけど?」

 

「あのね、リツコ。私は軍事作戦立案が専門なの。使徒やアルマロスを相手取るならまだしも地球環境の復元〜?そんなの、環境省にでも問合せなさいよ」

 

「だが、やらねば人は滅ぶ。ユイの残した世界だ。このまま滅ぼしたくはない」

 

ミサトの投げやりな態度に対し、旧ネルフ司令、現ネルフJPN副司令代理の碇ゲンドウはしっかりと釘を刺した。その釘が私情まみれであることを除けば、会議を前に進めるための適切な発言だったといえるだろう。

 

(な〜んかすっごいやり辛いのよねぇ・・・)

 

ミサトは心の中で溜息を吐く。かつての上司であり、人類補完計画の首謀者の一人であった男が、今は自分の下に付いている。下に付いたから大人しくなるかといえば、そうでもない。かつての上司としての振る舞いはそのままだ。しかも厄介な事に、今のこの男は自分の行動理念、即ち自身の妻である碇ユイへの想いを微塵も隠そうとしない。かつてのアルマロスとの戦いの際に帰還したゲンドウは、その際に最愛の妻との再会を果たしており、色々な意味で吹っ切れていたのだ。

 

(アンタの男でしょ?なんとかしなさいよ!)

 

横目でリツコに訴えるミサトであったが、彼女の親友は「そんな視線、慣れたものだ」と軽くあしらい、だんまりを決め込んだ。ゲンドウと共に帰還したリツコは、その後ネルフの科学者の一員として復帰しつつ、ゲンドウの身の回りの世話を焼いている。内縁の妻、というのだろうか。ミサトにしてみれば「自分を捨てた男によくそこまでできるな」と呆れを通り越して感心してしまう。

 

今度こそミサトは、傍目を気にせずに盛大に溜息を吐いた。

 

「ですが碇司令。その目的を達成するための手段は、既に各国で着手していると認識しておりますが・・・」

 

「葛城司令」

 

「はい?」

 

「私はもはや司令ではない。副司令代理だ。私に敬語を使うのはやめたまえ。他の者に示しがつかん」

 

(だったらまずアンタが態度を改めなさいよ!)

 

ミサトの額に青筋が浮かんだ。それを察知したリツコが「ここらが潮時か」と助け舟を出す。

 

「葛城司令?その手段はあくまで地球外への脱出であって、星の環境改善には全く貢献できておりませんわ。しかも、大きな成果を生むどころか、残り少ない人類に大混乱をもたらしています。全く違うアプローチの作戦が必要かと」

 

「わぁかってるわよ、そんな事!だから、そのアプローチをどうすればいいかって話でしょ!?それを話し合う場なんだから、私に振るんじゃなくて皆もなんか案を出しなさいよ!」

 

「ふむ、それもそうね・・・」

 

リツコがチラッと自身の後輩に視線をやる。視線を受けた後輩、伊吹マヤはかけていたメガネの縁を軽く持ち上げた。

 

「葛城司令。この案件については、まず、ネルフJPNに白羽の矢が立った事に注目すべきです」

 

「勿体ぶった言い方はやめてよ、マヤ。『ネルフにしか出来ない事をやれ』って事でしょ?」

 

「そこまで解ってるなら、あとはわかりますよね?」

 

「エヴァを使え、でしょ?」

 

「はい。葛城司令の専門ですよね?」

 

ムキィィーッと叫びたくなるのを、ミサトは必死で堪えた。リツコが帰還するまで、技術部門におけるリーダーとして活躍したのがマヤであったが、その間、彼女は自身の憧れでもあった赤木リツコの模倣をしていた。それはマヤ自身が初めて担うリーダーとしての重圧に耐えるために纏った心の鎧であったが、いつのまにかその鎧は変形し、リツコの実像とは微妙に異なった、ある意味「嫌味ったらしい」性格へとマヤを変貌させていた。ミサトはその辺りの背景を察していたため、リツコが帰還すればマヤが元の彼女の性格に戻るだろうと期待していたが、「リツコが帰ってくるまでの代理をやりきる」という役割を果たした事で自信を得たマヤにその性格が定着してしまったのは、ミサトにとっての大きな誤算の一つだろう。

 

そんな親友の苦悩を察したリツコが、彼女なりに再度ミサトに助け舟を出す。

 

「ちなみにエヴァによるゴリ押しは不可能と、MAGIは回答しているわ」

 

「んなもん、MAGIに聞かなくてもわかるでしょーよ!」

 

「先輩。サードインパクトの力を内包した最終号機であれば或いは、とMAGIの概算で出ていましたが・・・」

 

「現在の最終号機にそれだけの出力は期待できない、とも回答が出ているわね?ならそれ以外の方法を模索した方が懸命だと思うけど」

 

「ねぇ。そもそもサードインパクト並の出力とか出されたら、今度こそこの星はぶっ壊れると思うんだけど・・・」

 

「でしょうね」

 

「でしょうねって、アンタね・・・・・・」

 

科学者同士の会話にゲンナリしたミサトが視線をゲンドウに戻す。この男は先ほどからサングラスを無駄に光らせるだけで、何も発言しようとしない。司令であるならばともかく、今のゲンドウはミサトの部下だ。会議への積極的な発言を求めるのは間違った事ではないだろう。

 

「碇副司令代理。何か意見はあるかしら?」

 

「ない」

 

血管がブチ切れそうな回答だ。

 

「ない、では済まされないわね。そもそもでいえば、エヴァンゲリオンはあなた達が主体で運用していたものでしょう?」

 

「・・・確かに私は人類補完計画の為にエヴァンゲリオンの開発とネルフの創設、運用に携わっていたが、それはゼーレの持っていた『死海文書』に則っての行動だ。補完計画が挫かれ、死海文書もゼーレの技術も失われた以上、そこから先の事については知らん」

 

「つまり、何も思い浮かばない、と?」

 

「そうだ」

 

「本当に使えない男ね!!」

 

ミサトの堪忍袋の尾が切れた。

 

自分から部下として扱えと言ったのだ。これくらい言っても問題ないだろう。

 

(なんでこんな時に限ってリョウジも冬月先生もいないのよ!)

 

加持リョウジは「ゼーレに乗っ取られていた自分が会議に参加するのはよろしくない」等とよく分からない言い訳で欠席を申し出たし、冬月に至っては「自分の役目は終わった。今度こそ隠遁させてもらうよ」と、アルマロス騒動の終結と共に行方をくらましていた。2人ともネルフJPNの総力をもってすれば簡単に補足はできると思うが、今は何より時間がない。この問題を放置すれば、確実に地球は死の星へと化す。そのタイムリミットも不明だ。一年以上は保つかもしれないし、もしかしたら明日にでも人類は滅亡するかもしれない。あの2人の欠員は大きいが、その捜索に貴重な人手を出すことをミサトは避けたかった。今では少し後悔しているが。

 

有能な、本来の副司令代理である鈴原トウジは現在入院治癒中だ。アルマロスの配下であるトーヴァートに変化させられていたトウジは、自己の体力回復と経過観察に思った以上の時間を要するようだ。

 

ふぅーっと気持ちを切り替える為、ミサトは大きく息を吐き出す。そして、改めて参加者の面々を見渡した。

 

「ねぇ。地軸が安定しなかったり地球の自転が早まっているのは、そもそもなんでなの?」

 

「そうね。自転が早まった話ならば純粋に地球が小さくなったから。回転しているボールを思い浮かべて。その表面に人がいるとしましょう。ボールを小さくした状態で今までと同じ速度で回転した場合、表面にいる人の体感速度はどうなるかしら?」

 

「回転速度は同じでも、表面の移動速度は極端に速くなる?うまく言えないけど、AからBの場所に移動する時間が短くなっているって事かしら」

 

「それで大体合ってるわ」

 

「ふぅん。じゃあ地軸が安定しないのは?」

 

「こっちは月の消失が大きく影響してるわね。地球の自転速度もそうだけど、地軸の安定にも、前提として衛星である月の引力が大きく関与していたわ。要は地球の動きを制限するリミッターみたいなもの、という事ね。でもその月が無くなったから・・・」

 

「地球の環境は激変した、か・・・・・・」

 

そこまで整理したミサトが、一つの予測を立てる。

 

「仮によ?エヴァ最終号機がサードインパクト並の出力でもって無理矢理地球の地軸を元に戻したとして、それで地軸は安定するの?」

 

「無理でしょうね。安定は一時的なものであって、すぐにまたズレが発生するわ。その度に修正が必要になるでしょうね。ただ、サードインパクト並の出力をそれだけ出し続ける方法は皆無だけど」

 

「やっぱそうよねぇ〜・・・。月っていうリミッター?ストッパー?どっちでもいいけど、その引力がないとまったく意味がないって事でしょ?」

 

「理論上、ではね」

 

「うーん・・・・・・・・・」

 

ミサトは天を仰いだ。馬鹿馬鹿しくてやってられなくなったのだ。人類の危機を見過ごすわけにはいかないが、エヴァを使って地軸と自転速度を安定させる。そんな方法は無いとMAGIが既に回答してる。認めたくはないが、完全に詰み、というやつではないのか?

 

「残り少ない人生を、せめて華やかに彩りましょう!ってのはダメ?」

 

「それは許さん」

 

「代替案を出せない無能は黙っていて」

 

ミサトの一蹴を受けて、ゲンドウが黙り込む。ミサト個人がゲンドウに恨みがあるかといえば微妙なところだが、肝心の案も出さずに否定だけはしてくる参加者など、邪魔で鬱陶しいだけだ。できればご退場願いたい。

 

「はぁ。面倒くさい。もういっそ、私たちで月でも作っちゃうなんてどうよ?」

 

ミサトの冗談である。パッと頭に浮かんだ愚痴を、そのまま言葉に乗せて吐き出しただけだ。だが、それを聞いた他の参加者は一様にハッと顔を上げた。

 

「・・・・・・え?え?な、何?」

 

期待の視線がミサトに集まっている。

 

「え。マジで言ってる?・・・冗談でしょ?」

 

残念ながら、皆の表情は真剣そのものだ。

 

「・・・・・・」

 

一瞬だけミサトは思案すると、

 

「まっ!やるだけならタダか!!」

 

もはや投げやりであった。

 

 

 

────────────

 

 

 

『で、こぉ〜〜〜んな素敵な旅行を計画してくれたってワケ?嬉しすぎて涙が溢れてくるわね』

 

口を尖らせて惣流・アスカ・ラングレーが、いや、エヴァンゲリオン弐号機と融合したアスカエヴァ統合体が、目一杯の皮肉を込めて涙を拭き取るフリをする。

 

『ミサトさん達の言い分もわからなくはないけどさ、いくらなんでも無茶苦茶だよ。ほとんど僕らに丸投げじゃないか』

 

アスカの言葉に、エヴァンゲリオン最終号機内の碇シンジも珍しく同調した。

 

2人は今、星の海を泳いでいる。地球から遠く離れた大地のある惑星、金星を目指して。

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

「2人ともぉ〜。悪いんだけど、ちょ〜っち金星までお使い行ってきてくんない?」

 

そう困ったように笑いながら、彼らの元同居人兼保護者、現上司である女性は「ちょっとコンビニ行ってきて」と同じくらいの軽い口調で、彼らに無理難題をふっかけてきた。

 

「行けるわけないでしょ!?ミサト!アンタ、頭沸いてんじゃないの!?」

 

アスカが噛み付くのも無理はない。金星は、太陽系における最も地球に近い惑星だ。とは言え、その距離は星同士が1番近づいたとしても約4000万km。最も離れた場所であれば約2億6000万kmだ。光年で表せば最短距離で2.5光年分、つまり、光の速さで進んだとしても2年と半年かかるという事である。

 

「一応聞きますけど、何しに行くんです?」

 

シンジが頭の痛みを必死に抑えながら渋々と訊ねる。

 

「ん〜とねぇ、ちょっとだけでいいから金星の大地を切り取ってきてほしいの♪」

 

テヘッと笑ってペロッと舌を出す。とうに三十路を迎えた、責任ある立場の女性がやっていい仕草ではない。少なくともシンジの中ではそうだった。シンジの胸中に、軽い殺意が湧く。

 

「ちょっとって、具体的にはどのくらいなんですか?」

 

「リツコ!お願い!!」

 

「体積にしてざっと27億4883万358立方km。重さで言うと、367×(10の20乗)Kgね」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

空いた口が塞がらない。または、思考がトぶ。そういった言葉の意味を、シンジとアスカは初めて実感した。ついでに「天文学的数字」という言葉の意味も。

 

「どうやら納得してくれたようね」

 

「「するわけないでしょ!!!!」」

 

マジギレである。特にシンジに至っては、ミサトに対してここまで声を荒げたのは初めてと言っても過言ではない程に。

 

ミサト自身も頭では理解している。というより、彼女も冗談を口にしたつもりが、いつの間にか本気で実行すべき作戦として取り上げられた側の人間なので、2人の言い分は痛いほどにわかるつもりだ。たった今告げられた数字をリツコとマヤの口から聞いたときは思考がショートしたものだ。

 

(それでもやるしかない、のよねぇ)

 

ミサトはシンジとアスカに、司令官として向き直った。ミサトの雰囲気が変わり、2人はこの話が本気である事を悟った。

 

「本気、なのね・・・?」

 

「そうよ。2人も知っての通り、この星は近いうちに死の星になる。環境の激変に、残された地球上の生物は対応しきれない。だから・・・」

 

ミサトがすぅっと息を吸い込む。

 

「『地球の環境を元に戻すため、我々ネルフJPNの手で、新たな月を作り出す』。これが、今回の作戦よ」

 

はっきりと作戦を言い渡したミサトの横で、補佐役として付いてきたリツコがタバコを咥えて火をつける。

 

「最初は耳を疑ったわ。ミサトの突拍子の無さは知っていたつもりだったけど、まさか月を作り出すなんて、ね」

 

リツコはふぅーっとタバコの煙を吐き出した。

 

「いつもの私なら『有り得ないわね』と切り捨てるところだけど、ちょっと考えれば、この作戦が最善であることは否定できなかった。だったら、その冗談を本当にするための技術的支援をするのが私の役目だから、ね」

 

「リツコさん。そうは言いますけど、具体的にどうすればいいんですか?」

 

「まず、既存の航空機全般がこのハリケーンの中、安全に飛び立つことは不可能という事はわかるわね?一応、地球外への脱出を目的とした船は建造されてはいるけど、問題なのが速度。この船はとにかく地球の外に出られれば後はどうとでもなるという設計思想のため、航行速度を後回しにしている。生物絶滅までのタイムリミットは正確には分からないけれど短いわ。金星まで行って帰ってくるだけで、光の速さで約5年。最低でもこの5年という年月を達成できるような機体である事が、この作戦の第一のポイントね」

 

「はん!それが私たちのエヴァンゲリオンってワケ?」

 

シンジの質問に対するリツコの回答に、アスカは不満を隠そうとはしない。

 

「エヴァでないと宇宙に行けないっていうのはわかるわ。でもね、どの道エヴァに光の速さで移動し続けるスペックなんてないわよ?」

 

「それは十分承知の上よ。でも今地球上で最も速く動ける機体はエヴァしかない。選択肢が無い以上、望みをかけるならエヴァしかないのよ」

 

アスカの不満にはミサトが応えた。

 

「だとしても、5年以上の時間がかかるんですよね?なら、他の作戦に切り替えたほうがいいんじゃないですか?例えば、地球の周辺に浮かんでる隕石とかをかき集めたほうが早いんじゃ・・・」

 

「それは作戦立案後に私も出した意見だったけど、即却下されたわぁ。そんなんじゃ全然足りないんですって」

 

「そ、そうなんですか」

 

シンジはガックリと肩を落とす。その横で、アスカは大きく育った胸の前で腕を組んだ。

 

「月を作るとしたらエヴァじゃないと無理、ってのはわかるわよ。でも肝心の金星までの距離の問題が解決できてないじゃない。あと、大きさもよ。仮に金星に辿り着いたとしても、そんな大きさ、エヴァで運ぶなんて無理に決まってんでしょ」

 

「アスカのその質問には、我らが葛城司令から妙案を賜っているわ」

 

「妙案?」

 

アスカとシンジの疑いの視線は、ネルフJPN司令のミサトへと注がれる。

 

「いい?この作戦の肝はね・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

『ルクレティウスの槍、かぁ』

 

舞台は再び星の海。シンジがミサトの『妙案』を、不安げに口に出した。

 

『あらあら。マイベイビーは自信がないみたいね。ママが慰めてあげようか?』

 

『やめてよ、その呼び方・・・・・・』

 

いま、この場にいるシンジは、厳密に言えば今までのシンジではないのかもしれない。なにしろ、シンジはアルマロスとの一連の騒動の中で二度、命を失っている。それも体ごと消滅して、だ。では、なぜこの場にシンジが居るのかといえば、それは『アスカがシンジを出産した』からだ。

 

2度目のシンジの死亡時、アスカには、正確に言えばアスカエヴァ統合体には、地球上の生物全ての情報を宿した『方舟』と呼ばれる情報集合体の一部が宿っていたのだ。そして、その情報の中に、シンジの生命情報も残っていた。シンジが身体ごと消滅した瞬間、アスカエヴァ統合体の中で、シンジの魂と肉体、さらにはエヴァンゲリオン最終号機の情報までもが瞬時に再構築され、アスカ統合体の腹部に現れた光の輪を通り抜けて、この世に再誕したのだ。

 

結果として、このアスカ統合体の出産のおかげで一連のアルマロス騒動は終結に導けたのだが、それ以来、アスカは事あるごとにシンジを「マイベイビー」と呼び、からかうようになっていたのだった。

 

『・・・・・・でも、確かに不安、かな。あの時は必死すぎてどうやって槍を創り出したのかなんて覚えてないし、あの時と同じものができるかもわからないからね』

 

ルクレティウスの槍とは、アルマロスとの戦いの中でシンジが生み出した槍の事で、「認識の槍」とも呼称される。エヴァンゲリオン最終号機に内包されていたサードインパクトのパワーを槍の形に留め、地球を覆っていたロンギヌスの槍が作り出した「ロンギヌスレンズ」を崩壊させ、アルマロスの創り出していた別次元の空間構造「世界樹の根」を、シンジの認識できる形で顕現させたのだ。

 

「それを今度は、シンジ君の意志でもう一度創り出すのよ」

 

ミサトは2人の出発前に、自信満々にこう説明した。

 

曰く、「世界樹の根」は星と星を繋ぐ回廊のようなもの。その回廊は地球と月だけでなく、地球とは太陽を挟んで反対にあった「エデン」と呼ばれる星を繋げていたのだ。そして、その回廊を通れば、例え太陽の裏側であろうと瞬時に移動する事が可能となる。もしこの回廊に似たものをシンジが創り出すことができれば、地球と金星の行き来も5年と言わずに一瞬で移動できるだろう。

 

「正確に言えば、回廊を創り出すのではなく、シンジ君が金星との距離を『瞬時に移動できる距離と認識する』事が大事なのよ」

 

ミサトの説明に、リツコが補足を加える。

 

認識の槍であるルクレティウスの槍の真の能力は、使いこなせればあらゆる物や事象を『シンジの認識できる形に落とし込める』というのが、リツコの立てた仮説だ。膨大な距離だろうと巨大な物体だろうと、シンジが認識する事で、シンジが取り扱う事のできる形に留められるというのだ。

 

この仮説が正しければ、確かにシンジが槍を使う事で、金星との距離を極限にまで縮める事も可能かもしれない。

 

だが、本当にそんな事が可能なのだろうか?

 

もしも、リツコの仮説が間違っていたら?

 

そもそも、槍を創り出せなかったら?

 

その結果と責任は、地球上の全ての命の喪失という形でシンジを押し潰すだろう。

 

『シンジ』

 

思考の渦に飲み込まれかけていたシンジに、アスカが優しく声をかけた。アスカエヴァ統合体が微笑みを浮かべている。

 

『アンタ、本当にいつまで経っても弱いのね』

 

『え?』

 

そんな事、言われなくてもシンジ自身が1番よくわかっている。それに、事あるごとにアスカもシンジに指摘している事だ。

 

だが、なぜこのタイミングでそんな事を言うのか?しかも、そんな優しい微笑みを浮かべて。

 

『ねぇ、見てみなさいよバカシンジ!』

 

アスカエヴァ統合体が、星の海をくるっと飛ぶ。ツインテール状になびく後ろ髪。それはアレゴリック型の光の翼であり、まるで妖精の羽のよう。光る粒子がキラキラと星の海に舞う。

 

『もう地球もだいぶ小さくなったわね』

 

『アスカ・・・・・・?』

 

『この星の海にアタシ達2人きり。これってすごくロマンチックじゃない?多分、宇宙でデートしたのはアタシ達が初めてよ』

 

『で、デートって・・・』

 

思わずシンジの頬が熱くなる。プラグの中でよかった。もし今の顔をアスカに見られていたら・・・。

 

しかし、アスカエヴァ統合体の口がニンマリと上がる。まるで「そんなのお見通しよ」とでも言いたげに。

 

『バカシンジ。アンタはなんでもかんでも背負いすぎなのよ。アンタはいまや、地球上で最も強い生物になった。そのアンタがどうにもできないことなら、他の誰にもできないってことよ。アンタが責任感じる必要なんかないわ』

 

『そんな・・・、簡単には割り切れないよ・・・』

 

シンジがプラグ内で俯く。

 

『僕にしかできない事なら、やっぱり僕ができなきゃって思うんだ。だから、もし上手くいかなかったらって思うと・・・』

 

『逃げちゃえばいいじゃない?』

 

『え?』

 

『見なさいよ、周りを。ホラ!』

 

アスカが両手を広げる。

 

『地球なんて目じゃ無い。もっと、も〜〜〜っと広大な世界が広がってるじゃない。ここまで来れるのはアンタくらいよ。誰も追いかけてなんて来れないわ』

 

アスカが最終号機にふわりと近づき、その胸に優しく手を置いた。

 

『いつか言ってたみたいに、逃げちゃダメだなんて思う必要無いのよ、本当は。アンタは、地球上の誰よりもがんばったんだから』

 

『アスカ・・・』

 

最終号機の手が少しだけ上がる。

 

『まあ、アタシのベイビーはこういう事言うと、ムキになっちゃうんだけどね』

 

『そ、そんな事!』

 

『そして、だいたいヘマをする』

 

クスッとアスカが笑う。空気のないこの場所でも、その音はシンジの耳に心地良く響いた。

 

『ヘマしたっていいじゃない。その時は、アタシが全力でアンタを指差して笑ってやるわ』

 

『それってひどくない!?』

 

『ただし───』

 

アスカエヴァ統合体の手が、最終号機の顎を乱暴に掴んだ。

 

『アタシからは、逃げられると思わないことね』

 

アスカエヴァ統合体の口が、獰猛な獣のような笑みを形作る。

 

 

 

『例え、この宇宙がアンタの願いを叶えた平穏な場所になったとしても、アタシだけは唯一思い通りにならないリアルとしてアンタの側に居続けてあげるわ』

 

 

 

『・・・・・・・・・』

 

 

 

呆気に取られていたシンジであったが、ややあって、彼もクスッと笑う。

 

『それは、怖いね』

 

『ふふっ』

 

最終号機が、シンジが、アスカをゆっくりと抱き寄せた。

 

『ありがとう。アスカ』

 

『・・・・・・それだけ?』

 

『うん。今は』

 

最終号機がゆっくりと宙に右手をかざした。その掌に光が集まり、眩く発光した後、その手には一本の槍が握られていた。

 

『できたじゃない』

 

『そうだね』

 

シンジがアスカを抱き寄せたまま、その槍を高く掲げた。途端、その槍は再び眩い光を放つ。瞬きのあと、2人の頭上には、まるで天の川のように光り輝く『回廊』が現れていた。

 

『いつか・・・・・・』

 

『ん?』

 

『いや、近いうちに、また2人っきりの時間を作るよ。そうしたらさ、またここに来ようよ。2人で』

 

『ほほーん?』

 

アスカが満足気に笑みを浮かべる。

 

『その時までに、何を言えばいいか、わかってるわよね?』

 

『うん。わかってる』

 

『なら、よろしい。楽しみにしてるわ。愛しい人(マイベイビー)

 

『もう、その呼び方はやめてよ』

 

『・・・・・・・・・アンタ、もう少し外国語を勉強しなさい』

 

『・・・?』

 

そんな会話の余韻を味わいながら、2人はゆっくりと、光の『回廊』へと飛んでいった。

 

 

 

 

 

数ヶ月後。

 

地球だった星の地軸は安定し、自転も減速した。世界は、セカンドインパクトが起きる前の気候を取り戻していた。

 

その星の横に、前よりも随分と小さくなった月が、まるで寄り添うようにその星を見守っていた。

 

 

 

つづく

 



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小話 夏の呼び声、或いは獣の咆哮


小話です。

ちょっとだけセンシティブなので、苦手な方はご注意を。

直接的な表現はしてないので大丈夫、・・・かな?

良ければご笑覧ください。




 

照り返す太陽。

 

弾ける水飛沫!

 

可愛い女の子!!

 

ん〜〜〜っ!夏、最高!!

 

などと考えるような余裕は微塵もなく、シンジはただひたすらにビーチパラソルの設営に悪戦苦闘していた。

 

灼熱の砂浜に足の裏が焼ける。パラソルの設営自体が初めての経験であるシンジからすれば、まさに灼熱地獄。「心頭滅却すれば火もまた涼し」なんていう言葉もあるが、とてもそこまでの境地に至れそうにはない。パラソルという遮蔽物がない状況で太陽に焼かれ続けているのだ。シンジの着ていたTシャツは、すでに汗でびしょ濡れであった。

 

(は、早く海に入りたい・・・・・・)

 

浜辺に到着してかれこれ30分。水分補給もそこそこにアスカからパラソル設営の命令を下され、律儀にもそれに従っていたシンジの頭は完全に茹っていた。

 

そんなシンジの背中に、何かがボスッぶつかる。

 

振り返れば、海でひと泳ぎしてきたアスカが、その肌にいくつもの水滴を滴らせながら、満面の笑顔でシンジを見下ろしていた。

 

「遅いわよ、バカシンジ。このアタシを待たせるつもり?」

 

黒い紐の水着。アスカのパーソナルカラーである真紅のビキニ。そして、アスカ自身の白い肌。そのコントラストが、成長したアスカの魅力を最大限に引き出している。布面積は少ないが、決していやらしい雰囲気を出さない大人びたデザインの水着を身につけたアスカは、彼女の日本人離れした抜群のプロポーションや威風堂々とした態度も相まって、まるでどこぞのハリウッド映画の女優のようだ。自然と浜辺の視線もアスカに集まる。

 

シンジは足元に落ちたものを見下ろす。先程ぶつかってきたのはビーチボールだったのか。ビショビショに濡れていて、おまけに砂までついてジャリジャリだ。シンジは首を捻って自分の背中を見た。

 

(ああ、やっぱりね・・・)

 

シンジの予想通り、彼のTシャツは砂まみれになっていた。まあ、もともと汗でびしょ濡れではあったので、これも仕方ないかと諦めはつく。

 

「僕だって早く海に入りたいよ。でもこのパラソル、うまく砂浜に刺さってくれないんだ。何度やっても倒れちゃって・・・」

 

そう言いながら、シンジは額の汗を拭った。伸ばしていた髪を切ってサッパリとしたシンジには、まるで中学生の頃にまで戻ったような幼さが見て取れる。

 

「まだかかりそうなの?」

 

「うん・・・。もう少しいい感じのポイントがないか探してみるよ」

 

シンジはパラソルを引っこ抜き、別の場所に設営しようと試みた。

 

「ふ〜〜〜〜〜ん。あ、そう。じゃあアタシはその辺の男と遊んでくるわ。さっきからちょくちょく声掛けられて鬱陶しかったんだけど、暇つぶしにはちょうど良いかもね〜」

 

その言葉にシンジは殺意を覚えた。アスカに対してではない。自分の恋人であるアスカに近寄ってきた有象無象どもに対してだ。

 

シンジは持っていたパラソルを思い切り振りかざすと、ドスゥッ!と怒りに任せて勢いよく砂浜に突き刺した。その音に、周りの観光客が何事かとざわつく。だがシンジもアスカもそんな事は気にしない。今は2人だけの時間が、なによりも優先されるのだ。

 

「で、できたよ・・・・・・」

 

暑さで朦朧とした意識の中、シンジは「やり遂げたぞ」という顔でアスカに振り向く。

 

「はい。お疲れさん」

 

それを見ていたアスカもニンマリと口角を上げた。しかし、シンジがふらつき尻餅をついたのを見て、慌ててビーチバックからスポーツドリンクを取り出した。

 

「アンタ、バカぁ?まさか水分取ってないんじゃないでしょーね?」

 

「だ、だって、僕も早くアスカと海に入りたかったから・・・」

 

「わかったわかった。良いからホレ、これ飲んどきなさい!」

 

「あ、ありがとう」

 

シンジはペットボトルの蓋を開けてくれたアスカに感謝しつつ、喉をゴキュゴキュと鳴らしながら、スポーツドリンクを一息に飲み干した。

 

「ホラ!これも脱いじゃいなさい!」

 

アスカがシンジのTシャツの裾に指をかけ、シンジの肌に爪が当たらないように優しく脱がしていく。現れたシンジの肉体は決して華奢なものでは無く、軍人として訓練を受けた無駄のない筋肉で引き締まっている。

 

「アンタ、また少し引き締まったんじゃない?」

 

ペシペシと、アスカがシンジの胸板を叩く。

 

「そうかな?自分ではよくわかってないんだけど」

 

「シンジのくせに生意気ねぇ〜・・・」

 

そう言いながらも、アスカはペシペシとシンジの胸板を叩くのを止めない。心なしか、どこか息が荒くなっているようにも見える。

 

「アスカ?」

 

「・・・・・・ハッ!な、なんでもないわよ、バカシンジ!」

 

シンジの視線から逃げるように、アスカはバッと立ち上がった。

 

(危なかった・・・。なんか理性飛んでたわ。シンジのやつ、いつの間にあんな身体に仕上げてきたのよ?生意気にも程があるわね・・・)

 

恥ずかしさを振り払うように、アスカが座り込んだままのシンジの手を引っ張る。

 

「ほら、パラソルが終わったんならさっさと立つ!海行くわよ、海!」

 

「うわわ!ちょっと、そんな引っ張らないでよ!」

 

「うるさい、バカシンジ!こうなったらヘトヘトになるまで遊び倒すんだからね!」

 

勢いのまま海に飛び込んだ2人は、ちょうど良いタイミングで押し寄せてきた大波にざぶんっと飲み込まれた。頭から水をかぶり、2人とも一瞬だけキョトンとしていたが、すぐに大きな声で笑いあった。

 

年相応の少年と少女が、そこにはいた。

 

 

 

──────

 

 

 

1週間前。

 

数ヶ月に及ぶ「新たな月の生成」作戦は、シンジの作りだした「光の回廊」のおかげでネルフJPNの想定していた以上の早さで達成された。金星からの大地の切り出しこそ手間取ったものの、「光の回廊」を綾波レイ・トロワの0・0エヴァや小さなレイNo.シスのF型零号アレゴリカ、その他土木作業用の陸上走行車も使用できた事、なにより現地に赤木リツコや伊吹マヤといった現場の指揮を取る人間が赴く事ができたおかげで、作業効率が格段に向上したのが功を奏したのだ。新たな月の生成後の懸念としては月が正常に引力を発してくれるかが最大の焦点であったが、予想に反して大きな問題が起こらなかった事も幸いした。地球の自転速度は徐々に緩やかになり、地軸も安定した事で起こった地球環境の改善は、目を見張るものがあった。数ヶ月という時間の大半は改善された地球環境の経過観察に充てられ、「もう大丈夫だ」と報告を受けた葛城ミサト総司令が作戦終了を宣言したのが、2人が海に来るちょうど1週間前だった。

 

「シンジ。起きてる?」

 

ネルフJPNに併設された居住スペース。そのシンジの部屋に、アスカが訪れたのは作戦終了宣言の日の深夜であった。

 

「起きてるよアスカ。どうしたの?眠れない?」

 

「アタシは子供か。じゃなくて、アンタ来週ヒマ?ヒマでしょ。ヒマだって言いなさい」

 

「な、なんだよ突然。まあ、確かに予定はないけどさ・・・」

 

シンジとアスカはこの作戦を通して、地球と金星の間を何度も往復した。その間、シンジはアスカの待ち望んでいた言葉を彼女にしっかりと伝えており、数年の時を経て、2人の関係はようやく前進したのだった。ただ、今まで2人の間で築き上げられたパワーバランスが逆転するようなことは無かったが・・・。

 

だから、こうやって夜遅くにアスカがシンジの部屋を訪ねてくる事は珍しい事ではない。いきなり訪ねてきて無理難題を言ってくるのも一度や二度ではなかったので、シンジは「また何か企んでるな」程度に考えていた。

 

「そう。まあ、ヒマじゃないって言っても首根っこ掴んで引きずってくけどね」

 

(やっぱりね・・・)

 

シンジの予想はよく当たる。特に、アスカに対しての予想は。これも2人の関係の為せる技なのだろう。

 

「で、来週に何があるのさ?」

 

「2泊3日。休暇をもらったわ」

 

「・・・・・・え?」

 

「アンタとアタシ。2人分。意味はわかるわね?」

 

年頃の男女だ。意味するところは当然1つ。それを理解したシンジの顔が急速に熱を帯びる。関係が前進した2人であったが、この数ヶ月は先の作戦で忙しかった。大人の階段を登るような時間はもちろんの事、デートの1つもできていない。

 

「え?えと、えっと、ええっ!!?」

 

「なに狼狽えてんのよ、バカ。もっと喜びなさいよ。可愛い彼女が折角の機会を用意してやったのよ?こういうのって普通男がセッティングするもんでしょーが」

 

「え、いや急にそんなこと言われても、心の準備が・・・!」

 

「だから1週間、くれてやってるんでしょーが。せいぜいアタシを楽しませるためのプランでも立ててなさい」

 

大人の余裕を醸し出しているアスカであったが、その顔にはどことなく緊張感が漂っている。自分で立てた計画とはいえ、いざ実行に移すとなると嫌でも意識してしまうのだろう。ほんのりと頬が紅く染まっている。

 

「わ、わかった・・・わかったよ・・・。準備しておく・・・」

 

「そ。じゃあそういう事だから。おやすみ〜」

 

アスカはそう言ってヒラヒラと手を振り、背を向けた。シンジからは見えないが、顔を逸らしたアスカの顔は林檎のように紅くなっていた。そそくさとその場を立ち去りたい衝動を抑え、ゆっくりとその場を後にしようとする。

 

「あ、アスカ!ちなみに休暇の申請って誰にしたの!?」

 

緊張から声がうわずってしまうシンジ。

 

「ハア!?そんなのミサトに決まってんじゃない!それがどうしたってぇのよ!」

 

返すアスカにも余裕が無い。

 

「み、ミサトさん!?なんで!?」

 

「なんでも何も総司令でウチらの上司じゃない!なんか文句でもあんの!?」

 

「だ、だってミサトさんに旅行の話なんかしたら、後で何言われるか・・・!」

 

「アンタ!このアタシとの関係に後ろめたいことでもあるわけ!?堂々としてなさいよバカシンジ!」

 

「後ろめたい事なんてないよ!ただ、その、ちょっと恥ずかしくて・・・」

 

「あ〜〜〜もうっ!イライラする!ミサトなら『避妊しなくてもいいからねーっ!』て笑顔で承諾してくれたわよ!」

 

「ひにッ!?」

 

「ついでに隣にいたアンタのパパがなんか異様にソワソワしてたわ!これで満足!?」

 

「父さんもいたの!!!?」

 

「どーでもいいでしょーが!どうせ遅かれ早かれ知ることになるんだから、せいぜい『早く孫の顔を見せてやれるな』位に思ってなさいよ、このバカッ!!」

 

そう吐き捨てて、アスカはその場を走り去った。余裕もへったくれもない。怒りと恥ずかしさでアスカも気が動転していたのだ。

 

残されたシンジは、アスカの背を見送りながら、その場で立ち尽くす事しかできないでいた。

 

ちなみに2人とも完全に忘れているが、ここはネルフJPNの居住スペース。シンジやアスカ以外にも当然住人はいる。2人の会話はバッチリ聞かれており、録音までされていたこの会話が後にネルフJPN内で広まる事となる。その際にひと騒動起きたのは言うまでもない。

 

「いやぁ〜〜〜ビールが美味いわぁ!!最っ高の肴ね!!」

 

「アスカもとうとう大人の女性の仲間入りか。感慨深いものがあるな・・・。あ、リッちゃん。ビールもう一本」

 

「リョーちゃん飲みすぎないようにね。あら、ゲンドウさん。ペースが早くないかしら?」

 

「問題ない。全て予定通りだ」

 

同時刻、居住区の一画で宴会が開かれていたのも言うまでもないだろう。

 

さらに余談だが、人口が激減した地球は空前の結婚&ベビーブーム。まさに『産めよ増やせよ地に満ちよ』であった。

 

 

 

──────

 

 

 

「あーっ!疲れた!楽しーーーッ!!」

 

パラソルの下、敷かれたビーチマットの上にアスカは飛び込んだ。冷えた身体に夏の日差しが心地良い。

 

「ホントにね。こんなに笑ったのっていつ以来だろう」

 

その横に座るシンジも笑顔だ。心地の良い疲労感が彼を包み込む。

 

「まだまだ!こんなもんじゃないわよ。旅行は始まったばかりなんだから!ちゃんとプラン立ててきたんでしょーね?」

 

「うん。一応ね。初めてだから、ちょっと自信ないけど」

 

「そういう事、思ってても言わないの!なんたって今のアタシは最高に幸せなんだから、大抵のことは笑って許してやるわよ!」

 

アスカの笑顔がシンジには眩しかった。さりげなく言われた「幸せ」という単語が、シンジの心に染み渡っていく。

 

「うん。ありがとう。僕も幸せだよ」

 

そう言って、寝転がるアスカの頭を、シンジは優しく撫でた

 

「ふふん。トーゼンよ。楽しくないなんて言ったらぶっ飛ばしてやるからね」

 

「相変わらずだなぁ、アスカ」

 

撫でられるのが気持ちいいのか、まるで猫のように目を細めたアスカを、シンジは慈愛に満ちた目で眺める。

 

「あ、ヤバ。なんか眠くなってきた・・・」

 

「疲れたでしょ?少し寝ててもいいよ?」

 

「え〜。やだ」

 

「なんでさ」

 

「勿体ないじゃない。ホントに楽しみにしてたんだから。睡眠に時間なんか使ってられないわ」

 

「無理しちゃって」

 

「無理じゃないわよ。シンジのくせに生意気ねぇ」

 

こんな他愛のない、だけど今までよりも少しだけ深いところで交わされる会話。そんな当たり前の会話が、2人にこれ以上無い多幸感を味合わせてくれる。

 

一緒に同じ時間を、同じ場所で過ごす。たったそれだけのことが、こんなにも心を満たしてくれるものなのか。人からの愛情に飢えていた2人がようやく手に入れた、かけがえのない時間であった。

 

だからこそ、だろう。アスカの心中にちょっとした悪戯心が生まれるのも仕方ないわけで。

 

「シンジ〜」

 

「ん。なに?」

 

「サンオイル塗ってよ」

 

「ぶっ!」

 

突然の申し出に、シンジは思わず吹き出した。

 

「あぁ?何よ。文句あるわけ?」

 

「いや、全然そんなことないけど、いいの・・・?」

 

「いいも悪いも、アタシの肌に触っていい男は世界中でアンタ1人なのよ?それともなに?アンタは自分の彼女にサンオイル塗る根性もないわけぇ?」

 

ニヤニヤと、悪戯心を隠そうともしない意地悪なアスカ。シンジも頭ではわかっている。だが心臓の音が早くなるのは止めようがない。成長したアスカの美貌は、それこそ世界トップレベルだ。そんな女性が、目の前で水着で寝そべり、自分を誘惑してくる。シンジの今までの人生では考えられなかった事態だ。夢でも見てるんじゃないだろうか?無意識に頬をつねってしまう。

 

「夢なんかじゃないわよ、シンジくぅーん?それともぉ?流石の無敵のシンジ様も、ママには勝てないのかしら?」

 

安い挑発。いつものシンジなら、苦笑して流す事もできたろう。だがこの状況。ただでさえ余裕のないシンジが受け流せるはずもなく、彼はそばに置いてあったビーチバッグの中からサンオイルを取り出した。

 

「アスカは、僕の彼女だ」

 

シンジのいつになく真剣な表情に、アスカの胸がドキッと高鳴る。

 

「やれるさ。そのくらい」

 

「そうこなくちゃ♪」

 

してやったり。アスカは悪戯の成功に心の中でガッツポーズを取った。

 

ゆっくりと、アスカの背にサンオイルが垂らされる。シンジの震える指先が、アスカの背中に触れる。

 

「んッ」

 

「あ、ごめん!」

 

「何謝ってんのよ。いいからホラ、早く!」

 

「う、うん」

 

ゆっくりと、シンジの手がアスカの背を撫でる。初めての感覚に、変な声が出そうだ。アスカは声が漏れるのを必死で耐えた。シンジはシンジで、初めて触れる女性の柔肌に味わったことのない興奮を覚えていた。意識しないように、というか遊んでいて忘れていたのだが、この後の夜の事を嫌でも想像してしまう。2人の息は、自然と荒くなっていた。

 

肩、背中、腰、足、と順番に這って行く、ぎこちないシンジの指先。焼き切れそうになる理性を、シンジは必死に抑えた。

 

「お、終わったよ・・・」

 

どうにかサンオイルを塗り終えて、シンジは呼吸を整えた。今の顔を彼女に見られるのが、どことなく恥ずかしかった。甘い拷問のような時間がやっと終わったとシンジが一息ついたとき、

 

「まだよ」

 

アスカがゴロンと寝返り、仰向けになった。

 

「まだ、前が終わってないでしょ・・・?」

 

アスカの恍惚に満ちた表情。どうやら、彼女の中でスイッチが入ってしまったらしい。小悪魔のような笑みを湛えて、シンジを舐め回すように見つめてくる。妖艶なフェロモンがアスカの体から立ち昇っているのでは、と錯覚してしまいそうなほどだ。

 

「み、みんな・・・、見てるよ・・・?」

 

「見てないわよ。ていうかバカシンジ。アタシ以外を見てんじゃないわよ」

 

アスカが軽く身じろぎする。その動きはいやに艶めかしい。せっかく耐えていたシンジの理性が、再びジリジリと焼かれていくのがわかる。獣としての本能がムクリと鎌首を持ち上げたのがわかる。

 

「アンタも期待しているんじゃない。可哀想な事になってるわよ?」

 

アスカの視線の先がどこを向いてるのか、わかってしまう。そして、それを咎められる事もない。その事実が、いつかの、アスカの病室での出来事を思い出させる。

 

「き、気持ち悪く、ないの・・・?」

 

「シンジ」

 

アスカの口から、はぁぁぁと甘い吐息が漏れる。

 

「アンタが全部アタシのものにならないなら、アタシ何もいらない」

 

それで十分だった。

 

「アスカ・・・」

 

「シンジ・・・」

 

ゆっくりと2人の顔が近づいていく。公衆の面前?知ったことか。アスカがいれば、シンジがいれば、ほかに何もいらない。

 

2人の唇が、指先が、そっと触れるその瞬間。

 

 

 

「ねえねえ、オネーサン!ちょー可愛いね!俺らと遊ばなーい?」

 

 

 

命知らずの邪魔者どもが現れた。

 

日焼けした屈強な体つきの、いかにも軽そうな男3人が、2人の世界を無視して土足で踏み込んでくる。

 

「こんなモヤシくんなんかよりさぁ、俺らと遊ぼーよ!めっちゃ気持ちよくなれると思うんだ〜!」

 

何が面白いのか、ギャハハと笑う3人組。

 

アスカの怒りのボルテージは一気に最高点まで到達した。

 

「消えろクズども。死にたいの?」

 

「うわ怖ー!でも怒った顔も可愛いじゃん!」

「こういうのをヒーヒー言わせるのが堪んねえんだよなぁ!」

「やっべ、めっちゃ勃ってきちゃったー。これはオネーサンになんとかしてもらわないとなぁ〜。ギャハハハハハ!!」

 

まごう事なき下衆。アスカの怒りの最高点があっという間に更新される。

 

そんな下衆のうちの1人がシンジの肩に手を置いて無理矢理立ち上がらせる。

 

「もしかして彼氏くん?ごめんね〜。彼女、ちょっと借りてくから、その辺でテキトーに時間潰してきてよ」

 

いかにも力自慢、と言いたげな男がシンジの前で拳を握り締める。

 

我慢の限界だった。

 

「アンタら・・・!」

 

アスカが鬼の形相で立ちあがろうとした時。

 

 

 

シンジの目の前にいた男が吹き飛んでいた。

 

 

 

「・・・・・・・・・は?何してくれちゃってんの?」

 

残りの2人がシンジに詰め寄る。

 

「マジ寒いわぁ、コイツ。チョーシ乗ってんじ」

 

そこから先の言葉を、その男は発せなかった。顎を砕かれたからだ。他ならぬモヤシくんの、シンジの手によって。

 

「はがああああああああ!!?」

 

痛みで男が砂浜を転げ回る。それをシンジは足で踏みつけ、無理矢理動きを止めた。

 

そこから先は容赦のない拳の雨。殴られた男の顔が、見る見るうちに原型を崩して行く。

 

「何してんだテメェ!!おい!集まれやぁ!」

 

まだ被害を受けてない男が、仲間と思われる連中に声をかけた。その数ざっと10人。それらがシンジを取り囲む。

 

「おい!女ぁ逃すなよ!」

 

「テメェ・・・生きて返さねえからな。覚悟はでき」

 

男の顔が埋没する。シンジの拳によって。

 

シンジはあくまで無言で、その場に集まった者たちを1人ずつ丁寧に壊していく。止めに入ろうが何をしようが、シンジが声を荒げる事はない。あくまで静かに淡々と。無表情で近づいてきた者を完膚なきまでに叩きのめしていく。

 

かつてないほどの怒りの感情が、シンジを黒く塗りつぶしていたのだ。下手をすれば、死人が出るほどに。

 

それを呆然と見ていたアスカの肩が乱暴に掴まれる。

 

「テメェもぐちゃぐちゃにしてやんよ。覚悟し・・・」

 

「気安くアタシに触るなぁああああ!!」

 

アスカの後ろ回し蹴りが、男の右の肩を砕いた。

 

「ぎああああああ!?」

 

痛みでのたうち回る男を、追い討ちでアスカは蹂躙する。

 

「な、なんだコイツら!やべぇぞ!」

 

「に、逃げ・・・」

 

「逃すかボケ共ぉぉおおお!!」

 

シンジは無言で。アスカは烈火の如く。

 

その場にいた下衆を全てボロ雑巾に変えるのに、時間はほとんど掛からなかった。

 

ビーチはあっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 

この夫婦の戦闘力は高すぎたのだ。

 

「シンジ!平気!?」

 

アスカがシンジに駆け寄る。怪我はないだろう。だが初めて見るシンジの怒り狂った姿が心配だった。厄介なことに、周りの観光客も騒ぎ出し始めている。

 

「あーーーっ!もう最っ悪!!信じらんない!せっかくの旅行だっつーのにぃ!!」

 

「アスカ・・・」

 

「シンジ!?」

 

心配するアスカを、シンジは掻き寄せた。物凄い力でアスカを抱きしめる。

 

「ちょ、ちょっとシンジ。痛い・・・」

 

「ごめんアスカ。でも、だめだ。アスカを、アスカとの時間を邪魔されるなんて耐えられないよ」

 

「シンジ・・・・・・」

 

「わかっちゃったんだ。僕はもう、アスカ無しでは生きられないって。アスカを誰にも取られたくないって。アスカとの時間を誰にも邪魔されたくないって・・・!」

 

「シンジ」

 

「アスカはもう僕のだ!絶対、絶対誰にも渡さない!僕のワガママだったとしても、絶対に!アスカに嫌われても、傷つけても、絶対に・・・!!」

 

「シンジ!」

 

アスカの呼びかけに、シンジがハッと顔を上げる。

 

「ご、ごめん!僕、何言ってんだろ・・・」

 

「バカシンジ」

 

アスカがはあっとため息をつく。

 

「それでいいのよ」

 

「え?」

 

「アンタはアタシのものだし、アタシはアンタのものなの。アンタの言ってることが正解なのよ?もしかしてアタシがアンタのこと嫌いになるとでも思った?そんなわけないでしょ。アンタが今言ってくれた言葉が、アタシ、今日1番嬉しかったんだから」

 

「アスカ・・・」

 

「だから、アタシをアンタのものにしてよ。今から。全部のアタシをアンタにあげる。だから、アンタの全部をアタシにちょうだい?」

 

ニカッと、アスカはなんでもないように笑った。

 

「してくれるんでしょ?バカシンジ?」

 

それは愛の溢れる言葉。もしかすれば、結婚の誓約よりも重く、愛に満ちた言葉。

 

周りのざわめきはまるで不純物だ。いまこの場に在っていいものではない。2人は、なにより2人だけの時間がほしいのだから。

 

「とにかく、ちょっとこの場から離れた方がいいわね」

 

アスカがシンジの手を引く。

 

その手をシンジは振り解き、アスカを抱きかかえた。

 

「え、ちょっとシンジ!?」

 

あまりに素早い一連の動きに、アスカも流石に戸惑った。

 

「あっちにね、人があまり来ないスポットがあるんだって。夕焼けが綺麗な場所だから、後で連れてくつもりだったんだけど・・・」

 

「んんんん??」

 

「ごめん。でも、アスカが悪いんだ。アスカの所為なんだよ?アスカが魅力的すぎるから、僕はもう我慢できない。我慢もしない。アスカに僕を刻むから。絶対に離さないから。アスカが泣いても、僕は僕を止める自信がないよ。それだけは、先に謝っておく」

 

言葉の内容は過激であったが、今までのシンジの性格からは考えられないような情熱的なセリフだった。アスカのキョトンとした顔が恍惚の笑みに変わる。

 

「このアタシの所為にするなんて、バカシンジのくせに生意気ね。言うようになったじゃない。アンタこそ覚悟しなさいよ?アタシをアンタの骨の髄まで刻み込んでやるんだから。泣いても止めないからね?」

 

「いいよ。刻んでよ。そうしてほしい。僕もそうしたい」

 

「よろしい!」

 

2人が浜辺を駆け抜ける姿は、まるで花嫁を攫う怪盗のようで。花嫁も、自分が盗まれる事を心から望んでいて。

 

2人はビーチから少し離れた、岩に囲まれた絶景スポットへと姿を消した。

 

 

 

10数分後。

 

アスカの嬌声とシンジの獣のような声が、ビーチ中に響き渡った。

 

 

 

──────

 

 

 

その後の話をしよう。

 

2人の情事の声は凄まじく、数時間経っても止む事はなかった。2人が起こした暴行事件も含めて他の観光客からは苦情が殺到し、結果、警察へと通報される事態にまで発展した。

 

しかし、やってきたのは警察ではなく、ネルフJPNの精鋭たち。彼等は到着後、すぐにビーチ一帯を封鎖。蟻一匹も通さない厳重な警備体制を敷いた。後ほど駆けつけた葛城ミサト総司令はシンジとアスカのいる現場まで赴き、今回の件について大変ありがたいお話をしてくれた。

 

「あんたらねぇ!時と場所を弁えなさい!!交尾覚えたての猿でもここまでやかましくないわよ!?」

 

「何よ!『産めよ増やせよ地に満ちよ』でしょお!?それに励む事の何が悪いってのよ!」

 

「近所迷惑だっつってんの!!ホテル取ってんだから、盛るならそっちでやんなさい!!」

 

この下知を持ってシンジとアスカはホテルに退散することになったのだが、結局ホテルでもお互いの想いが溢れ出した2人は24時間以上ぶっ続けで情事に励み、結果、他の宿泊客からも苦情が多く寄せられた。2人はホテルからすらも強制退去。以後、出禁となった。

 

ネルフJPNはこの事態を重く受け止め、シンジとアスカを一緒の部屋に押し込める方針をその日のうちに決定した。当の本人たちには勝手に決められた方針に若干の不満があったものの、素直にそれを受けて仲睦まじい暮らしを始めているという。

 

ちなみに、この2人の情事は、ビーチでの出来事も含めて出来うる限りの盗撮が行われていた。これは赤木リツコ博士の発案であり、「エヴァと融合することのできる人類同士の子供が一体どのような形で生まれるのか、研究する必要があるわね」という理論でミサトを説得した結果、ミサトの即決で実施される事となったのだった。

 

 

「良いわね、若いって。無茶できるし、羨ましいわ・・・」

 

「え・・・うそ、アスカ、あんなに深く・・・、え、ええ!?そんなアスカ、そんな格好で!?えええええ!?」

 

「マヤ。少し静かに」

 

「す、すみません、先輩」

 

「いやぁ〜〜〜ん!シンちゃんったらケダモノ〜!アスカは耐えられるかしらね。お?おおお!?すごいわ、アスカ!あそこから盛り返すなんてやるじゃない!うははははははーーー!ビール美味しい〜〜〜ッッ!!」

 

なお、研究資料として残されることになったこの動画の閲覧回数は、この3人がダントツであったとのことである。

 

 

 

つづく



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小話 綾波レイ'sの逆襲


小話です

今回はLRSに挑戦します

若干のセンシティブ要素あり

苦手な方はご注意のうえ、ご笑覧ください



 

業務終了のアナウンスがネルフJPN内に流れ始めようとした頃だった。唐突にソレは来た。

 

「碇司令」

 

突然の来客。本日のアポイントの予定に無かった、予想外の出来事であった。

 

 

 

碇ゲンドウの執務室は、至って簡素なものである。かつてのネルフ総司令という立場であった時の広々として寒々しさを感じさせるような、向かい合った相手に威圧感を与えるようなものではない。むしろ、当時の葛城ミサトの執務室のような、こぢんまりとした部屋だ。彼女の部屋との違いは整理整頓がしっかりとなされており、部屋の大きさの割には広く感じられるという点。必要最低限なものだけを手元に置き、調度品のような飾りも一切ない。

 

今のゲンドウは、相手に無駄な威圧感を与える事を嫌う。生来のコミュニケーション能力の欠落と、それに伴う無愛想という点はどうしようも無いとゲンドウも理解しているが、だからといってそのままで良いとも思っていない。自分から他人に歩み寄る。少なくとも、他人が寄り付かなくなるような態度だけは改めなければならないと強く思っている。その生来の性格こそが、妻との離別とその後の騒動を呼び込んだのだから。

 

だが今この瞬間、ゲンドウの胸中に渦巻くのは拒絶。圧倒的な拒絶だけだった。

 

(なぜ、ここに来た・・・・・・?)

 

ゲンドウのこめかみを汗が伝う。いかなる状況であろうと努めて平静を装うのは彼の得意とするところだが、それでも流れる汗を止める事ができないほどに、ゲンドウは動揺していた。

 

できるなら、話したくない。このまま何事もなく、それこそ台風のように通り過ぎてくれればと心から願う。

 

だがその台風は、あろうことかこの執務室で停滞し、移動する様子も全く見せない。

 

カラカラに渇いた口をゲンドウが開くのは、来訪者が彼の名前を読んでからおよそ5分ほど経過してからであった。

 

「レイ・・・・・・」

 

「トロワ。綾波レイ・トロワ」

 

来訪者、綾波レイ・トロワは無表情で訂正した。ゲンドウにとって見慣れたはずの表情。普段であれば変に気を使う事もないし、以前ほどではないにしろ挨拶もすれば会話もする相手だ。

 

その綾波レイ・トロワに、ゲンドウは心の底から怯えていた。本能が脱兎の如く逃げ出せと警告を発するほどに。

 

「すまなかった。トロワ。次から気をつけよう」

 

「いい。気にしていない」

 

「・・・・・・・・・そうか」

 

ならば何故訂正した?会話のやり取り全てが何かの意味を持っていそうで恐ろしい。

 

「だがトロワ。私も、今は司令ではない。副司令代理だ。その点は気を付けたまえ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

トロワの無言。やがて、

 

「碇司令」

 

トロワはあえて、そう呼んだ。

 

「・・・・・・・・・・・・なんだ」

 

「許可を」

 

「ダメだ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・許可を」

 

「ダメだ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・許可「ダメだ」

 

「・・・なぜ?」

 

「お前にはまだ早い」

 

そう言い放つと、ゲンドウはいそいそと帰り支度を整え始める。

 

ゲンドウが業務用のノートパソコンの電源落とそうとした時だった。バンッと音を立てて、ノートパソコンが閉じられた。

 

「・・・・・・ッ!」

 

「なぜ?理由を教えてください。碇司令」

 

有無を言わさぬその迫力に、ゲンドウは縮み上がっていた。この迫力。覚えがある。彼の魂に刻み込まれたものだ。この様子は、かつて彼の妻であった碇ユイの・・・。

 

「教えて碇司令。わたしがあの映像資料を見てはいけない理由を・・・」

 

何を取り繕おうと一切聞く耳を持たない。激怒しているときの妻のソレだった。

 

(なぜ、このタイミングでユイに似るんだ、レイ!)

 

「シンジと弐号機パイロットの性交記録など、お前には早い!」

 

恐怖を振り払うようにゲンドウは声を荒げた。しかしそれは犬が吠えるのと同じ。今のトロワには一切影響を与えることはできない。彼女は瞬き一つせず、じっとゲンドウの目を見つめ続けている。

 

そう。瞬きをしていないのだ。この部屋にトロワが訪れてから、ただの一度も。目が乾燥しようが、それで目が充血しようが、ただの一度も。時間が経てば経つほどその目は充血し、ホラー映画の怨霊のような血走ったものへと変貌していく。

 

「葛城司令も伊吹博士も赤木博士も、最後には同じ理由を口にしたわ。わたしの何が早いの?」

 

まるで「もうその3人はこの世にいない」とでも受け取れそうなトロワのセリフに、ゲンドウの全身がガタガタと震え始めた。

 

「わたしもアスカも碇君も、みんな同い年。なのに、なぜ、わたしだけが見てはいけないの?」

 

爽やかな青空のようなブルーから、後頭部にかけて夜空を思わせる濃紺を経て、宇宙を彷彿とさせる黒へと変化するグラデーションのかかったトロワの髪。かつてシンジが「キレイだ」と言い、アスカが「素敵な髪」と称賛した、トロワの自慢の髪。

 

その髪が、ブワリと逆立つ。

 

 

 

「なぜ、碇君は、またアスカを選んだの?教えて。碇司令・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

充血で、白目の部分全てが赤く染まったトロワの目から、ツゥーっと、一筋の涙が流れ落ちた。

 

 

 

──────

 

「こわい・・・・・・こわいよ、トロワぁ・・・」

 

「同感。嫉妬と執念と怨念のかたまりみたいよ?いまのアナタ」

 

ネルフJPNの居住スペースをもの凄いスピードで突っ切っていくトロワの後ろを、小さなレイNo.シスと、人類への反逆行為で幽閉されているハズのカトルがついて行く。

 

「・・・・・・なぜ、あなたがここにいるの?」

 

「面白そうだったから」

 

「・・・そう」

 

さして興味もない、と言うふうにトロワはカトルから意識を逸らした。実際、興味がないのだ。カトルがこの場にいようがいまいが、優先されるべき事は他にある。

 

「食い入るように?穴の開くほど?ものすごく集中して見てたわね。私達が入ってきても気付かないなんて。あなたに声かけた時の反応、面白かったわよ?」

 

「わ、ワタシはべつにあんなの見たくなかったのにィ〜〜〜!カトルがムリヤリ・・・」

 

「あなた達。何か用?」

 

トロワが急に立ち止まったため、頭をイヤイヤと振っていたシスはトロワの背中にぶつかってしまった。

 

「ワタシはとくにないよ!でも、カトルが・・・」

 

「カトル?」

 

トロワが振り返る。眼前には自分と同じ顔の少女。その表情には、憐れみと余裕の笑みが張り付いていた。

 

「だって、嫌じゃない?仮にも私達の『姉』にあたるアナタが、同じ顔の女が、レイプの実行犯で捕まるなんて」

 

「レイプ?」

 

「だってそうでしょ?今アナタがやろうとしている事は、まさにそれなのよ?」

 

「違う。無理矢理なんかじゃない・・・」

 

「でも拒絶されれば襲うでしょ?」

 

「・・・・・・ッ」

 

図星であった。それほどまでに、今のトロワには余裕が無い。秘めた想いを胸に、いつか振り向いてくれるかもしれないと願い、自分からキスまでした相手が、他の女のものになってしまった。悔しくて苦しくて悲しくて、この体を引き裂けたらと思うほどに、綾波レイ・トロワには余裕が無かった。

 

だから、拒絶されたらきっとカトルの言う通りになってしまうだろう。自分の生まれたままの姿を晒し、内に渦巻くこの想いをぶつけて、それでも尚、シンジが振り向いてくれなかったら。想像するだけで全身が震える。

 

「私が手伝ってあげる」

 

そんなカトルの言葉は、まるで悪魔の誘惑。

 

「その代わり、私も混ぜて・・・?」

 

「っ!何を・・・・・・」

 

「アナタ1人でやれば、絶対に碇君を満足させることはできない。断言するわ。あんな映像資料で予習した気になっているアナタじゃあ、ね」

 

「そんな、こと・・・・・・」

 

「でも私は違うわ。男の理性と本能が、別々のところにあるのを知っている。理性で判断させちゃダメ。本能をくすぐるのよ」

 

「え、え?カトル、なんでそんな事知ってるの?」

 

会話を聞いていたシスが、感じた疑問をそのままカトルに投げる。

 

「暇だったのよ、独房って。だから色々差し入れしてもらったの。ゼーレに体を乗っ取られていた彼から、ね」

 

「なら、あなたも経験はないはず・・・」

 

「でも知識はあるわ。少なくとも、付け焼き刃のアナタよりはず〜っと」

 

トロワがカトルを睨みつける。対するカトルは表情を崩さない。その2人の間で、シスはオロオロと成り行きを見守るしかない。

 

判断に迷うトロワに痺れを切らしたカトルが、チッと舌打ちしてダメ押しの一言を放つ。

 

「アナタは、碇君の1番になりたいの?それとも、碇君がアナタから離れて行くのが嫌なの?どっち?」

 

「・・・・・・・・・・・・わたし、」

 

トロワの頬を大粒の涙がこぼれ落ちる。流れる涙をなんとか抑えようと両手で顔を覆う。

 

「わたし・・・・・・1番じゃなくてもいい・・・!3番目でもいい・・・・・・!でも、碇君は、碇君だけは・・・・・・ッ!」

 

トロワの切なさが、苦しさが、悲しさが、思いとなって言葉に乗った。その様子を、カトルは満足げに眺める。トロワは乗ってしてしまったのだ。同じ顔をした、悪魔の契約に。

 

「なら、私は4番目ね。一緒に楽しみましょう?」

 

トロワの肩を優しく抱き、カトルが歩き始める。他ならぬ、碇シンジの部屋に向かって。

 

「おっと、忘れてたわ」

 

そう言って、カトルはシスの手をガシッと掴んだ。

 

「え?え!?なんで!?ワタシはヤダよ!」

 

「どうせ遅かれ早かれアナタも彼のモノになるわ。だったら実践を間近で見て、学んでおきなさいな」

 

「い、い〜や〜だ〜!!ワタシ帰る!離して〜〜〜・・・・・・・・・」

 

引き摺られていくシスの声がネルフJPN内に響き渡った。

 

 

 

──────

 

そして、事件は起きた。起きてしまった。

 

シンジがアスカの帰りを待ちながら、台所で夕食の支度をしていた時だった。後ろから忍び寄ったカトルの手によって拘束されたシンジの上に、一糸纏わぬトロワが乗った。この時点で立派な犯罪である。だが、ここまで来て後戻りなどできようハズもない。必死に抵抗するシンジの上で、トロワは泣きながら自分の想いをシンジに告げた。それと同時に、カトルが後ろから指と舌と言葉でシンジを攻め立てる。愛の告白と愛撫の両方を同時に受けたシンジの本能がムクリと鎌首をもたげ、あっという間にトロワに捕食された。友人の、しかも美少女の、アスカとはまた違った肢体を前に、シンジの理性はどこかへと吹き飛んでしまった。そこから先は、カトルも参加した酒池肉林の宴。その間、無理矢理連れてこられたシスは部屋の隅で顔を覆っていたものの、指の隙間からバッチリとこの光景を網膜に焼き付けていた。

 

そして、アスカが帰宅した。

 

当然、修羅場である。シンジは全身の骨を叩き折られ、1週間、生死の境を彷徨うハメとなった。どんな傷もたちどころに癒してしまうエヴァンゲリオン最終号機の自己修復の力をもってしても、回復するのに1週間の時間を要したと言えば、アスカの殺意の程は察していただけると思う。

 

次は私達か、とトロワ達が覚悟を決めた時だった。

 

「シンジ。アンタの1番はだれ?」

 

「ぁ・・・・・・・・・す、か・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「OK。次アタシに黙ってヤったらホントに殺す」

 

そう言ってアスカが残りの3人に向き直る。

 

「正妻はこのアタシ。子供を最初に産むのもこのアタシ。それまでは避妊する事。それさえ守れるなら、時々だけどバカシンジをアンタたちにも貸してあげる。それを守れないなら今殺す。破ったならば、アンタらのお腹に何がいようと即殺す。どう?」

 

アスカが不敵な笑みを浮かべながら、3人に条件を提示した。

 

(正直、トロワに黙ってシンジとくっついたの、どう説明しよっかなぁって悩んでたのよね・・・。流石に毎晩シンジの相手するのもキツいし、マウントさえ確保しておけば、これはこれでちょうど良かったかも♪)

 

世はまさに『産めよ増やせよ地に満ちよ』の時代。アスカのプライドと地位を保ちつつ、人類の存続にも貢献する。アスカにとっては一石二鳥の、満足のいく結果であった。

 

 

 

──────

 

後日・・・。

 

「なぁ・・・、『英雄、色を好む』って言葉があるだろ?」

 

「ああ。それがどうした?」

 

「俺、最近思うんだ。英雄が色を好むんじゃなくて、色の方から英雄に寄ってくるんじゃないかなぁ、って・・・・・・」

 

「ああ・・・、それはまあ、あるかもな・・・」

 

オペレーターの日向と青葉が食後のコーヒーを飲みながら、そんな他愛のない話に花を咲かせていた。

 

 

 

つづく



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b.月に懸かるは叢雲


本編に戻ります



 

事件の起こりとは、常に唐突であるのが世の常である。しかし事件の要因は常に1つ。自らの目的や理念を追い求める者同士の意見のすれ違い、またはぶつかり合いだ。そのすれ違いがいつ、どこで起こるのかは誰にもわからない。

 

あるいは神の視点でもって世を見渡すことができるのであれば、その起こりを調停することもできるのかもしれない。だが、人は神ではない。自らの手の届く距離、目で見える範囲で判断して、自身にとっての『最善』を選び取るしかないのだ。その結果が例え『最悪』に繋がっている道だったとしても。

 

かくして、歴史の輪は再び回り出す。地球環境の改善と共に、己が目的を達成しようとする者達が動き始める。

 

そして、人類が『神』または『運命』と呼ぶ存在もまた、『いたずら』という形で人の世に種を蒔く。その種がいつ芽吹き、実をなすのかは、それこそ『神のみぞ知る』事であった。

 

 

 

──────

 

「こ、これは・・・・・・」

 

深夜。

 

ネルフJPN技術開発局先端技術部マネージャーである伊吹マヤの研究室にて、マヤはあるデータの観察記録と、そこから導き出される事実に戦慄していた。

 

あり得ない事では無い、とは思っていた。だが、起こらない方が良かったというのが、マヤの本音だ。

 

彼女は机の上で腕を組み、その上に頭を乗せた。責任が重すぎる。この事実を公にするにはまだ早すぎる。しかし当事者達には伝えなければならない。

 

「でも、これを、私が伝えなきゃいけないの・・・・・・?」

 

責任者とはそういうものだ。それは理解している。前任であった赤木リツコの跡を継ぎ、3年もの間ネルフJPNの技術部を引っ張ってきたのだ。未熟ゆえに部下を振り回し、結果上手くいかず、色々な迷惑をかけた事もある。また、部下の尻拭いで方々に謝罪に行った事も一度や二度ではない。みんなが嫌がる事を率先して行い、ケジメをつける。それが責任者というものだ。頭ではわかっているのだ。

 

だが、それはある意味で仕事だったからできた事だ。ネルフJPNという組織に所属する人間同士が、居住スペースも含めて公私混同しやすい環境である事は否めないが、それでも仕事でやらなければいけない事とプライベートの時間をしっかりと分けることはできる。少なくとも、伊吹マヤはそういう風に努めてきた。

 

マヤはゆっくりと顔を上げ、パソコンのディスプレイに映し出された2名の名前を確認する。

 

『碇シンジ』

 

『惣流・アスカ・ラングレー』

 

ディスプレイに表示された文字は変わらない。マヤは再び机に突っ伏した。

 

コンコンッ

 

「・・・ッ!誰!?」

 

ノックの音に、マヤが飛び起きた。

 

「私よ。マヤ。コーヒー持ってきたのだけれど・・・」

 

「あ、先輩。今開け・・・・・・」

 

そこまで口にしたところで、マヤの言葉は止まった。視線をディスプレイに落とす。ここに映し出されている情報を、リツコに見せるべきか、一瞬悩む。

 

「・・・・・・・・・マヤ?」

 

「・・・先輩」

 

ややあって、マヤはポツリと言葉を漏らす。

 

「私、責任者なんです。だから、全部私がやらなきゃいけないって事は、わかってるんです・・・」

 

「・・・どうしたの?何かあったの?」

 

「でも、怖くて・・・。今まで当たり前だと思ってた事が壊れるのが、ホントに怖くて・・・。どうすればいいかも、わからなくて・・・」

 

ドアの向こう。リツコが何かを察した気配がした。

 

「・・・・・・開けてちょうだい。マヤ」

 

「先輩の手を煩わせるのは・・・」

 

「確かに、今の私はアナタの部下で、アナタは責任者よ。アナタが今何に悩んでるのか、それを部下に話していい内容なのか、私にはわからない。でも、だからといって、後輩の悩みを聞いてあげちゃいけないなんてことはないでしょう?」

 

毅然としたリツコの声が、ドアを通り越してマヤの胸に収まる。マヤの胸の支えはまだ取れないが、マヤはそっとドアノブに手をかけた。

 

ドアを開けた先に、リツコが2人分のマグカップを両手に持って、微笑みを湛えていた。

 

「おつかれ様。少し冷えてしまったけど」

 

リツコからマグカップを受け取り、マヤはそれに口をつける。コーヒーは確かに温くなっていた。ほんの少しだけだが。

 

ほぉっと、マヤの口から温かい吐息が漏れた。

 

「おいしいです・・・」

 

「そう。よかったわ」

 

マヤはリツコを招き入れた。自分はデスクの椅子に座り、その横にリツコが立つ。ごく自然な動作だった。2人の間で日常的に行われる所作。そこに言葉など必要ない。

 

リツコがディスプレイの文字を見つけて、驚愕に目を開く。

 

「これは・・・・・・!」

 

「・・・・・・言わなきゃ、ならないですよね?」

 

「・・・・・・・・・そうね。確かに、これはアナタが言わなくてはならない事だわ」

 

「ですよね」

 

マヤが苦笑を浮かべる。

 

「でも私にも、責任の一端がある。同行するわ、私も・・・」

 

「・・・・・・ありがとうございます」

 

2人の胸中に、共通の、苦い決意が宿る。

 

これは、間違いなく歴史を動かすだろう。世紀の発見という偉業、それと、身近な人の人生の破綻という結果を伴って。

 

 

 

──────

 

「それ、マジ?」

 

「残念ながら、マジだ」

 

翌朝、ネルフ総司令であるミサトを最初に訪ねてきたのは、防諜部の加持リョウジであった。

 

「月の表面だ。今まで観測されていなかった亀裂が発見された。今はまだ大したことはないらしいが、新しい月が安定していない可能性があるらしいぞ」

 

「もう大丈夫って言ったのは誰だったかしらねー・・・」

 

「まぁ、リッちゃん達だって金星行ったりエヴァ全機のオーバーホールやったりと大忙しだったからな。それくらい大目に見てやれよ」

 

「まあ、それは構わないんだけど。ただねぇ、ま〜たあの子達に頑張ってもらわないといけないってのが心苦しくてねぇ・・・」

 

「苦しいのはお前の財布、だろ?」

 

「うぐぅ・・・・・・!」

 

「アスカとシンジ君の旅行のセッティングや宿泊費。それに3人の綾波レイの食事改善。ほとんどお前の個人的な出費だって聞いたぞ?彼らだってもう大人だ。それくらい、彼ら自身にやらせてみればいいんじゃないか?」

 

「・・・・・・そういうんじゃないのよ」

 

ミサトは椅子の背もたれにどっと背中を預けた。

 

「もう、こんな地球の危機なんてこりごり。あの子達には、普通の高校生として人生を楽しんでほしいのよ。あの子達は、もう十分にがんばったじゃない。仕事が欲しいってなら話は別だけど、もう、あんまり苦労かけたくないのよ・・・」

 

「・・・まぁ、気持ちはわからなくはないがな。ただお前、私生活でもだいぶ節約してるみたいじゃないか」

 

「・・・誰のせいだと思ってんのよぉ」

 

「準備金くらい、俺のほうで用意するぞ?」

 

「そぉいう事言うんなら、アンタからさっさと聞きたいセリフがあるんですけど?シンちゃんの方がよっぽど男前だわ、こりゃ」

 

ミサトの嫌味に、加持は苦笑で返すしかない。

 

「で?アンタの用はこれで終わり?」

 

ミサトが軽く目を瞑りながら加持を促す。

 

「・・・防諜部としての報告がある」

 

加持の雰囲気が変わった。ミサトは目を開けて加持の眼差しを真っ向から受け止める。

 

「聞かせて」

 

「ドイツネルフ。いや、もはやユーロ全体の意志といっていいかもしれない」

 

「・・・・・・」

 

「洞木ヒカリ、およびEVA・EUROII・ウルトビーズの返還を求める声が強くなってきている」

 

「・・・このタイミングで?」

 

洞木ヒカリ。シンジ達の同級生であり、第3新東京市立第壱高等学校に通う17歳の少女。だったのだが、アルマロス騒乱の際に実の姉であるコダマを失い、そこから彼女の運命は一変した。ユーロ軍に薬物洗脳を施され、彼女はEVA・EUROII・ウルトビーズのパイロットとなったのだ。洗脳はアルマロス騒乱の最中に解けたうえ、アルマロスにトドメを刺したのが彼女だった事もあり、一時はユーロの英雄として祭り上げられた。だが、『アルマロスを倒した者が次のアルマロスになる』という特性により、自己意識をアルマロスに侵食されたヒカリは凱旋パレードにて多くの民間人を虐殺。全世界を巻き込んだ最終戦争を引き起こした張本人として歴史に名を残す事になる。

 

アルマロス騒乱の後、彼女の身柄については各国でさまざまな議論が展開された。中には公開処刑を望む声も上がったが、アルマロスの特性は誰にも想定できない事態であり、彼女の引き起こした一連の事件は不可抗力であったとの意見も上がった事で、その二つが真っ向からぶつかり合う状態となっていた。

 

だが、そんな議論も途中で頓挫する事になる。言うまでもないが、原因は月の消失に伴う地球環境の激変で、各国は1人の少女に構っている場合では無くなったのだ。そのどさくさに紛れてネルフJPNは彼女を『保護観察対象』として掻っ攫った。その後は、同じくアルマロスの影響を受けたトウジと共に病院に搬送され、適切な治療を受けた。彼女の体調面は既に快復しており、現在は隔離病棟にて『経過観察』を受けている状態である。

 

「嫌ね〜。月の騒動の時は見向きもしなかったってのに、それが治まった途端これだもの」

 

「葛城」

 

「わかってるわよ」

 

ミサトのシャキッとしない態度に加持が釘を刺す。もちろん、ミサトも本当に投げやりになっているわけではない。ただここに来て、懸念材料がさらに増えた事に愚痴をこぼしたくなっただけだ。

 

「リョウジ」

 

彼女が加持をこう呼ぶ時。それは決まってプライベートに近い関係で話をする場合である。つまり、ここからの話は『部下としての加持』ではなく、対等な人間同士で話し合いたい、という事を表している。

 

「ユーロの上層部の状況は?奴らは、その話をどこまで本気で実行しようとしてるの?」

 

「その点についてはユーロに相田ケンスケを潜り込ませているが、正直微妙だな。奴さん達の間でも、返還後の意見は分かれている、ってところか」

 

「なら少なくとも、洞木ヒカリとウルトビーズをユーロに連れ帰るってところまでは本気みたいね」

 

「そうだろうな。その後の処遇をどうするかは未決のまま。まずはユーロに連れ戻す事が第一の目的だろう」

 

「『返還を求めてる』ってのが嫌らしいわね。公開処刑するため、とか、罪人を引き渡せって言ってくるなら、まだこっちも止めようがあるけれど・・・」

 

「ああ。ウルトビーズは元々はドイツネルフで建造されたもんだ。それを返すよう要求するのは、別におかしな事じゃない」

 

ミサトが椅子の背もたれにボフッと体を預け、天を仰ぐ。

 

「私の推測だけど、まずウルトビーズの返還は、ネルフJPNの戦力の一極化を防ぐためでしょうね。全地球使徒探査殲滅ネットワークの二の舞にならないように、お偉いさんがたも必死なんでしょーよ」

 

全地球使徒探査殲滅ネットワークとは、もともとは3年前のネルフ決戦の直後、姿を消したエヴァ量産型を発見、即殲滅するためのシステムで、簡単に言えば地球軌道上に武装した3体のエヴァを配備し、地球全域を監視するためのシステムであった。これは全世界各国の制空権の制圧と同義であり、各国首脳陣の猛反発を食らったものだが、ミサトはエヴァンゲリオンの武力を背景にした恫喝じみたやり方でこの防備計画を押し通した。ただしこのネットワークシステムは、アルマロス騒乱の際には全く機能せずに崩壊した。この事実は、ネルフJPNをよく思わない各国に良い口実を与えてしまったのだ。「お前の作戦に従ったにも関わらず、これだけの犠牲を出すとは何事だ」と。ネルフJPNへの反感は強まり続け、エヴァンゲリオンの放棄を求める声すらも上がっている。ユーロの要求であるウルトビーズの返還も、ネルフJPNの戦力分散を目的としたものだろう。

 

「・・・・・・ウルトビーズはともかく、ヒカリちゃんは返したくないわね」

 

処刑の可能性が残っている場所に、幼気(いたいけ)な少女を送るのは心苦しい。ミサトの本心だ。

 

「だが厄介なのは、洞木ヒカリの家族だ。彼らは現在ユーロによって拘束されている。要は人質だ」

 

そう。ウルトビーズのパイロットになる直前、ヒカリの家族はドイツネルフによって拘束されていた。本来はおとなしい性格のヒカリがエヴァに乗ったのは、姉であるコダマの仇討ちともう一つ、家族が人質に取られているという理由もあった為だ。

 

不意に、部屋の扉がコンコンとなる。来客だ。

 

「どうぞ」

 

ミサトが入室を促すと、入ってきたのは碇ゲンドウ副司令代理であった。

 

「葛城司令。これを」

 

ゲンドウは加持を横目にミサトのデスクに近づいて、分厚い書類を彼女に手渡した。表紙には『仮称ネルフLUNA建造計画案』と大きく書かれていた。

 

 

 

 

「渡りに船と言うべきか、弱り目に祟り目と言うべきか・・・・・・」

 

「・・・何があった?」

 

「とても。とても厄介な事が」

 

ミサトの独り言に疑問を覚えたゲンドウの問いに、加持が苦笑しながら簡単に説明した。

 

「なるほど。月の表面に亀裂、か。確かに、月の異常発生に対してはネルフLUNAの建造は有効。しかし世界情勢的にはネルフLUNAは悪手となる可能性が高い、か・・・」

 

ゲンドウがかつての冬月のように直立不動で腰の後ろで手を組み、加持の説明を噛み砕いて飲み込む。

 

ネルフLUNA建造計画とは、新生した月の観察、および非常時の対処を目的とした、超巨大宇宙ステーションの建造計画であった。シンジの最終号機を筆頭に、ネルフ主導で作り出されたこの新しい衛星は、現状、彼ら以外には非常時に対応できる手段を持っていない。だが地球から月までの距離は膨大で、迅速な対応が求められる場面においては、どうしても初動が遅くなる危険性があった。その解決策としてネルフJPN内で考案されたのが、地球と月の中間にエヴァンゲリオンを収容、および整備可能な宇宙ステーションを建造するというもの。つまりネルフの宇宙空間支部とも言える『LUNA』の建造計画であった。

 

しかし、この計画には一つの懸念事項があった。全地球使徒探査殲滅ネットワークと同様の問題である。ネルフLUNAの目的・対象はあくまで新生の月であるので、地球全域を監視する先述のネットワークシステムとは設計思想が根本から異なるのだが、各国はそうは捉えないだろう。「また各国の遥か上空にエヴァを配備するのか」。そういった猛反発を喰らう事は火を見るより明らかであった。

 

ゲンドウがサングラスの位置を直す。

 

「ユーロからの声明は?」

 

「まだ未発表ですね」

 

「ならば先にネルフLUNAの建造計画を大々的に発表すべきだ。数ヶ月前まで地球全体の問題だったのだ。各国が対応策を持たない以上、ネルフLUNAは認めざるを得ないだろう」

 

「・・・・・・」

 

ミサトは渋い顔でゲンドウの顔を見上げた。彼の言い分はわかる。だが、

 

「・・・・・・そのかわり、洞木ヒカリとウルトビーズは確実にユーロに取られるわね」

 

交換条件だ。ネルフLUNAが戦力の一極化を目的としていないのなら、洞木ヒカリ、EVA・EUROII・ウルトビーズは返還しても問題ないだろう、とユーロが反論する道筋は既に見えている。しかしミサトは、その選択肢をなるべくなら取りたくなかった。

 

人情。そう、人情だ。作戦課長であったミサトは、作戦立案に際して人情をなるべく排除した作戦を立てる事を心掛けてきた。最優先目標を達成するためには必要不可欠な事だ。だが、つい先程加持に漏らした通り、「彼らに普通の高校生活を」というミサト自身の本音もある。

 

その葛藤を、加持も、ゲンドウですらも感じ取っている。

 

その上でゲンドウが放つ次の一言は、

 

「渡してしまえばいい」

 

実に彼らしい一言であった。

 

「葛城司令。司令がそのように悩む理由は私にも少しは理解できる。だが最終目標を見誤る事は見過ごせない。人類全体にとって月の存続は最重要課題だ。それをたった1人の少女のためだけに、計画の進捗を大幅に遅らせるつもりか?」

 

「だけど処刑の可能性もあるのよ!?そんな所に洞木ヒカリを送り込まないといけないって本当に理解しているの!?」

 

正論。ゲンドウが正論をかざす故に腹立たしい。ミサトの葛藤は理論ではなく、ミサト自身の感情を発端としているのだから。

 

「・・・加持君」

 

ゲンドウが加持に問い掛ける。

 

「はい」

 

「洞木ヒカリの処刑は確定事項なのかね?」

 

「ん?それはまだですが?」

 

「ならば余計だ。確定的に対処しないといけない事を、未確定の情報に足を引っ張られて滞らせる。司令としては愚かの極みだ」

 

「〜〜〜っ!」

 

言いたい事言ってくれるじゃない!

 

そんな言葉が喉の辺りまで出かけるのを、ミサトは必死に抑えた。

 

「葛城司令。前司令として一つ助言しよう。こういった優先事項の決定に於いてどうしても切り捨てたくない心情が邪魔をするときは、優先事項を一つ下げるのだ。最高の結果を求めるのではなく、最低の結果にならないように先手を打つ事を心掛けたまえ」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

ミサトの中の反論を、必死に抑える。

 

やがて、ミサトは大きく息を吐いた。

 

「渡しましょう。ユーロに」

 

苦々しい思いを隠しもせず、ミサトは決断を口にする。

 

「ただし、『両ネルフ間の定期的な技術交流』。これを交渉のテーブルに載せる。パイロットである洞木ヒカリのパーソナルデータは私たちネルフJPNにとっても重要。なぜなら歴史上、アルマロスになって唯一帰還した人間なのだから。そのデータを提出し続けてもらいましょう。こちらからも出すけどね。加えて、『月の異常に対してネルフJPNの想定以上の事態が発生した際、既存のエヴァンゲリオンであるウルトビーズの応援を寄こすこと』。この二つをユーロがどこまで飲めるか。あとは向こうの反応を見るしかないわね」

 

その言葉に、ゲンドウも加持も頷く。

 

「俺としては、もう少し落とし所を調整したい所だがな」

 

「ならそれはアンタが考えて。時間が惜しいわ。マヤとリツコも呼ぶわよ」

 

ミサトがデスク上の電話の受話器を手に取って、技術部に繋ぐ。

 

「私よ。マヤとリツコをすぐに司令室へ・・・・・・・・・え?もう向かってる?」

 

タイミングよく司令室の扉がノックされる。十中八九、マヤとリツコだろう。

 

(今日は千客万来ねぇ・・・)

 

自分達から来たのだ。きっと悪いニュースを持ってきたのだろう。悪い報告こそ迅速に。大切な事だが、聞かされる側のストレスは相当なモノだ。

 

ミサトの予想通り、入室してきたのはマヤとリツコだった。マヤの表情は暗い。加えて、後ろのリツコは入室した途端、タバコを咥えて火をつけた。

 

「ちょっとリツコ?いくらなんでもその態度は・・・」

 

ミサトが注意しようとした時だった。

 

「葛城司令。喜んで?世紀の大発見よ」

 

「はぁ?どゆこと?」

 

マヤが、重い口を開く。

 

 

 

 

 

「葛城司令。人類は進化します。補完計画とは全く違う、群体としての人類の進化です」

 

 

 

 

 

 

その言葉に、司令室に居た全員が凍りついた。

 

 

 

──────

 

「リリスはもういない。エヴァの新造は難しいだろうか?」

 

「難しい、ではなく無理だ。全く別のアプローチが必要だろう」

 

「日本の戦略自衛隊の開発した、『あかしま』だったか。あれは面白いな」

 

「幸い、エヴァンゲリオン製造のノウハウ自体は残っている」

 

「ならば、それで行こうか」

 

今宵も世界のどこかを月は照らす。その光は優しく、この星に寄り添い、見守っている。

 

その月明かりが遮られる場所。

 

暗雲の中、己の利権を追い求める者たちの脈動が、徐々に、確実に、運命の歯車を回し始めていた。

 

 

 

つづく



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c.双星の光、別つこと能わず(前編)


関西弁、むずかしいです・・・・・・

良ければご笑覧ください


 

昼下がりの病室に、シトシトと雨の音が響く。

 

「今日は雨かいな。辛気臭いのぅ」

 

鈴原トウジはサイバネティクスの義手である左手をそっと窓枠に添えた。セリフとは裏腹に、彼の表情は陰鬱なものではない。数ヶ月前、ハリケーンが吹き荒れていたころに比べれば、こんな雨など穏やかなものだ。むしろこの雨は、新生の月を手に入れて四季を取り戻した日本の気候を、その風情を味合わせてくれる。生まれた時から常夏の日本しかほとんど知らなかったトウジにとって、この穏やかな雨の音は心地良かった。

 

「昼メシ、食った後やからかなぁ・・・」

 

ふああ、とトウジは大きくあくびをした。

 

窓際から離れたトウジは、病室に備えてあった椅子に「どっこらせ!」と座る。微妙にオッサンくさい仕草であるが、それには理由がある。彼の左脚。それも左腕同様、サイバネティクスの義足なのだ。かつて使徒バルディエルに侵蝕されたエヴァンゲリオン参号機に搭乗していたトウジは、一命を取り留めたものの左腕と左脚を失い、その身にバルディエルの残滓を宿している。普段は鳴りを潜めている使徒ではあるが、トウジの身体が生物的にヒトガタに戻ろうとすると活性化し、トウジの身体を乗っ取ろうとする。本来であればトウジには、再生培養により生成した左腕と左脚を移植する手術を受けてもらう予定だったのだが、使徒の活性化の危険性がある為、その手術の実施は見送られたのだ。

 

サイバネティクスの手足。その接続部が、この低気圧で軽く痛む。雨の影響だろう。普段はなんて事のない仕草でも、今のトウジにとっては億劫なものだった。もっとも、彼はそんな様子を微塵も面に出さないが。

 

「・・・ほれ。少しは食べんと、元気出ぇへんぞ」

 

ベッドの上に配膳された病院食。その味噌汁のお椀をトウジは手に取り、この部屋の住人に差し出した。

 

「・・・・・・いい。今は要らない」

 

「そんな事言わんと。味噌汁くらいなら飲めるやろ」

 

「食欲がないのよ」

 

部屋の住人、洞木ヒカリはトウジの差し出した味噌汁から目を逸らした。

 

「・・・まあ、確かにここの飯はお世辞にもウマイ!とは言われへんからなぁ」

 

そう言って、トウジは手にした味噌汁に口をつける。薄味の味噌汁。病人を気遣っての味付けだが、男子高校生であるトウジからすれば全く味気なく感じる。

 

だが、それでもトウジは実に美味そうに味噌汁を飲み干した。

 

「あ、アカン。全部飲んでもぉた」

 

「いいよ。別に・・・」

 

「ホンマか?おおきに!いやぁ、意外とイケるで、この味噌汁」

 

「・・・そんなに美味しかった?」

 

ベッドの上のヒカリがトウジに向き直る。その顔は疲労と食欲不振によって痩せこけていた。中学生の頃、委員長として活発に動き回っていた面影はない。

 

「お、興味持ったんか?スマンのぉ、全部飲んでもぉて」

 

「いいよ。トウジが美味しく飲んでくれたから。・・・あ、トウジ。お弁当付いてる」

 

「ん?ホンマか?どのあたりや?」

 

「ん〜。口では言いづらいから、ちょっと顔をこっちに・・・」

 

ヒカリの指示に従い、トウジが彼女に顔を寄せる。その瞬間、ヒカリはトウジの唇に触れるかどうかのキスをした。

 

「・・・・・・ふふ。やっぱり薄味じゃない」

 

「・・・・・・アホ」

 

気恥ずかしくなったトウジが顔を逸らす。その様を、ヒカリは愛おしそうに眺めていた。

 

雨足が強くなったのだろう。雨音が病室を満たす。

 

「・・・・・・・・・少しは、元気出たんか」

 

「・・・うん。トウジのお陰でね」

 

力無くヒカリが微笑む。その微笑みは一瞬で消えてしまったが。

 

「・・・なんか、あったんか?」

 

「ううん。何も・・・」

 

「さよか」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

再び、沈黙が病室を満たす。

 

先に口を開いたのは、ヒカリだった。

 

「聞かないの・・・?」

 

「何がや」

 

「『なにかあったのか』って・・・」

 

「話しとないとちゃうんか?」

 

「・・・・・・うん」

 

「ほな、ええやろ」

 

そう言うと、トウジは病室に備え付けの机の上に置いてあったマンガに手を伸ばした。

 

アルマロス騒乱後、ネルフJPNにより『保護観察対象』となったこの2人は、数ヶ月もの間、この病棟から一歩も外に出ていない。アルマロスの手先として人類に牙を剥いてしまった2人が、今後、再び人類に牙を向かないという保証はない。それゆえに、彼らは厳しい管理と観察の下、限られた空間でのみの生活を強要されていた。外部情報が入手できないように、携帯電話などの通信機器の所持は一切許されていない。もちろん、テレビや週刊誌なども置かれていない。彼らの手元にあるのは通信機能を排除された携帯ゲーム機や、単行本として発売されたマンガや小説など。娯楽として最低限の役割を果たしてはいたが、数ヶ月も同じものに触れていれば流石に飽きる。

 

「あ〜。アカン。そろそろセリフをそらで言えそうや・・・」

 

トウジは手にしたマンガを雑に机に放り投げた。

 

「そろそろシンジかミサトさん辺りが差し入れしてくれんかのぉ・・・」

 

貴重な、新しい娯楽の供給源。ネルフJPNの中でも、トウジ達に面会できる権限を持つ者は少ない。

 

トウジはまだ良い。ネルフJPNの副司令代理として活躍したトウジに対しては、ネルフJPNも比較的穏和な対応が許されている。だがヒカリは、人類全体から見れば大罪人だ。親友であるアスカですらが面会を許されていない。彼女を訪れるのは葛城ミサト総司令か、それに準ずる地位にある者のみ。多くの民間人を殺害した罪の意識に苛まれながら、この病室で娯楽も無く、親しい間柄の人間も訪れず、彼女はひたすら監禁され続けている。

 

ヒカリを訪れる事のできる数少ない人物の中に、自身の恋人であるトウジが含まれていたのがせめてもの救いだった。監視の目があるために2人だけの逢瀬は叶わないが、それでもトウジがそばに居てくれるだけで、ヒカリの心は癒やされていた。

 

2人だけの時間が、永遠に続いてくれれば。

 

全てのことを忘れて、2人だけでずっと生きていけたら。

 

「トウジ・・・・・・」

 

ヒカリが、声を震わせてトウジに声を掛ける。

 

「ん?どないした?」

 

「・・・・・・ミサトさんなら、来たよ」

 

「・・・なんやて?」

 

ミサトがヒカリを訪れる。その意味を、トウジは知っている。決して慰労のためではない。ミサトがヒカリを訪れる時。それは決まって、ヒカリに関係のある、ネルフJPNにとっての決断を伝えるときだ。

 

「いつや?」

 

「昨日・・・」

 

「・・・・・・それを早く言えやぁ」

 

トウジが天を仰ぎ、額にピシャリと右手を当てた。

 

「何ぞオカシイと思うててん。ジブン、明らかに元気ないみたいやったし」

 

「・・・ごめん」

 

「ヒカリが気にする必要あれへん。で、何を言われたんや?」

 

ヒカリが俯く。ヒカリの手は、布団のシーツを強く握りしめている。

 

「私、さ・・・」

 

「うん」

 

「トウジに会えて、よかったよ」

 

「・・・・・・あぁ?なんや、今生の別れでもあるまいし」

 

嫌な予感がした。

 

「・・・・・・嘘やろ?嘘って言えや。ミサトさんに何言われてん、ヒカリ!」

 

嫌な予感は、だいたい当たる。

 

「ごめん、トウジ・・・・・・!」

 

シーツを握りしめた手に、ヒカリの涙がポツポツと落ちた。

 

「私、ユーロに連れ戻されるって・・・・・・!」

 

「んなアホな事あるかいッ!!」

 

トウジが椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった。

 

「今さら、今さら過ぎるやろ!なんでそんな・・・!」

 

「しょうがない。しょうがないんだよ、トウジ・・・・・・」

 

ヒカリの泣き顔が、トウジに向けられた。

 

「私、いっぱい殺しちゃったもん・・・。許されるはずないよ。下手したら世界を滅ぼしてたんだよ・・・?この世界の誰が、私を許してくれるっていうの?」

 

「ふざけんなや!あんなん、事故みたいなモンやろがい!ヒカリに何の罪があんねん!」

 

「じゃあどうしろっていうのよ!事故だったとしても、私が殺したっていう事実は消えないでしょ!?」

 

トウジの怒りを上回る、ヒカリの叫びがトウジを圧倒する。

 

「トウジはわかんないでしょ!?私、殺した人たちの感触や感情が、全部わかったんだよ?わかっちゃったんだよ!?そんなの・・・・・・、私の中から消せるわけないでしょッッ!!」

 

その事実を、トウジは知っている。他ならぬヒカリの手によって、アルマロスの従者であるトーヴァートに変貌させられたトウジは、その直前のやり取りでヒカリ自身から聞かされていたからだ。しかし、「知っている」事が「理解できている」事と同義になる事は稀だ。そして、今のトウジもソレに当てはまっていた。ヒカリの叫びに反論できる要素を、トウジは持っていなかった。

 

「・・・・・・私、もう疲れたの。ここでずっと来る日も来る日も、自分だけが生きてるっていう実感があるの。それと一緒に、なんで生きてるの?って心の中の私が私に言うの。その度に、私が殺した人たちの顔が頭によぎるの。死ぬ瞬間に思った事がよぎるの。大人だけじゃない。小さな子供や、赤ちゃんの声が・・・・・・!」

 

「やめいヒカリ!」

 

トウジが思わずヒカリを抱きしめる。ヒカリも、それに縋る。

 

「怖いよ!生きてるのが怖い!このまま、生き続けていいの?生き続けなきゃいけないのかなぁ!?」

 

「アホ抜かすな!じゃあお前は、ジブンで死にたいっちゅうんかい・・・!!」

 

トウジの腕の中で、ヒカリが激しく首を振った。

 

「怖い、怖いよ!死ぬのが怖い!みんなに恨まれながら、死ぬなんて嫌だよ!私、悪いことしてないのに・・・、コダマお姉ちゃんの仇を討ちたかっただけなのに!!私は自分のために、みんなのために戦っただけなのにィッ!!」

 

ヒカリの泣き叫ぶ声が、病室を揺らした。トウジは必死で抱きしめる事しかできない。自分の愛する少女を、この場で救う手段を彼は持っていなかった。

 

だが、今この瞬間にこの哀れな少女の命を諦める事も、トウジは選ばない。選ぶはずもない。ヒカリの叫びは、トウジの心の中にあった天秤を大きく傾けた。

 

「・・・・・・ヒカリ。聞いてくれや。ワシは今から、めっちゃ自分勝手な事言うで・・・」

 

ヒカリの耳元に、トウジが顔を寄せる。

 

 

 

「なぁ・・・・・・、ワシと一緒に生きてくれや。ヒカリ」

 

 

 

「・・・・・・トウジ?」

 

「お前の気持ち、ワシは1ミリもわからん。お前の辛さが、ワシにはさっぱりわからん。辛いやろうなぁって、ありきたりな感想しか、ワシは持てん・・・・・・」

 

だけど、とトウジは続ける。

 

「それでもワシは、お前に生きていてほしい。ワシが愛した女を、ワシの目の前で、ワシの手の届かんところで死なしとぉない。お前の気持ちなんて考えてへん。自分勝手なお願いや。だから、お前の答えなんて聞きとぉない。ワシがこれから勝手にやるわ」

 

「ト・・・・・・」

 

トウジの名を口にしようとしたヒカリの唇を、トウジは無理やり塞いだ。長い、永いキス。永遠を無理矢理誓わせる、トウジのキス。決して離さんと強く抱きしめるトウジに、ヒカリも応えた。

 

やがて、ゆっくりと2人の唇が離れる。

 

「次、ここに来る時は一緒に出るで。ヒカリ」

 

そう言い残し、トウジは病室から出て行った。

 

 

 

「うん・・・。待ってるよ。トウジ・・・・・・」

 

 

 

閉まった扉に向けて、ヒカリが泣きながら呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒカリの病室から離れた場所で、トウジは思い切り壁をぶん殴った。

 

「すまんなぁ、シンジ。もう差し入れは必要無さそうや・・・・・・」

 

後悔、いや、未練か。未練が無いと言えば嘘になるだろう。だがそれでも、トウジの決意は揺るがない。もう既に、彼の中での一番大事なモノは決まっていたのだから。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 



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c.双星の光、別つこと能わず(後編)


センシティブではないですが、生々しい表現があります

保健体育的な表現がチラホラ。苦手な方はご注意を!

良ければご笑覧ください




──────

 

「おっかしいわね〜・・・」

 

夕食を終えたリビングで、アスカがしきりに首を傾げていた。

 

ネルフJPNの居住スペースの一室でシンジとアスカが同居を始めて、早くも3ヶ月が経過しようとしていた。2人の生活は基本的にシンジが家事全般をこなすという、中学時代に葛城ミサト宅にて同居していた頃とほとんど変わらないルーティンであったが、2人の仲は良好だ。シンジが尻に敷かれてるかと思えば、アスカもシンジからの不意打ちに胸をときめかせる事もあり、そのままベッドになだれ込む事もしばしばといった様子だった。たまに喧嘩もするが、以前の喧嘩とは違い、シンジがアスカを「自分の恋人」として捉え、彼女の言い分を立てた上で2人の意見の落とし所を諭す。そんな関係に落ち着いていた。それは「恋」というよりも、家族としての「愛」に近い感情かもしれない。もっとも、シンジのそんな気遣いをアスカが鬱陶しく感じる時もあるので、万事良好というわけでなないのだが。

 

「さっきからどうしたの?うんうん唸って」

 

台所で洗い物をしながら、シンジがアスカに声を掛ける。手慣れたもので、使われた食器はみるみる内に新品同様の綺麗な状態に洗い上げられていく。シンジ自身はほぼ手元を見ておらず、まだ洗い終わっていないフライパンや鍋の洗う順番を考えたり、冷蔵庫に貼り付けられたカレンダーの特売日の文字を見て次の買い物のプランを頭の中で練り上げたりしていた。

 

「いやさぁ、なんかコレ、全然反応しないのよ」

 

(リモコンの電池でも切れたかな?)

 

シンジは洗い物を終え、乾いた布巾で皿を一枚ずつ丁寧に拭き取っていく。

 

「電池ならこの前買ってきたから、テレビの下の棚に入ってるよ?」

 

「はあ?電池ぃ?アンタ何の話してんの?」

 

「え?違うの?」

 

「違うわよ、バカシンジ。コレよ、コレ!」

 

アスカが何かを机の上にバンッと置く。シンジも興味をそそられ、手の中の皿を拭きながらリビングに向かった。

 

机の上にあったのは棒状の、見慣れないものだった。シンジが首を傾げる。

 

「え、何これ?」

 

「妊娠検査薬」

 

 

 

 

 

落とした皿が、パリンッと割れた。

 

 

 

 

 

「え・・・、ウソでしょ?アスカ、もしかして・・・!」

 

「狼狽えすぎでしょアンタ。ゴムなんか全然付けないんだから当たり前じゃない。毎晩どんだけアタシのお腹がパンパンになってると思ってるのよ?」

 

シンジの狼狽えぶりに呆れながらも、アスカはニヤニヤと笑っている。

 

「え・・・うそ、ホントに?」

 

シンジの確認に対し、アスカのニヤニヤは止まらない。

 

 

 

 

 

「・・・・・・やった。やったぁーーー!!!!」

 

 

 

 

 

「ちょ、うっさい!バカシンジ!近所迷惑でしょ!?」

 

「ありがとう!ありがとうアスカぁっ!」

 

「うわ!?抱きついてくんな、鬱陶しい!」

 

「やばいやばいやばいやばい!どうしよう、買い物してこなくっちゃ!まずはオムツだよね?あ、服もか。いや待って!ベビーベッドって最初からいるのかな?それにベビーカーも!!」

 

「おい・・・」

 

「離乳食ってどんなのが良いんだろ!?僕でも作れるのかな!?」

 

「いや、ちょっと・・・」

 

「あ、そうか!レシピくらい自分で調べれば良いんだよね!?いや、それよりみんなに知らせなくちゃ!最初はミサトさんでしょ?あ、あと加持さんにもだし、ついでに父さんにも連絡しないとだし、それから・・・!」

 

「話を聞け、バカシンジぃぃいッ!」

 

「ぐげえッッ!!!?」

 

アスカの放った渾身の右ストレートが、シンジの鳩尾に吸い込まれるように決まった。

 

「舞い上がりすぎよバカシンジ!なに浮かれてんのよ、みっともない!」

 

「でも子供でしょ!?落ち着けるはずないじゃないか!」

 

それを、最大限に引き出したエヴァの再生能力で耐え切ったシンジが、アスカの両肩を掴んだ。その目には、うっすらと涙まで浮かんでいる。

 

「僕たち2人の子供が、アスカのお腹の中にいるんだよ!?そんなの・・・、嬉しくないはず、ない、じゃないか・・・!」

 

感極まったのか、シンジはぐしぐしと鼻を啜る。それでも、溢れる涙を止める事はできていなかった。

 

「・・・・・・・・・は〜あ。わかったわよ、バカシンジ。ありがとうね、喜んでくれて。私も嬉しいわ」

 

アスカがゆっくりと、優しくシンジを抱きしめる。それを受けたシンジが、渾身の力でアスカを抱きしめ返した。

 

「ぐええ!ちょ、締めすぎよバカ・・・!」

 

「あ!ごめん!」

 

慌ててシンジがアスカから離れた。

 

「背骨折られるかと思ったわ・・・・・・」

 

「ご、ごめん、アスカ!お腹の子は大丈夫・・・?」

 

「アタシより赤ん坊の心配!?」

 

とっさの一言にキレたアスカが、会心の蹴りをシンジの顎に見舞う。流石のシンジもこの不意打ちには対応しきれず、勢いもそのまま台所まで吹き飛ばされてしまった。受け身も取れなかったシンジが床に叩きつけられた轟音に紛れて、皿が何枚か割れる音がした。

 

「ったく!人の話を最後まで聞きなさいよね!」

 

腰に手を当てて、アスカが台所で半ば伸びているシンジを見下ろした。

 

「そこまで喜んでくれてんのに悪いんだけどさ。アタシがさっきから『おかしい』つってんのはね。陰性なのよ、アタシ」

 

「え!!?」

 

アスカの言葉に驚き、シンジはガバッと飛び起きた。その様子に、アスカがビシィッと親指で背後を指す。リビングの机の上にある妊娠検査薬を見ろ!ということらしい。

 

シンジが恐る恐る机に近付く。震える指先で、机の上の検査薬を手に取る。

 

「・・・・・・・・・アスカ」

 

「あによ?」

 

「これ、どうやって見るの?」

 

途端、シンジは思い切り頭を叩かれていた。

 

「あんたバカぁ!!?横に判定方法書いてあるでしょーが!!」

 

「え?あ!これ・・・?」

 

シンジはしばらく検査薬を見つめ、

 

「・・・・・・本当だ」

 

悲しげな声を絞り出した。その声を聞いたアスカは居心地が悪そうに身動いだ。別にアスカが悪いわけではないのだが、自分の恋人をぬか喜びさせてしまった事に、軽い罪悪感を覚えてしまったのだ。

 

「・・・・・・って、アタシは何も悪く無いでしょーが!!」

 

「へぶっ!?」

 

アスカのツッコミが、シンジの頭に唐竹割りのように振り下ろされた。

 

「勝手に喜んだのはアンタ!勘違いしたのもアンタ!はい、アタシは悪くない!」

 

「いや、でもアスカも思わせぶりだったじゃないか!」

 

「このアタシに口答えする気!?」

 

「う・・・。でも、じゃあアスカが『おかしい』って言ってたのは何でなのさ?」

 

「生理が来てないのよ、アタシ」

 

「・・・・・・どのくらい?」

 

「2カ月来てなくて、予定であれば昨日くらいが3カ月目ね」

 

アスカの言葉に、シンジも首を傾げる。

 

「アスカって、生理はかなり重い方だったよね・・・?」

 

「そうね。2日目は正直動きたくないわね」

 

「だよね」

 

アスカもシンジに釣られて首を傾げた。アスカの言葉の通り、彼女の生理は女性の中でも重い方だった。重い下腹部の痛みや腰痛、頭痛に吐き気がほぼフルセットで襲いかかってくる。エヴァンゲリオンのシンクロ率を測定する際も、アスカが生理中であれば成績がガタ落ちするほどに、重い。それが毎月のようにやってくる。アスカは女の身に生まれたことを、生理が訪れるたびに恨みがましく思っていた。

 

それが、来ない。アスカの人生において、生理が来ないということがどれだけ衝撃的だった事か。思わず小躍りしたくなるほどの喜びを感じていたアスカであったが、その理由に心当たりが無いわけではない。というか、心当たりしかないと言っていいだろう。ほぼ毎日(ときどきトロワ達に貸し出しているが)シンジと夜の生活に励んできたのだ。1カ月目の予定日が過ぎたところで、アスカは妊娠検査薬を使った。結果は陰性。2カ月目も、そして今夜も結果は陰性だった。

 

「・・・・・・一度、マヤさんに見てもらったほうがいいんじゃないかな?」

 

「うーん、そうねぇ。妊娠してんだかしてないんだか、こう、モヤモヤするし。明日にでも聞きに行こうかしら」

 

そう2人が結論づけようとした時だった。

 

 

 

「シンちゃーん?アスカー?アンタらの部屋がうるさいって苦情が殺到してんだけど?」

 

 

 

玄関の外から、ミサトの朗らかな声が聞こえてきた。

 

シンジとアスカの性活、もとい、生活が喧しいのは日常茶飯事である。初めの頃は近隣住民(当然ネルフJPN職員たちである)からシンジ達本人に苦情が届けられていたが、一向に改善の兆しが見えない2人に我慢の限界を迎えた職員は、この2人を一つの部屋に押し込める決定を下した最高責任者であるミサトに泣きついた。元保護者であり、最高責任者でもある彼女の言葉はシンジとアスカに対しても一定の効果があったようで、それ以来、彼らについてのクレーム処理はミサトの仕事の一つと化していた。ミサト自身がこの扱いに対して大いに不満を抱いているのは言うまでもないだろう。

 

「チッ。またやかましいのが来たわね・・・」

 

「聞こえてるわよアスカー?いいからさっさとドアを開けなさーい?」

 

穏やかな口調の裏にある確かな怒りを感じ取ったシンジは、急いで玄関のドアを開けた。

 

ドアを開けた先。目の前には、笑顔の仮面を貼り付けたままのミサトが立っていた。目は一切笑っていない上に、額に青筋が立っているのが見える。

 

はっきり言って、怖い。

 

「あら、ミサト。グーテン・アーベント!良い夜ね!」

 

「そうねぇ、アスカ。誰かさん達がもうちょ〜〜〜っと静かにしてくれたら、もっと良い夜だったわね」

 

「あらそうなの?誰かしら。迷惑ね」

 

「人様の安眠妨害しておいて良い根性してるわね、アスカぁ?」

 

「え?安眠妨害って、まだ8時過ぎですよミサトさん?」

 

シンジの疑問は当然のモノだったろう。一部の超健康志向の人達はさておき、8時すぎで寝ている大人など少ないのではないか?純粋、かつ、悪意の無いシンジの質問であった。だが時として、悪意の無い一言が相手の心の火に油を注ぐ事もあるのだ。

 

「私のっ!安眠妨害よ、シンちゃ〜ん!?私、徹夜明けでこの後も仕事があるんですけどぉ?少しだけでも仮眠取っておかないとなぁーってウトウトしてきた矢先にアンタ達へのクレームが殺到してきた私の気持ち、アンタらにわかる!!?」

 

「ひえ」

 

「決めた。決めたわ。どーせ夜遅いだろうし明日でもいいかなぁくらいに考えてたけど、今よ。今やったるわ!」

 

ミサトの目が据わっている。言うや否や、ミサトは電光石火の動きで、シンジとアスカの首根っこを掴んだ。

 

「ちょ!何すんのよミサト!離しなさいよ!」

 

アスカの猛抗議をミサトは無視し、2人をそのまま引き摺っていく。

 

「ちょ、ちょっとミサトさん。流石にこれはやりすぎじゃないですか?」

 

「やりすぎぃ?それは毎晩ベッドの上で朝までギシギシヤリまくってるアンタらのほうでしょーが!いいからキビキビ歩きなさい!」

 

「ちょ、本当になんなのよ!?何処に連れてくつもり!?」

 

「安心しなさい。マヤの所よ。アンタらにとってはと〜〜〜ってもハッピーな話だから安心しなさい」

 

「ハッピーって何なのよ!?余計怖いんだけど!?」

 

「ごちゃごちゃうるさいわね!いい加減、大人しくついてきなさい!」

 

アスカとミサトの醜い言い争いを横目に、シンジは考えていた。

 

ああ、今夜は面倒な事になりそうだ、と。

 

 

 

──────

 

「無様ね、ミサト」

 

「はい、すみません・・・」

 

「事は慎重に進めなければならない、という決定を忘れたのかしら?」

 

「ハイ、仰る通りです・・・」

 

「大の大人が取っていい行動ではないわね。特にこの件に関しては、組織のトップである貴女が一時の感情で動くべきではなかったわ」

 

「返す言葉もございません・・・・・・」

 

ネルフJPNの医務室。

 

その部屋の隅っこで、ネルフJPN最高司令官が同僚からお説教を食らっていた。

 

「・・・ねえ、なんなのよアレ?」

 

「気にしなくていいわ、アスカ。葛城司令の行動には、私も結構腹が立ってるから」

 

診察用の椅子に座り、マヤはメガネの縁を持ち上げながらアスカのカルテに何かを書き込んでいる。アスカは患者用の椅子に座り、シンジはそれに寄り添うように立っていた。

 

マヤは何かを一通りカルテに記入し終えたあと、机の端に置いてあった茶封筒を手に取り、アスカに向き直った。

 

「これは本来なら先輩から説明した方がいいんだけど。私は医療関係はあまりわからないから・・・」

 

マヤの言葉に、シンジとアスカは揃って首を傾げた。マヤの言う通りなのだ。本来、マヤは技術部のマネージャーであって、医者ではない。それがなぜか診察室で医者が座るべき場所に腰を下ろしており、まるで医者のようにアスカと向き合っている。

 

シンジは堪らなく不安になった。

 

「ま、マヤさん。もしかして、アスカに何かの異常が見つかったんですか・・・?」

 

「異常?」

 

マヤがギロリとシンジを睨む。その視線に、シンジは自分の指摘が的外れではない事を確信した。

 

「治るんですか、アスカは!?」

 

「ちょっと、シンジ!?」

 

「どうすればいいんですか!?僕にやれる事ならなんでもやります!だから教えてください。アスカの病気はなんなんですか!?」

 

「病気?」

 

マヤの目には、今のシンジがとても滑稽に映った事だろう。明らかに認識のすれ違いだ。マヤは口に軽く手を当てて小さく咳をした。

 

「大丈夫よ、シンジ君。アスカは病気じゃないから」

 

「え、でも・・・」

 

「ちょっと静かにしなさいシンジ。アタシが恥ずかしいでしょうが」

 

アスカが隣に立つシンジの膝をピシャリと打つ。

 

「さっきミサトが『ハッピーな話』って言ってたでしょうが。それってコレの事でしょ?」

 

アスカが自分のお腹をポンポンとたたく。それを見たマヤは思わず苦笑していた。

 

「流石ね、アスカ」

 

マヤの返答に、アスカは「トーゼンでしょ?」と得意げだ。

 

「おめでとう、アスカ。あなたのお腹には、赤ちゃんがいるわよ」

 

マヤの言葉にシンジは一瞬呆けた後、喜びを噛み締めアスカに抱きついた。

 

「やった!やったねアスカ!」

 

「もー、さっきからいちいち抱きついてきて鬱陶しいわねぇ」

 

そう返すアスカの顔も晴れやかだ。「嬉しいくせに素直じゃないわねーっ」という声が部屋の隅から聞こえてきたが、無視する。

 

「はぁー!やっとスッキリした。アレかしら。この前のシンクロテストの時にでもわかった?」

 

「ええ、その時のデータを見てたら気づいたのよ」

 

マヤの答えに、アスカはやっぱりね、と頷いた。

 

「という事は、アタシは妊婦だから産休取ってもいいのかしらねー。まぁとりあえず、エヴァにはしばらく乗れないわよね」

 

「あ、そうだよ!それに学校どうする?」

 

「アタシは大学まで出てんだから、別に今更行こうが行くまいが関係ないでしょ。それよりウチらの生活費よ。アンタ、高校なんて行かずに2人分しっかり稼ぎなさいよ」

 

「えぇ!?・・・あ、でもそれはそうか。アスカは動けないもんね」

 

シンジもアスカもネルフJPNの正式なパイロットだ。そこに所属している以上、もちろん給料も支払われている。今の2人の生活費は、お互いの貯金口座を一つにした上でシンジ主体で管理する形でやり繰りしているのだ。

 

「いや、アンタ達、そのくらいヨユーで稼いでるでしょ・・・・・・」

 

隅っこのミサトがチャチャを入れる。ミサトの言葉の通り、彼ら2人はアルマロス騒動を終結に導いた英雄であり、新生の月創造の立役者でもある。彼らの口座には、一般人が一生を懸けても見ることの叶わないような金額が預けられていた。

 

「それもそうですね。あんまり慌てなくても良かったのか・・・。あ、でもアスカ。結婚式はどうする?」

 

「結婚式ぃ?あんなめんどくさいモン要らないでしょ。しかもマタニティウェディングじゃない。体型崩れて見えるから嫌よ」

 

「でもアスカのウェディングドレス、僕は見たいなぁ・・・」

 

「ちょっといいかしら?」

 

このままでは話が明後日の方向に行ってしまう。そう感じたリツコが横槍を入れた。医務室であるが、彼女は気にせずにタバコを咥えて火をつけた。

 

「ちょっと?アタシ、妊婦なんですけど?」

 

「悪いけど2人共。事はそんなに単純じゃないのよ」

 

口から煙をふぅーっと吐いて、リツコはマヤに厳しい視線を送った。

 

「マヤ。この2人を見て迷ってるんでしょうけど、コレはアナタが言わないといけない事なのよ?」

 

「先輩・・・」

 

「私はあくまでもアナタの補佐。アナタが発見した事実は、アナタの口から発せられなければならないわ」

 

リツコの視線から逃げるように目を逸らしたマヤであったが、一呼吸置いて、なにかを決心したように、アスカとシンジに改めて向き直った。

 

「な、なんですか?この空気・・・」

 

シンジは場の雰囲気の急激な変化に狼狽えてしまっている。

 

「アスカ。あなた、妊娠検査薬は使った?」

 

「え?」

 

マヤの突拍子もない質問に、アスカはキョトンとした。

 

「そりゃ、使ったわよ?生理が来ないし、もしかしたらなぁって思ってたし・・・」

 

「そう。判定はどうだった?陽性だった?」

 

「いや、陰性に決まってんじゃない。陽性だったらアタシの方からみんなに言いふらしてるわ」

 

「そう・・・。やっぱり、そうなのね・・・」

 

そういって、マヤはまたアスカから目を逸らす。マヤの煮え切らない態度に、アスカは苛立ちを覚えていた。

 

「さっきからなんなのよ?まどろっこしいわね。言わなきゃなんない事があるなら早く言いなさいよ!」

 

「アスカ!!」

 

マヤがアスカの手を握りしめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの子供は、人間じゃないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」

 

なんの冗談だろうか。

 

冗談にしてもタチが悪過ぎる。

 

だが、今にも泣き出しそうなマヤの表情が、今言ったことが冗談ではない事をハッキリと示している。

 

「ちょっと!マヤさん、何言ってるんですか!冗談にしてもヒドすぎますよ!!」

 

「シンジ君」

 

シンジの頭は一瞬で沸騰した。今にもマヤに掴みかからんとしたシンジを止めたのは、あくまでも冷静なリツコの言葉だった。

 

「妊娠検査薬が、なぜ、妊娠したのかを判別できるか、知っている?」

 

「な、なんの話ですか?」

 

「hCGと呼ばれる、女性特有のホルモンがあるわ。そのホルモンは尿と一緒に体外へ排出される。妊娠検査薬は、そのhCGを検知して、妊娠の陽性、陰性を判定するのよ」

 

「は、はぁ・・・」

 

突然の専門的な話に、シンジは付いていけなかった。ただでさえ女性特有の体のことだ。男子高校生であるシンジは、そんなホルモンの存在など知る由もない。

 

しかし、アスカは違う。1人の女性として、備えている知識がある。知らなかったとしても、自分が妊娠したかもしれないとなれば自ら進んで調べる情報だ。

 

アスカの顔が、徐々に青ざめていく。

 

リツコは構わず続けた。

 

「生理が始まって排卵し、精子と卵子が受精して受精卵になると、受精卵は約1週間かけて子宮にたどり着き、着床するわ。その際、受精卵は子宮内膜から剥離しないように、絨毛(じゅうもう)の根を張る。尿やその他の不要な物質と一緒に体外に出されないようにするために、ね」

 

「あの、その話がなんの関係が・・・」

 

「逆に言えば、この絨毛の根がない限り、受精卵は体外に排出されてしまうのよ」

 

「いや、さっきからそのジューモー、ですか?その話が、アスカとなんの関係があるっていうんですか!?」

 

 

 

「hCGは、その絨毛組織から分泌されるホルモンなのよ」

 

 

 

「・・・え?」

 

「わからない?つまり、アナタ達2人の受精卵は、アスカの子宮に着床していないの。だからhCGは分泌されず、妊娠検査薬では陽性反応が出なかった」

 

リツコの言葉を聞いていたアスカの体が、ガタガタと震え出した。

 

「にも関わらず、アスカの妊娠は確認された。なぜか?一目瞭然。誰が見ても一発で妊娠しているとわかる事実を、マヤが発見したからよ」

 

リツコがマヤを目線で促す。

 

マヤは、悲痛な面持ちで手に持っていた茶封筒から一枚の写真を取り出し、机の上のシャウカステン、レントゲン写真などを見るためのディスプレイ機器に差し込んだ。

 

写真と思われたソレは、映像記録であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「泳ぎ回っていたのよ・・・!受精卵が、アスカの子宮の中で!自分の意思で!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マヤの叫びと合わせて映像を確認した瞬間、アスカは椅子から転げ落ちた。

 

「アスカ!?」

 

「うげえ、ゲェええ!」

 

自身を包み込んだあまりの(おぞ)ましさに耐えきれず、アスカは胃の中のモノをその場で吐き出した。

 

あり得ない。

 

受精卵が、まだ意識どころか臓器すらも出来上がっていない状態で、着床もせず、泳ぎ回るなど。そのための手足すらないハズだ。

 

にも関わらず、受精卵はアスカの子宮内を、まるでオタマジャクシの様に泳ぎ回っている。それが映像で確認できてしまった。泳いでいるのはもちろん、『体外に排出されない為』だ。

 

「アスカ!アスカぁ!」

 

シンジが必死でアスカを助け起こそうとする。しかしアスカはその手を強く振り払い、頭を抱えてその場にうずくまった。

 

当然の反応だ。自分の体内に、自分の常識では計り知れない『なにか』が蠢いているのだから。しかもそれは、人生で一番愛した男との間に生まれたモノなのだ。

 

「そんな・・・、こんな事って・・・・・・!」

 

シンジが再び映像記録に目を戻す。

 

そして、気付いてしまった。

 

「まさか・・・!」

 

「そう、シンジくん。細胞分裂しているの。ヒトのスピードを遥かに上回る速さで。ヒトになるために必要な分裂回数を遥かに超えて・・・・・・!」

 

マヤから告げられた事実に、自分の目で確かめてしまった真実に、シンジは膝から崩れ落ちた。

 

 

 

「こ、コレは・・・・・・」

 

 

 

震えた声でシンジは問う。

 

 

 

「いったい、『なんなんですか』?」

 

 

 

「わからないわ」

 

シンジの問いに、リツコが答える。

 

「これだけの細胞分裂数。常人ならとっくに臓器の形成が始まっているハズよ。にも関わらず、この受精卵は臓器を作るどころかどんどん分裂を繰り返し、未だ着床せずに泳ぎ回っている。これが『何』になるのか?私たちの常識や、今の人類の科学では何もわからないわ」

 

リツコが手元のタバコを思い切り吸い込み、煙を吐き出した。その視線が、部屋の隅で縮こまっているミサトに突き刺さる。

 

「こんな事実を、なんの心構えもできてない状態で当人達に聞かせようとするなんて・・・。今回ばかりはミサトの人間性を本気で疑うわ」

 

「・・・・・・本当に、ごめんなさい」

 

「謝って済む問題じゃないのは、アナタが一番わかってるでしょう?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

何も言えず、黙り込んでしまうミサトをよそに、

 

「なぜ・・・・・・?」

 

シンジが再び問う。

 

「コレは、なぜ、こんな形で、アスカの体に・・・・・・」

 

茫然自失としながらも、問わずにはいられない。

 

マヤは、茶封筒から新たに2枚の映像記録を取り出した。

 

「・・・・・・これは、シンジくんの精子と、アスカの卵子の映像よ」

 

映し出されたのは、悍ましく感じるほどの数で蠢くシンジの精子。そして、何か結晶体のようなもので覆われた、アスカの卵子。その結晶体はシンジやアスカ、いや、ネルフに所属する者にとって、大変見慣れたものであった。

 

「まさか、ATフィールド・・・・・・・・・?」

 

「そう。アスカの卵子を覆っているのは、アスカの張ったと思われるATフィールド。それと、最低でも常人の数百倍の数と、射精された後も死滅せずに生き続けるシンジくんの精子。この2つが受精したことによって、『コレ』は生まれた・・・・・・」

 

「そんな・・・・・・。それじゃあ、僕は、僕らは、人間じゃないって事ですか・・・?」

 

問わずとも理解できてしまう。

 

「人類の長い歴史の中で、エヴァンゲリオンと融合、ないし、心臓などの重要な臓器を共有したのは、アナタ達2人だけというのは確かね」

 

リツコの答えがトドメとなり、シンジもアスカと同じく頭を抱え、床に突っ伏した。

 

 

 

 

 

 

「ふ・・・・・・ふふ、ふふふふふふふ・・・・・・」

 

 

 

地の底から響いてくるような笑い声。

 

 

 

「あは、あはは!あはははは!あははははははははははははッ!!」

 

 

 

それは、アスカの狂ったような笑い声だった。

 

 

 

「アスカ・・・?」

 

 

 

とっさに伸ばしたシンジの手を振り払い、

 

 

 

「舐めんじゃないわよッッッッ!!!!」

 

 

 

アスカが吠えた。

 

 

 

「ホント、元気なベイビーね。ママとしては嬉しい限りだわ!」

 

アスカが口元を拭いながら立ち上がり、受精卵の映像を見て笑った。

 

「ア、アスカ・・・?」

 

「なにボケっとしてんのよシンジ。アンタ父親でしょ!?さっきみたいにもっと喜びなさいよ!」

 

「で、でもコレは・・・」

 

瞬間、シンジはアスカに殴り飛ばされていた。

 

「自分の子供を『コレ』とか言ってんじゃないわよ!!上等じゃない。つまりこの子は、世界で唯一、エヴァンゲリオンと同化できるアタシたちからしか生まれない、アタシたちだからこそ生まれてくる子ってことよね、リツコ?」

 

「ある意味では、そうね。明らかに人類とは違う受精卵をしているから、生まれてきた者は新人類と言ってもいいかもしれないわ」

 

「サイコー。つまりアタシ達の子供が、人類の新しい歴史を作るってことでしょ?さしずめ、シンジとアタシは新時代のアダムとイブってところかしら。流石にビビったけどね」

 

ぺっと、アスカは口の中に残った胃液を床に吐き捨てた。

 

「産んでやろーじゃない。こちとら、シンジをエヴァごと産んだ経産婦よ。アタシ達の子供がなんであろうと、絶対に産んでやるわ」

 

「でも、アスカ・・・」

 

殴られた頬を押さえながら、シンジが立ち上がる。

 

「アスカは、怖くないの・・・?」

 

「怖い?はっ!怖いに決まってんじゃない!」

 

「なら・・・・・・」

 

「堕ろせとか言ったらアンタの口を引き裂いてやる」

 

「違う!そんな事は絶対に言わない!ただ、アスカが心配で・・・」

 

「女を舐めんじゃないわよバカシンジ。出産はね、命張らなきゃできないモンなの。どれだけ医療が発達しようが、そのリスクは絶対に付いてくるの。アンタのママもアタシのママも、それだけの覚悟を持ってアタシ達を産んでくれたの!死ぬのが怖いから産まないなんて選択肢を取らなかった。何故かわかる?アタシ達がこの世に生まれてきてくれた事を、感謝して、祝福したかったからよ!!」

 

その言葉に、シンジはハッとした。かつて言われたかもしれない、遠い記憶が蘇る。

 

 

 

『泣かないで、シンジ。甘えん坊な、私の子。あの人と私のところに来てくれた、私たちの愛しい子』

 

 

 

「アタシも祝福したい!アタシ達のところに来てくれて、ありがとうって言いたいのよ!この子は確かに普通のヒト達とは違うかもしれない。けど、それがなに!?この子が今、アタシの腹ん中で泳ぎ回ってるのはなんでよ!?必死に、生まれたがってるってことでしょ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・うん。そうだね。きっとそうだ」

 

 

 

シンジがアスカの顔に手を伸ばし、まだ汚れていた口元を拭う。

 

「僕も言いたい。この子に会って、直接ありがとうって伝えたい。言おう、2人で」

 

「・・・・・・わかれば良いのよ、バカシンジ」

 

照れ臭くなったのか、アスカはシンジから目を逸らした。

 

「マヤさん」

 

シンジが、今度はマヤに向き直る。

 

「すみませんでした。取り乱したりして。ありがとうございます。僕たちに、最高のニュースを届けてくれて」

 

「シンジくん・・・・・・!」

 

マヤの目から涙が溢れ出した。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい・・・!私、怖かったの!アスカの中に居た子の事が、それを伝えなきゃいけない事が、怖くて仕方なかった!本当は、おめでとうって言ってあげなきゃいけないのに、頭ではわかってるのに、どうしても伝えるのが怖くて、それで・・・」

 

「しゃーないわよ。こんな映像、誰だってショックに決まってるわ。だから、ちゃんと教えてくれてアリガトね、マヤ」

 

「アスカぁ・・・・・・!!」

 

マヤは堪えきれずに顔を覆い、堰を切ったように大声で泣いた。今まで胸の中で固く閉ざしていた様々な感情が、涙と共に溢れ出していた。

 

「さて、と・・・・・・」

 

マヤの泣き声を聞きながら、アスカはツカツカとミサトに歩み寄った。

 

「アス・・・」

 

パァン、と。

 

甲高い音が医務室に響いた。

 

「アリガト、ミサト。アンタの言う通り、とってもハッピーなニュースだったわ」

 

「・・・・・・私は、殺されても仕方ない事をしたと思うけど」

 

「そーでしょうね。もしハッピーなニュースじゃなかったら、アタシはアンタを殺してた。アンタのデリカシーの無さは、今の平手一発でチャラにしたげる。その代わり、最高責任者としてアタシ達を全力でサポートすること。いいわね?」

 

「・・・必ず守るわ」

 

「ミサトさん」

 

いつの間にか、アスカの隣にシンジも並び立っている。

 

「女性に対してやっちゃいけないコトだってのはわかってます。でも本当は、僕も一発殴らないと気が済まないって事は覚えておいてください」

 

「・・・いいのよ?気の済むまで殴ってくれて」

 

「結構です。アスカが代わりにやってくれたから」

 

「・・・・・・そう。わかったわ」

 

アスカに張られた頬を押さえ、ミサトは俯いた。

 

(ホント、軽率な女ね、私って・・・。最悪だわ・・・)

 

だがこの少年少女は、いや、既に大人になっていた目の前の2人は、それで許すと言ってくれたのだ。今はそれを、甘んじて受け入れるしかない。

 

「本当に、過去一番で無様ね」

 

煙を吐き出しながら、リツコが呆れ返って親友を見つめる。その視線はミサトにとって痛いものだったが、それは自業自得というものだろう。

 

「・・・ねぇ、シンジ。アタシ、一つ決めたことがあんだけど」

 

重く沈んだ空気を払拭するように、アスカが恋人の肩に頭を乗せた。

 

「ん?なに?」

 

「名前よ名前!この子の名前!」

 

「え!?もう決めちゃったの!?」

 

「なに、文句あんの?」

 

「そりゃ、僕だって考えたいじゃないか」

 

「まぁ、アタシのアイデア以上の名前だったら候補に入れてあげてもいいわ」

 

「なんだよ、それ。じゃあ、アスカの考えた名前、教えてよ」

 

シンジが思わず苦笑しながら尋ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『ミライ』。この子はアタシ達の『未来』。そんでついでに、人類の『未来』。どうよ?」

 

 

 

「・・・ズルいよアスカ。そんなの、文句の付けようがないじゃないか」

 

 

 

──────

 

カシュッと、ビールの缶を開ける音が部屋に響く。

 

「本当、いつの間にか、みぃんな大人になっちゃってんのね・・・」

 

アスカに張られた頬に湿布。そこを撫でながら、ミサトは一気にビールを煽った。

 

アレだけの騒動を起こしたとはいえ、アレ自体はミサトの仕事の一部でしかない。自分の広すぎる執務室に戻ってきたミサトは、机の上に広げられた書類を見渡しはしたものの、とてもすぐ仕事に取り掛かる気にはなれなかった。気が付けば、机の下に隠してある小さな冷蔵庫からビールを取り出していたという始末である。

 

「アナタも、そういう事なんでしょ?」

 

ミサトの視線が机の向こう側にいる人物に注がれる。

 

「そうです。色々と迷惑をかけて、すんまへんでした」

 

鈴原トウジが、深く深く頭を下げていた。

 

「鈴原副司令代理。これを取り下げる気はないのね?」

 

「ありまへん」

 

机の書類の一番上にあったもの。

トウジの辞表。

 

「昼間のうちに、関係各位にはジブンが挨拶しときました。碇副司令代理にも、話は通しとります」

 

「アナタが居なくなると、私としてはかなり困るんだけど・・・」

 

「葛城総司令には迷惑かけっぱなしで、ホンマすんません。せやけど、これはワシが男として決めた事なんで」

 

「わかってる。わかってるわよ。私も馬に蹴られて死にたくないしね・・・」

 

ビール缶に口をつける。

 

「・・・なんとなくだけど、こうなる気はしてたわ。洞木さんのユーロ行きを決めた時から・・・」

 

「ミサトさん・・・。なんでや。なんで、ヒカリをユーロに送るなんて決めたんや・・・」

 

「最善の結果を選べなかった。それだけよ」

 

自分で言っていて笑ってしまう。これではまるで、サングラスをかけた前司令の物言いではないか。

 

「ご家族も一緒にユーロに渡るの?それとも、鈴原くん一人で?」

 

「家族も連れてきます。ミサトさんを悪ぅ言う気はないんやけど、なんちゅーか、ネルフって組織はきな臭いんで・・・」

 

「アハハ!確かにね!」

 

トウジの物言いに、思わずミサトは笑ってしまった。ミサト自身にはトウジの家族を人質に取ろうという考えは微塵もないが、ネルフJPN以外の組織の動きを見れば、そういった印象を抱くのは仕方のない事だろうとも思う。それに、ミサト自身がこの先、その選択肢を取る可能性も否定できなかった。

 

「ふぅ・・・。寂しくなるわね」

 

「手紙でも書きまひょか?」

 

「いーのいーの!こっちはこっちで楽しくやるから!」

 

「さいでっか。ほなら、これで失礼します」

 

トウジは再び頭を深く下げ、執務室を後にしようとした。

 

「鈴原くん」

 

「なんでっか?」

 

「洞木さんを、しっかり守んのよ」

 

「言われへんでもそのつもりや。任したってや」

 

ニッと笑って、今度こそトウジは部屋を後にした。

 

 

 

トウジが出ていった後、ようやくミサトは机の上の書類を手に取った。碇ゲンドウから手渡された『ネルフLUNA』の建造計画案。

 

「3年、かしらね・・・」

 

計画完遂までの大まかな時間。そして、その間に世界各地で起こり得る、あらゆる想定。

 

「リョウジのヤツがさっさとプロポーズしてくれればなぁ〜・・・・・・」

 

愚痴をこぼしながら、ミサトは再びビールを煽った。

 

 

 

つづく

 



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幕間 福音の行方

 

 人類補完計画とはなんだったのか。

 

 古より人類に滅びが定められていたのならば、なぜ、我々は創設されたのか。

 

 ネルフUSA、ネルフドイツを含めたユーロ軍を筆頭に、ネルフの残党達は悩み悶える。

 

 日本のネルフが、第3新東京市こそがメインの舞台だったというのなら、さしずめ我々はそのステージを整えるための小道具係か。ステージを彩る照明でも、場を盛り上げる音響でも、舞台に立つ役者でもない。ステージの上演には全く関われず、裏方で観客の反応を伺うことすらできない。

 

 まるで道化だ。いや、ステージに上がれるならば、ピエロであっても構わない。それすら叶わなかったのならば、我々はなんだ?裏路地で糞とクスリに塗れながら、行き交う人々から失笑を食らうような、人生の敗北者か。我々の一生を捧げると誓ったにも関わらず、捧げた一生が無駄だと知った我々は、どうすればよかったのか。

 

 物語の結末を迎えられたのであれば、それでも良かった。人類補完計画が完遂し、その結末と共に存在さえ消えてしまうのならば、このような惨めさを味合わずに済んだかもしれない。だが補完計画は挫かれ、物語は終わらず、幕が降りる気配は無い。

 

 ならばコレは、文字通り幕間。

 

 福音は我々の手から、世界から消えた。福音の残滓はあるが、手の内にはない。では、残された我々はどうすればいいのだろうか。

 

 『新たな福音を求めよ』

 

 そう、告げられた気がした。

 

 光が、我々に指し示された。

 

 福音は救いだ。我々が新たに手にすべきは、神話の時代の残滓ではなく、我々自身で作り上げた福音なのだ、と。

 

 

 

──────

 

 カッ、カッ、カッ、と軍靴の音が廊下に響いている。

 

「進捗状況は?」

 

 足音の主は2人。1人は軍人。様相から言って将校にあたる階級の人間だろう。背が高くて肩も広い。アメリカ人の中でもかなりガタイの良い彼は、対峙した人間を圧倒するだけの覇気に満ちている。戦場で培った経験と、それに甘んじずに軍組織のエリートコースを段飛ばしに駆け上がってきた彼には、自信が満ち溢れていた。

 

 その後ろを、背の低い、やや小太りの白衣の女性がパタパタと足音を立てながら必死で付いてくる。白衣をまとい、メガネをかけた女性は、スリッパを履いていた。もともと将校とは歩幅が違ううえ、スリッパでは走りにくい。それでも女性は、男性将校に遅れないよう必死に付いてきていた。

 

「は、はいぃ・・・。既に試作機が完成し、ちょうど今日、ここ、F-4試験棟にて機動実験を行っておりますぅ・・・」

 

「もうできたのか。随分と早いな?」

 

「あの、『ヨモツヒラサカ』ですか?あそこから『あかしま』の現物が調達できましたのでぇ。えへへぇ・・・」

 

「確か、搭乗者がいたな?」

 

「はい!はい!凄く役に立ちました!もうホント、マニュアルを1から作る必要がなくて助かったなぁ〜!」

 

「なんだ。吐いたのか?」

 

「いやいやいやいや!彼ら、軍人さんたちじゃないですか?もう『死んでも絶対に口は割らん!』みたいな覚悟の決め方してて・・・。カッコよかったなぁ〜」

 

「んん?じゃあ、どうやったんだ?」

 

「頭開いて、電極をぶすり、と・・・」

 

「なるほど、実に合理的だ。時間の無駄も省ける」

 

「あ、あ、ついでにダミーシステムの応用で彼らの脳みそをシェイクして、操縦支援プログラムも作ってあります!『あかしま』って基本二人乗りなんですけど、砲撃手のほうはそれでまかなえてですねぇ!」

 

「スタンドアローン機にしたワケか。パーフェクトだ」

 

「あ、あ、ありがとうございますぅ・・・!」

 

 そんな会話を交わしながら、将校は廊下の突き当たりにある部屋のドアを開けた。

 

 

 

 ネルフUSA。人類補完計画の失敗後、米国によって吸収され国有機関と化したその組織は、かつてネルフJPNの取った『全地球使徒探査殲滅ネットワーク』に対抗するため、国益最優先で新規にエヴァンゲリオンを製造した経緯がある。だが、苦心の末に開発、運用にまで至った獣型エヴァンゲリオン「ウルフパック」はアルマロス騒乱の中で失われ、その後の地球規模での大災害に見舞われた事により、組織としての力の大半を失っていた。

 

 アルマロス騒乱。地球規模での大災害。そして、それらを解決に導いた、ネルフJPN。

 

 全地球使徒探査殲滅ネットワーク設計の際、ネルフ総司令官である葛城ミサトによって、なかば恫喝のような形でそれを承認させられた経緯を持つ各国ネルフの残党は、ネルフJPNに対して大なり小なり、不満を抱えていた。しかし現状、彼らを見返すだけの手札がない。しかも地球規模の大災害を、新しく月を造るという大偉業によって解決に導いたネルフJPNは、その圧倒的な技術力と、それに裏付けられた軍事力によって、いまや世界の中心となりつつあった。

 

 権力、および戦力の一極化は許し難い。それが新たな地球の秩序のトップとなる可能性があるのだとしたら、尚更。

 

 そう考える国は、決してUSAだけではない。表立った動きを見せないだけで、各国は、ネルフJPNを蹴落とすための策を秘密裏に練っている事だろう。

 

 

 

「葛城、ミサト・・・」

 

 将校が忌々しげにその名を口にする。

 

 葛城ミサト自身の能力は決して高いものでは無いというのが、このネルフUSAの将校の評価だ。だが、良くも悪くも、彼女は思い切りが良い。それが時流に乗れば、厄介な事になるだろう。そう考えていた将校の懸念は、果たして、現実となってしまった。ネルフJPNの地位は盤石な物と化し、さらに先日、全世界へと発表された『ネルフLUNA』の建造計画と具体的なスケジュールは、その地位の向上に拍車を掛けた。新しく作られた月の監視、という名目。人類滅亡を救った救世主の方策に、反対する理由など無い。ついでに言えば、自国民を納得させるだけの反論をでっちあげる事も出来ない。それが、各国の首脳陣の逆鱗に触れた。

 

「あの女狐に、全世界を掌握される。これほどの屈辱は無いとは思わんかね?アルフィー博士」

 

ドアを開けた将校は、自身の背後について回る女性にそう問いかけた。

 

「あ、あ、あの女狐ですか?・・・正直、どうでもいいです。あの人自身は大した事できないだろうし、どっかでボロが出るか、と・・・」

 

「そんな事はわかっている。だが、ボロが出るのを待っているようではダメなんだよ、アルフィー博士。奴には、ボロを出して貰わなければならんのだ」

 

「はぁ・・・・・・」

 

アルフィーと呼ばれた女性博士は、なんとも曖昧な返事を返した。正直、自分は政治に関わる工作に付き合いたくない、というのが彼女の本音だ。彼女自体は、新しい発明品(オモチャ)が実用化されればそれで良い。その程度にしか考えていない。

 

 そもそも、葛城ミサトの方策に対する反論があれば、世界の何処かの国が既に手を挙げている事だろう。それが出来ないほどに、ネルフJPNが行ったことは歴史的な大偉業なのだ。バカでも分かる、見ただけで理解させられる偉業。その成果が地球の夜を照らし、夜空を見上げれば、誰もが必ず目にするカタチとして浮かんでいるのだ。それを『無くせ』などと、誰が言えようか。

 

現状では、葛城ミサトの方策に口出しなどできない。ただし、『現状では』だ。

 

今後、ネルフJPNと葛城ミサトを失脚させる具体的な術。それが、将校の眼前に広がっている。それを開発したアルフィー女史に、将校は万雷の拍手を送りたい気分であった。

 

 開け放たれたドアの向こう、ガラス張りの大きな実験室の向こうで、ソレは動いていた。

 

「素晴らしい動きじゃないか・・・」

 

 将校は惜しみない賞賛をアルフィー女史に送った。将校の視線の先、ガラスの向こうでは、アルマロス騒乱の際に徴収した日本の戦略自衛隊の開発機『あかしま』が、本来のスペックを超えた動きで、広大な実験室の中を縦横無尽に駆け回っていた。

 

 『あかしま』とは、かつて日本重化学工業共同体の代表である時田シロウ氏によって開発された、N2リアクターを搭載した『ジェットアローン』、通称『JA』を基に製造された人型兵器である。正式名称を『戦略自衛隊・四式統合機兵「あかしま」』といい、JAの機能に加えてVTOLへの変形機能を備えた画期的な発明品であった。陸戦では二足歩行戦車として活躍し、空中では空中砲艦形態に変形する事で、陸戦、空戦の双方に対応できる優秀な量産型兵器であった。しかしアルマロス騒乱の際、この機体がその機能に見合った評価を得る事は無かった。

 

なぜか?

 

答えは単純にして明快。敵であったアルマロス、および、それに対抗したネルフJPNのエヴァンゲリオンの性能に、単機で並び立つ事ができなかった。「それだけ」である。

 

「日本はなんと勿体無いことをしたのだろうな。そうは思わんかね?」

 

「ほんと、それですよねぇ・・・。えへ」

 

 この将校の問いに関しては、アルフィー女史も即答する。恐らく彼女以外にも、勿体無いと感じる科学者は多いことだろう。

 

 この兵器の真価が発揮されるのは、単機の性能ではない。多数編隊によってこそ、真価が発揮される。この兵器は「少し訓練されただけの軍人が、これに乗る事によって巨人としてのスペックを得る」という点が最大の魅力なのだ。巨人が1人いるだけでは到底エヴァンゲリオンには太刀打ちできないだろう。だが、巨人が軍隊を編成したら?その火力が、一気にエヴァンゲリオンに殺到したら?犠牲は多いだろう。だが、それに見合った戦果は確実に得られる。ともすればこの『あかしま』は、人類同士における戦争の形を一段階進化させる要素であったと言っても過言ではない。それはかつて、人類にもたらされた「銃」という武器と同じ意味合いを持っていた。その真の価値を見出した者こそが、時代の覇権を得る。それだけの価値が、『あかしま』にはあったのだ。

 

 その『あかしま』の性能を、この小柄な女性はさらに引き上げたのだ。ネルフUSAとして培ってきた技術を組み込む事で。

 

「まるで、人間そのままの動きだな。小柄なエヴァそのものだ」

 

「操縦席はエヴァのプラグと同様、LCLで満たされています・・・。人間の皮膚に走る微弱な電気信号をキャッチする事で、搭乗者の思考をダイレクトに受けた『あかしま』がその動きをトレースする。反応速度は0.00001秒。完璧なトレースではないですが、既存の兵器には無い仕様にしてみましたぁ・・・」

 

「シンクロシステムか。だが、それでは機体のダメージはそのまま搭乗者に跳ね返ってくるのでは?」

 

「若干。ゼロにもできますが、意図的にそうしてます。戦闘において、痛みは重要な信号です。機体のどこがダメージを受けたのか?それはどの程度なのか?動きに支障はないのかどうか?戦闘継続は可能なのか?そういった判断材料を搭乗者に与えるため、敢えてそうしてありますぅ。もちろん、搭乗者が痛みで動けなくなるほどのフィードバックは無いようにしてありますが・・・」

 

「ほう・・・」

 

 将校の目は、先ほどから機敏に動き回る『あかしま』を凝視している。

 

「実に見事な動きだ。アレに乗ってるのは、訓練された軍人かね?名は?」

 

「へ・・・・・・?」

 

将校の質問に対し、アルフィー女史は素っ頓狂な声を上げた。そんな質問は予想していなかったとばかりに。

 

「ん?どうした?まさか非合法な人間を乗せてるのか?」

 

「い、いいえぇ!違いますよ、そんな事するわけないじゃないですかぁ!」

 

「じゃあ誰なんだ?アレに乗ってるのは」

 

「ただの一般職員ですけど?」

 

 

 

 

 

「・・・なに?」

 

 

 

 

 

「いぇ・・・、ですから、技術部の下っ端をとりあえず載せてみたんですぅ・・・。マズかった、ですかぁ・・・・・・?」

 

アルフィー女史が、上目遣いで将校の顔色を伺う。「やってしまったか?」そんな疑念が、アルフィー女史の心中でざわつき始めていた。

 

 

 

だが、その疑念は裏切られた。将校の高笑いによって。

 

 

 

「はは、はははははははははは!!最高じゃないか!つまりアレは、『民間人だろうが素人だろうが、あれだけの動きができる』!そういう事だろう!?」

 

「え、ええ・・・。どうしましょう?軍人用にチューンナップしますか?」

 

「バカな!そんな事、全く必要ない。コレがいいんじゃないか!誰でも巨人として戦える!これ以上の成果があるのかね!?」

 

「え?いやぁ、ええ・・・・・・・・・。思いつかないですねぇ」

 

「だろう!?」

 

将校がガラスにへばり付く。

 

「アレにアダムやリリスの素体は使われてないのだろう!?」

 

「いや、当たり前じゃないですか。アダムもリリスも、もう無いですしぃ・・・」

 

「だよなぁ!?アレは既存の人類の技術で作れるって事だ!量産は可能か?」

 

「えーっと、量産体制を整えるのに半年。一度稼動できれば、ひと月で100機は作れる、かなぁ・・・・・・?」

 

「100倍にしろ。ひと月10000だ。見積もりを出せ。私が通す」

 

「え、えぇ!?良いんですか!?」

 

将校の言葉に目を輝かせるアルフィー女史であったが、それ以上に将校の目は輝いていた。

 

「素晴らしい・・・、素晴らしいぞアルフィー!量産体制が整ったら増産だ。最優先、最速でやれ!他国もこの技術に気付くだろうが、最新は常に我が国でなければならない!最新こそが最強なのだ!」

 

「は、はい!はいぃぃいい!ありがとうございます!ありがとうございます!!」

 

「何を言う。礼を言うのは私の方だ。大統領もお喜びになるだろう!」

 

「ええええ!?ホントですか!?」

 

「世紀の発明だぞ!?アルフィー。自信を待て。お前はそれだけのものを生み出したのだ!」

 

涙ぐむアルフィーの肩を叩きながら、将校は喜びに踊り出したくなるのを必死で耐えた。

 

(今はまだ、我々の戦力は整っていない。だが、近いうちに、この技術は世界に広まるだろう。そうすれば、ネルフJPNに敵対感情を抱いている各国で連合を組む事も可能だ)

 

ネルフJPNの発表によれば、ネルフLUNAの建造計画は3年の見通し。それまでには十分間に合うだろう。

 

(指揮権を我が国が取れれば良し。取れなくとも、対ネルフJPNの連合を組めれば問題はない。世界の覇権を、あの女狐に渡すくらいならそれくらい許容できよう)

 

将校は再び、機敏に動き回る『あかしま』に目を向けた。

 

「『あかしま』は都合が悪いな。何か新しい名前はないのか?」

 

「え、名前、ですか?一応私たちは『AE』って呼んでますけどぉ・・・」

 

「AE?」

 

「オルタナティブ・エヴァンゲリオン。その頭文字をとって、AEって・・・・・・」

 

「ほぉ。悪くない。新たなエヴァというわけだな」

 

 オルタナティブ・エヴァンゲリオン。人が人のまま、次のステージに上がるための小道具。これこそが、我々にとって必要なものだと、将校は確信を持つ。福音の残滓、神話の欠片はもう必要無いのだ。

 

 これより天空に(そび)え立つであろう、ネルフLUNA。アレは、我々の頭上に在ってはならない。アレに、我々は縋ってはならない。アレを、許してはならない。我々に新たに与えられた『福音の代理』は、あの恥知らずな神殿を地に叩き落とすだろう。

 

 新たな星の、歴史は動き始める。USAだけでなく、世界中のあちらこちらで。

 

 それは使徒やアルマロスといった、人知を超えた存在との争いではない。

 

 奇しくも3年前、ネルフ本部を強襲した戦略自衛隊のような、人と人の争い。人が自身の「利」のみを求める、最も愚かで救いのない争い。

 

 人の繰り返してきた『罪』そのものが、今まさに芽吹こうとしていた。

 

 

 

つづく



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d.激流(前編)

 

 そのニュースは、昼夜を問わず時差の壁を飛び越えて、瞬く間に世界中を駆け巡った。

 

 

 

『米国、英国、および欧州連合、ネルフJPNを国際テロ組織指定へ』

 

『12月開催の主要国首脳会議にて正式に可決か』

 

『国連、安全保障理事会にて全会一致でテロ組織指定可決の方針を示す』

 

 

 

 西暦2020年、9月13日。

 

 この発表は、人々の眠っていた記憶を呼び起こした。

 

 奇しくも20年前のその日、未曾有の大災害が世界を襲った事を。

 

 『セカンドインパクト』が発生し、一瞬にして世界が変わってしまった事を。

 

 

 

──────

 

 同日、午前9時。

 

 ネルフJPNの発令所には錚々たる面子が揃っていた。彼らの目は一様に、発令所のメインモニターに映し出された文章に釘付けになっていた。

 

 

 

『NERV JAPAN、及びそれに関する組織と、アメリカ合衆国政府および国民との間に戦争状態が存在することをここに宣言し、これを起訴するための規定を作成する。NERV JAPANは、アメリカ合衆国政府および国民に対して、一方的な戦争行為を犯した。

 

したがって、合衆国の上院および下院は、このように合衆国に押し付けられた合衆国とNERV JAPANとの間の戦争状態を、ここに正式に宣言することを、召集された議会で決議する。大統領はここに、NERV JAPANに対する戦争を遂行するために、NERV USAとそこに保有されるEvangelionを含めた合衆国の軍隊のすべてと、政府の資源を使用する権限を与えられ、指示する。 そして、紛争を成功裡に終結させるために、この国のすべての国民及び資源は、米国議会によってそれを支持する事をここに誓約する』

 

 

 

「第二次世界大戦時の宣戦布告か。それをそのまま流用するとは、芸が無いな・・・」

 

 サングラスの位置を整えながら、碇ゲンドウが真っ先に口を開いた。彼は、伊達でネルフの看板を背負っていたわけではない。ネルフ司令として、各国の首脳やそれをまとめていた国連、更にそれを裏で操るゼーレと直接舌戦を繰り広げてきたのが彼だ。その胆力は司令の座を引いた今でも微塵も衰えていない。

 

 だが、この場にいる他の者。特に、組織の責任者として外部の人間との交渉に臨んだ経験の薄い者たちは、画面の文字、それの意味するところに衝撃を受け、皆、一様に青ざめていた。

 

 大国が発した、正式な宣戦布告。それも、世界大戦以降で正式な宣戦布告を一度も出さなかったアメリカが、ネルフJPNに向けて発したモノだ。日本という国に対して、ではない。たった一つの組織に対して発した宣戦布告である。

 

「テロ組織認定は12月、って話じゃなかったかしら?」

 

 発令所に満ちた重い空気を一掃するように、ネルフJPNの総司令である葛城ミサトは極めて軽い口調で、ため息と共にその疑問を口にした。驚愕はない。2年前にネルフLUNAの建造計画を世界的に発表した時。そして、その直後に洞木ヒカリをユーロに返還した時から、こうなる可能性は予見できていた。地球環境が落ち着きを見せ、各国の国力が戻れば、待っているのは新たな地球の覇権争い。そのトップを走り続けるネルフJPNが槍玉に上げられるだろうことは、容易に想像できていた。

 

「12月の首脳会議は建前だろ。否決なんてされるハズがない。1秒でも早く攻め込みたいのが奴らの本音さ」

 

「わかってるわよ、そんな事」

 

発令所の壁にもたれながら指摘した加持リョウジの発言を、ミサトは手を振ってあしらった。

 

「ちなみに、罪状はなんなのかしらね〜?」

 

「『航空機に対する不法な奪取』。空を飛べるエヴァは一応、航空機に値するとでも言うのかしらね。弐号機は一応、ネルフドイツの所有物でもあるし。『国際的に保護されるべき要人に対する犯罪の防止』、『人質を取る行為に関する条約違反』。これは洞木ヒカリのことね。それ以外にも、『海上航行の安全や国際民間航空への不法行為』。でもまぁ、一番大きなところは、ネルフLUNAが存在する事で起こりうる『大陸棚上に所在する固定プラットフォームの安全に対する不法な行為』ってところじゃないかしら?」

 

ミサトの隣に立つ赤木リツコが、想定される罪状を羅列していく。それを聞いたミサトは、特に驚くこともなくポリポリと頬をかいた。

 

「身に覚えがありすぎるわねぇ。まあ、こじつけの建前としてはご立派。・・・日向君、総理からなんか連絡あったぁ?」

 

「いえ、今のところは何も」

 

「そりゃそっか。戦自は?」

 

「そっちからも何もないですね。データベースをハッキングしてメールなどのやり取りを追ってますけど、どれも『総理の判断を待て』ってなもんです」

 

「・・・さりげなく罪状増やすようなことしないでよ、青葉君」

 

サラッと出された問題発言に、ミサトは苦笑するしかなかった。

 

 しかし、本当に頼りになる仲間たちだ、とミサトは改めて思う。使徒殲滅からネルフ本部決戦を経て、アルマロス騒乱へ。その全てを、ここにいるメンバーで乗り越えてきた。新人の若輩者たちとは、それぞれ担っている責任と覚悟が違う。ミサトの事を理解し、既に手を打ってくれている仲間など、人生でそうは得られないだろう。その事に、ミサトは心から感謝していた。

 

「しっかし、よりにもよってテロ組織ねぇ。各国の皆さんのウチへの投資額はそりゃあ大層なもんだったけど、そのあたり、忘れちゃってるのかしら?」

 

「払った額より、ネルフJPNが世界を手中に収めた際に掛かるリスクとコスト。それを天秤にかけて判断を下した。それだけの事だ」

 

「碇副司令代理?別に私は世界のトップになりたいわけでもないし、税金の徴収とか考えてないですよ?なんなら逆に、ウチの納税額でも提示してみます?」

 

「やめておけ。時間の無駄だ」

 

「ですよね〜」

 

 ミサトとゲンドウの関係も、この二年間で、だいぶ砕けたものとなっていた。

 

 かつてゲンドウはミサトに対して「敬語を使うな」と忠告を発した。しかし、ミサトがゲンドウと仕事を共にしてきた中で感じたのは、圧倒的な経験値の差。「人をまとめる」という点についてはミサトの方が秀でているという自信はあったが、冷徹に「人を使う」という点においては、ゲンドウの手腕はミサトのそれを数段も上回っていた。ともすれば作戦行動に人情や感情を入れがちなミサトに対し、組織としての利を最優先するゲンドウは良きストッパーとなっていた。意見のぶつかり合いも多かったが、それらは全て、意味のある衝突であったと、ミサトは思っている。年長者であることを除いても、ミサトはゲンドウをある意味で尊敬していた。例え部下でも、尊敬に値する者には敬意を払う。ゲンドウからは何度も注意されたが、ミサトがその態度を改める事はなかった。

 

 その内に、いつしかゲンドウもその姿勢を受け入れるようになっていた。頑なに人を拒絶するか、己の意見を押し通すしか術を知らなかったこの男も、ミサトとのやり取りを通して「落とし所を見つける」事を覚えていったのだ。それはゲンドウにとって、他人を理解するための第一歩だったのかもしれない。もしかしたら、悩みながらも司令として必死に差配を振っていたミサトの姿に、かつて私情を最優先していた自分の姿を重ねたのかもしれない。

 

 そんなミサトの姿に、時には物足りないと感じ、時には教えられることもあった。そして今、大国を敵に回そうという局面において、それを恐れる事なく振る舞っているミサトの姿を、ゲンドウは誇らしいと感じていた。もっとも、彼がソレを口にする事は決してないが。

 

「さぁって、と。どのみち私たちはテロリスト扱いになっちゃうんだし、とっと逃げ出そうかしらね。碇副司令代理、進捗状況は?」

 

「問題ない。通常稼働に必要な設備の設営については既に完了している。あとは細かな装飾程度というところだ。運営自体に問題はない」

 

「それは結構!なら・・・、そろそろ本部を移転する頃合いかしらね。あの空に浮かぶ、我らがネルフLUNAへ!」

 

 ミサトの言葉と共に、発令所のメインモニターに建造中のネルフLUNAの、地上から撮影された姿が映し出された。見てくれは建造途中の無骨な姿が映っていただけだが、運営機能が備わっているならば言う事はない。世界の大国から宣戦布告を正式に受けた以上、ネルフJPNが地上に留まる理由はない。

 

「現地スタッフにはたっぷりボーナス弾んでやらなきゃね。ま、どこまで出せるかは経理部との相談だけれど♪」

 

 明るい言葉とは裏腹に、ミサトは獣のような笑みを浮かべて舌舐めずりをしていた。

 

 かつての覇権国家であったアメリカの宣戦布告。それ自体はネルフJPNにとっても多大な影響を与えるものではあるだろうが、しかし、決してミサトの想定を超えるものでは無かった。全世界を敵に回す。それくらいの最悪の事態を、ミサトは想定していた。それはともすれば、かつてネルフ本部におけるゼーレとの戦い以上の事態になるのではないか、と危惧するほどに。

 

 アメリカ単体で発せられた宣戦布告は、裏を返せば、世界規模での連携が取れていない何よりの証拠。足並みが揃っていないならば、例え大国同士の同盟だろうと、ネルフJPNにとっては烏合の衆。戦力的には、世界を破滅から救ったエヴァンゲリオン最終号機やアスカエヴァ統合体、F型零号機アレゴリカといった一騎当千の機体がネルフJPNには揃えてある。世界を終わらせるだけの力を持っていたアルマロスを撃退した戦力に対して、現在の地球で揃えられる戦力など、知れたもの。この宣戦布告を受けて、各国からの支援、特に戦自との協力関係を築いていた日本政府からの支援が打ち切られる可能性が大きい事はネルフJPNにとっても痛手ではあったが、すでに天空の城は成った。ならば後は城に引き篭もり、無駄な舌戦を繰り広げようという世界各国をあしらうだけで済む。

 

ミサトはそう、軽んじていた。

 

 

 

「ちょっと待ってください」

 

 

 

 それに「待った」をかけたのは、ネルフJPNの技術部マネージャーである伊吹マヤであった。

 

「この宣戦布告、おかしくないですか?」

 

マヤの指摘に、発令所にいたメンバーの目が再びメインモニターに移る。

 

「もう一度、宣戦布告の文章を出してください。・・・・・・ほら、ここ」

 

映し出された文章に対し、マヤはおかしいと思える部分を指差して言った。

 

「『NERV USAとそこに保有されるEvangelionを含めた合衆国の軍隊のすべて』。この部分です。なんでアメリカは、わざわざネルフUSAの名前なんて出したんですか?」

 

 マヤはミサトとリツコに厳しいを目を向けながら、己が疑問を口にする。

 

「世界中のネルフの機能は5年前、葛城総司令がネルフJPNを設立した際に、その大半を吸収しています。USAは確かに、我々にも秘密裏に獣型エヴァンゲリオンである『ウルフパック』を開発し、アルマロス騒乱の際に投入してきました。ですがアレは、USAに残っていた僅かなアダムの素体を無理やりエヴァに登用して、獣性で補ったようなモノ。あの存在自体が、ネルフUSAに余裕が無かった事を示すようなものです。にも関わらず、この宣戦布告には、なぜ『NERV USAのEvangelion』なんて一文が明記されているんでしょうか?そんな余裕があるハズはない。なのに、なぜ?何のために?」

 

マヤの目は真剣そのものだ。まるで、この場にいる全員が、ナニかを見落としている、と言わんばかりに。

 

「ネルフUSAは、間違いなくエヴァンゲリオン、もしくは、それに連なるモノを開発しているはずです。でなければ、こんな文章に意味がない事くらい、かの大国は理解している筈です」

 

「・・・単なるブラフではない。そう言いたいのね?」

 

マヤの真剣な眼差しに、ミサトも真面目に応えざるを得ない。そして、その反応を待っていたと言うように、マヤも力強く頷いた。

 

 具体的な確証は無いが、ネルフJPNの技術部の責任者が感じる違和感を「気のせい」で終わらせるほど、ミサトも馬鹿ではない。マヤもそれが解っているからこそ、今この場にて発言した。決して自分だけの妄想だと受け流すような上官ではない。マヤもまた、ミサトを信頼しているからこその問題提起であった。

 

「あ〜あ、先に言われちまったか・・・」

 

 その提起された問題点を、加持が顎を撫でながら肯定した。

 

「なによ、加持君。なんか知ってたわけ?ならなんでとっとと報告を上げなかったのよ?」

 

「確証を得たわけじゃないからさ。何か決定的な証拠なんてものは、手元に揃っちゃいなかった。そんな状態で報告した所で、余計な混乱を招くだけだろ?」

 

「それを判断するのは、総司令であるこの私。それに、あんたのその口ぶりからすると状況証拠は揃ってるんじゃないの?」

 

「御明察」

 

 加持が胸ポケットにしまってあるタバコを取り出そうとして、一瞬動きを止めた。複雑な問題を説明するとき、ついタバコに手が伸びてしまうのは喫煙者の本能のようのものだ。

 

「かつてのネルフUSA。その実験棟における人の出入りがこの2年間で膨れ上がっている。恐らく、ウルフパック開発途中であった頃の2倍。それに伴って、合衆国の各地で用途不明の工場が乱立してきた。どこかの企業のもんじゃない。なんの看板も掲げず、しかし軍人が見張りを務めるほどの重要な施設・・・・・・」

 

「合衆国が軍備を整えてるって言いたいの?」

 

「確証は無いって言ったろ?だが、出入りしている人間を尾けさせたところ、『AE』という単語が頻繁に出てきた。詳細は判らないが伊吹技術顧問の言う通り、エヴァに関係するものの可能性は高い」

 

「そう」

 

加持の報告した情報に、ミサトは眉を顰めた。もし、本当にエヴァンゲリオンを建造しているならば、それは確かにネルフJPNにとっての脅威となるだろう。

 

「だけど、アダムもリリスも居ない状況で、一からエヴァを作ったっていうの?どうやって?」

 

「・・・・・・似たような事例は、欧州でも確認されている。もしかしたら合衆国だけではなく、世界的に流用が効く技術で作られた、『エヴァに似たナニカ』って事かもしれない」

 

「あり得ない話じゃありません。戦略自衛隊の作った『あかしま』。機体のスペックこそエヴァには及びませんでしたが、今思えば、あれの建造コストの安さと完成までのリードタイムの短さは異常です。その技術が、アルマロス騒乱のどさくさに紛れて流出していたとしたら・・・」

 

「汎用ヒト型兵器の軍隊の出来上がり、ね」

 

加持の報告にマヤが考察を重ね、リツコが結論を述べる。その内容は、フルオーダーで作られる従来のエヴァンゲリオンとは違った強みを持っていた。

 

「人殺しに特化した、汎用ヒト型兵器・・・」

 

ミサトはついに舌打ちをした。

 

「それが量産化されてるって事?世界中で?」

 

「かもしれないってだけだ。だが、留意しておいた方がいいだろうな」

 

「量産規模はわかるか?」

 

ココこそが重要という点を、ゲンドウが的確に突いた。最悪を想定して動くならば、敵の戦力がどの程度なのかの把握は必須であろう。加持は困ったように頬を掻いた。

 

「正直、お手上げです。完成形を見たわけではないし・・・」

 

「『あかしま』をモデルにしていると仮定し、アレと同程度の物を作れるとした場合はどうだ?」

 

ゲンドウの問いに、加持はポケットの中の携帯端末を取り出した。数秒だけ画面を操作した後、加持はため息を漏らした。

 

「『あかしま』級であれば、月に30万台は作れるでしょう。量産体制が整ったのがいつからだったのかは不明ですが、一年前からと仮定しても360万の機体が用意されているでしょうね」

 

「機体だけを作ってるワケじゃないと思うわよ、リョーちゃん。機体が扱う兵装も製造してるハズ。それならば、合衆国の機体の保有数は半数以下になるんじゃなくて?」

 

半ば気落ちしていた加持を慰めるように、リツコが助け舟を出す。だが、加持の表情は冴えない。

 

「合衆国だけ、ならな・・・」

 

「加持君。欧州でも似たような動きってさっき話してたわよね?もしかして、他国も同程度の生産体制を整えてると想定した方がいいのかしら?」

 

「そう思いますよ。葛城総司令」

 

加持が乾いた笑いをミサトに向けた。

 

「・・・割と最悪な状況じゃないのよ、ソレ。世界の宇宙航空技術も劇的に向上しているし、下手したらネルフLUNAに直接攻め込んでくる事も考えられるわね」

 

「葛城総司令。事はそう単純でもない。不確定ではあるが、仮にこの技術が世界に流出していたとしよう。にも関わらず、ネルフJPNにはその情報を徹底的に秘匿した事実こそが重要だ」

 

「・・・結託してるって事ですか。世界中が」

 

「ああ。ネルフJPNを『敵』としてな」

 

 ゲンドウが再びサングラスに手をかけた。

 

 ミサトが想定していた最悪の状況に近い状況。いや、想定される敵の軍事力を考えれば、状況は更に悪い。

 

 しかし、バッドニュースは続く。

 

「ああ、それとな?」

 

「なによ?これ以上の悪い報せは勘弁願いたいんだけど?」

 

「いや、ユーロに潜り込ませてた相田ケンスケなんだが・・・・・・」

 

「・・・・・・?」

 

「たった今、消息を絶ったそうだ」

 

 その場にいたネルフJPN主要メンバー全員の目が開かれる。

 

「・・・・・・どっちだと思う?」

 

 ミサトの不明瞭な問いの真意は、「ネルフJPNへの裏切り」か「ユーロによる抹殺」か、どちらの可能性が高いかを想定したものである。それはミサト自身がケンスケに対して抱いている印象が原因であった。

 

 彼、相田ケンスケは、エヴァに乗れなかったという悔しさと、それを払拭しようとする自尊心の高さゆえ、任務を疎かにする傾向がある。「自分はエヴァに乗っていてもおかしくない人間のはずだ」「チルドレン達よりも優れた箇所があるはずだ」といった感情が胸中に渦巻いているのを、ミサトはケンスケを間近で見た時に感じ取っていた。それゆえ、ケンスケが自尊心を優先する余りに、ネルフJPNを裏切って敵方に回る可能性をミサトは捨てきれないのだ。

 

「何とも言えないな。だが、俺が彼と最近仕事してて思うのは、『根っからの悪い奴じゃない』って事かな。なんだかんだで、友人想いの良いやつだと思うぜ?」

 

「そう・・・。あんま参考にならないけれど、とりあえず心に留めとくわ」

 

 もし仮に、ケンスケの離脱が裏切りによるものであれば、ネルフJPNの機密情報を手土産にユーロに入り込んでもおかしくはない。エヴァに乗りたがっていた彼が、エヴァに代わる機体に乗りたいという理由で寝返る事も考えられる。

 

 しかし、彼の離脱問題に時間を割いている場合でもない。

 

「ネルフJPNの全機能をLUNAに完全に移転できるまでの期間は?」

 

 ミサトが司令として、スタッフ全員に問い掛ける。

 

「MAGIの移転を最優先にしたとして、それだけで1か月はかかります。逆に、MAGIの移転さえ完了してしまえば、後はどうとでもなります。全行程で3か月以内、つまり、ネルフJPNのテロ認定までにはギリギリ間に合うかと思われます」

 

 技術部代表として、マヤが答えた。

 

「行程短縮が最優先だ。最悪、MAGI以外については切り捨てても構わない。もちろん、運用に関わる人員は除いて、だ」

 

「ゲンドウさん。そんな言い方をするから誤解を呼ぶのよ?」

 

「む・・・」

 

 ゲンドウの判断を、リツコが注意する。

 

「ネルフJPNの人員は全員必要。だから、切り捨てるなんて選択肢はない。切り捨てるのは施設的に優先順位の低い箇所。こんな風にちゃんと説明しなければ、本当に言いたい事は伝わりませんわ?」

 

「・・・うむ。そうだな。誤解を生んだならば謝罪しよう」

 

「またまたぁ!碇副司令代理の性格はここにいる全員が知ってるんだから、ワザワザ指摘する人間なんて居ないですよぉ。ねぇ、リツコ?」

 

「ええ、そうね」

 

 内縁の妻らしく振る舞うリツコの態度に居心地を悪くしたゲンドウを庇う様に、ミサトが茶化した。

 

「さて、ならばマヤ。青葉君と日向君と合わせて移転完了までのスケジュール作成を。宣戦布告が出された以上、最短で我々は動かなければならない。3日で作って提出して。いける?」

 

「2日でいけます」

 

「よろしい!スケジュールが提出され次第、碇副司令代理は各方面への通達と指揮を。今回は少しばかり無茶しても構わないわ。リツコもフォローに入ってちょうだい」

 

「了解した」

 

「加持君は引き続き各国の動向調査を。あと、人員を確保して」

 

「人員?どんな?」

 

「移転中のネルフJPNとLUNAにおける平行稼働のためには、今ココにいるスタッフだけじゃ足りないわ。はっきり言うと、移転中だけ使って、移転後は切り捨てる事のできる契約社員みたいなのを用意して」

 

「かなり無茶言ってくれるな。そんな優秀な人員が、おいそれと集まってくれるかね?」

 

「それをやるのがあんたの仕事。もし有用であれば、正式雇用も視野に入れるとニンジンぶら下げていいから」

 

「わかった。できるだけやってみるとするか」

 

「加持君。人員リストができたら一度私に見せたまえ。振り落としは私がやろう」

 

「頼りにしてますよ、副司令代理」

 

「あとリツコ。基本は副司令代理のフォローだけど、エヴァ整備関連の移転については臨機応変にマヤのフォローにも回って。だいぶ忙しくなるわよ?」

 

「勤務中の喫煙は目を瞑ってくれるかしら?」

 

「問題無し。それでは各自、持ち場に着くように。問題発生の場合はすぐに報告を上げて。どんな細かい事でもいいわ。バカ加持みたいに、一人で抱え込まないで。私が判断します」

 

「「「「「「了解!」」」」」」

 

「ひでぇ言いようだな・・・」

 

 ミサトの矢継ぎ早の指示に、スタッフ全員が即座に応じた。

 

 ここまで来れば時間との勝負。地球の上にいれば、日本という小さな島国は全方位からの攻撃を受けてしまう。それを防ぐために、まずはLUNAへの移転を終える事が最優先であった。

 

 スタッフがそれぞれの持ち場に着いて仕事を開始しようとした矢先、発令所内に携帯端末のアラーム音が響いた。

 

「すまない。私だ。失礼・・・」

 

 鳴ったのはゲンドウの端末。ゲンドウは端末を耳に当ててその場を離れる。

 

「会議中だ。後にしろ。・・・・・・なんだと?」

 

 ゲンドウの会話の内容は他者には聞こえない。だが、その会話でゲンドウの纏う空気が一変したのを、ミサトや主要メンバーは見逃さなかった。

 

 突然の事であった。

 

 ゲンドウは端末を握りしめながら、何も言わずに発令所を飛び出したのだ。

 

「ちょ!?副司令代理!?」

 

「ゲンドウさん!?」

 

 いきなりの事態に、その場にいた全員が驚きを隠せない。

 

 一体何が起きたのか?

 

 その答えは、次に鳴ったリツコの端末からもたらされた。

 

「はい、赤木・・・・・・なんですって!?わかった。すぐ向かうわ」

 

「なによリツコ!?何が起きたの!?」

 

 リツコもゲンドウ同様に発令所を飛び出そうとした為、ミサトは急いでリツコを呼び止めた。

 

 

 

「アスカよ!アスカが産気づいたわ!!」

 

 

 

 叫ぶや否や、リツコは発令所を飛び出していった。

 

「全スタッフそのまま!仕事を続けて!リョウジ、日向君、青葉君!悪いけどここ任せたわ!マヤは一緒に来て!!」

 

 ミサトは急いで指示を飛ばし、ゲンドウとリツコの後を追った。

 

 アスカの妊娠が発覚してから、2年。

 

 この世界に、人類の進化の可能性が、『新人類(ニュータイプ)』が生まれようとしていた。

 

 

 

つづく



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d.激流(後編)

 

 生命の神秘を、目の当たりにした事はあるだろうか。

 

 この星が生まれ、生命がこの世界に誕生した時から連綿と受け継がれてきた、生命の連鎖。

 

 言葉にすればありきたりで。

 

 けれど、この世で最も尊い儀式。

 

「うあああああああっ!あっ・・・・・・うぎぃいいい!」

 

「アスカ!頑張れ!!」

 

 ネルフJPNの医療棟分娩室。そこにアスカの悲鳴が木霊する。

 

 破水し、陣痛の波がやってきたのが今朝方。ネルフJPN総出でアスカとお腹の子を見守ってきたため、アスカの異変に対して迅速に対応できたのは幸いだった。

 

 シンジが強くアスカの手を握る。その手にアスカの爪が食い込み、血が流れる。それでもシンジが手を離す事は無い。アスカはこれ以上の痛みを感じているのだから。

 

「頭が出てきましたよ!頑張って!!」

 

「うぐっ!うあああ!さっさと出てきなさいよ、このぉッ!」

 

 アスカの秘部がかつて無いほどに押し広げられて、赤ん坊の頭が顔を覗かせた。新しい生命が、その姿をこの世に現そうとしている。シンジは思わず、その光景に見入っていた。欲情はない。今まで見たことのなかった、命の誕生の瞬間。それが、自分の目の前で起きていることに、シンジの胸中は何とも言えない気持ちで満たされていた。

 

 シンジの顔を涙が伝う。

 

「碇さん!奥さんに声かけて!」

 

 助産師の叱責に、シンジはハッとする。

 

「アスカ、あとちょっとだよ!ミライが来るよ!生まれるんだ!」

 

「わ、わかってるっちゅーのぉ・・・うああ!!」

 

 アスカの体が痛みに仰反る。

 

 アスカの脳裏にあったのは、かつてアスカエヴァ統合体としてシンジを『出産』した時の記憶。下腹部が裂けるような痛みを伴って、愛する夫をこの世に蘇らせた。その時の痛みは忘れようがない。

 

 どこか高を括っていた。あの時の痛みの体験があれば、出産など大した事ない、と。

 

 全然、違う。あの時は、鋭い痛みはあったものの、シンジはすぐにこの世に生まれてきてくれた。だが今回は、アスカのお腹の中で育った正真正銘のアスカとシンジの子供は、シンジと違って中々出てきてくれそうに無い。その間、アスカが受け続ける痛みは、あの時の比ではない。

 

「ふーっ!ふーっ!うぐぅぅうううう!!」

 

(ウソでしょ!?出産てこんなに辛いの!?この世界中の母親って、ホントにこんな痛みを乗り越えてきたの!!?)

 

 信じられない気持ちでいっぱいだった。諦める事を知らないアスカが、どうにかしてこの痛みから逃れる術がないかを模索する程に。

 

(口で言うのと、実感するのは全然違うって、頭ではわかってたけど、こんなのってェ・・・!)

 

「あがあぁあああ!!!!」

 

「アスカ!?」

 

 ミリミリと、アスカの秘部が更に押し広げられる。アスカが今まで味わった、どんな痛みよりも強い痛み。アスカの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。そこに、いつも毅然とした態度のプライドの高い女性の姿は無かった。

 

(あ、これ、冗談抜きで死ぬ・・・・・・)

 

 意識が朦朧とする。

 

 あまりの痛みに、脳が現実の情報をシャットダウンしようとする。

 

(ママ・・・。だめ、アタシ・・・・・・)

 

 アスカの意識が痛みで途切れそうになったとき。

 

 

 

「アスカッ!!!!」

 

 

 

 愛する男の言葉が届いた。

 

「・・・ふんっ、ぬぅぁぁあアアアアア!!」

 

 アスカが力を振り絞る。

 

「な、なめんじゃないわよぉ!こちとら、『絶対産んでやる』って、旦那の前で啖呵切ってんのよ!?諦めるわけないでしょぉがあッ!!」

 

「奥さん、あとちょっと!あとちょっとですよ!」

 

「アスカ!!!」

 

「来い・・・・・・来い!アタシたちの世界へ、来なさい!ミライぃ!!」

 

 

 

 

 

 何かがずるり、と。

 

 抜けていく感覚があった。

 

 アスカの体から、今まで当たり前にあったものが居なくなったような感覚。

 

 

 

 

 

「・・・・・・ファ・・・・・・フギャァ、ブギャア・・・!」

 

 

 

 

 

「産まれた!産まれましたよ、お母さん!元気な女の子です!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アスカはガバリと分娩台から飛び起きた。

 

 自分の股下から臍の緒が伸びて、助産師の抱えている何かと繋がっているのが見える。

 

「ミライ・・・ミライ!!」

 

 自分の娘を求めて、アスカが必死に手を伸ばす。全身を強烈な寒気が襲い、歯がガチガチと音を鳴らす。それでもアスカは、娘を求めて、手を伸ばした。

 

 助産師と看護師が慣れた手つきで臍の緒を切る。

 

「ミライ!!!!」

 

 アスカはそれを見た瞬間、娘と自分の繋がりが無くなったような、強烈な喪失感に包まれた。震える手でなんとか立ち上がろうと分娩台に両手を置くが、体に力が入らない。

 

「ミライ!ダメ!連れてかないで!!」

 

「ウギャア!ウギャア!ウギャア!ウギャア!」

 

 アスカの叫びに応えるように、赤子の泣き声も激しくなった。

 

「あらあら、はいは〜い。お母さんがいいのね?ちょっと待ってね〜」

 

 赤子を抱えた助産師がゆっくりとアスカに近寄る。その仕草が、アスカにはもどかしかった。アスカは助産師が近づくと、引ったくるように赤子を抱き寄せた。

 

「あ、アスカ。そんな、失礼だよ・・・」

 

「いーのよぉ!よくある事ですから」

 

「は、スミマセン・・・」

 

 シンジが助産師に謝る姿など目に映るわけもなく、アスカは、自身の腕の中にいる娘をじーーーっと見つめていた。

 

 言葉にならない。色々な思いが、アスカの頭と胸中を駆け巡っていくのに、その一つもアスカは掴み取れない。ただただ、腕の中の娘を見つめる。

 

「あらぁ?泣き止んだわねぇ?お母さんが良かったのかしらねぇ」

 

 小さな手が、アスカの服の裾を必死に掴んでいる。しわくちゃの、猿のような顔をした生き物が、安堵したかのように微笑んだ。

 

「あ、笑った!?今笑ったよね、アスカ!」

 

「いや、まさかぁ。産まれたての赤ちゃんは笑ったりできないですよ?」

 

「え、でも・・・」

 

「シンジ」

 

 アスカがシンジを呼び止めた。

 

「どうしたの?アス・・・、うわっ!」

 

 アスカに近づいたシンジが、すごい力で引っ張られた。シンジの腰辺りに、アスカが抱きついたのだ。

 

「産んだわよ・・・産まれたわよ・・・・・・っ。アタシ達の、娘が・・・・・・・・・っ」

 

 アスカが、静かに涙を流した。それを安心させたいのか、アスカの裾を掴んだ小さな手が、くいっ、くいっと引っ張る。

 

 それを見たシンジも、釣られて涙を流し、アスカと、自分達の娘を抱きしめた。

 

「うん・・・っ、ありがとう、アスカぁ・・・!本当に、本当にありがとう・・・っ!!」

 

 2人に抱きしめられた赤子が、苦しくなったのか、再びぐずり出した。

 

「あ、ごめんよ、ミライ!苦しかった!?」

 

「シンジ、しぃーっ!騒ぐとまた泣き出すわ」

 

「ウハァーッ!ウハァーッ!ウハァーッ!ウハァーッ!」

 

「ぶっ!なによその泣き声!?あはははは!」

 

 あまりの愛おしさに、アスカは赤子を抱き寄せて、その頬に自分の頬を重ねた。

 

「はじめまして、ミライ・・・・・・アタシが、貴女のママよ」

 

 赤子、『ミライ』は泣き止む事なく、いつまでも、母親の頬をペチペチと叩いていた。

 

 

 

──────

 分娩室の外には、ネルフJPNの主要メンバーの殆どが集まっていた。

 

「無事、産まれました。皆さん、ありがとうございました」

 

 分娩室を出たシンジは、集まってくれたみんなに深く深く頭を下げた。

 

「おめでとう、シンジ君!これでアナタも、立派な父親ね!」

 

 ミサトが笑顔で、グッと親指を突き出した。その目には光るものが浮かんでいる。その横で、リツコは聞かなければいけない事を切り出した。

 

「それで、どうだったのかしら?」

 

「母子ともに健康ですよ。皆さんが心配していた姿形も、特に変な部分は無かったと思います」

 

「そう・・・。まぁ、エコー写真である程度の確認はできていたから問題はないとは思うけど、しばらくは要観察ね。お疲れ様、シンジ君」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「あ、もちろん貴方達も一緒に要観察よ?なにが起こるか、わからないからね?」

 

「勿論ですよ。というか、今、ミライをアスカから引き離したら、アスカが暴れ回ると思いますし・・・」

 

「それは怖いわね」

 

 困ったようにぽりぽりと頭を掻くシンジを見て、リツコもようやく表情を和らげた。

 

「先輩、ここは素直に『おめでとう』で良かったんじゃ・・・」

 

「性分なのよ。しょうがないわ」

 

「あはは・・・・・・」

 

マヤの指摘にも態度を変えることのないリツコに、シンジとマヤは笑うしかなかった。

 

 

 

「シンジ」

 

 

 

「父さん・・・」

 

 

 

碇ゲンドウが、シンジに声をかけた。

 

 

 

「私は立派な父親ではなかった。だが、お前は私とは違う。アスカと、ミライを、絶対に離すな」

 

「それを父さんが言う?」

 

「む・・・」

 

 シンジの軽いジョークに、痛いところを突かれた、とゲンドウが顔を顰める。だが、その口角は少しだけ上を向いていた。

 

「落ち着いたら一度、一緒に食事でもしよう」

 

「うん、わかったよ。父さん」

 

「・・・楽しみにしている」

 

 そう言うと、ゲンドウは踵を返した。

 

「抱いていかないの?」

 

 シンジがゲンドウを呼び止める。

 

「今は、アスカとお前の時間だ。私はまた、後日でいい。それに、時間はいくらでもあるからな・・・」

 

「そう・・・。わかった」

 

 ゲンドウはそう言い残すと、この場を後にした。

 

「副司令代理ももうちょ〜〜〜っちだけ顔に出せばいいのにねぇ。目頭でも抑えれば、後でネタにしてやったのに」

 

 ミサトが悪戯っ子のようにニシシと笑う。その様子を見た残りの3人は、同時に肩をすくめた。

 

「たぶん、ゲンドウさんなら今夜辺り、秘蔵のお酒でも開けると思うわ。嬉しくて堪らないのよ、あの人」

 

「・・・そうですよね。もし良ければ、私も同席してもいいですか?」

 

「あら、マヤが?珍しいわね」

 

「こういう日くらい、私だって飲みたいですよ!」

 

 そういうマヤの顔も明るかった。

 

 

 

 アスカの妊娠発覚から2年。

 

 通常の妊娠期間を大きく過ぎて誕生した、シンジとアスカの娘。

 

 この赤子が、人類にとっての『未来』になるのかどうか、それはまだわからない。

 

 だが、世界情勢の変化やネルフLUNAの建造、さらにアメリカからの宣戦布告と、なかなかに明るいニュースがなかったネルフJPNの面々にとって、新しい命の誕生は大変喜ばしいものであった。

 

 願わくば。

 

 この赤子の未来が、明るいものでありますように。

 

 

 

────────────

 

 フランスの首都、パリ。

 

 その街並みを、夕日が染めている。

 

 仕事終わりの一杯にと、疲れた顔の人々がブラッスリーに入っていく。店の中は大盛況だ。家族がディナーにと、笑顔でビストロに入っていくのも見れた。

 

 そんな人々の行き交いを見下ろすことのできるビルの最上階に、3人の人物が居た。

 

 

 

「呼び立ててすまないね、2人とも」

 

 

 

 高級なスーツに身を包み、ビルの窓から街並みを見下ろしていた男が、後ろに立っていた2人の人物に振り返る。彼の部屋の窓からは、パリのシンボルであるエッフェル塔や凱旋門を見渡せた。夕日に彩られ、街に夜の灯火が浮かび上がる。この部屋から見える景色は、それだけを肴に酒を楽しめそうなほどの魅力を持っていた。

 

 そんな場に呼び出された2人の格好は、この部屋には似つかわしくないほどにカジュアルだった。

 

 

 

「ホンマやで、ジルはん。ワシらをこんな時間に呼び出して、一体何のつもりや」

 

 訛りの激しい日本語。鈴原トウジであった。

 

「トウジの言う通りです。私たちを『あの場所』から呼び出すなんて、なにを企んでいるんです?」

 

 もう1人は女性。今は姓を鈴原に変えた、洞木ヒカリであった。

 

「ははっ!企むとは、人聞きの悪い!」

 

 ジルと呼ばれた男が、軽快に笑った。彼はドイツネルフ改め、ネルフユーロの副司令である。その軽い口調とは裏腹に、どす黒い野望と陰謀を隠し持つ男である事を、トウジとヒカリはこの二年間で思い知らされている。「利があれば使い、無ければ捨てる」を信条にしているこの男が、碌な用事で2人を呼び出したとはとても思えない。

 

「なぁんも企んでへんならええんやけどな?もう帰ってええか?ワシら、『新型のシンクロテスト』でクタクタなんねんけど?」

 

「いやいやダメだよ。そのテストが出来る君たちだからこそ呼んだんだよ?まだ来たばかりじゃあないか」

 

「・・・また私たちを使って何かやろうって事ですか?」

 

「そんなにピリピリしないでくれたまえよ、ヒカリ君。アレ(・・)はただの事故だった。そうだろう?」

 

「暴走に見せかけて副司令を殺させておいて、よくも・・・!」

 

 ヒカリが怒りに任せてジルに飛びかかろうとするのを、トウジが手で制した。

 

「落ち着けや、ヒカリ。この男の常套手段やろが。それに、ワシらの家族が人質に取られてる事、忘れたらアカンで」

 

「でもトウジ!」

 

「いやぁ!トウジ君は話が早くて助かる!」

 

 パンパンと、ジルが手を叩く。すると部屋の照明が落とされ、ウィーンと音を立ててプロジェクターが一つの映像を映し出す。

 

「ああ?なんやコレ?」

 

 トウジが怪訝な声を上げる。

 

「これはねェ、合衆国がネルフJPNに向けて出した宣戦布告文だよ」

 

「な!?」

 

「うそ・・・!?」

 

 2人の驚愕を、ジルは実に愉快そうに眺めている。

 

 ジルは話を進めた。

 

「この文にあるように、合衆国はAEを投入するつもりのようだよ。かの大国が全世界に秘密裏に流した、人類の最終兵器だ。もちろん、我々ネルフユーロもその技術の恩恵に預かっている。だが、この恩恵の対価として、合衆国は我々に対ネルフJPN連合への参加を求めてきている。だから当然、この戦争には我々も参加しなくてはならない」

 

「そんな・・・、世界大戦を起こすつもりですか!?」

 

「世界大戦、ではないよ。ヒカリ君。ネルフJPNというテロ組織を潰すための、正義の戦いだ」

 

「テロ組織やと!?」

 

 トウジとヒカリが、ジルに詰め寄った。

 

「ジブンら、アルマロスや月の問題の時はミサトさん達に泣きついたくせに、それを仇で返そうっちゅーんか!?」

 

「おいおい、話の主題はソコじゃないだろう?」

 

「同じです!ネルフJPNのエヴァが出てくれば、どの道戦火は世界中に広がります!それに、人類を救ったネルフJPNに対してこの対応はあんまりじゃないですか!?」

 

「さすが『元』アルマロス!人類の滅亡に関しては興味津々なようだねぇ!」

 

「キサマァ!!」

 

 トウジがジルの胸ぐらを締め上げる。だが、その手は軽く振り払われ、次の瞬間にはトウジは床に叩きつけられた。

 

「うが・・・!」

 

「トウジ!!」

 

「勘違いするんじゃないよ君達。僕が君達を呼んだのは議論するためじゃない。命令を伝えるためだ」

 

「め、命令やと・・・・・・!?」

 

「そうだよ、ネルフJPNの元副司令代理、鈴原トウジ。君達2人は改良型EVA・EUROII・ウルトビーズに搭乗し、対ネルフJPN連合のユーロ軍を率いたまえ。元副司令代理なら、ネルフJPNの内部情報に詳しいだろう?やりやすいじゃあないか」

 

「ふざけんなや!誰がそんな・・・!」

 

「なら君の妹の指を切り落とす」

 

「な!?」

 

「サクラちゃんの!?」

 

 怒りで我を忘れて立ちあがろうとしたトウジの背中を、ジルは思い切り踏みつけた。

 

「ぐああ!」

 

「やめて!」

 

「はあ・・・、君達は何もわかっていない。使徒が現れる前、世界は秩序によって保たれていた。各国が歴史と文化を尊重しあい、国と国が互いに手を取り合っていたんだ。それが、今やただ一つの組織が、技術と軍事力を盾に、全世界の上に立とうとしている。文化や歴史の尊重なんて微塵も考えていない、野蛮人の集団が、だ」

 

「ミサトさんはそんな事考えてへん!」

 

「どうでもいいんだよ、あの女がなにを考えてようがいまいが。要は、ネルフJPNは全世界にとって排除すべき邪魔者になったって事だ。目障りなんだよ。だから連合なんてものを作られてしまうし、それに世界中が参加する事になるんだ」

 

 ジルはトウジを踏みつけている足に、更に体重をかけていく。

 

「うぐぅ・・・」

 

「だがねぇ、僕はただ連合に参加してネルフJPNを潰してハイおしまい!じゃあ面白くないと思うんだよ。どうせやるなら一番の戦果を上げて、ユーロを次の覇権大国にしたいと思う」

 

「どうせそんな事だと思ったわ!結局はただの利権争いじゃない!」

 

「愛国心、といって欲しい。今のは立派な侮辱だぞ?ヒカリ君。詫びとして、君の夫の指を一本頂いていいかい?」

 

「やめて!」

 

「君達は大事な大事なネルフユーロのエヴァパイロットだ。逆らわなければ、特に何もしないよ。家族の安全だって保証するし、君達の生活だって面倒を見るさ。逆らわなければ、ね」

 

 足蹴にされたトウジとヒカリは、歯を食いしばって耐えるしかない。家族を人質に取られている以上、目の前の男の言う事を聞くしか生きる道はない。

 

「・・・・・・良い子だ」

 

 ジルがトウジの背から足を退ける。ヒカリはトウジに駆け寄り、夫を助け起こした。

 

「まぁ、今日はこんなもんかな。・・・そうそう!実はね、君達に紹介したい人物がいるんだよ!」

 

「あぁ!?誰やねん!」

 

「そんなに怒鳴るなよ。怖いじゃないか。・・・入ってきていいよぉ!」

 

 ジルが、部屋の外にいた人物に声をかけた。ドアがガチャリと開き、呼ばれた人物がゆっくりと入ってくる。

 

「久しぶりだな、トウジ。委員長」

 

「ケンスケ!?」「相田くん!?」

 

 入室してきたのは、ネルフJPNの防諜部所属であり、2人の同級生でもあった相田ケンスケであった。

 

「な、なんでお前がこんなとこにおるんや・・・」

 

「なに。俺も自分の夢を叶えたくてさ」

 

「夢、やと?」

 

「俺もエヴァに乗りたいんだ」

 

「!?」

 

 ケンスケが呆気に取られる2人の前を通り過ぎ、ジルの横に並び立つ。

 

「今の俺は、トウジ達の同僚だ。よろしく頼むよ、トウジ」

 

「お前・・・、まさか、そんなくだらん理由でネルフJPNを抜けたっちゅうんか・・・?」

 

「ああ。エヴァは俺にとって譲れない夢だったからな。ネルフJPNの内部機密を土産にしてでも、俺はエヴァに乗りたかった」

 

「ケンスケぇ!」

 

 トウジが親友に殴りかかる。だが、防諜部として鍛えていたケンスケは懐から素早く銃を引き抜くと、瞬時に銃口をトウジの額に押し当てた。

 

「やめろよトウジ。友達だろ?」

 

「お前のようなヤツは友達やない!」

 

「やめて、トウジ!・・・相田くん、本気?」

 

「本気さ。俺はエヴァに乗る。それで、『世界を救う』んだ」

 

 とても正気とは思えないケンスケの答えに、ヒカリは青ざめた。

 

「・・・・・・それで、碇くんやアスカと戦うことになっても?」

 

「その2人の名前を出すな!」

 

 ケンスケが持っていた銃を発砲する。床に向かって。

 

「・・・ヘーイ、ケンスケ。この絨毯、高いんだよ?」

 

「・・・すみません、副司令」

 

 怒りで一瞬我を忘れたケンスケは、銃を懐にしまった。そして、怒りを宿した目でトウジとヒカリを睨みつける。

 

「・・・俺は、お前たちと喧嘩するために来たんじゃない。仲良くやろうぜ?困ったことがあれば相談に乗るし、俺も相談させてほしい。そういう関係でいたいんだ、お前たちとは・・・」

 

「・・・・・・できるワケ、ないやろ。ケンスケ」

 

「今はそれでいいさ・・・。副司令、俺は部屋に戻っても?」

 

「かまわないよ?絨毯分の料金は、君の給料から天引きするがかまわないね?」

 

「ええ、モチロン!では・・・」

 

 ケンスケは、ヒカリとトウジに目を合わせる事なく、部屋を出ていった。

 

 想像できうる限り、最悪の事態だった。家族を人質に取られ、戦争に参加し、人を殺す。しかも相手は、自分達の友人だ。友人達と、生きるか死ぬかの殺し合いをしなくてはならない。加えて、かつての友人であったケンスケが、あろう事かネルフJPNを裏切り、情報を敵に売ったという。それも自分達には到底理解のできない理由によって。

 

「ま〜ねぇ。混乱するのも無理ないよ」

 

 ジルが手近な椅子に座り、足を組んだ。

 

「でも、ケンスケ君が我々のところに来たのは本当にありがたかったねぇ。これでネルフJPNに対して、ウチは他国よりも一歩抜きん出た戦い方ができる。何か裏があるかもしれないから、監視は付けてるけどね」

 

 ジルの言葉は、トウジとヒカリの耳には入ってこない。

 

「ふぅん?そろそろ邪魔だからお引き取り願おうと思ってたんだけど、ひょっとして、自分達で歩けない?しょおがないなあ〜君達は」

 

ジルは携帯端末を取り出し、自分の部下に連絡を取った。

 

「おーい、もしも〜し。鈴原夫妻をお連れして?うん。もう用はすんだから。・・・うん!よろしくぅ〜!」

 

 部屋に入ってきた黒服の男たちに、トウジとヒカリは引き摺られていく。

 

 トウジは口の中で、小さく「チクショウ・・・」と呟くしかなかった。

 

 

 

つづく



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幕間 猫耳


幕間です!

本編からかなり先の時代の話です!

だいたい2000年後、くらい?

よろしくお願いします!



 

 遠い未来の話

 

 ある酒場のマスターの話

 

──────

 

 いらっしゃい。

 

 ん?なんだ、お前。見ねえ顔だな。

 

 まぁ、いい。

 

 とりあえず、そんなとこに突っ立ってないで、こっち来て座んな。他の客の邪魔だ。

 

 あん?他に誰もいないだろって?うっせぇな。ここは酒場だ。客が来るのは夜からなんだよ。

 

 まあ、昼は昼で仕事がないわけじゃねぇ。お前みたいな物好きが来ることもあるしな。

 

 んで、なんにする?

 

 おいおい。酒場に来て何も頼まねぇってのはマナー違反だろうがよ。

 

 ・・・あぁ?紅茶?そんなお貴族様が飲みそうなモンが、ここにあると思ってんのか?

 

 ・・・・・・ちっ、飲めねーんじゃあ仕方ねぇ。ほらよ。ミルクでいいか?生憎とストロベリーサンデーなんてふざけたモンもないからな。間違っても頼むんじゃねぇぞ?

 

 あぁ。昔、それを注文してきたヤツがいたんだよ。今でも時々顔を出すがな。

 

 ・・・で?何のようだ?エンジェルハンターの斡旋か?正規のハンターは紹介できねぇが、その分、安くしとくぜ?

 

 あん?『天使狩り』について聞きてぇ、だと?

 

 はぁ〜あ。あんたもそのクチか・・・。時々いるんだよ、あんたみたいな奴がな。

 

 「知らないのか?」だって?勿論知ってるさ。アイツに仕事を教えたのは、俺だ。今でも時々顔出すぜ。さっきのストロベリーサンデーの話、あったろ?それ頼んだのが他でもねぇ、『天使狩り』だよ。

 

 連絡先ぃ?んなもん、ねーよ。あいつはいつもフラッとやって来るんだ。んで、だいたい1番高ぇ報酬の依頼だけ掻っ攫っていきやがる。困ったもんだよ。

 

 ・・・・・・あんた、本当に何にも知らねえんだな。あいつは、この界隈じゃあ厄介モンだ。何が厄介ってあのヤロー、依頼は全部達成しちまう。ハンターが何人も返り討ちに遭ってる天使ですら、あいつはすぐに片付けちまう。しかも余計な仕事までついでに片付けてくるんだから、手に負えねぜ。「依頼に無いヤツもついでに片付けといた。だから上乗せで報酬寄越せ」って来るんだぜ?やってらんねぇよ。こっちは商売上がったり、だ。おかげで何回タダ飯食わせてやったことか。

 

 ・・・ったく、ウチはレストランじゃねぇんだ。酒飲まねぇ癖に、注文ばかりはうるさくてな。

 

 ん?あぁ、そうだよ。あんたと一緒だ。あいつも酒が飲めねぇ。まだ15、6くらいのガキだよ。

 

 ・・・くく。驚いてるみてぇだな。まぁ無理もないと思うぜ。そんなガキが、生意気にもこの店で飯食って帰ってくんだからな。

 

 ああ、そうさ。他のハンターもこの店にはよく来るよ。ウチはエンジェルハンターの斡旋もやってるからな。ただ、あいつの事はみぃんな嫌ってるぜ。あいつ以上に腕の立つヤツは見たことがねぇんでな。やっかみもあるんだろうよ。

 

 何回か、な?おこぼれに預かろうとして、あいつに付いてこうとした奴がいるんだよ。全員叩きのめされて床に転がったがな。「足手まといはいらない」「オレ一人で十分」とかなんとか言ってな。あれは笑えたぜ。

 

 どんな奴かって?

 

 ・・・そうだな。最初に来たときは10歳かどうかってガキだった。

 

 薄汚ぇガキでよ。おまけにひでぇ臭いだった。ボロを纏ってたんだが、顔だけは小綺麗でな。最初はカラダ売りに来たのかって思ったもんだ。

 

 なに顔しかめてんだ?別に珍しい事じゃねぇだろ。カネが欲しいガキはカラダを売る。当たり前だろ?

 

 まぁ、いいや。それでな、開口一番、あいつはこう言ったんだ。「仕事を寄越せ」ってな。俺は言ったのさ。「カラダ売りてぇんなら、その道まっすぐ行って角曲がりな。男娼なら雇ってくれるところがあるぜ」ってな。

 

 店の中、大爆笑だったぜ。そしたらよ、そいつ、ボロからいきなり何かを床にぶちまけやがった。今思えば、臭いの元はソレだったんだな。

 

 天使の死骸だったぜ。赤ん坊タイプの。それも3体分。何かで切り刻まれたような、そんな感じだった。

 

 俺はな?「コイツ、もしかしたら使えるかもしれねぇ」と思ったもんさ。だが、他のハンターはそうじゃなかった。酒も入ってたからな。「何処で拾ったんだボウズ!」とか「威勢がいいな、ガキぃ!」とか喚いてたよ。

 

 そのうち、1人のハンターがそいつに近づいて言ったのさ。「テメェみたいなガキは家に帰ってママのオッパイでもしゃぶってろ!猫耳ヤロー!」ってな。

 

 ん・・・?ああ、言ってなかったか。あいつな、いつもなんか変なのを2つ、頭に着けてんだよ。赤い三角形の・・・、なんだ?ヘッドホンかなんかなのかねぇ?未だによく知らねえが。まあ、それがな?確かに赤い猫耳っぽく見えるんだよ。男の癖に猫耳って。なぁ?笑えるだろ?店の中はまた爆笑の嵐よ。

 

 だがな。

 

 次の瞬間、猫耳っつった奴が叩きのめされてた。言い忘れてたが、ソイツは当時、ウチの店でもかなりの実力者でな。あんなガキに負けるハズがねぇんだよ。

 

 ところが、だ。続けてあのガキが言ったのさ。「今、猫耳っつった奴、全員出てこい」ってな。

 

 酒が入ったハンターなんて碌なもんじゃねぇ。しかも薄汚ぇガキに煽られたんだ。みぃんなキレちまってな。ガキに殺到したぜ。

 

 だが、結果はご想像の通り。全員返り討ちに遭っちまった。10かそこらのガキに、だぜ?

 

 そのうち、客の1人が銃を抜きやがった。俺は「やるんなら外でやれ!店を汚すんじゃねえ!」って怒鳴ったんだがよ、聞きやしねぇ。その客はなんの躊躇もなく引き金を引きやがった。死体の掃除は面倒なんだ。やってくれたな!って俺は思ったぜ。

 

 だがな、銃弾はあのガキに届かなかった。

 

 なぜって?俺は見たんだよ。あのガキの右袖から、赤い帯みてぇなもんが伸びたのを!それが銃弾と、客の持ってた銃を両断したんだ!ついでに銃を握ってた指もな!すぐにわかったぜ。これで天使を切り裂いたんだってな!

 

 「あんたら、バカか?」

 

 あの時のガキが言い放ったセリフだ。誰もが言い返せなかったがな。

 

 それから、さ。あいつがちょくちょくウチの店に来るようになったのは。認めざるを得ねぇよ。あれだけの腕前を見せつけられちゃあな。

 

 まあ、その後も問題ばっか起こすんで、こっちとしては勘弁してくれって感じだが、溜まってた仕事は片付くし、文句も言えねぇ。そういう意味でも「厄介モン」てことさ。

 

 ・・・ん?『天使狩り』ってあだ名のことか?なんでそんな名前で呼ばれてるかって?

 

 それがよ、あいつ、本当に天使しか狩らねぇんだわ。エンジェルハンターっても、それ以外の仕事が無いわけじゃねぇ。それこそ殺し、とかな。ウチは裏の店だからよ。そういうのも斡旋してんだ。

 

 だが、あいつはどんなに報酬を山積みされようと、天使関連の仕事しかやらねぇのさ。むしろ天使の仕事が少ねぇ時は、どんなに安い報酬だろうと飛びつきやがる。ワケわかんねぇよな?だから付いたあだ名が『天使狩り』。まぁ、あいつ以上に天使を狩れるやつなんて俺ぁ知らねえし、ピッタリだとは思うがな。

 

 お?もういいのかい?

 

 まぁ、なんだ?ちょくちょく来てくれりゃ、あいつとも鉢合わせするかもしれんぜ?

 

 おっと・・・・・・。おいおい、いいのかよ?こんな貰って。たかがミルクだぜ?まあ俺としては助かるがな。あんたみたいな太っ腹の客ならいつでも歓迎だ。これからもよろしくな!

 

 ん?・・・・・・ああ、あいつの名前か。

 

 

 

 『アベル』。

 

 

 

 あいつは、そう名乗ってるぜ。

 

 そいじゃあな。

 

 

──────

 

つづく



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e.天に輝く人の光(前編)

 

 絵の具を一滴、ぽたりと水面に落とす。

 

 軽い水飛沫をあげて波紋が生まれ、絵の具はゆっくりと水中に広がっていく。

 

 絵の具の色は様々だ。どんな色でも、水の中で少しずつ広がっていく光景は、ある種の幻想性を持っているように思う。

 

 一滴、だけならば。

 

 一色、だけならば。

 

 ぽたり、ぽたり、と。

 

 最初は少しずつ。

 

 徐々にぼたり、ぼたり、と。

 

 時間が経てば経つほど絵の具の量は増えて、水は色に染まっていく。

 

 そして、色の種類が増えれば。

 

 結果として、水の色はドス黒くなっていくだろう。

 

 人の良い感情も、あるいは悪い感情も、混ざりあっていけば結局辿り着く先は黒。

 

 清濁合わせ飲む、という言葉がある。だけど実際は、この世界には濁った水しかないのだろう。

 

 清められた水。

 

 「清める」という事はつまり、その他大勢を不要と捉えて選り分けて、切り捨てるという事だ。

 

 清められた水は、誰の口に向かうのか。

 

 きっと、それを求めた者の口へ。

 

 恐らく、とても、とても美味しそうに飲み干されるだろう。

 

 その周りに、どれだけの色=人々の意志の死骸が転がっていようと。

 

 きっとそれは、極上の味に違いない。

 

 

 

──────

 西暦2020年12月3日。

 

 この日は、対ネルフJPN連合が総攻撃を開始した日として、歴史に刻まれる事となった。

 

 

 

 

 

「ネルフLUNAへの移転進捗状況は!?」

「予定の65%程度です!間に合っていません!」

 

 ゲンドウの焦りと怒りを孕んだ声が発令所を舞う。

 

「対空兵器のありったけを出して!全て撃ち尽くすつもりで!」

「ダメです!防ぎきれません!」

「いいからやって!でなきゃココが更地になるわ!!」

 

 総司令であるミサトの焦りが、総員に伝わる。

 

「全弾発射!・・・・・・ダメです!7割が飛来します!!」

 

「全員、衝撃に備えてッッ!!」

 

 

 

ドドドドドドドドドドドドドドドドッッ!!

 

 

 

 轟音と共に、ネルフJPNが大きく揺れた。

 

「くぅ・・・・・・・・・っ!被害状況確認ッッ!」

 

 鳴り止まない砲火の雨の中、ミサトが声を張り上げて指示を飛ばす。メインモニターに映し出されたネルフJPNの各設備情報が、次々と赤に変わっていく。

 

 ミサトが次の指示を飛ばした。

 

「発令所を含めた中央ブロックの移動を開始!最後方まで退くわよ!」

 

 かつての戦自との戦いにおける反省を活かしたネルフJPNの機能であったが、それが発揮される事は無かった。

 

「自走レールの破損確認!移動できませんッ!」

 

「ちぃッ!!」

 

 ミサトは大きく舌打ちをした。

 

「敵の戦力状況は!?展開はどうなっている!?」

 

 ゲンドウがオペレーター達に向けて確認する。

 

「ネルフLUNAより送られてきました!モニターに表示します!」

 

 青葉シゲルの報告と共に、メインモニターにネルフJPN周辺の勢力図が映し出された。青い丸がネルフJPN。そして、それを中心として綺麗な円を描くように、赤い丸、つまり敵が、ネルフJPNをぐるりと取り囲んでいた。円の外側は全て赤い丸で埋め尽くされており、メインモニターの3分の2を赤く染め上げている。

 

「まるで、赤壁の戦い(レッドクリフ)ね」

 

「この場合はレッドサークル、じゃないですか?」

 

 オペレーターの日向マコトが冗談のように揶揄した言葉に、ミサトも同意せざるを得ない。

 

 いつの間にか砲火の雨は止んだ。第一波を凌ぎ切ったのだ。ミサトや日向たちのいる発令所ミドルデッキと、ゲンドウのいるトップデッキは一旦の落ち着きを見せる余裕が生まれた。ミサトはモニターを睨みつけながら小さく息を吐いた。

 

「被害状況、なんて確認してる場合じゃないわね。碇副司令代理。今の進捗状況でネルフLUNAの稼働維持はどれくらいいけそう?」

 

「宇宙での生活に必要な備品や食糧、それに各設備維持に必要な予備部品の搬入が遅れている。最低限の備蓄は先んじてLUNAに搬入してあるが、それだけでは持ったとしても3ヶ月が限界だろう」

 

「流石に3ヶ月はキツいわ。搬入急いで!青葉くん、総理はなんて言ってる?」

 

「『誠に遺憾の意』って報道で繰り返し言ってるだけですね」

 

「余裕あるわね。この辺りの国民は避難させてあるから、あとはどうぞご自由にってこと?」

 

「仕方ありませんよ。流石にこの大軍を見てまでやり合おうなんて考えませんって」

 

「それもそうね・・・・・・」

 

 ミサトがメインモニターの敵の数を見ながら親指を噛む。戦力差は歴然。エヴァで応戦したところで、焼け石に水とまでは言わないが、ネルフJPNの防衛は叶わない。

 

 ならば、取れる戦略は撤退戦一択。だが撤退しようにも撤退先の備蓄が足りないのであれば、結局は兵糧攻めをされて『詰み』だ。せめて半年分。その間に、ネルフLUNA内の食糧生成プラントを最大稼働まで持っていけるように最終調整を行えれば、宇宙空間での生活にも余裕が生まれるはずだ。

 

(半年分、最低でも食糧だけは運び終えないと・・・・・・)

 

 ミサトは通信をネルフLUNAに繋いだ。

 

「マヤ?食糧プラントの稼働率は?」

 

 ザザッという雑音が一瞬流れ、相手から反応が返ってくる。

 

『現段階で55%。残りはまだ整備中ですが、4、5ヶ月は見てもらわないと・・・』

 

「オッケー、把握したわ。そっちは快適?」

 

『葛城総司令。今はそんな事聞いてる場合じゃ・・・』

 

「大真面目な質問よ。私たちはこれから本格的に撤退戦に入るけど、撤退先の状況確認はしとかないとね」

 

『・・・・・・そういう意味であれば、快適、とは言い難いですね。日本人はグルメすぎます』

 

「わかった。また何かあれば繋ぐわ・・・・・・。アスカとミライちゃんはどう?」

 

『アスカが出撃させろ!とさっきから怒鳴り散らかしてます』

 

「絶対にダメよ。アスカを出撃させないで。生まれたばっかの子供残して死なすわけにはいかないわ」

 

『了解』

 

 マヤとミサトはそう言って通信を切った。

 

『ミサトさん!』

 

 現在の状況における最大の功労者の声が、発令所に響く。ミサト達と違い、現場に出ている彼の声に余裕は無い。

 

『まだですか!?これ以上はトロワやシスが・・・・・・!』

 

 

 

 

 

 

『もぉムリぃ〜〜〜!!なんでこんなに多いのぉ!?』

 

 小さなレイNo.シスが、プラグ内で悲鳴をあげる。シスの搭乗しているF型零号機アレゴリカが光の翼を広げて戦場の空を舞う。襲いくる無数の弾丸の雨を回避しながら、右手に備え付けた『天使の背骨』によって次々と反撃していく。しかし、どれだけ攻撃を繰り返しても、敵の数が減る事はない。

 

 ヘタでもクソでも、何処を撃ったって敵には当たるような状況だ。しかし、敵の数は減っているはずなのに、全くその実感をシスは持てないでいた。戦場にて敵軍を目視しながら戦っているシスにとって、目の前の人型兵器の群れはまるでイナゴの大群のように感じられた。

 

 地上から射撃してくるのは人型AE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)の群れ。空中には航空兵装へと変形したAEの群れに加え、VTOL機や高速戦闘機などがひしめきあっている。地上からの支援攻撃に合わせて、航空速度に差のある空の群れが、それを利用して波状攻撃を仕掛けてくる。敵との圧倒的な戦力差の前に、シスはただ飛び回って逃げることしかできない。

 

『うわぁぁあーーーーん!!』

 

 泣きべそをかきながら、無茶苦茶に撃ちまくるシス。その半ばヤケクソのような動きが仇となった。バランスを崩したF型零号機に砲火が殺到する。

 

『うわぁッ!?』

 

 シスの展開したATフィールドが、辛くも攻撃を防いだ。だが空中でその衝撃を受け止めたF型零号機が、勢いを殺しきれず後方に大きく吹き飛ばされる。

 

『うっ、くぅぅうう!』

 

 なんとか姿勢を立て直そうとするシスの目に映る、追撃の嵐。絶望に包まれそうになったシスを救ったのは、レイNo.トロワの駆る0・0エヴァの放ったガンマ線レーザー砲であった。

 

『シス!平気?』

 

『トロワ!!』

 

 シスが地上に視線を下ろす。そこには両肩パイロンにフィールド侵食型の二振りの刀『袈裟羅』と『婆娑羅』を装着し、ガンマ線レーザー砲とライフル、戦略N2弾をレール着装した0・0エヴァ/トロワ機が立っていた。

 

 トロワはシスの援護をした後、地上の敵に向かってレーザー砲を放った。それに巻き込まれたAEの幾つかが爆炎をあげる。シス同様にトロワにも集中砲火を浴びせる連合軍であったが、トロワの堅固なATフィールドがそれら全てを防いでいた。

 

『まだ。碇くんの仕事が終わるまで、邪魔はさせない・・・!』

 

 0・0エヴァがN2弾を発射する。それを、直撃しては堪らないと、連合軍が総出で銃弾を浴びせていく。N2弾は空中で爆散し、辺り一帯を轟音と爆炎が包み込んだ。

 

『トロワぁ!!』

 

 爆炎に飲み込まれたトロワ機を見たシスが悲鳴を上げた。

 

『大丈夫。フィールドで防御している』

 

 爆煙で姿は見えないものの、通信から聞こえてきたトロワの声にシスは安堵した。安堵したシスは、再び空中の敵軍を睨みつける。

 

『もぉ!弱っちいのにナマイキ!』

 

 叫ぶや否や、シスは『天使の背骨』を敵軍の一箇所に乱射した。動きの遅いAE飛行形態の何機かが直撃を受けて爆散する。それに巻き込まれる形で、周囲の機体も連鎖して爆発した。敵の陣形に大きな穴が開いた。

 

『よおし!このまま・・・・・・』

 

『ダメよシス!突っ込んだらダメ!』

 

 勢いよく敵陣に突撃するつもりだったシスを、ミサトが静止した。その判断は正しかった。敵陣に開いた穴はすぐさま他の機体によって埋め尽くされたからだ。無闇に突っ込んでいれば、今頃敵に囲まれて袋叩きにあっていただろう。

 

『だいじょーぶだったよ葛城そーしれい!こっちのエヴァの方が強いもん!』

 

『それだけじゃ数には勝てないわ!アナタのATフィールドはトロワみたいに強固じゃないのよ!?敵軍に圧迫されて身動きが取れなくなったら終わりだわ!!』

 

『うぐぐ・・・、そんな事ないのに』

 

『シス。まじめにやって』

 

 ミサトとトロワから同時にバッシングを食らったシスは不貞腐れた。

 

『もう!ワタシだって真面目にやってるもん!シンジはどうしたの!?ま〜だ〜!?』

 

 そういってシスは後方を振り返る。そこには残存している自走兵器で必死に応戦しているネルフJPNと、そこから天高く伸びる『光の回廊』を展開しているエヴァンゲリオン最終号機の姿があった。

 

 

 

 

 

 

「シスの言う通りだ。早く終わらせないと、みんなが・・・・・・!」

 

『焦るなシンジ!お前の役目は「回廊の保持」だ。搬入が完了するまで、耐えろ』

 

「でも父さん!」

 

 父の説得は理解できる。だが現場でトロワとシスの戦いを直視しているシンジには、ただ『光の回廊』を出し続けるだけの今の状況は耐え難い。最終号機も加われば、あの2人を助けられるのに・・・・・・。

 

『シンジ、これは戦闘ではない!戦争だ!どんなに個の戦力が高かろうと、お前1人ではどうこうできるものではない。お前が「回廊」を閉じて戦線に加わった瞬間、ネルフJPN内の人間は全員死ぬぞ!』

 

「わかってる・・・わかってるよ、そんなこと!でも・・・・・・」

 

『耐えろ。シンジ。今は耐えるしかない』

 

「・・・・・・くっそお!」

 

 遠くから俯瞰して眺めているだけの現状があまりに辛い。焦燥感で体が震えそうなシンジに追い打ちをかけるように、戦場に動きがあった。

 

 連合軍の地上部隊が、ライフルを乱射しながら0・0エヴァ/トロワ機に向かって押し寄せてくる。トロワもライフルで応戦するが、焼石に水といった状態だ。

 

「トロワ!逃げろ!!」

 

『ダメ。ここでは引けない』

 

 トロワはライフルを放り捨て、肩の二刀に手をかける。

 

「やめろ、トロワぁ!!」

 

 袈裟羅と婆娑羅を抜き放ち、0・0エヴァは押し寄せるAEの大波に突っ込んでいく。

 

『フィールド、全開・・・・・・!』

 

 その大波を、トロワはATフィールドを展開することで押し止める。

 

『はあああああああああああああ!!』

 

 フィールドの上から右手の袈裟羅を振り下ろす。トロワのATフィールドが刀身に纏わりつき弾けたかと思うと、無数に散らばったATフィールドの破片が、トロワの目の前の敵達をズタズタに引き裂いていく。トロワはその勢いを利用し、そのまま敵陣の中に消えていった。

 

 ギャリンッ!ギャリンッ!と、両手の刀で敵を切り裂く音だけがシンジの耳に届く。

 

「トロワッ!!」

 

 シンジの叫びに応えるように、0・0エヴァが敵陣から飛び出した。目立った外傷は無く、両手の刀はAE内部に満たされていたLCLに濡れている。

 

 勢いそのまま、トロワは刀を振り続ける。AEの大群が、まるで紙切れのように次々と切断されていくのがシンジには見えた。重厚なAEの群れの突進をATフィールドで一時的に防ぎ、そのATフィールドを自ら砕くことで散弾銃のようにATフィールドの破片をばら撒き、勢いを完全に殺したところでエヴァ本体が斬りかかる。トロワの取った戦術は単純ではあるが、多対一という状況では最善に近いものがあった。

 

 その様子を見て、シンジも安堵の息を漏らした。

 

 だが、

 

『トロワ!海上より高エネルギー反応!飛んで!!』

 

 急遽入ったミサトの指示が、シンジの安堵を奪った。0・0エヴァが指示に従いジャンプした瞬間、何か巨大なモノが戦場を超高速で駆け抜けていった。

 

『きゃああああああああ!?』

 

 それは連合軍にとって敵であるトロワだけでなく、味方のはずのAEすらも巻き込んで、戦場に大きな焼け跡を残した。

 

『トロワ!無事!?』

 

『え、ええ・・・・・・。なんとか・・・・・・』

 

 吹き飛ばされた先で立ちあがろうとする0・0エヴァであったが、右脚に負った損傷のため、上手く立てないでいた。

 

『第二波、来ます!』

 

『トロワ!ATフィールドを!』

 

 発令所からの指示に、即座にフィールドを展開したトロワだったが、

 

ゴキィィンッッ!!

 

 何か重たい金属同士がぶつかるような轟音と共に、0・0エヴァはさらに吹き飛ばされていた。

 

「トロワッッ!」

『トロワ!?』

 

 シンジとミサトが同時に叫んだ。

 

『艦砲射撃です!太平洋上から!おそらくUSAです!』

 

 日向の報告が通信を流れたが、シンジの脳には届かない。シンジは咄嗟に『光の回廊』を消して、戦場に飛び出そうとしていた。

 

『シンジ!!!!』

 

 辛うじて残っていた理性が、ゲンドウの叱責に反応した。ギリギリのところでシンジが踏みとどまり、奥歯が砕けるかと思うほどに強く噛み締める。シンジの目の前で、0・0エヴァが地面に叩きつけられた。

 

「くっそぉ・・・・・・」

 

 0・0エヴァが立ちあがろうと踠いている。助けに向かえない自分が恨めしい。シスが上空から援護するが、敵軍はジリジリとトロワに近付いてきている。

 

「トロワのATフィールドの上からエヴァを吹き飛ばせられるなんて、一体どんな兵器を・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

「知りたいなら教えてやろうか?シンジ」

 

 

 

 

 

 

 突然、シンジの真横で声がした。

 

「誰だ!?」

 

『最終号機周辺に、敵性反応検知!!』

 

『うそ!?いつのまに!?どうやって!』

 

 最終号機がルクレティウスの槍を構え、声のした方を振り返る。空間にバチバチと稲妻が走り、隠れていた機体が姿を現した。

 

「まさか、エヴァ・・・・・・?いや、それよりこの声は・・・・・・!」

 

「久しぶりだな。碇」

 

「ケンスケ!?」

 

 

 

 エヴァンゲリオンと同等の巨躯。

 

 同じような見た目。

 

 それに搭乗した相田ケンスケが、シンジに銃口を突き付けていた。

 

 

 

つづく



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e.天に輝く人の光(中編)

 

 シンジの眼前に突然現れた、迷彩柄のエヴァンゲリオンのような機体。角などの装飾は無く、どこか、かつて殲滅したエヴァンゲリオン参号機を彷彿とさせるデザイン。それが、エヴァ最終号機に銃口を向けていた。

 

「本当に、ケンスケなのか・・・・・・?」

 

『相変わらず、すっとろいなぁ。碇』

 

 

 

 銃口が火を吹く。何度も。何度も。

 

 

 

『ふう。やっぱり無理か・・・・・・』

 

銃弾は当たらなかった。ただの一発も。

 

『ルクレティウスの槍。光の回廊、か。ATフィールドとは違うが、お前が認めたものしか通れないようにしているのか?』

 

「・・・そうだよ」

 

 『光の回廊』の内側で、最終号機が再び槍を構え直す。エントリープラグ内でシンジは、かつての学友を睨みつけていた。いや、本当ならば今でも学友であるはずなのだ。シンジにとっては。

 

 色々と、問い詰めたい事はある。

 

 ケンスケは今まで何処にいたのか?

 

 何をしていたのか?

 

 そのエヴァは何なのか?

 

 トロワを吹き飛ばした兵器はなんなのか?

 

 だが、それらの問いよりも優先して確認すべき事。

 

 即ち、

 

「ケンスケは、敵なのか・・・・・・?」

 

『寝ぼけたこと言うなよ、碇』

 

迷彩柄のエヴァもどきが肩をすくめる。

 

『当たり前だろ?』

 

 その返答を受け、シンジの胸に焦りが生まれた。それは様々な要因によってもたらされたものであったが、1番の要因は『敵がネルフJPNの前まで潜伏していた』という事実であった。『光の回廊』を出している間、最終号機の動きは大きく制限される。シンジ自身が意識を集中しなければ、『回廊』を維持できないからだ。よって最終号機がこの場で会敵しても、戦闘に移る事はできない。

 

(どっちが正解だ・・・?)

 

シンジは必死に頭を回転させた。ここで『光の回廊』を解き、ケンスケの乗るエヴァンゲリオンもどきと一戦交わるべきか、否か。『光の回廊』はそれほど巨大なものではない。ネルフJPN全体を覆うほどの巨大なものは、シンジには作れない。つまり目の前の元学友は、『回廊』に覆われていない部分のネルフJPNに対して、いつでも攻撃を開始することが可能なのだ。ならばこの場で、最終号機がケンスケを制圧した方が良い、とシンジは考える。

 

その一方で、1番厄介なのは、この場にケンスケ以外にも敵がいた場合だ。先程の突然の出現は、恐らく光学迷彩などを用いたものだと推測できるが、シンジも、そして敵をモニターしているはずの発令所の面々ですらも欺いた見事なものであった。もし目の前のエヴァもどき以外にも敵が潜伏しているならば、自分が『回廊』を解いた瞬間に、ネルフJPNは一斉攻撃の的になり、一瞬で壊滅するだろう。

 

 『光の回廊』を解くべきか、維持するべきか。シンジの中に迷いが生まれた。

 

『碇。お前は本当にわかりやすいな』

 

 そんなシンジの考えを、ケンスケは容易く見破る。ネルフの防諜部として暗躍してきたケンスケにとって、シンジのような情報戦の素人の考えなど手に取るように判る。

 

『俺以外の敵がいるかどうかで悩んでるなら心配ご無用。友達と会うのに、余計な奴なんか連れて来るわけないだろ?』

 

「友達・・・・・・」

 

『ああ、中学からの付き合いじゃないか。高校も、職場だって一緒なんだぜ?』

 

「・・・・・・なら、なんでケンスケはそんな場所にいるのさ」

 

 この問いかけはシンジの本心であった。敵である前に、ケンスケはシンジにとって、かけがえの無いない友人であった。それが何故、敵側としてネルフJPNに攻め込んでくるのか。ケンスケの本心を知りたかった。

 

『それ、今重要か?』

 

「答えてよ。ケンスケ」

 

『・・・・・・やれやれ』

 

 ケンスケの乗ったエヴァもどきが首を振る。

 

 

 

 そして、右脚を高く上げると、『光の回廊』を思い切り蹴り始めた。

 

 

 

「!!」

 

 

 

『お前の!そういう!ところ、がっ!気に入らないんだよォ!!』

 

 

 

「ケンスケ・・・」

 

『良い子ぶりやがって!あぁ!?友達が裏切って敵になって、自分は悲劇の主人公にでもなったつもりかよ!えぇ!?さぞ楽しいだろうなァ〜碇!お前のその立ち位置はよォ!』

 

「な、なに言ってんだよケンスケ・・・。そんな事・・・」

 

『あ〜あ〜。あ〜あ〜あ〜あ〜あァ!!うぜえ!』

 

 ドンドンドンドンッ!と銃口が火を吹く。勿論、シンジには当たらない。そんな事はケンスケも百も承知だ。だが怒りに任せて発砲する事で、自身の苦しみを少しでもシンジに味合わせてやろうという、強い憎しみの込められた弾丸であった。そして、それは十分にシンジに伝わってくる。

 

 弾を撃ち尽くしたライフルを『光の回廊』に叩きつけ、オマケとばかりに一際強烈な蹴りを放つ。まるで唾でも吐き捨てるかのような仕草を取り、それでも怒りの収まらないケンスケのエヴァもどきは、肩で息をしていた。

 

『はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。碇、七つの大罪で1番重い罪を知ってるか?人類最初の殺人が、どんな動機で行われたか知ってるか?』

 

「え・・・?」

 

『嫉妬だよ』

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 理解が追いつかないシンジの前で、ケンスケのエヴァもどきが右手の甲を見せつけるように掲げた。

 

『お前は、俺の望んだ全てを持っていた。孤独な人生。避けられようのない運命。エヴァのパイロットとしての立場。それを支える仲間。使徒との戦い。それを経て得られる友情と勝利。それを彩る美少女たち。そして友の死と、挫折と、それでも尚、立ち上がる勇姿。英雄という立場。世界を救ったヒーロー。・・・・・・わかるか?碇。お前の人生は、俺自身がそうあって欲しいと望んで、結局手に入れられないと諦めていた、夢物語そのものなんだよ』

 

「・・・それを、僕が望んでいたとでも思っているのか?」

 

『そのお前の感情も含めて、さ。お前の人生はドラマに満ちている。俺みたいなモブには一生味わうことのできない、彩りのある人生だ。自分にしかわからないって顔でいつも憂いを帯びて。そんな自分に、お前もどこかで酔っていたんじゃないか?』

 

「そんなわけないじゃないか!」

 

『だが結果として、今のお前はどうなんだよ!?世界を二度、いや三度も救い!父親やミサトさん達とも和解し、アスカと結ばれて子供まで作った!お前は、俺の望んだ全てを手に入れた!・・・馬鹿げた話だ。どこのアニメだよ。だけどな、俺は『それ』が欲しくて仕方なかったんだよォ!!』

 

 エヴァもどきの右腕に、脈動するように血管のようなものが浮き上がっていく。それは青黒い体液を通しているようで、その光景にシンジは軽い既視感を覚えた。

 

『お前や、トウジたちがネルフJPNで少しずつ自分の立ち位置を築いていく姿を、俺が何とも思わないとでも思ったのか?凄まじい劣等感だったんだぜ?だが俺はエヴァには乗れない。それでも、どうにかしてお前たちと並び立ちたいと何度思ったか。そして何度、現実を突きつけられたか。その代償として、俺は右腕を失った・・・・・・』

 

 ケンスケの右腕は、アルマロス騒乱の際、塩となって砕けて散った。この星の生命情報を備蓄した、人類補完計画のセーブデータである『箱舟』に手を出そうとして、『箱舟』に拒絶されたのだ。

 

 ケンスケの秘めた想いは、昔からシンジも感じ取ってはいた。シンジ自身が望まない境遇を、ケンスケがずっと追い求めていた事には気付いてはいた。

 

(だけど、そこまで思い詰めてたなんて僕にはわからなかった。それなのに、僕は・・・・・・)

 

『なぁ、碇・・・・・・』

 

「・・・・・・なに?」

 

 若干の罪悪感。それが、シンジの心を軟化させていた。ケンスケの胸に秘めていた想いを、今こそ受け止めようと思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アスカを、俺にくれよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ゛?」

 

 シンジの視界が瞬時に赤く塗りつぶされていく。

 

『聞こえなかったのか?碇。アスカを俺にくれって言ったんだよ』

 

『シンジ!奴の言葉を聞くな!無視しろ!』

 

 通信にゲンドウが割り込むが、それどころじゃない。そんなのどうだっていい。いま、目の前のこの『敵』は、シンジの逆鱗に触れたのだ。

 

『もう十分楽しんだだろ?あのカラダを、めちゃくちゃに舐め回して、吸い尽くして、貪ったんだろ?子供も生まれたんだ。もういいじゃないか。一目惚れだったんだ。好きだったんだよ、アスカが。俺もアスカの腰を掴んで、思いっきりバシバシ叩きつけたいんだよ。アイツの中を、俺の子種で満たしたいんだ』

 

「だまれ」

 

『代わりならいるじゃないか。ほら、あそこで這いつくばってるトロワとか、さ。ここにはいないけどカトルともなんだろ?じゃあ、いいだろ?アスカの唇を俺ので塞いで、思うままにヤッちまいたいんだよ。アスカって処女だったんだよな?じゃあシンジしか男を知らないわけだ。だったら俺がもっと気持ちいいことを教えてやるよ。アスカの喘ぎ声はどんなだろうな。そのうちアスカの方から求めてくるかもなぁ。自分から腰振り始めて・・・』

 

 シンジの脳裏で、ブチン、と音がした。

 

『ぐあっ!?』

 

「だまれって言っただろ?」

 

 最終号機が『光の回廊』を解き、エヴァもどきの首を絞め上げた。ぐぐぐ、とエヴァもどきの身体が浮かび上がる。

 

『あぐ・・・、は、ハハ!やっぱり分かりやすいなッ!』

 

 エヴァもどきの右手が最終号機の腕を掴む。その瞬間、シンジの腕に激痛が走った。

 

「ぐああ!?」

 

 痛みに思わず手を離した最終号機。掴まれた腕を見れば、掴まれた部分が白く変色し、ポロポロと破片がこぼれ落ちていた。

 

 痛みに気を取られていたシンジの顎が跳ね上がる。隙を突かれ、顎を蹴り上げられたのだ。シンジの視界がぐあんぐあんと歪む。

 

『シンクロしすぎってのも考えものだな。脳が揺さぶられて、景色がぐにゃぐにゃに見えるだろ?』

 

「あ、うう・・・・・・」

 

『ついでに』

 

「ぐはぁっ!?」

 

『ATフィールドも張れない、と』

 

 最終号機の腹にエヴァもどきの拳が叩き込まれた。あまりの激痛に最終号機がたたらを踏む。その隙を逃さず、ケンスケは次々と拳と蹴りを叩き込んでいく。

 

『サイッコーだなぁ碇!!無敵のシンジ様は使徒やアルマロスとは戦えても、人間とは戦った事ないもんなぁ!?』

 

「け、ケンスケ・・・」

 

『ただのサンドバッグだ!パイロットじゃあ対人訓練なんて重視されなかっただろ!?防諜部はそっち専門だからな!人の壊し方は熟知してんのさ!!』

 

「がはっ!!」

 

 意識が朦朧としたままではあるが、シンジは殴られながらもケンスケの攻撃を観察していた。確かに対人戦闘技術は、圧倒的にケンスケの方が上だろう。一度隙を晒せば、立ち直るチャンスなど与えてたまるかと、シンジの意識を何度も刈り取ろうという攻撃を執拗にしてくる。

 

 だがそれでも、シンジには腑に落ちない点があった。

 

(あの、右腕・・・。あの攻撃だけが異常に重い!)

 

 最終号機が攻撃を逃れようと地面を転がる。

 

 しかし、それはケンスケの罠だった。

 

『確保ぉ!』

 

「うがッ!?」

 

 一緒にして背後に回り込んだエヴァもどきが、腕を回して最終号機の首をロックする。ギリギリと締め上げられる最終号機に合わせて、シンジ自身の首も閉まっていく。

 

「あ、が、ぐぷ・・・・・・」

 

『碇ぃ・・・。こんな攻撃、エヴァに乗ってから食らった事なかっただろ?エヴァはロボットじゃない。人造人間なんだ。急所も全て人間と一緒さ』

 

 シンジは必死でケンスケから逃れようとするが、首をガッチリと極められた最終号機は逃げる事ができない。だんだんとシンジの意識が遠のいていく。

 

『おっと。おねんねは早いんじゃないか?』

 

 最終号機の顔に、エヴァもどきの右腕が沿えられた。途端、シンジの顔に激痛が走った。

 

「ぎゃあああああああああッ!!」

 

『人間てのはお前が思ってるよりずっと凄いんだぜ?碇。よーく見てろよ?あそこで踠いている綾波もどきをな。・・・・・・やれ』

 

 ケンスケの合図と共に、再び0・0エヴァ/トロワ機が何かに弾かれるように宙を舞った。

 

「!!!」

 

『アレな、どうやってるか教えてやるよ。レールガンってヤツさ。浪漫の塊みたいな兵器で、ぶっちゃけ普通の戦争じゃ使い物になるか微妙なんだけどな。ただ、兵器も使いよう。物量で抑え込んだ敵一匹くらいなら、当てるのもワケない。横からの攻撃だ。ATフィールドを張っても、踏ん張りが効かなくて吹っ飛ぶんだ。あとは何度でも死ぬまで叩き込んでやればいい。カンタンだろ?』

 

 0・0エヴァが地面に叩きつけられる。そして、追撃のレールガンによって二度、三度と宙を舞った。

 

 怒りで我を忘れそうなシンジが、最終号機をロックしている腕を掴んで、渾身の力を込めてギリギリと締め上げていく。しかし、ケンスケは意にも介さないというように、逆に最終号機の首を更に締め上げた。

 

『悪いな。エヴァと違って、俺の乗っているのはオルタナティブ・エヴァンゲリオンだ。シンクロシステムは使ってるが、お前みたいに完全に痛みがフィードバックされるワケじゃない』

 

 エヴァもどき、いや、ケンスケのAE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)が、今度は右腕を最終号機の肩に沿えた。再びシンジに激痛が走る。

 

「うあああああアアアアアアアアアア!!」

 

『我慢しろよ。男の子だろ?』

 

「うぐ、ぐあああッ!!」

 

『おっとぉ!?』

 

 最終号機が光の翼を展開し、思い切り後方に跳んだ。その勢いはケンスケのAEを振り解くのに十分な力を持っていた。AEの腕から逃れた最終号機が、距離をとって着地する。

 

「はあっ!はあっ!はあっ!ゲホッ」

 

『さすが。世界を救った勇者様は違うね』

 

「ケンスケぇ!!」

 

『俺ばかり気にしてていいのか?』

 

 ケンスケの言葉に我に帰ったシンジが背後に視線を向ける。『光の回廊』が解かれたネルフJPNは、連合軍の飛行部隊の集中砲火を浴びて、至る所から火の手が上がっていた。上空ではシスが奮戦しているが、敵の数が多すぎるため、全く防衛できていなかった。

 

「父さんッ!ミサトさんッッ!!」

 

『隙あり』

 

 ケンスケのAEが右手をシンジに向けてかざす。途端、強烈な拒絶の意志が最終号機とシンジを包み込んだ。まるでブリザードにでもあったかの様に、最終号機の表面がピシピシと音を立てて白く変色していく。

 

「こ、これは・・・・・・!?」

 

『なんだと思う?』

 

 全身から発せられる痛みに耐えながら、シンジは必死で敵機の右腕を見据えた。AEの右腕を、青黒い液状の何かが這いずり回っている。

 

「まさか・・・、バルディエル!?」

 

『半分正解』

 

 それはかつて、初号機がダミーシステムによって殲滅し、しかし友人であるトウジの体内に根付いた使徒。それそのものだった。

 

「まさか、トウジから移植したのか!?」

 

『移植じゃないさ。俺の右腕はもう無いのは知ってるだろ?コイツはAEの腕に住まわせてやってるのさ。依代としてな』

 

 ケンスケが右腕に更に力を込める。シンジと最終号機を更に強い拒絶の意志が襲った。

 

「うぐぅううう・・・・・・!」

 

『コレはな、「箱舟」の力さ。俺の右腕を奪ってくれた、な』

 

「箱舟!?」

 

『箱舟はもともと、ゼーレが人類補完計画の時間短縮のために創り出したものだ。製造方法は失われたが、俺はゼーレ以外で、人類で最も箱舟に近づいた「男」だ。あまり期待してなかったが、どうやら俺のカラダにも箱舟の一部は宿っていたらしい』

 

「そんな、力を、どうやって・・・・・・」

 

『言っただろ?人間ってのは凄いんだ。知恵の実を得た俺たちリリンは、科学という力で数々の自然現象を解き明かし、再現し、屈服してきた。ゼーレも元を辿れば唯の人間だ。奴らにできて、他の奴らにできない道理はない。・・・つっても、コレはネルフ残党のお偉いさんたちの受け売りで、ゼーレに見捨てられた負け惜しみでしかないけどな』

 

「じゃあ、依代っていうのは・・・」

 

『この『現象』を再現するための、道具ってことさ。難しいことは俺も知らないが・・・』

 

 ゴォッと、強い圧がシンジに襲い掛かる。

 

『お前を塩の柱に変えるくらい、カンタンってことだ』

 

「う、うあ、うああああああああっ!?」

 

 ビシビシと音を立てて、最終号機の身体が塩化していく。塩化した身体のあちこちにヒビが入っていき、今にも崩れ落ちそうだ。

 

 気を失いそうになるシンジを救ったのは、自分の上司の声だった。

 

『シンジくん!聞こえる!?』

 

「み、ミサトさん!?無事なんですね!?」

 

『そんな事より槍よ!槍を使って!』

 

『光の回廊、か。いいぜ。試してみろよ碇』

 

 最終号機がひび割れた腕に力を込める。一瞬の閃光と共に、最終号機の目の前にルクレティウスの槍が出現した。シンジは槍を掴んで掲げると、最終号機を中心とした『光の回廊』が展開された。

 

『無茶苦茶な力だな。だけど・・・・・・』

 

 ケンスケのAEがおもむろに近づき、右腕で『回廊』に触れる。瞬間、触れた先から『光の回廊』がボコボコと泡立ち、少しずつ塩化していった。

 

「な、なんで・・・」

 

『認識の槍、っていうんだろ?それ。あらゆる現象を、お前の認識できる形に留める槍。だけどな、碇。それは人類がずぅっと昔からやってきた事なんだよ。この箱舟みたいになぁ!』

 

 塩化した『光の回廊』の一面がバキバキと音を立てて崩れ落ちる。空いた穴から箱舟の力が回廊内に流れ込み、最終号機の塩化を更に進めた。

 

『箱舟は生命情報の塊だ!一部とはいえ、お前は数百億年以上の生命の歴史の全てを認識できるのか?この星の森羅万象を全て理解できるのか?どれだけその槍が凄かろうと、お前という個体では到底無理な話なんだよ!』

 

 シンジの意識が、再び遠のいていく。

 

『箱舟は、生物の(つが)いであれば、拒絶の意志を弱めるらしい。近くにいれば、ってことみたいだが。だけど今のお前には、番いは居ないだろう?』

 

『シス・・・・・・!碇くんのところへ!』

 

 通信に、ボロボロのはずのトロワの必死な叫びが流れた。

 

『オッケー!まっててシンジ・・・ぎゃん!』

 

『シス!?』

 

 上空のシス機を、何かが撃ち抜いた。循環液と煙を撒き散らしながら、F型零号機アレゴリカが墜落していく。

 

 ATフィールドを纏えるエヴァンゲリオンを貫き、撃墜できる兵器。レールガンではない。その攻撃は、シス機よりも更に上空から発射されたものだった。

 

 シンジはその兵器に覚えがあった。

 

 

 

 

 

『ええ加減にせえや、ケンスケぇ。なんぼワシでも、我慢の限界っちゅーもんがあんねんぞ?』

 

 

 

 

 遥か上空から、一つの機体が飛来してくる。光の翼を広げた姿は、かつてシンジが北海道で見た光景と同じ。

 

「ウルト、ビーズ?」

 

『投降して。碇君』

 

 通信を通して聞こえてきた声は、かつてのウルトビーズのパイロットであり、そして、人類最大の敵としてアルマロスに囚われた洞木ヒカリのもの。

 

 トウジとヒカリ。

 

 今や番いとなった二人が搭乗する、ダブルエントリーシステムを採用した、ネルフユーロの最新鋭のエヴァンゲリオン。

 

 ネルフJPNにとっての絶望が、光を背にして舞い降りた。

 

 

 

つづく



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e.天に輝く人の光(後編)


 久しぶりの10000字越えです。

 調子に乗りましたw


 

 光を背負い、戦場に舞い降りた改良型EVA・EUROII・ウルトビーズ。

 

 その姿の神々しさ故か、戦場は静けさに包み込まれた。対ネルフJPN連合軍は総攻撃の手を休め、事の成り行きを見守っていた。

 

「まさか、洞木さん・・・・・・?」

 

『いや、今は鈴原や。シンジ・・・』

 

「この声・・・。まさか、トウジも!?」

 

 ヒカリの声に続き、トウジの声までもが通信で流れてきた。シンジの理解は追い付かず、ただ、舞い降りる異形のウルトビーズを凝視することしか出来ないでいた。

 

 異形。

 

 そう形容するしか無い、かつての姿とは異なったウルトビーズ。陽の光を浴びて白く輝く、まるで宗教絵画のような神秘的な姿や、アレゴリック翼の光は、シンジの記憶の中の姿と変わらない。

 

 しかし、腕。 

 

 通常のエヴァの2本の腕とは別に、両肩から更に2本の腕が生えており、腕の数は合計4本。両肩から生えた腕の肘から先は長距離ATフィールド兵器である『天使の背骨』へと換装されている。

 

 ウルトビーズは残りの2本の腕で十字槍を携えて、言った。

 

『シンジ、後生や。投降してくれ』

 

「なんで・・・、なんでトウジが、エヴァに乗ってるんだよ・・・・・・」

 

 異形のエヴァ。

 

 それに搭乗しているトウジ。

 

 その状況が、シンジのかつてのトラウマを呼び起こす。

 

「ダメだ・・・トウジ・・・・・・。トウジは、エヴァに乗っちゃダメだぁ!!」

 

『シンジ!?なんや、どないした!?』

 

「すぐ降りて!降りてよ!じゃないと、僕は、また、トウジを・・・・・・!」

 

『あ〜あ。だから言ったろ?トウジ。お前が出てきたらややこしくなるって』

 

 ケンスケのオルタナティブ・エヴァが、『箱舟』の力を宿した右腕を下ろす。同時に、最終号機を襲っていた強烈な拒絶の意志が消え、塩化もピタリと止まった。

 

『お前を握りつぶした事は、お前が思ってる以上に、碇にとってはトラウマなんだ。せっかく盛り上がってきたのに白けちまったよ・・・』

 

『じゃかあしい!ワシらが出んかったら、お前はシンジを殺してたやろが!』

 

『まさか。本命が来てないのに、そんな事するわけないだろ?』

 

『いい加減にして、相田くん。これ以上、私たちを怒らせないで』

 

 怒気を孕んだヒカリの声を聞き、ケンスケのオルタナティブ・エヴァがやれやれと肩をすくめる。

 

『鈴原夫妻は似た者同士だな。ていうか、夫婦だから似たのか?』

 

 次の瞬間、オルタナティブ・エヴァの真横の大地が吹き飛んだ。ウルトビーズの『天使の背骨』が大地を抉ったのだ。

 

『軽いジョークだろ?』

 

『笑えんわ、阿呆』

 

 ケンスケに向けて発砲したウルトビーズが、大地に降り立つ。そしてゆっくりと、最終号機に近づいてくる。

 

『シンジ、気張れや。ワシがトーヴァートになっとった時は普通に戦えたやないかい』

 

「あ、あの時は、無我夢中だったから・・・」

 

 それに、自分も死ぬ直前だったから。

 

 そんな言葉がシンジの頭によぎる。シンジはそんな考えが頭に浮かんだ事自体に、猛烈な嫌悪感を抱いた。

 

(僕は、トウジよりも、やっぱり自分の命の方が大事なんだ・・・。そっちの方が大事だから、あの時は戦えて・・・)

 

『違うやろ』

 

 シンジの心を読んだかのように、トウジが彼の思考を遮った。

 

『お前はあのときも、それより前のワシが使徒に乗っ取られたときも、自分の命よりもワシの命の方を優先してたやろが。トーヴァートの時やって、必死でワシに呼びかけてたやろうが』

 

「トウジ・・・」

 

『お前は、お前が思っとるほど軽い男やない。せやからワシは、お前が友達であるっちゅー事に誇りを持っとる。もっと胸張りぃや』

 

『水を差すようで悪いけど、いま碇に気張られたら困るだろう?』

 

 ケンスケのオルタナティブ・エヴァが最終号機のツノを乱暴に掴む。

 

『友達を励ますのはいいんだけどさ。今はもっと他に言うべきセリフがあるだろ?ユーロ軍大隊長、鈴原トウジ殿』

 

「ユーロ軍・・・大隊長・・・・・・?」

 

『呼び方はなんでもいいけどな。将軍とか、総司令官とか』

 

「ウソだ・・・ウソだよね?ウソって言ってよ、トウジ・・・・・・」

 

 収まりかけていた胸の動悸が、ケンスケの言葉で再び激しくなる。先程とは別の焦燥が、シンジを包み込んだ。ウルトビーズに乗っているという事はつまり、そういう事だ。この状況が、全てを物語っている。

 

 だが、シンジの心はそれを認めたくない。藁にもすがるような思いで、シンジはトウジを問い詰めた。ウソである、という答えに期待して。

 

『・・・・・・スマンのぉ。シンジ』

 

 突きつけられた槍の穂先が、答えとなった。

 

『ワシは、いや、ワシらは、対ネルフJPN連合ユーロ軍。その手先なんや・・・』

 

「そんな。トウジ、どうして・・・」

 

『ごめんなさい、碇君。でも私たちにも、事情があるの』

 

『シンジ。今投降すれば、これ以上の被害は出ぇへん。だから頼む。後生や。ホンマに頼むから、負けを認めたってくれ・・・・・・!』

 

 シンジが突きつけられた槍の穂先を眺める。

 

 

 

 負けた?自分たちが?

 

 俄かには信じ難い。信じたくない、事実。

 

 それがシンジの足下をおぼつかなくさせる。

 

 

 

「父さんや、ミサトさん達は・・・・・・?」

 

『もちろん、これ以上の危害は加えへん』

 

『生きていれば、だけどな』

 

『黙っとれやケンスケぇ!!』

 

 トウジからの叱責を受けたケンスケは、ふぅっとため息を吐くと、最終号機のツノから手を離した。それと同時に、最終号機はその場に膝から崩れ落ちた。

 

 シンジの心が折れたのだ。

 

 最終号機の背後のネルフJPNからはいくつもの火の手が上がり、時折、爆発音まで聞こえる。連合軍の攻撃は止んでいるにも関わらず、だ。もはや設備の大半が崩壊した施設内は、恐らく阿鼻叫喚の地獄絵図だろう。仮に内部の人間が生きていたとしても、火の手に巻かれて、命を失う人間も出てくるかもしれない。

 

 その中に、自分の父親や恩人たちが含まれないとは限らないのだ。

 

(僕のせいだ・・・・・・・・・)

 

 『光の回廊』を解かなければ、今のこの惨状は無かったかもしれない。ゲンドウの言った通りであった。ケンスケの挑発に乗り、『光の回廊』を解いたことで、結果として自分の仲間達を死の危険に追いやってしまった。シンジが、最終号機が、単機でどれだけの戦闘力を有していようと、戦争には勝てない。

 

 通信に、ザザッと雑音が混じった。

 

『・・・ンジ君!シンジ君!!』

 

「!!」

 

 それは、ミサトの声だった。

 

『私たちは無事よ!何も心配しなくていいわ!だから、立って!立ち上がって!立って戦うのよ!』

 

『レールガン用意』

 

「やめろケンスケぇ!!」

 

 シンジはとっさにケンスケに縋りついた。

 

『・・・今のは冗談だよ。でもな、碇。次に勝手に動いたら、ミサトさん達に本当にレールガンを叩き込む』

 

「やめろ。やめて、やめてくれよぉ・・・・・・」

 

『ははっ!いいねぇ、その態度。命乞いかよ!?あの無敵のシンジ様が!でも頼み方ってのがわかってないんじゃないか?足りないだろう?誠意が、さ』

 

 シンジを見下ろす、ケンスケの表情。敵機であるオルタナティブ・エヴァに搭乗しているケンスケの顔を、シンジは確認する事はできない。だが、ケンスケの顔がどれほどの歪んだ笑みを浮かべているかは容易に想像できた。

 

 そして、それに従わない場合、ケンスケがどういう行動に出るのか、も。

 

 シンジは最終号機の頭を地面に擦り付けた。

 

「・・・お願いです。僕たちの負けです。負けを認めます。だから、どうか、みんなの事は助けてください。お願いします・・・!」

 

『ふ・・・くく、くくくくく・・・・・・あーはっはっはっはっはっ!!マジか、碇!あはははははははははははははは!!』

 

 シンジの土下座を目の当たりにしたケンスケが、狂ったように笑う。それを横で見ていたトウジは「付き合いきれん」と、プラグ内で頭を振った。

 

 

 

 

 

『トージ・・・?な、んで・・・・・・?』

 

 

 

 

 トウジの肩がビクッと跳ね上がる。ウルトビーズのエントリープラグ内に、小さなレイNo.シスの悲しげな声が流れた。

 

 ウルトビーズが、先程撃ち落とした、背後のF型零号機アレゴリカに向き直る。墜落してダメージを受けたシスの機体はどうにか立ちあがろうと踠いていたが、受けたダメージは想像以上に大きいらしい。

 

『なんでだよぉ、トージぃ。なんでトージがワタシたちを襲ってくるのぉ・・・・・・!?』

 

『シス・・・・・・』

 

『う、うぅ、うあ、うああアアアアン!!』

 

 シスの泣き声が戦場に木霊する。

 

 その声は、ただでさえ罪悪感でいっぱいのトウジの胸をさらに強く締め上げた。

 

「トウジ」

 

エントリープラグ内で、自分の妻であるヒカリがトウジに目を向ける。愛する夫を心配して。それを見たトウジは、奥歯を強く強く噛み締めた。

 

「ヒカリ。ままならんもんやなぁ・・・」

 

「でも、結果として、綾波さんや碇君は死ななかったわ・・・。私たちは、やれるだけの事をやれたと思う・・・・・・」

 

「それでも、辛いもんは辛いで・・・・・・」

 

「・・・・・・そうね」

 

 

 

 

 大勢は決した。戦争は終わりだ。

 

 ネルフJPNはこの日、2020年12月3日に敗北と共に消滅したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな中で、いまだ諦めていない者達が複数名。

 

 

 

 1人目は、綾波レイNo.トロワ。彼女は、レールガンに何度も吹き飛ばされながらも、その強固なATフィールドと不屈の精神によって、反撃のチャンスをジッと伺っていた。

 

(大丈夫。かならず、来る・・・)

 

 

 

 2人目は、相田ケンスケである。ケンスケのオルタナティブ・エヴァは土下座する最終号機の前に座り込み、再びツノを掴んで無理矢理に最終号機の顔を持ち上げた。

 

『碇。今、お前は負けを認めたよな?お前と最終号機は、俺に負けたって認めたよな?』

 

「・・・はい。そうです」

 

『そうだよな?じゃあ、アスカは俺のものだ』

 

「・・・っ!それは!!」

 

『なぁに。危害なんて加えやしないよ。優しく、丁寧に、ぐちゃぐちゃにしてやるからさ。俺以外じゃ満足できない身体にしてやるよ。だから安心しろって。お前じゃもう満足できないって、アスカから言ってもらうようにするさ』

 

「け、ケンスケぇ・・・・・・!」

 

 シンジの口から血が流れる。怒りで唇を噛み締めすぎて、切ってしまったのだ。

 

『負けを認めたんだろ?戦争で負けを認めるっていうのは、こういう事なんだぜ?それとも、アスカは諦めきれないってか?じゃあ後ろの廃墟寸前のネルフJPNは潰していいんだよな?』

 

「ぐ、クソォ!畜生!」

 

『あっはは!負け犬が吠えてやがる!今夜が楽しみだ!嫌がるアスカをどう抱こうかな!とりあえず今日は徹夜だな。言っとくが、アスカを寝かせるつもりはないからな』

 

「ゲス野郎!!」

 

『怒るなよ。俺たちの映像は撮っておくから、後でお前にも見せてやるって。俺のカメラの腕は知ってるだろ?あ、それとも、直接見せてやろうか?』

 

 アスカに対する異常な執着心。

 

 シンジに対する異常な対抗心。

 

 それらを満たすまで絶対に諦めない、嫉妬の権化となった相田ケンスケの姿がそこにはあった。

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『死ね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い閃光が、空を焼いた。

 

 

 

『来たか!アスカぁぁあ!!』

 

 ケンスケのオルタナティブ・エヴァが右腕を空に掲げる。強烈な拒絶の意志が、まるで流星の様に空を駆け降りてくるアスカエヴァ統合体に襲いかかった。

 

『馬鹿が』

 

 拒絶の意志を、更に強烈な拒絶の意志が弾いた。

 

『なぁっ!?』

 

 アスカエヴァ統合体の勢いは衰えず、赤い流星はそのまま地面に着弾した。その衝撃は凄まじく、ゴォッという轟音と共に周囲の地面を吹き飛ばし、巻き上げられた大量の土砂がネルフJPNとその周辺に展開した連合軍に降り注いだ。

 

 轟音が止み、煙が晴れると、着弾した場所にはアスカを中心としたクレーターが作り出されていた。その足元に、半死半生の状態のオルタナティブ・エヴァが倒れていた。

 

 アスカエヴァ統合体が、その足でケンスケのオルタナティブ・エヴァの顔を強く踏み付ける。

 

『く、くくくくく・・・。流石だな、アスカ。本当、すげぇ良い女だ』

 

『口を開くな、カス』

 

 アスカが足に力を込め、オルタナティブ・エヴァの顔がギシギシと嫌な音を立て始める。その足を、オルタナティブ・エヴァの右腕が掴んだ。

 

 それを見たシンジの顔が恐怖に歪む。

 

『傷物にはしたくなかったんだが、我慢しろよ?』

 

「逃げろ、アスカぁ!!」

 

 掴まれた足の表面が、少しずつ白く変色していく。

 

 

 

『・・・・・・・・・・・・え?』

 

 

 

 ケンスケが驚き、間抜けな声を漏らした。オルタナティブ・エヴァが掴んだ足は、確かに塩化現象を引き起こした。

 

 だが、そこまでだ。アスカエヴァ統合体の塩化現象は広がらない。それどころか、塩化現象がまるで逆再生されていくように、ゆっくりと、しかし確実に元に戻っていく。

 

『な、なぜ・・・・・・?』

 

『汚い手で触るな』

 

 ザンッ!!

 

 アスカエヴァ統合体の左腕から飛び出した赤い帯が、オルタナティブ・エヴァの右腕を斬り飛ばした。

 

 それはかつて、アスカがエヴァ弐号機と統合した際、一緒に巻き込んだ第14使徒ゼルエルの幼体の腕。ゼルエルの腕を獲得したアスカエヴァ統合体はそれを使いこなし、アルマロスと激戦を繰り広げた実績があった。

 

 

 

 斬り飛ばされた右腕が宙を舞う。

 

 

 

 それが地に落ちた瞬間、戦場は一気に動き出した。

 

 

 

『惣流!!』

『アスカッ!!』

 

 ウルトビーズがアスカに突撃する。

 

『シンジ!槍を!』

 

 迎え撃つアスカが、シンジに指示を飛ばす。反射的にシンジは力を振り絞り、その手にルクレティウスの槍を出現させた。

 

『待て、碇!!ぐっ!?』

 

 ケンスケのオルタナティブ・エヴァが起きあがろうとするのをアスカが踏みつけて土台とし、その反動を利用して飛び出したアスカエヴァ統合体がウルトビーズと激突した。

 

『ハロゥ!ヒカリ、久しぶりね!』

『アスカ!なんで!?』

 

 ウルトビーズの振るう槍を躱し、ゼルエルの腕を振るうアスカ。その攻撃を『天使の背骨』で防ぎながら、銃口を突きつけるウルトビーズ。アスカエヴァ統合体はその銃口をサマーソルトで蹴り飛ばした。

 

 2体のエヴァが距離を取る。

 

『自分の旦那をコケにされて黙ってるほど、できた人間じゃないのよねアタシ!』

『子供がいるんでしょう!?なんで出てきたのよ、アスカ!』

『ついでに旦那のケツを叩きに来たのよッ!』

 

 ウルトビーズの両肩の『天使の背骨』がアスカに照準を合わせた。射線上にはアスカと最終号機、そして、崩壊しつつあるネルフJPNがある。躱す事はできない。

 

『シンジ!』

「!」

 

 『天使の背骨』が火を吹く。

 

 それをアスカエヴァ統合体は、躱した。

 

「ッッ!」

 

 シンジが手にした槍から光が溢れる。最終号機を中心に、再び『回廊』が出現し、撃ち出された侵食型のATフィールドを弾き返した。

 

 アスカエヴァ統合体はアレゴリックの光の翼を広げ、そのまま空に舞い上がった。弾き返されたATフィールド弾を躱しながら、ウルトビーズがそれを追う。

 

「今です、ミサトさん!早く避難を!!」

『了解!総員退避!!光の回廊に急いで!』

 

『させるかよぉ!!』

 

 ケンスケが斬り飛ばされた右腕を掴み、傷口に押し当てた。瞬間、右腕に宿っていたバルディエルがその触手を伸ばし、傷口を一瞬で塞ぐ。

 

 復活した右腕が『光の回廊』に伸ばされる。その指先が触れる瞬間だった。

 

『ッッッッ!?』

 

 オルタナティブ・エヴァの顔面に、プログレッシブナイフが突き刺さっていた。

 

『くそ!投げたのか、碇ッ!』

「僕が認めたものだけが、この回廊を通る事ができる」

『小賢しいんだよぉ!!』

 

 ただの油断。一瞬の時間稼ぎ。そう判断したケンスケが再び手を伸ばす。

 

 だが、戦っているのはエヴァンゲリオンだけではない。

 

 ネルフJPNの生き残った自走兵器の火力が、オルタナティブ・エヴァに降り注いだ。

 

『ぐあッ!?』

 

『戦争は1人でやるもんじゃないんだぜ?相田』

 

『加持、さん、か・・・・・・ッ!』

 

 集中砲火を受けたオルタナティブ・エヴァが、全ての攻撃を受け止めきれずに倒れ込んだ。

 

『確かに、加持さんの言う通り、だな。・・・連合軍!!』

 

 ケンスケの号令を受け、連合軍が進軍を再開する。だが、連合軍はユーロだけのものではない。

 

 太平洋沖に展開していた米軍の艦砲射撃が、ケンスケのオルタナティブ・エヴァに殺到した。

 

『なにィィイイイイイイ!!!?』

 

 咄嗟に右腕の『箱舟』の力でガードするが、全ての攻撃は防ぎきれずに着弾する。

 

『なに考えてる米軍!?こっちは友軍だぞ!?』

 

『爆炎想定範囲内だ。許せ』

 

『ふざけるな!』

 

『繰り返す。

 

爆炎想定範囲内だ(出しゃばるなガキ)速やかに撤退しろ(すっこんでろユーロ)

 

『クソがぁ!!』

 

 オルタナティブ・エヴァが飛び起き、その場から撤退する。その直後、米軍の艦砲射撃が『光の回廊』に着弾し、爆炎が辺りを包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 ネルフJPNが爆炎に飲み込まれた上空で、アスカエヴァ統合体とウルトビーズが激しい攻防を繰り広げていた。

 

 近距離での格闘と、ゼルエルの腕による中距離の戦闘を得意とするアスカに対し、ウルトビーズはロングレンジの『天使の背骨』で距離を置いた戦いを得意とする。戦いは必然的に、距離を保とうとするウルトビーズをアスカが追う形となった。

 

『やめい、惣流!これ以上、戦場を乱すんやない!余計な被害が出てまうやろが!!』

 

『ハッ!ここまでアタシの家をめちゃくちゃにしといてよく言うわッ』

 

『アスカ!これ以上はやめましょう!?収拾がつかなくなっちゃう!』

 

『悪いけど、ヒカリ!あんた達が退かないならアタシも退けないわ!アタシは家族を守りたいだけなんだもの!』

 

『!』

 

『ここでアタシ達が引いたら、アタシ達がどうなるかなんて分からない!ヒカリがアタシの親友でも、あんたらの上の連中はアタシ達を敵として見てる!だったらアタシは、アタシのシンジやミライ、それに、ネルフJPNを守るために戦う!』

 

『・・・・・・・・・私だって』

 

 ウルトビーズが空中で槍を構える。

 

『私たちだって!家族を守りたいのよォ!!』

 

『ヒカリ!?』

 

 トウジの静止を振り切り、ウルトビーズが突進する。アウトレンジの有利を捨て、アスカエヴァ統合体の懐に捨て身で飛び込む。

 

 ヒカリの性格を知っているアスカは、この攻撃に意表を突かれた。ヒカリが激情に駆られる事は少ない。今だって、戦いながらも親友として会話をしてくれていた。

 

 それが突然の攻勢。アスカの防御は間に合わず、辛うじて体を捻って槍を躱す。その脇腹を、十字の槍が火花を散らして引き裂いた。

 

『うああっ!!』

 

『私だって、これ以上家族を失いたくない!ノゾミも、トウジも、サクラちゃんも!誰も失いたくない!アスカだって、殺したくないわよォ!』

 

『ヒカリ!落ち着けや、ヒカリッ!!』

 

 傷付きながらも、アスカがゼルエルの腕で、十字槍を絡めとった。そのまま身体を回転させ、槍を掴んだままのウルトビーズを遠くに投げ飛ばす。

 

(まずい!)

 

 アスカは己の失策に気付いた。ヒカリの攻撃を避けるためにウルトビーズを投げ飛ばしたが、それはウルトビーズの本来の射程。空中で姿勢を整えながら、ウルトビーズが両肩の『天使の背骨』を無茶苦茶に撃ちまくる。

 

『うああああああああああああッ!!』

 

 ヒカリの咆哮と共に降り注ぐ侵食型ATフィールド弾の雨。アスカは咄嗟にATフィールドを展開するが、何発かがATフィールドを突き抜けて被弾する。

 

『うぐぅぅう!ヒカリ!』

 

 必死に防御と回避に専念するアスカの視界の端に、地上の光景が映った。

 

『・・・・・・!?しまった、シス!!』

 

 半壊して動けないシスのF型零号機アレゴリカに、連合軍のAEが殺到する所だった。

 

『逃げて、シスぅぅうう!!』

 

『大丈夫よ、アスカ』

 

 AEの大軍に飲み込まれる寸前、横から黄色い機体がシス機を担いで離脱した。

 

『トロワっ!!』

 

『アスカ。来てくれると思ってた』

 

『ダンケ!そっちこそ、良いとこ持ってくわね!』

 

『アスカ、離脱を』

 

『潮時ね。了解っ!』

 

 ウルトビーズとの距離は十分にある。

 

 アスカとトロワ、シスは、ネルフJPNから空に向かって伸びる『光の回廊』を目指して一目散に撤退を開始した。

 

 

 

 

 

 

「シンちゃん!これで全員よ!」

 

『わかりました!ミサトさん!』

 

「シンジ君!アスカとトロワとシスが飛び込んだら急いで離脱しろ!」

 

『大丈夫です、加持さん!ありがとう!』

 

「なぁに!LUNAで会おう!」

 

 『光の回廊』に飛び込んだミサト達が、吸い込まれる様にその身体を上昇させていく。まるで空を飛ぶように、『回廊』を駆け登っていく。

 

「シンジ!」

 

『父さん!』

 

「先に行く。3人を連れて、必ず戻ってこい」

 

『・・・!』

 

 息子の返事を待たず、ゲンドウも『光の回廊』に飛びこみ、空を昇っていく。

 

『・・・ありがとう、って言いたかったのにな』

 

 『光の回廊』に攻撃が集中するが、シンジの理解が及ばないほどの、それこそ『箱舟』のような膨大な情報の塊でもない限り、その障壁を破る事は叶わない。

 

 シンジの視線が戦場に戻る。こちらに向かって撤退してくる3体のエヴァの姿。その後ろに、まるで津波の様に押し寄せてくる連合軍が迫っている。

 

『みんな!急いで!!』

 

『わかってるっちゅーのッ!』

 

 アスカがトロワからシス機を受け取り、全速力でこちらに飛んでくる。重荷であったシス機を譲り渡した事で身軽になったトロワ機も、音速を超えるスピードでソニックブームを周囲に撒き散らしながら、こちらに全力で駆けてくる。

 

『これは、もう要らない』

 

 トロワが呟くと同時に、装備していた残りの戦略N2弾全てを後方に捨て去った。

 

『さようなら』

 

 0・0エヴァが放ったプログレッシブナイフが、地面に落ちたN2弾に突き刺さる。

 

 光が膨れ上がり、N2弾が連鎖反応を起こしながら爆発していく。爆炎が後方の連合軍を襲い、巨大なキノコ雲が稲妻を纏って高く高く湧き上がった。

 

『ナイス、トロワ!』

 

『これで・・・・・・』

 

『逃すかぁァァアアアアアアアアアア!!』

 

 『光の回廊』までおよそ500メートルというところに来て、爆発を免れたケンスケのオルタナティブ・エヴァが猛追してきた。

 

 オルタナティブ・エヴァが右腕をかざす。

 

『アスカ!トロワ!早くこっちに!!』

 

『あんた、バカぁ?』

 

 アスカの嘲笑。それに倣い、トロワもふんっと鼻で笑う。

 

『そんなもの、なんの意味もない』

 

 2人のATフィールドが展開される。

 

『!?・・・・・・くそぉ!!』

 

 ケンスケの右腕から放たれた拒絶の風は、ATフィールドに阻まれて無力化された。

 

 ケンスケが必死に追い縋るが、間に合わない。

 

 最終号機が、アスカとトロワ達に手を伸ばす。アスカエヴァ統合体はトロワ機と手を取り、最終号機の胸に飛び込む様に『光の回廊』に駆け込んだ。

 

 瞬時に『光の回廊』を、4機のエヴァが駆け上がっていく。4機はものの数秒で大気圏を抜けて、あっという間に星の海へと到達した。

 

 

 

 

 

 

『ふぅーーーっ!なんとか切り抜けたわね』

 

『お疲れ様。アスカ』

 

『トロワもね』

 

 回廊を駆け抜けながら、トロワ機とアスカエヴァ統合体がハイタッチをした。

 

「2人とも、どうやって・・・・・・?」

 

『あん?』

 

 シンジの疑問に、アスカが怪訝な顔を向ける。

 

「いや、さっきのケンスケのアレ。2人は、どうして防ぎ方を知ってたの・・・?」

 

『バカシンジ。あんた、本気で忘れちゃってんの?』

 

「え」

 

『碇くん。アレは大したことはないわ。だってアレは、アルマロスとロンギヌスの槍がやっていた塩化現象と同じものだもの』

 

『アタシ達のATフィールドで、ヨユーで防げたもんじゃない』

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ」

 

 言われてみれば、その通り。

 

 アルマロスの出現後、ロンギヌスの槍が長大化してリングを創り出す際に、世界各地で発生した生物の塩化現象。その現象はこの世の終わりのような恐ろしい光景を世界に示したが、同時に、その対処方法も即座に知れ渡る事になった。

 

 ロンギヌスが放つ光に当たると、塩の柱となる。逆に、当たらなければどうということは無い。人々は家の中にいれば防げるし、エヴァであれば、普段から使用しているATフィールドで十分に防げるのだ。

 

「で、でも、アレはルクレティウスの槍を破ってきて・・・・・・」

 

『それはあんたがテンパってたからでしょーが。よくわかんないモノをよくわかんないまま触れさせたから、あんたの『回廊』は破られたのよ』

 

『碇くんの『認識の槍』は、あらゆるものを碇くんの理解できる形に落とし込める。逆に、碇くんが理解しようとしなければ、どんなに些細なものでも槍の力は発揮されない・・・』

 

『そーいうことよッ』

 

 美少女2人の乗ったエヴァが、呆れたようにこちらを見てくる。なぜ自分の力なのに、こんな簡単なこともわからないのか、とでも言うように。

 

 シンジは居心地が悪そうに身じろいだ。

 

「ご、ごめん。2人とも。僕は、完全に気が動転してて・・・・・・」

 

『あぁーっ!ウジウジとウザったい!あれは相田のクソ野郎がそうなるように仕向けてたのよ!そんな事もわかんないわけぇ?このバカシンジ!!』

 

『碇くんは、わかりやすいから』

 

「・・・・・・僕ってそんなにわかりやすいかな」

 

『てゆーかね!あんた、あんなクソキモい事言わせておいて、なにタコ殴りにされてんのよ!!アイツよりもまず先に、あんたに腹が立ったわ!!』

 

「・・・ごめんなさい」

 

 シンジの胸中を複雑な想いが満たした。

 

 アスカとトロワの言う通り、冷静でいられたなら、もっと確実に対処できていただろう。

 

 それよりも前に、ゲンドウの忠告に耳を傾けていれば、こんな事態にならなかっただろう。

 

 結果として無事に逃げ延びられたからよかったものの、アスカが来なければ、ネルフJPNは完全敗北を喫していた。それだけの事態だった。

 

「本当に、みんな、無事で良かった・・・」

 

 

 

『ぶじ、じゃないよ・・・・・・』

 

 

 

 シンジの呟きに、今まで黙っていたシスが反応した。

 

 

 

『ワタシは、そのケンスケっていうのよく知らないけど、でも、トージとは、仲良しだと思ってた・・・・・・』

 

 

 

「シス・・・・・・」

 

 

 

『トージがユーロに行くって知ったとき、ワタシ、すごく泣いたんだよ?いかないで、って泣いて止めたの。でも、トージは笑ってワタシの頭をぐしぐし撫でて、それで・・・!』

 

 

 

 プラグの中で、シスが両手で顔を覆い、

 

 

 

『やっと、やっと久しぶりに会えたのに・・・!トージは、敵で、ワタシを撃って、いつの間にか、ヒカリって人と仲良くしてて・・・・・・!ワタシ、どーしたらいいかわかんない!ワタシ、トージと戦いたくなんてないよォ・・・・・・!』

 

 

 

 両の手の隙間から、大粒の涙を溢した。

 

 

 

『シス・・・・・・』

 

 泣きじゃくるシスのF型零号機を、トロワの0・0エヴァが優しく抱きしめる。エヴァ越しでは温もりは伝わらない。だが、その意味は伝わる。抱きしめられたシスは、大声で泣き出した。

 

『・・・・・・・・・・・・シンジ』

 

「・・・・・・なに?アスカ」

 

『ヒカリは、これ以上家族を失いたくないって言ってた。もしかしたらヒカリと鈴原は、家族をユーロに人質に取られてるのかもしれない』

 

「・・・・・・そうか。よかった」

 

『はぁ!?あんた、アタシの話聞いてた!?家族を人質にって話で、なんで「よかった」なんて言葉が出てくんのよ!?』

 

「いや、それは全然よくないんだけど。でも・・・・・・」

 

 シンジは星の海を眺めて想いを馳せる。

 

「トウジ達とは、完全に敵になったわけじゃない。難しいかもしれないけど、トウジ達の家族を助け出せたら、戦わなくて済むかもしれない。そう思ったら、なんだか・・・・・・」

 

『・・・・・・ふん』

 

 アスカも釣られて、星の海を眺める。この場所まで追ってこれる者はいない。『光の回廊』はゆっくりと、4人を運ぶ。

 

『言っとくけどね・・・』

 

「・・・・・・?」

 

『相田は、必ず殺すわよ』

 

「・・・・・・!アスカ!」

 

『あんたが鈴原や、渚カヲルって使徒を握り潰した事に強いトラウマを持ってる事はわかってる。戦いたくない、なんて考えてる事くらいお見通しよ。あんたの事だから、相田もなんとかしたいとか思ってんでしょ?』

 

「だったら・・・」

 

『でもソレは無理。相田は完全に敵よ。あんたの友達かどうか以前の問題。アイツは、率先して今回の侵攻に参加していた。それだけの敵意を持って襲ってくる連中に、あんたは黙って殺されるつもり?』

 

「そんな事・・・」

 

『アタシはね、シンジ。いざとなったらヒカリも殺すつもりよ』

 

「!!」

 

『今のアタシには、あんたと、何よりミライがいる。アタシの幸せが、形となって目の前にある。その幸せを壊すんなら、たとえ親友のヒカリでも、アタシは殺さなければならない。それくらいの覚悟を持ってる』

 

 アスカエヴァ統合体が、最終号機内のシンジを見つめる。

 

『あんたは、どうなの?』

 

 その真剣な眼差しに、シンジは黙るしかなかった。その答えを、今のシンジは出せそうにない。

 

 エヴァンゲリオン初号機に乗って使徒と戦った。曲がりなりにも、人類の為に戦った。その恐怖と葛藤の間でシンジは答えを見つけて戦い抜き、絶対に折れない不屈の精神を手に入れた。

 

 そのつもり、だった。

 

 だが、現実はもっと非情だった。守るはずの人類どころか、親しい友人と殺し合う。そんな事態を、シンジは微塵も考えたことがなかった。友達や仲間は、永遠に変わらない。そんな幻想を抱いていた。

 

『ゴメン。今のあんたには重かったわよね』

 

「いいんだ、アスカ。アスカの言う通りだ。僕には、覚悟が足らなかった。だから、今度は・・・・・・」

 

『無理して無理矢理納得したつもりになったんなら、ハッキリ言って迷惑よ』

 

「・・・・・・」

 

 辛辣な言葉。しかし、それはシンジの事を心の底から理解しているからこそ、発する事のできる言葉であった。だからこそシンジは、黙り込むしかない。

 

 いや、彼の中で一つ、確かに変わった事がある。

 

 シンジがアスカの手を、そっと握った。

 

「僕は、どうすればいい・・・・・・?」

 

『・・・・・・帰ったら、ミライの顔を見て、抱きしめてあげなさい。今はそれで十分よ』

 

「・・・・・・うん」

 

 愛する人に寄りかかる。

 

 それが今の、シンジの成長の証だった。

 

 

 

──────

 

 

 

 地上では相田ケンスケが、消え去った『光の回廊』の残滓を見上げていた。

 

「・・・・・・やっと行ったか」

 

 ボソリと呟く。その声を拾う者はいない。

 

 ポーン、という軽い音が操縦席内に響く。

 

『ヘーイ!ケンスケ! Comment ça va(調子はどう)?』

 

「ああ、ジル副司令・・・」

 

『んんん?お疲れかい?』

 

「だいぶ、骨の折れる仕事でしたからね」

 

 ケンスケは肩に左手を置き、バキバキと音を鳴らした。

 

『オウ、すごい音だねェ。お疲れ様!』

 

「いえ」

 

 ケンスケの顔がグニャリと歪む。

 

作戦通り(・・・・)、連中をLUNAに追いやりました。こっちの残党は、狩っていいですか?」

 

『もちろん!いれば、ね!それが終わったら、鈴原夫妻を連れて戻ってきてね!連合の米軍がちょっとうるさいんだよ。「独断専行にも程がある」とかなんとかサァ』

 

「それはお互い様でしょう」

 

『やっぱりキミはいい!話が合うね!帰ったら軽く一杯どうだい?』

 

「ホントは俺も行きたいんですが、ね」

 

『ああ、流石に無理でしょ!だって・・・・・・』

 

 通信の向こうで、ジルがニヤリと笑う。

 

LUNAの包囲はもう終わってるんだもん(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)!今からじゃあどんなに速いロケットだって、パーティには間に合わないさァ』

 

「そりゃ残念」

 

 ケンスケが肩をすくめる。

 

「アイツらの散り様、この目で見て笑ってやりたかったんですがね」

 

 

 

つづく





シスは可愛いなぁw


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f.割拠

 

 ゴォン、ゴォン、ゴォン・・・・・・・・・

 

 巨大な換気扇が、この場所の空気を静かに、重々しくかき混ぜていく。それ以外の音は全て、大きな換気扇の音にかき消されていく。

 

 どこかの工場なのか、地下路なのか、それすらも分からない薄暗い風景の中、かき混ぜられた空気にはかすかに鉄と油、そして錆の匂いが混ざっていた。

 

 カツ、カツ、という足音がその空間に響く。

 

 今、この場には、2人の人間。

 

 1人は、巨大な換気扇の前でタバコを吹かしている中年の男。ネルフJPN防諜部の責任者である、加持リョウジだった。

 

 それに近づく、もう1人の男性。いや、背格好から判断すれば、まだ大人になりきれていない少年。その顔にも幼さが残っている。ただ、彼の表情は年齢に似つかない程に険しい。

 

 その少年の顔を見た加持が、タバコの煙を吐き出しながらニヤリと笑った。

 

「よぉ」

 

 加持が少年に声をかける。

 

 (このセリフ、懐かしい感じがするな)

 

 そんな感情を張り付けた、にやけ顔で。

 

「やっと来たな。遅いじゃないか・・・・・・」

 

「加持さん・・・」

 

 少年が口を開く。

 

 少年の声は低い。それは彼の喉仏が育ってきている証拠であり、また、彼が何かしらの覚悟を持ってこの場に来た証拠でもある。

 

 鉄と油、そして錆の匂いが鼻をつく。少年の視界がユラユラと揺れた。

 

「この匂い、あんまり嗅いだ事がないか?」

 

 軽く頭を振っている少年を、加持が面白そうに見つめる。

 

「ええ、まあ・・・・・・」

 

「そうか。羨ましいな」

 

 そう言って、加持は再びタバコを口に咥えた。

 

「加持さん・・・」

 

「ん」

 

「夢・・・、見たことありますか?」

 

「うん?」

 

 少年のあまりに唐突で抽象的な質問に、加持は一瞬、呆気に取られた。

 

「・・・・・・そりゃあ、アレかい?寝てる時に見る夢じゃなくて、なんていうか、人生の目標的な意味合いでの夢のことか?」

 

「・・・・・・そうです」

 

「ハハハッ。なかなか青臭い質問だな」

 

加持がタバコの煙をふーっと吐き出す。

 

「だが、そういう青臭いのも嫌いじゃない」

 

「・・・・・・」

 

 少年は、そんな加持の態度に苛立っているのか、さっきからずっと加持を睨みつけたままだ。

 

「・・・・・・もちろん、あるとも。いや、正確にはあった、かな?」

 

「それは、どんな?」

 

「人類補完計画。それを実行しようとする奴ら。その全貌を知りたかった」

 

「知って、どうするんですか?」

 

「そこまでは考えちゃいなかったな」

 

 加持がおかしそうにクククッと笑った。

 

「まぁ、俺の夢は一応叶ったわけだ。それで今は、こんな立場になっている。そういう意味では、今の俺の役職が『知った後にどうするか』っていう事の答えなのかな?」

 

「・・・そうなんですね」

 

 加持の答えを聞き、少年は加持から目を逸らした。その顔には、どこかしら落胆のようなものが漂っている。

 

「気に入らなかったか?」

 

「ええ、まあ・・・・・・」

 

「なら、今度は俺が聞く番だな」

 

「・・・・・・」

 

「お前の夢はなんだ?相田ケンスケ」

 

 少年、相田ケンスケは顔を向けない。ただ、目線だけはギロリと加持を捉えていた。

 

「こんな懐かしい場所に、俺を呼んだんだ。なにか話したいことがあったんだろ?でも俺の予想に反して、お前はよくわからない夢の話をし始めたよな?だったらお前、俺に自分の夢を聞いてほしいんじゃないのか?」

 

「・・・似てるけど、違うってところですね」

 

 ケンスケが加持に向き直る。ケンスケの纏う空気が変わった事で、彼が真剣に何かを伝えたいのだと加持も気付く。

 

「加持さん。エヴァンゲリオンの無い世界って、どう思います?」

 

「・・・・・・」

 

「俺は、トウジや碇たちと並び立ちたい。胸を張って、『俺はアイツらの友達で、仲間なんだ!』って言えるようになりたい。だけど、俺はエヴァには乗れない」

 

「・・・それで?」

 

「最近、思うんですよ。もしエヴァなんてものが最初から無ければ、俺はアイツらの友達でいられたのにな、って」

 

「・・・君たちは立派に『友達』だと俺は思うけどな」

 

「そうじゃないんです。俺の思ってる友達ってのは、もっと、こう・・・!」

 

「物足りないって?それはお前からしたら、っていうただの主観だろ?まぁ、こんな事言っても仕方がないのかもしれないが・・・」

 

「加持さん・・・!」

 

「だが、仮の話。もし、本当にエヴァが無ければ、君たちは出会わなかったかもしれない。そうも考えられるんじゃないか?」

 

「・・・・・・・・・いいえ。エヴァなんか無くったって、俺たちは絶対に出会います」

 

「随分ハッキリと言い切るんだな」

 

「確信してますから」

 

 加持はため息を漏らした。

 

「そうかい。そこまで言い切れるなら大したものだ。・・・・・・で?それでお前はどうしたいんだ?そんな事を言うためにわざわざ俺を呼び出したのか?」

 

「・・・・・・エヴァから碇たちを降ろしてください。それが無理なら、俺をエヴァに乗せてください」

 

 ケンスケの表情、態度は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えない。

 

 だからこそ、加持は問いただす。

 

「お前、何言ってんだ?」と。

 

「話に脈絡がなさすぎる。シンジ君たちをエヴァから降ろして、どうしようってんだ?」

 

「エヴァを破棄します。そうすれば俺たちは、いや、世界中が幸せになれます」

 

「・・・・・・意味がわからない」

 

 加持がこめかみを押さえる。本気で頭が痛くなってきたようだ。

 

「エヴァを破棄する事はできない。今、世界各国はネルフJPNを危険視している。エヴァンゲリオンという武力があるからこそ簡単には手を出せないが、エヴァを破棄なんてしたら、ネルフJPNはあっという間に解体される。いや、解体だけで済めばいいほうだな。下手すりゃ、葛城やシンジ君たちエヴァパイロットもまとめて国際裁判にかけられて、最悪死刑だってあり得る。そんな事くらい、お前もわかってるだろう?」

 

「わかってます。でも今エヴァを破棄すれば、戦争は起きない可能性が高い。今なら間に合います・・・!」

 

 戦争、という言葉が出てきた事に加持が顔をしかめた。エヴァを所持し続ける事によって戦争が引き起こされるだろう可能性を、少なからず加持も考えていたからだ。

 

しかし、だ。

 

「随分とレベルの高い事を考えているようだが、そんな心配をお前がしてどうなるんだ?エヴァを破棄して戦争が起きなくても、結局裁判で死刑になっちまえば意味がないだろう」

 

「だから、俺をエヴァに乗せてくださいって頼んでるんです!」

 

「はぁ!?」

 

「俺がエヴァに乗れば、碇たちと一緒に戦える!俺が、アイツらを守ってやれるんです!」

 

「・・・・・・大した自信だな。それだけの実力がお前にあるとは思えないが」

 

「なんでみんな俺をエヴァに乗せてくれないんだよ!!」

 

 今にも地団駄を踏み出しそうなケンスケを目の当たりにし、加持は大きなため息を吐いてタバコを投げ捨てた。

 

「それがお前の本音か」

 

 捨てたタバコを踏み躙り、火を消す。

 

「ガキか、お前は・・・」

 

「違うッ!そんな簡単な話じゃないんだ!俺は、トウジや碇たちを危険に晒したくないんだよ!」

 

「わかったわかった」

 

「加持さん!!」

 

 この場を立ち去ろうとする加持を、ケンスケは必死で呼び止めた。

 

「お前のやりたい事は、ただの自己満足でしかない。自分が友達に並び立てないから、じゃあ友達に自分のとこまで降りてきてもらおうって、そういう事だろ?」

 

「違う!違います!!」

 

「俺にはそうとしか聞こえなかったよ」

 

 加持はその場を立ち去ろうとし、ふと、振り返ってケンスケに言った。

 

「なぁ、相田。お前のやってる仕事は、シンジ君たちの役目よりも価値がない事なのか?そうじゃないだろ?目立ってないだけで、俺は、お前は十分にシンジ君たちと並び立ててると思うぞ?」

 

 加持が踵を返す。

 

「俺には理解できないが、お前がお前なりに友達を心配している事はわかった。だが、少し冷静になれ」

 

 そう言い残すと、今度こそ加持はその場を後にした。

 

 ゴォン、ゴォン、という、巨大な換気扇が空気をかき混ぜる音だけが響く。

 

「・・・・・・なんでだよ」

 

 1人取り残されたケンスケが、本来であれば右腕が通っているハズの、服の右袖をきつく握りしめる。

 

 どれだけ握りしめても、失った腕は戻ってこない。

 

 ケンスケの視界が何重にも重なる。

 

 聞こえるはずのない言葉が、ケンスケの耳をぐわんぐわんと鳴らす。

 

 見たことの無い、悪夢のような光景が目の前に広がる。目を覆いたくなるような恐怖が突き付けられる。ケンスケはその景色を拒絶し、強く目を瞑った。

 

「俺は!世界を救いたいだけなのにッ!!」

 

 周りの風景がグニャリと歪み始める。

 

 嘲笑うような笑い声が、ケンスケの体に纏わりつく。

 

 悍ましい何かの腕が、地面から足を伝って這い上がってくるのがわかる。

 

「クソがぁぁぁああああああっ!!!!」

 

 ケンスケの叫びと共に、世界は闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ちっ」

 

 舌打ちと共に、ケンスケは目を覚ました。

 

 ゴォォォッという機械の駆動音が聞こえる。ケンスケはネルフユーロ軍の輸送機、その中に備え付けてある簡易ベッドの上に寝転がっていた。

 

「また、あの夢かよ・・・・・・」

 

 うめきながら、体を起こす。

 

「相田特務曹長殿。大丈夫ですか?」

 

 隣のベッドに寝転んでいた同僚が、心配そうに声をかけてきた。

 

「随分と、うなされていたようですが・・・・・・」

 

「なんでもない。ただの夢だ」

 

 ケンスケは左手を振ってその話題を終わらせると、備え付けられた窓から外を眺めた。

 

 輸送機の下には、オレンジ色に染まった雲の海が広がっている。夕陽なのか朝陽なのかわからないが、雲の海の水平線から太陽が顔を覗かせていた。雄大な光景ではあるが、これでは、今自分がどこにいるのかもわからない。

 

「あと、どのくらいだ?」

 

「たぶん、3時間くらいか、と・・・・・・」

 

「そうか」

 

 同僚に現在地を確認したケンスケが、再び窓の外に目を向ける。

 

「・・・・・・ユーロに着く頃には、始まってるだろうなぁ」

 

 ケンスケは何気なく呟いた。

 

「足りない・・・・・・」

 

 ベッドに倒れ込みながら、さらに一言。

 

「もっと、力が欲しい・・・・・・・・・」

 

 力無く、呟いた。

 

 

 

[newpage]

──────

 

 

 

『世の中というのは、ホントぉ〜〜〜っに便利になったものですねェ!わざわざ集まらなくても、お互いの顔を確認しながら会議が出来るなんて!』

 

『御託はいい。さっさと本題に入らせてもらおうか』

 

『ふふふふ、殿方はせっかちでいらっしゃいますのね。仮にもUSAの代表としてその席に座るなら、もっと落ち着きを見せた方がよろしいんじゃなくて?』

 

『我々には時間がない。あと6時間もすれば作戦は開始される。その短い時間の中で、この会議は本来であれば不要だったものだ。なるべく早く終わらせたい』

 

 2020年12月3日。時刻は12時27分。

 

 場所は内閣総理大臣官邸。そのレセプションホールにて、対ネルフJPN連合の各国代表が一堂に会した。もっとも、リモートシステムを利用するディスプレイ上の、簡易かつ間接的な会議であったが。

 

『まぁまぁ、少しくらいいいじゃないですかァ!せっかく、この国のトップが場所を提供してくれたのですから。飾り気のない、面白味もない部屋ではありますがねェ』

 

『日本人の奥ゆかしさ、とでもいうのかしらね?それにしても、国の頂点に立つお方までもこれほどの奥ゆかしさとは・・・。官邸というからには、もっとこう、煌びやかに、相手に威圧を与えるような華々しいお部屋にされた方がよろしいか、と』

 

 ネルフASIAの若き代表者、王・紅花(オウ・ホンファ)が妖艶な笑みを向ける。向けられた先に座るのは、日本国のトップ、小岸内閣総理大臣であった。

 

(好き勝手しおって・・・・・・!)

 

 小岸は向けられた笑みに対して、普段通りの曖昧な笑みを返したが、その腹の虫は治らない。何しろ『国際的テロ組織ネルフJPNの殲滅』という名目で、大手を振って全世界から軍隊を国内に派兵されているのだ。

 

 一応の建前として、「日本とネルフJPNの関係は白紙に戻した」との声明を全世界に発信はしたが、だからといって派兵を取り止めるような連中では無い。ほんの数時間前、日本の国土は米軍、ユーロ軍、そしてアジアの連合軍によって蹂躙されたのだ。挙げ句の果てに「身の潔白を証明してほしい」と厚顔無恥にも程がある要求をしてきており、それを跳ね返せなかった日本政府は結果として、この総理大臣官邸の一室を貸し出さざるを得なくなった。招待もしていない他国の要人が、我が物顔で官邸内で好き勝手に談笑する。小岸総理にとっては屈辱の極みであろう。

 

 だが、それを表に出してしまうようでは政治屋などやっていられない。彼は朗らかな声で会議の参加者に提案した。

 

「よろしければ、私が司会進行など務めましょうか?」

 

『Non』

 

『No thanks』

 

『它在路上』

 

 即座に三者三様の断りを返された。小岸総理の額に青筋が浮かぶ。

 

『場所だけ貸してもらえれば十分でス。というか、貴方が我々の会議に参加する理由は無いですから』

 

「は・・・?ですが・・・・・・」

 

『ジル副司令?それでは流石に総理が可哀想ではなくて?声くらい聞かせてあげましょうよ』

 

『では、この部屋にいる必要はないな。総理にはご退出願おう』

 

「ちょっと待って頂きたい!」

 

 政治屋とて声を荒げる事はある。彼らの会話はそのまま日本のトップへの侮辱発言だ。流石に黙っているわけにはいかない。国のトップがナメられれば、日本という国そのものが世界からナメられる。ここは怒りを露わにしても許される場面だ。

 

 しかし残念ながら、この3人と小岸総理の立場は、全く対等ではないのだ。

 

『うるさいのは嫌いよ』

 

 紅花が画面越しに威圧をかける。

 

『残念ながら貴方に発言権はない』

 

 紅花に続いて、ネルフUSA代表のマキシマス大佐が口を開く。

 

『国際的テロ組織を匿っていた政府の発言など、なんの興味もありませェ〜ん』

 

「貴様ら!」

 

 続くジルの言葉を聞いた瞬間に、総理の堪忍袋の尾が切れた。椅子を蹴り飛ばして小岸総理が立ち上がる。

 

その総理の胸に、いつの間にか銃口が突きつけられていた。この場にいる各国の護衛たちが、総理が立ち上がると同時に銃を抜いたのだ。

 

「馬鹿な!正気か!?警備は何をやっていた!危険物を持ち込ませるなど言語道断!」

 

『ディスプレイ越しの護衛とはいえ、彼らには自分の身を守る権利が与えられている。当然の反応だろう』

 

「それはアメリカの武装権の話だろう!ここは日本だぞ!?」

 

『本当に、何もわかってらっしゃらないのねぇ?』

 

 画面の向こう、紅花がため息を吐きながら笑みを向ける。

 

『テロ組織から自国も守れず、我々に縋るしかなかった国の代表は、黙って私たちの言うことに従っていればいいの。それだけのことよ?御理解頂けたかしら?』

 

「ふざけるな!テロ組織認定は貴様らが言い出した事だろうが!ネルフJPNにあれだけ頼っておいて何を今さら・・・・・・!」

 

『ハイッ!言質を取りましたよォ!今の、録音してたよね?すぐにその男を捕縛しちゃって!』

 

「なに!?ば、バカな!やめろ!離せぇ!」

 

 各国の護衛たちが次々に小岸総理に群がり、あっという間に彼を拘束する。総理も懸命に抗うが多勢に無勢。もがく事しかできない。

 

『国のトップがテロ組織を擁護とは・・・。つくづく救えんな』

 

「貴様ら、正気か!?戦争を起こすつもりか!?我が国の戦略自衛隊を持ってすれば・・・」

 

『ハッハァ!今度は脅しとは!ホント、ど〜しよ〜もないですねェ。いいですか〜?私たちはそんな脅しには屈しません!』

 

「な、なんだと・・・・・・?」

 

『脅しというのはですねェ、対等の暴力を持っていて初めて成立するんですよ。今さら戦自ごときが出てきて、なんになると言うのです?むしろウェルカムですよ、コチラとしては!』

 

『うむ。悲しい事ではあるが、国際平和のためには犠牲も必要だ。腐った国の腐った頭をすげ替えるには、ちょうどいいかもしれん』

 

『そういうコト。可哀想に・・・。この国の民たちはさぞや苦しい思いをしていたでしょうね。わたし達が全力で救ってあげなくては♪』

 

 総理の顔から血の気が失せ、みるみるうちに青ざめていく。彼らの論法は侵略者のソレだ。適当な、しかし世界を納得させるに十分な大義名分をでっち上げ、堂々と日本を侵略しに来たのだ。3ヶ月も前に報道されたネルフJPNのテロ組織認定のニュースは、そのための布石。自分達の軍を、日本国内に無傷で送り込むための布石であった。

 

 だが、国を預かる総理の立場としては、ネルフJPNのテロ組織認定を受け入れざるを得なかったのもまた事実。否定すれば、日本は世界から孤立する。そうすれば、各国は『テロ組織を匿う日本政府から日本国民を救うため』という馬鹿げた論法によって、大手を振って侵略してきただろう。受け入れても、否定しても、どっちにしろ日本には侵攻できる。戦略自衛隊との戦闘を前提に動くか、または軍を無傷で送り込めるか。対ネルフJPN連合にとっては、たったそれだけの違いでしかなかった。

 

 ネルフJPNがテロ組織認定を受け、世界中が裏で結託し、それを受け入れていた時点で、初めから日本は詰んでいたのだ。

 

「・・・・・・くそ」

 

 総理は小さく口の中で呟くと、自分を取り押さえている護衛達に向けて言った。

 

「離してくれ。自分の足で歩ける。皆さんの言う通り、私は退出しよう」

 

『思ったよりも物分かりがいいな』

 

 ネルフUSAのマキシマスが意外そうに応えた。

 

『もっと激しく抵抗してくれた方が、我々としてもやりやすかったのだが・・・。そこまで馬鹿ではなかったか』

 

「残念ながら、な。だが、可能であれば、私も同席させて頂きたい。我が国の今後に関わる重要な会議なのだ。ならば私が同席しないというのも、それはそれで国民に顔向けできん・・・」

 

『もう向ける顔なンてないでショ?』

 

「だとしても、だ。無理ならば構わない。私は部屋を出ていこう」

 

『そう?では出て行っていただこうかしらね』

 

「・・・・・・・・・そうか。わかった。従おう」

 

 総理を拘束していた護衛たちが、総理から離れる。小岸総理は自分の足で立ち上がると、乱れたスーツの皺を伸ばして整え、毅然とした足取りでレセプションルームを後にした。

 

 

 

『・・・・・・フムん。つまらないですねェ』

 

 総理が出ていった後、ネルフユーロの副司令ジルは姿勢を崩して言った。

 

『どうせ、この後でわたし達と交渉でもするつもりなんでしょ?閣僚でも呼び集めて、緊急会議でも開くんじゃないの?』

 

 それを見たネルフASIAの紅花が、悪戯心を前面に出してジルを見やる。それに同調する様に、ネルフUSA代表のマキシマスも椅子に深く体重を預け、会話の主導を握るジルの様子を見ながら注意深く発言した。

 

『くだらんな。そんな段階はとうに過ぎているというのに』

 

『その通りでス!日本という国は、今や名前しか残っていない敗残国になったわけでしテ。あとは我々が、この領土をどのように切り分けるか。それだけの問題です』

 

 ジルの発言を起点として、他のネルフの代表者はその顔を引き締める。これこそが、旧ネルフの残党であり、現座進行形で日本を侵略している彼らの目的でもあるのだから。

 

『そうだな。ネルフユーロの代表である貴君がその様に言われるなれば、我々も心置きなく本題に入れるというもの』

 

『とは言え、アナタのところの相田ケンスケ、ですか?彼の独断専行には目に余るものがありましてよ?』

 

『おぉっと!とは言え、彼の指示に従い、レールガンを発射した米軍には、ケンスケを責める権利はないように思ってるのデスが・・・?』

 

『戦場の局面は刻一刻と変わる。現場の判断を責めるようでは、上に立つ者としての器量が問われるというもの』

 

『ですわね』

 

『これは手厳シイ!・・・ですガ、最初に説明したように、ケンスケのAE(オルタナティブ・エヴァ)が光学迷彩を用いて敵を撹乱する作戦には、みなさん同意頂けましたよネ?』

 

『撹乱どころか制圧直前まで行ってたじゃない。挙句、ウルトビーズまで前線に出すなんて聞いてなくってよ?』

 

『ユーロにはもっと手綱を引いてもらいたいものだな』

 

『・・・・・・まあ、善処しまショウ』

 

 これ以上、この話題を長引かせても得はない。ただの水掛け論で終わるような話だ。互いに「我々は同列である」というパフォーマンスをしただけ。もっとも、彼ら3人の中に本当に『同列』などと思っている人間は、1人もいないが。

 

 それを理解しているジルが、この場を収める。本題はこの先にあるのだ。

 

『さて・・・』

 

 ネルフUSAのマキシマスが口火を切る。

 

『日本の領土だが、日本はもともとセカンドインパクト以前、我ら米国と同盟関係にあった。在日米軍も存在していた実例もある事から、統治という意味では我々こそが適任だと思うのだが?』

 

『あら?太平洋を跨いでる遠い異国の地が、そんなに大事?我々ASIAの方が近いし、何かあったときの対処はわたし達の方がやりやすくてよ?』

 

『USAはASIAの侵攻を恐れてるのですヨね?日本という防波堤は喉から手が出るほどほしいのでショウ』

 

『くだらんな。最低品質で数だけしか取り柄のないASIAのAEの、何を恐れる必要がある?』

 

『なら、わたし達に譲ってくださいな』

 

『イヤイヤ、ユーロを無視して話を進めないでもらいたいデスねェ。僕らだって日本は欲しいんですよ?仲間外れはヒドイじゃあないですか?』

 

『太平洋どころかASIAにもUSAにも阻まれてるユーロが、そんな土地を持ってどうする。持て余すだけだろうが』

 

『いやぁ、色々とやりたいコトはあるンデスよ?』

 

『それは例えば、中継基地として、かしらね』

 

 牽制。大国の代表同士が、どうにかパワーバランスを崩そうと牽制し合う。日本という島国は太平洋への玄関口であり、その土地を手にするという事は地政学的にも大きな意味を持つ。故に、支配者不在となった日本は、各国からしてみれば喉から手が出るほどの宝そのもの。

 

 もちろん、こんな話し合いで決着がつくなど、この場の3人は考えていない。また、連合同士で切り分けて統治するなんて選択肢もない。日本を得るなら一部ではなく全部だ。全くの異文化圏、および思想の異なる人間同士が同じ土地に住んだとしても、メリットよりも住人同士の衝突というデメリットの方が遥かに大きい。

 

 だから、彼らの牽制の着地点は別にある。

 

 つまり。

 

『まあ、この場で話しても埒があかないわよね?』

 

『だろうな。どの道、まずはネルフJPNを潰すほうが先だろう』

 

『同感デス。・・・・・・が、もっとハッキリ言ったらどうでス?「そこから先は早い者勝ちだ」と、ねェ・・・』

 

 ジルの言葉に、残りの2人もニヤリと笑みを浮かべた。

 

『アナタから言ってくれるんだ?』

 

『話が早くて助かる』

 

『デショ?もっと本音で語り合いましょーヨ。僕たちは一応、連合なんですから』

 

『わたし達って気が合うわよね。良い友達になれそう。どう?今度プライベートでディナーでも。満漢全席って興味ないかしら?』

 

『ミス紅花のお誘いは大変魅力的デス!是非とも一度、集まりたいものデスねェ!』

 

『まあ、一度だけになるだろうがな』

 

 彼らの最終目標。それは、ネルフJPNの壊滅の、その先にある。

 

 この星の勢力図の塗り替え。新たな星の支配国となる、覇権争いそのものだ。ネルフJPNなど、ただの通過点でしかない。

 

 今日のところは、その意志の確認。そしてこの後に迫る、ネルフLUNAの殲滅作戦の最終確認。それだけでいいのだ。

 

『では、後は手はず通りに。我らUSAのシャトル部隊が先陣を切る。問題ないな?』

 

『お願いシマス。我々ユーロはその後になるデショーね。ケンスケが先走った分、お譲りしますヨ』

 

『後詰はわたし達ASIAね。マキシマス大佐の言うとおり、数だけなら何処の誰にも負けませんわ。我々の包囲からは蟻一匹、逃さないと約束しましょう』

 

 3人の代表が静かに頷き合う。

 

『では、そのように』

 

『人類にとって初めての宇宙戦争ね!わたし、なんだかワクワクしちゃうわぁ!』

 

『いやァ、僕もデス!それじゃあ、お楽しみもあるわけデスし、会議はこんなところで。また後でお会いしましょウ!』

 

 

 

 こうして、連合の会議は幕を閉じる。3人が3人とも、通信を切ろうとした時だった。

 

 

 

『ト・コ・ロ・デ・・・・・・』

 

 

 

 ジルがニヤリと笑みを浮かべた。

 

『我々3人の兵たち。誰の兵が1番質がいいか、気になりませン?』

 

 その言葉を聞いたマキシマス、紅花も、同様にニヤリと笑みを浮かべた。

 

『ホント、気が合うんだから!!』

 

『ふふ、ここまで意思疎通ができているとなると、我々は本当に良き友人になれそうだな』

 

『あっはァ!ヨカッタ!じゃあ、合図は我々が退出したと同時に、でいいデスカ?』

 

『もちろん』

 

『異論なし』

 

『それでは、改めて後ほど。結果発表も含めて、楽しみデスねェ・・・』

 

 

 

 ジル、マキシマス、紅花が通信を切る。

 

 

 

 同時に、その場にいた各国の護衛全員が、一斉に銃を抜いた。

 

 

 

 総理大臣官邸に、銃声が響き渡る。

 

 殺し合いを始めた護衛たちの血が、レセプションルームの床を汚した。

 

 

 

 日本の長い歴史において、第二次世界大戦以降で官邸内に血が流れたのは、これが初めての事であった。

 

 

 

つづく

 



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g.ネルフLUNA

 

 スペースコロニー。

 

 または、宇宙植民地と呼ばれる概念の歴史は浅く、その存在が提唱され始めたのは、1929年。ジョン・デズモンド・バナールによって考案された「バナール球」が始まりとされている。

 

 本格的にこの概念が世に広まり始めたのはそれから40年後の1969年。アメリカのプリンストン大学の教授ジェラルド・オニールが、当時の学生たちと共に考案し、1974年にニューヨークタイムズ誌に掲載された事で、広く一般に知られるようになったとされている。

 

 その掲載されたスペースコロニーの一つである「島3号」は、SFに詳しい者であれば耳にした事があるだろう。

 

 「島3号」とは、シリンダー(円筒)型をしたスペースコロニーの形態の一つである。直径6.4km、長さ32kmの円筒を1分50秒かけて一回転させ、その遠心力でもって円筒内に擬似的な重力を発生させる事で、円筒内部での人類の生活を、限りなく地球上と同じ環境に置く事ができるというものだ。某宇宙世紀作品におけるコロニーはこの「島3号」をモデルにしているので、作品をご存知の方々には想像しやすいかと思う。

 

 この「島3号」の発表を基点として、その後、様々な形態のスペースコロニーが発表されていった。有名なところでは「スタンフォード・トーラス」「トポポリス」と呼ばれるドーナツ型をしたものや、「スペース・ナッツⅡ」と呼ばれる円錐形を2つ組み合わせた形のものなどが挙げられる。

 

 さて、様々な形態が提唱されているスペースコロニーであるが、一貫して共通している事項がある。それは『スペースコロニーを設置する場所』である。

 

 「ラグランジュ点」という位置の概念がある。これは簡単にいえば、「地球の重力」「月の重力」「地球を周回する事で発生する遠心力」の3つが釣り合う地点を言い、地球の中心から考えて、地球の周りに5ヶ所あるとされている。その中で最も地球に近く、かつ、わかりやすい位置にあるのが、地球と月の中間にあるL1と呼ばれる地点であった。

 

 このラグランジュ点L1は、かつての地球から32万2000km離れた場所にあり、月面に着陸したアポロ11号であれば約3日と14時間で到達する距離である。質量が半分までに減少した現在の地球と月であれば、その距離は更に縮んでいるといえよう。

 

 

 

 新たなラグランジュ点L1。そこに、ネルフ初の宇宙支部である、ネルフLUNAは存在した。

 

 

 

──────

 

 見渡す限りの星の海。

 

 その海に、ネルフLUNAはゆったりとその身を揺蕩わせる。

 

 ネルフLUNAは、人口20,000人の居住を想定しており、その形態は「スタンフォード・トーラス」型を採用している。直径約1.6kmのドーナツ型。そのドーナツが二つ、地球側と月側に並ぶように建設されており、それぞれのリングはいくつものスポーク(())で結ばれている。このスポークは、人や物資の移動にも使用される設計だ。

 

 このスポークが連結されるハブ(中心軸)は居住区のあるドーナツの内部とは違い、無重力状態に極めて近い。それゆえに、宇宙船のドッキングなどに用いられるのに最適とされている。要は、コロニーにおける宇宙港と言えるだろう。

 

 その港「喜望峰」に向かって、シンジの作り出した『光の回廊』が連結している。ネルフJPNからの避難者たちは、この『回廊』を通り、港に足を下ろしていた。

 

「状況を整理するわよ」

 

 ネルフJPNの職員たちに遅れて、ミサト、加持、ゲンドウも入港する。ひとまず難を逃れた面々が一息つく間もなく、ミサトは職員たちに指示を出した。

 

「各自、「リングEarth」の所定位置にて待機!30分後に通信でミーティングを開始するわよ。急いで!」

 

 ミサトの声に焦りが伺える。その焦りは、この場にいる職員たちにも伝染していった。しかし、本来ならそういった皆の士気を下げるような行動を諌める立場にあるはずのゲンドウや加持も、黙って指示に従い行動を開始する。

 

 なぜなら、みんな見ていたからだ。『光の回廊』の中から、ネルフLUNAに向かって飛来する無数の敵艦隊の姿を。

 

「ここまで準備万端とはな。俺たちは追い込まれたネズミってワケだ」

 

 軽口を口にしながら口角を上げる加持であったが、その顔にも緊張の色が浮かんでいる。

 

 「葛城総司令。そっちは「リングLuna」への連絡口だ。Earthへのエレベーターはこっちだぞ」

 

「ああっ、もう!無重力ってホント嫌!方向感覚狂うしスカートの中も見えるし、最悪だわ!」

 

 ゲンドウの指摘に従い、ミサトが愚痴をこぼしながらもEarthへのエレベーターに向かって方向転換を試みる。

 

 だが、無重力下での遊泳は水泳とは違い、手をかけば進めるというものではない。

 

「・・・あら?あらあらあらあら!?」

 

 ミサトは手足をジタバタと無様に振り回しながら、どんどんとゲンドウ達から離れていく。一度作用した力の向きを変えるには、どこかで一度、固定された物体に掴まらなければならない。

 

「ちょっ、ちょっとリョウジ!なんとかしなさいよ!」

 

「はいはい。今行きますよ、お姫様」

 

 加持は近くに設置してある簡易推進剤の入ったベルトの一つを腰に巻くと、ベルトに備え付けられたスイッチを押した。プシュという小さな音と共に推進剤が噴出され、軽い挙動で加持の体を押し上げる。ジタバタと空中でもがき続けるミサトに近づいた加持はミサトの手を取り、自分の胸に引き寄せた。

 

「ちょっと!?どさくさに紛れて何してんのよ!?」

 

「この方が推進剤の消費が少ないんだよ。大人しくしてろって。別に減るもんじゃないんだ、いいだろ?」

 

「よくないわよ!みんなの目ってもんがあるんだから離して・・・」

 

「早くしたまえ、葛城総司令。エレベーターが君を待っている。30分後のミーティングに間に合わなくなるぞ」

 

 ゲンドウの言葉を聞いたミサトが、渋々といった様子でその腕を加持の背に回す。その頬はほのかに朱に染まっていた。

 

「・・・私が言った集合時間だからね、破るわけにはいかないわ。だから調子乗んないでよね!仕方なくだからね!?」

 

「何を今さら。俺とお前の仲じゃないか」

 

「〜〜〜〜ッ!」

 

 悔しいが、反論している時間も惜しい。加持の太い腕に抱きかかえられ、ミサトは大人しくその身を加持に預けた。

 

 

 

 

 

「ハッキリ言って状況は絶望的ね」

 

 作戦司令室の床に足をつき、仁王立ちでモニターを睨みつける葛城ミサト総司令の言葉を否定する者はいない。

 

 ネルフLUNA。2つのリングのうち、地球側に向けて作られた「リングEarth」の一画に、ネルフLUNAの作戦司令室はあった。

 

 人口重力の影響を受けられるリングの外縁ギリギリ、かつ、常に地球を視界に入れられるようリングの外側に向けられて作られた司令室には、視界を埋め尽くすほどの大きな窓が、緩やかに湾曲したネルフLUNAの外壁にそって設置されている。

 

 人の被曝許容範囲を遥かに超える年間80mSvもの宇宙放射線、さらに、ときおり太陽から発せられる大量のX線と高エネルギー荷電粒子を含んだ太陽風は、人々の命を刈り取る死の風だ。ただのガラス窓では、防ぐことは叶わない。それらは全て、ネルフLUNAの外壁に使われた厚さ2m以上のチタン合金と、ネルフLUNA内に満ちた大気によって防がれている。この司令室の窓は、外壁に多角的に設置されたいくつもの高性能カメラの映像を映し出したモニターであった。

 

 そこに映し出されているのは、星の海に浮かぶ人類の母星、青い地球。ネルフJPNがエヴァンゲリオンと共に取り戻し、今は遠き故郷となった地球が、小さく映し出されていた。

 

 そして、その母星を背にし、ネルフLUNAへと向かってくる夥しいまでの黒い影。

 

「イナゴの大群、ってこんな感じなんですかね?」

 

 オペレーターの日向がヒュウッと口笛をふく。

 

「旧約聖書の出エジプト記においては、モーセが神から授かった第八の災いと記されているな。歴史上類を見ないほどのイナゴの大群は空を覆い尽くし、太陽の光は遮断され、すべての緑のものは食い尽くされたという・・・」

 

 ゲンドウがそれを拾い、注釈を加える。

 

「けれども問題は、アレらはイナゴではなく殺意を持った人間の群れ、という事ですわね・・・」

 

「ええ・・・」

 

 ネルフLUNAにてミサト達と合流したリツコ、それにマヤもモニターを凝視している。特に技術顧問であるマヤの眼差しは、画面の向こうの敵を射殺さんばかりの光を宿している。画面から読み取れるであろう情報を一つも逃してはならないと、マヤは必死に視線を巡らせていた。

 

「画面、もう少し大きくできます?」

 

「青葉くん、お願い」

 

「了解。映像、拡大します」

 

 青葉の応答の後、モニターに映し出されていた影が拡大された。

 

「やはり、シャトル型でしたか・・・・・・」

 

 マヤは映し出された敵艦隊の宇宙船を確認し、呟いた。

 

「かなりの大型。恐らく、地球脱出のために作られた船体をモデルにしたものでしょう。目測ですが船体の長さは約200m弱。横幅は130mほど。あのサイズなら、一機に対して約30〜40mのAE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)が3、4体は収納できると思います」

 

「MAGIも同様の回答を出してます。ほぼ間違いないかと」

 

「それがひぃ、ふぅ、みぃ、・・・・・・数えるのもめんどっちいわね」

 

 報告を聞いたミサトは両腕を組み、人差し指をリズミカルに叩いた。

 

「ところで気になったんだけど、なんでアイツら外に出てんの?」

 

 ミサトの指摘は画面上の、シャトル毎に約2体ずつ取り付いてる、AEに対してのものだ。2体のAEはそれぞれがシャトルの両翼にしがみ付いているようにも見える。

 

 だがAEのその背中。そこに備え付けられた翼のような装備が、決してAEがシャトルにしがみ付いているのではないという確信をネルフLUNAの面々に与えた。

 

「アレゴリックユニット・・・・・・。ちっ、やはり量産してきたか」

 

 ゲンドウがその翼の名を呼び、忌々しく舌打ちをする。

 

 シスの乗る機体、F型零号機アレゴリカにも搭載されている飛行ユニット。N2弾などに使用されているN2パワーテクノロジーの集大成。N2リアクターをパワープラントとし、それが生み出す何百もの重力子によって人工潮汐力場を発生、翼に搭載された人口ダイヤモンドのスリットに並べて相対的な揚力を得る、人の造りし翼。ネルフJPNの技術の結晶。

 

 そして、かつてユーロ軍によって盗まれた技術でもある。

 

 だが、問題もある。

 

「あれって、ATフィールドがないと使えないんじゃないの?」

 

 ミサトの口にした疑問が正しい。

 

 アレゴリックユニットの翼の先端から伸びるブームは、位相差発電エレメント。ATフィールドから外に突き出し、フィールドの中と外の空間位相差から電位を引き出す、エヴァにしかできない動力回生機関だ。これにより、アレゴリックユニットは既存の発電方法にはない半永久的な電力の供給を可能にしているが、AEがいくら代理品(オルタナティブ)といえど、アダム、またはリリスの素体を使われていないAEはATフィールドの発生までは再現し得ない。

 

「空間位相差は何もATフィールドでなければならない訳じゃないわ。N2リアクターの発するリアクターフィールド。その斥力があれば再現自体は十分可能よ」

 

「とは言え、搭載されているN2リアクターから揚力とフィールドの両方を得ようとすれば、その消費量は膨大になります。人の心の壁であるATフィールドならパイロットの意志次第で無限に近い頻度で発生させる事はできますが、リアクターフィールドを利用するならば、地球上ではあまり意味のない翼になりますね」

 

「地球上では、ね・・・・・・」

 

 リツコとマヤの技術者としての意見を噛み砕いたミサトが、リズミカルに腕を叩いていた人差し指を止めた。

 

「無重力である宇宙ならば、その消費も少ないってことか」

 

「重力から解放された人々にとっては、あの翼はその効力を十分に発揮するでしょうね」

 

「ならアイツらが外に出てる理由は、シャトルにしがみつく為じゃなく、シャトルを押すため?」

 

「そう考えていいと思います。地球の重力圏から出るために莫大な推進エネルギーを消費したシャトルの代わりに、宇宙空間での航行はAEに任せる。シャトルの両翼に1体ずつ。シャトルが4体を収納できるのであれば、途中で交代しながらN2リアクターの消費を抑えての長距離の航行が可能でしょうから」

 

「なるほどねぇ、よく考えてるわ。憎たらしいわね」

 

 ミサトの口がギィィッと上がり、凶暴な笑みを作り出した。それは獲物を前にした獣の舌なめずりか。はたまた、天敵を前にした弱者の威嚇という名の悪あがきか。

 

 誰にもその笑みの真意はわからない。だがミサトは、凛とした声でこの場の空気を一掃した。

 

「敵の到達予想時間は!?」

 

「この航行速度からすれば、あと4時間と32分で到達するとMAGIは回答しています!」

 

「了解!ならばミーティングに移るわよ。シンジ君たちは戻ってきた?」

 

「つい先ほど、「喜望峰」に入港したと連絡が」

 

「いいわ。彼らはそのまま休ませて。碇副司令代理!武装確認!」

 

「了解した。が、そもそもネルフLUNAは宇宙空間における戦闘を考慮していない。突発的なデブリ迎撃用の巨大ガンマ線レーザー砲がリングEarth、リングLunaの外縁にそれぞれ12基ずつ。計24基だけだ」

 

「それが我々にある武装の全て、ということでいいのね?」

 

「ああ。だが、リングLuna側のレーザー砲は使用できない。ネルフLUNA本体への誤射を防ぐ為、リングごとの武装は全て本体に向けられないよう設計されている。戦闘に使えるのは12基だけだ」

 

「仮に敵がリングLUNA側に回り込んだ場合は?」

 

「使用可能だ」

 

「ちなみに実弾兵器は無いのよね?」

 

「ああ。反動により発生する推進力がネルフLUNAの軌道を変える可能性がある。設計段階でミサイルを含む実弾兵器の設置案は放棄した」

 

「了解」

 

 ミサトが組んでいた腕を解き、左手を腰に当て、右手で口を隠した。何かを考えているのだろう、と古参のメンバー達は嫌な予感を覚える。きっとそれは、無茶苦茶な作戦に違いないと、付き合いの長い面子は経験で知っていた。

 

「防衛手段確認!」

 

 予想していた無茶苦茶な作戦はミサトの口から飛び出さず、更なる確認の指示が飛ぶ。その指示にすかさずゲンドウが従った。

 

「まず、太陽フレアなどの放射線を防御するために、小隕石をネルフLUNAの周囲に100個弱、浮遊させている。これが物理的な防御手段になるだろう。次に、ネルフLUNA内のN2リアクターを用いたリアクターフィールド発生装置。これはネルフLUNA全体を覆えるフィールドを発生できるが、その間、ネルフ内の電力供給の大半が犠牲になる。長時間の発生は難しいだろう。最後に、中心軸(ハブ)に設置した仮設L型エヴァンゲリオン0・0'。廃棄されていた零号機試作の脊髄の寄せ集めだが、ATフィールドの発生には支障は無い。これに綾波レイ・カトルが乗り込み、ATフィールドを発生させる」

 

「ATフィールドの規模は?」

 

「問題ない。ネルフLUNAの壁面にエヴァの脊髄を埋め込んで繋げてある。発生させれば、この施設の全てを覆い尽くせる」

 

「なら、それがメインの防御手段になりそうね」

 

「ただし問題もある。ATフィールドの発生に伴い、エヴァンゲリオン0・0'はシンクロシステムも起動する。ネルフLUNAが受けたダメージは、そのままカトルに跳ね返る」

 

「・・・・・・・・・参ったわね」

 

 ミサトが口に当てていた右手を上げて、そのまま前髪をかき上げる。その顔は心の底から「参った」と言っているようだ。

 

「こっちの防御手段はどれもクセありで攻撃手段も乏しい。逆に向こうはミサイルでも銃弾でも何でもアリ。加えて、こっちは出来立てほやほやのスペースコロニー。どっか一箇所でも穴が開けば完全にアウト・・・・・・」

 

 ふぅーーーっと、ミサトが長いため息を吐いた。

 

「・・・・・・あんまり子供達に無茶はさせたくないんだけど」

 

 この状況では、頼るしかない。しかし、ミサトの心情が、簡単に頼ってなるものかと意地を張っている。大人には大人にしかない戦い方というものがある。エヴァだけに頼らず、数万に及ぶかもしれない敵を撃退する奇跡のような戦術が・・・・・・。

 

 

 

 

 

「あ」

 

 

 

 

 不意に、ミサトの口をついて出てきた言葉。それと共に、ミサトの顔がだんだんと、再び獣の顔に変貌していく。

 

 古参メンバー全員の抱いた嫌な予感が、

 

「ちょっち、思いついちゃったかもん♪」

 

 当たってしまった瞬間であった。

 

 

 

──────

 

 対ネルフJPN連合軍のシャトル艦隊。

 

 その先頭に、彼はいた。

 

「アルフィー・・・・・・」

 

 地球に置いてきた、自身の恋人の名前を呟く。ネルフUSAの稀代の科学者、AEの産みの親である、アルフィー女史の名を。

 

「帰ったら、すぐに式を挙げような・・・」

 

 ジャパンでは、こういうのを「死亡フラグ」と呼ぶらしい。バカバカしい。愛する者の下へ、無事に帰還する。その決意を口にする事が、なぜ己の死を呼び寄せるという結論に至るのか。むしろこの宣誓は、己の生きる気力をいくらでも引き上げてくれるというのに。

 

 彼はオカルトを嫌っていた。マキシマス大佐のもと、人造人間エヴァンゲリオンなどという眉唾なモノの運用に携わっていた事もあったが、よく分からない生物を基にしたよく分からない兵器に自分の命を預けるなど、彼からしてみれば狂気そのものであった。

 

 信じられるのは、人類が長い歴史と共に培ってきた科学。そしてそれを応用する兵器、戦略。それだけで十分であるというのに。

 

 彼が世界一愛する女性が、それを自分に託してくれた。それだけで、自分は無敵のスーパーマンにでもなれる。いや、実際になれるのだ。彼の載っている機体を持ってすれば。

 

 青黒く塗装されたスペースシャトル。宇宙に溶け込み、敵の目を欺くためのものだが、彼はそれを卑怯だとは思わない。軍人が生き残るために手段を選ばないのは、当然の権利なのだから。

 

「ネルフLUNA・・・・・・」

 

 彼は、操縦桿を強く握った。

 

「アルフィーの与えてくれた、この『メタトロン』が、お前たちの野望を打ち砕く・・・・・・!」

 

 リアム・アンダーソン。

 

 後に米国の英雄と呼ばれる男が、牙を剥いた瞬間であった。

 

 

 

つづく



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h.開戦の焔

 

 ネルフLUNAのリングEarth側の居住区。その一画に碇シンジとアスカの家はある。

 

 2人、いや、いまは3人か。その家が、これから激戦区となるであろうリングEarth側にあるのは、ネルフLUNAの作戦司令室から近いほうが緊急事態発生に対して素早い招集が可能である事と、逆にシンジとアスカ、および、その娘であるミライに何かの異常が発生した際に、ネルフLUNAの職員がすぐに駆け付けられると言う点を考慮した措置であった。

 

 寝室のベッドで、シンジとアスカ、その2人の間に生後3か月弱の赤ん坊のミライが、川の字になって寝転んでいる。ミライは授乳を終えてお腹いっぱいになったのか、すぐに寝こけてしまっていた。

 

「よく寝てるね」

 

 シンジは愛娘の頬を指先でつんとつつく。ミライは熟睡してるため、可愛い寝息を立てたまま微動だにしない。

 

「あんたがいるからよ。パパがいるから、安心してこの子も眠ってられるみたい」

 

 2人の様子を愛おしそうに眺めるアスカの口にも、小さく、自分でも意識しないほどの笑みが浮かんでいた。

 

「この子ね、あんたがいないと夜泣きがスゴいのよ。2時間おきくらいで起きるのはしょーがないにしても、その後は抱っこしてやらないと全然寝なくて・・・」

 

「あはは。僕がいつもやってるからかな?」

 

「あんたのせいか。あんまり甘やかさないでよね?抱っこしないと寝れないなんて甘えん坊には育って欲しくないわ」

 

「そ、そう?わかった。気をつけるよ」

 

「ん」

 

 アスカが手を伸ばし、愛娘の腹をポンポンと優しく叩く。

 

「・・・でも、やっぱり甘やかしたくなっちゃうなぁ」

 

 シンジは、幼い頃の自身の生活に思いを馳せた。母との思い出。いつか与えられた大きな約束の事は思い出すことはできたが、母が初号機の中に消えてしまってからの彼の人生は、誰かに甘える事とはほど遠い人生だったと言える。

 

 だからこそ、自分が与えられる精一杯の愛情を、この子に与えたい。

 

 同じような境遇で育ったアスカも、その思いを理解できる。だから、シンジの気持ちを決して蔑ろにはしない。家族3人、同じベッドで横たわり、かけがえのない時間をただただ噛み締めていた。

 

「・・・・・・そろそろ行こう」

 

「・・・そうね」

 

 2人が、ミライを起こさないようにそっとベッドから離れる。

 

 これから、ここは戦場になる。リングEarthだけではない。ネルフLUNA全体が、これから生き残りをかけた戦争の火に包まれるだろう。宇宙に逃げ道はない。ネルフLUNAに小さな穴が一個でも開けば、中の酸素は全て宇宙空間に吐き出され、住人達は極寒と酸欠、気圧の急激な変化による苦しみと恐怖に悶えながら死んでいくだろう。戦火に焼かれたほうがマシといえるような死に様が、この戦争に負ければ待っている。

 

 そんな死に様を、シンジとアスカは許さない。生まれたばかりの娘に、人生の素晴らしさを教えてやれず、ましてや苦しみの死を与えるなど、決して許す事などできない。

 

「たぶん、トウジ達は来てないよね?」

 

 ネルフJPNから『光の回廊』で脱出したシンジ達は、人智を超えたスピードでもってネルフLUNAに辿り着いた。だが人類の宇宙航空技術は、未だその領域に至っていない。現在ネルフLUNAを取り巻く対ネルフJPN連合軍艦隊は、だいぶ前にネルフLUNAを目指して地球から飛び立った者たちだ。ほんの数時間前まで地球で戦っていたトウジやケンスケ達はどうやってもネルフLUNAにはたどり着けない。少なくとも、この戦争に参戦にする事はないだろう。

 

 そんな事を気にする夫にため息を吐く妻。ただ、決して馬鹿にしたため息ではない。トウジ達の参戦を気にするという事は、裏を返せば『トウジ達がいなければ全力を出す』という意味でもある。

 

(まだ吹っ切れていないようだけど・・・)

 

「ま、及第点ってところね」

 

 アスカは腰に手を当てて、やれやれと首を振った。

 

「アスカもミライも、ネルフのみんなも、決して死なせない。トウジ達の事は後回しだ。今は、全力で生き残る事だけを考える」

 

 シンジとアスカは寝ているミライに近付くと、互いに別々の方向から、ミライの両頬に軽くキスをした。向かい合った2人はそのままオデコをコツンと当てる。

 

「オッケー。行くわよ、マイベイビー!」

 

「うん。行こう・・・!」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ネルフLUNAの中心軸(ハブ)にある宇宙港『喜望峰』。そこから繋がる通路をさらに奥に進むと、そこには各エヴァンゲリオンの主要収納庫(メインケージ)が存在している。宇宙空間での作業などを終えたエヴァが整備を受ける場所だ。

 

 無重力空間でのエヴァの整備は、当たり前であるが人類史上初。最初の頃は不慣れな環境に怪我人が続出したものであったが、ネルフLUNAの技術部が早期に開発した簡易推進剤と、それを備え付けた無重力空間移動用ベルトによって作業工数が若干だが改善された。

 無重力空間での移動手段を得たことにより、スタッフの間にも無重力下でのデメリット以外に、メリットにも目を向ける余裕が生まれた。それは『どれだけ重い機材であろうと、ある程度であれば人の手だけで運搬が可能である』というもの。そのため、この主要収納庫内には超巨大な部品や機材の運搬用のクレーン以外には小さなアームリフト等は存在せず、省スペース化に貢献している。あとは作業マニュアルの作成と作業者自身の熟練度がものを言う。ネルフLUNA建造開始から二年。その間に、現場作業者たちのスキルはミサト達が目を見張るほどの急成長を見せていた。

 

 その収納庫の中にある、二体の黄色いエヴァンゲリオン。一つは小さな綾波レイNo.シスの駆るF型零号機アレゴリカ。そして、装備換装作業を受けている、綾波レイNo.トロワの駆る、0・0エヴァ改であった。

 0・0エヴァ改の腰には、かつてスーパーエヴァンゲリオンにも搭載されていたアレゴリックユニットが装備されており、宇宙空間における高速移動が可能となっていた。また、アレゴリックユニットからはアンビリカブルケーブルが伸びて0・0エヴァ改に接続されており、N²リアクターを用いた位相差発電エレメントによる半永久発電によって、活動限界のハンデをクリアした仕様となっている。

 

 その足元に、トロワはいた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 無言で自身の駆るエヴァを見つめるトロワ。

 

「『わたしが死んでも代わりはいるもの』・・・」

 

「そんなこと、全然思ってないくせにーっ」

 

 トロワの口から不意に湧き出たセリフ。それを耳聡く聞きとった者がいた。小さな綾波レイNo.シスである。シスは簡易推進ベルトを使って器用に無重力空間を泳いでおり、まるでイルカが海の中を泳ぐようにスイスイとトロワに近付いてくる。自分ではできないだろうと思うほどのシスの器用さに、トロワは軽い驚きと、少しの納得、安心感を得ていた。

 

(アナタも、わたしとは違う。元は一緒だけど、アナタももう立派な、ひとりの人間・・・)

 

 トロワは小さく微笑む。

 

(大切な、わたしの妹・・・)

 

「なにニヤニヤしてんの〜、トロワ?」

 

「別に、なんでもないわ」

 

 そう言って、トロワはシスに背を向けた。腰につけた簡易推進ベルトのスイッチを押す。

 

「わたしの代わりは、いない。それを確認しただけ・・・」

 

「ふーん・・・。あれ?どこ行くの?」

 

「わたしの、もう一人の妹に会いに・・・」

 

 トロワの向かう視線の先。主要収納庫のさらに奥にある、巨大で厳重な扉。その向こう側にあるのは、この戦争における防御の要。

 

 トロワはゆっくりとその巨大な扉に近づいていく。それを追うように、シスもまた扉に近づいた。

 

 巨大な扉の右下には、作業員が行き来するための小さな扉がある。トロワはその扉の横に取り付けされている指紋認証用のパネルにそっと手を置いた。プラグスーツの上からでも指紋を読み取れる代物である。手を置くと同時に、扉の小さな窓から網膜認識用のカメラが現れた。指紋と網膜の両方を確認したシステムが、ピピッという軽い音ともに扉を開く。トロワとシスは、遠慮なく扉を通った。

 

 中に鎮座していたのはたった一つの、普通のエントリープラグ。だが、部屋の中央にあるソレから、まるで蜘蛛の巣のようにいくつもの重厚な電送ケーブルが部屋の四方八方に伸びており、プラグとケーブルを固定するための鉄骨が乱立している。それが照明によって影を作る様は、この場所の陰鬱とした雰囲気を醸し出すのに一役買っていた。

 

 そのエントリープラグのハッチ付近には複数の人物が無重力下で漂っている。作業スタッフが数名、それとは別に重犯罪者を連行する警備スタッフが数名。連行されているのは当然、綾波レイ・No.カトルである。

 

 そのカトルに、トロワとシスはフワリと近付いた。

 

「あら。久しぶりね?二人とも」

 

 それに気付いた、黒いプラグスーツに身を包んだカトルが、両手に嵌められた枷を二人に見せつけるようにして声を掛ける。

 

「どうしたの?こんな辛気臭い場所にわざわざ足を運んでくるなんて。人類を破滅に追いやろうとした犯罪者の最期を笑いに来た?」

 

「そんな言い方しなくてもいんじゃな〜い?ワタシはトロワについてきただけだよ?」

 

 突然の来客に警備スタッフが警戒する。対して、横にいるカトルはシスの正直な物言いに、楽しそうに口元を綻ばせた。

 

「小さな私は相変わらず正直ね。・・・で、貴女は?なんの用?」

 

「アナタの顔が、見たかったから」

 

「私の?」

 

 トロワに対する刺々しい質問には、意外な回答が返ってきた。カトルが訝しげに顔を歪める。

 

「それでは、ダメ?」

 

「・・・・・・なるほど。本当に嘲笑いに来たってわけね」

 

「ちがう。そうじゃない」

 

 トロワは優しい笑みをたたえながら、首を振って否定した。

 

「アナタは、この世に一人しかいない」

 

「・・・・・・?」

 

「アナタの代わりは、誰もいない」

 

「・・・・・・だから?」

 

「死なないで」

 

 トロワのそのたったの一言に、カトルは小さく動揺した。そんな言葉がまさか目の前の、瓜二つの顔を持つ姉から出てくるとは思いもよらなかったから。

 

「・・・私が死んだら、ここにいるみんなが死ぬからでしょ?」

 

 この戦争において、カトルの責任は重大だ。ネルフLUNAの守りの要は、彼女の搭乗する、このエントリープラグしかない0・0'エヴァ。それが放つATフィールドだ。廃棄されたエヴァの脊髄を各所に埋め込み、ネルフLUNA全体を覆うATフィールドを張ることのできる0・0'エヴァは、見方を変えればネルフLUNAそのものだと言っても過言ではない。

 

「犯罪者の私を守りの要にするとは、上層部も馬鹿よね。私が自殺志願者だったらどうするつもりなのかしら?」

 

 ATフィールドを張れる。それはつまり、エヴァのシンクロシステムが作動しているということ。ネルフLUNAが負った傷は、そのままカトルに跳ね返る。ある意味ではカトルは、ネルフLUNAを守るための肉壁になるという事と同義だ。傷の痛みを恐れるならば、カトルは必死でATフィールドを張り、盾になるだろう。

 

 だが、カトルの言う通り、もしもカトルが自らの死を望んでいたら?

 

「大丈夫。アナタはそんなこと、望んでない」

 

 そんな疑問など、微塵も感じさせないトロワのセリフ。

 

 それにカトルは言いようのない苛立ちを覚えた。

 

「知ったふうな口をきかないでくれる・・・?ちょっとお膳立てしてやっただけなのにペラペラと余計なことを・・・!本当に私の姉にでもなったつもり!?」

 

「怖いのね。死ぬのが」

 

「何を・・・っ!うぅ!?」

 

 激昂しかけたカトルを止めたのは、両の手にかけられた手錠だった。雰囲気が怪しくなってきたカトルの鎖を、警備スタッフが乱暴に引き寄せる。

 

「ちょっと!ヤメテ!」

 

 シスが警備に食ってかかろうとするのを、カトルが視線だけで制した。余計な手出しをするな、というように。

 

「生きるの死ぬのなんて関係ないわ!どうせ私達は終わってるんだから!碇クンに二度も選ばれず、お情けをもらってるような私達じゃあ・・・!」

 

「碇くんは関係ない。わたしは、アナタの話をしているの」

 

「私!?なおさら関係ないでしょ、私なんか・・・!」

 

「そんなことはない。アナタはわたしの、大切な一人・・・」

 

 スッと、トロワが右手を差し出す。その手に疑問を抱いたカトルが、トロワを睨みつける。

 

「・・・・・・なんのつもり?」

 

「アナタが死んだら、わたしは悲しい」

 

 トロワは右手を引っ込めず、さらにズイッと差し出した。

 

「だから、アナタはわたしが守る。これは、心と心を繋げるための、約束・・・・・・」

 

 カトルは差し出された右手と、トロワの表情を見比べている。

 

「いつか、碇くんが教えてくれたことよ」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 二人の間に、険悪な沈黙が降りた。この場に居合わせた他者にとっては、痛みを覚えるような沈黙。

 

 沈黙に耐えきれず先に折れたのは、カトルだった。

 

「・・・・・・警備さん。鎖、ゆるめてくれる?大丈夫、暴れたりしないから」

 

 カトルの言葉に従って、警備スタッフが引いていた鎖の力を少しだけ弱める。腕の自由を得たカトルは、差し出された右手をパァンッと思い切り張った。

 

「これが答えよ。満足かしら、『私』?そんな簡単にお手手を繋いでもらえると思わないことね」

 

「平気」

 

 右手を張られたトロワは、それでも微笑みを崩さない。

 

「アナタは応えてくれた。それだけで、わたしは十分・・・・・・」

 

 そう言って、トロワは踵を返す。

 

「また、生きて会いましょう」

 

 その場をゆっくりと、自然にトロワは離れていった。右手が微かに震えているのは、カトルに張られた痛みからか。それとも・・・・・・。

 

「・・・相変わらず、腹の立つ顔」

 

 カトルはケージを出ていくトロワの背に向けて、吐き捨てるように言った。

 

「と、トロワは何しにきたのかなぁ〜、なんて・・・。あはは・・・・・・」

 

 いたたまれなくなったシスが愛想笑いで場を濁そうとするが、そんなシスを、カトルは鼻で笑った。

 

「何も考えてないわよ。ただ、自分が満足したかっただけでしょ。そんな事に私を使わないでほしいわ」

 

「そ、そんな事ないと思うけど・・・」

 

「ふん・・・。小さな私。貴女も少しは自分の心の声に従ってみたら?」

 

「え?ワタシ??」

 

 突然に話の矛先を向けられたシスが戸惑う。

 

「貴女は私達とは違う。碇クンにこだわる必要はないわよ。いるんでしょ?大切な人が・・・」

 

 カトルの話の内容が理解できず、しばらく考え込むシス。その顔が、みるみるうちに赤く染まっていき、ボンッと音を立てて上気した。

 

「な、ななななななななに言ってんのォ!?カトル、ワタシは別にそんな人・・・!」

 

「はいはい。いるわけね。ご馳走様」

 

「ち、ち〜が〜う〜!」

 

「バレバレなのよ、貴女」

 

「な、なにそれェ!勝手に決めつけないで!ワタシは・・・!」

 

「貴女ももう、小さいままではいられない。でしょう?」

 

 カトルの言葉にハッとするシスは、自分の胸に手を当てた。二年前の、幼かった自分とは違う。少しずつではあるが、成長してきた自分の体。クローンとして生み出された年数で言えば、ある意味では精神年齢と肉体年齢が一致していた身体。

 

 今は違う。言動は幼くても、見た目だけならば中学生の頃の『綾波レイ』に近づいてきたシス。その精神も少しずつではあるが大人に近づいていっている。それをシス自身が望むかどうかなど、関係無しに。チグハグな心と身体に、小さな悩みを抱える程度には。

 

「そろそろ時間でしょ?ハッチを開けて」

 

 そんな悩みを抱えるシスを他所に、カトルは淡々と作業スタッフに指示を出した。ハッとしたように作業スタッフ達が自分の仕事に戻っていき、バシュンッと音を立てて、エントリープラグのハッチが開いた。

 

「悪かったわね、小さな私。これはさっきの、自分に正直すぎてムカつく『私』へのちょっとした仕返し」

 

「それってただのヤツアタリじゃん!」

 

「そうでもないわ?貴女は、もう少し正直になっていいと思うわよ?」

 

 悪戯っぽく笑うカトルは、踊るようにその身をエントリープラグ内に収める。再び音を立てて閉まるプラグのハッチ。

 

「あ、逃げた!」

 

『逃げたんじゃないわ。貴女もそろそろ配置に着きなさい。正直になるにしても、まずは生き残らないと話にならないわ』

 

「むきぃーーーっ!!」

 

 幼さを残すシスがハッチをバンバンと叩く。シスが周りのスタッフに引きずられるようにしてその場を後にするまで、約十分。

 

 戦端が開かれる時は、近い。

 

 

 

 

 

──────

 

 2020年12月3日。

 グリニッジ標準時、8:54。

 日本時間、17:54。

 

 ネルフLUNA作戦司令室にて、葛城ミサトは司令室のメインモニターである大窓の外を睨みつけている。窓の向こうには連合軍艦隊が、シャトルにしがみ付いているAEも含めて目視で確認できるほどまでに近付いてきている。

 

 ミサトが視認した敵艦隊の編成は大きく分けて3つ。

 

 一つ目は先鋒・突撃を目的としたネルフUSAの艦隊。最前線に青黒い巨大なシャトルが陣取っており、その後ろで他のシャトルやAEが忙しなく編隊を進めている。

 二つ目は中堅・後方支援と遊撃を目的としたネルフユーロの艦隊。突撃を目的としたネルフUSA艦隊より広めであるが、既に編隊を終えているようだ。目立った動きはない。

 最後に後詰として、恐らくネルフASIAだろう。見ただけでわかる粗悪なシャトルの群れ。しかしその数は尋常ではなく、彼らの艦隊だけで大窓の一面を埋め尽くせそうな程であった。

 

 司令室の中も忙しない。オペレーターがそれぞれネルフLUNAの各所と連絡を取り合い、戦争に向けての最終確認を行なっている。そのやり取りを窓を睨みつけながら耳に入れていたミサトは、自陣と敵陣の状況を大まかに把握していた。

 

「エヴァ各パイロットは?」

 

「配置完了!いつでも出撃できます!」

 

「結構。通信を繋いで」

 

 ミサトの指示に従い、エヴァパイロット全員との回線が繋がる。メインモニターの脇に小さく、5名のパイロットが映し出された。

 

「・・・・・・みんな、良い顔してるじゃない?」

 

 ミサトの言う通り、パイロット全員が覚悟と決意を持った眼差しをしている。

 

「先程、敵軍から通信が入ったわ。攻撃開始はグリニッジ標準時○九○○。エヴァ各機は合図と共に所定位置へ散開。私からの指示に従い、作戦行動へ移行。以後、各機臨機応変に対応し、敵の殲滅にあたれ」

 

『了解!』

 

「アスカ。頼んだわよ」

 

『もっちろん!・・・でも、相変わらずミサトはめちゃくちゃな作戦を思いつくわね』

 

「この作戦の要は、アスカ。あなたの働きに掛かっているわ」

 

『了解!少し時間がかかるかもしれないけど・・・』

 

「その間、残りのエヴァは時間を稼いで。特に、カトル」

 

『なに?』

 

「あなたには1番辛い役目をやってもらうわ。悪いけどちょっち、カラダ張ってもらうわよ」

 

『構わないわ。どうせこんな扱いだろうとは思ってたから』

 

「・・・ひと段落したら、一度ゆっくり話ましょう?あなた自身の今後について」

 

『・・・・・・ふん』

 

 

 

「作戦開始時刻まであと二分!」

 

 

 

 オペレーターの日向が声を張り上げる。全員の顔に緊張が走る。

 

「0・0'エヴァ、ATフィールド展開!」

『了解』

 

 ミサトの指示と共に、ネルフLUNA全体を覆う巨大な多角形のATフィールドが即座に展開される。

 

「リングEarthおよびLunaの位相差発電エレメントを起動!」

「了解!位相差発電エレメント起動、回転開始!」

 

 リングEarth、リングLunaの両方に、リングの外縁に沿って取り付けられた無数の発電エレメント。その先端が長く伸び、ATフィールドの外側に突き出る。突き出たエレメントは、両リングに取り付けられていたコンベアと共に高速回転を開始。ネルフLUNAという巨大なスペースコロニーの自転とは異なった回転によってATフィールドの「中」と「外」で位相差を無理やり発生させ、急速に発電し始めた。

 

「ガンマ線レーザー砲、用意!」

「了解!ガンマ線レーザー砲、充填開始!」

 

 リングに12基ずつ取り付けられたレーザー砲が過剰なまでの電流を受け取り、発射体制を整えてゆく。

 

「対太陽放射線用小隕石群、展開!」

「了解!防御陣形に展開します!」

 

 ネルフLUNAの周囲にばら撒かれていた小隕石群が、内部に埋め込まれた磁力発生装置を起動させる。リングEarthおよびLunaの発電エレメントが副次的に発生させた磁力によって、隕石が徐々にネルフLUNAに集まってくる。それらはネルフLUNAの外周を覆いながら、発電エレメントの回転に追従するように高速移動を開始する。

 それはまるで、ネルフLUNAを中心とした隕石の竜巻。またはミキサーか。うっかり近づけば、並の機体であれば粉々にされるだろう。

 

「ガンマ線レーザー砲!充填完了しました!」

「現在時刻確認!」

「現在、開戦10秒前!カウント開始!」

 

「5!」

 

 モニターに映し出されていたガンマ線レーザー砲が光を放ち始める。「よし!」の合図を待つ猟犬のように、今か今かとその時を待つ。

 

「4!」

 

 ポーンと軽い音と共に、ネルフLUNAに通信自由回線(オープンチャンネル)からメッセージが届く。

 

『ネルフLUNA・・・』

 

「3!」

 

 通信相手は、ネルフUSAのエース、リアム・アンダーソン。

 

「2!」

 

『良き戦争を・・・!』

 

「1!」

 

 ミサトは通信の言葉に返すことはなく、

 

撃て()ェッ!!」

 

 放たれたガンマ線レーザー砲の光が宇宙を照らした。

 

 

 

 

 

つづく



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i.光芒一閃

 

撃て()ェッ!!」

 

 ミサトの号令によって放たれた12の巨大なガンマ線レーザー砲の光が、人類史上初の宇宙間戦争の開戦の狼煙となった。

 放たれた極太の光は稲妻を伴い、対ネルフJPN連合軍の艦隊へと突き刺さる。光に飲み込まれたシャトルやAEが次々と爆発を起こし、巨大な十二輪の炎の花となって宇宙を照らした。

 

「薙ぎ払えッ!」

 

 12の光は艦隊に突き刺さったまま、それぞれが艦隊の傷口を広げるように、舐めるように薙ぎ払われる。密集した連合軍艦隊は回避行動も取れず、爆発の連鎖が続くかと思われた。

 しかし、新たな爆炎は上がらない。ガンマ線レーザー砲は未だ止んでいないにも関わらず、だ。

 その要因はすぐにわかった。ガンマ線レーザーの光を、何か障壁のようなものが遮っているのをミサトは視認した。

 

「リアクターフィールド・・・ッ!」

 

 N²リアクターのエネルギーを用いて発生させる、光の壁。人類の科学が人に授けた、心の壁と似て非なる障壁。それが連合軍艦隊の眼前に薄く、しかし何重にも敷かれ、巨大なガンマ線レーザー砲の光を遮っていた。

 

「一点集中ッ!!」

 

 ミサトは咄嗟に新たな指示を下した。と同時に、連合艦隊にも動きがあった。ネルフUSAのシャトルにしがみ付いていたAE達が一斉に離れ、ネルフLUNAに向かって突撃してくる。

 ネルフLUNAの12本のガンマ線レーザー砲がリングEarthの中央に集められる。光の直線が円錐のように収束していき、その頂点で結合。さらに威力を上げたレーザー砲が艦隊に襲いかかる。その威力に、連合軍が張っていたリアクターフィールドは粉々に破壊され、突撃を仕掛けてきたAE諸共爆炎を上げた。

 

 だが、そこまでだった。

 

「各ガンマ線レーザー砲、再充填開始!」

「エヴァ各機!出撃!!」

『了解ッ!!』

 

 ガンマ線レーザー砲の光が途切れる。ネルフLUNA規模での巨大なATフィールドとN²リアクターによる急速充電を以ってしても、せいぜい放てるのは数十秒が限界であった。 

 

 充電が再開されるのに合わせ、宇宙港『喜望峰』からエヴァンゲリオン最終号機、F型零号機アレゴリカ、0・0エヴァ改が飛び出す。ネルフLUNAを取り巻く隕石の竜巻に巻き込まれないように、ネルフLUNAの中心軸に沿ってギリギリのところを猛スピードで突き進んでいく。

 対する連合軍も、ガンマ線レーザー砲を運良く回避したAEを次々とリングEarthに突撃させてきている。

 

 各AEはそれぞれが携行していた戦略N²弾を一斉に発射した。その数、軽く見積もっても数百発。地球上であれば10の都市を更地にしても尚余りある程の火力であろう。ネルフLUNAを取り巻く隕石群で防ぎ切れるようなものではない。

 

「カトルッ!」

『わかってる・・・!』

 

 それを阻むのは心の絶対領域、カトルの張った巨大なATフィールドであった。リングEarthの目前で戦略N²弾はATフィールドに激突、次々と爆発していく。その凄まじい轟音こそ宇宙空間では響かないものの、爆発に伴い発生した強烈な閃光に、ネルフLUNA司令室のオペレーター達は悲鳴を上げた。

 

「狼狽えないで!大丈夫!」

 

 ミサトが悲鳴を上げたオペレーター達に檄を飛ばす。

 

「N²弾なら大丈夫よ!ATフィールドが全て防いでくれるわ!」

『・・・ッ、簡単に言わないで。結構キツイわ、これ・・・ッ!』

 

 数百発という数の戦略N²弾が戦争で用いられたのはもちろんの事、それを防ぐという偉業もまた人類初。物理攻撃の一切を通さないATフィールドではあるが、断続的に発生する『No Nuclear(核に匹敵するほど)』の爆発は、フィールドを維持するカトルに想像以上の負荷を与えていた。

 

『ほんと、こんな馬鹿げたモノをバカスカ撃ってくるなんて、人間不信になりそうだわ・・・!』

 

 ニヒルな笑みを浮かべながら冗談をいうカトルであったが、その内心は焦りに満ちていた。

 

(いま、何秒・・・・・・!?)

 

 エントリープラグ内で、カトルは必死に操縦桿を握る。

 

(開戦してから、いま、何秒経ったの・・・!?)

 

 少しでも気を抜けばATフィールドを解いてしまいそうだ。カトルは全意識をATフィールドの維持に集中している。その目が、プラグ内に表示されている時刻をチラリと確認した。

 

(・・・ッ!?嘘でしょう!?)

 

 グリニッジ標準時、9:00:43。

 

(まだ、一分も経っていないのッ!?)

 

 カトルの表情から笑みが消える。それと同時に、カトルの額に大粒の汗がいくつも浮かぶ。

 

(敵の残弾は・・・?敵はこの規模の攻撃を、あと何回してくるの!?)

 

 事前の情報であれば、敵艦隊を構成するシャトルは目測でも数千。そのシャトル一機につき、AEが四体ずつ乗り込んでいると教えられた。その数は万を優に超えるだろう。

 

 仮に、すべてのAEがN²弾を装備していた場合、

 

(今のが、あと百回近く撃てるって事!?)

 

 カトルの目が眩んだ。

 

(そんなの、絶対無理よ・・・ッ!)

 

 圧倒的物量の差。彼我兵力差が大きすぎる。それを今この戦場で最も痛感しているのはカトルであった。爆炎が晴れたその向こう、視界いっぱいに広がる連合軍艦隊を目の当たりにした瞬間、カトルは全身が粟立つのを覚えた。

 

 その視界に突如割り込んできた、小さな虫のような影。

 

『アナタは死なないわ』

 

 それは出撃したエヴァの一機。

 

『わたしが守るもの』

 

 綾波レイ・トロワの機体0・0エヴァ改が左腕を前に突き出す。その左腕の肘から先を覆うように装備された大きな鉄色の八角柱。その側面がバシャッと音を立てて開くと、中から32個の小さな正八面体の青いクリスタルが飛び出した。

 

「ATフィールド遮断!カトル、一旦休んで!」

 

 そのクリスタルを見たミサトがすぐに指示を出す。カトルは全身に込めていた力を緩め、ネルフLUNAの ATフィールドを解除した。全身を寒気が襲う中、カトルは青く小さな光たちの行方を目で追った。

 

 飛び出したクリスタルはトロワの意思に従い、弧を描きながら敵軍のAEへと高速で迫る。が、クリスタルは何もせずにAEの隙間を縫って通過。その後ろのシャトル群へと飛来しようとしていた。

 それに気付いたAE群は小さなクリスタルに向けてライフルを乱射する。あの小型のクリスタルがまさかN²爆弾に匹敵する火力を持っているのではないかと警戒して。

 結論から言えば、このクリスタルに火力はない。中に入っているのは火薬などではなく、超強力な電磁力発生装置と、0・0エヴァ改の神経組織だけ。

 

 だがこの兵器は、下手をすればN²爆弾よりも厄介な代物。

 

 

 

『フィールド、展開』

 

 

 

 トロワの呟くような一言と共に、各クリスタルが自身の10倍以上もある大きな正八面体の赤い光を放つ。

 

 32個のATフィールドのクリスタル。それらが一斉に展開された。

 

 クリスタル同士の間にいたAE達が、展開されたATフィールドに押し潰されて爆炎をあげる。32個の赤いクリスタルは、それぞれがまるでかつての第五使徒ラミエルのよう。それらが一斉にリングEarthの前に並ぶ様は圧巻。正八面体を繋ぎ合わせたブロックの壁が、連合軍の眼前に突如として現れた。

 ただし、ただの壁ではない。これはトロワの意思によって宇宙空間を自由に飛び回る、最新型のF型装備『天使の鱗』。物量も質量も持たず、しかしATフィールドの強力な斥力で以って敵を押し潰す武器であり、盾であった。

 クリスタルのそれぞれに搭載された0・0エヴァ改の神経組織は、ATフィールドを発生させるための要。電磁力発生装置は子機。0・0エヴァ改の左腕を覆うような鉄色の八角柱内部にある親機と電磁力で繋がっており、トロワの腕や指の動きに合わせて動きを変える、糸の代わりに磁力を用いたヨーヨーの様な武器である。

 投げて、手元に戻す。できるのはたったのそれだけであるが、トロワはこれをネルフLUNA建造にかかる二年間の中で特訓し、一人で32個のクリスタルを自在に操れるようになっていた。

 

 トロワが固まっていた『天使の鱗』同士の結合を解く。壁に穴が空いたのをチャンスと捉えた愚かなAEが数機、その穴を通り抜けようと試みた。が、穴を過ぎた先で見たのは、右手でガンマ線レーザー砲の照準を合わせていた0・0エヴァ改であった。

 己の間抜けさに気付いたAE達は自前のリアクターフィールドを張るも、レーザー砲に呆気なく粉砕され、機体諸共に宇宙の藻屑となって消えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「よし。トロワにとっては初の実戦投入だったが、使い物にはなりそうだな・・・」

 

 司令室からそれをみていたゲンドウがサングラスの位置を整えながら薄く笑う。

 

 この『天使の鱗』の発案者は碇ゲンドウであった。ネルフLUNA建造に伴い、各国の悪感情が大きくなるであろうことは容易に想像できていた。最悪の場合、宇宙空間での戦闘も起きるかもしれないと考えたゲンドウは、ネルフLUNA自体への設置ではなく、エヴァの兵装としての開発を試みた。その結果として生み出されたのが、重力から解き放たれた宇宙空間でのみ戦場を自由自在に飛び回ることのできるF型装備『天使の鱗』である。

 

「だけどこれじゃあ、目眩しにはなってもネルフLUNA全体を守るのは難しそうね」

 

 ミサトが親指を噛みながらメインモニターを睨み続けている。画面には縦横無尽に動き回る赤いクリスタルが、敵AE群を次々と粉砕していく様が見て取れた。

 

「ああ。確かにそうだ。だがトロワだけにこの場を任せるわけではあるまい?葛城総司令」

 

「さっすが碇副司令代理」

 

 ゲンドウの投げかけた言葉に、ミサトは獰猛な笑みでもって応えた。

 

「鎧がカトル、盾がトロワとするならば、矛は誰になるのかしらね〜」

 

 

 

 ◇

 

 

 トロワは『天使の鱗』を振り回しながら、カトルのATフィールド範囲内ギリギリのところで戦いを繰り広げる。ネルフLUNA全体が危機に晒されそうになれば、トロワごとATフィールド内に匿う事のできる距離だ。

 リングEarthの眼前で次々と敵機AEを粉砕していくが、0・0エヴァ改の役割はあくまで盾役(タンク)。カトルがずっとATフィールドを張り続けるのは現実的な案ではないと判断したミサトが、カトルのインターバル中にリングEarthの盾となる事をトロワに課したのである。

 しかし、いくらトロワが奮戦しても、トロワ一人で巨大なネルフLUNAの全方位を守ることは厳しい。周囲の隕石群も連合軍の接近は防げるだろうが、先程のようにN²弾を雨あられと受ければひとたまりもない。

 

「カトル、悪いけどまたやってもらうわよ!」

『はぁ、はぁ、はぁ、まったく、人使いが荒いわね・・・』

 

 カトルのATフィールドは防御の要に加えて、戦略全体の要でもある。ATフィールドを用いた位相差発電によってチャージしたガンマ線レーザー砲を充填し発射。撃ち終われば、また同様にチャージをして発射を繰り返す。これがネルフLUNAの最も基本的な戦法。連合軍のようにリアクターフィールドを用いることも可能であるが、電力消費量が大きいため、なるべく使用したくない。

 

 だからこそ、ミサトは無理をさせてでもカトルに頑張ってもらわなければならなかった。

 

「カトル!前方、トロワ戦闘空域を除いた全方位にフィールド展開!」

『了、解・・・ッ』

 

 力を振り絞りながら、カトルが再びネルフLUNAを覆うATフィールドを展開する。展開した瞬間、ネルフLUNAの側面部でいくつかの爆発が起きた。

 

「やはりAEを回り込ませていたか・・・」

「ATフィールドと隕石群に巻き込まれてやられちゃったみたいね・・・!」

 

 爆発の要因を冷静に分析したゲンドウの呟きに反応したミサトが、若干の焦りと共に即座にコンソールの通信ボタンを押す。

 

「リングLuna!敵機がそちらに向かった可能性があるわ!第一種戦闘配置を維持、ガンマ線レーザー砲の無制限使用を許可!」

『了解!・・・・・・うぁ!?』

 

 通信の向こうからオペレーターの悲鳴が聞こえた。

 

「リングLunaッ!どうしたの!何があったの!?」

『敵のAEが数機、ATフィールド内に侵入しています!ガンマ線レーザーの充填、間に合いませんッ!』

「しまった・・・!」

 

 ミサトの顔に焦りが現れる。悔しそうにコンソールを叩いたミサトは、通信をアスカに繋いだ。

 

「アスカ、行ける!?」

《まかせて!!》

 

 即座に応答したアスカに頼もしさを感じると同時に、司令室のモニターにリングLuna側の映像が映し出された。映像には敵AEを次々と撃破していく赤い光の帯が映っている。紛れもなくアスカエヴァ統合体だ。

 

「アスカは敵機を殲滅後、作戦通りに所定の位置へ!カトル!悪いけど、ここからはATフィールドを維持!これ以上の敵機の侵入を許したくないわ。トロワ、前方の敵は任せるわよ!」

《了解!すぐ終わらせたるわッ!》

『早く終わらせて・・・長くは保てない・・・!』

『カトル、大丈夫』

 

 0・0エヴァ改のトロワが、『天使の鱗』を振り回しながらカトルに呼びかける。

 

『碇くんが、来た』

 

 トロワの言葉とほぼ同時に、トロワは視界の右端に淡い紫の光と、それに追従する山吹色の光を見た。

 その光はトロワの視界に収まると目に見えて加速。敵連合艦隊を右から左へ真一文字に横切る。その光を追うように連合艦隊の爆炎が次々に発生した。

 

「さすが、シンちゃん・・・!圧倒的ね・・・」

 

 ミサトが額の汗を拭いながら紫色の光を追う。

 

『ミサトさん、ダメだ!やっぱり数が多すぎる!すぐには終わりそうにない!』

「大丈夫よシンジ君!ディフェンスはこっちに任せて、存分に暴れ回って!シスも置いてかれないようにねッ」

『むぅっ!スピードなら負けてないもん!うりゃりゃりゃりゃあ〜ッ!!』

 

 

 

 ◇

 

 

 

『うぉぉぉおおおおオオオオオッ!!』

 

 エヴァンゲリオン最終号機が手にした太刀、マゴロックスステージ2を閃かせる。マイクロブラックホールで覆われた刀身全体がギラリと光り、迫り来る敵機を次々に断ち斬っていく。斬られた敵は粉々に粉砕され、マイクロブラックホールに飲み込まれていった。

 

『シンジのそれ、なんだか掃除機みた〜い』

『シスも手伝って!?』

『やってるよぉ!』

 

 シンジが太刀を振り回して近距離の敵を斬り裂いていくのに対し、シスは高機動力からの『天使の背骨』を用いた長距離射撃によって敵を沈めていく。かつて使徒を殲滅した『ヤシマ作戦』を単騎で実行する事のできるこのF型装備は、撃ち出すたびに敵のリアクターフィールドを食い破りながら突き進んでいく。

 だが、二人の奮闘を以てしても、敵の数が目に見えて減っていくことはない。果てのない砂の海の中で、無理やりに腕をかいて進むような感覚が二人を襲う。

 

(きっと、この中にも家族がいる人がいるんだろうけど・・・)

 

 シンジの中にわずかに生まれる罪悪感を、

 

(でも、それは僕も同じなんだ・・・!)

 

 絶対的な使命感で押し潰してシンジは進む。

 

『終わりはまだ見えない・・・けどッ!絶対にみんなを死なせないッ!』

 

 シンジの炎は燃え上がる。それに感化されるように、シスも。

 

『ワタシだって!トージにもう一度会うまで死ねないよッ!!』

 

 紫色と山吹色の流星が尾を引きながら、連合艦隊を蹂躙していく。圧倒的な数の不利をものともせず、戦局はネルフLUNA側に傾きつつあった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 その様子を、連合軍艦隊から離れた(・・・)場所でUSAのリアム・アンダーソンは観察し続ける。

 

「ふむ・・・」

 

 余りにも馬鹿げた高機動力と殲滅力。オカルトを信じないリアムはネルフLUNAの戦力に対して懐疑的であったが、目の前の光景にその評価を改めた。

 

「思っていたよりは、やる・・・」

 

 だが想定の範囲内だ。

 

「ネルフユーロ、およびASIA艦隊に告ぐ。作戦を変更。超長距離殲滅編隊に移行せよ」

 

『了解』

 

 リアムの指示に従い、連合軍艦隊が行動を開始する。

 戦いは次の局面へと静かに動き始めた。

 

 

 

 

 

 

「連合軍艦隊に動きあり!」

「拡大してっ!」

 

 日向の報告を聞いたミサトが指示を飛ばし、モニターの連合軍艦隊の映像を凝視する。

 ネルフUSAの編隊には大きな変化はない。エヴァンゲリオン最終号機とF型零号機アレゴリカに蹂躙されながらも、ネルフLUNAへの攻撃の手を緩める事はない。リングEarthに迫り来るAEや銃火器による攻撃は、0・0エヴァ改がなんとか防いでいるのが現状だ。

 問題はそれ以外。今まで動きのなかったネルフユーロ、そしてその背後に無秩序に構えていただけのネルフASIAが、編隊を整えているところであった。

 

「何をしてるの・・・?」

 

 ミサトと同様の疑問を、司令室の全員が抱いていた。その視線が成り行きを見守る中、膨大な数を誇るネルフASIAの艦隊がいくつもの巨大な菱型へと陣形を変化させていく。数は20。その菱型の中心に集まるようにネルフユーロ軍が。そして、ユーロ軍の道を開けるようにネルフUSA艦隊が移動を開始した。

 

「まさか・・・・・・!?」

 

 ミサトの顔が青ざめる。

 

「トロワ!『天使の鱗』を防御陣形に変えて一旦引いて!カトル!デカいのが来るわッ、前方にATフィールド展開!」

 

 慌てて指示を飛ばすミサトの目の前で、ASIA艦隊が作り出した菱型に稲妻が走っていく。同時に、ネルフLUNAの前方にもATフィールドが展開され、その外側で『天使の鱗』が固まって壁を作り出した。

 ASIA艦隊に走っていた稲妻は徐々に収束し、その前方に集中していたユーロ軍へと集まっていく。

 

「まさか・・・・・・」

「おいおい。嘘だろ・・・嘘だろ!?」

 

 オペレーター達も状況を理解し、至るところから恐怖の声が上がる。

 

「シンジ君!シス!急いで奴らを止めてッ!」

『ミサトさん!?』

『む、無理だよ!ここからじゃ遠すぎるゥッ!』

 

 ちぃっと舌打ちを打つミサトの顔が、恐怖に負けまいと歯を食いしばって歪む。

 

『・・・・・・悪いけど、アレを防げる自信はないわよ?』

「だとしてもやって!やらなきゃ二万人のネルフ職員、みんなして宇宙の藻屑よ!」

『・・・恨みっこはなしでお願いね』

 

 集まってきた稲妻がプラズマ独特の青い光へと変化していく。光はみるみるうちに膨れ上がり、今にも弾けそうなほどだ。

 

「総員!衝撃に備えてッ!!!」

 

 過去、使徒のATフィールドをその威力だけで撃ち破った実績を持つ兵器。

 

 

 

「陽電子砲よ!来るわッッ!!」

 

 

 

 20の陽電子砲の閃光が、ネルフLUNAに向けて撃ち放たれた。

 

 ギュギィィイインッ!

 

 聞こえるはずのない衝撃音。その轟音と共にATフィールドが陽電子砲を受け止める。

 それぞれが別方向からの砲撃。トロワの操る『天使の鱗』だけではとても防げるものではない。

 そして勿論、カトル一人で耐えれるものではない。

 

『うあっがあああ!ああああああああ!!』

 

 通信を通してカトルの苦痛の悲鳴が届けられる。

 

「カトル、お願い!がんばって!!」

『ああっ!割られるッ、私の、壁がァァッ』

「カトルッ!!」

 

 ビシビシと、ATフィールドにヒビが入っていくのが作戦司令室からも目視できた。このままでは遠からずカトルのATフィールドは叩き割られるだろう。真正面からの陽電子砲のいくつかはトロワの『天使の鱗』で作り出した壁が防ぎきっているが、その他の部分が破られれば結果は変わらない。

 

『カトル!耐えてくれッ!』

『カトルぅ!!』

 

 シンジとシスの悲鳴に近い激励。祈るようなその声は、側から見たネルフLUNAがどれだけ危機的な状況にあるのかを物語っていた。

 

「シンジ君!シス!奴らを止めてッ!」

『クソぉ!こいつら・・・ッ!』

『どいてよ!ジャマッ!!』

 

 最終号機がいくら個の戦力として突出していようと、それだけで容易に戦局を変えられるほど戦争は甘くはない。先のネルフJPNでの攻防で、シンジはそれを痛感していた。

 だがあの時と状況が違うのは、シンジと最終号機も万全の状態で戦争に臨めている点。アルマロスを撃退した全力の最終号機であっても如何ともし難い数の暴力に、シンジの心が焦りに塗りつぶされていく。

 

『あぐぅうう・・・もう、無理ぃああアアアアアアッ!』

 

 カトルの悲鳴が木霊する。

 

 こうしてシンジとシスが敵の妨害に遭っている間も、ネルフLUNAへの陽電子砲はその出力を衰える事はない。ATフィールドに入ったヒビが少しずつ広がっていく中、

 

『葛城総司令。「天使の鱗」を分散させる』

 

 トロワの冷静な声が通信に響いた。

 

「・・・っ!お願い、トロワ!」

 

 一瞬の逡巡と共にGOを出すミサト。その声に従い、ネルフLUNA真正面に展開されていた『天使の鱗』のうち19個が、それぞれ陽電子砲の照射されている部分に向かって飛んでいく。

 正八面体のATフィールドのクリスタルが、放たれている陽電子砲に真正面からではなく斜めからぶつかっていった。

 

「いいわよ、トロワ!」

 

 陽電子砲を止めるのではなく、逸らす動き。赤いクリスタルにもヒビが入っていくが、ATフィールドに横から押された陽電子砲の光が徐々に逸らされていく。

 

「まだ!?まだ終わらないの!?」

 

 ネルフLUNAの真正面では、残り少なくなったトロワの『天使の鱗』が懸命に陽電子砲を受け止めているが、徐々に押し込まれていっている。

 それを見たトロワはカトルのATフィールド内ギリギリまで近づき、

 

『フィールド、全開・・・ッ!』

 

 自身の駆るエヴァのATフィールドを、カトルのATフィールドの上から重ねた。

 

『・・・っ!?何やってるの、貴女!そんな事したら・・・』

『言ったはず。アナタはわたしが守る』

 

 トロワの眼前で、『天使の鱗』で作られた壁がバリィンと割れた。陽電子砲の光がトロワのATフィールドに容赦なく降り注ぐ。

 

『うぐぅぅううううううう・・・ッ!!』

「やめなさいトロワ!死ぬわよ!?」

 

 トロワとカトルのATフィールドが破られれば、1番最初に撃墜されるのはネルフLUNA防衛線の最前線にいる0・0エヴァ改だ。それを危惧したミサトの指示を、トロワは無視する。

 

『だめ・・・。わたしが退いたらみんなが、あの子が死ぬ・・・・・・』

『私のため!?ふざけないで!』

『アナタに、死んでほしくない・・・。だから・・・ッ!』

 

 トロワが力を振り絞る。今にもヒビ割れそうなATフィールドをその硬い意志で、さらに強固なものへと変えてゆく。

 

『ああああああああああああああッ!!』

 

 ATフィールドがその形状を変えていく。フィールドの中心点を徐々に突き出し、捻りを加えていく。押し留めている陽電子砲の光を刺し穿つように、ATフィールドが回転していく。

 

『はああああああああああああッ!!!』

 

 トロワが気合と共に陽電子砲を押し返すなか、連合軍艦隊側にも新たな動きがあった。

 

『シス!今だッ!』

『りょ〜〜かいッ!うりゃあーーっ!』

 

 ネルフUSAの敵群を突き進み、最終号機がとうとう陽電子砲の根本、ユーロ軍の編隊の前までの道を切り拓いた。それによって射線を確保したF型零号機アレゴリカが『天使の背骨』を乱射する。

 侵食型ATフィールド弾に撃ち抜かれたユーロ艦隊は陽電子砲を制御しきれず、巨大な爆発を起こした。

 近くにいた別のネルフユーロ軍たちが爆破に巻き込まれないよう、陽電子砲の発射を中断して退避を開始する。

 

「やった!止まったわ!シス、ナイスよ!」

『へへん!』

『シス!一旦離脱だ、付いてきて!』

『りょ〜かいっ!』

 

 最終号機とF型零号機アレゴリカがネルフLUNAに向かって後退を開始する。

 

「トロワは!?」

『だ、大丈夫・・・・・・』

 

 陽電子砲の脅威を退けたトロワと0・0エヴァ改であったが、その代償は大きい。『天使の鱗』の大半を失ったことに加え、N²リアクターを用いた充電でも追いつかないほどの電力の消費。充電が完了するまでは、しばらく戦えないだろう。

 

『カトル・・・、怪我は、ない・・・・・・?』

 

『・・・・・・』

 

 だが、得たものも大きい。

 

『舐めないでほしいわね。この程度で私の姉を気取るのなんて。傲慢にも程があるわ』

 

『・・・・・・そう』

 

『・・・一回じゃ足りない。全然足りないわ。何度も守りなさいよ。姉を気取りたいなら』

 

『・・・・・・!』

 

『貴女が動けない間は、私が守ってあげるわ』

 

 ネルフLUNAを覆うATフィールドが輝きを増す。それはカトルの心の壁がより強固になった事の証明。

 

『下がりなさい。しばらくは私たちで受け持つから。そうよね?葛城総司令?』

 

「ええ、トロワとカトルのおかげで、貯まったわ・・・!」

 

 リングEarthの12のガンマ線レーザー砲が、再び光を放ち始める。

 

「ガンマ線レーザー砲、第二射、撃てェッ!」

 

 連合軍艦隊に向けて、お返しとばかりにレーザー砲が放たれる。シンジとシスによって蹂躙されたネルフUSAの艦隊はろくな陣形も取れず、巨大な光の奔流をその身に受けた。

 ネルフUSAのシャトルが次々と爆炎を上げ、宇宙の塵となっていく。

 

「よっし!!このまま・・・・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やはり、この程度か』

 

 

 

 司令室の通信に、何者かの声が響いた。

 

 同時に、ネルフLUNAを取り巻く少隕石群が小さな爆発を起こす。ATフィールドの内側で竜巻のようにネルフLUNAを守っていた少隕石群が、爆発によってデブリとなりネルフLUNAに降り注いだ。

 

「マズいッ!!!」

 

 デブリがネルフLUNAの外壁に次々と衝突する。チタン合金で作られた外壁は、小さなデブリなどものともしない。だが、それが何十、何百と降り注げばどうか。

 

「被害状況確認!急いで!」

「中心軸の破損を確認!0・0'エヴァとの通信途絶!」

「なんですって!?」

 

 

 

『素晴らしい。素晴らしく陳腐な采配だ。まさか防衛する側が主戦力を手放すなど、流石に予想できなかった・・・』

 

 

 

「・・・ッ!?シンジ君、シス!!」

『く、クソぉ!コイツら・・・!』

『戻れないっ!ジャマ者が多すぎて・・・!』

 

 

 

『残るエヴァンゲリオンは死に体の零号機と、どこかに消えた赤いエヴァだけ』

 

 

 

「中心軸周辺に敵性反応!」

「まさか、ステルス機能!?」

 

 

 

 

 

『さあ、蹂躙を始めよう』

 

 リアム・アンダーソンが、淡々と、ネルフLUNAに対して死刑を宣告した。

 

 

 

 

 

つづく



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j.月の代行者(前編)

 

 12月1日の早朝。アメリカ東部フロリダ州では、朝から雪がちらつき始めていた。

 

 フロリダ州は、暑ければ冬でも半袖で過ごすことが可能な地域であったが、ここ数年はこの様な異常気象に見舞われる事が少なくない。

 こういった気候の変動が特に見られるようになったのは、新しい月が夜空に浮かぶようになってから。それ以降、季節ごとの寒暖差が年々激しくなっているように思える。この珍しい降雪も、きっとその影響だろう。

 「なに、大した寒さではない」とか、「今年はホワイトクリスマスになるかもな」だとか、「裸で眠る恋人(アルフィー)が風邪を引かないだろうか」といった他愛もないことを考えながら、ネルフUSAの軍人であるリアム・アンダーソンは、自宅のリビングで朝のコーヒーを啜っていた。

 

 いつも通りの朝の、無意識レベルで行われるルーティン。しかしリアムにとっての今日は、歴史に残るであろう重大な作戦遂行のため、地球を離れる記念すべき朝。

 そんな早朝に彼を訪ねてきた人物がいた。ネルフUSA代表のマキシマス大佐である。

 

「日本には『餅は餅屋』という言葉があるそうだ。知っているかね?」

 

 来客をもてなし、ダイニングテーブルで向かい合って座るマキシマス大佐とリアム。家主から出されたコーヒーを啜り人心地着いたところで、マキシマス大佐がそう切り出した。

 

「モチ・・・?モチ、とは何でしょうか、大佐?」

 

「ん?リリ。君、もしかして知らないのか?餅を?」

 

「は・・・、申し訳ありません」

 

「そんなにかしこまるなよ、リリ。大したことじゃない。餅とは、日本の米をこねて作る、まあ、一種のパンみたいなものでな。時間が経つと固くなるんでそのままでは食べにくいが、焼いたり、スープに入れて食べる事もあれば、甘いソースをかけて食することもあるらしい。まあ、日本独特の保存食だと思えばいいさ」

 

「そうなのですね。勉強になります。大佐」

 

 言葉の節々に感じられる軍人気質ゆえの生真面目さ、または堅苦しさか。プライベート空間においても日頃と変わりのない部下の対応に、マキシマスは苦笑しながらも続ける。

 

「いや本当、そんな事は重要じゃないんだ。パンはパン屋、ケーキはケーキ屋、と言い換えたっていい。重要なことは、だ。この言葉が何を指し示しているのか、という事なんだよ」

 

「何を示しているか、ですか?」

 

「日本人は特にこういった分かりづらい、回りくどい表現が好きらしくてね。要するに『手に負えない事は専門家に任せろ』と言いたいらしい」

 

「はあ・・・」

 

 目の前の大佐が何を言いたいのか。それをいまいち掴み取れず、リアムは気まずそうに冷めかけたコーヒーに口を付ける。

 

「・・・よし、もっとシンプルに行こうか。リリ。君は、MAGIの欠点はなんだと思うね?」

 

 MAGI。

 

 それはネルフの天才科学者であった赤木ナオコ博士。彼女が生み出した人格移植型OS搭載のスーパーコンピュータシステム。そのコピーは世界各国で運用され、もちろんネルフUSAでも用いていた。

 そんな天才科学者の生み出したスーパーコンピュータの欠点とは一体なんだろうか。

 

「自分には分かりかねます、大佐」

 

「・・・すまない。どうもいかんな。こういった話を上手く進めようとするのに、私はめっぽう不向きらしい。かのスーパーコンピュータの欠点を探せと言われたら、誰だって混乱するだろうにな」

 

 マキシマスが苦笑混じりに頬を掻く。

 実力主義でエリート街道を爆進中の男が、プライベートな時間であればこんな面も覗かせるのかと思うと、リアムの緊張もいくらかほぐれる。

 

「リリ。私が聞きたいのは、だ。こと戦争においてMAGIは役に立つのかどうか、という点なのだよ」

 

「戦争に?」

 

「ああ。君はどう考える?」

 

 こういう聞き方をマキシマスがするとき、大抵がマキシマスの中には確固たる答えが存在していることを、リアムは長い付き合いの中で経験則として理解している。そして、それを当てようが外そうが、マキシマスは嬉々として対応してくれるだろう事も。

 もっとも「それだけフランクな付き合いができるような間柄であれば」という注釈はつくのだが、今の場においてはマキシマスの方から距離を詰めてきているので、リアムはその条件を既にクリアしていると言っていいだろう。

 

「・・・赤木ナオコ博士は天才でした」

 

 コーヒーを飲み干した後に訪れた口の中の渇きを唾で湿らせつつ、リアムは自分のまとまりきらない考えを、口に出しながら喋ることでまとめてみようと試みた。

 

「自分の性格を3つに分けて、その3つのコンピュータの合議制によって物事を判断する、と聞いた事があります。そういった点では、作戦立案に対しては有用なのではないでしょうか?実際、日本のネルフも使徒殲滅にはMAGIの考えを重視していた、と聞きます」

 

「ふむ・・・?」

 

 この反応。リアムはすぐに気付いた。この答えは間違っている。少なくとも大佐の望む答えではない、と。であるならば、切り口を変える必要がある。

 

「・・・ですが、それは対使徒にとっての考えであって、対人、もしくは対軍の考えに合わせられるのか。その点は微妙だと自分は感じております」

 

「ふむ・・・。まあ、悪くない答えだな」

 

 マキシマスもまたコーヒーを口に運んだ。

 

「しかし、アレだな。リリ。相手の反応を見ながら答えを変えるのは、あまり感心せんな。君の中の確固たる意見を私は聞きたかったのだが・・・」

 

「大佐。私は科学やシステムがどれだけ発展しようと、使えないものには興味を示さない性格です。MAGIの運用は、軍の運用のサポートとしては有用であると私は考えております。つまり、使えるでしょう。ですが戦争という特殊な環境下において、一つの指示、一瞬の判断が命取りになるような場面でMAGIがその有用性を発揮できるのかはわかりません。それゆえに『微妙』と申し上げております」

 

「いいじゃないか。完璧だよ。その言葉が聞きたかったんだ」

 

 コーヒーカップをテーブルに戻しながらマキシマスは嬉しそうに頷いた。

 

「その言葉を聞けたところでさっきの話、ああ、餅は餅屋という話に戻るんだが、赤木ナオコ博士は軍人か?」

 

「いえ。優れた科学者でしょう」

 

「そうだな。では優れた科学者が、戦争、戦略に対して、優れた意見具申をできるものだろうか?彼女の人格を3つに分けたとして、果たしてそれが可能だろうか?」

 

「科学者としての人格、女性としての人格、母親としての人格。色々な面を見せるでしょうが、彼女が戦争に携わったことのない人間ならば、それは専門外と言えるのではないでしょうか?」

 

「素晴らしい。その通りだよ」

 

 マキシマスはゆったりと椅子の背もたれに体重を預けた。どうやらリアムの期待通りの答えに満足したようだ。

 

「赤木ナオコは餅屋ではない。だが、ネルフJPNはその戦略の大半をMAGIの判断に頼ってきた経緯がある。あの小賢しい女狐(葛城ミサト)が、一応は作戦課長という名前で立案していたのをMAGIが補強する、という形でだ。だが私は、葛城ミサトがそこまで優れた軍略家だとはとても思えない。彼女の視野は狭い。せいぜいが現場の尉官どまりだ。軍を率いた経験などほぼ0だろう」

 

 その言葉に、リアムも素直に頷いた。

 

「奴らはエヴァンゲリオンという超強力な兵器を持っただけの、烏合の衆にすぎん。それを踏まえた上で・・・」

 

「ネルフJPNを殲滅し、エヴァンゲリオンを奪い去る、ですか?」

 

「違うよ、リリ。全て破壊してほしいんだ。君の恋人が素晴らしい発明をしてくれたお陰で、あんな選ばれた者しか扱えないような兵器に頼る必要は無くなった。それを、全世界にアピールしてきてほしい。それは君にしかできない事だ」

 

 そこまでマキシマスが話したところで、寝室の方から物音がした。それに気付いたマキシマスが苦笑する。

 

「あんまり朝から長話するものではないな・・・。君の恋人との時間をジャマするのも礼儀に反するというものだ」

 

 そう言ってマキシマスは立ち上がると、机に置いてあった自分の軍帽を取って頭に乗せた。

 

「戦場においては君の判断に一任する。だが十中八九、君は感じることだろう。『どんなど素人が指揮をとっているのか』とね」

 

「油断は禁物です。大佐」

 

「するもんかね、君が。だが、もし感じたなら遠慮はするな。鴨だと思って縊り殺してやれ」

 

 マキシマス大佐はそのまま玄関のドアを開けると、雪の降る中を毅然とした態度で去っていった。最後に「期待している」という言葉を残して。

 

 

 

──────

 

 

 

『本当に、大佐の仰ったとおりだった・・・』

 

 ネルフLUNAを取り巻く隕石群と、その隕石群ごとネルフLUNAを覆い尽くすATフィールド。その狭間に、宇宙の闇を体現した様な青黒い巨大なシャトルが姿を現した。

 

『防衛のための兵力が無い。軍事施設としての強度が無い。あるのは射線変更の効かない欠陥品のようなレーザー砲と、原始時代のような石礫の壁だけ。鴨ですら自分の命を守るために「翼」を持っているというのに、逃亡手段すら持たないとは・・・。鴨打ちのほうがまだ手こずらせてくれるだろうよ』

 

 ネルフUSAの最終兵器『メタトロン』が、ゆったりとその身を無重力の海に漂わせている。その翼に取り付けられていた小型のミサイルが、ネルフLUNAの隕石群を破壊してデブリの雨を降らせた要因のようだ。

 しかし、リアムにとってちょっとだけ、ほんのちょっとだけ予想外のことが起きた。

 

『まだ浅い、か』

 

 ネルフLUNAのATフィールドが、解けていない。隕石群は確かにネルフLUNAの中心軸(ハブ)に降り注ぎ、損傷を与えていた。だというのに、ネルフLUNAの機能は損なわれておらず、いまだ健在だ。

 もっとも、だからどうした、という話なのだが。

 

『弾薬はいくらでも、ある。宇宙の塵となるまで、叩き込めばいいだけの事』

 

 巨大なシャトルがミサイルの射線を変更するため、その身を揺らす。

 

『・・・ちっ』

 

 次なる攻撃の準備を整えていたメタトロン内部で、リアムが小さく舌を打った。シャトルに取り付けられたモニターが敵機の姿を捉え、警告を発したからだ。

 

『エヴァンゲリオン零号機か』

 

 山吹色の彗星がその光を徐々に大きくしている。それは、彗星がこちらに猛スピードで、一直線に近付いてくる証拠。

 

『よくも、カトルを・・・!』

 

 オープンチャンネルを通して、鬼気迫るトロワの声がリアムに届けられた。

 もっとも、それがどうした、というリアムの心境は少しも揺るがない。

 

『変わらないんだよ、結局。お前が来ようが来まいが、早いか遅いかだけの違いでしかないんだ』

 

『はああああッ!』

 

 トロワの怒りと共に、0・0エヴァ改が右手のガンマ線レーザー砲の引き金を引く。放たれた光線が、エヴァの何倍もある巨大シャトルを撃ち抜く瞬間であった。

 

『!?』

 

 超重量であるはずの巨大シャトルの姿が、消えた。

 

 

 

 

 ネルフLUNA司令室のオペレーター達は、不意に受けた攻撃の被害状況を探るため、各設備からの報告を集めるのに必死だった。それは碇ゲンドウや葛城ミサトも例外ではなかった。

 だから、綾波レイ・トロワが持ち場を離れた瞬間を、オペレーター達の誰も確認できていなかった。

 

「なッ!?トロワ!?」

 

 最初に声を上げたのはゲンドウだった。その驚きの声にミサトもモニターに振り返る。

 

「・・・嘘。なによ、あの機体」

 

 思わず、といったふうにミサトの口を突いて出た言葉。それはあり得ざる戦況に対しての、ミサトの心境そのものだった。

 

 画面の向こう、0・0エヴァ改がタコ殴りにされていたのだ。それも、エヴァンゲリオンの何倍も大きな、青黒い人型の兵器によって。

 

「あれ!葛城司令!あれはAEです!最前線にいた、あの青黒いシャトルッ!」

 

 敵の正体を一番に見破ったのは伊吹マヤであった。そして、その指摘は正解だった。AEの変形機能。恐らくシャトル型から人型へと姿を変えたリアム・アンダーソンの機体、『メタトロン』だ。

 

 だが、だからどうした?という想いが、モニターを凝視するオペレーター達の胸中に渦巻く。それほどまでに、敵機AEと0・0エヴァ改の戦闘力は乖離しすぎていた。

 

「『喜望峰』、および0・0'エヴァとの通信回復!」

 

『う、うぐぅぅ・・・・・・』

 

 青葉の報告と共に、通信にカトルの苦鳴が響く。

 

「カトル!良かった、無事!?」

 

『そんな、訳ないでしょう・・・。デブリのいくつかが港を貫いて、エントリープラグも傷を負ってるわ。ついでに、ネルフLUNAのダメージがこっちに跳ね返ってきていて、最悪よ・・・』

 

「それだけ憎まれ口叩ければ十分!ATフィールドの継続は可能!?」

 

『ちょっとはこっちの苦労も知りなさいよ・・・。まあ、なんとかするわ・・・』

 

 息も絶え絶えに、カトルは何とか応答している状態だ。彼女の報告によれば、「喜望峰」を含めてメインケージにはいくつかの損傷があるようだ。その損傷部分から酸素が漏れ出しているだろうことは容易に想像できる。

 

「現場の作業スタッフに損傷部の修理を急がせて!」

「了解!」

 

『葛城、総司令・・・?うちの、あのバカ姉は?何してたの?』

 

 カトルの質問。絶対に、何度でも守るとそうトロワが誓った直後の襲撃。カトルからすれば「結局口だけなのね」と落胆したくもなるだろう。

 ミサトはカトルに正直に伝えた。

 

「トロワなら、貴方がやられたんじゃないかってスゴい顔で敵の撃墜に向かったわよ。そんなに責めないであげて」

 

『責める?はっ。責めたってどうしようもないでしょ?それで、バカ姉は敵機を撃墜できたの?』

 

「それは・・・・・・」

 

 思わず、ミサトは口篭ってしまった。それだけで、カトルは事態を大まかに把握できてしまう。

 

『チッ、逃げればいいのに余計な事を・・・』

 

「ATフィールド内に敵が侵入している以上、トロワの判断は正しかったわ。今は彼女に何としても敵の足止めをしてもらわないと・・・」

 

「0・0エヴァ改、エネルギー充填不足!内部電源に切り替わります!」

 

 ミサトの言葉を遮るように上がってきた、トロワの危機的状況を知らせる報告。それにカトルは思わず噛みついた。

 

『すぐに下がらせてッ!』

 

「ダメよ!ここでトロワが引いたら・・・」

 

『私が死ぬだけでしょ!?そんなことよりトロワを・・・!』

 

「貴方が死んだらネルフのみんなが死ぬのよ!?今はATフィールドを張り続けることだけ考えてッ!!」

 

『・・・やるわよ!やってやるわよ!!でもトロワを死なせたら、私はATフィールドを解くから!絶対に守り切って!』

 

 ブツっと、カトルから通信が一方的に切られた。ミサトは歯痒い気持ちを抑えながら、再びメインモニターに目を向ける。

 

(お願い。シンちゃん、シス、アスカ。間に合って・・・)

 

 モニターに映し出される、翻弄される0・0エヴァ改の姿を目に焼き付けながら、ミサトは子供達に祈るように両手を握りしめていた。

 

 

 

 

 トロワの目の前から巨大シャトルが消えると同時、トロワは自分の背後に巨大なプレッシャーを感じた。

 

(うしろ・・・・・・ッ!?)

 

 振り返ろうとした0・0エヴァ改の後頭部が、何か重たいもので殴られる。その衝撃はトロワの脳も揺らし、軽い脳震盪を起こさせた。

 

「が・・・・・・っ」

 

 それでも、いや、それだけではトロワの戦意を削ぎ落とすことはできない。殴られながらも、守るべき妹を傷付けられた怒りに身を震わせる0・0エヴァ改は、背後に向けてガンマ線レーザー砲を構えた。

 その砲身が、巨大な手によって掴まれる。

 

「え・・・?」

 

 トロワの目が、目の前の機体を捉えた。エヴァンゲリオンの数倍はあろうかという巨体。かつて対峙したアルマロスのサイズを遥かに超える巨人。その右手が、エヴァの半身ほどはあろうかというガンマ線レーザー砲の砲身を、まるで箸でも握るかのように掴んでいた。

 

「こ、これは・・・っ!?」

 

『メタトロン、と呼んでくれたまえ。私の恋人がプレゼントしてくれた、人類最強のオルタナティブ・エヴァンゲリオンだよ』

 

 リアムはそう自己紹介を終えると、空き缶を潰すような気軽さでレーザー砲をグシャリと握り潰した。

 咄嗟の判断で武器を手放した0・0エヴァ改が大きく後退する。と同時に、メタトロンの手の中でレーザー砲が爆炎を上げた。

 今の爆発で敵機が損傷してくれれば。そんな期待も、煙が晴れれば霧散してしまう。敵機の腕には傷一つない。見た目通りの、頑丈な機体のようだ。

 

 0・0エヴァ改が背中に装備していたパレットライフルに手を伸ばす。弾は有限だが、万一の備えとして携帯してきた武器だ。

 ライフルの照準を合わせて引き金にかけた指に力を込める。その瞬間、目の前の巨体が更に大きく膨れ上がった。

 

「え・・・・きゃあ!?」

 

 右から飛んできたエヴァの機体と同程度の巨大な拳が、0・0エヴァ改の肩を強く打つ。ギリギリで防御が間に合ったトロワは吹き飛ばされる勢いを利用して、目の前の機体から再び距離を取った。

 

 その距離が、瞬きの間に無くなっている。

 

「ッ!!」

 

 ギュギィィインッ!

 

 トロワの張ったATフィールドがメタトロンの拳を遮る。間一髪、反撃の機会を得たトロワが今度こそライフルの引き金を引いた。質量を持った弾丸が雨あられとメタトロンに降り注ぐ。

 その弾丸の雨を防いだのは、メタトロンが張ったリアクターフィールド。科学の光がトロワの眼前に展開された。

 

「ッ!」

 

 パレットライフルが有効打足り得ないことをこの一瞬の攻防で悟ったトロワは、左手に力を込める。0・0エヴァ改の左手に装着している八角柱に電力が集まり、強力な電磁力を発生させた。陽電子砲からネルフLUNAを守るために分散させていた『天使の鱗』を呼び戻すために。

 『天使の鱗』がカトルの張ったATフィールドを中和して内部に侵入し、0・0エヴァ改の左手へと戻ってくる。トロワはその引き戻す力を利用して、四方八方、上下左右からATフィールドのクリスタルをメタトロンへと叩きつけた。

 

 逃げ場はない。そう確信したトロワの前で、またしてもメタトロンの巨体が膨れ上がる。

 いや、違う。これはメタトロンが膨れ上がっているのではない。

 

『遅いな』

 

 メタトロンが一瞬で、トロワの前まで移動してきているのだ。移動に伴う機体の揺れをごく僅かに抑え、猛スピードで間合いを詰める。それがトロワに目の錯覚を起こさせ、機体が膨れ上がったように感じさせていた。

 日本の古武術にある『縮地法』。それに似た方法を使い、リアムはこの戦場を高速で移動していたのだ。宇宙の闇に似たカラーリングは目眩しに加えて、初動でどうしても起きてしまう機体のブレを隠す役割も担っていた。

 その効果が、赤いクリスタルの包囲網を一瞬で抜けてトロワの目の前に現れたメタトロンであり──

 

「あうッ!」

 

 目にも止まらぬスピードを上乗せした巨体の一撃を受け止めきれずに、吹き飛ばされる結果へと繋がる。

 

「ど、どうして・・・?」

 

 どうして、そんな挙動が可能なのか?トロワの思考は混乱を極めていた。

 

 吹き飛ばされた0・0エヴァ改が、ネルフLUNAを覆うATフィールドに背中から叩き付けられる。

 

「きゃあああっ!?」

 

 地面を弾むボールのようにATフィールドの斥力でバウンドした0・0エヴァ改の横を、メタトロンがすり抜ける。それも、両腕を広げた状態で。

 

「ぐふッ!!?」

 

 トロワの首に強烈な負荷がかかる。メタトロンの伸ばされた腕が、0・0エヴァ改の首にラリアットのように叩き込まれていた。メタトロンはそのままエヴァを巻き取るように身体を回転させ──

 

『ジェットコースターは好きか?』

 

 遠心力を上乗せして、弾き飛ばす。

 

 飛ばされる方角は、ネルフLUNAの周りを渦巻く隕石のミキサー。

 

「〜〜〜ッ!」

 

 トロワは必死に機体の姿勢を制御しつつ、腰に付けたアレゴリックユニットの噴射で勢いを殺す。隕石群の波に飲まれるギリギリ手前で、トロワはなんとか機体を止めることができた。

 

「!!」

 

 その0・0エヴァ改に降り注ぐ、小型ミサイルの雨。それを即座に張ったATフィールドで防ぐ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」

 

 必死に息を整えるトロワが、爆炎の向こうにいるであろうメタトロンの姿を探す。目立った動きはないはずだ。十中八九、メタトロンはまだソコにいるはずだ。

 トロワの予想通り、爆煙が晴れた向こう側にメタトロンはいた。その両腕に備え付けられていた、ガンマ線レーザー砲のチャージを終わらせて。

 

「うあ・・・っ!」

 

 思わず口を突いて出てしまった、トロワの困惑と驚愕の悲鳴。咄嗟に張ったATフィールドを斜めに傾かせ、襲い来る光線を逸らす。

 

『何をそんなに驚いている?』

 

 オープンチャンネルからリアムの声が聞こえる。

 

『この技術はお前たちのものだろう?』

 

 そう、リアムが使用している高速移動術。これはネルフJPNにとって、別段珍しいものではなかった。

 エヴァンゲリオンがF型装備の際に用いる、ATフィールドの斥力を利用した高速移動技術である。エヴァのパイロットであれば全員が使える必須技能であった。

 だが、これほどまでの練度を誇るパイロットは居ない。ATフィールド技術の精密さという点で右に出る者はいないとまで言われたアスカですら、この動きを再現する事は難しいだろう。ましてや無重力空間での使用など、エヴァのパイロットの誰も訓練してはいないのだ。

 それほどにまでにリアムの技術は洗練され、研ぎ澄まされている。

 

『無重力空間において、重量は意味を成さない。空気抵抗による減速もない。だが質量だけは、加速する事によってその危険性を増す。お前たちのATフィールド技術は、宇宙空間でこそその有用性を発揮する。それが解っていたからこそ、自分は二年間の間にこの技術を磨き続けた・・・』

 

 メタトロンのガンマ線レーザー砲が止む。それと同時に、メタトロンの姿が掻き消えた。

 

『ATフィールドの斥力は、リアクターフィールドの斥力で代用が効く。そして、このメタトロンは機体の随所にフィールド発生装置を搭載してある。エヴァンゲリオンよりも正確に、より無挙動での移動が可能なのだ。戦闘の素人であるチルドレンが捉えられるような代物ではない・・・!』

 

 トロワがその軌道を目で追う。しかしその軌道は鋭角に稲妻のように折れ曲がり、とても人間が乗る機体の軌道とは思えない。搭乗者に掛かるGは相当なもののハズだ。

 そして一瞬でも気を逸らせば、その青黒い機体は宇宙の闇に紛れる。複雑怪奇な軌道を必死に目で追っていたトロワだったが、とうとうメタトロンの姿を見失った。

 

「なら・・・っ!」

 

 0・0エヴァ改は『天使の鱗』を自分の周りに集めると、エヴァを中心として赤いクリスタルを回転させ始めた。全方位からの攻撃を警戒しての行動。トロワの取れる手段の中で、最善の手といってよいだろう。

 

 だが、

 

『何か勘違いしてないか?』

 

 トロワの背後、隕石群で再び爆炎が上がる。

 

「な・・・っ!」

 

『我々の目標はエヴァの殲滅ではない。ネルフLUNAの撃墜だ。お前らが亀のように身を縮めるというのであれば、我々はそのままネルフLUNAに攻撃を仕掛けるまで』

 

 爆炎に照らし出されたメタトロン。再びネルフLUNAに礫の雨が降り注ぐ。

 

「これ以上、やらせない・・・!」

 

『受けて立つ必要はないな』

 

 トロワの『天使の鱗』がメタトロンに襲い掛かるも、稲妻のような高速移動で易々と躱された。瞬時に間合いを詰めたメタトロンが放った蹴りを、トロワがATフィールドで食い止める。

 メタトロンの動きを止めようと、肩のパイロンからプログレッシブナイフを取り出した0・0エヴァ改が、敵機の足に突き立てようとナイフを振りかぶった時だった。

 

 ビィーーーッ!!

 

「え!?」

 

 0・0エヴァ改の電力が内部電源に切り替わった。途端にアレゴリックユニットの翼が力を失い、空中でどうにか踏ん張っていた機体が吹き飛ばされた。

 

「きゃあああああっ!!」

 

 無重力空間で一度発生した挙動を止めるには、固定された何かに掴まるか、掛かったエネルギーと逆方向のエネルギーで相殺するしかない。0・0エヴァ改はなす術もなく、再びネルフLUNAのATフィールドに激突した。

 

 そうして跳ね返った0・0エヴァ改を、距離を詰めたメタトロンが打ち返す。メタトロンの攻撃はATフィールドで防ぐ事ができるが、踏ん張りの効かない機体はネルフLUNAのATフィールドに跳ね返される。トロワのATフィールドを張れば、ネルフLUNAのフィールドを中和して無限の空間に放り出される危険性があった。

 

 まるでテニスの壁打ちのように、0・0エヴァ改は何度も打ち返され、ATフィールドに叩き付けられた。

 

『もう十分だろう?』

 

 何度目の往復かというところで、跳ね返ってきた0・0エヴァ改をメタトロンは避けた。

 避けられた先にあるのは、隕石群の竜巻。トロワに機体を制御する術は無い。

 

 いや、一つだけあった。

 

「フィールド、展開・・・!」

 

 隕石群に突っ込む寸前、トロワは自らのATフィールド技術を用いて機体の動きを無理やり止めた。自らのATフィールドに激突しながらも新たな移動手段を得たトロワが、エントリープラグ内からリアム・アンダーソンを睨みつけた。

 

『ほぉ・・・・・・』

 

 トロワの咄嗟の判断に、リアムが思わず感嘆の声を上げる。しかし彼の中にはそれ以上の感動は湧き上がってこない。

 

『では、コレはどうする・・・?』

 

 メタトロンの両腿からバシャっと音を立てて弾倉が飛び出した。中に詰まっていたのはミサイル。それも、N²爆雷だった。

 

『避けても構わん。防げるならば防いでみろ・・・!』

 

 トロワに避けるという選択肢は無い。避ければN²爆雷の爆発によって、今度こそネルフLUNAは宇宙の塵となるだろう。

 トロワの取れる手段はここで退かず、残り少ない電力で『天使の鱗』を操って、N²爆雷を全て撃ち落とす事だけ。一個でも落とし損ねれば、ネルフLUNAは終わる。

 

 爆雷が発射される。トロワはその攻撃から目を逸らさずに睨みつけ──

 

 

『ありがとう、トロワ・・・!』

 

 

 ──その間に飛び込んできた天の川のような光の奔流が、N²爆雷を全て叩き落とした。

 

 

 

 

 

つづく



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k.月の代行者(中編)

 

 右も左もわからない。

 

 上か下かもわからない。

 

 輝く星々の姿すら見えず、周囲を埋め尽くすのは機体の海。

 

 それらをただひたすらに太刀(マゴロックスステージ2)を振り回す事で掻き分けていくエヴァンゲリオン最終号機であったが、押し寄せる敵の波を掻い潜ることができない。

 味方の射線などお構いなしに、誤射(フレンドリーファイア)を恐れず、敵はただただ暴力的な数でもってこちらを圧殺せんとする。

 

 ネルフLUNAに襲い掛かる敵艦隊の陽電子砲撃を止めるため、綾波レイNo.シスとともに敵陣の奥深くまで斬り込んだ二体のエヴァであったが、しかし、それは敵の想定範囲内。

 巣を突かれた蜂の群れが外敵に襲い掛かるが如く、数千にも及ぶAE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)がシンジ達に殺到していた。

 

「無茶苦茶すぎる・・・ッ!」

 

 シンジ達が潰したのは、陽電子砲の砲身役として機能していたユーロ艦隊の一つ。その電力供給役として後陣に控えていたネルフASIAのAEが、まさしく命知らずといった気迫でもって襲いかかってくる。

 彼らの目的はただ一つ。ネルフLUNAのエヴァンゲリオンの退路を断つ事。

 

『シンジッ!これじゃあ帰れないよォ!』

「くっそぉ・・・!」

 

 その目的は達成されたと言えるだろう。敵機との激突こそATフィールドで防げてはいるが、周囲を埋め尽くす敵の壁によって、もはやネルフLUNAがどの方向にあるのかもわからなくなっていた。

 パイロットであるシンジとシスの心に、焦りが重たくのしかかる。ATフィールドは心の壁。パイロットの精神によって保たれる絶対領域。電力の消費こそ少ないものの、パイロットの精神が折れれば、心の壁はいとも容易く破られてしまうだろう。

 

 もともとネルフLUNA側の戦力は、スペースコロニー自体に取り付けられたガンマ線レーザー砲を除けば、たった四体のエヴァンゲリオンしかない。そのうちの二体を敵陣に突っ込ませれば、ネルフLUNAを守れるのは残り二体。しかもそのうちの一体、アスカエヴァ統合体は重要な任務のため戦闘宙域を離れてしまっている。

 自分たちが戻らねば、綾波レイNo.トロワ一人で防衛を果たさねばならない。そして、それが不可能である事をシンジもシスも理解していた。

 その認識が、彼らを更に追い詰めていく。

 

『きゃっ!』

 

 シスが操るF型零号機アレゴリカのATフィールド。その壁の向こうでひしめき合っていたAE群が爆炎を上げる。味方からの誤射を受けたのだ。爆発が連鎖し、炎がシスを飲み込んだ。

 

「シス!大丈夫!?」

 

『へ、平気・・・ちょっとビックリしただけ・・・!』

 

 炎が晴れ、その中からATフィールドを張ったF型零号機アレゴリカが飛び出してくる。そのATフィールドが、僅かだが揺らめいているのをシンジは見た。

 精神的に成熟していない、子供の様なシスがこの状況に耐えられるとはシンジには到底思えなかった。決してシスを侮っているのではなく、シンジを含めたエヴァンゲリオンのチルドレン達は、この様な大規模な戦争への参加経験が無いのだ。恐らく大の大人ですらが、シスと同じ状況になれば耐える事など出来ないだろう。

 

(僕が、なんとかしなきゃ・・・!)

 

 アスカとの間に娘が産まれ、19歳という未熟さながらも父親としての自覚を持ち始めたシンジ。その責任感が、自分を更に追い詰めていく事にシンジ自身は気付かない。

 責任感は体を強張らせ、その強張りを振り解こうとすればするほどに、余計な力が消費される。力の消費は疲労に繋がり、疲労は焦りを増大させ、やがて怒りに変わり、そして恐れへと昇華される。

 それはまさしく、自らの手で心の壁を削る負の連鎖であった。

 

 ビシリ、とシンジのATフィールドにヒビが入る。

 

「え・・・・・・?」

 

 想像もしていなかった事態に、シンジの思考が一瞬停止した。

 

 その瞬間、シンジのATフィールドはバリィンッと音を立てて砕け散った。

 

 割れた壁の向こうから、雪崩の様に敵軍がエヴァンゲリオン最終号機へと押し寄せる。

 

「う、うわあああああああ──ッ!?」

 

 ドクン、と。

 

 最終号機と共有したシンジの心臓が大きく脈打った。

 

 押し寄せたAEがそれぞれ手に持ったナイフで最終号機を切り刻んでいく。その向こう側からは、味方の犠牲も厭わずに銃弾が雨霰と注がれる。

 

「がッ!アアアアアアアアアア!?」

 

 エヴァを覆う特殊装甲がそれらを弾くが、それでも数の暴力の全てを遮るほどの効果はない。殺到する痛みが、シンジの心に次々と傷を刻み込んでいく。

 シンジの心が、焦りと混乱に塗り潰されていった。必死で敵を押し留めながらもなんとかATフィールドを張ろうと試みるが、敵への拒絶ではなく恐怖によって支配されたシンジの心ではそれも叶わない。

 

『きゃあああああっ!!』

 

 通信に、トロワの悲鳴が流れた。確かめるまでもなく、危機的な状況にあるのだろう。

 

 それを聞いたシンジの心に芽生えたのは──、

 

 

 

(怖い・・・・・・ッ)

 

 

 

 死への、恐怖だった。

 

『わァッ!?やだ、来ないで!シンジ!助け・・・・・・!』

 

 シスの助けを求める声が途中で途切れた。それがシンジの恐怖心に拍車を掛ける。

 

(怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い・・・!)

 

 次々と押し寄せる敵に武器を振るうこともできず、最終号機が少しずつ押し潰されていく。

 

(怖い!怖いよ!死にたくない!シス、トロワ、アスカ、ミライ!)

 

 もはや身じろぎ一つ取れはしない。シンジの脳裏にエントリープラグがゆっくりと押し潰され、肉の中身を撒き散らしながら死んでいく未来の自分の姿が過ぎる。

 

 シンジが死への恐怖や諦めと共に、そんな未来の自分の姿を受け入れようとした、その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──ド──ン・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あり得ない、いや、『あってはならない(・・・・・・・・)』音が響いた。

 

 

 

(これは・・・・・・!)

 

 

 

 ──ド──ン・・・!

 

 

 

 かつて、この星を襲った災厄。それが、人類に宣戦を布告した警鐘。

 

 

 

 ──ド──ン・・・!

 

 

 

 既に失われた月面で、黒い堕天使が響かせた警告。

 

 それが、シンジの胸の内から(・・・・・・・・・)聴こえてくる。

 

(こ、れは・・・・・・)

 

 ザザザッという雑音とともに、シンジの脳裏にあり得ざる記憶が蘇る。

 

 過ぎ去った世界。とうの昔に潰えた記憶。数百体のエヴァンゲリオンが、人類補完計画の完遂を求めて殺し合った『人体の谷』の大戦が起きた世界。

 シンジが、アスカと綾波を死なせてしまった世界。彼一人が勝ち残り、エヴァの屍の山に立つ世界。

 そして、彼が『アルマロス』に成ってしまった世界。

 

(これは、アルマロスの『記憶』だ・・・!)

 

 切り裂き、引き裂かれ、絞殺し、撲殺する。向かってくる全ての巨人が『彼』の敵で。

 

 その一切を、『彼』は容赦なく屠殺した。

 

(今、この状況が・・・)

 

 似ている、と言いたいのか?

 

 シンジは自分の『心臓』から聞こえてくる警鐘に耳を傾ける。それは危険な香りであり、また、抗い難い芳醇な香りでもあった。

 

(アスカの、いや、アスカの中にあった『碇シンジの生命情報』・・・)

 

 その中に、『彼』の記憶も残っていた。

 

(二度と失いたくない・・・そういう事?)

 

 シンジの考えを肯定する様に、シンジの『心臓』がド──ン・・・とこれまでにない鼓動を奏でる。

 

 許されない。

 同じ過ちを繰り返すこと。

 それだけは断じて認めない。

 

 鼓動の音が強くなる。同時に、『碇シンジ』としての境界線があやふやになっていく。

 

 今の気持ちがシンジのものなのか、それとも『彼』のものなのか、シンジ自身にも判別がつかない。

 

 でも、それで良い。

 

(今の僕も、想いは同じだ・・・)

 

 

 

『「失うくらいならば・・・・・・ッ!」』

 

 

 

 最終号機の胸の内から光が漏れ出す。

 

『フィールド、展開・・・!』

 

 ネルフLUNAの通信から流れてきた、決して諦めないという決意を込めたトロワの声。それがシンジの最後の一押しとなった。

 

 光が、爆発する。

 

 最終号機に殺到していた夥しい数のAE群が、その光に飲まれて塵と化す。

 

 光が収まればそこには、右手にマゴロックスステージ2、左手にルクレティウスの槍を携え、全身から赤黒い拒絶の焔を放つ最終号機の姿があった。

 

 

 

   《お前たちの存在を認めない》

 

 

 

 果たして、それは碇シンジなのか。それとも、アルマロスとなった過去の『碇シンジ』なのか。

 

 赤黒い焔が刀に纏わり付き、その刀身を飲み込んだ。残された焔が刀身を型取り、凝縮され、刃となる。まるで地獄の炎と言わんばかりの赤光が、宇宙を怪しく照らした。

 

 最終号機はただそれを、無造作に、横に薙いだだけだった。

 

 たったそれだけの動きに周囲を取り巻いていたAEが引き寄せられ、自らその身を差し出すようにして、刃に斬り裂かれる。

 

 その様はまるで炎に集まる羽虫の如く。

 

 斬り裂かれた箇所はその場でこの世界から消失し、赤黒い焔が燃え移った機体は、炎の広がりと共にその存在ごと焼き尽くされた。

 

 後に残るものは何もない。その刃に斬り裂かれた存在全てが、魂さえも、この世界から消失したのだ。

 

 それはまさしく、刀の形をしたブラックホール。いや、それ以上の畏怖すべき何か。斬られた存在の一切を滅せんとする、この世ならざる神の御業(みわざ)

 

 

 

  《天之尾羽張(アメノヲハバリ)・・・》

 

 

 

 最終号機が、対峙した全てのエヴァンゲリオンを(みなごろし)にしてきた剣の名を口にした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「え、シンジ・・・・・・?」

 

 最終号機の振るった刃の余波で、シスを取り囲んでいた敵軍も燃やし尽くされた。不思議な事に、シスの乗るF型零号機アレゴリカにはその焔は燃え移らない。

 先程までひしめき合っていた敵がウソのように、忽然とその姿を焼失していた。ポカンと空いた宙空には、同じくポカンと口を開けるシスだけが残されていた。

 

 シスの視線の先には、最終号機が焔の刃を振り回し、敵を次々とこの世界から葬り去っていく姿があった。斬撃を運良く躱したAEも、最終号機が左手に携えたルクレティウスの槍で貫かれていく。

 それは戦いとして、全くと言っていいほどに成り立っていなかった。それは敵、いや、目の前の存在をただ消し去るだけの作業。

 鉛筆で書いた間違いを、消しゴムで消す。そんな程度の感情しか伺えない。いや、そもそもそんな作業に、感情というものは必要なのだろうか。

 

 不意にシスを得も言えぬ不安が襲った。果たして目の前の最終号機には、本当に『碇シンジ』が乗っているのか、と。

 

「シンジ!ダメぇッ!!」

 

 不安を抑えきれず、F型零号機アレゴリカが最終号機に飛びかかる。攻撃するためではない。シンジを止めるためだ。

 

 その不意に近付いたシスの首を、最終号機の振るった刃が薙いだ。

 

「あ・・・・・・」

 

 シスの脳裏に、最終号機の犠牲者となった者たちの姿が過ぎる。首という人間の急所を絶たれ、自分に恐ろしい死が訪れると予感する。

 シスは咄嗟に自分の首に両手を当てた。お願い、外れないで。離れないで!と願う様に。

 

 だが、シスの予想とは裏腹に、その首が落ちることも、燃え尽くされることもなかった。

 

《シ・・・・・・す・・・・・・・・・?》

 

 最終号機が声を発する。それはシンジの声音そのもので、しかしどこか別人の様でもあった。シスは更なる不安を覚え、最終号機の肩を掴んで思い切り揺さぶった。

 

「そうだよ!ワタシ!シスだよ!シンジ、自分のこと、わかる!?」

 

《あ、アぁ・・・・・・。わカルよ、シス・・・》

 

 周囲の敵軍は様子のおかしい最終号機を恐れてか、まるで近付いてこない。そのチャンスを逃さず、シスは素早く周囲を見回して状況を確認する。

 最終号機の背後、その遥か遠くにネルフLUNAの姿が見えた。遠目にもアレゴリックユニットの放つ煌めきが見える。恐らくあそこでは、トロワが必死でネルフLUNAを守って戦っている事だろう。

 

「シンジ!今のうちだよ!すぐにLUNAに戻らなきゃ!今なら戻れるよッ!!」

 

 意識が朦朧とするかの様に、最終号機はプルプルと頭を振るった。

 

《る、ナ・・・?ルナと、テラ、の事?》

 

「テラってなに!?意味わかんないよシンジ!そんな事より、みんなを守らないと・・・!」

 

 理解のできない単語が出てきた事に、シスは今まで以上の焦りを覚えていた。明らかにシンジの様子がおかしい。状況を落ち着かせるためにも、一度シンジをネルフLUNAに連れて帰らねば・・・。

 

 そう考えたシスが、背後にプレッシャーを感じてバッと振り返った。遠巻きに二人の様子を見ていた敵軍は、ただ二人を観察していたわけではなかったようだ。

 

 全てのAEが、その後ろに控える艦隊が、その銃口を、砲身を、ミサイルの照準を、その全てを二人に向けていたのだ。

 

 シスの全身が一気に粟だった。

 

「シンジ!トロワを助けなきゃ!!早くここから逃げないと!!」

 

 あまりの事態に混乱したシスが、必要事項をめちゃくちゃに口にする。優先順位すら整理できていない早口に、シス自身の混乱も大きくなっていく。

 

 そしてシスの行動は間に合わず、全ての銃火器が二人に向けて一斉に火を吹いた。

 

「あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前に迫る、死の影。ATフィールドを張る暇もない。圧倒的火力により、宇宙の塵となる未来がシスには見えた。

 

 そのF型零号機アレゴリカの肩を、最終号機が強く抱き寄せる。

 

《守らなきゃ、トロワを・・・》

 

 瞬間、最終号機の手の内にあったルクレティウスの槍が眩い光を発する。

 それは瞬きほどの輝きであり、その輝きが消えると共に、二体のエヴァも忽然と姿を消していた。

 

 シンジとシスを狙ったあらゆる火力が何もない空間に撃ち込まれ、一際巨大な炎の花を宇宙に咲かせた。

 

 

 

──────

 

 

 

 トロワの目の前で、N²爆雷の全てが光の奔流に飲まれて爆散する。

 

『ありがとう、トロワ・・・!』

 

 それはシンジの創り出した『光の回廊』。それが飛来したN²爆雷の通過を許さず、全ての攻撃を叩き落としたのだ。

 

『碇くん・・・!』

 

 あまりにも劇的なタイミングでの登場に、決意を固めていたはずのトロワが安堵し、目尻に涙を浮かべた。

 

 『光の回廊』が消えて、目の前にいる最終号機を見るまでは。

 

『・・・・・・碇、くん?』

 

 目の前の最終号機。それが纏う赤黒い焔。その手に持つ武装も含め、明らかにいつものシンジではない。

 何が起きたのか?シンジの様子が気にかかったトロワは問いかける。

 

『だいじょうぶ、なの・・・?』

 

《ありがとう、とロわ・・・。綾波・・・。生きていてクレて・・・・・・》

 

 シンジの返事に、トロワもシスと同様の不安を覚えた。目の前の彼は、本当に自分の知る碇シンジなのか、と。

 

『指揮系統が乱れに乱れているな。お前の仕業か・・・』

 

 そんなトロワの不安など「知った事か」といった様子で目の前の敵、リアム・アンダーソンは『メタトロン』の通信網を使い、状況確認を終わらせていた。

 

 巨大なシャトルを変形(トランスフォーム)させたネルフUSAの最終兵器『メタトロン』は、シャトルの操縦席部分を機体の中心である胸に配置し、シャトル内に収まっていた簡易的な手足がシャトルの胴体側部から飛び出していた。その簡易アームはエヴァンゲリオンの上半身をまるまる掴めるほど巨大で、腰にはミサイルを搭載した翼、脚部にはシャトルの噴射口が備え付けられている。

 地球上での作戦行動を視野に入れていない、宇宙空間専用の機体と見るべきだろう。

 胸の上から飛び出した頭部と思われる三角錐は、その頂点を機体の前方に尖らせている。人型としての視界を得るためのメインカメラだ。そのメインカメラの三角錐に、データの送受信を行うかの様な光が走っていた。

 

『またオカルトか。人類に理解できないパワーなんぞで、戦場を乱さないでもらいたいものだな』

 

《おマエ、も、エヴァだ、ナ・・・・・・?》

 

 最終号機がルクレティウスの槍をメタトロンに突き付ける。トロワの目には信じられない光景だった。彼女の知っているシンジは、自分から敵に襲い掛かるような性格ではない。

 にも関わらず、目の前の行為は明らかに敵への挑発、いや、確認だ。

 『お前は殺してもいいんだな?』という、最終確認。

 

 トロワの全身に冷たい汗が流れた。

 

『エヴァではない。オルタナティブ・エヴァンゲリオンだ。エヴァなどという兵器は、これから先の地球には必要ないのだよ』

 

《ソウか。じゃアお前モ、イラないや・・・》

 

『・・・話が噛み合わんな。戦意があることは認めるが』

 

《綾波も、アスカも、二度ト死ナセない・・・!》

 

 言うが早いか、最終号機は焔の刃を振り下ろした。

 

『素人が・・・!』

 

 振り下ろした直線上に居たハズのメタトロンの姿が一瞬で消える。最終号機の振るった刃は空を斬ったのだ。

 メタトロンは稲妻の軌道で最終号機の背後に回ると、その背中を思い切り蹴り飛ばしていた。

 咄嗟の出来事に最終号機は反応できず、慣性に任せて宇宙を弾き飛ばされていく。

 

『なに!?』

 

 その吹き飛んでいく先は、綾波レイNo.カトルが張った巨大なATフィールド。リアムの計算では最終号機はそこに激突し、メタトロンへと弾き返される。トロワとの戦闘でもそうであったように、最終号機もそうなるだろうとリアムは予測していた。

 しかしリアムの視線の先にあったATフィールド。その状態に、リアムはこの戦場において初めて驚愕の声を上げた。

 巨大なATフィールドが、切断されている。最終号機が振り下ろした刃の軌道そのままに、斬り裂かれていたのだ。

 

『ああああああああっ!!』

 

 オープンチャンネルに女の悲鳴が響いた。リアムはその声を知らないが、恐らくこのATフィールドを張っている綾波シリーズとやらの誰かだろう。心の壁を斬り裂かれたことで、精神的に負荷がかかったに違いない。

 連合艦隊の陽電子砲撃をも防ぎ切ったネルフLUNAのATフィールド。それをいとも容易く斬り裂いた、敵の新兵器。その威力を目の当たりにしたリアムは、頭の中で瞬時に作戦を切り替えた。

 

 斬り裂かれたATフィールドの隙間から最終号機が外へと飛び出す。それに続いて、メタトロンも稲妻の如き速度で最終号機を追い、ATフィールドの外へと飛び出した。

 

 リアムはこう考えた。敵の動きは素人そのもの。エヴァパイロットとしての訓練は確かに積んできただろうが、対人戦闘のスキルはとても本職と並び立てるようなものではない。しかも敵の武装は近距離を想定したものだ。制圧は容易である、と。

 

 しかし一方で、こうも考える。敵機の威力と射程が想定以上だ。加えて、敵機パイロットの様子も尋常ではない。今のエヴァンゲリオン最終号機は、狂人が凶器を振り回す様なものだ、と。

 

 その二つの考えが導き出した結論は、この戦闘宙域からの速やかな離脱。ネルフLUNAのATフィールド内での戦闘は、エヴァンゲリオン最終号機の誤射の可能性を考えれば歓迎すべき事態だ。この高威力の新兵器の一撃が間違ってネルフLUNAに当たってくれれば、脆弱なスペースコロニーが容易く両断されるだろうことは一目瞭然。

 しかしネルフLUNAを囲む隕石群、そしてATフィールドに挟まれた空間は、メタトロンが本気で戦闘をするには狭すぎる。自機への被弾の可能性は小さくなく、メタトロンがその一撃に耐えられる保証はない。

 

 だからこそリアムは、ATフィールドの外へと飛び出した。最終号機を圧倒的に上回る機動力でもって、敵機を宇宙のゴミ屑へと変える為に。

 

 最終号機がアレゴリック翼の逆噴射によって無理矢理に動きを止めた。振り返る最終号機の視線がリアムを射抜く。

 その視線が発する想像以上のプレッシャーに、リアムは自分の判断が間違ってなかったと確信を得た。

 最終号機の眼前にまで迫り、そして急停止。フェイントを挟んだ高速移動でもって、メタトロンが瞬時に背後に回る。その動きに最終号機はついてこれない。

 巨大な簡易アームの左手が最終号機の頭をガシッと鷲掴みにして固定し、その上から右手のガンマ線レーザー砲を押し付ける。左手はくれてやる。その代わりに貴様の頭は貰う。

 

Die(死ね)・・・』

 

 リアムの死刑宣告と共に、押し付けたガンマ線レーザーが光を放つ。

 

 全てが一瞬の事であった。

 

 決着は付いた。

 

 

 

 そう確信していたリアム・アンダーソンの世界が廻った。

 

 

 

『!!?』

 

 ガンマ線レーザーが何も無い空間を貫いていく。手を離したつもりは無い。最終号機が抜け出した感触もない。なのに、目の前から最終号機が消えている。咄嗟にリアムはメタトロンの左手に目を移した。

 

 左手首から先が無くなっていた。

 

 何が起きた?自身の動揺を必死で抑え、リアムが敵の姿を素早く探す。

 

 そして最終号機を発見し、同時にリアムは心の底から恐怖した。

 

 メタトロンの左手に頭を掴まれたままの最終号機が、僅かに首を傾けてる。

 

 背骨に氷柱を突っ込まれたような感覚。

 動いていたのは最終号機では無い。

 

 動いていたのは自分だった(・・・・・・・・・・・・)

 

 最終号機が頭を掴まれたまま、首を僅かに振るった。たったそれだけの動きでメタトロンの左腕は千切れ飛び、世界が廻るほどの勢いと共に振り解かれていたのだ。

 

 危険すぎる。敵の脅威を正確に把握したリアムが次に取った行動は撹乱。パワー比べでは相手にならない。ならば速度という優位性を最大限に活かし、奴の攻撃を掻い潜りながら削り殺せばいいだけ。兵士として幾多の戦場を渡り歩き、強敵を撃破して生き残ってきたという実績が、リアムに冷静な思考を取り戻させていた。

 メタトロンが再び稲妻の機動力で広い空間を縦横無尽に飛び回る。最終号機はその場から動かず、頭にこびり付いていたメタトロンの腕を無造作に引き剥がして捨てる。その視線がメタトロンを捉える事は無い。

 今度こそ。油断や慢心を捨てたリアムが飛び回りながらガンマ線レーザー砲の照準を最終号機に合わせた。

 

 

 

 瞬間、最終号機が目の前に現れた。

 

 

 

『What !?』

 

 驚愕と共に距離を取ろうとメタトロンが更に速度を上げる。リアクターフィールドの残光が流星となって星空を駆ける。

 

 その光からピッタリと離れず、徐々に迫ってくる赤黒い焔を纏った閃光。

 

 

 

『なんなんだお前はァァアアアアアアアア!!』

 

 

 

 とうとうリアムの絶叫が宇宙に響き渡った。

 

 

 

 

 

つづく



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l.月の代行者(後編)

 

 ネルフLUNAの作戦司令室を中心に、戦局は大きく三つの展開を見せていた。

 

『あの馬鹿!馬鹿!大馬鹿野郎ッ!後で絶対殴り殺してやる・・・ッ!』

 

 口汚く罵るのは綾波レイ・カトル。ネルフLUNAの守りの要であるカトルのATフィールドを、味方であるはずのシンジが内側から斬り裂いた事への怒りを呪詛のように撒き散らしている。

 

 最終号機が手にしている見たこともない刀。それに斬り裂かれたATフィールドの傷口が一向に治らない。カトルの心の壁は傷付いたまま、ジクジクと嫌な痛みをカトルへと訴え続けていた。

 

「カトル・・・、ATフィールド張り直せる?」

 

『はんッ!良いのね、張り直しても!?じゃあ一回ATフィールド全部解除するけど問題ないのかしら!?』

 

 戦時下にありながら恐る恐るといった様子のミサトの質問に対する答えは、怒りという名の棘に満ちていた。カトルの怒りは司令室の面々にも理解できる。また、シンジが招いたこの事態もミサトの完全な予想外。二人のやり取りはさもありなん、というものだった。

 

『だめだめだめだめ!消しちゃだめーッ!』

 

 そのやり取りに介入してきたのは、現在進行形でネルフLUNAの最前線にて敵機の撃墜と防衛を一手に引き受けている綾波レイ・シス。

 

『ワタシ「ぼーえい」なんてできないよ!?カトルがATフィールド解いちゃったら、LUNAに攻撃がぜんぶ行っちゃう!』

 

 これが三つの展開のうちの一つ目。豹変した最終号機と共に敵艦隊の包囲網を切り抜けたF型零号機アレゴリカは、『光の回廊』を通って瞬時にネルフLUNAまで帰還。その後、ネルフLUNA防衛戦の最前線、しかもカトルのATフィールドの外側にポイッと置いていかれたのである。

 最終号機が敵陣を内側から食い破ったのは事実。しかし敵艦隊全体の戦力は依然として衰えを見せていない。むしろネルフUSA軍に続いてユーロ軍が、その更に後方からはASIA軍が次々と押し寄せてくる。

 ネルフLUNAへの攻撃は、開戦直後のような戦略N²弾の乱射といった無茶苦茶なものではなくなったものの、苛烈さという意味では徐々に勢いを増してきていた。

 そんな防衛ラインの最前線に置いていかれたシス。もともと高機動力と『天使の背骨』による長距離射撃を主体とした遊撃を得意とする彼女には、一箇所に留まっての戦闘、しかも面制圧に動いている敵軍の防御など専門外だ。

 広範囲にばら撒く武装関連はどうしても機体の質量を増やし、機体特有の小回りの良さ、身軽さを損なう。総司令であるミサトもそれがわかっていたからこそ、シスにはシンジと共に遊撃を命じていたのだ。

 故にシスは、連射が効くとはいえ単発式の『天使の背骨』で迫り来る敵軍をちまちまと撃ち落としていくしかない。自分が被弾しないよう飛び回り、隙を見て攻撃を加えていく。回避行動最優先のため、攻撃が当てられれば御の字。一発で二機以上を巻き込んで撃墜できれば「ブラボー!」といったところか。

 

『うるっさい!!(やかま)しいわよ、小さな私!?バカ姉がどうしようもないんだから、貴女が守らないと意味ないでしょ!?』

 

『そ、そんな事言わないでよぉ・・・。ワタシだって必死で・・・』

 

『みんな必死でやってんのよ!!やってないのは司令室でふんぞり返ってる奴らだけ!死にたくなかったら気張りなさいッ!』

 

『・・・ぐす』

 

 性格の違う綾波レイ同士の応酬。それを傍から聞いていたネルフLUNAオペレーター陣はカトルの罵倒に心を痛めつつも、次々と厄介ごとが起きる戦場において混乱しつつあった思考が、少しずつだが冷静になっていくのを感じていた。

 

「シス!不甲斐ない大人で申し訳ないけど、アナタのやり方でいいからそこで踏ん張って!カトルはATフィールドを維持。傷口部分は・・・」

 

『葛城総司令。わたしの『天使の鱗』で塞ぐ』

 

 綾波レイ・トロワの駆る機体。0・0エヴァ改が残り19個の『天使の鱗』のうちの9つを、カトルのATフィールドの傷口に沿ってそっと当てる。

 

『カトル』

『なによ、バカ姉ッ!』

『わたしと、心を合わせて』

 

 そう一方的にカトルに告げると、トロワは静かに目を瞑った。

 

『わたしとアナタは、もう別人。でも、同じ方向を見ることはできる』

『悪いんだけど!もっと端的に、分かりやすく言ってくれない?』

『アナタとわたしのATフィールドを融合させる。そうすれば、アナタの傷はふさがるはず・・・』

『私の中ではあんたへの拒絶も強いんだけど!』

『それは今は忘れて。ネルフLUNAを守る。それだけを考えて。わたしとアナタはもともと一つ。それなら、わたし達のATフィールドも一つにできるはず』

『・・・・・・・・・・・・』

 

 カトルが黙り込む。トロワの案への好悪は別として、それが戦場における最善策だろうと、無理矢理にでも自分を納得させるために。

 

『・・・わかったわよ』

『ありがとう』

 

 短いやり取りの後、カトルもトロワ同様に目を瞑った。同じ綾波シリーズとして生み出され、しかし個別の魂を手に入れた者同士。それが再び、異なる心を一つに重ねようとしている。

 ATフィールドの傷口に当てられていた『天使の鱗』が、クリスタルとして張っていたATフィールドをドロリと溶かす。それはみるみるうちにカトルの心の傷を塞いでいき──

 

『・・・うそ』

 

 カトルの驚きと共に、まるで瘡蓋(かさぶた)のように傷口を癒した。

 

『ふう・・・』

 

 トロワは小さく一息つくと、機体ごとネルフLUNAに振り返った。

 

『カトル。痛みは、ある?』

 

『え?あ、いや、無い・・・けど・・・』

 

『そう。よかった』

 

 トロワの慈愛の籠った微笑みが、カトルの乗る0・0'エヴァのウィンドウに表示される。それがなんだか気恥ずかしくて、カトルは思わず目を逸らした。

 

『・・・ふん。さっさと行けば?小さな私が大変な事になってるんじゃない?』

 

 その口調は不貞腐れた幼子のようで、トロワは思わず笑ってしまう。不意を突かれてカァッと顔を赤くさせたカトルが、姉気取りのトロワを追い払うように叫んだ。

 

『さっさと行け!このバカ姉ッ!!』

 

「そうね。トロワ、悪いけどシスの援護をお願い。アレゴリックユニットの充電は?」

 

 二人の綾波レイの会話に入り込んだミサトが次なる指示を告げると共に、オペレーターである日向に機体状況を確認する。

 

「まだ完了していません!アレゴリックユニットの起動にはもう少し充電が必要です!」

 

「ちぃっ!やっぱりね。しょうがない、シス!もうしばらく・・・」

 

『大丈夫、葛城総司令』

 

 シスに指示を出そうとするミサトを、トロワが遮って止めた。

 

『試したいことがあるの』

 

 そう言うと、トロワは0・0エヴァ改の進行方向に向けて『天使の鱗』を二列に並べた。左右に五個ずつ。交互に間隔をあけてクリスタルが並ぶ様は、まるで何かの発射台のようで──、

 

『ふっ!』

 

 トロワが0・0エヴァ改の足元にATフィールドを発生させる。その斥力が0・0エヴァ改を勢いよく弾き出した。

 

「トロワ!?」

 

 ミサトの驚愕の声は、全神経を集中させたトロワには届かない。0・0エヴァ改は一番近い『天使の鱗』へと一直線に飛んでいく。

 機体がATフィールドに激突するかと思われたその瞬間、0・0エヴァ改は『天使の鱗』を強く踏み付けた。新たに発生した斥力が0・0エヴァ改を次のクリスタルへと弾き飛ばし──、

 

『はぁッ!』

 

 『天使の鱗』を次々と飛び移り、まるで先程までのメタトロンのような稲妻の軌道で、0・0エヴァ改は宇宙を駆け抜けた。

 

「ヨシツネかよ・・・!」

 

 オペレーターの青葉が呆気にとられながら呟いた比喩は、まさしくと言っていいほどにトロワの動きを表現していた。

 日本の歴史に燦然と輝く武将、源義経(みなもとのよしつね)。彼の奥義として知られる伝説の『八艘飛び』。『天使の鱗』を船に見立て、星の海を飛び回ったトロワは、まさしく源義経の奥義の体現者であった。

 最後のクリスタルを勢いよく踏み付けて飛び出したトロワは、ネルフLUNAの防衛ラインの最前線、カトルのATフィールドへと矢の如き鋭さで突っ込んでいく。

 先ほどのメタトロンとの戦闘時、0・0エヴァ改はカトルのATフィールドに拒絶され何度も弾き飛ばされたが──、

 

『ありがとう』

 

『どーいたしまして』

 

 今度は拒絶される事もなく、0・0エヴァ改はするりと壁を抜けた。

 

『ふぅぅうううう・・・・・!』

 

 0・0エヴァ改が左腕を、遥か後方に置いてきた『天使の鱗』に向かって思い切り伸ばす。左手に装着された八角柱に莫大な電力が集中し、バチバチバチッと火花をあげる。勢いをつけて前に進もうとするエヴァ本体の推進力と、超負荷をかけつつも『天使の鱗』を引き戻さんとする電磁力がちょうど釣り合った。

 宙空で急停止した0・0エヴァ改が全身を弓なりに仰け反らせ、左腕の生体部品がビキビキッと嫌な音を立て始める。限界まで引き延ばされた全身の筋肉が元に戻ろうとする様は、狩人が引き絞る弓矢の如く。

 

『うぅああああああああああああッ!!』

 

 トロワの咆哮と共に、0・0エヴァ改が無理矢理に左腕を突き出した。

 

 電磁力の弦から放たれるのはエヴァンゲリオンという弓にあてがわれた10本の矢。しかしその矢は、矢と呼ぶにはあまりに巨大なATフィールドのクリスタル。それは最早、陽電子砲と同レベルであるはずの『天使の背骨』を遥かに超える威力を備えた、絶対領域の砲弾だった。

 

 赤い10本の閃光は、押し寄せてきた敵軍を紙クズのように千切り飛ばし、それでもなお止まる事なく突き進む。俯瞰(ふかん)した視点から見ればそれは、巨大な黒い影となった対ネルフLUNA連合艦隊を引き裂いていく、巨獣の爪痕そのものであった。

 

 司令室から歓声が上がった。

 

『トロワ、すっごーいッ!!』

 

 そばで見ていたシスも両手を上げて賞賛する。攻撃を受けた敵軍はその威力に怯えたのか、攻勢を一転させ距離を置き、中には逃げ出す者まで出始めていた。

 

『・・・・・・・・・・・・』

 

 敵の様子を静かに見守る綾波レイ・トロワ。

 

『葛城総司令・・・』

 

「なによぉトロワッ!スッゴイじゃない!こんな必殺技、いつの間に編み出したのよ!?」

 

 トロワの放った攻撃は、ミサトの言う通り必殺技と呼んで差し支えないだろう。ネルフLUNAのガンマ線レーザー砲、それを上回るかもしれない破壊力に、ミサトも興奮を隠せないでいた。

 ガンマ線レーザー砲と違い、カトルの『天使の鱗』の消費電力は微々たるものだ。チャージの時間も必要ない。敵軍の放つ陽電子砲も、発射体制を整えている間に後出しで打ち砕く事も可能だろう。新たな戦術がこの土壇場で生み出されたことに勝機を見出したミサトだったが、

 

『ごめんなさい・・・。やりすぎたわ・・・』

 

「へ?」

 

『左腕、うごかないの。たぶん、筋組織が断裂してる・・・。『天使の鱗』も射程範囲を飛び出してしまって、呼び戻せないわ・・・』

 

「・・・・・・Oh」

 

 最高潮まで登ったテンションは一気に急降下。思わず英語で返してしまうミサトではあったが、トロワの攻撃がもたらした効果は大きい。敵艦隊は次のトロワの攻撃を恐れて防衛陣形を取り始めている。トロワが生み出したこの隙は、ネルフLUNAにとっては貴重な時間なのだ。

 もっとも0・0エヴァ改の今の武装という点においては、ほぼ丸腰の状態と言っていいだろう。手持ちのガンマ線レーザー砲は破壊されて、予備として携帯していたパレットライフルも効果を発揮できず、トロワに残された手段は再充電したアレゴリックユニットによる撹乱とATフィールドによる防衛くらいしかない。

 作戦司令室で次なる戦略の議論が熱く交わされる中、トロワの思考は逆に冷たくなっていった。

 

(この、技術。まだ何かできる気がする・・・。)

 

 トロワの感じたソレは、確信に近い。その確信は既に、敵であるリアム・アンダーソンが(もたら)した情報が補強してくれている。

 

(わたし達が使うATフィールド技術。これは・・・)

 

 トロワが広大な宇宙を見回した。

 

この場所に来るときのため(・・・・・・・・・・・・)、だったのかもしれない・・・)

 

 エヴァンゲリオンとはなんなのか。

 アダムや、リリスとはなんなのか。

 なぜ、彼らはこの星に来たのか。

 

 トロワの胸のうち、そこに微かに宿るリリスの魂が、震えているのがわかる。

 

 『嬉しさ』で。

 

(なつかしい・・・?わたし、ここに来たことを懐かしんでる?)

 

 トロワの思考の答えは得られない。リリスの魂の震えは一瞬のものであった。

 

 

 ◇

 

 

 ネルフLUNA司令室では、ミサトとゲンドウ、そしてリツコやマヤも含めた旧ネルフ古参メンバーが、与えられた時間を使って議論を交わしていた。

 

「『天使の鱗』の補填は可能!?」

「通常であれば、な。現状では用意のしようがない。我々が想定していた消費時間を上回りすぎている。今は予備が無い」

「0・0エヴァ改の生態組織は培養して増やしてあるし、電磁力発生装置も量産は簡単よ。でも補填する手段がないわ。誰かあの戦闘宙域まで無傷で行って、エヴァの武装換装をやれる人、いるかしら?」

「そもそもの問題として、0・0エヴァ改の左腕の損傷が気になります。一度格納庫まで退かせて、再チェックが必要です!」

「そんな余裕はなさそうですよ・・・(やっこ)さん、トロワが何もしてこないんで陣形を元に戻し始めてます」

 

 青葉の報告を受け、ネルフLUNAのメンバーがモニターに振り返る。

 

「日向君、レーザー砲の充填は?」

「完了してます。ですが、このままでは焼け石に水かと・・・」

「まずは牽制でもいいから撃つしかないわね。それと・・・」

 

 ミサトはモニターの端に映る、二本の流星を目で追った。メタトロンと最終号機の戦闘。これが展開されている戦局の二つ目だった。

 

「シンジ君のアレは、一体・・・・・・」

 

 ミサトの問いに答える者はいない。想像もつかないだろう。今のシンジが『アルマロス』の記憶を持つ過去の『碇シンジ』と化学反応を起こし、その存在の境界線が曖昧になっているなど、誰が予想できようか。

 

「わからん。が、メタトロンのあの馬鹿げた機動力を追い詰めてる要因は、アレだな」

 

 ゲンドウが指差す方、二本の流星が絡み合いながら上昇していき、火花を散らす。青黒いアレゴリック翼の光と、赤黒い焔の光が踊る様は幻想的ですらあった。その二条の流星を、細い線のような光が繋いでいる。

 

「アレ、まさか『光の回廊』・・・?」

 

「だろうな。意図してそうしているのかはわからんが、シンジは『光の回廊』で最終号機とメタトロンを繋いでいる。あの二機の距離はシンジによって『理解の及ぶもの』として落とし込められているハズだ。実質的な距離はほぼゼロ。逃げられるはずがない」

 

「そうやって考えると、むしろそんな状態で戦闘を継続している敵AEの方がバケモノに思えてくるわね・・・」

 

「ああ。奴は間違いなく敵連合艦隊の最高戦力、エースだ。最終号機がそれを単機で抑えているのは、我々にとっては理想的展開と言っていいだろう」

 

「でも、これじゃあジリ貧ですよ・・・!」

 

 マヤの指摘は間違っていない。敵の最高戦力を抑えようが、総合戦力は抑えられない。トロワの奮闘で一時的な休戦状態を得る事はできたが、やはりネルフLUNA側の戦力が少なすぎる。

 

(まだなの・・・アスカ!)

 

 それを逆転させる葛城ミサト渾身の奇策。絶望的な戦力差を覆す奇跡の戦術。その準備が整わない事に焦りを感じていたミサトの耳に、待ち望んでいた声が届いた。

 

《お待たせッ!思ったより手間取った!》

 

 待ち焦がれた第三の展開。ミサトがコンソールに飛びついた。

 

「待ってたわよォ!アスカ!!」

 

《ちょっ!?いきなり大声出さないでよ!耳が痛いじゃない!》

 

「こっちはまだかまだかとヤキモキしてたのよ!で、どうなの!?行けそう!?」

 

《いけると思うわよ?想像してたよりデカかったけどね!》

 

「完璧よ!よくやったわ、アスカ!」

 

 興奮を抑えきれず、ガッツポーズを取るミサト。それに冷静に水を差すのは彼女の親友(マブダチ)

 

「でも肝心のシンジ君がアレじゃどうしようもないんじゃない?」

 

「あ・・・・・・」

 

《あん?なに?あのバカ、またなんかやらかしてんの?》

 

「えっと・・・」

 

 なんと説明すれば良いのか。作戦の準備は整ったものの、その最後の引き金を引く役割を背負ったシンジは、半ば暴走に近い状態で暴れ回っている。見た事もない焔を纏っている状態を、アスカになんと伝えればいい?

 

 ミサトが迷っている間に、リツコがおもむろにコンソールに近づいて端末を操作した。

 

「案ずるより産むが易し。アスカ、今からシンジ君の映像を送るわ。まずは見てちょうだい」

 

《・・・覚悟しておいた方が良さそうね》

 

「それは貴女次第よ」

 

 リツコがモニターに映る流星の輪舞(ロンド)をアスカに転送した。

 

 一瞬の間。それを見たアスカは──、

 

 

 

 

 

《なぁんだ。いつも通りじゃない》

 

 

 

 

 

 ふぅっと、安堵の息を漏らした。

 

「へ?」

 

《どんだけヤバい状況になってんのかと思ったら。いつものヘマをやらかしてるバカシンジね。何がどうなって最終号機が燃えてんのかはよくワカンナイけど、アタシからしてみればフツーよ、フツー》

 

「やはり妻は強し、といったところかしら」

 

 アスカの反応に呆気に取られたミサトに対し、リツコは口元に手を当ててふふふっと笑う。

 

「それで、奥様?貴女の旦那様を元に戻す事は可能かしら?」

 

《ん〜〜。アタシじゃ無理ね。直感だけど》

 

「あら、そう?じゃあ、どうやれば戻せるのかしら?」

 

《あ、それは簡単。誰かミライを連れてきてくれない?》

 

「ミライちゃんを?」

 

「ソイツはちょうど良かった。ちょうど対処に困ってたところだ」

 

 リツコとアスカの会話に突如として加わった男性の声。司令室の扉をくぐり、入室してきたのは加持リョウジ。それと、その腕に抱かれてグズっていたミライだった。

 

「加持くん!?なんでミライちゃん連れてきてんの!?」

 

「いや何。さっきネルフLUNAに隕石群がぶつかっただろ?万が一が起きたらヤバいと思ったんで、ミライちゃんの様子を見にいってたんだよ。ただ、あんまりに大泣きするもんでな。困ったんで連れてきた」

 

「アンタねぇ・・・!」

 

 ミサトが呆れて加持に詰め寄る。

 

《加持さん、ナイスよ!そしたらミライにパパの姿を見せてあげてくれる?》

 

「うん?モニター越しでもいいのか?」

 

《十分!ついでにマイクに近付けてくれたらもっとオッケー!》

 

「わかった。悪いが葛城、ちょっと通らせてもらうぞ」

 

「あ!ちょっと・・・!」

 

 ミサトを押し除け、加持がミライを抱いたままモニターに近付き、ついでに通信用のマイクをミライの口元まで持っていく。

 

 ミライはそんな加持には目もくれず、

 

「・・・・・・だーだ?」

 

 駆け抜ける流星のうちの一本を、目をキラキラと輝かせて見つめていた。

 

 

 ◇

 

 

 あり得ない。

 

 あり得ない、あり得ない、あり得ない、あり得ない、あり得ない!

 

 こんな事態は絶対に、あってはならない!

 

 最終号機の猛攻を紙一重で交わしつつ、隙をついて攻撃を仕掛けるリアム・アンダーソンの脳内は、目の前の現実の否定で埋め尽くされていた。

 

恋人(アルフィー)の作ったメタトロン・・・!それと共に強くなった自分・・・!それが、こんなオカルトごときにここまで追い詰められるなど・・・・・・!)

 

 繰り出されるルクレティウスの槍を掻い潜り、

 

『あって、たまるかぁッッ!!』

 

 既に破損した左腕で、最終号機を殴りつける。

 しかし傷が広がったのはメタトロンの左腕のほう。相手の何倍もの巨体で殴り飛ばしているにも関わらず、追い詰められていくのは自分のほう。

 

『こんな、こんな馬鹿なことがあってたまるかッ!』

 

 オカルト。目の前の存在は、そんな言葉でしか言い表しようがない。

 

 リアムは気付いていない。オカルトという単語は、己の無知、または未知を無理やりヒトの言葉に当て嵌めただけのものであるという事を。

 ヒトが、いや、生物がもっとも恐れを抱くのは、いつだって理解不能の存在であるという事を。

 必死に距離を取ろうと逃げ回るメタトロン。自身の限界を超えて、半ば自壊し始めた機体をもってしても逃げ切ることのできない存在。それに抱く恐怖。

 

 リアム・アンダーソンはオカルトを嫌っているのではない。

 

 解らないから(・・・・・・)怖いのだ(・・・・)

 

 それを『嫌いだ』という感情で誤魔化していただけで。

 だからこそ、エヴァンゲリオンなどという意味不明な機体を忌避していたのだ。理解できないものから逃げるための口実として。

 

 リアムにとって、稀代の科学者であるアルフィーは救い主だった。自分の未知に光を照らしてくれる女神。理解不能という闇を払ってくれる聖女。

 それが自身の恋人として存在してくれる事は、彼の人生にとっての最大の幸運で。

 彼女が託してくれたこの機体は、女神が自らに授けて与えた聖剣のようで。

 

 それが、目の前の怪物に折られようとしている。

 

『ふざけるなぁぁアアアアア!!!』

 

 メタトロンの右手が最終号機を握り潰さんと襲いかかる。それを迎え撃つためか、最終号機は右手の『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』を手放した。

 腕四つ。二体の右手同士ががっぷりと組みつき、力比べを始める。

 しかし悲しいかな。機体の大きさだけではどうにもならないほどの力の差が、二機の間には存在していた。

 

『ファアアアアアーーーック!!』

 

 リアムの叫びも虚しく、メタトロンの右腕がミシミシと音を立てて組み伏せられようとした。

 

 その時だった。

 

『だーだっ!だーだ!!』

 

 キャッキャッという赤ん坊の笑い声が、自由通信回線(オープンチャンネル)を通して届けられた。

 

『え、あれ?』

 

 途端、目の前の最終号機から焔が消えて、間抜けな声を上げる。

 リアムはその隙を見逃さず、メタトロンの右腕に渾身の力を込めた。

 

『うわッッ!?』

 

 組み伏せられようとしていたメタトロンが盛り返し、逆に最終号機が組み伏せられていく。

 

『く、くあッ!お前、は!?』

 

『やはり、やはりだ!科学は私の!味方だった!アルフィーは私の女神だったッ!!』

 

 最終号機は右腕に必死に力を込める。上腕の筋肉が盛り上がり、渾身の力が込められていることが端から見てもわかる。しかしそれでも、目の前の巨人の力を上回ることができない。

 

『こ、これ!どうなってるの!?』

 

『お前の負けだ、チルドレン!エヴァンゲリオンは全てこの場で、廃棄するッッ!!』

 

 メタトロンの右腕のガンマ線レーザー砲が光を放ち始める。

 

 状況を飲み込めず混乱するシンジ。

 

 その耳に届く、最も愛おしい女性の声。

 

《逃げろ!バカシンジっ!!》

 

『アスカ!?』

 

 瞬間、シンジは条件反射のように左手のルクレティウスの槍をメタトロンの右腕に突き立てていた。突き立てられたガンマ線レーザー砲がバチバチと嫌な火花を立てはじめる。

 

 爆発する。そう直感したシンジは瞬時にルクレティウスの槍を消すと、掴まれていた右腕を振り解きメタトロンから距離を取った。メタトロンの右腕が暴発する。

 

『うおおッ!?』

 

『あっぶな!』

 

 爆発に仰反(のけぞ)るメタトロン。それに巻き込まれないようにシンジは更に距離を取り、瞬時に周囲の状況を確認した。

 

(え!いつの間にこんなところにまで!?)

 

 最終号機の背後には新生の月が、真正面の遥か遠くにはネルフLUNAが見える。

 

 混乱するシンジの元に次に届いたのは、最も信頼する女性の声。

 

『シンちゃん!?聞こえる!?戻った!?』

 

『え!ミサトさん!?ごめんなさい、状況がよく・・・』

 

『説明はあと!持ち場について!作戦名「月の代行者」、最終フェーズいくわよッ!!』

 

『えっ!?それって、アスカがやったってことですか!?』

 

《いいからサッサと持ち場につけ、バカシンジ!!》

 

『り、了解ッ!』

 

 愛妻に尻を叩かれ、シンジは慌てて持ち場へと移動を開始する。しかしそれを逃さず、瞬時に追ってくる宇宙の闇を体現したUSAのAE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)

 

『逃がさん!決してッ!!』

 

『は、速い・・・ッ!?』

 

 両腕を失い、最終号機の猛攻に全身を傷付けられながらも、決して衰えぬ戦意でもって猛追してくるメタトロン。アレゴリック翼の出力を最大にして逃げるシンジであったが、青黒い稲妻は最終号機に瞬時に追いつくと、その背中に渾身の蹴りを見舞った。最終号機はなす術もなく吹き飛ばされていく。

 

『ぐあッッ!!』

 

『逃がさん!貴様らは、ネルフLUNAは、エヴァンゲリオンは!このリアム・アンダーソンが一つ残らず殲滅してやるッ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いいわよ、シンちゃん。そこよ。その位置がものすごくイイ・・・!』

 

 

 

 

 

 ミサトの声に従い、シンジは最終号機の勢いを無理やり殺して静止した。最終号機が位置するのはネルフLUNAの直上。眼前にはカトルの張ったATフィールド。その最前線でトロワ機とシス機が、敵軍の猛攻を必死で防いでいる。

 

『シンジ!やっと帰ってきたぁーっ!』

『碇くん・・・!』

『ごめん二人とも!ただいま・・・?』

 

 状況を飲み込めていないシンジが間抜けな返答を二人に返す。

 

《シンジッ!持ち場に着いたならさっさと槍を出せッッ!!》

 

『ご、ごめんッ!!』

 

 シンジが両腕に力を込めて、ルクレティウスの槍を再度創り出す。それを見たリアムは咄嗟に行動に移った。

 

『馬鹿が!葛城ミサト!視野の狭いキサマのような戦争のシロートがどれだけ頭を捻ろうとも、この戦況を覆すことは決して無い!』

 

 メタトロンが再びエヴァンゲリオン最終号機に猛スピードで迫る。恐らく葛城ミサトの秘策とやらのキーポイント、最終号機を潰す為に。

 

 その操縦席に、ポーン、と軽い音が響いた。

 

『リアム・アンダーソン、といったか?貴様は一つ勘違いをしている・・・』

 

『その声、碇ゲンドウか・・・ッ!』

 

『我々ネルフが葛城ミサトに作戦課長として求めたのは、戦争における視野の広さではない。未知を未知のまま未知として扱い、未知の敵である使徒を殲滅するための作戦を立てる発想力・・・・・・』

 

 ネルフLUNAの作戦司令室で、ゲンドウがサングラスの位置を直しながら不敵に笑う。

 

『つまり、馬鹿馬鹿しさ(・・・・・・)、だ』

 

『言いたいことはいっぱいあるけど、とりあえず後で碇副司令代理は1発殴る!シンちゃんッ!』

 

『はいッ!!』

 

 ルクレティウスの槍から『光の回廊』がギュンッと伸びる。最終号機の後方に向かって。

 

『うおッ!?』

 

背後まで迫っていたメタトロンを急に襲った不意の攻撃。メタトロンはそれを間一髪のところで躱した。

 

『馬鹿め!外したぞ!』

 

『誰もお前なんか狙ってない』

 

 勝ち誇るリアムに冷徹に切り返すシンジ。『光の回廊』はメタトロンを通り過ぎ、月面に向かって光の速さでグングンと伸びていく。

 

 その『回廊』の終着点は月面に走る巨大な亀裂。その横で腰に手を当てて(たたず)むのはアスカエヴァ統合体。

 

《結構デカいわよ?いける?》

『大丈夫、僕と最終号機なら・・・・・・!』

 

 『光の回廊』が月面に突き刺さる。

 

『うおおオオアアアアアアアア・・・ッ!!』

 

 気合いと共に、シンジがルクレティウスの槍を思い切り引っ張った。

 

 

 

 二年前。それは加持リョウジによって葛城ミサトに報告されていた。

 月面に、観測されていなかった新しい亀裂が見つかった、と。

 しかしその亀裂は、ネルフLUNAの建造を最優先事項に回され、この二年間ずぅっと放置されていたものだった。

 

 

 

 それを、この戦争の直前にミサトは思い出したのだ。

 

《オーダー通りよ。くり抜いておいたわ(・・・・・・・・・)。ミサト》

 

『サイッコーよ!アスカ!!』

 

 突き刺さった『光の回廊』が銛のように、くり抜かれた月面を引き剥がしていく。それは直径にして約4km弱。地球にそのまま衝突すれば、体積を半分にまで落とした今の地球上の全生物を絶滅に追いやるだろう巨大な隕石。

 

 それを、エヴァンゲリオン最終号機は渾身の力でもって引き剥がす。剥がれた月面が向かう先は、対ネルフLUNA連合軍艦隊。そして、その向こうにある母なる大地、地球。

 

『馬鹿なッ!!正気かッ!?』

 

『悪いけど、私が期待されてんのってこういうところなのよねッッ!!』

 

 巨大な隕石を目にし、連合軍艦隊が攻撃から逃れようと編隊などお構いなしにバラバラに動き始める。

 

『やめろ!このクソガキがッ!』

 

 目の前の最終号機を止めるため、リアムがメタトロンの足を振り上げる。

 その頭を、侵食型ATフィールド弾が撃ち抜いた。

 

『なんだとォォオオオオオオ!!?』

 

 リアムの視界が暗闇に包まれる。シスの『天使の背骨』が長距離のメタトロンのメインカメラを撃ち抜いたのだ。

 

『ワタシ、こーいうのもできるんだよ!』

 

『いいわよシス!トロワはカトルのATフィールド内に!カトル、ATフィールドの出力を最大にして!』

 

『これで終わるんでしょーね!?』

 

『終わらせるわよ!トロワもATフィールド内に避難して!シス、準備はいい!?』

 

『オッケーだよ!』

 

『よっしゃあ!行くわよォッ!!!』

 

 巨大な隕石が、最終号機によって連合軍艦隊に向けて投げ飛ばされた。アスカエヴァ統合体が高速で巨大隕石に追い縋る。

 

『完璧なタイミングぅ!シス!アスカ!』

 

『《了解ッ!!》』

 

 

 

 

 

『月に代わってぇ・・・・・・!』

 

『お仕置き♪』

 

《だぁぁアアアアアアアアアアアッ!!!》

 

 

 

 

 

 アスカエヴァ統合体の渾身の蹴りが、巨大隕石を蹴り砕いた。

 

 砕かれた隕石は無数の流星群となって対ネルフLUNA連合軍艦隊に降り注ぐ。その隙間を縫うようにシスの『天使の背骨』が火を吹く。

 

 敵対した者の生存を許さない、決して逃れられぬ天からの災厄の如き攻撃を前に、対ネルフLUNA連合軍は宇宙の塵となって消えていった。

 

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 ガチャン、と。

 

 ネルフUSAの代表者であるマキシマス大佐は、電話を切った。

 

「大佐・・・・・・?」

 

 ネルフUSAの一室。マキシマス大佐は自身の執務室で、戦争の詳細報告を受けていた。その背後に控えていた小柄で小太りの女性が、不安そうに恐る恐る近づく。

 

「彼らは、なんと・・・・・・?」

 

「・・・・・・・・・・・・全滅だ」

 

 振り絞るようなマキシマス大佐の返答。それを聞いたオルタナティブ・エヴァンゲリオンの生みの親、人類の歴史に名を残すであろう稀代の天才科学者アルフィーの顔は歪んだ。

 

「な、なに言ってるんですか・・・・・・?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 アルフィーの問いに対し、マキシマスは沈黙を選択した。

 

「ウソ・・・・・・、ウソ、ですよね?大佐?」

 

 藁にも縋る思いで、アルフィーはマキシマスの服の裾を掴む。

 

「リアムが死んだなんて、嘘ですよねェ!?」

 

 アルフィーの悲痛な叫び。それに応える術を、ネルフUSAの代表者であるマキシマスは持っていなかった。

 

「いや・・・・・・、いやアアアアアアアアアア!!!」

 

 アルフィーの慟哭が、マキシマス大佐の執務室を揺らした。

 

 ネルフUSAの代表者であるマキシマス大佐の胸中には複雑な思いが渦巻いていた。

 

 自分の判断に間違いは無かったはずだ。

 

 ネルフJPNの葛城ミサトは、歴史に名を残すような軍略家ではなかったはずだ。

 

 その判断に疑問の付けようなどあるはずもない。その判断に従ったはずの自分の部下であり、得難い友人でもあったリアム・アンダーソンが死ぬはずは無いと、確信を持っていたはずだ。

 

 なのに、結果は全滅・・・。

 

「くそぉッッ!!」

 

 マキシマス大佐の拳が目の前の机に叩き込まれた。

 

 対ネルフLUNA連合軍艦隊。それに投入したUSAのAEの数は全戦力の約七割。マキシマス大佐はこの戦争で確実にネルフLUNAを潰すために、本来では決して上層部に通らないだろう申請を無理やり通したのだ。

 

 しかし蓋を開けてみれば、投入する戦力を絞っていればと後悔を覚えるような大損失。マキシマス自身の未来は閉ざされたに等しい。

 

 いや、マキシマス自身は自分の進退など、どうでも良かった。愛する母国のため、ただ、ネルフLUNAという存在を消し去れれば、それだけで良かったはずなのに・・・。

 

 あまりの悔しさと悲しさに、マキシマスの目尻に、軍人にあるまじき涙が浮かぶ。

 

 そんな彼の心情など一切察すること無く、執務室の電話が再び鳴った。

 

 悲痛な面持ちで受話器を取るマキシマス。それを耳に当てた彼の顔が、悲痛から憤怒へと変わる。

 

 

 

「相田、ケンスケぇぇえええ・・・・・・ッ!!」

 

 

 ◇

 

 

「あん?なんや。ケンスケのヤツ、帰ってきてないんか?」

 

 ディジョン=ロングヴィック空軍基地。フランス空軍基地の中でも95年以上の歴史を持つ、最古の空軍基地である。そこに、日本から帰還したネルフユーロの輸送機が降り立った。

 輸送機から車椅子に乗った鈴原トウジが、妻であるヒカリに車椅子を押してもらいながら降りてくる。トウジの左腕と左脚は今まで装着していたサイバネティクスの義手、義足ではなく、痩せ細ってはいるが生身の人間の手足になっていた。

 ケンスケの乗るオルタナティブ・エヴァンゲリオン。その右腕へトウジに寄生していた第13の使徒バルディエルを移植した事で、トウジは今までできなかった人工培養の手脚の移植手術を受ける事ができたのだ。

 生身の身体を取り戻した嬉しさが半分、リハビリを受けなければ日々の生活もままならないという億劫さが半分。

 そんなトウジを、妻のヒカリが献身的にサポートする。日本男児として妻に迷惑をかけたくないトウジであったが、新しい二人の生活が夫婦の絆をより強くしたのは言うまでもないだろう。

 

「変ね。日本を出る時には相田くんの輸送機も一緒だったはずだけど・・・・・・」

 

 トウジの指摘に、ヒカリも不思議そうに首を傾げた。

 

 何か、嫌な予感がする。二人が同時に、共通の思いを胸に抱いた時だった。

 

Bonsoir(おかえり)!久しぶりの日本は楽しめたかイ?」

 

「・・・あんさんの顔は、もちっと落ち着いてから見たかったわ」

 

 ネルフユーロ代表、ジル副司令が二人を笑顔で迎えた。その胡散臭すぎる笑顔に、トウジとヒカリの表情が陰る。

 

「そんなつれないこと言わないでよォ!僕だってキミたちに会うためにガンバッて時間作ったんだからサァ!お腹すいてない?夕ご飯まだデショ?」

 

「なんやねん、さっきから気色わる・・・。いやに上機嫌やんけ」

 

「そりゃあモチロン!全て僕の思い描いていた通りに事態は動いているからねェ!夕飯の一つでもご馳走したくはなるさァ」

 

「・・・ジル副司令。相田くんはどこですか?」

 

 意味深なジルのセリフにヒカリが反応する。「事態が思い通りに動いている」。その言葉の裏に、この場にいないケンスケが関わっているだろう事は容易に予想できる。

 

 そのヒカリの問いを無視しつつ、ジルはおもむろに二人に近付いた。

 

「そうそう!忘れてたよ。ケンスケからプレゼントを預かってたんだ。キミたち二人に、だってサ!」

 

 言うが早いか、ジルは目にも止まらぬ速さで二人の首元に何かを取り付けた。あまりにも一瞬の出来事に、車椅子のトウジはもちろんのこと、ヒカリですら反応ができなかった。

 

「きゃっ!」

「ちょっ、なんやねんコレ!」

 

「ネルフJPNの開発したバ・ク・ダ・ン♪『DSSチョーカー』っていうらしいよ、ソレ」

 

「なんやとォ!!?」

 

 咄嗟に二人は首元の爆弾に手を伸ばした。しかし皮膚にピッタリとくっついたソレは、指をかけるどころか爪を隙間に入れることもできない。

 

「あ〜ムリムリ。それ、ほとんど処刑用らしいから。死刑囚とかを無理やり使うときに取り付けるらしいよ?」

 

「ふざけないで!なんで私たちが・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって、君たち信用ならないんだもん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジルの顔から笑顔が剥がれ落ちる。およそ感情と呼べるものが一切抜け落ちた、人形のような顔。

 二人はその表情を、何度も目の当たりにしてきた。ジルが「不要」と判断した人間に向ける顔だ。事実、彼の命令でネルフユーロの前副司令をトウジとヒカリが殺害する直前も、ジルは被害者に対して同様の表情を向けていたのを二人はしっかりと覚えている。

 そんな顔が自分たちに向けられている。トウジとヒカリは一気に青褪めた。

 

「ワシらは、命令違反なんかしとらんで・・・?」

 

「そうだね。違反はしてない。でもさァ、君たち最終号機のパイロットと戦場で仲良くお喋りしてたんだって?僕は『殺れるんなら殺せ』って言わなかったっけ?」

 

「殺れるなら、でしょ!?あの時はそんな余裕は・・・」

 

「ウソつくなよ。ケンスケから聞いてるよ?無力化した最終号機に銃口すら向けやしなかったって。ソレどころか、ケンスケに向かって発砲までしたデショ」

 

「あ、あれはそんなつもりじゃ・・・・・・」

 

「どっちでもいいんダ。君たちが何を思っていようが関係ないよ。重要なのは、僕はキミ達をもう信用してないってコト」

 

 ジルがポケットからスティック状の装置を取り出して、二人の目の前で弄り始める。

 

「これ、起爆装置ね。この先っちょのボタンをクリックしてやれば、キミたちの頭と胴体はサヨナラしちゃうから」

 

 そんな危険な装置を、目の前で危なっかしく取り扱うジル。手元が狂って落としてしまいそうなその動作に、不安と恐怖が一気に二人に襲いかかった。

 

「ワシらを殺したら、誰がウルトビーズを動かせんねん・・・」

 

 全身に冷や汗をかきながらも、トウジが必死にジルへと交渉を持ちかける。

 それを、さして興味も無さそうに、ジルは手元のスティックをクルクルと回した。

 

「うん。まぁ代わりがいないかって言われりゃ、一応いるヨ?ただ育てる時間が勿体ないから、まだキミたちは使ってあげる」

 

 そう宣言した後、ジルの顔がぐにゃりと歪んだ。それは目の前の哀れな食用の子羊を、どのように調理したら美味いだろうかと考えるような、(おぞ)ましい笑顔だった。

 

「ただ、もうキミたちが居なくなっても僕は困らないんダ。だからキミたち。しっかりと自分の有用性をアッピールしてね?でないとポチッとやっちゃうから♪」

 

 トウジとヒカリが言葉を失う。

 

 それを見たジルは満足そうに手を叩いた。

 

「そうそう!ケンスケが何処にいるかって質問だけどネ。彼なら日本に戻ったよ」

 

「な、なんやて・・・?」

 

 驚く二人に背を向け、ジルはその場を後にしながらこう呟いた。

 

「僕はちゃあんと、『早い者勝ち』って言ったもんネ〜・・・・・・」

 

 

 ◇

 

 

『ハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』

 

 国会議事堂が、巨人の足に踏み潰される。

 

 巨人の周りには戦車が、戦闘機が、そして戦略自衛隊の四式統合機兵『あかしま』が、至る所で煙と炎を吐いて横たわっている。その周りには当然、その兵器を取り扱っていたはずの戦自隊員の死体も。

 

『やっぱ、たいしたコトないなぁ!戦略自衛隊なんかじゃ、今の俺は止められないっての!!』

 

 ケンスケの乗るオルタナティブ・エヴァンゲリオン。闇夜を照らす炎によって浮き彫りになったソレこそが、国会議事堂を踏み潰した巨人の正体だった。

 しかしその見た目は、既存のAEとはかけ離れた姿をしていた。ボロ布を肩からマントの様にかけ、その全身を窺い知ることは難しいが、最も異様なのはその顔。

 

 機械であるはずのその顔が、大口を開けて笑っている。口の中には人間の歯が並んでおり、舌まで見える。メインカメラとしての機能しかないはずの双眸は、人間と同じ瞳を持ち、怪しげにギラギラと輝いている。その双眸の上、額の真ん中には第三の瞳があり、辺りをギョロギョロと不気味に見回していた。

 

 人類の科学だけで作られた、100%機械の人型兵器。それがAEだ。こんな設計などされてはいないし、作れるわけがない。その半ば生物のような見た目はまるで──、

 

『戦自のみなさん、どうよ!?俺が創り出した『エヴァンゲリオン・シェムハザ』は!?カッコい〜だろ〜!?』

 

 答えなど返ってくるはずのない死体の山に向かって、相田ケンスケは自慢の機体を見せびらかすように両手を広げて笑っていた。

 

『碇ィ!見ているか!?アスカも見てくれるよな!?綾波シリーズに、トウジに、委員長!それとネルフLUNAのみんなぁ!』

 

 ケンスケは遥か上空に浮かぶ月を見上げながら嬉しそうに叫ぶ。

 

『俺がぜぇんぶ、なんとかしてやるよ!お前たちに危害なんか加えさせない!世界を救って、俺がみんなを守ってやるからなァ!!』

 

 狂ったようなケンスケの高笑いと共に、東京が炎の海に飲まれていく。

 

 2020年12月3日の夜。

 

 日本という国はこの日、相田ケンスケというたった一人の人間の手によって、歴史上から姿を消した。

 

 

 

 

つづく



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m.流星と共にウマレた者

 

 吐いた息が、まだ白く残る寒い朝方。

 

 相田ケンスケは自宅近くの小高い山の頂きにある、角材で作られた簡素な墓標の前に花を供えて、静かに手を合わせていた。

 

 自宅、といったが、それは相田ケンスケの実家を指す言葉ではない。すでに使われなくなっていた山の中の無人駅。それをケンスケなりに改造したセルフビルドの家の事だ。

 

 14年前に、世界を襲ったニアサードインパクト。それが世界に残した爪痕は大きく、人類は少ない生存圏で日々を必死に生きていく生活を強いられていた。

 

 そこに争いはない。少なくとも、ヒト同士の争いは。

 

 皆が皆、手を取り合い、食糧を分かち合いながら懸命に生きるような、文明の利器のほとんどが使えない世界。それでも苦しみを分かち合い、人々が助け合う姿は、ケンスケにとって理想的な世界と言っても過言ではなかった。

 

 ・・・いや、もしかしたら、行き詰まっていた人類全体にとっても、これはある種の理想的な世界の一つだったのかもしれない。

 

「ありがとう。朝から付き合ってくれて」

 

 黙祷を終えたケンスケが、顔を上げ、自分の後ろで同じように手を合わせる二人に礼を述べた。墓標を見つめる彼の目には、この墓の主を悼む心が宿っていた。

 

 しかし、その瞳に悲壮感は感じられない。生命の終わり。それをあるがままに受け止めて、消化し、生命を次に繋げていこうとする強い決意の籠った『力』のある瞳であった。

 

 相田ケンスケという人物に武勇はない。知略もない。彼という『登場人物』にそういった役割は当てはめられていない。

 

 だから、これはイレギュラー。

 

 かの人物が放つ輝きは、こうした自然の中で生きることで初めて垣間見える輝き。人々が忘れかけていた、雄大で、無慈悲な自然の中で生きていくこと。与えられた日々の生活、その一瞬一瞬を懸命に生きること。その中でこそ、光る才能であった。

 

「ニアサードインパクトを生き延びた親父が、まさか事故でアッサリ死ぬとは、その時はまるで思わなかったな・・・。こんな事ならちゃんと話をして、酒を飲んで、愚痴の一つも聞いときゃよかったよ・・・」

 

 彼の言葉とは裏腹に、彼自身に後悔というほどの感情はない。ただ自分が経験した、辛い出来事という前例。「こういった事もある」という前例を、自分の友人に伝えたかっただけだ。

 

 ケンスケが後ろの二人に振り返る。

 

 式波・アスカ・ラングレー。

 

 そして、碇シンジ。

 

 その二人に向けて、自分の前例を「教訓」として、ただ、自分の感じたありのままを伝えたかった。

 

「碇。お前の親父は生きてるんだろ?無駄と思っても、一度は会って、ちゃんと話せよ。後悔するぞ」

 

 自分の得た教訓。その苦しみを、友人に味わって欲しくないという彼の優しさ。それゆえに、彼はシンジに向かって毅然と、厳しい口調で言った。

 

「そんなのコイツには重いわよ。あの碇ゲンドウじゃ・・・」

 

 シンジの横で、式波・アスカ・ラングレーが吐き捨てるように言った。それはきっと、隣にいる男の子を(おもんばか)った言葉。「逃げてもいい」と、暗に示した言葉だとケンスケは感じた。

 

 彼らの関係を、うらやましく思う自分がいる。14年という歳月を離れ離れになっていた二人が、それでもなお理解し合うために歩み寄ろうとした言葉なのだとケンスケは感じていた。

 

 その関係を眩しいと思うが、妬むような気持ちはない。そんな段階はとうの昔に過ぎ去ってしまった。幼い頃に憧れたアスカという少女の時間は、心も体も、14年前から変化を見せていない。自分への呼び方が少し身近に感じる愛称になったのは、ケンスケへの数少ない報酬なのだろう。

 

 親愛、という言葉に近いのかもしれない。アスカという少女の幸せを望むからこそ、ケンスケはアスカの中にあった境界線を踏み越える事は決してなかった。もしかしたら、彼女は自分を受け入れてくれたかもしれない。だけどそんな、ある意味で少女の弱みにつけ込むような、そんな真似だけはしたくなかった。

 

 それは碇シンジの友人として。

 

 そして、式波・アスカ・ラングレーの友人として。

 

 だから、彼はついぞ彼女の事を『式波』と呼んでいたのだ。

 

 その少女の隣に立つ少年。絶望からようやっと立ち直り、人生の幸福の針をマイナスからゼロにまで自力で戻した少年。彼が更にもう一歩進むため、ケンスケは強い気持ちを込めた言葉を彼に贈る。

 

「しかし、親子だ。縁は残る」

 

 ケンスケに残された縁。決して取り戻せない時間の彼方に去ってしまったソレを、シンジならばまだ手繰り寄せる事ができる。

 

 それが為されるのかは、シンジ次第。自分というキャラクターが彼に贈れる、数少ないアドバイス。

 

 だからケンスケは、シンジの心に傷を残すように、刻みつけるように、彼に言葉を贈ったのだった。

 

 

 

───

 

 

 

「かぁっこいいなぁ!『相田ケンスケ』!いや、『ケンケン』てかぁ?」

 

 

 

 2020年12月3日。時刻は18時28分。

 

 かつての長野県松本市にある第2新東京市。そこに設立されたネルフユーロ軍の簡易格納庫の中に、相田ケンスケの姿はあった。

 

「俺も、『お前』みたいになりたかったよ。『お前』はある意味で俺の理想の男だ。もう、なんだ?カッコいい!いい奴!!そんな言葉しか出てこねぇ・・・・・・」

 

 薄暗い格納庫の奥。ケンスケは、そこに鎮座していた自分専用のオルタナティブ・エヴァンゲリオンの前に一人、物憂げな顔で立っていた。

 

 彼の瞳は濁りきっており、その中には、過去の世界の『相田ケンスケ』のような輝きはない。自分の強さも弱さも受け止めて、世界の慈悲の無さに打ちのめされて尚、自分の立ち位置をしっかりと見定めた男。そんな男の面影は、この世界の『ケンスケ』にはない。

 

「でも、お前も失敗してんだよなぁ、結局はさ・・・」

 

 ケンスケは、過去の世界の『相田ケンスケ』を嘲笑う。その途端、彼の足首を何者かが掴んだ。

 

「・・・・・・・・・いい加減、鬱陶しいんだよ」

 

 ずるずる、ずるずる、と。

 

 何人もの亡者の手が、ケンスケの足を這い上がってくる。

 

 亡者の顔は、全て同じ。

 

 『相田ケンスケ』だった。

 

「未練たらしいんだよ、負け犬どもが」

 

 自らの脚にしがみつく亡者の群れ。それらは遠い過去にあった『失敗した世界の相田ケンスケ達』だった。

 

 この世界の相田ケンスケ。その体に、不慮の事故とはいえ宿ってしまった『箱舟』の記憶の一部。それが、彼を終わる事のない悪夢へと引き摺り込んでいた。

 

 ネルフの上位機関であるゼーレ。彼らが人類補完計画完遂のため、幾度となく試行錯誤を繰り返した上で創り上げた、全ての生物の生命情報の塊『箱舟』。人類補完計画の失敗と共に、次の世界へと持ち越されるセーブデータ。それは言い換えれば、『全てのバッドエンドを記録したセーブデータ』に他ならない。

 ケンスケの意思など関係ない。『箱舟』に触れようとして消え去った右腕。その傷口からジクジクと徐々に侵食するように、過去の世界の『終末』がケンスケ自身を蝕んでいく。

 自分の経験した事のない記憶。見たこともない風景。それらは実感としてケンスケの魂に刻み込まれ、痛みと恐怖という形でもって、世界の終焉と怨嗟をケンスケに突き付けてきた。70億を超える人類、そして、それ以上に存在した地球上の全生物。彼らの生への執着と、逃げきれず苦しみ悶えて死んでいく全ての感情、感覚が、ケンスケに絶え間なく絶望を訴えかけてくる。

 かつてアルマロスに心身を乗っ取られた洞木ヒカリ。彼女は無意識のうちに大衆を虐殺し、殺した人間の思念を魂に刻みつけられた。それこそ老若男女問わず。生まれたばかりの赤ん坊の断末魔でさえ。

 それを遥かに上回る苦痛、恐怖、絶望。ケンスケの気が狂ってしまえるならどんなに楽だっただろうか。しかし、それらの感情を実感として魂に刻まれつつも、相田ケンスケにはそんな逆境を乗り越えてきた見本(・・)があった。

 

 エヴァンゲリオン初号機と心臓を共有し、肉体を失いながらも世界を救った碇シンジ。

 

 エヴァンゲリオン参号機に取り憑いていた使徒バルディエルに侵食され、それでも生還した鈴原トウジ。

 

 彼らが乗り越えてきた苦しみは、こんなものではないはずだ(・・・・・・・・・・・・)

 

 ケンスケはシンジやトウジに憧れている。故に、彼らの事を英雄視しすぎていた。

 

 ケンスケが受けている苦しみに耐えられるかどうかなんて、シンジ達ですらわからないのに。

 

「俺だったらとりあえずアスカを抱いて、自分のものにしてたのに。もったいねぇな。失敗するくらいなら、自分の思うままにヤればよかったのに」

 

 脚にまとわりついた亡霊どもを足蹴にしつつ、ケンスケは目の前のAEに近付いていく。

 

「結局、お前らが失敗した要因は二つ。どの世界の『俺』もそうだ。一つは単純にエヴァに乗れなかった事。もう一つは、エヴァに乗れても、碇達を守ろうって覚悟が全然足りてない奴らだったからだ」

 

 鎮座したAE。その右腕。

 

 おもむろに近付くケンスケに、AEの中に移植されていた使徒バルディエルがすぐさま反応する。

 ヒトガタだ!新しい贄が来た!と嬉しそうに機械の隙間から触手を伸ばし、もっと近付いてこいと懇願するように手招きをする。

 

「粘菌風情がよ。いっちょ前に体を欲しがるかよ」

 

 ケンスケに宿る『箱舟』の力を呼び覚ますための依代。その役目しかない、その程度しかできないかつての人類の敵、使徒バルディエルをケンスケは笑う。

 

「いいぜ?くれてやるよ、俺の身体。だけど悪いな。勝つのは俺だ。お前は一生、俺に利用され続けろ」

 

 ぐぱあっと。

 

 粘菌がその触手を広げ、一瞬でケンスケを飲み込んだ。

 同時に、AEの右腕からバルディエルの触手が血管のように伸びていき、あっという間にAEの全身を覆っていく。血管が波打つように、脈動するようにドクンドクンと音を立て、機械であるはずのAEに生身の肉体が産まれていく。

 エヴァンゲリオンに相似した機体。ケンスケのオーダー通りに製造されたAEの双眸がカッと見開かれた。それと共に、AEの額が割れて、その割れ目から新たな第三の瞳がギョロリと現れる。

 

『ほぉら。俺の勝ちだ』

 

 使徒に体を侵食されながらも、精神の奪い合いに勝利し、逆に取り込んだケンスケの声が格納庫に響いた。

 

『神の子たちは人の娘の美しいのを見て、自分の好む者を妻に娶った。まさしく俺に相応しいだろ?俺によって堕天された使徒。堕天使たちの筆頭。俺こそが『シェムハザ』だ』

 

 神によって遣わされ、人類を見張るはずだった天使たち。その筆頭の名を、ケンスケは口にした。

 

『戦争が始まっちまった以上、世界を救えるのは俺しかいない。今までの世界は、俺がみんなを救えなかった(・・・・・・・・・・・・)から滅んだんだ。世界を救う報酬として、アスカを娶るのは俺だろう。それから・・・・・・』

 

 ケンスケのAE、いや、第一の使徒アダムから分たれた使徒の肉体を持ち、新たに生まれた『エヴァンゲリオン・シェムハザ』。その手が格納庫に打ち捨てられていたボロ布に伸び、掴んで、マントのように羽織る。

 

『俺が創り出すエグリゴリ(・・・・・)。この星を、神の楽園にしてやるよ』

 

 ケンスケの宣言に応えるように、シェムハザ内部にポーンという軽い音が響いた。通信の相手はネルフユーロの副司令、ジルであった。

 

『いいねェ〜ケンスケ。実にいいよォ?これが君の望んでたコトなんだネ?』

 

『ジル副司令・・・いや、そろそろ司令になられました?』

 

『あのハゲなら僕の目の前で転がってるヨ?写真送ろうか?』

 

『いやぁイイっすよ。汚いものはあんま見たくないし』

 

『そォなんだよねェ!それが困り事でさ、高級カーペットが台無しだヨ!』

 

 ハハハハ!と二人が同時に笑う。

 

『ありがとうございます、ジル司令。貴方のおかげで俺はここまで来れました』

 

『ギブアンドテイク♪最初に言ったじゃナイ!』

 

『そうですよね。じゃあ今から、日本を貴方にプレゼントしますよ』

 

Merci(ありがと)!これで僕の地位は盤石だ。うるさいハエ供も黙らせるコトができるヨ。ついでに欧州が世界の覇権を取り戻すキッカケだ。ハデな花火を上げてネ〜!』

 

『それはもちろん!』

 

 シェムハザが閉じていた口をバキバキと音を立てて開き、その口角を上げた。

 

『楽しみにしてるヨ・・・』

 

 その様子を見たジルは満足そうに通信を切った。

 

『さってと、やるかぁ!』

 

 シェムハザが立ち上がり、大きく伸びをする。格納庫の天井が破壊されようと、ケンスケは意にも介さない。

 

『『箱舟』に触れた男は俺一人。女はアスカ一人。(つが)いとして、これ以上のベストカップルなんてないだろう?俺たちの遺伝子をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて溶け込んでさ・・・二人で気持ちよくなろうぜぇ!』

 

 ケンスケが、シェムハザが、夜空を見上げる。新たなエヴァンゲリオンの誕生を祝福するかのように、夜の帳が下り始めた空を、対ネルフLUNA連合艦隊を葬り去った流星群が彩っていた。

 

 

 

 

 

つづく



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n.誕生日

 

 2020年12月3日。

 

 グリニッジ標準時、14:30。

 日本時間、23:30頃。

 

 人類史上初の宇宙空間戦争を勝利で飾った、ネルフLUNA。その主要格納庫(メインケージ)内では、先ほどまで宇宙港である『喜望峰』を撃ち抜いたデブリによる被害の復旧作業がすすんでいたが、今は電源を落とされてすっかり暗くなり、作業の音も聞こえない。

 

 

 

 本来であれば、作業スタッフは戦闘を終えたエヴァの修理作業で忙しいはずだった。しかしアレだけの激戦を繰り広げていながら、幸いなことにエヴァンゲリオン各機には目立った外傷や損傷は見られず、作業スタッフの予想は良い意味で裏切られたといえるだろう。

 

 最も深刻なダメージを受けた機体は綾波レイ・トロワの乗っていた0・0エヴァ改。彼女が戦闘中に見せた『天使の鱗』を用いた必殺技の反動で、左腕の上腕の筋組織が内部で千切れていたのだ。

 しかし残念ながら、エヴァの生体部品の修理は容易ではなく、できる事は少ない。生体部品の取り外しと培養による回復を試みて、あとは傷が塞がるのを待つしかない。そこまでの作業を終わらせた作業スタッフは、次の作業、兵装の修理に移行しようとした。

 

 兵装として一番の損害を出したのもまた、0・0エヴァ改であった。0・0エヴァ改の左腕に装備されていた『天使の鱗』の鉄色の八角柱、つまり親機が過剰電力により破損していた。また、ATフィールドのクリスタルを発生させる32個の子機も戦闘中に破損、または紛失していた。

 こちらは再生産自体は比較的容易であるものの、予備パーツの生産自体が消耗に対して追いついていないのが現状だ。

 修理ができる人員は足りているが、肝心の部品がないのであれば、現場の作業スタッフにできる事はない。この時点で、ネルフLUNAの作業スタッフたちは手持ち無沙汰になってしまっていた。

 

 そんなところに、鶴の一声が響いた。

 

『作業スタッフ各員へ通達。日本時間の夜の12時きっかりに、居住区総合ホールへ集合。祝勝会やるわよ〜ッ!あと明日はアスカの誕生日!パーティも派手にやるからね!!』

 

 ネルフLUNA総司令官からの天の声。それを聞いたスタッフ一同は歓声を上げ、目にも止まらぬスピードで整理整頓を終わらせて格納庫を後にした。

 

 

 

 暗く、静寂だけが耳を打つ寂しい格納庫には人影が一つ。

 

 碇シンジであった。

 

 シンジは最終号機、ではなく、その横の壁に貼り付ける様にして格納されている、とある兵装をじっと見つめていた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 それはエヴァンゲリオン最終号機のメイン武器であるマゴロックスステージ2。数多(あまた)のオルタナティブ・エヴァンゲリオンを切り裂いた、シンジの愛刀だった。戦闘終了後、宇宙空間に放り捨てられていたものを、アスカが見つけてわざわざ持って帰ってきてくれたのだ。

 

 その見事な刀身(・・・・・)が、暗闇においてもわずかな光を受けて、ギラリと輝いている。

 

(・・・・・・僕の中に残ってる、かすかな感覚)

 

 それはシンジが、『アルマロスになったシンジ』と同調(シンクロ)していたときの感覚。

 

 赤黒い焔に身を包んだ最終号機の中で、シンジが感じていたモノ。

 

天之尾羽張(アメノヲハバリ)・・・」

 

 シンジが呟くように、確かめるように、古代の神剣の名を口にした。

 

(あの炎が、なんだったのかはわからない。けど、あの炎に刀身は確かに飲み込まれたはず・・・。手の中にあったマゴロックスが全く別のモノになったのは、僕自身が一番感じていたことだ)

 

 なのに目の前には、新品同様の武装が見事な調度品のように飾られている。

 

(あの炎は、力は、なんなんだ・・・・・・?)

 

 何一つ、シンジにはわからなかった。自分が手にした力も、その力を振るえた事も、何もかも。

 

 ただ一つ、シンジが確信を持って言えることは──

 

 

 

(僕の中に、僕じゃない何かがいる(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 シンジが自分の右手を何気なく見つめる。

 

 その右手が、その輪郭が、ジジジッと音を立てて乱れた。まるで砂嵐に遮られたように。自分の形を保っていた魂の枠組みが、音を立てて、少しずつ崩れていくように。

 

 

 

 

 

    《お前を選んでやる》

 

 

 

 

 

 シンジの魂に、暗闇に浮かび上がる焔のように、言葉が焼き付けられた。

 

(誰、だ・・・・・・?)

 

 突如響いた声音。忌避感を覚えるような、嫌悪感を覚えるような、声音。

 

 とても聞き慣れているようでいて、しかし、決して認めたくはないと心が叫んでいる。

 

 それは、『碇シンジ』の声音だった。

 

 録音された自分の声を聞けば、きっと同じように感じる事だろう。自分の声を他人が聞けば、きっとこのように聞こえるのだ、と。

 

 自分自身は決してこんな声音では無いと確信を持ちつつも、自分と他人の間にあるフィルターが、ここまで自分の声を捻じ曲げるのだという現実。

 

 その現実が、『自分の声』として、自分の胸の内から、魂から聞こえてくる。

 

 恐れよりもまず先に、拒絶感があった。自分の中に異物が混じった。それを排除したいと願う、圧倒的な拒絶。しかし、決してこの異物を切り離すことはできないだろうという確信もまた、シンジの中にはある。

 

 どうすればいいのか、わからない。

 

 シンジは一人、暗い格納庫の中で佇むしかなかった。

 

 

 

「シンジ?」

 

 

 

 唐突にかけられた声に、シンジの肩がビクリと跳ねた。

 

「・・・・・・アスカ?」

 

 シンジは自身の背後、そこで呆れ顔で立っているであろう女性に振り返る。

 

 振り向いた先には予想通りの最愛の妻の姿。

 

 だがシンジの予想に反して、アスカの表情は曇っていた。

 

「・・・どうしたの?大丈夫?」

 

 自身の夫を心の底から心配した声音。

 

 アスカがほとんど見せることのない表情を見たシンジは、言いようのない不安と、申し訳なさを感じていた。

 

「ごめん、心配かけちゃって。コレ、ありがとう、拾ってきてくれて」

 

 自分でも無理をしているなと自覚しつつも、シンジは無理やりに笑顔を作った。少なくとも、愛しい女性の不安な気持ちを少しでも和らげようと思って。

 

 しかし、アスカの表情は変わらない。ゆっくりと、探るような足取りでアスカはシンジに近付いた。

 

「・・・あはは。ごめん。ちょっと無理やりすぎたよね」

 

「当たり前よ、バカシンジ。アタシをなんだと思ってるわけ?」

 

「僕のことを心から理解してくれる、世界で一番かわいい奥さん」

 

「・・・ふん」

 

 目の前まできたアスカは、シンジの額に手を持ってくると、とても優しく、軽いデコピンをした。アスカなりの気遣いに、今度はシンジも自然に笑う事ができた。

 

「聞いたよ。僕の暴走、アスカが止めてくれたんだって?」

 

「アタシじゃないわ。止めたのはミライ。あとであの子をしっかり抱いてやりなさいよね」

 

「そりゃあ、もちろんだよ」

 

 シンジの視線が、壁にかけられた太刀を見上げる。アスカも釣られるようにそれを見上げた。

 

「・・・・・・どうせ、あんた自身もわかってないんでしょ?あの力の事」

 

「・・・・・・うん」

 

「どっか体に変なところはないの?メディカルチェックでは問題なしだったみたいだけど・・・」

 

それは大丈夫(・・・・・・)。ただ、不安なんだ。僕の知らない力が暴走して、みんなに迷惑をかけそうな気がして・・・」

 

 嘘を、吐いた。

 

 不安な気持ちは、確かに感じている。これは本当だ。体に変なところもない。これも本当のことだ。

 

 だからシンジは、このなんでもお見通しの奥さんに、ごく自然に嘘を言うことができた。

 

 本当の気持ちに紛れ込ませた嘘。もっと深刻な、魂の変調だけは言わない。聞かせたくない。先ほどのアスカの表情を見たシンジは、これ以上の心配をアスカにかけたくなかった。

 

 だから、ほんの少しの本音を混ぜつつ、肝心なところを隠した。アスカにその部分を見抜かれないように祈りながら。

 

「・・・あっそ。まぁいいわ。あんたが解らないってんならアタシにも解らないからね。原因究明と対策は、マヤとリツコに任せましょ」

 

 腰に手を当てて、アスカは小さくため息を吐いた。シンジは何かを隠してる。それはアスカにもわかった。だが意地になったシンジの頑なさをアスカは誰よりも知っていた。きっとここで追求しても、しどろもどろになりながら、シンジははぐらかすだろう。

 

 だから───

 

「シンジ」

 

 呼ばれて振り向いたシンジの顔をガシッと掴むと、強く引き寄せてアスカはキスをした。強引ではあるが、温もりを伝えるだけの優しいキス。

 

「アタシがあんたの思い通りにならないリアルだってこと、忘れんじゃないわよ?」

 

 唇を離したアスカがニヤリと笑う。

 

 いつも、だ。アスカはいつもシンジが挫けそうな時、こうやって笑いかけてくれる。

 

 それがシンジにとってどれだけ救いになることなのか、アスカはきっと理解していて。

 

 シンジの胸に、抑えきれない愛しさが溢れていた。

 

「わかってるよ、アスカ」

 

 目尻に涙を浮かべながら、シンジは強く頷いた。

 

「・・・さぁってと!そろそろパーティー会場に行くわよ!アタシの19歳の誕生日、今年はどんなお祝いしてくれるの?」

 

「特大ケーキを作ってあるんだ。アスカが見たことのないくらい、大きなケーキをね」

 

「ほぉん。アンタ、そういうところは抜け目ないわね」

 

「でしょ?」

 

 くすくすと、二人して笑う。

 

「さぁ、パーティー会場に乗り込むわよ!ほら、さっさと歩くッ!」

 

「わかってるよアスカ。そんなに引っ張らないで・・・」

 

 シンジの手を引き、アスカはずんずんと進む。繋いだ手の温もりがシンジの心を癒す。

 

 しかし、シンジは見ていた。

 

 アスカと繋いだシンジの手が、再びジジジッと音を立てて、輪郭がぼやけていくのを。

 

 

 

────

 

 

 

「かんぱ〜〜〜〜〜〜〜いッ!!」

 

 ミサトの掛け声と共に、至る所でグラスがぶつかる音が響く。その音を肴に、ミサトはゴキュッゴキュッと音を立てて、グラスに注がれたビールを飲み干した。

 

「ぷっはあああああああ〜〜〜ッ!!ウマいッ!!まさしく勝利の美酒ってヤツね!」

 

 ミサトの言う通り、勝利の美酒は美味い。会場のあちこちで談笑が起こり、会場はいっきに宴会ムードへと突入した。

 

 特に、会場の中心にある特大ケーキの前には、若いスタッフを中心として、グラスを片手に女性陣がやいのやいのと騒いでいる。

 

「これ、ホントに碇くんが作ったんだぁ!」

「え、マジ?一人で?ヤバくない?」

「すごーい!早く食べようよ!」

「ダメダメ!碇くんから言われてるでしょ?食べる前にやる事があるって」

 

 特大ケーキ、改め、ウェディングケーキ。何段にも重なった特大ケーキは、文字通り山と言っても過言ではなかった。

 

 そのケーキは広い会場のどこからでも見えるほどの高さを誇り、今日の主役が誰なのかを明確にパーティーの参加者に示している。

 

 それを遠巻きに見ているネルフLUNA首脳陣も、これには苦笑いするしかなかった。

 

「いつかシンジ君に『料理のできる男はモテるぞ〜』とか言ったが、いやはや・・・。もう彼、料理人の道に進んだほうがいいんじゃないか?」

 

 加持リョウジはビールをぐびっと一口飲むと、シンジの腕前を素直に称賛した。

 

「すごいわね、シンジ君・・・。戦争が始まるまえの少ない時間でこんなものを作っていたなんて・・・」

 

「いや、先輩。実はシンジくん、LUNAにいる間に隠れて準備してたみたいですよ。ほら、ミライちゃんとアスカを連れて家を見に来たときとか・・・」

 

「甲斐甲斐しいわねぇ〜!私も誰かそんな男を早く捕まえたいもんだわ!!」

 

 リツコとマヤの会話に混じり、ミサトは自分の横でビールを飲んでいた加持に向けて皮肉を言う。言われた加持は「はは・・・」と笑って顔を逸らした。

 

「ちょっとバカシンジ!いくらなんでもやりすぎでしょ!?」

 

「いや、だって僕たち結婚式してないし、ミライを妊娠してた間はそれどころじゃなかったから・・・。あ!ミライだめだよ!まだ触らないで!」

 

「だぁぶー!」

 

 ケーキの山の向こう側。姿は見えないが、碇シンジとその家族が特大ケーキを前にしてわちゃわちゃと騒いでいる。

 

「あーはいはい!ミライこっちおいで!あんたにケーキはまだ早い!」

 

 山のようなケーキはミライにとって見たことのない宝の山。目の前のそれから離されたミライは不機嫌になる。シンジからミライを抱きとったアスカはあやしながら、ミライと一緒にシンジを睨んだ。

 

「ほぉ〜んと、パパはやる事が極端なのよね〜」

 

「ぶー!ばー!」

 

「ねーッ!」

 

 アスカとミライが、親子にしかわからない意思の疎通を交えるなか、シンジは気まずそうに、それでもケーキ入刀用のナイフを用意する。

 

「アスカ」

 

「ん」

 

 シンジの真剣な眼差し。それにアスカも真摯に応えた。

 

「言うのがだいぶ遅くなっちゃったけど、しっかり言ってなかったから、言うよ。僕と家族になってください!」

 

 緊張した面持ちでナイフの柄を差し出す。それを見た周りの女性陣からきゃーっ!と歓声が上がった。

 

 当のアスカは差し出されたナイフの柄を見ながら、ふんっと鼻を鳴らした。

 

「今さらすぎるでしょ、バカシンジ。娘もいる状況で断るとでも思ってんの?」

 

「いや、それはないと思いたいけど・・・」

 

「そこは自信持て!」

 

 アスカはひったくるようにナイフの柄を握っていたシンジの手を取ると、

 

「ミサト!」

 

「イエスマム!」

 

 ミサトに合図を送った。

 

『あー、テステス!オッケー、マイク入ってるわね・・・。それでは皆さま!会場の中心をご覧ください!ただいまより新郎新婦による初めての共同作業を行っていただきましょー!ケーキ、入刀!』

 

「どおりゃあああッ!!」

 

 ミサトの宣言とともに、アスカは気合いを込めてナイフを振り下ろした。ウェディングケーキの中段から下段にかけて、見事な太刀筋でナイフが入刀された。

 

 わぁっ!と会場全体から歓声が上がり、万雷の拍手が二人に贈られた。

 

「・・・・・・なんか、ちょっち違くない?」

 

「いいんじゃない?アスカらしくて」

 

 ミサトとリツコが苦笑する。その横で、ゲンドウがもう何本目かわからないワインの栓を抜いていた。

 

「ゲンドウさん」

 

「大丈夫だ、問題無い」

 

 リツコの注意に、全く安心できない返事をするゲンドウ。まあ、たまには良いかとリツコもグラスを傾ける。空いたグラスに、ゲンドウがすかさずワインを注いでいた。

 

「アスカ、誕生日おめでとう」

 

「ありがとう、シンジ。これからもよろしくね」

 

「だぁーだっ!」

 

 シンジとアスカが、ミライを真ん中にして優しく抱き合う。それを見た観衆から、改めて拍手が贈られた。

 

「碇くん。アスカ。おめでとう」

 

 そんなシンジたちに近づいたのは、綾波レイ・トロワ、シス、そしてカトルだった。

 

「シンジー!アスカ!おめでとー!」

 

「ありがとう。シス」

 

「ミライちゃんもね〜!」

 

「でぃぶー!」

 

 シンジとアスカ、そしてミライが笑顔で応える。ただ、トロワとシスの後ろにいるカトルは気まずそうだ。

 

「・・・・・・おめでとう、と一応言っておくわ」

 

 カトルは口角を上げつつも、どこか悔しげな表情をしていた。

 

「これで、私たちは用無しね。アスカと一緒に、もう築いてるけど、幸せな家庭を築きなさいよ」

 

 それは皮肉とも嫉妬とも取れた。碇シンジを諦めきれないカトルの、最後の悪あがき。

 

 それを見たトロワが、ぺしんとカトルの頭を軽く叩いた。

 

「ちょ!何よ、バカ姉!」

 

「バカはアナタ。碇くんは、アスカは、そんなに小さくない」

 

「え?」

 

「そーいう事よ!」

 

 叩かれた頭を押さえていたカトルに、ミライを抱いたアスカが近づいた。

 

「最初の約束通りよ。正妻はアタシ!最初に子供を産んだのもアタシ!それをあんた達はしっかり守ったでしょ。だから、あんた達はもう、アタシやシンジの家族なのよ」

 

 そう言うと、アスカはミライをひょいっとカトルに渡した。赤ん坊を抱き慣れてないカトルは慌てたが、ミライは小さな手でカトルの服を掴むと、その胸元にすりすりと頬を寄せた。

 

「────っ」

 

 カトルの胸に、温もりが満ちていく。

 

「ほら、ミライもあんたに懐いてる。今後はあんたもシンジの妻で、ミライのママよ。しっかり面倒見てよね。・・・シンジ!あんたもそれでイイわね!?」

 

「そこで僕に振るの!?」

 

「あったりまえでしょッ!?」

 

「いや、僕はトロワともカトルとも、その、結婚できるなら嬉しいけど、いいのかな・・・?」

 

「碇くんのお嫁さん。うれしい・・・」

 

 トロワが赤らめた頬に両手を当てる。

 

「あ、シスはどうする〜?シンジの嫁候補になる?」

 

「ワタシはやめとく!シンジは好きだけど、もっと好きな人がいるし!」

 

「・・・貴女は素直になりすぎじゃないかしら」

 

 アスカの誘いをキッパリと断るシスに、カトルは顔をしかめた。妹が素直になるのは喜ばしい事だが、戦争を経験した事で、シスの素直さは限界突破を遂げたらしい。

 

 胸元でうごうごと動き回るミライを落とさないように抱きしめながら、それでもカトルの表情は優れない。

 

「嬉しい申し出だけど、私もお断りするわ。だって、私はアルマロスとともに世界を壊そうとした人間で・・・」

 

『あー!あー!ただいまマイクのテスト中!It's fine day(本日は晴天なり)!ここでネルフLUNAから重大なお知らせがあります!』

 

 突然、会場中にネルフLUNA総司令としてのミサトの陽気な声が響いた。

 

『今回の戦争。歴史上初の宇宙戦争は、幸いなことにネルフLUNA側に死者は出てないわ。今怪我してる人たちもよく頑張ってくれた。パーティーには参加できていないけど、きっと彼らも病室でお祝いしているでしょう!』

 

 ミサトの言葉に、皆がシンと静まり返る。暗い沈黙ではない。だが、今日体験した出来事は皆の記憶にしっかりと刻まれており、それを乗り越えて生き延びたという実感をそれぞれが噛み締めていた。

 

『私たちはこの上なく逆境に立たされていた。ネルフLUNAの戦力は少なく、防衛手段も限られていて、敵はこちらを圧倒する数で攻めてきた。ここで私たちが美味しいお酒を飲めているのは奇跡と言っていいでしょう。でもね・・・』

 

 そこでミサトは言葉を切り、ウェディングケーキの近くにいるシンジ達を、いや、カトルを見た。

 

『奇跡でもなんでもない。私たちが生き延びたのは、エヴァに乗って戦ってくれたパイロット達、現場や司令所のみんな、そして何より、私たちをずっと身を削って守ってくれた、綾波レイ・カトルのおかげよ!!』

 

 ミサトの言葉とともに、会場中から今まで以上の拍手が起こった。

 

『カトルは確かに、アルマロスと共に世界を壊そうとした大罪人だった。でも、それでも彼女は決して私たちを見捨てず、ATフィールドで私たちを守りきった。カトルが自分の意思でATフィールドを解けば、私たちはこの場に絶対にいなかった。カトルは自分の意思で、私たちネルフLUNAを守ってくれた!だから、私はネルフLUNA総司令官として、彼女に恩赦を出すわ!誰が何を言おうと、文句は言わせない!私たちネルフLUNAは、彼女を我々の一員として、改めて迎え入れる事をここに宣言しますッ!!!』

 

 割れんばかりの歓声が、会場の空気を震わせた。

 

 呆気に取られるカトルの肩を、トロワが優しく叩く。

 

「ね?」

 

「・・・・・・なにが、「ね?」よ。貴女、何もしてないじゃない。本当、キツかったんだから・・・」

 

 カトルの言葉尻が震える。

 

 どこかで諦めていた。自分のやってきた事は、決して正しいものではなかったかもしれない。だから、カトルは遅かれ早かれ、自分は処刑されるだろうと考えていた。自分の命を諦めていた。

 

 それが、怖くないはずがなかった。ずっと独房の暗闇の中で、いつ自分の最期が訪れるのかを震えながら待っていたのだ。

 

 それが、許された。生きていて良いと、この場にいるすべての人間が認めてくれている。

 

 死ななくていい。それが、どれだけカトルの心を救ったか。

 

 カトルの目から、涙が溢れ出した。

 

「う、うぅ、うああ・・・・・・」

 

 涙がパタパタと、胸元のミライの顔に落ちる。それを不思議そうに見ているミライが、カトルを慰めようとカトルの胸をトントンと叩いた。それを受けて、カトルは優しく、しかし強くミライを抱きしめる。

 

「カトルぅ・・・」

 

 シスもカトルの服をつまむ。アスカとシンジも、優しい眼差しを向けていた。

 

「これで、碇家も安泰ね」

 

 にかっと、アスカがシンジに笑いかけた。シンジも釣られて笑顔になる。

 

「まあ、頑張るよ。みんなが幸せになるように」

 

「違うでしょ、シンジ。みんな『で』幸せになるのよ」

 

「あはは。そうだね」

 

『さぁーーーーーっ!!みんなグラスにお酒注いで!ネルフLUNAの勝利に!アスカの誕生日に!新たな碇家の誕生に!!』

 

 

 

『「乾杯ッ!!!」』

 

 

 

 楽しい時間はすぐに去ってしまう。真夜中のネルフLUNAは、窓から見える巨大な月を肴に盛り上がっていく。ステージ上では青葉を中心とした有志のバンドが楽器をかき鳴らし、宴会に彩りを加えていく。

 

 今日を生き延びたネルフLUNAは、自分たちの生命を実感し、生きる喜びを爆発させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「葛城総司令ッッ!!」

 

 

 

 

 

 楽しい時間は、すぐに去ってしまう。

 

 

 

 

 

「どうしたの日向くん!何があったの!?」

 

「ニュースを!すぐにニュースを見てくださ・・・、ああもうッ!すみません!プロジェクター借りますよ!」

 

 飛び込んできた日向は機材をいじり、ステージ上に地球のニュースを映し出した。ライブバンド組が慌ててステージ上から降りる。

 

 ステージに映し出されたニュースは、ヘリコプターからの映像だろう。アナウンサーがまくし立てるように現状を視聴者に伝えていた。

 

『大変な事になりました!日本の国会議事堂が!日本の象徴とも言える首都が!!炎に包まれています!たった一人の巨人に、日本の首都が蹂躙されています!!こんなことが、許されるのでしょうか!?これは明確な侵略行為です!私達の真下で暴れているのは、おそらくネルフユーロの・・・・・・あ!!』

 

 画面を、強烈な閃光が襲った。

 

『現場リポーターのナルセさん・・・?ナルセさん!?どうしました!?・・・・・・おい!連絡取れるか!?すぐに安否確認を・・・・・・』

 

 画面上を砂嵐が覆い、ニュースキャスターの切迫した声が事の重大さを伝えてくる。

 

 

 

 

 楽しい時間は、

 

 

 

 

 

 唐突に、終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 つづく



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o.贈り物


 ※今回、少々グロイ描写があります!ご注意ください!!※





 

 ビチチ・・・ミチィィ・・・ブチチッ・・・

 

 

 

『あ、もう切れた。やっべぇ、足りるかな・・・』

 

 

 

 ブリュッ・・・ブチュッ・・・パタタタ・・・

 

 

 

『んん?え!?まじかよ!?こんだけ!?』

 

 

 

 ギュリリ・・・ギコ・・・ギコ・・・ギコ・・・

 

 

 

『・・・あちゃ〜。人は見た目に寄らねぇんだな。全然足りねぇよ』

 

 

 

 アアアアアア・・・アブッ・・・ブチュチュ・・・

 

 

 

『おお、こっちは意外と出るもんだ。本当、見た目じゃわかんね〜な。・・・・・・・・・いや、めんどくさ』

 

 

 

 グチグチグチ・・・・・・

 

 ブチュウウウウウウウ・・・・・・

 

 バタタタタタタタ・・・・・・

 

 

 

『足りねぇ。全っ然!足りねぇじゃねぇか!・・・・・・いや、いやいやいやいやいや。めんどくさがったらダメだな。なにせお祝いなんだから。気持ちが大事だよな、気持ちが!』

 

 

 

 うーん、と相田ケンスケは顎に手を当てて唸る。

 

 

 

『・・・一捻り、欲しいよなぁ』

 

 

 

 手にした絵の具を、ゴリゴリと地面に擦り付ける。

 

 

 

『歌・・・とかいいかもしれないけど、下手くそだからなぁ、俺・・・』

 

 

 

 オギャァ・・・オギャァ・・・オギヴ・・・・・・

 

 

 

『あ〜あ、人生経験もっと積んどきゃよかったぜ。そういうのって、こういう時に必要なんだなぁ。好きな事だけじゃなくて、色々やってりゃあな・・・』

 

 

 

 ザリザリザリザリ・・・・・・ヌチャァ・・・・・・

 

 

 

『まあ、しょうがねぇか。俺ができることを一生懸命にやる。これが、俺の精一杯だから』

 

 

 

 ブチッ・・・ブチッ・・・ブチッ・・・ブチッ

 

 

 

『アスカ。喜んでくれるといいなぁ・・・・・・』

 

 

 

 

 

 

──────

 

 

 

 

 

 パーティー会場を飛び出したミサト達は、ネルフLUNA、リングEarthの作戦司令室に駆け込んだ。

 

「状況はッ!?」

 

 開口一番、ミサトはオペレーターに確認の怒号を飛ばした。怒りで頭に血が昇っており、パーティーに参加せず必死で情報収集にあたってくれていたオペレーター達に辛く当たってしまう。その事に軽い自己嫌悪を覚え、ミサトの中の冷静な部分がミサト自身を諌めた。だがその一方で、それでも感情の制御が効かないミサトは怒りを周囲に撒き散らしていた。

 

「第2新東京市の映像、出ます!」

 

 ミサトの半ば八つ当たりのような指示を受けても、ネルフLUNAオペレーター達は取り乱すことはなかった。それも当然。彼らもハラワタが煮えくり返っていたのだ。

 

 宇宙戦争を生き延びた喜び。勝利の余韻。さまざまな感情を噛み締めていた彼らにとって、先ほど流れたニュースの映像は許し難いものであった。

 ネルフLUNAと対ネルフLUNA連合軍の戦争は、納得はできないものの理解はできるものであった。恐怖を味わいながら、それでも命を賭けて戦ったのは、自分達の生存競争のため。生き残るため。そこに臨んだ者たちは一様に、戦う事を覚悟していた者たちだったからだ。

 だが、先ほどのニュースはなんだ?日本という国の首都。そこに住まう人々。彼らを守ろうとして戦ったであろう戦略自衛隊。それらを蹂躙し、あまつさえ、その事実を報道しようとした民間人までも巻き込んだ所業。

 戦うための覚悟などあるはずもない。そんな人々を蹂躙する巨人の姿。それはかつてアルマロスに意識を乗っ取られてしまったヒカリが民衆を虐殺したのとはワケが違う。搭乗者が自らの意思で(・・・・・・・・・・)巨人を使って人々の命を踏み躙ったのだ。そこに命を賭けた生存競争への矜持などあるはずがない。

 

 ヤツはただ、破壊を楽しんでいただけなのだから。

 

「・・・・・・ッ」

 

 モニターに映し出されたのは、ネルフLUNAがLEO(地球上低軌道)にいくつか配備していた人工衛星が捉えた映像。遥か上空から、第2新東京市の様子を捉えたものだった。

 

 それを目の当たりにしたネルフ職員全員が息を呑んだ。

 

「ミサトさん!状況は・・・」

「入るな!シンジ!!」

 

 ミサト達から少し遅れて、シンジやアスカ、トロワ達が司令室に入ってこようとするのをゲンドウが声を荒げて止めた。しかし勢いづいていた彼らは、ゲンドウの荒げた声を聞いても止まることなく司令室に入室してしまった。

 

「う・・・!?」

「〜ッ!カトル!ミライに見せないでッ!」

 

 メインモニターに映し出された映像を見たシンジの呻き。隣にいたアスカも、ミライを抱いていたカトルに咄嗟に指示を出す。言われるまでもなく、カトルはミライを抱きかかえたまま急いで司令室の外に飛び出した。

 

「え?なに?アイツなにしてるの?」

「シス!」

 

 状況が飲み込めないシスの目をトロワが急いで塞ぐ。

 

「わぁ!?なになに!?見えないよトロワ!」

「ダメ・・・!シス、見てはダメ・・・」

 

 目を塞がれたシスが、トロワの腕の中で暴れる。しかし決してこの光景をシスに見せてはならないと、トロワは暴れるシスを必死で抑えた。

 

 その瞳に、メインモニターに映し出された惨劇を捉えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【H AP PY

     B IR TH DA Y

              A S UK A】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、夜の闇にありながら、炎によって浮かび上がる祝福の言葉であった。

 

 それは、人の血で地面に描かれた寿(ことほ)ぎであった。

 

 それは、それを描いたエヴァンゲリオンをもってしても尚、巨大と言わざるを得ない流血の大河であった。

 

「ううっ!!」

「げぇ、うげぇ・・・!」

 

 作戦司令室の至る所から、目の前の惨劇に耐えられず嘔吐の声があがる。

 

「いったい・・・どれだけの・・・・・・」

 

 人々を犠牲にして、これを描いたのか。

 

 ミサトの口は怒りと怖気に震えて、言葉を紡ぎ出すことができなかった。エヴァの巨体を考えれば、あの文字を起こすのに数百人程度の命では全く足りないだろう。

 

 それだけの人々の命を侮辱して、書き上げた言葉が『誕生日おめでとう!』。

 

「・・・バカにしやがって!」

 

 アスカがその場にツバを吐き捨てる。最後の一文字であるA。そのそばでうずくまる、エヴァもどきに向かって。

 最後の一文字を「絵筆」を使ってようやく描き終えたエヴァもどきが、畑で農作業を終えた老人のように腰を伸ばす。そのエヴァもどきの三つの瞳が遥か上空にあるはずのネルフLUNAのメインモニターをギョロリと凝視した。いや、正確にはネルフLUNAの人工衛星に備え付けられたカメラを、だが。

 

 その口が、にたぁりと笑みを浮かべる。

 

「まさか、見えてるの・・・?」

 

 ミサトがあまりの気味の悪さに腕を抑える。その肩を、そばにいた加持リョウジがしっかりと支えた。

 

「加持くん・・・」

 

「落ち着け葛城。ビビる事はない。ヤツには何もできないさ。それより、ヤツの顔だが・・・」

 

「ええ・・・。アレって、エヴァよね・・・?」

 

「たぶん、としか言えないが・・・」

 

 メインモニターに映るエヴァもどきを注視する面々。機械100%であるはずのオルタナティブ・エヴァンゲリオンにはない三つの瞳と口。それを凝視するネルフLUNAメンバーのその目の前で、エヴァもどきはあろうことか軽快なステップで踊り始めた。まるで「サプライズ、大成功!」とでも言うように。

 

「ぶっ殺す!!」

 

 激昂したアスカが作戦司令室を飛び出そうとするのを、瞬時にシンジが腕を掴んで止めた。

 

「離せぇ!!」

 

「ダメだよアスカ!今から行ったって・・・」

 

「知るかボケッ!よくも、よくもアタシの誕生日を・・・!ミライやトロワたちと過ごす初めての誕生日を・・・!!」

 

 掴まれた腕を振り解こうとアスカが暴れる。怒りのあまり、アスカの目から涙が溢れる。シンジはどうにかアスカを落ち着かせようと、力尽くでアスカを無理やりに抱きしめた。

 

「アスカ!アスカの言う通りだ!今の僕たちにはミライがいるんだ!今ここで怒りに任せて飛び出したら、あの正体不明のアイツの思う壺だ!だから・・・!」

 

「正体不明!?あんた、アイツが誰だかもわかってないのッ!?」

 

「ッ!」

 

 アスカの怒りの矛先が、シンジに向かう。

 

「いい加減目を覚ませバカシンジ!アイツが誰かなんて一目瞭然じゃない!あのエヴァもどき!アレに誰が乗ってたかなんてあんたが一番近くで見てたでしょーがッ!!」

 

「わかってるよ、そんなことッ!でもアレがケンスケだとして!そんなところにアスカを行かせられるワケないだろ!?」

 

「うるさいうるさいうるさい!!いいから離して!あんたがビビるのは勝手だけど、アタシはアイツを・・・!」

 

 アスカがシンジを振り解き、その頬を張ろうとした、その時だった。

 

 

 

 

 

『は、はっぴ、ぃ・・・ばぁー・・・すでい・・・とぅー・・・ゆー・・・』

 

 

 

 

 

 作戦司令室に、ネルフLUNAの誰のものでもない声が響いた。

 

「なに!?誰!?」

「どの音声だ!」

「地上波です!先ほどとは違うテレビ番組から・・・人工衛星が電波を拾って・・・!」

「映像繋げて!!」

「了解!・・・・・・接続成功!映像、出ます!」

 

 再び全員の視線がメインモニターに注がれる。

 

 そこには、エヴァもどきの手のひらの上で、泣きながらマイクを持って歌っている女性の姿が映っていた。

 

 

 

『はっぴ、ぃい・・・ばーすでー!とぅーゆぅぅぅうう!』

 

 

 

 その女性の背後にある、巨大な、エヴァもどきの禍々しい顔。それがニタニタと、女性の歌う姿を眺めている。

 

 

 

『はああっぴああばぁすでーーーぃ!でぃあっアスカァァッ!・・・・・・はっぴぃばぁすでぇーーーッ!とぅーーーゆぅーーッ!!!』

 

 

 

『YEAH〜〜〜ッ!!さっすが!美人レポーターは歌唱力も違うね!!』

 

 

 

 歌い終わった女性の背後、エヴァもどきの口から、ケンスケの歓声が上がった。

 

『いやぁ、助かったよ!俺、歌あんま上手くなくてさぁ!さっきのテレビ局のヘリは落っことしちまったし、誰か代わりに歌ってくれる人いないかなぁーって探してたんだよ!』

 

 いやに上機嫌な、耳障りなケンスケの声が司令室の全員の耳を汚した。

 

「相田・・・・・・」

 

 それを目の当たりにして、加持が固まる。

 

「いったい、何がお前をそこまで・・・」

 

 もはや人外の域に達した、相田ケンスケ。彼が乗っているのがエヴァなのかなんなのかは加持にもわからないが、アレが普通の機体でない事は一目瞭然だ。そして、それに乗っているケンスケの狂気も同様に一目瞭然だった。

 

 加持の脳裏に、いつか、ケンスケと2人きりで話した光景がよぎる。

 

 

 

『ガキか、お前は・・・』

『違うッ!そんな簡単な話じゃないんだ!俺は、トウジや碇たちを危険に晒したくないんだよ!』

 

『お前のやりたい事は、ただの自己満足でしかない。自分が友達に並び立てないから、じゃあ友達に自分のとこまで降りてきてもらおうって、そういう事だろ?』

『違う!違います!!』

『俺にはそうとしか聞こえなかったよ』

 

 

 

(まさか、俺は間違ったのか・・・?あの時のお前は、本当は俺に助けてほしかったのか?俺がそれを汲んでやれなかっただけで・・・)

 

 加持がかつてシンジを助けたように、ケンスケも、本当は加持に助けてほしかったのだとしたら。

 

(だから、お前は壊れたのか?相田・・・!)

 

 そんな加持の葛藤を他所に、事態は止まる事なく進んでいく。

 

『お、お願い・・・・・・』

 

『うん?』

 

 ケンスケのエヴァもどき、『シェムハザ』の手のひらの上の女性が、泣きながらケンスケに懇願する。

 

『わ、私ぃ!歌ィましたぁ!歌いましたぁ!お願い!降ろして、助けてぇ!!』

 

『ああ、オッケーオッケー!悪いねぇ、怖い思いさせて・・・』

 

 シェムハザの手が、指がゆっくりと近付いていく。

 

 女性の頭へと向かって。

 

『ひ!?なに!?なんでぇ!?』

 

『そんな怯えるなって。俺、アスカ以外の女ってあんま興味ないんだ。だからさ・・・』

 

『ひぃあッ!!』

 

『べつに、いっかな〜って』

 

 伸ばされた指に摘まれた頭が、プチュッと軽い音を立てて、ミニトマトのように潰れた。

 

『ひいいいいあいあああああ!!』

 

『あー、あー、カメラマンくん!大丈夫!君にはこれから俺がやる事を映像として遺してもらう必要があるから!殺しやしないよ!人類史に残る大偉業だぜ!?すげぇのを見せてやるよ!!』

 

 ケンスケがそう叫ぶと、シェムハザは何かを抱えるようにうずくまる。それに合わせて、ボロ切れのマントを纏った背中がぼこぼこと奇妙に蠢き始めた。

 

『よぉく、見てろ、よぉ!?これが、俺が創り出す堕天使の軍団、『エグリゴリ』だぁーーーッ!!』

 

 マントの下から、何かが一斉に飛び出した。それらはロケットのように光を放ちながら夜空に打ち上げられ、日本各地へと飛び散った。

 

 その無数の光のうちの7つが、大きく弧を描いて、ケンスケのシェムハザの背後に降り立つ。

 

『ふ、くくくく、くははははははははは!』

 

 ケンスケの高笑いと共に、背後の光が静かに収束していく。

 

 そこに立っていたのは──

 

 

 

「エンジェルキャリアー!!?」

 

 

 

「それだけじゃない!使徒の成体も、ゼルエルまでいる!というか、アレ、なんか混ざってないか!?」

 

 

 

「て、ていうか、いま、幾つの光が飛んだ・・・?」

 

 

 

「まさか、今、空に飛んでったのって・・・」

 

 

 

『七日間だ!』

 

 

 

 ネルフ面々の(おのの)きなど知る由もなく、シェムハザがカメラに向かって指を7本立てる。

 

『七日間で日本を火の海に変える!そうすりゃ、誰も逆らおうなんて気は起きなくなるだろ!?世界は俺と『エグリゴリ』が管理してやるよ!ヒト同士のくだらない領地争いとかは勝手にやりな!くれてやる!ただし、抑止力として、お前らの上に『エグリゴリ』がいる事を忘れんなよ!』

 

 そうテレビカメラに向かって全世界に宣言すると、ケンスケは夜空に向かって狂ったように笑い始めた。

 

「ケンスケぇ・・・・・・」

 

 目の前で起きた人智を超えた出来事に、シンジは怒りとも失望とも悲しみともつかない、なんとも複雑な想いを言葉に乗せて吐き出した。

 

『碇ィ・・・』

 

「!?」

 

視えてるぜぇ(・・・・・・)。ネルフLUNAから、俺を見ているな?』

 

「馬鹿な。視えているはずがない。無視しろ、シンジ」

 

 映像を通してシンジに話しかけてきたケンスケ。それを遮るゲンドウの言葉は間違っていないだろう。だが、シンジはその妄言とも取れるケンスケの発言を無視できなかった。

 

「ケンスケ・・・」

 

『すげぇだろ?俺、こんな事までできるようになったんだぜ?もうお前やトウジ達が居なくても、傷付かなくても、世界は俺の下で平和になるんだ。平和にする事ができるんだ。だからさ、もうお前は世界に要らないんだよ。わかるだろ?』

 

「ケンスケ・・・何を、言ってるんだよ・・・!」

 

『アスカもさ、そんなお前より俺の方がいいって言うと思うんだよ。俺さ、アスカにすげぇプレゼント用意したんだ!横にいる加持さんにさ、今すぐ端末見るように言ってくれよ!』

 

 シンジだけでなく、作戦司令室にいる全員の目が加持に集まった。加持は顔を顰めながらも、ポケットから携帯端末を取り出した。

 

 その画面を一瞥した加持の目が見開かれる。

 

『届いてるみたいだな?よかった〜。宇宙までメールが届くか、地味に自信なくてよ』

 

「おちょくってるのか、相田?俺の端末のセキュリティなんざ意味がないと。防諜部としての実力も俺を超えたと、そう言いたいらしい」

 

 加持が顔を顰めながら、携帯端末の画面に表示された文字をみんなに見せる。そこには「Present for you!!」の文字とともに、何かのファイルが添付されていた。

 

『トウジたちと、その家族の居場所だ。委員長とアスカは仲良かったからな。アスカも心配してるだろうから、加持さんたちで助けてやってくれよ。俺はこれから、忙しくなるからな・・・』

 

 そう独り言のように呟いたケンスケの背後で、使徒ゼルエルの両目が閃光を放つ。

 

 ギュィオンッ!!

 

 使徒の放つ閃光によって、すでに火の海と化していた第2新東京市が爆炎に飲み込まれていく。

 

 そこに住んでいた人々を、必死に逃げ惑い生き延びようとしていた人々を、巻き込みながら。

 

『・・・・・・こりゃあ、七日もいらないかもな』

 

 ケンスケの駆るシェムハザがマントを翻し、爆炎の中を進む。それに従うように、使徒とエンジェルキャリアーたちも後に続いた。

 

『まぁいい。どの道、七日間で世界は変わる。それまでに、トウジや委員長たちを助けられるかはアンタ達、ネルフLUNA次第だ。ダメなら俺の方でなんとかやるから、指でも咥えてソコで見てな・・・』

 

 シェムハザが爆炎の向こうに消える寸前、地面から何かを拾う。それを無造作に放り投げた瞬間、グチャッという音を立てて映像は終了した。

 

 ネルフLUNAのメインモニターが砂嵐を流す。ザーという音だけが、作戦司令室を満たしていた。

 

「・・・・・・加持くん」

 

 重い空気を一掃できるような力は出なくても、最初に声を上げるのは司令官でなくてはならない。ミサトは無理やりに口を動かすと、加持に問いかけた。

 

「そのファイル、信用できると思う・・・?」

 

「正気か?葛城。あんな狂人が、マトモな情報を俺たちに与えるとでも?」

 

「そんな事わかってるわよ。でも、アイツの様子を見た後だと・・・」

 

 ミサトも加持も、それどころかゲンドウも含めたネルフLUNAの首脳陣でさえも、皆、一様に口を閉ざした。

 

 目の前で起きた惨劇が実際の出来事なのか、脳の処理が追いつかない。対ネルフLUNA連合軍を退けたミサト達であったが、オルタナティブ・エヴァンゲリオンを超える怪物である使徒やエンジェルキャリアーを産み出した相田ケンスケは、今やその連合をも超える脅威へと変貌を遂げていた。

 

 アレに対抗するには、それこそネルフLUNAの全戦力を投入しなければならないだろう。それこそ死力を尽くして、命を賭けて。

 

 だが一方で、ケンスケの行動には疑問が残る。

 

「ケンスケは、何がしたいんだ・・・」

 

 シンジの呟きは、この場にいる全員の思いを代弁していた。先ほどの放送を民間が流していたなら、ケンスケの言動は全て世界に向けて発信されているだろう。それは当然、ケンスケが所属しているネルフユーロにも届いていたはずだ。ケンスケの行動はネルフユーロへの明確な裏切り行為。許容されるわけがない。

 

「・・・なんだっていいわよ。とにかくあいつを殺す。それ以外の手があるってぇの?」

 

「ない。わたしも、アレを野放しにするのはダメだと思う」

 

 アスカとトロワが異口同音で意見を述べる。それは、ネルフLUNAの最終目標としては正しいだろう。だが大人たちは、そこに至るまでの過程にも気を配る必要がある。ケンスケの真意。それを読み取れないままに動けば返り討ちに遭う可能性も否定できない。

 

「マジでなんなのよ、あいつ・・・。ビールが不味くなるわね」

 

 ミサトが何気なしに愚痴を呟く。それに反応する者は、この場にはいなかった。

 

 砂嵐のザーっという音だけが司令室を流れる。

 

 

 

 その音に紛れて、ポーンという極めて軽い音が司令室に流れた。

 

 

 

「誰!?」

 

 ネルフLUNAの司令室への直接的なアクセス。そんな事ができる人間はネルフLUNAに所属している人員だけだ。しかし今の音は、外部からの通信を知らせる音。

 

「まさか、ハッキングか!?」

「MAGIのセキュリティを突破して!?どうやって!?」

「とにかく、すぐに遮断を・・・・・・!」

 

 

 

 

『まあ、少しは落ち着きたまえ。葛城三佐。いや、今はネルフLUNA総司令とお呼びした方がよいかな?』

 

 

 

 

 

「その、声は・・・・・・」

 

『なに。隠遁しようにも世間がこうも騒がしくては、おちおち詰将棋も打てん。そろそろ、この老いぼれの知恵が必要かと思ってな』

 

 旧ネルフの副司令、冬月コウゾウのはっきりとした声が、司令室に響き渡った。

 

 

 

 

 

 つづく

 

 



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p.冴ゆる月

 初めに、神は天と地とを創られた。

 

 地は形なく、空しく、闇が淵の面にあり、神の霊が水の面を覆っていた。

 

『光あれ』

 

 すると、光があった。

 

 光の中にあり、そして形を成したのは、かつて人によって屠られた、海を進む大魚であり第6の使徒、ガギエルであった。

 

『ふ、ふふふ、ふはははははははははは!』

 

 神とは成れず、神に従わず、その行いに悔いを持たない者は目の前に生まれ出でたモノを見て、『良し』とされた。

 

『最初に海を渡った者を尊敬する。暗闇の荒野どころではない、無限とも思える死の海原に、自らの命を心許ない木の板に乗せ、有るかもわからない何処かを目指した者を尊敬する。馬鹿としか言いようがない、狂人の如き所業。しかし、それを為した者こそが(のち)の世を導いた』

 

 海原を目の前にして立つ巨人は、夜の闇よりも尚深い闇に満ちた海原を見つめ、そこに浮かぶ、彼にとっての『木の板』の背中を撫でた。

 

『俺は高尚な人間じゃない。だが、最初に海を渡った者が高尚だっただろうか?そんな事は、かの人物の1%も理解してない馬鹿共が後から付けた、ただの評価でしかない。その評価になんの意味がある?全くの的外れであったはずだ。彼を真に理解するのなら、凡人の理解を得たいとすることすら、彼の人物は思い至らなかったはずだ。彼は人に理解されたかったんじゃない。自分の正しさを、心の中の熱情の理由を証明したかっただけなんだから・・・』

 

 言の葉を紡ぐ男、相田ケンスケと、彼が駆るオルタナティブ・エヴァンゲリオン『シェムハザ』は、海に浮かぶ使徒ガギエルの背にその足を掛ける。

 

『お前を見たのは、アスカと初めて会ったときだったなぁ・・・』

 

 まるで恋人との逢瀬を懐かしむような口調で、相田ケンスケは感慨深く、愛おしむように言葉を紡いだ。

 

『もはや俺と『エグリゴリ』が日本を堕とすのは時間の問題。七日間という期限はただの区切りだ。やろうと思えば朝を迎えるまでに日本の拠点全てを火の海に変えることもできる』

 

 だが、とケンスケは続けた。

 

『それで終わるほど、俺は小さい存在じゃない。次を考えて(・・・・・)、今のうちに布石を打っとかないとな・・・』

 

 シェムハザの三つの瞳がギラリと光る。巨大なガギエルの背に立ったシェムハザは、その踵を3回鳴らした。己の主人を完全に理解していたガギエルは、それに合わせてゆっくりと夜の大海原に乗り出した。

 

 

──────

 

 

「冬月先生・・・」

 

 日本の惨状を目の当たりにして、心中が乱れに乱れていたネルフLUNAの面々に、突如としてコンタクトを取ってきた者。それは旧ネルフの副司令であり、その後のネルフJPN、アルマロス騒乱の際にも副司令代理補佐として活躍した人物、冬月コウゾウその人であった。

 

 もっとも、当の本人はアルマロス騒乱の終結と共に「隠遁する」と言って行方をくらましていたのだが・・・。

 

『久しぶりだな。葛城総司令。息災かね?』

 

「え?えぇ、まぁ・・・」

 

 なんとも心強い人物からの突然のコンタクトに、ミサトは曖昧な答えを返す。彼のコンタクトは音声のみで、メインモニターに彼の映像が映し出される事はない。

 

 だからこそミサトは、この強力な味方の登場に、最大限の警戒を払っていた。

 

 人は本当に追い込まれたとき、何をするだろうか。

 

 簡単だ。藁をも掴むのだ。

 

 そこに警戒や疑心などは一切持たない、いや、持てないだろう。自分の生命が危険に晒されるとき、その危険から逃れるためならなんでもするのがヒト、いや、生物だ。手を伸ばしたソレが、たとえ自分を更なる危険に引き摺り込むものだったとしても、その事にまるで気付けず、迂闊に手を伸ばす。

 

 これはいわゆる詐欺師の常套手段なのだ。

 

 そして、今ネルフLUNAのいる火中が世界中を巻き込んだ戦争であるならば、その危険性は詐欺師の比ではない。仮の話でしかないが、冬月を脅し、ネルフLUNAを更なる絶望へと引き摺り込もうとする輩は大勢いる。もしかしたら今この瞬間も、冬月の後ろには銃を構えた敵がいるかもしれない。

 

 葛城ミサトが総司令として巨大な組織を率いた年数は10年にも満たない。が、その間に、碇ゲンドウやまさしく冬月コウゾウの手助けを受けながら、こういった罠を何度も回避してきた。その経験が、目の前に垂らされた糸に安易に縋ってはならないと警告を発している。

 

(なぜ、いま、このタイミングで・・・?)

 

 ミサトの頭に幾つもの疑念が湧き上がってくる。その一つ一つに自分なりの答えを出そうと思考をフル回転させた瞬間、

 

「冬月。何を考えている」

 

 冬月とは旧知の間柄である碇ゲンドウ副司令代理が、いつもの厳しい口調で冬月を問いただした。

 

『ふ、碇か。相変わらずだな、お前は』

 

「余計な能書きは不要だ。要件を早く言え。私の性格はお前もよく知ってるだろう?」

 

『無論。だが今のお前は司令ではないからな。私が話をしたいのはネルフLUNAのトップ、なのだが』

 

「組織のトップに突然の来訪者がアポ無しに会えると思うのか?質問に答えろ、冬月。なぜお前は姿を見せない?」

 

『ふむ。昔なじみに電話をかける程度の感覚だったのでな。映像を送るだのと難しい事は考えておらんかったよ』

 

「冬月。お前は昔なじみに電話をかけているつもりでも、我々からすれば、お前が何者かに脅されて電話をかけてきている可能性もありうる事態だ。お前の映像を送らないのであれば、この通信は今すぐに遮断する」

 

『・・・やれやれ。口調はだいぶ丸くなってきたが、頭の固さは相変わらずか。仕方ない。出直すとしよう』

 

「ま、待ってください!冬月副司令代理補佐!!」

 

 旧知の二人のやり取りに混ざることができなかったミサトが、今にも終わってしまいそうな会話に「待った」をかけた。

 

『くく。碇。トップの方から私と話したいようだが、問題はないな?』

 

「葛城総司令。何を考えている?」

 

 ゲンドウがミサトに詰め寄る。それはミサトの師として、今の言動には問題があると諌めるための怒気を孕んだものであったが、ミサトはそれに怯むことなく毅然とゲンドウと向き合った。

 

「碇副司令代理。これが罠である可能性が否めないのは事実よ。でも私は、あえて冬月副司令代理補佐の真意を問いただします」

 

「本気か?このタイミング、我々につけ込むには絶好の機会だ。掴んだ藁が毒草だったらどうするのだ?」

 

「んなもん、後から考えるわ。今は時間と、何よりも情報が欲しい。冬月先生の話を聞いてから判断しても遅くないわよ」

 

「組織のための発言とは思えん」

 

「そうね。でも駒を一つでも前に進めるためには、こういった決断も必要よ。碇副司令代理が私に教えてくれた事だけど?」

 

「・・・」

 

「仮に毒草だの釣り針などがあったとして、問題ある?そんなもの、叩き潰して終わりよ。そのくらいの気概で臨まなきゃ、事態は一向に解決しないわ」

 

 新旧ネルフ司令の睨み合い。それを制するため、ミサトは一歩だけ前に踏み出した。途端、ゲンドウの眉が上がる。それは彼女が絶対に譲らないと決めた時に取る仕草であった。

 瞬間、そこに割って入ったのは冬月の実に愉快そうな笑い声であった。

 

『ふっはっはっはっ!碇。お前も相当苦労していそうだな。良い気味だ』

 

「なに。コレはコレで面白味がある。彼女が作戦課長であった頃とはまた別の、面白みがな」

 

『そこまで成長しているのなら大したものだ。お前は誰かに教えを請うよりも、後進の育成で磨かれるタイプだったか』

 

「お前の教育者としての意見など望んでいない。・・・・・・葛城総司令。任せた」

 

「任されたわ」

 

 会話の主導権がゲンドウからミサトへ。成り行きを緊張の面持ちで見守っていたネルフLUNA面々も、ひとまずは安堵の息を漏らす。

 しかし、未だ会話は一歩も進んでいない。冬月の背後に隠れた危険性はわからないが、まずは一歩踏み出す。それが総司令としてのミサトが出した結論だった。

 

「お待たせしました。冬月先生・・・・・・先生でいいわよね?」

 

『勿論だ。今の私には大層な肩書きなどないからな』

 

「結構。では改めて冬月先生。貴方はなんの目的で私達にコンタクトしてきたの?」

 

『それを話そうとすると、私が隠遁を決意したところから話し始めなくては・・・』

 

「そういうのは結構。話を長くして主導権握るのが老獪(ろうかい)だと思ってるなら、それは老獪ではなく老害よ。端的に説明をお願いします」

 

『ふふ、だいぶ碇に似てきたな。無論、良い意味でだが』

 

「しごかれましたので」

 

 ミサト相手に主導権を握ろうとする。その行為自体が、ミサトの中では冬月の評価を下げるマイナス点だ。ミサトは苦々しい思いを紛らわすため、腕を組んで足を鳴らした。

 

『その癖、変わっていないな。イライラした時の君の悪い癖だ』

 

「タバコは吸ってませんけど?」

 

『いやいや、使徒戦のときに腕を組んでメインモニターを睨んでいた事があっただろう?そのことを言ってるんだよ』

 

 

 

 

 

「そう。やっぱ見えてるのね(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

『!』

 

「加持くん!!」

「ほい来た!」

 

 ミサトとの阿吽の呼吸で動いた加持は、素早く携帯端末を操作する。操作したのはネルフLUNAの至る所にある監視カメラ。そのうちの一つが、件の人物を捉えた。

 

「冬月先生、見〜つけたってな」

 

 加持が(おど)けて見せる中、メインモニターにデカデカと映し出されたのは、通信相手である冬月の驚いた顔であった。冬月の髪は肩まで伸びた総髪で、時代劇に出てくるような着流しを着こなしている。

 

 その両目を見開いた冬月が苦々しく語る。

 

『・・・いくらなんでも早すぎるんじゃないかね?』

 

「そうでもありませんよ?ところどころ不自然な会話がありましたし」

 

 メインモニターの冬月を「簡単なことだよワトソン君」とでも言うように、ミサトが獣の如き笑みで見つめた。

 

「最初におかしいなって思ったのは、冬月先生が『電話でもかけるつもりで』って言ったところから。顔も見せてない音声でのやり取りに、わざわざ『電話』なんて単語使う?」

 

『使うだろう?電話と通信は違うのだから』

 

「そうね。まぁ、この時点では私もただの違和感程度しか感じてないわ。ただ、妙に電話ってところを強調してるなぁ〜ってくらい。確信に至ったのは、私が碇副司令代理に詰め寄った瞬間。あのタイミングで、冬月先生はいきなり笑い始めたわよね?いくらなんでもタイミングが良すぎるなぁ〜って思ってたのよ」

 

 ミサトが獣の笑みを解き、得意満面に自分の髪を指でくるくると巻く。

 

「その時からね。もしかしたら冬月先生は私達の声を聞いてるだけじゃない。見てるんじゃないか、って思ったのは。極め付けは私の仕草に対して、その様子を正確に指摘してきたこと。私が腕を組んだことなんて、音声だけの通信だけでは絶対わからないでしょ?」

 

『・・・・・・』

 

「ネルフLUNAの通信網はMAGIによって守られている。セキュリティレベルは世界最高峰よ?そんなセキュリティを破って、私達が憔悴しきってるタイミングで、都合よくハッキングして私達にコンタクトを取る?無理に決まってんでしょ、常識的に考えて」

 

『・・・・・・・・・』

 

「そこまで考えが及べば、あとは簡単。ネルフLUNAの通信は、ネルフLUNAの中でならなんの制限もない。この施設に身を置くこと自体が、すでに私達の信頼を得ている証拠だからね。あとは外部からの通信だと思い込ませる細工と、こちらの様子を伺うためのカメラをハッキングしてやればOK。冬月先生に権限を与えたのが誰なのかはわからないけど、冬月先生がネルフLUNAの中にいて、私達に連絡を取ったと結論付けるのは、的外れではなかったわよね?」

 

 沈黙。冬月はただメインモニターの向こう側で沈黙を守っていた。まるで一切の情報をミサトに与えてはいけない、とでもいうように。

 

 だがその態度が、ミサトの推理が的中しているという何よりの証拠。

 

「さ〜ぁ、冬月先生!観念してお縄に付きなさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いや、私が最初に「早すぎる」と話しかけたのは加持君になんだが・・・』

 

「へ?」

 

「いやいや、勘弁してくださいよ冬月先生」

 

 呆気に取られるミサトをよそに、加持はごく自然にあっけらかんと冬月の言を認めた。

 

「いくらなんでもボロを出すのが早すぎます。流石に庇いきれません。だったらもう、葛城に推理ショーをおっ始めてもらったほうが良いかなって思うのは自然じゃないですか?」

 

『いやしかし、いきなり映し出す事はないだろう?もっと、こう、少しは見つけるのに苦労する演技とかしたらどうかね?』

 

「いやぁ、ここは葛城に同意なんですが、流石に時間の無駄かと思いましてね」

 

『む・・・』

 

「加ぁ持ぃいいいいい!!」

 

 画面越しに和気藹々と会話を楽しむ二人に剛を煮やしたミサトが、手近なところにいる内通者(バカ)の頭を思い切り叩いた。

 

「アンタが入れたのねぇ!?冬月先生がLUNAにいるならいるって最初に言いなさいよ!私に報告もあげず遊んでんじゃないわよッ!」

 

「悪い悪い。だが冬月先生の事は言えなかったんだ。つい最近まで、冬月先生には飛び回ってもらってたんでね」

 

「はぁっ!?どう言うことよ!」

 

『なに、簡単なことだよ葛城総司令』

 

 画面の向こうで冬月が、腕を組んで顎をさすりながら、目を細めてニヤニヤと笑っている。まるで先程までのミサトの推理ショー(茶番)を真似るように。

 

『今の私は防諜部特別顧問。つまり、加持リョウジ君の使いっ走りというわけだ』

 

 

 ◇

 

 

 スタッフに連れられて、着流し姿の冬月が作戦司令室に入室してくる。痩身の彼に着流しはよく似合っていた。長い総髪も相まって、まるでどこかの任侠映画に出てくる用心棒のようだ。

 その冬月は部屋に入ってくると、懐かしい面々を見回し、その顔に実に優しい笑みを浮かべた。

 

「久しぶりだな。みんな元気にしていたかね?」

 

 その表情は生徒との再会を懐かしむ教師のよう。しかしその瞳に映る光景は、いささか騒がしいと言わざるを得ない。なぜなら葛城総司令と碇副司令代理によって、内通者である加持がゲシゲシと足蹴にされていたのだから。

 

「お久しぶりです。冬月先生」

 

 最初に声をかけたのはシンジだった。冬月は眩しいものでもみるように目を細める。

 

「ああ、久しぶりだなシンジ君。しかし、君もとうとう一児の父親か。時が経つのは早いものだな」

 

「僕たちの結婚は早かったから。といっても式も挙げてないんです。冬月先生にお知らせするのが遅くなってしまったんですけど・・・」

 

「なに、気にする事はない。君とセカンドチルドレン、アスカの事は知っていたよ。ちょくちょく加持君が近況報告してくれていたのでね」

 

「それよ、それ。冬月先生、一体どう言うことよ?隠遁したってのは嘘だったの?」

 

 加持を蹴り続けていたミサトとゲンドウが振り返り、冬月を問い詰める。対する冬月はどこ吹く風だ。

 

「その通りだよ、葛城総司令。隠遁は隠遁だが、一応、世界情勢などは気にしていたからな。ちょうど手の足りない防諜部からスカウトを受けたというわけだ」

 

「加持君から、か。ならば冬月、お前はなぜ私や葛城総司令に連絡を寄越さなかった?お前の存在自体は、我々の責務として知っておかなくてはならない」

 

「あ、それは俺が頼んどいたんです。組織のトップにも秘密にしておいた方が、冬月先生が動きやすいだろうって思って」

 

 ゲンドウの冬月への質問を、これまたあっけらかんと答えた加持は、またしてもミサトとゲンドウによって足蹴にされた。

 

「もうコイツ、降格した方がいいんじゃないですか?碇副司令代理」

 

「私としてもその意見には大いに共感できるが、残念ながらこの男は優秀だ。おいそれと代わりを用意できるものでもない」

 

「そろそろ話を進めたいのだが、良いかね?」

 

 加持の処遇を決めあぐねている二人に向かって、若干蚊帳の外に置かれていた冬月が声をかける。それを合図に、ミサトの意識も切り替わった。

 

「そうね。メインメンバーは集まってきているし、このまま会議を始めましょ。シンジくん達は一旦家に戻ってもらって・・・」

 

「いや、ここからの話はシンジ君たちにも聞いてもらった方がいいだろう。済まないが残ってもらえるかね?」

 

「え、あ、はい。わかりました・・・」

 

 ミサトの指示に従い退室しようとしていたパイロット達が立ち止まる。シンジ、アスカ、トロワ、シス。そしてミライを抱いたままのカトルが、作戦司令室の一角に集まった。

 

「済まないね」

 

「別に気にしてないわよ。これからの作戦なら、アタシ達がいた方が早くまとまるんでしょ?」

 

 冬月の謝罪をアスカがぶっきらぼうに受け取る。それを聞いた冬月は嬉しそうに頷いた。

 

(この娘も変わった。母親になったからか、以前にも増して態度に余裕が伺えるな・・・)

 

 冬月を踏まえたネルフLUNAメンバーが勢揃い。最初に口火を切ったのは、やはり冬月であった。

 

「会議を始めるにあたって、まず私が今まで何をしていたかを話しておこう。つまらないと思うが、やはりここから話さなくてはな」

 

 冬月が面々を見渡す。

 

「私はネルフLUNA建造前、もっと言えばアルマロスの騒ぎが収まった後、君達が新生の月を作る前にネルフJPNを離れた。その後、私は加持君からスカウトを受けたわけだが、その際に一つの望みを叶えてもらう事にした」

 

「望み・・・?」

 

 冬月の説明に、トロワが不思議そうに首を傾げる。その顔を見ながら、冬月は苦笑しつつ頷いた。

 

「ファーストチルドレン、いや、綾波レイ・トロワ。その通り。望みだ。簡単なものだよ。世界旅行をさせてくれとお願いしたのだ」

 

「世界、旅行・・・」

 

「私はネルフの前身であるゲヒルン創設から今に至るまで、仕事で世界中を飛び回った事はあったが、ゆっくりと観光した経験が無くてな。一度じっくり一つ一つの国々を見てみたいと思っていた。旧ネルフの解体時には京都から動けなかったからな。まぁ、加持君は二つ返事で了承してくれた、と言うわけだ」

 

「実際、冬月先生には世界中の様子を見てきて欲しかったですしね。防諜部として世界情勢の情報収集は欠かしてはいなかったが、民衆の生活や態度なんかも意外と重要だ。それをじっくり見てきてもらえるのは、俺としても助かってたところだ」

 

 冬月の語った望みの内容を、加持が補足する。要するに、この時点で二人の利害は合致した、ということだ。

 

「そうやって観光を楽しみつつ、加持君と連絡を取り合っていたわけだが、私はそうしているうちにある事に気付いた」

 

「ある事?」

 

 ミサトが眉をしかめる。その顔を見遣り、冬月は頷いた。

 

「アルマロスの起こした騒乱。それを鎮めたネルフJPNに対し、世界各国は基本的には支持をする構えだった。しかし各国の一般人たちの話を聞いてみると、少し食い違っている事が多かったのだよ。大衆は月まで作ったネルフJPNに感謝はしていたが、どうやらお上の意向はそうでも無いらしい。いつネルフJPNが全世界に向けて戦線を布告するか。そう(うそぶ)くお上と大衆のすれ違いによる不安が、世間一般においても見え隠れしていたんだ」

 

「プロパガンダ、みたいなものかしら?」

 

「そうだ」

 

 リツコの指摘にも、冬月は頷いた。

 

「政府や国家の思惑というのは、国ごとにその形態こそ違えど、民衆への影響力というのは決して無視できない。防諜部でもそういった情報を集めていたようだが、私はそれをより身近に、リアルに感じ取る事ができた。『恐らく近いうちに、世界はネルフJPNに牙を剥く』と・・・」

 

「そしてそれは、実際に起こった・・・」

 

 技術顧問のマヤが唸る。

 

「かなり緻密で、慎重に準備を進めていたのだろう。オルタナティブ・エヴァンゲリオンの情報なども、名前こそ伏せられていたが、新兵器という単語はそこかしこで聞いた。各国の悪感情も次第に表面化してきていたな」

 

 しかし、と冬月は続ける。

 

「相田ケンスケ、それとあのオルタナティブ・エヴァンゲリオンは別だ。アレは恐らく各国の思惑とは関係ない、別の理屈で動いているように思える」

 

 その言葉に、皆が頷く。先ほどの映像から見るに、ケンスケの取った行動は世界のどの国にとっても利益をもたらすものではなかったはずだ。唯一ネルフユーロだけがケンスケを所属させているが、ユーロがケンスケの手綱を握れているとはとても思えない。

 

「もしかしたら・・・」

 

 ミサトの疑念。

 

「相田ケンスケ自身のことは置いとくとすると、ユーロはケンスケが好き勝手暴れても気にしてない、とか・・・」

 

「それは私も考えたよ、葛城総司令。そして、それは正しいと私は確信している」

 

 冬月が再び、全員を見回す。

 

「つい先ほど、ユーロに潜伏している私の右腕から連絡があった。ネルフユーロ内でクーデターが起きたそうだ」

 

「!!」

 

「このクーデターでネルフユーロの司令が死亡している。今のユーロの司令は、もともと実権を握っていたネルフユーロの副司令、ジル・ド・レェだ」

 

「まさか、内輪揉め!?」

 

「恐らくな。相田ケンスケの暴挙は勿論ユーロも知っていたと思うが、ユーロ内部はそれどころでは無かった。これは恐らくジルのクーデターを世界の目から逸らすための作戦だったのだろう」

 

「そんな、そんなくだらない事で・・・!」

 

「日本を落とした。それだけの戦力が相田ケンスケにはあり、世界は日本に釘付けになった、と言うわけだ」

 

 痛々しい沈黙が流れる。あまりにも馬鹿げた、人の業。それだけのことで、一体どれだけの命が失われただろうか。

 

 そんな中で沈黙を破ったのは、やはり葛城ミサト総司令であった。

 

「ヤツの、ジルの目的は?まさか司令としての立場が欲しかったとかそれだけの理由じゃないわよね?」

 

「もちろんだよ、葛城総司令」

 

 冬月は首肯すると、コンソールの端末をいじり始める。メインモニターにセカンドインパクト以前の世界地図が映し出された。それも、第二次世界大戦前の国家の勢力図が色で仕分けられた状態の地図だ。

 

「ヤツの目的は、恐らくコレだよ」

 

「世界地図?いったい、これの何が・・・」

 

「そういうことか。くだらん」

 

 冬月の意図を掴めきれなかったシンジと違い、ゲンドウは冬月の意図を正確に読み取った。冬月が生徒を指名するように、ゲンドウに続きを促す。

 

「かつてイギリス、フランス、ドイツといったヨーロッパ一帯は、世界の強国として君臨していた。18世紀の産業革命に始まり、第二次世界大戦が終わるまでには、近代鉄鋼業はヨーロッパがそのほとんどを占めていた」

 

 ゲンドウの言葉と共に、画面上のヨーロッパの地図がひとまとめに色分けされ、そこから世界各国に対して矢印が伸びる。ヨーロッパの世界進出の勢いの良さを、その矢印は正確に示していた。

 

「だが、大戦の終わり、そしてセカンドインパクトによる地軸のズレが、彼らを世界の王座の椅子から引き摺り下ろした」

 

 ゲンドウの言葉と共に、ヨーロッパの勢力図が徐々に萎んでいく。

 

「特に影響が大きかったのが地軸の変動だった。これによりヨーロッパ一帯は極寒の地となり、彼らの多くは動きを制限された。それでも、かつての栄光を取り戻したいと思う者達が少なからずいる。ネルフの上層部、ゼーレにも少なからずその思想はあったようだな」

 

「だがその思想は、再び芽吹き始めた。君たちネルフLUNAが作った月によって。地軸を安定させ、気候を元に戻した時に・・・・・・」

 

 冬月が端末を操作し、画面の映像が消える。

 

「ジル・ド・レェがこの思想を元に、ヨーロッパを再び世界の強国に確立させたがっている事はほぼ確定だろう。今回の対ネルフLUNA連合も、発起人はネルフUSAだっただろうが、世界の覇権争いに先んじて駒、つまり相田ケンスケを進めたのはネルフユーロであったというわけだ」

 

 再び訪れる沈黙であったが、彼らの表情は悲痛なものではなかった。特に現在のネルフLUNA首脳陣は、皆一様に口を手で覆い、今得た情報の精査と、これから取るべき選択肢を(ふるい)にかけている。

 

 チルドレン達は、その中でも特にシンジは、焦った表情でその成り行きを見守っていた。しかし5分、10分と経とうとも、彼らが思考の海から帰ってくることは無い。

 

 とうとうシンジは声を荒げた。

 

「いい加減にしてくださいよ!こんな話し合いに時間を取られてる場合ですか!?早く地球に、日本に戻って、みんなを助けないと・・・・・・」

 

「あら。バカシンジもようやくその気になったのね」

 

「あんな映像を、あんなケンスケを見せられて平気でいられるわけないよ!アスカの怒りももっともだ、今なら戦える!ケンスケを止めなきゃ、日本は・・・」

 

「その一手だけはあり得ないのだよ、シンジ君」

 

 激昂しかけていたシンジに冷や水を被せたのは冬月だった。シンジの焦りと怒りの瞳が冬月を射抜くが、冬月はそれをより強固な決意の眼差しで弾き飛ばした。

 その眼差しを見たシンジの勢いが止まる。シンジが止まったのを確認すると、冬月は諭すように、シンジに語りかけた。

 

「今、我々が考えているのは、だ。この混沌とした世界情勢の中で、どうすれば我々は生き残れるのか。どんな形でなら生き残れるのか。その中で一番良い選択肢は何か、ということなんだよ」

 

「・・・え」

 

「状況を整理しよう。一旦集まってくれるかね?」

 

 冬月がこの場にいる主要メンバーを集める。エヴァのパイロット達も指示に従った。ただ、シンジの怒声にびっくりして泣き出したミライを抱いたカトルは、迷惑にならないように司令室を後にしたが。

 

「さて、世界の情勢についてだが、これは大きく分けて4つ、いや、5つに分かれていると私は思っている」

 

 冬月の言葉に、ネルフLUNA首脳陣は頷く。だが、チルドレン達には今の状況がハッキリと分からない。それを分かっているからこそ、冬月は彼らに向けて説明を続けた。

 

「5つのうちの一つはここ。我々、ネルフLUNAだ。ネルフLUNAは国際的なテロリストとして報道されていて、本日の戦闘映像も世界各国へと配信されている。武力の高さから、世界で最も危険視されている組織だが、対ネルフ連合軍艦隊を破った現状では、おいそれと手を出せない存在となった」

 

 冬月が右手の指を一本立てる。

 

「続いて、先ほど発生した新勢力『エグリゴリ』。これを勢力として数えるのは現段階では微妙なところではあるが、相田ケンスケの駆るエヴァンゲリオン・シェムハザとそれが呼び出すエンジェルキャリアー、使徒どもは明確な脅威だ。日本を蹂躙し、七日で火の海にすると言っていたが、決して大袈裟ではないだろう。相田ケンスケの目的は不明だが、今や世界中が彼の動きに注視していると言わざるを得ない」

 

 冬月が2本目の指を立てる。

 

「次にネルフユーロ。ここは内部でクーデターが発生して混乱を極めているが、これは直ぐに収まるだろう。ジル・ド・レェは強硬な男だと聞いている。不穏分子は片っ端から切り捨てて、自分の動きやすいように組織を変えている真っ最中だろうな。何よりも厄介なのは、彼らの残存兵力が我々の敵対している組織の中で一番精強ということだろう。エヴァンゲリオンであるウルトビーズにAE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)、そこにもし『エグリゴリ』が加われば手を付けられん。ここを如何にして打ち破るかが、今後の盤面を大きく変えてくるだろうが・・・」

 

 3本目の指を立てたところで、冬月はふぅと一息ついた。そのあとを引き継ぐように、代わって加持が続きを話し始める。

 

「良いニュースかどうかはわからないが、四つ目の勢力であるネルフUSAは、今回の相田、およびネルフユーロの裏切りに対してかなり頭にキテるらしいぞ。先程、ネルフUSAのマキシマス大佐が取材に応じてるのを見たが、USAが俺たちを潰すために費やした兵力はなんと全兵力の7割弱!ハッキリ言って、ここまで消耗してしまえばUSAは脱落するしかないだろうな。だが、マキシマス大佐はユーロの裏切りを、地球規模の危機で味方を裏切った史上最悪の極悪人の集まりと罵っている。現在ヤツらは、日本に残っていた兵力を呼び戻して部隊を再編成、その後に日本のシェムハザを討つために力を温存していると発表した」

 

 加持が懐からタバコを取り出して火を付ける。

 

「最後の勢力であるところのネルフASIAだが、俺はココが一番不気味だな。俺たちとの戦闘で一番犠牲を出したのは、数だけでいうならASIAだ。だがヤツらは人口の多さと、質を度外視した劣悪なAEの大量生産に物を言わせて、総戦力でいえば世界で一番突出している。にも関わらず、代表の王紅花はなんの声明も出さず、軍にも目立った動きは無い。海を跨いですぐそこにある日本で、ネルフユーロの手先が暴れ回っているにもかかわらず、だ」

 

 加持は煙を肺いっぱいに吸い込むと、ふぅーーっと強く吐き出した。

 

「以上が、今地球上における五大勢力ってところか。冬月先生、合ってます?」

 

「ああ、百点満点だ」

 

「そりゃどーも」

 

「んで?それがなんで『日本を助けない』っつー話になるわけ?」

 

 大人からの授業が終われば、次は生徒からの質問タイムだ。それに真っ先に手を挙げたのはアスカであった。

 

「アタシ達にとってかなり有利な状況じゃない。加持さんの言う通りASIAは確かに不気味だけども、アタシ達が恐れられるほどの戦闘能力を持っていることを全世界は知ったワケよね?だったら勢いこのままに、あのボケを殺しに行くのは悪くないとおもうけど?」

 

「そう簡単にはいかないのよ、アスカ」

 

 質問に答えたのは総司令であるミサト。

 

「確かに私達は死人を出さず、ほぼ完勝と言っていいほどの戦果を上げた。でも、決して無傷じゃない。トロワの0・0エヴァ改は修理が長引く状況だし、そもそもネルフLUNAは専守防衛の設備よ。実際に打って出るとしたら、出せるのはエヴァンゲリオン最終号機、シスのアレゴリカ、そしてアナタだけ。つまり三機のエヴァしかないのよ」

 

「そんだけ居ればヨユーじゃない。何がダメなのよ?」

 

「いい?他の勢力が私たちに手を出せないのはね、『ネルフLUNAという堅固な拠点をエヴァという最強兵器が守ってるから』なのよ。たった三機しかないエヴァが全て日本に行ってみなさい。ここにはあっという間に他の勢力が襲いかかってくるわ。それこそユーロかASIAあたりがね」

 

「う・・・、それは確かにそう、だけど・・・」

 

「でも!」

 

 尻すぼみになってしまったアスカの背を押すように、シンジが再び声を荒げた。

 

「ネルフUSA!そこはケンスケを倒そうとして軍隊を編成し直してるんですよね!?だったら僕たちと手を組む絶好の機会じゃないですか!そうだよ、今のうちに、僕たちで同盟を組んじゃえば・・・」

 

「シンちゃん・・・・・・」

 

 はぁ、とミサトは頭を押さえて大きなため息を吐いた。それが癇に障ったシンジはまた声を出そうとしたが、それはリツコの上げた手によって遮られた。

 

「シンジ君。貴方、今日、自分の仲間を殺した人間と隣で一緒に戦える?」

 

「っ!そ、それは・・・」

 

「無理よ、絶対。私達は戦争に勝って、死人も出ていないから心に余裕がいくらか残っているけれど、敵はそうはいかないわ。相田ケンスケと同じくらい、きっとUSAは私達を憎く思ってるはず・・・」

 

「で、でも・・・」

 

「仮によ?仮にUSAと手を組めたとしましょう。でも忘れてないかしら?USAは全兵力の7割を失っているのよ?そんな戦力で、USAは『エグリゴリ』に、使徒やエンジェルキャリアーに勝てると思う?相手はATフィールドを持っているのよ?それこそ私達を苦しめたリアム・アンダーソン級の兵士がダースで出張って来ない限り、勝ち目はゼロでしかないわ」

 

「でも、そこに僕たちが加われば!」

 

「勝てる、かもしれないわね。『エグリゴリ』には。でもねシンジ君。隣で静かにしてるASIAまで相手にできる?その後に備えているだろうユーロは?そこまで戦い続けて、勝てると思う?」

 

「そ・・・・・・」

 

 淡々とリツコに問いただされ続け、シンジの声は遂に勢いを失った。それを見たリツコも加持に倣い、タバコを取り出して火をつけた。

 

「冬月先生が世界情勢を話したのはね、どこか一局面だけ見てエヴァを動かしたら、私達は絶対に生き残る事はできないってことを、貴方達に理解してほしかったからなの。そうですよね?冬月副司令代理補佐?」

 

「冬月先生で構わないんだがな・・・」

 

 そう言いながらも、冬月は首を縦に振る。それを見たシンジは、いや、シンジだけでなくエヴァのパイロットの全員の顔に『諦めなくてはならないのか?』という感情が刻まれていた。

 

「ちょーーっち、待ってちょうだい」

 

 そこに割って入ったのは、彼らの保護者であり、いつだって彼らのことを第一に考える頼れる司令官、ミサトだった。

 

「ウチの子達をあんまりイジメないでよ、みんな。私は『簡単にはいかない』って言っただけで、無理なんて一言も言ってないわよ?」

 

「ミサトさん・・・!」

 

「ほう・・・・・・」

 

 冬月は、この現ネルフの最高司令官の発言に興味深けに耳を傾ける。その他の面々も、ほとんどが冬月と同じ心境だったためか、ミサトの次の言葉を待っている。

 

「日本を救う。そのための手立てがあると言うのだな?葛城総司令」

 

「へ?いや、そんなもんないわよ?」

 

 ゲンドウの問いに、ミサトは虚を突かれたような返答を寄越した。ゲンドウの額に青筋が浮かぶ。

 

「でも、やってみなきゃわかんない事ってあるじゃない・・・?」

 

 ミサトの獣の様な笑みが、この場にいる全員を見渡す。

 

「希望はあるわ。いつだってね」

 

 その自信に満ちた表情に、チルドレン達の顔にも希望が宿っていく。この司令官ならやりかねない。いや、むしろやる。いつだって馬鹿げた作戦で、自分たちを導いてきたミサトだからこそ、この局面においてもやらかしてくれるという、信頼の籠った顔だった。

 

 ミサトがふっ、と息を吐き出す。

 

「いい?この作戦は・・・・・・」

 

 そう言いかけたミサトを遮り──、

 

 

 

 

 

「碇クンッ!!」

 

 

 

 

 

 作戦司令室に飛び込んで来たのは、ミライを抱いたカトルと──、

 

 

 

 

 

「ミライッッ!!」

 

 

 

 

 

 その腕の中でぐったりとしてみじろぎ一つしない、まだ生後三ヶ月に満たない、青白い顔をした赤ん坊の姿であった。

 

 

 

 

 

つづく



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q.この星の海に産まれた者として

 

 とある建物の屋上で、夜空を見上げる女性がいた。

 

「はぁ〜あ。まさか、こんな形で戻ってくるなんて、ついてないにゃ〜・・・」

 

 女性は無造作に伸ばした髪を夜風に散らされながら、手にしたコーヒーを一口啜る。冬の寒さでとっくに温くなっていたコーヒーは、白衣を羽織った彼女には物足りなく感じたようだ。

 

「まぁ、面白いものも見れそうだし。人〜生ラックッあ〜りゃ苦ぅ〜もあ〜る〜さ〜ってね♪」

 

 女性は残り少なくなったコーヒーを一気に飲み干すと、ふはぁっと白い息を吐き出す。夜風がそれをさらい、星の海へと連れ去っていった。

 

「とはいえ、今回は中々の無茶振り・・・。流石に心折れそ〜!歳も歳だし、あんまり無茶したくないんだけどなぁ」

 

 女性がそう呟いた時、彼女の後ろでドアの開く音がした。振り返ればそこには、黒服にサングラスの男性が銃を構えて立っている。

 

「こちらにいらしたのですね。探しましたよ」

 

 黒服は銃を構えながら、ゆっくりと女性に近付いてくる。

 

「お聞きしたい。貴女は『どちら側』ですか?」

 

「それって聞く意味のある質問?」

 

「・・・・・・いえ。悪ふざけが過ぎましたね」

 

 黒服が拳銃を下ろす。

 

「貴女は誰の味方でもない。でしょう?」

 

「それは言い過ぎ。私は私が好きな人の味方だよん」

 

 女性はそういうと、手にしたマグカップから手を離した。重力に任せて落下したマグカップは、地面にぶつかって粉々に砕け散る。

 

「少しは抵抗した、っていう演出。どう?」

 

「あまり意味はなさそうですが・・・」

 

「わぁかってるよ。んで?私はどこに連れて行かれるのかにゃん?剣崎さん、だっけ?」

 

 女性は両手を上げ、降参の姿勢を見せた。それに対して黒服の男、剣崎キョウヤも銃を仕舞う。

 

「まずはジル・ド・レェ司令の所に。話はそれからになります」

 

「はいはい。もう好きにしちゃって〜。年増だけど、胸には自信あるよん?」

 

「そういった対応をジル司令が求められるのであれば、ですが・・・」

 

「ジョーダンだよ、ジョーダン。真面目なんだね、剣崎さんは」

 

 にゃはは、っと軽い笑顔で返す女性を見た剣崎は黙って踵を返す。付いてこい、という事らしい。

 

「まあ、今回のアタシはボーナスタイムみたいなもんだからね。やれるだけの事はやりますよ〜んっと」

 

 剣崎とその後ろに続く女性。2人は寒空の下から避難すべく、屋上を後にした。

 

 

 

 ここはネルフユーロの研究棟。つい先ほどまで階下では血生臭いクーデターが起きていたはずだが、今は静寂そのものだ。どうやら事件は無事、収まったらしい。それが誰にとっての『無事』かは、捉え方次第だ。

 

 そして、それと共に、新たな陰謀の幕が上がる。

 

 いまこの場から去った彼らが舞台に上がるのは、もう少し先のことになるだろう。

 

 

 

──────

 

 

 

 「集中治療室」と掲げられた部屋の前には、シンジとアスカ、そして三人の綾波レイが、皆一様に俯きながら吉報を祈るようにして待っていた。

 特にカトルは、自分の心を癒してくれた幼子が、自分の腕の中で動かなくなってしまったことに、強いショックを受けているようだった。涙で泣き腫らした顔を隠すこともなく、両手を握りしめて、幼子の無事を祈っている。その肩を優しく抱くのは、彼女らの姉、トロワであった。

 

「ミライちゃん、だいじょうぶかなぁ・・・」

 

 いつもは元気いっぱいのシスも、流石に事態の重さを理解しており、ずうっと集中治療室のドアを眺めている。

 

 そのミライの両親であるシンジとアスカは、治療室の前に備え付けられているベンチの上で、ただ項垂れていた。無理もない。彼ら夫婦にとって、ミライは特別だった。

 

 アスカのお腹の中で、生まれるまで2年成長してきた我が子。懸念されていた身体的特徴の齟齬などはなく、極々普通の赤ん坊として生まれてきてくれたこと。その事に感謝しつつ、家族として3人で過ごした日々は、シンジとアスカの幸せの象徴だった。

 生まれてから三か月弱。特に異変もないため半ば安心しきっていたタイミングで、ミライに起きた異常事態。原因は不明。しかしそれでも、「何か自分たちが悪かったのだろうか」と考えてしまうのは、この二人が立派に親として成長している証だ。

 

 ただ、その証としてこれだけの精神的苦痛を受けるとは、夢にも思わなかったのだが。

 

「碇くん。アスカ」

 

 トロワが優しく、二人に話しかける。

 

「だいじょうぶ。ミライちゃんは強いわ」

 

「悪いんだけどトロワ。アタシ、今なにを言われても腹が立ちそうなの。少し黙っててくれる?」

 

 それに刺々しく応えたのは、母親であるアスカ。

 

「八つ当たりだって、わかってる。でも、ごめん。今は、ほんとにムリ・・・・・・」

 

「アスカ・・・」

 

「なんでよ・・・。なんで、アタシはあの子の異常に気付けなかったの・・・?母親で、いつも一緒にいるはずのアタシが、あの子がこんなになるまで気付けないなんて、あり得ないでしょ・・・・・・」

 

 あり得ない。それは、アスカが自分の不甲斐なさゆえに吐露した言葉。その言葉とともに、アスカは堰を切ったように嗚咽を漏らした。その肩を、シンジがしっかりと抱きしめる。

 

「大丈夫。絶対、大丈夫だよ。アスカ」

 

「うぅ、うううう、うあああああ・・・」

 

 シンジは妻と、自分に向けて「大丈夫」と言い聞かせた。しかし、それでも不安は拭えない。アスカの静かな慟哭とともに、シンジの頬にも涙が伝った。

 

 不甲斐ない親。その重圧に、あとどれだけ耐えなくてはならない?いや、もしかしたらこの重圧は、最悪の場合が起こればそのまま二人を押し潰してしまうだろう。「絶対にそんな事は起きない!」と強く思う一方で、「もしあの扉から、ミライが出てこなかったら?」という不安も取り除けない。

 

 彼らはただ自身の心に戒めと後悔の傷を刻み続けながら、ひたすらに待つことしかできなかった。

 

 

 

 やがて───、

 

 

 

「お待たせ」

 

 

 

 集中治療室から出てきたのは、医師としての職分も全うする赤木リツコ博士と、その助手として同席した伊吹マヤ技術マネージャー。

 

 その二人だけ、だった。

 

「・・・ッ!ミライ、ミライは!?」

 

 アスカが取り乱したようにリツコに縋り付く。泣き腫らしたアスカの顔を見たリツコは、安心させるように笑顔を返した。

 

「だいじょうぶ。ミライちゃんは元気になったわ。今はまだ、治療中だから出てこれないけど・・・」

 

「そんな・・・嫌よ、リツコ。ミライに、ミライに会わせてぇっ!」

 

「アスカ!」

 

 取り乱したアスカを、シンジは後ろから抱きしめた。

 

「大丈夫・・・!リツコさんが大丈夫って言ったんだ。大丈夫なんだよ、きっと・・・」

 

「ええ、ミライちゃんの体調については順調に回復に向かってるわ。そこは保証する。かなり焦ったけどね」

 

 リツコはアスカの両手を優しく振り解くと、ネルフLUNAの廊下の壁に背を預け、懐からタバコを取り出した。

 

「マヤがいなかったら、きっと私には原因はわからなかった。だから感謝するなら、どうぞ、マヤに・・・」

 

「いえ、先輩のおかげです。私はキッカケに気づいただけですし・・・」

 

「キッカケ・・・」

 

 シンジとアスカは、マヤの言葉をオウムの様に返した。その反応に、マヤとリツコは頷いた。

 

「この後、貴女たちはミライちゃんに会ってもらうわ。ただ・・・一本だけ吸っていい?」

 

 そう苦笑しながらタバコを見せてくるリツコに、シンジは手の動きで「どうぞ」と促した。それを受けて、リツコはタバコを咥えると火をつけ、実に美味そうに煙を肺に迎え入れた。

 

 ふぅーーーっと長い煙を吐き出すリツコ。その顔が、少しだけ強張る。

 

「先に言っておくわ。ミライちゃんは元気。これは間違いない。ただ、今、私達がとった『治療方法』については、おそらくみんなビックリすると思うわ。だから、何があっても驚かないって約束、できるかしら」

 

 リツコの試すような眼差しに、いつもなら「はいっ!」と即答するはずのシンジとアスカは気圧されてしまったのか、すぐに返答する事ができなかった。

 だが、自分たちの娘は元気。この言葉を信じて、リツコの指示に従うしかない。二人も、その後ろにいたトロワ、カトル、シスも、黙って頷いた。

 

「強いわね、貴方達。いや、強くなった、って言い方の方がいいのでしょうね」

 

 

 

 

 リツコに連れられて皆が通されたのは集中治療室のさらに奥、かつ、ネルフLUNAの外壁に沿った形で設立された、宇宙空間での作業および実験を行うための小実験室。ネルフLUNA技術部管轄の狭い部屋だった。小さな会議室ほどの広さはあるが、この部屋には机や椅子といったもの、それどころか細かな装飾といったものが存在しない。なんとも殺風景な部屋であった。

 それも当然と言えば当然。この部屋は、さらに奥にある部屋から宇宙服を着た作業員がネルフLUNAの外に出るための準備をする、そのためだけのエントランスなのだから。

 この部屋には大きな窓があり、そこから太陽光が室内に照射されている。フィルターとして何十にも重ねられたガラス窓であり、これが無ければ、部屋に入った瞬間に人間は焼け死んでいるだろう。

 

 そんな危険な場所に、娘がいる。そう聞かされたシンジ達は気が気ではなかったが、意を決して部屋に入ってきたのだ。

 

 だがそこに、ミライの姿は無かった。

 

「ちょっとリツコ!どういう事!?説明して!ミライはどこなの!?」

 

 ヒステリックに声を荒げるのはアスカ。彼女の疑問はもっともで、それはこの部屋に通された全員が思っていた事だ。ただ最初に声を上げたのがアスカなだけだ。

 

「落ち着いて。ミライちゃんならあそこよ」

 

 落ち着いた仕草でリツコの指が示したのは、窓の『外』。

 

 シンジとアスカの顔が一気に青ざめた。

 

 シンジとアスカはベタァッと窓に張り付く。窓から見える景色は無限の暗闇に浮かぶ星々と、いささか大きく感じる太陽。

 

 そして、ネルルLUNAから伸びたチューブの先に取り付けられた、簡易的なエントリープラグのようなカプセルであった。しかもそれには、窓があった(・・・・・)

 

「ミライぃッ!!」

 

 シンジが悲鳴を上げる。途端、アスカはリツコに踊りかかった。

 

「アタシ達の娘に何してんのよ!!?」

 

「くっ、アスカ、落ち着いて・・・」

 

「できるかッ!あんた、ミライを殺す気!?あんな場所であんな粗末なカプセルで!太陽光や放射線なんか防げるわけないでしょ、赤ん坊が生きられるわけないでしょッ!!?」

 

「アスカ!アスカ、待って!」

 

 リツコに組み付いたアスカを引き剥がそうと、マヤがアスカを後ろから羽交締めにした。

 

「クソ!クソ!なんなのよ!早くミライを、戻さないと、死んじゃうじゃないッ!!」

 

「違うのよアスカ!ミライちゃんはあそこじゃないと『生きていけない』の!!」

 

 

 

「は?」

 

 

 

 あまりにも突拍子もないマヤのセリフに、アスカは毒気を抜かれてしまった。

 言っている意味がわからない。一体なんの冗談だ?ミライがあそこでないと生きていけない?あんな、あんな狭いカプセルの中だけ?

 

「ふぅ・・・、いい?みんなも落ち着いて聞いてちょうだい」

 

 乱れた白衣を正しながら、リツコは大きく息を吸って、吐き出す。そして意を決したように説明を始めた。

 

「地球上、いや、太陽系に生きる全ての生物は、太陽無しでは生きられない。太陽の光は女性のお肌にとって大敵のUVを照射しているけれど、それよりも重要なのは太陽光によって生物の体の中でビタミンDを生成することよ」

 

 リツコが面々を見渡す。

 

「ビタミンDはカルシウムの吸収を助け、より強い骨を作る。それ以外にも免疫の機能調整や維持にも役割を持ち、ホルモンに働きかけて体中の細胞に様々な指示を出す、重要な成分なの。

 

 ミライちゃんには、それが不足していた。あの子の症状はその欠乏症、それと酷似していたの」

 

「そーなの?」

 

 無邪気に問い返すのはシス。そのシスは、さらに上乗せで質問をした。

 

「あれ?でもミライちゃん、普通にネルフLUNAの中で遊んでるよね?お日様の光もしっかり浴びてたと思うんだけど・・・?」

 

「そうよ、シス。だからこそ私達は気付けなかった。何か別の要因だろうと、必死に手を尽くしたけどどれも空振り。そんなところに、マヤからの助言があったの」

 

「はい。もしかしたら『足りない』んじゃないかなって・・・」

 

「足りない?」

 

 シンジがアスカの肩を両手で抱きながら聞き返した。

 

「ええ、シンジくん。ミライちゃんは一見、普通の子供と何も変わらない。でも、やっぱりミライちゃんは『新しい人類』なのよ」

 

 否定でも、ましてや差別などでもない。ただの、純然たる事実。

 

「私が見てきた限りでは、シンジくんの精子とアスカの卵子、それと異常なまでの細胞分裂を繰り返して産まれてきたミライちゃんは、やっぱり普通の子じゃなかったの。ミライちゃんは恐らく、体内のエネルギー消費量がとても多い。それはきっとあの異常な細胞分裂から得た、新人類としての肉体強度に関わってると私は仮説を立てた・・・」

 

 マヤが掛けていたメガネの位置を直す。

 

「普通の食事は、アスカのお乳で多分大丈夫。アスカはエヴァと融合できる人類だから、きっと母乳にはミライちゃんに必要な成分がたっぷり入ってるんだと思う。・・・後で検査してみていい?アスカ」

 

「んなもん、いくらでも持ってっていいわよ。それより!ミライはつまり・・・どういうことなのよ!?」

 

「ミライちゃんに必要なのは大きく3つ。一つは食事。一つは環境。そして最後はもちろん、酸素がある事・・・」

 

 マヤに代わってリツコが説明を続ける。

 

「新人類であるミライちゃんは、地球上で得られる通常の日光ではまるで足りない。常人の被爆許容範囲を遥かに超えるX線や大量のガンマ線とそれと荷電粒子。あの子が必要としてたのは、ソレだったの」

 

 リツコが携帯端末を取り出して操作すると、部屋の壁の一面にミライの姿が映し出された。

 

「だぁーだ!んーま!」

 

 きゃっきゃっと、まるで何事もなかったかのように元気な姿のミライが笑っている。その笑顔を見て、アスカとシンジは緊張の糸が切れたのか、ずるずるとその場にへたり込んだ。

 

「よかった・・・よかった・・・!」

 

 シンジが嗚咽を漏らす。その様子に、トロワたちもホッと胸を撫で下ろした。

 

「まるでこの星の海で生きるために産まれてきたような子。地球上では恐らく長くは持たなかった。ネルフLUNAに連れてきて正解だったわね、シンジ君?」

 

「はい・・・はい・・・ッ」

 

 シンジが顔を覆う。横のアスカも静かに涙を流して安堵の表情を見せていたが、その顔が何かに気付いたように凍りついた。

 

「リツコ・・・・・・」

 

「・・・何かしら。アスカ」

 

「・・・・・・さっき、『酸素も必要』って言った?」

 

 震える声で、アスカが聞いた。

 

 その質問は、リツコの想定の範囲内であった。

 

「その通りよ。アスカ」

 

 その肯定を聞いたチルドレン達は、一様にばっとリツコの顔を凝視した。

 

「つまり、ミライは酸素のある宇宙空間でしか生きられない?」

 

「そうよ、シンジ君。そして、そんな矛盾した環境が整った場所は、人類が到達できる範囲ではこのネルフLUNAの中だけ。彼女は、ネルフLUNAが無くなってしまえば生きていけないの」

 

 その言葉が、その事実が、まるで鈍器で殴られたような衝撃をシンジとアスカ、そしてトロワ達に与えた。

 

「将来的にミライちゃんがどうなるか、現段階ではわからない。もしかしたら成長と共に、地球でも生きられるようになるかもしれない。でも今は、この子はココでしか、生きていくことができないわ」

 

 リツコにしては珍しい鎮痛な面持ちとは逆に、画面のミライは屈託なく、笑っていた。

 

 

 

───

 

 

 

 ミライが元気を取り戻したということで、シンジとアスカ、そしてトロワ、カトル、シスはミライを連れて、碇家に帰宅していた。今は授乳を終えてお腹いっぱいになったミライが、寝室のベッドの上で大の字で眠っている。

 

「この寝相だけ見りゃ、豪快な子なのにね」

 

「アスカにそっくりだよ」

 

「どーいう意味よ?」

 

 場を和ますジョーク。言われたアスカもわかっているから、少し笑いながらシンジを睨みつけた。

 

「カトル、こっち来て」

 

 アスカが部屋の隅で不安そうに突っ立っているカトルに声を掛ける。カトルは言われるがまま、恐る恐る、ベッドに近づいた。

 その手をアスカが取り、ミライの頭の上にそっと乗せてやる。途端、ミライは寝ながらにニコォと笑顔になった。

 それを見たカトルの目尻に涙が浮かぶ。

 

「アタシ達がいない間、ミライのこと、任せたわよ」

 

「・・・ええ。わかった。任されてやるわよ」

 

 アスカとカトルは目を合わせて強く頷きあう。それを見たシンジも、意を決したように頷いた。

 

「行こう・・・!」

 

 シンジを先頭に、カトルを除いたチルドレン達が扉を潜る。覚悟と決意、そしてシンジを中心とした碇家の絆を胸に宿して。

 

 

 

 

 作戦司令室では、ミサトを中心にネルフLUNAの各設備チェックが進められている。ネルフLUNA運営のための日常業務だ。先程まで行われていた作戦会議は、ミライの騒ぎが起きたことで中断されていた。

 

 そこに、シンジ達が入室してくる。シンジが室内を見渡せば、ミライを診てくれたリツコやマヤの姿も見てとれた。振り返ったミサトが優しい笑みを湛えていることから、恐らく報告は上がってきているのだろうと推測できる。

 

「ひとまずは安心ね、シンちゃん」

 

「はい。お騒がせしました」

 

「いいのよ。ミライちゃんは私たちの希望の星なんだから」

 

 そう言うとミサトは両手をパンパンと叩いた。作業していたスタッフ達の手が止まる。

 

「さーて。じゃ、作戦会議の続きをやるわよ。だけどその前にシンジ君。あなたの今の最優先事項を教えて?」

 

 ミサトが優しい笑顔で、シンジに質問を投げ掛けた。受けたシンジの瞳には、強い決意の光。

 

「家族を守る事です。アスカやトロワ、それにここで一緒に過ごしてきたみんな。何よりミライを守りたい。だから僕の今の最優先は、このネルフLUNAを守る事です」

 

「よろしい。それが聞けて安心したわ。じゃあさっきの続き。私の考えた作戦を説明するわよ」

 

 ミサトが腕を組んで、集まった面々を見渡した。

 

「最初に言っておくわ。シンジ君に確認を取ったけど、私たちの最優先事項は生き残る事。そのために、ネルフLUNAを守る事。これを主軸にして作戦を練らなければならない。だから、私がこれから話す作戦は『日本を救うためのものじゃない』って事だけは理解しておいて」

 

 ミサトの非情とも取れる決断であるが、それを否定する者はいない。

 

「今の私たちが取れる最善手は、地球で起きているイザコザの一切を無視し、ここで戦力を整えて静観すること。これが一番被害が少なく、かつ、こちらの体勢を整える一石二鳥の作戦よ」

 

 でもね、とミサトは続けた。

 

「それは短期的な視点で見た場合の話。時間が経てば、相田ケンスケとあのエヴァもどき『シェムハザ』は、より強固なエグリゴリを増やし続けるかもしれない。また、ネルフユーロとエグリゴリが結託していると仮定した場合、シェムハザが本当に七日間で日本を落とせば、他国は相田ケンスケとユーロに服従する可能性もあるわ。そうなったらホントに手が付けられない。今日、私たちが撃破した連合軍に加えて、使徒やエンジェルキャリアーも含めた最強の軍隊が、このLUNAに攻め込んでくるのが最大のリスクよ」

 

「その通りだ、葛城総司令。だが、どんなに逆立ちをしてもLUNAの戦力は少なすぎる。それを割いてまで、相田ケンスケとシェムハザを倒すだけのメリットがあるだろうか。先程、総司令が言った通り、ユーロやASIAが攻め込んでくるリスクも無視はできない」

 

「ご指摘ありがとう、碇副司令代理。でも、だからこそ私が立てる作戦はこう。『戦力を分散させた両面作戦でもって、敵方の戦力を削りつつ、いまのLUNAに打ち込まれた楔を断つ』」

 

「!!?」

 

 首脳陣全員が目を見開いた。あり得ない作戦だ。三機しか使えないエヴァを分散させて、両面作戦などと。先ほどのゲンドウのリスクに対する回答になっていない。

 

「・・・本気か?」

 

 ゲンドウが半ば怒気を孕んだ確認を取る。

 

「本気よ」

 

 しかしミサトも引かない。

 

「納得のできる説明をしてもらおう」

 

「もちろん。ただその前に一つ確認を。冬月先生」

 

「ん。なんだね」

 

「冬月先生から見て、ウチの子達。エヴァ単体の戦闘能力をどう評価されます?」

 

「・・・・・・なるほど。君の隣でアルマロスと戦ってきた私の私見がほしい、と」

 

「ええ」

 

「・・・はっきり言おう。守るべきものがない、いや、足手纏いがいない状況であれば、それぞれが間違いなく地球最強の兵器だ。君達のこれまでの戦争は撤退戦と防衛戦だった。そうではない強襲作戦であれば、エヴァ単機でも相当な戦果を得られるだろうな」

 

「ありがとうございます。私も同意見です」

 

 ミサトは確認を終えると、チルドレンを含めた全員に改めて向き直った。

 

「今回の強襲作戦の目的はただ一つ。ゲリラ戦を仕掛けて、今のうちに少しでも敵戦力を削る事。ターゲットはエグリゴリとネルフユーロ。この二つに絞ります」

 

「待て。ネルフユーロだと?エグリゴリだけでなく?」

 

「そうです。エグリゴリのいる日本にはシンジ君と最終号機が、ユーロにはアスカエヴァ統合体が担当します」

 

「一機ずつ!?」

 

 流石に冬月も驚きの声を上げた。エヴァの性能面をミサトに伝えはしたが、まさか本当に単機で攻め込もうなどとは考えていなかったからだ。

 

「殲滅作戦ではなく削り。無理に深追いはせず、嫌がらせのようにゲリラ戦を仕掛ければ、作戦成功率は格段に上がるかと・・・」

 

「待て葛城。もし本当に実行するつもりなら、それならばやっぱりエグリゴリに集中させた方がいい。ユーロを削るのは後でも問題ないはずだ」

 

 加持も反対意見を述べるが、ミサトは黙って首を横に振った。

 

「ダメよ加持くん。ユーロにはどうしても攻め込まないといけないの」

 

「なぜ?」

 

「あそこに私達にとっての楔、鈴原君達がいるからよ」

 

「・・・!相田の情報を鵜呑みにする気か!?」

 

「それはオマケ程度で構わない。私が楔と言っているのは、ウチの子達が、将来的に友達と殺し合う運命をどうにかして変えたいからよ。鈴原君たちが敵方にいる限り、どうしたってシンジ君たちの決断は鈍るわ。相田の提案に乗るのは癪だけど、後々の事を考えるなら彼らを救出することが大きな意味を持ってくるはず。彼らを助け出し、ネルフLUNAまで連れてくることができれば、シンちゃんたちも本気で戦えるわよね?」

 

 最後の問いはシンジに。シンジは力強く頷いた。その横で加持は口に手を当てて考え込んでいたが、やがて再び口を開いた。

 

「なら、やはり両面作戦より、ユーロに集中させた方が・・・」

 

「ダメよ。この作戦を両面作戦にしてるのはね、エヴァの移動をどれだけ隠密にできるかが掛かってるからよ。地球は今、ネルフLUNAへの監視体制を強化してるはず。そんな中でエヴァを二機、どうやって地球に送り込むの?しかも救出作戦の方はなるべく隠密かつ速やかに遂行した方がいいのに、宇宙からエヴァが飛んできたら隠密どころじゃないわ」

 

「お前、まさか・・・!」

 

「シンジ君」

 

 ミサトの考えがなんなのか、加持は答えに辿り着いたと同時に戦慄した。それを無視して、ミサトは再度シンジに問い掛けた。

 

「アナタの覚悟を試すことになるわ。アナタには『光の回廊』を使って、ド派手に日本に向かってもらいます。要はアスカ達を地球に安全に降ろすための囮よ。できる?」

 

「はっはっはっ!なるほど、ジル・ド・レェがやったクーデターを隠すための作戦を、今度はこっちがそのままお返ししてやるというわけか!」

 

 冬月が豪快に笑った。

 

「その通り。シンジ君。まずは九州方面のどこでもいいから降り立って、せいぜい派手に暴れてちょうだい。アスカ達を守るために。鈴原君達を助けるために。やれる?」

 

「・・・・・・やります。やらせてください。暴れ回ればいいんですよね?」

 

「思いっきりね!」

 

 シンジの決意に、ミサトは親指を立てた。

 

(その方がいい。僕のよく分からない力。アレを制御するには、僕一人でいろいろ試す方が好都合だ)

 

「ねぇ、結局のところ本命はユーロって事よね?アタシ一人で探し回るのは結構キツいわよ?」

 

「いや、そういう事なら俺もアスカに同行する。相田のデータを持ってるのは俺だし、ユーロに潜伏させてる防諜部との連絡も俺の方が得意だ。その方がスムーズだろ?」

 

「そうね。悪いけど加持君はアスカと同行で。・・・構いませんね?碇副司令代理」

 

「・・・君が総司令だ。かなり無理のある作戦だが、やる価値はあるように思える。だが、一歩間違えれば、エヴァ二機を無駄に失う事になるぞ?」

 

「そうですね。だから本作戦は自分の命を最優先。あと、私はウチの子達を信じてますから」

 

 そういったミサトの瞳にも、強い決意が込められていた。それを見たゲンドウも、サングラスの位置を直すと素直に頷いた。

 

「ねぇねぇ、さっきから話に出てこないけどワタシはどーするのぉ?」

 

「シスは居残りよ。流石にネルフLUNAを手隙にするわけにはいかないわ。頼んだわよシス!」

 

「え〜〜〜!?また『ぼーえー作戦』!?」

 

「しょうがないわ、シス。あなたは、隠密作戦に向いてないから・・・」

 

「と、トロワまでぇ!?」

 

 シスの驚きようは、この作戦会議の空気を和ませたようだ。作戦司令室のあちこちでクスクスと笑い声が起きる。

 

「ミサトさん」

 

「ん?なに?シンちゃん」

 

「ありがとう。僕の、僕たちの事を考えてくれて」

 

「・・・・・・それでも危険な作戦なんだから、絶対無茶はしない事。これだけは約束して」

 

「はいっ!」

 

「うぉおっしゃああああ!やったるわ!」

 

「えー、えー、えぇ〜!ワタシも行きたいのにぃ!トウジを助けるんでしょ!?」

 

「わたしも0・0エヴァ改が修理されるまではお留守番。一緒にLUNAを守りましょ?シス」

 

「ぶー」

 

 それぞれの役割が明確になった事で、各人がやる気を漲らせていく様が見て取れる。それを見たミサトは満足そうに頷くと、作戦名を全員に大声で告げた。

 

 

 

 

 

「さぁ、みんな!名付けて『ユーロカチコミ作戦』!!今回も派手に行くわよぉ!」

 

 

 

 

 

「ダッサ・・・」

 

 あすかの冷静なツッコミを受けたミサトがズッコケる。それを見た全員が笑い出し、場の雰囲気がさらに和んだ。暗い出来事を吹き飛ばす、葛城総司令の見事な滑り具合であった。

 

 

 

 

つづく





 ミライちゃんはウルトラマンなんですw


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r.雨音と共に

 

 カツ、カツと靴音が響く。

 

 中国は北京市、1406年に明王朝の永楽帝が造らせたとされる紫禁城。その地下に、ネルフASIAの本部があった。

 

 靴音の主は相田ケンスケ。エヴァンゲリオン・シェムハザから降り立ったその姿は、一見すると普通の人間のようでいて、しかし、掛けたメガネから覗く赤い瞳と肌の白さ、そして全身を脈打つ青い血管が、彼が「普通の人間」でないことを雄弁に物語っていた。

 

 不気味なほどに静かであった。照明のほとんどは下ろされ、薄暗い間接照明だけがだだっ広い廊下を心許なげに照らす。衛兵や職員の姿も見当たらず、ケンスケは一瞬「本当にココがASIAの本部か?」と訝しんだほどだ。

 

 誰に会うでもなく、何に止められるでもなく、悠然とした態度で歩くケンスケ。もっとも、今の彼を止められる人間が、果たして地球上に存在するかは甚だ疑問であるが。

 

 そうしてケンスケがたどり着いた場所。そこは王への謁見を叶える玉座の間。体育館ほどはあろうかという広さを誇りながら、その壁面にはこれでもかというほどの金銀財宝が散りばめられており、この部屋、いや、城の主がどれほどの力を持っているのかを見せつけていた。当然、王が座る玉座の装飾は、これの比ではない。

 

 しかし、玉座に座るはただ一人。一人の護衛もつけることなく、されど悠然たる態度を崩さず、ゆったりとその身を玉座に預ける人物。

 

 ネルフASIAの総司令、王・紅花(オウ・フォンファ)であった。

 

「寒くないのか?」

 

 ケンスケが最初に聞いたのは、この場に似つかないなんとも抜けた質問であった。だが、ケンスケの疑問も当然。なぜなら王紅花が身につけているのは、肌が透けて見えるような薄い羽織を一枚だけ。まるで遊女のようなその姿は、決して玉座に座って良い姿ではなかったからだ。

 

「ちっとも。むしろ火照りすぎてちょうど良いくらいですわ」

 

 ニコリと、王紅花が妖艶な笑みをケンスケに向ける。

 

「なんのつもりだ?」

 

「あら?貴方こそなんのつもりでここにいらしたの?」

 

 二人の問答。それは一見するとケンスケの目的と、王紅花の目的との探り合い。しかし実情は、王紅花の方が一枚上手。なぜなら彼女はケンスケの目的を既に知っていたのだから。

 

「正直におなりなさいな。ASIAが、世界が欲しいのでしょう?相田ケンスケ」

 

 その情報の優位を、紅花はあっさりと捨てる。

 

「だとしたら、どうする?」

 

 ケンスケがゴキッ、ゴキッと首を鳴らす。体内に取り込んだバルディエルがニチャニチャと音を立てて、ケンスケの失われたはずの右腕を創造した。ケンスケがその腕をムチのように振るうと、腕は長剣へと変化した。それを構えて、ケンスケはあくまでも綽々(しゃくしゃく)と紅花に近付いていく。

 

「あげますわ。お望み通りに」

 

「・・・・・・」

 

「むしろ、貰っていただかなければ、私、困ってしまいます」

 

 紅花は薄布の羽織の袖を目元に持ってくると、わずかに浮いていた涙を拭き取った。その仕草がいかにも胡散臭くあったので、ケンスケは躊躇うことなく、右腕の剣を紅花の喉元に突き付ける。

 

「女狐、てアンタみたいなのを言うんだろうな。色仕掛けか?悪いけど俺、アスカ以外には・・・」

 

「いえ。今から貴方はネルフASIAの総帥、相田ケンスケ様になられます。私がこの玉座から立ち上がった瞬間に」

 

 突きつけられた剣をモノともせず、紅花が立ち上がる。突き立てられていた剣が僅かに紅花の喉を切った。つぅーっと、紅花の首を薄く血が伝う。

 

「・・・・・・何が望みだ」

 

「覇者を。その子種を」

 

 訝しんだケンスケの問いに、紅花は即答した。

 

「私たちASIAは、いえ、中華は、長年、世界の覇者たらんとする事をこそ、至上の目的としてまいりましたわ。それは願い。えぇ。悲願と言っても過言ではないでしょう」

 

「ふーん・・・・・・。でもアンタ、無条件降伏したようなもんじゃん?」

 

「ふふふ。降伏したのは貴方様が『人を超えた存在』であり、ゼーレの裏死海文書によるところの「神に近しい存在である」から。リリンの知恵の実、そして使徒の持つ生命の実。その両方を手にした貴方は、並び立つ者のない究極の生物となった。それに抗おうと考える人間が、この星におりますでしょうか?」

 

 紅花がそっとケンスケの胸に手を当てる。そこにあったのは使徒が持つとされるコア。紅花はそれをケンスケの服の上から、優しくさすった。紅花の顔に朱が滲み、少しずつ息遣いが荒くなっていく。

 

「俺はネルフも国なんて物もいらないぞ?」

 

「でもこの星の覇者には興味がお有りになる。違う?」

 

 空いたもう一つの手で、紅花がケンスケの頬を愛おしそうに撫でまわした。

 

「我々中華は、誰が覇者になるかではなく、我々の中から覇者が生まれることを望みます。そして、その血が自らにも流れている事を誰もが誇りに思う。そういうものですの」

 

「つまり、俺の子供を作りたい、と・・・?」

 

「は、はいぃ・・・!」

 

 紅花の顔が恍惚に歪む。パタタと音を立てて、豪奢な床を紅花の愛液が濡らした。

 

「はしたない女だなぁ・・・」

 

「申し訳、ありませ、んッ」

 

 ケンスケに責められたのが快感であったのか、紅花はその身を大きく震わせた。

 

「あ、はぁぁあ・・・し、失態をお許しください。貴方が世界の覇者になるのはもう確定。統治は私にお任せください。私は貴方の子を授かることができるのが、『神の子』を産むことができるのが、至上の幸福にございます」

 

 もはや隠しようもない。薄布の上からでもわかる豊かな乳房の先はピンと上を向き、紅花の秘所からは濃厚な愛液がとめどなく溢れ、見事な曲線美を誇る脚を伝って床を濡らしていた。

 

「あとは、どうぞ貴方様のお好きになさって・・・?」

 

「・・・・・・く、くくくくくく」

 

 ケンスケが肩を震わせる。

 

「あっははははははははははは!イイぜ!気が変わった!お前は貰ってやる。だが俺の女はアスカ一人だ。子種はくれてやるが、お前を俺の妻として娶ることはない。いいな?」

 

「あっ!」

 

 そう言うとケンスケは紅花の薄布を剥ぎ取り、ドンと押した。体勢を崩した紅花が再び玉座に座らされる。

 

「その玉座もお前のだ。ただし、これからそこはお前の垂らした愛液でビショビショに汚されるがな。わかったか?」

 

「わん!」

 

 紅花は自ら股を開き、自身の主人を迎え入れようと犬のように情けをねだった。ケンスケがそれに覆い被さる。

 

 紫禁城の地下深く。人と人ならざる者の契りが、深く長く、結ばれた瞬間であった。

 

 

 

──────

 

 

 

 『光の回廊』は流れ星のごとく、地球に降りた。『光の回廊』はネルフLUNAと地球を一瞬で結び、碇シンジと最終号機を地球へと導いていた。

 

 降り立った先は鹿児島の先端にある開聞岳。セカンドインパクト後もその姿を残した、九州最南端に位置する見事な円錐形の山だ。その中腹に『光の回廊』は最終号機を導く。

 

 雨が、降っていた。

 

 山の中腹から見下ろした感じだが、このあたりは随分と静かだった。どこかで戦火が上がっているような状況では無さそうだ。もっとも、土砂降りの雨で小さな火程度ならすぐに消えていてもおかしくはない。だから油断は禁物だ。

 

 都合がいい。シンジはそう考えていた。『光の回廊』の天の川のような輝きは隠せないが、地球に降り立った時点で周りは森。エヴァンゲリオンの巨体を隠すには物足りないが、その足りない点を土砂降りの雨がいくらかカモフラージュしてくれている。

 

 シンジは最終号機の腰に下げていた二振りの刀、マゴロックスステージ2とカウンターソードを抜くと、自身の足元に丁寧に置いた。背負っていた無反動砲とパレットライフル、それぞれ一丁ずつも地面に置く。シンジは最終号機の中で大きく深呼吸すると、その場にエヴァごと胡座をかき、坐禅のように息を整えていく。

 

 雨の音が、シンジの耳を心地よく打つ。シンジの思考がゆったりと深く、自身の中に沈んでいった。

 

(僕の戦い方は、シンプルだ。とにかく暴れ回って、少しでも多くの敵やケンスケの注意を引くこと・・・・・・)

 

 すぅーっと、息をゆっくり吸い込む。

 

(でも、それだけじゃダメだ)

 

 はぁーっと、息をゆっくり吐き出す。

 

(パレットライフルや無反動砲は弾に制限がある。しかも使徒相手じゃどれくらいの効果があるのかわからない。ミサトさんが念の為と言って持たせてくれたけど、一対多数なら、むしろ刀で戦ったほうが長く戦える)

 

 シンジのゆったりした呼吸と雨の音が混ざり合い、プラグ内に満たされたLCLを静かに掻き回す。

 

(全て倒す必要はない。アスカと加持さんがトウジ達を助け出したら、『光の回廊』を使ってすぐに離脱する。・・・それだけでいい)

 

 だけど、とシンジは思う。

 

(それだけじゃ、済まないよね・・・?)

 

 シンジの脳裏に焔のように文字が浮かぶ。

 

 

 

     《お前を選んでやる》

 

 

 

(君は、アルマロス、なのか・・・?)

 

 シンジは古代の神剣『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』を振るっていた時の感覚を思い出す。宇宙でそれを振るい、数多の敵を滅していった感触を。

 シンジは、人を殺す覚悟はできていた。マゴロックスで敵を切り裂きながら艦隊を突き進んでいた時も、自分の振るった刀が人を殺す、という事をしっかりと理解していた。その上で、シンジは刀を振るった。

 だがアレは、あの神剣はそんな感情など不要とでも言わんばかりに、慈悲なく、躊躇なく、容赦なく、敵を処理していった。そこに命への尊敬など、無かったように思える。それなのにあの神剣は、相対した敵のその身だけでなく、乗り手の魂までも焼き尽くした。

 

 もう二度と、生まれてくるなというように。

 

(『君』は、どんな想いであの刀を振るっていたの・・・?)

 

 その感覚、感触が今もシンジの手には残っていて、激しい後悔と哀しみが心を掻き立てる。

 

(・・・・・・・・・・・・答えてはくれない、か)

 

 シンジはゆっくりと瞼を開いた。

 

「一つだけ、確認させて?僕が今後もあの力を使ったら・・・・・・」

 

 コポポッと、LCLが小さく泡立つ。

 

 

 

 

 

「僕の存在が、生命が、削られていくんだろ?」

 

 

 

 

 

 シンジの脳裏に再び文字が燃え上がる。

 

 

 

     《そうだ・・・》

 

 

 

 その声はどこか嬉しそうでもあり、どこか、哀しそうでもあった。

 

 

  《お前は消える。『僕』と共に》

 

 

 

「ありがとう。答えてくれて、嬉しいよ」

 

 シンジはプラグ内で微笑み、少しだけ頷いた。シンジの耳に、外の雨の音が戻ってくる。

 

(逆に考えるんだ。あの力を使いすぎなければ、僕は消えない。なんとか最終号機だけの力で、この作戦をやり遂げればきっと・・・)

 

 そう考えた瞬間、シンジの体にビシリッと何かが侵食してきた。

 

「が・・・・・・っ」

 

(今、今のは・・・・・・?)

 

 何が、かはわからない。しかし何かが確実にシンジの『中』に根を張り、少しずつ伸びていくような感覚を覚えた。シンジの背筋を冷たい汗が流れる。

 

(・・・・・・使っても使わなくても、どっちにしろ変わらない、って、ことか・・・)

 

 

 

《終わった・・・とうに潰えた、僕の悲しみを、呼び覚まし、果たす者。いま、再び、宇宙(ソラ)へ・・・・・・》

 

 

 

 シンジの脳裏で焔が次々に上がっては消えていく。

 

 

 

《これはお前の、小さな物語だ。

 

 選べ。

 

 何事もない、穏やかで、安らかな死か。

 

 激しく辛く、しかし唯一つの救いのある死か。

 

 選び、願え》

 

 

 

 焔が、シンジの脳裏から消え去った。

 

 それと共に、雨霧の向こう、十数体の巨獣の影が浮かび上がる。

 

(そんなの、決まっている。僕の、僕らの願いは、『ミライが笑って生きられる世界を守る事』だ・・・!)

 

 シンジが、最終号機がゆっくりと立ち上がり、二振りの刀を腰に帯びる。そして、地面に置いたパレットライフルと無反動砲を手に取って構えた。

 

 

 

   《なら、お前を選んでやる》

 

 

 

 かくして、神話の始まり。その最終章が幕を開けると同時に、碇シンジの死が確定した。

 

 

 

 これは生き残るための物語ではない。

 

 

 

 

 死に様を選ぶ。ただ、それだけの物語だ。

 

 

 

 

 

つづく



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s.天と雨(アメとあめ)

 

 パレットライフルを背負い込み、無反動砲を手にした最終号機が大地を蹴った。

 

 蹴り上げた土が顔を汚すほどに舞い上がるのも厭わず、雨霧の向こうの巨体に向かって、走りながら無反動砲を撃ち放つ。砲弾は雨をかき分け、寸分違わずに全弾が巨獣に命中するかと思われた。

 

 それを阻んだのは、巨獣が持つ心の壁であった。ATフィールドが展開されると同時に砲弾の爆炎が上がる。上がった爆炎はその巨大さゆえに、敵の姿を覆い隠してしまった。

 

(関係ない!)

 

 最終号機はそれでも止まらずに敵陣に突っ込んで行く。爆炎が晴れるとそこからは、敵のATフィールドが雨を弾いているのが見える。そのATフィールド越しに、敵の姿がようやく視認できた。

 

(っ!・・・コイツらは・・・ッ!)

 

 シンジは敵の姿を確認すると、プラグ内で小さく舌打ちをした。

 

 シンジの目に飛び込んできたのは使徒が六体と、エンジェルキャリヤー、もといエヴァンゲリオン量産型が5体。

 エンジェルキャリヤーの姿は使徒の卵を持った量産型だったはずだが、目の前のそれらはかつてNERVを襲った量産型と酷似しており、腹に収まっているハズの使徒の卵を持っていなかった。

 問題は使徒。確認された使徒は第3の使徒サキエル。第4の使徒シャムシエル、第5の使徒ラミエル、第7の使徒イスラフェル、そして第14の使徒ゼルエル。これらが横一列に並んでいる様は、かつてのNERVであったなら絶望的な光景であっただろう。

 

 だが今の最終号機であれば、その存在など嵐の前の塵に同じ。

 

(コアを潰して、速攻で使徒を仕留める!)

 

 最終号機の肩にある四つのパイロンからアレゴリックの光の翼が飛び出し、最終号機を空へと舞い上げた。上昇しながらも最終号機の狙いは遥か目下。無反動砲の残弾を撃ち尽くす勢いで、シンジは砲弾をばら撒いた。

 当然、使徒や量産型は自前のATフィールドを頭上に展開して防ぐ。人工の障壁であるリアクターフィールドとは違い、こちらは正真正銘の絶対領域だ。生半可な物理火力など、一切意味を為さない。

 使徒どもの上空で爆炎が広がる。その爆炎に向かって、使徒サキエルが目を光らせた。爆炎の向こうにいる最終号機を撃ち落とさんと、光の一撃が放たれた瞬間──、

 

 

 ザンッ!!

 

 

 音を立てて、サキエルが頭から股下まで一直線に切断された。最終号機のマゴロックス、ATフィールドを纏った刃が上空から使徒を強襲し、両断したのだ。サキエルの足元に蹲るようにして着地していた最終号機は、咆哮を上げてほかの使徒に襲いかかった。

 

「ヴオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 身体を捻りながら一回転させ立ち上がり、サキエルの隣にいた使徒、シャムシエルに勢いを乗せて斬りかかる。使徒は光の触腕をくねらせて迎撃するが、その触腕ごとシャムシエルは真一文字に斬り裂かれた。最終号機の前後で十字架の如き光の柱が爆発する。

 

(二体・・・!)

 

 シンジはとっさに他の敵を確認する。敵陣深く切り込んだ最終号機を囲むように量産型が、その向こうに使徒がバラけていた。

 

(コイツらか・・・)

 

 かつてネルフを強襲した量産型。ゼーレの切り札であったエヴァンゲリオン量産型の最大の武器は、その不死性と高速学習能力にある。不死身の体で無鉄砲に襲いかかりつつ、敵の動きを学習して対処する様は絶望。かつてシンジがネルフにて量産型と対峙した際も、その特性に大いに苦しめられたものだった。

 最終号機が地面を這うように飛ぶ。地球の重力下においてもその速度を損なわないアレゴリック翼は、最終号機を瞬時に敵の前まで運んだ。

 

「うぅああああああああああッ!!」

 

 円を描くように、マゴロックスの残光が煌めいた。取り囲んでいた量産型の上半身が一斉に宙を舞う。

 

「はッ!!」

 

 それらが地に落ちる前に、最終号機は全ての量産型のコアと、内蔵されているダミープラグを斬り裂いていく。縦、縦、横、縦、横。五体の量産型が一瞬にしてトドメを刺された。

 刀を振り抜き、空中で一瞬の残心をしていた最終号機に二つの影が迫る。二心一体の使徒、イスラフェルだ。二体が最終号機に飛び掛かり、その鋭い爪を突き立てようと振りかぶっていた。

 最終号機は冷静に、腰のもう一本の刀、カウンターソードに手をかける。

 

「おおおッ!!」

 

 回転しながらソレを抜き放ち、襲い来る二体のコアを、マゴロックスとカウンターソードそれぞれの刃が同時に正確に貫いた。

 

「ギュッ!!?」

 

 二心一体の使徒の特性は、片方のコアが破られても、もう片方が残っていればすぐさまに回復してしまうという厄介なモノ。だが、それはただの初見殺しだ。タネが割れてしまえば、その対処は難しくはない。

 

(あの時は、アスカと一緒に苦労させられたんだけどなぁ・・・)

 

 心の中で、シンジが懐かしさに笑う。と同時、刀の先から十字架の如き光の柱が上がった。

 

「次はお前だ・・・ッ」

 

 最強クラスの火力とATフィールドを持つ使徒ゼルエル。それが一瞬、最終号機の視線に射抜かれてたじろいだのがわかった。あまりにも一方的な暴力の行使。それに使徒が、恐怖を覚えたのだ。

 ゼルエルは帯のように折りたたんだ両腕をギュンッと伸ばし、最終号機に襲い掛かる。が、それは今の最終号機にとっては本当に帯程度の破壊力しか持たない。ATフィールドを纏ったニ本の刀がゼルエルの腕を切り裂いた。

 

「!!?」

「ウォアアアッ!!」

 

 刃が交差する。空を駆けた最終号機がゼルエルの横をすり抜けると、その後方でゼルエルの身体が斜め十文字に斬り裂かれていた。コアが爆発し、十字架の光が大地から立ち昇った。

 

「ふぅぅうう・・・」

 

 キンッと音を立てて、最終号機は2本の刀を腰の鞘にしまう。

 

 その遥か後方に、青く巨大なクリスタルが浮かんでいた。第5の使徒ラミエル。その前方に光の粒子が集まっていく。

 

「それ、もう食らうのは嫌なんだ」

 

 最終号機が右手をラミエルに向けて構える。

 

(アスカに教えてもらった通り・・・)

 

「ATF・フォーカス」

 

 使徒の眼前に、最終号機のATフィールドが三枚、一列にならんで形成された。

 ラミエルから極太の粒子砲が放たれる。その極大の威力に、三枚のATフィールドはいとも簡単に破られたが──、

 

「弾く、イメージッ!!」

 

 最終号機が下から左手を突き上げる。ATフィールドの盾を形成していた左手によって、三枚のATフィールドにより威力の大半を殺された粒子砲は、なす術もなく上空へと弾き飛ばされた。

 

「ヴオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 最終号機が咆哮を上げ、一直線にラミエルに突っ込んで行く。ラミエルは再び粒子砲をチャージし始めるが、間に合わない。

 

「ハアッ!!」

 

 最終号機の貫手が、ラミエルのコアを貫いた。同時に、最後の使徒の十字架が立ち昇った。

 

「・・・・・・ふぅ」

 

 十字の爆炎によって大量の雨が巻き上がり、宙空に静止した。だが、それも一瞬。使徒の返り血を全身に浴びた最終号機に向かって、重力に引かれた大量の雨が降り注ぎ、ザーッという音とともにそれを洗い流していく。

 

 激しい戦闘があったとは思えない、土砂降りの雨音だけが周囲に満ちた。シンジは最終号機の中でその音に浸りながら、ゆっくりと息を整えていく。

 

 この場に現れた敵。かつて苦戦させられた強敵たち。それを今のシンジと最終号機は、一瞬で斬り捨てる事ができた。全ての敵を葬り去るのに、三分と掛かっていない。

 

(行ける。僕と最終号機だけで・・・)

 

 

 

 そう確信していたシンジの遥か上空に、幾つもの光が集結した。

 

 

 

「!?」

 

 光の数は十、二十、三十、と徐々に、確実に増えていく。それらの光が次々と最終号機を取り囲むように舞い降りてくる。

 

「こ、コイツ、ら・・・・・・」

 

 集結した光の正体は、使徒と、量産型エヴァンゲリオンの群れ。巨獣と巨人のあり得ざる大軍。しかも頭上の光は、収まるどころかまだまだ増え続けている。

 

「『エグリゴリ』!ど、どれだけいるんだ・・・っ!?」

 

 降りてきた使徒と量産型が、一斉に最終号機に殺到した。シンジは腰の二振りの刀を素早く抜くと、最終号機の周囲にATフィールドを張る。それを中和しながら突き破ろうとする使徒と量産型の群れ。

 シンジはATフィールドの壁面に内側から刀を叩きつけた。刃によって砕け散ったATフィールドが散弾銃のようにばら撒かれ、破片が使徒達を次々と斬り裂いていく。

 しかし、仕留めるには至らない。

 

「うおおおおおおッ!」

 

 二刀を巧みに操り、使徒や量産型を斬り裂いていく最終号機。しかし敵の数が減る兆しはない。今も頭上でどんどんと集結してくる使徒が、量産型が、次々と舞い降りてきて、シンジと最終号機の処理能力を超え始めた。

 

(作戦通り、敵を引きつける事はできた!でも、この数は・・・・・・!)

 

 シンジは必死に刀を振う。

 

「ケンスケ・・・君は本当に、ヒトじゃなくなったのか・・・?」

 

 シンジの、いや、最終号機の胸が疼く。シンジの心臓から、ドクンと、アルマロスの鼓動が聞こえて──、

 

 

 

     《願え・・・》

 

 

 

 シンジに甘く囁いた。

 

「黙っててよ!!」

 

 それを振り払うように、シンジは刀を振り続ける。だが、胸の内からの言葉は消える事なく、シンジの心に燻り続ける。

 

 

     《願え、力を願え》

 

 

「うるさい!静かにしててよ!・・・うっ!?」

 

 再びビシリと、何かがシンジの魂を侵食する感覚。その痛みに、最終号機の動きがわずかにブレる。その隙を逃さず襲い掛かる量産型ども。

 

「・・・ウァアアアッ!!」

 

 最終号機が地面に倒れる。背中が地面に着く瞬間、アレゴリック翼の光が周囲を照らした。敵の足元を斬り裂きながら、最終号機が地面スレスレを仰向けに飛ぶ。

 敵の包囲を抜け、再びの上昇。しかしそこに襲い掛かる使徒たちの不可視の光線の嵐。最終号機はATフィールドを全身に纏い、防御の姿勢を取った。

 着弾した光線が激しく爆発し、殺しきれなかった衝撃がシンジを襲う。

 

「うああああああああッ!?」

 

 

《力を恐るな。これは既にお前のものだ》

 

 

「ど、どういう事!?」

 

 

《力は僕のものだったが、既に僕のものではない。・・・願え!お前は既に力を手にしている!》

 

 

「き、君は・・・・・・」

 

 ATフィールドを自分の周囲へと広げ、最終号機が敵軍の光線を防ぐ。激しい攻撃に晒されながらも、シンジは問わずにいられなかった。

 

「やっぱり、『過去の僕』、なのか?」

 

 その問いに、声が即答した。

 

《僕は『碇』、『碇シンジ』。・・・願え!力を、未来を願うなら、僕はお前であって、お前は僕となれるんだ・・・!》

 

 その声はどこか必死で、一切の嘘が無いようにシンジには感じ取れた。

 

 しかし、

 

「そんな、そんな簡単に信じられるわけないよッ!!」

 

 シンジは頑なに、その恐るべき力を拒絶した。拒絶しながら、再び敵軍に向かって突っ込んで行く。

 

「ハァァアアアアアアアアッ!!!」

 

 

     《・・・願え》

 

 

 まるで願うような、祈るような胸の中の声が、シンジの心を打った。しかしシンジはソレを無視し、ただひたすらに刀を振るっていた。

 

 

──────

 

 

 12月5日。現地時間で17時55分。すでに日は沈み、辺りを夜の闇が包み込んでいる。

 

 シンジと最終号機が日本の鹿児島にて激戦を繰り広げている頃、『光の回廊』を使わずにネルフLUNAを最終号機よりも先に出発していたアスカとエヴァンゲリオン弐号機、そしてエントリープラグに同乗した加持リョウジは、フランスとドイツの国境の「黒い森」、アルザス・ロレーヌの森の中にその身を隠していた。

 

「本当に、この辺りで合ってるんでしょーね、加持さん?」

 

「ああ・・・座標自体は間違っていない。相田の情報がワナではない、ならな」

 

「チッ・・・あんなヤツの情報に頼らないといけないなんて・・・」

 

「なに。別に相田だけが防諜部のスペシャリストってわけじゃない。こっちにはこっちの伝手ってのがあるのさ。・・・・・・タバコ、持ってないよな?」

 

「アタシ、新生児の母親よ?吸うわけないでしょ」

 

「そりゃそーだ。どっかで買えるといいんだが・・・」

 

「そんな時間、ないでしょーが・・・」

 

 弐号機を降りた二人の格好。アスカはプラグスーツであったが、加持は普段のヨレヨレのスーツであった。着の身着のままの加持は、プラグ内に満たされていたLCLで服がびしょびしょに濡れている。冬のヨーロッパは極寒だ。このままでは凍死してしまう。

 

「ほら、コレ。着替えと一緒に入れてきたわよ」

 

「お!流石は母親だ、気が利くな!」

 

 アスカが弐号機に備え付けてあった収納の蓋を開ける。アスカが単騎で行動できるように突貫工事で作られた、小さな収納スペース。そこに、アスカは自分の着替えなどとは別に、加持の着替えやタバコなどを一緒に収納していたのだ。

 

「加持さんの母親じゃないんだから。ったく、ちょっとはしっかりしてよ」

 

「ははは。悪いな。・・・しかし、アスカに説教を食らう日が来るとは、いやはや、時が経つのは早いもんだ」

 

「んなモタモタやってると本気で風邪引くわよ?」

 

「ぶえっきし!!うう、そりゃそうだ。すまんがあそこの木陰で着替えてくる。覗かないでくれよ?」

 

「誰が覗くか!」

 

「ははは。シンジ君だったら覗いたろ?」

 

「覗くも覗かないも、アイツの裸はもう見慣れてんのよ。ほら、さっさと行く!」

 

「はいはい」

 

 そう言いながら加持はヒラヒラと手を振り、近くの木陰に入っていった。アスカはそれを見送りながら、自分も風邪をひかないようにカーキ色のダウンジャケットを羽織ると、暖を取るために焚き火の準備をした。隠密行動とはいえ、暖が取れなければ凍死してもおかしくない気温だ。致し方のないことであった。

 

「ふう、待たせたな」

 

 木陰から加持がタバコを咥えながら出てくる。アスカは簡易着火剤を用いて既に火を起こしており、暖を取っていた。加持も「寒い寒い」と腕をさすりながら、すぐに焚き火に近付く。

 

「コーヒーで良ければ入れよっか?」

 

「そりゃありがたいが、ミライちゃんに影響があるだろ?よくないんじゃないか?」

 

「カフェインレスよ。ソレで良ければ、だけど」

 

「ありがたい。しかし全く、すっかり母親だな」

 

「母親として当たり前のことをしてるだけよ」

 

 そう言うと、アスカは焚き火の上に簡易の焚き火三脚を取り出して、ミネラルウォーターを入れたケトルを鎖に引っ掛けて吊るした。しばらく待てば、これでお湯が沸くはずだ。

 

「・・・変わったな、アスカ」

 

「んー?」

 

「命に、尊敬を持てるようになった。自分だけでなく、他者に対しても」

 

 火を見ながら、加持は他愛もないことを呟く。

 

「さっきお前は「母親として当然のこと」と言ったが、世の中、そんな重責を背負える奴らばかりじゃない。それどころか、お前は世界で一番大変な母親のはずだ。それを「当たり前」と言ってのけたところが、お前のすごいトコだよ・・・」

 

 タバコを吸い、ふぅーーーっと煙を吐く。

 

「・・・・・・加持さんが何を言いたいのか、よくわかんないけどさ。アタシはシンジとミライを愛してるだけよ。特にミライの為なら、アタシは世界を敵に回したっていい。アタシが許せないのは、アタシやシンジの力が及ばずにミライを救えないこと。ただ、それだけの話じゃない?」

 

「ハハハ!やっぱり、アスカは変わったよ」

 

「はぁ?どこが?」

 

「他人を思いやれる。人のためにと、恥ずかしげもなく口にできる。それは俺には到底できないことだ・・・」

 

 二人、黙って焚き火を見つめる。穏やかなようでいて、緊迫もしているような、不思議な時間が流れた。本当に、他愛もオチもない話。それはまるで、酒を飲みながら語るような雰囲気に似ていて。

 

「・・・なにか悩みがあるなら聞こーか?」

 

「・・・・・・いや、なに。大したことじゃないさ。忘れてくれ」

 

「それが一番気になる言い方なんだけど?」

 

「本当に大したことじゃないさ」

 

 加持は笑って手を振った。

 

「火やタバコを見つめていると、なんとなくだが、心に浮かんだ言葉をそのまま喋ってみたくなるのさ。自分の中で整理も何もできていない、思い浮かべただけの、なんだ?感想、みたいな?」

 

「アタシに聞かれても困るよ」

 

「だろうな。だが、ここに酒があれば、アスカと飲みながら語るのも悪くないって思って、な・・・・・・」

 

「・・・・・・ふーん。そんなもんなの」

 

「ああ。そんなもんだ・・・」

 

 少しの沈黙の後、アスカが口を開いた。

 

「そんなもん、この戦いが終わったらいくらでも付き合ってあげるわよ」

 

「ん?」

 

「加持さんはアタシの初恋の人だもん。そんな人の愚痴を聞いてみるのも、ちょっと面白いなぁーって」

 

「ハハ。確かにな」

 

 その言葉に、加持はしみじみと思った。「やはりアスカは変わった」「強くなった」と。

 

 まるで戦争に負けるなどと思っていない。いや、違うか。負けてはならないと、心の底から誓っており、生き残った先のこともしっかりと考えている。

 別段、意識しているわけじゃないだろう。だが無意識レベルでそれができるのは、やっぱり強いから、なのだ。

 かつての一人でもがいていた哀れな少女は、もういないのだと、加持は安心した。

 

「んで?これからアタシたちはどーすんの?」

 

「ああ、それなら『待つ』だけさ」

 

「待つ?誰を?」

 

「それは・・・・・・」

 

 そういうと、何かに気付いた加持は顎をしゃくってアスカに目配せした。しゃくった方を見ろ、という合図だ。

 

 アスカが視線を移すと、そこにはいつの間にか黒いワイシャツに黒スーツ、おまけに夜なのにサングラスと、黒一色に身を包んだ長身の男性が立っていた。

 その男の風貌にアスカは一瞬にして警戒を強めたが、よく見れば、アスカはその男に見覚えがあった。

 

「もしかして、ネルフの・・・?」

 

「はい。剣崎キョウヤと申します。ネルフ時代には、碇司令の下で働いておりました」

 

「ああ、どーりで・・・」

 

 彼を見た事があるのは、アスカだけではないだろう。ネルフ時代の碇ゲンドウの後ろに控えていた黒服のうちの一人だ。もっとも、名前までは流石に知らなかったが。

 

「調子はどうだ剣崎?」

 

「悪くはない。だが機嫌は悪い」

 

「ほぉ。どうした?」

 

「お前たちが要求する納期が短すぎる。昨日の今日で、いきなりネルフユーロから脱出して準備を調えろと言われても対処に困る。現場の気持ちを忘れたのか?加持」

 

「だが事態は一刻を争う。だろ?」

 

「だから調子は悪くない。機嫌が悪いだけだ」

 

 加持と剣崎が、親しい間柄のように軽い口調でやり取りを交わした。アスカはその様子を不思議そうに見ており、それに気付いた加持がイタズラっぽく笑った。

 

「コイツは俺の大学の同期だ。まぁ、腐れ縁てヤツだな」

 

「腐って千切れてほしいくらいだよ、こんな縁」

 

「ひでぇ事言うな。で、ホークとポーターは?」

 

「アイツらは居残りだ。今頃、俺がユーロを出てった痕跡を必死で消してくれてるよ」

 

「なるほどな」

 

「ふーん。まぁ、いいんだけどさ。この人とアタシたち三人でヒカリ達を助けに行くわけ?足りなくない?」

 

 アスカの当然の疑問に、加持は不敵に笑った。

 

「そりゃあ問題ない。なにせコイツは・・・」

 

「それ以上は喋るな、加持。彼女に不安要素を与えるだけだ」

 

「不安どころか頼りになる情報、だと思うがな?」

 

「??」

 

 二人のやりとりについていけないアスカは、再び不思議そうに加持を見つめる。

 

「まぁ、つまりだ。鈴原トウジ達を助けるのは、コイツ一人いれば十分(・・・・・・・・・・)、て事さ」

 

 ニッと、加持が歯を見せて笑った。

 

 

 

──────

 

 

 

「だぁりゃああああああああああッッ!」

 

 最終号機がもう何体目かも数え切れないほどの敵を斬り裂いていく。土砂降りの雨の中、真夜中の闇の中に剣戟の光だけが瞬く。最終号機の足元には使徒や量産型だったものの残骸、屍の山が築き上げられていた。

 

 それほどの奮戦をもってしても、終わらない。まるで無限に湧いてくるのではと思うほどの敵の数。

 

   《願え、怒れ、頼むから・・・》

 

「うるっさいな!!」

 

 加えて、頭の中にも余計な声が響く。それがシンジを余計にイラつかせていた。

 

 頭の中、胸の奥の声は、もはや懇願に近い音色であった。それはシンジの心に「彼の言うことに従ってもいいのではないか」という疑念を呼び、それを否定するという無駄な消費を強いていた。

 

 さらに、

 

「うが・・・っ、また、か・・・!」

 

 シンジの魂が何かに、いや、『アルマロスのシンジ』によってじわじわと侵食されていくのがわかる。それが余計にシンジの足枷となり、シンジの心から余裕を無くしていた。

 一昨日の宇宙戦争のように、自分の心の弱さゆえにATフィールドが破られることのないように、細心の注意を払っているのにも関わらず、だ。

 

「僕は、まだ消えるわけにはいかないんだ・・・・・・死ぬわけにはいかないんだ!わけのわからない力の所為でなんて、消えられるわけないだろ!?」

 

 最終号機のATフィールドが内側から爆発する。その余波が、最終号機に殺到していた使徒や量産型をまとめて吹き飛ばした。その隙を逃さず、シンジは手にした刀で敵を葬り去っていく。

 

「はああああああああああッ!!」

 

 獅子奮迅の如し。鬼神の如し。修羅の如し。

 

 最終号機の刀という牙と爪でもって、敵が次々に十字架状の光を放って霧散していく。その場に残るのは破片。肉片。それの山だ。

 

 それを何度、何時間繰り返しただろうか。もはや意識を保つのも億劫に感じてきた瞬間。

 

 

 

 カッ!!

 

 

 

 空が、輝いた。

 

「な、なんだ!?」

 

 シンジが空を見上げる。夜明けとは違う。夜明けにはまだ早い。それにこの光は、もっと強烈な──、

 

 

「な!!?」

 

 

 光の正体。それは、数百発にも及ぶ戦略N²弾の雨が放つ光であった。

 

「〜〜〜〜〜ッ!!!」

 

 シンジは咄嗟にATフィールドを展開する。回避は不可能。ならば、ネルフLUNAでカトルがやったように、自前のATフィールドだけで防ぎ切るしかない。

 

 夜の開聞岳周辺を光と炎が包んだ。それは稲妻を伴った数百ものキノコ雲となり、それらが連なって、巨大な炎の大樹と化した。

 

 

 

 

 その大樹を、より強い焔が斬り裂いた。

 

 

 

 斬られた大樹はまるで最初からそこにはなにも無かったかのように、音もなく、一瞬でこの世から消え去った。残されたのは、辺り一面の焼け野原と──、

 

 

 

『碇ィ・・・・・・』

 

 

 

 神剣『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』を手にし、全身を赤黒い焔で包み込んだ最終号機。

 

 

 

『面白そうなオモチャを持ってるな?』

 

 

 

 それを海上から見遣る相田ケンスケとエヴァンゲリオン・シェムハザ。

 

 そしてその後ろに付き従う、数万にも及ぶだろう、ネルフASIAのオルタナティブ・エヴァンゲリオン達。

 

 場は整った。後は音楽に合わせて踊るだけ。

 

 友達でありながら、どうしたって相容れることのない、二人の死の舞踏を。

 

 

 

 

 

つづく

 



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t.地において滅びを呼ぶ焔(前編)

 

 目の前に広がる光景、といえば聞こえはいいが、実際は画面の向こうの出来事。ネルフユーロの最高司令官のみが座れる椅子にゆったりと体を預けていたジルは、その部屋から望める夜景の優雅さとは裏腹に、机の上の端末に映し出される光景を見ながら、わずかに顔を顰めてため息をついた。

 

「ケンスケ〜・・・・・・」

 

 映し出されているのは現在の鹿児島県、開聞岳。瞳に捉えるはネルフLUNA最高戦力であるエヴァンゲリオン最終号機。それと、海上にてそれを睨む名目上はネルフユーロ所属のエヴァンゲリオン・シェムハザ。

 

「予想してなかったわけじゃないけどモ、あのビッチ・・・・・・」

 

 そしてシェムハザと共にある、数万にも及ぶネルフASIAのオルタナティブ・エヴァンゲリオンの群れ。

 

「まさか、もはや人では無くなった者にまで股を開くとは、ネ。そーゆープレイはマンガの中でだけにしてもらいたいもんだヨ・・・」

 

 そう言って、ジルはネルフASIAの司令である(オウ)紅花(ホンファ)を蔑んだ。

 

 現在の世界全体を見回しても圧倒的な戦力数を誇るネルフASIA。その戦力を、使徒の肉体を取り込むことによって覚醒した相田ケンスケが欲するだろう事は、ネルフユーロ総司令であるジル・ド・レェにとっては予想の容易い選択肢であった。

 しかしケンスケにとっては利となる選択肢も、相手プレイヤーにとって不利となる選択肢であれば容易に避けられるというもの。直に会った事はないが、ジルが画面越しに対面した王・紅花という女傑は、そういった損得に対して非常に過敏であり、かつ、暴虐性に満ちていたというのがジルの判断であった。狂気はある。しかしそれに飲み込まれないだけの判断力も備えた、一角の人物である、と。

 そんな人物が、よりにもよってジルが「あり得ないだろう」と真っ先に切って捨てた選択肢を選ぶなど、思いもしなかった。だからこその不快感。だからこその嫌悪。人外と交わってまで果たしたいと願うほどの理想など、ジルには判りはしないし判りたくもないが、それゆえにジルの先見の届かなかった事態を前に、ジルはネルフASIAを悍ましいと心の底から軽蔑していた。

 

「いやぁ、わかるにゃー。自分が生き残るためだったら、女は女の武器を使ってナンボだし?」

 

 その椅子の横で腕組みをしたままタバコの煙を楽しんでいたバスローブの女性。眼鏡をかけた見目麗しい女性は画面の映像が楽しいのか、それともこの胡散臭い男のしかめ面が小気味良いのか、ニヤニヤと笑っている。

 

「しっかし、まさかホントーに押し倒されるとは思わなかったにゃあ・・・私これでも結構な年増よん?」

 

「君の国の価値観は理解できないヨ。魅力的な女性はいつまで経っても魅力的じゃないのカイ?」

 

「あっそう。まあ自慢の胸をたぁ〜ぷり堪能していただいたんだから、私としては助かった、って事でいいのかにゃ?」

 

「もちろん!だってキミはとても優秀だモン。ねェ?真希波・マリ・イラストリアス博士?」

 

 タバコのジジジッという焼ける音が室内に響いた。二人の牽制し合うような沈黙。それを破るように女性、真希波・マリ・イラストリアスは大きく煙を吐き出した。

 

「・・・・・・そりゃどーも。私の経歴がお気に入りってわけだね」

 

 苛立ちに似た感情を乗せて、マリは煙と共に言葉を吐き出す。

 

「そりゃあそうでショー!真希波シリーズの製作着手にEVA・EUROII・ウルトビーズの改修、改良。キミのネルフでの実績といやぁ、そりゃあもう輝きに満ちてるじゃあないノ!」

 

「私がやった事なんて、全てが終わった後のどーでもいい物ばかりだったけど?」

 

Too late!(後の祭り)って言いたいのかイ?それは『人類補完計画』からってコト?」

 

「どっちも正解、だにゃん」

 

 マリは自分の足元に吸いかけのタバコをポイっと捨てた。高級な絨毯が微かに焼ける匂いを発するのも構わず、マリはタバコを強く強く踏み躙って消した。

 

It's too late to be sorry(後悔先に立たず).はっきり言ってこの5年間は後悔のオンパレード。私の研究は間に合わず、私の約束は果たされず。私がやった事といえば終わってしまった祭りの後で、散らかされた会場をちょこっと整理しただけ。オマケに私の知らないうちに、USAはウルフパックなんてものを造り出すわ、それに最後の『マリ』を勝手に乗せるわ。・・・・・・自棄になって行きずりの狂愛国者に身体を許してしまうくらいには、やってられないってのが本音だよ」

 

 ふう、とマリはため息をついた。

 

「もう疲れちゃったんだよね。正直さ。・・・・・・んで?私はこのあと何をすればいいの?昨日の続き?」

 

 疲れたようにバスローブの帯に手を伸ばすマリ。それをジルは笑って止めた。

 

Désolé(ごめんね)!昨日はひさしぶりにハッスルしちゃったからねェ!まだ腰が痛いでショ?今日は帰って休んでイイヨ〜。キミにはこれから『新しいエヴァ』をたっくさん作ってほしいんだから」

 

「・・・・・・は?」

 

 ジルの信じられない発言に、マリの両目が見開かれた。それを愉快そうに眺めながら、ジルは画面の向こうを顎でしゃくった。

 

「アソコに素材はい〜っぱいあるじゃナイ?それにケンスケはいまや『使徒製造機』だからサ!いくらでも素材は調達できる!オルタナティブ・エヴァンゲリオンなんかじゃない、本物のエヴァの軍団を創り出すなんてわけないヨ!それが出来れば、欧州は世界の王に返り咲けるよォォ!」

 

 あはははははは、と狂ったように笑うジル。それをどーでも良さげに眺めているマリ。歪な二人のベクトルが、歪な形で合致した。世界を手にしたい狂人(MAD)と、世界がどうなっても構わない博士(Scientist)。それはまさしく二人一組で成り立つ『マッドサイエンティスト』の誕生であった。

 

「ははは、いやァ〜笑った笑った。さぁってと。コイツらの戦い、キミはどう見る?真希波博士」

 

 ジルが卓上のモニターを指差す。

 

「はぁ・・・。LUNAの最終号機と、使徒や量産型と、AEがたくさんいるね。どうみたってこれは相田ケンスケくん?の勝ちじゃない?」

 

「どぉーかなァ〜?数の有利は圧倒的にケンスケだけど、兵器としての出力が違いすぎるしねェ。たぶん普通にやりあったらLUNAの最終号機だろーねェ」

 

「でも勝つつもりなら、使徒をぶつけ続けるしかないんじゃないの?まあ、それをやると使徒製造機のケンスケくんは潰れちゃうんじゃないかにゃ?」

 

「それが悩みどころでねェ・・・。ケンスケには良い感じのところで退いてほしいんだけど、彼、無駄にプライド高いンダ・・・」

 

 むーん、とさして悩んだ風でもない様子でわざとらしくジルは唸った。

 

「どの道、最終号機はどこかで破壊した方が良さそうだにゃん。あんなのが残ってたら、いつまで経っても世界平和なんて来ないだろうし。・・・・・・まぁ、適度に負けそうになったところでテキトーに退くように促せばいいんじゃにゃい?」

 

「イイネ!それで行こうッ!」

 

 その案に膝を打ったジルは、まるでサッカーの試合観戦を楽しむように、机の上にワインとつまみを用意し始める。そんな様子のジルの横を、マリはすっと通り抜けた。

 

「アレ?見てかないノ?」

 

「別にどっちが勝とうが私のやることに変わりはないし、言われた通り今日は部屋に帰って休むにゃーん」

 

「あらソウ?それじゃお疲れ様ー!またヨロシクねッ!」

 

「もうイヤだよバーカ」

 

 傷にもならない捨て台詞を吐きながら、マリはジルの執務室を後にした。その姿を名残惜しそうに見送るジルは、下卑た笑みを浮かべて呟いた。

 

「Je ne te laisserai pas partir. Chaton・・・」

 

 

──────

 

 

 朝陽を迎えるのは誰なのか。

 

 空には闇。地には焔があった。焔は夜の海をも照らし、そこに浮かぶ数千にも及ぶ艦隊と、それに搭乗し、地に攻撃を加えている大量のオルタナティブ・エヴァンゲリオンを映し出す。

 大地には過去の世界より呼び出された巨人と巨獣がひしめいていた。空から降り続ける豪雨を上回るほどの砲弾やミサイルが、獣諸共に大地を焼く。

 空の闇には、大量の戦略N²弾が引き起こしたキノコ雲の残滓が浮かんでおり、稲妻を伴って渦巻いていた。

 まさしく、現世に顕現した地獄絵図。人の生き延びる余地など有りはしない。しかしその地獄絵図を超えるほどの劫火が、戦場の中心にはあった。

 

 赤黒い焔を纏ったエヴァンゲリオン最終号機。それの振るう地獄の焔『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』。そして、まるで細い金糸のような光をいくつも放つ『ルクレティウスの槍』。劫火が柱となって天へと高く伸び、それに絡まるように金糸の光が柱を彩る。幻想的で、破滅的な光景。巻き上げられた金糸には全て、巨人と巨獣が括り付けられていた。

 最終号機の繋いだいくつもの『光の回廊』。それに繋がれた哀れな獣たちが、次々と劫火に投げ込まれていく。まるで、薪のように。火はますます燃え盛り、開聞岳周辺を徐々に、確実に、死の大地へと変えていった。

 

『はあッ、はあッ、はあッ、はあッ!』

 

 その光景に、相田ケンスケは絶望していた。

 

『くそ、くそぉ!こっちを見ろ碇ィィ!!』

 

 相田ケンスケの駆るエヴァンゲリオン・シェムハザ。それの羽織っていたマントが爆風に巻き上げられ、空を舞う。マントは瞬く間に劫火に引き寄せられ、一瞬の内に消し炭と化した。

 

『うがあああああああああああッッ!!!』

 

 シェムハザの全身がボコボコと泡立ち、そこから幾つもの光が飛び出すと、次から次へと光が死の大地に降り立った。光は使徒であり、量産型であり、エンジェルキャリヤーであり、複数の動物の合成生物(キメラ)であった。既存の生物や使徒同士を織り交ぜた、相田ケンスケが創造した渾身の怪物共であった。

 それを何百、何千と生み出しただろうか。もはや日本どころか世界を火の海に変えることが可能なほどの戦力の投入。それらが無意味に、無抵抗に、無駄に、雑に薪として劫火に焚べられていく。

 

『碇・・・碇ィィイイイイイイッッ!!!』

 

 まるで神楽を舞うように、焔の中心で刃を振り続けるエヴァンゲリオン最終号機。その耳に、ようやくケンスケの声が届いた。

 

 威圧と共に、最終号機が振り向く。

 

 

 

 

 

《・・・・・・・・・・・・きミは、誰ダ?》

 

 

 

 

 

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!?』

 

 

 

 殺意が爆発した。

 

『殺してやるぅぅううううああああっ!!』

 

 シェムハザの身体が変異を始めた。咆哮と共にその双眸と第三の目をくわっと見開くと同時、シェムハザの全身が一気に泡立った。『箱舟』から引き出せるだけの最大最多の生命情報が、シェムハザの、ケンスケの情報に上書きされていく。

 それは最早ヒトでも、エヴァンゲリオンでも、使徒でもない。いくつもの腕、脚、爪、牙、翼、瞳を持った、完全なる異形。この星にあってはならない、全ての命を冒涜した姿であった。

 

『ぎyiiiiiゅああAAあAAアアアアアッっ!』

 

 甲高い雄叫びを上げた怪物は、突如として、足元で自身の船と化していた使徒ガギエルに襲いかかった。

 

「グギャアアアアアアアアア!!?」

 

『GWOおおオオOBYUEEェエエエア!!』

 

 ミシリ。ぐちゃり。バギバギと音を立てて、哀れな使徒は怪物に捕食された。その生命情報が、ケンスケとシェムハザに更に上書きされていく。

 

 ガギエルのヒレを手に入れたシェムハザは、ザブンッと海に飛び込んだ。

 

什么(なんだ)!?这是怎么回事(何が起きている)!?』

 

我们的英雄在哪里(英雄はどこに行ってしまった)!?』

 

 突然の凶行に、ネルフASIAの軍人たちに動揺が走る。だが、それも一瞬。

 

『啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊啊!!?』

 

 数千の艦隊を、海中から何かが同時に襲った。それは粘菌のような使徒、増殖したバルディエルであった。それらは瞬く間に艦隊を飲み込むと、そこにいる人間や機械、オルタナティブ・エヴァンゲリオンに自身の肉体を分け与えていく。

 そこから生み出されるのは、ヒトと使徒と機械の融合体。ケンスケ同様に、『知恵の実』と『生命の実』の両方を手にした完全生物の群れ。しかしケンスケとは違い、精神の奪い合いに負けた、ただの化け物であった。

 その化け物どもを海中から従え、ケンスケとシェムハザは陸を目指して猛スピードで泳ぎ始めた。

 

(殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!絶対に、殺してやる!!)

 

 全身を異形へと変貌させながらも、相田ケンスケの意識は奇跡的にも残されていた。それは今まで幾つもの世界の滅びを身に刻んだ結果手にした、強靭的な精神力の賜物。

 

 いや、狂人的な、と言い換えたほうが良いかもしれない。

 

 海岸近くまで物凄いスピードで進んでいたシェムハザは、陸が見えると同時に海底を蹴った。海から飛び出した異形のシェムハザが大地に降り立つ。その後ろから、シェムハザが巻き起こした余波によって生まれた巨大な津波が押し寄せてくる。

 その津波に乗り、ケンスケに操られた化け物どもも続けて上陸する。津波は最終号機から見て最後方にいた合成生物を飲み込みながら、それでも勢いは止まらない。

 

『いKARィィ!!殺すッ!!』

 

 その津波よりも更に速いスピードで猛進するシェムハザは、手近にいた使徒や量産型を片っ端から喰らっていく。シェムハザの生命情報が更に上塗りされていく。そのケンスケの行動に倣い、海からの怪物どもも手当たり次第に使徒を喰らっていく。

 餓鬼と灼熱とが共存する地獄。そんな悪夢が現世に顕現された。最早誰が敵で誰が味方なのかもわからない。血を血で洗い、隣人の肉で腹を満たす。難を逃れた愚か者は目の前の劫火に滅されるか、または押し寄せる津波に押し潰されるか。

 津波の勢いは止まらず、遂に最終号機の『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』が起こした火柱に激突した。途端、海水が一気に蒸発し、巨大な水蒸気爆発が起こった。連鎖的に起こる海水の爆発。生まれた蒸気は空へと向かわず、開聞岳一帯を覆い尽くした。それはまるで幻想的な雲海のようであった。

 

 最終号機は舞うように振るっていた刀の動きを止めると、周囲を見回した。濃い水蒸気のせいで何も見えない。いくつか残った『光の回廊』だけが、獲物の動きを察知してくれている。最終号機は無造作にそれを引っ張って、捕らえていた獲物を引き寄せた。水蒸気を割って、数体の獲物が目の前に現れた瞬間、最終号機は刀を振るってそれらを滅した。

 その直後であった。水蒸気の向こうに一際巨大な影が映ったのは。水蒸気を割り、幾つもの腕、脚、爪、牙が最終号機に襲いかかる。咄嗟に刀を振るうもあまりの数に最終号機の体が鷲掴みにされ、動きを封じられた。

 

『相田ケンスケだ!二度と忘れるなッ!!』

 

 ケンスケの怒号と共にあらゆる物理攻撃が、使徒の光線が、形を変えたATフィールドが、最終号機に叩き込まれる。

 

 

ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド・・・ッ!!!

 

 雲海に、最終号機が打たれる音だけが響いた。

 

『潰れろ潰れろ潰れろ潰れろ潰れろよッ!碇ィィイイイイイイッ!!』

 

 だがケンスケの願いの籠った叫びとは裏腹に、最終号機が纏ったATフィールドは強固なものであった。いくら攻撃を叩き込もうと、その威力が最終号機に傷を与える事はない。

 最終号機が無造作に身を捩る。それに合わせて、化け物と化したシェムハザの巨躯が振り回され、地面に叩きつけられた。

 

『ぐはぁッ!?』

 

《・・・ケンスケ、きミは》

 

 最終号機が刀を振り上げる。

 

《もう、ヒトではないんだね・・・・・・》

 

 その刀が、ゆっくりと振り下ろされる。

 

 

 

     《さようなら》

 

 

 

 刀は地面でもがくシェムハザの顔を、綺麗に縦に切り裂いた。その傷口から滅亡の焔がシェムハザに燃え移り、その存在自体を否定するように燃え広がっていく。

 

『ギャアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 ケンスケの断末魔が、大地に響き渡った。

 

 

 

 

 

『・・・・・・なんてな』

 

 傷口の奥から、何かがずるりと這い出した。それは三つ目のエヴァンゲリオン、シェムハザ。異形の巨躯を身に纏い、着ぐるみのように中から操っていたのだ。刀が切り裂いたのはその着ぐるみのみで、燃え広がる焔もシェムハザ本体には届いていない。

 シェムハザは振り下ろされた刀の峰を踏みつけると、右手を振りかざした。右手の指の先、一点に集中され、赤く輝くATフィールド。

 

『やっぱお前、人殺しに向いてないよ。碇』

 

 シェムハザが右手を突き出す。それは最終号機の纏っていたATフィールドを易々と中和し──、

 

 

 

《・・・・・・がッ》

 

 

 

 最終号機の左胸を、無慈悲に貫いた。

 

 

 

 

 

つづく



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u. 地において滅びを呼ぶ焔(後編)

 

『もう、ヒトではないのか、だって?そんな悲しいこと聞くなよ、碇ィ〜』

 

 最終号機の左胸を貫いたシェムハザが、その右腕をグググッと持ち上げる。

 致命の傷に最終号機の腕から力が抜け、『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』と『ルクレティウスの槍』がこぼれ落ちる。『ルクレティウスの槍』は光の粒子となって、地に落ちる前に消え去ってしまった。

 

『当たり前だろ?俺はヒトを超えた存在。この星の覇者、リリンの王だ。ヒトなんて存在、とっくのとうにやめてるのさ』

 

 勝ち誇るケンスケは最終号機の肩を掴むと、突き刺した右腕をさらに捻り込んだ。最終号機の口と傷口からまるでポンプのように血が吹き出す。

 その右腕を、最終号機の両手が優しく握った。

 

《け、んスケ・・・?》

 

『ん?』

 

《そうイエば、いたな?そんナやつモ・・・》

 

『・・・・・・あ゛ぁ?』

 

 最終号機の腕に、徐々に力が戻っていく。

 

《今ノ『僕』にとってのトモだち。デも、昔の『僕』にトッては、どーデもいい存在だったんだ・・・》

 

『てめぇ・・・!』

 

 最終号機から聞こえてくるシンジの声をした何か。ソレの言い放ったセリフに怒りを覚えたケンスケは、更に右腕を押し込もうと力を込めた。

 

 瞬間、シェムハザの右腕がブチブチと音を立てて引き千切られた。

 

『ぐああっ!?』

 

 激痛に後ずさるシェムハザ。目の前の最終号機は赤黒い焔を纏ったまま、体に刺さっていたシェムハザの腕を無造作に引き抜いて捨てると、貫かれた左胸に手を当てる。その傷口が焔に巻かれたかと思うと、次の瞬間には致命の傷口は塞がっていた。

 

《ソう、ドーデもいいんだ・・・・・・お前なんかッ!》

 

『ぶっ!?』

 

 シェムハザの顔に、最終号機の拳が叩き込まれた。

 咄嗟の出来事にケンスケは対応しきれず、殴られたシェムハザはそのまま地面に倒れ込んだ。追撃を警戒したケンスケは即座に地面を転がると、最終号機から距離を取って立ち上がった。

 しかし警戒していた追撃は来ず、ケンスケの目の前で最終号機は両手で頭を抱えている。まるで激しい頭痛にでも襲われているように、頭をブンブンと振り回している。

 

《ち、がう!ケンスケは僕の友達だ、友達なんだ!大切な・・・・・・・・・でも今は?今は邪魔だよね?そうだよ。要らないんだ、あんなヤツ・・・・・・やめろッ!!》

 

 うわごとのようにブツブツと呟く最終号機を前に、ケンスケはようやく、今のシンジの状態を正確に理解した。

 右腕の傷口を押さえながら、ケンスケは込み上げてくる笑いを堪えることができなかった。

 

『く、くくく・・・。あはははははははぁ!!なんだよなんだよ碇!そういう事か!お前、俺と同じなんだな!?過去の世界の自分が、混ざり合ってきてるんだろ!?あはははは!!』

 

 シェムハザが傷口を押さえていた左手を離す。

 シェムハザが右腕の傷口に力を込めると、傷口から粘液状の使徒バルディエルがズリュッと飛び出した。バルディエルは瞬く間にその形を変え、シェムハザの右腕を新しく作り直す。

 復活した右手を使い、ケンスケはシンジに拍手を送った。

 

『わかる!すげぇ良くわかるぜ碇ィ!その苦しみ、ハンパないもんな!?自分が消されそうになって、恐怖感ヤバいよな!?・・・・・・でも、大丈夫。お前は「碇シンジ」なんだ。そのくらいの苦しみ、簡単に乗り越えてこれるよ』

 

 いっそ慈愛に満ちた言葉で手を伸ばすシェムハザが最終号機に近付く。その手が優しく最終号機の肩を叩いた。

 

『これでようやく、俺たち、対等だ。ホントの友達だ!・・・なぁ、後は俺に任せておけ。世界は俺がなんとかするからさ。お前はゆっくり休んでろよ。アスカがどうとか言って悪かったよ。ソレは後でゆっくり相談しようぜ。なんなら俺たちで使いまわしたって良いんだし、今はとにかく休めよ。大丈夫!お前一人が背負わなくたっていいんだ。俺たち、友達だろ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《・・・・・・・・・・・・今、なんて言った?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ん?』

 

 最終号機がシェムハザを渾身の力で突き飛ばす。思わずタタラを踏んだシェムハザだったが、子供の駄々に付き合う大人のように肩をすくめた。

 

『なんだよ?俺、なんか気に触る事を言ったか?』

 

《アスカは僕の大事な家族だッ!僕が守るべき家族なんだッ!!僕はアスカを、トロワを、カトルを、ネルフのみんなを!そしてミライをッ!守る!!お前みたいにヒトをオモチャのように扱ってるやつに、指一本だって触れさせるもんかッッ!!》

 

『・・・なんだよ!俺たち、友達だろ!?友達同士でオモチャを貸したり借りたりなんて当たり前じゃないか!?それの何が悪いんだよ!?』

 

《ケンスケェッッ!!》

 

 怒りに身を任せ、シンジはケンスケに殴りかかった。友として、自分なりにシンジを受け入れたつもりであったケンスケは、困惑しながらもどうにかその拳を受け止めた。

 

『なんなんだよ!?俺たちやっと対等になれたんだぜ?友達だろーが!なんでそんなに怒るんだよ!?』

 

《うるさいッ!お前なんか、お前なんか友達じゃない!》

 

『──ッ!!?碇ィッッ!!』

 

《ケンスケェッッ!!》

 

 最終号機とシェムハザの拳が交差する。二人の拳は互いの顔を打ち抜き、互いの血が宙を舞った。

 

《ウオオオオオオオオオオオオオオッ!!》

 

『ガアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 拳が、蹴りが、無茶苦茶に交差する。それはまるで、幼い子供同士の喧嘩のようで──、

 

『くく・・・あははははははははははははははははぁ!!』

 

 ケンスケは余りの楽しさに、口を大きく開けて笑った。

 

『サイコーだぜ!碇!楽しいなぁ!お前が正義のヒーローで、俺が悪役か!?いいぜ、守ってみろよヒーロー!俺から、人類をさぁッ!!』

 

《が・・・ッ!?》

 

 シェムハザの放った蹴りが、正確に最終号機の鳩尾に叩き込まれた。痛みがシンジの身体を貫き、その蹴りの威力に、最終号機は何度も地面に弾かれながら吹き飛ばされた。

 

『あらら。世界を守るには、ちょーっと力不足かな?ヒーローさんよ?』

 

《・・・・・・だから、力を使えって言ってるんだよ》

 

『ん?』

 

 地面に倒れていた最終号機が、全身のバネを利用して飛び起きる。身に纏っていた焔が、より力強く燃え始める。

 

《僕は人類なんか守らない。テラがどうなったって知ったことか。綾波とアスカを取り戻せるなら、それだけで・・・・・・》

 

『・・・んん?ちょっと待て。今のお前、どっちだ(・・・・)?』

 

《この心臓が、異次元の窓が、あの時の僕にあったならきっと失敗しなかった。だから、もっと・・・・・・!》

 

 焔が湧き上がり、再び天を焦がす。

 

『ああ。過去の碇(・・・・)、か』

 

《お前も要らない・・・・・・だから、殺すッ!》

 

『やってみろよ!負け犬の亡霊が!!』

 

 シェムハザが大地を蹴った。もはや生物の住みようのない灰の大地を踏み締め、空気を焦がす赤黒い焔に向かって突進する。最終号機もまた、両手を広げてそれを迎え撃った。

 シェムハザの拳がATフィールドを纏い、先ほど穿った最終号機の鳩尾に叩き込まんと振りかぶる。人造人間とはいえ人体の急所の一つ。当たれば激しい苦痛は免れない。

 ケンスケのATフィールドは最終号機のATフィールドを容易く中和し、その体に正確に拳を叩き込んだ。

 だが──、

 

『ぐ・・・っ!?』

 

 硬い。

 先ほど蹴りをお見舞いした時とはまるで違う。まるで山を思い切り叩いたような、そんな感触。

 ヒトの力ではどうしようもないと思えるほどの巨大さを感じさせる体躯を前に、叩き込んだはずの拳が逆に壊れた。

 

《エヴァはすべて・・・・・・》

 

 お返しとばかりに最終号機が拳を振りかぶる。それを防ぐため、シェムハザは腕を交差させて防御の姿勢を取った。

 

《死ねばいい・・・・・・ッ!!》

 

 その交差した腕が、たったの一撃で砕かれた。両腕を粉砕され、シェムハザが激痛に苦鳴を上げながら吹き飛ばされる。

 

『ぐああ・・・!畜生、足りない、か!』

 

 吹き飛ばされながらも、シェムハザの体が再び泡立つ。

 過去の世界のケンスケが乗っていたエヴァンゲリオン。その情報を箱舟から呼び出し、ケンスケは即座にシェムハザの体に上書きした。粉砕されたシェムハザの腕が即座に再生し、より強固な腕として復活を遂げる。

 

『まだまだぁ!!』

 

 シェムハザはさらに全身に情報を上書きしていき、強固な鎧を身に纏った。それはかつてネルフJPNで正式採用されていた、重装甲のF型装備に近いものがあった。

 その鎧を纏ったシェムハザの再びの突進。今度は拳ではなく全身でぶつかっていく。

 山のような強度を誇る最終号機はその突進に僅かに体をよろめかせたものの、倒れるにはまるで至らない。

 しかし、それで良かった。ケンスケの狙いは打撃によるダメージの蓄積ではなく──、

 

『こっちはそれなりに効くだろ?』

 

 肩のパイロンから抜き放ったプログレッシブナイフによる刺突。体を密着させたまま、抜き放ったナイフで最終号機の装甲の間を縫って、刃を突き立てた。

 最終号機の脇腹に、ナイフが刺さる。

 

《ぐ・・・・・・!》

 

『次は首ぃッ!』

 

 ケンスケの狙いを防ぐため、最終号機は瞬時に首を守る。ガラ空きになった最終号機の身体に、今度は逆の脇腹へとナイフが突き立てられた。

 

《が・・・・・・っ!?》

 

『過去のお前も、今の碇も、やっぱ戦闘経験が未熟すぎるぜ!』

 

 ケンスケはそう叫ぶと、ナイフをもう一本取り出して両手で一本ずつ逆手に構えた。人を殺すための構え方。軍人として鍛えられたソレであった。

 体をよじるだけで互いに致命傷を与えることのできる超近距離。言葉巧みに最終号機を惑わしながら、シェムハザが剣の舞を踊る。翻る刃の煌めきとともに、最終号機の血が宙を舞った。

 いずれの傷も致命傷には至っていない。しかしそれでいい。ヒトが怪物を殺すためには、何千、何万と薄い傷を刻んでいき、やがて死に至らしめるしかない。

 そのシェムハザの動きは、人として見れば英雄的な戦い方であっただろう。

 

 だが──、

 

『ご・・・・・・!?』

 

 最終号機がシェムハザを振り解こうとガムシャラに腕を振るった。技巧もクソもないその腕が、シェムハザの側頭部に命中する。

 首から上が吹き飛ぶような衝撃に、倒れはしないもののシェムハザがタタラを踏んだ。

 

(掠っただけでコレかよ・・・ッ)

 

 ケンスケが人の英雄であるならば、対峙する最終号機はかつて数多のエヴァを葬り去り、神に叛逆した文字通りの怪物。

 その膂力はシェムハザを優に超える。まともに喰らえば、強化したシェムハザとてタダでは済まない。

 

『舐め・・・・・・!』

 

《遅いよ》

 

 最終号機の前蹴り。体制を崩したシェムハザが受け止め切れるものではない。シェムハザは繰り出された足裏に向かって、2本のナイフを突き立てた。

 衝撃を殺しきれず、ナイフ2本が砕け散る。しかし刃先はケンスケの狙い通り、最終号機の足を貫いていた。

 その状態でもなお、最終号機はその足でシェムハザを蹴り抜いた。

 

(痛みはねぇのかよ!?)

 

 辛うじて身を捩ってその蹴りを肩で受けるシェムハザ。その肩がバギボキと音を立てて砕かれ、勢いを殺せず、ケンスケは激痛と共に吹き飛ばされる。

 

 これでは勝てない。そう瞬時に判断したケンスケは傷を修復し、さらにシェムハザの全身を俊敏かつ強力な獣の体へと作り替えた。

 両の足が地面に着いた瞬間、ボォンッと音を立ててシェムハザの巨躯が掻き消える。シェムハザの異常に発達した脚力により灰の大地が爆ぜたのだ。

 シェムハザは超高速で地を駆け回る。最終号機を撹乱しながら、地面の灰を手で掬った。

 その灰を、瞬時に最終号機の前に移動してきたシェムハザは、敵の顔に向けて思い切り投げつけた。

 ただの目眩し。だがその一瞬が、ケンスケには必要だった。

 最終号機が咄嗟に顔を庇って両手で視界を封じた。人としての条件反射に、アルマロスのシンジも抗えなかった。

 

(勝った・・・!)

 

 ケンスケは獣の爪の如く鋭い両爪を振りかぶると、最終号機の側頭部に向けて左右から爪を振り下ろす。灰から顔を庇ったことにより、最終号機の側頭部はガラ空きだ。庇った腕の所為で、シェムハザの姿を捉えることもできはしない。

 

『あばよ!碇ぃ!!』

 

 その凶爪が最終号機の頭を貫かんとした瞬間、最終号機はそれよりも速く、シェムハザの両腕を掴んでいた。

 

『な!?』

 

《遅いってんだよ》

 

 ギギギ、とシェムハザの腕が軋み始める。その腕を振り解こうと、ケンスケが強力な腕力を持つ生物の情報をシェムハザに上書きするが、そんなモノは無意味だと、最終号機は無慈悲にシェムハザの両腕を捻り切った。

 

『ぎあ!?』

 

《僕はアスカと綾波を取り戻せれば、それでいい。・・・・・・いや、違う!僕はみんなを守るんだ!》

 

『・・・ぐ、エグリゴリ!!』

 

 ケンスケの声に応え、戦いを邪魔しないように控えていた獣達が一斉に最終号機に襲い掛かる。

 それを最終号機は、拳と蹴り、もしくは人のそれに近い爪で抉り切るようにして、容易く屠っていく。

 

《君が来いよ、ケンスケ・・・!》

 

『ああ、行くさ!コレを使ってなッ!!』

 

 エグリゴリは目眩し。力でも技でも勝てないと判断したケンスケは、しかし勝利を諦めてはいなかった。ケンスケがこの隙に再生させた両腕で手にしたもの。

 

 最終号機が取り落とした『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』。

 

《!!》

 

『お前の武器なら効くだろッ!?』

 

 焔を纏った刃が最終号機に迫る。それを見た最終号機は咄嗟に身を翻し、その凶刃を躱した。

 

避けたな(・・・・)

 

 逃すものかと、シェムハザが迫る。振りかぶった刃が渾身の力を込めて振り下ろされる。

 最終号機は瞬時に左手に光を集めると、輝く『ルクレティウスの槍』を出現させて刀を受けた。

 

《く・・・・・・ッ!》

 

『神殺しの刀、ってか・・・。本当にいいオモチャだな、碇ィッ!!』

 

 『ルクレティウスの槍』に、焔が燃え移る。最終号機は咄嗟に槍を手放し、地面を蹴って後退した。

 その腹に、深々と『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』が突き立てられた。

 

《ぐあああああああああああ!?》

 

『自分の焔で、焼かれて死ねッ!!』

 

 刀身の焔が最終号機に燃え移る。自身が発する焔とはまた違う、滅殺の焔が最終号機を包み込んだ。

 

 その刀身を、最終号機が掴み取る。

 

『!?』

 

《あああああああああああああッ!!》

 

 そして、渾身の力でシェムハザを殴り飛ばした。

 拳がシェムハザの顔に埋没し、地面を何度も何度もバウンドしながら、シェムハザが吹き飛ばされていく。それでも手を離さなかったシェムハザと共に、『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』は最終号機の体から抜けていった。

 

(クソが!なんなんだコイツは・・・!)

 

 意識が朦朧としながらも、ケンスケは思考を止めない。勝利への渇望。英雄である「碇シンジ」に勝利するため、どんどんか細くなっていく勝利への道筋を必死に手繰り寄せる。

 

(俺のエグリゴリも、技も、武器も、この神殺しの刀すらも、何も通用しないってのかよ!?いや、刀は通じたんだ!まだ諦めるな・・・!)

 

 弾き飛ばされ、海岸まで飛ばされたシェムハザが海に突っ込む。高い高い水飛沫をあげて、ようやくシェムハザの身体が止まった。

 

(立て、立つんだ!まだ戦える!やれるだろ、俺!?)

 

 足に力を込めて刀を杖代わりに、シェムハザがヨロヨロと立ち上がる。しかし立ち上がった瞬間、ケンスケの視界が揺れた。

 

『うっぐ!?おえええええええ!?』

 

 シェムハザが、吐いた。ダメージが大きすぎたのか。ケンスケは無意識にシェムハザの左頬に手を伸ばした。

 

 触れるはずだった指先が空を掻く。あるはずの顔面が、無い。埋没したのか、削ぎ落とされたのか。自分では確かめられないが、これで死ななかったのは奇跡だと思えるほどの重症。

 遠く、吹き飛ばされた向こうを見れば、焔に身を焼かれながら、刀傷から血を流しながら、その血を燃やしながら、ゆっくりであるが最終号機がこちらに向かってきている。

 その姿に、ケンスケは恐怖を覚えた。だがそれ以上の渇望が、ケンスケの震える脚を叱咤していた。

 

(わかってたハズだ・・・。碇はすげえ。わかってたことだろ!?)

 

 ケンスケは体を震わしながら、それでも考えることをやめない。

 

(もう、はっきり言って刀を振るう力も残ってねぇ・・・・・・俺が、できること、といったら・・・・・・)

 

 無敵の怪物が徐々に近づいてくる。その恐ろしい光景を前にして、不思議とケンスケの頭は冷静さを取り戻していた。焦りもない。

 

 ただ、怪物に勝つための、手段を。

 

 残り少ない余力でできる精一杯を!

 

『碇・・・』

 

《ケンスケ・・・・・・》

 

 

 

 

 

『お前の中の「碇シンジ」は、いくつの世界の終わりを見てきたんだ・・・・・・?』

 

 

 

 

 

 いつのまにか雨は止み、二人の戦いの余波で雲は割れていた。地平線から太陽が登り始め、空を茜色に染め上げていく。

 

『俺は、もうわからねぇ。ヒトが死んだ。生き物が死んだ。何もかもが死んだ。死んだ。死んだ・・・。もう世界の終わりは見飽きたよ・・・・・・』

 

 シェムハザが、刀を放り捨て、まるで祈りを捧げるように両の掌を合わせる。

 

『もう、そんな光景は見たくねぇ。だから、「俺」の世界で終わらせてぇ。例え世界を焼こうとも、今までの滅びに比べれば・・・・・・』

 

 合わせた両の手から、か弱い光が溢れ出す。

 

『お前ができたんだ。俺にもできる。やってやる・・・!過去の世界の、何かを、俺の意思で連れてくる・・・!!』

 

 光が満ちていく。それは地平線の太陽すらも霞むような光を帯び始め──、

 

 

 

 

 

『──メモリアル・インパクト』

 

 

 

 

 

 過去世界の滅びを、この世界に顕現させた。

 

《な・・・・・・っ!?》

 

 それは数多の世界で起きたグランドインパクト。セカンドインパクト。起きたかもしれないサード、フォースも含めた、あらゆる世界のインパクトの集合体。

 ケンスケはそれを呼び出したのだ。そして、それを必死に制御し、被害自体はごく限定的にしようと試みる。

 それでも溢れ出した光が、開聞岳全体を包み込んでいく。

 

《やめろ!ケンスケぇッ!!》

 

 後の世に、『神の傷跡』と称される地形が誕生した瞬間。

 

 日本の開聞岳を含んだ鹿児島県一帯が、地図から消え去った日であった。

 

 

 

 

 

つづく



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v.それをなすもの

 

 2020年12月6日。

 時刻は日本時間6時50分頃。

 

 日本の九州地方最南端の地域の消滅と共に発生した大波と大地震は、文字通り瞬く間に世界中にその波紋を広げていった。

 それは地球から遠く離れていたネルフLUNAからも目視で観測ができるほどの、大きな衝撃をもって世界中の人々を震撼させた。

 

「葛城総司令!」

「何?日向くん」

 

 ネルフLUNA、リングEarth側にある作戦司令部でアスカの弐号機と最終号機のバックアップをしていた日向が、声を荒げてミサトに報告をあげる。

 

「鹿児島県南端、開聞岳にて巨大なエネルギーを観測!こ、これは・・・!」

 

 慌てた様子の日向が端末を操作し、作戦司令部のメインモニターに現地の様子を映し出した。

 その姿を認めたネルフLUNAスタッフの全員が息を呑んだ。

 そこに映っていたのは、まるで巨大隕石が衝突したかのような巨大なクレーター。日本の鹿児島県一帯をすっぽりと覆い隠し、完全に地形が変わってしまった九州の姿だった。クレーターをぐるっと囲むような縁は標高が高いのか、クレーター内部への海水の侵入を全く許していない。

 それほどまでに巨大な爆発が起きたという、何よりの証拠だった。

 

 ミサトの背を嫌な汗が伝う。爆心地の中心は碇シンジと最終号機が、アスカと加持を無事にユーロに送り届けるための囮として奮迅していた場所だった。

 ミサトは日向に負けずと声を荒げて、司令室の全員に状況確認の指示を出した。

 

「葛城総司令!MAGIから回答が上がっています!」

「MAGIはなんて言ってるの!?」

 

 青葉の報告に飛び付くように食いついたミサトが、青葉の肩を掴んで横に立ち、端末に映し出された回答を凝視する。それを青葉が、司令室の全員に聞こえるように読み上げた。

 

「観測したデータを照合した結果、セカンドインパクト発生の状況と酷似しており、新たなインパクトの可能性大!」

 

「そんな・・・!まさか、最終号機のサードインパクト!?」

 

「いえ!インパクトの規模はセカンドと比較しても極小規模!しかし地球全体への影響は現状把握しきれません!」

 

「すぐに地軸のチェックを!」

「最終号機パイロットの安否確認!急いで!」

 

 青葉の報告に驚いたマヤと、ミサトが同時にスタッフに指示を飛ばした。

 極小とはいえ、発生したのはインパクトだ。マヤの指示した地軸チェックは、地球規模での観点から最優先に確認すべき事だった。新生の月により元に戻った地軸が今のインパクトでズラされたのならば、世界全体で再び激しい気象変動が起こるに違いない。

 一方でミサトの指示は碇シンジの安否確認、いや、生存確認であった。自分の提案した「ユーロカチコミ作戦」の囮役。そのシンジのバックアップも、地球から離れたこのネルフLUNAでは十分に行えない。地球との通信も、月に近いこの場所では若干のタイムラグや電波障害もある。致し方ない事ではあった。

 しかし、ミサトはゲリラ戦に臨むシンジの出発前に「生命を最優先」と再度念押しをしたのだ。シンジがそれを忠実に守っているなら、シンジが生き残っている可能性は高い。

 

 そう、縋りつきたいだけなのかもしれないが。

 

 現地で何があって何が起きたのかは、この場にいる者の誰一人として把握しきれていない。ならばシンジはきっと生きているはず。そんな確証も根拠もない、薄っぺらい希望的観測。

 

 だからその希望は勿論、裏切られて当然だったのだ。

 

「エヴァ最終号機、応答ありません。パイロットのフィジカルチェックもシンクロ測定も反応を示さず・・・・・・」

 

 青葉の静かな報告は、作戦司令部という池にぽちゃんと落とされた小さな石。それが起こした波紋がゆっくりと、沈黙という形で司令部に広がっていく。

 

「シンジ・・・・・・」

 

 司令部の隅で、初孫を抱きながらその様子を見守っていた碇ゲンドウは、目の前が暗くなっていくのを感じていた。

 親子の復縁。初孫の誕生。そういった人生の一大事を経験したゲンドウにとって、碇シンジは既に真の意味での「自分の息子」となっていた。

 

 その息子が、死んだ?

 

 

 

「諦めちゃダメよ!碇副司令代理!」

 

 

 

 その諦観を叱咤したのは、自身の愛弟子。

 

「これくらいの事なんてしょっちゅうなんだから。だいたい、アルマロスの騒乱でシンちゃんが何回死んだか知ってる?二回よ、二回!人生ってそんな簡単にやり直せるんだ〜って馬鹿らしくなるくらい、シンちゃんは逆境を乗り越えてきてるわ。だから、諦めるのはまだ早い!!」

 

 ミサトが腕を組んでメインモニターを睨みながら、それでも自信たっぷりに言い放った。

 

(希望的観測?上等ッ!うちのシンちゃんをあまり舐めないでよね、運命さま・・・!)

 

「葛城総司令。地軸の方に関しても問題ありませんでした。ただ、南半球や東南アジアを中心として、大規模な地震と津波は発生しているようですが・・・」

 

「・・・現地の人には本当に申し訳ないと思うけど、とりあえず私たちの作戦への支障はなさそうね」

 

 非情に聞こえるかもしれない。だがインパクトが発生して、被害がその程度なら安いものだ。今取り組んでいるのは自分たちネルフLUNAが生き残るための作戦。

 如何なネルフLUNAとて全てを救えるわけではない。辛い事だが、この作戦に関してだけは一切手を抜くわけにはいかない。

 

「私たちは予定通りにアスカ達のバックアップを!アスカと加持くんに繋がる?」

 

 ミサトは日向に確認を取る。その日向が力強く頷くのを見たミサトは、

 

「繋いで」

 

 と、一言だけ発した。

 

 その背後に控えていた老人、冬月コウゾウはその様子を見て満足げに頷くと、自身の携帯端末を取り出し、どこかへ連絡を取った。

 

「・・・私だ。準備のほうはどうかな?」

 

 

──────

 

 

 アスカの体がびくんっと唐突に震えたのは、フランスとドイツの国境付近で剣崎キョウヤと合流した加持とアスカが出立の準備を進めているときだった。

 

「・・・・・・・・・シンジ?」

 

 魂の繋がりか、または別の何かが作用したのか。アスカは遠く離れた最愛の夫の身に起こった何かを察知し、正確に日本の方角に目を向けた。

 

「アスカ?」

 

「どうかしましたか?」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 加持と剣崎の両名から上がった、アスカを案ずる心配の声。「ユーロカチコミ作戦」の直前だ。作戦の要となるエヴァ弐号機の操縦者であるアスカの体調には当然気を配る。

 だがそれ以上に、アスカの様子が切迫したものであったのが、二人がアスカに声をかけた要因としては大きい。

 当のアスカは遠くの地を睨みつけたまま、微動だにしない。

 

「敵、か・・・?」

 

 加持が懸念を口にする。その可能性は十分にあった。だがそれにしては、アスカの様子には周囲への警戒という点が薄れている事が気にかかるが。

 

 ややあって、アスカが口を開く。

 

「あんの、ブワァカ。またやらかしたわね」

 

「ん?」

 

「良いのよ加持さん。バカは放っといて、アタシ達はアタシ達の仕事をやりましょ♪」

 

 妙に明るいアスカの声に違和感を覚えた加持は、しかしアスカの左手が微かに震えているのを見て取った。だが、振り返ったアスカの表情は明るい。無理をしているのが見え見えだった。

 

「・・・・・・本当に、大丈夫か?」

 

「・・・まあ、正直平気ではないけど。今ここで悩んでも怒っても仕方ないし。あいつが帰ってきたら三日間は寝かせないわ。それでチャラにしたげるつもり」

 

 にかっとアスカが冗談を口にしながら笑う。それは彼女自身のモヤモヤにも決着をつけるカンフル剤だったようで。

 

「行けそうなら急ぎましょう。この時間なら警備も油断し始めてくる。動くなら早急に・・・」

 

「わかってるわよ。剣崎さん?アナタって結構真面目さん?」

 

「・・・・・・つい最近、別の女性からも言われましたよ」

 

「あら。意外にモテモテなのね」

 

 軽いジョーダンを初対面の剣崎と交わすほどには、落ち着いたようだ。

 

 12月5日。現地時間22時ちょうど。

 

 アスカはエヴァ弐号機に乗り込み、その機体の手の上に加持と剣崎を優しく乗せる。

 

『流石に三人だとプラグ内は狭いしね。少し寒いけど我慢してよ』

 

「問題ありません。寒いのには慣れています」

「とはいえ、落っことさないでくれよ?アスカ」

 

 そのやり取りを皮切りに、エヴァンゲリオン弐号機は肩のアレゴリック翼を起動させる。一瞬の業風の後、弐号機は比較的静かにヨーロッパの闇夜を飛び始めた。

 

 

 ◇

 

 

Qu'avez-vous fait(なんて事をしてくれたんだ)! Cet idiot(あのバカは)!」

 

 机の上に広げられていたワインとつまみ。それをジルは怒りに任せて振り払った。床に落ちたグラスが割れて、中のワインが絨毯に染み込んでいく。

 

「碇シンジなんていくらでも殺りようはあるッ!それをゴリ押しで突っ込んでいった挙句にセカンドインパクトぉ!?馬鹿にも程があるヨォ!ケンスケッ!」

 

 ジルの行動理念。それは欧州を世界の玉座に再び君臨させること。

 しかしそれは大前提として、地軸の戻った地球、つまりセカンドインパクト以前の慣れ親しんだ気候があってこそ。ケンスケのインパクトの影響でもしも地軸がズレて欧州が極寒の地に逆戻りしてしまえば、一時的には王者に返り咲くことはできても維持するのは途端に難しくなる。極寒の地で育つ作物は少ない。

 その大前提を崩しかねないケンスケとシェムハザ。ジルは今この瞬間までケンスケを都合のいい同盟相手として見ていたが、ケンスケの手札に予想外のカードが加わった事で、ジルはケンスケの危険性を無視することができなくなった。

 

(使徒製造機として使い潰したら殺ス!それくらいの、都合のいい駒程度にしか見てなかったのにィィ・・・)

 

 使徒を生み出し、その素体を用いてエヴァンゲリオンの軍隊を作り上げる。その計画が軌道に乗ってしまえば、粋がっている若造など簡単に潰せる。それがジルの考えていた道筋であった。

 それがまさか、世界全体を崩壊させかねない危険な存在になろうとは。

 

(ケンスケはもはや旧時代の『核』だ。その威力ゆえに世界中が抑止力として持ち始めた核兵器。今のケンスケはそれを上回る威力を備えた『個人』だヨ!このままではケンスケ一人に世界が跪ク!なんとしても殺さないト・・・・・・、いや。まだ大丈夫カ?まだ利用はデキル、か・・・?)

 

 混乱する頭を必死に制御し、ジルはこの後の計画を練り直す。幸いなことにジルの手札は潤沢だ。質の良いオルタナティブ・エヴァンゲリオンの軍団はまだまだ残っているし、正真正銘のエヴァであるウルトビーズもある。ケンスケが生み出す『エグリゴリ』は厄介だが、向かってくる敵が新たなエヴァの素体になってくれると考えれば、それも好しとできようもの。

 そう頭の中で計画を組み直す一方で、その実現性が低くなっている事も認めなくてはならない。ケンスケ自身のエグリゴリ、それとASIAがケンスケに靡いたことが大きな要因だ。それが無性に腹立たしい。

 ジルの頭は怒りと混乱で完全に茹っていた。

 

 コンコンッ

 

 その思考に割り込んできた雑音。ジルの執務室のドアがノックされた。

 

「ウルサイよッ!イマ忙しいンダ!!何の用ッ!?」

 

 ジルの怒号に怯む様子もなく、執務室の扉はごく自然に開けられた。

 

「ありゃりゃ・・・、ご機嫌ナナメだねぇん」

 

 ニヤニヤと笑いながら入ってきたのは白衣姿の真希波・マリ・イラストリアス。それと、黒服に拘束された男性が二名。

 

「ン?誰だイ、コイツら?」

 

「ネズミだよーん!褒めて褒めて!」

 

 マリがおどけながら拘束されている二人の背を蹴り飛ばす。勢いに負け、二人は地面に倒れ込んだ。

 

「ハァン?スパイってコト?目的は聞き出しタ?」

 

「いんや、まだ〜」

 

「そうカイ・・・・・・」

 

 それを聞いたジルの顔から感情の仮面が剥がれ落ちる。ジルは無造作に机の引き出しから銃を取り出すと、拘束されていた二人のうちの一人の頭を容赦なく撃ち抜いた。

 

 脳漿が、床にぶち撒けられる。

 

「ひ、ヒィいい・・・・・・、ホーク・・・ッ!」

 

 生き残った男の顔が恐怖に歪む。その男の肩に、後ろから優しく女性の手が置かれた。獣の笑みを浮かべた、マリである。

 

「ざぁ〜んねぇ〜ん!お友達はゲームオーバーしちゃったねぇ。・・・・・・して、貴殿はどんな秘密を抱えておられるのかな?ポーカー君、だっけ?」

 

「ぽ、ポーターだ・・・俺は・・・」

 

「オゥケイ!ポーカー君や。この私に秘密を教えてごらんよ。そうしたら君は、横の彼みたいにならなくて済むかもよん?」

 

「面倒くさいヨ。もう殺っちゃおうヨ」

 

「いやいや、一応は聞き出した方がいいんでない?ね〜え?ポーカーくぅん?」

 

 マリは震えるスパイ、ポーターの耳に息を吹きかけ、そのまま舌で艶かしく舐め回す。普段であればそれは多大な快楽を男に与える舌技であったが、今この瞬間は獣の舌なめずりと変わらない。次の瞬間には耳が食いちぎられていてもおかしくはない。

 同僚の死と、自分の死の恐怖。その両方を突きつけられたネルフLUNA諜報員ポーターの心はあっさりと折れた。

 

「ネ、ネルフLUNAから・・・・・・」

 

「うんうん♪」

 

「鈴原トウジ達と、その、家族・・・それを手助けする為に、エヴァンゲリオン弐号機が来てる・・・・・・」

 

「来てるダッテぇ!?」

 

 ポーターの答えにジルの怒りが頂点に達した。咄嗟に銃を構えるジルだったが、マリがそれを手で制する。

 

「ん〜なかなか際どい所まで踏み込んできたねぇ。『来る』んじゃなく、『来てる』ときたか。こりゃ厄介だにゃ〜。・・・ちなみに場所は?」

 

「そ、それは・・・」

 

「あ、答えたくないなら別にいいよん♪」

 

 マリは優しい手つきでポーターの肩を叩いて立ち上がり、ゆっくりとポーターの背後に回った。背後に立ったマリは懐から小さな拳銃を取り出すと──、

 

「グッナァ〜イ♪」

 

 容赦なく、ポーターの頭を撃ち抜いた。

 

「シュバルツバルドだネ!すぐに施設に連絡を・・・・・・」

 

「いんにゃ、ジル司令?そんな慌てなくったって大丈夫大丈夫!それよりさぁ、せっかくエヴァが来てんだからこっちもエヴァを出せばいいんじゃにゃ〜い?」

 

 猫のような笑みを浮かべて、マリはたった今撃ち殺した、まだ暖かいポーターの死体に座り込んだ。

 

「ウルトビーズ・・・弐号機の兄弟機、いや、姉妹機?出せばいいじゃん。まあ、なんでそんなに慌ててんのかはだいたい想像つくけど、もっとドンッと構えてなよ」

 

「ン?どーゆー事だイ?」

 

「エヴァの素体がさ、向こうから来てくれたってことさ♪」

 

 再び、マリが獣の舌なめずりを浮かべた。それを見たジルも冷静さを取り戻し、ニヤリと顔を歪める。

 

「その考え・・・bon(いいね)!」

 

「でしょ?」

 

「さぁて、そうと決まれば鈴原夫妻にはシッカリ働いてもらおッカナァ〜!ここで万が一にでもシクったら、派手に爆弾をボンってやっちゃおカ!」

 

「あっははは!お友達同士で殺し合わせるとかジル司令、鬼畜〜!」

 

「日本の言葉ダネ?僕その言葉だぁーい好キ!!」

 

 

──────

 

 

 九州鹿児島県の跡地。メモリアルインパクトの影響でできたクレーターの縁に、ケンスケの乗ったシェムハザは蹲っていた。

 

『はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・』

 

 呼吸は荒く、しかしそれを必死に宥めようと大きく息を吸い、無理やりに吐き出す。

 

『はぁ、はぁ・・・、か、勝った・・・・・・』

 

 シェムハザが、ケンスケが両の手をギリギリと握りしめる。

 

『俺はッ、碇に勝った・・・ッ!!』

 

 喜びに震え、余韻を噛み締めるように、相田ケンスケは勝利に浸っていた。

 

『あは、あはは、あははははははは・・・・・・』

 

 だが、その笑いはどこか虚しさを帯びていて。

 

『・・・・・・・・・・・・まだだ。碇はきっと、死んでない』

 

 シェムハザが立ち上がり、辺りをぐるりと見回した。朝陽に照らされて、シェムハザの機体がキラキラと輝く。

 首をキョロキョロと回しながら、ケンスケは最終号機を探した。

 

『いない・・・。でも、間違いない・・・・・・!』

 

 碇シンジは生きている、という確信だけがあった。なぜなら彼は『英雄』なのだから。相田ケンスケにとっての『幻想』そのものなのだから。

 だから、碇シンジがこんなにあっさりと舞台から姿を消すなんて思えない。思いたくない。

 

『何度も、何度も何度も立ち上がってきたもんなぁ!碇ィィイイイイイイッ!!!』

 

 ケンスケの叫びに応える声はなく、ザザーンという波音と、静かな風の音だけがケンスケの耳を打った。

 

『・・・・・・碇が戻ってくるまでに、俺も強くならなきゃ。あの『メモリアル・インパクト』。アレを制御できるようにならなきゃ・・・』

 

 ケンスケはシェムハザを操作して爆心地の中心に立つと、先ほどと同じように、祈るように手を合わせた。

 

(碇の作った、『ルクレティウスの槍』。アレがインパクトのエネルギーを使って作り出されたなら、俺にも槍が作れるはず・・・)

 

 合わせた両手から、光が溢れ出す。

 

『今なら、俺にもできる・・・!失敗しても何度でも、何度でも・・・・・・ッ!!』

 

 この日から約四日間。世界は断続的に発生する大地震と大津波に悩まされることになる。それはケンスケの失敗の記録であり、同時に、5日目にはケンスケが槍を手にしたという何よりの証拠だった。

 

『待ってるぜ、碇ィ・・・・・・!』

 

 人のものとは思えない歪んだ思想と笑みが、ケンスケの表情を醜いモノに変えていく。

 

 その日、碇シンジは、戻ってこなかった。

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 赤い。血のように赤い、海。

 

 全ての命が溶け合ったような赤い海。

 

 その水中で、碇シンジは静かに目を開いた。

 

 

 

「ここ、は・・・・・・」

 

 

 

 水中で横たわるように浮かんでいたシンジが、ゆっくりと体を起こす。

 

「えっと・・・・・・どこだ?ここ」

 

 戸惑いながらも辺りを見回す。

 

 不思議な感じだった。水中なのに息ができる。声も出せる。まるでLCLを思わせるような性質。

 でも違うのは、この液体はLCLよりもずっとずっと赤く、まるで血のようであるということ。

 

「おおーい・・・・・・!」

 

 なぜ自分はここにいるのか?

 何が起きたのか?

 

 何一つわからないまま、シンジは己の胸に手を置いた。

 

「・・・ん?あれぇ!?」

 

 体に触れた感触は、プラグスーツのそれでは無かった。驚いたシンジは改めて自分の体を見遣る。一糸纏わぬ生まれたままの姿のシンジがあった。

 

「ええええ!?なんでぇ!?」

 

 

 

 

 

《ここに来るのは初めてかい?碇、シンジ・・・》

 

 

 

 

 

 突然の声に、シンジが振り返る。そこに立っていたのは──、

 

「・・・・・・僕?」

 

 今の自分よりも若干幼い、中学生の頃の自分であった。

 

《うらやましいよ。この地獄に、君は来た事がないんだね・・・・・・》

 

「アルマロスの、僕・・・・・・」

 

《ここはLCLの海。全ての生命が溶け合って生まれた、人類補完計画の一つの終焉。ある種の、幸せの形の一つ・・・・・・》

 

「・・・・・・こんなのが?」

 

《そう。こんなのが》

 

 アルマロスのシンジが微笑む。

 

《そう言えるってことは、君にはここが幸せな場所に思えないんだね》

 

「・・・・・・だって、ここには誰もいないじゃないか。何も無い。たぶん嫌な事も無いんだろうけど、嬉しい事や楽しい事もない。そんなの、死んでるのと同じだよ」

 

 その答えに、アルマロスのシンジは嬉しそうに頷いた。

 

《僕もそう思った。だから僕も、何度もやり直したいと思っていた。綾波とアスカを取り戻せるまで、何度も。何度でも。ただ、僕の意識は『フォルトゥナ』に乗っ取られていたけど・・・・・・》

 

「フォルトゥナ・・・?」

 

《君たちがアルマロスと呼んでいた、あの存在。僕はアレを殺したから、こうなったんだ》

 

 アルマロスのシンジが、今のシンジに手を伸ばした。まるで、握手を求めるように。

 

《僕たちは、きっと分かり合えると思う。だから、知ってほしいんだ。僕のことを》

 

「君のことを?」

 

《今のこの世界は、限りなく僕の世界に近い状態になりつつある。僕が全てを失った、あの世界に》

 

「全てを、失った・・・・・・」

 

 シンジの目に戸惑いの色が生まれた。だがその戸惑いの奥に、「知りたい」という気持ちも同時に生まれていた。

 

《僕はもう二度と、綾波もアスカも失いたくはない。一緒に、見てくれるかい?僕の世界で、何があったのかを・・・・・・》

 

 アルマロスのシンジが、再度握手を求めてくる。一瞬の逡巡のあと、シンジはその手を強く握った。

 

《ありがとう》

 

 その言葉を最後に、赤い海が光に包まれる。

 

 シンジの心臓である次元の窓。そしてケンスケの引き起こしたメモリアル・インパクト。

 その二つが共鳴することで起きた、ある種の奇跡。時間も世界も超えた、逆行の旅。

 

 全てが始まった、最初の人類補完計画。シンジが存在した、初めての人類補完計画。

 

 その真実を明らかにする、二人の旅が始まった。

 

 

 

 

つづく



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w.彼方の待ち人-1

 

 人を人たらしめる物とはなんだろうか。

 獣と人とを別つ要素とはなんだろうか。

 

 それは『知恵』である。

 

 黒き月に乗ってこの星へと舞い降りた使徒、リリス。そしてリリスが生み出した人類、即ちリリン。知恵の実を手にして楽園を追放されたとされる原初の人は、知恵によって全ての獣を従える術を与えられていた。

 

 しかし、知恵を得たことによって失われた物もある。それは『力』である。

 

 四つ足の獣。四つ足であるが故に、急所である内臓の詰まった腹を骨で守れる獣に対し、人は二本の脚で地に立つことによって急所を晒す事になり、その弱さを手に入れた。四つ足の力強さは失われ、人はどんな獣よりも弱く、遅く、泳げず、飛べない獣となった。

 

 では、人は何故に立ち上がったのだろうか。それは獣よりも頭を高い位置に置くためである。

 高きより見下ろされる視線に、獣は畏怖を抱く。唸るだけの獣どもを従えるために『自分は上位存在である』と知らしめるために、人は立ち上がったのだ。

 誰から見ても解るように。どこから見ても解るように。人こそが獣の霊長である事を、彼方へと知らしめるために。

 

 それは、かつて人よりもはるかに獣が多かった時代に、獣どもを従えるのには都合が良かっただろう。しかし時の流れと共に、その意味合いもすり減っていく。人は増えすぎたのだ。そして何より、進化をしなかった。

 どんな動物よりも早く走り、泳ぎ、跳び、その手を空の彼方、宇宙にまで伸ばして月を掴むほどに進歩しても、人は人のままであった。人が人を超えることは決してなかった。人が作り出したそれらの叡智は、結局のところ『模倣』でしかなかった。早く走る獣、高く飛ぶ鳥、深く泳ぐ魚、自然の炎、雷、風、水。それらを模倣して、それを操れるようになっただけ。それは『進歩』ではあったが『進化』ではなかった。

 まして、人類が知恵を身につけた時からの悲願である『命』の模倣など夢のまた夢。逃れられぬ死から逃れる術を見つけることはできず、進化もしなかった種族。それが『リリン』。

 

 その文明の行き着く先に、格好の獲物が姿を現した。『生命の実』を持つ『使徒』である。

 人々は使徒の圧倒的な生命力に可能性を見出した。つまり『これこそが死を乗り越えるための最後のピース』である可能性を。それを手に入れるため、人は自身の持つあらゆる知恵を使って使徒を手に入れようとした。

 

 時には、『神=アダム』の模倣をしてまで。

 

 かくして、アルマロスとなったシンジの世界は、アダムより造られしエヴァを使い、遂には全ての使徒を滅ぼした。地球、いや、『テラ』と呼ばれる惑星において、現れた使徒の数は膨大であったが、この世界にも存在していたネルフは、三体のエヴァンゲリオン、即ち、EVA00、01、02を用いて、全ての使徒を迎撃し、撃滅した。

 テラに平和が訪れ、各国が使徒ではなくエヴァそのものと向き合い、その技術を乱用しようとした時代。使徒の肉体は素体として扱われ、各国が自国のエヴァンゲリオン製造に乗り出そうとした時代に、『ソレ』は突如として現れた。

 

 ある一つのエヴァが、人々の手によって創り出された。しかしそれは、人々の意思によるものではなかった。

 

 創り出された、いや、産み出されたエヴァンゲリオンは、そのエヴァンゲリオンの意思によって人々を操り、自らを創り出したのだ。

 

 獣を従える人。その人を従えるエヴァンゲリオン。これこそがまさに進化。新たな生命の誕生と、テラにおける霊長の世代交代の幕開けであった。

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

『な、なんだ、これ・・・・・・?』

 

 月明かりが照らす荒廃した都市の中を、ヒトの形をした獣が駆け抜ける。その獣は言葉を話さず、視線とその力のみでわずかにナワバリと種族繁栄のためにコミュニケートし、道具を使わず四足で大地を駆けている。

 それは一匹、二匹といった少数ではない。まさしく群れ。獣の群れと思しきほどの膨大な数であった。

 それが四足歩行の獣であれば、碇シンジとて納得はできる。しかし眼下に広がる光景は全くの異質。人が人のまま、人の骨と形で四足で大地を駆けている。そしてその速度は驚くべきことに、速い。まさしく獣が大地を駆けるが如くだ。

 その異常を目の当たりにしたシンジは、胃から迫り上がってくるものを抑えようと必死で口を手で覆った。

 

《驚くのも無理はないよ。彼らは人狼(ヒトオオカミ)。もともとは、れっきとした人間だった者の成れの果てだ・・・・・・》

 

 その隣にいる、この世界を生きていた中学生の姿をした『アルマロスのシンジ』。彼は眼下の光景をさも当たり前のように、しかしどこか悲しみを秘めた瞳で語る。

 

《まるでおとぎ話のオオカミ男さ。見てみなよ、あの四肢を。人の形のまま、獣としての機能を無理やりに持たされたような歪さ。大の大人が、犬の真似をして走るような滑稽な姿で、さもそれが正しい形のように群れをなしてすごいスピードで走っていっている。気持ち悪いったらないよ・・・・・・》

 

 獣の、いや、人狼(ヒトオオカミ)の群れは上空のシンジ達に気付くことなく都市を走り抜ける。当然だろう。この世界にとってシンジ達はまさしく異物。幽体にも似た、この時代に(あらざ)る者たちなのだから。

 

『ど、どうして・・・・・・』

 

《ん?》

 

『どうして、彼らは、あんな・・・・・・?』

 

《質問の意図がわからないよ、『僕』》

 

 アルマロスのシンジが走り去っていった人狼(ヒトオオカミ)の群れを指差す。

 

《アイツらがなぜあんな事をしてるのかが知りたいの?それとも、アイツらがなぜああなってしまったのかを知りたいの?・・・・・・残念だけど、僕にも正確にはわからない。いつの間にか世界中の人々がああなった。それくらいしか、僕にもわからない》

 

『せ、世界中が!?』

 

 シンジの悲鳴とも取れる驚きの声に、アルマロスのシンジは黙って頷いた。

 

《そう。ある日、突然だった。人々は言葉を忘れ、両手を大地に添えて、まるで獣のように生きるようになった。この時点ではその原因もわからなかったけど、ネルフはこの現象を『()()()()()()』が引き起こしていると考えた》

 

『・・・・・・さっきも言っていたね?その『フォルトゥナ』っていうのは、いったい何なの?』

 

《自ら意思を持ち、人々を操って自分を造らせた、異常なエヴァンゲリオン、ていう事になっている。けれど、アイツはエヴァンゲリオンなんかじゃない。もっと大きな何かを秘めていた、と思う。・・・・・・それが何かは、結局解らなかったけど》

 

『・・・君にも解らないことがあるんだね』

 

《むしろ解らない事ばかりさ。なにせこの時点で僕も、人としての境界があやふやになっていたんだから》

 

『え・・・・・・?』

 

 シンジが聞き返すよりも先に、アルマロスのシンジは踵を返して背を向けていた。まるで、その問いに答えるのは今ではない、というように。

 

《今見た光景は、この世界中のどこでも見られる現象だよ。ネルフ関連の一部の人間や施設が生き残っているのは否めないけど、この世界は既に終わりかけているんだ。『人類補完計画』。君たちの世界とは違う形で保管を目指した世界だって事だけ、覚えてくれればいいよ》

 

『あ、待って・・・!』

 

 アルマロスのシンジがそのまま何処かへと行こうとしたので、シンジは慌ててアルマロスのシンジを止めた。

 

『ア・・・いや。ねぇ、ネルフのみんなは?アスカやトロワ、ミサトさん達はどうなったの?』

 

《それは今から行けばわかるよ。それと──》

 

 そこでアルマロスのシンジは言葉を切り、少し迷ってから告げた。

 

《呼びづらいだろうから、僕のことはアルマロス、って呼んでくれていいよ。結構気に入ってるんだ。その呼び方》

 

 ──僕に名前を付けてくれたのは、君たちだけだったから。

 

 最後のアルマロスの呟きはシンジには聞こえず、二人はまるで幽霊のように夜空を滑るようにして移動を開始した。

 

《君が心配している場所に行こう。この世界において数少ない、人類の灯火のある場所に・・・・・・》

 

 アルマロスの視線の先で、人狼たちが月に向かって一斉に吠えていた。

 

 

 

 

 どれくらいの時間、空を飛んでいただろうか。二人のシンジの目に、荒廃した第三新東京市が見えてきた。その街の中心には正四面体をいくつも重ねたような幾何学的な建造物が建っており、その周囲は壁でぐるりと囲まれている。壁の上には篝火と、恐らく見張りだろう。何人かの人間がゆっくりと、しかし緊張の面持ちで見回りをしている。

 人狼の侵入を拒む壁。まるで質の悪いゾンビ映画のようで、シンジとしては軽率にも笑ってしまいそうになる。だって、しょうがないじゃないか。本当にチープな映画そのものの世界なんだから。

 

《・・・荒廃した世界で出来ることなんて少ないんだよ、『僕』。まともな設備も資源もないから、どうしたってチープな物しかできないんだ。そういう点では、B級のホラーやパニック映画ってのはあまり馬鹿にできないものだよ》

 

『あ、いや・・・・・・ごめん。不謹慎だった』

 

《気に病む事はないよ。どうせここは『終わった世界の焼き直し』だ。誰が何を叫んで抗ったって、やり直しはできない。エンディングは決まってるんだ》

 

 諦めたような表情のアルマロス。それを見たシンジの胸に、なんとも言えない虚しさが込み上げた。その顔から逃げるように視線を逸らすと、シンジは見知った顔を壁の上に見つけた。

 

『あ?あれって、まさか日向さんと青葉さん?』

 

《ん?》

 

 シンジの声に釣られ、アルマロスも空から壁の上を見下ろした。そこには髪を肩まで伸ばした男と、メガネをかけた短髪の男の二人がサブマシンガンを手に話をしていた。間違いなく、ネルフオペレーターの青葉と日向だった。

 

《へぇ、こんな感じなんだ・・・・・・》

 

『・・・?何が?』

 

《いや・・・》

 

 アルマロスが声を抑えて笑う。

 

《この景色、僕も見覚えがないんだよ。たぶんこの時間の僕は、施設内でエヴァの訓練をしてた、と思う。だからあの二人が外で何をしていたのかなんて、わからないんだよね》

 

『え、そうなの?』

 

《うん。コレが『焼き直し』だからかな?もしかしたら僕自身も知らない、いろいろな景色が見られるのかも・・・》

 

 少しだけ、アルマロスは楽しそうに笑った。

 

《あ、ごめん・・・》

 

『・・・?なんで?』

 

 気まずそうに目を逸らすアルマロスに対して、シンジは不思議そうに尋ねた。

 

《いや、だって、さっきは君が笑って「不謹慎だった」て言ったから。僕も不謹慎な事やっちゃったのかな?って・・・》

 

『気に病む事はない、って言ったのも君だよ?』

 

《・・・・・・・・・・・・》

 

 少しの間があって、アルマロスはやっと少しだけ本音を漏らした。

 

 それはつまり──、

 

《ありがとう。僕には、友達らしい友達なんかいなかったから、そんな風に言われるの慣れてないんだ》

 

 と照れたように、感謝を述べて笑った。その笑顔があまりに寂しくて、シンジは思わずアルマロスをそっと抱き寄せた。

 

《・・・・・・・・・・・・・・・え、なにこれ》

 

『まあまあ、そう言わずに』

 

 ニコニコと笑いながら、アルマロスを抱きしめるシンジ。アルマロスは拒むべきか、このまま抱きしめられているべきか、判断に悩んでいるようだ。

 

《・・・・・・同情ならやめてほしい》

 

『あはは。同情ではあるけれど、君は僕の先輩だから、さ。すごく頑張った先輩に抱きつきたくなる事って、ない?』

 

《・・・そんな事、一度もなかったよ》

 

『奇遇だね。僕もなんだ。だから、僕もちょっぴり恥ずかしいんだ』

 

 腕の中のアルマロスが優しく、そっとシンジを突き放す。その表情には怒りと、羞恥と、嬉しさが微妙なバランスで混ざり合っていた。

 

《君はまだ、僕の苦しみの1%もわかっちゃいない。これからはどんどん苦しくなる。覚悟、しておいてね?》

 

 目を逸らしながら、アルマロスはシンジに先輩としての忠告を送った。それはとても辿々しいものであったが、シンジにはアルマロスのその辿々しさが嬉しかった。

 

『ねぇ、僕たちっていま、この世界では幽霊みたいなモノなんだよね?』

 

《・・・・・・?そういう認識でいいと思うけど》

 

『じゃあちょっとさ、青葉さん達の会話を聞いてみようよ。君も知らないんだろ?』

 

《・・・・・・・・・はぁ。緊張感が足りないよ。覚悟しておいてって言ったばかりじゃないか》

 

『わかってるさ。そのくらい』

 

 アルマロスの言葉に、シンジは即座に顔を引き締めた。決して、結果的に救われなかったこの世界を軽んじている訳ではない。シンジは知りたかったのだ。この世界に生きた人たちの、生の声を。これがチープな映画ではなく、本当に起きた事なのだと、胸に刻み付けたかった。

 そのシンジの表情を見たアルマロスもまた顔を引き締めると、シンジとともに青葉と日向にゆっくりと近付いた。

 

 

 

 

 

「なぁ、エヴァに意識や意思があるって話、お前どう思う?」

 

「どうしたんだよ、いきなり?」

 

 シンジ達が近付くのを見計らったように、青葉が不明瞭な質問を日向に投げた。

 

「初めてネルフに来たシンジ君をエントリープラグ無しで瓦礫から守ったり、色々と暴走したり・・・。使徒と戦っている時は気にしなくてよかったけどよ。使徒がいなくなった今、エヴァってモノはなんなんだって思っちゃってさ・・・」

 

「・・・・・・それは、フォルトゥナの事を言ってるのか?」

 

「それもある。けどよ、やっぱ改めて考えると、エヴァって不気味だなって思ってさ」

 

「・・・うん。まぁ、そうだな。エヴァが何か考えているってのは本当らしいぞ。素体のままでは存在しなかった目や口、そういった物を自らの意思で創り出してはいるんだからな。そうでなくちゃ説明できないって」

 

「それ、赤木博士が言ってたのか?」

 

「ああ。ただ、何を考えてるのか?そこまでは解らないってボヤいてたんだよなぁ・・・」

 

「そうか・・・」

 

 なんとも煮え切らない日向の回答に、青葉は何気なく壁の外、その向こうの瓦礫の街を走る人狼に視線を向けた。

 

「まぁ、同じ解らないにしても、奴らとは随分と違うとは思ってる。エヴァはなんかもっと、こう、途方もなく高度な・・・・・・なんて言うのかな?とにかく、アイツらとは違って、何かすごいことを考えてるんじゃないかって事さ」

 

「・・・まあ、言いたい事はわからないでもないが」

 

 日向もまた壁の外の人狼に目を遣り、この激動の数ヶ月を振り返った。

 

「俺たちは守るべきだったものをいきなり奪われてしまった。まともなのはこの施設や、世界中のネルフの支部、もしくは政府の中枢がごく少数ってところだろ。はっきり言って俺は、エヴァが高尚な神様なんかなんだとしたら、この世界をやり直してくれって本気で思うよ」

 

「おいおい。流石にそれは飛躍しすぎだろ」

 

「わかってるって。・・・・・・ただ、ここも含めて、まともなヤツはこの地球上に僅かな人間しか残っちゃいない。装備がなくちゃ外に出られないし、第一、ここの備蓄だっていつまで持つことやら・・・・・・」

 

 日向はため息とともに壁に寄りかかり、サブマシンガンの安全装置をカチ、カチといじった。その様子を青葉は不安そうに見つめる。

 

「おい、ヤケ起こすんじゃないぞ。俺たちはその残り少ない人間たちのために戦ってるんだから・・・」

 

「それだって、正しいことかどうかなんて解らないだろ?俺たちは正常だ。そう思いたい。けど、だからこそ今の世界から見たら、人狼しかいないこの世界では俺たちは異常なんだ。もしかしたら、本当に病んでるのは俺たちのほうなのかも・・・・・・」

 

「おい、落ち着けって!」

 

 安全装置を完全に外し、何かをしようとした日向を青葉が諌める。だが、それを端から聞いているシンジには、この世界の事情を知れば知るほどに、本当の意味で心安らぐことなどないのではないかと、突き付けられるような話であった。

 

「なんでもいい、なんでもいいんだ・・・。何か希望になるような事があれば、なんでも・・・・・・」

 

 日向は壁に背を預けたまま、ずるずると崩れ落ちてしまう。その肩に、青葉は優しく手を乗せた。

 

「エヴァがさ、本当に神様なんだったら・・・・・・」

 

「・・・・・・?」

 

「いや、やり直してくれるんだって、思っとこーぜ?」

 

「・・・・・・ふふ。ああ、そうだな」

 

 力のない二人の笑顔を嘲るように、遠くで人狼の遠吠えが聞こえる。それを特に感慨も無く、聞き慣れたものとして聞き流している日向と青葉。その二人の姿に、シンジは薄ら寒いものを感じるしかなかった。

 

 

 

 

 

《ね?重い話だったでしょ?》

 

 月夜に二つの影が浮かぶ。二人のシンジの影だが、その表情は対照的だ。アルマロスは諦めたような乾いた笑みを浮かべ、シンジは鎮痛な面持ちで俯いている。

 

『そう、だね・・・・・・』

 

《辛いなら、やめるかい?》

 

『いや、やめない』

 

 シンジは即答した。

 

『だって、君はこれからもっと辛い目に遭うんだろ?それをほっぽって、ここで終わりになんてできないよ』

 

 シンジの決意を込めた眼差し。それにアルマロスは一瞬虚を突かれ、そしてゲンナリとした面持ちへと変化した。

 

《君、本当に僕と同じ人間?》

 

『え・・・?』

 

《僕は君ほど歳を取ることはできなかったけど、でも、君と同い年まで成長したとして、僕はそこまで気持ち悪い性格になれるか自信がないよ》

 

『き、気持ち悪い!?』

 

 アルマロスのあんまりな言い草に、シンジは思わず身を引いてしまった。それを見たアルマロスはやれやれ、と肩を竦める。

 

《だって、そうだろ?他人の不幸の片鱗を垣間見て、それにショックを受けているにもかかわらず、それでもまだ本番じゃないから、底の底まで見たいって君は言ってるんだよ?とんだお人好しかマゾか、ただのバカとしか思えない。言われたことない?》

 

『えっと、奥さんには、結構・・・』

 

 売り言葉に買い言葉。それに加えて、普段の人とのやり取り。それは何気ないシンジの一言でしかなかったのだが、それを聞いたアルマロスの顔は苦痛に歪んだ。

 

『あ!ごめ・・・・・・』

 

《謝ったら今すぐに君をこの世界から追い出してやる》

 

 アルマロスの射殺すような視線に、シンジは黙り込んでしまった。

 

《・・・・・・やっぱり、君と僕は魂が違うのかもね》

 

『え、魂・・・・・・?』

 

《そう。同じ見た目、同じような性格をしていても、どれだけ僕らが似通っていても、根本のところで、君は僕に無い強さを持っている。そんな感じがする》

 

 褒められているのかなんなのか、シンジには判断が付かなかったが、アルマロスは気にせずに続けた。

 

《君はきっと折れない。僕と戦ったときも、僕に殺されたときも、君は決して折れなかった。それが、今のこの事態を呼び込んだのかも知れないけれど》

 

 アルマロスは痛みに耐えるように俯いた。

 

《・・・・・・だから、僕は君に縋るしかないんだ》

 

『それって・・・・・・・・・・・・・・・あれ?』

 

 アルマロスの真意を問いただそうとしたシンジの視界の端に、何かが映った。いや、それは誰か、というべきだろう。

 第三新東京市、いや、ネルフ本部と言うべきだろうか。それを囲む壁、それと外界を繋ぐゲートの上に、人影があった。

 制服に身を包んだ、アスカであった。

 

『アスカ・・・?』

 

《ッ!!》

 

 その呟きを敏感に聞き取ったアルマロスは、何も言わずにもの凄いスピードでゲートに向かって降りていく。あまりにも咄嗟の出来事に、シンジは慌ててその後を追った。

 

 ゲートの上に座り込むアスカ。その眼前に、アルマロスがゆっくりと近付く。怯えたような瞳で、その震える手が、恐る恐るアスカへと伸ばされる。

 

 

 

《───ッ》

 

 

 

 その手はアスカに触れることなく、透き通るようにアスカの身体を通過した。

 

 アルマロスの顔が、耐えがたい痛みに耐えるように歪む。

 

 

 

《こんな、こんなに近くにいるのに・・・・・・》

 

 

 

 アルマロスの声が震える。

 

 

 

《見てくれることも、話しかけてくれることも、触れてくれることも、もう、無いんだな・・・・・・》

 

 

 

 諦めたように、アルマロスが顔を覆う。

 

 

 

《もう一度、たった一度だけでいいんだ・・・・・・「あんた、バカぁ!?」って言ってほしい。「バカシンジ!」って怒ってほしい。なのに、僕は、なんで・・・・・・ッ!》

 

 

 

 世界を滅ぼそうとし、実際に幾つもの世界に終焉を齎した者。黒い堕天使。

 

 

 

 アルマロスが、声を殺して、泣いた。

 

 

 

『あ、アルマロス・・・・・・』

 

 声をかけたものの、シンジは戸惑っていた。自分と同じ顔をした少年が、大切な人を前にして泣いている。そして、それを目の前の少女が気付く事は決してない。

 

 残酷すぎる現実。それを前にシンジは声を失った。

 

 何かに気付いたのだろう。あるいは、夜風が寒くなってきたのかもしれない。制服姿のアスカは、まるでこの世の全てが敵であるような視線をその場に残して、颯爽と建物の中へと入っていった。

 

 目の前で泣き続けるアルマロスに、最後まで気付かないまま。

 

 

 

《・・・・・・自業自得、さ。わかってるんだ》

 

『え・・・・・・』

 

《僕は、いくらでもアスカを助けることができた。この時点だったら、まだなんとかなったハズなんだ。なのに、僕は肝心なところで動けなかった》

 

 アルマロスが、顔を覆っていた手を外し、シンジに振り返る。その泣き腫らした両目を、シンジに向ける。

 

『君と、アスカには、何があったの・・・?』

 

 恐る恐る、シンジは尋ねた。

 

《何も?何もなかったよ?何もなかったから、アスカは想像を絶する痛みと苦しみと悲しみの末に、世界中の誰からも愛されないまま、この世から消えてしまった・・・・・・》

 

『・・・・・・・・・・・・え?』

 

 

 

 

 

《彼女は、惣流・アスカ・ラングレーは、この世界全てにとっての裏切り者なんだよ。そして、それを救えなかった事こそが、僕の最初の罪なんだ》

 

 

 

 

 

つづく

 



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x.彼方の待ち人-2

 

 つまらない、ということは幸せなことである。全ての使徒を殲滅し、人類の脅威を取り払ったNERVにおいて、ただ漫然と過ぎていく日々は、NERVの面々にとって刺激のない、つまらない毎日であった。

 刺激、つまりは命のやり取り。それも一対一の殺し合いではなく、使徒と人類、即ち、種族と種族を賭けた生存競争。自分達が負ければ、自分達の背後にいる全ての人々がこの世から葬り去られる。その責任は重く、しかし命を賭すに足るものであった。

 それが突如として無くなった。平和になった、という事だ。全く悪いことではない。NERVの面々は全人類への脅威の排除という大役を見事にこなしてみせたのだ。それを「つまらない」と一言で片付けるのは流石にどうか、と思われるだろう。

 平和である事がなにより。当然そうに決まっている。だがその平和に浸るという行為自体が、NERVという最前線で戦ってきた者達からすれば、やはり「物足りない」と感じるのも仕方のない事なのだ。

 

 だからこそ、なのかもしれない。世界中のNERV支部において、自分達の意思で、または国家の意思で、新たなる刺激を求めようという動きが生まれたのは。

 

 使徒という脅威が去った今、人類にとっての脅威は同じ人類。そして、エヴァンゲリオンという人類最強の兵器が実在している現実。それを握り、運用をいち早く進めた国こそが世界の覇権を握る。ゲームが終われば次のゲームに。それが人類の性というものだ。

 幸いなことに、エヴァの素体となる使徒の肉体は腐るほどある。大半は決戦地であった日本にあるものの、その大半の使徒の素体を研究するにはNERV本部の研究グループだけではとても手が足らず、世界各国の支部に研究用として素体が回されたのは当然の流れだった。そしてその量は、エヴァを量産するには十分すぎるものであった。

 使徒の素体を培養し、増やし、人の形にこねくりまわし、装甲を纏わせる。言うほど簡単ではないが、NERVにはそのノウハウが既に確立されている。時間はかかるが、確実に巨人の軍団を生み出す事ができる。急ぎはするが決して慌てず、各国のNERV支部と首脳陣は、その時を今か今かと首を長くしていた。

 

 それと並行して進められていたモノがある。それはエヴァの装備する兵装の開発である。巨人を生み出す事はできたとしても、その巨人の武器が棍棒では話にならないだろう。それでも対人類であれば十分に脅威であるが、巨人同士の戦争であればやはり見劣りが過ぎる。

 であるからこそ、生み出されるのだ。巨人が持つに相応しい、世界を焼くことのできる武器が。

 

 

 

 

 その兵装は、皮肉な事に惣流・アスカ・ラングレーの祖国であるドイツにて生み出された。エヴァンゲリオンとして製造した素体に埋め込まれた脊髄。そうする事で、あえて脊髄に「自分はエヴァだ」と学習させた上で、それを丸々と身体から無理やりに引き抜き、そのまま兵器へと転じた倫理観度外視の代物。生きたまま脊髄を抜かれ肉体を捨てさせられたエヴァンゲリオンの思念、いや、怨念の籠った兵器。

 沈下型領界侵攻銃(フィールドシンカー)『死神の背骨』。後にそう呼ばれる超遠距離型殲滅兵器であった。

 

「ようやく、日の目を見れそうですね。博士」

 

 ネルフドイツ第三支部、その研究棟にて、若きスタッフが『死神の脊髄』開発の主任に明るく声をかける。

 

「慌てるな、まだ試作段階だ。この時点で予想外のアクシデントでも起こしてみろ。予算どころか我々のクビはコレだぞ?」

 

 そろそろ初老に入ろうかという年配の主任が、苦笑しながら自分の首を指で掻き切るジェスチャーをする。そのジョークを受けて、研究室内に笑いが広がった。

 研究棟の一室にある兵装開発部門。その精鋭たるメンバーが集められていたのは、『死神の背骨』の開発作業にあたっているゲージに併設された、特級のメンバーのみが入室できる特別室だ。開発途中、といってもほとんど完成品に近い『死神の背骨』があるゲージを見渡せる大きな窓を見ながら、主任は顎に手を当てて、自らの作品に満足そうに頷いていた。

 自分の生涯において、これほどの芸術品は二度と作れないだろう。自身の心血だけでなく、集ったスタッフ全員の魂が込められた作品だ。悪い冗談でしかないが、エヴァンゲリオンの怨念も意図してこの兵器に刻み込んである。その恨みの念は、必ずや母国に敵対するあらゆる勢力に裁きの炎をもたらすだろう。そう確信できるほどの出来だった。

 

 それ程の出来ゆえに、制作者自身がこの兵器の会心の出来を確信できるが故に、この兵器の未来も自然と定められてしまったのだ。

 

「主任ッ!」

 

 スタッフの1人が唐突に声を上げた。と同時に室内に、いや、施設全体に響き渡る警報。

 

「なんだ、これは!?」

「侵入者です!ゲート14からの通信が途絶えました!」

「なんだと!?どこのバカだ、この施設に殴り込みをかけたのは!」

「通信、次々に途絶していきます!・・・・・・バカな、早すぎる!敵の侵攻、止まりません!まるで、最初からこの施設を知り尽くしているような・・・」

「ふざけるな!NERV本部に通達!ドイツ第三支部への応援を要請しろ!」

「了解!・・・・・・ッ!?そ、そんな・・・!?」

「今度はなんだッ!!」

 

 矢継ぎ早の応酬。まるで要領を得ないスタッフの驚愕に、主任は怒りを込めて問い詰めた。

 

「NERV本部、要請を拒絶!な、なんで!?」

「なんだとぉ!?」

 

 スタッフ全員が驚きの声を上げる中、それを見計らったように、研究室の大きな窓にプロジェクターから映像が映し出された。それは、所謂シンボルであった。革袋からこぼれた銀貨30枚のシンボル。

 即ち、ユダ(裏切り)のシンボルであった。

 

「そ、そんな・・・・・・バカなァ!」

 

 主任は映し出されたシンボルに対し、思わず悲鳴を上げた。新約聖書における最大の裏切り。主を売ったとされる金額。それはつまりNERV、ひいてはその上位機関であるSEELEへの反逆を意味する。

 だが主任には心当たりがなかった。一瞬『死神の背骨』の製造が頭をよぎったが、そもそもコレはSEELEからの異例とも取れる直接的な要請によって着手したモノだ。例えこの兵器が世界のパワーバランスを崩すほどの効力を発揮したとしても、裏切りの烙印をSEELEから押される筋合いはない。しかし、『死神の背骨』以外に裏切りの烙印を押されるような要素も見当たらない。主任の思考は混乱に掻き乱されていた。

 

『NERVドイツ第三支部に告ぐ』

 

 モニターの画像と共に、落ち着いた、老人のものと思われる声が施設内を満たした。大半のスタッフはその声に聞き覚えが無かったが、『死神の背骨』の制作者であった主任だけは、その声に聞き覚えがあった。

 

「・・・・・・キール・ローレンツ議長?」

 

『我らに対し、人類に対し、大変な過ちを犯した愚か者共に告ぐ。なんという物を産み出したのか。一体なんの野心を持って、良き羊飼いたる我らに牙を剥いたのだ?』

 

「・・・・・・?な、何を、言って」

 

『NERV本部に預けているエヴァンゲリオン02。その所有権はドイツ第三支部にあり、それを日本のNERV本部へと徴収されている事態に諸君らが異を唱えたい気持ちは察するに余りある。しかしながら、世界に混沌を齎す兵器の製造を、我らは許可した覚えはない』

 

「・・・・・・!?」

 

『エヴァ02専用に、と諸君らが秘密裏に開発していた兵装。我らの目を欺き、とうとう完成させるに至ったその悪魔の兵器を、我らSEELEは認めない』

 

「な、なにを・・・・・・何を言ってるんだ!コレは元々貴様らが・・・ッ!」

 

『NERVドイツ第三支部で製造されたエヴァ02。その専用装備を製造し、NERV本部を内部から破壊しようとする貴様らの智略策謀。我らの目を欺いたという点に於いては、賞賛に値する。しかし、詰めが甘かったな。最後の最後で、天は我らに味方した』

 

 主任の目が見開かれる。あまりにも荒唐無稽。馬鹿馬鹿しいと吐いて捨てるような筋書きを、モニターの向こうのSEELEはこの世の真実として語っている。虚偽に塗り固められた物語を、世に出回る真実として広めようとしている。

 その行動が指し示す行き先は一つ。それは、真実を知る者の抹消。この世における弁解者の抹殺。

 

「ふざけるなぁ!!貴様らが、貴様らが望んだことであろうがっ!それを掌を返して私たちを貶めようなどと・・・・・・ッ!!」

 

『セカンドチルドレンは聡明であった。彼女こそが我らにとっての天啓。貴様らの企てを我らに告げし神の御使い・・・』

 

「!?」

 

 セカンドチルドレン。それ即ち、惣流・アスカ・ラングレー。エヴァのパイロットとして選ばれし第二の少女にして、エヴァ02唯一の適格者。

 だが、その名前がこの場で出た事に、主任をはじめ、この場にいる全スタッフの目が点になった。なぜなら惣流・アスカ・ラングレーの存在など、『死神の背骨』開発において微塵も考慮していなかった要素であったからだ。無論、兵器の製造の情報など、惣流・アスカ・ラングレーに流した覚えもない。

 スタッフそれぞれが頭の中に疑問符を浮かべる中で、主任だけが、その名前を出された意図を正確に理解した。

 

 つまり──、

 

『セカンドチルドレンの貢献に、感謝を』

 

 恨むなら、惣流・アスカ・ラングレーを。

 

 主任の目が怒りに見開かれ、食いしばった唇から血が流れる。

 

「この、外道どもがッッ!!」

 

 主任が怨嗟の声を叫んだ瞬間であった。主任の胸を、無数の銃弾が撃ち貫いた。

 

「か・・・・・・は・・・ッ!?」

 

 主任が最期の力を振り絞り背後を振り返る。その目に飛び込んでくる、武装した集団。研究室の扉を蹴破ると同時に乱射したと思われるサブマシンガンの無数の火花。その火花の向かう先、先ほどまでジョークを飛ばして笑い合っていた同僚から撒き散らされる脳漿、肉片、血飛沫。赤いとも黒いとも言える何かが部屋中の床と壁面を汚していた。

 

 叫び声を上げるつもりであった喉から漏れるのはか細い呼吸音。すでに肺を貫かれたのだろう。ゴポッという音と共に喉をせり上がってくるのは苦い血の味。食道が焼かれる痛みと口の中に溢れる鉄の味。そして体中から力が抜けていく感覚が、コレでもかと言うほどに自身の死を突きつけていた。

 

 主任の目がモニターを、いや、その向こうに存在していた兵器を見遣る。自分の生涯の最高傑作。スタッフの心血を注いだ希望の光。それが自身の物か、他人の物かはもう分からないが、吹き出した血によって塗り潰されていく。

 

(ああ・・・・・・畜生・・・・・・)

 

 主任の目に血涙が浮かぶ。

 

(お前の晴れ姿、一度でも、見れたなら・・・)

 

 そんな主任の最期の願いも、背後から撃たれた銃弾によって霧散する。銃弾が頭蓋を破り、眼球を破裂させ、見ていた景色も散り散りとなった。もっとも、主任の意識がそこまで保つことはなかったが。

 

 あっという間の出来事であった。こうして、この世界におけるNERVドイツ第三支部は文字通り瞬く間に壊滅した。この世界における兵装の最高傑作といえる『死神の背骨』を残し、しかし、この世界における最大の汚名を被せられて。そしてその汚名が行き着く先は、この粛正を命じたNERVの上位機関であるSEELEではなく、まだ幼年期を卒業したばかりの少女、惣流・アスカ・ラングレー。全くの事実無根を被せられた哀れな少女に向かったのである。

 その真実を知る者はいない。その潔白を唱える者はいない。少なくとも、全ての使徒が絶え、神による最初の『人類保管計画』が始動したこの世界において、それを知るのは世界を裏から操るSEELEのみであった。

 

 しかし、事態はSEELEの思惑の更に上を行く。なぜなら、SEELEも所詮は人の身であれば。リリスの生み出した使徒(リリン)であれば。その思惑が神を越える事はなく、その想いが神の願いを越える事はない。

 故に、世界は狂気に堕ちる。誰も予想だにできない結末を。神が最初に提示した結末を。それが望ましいか否か、神にすら分からずに。

 

 

──────

 

 

「アタシが何したってーのよ・・・・・・」

 

 第三新東京市、NERV本部。人狼の脅威に晒されながらも今日まで生き延びてきた砦の上で、惣流・アスカ・ラングレーは篝火として使われている松明の火を見つめていた。夜風に火の粉が巻き上げられ、夜空に消えていく。その光景に何故か無性に苛立ちを覚えたアスカは、消え入りそうな声で自身の内情を口にした。

 エヴァ02のパイロット。その立場がある故にNERV本部でのポジションは変わらないものの、ドイツNERVの一件以来、アスカはあらゆる場面で裏切り者のレッテルを突きつけられていた。ドイツNERVに対しての裏切り。『死神の背骨』製造の秘密をNERV本部に隠していた裏切り。果てはNERV本部を内部から破壊しようとした疑い。

 アスカ自身にはもちろんそんな意思は微塵もないし事実無根のでっちあげなのだが、SEELEによって操られている国連が世界中にばら撒いた真実。それが齎した遺恨はアスカが想像していた以上に重いものとなった。NERV本部の一般職員は勿論のこと、本来であればチルドレン達の味方であるはずの葛城ミサトやNERV首脳陣までもが、アスカに懐疑的な視線を向けていたのだ。

 もちろん、碇ゲンドウと冬月コウゾウは事の真実を知っている。だが、彼らがここでアスカを庇って何になる?彼らがアスカを庇って得られる利は何もない。故に庇い立てする意味もない。様々な政治的思想の槍玉に上げるだけ上げて、後は放置すればよいだけ。

 同年代の他のチルドレン達も、事が事なだけにいたずらに庇い立てする事もできない。碇シンジにしても彼女に寄せる好意から彼女の潔白を信じてやりたいが、その想いをアスカ本人に伝えられるほどには、二人の間には絆が育まれていなかったのだ。

 そこに輪をかけて事態をややこしくしているのが、全人類の突然の人狼化。全世界を巻き込んだこの大事件は、アスカへの悪感情を和らげる結果には繋がったが、かと言って身の潔白を証明する事もできず、アスカへの対応はあやふやな物となった。

 結果としてアスカは四六時中、生き残った味方であるはずの人類から、まるで刑事の張り込みに合う指名手配犯のような苦い思いを味わっていた。

 

《庇ってあげればよかったんだ。少なくとも、僕は味方だよって、ハッキリと、アスカの目を見て言えていたら。何度突き放されても、僕はアスカを信じてるって言えばよかったんだ・・・》

 

 その「強さ」がなかった、とアルマロスが力無く呟く。その様子を、シンジは痛ましく思いながらも黙って見ているしかできなかった。

 

 この世界に来てから目の当たりにする、悪夢のような光景。人が人のまま獣のように地を駆け、人を襲う。襲われた人は食い殺されるか、もしくは、まるでゾンビ映画のように自身も人狼となるだけ。感染するのだ。この症状は。

 シンジとアルマロスはこの世界に来訪したイレギュラーだ。故に、この世界に干渉する事はできない。手の届く距離で人が襲われても、それを助けることができない。シンジが何度試そうと、その事実は揺るがなかった。

 二人がこの世界に来て何度目の夜を迎えただろうか。この世界の人間にとって夜は安らぎを得るものではなく、朝日と共に目覚められる事を心から願う恐怖を味わうだけのものであった。

 そんな夜に、アスカは決まって砦を抜け出すと、この篝火の前にやってきていた。そして力無く呟くのだ。「アタシの何が悪いのか」と。

 

《君の「強さ」が羨ましい・・・・・・》

 

『僕、の・・・・・・?』

 

《うん。君は、君だったらきっと彼女を救えたはずだ。そういう魂を持っている事を、僕は知ってる・・・・・・》

 

『・・・・・・僕だって、そんなに強いわけじゃないよ』

 

 そもそもシンジ自身も、アスカと恋仲になるにはかなりの時間を要した。もしシンジがアルマロスと同じ立場であったとしても、彼女を救えるかは、微妙なところだ。

 シンジは所在無く、視線を砦の上のアスカに移した。

 

『アレ?』

 

 そのシンジの視線の先、アスカがNERV本部の城壁の上から身を乗り出して、ゲートの下を覗きこんでいた。

 

『アスカ、何してるんだろう』

 

《・・・・・・・・・・・・》

 

 アルマロスへの問いかけであったが、アルマロスはそれに応えない。むしろ恥いるかのように身を縮こませた。

 眼下のアスカは何かを必死に確認しようとしているようだった。その視線の先はゲートの外側に向いている。その視線の先には、この世界の『シンジ』、つまり、過去のアルマロスが立っていた。

 

《この世界の人狼化はね、『フォルトゥナ』の発した怪電波が月面に反射して、世界中にばら撒かれて起きたらしいんだ。それを受けた人間は精神を変化させ、人狼に堕ちる。NERV本部や一部の施設ではその電波を解析して、抗干渉装置を作り出して対処してるんだよ。だからNERV本部の敷地内にいれば、少なくとも電波による人狼化は防げる》

 

『え!?けど、あそこに立っている『君』は・・・・・・』

 

《そう。敷地内を出ている。一応、人狼化を防ぐための簡易抗干渉装置はあるけど、それすら付けていない。あそこにいる『碇シンジ』は、人狼化してもおかしくない状況にある》

 

『そ、そんな!?』

 

「バカシンジッ!!何やってるのよ!?早くゲートに戻んなさいッ!!」

 

 城壁の上からアスカが『シンジ』に呼びかける。しかし呼びかけられた本人はアスカに一瞥する事もなく、悠々と夜の闇に向かって歩いていく。その速度は徐々に上がっていき、しまいには人の限界に近いスピードで走り去ってしまった。

 

「〜〜〜あんの、バカッ!!」

 

 アスカは急いで砦内に戻っていく。ややあって、ゲートからヘッドホンのような抗干渉装置を付けたアスカが飛び出した。『シンジ』の後を追うようだ。

 

《行こう。僕がどうなってきているのか、見せてあげるよ》

 

 アルマロスが力無く、シンジに笑いかけた。

 

 

 

 

 瓦礫となった都市を、アスカは駆け抜けた。相当なスピードで走ってきたはずだが、『シンジ』の姿が見当たらない。内心焦りを覚えたアスカは、さらにスピードを上げた。

 大声で呼びかける事はできない。ここは人狼の巣だ。声をあげれば人狼が獲物目掛けて疾走してくるだろう。ただでさえ人狼との遭遇をアスカは恐れているのに、そんな危険は犯せなかった。

 どれだけ探しても見つからない。時間の経過と共に、『シンジ』が人狼化するリスクも高まる。この時点では自分の『シンジ』に対する感情を整理できていないアスカであったが、全人類の希望であるエヴァンゲリオンのパイロットをみすみす人狼化させてしまったとなれば、自分への悪評はさらに酷い物となる。それに、アスカ自身のパイロットとしての誇りもある。

 それを簡単に投げ出すような真似をした『シンジ』を、アスカは思い切りぶん殴りたかった。

 だが、探索を続けるにつれて、アスカの胸中には後悔と恐怖が渦を巻き始めていた。いつ人狼に襲われるかわからない状況の中、あてもなく瓦礫の都市を彷徨い歩く。心許ない月明かりに必死に縋りながら、しかしエヴァパイロットとしての誇りだけを頼りに『シンジ』を探し続けた。

 夜の廃墟に、人狼の遠吠えが響いた。とっさに持ってきた拳銃に手をかけたが、こんな物が人狼の群れに通用するはずがない。アスカの歯がカチカチと音を立て始める。

 その時だった。廃墟と化したビルの影から、突如として一匹の影が飛び出してきた。

 

「ッッ!」

 

 咄嗟に出そうになった悲鳴を抑えて、銃を構えたアスカ。そこに居たのは一人の子供。否、四つ足で大地を駆る人狼の子供だった。

 子供が悪ふざけで真似る獣の仕草。目の前の人狼の動きはまさしくそれだった。その全身からは人としての理性が失われていて、あまりの恐怖にアスカは咄嗟に銃の引き金に指をかけた。

 しかし、アスカは踏みとどまる。こちらを振り返った子人狼の瞳に、知性の輝きを見たからだ。そして、その子人狼はシンジの服を着ていた。

 

「まさか、シンジ・・・・・・」

 

 違う。別人だ。その子人狼にシンジの面影はない。だが、なぜシンジの服を子人狼が着ているのか。考えのまとまらない頭を軽く振ったアスカが見た物は、まるで「付いてこい」と語りかけるように瞳で訴えてくる、子人狼の姿だった。

 アスカは一瞬だけ迷い、しかし、その子人狼に付いていくことにした。子人狼は軽く頷くと、廃墟となったビルの一つに入っていった。

 その子人狼を追いかけて、アスカもビルの中に入る。狭い通路や崩れかけの階段を通った先、アスカはとうとうビルの屋上へと到達した。

 

 その異様な光景に、アスカは息が止まるかと思った。

 

 溢れる月光の下、屋上を埋め尽くすほどの人狼が伏している。人狼達の視線の先に、服を脱いだ『シンジ』が背を向けて立っていた。それはまるで、人狼達を従えているようにも見えた。

 『シンジ』が彼方を指差すと、人狼の群れが一斉に吠えた。振り返る『シンジ』が人狼達に優しく微笑む。

 その情景に、アスカは恐怖よりもある種の感動を覚えていた。異様とも取れる事態であったが、月光の元に集う少年と人狼の群れは、ある種の絵画的美しさを放っていた。

 呆気に取られているアスカに、『シンジ』が視線を向ける。『シンジ』は人狼に対するよりもなお優しい笑みをアスカに向けていた。まるでアスカが来てくれた事を喜んでいるように。

 『シンジ』がアスカを手招く。そのあまりの優しさに、アスカの瞳から涙が溢れた。世界中から敵視されていたアスカにとって、他人からの優しさは久しいものであったから。

 しかし、アスカはその場で『シンジ』に背を向けた。その手を取ってしまえば、自分の中の誇りが崩れ去ってしまう気がしたから。

 屋上を朧げな足取りで去るアスカ。それを至極残念そうに見送る『シンジ』の横に、『シンジ』の服を着た子人狼がすり寄る。『シンジ』はその子人狼の頭をひと撫ですると服を受け取り、それを身に纏った。

 

 月明かりが照らす中、埃をはらんだ風の匂いと、人狼達の遠吠えだけが、廃墟の街を満たしていた。

 

 

 

 

 

つづく



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y.彼方の待ち人-3

 

 嫌な天気だった。重苦しい雲が空を覆う。その重たさに、『シンジ』の気持ちも自然と沈んだ。作戦の内容が内容なだけに、『シンジ』の心も晴れやかなものではない。本当に、嫌な日だった。

 

 目の前に広がるのはNERV本部眼前の廃墟。その一画だ。葛城ミサト主導のもと、外界探査局が施設外調査を行っていた。

 無作為に探査局員が捕獲した人狼たち。その腕から血液を採取した探査局員が、その血液に薬剤を混ぜて、検査装置に入れてスイッチを押した。あっという間に薬剤と血液は撹拌され、その血液の持つ情報が端末に映し出される。

 

「どう?」

 

 ミサトは探査局員達に尋ねる。その問いに、探査局員達は一斉に首を振った。

 

「この地区はもうダメです」

 

「人狼になった彼らに、公害や危険物質なんて解るはずないし、食べ物を作ることを忘れた彼らはなんでも口にするしかない・・・・・・」

 

 「それがたとえ、相手が同じ人間であっても」という言葉を、探査局員は必死に飲み込んだ。ミサトの顔にも苦悶が浮かぶ。その視線が、捕獲した人狼たちに向けられた。ヒトではなくなった者達。ミサトの胸中に、彼らに対する憐れみの心が生まれた。

 

 それでも、やるべき事は、やらねば。

 

 ミサトは懐からタバコを取り出すと、一本を口に咥えて火を付けた。タバコの煙がゆっくりと上がっていき、曇り空に吸い込まれていく。

 ふぅーーーっと、ミサトは長く長く煙を吐き出した。

 

「決行するわよ」

 

 ミサトは開口一番、懐から拳銃を取り出し、捕獲した人狼たちの頭部に的確に銃弾を撃ち込んでいった。人狼達の身体がビクンッと跳ねて、すぐにぐたりと力無く四肢を地面に投げ出した。

 

「シンジ君、レイ。聞こえる?」

 

『はい』

 

『・・・・・・ミサトさん』

 

「川の向こうからこちら、全部焼き尽くして」

 

 ミサトの命令。人狼の殲滅。人の形をした獣の、虐殺。

 

『了解』

 

 その命令に従い、綾波レイは即座に行動に移った。レイの乗るエヴァンゲリオン00は手にした火炎放射器を川向こうに向けた。

 

『ちょ、ちょっと待ってくださいよミサトさん!彼らは敵じゃない、人間なんですよ!?』

 

 対する『シンジ』は良心の呵責からか、ミサトの命令にすぐに従う事ができない。『シンジ』が人狼を人間と認識している以上、彼が今から行う事は立派な殺人だ。普通の神経で、できるはずがない。

 

「可哀想だけどシンジ君。彼らはもうとっくに人間じゃなくなったのよ。これは管理なの。放っておくと他の地区にまで伝染する。もっともっと多くの人たちが死んじゃうのよ?」

 

『でも!』

 

 食い下がる『シンジ』に対し、ミサトは厳しい目を向けた。

 

「何度も言わせないで。これは管理なのよ。私たちには、もはや善悪の有無なんて必要ないの。やらなければ皆が死ぬの。だからやる。それだけの事なのよ」

 

『い、嫌ですよ!僕は使徒と戦うためにエヴァに乗ったんだ。人を殺すためにだなんて、できるわけがないよ!』

 

「シンジ君!!」

 

 ミサトの喝に、エヴァンゲリオン01の肩が震えた。

 

「・・・わかってる。わかってるわよ。自分でも無茶苦茶な事を言ってる。命の選別なんて、まるで神様みたいな事をしてるって。・・・・・・きっと私は地獄に落ちるわね。でもね、そうまでしてでも守らなきゃいけないの。どんなに嫌でも、やるしかないのよ!」

 

 ミサトの険しい顔に、一筋の涙が光った。それを見た『シンジ』は、納得しきれないものを抱えつつも、恐る恐るといった様子でエヴァンゲリオン01の持つ火炎放射器を川向こうに向けた。

 

「ごめんね、シンジ君。嫌よね。私たち、別に望んだわけでもない。人を選別するだなんて、とんだ羊飼いもいたもんだわ」

 

 ミサトの自嘲を耳にしながら、『シンジ』とレイは火炎放射器の引き金を引いた。操縦桿を握る手が震えている。しかし幸か不幸か、その震えは、エヴァに伝わる事はなかった。

 

 炎が街を舐める。

 

 人狼が炎に飲まれ、踊る。

 

 人の焼ける匂いが辺りに漂い始める。

 

『いまさら、良い人ぶらないでよミサトさん・・・・・・』

 

 『シンジ』の呟きは、エントリープラグの中だけのもの。決して外の人間に聞こえるような声量ではない。

 にも関わらず、ミサトは拳銃を炎に向けて、そこで焼け苦しんでいる人狼に向けて乱射した。炎の海に撃ち込まれる銃弾。大した威力もないだろう。

 だがミサトは、まるで懺悔するように、自分も共犯であると示すように、銃を撃ち続けた。

 

 人狼を焼き尽くす巨人。人狼からすれば、手にした杖で全てを焼き尽くす恐怖の神。

 

(僕は、何から何を守ってるんだろう?)

 

 『シンジ』は自問する。ただ逃げ惑うだけの人狼に劫火を降り注ぎながら。廃墟の街を、劫火で浄化させていく。

 

(それは、守らなければならないものなのか?目の前の人たちを、犠牲にしてまで・・・・・・)

 

 答えは得られない。火炎放射器の炎が凄まじい勢いで廃墟の街を舐め尽くす中で、『シンジ』は不意に、どこかで見たことのある子人狼が炎に巻かれるのを見た。

 その刹那、『シンジ』の視界にザザッとノイズが走った。思わず目をつぶった『シンジ』の瞼の裏側に、月下の景色が映し出される。

 月光の下、集う人狼の群れ。その中心で、恐怖もなく微笑む自分。そして近づいて来る、『シンジ』の服を着た子人狼の姿。優しく頭を撫でた感触。

 

『ぶはあッ!・・・・・・はあ、はあ、はあ』

 

 視界がクリアに戻る。『シンジ』は全身に冷や汗をかいていた。汗はLCLにすぐに洗い流されてしまうが、それでも体の震えが止まらない。

 

『僕は、一体・・・・・・』

 

 突然の『シンジ』の不調は、しかしエヴァ01の操縦に影響を与えず、『シンジ』の目の前で、子人狼は熱さに断末魔を上げた後、身を縮ませながら、ただの炭と化した。

 

 

──────

 

 

 NERV本部、中央実験棟内、司令部作戦室。そこにある巨大な立体ディスプレー上に、地球全土を覆う精神汚染の状況が仮想モデルでシミュレートされていた。

 その様子を、碇ゲンドウをはじめとしたNERVのメインメンバーが無言で眺めていた。

 

「それで・・・・・・」

 

 ゲンドウがサングラスの位置を直しながら声を発する。

 

「原因は特定できたのか?」

 

「は、はい!」

 

 ゲンドウの覇気に気圧されながらも、観測の責任者として声を返したのは伊吹マヤ。マヤはディスプレーのコンソールに手を伸ばし、地球のモデルとは別に、月のモデルを映し出した。

 

「今まで、私たちはこの精神汚染の発信源が月だと考えていました。その根拠は、精神波の不規則な軌道と照射時間。余りにもめちゃくちゃな地球への入射角に、私たちは勝手に月に発信源があり、それが気の赴くままに精神波を送り出していた。そう捉えていたんです」

 

「だが、そうではなかった。月が発信源ではないとすると、月面反射か」

 

 ゲンドウの的を得た答えに、マヤも強く頷く。

 

「はい。精神波はビーム状にされていても方向計測が困難なので、今までは月の公転に合わせて入射角が変化していることに気付けなかったんです。結局は地球上から発信して、月をリフレクター代わりにしていたんですね」

 

「つまり、発信源を特定したのかね?」

 

 冬月コウゾウ副司令の発言にも、マヤは力強く頷いた。

 

「はい。すでにマップ上での発信源の絞り込みも完了しています!」

 

「あとはそこに行くまで、だな」

 

 ゲンドウがディスプレーに映し出された地球上の発信源と思われる箇所に目をやる。まだ完全には絞り込めてはいないが、そこはアフリカ大陸の北西部を指していた。

 

「モロッコ周辺、だな。碇、どうする?」

 

 冬月がゲンドウに問い掛ける。

 

「葛城作戦課長は?」

 

「施設外調査だ。もうすぐ戻って来るとは思うが・・・」

 

「構わん。現地に重装甲無人機を10機飛ばせ。まずは情報収集だ」

 

「許可は取らんのか?アフリカやユーロが黙ってはいないぞ?」

 

「我々は国連所属の特務機関NERVだ。全世界を巻き込んだ人狼化現象の原因調査であり、決して他国を訝しんでの行動ではないという事で押し通す。SEELEには私から提言しておこう」

 

「なるほど。しかし無人機による情報収集後はどうする?仮に『フォルトゥナ』を発見した場合、無人機ではなんの役にも立たんぞ?」

 

「その時はドイツ支部から巻き上げたオモチャを使う。使い手も、それに相応しい者が我々のカードの中にはある。それでいい」

 

「ふむ・・・・・・」

 

 冬月はしばし顎に手を当てて考え込んでいたが、

 

「了解した。葛城作戦課長にもそのように伝えておこう」

 

「ああ。冬月、後は頼んだ」

 

 そう言い残すと、碇ゲンドウは作戦司令室を後にした。

 

 

 

 

 数日後の事である。

 

 『シンジ』はNERV本部内、エヴァ02のゲージへと向かう通路を、陰鬱な表情で歩いていた。アスカから急に呼び出されたからだ。

 『シンジ』の心は沈んでいた。裏切者のレッテルを貼られたアスカとどう接するべきなのか。また、数日前の人狼達の虐殺も含め、真綿で締め付けられるような苦しさが彼にはあった。動けない事はない。しかし、動くのがこれ程までに億劫と感じるのは初めての事だった。無理矢理動かした身体は、心の痛みを訴え続けている。

 だからだろう。ボーッと歩いていたら足を引っ掛けられた。シンジは受け身も取れず、ゲージに向かう通路の床にドタッと倒れ込んでしまった。

 

「ボーッとしてんじゃないわよ、馬鹿」

 

 棘のある口調で語りかけてきたのはアスカだ。倒れ込んだまま首をひねれば、眉間に皺を寄せたアスカがこちらを睨んでいる。その態度に、シンジは苛立ちを覚えた。

 

「普通、ごめんなさい、だろ?こういう時にはさ」

 

「あぁん?なんでアタシがあんたに謝んなきゃいけないのよ?」

 

 アスカの棘のある口調は変わらない。カチンときたが、言っても無駄だと感じた『シンジ』は、わざとらしく長い溜息をつきながら立ち上がった。

 

「何よ、その態度」

 

「そっちこそどうなんだよ、その態度・・・・・・」

 

「なに?文句あるわけ?」

 

「別に。文句なんてない」

 

 口調とは裏腹に、『シンジ』の態度は険悪そのものだった。実際、腹の底から煮えくり返っていた。ただでさえ重い気分を更に害する足払い。それが『シンジ』の心を大きく揺さぶっていたのだ。不快なほうに。

 その態度を向けられたアスカは、一瞬たじろいで悲しそうに瞳を伏せたが、その瞳は一瞬で消えて、『シンジ』に対して思い切り敵意の籠った瞳を向けていた。

 

「何よ、あんたも結局、アタシが裏切者だって言いたいわけ?」

 

「・・・・・・は?」

 

「あんたもどうせ、アタシがNERVの裏切者だって思ってんでしょって聞いてんのよ!」

 

「・・・心の底からどうでもいいよ」

 

「な・・・・・・!」

 

「用件はそれだけ?それだけなら僕はもう帰るよ?僕、こんなことの為に時間を使いたくないんだ・・・」

 

 バシンッ!と。

 

 『シンジ』の頬が張られていた。

 

 張った本人も、なぜ自分が手を出してしまったのか分からないといった様子で。

 

 気まずい沈黙が、NERVの通路に流れる。

 

 やがて、シンジは何も言わずにその場を立ち去ろうとした。その手を、アスカが握って止める。

 

「なんだよ」

 

「待ちなさいよ」

 

「もう用事は済んだろ?」

 

「まだよ」

 

「なんでだよ」

 

「まだっつってんでしょ」

 

「いい加減にしてよ!僕だって忙しいんだ!ただ殴られるために呼んだってんなら、僕の事なんてどーでもいいだろ!」

 

「何よ!あんたもアタシのことはどーだっていいって言いたいの!?」

 

「どーでもいいよ!アスカなんか!!」

 

 

 

 

 

《・・・・・・決定的だった。この一言が、アスカの運命を決めた。後悔してもしきれない》

 

 通路の二人の様子を、アルマロスとシンジが見ていた。アルマロスの顔は耐え難い痛みに歪んでいる。

 

《売り言葉に買い言葉。それだけのことだったんだ。ただ、僕にも余裕が無かった。言い訳なんて、後からならいくらでもできるけど・・・・・・》

 

 

 

 

 

 言われたアスカの瞳が潤む。

 

「離せよ」

 

「・・・・・・・・・・・・嫌」

 

「離せって」

 

「嫌ッ!」

 

「離せってば!!」

 

「嫌よ!絶対嫌ッ!!」

 

 顔を俯かせ、拒否するアスカ。その様子に舌打ちを打つ『シンジ』。

 

「なんなんだよ、ホントに・・・・・・」

 

 『シンジ』は心底うんざりと言った面持ちでアスカを見下した。アスカの顔は俯いていて『シンジ』には見えない。

 その顔が、ばっとあげられた。瞳に涙を浮かべながら、アスカはシンジを蔑むように笑っていた。

 

「教えてあげるわ・・・・・・『フォルトゥナ』の居場所がわかったの」

 

「・・・・・・え」

 

 『シンジ』の声に混ざる、確かな驚き。それを感じ取ったアスカは、勝ち誇った様に胸を張る。

 

「数日前に、アフリカに向けて無人機がたくさん飛ばされたのは知ってるわね?」

 

「・・・・・・ああ」

 

「そこに行った重装甲無人機は、たった一機を残してすべて破壊されたわ。かろうじて生きて帰ったその無人機も、さっき見せられたの。ボロボロだったわ。データもユニットごと破壊されて・・・」

 

 そこまで話し、アスカは『シンジ』の手を離した。『シンジ』がこの話に食い付いたと確信したからだ。

 

「あんた、この話、聞かされてないでしょ。何故だかわかる?」

 

「それは・・・・・・わからない、けど・・・」

 

「アタシが選ばれたから、よ!」

 

 アスカが自分の胸に手を置き、勝ち誇る。

 

「無敵のシンジ様じゃなく、アタシが選ばれたの!『フォルトゥナ』をやっつける役目を、あんたではなく、アタシが請け負ったのよ!!」

 

 目に、涙を浮かべたまま。

 

「アタシが『フォルトゥナ』を仕留めるの!そのための装備も用意されている!アタシが裏切ったドイツ支部で作られていた『死神の背骨』!地球最強の兵器で、それを使ってアタシがこの世界を救うのよッ!!」

 

 自分を誇示するようにアスカが両手を広げる。その手が震えていることに、本人は気付いているのだろうか。

 

「わかった!?あんたもファーストも、もうお役御免なのよ!あんたらはせいぜい、その辺をウロついてる人狼を燃やしていればいいわ!アタシはそんなくっだらない事に付き合ってる暇はないしねッ!」

 

 その言葉を発した瞬間、『シンジ』はアスカの胸ぐらを掴んでいた。

 

「・・・・・・取り消せよ」

 

「ああ!?」

 

「取り消せよ!今言ったこと!」

 

「はん!自分が惨めな仕事しか貰えないからって八つ当たりしないでよね!」

 

「違う!そんなのどうだっていい!アスカは人狼をなんだと思ってるんだよ!?同じ人間なんだよ!?」

 

「バッカじゃないの!?あんなのが人間!?笑わせないで!あんな知性のカケラもないような連中、人間でもなんでもないわ!」

 

「アスカ!」

 

「離してよ!!」

 

 アスカが『シンジ』の手を振り払う。そして、そのままアスカは『シンジ』の胸に頭突きをするように飛び込んだ。

 

「痛・・・・・・ッ」

 

「はっ!無敵のシンジ様の次はケダモノの王様!?あんたこそ、一体、なんなのよ・・・・・・!」

 

 『シンジ』はアスカを突き放そうとその肩に手を置き、そこで思いとどまった。握ったアスカの肩が、小刻みに震えていたからだ。

 

 アスカは、静かに泣いていた。

 

「・・・・・・・・・何やってんのよ。あの時みたいに、アタシを迎え入れてみなさいよ。あんた、ケダモノの王様なんでしょ」

 

 シンジには何のことだかわからない。わからないが、アスカが本気で悲しんでいて、怖がっていて、どうしようもなくなっているのは判ってしまって。

 シンジは、アスカの両肩に置いた手を、そっと下ろした。

 

「やめてよ・・・・・・」

 

 アスカの声も震えている。

 

「あんたなんかに同情されたら、ますます惨めになるじゃない・・・・・・」

 

 本当に、僅かな時間だった。

 

 アスカは『シンジ』の胸でしばらく泣き、『シンジ』を振り払って、通路の奥へと消えていった。

 

 それが、『シンジ』が見たアスカの最期の姿だった。

 

 

──────

 

 

 アフリカ北西部。ダデス川の流れるダデス渓谷。その遥か上空に、アスカとエヴァンゲリオン02はいた。

 

『さぁってと、そろそろご到着だぜ?カワイ子ちゃん』

 

 エヴァ02を運搬していたキャリアー。そのパイロットが軽薄そうな声でアスカを煽る。

 

「さっきから鬱陶しいわね。そのカワイ子ちゃんてのやめなさいよ」

 

『悪いな!俺からしてみたらあんたらチルドレンはみぃんなガキンチョなんだ。まだカワイ子ちゃんって呼んでやるだけ、ありがたく思いな!』

 

 通信の向こうで、キャリアーパイロットがガハハと笑う。日本を立ってからおよそ13時間。アスカはこのおしゃべりなパイロットにうんざりしていた。

 

『さて、最終確認だが、これからカワイ子ちゃんはモロッコ上空から切り離されて、『フォルトゥナ』とかいうバカをとっちめに行く!つまりこれは、裏切者のあんたにとって名誉挽回のステージってわけだ!』

 

「ちょっと!ちゃんと回収してくれんでしょーね!?」

 

『それはあんたの頑張り次第だ』

 

「・・・・・・・・・!」

 

『まぁ、精々見捨てられないように気張んな。カワイ子ちゃん』

 

 その言葉を最後に、エヴァ02がキャリアーから切り離される。自由落下に伴う浮遊感がアスカを襲った。

 

「・・・・・・ちっ!!」

 

 通信がアスカの舌打ちを拾ったかはわからない。屈辱の表情を貼り付けたまま、アスカはどんどんと近付いてくる赤い大地を睨みつけていた。

 

「今ッ!」

 

 アスカの気合いの入った声。それに合わせて、エヴァ02の背中に取り付けられたジェットエンジンが火を噴いた。落下の勢いを殺すための簡易落下傘も開かれる。超重量のエヴァンゲリオンだったが、この二つの機能が見事に仕事を果たし、エヴァ02を無傷で赤い大地に降ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 エヴァ02が地表に降り立ってからどれだけの時間が経っただろうか。長時間の単独行動であったが、赤木リツコが急遽デザインした携行用バッテリーのおかげで、エヴァンゲリオン02はフルパワーで72時間は稼働が可能だ。

 

 太陽も傾き、空に夜の帳が降り始めた時間だった。アスカは視線の先に、青白く光る何かを見つけた。

 

「なにかしら、アレ・・・・・・」

 

 アスカはエヴァ02を渓谷の影に隠し、様子を伺った。

 青白く光る、巨大な物体。それは遠目から見るに、青い十字架のようなオブジェに見えた。

 その十字架に架けられている者。本来であれば、それは古代の救世主が架けられているはずだったが、何かの悪い冗談だろうか。

 一体のエヴァンゲリオンが、その十字架には架けられていた。

 

「・・・・・・!?」

 

 アスカとエヴァ02はとっさに物陰に隠れる。

 

(まさか・・・あれが『フォルトゥナ』!?)

 

 鼓動が早くなる。息が荒くなる。アスカは震える指でエヴァンゲリオンの通信ボタンと、同時に録画ボタンを押した。これからの情報は、なるべく沢山残さなくてはならない。自分が勝っても負けても、残された情報がNERVに届くのならば、それは多ければ多いほど良い。

 もちろん、アスカは負けるつもりなど毛頭ないが。

 

 しかし、青白い十字架に架けられたエヴァンゲリオン。それが放つ威圧感に、アスカは気圧されていた。それどころか、自身の駆るエヴァンゲリオンの動きまでもが重たい。まるでエヴァ自身が何かをアスカに訴えたいかのようだ。

 

「もしかして、本能的に敵だって察している・・・・・・いや、怯えてる?」

 

 その表現が、アスカには一番正しいような気がした。だが、だからといって、ここまで来ておいてみすみす尻尾巻いて逃げる気はさらさら無い。あのムカつくキャリアーパイロットの言う通りだ。これは名誉挽回のチャンスなのだ。

 

 アスカはエヴァの右腕に装備した『死神の背骨』に視線を移した。まるで巨獣の顔を模ったようなその兵器は、今回の作戦でエヴァ02に唯一配備された兵装だった。

 

「これさえあれば・・・・・・、ちゃんと仕事しなさいよねッ!」

 

 アスカはシートに深く座り直し、大きく息を吸うと、思い切って物陰から飛び出した。

 

「もらったぁぁあああッ!!」

 

 アスカは怒号と共に、左手で『死神の背骨』銃口カバーを後方にあるグリップで引き寄せた。

 

「ヴオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 『死神の背骨』が雄叫びを上げながら、まさに怪獣の如くその口を開いた。同時に、銃身の両側に並んだ鱗状の装甲が一斉に開いて、内部に埋め込まれたエヴァの脊髄のような銃身が姿を現す。次の瞬間、その脊髄を中心に、周りの空間がぐにゃりと歪み始めた。

 

 『死神の背骨』、いや、それに使われた脊髄に籠った怨念が、現実を拒絶するため巨大なATフィールドを銃身の周りに生み出す。余りにも濃いそのATフィールドは、脊髄を中心とした周りの空間を断絶。しかし直後にそのATフィールドは消失し、空間に生まれた『隙間』に周囲の風景が吸い込まれる。それは渦を巻きながら『死神の背骨』の銃口に集まっていった。

 ATフィールドで無理やり作り出した空間の隙間、消失した空間を補填しようとする世界の理。それを無理やりに銃口に集めて、再度ATフィールドの斥力を使って撃ち出す。言い換えれば、『ATフィールドで削り取った空間を弾にして無理やり撃ち出す兵器』。それが『死神の背骨』であった。

 撃ち出された空間の弾は着弾すると同時に、着弾点にあった『空間自体』を吹き飛ばす。物理的抵抗や物体の強度などまったく意味がない。存在している空間自体が弾き飛ばされるのだ。それは紙に描かれた風景画が、紙ごとビリビリと破られるに等しい衝撃を生み出す。

 

 アスカが、『死神の背骨』のトリガーを引いた。瞬間、圧縮された空間の弾丸が青白い十字架に向かって、光の速さで飛んでいく。アスカ自身の認識では、引き金を引いた途端に目標物はすでに吹き飛んでいるはずだった。

 

 その着弾点が、()()()()()()()()、であるが。

 

「!!?」

 

 アスカの目が大きく見開かれる。アスカは引き金を引く寸前、確かに青白い十字架をロックオンしていた。それが引き金を引いた直後、照準はズレて、十字架の後方にある山脈に弾は着弾した。

 

 弾け飛ぶように、山脈が綺麗な円状にくり抜かれた。

 

「ウソ!ウソよ!?だってアタシ、ビビッてない!ちゃんと照準を合わせていた!」

 

 アスカの悲鳴は、しかし現実を塗り替えるには至らない。起きた事象は明白。『弾は外れた』。それだけだ。

 

「ま、まさか・・・・・・」

 

 アスカはそこで初めて気付く。己の駆るエヴァンゲリオンの腕がブルブルと震えている事に。

 

「まさか!まさか!!あんたがビビッたっていうの!?」

 

 信じがたいがそうとしか思えない。アスカの乗るエヴァンゲリオン02。それが目の前の敵を恐れて、アスカの意思を超えて、無理矢理に攻撃を外したのだ。

 

「こんの、裏切りもんがぁッ!!」

 

 アスカの怒りと恨みの籠った怨嗟の叫び。だが、事態はすでに動き始めた。それを巻き戻す術は無い。

 

「!!」

 

 青白い十字架から、エヴァンゲリオンが糸で引っ張られたマリオネットのように立ち上がる。丸みを帯びた重装甲に覆われた、エヴァンゲリオン『フォルトゥナ』。それが立ち上がると同時、アスカの乗るエヴァンゲリオン02が再び恐怖に震えた。

 

 アスカは操縦桿を握り、怒りの意思を込める。エヴァンゲリオン02の拳が、己の顔を打ち抜いた。

 

「うっぐ、ううう・・・ッ!!」

 

 ダメージのフィードバック。だが、これでいい。

 

「少しは目ぇ、覚めた!?02!!」

 

 頭を振り、恐怖を振り払う。アスカの怒気がエヴァ02の性根を叩き直した。弾は外したがまだ初弾だ。いくらでも挽回は効く。

 

「うぅぅオオオオオオオオオオ!!」

 

 エヴァ02はフォルトゥナには近付かない。距離を保ったまま、フォルトゥナを中心とした円の動きで距離を保つ。『死神の背骨』の第二射がうちだされる。

 

「ちぃっ!」

 

 アスカの舌打ち。今度はエヴァ自身もビビッていない。フォルトゥナが躱したのだ。第二射が再びフォルトゥナの背後の山脈を抉る。フォルトゥナがキンッと音を立てて距離を一瞬で詰めてくる。

 

「なめんじゃあ・・・」

 

 アスカはワザと後ろに倒れ込んだ。

 

「無いわよぉっ!!」

 

 同時に両足を上げ、一瞬で間合いを詰めて近付いてきたフォルトゥナを水泳の蹴り込みのように蹴り飛ばした。両者の距離が再び開く。

 

「ふんぬうぅぅうあああああああッッ!」

 

 巨大な『死神の背骨』を振り回し、再びフォルトゥナに照準を合わせる。フォルトゥナはまだ体勢を立て直していない。

 

「くらえぇッ!」

 

 第三射。今度こそ弾丸はフォルトゥナに命中した。

 

 しかし、フォルトゥナは倒れず、弾はフォルトゥナのATフィールドによって弾き飛ばされた。夜の帳が降りてきた空を、一筋の流星が切り裂いた。

 

「まさか!?射角をズラして弾き飛ばしたの!?」

 

 再びフォルトゥナが距離を詰めてくる。対してアスカとエヴァ02は距離を取り、何度も『死神の背骨』を打ち込むしか無い。単発式の武器である『死神の背骨』では、ATフィールドを巧みに使うフォルトゥナに対応しきれないでいた。

 

「だったらぁ!!」

 

 そこで、アスカは敢えて前へと踏み出した。距離を置いての射撃で意味がないならば、ゼロ距離からかましてやるまで。

 

「どおおりゃああああああああッッ!!」

 

 距離を詰めようと二体のエヴァが急接近。フォルトゥナはこの動きに反応できずに驚いたのか、一瞬だけ動きが止まった。

 

 その一瞬が命取り。

 

「ぜぃやあああああああッ!!」

 

 エヴァ02の渾身の右回し蹴り。それを両腕で防ぐフォルトゥナ。超至近距離で互いのATフィールドが中和される。そこにねじ込むようにして、エヴァ02が『死神の背骨』をフォルトゥナの側頭部に突き付けた。躱しようがない。

 

「今度こそぉ!もらったッ!!」

 

 アスカの勝利宣言。『死神の背骨』のトリガーが引かれる。

 

 

 

 

 

 それでも尚、『死神の背骨』の弾丸は外れた。

 

 

 

 

 

 刹那の瞬間、目の前で発生した事態に目を見開くアスカ。

 

 フォルトゥナの胸部から、さらに二本の腕が生えていた。いや、正確には、腕を組むようにして収納されていたのだろう。それがこの土壇場に来て、展開された。

 

 展開された腕。四本の腕。新たに出現したその左手は『死神の背骨』へと伸び、銃口を明後日の方向に逸らしていた。

 

 残る右手はエヴァ02の首を締め上げる。

 

「うっぐう!?」

 

 途端、エヴァ02に何かが侵入してきた。それは正しく異物。フォルトゥナが、エヴァ02を侵蝕し始めたのだ。

 アスカの乗るエントリープラグ内の映像がプツンと切れる。それと同時に、エヴァンゲリオンの深部から深い紫色の光が逆流するように迫り上がってくる。

 アスカはその光に、強い拒絶を示した。まるで自身の心が犯されるような感覚。自身の体内に異物が入るような、感じたことのない不快な感覚。

 

「いや!アタシの中に入ってこないで・・・あぎ!?」

 

 とうとうアスカの心の壁は破られて、アスカの中を強引にぐちゃぐちゃとかき混ぜ始めた。

 

「いや!嫌ぁッ!!出てって!出てってぇ!!」

 

 アスカの内部を掻き混ぜるのは、獣の如き欲望。相手の全てを手に入れたいという支配欲。

 

「あああああ!やだァァアアアアアア!!」

 

 アスカが思わず顔を覆う。だが次の瞬間であった。アスカの顔の皮膚がベリィッと音を立てて剥がれた。

 

「ギャアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 アスカの絶叫。それに構う事なく、プラグスーツが、その下の皮膚が、筋肉が、ぶちぶちと音を立てて剥がされていく。

 

「いや、いや、イヤイヤイヤイヤいやぁ!!死にたくない!吸い込まれる、アタシが・・・情報が、力が、アタシがぁッ!!」

 

 アスカの絶叫が渓谷に響き渡る。フォルトゥナと組み合ったエヴァ02が、粒子となってバラバラに解けながら、ジワジワとフォルトゥナに吸い込まれていく。

 

「助け、助けて・・・ッ!!お願い、誰か、誰でも、いいよぉ!!見捨てないで、助けて!アタシを、誰か、誰、か・・・・・・」

 

 アスカの脳裏に映る最期の光景。月下の光景。自分に向けられる『シンジ』の優しい微笑み。

 

 筋肉が剥がれ落ち、内臓が引き抜かれ、骨がぐずぐずに溶け出していく。そして、アスカの生命情報である、魂さえも。

 

「ばか・・・・・・し、んじ、ぃ・・・・・・・・・」

 

 その言葉を最期に、惣流・アスカ・ラングレーとエヴァンゲリオン02は、この世から姿を消した。

 

 通信の最後を、当初の役割通り、NERV本部へと届けた上で。

 

 

 

 

 

つづく

 



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z.彼方の待ち人-4

 

 アスカの最期を見た『碇シンジ』は発狂した。

 

「ああああああああああああ!ああっ!ガアアアアアアアアアアッ!!」

 

 アスカが最期の力を振り絞って残してくれた映像記録。通信によって送られてきたリアルタイムの画像。それの録画記録を見せられたのだ。

 

 「最期の力を振り絞った」。その表現は正しくはない。アスカは確かに後続に情報を残してはくれた。だがアスカは決して前向きな気持ちで、未来を仲間に託してなどという気持ちではなかったはずだ。映像に残されていたのはアスカの絶叫と命乞い、凄惨な最期だけだった。

 

 アスカの作戦行動の翌日に、エヴァパイロットである『シンジ』と綾波レイはこの映像を見させられた。それを見た『シンジ』は暴れ回り、今は椅子に縛り付けられている。感情に乏しいはずのレイですら、この惨状には口元を抑えて目を逸らした。

 

「ダメよ、みんな。よく見なさい」

 

 作戦司令室に流れる映像。何度も何度も再生されるその凄惨な光景は、集まっていたネルフスタッフ全員の心を削った。それを叱咤する葛城ミサトも、唇を噛んで画面を睨みつけている。

 

 アスカの最期。それから得られる情報を、一つでも正確に捉えるために。そして、『フォルトゥナ』を打倒する鍵を見つけ出すために。

 

「アスカ!アスカぁッ!!なんでだよ、なんでェッッ!!」

 

 縛り付けられたまま暴れ続ける『シンジ』の頭を、碇ゲンドウが無理やり押さえつけて画面に向けさせる。

 

「シンジ。目に焼き付けろ。これがお前の倒すべき『敵』だ」

 

「ああああああああああああああああッ!」

 

 必死にソレから目を逸らそうとする『シンジ』を、ゲンドウが力任せに押さえ付ける。

 

「あの叫びを聞け。あの嘆きを聞け。あれがお前の悲しみになるのであれば、一切を聞き逃さず、全てをその目に焼き付けろ」

 

 シンジの目は血走っていた。涙を流し、嗚咽を漏らし、それでも目の前の惨劇が覆ることはない。NERV本部の全スタッフの中で、一番の傷を負っていたのは間違いなく『シンジ』であった。

 

 秘めた想いがあった。

 伝えられない想いがあった。

 すれ違ってしまった感情があった。

 

 その全てを清算できないまま、彼女はこの世を去ってしまった。

 

 この世に精一杯の未練を残しながら。

 

 『シンジ』はその現実を受け入れられず、とうとう、気を失ってしまう。

 

「碇・・・・・・」

 

 ゲンドウのその行いを咎めるように、冬月が睨む。それをどこ吹く風といった表情でゲンドウは流した。

 いや、或いはゲンドウは、この展開をこそ望んでいたのかもしれない。

 

「・・・・・・これでシンジも私と同様、大切な人を失った。これでいい。ようやく私の息子は私と同じステージに立った」

 

「本当にそうか?碇。お前はここまでの破滅的な離別を受けたか?ユイ君はここまでの事をお前に残したか?」

 

「起こった現象に多少の違いはあれ、起こった結果は変わらない。シンジは私と同じになった。今は、それでいい・・・・・・」

 

 サングラスに隠れたゲンドウの眼差しは読み取れない。だがその口元が、僅かに上がるのを冬月は見逃さなかった。

 冬月はため息と共にミサトと、その周りに控えていたスタッフに告げる。

 

「現時点よりサードチルドレンを拘束。留置所にて要経過観察対象として扱え。サードチルドレンは知っての通り『危険人物』だ。扱いには細心の注意を払うように」

 

 その言葉を受けて、NERVスタッフの数名が『シンジ』を椅子ごと運んで作戦司令室を後にした。

 その光景には目もくれず、ミサトは画面に映し出されるアスカの惨状を何度も何度も見返している。

 

「ねぇ、リツコ・・・」

 

「・・・・・・なにかしら?」

 

「こいつ、もしかして瞬間移動してる?」

 

「!!」

 

 リツコは親友の突拍子もない発言に驚いた。すぐにリツコは映像を巻き戻し、エヴァ02と『フォルトゥナ』との戦闘シーンを見直す。

 

 微かな違和感であった。戦っていたアスカですらが気付かないような、本当に微かな違和感。『フォルトゥナ』がキンッと音を立ててエヴァ02へと距離を詰める瞬間の映像。このシーンにだけ、リツコも違和感を感じていたのだ。

 あの巨体にしては余りにも距離を詰める速度が速すぎる。エヴァ02の録画映像では『フォルトゥナ』が単に視界から消えた程度にしか感じ得ないが、客観的視点で持って状況を読み取れば、『フォルトゥナ』の移動速度は異様に速いと結論付けるしかない。

 

 まるで、瞬間移動をしているように。それこそ一瞬、『世界から消えている』のでは?と錯覚するほどに。

 

「まさか・・・・・・」

 

 リツコの発した言葉は否定の意味を込めていた。だが、否定しようとすればするほど、その否定した事象が真実なのでは無いかという考えが鎌首をもたげる。

 

 やがてリツコは、認めたく無い事実を認める事になる。

 

「あり得ない事、じゃあないわね・・・・・・」

 

「やっぱり・・・・・・」

 

 それが事実であろうと、リツコの親友はすでに感じ取っていた。これは恐らく論理か直感の差。理論的に物事を断ずるか、直感に従うか。その程度の違いでしかないのだが、リツコはこういった時に発揮される親友の才能を羨ましく思っていた。

 だからこそ、なのだ。リツコはミサトに意見を求める。科学者として検証すべき事象を正確に把握するために。

 

「ミサト。貴女はあの動きをどう捉える?任意の場所に一瞬で移動しているのか。それとも何かの制約があるのか、という意味なのだけれど・・・」

 

「たぶん後者ね」

 

 親友は即答した。

 

「上手く言えないけど、『フォルトゥナ』の動きはあらかじめ決められた通路を動いてるように感じるわ・・・。あ、通路って言ったのは、なぁんかそんな風に感じただけだけど・・・」

 

「通路・・・・・・言い得て妙ね。つまり貴女は、『フォルトゥナは決められた道筋であれば一瞬で移動できる』と言いたいのね?」

 

「そう感じただけよ。根拠は無いわ」

 

 そう宣った親友の瞳は、しかし真剣そのものであった。

 それを親友であるリツコは信じる。根拠はないが、その説得力に信を置いて。

 科学者として甘い。だから母に追いつけないのだが、そんな無粋な思いを傍にやるほどには、リツコはミサトを信じていた。

 

「もしそれが本当ならば、それに対抗すべき兵器が必要になるわね・・・」

 

 珍しく、リツコの口角がギィィと上がる。それは目標を定めた捕食者の笑み。今世における『赤木リツコ』を絶対的な存在に引き上げた瞬間であった。

 

 

──────

 

 

 独房にて、『シンジ』は放心していた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 自分が独房に叩き込まれた理由はわかる。NERVという特殊な機関において、自分勝手に暴れ回ったのだ。それぐらいの分別は、中学生の『シンジ』と言えども、ある。

 

 だが自分の身に、ひいてはアスカの身に起こってしまった事実を受け入れるのは土台無理な話であった。『シンジ』はここに来て初めて、惣流・アスカ・ラングレーという存在の大切さを理解したのだ。

 失ってからようやく気付く。ありきたりな話だ。だが真実だと認めざるを得ない。彼女の存在がどれだけ自分の心を支配していたのか、『碇シンジ』は失った後にようやく気付いたのだ。

 

 独房の壁の一点を、ただジッと眺めるしか無い『シンジ』。彼は失った物の大きさと、それを埋めてくれるであろう自分に残っている物について思いを馳せていた。それが彼の中で纏まることなど、きっと無いのだが。

 

 不意に、独房の格子の向こうに人の気配を感じた。『シンジ』は格子に目を向ける。そこには自分にとって何の価値があるのか分からない父親と、自分に僅かに残った物の一つである少女が立っていた。

 

「綾波・・・・・・」

 

 格子の向こうに無表情の少女が立っていた。その目は変わらず冷ややかで、何の感情も無く『シンジ』を見つめてくる。

 

「あや、なみぃ・・・・・・ッ!」

 

 少年は涙を浮かべ、少女に縋るように独房の格子に縋る。

 

「ねぇ・・・!綾波は、居なくなったりしないよねぇ・・・・・・ッ!?」

 

 格子の間から、『シンジ』は必死に手を伸ばした。その手は少女の衣服に触れるかどうかという所まで伸ばされて、しかし触れる事が出来ずに空を掻く。

 

「ねぇ綾波・・・!教えてよ!君は、君だけは、居なくなったりしないよねぇ!?」

 

 『シンジ』の言葉は懇願であった。余りにも凄惨な現実に、縋ってしまいたい程の願望。それの体現を、『シンジ』は目の前の少女に求めたのだ。

 

 少女はゆっくりと、格子から離れた。

 

「・・・・・・ッ!?」

 

 

 

 

 

「汚らわしい」

 

 

 

 

 

 少女の言葉が、少年には理解できなかった。

 

「あや、なみ・・・・・・?」

 

「わたしは、ケダモノが嫌い。ケダモノの棲むヒトも嫌い」

 

 レイはそれだけをシンジに告げると、『シンジ』に侮蔑の視線を投げつけ、その場を去ってしまった。

 

 呆気に取られる『シンジ』の前にゲンドウが立つ。その手には、映像を映し出す端末があった。

 

「シンジ、これを見ろ」

 

 そう言ってゲンドウは、手にした端末の電源を入れる。そこに映し出されたのはNERV本部内にある、監視カメラの映像だった。

 

 映っていたのは、『シンジ』だ。

 

「な、なんだよ・・・これ?」

 

 保安部員二人に取り押さえられながら、まるで獣のように歯を剥き出しにして暴れて回る自分の姿があった。

 

 覚えがない。記憶がない。こんな暴挙をNERV本部内で働いたなど、あり得ない。

 

「父さん・・・・・・これは、だれ?」

 

「お前だ。シンジ、お前自身だ」

 

「嘘だ!!こ、こんな、これじゃあまるで・・・!」

 

 まるで、人狼。

 

 歯を剥き出し、爪で保安部員を引っ掻き、吠える様はまさに獣。『シンジ』にとって受け入れ難い事実であった。

 

 そこに現れる新たな人影。

 

 綾波レイが、暴れるシンジに近付いた。

 

「だ、だめだよ綾波!!僕に近付いたら・・・!」

 

 『シンジ』が叫ぶ。だが、ゲンドウの手元にある映像は記録だ。そこに映し出されたものがもたらす結果を変えることなどできはしない。

 

 画面の中の『シンジ』が保安部員を振り解く。物凄い力で吹き飛ばされた保安部員が壁に激突する。

 

 画面上のレイは肩をビクッと振るわせるも、その場を離れようとはしない。

 

 それをチャンスと見てとったのか、獣と化した『シンジ』はレイに踊りかかった。

 

「やめろォォオオオオオ!!」

 

 画面越しに、『シンジ』がレイに襲い掛かる。力任せに組み伏せ、その衣服を剥ぎ取っていく。悲鳴を上げているレイの首筋に『シンジ』が噛みついた。レイは噛みつかれながら、衣服を剥ぎ取られながら、それでも必死に抵抗する。

 まるで獣の交尾。獣と化した『シンジ』は目の前の『雌』を逃してなるものかと力任せに押さえ付ける。

 

「やめろ!何してんだよ、やめろ!やめろォォ!!」

 

 『シンジ』の叫びも虚しく、画面の向こうでとうとうレイの最後の下着が引きちぎられた。獣と化した『シンジ』はレイを逃さないようにレイの両腕を抑えると、自身のベルトに手を伸ばした。

 

「やめろ!やめろやめろやめろやめろやめろおおッ!!」

 

 画面上の『シンジ』が下半身を露わにした瞬間であった。

 

『麻酔銃を!早くッ!』

 

 吹き飛ばされた保安部員二人がシンジに飛び掛かった。そのうちの一人は腰から拳銃を取り出して、暴れる『シンジ』の首筋に当てる。

 

「世界規模の精神汚染が確認されたとき、シンジ。お前はNERV本部にいなかった・・・」

 

 映像端末を手にしたゲンドウが、あまりの事態を目の当たりにした『シンジ』に語りかける。

 

「お前は、すでに重度の精神汚染を受けている」

 

 画面の向こうで、保安部員の引き金が引かれる。直後、獣と化した『シンジ』の体がビクンと跳ねた。力無く倒れた『シンジ』の下から、綾波レイが恐怖に涙を流しながら這い出てくる。

 

「お前は人狼だ」

 

 

 

 

 

つづく



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aa.彼方の待ち人-5

 

「僕が・・・人狼・・・・・・?」

 

「そうだ」

 

 『シンジ』に対し、信じられない事実を告げたゲンドウは、手にしていた映像端末の電源を切り、実の息子に鋭い視線を向けた。

 

「お前はすでに要処分対象だ。お前がまだ生きている、いや、生かされているのは、お前がエヴァのパイロットだからだ。それ以上の理由はない」

 

「そ、そんな、そんなこと・・・・・・!」

 

 必死に否定しようとした『シンジ』の喉が詰まる。先ほどの映像。アレを見てなお、「自分は人狼ではない」と言い切れる自信がなくなっていたからだ。

 『シンジ』の釈明を聞き流し、ゲンドウは更に続けた。

 

「お前の起こした行動により、レイはお前に不信感を抱いている。これ以上の接触は認められん。任務上のやむを得ない場合を除き、今後レイとの接触を禁止する」

 

 『シンジ』の顔に絶望が刻まれた。今の自分に唯一残った大切なもの。綾波レイ。それを『シンジ』は自身の手で傷付け、自ら紡いできた絆を壊してしまったのだ。あの映像を見せられて、それでも尚、『シンジ』がレイに近付こうなどと烏滸がましい。それくらいの事は『シンジ』自身にもわかっていた。

 認めたくはないが、自分の中に知らない自分が居る。それを認識した『シンジ』の手が、格子からずるりと力無く落ちた。

 

「シンジ。お前がヒトとして生きれるのは、エヴァの中でのみ。お前がパイロットとしての自我を保ち続けられなければ、即座に処分する」

 

 半ば死刑宣告のようなゲンドウの言葉は、『シンジ』の頭の中には入ってこなかった。どこか遠い国の出来事のように、実感もないまま事実だけが告げられる。

 自分の命が、随分と軽いものになったと『シンジ』は感じた。それはつい先日、自分が焼き殺した人狼の群れを思い出させる。

 

(アレと同じように、僕は殺される・・・・・・)

 

 炎に巻かれ、身体を激しい痛みで捩らせながら、最後は手足を縮こませて炭と化した人狼の群れが脳裏をよぎる。そしてその焼死体の顔が、『シンジ』自身に置き換わった。

 途端に、自分の死が身近なものに感じた『シンジ』は、思わず自分の口を押さえた。吐き気が腹の奥から込み上げてくる。

 

「だが・・・・・・」

 

 そんな『シンジ』を気遣うことなく、ゲンドウは続ける。

 

 

 

「お前は、私にとっての希望だ」

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・え?」

 

 力無く『シンジ』の目がゲンドウを捉える。そして、驚きに見開かれた。

 笑っているのだ。あの碇ゲンドウが。それも人を小馬鹿にしたような、上から目線の笑みではなく、あろうことか『シンジ』に向かって微笑んでいた。

 それは実の息子に向ける、慈愛のこもった微笑みであった。

 

「シンジ。お前は確かに人狼だ。そうなってしまった。だが、お前が人狼になった事で、人類は救われるかもしれん」

 

「ど、どういうこと?父さん」

 

 『シンジ』の投げかけた疑問に、ゲンドウは携帯端末の電源を再度入れて画面を操作した。

 ゲンドウの指が止まると、ゲンドウは改めて画面を『シンジ』に向けた。

 

「シンジ。これは完全な極秘情報だ。現時点では私と冬月しか知らない。それを今からお前に見せる」

 

 覚悟はいいな?とゲンドウの視線が問いかける。

 『シンジ』は頷くことも、首を振ることもできなかった。だがゲンドウは構うことなく、映像の再生ボタンを押した。

 

『はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・』

 

 画面にどこかの廃墟の階段が映し出される。映像の撮影者は走っているのか、少し息が荒い。

 『シンジ』はその息遣いに覚えがあった。

 

「・・・・・・アスカ?」

 

「そうだ。セカンドチルドレンが1週間ほど前に、無断でNERV本部を離れて廃墟群に侵入した時の映像だ」

 

「そんな!アスカが?なんで!?」

 

「セカンドチルドレンはこの時、簡易抗干渉装置を着けていた。それが録画していたのがこの映像だ」

 

『ったく、一体どこまで行くのよ・・・・・・』

 

 画面には映らないが、アスカの愚痴が流れてくる。もう二度と会えない少女の声に、シンジの目に涙が浮かんだ。

 

 やがて、映像は階段を上り切り、廃墟の屋上へと通じる扉を映し出す。そのドアをアスカの手が押し開けると──、

 

「ッ!?」

 

 アスカの見た光景、信じられない光景を記録は映し出した。

 

 月明かりの元、屋上を埋め尽くすほどの人狼の群れ。そしてその先でただ一人、二足で立つ人間。その半裸の人間に、周りの人狼がひれ伏している。

 たった一人の人間がビルの向こう、夜空の向こうを指差した。それに追従するように、ひれ伏していた人狼たちが一斉に遠吠えを上げた。

 

「なんだ、これ・・・・・・」

 

『バカ、シンジ・・・・・・?』

 

「・・・・・・え?」

 

 アスカの声が、件の人物の名前を呼ぶ。あり得ない、あってほしくないと『シンジ』が願っていた、自分の名前を。

 

 人間が、アスカの声に反応して振り返った。

 

 振り返った人物は、紛れもなく『碇シンジ』であった。

 

 画面の向こうの『碇シンジ』は、自分でも見た事のない様な優しい微笑みで、アスカにこっちに来るように誘った。

 

 画面はその『碇シンジ』をしばらく見つめたあと、踵を返して屋上を後にした。

 

「お前に見せたかったのはここまでだ」

 

 映像には続きがあるものの、ゲンドウはそう言うと再び端末の電源を切った。

 

「と、父さん。これってどういう・・・」

 

「今はまだ、全てを伝えるわけにはいかない。だが、時が来たら必ず話そう。お前は『人類補完計画』の希望なのだ。そして、私の希望でもある」

 

 ゲンドウが『シンジ』に向かって手を伸ばす。格子を抜け、その手が『シンジ』の頭に置かれた。

 

「世界中の人を、その幸せを、お前が救うんだ。シンジ・・・」

 

 呆気に取られる『シンジ』に構わず、ゲンドウは『シンジ』の頭をくしゃりと撫でると踵を返した。そしてそのまま、この場を後にする。

 

 その顔に、狂喜の笑みが広がっている事を、息子に悟らせぬまま。

 

 

──────

 

 

 司令部作戦室に警報が鳴り響く。

 

「月面より強力な精神汚染波を検知!」

「総員、ただちにNERV本部内に退避せよ!」

 

 日向と青葉、マヤを中心に、各スタッフが慌ただしく指示を飛ばす。

 

「なにがあったの!?」

 

 作戦室に入ってきたミサトが即座に状況を確認する。その後から入室したリツコの顔にも焦りと戸惑いが表れていた。

 

「月面反射による強烈な精神汚染波です!それも、今までにないくらいのレベルです!」

 

 マヤが焦りと共に振り返る。

 

「感応遮断装置の出力を最大に!この電波、やってるのは『フォルトゥナ』のバカね!」

「発信源はどこ?」

「アフリカ北西部!ダデス渓谷周辺です!」

「やっぱりか!これ以上人狼増やしてどうしたいのよ!コイツ、本気で人類を絶滅させたいわけ!?」

「・・・ッ!?待ってください!この波長・・・電波だけではありません!音波が・・・!!」

「!!」

 

 ミサトとリツコが顔を見合わせる。未だかつて、『フォルトゥナ』から音波が発せられる事はなかった。これは異例の事態だ。その事に軽く混乱を覚えた両名であったが──、

 

「すぐに音波の受信領域を最大にしろ。『フォルトゥナ』が発する音の全てを拾え」

 

 後から入室してきた碇ゲンドウが、その場の全員に指示を出した。

 

「り、了解!」

 

 司令の指示に、さらに慌ただしくなる作戦室。いきなりのゲンドウの指示に対し、ミサトは苦言を呈した。

 

「碇司令、危険ではありませんか?音波による精神汚染の可能性も・・・・・・」

 

「心配無用だよ、葛城三佐。あれは恐らく『言葉』を発しようとしているだけだ」

 

 ゲンドウの後ろから、冬月コウゾウが入室してくる。冬月は開口一番、ミサトに対して安心するように優しく声をかけた。

 

「副司令、でも・・・」

 

「葛城三佐」

 

 ミサトの言葉を、ゲンドウが遮った。

 

「『フォルトゥナ』という存在がなんなのかは我々にもわからん。だが委員会はヤツに対し、なるべく多くの情報を得よ、と仰せだ」

 

「音波受信!流します!」

 

 ゲンドウが言い終わると同時、マヤが報告を上げた。それを聞いた全員の表情が緊張に引き締まる。

 

 

 

【ザ・・・・・・ザザ・・・・・・・・・いる・・・こそ全て・・・・・・】

 

 

 

 雑音に混じり、声が聞こえた。

 

 

 

「こ、これは、『フォルトゥナ』の声!?」

 

 

 

 流れてきたのは()()の声。

 

 

 

【ヒトよ・・・・・・使命・・・人類・・・・・・新たな・・・・・・段階・・・・・・】

 

 

 

「通信傍受を最大に!!」

 

 

 

【・・・・・・人類・・・補完計画・・・・・・】

 

 

 

「ッ!!?」

 

 そう発せられた単語に、作戦室の全員が目を見張った。

 

 いや、この作戦室に於いて一人だけ、碇ゲンドウだけがその単語を聞いた瞬間、その口角をわずかに上げていた。

 

 

 

【・・・ザザ・・・・・・我は・・・『フォルトゥナ』・・・・・・人類補完計画の完遂を望む者・・・・・・人類選別の・・・・・・最後の担い手・・・・・・】

 

 

 

「この声、まさかアスカ!?」

「そんな、どうして!?」

「アスカは死んだハズじゃ・・・」

「まさか、取り込まれた・・・ッ!?」

 

 

 

【ヒトよ・・・己が使命を・・・思い出せ・・・・・・獣を率いる事こそ、ヒトの使命・・・獣を率いる王・・・・・・その選別により、人類は新たな領域へと至る・・・・・・】

 

 

 

「これは、碇・・・・・・」

「ああ。これでいい。これで全てのピースは揃った」

 

 

 

【これこそが・・・・・・『人類補完計画』・・・集え、ヒトよ・・・・・・最後の王の選別を・・・始める・・・・・・】

 

 

 

 ブツン、と。

 

 唐突に通信は終わった。

 

 作戦室内にザーーーッという砂嵐の音だけが響く。この場にいるすべての人間が、今の『フォルトゥナ』の宣誓に、身動き一つ取れずにいた。

 

 

──────

 

 

《この日を境に、世界は一気に動き始めた。アスカの声を発した巨人の宣誓。それを聞いた世界各国は、自国の残存兵力をかき集め、更にエヴァンゲリオンの新造に力を入れた・・・》

 

 ・・・らしいよ、とアルマロスはまるで他人事のように締めた。

 

『君は、この時点でどこにいたの?』

 

 幽体となっているシンジが、同じく幽体であるアルマロスに問いかける。その質問を、アルマロスは鼻で笑った。

 

《君、今までの状況を見て、この世界の「僕」が自由の身になってると思う?・・・・・・ずぅっと留置所だよ》

 

『・・・そう・・・だよね・・・・・・』

 

 思わず顔を俯かせるシンジに対して、アルマロスはため息を吐いた。

 

《僕は、直接はこれからの光景をほとんど見たことがない。でも、ありがたいね。僕の中の記憶なのか記録なのか分からないけど、この世界は僕たちの見たい景色を見せてくれるみたいだ。例えば・・・》

 

 シンジとアルマロスの周りの風景がグニャリと歪む。一瞬の目眩を覚えた二人だったが、すぐに風景の歪みは収まった。

 

 変わった後の風景は、恐らくどこかのゲージだろう。ヒトの形をした巨大な肉の塊が何体も並べられている。薄暗い明かりに映し出されるそれらの姿は、壁によりかかり、ダラリと首を下げた人体の標本のようだ。

 その不気味な光景にシンジは思わず息を呑んだが、アルマロスはなんて事はないという風にそれらを見下ろしている。

 

《エヴァンゲリオンの素体だよ。ここがどこの国のNERV支部かはわからないけど、たぶんどこも似た様な感じじゃないかな?使徒の肉体を培養し、それを粘土みたいにこねて人型にしたんだよ。まるで土人形(ゴーレム)みたいにね》

 

『こんなにたくさんのエヴァを造れるなんて・・・・・・』

 

《君の世界とは使徒の数が全然違ったのさ。僕の世界では100体近くの使徒が出現した。それだけの使徒がいれば、世界各国がエヴァを新造するのはわけないよ・・・・・・ただ、ね》

 

 アルマロスはシンジから視線を外すと、眼下のエヴァ素体を眺めながら吐き捨てる様につぶやいた。

 

《ここからが、この世界の人類が起こした致命的なミスだったんだよ》

 

『ミス・・・・・・』

 

 その言葉を捉えてなのか否か、アルマロスの言葉を継ぐかのように、ゲージ内を一人の科学者が闊歩する。その後ろに、まだ学生だろうか。若い助手が追随していた。

 

「君たちは本当にバカだね。エヴァのコア。それに入れる魂を誰にするかなんて、そんな疑問を感じる必要があるのかい?」

 

 科学者は助手を心底から馬鹿にしたように蔑んだ。だが言われた本人は、そんな罵詈雑言などどうでもいいと言うように首を振る。

 

「エヴァの起動には、コアへの魂の移管は必須技巧です。パイロットとの補完性も無視できません。『誰がコアとなるか』、それは重要な課題だと思いますが・・・」

 

「くだらない。くだらない、くだらない、くだらない!!誰と誰の魂がシンクロするのか!?そんな事はこれからの人類にとって下の下の選択だよ!」

 

 科学者は助手に向かって腕を振るった。それは本人にとって煩わしい事実を振り払うような、そんな仕草であった。

 

「『フォルトゥナ』は言っただろう!?『人類を選別するべき王は誰か!?』一番重要なのはソレなんだ!誰の魂に寄りそうだとかシンクロするだとか、そんなの関係ないんだよ!誰であっても支配できる上位存在!それこそが『人類補完計画』の要なんだ!君の言ってることは『フォルトゥナ』にとっても我々人類にとってもどーでもいいんだよ!なぜ分からない!?」

 

「待ってください博士!それは『フォルトゥナ』が言っている事に本当に合致しているのでしょうか!?我々はヤツの真意を正確に把握していません!このままエヴァの新造を続けたら・・・・・・」

 

「いいかい!?馬鹿弟子!ヤツは『ヒトを統べる者』をお望みだ!エヴァのコアに使うのがヒトか人狼かなんて言う事自体がどーでもいい!人狼だろうがなんだろうが、コアになるなら使えばいいんだ!シンクロなんて下らない!無理やりに獣を支配してこそのヒトだと、ヤツ自身が言っているんだ!新造のエヴァのコアに何を入れようがヤツには関係ない!結局は『獣を統べるヒトの王』としての資格があればいいんだ!なぜソレがわからない!?」

 

「それではヤツの言いなりです!!」

 

 そう言った助手の頭を、銃弾が貫いた。真っ赤な血飛沫がゲージ内のキャットウォークを赤く染める。

 

「馬鹿!馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!お前はなぁ〜んもわかってない!!」

 

 科学者の目は血走っており、目の前の死体以外の何も見ていない。正気か狂気か、問われれば間違いなく狂気と取られるだろう。

 

「アイツの言っている事は真実だ!ヤツこそが裁定者なんだ!ヤツの望み通りに事を進めなければ、我々は、全人類は人狼に下るしかないとなぜ分からないんだ・・・・・・」

 

 科学者は狂気の笑みを浮かべながら膝をつき、天井から照らされるライトに向かって精一杯叫んだ。

 

「世界の中心で何を叫ぼうと!あの裁定者の望みは変わらないッ!ならば!ヤツの望みを叶える者を我々は差し出すしかないんだッ!なんでそれが分からないんだ!!」

 

 科学者は自身のこめかみに銃口を当てると、そのまま引き金を引いた。

 

《・・・君には分からない、だろうね。だが僕の追い詰められた世界では、こんな事は日常茶飯事だったんだ。もう世界は終わっていた。残された人類は僅かでも生き延びる可能性に賭けるしかなかった。ただ、それだけの事なんだよ・・・・・・》

 

 アルマロスは眼下にて繰り広げられた惨劇を、さも当然というように切って捨てた。

 

《こんなのは、世界中の、どこでも起こった事なんだ。いちいち心を痛めてる余裕なんてないよ》

 

 その言葉に、目の前の惨劇から目を逸らしていたシンジは顔を上げた。シンジの目に映るのは、苦痛を噛み締めたようなアルマロス。

 

《行こう。NERV本部でも、この動きに対してなんらかのアクションを起こしているハズだ。もっとも、それが何ヶ月かかったことなのか、『僕』にはわからないことだけど・・・》

 

 

──────

 

 

 NERV本部内。赤木リツコの自室にて。

 

 リツコは自分のデスクに向かい、パソコンの画面に高速で流れるデータをじっと眺めていた。それらは全て、この数ヶ月で『フォルトゥナ』の元へと送られた無人戦闘機が得た、膨大なデータだった。

 

「やはり・・・・・・。ミサトは天才ね」

 

 そのデータは無人戦闘機からの攻撃のタイミング、角度、武器種、数といったNERV側の攻撃データと、それに対する『フォルトゥナ』のアプローチ、つまり防御データを網羅したものであった。

 このデータを手に入れるため、NERV本部は無人戦闘機のほぼ全てを費やした。それも全て、世界全体を脅かす人狼化現象の解決のため。つまり、『フォルトゥナ』打倒のためであった。

 

「世界各国では『フォルトゥナ』に選ばれた者が世界を救うみたいな噂が流れているようだけど、とんだお花畑ね。あれが一言でも『人類を救う』なんて言ったかしら?」

 

 リツコは苦笑すると、画面のデータに何かを打ち込んでいく。

 

「いま判っている事実は、『フォルトゥナ』が人狼現象の根本であるという一点だけ。ならば人類を救うため、『フォルトゥナ』を殲滅する。それが残された私たちが真っ先にやるべき事・・・・・・」

 

 リツコによって入力されたデータが、画面内で徐々に形となっていく。

 

「ミサトの考えは正しかったわ。『フォルトゥナ』は移動の際、まるでこの世界から消えるかの様に移動している。そしてそれは、恐らく目には見えない『回廊』のようなものを使ってる可能性が高いわね。移動や回避パターンに偏りがあるわ。奴の『回廊』がどれだけの広さ、長さを持っているかは判らないけれど、奴の周辺の『回廊』を断ち切る事ができたとしたら・・・・・・」

 

 画面上のデータが、二つの武器の形を成した。

 

 一つは大弓。

 

 そしてもう一つは、太刀。

 

「『死神の背骨』のコンセプトである強力なATフィールドによる空間断絶とその砲弾化。このコンセプトはとても面白いわ。そのアプローチの方向性を変えて、この二つの兵器を造り出す・・・・・・」

 

 リツコがパソコンのキーボードを高速で叩いていく。それは二つの兵器のアプローチについてのメモであった。

 大弓は、ATフィールドの空間断絶後に発生する空間圧縮を利用して、『フォルトゥナ』の周囲にあると思われる『回廊』に弾を撃ち込み、ブラックホールのように『回廊』自体を一箇所に無理やりまとめさせ、そのエネルギーを吸い出す、というもの。

 一方の太刀は、『死神の背骨』に宿っていた怨念とも言える程のATフィールドを幾重にも束ね、超高密度の「拒絶の刃」を作り出し、『回廊』そのものを無理やりに断ち切る、というもの。

 そのアプローチの根本には、当然『死神の背骨』に使われた技術、エヴァンゲリオンの脊髄が用いられる事になる。

 

 だが、それはこれらの兵器の大前提に過ぎない。

 

「恐らく脊髄一本を使っても、得られる威力は『死神の背骨』と同程度。それが『フォルトゥナ』のATフィールドを破るに至らない事は、アスカの戦闘で確認済み。それ以上の威力を得るには、エヴァ数体分の怨念とも言えるATフィールドが必要ね」

 

 それを成し遂げるための設計思想も、すでにリツコの頭の中にあった。

 

「大弓はエヴァのコア数体分からATフィールドを吸い取り、矢として束ねる方針でいきましょうか・・・。銃型にするとどうしてもコアを銃弾として装填する必要があるし、撃ててもコアを一発ずつだけ。これでは求める空間断絶までには至らないわ。できるなら無作為に、使用者以外の周囲のコアまたはエヴァのATフィールドを吸い上げる設計にすれば、弾の装填というワンアクションの無駄も無くせるし・・・・・・」

 

 その設計思想を、リツコはパソコンに高速で入力していく。

 

「太刀の方が難しいわね・・・・・・。定点で撃ち出せる大弓と違って、太刀は『振るう』という動作がとうしても必要。怨念のようなATフィールドを束ねる構造自体は作れるけれど、それを維持しながら振るうには、パイロット自身の技量が必要になってくる・・・・・・」

 

 ここまでのコンセプトをパソコンに入力し終えたリツコは、指で瞼を押さえて椅子に体重を預けた。長時間、熱中しすぎたせいで眼精疲労がひどく、頭痛を覚えていたのだ。

 だが、心地良い疲労感であった。そして、リツコには確信があった。

 

「大丈夫。この兵器であれば、必ず『フォルトゥナ』に通用するわ・・・・・・」

 

 リツコの科学者としての集大成ともいえる作品。その二つの兵器に、リツコは肩を鳴らしながらキーボードを叩いて、名前を入力した。

 

 東の地より世を照らす、大弓『アズマテラス』。

 

 無名の(つわもの)どもの怨念の塊、太刀『ムメイマサムネ』。

 

 追い詰められた人類が生み出した、神をも殺す兵器。天才科学者、赤木リツコがこの世に生み出す最後の武装。

 

 その産声が上がった瞬間であった。

 

 

 

 

 

つづく



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ab.彼方の待ち人-6

 

 エヴァがなぜ巨大なのか?

 

 かつてゼーレに意識を乗っ取られた加持は、葛城ミサトに問うた。

 

 それは『祭儀の器』だからだ、とゼーレは言った。津々浦々あまねく人々の注目を集めるため──その注目の数だけの意識を束ねられる。ヒトの向こう、丘の向こう、山の向こう、隠れる事なく衆人は注目する。

 

 ゆえに、巨人であったのだ、と。

 

 そのゼーレの言葉が意味を持つのは、碇シンジが最終号機と共にアルマロスを撃退し、人類補完計画の先へと歩みを進めた世界線。

 

 だがその言葉に意味が生まれたのは、『碇シンジ』がアルマロスになった世界線。

 

 無数のエヴァンゲリオンが、補完計画の完遂を求めて争った大戦があった世界線。

 

 その序章として、ヒトが造り出したエヴァンゲリオンがダデス渓谷に集結していた。

 

 この世界における人類補完計画の鍵を握るため。ひいてはこの世界において、ヒトとして生き残るため。

 

 ヒトは自らの過ちに気付かず、最後の希望に縋り、ただ盲目的に、この地へとエヴァを集結させたのだった。

 

 

 

 

『エヴァンゲリオンαからΛへ。全体の進行速度が落ちてるぞ、どうなってる』

 

『Λよりαへ。うっせーぞバーカ!人狼のコアを使ってる奴らがモタモタしてるんだ。誰だよ、「エヴァを動かすだけなら人狼を使えばいい」なんて馬鹿げた事を言ったヤツはよぉ!シンクロなんて本当に最低限だ!動かせるだけ有難いと思えよな!』

 

 赤い大地を、巨人の群れが闊歩する。一列に並んで進軍する様はまさしく巨人の隊列。大地を踏み鳴らし、進軍する様はまさに圧巻。

 数十体に及ぶエヴァの進軍は『人類の救済』という尊い使命を帯びて、エヴァンゲリオンの群れはその目的地に向かってひたすらに進む。

 

『なぁなぁ!もしもだけどよ、お前「王様」に選ばれたらどーする?』

 

『俺かぁ!俺だったらアレだな、世界中の美少女集めてさぁ!』

 

『『ギャハハハハーッ!!』』

 

『ちょっとアンタらうるさぁーい!女子もいんのよ!?』

 

『あぁ!?ブスは黙ってろよ!』

 

『なぁんですってぇ!?』

 

『うるさいぞお前ら!!遠足じゃないんだ、はしゃいでんじゃねぇっ!!』

 

 NERVアメリカ支部より送られてきた数十体のエヴァンゲリオン。それに搭乗するのは、20歳に満たない年齢の青少年たちだ。

 

 エヴァンゲリオンのパイロット適正年齢は14歳と言われている。だがそれは、もっとも適した年齢が14歳と言われているだけで、その前後の年齢層がエヴァンゲリオンに乗れないわけではない。

 事実、綾波レイから始まったファーストからサードのチルドレンたちは、シンジの世界線ではパイロットとしてシンクロテストを含めた訓練を積んできており、アルマロスとの戦いにおいて十全な結果を生み出してもいる。

 

 このアメリカ支部からの巨人の群れも、パイロットの年齢は様々であった。上は19歳から、下は13歳まで。男女交々といった様子である。人狼化現象により人口が激減した中で、若い子供たちの命は貴重。そのはずだった。

 だがここにきて、『フォルトゥナ』の宣誓があった。その宣誓を聞いたかつての大国、そこに所属するNERVアメリカ支部は、自身の保有する使徒の素体と人狼を用いたコアを製造し、新造のエヴァンゲリオンを数十体と作り出した。そして、それに乗ることのできる適格者も、少なくなった人口からかき集めたのだ。

 

『お前ら、いい加減にしろ』

 

 先頭を行くエヴァが背後を振り返る。

 

『誰が『王』に選ばれるか?そんなのどうだっていい。誰が王になろうと、俺たち全員が望むのは「人狼のいない平和な世の中」だろうが。それ以外を望むって奴がいるなら今すぐ前に出ろ。俺がスクラップに変えてやるよ』

 

 この集団のリーダーと思しき青年の声がオープンチャンネルを通して全機に伝わった。その言葉の持つ重み、そして、この青年の持つ実力が、今の言を決して冗談だと思わせないほどの威圧を帯びさせていた。

 そんな中で、一体のエヴァが前に進み出た。それを見たリーダーがやれやれと頭を抱える。

 

『コールド。またお前か・・・』

 

『隊長。無駄話してる暇なんかない。さっさと行こう。無視すればいいんだ、騒いでる奴らなんか。そもそも『王』の器じゃない』

 

『わかった。わかったから、オープンチャンネルで全員を煽るな、頼むから』

 

『なぜだ?俺の願いも隊長と一緒だ。なら、同じ願いを持つ奴らがまず先行すればいい。それ以外は邪魔だ。俺たちだけで任務を遂行すればいいだろ?』

 

 はぁ、とリーダー格のエヴァが肩を落とす。

 

『お前の意見はごもっとも。だがなコールド。お前はこの時代の後の事も考えろ。人狼がいなくなったとき、俺たちは助け合って世界を再構築しなきゃなんないんだ。今から無駄に争う必要もない。わかるか?』

 

『興味ない。俺が興味あるのは、さっさと人狼共をこの世から消し去る。それだけだ』

 

 そう言うと、コールドと呼ばれた少年のエヴァは部隊の先を勝手に移動し始める。いつものことなのだろう。それを見た隊員全員からため息が漏れた。

 

『何様よ、あいつ・・・』

『ちょっとシンクロテストの成績がいいからって』

『隊長も!なんでアイツをいつも甘やかすんだよぉ。あれじゃ軍規?だって守られねーんじゃねぇの?』

 

『俺だって注意してるさ。だけどアイツは・・・』

 

 コールドに深く、悲しい過去があったことは隊長も知っていた。その過去は、隊長自身が共感できるものでもあった。そして、自分を凌ぐほどの実力も兼ね備えている事も、隊長は理解していた。

 

『困りもんのエースだよ。アイツは・・・』

 

 コールドは新人である。だが、その実力は、かの惣流・アスカ・ラングレーにも劣らない、と隊長は感じていた。

 

『やれやれ・・・行くぞ!このままじゃコールドが『王』になる!それが嫌ならさっさと来い!』

 

 隊長の一言と、すでにだいぶ遠くまで離れているコールドのエヴァを見て、全体がようやく動き始めた。

 

(もうすぐだ。平和な世の中は、もう目の前なんだ・・・・・・!)

 

 隊長の瞳に炎が宿る。それは希望の炎。人類全てを救えると信じて疑わない、澄んだ瞳であった。

 

 

 

 

 NERV米支部の部隊が赤い大地と山脈を越え、惣流・アスカ・ラングレーが『フォルトゥナ』と索敵したと思われるポイントに辿り着いた。事前情報の通り、遠くに青白く光る十字架が大地に横たわっているのを隊長が確認した。

 

 その十字架に磔にされた『フォルトゥナ』も、隊長は山陰に隠れながら目視で確認する。

 

『こちらα。全機用意はいいか?』

 

『いつでもオッケー。てかよ・・・』

 

『ああ、別に戦いに来たんじゃないんだし』

 

『フツーにおしゃべりするんじゃダメなの?』

 

『それが一番望ましいよ。だが、万が一のこともある。戦闘になるようであれば、即座に撤退する心の準備もしておけ』

 

 隊長が全機に指示を出すと、隊長機はすっと山の影から身を乗り出した。

 

 その時だった。隊長のエヴァが、何者かの攻撃を受けて大地に倒れ伏した。

 

『は?』

 

『た、隊長ッ!?』

 

『な、なんだ!?『フォルトゥナ』のヤロウかッ!!?』

 

『ち、違う・・・・・・』

 

 倒れ伏したエヴァンゲリオンから、隊長が全隊員に呼びかける。

 

『プランΩだ・・・ッ!糞、畜生!!他国の奴らだ!『フォルトゥナ』を狙って、待ち構えてやがったッ!!』

 

 隊長の言葉に、NERVアメリカ支部の面々は即座に各々の武器を手に取り、戦闘態勢に入った。

 

 プランΩ。それは『フォルトゥナ』を巡り、他国の軍組織が妨害をしてきた場合にのみ適用される最終手段。『フォルトゥナ』によってヒトの王が選別される、という言葉を妄信し、『フォルトゥナ』を奪う事で時代の覇権を握ろうとする愚か者どもがいた場合の、最も愚かな作戦名だった。

 

 瞬く間に、ダデス渓谷に銃声が響き渡った。エヴァンゲリオンの持つパレットライフル。その銃弾が、銃火が、渓谷のあちらこちらで飛び交った。

 

 つまり──、

 

『敵もエヴァかよ!?』

 

 巨人同士の、醜い争い。

 

 他国の作り出したエヴァ。それも、敵は一カ国だけではないようだ。国ごとに異なったデザインのエヴァンゲリオン達が、渓谷の様々なところから顔を覗かせていた。

 それは恐らくドイツ支部や中国、アジアなどに点在する小さな支部、それぞれから送られてきた精鋭達。そしてソレに乗っているのは、自分たちと同じであろう、年端もいかない少年少女だろう。

 世界中の希望であるはずの子供達が、『フォルトゥナ』という一縷の望みを賭けて殺し合う。

 

『なんだってんだヨォーーーッ!あっ!!』

 

 叫んだ少年兵の乗るエヴァが、その頭を撃ち抜かれた。

 

『ぐぎゃああああああああああ!!痛い!!痛いぃぃいいいい!!』

 

 シンクロシステムゆえにフィードバックされた痛みが少年兵を襲う。そこに駆け寄ってくる一体のエヴァ。

 

 デザインは、他国のもの。

 

『やだぁ!来るな!来るなぁ!母さんッ』

 

 少年の乗ったエヴァの胸に深々と突き立てられるプログレッシブナイフ。コアとエントリープラグを貫かれた。吹き出す血飛沫。それはエヴァ自身と、乗っていたはずの少年兵のものだった。

 

『ジョンッ!!畜生めが!アイツはまだ13だぞ!!』

 

 隊長のエヴァが立ち上がり、少年兵にトドメを刺したエヴァの頭を撃ち抜いた。途端、渓谷に響き渡る悲鳴。それはどう考えても、幼児の叫び声だった。

 

『な、なんだって・・・・・・!』

 

 隊長が思わぬ事態に戦慄した。NERVアメリカ支部は、エヴァンゲリオンのパイロット選定基準を13歳以上と定めていた。

 だが、他国は違う。まだ10にも満たないような少年少女をエヴァに乗せていたのだ。恐らく適格者の数が少なかったのだろう。だからこそ、かき集められたのだ。幼い、本当に幼い子供達が。

 

 戦場に、子供達の悲鳴、断末魔が木霊する。そこかしこでエヴァに乗った子供達が銃で、ナイフで、血みどろの殺し合いをしていたのだ。

 

『な・・・み、みんなぁ!!やめろぉ!!これ以上はやめるんだぁ!!俺たちが殺し合ったって、意味はないだろうがぁ!!』

 

 隊長は必死に叫んだ。敵味方関係なく、これ以上幼い命を無駄に散らさないために。だが隊長の声は戦場の轟音にかき消され、誰の耳にも届く事はない。

 

『頼む・・・やめてくれ!やめてくれぇッ!!』

 

 叫ぶ隊長機の後ろに、敵影が迫る。その手にはプログレッシブナイフが握られており、正確に、エントリープラグのある頚椎を狙って振り下ろされた。

 

『あっ!!』

 

 隊長が振り返る瞬間であった。目の前まで迫っていた敵機の首が、何者かによって切り裂かれた。

 

 ぶしゃあああっと、隊長機に降り注ぐ血飛沫。そして断末魔。その向こうにいたのは、

 

『コールドッ!!』

 

 自身の味方だった。

 

『隊長。俺が行く。援護を頼む』

 

『行くってどこへ!?』

 

『『フォルトゥナ』だ。俺が行く。この馬鹿げた戦闘を止めるには、それしかない。俺が『王』になる・・・・・・!』

 

 言うが早いか、コールドは大地を駆けた。その背中を呆然と見ることしかできない隊長であったが──、

 

 コールドの乗るエヴァに、敵機が殺到する。

 

『マックス!!』

 

 コールドが隊長の名前を叫ぶ。

 

 隊長、マックスは手にしたライフルを咄嗟に乱射した。その弾の大半が敵から逸れていったが、牽制にはなったようだ。

 

 コールドの前に、『フォルトゥナ』までの道が開けた。

 

『いけ!コールドォォオオオ!!』

 

 コールドが駆ける。青白く光る十字架に向かって、脇目も振らず、一目散に。

 

『おおおおおおおおおおおおおおッ!!』

 

 雄叫びをあげ、コールドが十字架に飛びつく。そこに横たわる『フォルトゥナ』の顔に手を添える。

 

『『フォルトゥナ』!辿り着いた!辿り着いたぞ!俺が『王』だ!さぁ、俺を選べ!そして人狼共をこの世から────』

 

 その後の言葉は続かなかった。

 

 『フォルトゥナ』の腕が、コールドの機体の背中から生える。

 

 貫いたのだ。その腕で。やっとの思いで辿り着いた少年諸共、命を摘み取ったのだ。

 

『コールドォォオオオッッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【その姿を、獣に与えてはならない】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『フォルトゥナ』が、この渓谷に集ったすべてのエヴァンゲリオンに語りかける。

 

 

 

 

 

【言葉発する知恵の杯に、獣の血肉を注ぐ事。あってはならない。断じて】

 

 

 

 

 

 『フォルトゥナ』が言葉を発した瞬間であった。戦場に居たほぼ全てのエヴァンゲリオンがその動きを止めて。

 

 

 

 

 

『い、嫌ァァアアああああああああああ!』

 

『うがッ!がががぎぎがががああああ!!』

 

『ぎゃう・・・うぶ、ぶあああああああッ!』

 

 異常な叫びを発していた。

 

『な、なんだ!何が起こっている!?』

 

 隊長が辺りを見回す。視界に映るほぼ全てのエヴァが、悶え苦しんでいる。手足を異様な方向に曲げて、装甲板が弾け飛んでいく。その下からは異様に発達した筋肉。そして、エヴァの口にはないはずの獣の牙が、ぎらぎらと、怪しい光を湛えながら次々と生えてきている。

 

『こ、これは・・・・・・』

 

 隊長が言葉を詰まらせた。

 

『まさか、人狼化、なのか・・・・・・?』

 

 渓谷に集ったエヴァが、次々と、獣の如き姿に変容していく。

 

『ま、まさか・・・・・・人狼をコアに使ったからか!?だから、『フォルトゥナ』の発する電波にやられて、侵食されているのかッ!?』

 

 渓谷からヒトの声が失われていく。代わりに渓谷を満たすのは、夥しい数の獣の咆哮。

 

『俺の、エヴァのコアは、母さんだ。母さんが身を挺して俺を助けるために・・・・・・、だから汚染されないのか!?』

 

 隊長機だけではない。見渡せば、他にも人狼化を免れているエヴァンゲリオンが数体。

 

 だが、今この場において、それが意味する事はただ一つ。

 

『う、うわぁぁあああーーーーッッ!!』

 

 獣の群れに投げ込まれた、餌。

 

 人狼と化したエヴァ達があっという間に群がってくる。

 

『ぎ、ぎぃやあああああッ!!嫌だ、嫌だあ!食われたくない!やめろやめろやめろ!離れろ!離せ、いぎぃ!?ぐぎゃああああ・・・・・・・・・・・・ッ!!』

 

 僅かにヒトの理性を残したエヴァ達は無惨にも食い散らかされ、

 

 ダデス渓谷には、数百にも及ぶ、巨獣の群れが誕生した。

 

 

──────

 

 

「アズマテラスの攻撃には、エヴァのコアを使用します。一度に使用するコアは3つ。エヴァに携帯させることができるのは最大で1ダース。つまり、攻撃のチャンスは最大で4回と考えております」

 

 NERV本部の作戦室に集まった錚々たるメンバー。それを前に、赤木リツコは自身の開発した『大弓アズマテラス』のプレゼンテーションを行っていた。

 

「ですが、アズマテラスの最大の特徴であると共にこの兵器の存在理由は、第一射にて『フォルトゥナ』の『回廊』を使った瞬間移動を無理やり封じ込め、続く第二射で仕留める、というものです。その前提でこの兵器を運用する場合、『フォルトゥナ』への有効打は全部で2回、とお考えください」

 

 作戦室のディスプレイにアズマテラスの概要と運用方法が示される。それをレーザーポインターを使いながら、赤木リツコは説明を続けた。

 

「『フォルトゥナ』の使用するなんらかの『回廊』が、我々の認識する空間とは別次元に存在している可能性はありますが、このアズマテラスの空間断絶とその後に発生する空間圧縮。それを利用すれば、恐らく『フォルトゥナ』の行動を大きく制限できるはずです。ですが、その莫大な兵器としての威力を得る代償として、この兵器は巨大化する必要がありました。エヴァがこれを使用する場合、かつてのポジトロンスナイパーライフル同様、こちらの動きも大きく制限されるとお考えください」

 

 ここまで説明したリツコに、冬月が手を上げた。

 

「弾の補充はできんのかね。本当に、エヴァのコアを使って4回しか攻撃できんのか?」

 

「その点に関しては、非常に限定的ではありますが非常手段を用意しました。一つは、これを使用するエヴァンゲリオン自身のコアを使う事」

 

「それでは話にならん」

 

「もう一つは、側に別のエヴァが居た場合、このアズマテラスは周囲のエヴァのコアからエネルギーを得ようとします。エヴァンゲリオン自身の行動が大きく制限されるなかで、もし仮に護衛として数体のエヴァが近くにいさえすれば、それらのコアを弾としてアズマテラスはエネルギーを無理矢理にでも吸い上げ、使用する事は可能です」

 

「そうか。・・・・・・葛城作戦課長」

 

「は!!」

 

 冬月は作戦室のディスプレイの前で腕を組んでいたミサトに声をかける。

 

「ダデス渓谷に集結してしまった人狼化エヴァンゲリオン、通称"ビースト"。これらの群れを殲滅し、アズマテラスを使って『フォルトゥナ』を殲滅する事は可能かね?」

 

「できます」

 

 ミサトは即答した。

 

「エヴァ00、01の二機を戦場に向かわせ、どちらか一方がアズマテラスを用いるオフェンス、もう一方がそれを護衛する布陣で行きます。アズマテラスの弾の補充は周りに蠢くビーストのコアを用いれば、四射とは言わず、より多くの攻撃ができるはずです。奇しくも、ヤシマ作戦と同じような布陣になりますがコレなら──」

 

「ダメだ」

 

 ミサトの作戦提案を、碇ゲンドウが切って捨てた。

 

「・・・・・・碇司令。なぜですか?理由をお聞かせください」

 

 ミサトは冷静に、ゲンドウに問いかける。対するゲンドウは机に両肘をつき、その顔を手で覆い隠している。

 

「サードチルドレンは重度の人狼化進行が見られる。現段階ではまだヒトとしての理性は残っているが、『フォルトゥナ』に接触した場合、精神汚染レベルが一気に加速する恐れがある。そのような大きな不確定要素を、本作戦に組み込む事は許さん」

 

「ですが司令!それではビーストにも『フォルトゥナ』にも立ち向かえません!アズマテラスの仕様上、単独行動は危険です!」

 

「くどい。エヴァ01を使う事はゆるさん。これは命令だ。『フォルトゥナ』、およびビーストの殲滅作戦はレイと、エヴァ00だけで実行しろ」

 

 反論を許さない強い口調でもって作戦司令室の全員に命令を下したゲンドウは立ち上がると、冬月を伴って作戦室を後にした。

 

 残された面々は途方に暮れる。

 

「そんな・・・・・・レイを見殺しにしろって言うの?碇指令が?」

 

 ミサトはゲンドウのあまりにもあんまりな命令に、言葉を失ってしまう。

 

「碇司令・・・・・・なにを考えてるのよ!この非常事態にッ!」

 

 ミサトが近くにあった椅子を思い切り蹴飛ばした。椅子がガシャンと床に倒れる。

 

 それ以外の音はなく、作戦室を重たい沈黙が包み込んでいた。

 

 

 

 

 

つづく



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ac.彼方の待ち人-7

 

 碇シンジがケンスケのシェムハザと死闘を繰り広げ、姿を消した世界線にて。

 

 12月5日。時刻はあと2時間ほどで日付を跨ぐかといった時間帯に碇・アスカ・ラングレー、加持リョウジ、そして剣崎キョウヤの三人は、アスカエヴァ統合体の手に乗って、夜の「黒い森」、アルザス・ロレーヌの森の上を低空飛行で進んでいた。

 

《ところで加持さん。ヒカリ達の家族のいる場所って、本当にその場所で合ってるのよね?》

 

 エヴァ統合体となったアスカが加持に問いかける。

 

「ああ。あの相田の寄越した情報もそうだったが、剣崎があらかじめ調べていた情報とも座標は一致している。余程のことがない限り、ハズレって線は薄いと考えていい」

 

「私一人で集めた情報ではありません。私を含めて三人で収集に当たっていました。まず間違いないか、と」

 

 冬の、それも夜のヨーロッパは極寒だ。アスカエヴァ統合体の手の上に乗っている二人は防寒具をしっかりと着込んでいるが、それでもどんどんと奪われていく体温に、歯をカチカチと鳴らしながら答えた。

 

《悪いわね二人とも。この状態だと人、乗せらんなくってさ。もう少しスピード上げようか?》

 

「いや、早く現地に着きたいって気持ちもあるにはあるが、これ以上スピード上げられたら俺たちが凍っちまう。それにアレゴリック翼とはいえ、無音じゃない。今のスピードをキープだ」

 

《了〜解ッ♪》

 

 アスカは軽い口調で答え、現状を維持した。

 

《でも信じらんないわ。その座標ってパノラマ街道沿いじゃない。ちょっと奥まった森の中にあるとはいえ、そんな観光名所の人気の多い場所に隔離施設なんて作る?フツー》

 

 アスカが小首を傾げて二人に問う。加持はアスカの純粋さに少しだけ苦笑した。

 

「隠したいものを見つかりにくい場所にってのもあながち間違いじゃないが、本当に見つけられたくないものってのは、意外と人目の多い場所にそれとなく置いとくもんなのさ。その方が案外気付かれにくい。覚えておいた方がいいぞ?」

 

《ふーん、あ、そう。・・・・・・シンジもエロ本とかをそんな隠し方してんのかしら》

 

「んあ?どういう意味だ?」

 

 アスカの唐突な疑問に対し、加持も若干だが戸惑ってしまう。

 

《いや、アイツも男だからエロ本の一つや二つは持ってるだろーなぁって時々家ん中探してんだけど、一向に見つからないのよね?からかってやろうと思ってんのに・・・・・・」

 

 そりゃ、あれだけ嫁さん達がいればな。喉まで出かかった言葉を、加持は苦笑しながら飲み込んだ。

 

「それは奥様以上の女性がいないからでは?」

 

 サラッと言いやがって。加持は聞こえるように舌打ちをした。

 

《んー、まあそれは当然だからいいとして、アイツの趣味趣向が知りたいのよね〜。マンネリ化も嫌だし、加持さんどう思う?》

 

「・・・俺に聞くなよ。シンジ君に聞けばいいじゃないか」

 

《あのバカ、恥ずかしがって喋んないのよ》

 

 思わぬところで知り合いの夫婦の夜の生活について聞かされた加持は苦笑するしかない。それこそ酒でもあれば話は別だが。

 

「加持」

 

 剣崎がサングラス越しに鋭い視線を向けてくる。どうやら目的地が近付いてきたようだ。

 

「そろそろか・・・。アスカ、高度を下げてくれ。ここからは隠密行動だ、エヴァは置いていく」

 

《了解、腕が鳴るわね》

 

「アスカ、あまり前には出るなよ。基本的には剣崎と俺が先行する」

 

《わかってるってば。・・・降りるわよ》

 

 アスカエヴァ統合体が黒い森へと降下する。

 

(シンジ。あんたのおかげでアタシ達は上手く行きそうよ・・・・・・だから、今どこでどうなってんのか知らないけれど、必ずアタシのところに戻ってきて)

 

 アスカエヴァ統合体は祈るように膝を折って大地に降り立つと、かすかな発光と共にその姿をエヴァンゲリオン弐号機へと変える。加持と剣崎を地面に下ろし、アスカはエントリープラグから身を乗り出した。

 

 夜の風がアスカの髪を巻き上げる。その瞳には強い決意と、微かな憂いが込められていた。

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

「碇、どうだ?お前の見立てでは・・・」

 

「問題ない。シンジ、サードチルドレンは『器』として選ばれた存在だ。まだ物証は足りないが、確信がある」

 

 『アルマロスの過去』の世界線。そのNERV本部、碇ゲンドウの執務室にて、ゲンドウと冬月は珍しく向かい合って座り、ワインを飲みながら語り合っていた。

 静かな夜だった。普段であれば聞こえてくる人狼の遠吠えも、今夜は珍しく鳴りを潜めている。静かで贅沢な時間を味わえる機会は、この世界では少ない。

 

「シンジはすでに『人狼を束ねる者』となっている。あの映像がよい証拠だ。あの資格があれば、エヴァに乗る事で生き残った人類と、人狼共の意識を全て集めることもできるだろう。そこまで来れば・・・」

 

「補完計画の完遂も近い、か・・・・・・」

 

 冬月は手にしたグラスを傾けて、口の中を湿らせた。

 

「すべての意識を束ねたエヴァンゲリオン。そしてそれに足る資格。その両方を備えた者こそが、『フォルトゥナ』に選ばれ補完計画を完遂させる、というわけだな」

 

「ああ。ただし、ヤツの中にある魂、惣流・アスカ・ラングレーの魂も必要だ。あれはシンジにとっても大切な魂。補完計画の発動に、あれは不可欠だ」

 

「故に『フォルトゥナ』にも消えてもらう必要がある、と」

 

「そうだ。だが、ヤツは強い。今までの使徒とは違い、我々、いやSEELEの「裏死海文書」にすら記載のない存在。それを確実に仕留めるには、駒がもう一つ必要だ」

 

 ゲンドウもグラスを傾けて、なみなみと入っていたワインを飲み干した。冬月はその様子を黙って見守り、飲み干したのを見届けると鋭く切り出した。

 

「そのためにレイを差し向けるのか。リリスの魂はどうする気だ?」

 

「問題ない。ヤツを消耗させ、その魂を『フォルトゥナ』が取り込めば、セカンドチルドレン同様シンジが魂を拾い上げる。所詮は出来損ないの紛い物だ。ユイに会うためであれば必要な犠牲だ」

 

「・・・・・・ユイ君は我々をどう思うかな」

 

「会えばわかる。例え罵りでも、私はユイの声が聞きたい。今までのユイの居ない虚無を思えば心も軽くなる。全ての魂、意識を集めて発動した人類補完計画の後、ユイの魂は完全に覚醒して、必ず我々の元に戻ってくる」

 

「・・・・・・そうだな」

 

 冬月がゲンドウの空いたグラスにワインを注ぐ。ゲンドウはそれを受け取ると立ち上がり、司令室の窓際までゆっくりと歩いていった。

 

「この悍ましい光景も──、」

 

 ゲンドウは眼下に広がる人狼の街を見下ろす。

 

「ユイが全て救ってくれる」

 

 ゲンドウの口角がわずかに上がった。

 

「レイの出撃は8時間後だ。・・・それまで体を休めておきましょう。冬月先生」

 

 ゲンドウの態度に、冬月ははぁと小さくため息をついた。

 

 何を今更な態度だ。

 

 冬月はグイッとワインを飲み干すと、自身の私室へと帰っていった。

 

 

──────

 

 

 ダデス渓谷の現地時刻15時ころ。綾波レイを乗せたエヴァンゲリオン00は赤い大地を踏み締め、巨大な弓アズマテラスを引きずるようにして移動していた。

 

『やはり機動力、という点では難ありね』

 

 通信に赤木リツコの冷静な分析が流れてくるが、レイにとってはどうでもよかった。与えられた任務を遂行する。それだけしか、この少女の頭には無い。

 この場に、シンジが居なくて本当に良かったとレイは思う。レイは一度人狼化したシンジに襲われて、貞操の危機と恐怖を味わったのだ。NERVの支援も乏しい遠い異国の地で、シンジと二人きりで任務に当たるなど考えたくもなかった。そういった配慮をしてくれた碇ゲンドウに対して感謝を覚えるレイは、やはり自分の頼れる大切な人は碇ゲンドウを置いて他にないと確信していた。

 ゲンドウの命令だから、やる。やる価値がある。自分はそのために存在している。少女の思いはただひたすらに、純粋だった。

 

『レイ、あと十分ほどで目的地に到達するわ。頑張って』

 

「了解・・・」

 

 ミサトの通信に実に端的に回答したレイは、地面を引き摺りながらアズマテラスを運ぶ。目標地点は『フォルトゥナ』から10キロメートルは離れた小高い山の上。そこから『フォルトゥナ』を狙撃し、殲滅する作戦だった。

 

 疲労はないが、遅々としか進まない行軍にレイは少しだけ辟易していた。だがそれも、もうすぐ終わりだ。この山を登り切れば、そこから赤い大地を見渡すことができる。そこからが彼女の仕事の本番。弓を構えて、2連続で矢を放つ。作戦が順調に進めば、たったそれだけで終わる簡単な仕事だった。

 

 エヴァンゲリオン00が小高い山の上に立つ。眼下に広がる赤い大地。その向こうに見える、青白く光る十字架。

 

「見つけた」

 

 レイは手元のアズマテラスを構え直すと、弓の下端の石突を大地に突き刺した。膨大な威力を誇るがゆえの固定砲台。その固定を完了させ、レイは照準を遠い十字架に合わせる。

 

「・・・静かね」

 

 レイがそう呟いた瞬間だった。

 

「!?」

 

 山の影から獣の影が躍り出る。それも一匹どころではない。何十匹も。

 

「ビースト・・・!」

 

 レイは慌てる様子もなく、糸ない弓の弦を思いっきり引いた。途端にアズマテラスが発光し、周囲からエネルギーを吸い取り始める。

 

 飛びかかってきたビーストの数体が、アズマテラスに力を吸い取られて動きを鈍らせる。代わりにエネルギーを吸い取ったアズマテラスの周りにまばゆい七つの光が浮いていた。

 

 まばゆい光が直線に並ぶ。それに合わせてレイの駆るエヴァ00の周りのビーストたちが、その光に吸い込まれるように体を粒子へと変えていく。

 

「碇司令の邪魔はさせない」

 

 光を引き絞り、レイは7つの光を解き放つ。途端に起こる凄まじい轟音と大気の震え。レイと青白い十字架の間にあった空間が消え去り、レイの目の前に漆黒の闇が生まれる。闇のトンネルの先には青白い光。レイの打ち出した矢は空間を文字通り貫き、レイの目の前で光と闇のコントラストが生まれる。側から見ればそれは、巨大な光を連ねたアズマテラスの矢が、赤い大地に向かって素晴らしい速度で空間を削り飛ばしたように見えただろう。

 

 その一瞬の静寂のあと、まるで止まっていた時が動き出したように突発的に凄まじい嵐が吹き荒れる。レイのエヴァ00を除いた周りのビースト達が大地にしがみつけず、次々に空へと舞い上がった。

 

 こじ開けられた赤い大地の真空を埋めるために、周辺大気が殺到したのだ。

 

 アズマテラスの矢が、青白い十字架に命中した。

 

 

 

 

 

つづく



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番外編 綾波レイたちの子守り

 

 宇宙空間に揺蕩う、ネルフLUNA。その生活居住区にある公園に、碇ミライを連れてきたのは綾波レイ・トロワ、カトル、そしてシスの三人だった。

 常に宇宙空間にあるネルフLUNAには日光が常時照射されているが、ネルフLUNAはその採光窓を調節することにより、地球の日本時間に合わせて『夜』を意図的に作り出していた。

 

 今の時間はお昼の1時を少し回った程度。天候はもちろん晴れ。絶好のピクニック日和であった。

 

「は〜い!ミライちゃん、着いたよ!あったかいねェ〜!」

 

「でぃぶーっ!」

 

 ベビーカーからミライを抱っこして下ろしたのは、一番幼い(といっても見た目だけの)シスであり、ここに来る途中もミライを抱っこしたくて仕方ない!といった様子だった。ミライも比較的見た目が幼い事もあり、シスに抱っこされると嬉しそうに笑った。

 

「ちょっと!小さな私!あまりミライを振り回さないでよ!」

 

 ベビーカーを押していたのは綾波レイ・カトル。カトルはベビーカーのロックをしっかりと掛けると、ベビーカーに載せていた荷物を次々に下ろしていく。

 

「ちょっとバカ姉!早くシート広げてよ!地面に荷物を置けないじゃない!」

 

「まかせて」

 

 最後の綾波レイ・トロワは、肩にかけた大きめのトートバッグからピクニックシートを取り出すと、バサァッと広げた。トロワがシートを広げ終えると、カトルは肩に下げた大きな荷物たちをシートの四隅に次々に下ろしていく。人口の風が凪いでいるのだ。シートが飛ばされないための処置であった。

 

「こらーっ!小さな私!ミライを抱えたまま走り回らないでッ!」

 

「きゃー怒られちゃったー♪」

「ぷぁーーー♪」

 

 二人とも実に楽しそうだ。日の光の下で走り回る事に夢中で、カトルのお叱りを受けてもシスははしゃぎ続けていた。

 

「あぁ、ハラハラする・・・。ミライを落としたら絶対に殴り飛ばしてやるわ・・・」

 

「カトル、お弁当、どうする?」

 

 カトルよりひと足先に靴を脱いでシートに上がったトロワが、カトルに聞いた。トロワは自分の大きなトートバッグからお弁当箱をいくつも取り出している。中身は手で摘めるよう、簡単なサンドイッチがぎっしりと入っていた。

 

「あ、ああ。そうね・・・少し休憩してからでいいんじゃない?少し喉が乾いたわ」

 

「そう。・・・・・・はい、これ」

 

「あら。ありがとう」

 

 トロワが水筒からお茶をコップに注ぐとカトルに差し出してくる。それを受け取ったカトルはぐいっと一息で飲み干すと、ようやく靴を脱いでシートに座り込んだ。

 

「はあ、暑い・・・なんで「調節」できるのにこんな気温にしているのかしらね?今は地球では冬でしょ?」

 

「寒いとミライが遊べない。わたしが頼んで、暖かめにしてもらったの」

 

「暖かめ、って何度くらい?」

 

「30度くらい?」

 

「・・・貴女がバカ姉だって改めて実感したわ」

 

 カトルはため息を吐きながらトロワから水筒をひったくると、自分のコップにお茶を注いで飲み干した。

 

 温い風が公園を吹き抜けていく。遠くでは、ミライを膝に乗せたシスがブランコに乗って遊んでいた。

 

「・・・・・・平和ね」

 

「そうね」

 

「地球では、今頃、碇君たちが暴れ回ってるころよね」

 

 そう。こうして綾波レイたちがのんびりしている間も、地球では鈴原トウジとヒカリ、その家族の奪還作戦が進行中だ。地球から遠く離れたネルフLUNAも、いつ敵が襲ってきてもおかしくない状況にある。

 

「普通の時間が、ミライちゃんには必要。それが、今のわたしたちの任務」

 

「ん?」

 

「碇くんに、頼まれたから」

 

 鼻息荒く、トロワが両拳を握る。それを横目で見たトロワは再びため息を吐いた。

 

「そこまで気合い入れなくてもいいと思うわよ?」

 

「・・・?カトルは、入れないの?」

 

「気合いっていうより、シスがミライを落っことさないかの心配の方が大きいわ・・・」

 

 遠くのシスとミライは、今度は滑り台に挑戦しているようだ。膝の上に乗ったミライが滑り台をすべるときに、楽しそうに「きゃーーー!」と大声を出していた。滑り台はミライのお気に入りのようだ。

 

「ねぇ、カトル・・・」

 

「何よバカ姉」

 

 遠くで遊ぶ二人の姿を見ながら、カトルはお茶を注いで口に含む。

 

「わたしも、赤ちゃんが欲しい」

 

「ぶーーーーーっ!!」

 

 姉のあまりにも唐突な発言に、カトルは口の中のお茶を盛大に吹き出した。

 

「・・・・・・?ダメ?」

 

「げぇほ、ごほッ!だ、ダメっていうか、話題が唐突にすぎるのよ!」

 

「カトルは、赤ちゃん欲しくないの?」

 

「いや、そりゃ、私も欲しいけど・・・・・・」

 

 カトルは顔を赤らめながら、自身の姉から目を逸らす。カトルも赤ん坊は可愛い。ミライでさえが可愛すぎて食べてしまいたくなるほどだ。それが自分の子供であったら、一体どれほどのものだろうか?

 

 だが子供が生まれる前には、準備がいる。碇シンジとすでに肉体関係を持っているカトルであったが、いざ「子作り」という意味でその行為を考えてみた場合、何処となく恥ずかしさが漂ってくるのだ。

 

 それに・・・・・・。

 

「今は、ミライが私たちの子供。でしょ?」

 

「そうね」

 

 トロワが顔にかかった前髪をかきあげる。青から黒へとグラデーションのかかった髪は、カトルをして「綺麗な髪」と思うほどに美しい。だが、自分の銀色の髪も負けたものではないとカトルは思った。

 

「カトルーーーーッ!!」

 

「なによー」

 

「ミライちゃん!うんちーーッ!」

 

「わかったわ!こっちに連れてきて!」

 

 シスがミライを抱っこしながらピクニックシートまで走ってくる。シスからミライを受け取ったカトルは、手慣れた様子でシートにミライを寝かせると、バックからお尻拭きと新しいオムツを取り出した。

 

「貴女もそろそろコレくらいやれるようになってよね?小さな私」

 

「うぇぇ、ヤダ。臭いもん」

 

「じゃあ、そろそろお弁当を・・・・・・」

 

「せめてオムツ取り替えてからにしてくれない!?バカ姉!!」

 

 公園の片隅で、綾波レイたち、いや碇一家の団欒は続く。今はこの平和な時間を過ごす事こそが、彼女たちに与えられた任務。

 

 それは誰に命じられるまでもない。彼女たち自身が自分に課した任務。心穏やかな、願いの具現そのものであった。

 

 そして早く、ここに碇シンジとアスカ。そして旧友である鈴原トウジとヒカリも交えて、この時間を過ごしたいと、綾波レイたちは強く願うのだった。

 

 

 

 

 

つづく



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ad.彼方の待ち人-8

 

 七色の閃光が空間を穿つ。空間を文字通り削り飛ばした大弓アズマテラスの一撃は、『フォルトゥナ』の磔にされた青白い十字架を瞬きの間に消し飛ばした。

 

 しかし、綾波レイはそのあまりにも呆気ない結果に違和感を覚える。

 

「目標消失・・・・・・いえ、見つけた」

 

 レイの視線が左右へと素早く動く。その視線が一点に集中された。視線の先には『フォルトゥナ』の姿があった。恐らく、被弾の直前に『回廊』を使っていち早く離脱したのだろう。

 だがその出現位置はアズマテラスの射線上。これは赤木リツコの想定した通り、空間圧縮により『回廊』の終着点がアズマテラスの射線上に強制的に集められた結果だろう。

 

「第二射」

 

 レイがエヴァ00の右手を大弓に添える。見えない弦を引くように、ギリギリとエヴァ00の右腕が軋んだ。再びアズマテラスの周囲に浮かぶ七色の光球。

 アズマテラスが発光し、周囲のエヴァンゲリオンビーストたちからエネルギーを吸い取り始める。手持ちの『コア』は消費していない。『コア』の代わりはまだいくらでもいる。

 動きの鈍った周囲のビーストどもは、そのエネルギーの吸収から逃げられない。機体が砂のような粒子に変わっていき、その身がアズマテラスへと吸い込まれていく。

 

 七色の光球が、一列に並ぶ。射線上の『フォルトゥナ』は動かない。いや、動けないでいた。空間圧縮によって『回廊』が一箇所にまとめられているからであろう。その様子に、レイは次弾の必中を確信した。

 

「発射」

 

 その言葉とともに、エヴァ00が右手の弦を解き放とうとした瞬間であった。

 

 『フォルトゥナ』が右腕を軽く上げる。それを合図に、『フォルトゥナ』の周りを徘徊していたエヴァンゲリオンビースト達が一斉にアズマテラスの射線上に集まってきた。

 

(盾?)

 

 レイの思案したとおり、それはビースト達による肉の盾であった。何重にも重なったエヴァビースト達が手足を組んで、『フォルトゥナ』の盾となる。

 

「無駄よ」

 

 レイは今度こそ右手の弦を解き放った。途端に光の光球が音を置き去りに、再び空間に大穴を開けた。凄まじい速度で矢が空間を駆け抜ける。その威力を前に、肉の盾となったビースト達は紙切れ同様、いや、それ以下の抵抗力しか発揮できなかった。

 

 矢が駆け抜けた一瞬のあと、周囲に轟音と、凄まじい突風が吹き荒れる。再び巻き上げられるエヴァビースト達。矢の通った後には、何も残されていなかった。

 

「任務、完了。これより帰還します」

 

 レイの言葉と共に、NERV本部の作戦室から歓声が上がった。今この瞬間、全人類を脅かしていた人狼化現象、その大元が絶たれたのだ。

 人類は救われた。いや、自分たちで勝利をもぎ取ったのだ。残された人類は少なく、人狼化した人間達がもとに戻るかはわからない。だが、人類再建の希望はこの瞬間に生まれたのだ。

 

 エヴァ00がアズマテラスの固定を解く。この重たすぎる兵装も、ここまでくれば用済みであるが、しかし持ち帰らないという選択肢は無い。またあの億劫な作業を繰り返すという状況に、レイは辟易してため息をついた。

 

 その時だった。

 

『エヴァ00!まだだッ!』

 

 通信に、オペレーターである日向の悲鳴が流れた。踵を返していたエヴァ00がその声に振り返る。

 

 眼前に、左半身を消し飛ばされた『フォルトゥナ』が立っていた。

 

「なぜ・・・・・・!?」

 

 レイは驚きながらも大弓を構え直すが、それよりも早く、『フォルトゥナ』の2本の右腕が飛んできて、大弓を押さえ込んだ。そのパワーは凄まじく、エヴァ00はそれを振り解けない。

 

「う、くう・・・・・・!?」

 

 エヴァ00が蹴りを飛ばす。蹴り上げられた右足は、『フォルトゥナ』の左の側頭部に綺麗に命中した。あまりの衝撃に、『フォルトゥナ』は姿勢を崩し、2本の右腕のうちの一方が大弓から離れた。

 

「はぁぁああああああああッ!」

 

 レイは気合いを込めて、大弓を振り回す。その場で一回転する勢いで振り回された大弓は、それに取り付いていた『フォルトゥナ』を激しく打ち、弾き飛ばした。

 回転を終えた勢いをそのままに、エヴァ00が再び弓を構える。眼前でタタラを踏んでいる『フォルトゥナ』は絶好の的だった。この距離であれば外しはしない。

 

「今度こそ・・・!」

 

 エヴァ00が見えない弦を引き絞る。アズマテラスが発光して、『フォルトゥナ』からエネルギーを吸い取り始めた。途端に動きが鈍くなる『フォルトゥナ』。これならば、逃げようもない。『回廊』を使おうと、この至近距離では逃げ切れるわけがない。

 

「第三射・・・・・・発・・・」

 

 レイが弦を解き放つ瞬間であった。

 

「ッ!!うあ・・・っ!?」

 

 左足に走る激痛。

 

 見ればエヴァ00の左足に、エヴァンゲリオンビーストのうちの一匹が噛みついていた。

 

 それを認識すると同時、周囲からエヴァンゲリオンビーストの群れが飛び出してくる。

 

 どこにこんなに生き残っていた!?

 

 レイの驚きを意にも介さず、ビーストの群れがエヴァ00に殺到した。

 

「うああッ!?」

 

 全身に噛みつかれ、エヴァ00が体勢を崩した。地面に引き倒されようとしていたエヴァ00は、誤って右手の弦を手放してしまった。

 

「あ・・・・・・」

 

 途端に上空に向けて放たれる、第三の矢。再び空間を削り飛ばし、周囲を轟音と突風が駆け抜ける。

 続けて三射も撃った影響か、空間全体にまるでガラスのようにヒビが入った。そのヒビがバリィンッと割れると同時、周囲一帯に世界が割れたかと思うほどの衝撃が走った。

 

「きゃあああああああああああ・・・!」

 

 咄嗟にレイはATフィールドを展開したが、それでも衝撃を殺し切ることができない。空間ごと引きちぎられたような衝撃は、いとも容易くATフィールドを引き裂いた。

 

 途端に襲いくる、衝撃の嵐。周囲の山々がその衝撃に切り刻まれていく。エヴァンゲリオン00も例外ではない。全身を切り刻まれ、エヴァの全身から血が噴き出した。

 

「あ、があ、あ・・・・・・」

 

 あまりのダメージに、レイの意識が飛びかける。だがレイはアズマテラスを強く握りしめると、倒れそうになる体を必死に支えた。

 

「まだ、まだ・・・・・・」

 

 レイが強い瞳を周囲に向ける。自身に噛み付いていたエヴァビースト達も今の衝撃に襲われて、満身創痍だ。

 

 だが、『フォルトゥナ』だけが違った。エヴァビーストをまたもや盾にして、今の衝撃から身を守っていたのだ。

 

 レイはアズマテラスの弦を引き絞る。しかし──、

 

「きゃあああああああああああああッ!!」

 

 引き絞った瞬間、エヴァ00の全身の傷が開いた。血液を周囲に撒き散らし、満身創痍のエヴァ00は、立っているのがやっとといった状態だ。

 

 そこに飛び掛かる、エヴァンゲリオンビーストの群れ。傷を負ってようがいまいが、必ずエヴァ00を噛み殺すという強い意志を感じさせる。

 

 なす術も無く、エヴァ00の全身にビーストが喰らい付いた。傷口をさらに広げられる痛みに、レイの絶叫が渓谷に木霊する。しかし、ここにいるのはレイ一人。友軍はいない。

 次々に群がってくるビーストの群れは、まるで死体に集るハイエナのよう。肉が、骨が、その牙によって次々と食いちぎられ、エヴァの内蔵が引き摺り出される。

 

 レイはそのあまりにも壮絶な痛みに声も出せないでいた。

 

(ああ・・・・・・このまま、食べられて・・・)

 

 薄くなっていく意識のなか、視界を覆っていたエヴァビーストの影がサッと引いた。

 

 その影の向こう。逆光を浴びた人影は、

 

(碇、くん・・・・・・?)

 

 その歪な人影が、ゆっくりと右手をエヴァの頬に添えた。

 

(ちがう・・・・・・、貴女は・・・・・・)

 

 人影が、声を発する。

 

【アタシと、一つに────】

 

(エヴァ02の、ひと・・・・・・)

 

 それを認識した瞬間、レイは自分の体が解き解けていくのを見た。まるで細い糸のように身体が解けていき、目の前の人影にゆっくりと吸われていく。

 

『──!──────!!───!!』

 

 通信の向こうで、誰かが叫んでいる。しかし消えゆく意識の中、レイの耳はたった一人の声だけを聞き分けた。

 

 

 

『レイ』

 

 

 

「碇、司令・・・・・・」

 

 

 

 

 

『よくやった』

 

 

 

 

 

 その言葉を最期に、レイの意識は、深い深い闇へと落ちていった。

 

 

 

 

 

つづく



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ae.彼方の待ち人-9

 

《・・・・・・・・・・・・・・・・・・》

 

『あ、アルマロス・・・・・・』

 

 人体の谷の上空。この世界に存在しないはずの二人の影。一人は碇シンジ。そして、もう一人はこの世界の記憶の持ち主、アルマロスとなった『碇シンジ』であった。

 

 そのアルマロスは、眼下の光景を遮るように顔を両手で覆っている。その手の隙間から、微かではあるが嗚咽が漏れ出ていた。

 

《知らない・・・僕は、この光景を知らないッ!》

 

 覆っていた手を伝って、涙が地面へとこぼれ落ちる。

 

《聞いてはいた!父さんから、綾波の最期を聞いてはいた!でも、こんな光景、僕は見ていない・・・ッ!綾波が、こ、こんな・・・こんな悲しい最期を迎えたなんて、僕は知らなかった・・・・・・ッ!!》

 

 アルマロスの慟哭が、人体の谷に響き渡る。それに対し、シンジは何も言えなかった。今、自分たちの目の前で起きた惨劇を受け止めるので精一杯だった。

 

 この世界の綾波レイは、シンジの知るトロワ達とは違う。それは頭ではわかっている。わかっているのだ。

 だが、だからといって、果たして今の光景を他人事だと割り切れるだろうか。

 

 そんなの、無理な話だ。

 

 そして、目の前のアルマロスはその当事者だ。その悲しみを計り知ることはできない。どれだけアルマロスの心に寄り添ったところで、結局はシンジは『失っていない者』で、アルマロスは『失った者』なのだ。その溝を埋めることは決してできない。

 

 シンジはただ、アルマロスの気持ちが落ち着くのを待つしかなかった。

 

 やがて──、

 

《・・・・・・・・・・・・ねえ、僕》

 

『・・・・・・なんだい?』

 

《・・・僕は、この世界では、これほどの憎しみを抱いてはいなかったと思う。正直、ね。でも今、確信したよ。僕は結果として『ダメだった』。だけど、この後の僕が起こした行動には何の後悔もない。改めて、それを実感できたよ・・・・・・》

 

 アルマロスが覆っていた両手を顔から退ける。その下から現れたのは、憎悪と憤怒に塗り潰された、鬼のような形相の『碇シンジ』であった。

 

《エヴァはみんな、みんな、死ねばいい・・・!》

 

 その言葉が表すのは、この世界の終局。数百を超えるエヴァンゲリオンが人類補完計画の完遂を求めて争った世界。

 

 その世界の唯一の勝者。

 

 アルマロスの、怨念に等しき想いであった。

 

 

 

 

「嘘だ・・・・・・」

 

 NERV本部の独房に隔離された『シンジ』は、自身の父である碇ゲンドウからその事実を聞かされていた。

 

「嘘ではない。レイは、『フォルトゥナ』に敗れて死んだ。セカンドチルドレンと同じ、末路を辿った・・・」

 

「嘘だ!!なんでだよ!父さんがいて、なんで綾波が死ぬんだよ!あんなに父さんは綾波を大事にしてたじゃないか!なのに、なんで!」

 

 牢獄の格子から手を伸ばし、『シンジ』はゲンドウの襟を掴んで締め上げる。

 

「なんで!綾波を見殺しにしたんだよッ!!」

 

「・・・ッ!私がッ!!」

 

 それに対し、父も怒りに任せて子の襟に手を伸ばして締め上げる。

 

「私が!それを望んだと思うか!シンジ!」

 

「・・・・・・と、父さん?」

 

「私が、レイを望んで死地に運んだと思うか!?できるだけの備えはした!大弓アズマテラスを与え、遠距離からの攻撃による比較的安全な作戦で、レイの勝利を望んだ!そうなると願っていた!私が!レイの!死を願ったと本気で思っているのか!?」

 

 初めて見る父の、心からの怒り。そして後悔。それを目の当たりにした『シンジ』は気圧されて、黙り込んでしまう。

 そこに畳み掛けるように、ゲンドウは怒りを撒き散らした。

 

「お前を同行させる作戦も挙がってはいた!だが、お前は人狼と化している!それでは『フォルトゥナ』と対峙した際、人狼化が進んでレイを危険に晒す可能性があった!お前が正常であったなら、迷わずにお前を同行させていた!だが、お前とレイ、その両方を取ろうと私は愚かにも判断したのだ!お前の無事と、レイの無事を願ったのだ!!その結果がコレなのだ!!!」

 

 はぁ、はぁ、とゲンドウが肩で息をする。その瞳に、キラリと光るものが浮かんでいる。目の前の光景は、『シンジ』にとって信じられないものであった。

 

 ゲンドウは続ける。

 

「どうすればよかったのだ・・・?シンジ、教えてくれ。私は何を選べばよかった?お前か?レイか?その両方を望むのは、間違っていたのか・・・・・・?」

 

 とうとう、ゲンドウの目尻から涙が溢れ落ちた。ずるりとシンジの胸元から、ゲンドウの手が落ちる。

 

「と、父さん・・・・・・」

 

「頼む・・・・・・助けてくれ、シンジ。もうお前しかいないのだ・・・・・・」

 

 目の前で、父はとうとう膝をついた。あらゆる手段を講じ、その全てを成功させてきた父が、息子の前で跪いたのだ。

 

 その光景を前に、『シンジ』の胸に迫り上がってくるものがあった。

 

 あの父が。誰にも縋らず、ましてや息子に対して一定の距離を取り続けていた父が。今、目の前で自分に救いを求めている。

 

 その光景に、『シンジ』は溢れる涙を抑える事ができなかった。

 

「・・・・・・・・・・・・父さん」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「僕に、できる事があるの・・・・・・?」

 

「・・・・・・わからん。だが、お前の人狼化は、もしかしたら他の者のソレとは違うのかもしれん」

 

「どういう事?」

 

 ゲンドウは跪いたまま、右手で顔を覆い、目尻の涙を拭う。

 

「『フォルトゥナ』の言っていた、人類補完計画の要。全ての人類の意思を集め、人狼を従える者。それはもしかしたら、お前なのかもしれない・・・・・・」

 

「それは・・・・・・?」

 

「お前に見せた、セカンドチルドレンの見た光景。あれは、お前が人狼を率いているようにも見てとれた。お前がもし、人狼を率いて、『フォルトゥナ』の前に立つならば、『フォルトゥナ』はお前を補完計画の要として認めるかもしれない」

 

「・・・・・・それは」

 

「これは賭けだ。もしかしたら、お前は『フォルトゥナ』に感化され、人狼化が進むかもしれない。だがもしも、お前が人狼化せずに『フォルトゥナ』の前に立つ事ができたのなら──」

 

 ゲンドウの瞳が、『シンジ』をまっすぐに捉える。

 

「お前が、『フォルトゥナ』を殺せる。人類全てを、真の幸福へと導けるかもしれない」

 

 その瞳は、『シンジ』が見たことのないほどに澄んでおり、心の底からシンジに縋る瞳であった。

 

「シンジ、全てのエヴァを殺せ。ダデス渓谷に集まった全てのエヴァを。お前が唯一無二のエヴァとなるのだ。その上で、もし『フォルトゥナ』を殺す事ができたのなら・・・・・・」

 

 ゲンドウの手が、『シンジ』の手に重なる。

 

「レイも、セカンドチルドレンも、取り戻せるかもしれない」

 

「!!」

 

 『シンジ』の目が驚きで見開かれる。

 

「『フォルトゥナ』は、セカンドチルドレンの声で喋っている。仮定の話になってしまうが、奴はセカンドとレイの魂を取り込んだ可能性が高い。お前が『フォルトゥナ』を殺し、もしも二人の魂をサルベージする事ができれば──」

 

 そこまで聞いた『シンジ』の心臓が、ドクンと大きく脈打った。『シンジ』は無意識のうちに、父の手を強く握る。

 

「父さん」

 

「・・・・・・」

 

「可能性が、あるんだね?」

 

「・・・・・・ああ。か細い希望かもしれんが」

 

 その言葉を聞き、『シンジ』の目に宿ったのは、『フォルトゥナ』やエヴァビーストに対する強い憎しみ。

 

 そして、強い希望だった。

 

「父さん。僕をここから出して」

 

「シンジ・・・・・・」

 

「僕が、全てに決着を付ける。全てのエヴァを殺してやる・・・!その上で、アスカも、綾波も、僕が取り戻すッ!!」

 

 その言葉に、ゲンドウは一瞬呆けたように目を見開いた後、強く頷いた。

 

 

 

 この世界における、最後のトリガーが今、引かれた。各々の思い描く、幸福の形が今、実現しようとしている。

 

 

 

 しかし、それが形を成すことは決してない。

 

 

 

 

 

 

 なぜならこの世界は、既に【失敗した世界】なのだから。

 

 

 

 

 

つづく



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af.彼方の待ち人-10

 

 その場所はまさにマグマの噴火した火山の火口、そのものに等しかった。限界まで熱し溶かされた鋼がNERV本部地下の工房を流れていく様は、まさしく溶岩流そのものであった。

 

 無理やり引き抜かれた名もなきエヴァンゲリオンの脊髄を覆うように、溶けた鋼が紅く光る蜂蜜のように流される。やがて大気が溶けた鋼の熱を奪い、その形がある程度固定されると、エヴァンゲリオンの脊髄と鋼は巨大なアームによって持ち上げられ、その隣にある巨大な金床に静かに置かれた。

 

 未だ鋼に宿る炎が消えないうちに、10にも及ぶ巨大なハンマーが鋼を叩いて鍛える。鋼が固まりきらぬ内に折り返され、再びハンマーが鉄を叩く。

 

 鍛錬、である。

 

 巨大な炉の駆動音、鋼を打つハンマーの轟音、そして熱した鋼を水に入れた際に発生する、じゅううう・・・という水蒸気の音。それらが混在した工房内は、耳栓がなければ鼓膜が破れて使い物にならなくなってもおかしくはない轟音で満たされていた。

 

 刀だ。巨大な刀が打たれていた。

 

 それは人の身では決して振るうことの叶わない太刀。巨人が巨人を殺すという、たった一つの役割を与えられた武器であった。

 

「発案しておいてなんだけど、割と狂気的な光景ね」

 

「ほぉんと。この刀一本で、プログナイフ何本分になるのかしら?」

 

「プログナイフとこの刀では密度が違うわ。鉄を熱して、叩いて、折りたたんで、叩いて、そして水に入れて固めて、また熱して・・・・・・それを何度も何度も繰り返すのだもの。製造コストという点では、プログナイフの数十本分は賄えるでしょうね」

 

「どっしぇ〜・・・・・・なんか頭痛くなってきたわ」

 

 鍛錬の様子を安全な見学室から眺めるのは赤木リツコと葛城ミサト。

 

 そして、先ほどから一言も喋らずにただじっと刀の鍛錬に見入っている、『碇シンジ』であった。

 

 『シンジ』の顔に表情は無い。まるで能面のようなその顔に反し、その瞳は炎を反射してギラギラと輝いている。『シンジ』自身の瞳の奥に光はなく、その様はまるで黒く磨かれた玉石が炎に照らされているようでもあった。

 

 狂気。凶気。そういったドス黒い感情によって心の中を完全に塗り潰した『シンジ』。その目はただひたすらに、刀が打たれている様子に注がれていた。

 

 刀の芯となる、エヴァの脊髄。それが持つ怨念。それに感化されたかのように、ただただ、『シンジ』は刀の完成を待っていた。

 

 振るいたい。早く。この怨念の塊を。全てを呪う鉄塊を。巨人を殺すためだけに生み出された兇刃を。とにかく早く、思うがままに振るいたかった。

 

「リツコさん・・・」

 

「・・・なにかしら?シンジ君」

 

「これ、いつになったら出来上がるんですか?」

 

 『シンジ』の抑揚のない声に僅かな狂気を見ながら、リツコは淡々と聞かれた事に答えた。

 

「二週間ちょうだい。刀の形に整えるだけで一週間。その後の研磨に一週間は欲しいと、現場が言っているのよ」

 

「・・・そんなに待てませんよ」

 

「シンジ君」

 

 ミサトが腕を組んだまま、しかし『シンジ』とは向き合わずに声を掛けた。

 

「あなたの気持ちは痛いほどわかるわ。でも、我慢して。数百を超えるエヴァ"ビースト"。そしてその向こうでふんぞり返っている『フォルトゥナ』を確実に倒すためには、ナマクラ刀では意味がないわ。この刀、『ムメイマサムネ』をしっかりとした刀として鍛えあげた上で、リツコがこの刀に妖刀としての魂を注がなくてはならないの。わかるでしょ?」

 

「妖刀だなんて、そんなオカルティックな言葉は使わないで欲しいわね。敵対するエヴァ"ビースト"のコアに込められた魂のサルベージ。それに伴うATフィールドの吸収。その二つの機能を持たせるだけよ?」

 

「その言葉だけで充分オカルティックよ」

 

 ミサトとリツコの冗談混じりの会話に、しかし話をしている当人達の顔に笑顔はない。なぜならこの刀は文字通りの最終兵器。NERVが打倒『フォルトゥナ』のため、残りの資材全てを投入した最後の武器なのだから。

 

 数百にも及んだ数々の使徒を屠ってきたNERV本部。それが生み出せる最後の武器。それは裏返せば、それだけ人類が追い詰められていることの証左であった。

 

 『シンジ』が手錠のついた両手を握りしめる。人狼化の予兆が見える『シンジ』は、その両手両足に錠をかけられていた。手に力を込めた瞬間、錠の鎖がじゃらっと小さく音を立てる。

 

 だが、『シンジ』の顔は変わらない。

 

「・・・・・・・・・わかりました」

 

 『シンジ』は静かに答えた。能面のような無表情。その胸のうちに、アスカと綾波を無惨に殺したビースト共。そして『フォルトゥナ』への憎悪を滾らせて。

 

 『シンジ』は目の前で鍛えられていく刀に向けて、呪詛の如き想いを向けていた。

 

 殺せ。

 

 全て殺せ。

 

 その熱で、全て焼き尽くせ。

 

 魂というものがあるのなら、二度と輪廻転生する事なきよう、壊して、燃やして、喰らい尽くせ。

 

 早く、早く、早く、早く。

 

 脊髄を抜かれた名もなきエヴァの怨念。それに被せるように。自分の憎しみを練り込むように。怨念が形となって、自分の憎しみを存分に撒き散らせるように。

 

 『シンジ』はただただ、妖刀の完成を静かに見守っていた。

 

 

──────

 

 

 刀を振るう。

 

 ゆっくりと。しかし、確実に目の前の空を断ち切る。

 

 刃を返す。ゆっくりと、筋肉の動きを確かめるように。

 

 違和感があった。今のはダメだ。断ち切れなかった。

 

 ではやり直すか?初めから?

 

 否、そんな必要はない。そもそも、戦場において『やり直し』はない。

 

 ミスはミス。例え致命的なミスであったとしても、生きていればなんとでもなる。死ななければどうとでもなる。

 

 だから、ミスに気を取られない。次の一撃をもっと良いものに。それだけを意識して、刀を振るう。

 

 『碇シンジ』は刀を振るう。その巨大な太刀を、エヴァ01の肉体を使って。

 

 『ムメイマサムネ』が完成してから、約一週間。『シンジ』はエヴァ01に乗り、ひたすらに刀を振り続けている。NERV本部の城壁を超えた先の廃墟にて。夜も眠らずひたすらに刀を振り続けている。

 

 その様子を見守り続けるNERV本部の面々。明らかなオーバーワークだ。この一週間、文字通り寝る間も惜しんで、エヴァに乗り続けているのだから。

 

 しかし、ミサトやリツコ、その他のスタッフの声は『シンジ』には届かない。いや、鬼気迫るその表情に、声をかけることができないでいた。

 

 アンビリカブルケーブルを繋いだエヴァンゲリオンが、一度も稼働停止する事なく、廃墟の街で刀を振り続ける。

 

「碇・・・・・・」

 

 NERV副司令の冬月が、碇ゲンドウに声をかけた。

 

「流石に止めるべきでは・・・・・・?」

 

「ダメだ」

 

 声を掛けられたゲンドウは自身の机に座ったまま、机の上で手を組み、その口元を覆い隠しながら拒否した。

 

「今の『シンジ』の気を逸らすのは許さん。ヤツは今、研ぎ澄ましているのだ」

 

 ゲンドウの言葉の通り、エヴァ01の動きは一週間前と比べて明らかに洗練されていた。寝る間も惜しみ、狂気とも取れる鍛練を続ける中で、エヴァ01の動きはまるで舞踏のように滑らかに、力強くなっていった。

 

 だが、恐らく『シンジ』は感じている事だろう。「まだ足りない」と。

 

 その息子の狂ったような衝動に、父、ゲンドウの口に笑みが広がった。それはまるで、失った妻、碇ユイをひたすらに追い続けるゲンドウ自身の様であったからだ。

 

 いや、もしかしたらすでに息子の狂気は、自分のソレを超えているかもしれない。

 

 ゲンドウは『シンジ』がこの世に生を受けてから初めて、息子の成長を心から喜んだ。

 

「冬月」

 

「なんだ?」

 

視聴率(・・・)の方はどうだ?」

 

 ゲンドウの言葉に冬月の視線が手元のコンソールに向かう。

 

「観測できる範囲であれば、98.2%といったところか」

 

「それで良い。人類最後のエヴァンゲリオン。人類に残された最後の希望。全てのヒトの意識を束ねる存在として、『シンジ』は完成された」

 

 そう言うとゲンドウは手元の端末を操作し、エヴァ01の映し出された映像を拡大した。エヴァを遠巻きにして、人狼の群れが巨人の儀式とも取れる動きをひたすらに見つめていた。

 

 まるで『王』の振る舞いに畏怖を覚え、魅入られたかのように。

 

「人狼も含めて・・・・・・」

 

 ゲンドウの笑みが深くなる。

 

「全てのヒトの意思が、彼方の巨人に注がれている。一つに束ねる時が来た。『シンジ』は確実に『王』となる」

 

 ゲンドウが立ち上がる。

 

「人類補完計画の最後の裁定者。もうすぐ我々の願いが叶う」

 

 ゲンドウは隣にいる冬月だけに聞こえるように呟くと、その場にいるスタッフ全員に向けて最後の指令を出した。

 

「3時間後だ。アンビリカブルケーブルの電力供給をストップ。稼働停止したエヴァを回収後、ダデス渓谷への搬送の準備を開始。NERVにとって最後の作戦を開始する」

 

 その指令に、発令所に詰めていた全てのスタッフの顔が緊張に引き締まった。

 

 最後の作戦。エヴァンゲリオンによる『フォルトゥナ』の打倒。

 それに向けて動き出したNERVの面々の中に於いて、葛城ミサトだけが、発令所のモニターに小さく映る『シンジ』の顔を凝視していた。

 

 頬がこけて、まるで死人のようでありながらも、その目に宿る確かな殺意がギラギラと光る、修羅となった『碇シンジ』を、ただじっと見つめていた。

 

 

──────

 

 

『・・・・・・・・・・・・なぁ』

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

『なぁ、頼むよ。何か喋ってくれ。こっちが耐えられねぇよ』

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 エヴァンゲリオンの輸送機が、アフリカ大陸の遥か上空を、エヴァ01を載せて飛んでいる。雲一つない青空に、輸送機が引いた飛行機雲だけが白い線として残る。

 

『・・・・・・なぁ。お前も、あのかわい子ちゃんと同じ、チルドレン、なんだよな?』

 

「・・・・・・・・・かわい子ちゃん?」

 

『お!?やぁっと反応してくれたかよ!助かったぜ!日本を経ってからここまでずうっと口をきいてくれなかったからな!こちとら眠気とずぅっと戦ってたんだよ!これが辛くて辛くて・・・』

 

「だから?」

 

『んあ?だから、って言われると、なんとも返し辛ぇが・・・』

 

「・・・・・・あなたが、アスカを運んだ人、ですか?」

 

 エヴァ01のパイロット、『碇シンジ』は、自分の声の抑揚をなるべく抑えるように疑問を口にした。

 

『おぉっと!ソイツを聞いてくるか。言っとくがな、俺は仕事をきっちりこなしただけだぜ?NERVドイツの裏切り者を、言われた通りにここまで運んできたってだけだ。・・・・・・そんな事を聞いてくるってことは、もしかしてアンちゃん、あのかわい子ちゃんのコレか?』

 

 『シンジ』と操縦者の間に、映像を通したやり取りはない。だが、『シンジ』は通信の向こうで、この輸送機の操縦者が嫌らしい手付きでアスカと自分の関係を示しているであろう事を想像した。

 

 『シンジ』の心がわずかに、しかし確かに揺れる。

 

『お?その反応、初々しいねぇ!!もしかして、寝てねぇのか!?』

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

『あらら、そりゃあお気の毒だったな。こんな世の中だ。後悔してもしきれねえことも多々ある。無理やりにでも抱いときゃ良かったなぁボーズ!』

 

 殺意が湧く。『シンジ』の手に僅かながら力が込められる。あと何か一押し、この操縦者が何か不遜な事を宣えば、きっと『シンジ』は我を忘れていただろう。

 

 そのシンジの気を逸らすように、NERV本部から通信が入った。

 

『『シンジ』君、聞こえる?』

 

「・・・・・・ミサトさん」

 

『もうすぐダデス渓谷上空よ・・・・・・覚悟はいい?』

 

「いまさら、でしょ?ミサトさん」

 

『・・・・・・そう、ね。そうかもしれないわ』

 

 ミサトの返答の後に流れた沈黙。通信の向こうで、ミサトが何かを振り切ったように声を上げた。

 

『『シンジ』君!これが全人類にとって最後のチャンスよ!『フォルトゥナ』を殺せる、最後のチャンス!そして、アスカとレイの魂を呼び戻す、最後のチャンス!荷が重すぎるかもしれない・・・・・・でも!全人類の希望!あなたに預けるわッ!!』

 

「・・・・・・わかりました」

 

 『シンジ』はあくまで淡々と、その声に応えた。あくまで、淡々と。その胸の憎しみの炎を外には出さず、あくまでも淡々と。

 

『よっしゃあ!ボーズ!そろそろ目標地点に到着だ!あと10数えたら、ボーズを切り離すぜ!?準備はいいか!?』

 

「・・・・・・ええ」

 

 『シンジ』はあくまでも淡々と返す。

 

『おっしゃ!カウントダウン!10!』

 

「・・・・・・ねぇ?運転手さん?」

 

『9!おう、なんだ!?』

 

「あなたがアスカをここまで運んだんだよね?」

 

『8!おう!そうだぜ!?』

 

「・・・・・・アスカに、なんて言って送り出したの?」

 

『7!んあ?別に、名誉挽回のチャンスって言ってやったぜ!?』

 

 がははは!と通信の向こうの男が答える。

 

「・・・・・・そう、なんだ」

 

『6!おう!ボーズの良い人の敵討ちだな!存分に暴れてやんな!!』

 

 『シンジ』の瞳に憎悪の炎が宿る。

 

『5!心の準備はいいかぁ!?ボーズ!!』

 

「ああ・・・・・・」

 

 『シンジ』の胸の中に燃えたぎる、憎悪の焔。

 

『4!!さぁ、いくぜぇッ!!』

 

「あのさ」

 

 『シンジ』はあくまでも静かに。その言葉は、ごく自然に、当たり前のように『シンジ』の口から漏れた。まるで吐息のように。

 

『3!!なんだ!?なんか聞きたいことあるのか!?』

 

「うん。あのさ・・・・・・」

 

 『シンジ』の意思が、エヴァンゲリオンの腕に力を込める。

 

『2!おうさ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ねよ、お前」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァの腕が振るわれると同時、エヴァ01を輸送していた機体が真っ二つに切り裂かれた。

 

 輸送機が切り裂かれた瞬間、爆炎がアフリカ大陸の上空に上がった。

 

 その汚い花火から爆煙の尾を引きながら落ちてくるのはエヴァンゲリオン01。

 

 腰に『ムメイマサムネ』を携えた、最後のエヴァンゲリオン。

 

 紫色の鬼神の姿だった。

 

 鬼神が青空を切り裂くように、大地に落下する。簡易パラシュートと、ロケット噴射による逆推進も無く、エヴァ01は大地に向かって重力に従い落下していく。

 

 それを『シンジ』は、空中にATフィールドを展開する事で中和した。

 

 空中に展開されたATフィールドを踏み砕きながら、エヴァ01は何枚も何枚も、ATフィールドを空中に展開していく。それらを突き破りながら、徐々に減速していくエヴァ01。

 

 空中に張られた全てのATフィールドを踏み砕き、エヴァ01は大地に降り立った。

 

「アスカも、綾波も、ここで・・・・・・」

 

 死んだ、という言葉は口にしない。『シンジ』はこの荒野の向こうにいる『フォルトゥナ』。それを殺し、二人の魂を取り戻すことしか考えていない。

 

 故に──、

 

 

 

「邪魔だなぁ・・・」

 

 

 

 目の前に立ちはだかる、エヴァンゲリオン"ビースト"の数百体にも及ぶ群れ。

 

 それを、蛆虫でも見るかのように、無感動に見つめていた。

 

 『シンジ』が腰に携えた刀、『ムメイマサムネ』に手を掛ける。すうっと静かに、鞘から刀を抜き放つ。

 

『シンジ君。聞こえる?』

 

 通信から赤木リツコの声が聞こえる。勿論、聞こえてはいる。だが、返事をするのも億劫だ。『シンジ』はこの瞬間を、この妖刀を振るう瞬間をこそ、心から待ち望んでいたのだから。

 

『貴方の持つ『ムメイマサムネ』は、エヴァのコアを攻撃する事で、相手の魂を強制的にサルベージ、ATフィールドを吸収するわ。つまり、貴方が敵エヴァを斬り殺せば斬り殺すほど、武器としての性能が上がっていくの。お分かり?』

 

 うるさいな。そんな事、どうでもいいんだ。

 

『シンジ君!ちゃんと聞きなさい!あなたの命に関わることなのよ!?』

 

 ミサトさんが喧しく騒ぐ。だが『シンジ』にとってはどうでもいいのだ。

 

 いま、ようやく、自分の思う通りに憎しみを振るえる時が来た・・・・・・!

 

 その喜びに、全身が震える。

 

 『シンジ』は笑う。狂気に侵されて、笑う。

 

「アスカ・・・・・・綾波・・・・・・」

 

 『シンジ』の、エヴァの手が、手にした刀を構えた。

 

「絶対ニ!!取リ戻スッ!!」

 

 『シンジ』の咆哮とエヴァ自身の咆哮。

 

 それが後に『人体の谷』と呼ばれるこの土地に、高らかに響きわたった。

 

 ただただ、虐殺の宴を始めるために。

 

 

 

 

 

つづく



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ag.彼方の待ち人-11

 

 知性を無くし、獣の姿となったエヴァンゲリオン"ビースト”の爪が迫り来る。触れるものを例外なく切り裂くであろうその一撃を、『シンジ』は一歩だけ下がる事で躱してみせた。

 

 空中に浮かび上がったその隙だらけの身体に、手にした刃をそっと当てる。まるで時が止まったかのような悠久の時間の中で、『シンジ』は冷静に、手にした刀を獣の鎖骨部分を這うように滑らせた。

 

 たったそれだけの動きで、目の前の獣は自身の勢いそのままに当てがわれた刃をすり抜けていく。ゆっくりと獣の体が裁断されていき、斬られた傷口からは綺麗なピンク色をした筋組織が顔を覗かせていた。

 

 血は溢れない。刃はそのまま獣の体をそのコアごと切り裂き、獣の体は勢いそのままにエヴァ01の横を通り過ぎていった。

 

 背後で、獣が大地に叩きつけられる。しかし、その叩き付けられた際に発生したはずの音ですらが『シンジ』の耳にはゆっくりと聞こえてきて。

 

(次は・・・・・・)

 

 向かってくる二匹目の獣に目を向ける。遅れてようやく、背後で倒れたビーストから血飛沫が舞う。その血飛沫の舞う様すら、まるで時間が引き延ばされたようにゆっくりとしていて。

 

 鋸のような牙が並んだ口を大きく開けて、ビーストが迫る。その口端を切り裂くように、再び刃をそっと当てる。ビーストの勢いは止まらず、顎の上と下を綺麗に斬り分けた。そのまま刃は獣の勢いを利用して、頭、首、肩、背中、そして獣の体内にあったコアを通り過ぎて肉を両断した。

 

 その向こうから三匹目、四匹目と次々に襲いかかってくる。だが、それらの動きですらも──、

 

 

 

「遅いよ」

 

 

 

 紫色の鬼神の前には無力。『ムメイマサムネ』の刃がキラリと閃く。振るわれた剣閃は八つ。それらがほぼ同時に太陽の光を反射したかと思うと、エヴァ01に迫ったビーストたちが細切れに切り裂かれて血飛沫をあげた。

 

 エヴァ01が顎のジョイントを無理やりに引きちぎり、口を大きく広げたかと思うと、飛んできた肉片のうちの一つにがぶりと噛みつき、咀嚼して飲み込んだ。

 

 途端、エヴァの体内に変化が起きる。最高品質の肉を喰らった体が喜びに打ち震える。エヴァの素体が他者の肉片を嚥下し、その身体に存在しなかったモノを体内で急速に造り始めた。

 

 しかし、足りない。たかが肉片一つではまるで足らない。鬼神の眼光がギラリと獣たち、否、『餌』に向けられた。その眼光に当てられた獣たちは皆一斉に、その身を恐怖で硬直させた。

 

 エヴァだけではない。エヴァが手にする巨大な刀『ムメイマサムネ』。それもまた、ビーストの血肉、いや、魂を欲していた。たった今斬り裂いてやった四匹分のコアではまだ足りない。もっと魂を寄越せと怨念が『シンジ』に訴えかけてくる。

 

 『ムメイマサムネ』の刀身が赤熱する。もっとだ。もっと寄越せ。この場にいる全ての贄を、自身に差し出せとでも言うように。

 

 エヴァの足が、大地を蹴った。

 

 音が、漸く時間の流れに追いついた。

 

 パンッ!と空気が弾ける音が渓谷に響き渡る。音を置き去りに、鬼神の姿が紫色の残光となって、赤い大地を駆け抜けた。

 

 それはまるで暴風だった。刀を振り抜いた形で静止したエヴァの背後で、鬼神の通り道にいたはずの獣たちが細切れの肉片と化して宙を舞っていた。エヴァ01は右手の刀をぶらりと垂らしながら、空いた左手で飛び散る肉片の一つを掴み取るとゾブリと噛みついた。

 

 エヴァの身体が、再び喜びに震える。

 

 『ムメイマサムネ』の刀身がさらに怪しく赤い光を放ち、食い散らかした魂を刀自身のATフィールドによって、その刀身に無理やり封じ込める。

 

「ヴォォオオオオオオオ・・・・・・ッ!!」

 

 エヴァの咆哮が、絶対的な捕食者の絶叫が、渓谷に響き渡った。

 

「殺す」

 

 『シンジ』はたった一言、獣たちに告げた。恐怖に錯乱した獣たちが精一杯の雄叫びあげながら、自身の生死を賭けてがむしゃらに突撃してくる。

 

 『シンジ』は自分の意識を、深く深く己の中に沈めていった。思考が邪魔だ。考える時間すら惜しい。身体が最適な動きを導き出してくれる。

 

 ただ、斬ることだけを考えて。

 

 エヴァの腕が振るわれる。血飛沫が舞う。その血の雨を掻い潜るように、エヴァ01が再び大地を蹴った。

 

 斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。噛み付く。躱す。飲み込む。躱す。斬る。躱す。斬る。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。噛み付く。躱す。飲み込む。躱す。斬る。躱す。斬る。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。噛み付く。躱す。飲み込む。躱す。斬る。躱す。斬る。転がる。斬る。喰らいつく。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。噛み付く。躱す。飲み込む。躱す。斬る。躱す。斬る。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。噛み付く。躱す。飲み込む。躱す。斬る。躱す。斬る。躱す。斬る・・・・・・。

 

 まるで徹底されて最適化された作業のように、獣共を解体していく。

 

 空中に舞った肉片や血の雨。それを飲み下すごとにエヴァの体内で、存在しなかったはずの器官が形を成していく。

 

 それは使徒が持つS²機関。無限の生命力を宿した、『生命の実』そのものであった。

 

 そして、手にした刀も、本来ではあり得ないはずのエネルギーをその身に宿していく。斬り殺したエヴァビースト共の魂、それが纏うATフィールド。それを刀自体に宿っていたATフィールドによって無理矢理に刃の形に落とし込み、封じ込め、まさしく無銘の獣共の魂を宿した妖刀へと化していく。

 

 刀身が赤熱し、灼熱の光が周囲を照らす。それを篝火のように掲げ、振り回す巨人の姿。

 

 まさしく、この混沌とした絶望の世界に齎された、人の希望の道を照らし出す巨神の姿であった。

 

 NERVの通信衛星を経て、その姿が全世界の数少ない人類の生き残りへと届けられる。

 

 ダデス渓谷にいつのまにか集まっていた人狼たち。もとは人類であった獣たちが野を越え山を越えて、この地に集結しようとしていた。

 

 人の意識が、すべての生き物の意識が、渓谷で暴れ回る巨神に向けられていた。

 

『全ての意思を束ねし者・・・・・・』

 

 エヴァのエントリープラグ内に、葛城ミサトの呟きが流れた。『シンジ』には分からないだろうが、その呟きを聞いた瞬間、『シンジ』の実の父親が狂喜乱舞しそうなほどに笑みを深めたのを、ゲンドウの横で冬月は見ていた。

 

 だが、まだだ。まだまだ、獣の数は減りはしない。『シンジ』は雄叫びを上げて、刃を振い続ける。

 

 最初にあったのは憎しみだった。アスカを、綾波を、無惨に殺した者共への復讐。それだけが『シンジ』の心の中にはあった。

 

 だが目の前の獣たちががむしゃらに向かってくるのを見て、その歯牙が自分には決して届き得ないと知って──、

 

「あは・・・・・・」

 

 『シンジ』の顔に、笑みが広がった。

 

「あは、あはは、あははははははははははははははははははははははッ!!」

 

 ()()()!どうしようもなく、『シンジ』の心に広がっていったのは愉しさ。思い通りにいかなかった人生。自分の手が届かないままこの世を去ることになってしまった愛しい少女たち。そういった『シンジ』自身の人生においての鬱憤を今この場で晴らさんと、『シンジ』はエヴァの持つ刀を振るっていた。

 

 そして同時に、自身の中の憎しみが強く強く、大きくなっていくのを感じる。決して戻ってこない時間、物事、人。失っていった何もかもが戻ってくることはない。その事実に、『シンジ』の中の憎しみは強くなっていった。

 

 『ムメイマサムネ』の刀身が、あまりの熱量に溶けて落ちる。しかし『シンジ』は構うことなくソレを振い続けた。既に刀身の大半が溶け落ちても尚、ATフィールドによって封じ込められた獣の魂たちが解放されることは無い。

 むしろ刀は、それに込められた怨念の魂たちは、道連れをこそ欲していた。自分だけでは割に合わない。この怒り狂う鬼神に斬り殺された者は道連れだと言わんばかりに、エヴァンゲリオンビーストの魂を貪り喰らっていく。

 喰われた魂に、来世は存在しない。転生はあり得ない。ただ憎しみの刃の一部となって、哀れな犠牲者を地獄の焔に巻き込んでいくだけ。その刀は、ある意味で地獄の体現であった。

 

 とうとう、刀身の全てが溶け落ちる。その瞬間、『シンジ』は手にした刃が『完成』した事を実感した。

 

 それは焔の刀身。獣どもの血肉によって鍛えられ、魂を練り上げることによって顕現した、この世に(あらざ)る神殺しの刃。その刃の名を、『シンジ』は無意識のうちに呟いていた。

 

 すなわち、『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』、と。

 

(アスカも、綾波も、戻ってくるかもしれない。僕が、『フォルトゥナ』を殺して、二人の魂を解放することができれば・・・・・・!)

 

 『シンジ』が手にした刀を右肩に乗せて、大きく振りかぶる。

 

(その為には、邪魔なんだ・・・・・・僕のエヴァ以外は、ビーストも、『フォルトゥナ』も!!)

 

 『シンジ』の視界いっぱいに映る景色。赤い大地を埋め尽くすほどの巨獣の群れ。その向こうに聳え立つ山々。そして遥か悠久の青空。

 

 それら全てを視界に収めて、その視界の中に映る全てに憎しみを向けて。

 

「だから、みんな・・・・・・」

 

 視界に映る全てを断ち切る勢いで。

 

「死んでしまえばッ!いいのにッ!!」

 

 真一文字に、横に斬り裂いた。

 

 

 

 

「凄まじいな・・・・・・」

 

 モニターの向こうに広がる光景を前に、冬月はそう漏らさずには居られなかった。

 

 映像に映し出されたのはエヴァ01が手にした刀を思い切り振り下ろした様。それ自体は大して驚きもしないが問題はそれが齎した結果。

 

 エヴァ01を中心として、半円状に広がった焔の剣閃。それが押し寄せていた巨獣の群れを一度に巻き込み、その向こうに聳えていた山脈をも斬り裂いた姿であった。

 

「リツコ・・・・・・あなた、ここまで予想できた・・・?」

 

 震える声でミサトが横に立つリツコに問いかける。

 

「まさか・・・・・・想定外よ」

 

 刀の開発者であったはずのリツコですらが、その声を震わせていた。

 

 赤木リツコは確かに妖刀とも呼べる代物をこの世に生み出した。それは『フォルトゥナ』を滅するために必要なものであったからだ。当然、それに至るまでにエヴァンゲリオンビーストの魂を必要とする事も想定した上で、この兵器を生み出したのは事実だ。

 

 だが、これほどまでに一方的に虐殺行為が行われるなどとは夢にも思わなかった。それはリツコ自身が『碇シンジ』という少年の内気な性格を考慮しての思案だったが、今、目の前で広がる虐殺の光景は、リツコの想像を遥かに越えていた。

 

 『碇シンジ』の人間性。それはNERVの面々にとって、想定外のものであった。それは彼の実の父親であるゲンドウにとってもそうであった。

 

 だが、齎された結果に大してNERVの面々が恐怖を覚えるのとは裏腹に、碇ゲンドウ自身はその場で狂喜乱舞したいほどであった。

 

 彼の息子の実力は、ゲンドウの思惑を優に越えていた。これ程の実力があれば、ゲンドウの思い描いた『人類補完計画』は間違いなく実現されるだろう。ゲンドウの計画にとって異分子であるはずの『フォルトゥナ』を滅し、ゲンドウにとって最大の目的である最愛の妻、碇ユイへの再会を確実にするものと確信できるほどに。

 

 邪魔なエヴァビースト共は、程なくして『シンジ』によって一匹残らず滅せられるだろう。事実、画面の向こうの光景は、覚醒した天之尾羽張(アメノヲハバリ)を手に残り少なくなったビーストを狩り尽くすエヴァ01の姿を映し出していた。

 

 腹の底から漏れ出そうな笑いを、ゲンドウは必死に抑える。自身の子供の予想外の勇姿に。己の目的達成に向けて馬鹿ではないかと思うほど一直線に進む息子に対し、賞賛の拍手を送りたいほどであった。

 

 だが、自身の狂喜とは裏腹に僅かに残った理性が、ゲンドウを必死に引き留めていた。

 

 まだだ。まだ、『フォルトゥナ』が残っている。それを滅せられないかぎり、自身の目的は達成されない。

 

 ゲンドウの思惑の中に、アスカや、綾波レイの魂の復活など一切組み込んでいない。どうでも良い異物なのだ。ただゲンドウ自身の目的を達成するためについた、『シンジ』が奮起するための方便でしかないのだ。後は『シンジ』すらが気付かないうちに『フォルトゥナ』を滅し、ゲンドウとユイの再会が叶えばよいのだ。

 

 そのゲンドウの希望が形となるように、画面の向こうで、天から稲妻が落ちてきた。稲光が去ったあと、『シンジ』の駆るエヴァ01の前に、『フォルトゥナ』は姿を現した。

 

 その光景に、ゲンドウは思わず射精してしまいそうなほどの喜びに身震いする。

 

 ようやくだ。愚かな息子の前に、最後の生贄である『フォルトゥナ』が姿を現した。ゼーレですらがその存在を把握できていない存在。それを生贄の祭壇に捧げる事で、ゲンドウの計画は全て完遂される。

 

 ゲンドウは思わず立ち上がった。そして、自身の息子に優しい口調で語り掛けた。

 

「シンジ・・・・・・約束の時が来た」

 

 それに対し、一切の疑問を持たない愚かな息子は応えた。

 

『うん・・・、僕が、『フォルトゥナ』を殺す!!』

 

 

 

 

 目の前に突如として稲妻と共に現れた者。それを目にした瞬間、『シンジ』の全身も喜びに打ち震えた。

 

 それは失われた愛しき少女達への邂逅。そして、その少女達の魂を取り戻す目的が目の前に現れたが故。

 

 目の前の存在を殺す。そして、『シンジ』が失ってしまった日常を取り戻す。ただ、それだけのための、たった一つの願い。

 

 その喜びと殺意が混在した『シンジ』の胸中とは裏腹に、目の前の存在、『フォルトゥナ』は不快な音を奏でる。

 

【全てのヒトの意識を束ねし者よ・・・】

 

 それは、惣流・アスカ・ラングレーの声であった。

 

【人類のさらなる歩みを進めるべき者よ・・・】

 

 それは、綾波レイの言葉であった。

 

【最後の剪定は、貴方の手に委ねられた・・・】

 

 二人の少女の声が重なる。二人の少女の命を奪った、目の前の存在から。

 

【さあ、すべての魂の救済を。人類の新たなる歩みを選び「うるさいよ」

 

 『フォルトゥナ』の言葉を遮るように、『シンジ』の手にした刀が、『フォルトゥナ』の喉を切り裂いていた。

 

【!?】

 

「アスカの声で喋るな。綾波の声で喋るな。お前がいるからいけないんだ。全て返せ。アスカと綾波を、返せ・・・ッ!」

 

 エヴァ01の手にした刀が、『フォルトゥナ』の体を切り開こうと真っ直ぐに振り下ろされる。それを『フォルトゥナ』は反射的に、手にした異形の槍で防いだ。

 

 『フォルトゥナ』の手にした槍は、NERVも、ましてやゼーレも一度として目にしたことの無い遺物であった。後の世で「ロンギヌスの槍」と呼ばれ、人類補完計画の要とされた槍。だがその槍は、幾度と繰り返される円環の理の中で初めて、この世界において齎されたものであった。

 

 それは神の御業だった。ゼーレがこの後の、幾度と繰り返される世界において全霊を注いで模倣をしようとするほどの、奇跡であった。

 

 だが真に恐ろしいのは、その神の御業で以てようやく防ぐ事のできる、人の業。その顕現である『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』。それは神の依代の命に届くほどの、あり得ない奇跡であった。

 

【シンジ・・・】

 

【碇くん・・・】

 

 愛おしい少女の声の模倣が、目の前のエヴァもどきから発せられる。それが『碇シンジ』にとって、どれだけ神経を逆撫でるものであったか。

 

 神の御使にはわかるはずもない。神は、ヒトの心が解らない故。

 

「お前を殺す・・・・・・そして、アスカと綾波を取り戻すッ!!」

 

 この世界における人類の希望。『碇シンジ』の口から、怨嗟の声が発せられる。

 

 その声に応えるように『フォルトゥナ』はエヴァ01から距離を取り、自身の持つ槍の必殺の間合いを保つ。

 

 すでに終わってしまった世界。全てが失敗してしまった世界。二度と取り戻す事のできない世界。

 

 その世界における、最後の戦いが、ここに幕を開いた。

 

 全ての人間にとって、決して望まぬ結末をもたらす最後の戦いが。

 

 全ての円環の始まりが。

 

 誰一人望まぬ形で、誰一人幸せにはならぬ形で。

 

 全てを不幸にする形で、ここに開かれた。

 

 

 

 

 

つづく



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ah.彼方の待ち人-12

 

 刀の間合いと槍の間合い。当然ながらその二つが同じ距離であるはずが無く、一般的にいえば槍の方が遠くから攻撃できるという点で優れていると言えるだろう。

 

 槍とは刺す、斬る、叩く、薙ぐ、突く、払うといった大抵の動きを可能とする大変優秀な武器で、またその扱いが容易いという点から、民兵から果ては大将クラスの武将までが愛用した武器だ。銃という武器が開発され戦闘が近代化を遂げるまでは、戦場の花形は槍であったと言えるだろう。

 

「一番槍を取る」。そんな言葉が広まるほどに、槍という武器の優秀さは世に広まっていた。

 

 『フォルトゥナ』がロンギヌスの槍を構える。ただの槍ではない。神が作り出した文字通りの神槍。その槍の一突きは絶対領域とされるATフィールドすらを容易く突き破る。

 

【人よ。全ての意識を束ねし最後の羊飼いよ】

 

 『フォルトゥナ』がアスカの声で、綾波の声で『シンジ』に語りかける。

 

【人の進化のその先に進む事を許された者よ。全ての人の代表として、欠けた人類の溝を埋めるただ一人の資格者よ。ヒトの王として戴かれた者よ。お前の望む形によって、人類の補完は完了する】

 

 そう宣いながら、『フォルトゥナ』は槍の穂先を僅かに上げた。

 

【なぜ、その責務に反する?】

 

 『フォルトゥナ』の問いに、神殺しの刀を構えた『シンジ』は即座に応えた。

 

「お前が全てを奪ったからだ・・・!」

 

 エヴァ01の体から気炎が上がる。それが爆発するように膨張した瞬間、『フォルトゥナ』は瞬時に手にした槍を真横に傾けて掲げた。

 

 掲げた槍が、振り下ろされた『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』を受け止める。間合いとして優位であったはずの槍の攻撃圏をエヴァは掻い潜り、いとも容易くその刃を喉元に突きつけたのだ。

 

 その衝撃が周りの大地に伏していたエヴァビースト共の肉片を業風で巻き上げ、空気が音を立てて破裂した。

 

「返せ・・・お前が奪ったもの、全てを!」

 

【無二の命を持つ者よ。それがお前の望みか?】

 

 『フォルトゥナ』が槍を回転させて刀を弾く。だがエヴァ01はその弾かれた方向に自ら体を回転させて衝撃を緩和すると、そのまま勢いを利用して回し蹴りを『フォルトゥナ』の腹に叩き込んだ。

 

【・・・ッ】

 

「そうだ!お前が奪った全ての人の知性!そして、アスカと綾波の命を返せ!!」

 

 エヴァ01は回転を止めず、その勢いに刃を乗せて再び斬りかかった。対して『フォルトゥナ』は蹴られた衝撃をそのままに、さらに地面を蹴る事で後方へと下がった。

 

 互いに距離を開いた両者。しかし先に動いたのは『フォルトゥナ』であった。ロンギヌスの槍の穂先をエヴァの胸元に向けて容赦なく突き出す。

 

【私が奪ったものはなく、返せるものは少ない】

 

「どの口が!」

 

 二股に分かれた槍の先端、その間に『シンジ』は刀を滑り込ませて槍を防いだ。互いの武器が激しくぶつかり合い、火花を散らす。

 

【槍を受け入れよ。さすればお前は生命の樹となりて、全てを新たに手に入れることができる。その資格がお前にはある】

 

「新しいものなんて要らない!僕は失ったものを返して欲しいだけだッ!」

 

【馬鹿な】

 

 『フォルトゥナ』は槍の先端を一気に下げて刀の鍔にぶつけ、エヴァの力が緩んだところに更に鋭く突きを繰り出した。『シンジ』はその瞬時に繰り出された一連の動きに翻弄されかけたが、気合いで踏みとどまり、刀と膂力で以て槍を押さえつけた。

 

【これは選別だ。私が奪ったのではない。人は自ら失ったのだ。全ての命は私の声に応える事ができなかった。ただそれだけだ】

 

「だからお前は、自分が何も悪くないって言いたいのか!?」

 

【如何にも】

 

 槍を引き、薙ぎ払う。その動きを『シンジ』は地に伏して躱し、立ち上がる反動を乗せて刀を逆袈裟に斬りあげる。『フォルトゥナ』はそれを槍の石突で逸らし、再び槍を薙ぎ払う。

 

【脆弱な魂に、補完を全うする事能わず】

 

「ふざけないでよ!!」

 

 槍と刀が衝突し、周囲に稲妻が走った。その衝撃は上空に浮かんでいた雲を断ち切り、空を割った。

 

【新しき命の舞台に、補完の成った世界に古き物は要らぬ。古き物こそ、過ちであったが故に】

 

「そこにどれだけ大切なものがあったのか、わかりもしないくせにッ!!偉そうに、説教くさく言い訳をするなぁッ!!」

 

 エヴァの刀と、『フォルトゥナ』の槍が掻き消える。音を置き去りに、光の速度を追い越して、二つの機体の残像だけが細切れのフィルムのように滑稽に空間に残る。周囲を二つの機体の攻撃の余波が襲い、大地が見えない斬撃によって切り刻まれていく。

 

「お前は!お前だけは許さない!何があってもお前だけは殺すッ!!!」

 

【無意な事を】

 

 大地がドンッ!!という衝撃と共に弾ける。空を見れば、二つの常軌を逸した機体が互いに相手の身体に武器を叩き込まんと斬撃を振るっていた。

 

【全ての意思がお前に集まっている。お前の願いを、全ての命が受け入れる。お前はそれを選び取るだけで良いというのに】

 

「僕が選ぶのは過去だ!みんなが元に戻る世界だ!お前がそれを認めれば、全て元に戻るんじゃないのかよ!?」

 

【失ったものは戻らない。失われた知性は戻らない。獣は獣だ。人は獣と化した。お前が、お前の意思で『似たような世界』を作る事はできるだろう。お前がそれを望むなら・・・】

 

「それは、全くの別物だぁぁああッ!!」

 

 『天之尾羽(アメノヲハバリ)張』の焔が燃え盛る。渾身の力を込めた一撃を、『シンジ』は感情に任せて振り下ろした。『フォルトゥナ』はそれを受け止めきれず、衝撃と共に地面に叩き落とされた。

 

 しかし地面に叩きつけられ、その身を大地に沈めながらも、『フォルトゥナ』の態度は変わらない。

 

【すべての魂の担い手よ。お前が望む世界を与えよう。しかし失われたものだけは戻らない。それを理解し、新たな世界を生み出すのだ】

 

「もういいッ!!」

 

 地面に倒れた『フォルトゥナ』の体に『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』が叩き込まれた。刀は『フォルトゥナ』を貫き、その身体を大地に繋ぎ止めた。

 

【!!】

 

「もういい!十分だ!お前が失った者を返さないと言うのなら、お前が奪ったものだけは!その体に宿したものだけは!アスカと綾波の魂だけはッ!!お前を殺して取り戻す!」

 

 叫ぶ『シンジ』の声に呼応するように、『フォルトゥナ』の胸部に封じられていた第三と第四の腕が解放された。

 

 その腕はエヴァ01の顔に優しく手を添える。

 

【ならば】

 

【アタシと一つに】

 

【わたしと一つに】

 

 『フォルトゥナ』の口から、アスカの声で、綾波の声で、『シンジ』に向けて愛情の籠った言葉が漏れ出した。

 

 『シンジ』の怒りが爆発した。

 

「死ねぇぇぇえええええええええッ!!!」

 

 『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』の焔が大きく燃え上がる。その焔が『フォルトゥナ』の全身を覆った。

 

 そして次の瞬間、『フォルトゥナ』の姿が忽然と消えた。

 

「!!?」

 

 『フォルトゥナ』の姿を見失った『シンジ』が周囲を警戒しようと意識を巡らせた瞬間、『シンジ』の胸に衝撃が走った。

 

 胸を見ればそこからは、赤い槍の穂先が2本。胸を貫いて生えてきている。

 

「ぐああああああああっ!?」

 

【【すべて、貴方と一つに】】

 

 エヴァ01の背後に現れた『フォルトゥナ』が、ロンギヌスの槍でエヴァを貫いていた。ロンギヌスの槍はエヴァの血肉を浴びると、まるで意志を持った植物のようにエヴァに絡みついてくる。

 

「ぐがぁぁあああああああああああッ!!」

 

 想像を絶する痛み。しかし、それを遥かに凌駕する怒りが『シンジ』を支配した。『シンジ』は巻きついてきたロンギヌスの槍を両手で引きちぎり、エヴァ01の開いた口でそれを噛みちぎり始める。

 

 その動きを止めようと、『フォルトゥナ』がエヴァの背後から優しく抱きしめてくる。

 

【貴方の望みを叶えましょう】

 

 その偽りの言葉に、アスカと綾波の声を模したという事実に、あまりの怒りに、『シンジ』の視界が瞬時に真っ赤に染まった。

 

 『シンジ』は地面に突き刺さったままの『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』を引き抜くと、迷わず自分の腹に突き刺した。

 

 背後にいる『フォルトゥナ』諸共、刀が貫くように。

 

【!!?】

 

「うがああああああああああああ・・・!!」

 

 地獄の焔が、エヴァ01と『フォルトゥナ』に襲いかかった。エヴァ01に絡みついていたロンギヌスの槍はその焔を嫌がるかのように身をくねらせて、エヴァの体から剥がれ落ちる。

 

 『フォルトゥナ』もその焔から逃れようと、エヴァの体から手を離す。しかし『シンジ』はそれを許さない。離れかけた腕をガシッと掴み取り、決して離さないという意志でもって『フォルトゥナ』を自身に縛りつけた。

 

「アスカ!綾波!帰ってこい!!・・・・・・来い!!」

 

 『シンジ』の叫びに、『フォルトゥナ』の体が大きく震えた。まるで、『フォルトゥナ』の体内に閉じ込められた二人の少女の魂が震えるかのように。

 

「もう、絶対離さない!これは僕の我儘だ!だけど、もう嫌なんだ!二人がいない世界なんて耐えられない!だから、お願いだ・・・・・・帰ってきてくれぇぇええッ!!」

 

 エヴァが空に向かって、『シンジ』と共に吠える。地獄の焔がエヴァと『フォルトゥナ』を包み込む。

 

 

 

 しかし、悲しい哉。背後にて『天之尾羽張(アメノヲハバリ)』によって縫い付けられていたはずの『フォルトゥナ』の気配が突如として消えた。

 

 『シンジ』は焔に包まれながら、全身を焼かれながら辺りを見回す。しかしどこにも、『フォルトゥナ』の姿は見当たらない。

 

 

 

 だが、『シンジ』の直感が、『シンジ』の少女たちへの想いが、彼女たちが何処にいるのかを正確に教えてくれていた。

 

 『シンジ』が空を見上げる。広大な、どこまでも広がる青空。その向こうに、『シンジ』は全身を焼かれながら視線を向ける。

 

「そこに、いるんだな?」

 

 『シンジ』はエヴァに突き刺さった刀を抜き取ると、無造作に大地に放って捨てた。捨てられた刀は持ち主を失い、その業火はやがてマッチの炎が消えていくようにか細くなって消えた。

 

 エヴァを覆っていた焔も、少しずつ収まっていく。全身から血を流し、火傷に爛れた生体部品を晒しながらも、エヴァは遥か彼方の上空を見上げていた。

 

「そこに、いるんだね?・・・・・・アスカ、綾波・・・・・・」

 

 エヴァの目から、涙が零れ落ちる。決して戻ってくることのない、人狼化現象の被害者たち。

 

 しかし確かにそこにあると感じる、アスカと綾波の魂。それを感じ取れたことによる涙が、エヴァの瞳を伝って地面に落ちる。

 

 『シンジ』の視線が、大地へと降りてくる。その先にあったのは、綾波レイが先の作戦で使い、目的を達する事ができずに放置された兵装。

 

 それに、足元もおぼつかない足取りで近づくと、エヴァ01は迷うことなくその兵器、『アズマテラス』を手に取った。

 

 傷だらけの体で。

 

 もう、これ以上動けば死を免れないというほどの死に体で。

 

 『シンジ』は、その弓を手に取り、空に向けて掲げた。

 

「綾波。ありがとう・・・・・・」

 

 エヴァ01が、見えない弦を引くように右手を後方へ引き絞る。

 

「アスカ。迎えに行くよ・・・・・・」

 

 七色の光がアズマテラスの周囲に浮かぶ。途端、エヴァ01の体が塵のように崩れ始める。

 

 アズマテラスが、エヴァ01の身体を一本の矢として弓に当てがう。

 

「二人とも、大好きだ」

 

 『シンジ』の言葉とともに、七つの光が一直線に弓に並ぶ。

 

「今、行くよ」

 

 その言葉を最後に、アズマテラスから一本の矢が空を貫いて流星の如く駆け上がっていく。

 

 赤い大地に残された者は居なかった。

 

 

 

 

 月。

 

 

 この世界では、『ルナ』と呼ばれている衛星。その地表の上で、満身創痍の『フォルトゥナ』は地に膝をつけていた。

 

 全身を地獄の焔で焼かれながらも、『神』より与えられた使命を全うするため、己の存在を消す事なく佇むそれは、頭上の青く光る星を見上げた。

 

【人類の補完。その終わりの時が来た】

 

 唄うように、『フォルトゥナ』が己が使命を口にする。

 

【長き時の果てに、人は神へと至る階段への一歩をようやく登り始めた。私に課せられた使命も、ようやく終わりを迎えるだろう】

 

 『フォルトゥナ』が4本の腕を大きく広げる。

 

【私は神へと至れない。私は人という種族を統べる羊飼いなれば。なればこそ、我が羊が良き、より高みに昇る存在へと至る事に魂を賭けて祝福を与えよう・・・・・・例えそれが、神への反逆であったとしても】

 

 『フォルトゥナ』の心の中には歓喜があった。従えていた獣が、飼い主に牙を剥く。それはあってはならない事ではあったが、同時に『神』が心から待ち望んでいた事でもあった。

 

 その結末を迎えられたことに、羊飼いたる『フォルトゥナ』は喜びを覚える。

 

【■■■■■。どこに居られるのですか?私はまもなく、貴方の望みに応えるでしょう】

 

 祝福を、お与えください。

 

 『フォルトゥナ』が祈る。

 

【貴方の望んだ種がやがて芽吹き、花を咲かせて彩るでしょう。どうか祝福を。芽吹く新たな可能性に、祝福を・・・】

 

 その言葉を何もない空に放った瞬間であった。

 

 頭上の青い星より、七色の閃光が走ったかと思うと、その光が『フォルトゥナ』の身体を貫いていた。

 

【か・・・・・・!?】

 

 『フォルトゥナ』の身体に激痛が走る。自身を貫いた光を目で追い、振り返ってみれば──、

 

「アスカと、綾波を、返せ・・・・・・ッ!!」

 

 エヴァンゲリオン01が、『碇シンジ』が、満身創痍の姿で月面に立っていた。

 

 それを目にした『フォルトゥナ』は混乱と、狂喜の狭間にいた。

 

 自身の目の前に、神に捧げる供物がある。それは自身の望む形ではなかったが、確かに供物として『成った』ものであった。

 

 それが正しいのか、間違いないのか、それは『フォルトゥナ』自身にも分からない。だが、自身の生涯を賭けた『成果』が確かに目の前にあった。

 

【ああ・・・・・・】

 

 『フォルトゥナ』がエヴァ01に向けて、人類補完計画の完遂者である『碇シンジ』に向けて手を伸ばす。愛おしむように、羨ましむように。

 

【よかろう。選びとるのだな?お前は、ソレを?】

 

 『フォルトゥナ』の不明瞭な言葉に対し、『シンジ』は力強く一歩を踏み出した。全身が焼け爛れ、流れた血が燃えながらも『フォルトゥナ』に近付いてくる。

 

『フォルトゥナ』はそんなエヴァ01の様子を、感慨深く眺めていた。まるで我が子が初めて一人で歩き始めた事を喜ぶように、両手を広げて向い入れる。

 

【良い。これで良いのだ。すべては、神の御心のままに・・・・・・】

 

 

 

 

 

「知らないよ。そんなのは」

 

 

 

 

 

 エヴァ01の貫手が、『フォルトゥナ』を貫いた。

 

 力を失い、エヴァ01を抱きしめるようにもたれ掛かる『フォルトゥナ』。それを、『シンジ』はとっさに抱き止めた。

 

 その骸の中に閉じ込められていた、アスカと綾波の魂を迎入れるように。

 

「ごめんね。こんなに待たせて・・・・・・本当にごめん」

 

 『シンジ』は、『フォルトゥナ』の身体を抱きしめる。

 

「大丈夫。かならず元に戻すから。全ては戻らないかもしれない。けれど、二人だけは・・・・・・アスカと綾波だけは絶対・・・・・・」

 

 満身創痍の『シンジ』の顔に笑みが溢れる。もはや地球、『テラ』を大きく離れた『ルナ』では、NERV本部の通信も届かない。でも、それでいい。この穏やかな静寂こそが、『シンジ』の心を優しく癒してくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その静寂が、決して変わらぬものだと気付くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・?」

 

 『シンジ』は、腕の中にある『フォルトゥナ』の遺骸に意識を向ける。

 

「アスカ・・・・・・?綾波?」

 

 二人の魂に向けて、呼びかける。優しく。愛おしむように。

 

 

 

 しかし、それに対する返答は虚無であった。

 

 

 

「・・・・・・アスカ?綾波?」

 

 腕の中で、冷たくなっていく遺骸に声をかける。

 

「・・・・・・なに黙ってるんだよ、アスカ。綾波も、人が悪いよ」

 

 『シンジ』は苦笑する。それは、愛おしい少女たちのイタズラだとでも言うように。

 

 だが、どれだけ待てども、彼女たちからの声は聞こえない。

 

 それに得体の知れない恐怖を感じ、『シンジ』は『フォルトゥナ』の遺骸を強く抱きしめる。

 

「ねぇ。二人とも。終わったんだよ?全部終わったんだ。全て、終わったんだよ?なんで黙ってるのさ?」

 

 『シンジ』が二人の魂に呼び掛ける。そこにあるはずの二人の魂に。

 

 

 

 

 

 だが、魂は本当に、そこにあるのだろうか?

 

 

 

 

 

「ねえ、なんで黙ってるんだよ・・・・・・?あ、そうか!身体がないから、なんだね!?大丈夫!すぐにNERVに戻って、何かしらミサトさん達と相談するからさ・・・!」

 

 強がり。認めたくない事実。拒否する心。様々な感情が『碇シンジ』の胸の中を通り過ぎていく。

 

 そして、それらをどれだけ無視しようとも、決して覆らぬ事実が目の前に提示されていた。

 

「嘘だ・・・・・・嘘だよね?・・・・・・アスカも綾波も、ここにいるよねェ!?」

 

 『フォルトゥナ』の中にいる、と思っていた(・・・・・・)、アスカと綾波の魂。

 

 それが、存在しないという事実。

 

 『フォルトゥナ』は確かにアスカと綾波の声を使って自身に語りかけてきた。

 

 だが、それは本当に二人の魂の声なのか?

 

 そんな確証は、どこにも無い。無かったのだ。

 

 それは『シンジ』が『フォルトゥナ』と戦う前から不明確な事で。

 

 『フォルトゥナ』が何度も「失ったものは戻ってこない」と言っていた事実で。

 

 結局は、それが真実であった。

 

「嘘だ・・・・・・」

 

 エヴァンゲリオンの腕の中から、『フォルトゥナ』の遺骸がずるりと雑に崩れ落ちる。

 

「嘘だ・・・・・・アスカも、綾波も、その魂は・・・・・・だって父さんが言ってたんだ・・・『フォルトゥナ』を殺せば、二人は戻ってくるかもしれないって・・・・・・」

 

 そこで初めて『シンジ』は、ゲンドウの言葉を正確に捉えた。

 

 「かもしれない」だったのだ。確証は無かったのだ。ただの、希望的観測にすぎなかったのだ。

 

 それを勝手に、正解であると決めつけていたのは自分の勝手な思い込みで──、

 

 

 

「嘘だ」

 

 

 

「嘘だ嘘だ嘘だ」

 

 

 

「嘘だあああああああああああああッ!!」

 

 

 

 『碇シンジ』は自分の頭を握り潰すほどに、両手で頭を掻きむしっていた。

 

 

 

「嘘だぁッ!アスカはッ!綾波はッ!戻ってくるんだッ!戻ってこなきゃダメなんだッ!!絶対に戻ってくるはずで・・・・・・」

 

 そう否定すればするほどに、『シンジ』の中の前提が崩れていく。

 

「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!嫌だ!!なんのために僕はッ!アスカは!綾波はッ!」

 

 残酷な死を、突き付けられたのか。

 

「嘘だぁぁああああああああああ・・・・・・!」

 

 月面で、『碇シンジ』は泣き喚く。みっともなく、惨めなほどに。

 

「嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!二人とも!戻ってきて、お願いだから・・・・・・お願いだからぁ!」

 

 『碇シンジ』の心が壊れる。壊れてしまう。自分の心の依代を失ったように、『碇シンジ』は、エヴァンゲリオンは、月面で悶え苦しむ。

 

 この宇宙まで来て、二人を取り戻すために全てを投げ打つ覚悟で、挑んだ死闘に意味は無くて。

 

 勝利を手にしたと思えば、心の底から、他の何を捨ててでも譲れなかった、最後の最後まで諦められなかった二人の魂は戻らず。

 

 ただの虚飾のために。命懸けで戦った。

 

 『シンジ』の心に残っていた最後の依代は、初めからこの世から消え去ってしまっていて──。

 

 

 

 

「あ、ああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああぉああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ・・・」

 

 

 

 

 

 

 『シンジ』の心は、痛みに引きちぎられていた。その痛みを負っても尚、『シンジ』の心は収まりを見つけられず、ただ決して癒えることなき痛みを訴え続ける。

 

 そして、「人類補完計画に選ばれた者」として、全ての命の意識が彼に向いていることなど気にも留めることなど出来なくて。

 

『シンジ』は、思ってしまったのだ。それは本当に一瞬の逡巡の一つであったが、確かに感じてしまったのだ。

 

 

 

 

《全ては、僕の失敗だ》と。

 

 

 

 

 

 その想いとともに、『フォルトゥナ』の遺骸から、『シンジ』に向かって伸びてくる二つの『声』があった。

 

【アタシと一つに】

 

 それは誰よりも愛おしい少女の声であった。

 

【わたしと一つに】

 

それは誰よりも親愛を感じる少女の声であった。

 

 二人の魂無き声。しかし今の『碇シンジ』にとっては甘美に過ぎる声。

 

 それに、『フォルトゥナ』の遺骸を通してエヴァ01の体を侵食しながら迫り上がってくる。身体を侵食し、紫色だったその身体を黒く黒く塗り潰していく。

 

「ああ・・・・・・アスカぁ・・・綾波ぃ・・・・・・」

 

 『フォルトゥナ』の遺骸が、黒い意思となってエヴァ01を包み込む。それは後の世に『アルマロス』と呼ばれる存在にだんだんと近付いていき・・・・・・、

 

 『碇シンジ』にとって、この上なき甘美な声と共に。

 

『・・・・・・くん!・・・・・・ちゃん!シンちゃん!駄目!持ち堪えて!それはアスカやレイの声ではないわ・・・・・・』

 

 遥か遠くの『テラ』から、自身の信頼する女性の声が聞こえてくる。

 

 だが、

 

 その声に、

 

 応ずる必要があるのか?

 

「僕は・・・・・・失敗した・・・・・・全て、遅すぎた・・・・・・全部、全部、失敗した・・・・・・」

 

 『碇シンジ』の声が、自分の世界に、認識できる世界の全てに木霊する。

 

「僕は失敗した・・・・・・【この世界は、失敗した】」

 

 裁定者たる『フォルトゥナ』を抹殺し、その後継者となった『碇シンジ』は、そう、認識してしまった。

 

『だめ!ダメよシンちゃん!気をしっかり持っててててててててててててててててててててててててててててげかかがががごがごだ』

 

 エヴァを通した通信から、聞いたことのある声が聞こえたような気がする。

 

 

 でも、もう、どうでもいいんだ。

 

 僕は失敗した。【この世界は失敗した】。

 

【僕は失敗した。この世界は失敗した。だからこの世界は無かった事にして、『次の世界』でやり直さなきゃ・・・・・・】

 

 この星の、『テラ』と呼ばれた世界において、全ての魂が獣へと化していく。

 

 それは無差別に、無感情に、無感動に。

 

 一切の考慮なくして、全ての命を『獣』へと落とし込んでいく。

 

 魂の継承は必要ない。どのみち、新たに生まれた魂こそが選別の対象なのだから。

 

 古き者は過ち故に。

 

 一切の過ちは過去に押し付けて、捨て去っていく。

 

 『アルマロス』。そう呼称され、それを打ち砕ける存在が生まれるまでは、この無限地獄とも取れる世界を断ち切る(アニマ)が現れるまでは、この無限地獄は続いてくのだから。

 

だが、強固に結び付けられた者もある。それは「最初の裁定者」であるところの『碇シンジ』。

 

 その魂の救いは、彼を上回る魂を持った者でなくては齎されないだろう。

 

 それこそが、『エヴァンゲリオン』という福音という名の呪縛に囚われたが故に。

 

 彼の魂の安らぎは、幾万とある並行世界の彼方にしかないのだから。

 

 

 

 

 

つづく



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ai.彼方の夢を待つ人よ

 

 青い星の表面に、幾つもの光の十字架が立ち上っていく。

 

 全ての人の魂が、獣のソレへと堕とされていく。

 

 数多の十字架が一つに集められる事はない。この世界の最後の裁定者が、この世界を失敗と断じたが故に。

 

 世界の果てに、最愛の人と再び出会える事はなく、全ての魂が陵辱されて、不要とされた塵へと形を変えていく。

 

 立ち上った数多の十字架は色が霞んでいき、その身を腐らせながら大地に落ちていく。

 

 かつて人という魂が満ちていたその青い星に向けて、『碇シンジ』は、いや、後の世界で『アルマロス』と呼ばれる堕天使は、月面に突き刺さっていた二叉の赤い槍を引き抜くと、その石突で大地を叩く。

 

 

 

 ────ド───ン・・・!

 

 

 

 遥か月で、黒い巨人がロンギヌスを打ち鳴らす。

 

 

 

 ────ド───ン・・・!

 

 

 

 それは警鐘であり、終末の宣告だった。

 

 

 

 ────ド───ン・・・!

 

 

 

 全ての堕ちた魂に、世界の終わりを告げていく。

 

 その音を耳にした獣のうち、翼を持つ者だけが空に飛び上がった。新たなる世界へと開いた道を、翼持つが故に渡れることを確信して。

 

 アルマロスが7回、ロンギヌスの警鐘を打ち鳴らした。

 

《大洪水から再び・・・舞台は再生される──計画が成しえるまで、何度も、何度でも・・・・・・》

 

 アルマロスの呟きとともに、ロンギヌスの捩れた二叉の穂先。その螺旋がゆっくりと解かれていく。

 

 解けた螺旋は一本の輝く直線に。

 

 それを手にしたアルマロスは、黒い巨人は槍を大きく振りかぶり、その全身を強靭な弓のようにしならせ、思い切り投げた。

 

《世界は環の中、原罪を解くその時まで外と繋がること・・・・・・ならない・・・・・・。退け、汝。成すべき事を成さざる者・・・疾く舞台より去れ。世界は・・・新たなる舞台の構築に歩み入る》

 

 アルマロスは投げられた光の槍の行方を眺める。槍の向けられた先、青き星、地球へ。

 

《ここから始まる、繰り返される世界・・・原罪の時環から・・・次こそ世界が解き放たれん事を》

 

 その瞳に、微かに涙を浮かべて。精一杯の祈りを、その言葉に込めながら。

 

 槍は加速する。そして、その身を長く長く伸ばしていく。槍は七色の光の粒子を撒き散らし、宇宙にあり得ざるオーロラの如き輝きが広がった。

 

 その光は地球へと降り注ぎ、その光に照らされた命を塩の柱へと変えていく。

 

 槍は地球に激突すると思われた寸前、高度二万kmの近さまで到達した時点で、その軌道を大きく変えた。

 

 地球の自転と十字を描くように、縦に回転していくロンギヌスの槍。それはどこまでも、どこまでも加速を続けながら伸び続け、やがて、一本の輪となった。

 

 ロンギヌスの槍が、星を締め付けていく。その大地を、海を、搾り取っていく。絞り出された大地は月へ。アルマロスはその大地を、赤子を受け止めるように迎え入れると、月の中へと優しく取り込んでいく。

 

 命を不要とした大地。その舞台であった物を、まるで後片付けをするように、月の内に仕舞い込んでいく。

 

 締め上げられた地球、『テラ』から数々の悲鳴が宇宙に響き渡る。その嘆きは、しかし宇宙の中の小さな小さな雑音でしかなく、その音を聞き取れる者は、アルマロスを除いて他に居なかった。

 

 鳥を除いた全ての命の怨嗟の声。それを一身に受けながら、アルマロスは星を削り、絞り、奪っていく。

 

 そして、長い長い時をかけて、ロンギヌスの槍は星の生存に必要な全てを絞り尽くした。絞り尽くされた星は、文字通りの『枯れ果てた星』となった。

 

 いや、もはやそれは天体とはとても呼べるような形をしていなかった。それは食べ尽くされて残った、『リンゴの芯』のようであった。

 

 ここから、全ては始まった。幾星霜、何万回と繰り返される新世紀。

 

 その『福音』を求める悠久の、救いなき旅が始まったのだ。

 

 

 

▼△▼△▼△▼△

 

 

 

 真っ白く光る空間に、白いベンチが置かれている。背もたれはなく、そこに二人の人物が、互いに背を向けて座っていた。

 

 一人は、中学生の姿をした『碇シンジ』、つまりアルマロス。

 

 もう一人は、アルマロスに背を向けて座っているのはもう一人の、この物語における19歳の碇シンジ。彼は、溢れ出る涙を抑えることができず、顔を覆って、嗚咽を漏らしていた。

 

《・・・・・・君が悲しむことなんて、ないんだよ》

 

「・・・ッ、でも・・・でもッ!!」

 

《君が泣くことで、過去が戻ってくるなら好きなだけ泣けばいいさ。そんな事はないってわかってるくせに・・・・・・嫌味かい?それ》

 

「違う!違う、違うよ・・・・・・でも、こんなの、あんまりだ・・・・・・。どうすれば、僕はどうしたら・・・・・・ッ」

 

 シンジに、涙を止める事はできない。これが身勝手な涙だとはわかっている。わかりきっている。シンジはこの過去の世界にとっては異物であり他人でしかない。アルマロスの過去を観ただけの、ただの観察者だ。

 

 でも、だからといって、この悲しい世界の終わりに何も思わずになんていられない。悲しみを覚えずにはいられなかった。

 

《・・・これで、少しはわかってくれたかな。僕の事・・・・・・》

 

 アルマロスはシンジに背を向けたまま、独り言のように語りかけた。それにシンジも振り返ることはなく、ただただ、頷くしかなかった。

 

《僕は、怖かったんだ。人が、他人が、アスカが、綾波が。人と触れ合う事が、僕は苦手だったから。それをただ「怖い」と思ってしまっていた。触れれば暖かいはずだった人との繋がりを、恐れて、遠ざけたんだ》

 

 アルマロスが、何もない白く光る空を見上げる。

 

《触れればよかったんだ。この手で。例え怖くても・・・・・・。もしかしたらこの手は、誰かを傷付けたかもしれない。誰かの手が、僕を傷付けたかもしれない。でも本当は、誰かと手を繋ぐ事もできたかもしれないのに・・・・・・》

 

「アルマロス・・・・・・僕、は・・・・・・」

 

《だから、君が羨ましい》

 

 アルマロスの口から、ふうと息が漏れる。

 

《君は恐れなかった。いや、本当は、怖かったんだろうとは思う。でも君は、手を伸ばせた。怖くても他人と手を繋げた。僕は綾波やアスカと手を繋ぐことができなかった。でも、君にはそれができたんだ》

 

 アルマロスの顔には、笑顔が広がっていた。それは微かな、小さな微笑み。

 

《そして君は、人類補完計画を挫き、僕の前に立ち、その身を滅ぼしても諦める事なく僕と戦った。そして・・・・・・僕を長年の呪縛から解き放ってくれた》

 

「そんな、そんな事言わないでよ・・・!僕がもっと君の事を知れていたら、もっと別の道が、違うやり方が、君と手を取ることだって出来たかもしれないのに・・・・・・!」

 

《無理だよ。僕の意識はとうにアルマロスの中に沈んでいたんだ。アスカと綾波の紛い物の声に縛り付けられて、永遠とも思えた円環の中でただ人々を、星を壊し続けてたんだ・・・・・・君が、なんだよ。君がいてくれたから、今、君とこうして話すことのできる僕がいるんだ。僕は、それがとても嬉しい》

 

 そう微笑んで語ったアルマロスの顔が、きりりと引き締められる。

 

《だから、これからは僕のわがままだ。ここから先は、本来の僕にはあり得なかった、夢のような時間だ。そしてきっと、【誰か】にとっての夢でもある・・・》

 

 そのアルマロスの言葉に、シンジは顔を上げた。

 

「【誰か】って、誰のこと・・・・・・?」

 

《わからない。だけど君の選んだこの世界は、その【誰か】にも予想の付かなかった結末を世界にもたらした。この世界にはアダムも、リリスも、ロンギヌスの槍や『箱舟』すらももうない。でもそれに代わるものが、この世界に溢れ出してきている。・・・・・・それは、分かるね?》

 

「・・・・・・ケンスケのエヴァンゲリオン『シェムハザ』。それと『エグリゴリ』?」

 

《そう。人類補完計画の理から外れながら、人類補完計画の残滓とも呼べるものが、君の世界には生まれ始めている。そして、それは新たな『補完計画』の始まりとなるのかもしれない。アダムとリリスより生まれたエヴァ。そして『シェムハザ』が生み出す過去の使徒たち。それらが混在する世界が、どのような物語を辿るのか?きっと、その【誰か】は観たがっている》

 

 そこまで話すと、アルマロスは背後のシンジに振り返った。

 

《僕は、君の得た世界を、君の選んだ世界を見ていたい。ずっと、それこそずっと。君が繋いだアスカや綾波たちとの絆。そして君とアスカの間に生まれたミライ。彼女達の行く末を見ていたいんだ。君に、僕と同じような悲しい結末を迎えてほしくない。・・・・・・でもきっと、君の世界も、僕の世界と同じような事が起きる》

 

「え!?」

 

《僕の世界と同じように、君の世界でも新たなエヴァが、使徒が、数多の巨人が生まれて、争いを起こそうとしている。そこには、もしかしたら【誰か】の意思が含まれているのかもしれない。そしてその【誰か】は、君たち人類の進化を望んでいる。その兆しはもう生まれている》

 

「兆し・・・・・・?」

 

 

 

 

 

《君の娘、ミライだ》

 

 

 

 

 

「!?」

 

《シンジ・・・》

 

 アルマロスは立ち上がり、ベンチを回り込んで、シンジの前に立った。

 

《君の娘が宇宙でしか生きられない理由。それこそが、きっと『人類の進化』、つまり『人類補完計画』の要になるんだ》

 

「そんな・・・・・・ミライが、なんで・・・?」

 

《わからない。けど、僕は君に、アスカや綾波を、ミライを失って欲しくない。君が『鼓動』を得て、君たちのエヴァが『翼』を得たのは、宇宙(ソラ)に出たのには何か意味があるはずなんだ。僕の力は、それを守るためにある。僕はそう信じたい》

 

 アルマロスがシンジに向けて、握手を求めるように手を伸ばした。

 

《僕の力は、君の命を、存在を蝕む。だけど、きっと君たちの『未来』を守るためには必要なものなんだ。君たちが『宇宙(ソラ)に至れるのかどうか。

 

 これは契約だ。

 

 選べ。

 

 何事もない、穏やかで、安らかな死か。

 

 激しく辛く、しかし唯一つの救いのある死か。

 

 今ここで、改めて選べ・・・・・・》

 

 シンジはその差し伸べられた手をじっと見つめる。

 

 そして、ふっと笑った。

 

「もう、選んでるよ」

 

 シンジの手が、アルマロスの手を握る。

 

《君が、僕と同じ過ちをおかさない事を願うよ》

 

 アルマロスの顔に、優しく笑みが広がっていく。

 

 そしてそれに合わせて、白い光が、世界を包み込んでいった。

 

 

 

 

 

《僕の夢を、彼方で見続けていた夢の続きを、僕に見せてくれ》

 

 

 

 

 

つづく



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aj.ユーロカチコミ作戦、開始

 

 2020年、12月6日。時刻は午前0時を僅かに回った頃だろうか。

 

 二つの人影が、アルザスロレーヌの森の暗闇を駆け抜けていた。

 

 一人はサングラスを掛けて、全身に黒いスーツを纏った男、ネルフLUNAの防諜部に所属する剣崎キョウヤ。

 そしてもう一人は、同じく全身を真っ黒なスーツで身を包んだネルフLUNA防諜部のトップ、加持リョウジ。

 

 その二人が、音も立てずに夜の森を駆け抜けていく。

 

 宇宙のラグランジュ点に存在するネルフLUNAから秘密裏に地球に降り立った加持は、周囲の状況とこれから潜入する施設に配備されているであろう戦力を考慮し、惣流・アスカ・ラングレー、否、碇・アスカ・ラングレーに対してエヴァ弐号機で待機しているように命じた。

 

 深夜。夜行性の獣を除けば全ての生き物が眠りについているであろう時間。だが、これから加持と剣崎が潜入しようとしているのは、ネルフユーロにおける重要な施設の一つ。深夜帯であろうとも、それなりの兵力が用意されているであろう事は容易に想像できる。

 

 アスカを置いてきたのは、巨体であるエヴァ弐号機を万が一の場合に即起動させるためと、これからの戦闘においてアスカが単純に足手纏いだったからだ。

 パイロットとしての能力は十分以上どころか他の追随を許さないレベルで洗練された技術を持つアスカだったが、白兵戦闘力に関してはハッキリ言って、プロのソレとは比較にならない。これから想定されるのは対人戦闘だ。それも、相手は対人戦闘に関してはプロ中のプロであろう。その分野において彼女の戦力にはあまり期待できない。

 加えて、彼女はまだ生まれたばかりの娘がいる身だ。そんなアスカを銃弾が飛び交う戦場に連れて行きたくないという、加持のある種の親心があった。

 

 それに──、

 

「何を笑っている?加持」

 

「いや、なに」

 

 加持の前を走る剣崎が、背後を振り返り加持の様子を伺ってきた。剣崎が確認できた加持の顔に浮かんでいた笑みは余裕から来るものか。はたまた緊張から来る筋肉の痙攣か。

 

 答えはそのどちらでもなく。

 

「お前ほど頼もしい味方はいねぇなって、考えていたところだよ」

 

「・・・・・・気を抜くな。俺一人で、何もかもできるわけじゃない」

 

「わかってるって」

 

 剣崎はその言葉に軽く頷いて前を向いた。加持はその背中を見ながら、少しずつ銃を握る手に力を込めて、自身の神経を研ぎ澄ませていった。

 

 これから起こるであろう、人同士の殺し合いの為に。巨人同士の殺し合いではなく、人という単一種族同士の殺し合いのために、その神経をひたすらに研ぎ澄ませていった。

 

 

 

 

 アルザスロレーヌの森の中でエヴァ弐号機に取り残されたアスカは、憤慨するでもなく、エヴァの掌の上で森の周辺を索敵していた。夜の森には獣の気配はあるものの、人が近付くような気配はない。

 

 今の所は、だが。

 

 アスカのわかる範囲では、だが。

 

 アスカはそれを確認すると、スルスルとエヴァ弐号機を器用に登り始めた。様々な要因が絡み合うであろうこの後の展開。それを考慮した時、何よりもこの場で安全なのは、エヴァのエントリープラグ内である事は間違いない。この作戦に於ける、奇襲を警戒しての行動であった。

 

 だが一方で、戦場において適切とは決して言えない感情が身を支配する。アスカの心の底にある本音が、先ほどの衝撃以降、存在を感じ取れなくなっていた自分の夫の身を案じさせる。

 

(シンジ・・・・・・)

 

 アスカは加持達と別れた直後に取った行動を繰り返す。即ち、夜風に髪を任せながら、自身の夫の安否を、夜空へと問い掛ける行為。

 

(バカシンジ・・・・・・またアタシに黙って、勝手な事をしたわね?)

 

 アスカは自分の唇を悔しさで噛みつけながら、その強さに唇から血を流しながら、それでも愚かな自分の夫を心に浮かべた。

 

(あんたが今、どこにいるのかはわからない。でも関係ない!あんたはアタシの旦那なんだからッ!!)

 

 アスカの浮かべた表情は、悲壮を感じさせながらも肉食の獰猛な獣のそれであった。

 

 その期待を裏切った者の末路は、アスカ自身がシンジを通してネルフLUNA内に知らしめてきたことであった。シンジを再起不能に近いレベルでボコボコにする。それこそ、全身の骨を粉々に叩き折るほどに。

 そうやって、自分の旦那の所有者が誰なのか、周りに知らしめていたつもりであった。

 そして、実際にその行動に意味はあった。彼女の夫に手を出そうという馬鹿者は、ネルフLUNAには存在しなかった。綾波レイ・トロワと、その姉妹という例外を除けば、であるが。

 

(・・・・・・ふう、ダメね。思考を切り替えなきゃ)

 

 目下の目的である、鈴原トウジとヒカリ、その親族の救出に関しては、加持リョウジを主体として作戦が進行中だ。それを成し得るまで、何が起きてもおかしくはない。それをアスカは、頭をぷるぷると振る事で改めて認識する。

 

(ヒカリ・・・・・・)

 

 アスカが思い出すのは、ヒカリの乗ったエヴァンゲリオン・ウルトビーズと戦ったときの事。

 

(あんな再会、嫌だったな・・・・・・)

 

 アルマロスの騒乱が収まったあと、アスカの親友であるヒカリはネルフJPNの手によって面会拒絶となった。親友であるアスカですらが面会を許されないほどの、厳戒態勢であった。

 アスカはヒカリとの面会を何度も上司である葛城ミサトに嘆願したが、それはついに、叶う事はなかった。

 ヒカリはアスカと一言も交わさず、顔も見る事もなく、ネルフユーロへと引き渡されてしまったのだ。

 

 そして、次に再会したのは戦場。しかも、自分の夫であるシンジと最終号機に向けて、槍を突き付けている場面であった。

 

 話したい事があった。直接顔を合わせて、お互いに手を取り、抱きしめて、再会を喜びたい思いがあった。

 

 しかし、それが叶う事は無かった。再会したのは戦場。交わしたのは矛。その目的は、殺し合い・・・・・・。

 

(嫌よ、そんなの・・・・・・)

 

 アスカはエントリープラグ内で、再び自身の唇を噛んだ。

 

(なんでアタシたちが、殺し合いなんてしなきゃなんないのよ・・・・・・)

 

 二年。二年以上だ。アスカがヒカリと最後に顔を合わせてから、二年以上の月日が経っている。

 その間にいろいろな事があった。アスカも、自分がまさか母親になるなんて想像もしていなかった。その色々な苦労や、自分の夫であるシンジとの惚気話も自慢したかったし、お返しのように繰り出されるであろう鈴原トウジとの馴れ初めを聞きたいという気持ちがあった。

 

 否、今も聞きたいという気持ちがある。

 

(家族を助け出したら、また手を取り合って、笑い合えるのかなぁ・・・・・・)

 

 アスカにしてみれば、珍しいほどの弱気であった。

 

(笑っちゃうわね。こんなに弱かったっけ?アタシ)

 

 アスカは自分の両頬を勢いよく叩いた。

 

(バカ!これから取り戻すんだ!アタシと、ヒカリの普通の日常ってヤツを!!)

 

 アスカの両目に、決意の炎が宿る。この作戦を絶対に成功させて、必ず親友を取り戻す。そして、地球からはるかに離れたネルフLUNAで、バカみたいに笑い合うのだ。そういった日常を取り戻すのだ。

 

(待っててね、ヒカリ・・・・・・!!)

 

 

 

 

 

 そう決意を新たにした、その時だった。

 

 

 

 

 

 エントリープラグ内に、ビーッ!ビーッ!と響く警告音。

 

(敵ッ!?)

 

 アスカは即座に、カシャッと音を立ててエントリープラグ内に表示された情報を素早く読み取る。

 

(このサイズ・・・・・・まさか、AE(オルタナティブ・エヴァンゲリオン)!?)

 

 アスカは弐号機の首を僅かに持ち上げる。敵性反応は上空。しかし、アスカのいる弐号機を目指しているわけではないと情報は告げている。

 

(だとしたら厄介ね・・・加持さんたちが危ない!)

 

 敵性反応の進行速度、そして進行方向から察するに、敵はネルフユーロの施設に向けて高速で向かっているのがわかる。

 

(今、飛び出すべき!?それとも、このまま見逃して、背後から奇襲をかけるか・・・!)

 

 一瞬の逡巡の後、アスカは後者を選んだ。

 

(敵を確認しないまま飛び出すのはマズい!確認後に後ろから忍び寄って確実に落とす!!)

 

 そう決断したアスカは、慎重に、弐号機の身を静かに伏せて、その姿を夜の森の影に隠した。敵性反応は、このまま行けば必ず自分の頭上を通る。飛び出すのは敵が頭上を通り過ぎた後でいい。

 

(悪いけど、こっちも加減できないわよ!なんたってヒカリの身の安全が懸かっているんだからッ!!)

 

 アスカは弐号機のエントリープラグから夜空を睨んだ。

 

(敵性反応が通り過ぎるまで、あと5秒・・・4・・・3・・・・・・)

 

 静かに息を潜め、標的を待ち構える。

 

(2・・・・・・え!?)

 

 そのアスカを、驚愕が襲う。

 

 空を切り裂くようにキィィンッと風切音を夜に響かせた、銀色の流星。見覚えのあるフォルム。

 

 それは、アスカの駆る弐号機に酷似していて。

 

 弐号機にはない、翼を携えて。

 

 そして、異形とも取れる、4本の腕。

 

(ウソでしょッ!?)

 

 それは、アスカの駆る弐号機の姉妹機。

 

 エヴァンゲリオン、ウルトビーズであった。

 

「ヒカリッ!!」

 

 思わず叫んでしまったアスカの悲鳴を、しかし銀色の流星は拾わず。

 

 流星はそのまま夜空を駆けていった。

 

「〜〜〜ッ!ちっくしょう!!」

 

 アスカの意識が溶ける。一瞬にしてLCLと同化し、アスカとエヴァンゲリオン弐号機が融合を開始する。

 

 弐号機が夜の森に立ち上がった。その姿はみるみるうちに女性特有の曲線を帯びていき──、

 

《待って!ヒカリィッ!!》

 

 アスカエヴァ統合体となって、そのツインテールのようなアレゴリックの光の翼をバサァッと広げた。

 

 

 

 

 

つづく



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ak.黒い森の決闘

 

「おいおい・・・・・・コイツぁ・・・」

 

 黒い森を抜けた先、唐突に開けた景色の向こうに、その荘厳な建物は聳え立っていた。

 

「清涼な森の中に、心療内科などの施設を設ける事はあるが、これは・・・・・・」

 

「ああ。あまりに豪華。ついでに言えば、セキュリティのレベルも段違いだな」

 

 驚く加持の横で、剣崎キョウヤもサングラスを軽く指で抑える。事前情報として建物の在処は知ってはいても、実物を見るのは剣崎も初めてだった。

 

 そして──、

 

「そんでもって、コイツはなんの冗談だ?」

 

 巨大な施設の前で立ち尽くす二人に突き付けられているもの。

 

 それは、巨大な槍の穂先であった。

 

「俺たちは、君たちの家族を助けに来たつもりだったんだがね?」

 

『余計なお世話や、加持さん。悪う思わんとってくれ。ワシらも必死なんや』

 

 加持と剣崎の目の前に立つのは、四つの腕を持つ異形のエヴァンゲリオン。夜の闇においても月光によって白銀に輝く、エヴァンゲリオン・ウルトビーズであった。

 

『加持さん。それに、隣の人も、本当にごめんなさい。私たち、もう本当に、引き返すことはできないの・・・・・・だからッ!!』

 

 ヒカリの悲壮極まる叫びと共に、巨大な十字槍が振り上げられる。

 

 加持は剣崎に目配せするが、剣崎は頭を振った。

 

(流石に無理、か・・・・・・)

 

 加持が作戦の失敗を覚悟した瞬間だった。

 

《ヒカリィィイイイイイイイイ!!》

 

 加持たちの遥か背後、夜の闇に、アスカエヴァ統合体の叫びが広がった。

 

『アスカ!?』

 

 ウルトビーズが視線を向けた先で、アレゴリック翼の妖精の粉のような光が煌めく。空を切り裂く轟音とともに、加持と剣崎の背後、アスカエヴァ統合体が飛来した。

 

《ヒカリ!待って!アタシたちは・・・・・・》

 

 アスカの叫びに、ウルトビーズの手が止まる。

 

『わかる・・・・・・わかってるよ。アスカ。でもね、もう手遅れなの。私たち、どうあってももう逃げられないの』

 

 錯覚、だろうか。ウルトビーズの目尻が月光を反射して薄く光った。それはまるで、エヴァが流した涙のように見えて。

 

『惣流・・・スマンなぁ。来てくれたこと、ホンマはめっちゃ嬉しいねん。ただな・・・・・・』

 

『アスカ、これを見て』

 

 ヒカリの言葉に続き、アスカへとオープンチャンネルが繋がれた。映し出された映像にはヒカリが映り込んでおり、目に涙を浮かべながら、プラグスーツの首元を晒した。

 

 そこにあったのは、黒地に赤い紋様の入った、首輪だった。

 

《な、何よ・・・・・・それ》

 

 嫌な想像がアスカの脳裏に過ぎる。そして、その想像は当たっていた。

 

『これ、DSSチョーカーって言うんだって』

 

《DSSチョーカー・・・?》

 

『相田くんの手土産って言われたわ。ネルフJPNで開発された、処刑用の爆弾だって』

 

《・・・・・・・・・・・・は?》

 

 突然の言葉に、アスカの頭の中が真っ白になる。そんな爆弾が、自分の家だと思っていたネルフJPNで開発されていた事。それを相田ケンスケが持ち出した事。そして、なによりその爆弾が、親友の首に装着されている事。

 

 それらの情報をアスカは整理できず、しかし胸にふつふつと湧いてくるのは怒りと憎悪。

 

 あまりの怒りに気付けばアスカは、エヴァ統合体としての足を振り上げて大地を蹴り飛ばしていた。

 

《加持さん、それ、ホントなの?》

 

 問われた加持は真っ直ぐにアスカを見上げる。バイザーによってアスカエヴァ統合体の目は隠されていたが、加持はその目を真っ直ぐに見つめていた。

 

「ネルフJPN、というより、俺たち防諜部が作り上げた代物なのは事実だ。・・・・・・お前たちには意図して話していなかったが、ネルフJPNも綺麗事だけじゃ済まないこともある。裏切り者の排除や、ある意味では誠実さの証として使用されていたが、実際に爆破された事はなかったはずだ。まさか相田が持ち出していたとは思わなかったが・・・」

 

《な、なんで・・・なんで教えてくれなかったのよッ!!》

 

 自分の家。そこに隠されていた暗部。家族とすら思っていたネルフJPNに隠されていたという事実が、決して小さくない衝撃をアスカに与えていた。

 

 理屈ではわかる。頭でも理解できる。だがどうしようもなく、アスカは『裏切られた』と思ってしまったのだ。その感情だけは、納得できようがない。

 

 そして、その首輪が、今まさに親友とその夫の首に掛けられている。それがどうしようもなく、アスカから理性を失わせていた。

 

《・・・・・・ヒカリ》

 

 地の底から這い上がるような、底冷えするようなアスカの声。

 

《だいじょうぶ。だいじょうぶよ。そんな首輪、アタシがなんとかして外して──》

 

『私たちが受けた命令は、『今この場であなた達を殺す事』。できなければ、すぐにこの首輪は爆破されるわ』

 

《───ッ!!》

 

 アスカの怒りは霧散する。その代わりに去来したのは、絶望感。どうしようもなく、今この場で、親友と殺し合わなければならない運命に対して、アスカはなす術を持たなかった。

 

『惣流。この会話も聞かれとる。もうこれ以上の問答は無用や。ワシらだけやない。ワシらの家族も、下手したら殺される。ホンマ、ごっつう腹立つが!スマン!ここで加持さん共々、死んでくれや・・・・・・!』

 

 トウジの苦痛に塗れた悲鳴。それと共に、ウルトビーズが槍を構え直した瞬間だった。

 

 

 

 

 

「アスカ!今から全力で施設を攻撃しろ!手加減抜きで、だ!!」

 

 

 

 

 

『『《・・・・・・・・・は?》』』

 

 アスカ、ヒカリ、トウジの声が重なる。加持の言っている意味が、まるでわからない。アスカ達はヒカリ達の家族を助けるために来たのだし、それはヒカリ達も知った上での妨害行動であった。

 

 その前提を叩き壊す、加持の意図がわからない。

 

「早くしろ!!時間が無い!でなきゃ全員死ぬぞ!!」

 

《で、でも加持さん!?》

 

『させへんでッ!!』

 

 狼狽するアスカにウルトビーズが槍を突き出した。それをすんでのところでアスカは躱す。

 

『アスカ!ごめんなさい!』

 

《なによ、なんなのよ!?加持さん!アタシにヒカリ達の家族を殺せってぇの!?》

 

「お前が施設を全力で攻撃すれば、ウルトビーズは守りに入るしかなくなる!両肩の『天使の背骨』は使えないはずだ!撃てば周辺が吹っ飛ぶからな!全力で、ウルトビーズに施設を守らせるんだ!その間に俺たちがなんとかする!!」

 

《!!!》

 

 加持の意図を汲んだ瞬間、アスカはアレゴリックの翼を広げて高く飛翔した。夜空に浮かぶ月を背後に、アスカエヴァ統合体の両腕から『ゼルエルの腕』が伸びる!

 

『まさか、正気なんか!?』

『アスカやめて!?』

 

 二人の悲鳴を無視し、アスカは鞭のように『ゼルエルの腕』をしならせて施設へと襲い掛かった。

 

『こんちくしょーがッ!!』

 

 ウルトビーズも腰のアレゴリックユニットを使って素早く飛翔すると、持っていた槍を振るって『ゼルエルの腕』を弾き飛ばしていく!

 

『アスカぁぁああああああ!!』

 

 憎悪の籠ったヒカリの叫びが、夜空に木霊した。

 

「今だ!行くぞ、剣崎!!」

「くそ!相変わらず無茶苦茶なヤツだ!」

 

 加持と剣崎が、施設の閉じられた門を飛び越える。途端、施設全体に空を割らんばかりの警報が鳴り響いた。

 

「こっからはお前の『能力』がカギだ!期待してるぞ、剣崎!」

「ここまでの強行手段は想定してない!フォローをサボったら俺がお前を撃ち殺すぞ!?」

 

 施設上空では月を背景に二体のエヴァが剣舞を舞い、地上では警備兵が蟻の巣を突いたようにワラワラと飛び出してくる。

 

 これは賭けだ。ヒカリとトウジの作戦行動の穴を突いた、成功率の低い賭け。もし彼らの会話をネルフユーロのジル司令が今この瞬間も聞いているのなら、ヒカリとトウジが作戦に手を抜いた瞬間に彼らの首は吹っ飛ぶ。

 

 だが仮に、もしも手を抜く余裕もないくらいの猛攻を仕掛けられたら?ウルトビーズが全力で施設を守らないといけないような状態に陥ったならば?

 

 ジル自身も迷うはずだ。彼らとしても簡単にウルトビーズは失いたく無いはずで、仮にヒカリとトウジを殺したとしても、その瞬間にヒカリ達の家族は、アスカエヴァ統合体と加持たちが救出するだろう。その人質に価値が無い、とジルが判断すればお終いだが、少しでも価値があるとジルが判断したならば。

 

 一縷の希望ではあるが、少なくともヒカリ達の家族を救う事はできるはずだ。

 

 ただし、この作戦の穴は、人質を奪われた瞬間にトウジとヒカリが殺される可能性があるという点だ。ウルトビーズのパイロットがヒカリ達しかいないのならば易々と殺される事はないだろう。だが実際には彼らの首には爆弾が取り付けられており、ジル司令の性格からすれば、それは決して脅しで付けたものではないと考えられる。

 

 だが、そこまでの解決策を考えていている時間は無い。ここからは先は全て、速さが物を言う。だからこその賭け。

 

 ヒカリとトウジの命を風前の灯火としながらも、奇跡が起こる事を期待した、穴だらけの賭けだった。

 

 

 

──────

 

 

 

「ど〜思うネ?真希波・マリ・イラストリアス博士ェ〜?」

 

 シュバルツバルトに向かうVTOLの中で、ネルフユーロのジル司令は気怠げにマリに語り掛けた。

 

 その猫撫で声に顔を顰めつつ、マリはぶっきらぼうに答える。

 

「どう、とは?どういう事かにゃ?」

 

「いや、さっきから彼らの会話。ああ、鈴原夫妻ネ。その会話を聞いてるんだけどサァ、まどろっこしくて面倒くさくなってきたんだヨネ」

 

「・・・・・・だから?」

 

「もうサ、ポチっとやっちゃおうかなぁって」

 

 ジルはポケットからスティック型の起爆装置を取り出して、それを押すフリをする。それを見たマリは流石に大きくため息を吐いた。

 

「いくらなんでも短絡的に過ぎるにゃあ。ジル司令にしては大局が見えてなさすぎじゃない?」

 

「そ〜お?ぶっちゃけ、鈴原夫妻の代わりはいるんだヨ。ウルトビーズに乗れる人材は用意してある。そーするとだよ?彼らに言う事を聞かせるために取っていた人質家族にも、あんまり価値は無いんじゃないカナァ〜って思えてきちゃってネェ」

 

「代わりなだけで、即戦力にはならないんでしょ?今ウルトビーズが動かせなくなったら、相田ケンスケ問題はどうするのかな?ケンスケ君がシェムハザで反旗を翻したら、それに対抗するのはオルタナティブ・エヴァンゲリオンだけになるよ?それで勝てる?」

 

「・・・・・・無理だ、ネ」

 

「でしょ?シェムハザ一機ならまだしも、彼はいまや「使徒製造機」なわけで。ATフィールド持ちの使徒の軍団に、エヴァ無しでやり合うのは無理があるんじゃないかにゃ?」

 

 マリの正論に、今度はジルが顔を顰めた。頭ではわかっている。だがこの数時間で起きた、様々な計算外。ケンスケの起こした『メモリアル・インパクト』の与えた衝撃に加え、日本で暴れ回っていたエヴァンゲリオン最終号機を囮としたネルフLUNAのユーロカチコミ作戦。どーにもジルの計算外が起きすぎている。それが無性にジルを苛立たせていた。

 

「真希波博士〜。一発ヤラしてくれない?イライラしてしょーがないンダ」

 

「絶対ゴメンだね。しかもここ機内じゃん。寂しく端っこのほうで一人でやってなよ」

 

「つれないナァ。昨日は燃え上がったじゃない?」

 

「私は生きるために腰振っただけ〜。あの時はジル司令に殺されたくなかったからね」

 

「じゃあもう一回くらい・・・」

 

「今はこっちにも銃がある事をお忘れなく〜」

 

C'est dommage(残念)・・・」

 

 軽く舌打ちを打ちながら、ジルは機内から窓の外を眺めた。外に見えるのは漆黒の闇ばかり。なんとも詰まらない風景であった。

 

 イライラする。無性に。確実に。まるで自分が、気付かないうちに糸に絡み取られているような感覚。思うように動くことができず、そのままの流れでどこかへと連れていかれるような、なんとも言い難い不快感。わかっていながら今の自分にはどうしようもない状況が、さらにジルの精神を追い詰める。

 

 明らかにイライラしているジルを横目に、マリは口を手で隠しながら、薄く笑みを浮かべていた。

 

 

──────

 

 

 剣が舞う。槍が弾く。火花が夜空を彩る。まるで線香花火のように。

 

 アスカは腕から生えた『ゼルエルの腕』を固定し、二刀の剣として振るう。その猛撃を、ウルトビーズは見事な槍捌きで弾き飛ばしていく。

 

 すでに二体のエヴァの中では数十合の刃のせめぎ合いが繰り広げられていた。

 

 隙を見て地上に突撃しようと仕掛けるアスカに対し、ウルトビーズは防戦一方だった。

 

『このままじゃ埒がアカン!ヒカリ!撃つで!』

 

『ダメよトウジ!もし仮に施設に当たりでもしたら・・・』

 

 その時は、施設は跡形も無く吹き飛ぶだろう。

 

 だがそれでも、自身の間合いでゴリゴリと攻めてくるアスカに対し、長物の槍は分が悪い。なんとか自分の間合いの内側にアスカが入ってこないよう、防ぐのが精一杯だった。

 

 アスカがそれを見て、さらに高度を上げるべく飛翔した。高度を得たアスカエヴァ統合体が、重力を上乗せして加速し、ウルトビーズに襲いかかる。

 

 それこそが、ヒカリとトウジの待ち望んだ瞬間であった。

 

『今よ!トウジ!』

『食らえやぁ!!』

 

 両肩から伸びた腕、その先端に取り付けられた2砲の『天使の背骨』が上空に向かって火を吹いた。打ち上げられた二条の赤い流星が、夜空を切り裂いて駆け上っていく。

 

 それをアスカエヴァ統合体は、重量加速をそのままに、大きく迂回して躱した。

 

『んなッ!?』

 

 トウジの驚愕の声を無視し、アスカエヴァ統合体はウルトビーズの脇をすり抜ける。眼下には守るべき家族の収容される施設が──、

 

『させないッッ!!』

 

 ヒカリの怒号と共に、ウルトビーズの槍が背後からアスカを襲う。アスカはその身を捩り、ゼルエルの腕でどうにかそれを受け止めた。

 

《ゔ、ぐう・・・!》

 

『アスカ!許さない!アスカがそこまで私たちを、家族を殺したいっていうなら!今この場で私があなたを殺す!!』

 

《良い気迫ね、ヒカリ・・・・・・!でもね、アタシこそ、ヒカリを殺す覚悟はあったのよ!》

 

 二刀の刃が受け止めていた槍を捌き、突進してきたウルトビーズの腹を突かんと差し迫る。それをウルトビーズは咄嗟の判断で身を捩って回避した。ゼルエルの腕がウルトビーズの装甲を削り、火花を散らしながら二体のエヴァが空中で激突する。

 

『ううああああああ!!アスカッ!!』

 

『ヒカリィィイイイイイ!!』

 

 アスカエヴァ統合体がゼルエルの腕を仕舞い、至近距離から放たれた掌底がウルトビーズの顎をカチ上げる。

 

『うおっ!?』

『く・・・、あ?』

 

 シンクロシステムにより、顎に与えられた衝撃がヒカリとトウジの脳を揺らした。ウルトビーズの体から力が抜ける。

 

《うぉぉおおりゃあああああああッ!!》

 

 アスカはウルトビーズの腰を抱き抱えると、そのまま空中で回転し、ウルトビーズの巨体を漆黒の森に向けて放り投げた。

 

 脳に受けた衝撃に加えて、投げ飛ばされたことにより距離が開けた二体のエヴァ。

 

(これで時間を稼げる!今のうちに、加持さん達を援護しながら人質の救出を・・・・・・)

 

『ずあああああああああああああッッ!!』

 

 一瞬の隙をついて作戦を組み立てたアスカの背後から、鬼のような気迫と共にウルトビーズが槍を構えて迫る。

 

(そんな!嘘でしょ!?思いっきり脳を揺らしてんのよ!?)

 

《復帰が早すぎる!ヒカリ!あんた・・・》

 

『家族を!私たちを!易々と殺させてたまるかぁーーーッ!!』

 

 この戦闘に入ってから、初めての攻勢。殺意の乗った一撃が、アスカに迫る。

 

《くっ!!》

 

 アスカは咄嗟に迫る槍を蹴り上げた。胸を狙っていた槍の軌道が大きくズレる。槍はアスカエヴァ統合体の頬を薄く切り裂き、再び二体のエヴァが激突した。

 

『ああああああああああああああ・・・!!』

『舐めんや、ないでぇぇえええええ!!』

 

 激突の勢いを利用し、ウルトビーズが自分諸共に施設を飛び越して、黒い森に突っ込んでいく。

 

 スドォォオオンッ!という轟音と共に、二体のエヴァが森に墜落した。

 

 

 

 

 

 

 施設内ではすでに戦端が開かれており、夥しい数の銃弾が飛び交っていた。

 

 その銃撃の嵐の中を、加持と剣崎は突き進む。

 

「私兵の数は、ざっと100ってところか?」

 

「恐らくな。表向きは医療用施設だ。駐屯人数にも限りがあるんだろう」

 

 すでに施設内に侵入した二人は、銃弾の雨を潜り抜けず、悠然と廊下を突き進んでいた。

 

 剣崎の能力。人の身のまま『使徒』の肉体を移植され、宿った力。

 

 ATフィールドが、彼ら二人を守っていた。

 

 絶対領域であるATフィールドを貫通する銃弾は存在しない。故に加持は手にした拳銃で、ノコノコと廊下の角から顔を出してきた雑魚の頭を正確に撃ち抜いていく。

 

「全部をやる必要はないよな?」

 

「当然だ。それでは時間がかかり過ぎる。加持は出てきた敵だけ仕留めていればいい」

 

「オーケィ。だがな。このあと人質を救出したとして、それからどうする?洞木ヒカリと鈴原トウジのDSSチョーカーは俺ならなんとかできるが、その前にスイッチを押されちまったらひとたまりも無い」

 

「それについては『彼女』に期待するしかない」

 

「お前の言っていた内通者、か」

 

「ああ。恐らく彼女ここに現れるはずだ。その時こそ──、」

 

 剣崎と加持が、施設最奥の部屋の前に辿り着く。

 

「状況が動くぞ。覚悟しろ。加持」

 

 

 

 

 

つづく



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al.誤算

 

 ネルフユーロの収容施設。精神病院を装ったその建物の最奥で、加持リョウジと剣崎キョウヤはとうとう目的の部屋に辿り着いた。

 

「き、君たちは・・・?」

 

 鉄格子を嵌められた牢獄の向こうに、初老の男性二人と幼い少女が二人。

 

 鈴原トウジと洞木ヒカリの家族で間違いなかった。

 

「ああ、悪いが説明している時間はない。鈴原さん、それと洞木さんで間違いないか?」

 

 加持は背中を剣崎に任せ、牢獄の向こうの人物の誰彼を確認した。初老の男性2人は驚いたように目を見開くと、うんうんと首を縦に振る。

 

「オーケィ。俺たちはネルフLUNA。自己紹介は省かせてもらうが、アンタらをここから助け出しに来た。事態は一刻を争うので質問は受け付けられない。わかったら鉄格子から離れてくれ」

 

「加持、増援だ。急げよ」

 

「あ、アンタら!儂らを助けてくれるのはありがたいが、トウジ君たちは・・・!!」

 

「ッ!?全員伏せろ!!」

 

 初老の男性の1人、おそらく洞木ヒカリの父親だろう。その男性の問いかけに被すように加持は警告を発した。と同時、背後から機関銃の弾が雨霰と降り注ぐ。

 

「きゃあああああああ・・・!!」

 

 幼い2人の少女の上げる悲鳴。しかし、弾丸が彼女たちを撃ち抜く事はない。なぜなら──、

 

「ほんと、お前の『体質』は便利だよ」

 

「ほざけ。殴るぞ?」

 

 剣崎キョウヤの展開した『ATフィールド』が、全ての弾丸を拒絶したからだ。

 

 剣崎キョウヤ。彼は存在そのものが旧ネルフの暗部。その正体は体内に使徒の細胞を埋め込まれた、ネルフの実験体であった。

 

 多くの被験者が強烈な拒絶反応を引き起こして死に絶える中、幸か不幸か、剣崎は生き残った。その結果として剣崎は、使徒と同じ能力であるATフィールドの具現化を可能とする力を宿していたのだ。

 

「お嬢ちゃんたちには刺激が強すぎる。悪いがお父さん達と一緒に少し下がってくれるかい?鍵は今から壊すからな」

 

 言うや否や、加持は鉄格子の扉に架けられた錠前に向けて発砲した。

 

 一発。二発と銃弾が叩き込まれた時点で、錠前は完全に破壊された。その向こうでは、少女たちの父親が我が娘を背中に回して庇っている。

 

 加持は鉄格子の扉を思い切り蹴飛ばして開け放った。

 

「さあ、すぐに出てください。ここから先は俺の後ろから着いてきて。絶対に、俺より前に出ないようにお願いします」

 

 加持は素早く指示を飛ばすと、背後で銃撃戦を繰り広げる剣崎に加勢した。本来ならば多勢に無勢。しかし無敵のATフィールドを有する人間がいるのなら、たった2人の戦力であろうと事足りる。

 

 加持と剣崎はあっという間に追手を殲滅すると、背後の人物たちに振り返った。

 

「大丈夫。ここから先、俺たちがあなた方を守りますよ」

 

 加持の浮かべたニヒルな笑みに、しかし、幼い娘を庇いながら、鈴原トウジの父親は声を荒げた。

 

「待ってくれや!あんちゃん、うちらの息子はどないなったんや!?アイツら、無事なんか!?」

 

 その問いに、今は答える余裕はない。だから簡潔に、加持は答えた。

 

「今はまだ・・・・・・ですが、彼らは我々のエージェントが必ず救います・・・!」

 

 そう言いながら、加持は手元の端末に映し出された情報を、現在戦闘中であるアスカエヴァ統合体に送る。

 

「頼むから、キレてご破産、なんてマネはしてくれるなよ?アスカ・・・!」

 

 

 

 

『ぜぃやあああああああああ・・・・・・!』

 

 墜落したウルトビーズが黒い森から立ち上がると同時、長物の十字槍を逆袈裟に振るった。対峙するアスカエヴァ統合体はそれを、硬質化させた『ゼルエルの腕』でもって受け流す。

 

 その『ゼルエルの腕』を返す刀とし、アスカはウルトビーズに斬りかかった。その刃を、槍の柄で受け止めるウルトビーズ。

 

『こなくそッ!──ッ!?』

 

《どぉりゃああああああああああああ!!》

 

 アスカはウルトビーズの槍の柄を思い切り蹴り飛ばした。大きくのけ反るウルトビーズ。その隙を逃さず、アスカは距離を詰める。

 

『舐ぁめるなぁぁああああ!!』

 

 それを洞木ヒカリは怨嗟の声を放ちながら、ウルトビーズの4本の腕のうちの二つ、『天使の背骨』でもって迎撃する。

 

 最高火力を誇るエヴァの兵装。そのゼロ距離射撃!

 

《!!?》

 

 アスカは咄嗟に身を翻しながら回避行動に移った。しかし、警戒した砲撃は来ない。

 

《フェイント!?》

 

『もろたで!惣流!』

 

 空中でムーンサルトを描きながら回避行動に移っていたアスカエヴァ統合体に、十字槍が繰り出される。宙を舞っていたアスカの背中に槍が迫るのと同時、ウルトビーズの二つの『天使の背骨』も充填を開始する。

 

(マズい!避けられない・・・!)

 

 アスカはこの時点で、回避行動を諦めた。槍はすでにアスカエヴァ統合体へと迫っている。仮に槍の一撃を躱したとして、後から来る砲撃を避ける事は叶わない。

 

《ならッ!!》

 

 アスカは咄嗟に両手を地面についた。逆立ちの要領で天地を逆さにしたアスカエヴァ統合体は、その見事な曲線を描く美脚を月下の元、大きく振るった。

 

 アスカの身体が地面を支点に独楽のように回転する。アスカエヴァ統合体の右足は突き出される槍を弾き飛ばし、左足は充填を開始していた『天使の背骨』を蹴り飛ばしていた。

 

『なんや!その無茶苦茶な動き!?』

 

『甘いわ、アスカ!!』

 

 体勢を崩されながらも、ウルトビーズ内のヒカリはアスカの反撃の上を行った。ウルトビーズは弾かれた勢いを利用してその場で一回転。そのまま水面蹴りを放ち、アスカエヴァ統合体の地面に着いた両手を薙ぎ払う。

 

 だがアスカはその瞬間、アレゴリックの翼を展開して空中に留まり、そのまま独楽のように回転して勢いを増していった。

 

《はぁああああああああああ・・・!!》

 

 そこから繰り出されるのは連続蹴り。その予想外の攻撃に、ウルトビーズは大きく弾き飛ばされた。

 

『ぐあっ!?』

『きゃあ!?』

 

 弾き飛ばされたウルトビーズを他所に、体勢を整えたアスカはアレゴリックの翼を展開し、再び夜空へと舞い上がっていく。

 

《はぁ、はぁ、くそ!やりづらいわね!》

 

 悪態を吐くアスカは、ウルトビーズの背後に聳え立つ収容施設をその視界に収める。サイレンと警報ランプの灯りが暗闇を照らし出しており、その騒動の程が窺い知れる。

 

《加持さんたち、うまくやってるんでしょーね!?》

 

 その疑問を口にした瞬間、アスカの脳裏に加持からの通信が入ったのが確認できた。不思議な感覚だが、脳内に届いたメールを開いて読み上げるような感覚。そのメールの文面を確認した途端、アスカの顔は思いっきり顰められた。

 

《ちょ・・・ッ!?正気!?イカれてるわ!》

 

 吐き気を催すほどの気色悪さ。その内容は、普段のアスカであれば絶対に許容できないものであっただろう。

 

 だが、この切羽詰まった状況を、これ程までに簡単な方法で打開できるとなれば、アスカとしても無視はできない。たとえそれが、アスカのプライドをどれだけ傷付けるものであったとしても。

 

《く・・・・・・》

 

 アスカの一瞬の逡巡。その時だった。

 

《・・・ッ!?なに、あれ・・・・・・?まさか!》

 

 それは収容施設に舞い降りる、漆黒に塗りつぶされたVTOL。

 

《あれって、まさか!?》

 

 ネルフユーロ総司令、ジル・ド・レェを乗せた輸送機であった。

 

『あー!あー!Bonne soirée(こんばんわ)!ネルフLUNAの惣流・アスカ・ラングレー!及び加持リョウジ!いるよね?』

 

 拡声器でもって発せられる軽薄な声。それは紛れもなく、ネルフユーロの総司令ジルの声だった。

 

『残ぁ〜念!!ゲームオーバーだ!まさかネルフLUNAからわざわざこんな辺鄙な場所までやってくるとは流石に予想してなかったヨ!でも僕が来たからにはゲームは終わりダ。意味はわかっているかなぁ?』

 

 収容施設の中庭に降り立ったVTOLから、長身痩躯の男が拡声器を手に降りてくる。その後ろからはメガネをかけたロングヘアーの白衣を着た女性がゆっくりと後を付いて降りてきた。

 

『君たちの作戦は見事だった!てユーか、見事だよ!よくぞ僕がひた隠しにしていた施設を見つけ出して、鈴原夫妻のファミリーを助け出せたヨネ!でもさぁ・・・』

 

 長身痩躯の男性、ジルはポケットからスティック状の装置を取り出す。

 

『これ、わかるデショ?鈴原夫妻の首に架けられたDSSチョーカーのスイッチだよー!これ以上暴れるんなら、このスイッチ、ポチッといっちゃうから!』

 

《!!》

 

 それを視界に収め、アスカエヴァ統合体は唇を噛み締めた。

 

 アスカの遥か眼下でヨロヨロと立ち上がったウルトビーズは、信じられないものでも見るように収容施設のジルに視線を向ける。

 

『な、待ってくれや!待たんかい!』

『お願い!やめて!』

 

 トウジとヒカリが同時に悲鳴を発した。それを聞いたジルはうっとりとした笑みを浮かべる。

 

『んふふ〜♪いい声だねぇ。そんな声で鳴かれると、ヤリたくなっちゃうなぁ〜』

 

 ジルはその手にしたスイッチをブラブラと弄びながら、その嫌らしい視線をアスカエヴァ統合体に向けた。

 

『ねぇ・・・どうする?君の行動次第なんだけど?このまま投降するなら鈴原夫妻は無事に済むヨ?逆に君がこの2人をどーでもいいってユーなら、今この場であの2人の頭を吹っ飛ばすんだけど、どっちがい〜い?あ、その場合は鈴原夫妻の家族は連れて行っていーよ?興味ないからね』

 

 ジルはその身をくねくねと捩らせながら、アスカに問いかける。

 

 アスカにとって、その選択は容易なものだった。何を選ぶかなど問われるまでもない。

 

 物事は単純だ。ただ、先ほど加持から送られたメールの内容。それを受け入れるか否か、それだけなのだから。

 

《く、うぅ・・・・・・》

 

『あっはははははははは!悩んでるネェ!エヴァと融合できる人間でも、こんな詰まらないことで悩むんだネェ!?』

 

 アスカの視線はジルと、アスカの脳内に浮かんだメールの文章を行き来していた。

 

 簡単なのだ、この状況を打破するのは。アスカがつまらないプライドを捨てれば、この場は簡単に切り抜けられる。

 

 だが、その『プライドを捨てる』という行為そのものが、アスカにとってはあり得ない選択なのだ。本来だったなら死んでも選ばない選択肢であったであろう。

 

 友達の命を救える唯一の手段。それが、アスカにとっては重い。重すぎる。自分の最も愛する人間を裏切るに等しい行為だと、アスカは胸のうちで悪態をついていた。

 

『さあ!ドースル!?さぁ、さぁ、さあ!?』

 

 ジルが決断をアスカに迫った時だった。

 

『アスカ』

 

 アスカの耳元に響いたのは、かつて最も信頼していた男の声。

 

『下らないプライドは捨てろ。そんな事で、揺らぐものじゃあないだろう?』

 

 加持リョウジの声が響いていた。

 

『おや?オヤオヤオヤぁ?』

 

 ジルの視線が、収容施設の入り口に注がれる。その向こうにいたのは、鈴原トウジと洞木ヒカリの家族を連れ出し、拳銃を構えた加持と剣崎の姿。

 

『ふは!まさかホントに君らまで来てるとはネ!ネルフLUNAの防諜部のトップがここまで来るとは!』

 

 加持は携帯端末を耳に当てながら、後ろの人質たちを庇うように立つ。

 

「アスカ。下らない事で大局を見誤るなよ?言葉だけだ、そんなもの。女は嘘を付いてこそ、磨かれるってもんさ」

 

『んんんん?何を言ってるのかワカラナイんだけども?』

 

「アスカ。プライドを捨てろ。それだけでこの場の全員が助かる。わかるだろ?」

 

 加持の呼びかけ。それは否定を許さない力強さを伴っていて、しかし、アスカの心の迷いを断つには未だ至らない。

 

《加持、さん・・・・・・》

 

『どーすんの!?ねぇ、あと10数えるうちに僕、スイッチ押してもイイ!?どーすんノ!?』

 

『お願いアスカ!私たちを殺さないで!』

『惣流!』

 

 友人の命乞い。その命を握っている憎き極悪人。そして、かつて恋をしていた男の声が、アスカの胸中をかき乱した。

 

(アタシ、は・・・・・・)

 

 アスカは、いや、アスカエヴァ統合体は、ゆっくりと黒い森へと舞い降りる。

 

 それを見たジルは、拡声器を使って収容施設に呼びかける。

 

『侵入者を始末しろ。エヴァンゲリオン統合体は投降してもらおうか。それから・・・』

 

「アスカ!!」

 

 加持の怒号とともに、アスカは覚悟を決めた。そして、たった一言を、その場で静かに発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《愛してるわ、ケンスケ》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカにとって、人生における最大の屈辱の一言。しかしそれが、この状況を打破する一言となった。

 

『・・・・・・あ?』

『え?これって・・・・・・』

 

「ふはっ♪やっぱ姫は姫だ!」

 

 アスカエヴァ統合体と対峙するウルトビーズから驚きの声が上がる。その声に被せるように真希波・マリ・イラストリアスから嬉しそうな声が上がった。

 

『は?この土壇場で、ナニ言ってんの?』

 

 しかしジルの理解は及ばない。及ぶはずがない。けれども、事態はとっくに進行していて。

 

 ウルトビーズからのオープンチャンネルが、全てを物語っていた。

 

『外れた・・・外れたで!これ!!』

『アスカ!外れた!DSSチョーカーが!』

 

 オープンチャンネルの向こう、DSSチョーカーが外れたトウジとヒカリの姿を見たアスカは、安堵のため息をついた。

 

『ハアアアアアアアアアア!!?』

 

 ジルの驚愕の声が上がる。

 

 これこそが、加持が、アスカが躊躇しながらも選んだ選択肢。

 

 アスカの声帯認証。そしてキーワードは、『アスカがケンスケに愛の言葉を囁くこと』。鈴原トウジとヒカリのDSSチョーカーは、それをパスワードとして外れる仕組みになっていたのだ。

 

 心の底から下らない。本来のアスカであったなら、シンジへの絶対の愛を誓うアスカであれば、絶対に言わないであろうセリフ。それこそが、2人のDSSチョーカーを解除する鍵。

 

 アスカにとってはこれ以上の屈辱はなかっただろう。だが屈辱を乗り越えた瞬間、状況は一変した。

 

『ふざけるんじゃないヨぉぉおおおお!?』

 

 ジルの叫びは虚しく響く。なぜならば──、

 

『うあ!?う、ウルトビーズ・・・・・・』

 

『よぉもやってくれたなぁ、ジブン!!』

 

『私たちの家族、返してもらうわよ!』

 

 ネルフユーロの機体であるはずのウルトビーズ。それの持つ十字槍の矛先は、ジルに向いていたのだから。

 

「よく言ったアスカ!一段と女が磨かれたな!」

 

《加持さん、後で一発殴ってもいい?》

 

 アスカの震える声を無視して、加持と剣崎は人質であったトウジ達の家族と共にウルトビーズの足元へと向かう。

 

『ちょ!?ちょちょちょ!?待ってヨ!?ナニが!?ナニが起こってるノ!?』

 

「あはは〜やられたにゃあ。ジル司令。どーやら相田ケンスケに一杯食わされたみたいよん?」

 

 ジルの後ろに控えていた女性、真希波・マリ・イラストリアスが意地の悪い笑みを浮かべた。その言葉に咄嗟に振り返ったジル司令の顔には、驚きと屈辱とが滲み出ていた。

 

「な、ななななな、なぁ!?」

 

「まぁ正直?あんの若造がやりそうな事ではあったんだよねぇ〜。あの子、最初っからジル司令の裏をかいて全部自分の思い通りにしようと画策してたんじゃないかにゃ?・・・・・・どーする?こっちは一気に手札がなくなっちゃったけど」

 

「〜〜〜!!ふざけるんじゃあないヨ!!」

 

 そう叫ぶと、ジル司令は手にしたスティック状のスイッチを地面に投げ付けて、渾身の力を込めて踏み潰した。これで、トウジ達にかけられていた呪縛は完全に解かれたと言っていいだろう。

 

 そんなジルを横目に、加持は人質たちをウルトビーズの下へと連れ立っていく。

 

『お父さん!ノゾミ!』

 

 ウルトビーズの中にいたヒカリが自分の家族の名を呼びながら、跪いて走ってくる家族を向かい入れる。

 

「ヒカリ、無事か!?無事なんだな!?」

 

「おねぇちゃん!!」

 

 ヒカリの父親と妹のノゾミが、差し伸べられたウルトビーズの手にしがみ付く。

 

 その後ろからトウジの家族達もそれに続いた。

 

「さってと、ジル司令?お前さんの暗躍もここまでだ。ここで始末してやってもいいが、これ以上この場で暴れるのは得策とは思えないんでね。俺たちはここから去るが、見逃してもらえると嬉しいね」

 

「ぐ、ぐぐぐぐぅ、この黄色い猿がぁ!!」

 

 加持の挑発を受けたジルは、情けないほどに狼狽えていた。その様子を変えぬまま、ジルは収容施設の中へと駆け込んでいく。それを追うように、白衣のマリもそれに続いた。

 

 その様子を下らない虫ケラでも見るような目線でもって見送ったアスカは、ため息を吐きながらしゃがみ込んだ。

 

《はぁ、加持さん。こんな裏技があったんなら作戦前に一言欲しかったわ》

 

「悪いな。まあ、正直お前に言うかどうか最後の最後まで悩んだんだよ。アスカがシンジ君に義理立てするのは目に見えていたからな」

 

《だからって、土壇場で言わなくてもいいじゃん》

 

「まぁまぁ、これで一応はケリもついたんだ。あとはこの場から退散するだけ。簡単だろ?」

 

 そう言いながら、加持と剣崎はアスカエヴァ統合体の足元まで歩いてくる。それを迎え入れるように、アスカは両手をそっと地面に下ろした。

 

《なぁんか釈然としないけど、まぁいいわ。後で口を濯いで消毒はするとして・・・後はATフィールドでみんなを覆いながら、ネルフLUNAまで飛んでくだけね》

 

「そうだな。ウルトビーズのおまけ付きだ。葛城も文句は言わんだろうさ」

 

 そう笑いながら、加持は剣崎と共に差し出されたアスカエヴァ統合体の掌の上に乗った。

 

『惣流・・・正直何がなんやらさっぱりやが・・・・・・』

 

『あ、アスカ・・・・・・その、ごめ、ごめんなさい・・・!』

 

《何言ってんのよ、あんたら。アタシはあんた達を殺す気でやったわ。謝るのはむしろこっち・・・》

 

『それは!でも!』

 

《あーもうッ!ウジウジとヒカリらしくないわね!今はもう大団円の流れでしょーが!そんなのは、ネルフLUNAに戻ってからでいーでしょ!?・・・・・・着いたら、覚悟しときなさいよ?ヒカリ》

 

 そう冗談めかして笑うアスカであったが、エヴァンゲリオン統合体として目尻がバイザーに隠されていたのは幸運であったと言えるだろう。

 

 アスカの巨大な四つの瞳からは、人の大きさ程の涙が溢れていたのだから。

 

(よかった・・・・・・ヒカリを、ヒカリの家族を、アタシは殺さずに済んだ・・・・・・)

 

 アスカエヴァ統合体はその両手に加持と剣崎を、ウルトビーズは鈴原と洞木一家を、それぞれ乗せて、夜空の果て、ネルフLUNAへと飛び立とうとした瞬間であった。

 

 

 

 

 

『惣流・アスカ・ラングレー!!』

 

 

 

 

 

 ジル司令の怒声が、夜空に木霊した。

 

《あん?何よ、あのウジ虫。病院の屋上で何し、て・・・・・・》

 

 ジルへの侮辱の言葉をアスカが口にしようとした時だった。アスカの目に、信じられないものが飛び込んで来たのは──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《・・・・・・・・・・・・ママ?》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 収容施設の屋上で、ジルの引く車椅子に乗せられた、惣流・キョウコ・ツェッペリンの姿があった。

 

 

 

 

 

つづく



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