SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence- (ペンローズ)
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memory-01 「アサシンの行方」



『この作品は異なる宗教、人種、信条を持つ人たちによって製作されたゲームと故ヤマグチノボル氏が執筆されたライトノベルを元に製作されました 』


ANIMUS -The future is retro-

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1478年

フィレンツェ共和国

 

 

「あそこだ! 追え! 捕まえるんだ!」

 

 兵士たちの怒号が鳴り響く中、夜のフィレンツェを一つの影が駆け抜ける。

目深に被ったフードに、白のローブ、左肩に質素なマントを纏った青年は、

慄く群衆をかき分け、道に積まれた酒樽を足場にし、壁から突き出た木の棒に飛び移る、

壁を伝い、窓に手をかけ、一気に屋根の上まで駆け上がる。

 

 登り終えた青年がちらと下を覗き込む、追ってきていた兵士たちが必死に壁を伝いよじ登ってくるのが見えた。

このまま逃げれば余裕をもって彼らをまくことができる、そう考え踵を返そうとした、その時、彼の足もとに深々と矢が刺さる。

はっと顔をあげると、屋根の上を警邏していた番兵が、弓を構え彼に狙いを定めていた。

青年は小さく舌打ちすると、急ぎ踵を返し屋根の上を駆けた。

 

「追い詰めたぞアサシンめ! これで貴様も終わりだな!」

 

 やがて、街の中でもひときわ高い屋根の上まで彼を追い詰めた番兵たちは、剣を抜き放ち、にじり寄る。

アサシンと呼ばれた青年は、フードの中で薄く笑うと、彼もまた腰に差した剣を抜き放つ。

それが合図となったのか、取り囲んでいた番兵たちが、青年に襲い掛かった。

 

 くぐもった断末魔とともに、一人の番兵が糸が切れた人形のように力なく崩れ落ちる。

これで何人目だろうか? 剣についた血を振り払い、周囲を確認する、向こうは士気は下がってきているとはいえ、まだまだいる。

 

「まったく……男にモテたってうれしくないんだけどな……」

 

 苦笑しながらそう呟いていると、今まで怯んでいた兵士の一人が持っていた戦鎚を振りかぶり、雄たけびとともに突っ込んできた。

不意を突かれた彼は、かろうじて剣で受け流したものの、威力負けし、剣をとりこぼしてしまった。

屋根の上を転げ落ち、地面へと剣が落下していく。

だが、彼はすぐさま空いた左手を突き出し、兵士の首をつかむ。

手甲に収納された刺突用の特殊なブレードが勢いよく飛び出し、兵士の喉元を深々と貫いた。

アサシンブレード、彼らアサシンの切り札にして、象徴とも呼べる武器である。

そのまま払いのけるように死体を投げ捨てる、剣を無くした分、さらに不利になった。

 

「さて、どうしたものかな」

 

 小さくつぶやきながら、アサシンブレードを構え、策を考える。

……どこからか讃美歌が聴こえる。

こんな時に……どこからだ? そう考えあたりを見回し、気づく。

何のことはない、それは自分の足もとから聴こえてくるのだ。

そして彼は、今自分がどこにいるのか理解した。

 

「……どうやら俺は散々バチあたりなことをやってたらしいな」

 

 彼が追い詰められた場所はフィレンツェ最古の大聖堂、サンタ・マリア・ノヴェッラの屋根の上だったのだ。

自分たちの足下では、今、聖歌隊が神に讃美歌をささげているのであろう。

その上で殺し合いとはなんとも皮肉な話である。

 

「なぁに、心配しなくても、すぐにお前も神様の元へ送ってやるぜ! もっとも行先は地獄かもしれんがな!」

 

 その言葉を聞いた兵士の一人が、笑いながら剣を突き付ける。

青年は観念したのか、構えを解きアサシンブレードを手甲の中に納めた。

 

「なんだ? いまさら命乞いか? いいだろういいだろう、俺様は優しいからな、今なら絞首刑か斬首刑か、好きなほうを選ばせてやるぞ」

 

 それをみた兵士が、笑いながら顎で彼を取り囲むように指示を出す、

だが青年は、ニヤリと笑うと、急に踵を返し一気に走りだした。

そして、正面のファサードまでたどり着くとあっという間に上まで登り詰めてしまった。

 

「き、貴様! 何をする気だ! 降りて来い!」

「悪いが、今のところそんな予定はないな、神様がまだ死ぬなって言うもんでね」

 

 ファサードの頂上に立った彼は、真下の兵士たちににこやかに語りかけると、聖人のように手を大きく広げる……。

 

「Adios!」

 

 青年は最後にそう言い残すと、そのまま宙へ身を放り投げた。

屋根の上の兵士たちは、急ぎ彼が飛び降りた地面を見下ろす。

そこには既に追っていたはずの青年の姿はなく、兵士たちの目に映るのは道行く人々の群れと、荷車に積まれた藁山だけだった。

.

 

 

 

           SERVANT'S CREED 0 ―Lost sequence―

 

 

 

 

「あんた誰?」

 

 その声に青年は目を覚ます、どうやら無理な着地のせいで気を失っていたようだ。

目の前には、桃色がかかったブロンドの少女が彼の顔を覗き込んでいる。

ズキズキと痛む頭を押さえ、大きく息を吸う。どうやら仰向けに倒れこんでいるらしい。

大聖堂から藁山にダイブした時の記憶がどうにもあやふやだ。

顔を上げあたりを見回す、そして唖然とした、ここはどこだ?

今まで自分はフィレンツェにいた、イタリア有数の大都市だ。

しかし周りには今さっきまでいたフィレンツェとは違い、豊かな草原がどこまでも広がっているではないか。

遠くには宮殿だろうか? 巨大な石造りの城が見える、だがその形は、かつて訪れたロマーニャやトスカーナでも見たことがない。

 

「……ここは……?」

 

 見慣れぬ景色に首をかしげ小さく呟く。

あたりには自分を取り囲むように、黒いマントをつけた少年少女たちが、物珍しげに自分のことを見ていた。

一瞬身構えようとしたが、敵意は感じない、どうやらテンプル騎士団ではないようだ。

今向けられているのは疑惑でも、敵意でもない、純粋な好奇の目だった。

 

「ちょっと聞いてるの? あんた誰よ? っていうかいい加減フード取りなさい、顔が見えないわ、貴族に対し失礼だと思わないの?」

「おっと、これは失礼」

 

 目の前の少女の声に、青年は立ち上がり、フードを取る、その下の端正な顔が露わになった。

彼はすぐに方膝をつくと胸に手を当て名乗った。

 

「初めまして、俺はアウディトーレ、エツィオ・アウディトーレと申します、以後お見知りおきを。

……よろしければお名前をお聞かせ願えますか? 可愛らしいお嬢さん?」

 

 流石は元貴族、女性の扱いには慣れているのか、エツィオはニコリとほほ笑みかけ、実に流暢な自己紹介をする。

その洗練された物腰に面食らったのか、少女は少し顔を赤らめながら答えた。

 

「え、えと、私は、ル、ルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、で、です」

「ルイズ・フランソワーズ……か、君のように気品あふれる名前だ」

 

 エツィオが促すと、少々上ずった声で少女はご丁寧にフルネームで名乗ってくれた。

改めてルイズと名乗った少女を見る、年は自分よりも2~3下、といったところだろうか?

桃色がかったブロンドの髪、透き通るような白い肌をした可愛らしい少女である。

彼女もまた周囲を取り囲んでいる人間と同じような、黒いマントに制服を身につけていた。

 

「人間だ……」

「お、おい、ルイズが貴族を召喚したらしいぞ……」

「本当だ……でも杖を持ってないよな?」

「ねぇねぇ! 彼結構いい男じゃない?」

「ミスタ・アウディトーレ、かぁ……素敵」

 

 人垣の中からそんな声が聞こえてくる。

召喚? 称賛の声はともかく意味がわからない。

とりあえず、ここがどこかだけ聞かなくては、そう思いルイズに声をかけようとする、

すると今までエツィオをじろじろと見ていたルイズは、それより先に恐る恐るといた感じで尋ねてきた。

 

「えと、あの、もしかして貴族……?」

「いや、元……かな、今はワケあってちょっと、な」

 

 その問いにエツィオは肩をすくめ少々複雑な表情で答える。

彼の家、アウディトーレ家はテンプル騎士団の陰謀により反逆の濡れ衣を着せられ、貴族の地位をはく奪された。

その時に捕えられた父と兄、そして幼い弟が処刑されたのだ。

いまやメディチ家を除くフィレンツェ貴族達の間では、アウディトーレ家は存在しない扱いとなっていた。

 

「あっ、そ、そう、なら傭兵かなにか? どこから来たの?」

 

 その答えに安堵したのか、ルイズは大きく息を吐くと、先ほどの口調にもどった。

エツィオはその質問の答えに困った。まさかアサシンです、なんて素直に答えるわけにもいかない。

 

「傭兵……まぁ、そんなところかな……それより、ルイズお嬢さん、

そのことでちょっと聞きたいことがあるんだ、ここは……フィレンツェじゃないのか? 俺はいままでそこにいたんだ」

 

 ルイズの質問を適当にはぐらかし質問する。ここがどこだかは知らないが、フィレンツェに戻らねば、まだ消さねばならない相手はたくさんいる。

そんな焦燥感があるが、下手に刺激して騒ぎを起こすわけにはいかない。

だが、彼女の口から出た言葉はエツィオの予想を大きく上回っていた。

 

「フィレンツェ? 聞いたことがないわね、どこの田舎? ここはトリステイン王国、そしてここはかの有名なトリステイン魔法学院よ」

「なんだって? フィレンツェを知らない? おいおい、冗談はやめてくれ、フィレンツェを知らないなんてさ、

それにトリステイン王国? 俺が知る限り、そんな国聞いたことない」

 

 エツィオは笑いながら肩をすくめる、彼は幼少時から銀行家として勉強をしてきたため(と言っても、勉強熱心ではなかったが……)、近隣諸国やその情勢は知っている。

しかし今までトリステイン王国、という国名は今まで一度も聞いたことがなかった。最近建国した、という話も聞かない。したとすれば街の先触れ達が騒ぎ立てるはずだ。

 

「しかも魔法だって? だとしたら君らは魔女見習いかい? ローマが黙ってないぞ、奴らは本当に冗談が通じないからな、このご時世に勇気のあるお嬢さんだ」

 

 ……それに、"魔法学院"という言葉まで出てきた、学院、ということは、魔法を学ぶための学校、ということになる。

魔法、それを使う魔女。最近ローマ教皇国がその弾圧に動いているという噂を何度か耳にした。

そんなご時世に魔法使いの学校とは、冗談にもほどがある。

だが、エツィオがそう言うと、ざわついていた広場は一転して爆笑に包まれた。

 

「ははははは! 傑作だ! メイジの貴族かと思ったら平民出か! しかも元、だ!」

「国名すら知らないとか、どこの田舎者を召喚したんだよゼロ!」

「ゼロはやっぱりゼロね! ルイズ!」

「そんなぁ……ミスタ・アウディトーレ……メイジじゃないの……?」

 

 何が起こったのか全く事情が呑み込めない、何かまずいことでも言ってしまったのだろうか?

戸惑いながら見回していたエツィオは再びルイズへと視線を落とす。

見れば、怒りでわなわなと肩を震わせている、そして勢いよく地面を踏みならすと、顔を真っ赤にして一気にまくしたてた。

 

「さっきから聞いてれば! あんた本当にどこの田舎者よ! それに私たちは魔女なんかじゃないわ! メイジよ! メイジの貴族!

しかもトリステインも魔法学院も知らないなんて! あんた本当に元貴族なの!? 実は平民じゃないの!?」

「なっ、なにを怒ってるんだ一体? わ、わかったわかった、君はメイジだ、それでいいだろ? だから落ち着けって、きれいな顔が台無しだ」 

 

 怒り出したルイズを必死になだめる、何なんだ? もしかして本気で言っていたのか?

周囲の反応もそうだ、まるで自分がなにも知らない者のような扱いだ。

 

「ミスタ・コルベール!」

 

 耐えかねたようにルイズが怒鳴る。すると人垣が割れ、中年の男が現れた。

彼もまた大きな杖を持ち、黒のローブに身を包んでいる。

ようやく話のわかりそうな人物が出てきた、そう考え、その男に話しかけようとする。

 

「やぁ、どうも、シニョーレ――」

「あんたはいいの! ちょっと黙ってて!」

 

 ところが、それよりも早くルイズがエツィオを押しのけ、コルベールと呼ばれた男に食ってかかって行った。

仕方ないとばかりに肩をすくめ、成り行きを見守ることにする。下手に動いて、騒ぎになるよりはマシだ。

聞きたいことは山ほどあるが……あとであの男にでも聞けばいい。

 

「なんだね? ミス・ヴァリエール」

「あの! もう一回召喚させてください!」

「それはダメだ、ミス・ヴァリエール」

「どうしてですか!」

「決まりだよ。二年生に進級する際、君達は『使い魔』を召喚する。今、やっている通りだ

それにより現れた『使い魔』で、今後の属性を固定し、それにより専門課程へと進むんだ。

一度呼び出した『使い魔』は変更する事は出来ない。何故なら、春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。

好むと好まざるに関わらず、彼を使い魔とするしかない」

「でも! 元貴族とは言えこんな……いえ! こんな胡散臭い平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」

「おいおい、そうはっきり言われるとグサっとくるね」

「あんたは黙ってて!」

 

 エツィオはおどけるように胸に手を当てる、すると再び周りがどっと笑う。

ルイズはエツィオと人垣を睨みつける、それでも笑いは止まらない。

 

「これは伝統なんだ、ミス・ヴァリエール、例外は認められない、彼はその……ただの平民かもしれないが、

呼び出された以上、君の『使い魔』だ、古今東西、人を使い魔にした例はないが、儀式のルールは万事に優先される。

彼には君の使い魔になってもらわなくては、さぁ、早く契約を済ませてしまいなさい」

「そんな……えーと……彼とですか?」

 

 ルイズは至極残念そうな表情でもう一度エツィオを見る。

 

「そうだ。早くしなさい。次の授業が始まってしまうじゃないか。君は召喚にどれだけ時間をかけたと思っているんだね。

何回も何回も失敗して、ようやく呼び出せたんだ。早く契約しなさい」

「失礼、シニョーレ、契約とはなんだ?」

「使い魔契約です、すぐに済みますよ」

 

 不穏な空気にエツィオが一歩前に出てコルベールに訪ねるも、その一言だけで済まされてしまう。

なんだか訳のわからないことに巻き込まれてしまった。魔法? メイジ? トリステイン? 使い魔? 契約?

話が理解の範疇を大きく超えている、どうにも嫌な予感がする。

この場から逃げるべきか? そう考えたが、ここはだだっ広い草原のど真ん中。広すぎる、身を隠す場所がない。

ならば強行突破……とも考えたが、即座に却下する、罪なき者を殺めることはできない、絶対にだ。

今はそれこそ成り行きを見守るしか手立てはないようだ。エツィオは諦めたように肩をすくめた。

彼らがテンプル騎士団やその手の者ではないことが唯一の救いである。

 

「ねえ」

 

 そんなことを考えていると、不意にルイズが話しかけてきた。

 

「やぁ、ようやく話しかけてくれたな、こんな可愛いレディに無視され続けるなんて、胸が張り裂けそうだったよ」

 

 わざとらしく肩をすくめ、ルイズの顎に手を添える。

だがルイズはすぐさまその手を払いのける、気の強い女の子だ。

 

「やれやれ、これは手厳しい」

「気安く触らないで! もうっ……! 本当なんなのこいつ……こんなのが使い魔だなんて……」

 

 なんてふざけた男だ、何も知らない田舎貴族……いや、平民出の元貴族のくせに……。

小さくつぶやきながら、エツィオを再び睨みつける。

 

「あんた、感謝しなさいよね。あんたみたいな田舎貴族が、こんなことされるなんて、普通は一生ないんだから」

「こんなことって? 一体何をしてくれるんだ? お近づきの印にキスでもしてくれるのかな?」

「……っ!! あんたっ……これ以上しゃべったら本っ気で殴るわよ……」

 

 怒りと羞恥でわなわなと肩を振るわせながらルイズが拳を堅く握りしめる。

これ以上言ったら本当に殴られそうだ。そう感じたエツィオはあわてて口をつぐんだ。

ルイズは、湧き上がる殺意を鎮めるために何度も深呼吸をして……手に持った小さな杖をエツィオの目の前で振った。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 朗々と、呪文らしき言葉を唱え始めた、すっと、杖をエツィオの額に置いた。

そしてゆっくりと唇を近付けてくる。エツィオは少々驚いたはしたものの、まぁ、こういうのもいいかな、と静かに目をつむった。

 

「んっ……」

「……」

 

 柔らかい唇の感触、二人の唇が重ねられた。初々しい、ぎこちなさの残るキスだった。

ルイズの唇が離れる、もう少しその感触を楽しんでいたかったが……エツィオはゆっくりと目を開ける。

見るとルイズの顔は真っ赤だ、どうやら照れているらしい。

初めてだったのかな? だとしたら無理はないか、と思う。

 

「まさか本当にキスをしてくれるなんてな、驚いたよ、だけどまだぎこちないな、キスの仕方なら、今度ゆっくりと……あだっ!!」

 

 エツィオが言い終わるより先にルイズの拳が彼の顔面にめり込む。……どうやら余計な一言だったようだ。

昔から母上によく注意されていた、あなたは余計な一言を言ってしまうことが多い、と。

 

「はぁっ……はぁっ……! お、終わりました」

「『サモン・サーヴァント』は何回も失敗したが、『コントラクト・サーヴァント』はきちんと出来たね、その後の行動はともかく……」

 

 コルベールが、エツィオの顔を心配そうにのぞきこみながらも、生徒の成功を祝うように言った。

 

「相手がただの平民だから『契約』できたんだよ」

「そいつが高位の幻獣だったら、『契約』なんかできないって」

 

 何人かの生徒が笑いながら言った。

どうやら今のキスが彼らの言う『契約』の仕方らしい。

可愛い女の子と出来ただけ僥倖というものだろうか。

これで男だったら間違いなくアサシンブレードが喉元を貫いていただろう。

 

「バカにしないで! わたしだって、たまにはうまくいくわよ!」

「ほんとにたまによね。ゼロのルイズ」

 

 見事な巻き髪とそばかすを持った女の子が、ルイズをあざ笑った。

 

「ミスタ・コルベール! 『洪水』のモンモランシーがわたしを侮辱しました!」

「誰が『洪水』ですって! わたしは『香水』のモンモランシーよ!」

「あんた子供の頃、洪水みたいなおねしょしてたって話じゃない。『洪水』の方がお似合いよ!」

「よくも言ってくれたわね! ゼロのルイズ! ゼロのくせになによ!」

「こらこら、貴族はお互いを尊重しあうものだ」

 

 諍いを始めた二人をコルベールが諌めた。

 

「いってててて……冗談だったてのに……まったく、勝気なお嬢さんだ……」

 

 エツィオが鼻っ柱を擦りながらつぶやく、妹のクラウディアよりお転婆だ。

それにしても『契約』か、一体なんの『契約』だろうか? 彼らは『使い魔』との契約だと言っていたが……。

だとしたら俺は使い魔で、彼女はご主人様か?

とはいえ、現在の位置を確認したら、もうここには用は無い、馬を盗むなりしてさっさと逃げ出せばいいか。

そう楽観的に考えていた時だった、エツィオの体が妙に熱くなった。

 

「ぐぁっ……! なんだっ!?」

 

 左手がまるで烙印を押されているかのように熱い、思わず地面に膝をつく。

 

「なっ、何をっ……?」

 

 ルイズが苛立たしそうな声で言った。

 

「すぐ終わるわよ、待ってなさいよ『使い魔のルーン』が刻まれているだけよ」

「『使い魔のルーン』!? これが魔法だってのかっ!?」

「あのね?」

「っ……!?」

「あんたはもうわたしの使い魔よ、元貴族だったって言うから今まで寛大にしてたけど、ご主人様にそんな口利いていいと思ってるの?」 

 

 あの鉄拳が寛大だったとは恐れ入る、内心苦笑しながら左手を押える、だが熱いのはすぐに収まった。

体はすぐに平静を取り戻した。

 

「やっと終わったか……」

 

 荒い息をつきながら膝をつくエツィオに、コルベールが近寄ってきて、押えていた左手の甲を確かめる。

それにつられ自分の左手へと視線を落とす、そして目を丸くした、そこにはいつの間にか見慣れない文字が刻まれていたのだ。

 

「ちょっと失礼しますよ」

「シニョーレ、これは一体……」

 

 戸惑いながらコルベールに尋ねる、まさか本当に……、エツィオの胸に不安が募る。

 

「『使い魔のルーン』ですよ、ミスタ、彼女、ミス・ヴァリエールとの契約の証です、ふむ……しかしこれは珍しいルーンだ、私も見たことがない」

「『使い魔のルーン』……」

「えぇ、そうです、その説明は彼女がしてくれるでしょう」

 

 思わずオウム返ししたエツィオに、コルベールはそう答えると、刻まれたルーンを簡単にスケッチし始めた。

 

「おや? これは……あなたの家の家紋かなにかですかな?」

 

 スケッチを終えたコルベールがエツィオの左腕の籠手に刻まれた紋章を見て尋ねた。

腹当にも同じ紋章が刻まれていることに気がついたようだ。

 

「えぇ、父上の……形見です」

「っと、これは申し訳ない、ならば大事になさってください」

「いえ、お気になさらず」

 

 コルベールは二コリと笑い小さく頷くと、踵を返し手を打ち鳴らす。

 

「では皆、教室に戻るぞ」

 

 周囲の生徒にそう呼びかけると、ふわりと宙に浮いた。

口をあんぐりとあけ、エツィオはその様子をみつめた。

 

「ウソだろ?」

 

 飛んだ、人が宙に浮いた、ありえない。

他の生徒たちも一斉に宙に浮いた。

魔法なんてこれっぽっちも信じていないエツィオだったが、その様子を見て本気で腰を抜かしそうになった。

浮かんだ全員はすぅっと、城のような石造りの建物に向かって飛んでいく。

 

「ルイズ、お前は歩いてこいよ!」

「あいつ、フライはおろか、レビテーションさえまともにできないんだぜ」

「その平民、あんたの使い魔にはお似合いよ!」

 

 口々にそう言って笑いながら、飛んでいく生徒たち。

やがて草原にはルイズとエツィオの二人だけになってしまった。

ルイズは大きくため息をつくと、エツィオの方向を振り向き、大声で怒鳴った。

 

「あんた、なんなのよ!」

 

 だがエツィオはその言葉が耳に入っていないのか、全員が飛び去った方向を見つめ呆然としている。

まるで初めて魔法を見た人間の顔だ、もしかして、本気で魔法を知らないのだろうか?

だとしたらとんでもない変わり者を召喚してしまったことになる。

ルイズは頭を抱えた。

 

「あれは……一体……どうやって……まさか本当に?」

「ちょっと聞いてるの!?」

 

 なおも呆然と呟くエツィオをルイズが怒鳴りつける、その言葉に我に返ったのか、驚いたようにエツィオが振り向いた。

 

「あ、あぁ」

「ったく、あんた本当一体なんなのよ!」

「それはこっちのセリフだ! 人が空を飛んだんだぞ! まさかっ、君らは本当に……魔法使いなのか?」

「だからそうって言ってるじゃない! メイジが空を飛べるのは当たり前でしょ?」

「なんてことだ……本当に存在するのか、魔法が……もし奴らが……どうすれば」

「信じられない……あんた本当にどっから来たのよ、とんでもない田舎者じゃない……」

 

 ルイズが思いっきり肩を落とし心底落胆した様子でつぶやく。

だが呼び出してしまったものは仕方がない、やがて諦めたようにため息をつくと、彼に声をかけた。

 

「さてと、そろそろ戻るわよ、えぇと……アウディトーレ?」

「……エツィオでいいよ」

「そう、じゃ、エツィオ、混乱しているところ悪いけど、学院にもどるわ、説明ならあとでしてあげる、さっさとついてきなさい」

「あぁ、わかったよ」

 

 肩をすくめ、ルイズとともに石造りの建物に向け歩いて行く、魔法、使い魔、契約、トリステイン、まるでわからないことだらけだ。

とにかく、この場から逃げ出すよりも、まずは魔法についての情報を集めたほうがいい、そう考え彼女について行くことにする。

魔法という不可思議な力、もしこの力をテンプル騎士団が使うとしたら?

……いや、彼らとて神に仕える身、自らが異端とする力に手を染めることなどないと思われるが、それでも可能性がないとも言い切れない。

目的のためなら手段を選ばない、彼らはそういう連中だ、そう考えての結論だった。

 

「とにかく、まずは知ることだな……」

 

 フードを被り、空を見上げる、一羽の大鷲が悠然と翼を広げ学院の方角へと飛んで行った。




まずはテストも兼ねて一話のみです
では皆様、次回シンクロにお会いしましょう。


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memory-02 「郷に入らば」

「随分と広いな、それに立派な建物だ」

 

 魔法学院の校舎を見上げながらエツィオが感心したように呟く、広大な敷地に立派な建造物。

もしかしたらモンテリジョーニ地方にある、アウディトーレ・ヴィラよりも広いかもしれない。

 

「ここは他の国からも留学生が訪れる伝統ある魔法学院なのよ、立派なのは当然じゃない」

 

 ルイズは誇らしげにそう言うと、一番高い本塔を見上げているエツィオに振り向いた。

 

「それじゃあ、わたしは一度教室に行かないといけないんだけど、あんたはどうするの?」

「あぁ、ちょっと見て回りたいかな、あとで合流しよう、終わるまでどのくらいだ?」

「そ、なら好きにすればいいわ、……そうね、20分後に本塔の入口で待ってなさい、

使い魔についての説明だからすぐに終わるわ、あまり時間はとってあげられないわよ」

「本塔……というと、この一番大きい建物か、わかった、20分後にそこの入口だな」

「いいこと? わたしより先にその場所にいること、ご主人様を待たせるなんてこと絶対にしないでよね? わかった?」

「わかってるよ、女の子を待たせるわけにはいかないさ、男としてね」

 

 エツィオは小さく笑うと再びルイズの顎に手を添えようとする、

だがその手はすぐさま彼女に叩き落されてしまった。

 

「使い魔として! でしょ!」

「はいはい、使い魔として、ね」

「本当なんなのアイツ……!」

 

 肩をすくめ苦笑しながらエツィオが踵を返す。

その背中を睨みつけながらルイズが憎々しげに呟くと彼女もまた教室に向かうべく歩き始めた。

 

 

 

「では、次に使い魔とのコミュニケーションの取り方ですが……」

「はぁ……」

 

 教室にて、召喚の儀に付き添っていた教師、コルベールの説明を聞きながら嘆息する。

教室に入った途端、彼女を待っていたのは、クラスメイトの嘲笑だった。

人間を、メイジではない元貴族を名乗る妙な男を召喚した、だのさんざんにからかわれてしまった。

 

「はぁ……なんであんな奴が……」

 

 そう小さく呟き、ふと窓の外へと視線を送る、そして、盛大に噴き出した。

 

「ど、どうかしたかね? ミス・ヴァリエール?」

「え? ぅええええ!? あ、い、いえっ! な、なんでもありません!」

「む、ならいいが……?」

 

 コルベールが驚いたようにルイズに声をかける。

ルイズはしどろもどろになりながらもなんとか誤魔化す、そして落ち着くために深呼吸を何度もする、

何かの見間違いだ、そうに決まっている。呼吸を整え、もう一度窓の外を見た。

 

「(あ、あ、あの馬鹿っ……なにやってんの……!?)」

 

 見間違いじゃなかった……、頭を抱え机に突っ伏す。

なんとなしに視線を移した窓の外、その視線の先でエツィオが本塔の壁をよじ登っていたのだ。

僅かな出っ張りに手をかけ、窓のへりを足場に驚くほど身軽によじ登っている。

本来ならばその身体能力に目を見張るところだが、今のルイズにとっては気が気ではなかった。

あの高さ、落ちたら間違いなく即死である、メイジではない彼ならなおさらだ。

それに、これが最も重要なことだが……誰かに見られたら大騒ぎだ、これ以上ない恥をかくことになってしまう。

 

「(お願いだから! 本当お願いだから! 誰も窓の外を見ませんように!)」

 

 ルイズは始祖に祈りをささげながら、せっせと本塔の壁を登り続けるエツィオを恨みのこもった眼つきで見守り続けた。

 

 そんな恨みのこもった視線を受けていることを知ってか知らずか、ついにエツィオが本塔の屋根に手をかける。

そうやって屋根の最先端まで上り詰めたエツィオは、眼を凝らし学院周辺の地形を頭の中に叩きこみ始めた。

 

「(……やはり知らない土地だ、周囲は森と山、か、他に街は……ない、だが街道らしきものが見えるということは、遠すぎて見えないだけか)」

 

 次に自分の足元へ視線を落とす、なるほど、この学院とやらは本塔とその周囲を囲む壁、それと一体化した5つの塔からなっているようだった。

そうやって大体地形を把握したエツィオは、ふと夕暮れの空に浮かぶ月へと視線を送る、そして驚きのあまり塔の頂から転げ落ちそうになった。

 

「月が……二つだって?」

 

 思わず口に出す、何かの見間違いかと思い何度も目をこする、しかし何度見ても空に浮かぶ月は二つだった。

彼の知る限り月は一つしかないが、地域によっては月が二つになったりするのだろうか?

親友のレオナルドならば天体の知恵も有しているだろうが、あいにくここにはいない。

 

「きゅいーっ!」

「――っ!?」

 

 聞きなれない何かの鳴き声が聞こえ、今度はそちらのほうを向く、

その先には驚くべきことに、蒼い鱗をもった一匹の巨大なドラゴンが悠然と大空を飛んでいるではないか!

 

「そんな……一体ここはっ……」

 

 あまりに現実離れした光景に軽い眩暈すら感じる、このままでは本当に落下しかねない。

なんとか気を取り直したエツィオは、視線を落とした先に荷車に積まれた家畜用の藁山を見つけた、この距離なら余裕で飛べる。

自分の立っている塔の先端から力強く跳躍する、鳥のように大きく腕を広げそのまま藁山へと急降下した。

高く積み上げられた藁山が、背中から飛び込んだエツィオの身体を優しく包み込み落下の衝撃を大きく和らげる。

どうやら前回とは違い気を失わずに済んだようだ。いや、この場合気を失ったほうがフィレンツェに戻れたかもしれない、そう考えると少々複雑な気分だった。

 

「(ここから出ればフィレンツェ……なんてことはないよな)」

 

 ぼやきながら藁山の外へと飛び出す。

 

「きゃっ!」

「おっと……」

 

 聞こえてきた小さな悲鳴にエツィオが振り向く。

そこにはメイドの格好をした素朴な感じの少女がこちらを見つめていた、どうやら近くを通りかかったらしい。

出る前に周囲の状況を確認すべきだった、内心舌を打ちながら、とりあえずその少女に話しかけることにした。

 

「やあ、どうも」

「あっ……、こ、こんにちは」

 

 戸惑いながらもメイドの少女は会釈をする。

フィレンツェでも珍しい、黒い髪をしたかわいらしい少女だ。

 

「君は……もしかしてここのメイドかい?」

「は、はい、えと……あなたは……」

 

 少女は不審者を見るような目でエツィオを見つめた。

藁山から突然飛び出てきたのだ、当然の反応である。

 

「これは失礼、俺はエツィオ、エツィオ・アウディトーレ、君の名前は?」

「あ、私はここで奉公させていだたいてます、シエスタといいます」

「なるほど……シエスタか、よろしく」

 

 だがエツィオはそんな視線を物ともせずににこやかに自己紹介をする。

 

「よ、よろしくおねがいします、あの……失礼ですがどうして藁山から?」

「塔の上で景色を眺めてたら偶然君を見つけてね、あまりに可愛かったから急いで降りてきたんだ」

「かっ……可愛いだなんてそんなっ……」

 

 頬に手を当て照れていたシエスタだったが、エツィオの身につけている質素なマントに気がついたのかすぐに取り直す。

 

「あっ、し、失礼しました、ミスタ・アウディトーレ」

「エツィオでいいよ、そんなかしこまらないでくれ、ミスタもいらない」

「そ、そんなわけには参りませんわ、貴族の方に無礼な真似を……」

「気にするな、元貴族さ、それに君らの言う魔法とやらも使えない」

「メイジ……ではないんですか?」

「あぁ、君は……魔法を使えるのか?」

「い、いえっ、私は魔法は使えません、ただの平民です」

「へぇ驚いたな! 俺はてっきり君も魔法使いだと思っていたよ! だってさっきから俺の心を魅了して離してくれないからな!」

「えっ……そっ、そんなっ! ごっ、ご冗談がお上手なんですのね!」

 

 その言葉にシエスタの顔が耳まで真っ赤になる。

あぁ、この子は免疫ないんだな、エツィオは内心ニヤつきながら話を続けた。

 

「冗談でも何でもないさ、ということは立場は一緒だ、仲良くしよう」

 

 エツィオが優しく頬笑みながら握手を求める、シエスタもおずおずとそれを返した。

 

「えと、それでミスタ・アウディ――」

「エツィオ」

「あ、エツィオさんは、何の御用があってここに?」

「あぁそれは……」

「エツィオーーーーッ!!!」

 

 エツィオがその質問に答えようとしたとき、教室と思われる窓の一つが勢い良く開き、怒り心頭といった様子のルイズが顔を出した。

 

「やぁルイズ、君はまだ授業中だろう? そんな大声出していると叱られるぞ」

「うるっさいわね! そんなこと言ってる場合じゃないでしょうがこの馬鹿ぁ! いきなり何してんのよあんたはぁぁぁ!!」

「見てのとおりさ! 女の子とお話してるんだ」

「そっちじゃなくて! なんでいきなり――」

「ミス・ヴァリエール!」

「あぁっ、ご、ごめんなさい!」

 

 中からコルベールの怒鳴り声が聞こえると、すぐさまルイズが教室の中に引っ込む、数拍おいてから中から生徒たちの笑い声が聞こえてきた。

 

「というわけで、どうやらあの子に召喚されてしまったらしくてね、今の俺は彼女の使い魔、そういうことらしい」

 

 その様子を見ていたエツィオが半ば他人事のように肩をすくめる。

 

「は、はぁ、つ、使い魔ですか、ミス・ヴァリエールの……」

「やっぱり、珍しいのか?」

「はい、人間が召喚されたというお話は聞かないですね、普通だとやはり動物や幻獣……フクロウやグリフォン、他には滅多にありませんがドラゴンとかですね」

「ドラゴン……さっきのか……」 

 

 シエスタの答えに小さく呟く、ドラゴンなど伝承の中にしか存在しないものだ、今までそう思っていた。

フィレンツェやその他の大都市でもドラゴンがいるなどという話は聞かなかったし、ましてや見たこともなかった。

しかしつい先ほど自分はそれを目にしてしまっている。

魔法にしろ、ドラゴンにしろ、二つの月にしろ、まさか自分はおとぎ話の世界にでも迷い込んでしまったのだろうか?

 

「あの、どうかなさいましたか?」

 

 突如、深刻な表情で考え込み始めたエツィオの顔をシエスタが覗き込む。

 

「あ、いや、なんでもない、……おっと、そろそろ時間かな?」

 

 我に返ったエツィオは、思い出したかのように先ほどルイズが顔を出した教室を見た、そろそろ授業が終わるころだろう。

 

「さて、名残惜しいがそろそろ行かなくちゃ、もっとお話したいけど、それは次の機会に取っておくよ、それじゃシエスタ、また会おう」

「は、はい」

 

 ぽん、とシエスタの肩に手を置きその場を立ち去る、

そんな彼をしばらく呆然と見送っていたシエスタだったが、はっと我に返ると、仕事に戻るべく彼女も足早にその場を離れた。

 

「あんた何考えてんのよ! 教室で大声出して恥かいちゃったじゃないの!」

 

 ドン! とルイズがテーブルを叩く、皿に乗った夜食のパンが宙へと踊った。

二人はテーブルを挟んだ椅子に腰かけていた。ルイズの部屋である。

合流場所である本塔入口でエツィオを待っていたのは、やはりというべきか怒り心頭のルイズだった。

彼女は本塔の入口でエツィオを見つけるや否や、無理やり襟首をつかみ、自室へと引っ張って行ったのだった。

 

「メイドの子と話してただけじゃないか、何を咎められることがあるんだ?」

「そんなことをきいてるんじゃなーーーーい!」

 

 まるでからかうかのようなエツィオの態度はさらにルイズの怒りに油を注いだ。

 

「そうじゃなくて! なんで本塔によじ登った挙句に飛び降りたのかを聞いてるのよ!」

「あぁそれか、ちょっと景色を眺めようとおもってね、飛び降りたのはちまちま降りるのが面倒だっただけさ、

おかげでどこに何があるのかとか大体把握できたよ、……そしてここがどういうところだかもね」

「…………」

 

 ダメだコイツ、本物の馬鹿だ。

返ってきた答えに頭を掻きむしりながらテーブルに突っ伏す。

今日一日、いや、僅か半日で何度も言ったし何度も思った、しかし何度言っても言い足りない。

 

「……こんなのが使い魔だなんて……」

 

 呻くように呟くルイズをよそに、窓の外を見ていたエツィオが話しかける。

 

「さて、やっと二人きりになれたんだし……そろそろ質問していいかな?」

「いいわよ、わたしもあんたに言いたいことが山ほどあるから」

「よし、それじゃ最初は俺からだ。まずは君の好みのタイプ……は次の機会に取っておくとして」

 

 エツィオは再び窓の外へと視線を送る、空に煌々と輝く二つの月を見て呟いた。

 

「俺はどこに来てしまったんだ?」

「は?」

 

 いきなり何を言い出すんだ? というルイズの視線を無視しエツィオは続ける。

 

「ありえないんだ、聞き覚えのない土地、ドラゴン、魔法、すべて俺のいた地域にはないことだらけだ」

「あんた、どれだけ辺境に住んでたのよ」

「辺境、か、歩いて帰れる距離じゃないことは確かだな……少なくとも月は一つしかなかった」

 

 そう言うとエツィオは簡単に自分のいた場所について説明をする、

魔法を使える人間は誰一人としていない、ドラゴン他幻獣と呼ばれるものもいない、月は一つしかない、等である。

文化についても説明したが、メイジが貴族である、ということを抜かせば対して違いは無いようだった。

 

「……ふーん、つまり要約すると、あんたはその月が一つしかなく、メイジもドラゴンもいないイタリアのフィレンツェ、というところから来た、と」

「簡単に言えばそうなるな」

「信じられないわ」

「そう言うと思ったよ、信じるのも信じないも君次第だ、こちらも無理に信じてもらおうとも思っていないよ」

 

 未だに胡散臭そうな視線を向けてくるルイズに肩をすくめながらも、質問を続ける。

 

「それよりこれが最も重要なことなんだが。俺をもといた場所に戻す方法はあるのか? 早くフィレンツェに戻らないとならないんだ」

「ないわよ」

「……どうしてそう言い切れる、呼び寄せる魔法とやらがあるのなら、送り返す魔法だってあるだろう?」

 

 戻れないのではないかという恐怖、不安を必死に抑えて聞き返す、女の子の手前、取り乱すところを見せるのは死んでもごめんだ。

テンプル騎士団を野放しにしたまま、こんなわけもわからない所にとどまっているわけにはいかない。

だがルイズはそんなエツィオの望みを打ち砕くように言葉を続ける。

 

「送り返す魔法があるならとっくにあんたなんかフィレンツェとやらに送り返してるわよ! 

それに、あんたはもうわたしの使い魔として契約しちゃってるの、新しい使い魔を召喚することもできないわ」

「それじゃ……」

「あんたがどこから来た人間であれ、一回使い魔として契約したからにはもう動かせないの!」

 

 びしっと指を突きつけルイズが宣言する。その有無を言わさぬ口調にエツィオは項垂れ、小さく呟いた。

 

「解除する方法は?」

「ないわ、あるとすれば、使い魔が死んだときね」

「あるいは君が死ぬまで、か……それは困った」

「それはこっちのセリフよ、まったく……」

 

 大きくため息をつき、左手の甲を見る、そこには契約のときに刻まれたルーンがあった。

 

「あぁそれね、わたしの使い魔ですっていう、印みたいなものよ」

「なるほど、君と俺をつなぐ鎖、ってわけだ」

「もう、いい加減諦めなさい、あんたは死ぬまでわたしの使い魔。何度も言うけど、これはもうどうあっても覆ることがない決定事項なのよ」

「……」

 

 その言葉にエツィオが黙りこむ、本来ならば、こんなことやっている場合ではない、

だがここはまったく土地勘のない場所、下手をすれば未知の大陸という可能性もある。

仮にここから逃げ出したとしても、無事にフィレンツェにたどりつけるという保証はない。

先ほど彼女は自分を貴族だと言っていた、とすれば、ここは彼女の庇護の元に活動するのが得策だろう。

それに……、最も重要なことだが、魔法という概念、これははっきり言ってしまえば脅威そのものだ。

もしテンプル騎士たちがこの力を行使したら? 空を飛んで逃げられたりでもしたら厄介なことこの上ない。その逆もまた然りだ。

ならば、せめて魔法に対しての知識を身につけておくべきだ。

そう考えたエツィオは、やがて諦めたように肩をすくめる、

 

「わかったよ、俺は君の使い魔だ、それでいいんだろ?」

「なによそれ」

「ん? なにか御不満でも?」

「口のきき方がなってないわね、『なんなりとお申し付けください、ご主人様』でしょ?」

「はいはい、なんなりとお申し付けくださいませ、ご主人様」

 

 そんなエツィオにルイズは得意げに指を立てて言った。

やれやれ、仕草だけはかわいいな……。小さく笑いそんな事を考える。

 

「その代わり」

 

 エツィオは急に真顔になるとルイズと同じように指を一本立てた。

 

「一つだけ条件だ、俺がもといた場所に戻れるように協力してほしい」

「なんでよ?」

「まだ俺にはやるべきことがあってね、このままじゃ伯父上にどやされる、……それに、君も人間じゃない使い魔を召喚したいだろう?」

「……まぁいいわ、そのくらい、わたしもあんたみたいなチャラついた男より犬や猫のほうがいいもの」

「おいおい、せめて比べるならドラゴンにしてくれよ、これでも中身には自信があるんだぜ?」

 

 人懐っこい笑顔でエツィオが笑う、するとそれにつられルイズもくすくすと笑い始めた。

なんともかわいらしい、花のような笑顔だった。

 

「確認よ、もといた場所に戻るまで、あんたはわたしの使い魔、これでいいわね?」

「あぁ、それじゃ、改めて契約成立だな」

「えぇ、その間、しっかり働いてもらうわよ」

 

 エツィオが右手を差し出すとルイズもそれにこたえた。

 

「で、使い魔って言ったって、具体的にはなにをするんだ?」

「そうね、これから使い魔としての心得を説明してあげるわ」

 

 ルイズは立ち上がると、エツィオに説明を始めた。

 

「まず、使い魔は主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ。つまり使い魔が見たものは主人も見えるようになるの」

「そいつは便利だな、で? 何が見える?」

「……なにも。あんたじゃ無理みたいね。わたしなにも見えないもん!」

「それは残念だな、こんなに可愛い女の子を見ることができないなんてな」

「鏡見れば済むことよ……それから、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とかね」

「秘薬?」

「特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」

「……へぇ」

「あんた、そんなの見つけてこれないでしょ? 秘薬の知識もなさそうだし」

「街の医者にでも言えば、薬くらい売ってもらえるだろう?」

「ま、それもそうよね、って使い魔が見つけてこないと意味ないの!」

 

 ルイズは苛立たしそうに言葉を続けた。

 

「そして、これが一番なんだけど、使い魔は主人を守る存在であるのよ! その能力で主人を敵から守る! これが一番大事な役目!」

「なるほど、ようは護衛か、やっとらしくなってきたな」

「あんたはどうなの? 傭兵みたいなものだって言ってたけど」

 

 ルイズはエツィオを見つめる、体格はがっしりとしている、見た感じ腕は立ちそうだ。

彼は元貴族、と言っていた、没落した男の貴族は大抵傭兵か盗賊になる。

彼もまた例にもれず傭兵になったのだろう。そう察しをつけた

 

「これでも腕っ節には自信がある、ただ、相手がメイジとなると……ちょっとわからないな、なにせ魔法なんて初めてみたからね」

「ま、そうよね、平民がメイジにかなうはずないわ、幻獣とかなら並大抵の敵には負けないけど、あんたじゃ……ねぇ」

「これは手厳しい……」

「というわけで、あんたにできそうなことをやらせてあげる。洗濯。掃除。その他雑用」

「……そっちより、荒事のほうが得意なんだけどな……」

「なんか言った?」

「いや、なんでもないさ」

「そう、ふぁ~あ……、しゃべってたら眠くなっちゃったわ」

 

 説明を終えたルイズは大きなあくびをする。……実際ルイズは疲れていた、使い魔のせいで。

こいつと話していると、どうにも調子を狂わされる。

 

「おや、もう寝るのか? 俺はどこで寝ればいいんだ? 添い寝も仕事の一つ……ん?」

 

 エツィオがそこまで言うと、一枚の毛布が勢いよく飛んできた。

 

「そんなわけないでしょ! あんたは床!」

「本格的に犬猫扱いだな」

「ベッドが一つしかないんだから仕方ないでしょ! まぁ、その毛布くらいなら恵んであげる」

 

 ルイズはそう言うや、ブラウスのボタンに手をかける。

一個ずつ、ボタンを外していく。下着があらわになった。

 

「なぁご主人様」

「なによ」

「俺たちは出会って一日目だろ? いくら運命の出会いだったとしても女の子がそう簡単に男に素肌をみせるものじゃないな」

「は? 運命? 男? 誰が? 使い魔に見られたって、なんとも思わないわ」

 

 きょとん、とした声でルイズが言った。男として認識していない、その一言は、エツィオのプライドを大きく傷つけた、

イタリアに男として生まれた以上、その一言は決して許されるものではない。

 

「へぇ、それじゃあこれは役得ってやつか、ならせめてゆっくり見物させてもらおうかな?」

「ふん、なにを言ってるのよ……」

 

 額に青筋を浮かべながら、床に横になるとルイズの着替える様をこれでもかと眺め始めた。

最初はそれを無視していたルイズだったがやがてその視線に耐えきれなくなったのか、声を上げた。

 

「な、なによあんた! さっきからじっと見て!」

「何って見物してるのさ、使い魔に見られたってなんとも思わなかったんじゃないのか?」

「ぐっ……! だ、だからってじっと見ていいとっ……!」

「ははっ、冗談さ、実にからかい甲斐があるな君は」

「くっぅぅぅぅぅ、つ、使い魔のくせに……かっ、かっ、からかうなんて!」

 

 顔を真っ赤にしたルイズを見て溜飲が下ったのか、エツィオがニヤリと笑う。

これからもっとからかってやる、心の中で誓いながら仰向けになると目をつむった。

 

「それに俺としてはこう、もうちょっと発育がいいほうが……ま、多分5年後には国中の男は君に釘付――あだっ!?」

 

 その一言はルイズの逆鱗に触れたのか、手元にあった花瓶をエツィオの顔面に投げつけた。

 

「なっ!? なにもこんなもの投げることはないだろ!」

「うるさいうるさい! あんた明日一日ご飯抜き!」

「わかったわかった、頼むからこれ以上ものを投げないでくれ!」

 

 怒り心頭のルイズは手当たり次第身の回りにあったものをエツィオに投げつけると、荒い息もそのままにベッドの中にもぐりこんでしまった。

平穏を取り戻した室内でエツィオが大きく息を吐くと再び床に寝転がる。

実のところ、彼もまた疲労困憊していた、一日の間にあまりに多くのことが身におきすぎたのだ。

ハルケギニア大陸、トリステイン、魔法、使い魔、二つの月。

イタリアに戻れる日は来るのだろうか、その間にもテンプル騎士団が次の一手を打ってきたらどうすべきなのか、そんな不安はあるが

今は目の前の状況を打破しなくてはならないことは確かだ。

 

「早く戻らないと……ロレンツォ殿になにか起こらなければいいが……」

 

 そう呟き静かに目を閉じる、同時に猛烈な睡魔が襲ってきた。

そのまま睡魔に身をまかせようとした瞬間、エツィオの顔に何か布がかかる。

何かと思いそれを取り上げる、それはレースのついたキャミソールにパンティ、つまりはルイズの下着であった。

 

「ん……?」 

「それ、明日になったら洗濯、あとちゃんと朝になったら起こすのよ、いいわね」

 

  エツィオの言葉を待たずにルイズが言うと、ベッドの中でパチンと指を鳴らした。

すると部屋を照らしていたランプの明かりが消え、部屋の中を暗闇と沈黙が支配した。

これも魔法の一つであろうか、なんとも便利なものである。

 

「本格的に召使、か。クラウディアでももうちょっとマシだったと思うんだけどな……」

 

 エツィオはそう呟くと、被っていたフードを深く被り直し、深い眠りに落ちて行った。



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memory-03 「苦難の乙女」

 朝、窓から差し込む光にエツィオが目覚める。

痛む頭を押え、あたりを見回す、そこはヴィラ・アウディトーレの自室でも、

クリスティーナの部屋でも、ましてやシニョーリアの監獄でもない、昨日自分を召喚したと言うルイズの部屋だった。

堅い床で眠っていたため体中が痛い、軽く頭を振り大きく伸びをした。

そして部屋の隅にある鏡の前に立つと、身だしなみのチェックを始める。

着衣の乱れを直し、髪形を簡単にだが整えた。

 

「(さて、お姫様は……)」

 

 身だしなみを整えたエツィオはベッドの中を覗き込む。

そこにはあどけない寝顔で眠るルイズの姿があった。

こうしてみると、かなり幼く見える、起きているときはクラウディア顔負けのじゃじゃ馬娘だが、寝ている分には可愛い女の子である。 

 

「眠り姫、か」

 

 エツィオは軽く口元に笑みを浮かべ、肩をすくめる。

このまま眺めているのも悪くは無いが、そう言うわけにもいかない、昨日朝になったら起こせと『命令』されている。

使い魔として契約してしまった以上、それなりの義理は果たすべきだ。

そう考えたエツィオは、昨夜自分に投げつけられ、床を転がっていた花瓶を拾い上げ、花を一本引きぬいた。

 

「やれやれかわいそうに、……アザミの花か」

 

 茎のトゲはきれいに落とされ手入れされているようだ、エツィオは小さく呟くと、ルイズの鼻先へと近づける。

 

「んっ……」

 

 鼻先をくすぐる花の芳香に気がついたのかルイズが目を覚ます。

 

「おはようございます、ご主人様」

 

 ルイズが起きたことを確認したエツィオはニコリと頬笑み、優雅に一礼した。

 

「は、はえ……お、おひゃようございます……ミスタ……えーと、どちら様でしたかしら」

 

 ルイズは寝ぼけた声でつられた様に一礼する。ふにゃふにゃの顔がなんとも痛々しい。

 

「あなたの忠実な使い魔、エツィオでございます」

「あぁ、使い魔……、そっか、召喚して……」

「そういうことだ、さぁ早く起きろ! 朝だぞ!」

「ひゃあ!」

 

 今までの優雅な態度はどこへやら、エツィオは快活な声でそう言うと、

未だ眠そうな顔であくびをしているルイズの毛布を無理やり引きはがした。

 

「い、今起きるわよ……まったく……」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらルイズが起き上がる、そしてエツィオに命じた。

 

「服」

「はいはい、ささっお嬢様、お着替えをお手伝いいたしましょうか?」

 

 椅子にかかった制服を取り、軽口を交え恭しくルイズに差し出す。

受け取ろうとしたルイズだったが、思わず手が止まる、昨夜の事を思い出したらしい。

エツィオを見ると、ルイズのその反応を楽しんでいるのか口元がニヤついていた。

 

「こっ、この! ば、バカにするのもいい加減にしなさいよ!」

「おっと」

 

 その様子に羞恥と怒りにまかせエツィオに殴りかかるも、さらりとかわされてしまう。

 

「はっは、二度も殴られるほど、俺は甘くないぞ、さっ、おふざけは終わりだ、早く着換えろよ、それとも本当に手伝ってやろうか?」

「ぐぅぅ……! け、結構よ! だっ、誰があんたなんかに!」

 

 まるで妹をあやすかのように、持っていた制服をルイズに投げ渡す。

本当はエツィオに着替えを手伝わせるつもりだったが……、調子を狂わされっぱなしのルイズは制服をつかむと、自分の手でさっさと着替えを始めた。

 

 

 

 着替えを終え、朝食をとる為に部屋を出て食堂へ向かう。

するとルイズの部屋のすぐ近くのドアが開き、中からこの学院の生徒とおぼしき制服姿の女性が現れた。

燃えるように真っ赤な髪に彫りの深い顔、突き出た豊満なバストを胸元の開いたブラウスで強調する褐色の肌をした美女。

身長、肌の色、雰囲気、胸の大きさ、全てがルイズと対照的だった。

彼女はルイズを見ると、にやっと笑った。

 

「おはよう、ルイズ」

 

 ルイズは顔をしかめると、嫌そうに挨拶を返す。

 

「おはよう、キュルケ」

「あなたの使い魔って……彼?」

 

 エツィオを指さし、バカにした口調で言った。

 

「そうよ」

「あっはっは! ほんとに人間なのね! すごいじゃない!

『サモン・サーヴァント』で平民を召喚するなんて、あなたらしいわ、さすがはゼロのルイズ」

 

 ルイズの頬に、さっと朱がさした。

 

「うるさいわね」

 

 キュルケと呼ばれた少女は腹を抱えてひとしきり笑うと、エツィオの顔を見るべくフードの中を覗き込んだ。

 

「何か御用で? お嬢さん」

「……へぇ~、なかなかいい男じゃない」

 

 覗き込んできたキュルケにほほ笑みかけ、甘い声で囁くように話しかける。

キュルケはそう呟くと、エツィオの頭の上から足の先までを値踏みするように見回した。

 

「でも使い魔が人間じゃねぇ……あたしも昨日使い魔を召喚したのよ、誰かさんと違って、一発で成功よ」

「あっそ」

「どうせ使い魔にするなら、こういうのがいいわよねぇ~、フレイムー」

 

 キュルケの呼び声に応え、真っ赤で巨大な何かがキュルケの部屋からのっそりと現れる。

 

「……っ! これはこれは……」

 

 驚きのあまり小さく呟く。

それはエツィオが今までで見たことのないような巨大なトカゲだった。

それもただのトカゲではなく、むんとした熱気を放っている。

 

「おっほっほ! もしかして、あなた、この火トカゲを見るのは初めて?」

「すごいな、こんなのはフィレンツェじゃ見たことがない。危険はないのか?」

「平気よ、あたしが命令しない限り襲ったりしないわ」

 

 大きさは虎ほどもあるだろうか、尻尾は炎で燃え盛り、チロチロと口から炎がほとばしる。

 

「世界は広いな……、すべてが想像以上だ、ここに来てからは驚かされっぱなしだよ」

 

 エツィオが肩をすくめながら率直な感想を口にする。

昨日見たドラゴンにしろ、このトカゲにしろ、こんな動物が存在するとは心底驚きであった。

 

「これってサラマンダー?」

 

 黙ってみていたルイズが悔しそうに尋ねた。

 

「そうよー。火トカゲよー。見てこの尻尾。此処まで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ?

好事家に見せたら、値段なんかつかないわ!」

「そりゃあ、良かったわね」

 

 苦々しい声でルイズは言った。

 

「素敵でしょう、あたしの属性ぴったり」

「あんた『火』属性だもんね」

「ええ、『微熱』のキュルケですもの。ささやかに燃える情熱は『微熱』。でも、男の子はそれでイチコロなのですわ。あなたと違ってね?」

 

 キュルケは得意げに胸を張った。ルイズも負けじと胸を張り返すが、悲しいかな、差は明白だ。

それでもルイズはキュルケを睨みつけた。かなりの負けず嫌いのようだ。

 

「あんたみたいにいちいち色気振りまくほど、暇じゃないだけよ」

 

 そんなルイズに対し、キュルケはにっこりと余裕の笑みを見せた。

それから思い出したかのようにエツィオを見つめる。

 

「お名前をお聞かせ願える? ミスタ」

「エツィオ、以後お見知りおきを、ミス……」

「キュルケ、そう呼んでくれて結構よ、ミスタ……あなたとはゆっくりとお話しをしてみたいわ」

 

 キュルケはそう言うとフードの中のエツィオの顎に色っぽく右手を添える。

エツィオはキュルケの右手を優しく手に取ると、彼女の指に軽く唇を落とす。

 

「それは光栄だ、しかし今はご容赦願いたい、彼女をエスコートしているのでね」

 

 そう言うと一歩下がりルイズに手を差し伸べる。

一分の隙のない、洗練された動作だった。

 

「ふふっ、本当に素敵な殿方ね、本当、ルイズにはもったいないわ」

「……」

「それじゃ、あたしはこれで、また会いましょうミスタ」

 

 そう言うと、炎のような赤髪をかきあげ、颯爽とキュルケは去っていった。そのあとを、ちょこちょことフレイムが可愛く追う。

キュルケが居なくなると、ルイズは拳を握り締めた。

 

「くやしー! なんなのあの女! 自分が火竜山脈のサラマンダー召喚したからって! ああもう!!」

「あのトカゲ、サラマンダーっていうのか、君もああいうのを召喚したかったのか?」

「あたりまえじゃない! メイジの実力をはかるには使い魔を見ろって言われてるぐらいよ! なんであのバカ女がサラマンダーでわたしがあんたなのよ!」

「おいおい、貴族はお互いを尊重するもの、昨日ミスタ・コルベール……だっけか? だって、そう言ってたじゃないか」

「うっさいわね! さっさと行くわよ!」

 

 

「……でもあんたにしては珍しかったわね」

「ん? 何がだ?」

 

 食堂に向かいながらルイズが思い出したかのように口を開く。

 

「口説かなかったじゃない、キュルケのこと、あんたのことだからきっと口説くと思ってたわ」

「あぁ、それか」

 

 どうやら先ほどのキュルケに対するエツィオの態度が気になっているらしい。

確かにエツィオにしてはかなり控えめのアプローチだった。

積極的に口説くわけでもなく、キュルケの言葉に社交辞令を交え返答するだけ。

指先にキスをしたものの社交界ではよくあることである。

その言葉にエツィオは別に大したことではないと肩をすくめた。

 

「エスコートしてる最中に他の女性を口説くなんて君に失礼だろう?」

「……そ、そう」

 

 当然のように言ったエツィオを見て、ルイズはこの使い魔に対する評価を少し改める。

ただの軽い男だと思っていたが、どうやらきちんと礼節をわきまえているらしい、先ほどの洗練された物腰といい元貴族、というのも頷ける。

もしかしたら上流階級の出身だったのかもしれない。ほんの少しだけ、エツィオに対し興味がわいてきた。

 

「ねぇ、あんたって貴族だったんでしょ? ……その、平民のくせに」

「あぁ、銀行を営んでいたよ、フィレンツェでも有数の銀行家だった」

 

 銀行、つまり王侯貴族たちの財務管理及び金融業務の一切を引き受ける立場である。

こればかりは他の貴族からの信用がないと成り立たない、だとすればかなり位の高い貴族、ということになる。

そんな彼がなぜ位を捨てることになったのか、ますます気になってきたルイズは、恐る恐る聞いてみることにした。

 

「その……なんで貴族の地位を?」

「……」

 

 返ってきた答えは沈黙だった、フードの中の笑顔はかき消え、エツィオの表情に深い闇が差し込む。

 

「あっ、その……今のはちょっと無神経だったわ、わ、悪かったわ」

「いや……、いつか話すよ、それは俺自身、いや、俺の血筋に関わることだ」

「……ごめんなさい」

「そんな顔をするな、君が謝ることじゃない」

 

 触れてはいけない部分に触れてしまった。そう感じたルイズは素直に謝罪する。

エツィオは小さく笑みを浮かべると、それきり黙りこんでしまった。

その様子から察するにおそらくは地位のはく奪、取りつぶしだろう、

貴族にとってこれ以上ない、それこそ死に等しい屈辱である。

にもかかわらずそれを聞いてしまった、己の不明を恥じた。

 

 重い沈黙が支配する中、二人は食堂に向かう、

食堂は昨日エツィオがよじ登った本塔の中にあった。

中には豪奢な装飾がなされたやたらと長いテーブルが三つ並んでいる。

百人は優に座れるだろう、二年生であるルイズたちのテーブルは、真ん中だった。

 

「すごいな」

「でしょう? トリステイン魔法学院で教えるのは魔法だけじゃないのよ」

 

 内装の豪華さに驚いたのか、今まで黙っていたエツィオが感嘆の呟きを漏らす。

それに気がついたルイズが、なんとかこの気まずい空気を打開すべくエツィオに話しかけた。

 

「メイジはほぼ全員が貴族なの、『貴族は魔法をもってしてその精神となす』のモットーのもと、貴族たるべき教育を存分に受けるのよ。

だから食堂も、貴族の食卓にふさわしいでなければならないのよ」

「なるほどな、俺はてっきり、修道院かそこらの食堂みたいなものだとばかり思っていたよ」

「そんなものと一緒にしないで頂戴、ホントならあんたなんかこの『アルヴィーズの食堂』には入れないんだけど、

特別にわたしが許可してあげてるのよ、感謝してよね」

 

 瞳をいたずらっぽく輝かせながらルイズが言った。

エツィオは小さく笑いながら自分の腹をさすった。

 

「それなら昨日の食事抜きの罰を帳消しにしていただけると、もっと感謝するんだけどな」

「……まぁ、さっきのお詫びってワケでもないけど、ちょっとくらいなら恵んであげるわ」

「それはどうも、寛大なお心に感謝を」

 

 こころなしか張りつめていた空気も和らぎ、そんな会話をしながらルイズは自分の席に向かった。

席にたどりつくと、ルイズが命じるよりも早く、エツィオが椅子を引いた。

 

「き、気がきくわね……」

 

 椅子に腰かけルイズが思わず呟く。

ここまでの文句のつけどころがないエスコートに思わず本音が出る。

部屋から食堂までのエスコート、その時は意識していなかったが、今思えば非の打ちどころがなかった。

 

「もったいなきお言葉、それで、俺はどこに座ればいいのかな?」

 

 エツィオは周囲を見渡した、他の生徒たちも集まってきているのだろう、席が徐々に埋まりつつある。

するとルイズがすっと床を指さした、そこには皿が一枚置いてある。

中には申し訳程度に小さな肉が浮いたスープが揺れている。

皿の端っこに堅そうなパンが二切れ、ぽつんと置いてあった。

 

「おい本気か? 娼館でももうちょっとマシなものは出るぞ?」 

 

 エツィオが少々驚いた様子で椅子に座るルイズを見る。

ルイズは頬杖をついて言った。

 

「あのね、本当は使い魔は外、あんたはわたしの特別なはからいで、床。それと、あんたの昨日の態度、許したわけじゃないんだけらね?」

「……まだ根に持ってたのか、しかしな……床か」

「文句あるの?」

「……いや、ただ、君を見る目が変わりそうだ」

 

 エツィオは小さくため息をつくと、床に置かれた皿を手に取った。

 

「どこに行くつもりよ」

「なんにせよ、床で食事する習慣は無いよ、確か外にベンチがあったな、そこで食べてるさ、終わったら呼んでくれ」

 

 いささか落胆した様子のエツィオが皿を片手に食堂から退出していく。

 

「何よあいつ……」

 

 それを見送りながらルイズが呟く、本当は自分の食事から少し分けてやるつもりだった。

そうすることでご主人様としての器の大きさを示そうとしたのだが……その前に退出されてしまった。

別にあの男にどう思われようと知ったことではない、が、いささかやりすぎてしまったか、と少し後悔した。

 

 

 

「(ひどい扱いだな……)」

 

 外に出たエツィオは、近くにあったベンチに腰をかけると、スープが入った皿を横に置く。

これでは犬や猫の扱いだ、本来使い魔は動物なのであろうが自分はれっきとした人間である。

こんなものでは腹の足しにもならない、ここまで扱いがひどいとは正直想像もしていなかった。

 

「やっぱり逃げ出すべきか……でも」

 

 ため息をつき、懐からワインボトルとグラス、リンゴを取り出す、去り際にテーブルから掠め取ったものだ。

足を組みリンゴを齧る、甘酸っぱい香りが口の中を満たした。

 

「可愛い女の子が多いんだよな、ここは」

 

 苦笑しながら呟き、思いを巡らす。食堂へ向かうまでに幾人かの女子生徒を見かけたがどの娘もなかなかレベルが高かった。

加えて住み込む部屋は女の子の部屋で女子寮という、エツィオにとってはまさに夢のような環境だ。

昨日見かけたシエスタ、というメイドの子は食堂の中だろうか? あの子は可愛かった。

フィレンツェではまずお目にかかれない黒真珠のように艶やかな黒髪に黒い瞳、正直ドキっときた。

今朝現れたキュルケという子もいい線いっている。情熱的な赤い髪に、健康そうな褐色の肌、豊満なバスト。

彼女はルイズと同じくメイジの貴族なのだろう、少々越えるべきハードルは高そうだが、その分燃えてくる。

そして何より、彼を召喚したルイズだ、性格は残念なことになっているが、その分顔は誰よりもかわいらしい。

よく動く鳶色の瞳に、桃色がかかったブロンドの髪、体型は……触れないことにしよう。

それこそ五年後には絶世の美女になっている……かもしれない、多分。

 

「まぁ、そこまで長居するつもりは無いけどな……」

「なにをするつもりは無いって?」

 

 聞こえてきた声にエツィオは顔を上げる。

目の前には食事を終えたのであろうルイズが腕を組みながら仁王立ちしていた。

 

「やぁルイズ、君の未来について考えてたのさ、食事はもういいのか?」

「終わったわ、これから授業だからついてきなさい。……あんた、そのワインとグラスどうしたの?」

「なに、魔法を使ったのさ」 

「わたしの席にだけワインとグラスがなかったのはなんで?」

「魔法を使ったからさ」

「そう、それじゃ一週間食事抜きね、もう例外はないわ」

「厳しいな、まぁ君の食卓から料理が一品消えるだけだと思うけどな」

 

 グラスに注がれたワインを飲みほすと、エツィオが立ち上がった。

 

 

 エツィオとルイズが教室に入ると、先にやってきていた生徒達が一斉に振り向いた。

そしてくすくすと笑い始める。先ほどのキュルケもいた。

周りを男子達が囲い、女王のように祭り上げられていた。

 

 周囲を見渡すと、皆、様々な使い魔を連れていた。

キュルケのサラマンダーは椅子の下で眠っている。

肩にフクロウを乗せた者もいれば、カラスや猫もいる。

なかでも目を引いたのは、エツィオの知らない数多くの奇妙な動物たちだった。

六本足の奇妙なトカゲもいれば、巨大な目の玉が浮いているものまでいた。

 

「(なんだこれは……見たことない動物ばかりだ)」

 

 数多くの奇妙な動物達に目を奪われていると、横のルイズに脇腹を小突かれた。

 

「あぁ、すまない、あまりに珍しかったのでね」

 

 我に返ったエツィオはすぐに席の一つを引く、ルイズは不機嫌そうにその椅子に腰をかけた。

エツィオも隣に座った、ルイズが睨む。

 

「ん? まだなにか?」

「ここはね、メイジの席、使い魔は座っちゃダメ」

「そう堅いこと言うなって、こんな狭いスペースに座ってるわけにもいかないだろ?」

 

 エツィオは軽く両手を広げるとルイズの抗議をあっさりと無視する。

ルイズは眉をひそめたが、それ以上はなにも言わなかった。

 

 扉が開き、先生らしき中年の女性が入ってきた。

紫のローブに帽子をかぶっている。

ふくよかな頬が優しそうな雰囲気を漂わせている。

 

「授業というと、やっぱり、魔法についてか?」

「そうよ、当然じゃない」

「すると、魔法の実演とかが見れたりするのか、それは楽しみだ」

 

 隣の席のルイズにエツィオが小声でたずねる。

空を飛ぶところくらいしか魔法を見ていないエツィオにとっては、魔法について知ることができる貴重な機会だ。

魔法とはどういうものなのか、使うための制限はあるのか、知識を授業という形で得ることができるとはとてもありがたい話だ。

 

 教壇に立った女性は、教室内を見回し、満足そうに微笑んで言った。

 

「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、

こうやって春の新学期に、様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 ルイズは俯いた。

 

「変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」

 

 シュヴルーズが、エツィオを見てとぼけた声で言うと、ルイズの隣に座っていたエツィオが立ち上がる。

普段ならそこで笑い飛ばすはずの生徒達も、突然立ち上がったエツィオに呆気にとられる。

教室中の視線を浴びていたエツィオは、優雅に一礼し腰を折った。

 

「初めましてシニョーラ、私、エツィオと申します、

こちらのミス・ヴァリエールの使い魔という身分ではありますが、

貴女に教えを乞いたく思い参上いたしました。以後お見知りおきを」

 

 流れるような動作に教室中が静まり返る、そんななかシュヴルーズが嬉しそうににっこりとほほ笑んだ。

 

「あらっ、お上手だこと。あなたの使い魔は随分と紳士的なのですね。ミス・ヴァリエール」

「いえ、紳士だなんてそんな――ぐっ!」

 

 半ば口説きモードに入っていたエツィオは隣に座っていたルイズにマントを引っ張られ強制的に着席させられた。

入れ替わるようにルイズが立ち上がり深々と頭を下げた。

 

「申し訳ありません! ミセス・シュヴルーズ! わたしの使い魔が無礼な真似を! あとできつく言って聞かせますので!」

 

 ルイズが謝罪の言葉を口にすると、教室中がどっと笑いに包まれた。

 

「ゼロのルイズ! 買収したんならちゃんと指示を出しておけよ!

どうせ召喚出来ないからってその辺の傭兵を引っ張ってきたんだろ?」

 

 小太りの少年が野次を飛ばす。

ルイズは怒りに顔を赤くしながら怒鳴った。

 

「違うわ! きちんと召喚したもの! こいつが来ちゃっただけよ!」

「嘘つくな! 『サモン・サーヴァント』ができなかったんだろう?」

「おい! この――ぶっ!」

 

 エツィオが再び立ち上がろうとした瞬間、怒りに振りあげたルイズの拳が顔面にクリーンヒットした。

意図せずに着席させられたエツィオは鼻を擦りながら恨めしそうにルイズを睨みつける。

 

「ミセス・シュヴルーズ! 侮辱されました! かぜっぴきのマリコルヌがわたしを侮辱したわ!」

「(今、侮辱を雪いでやろうとしてたのに……)」

 

 振り上げた拳で、ルイズは机をたたいた。

 

「かぜっぴきだと! 風上だ! 風邪なんか引いてないぞ!!」

「あんたのガラガラ声は、まるで風邪でも引いているみたいなのよ!」

 

 マリコルヌと呼ばれた男子学生が立ち上がり、ルイズを睨みつける。

見かねたシュヴルーズが手に持った小ぶりな杖を振った。

立ち上がった二人は糸が切れた操り人形のようにストンと席に落ちた。

 

「ミス・ヴァリエール。ミスタ・マリコルヌ。みっともない口論はやめなさい。

お友達をゼロだのかぜっぴきだの呼んではいけません、わかりましたか?」

「ミセス・シュヴルーズ、僕の風邪っぴきはただの中傷ですが、ゼロのルイズは事実です」

 

 くすくす笑いが漏れる、シュヴルーズは厳しい顔で教室中を見渡すと、再び杖を振った。

くすくす笑う生徒たちの口に、どこから現われたものか、ぴたっと赤土の粘土が押しつけられる。

 

「あなたたちはその格好で授業を受けなさい」

 

 教室のくすくす笑いが収まった。

 

「すごいな……」

 

 その一部始終を見ていたエツィオが感心したように呟いた。

始めてみる魔法だ、軽く杖を振るだけであんなことができてしまうとは。

魔法が使えない平民と魔法を使えるメイジの差がいかに大きいか、それだけで分かった。

 

「では、授業を始めますよ」

 

 

 『赤土』のシュヴルーズが語る魔法の内容はどれも興味深いものだった。

魔法の系統は大きく分けて『炎』『水』『土』『風』の4つであること、

『虚無』という系統があるがこれは今は伝説にしかない、失われた系統であるということ。

その系統を足せる数によりメイジのランクが変わること。

魔法に関する様々な知識を得るために、エツィオは必死にシュヴルーズの授業に聞き入っていた。

 

「『錬金』か」

 

 エツィオはシュヴルーズが実演した『錬金』の魔法を見て感心する。

何の変哲もない小石が真鍮へと変化したのだ。

多少の制限はあるようだが、様々な資源を人の手で生み出せるという点は大きい事である。

 

「なぁルイズ」

「なによ、授業中よ」

「君もあれができるのか?」

「……」

「ルイズ?」

 

 エツィオが何気なくした質問に、ルイズは黙り込んでしまった。

何か気に障る事でも言ってしまったか……、そう考えたエツィオは小さく肩をすくめると教壇へと視線を戻した。

 

「それでは、この『錬金』の実演を……ミス・ヴァリエール」

 

 授業を進めていたシュヴルーズが、今行っている『錬金』の魔法の実演にルイズを指名した。

次の瞬間教室にどよめきが走った。

 

「え?わたし?」

「そうです、ここにある石ころを望む金属に変えてごらんなさい」

 

 しかしルイズは立ち上がらない、困ったようにもじもじしているだけだ。

 

「ミス・ヴァリエール! どうしたのですか?」

 

 シュヴルーズが再び声をかけると、キュルケが困った声で言った。

 

「先生」

「なんです?」

「それはやめたほうが……」

「どうしてですか?」

「危険です」

 

 キュルケはきっぱりと言った、すると教室の全員が頷いた。

 

「ルイズを教えるのは初めてですよね?」

「ええ。あまり実技の成績が良くない事は存じていますが、非常に努力家である事も存じております。

さあ、ミス・ヴァリエール、気にせずにやってごらんなさい。失敗は成功の母ですよ」

「ルイズ、やめて」

 

 キュルケが蒼白な顔で言った、しかしルイズは立ち上がった。

 

「やります」

 

 覚悟を決めたように教壇へと向かう。

すると教室中の生徒達がそそくさと机の中に退避する。

一体何事かとエツィオは呆気にとられながらその様子を見つめた。

 

「さぁ、ミス・ヴァリエール。この石ころを、望む金属に変えるのです。変えたい金属のイメージを強く念じなさい」

 

 ルイズは頷き、少し間を置いて、石ころに向かって杖を振った。

その瞬間、机ごと石ころは爆発した。閃光と爆音、強烈な爆風が教室を貫く。

爆風をモロに受け。ルイズとシュヴルーズは黒板に叩きつけられた。

驚いた使い魔たちが暴れだし、教室は阿鼻叫喚の大騒ぎになった。

 

「これは……恐ろしいな」

 

 舞い上がったほこりを手のひらで払い落しながらエツィオが呟く。

教室はもう大惨事だ、ガラス戸は割れ、壊れた机と椅子が散乱し何人かの生徒が下敷きになっている。

瓦礫の下からキュルケが這い出し、ルイズを指さした。

 

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」

「俺のラッキーが! 蛇に食われた!」

 

 そんな罵声を浴びながら、煤で真っ黒になったルイズがむくりと立ち上がる。

見るも無残な格好だ。ブラウスが破れ、華奢な肩がのぞき、スカートが裂け下着が見えている。

 

 しかし、さすがである、大騒ぎの教室を意に介すわけでもなく。

頬についた煤を、取りだしたハンカチで拭きながら淡々とした声で言った。

 

「ちょっと失敗したみたいね」

 

 その言葉を聞いた他の生徒達から、猛然と反撃を食らう

 

「ちょっとどころじゃないだろうが! ゼロのルイズ!」

「いつだって成功確率ゼロじゃないかよ!」

 

 ここに来るまでに何度か聞いた彼女の『ゼロ』の二つ名、エツィオはその意味を理解した。

 

「成功確率『ゼロ』、か、やれやれ……この子はきっと大物になるだろうな……」

 

 エツィオはローブについた煤を払い落しながら、小さくため息をついた。



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memory-04 「浮気者にお仕置きを」

 トリスティン魔法学院に奉職し二十年、中堅の教師である『炎蛇のコルベール』は図書館で書物を開いていた。

彼は先日の『春の使い魔召喚』の際に、ルイズが呼び出した青年が気にかかっていた。

正確に言うと、彼の左手に刻まれたルーンの事が気になって仕方がなかったのである。

今まで見たことがない珍しいルーン。そのため先日の夜から図書館にこもりきりで資料を探していたのであった。

高さ三十メイルにも及ぶ巨大な本棚を『レビテーション』を使いながら本を探っていた。

その中の一冊の本の記述に目をとめる。それは始祖ブリミルが使用した使い魔たちが記述された古書であった。

それに記された一節に彼は目を奪われた。信じられないとばかりに自分のスケッチと見比べる。

彼はあっ、と声にならない呻きを挙げた。一瞬『レビテーション』の集中が途切れ、床に落ちそうになる。

降り立った途端、本を抱えると、慌てたように走り出す。向かう先は、学院長室であった。

 

 学院長室は、本塔の最上階にある。

トリステイン魔法学院の学院長を務めるオスマン氏は白い口髭と髪を揺らし、重厚な造りのテーブルに肘をつき、退屈を持て余していた。

ぼんやりと鼻毛を抜いていたが、おもむろに引き出しを引き、中から水ギセルを取り出す、

すると、部屋の隅で書き物をしていた秘書のミス・ロングビルが羽ペンを振った。

水ギセルは宙を飛び、ミス・ロングビルの手元までやってきた。つまらなそうにオスマン氏が呟く。

 

「年寄りの楽しみを奪わんでくれんか、ミス……」

「オールド・オスマン、あなたの健康管理もわたくしの重要な仕事なのですわ」

 

 オスマン氏は椅子から立ち上がると、理知的な顔立ちが凛々しい、ミス・ロングビルに近づいた。

椅子に座るロングビルの後ろに立ち、重々しく目をつむる。

 

「こう平和な日々が続くとな、時間の過ごし方というものが。何より重要な問題になってくるのじゃよ」

 

 オスマン氏の顔に刻まれた皺が彼のすごしてきた歴史を物語っている。

百歳とも三百歳とも言われている、本当の年齢など、彼ももはや覚えていないらしい。

 

「オールド・オスマン」

 

 ロングビルは、羊皮紙の上を走らせる羽ペンから目を離さずに言った。

 

「なんじゃ? ミス……」

「暇だからといって、私のお尻を撫でるのはやめてください」

 

 オスマンは口を半開きにしたまま、よちよちと歩き始めた。

 

「都合が悪くなるとボケた振りをするのもやめてください」

 

 どこまでも冷静な声で、ミス・ロングビルは言った。

オスマン氏はため息をついた。深く、苦悩が刻まれたため息であった。

 

「真実とはどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス・ロングビル。我が師に言わせれば、真実は――」

「オールド・オスマン! いらっしゃいますかな!」

 

 オスマン氏の言葉はそこで中断される、ドアがガタン! と勢いよく開けられ、中にコルベールが飛び込んできた。

 

「なんじゃね?」

 

 オスマン氏は腕を後ろに組み、重々しく闖入者を迎え入れる。

 

「た、大変です! これを見てください!」

「大変なことなど、あるものか。すべては小事じゃ」

「ここ、これを見てください!」

 

 コルベールは、オスマンに先ほど読んでいた書物を手渡した。

 

「これは『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。

そんな暇があるのなら、たるんだ貴族たちから学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ……、なんだっけ?」

「コルベールです! お忘れですか!」

「あぁ、そんな名前だったな。どうも君は早口でいかんよ。で、コルベール君。この書物がどうしたのかね?」

「これも見てください!」

 

 コルベールは、エツィオの手に現れたルーンのスケッチを手渡した。

それを見た途端、オスマンの表情が変わった。目が光り、厳しい色になった。

 

「ミス・ロングビル。席を外しなさい」

 

 ロングビルは立ち上がり、部屋を出て行く。その退室を見届けた後、オスマンは口を開いた。

 

「詳しく説明するんじゃ。ミスタ・コルベール」

 

 

 

 

「よし、こんなものでいいだろ」

「……」

 

 ルイズがめちゃくちゃにした教室の片づけを終えたエツィオが大きく息を吐く。

新しい窓ガラスや重たい机を運びこむ重労働だった。すでに時刻は昼休みの前にさしかかっていた。

最後の瓦礫をかき集め木箱の中に詰め込む、後はこれを捨てるだけだ。

エツィオは瓦礫が入った木箱を抱え上げる。

 

「さて、行こうか」

「……何も言わないの?」

 

 木箱を抱え教室を出ようとしたエツィオに、今まで黙っていたルイズが口を開いた。

 

「ん? 何がだ?」

「とぼけないでよ、魔法よ、わたしの魔法、失敗したじゃない」

「あぁ、あれか……」

 

 エツィオはとぼけた声でそう言うと首をかしげる。

 

「たしか、成功確率『ゼロ』だったかな?」

「……そうよ」

「で、さっきのも失敗と……おい、もしかして、それでさっきからしょげているのか?」

「ぅ……」

「なるほど、そしてそのことを知った俺がバカにすると思ったんだな?」

 

 エツィオはニヤリと笑うと、ルイズの頭にポンと手を置き、わしゃわしゃと撫でた。

ルイズは顔を真っ赤にしながらエツィオの手を振り払った。

 

「なっ! なにすんのよ!」

「心配するなって、そんなことで俺が君を見捨てたりすると思ってるのか? まぁあの爆発には驚いたけどな」

 

 ふてくされた様子のルイズを見て、エツィオはさらにおちょくるように口を開いた。

 

「それとも、俺に慰めてほしいのかな? なんだ、早く言えよ。それならあとでいくらでも……」

「だっ、誰があんたなんかに慰めてもらわなきゃならないのよ! この、つ、使い魔のくせに!」

「冗談さ、それに、慰めなんて必要ないだろう? 君は強いからな……その、いろんな意味で」

「どういう意味よ! このーっ!」

「いてっ! おいおい、やめろって、こっちは荷物をもってるんだぜ」

「知らない! このバカ!」

 

 顔を真っ赤にしたルイズがエツィオを蹴りつける、エツィオはそんなルイズをからかいながら教室を後にした。

 

「あぁルイズ、悪いが先に行っててくれないか」

「どうしてよ……って、そうね、わかったわ、ゴミ捨て場わかる?」

「あぁ、昨日確認済みさ、それじゃ、あとでな」

 

 食堂へ向かっていたエツィオが、ルイズに先に行くように促す。

先ほどの瓦礫が詰まった木箱を抱えたままである、このまま持っていくわけにもいかない。

ルイズも納得し、いったん別れると、エツィオは瓦礫が詰まった木箱を処分するためにゴミ捨て場へと向かった。

 

「さてと……」

 

 ゴミを処分し終えたエツィオは、改めて食堂へと向かう、先ほどの重労働のおかげで腹がすいて仕方がない。

しかし、食堂まで向かう途中、朝に出された食事は質素なスープに堅そうなパンだけだった事を思い出した、

しかもその後に食事抜きを宣告されている。あまり食事には期待はできそうにない事は確かだ。

 

「仕方ない、ルイズに掛け合うか」

 

 こればかりは死活問題だ、早めに改善しないとならない。

空いた腹を抱え肩を落とす。そして食堂に向かおうと顔を上げた。

 

「あら? エツィオさん?」

 

 その声に振り向くと、昨日エツィオの前に現れたシエスタが立っていた。

 

「やぁ! シエスタじゃないか!」

 

 暗い表情から一変、エツィオは明るい口調でシエスタに歩み寄る。

 

「おや? 昨日より可愛くなってないか? 一体どんな魔法を使ったんだ?」

「あっ、いえっ、そのっ、わ、私は何もっ!」

「まったく、俺の心をますます離してくれないな、君は。困った魔法使いだ」

 

 開口一番に口説き始めたエツィオに、シエスタは褒められた気恥ずかしさと、うれしさが混ざったような表情ではにかむ。

その時、エツィオのお腹が空腹に耐えかねたのか大きな音を立てる。

 

「ははっ、これは失礼……」

 

 決まりが悪そうにエツィオが頭をかく、雰囲気をぶち壊した自分の腹の虫が恨めしい。

 

「お腹、空いてるんですか?」

「恥ずかしながら、実はそうなんだ、どうだい? 一緒にランチでも」

「あっ……ごめんなさい、私はもう済ましてしまったので……」

「そうか……君に会うのがもう少し早ければご一緒できたのに……運命の神様を殴りたい気分だ」

「あ、あの、もしよろしければ今からエツィオさんの分を用意いたしますわ」

「いいのかい?」

「はい、ではこちらにいらしてください」

 

 そう言うとシエスタは歩き出した。

 

 エツィオが連れて行かれたのは、食堂の裏にある厨房だった。

大きな鍋やオーブンがいくつも並んでいる。

コックやシエスタのようなメイドたちが忙しげに料理を作っている。

 

「ちょっと待っててくださいね」

 

 エツィオを厨房の片隅にある椅子に座らせると、シエスタは小走りで厨房の奥に消えた。

しばらくすると、お皿を抱えて戻ってきた。皿の中には温かいシチューが入っていた。

 

「貴族の方々にお出しする料理のあまりもので作ったシチューです、賄い食ですがよろしければ食べてください」

「ありがとう、恩にきるよ」

 

 エツィオはそれを受け取ると、スプーンで一口すする。

 

「…… これはうまいな! 朝のスープとは比べ物にならないよ」

「よかった、おかわりもありますから、ごゆっくり」

 

 シチューを食べるエツィオの様子をみてシエスタはニコニコとほほ笑んだ。

 

「ご飯、もらえなかったんですか?」

「朝の食事があまりに貧相だったんでね、ルイズの食事からいくつか頂いたんだ、そしたら食事ヌキだとさ」

「まぁ! 貴族にそんなことしたら大変ですわ!」

「気がつかない彼女が悪いのさ、なに、からかい甲斐のある子だよ」

「勇気がありますのね……」

 

 シエスタは唖然とした様子でエツィオを見つめた。

あっという間にシチューを平らげたエツィオは空になった皿をシエスタに返した。

 

「おいしかった、ありがとう、君は命の恩人だ」

「よかった、お腹がすいたらいつでもいらしてください、私達が食べているものと同じものでよかったら、お出ししますから」

 

 うれしい提案だ。ここまでしてくれるとは予想外だったのか、エツィオは笑いながら肩を竦めた。

 

「ははっ、まったく、君の認識を改めなきゃならないな」

「認識……ですか?」

 

 シエスタがなんのことかわからないと首をかしげる。

 

「君は魔法使いじゃなく慈悲深い女神さまってことさ」

「め、女神だなんて! か、からかわないでください! 本当に御冗談がお上手なんですから、エツィオさんは」

「本当さ、こんな慈悲深く美しい女神をメイドとして雇っているなんて、ここの連中は自分がどれだけ幸運なのかわかってないらしいな」

「おっ、大げさですよ!」

「大げさじゃないよ、さて、ルイズのご機嫌でも伺ってくるかな、えーと食堂へは……」

「こちらですわ、これから私もデザートの配膳がありますので、途中までご一緒しますわ」

 

 シエスタはそう言うと、再び厨房の奥へと行き、デザートのケーキが並んだ大きな銀のトレイを持ってきた。

 

「おいおい随分大きいトレーだな、一人で大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ、いつものことですので」

「心配だな、どれ、手伝ってやるよ」

「いいんですか?」

「もちろんさ、女神さま」

 

 エツィオは軽くウィンクすると、シエスタからトレーを受け取った。

 

 

 銀のトレーを持ち、食堂に出たエツィオは、シエスタとともにケーキを配って行った。

シエスタがはさみでケーキをつまみ、エツィオの持つトレーから手際良く貴族達に配って行く。

 

 金色の巻き毛に、フリルのついたシャツを着た、気障なメイジがいた。

薔薇をシャツのポケットに挿している。周りの友人達が、口々に彼を冷やかしていた。

 

「なぁ、ギーシュ! お前、今は誰とつきあっているんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」

 

 気障なメイジはギーシュと言うらしい、彼はすっと唇の前に指を立てた。

 

「つきあう? 僕にそのような特定な女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 その言葉を聞いて、エツィオは思わず鼻で笑う。

 

「(……なかなか言うな、彼は)」

「エツィオさん? どうしたんですか? 顔が笑ってますよ」

「いや、ちょっとな……」

 

 エツィオの様子に気がついたのかシエスタがフードの中を覗き込んだ。

エツィオは肩を竦めると、シエスタに配膳の続きをするように促した。

 

 その時、ギーシュのポケットから何かが落ちた。ガラスで出来た小壜だ。中に紫色の液体が揺れている。

それをみたエツィオがギーシュに声をかけた。

 

「おい、ポケットから壜が落ちたぞ」

 

 しかしギーシュは振り向かない。聞こえなかったか? 

エツィオはシエスタにトレーを持ってもらい、小壜を拾った。

 

「落し物だ、ここに置いておくぞ」

 

 それをテーブルの上に置いた。ギーシュは苦々しげにエツィオを見つめると、その小壜を押しやった。

 

「これは僕のじゃない、君は何を言っているんだね?」

 

 その小壜の出所に気付いたギーシュの友人達が大声で騒ぎ始めた。

 

「おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

「そいつが、ギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは、つまりお前は今、モンモランシーとつきあっている。そうだな?」

「違う。いいかい、彼女の名誉のために言っておくが……」

 

 ギーシュがなにかを言おうとしたとき、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がり、ギーシュの席に向かいコツコツと歩いてきた。

栗色の髪をしたかわいらしい女の子だ。マントの色からして、おそらくは一年生だろうか?

 

「ギーシュさま……」

 

 そしてボロボロと泣き始めた。

 

「やはり、ミス・モンモランシーと……」

「彼らは誤解しているんだ、ケティ、いいかい、僕の心の中に住んでいるのは君だけ……」

 

 ギーシュの言い訳は、ケティと呼ばれた少女の平手で遮られた。

パァン! と小気味いい音が食堂に響き渡る。

 

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 ギーシュは頬をさする。

すると、遠くの席から一人の見事な巻き毛を持った少女が立ち上がる。

確か彼女は、エツィオが召喚されたときにルイズと口論していた子だ。

いかめしい顔でかつかつとギーシュの席までやってきた。

 

「モンモランシー、誤解だよ。彼女とはただラ・ロシェールの森まで……」

 

 ギーシュは必死に冷静を装いながら言った。

 

「やっぱり、あの一年生に手を出してたのね」

「お願いだよ、『香水』のモンモランシー! そんな顔をしないでくれ、僕まで悲しくなってくるじゃないか!」

 

 モンモランシーはテーブルからワインボトルをつかむと、中身をどぼどぼとギーシュの頭にかけた。

 

「この嘘つき!」

 

 と、怒鳴って去って行ってしまった。

沈黙が流れる、ギーシュは一つため息をつくと、ハンカチを取り出し、ゆっくりと顔を拭いた。

そして首を芝居がかった仕草で振りながら言った。

 

「あのレディ達は、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

 エツィオは根性は大したものだな、と思い、配膳の続きをするためにシエスタから銀のトレイを受け取ろうとした。

そんな彼を後ろからギーシュが呼び止める。

 

「そこのフードの男、待ちたまえ」

「ん? 何か用かな? 色男君」

 

 ギーシュは、椅子の上で体を回転させると、すさっ! と足を組んだ。

いちいちキザったらしい仕草に、エツィオは口の端を上げ笑う。

 

「君が軽率に、香水の壜なんか拾い上げてくれたおかげで、二人のレディの名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

 呼び止めておいて何を言い出すかと思えば……。

エツィオは半ばあきれた口調で言った。

 

「どうって言われてもな、二股かけていた君が悪いとしか言いようがないな」

 

 ギーシュの友人達がどっと笑った。

 

「その通りだギーシュ! お前が悪い!」

 

 ギーシュの顔に、さっと赤みが差した。

 

「いいかい? 給仕君。僕は君が香水の壜を拾ったとき、知らないふりをしたじゃないか。話を合わせるくらいの機転があってもよいだろう?」

「なるほど、それでこの件の責任は俺にある、と言いたいのか」

 

 その言葉を受けたエツィオは、空いた椅子を引っ張ると、ギーシュを真似るように腰かけ、すさっ! と足を組む。

わざとらしいキザな仕草、しかしギーシュと比べるとまるで貫録が違う。

唖然とする周囲をよそ目に、エツィオはテーブルに置いた香水の小壜を手に取ると、指先で弄び始めた。

 

「俺が君に話を合わせれば、彼女らは二股をかけられていることにも気がつかず、また、名誉も傷がつかずにすんだ、と」

 

 壜のふたを開け、香りを確かめる。ギーシュがあっ、と小さく声を上げる。

エツィオは悩ましげに息を吐き、小さく頭を振った。

 

「ふむ、いい香りだな、相手のことを思って作った証拠だ……。あぁ、これは申し訳ないことをした。

君みたいな不実な男に二股かけられてたという不名誉な事実を知った彼女らの胸中は計り知れないな……」

「なっ! なんだと!」

「おや? 何か間違ったことでも言ったかな?」

「ぐっ……」

 

 言い返そうにも言い返せない、二股をしていたのは事実である。

口先でこの男に勝てる気がしない、ギーシュはただエツィオを睨みつけるしかできなかった。

エツィオは椅子から立ち上がると、欠伸をし大きく伸びをした。

 

「さて、君の相手をするのも飽きてきたな……もういいかな? 女の子達にケーキを配らなきゃいけないんだ」

「ふ、ふん……。あぁ、君は……」

 

 睨みつけていたギーシュがエツィオの服装と顔を見て何かを思い出したのか、バカにしたように鼻を鳴らした。

 

「確か、あのゼロのルイズが呼び出した、平民出の没落貴族だったな、こんなに機転も利かないんじゃ、没落しても仕方がないな。

期待した僕が間違っていたよ。行きたまえ」

「……何だと?」

 

 背を向けていたエツィオが振り返り、ギーシュを睨みつける。

フードの中の目は今までの彼からは想像もできないほど鋭く、殺意に満ちていた。

だがギーシュは相手はただの平民だとタカを括っていた。

 

「聞こえなかったのかね? 没落しても仕方がないと言ったんだ、平民の分際で貴族だなんて、分不相応にもほどがあるんじゃないのかね?」

「……取り消せ、今ならまだ遅くは無いぞ」

 

 静かに、しかし怒りに満ちた声で警告する。

しかしギーシュは何も間違ったことは言っていないとばかりに鼻を鳴らした。

 

「取り消す? 何をだね?」

「これ以上我が家名を侮辱してみろ、その首掻っ切るぞ」

「ふん、面白い、丁度いい腹ごなしだ。君に貴族としての矜持が残っているのなら、決闘といこうじゃないか、もちろん、受けて立つよな?」

「当然だ、そっちこそいいのか? 泣いてもママは助けに来ないぞ?」

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりにエツィオがニヤリと笑う、獲物を捉えた狩人の眼だ。

貴族というものは自分の家名に誇りを持つ、それはエツィオとて例外ではない。

家名の侮辱は命をかけ決闘をするに十分値する理由だった。

 

「場所は?」

「貴族の食卓を平民の血で汚すわけにはいかない。ヴェストリの広場で待っている。ケーキを配り終わったら来たまえ」

 

 ギーシュはくるりと体を翻し、食堂を後にする。

ギーシュの友人達がわくわくした顔で立ち上がり。ギーシュの後を追った。

一人はテーブルに残った、エツィオを逃がさないために見張るつもりのようだ。

 

 シエスタがぶるぶると震えながら、エツィオを見つめている。

エツィオはおどけたように頭を抱えた。

 

「はぁ、やってしまったな……つい熱く……冷静になれって伯父上に言われてるんだけどな」

「あ…… あなた、殺されちゃう……」

「ん?」

「貴族を本気で怒らせたら……」

 

 シエスタは、だーっと走って逃げてしまった。

すると入れ替わるようにルイズが駆け寄ってきた。

 

「あんた! なにしてんのよ! 見てたわよ!」

「やぁルイズ、丁度よかった」

「やぁじゃないわよ! なに勝手に決闘なんか約束してるのよ!」

「奴は、我が家名を侮辱した、理由としては十分さ」

 

 ルイズは一瞬言葉に詰まる、しかし気を取り直し強い調子でエツィオを見つめた。

 

「あんたの気持もわかるわ、でも聞いて。あれでもギーシュはメイジなの。アンタは平民なんだからメイジに勝てないの!」

「やってみなくちゃ分からない、それにメイジとは一度やりあってみたかった、こんなに早く機会に巡り合えるなんて思ってもいなかったよ」

「何言ってるの? あのね? 絶対に勝てないし怪我するわ、いや、怪我ですんだら運がいいわよ!」

「さて、ヴェストリの広場はどこだ」

 

 ルイズを無視しエツィオは歩き出した、ギーシュの友人の一人が顎をしゃくった。

 

「こっちだ、平民」

「それに」

 

 エツィオは一度立ち止まると、振り向かずに言った。

 

「あいつに勝てなかったら、君の使い魔なんて勤まらないだろう」

 

 ルイズにそれだけ言うと、再び歩き出す、

すると何かを思い出したのか、前を歩いていたギーシュの友人の肩をたたく。

 

「なんだ?」

「決闘前に寄りたいところがあるんだ、悪いがちょっと付き合ってもらっていいかな?」

 

 しばらくその様子を呆然と見ていたルイズだったが、エツィオの姿が消えると、ヴェストリの広場へと向かった。

 

 

 

 

 ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある、中庭である。

西側にある広場なので、そこは日中でも陽があまり差さないため、決闘にはうってつけである。

しかし、噂を聞きつけた生徒達で広場は溢れかえっていた。

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 ギーシュが薔薇の造花を掲げた。うおーッ! と歓声が沸き起こる。

 

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの平民だ!」

 

 ギーシュは腕を振り、歓声に応えている。

そんな中、ギーシュに向かい合っていたエツィオが前に進み出ると、両手掲げる。

 

「静粛に、諸君! 静粛に!」

 

 興奮に沸く観衆を諌めると、一歩前に進み出る。そしてギーシュを指さし高らかと宣言する。

 

「奴はアウディトーレの名を貶めた! 許せん! この決闘の理由は他でもない! 

名を貶めるということがどういうことかを、あの馬鹿に思い知らせてやるためだ!」

 

 おぉっ! と観衆から声が上がる。

エツィオとギーシュが、広場の真ん中に立ち、お互いに睨みあう。

 

「遅かったね、しかし逃げずに来たことは褒めてやろうじゃないか」

「それは悪かったな、ちょっと用事を済ませてきたんだ。

……さっきのケティって女の子、ちょっと慰めてあげたら俺にゾッコンだったぜ? お前とは大違いだな」

「なんだとっ……!?」

 

 その言葉に薔薇の花を弄っていたギーシュの手が止まる。

その時、見物に集まった観衆の中から、黄色い声が聞こえてきた。

 

「エツィオさまーーっ! がんばってーー!!」

「ケ……ケティ……?」

「な?」

 

 最前列のケティがエツィオに向かい声援を送っている。

唖然とするギーシュをよそ目に、エツィオは軽く手を振りそれに応えた。

 

「さて、それじゃそろそろ始めようか、この後彼女とお茶を飲む約束があるんだ」

「くっ! おのれっ……!」

 

 ギーシュに振り向き、エツィオが言った。

言うが早いか、ギーシュは薔薇の花を振った。

どうやらこれから魔法を使うらしい、エツィオの目が鋭くなる、それは紛れもない、戦いに臨む者の目だった。

 花弁が一枚、ひらひらと宙に舞ったと思うと……。

甲冑を着た女戦士の形をした、人形になった。

身長は人間と同じだが硬い金属製のようだ。淡い陽光を受けて、その肌……甲冑がきらめく。

それが、エツィオの前に立ちふさがった。

 

「(……これは)」

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね?」

「……ふん、そうでなくちゃな」

「言い忘れていた。僕はギーシュ・ド・グラモン、二つ名は『青銅』。『青銅』のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム、『ワルキューレ』がお相手する!」

「(青銅製……厄介だな、拳じゃ歯が立ちそうにないな……)」

 

 一目見て厄介な相手だと判断する、内心舌を打ちながらエツィオはマントの下で、左手首を返しアサシンブレードのリングを引いた。

青銅製の相手に、これもどれだけ通用するかはわからないが、あるだけマシである。

ブレードを引き出し、固定する。その時、エツィオの左手に刻まれたルーンが光りだし、ふっと体が軽くなる。

 

「え……?」

 

 自身の身体に起きた変化に驚き、思わずアサシンブレードを納める。ルーンの輝きが消え、体の感覚もいつもと同じになった。

突然の変化に戸惑い、無防備のままのエツィオに、ゴーレムが襲いかかった。

その右の拳がエツィオの顔面に叩きこまれる。

 

「ぐぁっ!?」

 

 エツィオはそのまま地面になぎ倒される。青銅製の拳だ、無理もない。

倒れ伏したエツィオを悠然とゴーレムが見下ろした。

 

「いっつ……」

 

 殴られた箇所を押えふらふらとエツィオが立ち上がる。

手のひらを見ると、べっとりと血が付いていた、どうやら口元の古傷が開いてしまったらしい。

ギーシュが余裕の笑みを浮かべながら、エツィオの様子を見つめている。

 

「威勢がいいのは口だけだな。どうする? 降参するかい?」

「ははっ、なるほど、これはお堅いご婦人だ。口説いてもお友達にはなってくれそうにないな」

 

 エツィオは口元を拭うと、薄く笑みを浮かべる。

その時、ゴーレムが動いた、青銅製の拳が再びエツィオに襲いかかる。

それを見たエツィオが再び左手のアサシンブレードを引き出す。

するとそれに呼応するかのように左手のルーンが輝き出し、体が軽くなった。

 

「おっと……」

 

 再び現れた自身の変化に戸惑いつつも右手で拳を受け止め、内側にひねりこむ。

軽く力を込めただけのはずなのに、青銅製のゴーレムは、簡単に体勢を崩し背中を晒した。

エツィオは押し出すように尻を蹴り飛ばす。距離をとる為に蹴飛ばしたはずが、ゴーレムは派手な音を立てて地面を転がって行く。

 

「なんだ? これは一体……」

 

 エツィオは驚いていた。

アサシンブレードを引き出した瞬間、痛みが消え、体が羽のように軽くなり、力が湧いてきた。

再び引っ込めると、ルーンの輝きが消え口元の痛みがぶり返す。

 

「使い魔のルーン?」

 

 左手を見つめながら小さく呟く、今まで数多くの暗殺をこのアサシンブレードとともにこなしてきた。

しかしこれまでの間、使っていてこんな風に体が軽くなるなど一度たりともなかった。

こうして光っている間だけ、体が軽くなる以上、この効果はルーンが及ぼすものだと考えられる。

 

「気になることは山ほどあるが、まずは……」

 

 思考を中断し目の前の戦いに集中する、うつ伏せに倒れこんだゴーレム目がけエツィオが飛びかかった。

立ち上がろうともがくゴーレムの身体を右手で押え、再び地面に押し倒すのと同時に、ゴーレムの首にアサシンブレードを突き立てるべく、左手を振りおろした。

 

 所変わり、ここは学院長室。

コルベールは、泡を飛ばしてオスマン氏に説明をしていた。

春の使い魔召喚の儀で、ルイズが平民の青年を召喚してしまったこと。

その契約時に現れたルーンが気になり調査をしたこと、その結果……。

 

「始祖ブリミルの使い魔、『ガンダールヴ』に行きついた、というわけじゃな?」

 

 オスマン氏は、コルベールが描いたエツィオの手に現れたルーン文字のスケッチをじっと見つめた。

 

「そうです! あの青年の左手に刻まれたルーンは、伝説の使い魔『ガンダールヴ』とまったく同じものであります!」

「なるほど、で、君の結論は?」

「あの青年は『ガンダールヴ』です!これが大事じゃなくて、なんなんですか!オールド・オスマン!」

 

 コルベールは、禿げ上がった頭を、ハンカチで拭きながらまくし立てた。

 

「ふむ……。確かに、ルーンが同じじゃ。同じじゃと言うことは、ただの平民だったその青年は、

『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃろうな」

「どうしましょう」

「しかし、それだけで決めつけるのは少々早計かもしれん、

なにか、彼の身分がわかるようなものはあるかね? 例えば、こういうものを身に着けていた、とか」

「そういえば、彼の身に着けていた服にこのような紋章がありましたな」

 

 コルベールは記憶を頼りに、エツィオが身に着けていた紋章を、スケッチの横に書き足した。

黙ってそれを見ていたオスマン氏の目がみるみる身開かれていく。

 

「ミスタ・コルベール! これはっ……!」

「オールド・オスマン? この紋章がどうかしましたかな?」

 

 ただならぬ様子のオスマンにコルベールが恐る恐る声をかけた、その時、ドアがノックされた。

 

「誰じゃ?」

 

 扉の向こうから、ミス・ロングビルの声が聞こえてきた。

 

「私です。オールド・オスマン」

「なんじゃ?」

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

「……まったく、暇を持て余した貴族ほど、性質の悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

「一人は、ギーシュ・ド・グラモン」

「あの、グラモンとこのバカ息子か。親父も色の道では剛の者じゃったが、その息子も輪をかけて女好きじゃ。

おおかた女の子の取り合いじゃろう。それで? 相手は誰じゃ?」

「……それが、メイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の青年のようです」

 

 オスマンとコルベールは顔を見合わせた。

 

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

 

 オスマンの目が、鷹のように鋭く光った。

 

「アホか。ケンカを止めるのに、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

「わかりました」

 

 ロングビルが去っていく足音。コルベールは、つばを飲み込んで、オスマンを促した。

 

「オールド・オスマン」

「うむ」

 

 逸る気持ちを押え、オスマン氏は杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリ広場の様子が映し出される。

すると、白いローブを纏い、フードを目深に被った青年が、ゴーレムに飛びかかる姿が映し出された。

それをみたオスマンが驚愕の表情を浮かべ、呟いた。

 

「アサシン……!」

 



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memory-05 「大鷲、再び」

西暦2012年

地球――イタリア・ローマ

アサシンの隠れ家

 

 

 

「デズモンド、起きて」

「んっ……」

 

 デッキチェアーに横になっていた男性が閉じていた瞼を開ける。

ぼやけていた視界が次第にはっきりと見えてくる、目の前には自分を起こしてくれた金髪の女性が立っていた。

その横で、パソコンのディスプレイを見つめていた女性がうれしそうに声を上げた。

 

「おどろいたわ! トリステイン? 魔法使い達の学校だなんて、まるでファンタジーの世界じゃない!」

「デズモンド、君のご先祖はずいぶんと波乱の人生を送ってきたようだな」

 

 眼鏡をかけた男性が、椅子から立ち上がり、こちらへ近づいてきた。

 

「ショーン、茶化さないで、レベッカも」

「なぁ、ルーシー、どうすればいい? このままエツィオと同調を続けるのか? まるでこれじゃ、ジャパンのアニメじゃないか、なんだか訳がわからなくなってきたぞ?」

 

 デズモンド、と呼ばれた男性が小さく頭を振りながら金髪の女性に尋ねる。

もはやわけがわからない。いつも通り『アニムス』を使い、先祖であるエツィオと同調していたら、いつの間にかファンタジーで異世界である。

ルーシーと呼ばれた女性がデズモンドの肩に手を置いた。

 

「だから起こしたの、この頃のエツィオと同調するのは危険よ……アルタイルの時を覚えてる? エデンの果実に近いほどあなたの身体が拒否反応を起こすことを」

「あぁ、確か同調率がどうとか言ってたな」

「そうよ、この記憶を辿るにはあなたはエツィオと同調しきっていないの」

「同調しきっていないって……今まで順調だったぞ? この先どうするんだ?」

「……あのルイズって女の子とのキスを覚えてる? あの子は契約って言ってたけど」

「あぁあれか、子供は趣味じゃないが、久しぶりに胸がグッときたよ、これがジャパンのMOEって奴なのかな?」

「……それは置いておいて、あのあとエツィオに刻まれたルーン、あれが問題なのよ」

 

 ルーシーはレベッカと呼ばれた女性の横に立つと、パソコンのディスプレイをデズモンドに見せた。

 

「あのルーンが刻まれてから、エツィオの身体能力が全盛期のそれを大きく上回ったの、この数値は異常よ」

「……といっても、この画面をみても俺にはピンとこないんだけどな」

 

 デズモンドは肩を竦める。ルーシーは一つ小さくため息をつくと説明を始めた。

 

「元々エツィオは『最強のアサシン』よ、その身体能力は計り知れないわ、

だからあなたの身体を馴らしていくために、誕生の瞬間からエツィオと同調させてきたの、流入現象をスムーズに利用するためにもね」

「なるほど、だから赤ん坊から、それで? なにが問題なんだ?」

「エツィオがいきなり全盛期以上の身体能力を得てしまうとなると、あなたも精神崩壊は免れないわよ」

「16号のようにか」

「それだけじゃないぞ、デズモンド」

 

 ショーンと呼ばれた男が、やれやれといった風に肩を竦める。

 

「15世紀のイタリアなら、情報提供ができるが……相手が異世界じゃな……さすがの僕もお手上げだ」

「それじゃ、この先どうするんだ? 今ギーシュってガキとやりあってる途中なんだが……」

「そこは大丈夫よ、エツィオは二年後に再びロレンツォの前に姿を現しているの、おそらく無事に帰還できたんだわ、

今回は時間もないし……そこから同調を再開させるわね、残念ながらこの世界のことは後回しよ」

「堅いことを言うなよ、と言いたいところだけど、僕らにはあまり時間も余裕も残されていないのが現実だ」

 

 残念そうにショーンが呟く、デズモンドが小さく笑いながらアニムスに腰かけた。

 

「異世界旅行か……アニムスにはあまりお世話にはなりたくないが、テンプル騎士団との戦いが終わってからなら、この頃のエツィオと同調するのも悪くはないかもな」

「その時はぜひ、その世界に行ける方法を見つけ出してくれよ、デズモンド」

「あぁ、是非とも見つけたいものだな」

 

 二人の様子を見て、ルーシーが呆れたように呟いた。

 

「男の人ってどうしてこうかしらね? レベッカ」

「さぁ? ロマンってやつじゃない? まぁ、わからなくもないけどね、それじゃデズモンド、横になって、始めるわよ」

「わかった、……エツィオには悪いが、俺たちは一足先にフィレンツェ……地球に帰らせてもらうか」

 

 デズモンドが再びアニムスに横になる。

パソコンのデスクトップを見つめ、ルーシーが小さく呟いた。

 

「差し詰め、ここの記憶はLost sequence(――失われた場面)ってところかしらね」

 

 同調を開始し、アニムスの世界に立ったデズモンドが呟く。

 

「あのルイズって女の子……似たような奴がどっかにいたような気がするんだよな……」

「そう? そんな子いたかしら?」

 

 やがて一人の人物が該当したのか、デズモンドが両手を打つ。

 

「……あぁそうだ思い出した! エルサレムの管区長! マリクだ!」

「あぁ、彼、最後辺りとかすごかったわね、彼女もいつかあんな風になるのかしら?」

「ははっ、それは見ものだな」

 

 想像したのかデズモンドが笑みを漏らす。

やがて急速に意識がアニムスに呑みこまれるのを感じた。

デズモンドの前に15世紀のイタリア、フィレンツェの街並みが再現されていく。

アニムスの機械的なアナウンスが聞こえてきた。

 

 

 

 

 

――記憶を早送りし、次の場面に移ります――

 

 

 

 

 

 

「驚いたな……」

 

 思わず感嘆の呟きを洩らす。まるで粘土の塊を貫いたような感触。

エツィオが突き立てたアサシンブレードはゴーレムの首関節を捉え、深々と貫いていた。

青銅製のゴーレムを貫いてなお、アサシンブレードは折れることなく貫通し、地面にまで突き刺さっていた。

アサシンブレードを引き抜き、収納する、同時にルーンの輝きが消える。

周囲の人間の目にはエツィオがただ、ゴーレムを押し倒しただけと映っているだろう。

 

「ッ!?」

 

 首を貫かれながらも動き出したゴーレムに、エツィオはあわててその場から飛び退く。

忘れていた、相手は『魔法』で動いているのだ、アサシンブレードでの一撃では致命傷足り得ない。

せめて剣があればよいのだが、フィレンツェでの逃走劇で失ってしまっている。

小さく舌打ちし策を練る、人間相手なら先ほどの一撃で即死させる事が出来るが、魔法で動くゴーレムには微々たるダメージを与えるだけのようだ。

 

「押し倒すだけかい? それでは僕のゴーレムは壊せないよ?」

 

 ギーシュは余裕の笑みを浮かべている。

ゴーレムは立ち上がると、再びエツィオに向かい突進してきた。

 

「これは失礼、レディをいきなり押し倒すなんて紳士のすることじゃないな」

 

 軽口を叩きながらエツィオが迎え撃つ。一撃で仕留めることこそ出来ないが、通じないわけではない。

放たれた右ストレートを払いのけ、今度はこめかみにアサシンブレードを叩きこむ。

ぐらりと体勢を崩したゴーレムの身体に、エツィオは次々アサシンブレードを繰り出した。

青銅のゴーレムを貫いているとは思えないほど柔らかい感触が伝わってくる。

目にもとまらぬアサシンブレードの刺突がゴーレムの身体を貫いていく。

最後の仕上げと、ゴーレムの首に両手を当て、二本のブレードを交差させ掻っ切った。

元々刺突用として造られているアサシンブレードが、まるで粘土のように青銅のゴーレムを切り裂いた。

べろん、と切断された首がだらしなく垂れ下がり、ふらふらと倒れこむ。

どしゃり、と音を立て青銅のゴーレムが地に伏した。

 

「な……な……」

「……まったく、なんてタフなご婦人だ」

 

 エツィオは手のひらを叩きながら、苦笑する。

ギーシュは目の前で起こったことが信じられないといった様子でうめき声を上げた。

彼が何をしたのか、早すぎて何もわからなかった。

見ればゴーレムにはなにかで刺突された痕が無数に残っている。

首元に残る、鋭利な刃物で切り裂かれたような痕が痛々しい。

 

「なっ! なにをしたんだ!」

「さあ? なんだろうな」

 

 エツィオが悠然とギーシュに向かい歩を進めていく。

マントに隠れた左手から鈍く光る短剣が覗いている。

おそらくはあれでゴーレムを滅多刺しにしたのだろう。

ギーシュの顔がみるみる青くなっていく、これ以上接近を許したら、自分もゴーレムと同じ目に遭ってしまう!

 

 ギーシュは慌てて薔薇を振った。花びらが舞い、新たなゴーレムが六体現れる。

そのゴーレムの手にはそれぞれ槍や、剣、斧などの武器が握られていた。

丁度いい、アサシンブレードでチマチマ刺すより、効率がいい方法をわざわざ相手が用意してくれた。

エツィオがフードの中で薄く笑う。

 

「そうだな、決闘には武器を使うものだ」

 

 エツィオは優雅に一礼し、ゴーレムの群れに向かい手を差し伸べる。

 

「それでは、お集まりのご婦人がた、わたくしと踊っていただけますか?」

「いっ! 行け! ワルキューレ!」

 

 挑発を受けたゴーレムがエツィオを取り囲み、一斉に襲いかかった。

そして一気に揉みつぶす……かに見えた瞬間、包囲網を突き破り、二体のゴーレムとエツィオが飛び出した。

右手と左手、それぞれゴーレムの眉間にアサシンブレードを突き立てそのまま前方に押し倒す。

倒した衝撃でゴーレムが持っていた斧と槍が宙を舞う。

エツィオは落ちてきた槍をつかみ取ると、倒れているゴーレムに突き立て、地面に縫い付けて動きを封じた。

 

「ちょっと借りるぞ」

 

 誰に言うわけでもなく呟いたエツィオは、地面に突き立った両手斧に手をかける。

ルーンが光り出し、体が軽くなる。ありがたいことに、どうやら全ての武器に対してこの効果は有効なようだ。

本来ならば片手で扱うようなものではないが、エツィオは右手で軽々と両手斧を振い、倒れているもう一体のゴーレムを両断する。

金属がひしゃげる音とともに、ゴーレムの胴体が真っ二つに切断された。

 

「おい! 本当に青銅製なのか?」

 

 斧を肩に担ぎながらエツィオが小馬鹿にした様子でギーシュに話しかける。

そのまま斧を振い、彼に襲いかかろうと間合いに入り込んだゴーレムの胴体を豪快に切断した。

続けざまに残ったゴーレム達を屠って行く。そのあまりに異様な光景にギーシュは咄嗟に残りの一体を自分の盾に置いた。

次の瞬間、そのゴーレムの頭にエツィオが放り投げた斧の刃がざっくりと突き刺さり豪快な音を立てて倒れこむ。

 

「ひぃっ!?」

 

 あっという間に全てのゴーレムを平らげたエツィオは、腰を抜かしたギーシュに向かい歩いて行く。

ギーシュは、まるで死神を見ているかのような表情で歩み寄るエツィオを見上げた。

フードの中身は影になっており、笑っているのか、はたまた無表情なのか、彼の表情をのぞき見ることはできなかった。

彼が小さく両腕を広げる、開かれた両手から二本のブレードが勢いよく飛び出した。

鈍く光るそれは、まるで死神が振う剣を連想させる。

 

「あ……ぁ……」

「ギーシュ・ド・グラモン、お前には、我が家名を侮辱した償いを受けてもらう」

 

 迫りくる恐怖にもはや声すらも出ない、そんな彼に追い打ちをかけるようにエツィオが口を開いた。

 

「汝、怖れより解き放たれよ。眠れ、安らかに――」

 

 言葉が終わるや否や、エツィオはギーシュに猛禽のごとく飛びかかる。

大鷲が獲物を捕らえるように、エツィオは左手をギーシュの首に向け突き出す。ブレードがみるみる迫ってくる。

やられる! 思いっきり目をつむった。

広場に悲鳴が響き渡る。地面に強く押し倒され、首を掴まれる感覚、

あぁ自分は殺されたんだな……。死ぬ時は一瞬か、痛くもなんともないや……。そう思った。

 

「っ……! あ……あ……あれ?」

 

 しかしいつまで経っても意識ははっきりしているし、広場の喧騒も聞こえる、

第一痛くも痒くもない。あるのは首根っこを掴まれている感覚だけである。

ギーシュが間抜けな声を出しながら恐る恐る目を開ける。

目の前にはフードを被った男が自分の首を掴み、してやったりといった表情で笑っている。

 

「なんてな、冗談だ」

 

 エツィオはギーシュの首から手を離すと、ぽんと、肩に手を置いた。

ギーシュは何度も首に手を添え、血が流れてないか確かめる。しかしいくら撫でてみても血なんてどこにも付いていないし。

ましてや傷も付いていなかった。

 

「まだ続けるか?」

 

 ギーシュは首を横に振る、杖は取られていない、しかし完全に戦意が喪失していた。

 

「ま、参った……僕の負けだ」

 

 それを聞いたエツィオはニヤリと口元を歪めると、ギーシュの肩をたたき立ち上がった。

広場が歓声にどっと湧きあがった。

あの平民、やるじゃないか! とかギーシュが負けたぞ! とか、エツィオ様! 素敵! とか見物していた連中からの歓声が聞こえてきた。

その歓声に軽く手を振って応えながらエツィオは歩き出した。

そしてすぐに自分の左手を見つめる。そこにはルイズとの契約時に刻まれたルーンがあった。

もう一度アサシンブレードを引き出すと、再びルーンが淡く光り出し、体が羽のように軽くなった。

それだけではない、アサシンブレードの殺傷力が増し、両手で扱うはずの大斧がまるで木の枝のように軽く感じたのだ。

一体これは何なのだろうか、どうやら武器を使う時にだけ効果があるようだが……。

まぁなんにせよ、後でルイズに聞いてみるか。そう考えていると、ルイズが駆け寄ってくるのが見えた。

 

「やあルイズ」

「エツィオ!」

 

 まるで散歩から帰ってきたかのように右手を上げ、いつもの軽い口調で話しかける

そんなエツィオとは裏腹に、ルイズは目じりに涙をため軽くパニック状態に陥っていた。

 

「あんた! だっ、大丈夫なの! ち、血が出てる!」

「なに、ただのかすり傷さ」

「でっ、でもっ……!」

 

 エツィオは口元についた傷に手を添える、まだじくじくと痛いがすでに血は止まっている。

騒ぐほどではない傷を、涙目になりながら心配してくるルイズを見て、エツィオはついついからかいたくなってしまう。

 

「おや? 心配してくれてるのか? これはうれしいな!」

 

 エツィオがルイズを両手で抱きよせる。

エツィオに抱き締められる形になったルイズは顔を真っ赤にしながら、エツィオの股間を蹴り飛ばした

 

「ぐぁっ!? ……ル……ルイズ……な、なにを……」

「こここっ、こっちのセリフよこのバカ使い魔! ごごご、ご主人様にい、い、いきなり、だ、だ抱きつくなんて! な、なんてことをっ!」

「だ、だからって……この仕打ちは……」

 

 股間を押え、悶絶しながら地面に倒れ伏したエツィオをガシガシと蹴りつけながらルイズは怒鳴りつける。

 

「もうっ! 折角人が心配してやってるってのに! このぉ!」

「あだっ! 心配してくれるならこれ以上は勘弁してくれ! あいつのゴーレムよりおっかないな君は!」

「うっ! うるさい! もう知らない! このバカ!」

 

 ボロボロになったエツィオが立ち上がりローブについた埃を叩き落していると、ようやく立ち上がったギーシュが近づいてきた。

 

「ミスタ!」

「ん? 君は……まだなにかあるのか?」

 

 ギーシュはエツィオの前に立つと、深々と頭を下げた。

 

「ミスタ・アウディトーレ、家名を侮辱するという貴族にあるまじき行為、どうか許してほしい」

 

 エツィオは頭を下げているギーシュに近寄ると、ぽん、と、肩に手を置いた。

 

「顔をあげてくれ、もう済んだことさ」

「しかしっ!」

「それに、俺も少々大人げなかった所もあるしな、悪かった」

「あ、ありがとう、ミスタ」

「エツィオでいいよ。モテる男ってのは、つらいよな、ギーシュ」

 

 軽くウィンクしながらエツィオが右手を差し出す、ギーシュもそれに応えた。

 

「エツィオ、君は一体何者なんだ? この僕のワルキューレを倒すなんて」

「なに、別にたいしたものじゃない、全ては訓練の賜物さ」

「訓練って……、しかし、魔法が使えないのに僕のゴーレムを倒すなんて今でも信じられないよ」

「ふんだ、あんたが弱かっただけじゃないの?」

 

 横からルイズが茶々を入れる、するとエツィオが首を振った。

 

「とんでもない、ギーシュ、君は俺が今まで戦ってきた敵の中でもっとも強かった、断言してもいい。今回は運が良かっただけだな」

「そ、そう言ってもらえるとうれしいな、それでもまるで歯が立たなかったけどね……」

 

 エツィオは肩をすくめながら正直な気持ちを伝える、命のないゴーレムは一撃で仕留めることを旨とする彼にとって最悪の相手だった。

今回は成り行き上決闘と言う形になってしまったが、メイジと戦う際は真正面から戦うべきではないと改めて認識した。

 

オスマン氏とコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。

 

「あの青年……勝ってしまいましたが……」

「うむ」

「ギーシュは一番レベルの低い『ドット』メイジですが、それでも平民に後れをとるとは思えません。

そしてあの動き! あんな平民見たことがない! やはり彼は『ガンダールヴ』!」

「じゃろうな……あの動き、彼と同等……否、それ以上か……」

「オールド・オスマン。さっそく王室に報告して、指示を仰がないことには……」

「ミスタ・コルベール」

 

 興奮して泡を飛ばすコルベールを諌めるように、オスマン氏が口を開く。

 

「彼はただの平民ではないよ」

「はい? ……と、いいますと、どういう……」

 

 その言葉に疑問を浮かべながらコルベールがオスマン氏に尋ねる。

オスマン氏は、杖を振り、『遠見の鏡』にもう一度ヴェストリ広場の光景を映し出させる。

『遠見の鏡』は、決闘時にエツィオによって最初に破壊されたゴーレムを映し出した。

 

「これは……彼に破壊されたゴーレムですね、これが何か?」

「『炎蛇』よ、よく見たまえ、何か気がつくことはあるかね?」

「……えぇ、全身に刺突された痕……最後に首を裂かれて……。こっ、これはっ!」

 

 倒れたゴーレムを見ていたコルベールの顔がみるみる青くなる。

 

「うむ、人体の急所を寸分違わず貫いておる、心臓、肝臓、膵臓、頸椎、腋、こめかみ、眼球、喉。

……君はこの全ての急所に刃を突き立てられて、立っていられるかね?」

「……御冗談を、これがゴーレムでなければ最初の一撃で即死です」

「こんなエグい戦い方をする人間を、私は一人しか知らん」

 

 オスマン氏は、そこでいったん言葉を切ると、机の上に置かれた一枚のスケッチを手に取る。

それは先ほどコルベールが書いた、エツィオが身に着けている紋章だった。

オスマン氏は昔を懐かしむような目で紋章のスケッチを見つめ、言った。

 

「間違いあるまい、彼は『アサシン』じゃ」

「『アサシン』っ……! そんな……!」

 

 『アサシン』、『暗殺者』、その言葉に、コルベールは思わず言葉を失う。

オスマン氏はそんな彼を窘めるかのように声をかけた。

 

「ミスタ・コルベール、彼の名誉のために言っておくが、私の言う『アサシン』とは決して殺人狂ではない、断言しよう」

「ど、どうしてそんなことが言えるのです! よりにもよって『アサシン』とは! 彼は暗殺者ですぞ!」

「落着きなさい、ならばどうして彼はギーシュを殺さなかったのかね? それに、先も言ったが、彼は君の認識するような『暗殺者』ではない」

 

 オスマン氏はそう断言すると、手に持っていたスケッチの紋章を見せる。

 

「『罪なき者を殺めるなかれ』、彼らの掟じゃ」

「掟? 掟とは一体……」

 

 身を乗り出し質問するコルベールを無視し、オスマン氏は再び杖を振る、

ワルキューレを映していた遠見の鏡はエツィオを映し出した。

 

「ほほっ! これはまた、彼にそっくりじゃのう」

 

 オスマン氏は昔を懐かしむように目を細めると、椅子に深く腰掛けもたれかかる。

なんのことかわからないコルベールは、釈然としない様子でオスマン氏の言葉を待った。

 

「オールド・オスマン、それで、王室に報告するという件はいかがいたしましょう。私としては、やはり指示を仰いだほうが……」

「それには及ばん」

 

 オスマン氏は重々しく頷いた。白い髭が、厳しく揺れる。

 

「どうしてですか? これは世紀の大発見ですよ! 現代に蘇った『ガンダールヴ』!」

「ミスタ・コルベール。『ガンダールヴ』はただの使い魔ではない」

「はい、その通りです。始祖ブリミルの用いた『ガンダールヴ』は主人の呪文詠唱の時間を守る為に特化した存在と伝え聞きます」

「そうじゃ、始祖ブリミルは呪文の詠唱にえらく時間がかかったそうじゃな、知っての通り詠唱中のメイジは無力じゃ

その間、己の身体を守る為に始祖ブリミルが用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ、その強さは……」

 

 その後を興奮した様子のコルベールが引き取った。

 

「千人の軍隊をたった一人で壊滅させるほどの力を持ち、あまつさえ並のメイジではまったく歯がたたなかったとか!」

「それじゃよ、そのただの使い魔ではない『ガンダールヴ』が『アサシン』であることが問題なのじゃ。

王室のボンクラどもに『ガンダールヴ』である『アサシン』と、その主人を渡すわけにもいくまい。

そんなオモチャを与えてしまえば、彼らは喜んで彼を使いあらゆる政敵を暗殺するじゃろうな。

無論、その前に彼の刃が宮廷のボンクラ共の首を切り裂く可能性も十分ある……彼、アルタイルがそうだったように」

「彼……? アルタイルとは?」

「なに、私の古き友人じゃよ、彼もまた『アサシン』であった。もっとも彼は煙のように消えてしまったがね。

ともかくじゃ、この件はわしが預かる。他言は無用じゃ、ミスタ・コルベール」

「は、はい! かしこまりました!」

 

 オスマン氏は、コルベールを下がらせると、重厚な机の引き出しを、首に下がった鍵を使って開けた。

その引き出しの中を見つめながら、遠い記憶の彼方へ、思いを馳せ、呟く。

 

「世が乱れし時、若き大鷲が現れる……。師よ……貴方はこれを予見していたというのですか……?」

 

 オスマン氏は、まるで祈りを捧げるように、左手を胸に当てると、薬指を曲げ、眼を瞑った。

 

「ならば、私はそれに従いましょう、全ては大導師の仰せのままに……」

 

 

 決闘騒ぎも収まり、次の授業が始まるとのことで、ヴェストリの広場に集まった生徒達が退散していく。

その中で、女好き同士お互いなにか通じるものがあったのか、エツィオとギーシュが歩きながら談笑に興じていた。

その様子は、先ほどまで決闘していた者同士とは思えないほど親しげだ。

 

「おっと、そうだギーシュ、これ、返しておくよ」

「こっ、これは……」

 

 ギーシュに、エツィオが何かを放り投げる。

それは決闘の引き金になった香水の小壜だった。

エツィオがギーシュと肩を組み誰にも聞こえぬようにひそひそと話しかける。

 

「俺がそれを開けた時、動揺してたところを見ると、お前の本命はモンモランシーって子だ、違うか?」

 

 少し顔が赤くなっていたギーシュはやれやれと言った表情で肩をすくめた。

 

「まったく……君には敵わないな……」

「その様子をみると当たりか、それで? どこまでいってたんだ? もちろん抱いたんだろ?」

「なっ! き! 君! そ、そんな野暮な事を聞くものじゃないだろ!」

 

 突然顔を真っ赤にしてギーシュが叫び出す。

横にいたルイズが怪訝な表情をして二人を覗き込む。

 

「ちょっと、何の話よ」

「なんでもないさ、男同士の話だよ」

 

 エツィオはルイズを押しやると、再びガシリとギーシュと肩を組む。

 

「で? どうなんだ?」

「あぁ……それは……その……なんと言うか……」

「おい……まさかとは思うが……」

「な、ななな、なんだね?」

「お前、その様子だとまだその子のこと抱いてすらいないな?」

 

 あからさまに動揺を始めたギーシュに、エツィオは呆れたように大きくため息を吐く。

 

「お前……それで自分のこと薔薇だとかどうとか抜かしてたのかよ……その様子じゃ大した経験もないな?」

「きっ! 君はどうなんだ! そんなに言うからにはもちろんあんなことやこんなこと!」

「当然だろ、お前と同じ頃には何人食ったかすら覚えてないよ。人妻もいたかな? そりゃ大変だったぜ? もう裁判沙汰まで行ったこともあるくらいさ」

「き……君ってやつは……!」

「ねぇ! さっきから一体何を話してるのよ?」

「「武勇伝だ、ひっこんでくれ」」

「なっ! 何よもう!」

 

 蚊帳の外に置かれてしまったルイズが怒鳴り散らすも、エツィオとギーシュはなおもひそひそと話を続けている。

すると突然、ギーシュが大声をあげて笑いだした。

 

「あっはははは! すごいな君は! どうやってその修羅場をくぐりぬけたんだ? 後学のために教えてくれよ!」 「そろそろ行くわよ!」

「なに、コツなんて必要ないさ、ただな……」 「ちょっと!」

「あっ、その手があったか! まったく、君には頭があがらないな!」 「聞いてるの!?」

「大げさだな、ちょっと考えればわかることじゃないか、っと、……なんだよ、これからが面白いところなのに」

 

 後ろから肩を掴まれ、エツィオが振り向く、そこには今の今まで無視され続けたルイズが鬼の形相で立っていた。

 

「こ、こここ、この……馬鹿使い魔……! ご、ご主人様を無視し続けるなんて、い、いい度胸してるじゃないの……!」

「なんだ、かまってほしいのか? 案外寂しがり屋なんだな君は、心配しなくても、あとでたくさん相手してあげるさ」

 

 エツィオは笑いながら、ルイズの頭にぽんと手を置いた。

ルイズはそれを振り払わずにエツィオの二の腕をガシリと掴む。

その細い指のどこにそんな力があるのか、エツィオの腕に食い込んで離さない。

 

「そ、そろそろ授業だな! それじゃエツィオ! また話を聞かせてくれたまえ!」

「あっ、おい!」

 

 ただならぬ気配を感じたギーシュは苦笑いを浮かべそそくさとその場を後にする。

エツィオは肩をすくめて見送ると、ルイズに視線を戻した。

 

「だとさ、君も授業だろ? 行かなくていいの――うわっ!?」

 

 いきなり飛んできたルイズの拳をかろうじて受けとめる。

 

「おいおい、そんなに寂しかったのか? だからって何も殴ること……!」

「うるっさい! この馬鹿! あんたはわたしの使い魔でしょ! ご主人様を無視するなっ!」

 

 レディというよりは、まるで手のかかる妹だ、エツィオは苦笑いを浮かべながら、ルイズを窘めた。



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memory-06 「そして彼らはいなくなった」

 決闘騒ぎも終わり、学院に普段と同じ平穏が戻る。

なんとかルイズをなだめ、教室へ送り届けたエツィオは、傷の手当てをすべく、水汲み場へと向かった。

エツィオが水汲み場へ向かっていると、ふと視線を向けた先に見知った顔が一人、おろおろとしているのが見えた。

 

「おや? シエスタ?」

「エツィオさん!」

 

 エツィオがその人物、シエスタに声をかける、彼女はエツィオを見るとすぐに駆け寄ってきた。

 

「さっきはどうしたんだ? 急に逃げ出して……」

「エツィオさん! 私っ! 心配してたんです! 貴族の方と決闘だなんて!」

「あぁ、あれか、何、たいしたことじゃないさ」

「その怪我っ……! あぁっ、あの時私が止めていれば……こんな……」

 

 エツィオの口元の傷を見てシエスタがぽろぽろと涙を流し始めた。

自分のせいでエツィオがひどい目に遭わされてしまった、と言わんばかりである。

 

「ごめんなさい……私、怖くなって、逃げてしまったんです。本当に、貴族は怖いんです、私のような魔法が使えないただの平民にとっては……だからっ……!」

「おい、なんだよ、まるで俺が負けたみたいな言い草だな」

「だって貴族の方とっ! ……え?」

 

 シエスタはきょとん、とした表情でエツィオの顔を見る。

エツィオは肩をすくめると、笑いながら言った。

 

「決闘を見ていてくれなかったのか? それはひどいな!」

「えっ!? う、うそっ! そんなっ!」

 

 シエスタは両手で頬を押え、顔を真っ赤にしながらうろたえる。

エツィオの勝利が信じられないと言った様子だ。

 

「決闘なら俺の勝ちで終わったよ、誓って本当さ、なんならギーシュでも呼んでくるか?」

「えっ……? ほ、本当に?」

「何度も言わせないでくれよ、それともそんなに俺が信用ならないか?」

「や、やだっ、私ったら何かとんでもない勘違いをっ!?」

 

 耐えきれなくなったのか顔を両手で覆い、シエスタがしゃがみ込む。

それを見たエツィオはわざと落胆した様子で呟いた。

 

「なんだ……見ていてくれなかったのか、せっかくこの勝利を君に捧げようとしていたのに……残念だ」

「わわっ、私のためにだなんて! とっ、とんでもないです! それにエツィオさんを信じ切れなかった私が悪いんです!」

「いや……いいんだ、勝利の女神に浮気した俺が愚かだったんだ、いっそ負けてしまえば、君という女神が俺に慈悲を垂れてくれたかもしれないのに……」

「そっ! そそそ、そんな! そんなこと言わないでください! お願いします!」

 

 エツィオのいちいち芝居がかった台詞にシエスタがいちいち大仰に反応する。

それが楽しくてエツィオの調子がますますエスカレートする。

 

「決闘に勝って、勝負に負けるとはこのことか……胸にぽっかりと穴があいた気分だよ」

「ごっ、ごめんなさい! エツィオさん! 私! なんでもしますからっ! どうかそんな事を言わないでくださいっ!」

「なんでも?」

 

 からかわれ半泣きになったシエスタがエツィオの身体にすがりつく。

エツィオはフードの中でニヤリと笑うと、シエスタの腰に片手を回し、きつく抱きよせた。

突然の出来事にシエスタが目を白黒させる。

 

「えっ? あぇっ? そ、その……え、エツィオ……さん?」

「そうか……なんでもか。なら、今から君は俺の専属メイドだ」

「ふぇっ!? せっ、専属! ……ですかっ!?」

 

 突然の要求にシエスタが素っ頓狂な声を上げた。

エツィオは空いた手でシエスタの顎をしゃくり、瞳の中を覗き込む、シエスタの胸の鼓動が益々早くなるのを感じる。

シエスタは面白いほど動転している、そんな彼女にトドメを刺すべくエツィオが耳元で囁いた。

 

「よろしいかな……? シエスタ」

 

 蕩けそうなほどの、情熱的で甘い声、みるみる顔が赤くなり、かくん、とシエスタの全身から力が抜ける。

毒牙にかかった瞬間だった。

 

「よ……喜んで……」

「決まりだな」

「はひ……」

 

 うっとりとした表情でシエスタが頷く。

エツィオはにっと笑うと、腰にまわした手を離した。

シエスタはそのままぺたんと地面に座り込んだ。

その様子はもはや心ここに在らずといった感じだ。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

 ちょっとやりすぎたかな、とエツィオが苦笑しながら手を差し伸べシエスタを引き立たせる。

シエスタはふらふらと立ち上がると、ぺこりとお辞儀をした。

 

「はっ、はい、あのっ……ふ、ふつつか者ですがどうぞよろしくおねがいします!」

「あぁ、これで君を他の男に取られる心配はなくなったわけだな」

「あの、呼び方はどうしましょう?」

「呼び方?」

「はいっ! 私は専属メイドなので、やはりエツィオさんじゃ何かと……その……、ですからご主人様とかっ!」

「いや、いつも通りに接してくれ、万が一ルイズに知られたら大変だ。あの子はそう言うのに一々うるさくてね。

主人に対し、配慮をするのもメイドの仕事、そうだろ? この関係は二人だけの秘密、いいかな?」

「秘密のカンケイ……、わかりました、ちょっと残念ですけど、いつも通りエツィオさん、ってお呼びしますね」

「よろしい、さてシエスタ、早速で悪いが、ちょっと傷の手当てをしたいんだ、薬があったら分けてくれないか?」

「はいっ、それじゃあ、厨房へ行きましょう、あそこなら薬箱もありますから」

「よし、では行こうか」

 

 エツィオは小さく笑みを浮かべると、シエスタを連れ、厨房へと向かった。

 

「おいシエスタ! どこに行ってたんだ!」

「あっ、マルトーさん!」

 

 二人が厨房へ足を踏み入れると、一人の恰幅のいい中年男が現れた。

服装からしてこの厨房のコックであろう。

マルトーと呼ばれた男は、呆れたように言った。

 

「まったく、まだ話の途中だったろうが、すぐに逆転したって言おうとしたら、

急に顔を青くして走って行っちまうんだからよ……」

「す、すいません……」

 

 シエスタが恥ずかしそうにうつむく。

どうやら、途中経過だけを聞いてエツィオが負けたと早とちりして厨房を飛び出したようだった。

エツィオは小さく笑い、シエスタの肩に手を置く。

 

「だろう? 君の勘違いさ」

「は……はい……」

「ん? お前さんは……おおっ!」

 

 シエスタの横に立っていたエツィオに気がついたマルトーは頓狂な声を上げる

 

「誰かと思えば『我らの刃』じゃないか! なんだシエスタ! 連れてきてくれたのか!」

「『我らの刃』?」

 

 突然出てきた言葉に首をかしげる、まるでセンスのない吟遊詩人がつけたようなネーミングだ。

 

「おうよ! お前さんはもう学院じゃ有名人だぜ! 高慢ちきな貴族を打ち負かした、我ら平民の希望! 『我らの刃』だ!」

「ははっ、それはどうも……」

 

 肩を竦め、なんとも微妙な反応を返す。

それを謙遜と受け取ったのか、マルトーはエツィオの肩を力強く叩いた。

 

「なぁに! 謙遜することは無いぞ! さぁ『我らの刃』よ! こっちに来てくれ!」

「なっ、おい、ちょっと……」

「おおい! 『我らの刃』が来たぞ! 英雄の凱旋だ!」

 

 マルトーが厨房に響くように怒鳴った、それを聞いた若いコックや見習い、メイド達がどっと押し寄せる。

 

「おおっ! この人が!」

「貴族を打ち負かしたってホントか!」

「俺は見たぞ! 蝶のように舞い、蜂のように刺す! 次々ゴーレムを切り裂いていったんだ!」

「素敵な方……」

 

 厨房中から歓声が沸き起こる、もみくちゃにされながらエツィオが苦笑する。

 

「お、おい、まずは落ち着いてくれ、俺はただ……」

「え、エツィオさんは傷の手当てをしたいそうなので! そのっ、後でお願いします!」

「おおそうか! おい! 何やってる! 早く救急箱持ってこい!」

 

 エツィオの言葉を引き継ぐようにシエスタが進み出る、

それを聞いたマルトーが見習いを怒鳴りつけ救急箱を取りに行かせた。

エツィオは厨房の奥にある椅子に腰かけると、小さく息を吐いた。ギーシュを倒したくらいで大変な騒ぎである。

 

 救急箱を受け取ったシエスタが手際よくエツィオの傷口を消毒し、手当をした。

そうして手当てを終えたエツィオにマルトーが話しかける。

 

「いやぁ、悪かったな『我らの刃』よ、お前が貴族を打ち倒したもんだから、あいつらみな興奮してんだ、って、俺もなんだけどな!」

「いや、別に気にしてはいないさ、えぇと、ミスタ・マルトー」

「おいおい、『我らの刃』よ、ミスタ、だなんてつけてくれるな! そのまま呼んでもらってかまわんよ!」

 

 マルトーはエツィオの首に太い腕を巻きつけた。

 

「そうか、俺はエツィオだ、そちらも『我らの刃』だなんて呼ばずに、名前で呼んでくれ」

「どうしてだ?」

「他人行儀で寂しいじゃないか、俺は君らと同じ平民だ、仲間だろ?」

 

 エツィオはマルトーと肩を組むと、人懐こい笑顔で語りかける。

その言葉に感極まったマルトーが大声を上げ、さらにエツィオの首を締めあげた。

 

「なんて奴だ! お前みたいないい奴見たことがないぞ! エツィオ!」

「ぐぉっ、く、苦しいって!」

「おぉすまんな! ははっ! つい感激しちまってな! 俺はお前の事が益々気に入った! どうしてくれる! お前の額に接吻するぞ!」

「おい、勘弁してくれ! 俺の身体は女の子の物だ!」

「言ってくれるじゃねぇかこの野郎!」

 

 マルトーが豪快に笑い飛ばし、シエスタの方を向いた。

 

「おいシエスタ! 俺の代わりにこの勇者にキスしてやれ!」

「はい! って、えぇっ!?」

 

 そんな二人の様子をニコニコしながら見守っていたシエスタが元気よく返事を返したが、

とんでもないことをさらりと言われていたことに気がつき、顔が真っ赤になった。

 

「ええっと、その! あの、私! まだ初めてでそのっ! で、でもエツィオさんなら! よ、よろしくおねがいします!」

 

 しどろもどろになりながらシエスタはエツィオに口づけをすべく、目をつむった。

エツィオは小さく笑うと、人差し指を立てシエスタの唇にそっと触れる。

驚いたシエスタが目を開けた。

 

「ファーストキスか、なら君の口元を血で汚すわけにはいかないな、キスはお預けだ、シエスタ」

「は、はぁ……わかりました」

 

 果たしてどちらに対しての『お預け』なのか、エツィオはそう言うと軽くウィンクした。

どことなく落胆した様子のシエスタが小さく肩を落とす。

 

「まぁそう気を落とすなシエスタ! なら、せめて我らの勇者にアルビオンの古いのを注いでやれ!」

 

 すぐに気を取り直したシエスタは、満面の笑みになると、葡萄酒の棚から、言われたとおりのヴィンテージを取り出してきて、

エツィオのグラスに並々と注いでくれた。香りを愉しんだあと、まずは一口ワインを口にする。

 

「へぇ、うまいな、朝にもワインを頂いたが、あれとは大違いだな、かなりいいワインじゃないのか?」

「その味がわかるか! 貴族のガキ共に出すよりお前に飲んでもらった方がそのワインも幸せってもんだ!」

 

 一気にグラスを傾け、飲み干したエツィオを、シエスタは、うっとりとした面持ちで見つめている。

マルトーは社交的で機知に富んだエツィオの人柄を気に入り、惚れ込んだようだ。

 

 

「ごめんなさい、エツィオさん、マルトーさんがはしゃいじゃって……」

「なに、気にしてはいないさ、少し驚いたけどな」

 

 しばしの談笑を楽しんだエツィオは、ルイズのいる教室へ向かうべく、厨房を後にする。

これから夕食の準備だと言うシエスタは厨房の入口までエツィオを見送った。

彼女も学院に勤めるメイドである以上、学院での仕事はきちんとこなさなくてはいけない。

専属とエツィオは言ったが、彼女を拘束するつもりは毛頭なかった。

 

「それじゃあ、私は仕事に戻ります、何かあったら言ってくださいね、お力になりますので」

「ありがとう、また寄らせてもらうよ」

 

 教室へ向かうエツィオの後ろ姿をうっとりとした表情で見つめていたシエスタは、

緩んだ頬を引き締め、仕事に戻るべく厨房へと戻る。

その時、柱の陰にいる影に気がついた。

 

「あら? 何かしら?」

 

 赤い影はきゅるきゅると鳴くと、消えていった。

 

 

 

 エツィオが召喚されてから一週間ほど経とうとしたある日。

午後の授業を全て終え、教室から出てきたルイズと合流したエツィオは、例によって彼女を食堂までエスコートする。

常に彼女の歩調に合わせ、半歩後を歩く、その姿はまさしく、お姫様につき従う騎士のようである。

 

「さ、どうぞ」

 

 エツィオが椅子を引きルイズが腰かける。相も変わらず、見事なエスコートであった。

テーブルにはやはりというべきか、豪勢な食事が並んでいる。

エツィオが視線を下に向ける、するとそこには、いつもと同じスープが置いてあった。

 

「なぁルイズ……」

「なに?」

「やっぱり、なんとかならないのか?」

「なによ、ギーシュに勝ったご褒美に食事抜きの罰を帳消しにしてあげたんだから、ありがたく思いなさいよね」

 

 エツィオがつらそうな表情で言うと、ルイズがすました顔で言った。

 

「はぁ……、外で食べてくるよ、君らの食事を眺めながらだとつらいものがある」

 

 エツィオは大仰に肩を竦めると、大きくため息を吐く。

そして退出しようと踵を返した時、ルイズに呼び止められた。

 

「待ちなさい」

「ん? 何か?」

「ワインとグラス、置いて行きなさい」

「……ばれてたか」

 

 流石に気付いたか……エツィオは苦笑しながら懐からワインボトルとグラスを取り出し、ルイズのテーブルに置いた。

 

「次やったら本当に食事抜くわよ? いいわね?」

「はいはい、肝に銘じておくよ」

 

 ルイズが静かに睨みつける、エツィオは手のひらをひらひらと振りながら食堂を後にした。

 

「まだ甘いな……」

 

 食堂の外に出たエツィオは小さく呟くと、懐からスプーンとフォーク、ナイフ等の食器を取り出す。

全てルイズの手元に置いてあったものだ、今頃彼女は慌てふためいているだろう。

その顔を見る事が出来ないのが残念だ。

溜飲が下がったエツィオは、薄く笑みを浮かべ、厨房へと向かおうとした、その時。

 

 咄嗟に振り向き、手に持っていたナイフを振り向きざまに投げる。

一瞬左手のルーンが光り、投げたナイフは恐ろしい速度で石柱に当たりぽっきりと折れてしまった。

 

「……さて、かくれんぼは終わりにしようか、いい加減飽きただろ?」

 

 一週間ほど前からずっと感じていた視線に対し声をかける。

警戒しながら、石柱付近を注意深く観察する、すると、きゅるきゅると鳴き声が聞こえてきた。

聞いたことのある鳴き声にエツィオが首をかしげると、柱の陰から赤い影がのっそりと現れた。

キュルケのサラマンダーである、どうやら今までの視線の正体はこのサラマンダーであるようだった。

 

「あれ? お前は確か、キュルケって子の……あっ、おい!」

 

 エツィオが声をかけると、サラマンダーは尻尾を振り、口から僅かに炎を上げて、去って行ってしまった。

 

「……まぁいいか」

 

 今までの視線の正体が、サラマンダーであることに拍子抜けしたのかエツィオが肩を竦めた。

 

 

 

 その日の夜……。

ルイズはエツィオの毛布を廊下にほっぽり出した。

 

「なんのつもりだよ」

「手癖の悪い使い魔が何か盗んだら困るでしょ?」

 

 食器類を掠め取ったことを根に持っているらしい。

 

「これじゃ何かあったときに君を守れないぞ?」

「そう、なら何か起きないように外で見張っておいて」

 

 ルイズは眉を吊り上げて言い放った。

つくづく根に持つ少女だ。今夜はどうあっても部屋では寝させてくれないようだ。

エツィオは諦めたように外へと出る、中からガチャリと鍵をかける音が聞こえてくる。

試しにドアノブを捻るがやはりというべきか、うんともすんとも言わない。

 

 

「やれやれ、締め出されたか……」

 

 小さく呟きながら、壁に寄り掛かる。

窓から風がびゅうと吹いてエツィオの身体を凍えさせた。

シエスタの所にいって温めてもらうかな、なんてことを考えていると、キュルケの部屋の扉がガチャリと開いた。

 

 出てきたのは、サラマンダーのフレイムだった。

燃える尻尾が温かそうだ。

エツィオはフッと笑うと、手を差し伸べる。

 

「お前は……、あぁ、さっきは悪かったな、ちょっと気が立ってたんだ、仲直りしよう」

 

 エツィオが優しく語りかけると、サラマンダーはちょこちょこと近づいてきた。

きゅるきゅる、と人懐こい感じで、サラマンダーは鳴いた。

 

「へぇ、なかなか人懐こい……ん?」

 

 サラマンダーはエツィオのローブの袖を咥えると、ついてこい、というように首を振った。

 

「まてまて、大事な形見なんだ、燃やさないでくれよ」

 

 エツィオは言った。しかし、サラマンダーはぐいぐいと強い力でエツィオを引っ張った。

キュルケの部屋のドアは開けっぱなしだ。どうやらそこに引っ張り込むつもりらしい。

 

「入れってことか?」

 

 エツィオがサラマンダーに尋ねると、肯定の意味なのか、きゅるきゅる、と鳴いた。

サラマンダーが自分を監視していた事が腑に落ちないが、どうやら害意は無いらしい。

エツィオはキュルケの部屋のドアをくぐった。

 

 入ると、部屋は真っ暗だった。サラマンダーの周りだけ、ぼんやりと明るく光っている。

暗がりからキュルケの声がした。

 

「扉を閉めて?」

 

 エツィオは扉を閉めた。

 

「ようこそ、こちらにいらっしゃい」

 

 その一言だけでエツィオは全てを察したらしい。

口元に微笑を浮かべ、一歩一歩ゆっくりと歩を進めていく。

キュルケが指をはじく音が聞こえた。

すると、部屋の中に立てられたロウソクが一つずつ灯っていく。

エツィオの近くに置かれたロウソクから順に火は灯り、キュルケのそばのロウソクがゴールだった。

まるで道のりを照らす街灯のように、ロウソクの火が灯っていた。

 

 ぼんやりと、淡い幻想的な光の中に、ベッドに腰かけたキュルケの姿があった。

ベビードール一枚というなんとも悩ましい姿である。

 

「お招きいただき光栄だ、ミス・キュルケ」

 

 エツィオは優雅に腰を折り一礼する。

キュルケはにっこりと笑って言った。

 

「座って」

「では失礼」

 

 エツィオはキュルケの横に腰かける。

彼女の目的は大体察しているが、あえて問いかけた。

 

「さて、本日は何の用があって俺を呼び出したのかな?」

 

 燃えるような赤い髪を優雅にかき上げて、キュルケはエツィオを見つめる。そして大きくため息をつき、悩ましげに首を振った。

 

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「……」

「思われても仕方がないの、わかる? あたしの二つ名は『微熱』……」

 

 キュルケは切なげな声でフードの中を覗き込む、エツィオは優しい笑みを浮かべ彼女の顎を持った。

 

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの、だからこんな風にお呼び立てしてしまうの。わかってる、いけないことよ」

「なるほど、だからあの子を俺の監視につけたのか」

 

 エツィオが部屋の隅のサラマンダーを顎でしゃくる、キュルケは潤んだ瞳でエツィオを見つめ、すっと顎にあてられた手を握る。

そして一本一本、エツィオの指を確かめるようになぞり始めた。

 

「監視だなんて……! あたしはただあなたのことをもっと知りたかっただけ……。

あなたがギーシュを倒した時の姿……とってもかっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだった」

「それで? 俺の何がわかったのかな?」

「誰よりも紳士的で、それでいて野性的、その上こんなにもハンサムだなんて……。知ってるんだから、あなた、一人メイドを誑し込んでるみたいね、

その子はもうあなたの事ばかり見てる、ずるいわ、そのメイドに嫉妬しちゃう……。でも仕方ないわ、貴方の魅力に惹かれない女なんていないもの……あたしもその一人。

あの日からあたしはぼんやりとしてマドリガーレを綴ったわ、マドリガーレ、恋歌よ。あなたの所為なのよエツィオ。

あなたが毎晩あたしの夢に出てくるものだから、フレイムを使って様子を探らせて……」

「お褒めいただき光栄だ、キュルケ……、でも君だけが俺の事を知っているだなんて、ちょっと不公平じゃないか?」

「そうね……恋の駆け引きはいつも公平であるべき、だからあたしはあなたをお呼びしたのよ? エツィオ。あなたにあたしをもっと知ってもらいたくて……」

「あぁ……是非とも君の事を知りたいな、マドリガーレ、聴かせてくれるんだろう?」

「もちろんよ、エツィオ……」

 

 キュルケは、エツィオの口元の古傷を指でなぞり、ゆっくりと目をつむり、唇を近付けてきた。

エツィオがキュルケと唇を重ねようとしたその時、窓の外が叩かれた。

 

 そこには、恨めしげに部屋の中を覗くハンサムな一人の男の姿があった。

 

「キュルケ……。待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……」

「ペリッソン! ええと、二時間後に!」

「話が違う!」

 

 ここは三階、どうやらペリッソンという男は魔法で浮いているらしい。

 キュルケは煩そうに、胸の谷間に差した派手な魔法の杖を取り上げると、

そちらの方を見もしないで杖を振った。

 ロウソクの火から、炎が大蛇のように伸び、窓ごと男を吹き飛ばした。

 

「うるさいフクロウね」

「それだけ君が魅力的だという証拠さ」

「彼はただの友達、勘違いしちゃってて困ってるの」

 

 まったく動じないエツィオも流石である、悲鳴を上げ落下していく男を気にも留めずに、再び目をつむったキュルケへと唇を近付ける。

 すると……今度は窓枠が叩かれた。

 見ると、悲しそうな顔で部屋を覗き込む、精悍な顔立ちの男がいた。

 

「キュルケ! その男は誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!」

「スティックス! ええと、四時間後に!」

「そいつは誰だ! キュルケ!」

 

 怒り狂いながら、スティックス、と呼ばれた男は部屋に入ってこようとした。

キュルケは煩そうに、再び杖を振る。例によってロウソクの火が太い炎へと変化し、男を外へと吹き飛ばした。

 

「随分な扱いだな、友達にそんなことしていいのか?」

「彼は、友達というより知り合いね。とにかく時間をあまり無駄にしたくないの。夜は長いだなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に太陽はやってくるじゃないの!」

「それについては同感だ」

 

 キュルケとエツィオは再び唇を近付ける。

窓だった壁の穴から悲鳴が聞こえた。

またまたキスを中断されたエツィオはうんざりしながら振り向いた。

 

 窓枠で、三人の男が押し合いへしあいしている。

 三人は同時に同じセリフを吐いた。

 

「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって言ってたじゃないか!」

「マニカン! ギムリ! エイジャックス! ええと、六時間後ね」

 

 キュルケはめんどくさそうに言った。

 

「朝だよ!」

 

 三人が仲良く唱和した。

キュルケはうんざりした声でサラマンダーに命令した。

 

「フレイムー」

 

 きゅるきゅると部屋の隅で寝ていたサラマンダーが起き上がり、

窓際で争っている三人に向かって炎を吐いた。

三人は仲良く地面に落下して行った。

 

「今のは?」

 

 エツィオは意地悪な笑みを浮かべながら尋ねる。

 

「さあ? 知り合いでもなんでもないわ。 とにかく! 愛してるわエツィオ!」

 

 キュルケはエツィオの顔を両手で挟み、まっすぐに唇を奪った。

エツィオはそんな彼女の肩に両手を置くと、そのままベッドに優しく押し倒した。

 

「ふぅっ、荒っぽいキスだな、でも嫌いじゃない」

「……あなた、責めないの?」

 

 跨られる形になったキュルケがエツィオに尋ねる。

 

「責める? これからさ、じきに君は俺の事しか見えなくなる」

 

 サディスティックな笑みを浮かべ彼女の耳元で甘く囁く。

ゾクゾクゾクッ! っとキュルケの全身に電撃が走るのを感じる。

途端に心拍数が跳ね上がり、顔が火照ってきた。

 

「君は遊びのつもりで俺に手を出したんだろうけど……」

 

 エツィオに瞳を覗きこまれる、キュルケは思わず目をそらす。

甘く見すぎていた、ちょっと遊んでやるだけ、それだけのはずだったのに、心臓が狂ったように高鳴っている。

いつの間にか彼を直視することができなくなった、直視すればするほど、彼に惹きこまれてしまいそうで。

このまま彼に身を任せていたら、自分はどうにかなってしまいそうだ。

エツィオの手がキュルケのベビードールへと伸び、優しく、焦らす様に脱がしていく。

 

「あっ……」

 

 切なげな吐息を洩らし、キュルケはエツィオの成すがままになっていた。

 

「俺は彼らのようにはいかないということを、じっくりと君に教えてあげ――」

 

 最後の一枚にエツィオの手が伸びた、そのとき……。

 ドアが勢いよく開け放たれた。

また男か? いいところなのに……。と思ったら違った。

ネグリジェ姿のルイズが立っている。

 

「げっ……!」

 

 その姿を見たエツィオがキュルケから飛び退く。

幾多の死線を潜り抜けたエツィオが思わず身構えるほど、今のルイズからは怒気と殺気があふれ出ていた。

 

 ルイズは忌々しそうに部屋に立てられたロウソクを一本一本蹴り倒しながらエツィオとキュルケに近づいた。

 

「キュルケ!」

 

 ルイズはキュルケの方を向いて怒鳴った。

ぽー……っと上の空だったキュルケが、我に返り振り返った。

 

「……あら? ヴァリエールじゃない、いまいいところだったのに……」

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!」

 

 ルイズの鳶色の瞳は爛々と輝き、烈火のような怒りを示している

 キュルケがシーツを手繰り寄せ胸元を隠した。

 

「あぁ……それね、うん……それが、好きになっちゃったの、本当に……」

 

 キュルケはうっとりとした表情で言った。

ルイズの手がわなわなと震える。

 

「エツィオ、来なさい」

 

 ルイズは窓だった壁の穴からこっそりと逃走を図ろうとしているエツィオを睨みつけた。

ビクっとエツィオの身体が硬直する、ルイズはずんずんと近づくと、エツィオの襟元をがしりと掴んだ。

 

「そ、それじゃキュルケ! また会おう!」

 

 ルイズに襟元を掴まれ、ズルズルと引きずられながら退出していく。

バタン、と部屋のドアが閉まる、その様子を上の空で眺めていたキュルケがぼんやりと呟いた。

 

「ふふっ……うふふふふ……ルイズ、彼はあなたの手に余るわよ……くしゅん!」

 

 窓だった壁の穴から吹き込む風に体を冷やしたのか、小さくくしゃみをする。

 

「はぁ……、この窓どうしましょ……」

 

 部屋に戻ったルイズは、慎重に内鍵をかけると、エツィオに向き直った。

唇をギュッと噛みしめると、両目がつりあがった。

 

「まるでサカリがついた野良犬じゃないの~~~~~~ッ!!」

 

 声が震えている。ルイズは怒ると口より先に手が動き、手よりも先に足が動く。

この一週間生活を共にして、その辺はエツィオも承知していたが。

もっと怒ると、声が震えるのは初めて知った。

 ルイズは顎をしゃくった。

 

「そこにはいつくばりなさい、わたし間違ってたわ、あんたを一応人間扱いしていたみたいね」

「この扱いで人間って、君にとって人間ってどんな存在なんだよ」 

「ヘラヘラ笑うなッ! ツェルプストーの女に尻尾を振るなんてぇーーーーーーッ! 犬ーーーーーーッ!」

 

 ルイズは机の引き出しから何かを取り出した。鞭である。

 

「ははっ、薄々感づいてたが、君にそんな趣味があるなんてね……ちょっと意外、でもないか」

 

 それを見てもエツィオは余裕の態度を崩さない、それが益々腹立たしい。

 ルイズは怒りにまかせピシッっと床を叩いた。

 

「ここここ、この、ののの野良犬! 野良犬なら野良犬らしく扱わなくっちゃね。いいい今まで甘かったんだわ」

「本気でそういう趣味なのか? 困ったな、俺はどっちかっていうと責める方が好きなんだけどな」

 

 エツィオはルイズの持った見事な鞭を見つめて茶化した。

いやぁ、立派な革製の鞭である。

 

「じょじょじょじょじょ、乗馬用よ! ソッチの鞭じゃないわよ! この馬鹿犬ーーーーッ!」

「おわっ!」

 

 ルイズは鞭を振りかぶりエツィオを叩こうとする、紙一重で回避し、テーブルを挟むように逃げた。

 

「おい、落ちつけよ! えっと、その、さっきのは彼女が困ってたんだって! ……多分」

 

 焦っているように見えて、口元がニヤついている、完全にナメている。

その態度がルイズの怒りにさらに油を注いだ。

 

「そこに直りなさい! 今日という今日はあんたに自分の立場ってものを文字通り叩きこんでやるわ!」

「ははっ、そればかりは……!」

「なによ! あんな女のどこがいいのよッ!」

 

 エツィオは振り下ろされた鞭を手甲ではじき、ルイズから奪い取る。

目にもとまらぬ早業、ルイズは何が起こったのかわからないと言った表情でエツィオを見つめた。

エツィオは小さく笑うと、鞭を振い、ルイズと同じようにビシッ! と床を叩いた。

これから何をされるのか察したのか、ルイズの顔がみるみる青くなる。

 

「かっ……返しなさいよ……ッ!」

「おや? 言葉使いがなっていないな、攻守逆転だぞ、ご主人様。いや、この場合、ご主人様は俺か」

「ひっ……、あ、あんた、な、何する気よ……! や、やめなさいよ! 何考えてるのよ!」

「君と考えてることは一緒さ、立場ってものを教えてあげようと思ってね」

 

 とってもサディスティックな笑みを浮かべたエツィオにルイズがへたり込む。

どうしよう……このままじゃ本当に……。

エツィオが手に持った鞭を振り上げ、ルイズを叩く、と思いきや。

そのまま後ろ手に鞭を放り投げた。

 

「なんてな、冗談さ、君相手にそんなことしたら俺は世界中の男どもに命を狙われるだろうな。五年後の楽しみとして取っておくよ」

 

 エツィオは、笑いながら肩を竦める。

そして腰を抜かし、床にへたり込むルイズに手を差し伸べた。

 

「なんだよ、この程度で怯えるだなんて、可愛いところもあるじゃないか」

 

 ルイズはエツィオの手を取り立ち上がる。

そしてぎゅっと、手を握り締め、目に涙をため、上目づかいにエツィオの事を見つめた。

今までの態度から一変してしおらしくなったルイズに少々驚いていると、

ルイズがぼそぼそと呟き始めた。

 

「あ、あの……その……エツィオ……」

「ん? 何だい?」

 

 僅かに自分の名前を呼ぶのが聞こえる、

エツィオは怪訝に思いつつもルイズに近寄った。

 

 それがいけなかった、逃がすまいと掴まれた手に力がこもりエツィオの動きを封じる。

 

「死ねッ!!」

 

 ルイズの右足が疾風のように動き、エツィオの股間を蹴りあげた。

 

「ぐっ……ぬぁ……」

 

 エツィオは地面に膝をつき悶絶する。

衛兵達を相手にしているときも何度かもらった事はあるが、

これほどまでに見事な金的は食らったことがない……。

やはり男性同士、どこかで遠慮というものがあったのだろう……。

 

「ふ、ふふふ、つ、捕まえたわよ……この馬鹿犬……!」

 

 ルイズは不気味に笑うと、床に落ちた鞭を拾い上げる。

もちろん手は握ったままだ。指が食い込んでいる、何があっても逃がすつもりは無いらしい。

 

「なっ……お、おい、やめろ……」

「ごごご、ご主人様をこんなに、かかか、からかうなんて、これは一から躾けないとだめなようね……!」

 

 息も絶え絶えなエツィオを見下ろし、ルイズが鞭を振り上げる。

それを見たエツィオの顔が青くなった。

 

「お……落ち着け……! は、話せばわかるって!」

「問答無用よこの馬鹿犬ーーーーッ!!」

 

 夜はまだ始まったばかり、ルイズのお仕置きは空が明るむまで続き……、

さらにその後、朝までヴァリエール家とツェルプストー家の長年の因縁についての講義が続いたという。



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memory-07 「はじめてのお買いもの」

 キュルケは昼前に目覚めた。今日は虚無の曜日である。

窓を眺めると、あったはずの窓ガラスはなくなり、代わりに大きな穴があいている。

そして、窓のことなどまったく気にも留めずに起き上がり、化粧を始めた。

今日はどうやって彼を口説こうか、考えるだけで身体の芯から疼いてくる。

今回の獲物……エツィオは今までの男どものような、誘えば寄ってくるような容易い相手ではない。

昨夜、まさか自分があそこまで手玉に取られるとは思ってもいなかった。

あの時、ルイズが入ってこなかったら、自分は今頃、彼に身も心も屈服させられていただろう。

生まれついての狩人であるキュルケだからこそわかる、彼も同じ狩人だ、それも知恵も経験も豊富な、百戦錬磨の。

 

 化粧を終え、部屋から出て、ルイズの部屋の扉をノックした。

そのあと、キュルケは顎に手を置いて、考える。

エツィオが出てきたら抱きついてキスをする、まずは先制攻撃だ。でももしルイズが出てきたら……どうしようかしら? 

そんなことを考えながらドアが開くのを待つ、しかしいくら待てども、ノックの返事はなく、ドアが開くことはなかった。

試しに開けようと試みるも、案の定鍵がかかっていた。

 

 キュルケはなんのためらいもなく『アンロック』の呪文をかける、鍵が開く音がした。

開けてみると、やはりというべきか、部屋はもぬけの殻だった。二人ともいない。

キュルケは部屋を見回した。

 

「相変わらず色気のない部屋ね……」

 

 ルイズの鞄がない。虚無の曜日なのに鞄がないということは、どこかにでかけたのだろうか。窓から外を見回した。

門の前に二頭の馬が繋がっている、その横で話をしているのであろう二人の姿が見えた。目を凝らす。

果たしてそれはエツィオとルイズであった。

 

「なによー、出かけるの?」

 

 キュルケはつまらなそうに呟いた。

それから、ちょっと考え、ルイズの部屋を飛び出した。

 

 

 

「なぁ、本当に行くのか?」

 

 学院の校門前で、エツィオが馬の腹を撫でながらルイズに尋ねた。

 

「なによ? 剣が欲しくないの?」

 

 もう一頭の馬に跨ったルイズがエツィオを見下ろした。

二人がこんなやり取りをするのにはもちろん理由がある。

昨日……というより、今さっきまでルイズによる、ヴァリエール家とツェルプストー家の長年にわたる因縁の歴史の講義が行われていたのだが。

その話の最後に、キュルケに手を出したということが学院中の男どもに知れ渡った場合、命がいくつあっても足らない、

仮にも傭兵ならば、降りかかる火の粉は自分で払え、とのことで、身を守る為の剣を買いに行くことになったのである。

 

「それはそうだけど、別に今すぐ必要ってわけでもない、今日でなくてもいいじゃないか」

「言ったでしょ? 今日は虚無の曜日、授業は休みよ、今日行かないと忘れちゃうかもしれないでしょ」

「虚無の曜日……つまりは安息日だろ? 神様だって寝てるってのに……。まぁ、君がそう言うならお供するけどさ……眠くないのか? 

君が寝かせてくれないものだから俺はもう眠くて……」

「誤解を招くような言葉は慎みなさい、それに、何言ってんの? 全然眠くなんかないわ。見なさい、お肌がぷりっぷりのつるつるよ、積年の恨みを晴らした気分ね!」

「……それはなにより。わかった、折角のデートのお誘いだ、喜んでお供するよ」

 

 絶好調! と言わんばかりのルイズに対し、既に疲労困憊と言わんばかりのエツィオは苦笑交じりに馬に跨った。

 

 ルイズとエツィオが馬に乗ってトリステイン城下町に向かった数分後、キュルケは学院のある生徒の部屋に転がり込んだ。

部屋の中では青みがかかった髪と、ブルーの瞳をもった少女が一人、読書を楽しんでいる。

そんな彼女から本を取り上げ、自分に対しかけられていた『サイレント』の魔法を解除してもらってから言った。

 

「タバサ! 今から出かけるわよ! 早く支度してちょうだい!」

「虚無の曜日」

 

 タバサと呼ばれた青い髪の少女は短く理由を告げ、拒否の意を表明する。

それだけ言えば十分とばかりに、タバサはキュルケの手から本を取り返そうとした。

キュルケは本を高く掲げた、背の高いキュルケがそうするだけで彼女の手は本に届かない。

 

「わかってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日なのだか、あたしは痛いほど、よーく知ってるわよ。でも、今はね、そんなこと言ってられないの。恋なのよ! 恋!」

 

 それでわかるでしょ? と言わんばかりのキュルケであるが、タバサは首を振った。

 

「そうよね、あなたは説明しないと動いてくれないのよね。ああもう! あたしね、恋をしたの! ほら、使い魔のエツィオ・アウディトーレ!

で、その人が今日、あのにっくきヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、二人がどこに行くのか突きとめないとならないの! 

馬に乗って行ったから、貴方の使い魔じゃないと追いつけないのよ! だから助けて!」

 

 エツィオ・アウディトーレ……、使い魔として召喚されたというあの男か、キュルケの説明を聞き思い出す。

記憶が正しければ、フードが付いた白のローブに質素なマントを纏った、教室などでよく目にする男だ。

普段他人には興味を持たないタバサであったが、平民でありながらメイジに勝利したという彼の噂は彼女の耳にも入ってきていた。

大方、先日の決闘騒ぎを見物していたキュルケが一目ぼれでもしたのだろう。

そう見当をつけた彼女は、仕方ない、と言わんばかりに小さく頷いた。

 

「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」

 

 もう一度タバサが頷く。キュルケは親友だ、そんな彼女が自分にしか解決できない頼みを持ち込んだ、ならば受けるまでである。

 ピューっと、甲高い口笛の音が青空に吸い込まれる。次いでタバサは窓枠によじ登り、外に向かって飛び降りた。

キュルケも全く動じずに、それに続いた。ちなみに、彼女の部屋は五階である。

 ここ最近のタバサは、外出時にドアを使わなくなった。この方が早いからである。

 落下する二人を、その理由が受け止めた。力強く両の翼を陽光にはためかせ、二人をその背に乗せて、ウインドドラゴンが飛び上がった。

エツィオが召喚されたその日に目撃したドラゴンである。

 

「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」

 

 その背びれに腰掛け、キュルケが感嘆の声を上げた。そう、タバサの使い魔は、幼生のウインドドラゴンなのだ。

 タバサから風の妖精の名を与えられた風竜は、器用に上昇気流を捕らえ、一瞬で二百メイルも空を駆け上った。

 タバサは短くキュルケに尋ねる。

 

「どっち?」

 

 キュルケがあ、と声にならない声をあげた。

 

「わかんない……。慌ててたから」

 

 タバサは別に文句をつけるでなく、ウインドドラゴンに命じた。

 

「馬二頭。食べちゃだめ」

 

 ウインドドラゴン、シルフィードは短く鳴いて了解の意を主人に伝えれば、上空へと羽ばたいた。

竜の視力を持ってすれば、高空から馬の姿を捉えるなど、たやすいことだ。

 自分の忠実な使い魔が仕事を開始するのを確認したタバサは、キュルケの手から本を奪い取り、使い魔の背びれを背もたれにしページをめくり始めた。

 

 トリステインの城下町を、エツィオとルイズは歩いていた。

魔法学院から乗ってきた馬は町のそばにある駅に預けてある。

 

「あんた、乗馬も出来るのね」

 

ルイズが感心したように言った。

乗馬が得意な彼女が素直に褒めるほど、エツィオの乗馬の腕は大したものであった。

 

「まぁね、見直したか?」

「別に見直してなんかないわ、貴族ならその位出来て当然よ」

「ははっ、それもそうだな、しかし、乗馬の腕なら、君も大したものじゃないか」

 

 ルイズはぷいっとそっぽを向いた。エツィオはそんな彼女をみて笑いかけると周囲を見回す。

学院から街まで馬で三時間だった。経験から推測するとモンテリジョーニからフィレンツェまでの距離にあたるのだろうか。

そんな事を考えながらエツィオは注意深く街中を観察する。

大通りを多くの人々が行き来する、活気にあふれた街だ。

家などの建造物はほぼ石造であり、フィレンツェの街並みと比べるとやや簡素な造りになっている。

道端に露店を構え、声を張り上げ果物や肉、籠などを売る商人たちの姿が見え。

広場には先触れの姿もあった。この辺はフィレンツェでも最早見慣れた光景である。

 

「ちょっと、エツィオ?」

 

 鐘楼を見上げていたエツィオの袖をルイズが引っ張った。

 

「ん? 何だ?」

「あんた、まさかアレに登ろう、なんて考えてないでしょうね」

 

 どうやら学院で本塔によじ登ったときの事を言っているらしい。

……実のところ、路地と地形を手っ取り早く覚えるにはこれが一番効率がいい。

半ば図星を指される格好になったエツィオはごまかすように笑った。

 

「まさか! 君をほっぽってそんなことするわけないだろ!」

「てことはあんた、わたしがいなかったら登ってたってこと?」

 

 慌てるエツィオをみてルイズが笑う。

それに釣られて、エツィオも笑った。

 

「ねぇ、あんたの住んでいたとこ……フィレンツェだっけ? そこってどういうところだったの?」

 

 しばらくそうやって街を歩いていると、ルイズが不意に口を開いた。

 

「おや? 君が俺の事を聞いてくるなんて珍しいな、もしかして俺のことを知りたくなったのか?」

「ばっ! 馬鹿じゃないの! そんなんじゃないわよ! あんたねぇ! ご主人様が聞いてるんだから、少しはまじめに答えなさいよ!」

 

 茶化した態度を取るエツィオをルイズが怒鳴りつける。

エツィオは小さく笑い、空を見上げた。

 

「悪い悪い。……フィレンツェか、いいところだよ、学問と芸術が栄える、イタリアでも有数の都市国家さ」

「都市国家……昔のゲルマニアみたいなところってこと?」

「うーん、ゲルマニアがどういうところかは知らないが、多分そんなところだろうな」 

「ふん、成り上がりの国ね」 

 

 辛辣な感想を述べたルイズを見て、エツィオは笑い声をあげた。

 

「はははっ、成り上がりか、確かにそうかもしれないな、事実、フィレンツェは二百年前まで小さな都市にすぎなかったからな」

「ふぅん……そこであんたの家は銀行を営んでいた、ってワケね」

「そうさ、その街で俺は銀行家の息子として何不自由なく暮らしてた。フェデリコ兄さんと一緒に馬鹿やったりしてたよ、喧嘩したり、女の子と遊んだりね。

……幸せだった。ずっとそんな日が続くと思ってた……」

「それって……」

 

 空に浮かぶ雲から視線を落とし、悲しそうに呟くとエツィオは小さく首を振った。

 

「あ……いや、すまない、どんな街か、って話だったな」

 

 エツィオは困ったように笑うと、頭を掻いた。

 

「うん、さっきも言った通り、学問と芸術が栄える、素晴らしい街さ。もし機会があったら案内してあげるよ、

会わせたい奴もいる、レオナルドって奴だ、俺の親友でこれがまた変わった奴でさ……っと」

「な、なによ、どうしたの?」

 

 そこまで言ったエツィオの目が急に鋭くなり、ルイズの腕を掴むとぐいと引きよせた。

突然エツィオの様子が変わり、困惑するルイズに静かに耳打ちした。

 

「なぁルイズ……尾行されている」

「はぁ?」

 

 突然出てきた言葉にルイズが素っ頓狂な声を上げる。

そしてあたりをきょろきょろと見回した。

辺りは人通りが激しく、誰が尾行しているのか全くわからない。

 

「尾行って……誰によ」

「今はわからない、だけど……視線は二人だな。狙われる心辺りは?」

「ない……けど」

「そうか、ルイズ、先に行っててくれ、……そうだな、そこの路地を曲がったところでいいだろう、そこで待っててくれ」

「あ、あんたはどうするの?」

 

 不安そうにこちらを見るルイズにエツィオは軽くウィンクをした。

 

「そういうのを始末するのが俺の役目だろ? なに、任せておいてくれ」

 

 それだけ言い残すと、エツィオは人込みの流れに紛れ込んでいく。

するとどうだろう、かなり派手な格好をしているにも関わらず、彼の姿が気配と共に人々の中に溶け込み消えてしまったのである。

 

「あ、あれっ? エツィオ?」

 

 完全にエツィオの姿を見失ったルイズは、きょろきょろとあたりを見回した。

しかしいくら探せど人込みに完全に溶け込んだエツィオを探し出すことはできず、やがて諦めたのか

エツィオに言われた場所へと渋々歩き出した。

 

 

 

「あれっ?」

 

 ルイズと同じように驚いた声を出したのは、キュルケであった。

 

「いつ見失っちゃったのかしら? 目を離した覚えはないのに……」

 

 その言葉にキュルケの横にいたタバサも小さく頷いた。

難なくルイズとエツィオを見つけた一行はここまで後をつけていたのであるが……

ルイズと同じように人込みに紛れこんだエツィオを完全に見失ってしまったのであった。

 

「ルイズもどっか行っちゃうし……まかれちゃったのかしら?」

 

 キュルケが困ったように呟く、まさかここまで来て見失うなんて……。

ルイズと離れた最大のチャンスであるにもかかわらず見失ってしまった自分の迂闊さが憎らしい。

このまま諦めるのも彼女の主義に反するし、何より、ここまで連れてきてくれたこの小さな友人に申し訳が立たない。

キュルケは意を決したように振りかえる。

 

「タバサ、急いで探すわよ!」

「その必要はないな」

「ひゃっ!!」

「――ッ!?」

 

 その声と共に、突然背後から肩を掴まれた二人は軽く悲鳴を上げる。

不意を突かれた二人は即座に後ろを振り返る、するとそこに立っていたのは、今まで二人が尾行していた男……エツィオ・アウディトーレその人であった。

 

「やぁ、キュルケ。もしかして俺を追ってきていたのは君達だったのかな?」

 

 驚きのあまり目を白黒させているキュルケにエツィオはおどけた様子で話しかける。

 

「ミ、ミスタ! はぁっ! まったく、驚かさないでほしいわ!」

 

 キュルケが豊満な胸を抑えつつ、大きく息を吐く。

 

「ははっ、これは失礼、しかしよかった、追っていたのが君たちのようで安心したよ」

 

 エツィオはそう言うと、キュルケの隣にいる少女……タバサに視線を向けた。

 

「それはそうと……こちらの可愛らしいお嬢さんは?」

「あぁ、この子? あたしの友達のタバサよ」

 

 キュルケがつられてタバサに視線を向ける、

するとタバサは、何やら顔を青くしながら、首筋を押え、杖をしっかりと握りしめている。

まるで目の前の男を警戒しているかのように、その顔は硬くこわばっていた。

 

「……タバサ? どうしたの?」

 

 いつもと様子が違う友人にキュルケが声をかける。

すると我に返ったのか、タバサは首筋から手を離すと、小さく「何でもない」と答えた。

その様子を知ってか知らずか、エツィオは社交的な笑みを浮かべ軽い口調でタバサに話しかける。

 

「やぁ、ミス・タバサ、俺はエツィオだ、よろしくな」

「……」

 

 にこやかに自己紹介をするエツィオを、タバサはじっと見つめる。

自然と、手に握る杖に力がこもる。間違いない、彼がその気なら殺されていた。

今こうして、へらへらと笑ってはいるが、肩を掴まれた瞬間に感じたそれは、極限まで研ぎ澄まされた殺気だった。

尾行している間はともかく、彼を見失ったとき、真っ先に周囲を警戒していた。

にもかかわらず、彼は自分たちの背後にまんまと回り込み、あまつさえ身体に触れる瞬間までまったく気配を感じさせなかったのだ。

 

「うーん、これは嫌われちゃったかなぁ……」

「あぁ、気にしないで、この子は誰にでもこうだから」

 

 困った表情で頭を掻くエツィオにキュルケが軽くフォローを入れる。

 

「それよりエツィオ? ヴァリエールなんかと街で何をする気だったのかしら? もしよろしければ、あたしと一緒に街を歩かない?

いろんなところ、案内してあげるわよ」

 

 キュルケが誘惑するようにエツィオの下顎を指でなぞる。

エツィオはその手を優しく包む込むように握ると、ゆっくりと首を振った。

 

「すまない、今日は先約があるんだ、あの子が剣を買ってくれるって言うんでね、なんでも、君を狙う男どもから身を守るためだとか……」

「あら、そんなものなくたって、あたしが貴方を守ってあげるわ」

「それはうれしいな、しかし、自分の身も守れないような男が、君に釣り合うわけがない、そうだろう?

なに、学院中の男どもを敵に回したって、俺は君を手に入れて見せるさ」

 

 エツィオはそこまで言うと、キュルケの指に軽く唇を落とす。なんとも情熱的な男である。

 

「さて、ルイズを待たせてる、そろそろ行かなくっちゃ、あの子は怒らせると怖いんだ」

「エツィオ? あたし達もご一緒してよろしいかしら?」

「もちろんだ」

 

 両手に花、エツィオは上機嫌でキュルケと腕を組むと、ルイズの待つ通りへと歩き出した。

 

 

「エツィオ! おそ――なっ! ツェルプストー! なんであんたがここにいるのよ!」

 

 エツィオと腕を組み、共に歩いてきたキュルケを見て、ルイズが眉を吊り上げる。

 

「あぁルイズ、尾行していたのはこの子たちだった……ぐあっ!?」

 

 とてもいい笑顔のエツィオの股間をルイズが力いっぱい蹴りあげた。

 

「な……なにを……」 

「ああああ、あんた! 昨日言ったこともう忘れたの! あれだけ! 口が! すっぱくなるほど! 

キュルケに尻尾を振るなって! 言ったでしょうが! この馬鹿犬!!」

 

 あまりの激痛に地面にうずくまるエツィオをげしげしと蹴りながらルイズが怒鳴り散らす。

その様子を見ていたキュルケが勝ち誇ったように言った。

 

「あら? もしかして嫉妬? みっともないわよヴァリエール」

「嫉妬? 誰が嫉妬してるのよ! この馬鹿使い魔がツェルプストーの女なんかに尻尾を振ることが気に入らないだけよ!」

 

 苦痛に悶え、未だ起き上がれないエツィオをよそにルイズとキュルケが口論を始める。

と言うよりは、キュルケはルイズをからかっているだけなのだが……。

 

「そう言えばヴァリエール? あなた、エツィオに剣をプレゼントするんですって?」

「あんたには関係ないでしょ! ちょっとエツィオ! いつまで寝てんの! キュルケなんてほっといて、さっさと行くわよ!」

「ぐっ……わ、わかった! わかったからそんなにひっぱるな!」

 

 怒り心頭のルイズはエツィオの耳を掴むと、キュルケ達を無視するように大通りをずんずんと進んでいく。

耳を引っ張られ無理やり引き立たされる形になったエツィオは、情けない悲鳴を上げながらルイズに引きずられ、人込みの中に消えていった。

 

「追うの?」

「当然じゃない、後を追うわよ!」

 

 その様子を眺めていたタバサが、キュルケに尋ねる。

キュルケは大きく頷くと、再びルイズ達を尾行すべく大通りを歩き出した。

 

「……やっと撒けたようね、まったく、無駄な時間を過ごしたわ!」

「はぁ、だからって、あぁまで邪険に扱わなくなっていいじゃないか……」

 

 ルイズが念入りに背後を確認しながら、怒りに地面を踏みならす。

エツィオは赤くなった耳を擦りながら、呆れたように呟いた。

 

「あんたね、本当に話聞いてたの! 我がヴァリエール家とツェルプストー家は不倶戴天の敵なの!」

「わかったわかった! それはもう散々聞いたって! まったく……」

「……それよりあんた、財布は無事でしょうね?」

 

 ルイズは財布は下僕が持つものだ、と言って財布をそっくりエツィオに持たせていたのである。

中にはぎっしり金貨が詰まっており、ずっしりと重い。

 

「あぁ、大丈夫だ、……ここらへんはスリが多いみたいだな」

「む……、なんでそれがわかったの?」

「なに、見ればわかる、それに、俺から言わせれば彼らはまだまだだ」

 

 エツィオはいたずらっぽく笑うと小さな袋をいくつか取り出した。

ルイズの財布ほどではないが中には小銭が入っていた。

 

「ちょっと! それどうしたの!?」

「これかい? 俺に近づいてきたスリから逆にスッたのさ。彼らは今頃、慌てふためいているだろうな」

「呆れた……」

「なに、授業料、ってやつさ。俺だって堅気の人からはスッたりしないよ」

 

 そう言うとエツィオは"戦利品"の袋の中から一枚金貨を取り出す、見たことのない貨幣である。

 

「そういえば、俺も一応金の持ち合わせがあるが、ここの通貨はなんだ? 見たことがない」

「エキューよ、その金貨がそれね、あとはスゥ、ドニエね」

「エキュー? フランス……のか? うーむ、参ったな、てことは通貨が違う。俺が持っているのはフローリンだ」

 

 エツィオは自分の財布から金貨を一枚取り出した。

それを手に取りルイズがしげしげと眺める。

 

「初めてみる貨幣ね、残念だけど、あんたの持ってるお金はここじゃ使えないわ」

「やっぱりダメか、両替も期待できないだろうな」

「ま、剣の代金くらいわたしが持ってあげるわ、そのつもりで来たんだし」

「すまないな」

 

 ルイズは狭い路地裏に入って行った、悪臭が鼻につく。ゴミや汚物が道端に転がっている。

 

「路地裏っていうのはどこも同じなんだな」

「あんまり来たくはないわ、治安もあまりいいとは言えないし……」

 

 四辻にでた。ルイズは立ち止まると、辺りをきょろきょろと見回した

 

「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺だったと思うんだけど……」

「あれじゃないか?」

「あ、あそこね」

 

 エツィオが指さす、見ると剣の形をした銅の看板が下がっていた。

どうやらそこが武器屋のようだった。

ルイズとエツィオは、石段を上り、羽扉を開け、店の中に入って行った。

 

 店の中は昼間だと言うのに薄暗く、ランプの灯りがともっていた。

壁や棚に、所狭しと剣や槍、槌が乱雑に並べられている。立派な甲冑もあった。

店の奥でパイプをくわえていた五十がらみの親父が入ってきたルイズを胡散臭げに見つめた。

紐タイ留めに描かれた五芒星に気付く。それからパイプを放し、ドスの利いた声を出した。

 

「旦那、貴族の旦那、うちはまっとうな商売してまさぁ、お上に目をつけられるようなやましいことなんかこれっぽっちもありませんや」

「客よ」

 

 ルイズは腕を組んで言った。

 

「こりゃおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」

「どうして?」

「いえ、若奥様、坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる、そして陛下はバルコニーから手をおふりになる、と相場は決まっておりますんで」

「使うのはわたしじゃないわ、使い魔よ」

「忘れておりました! 昨今は使い魔も剣をふるようで」

 

 店主はお愛想を言うと、エツィオをじろじろと眺めた。

 

「剣をお使いになるのはこの方で?」

 

 ルイズは頷いた。エツィオは先ほどから棚の上の商品を手に取り、なにやら考え込んでいる。

ルイズはそんなエツィオをちらと見て言った。

 

「わたしは剣のことなんかわからないから。適当に選んでちょうだい」

 

 店主はいそいそと奥の倉庫へ消える。彼は聞こえないように小声で呟いた。

 

「……こりゃ、鴨がネギしょってやってきたわい。せいぜい高く売りつけてやるとしよう」

 

 店主が奥に引っ込んだ時、棚を物色していたエツィオがルイズに話しかけた。

 

「なぁ、ルイズ、ついでに欲しいものがあるんだ、買ってもらえると助かるんだが」

「なによ」

「まずはそうだな、短剣と……投げナイフが数本欲しいな。ついでにこれも」

 

 エツィオはそう言うと、棚にあった短剣やナイフをカウンターに次々積んでいく。

そして最後に、なにやら鉄のプレートが縫いこまれた皮の手袋を置いた。

ルイズは首を傾げる。

 

「なにこれ」

「セスタスさ、ギーシュのようにゴーレムを使う奴がいるかもしれないだろ? これなら殴っても手を傷めないで済む」

「ふぅん、わたしも一つ買おうかしら、あんたへのお仕置き用に」

「おいおい、勘弁してくれ! 君の怖さは十分思い知ったって!」

 

 ルイズとエツィオが笑いあっていると、丁度店主が奥の倉庫から一メイルほどの長さの細身の剣をもって現れた。

随分華奢な剣である。片手で扱うものらしく、短めの柄にハンドガードが付いていた。

主人は思い出したように言った。

 

「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たせるのがはやっておりましてね。

その際にお選びになるのがこのようなレイピアでさあ」

 

 なるほど、きらびやかな模様がついていて、いかにも貴族好みしそうな、綺麗な剣だった。

 

「貴族の間で、下僕に剣を持たせるのが流行ってる?」

 

 ルイズは尋ねた。主人はもっともらしく頷いた。

 

「なんでも『土くれ』のフーケとかいう盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。

貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせてる始末だそうで、へぇ」

 

 ルイズは盗賊には興味がなかったので、じろじろと剣を眺めた。

しかし、これではすぐに折れてしまいそうである。

エツィオは確か、両手で扱うような斧や剣を軽々と扱っていた。

 

「もっと大きくて太いのがいいわ」

「これよりも大きい剣ですかい? なら奥に店一番の業物がありまさぁ、やっこさんならそれも扱えるでしょうな」

「そう、ならそれを持ってきて頂戴」

 

 ルイズがそう言うと、店主がぺこりと頭を下げ、奥に戻ろうとする。

その様子を後ろから眺めていたエツィオが引きとめるように声をかけた。

 

「いや、このくらいでいいんじゃないか?」

 

 エツィオはそう言うと、レイピアを手に取ってフェンシングのように構えた。

その構えは流石と言うべきか、洗練され一部の隙もない。

 

「それに、これより大きいとなると、取り回しが難しくなるんだよな」

「じゃあ……それにする?」

 

 剣の事はさっぱりなので、エツィオがそう言うならと、ルイズもこれでいいんだろうな、と思った。

しかし、エツィオは小さく頭をふった。 

 

「だけど、これじゃ派手すぎる。もっと地味で安いのはないか? 見たところ高そうだ」

 

 エツィオはあっさりそう言うと、レイピアをカウンターの上に置く。

剣に必要なものは切れ味であり、無駄な装飾でも、付加価値でもないのだ。

だがルイズは、このレイピアを気に入ったようである、貴族はこの位の派手な装飾がある物が好みなのだ。

 

「わたしは貴族よ、エツィオ、これでいいじゃない。これ、おいくら? 新金貨で百まで出せるわ」

「なっ……おい!」

 

 その言葉を聞いたエツィオはずるっと肩を落とす。まさかのっけから財布の中身をバラすとは思っていなかったからだ。

流石は貴族のお嬢様、ルイズは買い物の駆け引きが下手くそだった。

それを聞いた店主が話にならないと言うように手を振った。

 

「まともな剣なら、どんなに安くても相場は二百でさ、そればかりじゃあこの短剣類を買っておしまいですぜ」

 

 ルイズは顔を赤くした。剣がそんなに高いとは知らなかったのだ。

 

「まぁ、仕方ないな、こればかりは。それじゃ親父、これをくれ」

 

 エツィオが慰めるようにルイズの肩に手を置く。

剣が買えなかったのは残念だが、最低限の装備は整えられた。

武器はいざとなったら敵から奪えばいい。そう考えて勘定をしようとした、その時……

乱雑に積み上げられた剣の中から、声がした。

低い、男の声だった。

 

「へっ! 百しかねぇのに剣を買いに来たのかよ! 舐められたもんだな!」

 

 ルイズとエツィオは声の方を向いた。店主が、頭を抱えた。

 

「それっぽっちで剣が買えるとでも思ったのか? 貴族の娘っ子! 

世間知らずもいいところだ! わかったらさっさと家に帰りな!」

「失礼ね! どこ! 出てきなさい!」

 

 ルイズはいきなり悪口を言われ腹が立った。

しかし聞こえてくる方向には人影はない。ただ、乱雑に剣が置いてあるだけである。

 

 エツィオはつかつかと声のする方に近づいた。

 

「誰もいないな……一体なんだ?」

「おめえの目は節穴か!」

 

 驚いたエツィオは思わず後ずさる。

なんと、声の主は一本の剣だった。錆の浮いたボロボロの剣から声は発されていたのであった。

 

「うわっ、剣がっ! しゃべった……?」

 

 エツィオがそう言うと店主がどなり声を上げた。

 

「やい! デル公! お客様に失礼なこと言うんじゃねぇ!」

「デル公だって?」

 

 エツィオは恐る恐る剣を引き抜き、もう一度、その剣をよく"見た"。先ほどのレイピアよりも長く、分類としては大剣に当たるだろう。

刀身が細い、薄手の長剣である。ただ、表面には錆が浮き、お世辞にも見栄えがいいとは言えない。

しかし、エツィオの目は、他の剣にはない"何か"を捉えた。うまく言い表せないが、これが魔力というものなのだろうか。

 

「お客様? 金も持ってねぇのにか? そんなの客って言えるのか?」

「それって、インテリジェンスソード?」

 

 ルイズが当惑した声を上げた。

 

「そうでさ、若奥さま、意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったいどこの魔術師が始めたんですかねぇ。

剣を喋らせるなんて……とにかく、こいつは口は悪いわ、客に喧嘩を売るわで閉口してまして……。

やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめぇを溶かしちまうからな!」

「おもしれ! やってみやがれ! どうせこの世には飽き飽きしてんだ、溶かしてくれるなら上等だ!」

「やってやらあ!」

 

 店主が歩き出した。しかし、エツィオはそれを遮る。

 

「まぁ、待ってくれ。なかなか興味深い、溶かす前に少し見せてくれないか」

 

 レオナルドに見せたらどんな反応をするのだろうか?

エツィオはそんなことを考えながら、その剣に話しかける。

 

「お前、デル公って言うのか?」

「違うわ! デルフリンガーさまだ! いい加減離せ!」

「名前だけは一人前でさ」

「へぇ、俺はエツィオだ」

 

 剣は黙った。じっと、エツィオを観察するかのように黙りこくった。

それからしばらくして、剣は小さな声でしゃべり始めた。

 

「おでれーた。……おめえ、ただもんじゃねぇな。相当修羅場をくぐってやがる」

「お、わかるか? これでも女性関係には苦労しているんだ」

「そっちじゃねぇよ! ったく、しかし……『使い手』か、それも相当な技量だ、まあいい、てめ、俺を買え」

「おいおい、売り込みか? わかった、相談してみよう」

 

 エツィオは軽く言った。すると剣は黙りこくった。

 

「ルイズ、これにしよう、親父、こいつに苦労させられてるんだろ? 厄介払いってことで安くしてくれよ」

 

 ルイズはいやそうな声をあげた。

 

「え~~~。そんなのにするの? もっと綺麗で喋らないのにしなさいよ」

「まぁいいだろ? なかなか面白いじゃないか」

「それだけじゃないの」

 

 ルイズはぶつくさ文句を言ったが、他に買えそうな剣もないので、店主に尋ねた。

 

「あれ、おいくら?」

「あれなら、そこの短剣類とあわせて百で結構でさ」

「安いじゃない」

「兄ちゃんの言うとおり、こっちにしてみりゃ厄介払いでさ」

 

 主人は手をひらひらと振りながら言った。

エツィオはルイズの財布を取り出すと、中身をカウンターの上に置いた。

店主は慎重に枚数を数え、やがて頷いた。

 

「毎度」

「ありがとう、では貰って行くよ」

 

 剣を手に取り、鞘に収めエツィオに手渡した。

それからエツィオはカウンターに置かれた短剣や投げナイフを手慣れた手つきでローブの中に収納してゆく。

セスタスを手にはめ、投げナイフを腹当のナイフベルトに差していく、小ぶりの短剣をブーツについた鞘に入れ、もう一本の短剣を腰当てに下げた。

カウンターの上にあれだけあった武器の束をあっという間に収納すると、最後にデルフリンガーを肩に背負った。

 

「これでよし。さ、行こうか。世話になったな」

「その前に、なにかわたしに言うことあるんじゃない?」

「あぁそうだった、わたくしのために剣をお与えいただき恐悦至極に存じます、ご主人様」

「よろしい」

 

 つんと胸をはるルイズに、エツィオはにっこりと笑い恭しく礼をする。

それを受け、満足そうにルイズが頷いた。

 

 

「やっと出てきたわね……」

 

 武器店から出てきたエツィオとルイズを見つめる二つの影があった、キュルケとタバサである。

キュルケが路地の陰から二人を見ていると、エツィオと目があう。

彼は隣にいるルイズにバレないように軽くウィンクをすると、再びルイズに向き直った。

やはりというべきか、彼は彼女らが再び自分を尾行していることなど承知の上のようだった。

 

「はぁ……やっぱり素敵ね、彼……」

 

キュルケは頬に手を当てると、うっとりしたように呟く。その横でタバサが、黙々と読書に耽っていた。

 

「まったく、ゼロのルイズったら、剣なんかプレゼントしてあの人の気を引こうだなんてね、

こうしちゃいられないわ、あの子が買った物より、もっといい剣を彼にプレゼントしなくちゃね」

 

 自信たっぷりにそういうと、彼女は今しがた二人が出てきた武器屋へと入って行った。



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memory-08 「禁じられた遊び」

 『土くれ』の二つ名で呼ばれ、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れているメイジの盗賊がいる。

土くれのフーケである。

 その手口は繊細に屋敷に忍び込んで盗み出したかと思えば、別荘を粉々に破壊して大胆に盗み出したり、

白昼堂々王立銀行を襲ったと思えば、夜陰に乗じて邸宅に侵入する。

行動パターンがまったく読めず、トリステインの治安を預かる王立衛士たちをも手玉に取る、神出鬼没の大怪盗

それが、『土くれ』のフーケである。

 そんな男か女かも不明なフーケだが、盗みの方法には共通点があった。

フーケは盗みを行う際、主に『錬金』の呪文を使用する。

宝物を守る強固な壁を、錬金によって粘土や砂に変え、穴をあけて潜り込むのである。

『土くれ』は、強力な『固定化』の魔法をかけられた壁をあっさりと土くれしてしまうその実力と手口からつけられた二つ名なのであった。

忍び込むばかりでなく、力任せに屋敷を破壊する時は、フーケは巨大な土ゴーレムを使う、その身はおよそ三十メイル。

城をも壊せそうな巨大なゴーレムである。集まった魔法衛士たちを蹴散らし白昼堂々お宝を盗み出したこともある。

 そんな土くれのフーケの正体を見た者はいない。男か女かすらもわからない。

ただ、わかっていることは、フーケは少なくとも『トライアングルクラス』の『土』系統のメイジであること。

そして、犯行現場の壁に、『秘蔵の○○、たしかに領収いたしました。 土くれのフーケ』とふざけたサインを残していくこと。

そして何より、フーケは珍しいものには目がない、ということだ。

 

 巨大な二つの月が、五階に宝物庫がある魔法学院の本塔の外壁を照らす。

月の光が、壁に垂直に立った人影を浮かび上がらせていた。

トリステインを騒がせる盗賊、『土くれ』のフーケその人である。

フーケは足から伝わってくる壁の感触に舌打ちした。

 

「さすがは魔法学院本塔の壁ね……。物理衝撃が弱点? こんなに厚かったらちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」

 

 足の裏で、壁の厚さを測る。『土』系統のエキスパートであるフーケにとっては朝飯前である。

 

「確かに、『固定化』以外の魔法はかかってないみたいだけど……。これじゃ私のゴーレムでも壊せそうにないね……」

 

 フーケは腕を組み悩んだ。

強力な『固定化』の呪文がかかっている以上、『錬金』の呪文で壁に穴をあけるわけにもいかない。

 

「やっとここまできたってのに……」

 

 フーケは唇をかみしめる。

 

「かといって、『真理の書』……あきらめるわけにゃあ、いかないね……」

 

 フーケの目がきらりと光る、そして腕組みをしたまま。じっと考え始めた。

 

 フーケが本塔の壁に足をつけて、悩んでいる頃……ルイズの部屋では騒動が持ち上がっていた。

ルイズとキュルケは、お互い睨みあっている。その横でタバサはベッドに座り本を広げていた。

 

「どういう意味? ツェルプストー」

 

 腰に両手を当て、ルイズがぐっと不倶戴天の敵であるキュルケをにらみつけている。

キュルケは悠然と、恋の相手の主人の視線を受け流す。

 

「だから、あなたがエツィオに買ってあげたのよりよっぽどいい剣を手に入れたからそっちを使いなさいって言ってるのよ」

「おあいにくさま。使い魔の剣なら間に合ってるの、ねぇ、エツィオ」

 

 ルイズはそう言うと、渦中の人物であるエツィオを睨みつける。

しかし、エツィオはそんな言葉を尻目に、キュルケが手に入れた剣を腰に差すと、くるりと振り向いた。

 

「どうかな? なかなかに決まってるだろ?」

 

 エツィオはニヤリと笑うと、キュルケの手に入れた剣を鞘から引き抜き、フェンシングの様に構えを取る。

何を隠そう、キュルケが持ってきた剣は、最初にルイズが買おうとしたあの豪奢なレイピアであった。

店の親父からその事情を聞いたキュルケは、エツィオのために買ってきたのであった。

思いがけず全ての装備を整えられたのでエツィオはご満悦の様子である。

 ルイズはそんなエツィオを蹴飛ばした。

 

「い、いきなり何を!」

「返しなさい。あんたにはあの喋る剣があるじゃない」

「もちろん、でも、この剣もあって困るようなものじゃないだろう? 二つとも大事に使わせてもらうよ」

 

 エツィオはそう言うともう一度振り返り、背中のデルフリンガーを見せた。

 

「そうじゃなくって! あんた、またあの話を聞きたいの? ツェルプストーの女からは豆の一粒だって恵んでもらいたくないの!

そんだけよ! わかったら早くキュルケに返しなさい!」

「素敵よ……エツィオ、剣を構えるあなたもとっても格好いいわ」

 

 キュルケはエツィオに近づくと甘えるようにしな垂れかかる。

エツィオは優しくキュルケの身体を抱き寄せ、優しくほほ笑んだ。

 

「その剣は返さなくていいわ、好きにして頂戴。ご存じ? その剣、ゲルマニアのさる高名な錬金魔術師の作だそうよ?」

 

 キュルケはそう言うと、うっとりとした表情でエツィオに流し目を送る。

 

「ねぇ、あなた。よくって? 剣も女も生まれはゲルマニアに限るわよ? トリステインの女ときたら、

このルイズみたいに嫉妬深くって、気が短くってヒステリーで、どうしようもないんだから」

 

 ルイズはキュルケをぐっと睨みつけた。

 

「なによ、ほんとのことじゃない」

「へ、へんだ。あんたなんかただの色ボケじゃない! なあに? ゲルマニアで男を漁りすぎて相手にされなくなったから、

トリステインまで留学してきたんでしょ?」

 

 ルイズは冷たい笑みを浮かべ、キュルケを挑発する。

声が震えている、相当頭にきているようだ。

 

「言ってくれるわね。ヴァリエール……」

 

 キュルケの顔色が変わった、エツィオから離れルイズを睨みつける。

ルイズが勝ち誇ったように言った。

 

「なによ、ほんとのことでしょ?」

「おい二人とも、その辺に……」

 

 見かねたエツィオが両者の肩に触れる、二人はエツィオの腕を振り払うのと同時に自分の杖に手をかけた。

そして、あるべき場所に杖がないことに気づき、慌てたように声を上げた。

 

「うそっ! 杖が!」

「あ、あれっ? どこに!」

 

 慌てふためく二人の前にエツィオがずいっと進み出ると、両手に持った二本の杖を振った、果たしてそれは、ルイズとキュルケの杖であった。

 

「エツィオ! そ、それわたしの杖よ! かえしなさい!」

「うそ……いつの間に?」

 

 唖然とする二人を前に、エツィオは大きくため息をつくと、宥めるように言った。

 

「そんな事だろうと思ったさ、二人とも、俺の事を思ってくれているのはうれしいが、

美しい二人が傷つけあうのは見たくはないな、もちろん、罵りあう姿もだ」

 

 そう言うと、二人に杖を返し、壁に寄り掛かる、そして背中のデルフリンガーを引き抜いた。

睨みあうルイズとキュルケを見ながらデルフリンガーは呆れたように呟く。

 

「あーあ、確かに修羅場だねこりゃあ」

「女性関係には苦労している、そう言ったろ?」

「相棒、おめぇ、この状況楽しんでねぇか?」

「なに、フィレンツェにいた頃に比べれば、まだ可愛いものさ」

「……まあいいさ、んで? 俺とそのレイピア、どっち使ってくれるんだ?」

「おい、お前までそんな事言うのか?」

 

 うんざりしたように呟くと、デルフリンガーを鞘に納める。

そして視線を感じ、顔を上げると、ベッドに腰掛け本を読んでいた少女、タバサがこちらをじっと見つめていた。

エツィオがにこりとほほ笑みかけると、彼女は手元の本に視線を戻してしまった。

エツィオはそんなことはお構いなしにと、彼女の横に腰かけると声をかけた。

 

「やあ、また会ったな、ミス・タバサ」

「……」

 

 返事はない、本のページを黙々とめくっている。

 

「初めて会った時も本を読んでいたみたいだったが……本が好きなのか? 一体何を読んでいるんだ?」

 

 そう言うとエツィオはタバサが読んでいる本を覗きこむ、そして眉を顰めた。

その本は、エツィオにとって見慣れない文字で書かれており、どうしても読むことができなかった。

 

「……どこの言葉だ、これは……」

 

 エツィオの呟きが聞こえたのか、タバサが首を傾げ、訝しむような視線を向けてきた。

 

「あ、いや、すまない、こっちの話だ」

 

 慌ててエツィオが本から視線を外す、そして顎に手を当て考え込んだ。

 

「(参ったな……字が読めないのか……)」

 

 今まで会話が通じていたため、あまり意識していなかったが、ここは異国、下手をすれば別大陸である。

文字も違えば言語も違う、故に文字が読めないのも当然だ、これは早いところ現地の文字の習得を急いだほうがいい。

言語が違えど会話が成立することについては、彼女らの言う『魔法』とやらの恩恵によるものだと解釈した。

 

「(まぁ、それは今度ルイズにでも教わるとして……)」

 

 そこまで考えたエツィオは、ルイズとキュルケに視線を戻す。

どうやら議論はますますヒートアップしているようだ。

 

「「決闘よ!」」

 

 二人の怒鳴り声が部屋の中に響く。

結局そうなるのか……、とエツィオが小さくため息をついた。

 

「もちろん、魔法でよ?」

 

 キュルケが勝負はもう決している、と言わんばかりに言った。

ルイズは唇を噛み締めたがすぐにうなずいた。

 

「ええ。望むところよ」

「いいの? ゼロのルイズ、魔法で決闘よ? 本当に大丈夫なの?」

 

 小ばかにする様子でキュルケが挑発する。ルイズは頷く。

自信はない。だが相手があのツェルプストーだ。引き下がるわけにはいかない。

 

「もちろんよ! 誰が負けるもんですか!」

 

 

 本塔の外壁に張り付いていたフーケは、誰かが近づく気配を感じた。

とんっと、壁を蹴り、すぐに地面に飛び降りる。

地面にぶつかる瞬間、小さく『レビテーション』を唱え、回転して勢いを殺し、羽毛の様に着地する。

それからすぐに中庭の植え込みに消えた。

 

「ん?」

 

 中庭に出てきたエツィオが、ふと外壁を見つめる。

そんなエツィオに気が付いたのかルイズが首を傾げる。

 

「どうしたのよ」

「いや、今、あそこに誰かがいたような……」

「誰かって、あそこは本塔の壁じゃない、あんなところに人がいると思ってんの? あんたじゃあるまいし」

「だから! もうそのことは忘れてくれよ!」

 

 エツィオがばつが悪そうに頭をかく。

 

「じゃあ、始めましょうか」

 

 そうしていると、後ろから付いてきていたキュルケが言った。エツィオが困ったような表情で言った。

 

「二人とも、さっきも言っただろう、俺は君達が傷つくところなんて見たくない」

「何言ってるのよ、もう後には引けないわ」

 

 ルイズもやる気満々である。

 

「そうは言うけどな……もうちょっと穏便に決着をつける方法はないのか?」

「確かに、怪我するのも馬鹿らしいわ」

 

 キュルケが言った。

 

「……そうね」とルイズも頷く。

 

 すると、それまで黙っていたタバサが本を閉じ、キュルケに近づいて、何かを呟く。それから、エツィオを指差した。

 

「あ、それいいわね!」

 

 キュルケが微笑む。そして、キュルケもルイズへ呟いた。

 

「あ、それはいいわ」

 

 ルイズも頷いた。

 三人は、一斉にエツィオの方を振り向いた。

 

「ん? なんだ?」

 

 突然視線を向けられ、戸惑うエツィオに、微笑を浮かべながらキュルケが近づく。

手にはどこから取り出したものか、立派なロープが握られている。

 

「ねぇ、エツィオ……これもあなたのためなの、悪く思わないでね?」

「おい、一体なにをしようって言うんだ? このまま部屋に連れて行かれるっていう展開なら大歓迎なんだけどな……」

 

 エツィオの下顎を指でなぞると、キュルケは彼の身体をロープで縛り始めた。

 

「ふふっ、ごめんなさいね、それはまた今度……タバサ! 準備いいわよー!」

 

 エツィオの身体を縛り終えたキュルケは大声で指示を出す、するとタバサがピューっと口笛を吹く。

その口笛を聞きつけ、彼女の使い魔であるウィンドドラゴンが姿を現した。

タバサはウィンドドラゴンの背に跨ると、エツィオに向かい小さく杖を振った。

すると、エツィオの身体がふわりと宙に浮かびあがった。

 

「うわっ……! お、おい! ちょっとまて! 何をする気だ!」

 

 突然の事にエツィオが抗議の声を上げるも、誰も返事をしない。

あっという間に、エツィオは本塔からロープで吊るされてしまった。

これではいい晒しものである、今の自分の姿はシニョーリアの窓から吊るされたフランチェスコと同じ。

そう思うと何となく惨めな気分になった。

 

「くそっ! なんだってこんな目に!」

「諦めな相棒、お前さんが捲いた種じゃないか、最初から俺を選んでおけばこんなことにはなってなかったのによ」

「だからってここまでするか!?」

 

 一緒に縛られたデルフリンガーが呆れたように言った。

彼女らを甘く見すぎていたのか……、とエツィオは小さく項垂れた。

視線を落とすと、キュルケとルイズがこちらを見上げ、何やら話しこんでいる、エツィオは耳をそばだてた。

 

「いいこと? ヴァリエール、あのロープを切ってエツィオを地面に落とした方が勝ちよ。勝った方の剣をエツィオが使う、いいわね」

「わかったわ」

 

 ルイズは硬い表情で頷いた。

 

「使う魔法は自由。ただし、あたしは後攻。そのくらいはハンデよ」

「いいわ」

「じゃあ、どうぞ」

「待て! 俺はどうなる! この高さじゃ剣を使う以前に死ぬぞ!」

 

 その言葉を聞いたエツィオが顔を青くして怒鳴った。

 

「大丈夫よ、下に藁山を用意しておいたから!」

「そう言う問題じゃないだろう! 勝手に人を的にするな!」

「あぁっもうっ! うるさいわね! 集中するんだから静かにしてよ!」

 

 エツィオの抗議を無視し、ルイズは杖を構えた。

『ファイアボール』等の魔法は命中率が高い。動かさなければ、簡単にロープに命中する。

しかし、命中するかしないかを気にする以前に、ルイズには問題があった、魔法が成功するかしないか、である。

でも、今はそんな事気にしていられない、例え爆発でもロープが切れればそれでいい。

ルイズは覚悟を決め、『ファイアボール』を使うことに決めた。小さな火球を目標目がけて打ち込む魔法である。

短くルーンを呟き、詠唱を始めた。

 

「あぁ……マズイぞこれは……」

 

 詠唱が始まってしまった、その様子を見ていたエツィオの顔が益々青くなる。

記憶が正しければ彼女の魔法は例外なく爆発するらしい、となると、以前教室で目にしたあの爆発を身を持って味わう可能性が非常に高い。

どうやって切りぬける……。必死で考えを巡らせる。下は藁山、落ちても彼女らの言うとおり死にはしないが、あの爆発を喰らって無事でいられる保証はない。

 

「……よし」

 

 考えが浮かんだのか、エツィオが覚悟を決めたように小さく呟く、そして注意深くルイズの姿を観察した。後はタイミングだけだ。

呪文詠唱が完了する。ルイズは気合いを入れて、杖を振った。

呪文が成功すれば、火の玉が杖の先から飛び出すはずであった。しかし、杖の先からは何も出ない。

一瞬遅れて、エツィオの後ろの壁が爆発した。失敗である。

爆風で煙が巻き起こり、エツィオが吊るされた場所がすっぽりと覆われてしまった。

ロープが力なく揺れている。

それをみたキュルケは……腹を抱えて笑いだした。

 

「ゼロ! ゼロのルイズ! ロープじゃなくて壁を爆発させてどうするの! 器用ね!」

 

 ルイズは愕然とした。

 

「あなたってどんな魔法を使っても爆発するんだから! あっはっは!」

 

 ルイズは悔しそうに拳を握りしめると、膝をつきがっくりと項垂れた。

キュルケは勝負はついたと言わんばかりの笑みを浮かべると一歩前に出た。

 

「さて、あたしの番ね……煙、まだ晴れないわね……タバサー、ちょっと煙を払ってくれない?」

 

 タバサは小さく頷くと、杖を振り一陣の風を巻き起こす。

煙が吹き飛んで行くところを余裕の笑みで見つめていたキュルケであったが、

煙が次第に晴れていくうち、その笑みがみるみる消えていく。

 

「う……嘘、嘘よ……」

 

 愕然とした表情でキュルケが呟く、その声を聞いたルイズが何事かと顔を上げた、その時。

 

「ぶはっ!」

 

 地面にこんもりと積まれた藁山から、エツィオが飛び出した。

それを見たルイズの表情がぱぁっと輝く、ロープで吊られていたエツィオが藁山から出てきた、と言うことはつまり……。

本塔から下がるロープを見る。やった! ロープが切れている!

 

「うそっ……! やった! 切れた!」 

 

 喜びのあまりルイズが飛び跳ねる。魔法は失敗したが勝負には勝った、そのことだけで彼女の頭の中は一杯になった。

 

「はぁっ……ひ、酷い目にあった……」

 

 ローブについた藁を払いながら、心底疲れた表情でエツィオが呟いた。

ルイズはそんなエツィオに駆け寄ると、うれしそうに、ロープを指さした。

 

「見なさい! エツィオ! ロープが切れたわ! わたしの勝ちよ!」

「あぁ……君の勝利なら身を持って実感してるよ……。

だけど、こういうことはもうこれっきりにしてくれ、これじゃ命がいくつあったって足りやしない」

 

 子供の様にはしゃぐルイズを見て、怒る気も失せたのか、エツィオは苦笑しながら肩をすくめた。

ルイズは勝ち誇って笑い声をあげる。

 

「わたしの勝ちね! ツェルプストー!」

 

 勝負に負けたキュルケは相当ショックだったのか、しょぼんとして座り込み、地面の草をむしり始めた。

 

 フーケは中庭の植え込みの中から一部始終を見守っていた。

ルイズの魔法で宝物庫の辺りの壁にヒビが入ったのを見届ける。

いったいあの魔法はなんだろうか、あんな風にモノが爆発する魔法など見たことがない。

フーケは頭を振った、そんなことよりも、この千載一遇のチャンスを逃してはいけない。

フーケは呪文を詠唱し始めた、長い詠唱だった。

 詠唱が完了すると、地面に向けて杖を振る。

 フーケは薄く笑った。音を立て地面が盛り上がる。

土くれのフーケが本領を発揮したのだ。

 

 

「なぁ相棒、どうやってロープを解いたんだ? さっきの爆発じゃロープ切れてなかったろ?」

 

 無邪気にはしゃぐルイズを見ながら、背中のデルフリンガーが唐突に口を開いた。

エツィオは、ルイズ達に見えないように背を向け、手首を返しアサシンブレードを引き出した。

 

「へぇ、こりゃおでれーた、隠し短剣か」

「まさか、こんな形で助けられるとはね、命を救われたよ」

 

 エツィオが複雑な表情を浮かべて呟いた。

エツィオはルイズの魔法が爆発を起こす瞬間に手首のアサシンブレードを引き出し、ロープを切断、事なきを得ていたのだった。

 

「しっかし、それをあの娘っ子は許すかねぇ? ありゃ自分の力で切ったと思ってるぜ?」

「彼女が勝負に勝ったのは事実だ、……真実はない」

 

 アサシンブレードを元に戻し、「キュルケには悪いけどな」と小さく呟いた。

 

「残念ね! ツェルプストー!」

 

 勝ち誇ったルイズは、大声で笑った。

キュルケはルイズに負けたことが悔しいのか、膝をついたまましょぼんと肩を落としている。

それに気が付いたエツィオは、優しく慰めるべくキュルケに近づいた。

 

 そのときである。

 背後に巨大な何かの気配を感じて、キュルケとエツィオが振りかえった。

そして我が目を疑った。

 

「おいおい……これは……何の冗談だ?」

 

 巨大な土のゴーレムがのっそりと立ちあがり、地響きを立てながらこちらに歩いてくるではないか。

 

「きゃあああああああああああ!!」

 

 キュルケは悲鳴をあげて逃げ出した。

その悲鳴で我に返ったエツィオはゴーレムを見上げたまま立ちすくむルイズを小脇に抱えた。

とにかくここにいたらまずい、即座に判断しゴーレムとは反対の方向へと一目散に駈け出そうとした、その時。

タバサのウィンドドラゴンが滑り込むように滑空してきた。

エツィオとルイズを両足でがっしりと掴むと、ゴーレムの足をすり抜け、上空に舞い上がった。

そして誰もいなくなった空間にゴーレムの足が振り下ろされ、大地にめり込んだ。

 ウィンドドラゴンの足にぶら下がった二人は、上空からゴーレムを見下ろした。

 

「なんだあれは……? すごい大きさだ……」

「わかんないけど……巨大な土のゴーレムね」

「ゴーレム? あれが? ギーシュのとは比べ物にならないぞ!」

「……あんな大きい土ゴーレムを操れるなんて、トライアングルクラスのメイジに違いないわ」

 

 その時、ウィンドドラゴンの背に跨っていたタバサが身長より長い杖を振る。

『レビテーション』で、エツィオとルイズの身体が足からウィンドドラゴンの背に移動した。

 

「ありがとう、ミス・タバサ、助かったよ」

 

 エツィオが礼を言うと、タバサは無表情に頷いた。

エツィオはゴーレムを注意深く観察しながら、ルイズに尋ねる。

 

「あのゴーレム、壁なんか殴って何をしているんだ?」

「宝物庫」タバサが答える。

「狙いは宝物庫? ……ということは、あれは『土くれ』のフーケ?」

「フーケ? あの……なるほど、あいつか」

 

 エツィオはゴーレムの肩に乗る黒いローブを纏ったメイジを見つめて呟いた。

 

「ミス、ルイズを頼む」

 

 エツィオはタバサにそう言うと、ドラゴンの背から身を乗り出し、ゴーレムを覗きこんだ。

見ると宝物庫の壁には大きな穴があき、黒ローブのメイジが腕を伝って入り込もうとしていた。

ゴーレムはピタリと動きを止めている、飛び移るなら今をおいて他にないだろう。

 

「ちょっと、何する気なのよ!」

「見過ごすわけにはいかないな、奴を引きとめる、早く人を呼んで来てくれ」

「エツィオ! 待ちなさい! エツィオ!!」

 

 今まさに飛び降りようとするエツィオを見てルイズが引きとめる、しかし、エツィオはそれだけ言うと、ウィンドドラゴンの背からゴーレムの頭目がけ飛び降りた。

 

 

 

 フーケは巨大な土ゴーレムの肩の上で薄い笑いを浮かべていた。

 逃げ惑うキュルケや、上空を舞うウィンドドラゴンの姿が見えたが気にしない。

フーケは頭からすっぽりと黒いローブに身を包んでいる。その下の自分の顔さえ見られなければ、問題はない。

 

 ヒビが入った壁に向かって、土ゴーレムの拳を鉄に変えた。壁に拳がめり込み、バカッと鈍い音と共に壁が崩れ落ちる。

黒いローブの下で、フーケはほほ笑んだ。

 

 フーケは土ゴーレムの腕を伝い、壁にあいた穴から、宝物庫の中に入り込んだ。

 中には様々な宝物があった。

しかし、フーケの狙いはただ一つ、『真理の書』である。

――曰く、この世の真理が記されている書物である。

――曰く、読み解く者に真実を与える書物である。

――曰く、世界を一変しかねない書物である。

等々、その書物にまつわるうわさ話は後が絶えない。

だがフーケにはそんな事はあまり関係がない、そう言った曰くつきの書物は好事家に高く売れる、ただそれだけであった。

 

 宝物庫の中を見回すと、様々な本がガラスのケースに納まっている一角があった。

フーケはその中の鉄製のプレートを見つめた。

『真理の書、閲覧、持ち出しを堅く禁ずる』と書いてある。

フーケの笑みがますます深くなった。ガラスケースを叩き割り、『真理の書』に手に取った。

 

「これが『真理の書』?」

 

 フーケは『真理の書』を開き、眉を顰めた。

ハルケギニアの古代文字が全項に渡りびっしりと綴られている。

一体何が書かれているのだろうか、読み解く者に真実を与える書、

少し興味をそそられたが、今は考えている暇はない。急いでゴーレムの腕に乗った。

 去り際に杖を振る、すると壁に文字が刻まれた。

 

『真理の書、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』

 

 それを確認したフーケは口の端を上げ、ゴーレムの肩に向かい踵を返した、その時。

何者かの気配を感じ、顔を上げる、ゴーレムの頭の上に誰かが立っている。

自分とはまるで正反対の格好をした、白いローブの男だ、これまた自分と同じようにフードを目深に被っているため顔や表情を伺うことができない。

フーケは歯噛みした、まさか乗り込んでくる奴がいようとは、そこまで考えた瞬間、男が動いた。

ふわりと、まるで羽毛の様にゴーレムの肩に降りてくると、何を考えているのか、男はフーケに対し、優雅に腰を曲げ一礼する。

杖を手に臨戦態勢に入っていたフーケが一瞬呆気にとられた。その隙を逃さず、男の手から投げナイフが放たれた。

 

「しまった!」

 

 矢の如く迫るそれをかろうじて反応し、ギリギリで回避する、体勢を崩した所にもう一本投げナイフが飛んできた。

フーケは咄嗟に『真理の書』を持っていた左手でそれを防いでしまった。

 

「なっ!」

 

 男の手から放たれたナイフは狙い澄ましたかのように『真理の書』の背に突き刺さる。

あろうことか、パラパラと『真理の書』から頁が抜け落ちていくではないか。

フーケは、これ以上の脱落を防ぐため、必死で『真理の書』の表紙を押えつける。

その機を逃すまいと、男がゴーレムの上を駆けだした。

 

「くっ……! なめるんじゃないよ!」

 

 フーケは杖を振り、ゴーレムの腕を大きく振らせ、男を振り落とそうとした。

 

「おわっ、うわわっ!?」

 

 突然腕を振られ、地面に投げ出されそうになった男がかろうじて腕にしがみついた。

 フーケはその隙に『フライ』を詠唱し腕から脱出する。これ以上時間を割いている余裕はない。すぐにゴーレムを歩かせる。

ゴーレムは魔法学院の城壁を一跨ぎで乗り越え、ずしんずしんと地響きを立てて草原を歩いていく。

 

「くそっ、このままじゃ……!」

 

 歩き続けるゴーレムの腕にぶら下がりながらエツィオは歯噛みする。

高さは少なくとも二十メイルはある、落ちたらひとたまりもない。

 

「どうする……」

 

 そう呟き、周りを見渡す。ゴーレムが歩くたびに生じる振動がエツィオに襲いかかる。

このままではいずれ振り落とされてしまうだろう。

 

「エツィオ!」

 

 その時、ルイズの声が聞こえてきた、エツィオがその方向に視線を送ると、タバサのウィンドドラゴンが飛んでくるのが見えた。

ゴーレムの腕すれすれを通過した瞬間に、エツィオがドラゴンに飛び移る。

間一髪、エツィオが飛び移った瞬間に、草原の真ん中を歩いていた巨大なゴーレムは、突然ぐしゃっと崩れ落ちた。

巨大なゴーレムは大きな土の山になった。

 

「はぁっ……! た、助かった……!」

 

 エツィオはドラゴンの背びれにもたれかかると大きく息をついた。

あと少しで生き埋めになるところだった。

 

「ばかっ! 何してんのよあんたは!」

「すまないルイズ、捕まえられなかった」

「違うっ! そんなこと言ってるんじゃない!」

 

 目に涙をため、ルイズがエツィオを怒鳴りつける。

突然怒鳴られたエツィオは、やや驚いたようにルイズを見つめた。

 

「死んだらどうするのよ! 心配かけさせないでよ! このバカ使い魔!」

「……ルイズ」

 

 普段ならそんなルイズに対し軽口を叩くエツィオだったが、今回ばかりはそんな気になれなかった。

本気で自分の身を案じ、涙を流す彼女を、どうしてもからかうことはできなかった。

 

「……すまない」

 

 エツィオは渋い表情で呟くと、崩れ去ったゴーレムへと視線を送る。

月明かりに照らされたこんもりと小山の様に盛り上がった土山以外何もなく。

エツィオが対峙した黒ローブのメイジの姿もどこにもなかった。



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memory-09 「黒衣の主は」

 翌朝……。

トリステイン魔法学院では、昨夜からの蜂の巣をつついた騒ぎが続いていた。

 何せ、秘宝である『真理の書』が盗まれたのである。

それも、巨大なゴーレムが壁を破壊するといった大胆な方法で。

 

 宝物庫には、学院中の教師が集まり、壁にあいた大きな穴を見て、呆然と口をあけていた。

壁には『真理の書、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』と大きく犯行声明が刻まれている。

それを見た教師たちは口々に好き勝手なことを喚き始めた。

 

「土くれのフーケ! 貴族たちの財宝を荒らしまわっているという盗賊か! 魔法学院にまで手を出しおって! 随分とナメられたもんじゃないか!」

「衛兵はいったい何をしていたんだね?」

「衛兵などあてにならん! 所詮は平民ではないか! それより当直の貴族は誰だったんだね!」

 

 ミセス・シュヴルーズは震えあがった。昨晩の当直は、自分である。

まさか魔法学院を襲う盗賊がいるなどとは夢にも思わずに、当直をサボり、自室で眠ってしまっていたのだ。

本来ならば、夜通し門の詰め所に待機するのが決まりであった。

 

「ミセス・シュヴルーズ! 当直はあなたではありませんか!」

 

 一人の教師が早速ミセス・シュヴルーズを追及し始めた。

オスマン氏が来る前に責任の所在を明らかにしておこうと言う魂胆であろう。

シュヴルーズはボロボロと泣き出してしまった。

 

「も、申し訳ありません……」

「泣いてもお宝は戻ってこないのですぞ! それともあなた、『真理の書』を弁償できるのですかな!」

「わたくし、家を建てたばかりで……」

 

 シュヴルーズはよよよ、と床に崩れ落ちた。そこに、オスマンが現れた。

 

「これこれ、女性を苛めるものではない。……遅れて済まんな諸君、少し拾いものをしておっての」

「しかしですな! オールド・オスマン! ミセス・シュヴルーズは当直にも関わらず、呑気に自室で寝ていたのですぞ! 責任は彼女にあります!」

 

 オスマン氏は長い口ひげをこすりながら、口からつばを飛ばして興奮するその教師を見つめた。

 

「ミスタ……、なんだっけ?」

「ギトーです! お忘れですか!」

「そうそう、ギトー君。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

 

 オスマン氏が辺りを見回すと、教師たちはお互い、顔を見合わせると恥ずかしそうに顔を伏せた。名乗り出るものはいなかった。

 

「ま、これが現実じゃ。責任があるとすれば、我々全員じゃ。この中の誰もが……無論私も含めてじゃが、

まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど、今までなかったし、夢にも思っていなかった。なにせ、ここにいるのは、ほとんどが名のあるメイジじゃからな。

誰が好き好んで、虎穴に入るかっちゅう話じゃ。……しかし、それが間違いじゃった」

 

 オスマン氏は、壁にぽっかりあいた穴を見つめた。

 

「さて、このとおり、賊は大胆にも忍び込み、『真理の書』を奪おうとしてきおった。

つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとすれば、我ら全員にあるといわねばなるまい」

 

 シュヴルーズは感激してオスマンに抱きついた。

 

「おお、オールド・オスマン、あなたの慈悲のお心に感謝いたします。わたくしはこれからあなたを父と呼ぶことにいたします!」

 

 オスマン氏はそんなシュヴルーズのお尻を撫でながら言った。

 

「ええのじゃ。ええのよ。ミセス……」

「わたくしのお尻でよかったら! そりゃもう! いくらでも! はい!」

 

 オスマン氏はこほん、と咳をした。場を和ませるつもりで尻を撫でたのだが、誰も突っ込もうとしない。皆一様に真剣な目でオスマン氏の言葉を待っていた。

 

「で、犯行の現場を見ていたのは誰だね?」

 

 気を取り直したオスマン氏が尋ねた。

 

「この三人です」

 

 コルベールがさっと進み出て、自分の後ろに控える三人を指さした。

ルイズにキュルケにタバサの三人である、もちろんエツィオも傍にいたが、使い魔なので数には入っていないようだった。

 

「ほう……君か」

 

 オスマン氏は、どこか感慨深げにエツィオを見つめた。

エツィオはなぜそのような視線を向けられるのか、疑問に感じつつも、すぐに腰を折り一礼した。

 

「初めてお目にかかります、オスマン殿……失礼ですが、私がなにか?」

「エツィオ! あんたは下がってなさい!」

 

 ルイズはそんなエツィオを叱りつけ下がらせようとした、しかしオスマン氏はそれを手で制し、柔和な笑みを浮かべると彼に話しかけた。

 

「おぉこれはすまんの、ミス・ヴァリエール。彼が友人に似ていたのでな。君、名は何と?」

「エツィオ・アウディトーレ、以後お見知りおきを」

「なに、そんなにかしこまらなくてもよいぞ、若き大鷲よ。

君とはいずれ話をしてみたいと思っていた所でな、……しかし今はそのような場合ではないのが残念じゃ」

「はあ……」

「では、説明を願えるかの」

 

 オスマン氏が説明を求めると、ルイズが進み出て見たままを述べた。

 

「あの、大きなゴーレムが現れて、ここの壁を壊したんです、肩に乗ってた黒いメイジがこの宝物庫に入って行って。

それを見たわたしの使い魔がゴーレムの上に飛び移って、宝物庫から出てきたフーケを止めようとして……」

「力及ばず、あと一歩のところで取り逃がしてしまいました」

 

 後を引き継ぐようにエツィオが口を開く。

 

「……それで、その後はどうしたのかね?」

「その後、ゴーレムが動き出して、城壁を越えて歩き出して……最後には崩れて土になっちゃって……。

後には土しか残っていませんでした。肩に乗っていた黒いローブを着たメイジは、影も形もありませんでした」

「ふむ……」

 

 オスマン氏は髭を撫でた。

 

「後を追おうにも、手掛かりは無しというわけか……」

「面目ない……」

 

 申し訳なさそうにエツィオが呟く。

 

「いや、よい、メイジではない身でありながら、よくぞフーケを止めようとしてくれた。そのおかげでな」

 

 オスマン氏は、そう言うと、懐から羊皮紙の束を取り出した。

一同の視線がその束に集まった。

 

「オールド・オスマン、それは?」

「ほっほ、『真理の書』の中身じゃよ、ここに来る途中、中庭に散らばっていたのを回収したものじゃ。全部拾うには少々骨が折れたがの」

 

 それを見たエツィオが小さく「あっ……」と呟く。

そう言えば投げたナイフが賊の持っていた何かに当たり、そこからばらばらと紙片らしきものがこぼれおちていた。

と言うことは、意図的ではないにしろ、秘宝である『真理の書』を破壊してしまったということになる。

 

「も、申し訳ない! 私の不手際で!」

「よいよい! 見ての通り中身は無事じゃ。むしろフーケの鼻を折ってやったと考えるべきじゃて。

とは言え、残りの断片は、未だ奴の手の中にある。なんとしても取り返したいものじゃな……」

 

 それからオスマン氏は気付いたかのようにコルベールに尋ねた。

 

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」

「それがその……、朝から姿が見えませんで」

「この非常時に、どこに行ったのじゃ」

「どこなんでしょう?」

 

 そんな風に噂をしていると、ミス・ロングビルが現れた。

その姿を見たエツィオは少し驚いた様子で彼女を見つめていたが、ややあって口元に笑みを浮かべた。

 

「(いっ!!!)」

 

 ……そんな彼の様子を見ていたのか、ルイズは踵で思いっきりエツィオの足を踏みつけた。

 

「ミス・ロングビル! どこに行ってたのですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

 

 激痛に足を押え蹲るエツィオをよそに、興奮した調子で、コルベールが捲し立てる、しかし、ミス・ロングビルは落ち着きを払った態度で、オスマン氏に告げた。

 

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたの」

「調査?」

「そうですわ、今朝がた、起きたらこの大騒ぎではないですか、そして宝物庫はこの通り。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので。

これが国中の貴族を震え上がらせる大怪盗の仕業と知り、すぐに調査に取り掛かりましたの」

「流石じゃミス・ロングビル、仕事が早いの」

 

 コルベールが慌てた調子で促した。

 

「で、結果はどうなのですか?」

「はい。フーケの居所がわかりました」

「な、なんですと!」

 

 コルベールが素っ頓狂な声を上げているのを無視して、オスマン氏が尋ねた。

 

「誰に聞いたんじゃね?ミス・ロングビル」

「はい。近在の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男を見たそうです。

おそらく、彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと……」

 

 ルイズは叫んだ。

 

「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」

 

 オスマン氏は、目を鋭くして、ミス・ロングビルに尋ねた。

 

「そこは、ここから近いのかね?」

「はい。徒歩で半日。馬で四時間といったところでしょうか」

「すぐに王室に報告しましょう!王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 

 コルベールが叫んだ。

オスマン氏はその提案に首を振ると、目を見開き怒鳴った、年寄りとは思えぬ迫力であった。

 

「ばかもの! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上、身にかかる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ!

魔法学院の宝が盗まれた! これは我らの責任じゃ! 当然我らで解決する!」

 

 ロングビルはその言葉に微笑んだ。まるで、その答えを待っていたかのようである。

その時、不意にエツィオが口を開いた。

 

「ちょっとまってくれ、男……? 失礼ですがミス。フーケは男なのですか?」

「ええ、間違いありませんわ」

 

 エツィオの問いにミス・ロングビルは優雅に頷いた。

その報告を聞き、エツィオは口の端を上げて笑った。

 

「なるほど……オスマン殿、彼女は随分と優秀な秘書官の様だ……それに美しい」

「ほほっ、そうじゃろう、私の自慢の秘書じゃ、とくにそのお尻のさわり心地は最高……」

 

 オスマン氏はそこまで言うと小さく咳払いをする。

 

「と、兎も角じゃ、これより捜索隊を編成する! 我と思う者は、杖を掲げよ!」

 

 しかし、誰も杖を掲げようとしない。各々が、困ったように顔を見合すばかりであった。

 

「おらんのか? おや? どうした! フーケを捕まえて、名を上げようと思う貴族はおらんのか!」

 

 その言葉の後も、沈黙は続く。その時であった。

 

「では、私が行きましょう」

 

 一人の人間が手を上げ、すっと前に進み出た。

その人物を見て、宝物庫の中は一時騒然とした。

 

「エツィオ……! あんた何を……!」

 

 当然の様に名乗りを上げた使い魔を見て、ルイズが驚いたような声を上げた。

エツィオは、まっすぐにオスマン氏を見つめ、口を開いた。

 

「取り逃がしたのは私の失態、あの時取り押さえていれば、被害は未然に防げた筈です」

 

 ミセス・シュヴルーズが、驚いた声をあげた。

 

「しかし! 貴方はミス・ヴァリエールの使い魔、それもただの平民ではないですか! ここはメイジである教師達に任せて……」

「何より、私は敵を"見て"います、万一その黒ローブの男がフーケでなかった場合、一目でわかりますので」

 

 そんな彼女を無視し、エツィオは言葉を続ける。

その自信あふれる振る舞いに、ミセス・シュヴルーズは思わず口を噤んでしまう。

オスマン氏は、どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、エツィオを見つめた。

 

「そうか、ならば若き大鷲よ、奪還の任、君に託すとしよう」

「ありがとうございます、オスマン殿。必ずや汚名をそそいで見せましょう」

 

 エツィオが深々と頭を下げた、その時だった。

今まで俯いていたルイズが、すっと杖を顔の前に掲げた。

それを見たエツィオが驚いて顔をあげる。

 

「ルイズ?」

「わたしも行きます! 使い魔だけを行かせるだなんてできません!」

 

 ルイズはきっと唇を強く結んで言い放った。

エツィオは困ったような表情を浮かべると、諭すように話しかけた。

 

「なぁ、ルイズ、何も君が行くことはない。ここは俺に任せて……」

「ダメよ! 使い魔であるあんたが行くのに、主人のわたしが学院で待ってるだなんて事できないわ!」

「……危険だ、遊びに行くんじゃないんだぞ。君も見ただろう、あのゴーレムを!」

 

 エツィオがルイズを説得しているのを見て、しぶしぶキュルケも杖を掲げた。

コルベールが驚いた声をあげた。

 

「ツェルプストー! 君も行くと言うのか!」

 

 キュルケはつまらなそうに言った。

 

「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

 

 キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも掲げた。

 

「タバサ。あんたはいいのよ。関係ないんだから」

 

 キュルケがそう言ったら、タバサは短く答えた。

 

「心配」

 

 キュルケは感動した面持ちで、タバサを見つめた。

ルイズも唇を噛み締めて、お礼を言った。

 

「ありがとう……タバサ……」

「参ったな……」

 

 そんな三人の様子を見つめながら、エツィオは心底困ったように呟いた。

こうなってしまっては、彼女らを止めることはできないだろう、無論、オスマン氏が許可しなければ始まらないのだが……。

そう思い、エツィオは望みを託すようにオスマン氏を見やる。

すると、オスマン氏はエツィオの心境を知ってか知らずか、大きく頷いた。

 

「そうか、では彼女らにも頼むとしよう」

 

 その言葉を聞いて、エツィオはがっくりと肩を落とす。

計画の練り直しだ、エツィオは腕を組むと何やら深く考え込み始めた。

 

「オールド・オスマン! わたしは反対です! 生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ」

「い、いえ……、わたしは体調が優れませんので……」

「彼女たちは敵を見ている、その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」

 

 タバサは返事もせずに、ぼけっと突っ立っている。教師たちは驚いたようにタバサを見つめた。

 

「本当なの?タバサ」

 

 キュルケも驚いている。王室から与えられる爵位としては、最下級の『シュヴァリエ』の称号であるが、

タバサの年齢でそれを与えられるのが驚きである。

男爵や子爵の爵位なら、領地を買うことで手に入れることも可能ではあるが、シュヴァリエだけは違う。

純粋に業績に対して与えられる爵位……、実力の称号なのだ。

 宝物庫の中がざわめいた。

 オスマン氏は、それからキュルケを見つめた。

 

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力と聞いているが?」

 

その言葉に、キュルケは得意げに赤い髪をかきあげた。

 それからルイズが自分の番だとばかりに可愛らしく胸を張った。

オスマン氏は困ってしまった。褒めるところがなかなか見つからなかった。

こほん、と咳をすると、オスマン氏は目をそらした。

 

「その……ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール家の息女で、その、うむ、なんだ……、

将来有望なメイジと聞いているが? しかもその使い魔は!」

 

 それからエツィオを熱っぽい目で見つめた。

 

「平民ながら、あのグラモン元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが……。

見よ、この男を、平民の身でありながら、この場にいる誰よりも貴族らしいと思わんかね?」

 

  オスマン氏は思った、彼が、本当に『ガンダールヴ』であり……、

そして何より『アサシン』であるならば……。土くれのフーケに、遅れを取ることはあるまい。

 コルベールが興奮した調子で、後を引き取った。

 

「そうですぞ! なにせ、彼はガンダー……」

 

 オスマン氏は慌ててコルベールの口を押さえた。

 

「むぐ! はぁ、いえ、なんでもありません! はい!」

 

 教師たちはすっかり黙ってしまった。オスマン氏は、威厳のある声で言った。

 

「この三人に勝てると思う者がいるのなら、前に一歩出たまえ」

 

 誰もいなかった。オスマン氏は、エツィオを含む四人に向き合った。

 

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する。……君達に安全と平和があらんことを」

 

 ルイズとキュルケとタバサは、真顔になって直立すると「杖にかけて!」と同時に唱和した。

それからスカートの裾をつまみ、恭しく礼をする。それに合わせ、エツィオも優雅に一礼した。

そして、顔をあげたエツィオは一歩前に進み出て、まるで周囲に聞かせるように口をひらいた。

 

「オスマン殿、その『真理の書』ですが、念のため全ての断片を持って行くことを提案します」

「ほう、何故かね?」

「フーケをおびき出すエサになるかもしれません、ご安心を、私が責任を持ってお預かりします」

「ふむ……そうじゃな、では君に預けよう」

「感謝いたします……それと、もう一つ」

 

 『真理の書』の断片を受け取ったエツィオは、オスマン氏の耳元でなにやら小声で囁く。

オスマン氏は少々首を傾げはしたものの、ややあって頷いた。

 

「ふむ、よかろう、では馬車を用意する。それで向かうのじゃ。魔法は目的地に着くまで温存したまえ。ミス・ロングビル!」

「はい。オールド・オスマン」

「彼女たちを手伝ってやってくれ」

 

 ミス・ロングビルは頭を下げた。

 

「もとよりそのつもりですわ」

 

 四人はミス・ロングビルを案内役に早速出発した。

馬車といっても、屋根ナシの荷車のような馬車であった。

襲われたときに、すぐに外に飛び出せるほうが良いということで、このような馬車にしたのである。

 最初、エツィオが御者を買って出たが、万一の時に対処できるようにと、ロングビルが御者をすることになった。

キュルケが黙々と手綱を握るロングビルに話しかけた。

 

「ミス・ロングビル……手綱引きなんて、付き人にやらせればいいじゃないですか」

 

 ミス・ロングビルは、にっこりと笑った。

 

「いいのです。わたくしは、貴族の名をなくした者ですから」

 

 キュルケはきょとんとした。

 

「だって、貴女はオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」

「ええ、でも、オスマン氏は貴族や平民だということに、あまり拘らないお方です」

「差し支えなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 

 ロングビルは優しい微笑みを浮かべた。それは言いたくないのだろう。

 

「いいじゃないの。教えてくださいな」

 

 キュルケは興味津々といった顔で、御者台に座ったロングビルににじり寄る。

ルイズがキュルケの肩を掴んだ。キュルケが振り返ると、ルイズを睨みつけた。

 

「なによ、ヴァリエール」

「よしなさいよ。昔のことを、根掘り葉掘り聞くなんて」

 

 以前、エツィオにしてしまった事を思い出したのか、ルイズが険しい表情で言った。

キュルケはふんと呟いて、荷台の柵に寄りかかって頭の後ろで腕を組んだ。

 

「暇だからお喋りしようと思っただけじゃないの」

「あんたのお国じゃどうか知りませんけど、聞かれたくないことを、無理やり聞き出そうとするのはトリステインじゃ恥ずべきことなのよ」

 

 二人は再び火花を散らし始めた。タバサは我関せずと、相変わらず読書にふけっている。

そんな中、荷台に座っていたエツィオは、ひらりと御者台に乗り移ると、ミス・ロングビルの隣に腰を下ろした。

 

「やぁ初めまして、ミス・ロングビル」

「え、えぇ、は、初めまして、ミスタ……」

「エツィオ、そうお呼びください、ミスタはいらない」

「は、はぁ」

 

 突然隣に座り、語りかけてきたエツィオに面食らいながらもロングビルは答えた。

 

「ミス、失礼だが、少しよろしいかな?」

「な、なにかご用ですか……?」

 

 エツィオは少しの間ロングビルを見つめていたが、ややあって彼女から視線を外すと悩ましげにため息をついた。

 

「あぁ……やはりダメだ……!」

「な、何がダメなのでしょう?」

「実は……宝物庫で、初めてお会いした時、貴方こそが世に名を響かせる大怪盗ではないかと疑ってしまいました、いや……今も疑っています」

 

 エツィオのその言葉にミス・ロングビルがビクンッ! と反応し、驚いたようにエツィオを見つめた。

ロングビルはなぜか恐る恐ると言った様子でエツィオに尋ねた。

 

「なっ!? ななな、なんで……でしょうか……?」

「貴方を一目見たその瞬間、『土くれ』のフーケが財宝を盗み出すよりも鮮やかに、俺の心は貴方に盗まれていた。

どうすれば取り返せるのか? 今もその方法を考えているのですが……、どうしたものか、こうして貴方を前にすると、何も考えられなくな――ぐぇっ!?」

 

 突然頭頂部に襲いかかった強烈な衝撃に、エツィオの口説き文句はそこで中断させられた。

何事かと頭を抱え、涙目になりながら後ろを振り向くと、デルフリンガーを持ったルイズとキュルケが鬼の形相で立っていた。

 

「「エツィオ!!」」

 

 どうやらデルフリンガーで頭を殴られたらしい。

鞘に収まっていたため頭をカチ割られずに済んだようだ。

堪らずエツィオは抗議の声をあげた。

 

「いってぇ~っ……! おい! 何をする!」

「それはこっちのセリフよ! なにミス・ロングビルのこと口説いてんのよ!」

「なにって、ちょっとお話してただけじゃないか! ……ははぁ、さては嫉妬だな? やっと俺のことを男として見てくれるようになったのか」

「そ、そ、そ、そんなんじゃないわよこの馬鹿犬がぁ~~~!!!」

「わっ! お、おい! あぶないからやめろ! そんなところで振りまわすな!」

「そうよエツィオ! あたしがいるっていうのに! ひどすぎるわ!」

 

 ルイズがデルフリンガーを振りまわし、キュルケまでエツィオに掴みかかる。

修羅場と化した荷台の上で、タバサは我関せずと一人本のページをめくっていた。

 

 そうこうしているうちに、馬車は深い森へと入っていく。

鬱蒼とした森が恐怖を煽る。昼間だと言うのに薄暗く、気味が悪い。

 

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 

 ミス・ロングビルがそう言って、全員が馬車から降りた。

森を通る道から、小道が続いている。

 

「なんか、暗くて怖いわ……、いやだ……」

 

 キュルケがエツィオの腕に手を回してきた。

 

「大丈夫さ、俺が君達を守ってやる、そのために俺はいるんだからな」  

「あんた、さっきの今なのに、よくそんな台詞が吐けるわね……」

 

 しれっと言い放ったエツィオを見て、ルイズが呆れ切った表情で呟く。

そしてエツィオの背中を見て、首を傾げる。

……あれ? こいつ、剣を持ってない。

 

「エツィオ! あんたあのボロ剣どうしたの!」

「え? あっ! しまった! 馬車に忘れた!」

 

 エツィオが思い出したかのように言うと頭を抱える。

するとキュルケがエツィオの腰に下がっている豪奢なレイピアを指さした。

 

「あら、エツィオ、あなた、腰にあたしの剣を差してくれてるじゃない、それを使いなさいな」

「だめよ! 決闘に勝ったのはわたしよ! エツィオ! すぐに取ってきなさい!」

「わかった、すぐに追いつくから、先に行っててくれ」

 

 エツィオはそう言うと、不意に後ろを歩いていたタバサに話しかけた。

 

「タバサ、ちょっといいか? これを預かってくれないか」

 

 エツィオは懐から、オスマン氏から預かった『真理の書』の断片を取り出すと、全てタバサに手渡した。

なぜ自分に手渡されるのかわかりかねているのか、タバサは首を傾げた。

 

「どうして?」

 

 するとエツィオは誰にも聞こえないように何やらタバサに耳打ちをし始めた。

それを聞いたタバサは驚いたようにエツィオに聞き返した。

 

「成功する?」

「そのために君に頼むんだ」

 

 タバサはしばらくエツィオをじっと見つめていたが、

いつにない真面目な表情の彼に、タバサは頷いた。

 

「頼んだぞ」

 

 エツィオはそう言うと、タバサの肩を叩き、振りかえった。

 

「さて、それじゃあ大急ぎで取ってくるよ」

 

 そう言い残すと、エツィオは踵を返し、来た道を大急ぎで走り去って行った。

 

「ったく! あの馬鹿使い魔! 傭兵のくせに剣を忘れるなんて何考えてんのよ!」

 

 ルイズがブチブチと文句を言いながら地面を踏みつける。

するとロングビルが不意に口を開いた。

 

「あ、あの、彼はすぐに戻るとおっしゃっていたので、とりあえず先に進みませんか? 『真理の書』の断片もあることですし……」

 

 特に反対する理由もない、ルイズ達は仕方ないとばかりに頷くと、森の奥へと歩を進めていった。

 

 やがて、エツィオを除いた一行は、開けた場所に出た。森の中の空き地と言った風情である。およそ、魔法学院の中庭ぐらいの広さだ。

真ん中に、確かに廃屋があった。元は木こり小屋だったのだろうか。朽ち果てた炭焼き用らしき窯と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。

 四人は小屋の中から見えないように、森の茂みに身を隠したまま廃屋を見つめた。

 

「わたくしの聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 

 ロングビルが廃屋を指差して言った。人が住んでいる気配はまったくない。

 果たしてフーケはあの中にいるのだろうか?

ルイズたちは、相談を始めた。とにかく、あの中にいるのなら奇襲が一番である。寝ていてくれたらなおさらである。

 タバサはちょこんと地面に正座すると、枝を使って地面に絵を描き、自分で考案した作戦を説明し始めた。

まず、偵察兼囮が小屋のそばに赴き、中の様子を確認する。

そして中にフーケがいれば、これを挑発し、外に出す。

小屋の中には、ゴーレムを作り出すほどの土はない。外に出ない限り、得意の土ゴーレムは使えないのであった。

そして、フーケが外に出たところを、魔法で一気に攻撃する。土ゴーレムを作り出す暇を与えずに、集中砲火でフーケを沈めるのだ。

 

「それで、偵察兼囮役は誰がやるの?」

 

 ルイズが尋ねた、タバサは自分を指すと、すぐに立ち上がった。

杖を手に、物音を立てぬように素早く小屋の傍まで近づいた。

窓に近づき、慎重に中を覗きこむ。小屋の中は、一部屋しかないようだった。部屋の真ん中に埃の積もったテーブルと、転がった椅子が見えた。

崩れた暖炉も見える。テーブルの上には、酒瓶が転がっていた。

 そして、部屋の隅には、薪が積み上げられている。やはり、炭焼き小屋だったらしい。

 薪の隣にはチェストがあった。木でできた、大きい箱である。そこまで見て、中に人の気配はない。

箱も人が入るには小さすぎるし、隠れられるような場所も見えなかった。

念のため、小屋に向けて杖を振り、ワナがないか確認するも、特に異常は見られなかった。

 タバサは頭の上で腕を交差させる。誰もいなかった時のサインである。

隠れていた全員が、恐る恐る近寄ってきた。

 

「誰もいない」

 

 タバサはそれだけ言うと、ドアを開け、中に入っていく。

キュルケが後に続き、ルイズは見張りに立つために、小屋の外に残った。

ミス・ロングビルは辺りを偵察してきます、と言って森の中に消えた。

 

 小屋に入ったタバサとキュルケは何か手掛かりがないかを調べ始めた。

そしてタバサがチェストの中から……。なんと『真理の書』の断片を見つけ出した。

 

「真理の書」

 

 タバサはエツィオから受け取った真理の書の断片を取り出し、見比べる。

筆跡、書かれている文字、どれもが一致した。間違いない、フーケに奪われた断片であった。。

 

「あっけないわね!」

 

 キュルケが叫んだ。

タバサは、窓を開け顔を出すと、空へ向け、ピィーっと口笛を吹いた。

その時、外で見張りをしていたルイズの悲鳴が聞こえた。

 

「きゃあああああああ!」

「ルイズ! どうしたの!」

 

 一斉にドアを振り向いたとき……。

ばこぉーんと景気のいい音を立てて小屋の屋根が吹っ飛んだ。

屋根がなくなったおかげで、空がよく見える。

そして青空をバックに、巨大なフーケの土ゴーレムの姿があった。

 

「ゴーレム!」

「外へ」

 

 キュルケが叫んだ。このことを予測していたのか、タバサが即座に指示をだし、二人はルイズのいる小屋の外へ飛び出した。

その瞬間、タバサのウィンドドラゴンが滑り込むように滑空してきた。

タバサとキュルケ、そしてルイズを両足でがっしりと掴むと、一気にゴーレムの攻撃が届かない上空へと飛びあがった。

 

「た、助かったわ、タバサ……」

 

 キュルケが安堵したように呟いた。

タバサとキュルケは『フライ』を唱え、ドラゴンの背へ降り立ち、最後に『レビテーション』でルイズを移動させた。

下ではゴーレムが上空へと逃げたルイズ達をどうやって叩き落すべきか、まるで考え込むように首を傾げている。

 

「あ、ありがと……タバサ」

「ここまでは予定通り」

 

 ルイズが礼を言うと、タバサが涼しい表情で呟いた。

 

「予定通り……て、どういうことなの?」

「ゴーレムが現れたら全員を上空へ避難させるように言われてる、ここなら攻撃は届かない」

「言われてる? 誰に?」

「あなたの使い魔に」

 

 どういうことかわからない、と言った表情のルイズにタバサは淡々と答える。

その時、ルイズはエツィオと森の中で別れる際、エツィオがタバサに耳打ちしていたことを思い出した。

 

「そう言えば……、あの時、あいつはなんて言ってたの?」

「……そろそろ終わるはず」

 

 タバサはルイズの質問に答えずに、下にいる巨大なゴーレムをじっと見つめる。

それにつられてルイズとキュルケがゴーレムを覗きこんだ、その時。

上空のドラゴンへ攻撃を加えるべく、腕を振りまわしていたゴーレムが、突然ぴたりと動かなくなった。

そして、どういうわけか滝の様に頭から崩れ落ち……。ただの土の塊へと還っていく。

 この前と同じように後には土の小山が残された。

 

「終わったみたい」

 

 唖然としてその様子を見つめていたルイズとキュルケをよそに、タバサはぽつりと呟くと、ドラゴンに地面に降りるよう指示を出した。



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memory-10 「過去からの因縁」

 ルイズ達と別れたエツィオは、荷車に置きっぱなしのデルフリンガーを回収すべく、馬車へと戻っていた。

エツィオが荷車の中を覗き込むと、そこにはやはり、置き去りにされたデルフリンガーが転がっていた。

 デルフリンガーを鞘から引き抜くと、早速文句が飛んできた。

 

「おい相棒! 俺を忘れてどうすんだよ!」

「悪いな、こうでもしないと、彼女達から離れられなかった」

 

 エツィオはしれっとした表情で言った。

 

「おい、てことはなんだ? お前、まさかわざと置いて行ったってことか?」

「そうなるな」

 

 エツィオはそれだけ言うと、デルフリンガーを握り、来た道を走りだした。

左手のルーンが光り出し、同時に身体が羽根の様に軽くなる。

まるで一陣の風の様に、エツィオは森の中を駆け抜けた。

 エツィオに握られたデルフリンガーがカチカチと音を立て、彼に尋ねた。

 

「相棒、これからどうすんだ? フーケを見つけられんのか?」

「あぁ、フーケならとっくに見つけてる、後は機を待つだけだ」

「見つけた? どこにいるんだよ」

「……しっ!」

 

 エツィオはそれだけ言うと、急に立ち止まり、茂みの中に飛び込んだ。

そこに身を隠したまま、森の開けた場所に佇む一軒の廃屋を見つめた。

廃屋の前には、内部を偵察しようとしているタバサの姿が見えた。

やがてタバサは廃屋に異常がないことを確認したのか、頭の上で両腕を交差させる。

すると、もう一方の茂みの中から、ルイズとキュルケ、そしてミス・ロングビルの三人が姿を現し、恐る恐ると言った様子で廃屋へと近づいて行く。

 

「……しかし、ルイズ達がついてくるなんてな……お陰で予定が大幅に狂った」

 

 その様子を茂みの中から覗いていたエツィオが、ため息交じりに呟いた。

 

「予定? なんだよそりゃ」

「フーケを捕まえるしかなくなったってことさ」

「はぁ? じゃあどうするつもりだったんだ?」

「もちろん、口説くつもりだったのさ」

 

 エツィオはニヤリと笑うと、廃屋の周囲を警戒するミス・ロングビルを見つめた。

すると、ミス・ロングビルは、ルイズ達に、「周囲を偵察してきます」とだけ告げ、森の中へと入っていく。

それを確認すると、エツィオは極力物音を立てぬよう、ミス・ロングビルの後を追い始めた。

尾行を開始したエツィオに、デルフリンガーは小さな声で彼に尋ねた。

 

「口説くって……まさかフーケはあのロングビルって女なのか? さっきフーケは男だって……」

「男? 違うな、俺の"眼"はごまかせない、あの夜、一目見た瞬間フーケは女性だと確信したよ」

 

 エツィオは茂みの中でじっと息を殺し、『偵察』の割には急ぎ足で歩くロングビルを見つめた。

 

「じゃあなにか、お前は宝物庫にいた時から、あのロングビルって女の正体を見破っていたってことか」

「そうなるな、出来れば二人っきりでお話ししたくてこの計画を仕組んだんだけど……見ての通りさ」

「なんだよ、それじゃあ、こんなまどろっこしい真似しなくたって、馬車に乗った時にでもとっ捕まえりゃいい話じゃないか」

「それでもよかったんだけどな……。もしあの時、俺が彼女を問いただしたところで、ゴーレムを創り出して抵抗するか、

荷車の誰かを人質に取るかのどちらかだ、そしたら俺に勝ち目はないし、双方無事では済まされないだろう。

……ならどうするか、簡単さ、彼女がゴーレムを創り出し、注意がそれたところを押さえつける。血を流さずに済むなら、それが一番だ」

 

 エツィオはそう言うと、アサシンブレードを引き出す、左手のルーンが光り出し、身体が羽根の様に軽くなった。

 

「さて、おしゃべりは終わりだ。始まったぞ……」

 

 茂みの中に隠れたエツィオが、立ち止まり、杖を取り出したミス・ロングビルを睨みつけた。

ロングビルは、杖を手に呪文の詠唱を開始する。長い詠唱だった。

詠唱が完了すると、地面に向けて杖を振る。

ロングビルは妖艶な笑みを浮かべる、地面が音を立てて盛り上がる。

たちまち、地面から巨大なゴーレムが現れ、小屋へと向けて歩いていく。

やがて、ゴーレムを見たルイズの悲鳴が聞こえ……。見計らったかのようにタバサのウィンドドラゴンが、三人を救出し上空へと舞い上がるのが見えた。

 

「……最も信頼できる人間ってのは、同じ境遇の人間だ。そうは思わないか?」

 

 それを確認したエツィオは、小さく呟くと、茂みの中から飛び出した。

突然茂みから姿を現した白ローブの男……エツィオの姿を見たロングビルの表情が驚愕に歪む。

その瞬間、エツィオはまるで狩りをする大鷲のように、一足跳びにロングビルに飛びかかった。

驚くほどの跳躍力で、一気に距離を詰め襲いかかる。右手で肩を押さえつけ、左手で首を掴み押し倒す。

そのまま地面に組伏せ、同時にアサシンブレードを喉元に押し当てた。まさに電光石火の早業であった。

 

「杖を捨てろ、さもなくば神の名の下、喉を掻っ切る」

 

 何が起こったのかわからないとばかりに、目を白黒させるロングビルに対し、馬乗りになったエツィオは不敵な笑みを浮かべた。

 

「な、なに……? な、なんで……」

「言っただろう、疑っている、と」

 

 さらに脅迫するように、エツィオが喉に刃を食い込ませる。

やがて、ロングビルは観念したかのように、力なく杖を投げ捨てる。

すると、今まで暴れていたゴーレムがぴたりと動きを止め、崩れ落ちていくのが見えた。

 

「いい子だ」

 

 エツィオは口の端をあげると、即座にロングビルの鳩尾に拳を叩きこんだ。

くぐもり声をあげたロングビルはそのまま意識を手放した。

 

 

 ドラゴンの背から地面に降りたルイズ達は、ただ茫然と土の小山を見つめていた。

 

「やぁ、待たせてすまないな」

 

 その声に三人がはっと振り向く、すると、肩にミス・ロングビルを担いだエツィオが茂みの中から姿を現した。

 

「エツィオ! あんた何をしたの!」

「この通り、フーケを捕まえてきたのさ」

 

 ルイズがそう尋ねると、エツィオはいたずらっぽくウィンクし、肩に担いだロングビルに視線を送った。

 

「ミス・ロングビル……! うそ……それじゃあフーケは……」

「あぁ、彼女が土くれのフーケだ」

 

 ルイズ、キュルケ、タバサの三人は顔を見合わせると、エツィオに駆け寄った。

 

「なるほどね、わたしたちはあんたの手のひらの上で踊らされてた、ってワケね」

「そう怒らないでくれよ、他に方法が無かったんだ」

 

 学院に戻る馬車の上で、エツィオから説明を受けたルイズはつまらなそうに呟いた。

そんなルイズを御者台から宥めながらエツィオは言った。

 

「そのために、一瞬とはいえ、君たちを危険にさらしてしまった、済まないと思ってるよ」

「タバサがドラゴンを使ってわたし達を助けるのもあんたの計画だったの?」

「あぁ、君達の中で、実戦経験があるのはタバサだと聞いたんでね、使い魔も空を飛べるドラゴン。だから彼女に頼むことにしたんだ。

ありがとうタバサ、君のおかげだ」

「でも凄いのはエツィオよ。さすがあたしのダーリンね! こんなにも鮮やかにフーケを捕まえるなんて!」

 

 キュルケは荷台から身を乗り出し、御者台に座るエツィオを後ろから抱き締める。

 

「なに、全ては君達あってこそさ」

 

 エツィオは、そう言うと、懐からタバサから受け取った『真理の書』を取り出した。

 

「しかし、これは一体何の本なんだ? 『真理の書』と言うからには、さぞかし価値のある書物なんだろうけど……」

 

 御者台でエツィオが『真理の書』を広げると、三人は興味津々とうしろからそれを覗きこんだ。

後ろから『真理の書』を覗きこんでいたタバサは首を傾げ、小さく呟いた。

 

「古代文字」

「読めるか?」

 

 エツィオはタバサにそれを手渡す、しばらくタバサはそれをじっと見つめていたが、やがて小さく首を振り、エツィオに手渡した。

 

「解読できない、おそらく暗号で書かれてる」

「そうか……、ま、きっと歴史的な書物なんだろう」

 

 エツィオが興味なさげに呟いた。三人も興味がなくなったのか、荷台に戻り、腰を下ろした。

エツィオが適当に『真理の書』の頁をめくる、すると、その手はあるページでピタリと止まった。

 

「これは……」

 

 驚いたように小さく呟き、左手の手甲に刻まれたレリーフと、その頁の挿絵を真剣な表情で見比べ始める。

手甲に刻まれているのは、アルファベットのAに似た、特徴的な紋章。それは、『真理の書』の挿絵にあるものと同じであった。

 

「(アサシンの紋章……なぜ……)」

 

 誰にも聞こえぬよう、小さく呟くと、『真理の書』を再び懐の中にしまいこんだ。

 

 

学院長室で、オスマン氏は戻った四人の報告を聞いていた。

 

「ふむ……。ミス・ロングビルが『土くれ』のフーケじゃったとはな……。美人だったもので、なんの疑いもせず秘書に採用してしまった」

「いったい、どこで採用されたんですか?」

 

 隣に控えたコルベールが尋ねた。

 

「街の居酒屋じゃ。私が客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」

「で?」

 

 コルベールが促した。オスマン氏は照れたように告白した。

 

「おほん。それでも怒らないので、秘書にならないか、と言ってしまった」

「なんで?」

 

 理解できないといった口調でコルベールが尋ねた。

 

「カァーッ!」

 

 オスマン氏は目をむいて怒鳴った。年寄りとは思えない迫力だった。それからこほんと咳をして、真顔になった。

 

「おまけに魔法も使えるというもんでな」

「死んだほうがいいのでは?」

 

 コルベールがぼそっと言った。オスマン氏は軽く咳払いすると、コルベールに向き直り重々しい口調で言った。

 

「今思えば、あれも魔法学院に潜り込むためのフーケの手じゃったに違いない。居酒屋でくつろぐ私の前に何度もやってきて、愛想良く酒を勧める。

魔法学院学院長は男前で痺れます、などと何度も媚を売り売り言いおって……。終いにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

「それについては同感です、美人はそれだけで魔法使いだ」

「そのとおりじゃ! 若き大鷲よ! 君は実に話がわかるのう! あの男とは大違いじゃ!」

 

 エツィオがその意見に同意すると、オスマン氏は心底うれしそうな表情で笑いだした。

そんな二人の様子をルイズとキュルケ、タバサの三人はあきれ果てた様子で見つめていた。

生徒たちの冷たい視線に気づき、オスマン氏は照れたように咳払いをすると、厳しい顔つきをしてみせた。

 

「さてと、君達はよくぞフーケを捕まえ、『真理の書』を取り返してきてくれた」

 

 誇らしげに、エツィオを除いた三人が礼をした。

 

「フーケは、城の衛士に引き渡した。そして『真理の書』もこの通り、一件落着じゃ」

 

 オスマン氏は労う様に、一人づつ三人の頭を撫でた。

 

「君たちの、『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。

と言っても、ミス・タバサはすでに『シュヴァリエ』の爵位を持っているから、精霊勲章の授与を申請しておいた」

 

 三人の顔が、ぱあっと輝いた。

 

「ほんとうですか?」

 

 キュルケが、驚いた顔で言った。

 

「ほんとじゃ。いいのじゃ、君たちは、そのぐらいのことをしたのだからな」

 

 ルイズは、先ほどから深刻そうな表情で立っているエツィオを見つめた。

 

「オールド・オスマン。エツィオには何もないんですか?」

「残念ながら、彼は貴族ではない」

「でも……」

 

 ルイズは言葉に詰まった。フーケを捕まえたのは、他ならぬ彼である。正直、自分達がなにかしたわけではない。

しかし、エツィオは言った。

 

「結構、私には必要ありません。全ては彼女達のおかげです」

 

 オスマン氏は大きく頷くと、ぽんぽんと手を打った。

 

「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。このとおり『真理の書』も戻ってきたし、予定通り執り行う」

 

 キュルケの顔が、ぱっと輝いた。

 

「そうでしたわ!フーケの騒ぎで忘れておりました!」

「今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意をしてきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」

 

 三人は、礼をするとドアに向かった。

 ルイズはエツィオをちらと見つめた。そして、立ち止まる。

 

「すまない、先に行ってくれ。オスマン殿……すこしお話を、よろしいですか?」

 

 いつにない真剣な表情でエツィオが言った。

ルイズは心配そうに見つめていたが、頷いて部屋を出て行った。

 三人の退出を確認すると、オスマン氏はエツィオに向き直った。

 

「さて、話とは何かな? 若き『アサシン』よ」

「……っ! ……何の話でしょうか」

 

 その言葉に、エツィオの目が鋭くなる。

オスマンの言葉を否定しつつも、悟られぬようにマントの下で左手のアサシンブレードを引き出した。

 

「おっと、その剣を納めてくれるかの、安心しなさい、私は『テンプル騎士団』ではない」

「……」

 

 そのエツィオの行動を見越していたのか、オスマン氏は、諭すようにエツィオに語りかけた。

……見抜かれた。エツィオは一瞬、その言葉を信ずるべきか迷ったが、

傍にコルベールも控えている状況を見て、エツィオは彼らに見えるようマントの下から左手を出すと、アサシンブレードを手甲の中に収めた。

 

「失礼を……」

「よい。事情を先に説明しなかった私にも非はある。なるほど、その反応だと、未だ終わっていないようじゃな……」

 

 オスマン氏は、大きく息を吐くと、椅子に腰かけた。

 

「貴方は一体……?」

「君の味方にして、遠き友だよ、若きアサシン」

 

 オスマン氏はそう言うと、『真理の書』を机の上に置いた。

 

「君の言いたいことはわかっておる、この『真理の書』についてじゃな」

「はい、その書物は一体? なぜその書物にアサシンの紋章があるのですか?」

「うむ、その『真理の書』はな、さる人物の手記じゃ」

「手記……ですか?」

「そう、そして記した人物の名は……」

 

 オスマン氏は一旦言葉を切り、エツィオをじっと見つめた。

まるでその人物を思い出しているかのような、遠い目だった。

 

「アルタイル」

「アルタイル! そんな! しかしこれは!」

「知っておるのかな? アルタイルを」

 

 その言葉を聞いたエツィオの目が驚愕に見開かれる。

思いがけず現れた、伝説のアサシンの名。

三百年前、十字軍、イスラム軍を相手に戦い、テンプル騎士団の野望を阻止した偉大なるアサシン。

エツィオはオスマン氏の問いに絞り出すような声で答えた。

 

「アルタイル……、伝説のアサシン……」

 

 

 オスマン氏は、うむ、と大きく頷いた。

エツィオはオスマン氏に尋ねた。

 

「失礼ですが、何故アルタイルの事を御存じなのですか? 彼が記した書物が、なぜここに?」

「アルタイルは、私の無二の友であり、師でもある、命の恩人じゃ」

「恩人? どういうことですか? アルタイルは二世紀以上も前の人物だ、その話だと、あなたは……その……」

「まぁそういうことじゃ。細かいことは詮索するでない、なにせアルタイルに殴られたのじゃからな……今でもたまに痛むんじゃよ?」

 

 オスマン氏は顔をしかめると、左の頬を撫でた。

そして遠い昔を思い出すかのように、目を細めた。

 

「あれは……もう何年前だったかの、私がまだ若い頃……森の中でワイバーンに襲われての。

未熟だった私は、不覚にも杖を落としてしまった、絶体絶命のその時、フードを被った男が助けてくれたのじゃよ。

その男は、怒れるワイバーンに臆することなく立ち向かい、なんとか打ち倒したのじゃ」

「それで……どうなったのですか?」

「助けてくれたのはいいものの、彼はワイバーンとの戦いで手傷を負ってしまっての。

そこで、命を救ってくれたせめてもの礼に彼を介抱したのじゃ。それからじゃ、彼との付き合いが始まったのは」

 

 オスマン氏は昔を懐かしむように続けた。

 

「彼はアルタイルと名乗ってくれた、変わった男でな、無口で無愛想かと思いきや、誰よりも人々のことを考えておったよ。

彼は今の私でも及ばぬくらい、多くの知識を身につけておっての。その知識に興味を引かれた私は、一時期彼と行動を共にしていたのじゃ。

その『真理の書』は、その時に彼が書き溜めていた手記というわけじゃな」

「なるほど……では何故、彼はその場に居合わせたのでしょう、私が知る限り、アルタイルはマシャフを中心に活動していたはずだ」

「うむ、これは君にとっても重要な事なのじゃが……彼はこことは異なる、別の世界から来たのじゃよ」

「別の世界? あの……おっしゃる意味がよく……」

 

 理解できない、といった表情でエツィオが首を傾げた。

しかしオスマン氏は首を横に振った。

 

「そうじゃろうな、しかし事実じゃ。彼はこの世界とは全く別の、異なる世界の住人じゃ」

「御冗談を……」

「すまぬが、冗談ではないのだ。私も最初信じることはできなかった、別の世界など世迷いごとだと。……しかし、私はアレに触れてしまった。あの禁断の果実に。

アレが"真実"そのものを教えてくれたよ。このハルケギニアに、彼がいたマシャフも、君の暮らす国も、ましてや君の知る国すら存在しない。

もっと言おう、この世界には『キリスト』も『イスラム』の教えも存在しない、無論、君の敵である『テンプル騎士団』もな」

「嘘だ! そんな馬鹿な話が!」

「落ち着きなさい、話はここからじゃ」

 

 取り乱したエツィオを諌めるように、オスマン氏が言った。

その厳しい口調に、エツィオも思わず押し黙り、椅子に腰かけた。

 

「ぐっ……、失礼……」

「取り乱す気持ちは、わからんでもない、しかし忍耐を学ぶべきじゃな、若きアサシンよ」

 

 オスマン氏は柔和な笑みを浮かべ、エツィオを見つめた。

 

「さて……まず確認じゃが、君はミス・ヴァリエールの召喚によってこの世界に来たのじゃったな」

「……その通りです、しかし、俺はここを別大陸かなにかとばかり……。では彼はどうやってこの世界に?」

「そう思うことは仕方のないことじゃ。して、アルタイルがこの世界に来た理由じゃが、彼は、『リンゴ』の力の暴走だと言っていたよ。

なんでも、調査、研究中に起きた思いがけぬ事故だと」

「『リンゴ』……『エデンの果実』?」

「うむ、望む者にあらゆる叡智を授け、見返りに絶対の服従を求める、忌むべき禁断の果実。彼はそう言った。

そしてこれこそが、『アサシン』と『テンプル騎士団』の長年にわたる因縁だと」

「はい……その通りです」

「うむ、事実、その通りだった、アレは人が手にしてよいものではない。

その忌むべき『リンゴ』が、アルタイルをこの世界に導き、全ての答えを与えた……皮肉な話じゃな……」

 

 オスマン氏は小さくため息をついた。

 

「して、ここからが重要なことじゃが、結論から言おう、アルタイルは元いた世界に無事帰還することができた。君のいた世界にじゃな」

「戻れた? 彼は元いた場所へ戻れたのですか! しかし……なぜそう言えるのです?」

 

 エツィオは思わず身を乗り出した。

 

「うむ、その瞬間を見届けたのじゃよ、彼が『リンゴ』を使い、元の世界に帰還するその瞬間をな」

「なるほど……! では、私はフィレンツェに! イタリアに戻れるのですね!」

「そう言うことになる、無論、そのために『エデンの果実』が必要になるじゃろうがな。

彼は元々果実を所持していた。当初は使うことをためらっていたようじゃったが、やはり、背に腹は代えられなかったようじゃな」

「あっ……」

 

 その言葉に、エツィオは冷静さを取り戻す、そうだ、アルタイルは『エデンの果実』の力を使いこの世界に来たのだ。

ならば戻るにも『果実』が必要と言うことになる。エツィオはがっくりと肩を落とした。

そんなエツィオを見て、オスマン氏は宥めるように言った。

 

「まぁ、そう落ち込むでない、彼はこうも言っておった、『エデンの果実』はこの世界にも存在すると。

同様に、この空に輝く幾千の星々の中にも存在する可能性があるとな」

「果実が……この世界にも……」

 

 オスマン氏はそう言うと、『真理の書』の表紙を大事そうに撫でた。

 

「あるいは、この『真理の書』になにか手掛かりが書かれているかもしれぬな。どうかな? よければこちらで解読してみようと思うのだが」

「よいのですか?」

 

 今まで黙って話を聞いていたコルベールが、オスマン氏に尋ねる。

今まで門外不出であり、閲覧を禁止されていた書物である。

オスマン氏は髭を撫で、大きく頷いた。

 

「よい、師の遺志を継ぐものが現れたのじゃ。とはいえ、私も最近老眼での、よければミスタ・コルベール、君に頼みたいのだが」

「私、ですか?」

「うむ、なんのために君をここに呼んだと思っておる、君を見込んでの頼みだ、どうか彼の力になってくれないか?」

「……わかりました、私でよければ、解読いたしましょう」

「感謝します、コルベール殿」

 

 エツィオが深々とコルベールに頭を下げる、するとコルベールが慌てたように手を振った。

 

「やや、良いのです、実は、私もこの書物には大変興味がありましてな! 是非一度、読ませていただきたいと常々……」

「ミスタ・コルベール」

「ははっ!」

 

 熱が入ったコルベールをオスマン氏が静かな声で窘める。

そして、まっすぐにコルベールを見つめ、オスマン氏が言った。

 

「よいかな、ミスタ、この書物は三百年前に書かれたものだ、そのこと、よく心に銘じて解読をすすめるのじゃぞ」

「は、はい、わかりました。しかしオスマン殿、なぜそのようなことを?」

「なに、解読してみれば自ずとわかることじゃ。それと、解読した内容と、この話は、この三人以外には他言無用で頼むぞ。

下手すると異端に問われる可能性もあるからの」

 

 そう言うと、オスマン氏はソファに深く腰掛けるとコルベールに『真理の書』を手渡した。

コルベールは、神妙な面持ちでそれを受け取った。

エツィオは深々と頭を下げると、なにか引っかかるものがあるのか、首を傾げた。

 

「お力添え、感謝いたします、オスマン殿。……ところで、なぜアルタイルはわざわざこの世界の古代文字を使ってこの書物を記したのでしょうか。

ただの手記ならば、一々古代文字で書くと言う手間などしないと思うのですが」

「うむ、これは推測じゃが、彼は君がこの世界に来ることを予期していたのじゃろう」

「アルタイルが? なぜそう思うのです?」

「彼がこの世界を去る時、私に一つの予言を残したのじゃよ、『世が乱れし時、若き大鷲が現れる』、とな。

……おそらくはリンゴの力によるものじゃろう、彼の話では未来の予見すら可能だと言っていたからの……。

故に、彼は自国の言語を用いず、我々に解読できるようこの世界の古代文字を使ったやもしれぬな、全ては……再びここに訪れた、若きアサシンのために」

「なるほど……だとすれば、過去からの贈り物に感謝しなくてはなりませんね。それともう一つ、お聞きしたいことがあります」

 

 エツィオはそう言うと、左手を差しだした。

オスマン氏はその手を掴むとそこに刻まれたルーンをまじまじと見つめた。

 

「この文字は一体……これが光ると、なぜか身体が軽くなるのです」

「……これなら知っておる、ガンダールヴの印じゃ。伝説の使い魔の印じゃよ」

「伝説の?」

「そうじゃ、その伝説の使い魔はありとあらゆる武器を使いこなしたそうじゃ」

 

 エツィオは、首を傾げた。

 

「なぜ私が伝説の使い魔に?」

「わからん」

 

 オスマン氏はきっぱりと言った。

 

「そうですか……」

「すまんの、ただ、アルタイルの予言の事もある、そのガンダールヴの印は、それと何か関係しているのかもしれん」

「なるほど……これもまた、過去からの贈り物、というワケですか……、全く、私は随分伝説に縁があるようだ」

 

 エツィオは苦笑しながらため息をついた。

 

「こちらでも、いろいろと調べてみよう。君も、いつでもここに尋ねてきてもかまわんよ」

 

 オスマン氏はそう言うと、ソファから立ち上がり、エツィオを抱きしめた。

 

「よくぞ、よくぞ我が友の書物を取り返してくれた。改めて礼を言おう」

「とんでもない」

「お主が元の世界に戻れるよう、全面的に協力しよう、私にできる事があれば、なんでも言ってくれてかまわん。

心配しなさるな、必ず元の世界に戻る方法はある、アルタイルという前例があるからの」

「何から何まで……ご協力を感謝いたします、オスマン殿」

「……若きアサシンよ、君達アサシンとテンプル騎士団の深き因縁はアルタイルから聞き及んでおる。

正直に言うとな、私はどちらが正義なのか、今でもわかりかねておる、君らの戦いはもはや、善悪の彼方だ、

君達には君達の信ずる正義があり、騎士団には騎士団なりの正義があるのだろう。

だが、私は君の味方だ。それだけは変わらぬ真実じゃ」

「はい、ありがとうございます」

「うむ。それとな、一つ頼みがあるのだが。聞いてもらえるかの?」

「なんでしょう、私にできることなら」

「お主がミス・ヴァリエールに召喚された事にも、きっと理由がある、元の世界に戻るまででかまわん、その時までどうか、彼女の力になってくれぬか?」

「無論、そのつもりです」

 

 エツィオは口元に笑みを浮かべ、即答する。

オスマン氏は満足そうに頷くと、ぽん、と手を叩いた。

 

「さて、先も申したが、今夜はフリッグの舞踏会じゃ、お主も楽しんでくるがよかろう」

「そうさせていただきます、では……。またお話が聞ける日を楽しみにしています」

 

 エツィオは一礼すると、踵を返し、ドアへと向かう。

そして、ふと思い出したかのように振り返った。

 

「つかぬ事をお伺いしますが……ミス・ロングビル……いや、フーケは、どうなるのでしょう」

 

 その問いにオスマン氏は深いため息をついた。

 

「今頃はチェルノボーグ監獄じゃな……残念じゃが、アレだけのことをしたのじゃ、縛り首は免れんだろう……」

「そうですか……残念です……。では、またいずれ……」

「うむ、また会おう、若き大鷲よ。君の刃に幸運が宿らんことを」

 

 学院長室から退出したエツィオは、フリッグの舞踏会が行われているであろう食堂へ向け、一人歩いていた。

窓から差し込む巨大な二つの月の光が、彼を照らしだす。

その光に目を細めながら、エツィオは二つの月を見上げた。

 

「異世界……か」

 

 エツィオは小さく呟くと、力なく項垂れた。

あまりに飛躍した話ではあるが、エツィオは不思議とその事実を受け入れつつあった。

二つの月、魔法、ドラゴンをはじめとする不思議な生物、既に見慣れた今では、別の世界だと言われれば、妙に納得できてしまう。

ため息をつきながら、背中のデルフリンガーを手に取る、エツィオは鞘から少し引き抜くと、剣に話しかけた。

 

「なぁ、聞いたか? 俺はこの世界の人間じゃないらしいぞ」

「聞いてたよ、らしいな」

「それだけか? 随分冷たいんだな、お前は」

「それだけってなぁ、じゃあなんて言えばいいんだよ」

 

 少々冷たい反応にエツィオが苦笑する、するとデルフリンガーはカチカチと音を立てながら言った。

 

「俺には、相棒がどんな人間なのかってのは、あまり関係ないからな、重要なのは俺を使ってくれるかどうかさ」

「それもそうだな……」

「ま、あの娘っ子に召喚されたのも何かの縁だ、ならせめて、もとの世界に戻るまではせいぜい楽しんだらいいんじゃないか?」

「楽しむ……か、それもアリか……可愛い女の子もいるしな」

 

 その言葉に、エツィオはニヤリと笑うと、デルフリンガーを鞘に納める。

異世界とはいえ、戻れないわけではないのだ、エデンの果実がこの世界にもあるならば、戻れる可能性は大幅に上がる。

事実、アルタイルは元いた世界に戻れたと言う話ではないか。

……もうすぐ『アルヴィーズ』の食堂だ、辛気臭い表情のままパーティ会場に足を踏み入れるわけにはいかない。

女の子がたくさんいるならなおさらである。今は不安を忘れ、楽しむのも悪くは無い。

そう考えたエツィオは、簡単に身なりを整えると、パーティ会場である『アルヴィーズ』の食堂へと足を踏み入れていった。

 

 『アルヴィーズ』の食堂の上は大きなホールになっている、『フリッグの舞踏会』は、そこで行われていた。

着飾った生徒や教師たちが、豪華な料理が盛られたテーブルの周りで歓談している。

エツィオが、外からバルコニーに続く階段から昇ってくると、それを見つけたキュルケが走り寄ってきた。

 

「ダーリーンっ!」

「おっと! ははっ、楽しんでるみたいだな、キュルケ」

 

 近寄るなり胸に飛び込んできたキュルケを優しく抱きとめ、エツィオは笑った。

綺麗なドレスに身を包んだキュルケは甘えるようにエツィオと唇を重ねる。

 

「遅かったじゃないエツィオ、パーティはもう始まっていてよ?」

「あぁ、オスマン殿との話が長引いてしまってね……。ルイズはまだ来てないのか?」

 

 エツィオは周囲を見渡すと、ルイズの姿を探した。

いつもなら怒鳴りながら間に割ってくるはずなのに……。

するとキュルケは、つまらなそうに唇を尖らせた。

 

「あの子ならまだ来てないわ……ねぇ、ルイズなんて放っておいて、一緒に踊ってくださらない? これから舞踏会が始まるの」

「そうか……それは楽しみだ、それじゃ、また後でな」

 

 エツィオは優雅に頬笑むと、キュルケと別れ、パーティ会場へと足を踏み入れた。

パーティなど何年振りだろうか、そんな事を考えながら、辺りを見渡す。

すると、そんなエツィオを見つけたのか、ギーシュが大きく手を振った。

 

「エツィオ!」

「よう、ギーシュ! なんだ、もう出来あがってるのか?」

 

 テーブルで豪華な料理を囲みながら、友人達と談笑していたギーシュに、エツィオが近づいていく。

 

「やぁ、丁度いいところに来たな、今暇かい? よかったら彼らにも君の話を聞かせてやってくれよ!」

「なんだよ、まだ聞き足りないのか?」

 

 ギーシュが空いた椅子を引き、エツィオに話の輪に加わるように薦める。

エツィオは快く頷くと背中のデルフリンガーをテーブルに立て懸け、椅子に腰かけた。

 

「うーん、それじゃあ何から話してやろうか」

「おお? なんだよ、何か面白い話があるっていうのか?」

 

 その言葉に食い付いたギーシュの友人が、エツィオの話に耳を傾けるべく、近くに寄ってくる。

しばらく考えていたエツィオだったが、やがて思いついたのか膝を叩き話を始めた。

 

「そうだな、夜中に女の子の部屋に忍び込んだ時の話なんだが……」

「おぉっ、いきなりだな……」

 

 集まった男子生徒達は興味津々とエツィオの話に耳を傾ける。

そしてややあって、男子生徒の集まったテーブルは、爆笑の渦に包まれた。

 

「一晩中愛し合っていたら、朝が来てしまってな、一緒に寝てるところを、彼女の父親に見られたんだ」

「うわっ……、そ、それでどうなったんだ?」

「もう彼女の親父はカンッカンさ、俺の顔を見るなり、殺してやる! ってな。

窓から飛び降りて逃げたはいいが、今度は衛兵呼ばれてな、捕まったら打ち首さ、だから必死で逃げ回ったよ」

「壮絶……だね……」

「こんなものまだ序の口さ」

「おおっ……まだあるのか! っと、そろそろかな?」

 

 エツィオの話に、身を乗り出したギーシュ達であったが……、

ふと何かに気が付いたのか、周囲にいた男子生徒達は、いそいそと身だしなみを整え始めた。

その様子を見ていたエツィオはギーシュに尋ねてみる。

 

「ん? どうしたんだ?」

「あぁ、これから舞踏会が始まるんだ、君も、目当ての女の子がいるなら、ダンスを申し込む準備をしておくべきだよ」

 

 なるほど、にわかに身だしなみを整え始めたのはそれが理由か、と納得する。

そして、もう一度ギーシュの裾を引っ張ると、エツィオはギーシュにしか聞こえぬよう小声で尋ねた。

 

「なぁギーシュ、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」

「ん? なんだい?」

「実は…………なんだが、知らないか?」

「ん? なんだってそんなとこ……まぁいいか。えぇっと確か……そこは…………だな」

「わかった、ありがとう、友よ」

「いいさ、そんなことくらい、面白い話をしてくれたお礼だよ。さ、そろそろ舞踏会が始まるぞ」

 

 ギーシュがそう言った丁度その時、ホールの壮麗な扉が開き、ルイズが姿を現した。

門に控えた呼び出しの衛士がルイズの到着を告げた。

 

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~~~~り~~~~!」

「公爵? 彼女、公爵家の出だったのか……」

 

 それを聞いたエツィオは少々驚いたように目を丸めた。道理で……、とエツィオはルイズを見つめた。

ルイズは、長い桃色がかった髪をバレッタにまとめ、純白のパーティドレスに身を包んでいた。

肘までの白い手袋が、ルイズの高貴さをさらに演出し、引き立てる。

胸元の開いたドレスがつくりの小さい顔を、宝石の様に輝かせている。

 主役が全員そろったことを確認した楽師達が、小さく流れるように音楽を奏で始めた。

ルイズの周りには、その姿と美貌に驚いた男達が群がり、盛んにダンスを申し込んでいた。

今までゼロのルイズとからかっていたノーマークの女の子の美貌に気付き、いち早く唾をつけておこうと言う魂胆だろう。

ホールでは、貴族たちが優雅にダンスを踊り始めた。しかしルイズは誰の誘いをも断ると、

テーブルでワインを傾けているエツィオに気付き、近寄ってきた

 

「やぁ、シニョリーナ。今夜は一段とお美しくていらっしゃる」

 

 エツィオは口元に笑みを浮かべると、グラスを掲げてウィンクする。

相変わらずの使い魔にルイズは小さくため息をつくと、腰に手をやって、首を傾げた。

 

「楽しんでるようね」

「そうかな? 君がいないパーティなんて味気ないものさ、ようやく始まったってところかな?」

 

 エツィオは一気にグラスの中のワインを傾けると、テーブルに置いた。

すると、テーブルに立てかけていたデルフリンガーがルイズに気付き、「おお、馬子にも衣装じゃねぇか」と笑った。

 

「うるさいわね」

 

 ルイズは剣を睨むと、腕を組んで首を傾げた。

 

「踊らないのか?」

 

 エツィオはどことなく意地悪そうな表情でルイズに尋ねる。

 

「相手がいないのよ」

 

 ルイズは手を広げた。

 

「それもそうか、君の美しさに釣り合える男なんて、この学院にはいないからな、……たった一人を除いてはな」

「へぇ、それは誰なのかしら?」

「それは君が一番よく知っているはずさ」

 

 エツィオは笑いながら言った。ルイズは答えずにすっと手を差し伸べた。

 

「おや?」

「踊ってあげても、よくってよ」

 

 目を逸らし、ルイズはちょっと照れたように言った。

エツィオはニヤリと笑うと、意地悪な笑みを浮かべて言った。

 

「正解だ、だけど、誘い方がなってないな、もっと他に言うことは無いのか?」

 

 彼女が自分をダンスのパートナーに指名するためにここに来たのはわかりきっている。

だがエツィオはあえてルイズをからかってみる。

するとルイズは、ため息をついた。

 

「今日だけだからね」

 

 ルイズはドレスの裾を恭しく両手で持ち上げると、膝を曲げてエツィオに一礼した。

 

「わたくしと一曲踊ってくださいませんこと。ジェントルマン」

 

 そう言って顔を赤らめるルイズを見て、エツィオは頬笑み、立ち上がる。

そして優雅に腰を折り、ルイズの手を取った。

 

「わたくしでよろしければ、シニョリーナ」

 

 二人は並んでホールへと向かった。

 

「あんた、本当になんでもできるのね」

 

 ダンスを踊りながら、ルイズが感心したように言った。

相変わらず腹が立つくらい器用な男である。

エスコート、乗馬に続き、エツィオのダンスは文句のつけどころがないほど洗練されていた。

 

「まぁな、見直したか?」

「その軽口さえ治ればね」

「おっと……これは手厳しい」

 

 ルイズがステップを踏みながら澄ました顔で言った。

 

「でも、今日だけは許してあげる」

 

 ルイズは軽やかにステップを踏みながらそう呟き、少し俯く。

 

「ねぇ、帰りたい? その……イタリアに」

「……二年前の、何も知らない俺なら、迷わずここにいるって言っただろうな……」

「それって……」

「俺は戻る、イタリアに。それがいつになるのはわからない、でも、それでも、俺には果たさなくてはならないことがあるんだ」

 

 真剣な表情でそう言い切ったエツィオを見たルイズは、「そうよね……」と呟き、しばらく無言で踊り続けた。

しばらくそうやってステップを踏んでいると、不意にエツィオが口を開いた。

 

「……すまないルイズ、君といられる時間は永遠じゃない、だけど、俺が戻るその時までは、君の使い魔でいることを誓うよ」

 

 その言葉を聞いたルイズはちょっと顔を赤らめると、エツィオの顔から目を逸らした。

そして、思い切ったように口を開く。

 

「ありがとう」

 

 ルイズが礼など言ったのでエツィオは少しだけ驚いたような表情になった。

 

「なによその顔」

「あっ、いや、君から礼を言われるなんて思わなかった」

「い、言う時は言うわよ!」

 

 ちょっと怒った風に口をとがらせるルイズを見て、エツィオは笑いかける。

 

「ははっ、君からそんな言葉が聴けるなんてな、他の女の子の誘いを断ってきた甲斐があったよ」

「ばか……」

 

 楽士達が、テンポのいい曲を奏で出した。二人は曲調に合わせステップを踏んでいく。

……自分はイタリアに戻らなくてはならない、だがそれまでの間は、彼女の使い魔でいる事も悪くは無い。

復讐を忘れるつもりはない、しかし彼女といる間だけは、せめて素敵な日々を楽しもう、いつか訪れる、別れの日まで。

 

「なに、当然のことさ」

「……何が?」

「君の使い魔でいるってことがさ、これからもよろしくな、ご主人様」

 

 エツィオはそう言うと、ルイズに笑いかけた。



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memory-11 「真夜中の逢瀬」

 ルイズは自分のベッドの上で、夢を見ていた。

 夢の舞台は、トリステイン魔法学院から馬で三日ほどの距離にある、生まれ故郷であるラ・ヴァリエール領地内の、住み慣れた屋敷であった。

 夢の中の幼いルイズは、屋敷の中庭を逃げ回っていた。迷宮のような植え込みの陰に隠れ、追っ手をやり過ごす。

 

「ルイズ、ルイズ! どこに行ったの? ルイズ! まだお説教は終わっていませんよ!」

 

 そう言って騒ぐのは、母であった。夢の中でルイズは、できのいい姉たちと魔法の成績を比べられ、物覚えが悪いと叱られていたのであった。

隠れた植え込みの下から、誰かの靴が見えた。

 

「ルイズお嬢様は難儀だねえ」

「まったくだ。上の二人のお嬢様は、あんなに魔法がおできになるっていうのに……」

 

 ルイズは悲しくて、悔しくて、歯噛みをした。すると召使たちはがさごそと植え込みの中を探し始める、

このままでは見つかると、すぐにそこから逃げ出した。

 

 そして……彼女自身が、『秘密の場所』と呼んでいる、中庭の池に向かう。

そこは、ルイズにとって唯一安心できる場所であった。あまり人の寄りつかない、うらぶれた中庭……。

池の周りには季節の花が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチとベンチがあった。

池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っている。

島のほとりに小船が一艘浮いていた。船遊びを楽しむ為の小船も、今は使われない。姉たちもそれぞれ成長し、母も、父もとうに興味を失っている。

そんなわけで、この忘れられた中庭の島のほとりにある小船を気に留めるのはルイズ以外誰もいない。ルイズは叱られると、毎回この中に隠れていたのだ。

夢の中の幼いルイズは小舟の中に忍び込み、用意してあった毛布に潜り込む、そんな風にしていると……。

 中庭の島にかかる霧の中から、一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。

年のころは十六歳くらいだろうか? 夢の中のルイズは六歳ぐらいの背格好だから、十ばかり年上に見える。

 

「泣いているのかい? ルイズ」

 

 つばの広い、羽根付き帽子に隠れて顔が見えない。

しかし、ルイズには彼が誰だかすぐに分かった。

子爵だ。最近近所の領地を相続した、年上の貴族。

夢の中のルイズは、ほんのりと胸を熱くした。憧れの子爵。晩餐会をよく共にした。

そして、父と彼との間で交わされた約束……。

 

「子爵さま、いらしてたの?」

 

 幼いルイズはあわてて顔を隠した。憧れの人に、みっともない所を見られてしまったので恥ずかしかった。

 

「今日はきみのお父様に呼ばれたのさ。あのお話のことでね」

「まあ!」

 

 ルイズは頬を染めて、俯いた。

 

「いけない人ですわ。子爵さまは……」

「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」

 

 おどけた調子で言う子爵に、夢の中のルイズは首を振った。

 

「いえ、そんなことはありませんわ。でも、わたし、まだ小さいし……、よくわかりませんわ」

 

 ルイズははにかんで言った。帽子の下の顔が、にっこりと笑った。そして、手をそっと差し伸べてくる。

 

「子爵さま……」

「ミ・レイディ。手を貸してあげよう。ほら、掴まって。もうじき晩餐会が始まるよ」

「でも……」

「また怒られたんだね? 安心しなさい。ぼくからお父上にとりなしてあげよう」

 

 島の岸辺から小舟に向かって手が差し伸べられる、大きな手、憧れの手。

ルイズは頷いて、立ちあがり、その手を握ろうとした。

その時、風が吹いて貴族の帽子が飛んだ。

 

「あ」

 

 現れた顔を見て、ルイズは思わず当惑の声をあげた。

夢の中なので、いつの間にかルイズは、六歳から十六歳の姿へと変わっていた。

 

「な、なによあんた」

 

 帽子の下から現れた顔は、憧れの子爵などではなく、使い魔のエツィオであった。

 

「さ、お手を……シニョリーナ」

「お手を、じゃないわよ。なんであんたがここにいるのよ」

「なんだよ、折角こんな格好までして君を迎えに来たって言うのに、お気に召さなかったか?」

 

 憧れの子爵の格好をしたエツィオは不敵な笑みを浮かべると、身に着けていたマントを脱ぎ棄てる、

そうすることにより現れた彼の姿は、いつも身につけている白いローブの姿に早変わりしていた。

 

「あ、あたりまえじゃない! なんであんたがここにいるのよ」

「なんでって、そんな事、君が一番よく知ってるんじゃないか? 俺に惚れてるからだ、そうだろ?」

 

 エツィオは勝ち誇った調子で言った。

なんだか自信たっぷりなエツィオである、いや、普段から自信たっぷりな男なのだが……。

 

「ばかじゃないの! ちょっと踊ってあげたぐらいでいい気にならないで!」

「おや? てことは俺の勘違いか?」

「あたりまえじゃない! このばか! 誰があんたなんかに惚れるもんですか!」

「ふーん……ま、いいか、俺には他の女の子もいるし」

「え?」

 

 エツィオはニヤリと笑うと、踵を返し、すたすたと去っていく。

ルイズがエツィオの意外な行動に戸惑っていると、中庭にかかる霧の中から聞きなれた声が聞こえてきた。

 

「ダーリーンっ!」

「キ、キュルケッ! なんであんたが!」

 

 その声と共に現れたのは、ルイズにとって不倶戴天の敵であるキュルケであった。

 

「やぁキュルケ、今日もまた一段と美しいな」

「やだ、ダーリンったら……んっ……」

 

 エツィオはそんなキュルケを抱きとめると、二人はまるでルイズに見せつけるかのようにキスをした。

 

「な、なにやって……!」

 

 人目も憚らない突然の出来事にルイズは目を白黒させる、だがエツィオは何が問題なのかと言わんばかりに首を傾げた。

 

「なにって言われてもな、君には関係ないんじゃないか?」

「そうよルイズ、あなた、エツィオに惚れてないんでしょ? あたしは別、もう彼に夢中よ!」

 

 キュルケはそう言うと、エツィオと腕をからめて彼の頬に口づけをする。

それを見たルイズは思わず眉を吊り上げた。

 

「そ、そう言う問題じゃないでしょ! エツィオ! あんたこの間言ったことも忘れたの! キュルケはダメだって何度言えばいいのよ!」

「おっと、そう言えばそうだったな、それじゃ……」

 

 そんなルイズの言葉にエツィオは笑いながら肩を竦めると、後ろを振り返った。

 

「シエスタ!」

「はいっ! お呼びでしょうか、ご主人様!」

「ご、ごしゅじんさまぁ!?」

 

 エツィオが呼ぶと、一人のメイドの格好をした少女が駆け寄ってきた。

ルイズはその姿に見覚えがあった。あれはこの間エツィオと話していたメイドだ。

確かエツィオにたらし込まれたとかなんとかという噂のメイドである。そう言えば最近エツィオの手伝いをしているのをよく見る気がする。

 シエスタ、と呼ばれたメイドは、エツィオの傍で立ち止まるとペコリとお辞儀をする。

エツィオは優しくほほ笑むと、シエスタの顎を手でしゃくって見せた。

 

「やぁシエスタ……いけない子だな、ルイズの前では名前で呼ぶように言ってるだろ? ……後でおしおきだな」

「も、申し訳ございません!」

 

 その言葉とは裏腹にシエスタの顔は紅潮している、エツィオは満足そうに頷くと、キュルケと同じようにシエスタを抱き寄せた。

 

「あ……あの……や、優しくしてくださいね……」

「あぁ、もちろんだ……」

「なななな! 何言ってんのよあんたたち! そ、そそそ、そんなこと、ダ、ダメにきまってんでしょうが!」

 

 ルイズは杖を抜き放ち、エツィオ達につきつける。

なんだか、彼の様子を見ていたらムカムカと胸がむかついてきたのだ。

エツィオが他の女の子を口説き、手を出そうとしている、その行動が無性に腹立たしく、恨めしく感じた。

エツィオの事なんてなんとも思っていない、コイツはただの使い魔だ、嫉妬なんて冗談じゃない! 

そう頭の中で自分に言い聞かせるも、胸の奥からふつふつと沸き起こる怒りが、さらに夢の中のルイズを苛立たせるのであった。

 

 

 エツィオは自分の寝床の中でパチリと目を開ける。

そこはルイズの部屋の隅に積み上げられたクッションの山である。

窓の外には二つの月が光り、室内を煌々と照らしている。

ベッドの中から、う~んう~んとルイズのうなり声が聞こえてくる。どうやら悪い夢を見ているようだった。

 そのまま寝ててくれよ、と思いながら、エツィオはむくりと起き上がると、寝床から起き出し、ベッドへと近づき中を覗き込んだ。

ゆっくりと、足音を立てぬよう慎重にルイズが寝息を立てているベッドに近づいた。

壁に立てかけたデルフリンガーがそんなエツィオの様子に気づき、声をかけた。

 

「眠れねえのか? 相棒」

 

 エツィオは振り向くとニヤリと笑い、口の先に指を立てた。

 

「黙ってろってか? なんでだ?」

 

 エツィオは頷くと、なにやらごそごそと身なりを整え始める。

 

「おい、相棒、何する気なんだよ、そんなつれねぇ仕打ちは許せねぇね。

寂しいのはごめんなんだ、相棒がこんな夜中に起き出したワケを言わねぇってんなら、俺は怒鳴る、悲しいからね」

 

 少々大きめのボリュームでデルフリンガーが言うと、ピリピリと震えた。

本気で怒鳴るらしい、困った剣である。

 剣の声に反応したのか、ルイズがうーんとうなって寝がえりをうった。

その目がパチリと開いた。エツィオがびくっと硬直する。

ルイズは上半身を起こすと、エツィオの方を向いて怒鳴り始めた。

 

「このぉ! ばか使い魔! あんたのなんて使いモノにならなくなったほうが世の女のためよ!」

 

 エツィオは、まるで『硬質』の呪文をかけられたかのように固まった。

しかし、ルイズはそれだけ怒鳴り散らすと、またベッドにばたりと横になり。寝息を立て始めた。

寝ぼけていただけのようだ。

 

「ひでえ……、どんな夢見てんだよ……」

「なぁ……俺は彼女になにか悪い事でもしたか?」

「……寝言で言われるくらいだ、相当恨み買ってるんじゃないか?」

「冗談だろ? まだここにきてまだ一人も手を出してないぞ」

 

 エツィオが少々顔を青くしながらデルフリンガーに尋ねた。

デルフリンガーは同情するように呟いた。

 

「でよ、相棒、なんでこんな夜中に起き出したんだ?」

「さて、何だと思う?」

 

 どうやらこの剣は好奇心が強いらしい、エツィオが夜中に起き出した理由をどうしても知りたいらしい。

そんなデルフリンガーにエツィオは茶化す様に両手を上に広げて言った。

 

「そうだなぁ、さては相棒、これからこの娘っ子を手籠にする気だね?」

「それもいいな、だけど、ハズレだ」

 

 エツィオはそう言うと、掛けてあったアサシンのローブを羽織り、

机に置いてあった投げナイフや短剣等の装具類を点検し始めた。

 

「なんだ? 出かけるのか?」

 

 デルフリンガーの質問に答えぬまま、エツィオは手早くそれらを装着し、最後にアサシンブレードの動作を確認した。

 

「よし……行くか」

「相棒、そろそろ教えてくれよ、どこ行くんだよ」

 

 フードを目深に被り、準備万端といった様子のエツィオに、しびれを切らしたデルフリンガーが尋ねる。

するとエツィオは軽くウィンクしながら、デルフリンガーに向き直った。

 

「美女の部屋だ、お前も来るか?」

 

 

 遠く離れたトリステインの城下町の一角にあるチェルノボーグ監獄で、土くれのフーケはぼんやりとベッドに寝転んで壁を見つめていた。

彼女は先日『真理の書』の一件でエツィオ達に捕まった後、魔法衛士隊に引き渡された後、すぐに城下で一番監視と防備が厳重なここ、

チェルノボーグの監獄にぶちこまれたのであった。

 裁判は来週に行われるらしいが、今まで散々貴族相手に盗みを働いてきたのだから、軽い刑でおさまるとは思えない。

多分縛り首、よくて島流しである。どの道、このハルケギニアの大地に二度と立つことはできないだろう。

脱獄を考えたが、フーケはすぐにあきらめた。監獄の中には、粗末なベッドと木の机だけ、これではなにもできないだろう。

 得意の『錬金』の魔法で壁や鉄格子を土に変えようにも。強力な魔法の障壁が張られているため通用しないだろう。

それ以前の問題として、杖がなくなっているため魔法は使えないのだが……。全く、杖のないメイジ程無力な存在は無い。

 

「まったく、かよわい女一人を閉じ込めるのにこの物々しさはどうなのかしらね」

 

 苦々しげに呟く。

 それからフーケは自分を捕まえた青年の事を思い出した。

 

「ふん! たいしたもんじゃないのさ、あいつは!」

 

 いきなり馬車で口説いてきた時は、ただの軽い男なのだと思っていた。

ゴーレムに乗りこんできたのは考えなしの行動だったのだと。

ところがその男に、『真理の書』の強奪を阻止されるわ、

揚句に完全に不意を打たれ、何もできないまま捕縛されてしまうわで散々な目に遭った。

トリステインにその名を轟かせる『土くれ』のフーケがこうも簡単に手玉に取られたことが、なにより悔しかった。

 一体あの男は何者なのだろうか? そんな事を考えながら、目を瞑る、すると、フーケの瞼の裏にあの男の顔が浮かんできた。

 

「くっ、何を思い出してるんだい! 私は!」

 

 フーケは頭振って、思考を振り払う。

実際、顔はフーケの好みではあった、正直、馬車で口説かれた時は悪い気はしなかったのだ。

 しかし、今となっては彼に会うことはないだろう、もう自分には関係のない事である。

 とりあえず寝ようと思い……フーケは目を瞑ったが、すぐにぱちりと開いた。

 

 フーケが投獄された監獄が並んだ階の上から、誰かが降りてくる足音がする。

フーケがちらと廊下を見やると、ランプを手に持った人影が階段から降りてくるのが見えた。どうやら見回りらしい。

なんだ、とフーケはため息をつき、もう一度横になった。その時。

 

「ぅおっ……!」

 

 ランプを持った人影に、何かが飛びかかる、くぐもったうめき声とともに人が倒れる音が聞こえた。

ただ事ではない様子にフーケは驚いて身を起こす。すると、鉄格子の向こうに長身の黒マントを纏った人物が現れた。

目深に被ったフードに、仮面をつけているせいで顔が見えなかった。

 フーケは鼻を鳴らした。

 

「おや! こんな夜更けにお客さんなんて、珍しいわね」

 

 マントの人物は鉄格子の向こうに立ったまま、フーケをじっと見つめていた。

フーケはすぐに、おそらく自分を殺しに来た暗殺者であろうと当たりをつけた。

これでもかなりの数のお宝を盗んできた。中には公になってはならない宝物を盗んだ事もある。

そんな貴族にとっては、来週ではなく今すぐに死んで欲しいと思っている者も少なくは無いはず。

つまり口封じというわけだ。

 その時、黒マントの男が口を開いた。年若く、力強い声だった。

 

「『土くれ』……だな」

「誰がつけたかは知らないけど、確かにそう呼ばれてるわ。……あんたは? 私を消しに来たのかい?」

「……そうだ、と言ったら?」

 

 男の声が低くなる、フーケは身構えた。その時だった。

 

「……なんてな!」

 

 男は急に明るい声で笑うと、フードを外し、つけていた仮面を取り外した。

その下から現われた顔を見て、フーケは思わず声をあげた。

 

「あっ! あんたはっ!」

「やぁミス・ロングビル! ……入ってよろしいかな?」

 

 なんと、黒マントの男は、誰であろうフーケを捕まえた張本人である、エツィオ・アウディトーレその人であった。

 

「な、なんであんたがここにいるんだい!」

「君にどうしても会いたくなってね……これがなんだかわかるかな?」

 

 驚いているフーケに、エツィオは悪戯ぽく笑うと、懐から牢獄の鍵と、フーケの杖を取り出した。

それを見たフーケが益々目を丸くする。

 

「あんたっ……どうして……! てか、どうやって! 警備の兵たちは?」

「彼らは仕事のしすぎでね、倒れるまで働くなんて、勤勉な連中さ、フィレンツェじゃ考えられないな」

 

 どうやって見抜いたのか、エツィオは鍵束の中から正解の鍵を選び出すと、

鉄格子を開け、何食わぬ顔でフーケの牢獄の中に入っていった。

 

「どうして、って質問だったな」

 

 エツィオは鍵を投げ捨てると、フーケの顎に優しく手を添え、優しくほほ笑む。

普段のフーケならば彼に金的の一つでもくれてやるところであったが、今回ばかりはどういうわけか出来なかった。

フーケはまるで魅了されたかのようにエツィオの瞳に釘づけになっていた。

 

「言っただろう、俺は君に心を奪われたんだ、取り返すためにここまで来た、そういうことさ」

「そ……それだけ?」

「理由としては十分だ。ところで、ミス、ここから出たくないか?」

 

 自分で鉄格子を開けておいてエツィオは尋ねる、するとフーケはこくこくと頷いた。

 

「そ、そりゃ出たいさ、話を聞く限りだとあんたはそのために来たんでしょ?」

「もちろん、だけど、俺もただ君とお話に来たってワケじゃない、お願いがあってきたんだ」

 

 エツィオがそう言うと、やっぱりな、と言わんばかりにフーケがため息をついた。

 

「やっぱりね、無償の善意ほど気味の悪い物は無いからね、なんだい? お願いってのは」

「君の名前を教えてくれるかな」

「え? な、名前?」

 

 意外な言葉にフーケは一瞬困ったような表情を見せる。

そんな彼女の腰にエツィオは優しく腕を回すと、抱きよせほほ笑んだ。

 

「ロングビル……それじゃだめ?」

 

 しかしエツィオは小さく首を振る。

それを見たフーケは諦めたように肩をすくめた。

 

「ふぅ、わかったよ、マチルダ、マチルダ・オブ・サウスゴータ。もう捨てた名前だけどね」

「マチルダか、素敵な名前だ」

 

 そうさらりと言ってのけたエツィオをフーケ……、マチルダはジト目で見つめる。

 

「あんた、それほかの女にも言ってないだろうね?」

「とんでもない! ここまで心奪われたのは君が初めてさ……」

「どうも信用ならないね……」

 

 その様子をみたマチルダはエツィオをじっと見つめ、考える。

この男は生まれついての女たらしだ、間違ってもあの子には会わせられない。

 

「ん? どうかしたのか?」

「な、なんでもないよ! さて、ここから出してくれるんだろう? 脱出できる算段はあるんだろうね?」

 

 気を取り直したマチルダは、開いた鉄格子から、顔を出し周囲を見渡す、あたりには静寂に包まれている。

どうやらまだ騒ぎにはなっていないようだ、脱出をするなら今をおいて他にないだろう。

 

「あぁ、一週間、君にどうやったら会えるのかずっと考えてたからな。これを、こっちだ、ついてきてくれ」

「おっと、ちょっと待ちな」

 

 エツィオはマチルダに杖を返すと、彼女に後を着いてくるように指示を出す。

するとマチルダは、呪文を詠唱し、二人の周りに『サイレント』の呪文をかけた。

二人の周りが静寂に包まれ、足音が消える。

 

「おっと、これは便利だな」

「盗みの技って奴さ、でも、あんたは大丈夫かい? 脱走に手を貸しただなんて知れたらタダじゃ済まされないよ?」

「いつものことさ、女性の部屋から出るときはいつも衛兵に追いかけられる、一晩中な」

 

 エツィオは軽くウィンクすると、懐から先ほどつけていた仮面を取り出し、顔につけた。

 

「こいつは……あんたがやったのかい?」

「あぁ、弔いなら済ませた」

 

 マチルダが先ほどエツィオが倒した見回りの番兵を見て呟く、

番兵の喉は鋭い刃で一突きにされており、一瞬で絶命させられたことがうかがえた。

人を殺したと言うのに、エツィオは別段変わらぬ口調で番兵の死体を一瞥する。

 

「うーん、でもこのままじゃマズイか」

 

 エツィオはそう呟くと、番兵の死体を担ぎ、先ほどまでマチルダが収監されていた牢獄のベッドに死体を寝かせ、鉄格子を閉める。

 

「これで多少は時間は稼げるかな? さぁ、行こう。そろそろ番兵たちの交替が完了する時間だ」

「ちょっと……、私を捕まえた時といい、ここまで忍び込むといい……あんた、一体何者?」

「その答えは……、脱出してからだ」

 

 マチルダの唇に人差し指を当て追及を中断させる、そして脱出を開始すべく、通路を歩きだした。

 

 

「くぁ……」

 

 気の抜けた大欠伸をした番兵の背後を、二つの影が駆け抜ける。

エツィオの言った通り、今は番兵たちの交替が行われる時間帯のようだ、

つまり、最も番兵たちが油断する時間帯でもあった。

そのおかげか、特に大きな問題もなく、二人は監獄の物見塔へと辿りついていた。

 

「な、なんだおま――……!」

 

 物見塔に立っていた見張りが、突然目の前に現れた男に驚いた次の瞬間、彼の鳩尾に冷たい刃が埋まる。

物見塔に立っていた見張りを手早く始末したエツィオは、隠れていたマチルダを呼び寄せた。

 

「で、ここからどうするんだい?」

「飛び降りる」

「ええっ! こ、ここから?」

「いいから、俺を信じろって」

 

 そう言うや、エツィオはマチルダの身体を抱き抱えた、俗に言うお姫様だっこの格好である。

 

「ちょ、ちょっと! どのくらい高さがあると思ってんだい! 今『フライ』を唱えるから待って――」

 

 マチルダの抗議を最後まで聞かずに、エツィオは物見塔から大きく身を投げる。

重力に従い、二人の身体は急速に落下し……ぼすんっ! と高く積まれた干し草の山へと落下していった。

 

「……やれやれ、うまくいったな」

「し、死んだかと思ったよっ!」

 

 干し草の中でマチルダを抱きかかえたままのエツィオが笑う。

干し草にまみれながらマチルダが抗議の声をあげ、外へ出ようとじたばたともがき始めた。

 

「まったく! 『フライ』を唱えようとしてたのに!」

「あぁマチルダ、もう少し君とこうしていたいんだが……」

「馬鹿言ってんじゃないよ! 早く逃げるよ!」

「やれやれ……」

 

 マチルダに促されエツィオも渋々外へと飛び出す。

そしてマントと仮面を脱ぎ捨てると、マチルダと共に夜の闇へと消えて行った。

 

 エツィオとマチルダが脱出してしばらくして……。

かつてマチルダが収監されていた牢獄の通路を何者かが歩いていた。

先ほどのエツィオと同じような、黒いマントに仮面を被った、メイジの男である。

かつ、こつ、という足音の中に、ガシャガシャと拍車の音が牢獄の中に木霊する。

マントの人物は、マチルダのいた牢屋の鉄格子の前で止まった。

そしてその鉄格子の中を覗き込み、ベッドの上で寝ている人物に声をかけた。

 

「『土くれ』……だな、お前に話がある、起きろ」

 

 

 黒ローブの男が、物言わぬ死体に話しかけていた、その頃……。

外で待機させていた馬に相乗りになっていたエツィオとマチルダは夜の闇の中を駆け抜けていた。

 

「ここらでいいかな……」

 

 しばらく馬を走らせていたエツィオはそう呟くと馬を宥め、お互いの身を隠すために森の中へと入っていった。

 

「さ、これで君は自由だ、マチルダ」

「はぁ、まったく、捕まえた相手を逃がしに来るだなんて、どうかしてるよ……、でも、おかげで処刑されずに済んだんだし、礼を言っとくよ」

「気にすることは無いさ、俺は困ってる女性には弱くてね」

 

 エツィオはそう言うと、マチルダの身体を抱き寄せる。

マチルダは一瞬顔を赤くして視線を逸らしたが、やがて、エツィオの唇にある古傷を指でなぞると、フードの中を覗き込んだ。

 

「でもね、あんたのおかげで捕まってから酷い目にあったんだよ?」

「それは済まなかった、俺も本当は君を捕まえたくなかったんだけどね……」

「これはちょっと仕返ししないとね、エツィオ……どんなことされたか……知りたいでしょ……?」

「一つ……お手柔らかに頼むよ」

 

 エツィオがほほ笑むと、マチルダは少々強引にエツィオの唇を奪う。

エツィオもそれに答えると、彼女の身体を草むらに優しく押し倒した。

 

 

 夜も更け、空が白み始める頃……。

エツィオの胸で抱かれていたマチルダが尋ねた。

 

「……で? 本当の目的はなんなの? まさか本当に私の名前を聞きに来ただけ、ってことはないだろう?」

「あぁそう言えば、もう一つ君にお願いがあったんだ」

「そう来ると思っていたよ、でなければこんなことはしないだろうしね」

「迷惑かい?」

「そんなことはないよ、でも、一つだけ条件」

 

 マチルダは人差し指を立てると、エツィオに尋ねた。

 

「あんたって何者? さっきから気になってたんだ、いい加減教えてくれたっていいでしょ?」

 

 マチルダは甘えるように尋ねる、するとエツィオは優しく体を抱きよせ、呟くように話を始めた。

 

「俺は……君と同じさ」

「どういうこと?」

「俺の家も貴族だったんだ」

「……」

「二年前のことだ、父上、兄上、そして弟が、無実の罪を着せられ……処刑された。

そしてアウディトーレ家は貴族の地位を剥奪され、街を追放されたんだ。

生き残った俺は、父上の遺志を継ぐために、アサシンになった」

「アサシン? あんた……暗殺者だったのかい!」

「そう、アウディトーレ家は、三百年続くアサシンの家系だ、先祖がそうであったように父上もまたアサシンだったんだ。

父上は、イタリア全土を巻き込んだ陰謀を阻止するために動いていた、その途中、陰謀を企んでいた連中の罠にかかり、処刑された。

だから俺は、奴らに復讐を誓ったんだ。家族を陥れた『テンプル騎士団』に」

「……もういいよ、エツィオ、つらいことを言わせて悪かったよ」

 

 マチルダはそう言うと、エツィオの胸に頭をうずめる。

そんな彼女を優しく抱き寄せると、額に軽くキスをした。

 

「わかったよ、私にできる事なら、なんでも言っておくれ」

「ありがとう……マチルダ。君は盗賊として各地で暴れまわっていたようだけど、その中で『エデンの果実』という言葉を耳にしたことはあるか?

『果実』、『リンゴ』なんでもいい、それに類するような言葉だな」

 

 マチルダは首を傾げ、しばらく考えるも、該当する答えは無かったのか、静かに首を振った。

 

「『エデンの果実』……? いや、ないね……」

「ない、か、でもこの言葉を覚えておいてくれ、どんな些細なことでもいい、その情報を集めてほしいんだ」

「わかった、『エデンの果実』だね」

「手段は問わない、だけど、捕まらないでくれよ?」

「見くびらないでおくれ、簡単に捕まりゃしないよ」

「君だけが頼りだ、頼んだよ」

「……まったく、あんたにゃ手玉に取られっぱなしだね。でも、さ、もしあんたを裏切ったらどうする?」

「そうだな、マチルダ、その時はもう一度君を捕まえて、じっくりとお仕置きする事にするさ」

「ふふっ、それも悪くないかもね」

 

 マチルダは苦笑しながら呟くと、脱ぎ捨てられた衣服を手に取り、身につけ始めた。

 

「報告には手紙を出すことにするよ、学院の隅に伝書鳩の小屋があるから、そこを見るんだね」

「手紙か……俺としては直接会いたいとこだけどな」

「ふん、どうしても会いたいってんなら、あんたもその鳩を使うんだね、お互い連絡が取れるはずさ」

「わかった、そうしよう」

「それじゃ、もう行くよ、あんたも戻った方がいいんじゃないかい?」

「おっと、そうだった、可愛いご主人が待ってるんだった」

 

 白み始めた空を見上げて、エツィオが立ち上がり、もう一度キスをする。

そして自嘲気味に肩をすくめた。

 

「聞いてくれよ、あの子、俺の事男として見てくれないんだぜ? 歳だってそんなに離れてないってのに」

 

 そうエツィオが言ったその時だった、マチルダの動きがピタっと止まった。

そして顔を赤くしながらエツィオの顔をじっと見つめ始める。

 

「ちょ、ちょっと待って、そう言えば、あんた幾つだい?」

「ん? 今年で十九歳だな」

「じゅっ、十九!?」

 

 その数字を聞いてマチルダは青くなった。十九歳と言われ、急にこの男の顔が年相応の顔に見えてきたのだ。

しゃがみ込み、頭を抱える彼女を見て、エツィオは首を傾げた。

 

「どうしたんだ? マチルダ」

「まっ、マチルダ言うなっ! あぁ……嘘でしょ……年下の男にあぁまでされるなんて! ううっ……!」

「なんだよ突然、年齢なんて関係ないだろう? 君、あんなに――」

「それ以上言うんじゃないよっ! ゴーレムで押しつぶすよっ! と、とにかく、もう私は行くからね!」

 

 マチルダは顔を真っ赤にしながら立ち上がると、足早にその場を去っていく。

そんな彼女の後姿を見送りながら、エツィオは背中のデルフリンガーに尋ねた。

 

「なぁデルフ、彼女っていくつなんだろうな?」

「さぁな……。一つだけ言えるのは、お前はとんでもない女たらしってことだよ」

「照れるな、そんな褒めるなよ」

「あーあ、あん時、娘っ子の魔法で爆発しちまったほうが世の女の為だったのかも知れんね……」

 

 悪びれもせずに言ったエツィオに、デルフリンガーは吐き捨てるように呟いた。



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memory-12 「古き友、来る」

 エツィオのチェルノボーグ侵入から数日後……。

学院内はなにやら、慌ただしい雰囲気に包まれていた。

話を聞くと、トリステイン王国王女であるアンリエッタ姫殿下が、トリステイン魔法学院に行幸されることが急遽決定したようだ。

そのためこの日の授業は全て中止になり、生徒や教師達は、歓迎式典の準備を大急ぎで進めていた。

 

 そんななか、エツィオはコルベールに呼ばれ、彼の研究室へと赴いていた。

ドアをノックすると、ややあって、中から「どうぞ」と声が返ってくる、エツィオはドアノブを捻り、中へと入っていった。

 

「失礼します、シニョー……レ……?」

「おお、エツィオ殿、お待ちしておりましたぞ」

 

 エツィオは中に入って絶句した、コルベールの部屋の中は、見慣れぬガラクタ……彼が言うには発明品、らしい……

によって、埋め尽くされており足の踏み場もない、テーブルの上には書類や本、実験器具などが多く散乱していた。

 

「あぁ、申し訳ない、散らかってまして」

「いえ、友人の部屋によく似ているもので、少し驚いただけです、

それで、コルベール殿、お話とは? 書物についてですか?」

「えぇ、それもそうなのですが、貴方にいくつかお聞きしたいことがあってお呼びしたのです、エツィオ殿」

「そんなに畏まらなくても結構ですよ、シニョーレ、エツィオで構いません、私にお答えできることならよいのですが」

「そうか、では、エツィオ君、まずはこれの報告からだな」

 

 コルベールはそう言うと、羊皮紙を数枚取り出し、エツィオに手渡した。

 

「これは?」

「翻訳した『写本』だよ、失礼だが、この世界の文字は読めるかね?」

「あぁ、それが……お恥ずかしい話なのですが、コルベール殿、生憎、私はまだこの世界の文字を習得していないのです。

暇を見てはルイズに文字の教えを乞うてはいるのですが……未だ単語を読み取るのが精いっぱいで」

「おお、そうだったのか、では私が代わりに読もう。このページには、アルタイルがこの世界に初めて来た日の事が書いてあった、貸してみたまえ」

 

 コルベールはそう言うことならと、エツィオから羊皮紙を受け取り、写本の中身を朗読し始めた。

掻い摘むと、『写本』の中身は、なるほど、アルタイルの日記と言ってもよい内容であった。

その断片にはアルタイルがこの世界に迷い込んだ時の事が書かれており、そこでオスマンと思わしき青年と出会っていたことが記されていた。

 

 読み終えたコルベールは息を吐くと、椅子にもたれかかった。

 

「と、言う内容だ、……ここでいう青年とは、オールド・オスマンのことで間違いないだろうね」

「なるほど、オスマン殿の話と矛盾もないようだ」

「とりあえず、暗号の手掛かりは掴めた、これから解読が進んでいく筈だよ、……暗号が複雑化しない限りはね」

「ありがとうございます、コルベール殿」

 

 エツィオが頭を下げ、礼を言う、するとコルベールは慌てたように両手を振った。

 

「いやいや、礼を言うのはこちらだよ! この書物には驚かせられてばかりだ!」

「と、言いますと?」

「これも翻訳した写本の断片なのだがね、見たまえ!」

 

 コルベールは急に興奮した口調になって、エツィオに羊皮紙をつきつけた。

 

「これは、新しい冶金法! これはあらゆる薬学について! そしてこれは天体について書かれているんだ!

すばらしいぞ! どれもこれも今まで発見すらされていなかった新たな知識だ、エツィオ君!」

「お、落ち着いてくださいシニョーレ!」

 

 唾を飛ばしながら説明するコルベールを必死で宥める、正直顔が近い。

女の子なら兎も角、中年男の顔はご遠慮願いたかった。

 

「も、申し訳ない、つい興奮して……、しかしだね、これはどれも世紀の大発見と呼べるものばかりだ、

三百年前に書かれた書物とは到底思えない……。エツィオ君、アルタイルとは一体何者なのだ? それにエデンの果実とは?」

「……実は、私もよくは知らないのです、『伝説のアサシン』と呼ばれるような偉大なるアサシンであったこと以外は何も……。

エデンの果実も、実際はよくわかっていません、私も元いた世界でそれを追っているのですが、情報があまりに少ないのが現状です……」

 

 エツィオが困ったように言った、アルタイルという人物は謎が多く、彼が活躍した第三回十字軍遠征から二百年以上の時がたった今、

彼に関する情報はほとんど残っていないに等しかった。

コルベールは「そうか……」と小さく呟くと、再び羊皮紙に視線を向け、一人の世界に入り込んでしまった。

 

「アルタイル……一体どれほどの知識を……、エデンの果実……エデン……楽園……? 果実とは一体なんだ……?」

「あの……シニョーレ?」

 

 エツィオに声をかけられ、コルベールははっと、現実に戻り、「あ、あぁ! これは失礼!」と頭をかいた。

 

「いえ、お気になさらず、私の友人に、貴方とそっくりな奴がいるので」

「はは、君のその友人に、是非一度会ってみたいものだな」

 

 コルベールは真顔になった。

 

「とまぁ、この『真理の書』はどうやら、ただの手記というわけではなさそうだ。

名前の通り、あらゆる知識が記されている可能性が極めて高い。学術書、と言ってもいいな」

「そのようで」

「読み解く者に『真実』を与える書……一体何が書かれているのか、いやはや、興味は尽きないよ」

 

 解読を楽しむのもいいが、こちらは急いでいることを忘れないでいてくれよ……と、

嬉しそうに話すコルベールを見て、エツィオは苦笑した。

その時、コルベールは何かを思い出したのか、もう一枚、羊皮紙をエツィオに見せた。

 

「おおそうだ、もう一つあった、エツィオ君、これに見覚えはあるかね? どうやら設計図の様なのだが、この図が君の籠手によく似ていてね」

 

 それを受け取り、中身を確認する、なるほど、その羊皮紙には、アサシンの紋章と見覚えのある籠手と短剣が記されていた。

コルベールの言う様に設計図の類のようである。

エツィオは首を傾げながら

 

「これは……籠手と短剣だ、でも、少し違うな……なんだろう……」

「短剣?」

「あぁ、これです……どうぞ」

 

 エツィオは左手の籠手を外すと、コルベールに差しだす、それを見たコルベールは目を丸くして驚いた。

 

「こっ、これはっ! ちょ、ちょっといいかな!」

 

 エツィオから籠手をひったくる様に受け取ると、コルベールは再び興奮した様子でそれを調べ始めた。

また始まった……と、エツィオが半ば呆れたようにそれを見守る。

エツィオの持っていた羊皮紙をこれまたひったくるように奪い、何度も確認する。

 

「これは……素晴らしい! 古びてはいるが、構造は極めて先進的だ! エツィオ君! これをどこで手に入れたんだね!」

「あ、いや、父上の形見です、なんでも先祖伝来の品だと……、しかしその時は壊れていたので、友人に修理してもらったんです」

「ふむふむ、なるほど……先祖伝来か……この『真理の書』にも書かれているということは……この原型は三百年前には既に存在していた……!

この素材は何だ……? 鉄のようで、鉄ではない……未知の合金? そうか! この冶金術で精錬された鋼か! なんと素晴らしい! これは未知の技術の固まりだ!」

 

 完全に一人の世界にもぐりこんでいくコルベールを見て、エツィオは肩を竦める。

まるでレオナルドだ、おそらく彼も知的好奇心が旺盛なのであろう。

子供の様にはしゃぐコルベールを見て、友人の姿と重ね合わせる。

これは長くなりそうだ……、そう呟きながら、エツィオは窓辺へと歩き、何気なく外を覗いた。

 

 正門付近で何やら生徒達が綺麗に整列しているのが見える。何かと思い、そちらの方をみると、

金の冠を御者台の隣につけた四頭立ての豪奢な馬車が魔法学院の正門をくぐってくるのが見えた。

正門の先にある、本塔の玄関先に、学院長であるオスマン氏らしき人物が立っていた。

どうやら姫殿下が到着したのであろう。

現在正門ではその出迎えの為の式典が執り行われているようであった。

 

「シニョーレ、あれは? もしかして、姫殿下が御着きになられたのでは?」

「……ん? あぁ、生徒達には伝えたから、今頃しっかりとお出迎えしているところだろうね……」

 

 エツィオが尚も籠手の構造を調べているコルベールに尋ねる、すると彼はそっけなく答えた。

 

「貴方はいいんですか? 貴方もここの教師でしょう、オスマン殿も出席しているようですが?」

「それどころじゃないだろうエツィオ君! こんなにも素晴らしい知識が目の前にあると言うのに、そんなことにはかまってはいられないんだよ!」

「そんなこと、ね……聞かなかったことにしましょう」

 

 貴族として明らかに問題発言を飛ばしたコルベールを見て、エツィオは苦笑しながら肩を竦めもう一度窓の外へ視線を送る。

馬車が止まり、召使たちが駆け寄り、馬車の扉まで深紅の絨毯を敷き詰めた。

馬車からお付きの者と思われる男が先に現れ、続いて降りてくる王女の手を取った。

 

「……あれがお姫様か」

 

 エツィオはどこか遠い目でそれを見つめる、是非とも御顔を拝見してみたいものだが、ここからでは遠すぎる。

かといって、近くまで目通り出来る身分でもないため、近くで見ることはできないだろう。

目も覚めるような美少女と聞いていただけに、お目にかかる機会を失ってしまったことが悔やまれる。

エツィオは切なげにため息をつくと、がっくりと肩を落とした。

 

 

「はぁ……やっと解放された……」

 

 結局、エツィオがコルベールの部屋から釈放されたのは、日もとっくに落ちた夜になってからだった。

 

「壊れてないだろうな……」

 

 ため息交じりに左手のアサシンブレードを見つめる。

今まで散々コルベールにいじくりまわされていたのだ、壊されたりしたら堪ったものではない。

念のため動作を確認すると、短剣が勢いよく籠手から飛び出し、きちんと固定された。幸いにも壊れてはいないようだ。

 

 ルイズの部屋がある寮塔へと歩いていると、その途中、エツィオはおかしな人影を見つけた。

本塔から出てきた真っ黒な頭巾を被った人物が、きょろきょろとあたりを見回しながら走っていく。

顔を隠しているため、誰かはわからないが、背格好から見て、女性、それも自分と同じか少し下の少女であると一目で判断する。

だとすればすべきことは一つである、エツィオは軽い足取りで少女に近づくと、明るい調子で話しかけた。

 

「こんばんは、シニョリーナ」

「あっ……」

 

 突然声をかけられた少女は、驚いたようにエツィオを見つめた、

エツィオは優しくほほ笑みかけると、頭巾の中を覗き込む。

これは……と、エツィオは思わず呟いた、目も覚めるような美少女である。

 

「ん……? 見かけない顔だな? 俺はエツィオ、君は?」

「あ、えと……わたくしは……その……」

 

 頭巾を被った少女はどこか困ったようにエツィオから目を逸らした。

そしてどこか落ち着きなく辺りをうかがっている。まるで人目を避けようとしている様子である。

その様子をみたエツィオは、肩を竦めてニヤリと笑った。

 

「ははぁ……君、もしかして泥棒さんかな? 参ったな、この間も賊に入られたばっかりだぞ、この学院は」

「なっ……! ち、違います! わたくしは賊などではありません!」

「おや、これは失礼! 君のあまりの美しさに心を奪われてしまってね、ついつい凄腕の泥棒かと思ってしまったよ」

 

 どこか怒った様子の少女に、エツィオはどこぞの盗賊に吐いたセリフをさらりと言ってのける。

そしてもう一度頭巾の中を覗き込み、首を傾げる。

 

「ところで、君、見ない顔だけど、ここの生徒じゃないな?

君の様な美しい女の子だったら一リーグ先でも見分けられるんだけどな……。どこから来たんだ?」

「え、えっと……そ、それは……その……」

「答えたくない……か、ならそれでいいさ、それじゃ、この学院は初めてかな?」

「あの……わたくし、そろそろ……」

「それなら俺が案内してあげるよ、とても素敵な場所があるんだ、君もきっと気に入ると……」

「わたくし、いそいでおりますので!」

 

 尚も口説き続けるエツィオをよそに、頭巾を被った少女は寮塔へ向け、そそくさとその場を離れて行く。

一人取り残されたエツィオは切なそうにため息をつく。

 

「やれやれ、フラれたか……」

 

 エツィオは肩を竦めると、ルイズの部屋へと戻るべく、足早に少女の向かった寮塔へと向かった。

そういえば、ルイズにはコルベールに呼ばれたということは話してはいるが、こんなに遅くなるとは思いもよらなかった。

急いで戻らないと文句を言われそうだ、そう考えたエツィオはそのまま寮塔の外壁を回り、ルイズの部屋の真下へと向かった。

 

 

「すまないルイズ、遅くなった!」

「あ……うん……」

 

 寮塔の壁をよじ登り、窓からルイズの部屋へと転がりこんだエツィオは、部屋の中にいたルイズに話しかける。

するとルイズはそんなエツィオを怒鳴りつけることもせず、一つだけ生返事をすると、ベッドに腰掛けた。

 

「ルイズ、どうしたんだ?」

「……」

 

 そんなルイズを見て、エツィオは首を傾げた、普段なら小言の一つや二つ、飛んでくる筈なのだが……。

ルイズは言葉を返さずに、ただぼんやりと枕を抱いてぼんやりとしている。

 

 エツィオは肩を竦めると、仕方なく寝床であるクッションの山に身体を預けた。

しばらくそうやって落ち着きのないルイズを見ていると、ドアがノックされた。

 

「誰だ? こんな時間に」

 

 エツィオは顔を上げる。

ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。

ルイズの顔がはっとした顔になった。急いで立ち上がり、ドアを開ける。

 そこに立っていた人物の姿を見て、エツィオが「あ」と声を上げた。

開かれたドアから現われたのは、先ほどエツィオが口説いた真っ黒な頭巾をすっぽりと被った少女であった。

 少女は辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。

 

「……あなたは?」

「おや! 君はさっきの!」

「あっ!」

 

 ルイズが首を傾げるのと同時に、寝床のエツィオが勢いよく跳ね起きた。

少女もエツィオに気が付いたのだろう、驚いたような声を上げ、エツィオを見つめる。

 

「シニョリーナ! 俺に会いに来てくれたのか? まさか君の方から尋ねて来てくれるなんて!

これはもう運命だ……! これほどうれしいことは無いな!」

「あ、あなたは……!」

「なに? あんたの知り合い?」

「ち、違います! あぁルイズ! あなたまでそんな事を言うの!」

 

 ジト目で睨みつけるルイズに頭巾を被った少女は、少々大仰な口調で怒鳴った。

その声を聞いたルイズがはっとした顔になる。

それから少女は頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から魔法の杖を取り出すと軽く振った。

同時に短くルーンを呟く、光の粉が、部屋に舞う。

 

「も、もう遅いでしょうが一応念の為です、どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

「そ、そのお声は……まさか……」

 

 少女の声を聞いたルイズの顔がみるみる青くなる。

一通り部屋の中を確認した少女はようやく頭巾を取った。

ようやく頭巾の下の少女の素顔をみたエツィオは思わず息をのんだ。

頭巾の上からでも十分に美しいと感じてはいたが、もはやこれほどとは……。

そう考え口を開こうとしたその瞬間……。

 

「ひ、姫殿下!」

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 少女は涼しげな、心地よい声で言った。

 その言葉と共にルイズが慌てて膝をつく。

その光景にエツィオは我が耳と目を疑い、思考が一時停止する。

 

「え……? 姫……殿下?」

 

 エツィオは絞り出すように呟くと、膝をつくルイズと、姫殿下と呼ばれた少女を何度も見比べる。

停止した思考を無理やり働かせ、現状の把握を必死に行う。

どうやらさっきまで自分が口説こうとしていた目の前の少女は、現在この学院に行幸中のアンリエッタ姫殿下だったようだ。

そこまで理解した瞬間、エツィオは即座に目の前の少女に膝をついた。

 

「こ、これは失礼! 知らぬとは言え飛んだご無礼を! ど、どうかお許しを!」

「え、えええ、エツィオ! あ、ああああんた、姫殿下に、な、なななにしたのよ! さっき運命がどーとかいってたわよね!」

 

 その様子をみたルイズは即座にエツィオに掴みかかった。

胸倉をつかまれ、がくがくと頭を揺らされながらエツィオは必死に弁明する。

 

「あぁ、いや、それは……なんというか……姫殿下がお困りの様だったから……その……」

「口説いたのね?」

「えぇと……」

「口説いたな?」

「く……口説……いた……」

「こぉのぉ……馬鹿ぁーーーー!!!!」

 

 その言葉を聞いたルイズは、怒りにふるふると声を震わせ……、エツィオの顔面に渾身の鉄拳を叩きこんだ。

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

 倒れ伏したエツィオの横で、アンリエッタ王女は感極まった様子で膝をついたルイズを抱きしめた。

 

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

 

 抱きつかれながら、ルイズは未だ緊張しているかのように、かしこまった声で言った。

 

「ああ!ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!

あなたとわたくしはおともだち!おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 

 態度を和らげるよう促すアンリエッタに、ルイズは堅い口調のまま返す。

 

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! 

ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。

昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 

 ルイズは顔を持ち上げた。

 

「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 

 はにかんだ顔で、ルイズが応えた。

 

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ボルトさまに叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ!

ああ、よくケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

 

 懐かしそうに言うルイズ。どうやら二人、すっかり思い出話に花を咲かせたらしい。

そんな中、いつの間にか倒れていたエツィオが起き上がり、赤くなった鼻を擦りながらそんな二人の様子を眺めていた。

二人の関係を察するに、おそらくルイズは昔、このアンリエッタ王女の遊び相手を務めていたらしい。

ルイズの家は公爵家、王族に近い地位である、ならばその二人の関係も頷けた。

 

「その調子よ、ルイズ、ああいやだ、わたくし、懐かしくて涙がでてきますわ」

「でも感激です、姫さまがそんな昔のことを覚えてくださっていて……、わたしの事など、とっくにお忘れになったとばかり思っていました」

「忘れるわけないじゃない。あの頃は毎日が楽しかったわ。なんにも悩みがなくって」

 

 アンリエッタはベッドに腰掛けると、小さくため息をつく。

 

「姫さま?」

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 深い、憂いを含んだ声であった。

 

「何をおっしゃいます。あなたはお姫様ではありませんか」

「王国に生まれた姫なんて、籠の鳥同然。飼い主の機嫌一つであっちへ行ったり、こっちへ行ったり……」

 

 悲しげな笑みを浮かべる。

 

「結婚するのよ、わたくし」

「……おめでとうございます」

 

 その声の調子に、なんだか悲しい物を感じたのか、ルイズは沈んだ声で答えた。

そこでアンリエッタは、ルイズの横で、黙して跪くエツィオに気が付いた。

 

「えと……ルイズ、その方は……」

「先ほどはとんだご無礼をいたしました、姫殿下。

わたくし、ルイズ・フランソワーズが使い魔、エツィオ・アウディトーレと申します、以後お見知りおきを」

「使い魔?」

 

 アンリエッタはきょとん、とした面持ちでエツィオを見つめた。

 

「人にしか見えませんわ、それも貴族の……」

「姫さま、これは人です、それも平民の」

 

 ルイズがつっけんどんにエツィオを見て言った。

 

「そうよね、はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって、昔からどこか変わっていたけど、相変わらずね」

「好きでこの馬鹿を使い魔にしたわけじゃありません」

 

 ルイズは憮然とした。

 

「そうかしら? 先ほど声をかけられたときは驚きましたが、こうして見るととても紳士的な方のようですが……」

「いえ、紳士だなんてそんな、もったいなきお言葉でございます、姫殿下」

「……ただの軽い男です、姫さま、どうかお気を付けくださりますよう……」

「面白い方ね、ルイズ」

 

 ルイズは頭を抱えながら言った。

アンリエッタは一しきり笑った後、再び憂いを含んだため息をついた。

 

「姫さま、どうなさったんですか?」

「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風にため息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ」

「いけません!昔はなんでも話し合ったじゃございませんか!わたしをおともだちと呼んでくださったのは姫さまです。

そのおともだちに、悩みを話せないのですか?」

 

 ルイズがそう言うと、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたくしをおともだちと呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 

 アンリエッタは決心したように頷くと、語り始めた。

 

「今から話すことは、誰にも話してはいけません」

 

 それからエツィオの方をちらと見た、その視線を、退出を促す物と受け取ったエツィオはスッと立ち上がり、静かに一礼する。

するとアンリエッタは首を振った。

 

「いえ、メイジと使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」

「……わかりました、私にも、お力になれる事であればよいのですが……」

 

 エツィオは再び一礼すると、ルイズの後ろに立ち、アンリエッタの言葉を待った。

 

「ありがとう、使い魔さん」

 

 そして、物悲しい調子で、アンリエッタは語りだした。

 

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのですが……」

「ゲルマニアですって!」

 

 ゲルマニアが嫌いなルイズは驚いた声をあげた。

 

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

「そうよ。でも、しかたがないの。同盟を結ぶためなのですから」

 

 アンリエッタは、ハルケギニアの政治情勢を、ルイズに説明した。

 アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろうこと。

 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。

 同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐことになったこと……。

 

「そう……だったんですか……」

 

 ルイズが沈んだ声で言った。アンリエッタが結婚を望んでいないのは、口調からも明らかであった。

 

「いいのよ。ルイズ、好きな相手と結婚するなんて、物心ついたときから諦めてますわ」

「姫さま……」

「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 

 アンリエッタは呟いた。

 

「……したがって、わたくしの婚姻をさまたげるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのようなものが見つかったら……」

 

 ルイズは顔を蒼白にしてアンリエッタの言葉を待つ。返事は、アンリエッタの悲哀に満ちた首肯から始まった。

 

「おお。始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください……」

 

 王女は顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。随分と芝居がかった仕草である、

そんなアンリエッタを見つめながら、エツィオは何かを考えるかのように顎に手を当てた。

 

「言って! 姫さま! いったい、姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか?」

 

 ルイズもつられて興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません。でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇室は……、このわたくしを赦さないでしょう。

ああ、婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」

 

 ルイズは息せき切って、アンリエッタの手を取った。

 

「いったい、その手紙はどこにあるのですか?トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」

 

 アンリエッタは、首を振った。

 

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

「アルビオンですって!では! すでに敵の手中に?」

「いえ……、その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの、凛々しき王子さまが?」

 

 アンリエッタはのぞけると、ベッドに体を横たえた。

 

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう!

そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

 ルイズは息を呑んだ。

 

「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ!

考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」

「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの――」「では姫殿下、その手紙回収の任、どうか、私にお任せいただけぬでしょうか?」

「「えっ!?」」

 

 その時であった、後ろに控えていたエツィオが、ルイズの言葉を遮り、さも当然のようにその任務に名乗りを上げた。

 

「えぇっ! エツィオ! あんたいきなりなにを――!」「つ、使い魔……さん?」

 

 困惑の表情を浮かべる二人をよそに、エツィオは再び膝をつき、アンリエッタを見つめた。

 

「僭越な事とは存じますが、どうかお許しを、姫殿下。

しかし、聞かば我が主の故国トリステインの、そして姫殿下御身の危機、

ならばこのエツィオ・アウディトーレ、ルイズ・フランソワーズの使い魔として、とても見過ごすことなどできません」

 

 エツィオはそこまで言うと、恭しく頭を下げる。

 

「どうか、この私にお任せください、姫殿下、我が主であるルイズと、貴方の力になれるのであれば、このエツィオ、これ以上の栄誉はありません」

 

 完全に先をこされたルイズは、エツィオを押しのけ慌てたように膝をついた。

 

「そ、そうですわ姫さま! これはトリステイン全体の、そしておともだちである姫さまの危機でございます!

どうか『土くれ』のフーケを捕まえた、このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう!」

 

 その言葉にエツィオは驚いたように顔を上げた。

 

「ちょ、ちょっとまった! 君も行くつもりなのか!」

 

 ルイズはエツィオを見て目を吊り上げた。

 

「当然よ! あんたねぇ! ちょっとは主人の体裁ってもんを考えなさいよ! 何勝手に名乗りを上げてるの! これじゃわたしがカッコつかないじゃない!」

「そう言う問題じゃないだろう! 戦場だぞ! 盗賊を捕まえに行くのとはワケが違う! ここは俺にまかせて……」

「使い魔であるあんたが行くのに、主人であるわたしはここでじっと待っていろって言うの? 冗談じゃないわ!」

「……俺の手柄は君の手柄だ、そうだろう? だから俺が行く、君は……」

「二度も同じこと言わせないで、姫さまはあんたに頼みに来たんじゃないのよ? わたしに頼みに来たの、わたしも行くわ」

 

 きっぱりと、そして自信満々にルイズは言い切った、反論するだけ無駄ないつものルイズの剣幕に、エツィオは小さくため息をついた。

 

「わかった、だけど、行先は戦場だ、道中どんな危険があるかわからない、気をつけてくれよ」

「そんなの、あんたがなんとかしなさいよ、使い魔でしょ?」

「やれやれ……簡単に言ってくれるな……」

 

 エツィオは呆れたように肩を竦めた。

 

「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいおともだち!」

「もちろんですわ、姫さま!」

 

 ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはぼろぼろと泣き始めた。

 

「姫さま! このルイズ、いつまでも姫さまのおともだちであり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」

「ああ、忠誠。これがまことの忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

 

 俺には無しか! その様子をみてエツィオはガクっと肩を落とした。

芝居がかかっているとはいえ、ここまでのものは期待していなかったが、無視とはいささか寂しい反応である。

どんなに色男でも、やっぱり俺は使い魔なのか……、とエツィオは切なくなった。

 

「アルビオンに赴きウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくればよいのですね? 姫さま」

「ええ、その通りです。『土くれ』のフーケを捕まえたあなたたちなら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると信じています」

「一命にかけても。急ぎの任務なのですか?」

「アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅にまで追い詰めていると聞きます、敗北は時間の問題でしょう」

 

 ルイズは真顔になると、アンリエッタに頷いた。

 

「早速明日の早朝にでも、出発いたします」

 

 アンリエッタはそれから、エツィオの方を見つめた。

エツィオは黙して再び頭を下げる。

 

「頼もしい使い魔さん」

「はい」

「わたくしの大事なおともだちを、これからもよろしくおねがいしますね」

 

 そして、すっと左手を差し出した。それをみたルイズが驚いた声で言った。

 

「いけません! 姫さま! そんな、使い魔にお手を許すなんて!」

「いいのですよ、この方はわたくしの為に働いてくださるのです、忠誠には報いるところがなければなりません」

「ありがとうございます、姫殿下」

 

 エツィオは恭しく左手を取ると、手の甲に唇を落とす。

 

「このエツィオ、姫殿下のご期待に添えるよう、微力を尽くさせていただきます」

 

 エツィオは深く一礼し、アンリエッタにほほ笑みかけた。

 

「ルイズ・フランソワーズ、本当にいい使い魔を持ちましたね、メイジではないのが惜しいくらいです」

「とっ、とんでもございません! こいつは軽くて女好きでロクでなしで――」「勿体無きお言葉でございます、姫殿下」

 

 あたふたと反論するルイズをよそに、エツィオは一礼すると、ふとドアの方へ視線を向ける。

そして、ドアに呼び掛けるように声をかけた。

 

「さて……おい、そこにいるんだろ? 覗き見は趣味が悪いぞ?」

「え?」

 

 エツィオの突然の言葉に二人は驚いたようにドアを見つめる。

するとドアが開き、誰かが入ってきた。

 

「は、はは、し、失礼しま~す……」

「ギーシュ、ここは女子寮だぞ? 何をやってるんだよ、こんなところで」

 

 気まずそうに入ってきたのはなんと、ギーシュであった。

そんなギーシュにエツィオは呆れたようにため息を吐く。

 

「ギーシュ! あんた! 立ち聞きしてたの! 今の話を!」

「い、いやぁ、その、薔薇のように見目麗しい姫さまの後を付けてきてみればいつの間にかこんなところへ……、

それでドアの鍵穴から盗賊のように様子をうかがえば……、姫殿下!その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」

 

 気まずそうに白状しだしたギーシュだったが、憧れのアンリエッタを前にしていることを思い出したのか、慌てて膝をついた。

 

「え? あなたが?」

「何考えてるのよ! ダメに決まってるでしょ!」

「いいや! 僕も仲間に入れてくれ! いいだろう! エツィオ! 友達じゃないか!」

 

 ルイズが慌てて止める、だが、ギーシュは諦めきれないとばかりにエツィオに助け船を求めた。

エツィオは今さら人数が増えても別にかまわないとばかりに肩を竦める。

 

「俺は別にかまわないが……」

「やった! さすがエツィオ!」

「どうしてそんなについてきたいのよ、戦場に行くのよ?」

 

 ルイズがギーシュに尋ねる、するとギーシュは頬を赤らめた。

 

「姫殿下のお役に立ちたいのです……」

 

 エツィオはそんなギーシュの様子で、感づいた。

 

「なるほど……でもギーシュ、ミス・モンモランシーはどうしたんだよ」

「あぁ、それが……まだ許してもらえてないんだ……」

 

 ギーシュは苦々しげに呟く。

 

「そうか、ま、そのうち時が解決してくれるさ、だけどな、ここで姫様に浮気はどうかと思うぞ?」

 

 エツィオがそう言うと、ギーシュは大きくため息をついて、エツィオの肩をポンと叩くと、いつにない真剣な表情で重々しく口を開いた。

 

「僕はね、男として、本当に君のことを心から尊敬しているんだよ、エツィオ。だからこそなんだが……浮気がどうこうとか、君にだけは言われたくないね」

「……すまん、失言だった、今度奢るよ、ギーシュ」

 

 こればかりは流石に言い返せないのか、エツィオがギーシュから目を逸らした。

 

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

 

 アンリエッタがきょとんとした顔でギーシュを見つめる。

 

「息子でございます。姫殿下」

 

 ギーシュは立ち上がると恭しく一礼した。

 

「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」

「任務の一員に加えてくださるのなら、これはもう望外の幸せにございます」 」

 

熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑んだ。

 

「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお救い下さい、ギーシュさん」

「姫殿下がぼくの名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」

 

 ギーシュは感動のあまり、後ろにのけぞって失神した。

 

「大丈夫なのこいつ?」

「彼が幸せならそれでいいんだろう」

 

 そんなギーシュをよそに、ルイズは気を取り直し、真剣な表情になって言った。

 

「では、明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」

「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 

 アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽根ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたためた。

アンリエッタは自分が書いた手紙をじっと見つめていたが、そのうちに悲しげに首を振った。

 

「姫さま? どうなさいました?」

 

 怪訝に思ったルイズが声をかける。

 

「な、なんでもありません」

 

 アンリエッタは少し顔を赤らめると、決心したように頷き、末尾に一文付け加えた。

それから小さな声で呟く。

 

「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許し下さい。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです……、

自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです……」

 

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。

ルイズはそれ以上なにも言うことができず、じっとアンリエッタを見つめることしかできなかった。

アンリエッタは書いた手紙を巻いた。杖を振る。すると、どこから現れたものか、巻いた手紙に封蝋がなされ、花押が押された。

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、手紙とともにルイズに手渡した。

 

「母君からいただいた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金に充ててください」

 

 ルイズは深々と頭を下げた。

その様子をじっと見つめていたエツィオだったが、『水のルビー』を見て小さく首を傾げる。

なんだろうか、とても不思議な力を感じる指輪である。少なくともエツィオの"眼"にはそう映った。

しかし、一国の王女が持つものである、この世界で言う由緒あるマジックアイテムのようなものなのかもしれない、

そう考えたエツィオはとりあえず保留することにした。

 

 ルイズに手紙と『水のルビー』を手渡したアンリエッタは真剣な表情で口を開いた。

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなた方を守りますように」

 

――写本の断片を入手

 

『気がつけば、薄暗い森の中だった、何が起こったのだろうか? 私は『リンゴ』の研究をしていて……、

それからの記憶がかなり曖昧だ。周囲には見たことのない木々や植物が入り乱れている。

アナトリアにこのような場所があっただろうか? 或いは別な場所へと瞬間的に転送させられたのか?

だとすれば『リンゴ』の新たな力によるものだろうか。

不幸中の幸いと言うべきだろうか、手元には『リンゴ』があった、紛失と言う最悪の結果は回避できたようだ。

とにかく、現在の位置を確認するべきだ、そう考えた私は森の中を歩いていく。すると、聞きなれぬ巨大な咆哮と人の叫び声が森の奥から聞こえてきた。

何事かと、声がした方向へ向かう、すると驚くべき光景が広がっていた、一人の青年が巨大な大トカゲの化け物に追いかけられていたのだ、

なんだ、この化け物は? まるで伝承に現れるドラゴンだ。現実離れした光景に呆然とする私の前で、追いかけられていた青年が倒れてしまった。

このままでは彼はあの化け物に殺される、そう考えた私は、剣を抜き放ちドラゴンに戦いを挑んだ。

ドラゴンは想像以上に強く、かなり手こずった、このままでは私も殺される、やむを得ず『リンゴ』を使い、ドラゴンを屈服させる。

怒り狂っていたドラゴンは暴れるのをやめ、恭しく頭を垂れた。成功だ。

人間ではないドラゴンに通じるか、ある種の賭けであったが、どうやらうまくいったようだ。

伝承の存在であるドラゴン、非常に興味深いが、支配が解けない保証はない、相手は人間ではないのだ。

私が森の中へ帰るよう指示を出すと、ドラゴンは巨大な翼をはためかせ、去っていった。

戦いの最中、不覚にも傷を負ってしまっていた、致命傷ではないが、出血がひどい。

木にもたれかかり、休んでいると、気を失っていたのであろう青年が起き上がり、感謝の言葉を述べ、治療を施してくれた。

薄れかかっていた意識の中、私が見たものは、なにやら杖を振う彼の姿だった、何かのまじないだろうかと、考えていると、不思議なことが起こった。

なんと、みるみる痛みが引き、傷が癒えていくのだ。一体彼は何をしたのだろうか?

不思議な力だ、興味は尽きないが、今は異国の出会いに感謝をしよう』

 



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memory-13 「岩の道」

 朝もやの中、エツィオは学院の隅にある伝書鳩小屋へと赴いていた。

これから数日学院を空けることになる為、マチルダからの手紙があるか確認の為である。

 

 小屋の引き戸を開け、中の鳩を捕まえ、筒の中身を確認する。

すると中から一枚の紙片が転がり落ちた。果たしてそれはマチルダからの手紙であった。

 

「流石だな、仕事が早い」

 

 エツィオは早速手紙を開き、中身に目を通す。

 

「アルビオン……反乱、レコ……なんだ? えぇと……参加……」

 

 たどたどしく手紙を読みながらエツィオは首を傾げた。

そんな彼に背中のデルフリンガーが声をかけた。

 

「おい相棒、なにが書いてあるんだ?」

「うーん、彼女が件の反乱勢力に参加した、ってのはわかったが……、何かを掴んだらしい。

丁度いい、もしかしたらマチルダにも会えるかもしれないな、報告はその時、ついでに聞けばいいか」

 

 エツィオはそう呟くと、手紙を細かく破き空へ投げる。

 

「しかし、文字が読めないと言うのがこんなにも不便だとはな……単語程度だけの習得じゃ、この先キツいかもしれないな」

 

 一人ごちながら、鳩を持っていた筒の中に入れる、するとそれを見たデルフリンガーが背中でカチカチと音を立てた。

 

「おい、その鳩どうすんだよ?」

「一応持ってくよ、会えるかは分からないけど、マチルダに渡さないと」

「空に放しゃいいだろが」

「何言ってるんだ? 放したら意味がないだろう、この小屋に戻ってしまう」

 

 エツィオは鳩小屋を指さす、伝書鳩と言うものは鳩本来の帰巣本能を利用したものである。

ならばこの鳩の戻る巣はこの小屋と言うことになる。しかしデルフリンガーは呆れたように言った。

 

「お前こそ何言ってるんだ? その鳩は主人の元に戻る様になってるぞ」

「は?」

「そう言うもんだろ? 伝書鳩ってのは、手紙を届けたら主人の元に戻る、じゃないと不便だろうが」

「……そうなのか? 随分便利なんだな、こっちの伝書鳩は」

 

 その言葉を聞き、エツィオは感心したように呟いた。

確かに、別れ際マチルダは『連絡が取りたければその鳩を使え』と言っていた、

ならばマチルダへの連絡はこの鳩を通じて行えると言うことになる。

そう言うことならと、エツィオは鳩を放つべく、筒に手をかけたが、すぐにその手を止める。

 

「いや、放すのは後にしよう、現地で彼女の協力が得られるかもしれない」

 

 そう呟くと、エツィオはその筒を手荷物の中に大事にしまい込んだ。

 

 手紙を確認し終えたエツィオは、ルイズ達のいる馬留めへと向かう。

そこではルイズとギーシュが馬に鞍をつけていた。

 

「すまない、待たせたな」

「やぁエツィオ、どこに行ってたんだ?」

「なに、ちょっと野暮用でな」

「どうせくだらない用でしょ? さっさと準備しなさいよ、あんたの馬、まだ鞍がついてないわよ」

 

 戻ってきたエツィオにルイズが口をとがらせる。

ルイズはいつもの制服姿であったが、乗馬用のブーツを履いている。どうやら結構な距離を馬で移動するらしい。

エツィオもすぐに馬に鞍をつける準備に取り掛かる、そうしていると、ギーシュが、困ったように言った。

 

「なぁエツィオ、お願いがあるんだが……」

「どうした? そんな畏まって」

 

 エツィオは馬の鞍に荷物を括りつけながら首を傾げる。

 

「ぼくの使い魔を連れていきたいんだ」

「なんだ、そんな事か、連れていけばいいだろう? そう言えば、お前の使い魔は何だ? 見たことがないよな」

 

 エツィオとルイズは顔を見合わせ、ギーシュの方を向いた。

 

「あぁ、紹介がまだだったね、もうここにいるよ」

 

 ギーシュは澄ました顔で地面を指さした。

 

「いないじゃないの」

 

 ルイズの言葉に、ギーシュはにやっと笑い、足で地面を叩く。すると、土がモコモコと盛り上がり、茶色の大きな生き物が顔を出した。

 

「うわっ!」

「ヴェルダンデ! ああ! 僕の可愛いヴェルダンデ!」

 

 驚くエツィオを尻目にギーシュはすさっ! と膝を突くと、その生き物を抱きしめた。

 

「なんだそれ」

「なんだそれとは酷いな、ぼくの可愛い使い魔のヴェルダンデだ」

「あんたの使い魔ってジャイアントモールだったの?」

 

 ジャイアントモール、有り体にいえば巨大なモグラである。大きさは小さいクマほどもある。

 

「そうだ。ああ、ヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね。ぼくはもう困ってしまうよ! たくさんどばどばみみずを食べてきたかい?」

 

 モグモグモグ、とうれしそうに巨大モグラが鼻をひくつかせる。

 

「そうか! それはよかった!」

 

 ギーシュは巨大モグラに頬をすりよせている。

 

「まぁ……、そうだな、可愛いって言えば、可愛い……かな?」

 

 エツィオは苦笑しながら呟いた。

 

「ねぇギーシュ、ダメよ。そのモグラ、地面を進むんでしょ? わたしたちは馬で行くのよ」

「心配無用さ、結構、地面を掘って進むのが早いんだぜ? なぁヴェルダンデ」

 

 巨大モグラは、うんうんと頷いた。

 

「行先忘れたの? アルビオンよ、地面を掘って進む生き物は連れて行けないわ」

 

 ルイズがそう言うと、ギーシュは地面に膝をついた。

 

「お別れなんて、つらいよ、つらすぎる! 胸が締め付けられるようだよ……ヴェルダンデ……!」

 

 その時、巨大モグラが鼻をひくつかせた。くんかくんかとルイズにすり寄る。

 

「な、なによこのモグラ、ちょ、ちょっと!」

 

 巨大モグラはいきなりルイズを押し倒すと、鼻で体をまさぐり始めた。

 

「や! どこ触ってるのよ!」 

 

 体を鼻でつつきまわされ、地面をのたうちまわる。

スカートが乱れ、派手に下着をさらけ出し、ルイズは暴れた。

 

「おい、ズルイぞギーシュ。俺だってこんなことしたことないのに。これはモグラに先を越されたな!」

「そうなのか?」

「彼女はガードが硬くてね、なに、その方が燃えてくる」

「バカなこと言ってないでさっさと助けなさいよ! きゃあ!」

 

 巨大モグラは、ルイズの右手の薬指に光るルビーを見つけると、そこに鼻をこすりつけた。

 

「この! 無礼なモグラね! 姫さまの指輪よ! 離れなさいって!」

 

 ギーシュが頷きながら呟いた。

 

「なるほど、指輪か、ヴェルダンデは宝石が好きなんだよ」

「へぇ」

「貴重な宝石や原石、それに鉱物を僕の為に見つけて来てくれるんだ、『土』系統のメイジであるぼくにとっては、この上ない最高のパートナーさ」

「なるほど……見かけにはよらないってことか」

 

 そんな風にルイズが暴れていると……。

エツィオが目にもとまらぬ速さで腰の剣に手をかける。

突然のエツィオの行動にギーシュが驚いていると、一陣の風が舞いあがり、ルイズに抱きつくモグラを吹き飛ばした。

 

「誰だッ!」

 

 激昂したギーシュは、薔薇の造花を掲げてわめいた。

すると朝もやの中から、一人の長身の貴族が現れた。羽帽子を被っている。

エツィオは剣に手をかけたまま、観察するようにその貴族を見つめた。

 

「貴様! ぼくのヴェルダンデに何をするんだ!」

 

 ギーシュは薔薇の造花を突きつける、すると一瞬早く、羽帽子の貴族が杖を引き抜き、薔薇の造花を吹き飛ばした。

 

「僕は敵じゃない。昨夜、姫殿下より君達に同行することを命じられてね。君達だけではやはり心もとないらしい。

しかし、お忍びの任務であるため、一部隊をつけるわけにもいかぬ。そこで僕が指名されたってワケだ」

 

 長身の貴族は帽子を取ると一礼した。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」

 

 文句を言おうと口を開こうとしていたギーシュは、相手が悪いと知って項垂れた。

魔法衛士隊は全貴族の憧れである。ギーシュも例外ではない。

 ワルドはそんなギーシュの様子を見て首を振った。

 

「すまない。婚約者が巨大なモグラに襲われているのを見て見ぬふりはできなくてね」

「婚約者だって?」

 

 エツィオは少し驚いた表情でルイズを見た。

なるほど、子爵か、それも聞けば女王陛下直属の魔法衛士隊の隊長。

公爵家三女の婚約者としては妥当なところ、と言ったところだろう。

婚約者と聞き少々驚いたものの、そう考えれば納得できた。

 

「ワルドさま……」

 

 立ちあがったルイズが、震える声で言った。

 

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 ワルドは人懐こい笑顔を浮かべ、ルイズに駆け寄り抱きあげた。

 

「お久しぶりでございます」

 

 ルイズは頬を染めて、ワルドに抱きかかえられている。

 

「相変わらず軽いな君は! まるで羽根のようだね!」

「……お恥ずかしいですわ」

「彼らを、紹介してくれたまえ」

 

 ワルドはルイズを地面に下ろすと、再び帽子を目深に被って言った。

 

「あ、あの……、ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のエツィオ・アウディトーレです」

 

 ルイズは交互に指さして言った。ギーシュとエツィオは深々と頭を下げた。

 

「君がルイズの使い魔かい? 人とは思わなかったな」

 

 ワルドは気さくな感じでエツィオに近寄った。

 

「初めまして、子爵殿」

「僕の婚約者がお世話になっているよ」

「いえ、とんでもない。こちらこそ彼女にはお世話になりっぱなしですよ」

 

 エツィオも気さくな笑顔を浮かべ、答える。

 

「いやまさか、貴方の様な立派な方が婚約者とは、少々驚きましたよ、シニョーレ」

 

 そう言いながらエツィオは、なにやら得心したかのように傍に立つルイズに話しかける。 

 

「なるほど、だから君は昨夜、あんなに落ち着きがなかったのか」

「エツィオ!」

「落ち着きがない……とは?」

「えぇ、彼女、昨夜は一晩中ソワソワしていたので、何かと思っていましたが、なるほど、理由はどうやら貴方のようだ」

「ばっ、馬鹿! な、何言って……!」

 

 首を傾げるワルドに、いらぬことまでペラペラと喋るエツィオにルイズは顔を真っ赤にして反論する。

しかしエツィオは、ニヤリと笑うと、ワルドに耳打ちするように言った。

 

「お気を付けください、シニョーレ、彼女はかなり嫉妬深い。使い魔である私でさえ、女の子とお話しすることを快く思っていないようですから」

「そうなのか? ははは、安心したまえ、僕のルイズ、僕は浮気なんてしないよ」

 

 顔を真っ赤にするルイズを見て、ワルドはあっはっはと豪傑笑いをした。

 

「いやまったく、君とは気が合いそうだな」

「私もそう思っていたところです、子爵殿」

 

 ワルドはそう言うと、エツィオに右手を差し出す、エツィオもそれに答え、二人は硬く握手を交わした。

 

 ワルドが口笛を吹くと、朝もやの中からグリフォンが現れた。鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。立派な羽も生えている

 ワルドはひらりとグリフォンに跨ると、ルイズに手招きした。

 

「おいで、ルイズ」

 

 ルイズは少しためらう様にして、俯いた。その仕草が、なんだかやたらと恋する少女のように見えて。

普段とのあまりの差にエツィオは思わず吹き出してしまった。

ルイズはしばらくもじもじしていたが、ワルドに抱きかかえられ、グリフォンに跨った。

ワルドは手綱を握り、杖を掲げて叫んだ。

 

「では諸君! 出撃だ!」

 

 グリフォンが駆けだす、ギーシュも感動した面持ちで、後に続く。

エツィオもフードを目深に被ると、馬に拍車を入れ、後に続いた。

 

 

 

 アンリエッタは出発する一行を学院長室の窓から見つめながら、祈っていた。

 

「彼女たちに加護をお与えください。始祖ブリミルよ……」

 

 隣ではオスマン氏が鼻毛を抜いている。

アンリエッタは振り向き、オスマン氏に向き直った

 

「見送らないのですか? オールド・オスマン」

 

「ほほ、姫、見ての通り、この老いぼれは鼻毛を抜いておりますでな」

 

 アンリエッタは首を横に振った。

そのとき、扉がどんどんと叩かれた。「入りなさい」とオスマン氏が呟くと、慌てた様子のコルベールが飛び込んできた。

 

「いいいい、一大事ですぞ! オールド・オスマン!」

「またかね、君はいつも一大事ではないか、どうも君はあわてんぼでいかん」

「慌てますよ! 城からの知らせです! なんと! チェルノボーグの監獄から、フーケが脱走したそうです!」

「ほう……」

 

 オスマン氏は口髭をひねりながら唸った。

 

「門番の話では、さる貴族を名乗る怪しい人物に『風』の魔法で気絶させられたそうです、

魔法衛士隊が留守の隙をつき、何者かが脱獄の手引きをしたのですぞ!

つまり城下に裏切り者がいると言うことです! それだけではありません、その時、見回りをしていた兵士数人が殺害されたそうです!」

 

 アンリエッタの顔が蒼白になった。

 

「あぁ……なんと、なんということ……! 貴族派の仕業に違いありませんわ!」

「ふむ……その見回りの兵士はどうやって殺されたのじゃ?」

「は、それが、検分によりますと、鋭い刃物によって急所を一突きに……あ……!」

 

 そこまで言ったコルベールが思わず言葉を失う。

オスマン氏は手を振り、コルベールに退出を促した。

 

「よい、ミスタ、後ほど話を聞こう」

 

コルベールがいなくなると、アンリエッタは机に手をついてため息をついた。

 

「やはり城下に裏切り者が……、アルビオン貴族の暗躍ですわ!」

「そうかもしれないし、そうではないかもしれませんぞ?」

「え?」

「……なるほど、彼なりに考えての行動か、ならば何も言うまいよ、どこにも『真実』などないのだからな」

「あの、何をおっしゃって……」

「む、あぁ、これは失礼、年寄りの戯言ですじゃ、あいだっ!」

 

 オスマン氏は鼻毛を抜きながら言った。その様子をアンリエッタは呆れ顔で見つめた。

 

「トリステインの未来がかかっているのですよ? 何故そのような余裕の態度を……」

「すでに杖は振られたのです。我々にできることは待つことだけ。違いますかな」

「そうですが……」

「ご安心くだされ、姫の人選は正しい、彼ならば、道中どんな困難があろうともやってくれますでな」

「彼とは? あのギーシュが? それともワルド子爵が?」

 

 オスマン氏は首を振った。

 

「ならば、あのルイズの使い魔が? まさか! 彼はただの平民ではないですか!」

「そう、平民ですな、しかし、あの若き大鷲を侮ってはなりませぬぞ。

何せ彼はロマリアの聖堂騎士隊や、エルフ達すら震えあがらせた……」

「……エルフ達? ロマリア?」

 

 なぜ今、その単語が出てくるのだろうか、疑問に首を傾げるアンリエッタに、

オスマンは思わず口を滑らせてしまったことに気が付いた。

 

「あーいや、その、そう、あの伝説の使い魔、『ガンダールヴ』並みに使える男だと私は思っておりますでな」

「『ガンダールヴ』……伝説の使い魔ですか」

「あくまで、"並み"に使えると、そういうことですな。ただ、彼は異世界から来た男なのです」

「異世界?」

「そうですじゃ、ここではないどこか。そこからやってきた彼ならば、やってくれるとこの老いぼれは信じておりますからな。

余裕の態度もそこからなのですじゃ」

「そのような世界があるのですか……」

 

 アンリエッタは、遠くを見るような目になり、やがてほほ笑んだ。

 

「ならば祈りましょう、異世界より舞い降りし大鷲に」

 

 

 魔法学院を出発して以来、ワルドはグリフォンを疾駆させっぱなしであった。

エツィオとギーシュは、途中の駅で二回、馬を交換したが、ワルドのグリフォンはタフで、まるで疲れを見せていなかった。

 

「ちょっと、ペースが早くない?」

 

 抱かれるような格好で、ワルドの前に跨がったルイズが言った。

雑談を交わすうち、ルイズの喋りかたは昔のような丁寧なものから、今の口調に変わっていた。

ワルドがそうしてくれと頼んだせいもある。

 

「なんだかへばってるみたいだけど」

 

 ワルドは後ろを向いた。後ろを走る二頭のうち、一頭の方に跨るギーシュが半ば倒れるような格好で馬にしがみついている。

一方のエツィオは、速度を落とさずについてきてはいるものの、余裕があるとは言えない状況であった。

 

「ラ・ロシェールの港町まで、止まらずに行きたいんだが……」

「無理よ。普通は馬で二日かかる距離なのよ」

「へばったら、置いていけばいい」

「そう言うわけにはいかないわ」

「どうして?」

 

 ルイズは、困ったように言った。

 

「だって、仲間じゃない。それに……、使い魔を置いていくなんて、メイジのすることじゃないわ」

「やけにあの二人の肩を持つね。どちらかがきみの恋人かい?」

 

 ワルドは笑いながら言った。

 

「こ、恋人なんかじゃないわ」

 

 ルイズは顔を赤らめた。

 

「そうか。ならよかった。婚約者に恋人がいるなんて知ったら、ショックで死んでしまうからね」

 

 そう言いながらもワルドの顔は笑っている。

 

「お、親が決めたことじゃない」 

「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! 君は僕のことが嫌いになったのかい?」

 

 昔と同じ、おどけた口調でワルドが言った。

 

「も、もう小さくないもの。失礼ね」

 

 ルイズは頬を膨らませる。

 

「僕にとっては、まだ小さな女の子だよ」

 

 ルイズは先日見た夢を思い出した。生まれ故郷のラ・ヴァリエールの屋敷の中庭。

忘れ去られた池に浮かぶ、小さな小舟……。

幼い頃、そこで拗ねていると、いつもワルドが迎えにきてくれた。夢ではなぜかアイツに取って代わられたが……。

親同士が決めた結婚……。

幼い日の約束。婚約者。こんやくしゃ。

あの頃は、その意味がよく分からなかったけど……、今ならはっきりと分かる。結婚するのだ。

 

「嫌いなわけないじゃない」

 

 ルイズは、ちょっと照れたように言った。

 

「よかった、それじゃあ好きなんだね」

 

 ワルドは手綱を握った手で、ルイズの肩を抱いた。

 

「僕は君を忘れたことはなかったよ。父と母が亡くなって……、領地を相続してからすぐに、僕は魔法衛士隊に入った。

立派な貴族になりたかったんだ、家を出るときに決めていたことがあったからね」

「決めていたこと?」

「立派な貴族になって、きみを迎えにいくってことさ」

 

 ワルドは笑って、ルイズの顔を見た。

 

「でもワルド、あなた、モテるでしょ? 何も、わたしみたいなちっぽけな婚約者のことなんか相手にしなくても……」

 

 ワルドのことは、夢に見るまでずっと忘れていた。 現実の婚約者というよりは、遠い思い出の中の憧れ人だった。

婚約の話しも、とっくの昔に反故になったと思っていた。

戯れに、二人の父によって交わされた、あてのない約束……。そのくらいにしか思っていなかった。

十年前に別れて以来、ワルドとは、会うこともなくなっていたし、その記憶も遠く離れていた。

だから先日ワルドを見かけ、今日こうして目の前に現れた時、ルイズは激しく動揺したのだ。

思い出が不意に現実となってやってきて、どうすればよいかわからなかったのであった。

 

「旅はいい機会だ」

 

 ワルドは落ち着いた声で言った。

 

「いっしょに旅を続ければ、またあの懐かしい気持ちになるさ」

 

 ルイズは思った、自分は本当にワルドの事を好きなのだろうか?

そりゃ嫌いではない、確かにあこがれていた。それは間違いのない事実だ、しかし、それは思い出の中の話。

それがいきなり、婚約者だ、結婚だ、なんて言われても……、ずっと離れていた分、本当に好きなのかどうか、まだよく分からない。

 

 ルイズは後ろを向いた、馬に跨ったエツィオと目があったような気がした。

とはいえ、フードを目深に被っているためそうであったかは定かではないが……。

そう言えばアイツ、ワルドが現れても、ちょっと驚いただけで、すぐにいつもの調子に戻っていた。

女の子を見れば口説くような男が、何も言わずに身を引いたような。

やはり自分も、エツィオにとってはただの主人なのだろうか。

そう思うと、今まで近くにいたエツィオが、急に遠くに感じられ、胸の奥に冷たい風が吹き抜けるような、そんな寂しさを感じた。

 

 

 

「おい、大丈夫か? ギーシュ」

「も、もうダメかもしれない……、まったく、もう半日以上走りっぱなしだ。どうなってるんだ?

魔法衛士隊の連中は化け物か」

 

 ぐったりと倒れ込むように上半身を馬に預けているギーシュにエツィオが声をかける。

 

「君も化け物だな、エツィオ。まるで疲れを知らないようだよ」

「いや、俺もそろそろキツくなってきたところだ、にしても少し、急ぎすぎじゃないか?」

 

 そう言いながら、エツィオは前を飛ぶグリフォンを見る、するとルイズがこちらを見たような気がした。

 

「いやしかし、驚いたよな」

「ん? 何がだ?」

 

 そんな風に馬を走らせていると、疲れを紛らわせるためかギーシュが話しかけてきた。

エツィオは何の事だかわからないと首を傾げる。

 

「何がって、ルイズさ、まさか婚約者がいたなんてね、それも魔法衛士隊の隊長だ」

「そんなにすごいのか? その、魔法衛士隊ってのは」

「もちろん! 君は知らないだろうが、全貴族の憧れだよ」

「なるほどね……」

 

 納得したかのように呟くエツィオにギーシュが肩を竦める。

 

「あんまり驚いているようには見えないね?」

「うーん、彼女は公爵家の三女だろ? 婚約者がいても別に不思議じゃないな。

俺のとこの話しだが、ミラノ公国って国があってな、そこの領主の娘であるカテリーナ・スフォルツァは十四歳でフォルリの領主に嫁いでる。

今回の姫殿下の政略結婚含め、そんなに珍しいことじゃないさ」

 

 淡々と言ってのけるエツィオにギーシュは少し驚いたように言った。

 

「それだけかい? 君、意外とドライだな」

「そうか? これでも彼女のことを第一に考えてるんだぜ? まぁ、心配事が一つ減ったかな」

「心配事?」

「彼女に嫁の貰い手がいたってことだよ。もしかしたら俺がもらうハメになるのかと思って、少しヒヤヒヤしてたところさ」

 

 エツィオはおどけた口調でそう言うと、もう一度グリフォンに跨るルイズを見つめた。

 

 

 馬を何度も替え、飛ばしてきたので、エツィオ達はその日の夜中には、ラ・ロシェールの入口に辿りついた。

 

「なんだ? ここがそうなのか?」

 

 エツィオは怪訝そうに辺りを見回した。

港町と聞いていたが、ここはどうみても山道である。海が近いなら潮の香りもするだろうがそれも感じなかった。

月夜に浮かぶ険しい岩山の中を縫うように進むと、峡谷に挟まれるようにして街が見えた。

街道沿いに、岩を穿って造られた建物が見える。

 

「港町って聞いてたんだが……」

 

 エツィオがそう言うと、ギーシュが呆れたように言った。

 

「君、アルビオンを知らないのか?」

「生憎、この辺の地理には疎くてね」

 

 そんなギーシュにエツィオが肩を竦めた、そのときだ。

 

「――待て! ギーシュ!」

 

 エツィオがはっと、顔を上げ、崖の上を見る。

その瞬間、エツィオ達の跨った馬目がけて、崖の上から松明が何本も投げ込まれた。

 松明は赤々と燃え、エツィオ達が馬を進める峡谷を照らす。

 

「なっ! なんだ!」

 

 いきなり飛んできた松明の炎に、戦の訓練を受けていない馬が驚き、前足を高々と上げたので、

ギーシュが馬から放り出される。

そこを狙って、何本もの矢が夜風を裂いて飛んでくる。

 

「奇襲か!」

「ギーシュ! 掴まれ!」

 

 矢が刺さるかというその瞬間、かろうじて馬を諌めて落馬を免れたエツィオが、馬上からギーシュをすくい上げる。

スカッ! と軽い音を立て、矢がギーシュのいた地面に突き刺さった。

 

「な、何なんだ一体!」

「……俺達に死んでもらいたいそうだ」 

 

 矢が飛んできた崖上を睨みつけながらエツィオが呟く。

ギーシュを自分の前に跨らせたその時、ひゅんひゅんと二の矢が飛んでくる。

無数の矢がエツィオとギーシュに降り注ぐ。

 

「くそっ!」

 

 思わず目を瞑ったそのとき……。

一陣の風が舞い上がり、小型の竜巻が巻き起こる。

竜巻は飛んできた矢を巻き込むと、あさっての方向へ弾きとばす。

グリフォンに跨ったワルドが、杖を掲げている。

 

「大丈夫か!」ワルドの声がエツィオに飛ぶ。

「かたじけない! 子爵殿!」

 

 エツィオはすぐさま馬から飛び降り、崖の上を見つめた。今度は矢が飛んでこない。

 

「夜盗か山賊の類か?」ワルドが呟いた。

「子爵殿、ここはお任せを、ルイズ達を頼みます」

「どうする気だね」

「奴らを始末してきます、なに、すぐに戻ります」

「ちょ、ちょっとエツィオ!」

 

 ルイズの制止を聞かず、エツィオは崖へ向け一気に走りだした。

そして岩場のとっかかりに手をかけ、崖の上へと向け驚くほどの身の軽さでよじ登っていく。

あっという間に崖を登り終えたエツィオは、その上で待ちかまえていた男達の前に踊り出た。

 

「こっ、こいつ! 登ってきやがった!」

「馬鹿な野郎だ! やれ! やっちまえ!」

 

 突然自分たちの前に現れたフードを目深に被った男に、男達はそれぞれの得物を構え襲いかかる。

エツィオはマントの下でアサシンブレードを引き出す、すると、ふらりと前に歩き、

剣を振りかぶり襲ってきた男にそのまま右肩をぶつけて、アサシンブレードを男の鳩尾に滑り込ませた。

 右腕で男を払い倒しながらアサシブレードを引き抜き、続いて丁度切りかかってきていた男の首を薙ぐ。

ぱっくりと開いた傷口から血が盛大に噴き出し、エツィオに降りかかった。

その姿に怖気づいたもう一人の男に向かい、エツィオが一足飛びで飛びかかる、

地面に叩きつけるのと同時に、彼の喉元目がけ、アサシンブレードを叩きこんだ。

 

「ててっ、てめぇ!」

 

 一瞬で三人の仲間が殺され、立ちつくしていた男の一人がそう叫んだ。

その直後、その言葉は遺言になった。

喉には深々と投げナイフが突き刺さり、それ以上声を出すことができなくなった男は喉をかきむしりながら崩れ落ちた。

 

 一人の男が剣を振りかぶり、エツィオに斬りかかる。

エツィオは待ちかまえたかのように、振り下ろされた男の剣を握る手を掴み攻撃を受け止めると、即座に股間を蹴りあげる。

 

「うぐっ!?」

 

 股間に走る激痛に思わず剣を握る手の力が緩む、その隙を逃がさずエツィオは剣を奪い取る。

「ま、まって――」男の言葉を最後まで聞かず、エツィオは胴を袈裟掛けに薙ぎ、返す刃で剣を心臓に突き刺した。

エツィオは突き刺さった剣を引き抜くと、男の胸倉をつかむと、不意に一歩下がった。

その時、風を切る音と共に、一本の矢が男の頭に突き刺さる。

少し引っ張っただけで盾となってくれた男の死体を、矢が飛んできた方向へ突きとばした。

男の死体は、やくざな人形のようによたよたとその方向へ歩き、やがてばたりと崩れ落ちた。

矢を放った傭兵が、慌てて二の矢を番えたその時、彼の頭に一本の剣が深々と突き刺さった。

 

「ひゅう、やるねえ相棒、でも俺も使ってくれよ」

「……」

 

 一部始終を見ていた背中のデルフリンガーが感心したように呟く。

エツィオは無言のまま、生き残りの男達に視線を送り、背中の魔剣の柄に手を伸ばした。

 

 

「すごいな彼は……あの崖をあんなに早く登り切るなんて……」

 

 崖をよじ登り、襲撃者の待ち受ける崖上へ乗り込んでいったエツィオを見てワルドが感心したように呟く。

いかにエリートである魔法衛士隊の隊長であるワルドでさえ、杖もなしにあの崖を登りきることはできないようだ。

 

「ね、ねぇ、エツィオは大丈夫なの?」

「そ、そうです、子爵、敵の数も未知数です、いくら彼でも厳しいかと……」

 

 ルイズとギーシュが、心配そうにワルドを見る。

ワルドは少し考えると、すぐにグリフォンに跨った。

 

「ふむ……わかった、彼の援護に行く、ギーシュ、ここは任せられるかな?」

「はい! お任せを!」

「安心したまえ、ルイズ、すぐに戻ってくるよ」

 

 ワルドはルイズに優しく笑いかけると、グリフォンを駆り、崖の上へと飛び立って行った。

 

 

「ひっ……ひぃっ……!」

「た、助けてくれ! か、金はやる! 頼む! み、見逃してくれ!」

 

 崖の上では、たった二人を残し、襲撃者達を全滅させたエツィオが、最後の生き残りに尋問をしていた。

両手のアサシンブレードを引き出したままに、二人の男の胸倉をつかみ、刃を喉に押し当てながら、エツィオは静かに口を開いた。

 

「お前達に聞きたいことがある」

「ヒィッ……!?」

「お前達は何だ、答えろ」

「お、俺達はただの物取りだ!」

 

 男の一人が絞り出すように答える、エツィオはその男をじっと見つめると、やがて首を傾げる。

 

「こんな町の近くで物取りか……、なるほど、それで俺達が最初に通りかかった獲物、と言うことか」

「そ、そうだ、お前達が最初だ! ほ、本当だって! 信じてくれよ!」

「そうか……」

 

 エツィオは小さく息を付くと、その男に突きつけていたアサシンブレードを収納した。

男がほっとしたように、安堵の表情を浮かべた、その時だった。

胸倉を掴んでいた手が、首根っこを捕らえ、再びアサシンブレードが勢いよく飛び出した。

 

「かっ……はっ……!」

「ひっ……! ひぃっ!?」

 

 そのまま喉を貫かれ、苦悶の呻き声を上げながら、男が絶命する。

それを横で見ていた男が、情けない悲鳴を上げた。

エツィオは、物言わぬ死体となり果てた男の身体を、地面に投げ捨てると、残った男に視線を送った。

その射抜くような鋭い目に、男が震えあがる。

そんな男に、エツィオは再び静かな口調で尋ねた。

 

「さて、お前達は何だ? 本当のことを言わねば、お前もこうなるぞ」

「もっ! 物取りだって言っただろ! し、信じろって!」

「俺達は最初の獲物だろう? なら何故こんなに金を持っている、これ以上人を襲う必要がないくらいにだ。拷問は趣味じゃない、素直に答えろ」

 

 喚くように叫ぶ男に、エツィオは皮の袋を目の前に突きつけた。

それは先ほど殺した男から奪っていた皮の財布であった。

袋の中身は金貨でパンパンに膨らんでおり、ずっしりと重い。

 

「わ、わかった! 答える! や、雇われたんだ! き、貴族派を名乗る男と女の二人に! その金は前金として受け取ったんだ!」

「……どんな奴だ」

「女は緑色の長い髪をしたメイジの女だった、へ、へへ、美人だったぜ……」

 

 その言葉にエツィオの眉が動く、緑色の髪をしたメイジの女……、マチルダだろうか? そう言えば手紙に反乱勢力に潜入したとあった。

おそらく、傭兵を雇い自分達に嗾けるのが彼女の任務なのだろう、手段は問わない、と言っているため、彼女を責めるつもりはエツィオにはなかった。

それよりも、問題はもう一人の男である。

 

「男はどんな奴だ」

「お、男は知らねぇ! 白い仮面を被ってる不気味な奴だった。そ、それしかしらねぇ、ほ、本当だ!」

「そうか……わかった」

 

 エツィオは呟くように言うと、小さく息をついた。

すると、男が震えるような声でエツィオに尋ねる。

 

「へ、へへ……、す、素直に話したんだ。た、助けてくれるんだろ?」

「いや、ダメだ」

 

 その言葉と共に、冷たい刃が男の鳩尾に埋まる。

腹からこみ上げる血と泡を口からこぼしながら、男が絞り出すように口を開く。

 

「が……ぁ……な、なん……で……」

「生かして帰せば、その男に報告するだろう?」

 

 エツィオは冷たく言い放ち、アサシンブレードを男の鳩尾から引き抜く。

ふらふらと立ちつくす男の肩を、エツィオは優しく、とんっ、と押す、

するとバランスを失った男の身体は、直立不動のまま、ばたりと地面に横たわった。

 

「相棒……お前、結構えげつねぇな……」

「……」

 

 死体に突き刺さったまま、尋問の一部始終を見ていたデルフリンガーが呟く。

エツィオは黙ったまま、簡単に返り血を拭きとった後、傭兵の死体からデルフリンガーを引き抜いた。

その時、ばっさばっさと何かが羽ばたく音が聞こえてきた。

エツィオがその方向へ視線を送ると、グリフォンに跨ったワルドが崖の上に降りたとうとしていた。

 

「これはっ……!」

 

 崖の上の惨状にワルドが思わず言葉を失う。

崖の上には十人ほど傭兵の死体が転がっており、そのいずれもが急所を鋭い刃物で切り裂かれ、或いは貫かれている。

その中心にはルイズの使い魔の男が、血のついた錆剣を片手に立ちつくしていたのだ。

 

「……無事かね?」

「えぇ子爵殿、ご心配をおかけしました」

 

 ワルドは動揺を隠しつつ、地面に降り立ち、エツィオに尋ねる。

 

「……全員君が?」

「はい、目的も聞き出せました、彼らは貴族派の連中に雇われたそうです」

「そうか……どこからか情報が漏れているのか……しかしどこから?」

 

 エツィオが一礼し、一通り報告すると、ワルドは険しい表情で傭兵達の死体を睨みながら呟いた。

するとエツィオは、少し言いにくそうに口を開いた。

 

「子爵殿、失礼ですが、この任務、姫殿下から命じられたのはいつですか?」

「……昨夜だ、姫殿下の話では君達に依頼した後、と言っていたな」

「そうですか……」

「何かな? 僕を疑っているのかね?」

 

 考え込むエツィオに、ワルドが不快だと言わんばかりに鋭い目で睨む。

エツィオは慌てて両手を振った。

 

「いえ! とんでもない! そう感じたのであればお詫びいたします! 

……この任務、姫殿下が思いついたのは一体いつの時点だったのか、それが知りたかっただけです。

誤解を生み、申し訳ない……」

「いや、こちらこそすまない、僕も少し神経質になってしまっていたようだ、身内は疑いたくないものだな。

さぁ、ルイズ達が待っている、行こう」

 

 ワルドは小さく首を振ると、エツィオにそう告げる。

するとエツィオは傭兵達の死体に視線を送ると、首を振った。

 

「いえ、少し調べたいことがあるので、先にルイズの所へ行ってください、すぐに戻ります」

「そうか、では先に行っている、すぐに戻ってきたまえ、ラ・ロシェールはすぐそこだ、今日はそこで一拍しよう」

 

 グリフォンに跨ったワルドは、崖の下で待つルイズ達の元へ戻っていく。

それを見送ったエツィオは、傭兵達の死体をじっと見つめた。

 

 

「おや?」

 

 エツィオが崖から降り、ルイズ達の元へ戻ると、そこにはルイズとワルド、ギーシュの他に、

見慣れた風竜にまだがった、二人の少女がいることに気が付いた。

そんなエツィオに気が付いたのか、赤い髪をした少女が、風竜からぴょんと飛び降り、駆け寄ってきた。

 

「ダーリン!」

「キュルケ! タバサ! どうしてここに?」

「朝に出発するところを見られてたのよ」

 

 エツィオが尋ねると、ルイズがおもしろくなさそうに答える。

キュルケは自慢の赤い髪をかき上げるとエツィオに歩み寄る。

 

「そうよ、朝方ダーリン達が馬に出て行くところをね、だからタバサを叩き起こして後をつけてきたのよ」

 

 そう言うとキュルケは風竜の上のタバサを指さした。どうやら就寝中だったらしく、パジャマ姿であった。

それでもタバサは気にした様子もなく、本のページをめくっている。

 

「なるほど……しかしこれはお忍びの任務なんだぞ」

「ごめんなさいね、でもあたし、貴方のことが心配で心配で……!」

「ははっ、まったく、楽しい旅になりそうだな」

 

 言葉とは裏腹に、エツィオは優しくほほ笑むと、キュルケの顎を持った。

キュルケはうっとりした顔でエツィオの胸にしなだれかかった。

 

 それを見たルイズは唇をかんだ後、怒鳴ろうとした。

ツェルプストーの女に使い魔を取られるのは我慢ならない、それにあの馬鹿の事だ、自ら進んでキュルケを手籠にしかねない。

 そっとワルドがそんなルイズに肩に手を置いた。

 

「ワルド……」

 

 ワルドはルイズをみて、にっこりとほほ笑むと、グリフォンに跨り、ルイズを抱きかかえた。

 

「では諸君、今日はラ・ロシェールに一泊し、明日の朝一番にアルビオンに渡ろう」

 

 ワルドは一行にそう告げた。

 キュルケはエツィオの馬の後ろにまたがり、楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいる。

ギーシュも馬に跨り、風竜の上のタバサは相変わらず本を読んでいた。

ラ・ロシェールへ向け、馬を走らせようとしたエツィオが、何かを思い出したのか、先ほど傭兵から奪った財布を取り出した。

そして中から一枚金貨を取り出し、キュルケに尋ねた。

 

「……なぁキュルケ、このエキューっていうのは、どこの国でも使えるのか?」

「もちろん、ゲルマニアでも使えるわよ、アルビオンでもね」

「鋳造は? 各国で差異が出たりはするのか?」

 

 キュルケに持っていた金貨を見せる。

ピカピカに光る、見るからに真新しい鋳造されたばかりの金貨であった。

 

「えぇ、今持っているそれは、トリステインで鋳造されたエキューね、新金貨だわ」

「新金貨?」

「そうよ、最近流通し始めたの、旧金貨とは違って、三枚で二エキューよ」

「なるほど……アルビオンの物とは違う……ってことか」

 

 エツィオは少し考えるようにその金貨をじっと見つめた。

 

「貴族派……か、どうやらこの国の中枢にも根は及んでいるみたいだな」

 

 小さく呟き、馬を走らせる、道の向こうに、両脇を峡谷に挟まれた、ラ・ロシェールの街の灯りが怪しく輝いていた。



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memory-14 「ラ・ロシェールの休日」

 ラ・ロシェールで最も上等な宿、『女神の杵』亭に泊まることにした一行は、一階の酒場でくつろいでいた。

いや、一日中馬に乗りっぱなしだったので、ギーシュとエツィオはくたくたになっていた。

 そこに桟橋へ交渉に行っていたワルドとルイズが帰ってきた。

ワルドは席に着くと、困ったように言った。

 

「アルビオンへの船は、明後日にならないと出ないそうだ」

「急ぎの任務なのに……」

 

 ルイズが口を尖らせて言った。

 

「子爵殿、なぜ船が出ないのですか?」

「明日の夜は月が重なるだろう、『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンは最も、ラ・ロシェールへ近づく」

「近づく……?」

 

 二つある月が重なる、と言うことはわかったが、近づくとはどういう意味だろう?

疲れ切った頭でエツィオがそう考えていると、ワルドは鍵束を机の上に置いた。

 

「さて、君達も疲れているだろう、今日はもう休もう、部屋を取った。キュルケとタバサ、そしてエツィオ、ギーシュで相部屋だ」

「ワルド、わたしは?」

「きみは僕と同室だよ、ルイズ」

 

 ルイズははっとしてワルドを見つめた。

 

「婚約者だからな、当然じゃないか」

「そんな! だめよ! わたしたち、まだ結婚してるわけじゃないじゃない!」

 

 ルイズは困ったように横目でちらとエツィオを見る。

 

「なんだよ、ルイズ、そんなに俺と一緒の部屋がいいのか?」

「ばっ、バカっ! そんなわけないでしょ! だ、男女で部屋を分けた方がいいって言ってるのよ!」

 

 そんな彼女の視線に気が付き、エツィオはニヤリと笑った。

ルイズは顔を真っ赤にして反論する。

 

「子爵殿、彼女もこう言っています、部屋割をもう一度考え直してはいかかでしょう」

 

 からかいはしたものの、エツィオなりに気を利かせ、ワルドに部屋割を考え直す様に提案する。

しかしワルドは首を振った。

 

「使い魔であるきみには悪いが、僕はルイズに大事な話があるんだ、二人きりで話したい、いいね? ルイズ」

 

 

 貴族相手の宿、『女神の杵』亭で一番上等な部屋だけあって、ワルドとルイズの部屋はかなり上質な造りであった。

ベッドは豪華なレースで飾られ、天蓋まで付いていた。

 テーブルについたワルドは、ワインの栓を抜き、杯に注いだ、それを飲み干す。

 

「きみも座って一杯やらないか? ルイズ」

 

 ルイズは言われたままにテーブルについた。ワルドがルイズの杯にワインを満たす。

自分の杯にも注いで、ワルドはそれを掲げた。

 

「二人に」

 

 ルイズはちょっと俯いて、杯を合わせた。かちん、と陶器の杯が触れあった。

 

「ルイズ、姫殿下から預かった手紙はきちんと持っているかい?」

 

 ルイズはポケットの上から、アンリエッタから預かった封筒を抑えた。 一体どんな内容なのだろう。

そして、ウェールズから返してほしい手紙とはどういうものだろう。

それはなんとなく予想が付いた。おそらくは――

 俯きながら考えていた自分の顔を、ワルドが興味深そうに覗き込んでいることに気が付いた。

 

「……ええ」

「心配なのかい? 無事に皇太子から、姫殿下の手紙を取り戻せるかどうか」

「……そうね、心配だわ」

 

 ルイズは可愛らしい眉を、への字に曲げて言った。

 

「大丈夫だよ、きっと上手く行く。なにせ、僕がついてるんだから」

「そうね、あなたがいればきっと大丈夫よね。あなたは昔からとても頼もしかったもの。それで、大事な話って何?」

 

 ワルドは遠くを見る目になって言った。

 

「覚えているかい? あの日の約束……。ほら、きみのお屋敷の中庭で……」

「あの、池に浮かんだ小船?」

 

 ワルドは頷いた。

 

「きみは、いつもご両親に叱られた後、あそこでいじけていたな、まるで捨てられた子猫のように、丸くなって……」

「もう、ほんとうに変なことばかり覚えてるのね……」

「そりゃ覚えてるさ」

 

 ワルドは楽しそうに言った。

 

「きみはいつもお姉さん達と魔法の才能を比べられて、出来が悪いなんて言われていたな」

 

 ルイズは恥ずかしそうに俯いた。

 

「けど……僕はそれは間違いだと思っていたよ。確かにきみは不器用で、失敗ばかりだったけれど」

「意地悪……」

 

 ルイズは頬を膨らませた。

 

「違うんだ、ルイズ、きみは確かに失敗ばかりしていたけど、誰にもないオーラを放っていた。

魅力、と言ってもいい、それは君が他の誰にもない特別な力を持っているからさ、

僕だって、並のメイジじゃない。だからそれがわかる」

「まさか」

「まさかじゃない、例えばそう、君の使い魔……」

 

 ルイズの胸が、とくん、と鳴った。

 

「エツィオのこと?」

「そうだ、彼だって、ただ者じゃない。ここに着く前に傭兵の一団に襲われただろう?」

「えぇ、それであなたがエツィオを助けに行ったけど……それが?」

「……僕は彼を助けてはいないよ」

「え?」

「僕が崖の上に着く頃には、傭兵達の死体が十数人分、転がっていた……全員殺したそうだ」

「うそ……」

 

 信じられない、と言った様子でルイズが呟く。

だがワルドは首を振った。

 

「知っての通り、僕は魔法衛士隊の隊長だ、僕だって、あれくらいの数の傭兵達など、物の数ではないよ」

「それはそうでしょう、あなたは強いもの」

「あぁ、だけど魔法が全く使えない状況だと話は別になる。流石の僕でさえ、同時に二、三人相手にするのが関の山だ」

「……それって」

「そうだ、彼は違った、彼は魔法が使えない身でありながら、たった一人であの場にいた手練の傭兵全員を皆殺しにしてみせた。

……死体の中心に立つ彼を見た時、背筋が凍ったよ、顔色一つ変えないんだ。正直、別人かと思ったくらいだ」

「エツィオが……」

「話が逸れてしまったね。その時なんだが、彼の左手に浮かび上がっていたルーン……。

あれを見て、ただの使い魔のルーンじゃないことに気が付いたんだ。あれはまさしく、伝説の使い魔の印だ」

「伝説の使い魔のルーン?」

「そうさ。あれは『ガンダールヴ』の印だ、始祖ブリミルが用いたと言う、伝説の使い魔さ」

 

 ワルドの目が光った。

 

「ガンダールヴ?」ルイズが怪訝そうに尋ねた。

「誰もがもてる使い魔じゃない。そして彼自身も。君はそれだけの力を持ったメイジなんだよ」

「信じられないわ」

 

 ルイズは首を振った。ワルドは冗談を言っているのだと。

確かにエツィオは、まぐれかもしれないけど、メイジであるギーシュを倒した、しかし、伝説の使い魔だなんて信じられない。

もし仮にそうだったとしても、何かの間違いだと思った。自分はゼロのルイズだ、落ちこぼれ。どう考えたって、ワルドが言うような力が自分にあるとは思えない。

……だがそれよりも、あの陽気で優しいエツィオが、敵とは言え、顔色一つ変えずに人を殺していた。傭兵と聞いてはいたが、それが一番信じられなかった。

 

「きみは偉大なメイジになるだろう。そう、始祖ブリミルのように、歴史に名を残すような、

素晴らしいメイジになるに違いない、そう僕は確信している」

 

 ワルドは熱っぽい口調でそう言うと、真剣な表情でルイズを見つめた。

 

「ルイズ、この任務が終わったら僕と結婚しよう」

「え……」

 

 突然のプロポーズに、ルイズははっとした顔になった。

 

「僕はこのまま魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは国を……、いやハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」

「で、でも……わ、わたし、まだ……」

「もう子供じゃない。きみは十六だ、自分の事は自分で決められるし、父上も許してくださっている。確かに……」

 

 ワルドはそこで一旦言葉を切ると、ルイズに顔を近づける。

 

「確かに、任務に追われていたとはいえ、ずっときみをほったらかしだった事は謝るよ。

婚約者なんていえた義理じゃないこともわかっている。……でも、ルイズ、僕にはきみが必要なんだ」

「ワルド……」

 

 ルイズは考えた。なぜか、エツィオの事が頭に浮かぶ。

ワルドと結婚しても、自分はエツィオを使い魔として傍に置いておくのだろうか?

……なぜか、それはできないような気がした。これが犬や猫、カラスやフクロウだったら、こんなに悩まずに済んだに違いない。

 もし、あの馬鹿をほっぽり出したらどうなるだろう?

あいつはいつか、『フィレンツェ』に帰ってしまう、それまでの間は、キュルケか……、

それともあいつに誑し込まれた厨房のメイドとか……誰かが世話を焼くかもしれない。

いや、そもそもあいつほどの男だ、仮に『フィレンツェ』に戻れなくとも、ゲルマニアにでも渡れば、貴族として成り上がれるかもしれない。

でも、そんなのはやだ、とルイズはそう思った。少女のワガママさと独占欲で、ルイズはそう思った。

エツィオは……、バカで軽くて、女好きだけど、他の誰のものでもない。ルイズの使い魔なのだ。

 ルイズは顔を上げた。

 

「でも、でも……」

「でも?」

「あの、その、わたしまだ、あなたに釣り合うようなメイジじゃないし……、もっと修行して……」

 

 ルイズは俯いた、俯きながら、続けた。

 

「あのね、ワルド、小さい頃、わたし思ったの。皆に認めてもらえるような立派な魔法使いになって、

父上と母上に誉めてもらうんだって」

 

 ルイズは顔を上げて、ワルドを見つめた。

 

「まだ、わたし、それができてない。だから……」

「どうやら、きみの心に誰かが住み始めたみたいだね」

「そ、そんなことない! そんなことないのよ!」

 

 ルイズは慌てて否定した。

 

「いいさ、僕にはわかる。わかった、取り消そう、今返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わったら、きみの気持ちは、僕に傾くはずさ」

 

 ルイズは頷いた。

 

「それじゃあ、今日はもう寝ようか。疲れただろう」

 

 それからワルドはルイズに近付いて、唇を合わせようとした。

 ルイズの体が一瞬強張る、それからワルドの体をそっと押し戻した。

 

「ルイズ?」

「ごめん、でも、なんか、その……」

 

 もじもじとするルイズに、ワルドは苦笑いを浮かべて首を振った。

 

「急がないよ、僕は」

 

 ルイズは再び俯いた。

どうしてワルドはこんなに優しくて、凛々しいのに……。ずっと憧れていたのに……。

結婚してくれと言われて、うれしくないわけじゃない、でも何かが心に引っかかる。

引っかかったそれが、ルイズを前に歩かせてくれない。

 

「エツィオ……あいつは……」

 

 ルイズが呟くと、ワルドは何かを思い出したのか、再びルイズを見つめた。

そして少し迷ったそぶりを見せた後、ややあって口を開いた。

 

「ルイズ、彼のことなんだが……。少し聞きたい事があるんだ」

「エツィオの事? 何?」

「彼が伝説の使い魔、『ガンダールヴ』であると言うことは間違いない。だがそれ以前に、彼は何者なんだ?

あれだけの数の傭兵達を皆殺しにするなんて、ただの平民じゃない」

 

 突然何を聞かれると思えば、ルイズは首を傾げた。

 

「え、えと、傭兵みたいなものだ、って言ってたけど……なんでも元貴族だって」

「元貴族? 平民なのに?」

「えぇ、でも、あいつ……、それ以上は教えてくれないと言うか……」

「そうか……」

 

 ルイズが答えると、ワルドは顎に手を当て、なにやら考え込み始めた。

それを見てルイズは少し俯き、使い魔の事を考える。

 

 そう言えば、あいつは自分のことを詳しく教えてくれたことがない。

聞こうとしても、いつもからかって、それでわたしが怒って……。そうやって毎回はぐらかされて……。

唯一知っているのは、『フィレンツェ』と言うところから来た、元銀行家の貴族だった、という事だけだ。

そう考えると、自分はエツィオの事を全く知らない事に気がつく。

フィレンツェという国から来た、元貴族。エツィオはそれ以上、決して踏み込ませてくれないのだ。

 

 軽くて女好きで、使い魔のくせにいつもわたしのことをからかって、でも優しくて面白い、陽気なエツィオ。

時折見せる深い闇。目的の為なら、躊躇わず人を殺す、冷酷なエツィオ。

本当のエツィオは、どっちなのだろう? ……あいつは一体、何者?

あいつは……。と小さく呟き、ルイズは俯いた。

 

 

 その頃、ギーシュとの相部屋でエツィオはベッドに腰かけ、先ほど傭兵達から奪った金貨を手に、何やら考え込んでいた。

ギーシュはよほど疲れていたのか、隣のベッドでグースカ寝息を立てて眠っている。

 

「どうしたね相棒、さっきから深刻な顔してよ」

「え? あ、あぁ……」

 

 そんなエツィオに立てかけてあったデルフリンガーが声をかけた。

エツィオは顔を上げると、暫しの沈黙の後、口を開いた。

 

「いや、少し考え事をな」

「お? もしかして娘っ子のことか?」

「それもあるな、今こうしてる間も、心配で心配で気が気じゃないよ」

 

 エツィオはおどけたように言うと、小さく息を吐きすぐに真顔に戻る。

 

「だけど今は、あまり心配もしていられないかもしれない」

「どういうことだ?」

「……やはり国内に裏切り者がいる、奴らを差し向けたのは、おそらくそいつだ」

「へぇ、なんでそう言えるんだ?」

「これだよ」

 

 エツィオは持っていた金貨を指ではじいて見せた。

 

「あの傭兵たちが前金として受け取っていた金貨だ、彼らが持っていた貨幣の多くがトリステインで鋳造された新金貨だったんだ」

「それが?」

「彼らに襲撃を依頼した人間は、トリステイン製の新金貨を大量に入手できる立場にいる人間、

おそらくは重要な役職に就いている人間であると俺は考えている」

 

 エツィオはそこで言葉を切ると、ややあって打ち明けるように口を開いた。

 

「……俺は最初、裏切り者は子爵ではないかと疑った……。

この任務はアンリエッタ姫殿下が昨晩のうちに思いつきルイズに打ち明け依頼した極秘の任務だ。

それを知っているのは、ルイズと俺、ギーシュ、そして、子爵だけの筈だ。……しかし、今まで俺達と一緒にいた子爵に出来る筈がない」

「はぁ、相棒は心配性だねぇ、いくらなんでも考えすぎだぜ」

「まぁ、確かに、今考えても仕方がない。あの場にいた傭兵は全員始末したし、尾行もいなかった。今のところ、ここは安全だろう。――それに……」

 

 そう言うと、エツィオは腰かけていたベッドに仰向けになって倒れ込んだ。

そう言えばベッドで眠るのは随分久しぶりだ、ラ・ロシェールで最も上等な宿だけあって、寝心地はとてもよさそうである。

長旅の疲れも手伝い、眠気が襲ってくる、エツィオは大きく欠伸をした。

 

「傭兵達を雇い、俺達に嗾けた人物……マチルダともう一人は、おそらくこの街にいる。明日、奴を狩り出すとしよう」

 

 まどろむ意識の中、エツィオはそこまで言うと、静かに寝息を立て始めた。

 

 

 ――翌日。

窓から差し込む朝日にエツィオは目を覚ます。

隣のベッドではギーシュがグースカと幸せそうに寝息を立てている。

 

「少し寝過したか……?」

 

 よほど疲れていたのか、それとも久方ぶりのベッドの寝心地の良さのせいか……。エツィオが目を覚ます頃には日中に差しかかろうとしていた。

エツィオは小さく呟くと、ベッドに別れを告げ、すぐに装備を整え始める。

アサシンのローブを羽織り、籠手を身につけ、アサシンブレードの動作を確認し、背中にデルフリンガーを背負った。

ギーシュを起こさぬよう、慎重に窓の淵に足をかけ、外へ出ようとしたその時、不意に扉がノックされた。

 

 出来る限り誰にも知られず偵察に行きたかったエツィオだったが……。

ギーシュも眠っている以上、無視するわけにもいかない、やむを得ずドアを開ける。

羽帽子を被ったワルドが、エツィオを見つめていた。

 

「おはよう、使い魔君」

「おはようございます、子爵殿」

 

 昨日とはうって変わり、なんだかよそよそしい態度のワルドであったが、エツィオは普段通り一礼する。

装備を整えたエツィオの姿を見て、ワルドは首を傾げる。

 

「おや? どこかに出かけるのかね?」

「えぇ……一日空いたので、少し見て回ろうかと」

「呑気なものだな、こんな時に」

「はは……返す言葉もありません……」

 

 観光に行くと受け取られたのだろう、呆れたように言うワルドにエツィオは苦笑しながら頭をかく。

目的こそ伏せたが、嘘は言っていない。

 

「まぁいい、今日は君に話があるんだ」

 

 ワルドはにっこりと笑った。

 

「きみは伝説の使い魔『ガンダールヴ』なのだろう?」

「……え?」

 

 エツィオは少し驚いたようにワルドを見た。

どこで知った? この事はオスマンとコルベールしか知らず、まだルイズにも教えていない事である。

 

「さて、一体なんのことやら?」

 

 湧き上がる疑念を隠す様に、エツィオはおどけるように肩を竦めた。

ワルドは首を傾げて言った。

 

「とぼけなくていい、君のその左手にあるルーンさ。昨日、グリフォンの上でルイズに聞いたが、君はなかなかに腕の立つ傭兵だそうじゃないか」

「それが何故その……『ガンダールヴ』……ですか? その伝説に?」

「僕は昔から、歴史と兵に興味があってね、フーケの一件の後、彼女に尋問した時、君に興味を抱いてね。王立図書館で君の事を調べたのさ。

そして昨夜の傭兵相手の大立ち回りだ、そこで君の左手に光るルーンをたまたま見る事が出来た、その時、伝説の『ガンダールヴ』ではないかと思ったのさ」

「……なるほど」

 

 なにかが引っかかるが、エツィオはとりあえず頷いた。

それを納得と受け取ったのだろう、ワルドは言葉をつづけた。

 

「あの『土くれ』を捕まえ、傭兵を返り討ちにした君の腕が知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

「手合わせ……ですか?」

「つまりこれさ」

 

 ワルドは腰に差した魔法の杖を引き抜いた。つまりは決闘の申し込みのようだ。

あなたも相当呑気な方のようだ。という皮肉が口から出かかったがぐっと堪える。

 

「あなたがそう言うなら、断る理由はありませんが……昨夜の事もあります。よろしいのですか?」

「敵なら昨夜君が倒しただろう? 戦力の把握の為にもなる、どうかな? 観光に行くよりかは有意義だと思うが?」

 

 そんなことやってる場合じゃないだろう? とそれとなくワルドに伝えるも、ワルドは全く異に解さない。

エツィオは諦めたように肩を竦めた。

 

「わかりました、場所はどちらで?」

「この宿は昔、アルビオンの侵攻に備えるための砦だったんだよ。中庭に来たまえ、練兵場がある」

 

 

 エツィオとワルドはかつて貴族達が集まり、陛下の閲兵を受けたという練兵場で二十歩ほど離れて向かい合った。

錬兵場は今では物置として使われているのか、樽や空き箱が積まれて、かつての面影は薄れている。

石でできた苔生した旗立て台が、わずかにその名残を残していた。

 

「昔……といっても君にはわからんだろうが、かのフィリップ三世の治下には、ここでよく貴族が決闘したものさ」

 

 ワルドは感慨深げに周囲を見渡しながら言った。

 

「古き良き時代。王がまだ力を持ち、貴族達がそれに従った時代……名誉と、誇りをかけて僕たち貴族は魔法を唱えあった。

しかし、実際は下らないことで杖を抜きあったものさ。そう、例えば女を取り合ったりね」

「そうですか……」

 

 エツィオは、生返事のまま肩を竦めた。

 

「さて、その決闘だが、立ち合いにはそれなりの作法がある。介添え人がいなくてはね」

「介添え人……ですか?」

「安心したまえ、もう来ている」

 

 ワルドはそう言うと、物陰からルイズが現れた。

その姿を見てエツィオは誰にも聞こえないように小さく呟いた。

 

「なるほど……そう言う腹積もりか」

 

 ルイズは二人を見ると、はっとした顔になった。

 

「ワルド、来いって言うから来てみれば、何をする気なの?」

「彼の実力を、ちょっと試したくなってね、なに、ちょっとした遊びの様なものさ」

「もう、そんなバカなことはやめて。今はそんな事をしている場合じゃないでしょ?」

「そうだね。でも貴族というヤツはやっかいでね、強いか弱いか、それが気になるともう、どうにもならなくなるのさ」

 

 ルイズはエツィオを見た。

 

「やめなさい。これは命令よ?」

「だそうですが? 子爵殿」

「気にしないでくれたまえ、では、介添え人も来たことだし、始めるか」

 

 決闘に乗り気ではないエツィオは、ワルドを見つめた。

だがワルドは腰から杖を引き抜き、フェンシングの構えのように、それを前方に突き出した。

 

「わかりました、お相手しましょう」

「もうっ! 二人ともバカなんだから!」

 

 エツィオは諦めたように背中のデルフリンガーを引き抜いた。

それを見たワルドは薄く笑った。

 

「さぁ、全力で来たまえ」

 

 ワルドの狙いはわかっている、ルイズに自分の実力をアピールしようと言う腹積もりなのだろう。

ならばいきなり魔法を放ち攻撃してくると言うことは、まずありえない。

そう見切りをつけたエツィオはデルフリンガーを構え、ワルドの出方をじっと待った。

 

「来ないのかね? では、こちらから行くぞ!」

 

 待ちに徹するエツィオに、ワルドが一足跳びで間合いを詰める。

それからシュシュと風切音と共に、驚くほどの速さで突いてきた。

 

「むっ!」

 

 エツィオは、予想以上の速さで繰り出されたワルドの突きを、デルフリンガーで受け流し、切り払う。

魔法衛士隊の黒いマントを翻らせて、ワルドは優雅に飛びずさり、構えを整えた。

 

「なんでぇ、あいつ魔法を使わないのか?」

「なるほど……接近戦もこなせると言うことか」

 

 エツィオが感心したように呟く。

流石は魔法衛士隊の隊長である、魔法だけではなく、近接戦闘の腕も一流ということか。

ワルドの動きは、今までエツィオが戦ってきたどんな相手よりも素早く、動きの読めぬものであった。

 

「魔法衛士隊のメイジは、ただ魔法を唱えるだけじゃないのさ」

 

 ワルドが羽根帽子に手をかけて言った。

 

「詠唱さえ戦いに特化されている。杖を構える仕草、突き出す動作……。

杖を剣のように扱いつつ詠唱を完了させる。軍人の基本中の基本さ」

 

 エツィオがフードの中で僅かに口の端を上げた。

デルフリンガーをわざと大きく振りかぶり、ワルドに斬りかかる。

ワルドは杖で、エツィオの剣を受け止めた、ガキーンと、派手な音と共に、火花が散る。

 

「くおっ……!」

 

 細身の杖が、がっちりと長剣を受け止めた。しかし、エツィオの腕力はワルドの想像以上のものだったらしい。

わずかに体勢を崩したワルドの隙を逃さず、エツィオは即座に剣を振りあげ、次の一撃を叩きこむ。

だがワルドは、今度は受け止めずに受け流し、そのまま後ろに飛びずさった。

 

「なるほど、大した腕力だ、それに素早さもある」

 

 ワルドは感心したように呟くと、再び攻勢に転じる。

 

「確かにきみは強い、平民出の傭兵では相手にならなかったのも頷ける」

 

 レイピアのように構えた杖でもって、突きを繰り出してくる。

 

「しかし、君もまた、傭兵の……平民の戦いの域を出ていない、ただの力任せの戦い方だ。

それでは本物のメイジには勝てない……つまり、君ではルイズを守れない」」

「おい、言われてるぜ、相棒」

 

 常人には見えぬほどのスピードで繰り出される突きを、エツィオは茶々を入れてくるデルフリンガーを振い、受け流す。

対するエツィオも、隙を見て剣を振りまわすも、そのどれもがワルドには当たらない。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

 

 閃光の様な突きを何度も繰り出しながら、ワルドは低く呟いている。

ワルドの突きが、一定のリズムを持ち始める。途端、何かを捉えたのか、エツィオの眼が鋭くなった。

 

「まぁ、確かに言うだけはあるよな、大した腕だよ、だがな……」

 

 デルフリンガーが、感心したように呟いた。

詠唱を終えたワルドが、至近距離から『エア・ハンマー』を叩きこもうとエツィオに向け、杖を突きだした。

 

 その瞬間、フードの下に隠された、エツィオの口元がニヤリとつり上がる。

 

「なにっ!?」

 

 エツィオの左手が、ワルドの右腕を勢いよく跳ね上げ、『エア・ハンマー』の射線をずらす。

 

「相棒相手に詠唱しながら接近戦を続けるのは、ちと無謀にすぎるな」

「がっ!」

 

 デルフリンガーがそう呟くのと同時に、エツィオが右手に持った長剣を逆手に掴み、がら空きになったワルドの腹を打つ。

思わぬ反撃にたたらを踏むワルドに、エツィオは空いた左手を突き出し、今度は顔面に掌底を叩きこんだ。

 

「ぐぉっ……! おのれッ!」

 

 鼻を強かに打ちつけられたワルドは、思わず後退りながら、エツィオに向かい、杖を振う。

ボンッ! と大きな音と共に、空気が撥ねた。

見えない空気のハンマーが、エツィオを吹き飛ばした。

十メイル以上も吹き飛ばされ、エツィオは積み上げられた樽に激突した。ガラガラと樽が崩れる。

樽にぶつかった拍子に、剣を落としてしまった。

ワルドは、その剣をがしっと踏みつけ、エツィオに杖をつきつける。

踏まれたデルフリンガーが、足をどけやがれ! と叫んだが、ワルドは気にせずに口を開いた。

 

「……勝負あり、だ」

「ぐっ……!」

「驚いたよ、あの大振りの攻撃が全てこの為の布石だったとはね……、顔にもらったのは久しぶりだ、だがそれでは僕は倒せない」

 

 仰向けに倒れたエツィオを見下ろしながらワルドは首を振った。

エツィオの額と口元の古傷から血が流れている、ルイズがおそるおそるといった顔で近寄ってくる。

 ワルドは顔に手を当てると、ルイズを見た。

 

「わかったろう、ルイズ、彼もなかなかやるようだが……これではきみを守れない」

 

 ワルドはしんみりした声で言った。

 

「だって! あなたはあの魔法衛士隊の隊長じゃない! 陛下を守る護衛隊! 強くて当然じゃないの!」

「そうだよ。でも、アルビオンに行っても敵を選ぶつもりかい? 強力な敵に囲まれたとき、きみはこう言うつもりかい? 

わたしたちは弱いです。だから、杖を収めてくださいって」

 

 ルイズは黙ってしまった。それからエツィオをじっと見つめる。

古傷から血が流れていることに気が付いて、慌ててポケットからハンカチを取り出そうとしたら、ワルドに促された。

 

「行こう、ルイズ」

 

 ワルドはルイズの腕を掴んだ。

 

「でも……!」

「とりあえず、一人にしておいてやろう」

 

 ルイズはちょっとためらう様に唇を噛んだが、ワルドに引っ張られて去って行った。

広場には、仰向けに倒れるエツィオとデルフリンガーだけが残された。

 

「大丈夫か? 相棒」

「あぁ、なんとか」

 

 デルフリンガーが呟くと、「いっててて……」と、どこか間の抜けた声を上げながら、エツィオは立ち上がった、

ローブについた埃をはたき落すと、地面に転がっていたデルフリンガーを拾い上げた。

 

「で? どうだ? メイジとやりあった感想は?」

「どうもこうも、強烈だな、参ったよ。……前々から魔法を脅威に感じていたが、あぁまで実戦的に扱ってくるとはね、流石は魔法衛士隊の隊長だ。

ギーシュやマチルダとは別な意味で厄介な相手だよ」

 

 決闘に負けたとは思えぬ口調で、エツィオはニヤリと笑うと、デルフリンガーを背中に背負った。

 

「まぁ、そうだな、ああ言う決闘なら、あの貴族の勝ちだね、ありゃ相当な使い手だぜ。……だが」

「だが?」

「もしあれが本気の殺し合いだったら、相棒の勝ちだったがね」

「……そりゃどうも、でもあれは彼の慢心を突いただけさ。二度は通じそうにない」

 

 エツィオは苦笑しながら肩を竦めると、中庭の隅に積まれた木箱に向かい歩きはじめる。

そしてそれに飛び乗ると、器用に壁の出っ張りや窓枠に手をかけ、あっという間に『女神の杵』亭の屋上へと登って行った。

エツィオは『女神の杵』亭の屋上へ立つと、ラ・ロシェールの街を一望のもとに見渡し、地形や街並みを頭の中に叩きこんでいった。

そんなエツィオに背中のデルフリンガーは声をかける。

 

「でもよ、手を抜いていたとはいえ、仮にも決闘に負けたんだぜ? 悔しくは無いのか?」

「確かに、あぁまで言われちゃ、悔しくないと言えば嘘になるな。でも、立場上、彼との間に、あまり波風も立てられないだろ?」

 

 負けたことに関してはエツィオも少し思うところがあるのか、苦笑しながら呟いた。

そんなエツィオにデルフリンガーは呆れたように言った。

 

「はン、能ある鷹は爪を隠すってか」

「なんだそれ? どっかの格言か?」

「そんなとこさ」

「まぁ、何にせよ、彼女が第一さ、使い魔はつらいな、いろいろと……。さて、少し予定が狂ったが、始めるか……」

「おーおー、仕事熱心な使い魔だねぇ。貴族の娘っ子は果報者だよ、全く」

 

 エツィオはそう言うと、『女神の杵』亭の屋上から、飛翔するように身を投げる。

そして、街に潜むであろう敵を狩り出すべく、街の中へと消えて行った。

 

 

「はぁ、まったく、人使いが荒いったらありゃしないよ……」

 

 日もとっぷりと暮れた、ラ・ロシェールの裏通りを、愚痴をこぼしながら一人の女が歩いていた。

目深にローブを被り、顔は下半分しか見えないが、その女は『土くれ』のフーケこと、マチルダであった。

ここ、ラ・ロシェールには今、アルビオンの王党派に雇われていたが、負けを悟り逃げ帰ってきた傭兵達で溢れていた。

その傭兵達を雇い入れ、トリステインの使者、つまりルイズ達に嗾け、襲撃するのが彼女に与えられた任務であった。

 

 そして一通り集め終えたマチルダは、仮の根城にしている『黄金の酒樽』亭に戻り、一時休憩を取ろうと言うところであった。

とぼとぼと裏路地を歩きながらマチルダはため息をついた。

 

「エツィオ……大丈夫かね? まぁ、あいつならなんとかするんだろうけども……」

「その通り」

「え? むっ、むぐぅっ!?」

 

 マチルダがそう呟いた、その時であった。

突如、どこからか声が聞こえたと思うと同時に、道端にあった干し草の山から何かが飛び出してきた。

突然の出来事に、マチルダは為すすべもなく、飛びだしてきた腕に口と鼻をふさがれ、そのまま干し草の中へとを引きずり込まれてしまった。

 

「むっ! むっぐぐ!」

「しーっ……落ち着いて、マチルダ」

「むぐっ!? ……エツィオ!」

 

 何事かとじたばたと暴れていたマチルダであったが、優しく耳元でささやかれ、はっと聞こえてきた方へ顔を向ける。

マチルダを干し草の中に引きずり込んだのは誰であろう、たった今心配していた人物である、エツィオその人であったのだ。

 

「やぁマチルダ、その後はどうかな?」

「はぁっ……! まったく、心臓に悪いよアンタは! 死んだかと思ったよ!」

「しっ! 声が大きい!」

 

 干し草の中でマチルダを抱きこむ形になりながら、小声でエツィオが囁く。

マチルダは小声になると怪訝な表情でエツィオに尋ねた。

 

「どうしてここに? あんた、『女神の杵』亭にいるんじゃないのかったのかい?」

「君に逢いたくなってね、飛びだしてきたんだ」

 

 エツィオはニヤリと笑いながら言うと、深刻そうに呟いた。

 

「……やはり、情報が漏れているな、俺達が『女神の杵』亭にいるという情報はどこでつかんだ?」

「白い仮面を被ったメイジさ、そいつが教えてくれたんだよ、私を反乱軍に引き入れたのも、襲撃もなにもかも、あの男の命令さ」

 

 エツィオが尋ねると、マチルダは何も隠すことは無いと言わんばかりに肩を竦め、報告する。

白い仮面のメイジ、その言葉を聞いたエツィオの目が鋭くなる。

 

「白い仮面のメイジ……、襲ってきた傭兵達も言っていたな……そいつは誰だ? 今どこに?」

「それがね、よくわからないんだよ、ずっと仮面をつけっぱなしなんだ、伝えること伝えたらすぐに消えちまうし、不気味な奴だよ。

わかってるのは、風系統のメイジってところかしらね。もし殺るんなら、気をつけるんだね、あれはかなりの使い手だよ、スクウェアクラスかもしれない」

「どこかで見られているのか……? ……次の予定は?」

「今日の夜、傭兵を率いて『女神の杵』亭に襲撃をかける手はずになってるよ、なんでも戦力の分断が目的だとか。私もゴーレムで参加って事になってる」

「その男は?」

「うまく分断できたら、後を追って、港へ逃げた方を叩く、だそうよ。先回りしないのは私の監視だろうね」

「港……あそこか」

 

 そこまで報告を受けたエツィオは少し考えるように俯いた。

 

「行き方はわかるかい?」

「あぁ、ここに来る前に確認にな……見て腰を抜かしたよ、あの巨大な樹だけでも驚いたってのに、まさか船が空に浮いて飛ぶだなんてさ……」

「おや? ラ・ロシェールには初めて来たのかい?」

「まぁね、ここに来ていろんな物を見てきて、その度に驚いていたよ。もう驚くまいと思ってはいたけど、いやはや……」

 

 エツィオは港の様子を思い出し、笑いながら肩を竦める。

てっぺんが見えぬほど巨大な樹が、四方八方の空に枝を伸ばし、空に浮く船がその先にぶら下がっていたのだ。

 

「しかし、空飛ぶ船か、てことは、まさかアルビオンは空の上にあるって言うんじゃないだろうな?」

「何言ってるの? 空の上よ」

「えぇっ! 嘘だろ!」

「しっ! 声大きいよ!」

 

 冗談交じりに言ったつもりだったが、マチルダが真面目な顔で答えたため、エツィオは思わずいささか大仰に驚いてしまう。

マチルダに逆に注意され、決まりが悪くなったエツィオは気まずそうに苦笑する。

 

「あぁ、この分じゃ、イタリアに帰る頃には、もう何が出てきても驚けなくなりそうだ」

「全く、今までどんな田舎に住んでたんだい、あんたは……」

「生憎魔法すらなくってね、不便な物だよ」

 

 呆れたように呟くマチルダをみて、エツィオは気を取り直すようにひとつ咳払いすると、真面目な表情を作る。

 

「さて、それはともかく、大体わかった、助かったよ、マチルダ」

「お役に立てて何よりだよ、で、あんたはどうするんだい?」

「夜まで身を隠す、仮面の男に、出来るだけ俺の存在を気取られないようにしなきゃ……何、君の暴れっぷりを見物させてもらうとするさ」

「呑気なもんだね、あんたの可愛いご主人様が襲われるんだよ? 心配じゃないのかい?

それに、こちらもまだ完全に連中の信用を得たわけじゃないんだ、目を引く程度には暴れるよ」

「ルイズは心配ないさ、それに、君を信じているからな。……わかってると思うけど、友達は殺さないでくれよ?」

「わかってるよ、あんたに殺されたくはないからね。……今日の一件でよくわかったよ、あんたを敵に回したら気の休まる瞬間なんてなさそうだしね」

 

 マチルダは小さく笑うと、もぞもぞと体を動かしエツィオに向き直る。

 

「それじゃ、私はそろそろ行くよ、傭兵どもと合流しなきゃ」

「わかった……、これを、情報料だ」

 

 エツィオは懐から小さな袋を取り出すとマチルダに手渡す、果たしてそれは傭兵達の持っていた金貨のたっぷり詰まった袋であった。

それに気付いたマチルダは呆れたように呟く。

 

「いいのかい? ってこれ、私が傭兵どもに渡した金貨じゃないか」

「そういうことさ、君が使うといい、彼らには用のないものさ」

「ま……そういうことなら、ありがたくもらっとくよ、それじゃ、気をつけて」

「あぁ、君もな」

 

 エツィオはマチルダとキスをし、優しくほほ笑む。

マチルダは、年下のくせして……と、顔を少し赤くしながら呟くと、エツィオの腕から離れ、干し草の外へと出る。

そして乱れた着衣を直し、ついた干し草を叩き落すと、何事もなかったかのように、裏通りの奥へと消えて行った。



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memory-15 「暗夜の礫」

「エツィオがいない?」

 

 その日の夜……。

二階の部屋でくつろいでいたワルドが驚いたように言った。

 

「さっきからずっと探してるんだけど……、何か知らないかと思って……」

 

 困ったように首を傾げるのはルイズである、

夜になってから、エツィオを探していたのだが、部屋を訪ねても誰もいない。

階下で酒を飲んでいたギーシュ達に訊ねても心辺りがないと言う、そのためワルドにも聞きに来ていたのであった。

 

「いや、知らないな、部屋にもいないのか?」

「うん……話があったんだけど……」

「困ったな、何をやってるんだ、こんな時に……」

 

 ワルドは少々憮然とした表情で腕を組む。

 

「……もしかして」

「ん?」

 

 ルイズははっとした表情になると、ワルドを見つめる。

 

「もしかして、あいつ、ワルドに負けたことがショックで逃げ出したんじゃ……」

「ははっ……まさかそんな……」

「部屋に行った時、あいつの荷物もなかったの、あいつ……あれで結構プライド高いところがあるから……、

やっぱりあの時わたしが声をかけていれば……、ねぇ、どうしよう、ワルド」

 

 それを聞いたワルドは苦笑いを浮かべる。やがて優しくほほ笑むと、肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫、心配いらないよ、一人になりたい時もあるものさ、きっと街を散策しているのだろう。

それに、もし彼が逃げ出したんだとしても、君には僕がついているじゃないか」

「それは……」

 

 ルイズはそこまで言うと、言葉を詰まらせる。

確かに自分にはワルドがいる、でもエツィオがいないことがこんなにも不安になるなんて考えたこともなかった。

ルイズは俯き、しばらく考える、やがて決心したかのように頷いた。

使い魔を放っておくなんてできない、どんなにバカでも、あいつはわたしの使い魔なのだ。

 

「ワルド、やっぱりわたし、エツィオを探してくる! まだ街の中にいるかもしれない!」

「待つんだ! ルイズ! ……むっ!」

 

 部屋の外へと向け駆けだしたルイズを引きとめようとワルドが叫んだその時だった。

部屋に差しこんでいた月明かりが、巨大ななにかによって遮られ、不意に部屋の中が暗くなる。

驚いたようにワルドとルイズが窓の外へと視線を送った。

月明かりをバックに、巨大な影の輪郭が動いた。目を凝らしてよく見ると、その巨大な影は、岩でできたゴーレムだった。

こんな巨大なゴーレムを動かせるのは……。

巨大ゴーレムの肩に、誰かが座っている。その人物は長い髪を、風にたなびかせていた。

 

「フーケ!」

 

 ルイズが怒鳴った。肩に座った人物がうれしそうな声で言った。

 

「感激だわ、覚えていてくれたのね」

「どうしてここに……! 牢屋に入っていたんじゃないの!」

 

 ルイズは杖を握り締めながら言った。

 

「脱獄したのよ、割と簡単に抜け出せたわ」 

 

 フーケはそういうと、小さく笑う。まさか脱獄の手引きをしたのは自分の使い魔だとは、この子は夢にも思わないだろう。

 

「そんなわけで、私は今や貴族派の一味、ってワケ」

 

 フーケは嘯いた。暗くてよく見えないが、フーケの隣に黒マントを着た貴族が立っている。

あの男がフーケの脱獄を手引きしたのだろうか? その貴族は喋るのをフーケに任せ、ずっとだんまりを決め込んでいる。

白い仮面を被っているので顔はわからなかったが、どうやら男であるようだった。

 

「ここまで言えばわかるでしょ? あんたらの邪魔をしに来たって」

「くっ! 引くぞ! ルイズ!」

 

 フーケの目がつり上がる、巨大ゴーレムの拳がうなり、ベランダの手すりを粉々に破壊した、

その瞬間、ワルドがルイズの手を掴み、駆け出した。部屋を抜け、一階へと階段を駆け下りた。

 

 下りた先の一階も修羅場だった。

いきなり玄関から現われた傭兵の一団が、一階の酒場で飲んでいたキュルケ達を襲ったらしい。

ギーシュ、キュルケ、タバサの三人が魔法で応戦しているが、多勢に無勢、どうやらラ・ロシェール中の傭兵達が束になってかかって来ているらしく

手に負えないようであった。

 キュルケ達は、床と一体化したテーブルの足を折り、それを盾にして、傭兵達に応戦していた。

歴戦の傭兵達はメイジとの戦いに慣れているらしく、まず緒戦でキュルケ達の魔法の射程を見極め、その射程外から矢を射かけてきた。

暗闇を背にした傭兵達に、地の利があり、屋内の一行は分が悪い。

魔法を唱えようと立ち上がろうものなら、矢が雨のように飛んでくる。

 

 ワルドとルイズはテーブルを盾にしたキュルケ達の下に、姿勢を低くして駆けより、フーケがいることを伝えた。

しかし、巨大ゴーレムの足が、吹きさらしの向こうに見えていた。伝える必要はなかったようだ。

 

「参ったな」

 

 ワルドの言葉にキュルケが頷く。

 

「まさかフーケまでいるなんてね」

「脱獄か……この襲撃、背後にアルビオン貴族がいるとみて間違いないだろう」

 

 キュルケが杖をいじりながら呟いた。

 

「奴らはこちらの消耗を狙ってるわよ、精神力が切れたら突撃してくるつもりね。そしたらどうすんの?」

「ぼくのゴーレムで防いでやる」

 

 ギーシュが青ざめながら言った。

キュルケは淡々と戦力を分析して言った。

 

「ギーシュ、あんたのゴーレムじゃ、一個小隊が関の山ね、相手は手練の傭兵達よ?」

「やってみなくちゃわからない」

「あのね、ギーシュ、あたしは戦の事なら、あなたよりもちょっとばかし専門家なの」

「ぼくはグラモン元帥の息子だぞ。卑しき傭兵ごときに後れを取ってなるものか」

「ったく、トリステインの貴族は本当に口だけね。だから戦に弱いのよ」

 

 ギーシュは立ち上がって魔法を唱えようとした。ワルドがシャツの裾を引っ張り、それを制した。

 

「いいか、諸君」

 

 ワルドは低い声で言った。ルイズやキュルケ達は、黙ってワルドの次の言葉を待った。

 

「このような任務は、半数が目的地にたどり着けば成功とされる」

 

 こんな時でも本を広げていたタバサは本を閉じてワルドの方を向いた。

自分とギーシュとキュルケを杖で指して「囮」、ワルドとルイズを指して「桟橋へ」と呟いた。

 

「時間は?」ワルドがタバサに尋ねる。

「今すぐ」とタバサは呟いた。

「聞いての通りだ、ルイズ、裏口へ行こう」

「え、え? ええ!」

 

 ルイズは驚いた声を上げた。

 

「今から彼女達には囮になって敵を引きつけてもらう、その隙に僕らは裏口から桟橋に向かう、以上だ」

「で……でも……エツィオが! エツィオがまだ戻ってきてないわ! それに……」

「彼を待っている余裕などない、置いていこう」

「でもっ……!」

「でもじゃない、君には君の成すべき任務があるのを忘れたのか? 僕を困らせないでくれ」

 

 ワルドはルイズを見つめ、ぴしゃりと言った。

ルイズは困ったようにキュルケ達を見た。

キュルケが魅力的な赤髪をかき上げ、つまらなそうに言った。

 

「ま、仕方ないわよ、あたしたちあんたがなにしにアルビオンに行くのかしらないし……」

 

 ギーシュは薔薇の造花を確かめ始めた。

 

「ううむ、ここで死ぬのかな? もし死んだら姫殿下やモンモランシーに会えなくなってしまうな」

 

 ルイズ達に向かってタバサが頷く。

 

「行って、彼は必ず来る」

「エツィオが?」

 

 タバサはこくりと頷く。

 

「行って」

「ほら、さっさと行きなさいな、エツィオなら心配ないわよ、多分裏で何か企んでるのよ、きっと」

「わ、わかったわ……」

 

 迷っていたルイズは、やがて決心したかのようにキュルケ達にぺこりと頭を下げた。

 ルイズとワルドは低い姿勢で、歩き出した。矢がひゅんひゅんと飛んできたが、タバサが杖を振り、風の防護壁を張ってくれた。

 

 酒場から厨房に出て、ルイズ達が通用口に辿りつくと、酒場の方から派手な爆発音が聞こえてきた。

 

「……始まったみたいね」

 

 ルイズが言った。

ワルドはぴたりとドアに身を寄せ、向こうの様子を探った。

 

「誰もいないようだ」

 

 ドアを開け、二人は夜のラ・ロシェールの街へと躍り出た。

 

「桟橋はこっちだ」

 

 ワルドがルイズを導く、月が照らす中、二人の影法師が、遠く、低く伸びた。

 

 

 巨大ゴーレムの肩の上、マチルダはぼんやりと傭兵達の動きを見ていた。

今しがた、突撃を命じた一隊が、宿の中から噴き出してきた炎にまかれて大騒ぎになっている。

どうやら『女神の杵』亭に残った連中が、厨房の油か何かを用いて傭兵達を火だるまにしたらしい。

 

「あらら、情けない連中だね、戦場から真っ先に逃げてきた連中はこれだからダメね」

「あの程度の連中でもかまわぬ、この奇襲は戦力を分散させる事が目的だ」

「あっそ、で? あんたは目的を果たせそうかい?」

 

 仮面の男は答えず、耳を澄ます様に立ち上がると、マチルダに告げた。

 

「……ああ、俺はラ・ヴァリエールの娘を追う」

「わたしはどうすんのよ? ここで傍観してればいいの?」

「好きにしろ、足止めさえできれば、残った連中はどうしようとかまわん。……合流は例の酒場で」

 

 男はひらりとゴーレムの肩から飛び降りると、暗闇に消える。

まさに闇夜に吹く、夜風のように柔らかく、それでいてひやっとする動きであった。

 

「ま、せいぜい背中に気をつけるんだね……って、もう遅いか」

 

 男がいた暗闇を見つめながら、マチルダは小さく呟く。

それから『女神の杵』亭の入口をため息交じりに見つめた。

 

「さて、それじゃ、適当に相手して、さっさととんずらするかね」

 

 

 

「動いたな……よし、やろう」

 

 ゴーレムの肩から仮面の男が飛び降りるのを見て、物陰に潜んでいたエツィオが追跡を開始する。

男に気取られぬよう、月光の下、屋根の上を風と共に走り抜ける。

その高低差を物ともせず男との距離を詰めるエツィオであったが、ふと妙な事に気がついた。

 

「なんだ、あいつ……? ゴーレム……? じゃないな」

「どうした? 相棒」

 

 なにやら呟いたエツィオに背中のデルフリンガーが声をかける。

うまく説明できないのか、エツィオは小さく首を傾げる。

 

「いや……わからない……、でも、あいつ、なんか変なんだ、体の周りをなにかが覆っているように見える……」

「何言ってるんだ? どうみたってゴーレムにゃみえないぜ? 考えすぎだろう」

「だといいけど……」

 

 釈然としないものを感じつつも、エツィオは追跡しながら、仮面の男を注意深く観察した。

背格好はワルド子爵と同じくらい、翻るマントの下から腰に差した黒塗りの杖が見える、情報通りのメイジであるようだ。

しなやかな身のこなしで、風のように素早く街の中を駆け抜ける仮面の男をみて、エツィオは一目で手ごわい相手だと悟った。

少なくとも、生け捕りにさせてもらえるほど、甘い相手ではないことは確かである。

 

「一人か、よほど腕に自信があるのか……参ったな……結構な実力者みたいだぞ」

「情けねぇ、怖気づいたのか?」

 

 相手の実力を察し、小さく呟いたエツィオに、背中のデルフリンガーが茶々を入れる。

エツィオはニヤリと口元に笑みを浮かべると、とある建物の屋根の上で立ち止まった。

下を覗き込むと向かいの建物の間に階段が伸びている。その階段を仮面の男が駆けこみ、上へ上へと登って行く。

その様子を見て、エツィオはおどけたように両手を上に向け、肩を竦めた。

 

「ああ、怖いな、だから彼にはここで……」

 

 エツィオの顔から笑みが消え、左手のアサシンブレードが飛びだし、ルーンが光る。

男を見つめていたエツィオの目が鷹のように鋭く、冷たくなった。

 

「――消えてもらおうか」

 

 遂に訪れた、必殺の機会。

屋根の上、壁から突き出た看板の梁を足場に、男の頭上目がけ、大鷲が獲物を捕らえるかの如く飛びかかる。

不意に頭上に影が差し、仮面の男がエツィオの存在に気がつく事が出来たのは、首元を深く抉られ、地面に叩きつけられる、その瞬間であった。

 

 

「なにっ……!」

 

 驚きのあまり、エツィオは始末した仮面の男を……いや、仮面の男が倒れていた場所をじっと見つめていた。

 

「消えた……」

「おでれーた、ほんとに消えちまいやがった」

 

 何がなんだかわからないと言った様子で、エツィオが呟く。

仮面のメイジの男は、エツィオが倒したその瞬間に、幻のように姿がかき消えてしまったのだ。

 

「幻だったっていうのか? でも確かに手ごたえはあった、なんなんだ一体……」

 

 確かに殺したはず、エツィオはその手に残る感触を確かめるように左手のアサシンブレードを見つめた。

アサシンブレードは血の一滴すらもついておらず、月の光を浴び、一点の曇りなく光を放っていた。

 

「ああ、こりゃ遍在だな」

「遍在?」

 

 デルフリンガーがそう答えると、エツィオは首を傾げる。

 

「あぁ、有体に言えば、実体を持った幻みたいなものさ、風の魔法の一つだな」

「実体をもった幻だって? なるほど……感じた違和感はそれか……くそっ」

 

 デルフリンガーの説明に、エツィオは納得したように頷き、周囲を警戒する。

あれが幻なら、他にいても不思議ではない。すぐにその場を離れ、再び屋根の上へと登り辺りを見回した。

 

「どうだ? 他にいそうか?」

「いや、追手はあいつだけみたいだ。……全く、つくづく魔法ってものは恐ろしいな、ローマが弾圧に動くはずだよ」

 

 気配と視線がない事を確認したエツィオは、大きくため息をつくと、呆れたように呟く。

そして、港のある巨大な樹を見上げる。あの男が追っていたと言うことは……手紙を持ったルイズが追い立てられていた可能性が非常に高い。

 

「明日まで船は出ないって言ってたな……港は行き止まりだ。挟み撃ちも考えられる、桟橋に急ごう」

 

 小さく呟き、エツィオはすぐさま桟橋のある樹の根元に駆け寄り、そこに大きく空いた桟橋へと続くホールを覗いて、上を見上げた。

どうやら間にあったらしい、アルビオン、スカボロー行きの船のある枝に続く階段を登り始める、ルイズとワルドの姿が見えた。どうやらまだ敵には襲われていないようだ。

エツィオは少し安心したように、ほっと溜息を吐くと、何を考えたのかそのままホールには入らず、樹の外側へと歩き出す。

 

「ちょっと高いが……ま、なんとかなるかな」

 

 はるか上空に伸びる大樹の幹を見上げ、小さく呟くと、スカボロー行きの桟橋に向け、大樹の幹をよじ登り始める、

腰のナイフを引き抜き、ルーンの力を引き出しながら、熟練の軽業師のように軽やかに、そして素早く大樹を登って行く。

 

「なぁ相棒」

「ん?」

 

 そんな風にして、大樹の幹をよじ登っていると、背中のデルフリンガーが訊ねてきた。

 

「なんで幹なんざのぼってるんだね? 階段使えばいいじゃねぇか、さっき合流できただろ?」

「わかってないな、先回りしてルイズをお迎えするために決まってるだろ? そうしないと格好がつかないじゃないか」

「なんだよ、カッコつけるのにここまでするのか? 呆れたぜ……」

 

 エツィオが当然のように答えると、デルフリンガーは心底呆れたように呟く。

するとエツィオは小さく笑みを浮かべると、急に真面目な顔になった。

 

「なに、半分は冗談さ、目的は先行だ、あの階段にルイズの足、どんなに急いでたって、登り切るには時間がかかる。

追手は消したが、桟橋に先回りしている奴もいるかもしれない、だから俺が先回りして偵察、偏在がいればそいつを消す、そんなところさ」

「……へぇ、一応考えてるってワケか」

「相手の出方を待つ必要はない、先を読み、相手の裏をかけ……昔、父上がそう教えてくれたんだ」

 

 今は亡き父を思い出し、少し誇らしげに、そして少し悲しそうに、エツィオが呟いた。

 ヴェネツィア、サン・マルコのカンパニーレよりも遥かに高い大樹を、あっという間に登りつめたエツィオは、

すぐに目的地である、スカボロー港行きの枝へと視線を落とす。周囲を見渡すと、枝に沿って、一艘の船が停泊していた。

その船には、明日の出発に備えてだろう、甲板で船員達が寝込んでおり、桟橋は静寂に包まれている。

 

「船員以外は誰もいない……遍在とやらの姿もないな」

「……すげぇな相棒、なんでわかるんだ?」

 

 エツィオは小さく呟くと、周囲を警戒しながら、桟橋となっている枝の上へと降り立つ。

すぐに階段へと駆け寄り、中を覗き込んだ、上からホールを見下ろす。

遥か下の階段を、上へ上へと登る二つの人影が見えた、どうやらあれがルイズとワルドのようだ。

そしてその上の階段を下へと歩く、もう一つの影……。

 

「おっとっ!」

「どうしたよ、相棒」

「遍在だ、やはり挟み撃ちが狙いか」

 

 その姿を確認したエツィオは手すりの影に身を顰め、様子を伺う。

先ほど消した白仮面の偏在が、ルイズとワルドに向け、ゆっくりと歩を進めている。

幸いホールの中は足場を照らす程度の僅かな灯りのみであり、薄暗く視界が悪い。

まだ男とルイズ達との間には距離がある、消すなら今だ。

 

 エツィオは手すりの上に足をかけると、懐から一枚フローリン金貨を取り出し、仮面の男の背後に向け放り投げる。

チリンッと音を立てながら金貨が跳ねた、その音を聞いた仮面の男は、すぐさま杖を引き抜き、背後を振りかえった。

呪文の詠唱しつつ音が聞こえた方向に向け杖を構え、臨戦態勢に入る。

先ほどの襲撃が頭に刷り込まれているのであろう、男は闇の中、音が聞こえた方向に全神経を集中し、見えぬ襲撃者の影を警戒していた。

その時であった、今度は背後から、ぎしり……と、階段がきしむ音と共に、不意に冷たい風が吹く。

迫りくる気配に気がついた男が呪文を放とうと、即座に振り返る。

その瞬間、急に勢いよく首元を叩かれた。何が起こった? よろけながら目の前の襲撃者に杖を振ろうと試みた。だが腕が動かない。

それどころか、全身から力が抜け、声すら出ないことに気がついた。

目の前には、ここにはいるはずのないヴァリエールの使い魔の男が左手をこちらに向かって真っすぐ伸ばし、フードの下の口元に薄く笑みを浮かべている。

なぜ奴がここにいる? 一体何をされた? 思考を巡らせるも、今度は急速に意識が遠のき、目の前が真っ暗になった。

まさか、奴に殺されたのか? 二度も? そう理解した瞬間、偏在の身体はまるで糸が切れた操り人形のように崩れ落ち、消滅した。

 

「おでれーた、喉を一突き、見事なもんだ」

「よせよ、褒められたことじゃないさ」

 

 暗殺の一部始終を見ていたデルフリンガーが感心したように呟いた。

エツィオは表情一つ変えずに言うと、アサシンブレードを納め、小さく息を吐いた。

 

「しかし、早く元を絶たないとならないな……だけど、顔が検められないんじゃな……」

 

 呟きながら身をかがめ、先ほど放り投げた金貨を拾い上げようとしたその時、不意に背後から強い殺気を感じたエツィオは、跳ねるように振り向く。

立ち上がる際にブーツの鞘から短剣を引き出し構える、だが、杖を構える人物を見て、エツィオはすぐに構えを解いた。

 

「ルイズ! 下がれ!」

「子爵殿! 私です! ……どうか杖をお納めに」

 

 ルイズをかばう様に立ち、エツィオに杖を突きつけていたのは、他ならぬワルド子爵その人であった。

エツィオはすぐに両手を広げ、敵ではないことを示す、それを見たワルドもやや驚いたように杖を納めた。

 

「君は……なぜそこに?」

「エツィオ!」

 

 ワルドが首を傾げると、彼の影に隠れていたルイズが飛び出してきた。

 

「やぁ、ルイズ、遅かったじゃないか、心配したんだぞ」

「エツィオ! あんた今までどこにっ……! っていうかなんでここにいるのよ!」

「君こそ、子爵殿と二人で抜け駆けか? 俺を置いていこうったってそうはいかないな」

「ふ、ふざけないで! 真面目に答えなさいよ! こっちは心配してたのよ!」

 

 からかうように様に答えるエツィオに、ルイズは足を踏みならして怒りをあらわにする。

そんなルイズの前にワルドが進み出ると、まるでエツィオから遠ざけるように自分の背後へと押しやり、首を傾げた。

 

「使い魔君、君は港にいたと言っていたが……敵はいなかったかね?」

「敵ですか? さて、一体何のことやら?」

 

 エツィオは何の事だかさっぱりだと言わんばかりに肩を竦め、しれっと答える。

それを聞いたワルドは顔をしかめ、険しい表情でエツィオを睨みつけた。

そのワルドの無言の圧力に対し、エツィオは小さく首を傾げる。

無論、彼らが襲撃を受けたことは知っている、その場に居合わせず、単独行動をとっていたことを責められているのだろうか?

いや、それにしては、何かが違う、鋭い視線に混じる僅かな違和感、それは叱責ではなく、敵意に近い。

咎められるのは当然とはいえ、なぜ敵意まで向けられなければならないのか? 

エツィオは疑問に感じつつもワルドにあえて訊ねてみた。

 

「何かあったので?」

「先ほど、敵の襲撃を受けてね、予定変更だ、僕たちはこのままアルビオンへ向かう」

「なるほど、その場に居合わせることができず、ご心配をおかけして申し訳ない……しかし明日まで船は出ないのでは?」

「それについては後で説明する、話は以上だ、急ぎ桟橋へ向かうぞ。……行こう、ルイズ、僕から離れるな」

 

 ワルドはそう言うと、再び階段を駆け上り始めた。

ルイズはエツィオに何か言おうとしていたが、階段を登り始めたワルドを見て、すぐにその後を追い、エツィオもそれに続いた。

その時である。自分の前を進んでいるワルドに、不意にエツィオが声をかけた。

 

「子爵殿」

「むっ、何かな?」

 

 声をかけられ、ワルドが小さく振り返る。エツィオは怪訝な顔で首を傾げる。

 

「何故呪文を放ったのですか? 敵はいないようですが」

「っ……! なぜ呪文を放ったと?」

「呪文?」

 

 エツィオのその言葉にワルドは思わず立ち止り驚いたように振り向いた。

ルイズも驚いたように立ち止まる、どうやら彼女はワルドが詠唱し呪文を放っていたことに気がついていなかったらしい。

 

「えぇ、うまく説明はできないのですが、見えるのです。詠唱している時、それを放とうとしている時が、その……何となくですが」

「驚いたな……だからあの時、エア・ハンマーを……」

 

 エツィオが説明すると、昼間の決闘の際、エア・ハンマーを逸らされそうになった理由が分かったのか、ワルドは得心したように唸った。

 

「……念のため、上に小さな風を送ったんだ、索敵の様なものさ」

「なるほど、引きとめてしまったようで申し訳ない」

「もういいかな? では急ごう、桟橋まですぐだ」

 

 エツィオが頭を下げると、小さく笑みを浮かべたワルドは再び階段を登り始める。

そして、誰にも見えぬところで、険しい表情でギリと唇を噛むと、小さく杖を振り、呪文をかき消した。

 

 

 桟橋に辿りついた一行は、すぐさま停泊していた一隻の船に乗り込んだ。

ワルド達が船上に現れると、甲板で寝込んでいた船員が起き上がった。

 

「な、なんでぇ? おめえら!」

「船長はいるか?」

「寝てるぜ。用があるなら、明日の朝、改めて来るんだな」

 

 男はラム酒の壜をラッパ飲みにしながら、酔いで濁った眼で答えた。

ワルドは答えずに杖をすらりと引き抜いた。

 

「貴族に二度同じことを言わせる気か? 僕は船長を呼べと言ったんだ」

「き、貴族!」

 

 船員は驚いて立ち上がり、船長室へすっ飛んでいった。

しばらくすると、寝ぼけ眼の初老の男を連れて戻ってきた、帽子を被ったその男こそがこの船の船長のようだった。

 

「何の御用ですかな?」

 

 船長は胡散臭げにワルド達を見た。

 

「女王陛下の魔法衛士隊隊長、ワルド子爵だ」

 

 船長の目が丸くなる。相手が身分の高い貴族と知り、急に言葉遣いが丁寧になる。

 

「こ、これはこれは、して、当船にどのような御用向きで……」

「アルビオンに今すぐ出向してもらいたい」

「無茶を!」

「勅命だ、王室に逆らうのか?」

「あなた方がアルビオンに何をしに行くのかは存じませんが、朝にならないと出航できませんよ!」

「なぜだ」

「アルビオンがここ、ラ・ロシェールに近づくのは朝です! その前に出航しては風石が足りませんや!

当船はアルビオンへの最短距離分しかありません、それ以上積んだら足が出ちまいます。

従って、今は出航できんのです、途中で地面に落ちちまいます」

「風石が足りぬ分は、僕が補う。僕は『風』のスクウェアだ」

 

 船長と船員は顔を見合わせる、それから船長がワルドの方を向いた。

 

「ならば結構で。料金ははずんでもらいますよ」

「積荷はなんだ?」

「硫黄で。アルビオンでは今や黄金と同等の値段がつきますので、

新しい秩序を建設なさっている貴族のかたがたは、高値をつけてくださいますから。

秩序の建設には火薬と火の秘薬は必需品ですのでね」

「その運賃と同額を出す」

 

 船長はこずるそうな笑みを浮かべて頷いた、商談が成立したので、船長は矢継ぎ早に命令をくだした。

 

「出港だ! もやいを放て! 帆を打て!」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも船員達は訓練された動きで命令に従い、手際よく出向の準備をする。

枝から船をつり下げるロープをはずした瞬間、船は一瞬空中に沈んだが、発動した『風石』の力で宙に浮かんだ。

帆と羽が風を受け、ぶわっと張りつめ、船が動き出す。

 

「おわっ!?」

 

 初めての感覚に、エツィオが思わず声を上げる。

舷側に駆け寄り、地面を見た。『桟橋』……、大樹の枝の間から見える、ラ・ロシェールの灯りが、ぐんぐん遠くなっていく。

結構なスピードのようだ。

 

「すごいな! 船が宙に浮いた! 飛んでるぞ!」

「え、エツィオ、恥ずかしいわ、そんなにはしゃがないでよ」

 

 子供のように目を輝かせてはしゃぐエツィオをルイズが近寄り窘める。

だがエツィオはお構いなしにルイズの肩を持って引き寄せると、楽しそうに地面を指さした。

 

「ルイズ! 見ろよ! 地面があんなに小さく! ははっ!」

「ちょ、ちょっと! 離しなさいよ! もうっ! 変な所で子供っぽいんだからっ……!」

 

 エツィオの腕の中でルイズが恥ずかしそうにじたばたと暴れる。

そんな彼女に気がついたのか、エツィオは意地悪な笑みを浮かべ、ぱっと手を離した。

 

「おっと済まない、君は新婚だったな」

「ま、まだ違うわよ!」

 

 ルイズが顔を真っ赤にして反論する、エツィオは小さく笑うと、舷側に腰かけ、頭上に輝く巨大な月を見上げる。

瞬く星の海の中、赤い月が白い月の後ろに隠れ、一つだけになった月が青白く輝いている。

その月を見上げ、エツィオは呟いた。

 

「……月が、綺麗だな」

「……そうね」

「こうして見ると、フィレンツェを思い出すよ……」

 

 故郷を思い出しているのか、どことなく哀愁を感じさせるエツィオの表情に、ルイズは思わず惹きこまれる。

そんな自分に気がついたのか、ルイズはブンブンと頭を振り、呟く。

 

「わ、悪いとは……思ってるわ」

「おいおい、本当か? だったらもっと扱いを良くしてくれよ、例えばそうだな……君のベッドで寝かせてくれたりとかさ」

「ばっ! バカ言ってんじゃないわよ! こ、このエロ犬!」

「ははっ! 冗談さ。第一、もうそれは無理だろう? 君は結婚するのだから」

「っ……!」

 

 エツィオに言われ、ルイズは息をのむ。

何故だろう、エツィオのその言葉が、胸に突き刺さった。

 

「うーむ、しかしどうしようか、君が結婚したら……俺はお役御免かな?」

「バカ言わないで、……その時は、ちゃんと面倒見るわよ」

「おい、面倒見るだけじゃダメだぞ? ちゃんと俺をイタリアに戻してくれないと」

「わ、わかってるわよ! この任務が終わったら、ちゃんと探してあげるわよ」

 

 明るく笑うエツィオを見て、ルイズは俯いた。

この馬鹿は、どうしてこんな顔をするのだろうか、どうしてこんなに明るく振舞ってくるのか?

まるで婚約そのものを祝福するかのようなエツィオの笑顔を見て、ルイズの胸はなぜかキリキリと痛んだ。

ルイズは目を瞑ると、気を取り直すように言った。

 

「と、とにかく、ハルケギニアにいる間は、あんたはわたしの使い魔なんだから、

わたしが結婚しようがなにしようが、わたしを守ってもらうわよ。あと洗濯、その他雑用」

「はいはい……君はよほど俺を逃がしたくないみたいだな。この分だと無事にフィレンツェに帰れるか不安になってくるよ」

 

 ルイズは頬を赤く染め、口元をへの字に曲げ再び俯いた。

ルイズはしばらく黙っていたが、やがて決心したように、口を開いた。

 

「ねぇ、その……あんたがフィレンツェでやらなきゃならないことって、そんなに大事な事なの?」

「なんだよ、そんな事聞くなんて、そんなに俺を引きとめたいのか?」

「真面目に答えなさい」

「参ったな、きみ、もしかして俺に惚れたのか? だったらもうちょっと素直に――」

「からかわないで! 真面目に答えてよ! あんたは一体何者なの! フィレンツェでなにをしなくちゃいけないの?」

「おぉ怖い……悪かったよ」

 

 ルイズの剣幕にエツィオはおどけるように肩を竦める。

やがて、エツィオの表情から笑みが消え、俯いた、フードの中に深い闇が差し込んだ。

 

「……復讐だよ」

「復讐?」

 

 ややあって、エツィオが絞り出す様に呟いた。

 

「いや……これはもはや宿命だ、それが生き残った俺に課せられた義務だからだ。俺は、必ず暴かなきゃならない、"奴ら"が何を企んでいるのかを」

 

 エツィオは俯いたまま、そこで言葉を切った。拳を握りしめ、まるで呻くように呟く。

 

「何のために……一体何のために、父上達は処刑されなければならなかったんだ……。

俺は奴らを許さない……一人残らず地獄に送ってやる……」

「エツィオ……?」

 

 エツィオの口から出てきた処刑という二文字。静かな、だが底知れぬ殺意と怒り、

ルイズが凍りつく、本当に触れてよかったのか? そんな不安がルイズの胸の中に広がった。

 

「……俺が何者なのかは……すまない、それはまだ言えない」

「なんで……ダメなの?」

 

 悲しそうに呟いたエツィオにルイズは恐る恐る尋ねた。

すると、エツィオはニヤリと笑い、ウィンクして言った。

 

「……なんてな! こう言っておいた方がカッコいいだろ? ミステリアスでさ」

「も、もうっ! あんた本当いい加減に! もしかして今の全部嘘なのっ!」

「さあ、どうだろうな? 別に信じなくたっていいさ、俺は君の忠実な使い魔だ、それでいいだろう?」 

「あんたね! 人の事バカにするのもいい加減にしなさいよ!」

 

 エツィオが優しくほほ笑むと、今までつっかかっていたルイズも自然と笑みがこぼれる。

そんな二人の元へ、ワルドが寄ってきた。

 

「船長の話では、ニューカッスル付近に構えた王軍は、攻囲されて苦戦中だそうだ」

 

 ルイズがはっとした表情になった

 

「ウェールズ皇太子は?」

「わからん。生きてはいるようだが」

「どうせ、港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう?」

「そうだね」

「どうやって、王党派と連絡を取ればいいのかしら?」

「陣中突破しかあるまいな。スカボローから、ニューカッスルまでは馬で一日だ」

「反乱軍の間をすり抜けて?」

「それしかないだろうな、まあ、反乱軍も公然とトリステインの貴族に手出しはできんだろう。

隙を見て包囲線を突破し、ニューカッスルの陣へ向かう、ただ、夜の闇には気をつけなければならないが……」

 

 ルイズは緊張した面持ちで頷き、そして訊ねる。

 

「そういえば、ワルド、あなたのグリフォンはどうしたの?」

 

 ワルドは微笑んで口笛を吹く。下からグリフォンの羽音が聞こえてきた。そのまま甲板に着陸し船員達を驚かせた。

 

「子爵殿、あのグリフォンでアルビオンへの先行は出来ないのですか?」エツィオが訊ねる。

「竜じゃないんだから、そんなに長い距離は飛べないわ」ルイズが答えた。

 

「さて、スカボローへの到着は明日の昼すぎだ、今のうちに休んでおくといい、僕はもう少し船長に話を聞いてくる」

「わかりました、では先に休ませていただきます」

 

 エツィオは船室に向かうワルドに一礼すると、舷側に座り込み目を閉じる。

ワルドは船室に向かうふりをしながら、ちらと後ろ目にエツィオを見た。

 

――この男は一体、何者だ?

ワルドは内心、エツィオの実力を測りかねていた。手合わせをして、勝利した時は、ルイズの言うとおり力任せの技で戦う、ただの平民出の傭兵だという印象だった。

確かに、あのスピードに、常人離れした腕力は脅威だ、呪文の詠唱を見破るという特殊能力も想定外ではあったが、

所詮は魔法を使えない平民、スクウェアクラスメイジである自分に敵うはずもない。

第一、手合わせでは殺傷力が高い呪文すら封印して勝利したのだ。呪文の詠唱を見破れるとは言え、それで何ができると言うのであろう。

だが、この男こそ、最も警戒すべき相手であると、本能がそう告げている。

手合わせの際、不意を打たれ彼に打突をもらっていたが、もし彼が、その手に短剣を握っていたら? あの剣で胴をそのまま薙いでいたら?

もしこの男の前で隙を見せようものなら、即座につけ込まれ、首を掻き切られる……。現に、自分は二度も彼に『殺されて』いるのだ。

そこまで考えたワルドは、思わず首に手を添える。同時に嫌な汗が噴き出た。不意を狙い、襲い来る、『アサシン』……そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。

ワルドの胸中には、エツィオに対する慢心など、一片たりとも残されてはいなかった。



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memory-16 「空賊狂乱」

 船員達の声と眩しい光でエツィオは目を覚ました。青空がどこまでも広がっている。

舷側から下を覗き込むと、白い雲が広がっている。船は雲の上を進んでいた。

 

「アルビオンが見えたぞー!」

 

 鐘楼に立っていた見張りの船員が大声をあげる。

その声に下を流れる雲を見つめていたエツィオが顔を上げ、船の前方へと顔を向け、息をのんだ。

巨大な……まさに巨大としか言いようのない光景が目の前に広がっていた。

雲の切れ間から、黒々と大陸が覗いていた。大陸ははるか視界の続く限り延びている。

地表には山がそびえ、川が流れていた。

 

「驚いた?」

 

 いつの間にか横に来ていたルイズがエツィオに言った。

 

「はは……何と言えばいいのか……もう驚きで言葉が出ないな」

 

 エツィオは苦笑しながら呟いた。

 

「浮遊大陸アルビオン。ああやって、空中を浮遊して、主に大洋の上をさまよっているの。

でも月に何度かハルケギニアの上にやってくる。大きさはトリステインの国土くらいはあるわ。通称『白の国』」

「『白の国』?」

 

 ルイズは大陸を指さした。大河から溢れた水が空に落ち込み、白い霧となって、大陸の下半分を包んでいる。

その霧がやがて雲となり、ハルケギニアの大地に雨を降らせるのだとルイズは説明した。

 

 その時、鐘楼に上った船員が、大声をあげた。

 

「右舷上方の雲中より、船が接近してきます!」

 

 エツィオは言われた方向を見た。

なるほど、船が一隻近づいてくる。エツィオ達の乗り込んだ船より、一回りも大きい。

舷側に開いた穴からは、大砲が突き出ている。

 

 ルイズが眉を顰めた。

 

「いやだわ。反乱勢……、貴族派の軍艦かしら」

「……嫌な予感がする……ルイズ、俺から離れるな」

 

 

 後甲板でワルドと並んで操船の指揮を取っていた船長は、見張りが指した方角を見上げた。

黒くタールが塗られた船体は、まさに戦う船を思わせる。こちらにぴたりと二十数個も並んだ砲門を向けている。

 

「アルビオンの貴族派か? お前達のために荷を運んでいる船だと、教えてやれ」

 

 見張り員は指示に従い手旗を振った。しかし、何の返信もない。

副長が駆け寄ってきて、青ざめた顔で船長に告げる。

 

「あの船は旗を掲げておりません!」

「してみると、く、空賊か!」 船長の顔も、みるみる青ざめていく。

「間違いありません! 内乱の影響で、活動が活発化していると聞き及びますから……」

「逃げろ! 取り舵いっぱい!」

 

 船長は船を遠ざけようとしたが、時既に遅し。黒い船すでに並走を始め、脅しの一発を、エツィオ達の船の前方に向け放った。

ぼごん! と鈍い音がして、砲弾が雲の彼方へと消えてゆく。

黒船のマストに、するすると四色の旗色信号が登る。

 

「停船命令です、船長。」

 

 船長は苦渋の決断を迫られた。この船だって武装がないわけではない、しかし、 あの黒い船に比べたら役に立たない飾りのようなものだ。

助けを求めるように、船長は隣にたったワルドを見つめる。

 

「魔法は、この船を浮かべるために打ち止めだよ。あの船に従うんだな」

 

 ワルドは落ち着き払って言った。

船長は「これで破産だ」と呟き、停船命令を下した。

 

「裏帆を打て。停船だ」

 

 

 いきなり現れて大砲を放った黒船と、行き足を弱め、停船した自船の様子に怯えて、ルイズは思わずエツィオに寄り添った。

不安そうに、エツィオの後ろから、黒船を見つめる。

 

「空賊だ! 抵抗するな!」

 

 黒船から、メガホンを持った男が大声で怒鳴った。

 

「空賊ですって?」

 

 ルイズが驚いた声で言った。

黒船の舷側に弓やフリント・ロック銃をもった男達が並び、こちらに狙いを定めた。

鉤の付いたロープが放たれ、エツィオ達の乗った船の舷縁に引っかかる。

手に斧や曲刀等の得物を持った屈強な男達が、船の間に張られたロープを伝ってやってくる。

その数、およそ数十人。

 

「……マズいな」

 

 その様子を見つめて、エツィオが呟いた。

 

「大丈夫だ……君に手を出させはしない」

 

 不安そうに見つめるルイズに、エツィオは優しく声をかけると、再び乗り込んできた男達に視線を向ける。

得物を構える水兵に混じり、メイジの姿も散見される。そのうちの一人が呪文を放つのが見えた。

その瞬間、前甲板に繋ぎとめられ、ギャンギャン喚いていたワルドのグリフォンがばたりと甲板に倒れ、寝息を立て始める。

どうやら強制的に眠らせる呪文のようだ。

数十人の水兵達にメイジ、そしてこちらにぴたりと狙いをつけている数十門の大砲……、抵抗することはまずできないだろう。

 

「無事かね?」

「……子爵殿」

 

 エツィオが戦力を分析しているその時だった。後甲板にいたワルドが現れ、エツィオに声をかける。

 

「……状況はこちらが圧倒的に不利だ。抵抗はしない方が身のためだな」

「わかっています……ですが……」

「だが?」

「ルイズにもしものことがあれば、その限りではありません」

「エツィオ……」

 

 最悪の事態を想定したのだろう。エツィオが苦々しい表情で呟いた。

どすんと音を立て、甲板に空賊たちが降り立った。 その中から、派手な格好の一人の空賊が、一歩前に出た。

元は白かったのであろう、グリース油で汚れて真っ黒になったシャツをはだけ、そこから赤銅色に日焼けしたたくましい胸板が覗いている。

ぼさぼさの長い黒髪は、赤い布で乱暴にまとめられ、無精髭が顔中に生えている。

腰布に曲刀と小型のフリントロック銃を差し、ご丁寧にも左目に眼帯を巻いていた、いかにもといった風体のこの男が、空賊の頭のようであった。

 

「船長はどこでえ」

 

 荒っぽい仕草と言葉遣いで、辺りを見渡す。

 

「わたしだが」

 

 震えながら、それでも勢一杯の威厳を保とうと努力しながら、船長が手を上げた。

頭は大股で船長に近づき、顔をピタピタと抜いた曲刀で叩いた。

 

「船の名前と、積荷は何だ?」

「トリステインの『マリー・ガラント』号、積荷は硫黄だ」

 

 空賊たちの間からため息が漏れる。頭の男はにやっと笑うと、船長の帽子を取り上げ、自分が被った。

 

「船ごと全部買った。代金はてめぇらの命だ」

 

 船長が屈辱で震える。それから頭は、甲板に佇む、ルイズとワルドに気がついた。

 

「おや、貴族の客まで乗せてるのか」

 

 ルイズに近づき、顎を手で持ち上げた。

 

「こりゃあ別嬪だ、お前、おれの船で皿洗いをやらねぇか?」

 

 男達は下卑た笑い声をあげた。ルイズはその手をぴしゃりとはねつけた。

燃えるような怒りを込めて、男達を睨みつける。

 

「下がりなさい、下郎」

「驚いた! 下郎ときたもんだ!」

 

 男は大声で笑った。その時である、淡々と空賊を見つめていたエツィオが、何かに気がついたのか不意に首を傾げた。

 

「ん? お前……」

「あン? なんだ若いの」

 

 首を傾げるエツィオに頭が凄みながら近づく。

するとエツィオは小さく鼻で笑うと、腕を組んで言った。

 

「若いだって? おい、お前、俺と同じくらいだろう?」

「なっ……、何言ってやがる!」

「大体何だ? そのつけ髭とカツラは、全然似合ってないぞ、ちゃんと鏡でチェックしたのか? 地毛の金髪が覗いてるぞ」

「てっ、てめぇ! 黙りやがれ!」

「ぐぅっ! くっ……はっ……!」

 

 その言葉に激昂したのだろう、頭は怒りに顔を真っ赤にし、エツィオの鳩尾に拳を叩きこんだ。

エツィオはたまらずに身をかがめ、苦悶に表情を歪めながら跪く、それを頭が突きとばすと、エツィオは派手な音を立てて倒れ込んだ。

 

「エツィオ! ……あんた! な、なにするのよ!」

「よすんだ、ルイズ!」

 

 甲板に倒れるエツィオにルイズが駆け寄ろうとするも、ワルドに制止される。

空賊の頭はペッと唾を吐き捨てると、ルイズとワルドを指さして言った。

 

「てめぇら、こいつらも運びな、身代金がたんまりもらえるだろうぜ」

 

 

 捕らえられたエツィオ達は、船倉に閉じ込められた。

『マリー・ガラント』号の乗組員達は、自分達のものだった船の曳航を手伝わされているらしい。

エツィオは剣と短剣、その他の装備を取り上げられ、ワルドとルイズは杖を取り上げられた。

したがって、鍵をかけられただけで、もう何もできない、杖のないメイジはただの人である。ルイズはあまり関係なかったが……。

 周りには、酒樽やら穀物の詰まった袋やら、火薬樽、砲弾までもが雑然と置かれている。

ワルドは興味深そうにそれらを見て回っている。

そんな中、ルイズは、先ほど空賊に殴られたエツィオを見て、心配そうに呟いた。

 

「ねぇ大丈夫? エツィオ」

「ああ、すまないな、もう平気だよ、そこまでヤワじゃないさ」

「もう……なんであんな無茶したのよ……」

「はは……君に言われたくないな……」

 

 エツィオは苦笑しながら呟くと、苦い表情で腕を組む。

 

「なあ、ルイズ、気高いのはいいが、時と場合を選んでくれよ、

こんなことは言いたくはないが、相手はならず者達だ、辱めを受けた揚句、殺されてしまっても、文句は言えないんだぞ?」

「む……、わ、わかってるわよ……」

「本当にわかってるのか? どうにもアテにならないな……」

 

 エツィオは優しく微笑むと、ルイズの頭にぽんっと手を置いてくしゃくしゃと撫でる。

「や、やめなさいよ!」とルイズが怒ったようにその手を振り払った。

 

「ルイズ、ちょっといいか?」

「な、なに?」

 

 その時である、エツィオは突然、ルイズの右手を取り、まじまじと見つめはじめた。

困惑するルイズをよそに、エツィオは右手の薬指に光る『水のルビー』をじっとみつめ、呟いた。

 

「やっぱりな……同じだ……」

「同じ……って、姫さまの『水のルビー』じゃない、これがどうしたの?」

「ルイズ、この『水のルビー』っていうのは、どこにでもあるようなものなのか?」

「あのね、失礼なこと言わないで、この『水のルビー』はね、トリステイン王家に代々伝わる由緒ある秘宝の一つなのよ」

「なるほど……、ということは、『水』の他にあるのか? たとえば、『風』とか」

「え、えと、たしかアルビオンの王室に『風のルビー』が代々伝わっていると聞くわ」

「……その『風のルビー』というのは……これのことか?」

 

 それを聞いたエツィオは、苦い表情を浮かべると、懐から一つの指輪を取り出し、ルイズに見せた。

エツィオが取り出した指輪を見て、ルイズは目を丸くした。

 

「え? うそ……どうしてあんたが持って……っ!」

「しっ……静かに、外に聞こえる」

「どうしたんだルイズ?」

「子爵殿もこちらへ、相談したいことが」

 

 驚愕のあまり、ルイズが叫ぶ、エツィオはすぐにルイズの唇に人差し指を当て、追及を中断させる。

突然叫んだルイズの様子に気がついたのか、船倉の中を見て回っていたワルドが近づいてきた。

人差し指が唇から離れると、ルイズは小さな声で訊ねた。

 

「……っ! ど、どうしてあんたがそれを持っているの?」

「正しくは、持っていたのは奴らの頭さ、君の顎を持った時、彼の手に光るこれを見つけた」

「ふむ、どうやってそれを掠め取ったのかね?」

「突きとばされた時ですよ、まんまと引っ掛かってくれました」

 

 いたずらっぽく笑うエツィオに、ワルドとルイズは呆れたようにため息をついた。

この男、あの一瞬の隙を突き、頭の指から指輪を掠め取っていたのだ。

 

「なるほど、だからあんな挑発を……しかしよく気付かれなかったな」

「なに、逆上した人間ほど、注意力が散漫になるものです、今頃大騒ぎでしょう」

「しかし、それは本当に『風のルビー』なのか? そう思う根拠はどこにあるのかね?」

「あくまで推測です、私がこれに気がつくことができたのは、その『水のルビー』と同じに視えただけですので」

「なるほど、その眼か。……まるで君の眼は、何物も見逃さぬ"タカの眼"だな」

「"タカの眼"……ですか」

 

 呪文の詠唱に続き、ほんの些細なことすら見逃さぬエツィオに、ワルドが感心したように呟く。

 

「どうかしたのかね? おかしなことでも言ったかな?」

「いえ、そう呼び名を頂くのは初めてのことですので……ですが、気に入りました、これからはそう呼ぶことにしましょう」

 

 エツィオは、小さく笑みを浮かべた。

ワルドは腕を組むと、苦い表情で呟く。

 

「しかし、まだ確証がないとはいえ、奴らがこれを持っていると言うことは……少々雲行きが怪しくなってきたな」

「え……?」

「ともかく、今は様子を見るべきかと。幸いこちらの目的は奴らに知られていません、貴族派に引き渡されると言うことはないでしょう。

どちらにも属していない中立の立場だと言えば、少なくとも奴らは目先の利益……身代金の確保を優先するでしょう」

「だろうな」

「子爵殿は精神力の回復にお努めを、私は子爵殿の回復を待ち、杖を取り戻します」

「杖を取り返すと言うのかね? 君も武器を奪われているだろう?」

「いいえ、子爵殿、武器は奪われておりません」

 

 エツィオはそこまで言うと、左手を掲げ、小指のリングを引いた。

左手の内側から、鈍い光を放つ隠し短剣が、勢いよく飛び出し、固定される。

 

「それはっ……!」

「連中も、これには気がつかなかったようです」

「隠し短剣……そんなものを……」

 

 それを見たワルドとルイズが驚いたように見つめる。

 

「入ってきた人間を脅す位なら可能です、そいつに吐かせようと考えています」

「……なるほど」

「杖を取り返し次第、私が先行し出来る限り連中を消していきます、その後、子爵殿と共に船の制圧にかかる……。無論、ルイズを守りながらということになりますが。

戦闘員は少なく見積もっても三十人程度、さすがにこの船の中、強力な魔法を放つわけにもいかないでしょう、しかしこちらは違う、遠慮なく放てます」

「本当に成功するのかね?」

「……成功する保証はありません、しかし、状況が状況です、頭を押さえれば奴らを制圧することも可能かと」

「ふむ……君の言いたいことはわかった、……しかしな」

「待った、誰かが来る、とにかく、今は様子を見ましょう」

 

 ワルドがそう言おうとした、その時であった、扉の向こう側から誰かが近づいてくるのを感じたエツィオが、小さく手で制し、風のルビーをポケットにしまい込んだ。

ややあって、扉が開き、太った男が、スープの入った皿を持って入ってきた。

 

「飯だ」

 

 エツィオが立ち上がり、受け取ろうとしたその時、男は皿をひょいと持ち上げた。

 

「質問に答えてからだ、お前ら、アルビオンに何の用だ?」

「旅行よ」

 

 ルイズは腰に手を当てて毅然と答えた。

 

「トリステイン貴族が、いまどきのアルビオンに旅行? 一体何を見物するつもりだ?」

「そんなこと、あんた達に言う必要はないわ」

「へ、連れてかれる時は怖くて震えてたくせに、随分強がるじゃねぇか」

 

 ルイズは顔をそむけた、空賊は笑うと、皿と水の入ったコップを寄越した。

エツィオはそれを受け取り、ルイズの元へ持って行った。

 

「ほら」

「あんな連中の寄越したスープなんて飲めないわ」

 

 ルイズは機嫌を悪くしたのかそっぽを向いた

 

「食べないと、体がもたないぞ」

 

 ワルドがそう言うと、ルイズはしぶしぶと言った顔でスープの皿を手に取った。

ワルドとルイズの二人がスープを飲んでいると、エツィオは不意に扉に向かい、数回ノックする。

すると看守の男がむくりと立ち上がった。

 

「なんだ?」

「少し聞きたいことがある、今、アルビオンはどうなっている」

「そんな事聞いてどうするんだ?」

「ただの世間話さ、冷たくしないでくれよ」

「ふん、まだ戦争中さ、王党派の連中は国の端まで追い詰められている、風前の灯ってやつさ、貴族派の勝利は間違いないだろうな」

「まだやってるのか、……それで、お前達はその戦に参加したのか? みたところ貴族派に与しているようだが」

 

 エツィオが訊ねると、看守の男は笑いながら答えた。

 

「おいおい、俺達は空賊だぜ? 貴族派の皆さんのおかげで商売させてもらってるとは言え、

戦に参加するほど酔狂じゃねぇや、いわば対等な関係で協力しあっているだけさ」

「……。なるほどな、商売の調子はどうだ? なかなか儲かっているみたいじゃないか、やはり外国の商船が狙い目か?」

「あぁそうさ、なんてったって、今のアルビオンには戦争物資が大量に運び込まれてるからな、

その商船を狙って物資を頂戴すれば、俺達の懐は潤うって寸法だ。それに、今回みたく、お前らみたいな酔狂な貴族がいれば、身代金も取れるしな」

「そうか、時間を取らせて済まなかったな、暇つぶしにはなったよ」  

「へへ、お前らも運がなかったのさ」

「……かもな、おっとそうだ、もう一つあった」

 

 下卑た笑いを浮かべながら扉から離れようとする看守に、エツィオは思い出したかのように言った。

 

「お前らの頭、様子がおかしくなかったか?」

「あン? お前には関係ないだろうが」

 

 空賊の口調がドスのきいたものに変わる、エツィオは小さく鼻を鳴らすと僅かに笑みを浮かべた。

 

「それもそうだな、それじゃ頭に言伝を伝えてくれ『大事なものでもなくしたか?』ってな」

「お前……なにか知ってんのか?」

「さぁな、頭に聞いてみたらどうだ?」

「ちっ……、おい、ちょっとここを頼む、頭のところへ行ってくる」

 

 看守の男は一つ舌打ちすると、近くにいた空賊に見張りを頼み、足早に通路の奥へと消えていく。

 

「さて、どうでるかな……?」

 

 覗き窓からその様子を見ていたエツィオはドアから離れると、壁に背をついて腕を組み小さく呟いた。

しばらくの間、エツィオが事態の進展を待っていると、スープの入った皿をもったルイズが近づいてきた。

 

「ん? 好き嫌いは良くないな、まだ残ってるぞ」

「ち、違うわよ、あんたの分よ、あんた、まだ食べてないでしょ?」

 

 ルイズはそう言うと、むっとした表情で、エツィオにスープの入った皿を差し出した。

 

「なんだ、俺の分なんて気にしなくてもいいのに」

「そう言うわけにはいかないわよ、その……わたしの使い魔なんだし」

「おいおい、この間まで平気で食事抜きを宣言していた奴のセリフとは思えないな」

 

 エツィオがからかうと、ルイズは顔を真っ赤にして反論する。

 

「ち、違うわよ! 今はその……! こんな状況だし、いざとなったらあんたにも働いてもらわないとならないからでっ……!」

「そうだったな、では、ご主人様の寛大なお心に感謝を」

 

 笑みを浮かべ、ルイズから皿を受け取ろうとしたその時、扉が開いた。

先ほどの看守の男がエツィオを睨みつける。

 

「そこのフードの男、出ろ、頭がお呼びだ」

「……わかった、行こう」

 

 エツィオは、僅かに口元に笑みを浮かべ、壁から離れる。

 

「エツィオ……」

「大丈夫だよ、心配するなって」

 

 ルイズはエツィオのマントの裾を握りしめ、心配そうに見つめた。

エツィオはルイズの手を取ると、安心させるように優しく肩に手を置き微笑んだ。

 

「おい、早くしろ」

「……空気の読めない奴だな、わかったよ、それじゃ、行ってくる」

 

 せっつかれたエツィオはそれだけ言うと、空賊の男の後に続き、船倉から連れ出される。

扉がばたん、と音を立てて閉まり、船倉にはルイズとワルドだけが取り残された。

 

「エツィオ……大丈夫かな……」

 

 エツィオが連れて行かれ、途方にくれたルイズは、壁際まで歩くと、そこにしゃがみこみ、蹲った。

その様子に気がついたワルドが、近づいてきて肩を抱いて慰めてくれた。

 

「大丈夫、きっと無事だ、彼らも下手に手出しをしようとは思わないさ」

「うん……あなたがそう言うなら……きっとそうよね……」

 

 力なくルイズが呟いた。言葉ではそう言っているが、ルイズの胸中は不安で仕方がなかった。

しばらくそうしていると、再びドアが開いた。今度は痩せぎすの空賊だった。

空賊はじろりと二人をみると、楽しそうに言った。

 

「おめえらは、アルビオンの貴族かい?」

 

 ルイズ達は答えない。

 

「おいおい、だんまりじゃわからねぇよ。でもそうだったら失礼したな。俺達は貴族派の皆さんのおかげで、商売させてもらっているんだ。

王党派に味方しようとする、酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」

「じゃあ、この船はやっぱり反乱軍の軍艦なのね?」

「いやいや、俺達は雇われているわけじゃあねぇ、あくまで対等な関係で協力し合っているだけさ、で、お前達はどうなんだ?

貴族派なのか? そうだったらきちんと港まで送ってやるよ」

 

 その言葉にルイズはすっと立ち上がり、真っ向からその空賊を見据えた。

 

「誰が薄汚いアルビオンの貴族派なものですか。バカ言っちゃいけないわ、わたしは王党派への使いよ。

まだ、あんた達が勝ったわけじゃないんだから、アルビオンは王国だし、正当なる政府はアルビオンの王室ね。

わたしはトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使ね、だから、大使としての扱いをあんたらに要求するわ」

 

 真っすぐに睨みつけるルイズをみて、空賊は笑った。

 

「正直ものだな、確かに美徳だが、お前達ただじゃ済まないぞ」

「あんたたちに嘘ついて頭を下げるくらいなら、死んだ方がマシよ」

 

 ルイズは言い切った。

ワルドはほほ笑むと、ルイズの肩を叩いた。

 

「頭に報告してくる、その間に、ゆっくり考えるんだな」

「考えは変わらないわ」

 

 空賊は去っていく。

 

「いいぞルイズ、さすがは僕の花嫁だ」

 

 ワルドがそう言うと、ルイズは少し複雑な表情をして俯いた。

再び、扉が開く、先ほどの痩せぎすの空賊だった。

 

「頭がお呼びだ」

 

 

 狭い通路を通り、細い階段を上り、二人が連れて行かれた先は、立派な部屋だった。

後甲板の上に設けられたそこが、頭……、この空賊船の船長室であるらしい。

がちゃりと扉を開けると、豪華なディナーテーブルがあり、一番上座に先ほどエツィオの腹を殴りつけた派手な格好の空賊が腰かけていた。

大きな水晶のついた杖を弄っている。どうやらこの格好でメイジのようだ。

頭の周りでは、ガラの悪い空賊達がニヤニヤと笑い、入ってきたルイズ達を見つめた。

 ここまでルイズ達を連れて来た痩せぎすの空賊が、後ろからルイズをつついた。

 

「おい、頭の前だ、挨拶しろ」

 

 しかし、ルイズはきっと頭を睨むばかり、頭はニヤリと笑った。

 

「気の強い女は好きだぜ、子供でもな、さてと、名乗りな」

「大使としての扱いを要求するわ」

 

 ルイズは頭の言葉を無視して、先ほどと同じセリフを繰り返した。

 

「そうじゃなかったら、一言だってあんたらと口をきいてやるもんですか」

 

 しかし、頭はそんなルイズの言葉を無視して、言った。

 

「王党派と言ったな」

「ええ、言ったわ」

「何しに行くんだ? あいつらは明日にでも消えちまうよ」

「あんたらに言うことじゃないわ」

 

 頭は歌う様に、楽しげな声で言った。

 

「貴族派につく気はないかね? あいつらは、今メイジを欲しがっている。たっぷり礼金も弾んでくれるだろうさ」

「死んでもイヤよ」

「そうか、死んでもか……おい」

 

 頭が合図を出すと、部屋の物陰から誰かが崩れ落ちるように倒れ込んだ。

それを見たルイズは一瞬息が止まりそうになった。

もとは白かったであろうローブをボロボロにされ、ぐったりと倒れ動かないその人物は、果たして自身の使い魔であるエツィオであった。

 

「え……エツィオ! エツィオ! いや! いやぁ!」

「よせ! ルイズ!」

 

 髪を振り乱し、エツィオに向かい駆けだそうとしたルイズを後ろに控えていたワルドが止める。

ルイズはなんとかワルドを振りほどこうと半狂乱になりながらもがいた。

 

「離して! ワルド! エツィオが! エツィオが!」

「落ち着くんだ! ルイズ!」

「あんた! エツィオになにしたの! わたしのっ……! わたしの使い魔に!」

「なかなか強情な男でな、貴族派につけと散々言ったんだが、なかなか首を縦に振らなくてな、仕方ないんで痛めつけたら、動かなくなっちまったよ」

 

 頭はニヤニヤと笑うと、倒れ伏したエツィオの頭を杖の石突で小突いた。

やはりというべきか、エツィオの身体はぴくりとも動かない。

 

「やめて! それ以上エツィオに酷い事しないで!」

「ふん、いいとも、もう死んじまってるしな。さて、なんの話だったかな、おおそうだ、貴族派につかないかって話だったな」

 

 頭は楽しそうに笑うと、エツィオから視線を外し、ルイズをじろりとにらんだ。

 

「こいつみたいになりたくはないだろう? ……これが最後だ、貴族派につく気はないかね?」

「イヤよ! 絶対にイヤ! エツィオを殺したあんたたちなんかに、絶対に、絶対につくものですか!

あんたたちにつくくらいなら、ここで舌を噛み切って死んでやるわ!」

 

 ルイズは流れる涙も拭かずに、きっと頭を睨みつけ、力強い声で答えた。

頭は笑った。大声で笑った。

 

「エツィオ! 君の言うとおりだったな。トリステインの貴族は、本当に気ばかり強くてどうしようもないな」

「やれやれ、その中でも、彼女はとびきり気が強いのです。困ったご主人ですよ、殿下」

「なに、どこぞの国の恥知らずどもより、何百倍もマシというものだ」

 

 頭は床に倒れ伏すエツィオに視線を送り、わっはっはと笑いながら立ち上がった。

頭の豹変ぶりに戸惑うルイズの前で、床に倒れていたエツィオがむくりと起き上がった。

ルイズは驚きのあまり口をあんぐりと開けたまま、エツィオを見つめた。

 

「エツィオ! え……? あんたっ……! なんで!」

「やあルイズ、俺がさっき言った事、もう忘れちゃったのか? そんなんじゃ、この先命がいくつあったって足りないぞ」

「え……ど、どういうこと……? あんた、殺されちゃったんじゃ……」

「それはこちらから説明しよう」

 

 突然の出来事に呆然とするルイズとワルドに、空賊の頭はニヤリと笑った。

周りにいた空賊達が、ニヤニヤ笑いをおさめ、一斉に直立した。

 

「いや、失礼した、貴族に名乗らせるなら、まずはこちらから名乗らなくてはな」

 

 頭は縮れた黒髪を剥いだ。なんと、甲板でエツィオが指摘した通り、それはカツラであった。

眼帯を取り外し、これまた作り物だったらしい、つけ髭をびりっとはがした。

現れたのは、凛々しい金髪の若者であった。

 

「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊総司令長官……本国艦隊といっても、既に本艦『イーグル号』しか存在しない、無力な艦隊だがね。

まあ、そんな肩書より、こちらの方が通りがいいだろう」

 

 若者は佇まいをただし、威風堂々、名乗った。

 

「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

 

 ルイズはあんぐりと口を開け、いきなり名乗った若き皇太子を見つめた。

ワルドは興味深そうに、皇太子を見つめた。

 

 ウェールズはにっこりと魅力的な笑みを浮かべると、ルイズ達に席を勧めた。

 

「アルビオン王国へようこそ。大使殿。事情は彼から全て聞いているが、こればかりは大使殿の口から、直接伺わねばな」

「ちょ、ちょっと待ってください……え、エツィオ、どういうことなの?」

 

 あまりのことに未だ混乱しているといった様子で、ルイズがエツィオに訊ねる。

すると、ウェールズは笑いながらルイズを見つめた。

 

「いや、空賊を装うのも致し方のない事だったのだ。金のある反乱軍には次々と物資が送り込まれる。

敵の補給を断ち、物資を奪うのは戦の基本だが、堂々と王軍の軍艦旗を掲げたのではあっという間に反乱軍に取り囲まれてしまうからね」

 

 ウェールズはいたずらっぽく笑って言った。

 

「大使殿には、誠に失礼をいたした。しかしながら、彼から花押付きの手紙と『水のルビー』を受け取るまで、王党派の貴族だと夢にも思わなかったのだ、申し訳ない」

 

 手紙と、『水のルビー』、そこまで言われて、ルイズは慌てて胸のポケットを探った。

だがいくら探っても手紙が見つかることは無かった。おまけに指にはめていたはずの『水のルビー』までもが無くなっている。

まさかと思い、エツィオを見つめた。

エツィオが船倉から連れ出される時、エツィオはわたしの手を取り肩に手を……、まさか……、あの時か!

 

「気がつくのが遅いぞ、ルイズ、君は隙だらけだな」

「エツィオ! あんたっ、い、いつの間に!」

 

 そのやりとりを見ていたウェールズはわっはっはと笑い声を上げた。

 

「なるほど、ラ・ヴァリエール嬢もやられたか、まったく、君という男は大したものだな、エツィオ」

「まったくお恥ずかしい限りです」

「いや。ラ・ヴァリエール嬢、君は随分と優秀な使い魔を従えているようだ」

「勿体無きお言葉です、殿下」

 

 ルイズに代わり、エツィオが優雅に頭を下げる。

 

「甲板では参ったよ、まさか真っ先に変装を見破ってくるとはね、しかもその上で王家の証たる『風のルビー』すらも掠め取るとは……。

そして、彼を部屋に呼び出して、話をしてみると、頭も回ることに気がつかされる、

それで、僕もつい地が出てしまってね、あれよあれよと彼に正体を見破られてしまったと言うわけだ」

 

 ウェールズが、感心したように言った。

あまりの展開に、ルイズは口を開けたままぽかんと立ちつくすばかり。

貴族派の空賊かと思っていたら、頭は目的のウェールズ皇太子だわ、

エツィオが殺されてしまったと思っていたら、実は生きていて、その上自分を思いっきり出し抜いているわで、頭の中がぐっちゃぐちゃに混乱していたのであった。

 

「おや? まだお疑いかな? まあ先ほどまでの姿を見れば、無理もあるまい、僕はウェールズだよ、正真正銘の皇太子さ、なんなら証拠をお見せしよう」

 

 そんなルイズを見て、ウェールズは笑った。

 

「エツィオ、『水のルビー』を貸して頂けるかな?」

「こちらにございます」

 

 エツィオが懐から『水のルビー』を取りだし、恭しくウェールズに差しだす。

その様子をぽかんと見つめていたルイズに、ウェールズは自分の薬指にはめた指輪を外しながら言った。

 

「そう言えば、まだ先ほどの非礼を詫びていなかったな。実は、彼とは話をしているうちに意気投合してね、

君が船倉で大使だと名乗りを上げたと報告を受けた時に、彼から君を試すように言われて、一芝居打つ事にしたんだ、いや、どうか許してほしい」

「え……? え、エツィオ! そうだったの!」

「げっ……、で、殿下、それは言わない約束だったでしょう!」

「はっはっは、散々僕らをひっかきまわしてくれた礼さ!」

 

 ウェールズは豪快に笑うと、二つの宝石を近づけた。二つの宝石は共鳴しあい、虹色の光を振りまいた。

 

「さて、察しの通り、この指輪は、アルビオン王家に伝わる『風のルビー』だ。君が持っていたのは、アンリエッタの持っていた『水のルビー』。

水と風は、虹を作る。王家の間にかかる虹さ、この事は、ごく限られた人間しか知らない」

「た、大変、失礼をばいたしました」

「いや、気にすることは無い、全てこちらに非があるからな。では、改めて御用向きを伺おうか、大使殿」

「アンリエッタ姫殿下から、密書を言付かって参りました」

 

 ワルドが、優雅に頭を下げて言った。

 

「ふむ、君は?」

「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵」

 

 それからワルドはルイズ達をウェールズに紹介した。

 

「すでにご存じかと思いますが、今一度ご紹介させていただきます。

こちらが、姫殿下より、大使の大任を仰せつかった、ラ・ヴァリエール嬢と、その使い魔の青年にございます、殿下」

「うむ、エツィオから聞いていた通り、きみは立派な貴族のようだな、子爵、

君の様な立派な貴族が私の親衛隊にあと十人ばかりいたら、このような惨めな今日は迎えていなかっただろうに! では、密書を受け取ろうか」

「ルイズ、これを」

 

 エツィオがルイズに先ほど掠め取った手紙を渡す。

ルイズはそれを受け取ると、ウェールズに一礼し、手紙を手渡した。

ウェールズは愛しそうにその手紙を見つめると、花押に接吻をした。それから慎重に封を開き、便箋を取り出し読み始めた。

 真剣な顔で、手紙を読み進めていたが、そのうちに顔を上げた。

 

「姫は結婚するのか? あの愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……、従妹は」

 

 ワルドは無言で頭を下げ、肯定の意を示す、再び、ウェールズは手紙に視線を落とす。

最後の一行まで読むと、微笑んだ。

 

「了解した。姫はあの手紙を返してほしいとこの私に告げている。何よりも大事な姫からの手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」

 

 ルイズの顔が輝いた。

 

「しかしながら、今は手元にない、ニューカッスルの城にあるんだ。姫の手紙を、空賊船に連れてくるわけにもいかぬのでね」

 

 ウェールズは笑いながら言った。

 

「多少、面倒だが、ニューカッスルまで足労願いたい」



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memory-17 「滅亡の日」

 ルイズ達を乗せた軍艦、『イーグル』号は、浮遊大陸アルビオンのジグザグした海岸線を、雲に隠れるように航海した。

三時間ばかり進んでいくと、大陸から突き出た岬が見えた。岬の突端には高い城がそびえている。

 ウェールズはワルドにあれがニューカッスルの城だと説明した。

しかし、『イーグル』号は、まっすぐにニューカッスルに向かわずに、大陸の下側に潜り込むような進路を取った。

 

「何故、下に?」

 

 ワルドが訊ねると、ウェールズは、城のはるか上空を指さした。

遠く離れた岬の突端の上から、巨大な船が、降下してくる途中であった。

慎重に雲中を航海してきたので、向こうには『イーグル』号は雲に隠れて見えないようであった。

 

「叛徒共の、艦だ」

 

 本当に巨大としか言えない、禍々しい巨艦であった。

長さは、『イーグル』号の優に二倍はある。帆を何枚もはためかせ、ゆるゆると降下したかと思うと、

ニューカッスルの城目がけ、並んだ砲門を一斉に開いた。

斉射の炸裂音が振動と共に、『イーグル』号まで伝わってくる。砲弾は城に着弾し、城壁を砕き、小さな火災を発生させた。

 

「かつての本国艦隊旗艦、『ロイヤル・ソリヴン』号だ。叛徒らが手中に収めてから、『レキシントン』と名を変えている。

やつらが初めて勝利をもぎ取った戦地の名だ。よほど名誉に感じているらしいな」

 

 ウェールズは微笑を浮かべて言った。

 

「あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。あのように、たまに嫌がらせのように、城に大砲をぶっ放していく」

 

 巨大戦艦の舷側からは無数の大砲が突き出ており、艦上にはドラゴンが舞っている。

 

「備砲は両舷合わせ、百八門、おまけに竜騎兵まで積んでいる。あの艦の反乱から、全てが始まった、因縁の艦さ。

さて、我々のフネはあんな化け物を相手にできるはずもないので、雲中を通り、大陸の下からニューカッスルに近づく。

そこに我々しか知らない秘密の港があるのだ」

 

 

 ウェールズとワルドがそんな会話をしていたその頃……。

 

「なあ、ルイズ、いい加減機嫌を直してくれよ」

「……」

 

 甲板の片隅で、エツィオがルイズの機嫌をなんとか治そうと、悪戦苦闘していた。

ルイズはというと、先ほどエツィオに一杯食わされた事が気に入らないのか、顔をつんとそむけ、無視を決め込んでいる。

事情を飲みこみ、気持ちがひと段落してからというもの、かれこれずっとこの調子であった。

 

「本当に悪かったって、まさかきみがあんなにまで取り乱すなんて思わなくてさ……」

「……どうして」

「ん?」

「どうしてあんな真似したの? わたしを試したって、どういう意味?」

 

 ルイズが口をヘの字に曲げて呟いた。

エツィオは仕方ないとばかりに肩を竦めた。

 

「貴族派につくくらいなら、死んだ方がマシ……」

「なによ……」

「船倉で名乗りを上げた時、きみはそう啖呵をきったそうじゃないか、そしてあの場でもそう言った、だから試したんだ、

きみの行動によって、俺が死ぬという最悪の状況、その中で、きみがどれだけ自分の意思を貫けるか……それを見させてもらった。

まぁ結果は、俺の死がきみの意思を益々堅固なものにしてしまったようだけどな」

 

 エツィオはそう言うと、試すなら殺される寸前の状況にしておくべきだったかな、と小さく呟き、苦笑する。

その説明を聞いたルイズは怒りに顔を赤くしながら、どんっと甲板を踏みならした。

 

「だからって! あ、あそこまでする必要ないじゃない! わたし、あんたが本当に死んじゃったとっ……!」

「だけど、もし彼らが本当の空賊だったら? 名乗りを上げたところで正当な扱いを受けられるとは到底思えない。

俺はあの場でとっくに殺されているだろうし、杖のない子爵も同じ、ルイズ、きみもどうなっていたかもわからない」

「それはっ……」

「言っただろ? 高貴な所はきみの美点だが、時と場合を選べと、さっきも言ったけど、あんな調子じゃ、この先命がいくつあったって足らないぞ」

 

 エツィオは身をかがめると、まっすぐにルイズの瞳を覗きこむ、その静かな迫力に、ルイズは思わず押し黙った。

しばしの沈黙のあと、ルイズが口を開いた。

 

「……怖かった、怖かったわよ、殺されるかもしれないと思った。だけど、わたしは最後の最後まで諦めないわ、諦めたくないの。

たとえ彼らが殿下達ではなく本物の空賊であったとしても、地面に叩きつけられる寸前までロープが伸びると信じているわ」

 

 ルイズはまっすぐエツィオを見て答えた。

エツィオは目を細めると、ニッと笑った。

 

「まったく、きみは大したものだな。まあ、そうじゃないと俺のご主人様は務まらないんだけどな。

あの状況で自分の意思を貫く姿は、なかなかかっこよかったぞ、ルイズ」

 

 エツィオは優しく微笑むと、ルイズの頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でる。

普段なら怒ってエツィオの手を振り払うルイズであったが、今回はなぜかそれが心地よく感じた。

 

「それに、俺の事も心配してくれた……、すごくうれしかったよ」

「そ、それは……あ、あんたが本当に死んじゃったかと思って……! それに、あんたは使い魔でしょ!

使い魔を見捨てる主人なんていないわ! だ、誰だってああなるわよ!」

「ははっ、それもそうか」

 

 また、この顔だ、と屈託なく笑うエツィオを見て、ルイズは思う。

知的で優雅、その反面、どこか子供っぽい優しい笑顔。正直、ズルいと思う、この顔をされると、どうにもエツィオを直視できなくなってしまうのだ。

それに、何故だろう、ワルドにも同じ様なことを言われた筈なのに、エツィオに言われるとなんだか胸が温かくなり、顔も自然に綻んでしまう。

そんな様子をただでさえ鋭いエツィオに悟られるわけにはいかないと、ルイズはむりやり表情を作ると、つんと胸を張った。

 

「ふん! と、当然じゃない。まあ、わたしを試そうとしたことは、とりあえず許してあげる」

「それはどうも、……だけど、あんまり調子に乗らないでくれよ?」

「む、わかってるわよ……」

「まあ、きみに何言っても無駄だってのはよくわかってるよ、そんなきみを守るのが俺の役目なわけだしな」

「ど、どういう意味よ!」

「どうって、そのままの意味さ」

 

 ころころと表情を変えるルイズをからかい、エツィオが笑う。

最初は怒っていたルイズも、だんだんと笑みがこぼれ、仕舞いには二人は笑いあっていた。

 その時、辺りがゆっくりと闇に包まれ、やがて真っ暗になった。

どうやら大陸の下にもぐりこんだようだ。おまけに雲の中、視界は暗闇に閉ざされ、ゼロに近い。

マストについた魔法の灯りだけが、ぼんやりと艦の周囲を照らしている。

ひんやりとした、湿気を含んだ冷たい空気が頬をなぶった。

 

 

 しばらく航行すると、頭上に黒々と穴が開いている場所に出た。

マストに灯した魔法の灯りの中、直径三百メイル程の穴が、ぽっかりと開いている様は壮観だった。

 

「一時停止」

「一時停止、アイ・サー」

 

 掌帆手が命令を復唱する。ウェールズの命令で『イーグル』号が裏帆を打つと、

しかるのちに暗闇の中でもきびきびとした動作を失わない水兵達によって帆をたたみ、ぴたりと穴の真下で停船した。

 

「微速上昇」

「微速上昇、アイ・サー」

 

 『イーグル』号は、ゆるゆると穴に向かって上昇していく。

曳航されている『マリー・ガラント』号にもウェールズの部下が乗り込み、船員達に指示を下しているようだ。

その様子を見ていたワルドが、感心したように頷いた。

 

「まるで空賊ですな」

「まさに空賊なのだよ、子爵」

 

 穴に沿って上昇すると、頭上に灯りが見えた。そこに吸い込まれるように『イーグル』号が上がっていく。

眩いばかりの光にさらされたと思うと、艦はニューカッスルの秘密の港に到着していた。

そこは、真っ白な発光性のコケに覆われた、巨大な鍾乳洞の中だった。

岸壁の上には、大勢の人々が待ちかまえ、近づいてきた『イーグル』号に一斉にもやいの縄をなげてよこしてきた。

水兵達はその縄を『イーグル』号に結わえ付けた。

艦は岸壁に引き寄せられ、木でできたタラップが取り付けられた。

 

 ウェールズはルイズ達を促し、タラップを下りた。

背の高い、年老いた老メイジが近寄ってきて、ウェールズの労をねぎらった。

 

「ほほ、これはまた、大した戦果ですな! 殿下!」

 

 老メイジは、『イーグル』号のあとに続いて現れた『マリー・ガラント』号をみて、顔をほころばせた。

 

「ああ、喜べパリー! 中身は硫黄だぞ! 硫黄!」

 

 ウェールズがそう叫ぶと、集まった兵士たちが、うおぉーっと歓声を上げた。

 

「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではござらぬか! これで我等の名誉も守られるというものですな!」

 

 老メイジはおいおいと泣き始めた。

 

「ああそうだ、これだけの硫黄があれば……王家の誇りと名誉を奴ら叛徒共に示しつつ、敗北することができるだろう」

「栄光ある敗北ですな! この老骨、武者ぶるいがいたしますぞ! 先の陛下よりお仕えして六十年……! こんなにうれしい日はござらん!

して殿下、ご報告ですが、叛徒共は明日の正午、攻城を開始すると言う旨、伝えてまいりました、まったく、殿下が間にあってよかったですわい」

「してみると、これは危機一髪! 戦に間にあわぬはこれ、武人の恥だからな!」

 

 ウェールズ達は、心底楽しそうに笑いあっている。ルイズは、敗北という言葉に顔色を変えた。

つまり……死ぬと言うことだ。この人たちは、死ぬのが怖くないのだろうか?

 

「して、その方達は?」

 

 パリーと呼ばれた老メイジが、ルイズ達を見て、ウェールズに訊ねる。

 

「トリステインからの大使殿だ、重要な用件で王国に参られたのだ」

「これはこれは大使殿。殿下の侍従を仰せつかっておりまする。パリーでございます。

遠路はるばる、アルビオン王国へようこそいらっしゃいました、たいしたもてなしはできませぬが、今夜はささやかな祝宴が催されます。是非ともご出席くださいませ」

 

 

 ルイズ達は、ウェールズに付き従い、城内の彼の部屋へと向かった。

城の一番高い天守の一角に彼の部屋はあった。それは、一国の王子の私室とは思えないほど狭く、質素な部屋だった。

王子は椅子に腰掛け、机の引き出しから宝石がちりばめられた小箱を取り出す。首にかけたネックレスの先に着いていた鍵で、箱を開いた。

蓋の内側にはアンリエッタの肖像が描かれている。

 ルイズがその箱を覗きこんでいることに気がついたウェールズは、はにかんだように笑った。

 

「宝箱でね」

 

 中には一通の手紙が入っていた。それが王女からのものであるらしい。

ウェールズはそれを取り出し、愛おしそうに口づけた後、開いてゆっくりと読み始めた。

何度もそうやって読まれたのであろう手紙は、すでにボロボロであった。

 読み返すと、ウェールズは再びその手紙を丁寧に畳むと、便せんに入れ、ルイズに手渡した。

 

「これが、姫から頂いた手紙だ。この通り、確かに返却したぞ」

「ありがとうございます」

 

 ルイズは深々と頭を下げると、その手紙を受け取った。

 

「明日の朝、非戦闘員を乗せた『イーグル』号が、ここを出航する、それに乗って、トリステインに帰りなさい」

 

 ルイズはその手紙をじっと見つめていたが、そのうち決心したように口を開いた。

 

「あの、殿下……さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」

 

 ルイズはためらう様に問うた、ウェールズはあっさりと答えた。

 

「ないよ。我が軍は三百。敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて勇敢な死に様を連中に見せつけることだけだ」

 

 ルイズは俯いた。

 

「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」

「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 

 エツィオは無表情のまま、ウェールズを見つめていた。

明日にも死ぬと言うにも関わらず、皇太子はいささかも取り乱した所がない。

彼はすでに覚悟を決めている、ならばなにも言うことはあるまい。そう考えたエツィオはただ静かにそのやりとりを見守っていた。

 

 ルイズは深々と頭をたれて、ウェールズに一礼した、言いたいことがあるのだった。

 

「殿下、失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」

「なんなりと、申してみよ」

「この、ただいまお預かりした手紙の内容……これは」

「ルイズ」

 

 エツィオがルイズの肩に手を置き、小さく首を振る。

しかしルイズは、その手を振り払うと、きっと顔をあげ、ウェールズに訊ねた。

 

「この任務を、わたくしに仰せつけられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、それはまるで恋人を案じるかのような……。

それに、先ほどの小箱の内蓋には、姫さまの肖像が描かれておりました。殿下が手紙に接吻なさった際の物憂げなお顔といい。

もしや姫さまと、ウェールズ皇太子殿下は……」

 

 ウェールズはほほ笑んだ、ルイズの言いたいことを察したのである。

 

「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」

 

 ルイズは頷いた。

 

「そう想像いたしました。とんだご無礼をお許しください。してみるとこの手紙の内容は……」

「恋文だよ。きみが想像しているとおりのものさ、確かにアンリエッタが手紙で知らせたように、

この恋文がゲルマニアの皇室に渡ってはまずいことになるだろう。始祖ブリミルの名において、永久の愛を誓っているのだからね。

知っての通り、始祖に誓う愛は婚姻の際の誓いでなければならぬ。この手紙が白日のもとに晒されれば、彼女は重婚の罪を犯すと言うことになる。

そうなれば、ゲルマニア皇帝は婚約を取り消し、同盟相成らず、トリステインは一国にて、あの恐るべき貴族派に立ち向かわねばなるまい」

「とにかく、姫さまは、殿下と恋中であらせられたのですね?」

「昔の話だ」

 

 ルイズは熱っぽい口調で、ウェールズに言った。

 

「殿下! 亡命なされませ! トリステインに亡命なされませ!」

「よせ」

 

 エツィオが厳しい表情を浮かべ、ルイズの肩に再び手を置き、制止する。しかし、ルイズの剣幕はおさまらない。

 

「お願いでございます! わたし達と共に、トリステインにいらしてくださいませ!」

「それはできんよ」

 

 ウェールズは笑いながら言った。

 

「殿下! これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれてはおりませんでしたか?

わたくしは幼き頃、恐れ多くも姫さまの遊び相手を務めさせていただいました! 姫さまの気性は大変よく存じております!

あの姫さまがご自分の愛した人を見捨てるはずがございません! おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは多分手紙の末尾であなたに亡命を――」

 

 ルイズの言葉を最後まで待たず、ウェールズは首を振った。

 

「その様なことは一行たりとも書かれてはいない」

「殿下!」

 

 ルイズはウェールズに詰め寄った。

 

「私は王族だ、嘘はつかぬ。姫と私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれてはいない」

 

 ウェールズは苦しそうに言った。その口ぶりから、ルイズの指摘は当たっていたことがうかがえた。

 

「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」

 

 ルイズはウェールズの意思が果てしなくかたいのを見て取った。

ウェールズは、アンリエッタを庇おうとしているのだった。臣下のものに、アンリエッタが情に流された女と思われるのがいやなのだろう。

ウェールズは、ルイズの肩を叩いた。

 

「きみは、正直な女の子だな。ラ・ヴァリエール嬢、彼……エツィオの言う通りだ、まっすぐで、いい目をしている」

 

 ルイズは寂しそうに俯いた。

 

「忠告しよう、そのように正直では、大使は務まらぬよ、しっかりしなさい」

 

 ウェールズはほほ笑んだ、白い歯がこぼれる、魅力的な笑みだった。

 

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰よりも正直だからね。なぜなら守るものが名誉以外になにもないのだから」

 

 それからウェールズは、机の上に置かれた、魔法の水時計を見た。

 

「そろそろ、パーティーの時間だ。きみたちは、我が王国が迎える最後の賓客だ。是非とも出席してほしい」

 

 ルイズとエツィオは一礼すると、部屋の外に出た。

ワルドは居残って、ウェールズに一礼した。

 

「まだ、御用がおありかな? 子爵殿」

「恐れながら、殿下にお願いしたい議がございます」

 

 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはにっこりと笑った。

 

「なんともめでたい話ではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」

 

 

 

 パーティは、城のホールで行われた。

簡易の玉座が置かれ、玉座にはアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下たちを、目を細めて見守っていた。

明日で自分たちは滅びるというのに、ずいぶんと華やかなパーティであった。

王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のために取っておかれた、さまざまなごちそうが並んでいる。

 

 ウェールズが現れると、貴婦人達の間から、歓声が飛んだ。若く、凛々しい王子はどこでも人気者のようだ。

彼は玉座に近づくと、父王になにか耳打ちをした。ジェームズ一世がすっと立ち上がる。

若き王子ウェールズが、高齢の父王に寄りそうように立ち、その身体を支える。

陛下がこほんと軽く咳をすると、ホールの貴族、貴婦人たちが、一斉に直立した。

 

「忠義なる臣下の諸君に告げる。いよいよ明日、このニューカッスルの城に立てこもった我ら王軍に、反乱軍『レコン・キスタ』の総攻撃が行われる。

この無能な王に、諸君らはよく従い、よく戦ってくれた。しかしながら、明日の戦いはこれはもう、戦いではない。おそらく一方的な虐殺となるであろう。

朕は忠勇な諸君らが、傷つき、倒れるのを見るに忍びない」

 

 老いたる王は、ごほごほと咳をすると、ふたたび言葉を続けた。

 

「したがって、世は諸君らに暇を与える。長年、よくぞこの王に付き従ってくれた。厚く礼を述べるぞ。

明日の朝、巡洋艦『イーグル』号が、女子供を乗せてここを離れる。諸君らも、この艦に乗り、この忌まわしき大陸を離れるがよい」

 

 しかし、誰も返事をしない。一人の貴族が、大声で王に告げた。

 

「陛下! 我らはただひとつの命令をお待ちしております! 『全軍前へ! 全軍前へ! 全軍前へ!』今宵、うまい酒の所為で、いささか耳が遠くなっております! 

はて、それ以外の命令が、耳に届きませぬ!」

 

 その勇ましい言葉に、集まった全員が頷いた。

 

「おやおや! 今の陛下のお言葉は、なにやら異国の呟きに聞こえたぞ?」

「耄碌するには早いですぞ!陛下!」

 

 老王は、目頭を拭い、ばか者どもめ……、と短く呟くと、杖を掲げた。

 

「よかろう! しからば、この王に続くがよい! さて、諸君! 今宵は良き日である! よく、飲み、食べ、踊り、楽しもうではないか!」

 

 辺りは喧噪に包まれた。こんな時にやってきたトリステインからの客が珍しいらしく、王党派の貴族たちが、代わるがわるルイズたちの元へとやってきた。

 

「大使どの! このワインを試されなされ! お国のものより上等と思いますぞ!」

「なに! いかん! そのようなものをお出ししたのでは、アルビオンの恥と申すもの! このハチミツが塗られた鳥を食してごらんなさい! うまくて、頬が落ちますぞ!」

 

 そして最後に、アルビオン万歳! と怒鳴って去っていくのであった。

貴族たちは悲嘆にくれたようなことは一切言わず、ルイズたちに料理をすすめ、酒をすすめ、冗談を言ってきた。

そんな姿が、勇ましいというより、この上もなく悲しくて、ルイズは憂鬱になった。

この場の雰囲気に耐えられず、ルイズは外に出て行ってしまった。

 エツィオは、すぐに追いかけようとしたが、それよりも先に、ワルドが後を追うのをみて、足を止める。

そして再び、貴族達との歓談の席に戻って行った。

 

「やあエツィオ、楽しんでいるかね?」

「殿下」

 

 エツィオを見つけたウェールズが、座の真ん中から近寄ってきた。

エツィオは胸に手を当て、一礼する。

 

「きみと話がしたくてね、よろしいかな?」

「わたくしでよろしければ、殿下」

「ありがとう」

 

 二人は杯をあわせる。ちん、とグラスから涼しい音がなった。

 

「君にはまだ、『マリー・ガラント』での一件を詫びていなかったな。いや、あの場を誤魔化すためとはいえ、殴って済まなかった」

「どうかお気になさらず。いやはや、殿下はなかなかいい拳を持っておられる、今までで一番ききましたよ」

 

 エツィオは笑いながら握り拳を作った。

ウェールズはわっはっはと豪快に笑った。

 

「全く、きみは面白い男だな。……こういうのもなんだが……もう少し早くきみと出会えていれば、私たちはよき友人になれたかもしれぬな」

「殿下……」

「ふふ、柄にもない事を言ってしまった。……どうやらきみには、人を惹きつける魅力があるようだ」

「いえそんな、もったいなきお言葉です」

「この私が言うのだ、間違いは無いさ」

 

 ウェールズはそこまで言うと、エツィオの肩を叩いた。

エツィオは笑顔を作ると、少し俯く、それから顔をあげ、まっすぐにウェールズを見据えた。

 

「……殿下、失礼ながらいくつか伺いたいことが」

「何かな?」

「姫殿下からのあの手紙、やはり姫殿下は亡命を?」

 

 エツィオが訊ねると、ウェールズはルイズがいないことを確認するかのように、周囲を見回した後、苦い表情で言った。

 

「……ああ、その通りだ、あの手紙には私に亡命を勧める一文が書き記されていた」

「やはり……」

「……きみも私に亡命を勧めるのかね?」

「いいえ、残念なことですが、亡命を拒否した貴方の判断は正しいと存じております。

……姫殿下を攻めるつもりはありません、むしろ恋人を案じるその御心は美徳です。

だがそれは、トリステインを、民を、そして、姫殿下を、戦火に晒すことにもなりかねない」

「ああ、そうだ、きみの言うとおりだよ、エツィオ。私がトリステインに亡命したならば、貴族派にトリステインに攻め入る口実を与えてしまうことになる……。

だからこそ、私はここで戦い……そして死なねばならぬ。そう思うからこそ、死の恐怖も忘れられるというものだ」

 

 力強く言い切ったウェールズを見て、エツィオは、真剣な面持ちで頷いた。

どうやら心配は無用だったようだ、姫殿下自身の手紙ですら、彼の決意は微塵も揺らいではいないようであった。

ならば自分にできることは、彼を気持ちよく戦地に送り出すことだけである。

 

「愛するが故に、知らぬふりをせねばならぬ時がある、愛するが故に、身を引かねばならぬ時がある。

戦で荒廃するトリステインを……悲しみ苦しむ民草を、そしてアンリエッタを見るくらいなら、私は喜んで討ち死にしよう」

 

 ウェールズはエツィオを見つめると、にっこりと笑った。

 

「おっと……今言ったことは、アンリエッタには告げないでくれたまえ。いらぬ心労は、美貌を害するからな。彼女は可憐な花のようだ。きみもそう思うだろう?」

「ええ、まったくもって同感です」

 

 エツィオは軽い笑みを浮かべて頷き、同意した。

それからエツィオは、小さく首を傾げ、ウェールズに訊ねた。

 

「殿下、反乱軍……、貴族派についてお聞きしたいことが、奴らの狙いは一体何なのですか? 彼らは何故反乱を?」

「『レコン・キスタ』の事か」

「『レ・コンキスタ』?」

「『レコン・キスタ』だ、彼らは自らをそう呼称している。……なにか気になることでも?」

「いえ……私の故郷でも聞く名前です、ですが……どうやら根本的に違う物のようだ」

 

 エツィオは肩を竦めると、ウェールズは小さく頷き、話を続けた。

 

「我々の敵である貴族派『レコン・キスタ』、奴らの目的は、ハルケギニアの統一だ。『聖地』を取り戻すという、理想を掲げてな」

「『聖地』……ですか」

「そう、我等ブリミル教徒にとっての『聖地』だ。理想を掲げるのはよい。

しかし、あやつらはそのために流されるであろう民草の血のことを考えぬ。荒廃するであろう、国土のことを考えておらぬのだ。

だからこそ、我らは勇気と名誉の片鱗を貴族派に見せつけ、ハルケギニアの王家たちは弱敵ではないことを示さねばならぬ。

やつらがそれで、『統一』と『聖地の回復』などという野望を捨てるとも思えぬが、それでも我らは勇気を示さねばならぬ。

それが、内憂を払えなかった王族としての義務なのだからな」

 

 聖地の奪還、統一、その言葉を聞いたエツィオは顔をしかめた。

 

「……まるで十字軍だな、馬鹿馬鹿しい」

「十字軍?」

 

 呻くように呟いたエツィオに、ウェールズは首を傾げた。

 

「いえ、こちらの話です、お気になさらぬよう」

「ふむ……、どうやら、きみの故郷でも似たようなことがあったらしいな」

「ええ、とはいえ、もう二百年も前の話ですが」

「『聖地』か……どこの人間も考えることは同じのようだ」

「そのようで」

 

 どこの世界も、人間の考えは変わらない、そんな皮肉めいた事実に、二人は笑いあった。

 

「さて、もう少しきみと話していたいが……そろそろ行かなくてはならない」

「ええ殿下、私も、貴方と話せて楽しかった」

「そうだ、エツィオ、一つ頼まれてくれないだろうか」

「なんなりと」

 

 エツィオが頷くと、ウェールズは目を瞑って言った。

 

「アンリエッタに、こう伝えてくれたまえ、ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと」

「必ずや、お伝えいたします。……殿下」

 

 エツィオはそう言うと、座の中心に戻ろうとしていたウェールズを呼びとめ、肩に手を置き、まっすぐに目を見つめた。

 

「我が心は貴方と共にある、お別れです、殿下、……いや、我が友よ」

「ありがとう、そしてさらばだ、友よ。最期にきみに出会えたこと、始祖に感謝する」

 

 その言葉を受けたウェールズは、うれしそうに微笑むと、エツィオに向き直り、手を差し出した。

 

「「栄光を!」」

 

 二人は、奇しくも同じ言葉を互いにかけあうと、硬く握手を交わす。

それからウェールズは再び座の中心へと向かい、エツィオはその場を後にすべく振り返り、ホールの出口へと歩き出した。

 

 

 エツィオは会場を後にし、あてがわれた部屋へ続く廊下を歩いていた。戦時中であるため、灯りは消されており、廊下は暗闇に包まれている。

 廊下の途中に、窓が開いていて、月が見えた。月を見て、一人、涙ぐんでいる少女がいた。長い、桃色がかかったブロンドの髪……。

ついと、ルイズが振り向いた。暗闇の中、佇んでいるエツィオに気づき、目頭をごしごしとぬぐった。

ぬぐったけど、ルイズの顔は再び、ふにゃっと崩れた。

 

「……」

 

 エツィオが無言で近づき、慰めるように指先でルイズの涙を拭いてやった。

するとルイズは、力が抜けたように、エツィオの体にもたれかかった。

 ルイズはエツィオの胸に顔を押し当てると、ごしごしと顔を押し付けた。

 ぎゅっと、エツィオの体を抱きしめる。エツィオは優しく、子供をあやすようにルイズの頭をなでた。

泣きながら、ルイズは言った。

 

「いやだわ……あの人たち……どうして、どうして死を選ぶの? わけわかんない。

姫さまが逃げてって言っているのに……恋人が逃げてって言っているのに……、どうしてウェールズ殿下は死を選ぶの?」

「……愛しているからだ」

「……どういうこと?」

「姫殿下を、愛しているからこそ、彼は死を選んだ、それだけだ」

「愛しているって……だったら、どうして死を選ぶの? 恋人が逃げてって、言っているのよ?」

「愛する人の傍にいることが、必ずしも最良というわけではないんだ、それによって引き起こされる事も考えなくてはならない。きみにはまだ……難しいかな」

「あんたまで……そんなこと言うの?」

「すまないな」

 

 ルイズが寂しそうにぽつりと呟く。涙がぽろりと、ルイズの頬を伝った。

 

「やっぱりわたし、説得する。もう一度説得してみるわ」

「ダメだ」

「どうしてよ」

「彼らの決意は決して揺るがない、だからこそ俺は、彼らを笑顔で送り出した……それが彼らに対する礼儀だからだ」

「わかんない……ぜんぜんわかんないわ、愛しているから死ぬって……。

残される人の事なんて……なにも考えていないんだわ……。もうイヤ……トリステインに帰りたい」

 

 殿下の言葉を理解するには、今のルイズにとって難しい事だ、ならば無理に理解する必要もない。

そう考えたエツィオはルイズの体を優しく抱きしめると、優しくその頭を撫でた。

 

「……そうだな、今日は疲れただろう、もう休むといい。明日、一緒にトリステインに帰ろう」

「……うん」

「おやすみ、ルイズ」

「……おやすみなさい」

 

 ルイズは、ぐすっと鼻をすすり、涙をふくと、エツィオの胸から離れ、とぼとぼとあてがわれた部屋へと歩いてゆく。

そしてふと立ち止まると、ルイズは振り返り、エツィオを見つめる。 

 

「……エツィオ、あんたは……」

「ん?」

「あんたは、いなくならない……?」

「おや? それは一体どういう意味かな?」

 

 エツィオは肩を竦め、からかう様にニヤリと笑う。

 

「あっ、なっ、なんでもない! なんでもないの! おやすみ!」

 

 ルイズは、思わず口から出た言葉に赤面し、小走りに廊下を駆けてゆく。

その様子を見ていたエツィオは口元に優しい笑みを浮かべると、小さく呟いた。

 

「心配しなくとも……いきなり君の前から消えたりしないさ」

 

 ルイズを見送り、自分も部屋へと戻ろうとしたその時であった、不意に背後に人の気配を感じ振り向いた。

そこには、ワルドが立って、じっとエツィオを見つめている。

 

「なにか?」

「きみに言っておかねばならぬことがある」

 

 ワルドは冷たい声で言った。

 

「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」

 

 エツィオはぴくりと体を震わせた。今、結婚式と言ったか?

動揺を悟られぬように、声を押し殺し、冷静を装い訊ねる。

 

「こんな時にですか? ここで?」

「是非とも、僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。皇太子も快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕達は式を挙げる」

 

 エツィオは一瞬、ワルドの正気を疑った。ここにきて結婚式を挙げるとはあまりに急な話である。

ワルドとルイズは婚約者同士とはいえ、再会してまだ数日……片手で数えられるほどの時間しか経っていないのだ。

しかも、ここはすぐにでも戦場となる、そんなところで結婚とは無計画にもほどがある。

 

「ルイズはなんと?」

「彼女にはまだ伝えてはいない、追って伝えるつもりだ」

「お言葉ですが子爵殿、私は反対です、そんな事をしている暇は無い、すぐに脱出し、姫殿下に手紙を届けるべきです。

第一、式を挙げていたら、脱出の手段がなくなってしまいます、明日の朝に『イーグル』号は出発してしまうのですよ? どうやって脱出するおつもりなのですか?」

「使い魔君、きみの意見など聞いていない。それに、既に殿下の了承を頂いている、今さら取り消すわけにはいかぬ」

 

 ワルドはエツィオの反論をにべもなくはねつける。

 エツィオは心底呆れた表情でワルドを見つめた。この男は、こんな時に一体何を考えているのだ?

一瞬、殴りとばしたい気持ちに駆られたが、婚姻の媒酌を、勇敢なウェールズに頼みたいという気持ちも、まあ理解できたため、ぐっとこらえた。

ワルドはそんなエツィオをよそに淡々と続けた。

 

「きみにも式に出席してほしいが、君の言うとおり、船が出発する時間と重なってしまっている、

君が式に出席してしまうと、『イーグル』号で脱出できなくなってしまうんだ。だから君は明日の朝、すぐに出発したまえ。

私とルイズは式が済み次第、グリフォンで帰る」

「長い距離は飛べぬとお聞きしましたが」

「滑空するだけなら問題なくトリステインにまで辿りつける」

「そうですか……、わかりました、そうさせていただきます」

「きみとは明日、一旦ここでお別れとなるな。ルイズには、きみが先に『イーグル』号で帰還することを伝えておこう」

 

 ワルドはそう言うと、立ちつくすエツィオの横を通り、その場を後にしようとした。

 

「子爵殿」

「……何かな?」

 

 不意に後ろからエツィオに声をかけられる。その声にワルドが振り返ろうとした、その時だった。

 

「失礼」

「――なっ! ぐぉっ!?」

 

 瞬間、突如膝の力が抜け、不意に世界がひっくりかえった。

完全に虚を突かれたワルドはエツィオの足払いに全く反応出来ず、首を掴まれ、そのまま強かに床に叩きつけられる。

 

「おっ、おのれっ! なにを!」

 

 それでも、流石は魔法衛士隊の隊長、混乱しつつも、すぐに杖に手をかける。

しかしエツィオはそれを見越していたのか、ワルドの口を即座に塞ぎ、詠唱を強制的に中断させると、

次に杖を払いのけた、杖が乾いた音をたて、廊下の隅へと転がってゆく。

 たちまち床に組伏せられたワルドは、抵抗を試みる。だがそれはできないと言うことに、すぐに気がついた。

自分の首筋に、鈍い光を放つ何かが突きつけられている、エツィオの左腕、袖口から飛び出したそれは、『イーグル』号の船倉で見た、隠し短剣であった。

あと少し、エツィオが力を込めるだけで、この刃がたちまち自分の喉を切り裂くことは、容易に予想ができた。

せめてもと、エツィオを睨みつけるも、薄暗い廊下に、目深に被ったフードのおかげで、彼の表情は、全く読む事が出来なかった。

 

「今から手をどける、だが大声は出すな」

「……くっ、な、なんの真似だ……!」

 

 口を塞いでいた手がどけられる。

ワルドが緊張に顔を歪ませながら、呻くように呟いた。

エツィオはワルドの喉元に短剣を突きつけながら、静かに口を開いた。

 

「愛しているか?」

「な、何のことだ!」

「ルイズの事だ、お前は本当に、ルイズを愛しているのか?」

 

 声を荒げるワルドに対し、エツィオはどこまでも冷静な声で言った。

 

「と、当然だ! 愛しているに決まっているだろう!」

「なら今ここで誓え、ルイズを必ず幸せにすると」

「君も聞いただろう? 始祖に誓う愛は婚姻の際の誓いでなければならぬと、残念だが、今はできない……っ!」

 

 喉元に当てられた短剣に、僅かだが力が込められるのを感じる。

ワルドはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「ならば始祖ではなく、俺に誓え」

「くっ……わ、わかった、誓う……、彼女を愛し、必ず幸せにする……」

 

 ワルドは呻くように言った。

 

「少しでも彼女を泣かせてみろ、俺はお前を、地の果てまでも追い詰め――」

「……ぐッ!」

 

 エツィオはそこまで言うと、凄まじい力で床に組みふせたワルドを引きずり起こし、そのまま壁に叩きつける、

喉に短剣を喰い込ませ、ワルドの目をまっすぐに睨みつけた。

 

「その首を切り裂いてやるからな」

 

 ふっ、と、エツィオの手から力が抜け、短剣が、左腕の鞘の中へと納まる。

ワルドの胸倉を掴んでいた手を離し、エツィオを数歩下がると、ワルドに深々と頭を下げた。

 

「大変、失礼をいたしました、子爵殿。……ですがこれも主人であるルイズを想うが為、どうかお許しを」

「全くだ、何を考えているのだ……」

 

 ワルドは、不愉快だと言わんばかりに、口元を拭い、衣服の乱れを直しながらエツィオを睨みつけた。

エツィオは床に転がったままのワルドの杖を拾い、恭しい手つきでそれを差し出した。

 

「……」

 

 ワルドはエツィオから差し出されたそれを、ひったくるように奪い取る。

エツィオは一礼し、踵を返すと、そのまま廊下の奥、暗闇の中へ溶けるように消えてゆく。

 

「フン……薄汚いアサシンめ……!」

 

 エツィオが消えた暗闇の奥を睨みつけ、ワルドは吐き捨てるように呟いた。



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memory-18 「婚姻の鐘は鳴る」

 翌朝……。

 鍾乳洞に作られた港の中。ニューカッスルから疎開する人々に混じって、エツィオは『イーグル』号に乗り込むために列に並んでいた。

先日拿捕した『マリー・ガラント』号にも、脱出する人々が乗り込んでいる。

 

「愛するからこそ、引かねばならないときがある……か」

 

 エツィオがぽつりと呟く。

それを聞いたデルフリンガーがカチカチと音を鳴らした。

 

「お? なんか感慨に浸ってるようだな?」

「まぁな、最近それを身を持って思い知ったばかりだったんだが……まさかまた身を引くハメになるとは、夢にも思わなかったよ」

 

 エツィオは苦笑しながら肩を竦める。

婚約者の存在。どうやら、愛を司る女神は、美しい女性には真っ先に婚約者を宛がい、どうあっても俺のことを一人占めにしたいようだ。

フィレンツェに残したかつての恋人、クリスティーナの事を考えながら、小さく呟く。

 

「納得も覚悟もしていたけど……いざその時となると、寂しいものだな」

「相棒、お前もしかして、あの娘っ子の事が好きだったのか?」

「もちろんさ、彼女の事も愛しているに決まっているだろう」

「『も』? 『も』っつったか、今」

「ああ、俺は全ての女の子を愛しているからな」

「……けっ! 爆発しちまえ!」

 

 茶化すエツィオにデルフリンガーが吐き捨てるように呟いた。

エツィオは小さく笑うと、腰に下げたデルフリンガーの柄頭に手を置いた。

今まで背負っていたのだが、城の人間に腰に下げるための新しいベルトを譲ってもらい、こうして下げているのであった。

 

「なあデルフ、俺が彼女の使い魔になったのはなんでだと思う?」

「ああ? そりゃお前、どうせあの娘っ子目当てだろ?」

「あたり! と言いたいところだが、ちょっと違うな」

 

 エツィオは腕を組むと、ニヤリと笑った。

 

「最初はもちろん気乗りしなかったさ、ルイズがとびっきり可愛いのはいいが、俺には果たさなきゃならないことがあるしな。

それは彼女も同じだった、使い魔が俺みたいな平民だなんて嫌だってね。だから一つ約束をしたんだ。

俺が使い魔として働く代わりに、彼女は俺を元の世界に戻す方法を探す、とな」

「なるほどね、あの娘っ子が相棒を元の世界に戻す方法を探してくれているから、使い魔をやっているってワケか」

 

 デルフリンガーがそう言うと、エツィオは笑いながら首を横に振った。

 

「おいおい、俺はずっとルイズの事を見ていたが、彼女、何一つ調べてなんかいないぞ?」

「はあ? あの娘っ子、約束守ってねぇのか?」

「ああ、本当ならさっさと見切りをつけて、彼女の元から去っているよ、でもそれをしなかった」

「なんでだよ」

「彼女を気に入っているからさ」

「……はい? なんだって?」

 

 さらりと答えたエツィオに、デルフリンガーが呆れたように聞き返した。

 

「言葉の通りだよ、俺は彼女を気に入ってるんだ。見ていて楽しいだろ?」

「なんだよ、似たようなもんじゃねえか」

「呆れるのは最後まで聞いてからだ。……まぁ、知っての通り、ルイズはまだ未熟だ、メイジとしても、人間としてもな。

でも、彼女は未熟なりに、心の中に確固たる信念を抱え、そしてそれを守るべく努力している。

勿論、それは容易なことではない、彼女の信念を打ち壊そうとするものも出てくるだろう」

 

 エツィオは真面目な表情で言った。

 

「だけど、彼女は決して諦めない。事実、今回の件でそれを再確認できた。そんな彼女になら、俺は喜んで力を貸す。使い魔を続けている理由は、そんな所さ」

「相棒……お前、ただの女好きじゃなかったんだな」

「おいそりゃないだろう……」

 

 感動したように呟いたデルフリンガーに、エツィオはがくっと肩を落とす。

 

「うーん、しかし、どうするかな、彼女が結婚してしまうとなると……俺の仕事がなくなってしまうな」

 

 エツィオが困ったように言った、ルイズは結婚後もちゃんと働いてもらう、と言っていたが、

子爵であるワルドと結婚し、家庭に入る以上、使用人もいるはずだろうし、護衛の必要性も薄れてくる、

正直、これ以上彼女に仕える必要などないだろう。

 

「確かにな、これからどーすんだ? 元の世界に戻る方法でも探すのか?」

「そうだな、マチルダにも協力してもらうとして、俺も『リンゴ』の捜索に本腰を入れるとするか……」

「ふむ、だとしたら、あの娘っ子に暇をもらう必要があるな。……あぁそうだ、相棒、ちょっと気になることがあるんだが」

「ん?」

「相棒、『ガンダールヴ』とか呼ばれてたよな」

「ああ、それが?」

「その名前なんだが、どっかで聞いたことのあるような気がするんだよな……なんだったっけ?」

「おい、俺に聞くのか? 俺は別世界の人間だぞ」

 

 エツィオは呆れたように笑った。

 艦に乗り込む順番が、やっとエツィオに回ってきた。

タラップを登ると、そこはさすがに避難船である、ぎゅうぎゅうに人が詰め込まれ、甲板に座ることもできない。

エツィオは仕方なく舷縁に乗り出すと、城へと続く通路へと視線を送った。

 そう言えば、『イーグル』号の出航時間の関係で、ルイズに一言も告げる事も出来ずにここまで来てしまった。

今頃、ルイズは結婚式の最中なのだろう。祝福してあげる事ができないのが残念だ。

 

「幸せにな……ルイズ」

 

 エツィオは小さく呟くと、通路から視線を外し、眼を瞑った。

 

 

 さてその頃、始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂で、ウェールズ皇太子は新郎と新婦の登場を待っていた。

周りに、他の人間はいない。皆、戦の準備で忙しいのであった。

ウェールズ自身も、すぐに式を終わらせ、戦の準備に駆けつけるつもりであった。

 ウェールズは皇太子の衣装に身を包んでいた。

アルビオン王家の紋章が刺繍された、王族の象徴たる明るい紫のマント、そしてかぶった帽子には、アルビオン王家の象徴である、七色の羽根がついている。

 扉が開き、ワルドとルイズが現れた。ルイズは呆然と立っている、ワルドに促され、ウェールズの前に歩み寄った。

 ルイズは戸惑っていた、今朝方早く、いきなりワルドに起こされ、ここまで連れてこられたのであった。

そう言えばエツィオの姿が見えない、どこに行ったか知らないか、と訊ねると、彼はすでに避難船に乗り込んだ、とワルドはそっけなく答えた。

 戸惑いはしたが、昨夜目にした死にゆく人々を見て激しく落ち込んでいたルイズは、深く考えることができずに、ぼんやりとした頭でここまで来ていたのであった。

 ワルドはそんなルイズに「今から結婚式をするんだ」と言って、アルビオン王家から借り受けた新婦の冠をルイズの頭に載せた。

新婦の冠は、魔法の力で永久に枯れぬ花があしらわれ、なんとも美しく、清楚なつくりであった。

 そしてワルドは、ルイズの黒いマントを外し、やはりアルビオン王家から借り受けた純白のマントを纏わせた。

新婦しか纏うことを許されぬ、乙女のマントであった。

 しかし、そのようにワルドの手によって着飾られても、ルイズは無反応、ワルドはそんなルイズの反応を、肯定の意思表示と受け取った。

 始祖ブリミルの像の前に立ったウェールズの前で、ルイズと並び、ワルドは一礼した。

ワルドの格好は、いつもの魔法衛士隊の制服である。

 

「では、式を始める」

 

 王子の声が、ルイズの耳に届く。でも、どこか遠くで鳴り響く鐘の音のように、心もとない響きであった。

ルイズの心には、深い霧のような雲がかかったままだった。

 

「新郎、子爵、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」

 

 ワルドは重々しく頷いて、杖を握った左手を胸の前に置いた。

 

「誓います」

 

 ウェールズはにこりと笑って頷き、今度はルイズに視線を移した。

 

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 

 朗々と、ウェールズが誓いの為の詔を読み上げる。

今が、結婚式の最中であることに、ようやくルイズは気がついた。

相手は、あこがれていた頼もしいワルド。二人の父が交わした、結婚の約束……。

幼い心の中、ぼんやりと想像していた未来。それが今、現実のものとなろうとしている。

 

 ワルドのことは、嫌いじゃない。おそらく、好いてもいるのだろう。

 でも、それならばどうして、こんなにせつないのだろう。

 どうして、こんなに気持ちは沈むのだろう。

 滅びゆく王国を、目の当たりにしたから?

 愛する者の為と言いながら、望んで死に向かう王子を目の当たりにしたから?

 違う、悲しい出来事は、心を傷つけはするけど、このような雲をかからせたりはしない。

 深い、沈鬱な雲をかからせはしない

 

『きみは結婚するのだから』

 

 不意にルイズは、エツィオがそう言った事を思い出した。

 あの時の、まるで祝福するかのようなエツィオの笑顔、それを思い出すと、胸が再び、キリキリと痛みだした。

 どうして、こんな気持ちになるのだろう?

 エツィオの口からそんな言葉は聞きたくなかったからだ。

 どうして?

 その理由に気がついて、ルイズは顔を赤らめた。悲しみに耐えきれず、昨晩、廊下で出会ったエツィオの胸に飛び込んだ理由に気がついた。

 別れ際、思わずエツィオに訊ねてしまった理由に気がついた。

 でも、それは本当の気持ちなのだろうか?

 わからない、でも、確かめる価値はあるのではないか?

 なぜなら自分から、異性の胸に飛びこむなんて、どんなに感情を昂ぶらせたって、ついぞなかったことなのだから。

 

 

 一方……。こちらは『イーグル』号の艦上。

舷縁に寄り掛かり、ぼんやりと出航を待っていた、エツィオの視界が一瞬、曇った。

 

「むっ……」

「どうした? 相棒」

 

 エツィオの視界がぼやけた。まるで真夏の陽炎のように、左眼の視界が揺らぐ。

 

「目が……、なんだろう」

「疲れてんだろ?」

「あぁ確かに、昨日は眠れなかったからな……そのせいか」

 

 納得したようにエツィオが呟いたその時だった。

がこん、と船が揺れる、どうやら避難民の収容が完了し、タラップが取り外されたようだ。

 

「お、そろそろ出航か?」

「……そのようだ」

 

 エツィオは左眼を擦りながら、ぼんやりと言った。

 

 

「新婦?」

 

 ウェールズがこっちを見ている。ルイズは慌てて頭を上げた。

 式は、自分の預かり知らぬところで続いている。ルイズは戸惑った、どうすればいいんだろう?

こんな時は、どうすればいいんだろう。誰も教えてくれない、唯一、その答えを持っているルイズの使い魔は、今まさにこの地を離れつつあるのに違いない。

 

「緊張しているのかい? 仕方がない。初めてのときは、ことがなんであれ緊張するものだからね」

 

 にっこりと笑って、ウェールズは続けた。

 

「まあ、これは儀礼に過ぎぬが、儀礼にはそれをするだけの価値がある。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において、この者を愛し――」

 

 ルイズは気づいた。誰もこの迷いの答えを教えてはくれない。

自分で決めねばならないのだ。ルイズは深く深呼吸して、決心した。

ウェールズの言葉の途中、ルイズは首を振った。

 

「新婦?」

「ルイズ?」

 

 二人が怪訝な顔で、ルイズの顔を覗きこむ。ルイズはワルドに向き直ると、悲しげな表情を浮かべ、もう一度首を振る。

 

「どうしたね? ルイズ、気分でも悪いのかい?」

「違うの、ごめんなさい……」

「日が悪いなら、改めて……」 

「そうじゃない、そうじゃないの。ごめんなさい、ワルド、わたし、あなたとは結婚できない」

 

 その言葉に、ウェールズは首を傾げた。

 

「新婦は、この結婚を望まぬのか?」

「そのとおりでございます。お二方には、大変失礼をいたすことになりますが、わたくしはこの結婚を望みません」

 

 ワルドの顔に、さっと朱が差した。ウェールズは困ったように、首を傾げ、残念そうにワルドに告げた。

 

「ふむ、子爵、誠にお気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」

 

 しかし、ワルドはウェールズを見向きもせずに、ルイズの手を取った。

 

「……緊張しているんだ、そうだろう? きみが僕との結婚を拒むわけがない」

「ごめんなさい、ワルド。憧れだったのよ。もしかしたら、恋だったのかもしれない、でも、今は違うわ」

 

 するとワルドは、今度はルイズの肩を掴んだ。その目がつり上がる。

表情が、いつもの優しいものではなく、どこか冷たい、トカゲかなにかを思わせるものにかわった。

 熱っぽい口調で、ワルドは叫んだ。

 

「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる! そのためにきみが必要なんだ!」

 

 豹変したワルドに怯えながら、ルイズは首を振った。

 

「……わたし、世界なんかいらない」

 

 ワルドは両手を広げると、ルイズに詰め寄った。

 

「僕にはきみが必要なんだ! きみの能力が! きみの力が!」

 

 そのワルドの剣幕に、ルイズは恐れをなし、思わず後ずさった。

優しかったワルドが、こんな顔をして、叫ぶように話すだなんて、夢にも思っていなかったのだ。

 

「ルイズ! いつか言った事を忘れたか! きみは始祖ブリミルに劣らぬ、優秀なメイジになると!

きみは自分で気が付いていないだけだ! そのあまりある才能に!」

「ワルド……あなた……」

 

 ルイズの声が、恐怖で震えた。ルイズが知っているワルドではない。何が彼を、ここまで変えてしまったのであろうか。

 

 

「あぁっ、くそっ、なんなんだ……」

 

 避難民の収容を終え、下へ下へと降下しつつある『イーグル』号の艦上、エツィオは再び目を擦った。

 

「なんだ相棒、まだぼやけてるってのか?」

「ああ……、さすがにこれは……うっとうしいな」

「目が大事なら、あんまり擦らない方がいいぜ」

 

 エツィオはうんざりした様子で呟く。しかし左眼の視界は益々歪んでいく。

そうこうしているうちに、左眼は像を結んだ。

 

「なっ……これは……!」

 

 エツィオは驚いた様子で、叫んだ。果たしてそれは、誰かの視界であった。

左眼と右眼、それぞれが別々のものをみているようにエツィオは感じた。

 

「これは、子爵か……? ルイズの視界? 一体なにを……」

「相棒? どうした?」

「わからない、左眼がルイズの視界を映しているみたいなんだが……」

 

 エツィオは言った。いつか、ルイズが言っていた事を思い出した。

 

『使い魔は、主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ』

 

 エツィオは左手を見た、そこに刻まれたルーンが、武器を握っているわけでもないのに、光り輝いている。

なるほど、これも能力だ。使い魔として備わった能力の一つに違いない。

 エツィオはすぐに右眼を瞑った。開いた左眼に、目を吊り上げ、恐ろしい表情でルイズの肩を掴むワルドが視界に映り込んだ。

 

「あいつ、なにを……」

 

 ただならぬ様子に、嫌な予感を感じ取ったエツィオは、左眼に意識を集中させた。

瞬間、エツィオは、ばっと顔を上げると、舷縁に足を駆け、その上に飛び乗った。

それを見ていた乗客の数人が何事かとざわつき始める。

だがエツィオは、そんな乗客たちなど最初から気にも留めていないとばかりに、舷縁から、秘密の港につながる壁に向かい、力の限り跳躍する。

マントをはためかせ、壁の出っ張りにかろうじて手をかけ、取りついた。

突然の出来事に騒然とする『イーグル』号を尻目に、エツィオは必死に岩壁をよじ登っていく。

 

「お、おい! 相棒! なにやってんだよ!」

「説明は後だ! くそっ……なんてことだ! ……ルイズ!」

 

 エツィオは自分の迂闊さを呪った。

手掛かりはあったのだ、だが、あえて考えないように頭の隅へと追いやってしまっていた……。

なぜ、もっと疑わなかった、なぜ、もっと警戒しなかった。エツィオの胸中で不安と後悔が渦を巻いた。

自分が想定していた中で、最も考えたくなかった、いや、考えないようにしていた、ルイズにとって最も残酷で、最悪の状況、それが今、現実になろうとしている。

 

「……くそぉっ!」

 

 湧き上がる不安と焦燥、そして怒り。エツィオは遥か上にある港を睨みつけると、一心不乱に壁をよじ登り続けた。

 

 

 ルイズに対するワルドの剣幕を見かねたウェールズが、間に入ってとりなそうとした。

 

「子爵……、きみはフラれたのだ、ここは潔く……」

 

 が、ワルドはその手を撥ね除ける。

 

「黙っておれ!」

 

 ウェールズは、ワルドの言葉に驚き、立ちつくした。ワルドはルイズの手を取った。

ルイズは、まるで蛇に絡みつかれたかのように感じた。

 

「ルイズ! きみの才能が僕には必要なんだ!」

「わたしは、そんな才能のあるメイジではないわ」 

「だから! 何度も言っているだろう! 自分で気が付いていないだけなんだよ! ルイズ!」

 

 ルイズはワルドの手を振りほどこうとした。しかし、ものすごい力で握られているために振りほどく事が出来ない。

苦痛に顔を歪めて、ルイズは言った。

 

「そんな結婚、死んでもイヤよ、あなた、わたしを愛していないじゃない。

わかったわ、あなたが愛しているのは、あなたがわたしの中にあるという、ありもしない魔法の才能だけ。

ひどいわ、そんな理由で結婚しようだなんて。こんな侮辱はないわ!」

 

 ルイズは暴れた。ウェールズが、ワルドの肩に手を置いて、引き離そうとした。しかし、今度はワルドに突き飛ばされた。

ウェールズの顔に、赤みが走る。立ち上がると、杖を抜いた。

 

「うぬ、何たる無礼! 何たる侮辱! 子爵! 今すぐにラ・ヴァリエール嬢から手を離したまえ!

さもなくば! 我が魔法の刃が、きみを切り裂くぞ!」

 

 ワルドは、そこでようやくルイズから手を離した。どこまでも優しい笑みを浮かべる。しかしその笑みは、嘘に塗り固められていた。

 

「こうまで言ってもダメかい? ルイズ、僕のルイズ」

 

 ルイズは怒りに震えながら言った。

 

「いやよ、誰があなたなんかと結婚するもんですか」

 

 ワルドは天を仰いだ。

 

「この旅で、君の気持を掴もうと、随分努力してきたのだが……」

 

 両手を広げて、ワルドは首を振った。

 

「こうなっては仕方がない、目的の一つは諦めるとしよう」

「目的?」

 

 ルイズは首を傾げた。どういうつもりだと思った。

ワルドは口の端をつり上げ、禍々しい笑みを浮かべた。

 

「そうだ、この旅の目的は三つあった。その二つが達成できただけでも、よしとしなければな」

「達成? 二つ? どういうこと……」

 

 ルイズは恐怖と不安に慄きながら、訊ねた、頭の中で、考えたくない想像が、急激に膨れ上がる。

 ワルドは右手を掲げると、人差し指を立ててみせた。

 

「まず一つはきみだ。ルイズ、きみを手に入れることだ。しかし、これはもう果たせないようだ」

「あたりまえじゃないの!」

 

 次にワルドは中指を立てた。

 

「二つ目の目的は、ルイズ、きみのポケットに入っている、アンリエッタの手紙だ」

 

 ルイズははっとした。

 

「ワルド……あなた……」

「そして三つ目……」

 

 ワルドの『アンリエッタの手紙』という言葉で、全てを察したウェールズが杖を構えて呪文を詠唱した。

しかし、ワルドは二つ名の閃光のように素早く杖を引き抜き、呪文の詠唱を完成させた。

ワルドは風のように身を翻させ、ウェールズの胸を青白く光るその杖で貫いた。

 

「き、貴様……『レコン・キスタ』……」

 

 ウェールズの口から、どっと鮮血が溢れる。ルイズは悲鳴をあげた。

ワルドは、ウェールズの胸を光る杖で深々と抉りながら呟いた。

 

「三つ目……ウェールズ、貴様の命だ」

 

 どうっ、とウェールズは床に崩れ落ちる。

 

「貴族派! あなた、アルビオンの貴族派だったのね! ワルド!」

 

 ルイズはわななきながら、怒鳴った。ワルドは裏切り者だったのだ。

 

「そうとも。いかにも僕は、アルビオンの貴族派『レコン・キスタ』の一員さ」

 

 ワルドは冷たい、感情のない声で言った。

 

「どうして! トリステインの貴族であるあなたがどうして!?」

「我々『レコン・キスタ』はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。我々に国境は無い。

ハルケギニアは我々の手で一つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

「昔の、昔のあなたはそんな風じゃなかったわ。何があなたを変えたというの? ワルド……」

「月日と、数奇な運命の巡り合わせだ、だがそれを語る気は無い、話せば長くなる。死にゆくきみに話しても、意味のないことだからな」

 

 ルイズは思い出したかのように杖を握ると、ワルド目がけて振ろうとした、しかし、ワルドになんなく弾きとばされ、床に転がる。

 

「助けて……」

 

 ルイズは 蒼白な顔になって、後ずさった。立とうと思っても、腰が抜けて立てないのだ。

ワルドは首を振った。

 

「だから! だから共に世界を手に入れようと、言ったではないか!」

 

 風の魔法が飛ぶ、『ウィンド・ブレイク』。ルイズを紙きれのように吹き飛ばした。

 

「いやだ……助けて……」

「言うことを聞かぬ小鳥は、首を捻るしかないだろう? なぁ、ルイズ」

 

 壁に叩きつけられ、床に転がり、ルイズは呻きをあげた。涙がこぼれる。

ここにはいない、使い魔に繰り返し助けを求めた。

 

「助けて……お願い……」

 

 まるで呪文のように、ルイズは繰り返す。楽しそうに、ワルドは呪文を詠唱した。

周囲の空気が、冷えはじめた、ひんやりとした空気が、ルイズの肌を刺す。

 

「残念だよ……。この手で、きみの命を奪わねばならないとは……」

 

 これは……電撃の魔法、『ライトニング・クラウド』だ。まともに受ければ命は無い。

体中が痛い、ショックで息がとまりそうだ。ルイズは子供のように怯えて、涙を流した。

 

「エツィオ! 助けて!」

 

 ルイズは絶叫した。

呪文が完成し、ワルドがルイズに向かって杖を振りおろそうとしたその時……。

ワルドの頭上に、不意に冷たい風が吹く。以前にも同じ物を感じた……これは、あの時の!

 ワルドは即座に身を翻し、その場から飛び退いた。その瞬間、ワルドのいた場所に、白き影が舞い降りた。

 

「き、貴様っ……!」

 

 着地と同時に飛びかかってきたエツィオと取っ組み合う形になったワルドが、呻くように呟く。

ギリギリで受け止めた左手の隠し剣が、ワルドの鼻先で鈍い光を放っている。

 

「……泣かせたな?」

 

 エツィオの左腕に力がこもる、恐ろしい力だ、堪らずワルドはその腕を受け流す。

貫くべき対象を失った短剣はワルドの鼻先をかすめ、エツィオは前につんのめった。

その隙にワルドは飛びずさり、距離を取る。

 

 エツィオはゆっくりと頭を振り、ちらとルイズを見た。

失神したのか、ルイズは絶叫と共に床に倒れ、ぴくりとも動かない。

 

「……」

 

 無言でワルドを睨みつける。その眼に怒りはない、ワルドを見つめるのは、抹殺すべき対象を観察する、

どこまでも冷徹な、アサシンの眼であった。

 

「ふん、主人の危機が目に映りでもしたか」

 

 残忍な笑みを浮かべ、ワルドが嘯く。

エツィオは答えず、左手のアサシンブレードを引き出し、ゆっくりとワルドに向け、歩を進める。

その時だった、ワルドがエツィオを制止した。

 

「まぁ待て、『ガンダールヴ』……丁度いい機会だ、きみに話がある」

 

 ワルドはそう言うと、戦意はないと言わんばかりに手を広げた。

エツィオは立ち止まると、ワルドを睨みつけた。

 

「話だと?」

「ああ、ようやくきみの正体がわかったよ、きみは『傭兵』ではないな? 『ガンダールヴ』となった『アサシン』だ、そうだろう?」

「……だからなんだ」

「その暗器、その身のこなし、戦闘能力、そして、暗殺者としての技量。この僕が認めよう、さすがは伝説の使い魔だ、どれもすばらしい。

『ガンダールヴ』となったきみなら、どんな相手であっても暗殺してしまうだろうな」

 

 ワルドは口元に笑みを浮かべると、わざとらしく拍手をした。

ぱちぱちぱち……と、剣呑な雰囲気に似つかわしくない拍手の音が、礼拝堂に響き渡る。

 

「さてガンダールヴ、単刀直入に言う、……こちら側につかないか? 大いに歓迎しよう」

「こちら側とはなんだ」

「この戦に勝つ側だよ。我々、『レコン・キスタ』の手によって、世界は大きく変わる、ガンダールヴよ、共にそれを見ようじゃないか」

 

 ワルドは両手を大きく広げると、歌う様に言った。

エツィオはすっとワルド指さして言った。

 

「ワルド……、俺は知っているぞ。お前達がどんな末路を迎えるかをな。お前達の企みは破れ、この刃が喉を切り裂く!」

「……なるほど、交渉は決裂、か」

 

 ワルドはやっぱりな、と言いたげに肩を竦めると、杖をエツィオに突きつけた。

 

「ならばここで、ルイズと共に死んでもらうぞ、ガンダールヴ!」

「……生憎だが、死ぬのはお前一人だ」

 

 エツィオは右手で腰のデルフリンガーを引き抜くとワルドに突っ込んだ。

剣を袈裟掛けに払った。ワルドは飛びずさり、それをかわす。

 

「裏切り者め! やはりあの時、消しておくべきだった!」

 

 返す刃でワルドに斬りかかりながら、エツィオは叫んだ。

ワルドは羽根でも生えているかのような動きでそれをかわし、高く飛びあがると始祖ブリミルの像の前に立った。

 

「見抜けぬ貴様が悪いだけだ」

「あぁそうだ、だからこそ、こうしてここにいる! お前の首を切り裂くためにな!」

 

 エツィオは叫びながら、ワルドに向け、投げナイフを放った。

ルーンの力も合わさった投げナイフは、人の手から放たれたとは思えない速度でワルドに襲いかかる。

危険を感じ取っていたワルドはすぐさま身をかわし、まるで風のように礼拝堂を飛びまわる。

それを追う様に次々とエツィオの手から投げナイフが放たれる、恐ろしい速度で迫るそれは、石の壁に深々と突き刺さってゆく。

 

「ルイズを傷つけた償いは、受けてもらうぞ!」

「くっ! 調子に乗るな!」

 

 ワルドは杖を振ると、呪文を発した。詠唱を見切っていたエツィオは即座に物陰に身を隠した。

風の呪文、『ウィンド・ブレイク』が、礼拝堂の中を吹き荒れる。

 

「くそっ、近づけない……っ!」

 

 物陰から飛び出そうにも、ワルドが魔法を放ってくるために身動きが取れない。

このままでは防戦一方である。

 

「どうした? ガンダールヴ、風の魔法の前に、手も足も出ぬではないか。その刃で僕の首を切り裂くのではなかったのか?」

 

 残忍な笑みを浮かべて、ワルドが嘯く。

そんな時、デルフリンガーが叫んだ。

 

「思い出した!」

 

 その声に少しだけ驚いたのか、エツィオが手元のデルフリンガーに視線を落とす。

 

「そうか、ガンダールヴか! おい相棒! 思い出したよ!」

「悪いが後にしてくれ! 今は余裕がないんだ!」

「まぁ聞けよ! いやぁ、俺は昔、お前に握られてたぜ。ガンダールヴ。でも忘れちまってた。なにせ六千年も昔の話だ」

「どうする……くっ!」

 

 デルフリンガーを無視しながら物陰からちらと顔を出し、ワルドの様子を見る。

瞬間、迫撃の『ウィンド・ブレイク』が飛んできた。危険を感じ、身をかがめながら別の物陰へと転がりこんだ。

 

「おい無視すんじゃねぇよ! 力貸さねぇぞ!」

「……力だって?」

 

 身を隠すためにうずくまる形になったエツィオが、いぶかしむようにデルフリンガーを見つめた。

 

「おうよ、見てな! 今見せてやるぜ!」

 

 叫ぶなり、デルフリンガーの刀身が光り出す。

エツィオは呆気にとられた表情でデルフリンガーを見つめた。

 

「デ、デルフ? これは……?」

「そこだ!」

「しまっ……!」

 

 デルフリンガーから放たれた光を見つけたのか、ワルドが物陰に隠れていたエツィオに向かい『ウィンド・ブレイク』を唱えた。

猛る風が、エツィオめがけて吹きすさぶ、咄嗟にエツィオは光り出したデルフリンガーを構える。

 

「無駄だ! 剣では防げぬぞ!」

 

 ワルドが叫んだ。

 が、しかし、エツィオを吹き飛ばすかに思えた風が、デルフリンガーの刀身に吸い込まれる。

そして……。デルフリンガーは今まさに研がれたかのように、光り輝いていた。

 

「お、おい、これは一体……」

「これがほんとの俺の姿さ! 相棒! いやぁ、てんで忘れてたぜ、そういや飽き飽きしてた時に、テメェの姿を変えたんだった。

なにせ、面白い事はありゃしねぇし、つまらん連中ばっかりだったからな!」

「今のは一体……魔法が消えたぞ!」

「あぁこれかい? 俺が吸い込んだんだ、ちゃちな魔法は全部、俺が吸い込んでやるよ! この『ガンダールヴ』の左腕、デルフリンガー様がな!」

「……なるほどな、これで対等、というわけか」

 

 心強い味方を得たエツィオは、ニッと笑みを浮かべ、デルフリンガーを一振りすると、切っ先をワルドに突きつける。

 

「魔法を吸収するとはな、どうやら、ただの剣ではないようだ」

 

 興味深そうに、エツィオの剣を見つめていたワルドが呟く。

魔法を吸収してしまう、ということを知っても尚、その態度からは余裕がうかがえた。

杖を構えると、薄く笑った。

 

「さて、ではこちらも本気を出すとしよう。風のメイジが最強と呼ばれる所以、ここで教育いたそう」

 

 エツィオが飛びかかり、デルフリンガーを振う、ワルドは杖で剣戟をかわしつつ、呪文を唱える。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 なんとか詠唱を中断させるべく、攻撃を繰り返すも、ワルドは自身の二つ名に違わぬ速度で詠唱を完成させる。

すると、ワルドの体はいきなり分裂した。

一つ……二つ……三つ……四つ……、本体と合わせて、五体のワルドがエツィオを取り囲んだ。

 

「偏在……! まさかっ……!」

「よく知っているな、その通り、風のユビキタス……風の吹くところ、何処となくさまよい現れ、その距離は意思の力に比例する」

 

 ワルドの分身は、すっと懐から、真っ白の仮面を取り出すと、顔に付けた。

エツィオは、唇を噛むとワルドを睨みつけた。

 

「仮面のメイジ……やはりお前か!」

「いかにも、しかも一つ一つが意思を持っている。言ったろう? 風は偏在する」

「その風は、ここで止む。お前を消せば二度と現れまい!」

「……素晴らしい、流石だアサシン、このような劣勢でも、僕の命を絶つことをだけを考えるか。

勝つことに……いや、殺すことにどこまでも貪欲だ!」

 

 五体のワルドが、エツィオに踊りかかる。さらにワルドは呪文を唱え、杖を青白く光らせた。

『エア・ニードル』、先ほど、ウェールズの胸を貫いた呪文だ。

 

「杖自体が魔法の渦の中心だ。その剣で吸い込むことは出来ぬ!」

 

 杖が細かく振動している。回転する空気の渦が、鋭利な切っ先となり、エツィオの体を襲う。

迫りくる杖を剣で受け流し、切り払う。どういうわけか、エツィオは攻撃に転じようとはせず、じっとその攻撃を防ぎ続けていた。

 ワルドは楽しそうに笑った。

 

「なかなかやるではないかアサシン、さすがは伝説の使い魔、だがやはり、ただの骨董品だな。風の偏在に手も足も出ぬようではな!」

 

 防御に手いっぱいと見たワルドたちが追い打ちをかけるべく、じりじりと、エツィオに詰め寄る。

 

「貴様のような薄汚い暗殺者など、何人返り討ちにしたと思っているのだ!」

 

 エツィオが右手で握ったデルフリンガーを大きく振い、胴体ががら空きとなる。

 

「そこだ! 死ね! ガンダールヴ!」

 

 その隙を逃すまいと、ワルドの一体が襲いかかる。こうして、エツィオの狙っていた瞬間が遂に訪れた。

エツィオの今までの防戦はブラフだった。

マントの下に隠れた左手、逆手に握られていた短剣が、偏在の首を切り裂いた。エツィオは、返す刃で鳩尾、心臓、と執拗に偏在の体を滅多刺しにする。

最後に脳天を貫いた辺りで、死にかかっていた偏在がようやく消滅する。

エツィオはくるりと体を回転させると、その近くにいた一体の懐に潜り込む、顎の下から脳髄目がけ、一気に短剣を突きあげた。

一瞬で生命活動の要を絶たれ、まるで糸が切れた操り人形のように偏在の体から力が抜け、消滅する。

常人でなくとも、思わず目をそむけたくなるような凄惨な殺し方、だがエツィオは眉ひとつ動かさずに、もう一体のワルドとの距離を一気に詰める。

だが、今度はワルドも反撃に転じる、ワルドの放った杖の一撃が、エツィオの握っていた短剣を弾きとばす。

ワルドの顔に一瞬、余裕が戻る、この密着した距離では、右手の大剣は思う様に振うことができない筈だ。

だが、それでもエツィオの表情は何一つ変わらない。エツィオはすぐさまワルドの右手を掴むと、

ワルドの股間を蹴りあげる、思わぬ反撃にワルドは杖を握る手の力を緩めてしまう。その隙を逃さず、エツィオはワルドの杖を奪い取った。

術者の手を離れ、『エア・ニードル』の力を失った杖を握り、偏在の体を刺し貫いてゆく。心臓、喉、そして、眼球。

あっと言う間に三か所の急所を無理やり抉られ、頭蓋をも貫かれた偏在が、ばたりと倒れ、消滅する。

 

「……どの口がほざく」

 

 握っていた杖を投げ捨てながら、エツィオが呟く。

残されていた最後の偏在の一体が、エツィオに襲いかかる。

エツィオは、その杖を受け流し、下からデルフリンガーを振う。偏在の両腕が切断されるのと同時に、返す刃で脳天をカチ割った。

 

「衛士隊の隊長? そんなもの、今まで何人消してきたと思っている」

 

 ふらふらと立ったまま、消滅しようとしている偏在を、指先で優しく押し倒しながら、エツィオが嘯く。

その眼は、今までの彼が見せてきたものとはまるで違う、ぞっとするほど冷たい瞳だった。

 

 こんなはずでは……。全ての偏在を消されたワルドの頬に冷たい汗が流れる。

ゆっくりと、こちらへ歩を進めてくるアサシンに、忘れて久しかったあの感情……恐怖が蘇る。

 

「お前もその一人だ、ワルド」

「ほざけ! 貴様などに殺されるものか!」

 

 ワルドは呪文を詠唱しつつ、杖を振った。

その時である、エツィオはデルフリンガーを大きく振り上げ……何を思ったか、ワルドに向け、思いっきり投げつけた。

ワルドは咄嗟に『ウィンド・ブレイク』を放つ。だがその魔法は、回転しながら飛んでくるデルフリンガーに吸い込まれてしまう。

 

「くっ、ぐぅおおっ!」

 

 切り札であるデルフリンガーを投げるという予想外の攻撃に、ワルドは思わず反応が遅れ、回転して飛んでくるデルフリンガーに左腕を持って行かれる。

左腕を失った激痛に耐え、かろうじて立ち上がった。その時だった。

エツィオが空中高く飛びあがり、ワルドに飛びかかった。振りあげられた左手からアサシンブレードが飛びだし、今まさに標的の命を刈り取らんとしていた。

 

「くっ……だが貴様にもうあの剣は無い! 貰ったぞ! ガンダールヴ!」

 

 ワルドが叫んだ。呪文を詠唱し、エツィオ目がけ、杖を振う。瞬間、エツィオの左手が動いた。

 

「馬鹿め! 二度も同じ手を喰うか!」

 

 だが、ワルドはそれを見越していたのだろう、今まさに払いのけられんとしていた腕を引っ込めようとした。

しかし、エツィオは何を考えたのか、アサシンブレードを納めるとワルドの右腕を力強く掴む。そして、ワルドの顔目がけ、空いた右手を振り下ろした。

 

「ぐあああああっ!?」

 

 礼拝堂に、ワルドの絶叫が響き渡る。左目に感じる、燃えるような激痛にワルドがのたうちまわる。

歯を食いしばり、かろうじて立ち上がる。

 

「み……右手……二本目……だと! ぐっ……!」

 

 残った右手で左目を押さえ、呻くように呟きエツィオを睨みつける。

危なかった、あとほんの一瞬、呪文を放つのが遅かったら、右手に秘匿されていた二本目の隠し剣によって脳を抉られ、死に至っていただろう。

 

「ぐっ……くそっ……ワルド……! お前だけは……!」

 

 呪文によって壁まではねとばされていたエツィオが、呻き声を上げ立ち上がる。

ブーツについた鞘から短剣を引き出し、逆手に構えワルドを睨みつけた。

 

「くっ……よもや、この『閃光』がよもや後れを取るとは……」

 

 エツィオが短剣を構え、ワルドに襲いかかる。だが、ワルドは残った右腕で杖を振ると、宙に浮いた。

 

「逃げるのか!」

「ふん、目的の一つは果たせた、それでよしとしよう。どのみちここには我が『レコン・キスタ』の大群がすぐにでも押し寄せる!

ほら! 馬の蹄と竜の羽音が聞こえるだろう!」

 

 確かに、外から大砲の音や、火の魔法の爆発音が遠く聞こえてきた。

戦う貴族や、兵士の怒号や断末魔がそれら轟音に入り混じる。

ワルドは、窓際に降り立つと、杖を振い、窓を打ち破り、外へと脱出しようとしている。

 

「ワルド!」

 

 エツィオが叫ぶ、ワルドがちらと振り向いた。

 

「決して生かしておくものか……! 俺はどこまでもお前を追い! その喉を切り裂いてやる! 必ずだ!」

「出来るものか! どの道貴様は、ここで愚かな主人と共に灰となるのだ! ガンダールヴ!」

 

 そう捨て台詞を残し、ワルドは割れた窓から飛び去った。

残されたエツィオは、すぐにルイズの元へ駆け寄った。

 

「ルイズ!」

 

 エツィオはルイズを抱え起こした、しかし、ルイズは目を覚まさない。

エツィオはルイズの首筋に手を当てる。指先に、とくん、とくんと脈打つものを感じ、エツィオは安心したかのように大きく息を吐いた。

ルイズはボロボロだった、マントはところどころ破れ、膝と頬をすりむいていた。服の下は、打ち身だらけに違いない。

ルイズは胸のあたりで、手を堅く握っている。その下の胸ポケットのボタンが外れ、中からアンリエッタの手紙が顔を覗かせている。

どうやらルイズは……意識を失っても、この手紙を守るつもりでいたようだ。

 

「よく……がんばったな」

 

 エツィオは優しく微笑むと、ルイズの頬を撫でる。本当に……生きていてよかった。

 

「おーい、相棒、そろそろ拾ってくれよ」

 

 その声に、我に返ったエツィオは、ルイズを一旦横たえると、床に転がったままのデルフリンガーを拾い上げる。

 

「デルフ、少しは空気を読んでくれよ」

「そうしてやりたいのは山々なんだけどな、どうやらそうも言っていられないぜ? どうやって脱出するんだ? 『イーグル』号はもう出航しちまったしよ……」

「今考えてる……といっても、選択肢は多くは無いな」

 

 エツィオはデルフリンガーを腰に下げ、先ほど叩き落された短剣を拾い上げると、ルイズを抱え上げた。

 

「で、どうすんだ?」

「ここから逃げる」

 

 エツィオがそう言うと、デルフリンガーがぴくぴくと震えた。

 

「逃げるったってよ、五万の兵隊に囲まれてんだぜ?」

「どうもこうも、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないんだ、やるしかないだろ?」

「ま、それしかあるめぇな、んじゃ、いっちょこっからバックレるとすっか」

「あぁ、女の子を抱えて逃げることくらい、朝飯前さ」

 

 いつもの軽口を叩きながら、礼拝堂の外へと出ようとした、その時だった。

ぽこっと、自分の足元が盛り上がるのを感じた。

 

「なっ、なんだ?」

 

 エツィオはその場から飛び退き、地面を見つめた。

 

「敵か……? くそっ、もうここまで!」

 

 ルイズを床に寝かせ、剣を引き抜こうとしたとき、ぼこっと、床石が割れ、茶色の生き物が顔を出した。

 

「えっ? あっ! お前は!」

 

 その茶色の生き物は、床に横になるルイズを見つけると、モグモグとうれしそうにその体をまさぐった。

エツィオはその生き物に見覚えがあった、こいつは確か……。

 

「ヴェルダンデ! ギーシュの使い魔! どうしてここに……!」

 

 エツィオが叫んだ時、巨大モグラが出てきた穴から、ひょこっとギーシュが顔を出した。

 

「こら! ヴェルダンデ! どこまで穴を掘れば気が済むんだね! いいけど! って……」

 

 土にまみれたギーシュは、そこで呆けたように佇むエツィオと、横たわったルイズに気が付き、とぼけた声で言った。

 

「おや! きみたち、ここにいたのかね!」

「ギーシュ! お前っ……どうしてここにいる!」

「いやなに、『土くれ』のフーケとの一戦で勝利した僕たちは、寝る間も惜しんできみたちを追ってきていたのだ。

なにせこの任務には、姫殿下の名誉がかかっているからね」

「どうやってここまでこれたんだ?」

 

 その時、ギーシュの傍らに、キュルケが顔を出した。

 

「タバサのシルフィードよ」

「キュルケ!」

「アルビオンについたはいいが、なにせ勝手のわからぬ異国だからね。でもこのヴェルダンデが穴を掘り始めた。後を追ってきたら、ここに出たんだ」

 

 巨大モグラ……ヴェルダンデは、フガフガとルイズの指に光る『水のルビー』に鼻を押し付けている。

ギーシュはうんうんと頷いた。

 

「なるほど、水のルビーの匂いを追ってここまで来たのか、なにせ、とびきりの宝石好きだからね。

ラ・ロシェールまで穴を掘って追いかけてきたんだよ、彼は」

 

 エツィオは、安心したかのように顔をほころばせ、感極まったのか、二人を抱きしめる。

 

「は、ははは……。ああ、やっぱりきみたちは最高の友達だ!」

「なっ、お、おい、エツィオ! どうしたんだ?」

「ちょっとダーリン? 抱きしめるならあたしだけにしてよ、もう」

 

 エツィオは顔を上げると、緊迫した表情で言った。

 

「とにかく、今は逃げよう! もうすぐ敵が来る!」

「え? 逃げるって……一体なにが起こってるのかね? ワルド子爵は?」

「手紙は手に入れた、ワルドは……裏切り者だった、あとはここを逃げるだけだ」

「なぁんだ、なんだか知らないけど、もうおわっちゃったみたいね」

 

 キュルケはつまらなそうに言った。

ルイズを抱えて穴に潜ろうとしたとき、エツィオはふと気づいて、ルイズをギーシュに預け、礼拝堂に戻った。斃れたウェールズに近づく。

しかし、ウェールズは既に事切れていた。

 

「汝が名は、我が魂に刻まれり――眠れ、安らかに。……我が友よ」

 

 エツィオは唇をかみしめると、ウェールズの瞼に手をかざし、そっとその目を閉じる。

そうすることによって現れたウェールズの顔は、まるで眠っているかのように穏やかだった。

 

「おーい、何をしてるんだね! 早くしたまえ!」

 

 ギーシュがそんなエツィオを呼んだ。

エツィオはウェールズの指から、風のルビーを外した。アンリエッタに渡すなら、これが最もふさわしいと考えたからだ。

それから、エツィオは少し考えると、ウェールズが身に着けていた、既に血で染まったアルビオン王家のマントを取り外した。

エツィオは立ち上がり、穴に駆け戻り地下にもぐり込む、その瞬間、礼拝堂に王軍を打ち破った貴族派のメイジや、兵士たちが飛び込んできた。

 

 

 ヴェルダンデが掘った穴は、ずっと真下に続いている、下へ下へと下って行く途中、しんがりを務めていたエツィオが、不意に横に伸びる穴に気がついた。

 

「待った!」

「ん? どうかしたのかね?」

「ギーシュ、この穴は?」

「あぁ、これかい? 城の郊外に続いている穴だよ、一旦僕らは外に出たんだけどね、それからヴェルダンデが再び穴を掘り始めちゃったんだ」

「そこは安全だったか? 貴族派の気配は?」

「いや? 森の中だったし、だれもいなかったな」

 

 ギーシュの説明を聞き、エツィオがニヤリと笑う。

 

「ギーシュ……お前、最高だ」

 

 エツィオはギーシュの肩を力強く叩くと、横に広がった穴へと足を踏み入れる。

驚いたギーシュは、エツィオを呼びとめた。

 

「あ、おいエツィオ! どこに行く気かね!」

「この穴、城の郊外に続いているんだろう? ……用事を思い出した、片づけてくる」

 

 エツィオはそう言うと、背負っていたルイズを抱きかかえ、じっと見つめる。

白い頬が血と泥で汚れていたが、高貴さと清楚さはそのままであった、目から頬に、涙の筋が光っている。

 

「ルイズ、すまなかった、俺がもっと早く、奴の裏切りに気がついていれば……」

 

 エツィオはルイズの頬を拭いながら呟いた。

 

「これは……俺のミスだ、だからケリをつけなきゃ、俺のミスは、俺のミス。だろ?」

 

 優しく微笑みながら、ルイズの額に唇を落とした。

それから、その様子を呆然と見つめていたギーシュとキュルケにルイズを託した。

 

「え? お、おいエツィオ!」

「ギーシュ、キュルケ、少しの間、ルイズを頼む」

「で、でも……」

「俺にはまだ、片づけるべき仕事が残っている。なに心配するな、ちょっとの間、滞在が伸びるだけさ。

ルイズには……目を覚ましたら、きっと暴れるだろうから、『任務はどうするんだ?』とでも伝えておいてくれないか」

 

 エツィオは肩を竦めると、おどけたように言った。 

 

「ここに来て、いいとこ見せてないんだ、少しは格好つけなきゃな。……さあ行け」

「……わかった、その代わり、必ず生きて戻ってきたまえよ、エツィオ」

「あぁ、ここで死ぬつもりはないさ」

 

 エツィオはそれだけ言うと、踵を返し、ニューカッスル郊外へと続く穴へと走り去ってゆく。

その様子を見送っていたギーシュ達も、アルビオン大陸を脱出すべく、大陸の下へと向け、穴を下りて行った。

 

 そのときルイズは、夢の中をさ迷っていた。

故郷のラ・ヴァリエールの領地の夢である。

忘れ去られた中庭の池……。そこに浮かぶ、小舟の上……、ルイズは寝転んでいた。

辛いことがあると、ルイズはいつもここで隠れて寝ていたのであった。

自分の世界、誰にも邪魔をされない、秘密の場所……。

 

 ちくりと、ルイズの心が痛む。

もうワルドはここへやってこない。優しい子爵。憧れの子爵。憧れの貴族。幼いころ、父同士が交わした、結婚の約束……。

幼いルイズをそっと抱え上げ、この秘密の場所から救い出してくれたワルドはもういない。

いるのは、薄汚い裏切り者、勇気あふれる皇太子を殺害し、この自分をも手にかけようとした残忍な暗殺者……。

 

 ルイズは小舟の上で泣いていた。

そうしていると、何かの気配を感じた。

 

「子爵様?」

 

 夢の中でルイズは訊ねた。しかし、すぐに首を振る。もう、あの子爵はここには来ない。では、誰だろう。

そのときであった、ばさっばさっ、とどこからか力強く羽ばたく音が聞こえてきた。

なんだろう、と思い顔を上げると、ルイズの眼の前、小舟の船首に、いつの間にか一羽の若い大鷲が止まっており、こちらをじっと見つめていた。

ルイズは一瞬身構えたが、どうやら害意は無いらしい。それどころか大鷲は、まるで雛鳥を見守る様に、ただただじっと、優しくルイズを見つめていた。

警戒を解いたルイズは、おずおずと大鷲に手を伸ばす。すると大鷲は、片翼を広げ、ルイズの頭を優しく撫でてくれた。

心地よいその感触に、ルイズの顔が思わずほころんだ、そのとき……。

 

 大鷲が、啼いた。

獲物を見つけたのか、はたまた雛に害為す敵を見つけたのか。

大鷲は一声、鋭い声で啼くと、船首の先から力強く羽ばたき、大空へと舞い上がる。

 

「ま、待って! 待ってよ! 行かないで!」

 

 幼いルイズは必死に手を伸ばす、だが、空へと舞い上がった大鷲を止めることはできない。

それでもルイズは必死に手を伸ばし、大声で叫んだ。

 

 

「エツィオ!」

「あら? ようやくお目ざめ? ルイズ」

「えっ? き、キュルケっ……! えっ、ど、どうしてここに!」

 

 風竜の上、ルイズが目を覚ますと、目の前には不倶戴天の敵、キュルケの顔があった。

どうやらキュルケの膝の上で眠っていたらしい。

ルイズはがばっと跳ね起きると、周囲を見渡した、風竜の上には、キュルケにタバサ、そしてギーシュがいる。

どうして全員集合しているのだろう、いや、それよりも。

 

「エツィオ! エツィオはどこ!」

「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ! ここ、空の上なんだから!」

 

 使い魔の姿が見えず、パニックに陥るルイズを、キュルケがなだめようとする。

 

「離して! エツィオはどこ! どこにいるの! ねぇ!」

「お、落ち着きたまえ! 今説明するから!」

 

 ギーシュも間に割って入り、なんとかルイズを落ち付かせる。

しかし、言葉を間違えると、再び暴れ出しそうであることは間違いない。

 自分達が到着したときには、礼拝堂にはエツィオとルイズしかいなかったこと。

エツィオから大方の事情は聞いた事。ギーシュは慎重に言葉を選びながら、これまでのいきさつをルイズに話して聞かせた。

 

「いいかい、エツィオは生きてニューカッスルから脱出した、これは間違いない」

「じゃあ、エツィオはどこにいるの?」

「彼が抜け出た穴は、ニューカッスルの郊外に続く穴だ、敵陣から離れた場所だよ」

「ってことは、あいつはアルビオンに残ったままなの?」

 

 ルイズがはっとした表情で顔を上げた。ギーシュが、しまった、といった顔になった。

どうやら導火線に火がついてしまったようだ。

風竜を操っていたタバサを捕まえ、がくがくと揺らす。

 

「も、戻って! タバサ! お願い! アルビオンに戻って!」

「無理」

「どうして! いいから戻ってよ! お願い!」

「お、落ち付きたまえ! エツィオが言ってたぞ、『任務はどうするんだ?』って!」

「そ、そんなの! そんなの……!」

「それにこうも言っていたわ、必ず戻るって。きっとエツィオは何か考えがあるのよ」

「ふぇっ……」

 

 その言葉を聞いたルイズは、タバサから力なく手を離すと、小さく蹲って泣き始めてしまった。

 

「エツィオ……どうして……どうして……!」

 

 その様子を見ながら、キュルケとタバサ、ギーシュの三人は、どうしたものかとため息を吐き、肩を竦めた。



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memory-19 「身を潜める」

 トリステインの王宮は、ブルドンネ街の突きあたりにあった。

王宮の前には、当直の魔法衛士隊の隊員達が、幻獣に跨り闊歩している。

戦争が近いと言う噂が、二、三日前から街に流れ始めていた。隣国アルビオンを制圧した貴族派『レコン・キスタ』が、トリステインに侵攻してくると言う噂だった。

 よって、城の警備を預かる衛士隊の空気は、ピリピリしたものとなっている。

王宮の上空は幻獣、船問わず飛行禁止令が出され、門をくぐる人物のチェックも当然激しくなった。

普段ならなんなく通される仕立屋や、出入りの菓子職人までが門の前で呼びとめられ、

身体検査の上、ディティクトマジックでメイジが化けていないか、『魅了』の魔法で何者かに操られていないか、など、厳重な検査を受けた。

 

 そんなときだったから、王宮の上に一匹の風竜が現れた時、警備の魔法衛士隊の隊員達は、色めきあった。

この日の警備を担当していたマンティコア隊の隊員達は、マンティコアに騎乗し、王宮の上空に現れた風竜目がけ、一斉に飛びあがる。

風竜の上には、四人の人影があった。しかも風竜は、巨大モグラを口にくわえている。

魔法衛士隊の隊員達は、ここが現在飛行禁止区域であることを、大声で告げたが、警告を無視して、風竜は王宮の中庭へと着陸した。

 

 風竜に跨っていたのは、桃色がかったブロンドの美少女に、燃える赤毛の長身の女、そして、金髪の少年、眼鏡をかけた小さな女の子だった。

マンティコアに跨った隊員達は、着陸した風竜を取り囲んだ。腰からレイピアの様な形状をした杖を引き抜き、一斉に掲げ、いつでも呪文を詠唱できるような態勢を取る。

ごつい体にいかめしい髭面の隊長が、大声で怪しい侵入者達に命令した。

 

「杖を捨てろ!」

 

 一瞬、侵入者たちはむっとした表情を浮かべたが、彼らに対して青い髪の小柄な少女が首を振って言った。

 

「宮廷」

 

 一行は仕方ないとばかりにその言葉に頷き、命令されたとおりに、杖を地面に捨てた。

 

「今現在、王宮の上空は飛行禁止だ、ふれを知らんのか?」

 

 一人の、桃色がかったブロンド髪の少女が、とんっと鮮やかに竜の上から飛び降りた。

 

「わたしはラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです。怪しい者ではありません、姫殿下に取り次ぎ願いたいわ」

 

 ここまでの間に多少落ち着きを取り戻したのか、ルイズははっきりと名乗った。

 隊長は口髭をひねって、少女を見つめた。ラ・ヴァリエール公爵夫妻なら知っている、高名な貴族だ。

隊長は掲げた杖を下ろした。

 

「ラ・ヴァリエール公爵さまの三女とな」

「いかにも」

「……なるほど、みれば確かに、目元が母君そっくりだ。して、要件を伺おうか」

「それは言えません、密命なのです」

「では殿下に取り次ぐわけにはいかぬ。要件も尋ねずに取り次いだ日にはこちらの首が飛ぶからな」

 

 困った顔で隊長が言った、そのときである。

宮殿の入口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物が、ひょっこりと顔を出した。

中庭の真ん中で魔法衛士隊に囲まれたルイズの姿を見て、慌てて駆け寄ってくる。

 

「ルイズ!」

 

 駆け寄ってくるアンリエッタの姿を見て、今までどこか元気のなかったルイズの顔に、ようやく笑顔が戻る。

 

「姫さま!」

 

 二人は、一行と魔法衛士隊が見守る中、ひっしと抱き合った。

 

「ああ、無事に帰ってきたのね。うれしいわ、ルイズ・フランソワーズ……」

「姫さま……」

 

 ルイズの目からぽろぽろと涙がこぼれる。

 

「件の手紙は、無事、この通りでございます」

 

 ルイズはシャツの胸ポケットから、そっと、手紙を見せた。

アンリエッタは大きく頷いて、ルイズの手を堅く握りしめた。

 

「やはりあなたは、わたくしの一番のおともだちですわ」

「もったいないお言葉です」

 

 しかし、一行の中にウェールズの姿が見えない事に気付いたアンリエッタは、顔を曇らせる。

 

「……ウェールズさまは、やはり父王に殉じたのですね」

 

 ルイズは目を瞑って神妙に頷いた。

 

「……して、あなたの使い魔とワルド子爵は? 姿が見えませんが。別行動を取っているのかしら?

それとも……まさか、敵の手にかかって……? そんな、あの子爵に限ってそんなはずは……」

 

 ルイズの表情が曇る。俯き絞り出す様にしてアンリエッタに告げた。

 

「姫さま……ワルドは……裏切り者だったんです」

「裏切り者?」

 

 アンリエッタの顔に、影が差した。

そして、興味深そうに、そんな自分達を見つめている魔法衛士隊の面々に気が付き、アンリエッタは説明した。

 

「彼らはわたくしの客人ですわ。隊長殿」

「さようですか」

 

 アンリエッタの言葉で隊長は納得するとあっけなく杖をおさめ、隊員達を促し、再び持ち場へと去って行った。

 アンリエッタは再びルイズに向き直る。

 

「道中、なにがあったのですか? ……とにかく、わたくしの部屋でお話ししましょう。他の方々は別室を用意します。そこでお休みになってください」

 

 キュルケとタバサ、ギーシュを謁見待合室に残し、アンリエッタはルイズを自分の居室に入れた。

小さいながらも、精巧なレリーフがかたどられた椅子に腰かけ、アンリエッタは机に肘をついた。

 

 ルイズはアンリエッタにことの次第を説明した。

 道中、キュルケたちと合流したこと。

 アルビオンに向かう船に乗ったら、空賊に襲われたこと。

 その空賊が、ウェールズ皇太子であったこと。

 ウェールズ皇太子に亡命を勧めたが、断られたこと。

 そして……、ワルドと結婚式をあげるために、避難船にはのらなかったこと。

 結婚式の最中、ワルドが豹変し……、ウェールズを殺害し、ルイズが預かった手紙を奪い取ろうとしたこと。

 使い魔であるエツィオが殺されそうになっていた自分を救い、脱出の間際、アルビオンに単身残ったであろうということ……。

 

 しかし、このように手紙は取り戻してきた。『レコン・キスタ』の野望……、

ハルケギニアを統一し、エルフの手から聖地を取り戻すという、大それた野望はつまずいたのだ。

 しかし……、無事、トリステインの命綱である、ゲルマニアとの同盟が守られたというのに、アンリエッタは悲嘆にくれた。

 

「あの子爵が裏切り者だったなんて……。まさか、魔法衛士隊に裏切り者がいるだなんて……」

 

 アンリエッタは、かつて自分がウェールズにしたためた手紙を見つめながら、はらはらと涙を落した。

 

「姫さま……」

 

 ルイズも、同じように涙を落とし、そっとアンリエッタの手を握った。

 

「わたくしが、ウェールズさまのお命を奪ったようなものだわ。裏切り者を使者に選ぶだなんて、わたくしはなんということを……」

「わたしは、皇太子に亡命を勧めました。ですが最後まで首を縦に振ろうとはしませんでした、もとより自分は真っ先に死ぬつもりだと。……姫さまのせいではありませんわ」

「……あの方は、わたくしの手紙を最後まで読んでくださったのかしら? ねえ、ルイズ」

 

 ルイズは頷いた。

 

「はい、姫さま。ウェールズ皇太子は姫殿下の手紙をお読みになりました」

「ならば、ウェールズさまはわたくしを愛してはおられなかったのですね」

 

 アンリエッタは寂しげに首を振った。

 

「ではやはり……皇太子に亡命をお勧めになったのですね?」

 

 悲しげに手紙を見つめたまま、アンリエッタは頷いた。

ルイズはウェールズの言葉を思い出した。彼は頑なに「アンリエッタは私に亡命など勧めてはいない」と、否定した。

やはりそれは、ルイズが思った通り、嘘であったのだ。

 

「ええ、死んでほしくなかったんだもの、愛していたのよ。わたくし」

 

 それからアンリエッタは、呆けたように呟いた。

 

「わたくしより、名誉の方が大事だったのかしら」

 

 ルイズは何も言えずに、俯いた。

エツィオは愛しているからこそ、彼は死を選んだ。と言っていた。

でも、自分にはその言葉の意味が、まだわからない。それゆえ、アンリエッタになんて声をかけたらいいか、わからなかった。

 

「残されたわたくしは……どうすればよいのかしら……」

「姫さま……」

 

 ルイズはぎゅっと唇を噛んだ。

アンリエッタは、そんなルイズに気がついたのか、立ち上がりルイズの手を握った。

 

「ごめんなさい、ルイズ、あなたも……辛い思いをしていたのよね。なのにわたくしったら……」

 

 それからアンリエッタはにっこりと笑った。

 

「わたくしの婚姻を妨げようとする暗躍は未然に防がれたのです。我が国はゲルマニアと無事同盟を結ぶことができるでしょう。

そうすれば、簡単にアルビオンも攻めてくるわけにはいきません、危機は去ったのです、ルイズ・フランソワーズ」

 

 アンリエッタは努めて明るい声を出して言った。

ルイズはポケットから、アンリエッタに貰った水のルビーを取りだした。

 

「姫さま、これ、お返しします」

 

 アンリエッタは首を振った。

 

「それはあなたが持っていなさいな。せめてものお礼です」

「こんな由緒ある品を頂くわけにはいきませんわ」

「忠誠には報いるところがなければなりません。いいから、とっておきなさいな」

 

 ルイズは頷くと、それを指にはめた。

 

「この度の働き、本当にあなたには感謝してもしきれないわ、あなたのおかげでトリステインは救われました。ルイズ・フランソワーズ、本当に、ご苦労様でした」

 

 

 王宮から、魔法学院に向かう雲の上、ルイズは沈痛な面持ちのまま、ずっと黙り込んでしまっていた。

そんなルイズの様子にキュルケもギーシュも、事情を察しているだけになんと声をかけたらよいのかわからず、なんだか気まずい思いをしていた。

ルイズは膝を抱えながらアンリエッタの言葉を思い出す。

 

『残された私はどうすればいい?』

 

 悲しそうに呟いたアンリエッタの気持ちが、なぜが痛いほど理解できる。

事実、今、自分はどうすればいいのか、まったく考えることができない。

ここにエツィオがいない、たったそれだけのことなのに、身悶えするような不安が、ルイズの全身を苛んだ。

 

「エツィオ……わたしは、どうすればいいの?」

 

 ここにはいない使い魔に問うも、誰も答えてはくれない。

ルイズはぎゅっと膝を抱き、小さく呟くと静かに啜り泣いた。

 

 戦が終わった二日後……かつては名城と謳われていたニューカッスルの城は、惨状を呈していた。

城壁はたび重なる砲撃と魔法攻撃で、瓦礫の山となり、無残に焼け焦げた死体がそこかしこに転がっている。

 照りつける太陽の下、瓦礫と死体が入り混じる中、長身の貴族が戦跡を検分していた。

羽のついた帽子に、アルビオンでは珍しいトリステインの魔法衛士隊の制服。

 ワルドであった。

彼の横には、フードを目深に被った女のメイジ。土くれのフーケこと、マチルダであった。

彼女は、ラ・ロシェールから船に乗り、アルビオンに渡ってきたのである。

昨晩、アルビオンの首都、ロンディニウムの酒場でワルドと合流して、このニューカッスルの戦場跡へとやってきた。

 周囲では、『レコン・キスタ』の兵士たちが、財宝漁りにいそしんでいる。

宝物庫と思わしき辺りでは、金貨探しの一団が歓声をあげていた。

長槍を担いだ傭兵の一団が、元は綺麗な中庭だった瓦礫の山に転がる死体から装飾品や武器を奪い取り、魔法の杖を見つけては大声ではしゃいでいる。

 マチルダはその様子を見て、苦々しげに舌打ちした。

そんなマチルダの表情に気づき、ワルドは薄い笑いを浮かべた。

 

「どうした土くれよ。貴様もあの連中のように、財宝を漁らんのか? 貴族から宝を奪い取るのは貴様の仕事ではないのか?」

「私とあんな連中を一緒にしないで欲しいわね。死体から略奪するのは、趣味じゃないもの」

「盗賊には盗賊の美学があるということか」

 

 ワルドは笑った。

 

「据え膳には興味がないの、私は大切なお宝を盗まれて、あたふたする貴族の顔を見るのが好きなのよ、こいつらは……」

 

 マチルダは、ちらっと王軍のメイジの死体を横目で眺めた。

 

「もう慌てることもできないわね」

「アルビオンの王党派は貴様の仇だろうが、王家の名のもとに、貴様の家名は辱められたのではないのか?」

 

 ワルドが嘯くように言うと、マチルダは顔をしかめた。

 

「そうね、そうなんだけどね」

 

 それから、ワルドの方を向いた。二の腕の中ほどから左腕が切断されている。主を無くした制服の袖がひらひらと風に揺れている。

続けてワルドの顔を見る、エツィオに抉られた左眼には眼帯をつけていた。

 

「あんたも随分苦戦したみたいね」

 

 ワルドは変わらぬ様子で呟いた。

 

「腕一本と左眼でウェールズを討ちとれたと考えれば、安い取引だったと言わねばならんだろう」

「たいした奴だね、あの使い魔の男は。風のスクウェアのあんたをこうまでしちまうなんてね」

「平民とは言え、流石は『アサシン』と言わねばなるまいな」

「でもまあ、この城にいた以上は、生き残れはしないだろうね」

 

 マチルダはポケットに手を入れ、小さく笑う。ワルドは冷たい微笑を浮かべた。

 

「ガンダールヴであろうと、アサシンであろうと、所詮は人、所詮は平民だ。攻城の隊からは、あの後すぐに礼拝堂に突入したとあった。

ここで主人と共になぶり殺しにされたのだろうな」

 

 マチルダは小さく鼻で笑った。そう思いたければそう思っていればいい。どの道自分には、この男がどうなろうと関係のない話だ。

 

「で、あんたは何を探しているんだっけ?」

「アンリエッタの手紙だ、この辺にあるはずだ」

 

 ワルドは、杖で地面を差した。そこは、二日前まで礼拝堂があった場所である。

ワルドとルイズが結婚式を挙げようとした場所であり、ウェールズが命を絶たれた場所であった。

しかし、今はみるも無残な瓦礫の山と化している。

 

「ふーん、あのラ・ヴァリエールの小娘……、あんたの婚約者のポケットにその手紙が入っているんだっけ?」

 

 真相は知っているが、あえて問いかける。

 

「そうだ」

「見殺し? 愛してなかったの?」

「愛しているだとか、愛していないだとか、そんな感情は既に忘れたよ」

 

 抑揚を抑えた声でワルドは言った。

呪文を詠唱し、杖を振る。小型の竜巻が現れ、瓦礫を吹き飛ばす。徐々に礼拝堂の床が見えてきた。

始祖ブリミルの像と、椅子の間に挟まる形で、ウェールズの亡骸があった。

椅子と像の間に挟まっていたおかげで、亡骸はつぶれてはいなかった。ただその背中にはあるはずのマントをしていなかった。

 

「あらら、懐かしのウェールズさまじゃない」

 

 元はアルビオンの貴族であったマチルダは、ウェールズの顔を覚えていた。

ワルドは、自分が殺したウェールズの死体には目もくれず、ルイズとエツィオの死体を探していた。

しかし……どこにも死体は見つからない。

 

「おかしい……どこにある……」

 

 ワルドは小さく呟き、注意深く辺りを探す。

まき起こった竜巻が、床に転がっていた絵画を吹き飛ばす。

すると、その下の床に、ぽっかりと空いた直径一メイル程の穴を見つけた。

 

 ワルドは顔をしかめ、穴の中を覗きこむ。ギーシュの使い魔が掘った穴だが、ワルドはそれを知らない。

ワルドの頬を、吹きぬけてきた冷たい風がなぶる。風が入ってくるということは、空に通じているに違いない。

 

「逃げられたか……!」

 

 ワルドの顔が、怒りに歪み、苦々しい声で呟いたそのときだった。

 

 遠くから二人に声がかかった。快活な、澄んだ声だった。

 

「子爵! ワルド君! 件の手紙は見つかったかね! アンリエッタがウェールズにしたためたという、その……なんだ、ラヴレターは。

ゲルマニアとトリステインの同盟を阻む救世主は見つかったかね!」

 

 ワルドは首を振って、現れた男に応えた。

やってきた男は、年のころは三十代半ば。 球帽をかぶり、緑色のローブとマントを身につけている。

一見すると聖職者のような格好に見えるが、物腰は軽く、軍人のようであった。

高い鷲鼻に、理知的な色をたたえた碧眼。帽子のすそから、カールした金髪が覗いている。

 

「閣下。どうやら、手紙は穴からすり抜けたようです。私のミスです、申し訳ありません。なんなりと罰をお与えください」

 

 ワルドは地面に膝を突き、頭を垂れた。

閣下と呼ばれた男は、にかっと人懐こい笑顔を浮かべ、ワルドに近寄ると、その肩を叩いた。

 

「何を言うか! 子爵! きみは目覚ましい活躍をしたのだよ。敵軍の勇将を一人で討ち取る働きをして見せたのだ!

ほら、そこで眠っているのは、あの親愛なるウェールズ皇太子じゃないかね? 誇りたまえ! きみが倒したのだ!

彼は随分余を嫌っていたが……、こうしてみると不思議だ、奇妙な友情すら感じるよ。ああそうだった、死んでしまえば誰もがともだちだったな」

 

 ワルドは、最後に込められた皮肉に気付き、僅かに頬を歪めた。それからすぐに真顔に戻り、自分の上官に再び謝罪を繰り返した。

 

「ですが、閣下の欲しがっておられた、アンリエッタの手紙を手に入れる任務に失敗いたしました。私は閣下のご期待に添えることができませんでした」

「気にするな。同盟阻止より、確実にウェールズを仕留めることが大事だ。理想は一歩づつ、着実に進むことにより達成される」

 

 それから、緑のローブの男はマチルダの方を向いた。

 

「子爵、そこの綺麗な女性を余に紹介してくれたまえ。未だ僧籍に身を置く余からは、女性に声をかけづらいからね」

 

 マチルダは、男を見つめた。ワルドが頭を下げているところを見ると、ずいぶんと偉いさんなのだろう。

だがしかし、気に入らない。妙なオーラを放っている。禍々しい雰囲気が、ローブの隙間から漂ってくる。

ワルドが立ち上がり、男にマチルダを紹介した。

 

「彼女が、かつてトリステインの貴族たちを震え上がらせた土くれのフーケにございます、閣下」

「おお! 噂はかねがね存じておるよ! お会いできて光栄だ、ミス・サウスゴータ」

 

 かつて捨てた貴族の名を口にされ、マチルダは微笑んだ。

 

「ワルドに、私のその名前を教えたのはあなたなのね?」

「そうとも。余はアルビオンの貴族のことなら全て知っておる。系図、紋章、土地の所有権……、

管区を預かる司教時代にすべて諳んじた。おお、ご挨拶が遅れたね」

 

 男は目を見開いて、胸に手を置いた。

 

「『レコン・キスタ』総司令官を勤めさせていただいておる、オリヴァー・クロムウェルだ。

元はこの通り、一介の司教に過ぎぬのだがね、しかしながら、貴族会議の厳正なる投票により、総司令官に任じられたからには、

微力を尽くさねばならぬ。始祖ブリミルに仕える身でありながら、『余』などという不遜な言葉を使うことを許してくれたまえよ?

微力の行使には、信用と権威が必要なのだ」

「閣下は既にただの総司令官ではありません、今ではアルビオンの……」

「皇帝だ、子爵」

 

 クロムウェルは笑った。しかし、目の色は変わらない。

 

「確かにトリステインとゲルマニアの同盟阻止は余の願うところだ。しかし、我々にはもっと大切なものがある。何だかわかるかね?子爵」

「閣下の深いお考えは、凡人の私にははかりかねます」

 

クロムウェルは、かっと目を見開いた。それから両手を振り上げて、大げさな身振りで演説を開始した。

 

「『結束』だ! 鉄の『結束』だ! ハルケギニアは、我々選ばれた貴族たちによって結束し、

聖地を忌まわしきエルフどもから取り返す! それが始祖ブリミルにより余に与えられし使命なのだ!

『結束』には、何より信用が大切だ。だから余は子爵、君を信用する。些細な失敗を責めはしない」

 

 ワルドは深々と頭を下げた。

 

「その偉大なる使命のために、始祖ブリミルは余に力を授けたのだ」

 

 マチルダの眉が、ぴくんと跳ねた。力? 一体どんな力だというのだろうか?

 

「閣下、始祖が閣下にお与えになった力とは何でございましょう? よければお聞かせ願えませんこと?」

 

 自分の演説に酔うような口調で、クロムウェルは続けた。

 

「魔法の四大系統はご存知かね? ミス・サウスゴータ」

 

 マチルダは頷いた。そんなことは子供でも知っている。火、風、水、土の四つである。

 

「だが……魔法にはもう一つの系統が存在する。始祖ブリミルが用いし、零番目の系統だ、真実、起源、万物の祖となる系統だ」

「零番目の系統……、虚無?」

 

 マチルダは青ざめた。今は失われた系統だ。どんな魔法だったのかすら、伝説の闇の向こうに消えている。

この男はその零番目の系統を知っていると言うのだろうか?

 

「余はその力を、始祖ブリミルより授かったのだ。だからこそ、貴族議会の諸君は、余をハルケギニアの皇帝にすることを選んだのだ」

 

 クロムウェルは、ウェールズの死体を指さした。

 

「ワルド君、ウェールズ皇太子を、是非とも余の友人に加えたいのだが、彼はなるほど、余の最大の敵であったわけだが、

だからこそ、死して後はよき友人になれると思う……異存はあるかね?」

 

 ワルドは首を振る。

 

「閣下の決定に異論が挟めようはずもございません」

 

 クロムウェルはにっこりと笑った、

 

「では、ミス・サウスゴータ。貴女に『虚無』の系統をお見せしよう」

 

 マチルダは、息をのんでクロムウェルの挙動を見守った。クロムウェルは腰にさした小さい杖を引き抜いた。

低い、小さな詠唱がクロムウェルの口から漏れる。マチルダがかつて聞いたことのない言葉であった。

詠唱が完成すると、クロムウェルは優しくウェールズの死体に杖を振り下ろす。

すると……何ということであろう。冷たい躯であったウェールズの瞳がぱちりと開いた。マチルダの背筋が凍った。

ウェールズはゆっくりと身を起こした。青白かった顔が、みるみるうちに生前の面影を取り戻してゆく。

まるで萎れた花が水を吸うように、ウェールズの体に生気がみなぎってゆく。

 

「おはよう、皇太子」

 

 クロムウェルが呟く。 蘇ったウェールズは、クロムウェルに微笑み返した。

 

「久しぶりだね、大司教」

「失礼ながら、今では皇帝なのだ。親愛なる皇太子」

「そうだった。これは失礼した、閣下」

 

 ウェールズは膝をついて、臣下の礼をとった。

 

「君を余の親衛隊に加えようと思うのだが、ウェールズ君」

「喜んで」

「なら、友人達に引き合わせてあげよう」

 

 クロムウェルが歩き出し、その後ろを、ウェールズが生前と変わらぬ仕草で歩いてゆく。

マチルダは呆然として、その様子を見つめていた。クロムウェルが、思い出したかのように立ち止まり、振り向いて言った。

 

「おおそうだ、ワルド君、実はきみに折り入って頼みがあったのだ」

 

 ワルドは会釈した。

 

「なんなりと」

「なに、そんな難しい話ではない、三日後にスカボローで『残党』の公開処刑を行うのだ、

きみにはそこで、我々『レコン・キスタ』の英雄として、そして余の代理として、執行に立ち会ってもらいたい」

「私が、ですか?」

「そうだ、これにより民衆はアルビオンの真の統治者が誰なのか理解することができるだろう。本来ならば、余直々に演説すべきなのだが……、

生憎、余は多忙でね、故にこの戦の功労者であり……余の右腕たるきみに頼みたいのだ、引き受けてくれるかね?」

「そのような大役を賜れるとは……身に余る光栄でございます、閣下」

「これはアルビオン国内の更なる結束につながる、大事な任務だ、よろしく頼んだぞ」

 

 クロムウェルは満足そうに頷き、言葉を続ける。

 

「……ワルド君、同盟は結ばれてもかまわない。この程度なら余の計画に変更はない。

外交には二種類あってな、杖とパンだ、とりあえずトリステインとゲルマニアには暖かいパンをくれてやろう」

「御意」

「トリステインは、なんとしてでも余の版図に加えねばならぬ。あの王室には、

『始祖の祈祷書』が眠っておるからな。聖地におもむく際には、是非とも携えたいものだ」

 

 そう言って満足げに頷くと、クロムウェルは去っていった。

 

 

「あれが……虚無? 死者が蘇るなんて……そんな馬鹿な……」

 

 クロムウェルとウェールズが視界の外に去った後、マチルダはやっとの思いで口を開いた。

ワルドが呟いた。

 

「虚無は生命を操る系統……閣下が言うには、そう言うことらしい。俺にも信じられんが、目の当たりにすると信じざるを得まいな」

 

 マチルダは震える声で、ワルドに訊ねた。

 

「もしかして、あんたもさっきみたいに、虚無の魔法とやらで動いているんじゃないだろうね?」

 

 ワルドは笑った。

 

「俺か? 俺は違うよ。幸か不幸か、この命は生まれつきのものさ」

 

 それからワルドは空を仰いだ。

 

「しかしながら……、あまたの命が聖地に光臨せし始祖によって与えられているとするならば……。

すべての人間は『虚無』の系統で動いているとは言えないかな?」

 

 マチルダはぎょっとして、胸を押さえた。心臓の鼓動を確かめる。生きているという実感が急に欲しくなったのだ。

 

「そんな顔をするな、これは俺の想像だ、妄想と言ってもよい」

 

 ほっと、マチルダはため息をついた。それからワルドを恨めしげに見つめる。

 

「驚かせないでよ」

 

 ワルドは右手で、なくなった左腕の部分を撫でながら言った。

 

「でもな、俺はそれを確かめたいのだ。妄想に過ぎぬのか、それとも現実なのか。きっと聖地にその答えが眠っていると、俺は思うのだよ」

 

 

 ワルドと別れ、マチルダは城の外へと出る、そしてあたりにワルドがいないことを確認すると。

ポケットから一枚の紙片を取り出した、それはつい昨日、以前エツィオに送った伝書鳩から受け取った手紙であった。

 

「ふん、なかなか鳩が帰ってこないと思ってたら……こういうことかい」

 

 マチルダは小さくぼやきながら小さな紙片を広げる。

どうやらエツィオは、アルビオンで活動することも念頭に置いていたらしい、最初の手紙を受け取って以来、

常に連絡が取れるように、ずっと鳩を持ち歩いていたようだ。

相変わらず抜け目のない男だ、そう考えながら紙片に目を通す。

そこにはやはりというべきか、合流場所とそれからの指示が記されている。

 

「はいはい……わかったよ」

 

 マチルダは口元に小さく笑みを浮かべると、紙片を空に放りあげ、手に持った杖を振り、呪文を唱える。

『発火』の呪文により、紙片が一瞬にして燃え上がり、灰となる。

証拠を跡形もなく消すと、辺りを見渡し、尾行がいないことを念入りに確認し、ニューカッスルを後にした。

 

 

 馬を走らせること半日、マチルダは馬を止め、とある建物を見上げる、そこは街道沿いに設けられた小さな安酒場だった。

どうやらここがエツィオに指定された合流場所のようだ、馬留めに馬をつなぎ、店の中に入る。

中を見渡すと、寂れた店内には、数人の客がテーブルにつき、思い思いに酒を飲んでいた。

店の奥には2階へと続く階段が伸びている、どうやらこの酒場は宿屋も経営しているらしい。

マチルダはカウンターに佇む店のマスターの元へと歩いてゆく。

 

「ご注文は?」

「『学者』が泊っているって聞いたんだけど、そいつはどこに?」

「ああ、2階の部屋にご案内するように仰せつかってまさぁ、……こちらが鍵になります」

「ありがと」

 

 差しだされた鍵を受け取ると、マチルダはエツィオが待つであろう2階へ上っていった。

 

 

「エツィオ? ……入るよ」

 

 階段を上った先、鍵に刻まれた部屋番号を確認し、マチルダは鍵を開け部屋の中へ入る。

中へ足を踏み入れると、部屋の奥、窓際に立っていた人物が振り向いた。

 

「やあマチルダ」

「エツィオ、来てやったよ」

 

 部屋の中で待っていた人物……、エツィオは入ってきたマチルダを見て、笑みを浮かべると、抱き寄せて唇を重ねた。

 

「……尾行は?」

「いないよ、あんたのような尾行のうまい奴は連中にはいないみたいね」

 

 長いキスの後、エツィオが訊ねると、マチルダは小さく笑った。

それからマチルダは少し、眉をひそめると、申し訳なさそうに呟いた。

 

「ニューカッスルでは……大変だったね、仮面のメイジがワルドだともっと早くわかってれば……」

「きみが気にすることじゃない、見抜けなかった俺の責任さ」

 

 エツィオは仕方がないとばかりに肩を竦める。

 

「……だからこそ、責任を取る為にここに残った、マチルダ、君に力を貸してほしい」

「言うと思ったよ、で、何が御望み?」

 

 マチルダはベッドに腰かけると、足を組みながら言った。

エツィオは、腕を組むと、険しい表情で尋ねた。

 

「まずは情報が欲しい、マチルダ、ワルドは今どこに?」

「ここに来る前までは、ニューカッスルの城にいたよ、あんたとそのご主人様の死体を探していたわ。

でも逃げられたって知って、手紙の回収は諦めたみたいね。今はスカボローに向かっているんじゃないかしら?」

「スカボローに?」

「ええ、なんでも三日後に、スカボローで王党派の公開処刑を行うみたいなの、そこで彼は、クロムウェルの代理として、その処刑に立ち会うみたいだね」

「クロムウェル……?」

「オリヴァー・クロムウェル……、『レコン・キスタ』総司令官、いや、今は『神聖アルビオン共和国』の皇帝だそうよ。

なんだか胡散臭い男でね、どうにも好きになれないよ……」

 

 マチルダはそこまで言うと、なぜか俯き、黙り込んでしまった。

 

「マチルダ? どうかしたのか?」

「いや……うん、エツィオ、実はね……」

 

 エツィオが顔を覗きこみ、尋ねる。

するとマチルダは、すこしためらった後、クロムウェルがウェールズを蘇生させた事を話して聞かせた。

その話しを聞いたエツィオは信じられないとばかりに顔をしかめた。

 

「殿下が生き返った……? そんなバカな……」

「私だって、今でも信じられないよ、死者が蘇るなんて……でもこの目で見てしまったんだ。

ウェールズが息を吹き返し、クロムウェルと会話を交わすのを、間違いないよ、あれはウェールズそのもの、仕草も癖も、全部同じだった……。

クロムウェルが言うには、命を操る、それが虚無の系統なんだって」

「虚無の……系統……」

「あいつは……、クロムウェルは、生き返ったウェールズを仲間に引き入れたみたいなの、何を企んでるかは知らないけどね」

 

 それを聞いたエツィオの表情が険しくなった。

それからマチルダは、呻くように呟いた。

 

「虚無、命を操る系統……、もしそれが本当なら……」

「本当なら?」

「ワルドが言ってたんだ、『あまたの命が聖地に光臨せし始祖によって与えられているとするならば……。

すべての人間は『虚無』の系統で動いているとは言えないか?』って。ワルドも妄想だ、って言ってたけど、なんだか怖くなっちまってね……」

「……マチルダ、惑わされるな、それは奴の妄言だ」

「うん……そうなんだけどね……」

 

 怯えたように話すマチルダに、エツィオはキッパリと言い切った。

万が一、もしそうだった場合、異世界の人間である俺はどうなるんだと、エツィオは口元を歪めた。

 

「……人には安らかに眠る権利がある。その眠りを妨げることは、神にすら許されぬことだ。

もしそれが事実なら、クロムウェル……奴とは一度会ってみる必要があるかもな」

 

 エツィオはそこで言葉を切ると、顎に手を当て、険しい表情のまましばらく考え込んだ。

クロムウェル……レコン・キスタ……虚無、どうにもきな臭い、嫌な予感がする。これらを放っておいたら『リンゴ』を探すどころではなくなってしまいそうだ。

蘇ったウェールズ皇太子のことは気になるが……、表向きには討ち取られたということになっている人間を表に引き出すということはしないだろう。

まずはとりあえず、目的を優先させることが重要だ。そう考えたエツィオは膝を打った。

 

「とりあえず、『リンゴ』のことはしばらく忘れよう。クロムウェルのことは君に任せる、出来る限り奴の情報を集めてくれ」

「あんたはどうするの?」

「スカボローへ。……ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドを地獄に送る。奴はこの先俺達……いや、トリステインにとって、確実に脅威になる」

 

 エツィオはそう言うと、アサシンブレードを引き出し、じっと見つめた。

迷わずに言いきったエツィオを見て、マチルダは背筋に寒いものを感じた。

エツィオから感じる、濃厚な死の気配。この男は、今まで何人の要人を闇に葬ってきたのだろうか?

この男に狙われたら、確実に命は無い。

トライアングルのメイジであるマチルダでさえ、そう感じずには居られず、思わず震えあがった。

エツィオは、そんなマチルダを知ってか知らずか、アサシンブレードを収めて、尋ねた。

 

「ワルドは、俺のことについて何か言っていたか?」

「え? ……あ、特に何も、あんたはご主人様と一緒にトリステインに逃げたと思っているみたいね。あんたのことはクロムウェルの耳にも入っていないよ」

「……警戒していない、か、好都合だ」

 

 エツィオは口元に小さく笑みを浮かべ、立ち上がる。

 

「明日になったら、早速スカボローへ立つとしよう。マチルダ、当日にそこで合流だ」

「わかった、その時になったらもう一度手紙を出すよ」

「頼んだ。……ああそれと、ちょっと頼みがあるんだけど……」

 

 今まで硬い表情だったエツィオが、なにやら困ったような、それでいて気まずそうな笑みを浮かべはじめた。

 

「なに?」

「実は、この宿に泊まるのに、全部使ってしまったんだ……。だからその……ちょっとお金を貸してくれると助かるんだけど……」

「はあ? あんた私に金を払ってただろう? あの傭兵達から奪った金はどうしたんだい?」

「君に全部渡しちゃってたんだ……あの時はルイズもいたし、なんとかなると思ってて……」

 

 エツィオは頭を掻きながら、気恥ずかしそうに言った。

さっきまでの冷徹な雰囲気はどこへやら、拍子抜けしたマチルダは思わずため息をつく。

 

「わかったよ……まったくしょうがない男だね」

 

 マチルダは呆れた笑みを浮かべると、財布を取り出し、エツィオに金を恵んでやった。

 

「すまないな」

「ジゴロ」

「はは……、返す言葉もない……」

「ちゃんと返してよね」

「もちろん……借りはちゃんと返す主義なんだ……倍返しでね」

 

 エツィオは、優雅に笑みを浮かべると、ベッドに腰かけるマチルダと唇を重ねる。

そのまま肩に手を置くと、マチルダを優しくベッドに押し倒した。

 

「えっ、ちょっと……まっ……あっ……」

 

 突然のエツィオの行動に、目を白黒させるマチルダをよそに、エツィオは燭台の灯に、フッと息を吹きかける。

蝋燭の灯が吹き消され、部屋に真っ暗な夜の帳が降りた。



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memory-20 「失墜」

 アルビオン大陸の玄関口の一つである、港街スカボロー。

現在、その大広場に備え付けられた絞首台が、明日の公開処刑を、今か今かと待ちわびていた。

その横には誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻っている。

 

「聞け! 処刑の告知だ! 王党派に属していた者達が、貴族会議により国賊と認められた!

明日の正午、スカボローの中央広場で、公開処刑を行う! 

尚、処刑には先日終結した革命戦争の英雄、ワルド子爵が立ち合い、演説することとなっている!」

 

 広場のはずれで、街の先触れが、道行く人々に処刑の知らせを叫び伝えている。

その周りに出来ていた人だかりの中を、白のローブを身にまとい、フードを目深に被った男が歩いていた。

一見派手な格好だが、その存在は驚くほど希薄。果たしてその男とは、エツィオ・アウディトーレその人であった。

 

「……」

 

 エツィオは無言で処刑場の周囲を見渡し、周囲の状況を頭の中へと叩きこんでゆく。

広場に面した通りの数を確認し、侵入経路、及び逃走経路を頭の中で構築しながら、広場を練り歩いていた。

そんなエツィオに、腰に下げたデルフリンガーがカチカチと音を出した。

 

「感じはどうだ? 相棒」

「今は警備が手薄みたいだが……当日はそうはいかないだろうな。

当日の警備の状況が分かればいいんだが……さて、どうしたものか」

 

 広場を巡回する、レコン・キスタ……いや、今は神聖アルビオン共和国の衛兵を横目に、エツィオが呟いた、そのときだった。

その衛兵に向かい、もう一人の衛兵が駆け足で近寄り、なにか話し始めた。

エツィオは群衆に紛れ、その会話に耳を傾ける。

 

「明日の警備配置が決まったぞ、詳細はこの地図を見ろってさ」

「ああわかった、……あぁくそっ、俺は外の警備か、王党派の連中が吊るされるのを、この目で見たかったぜ!」

「残念だったな、ま、俺は特等席で見物させてもらうとするぜ」

「お前はどこの警備なんだ?」

「へへ、実を言うとな、絞首台の真横なんだ、処刑を間近で見れるんだぜ!

しかも処刑には我がアルビオンの英雄、ワルド子爵殿が立ち合い、演説をするそうじゃねぇか」

「おいおい、すげぇな! 俺と替わってくれよ!」

「冗談じゃねぇや、ハッハッハ! これを機に子爵殿に気に入られて出世コースも……ああ、夢が膨らむぜ……」

「くそっ、せいぜいおべっかの練習でもしておくんだな!」

「そんなにひがむなよ、さて、俺はもう行くぜ」

 

 衛兵たちは、そんな会話をすると、それぞれの配置に戻るべく、歩き出した。

彼らの会話を盗み聞いていたエツィオは、紛れていた群衆を離れ、ゆっくりと先ほどの衛兵の一人に近づいてゆく。

息を殺し、極限まで気配を絶つ、衛兵のポケットから素早くメモを掠め取り、即座にその場から離れた。

 

「お見事」

「ちょろいものさ」

 

 その様子を見ていたデルフリンガーが茶化すように言った。

ベンチに腰かけ、エツィオは小さく笑うと、地図を広げ、当日の警備の配置を頭に叩きこむ。

警備が手薄であろう場所を割り出し、消すべき衛兵に目星をつけていた、その時だった。

ごぉん……ごぉん……と、広場に面する教会の鐘楼が、正午を告げる鐘を鳴らす。

鐘が鳴り終わり、しばらくすると、今度は教会の扉が開いた。

すると中から、礼拝を終えたのであろう、純白のローブを身にまとった神学者達が、ぞろぞろと出てくるのが見えた。

 

「……正午か」

 

 小さく呟き、なんとなしに神学者達を見つめていたエツィオだったが……。

何かを思いついたのか、ベンチから立ち上がると、一直線に教会へ向かい、ファサードをよじ登る。

道行く人々が驚いたような顔をしていたが、エツィオは全く意に介さずに屋根へとよじ登った。

それからエツィオは、同じように鐘楼をよじ登ると、塔の上から広場全体を見渡し始める。

広場から少し離れた場所に、同じようにもう一件、教会が立っているのが見える、

その教会からも、正午の鐘の音と共に、帰路へとつく人々の姿が見えた。

その様子を見ながら、エツィオは腰に下げたデルフリンガーに尋ねる。

 

「デルフ、礼拝はいつもこの時間に終わるのか?」

「ああ、いつもこの時間みたいだな」

「そうか……となると……」

 

 エツィオは小さく呟くと、地図を広げ、広場とを見比べながら何やら考え込んでいた、そのとき。

鐘楼の上に佇むエツィオの元に、一羽の鳩が飛んでくる、果たしてその鳩は、マチルダの伝書鳩であった。

エツィオは鳩を腕に止まらせると、手紙を取り出し、中を読む。

手紙には、スカボローへの到着予定時刻、そしてワルドの予定が大まかに記されていた。

どれもエツィオが事前に調査を頼んだ事である。ここまで調べられるということは、どうやら彼女は現在、ワルドと行動を共にしているようだ。

 

「到着は今日の夜か……到着後迎賓館に……公開処刑に合わせ広場へ……なるほどな」

 

 読み終えたエツィオは、手紙を細かく破り捨てると、鳩をそのまま空に放ち、マチルダの元へと送り返す。

 

「調べはついたか? 相棒」

「ああ、殺り方は決めた、後は待つだけだ」

 

 広場の中央に備え付けられた処刑場を見下ろしながら、エツィオが言った。

鐘楼の天辺に止まっていた一羽の大鷲が、大きく翼を広げ、大空へと舞い上がった。

 

 

 その日の夜……、スカボローの街は、明日行われる公開処刑を見物しようと、貴族、平民問わず、数多くの人間が集まってきていた。

通りや建物には様々な飾り付けがなされ、所々で花火の音がなっている。人々は街のお祭り騒ぎに浮かれ、酒を飲み、歌い、楽しんでいるようだ。

まるでカーニヴァルだ、と宿の一室から外を眺めながら、エツィオは呟いた。

 

「カーニヴァル?」

 

 テーブルに付き、ワインを飲んでいた女のメイジが首を傾げた。マチルダである。

彼女は昼すぎにワルドと共にスカボローに到着し、エツィオと合流するためにここに来ていたのであった。

 

「ああ、俺のところのお祭りだよ、ヴェネツィアとか凄い賑やかなんだ」

 

 エツィオはそう言うと、マチルダの向かいの席に腰かけ、ワインのグラスを傾ける。

 

「しかし、残党の公開処刑にしては、随分と派手にやってるみたいだな……何か他にあったのか?」

「ああ、あんたは知らないか。今日の昼すぎ、新政府の樹立が公布されたのよ。神聖アルビオン共和国が正式に建国したってわけ、だからこんなにお祭り騒ぎなのよ」

「なるほど。それで明日、王党派残党を全員処刑することで、国内の完全なる平定を誇示する、狙いはそんなとこか」

 

 エツィオは納得したように頷いた。

 

「ワルドの様子は?」

「ワルドなら、今は迎賓館で祝賀パーティーってところかしらね、あんたの存在なんてこれっぽっちも考えちゃいないわよ」

「随分持て成されているようだな」

「今のあいつは『アルビオンの英雄』だからね、クロムウェルは、ワルドの事を国内の士気を高めるためのプロパガンダにしているみたいね」

「そうか……。そのパーティー、君は出席しなくてもいいのか?」

「ああいった席は、どうも好きになれなくてね……」

 

 マチルダは、ほんの少し顔を曇らせると、グラスをテーブルに置いた。

 

「それで、あんたは大丈夫なの? 明日殺るんでしょ? ワルドを」

「ああ、全部考えてある、だけど、一つ問題がある」

「問題?」

 

 首を傾げるマチルダに、エツィオは人差し指を立てた。

 

「クロムウェルだ、奴の操る虚無……。信じがたいが、死者を蘇らせるというのなら、ワルドの死体をそのままにしておくわけにはいかない」

 

 エツィオのその言葉を聞いて、マチルダは納得したように頷く。

クロムウェルの虚無、死者を蘇らせる能力は確かに脅威である。ワルドはエツィオの立場を知る唯一の存在だ。

ワルドが蘇り、エツィオの情報がクロムウェルの耳に入ったら、それこそ厄介なことになりかねないのだ。

 

「なるほどね、それで私の出番ってわけね」

「そうだ、俺が暗殺に成功したら、奴の死体を処分してくれ、出来る限り速やかにだ。立場上、君が一番怪しまれずに奴の死体を処理できる」

「念には念を、か、わかったよ。……あんた、ワルドを消したら、次は私じゃないだろうね?」

 

 あまりに抜け目のないエツィオに、マチルダは茶化す様に笑った。

するとエツィオは、口元にサディスティックな笑みを浮かべると、にっこりとほほ笑んだ。

 

「きみを殺すわけないじゃないか。それに、君は俺を裏切れないことを知っているしな、……そうだろ?」

「え、あ……う、うん……そう、だけど、さ……」

 

 その言葉に、マチルダは急に顔を赤くすると、何やら恥ずかしそうにもじもじとしだした。

それから、バンっとテーブルを両手で叩きながら、勢いよく立ちあがる。

 

「と、とにかく! 今日はダメだからね!」

「おや? 何の話かな? 俺はまだ何も言っていないぞ?」

「え、あ、う……こ、この……!」

 

 マチルダが羞恥で顔を真っ赤にしながら、ぎりぎりと口元を歪める。

あぁくそ、この女の敵め。絶対にあの子には会わせてなるものか。……万が一にでも会うようなことがあれば、その時は刺し違えてもこいつを殺してやる。

マチルダは心に固く誓いを立てながら、目の前の女たらしを睨みつけた。

 

「さて、冗談はここまでにして……」

 

 エツィオは、急に真面目な表情を作ると、すっくと立ち上がった。窓辺に立ち、相も変わらずお祭り騒ぎの街を見渡す。

 

「明日、君は処刑場に?」

「あ、ああ、私も見物することになってるよ、これでもワルドの秘書官みたいな立場なんでね」

「そうか、それじゃ、事が済んだら鳩を飛ばしてくれ、俺は一旦スカボローから脱出する」

「わかった、その通りにするよ」

「……怪しまれるといけないな、君もそろそろ戻った方がいい」

「そうだね、それじゃ……」

 

 マチルダは椅子から立ち上がると、グラスに注がれていたワインを飲み干した。

 

「面倒をかけて、すまないな」

「別にいいよ、あんたには危ないところを助けてもらったし……それに」

 

 マチルダはそこで言葉を切ると、小さく笑う。

 

「あんたの方が連中より気前がいいからね、高く雇ってくれる方に肩入れするのは当然でしょう? 革命なんかに興味は無いしね」

「それもそうだな」

「だからちゃんとお金返してよ? あれには使い道がちゃんとあるんだから」

「承知してるさ。しかし、金の使い道か、一体何に……」

「ぜーったい! 教えない!」

 

 マチルダは口を尖らせて言うと、フードを目深にかぶり、廊下へ続くドアに手をかけ、振り向いた。

 

「それじゃ、うまくやんなよ」

「ああ、君もな」

 

 マチルダは後ろ手にドアを開けると、慎重に周囲を確認し、そそくさと部屋から出ると。迎賓館へと戻っていった。

 

 

「そろそろか……くそっ、見たかったなぁ……」

 

 翌日……広場の外、怪しい人物がいないか警備に立っていた衛兵の一人が、つまらなそうに呟いていた。

昨日、エツィオに配置のメモをスリ取られた衛兵であった。

 

「ここで見張れって言われてもなぁ、もう怪しい奴なんているわけねぇだろうに……」

 

 支給されたクロスボウをいじりながら、退屈そうに辺りを見渡す。

本来ならば広場に向かう人々の中に怪しい者がいないかどうか、常に目を光らせていないとならないのだが、どうにも退屈である。

今日は王党派の残党を一掃するための処刑が行われる日であって、もうアルビオン国内に王党派に属する人間などいない筈だ。

 

「あーあ……どっかに手柄がおっこちてねぇかな……ん?」

 

 欠伸交じりに衛兵が呟いたそのときである。

ふと向けた視線の先、道行く人々の間を歩く、フードを目深に被った一人の男が目に入った。

一見すると貴族のようでもある、事実背中にはマントがかかっている。

おおかたこの処刑を見物に来たどこかの下級貴族か……、そんな事を考えながら、ぼんやりとその男を見ていると……、

男の背中にかかっていたマントがはらりと左肩に降りる、そのマントに施された意匠を見て、衛兵は思わず声をあげそうになった。

何かの見間違いではないかと思い、衛兵は目を凝らしてそのマントを見つめる、間違いない、あのマントは……!

 

「おい! そこのフードの男、ちょっと話がある! あっ、おい! 待て!」

 

 衛兵がそう声をかけた時だった、男は道行く人々の間に紛れ、たちまち姿が見えなくなった。

まずい、俺の手柄が! 焦った衛兵は小走りで男のいた場所へと向かい、辺りを見渡す、あの男はどこだ?

あいつを処刑台に突き出せば、ワルド子爵どころかクロムウェル皇帝閣下にすら気に入られて一気に士官になる事も夢ではない。

逸る気持ちを抑え、必死に男を探す、すると、十メイルほど先の道を歩いている男を見つけた。

クロスボウを引き抜き、男の元へと小走りで近寄ってゆく。

 

「くそっ、また消えやがった! あいつ……どこへ……!」

 

 だが、衛兵が男の歩いていた場所に辿りついた時、男の姿は煙のように消えてしまっていた。

おかしい、俺はずっと奴を見ていたはずだ、なのにどうして見失ってしまったんだ?

己の不注意さに歯噛みしながら、まだ近くにいるかもしれないと、必死に周囲を見渡す。その時だった。

 

「……!!?」

 

 不意に口を塞がれたと思うと、背中から腹部にかけ鋭い痛みが走る。

この世の物とは思えないほどの、身もだえするほどのおぞましい激痛、だが声を出すことができない。

脊椎を貫き、自分の鳩尾から飛び出した短剣を見ても、衛兵は自分の身に何が起こったのか理解することができなかった。

口を塞いでいた手がどけられ、背中から刃が引き抜かれる、それと同時に、急速に意識が遠のいてゆくのを感じる。

薄れゆく意識の中、彼が最後に見たものは、アルビオン王家のマントに身を包み、白のフードを目深に被った、死神の姿だった。

 

 

「眠れ、安らかに」

 

 ベンチに腰かけた状態で絶命した衛兵の目を閉じながら、エツィオが小さく呟く。

一瞬のうちに行われた暗殺、倒れるよりも先にベンチに座らせられた事によって、

今の衛兵のその姿は、まるで疲れてベンチで居眠りしているように見える。

白昼に人が殺されたというのに、騒ぐ人間は誰もいないのは当然であった。

 

「……」

 

 衛兵が取り落としたクロスボウを拾い上げ、背中に背負う。

左腕にかかったマントをまくり上げ、背中にかけると、エツィオは広場へと続く道を見つめた。

ごぉん……ごぉん……と、処刑を告げる鐘の音が、スカボローの街に響き渡る……。

 

 処刑場には歓声と熱狂が渦巻いていた。吊るされたアルビオン王家の関係者、王党派に属し、戦い、捕らえられた哀れな貴族達。

それをみた市民達は、ある者は嘆き、ある者は興奮に歓喜し、ある者はただただ目の前で行われる殺戮に見入っていた。

最後の一組が、絞首台にかけられ、吊るされてゆく。処刑場が一際大きな歓声に包まれた。

そのときである、興奮に沸く処刑場に、長身の貴族が現れた。

 

 羽根のついた帽子に、魔法衛士隊の制服。……ワルドであった。

 

 ワルドは処刑場の中心に立つと、優雅に右手を掲げ、にっこりと笑った。

『革命戦争の英雄』の登場に、再び広場は、割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。

みな、『革命戦争の英雄』の勇ましい姿に興奮を隠せないようだ。

 

「親愛なる市民諸君! 今日はこの記念すべき日に、よくぞ集まってくれた!」

 

 ワルドが声高に叫ぶと、集まった民衆、貴族達は一斉にワルドに注目し、演説に耳を傾けた。

 

 

 そんなワルドの姿を正面に位置する教会の鐘楼から見下ろす、一つの影があった。

白を基調としたローブに目深に被ったフード、そして、血で赤黒く染まったアルビオン王家のマントに身を包んだ人物……、エツィオであった。

鐘楼の淵に立ったエツィオは、処刑台の上で拳を振いながら演説をするワルドを見つめながら、アサシンブレードを引き出した。

 

 鐘楼の鐘が動き、正午を知らせる鐘の音が、広場に響き渡る。

 鐘楼に止まっていた鳥達が、鐘の音に驚き、一斉に飛び立った。

 

 鐘の音と共に、広場に降り立ったエツィオは、民衆に紛れ、興奮に沸く人々をかき分けながら、処刑台へとゆっくり近づいてゆく。

今では反逆者の証であるアルビオン王家のマント、だが、それを気に掛ける人物などどこにもいなかった。

人々はみな、ワルドに釘付けになっているし、民衆と完全に一つになり、存在が限りなく希薄になったエツィオを、衛兵達が見つけられる筈もない。

誰にも呼び止められる事もなく、エツィオは、一歩、また一歩と処刑台のワルドに向け、歩を進めていた。

 

 

 ワルドは恍惚としていた、自分を恐れ敬う民衆の目に、自分を讃える人々の喝采に。

まさに人生の絶頂とも呼べる瞬間だった。いや、これからだ、これよりハルケギニアを一つにまとめ上げ、聖地を奪還するという使命が、自分には残っている。

自分の出番は、これから始まる。自分の絶頂は、ここから始まるのだ。

ワルドは、胸の底からわき上がる野望と期待に心を躍らせながら、熱弁をふるっていた。

 

 そのときだった。

ふと目を向けた視線の先、集まった民衆の中に、目深にフードを被り見覚えのあるローブを纏った男が、ちらと視界に入った。

まさか……。ワルドは一瞬、心臓が縮みあがった。いや、そんな筈は無い、奴はトリステインに逃げ帰ったはずだ。

だが、それと確認する前に、ワルドはフードの男を見失ってしまった。

 

『どこまでもお前を追い、その喉を切り裂いてやる』

 

 あの時にかけられた言葉が、ワルドの脳裏をよぎった。

どこだ、どこにいった、あのフードの男は。ワルドは目を皿のようにして民衆を睨みつける。その時だった。

 

「……ワルド殿? どうかなされましたか?」

 

 横に控えた衛士の一人が、ワルドに話しかける。どうやら演説が途切れたことを不審に思ったようだ。

その声にワルドは、はっと我に返ると、一つ咳ばらいをした。

 

「い、いや……なんでもない」

 

 ワルドは動揺を隠す様に、努めて冷静に振舞い、演説を再開する。

皇帝閣下直々の命令である、この公開処刑は必ず成功させねばならない。

そう思いながらも、ワルドの胸中には益々不安が広がってゆく。

まさか、あのアサシンがここにいるのか? 今この瞬間、観衆にまぎれ自分の首を掻っ切る瞬間を今か今かと狙っているのか?

そう思うと、出来れば今すぐにでも、杖を引き抜き、呪文を唱え、迎撃する準備を整えたかった。しかし、それはできるはずもない。

今は公開処刑の最後を飾る、演説の真っ最中なのだ。

これを見ているのは何も市民だけではない、神聖アルビオン共和国の有力貴族もここにはいるのだ。そんな彼らの前で杖を引きぬける筈もない……。

そこまで考えた瞬間、ワルドははっとした表情になった、今この瞬間、自分は丸裸も同然と言うことに、ようやく気がついたのだ。

 

「あの……やはり御気分がすぐれないようですが……」

 

 演説も支離滅裂、顔を真っ青にしたワルドに、心配したのか衛兵がもう一度話しかける。

だが、もうワルドの耳にそんな言葉は届かない。ワルドの目は、焦点を失ったかのように民衆の間を泳ぎ、何かを探している。

ただならぬワルドの様子は、見物していた市民達の間にも徐々に広がって行った。

 

 

 何事かと、ざわつき始める民衆の中を、かき分けるようにエツィオはワルドの元へと近寄ってゆく。

先ほどエツィオは、わざとワルドの視界に入る様に移動していた。どうやら効果は覿面だったようだ。

疑心暗鬼にとらわれたワルドは、完全に錯乱状態に陥っていた、目は泳ぎ、まともに言葉すら発せてはいない。

エツィオは口元に笑みを浮かべると、サッシュベルトに下げた短剣に手をかける。

まだ遠い……もう少し、もっと近く。

 

「あっ!」

 

 そのとき、ワルドの目が、驚愕に大きく見開かれる。エツィオの眼が鷹のように鋭くなる。

処刑台の上のワルドと目があった瞬間、エツィオはサッシュベルトに下げた短剣を逆手に引き抜きルーンの力を引き出す、

群衆を押しのけ、処刑台へ向けエツィオが駆けだした。

 

 ワルドは、右手を大きく振い、民衆を押しのけ、こちらへ向かってくるフードの男を指さし。力の限り叫んだ。

 

「アサシンだ!! 奴を止めろ!!」

 

 処刑場にワルドの叫び声が響きわたった。

突然の出来事に、一瞬呆けていた衛兵達が、民衆の中から飛び出してきたフードの男を見て、ようやく杖に手をかけた。

その瞬間、その衛兵が杖を引き抜くよりも早く、エツィオが背中のクロスボウを引き抜き、的確に衛兵の心臓を撃ち抜いた。

クロスボウで心臓を射抜かれなかったもう一人の衛兵は、エツィオに斬りかかることができたものの、

あっさり懐に潜り込まれ、今度は左手に隠し持った短剣で腹を抉られ、乱暴に押しのけられた。

 

 一瞬で二人の衛士をなぎ倒したエツィオは、クロスボウを投げ捨てると、空中高く飛びあがり、遂にワルドに飛びかかる。

標的の命を刈り取るべく、高く振りあげられた左手から、アサシンブレードが飛びだした。

完全に不意を打たれたワルドの表情が驚愕と恐怖に歪む。だが、我に返ったワルドは腰の杖に手をかけ、口の中でルーンを詠唱する。

自身の二つ名、『閃光』の名に恥じぬ速度で詠唱を終え、杖を引き抜き、エツィオに向け振おうと試みる。

だが、その『閃光』も不意を打たれた今、全てが遅かった。

ガンダールヴの力を発揮した百戦錬磨のアサシンが、ワルドを遥かに凌駕した速度で襲いかかる。

そのまま馬乗りになる形で押し倒し、ワルドの首に、アサシンブレードを突き立てる。

幾多の標的を切り裂いた必殺の刃が、ワルドの頸椎を、命を、絶ち切った。

 

 

「出番は終わりだ」

「終わり……だと……! まだだ! まだ始まってすらいなかった! くそっ……! くそぉっ! アサシン……!」

「暗殺者が暗殺者を殺す、皮肉だな」

 

 死に瀕したワルドは、目に憎悪の炎を灯しながら、エツィオを睨みつける。

だがエツィオはワルドとは対照的に、どこまでも冷たい目で見下ろしながら言った。

 

「何故裏切った」

「聖地のためだ! 他に何がある! 『レコン・キスタ』は聖地を奪還するために組織された、俺は聖地を望んだ、聖地に眠る虚無の力!

数多の命を操る、虚無の力だ! 素晴らしい機会だったというのに……!」

「国を、あの子を裏切ってでもか」

「あの子……? あぁ、ルイズか! はっ、はははっ! あんな小娘がなんだと言うのだ!

アンリエッタもそうだ、世間を知らぬ愚か者だ、自分に酔うだけの阿呆に過ぎん。あんな国、仕えるに値するものか」

「彼女はまだ若い、それを支えてこそ、臣下という物ではないのか?」

「そんな悠長なことはもう言っていられん、トリステインは、ハルケギニアはあんな連中に治められているべきではないのだ!」

「では誰が治めるというのだ?」

「我々貴族だ! 我々選ばれし貴族による連盟、『レコン・キスタ』によってハルケギニアは統一され、忌々しいエルフどもより聖地は奪還されるのだ!

俺はその先駆けとなる! なるはずだった……! なのに!」

 

 ワルドはそう言うと、震える手で喉に手を当てる。

エツィオに貫かれた傷口から、ごぼりと鮮血があふれ出た。 

 

「くそっ! 嫌だ……! 嫌だ! こんな! こんな死に方っ……!」

 

 ワルドは目を見開くと、エツィオの肩を掴んだ。

まるで生にしがみつこうとするかのように、その手に力がこもる。

だがエツィオは、優しくその手を取ると、諭す様にワルドに話しかけた。

 

「代価を払う時が来たのだ、裏切りの代償は安くは無いぞ」

「俺はっ! 俺はっ……! 聖地に行かなくてはならないんだ……! それが俺の義務なんだ! それがっ……母を……!」

 

 震える手で、首につけたペンダントを握り締める、その先についたロケットを開ける。ワルドの目から、大粒の涙がこぼれる、

ロケットの中を見つめ、誰にも聞こえないような小さな声で呟く。

くっ、と喉から小さく声が漏れたかと思うと、腕が力を失って床の上に落ちた。

 

「死が、汝を妄執から解き放たんことを。――眠れ、安らかに」

 

 

 ――からん……。と、ワルドの手に握られていた杖が、乾いた音を立てながら、処刑台の上を転がってゆく。

覚悟を決める間もなく、祈りの言葉を口にすることもできず、ただ唐突に、一瞬にして訪れた死。

驚愕と恐怖に見開かれたままのワルドの瞼を、エツィオが手をかざし、優しく閉じる。

そうすることによって現れたワルドの表情は、死んでいるとは思えないほど穏やかなものであった。

 

 正午を知らせる鐘楼の鐘が、六つ目の鐘を打ち鳴らしたその時、突然の出来事に呆然としていた民衆から、大きな悲鳴が上がった。

エツィオが振り返ると、異変に気がついた衛兵達が殺到してくるのが見えた。

 

「うぉおおおおお!」

 

 雄叫びと共に一人の衛兵が剣を振りあげ斬りかかる、だが、エツィオはすぐさま処刑台から飛び降り、広場から一目散に逃走を開始した。

道行く人々をかき分け、道端に積み上げられた木箱や樽を踏み台に、壁から突き出た梁に飛び乗り、看板を足場に屋根の上へと華麗に上る。

そのあまりにも機敏で身軽な身のこなしに衛兵たちは、一瞬呆気にとられる。

だが、見惚れている場合ではない。ある者は必死に壁をよじ登り、またある者は路地から屋根の上を見上げながら、

そしてメイジであるものは、フライを使い、逃走するアサシンを追いかけた。

 

 やがて、屋根の上を走っていたアサシンが、不意に、屋根の上から飛び降りる、

先回りし、来るアサシンを待ちかまえていた兵士を踏みつけるように着地して、衝撃を和らげる。

そして、すぐに立ち上がると、一件の教会の扉の前で立ち止まった。

 

 剣や杖を構えた衛兵の一団はじりじりとアサシンを取り囲み、警戒する。

 

「ふん、そこに逃げ込もうとしたが、当てが外れたってところか? 観念するんだな!」

 

 衛兵の一人が、そう言った時だった。

ごぉん……と、正午を告げる最後の鐘の音が、スカボローの街に響き渡る。

扉の方を向いていたアサシンが、フードの下に笑みを浮かべながら、ゆっくりと振り返る。すると、後ろの教会の扉が不意に開かれる。

そして、中から礼拝を終えた神学者や市民達が帰途へつくべくぞろぞろと外へと出てきた。

するとどうだろう、目の前にいた筈のアサシンの姿が、教会の中から現われた神学者達や市民に紛れ、溶け込むように消えてしまったのである。

 

「なっ……なんだとっ!?」

 

 衛兵は驚いた声を挙げると、アサシンを探し出すべく、その人々の群れを呼びとめる。

だが、神学者達は全員白いローブを纏い、フードを目深に被っているため、誰が誰だかさっぱり見当がつかない。

 

「ぜ、全員動くな!」

「お、おい! 貴様! 顔を見せろ!」

「なっ、なんでしょうか……?」

「くそっ! こいつじゃない!」

 

 神学者の一人を捕まえ、顔を確かめる、しかし、あのアサシンも目深にフードを被っていたのだ、顔などわかるはずもなかった。

 

「ディティクトマジックだ! 奴を探し出せ!」

「は、反応なしだと! 馬鹿なっ……! 奴は平民だとでも言うのか!」

「くっ……くそっ! どこだ! どこにいる! アサシン!!」

 

 完全にアサシンを見失った衛兵達の叫び声が、スカボローの街に響き渡る。

騒然とする街の空に、一羽の大鷲が舞い上がる。

大鷲は一声、甲高い声で啼くと、大空へと飛び去って行った。



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memory-21 「死の運び手」

「なんてこと……」

 

 白昼に行われた暗殺、大混乱に陥ったスカボローの広場、

ワルドが暗殺されるまでの一部始終を見ていたマチルダは、思わず呆然と呟いた。

エツィオを甘く見ていたわけではない、だが、ここまで鮮やかに、それも正面から突っ込んで殺しに行くという方法で

スクウェアのメイジであるワルドを暗殺してのけるとは思ってもいなかったのだ。

 

 マチルダは小さくため息をつくと、ワルドの亡骸が転がる絞首台へと登ってゆく。

ワルドの周りには水のメイジ達が集まり必死に治療を施している、

マチルダはそんな彼らに近づくと、肩に手を置き、小さく首を振った。

 

「もうだめだ、あんたらもわかってるんでしょ? もう死んでる……諦めな」

 

 水のメイジ達は、悔しそうに唇をかみしめると、やがて頷いた。

 

「ここはわたしに任せて、あんたらはあのアサシンを追いな」

「ハッ!」

 

 マチルダのその言葉に衛兵たちは敬礼で返すと、アサシンを追うため、処刑台から降りてゆく。

そんな彼らを見送ったあと、まるで眠っているかのように横たわるワルドを見つめる。

一声、声をかければ目を覚ますんじゃないか? そう思わずにはいられないほど、ワルドの死に顔は安らかなものであった。

あの水のメイジ達が必死に治療を施したくなる気持ちも、わからないでもない。

だが、一撃で頸椎を絶たれ、即死に至らしめられたワルドは、二度とその目を開くことは無かった。

 

「公開処刑の場で暗殺される、か……皮肉ね」

 

 たった一人の、それも平民のアサシンによって、衆人環視の中、白昼堂々喉を貫かれ暗殺される。

『革命戦争の英雄』のあまりに情けなく、あまりにあっけない最期は、瞬く間にアルビオン全土に、いや、ハルケギニア全土に広がるだろう。

これじゃクロムウェルに蘇らされても、ワルドはすぐに自殺してしまうんじゃないだろうか?

そう思うと、なんとなくこの男に同情してしまいそうになる。

 

「敵じゃなくて、本当によかったよ……」

 

 無知は至福、とはよく言った物だ。

エツィオを敵に回したら、気の休まる瞬間なんて、それこそ死ぬまで訪れることは無いだろう。

マチルダは苦笑いを浮かべると、処刑に立ち会っていた僧侶を一人呼び止め、ワルドの遺体を教会に安置するように指示を出す。

今処分すれば怪しまれる、事態が落ち着いたあと、改めてワルドの死体を盗み出し、処分すればいい。すべてはエツィオの指示であった。

僧侶は何も疑うことなく、ワルドの死体をかつぎあげると、処刑台から去っていった。

 

「さて……後は任せときな」

 

 マチルダは小さく呟くと、ワルドの死体をかついだ聖職者の後について行った。

 

 

『ワルド子爵、暗殺さる』

 

 この衝撃的な報せは、瞬く間にアルビオン全土に広がった。

それはここ、神聖アルビオン共和国首都、ロンディニウムも例外ではなかった。

 

「なっ、なんだと! ワルド子爵が暗殺!?」

 

 ロンディニウムの南側、ハヴィランド宮殿の執務室、報告を受けたクロムウェルは信じられないと言った様子で立ち上がった。

 

「い、一体彼に何があったのだ!」

「はっ、報告によりますと、一昨日の正午、スカボローにて行われた演説の最中にアサシンの襲撃を受け暗殺されたとのことです」

「アサシンだと!? そ、それでどうなったのだ、捕まえたのか?」

「そ、それが……、アサシンは、ワルド子爵を暗殺後、逃走を開始、衛兵隊の追跡も虚しく、見失ったと……」

「馬鹿な! 衛兵隊はなにをしていた! そのアサシンは一体何者なのだ!」

「アサシンについての報告ですが、アルビオン王家のマントを羽織っていたことから、王党派の残党であるという見方が有力視されております。

それと……これは信じがたいことですが……その……」

 

 伝令はそこで言葉を切ると、報告すべきかどうかためらうような表情になった。

 

「どうしたのかね、まだ報告があるのならば早くしたまえ!」

「は、目撃者からの聴取によりますと、ワルド子爵を暗殺したアサシンは……メイジではない可能性が極めて高いという報告が届いています」

「へ、平民だと! 平民に暗殺されたのか!? 彼はスクウェアのメイジだぞ!」

「はい、アサシンは一切魔法を使わずに、短剣で暗殺を実行しました。

それと、追跡していた衛兵の証言では、ディティクト・マジックに全く反応しなかった、との事です」

「なんということだ……」

 

 クロムウェルがへなへなと腰かけていた椅子に再び座り込む。

兵士の士気を高めるためのプロパガンダにしていたワルド子爵が、よりにもよって王党派の、しかも平民のアサシンに暗殺されるとは……。

これでは国の士気が根底から揺らいでしまう、これからトリステインやゲルマニアに攻め込もうとしているのだ、それだけはどうしても避けなくてはならない。

脱力しながらも、なにか士気を高める方法はないかと、必死に考える、そしてちらと自分の手に光る指輪を見つめた。

そうだ、自分にはこの力があるじゃないか。多用はできないが、今が使う時だ。

クロムウェルは一つ咳払いすると、落ち着き払ったように伝令に尋ねた。

 

「ワルド子爵が暗殺されたことは残念だ、しかし悲しむ必要はない。彼は余の虚無によって再び息を吹き返す。

勇敢なるアルビオン共和国の英雄は、決して薄汚い暗殺者風情の刃では倒れることは無いのだ」

 

 クロムウェルはにっこりとほほ笑んだ。

 

「では、彼の亡骸をここに、余の虚無で早速彼を蘇らせるとしよう」

「あ、あの……それが……」

 

 余裕の笑みを浮かべるクロムウェルに、伝令は困ったように呟いた。

 

「ワルド子爵の遺体ですが、教会に安置されていたところを、何者かに奪取された模様です、おそらくは……処分されたのかと……」

「なんだとぉっ!?」

 

 その報告に、クロムウェルは再び表情を変え立ち上がる。死体がなければ蘇らせることはできない上に、

革命戦争の英雄たるワルドが、平民のアサシンにあっけなく暗殺されたという、アルビオン軍にとっても不名誉な事実を覆すこともできなくなったのだ。

目論見が大きく外れたクロムウェルはがちがちと爪を噛んだ。

そして目を見開くと叫ぶように伝令に伝えた。

 

「これはアルビオン共和国の士気全体に関わる由々しき事態である! 

この混乱を他国に悟られるわけにはいかぬ! 直ちに緘口令を引け!

かのアサシンを必ずや捕らえ、処刑するのだ!」

「ハッ! 了解いたしました!」

 

 伝令は頷くと、すぐに執務室から退出してゆく。

その様子を見送っていたクロムウェルは、拳を握りしめ、忌々しそうに呟く。

 

「くっ……! 伝説を気取るつもりか? 狂ったアサシンめ……!」

 

 クロムウェルが、そう呟いたときだった、執務室のドアが、慌ただしくノックされる。

 

「入りたまえ」

「し、失礼いたします!」

 

 クロムウェルが促すと、上ずった声をあげ、執務室に今度は別の伝令が飛び込んできた。

 

「何事かね?」

「申し上げます! スカボロー郊外にて、硫黄を輸送していた馬車が襲撃を受け、護衛をしていた部隊が壊滅!

物資を破壊されたという報せが入りました!」

「なっ……!」

「尚、襲撃犯は、ワルド子爵を暗殺したアサシンであるとの証言が得られております!」

「な……あ……」

 

 その報せを聞き、クロムウェルはまるで酸欠の魚のように口をぱくぱくと開いては閉じている。

アルビオンの英雄の次は、戦争物資、まるで内部の士気を挫かんとしているようだ。

 

「か、閣下? どうかなされましたか?」

 

 そんなクロムウェルをみて、伝令が心配そうに声をかけた。

すると怒りに顔を真っ赤にしたクロムウェルは喚くように叫び出した。

 

「あ、アサシンの首に懸賞金をかけろ! 共和国の威信にかけ、必ず奴を捕らえるのだ!」

 

 

「聞け! アサシンだ! あの恐るべきアサシンが、このロンディニウムに潜入したとの報せが入った!

先日、ロンディニウム近辺にて、衛兵隊が何者かの襲撃を受け、壊滅に追い込まれたとのことだ!

生存者の話から、奴はスカボローにて現れたアサシンであるとの証言が得られている!

これが事実なら、由々しき事態である! 市民皆で協力し、アサシンを捕らえようではないか! 奴は王党派の亡霊と言う、戯言に惑わされてはならない!」

 

 道をゆく人々の群れに、街の先触れががなりたてる。

それを聞いていた街の人々は口々に噂話をし始める。

 

「ワルド子爵を暗殺したアサシンが、この街にいるだって?」

「あぁ……そういえばさ、実は俺、見ちまったんだ……、あのアサシンに子爵が暗殺されるところを……」

「本当か! スカボローで、一体何があったんだ? どうやって子爵は暗殺されたんだ?」

「それが……」

「おい! それ以上口にすれば、反逆者として捕らえるぞ!」

「ひっ、す、すいません!」

 

 ワルドの暗殺から数日たった後も、ロンディニウムの街はその話題で持ちきりだった。

緘口令が敷かれているとはいえ、人の口に戸は立てられぬもの、

魔法を使わず、スクウェアのメイジを暗殺してのけた、アルビオン王家のマントを羽織った謎のアサシンの噂は、瞬く間にアルビオン全土に広がってしまっていた。

街中にはアサシンの手配書が張られ、先触れもアサシンについて街の人々に向け報せを叫んでいる。

駐屯するアルビオンの兵士たちは、皆血眼になってそのアサシンを探したが、一向に見つからない。

ロンディニウムの街はいま、厳戒態勢とも呼べる物々しさを醸し出していた。

兵士たちは隊伍を組み、怪しい人物がいないか、街を巡回している。

そんな彼らの様子を、上から見下ろす一つの影があった。

 

「ピリピリしてんなぁ」

「いろいろ騒ぎを起こしたんだ、この位にはなるさ」

「いいのか? この街にいることがバレてるみたいだぞ」

「別にかまわないさ、フィレンツェでもお尋ねものだったしな」

 

 腰に差したデルフリンガーがカチカチと音を鳴らす。

屋根の上から道を見下ろしていたエツィオは笑みを浮かべると、懐から一枚の紙を取り出し広げた。

それは、先日マチルダの鳩から受け取った手紙であった。

そこには合流場所に指定された宿屋の部屋番号とロンディニウムの簡単な地図が書いてあった。

 

「地図だとこのあたりだが……、あれか」

 

 エツィオは、裏通りに面した一件の建物を見つめ、呟く。看板から察するに木賃宿の様だ。

見ると窓の一つから、中から灯りが漏れている、どうやらあの部屋のようだ。

エツィオは壁を伝い、窓ガラスを数回ノックすると、何食わぬ顔で窓を開け、部屋の中に侵入する。

突然窓から侵入者が現入り込んできたというのに、部屋の中にいた人物は動じる様子もなく呆れたように肩を竦めた。

 

「やあマチルダ」

「エツィオ……あんたね、どっから入ってきてるのよ」

「どこって、窓からさ、お尋ねものなのに正面切って入るわけにはいかないだろ?」

 

 呆れてため息をつくマチルダをよそに、エツィオは椅子の一つに腰かけた。

 

「それで、首尾はどうだ?」

「ん? ああ、ちゃんと処分しといたわよ、はいこれ」

 

 マチルダは懐から一枚の羽根を取り出し、テーブルに置いた。

元は純白の羽根なのだろうが、なにやら赤黒く変色してしまっている。

 

「これは? ワルドの血か?」

「そうよ、処分したっていう証拠にね、死体ならスカボローの郊外に埋めといたわ」

「なるほど……恩にきるよ」

 

 エツィオは納得したように頷くと、その羽根を受け取り、大事そうにしまい込んだ。

 

「それより、これからあんたはどうするの? そろそろトリステインに戻った方がいいんじゃない?」

「そうだな……そろそろ戻らないと、ルイズが癇癪起こして……いや、もう遅いな。……部屋が散らかってなければいいけど」

 

 戻った時の部屋の様子を想像したのか、エツィオは苦笑いを浮かべながら、両掌を上に向ける。

そんなエツィオを見て、マチルダはテーブルに肘をつきながら、にやっと笑みを浮かべた。

 

「あら、ご主人様には随分と甘いみたいね」

「ああ、彼女は、俺がいないと顔も洗えないからな」

「ふぅん……」

「おや? 嫉妬かな?」

「ふん、何言ってんのよ、この女たらし。あんたに嫉妬なんて感じてたら、まず身がもたないわよ」

 

 同じようににやっと笑うエツィオに、マチルダは呆れたように鼻で笑った。

 

「ま、冗談はさておき、トリステインに戻るなら、船の手配をしとくけど?」

「いいのか? それは助かるな」

 

 さすがは元秘書官、オールド・オスマンが優秀だと言っていただけはある。

やはり味方に引き込んでおいて正解だった。エツィオは満足そうに頷いた。

 

「きみが味方で本当によかったよ、マチルダ」

「お互いさまさ、こっちはあんたを敵に回さなくて本当によかったと思ってるからね。

船の事だけど、盗賊時代の闇ルートを用意するわ、ちょっと時間がかかるかもしれないから、その時になったらまた連絡するよ」

「頼んだ」

 

 エツィオはそう言うと、皮の袋を取り出し、それをテーブルの上に置く。どさり、と重そうな音がした。

 

「これは報酬だ、活動費も含まれている」

 

 マチルダが袋の中を検める、その中身は、やはりというべきか金貨がぎっしりと詰まっていた。

そのあまりの量にマチルダは目を丸くした。

 

「こんなに? あんたこれどうしたのよ」

「奴らから拝借したのさ」

「拝借って……そういえば、こないだ現金輸送車が襲撃されたって聞いたけど……」

「ああ、俺だな」

「はぁ……道理で、あんたの首に賞金がかかるわけだわ……」

 

 さらりと言ってのけたエツィオに、マチルダはやっぱり、と言いたげにため息をついた。

自分の首に賞金がかかっているというのに、エツィオは悪びれた様子もなく肩をすくめて見せた。

 

「まあ、あれだけやればな」

「あんたわかってんの? 5000エキューよ? 国中の衛兵と傭兵、それに賞金稼ぎがあんたの首を狙ってるわ」

「てことは、きみもか?」

「……安心しな、金目当てにあんたを殺したりしないわよ」

 

 エツィオのその言葉に、マチルダはにっこりとほほ笑んだ。

……殺す時はあの子と会ってしまったその時よ、と小さく呟くのが聞こえる。

あの子とは一体誰だろうか、疑問に感じたが口に出すのはやめておいた。聞いたが最後、本当に殺されそうだ。

 

「なるほど……気をつけよう」

「ええ、是非そうして」

 

 ひきつった笑みを浮かべるエツィオに、マチルダは殺意のこもった笑顔のまま、ゆっくりと頷いた。

 

「ああ、それとエツィオ」

「ん?」

「クロムウェルの次の狙いがわかったわよ」

 

 マチルダのその言葉に、エツィオの目が鋭くなった。

 

「……教えてくれ」

「今のハルケギニアの情勢だけど、クロムウェルはトリステインとゲルマニアに特使を派遣して不可侵条約の締結を打診したわ、

トリステインもゲルマニアも条約の締結に同意、今のところは平和そのものね」

「だがいずれ攻め込むだろうな、奴らの狙いはハルケギニア全体の統一だ」

 

 マチルダは一つ頷くと、話を続けた。

 

「一ヶ月後、あんたも知っての通り、トリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式が行われるわ、

その結婚式にさきがけ、トリステインに対してアルビオンは大使を派遣して親善訪問を行うの」

「それで?」

「問題はその『親善訪問』の中身よ」

 

 マチルダは肩を竦めると、エツィオに二言、三言、口にする。

それを聞いたエツィオの表情が、途端に険しくなった。

 

「正気か? 不可侵条約はどうなる、いきなり破る気か?」

「そう、騙し打ちもいいとこね。でもクロムウェルが言うには軍事行動の一環らしいわよ。

なんでも、『議会が決定し、余が承認した事項だ』って、得意顔で言ってたわ。

今、水面下ではトリステイン、ゲルマニアへの侵攻計画が着々と進んでる、

ロンディニウムの近くに、ロサイスって軍港があるんだけど、そこではそれに向けて戦艦の改装を行っているみたいだし……。

もう総司令官の任命まで済んでるみたいね」

「同盟がまとまりきる前にトリステインを潰す気か……」

 

 それを聞いたエツィオはがっくりとうなだれると、大きくため息をついた。

拳を握りしめ、ゆっくりと首を振り、険しい表情で呟いた。

 

「だが、そうはさせない」

「どうする気?」

 

 マチルダはテーブルに肘をつき、頬杖をつくと、どこか楽しそうにエツィオに尋ねた。

エツィオは顔を上げる、その瞬間、陽気な青年の面影は掻き消えていた。

代わりに現れたのは、三百年前、ハルケギニア全土を震え上がらせた伝説のアサシンの技術と信条を全て受け継いだ、若きアサシンの姿だった。

 

「奴らの資金源と戦力を絶つ、奴らの好きにはさせるものか」

 

 

 一方、こちらはトリステインにある魔法学院、ルイズの部屋。

魔法学院に帰還したルイズは、アルビオンから戻ってからと言うもの、数日間もの間、自分の部屋でずっとぼんやりとしていた。

今や敵地であるアルビオンに取り残されたエツィオの事を思うだけで、不安と恐怖がルイズの胸を苛んだ。

そんなわけで、アルビオンから帰還してからというもの、ルイズはずっと授業を休み、食事と入浴の時以外はずっと部屋にこもりきりであった。

そして今日もルイズは膝を抱えてベッドの上に座り、部屋の隅に積まれたエツィオの寝床であるクッションの山を見つめていた。

 コンコン……と、部屋がノックされた。

開いてます、とルイズが答えたら、がちゃりと扉が開いた。

ルイズは驚いた、現れたのが、学院長のオールド・オスマンであったからだ。

ルイズは慌ててガウンを纏いベッドから降りた。

 

「ああよい、楽にしなさい。……失礼するよ」

 

 オスマン氏は柔和な笑みを浮かべ、ルイズを手で制した。

それから椅子を引き出すと、それに腰かけた。

 

「随分長く休んでいると聞いたものでな、旅の疲れは癒えたかね?」

「ご心配をおかけしてすいません、わたしは大丈夫です」

「ふむ……ならばよいが。じゃが、まだ顔色があまり良くないようじゃな、もうしばらく休むとよい。

きみらの欠席は公休という形で既に処理しておる、あとはきみからの報告で受理と言う形にはなるが……

任務の報告は、落ち着いてからでかまわんよ」

 

 オスマン氏の言葉に、ルイズははっと顔をあげた。

そういえばオスマン氏への任務の報告がまだであった、ルイズは学院に帰還してから、すぐに部屋に戻ってしまっていたのだ。

 

「申し訳ありません、ご報告を忘れてしまいました」

「よいよい、今は体を休めることに専念しなさい、大体の報告ならグラモンから聞いておるよ。

思い出すだけで辛かろう、しかし、お主たちの活躍で同盟は無事締結され、トリステインの危機は去ったのじゃ」

 

 それからオスマン氏は部屋の中を見回した。

 

「大鷲は……アルビオンに残ったようじゃな」

「……はい」

 

 力なく呟いたルイズを見て、オスマン氏は髭を撫でながら言った。

 

「心配かね?」

 

 ルイズはきゅっと唇を噛むと、黙ったまま頷いた。

オスマン氏は微笑を浮かべた。

 

「なに、心配しなくともよいぞ、ミス・ヴァリエール。私が確信をもって言おう、彼は必ず生きて帰ってくる。

実はな、大鷲がアルビオンに残ったと聞いた時、私は胸が躍ったのじゃ」

 

 落ち込んだ表情のルイズをよそに、オスマン氏は笑って見せる。

 そんなオスマン氏をルイズは首を傾げて見つめた。

なぜこの老人は、そこまでエツィオの事を信じているのだろうか。

そう言えば、初めてエツィオをオスマン氏に会わせた時も、まるで彼の事を以前から知っているかのような口ぶりだった。

 

「あの……オールド・オスマン」

「なんじゃね?」

「オールド・オスマンは、エツィオの事を知っているんですか?」

「彼の事というよりも、彼のルーツを知っていると言った方が正しいかの。彼は、私の師の弟子と言ったところかのう」

「師の弟子?」

「そう、私の恩人でもあり、師でもある、唯一無二の友じゃ、ずっと昔のな。言ってみれば、私は彼の兄弟子にあたるワケじゃな」

「その、オールド・オスマンの先生って、どんな人だったんですか?」

 

 その質問に、オスマン氏は困ったような表情になった。

 

「あー、それはじゃな……その前になんだが、きみは、彼の事をどこまで知っているのかね?」

「えと、元貴族である、ということしか……」

「ふむ……明かしてはいないか、まぁ仕方なかろうな」

「明かしていないって……教えてください、オールド・オスマン。エツィオは一体何者なのですか?」

 

 その言葉を聞いたルイズは身を乗り出してオスマン氏に尋ねた。

だがオスマン氏はそんな彼女に首を振って答えた。

 

「すまぬが、彼が明かしていない以上、私の口から説明するわけにはいかぬ」

「でもっ……」

 

 ルイズはそこで言葉を切ると、再び俯いた、オスマン氏の言うことは尤もである。

エツィオが言わない事を、第三者であるオスマンが勝手に明かすわけにはいかないだろう。

するとオスマン氏が静かに口を開いた。

 

「……三百年前の聖地奪還運動を知っているかね?」

「え? ……はい、歴史の授業で習う程度なら。確か、最後に行われた聖地奪還運動で、当時の教皇が急死したため瓦解したとしか……」

「うむ、その通りじゃ。ここだけの話じゃがな、私の師は、それに関係する人物じゃ」

「関係? そのオールド・オスマンの先生がですか?」

「そう、そして私は彼と共に見た、歴史が変わる瞬間をな」

 

 オスマン氏は目を細めると、昔を懐かしむように言った。

それからにっこりとほほ笑むと、椅子から立ち上がった。

 

「ほほ、私から言えるのはここまでじゃな。

兎も角じゃ、そんな彼の遺志を継ぐ彼だからこそ、私は確信を持って言える。

大鷲は必ず、きみの元に帰還するとな」

 

 それからオスマン氏は扉のノブに手をかけると、椅子に腰かけたまま呆然とするルイズに振り向いた。

 

「おおそうだ、彼が戻ったら学院長室に来るように伝えておいてくれんかの」

「あっ、は、はい、わかりました……」

 

 エツィオが戻ってくることは当然の事だと言わんばかりにオスマン氏は言伝を伝えると、実に楽しそうに笑って見せて言った。

 

「ミス・ヴァリエール、今アルビオンで何が起こっているか、知っているかね?」

「え?」

「その様子では知らぬようじゃな、なに、いずれきみの耳にも届くじゃろうて……。

では、失礼するよ、ミス、ゆっくりと体を休めたまえ。あぁ……帰還が楽しみじゃのう……」

 

 戸惑うルイズをよそに、オスマン氏は鼻歌交じりに扉を開け、ルイズの部屋から去って行った。

 

 翌朝……、窓から差し込む日の光にルイズは目を覚ます。

ベッドからむくりと起き上がると、からっぽのクッションの山を見つめる。

学院に帰還してからと言うもの、それがいつもの習慣になってしまっていた。

 

「エツィオ……」

 

 しかし、やはりというべきか、そこにエツィオがいるはずもなく、ルイズは悲しそうに俯き、エツィオが使っていたクッションの一つをぎゅっと抱きしめる。

しばらくそうやってぼんやりとしていたルイズであったが、そろそろ朝食の時間であることに気がつく。

もそもそとベッドから降り、制服に着替え始める。

そういえば、と、ルイズは着替えながら、昨日オスマン氏が言っていたことを思い出した。

 

『今、アルビオンで何が起こっているか、知っているかね?』

 

 もちろん、ここ数日の間、食事や入浴以外は部屋にこもりっきりだったルイズに、それを知るすべは無い。

しかし、オスマン氏が言うには、今、アルビオンで何かが起こっているらしい、それも、口ぶりから察するに、まるでエツィオがそれに関与しているかのようだ。

一体、何が起こっているというのだろう?

制服に着替え終えたルイズは疑問に感じながらも、朝食を取るべく部屋を出て食堂へと向かった。

 

 アルヴィーズの食堂についたルイズは、自分の席に着くと、心ここに在らずと言った様子でぼんやりと座っていた。

その時である、思いがけない人物がルイズの隣の席に腰かけた。

ぼんやりとしていたルイズも、その人物を見て、少し驚いたような表情をする、

燃えるような赤い髪に豊満なバスト、果たしてその人物とは、キュルケであった。

 

「……なによ、あんたの席はそこじゃないでしょ?」

「いいじゃないの、ルイズ、あなたに聞かせたい話があってここに来たって言うのに」

「話?」

 

 キュルケは足を組むと呆れたような表情で言った。

すると、いつもそこに座っているマリコルヌが現れて抗議の声を上げた。

 

「おい、ツェルプストー! そこは僕の席だぞ、君はそこじゃないだろう?」

「今日だけよ、ルイズに話があるの、あたしの席を使わせてあげるから今日はそこ座んなさい」

 

 キュルケはそれだけ言うと、マリコルヌをきっと睨みつける。

有無を言わせぬその迫力に冷や汗をかいたマリコルヌはすごすごと引き下がって行った。

 

「まったく、話が逸れちゃったじゃないの」

「……それで、何よ話って」

「知ってる? アルビオンの噂」

 

 アルビオン? その言葉を聞いたルイズははっと顔を上げ、キュルケを見つめた。

昨日、オスマン氏が言っていた件の噂話だろうか?

 

「噂?」

「昨日の事なんだけどね、あたし、用があって街まで買い物に出かけたのよ、そこで聞いたんだけど……」

 

 キュルケがそこまで言った時だった、食事の前の祈りが始まった。

こんな時に……! ルイズは唇を噛みながら、祈りを唱和する、僅かな時間で終わるはずなのに、ルイズにとってはとても長い時のように感じられた。

祈りが終わり、朝食が始まる。ルイズは逸る気持ちを抑え、キュルケに尋ねる。

 

「それで?」

「あたしたちと旅をした、ワルド子爵っていたでしょ? あなたの婚約者だった」

「……うん」

 

 その名前を聞いたルイズの表情が曇る、それを見たキュルケは目を伏せると言いにくそうに呟いた。

 

「裏切ったって話は、あの時エツィオから聞いたわ、気に障ったらごめんなさいね」

「……別にいいわ、それで……ワルドがどうしたの?」

「彼、殺されたそうよ」

「えっ!?」

 

 その話を聞いたルイズは驚いたように椅子から立ち上がる。

それを見た周囲の生徒達は、何事かとルイズを見つめた。

 

「な、なんでもないわよ、お、おほほ……、座って、ルイズ」

 

 キュルケが誤魔化す様に笑い、ルイズを落ち着かせる為に椅子に座らせる。

ルイズは椅子に再び腰かけると、小さい声でキュルケに尋ねる。

 

「殺された? どういうことなの?」

「あたしも酒場で聞いた程度だから、詳しくは知らないんだけどね。なんでも、王党派の『アサシン』に暗殺されたんですって。しかも、衆人環視のど真ん中で、剣を使ってよ」

「うそ……」

「それだけじゃないわ、今、アルビオン新政府の有力貴族たちが、その『アサシン』に次々暗殺されているんですって。

ワルド子爵と同じように、街のど真ん中で暗殺されるってケースがほとんどらしいわ、お陰でアルビオンは今、大混乱に陥っているそうよ」

「暗殺……って」

 

 ルイズは思わず言葉を失う、まさか、オスマン氏が言っていたアルビオンの噂とは、これの事だろうか?

 

「……なんでそれをわたしに?」

「うん……それがその、『アサシン』の事なんだけど……」

 

 キュルケはそこまで言うと、少し言いにくそうに口を噤んで見せる。

それからややあって、打ち明けるように言った。

 

「目撃者の話によると、その『アサシン』は、白のローブにフードを目深に被った若い男らしいわ、

左肩に、血塗れのアルビオン王家のマントを纏っているそうよ」

「まさか! そ、それって……!」

 

 ルイズも同じ結論に達したらしい、そんな特徴のある姿をした人物は、自分達が知る限りただ一人しかいない。

二人は顔を見合わせると、信じられないと言った様子で、同時に呟いた。

まさか、その『アサシン』は……。

 

「「エツィオ……?」」

 

 

「――眠れ、安らかに」

 

 街をゆく人々の合間を縫い、アサシンの冷たい刃が、哀れな犠牲者の背に埋まる。

断末魔の悲鳴も、腹からこみ上げる血と泡に邪魔をされ、ただ意味のない音を発するだけ。

そして、街をゆく人々にも、護衛をしていた兵士たちにも気づかれることもなく、絶命する。

 

――どさっ、と何かが倒れるような音に、護衛をしていた二人の兵士が気付き、後ろを振りかえる。

その瞬間が、彼らの最期となった。振り返ると同時に、護衛をしていた貴族の男が、膝を地面につき、口から血と泡を垂れ流しながら、ばたりと倒れる。

その背後に立っていた白衣の男に、驚く間も与えられずに口を塞がれ、同時に袖口から飛び出した刃によって喉を貫かれた。

 

「かっ……はっ……」「ごっ……」

 

 声にならない断末魔を上げ、苦悶に喉をかきむしる護衛達の間を、アサシンは何事もなかったかのようにすり抜け、大通りの中へと消えてゆく。

やがて力尽きたのか、二人の衛兵は、護衛をしていた貴族の男に寄り添うように、ばたりと地面に倒れ伏した。

 

「ひっ……!」「しっ、死んでる!」

「さっ、殺人だ! 衛兵! 来てくれ! 衛兵!」

 

 突如、道端に現れた三つの死体に、人々が悲鳴を上げ始める。

やがてその声は大きくなり、街に騒ぎが広がってゆく。

街を警邏していた警備隊が現場に駆け付け、なにやら怒鳴りながら犯人を捜し出すべく、道行く人を捕まえ情報提供を呼び掛けている。

 

「いやぁ、相変わらず見事だなぁ、相棒」

「それはどうも……」

 

 そんな中、騒ぎの中心から離れ、街の中を何食わぬ顔で歩いていたエツィオに、デルフリンガーが楽しそうに声をかけた。

エツィオは気のない返事で答えながら、肩をすくめて見せる。

 

「で、今の奴はなんだ?」

「レコン・キスタに資金を融資している貴族だ、銀行家はこれで三人目だな」

「ふぅん、で、いつになったらクロムウェルを消すんだ?」

「クロムウェルを消すのはまだ先だよ」

 

 エツィオはそう答えると、ふと足を止め、目の前に立つ巨大な宮殿を見上げた。

それは神聖アルビオン共和国の中枢、ハヴィランド宮殿であった。

門の前には屈強そうな衛兵が睨みを利かせており、ネズミ一匹入り込む余地のない厳戒態勢を敷いていた。

 

「今奴を消しても、次の指導者が現れたら意味がないだろう?」

 

 エツィオは人込みに紛れ、そんな彼らを見つめると、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。

 

「こういう連中は、王手(チェック)だけではダメだ、王手詰み(チェックメイト)にしてようやく終わる。要はチェスみたいなものさ」

 

 宮殿を一瞥し、エツィオはデルフリンガーの柄頭に手を載せると、そのまま人の流れに身を任せるように再び歩きはじめる。

 

「なるほどね……それで? 次は何をする気なんだ?」

「それは秘密だ」

 

 デルフリンガーの柄頭から手を離す、肩にかかっていた王家のマントが、はらりと降りた。

 

「次は派手にやるぞ、デルフ、奴らの士気を根元からへし折るつもりでな」

 

 それだけ言うと、エツィオは血塗れのマントを翻し、ロンディニウムの街の中へと消えて言った。



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memory-22 「王権剥奪」

 アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、首都ロンディニウムの郊外に位置している。

革命戦争の前からここは、王立空軍の工廠であった。したがって、様々な建物が並んでいる。

巨大な煙突が何本も立っている建物は、製鉄所だ。その隣にはフネの建造や修理に使う、木材が山と積まれた空き地が続いている。

そして、一際目立つのは、赤レンガの塀に囲まれた大きな建物、そこは空軍の発令所であった。

そこには誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻り、そのすぐ横に併設された造船所では天を仰ぐばかりの巨艦が停泊している。

雨よけの為の布が、巨大なテントのように、改装工事を終えたばかりのアルビオン空軍本国艦隊旗艦『レキシントン』号の上を覆っている。

全長二百メイルにも及ぶ巨大帆走戦艦が、これまた巨大な盤木に乗せられ、明日の演習に備え、装備の点検と物資の搬入、整備が行われていた。

 

「アルセナーレか、随分とでかいんだな」

「アルセナーレ?」

 

 そんな造船所を囲む赤レンガの塀を見上げていたエツィオが呟いた。

 

「俺の国の言葉で、こういう場所を差すのさ。兵器工廠とか、こういった造船所とかな。

ヴェネツィアのが有名なんだが……生憎、まだ行ったことがなくてね、こうして見るのは初めてだ」

 

 デルフリンガーの問いに、エツィオはそう答えると、中へと続く正面の門を見つめる。

……やはりというべきか、門の前には衛兵の一団が睨みを利かせている。

出入りを許されている筈の荷物持ちの人夫や作業員にすら厳重なチェックを行っているため、

人込みに紛れて侵入、というわけにはいかなそうだ。

 

 エツィオは少し考えると、他に出入り口は無いか探すために塀を沿う様に歩きはじめる。

革命戦争時の傷痕だろうか? 塀は所々崩れている場所がある、よじ登ることはできないことは無いが、

塀の上には歩哨が巡回しており、乗り越えての潜入は少々難しいだろう。

そうやって塀の外側を歩き、やがて人通りの少ない通りに入る。

建物の西側に位置しているために日中でもあまり日が差さないその通りに、エツィオの望んでいたものがあった。 

裏口である。扉の前には、メイジの衛兵が一人、通りを歩く人物に不審な人物がいないかどうか監視していた。

 裏口の警備を担当していたメイジの衛兵は、こちらをちらと見ると、腰に下げた杖に手をかけた。

手配書にある王家のマントが見えないように背にかかっているとはいえ、人通りの少ない路地に現れたエツィオは、やはり彼から見て不審人物なのだろう。

 衛兵は直立不動のまま、口の中でルーンを唱え、何時でも呪文を放てるようにこちらを意識している。

だがエツィオは、衛兵に一瞥するわけでもなく、ただの通行人を装い、彼に近づいてゆく。そして何食わぬ顔で彼の目の前を素通りしたその時だった。

――ちりん……と、衛兵の目の前に一枚の金貨が落ちた。

 気がついていないとみた衛兵は、にんまりと笑みを浮かべその金貨を拾い上げた。その瞬間――

 

「ぐぉっ……!?」

 

 エツィオは衛兵の心臓に左手の隠し短剣を叩きこみ、開いた右手で即座に背後の扉を開け、

そのまま死体と共に造船所の中に飛び込んだ。

 

 読みは当たっていたようだ、裏口だけあってか、周囲に人の気配は無く、この騒ぎも感づかれた様子は無い。

まんまと造船所への潜入に成功したエツィオは、空の大樽を見つけると、その中に先ほど殺害した衛兵の死体を放り込みふたを閉める。

 

「さて……」

 

 エツィオは物陰に潜み、巨艦『レキシントン』号へと近づいてゆく。

どうやら監視が厳しいのは正門だけのようだ、造船所内部は見張りがぽつぽつといるだけで、後は多くの整備兵が『レキシントン』号の整備に勤しんでいる。

さらに都合のいいことに、改修も終わって間もないためか、『レキシントン』号の周りには資材や貨物が人の背丈よりも高く積まれたままになっており、

身を隠すために手ごろな物影が多く存在していた。

物持ちの人夫や整備兵達の合間を縫い、時には物陰に隠れながらエツィオは『レキシントン』号へと歩いてゆく。

 

「おお、これはこれは、なんとも大きく、頼もしい艦ではないか!」

 

 エツィオが『レキシントン』号に近づこうとしたその時であった、この場には似つかわしくない、快活な声が聞こえてきた。

 エツィオはすぐさま物陰に身を隠し、声がした方向を覗き見る。

共の者を引き連れた一人の男が、『レキシントン』号を見上げ、仰仰しく声を上げているのが見えた。

 

「余も近くで見るのは初めてであるが……。この様な艦を与えられたら、世界を自由にできるような。そんな気分にならんかね? 

艤装主任……いや、今は艦長であったな、ミスタ・ボーウッド」

「我が身には余りある光栄ですな、皇帝閣下」

 

 もう一人の男が、気のない声で答えるのを見て、エツィオは目を細めた。

 

「閣下……? なるほど……奴がクロムウェル……」

 

 エツィオは思いがけず現れたレコン・キスタの首魁、神聖アルビオン共和国皇帝クロムウェルを身を潜めながらじっと見つめる。

年の頃は三十代の半ば、高い鷲鼻にカールした金髪が特徴的な聖職者風の男だ。

なんの変哲もない、ともすればどこにでもいそうな男だが、これでもアルビオン共和国の皇帝のようだ。

しかしマチルダによれば、彼こそが失われた系統『虚無』を操り、死者をも蘇らせる力を持っているという。

だとすれば、計り知れない力を秘めたメイジなのだろう、そう考えていたエツィオであったが、やがて妙な事に気がついた。

 

「ん……? あいつ……」

 

 エツィオはクロムウェルを見て、妙な違和感を覚えた。

確かに腰には確かに杖らしきものを下げている。しかし、エツィオはその杖にあるべきものが見えない事に気がついた。

いや、それどころか、メイジならば見えるはずのものが、クロムウェルからは全く見る事が出来なかった。

 

「あいつ、メイジじゃないのか……?」

「は? メイジじゃない? クロムウェルがか?」

 

 思わず呟いたエツィオに、腰に下げたデルフリンガーが尋ねる。

エツィオは首を傾げると、クロムウェルから目を離さずに言った。

 

「『虚無』がそういうものなのだ、と言われたら反論はできないが……、俺が"見る"限り、奴はメイジではない、あの杖はただの棒きれだ」

「ああ、例の"タカの眼"か……ってオイ、そりゃ本当か?」

「……あれは」

 

 エツィオはさらに何かに気がついたようだ、懐から『風のルビー』を取り出し、クロムウェル……いや、正しくは彼の指先を交互に見比べる。

ここからでは僅かにしか確認できないが、クロムウェルの指に、何かが光っている。果たしてそれは、小さな指輪であった。

エツィオから見て、その指輪には強い魔力が宿っているのが見えた。何かのマジックアイテムなのだろうか?

 

「あの指輪……なんだ? 『風のルビー』とは大分違うみたいだが……ん?」

 

 そこまで言ったエツィオはクロムウェルの傍らに控える、フードを目深に被った男を見た。

あの男……、とエツィオは小さく呟く、その男がメイジであることはわかる、だが、何かがおかしい。

エツィオのタカの眼には、クロムウェルの指先に光る指輪……それと同質の魔力に覆われているのが見える。

クロムウェルの持つ力に関係しているのだろうか? そう考えながら、注意深くその男を観察する。だが、生憎ここからでは顔は見えなかった。

 

 とにかく今は様子を見るべきだ。そう考えたエツィオは、見つからないように注意しながら、クロムウェル達の会話を見守った。

 

 

「見たまえ。あの大砲を!」

 

 クロムウェルは舷側に突き出た大砲を指さした。

 

「余のきみへの信頼を象徴する、新兵器だ。アルビオン中の錬金魔術師を集めて鋳造された、長砲身の大砲だ! 設計士の計算では……」

 

 クロムウェルの傍に控えた長髪の女性が答えた。

 

「トリステインやゲルマニアの戦列艦が装備するカノン砲の射程の、およそ一・五倍の射程を有します」

「そうだな、ミス・シェフィールド」

 

 ボーウッドは、シェフィールドと呼ばれた女性を見つめた。冷たい妙な雰囲気のする、二十代半ばくらいの女性であった。

細い、ぴったりとした黒いコートを身に纏っている。見たことのない、奇妙ななりだった。マントも付けていない、ということはメイジではないのだろうか?

 クロムウェルは満足げに頷くと、そんなボーウッドの肩を叩いた。

 

「彼女は、東方の『ロバ・アル・カリイエ』からやってきたのだ。エルフより学んだ技術で、この大砲を設計した。

彼女は未知の技術を……、我々の体系に沿わない、新技術をたくさん知っておる。きみも友達になるがよい、艦長」

 

 ボーウッドはつまらなそうに頷く、彼は心情的には、実のところ王党派であった。

しかし彼は、軍人は政治に関与すべからずとの意思を持つ生粋の武人であった。

 上官であった艦隊司令が反乱軍側に付いたため、仕方なくレコン・キスタ側の艦長として革命戦争に参加したのである。

アルビオン伝統のノブレス・オブリージュ……、高貴なものの義務を体現するべく努力する彼にとって、アルビオンは未だ王国なのであった。

彼にとって、クロムウェルは忌むべき王権の簒奪者なのであった。

 

「これで、『ロイヤル・ソヴリン』号にかなう艦は、ハルケギニアのどこを探しても存在しないでしょうな」

 

 ボーウッドは、間違えたふりをして、この艦の旧名を口にした。その皮肉に気付き、クロムウェルはほほ笑んだ。

 

「ミスタ・ボーウッド。アルビオンにはもう『王権(ロイヤル・ソヴリン)』は存在しないのだ」

「そうでしたな。しかしながら、たかが結婚式の出席に新型の大砲をつんでいくとは、下品な示威行為と取られますぞ」

 

 トリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式に、国賓として初代神聖皇帝兼貴族議会議長のクロムウェルや、神聖アルビオン共和国の閣僚は出席する。

その際の御召艦が、この『レキシントン』号なのであった。その親善訪問に新型の武器をつんで行くなど、砲艦外交ここに極まれり、である。

するとクロムウェルは、何気ない風を装って、つぶやいた。

 

「ああ、きみには『親善訪問』の概要を説明していなかったな」

「概要?」

 

 また陰謀か、とボーウッドは頭が痛くなった。

 クロムウェルは、そっとボーウッドの耳に口を寄せると、二言、三言口にした。

 ボーウッドの顔色が変わった。目に見えて、彼は青ざめた。そのくらいクロムウェルが口にした言葉は、ボーウッドにとっての常軌を逸していた。

 

「バカな! そんな破廉恥な行為、聞いたことも見たこともありませぬ!」

「軍事行動の一環だ」

 

 こともなげに、クロムウェルは呟いた。

 

「トリステインとは不可侵条約を結んだばかりではありませんか! このアルビオンの長い歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史は一度たりとて無い!」

 

 激昂してボーウッドは喚いた。

 

「ミスタ・ボーウッド、これ以上の政治批判は許さぬ。これは議会が決定し、余が承認した事項なのだ、

きみは余と議会の決定に逆らうつもりかな? いつからきみは政治家になった?」

 

 それを言われると、ボーウッドはもう、なにも言えなくなってしまった。

彼にとっての軍人とは物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実な番犬であった。誇りある番犬である。

それが政府の……、指揮系統の上位に存在する者の命令ならば、黙って従うより他はない。

 

「アルビオンは……、ハルケギニア中に恥を晒す事になります。卑劣な条約破りな国として、悪名を轟かすことになりますぞ」

 

 ボーウッドは苦しげにそう言った。

 

「悪名? ハルケギニアはレコン・キスタの旗の下、一つにまとまるのだ。聖地をエルフどもより取り返した暁には、

そんな些細な外交上のいきさつなど、誰も気にもとめまい」

 

 我慢ならなくなったボーウッドはクロムウェルに詰め寄った。

 

「条約破りが些細な外交上のいきさつですと? あなたは祖国をも裏切るおつもりか!」

 

 クロムウェルの傍らに控えた一人の男が、すっと杖を突き出して、ボーウッドを制した。

フードに隠れたその顔に、ボーウッドは見覚えがあった。驚いた声でボーウッドは呟いた。

 

「で、殿下?」

 

 果たしてそれは、討ち死にしたと伝えられる、ウェールズ皇太子の顔であった。

 

「艦長、かつての上官にも、同じセリフが言えるかな?」

 

 ボーウッドは咄嗟に膝をついた。ウェールズは手を差しだした。その手にボーウッドは接吻する。刹那、青ざめる。その手はまるで氷のように冷たかった。

 それからクロムウェルは、共の者を促し、歩き出した。ウェールズも従順にその後に続く。

その場に取り残されたボーウッドは、呆然と立ち尽くした。

あの戦いで死んだはずのウェールズが、生きて動いている。ボーウッドは『水』系統のトライアングルメイジであった。

生物の組成を司る、『水』系統のエキスパートの彼でさえ、死人を蘇らせる魔法の存在など、聞いたことがない。

ならばゴーレムだろうか? いやあの身体にはきちんと生気が流れていた。

『水』系統の使い手だからこそわかる、生前の、懐かしいウェールズの体内の水の流れが……。

 なんにせよ、未知の魔法に違いない。そして、あのクロムウェルはそれを操るのだ。かれはまことしやかに流れている噂を思い出し、身震いした。

 

 神聖皇帝クロムウェルは、『虚無』を操る、と……。

 ならば、あれが『虚無』なのか?

 ……伝説の『零』の系統。

ボーウッドは震える声で呟いた。

 

「……あいつは、ハルケギニアをどうしようというのだ」

 

 呆然と立ち尽くすボーウッドに、一人の整備兵が駆け寄り、敬礼をする。

 

「サー。報告いたします、『レキシントン』号、物資の搬入が完了いたしました」

「あ、ああ……ご苦労だった」

 

 その声に我に返ったボーウッドは、声の震えを隠す様に眉間を指で抑えながら答えた。

その弱弱しい艦長の様子に、整備兵は心配そうに首を傾げた。

 

「どうかなされましたか? 顔色が優れないようですが……」

「いや……少し疲れただけだ。ぼくは少し休む、最終点検が済み次第、きみたちも休むといい」

「アイ・サー」

 

 整備兵は敬礼をすると、踵を返し、持ち場へと戻って行く。

ボーウッドはそんな彼を見送った後、一つため息を吐き、自身も一旦休息を取るべく歩き出した。

 貨物区画を抜け、資材置き場に差しかかる。

いつものこととはいえ、まるで迷路だ。と背丈よりも高く積み上げられた資材を見て、ボーウッドが一人ごちた、その時であった。

ぞくり、とボーウッドの背中に悪寒が走った、杖に手をかけ振り返ったその刹那、

 

「むごっ――っ!?」

 

 いつの間に背後に立っていたのであろうか、フードを目深に被った、白のローブに身を包んだ男に口を塞がれる。

ボーウッドの表情が驚愕に歪む、その一瞬の隙を逃さず、エツィオはボーウッドの手から杖を奪い取ると、

ぐいとボーウッドの顎をつかみ、袋小路となっている場所へと引きずり込むと、肘や膝を様々な急所に叩きこんだ。

堪らずボーウッドはがくりと膝をついた。

 

「ぐ……お……」

 

 エツィオは、地面に倒れ伏し苦悶の声をあげるボーウッドの胸倉をつかんで無理やり立ち上がらせると、

資材の壁に叩きつけ、喉元にアサシンブレードを滑り込ませた。

 

「ぐっ……! き、きみは……」

 

 叩きつけられたせいか、朦朧とする意識の中、ボーウッドはエツィオの肩にかかった王家のマントを見て、絞りだすような声で呻いた。

 

「そのマント……、そうか……きみが『死神』……、なるほど、とうとうぼくの所に来たというわけだ」

 

 手配書通りのアサシンの姿にボーウッドは得心したようだ、それからフードの中のエツィオの顔を見て、少し驚いたように呟いた。

 

「随分と若いのだな……。まあいい、殺す前に一つだけ教えてくれ、きみは一体何者だ? 王家の人間ではあるまい」

「そうだ、俺は王家の人間でもなければ、王党派でもない」

「王党派ではないなら、きみは一体……」

「アルビオンが、友の愛したこの国がこれ以上辱められるのを、看過するわけにはいかない」

「そうか……ならば殺すがいい。ぼくは……仕方がなかったとはいえ、王家を裏切り、同胞をこの手に掛けてしまった。

戦に勝ったとはいえ、ぼくは薄汚い裏切り者だ……。そして今、ぼくはこの愛する祖国を、更に辱め、地獄に突き落すところだった。

これ以上あの簒奪者に手を貸す位ならば、今ここできみに首を切り裂かれ、地獄に堕ちた方が幾分かマシというものだ」

 

 死を前にしたボーウッドは全てを吐露すると、安堵の表情を浮かべ肩の力を抜いた。

エツィオはそんなボーウッドの胸倉を強く締めあげ詰問する。

 

「その前に答えてもらおう、新兵器とやらの設計図はどこだ」

「……それなら『ロイヤル・ソヴリン』……いや、今は『レキシントン』号か、その中にある」

「実物は?」

「実物だと? そんなことを聞いてどうするつも――がっ!?」

 

 ボーウッドの鼻にエツィオの頭突きが突き刺さる。

鼻骨を折られ、激痛に顔を歪ませるボーウッドに、エツィオは冷たい表情のまま尋ねた。

 

「質問に答えろ」

「ぐっ……、き、きみの望む物は全てあの『レキシントン』号にある、製造された実物はそれで全てだっ……」

「わかった、……最後の質問だ、先ほどお前に杖を突きつけたフードの男、あれは誰だ」

「それはっ……」

 

 その質問に、ボーウッドの顔が青くなった。まるで信じがたい物を見てしまったと言わんばかりの表情だ。

ボーウッドは震える声で自分が見た物をエツィオに説明した。

 

「あれは……殿下だった。ウェールズ・テューダー皇太子殿下……」

「殿下だって?」

「そうだ、あれは決してゴーレムなどそういうものではない、ぼくは『水』の使い手だ、だからこそわかるのだ、あの方は殿下その人だと」

 

 それを聞いたエツィオはやや驚いた表情になった。眉を顰め、情報を整理する。

クロムウェルの指に光っていた魔力を帯びた指輪、ウェールズの身体を覆っていたそれと同質の魔力。

そして、クロムウェルの死者を蘇らせる『虚無』

瞬間、エツィオの中で点と点が繋がった。

 

「そうか……そういうことか」

「もう一発殴られる物と覚悟したが……信じるのかね?」

 

 何やら納得した様子のエツィオに、ボーウッドは戸惑ったように首を傾げる。

エツィオは唇をかみしめると、やがて皮肉と憐れみが混じった笑みを浮かべた。

 

「ああ、おかげで奴の『虚無』の正体がわかった。……とんだペテン師だな、あの男は」

「ペテンだと? 一体それはどういう……!」

 

 エツィオの言葉に、ボーウッドの顔色が変わった。

まさか、殿下を蘇らせた力は、『虚無』ではないとでもいうのか。

だがエツィオは、小さく首を振ると、ボーウッドの喉元にアサシンブレードを突きつけた。

 

「お前にとって、この事実は残酷な物だ、聞かずに逝った方がまだ救いがある」

「待て! 待ってくれ! 教えてくれ! 奴は一体何者だ! ペテンとはなんだ!

もし、奴の虚無がペテンだとしたら! ぼくは……! ぼくはっ……! 一体何のために……!」

「……いいだろう」

 

 エツィオはアサシンブレードを納めると、ボーウッドを突きとばした。

今まで締めあげられていたせいか、解放された後もしばらく咳き込んでいたボーウッドだったが、

やがて落ち着きを取り戻したのか、エツィオをまっすぐに見据えた。

 

「お前は先ほど、クロムウェルと謁見していたが、その時、奴は右手に指輪を嵌めていたことに気がついたか?」

「指輪? あ、ああ、細かくは見てはいないが……していたように思う」

「その指輪が奴の『虚無』の正体だ、奴自身、なんの力も持たぬただの平民に過ぎない」

「なっ、なんだと!? ど、どこにそんな証拠が!」

「俺にしかわからないことだ、殿下の死体を動かしている力は、奴が身につけている指輪の持つ力と全く同じ物だ」

 

 激昂するボーウッドに、エツィオは淡々と言葉をつづけた。

 

「馬鹿な! 死者を動かす指輪だと? そんなもの、伝説の中にしか存在しないのだぞ!」

「クロムウェルが掲げる『虚無』とやらも伝説のようだが?」

「っ……! そ、それ……は……」

「伝説のマジックアイテム……、長い間姿を現すことのなかった虚無の担い手が突然現れるより、信憑性は高いんじゃないのか?」

「…………」

 

 エツィオの話術に嵌まってしまったボーウッドは言葉を失ってしまった。

そのままへなへなと脱力し、地面にへたりこむ。

 

「騙されていたのか……? 我々は……」

 

 ボーウッドは俯き、地面に拳を打ちつけると、絞り出すような声で呻いた。

 

「なにが……軍人は物言わぬ剣だ……なにが誇りある番犬だ……。

ぼくのやったことは、操られるがままに主人の首を噛みきっただけじゃないか……」

 

 呆然とした表情で呟くボーウッドを見て、エツィオは持っていた杖を投げ捨てるとくるりと踵を返した。

それに気がついたボーウッドは驚いたように顔を上げた。

 

「ま、待て! ぼくを……殺さないのか?」 

「悔いている人間を殺すほど、俺は傲慢じゃない。それに、俺がここにいる目的は、奴の手で歪んだ『王権(ロイヤル・ソヴリン)』ただ一つだ」

「この杖できみを攻撃するとは思わないのか?」

「その時は、改めてお前を殺すだけだ。……衛兵を呼びたければ好きにしろ」

 

 冷たく言い放つエツィオを見て、ボーウッドはゆっくりと立ち上がると、服についた埃をはたき落し、力なく微笑んだ。

 

「いや……ぼくは何も見なかった、何もないところで転んでしまうとは、……軍人失格だな」

「……感謝する、サー」

「待ちたまえ」

 

 振り返らずに立ち去ろうとしたエツィオをボーウッドが呼び止める。

 

「『ロイヤル・ソヴリン』を葬るなら、今が好機だ。明日、大規模な演習がある。

そのために、あの艦には今、大量の火薬と弾薬が積載されている。それを利用すればあるいは……」

「……なぜそれを俺に?」

「なぜかな……、自分でもよくわからない。せめてもの償い……いや、これで許される筈もないのだがな……。

きみの話が本当なら、もはやこの国に、『レコン・キスタ』に未来はない……ぼくは、どうすればいいのだろうか……」

 

 自嘲的な笑みを浮かべ、悲しそうに呟くボーウッドに、エツィオは振り返る。

 

「ならば、亡命をする気はないか?」

「亡命?」

「お前は、『親善訪問』に難色を示していたな」

「あ、ああ、条約破りなど、恥知らずもいいところだ……」

「軍属のお前が亡命しトリステインに知らせれば、奴の企みは大きく躓く事になる」

 

 エツィオのその言葉に、ボーウッドは少しだけ迷ったような表情になった。

自分は誇りあるアルビオン軍人だ、亡命などあってはならないことだ。と、少し前の自分ならそう言っていただろう。

しかし、今は違う。アルビオンの王位を簒奪し己の意のままに操っているのは、虚無を騙るペテン師だ、

そんな者にこれ以上肩入れすること自体、アルビオンを裏切ることになるのではないか。

そう考えたボーウッドは、顔を上げると力強く頷いた。

 

「わかった、その申し出を受けよう。これ以上あの簒奪者に仕えるのは、もう我慢ならない」

「協力感謝する、サー・ボーウッド」

 

 エツィオとボーウッドは固く手を結んだ。

 

「亡命手段はこちらで用意しよう、それまで連絡を待て」

「わかった。それよりも急ぎたまえ、今は兵達の休憩時間だ、今なら警備が手薄なはずだ」

「ありがとう。サー、貴方も今すぐここから離れることだ、もうすぐここは灰になる」

「そうさせてもらうよ。……アサシンであるきみに、こんなことを尋ねるのは変な話なのだが……よければ、きみの名前を教えてくれないか?」

 

 ボーウッドは頷くと、踵を返し『レキシントン』号に向かおうとするエツィオに尋ねた。

 

「エツィオ・アウディトーレ」

 

 立ち止まり、振り返らずにエツィオは名乗りを上げる。

ボーウッドはにっこりと笑みを浮かべ、頷いた。

 

「エツィオ……なるほど『鷲』か、この空の国(アルビオン)を駆けるに相応しい、よい名だ。我が胸に秘めておこう。

……頼む、エツィオ・アウディトーレ。奴の歪んだ『ロイヤル・ソヴリン』を葬ってくれ」

 

 真剣な表情で語りかけるボーウッドに、エツィオは小さく頷くと、『レキシントン』号に向かい、歩を進めてゆく。

その姿を見送ったボーウッドは、杖を拾い上げると、自身に『治癒』の呪文を唱え、顔の傷を癒すと、

腕に付いた『レコン・キスタ』の一員で示すことを表す腕章をむしり取り、兵器工廠を後にした。

 

 

 一方その頃……、造船所の離れに備え付けられた赤レンガの空軍発令所にて、共の者を下がらせたクロムウェルはとある貴族と談笑をしていた。

発令所の一室から『レキシントン』号の雄大な姿を眺めながら、これからの計画について話し合っている。

 

「……と、いうわけだ、きみには期待をしているよ、艦隊司令長官」

「ハッ! お任せ下さい閣下! このジョンストン、閣下の理想のため、微力を尽くさせていただきます!」

 

 トリステイン侵攻軍総司令官に任命されたばかりのサー・ジョンストンは感激した面持ちを浮かべた。

貴族議会議員でもある彼は、クロムウェルの信任厚い人物である。

クロムウェルはそんな彼を見つめ、にっこりとほほ笑むと、肩を叩き、窓の外の『レキシントン』号を指さした。

 

「見たまえ、最新鋭の大砲を積んだ最大最強のフネだ。それを筆頭としたハルケギニア最強の空軍艦隊を指揮するのだ、まったく、余から見てもうらやましいことだな」

「わ、我が身にあまる光栄でございます閣下」

 

 クロムウェルは満足そうな笑みを浮かべ、大きく頷く。

 

「議員、明日は演習だ、きみにも『レキシントン』号に乗り込んでもらいたい、戦場の空気に慣れてもらうためにもな」

「心得ております、いやはや、私ごときがあのような立派なフネに乗りこめるなど……光栄の極みですな」

「そう思ってしまうのも無理はない、実を言うと余もあのフネには圧倒されっぱなしなのだ」

 

 クロムウェルとジョンストンは『レキシントン』号を眺めながら、満面の笑みを浮かべた。

 

 その時だった。

整備を終え、造船所に停泊している『レキシントン』号の舷門の一つが突如として光を放った。

瞬間、ロサイス全体を揺るがす轟音と共に、耳をつんざくような爆発音が発令所全体に響き渡った。

 

「な! な! な! なぁ!?」

「な、何が起こった?! なにが!」

 

 もはや発令所は大混乱である。

クロムウェルとジョンストン議員は天地がひっくり返ったかの如くパニックに陥り、何が何だか分からないと言った様子で窓の外を見つめる。

そうこうしているうちに、『レキシントン』号の舷門が轟音と共に次々火を噴いていった。

 

 

「なるほど、流石は新兵器、大した威力だな」

 

 『レキシントン』号の砲列甲板、一枚の羊皮紙を広げながら、エツィオは呟いた。

足元には警備の為に艦内を警邏していた衛兵達が、皆一様に鋭利な刃物で首を切り裂かれ、或いは急所を貫かれた無残な死体となって転がっている。

ボーウッドを解放した後、まんまと『レキシントン』号の内部に潜入したエツィオは、警備の衛兵を皆殺しにした後、

新兵器の大砲の設計図を奪取し、全ての砲門に大砲を装填し、最初の一発をぶっ放したのであった。

そんなエツィオに腰に差したデルフリンガーがカチカチと音を立てて尋ねる。

 

「で、今のはどこ狙ったんだ?」

「製鉄所だ、さて次は……」

 

 エツィオはいたずらを仕掛ける子供の様な笑みを浮かべると、あらかじめ狙いをつけていた次の大砲に火を入れる。

ぼこんっ! と船内に轟音が響く、同時に造船所をぐるりと囲んでいた立派な赤レンガの壁が豪快に吹き飛び、一瞬でがれきの山と化す。

最新鋭の大砲から発射された砲弾は、赤レンガの壁をぶち抜くだけにとどまらず、とある建物に突き刺さった。

同じく赤レンガでできたその建物は、豪快に消し飛び、中にいたであろう人間の怒号と悲鳴がきこえてきた。

 

「今のは?」

「衛兵駐屯地」

 

 エツィオは淡々と答えながら次の大砲に火を入れる。すると今度は、隣の港に停泊する一隻の軍艦に突き刺さった。

どうやら火薬庫に着弾したのだろう、『レキシントン』には遠く及ばないが、それでも立派な造りの軍艦は盛大な炎を吹き上げると爆沈していった。

それをみたエツィオは、しめたとばかりに軍港方面に面した大砲に次々火を入れてゆく。

ぼこんっ! ぼこんっ! ぼこんっ! と腹の底に響くような大砲の炸裂音が連続で鳴り響く。

『レキシントン』号から放たれた砲弾は空中で散弾となり、雨あられと化しロサイスの軍港に降り注ぐ。

多くの戦列艦が停泊していた軍港は一瞬で炎上し、まさに地獄絵図と言っても過言ではない様相を呈していた。

 

「……すごい威力と射程だ……既存の大砲とは比べ物にならないな……」

 

 あらかた大砲を打ち尽くしたエツィオは、そのあまりの威力に苦い表情で呟くと、手にした羊皮紙を見る。

どうかこれ一枚であってほしい……、エツィオはそう祈りながら、照明用の松明に羊皮紙を投げつける。

 

「すまないな、ミス・シェフィールド」

 

 口元に皮肉な笑みを浮かべながら、エツィオが呟く。

炎はあっという間に燃え上がり、アルビオンが誇る最新兵器の設計図を灰へと変えた。

 

「おい! 貴様! そこでなにを――がっ……!」 「あ、お、おま――かっ……」

 

 『レキシントン』号の異常に、おっとり刀で駆け付けた衛兵達が、エツィオのいる砲列甲板へと踏み込む。

その瞬間、二人の首に、深々と投げナイフが突き刺さる。

どさり、と二人の衛兵はまるで糸の切れた操り人形のように、甲板に横たわる死体の仲間入りを果たす。

 

「そろそろ頃合いだな」

 

 エツィオは、衛兵達が集まりつつあることを悟ると、

階段を下り、『レキシントン』号の心臓部……、風石が満載された機関部へと降りて行った。

 

 一方その頃、『レキシントン』号の甲板では、砲撃を免れ、なんとか生き残った衛兵達が、船内に突入すべく集ってきていた。

 

「生き残りはこれだけか?」

「はっ、現在戦闘可能な人員はこれだけであります、他は負傷者の搬送や消火作業で手がふさがっている状況です」

「くっ……なんということだ……、中で何が起こっている……!」

 

 衛兵隊長が、甲板に集った衛兵達を見つめて、苦い顔で呟いた。その数は僅かに十数名。

駐屯地や詰所、それらを砲撃され、ロサイスに駐屯していた兵は、まさに全滅と言ってもよい程の被害をこうむっていた。

 

「くそっ! 総員突入準備! 侵入者を生かして帰すな!」

 

 衛兵隊長が命令を告げた、その時だった。

甲板と船内を繋ぐ、唯一の入口である両開きの扉が、ぎぃっ……と、軋むような音を立てて開いた。

そこから現われた人物をみて、衛兵達は一瞬、言葉を失った。

開かれた扉から現われたのは、白のローブに身を包んだ、フードを目深に被った若い男だった。

左肩には、もとは鮮やかな紫色だったのだろう、血で赤黒く変色したアルビオン王家のマントを纏っている。

 その男は、甲板に集まった衛兵たちなど、最初から眼中にないとばかりにゆっくりと歩を進めてゆく。

左右に分かれた衛兵達の間を悠然と歩いてゆくその姿は、まるでモーゼが別った紅海を進んでゆくようだ。

しばし呆然とその男を見つめていた衛兵達であったが、やがて我に返った一人の衛兵が叫んだ。

 

「アサシンだ!」

 

 その言葉に他の者達もようやく我を取り戻したのであろう。

メイジであるものは杖を引き抜き、そうでないものは、槍や剣を構え、アサシンを取り囲んだ。

円を描くよう周囲を取り囲まれたアサシンは、やがてゆっくりと足をとめた。

 

「この騒ぎの首謀者は貴様か! アサシン! ただで済むと思うな!」

 

 衛兵隊長が杖を突きつけながら、アサシンを睨みつける。

目深に被ったフードから覗くアサシンの口元に、僅かに笑みが浮かぶ、その時だった。

アサシンの右手が、すっと差し出される、そしてその手に持っているものをみて、衛兵達は目を丸くした。

手にすっぽりと収まる大きさの球体。

 

「ば、爆弾だ!」

 

 衛兵のうちの誰かが叫んだ、衛兵隊達がひるみ上がる、その瞬間、アサシンがその球体を力いっぱい地面に叩きつけた。

 

「――ッ!? なっ!」

 

 ボンッ! という破裂音と共に球体から勢いよく煙が立ち昇る。

アサシンがもっていた物は、爆弾ではなく煙幕弾であった。辺り一面が真っ白な煙が包み込む。

それを吸い込んだ衛兵達は思わず咳き込んでしまう。

一人の『風』のメイジが、なんとか呪文を唱え、風を巻き起こす。煙が吹き飛ばされ、辺りを包んでいた煙が晴れた。

ようやく視界が確保された衛兵達はアサシンがいた場所を睨みつける。

しかし、そこに立っていたアサシンは、やはりというべきか忽然と姿を消していた。

 

「いない! ど、どこに!」

「ぐっ……や、奴はどこだ!」

「くそっ! どこに消えた!」

「まだ遠くに入っていない筈だ!探し出せ!」

 

 まるで小馬鹿にするようなアサシンの手口に、衛兵達は怒りに顔を真っ赤に紅潮させながら周囲を見渡す。

そして一人の衛兵が、『レキシントン』号の船首に立つアサシンを見つけた。

 

「いたぞ! 船首だ!」

 

 船首の先端に立ち、こちらを見下ろすアサシンを再び取り囲む。

アサシンの背後は地面が待ち受けている、『レキシントン』級の大きさともなると、その高さは優に数十メイルにも及ぶ。

メイジでもない限り、落ちたらまず命はないだろう。

 

「残念だったな、逆にお前は袋のネズミになったわけだ」

 

 下を覗き込んでいるアサシンに、油断なく杖を突きつけながら衛兵隊長は言った。

 

「さてアサシン、お前が選ぶべき道は三つだ、ここで我々の魔法の矢に貫かれるか、吊るし首になるか……」

 

 隊長がそう言った時だった、アサシンはぷいと顔をそむけ、遥か遠くの空軍発令所を見つめた。

それから何か小さく呟いたと思うと、今度はくるりとこちらを向いた。

 

「ここから飛び降りるか……か?」

 

 するとアサシンは、にやっと笑うと聖人のように両手を大きく広げた。

 

「ま、待て! 何をする気だ!」

「何を? 決まっている、飛び降りるのさ」

 

 嫌な予感がした隊長は、すぐさま呪文を放とうとアサシンに向け振おうとする。

だが、それよりも早くアサシンは一歩後ろへ足を踏み出した。

 

「Adieu!」

 

 耳慣れぬ異国の言葉と共に、アサシンの姿が眼前から消えた、その時だった。

『レキシントン』号に凄まじい激震が轟音と共に襲いかかった。

瞬間、内部で巻きあがった巨大な爆風が甲板を突き破り、衛兵達を吹き飛ばした。

 

 その爆発を皮きりに『レキシントン』号の内部から次々と同じような爆発が巻き起こる。

機関部に仕掛けられた大量の爆薬に火が付き、一際巨大な爆発がフネ全体を嘗めてゆく。

巨大なマストは根元からへし折れ、甲板や舷側には大きな穴が開いた。

一瞬でロサイスの軍港を地獄に塗り替えた『レキシントン』号が、自ら吐きだした炎に焼かれてゆく。

明日の演習に備え、船倉で待機していた竜達が、為すすべもなく爆発に巻き込まれ、或いは崩れ落ちる瓦礫に押しつぶされ死んでゆく。

やがて一際大きな爆発が巻き起こる、瞬間、最後の断末魔を上げるように『レキシントン』号は、船体の真ん中から真っ二つにへし折れ……。

造船所に炎をまき散らしながら、轟沈していった。

 

「安らかに眠れ、『王権(ロイヤル・ソヴリン)』……生まれてきた地獄に帰るがいい」

 

 『レキシントン』号と共に爆発、炎上する造船所を背に、アサシン……エツィオが弔う様に呟いた。

 

 

「あ……あ……へぁ……」

 

 気の抜けた声でぺたりと空軍発令所の床にへたりこんだのは神聖アルビオン帝国初代皇帝、クロムウェルその人であった。

からん、と乾いた音を立てながら、手にしていた遠眼鏡が床を転がってゆく。

目の前で爆発炎上する『レキシントン』号を目の当たりにしたせいもある、

だが、最も彼の心胆を寒からしめたものは、その轟沈する直前『レキシントン』号の船首に立っていた白衣の『アサシン』であった。

あのアサシンは、飛び降りる直前、確かにこちらを向いた、そして奴の口は、こう動いていた。

 

――『次は、お前だ』

 

 クロムウェルは、自分の身体が震えていることに気がついた。

それは恐怖から来る震えであることにすぐに気がついた。

ワルド子爵のみならず、政府高官たちを次々闇に葬っている謎のアサシンが、遂に自分を捉えたのだ。

間違いない、奴は自分の命を狙っている。ようやくその実感がわいた途端、恐怖で歯の根が合わなくなった、ガチガチと歯が音を立てる。

 

「ひ、ひぁああっ!」

 

 情けない悲鳴を上げながら、たまらず机の下にもぐりこみ、頭を抱える。

ガタガタガタとクロムウェルは恐怖に打ち震えた。そこにいるのは、虚無の担い手でも、ましてや神聖アルビオン共和国初代皇帝でもない……。

ただの、無力な男の姿であった。

 

 

 翌日……。

ロサイスが壊滅的被害を被ったとの報せを受け、貴族議会の緊急招集が、深夜にも関わらず唯一無事だった施設、空軍発令所にて行われていた。

本来はロンディニウムのホワイトホールで行われるものであるが、クロムウェルが指令室にこもり一歩も外に出ようとしない有様であったため、

仕方なくここ、空軍発令所で行われていたのであった。

無論、議員達には、ロサイスにはまだアサシンが潜んでいる可能性があり、皇帝の御身第一という説明がなされていた。

 

 発令所の指令室では、ホワイトホールの椅子に比べると遥かに座り心地の悪い木の椅子に腰かけ、

これまた使い古された長方形の木のテーブルを囲みながら、神聖アルビオン共和国の閣僚や将軍達が激論を戦わせていた。

本来戦時中に用いる指令室であるためか、灯りは必要最低限のものしかなく、テーブルの上の燭台だけが、辺りを僅かに照らしていた。

 

「……以上が、ロサイスの被害状況です」

「ふ、ふざけるな! 警備は一体何をしていたのだ!」

 

 報告を聞いた年若い将軍は、力強くテーブルを叩いた。

 ロサイスの被害は甚大だった、旗艦『レキシントン』号を筆頭に空軍の一艦隊を丸ごと叩きつぶされた揚句、衛兵駐屯地、果ては製鉄所まで、

あのアサシンはありとあらゆる軍の主要施設を完膚なきまでに破壊して行ったのだ。

 

「何故捕らえられない! たった一人だぞ! たった一人のアサシンによって、なぜ我らがこうまで混乱せねばならないのだ!」

「全てはあのアサシンの仕業だ! 奴のお陰で我が軍は大損害だ! 『レキシントン』号だけでも、搭載されていた新兵器に、貴重な竜が三十騎!

駐屯していた兵達は一網打尽にされ、街は瓦礫の山! もはや損害は計りしれん!」

「それだけではない、見ろ! 我らの中にも犠牲者が出ているのだぞ! ワルド子爵を始め、もう三人も我ら貴族議会の同志が奴の手にかかってしまった!」

 

 議員がテーブルを見渡す、最初に議会を開催した時には十五人程人数がいたはずだが……、その人数は彼の言うとおり十二人に数を減らしていた。

一人の肥えた将軍が、怯えるような声で呟いた。

 

「奴は本当に人か? 兵たちの間にも不安が広がっている、中には奴は『死神』だと噂をする者も……。

不遜にも始祖の末裔たる王家を滅ぼした我々に対し、お怒りになった神が遣わした死の天使だと……」

「なんだと! そんな筈があるものか! 閣下こそが始祖に使わされし『虚無』の担い手であることを忘れたか!」

 

 興奮と怒りに目を血走らせた年若い将軍がどん! と再び力強くテーブルを叩いて立ち上がり、肥えた将軍を非難する。

 

「あくまで兵達の噂を言ったまでだ! 私の発言ではない!」

「そしてそれを鵜呑みにしているというのか? 冗談ではないぞ! 始祖の加護は我らにある!」

 

 年若い将軍は、熱っぽい目で上座に座るクロムウェルを見た。

クロムウェルは内心恐怖に震えながらも、精いっぱいの威厳を保つために、必死で笑顔を作った。

 

「……だがそれでも、奴の為に受けた損害は計り知れぬ、奴を止めようとしたが、既に多くの命が失われてしまった……。

一個小隊がたった一人に全滅させられるなど、誰が信じる! 我等『レコン・キスタ』の旗はもはや、あのアサシンにとっては狩るべき獲物の目印でしかないのだぞ!」

「なんとしても奴を止めなければ……このままでは軍団の再編もままなりませぬ」

「ではどうする? 一人の敵に軍勢でも派遣するかね?」

「ぐっ……!?」

「じょ、冗談ではないぞ! たった一人のアサシンを倒すために軍団が動かせるか!

それに、奴の居場所も、行動も、素性も! どこに属しているのかすらもわからん! しかもこれからトリステインに攻め込もうとしているというのだぞ!」

「トリステインへの侵攻はどうなる! 予定では一ヶ月後だが、軍団の再編は間にあうのか? 期を逃したら厄介なことになるぞ!」

「資金も人手も足りません! 艦隊の再編が急務かと、資金はどうなっているのですか?」

「我々に融資をしていた銀行家の内何人かは、先日奴に消されたよ……、お陰で、他の銀行家連中は奴を恐れ、我々に融資の打ち切りを申し出てきおった!

税を引き上げようにも、これ以上国民の反感を買うわけにはいかん! どうやってこの損害の穴埋めを行おうというのだ!」

「再編を行ったとしてだ、現存の艦隊だけで、トリステインを制圧できるのか?」

「閣下の『虚無』がある!」

 

 白熱してゆく議論の中、議員の内の誰かがそう叫んだ、全員がクロムウェルを見つめる。

クロムウェルははっと顔を上げると、こほん、と気まずそうに咳をした。

 

「い、いやなに、諸君らも知っての通り、強力な呪文はそう何度も使えるものではない。

余が与えられる命には限りがある故……そうアテにされても困るのだ」

 

 クロムウェルがそう言うと、どこからともなくため息が漏れた。

さすがにクロムウェルはまずいと思ったのか、立ち上がると、取りつくろう様に言った。

 

「と、とにかくだ、余も『虚無』の全てを理解しているとは言い難い、余は暫し『虚無』について考えたいと思う。

安心したまえ、『虚無』の担い手たる余が宣言しよう、始祖は必ず、我らをあの薄汚いアサシンから必ずや守ってくださるだろう。

今日のところはこれで閉会としよう。諸君らはいつも通り軍務に励みたまえ」

 

 将軍や閣僚達は、起立すると、クロムウェルに向け一斉に敬礼した。

だが、一人だけ席を立たない人物がいた。

クロムウェルの丁度真向かいの席に座っていた、議論の場で最も興奮していた、年若い将軍であった。

 

「きみ、どうかしたのかね?」

 

 クロムウェルが、その将軍を見て首を傾げる。

そう言えば、彼は先ほどから急に口を噤み、ずっと俯いてしまっていた。

なにやら身体が小刻みに震えている、何かあったのだろうか?

他の閣僚や将軍達もそれに気がついたのだろう、皆がその年若い将軍を一斉に見つめる。

 

「……なぜ立ち上がらない?」

 

 誰かがそう呟いた、その時だった。

年若い将軍は、テーブルに両手をつくと、ゆっくりと立ち上がり、俯いていた顔を上げる。

 

 その時だった。

 

「……ぁ――」

 

 中腰の体勢まで立ち上がった途端、年若い将軍は、ぐるん、と白目をむく。

そのまま糸が切れるように、ばたりとテーブルに倒れ伏した。

彼の背中には、一本の短剣が柄の部分まで深々と突き刺さっていた。

 

「アサシン!」

 

 議員の誰かが叫んだ。

その瞬間、指令室は大混乱に陥った。

 

「どっ……どこだっ! どこに……っ!」

「ひっ、ひぃいいいい……!」

「しっ……死神だ……奴はやはり死神だったのだ! あぁ……し、始祖ブリミルよ! お、お許しください! 罪に塗れし我らをどうかっ……!」

 

 悲鳴と嗚咽が混じる中、ある者は杖を引き抜き、ある者は神に助けを乞う。

そんな中、ようやく内部の異常に気がついたのか、外で警備をしていた衛兵が飛び込んできた。

 

「な、なにが――あ!」

 

 中に飛び込んだ見張りは、テーブルの上に倒れ伏した将軍の死体に言葉を失った。

議員達のほとんどはパニックに陥り、指令室はまさに混乱と恐怖に支配されていた。

とにかく落ち着かせよう、そう考えた衛兵は、杖を振り回り狂乱状態に陥っている一人の議員に近づいた。

 

「ど、どうか落ち着いてください! 我々が付いています! ここは安全です!」

「安全? 安全と言ったか! この無能め! 現にここで一人殺されたのだぞ! それもたった今! 我々の目の前でだ!」

 

 衛兵に諌められ、激昂した議員……、トリステイン侵攻軍総司令官、サー・ジョンストンは喚きながら衛兵に掴みかかった。

 

「どうか冷静に! ここでパニックを起こしては奴の思う壺です!」

「冗談ではないぞ! すぐにここから出せ!」

「ま、まだ危険です! ここにいてください! あとは我々がアサシンを追いかけます!」

 

 その言葉に、ジョンストンは益々激昂したのだろう、振り回していた杖を衛兵に突きつける。

 

「もしや貴様があのアサシンを手引きしたのか! そうなのだな!」

「っ! 一体何を言っているのです! なぜ私がそのような真似を!」

「ええい黙れ! そこをどけ!」

「な、何を――! ぐぁあっ!」

 

 ジョンストンの杖から魔法の矢が放たれる。

至近距離でそれを受けた衛兵は、胸板から血を垂れ流し、ばたりと倒れ伏す。

半狂乱になったジョンストンは、そのまま指令室を飛びだすと、一目散に走り出した。

 

 

「ど、どこへ行かれるのです!」

「決まっておろう! 逃げるのだ! この中にアサシンがいるのだぞ!」

 

  ジョンストンが向かった先は、発令所の外に設けられた馬留めだった、

馬に跨ったまま、再び衛兵たちともみ合っている。

 

「お待ちを! 危険です! ここは我々と共に行動してください!」

「黙れ! 貴様もアサシンか! ならばここで成敗してくれるわ!」

 

 馬に跨ったまま杖を振い、魔法の矢で衛兵の胸を貫く。

倒れ伏した衛兵をみて、邪魔がいなくなったジョンストンは、馬に鞭を入れ、馬首を上げると、

空軍発令所から夜の闇へ向け、一目散に駆けだした。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 どれくらい馬を走らせただろうか、一心不乱に馬を駆りロサイスから脱出したジョンストンは、ちらと周囲を見まわした。

周囲はひらけた街道である。深夜だからか、あたりには人の気配はなく、聞こえるのは自分の呼気と馬の蹄の音だけだ。

頭上に輝く二つの月だけが、明るくジョンストンを照らしている。

 

「た、助かった……」

 

 ジョンストンは安堵のため息をつくと、馬の首にもたれかかった。その時だった。

自分の背後、はるか遠くから、馬の蹄の音が聞こえてくる。

心配した衛兵が追ってきたのだろうか? 丁度いい、その者にロンディニウムまで護衛してもらおう。

幾分か冷静さを取り戻した頭でそう考えながら、後ろを振り返る、そして、驚愕した。

 

 その人物は、衛兵の制服を着てはいなかった、代わりに白のローブを身にまとい、同じく白のフードを目深に被っていた。

その左肩には、今は亡き王家の紋章が刺繍された赤黒いマントが風に翻っている。

二つの月を背にこちらへ馬を走らせてくるその姿は、まさに冥府から来たりし『死神』を連想させた。

 

「ひィッ! ひぃいいいいい!!!」

 

 その姿をみたジョンストンは、再び恐怖に半狂乱になり、馬に拍車を入れ、再び街道を掛けた。

杖を引き抜き、背後から迫る死神に向け魔法を放つ。

だがそのどれもが当たらない、死神は絶妙な馬さばきで魔法をかわし、徐々に距離を詰めてくる。

 

「あ、あぁ……か、神よ! 神よ! どうか! どうか助けて! 助けて! 助けてぇ!!」

 

 迫りくる死の恐怖に、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、必死に馬を駆る。

だが死神はジョンストンの恐怖を煽る様にゆっくりと距離を近付け……、そして遂に並走を始めた。

死神は馬上で立ち上がると、まるで軽業師のように、並走するジョンストンの馬に飛び移る。

そのままジョンストンの跨る馬に飛び乗り、ジョンストンの肩を掴むと、無防備になった頸椎目がけ、アサシンブレードを叩きこんだ。

 

 

「去れ! 悪魔め!」

「……死神には敬意を払ったらどうだ?」

「頼む! 助けてくれ! し、死にたくない!」

「いや、ダメだ」

 

 死に瀕したジョンストンは涙を流しながらエツィオに懇願する。

だがエツィオは、彼を見下ろしたまま、冷たく言い放った。

 

「汝が死は無為には非ず――眠れ、安らかに」

 

 

 エツィオは死体となったジョンストンの頸椎からアサシンブレードを引き抜くと、無遠慮に馬上から街道に放り投げる。

そのままジョンストンが乗っていた馬に跨ると、エツィオは一陣の風のように街道を駆け抜けていった。

今までの追跡劇がまるで嘘だったかのように、真夜中の街道に静寂が戻る。

無残に打ち捨てられたジョンストンの死体を、二つの月が優しく照らしていた。



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memory-23 「大鷲、凱旋」

「エツィオ・アウディトーレ! 無事だったか!」

「サー」

 

 エツィオによる『レキシントン』号爆破から三日後、

ほぼ機能停止となったロサイスから遠く離れた街、スカボローで、エツィオはヘンリ・ボーウッドと再会を果たした。

二人は固く握手を交わすと、ボーウッドは苦笑しながら首を振った。

 

「よしてくれ、ぼくはもう『サー』ではない」

「これは失礼を、シニョーレ。……ここは人目が多い、歩きましょう」

 

 エツィオは一礼すると、ボーウッドを促し、歩き出した。

 

「聞いたか? ロサイスで大規模な爆発事故が起こったらしいぞ」

「ああ聞いたよ、なんでも、『レキシントン』号が突然火を吹いて大爆発したんだろ? 死傷者の数は計り知れないんだってな」

 

 二人がスカボローの街を歩いていると、住民達の噂話が聞こえてきた。

二人は街を歩きながら、その噂話に耳を傾ける。

 

「議会議員がまた一人殺されたって話は聞いたか? ロサイス郊外の街道で、ジョンストン議員が変死体で見つかったそうだ」

「おいおい、本当か! これで何人目だ? 一体誰がそんな事を……」

「決まっている。『死神』の仕業だ」

「『死神』?」

「ワルド子爵を暗殺してのけた王党派のアサシンだよ。ロンディニウムの広場に堂々と現れても、誰も手出しできない凄腕だそうだ。

なんでも、ロサイスで行われた緊急会談、その最中に現れて、議員一人を殺ったって話だぜ。すげえのは会議の閉会まで、誰も気がつかなかったそうだ」

「アルビオンは大丈夫なのか? 建国からまだ三週間と経っていないのに……」

 

 そんな噂話を聞いていたボーウッドは口を開いた。

 

「街は君の噂でもち切りだな」

「そのようで、……しかし爆発事故と言うのは?」

「兵達の士気を考慮してのことだろう、ロサイスを壊滅させ、貴族議会すら半壊させたのが、

たった一人のアサシンの仕業だと知られては、否でも士気は下がるだろうからな。

……とはいえ、もはやそれも無駄だろうがね。『レキシントン』号を失ったのは奴らにとっては大きな痛手だ」

「はい、偶然とはいえ、ロサイスの機能も停止させることができました。貴方のお陰です、シニョーレ」

「いやなに、ぼくはなにもしていないさ。それにしても、まさか政府高官まで暗殺してのけるとは……恐ろしい男だな、きみは」

 

 ボーウッドは苦笑しながら呟いた。

 

「旗艦をはじめとした主力艦を四隻、軍事工廠、司令官の死。クロムウェルにとって、この損失は計り知れない程の大打撃だ」

「これで、侵攻を少しでも遅らせることができればよいのですが」

「ふむ……、どうだろうな、『レキシントン』を含む艦隊を失ったとはいえ、まだ他の艦隊や竜騎士隊は健在だからね」

「兵達の士気は?」

 

 ボーウッドはエツィオを見つめ、にやっと笑った。

 

「きみのお陰でひどいものさ、きみが身にまとう王家のマントはもはや、『王党派』ではなく、『死』の象徴となりつつある。

(アルビオン)の死神』、『王家の亡霊』。呼び名は様々だが、みなきみを恐れている。

貴族議会の馬鹿どもは、白のローブとフードの着用を禁止する法案を本気で考えている始末だ」

「随分と嫌われたものだ」

「兵達は戦々恐々だ、街の巡回にしたって、次は自分が殺されるのではないかといって隊から逃げ出す者も出ているそうだ。

……まったく、我が祖国は、いつからこのような腑抜けになってしまったのだろうか」

 

 眉をひそめてボーウッドは呟く。それから苦笑しながら頭をかいた。

 

「とは言え、つい先日までぼくもきみの事を恐れていたのだがな、こうして、泣く子も黙るアサシンと、共に街を歩いていることが不思議に思えてくるよ」

「奇遇ですね、私もそう思っていたところですよ」

 

 二人は笑いあいながら、とある建物に入ってゆく。

そこはスカボローの港にほど近い場所にある宿屋であった。

その中にある部屋のドアの前に立ち、軽くノックをして扉を開ける。

すると部屋の中にいた女性が立ち上がり、二人を迎え入れた。

 

「初めまして、かしらね。ミスタ」

「まさか貴女が、エツィオの言う協力者とは思いもよりませんでした、ミス・サウスゴータ」

 

 二人を出迎えた女性、マチルダはボーウッドと握手を交わす。

マチルダはにっこりと笑顔を浮かべて言った。

 

「亡命をすると聞いて、耳を疑いましたわ、ミスタ」

「はは、これ以上簒奪者に仕えるのは我慢ならなくなってね」

 

 クロムウェルの側近の一人であるマチルダに、

ボーウッドは苦笑を浮かべながらエツィオを見つめた。

 

「なるほど、我々の動向が全て君に筒抜けだったのは彼女のお陰と言うわけか」

「その通りです、シニョーレ。彼女は心強い味方ですよ」

 

 エツィオは笑みを浮かべると、ボーウッドに席を勧める。

ボーウッドが椅子に腰かけるのを見ると、二人は同じ様に椅子に座りテーブルについた。

 

「船の手配はどうだ?」

「問題ないわ、すぐにでも出発できるはずよ」

「ありがとう、助かったよ」

「まったく、結構難儀だったわよ」

 

 そう言うと、マチルダは一枚の羊皮紙を取り出してエツィオに手渡した。

羊皮紙にはフードを被った男の姿が描かれている、果たしてそれは、エツィオの手配書であった。

 

「あいかわらず酷い絵だな、俺はもっと男前だぞ」

 

 エツィオは苦笑しながら、手配書をテーブルの上に放り投げる。

エツィオに懸けられた懸賞額を覗き見てボーウッドは思わず目を丸くした。

 

「……これは驚いた、アルビオンの長い歴史の中でも、過去最高金額だな……」

「50000エキュー、数字だけならフィレンツェと並んだな……」

 

 自分の首にかかった懸賞金が十倍に跳ね上がったというのに、エツィオはこともなげに首を竦めて見せた。

 

「それにしたってこの絵は無いな、懸賞金と一緒に絵描きの腕も上げてもらいたいもんだ」

「言ってる場合? 船長にそいつを運んでくれと言ったら、結構吹っ掛けられたんだよ?」

「だろうな……。そいつは信用できるのか?」

「金さえ払えばしっかり仕事をしてくれるわ、口も堅い、あれでも職業意識ってもんがあるみたいね」

「なるほど……念の為こちらでも金を用意した方がよさそうだな。クロムウェルの様子は?」

「それがね、見てて笑えるわよ、ロサイスの一件以来、宮殿の自室にこもって一歩も外に出てこなくなってしまったわ。

ほかの議員もほとんど同じね、みな自分の屋敷に閉じこもって怯えているわ」

「結構なことだ」

 

 エツィオは口元に笑みを浮かべると、テーブルの上に金貨がたっぷりと詰まった袋を差しだした。

それはやはりというべきか、エツィオが先日強奪したアルビオン共和国の軍資金であった。

 

「これは報酬だ、手間賃も入ってる」

「どうも、受け取っとくよ」

 

 それを受け取ったマチルダを見てボーウッドは首を傾げる。

 

「貴女は、彼に雇われているのですか?」

「協力関係、と言って欲しいですわね」

「失礼、いつから彼と?」

「全てお話すると長くなるのですが……彼女が『レコン・キスタ』に参加する前からの仲なのですよ、シニョーレ」

「……ああ、これは失礼、ぼくとしたことが、野暮なことを詮索してしまったようだ」

 

 ボーウッドはにやっと笑うと、二人を見つめる。

マチルダは冷笑を浮かべ、エツィオを睨みつけた。

この男はそうとは思っていないだろう。こいつはそういう奴だ。

 

「いえ、お気になさらずシニョー……あたっ!」

 

 マチルダのそんな冷たい視線を知ってか知らずか、エツィオはにっこりとほほ笑んだ。

マチルダはエツィオの頭を叩くと、仕方がないとばかりに、これまでのいきさつをボーウッドに話して聞かせた。

 

「なるほど……それで彼と……」

「一応、彼には命を救われましたから。それに、彼を敵に回すことの恐ろしさを知っている、というのもあるでしょうか」

「ははは、ぼくも彼の恐ろしさを身を持って思い知ったばかりでね、出来ればもっと早く教えてほしかったよ」

 

 マチルダがそう言うと、ボーウッドは豪快に笑って見せた。

マチルダは窓の外にちらと視線を送る。日はとっぷりと暮れ、空には二つの月が浮かんでいる。

 

「……そろそろ約束の時間ですわね、行きましょう」

 

 マチルダはフードを目深に被ると、二人を促し立ち上がる。

宿を後にした三人は、トリステインへ向かう密航船が待つ、港の一角へと向かって行った。

 

 

 人気のない、夜のスカボローの港の片隅に、一隻の古い小型のスクーナー船が停泊している。

船から降ろされたタラップの前で、船長と思わしき男と、フードを目深に被ったマチルダが交渉をしていた。

やがて交渉が終わったのか、マチルダは船長に金貨がたっぷり詰まった袋を手渡す、

船長は満足そうに頷くと、そそくさと船の中に入り出航の準備を始めた。

マチルダはそれを見送ると、こちらに近づいてきた。

 

「話はついたわ、さ、乗って」

「すまないな。ずっときみに世話になりっぱなしだ」

「ふん……、こっちも金を貰ってるからね」

 

 エツィオはマチルダの顎を持ち、なにやら切なそうな表情を浮かべた。

 

「しばらくの間、きみに会えないのか……胸が張り裂けそうだ」

「何言ってんだか。はやくご主人様んとこに戻ってやんな」

「名残惜しいが……きみの姿を目に焼き付けてから行くとするよ」

 

 マチルダと唇を合わせ、エツィオは真剣な表情になった。

 

「それじゃ、きみは引き続き調査を続けてくれ、何か動きがあったらすぐに連絡を。……くれぐれも無理はしないでくれ、いいな」

「わかってるよ……それじゃ」

 

 するり、とマチルダからエツィオの腕が離れる。

マチルダはすぐに踵を返すと、闇の中へと消えて行った。

タラップを登り、船に乗り込む、すると先に乗っていたボーウッドがにやっと笑い、肩を竦めた。

 

「驚いたな」

「彼女のことですか?」

「いや、昔から英雄色を好むとあるが、どうやらきみもまた例外ではないようだね」

「こればかりは性分でして、どうにもならないですよ」

 

 エツィオも甲板に寄り掛かりにやりと笑う。

ボーウッドも同じように甲板に寄り掛かると、エツィオを見た。

 

「気風だけをみると、きみはロマリア人のようだが……、どこの生まれだ?」

「フィレンツェです」

「フィレンツェ……すまない、聞いたことがないな」

「でしょうね、遠いところですよ」

 

 エツィオは徐々に離れゆくアルビオンに別れを告げながら答えた。

 

「そんな遠いところから来たきみが、なぜアルビオンに?」

「いろいろありましてね、今はとある人物に仕える身です」

「とある人物……それを尋ねることは野暮と言う物だな」

「感謝します、シニョーレ。……アルビオンに来た理由は、その随伴です」

「随伴でここに? その主人はどうしたのかね?」

「一足先にここを離れました、私はその後始末ですよ。……とはいえ、ここまでする予定ではありませんでしたし、

その後始末自体、主人の知るところでもありません」

「主人の命ではない?」

「はい、全て私の判断です。加えて言うと、主人は、私が『アサシン』であることを全く知りません」

 

 その言葉を聞いてボーウッドは言葉を失った、

この男は、主人に命じられるまでもなく、自己の判断で全ての暗殺を実行してきたというのか。

 

「なるほど……、きみのようなアサシンを配下に置く人物か、なんともうらやましい限りであり……恐ろしい限りだ」

「戦の遅延を目的とした暗殺、それらは全て"後始末"のついでにやったことです。私自身、クロムウェルが気に入りませんからね」

「それでは、なぜクロムウェルを暗殺しなかったんだね?」

「そこです」

 

 ボーウッドが尋ねると、エツィオは真剣な表情になった。

 

「奴のもつ力は、マジックアイテムによる偽りの力です、それゆえ、奴を消したとしても、

同じようなアイテムを使い、第二第三のクロムウェルが現れるかもしれない」

「なるほど……今はまだその時ではない、と」

「はい。それと、これは私の勘ですが……。この反乱、何か裏があると思えてならないのです」

「裏?」

「メイジではない平民の男が、『死者を蘇らせる』とはいえ、たった一つの指輪だけで、

僅か数カ月かそこらで、あそこまで勢力を拡大し、王家を滅ぼした……。全てがあまりに急すぎる、話が出来すぎているのです」

「確かに……あの反乱は瞬く間に広がった。王家に不満を持つ貴族など、決して多くはなかったのに……」

 

 ボーウッドも、感じ入るものがあったのか、顎に手を当てて考え込む。

 

「……クロムウェルという男自体は、名のある人物なので?」

「いや、この反乱が起こるまで、聞いたことがなかったな、なんでも、元は一介の司教だとか……」

「なるほど……。とはいえ、今はまだ情報が足りません、まだ奴には生きてもらわなくては。奴を消すのは、それからでも遅くはない」

「……全く、きみは本当に恐ろしい男だな。一国の皇帝を暗殺するなんて、普段は冗談か何かだと思うのだが。……きみが言うと、とても冗談とは思えないよ」

 

 エツィオのその言葉に、ボーウッドは苦笑いを浮かべた。

 

「さて、こうしてアルビオンから離れたはいいが、トリステインに到着したらきみはどうするのかね?」

「到着次第、トリスタニアへ同行します。私は王宮へ行き、姫殿下に事の報告と貴方の亡命の申請を行ってきます」

「きみは姫殿下に目通りできるのかね?」

「面識は一度だけありますが、確実に門前払いでしょうね」

 

 首を振って見せたエツィオに、ボーウッドは首を傾げた。

 

「ではどうやって……。まさか……」

「決まっています。忍び込むんですよ」

 

 

 

 数日後……。こちらは、トリステインの王宮。

アンリエッタの居室では、女官や召使が、式に花嫁がまとうドレスの仮縫いでおおわらわであった。

大后マリアンヌの姿も見えた。彼女は純白のドレスに身を包んだ娘を、目を細めて見守っていた。

 しかし、アンリエッタの表情はまるで氷のよう。仮縫いのための縫い子達が、袖の具合や腰の位置などを尋ねても、曖昧に頷くばかり。

そんな娘の様子を見かねた大后は縫い子達を下がらせた。

 

「愛しい娘や。元気がないようね」

「母さま」

 

 アンリエッタは母后の膝に顔をうずめた。

 

「望まぬ結婚なのは、わかっていますよ」

「そのようなことはありません。わたくしは幸せ者ですわ、生きて結婚することができます。

結婚は女の幸せと、母さまは申されたではありませんか」

 

 その言葉とは裏腹に、アンリエッタは美しい顔を曇らせて、さめざめと泣いた。

マリアンヌは、優しく娘の頭を撫でた。

 

「恋人がいるのですね?」

「『いた』と申すべきですわ。速い、速い川の流れにながされているような気分ですわ。すべてがわたしの横を通り過ぎてゆく。

愛も、優しい言葉も、なにも残りませぬ」

 

 マリアンヌは首を振った。

 

「恋ははしかのようなもの。熱が冷めれば、すぐに忘れることができますよ」

「忘れることなど、できましょうか」

「あなたは王女なのです、忘れねばならないことは、忘れねばなりませんよ。

あなたがそのような顔をしていたら、民は不安になるでしょう」

 

 諭すような口調で、マリアンヌは言った。

 

「わたしは、なんのために嫁ぐのですか?」

 

 苦しそうな声で、アンリエッタは問うた。

 

「未来の為ですよ、民と、国と、そしてあなたの」

「わたしの?」

「アルビオンを支配する、レコン・キスタのクロムウェルは野心豊かな男。聞くところによると、かの者は『虚無』を操るとか」

「伝説の系統ではありませぬか」

「そうです、それがまことなら恐るべきことですよ、アンリエッタ。過ぎたる力は人を狂わせます。

不可侵条約を結んだとはいえ、そのような男が、空からおとなしくハルケギニアの大地を見下ろしているとは思えません。

軍事強国のゲルマニアにいたほうが、あなたのためでもあるのです」

 

 アンリエッタは、母を抱きしめた。

 

「……申し訳ありません、わがままを言いました」

「いいのですよ。年頃のあなたとって、恋は全てでありましょう、母も知らぬわけではありませんよ」

 

 母后が退出し、居室に一人になったアンリエッタは、椅子に腰かけ、ぼんやりとしていた。

 

「全ては……未来のため……」

 

 小さく呟き、机の上に置かれた薔薇が差してある花瓶へと視線を送る。

ついと立ち上がり、薔薇を一輪手に取ると、アンリエッタは花弁を一枚、はらりと落とした。

 

「愛している……」

 

 今は亡きウェールズの面影を思い浮かべながら、もう一枚花弁を落とす。

 

「愛していない……」

 

 そうやって、一枚花弁を落とすたびに、呟く。

 

「愛している……、愛していない……」

 

 はらりはらりと花弁を落としながら、物思いにふけっていると、窓の方からきいっ……という音がした。

アンリエッタは、はっと顔を上げ、音の気配がした方向に振り向いた。

 

「……! あなたは……!」

「ああ続けて、邪魔をするつもりはない」

 

 アンリエッタはそこに立っていた人物を見て言葉を失った。

いつの間に入り込んでいたのだろうか、そこには、見覚えのある男が一人佇んでいた。白のローブを纏い、フードを目深にかぶった男。

その男には見覚えがある、確か彼は……。

 

「ルイズの使い魔の……! どうして……! いえ、生きておられたのですか!」

「はい、ルイズ・フランソワーズが使い魔、エツィオ・アウディトーレ、只今アルビオンより帰還いたしました」

 

 アンリエッタが驚いた声で尋ねると、エツィオはフードを外し、恭しく片膝をついた。

 

「どうやって……、いえ、なぜここに?」

「殿下の居室に踏み入れたこと、どうかお許しを、ですがこれもトリステインの危機をお知らせするため」

「トリステインの危機?」

「はい、私がアルビオンで見聞きしたことをご報告に上がりました」

 

 困惑するアンリエッタに、エツィオは深く頭を垂れた。

 

「まずは殿下にご覧になっていただきたいものが……こちらを」

 

 エツィオは懐から一枚の羽根を取り出し、アンリエッタに差しだす。

アンリエッタはそれをおずおずと受け取ると、それを見つめた。

元は純白の羽根だったのであろうそれは、なにやら根元から赤黒く変色してしまっている。

アンリエッタは首を傾げると、エツィオに尋ねた。

 

「羽根? これは……?」

「裏切り者の血です」

「裏切り者の? ……まさか!」

 

 その言葉が意味するところを知ったのだろう、アンリエッタは驚きのあまり、思わず羽根を取り落としてしまった。

エツィオは、淡々とその後を引きとる様に言った。

 

「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、犯した罪に相応しい末路を迎えました」

「子爵は……あの裏切り者は、死んだということですか?」

 

 アンリエッタが信じられないと言った様子で口元を押さえた。

 

「はい、それが証拠の羽根でございます、殿下」

 

 エツィオは膝をついたまま、淡々とした口調でアンリエッタに事の次第を報告をした。

 ルイズ達と別れ、一人アルビオンに残っていたこと。

 スカボローで行われた王党派残党の公開処刑、その式典の最中、ワルドを暗殺したこと。

 しばらくアルビオンにて諜報活動を行っていたこと。

 最初は驚いていた様子のアンリエッタであったが、エツィオの報告が終わるころには、幾分か落ち着きを取り戻していった。

 

「正直に申します……人の死を、これほど喜ばしく思う日がこようとは……。夢にも思いませんでした」

 

 事の顛末を聞いたアンリエッタは、切なげにため息をつくと、悲しげな、それでいて安心したかの様な笑顔を浮かべた。

 

「……私もです」

「ルイズの使い魔さん……、いえ、エツィオ・アウディトーレ、ウェールズさまの仇を討って下さったことに、感謝の言葉もありません。

よくぞ……よくぞ討ち果たしてくれました」

「恐れ入ります」

 

 それからアンリエッタはエツィオを見つめ首を傾げた。

 

「して、先ほどあなたはトリステインの危機と申しましたが、それは?」

「はい、先日締結された不可侵条約、それは全てまやかしでございます、殿下。彼らはすぐにでも攻め込む気でいるでしょう」

「そんなっ……!」

「ゲルマニアとの同盟がまとまりきる前に彼らはこの国を制圧する気でいます。

今はアルビオン国内で混乱が起きているためなんとか時間は稼げているはずですが、軍の再編が済み次第、彼らは攻め込むでしょう。……こちらを」

 

 言葉を失い、呆然と立ちすくむアンリエッタにエツィオは一枚の羊皮紙を取り出すと、アンリエッタに手渡した。

アンリエッタはそれを手に取ると、その書類に目を通し、絶句した。

書面には、アルビオンの企む『親善訪問』の概要が、事細かに書かれていた。

 

「これは誰が書いたのですか?」

「一人、アルビオンから亡命を希望している者がおります、その者がしたためた書面でございます、殿下」

「その者とは?」

「現政権に不満を持っている、アルビオン空軍旗艦、『レキシントン』号の元艦長でございます、私の説得に応じてくれました。

先ほど申した通り、今はトリステインに亡命を申し出ております」

「……信用できるのですか? その男は」

「はい。万一裏切るようであれば、その時は奴の首をこの手で切り裂き、私の命も捧げましょう」

 

 きっぱりと言い切ったエツィオに、アンリエッタは、しばらく考えるかのように顔を俯かせる。

そしてきっと顔を上げると、扉の方を見て衛兵を呼びつけた。

 

「衛兵!」

「はっ……! なっ! き、貴様! 一体どこから入った!」

 

 アンリエッタの呼び出しにすぐさま部屋の中へ飛び込んだ衛兵は、部屋の中に佇んでいた侵入者に、

目を吊り上げながら、腰に差した杖を突きつける。

 

「やめよ! 彼はわたくしの大事な客人です!」

「は……、はっ!」

「すぐに将軍達を集めて、これよりアルビオンに対する軍議を行います」

「はっ、畏まりました!」

 

 アンリエッタはそんな衛兵を窘めると、将軍達を招集するように命じた。

衛兵は敬礼すると、すぐに踵を返し将軍達を召集すべくアンリエッタの居室を退出する。

衛兵を見送った後、アンリエッタは机の上の羊皮紙に羽ペンで、さらさらと手紙をしたためると、花印を押し、エツィオに手渡した。

そこには城へ入ることを許可するという文面が記されていた。

 

「亡命を希望する者にお渡しください、直接伺いましょう」

「ありがとうございます。殿下、最後にもう一つ」

 

 エツィオは深々と頭を下げると、懐から一つの指輪を取りだし、アンリエッタに差しだした。

 

「これを、友の……ウェールズ殿下の形見でございます」 

「これは、風のルビーではありませんか、預かってきたのですか?」

「はい、手渡してくれ、と」

 

 本当は斃れたウェールズの指から抜いてきたものなのであったが、エツィオはそう言った。

すこしでも、彼女の慰めになれば、と思っての事だった。

アンリエッタは風のルビーを指に通した。ウェールズがはめていたものなので、アンリエッタの指にはゆるゆるだったが……、

小さくアンリエッタが呪文を呟くと、指輪のリングの部分が窄まり、薬指にぴたりとおさまった。

 アンリエッタは、風のルビーを愛おしそうに撫でた。それからエツィオのほうを向いて、はにかんだような笑みを浮かべた。

 

「なにからなにまで……、いくらお礼を申し上げても足りないくらいですわ」

 

 寂しく、悲しい笑みだったが、エツィオに対する感謝の念がこもった笑みだった。

その笑みを見つめると、エツィオは再び頭を垂れ、呟いた。

 

「殿下、ウェールズ殿は、勇敢に戦い、そして立派に討ち死になさいました。それだけは間違いありません」

「……はい、わかっております」

「ウェールズ殿の魂は、その指輪……貴方と共にあります。

故に、この先、どのような事が起きようとも、それはウェールズ殿の真意ではありません。決して惑わされぬよう、お気を付け下さい」

「それは……どういう意味でしょうか?」

「それは……」

 

 エツィオはウェールズが蘇ったことを明かすべきか迷った、クロムウェルによって死体を動かされているに過ぎないとはいえ、

ウェールズは彼女の想い人である、このトリステインにとって大事な時期に、彼女の心を乱すわけにはいかないだろう。

エツィオは唇を噛みしめると、呻くように呟いた。

 

「申し訳ない、今は……お伝えすることができません。今言えることは、クロムウェルはウェールズ殿下の名を使い、なにかを企んでいるということです」

「……わかりました。彼らの企みに決して惑わされぬと、この指輪に誓いますわ」

 

 アンリエッタは、指光る風のルビーを見つめながら、言った。

それからエツィオを見つめ、ほほ笑んだ。

 

「あなたのこの度の働きには、いくら感謝を述べても足りないくらいですわ、本来ならば恩賞を与えるべきなのだけれど……。なにかお望みはあるのかしら」

「恩賞など……、では一つだけ、お願いしたいことが」

 

 首を傾げるアンリエッタに、エツィオは人差し指を立てる。 

 

「私の存在は内密にしていただきたい、望むことはそれだけでございます」

「それだけですか? 他になにも望まぬと?」

 

 驚くように言ったアンリエッタに、エツィオは頷いた。

 

「はい、裏切り者が城内にいる可能性を鑑みると、私の存在が明るみになれば、いろいろと面倒になるでしょう、

それゆえ、くれぐれも私のことを口外なさらぬよう、是非ともお願いしたいのです」

「わかりました……、あなたがそれを望むなら、その通りにしましょう」

「ありがとうございます、殿下」

「わたくしのお友達は、本当に良い使い魔を持ったようですね」

「もったいなきお言葉、使い魔として当然のことをしたまでです」

 

 微笑むエツィオに、アンリエッタは左手を差しだす、エツィオは手の甲に唇を落とし、一礼する、

そしてフードを目深に被ると、入ってきた窓へと歩を進めて行った。

そして窓の淵に足をかけた、その時、あの……と、アンリエッタがエツィオを呼びとめる。

その呼び声に振り返ったエツィオに、アンリエッタは首を傾げて尋ねた。

 

「そう言えばあなたは……、あなたは一体何者なのですか?」

「あなたの親愛なる友人、ルイズ・フランソワーズの使い魔ですよ、殿下。では……」

 

 正体を尋ねるアンリエッタに、エツィオはニヤリと笑みを返すと、窓の淵から空へと向かい、大きく飛翔するように飛びだした。

 

 

「まさか本当にトリステインの王宮に。しかもアンリエッタ王女の部屋にまで侵入するとはね……」

 

 呆れと驚きが混じったような声を上げたのは、ヘンリ・ボーウッドであった。

 トリスタニアの城下町にある一件の宿屋、その一室で待っていた彼は、戻ったエツィオから事の次第を聞いて、目を丸くしていた。

 

「何度も思ったが……本当にきみは恐ろしいな。きみに暗殺できない人間はいないんじゃないか?」

「まだ修行中の身ですよ、シニョーレ。それに今回の目的は暗殺じゃない」

「そうだったね、それで、麗しの姫殿下のお部屋の中はどうだった?」

「ええ、甘い香りで頭が蕩けてしまいそうでしたよ」

「はっはっは! うらやましい限りだな!」

 

 冗談を言い合い一しきり笑いあうと、エツィオは真剣な表情に戻った。

 

「さて、シニョーレ、冗談はここまでとして……、これを」

「うむ……」

 

 そう言うと、エツィオはボーウッドに一枚の羊皮紙を手渡した。

それは先ほどアンリエッタがしたためた、王宮への入城と身分の保護を認める書簡であった。

ボーウッドはやや緊張した面持ちでそれを眺めると、大事そうに懐にしまい込んだ。

 

「城門の衛兵に見せれば、案内してもらえるでしょう」

「何から何まで、すまないね」

「いえ……、それよりシニョーレ、別れる前に一つ頼みたいことが」

「何かな?」

「私がアサシンであること、そしてウェールズ殿下が蘇った事は、全て内密に願いたいのです」

「それはどうしてだ? きみがアルビオンで挙げた成果は計り知れないのだぞ?」

 

 エツィオの口止めに、ボーウッドは驚いたように顔を上げた。

 

「殿下が蘇ったと知れば、アンリエッタ姫殿下は確実にお心を乱すでしょう、

一応釘は差しましたが、興入れの前にそれだけはなんとしても避けるべきかと。

それと……、これは個人的な事ですが、私がアサシンであることは、主人にも知られていないこと。

王宮の人間に知られるのは好ましい事とは思えません、どうかご理解を、シニョーレ」

 

 エツィオの言うことに一理あると考えたのか、ボーウッドはしばらく考えると、頷いた。

 

「わかった、その通りにしよう」

「感謝します。そうだ、あと……」

 

 エツィオはそう言うと、ボーウッドの耳元で、二言三言口にした。

 

「ふむ……なるほど」

「不意を打つ相手なら、こちらも相応の手で応じるべきかと……もっとも戦略は門外漢、頭の片隅にでも」

「いや、面白い考えだ、検討しておくとするよ」

 

 ボーウッドがにっこりとほほ笑むと、エツィオは右手を差しだした。

 

「シニョーレ、貴方とはここでお別れです、後のことはよろしくおねがいします」

「世話になったね、ここからはぼくの仕事だ」

 

 ボーウッドはその手を握りしめ、二人は固く握手を交わした。

ボーウッドは苦笑を浮かべながら頭をかいた。

 

「こういうのもなんだが、最初は敵対していた者同士だったとはとても思えないな」

「不思議な物です。……さて、私はそろそろ主人の元に帰るとします、癇癪を起されては堪りませんからね」

 

 そんなエツィオにボーウッドは肩を竦めて笑った。

 

「はてさて、死神が帰る場所とは一体どこだろうね。まさか冥府ではないだろう?」

「ええシニョーレ、『楽園』ですよ。私にとってはね。……では、縁があればまたお会いしましょう」

「ああ、またきみと会える日を楽しみにしているよ」

 

 そう言うとボーウッドは城へ向かうべく歩き出す、その姿をしばらくの間見送ると、

エツィオも踵を返し、主人の元へ、トリステイン魔法学院に戻る為に歩き出した。

 

 

 一方、トリステイン魔法学院では……。

オスマン氏は王宮から届けられた一冊の本を見つめながら、ぼんやりと髭を捻っていた。

古びた皮の装丁がなされた表紙はボロボロで、触っただけでも破れてしまいそうだった。

色あせた羊皮紙のページは、色あせてくすんでいる。

 ふむ……、と頷きながら、オスマン氏はページをめくる。そこにはなにも書かれてはいない。

およそ、三百ページぐらいのその本は、どこまでめくっても、真っ白なのであった。

 

「これがトリステイン王室に伝わる、『虚無の祈祷書』か……」

 

 六千年前、始祖ブリミルが神に祈りをささげた際に詠みあげた呪文が記されていると、伝承には残っているが、

呪文のルーンどころか、文字さえ書かれていない。

 

「まがい物じゃないかの?」

 

 オスマン氏は、胡散臭げにその本を眺めた。偽物……この手の『伝説の品』にはよくある話だ。

その証拠に、一冊しかない筈の『始祖の祈祷書』は各地に存在する、金持ちの貴族、寺院の司祭、各国の王室……。

いずれも自分の『始祖の祈祷書』が本物だと主張している。それらを全部集めると、図書館ができると言われているくらいだ。

 

「しかし、まがい物にしたって、酷い出来じゃ、文字さえ書かれておらぬではないか」

 

 オスマン氏は、各地で幾度か『始祖の祈祷書』を見たことがあった。ルーン文字が踊り、祈祷書の体裁を整えていた。

しかし、この本には文字一つ見当たらない、これではいくらなんでも詐欺ではないか。

 

 そのとき、ノックの音がした。オスマン氏は秘書を雇わねばならぬな、と思いながら、入室を促した。

 

「鍵はかかっておらぬ、入ってきなさい」

 

 扉が開いて、一人のスレンダーな少女が入ってきた。桃色がかかったブロンドの髪に、大粒の鳶色の瞳。ルイズであった。

 

「わたくしをお呼びと聞いたものですから……」

「おお、ミス・ヴァリエール。待っておったよ。身体の調子はどうかな?」

 

 ルイズは言った。オスマン氏は両手を広げて立ち上がり、この小さな来訪者を歓迎した。

 

「はい……大分楽になりました、今は授業にも出ています」

「ふむ、大鷲は……まだ帰って来てはおらぬようじゃな」

「……はい」

 

 表情を曇らせ、弱弱しい声で答えたルイズに、察したようにオスマン氏は言った。

 

「そんな顔をするでない、ミス・ヴァリエール。大鷲は必ず帰ってくるとも」

 

 優しい声で、オスマン氏は言った。

 

「さて、今日お主に来てもらった件なんじゃが……」

 

 オスマン氏の言葉に、ルイズは首を傾げた。

一体何の用だろう、と思っていると、オスマン氏は手に持っていた『始祖の祈祷書』をルイズに差しだした。

 

「これは?」

 

 ルイズは、怪訝そうな顔でその本を見つめた。

 

「始祖の祈祷書じゃ」

「始祖の祈祷書? これが?」

 

 王室に伝わる、伝説の書物。国宝のはずだった。どうしてそれをオスマン氏がもっているのだろう。

 

「お主も知っての通り、来月にはゲルマニアで、王女とゲルマニア皇帝との結婚式が執り行われる予定となっておる。

それでじゃな、トリステイン王室の伝統で、王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女を用意せねばならんのじゃ。

選ばれた巫女は、この『始祖の祈祷書』を手に、式の詔を詠みあげる習わしになっておる」

「はぁ」

 

 ルイズは、そこまで宮中の作法に詳しくはなかったので、気のない返事をした。

 

「そして姫は、その巫女に、ミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ」

「姫さまが?」

「その通りじゃ。巫女は式の前より、この『始祖の祈祷書』を肌身離さず持ち歩き、詠みあげる詔を考えねばならぬ」

「ええっ! 詔をわたしが考えるんですか!」

「そうじゃ。もちろん、草案は宮中の連中が推敲するじゃろうが……。

伝統と言うのは、面倒なもんじゃの。だがな、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ。

これは大変に名誉なことじゃぞ。王族の式に立会い、詔を詠みあげるなど、一生に一度あるかないかじゃからな」

 

 アンリエッタは、幼いころ、共に過ごした自分を巫女役に選んでくれたのだ。

ルイズはきっと顔をあげた。

 

「わかりました。謹んで拝命いたします」

 

 ルイズはオスマン氏の手から『始祖の祈祷書』を受け取った。

オスマン氏は目を細めて、ルイズを見つめた。

 

「快く引き受けてくれるか。よかったよかった。姫も喜ぶじゃろうて」

 

 

「はあ……」

 

 オスマン氏から受け取った『始祖の祈祷書』を手に、ため息を吐きながら、ルイズは自室へと戻るべく歩いていた。

勢いで受けてしまったものの……、こんなに暗く沈んだ気分で詔など浮かぶのだろうか……。

アルビオンから帰ってきたその日から、ルイズの気持ちは深く沈んだまま、なにも変わっていない、ずっと胸がちくちくと痛み、ルイズを苛む。

 

「エツィオ……」

 

 ルイズは思わず自分の使い魔の名前を呟いていた。

そう、使い魔だ、あの日、アルビオンに一人残ったエツィオの事を考えるだけで、胸の奥がキリキリと痛み、悲鳴をあげる。

彼が帰ってこない限り、この心にかかった暗雲は、決して晴れることはないのだ。

一度エツィオの事を考えると、ルイズの気分はますます深く沈んでゆく。そうして歩いていると、いつの間にか自分の部屋の前まで辿り着いていた。

 ぐすっ……と鼻を啜り、いつの間にか目に溜まっていた涙をごしごしと拭う。

とりあえず、受けてしまったものは仕方がない、精いっぱい素敵な詔を考えなくては、

そう思いながら、ドアの鍵を開け、扉を開けた。

 

「おや?」

 

 懐かしい、どこか人を小馬鹿にしたかのようなとぼけた声。

扉を開けたルイズの目に飛び込んできたのは、開けっぱなしの窓から入る風に翻る一枚のマント。

次いで目に入ってきた、白のローブを纏った一人の青年を見た時、ルイズは溢れる涙を止められなくなった。 

 

「エツィオぉ……」

 

 もっていた『始祖の祈祷書』を取り落とし、顔を涙で濡らしながら、ずっと待ち続けた使い魔の名前を呼ぶ。

名前を呼ばれた使い魔は、ついと振り返ると、いつもルイズに見せていた、からかうような、子供っぽい笑みを浮かべた。

 

「やあルイズ。なんだ? この部屋の散らかりようは、まるで戦場だな。掃除するのは誰だと思ってるんだよ」

 

 衣服や食器、果ては下着までもが散乱した部屋を見渡しながら、エツィオはニヤリとうそぶいた。

そんな余裕たっぷりの使い魔の態度に、腹立たしいやら嬉しいやら、様々な気持ちがごちゃ混ぜになって、ルイズはエツィオを怒鳴りつけた。

 

「どこにっ! 今までどこ行ってたのよッ!」

「アルビオンさ、道に迷ってね、ついさっき戻ってきたんだ」

「ふ、ふざけないで! あんたっ! わ、わたしがっ……わたしがどれだけっ……、どれだけ心配したと思って……!」

 

 最後の方は、もう言葉にならなかった。

ルイズの目頭から、大粒の涙がぽろっと流れた、それがきっかけとなり、ルイズはぽろぽろと泣きだしてしまった。

 

「勝手に、勝手にいなくならないでよ。ばか、きらい」

 

 エツィオは、優しい笑みを浮かべると、泣いているルイズの目頭を指先で拭った。

 

「悪かったよ、だから泣かないでくれ、ルイズ」

「ばか、知らない、だいっきらい」

 

 ルイズはますます強く泣き始め、エツィオの身体にもたれかかった。

エツィオの胸板を拳で叩きながら、ぐずるルイズの頭を、エツィオは優しく撫でてやった。

 

「相棒は泣く子も黙る凄腕の……、はずなんだけどなぁ」

 

 傍らに立てかけられたデルフリンガーがそんなエツィオの様子を眺めて呆れたように言った。

エツィオはそんなデルフリンガーをちらと視線を送り、軽くウィンクすると、改めてルイズを見つめた。

 

「すまなかったな、心配をかけた」

「もう、もう戻ってこないのかと思った……。怖かった、不安だったんだから」

 

 ルイズは顔をぐしぐしとエツィオの胸に押しつけると、上目づかいにエツィオを見つめた。

 

「もう……いなくならない?」

 

 いつか、ニューカッスルの廊下で聞いた、その言葉。

エツィオは優しい頬笑みを浮かべると、ルイズの額に唇を落とし、呟いた。

 

「いなくならないよ。……ただいま、ルイズ」



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memory-24 「信条告白」

「おお、大鷲よ! ようやく戻ったか!」

「お久しぶりです、オスマン殿。只今アルビオンより帰還いたしました」

 

 胸に手を当て、エツィオが一礼する。

魔法学院に帰還し、ルイズとの再会を終えたエツィオは、オスマン氏に報告を行うため、学院長室を訪れていた。

オスマン氏はうれしそうに立ち上がると、この来訪者を心から歓迎した。

 

「帰還が遅れ、申し訳ない、任務の後始末をしていたもので」

「いやいや、無事で何よりじゃ」

 

 オスマン氏はエツィオと握手を交わし、エツィオに席を勧める。

エツィオは再び一礼し、オスマン氏が勧めたソファに腰を下ろした。

 

「ニューカッスルでは、ミス・ヴァリエールを窮地から救ってくれたそうじゃな」

 

 オスマン氏が向かいのソファに腰掛け、エツィオを見つめた。

 

「よくぞ、生徒を守ってくれた、お主には礼の言葉もないくらいじゃ」

「どうか顔を上げてください、オスマン殿、私は当然のことをしたまでです。

それに、あの時ギーシュ・ド・グラモン達が助けに来なければ、私も主人も、帰還することは叶わなかった。

この任務の真の功労者は主人のラ・ヴァリエールであり……彼らです」

 

 頭を深々と下げたオスマン氏にエツィオはにこりとほほ笑む。

オスマン氏は目を細めて頷くと、髭を撫でながら呟いた。

 

「ほっほっ、まったく、お主の様な男を使い魔にしておるとは、ミス・ヴァリエールは幸せ者じゃて。

……さて、それはそうと大鷲よ。今、トリステインで、とある噂がささやかれているのを知っているかね?」

「さて、それはどういったもので?」

「『アルビオンの死神』……聞いたことはあるかね?」

 

 オスマン氏は口元に笑みを浮かべ、エツィオを見つめた。

 

「ええ、今までアルビオンにいたものですから、小耳に挟むくらいならば」

 

 エツィオは肩を竦めた。紛れもなく自分の噂である。

どうやらこの二つ名はトリステインにも伝わっているようであった。

オスマン氏はソファの背もたれに深く身を沈めると、言葉をつづけた。

 

「神聖アルビオン共和国建国と同時に突如として現れ、新政府の要人を次々に葬る、正体不明にして神出鬼没のアサシン……。

初めに死神が現れたのは、スカボローの港街。その最初の犠牲者は……」

 

 オスマン氏の目がタカの様に鋭くなった。

エツィオを見つめ、まるで物語を聞かせるように語って見せた。

 

「ウェールズ殿下を討った、レコン・キスタの英雄、元トリステイン王国魔法衛士隊グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵……。

斯くして彼の名は命と共に失墜し、レコン・キスタの貴族どもは突如現れた死神の影におびえる事となった……」

「私が聞いた話とほぼ同じの様だ。……最も、トリステインにまでその名が知られているとは思いもしませんでしたが」

 

 エツィオはニヤリと笑みを浮かべると、オスマン氏と同じようにソファに深く腰掛ける。

オスマン氏はどことなくうれしそうな表情でエツィオを見つめた。

 

「あのワルド子爵を暗殺するとは、流石じゃな、大鷲よ。これならば、アサシンは安泰じゃ。マスター……、アルタイルも鼻が高かろうて」

「まだ修行中の身です。それに彼はあの時、片目と片腕を失っていました、もし彼が万全の状態なら、実行は困難を極めたでしょう」

「しかし、その片目片腕を奪ったのは、他ならぬお主ではないか。それに、いかな強力なメイジとは言え、常住坐臥戦に備えておるわけではないからのう。

仮に彼が万全の状態であったとしても、演説の真っ最中なんぞに襲われたらひとたまりもあるまいて。相手がお主ならばなおさらじゃ」

 

 その言葉に、エツィオは左手の甲に刻まれたルーンを掲げ、オスマン氏に見せた。

 

「このルーンのお陰である部分が大きいですよ。せめて過信に繋がらぬよう、肝に銘じておかなければ」

「良い心がけじゃ、それを忘れるでないぞ、若きアサシンよ」

 

 神妙に呟くエツィオに、オスマン氏は満足そうに頷き、言葉をつづけた。

 

「……ワルド子爵は、衛士隊の隊長という国防上重要な役職についておった、これ以上の情報漏えいも防ぐという意味では、お主はトリステインを救う働きをして見せたのだ」

「救うなどと……。私はただ、裏切り者を消したまでです。それに、彼の企みを早期に見抜けなかった……私の失態です。故に彼を始末いたしました」

「気にすることはない、きみの失態であるものか。全ては王宮の連中の責任じゃ。それを言い出したら、私にも非がある。

ともあれ、きみの働きにより、同盟破棄の危機は去り、ミス・ヴァリエール、そしてお主までもが無事にアルビオンより帰還した、これほど良い知らせはあるまいて」

「はい。……とはいえ、我ながら少々派手に動きすぎたようだ、まさかここまでその名が伝わっているとは、これでは、彼女の追及は免れないでしょう」

 

 彼女には何も話してはいませんでしたから、と、エツィオが肩を竦めながら呟く。

オスマン氏は顎髭を撫でながら、ふむ、と呟いた。

 

「じゃろうな……、そういえば以前、彼女の元を尋ねた際、きみのことを聞かれたよ。何者なのか、とね」

「……彼女にはなんと?」

「何も話してはおらんよ、きみが明かしていないことを私が勝手に言うわけにはいくまいて」

「御配慮、感謝いたします、ご迷惑をおかけして申し訳ない」

「なに、きみが明かさなかったのも仕方のないことじゃて。まさか『私はアサシンです』、だなんて素直に言うわけにはいかんじゃろ」

「ええ。ですが、明かしていたとしても、信じてもらえないか、平民のアサシンなどメイジにとって取るに足らないものだと一蹴されてしまいそうですけどね」

「ほほ、今ならお主に消されたワルド子爵が、その言葉を否定してくれるじゃろうな」

 

 肩を竦め苦笑いを浮かべたエツィオに、オスマン氏は冗談めかしてそう言った。

エツィオは小さくため息をつくと、左腕のアサシンブレードをじっと見つめる。

 

「しかし……、元の世界に帰還するまでは『アサシン』として動くことはないと思っていたのですが……どうやらそうも言っていられないようだ」

「『我らが力は鞘の中の刃』、……アルタイルの言葉じゃ。本来ならば、お主のその刃、振われることが無ければよかったのじゃがな」

「……はい、この国には『レコン・キスタ』の影が迫ってきている。そのために私は、奴らの企みを食い止めるために、今までアルビオンに残っていたのです」

「うむ、死神の噂はそれだけでは終わってはおらぬからな」

 

 オスマン氏は膝をぽんと叩くと、本題はここからだとばかりに、身を乗り出す様にしてエツィオを見つめた。

 

「この老いぼれに聞かせてくれぬかな、若きアサシンよ。私は君の話が聞きたくて仕方がなかったのじゃからな」

 

 その姿はまるで、大好きな英雄譚の続きをせがむ子供の様だ。

エツィオはオスマン氏に事の次第を報告した。

 

 ワルド暗殺の際、レコン・キスタによるトリステイン侵攻計画を掴んだこと。

 侵攻を遅らせるために、レコン・キスタの資金源、物資、および戦力を削り、士気を挫くために数々の暗殺を実行したこと。

 アルビオン空軍の切り札、『レキシントン』号、それに搭載された新兵器と設計図、及び周囲の軍事工廠を破壊し、その艦の艦長をトリステインに亡命させたこと。

 臨時で開かれた貴族議会会議に侵入し、議員の一人を暗殺、その後、逃走したトリステイン侵攻軍総司令官を暗殺したこと。

 そして、トリステインに帰還後、アルビオンで得たほぼ全ての情報をアンリエッタ姫殿下に報告したこと。

 

 それら全ての報告を聞いたオスマン氏は、驚嘆とした様子でエツィオの働きを褒め称えた。

 

「素晴らしい! 見事な働きじゃ、大鷲よ。正直、そなたを見くびっておった、まさかここまでとは思っていなかったわい」

「ありがとうございます。……ですが、侵攻計画自体を頓挫させたわけではありません、油断はできぬかと」

「確かにのう……、しかし宮廷の連中も馬鹿ではない、お主が亡命させたという男、ヘンリ・ボーウッドだったか、彼のもたらす情報により何かしらの対策が立てられるじゃろう」

 

 オスマン氏は髭を捻りながら言った。

それからエツィオは、言うか言うまいか、少しだけ迷ったような表情になったが、ややあってオスマン氏に尋ねた。

 

「それとオスマン殿、お聞きしたいことが」

「何かね?」

「死者を蘇らせる力を持った指輪に心辺りは?」

 

 オスマン氏は何かを思い出しているのか、腕を組みながら少し考える。

それから、思い当たるものがあったのか、ぽんと手を打った。

 

「あるにはある、『アンドバリの指輪』がそうじゃな」

「それはどういったもので?」

「『水』系統の伝説のマジックアイテムじゃよ。伝承によれば死者に偽りの生命を与えるそうじゃ。どうしてそんな事を?」

 

 なぜそんな事を聞くのだろう、と疑問に思ったのか、オスマン氏がエツィオに尋ねる。

エツィオはオスマン氏に、アルビオン皇帝クロムウェルがウェールズ殿下を蘇らせたということを報告した。

それを聞いたオスマン氏は驚愕したように座っていたソファから立ち上がった。

 

「なんと……! お主もそれを確認したのかね?」

「はい、レキシントン号破壊の際に、クロムウェルに随伴する殿下をこの目で確認しました。

彼の身体は、クロムウェルの持つ指輪と同質の魔力に覆われているのが見えました」

「それは姫殿下には報告したのかね?」

「いいえ、今は興入れの時、姫殿下の御心を乱すわけにはいきません」

 

 その報告を聞いて、安堵したのか、オスマン氏はほっと胸をなでおろした。

 

「お主には感謝してもしきれんな、大鷲よ。この事を知れば、まず間違いなく姫殿下は御心を乱されただろうな。同盟もどうなっていたか……」

 

 オスマン氏は再びソファに腰を下ろし、小さくため息を吐いた。

 

「しかしお主、もしかして、特別な"眼"を持っておるのか?」

「はい、"タカの眼"と呼んでいますが……それがなにか?」

 

 エツィオが首を傾げると、オスマン氏はエツィオの目をじっと見つめた。

 

「ふむ……実はな、アルタイルもお主と同じ眼を持っておったことを思い出してのう。なんでも見えぬものが見えるとか。

お主の血筋をたどれば、もしかすると、かのアルタイルと同じ所に行きつくのかもしれぬな」

「私が……アルタイルと……」

「なに、仮定の話じゃよ。それは兎も角、奴も運がないのう、まさかよりにもよって、アルタイルと同じ、タカの眼を持つお主に見られるとはな。

真実を見抜く目、幻を払うお主たちに相応しい力じゃ」

 

 オスマン氏はくつくつと笑った。

 

「オスマン殿は、その『アンドバリの指輪』を見たことは?」

「いや、何しろ伝説の品じゃ。本来はトリステインとガリアの国境にあるラグドリアン湖、そこに住まう水の精霊が守っている、そう伝えられている」

「精霊?」

「人ならざる先住民、私たちとは違う先住の力を持った、大いなる存在、といったところかの」

「なるほど……。しかし偽りの生命か……」

 

 顎に手を当て、エツィオが考え込む。

もしや、クロムウェルが持っていたのは、そのアンドバリの指輪だろうか? それを使い、ウェールズを蘇らせた?

とはいえ、これ以上考えても所在の確認など出来ようもない、ただ、そのような指輪が存在することは確かのようだ。

エツィオは小さく肩を竦めた。

 

「偽りの生命を与える……、とんでもない力だ。もしや、それもエデンの果実の一つなのでしょうか?」

「ふむ、現時点では何とも言えぬが、私に言わせてもらえば、その可能性は薄い。秘宝がもたらす力は決まっておるからな」

「と、いいますと? そういえば、以前触れたことがあるとおっしゃっていましたが、秘宝の働きを御存じなのですか?」

 

 エツィオのその問いに、オスマン氏は顔を俯かせると、少々苦い表情で、左の頬を撫で始めた。

 

「……うむ」

「教えてください、オスマン殿、一体、エデンの果実とは何なのですか?」

「アレは……、誘惑そのものじゃ」

「誘惑?」

 

 エツィオが首を傾げると、オスマン氏は、打ち明けるように話し始めた。

 

「以前、お主に話したな、アルタイルは今の私ですら足元に及ばぬくらい、多くの知識を身に着けていたと。

その知識に強く惹かれた私は、彼がとても大事そうに持っていた銀の塊になにか秘密があるのではないかと目星をつけた」

「銀の塊? それがエデンの果実?」

「うむ、掌ほどの大きさの球体じゃ。それでな、彼に気付かれぬようにこっそりと"眠りの雲"の呪文をな……」

「眠らせたと言うのですか!」

 

 エツィオは思わず声を荒げ立ち上がる。

オスマン氏はビクッと身体を震わせ、顔を青くしながら慌てたように両手を振った。

 

「う、うむ……、も、もう過ぎたことじゃよ!? だから落ち着くのじゃ!」

「……それで、どうなったのですか?」

「私がそれを手に取った瞬間、それがどんなものなのかを悟った。これを使えば、私が望む事、全てが思い通りになる、そう確信した。

アレは神の言葉じゃ……。どんな者であれ、それこそエルフでさえ、あの秘宝の幻に抗える者はいない。誰もが味を占め、虜になる。

私はすぐに『リンゴ』の虜になった。私が頭に思い描いたものを、あの銀の塊は全てを教え、与えてくれたのじゃ。そんな誘惑にどうして抗うことができよう?」

「幻……」

「そう、幻じゃ。あの秘宝が持つ力は単純じゃ、幻を見せ、その者の精神を意のままに操る事が出来る。その気になれば世界中の人間をな」

「そんな事が……」

「幸い、大事に至る前に、アルタイルが私を止めてくれたがの。もうぶん殴られたよ、思いっきり」

 

 殺されなかっただけマシだったんじゃろうけどな……と、オスマン氏は苦虫を噛み潰したような表情で左頬を撫でながら、呟いた。

当時のことを思い出してしまったせいか、心なしか顔色が悪いように見える。

 

「というわけじゃ、エデンの果実は、共通して『人間を意のままに操る』という力を有しておる。

もしクロムウェルが持っている指輪がエデンの果実ならば、ボーウッドという離反者を出していない筈じゃからな」

「なるほど……。しかし疑問も増えます、そのエデンの果実を持っていないのだとしたら、奴はどのように勢力を拡大させたのでしょうか?

聞けば奴は、反乱が起こるまでは、無名の司教に過ぎなかったそうです。

死者を蘇らせるという力を虚無と称するだけで、どうやってあそこまで支持を集め、上り詰めることができたのか……、不思議なことです」

 

 オスマン氏はうむ、と頷くと、しばらく顎に手を当て思案する。

目を細め「これは推測じゃが……」、と口を開いた。

 

「人を従わせるのは、上に立つものなら当然じゃ、それができなければ指導者にはなれん。

言葉で無理なら金じゃ、それで足りなければ汚い手段もある。賄賂に脅迫……そして魔法を使う。

『水』系統の力は、傷を治したり、精神を操ったりと身体と心の組成を司っておってな、『制約』、『魅了』。これらがそれにあたる。

いずれも秘宝の力には遠く及ばぬが、人を意のままに操ることができる呪文じゃ」

「しかし、奴はメイジではない、魔法は使えないのでは?」

「そこでその指輪じゃよ。死者に偽りの生命を与え、意のままに操る事ができる『アンドバリの指輪』。

それを奴が使ったとするならば、生きた人間を操ることくらい、造作もないことではないかね?」

「そうか……筋は通るな……」

 

 エツィオは拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 

「クロムウェル……、奴にはいずれ、報いを受けさせねばなりませんね」

 

 怒りに満ちた目で、小さく吐き捨てる。

人々の意思を奪い、戦乱を招こうとしている、

死者の魂すら冒涜するそのやり方に、エツィオは強い怒りを覚えた。

 

「私もアルタイルを師と仰いだ身……そなたの気持ちはわかる。じゃが、既にお主は打つべき手を全て打った、今は連中の出方を待つべきじゃ」

「しかし奴は……」

「忍ぶときは忍べ、アサシンよ。ここはハルケギニアじゃ、お主のいた世界ではないのだぞ? 

それに、今のお主の身分では、再びアルビオンへ赴くことは難しいじゃろうて」

 

 オスマン氏は静かにエツィオを見つめ、たしなめるように言った。

オスマン氏の言葉にも一理ある、エツィオは俯き、思案する。

 

「アルビオンでの働き、真に見事であった。お主はしばらく身体を休めるとよい、よいな」

「わかりました、そうさせていただきます……ですが」

「だが、何かね?」

 

 エツィオはそこで言葉を切ると、顔を上げオスマン氏を見つめた。

 

「彼女に、主人に危険が及ぶのであれば、私は刃を振るうことにためらいはありません、脅威となる者は消すまでです」

「よろしい、まさにそれこそ、そなたの使命」

 

 その言葉に、オスマン氏はにっこりとほほ笑んだ。

それからエツィオはニヤリと口元に笑みを浮かべると、わざとらしく肩を竦めた。

 

「とはいえ、彼女に命じられるのは雑用ばかりでしょうけどね」

「ほっほっほ、アサシンを雑用扱いとは、ミス・ヴァリエールは将来大物になるに違いないわい」

 

 オスマン氏は、一しきり大声で笑うと、再びエツィオを見つめ、首を傾げる。

 

「それよりもじゃ、彼女には明かすのかね? お主の身分を」

「……そのつもりです、もう隠し通すことは難しいかと」

 

 エツィオは、呟きながら、ちらと廊下へ続く扉へと視線を送る。

そんなエツィオを見つめながら、オスマン氏はふむ……、と頷いた。

 

「それがよかろう、秘密は時に不和を生む、しかし共有する秘密ならば、それは強い繋がりになるじゃろう」

「受け入れてもらえるか、それが一番の問題な気もします」

「心配するでない、彼女ならばきっと受け入れてくれるじゃろうて。なにせ、ここ数日間、帰らぬお主を心配して泣いておったのじゃからな。若いっていいのう」

 

 オスマン氏はからかうようにエツィオを見つめた。

ところがエツィオは、ああやっぱりなと、澄ました表情でニヤリと笑って見せた。

 

「やれやれ、使い魔思いのご主人様に仕えることができて、使い魔として幸せですよ」

 

 

 一方その頃、学院長室の扉に貼りつき、オスマン氏とエツィオの対談に聞き耳を立てている一人の少女がいた。

桃色がかかったブロンドの髪に、大粒の鳶色の瞳、ルイズであった。

その手には、インテリジェンスソードのデルフリンガーがいた。

エツィオにオスマン氏の元へ報告に行くように伝えたルイズであったが、こっそり彼の後をつけ、こうしてオスマン氏との話を盗み聞きしていたのであった。

デルフリンガーは、アルビオンでエツィオと共にいたために、いろいろ聞くために持ってきていたのであった。

 

「アサシン……? 暗殺者? ……エツィオが?」

 

 学院長室の扉に貼りつき、オスマン氏との会話を途中まで盗み聞きしていたルイズはぽつりと呟いた。

扉から耳を離し、手元のデルフリンガーに視線を落とす。

 

「……本当に?」

「聞いての通りさね。あいつはアサシンだよ。とびっきり凄腕のな」

 

 恐る恐る尋ねるルイズに、デルフリンガーはあっさりと答える。

あまりにあっさり答えられたので、ルイズはかえって反応に困ってしまった。

 

「えっと、その……、そんなにすごいの? その……あいつは」

「すげぇもなにも、話聞いてたろ?」

「『アルビオンの死神』……だっけ?」

「ああ、その名前を聞いただけで『レコン・キスタ』の連中が震えあがるな」

「震えあがるって……」

 

 ルイズが信じられないといった様子で呟く。

そんなルイズを見透かしてか、デルフが尋ねた。

 

「信じられないかね?」

「……」

「まぁ、普段の相棒を見る限りじゃ、娘っ子が見抜けないのも無理はないさね。大体、あんな奴がアサシンだなんて誰も信じないわな」

「そ、そうよ……あんなバカみたいなあいつが……」

 

 デルフのその言葉に、ルイズは呆然と呟く。

それからルイズはキュルケから聞いたアルビオンの噂を思い出した。

手元の剣を見つめ、尋ねてみた。

 

「ねえ、ほんとにワルドを殺したアサシンって、あいつなの? あんた、それを見てたの?」

「ああ、頸動脈と一緒に頸椎を一突き。一瞬さね、苦しむ間も無かっただろうよ」

「そんな! どうやって? だってワルドは……!」

「スクウェアのメイジ、か? 子爵だって人間さね、油断もすれば、身動きの取れない瞬間だってある。

相棒はそこを突いたんだよ、演説中の子爵に躍りかかってそのまま……」

 

 あとはわかるだろ? と、デルフリンガーはそこで言葉を切った。

 

「ま、そんなわけで、今や相棒はアルビオン一の有名人だ。懸賞金かかってるくらいだからな」

「しょ、賞金ですって!?」

「お、おい、声でけぇって! なんのためにコソコソしてんだよ!」

 

  デルフのその言葉に、ルイズは心底驚いた。

エツィオの首に懸賞金がかかっている? 何かの冗談ではないのだろうか?

ルイズは声を潜めながらデルフリンガーに尋ねた。

 

「う、嘘でしょ? 嘘よね? い、いくら? いくらかかってるの?」

 

 デルフリンガーが短く答えた。

 

「ごまん」

 

 ……今、このボロ剣は何と言った? ルイズはひきつった笑みを浮かべながら、大きく深呼吸をする。

 落ち着け、落ち着くのよ、今のはきっと聞き間違いね、絶対そうよ。このボロ剣がいきなり変なこと言うんだもん、わたし混乱してるんだわ。

だって桁がおかしいもん、なによ『ごまん』って、こんな時に聞き間違いだなんて、いやだわ、もう。

百歩譲って『ごまん』と聞こえたとしても、このボロ剣は『ごまんといる小悪党どもとかと同じくらいだぞ』って言いたかったのよね、ええ、きっとそうよ。

 

 ルイズはこほん、と一つ咳払いをし、気を取り直して手元のデルフに尋ねる。

 

「あの、ごめんなさい、よく聞こえなかったわ、もう一回言ってくれない?」

「だからごまん」

「……はい?」

「だから五万エキューだっつってんだろ」

 

 その言葉にルイズは『硬質』の呪文がかかったかのように固まった。瞬きどころか呼吸一つしていない。

静寂に包まれる廊下をよそに、学院長室からはオスマン氏の笑い声が聞こえてくる。

 

「お、おーい、娘っ子……?」

「はっ!!」

 

 見かねたデルフリンガーが声をかけると、呼吸の仕方を思い出したのか、ルイズが息を吹き返す。

そして、廊下に響き渡らん程に絶叫した。

 

「ごっ、ごごごご、ごおおおお!?」

「だぁから、声でけぇっつうの!」

「ななな、なによそれ! あ、あああ、あいつアルビオンでなにをやったの! なにをしたらそんなデタラメな懸賞金がかかるのよ!」

 

 デルフの警告を無視し、ルイズはガクガクとデルフリンガーを振って問い詰めた。

五万エキュー……、国家予算クラスの金額である、それだけあれば領地と城を買っても余裕でお釣りがくるだろう。

過去、ハルケギニア全体で見ても、たった一人のお尋ねものに、そこまで莫大な懸賞金がかかったなんて事、聞いたことが無い。

一体全体、エツィオはアルビオンで、なにをしでかしたのだろうか?

 

「な、なにって言われてもよ……そりゃ、あの子爵を殺ったろ? 他には金貸しの銀行家を数人暗殺して……」

 

 不安に慄くルイズに、デルフリンガーは仕方ないとばかりに答えた。

だが、デルフリンガーの言う、エツィオの"仕事"っぷりは、ルイズの想像を遥かに上回っていた。

 

「ああそうだ、えーっと『レキシントン』号だっけか、あれ爆破したんだった。んで、そのついでにロサイスに停泊していた艦隊を軍港ごと灰に変えて」

「かぅは……!」

 

 ルイズは、肺の中の空気を全部出すかのような、うめき声を上げた。

 『レキシントン』号……、『イーグル』号の甲板から見た、あの禍々しい巨艦の名前だった筈……。それを沈めた? エツィオが? たった一人で?

っていうか、ロサイスって、アルビオンでも有数の軍港じゃ……。それを艦隊ごと灰に変えたって? 

気が付けば、ルイズの膝は笑っていた。驚愕のあまり、声すら出ない。というか、この先聞くのが怖い。

 だが、そんなルイズに気がつかないデルフリンガーは次々に言葉を続けた。

 

「そうそう、貴族派の親玉連中、貴族議会って言うのか? そいつらを暗殺したんだったな、えーっと確か……全部で十五人いて……」

 

 ああやめて、お願い、やめて、もういい……、それ以上言うな。

 

「その中の五人消したんだっけか。おでれーた、たった一人相手に半壊してやんの」

 

 ああ……。ウソ……。

そこまで聞いて、ルイズは仰向けにぶっ倒れた。

 

「おい、おい! 娘っ子! どうしたよ、おいっ!」

 

 デルフリンガーは慌ててルイズに声をかける。

しかし全く反応を見せない。呼吸はしているので死んではいないようだ。

 

「あーあ、気絶しちまってら……」

 

 そんなルイズをみて、デルフリンガーが呆れたように呟いたその時……。がちゃりと学院長室の扉が開いた。

 

 

「はっ!」

 

 意識を取り戻したルイズはがばっと跳ね起きる。

あわてて周囲を見渡すと、そこは学院長室のソファの上であった。

どうやら自分は気を失ってしまい、ここに運び込まれたようであった。

ルイズが目を覚ました事に気が付いたのか、窓の外を眺めていたオスマン氏が振り向き、にっこりとほほ笑んだ。

 

「目が覚めたかね?」

「あっ……!」

 

 オスマン氏に声をかけられたルイズは、慌ててソファから立ち上がり頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません! えと……」

 

 オスマン氏は、そんなルイズに軽く手を掲げながら制止すると、髭を撫でながら笑い声を上げた。

 

「ほっほ、驚いたぞ、扉を開いたらお主が倒れておったものじゃからな」

「お、お恥ずかしい限りです……」

 

 気恥ずかしそうに、ルイズは俯く。

オスマン氏はそんなルイズに、にっこりとほほ笑みながら話しかけた。

 

「ミス、私の言った通りじゃったろう? 大鷲は無事にそなたの元へ帰還したではないか」

「は、はい……」

 

 まぁ座りなさい、と、オスマン氏に促され、ルイズはおずおずとソファに腰掛けた。

気が付くと、持っていたはずのデルフリンガーが無かった。どうやらエツィオが回収し、共に部屋に戻ってしまっていたようであった。

 

 オスマン氏は、同じように向かいのソファに腰かけ、ルイズを見つめた。

 

「さて、その様子から察するに、話を聞いていたようじゃな」

「えと、その、エツィオがアサシンだというところまでですけど……」

 

 ルイズはこくりと小さく頷いた。

俯き表情を曇らせたルイズに、オスマン氏は、諭す様に話しかけた。

 

「ミス・ヴァリエール、彼のこと、どうか責めんでやってくれぬか?」

 

 オスマン氏は髭を擦りながらため息を吐くように言った。

 

「彼にとっても、仕方のないことだったのじゃ。『アサシン』などと、軽々しく人に明かせるものではないからのう」

「それは……わかっています」

 

 ルイズは呟くようにして頷いた。

ルイズも心のどこかでは納得はしていた、エツィオが自身に付いてあまり多く語らなかった理由が、身分によるものならば、それも理解できた。

アサシン……暗殺者……、確かにこんなこと、どんなに親しい間柄であっても、明かせるようなことではないだろう。

しばらく俯いていたルイズであったが、ややあって顔を上げると、オスマン氏を見つめた。

 

「あの、オールド・オスマン」

「なにかな?」

「この間おっしゃっていた、オールド・オスマンの先生って……やっぱり……」

 

 ルイズがそう尋ねると、オスマン氏は重々しく頷いた。

 

「うむ、そなたが思っている通りじゃ、我が師は『アサシン』であった」

「その……どんな暗殺者だったんですか?」

「どんな、とは?」

「えと、やっぱり、お金で雇われて人を……」

 

 ルイズが問うと、オスマン氏は首を横に振って応えた。

 

「それは違うぞ、ミス。彼は……いや、彼ら『アサシン』は、そなたが考えているような、金で殺しを請け負う殺し屋ではない」

「彼ら? ではどのような……」

 

 オスマン氏はソファから立ち上がると、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取りだし、ルイズに手渡した。

 

「これに見覚えはあるかね?」

「は……はい、エツィオがいつも身につけているので……」

 

 それを手に取ったルイズは頷いた。

見覚えもあるもなにも、エツィオが普段身につけているローブの所々にあしらわれている紋章だ。

なぜオスマン氏がこれを持っているのだろう?

首を傾げるルイズにオスマン氏はゆっくりと口を開いた。

 

「その紋章は、とある『教団』のシンボルでな」

「教団……ですか?」

「そう、ここではない、遥か遠くの世界の話じゃ」

 

 オスマン氏は窓辺に立つと、外の景色を眺める。

窓の外には、一羽の大鷲が、夕陽を背に、翼を広げ悠然と空を舞っている。

それを見つめながら、遠くの世界に思いを馳せるように目を細め、語り始めた。

 

「彼らの起源は三百年程前に遡る。そこでは『キリスト』と『イスラム』、この二つの宗教が、一つの『聖地』を巡り、長い間争っておった。

キリスト教徒は度々『十字軍』と呼ばれる軍隊を結成し、イスラム教徒から聖地を奪還せんと遠征を繰り返していたそうじゃ」

 

「十字軍?」と、ルイズが首を傾げる。

 

「キリスト教を信仰する国々が結成した軍隊じゃよ、我々で例えるなら、ロマリアを筆頭としたハルケギニアの連合軍じゃな。

ついでに言えば、イスラム教徒はエルフ、といったところかの。

我々とエルフの関係と同じく、キリスト教徒にしてみれば、イスラム教徒は聖地を占拠する異教徒であり、

イスラム教徒にしてみれば、キリスト教徒は侵略者であり、仇敵であるというわけじゃ。……なんだかどこかで聞いたような話じゃないかね?」

 

 オスマン氏は皮肉な笑みを浮かべる。

キリスト教徒とイスラム教徒、ブリミル教徒とエルフ、聖地を巡る対立関係にしろ、まるでそっくりだ。

オスマン氏は話を続けた。

 

「聖地の目前にまで差し迫った十字軍に、迎撃の準備を万端に整えたイスラム軍、聖地はいつ戦火に包まれてもおかしくない、まさに一触即発となった。

戦で苦境を強いられるのはいつだって民草じゃ。再び罪なき民の血が流されようとしたその時、彼ら……『アサシン教団』が動き出した」

「アサシン……教団……?」

 

 聞きなれぬ名に再び首を傾げるルイズに、オスマン氏は大きく頷いた。

 

「うむ、イスラムにもキリストにも属さぬ第三の勢力。

『真実は無く、許されぬことなどない』を信条とし、『全ての平和』の実現を至上目的とする、暗殺集団。それが『アサシン教団』じゃ。

『アサシン教団』は、両勢力の存在こそが聖地に混乱をもたらす存在と考え、それぞれの幹部を排除するために、一人のアサシンを送り込んだ」

「アサシン……それがオールド・オスマンの?」

 

 ルイズが尋ねると、オスマン氏は頷いた。

 

「うむ、名を『アルタイル』と言ってな。若くしてアサシンの最高位、『マスターアサシン』の地位に昇りつめる程の実力を持った、優秀なアサシンじゃった。

彼が暗殺を命じられた標的の数は九人、そのいずれもがイスラム軍や十字軍の重要人物であり……、権力を笠に民を苦しめる悪党じゃったそうじゃ」

「それで……どうなったんですか?」

「簡単に言えば、アルタイルは見事、両勢力の幹部九人、そして裏で手を引いていた黒幕すらも暗殺してのけた。

首脳部を失い、混乱し、疲弊しきった両軍は遂に休戦協定を結び、聖地にはつかの間の平和が訪れた……。

と、このようにじゃな、『アサシン教団』の暗殺対象はただ一つ、平和を乱し、民を虐げる者じゃ。

歴史の闇にて撥乱反正を行う存在、それが彼ら、『アサシン』じゃ。彼らが刃を振うは、世の安定の為であり、人々の自由の為なのじゃよ。

彼……、そなたの使い魔であるエツィオ・アウディトーレもまた、その信条を受け継いだアサシンの血盟の一人というわけじゃ」

「そんな……」

 

 ルイズは口元を押さえながら、信じられないとばかりに小さく呟いた。

たった一人のアサシンが、戦を終わらせる、そんな馬鹿げた話、どうしても信じられなかった。

だが、なによりも信じられなかったのは、平和の為に人を殺す、『アサシン』の存在だった。

 

「で……でも、アサシンが……、エツィオがやっていることはっ……!」

「殺人、かね?」

 

 愕然としながらも、ルイズはやっとの思いでその疑問を口にする。

 だが、オスマン氏はそれの一体なにが問題なのか? と言わんばかりに首を傾げて見せた。

 

「確かに、人の命は、貴賎問わず何物にも代え難い尊い物だ。そんなことは、ブルドンネ街の乞食ですら知っている。成程、それを奪う彼の行為は、我々から見れば悪なのだろうな。

じゃがな、戦が起き数千数万もの罪なき人々の命が失われるくらいなら、たった数人の、それも悪人の命など取るに足らないものとは思わんかね? 

それが戦を引き起こそうとする者どもの命ならば、なおさら安い物だ。僅かな犠牲で多くを救う。大いなる善の為の、ささやかな悪じゃ。

確かに、お主の言うとおり、彼の行ったことは殺人じゃ。そしてそれは紛れもなく罪じゃ。

では聞こう、その罪を罰する法は、誰が創ったのかね? 天に座す神か? いや、『人間』じゃよ。

法は神ではなく人の理性より生まれしもの。故にこの世には『真実は無く、許されぬことなどない』のじゃ」

「だからって……」

「無論、この教えは自由を意味するものではない。この世をあるがままに見よ。若きメイジよ、賢くあれ」

 

 その言葉に、ルイズが呻くように呟く。

確かに、オスマン氏の言うことにも納得できる部分はある。

戦を引き起こそうとする原因を取り除き、平和をもたらす。少数の悪人の死で、数千、或いは数万の人々の命が助かるのだ、そこになんの問題があるのだろうか?

しかし、やはり心のどこかで、殺人という禁忌に対するわだかまりがあった。

 

 そんな彼女の心境を見透かすかのように、オスマン氏は目を細め、頷いた。

 

「割りきれぬ気持ちもわからんでもない。

だがな、ミス、残念なことに、この世には話が通じぬ者もおるのじゃよ、『レコン・キスタ』の連中がまさにそれじゃ。

無知による過ちなら救いようがある。しかし、心まで毒され、魂が穢れているのであらば、それは打ち倒さねばならん」

 

 オスマン氏は力強く言い切ると、ルイズをじっと見つめた。

 

「そなたの使い魔は、ただそれを遂行した。全ては、トリステイン……否、ハルケギニアの平和の為に、そして何より、そなたを戦火に晒さぬために」

「平和の、わたしの為……」

 

 ぽつりと呟きながらルイズは押し黙ってしまった。

オスマン氏は、俯きながらじっと考え込むルイズを見守っていたが、ややあって、小さな笑みを浮かべながら呟いた。

 

「私に言えるのはここまでじゃ、あとは、そなたの問題じゃて。今夜にでも、彼とよく話してみることじゃな」

 

 

 その夜……。

 ルイズが部屋に戻ったのは日もとっぷりと暮れた夜だった。

 オスマン氏との話を終えたルイズは、学院長室を出た後、そのままエツィオのいるであろう部屋に戻ることができなかった。

話をしてみろ、とオスマン氏に言われていたものの、エツィオの正体を知ってしまった今、どう話かけていいかわからなかったのだ。

中庭のベンチに腰掛け、どうエツィオに話を切り出すべきかと、あれこれ考えているうちにすっかり夜になってしまっていた。

結局、なんの考えも浮かばずに、仕方なくルイズは部屋に戻ることにしたのだった。

 

「おかえりルイズ、随分と遅かったじゃないか、もう寝る時間だぞ」

 

 ルイズが部屋の扉を開けると、使い魔であるエツィオがにこやかに迎え入れてくれた。

違いといえば、いつも身につけている白のローブではなくシャツを着ているという所だけであろうか。

こうしてみると、どこにでもいる品のいい青年、と言った感じである。

今まで片づけていたのだろう、下着や食器が散乱していたはずの部屋は綺麗に片付いている。

それどころか、ベッドの上にはルイズの着替えまで置いてあった。帰ってきて早々この仕事っぷり、相変わらず気の利く男である。

久しぶりに見る、いつも通りの陽気なエツィオ。そんな彼を見ていると、本当にこいつはアサシンなのだろうか? と首を傾げたくなってくる。

 

「どうしたんだ? 悩み事か? なんなら相談に乗ってやるぞ」

「な、なんでもないわよ!」

 

 そんな風にルイズが考えていると、エツィオが顔を覗きこんでくる。

相変わらずの、人をからかうような仕草にルイズは頬を僅かに赤くしながら怒鳴りつける。

 

 ルイズはベッドに行くと、そこに置かれた着替えを手に取った。

エツィオの言うとおり、そろそろ寝る時間だ。随分長い間悩んでいたものだと考えながら、着替えを始める。

だが、何を思ったか、着替えようとしていたルイズの手がはたと止まった。それから、はっとエツィオの方へ振り向いた。

エツィオはというと、机の上に置かれた装具類を点検している。こちらを見てはいないようだ。

それをみたルイズは、いそいそと外していたブラウスのボタンを留め、ベッドのシーツを掴むと、それを天井に吊り下げ始めた。

 

「ん? 何をしてるんだ?」

 

 ルイズのその行動に、流石に気が付いたのか、エツィオが尋ねる。

しかしルイズは頬を赤く染めたきり答えずに、シーツでカーテンを作り、ベッドの上を遮った。

それからルイズは、シーツのカーテンの中に入り込む。ごそごそとベッドの中から音がする。ルイズは着替えているようだ。

 

 エツィオは小さく首を傾げた、いつもだったら、堂々と着替えていたはずなのに……。とそこまで考えが至った瞬間、ニヤっと、口元に小さな笑みを浮かべた。

 ああ、そういうことか。ようやく俺のことを男として見始めたな。

とにかく鋭いエツィオは、ルイズの行動の原因として、即座にその答えをはじき出した。

さて、これからどう接してやろうか。と考えていると、カーテンが外された。

 

 ネグリジェ姿のルイズが月明かりに浮かんだ。髪の毛をブラシですいている。

煌々と光る月明かりのなか、髪をすくルイズは神々しいほど清楚に美しく、可愛らしかった。

 

「へえ、これは驚いたな、カーテンの中からウェヌスが出てきたぞ」

「ウェヌス?」

 

 聞きなれぬ名に、ルイズは首を傾げる。

そう言えばそうだった、ここは異世界だ、彼女がローマの神を知る筈はない。

 

「俺のとこの、美の女神さ」

 

 エツィオがそう教えると、ルイズの頬に、さっと朱が差した。

 

「なな、何冗談言ってるのよ! あんたは!」

「冗談じゃないさ、きみは美しい」

「ば、バカ言ってないで、さ、さっさと寝るわよ!」

 

 まっすぐにそう言われ、ルイズの顔が益々赤くなった。見るとエツィオはにやにやとほほ笑んでいる、こちらの反応を楽しんでいるようだ。

ルイズはベッドの上に置いてあったクッションをエツィオに投げつけた。コイツと話をしていると、ホントに調子が狂ってしまう。

 ぐったりとした様子で、ルイズはベッドに横になり、机の上に置かれたランプに杖を振って消した。

灯りが消え、窓から差し込む月の光だけが、部屋を照らしだした。

 

 装具の点検を終えたエツィオも、睡眠をとるべく、部屋の隅に置かれたクッションの山に体を預けた。

クッションが敷かれているとはいえ、寝心地は最悪である、これならアルビオンに滞在中に眠った安宿のベッドのほうが幾分かマシである。

 

「あいたたた……」

 

 久しぶりの寝床の寝心地の悪さに、思わずエツィオは爺くさい声をだす。

そんな風にして学院に戻ってきたという事実をしみじみと感じていると、ルイズがもぞもぞとベッドから身を起こし、エツィオに声をかけた。

 

「ねえエツィオ」

「ん?」

 

 返事をすると、しばしの間があった。

 それから、言いにくそうにルイズは言った。

 

「いつまでも、床っていうのもあんまりよね。だから、その、ベッドで寝てもいいわ」

 

 思わぬルイズの提案に、エツィオは顔を輝かせた。

 

「おい、いいのか? きみのこと襲っちゃうかもしれないぞ?」

「勘違いしないで、へ、変なことしたら、殴るんだから」

 

 エツィオは手をわきわきと動かしながら、冗談めかして笑った。

 

「殴るだけか? ……なら試す価値はあるかな」

 

 そう嘯くと、エツィオは即座にベッドの中に潜り込み、ルイズに寄り添う様に隣に寝転んだ。

ルイズが許可を出してからこの間、わずか数秒。

一切の迷いもためらいもない、あまりのその自然な行動にルイズは何も反応できずに、固まってしまった。

 

「さて、どうしてやろうか」

「ちょ、ちょっとやめてよね! 変なことしたら殴る……っていうか殺すわよ!」

 

 顔を赤くしながら、震える声で叫ぶルイズに、エツィオはからかうように笑って見せた。

 

「冗談さ、嫌がる子を無理やりってのは好きじゃないんだ。だから……」

「だ、だからなに……?」

「きみが俺を求めるまで、俺は手を出さないことを誓ってやるよ」

 

 ニィっと、口元に笑みを浮かべてエツィオが笑う。

その言葉が意味するところを知ったのだろう、ルイズは羞恥と怒りを爆発させる。

 

「こ、この……! 馬鹿にするのもいいかげんにっ……!」

「はいはい、悪かったよ。きみには刺激が強すぎたかな」

「ぐっ……、やっぱり呼ぶんじゃなかった……!」

 

 悔しそうに歯ぎしりするルイズを見ながら、どれだけ耐えられるか、見ものだな……と、エツィオは内心ほくそ笑んだ。

プライドの高いルイズのことだ、そうやすやすと落ちはしないだろう。だからこそ、落とし甲斐があるというものだ。

 

 ……しかし、しかしである。もしもルイズに手を出した場合……、なんだかすごく面倒なことになりそうな気がしてならないのも事実だ。

それこそイヴの誘惑に負け、エデンの果実を口にしたアダムのようになりかねない、そんな予感がする。世に言うめんどくさいタイプだ。

そう言う意味では、彼女は創世記にある禁断の果実そのものなのだろう。俺はもっと楽しみたい、だから最高の楽しみは、最後に取っておく。

自分の魅力に落ちない女性はいない、そんな絶対の自信を持っているエツィオだからこそ出来る、邪な考えであった。

 

 しばしの間、そんな二人の間を沈黙が支配する。

そして、しばらくたった後、エツィオはぽつりと呟くように口を開いた。

 

「アルビオンでは……すまなかったな」

 

 ルイズは答えない。

もう寝てしまったかな? と思ったが、寝息は聞こえてこない。エツィオは続けた。

 

「きみに辛い思いをさせた上に、危険な目にも合わせてしまった、……使い魔失格だな」

「そ、そんなことっ……!」

 

 その言葉に、ルイズは思わず身を起こし、エツィオを見つめた。

エツィオは口元に笑みを浮かべ、言葉の続きを促す様に首を傾げて見せる。

 

「そんなこと?」

「な……ない……」

 

 ルイズはエツィオから顔をそむけ、僅かに頬を赤くしながら小さな声で答えた。

ほんとなら、ちょっとは文句くらい言おうと思っていた、しかし、エツィオに先手を打たれ、思わず本音が出てしまったのである。

再びベッドに横になり、エツィオに背を向ける。そんなルイズを横目で見つめながら、エツィオは小さく笑い、言った。

 

「二度ときみを傷つけさせない、約束するよ」

「あたりまえじゃないの」

 

 それからルイズは決心したように口を開いた。

 

「でも、わたしも、あんたに謝らなきゃ。ごめんね、勝手に召喚したりして」

「本当だよ、まったく」

「んなっ!?」

 

 エツィオがあっさりそんな事を言う物だから、ルイズは再び体を起こし、今度はエツィオを睨みつける。

 

「ど、どういうことよ!」

「イタリアに帰りたくなくなるってことさ」

 

 エツィオは、うー、と睨みつけてくるルイズにニヤリと笑みを浮かべてみせると、ルイズの頬に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。

 

「俺は今、毎日が充実してる、きみのおかげだ」

「か、からかわないでっ!」

 

 かぁっ、とルイズは顔を赤くすると、その手を取り払った。

ぼふっとベッドに横になると、再びエツィオに背を向けてしまった。

 

「もう! 謝らなきゃよかった!」

「ははっ、でも本当さ、出来るならずっときみの傍にいたい、そう思ってる」

「っ……!」

 

 耳元で囁かれ、どくん、とルイズの胸が高鳴った。

並みの女性なら、それだけでノックアウトされてしまいそうになる程、憂いを含んだ甘い囁き。

 ひどい、エツィオひどい。そんな事言われて、平常心なんて保っていられるわけないじゃない。

今、自分がどんな顔をしているのかまるで想像が出来ない、きっと酷い顔になっている。

エツィオに背を向けていてよかった、こんな顔見られたら、ますますからかわれてしまう。

 そんなルイズの様子を知ってか知らずか、エツィオは続けた。

 

「でも……それはできない。いつかは帰らなきゃ……」

「し、心配しなくても、きちんと帰る方法を探すわよ……」

「おい、本当か? ……まあ、期待せずに待つとするさ」

 

 エツィオは笑いながらそう言うと、それきり黙ってしまった。

しばしの沈黙の後、ルイズはもぞもぞと動き、エツィオの方を向いた。

寝てしまったのかな? と思っていたが、エツィオはまだ起きているようだ。

話をしなきゃ……と、ルイズは意を決してエツィオに話しかけた。

 

「ねえ、あんたのいたイタリアって、魔法使いがいないのよね」

「いない、概念はあるけどな」

「月は一つしかないのよね」

「生憎、二つ浮いているのは見たことがないな」

「へんなの」

「ははっ、そうだな、月はともかく、魔法が無いなんて、不便なものさ。お陰で空も飛べやしない」

「あんたは向こうでは……」

 

 ルイズはそこで言葉を切った。

それからエツィオの横顔を見つめながら、ためらう様に尋ねた。

 

「あんたは……『アサシン』なのよね」

「……」

「オールド・オスマンから聞いたの、あんたが『アサシン』だってこと」

 

 ルイズがそう言うと、エツィオは天井を見上げたまま、厳かに口を開いた。

 

「……アウディトーレ家は銀行家だった、っていうのは話したよな」

「うん」

「それは本当だ、事実、俺は父上の後を継ぐべく勉強してたよ、あまり真面目じゃなかったけどな」

 

 エツィオは小さく笑う。しかし、すぐに真面目な顔になった。

 

「銀行家、俺もそう思っていた。だけど、それはあくまで表の顔だった。アウディトーレ家には、もう一つ、隠された裏の顔があったんだ」

「それって……」

「そう、フィレンツェにとって脅威となる存在を排除する、――『アサシン』。要はフィレンツェの暗部さ。

祖先がそうであったように、父上もまた、アサシンだった」

 

 『アサシン』の家系……、あらかじめオスマン氏から聞いていたとはいえ、

本人の口から言われると、やはり重みが違う。改めて真実を突きつけられた気分になり、ルイズは思わず息をのんだ。

 

「俺がそのことを知ったのは二年前、フィレンツェを追放され、伯父上のところに匿われた時だった」

「追放……?」

「そう言えば前にも聞かれたな、何故貴族の地位を剥奪されたか……」

「あ……、い、言いたくないなら別に言わなくてもっ!」

「いや、聞いてくれ、いつかは言わなきゃならないことだ」

 

 ルイズは慌ててエツィオを止めようとする。

だがエツィオはゆっくりと首を横に振り、口を開いた。

 

「……罪状は国家反逆罪、もちろん濡れ衣だ。父上は、アウディトーレ家はハメられたんだ、奴らに」

「奴ら?」

「テンプル騎士団。世界の支配を目論み、陰謀を企てている連中だ。

俺達アサシンと数百年にもわたって戦い続けている、それこそ因縁の相手ってやつだよ」

 

 きみとキュルケの因縁には負けるかもしれないけどな。とエツィオは笑って付け足す。

だがそれは、我ながらあまりに笑えない冗談であることにすぐに気づいた。

すまない……。と小さく呟き、話を続けた。

 

「……二年前、父上はとある事件を調査していた。ミラノ公国、そこを治める大公が暗殺された事件があった。

その事件が起こるより前、暗殺計画を事前に察知していた父上は、それを阻止すべく動いていた。しかしそれは叶わず、大公は暗殺されてしまったんだ。

表は反乱分子による暴発、そう言うことになっている。しかし、その裏ではフィレンツェの支配を巡るテンプル騎士の陰謀が隠されている事に気が付いた父上は、

騎士団からフィレンツェを守る為に調査に乗り出した」

 

 ルイズは固唾を呑んで、エツィオを見つめた。

天井を見つめるエツィオの横顔からは、先ほどまでの陽気な青年の面影は掻き消えていた。

ぞっとするほど冷たい表情、おそらくは、これこそが『アサシン』、エツィオ・アウディトーレの素顔なのかもしれない、とルイズは思った。

 

「父上は事件に関わった者たちを狩り出し、始末した。だけど、悔しいが奴らの方が一枚上手だった、

父上はその事件の真相に至る前に、その事件の濡れ衣そのものを着せられ警備隊に兄弟共々捕らえられてしまったんだ。

運よくそれを免れていた俺は、父上が掴んだ陰謀の証拠を手に、父上の親友でもある判事の家へと走った、それが皆を救うものと信じてね」

「……」

「判事は言った、この証拠を翌日の裁判で提出すれば父上への嫌疑は晴れ、必ず助かると、それを聞いて俺は心から安堵した、これで元の生活に戻れるってね」

「それで、どうなったの……?」

 

 ルイズは恐る恐る尋ねる。

エツィオは目を細め、苦しそうな表情を作った。

 

「……次の日、俺は裁判が開かれているシニョーリアの広場まで走った、今頃父上の無罪が証明され釈放されるところなのだろうと。だが……違った……。

そこで見たものは……絞首台にかけられる父上と兄上、そして……弟の姿だった」

「そんなっ! 証拠も提出したのにどうして!」

「簡単なことさ、判事が裏切ったんだ、判事もあいつらの仲間だった……そして俺が見ている目の前で……父上達はっ……!」

「エツィオ……」

 

 唇を噛みしめ、怒りに満ちた声で吐き捨てる。

普段の彼からは想像もできないほど声を荒げ、感情を露わにするエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまう。

いつもの冗談と思いたかった、しかし、それにしてはタチが悪すぎる。

 

「俺はシニョーリアの刑場から必死で逃げた、吊るされた家族を見捨てて。あの姿は今でも忘れられない……忘れてはならない……」

 

 掌で顔を覆い、エツィオが呻くように呟く。怒りと悲しみ、そして悔恨がないまぜになった、苦悶の表情。

そんな自分を呆然と見つめるルイズに気が付いたのか、エツィオは小さく息を吐き、目を閉じる。

 ルイズは思わず言葉を失ってしまった。

いつも陽気で不敵なエツィオとは思えないほど、弱弱しい表情。

この男が、こんな表情をするとは夢にも思わなかったのだ。

唖然としたままのルイズをよそに、エツィオは淡々とした口調で、言葉を続けた。

 

「全てを失った俺は、残された妹と心を壊した母上を連れ、伯父上の下に逃げ込んだ。そこで俺はアウディトーレ家の歴史とテンプル騎士団との宿縁を知った。

俺は父上の後を継ぎ、奴らに復讐を誓った。父上の死に関わった者共を全員狩り出し、一人残らず地獄に送ると」

 

 復讐、その言葉にルイズははっとする。

いつか、アルビオンへ向かう船の上で聞いた、エツィオがイタリアに戻らねばならない理由。

エツィオの戦いは、まだ終わってはいないのだ。

 

「その、裏切り者の判事は……?」

「……殺したよ、この手でね。奴を前にした時、怒りで目の前が真っ赤に染まった……、

気が付いた時には、俺は判事の腹を貫き、切り裂いていた……、何度も……何度も……」

 

 エツィオは顔を覆っていた左手を掲げ、じっと見つめる。

 

「俺の手は、もう奴らの血で真っ赤だ……。俺はただ、平和に暮らしていたかっただけなのに。

兄上と一緒に馬鹿やったり、恋人と愛し合ったり……、ただ自由に、普通に暮らしていたかっただけなのに……」

 

 不意に、エツィオが首を傾げ、ルイズを見つめる。

そのエツィオの顔をみたルイズはぎょっとした。

エツィオの双眸から、一筋の涙が流れている。泣いているのだ。

唖然とするルイズの前で、エツィオは表情を歪ませながら震える声で呟いた。

 

「もう……もう何も戻らない。父上も、兄上も、弟も……。……どうして、どうしてこうなったんだ?」

 

 それは、家族を失ってから、誰にも明かすことのなかった、胸の内の苦しみ、悲しみ、悔恨。

それら全ての感情を全部、ルイズに打ち明けるように、エツィオは心情を告白する。

使い魔の語る、想像を絶するほどの、悲惨な過去。陽気さの裏に隠された、悲壮な覚悟。

ルイズは思わず、涙を流すエツィオを掻き抱いていた。

いつか、ニューカッスルの廊下で、エツィオが泣きじゃくる自分にそうしてくれたように、今度は自分がエツィオを支える番だと思ったのだ。

 

「父上……、兄さん……、ペトルチオ……、ごめん……。ごめん……俺は……!」

 

 エツィオの双眸から、堰を切ったように涙があふれ出す。

 気が付けば、ルイズも涙を流していた。彼の境遇に同情したわけではない。同情など、軽々しく出来るはずもない。だが、不思議と涙があふれてきたのだ。

しばらくの間、ルイズの胸に顔を埋め、静かに涙を流していたエツィオだったが、やがて離れると、涙を拭いた。

 

「……カッコ悪いところを見せたな……でもお陰で楽になった」

「エツィオ……」

「俺の弱い心は、ここに置いて行く。もう泣き言は無しだ」

 

 そう言ったエツィオの表情は、いつもの笑顔が戻っていた。

強い意思を感じさせる瞳に、余裕と自信に満ちた不敵な笑顔。

ルイズの目じりに溜まった涙を指先で拭ってやりながら、エツィオは微笑む。

 

「……酷い顔だ、きみに涙は似合わないな」

「あっ、あんたのせいよ! あんたがあんな話を――」

「ありがとう、最後まで聞いてくれて」

「っ……!」

 

 エツィオにそう言われ、ルイズは何も返せなくなってしまう。

もにょもにょと口を動かすルイズにエツィオはにやっと笑って見せた。

 

「それに、貴重な体験もできたしな。ああルイズ、出来ればもう一回……んがっ!」

 

 そう言いながら顔を近付けてきたエツィオの鼻っ柱にルイズの拳が叩きこまれた。

 

「ちょっ、調子に乗るなっ! このエロ犬!」

「わ、悪かった! 悪かったよ!」

 

 ルイズは羞恥に顔を真っ赤にしながら、枕でぼこぼことエツィオを叩いた。

エツィオは笑いながらルイズにされるがままになっている。その様子は、はたから見るとまるでじゃれあっているようだ。

 一しきりそうやってエツィオを叩いていたルイズは、荒い息を吐きながら、ごそごそと布団の中に潜り込んだ。

 

「次やろうとしたら、もう一回殴るわよ」

「はいはい……でも殴られるで済むならもう一回くらい……あ、いや! なんでもない!」

 

 再び握りこぶしを作ったルイズに、エツィオは慌てて口を噤む。

調子いいんだから……。と、恨めしそうに見つめてくるルイズに、エツィオは小さく微笑み、ぽつりと呟いた。

 

「……もしかしたら俺は、ただ怖かっただけなのかもしれないな……、いや、やっぱり怖かったんだろうな」

「なんのこと?」

 

 神妙な面持ちで呟くエツィオに、ルイズは首を傾げる。

 

「身分を明かせなかった事さ。きみに拒絶されるのが怖かった、だから明かせなかった」

「そ、そんなこと……するわけないじゃない」

 

 ルイズがぽつりと呟く。

僅かに顔を赤くし、上目遣いにエツィオを見つめながら、言いにくそうに言った。

 

「だ、だって、あんたはわたしの使い魔だし……、それに……」

「それに?」

「な、なんでもないわよ!」

 

 ぷい、と顔をそむけてしまったルイズを見て、素直じゃないな……。エツィオは苦笑する。

まぁそこがかわいいんだが……。と内心ほくそ笑んでいると、どうやらその笑みは表に出てしまっていたらしい。

ルイズは再びエツィオに恨めしげな視線を向けていた。

 

「なに笑ってんのよ……」

「あ、いや、安心したらつい……な」

 

 また殴られてはたまらないと、エツィオは誤魔化す様に笑って見せた。

そんなエツィオを見つめていたルイズであったが、ややあって、ちょっと真面目な表情で呟いた。

 

「……どうして」

「ん?」

「どうしてあんたは、わたしにそこまでしてくれるの?」

「さて、なんでだと思う?」

「からかわないで。……わたしが魔法を使えないの、知っているでしょ?

いつもいつも失敗ばかりで……、こんなダメなわたしに、どうしてあんたはそこまでしてくれるの?」

 

 ルイズは口をへの字に曲げながらエツィオに尋ねた。

エツィオは、凄腕のアサシンであることを差っ引いても、とにかく有能な男だということを、ルイズは嫌というほど実感していた。

何をやらせてもそつなくこなし、マナーも礼節も完璧。魔法が使えないという点を除くと、およそ貴族に求められる物全てを兼ね備えていると言っても過言ではなかった。

アルビオンで、ウェールズ殿下がいたく気に入っていたところを見るに、是非とも彼を配下に欲しいと思う貴族は数多くいるだろう。

そんな彼が、何故ゼロと呼ばれ続ける自分の傍にいてくれるのか、疑問に思ったのだ。

 

「あのワルドが言ってたわ、あんたは伝説の使い魔だって。あんたの手の甲に現れたのは『ガンダールヴ』の印だって」

「……らしいな、デルフもそう言ってる。あいつは昔、その『ガンダールヴ』に握られていたそうだ」

「それってほんと?」

「さてね、なにしろデルフの言うことだからな」

 

 エツィオはちらと部屋の隅に置かれたデルフリンガーを見つめる。

聞こえているぞ、とでも言いたいのか、ぷるぷると震えていた。

 

「でもまぁ、本当なんだろうな、実際このルーンにも、デルフにも助けられた」

「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの? あんたが伝説の使い魔なのに、どうしてわたしはゼロのルイズなのかしら。いやだわ」

「きみは伝説と呼ばれるような、そんな偉大な存在になりたいのか?」

 

 エツィオが問うと、ルイズは首を横に振って見せた。

 

「違うわ、わたしは立派なメイジになりたいだけ。別に、そんな強力なメイジになりたいとかそういうのじゃないの。

ただ、呪文を使いこなせるようになりたいだけなの。得意な系統もわからない、どんな呪文を唱えても失敗なんてイヤ」

 

 心情を吐露するルイズに、エツィオはただ黙って聞いた。

 

「小さいころから、ずっとダメだって言われ続けてた。お父さまも、お母さまも、わたしには何も期待していない。

クラスメイトにもバカにされて、ゼロゼロって言われて……。わたし、本当に才能ないんだわ。

得意な系統なんて、存在しないんだわ、魔法を唱えてもなんだかぎこちないの。自分でわかってるの。

先生やお母さまやお姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。

それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、呪文は完成するんだって、そんな事、一度もないもの」

 

 ルイズの声が小さくなった。

 

「そんなダメなわたしなのに……どうして?」

 

 落ち込んだ様子でルイズが尋ねると、エツィオは澄ました表情であっさりと答えた。

 

「きみの事が好きだからさ」

「は、はあ!?」

 

 あまりに唐突に、しかも真顔でそう答えられ、ルイズの顔がずどん、と火を噴いたように赤くなった。

暗闇の中でもわかるくらいに顔を真っ赤にし、滑稽なほどルイズは慌てふためいている。

 

「すすす、好き、好きって! どど、どういう……!」

「言葉の通りさ、俺はきみを気に入ってるんだ」

「こ、こんな時に冗談はやめてよ! ばっ、ばっかじゃないの!」

 

 そんなルイズの反応を愉しむかのように、エツィオは意地悪な笑みを浮かべる。

ルイズが反応に困っていると、すっと、エツィオの手が伸びる、そしてルイズの顎を持つと、優しく自分の方へと向けた。

 

「ルイズ」

「なっ! なに……よ……」

「俺はいつだって、きみの味方だ」

 

 その言葉に、ルイズはビクンっと身体を震わせ、エツィオを見つめた。

 

「きみが信念を捨てない限り、俺は喜んできみの力になる」

「えっ……あ……」

「俺は決してきみを見捨てないし、裏切らない。苦難あれば共に乗り越え、道誤ればそれを正そう」

 

 ルイズの頬を優しく撫でながら、エツィオは誓いを立てるように、呟いた。

 

「きみに二度と、辛い思いをさせるものか……」

 

 いつにないエツィオの真剣な眼差し、憂いを含んだ情熱的な囁きに、ルイズの心臓が、狂ったように警鐘を鳴らす。

いつかの、ラ・ロシェールで掛けられたワルドの言葉とは、まるで比べ物にならないほどの熱量を秘めた情熱的な甘い言葉。

それはまるで麻酔の様に、ルイズの頭の芯を、じんわりと痺れさせた。気が付けば、ルイズはエツィオから目が離せなくなっていた。

本当は気恥ずかしくて、エツィオの顔なんてまともに見れたものじゃない、だけど一時も目を離したくない。そんな気持ちがルイズの中でせめぎ合っていた。

 

「それに……」

 

 そんなルイズを知ってか知らずか、エツィオはぽんと、ルイズの肩を叩いた。

 

「今は魔法が出来なくても、人は決して負けるように出来てはいない。今の境遇に、死ぬまで甘んじなければならないという法はないさ」

 

 力強いエツィオの言葉に、ルイズは胸が熱くなるのを感じる。ちょっと涙まで出てきた。

それを隠すためにルイズは、エツィオの手を慌てたように振り払うと、毛布をひっかぶり、エツィオに背を向けた。

 

「す、すす、好きとか、な、なな、何言ってるのよ! も、もう!」

「おや? これじゃ不服かな? 困ったな、他に理由が見当たらない」

「ば、ばかなこと言わないで! この話はもうおしまい!」

 

 ルイズは気恥ずかしさを隠すかのように、無理やり話を中断させる。

それから仰向けになると、毛布から顔を出し、ちらとエツィオを横目で見つめた。

 

「で、でも、お礼はいわなきゃね。……あ、ありがとう……」

 

 消え入りそうなほど、小さな声でそう言うと、ルイズは目を瞑ってしまった。

礼を言われるとは思っていなかったのか、エツィオは少し驚いたようにルイズを見つめた。

 

「なに、気にすることはないさ、俺が好きでやってること……っと」

 

 ニィっと笑みを浮かべ、ルイズの顔を覗き込む。

そこでエツィオは言葉を切った。どうやらルイズはそのまま寝入ってしまったらしい。なんともまぁ、寝付きのいいことだ。

僅かに首を傾げ、あどけない寝顔を見せている。

手は軽く握られ、桃色がかったブロンドの髪が月明かりに溶け、キラキラと輝いている。

 うっすらと、開いた小さな桃色の唇の隙間から、寝息が漏れていた。

 

「くー……」

 

 エツィオはルイズの寝顔を見つめ、優しい笑みを浮かべると、ルイズの唇に自分の唇を重ね合わせた。

 

「……おやすみ、ルイズ」

 

 唇を離し、エツィオは小さく囁きながら、ルイズの頭を撫でる。

それからエツィオも仰向けになると、目を瞑り、眠りの世界へと落ちて行った。

 

 

 寝たふりをしていたルイズは、エツィオの寝息が聞こえてきた瞬間、がばっと跳ね起きた。

 

 キス、された。

 

 思わず唇を指でなぞる、心臓が狂ったように早鐘を打っている、顔はもう真っ赤っかだ。

おそるおそる、隣で眠るエツィオに視線を送る。もしかしたら、こいつは自分と同じように寝たフリをしていて、

あのからかうような笑みを浮かべるのではないかと、気が気ではなかったが……。どうやら本当に眠っているらしい。

「寝てる……」と、ルイズは少し安心したかのように呟いた。

 ルイズは枕をぎゅっと抱きしめて、唇を噛んだ。

意味分かんない、何を考えているのか、さっぱりわからない。

 ルイズは胸に手を置いた、やっぱり、そばにいると胸が高鳴る。

となると、この前、確かめたいと思った気持ちは本物なのだろうか?

同じベッドで眠ることを許したのは、今まで離れ離れになっていたのが寂しかったから……、というわけではない。

そう、アルビオンに残ってまで、自分に対する脅威を人知れず排除していた使い魔の献身へのご褒美のつもり……。でも、それだけじゃない。

異性に対するこんな気持ちは初めてで、ルイズはどうしていいかわからなかったのだ。

着替えそのものをエツィオに見せなくなったのはそのせいだ。意識したら、急に肌を見せるのが恥ずかしくなった。

ほんとだったら、寝起きの顔すら見せたくない。

 いつごろから、エツィオにこんな気持ちを抱くようになったのだろう? エツィオは本当に自分に好意を寄せてくれているのだろうか?

キスしてきたのだから、やっぱりそうよね。……正直に言うと、エツィオに『好き』とはっきり言われ、嬉しかった。

しかし、同時にみんなに言ってるんじゃないの? いや、絶対言ってるだろ。という確信にも似た疑念を生んだ。

なにせギーシュがかわいく思えるくらいの女たらしである。それに先ほどのキス、初心なルイズにでもわかる、あれはもう慣れてるキスだ。

やっぱり、他の女の子にもしていることなのだろうか? 怒りと喜び、二つの感情がルイズの胸の中でごちゃ混ぜになる。

あの言葉は、先ほどのキスは、本心からでたものなのだろうか? それが知りたい。

ルイズは、自分でもなんだかよくわからなくなって、う~~っと唸って、エツィオを枕で叩いた。起きない。

 

 その時だった。その様子を黙って見ていたデルフリンガーが不意に口を開いた。

 

「寝かせてやれ、相棒はこれまでロクに寝てないんだ」

「っ! あ、あんた、見てたの!」

 

 思わぬところから声をかけられ、ルイズは思わず叫んだ。それから慌てて口を閉じる、今のでエツィオが起きたらどうしようと思ったのだ。

だが幸いなことに、エツィオは起きる様子もなく、安らかに寝息を立てている。

そんな二人を見て、デルフリンガーは呆れたような口調で言った。

 

「俺はお前らが何しようと知ったこっちゃないね、何せ剣だからな」

「じゃ、じゃあ口出ししないでよ、それに、この事はエツィオにはぜーったい言わないでよ!」

「言わねぇよ……。それに娘っ子、お前さんはしらないだろうが、相棒はいつも、娘っ子が寝付くまで眠らないんだ。それがこれだ、よほど疲れてたんだろうな」

 

 そのデルフリンガーの言葉を聞いて、ルイズはぐっと顔をしかめ、エツィオを見つめた。

 ああもう、エツィオのこういうとこ、ホントムカツク。なによなによ、カッコつけちゃって……これじゃ、文句のつけどころがないじゃない。

ルイズは口の中で小さく呟くと、デルフリンガーをきっと見つめ、「誰にも言わないでよ……」と釘を差した。

それからルイズは、思い切ってエツィオの顔に自分の顔を近付けた。

鼓動のリズムが、さらに速度を増してゆく。そっと、エツィオの唇に、自分のそれを重ね合わせる。

ほんの二秒、触れるか触れないかのキス。エツィオは寝がえりをうった。

 ルイズは慌てて顔を離し、ばっと毛布の中に飛び込んで枕を抱きしめた。

 なにやってるのかしら、わたし。使い魔相手に。

 バカじゃないかしら、どうかしてるわ。

 寝ているエツィオの顔を見た。

控えめに見ても、エツィオは世に言う美形と呼ばれる部類の人間だ。その上、誰より知的で紳士的、どんなことでもさらりとこなし、常に余裕の笑顔を絶やさない。

フィレンツェという所から来た、普段はおちゃらけた陽気な青年。だがその実体は、アルビオン全土を震えあがらせる超凄腕のアサシン。そしてルイズの使い魔、伝説の使い魔……。

どうなんだろう、やっぱり、好きなのかな。これって好きなのかしら?

心の中でそう呟きながら、ルイズはそっと唇をなぞった。そこだけ、熱した鉄に押し当てたように熱い。

 どうすれば、この答えは得られるのだろう。

結局分からなくなって……、いやだわ、もう……と呟いて、ルイズは目を瞑る。

今夜は……なかなか寝付けそうになかった。



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memory-25 「英知がもたらすは」

 翌朝……。

開け放たれた窓から入り込むそよ風がルイズの頬を優しく撫でる。

「う、うぅん……」と、差し込む光にルイズは目を覚ます。

そしてはたと、隣を見ると、そこには自分と同じように横になった使い魔が、穏やかな笑みを浮かべ、自分の顔を覗き込んでいた。

 

「ひゃっ!」

「やあルイズ、buon giorno(おはよう)」

 

 驚きのあまり、ベッドから跳ね起きたルイズを見つめながら、エツィオはニヤリと笑う。

どうやら、ルイズが起きるまでこうして顔を覗き込んでいたらしい。昨夜に引き続き、なんともまぁ元気な男である。

 

「お、おはようじゃないわよ! あ、あんたなにしてんのよ!」

「なにって、きみの寝顔をみていただけさ。本当はちゃんと起こそうと思ったんだけど、あまりの美しさと可愛らしさについ見惚れてしまってね」

 

 朝っぱらからペラペラと口説き文句を並べ立てるエツィオに、昨夜のこともあったルイズは、気恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしながら後ずさる。

 

「そ、そんなことより! 洗面器は用意したの!」

「もちろん、着替えもそこに」

 

 エツィオはそう言いながら、置かれた洗面器を指さした。ご丁寧にも椅子の上には綺麗に畳まれた着替えまで用意してある。

顔の下半分をシーツに埋めながら、ルイズは、う~~~っと唸った。昨夜も感じたことだが……、帰ってきて早々のこの仕事っぷりにぐうの音も出ない。

 

「さ、早く起きて着替えろよ、それとも、このまま俺と一緒に二度寝でもするか?」

「ばかっ!」

 

 身体を起こし、再びニヤっと笑うエツィオに手元の枕を投げつけると、ルイズはベッドから起き、洗面器に向かった。

それからエツィオは、ルイズの顔を洗ってやるために洗面器に向かう、

するとルイズは、エツィオに来なくていいと言わんばかりに手を振ってみせた。

 

「いい、自分で洗うわ」

 

 エツィオはちょっと驚いたようにルイズを見た。

まさかルイズの口から「自分でやる」なんて言葉が出るとは思わなかったのだ。

 

「なんだ? 珍しいな、俺のいない間に何があったんだ?」

 

 からかう様にエツィオが言うと、ルイズは拗ねたように唇を尖らせて、そっぽを向いた。頬が染まっている。

なんだか怒ったような様子で、ルイズは言った。

 

「うっさいわね、ほっといてって言ってるでしょ」

 

 ルイズは洗面器に手を入れ、水をすくうと思い切り顔を振って、顔を洗った。水が跳び散る。

 

「へぇ、きみ、顔を動かして洗うタイプか」

 

 エツィオがそう言うと、ルイズははっとした顔になった。それから、頬を染めて怒る。

 

「い、いいじゃないのよ!」

「なるほど、これはいいことを知ったぞ、この事を知っている男は世界で俺だけだろうな」

 

 そんなルイズにタオルを差し出しながらエツィオはニッと笑った。

ルイズの顔がかぁっと赤く染まってゆく。

 

「な、なによなによ! だ、誰にも言わないでよ!」

「もちろんさ、俺しか知らないきみの秘密を、他の男どもに知られてなるものか」

 

 エツィオは口元に人差し指を立て、軽く肩を竦めウィンクして見せた。

ロマリア人もかくやと思わんばかりのエツィオのキザな台詞に、ルイズはくらくらと眩暈がするのを感じた。

見るとにやにやとほほ笑んでいる、どうやらルイズの反応を楽しんでいるらしい。

 

「そんなに見つめるなよ、照れるじゃないか」

 

 もはや言い返す気が起きない、たとえ何か言い返したところで、この男はそこを足がかりに更なる口説き文句を放ってくるに違いない。

言われて悪い気はしないが、こいつの思い通りというのも気に入らない。

 

 ルイズは言い返したい気持ちをぐっとこらえ、エツィオからタオルをひったくって顔を拭いた。

 顔を拭きながらルイズは、本当にコイツは、あのアルビオンを震え上がらせる超凄腕のアサシン、『アルビオンの死神』なのだろうか? と首を傾げる。

昨夜も思ったことだが……、エツィオのこういった面しか見ていないルイズにとっては何とも疑問に感じざるを得ない所である。

 

 それからルイズは着替えの制服を取ると、昨夜の様にベッドの上にシーツでカーテンを作り、その中で着替えを始める。

窓から入り込む朝日が、着替えるルイズの影をカーテンに浮かび上がらせる。下着を替えているのだろう、片足を上げ、するりと一枚の薄い布が足から離れるのが見えた。

これはこれでなかなか蠱惑的な情景だなと、そんな事を考えながら、どこまでもまっ平らなルイズのシルエットを眺めていたエツィオだったが、

不意に真面目な表情になると、着替えをしているルイズに向かい、口を開いた。

 

「なぁルイズ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど……」

「な、なによ」

 

 カーテンの中からなにやら警戒しているような声が返ってきた、どうやらまた口説き文句が飛んでくると思っているらしい。

だがエツィオは表情を替えずに言葉を続けた。

 

「俺のことだ。わかってると思うけど、俺がアサシンだということは、誰にも言わないで欲しい」

「ん……、そうよね……わかってるわ」

「理解が早くて助かるよ、……きみの為でもあるからな」

 

 カーテンの中でルイズは、こわばった顔で頷いた。

 

「俺はアルビオンじゃお尋ねものだ、下手をするときみ自身が狙われるかもしれない、それだけはどうしても……な。それに……」

「それに?」

 

 カーテンの奥からルイズが尋ねる。

敵は外だけにいるとは限らない……、という言葉が口から出かかったが、エツィオはそれを飲みこんだ。

むしろ警戒すべきなのは内側……、学院はともかく、王宮内部には敵の間諜や、アサシンの力を私欲の為に利用しようとする者も現れるかもしれない……。

無論、そうなる前に、そういった連中を消すつもりではいるが……、今はルイズに余計な心配をかけるわけにはいかないと、エツィオは腕を組んだまま、小さく首を横に振った。

 

「いや……なんでもないさ」

「そう……、でもエツィオ?」

「ん?」

 

 エツィオが顔を上げると、カーテンの中のルイズがこちらを指さして言った。

 

「例えあんたがどんなに凄いアサシンでも、あんたはわたしの使い魔なんだからね? やることはいつも通り掃除とかその他雑用! あんまり調子に乗らないこと!」

 

 その言葉にエツィオは笑いながら大仰に肩を竦めて見せた。

 

「はいはい、なんなりとご命令くださいませ、ご主人様。……さ、それより着替えは終わったか? 早くしないと悪い使い魔がカーテンを開けちゃうぞ!」

「やっ、ちょっ! い、今終わるから待って!」

 

 今までとは一転、明るい口調でエツィオがカーテンに歩み寄る。

すると、ルイズは怒ったような口調で、カーテンを開けた。

見ると、やはり急いでいたのだろう、着替え終わってはいたが、制服の襟が捲れていた。

 

「やっと終わったか。寝起きのきみもかわいいけど、きみはやっぱり、凛としてなくっちゃな」

 

 エツィオはにっこりとほほ笑みながら、ルイズの襟元を正してやる。

 

「これで完璧だ。さ、朝食の時間だろ? 行こうか」

「あ……、う、うん……」

 

 服装を整えてもらったルイズは口をへの字に曲げながら呟き、エツィオと共に食堂へと向かった。

 

 

 エツィオとルイズがアルヴィーズの食堂に入ると、一瞬だけ周囲がざわついた。

ここ最近姿を見せなかったルイズの使い魔の男が、再び現れたからであった。

 

「あっ、エツィオ! エツィオじゃないか!」

 

 そんな中、エツィオの姿を見つけたギーシュがこちらに走り寄ってきた。

 

「ようギーシュ!」

「エツィオ! 無事だったのかね! よかった!」

「ああ、お陰さまでな」

 

 エツィオは笑みを浮かべると、ギーシュと固く握手を交わす。

 

「いやぁ、ルイズ、よかったじゃないか、彼がちゃんと戻ってきてさ」

「うっさいわね……」

 

 あっはっはと笑うギーシュに、横にいたルイズはつまらなそうに頬を膨らませる。

 

「脱出した後、大変だったんだぞ、きみがいないことを知ったルイズが泣くわ暴れるわで……」

「ちょ、ちょっと、余計なこと言わないでよギーシュ!」

 

 慌てた様子でルイズが抗議の声を上げる。

それを聞いたエツィオはニヤッと笑みを浮かべると、ルイズの肩を抱き寄せた。

 

「やっぱりな、きみは寂しがり屋だからな。心配せずとも、これから寂しい思いをさせた分、たっぷり相手をしてあげるさ」

「やっ! ばか! なにしてんのよ! もう!」

 

 人目もはばからないエツィオの行動に、顔を真っ赤にしたルイズは抗議の声を上げる。

 

「やめてよ! い、いい加減にしないと、ご飯抜くわよ!」

「おっと、やっと帰ってこれたのに、いきなりお仕置きは勘弁してほしいな!」

 

 エツィオはおどけた様子で後ろに飛びのき、大仰に肩を竦めて見せた。

そんなエツィオを見て、ギーシュは呆れたように笑みを浮かべた。

 

「やれやれ、相変わらずだなきみは……、ところでエツィオ」

「ん?」

「きみ、今までアルビオンにいたんだよな? 最近、学院でアルビオンの噂をよく聞くんだ。なんでも敵に寝返ったワルド子爵が暗殺されたとか……」

 

 その言葉に、ぽかぽかとエツィオを殴りつけていたルイズの手が止まった。みると少し心配そうな表情でこちらを見つめている。

 

「ああ……、その噂なら、向こうでも聞いたよ、それが?」

 

 エツィオは何食わぬ顔で首を傾げてみせる、あまりにあっさりしたエツィオの反応にギーシュは少し戸惑ったように頭を掻いた。

 

「え? あぁ、いやその……もしかして『アルビオンの死神』は……きみ……なのかな? ってさ、アハハハ……そんなわけない……よな?」

 

 なんだか言いにくそうに首を傾げるギーシュに、エツィオの口元が軽く綻ぶ。

 

「まさか、俺なわけないじゃないか、俺はメイジじゃないんだぞ?」

「で、でも噂によると、『アルビオンの死神』は平民のアサシンだって……」

「ギーシュ、買い被りすぎさ、俺にそんなこと出来ると思うか? あいつを追い払うだけで精いっぱいだったっていうのにさ!」

「だ、だよな! やっぱりぼくの思い違いだったようだな、うん」

 

 ギーシュは納得した様子で、うんうんと頷いて見せた。

そんなギーシュに、エツィオは笑みを浮かべながら、肩をぽんと叩いた。

 

「そうさ、ま、それはとにかくアルビオンじゃ助かったよ、俺達が生きて戻れたのは、お前のお陰だ。ありがとう、ギーシュ」

「は、はは、いやぁ、それほどでも……」

 

 まっすぐなエツィオの言葉に、気を良くしたギーシュははにかんだ笑みを浮かべた。

それから胸ポケットの薔薇の造花を手に取ると、気を取り直す様にそれを口にくわえた。

 

「なぁに、気にすることはないさ、エツィオ! 友の危機に力を貸すは貴族の義務だからね! またぼくの力が必要な時はいつでも声をかけてくれたまえ!

このギーシュ・ド・グラモン、友の為にいつでも力を貸そうじゃないか!」

「ああ、頼りにしてるよ」

「それじゃ、ぼくはこれで失礼するよ、また後でな」

 

 やや芝居がかかった口調でそう言うと、ギーシュは意気揚々と去って行った。

そんな彼を見送りながら、エツィオは少々困ったような表情で肩を竦めた。

トリステイン国内にも、それなりに噂が広がっているとは言え、まさかギーシュに正体を感づかれるとは思っていなかったのだ。

 

「まいったな……」

「どうするの? ギーシュでも薄々気づいてたわ。多分、キュルケやタバサもあんたを疑ってるかも……」

「うーん、彼女らにも、なんとかシラを切りとおしてみるよ……。さ、席に着こう」

 

 ルイズの席に辿りついたエツィオは、ルイズに命じられるまでもなく、すぐに椅子を引き、彼女を座らせる。

そしてふと床に目をやると、そこにはスープの皿が無かった。

それは数週間姿を消していたエツィオが、昨日急に戻ってきたために、食堂に連絡が行き届かず、彼の食事を用意していなかったのである。

 まぁ、無理もないか。とエツィオが肩を竦めながらルイズをちらと見ると、ルイズはなぜか頬を染め、そっぽを向いたまま言った。

 

「今日からあんた、テーブルで食べなさい」

「いいのか?」

 

 エツィオは少し驚いたようにルイズを見つめる。

 

「いいから、ほら、座って。早く」

「それじゃ、お言葉に甘えて」

 

 そう言いながらエツィオがルイズの隣の席に腰かけると、いつもそこに座っているマリコルヌが、またまた現れ、抗議の声をあげた。

 

「おい、ルイズ、そこは僕の席だぞ、使い魔を座らせるなんて、どういうことだ」

 

 ルイズはきっとマリコルヌを睨んだ。

 

「座るところがないなら、椅子を持ってくればいいじゃないの」

「ふざけるな! 平民の使い魔を座らせて、僕が椅子を取りに行く? そんな法はないぞ!

おい使い魔、どけ! そこは僕の席だ! そしてここは、貴族の食卓だ!」

 

 ふとっちょのマリコルヌは勢いに任せ、胸を逸らせて精いっぱいの虚勢を張った。ちょっと震えている。

ギーシュを倒し、あのフーケを捕縛したエツィオはなんと、伝説の使い魔らしい、ということは既に学院中の噂になっているのだった。

 そんなエツィオだったので、マリコルヌはやや冷や汗をかきながら文句を言った。

 

 仕方ないとばかりに、エツィオがルイズへと視線を送ると、ルイズはエツィオの裾を引っ張っている。席を譲る必要はない、と言いたいようだ。

 座ったまま何も言い返してこないエツィオを見て、調子に乗ったのか、続けてマリコルヌが口を開いた。

 

「おい! 聞こえないのか! もう一度言うぞ! どけ! 平民の――」

「ねぇ聞いた? アルビオンの噂!」

「聞いた聞いた! アサシンの噂でしょ?」

 

 その時だった。不意に、近くのテーブルから、女生徒達の話声が聞こえてきた。

少々大きい話声は、その話題の関心の高さを物語っているようだ。

その声の大きさに、否でも意識はそちらに向いてしまう。恰好がつかなくなったマリコルヌは少々苦い表情でそちらを睨みつける。

だが女生徒達は、そんなマリコルヌにお構いなしに、噂話を続けた。

 

「そう! 『アルビオンの死神』! また出たんですってね! なんでも、ロンディニウムの広場に堂々と現れて、その場にいた衛兵隊を血祭りに上げたらしいのよ!」

「嘘でしょ? だってアサシンは平民だ、って聞いたわよ?」

「それが、平民のくせに、ものすごく強いらしいの、目にもとまらぬ速さで獲物の首を掻き切るんですって!」

「それだけじゃないわ、ハヴィランド宮殿ってあるでしょ? そこにある皇帝の寝室に忍び込んで、皇帝の枕に短刀を突き立てたとか……、

部屋の机の上には毒入りのワインボトルが置いてあったそうよ」

「まぁっ! なんだか怖いわ……! ねぇ、そのアサシンって、どんな格好してるの?」

「なんでも、フードを目深に被った、白ローブの若い男らしいわ、左肩に血塗れのアルビオン王家のマントを纏ってるそうよ」

「ね、ねぇ……。そ、それってまさか……、あれ……」

 

 その言葉と共に、ざわっ……、と、食堂全体がざわめき、その場にいた生徒達が、一斉にエツィオを向いた。

今は被ってはいないが、フードの付いた白のローブ、そして、左肩に纏ったマント……。噂に聞くアサシンの特徴と一致している。

だが、当のエツィオは、肩を竦め、自分ではない、と言わんばかりに、澄ました顔でひらひらと両手と一緒に首を横に振って見せる。

 

「ま、まさかね……」

「そ、そんなこと、あるわけないわよね……」

 

 女生徒達は、そう呟くと、エツィオから視線を外す。

まさかこんなところに、アサシンが潜んでいる筈が無い、しかもそれが、ギーシュを倒したとはいえ、

魔法が出来ないことで有名なゼロのルイズの使い魔ならばなおさらである。

 それを皮切りに、静寂に包まれていた食堂は徐々に普段の活気を取り戻していった。

エツィオは小さくため息をつくと、何の話だったかな、と再びマリコルヌの方を向く。

だが、そこには既にマリコルヌの姿はなかった、見ると食堂の隅へ逃げるようにすっ飛んで行くのが見える。どうやら椅子を取りに行ったようだ。

 

 まぁいいか、とエツィオが椅子に座り直すと、ルイズが周囲に聞こえないように小声で尋ねてきた。

 

「ねえ、あんた……、そんなことまでやってたの?」

「どうだったかな? いろいろやったからな、覚えてないよ」

 

 心配そうな面持ちのルイズに、エツィオは首を傾げる。

 

「ま、まさか……いくらあんたでも……ね」

 

 それを聞いたルイズは、ぎこちない表情で呟く。

そうこうしているうちに食事の前の祈りが行われ、朝食が始まった。

ルイズが目の前の料理を口に運ぼうとした、その時、エツィオが低い声でぽつりと呟いた。

 

「皇帝か……、奴はいずれ消す、必ずな」

「えっ?」

 

 不穏な言葉に、思わず手を止めルイズはエツィオを見つめた。

 

「んっ? あ、ああいや、なんでもない、冗談だよ、ははは」

 

 視線に気が付いたエツィオはにこやかな笑みを浮かべ、微笑む。

 それを見たルイズは、ぞくり、と背筋が寒くなるのを感じた。

嘘だ、こいつ、冗談で言ってない。だって目が笑ってないもん。

 

「と、とにかく、あんた、学院じゃそのローブ、着ない方がよさそうね。やっぱりそれ、目立つわよ」

「うーん……そうだな、これからは出かける時だけにするよ」

 

 エツィオはちょっと考えた後、少しだけ惜しむように自分のローブを見つめる。

それでも着るんだ……、と、少し呆れたように、ルイズはため息を吐いた。

 

「とりあえず、今日は授業にはついてこなくていいわ、みんなに詮索されると困るでしょ? 一日自由ってことにしてあげる」 

 

 

 コルベールの研究室は、本塔と火の塔に挟まれた一角にあった。

見るもボロい、掘立小屋である。研究室、あるいはアトリエという外観だけならまだ、レオナルドの工房の方が様になっているだろう。

その横には最近取り付けられたであろう小型の炉が、でんと鎮座している。

研究室の中では、何やらコルベールが思いつめたような表情で、作業を行っていた。

羊皮紙に描かれた設計図を参考に、慎重に部品を組み立て、動作を確かめる。

 

「できた……」

 

 やがて、組み立てていた物が完成したのか、コルベールが大きく息を吐く。

作り上げた"それ"を手に取り、設計図と見比べながら、達成感に満ちた表情で大きく頷く。

だが、その達成感に満ちた笑顔はすぐにかき消える、それからコルベールは苦い表情を浮かべると深く考え込み始めてしまった。

その時、研究室のドアがノックされた。

 

「どうぞ」

「失礼します、シニョーレ」

 

 その音で我に返ったコルベールは、はっと顔を上げると、ノックをしている人物に入室を促す。

ドアを開け、入ってきた人物……エツィオを見て、コルベールは表情をほころばせ、両手を広げた。

 

「おおっ! エツィオくん! 戻ったのかね!」

「ええ、つい先ほど、ご心配をおかけしたようで申し訳ない」

「いやいや、オールド・オスマンから事情を聞いた時は心配したが、無事帰ってきてくれてよかった!」

 

 エツィオと握手を交わすと、コルベールは積み上げられたガラクタの中から椅子を引っ張りだし、エツィオに勧めた。

エツィオがそれに腰かけると、コルベールは実験用のランプで沸かしていたケトルを手に取り、取りだしたカップに中身をなみなみと注いだ。

黒い液体がカップに注がれると、よい香りが湯気と共に部屋の中に広がってゆく。

コルベールはにこにことほほ笑みながら、エツィオにそれを差しだした。

 

「きみもどうかな? 東方の商人から仕入れた珍品でね。『コーヒー』というんだそうだ」

「『コーヒー』ですって? ……では、ありがたく頂きます」

 

 カップを受け取ったエツィオは、一口それを飲むと、その味に思わず顔をしかめた。

 

「むっ……、随分と苦いのですね……!」

「ははは、だろう? 私も最初は驚いたよ、だが今じゃ、この苦さが病みつきでね」

「なるほど。何か足すと飲みやすくなるかもしれませんね、例えば……ミルクや砂糖を」

「ほう、それは随分といけそうだな。……さて、早速だが、『真理の書』の解読が進んだよ、受け取ってくれ」

「ありがとうございます、シニョーレ」

 

 コルベールから羊皮紙を受け取ったエツィオは、一通りそれに目を通す。

だが、読んで行くうちに、ページの文が繋がっていないことに気がついた。

どうやらこの男は、自分の興味があるページ、つまり技術や設計図が書かれているページを優先して読み解いているのだと、エツィオはあたりをつけた。

できれば手掛かりが記されているであろう日記の部分を優先的に読み解いてほしいものだが、協力してもらっている手前、強く言うのもなんだか気が引けてしまう。

 

「これは……手製爆弾か、……俺にも作れるかな」

 

 ……それに、こう言った、この先、役に立つであろう技術のページまで解読しているのだから、尚更文句が言いにくい。

全く仕方が無いな、と内心苦笑しつつエツィオがぱらぱらと羊皮紙をめくっていると、ふと目を送った先、彼の机の上に置いてある物に気がついた。

深紅のフェルトの上に置かれたそれは、エツィオにとって見覚えのあるものだった。

 

「シニョーレ、それは……」

「ああ、そうだ、きみに是非見せようと思っていたのだ」

 

 コルベールはエツィオに、先ほど出来たばかりのそれを手渡した。

 

「アサシンブレード?」

 

 やはりというべきか、それはエツィオが身につけているアサシンブレードそのものであった。

試しに作動させるためのリングを引っ張ると、勢いよく刃が飛び出した。

 

「あなたがお作りに?」

「ああ、きみのその剣と設計図を頼りにわたしが作ったものだ、再現には苦労したよ! なによりその素材となる合金!

素材自体が希少な上に、今のハルケギニアの技術ではどう頑張っても作れなかったんだ。精錬に要する冶金技術が高すぎてね。

そこでだ! この研究室の前に小さな炉があっただろう? アルタイルの文献を元にわたしが……」

「な、なるほど……」

 

 よくぞ気がついたとばかりに、目を輝かせながら説明を始めるコルベールに、エツィオは苦笑を浮かべながら相槌を打つ。

聞いてもいないのにこうやって説明してしまうのは、教師、というよりも研究者としてのプライドだろうか。

こういうところもレオナルドとよく似ているなと、エツィオは小さく肩を竦める。

しかしよく見ると、エツィオの物とは違い、なにやら刃の下に見慣れぬ機構が備え付けられていた。刃の形状もどことなく違って見える。

 

「シニョーレ、この下に付いている物は? 私の物と少々違うようですが」

「あ、あぁ、それかね?」

 

 エツィオがそれを指摘すると、コルベールは言おうか言うまいか、迷ったような仕草を見せたあと、口を開いた。

 

「実はな、エツィオくん、それは……『銃』なんだ」

「銃ですって? こんなに小さいのに?」

「というより、銃の機構を備えたアサシンブレード、と言った方がいいかもしれないな」

 

 それを聞いたエツィオは、驚いたように手元の"銃"を見つめた。

エツィオの知る銃はもっと大型で、それこそ担いで運用するようなものだったはずだ。

 

「この間、『真理の書』に描かれた設計図を見せただろう? わたしも好奇心を抑えきれなくてね、彼の理論と設計を元に、再現したんだ」

 

 そう呟くコルベールの表情は、新兵器を開発したという喜びに満ちたものではなく、禁忌に触れてしまったと言わんばかりの、暗く、沈んだものだった。

 

「……コルベール殿、どうかしたのですか?」

「あ……いや……なんでもない、なんでもないよ」

 

 そんなコルベールの様子を疑問に思ったエツィオが声をかける、

コルベールは力なく首を振ると、思いつめたような表情で俯いた。

 

「いや、きみには言わなくてはならないな、この銃が……いや、この『真理の書』が、どれだけありえないものなのかを」

 

 そう言いながらコルベールが顔を上げる、そして重大な秘密を分かち合う様に、口を開いた。

 

「よいかな、エツィオくん、アルタイルの考案したこの銃は、進みすぎているのだよ」

「進みすぎている、とは?」

「これを見たまえ、最近流通し始めたフリントロック(火打ち)式の拳銃だ」

 

 コルベールはそう言うと、引き出しから、一丁の銃を取り出した。

エツィオにとっては見慣れない構造をした銃である。どうやらこの世界の銃はエツィオの知る銃の構造とは違うようだ。

 

「火打ち式……ですか? マッチロック(火縄)式ではなく?」

「そうだ、最近発明されたんだ、開発の参考になればと思ってね、買ってきたんだよ」

「なるほど……それで、この火打ち式とやらと、アルタイルの銃、なんの関係が?」

 

 エツィオが首を傾げる。

しばしの沈黙の後、コルベールは打ち明けるように呟いた。

 

「アルタイルの考案したこの銃も、火打ち式なんだ。信じられるかね? 彼が考案したこの銃は、本来辿るべき進化の過程を無視して誕生しているのだよ。

作った身だからこそわかる、この三百年前に考案された最古の銃は、最新の拳銃よりずっと小型で、精度と威力も射程も、従来のそれを遥かに上回っているんだ」

「ということは……これは」

「そう、このアルタイルの銃は、三百年前、『突如として現れた』。……三百年前、ハルケギニアには銃という概念は存在しなかった、

いや、それどころか、この書では、彼のいた世界ですら、存在していなかったとある。だがアルタイルはこの銃を考案……いや、知識を得ていたのだ」

 

 コルベールは『真理の書』を手に取ると、苦悩が刻まれた、深いため息を吐いた。

 

「そもそも銃という存在自体、どこから来たのだ? 誰が考えた? 一体誰が最初にそんな物を作ろうと考えたのだ?」

「あの……コルベール殿?」

 

 そこでコルベールは、エツィオが心配そうな表情で見つめているのに気がついて。

「あ、ああ! すまない!」と頭を掻いた。

 

「大分お疲れの様だ、しばらく休んだほうがよろしいのでは?」

 

 よく見ると顔色が悪い、どうやら彼は、喜々として写本解読に挑むレオナルドとは違い随分ナイーブな性格の様だ。

それだけを見ても、アルタイルの書がコルベールに与えた衝撃は相当なものだったということは、想像に難くはなかった。

 コルベールは、そうだな……、と力なく呟くと、椅子に深くもたれかかった。

 

「知れば知るほど……、悲しみはいや増す……。きみのところの、昔の哲学者の言葉らしいな。

アルタイルも、私と同じ心境だった……いや、きっとそれ以上の苦悩だったのだろう……」

「我が心は英知を求めたが……」

 

 エツィオが後を引き継ぐように呟くと、コルベールははっとした表情でエツィオを見つめた。

エツィオは俯いたまま、ぽつぽつと言葉を続ける。

 

「……人の愚かさを知るだけだった、それは風を追うかの如くに虚しい探究、英知がもたらすは悲嘆のみ、真実を知れば知るほど、悲しみはいや増す……」

 

 それを聞いたコルベールは今にも泣き出しそうな、悲しそうな表情になった。

 

「コヘレトの言葉です。確か、このような内容だったかと」

「悲嘆のみ……か、残念なことだが、それは……正しいのだろうな……」

 

 手元の銃の設計図を見つめながら、思いつめたような表情でコルベールは呟く。

 

「『真理の書』……、これは、本当に世界を一変しかねないかもしれない……」

「と、言いますと?」

 

 エツィオは怪訝な表情でコルベールを見つめた。

 

「……『進みすぎている』んだよ、この書物に書かれていることは。

技術、知識、そして彼の持つ思想……。そのいずれもが、我々が得るには早すぎるものばかりなのだ。

数十年、或いは数百年は進んでいると言っていいだろう。

その銃がまさにそれだ、こんなものが出回れば……、必ずや新たな悲嘆を生むだろう」

 

 とは言え、銃なのだから、それも当然と言えば当然なのだが……。とコルベールは小さく呟く。

それから、部屋の隅に置かれた、つい最近発明したばかりの装置、『愉快なヘビくん』を見つめる。

 

「これもいずれ……悲嘆を生むのだろうか? 知識も突き詰めれば狂気でしかないのか?」

「どうか、お気を確かに」

 

 苦しそうに呟くコルベールに、流石に心配になったエツィオは、肩に手を置き声をかけた。

正直なところ、発狂されでもしたら非常に困る。

 

「しかし……しかしだ」

 

 コルベールは顔を上げると、エツィオを見つめた。

 

「なあ、エツィオくん、私には……、信念があるんだ」

「信念、ですか?」

 

 ああ、とコルベールは頷くと研究室内を見まわした。

外観こそみすぼらしい掘立小屋だが、ここには彼が先祖伝来の屋敷や財産を売り払って手に入れた、様々な道具や秘薬で溢れている。

それらを見つめながら、コルベールは少々自嘲気味な笑みを浮かべ呟いた。

 

「ご覧の通り、私の趣味は研究でね、主に魔法やそれを利用した新しい技術について研究しているんだ。

そんなわけで、周りからは、変人とかよく言われている。そんなわけで未だに嫁さえ来ない」

 

 だろうな。とエツィオは内心頷いた。

フィレンツェに似たような奴がいるせいで、彼と言う人物がなんとなく理解できる。

おそらくは、女性関係にはあまり興味が無いのだろう。研究一筋、レオナルドもそうだった。

そんな事を考えるエツィオに、コルベールは話を続けた。

 

「……私の系統は『火』でね。『火』系統が司るは『破壊』、それゆえ戦いこそが『火』の本領だというのが、我々メイジ達の定説だ。

だけど私は、そうは思わない。『火』が司るのは破壊だけ、というのは寂しいと考えている」

 

 俯いていた顔を上げ、コルベールはエツィオを見つめた。

 

「そう、魔法はいわば『英知』だ、故に伝統に縛られず、様々な使い方を試みるべきだ。

本来破壊に用いられる『火』の系統も、使いようによっては、我々の生活をより豊かにし、素晴らしいものを授けてくれる、そう信じているんだ。

……その『英知』がもたらすものは、決して悲嘆などではない、そうだろう?」

「ええ、その通りです。そのためにも、知識の炎を絶やしてはなりません」

「知識の……炎?」

「大昔の学者が言った例えですよ、なんでも、知識を火に例えたのが始まりだとか、集まれば集まるほど、大きく、激しく燃え上がる、それが知識の炎なのだとか。

最も、これはレオナルド……友人の受け売りですがね」

「そうか……知識は炎か……! 炎は知識の象徴……! ああ! なんと素晴らしい言葉なのだ!」

 

 エツィオの言葉に、コルベールは嬉しそうに叫んだ。

 

「エツィオくん!」

「は、はい……」

 

 コルベールはぐいと顔を近付けると、心底うれしそうにエツィオの手を取り、固く握りしめる。

 

「きみには、礼を言わなくてはな。ありがとう、きみと話したおかげで、随分楽になれたよ」

「お役に立てて、幸いです、マエストロ」

 

 つい先ほどまでの消沈っぷりからは考えられないほどのコルベールに、エツィオはにこりと魅力的な笑みを浮かべて言った。

余程嬉しかったのだろう、コルベールはニヤけた顔のまま、エツィオの肩をバンバンと叩いた。

 

「こ、こら! マエストロだなんて、やめてくれたまえ! 私はそんな大それたものではありませんぞ!」

「ちょ、ちょっとコルベール殿! こ、これ以上はご勘弁を!」

 

 叩かれた肩がヒリヒリと痛む、たまらずエツィオは音を上げた。この男、華奢に見えて随分と力が強い。

そんなエツィオに気が付いたのか、コルベールは「あ、ああ、すまん!」と、頭をかいた。

 

「随分と、力がお強いのですね、少し驚きましたよ」

「ん、あ、ああ、昔、ちょっと……な」

 

 コルベールの表情が僅かに曇る、それを見たエツィオは、すぐに触れられたくない過去の類であることに当たりを付ける。

折角持ち直したコルベールの機嫌を損ねないように、エツィオは別な話題を切り出すために、『銃の設計図』が描かれた写本の断片と、『真理の書』の頁を手に取った。

 

「それはそうと……、コルベール殿、この設計図と写本なのですが……、現物はそれだけですか?」

「ん、ああ、完成品はそれだけだ、それがどうかしたかね?」

 

 設計図を手にしたエツィオに、怪訝な顔でコルベールは尋ねる。

 

「なるほど……では」

 

 そう言うや否や、エツィオは首を傾げるコルベールの前で、銃の設計図とその写本を、ランプの火にかざした。

あっという間に火は設計図に燃え移り、灰へと変える。

エツィオの突然の行動に、コルベールは驚いた様子で立ち上がる。

 

「なっ、なにを!」

「コルベール殿、これは人の手にあるべきものではありません、少なくとも今は。……秘密はここで生まれ、そして死にました」

 

 エツィオは、どこまでも冷静な声で、諭す様に言った。

コルベールも、自身の解読したものの重要性を知っているせいか、すぐに口を噤み、再び椅子に腰かけた。

 

「そう……だな……、もとよりその『真理の書』はきみのためのものだ、私にどうこう言う権利はない」

「感謝します」

「いや、礼を言うのはこちらだよ、私では……おそらくこの書物を処分できなかっただろう」

 

 コルベールは深くため息をつくと、まだ解読されていない『真理の書』の頁の束を見つめる。

エツィオもそれを見つめながら、小さく肩を竦めた。

 

「しかし、ここまでのものが記されているとは、その最後のページには何が書かれているのでしょうか。それこそ『この世の真理』が書かれているのかも……」

「うむ、それなんだがな」

 

 コルベールは『真理の書』の一頁を取り出すと、エツィオに手渡した。

コルベールは、やはりというべきか、既に『真理の書』の最後の一枚に目を通していたようだ。

 

「最後のページに書いてあるのはこの奇妙な図だけなんだ」

「図、ですか?」

「何かの記号……、あるいはシンボルのようなものだと思うのだが……、蝶が翅を広げたような……。なんなのだろうな?」

 

 エツィオが目を通すと、成程、その『真理の書』の頁に書かれていたのは、何重もの線が折り重なったかのような、奇妙な模様であった。

それはまるで、コルベールの言う様に、蝶が翅を広げたような姿をしている。

 

「きみ、これが何かわかるかね?」

「いや……、ん……? 何か書いてあるな……、失礼、ペンを」

 

 エツィオはペンを受け取ると、"タカの眼"を用いて、余白に浮かび上がる、見えざる文字を書き写してゆく。

そしてあらかた写し終わると、それをコルベールに手渡した。

 

「これはなんだ……? 数式か? ……ふむ? むむむ? 見慣れない文字だな」

「これは……、アラビア語? ……だめだ、お手上げです、だとしたら私にも読むことが出来ないようだ」

「うーむ……気にはなるが、手出しができないようだな。この数式も、なにがなんだか……」

 

 二人でその頁を覗き込み調べるものの、何の手がかりも得られず、やむを得ず匙を投げる。

 

「だとしたら、今の我々には関係のない物でしょう、誰にもわからぬものを残す必要がありませんからね」

 

 名残惜しそうに、その頁を見つめるコルベールに、エツィオは少々呆れたように肩をすくめて見せる。

あれほど知識の在り様について迷っていたクセに、いざ目の前に未知なる英知が現れると、夢中になって追い求めてゆく。

彼はやはり、根っからの研究者なのだろう。

それから窓の外を見つめると、すっかり日も傾いている事に気が付いた。

 

「さて、コルベール殿、そろそろ私は失礼します」

「あ、ああ、すまなかったね、いろいろ時間を取らせてしまって」

「とんでもない、とても有意義な時間でした。……それと、この銃なのですが」

 

 エツィオは机の上に置かれたアサシンブレードを見つめる、設計図を処分した以上、これもまた処分、あるいは、人の手に触れないようにしなくてはならない。

だがコルベールは、それを手に取ると、エツィオに手渡した。

 

「その銃はきみが使うべきだ、エツィオくん」

「よいのですか?」

「もちろんだ、それはきみのためにアルタイルが残したものだからな。それに……」

 

 コルベールは言葉を切ると、まっすぐにエツィオの目を見つめた。

 

「きみならば、使い方を間違わない、そう信じている」

「……ありがとうございます、コルベール殿。これが我が助けとならんことを」

 

 エツィオは左手の籠手を取り外し、コルベールの作り上げた、新たなアサシンブレードを取りつける。

小指のリングを引くと、勢いよく刃が飛び出し、固定された。

コルベールは引き出しの中から小さな革袋を取り出すと、エツィオに差しだした。

 

「火薬と弾丸だ。弾丸は、既存の物と同じものが使えるようになっている、あまり多くはないが、持って行くといい」

 

 

 新型のアサシンブレードと写本の断片を受け取り、コルベールの研究室を後にしたエツィオは、一人、広場へと向かって歩いていた。

するとふと視線を向けた先に、しばらく会えなかった人物が歩いているのを見つけた。

エツィオはニヤっと笑みを浮かべると、気配を殺し、ゆっくりとその人物の背後に近づき、背後から目隠しをする。

 

「だーれだ」

「ひゃっ!?」

 

 突然背後から視界を覆われたその人物……、メイドのシエスタは頓狂な悲鳴を上げ、背後を振り返る。

 

「やあシエスタ!」

「え、エツィオさん!」

 

 にこりと魅力的な笑みを浮かべるエツィオを、シエスタは心底驚いた様子で見つめていたが。

やがて、その顔が、ふにゃっと崩れた。

久方ぶりの再会に感極まったシエスタは、そのまま泣きだしてしまった。

 

「えっ……えぐっ……、ど、どこに、どこにいってたんですかぁ……!」

「ちょっとしたお使いでね、昨日戻ったんだが、少しバタバタしてしまったんだ」

「うっ……ひっく……、ミス・ヴァリエールに尋ねてもっ……なにもっ、教えてくれなくて……、ひぐっ、わたしっ……わたしっ……!」 

「心配をかけてしまったようだね、すまなかった、寂しい思いをさせて」

 

 泣きじゃくるシエスタの涙を指先で拭ってやりながら、エツィオはにこりとほほ笑んだ。

シエスタは再び顔を崩すと、エツィオの胸に飛び込んだ。

 

 しばらくそうやって涙を流していたシエスタであったが、しばらくして落ち着いたのか、少し気恥ずかしそうにエツィオから離れた。

 

「あっ、ご、ごめんなさい、わたしったら……、こんなに泣いちゃうなんて……」

「すまなかったな、きみに寂しい思いをさせた分、これからたっぷりときみの相手をさせていただくよ」

 

 シエスタの顎を指でなぞりながらエツィオが嘯く、するとシエスタは頬を赤く染めながら口を開いた。

 

「もう……エツィオさんったら……、それに、言い方が違います」

「ほう? 違うというと?」

「わたしはエツィオさんの専属メイドなんですよ? もっと命令するような感じで言って下さらないと……」

 

 もじもじとしながらシエスタが呟く。

エツィオは口元に笑みを浮かべると、シエスタの顎を持ち、ぐいと自分の方へ引き寄せた。

 

「そうだったな、それじゃシエスタ、きみの気が済むまで、俺の相手をしてもらおうか」

「はい……」

 

 エツィオが耳元で甘く囁くと、シエスタはうっとりとした表情で頷いた。

それから、何かを思い出したかのか、シエスタはぽんと手を打った。

 

「そ、そうだわ、是非エツィオさんに御馳走したいものがあったんです!」

「御馳走というと?」

「なんでも東方から運ばれてきたとても珍しい品だそうですよ、『コーヒー』って言うんです。

わたしはまだ飲んだことがないんですけど、ものすごく高級なんですって! 今お持ちしますね!」

 

 また『コーヒー』か。と一瞬苦笑しそうになったが、そこはエツィオ、あえて表情には出さず、厨房へ戻ろうとしているシエスタに、声をかける。

 

「ああシエスタ、なら砂糖とミルクも一緒に頼むよ」

「え? 砂糖と、ミルク、ですか?」

 

 首を傾げるシエスタに、エツィオは小さく笑みを浮かべた。

 

「そのままだと、きっときみは飲めないだろうからな」

 

 

 『コーヒー』を取りに厨房へと小走りで駆けてゆくシエスタを見送った後、

エツィオは中庭の隅にあるガーデンチェアに腰かけ、コルベールから受け取った写本の断片に、目を通し始める。

その顔は、先ほどまでシエスタに見せていた顔とは違い、真剣そのものだ。

一枚一枚じっくりと目を通し、やがてそのうちの一枚へと視線を落とす。

 

「ん? これは……」

 

 エツィオはその一枚には見覚えがあった。

それは、アサシンの技術……、つまり暗殺技術について書かれた指南書であった。

何か新しい技術はないか、と少々期待したものの、残念ながら、それらは既に、全て身に付けたものであった。

つまり、今のエツィオにとっては必要のないものと言える。

 

「うーん……、以前の俺だったら助かったんだろうけどな……」

 

 頭をぽりぽりと書きながら、エツィオは少々残念そうに呟いた。その時だ。

 

「エツィオさん! お待たせしました!」

 

 その声に、写本を見ていたエツィオが顔を上げる。

見ると、シエスタがティーポットとカップ、そして小さな壜が乗ったトレーを持って、こちらに歩いてくるのが見えた。

エツィオは、今までの真剣な表情を一変させ、顔をほころばせる。

 

「ああ、ありがとう」

 

 エツィオは礼を言うと、写本の断片をまとめ、懐にしまい込んだ。

ティーカップにコーヒーを注ぎながら、横目でそれを見ていたシエスタが尋ねる。

 

「何をお読みになってたんですか?」

「宿題だよ、コルベール殿のな。ありがとう、いい香りだ」

 

 エツィオはウィンクしながら肩を竦める。

それからコーヒーが注がれたカップを受け取ると、ミルクと砂糖を入れた。

 

「ミスタ・コルベールですか?」

「ああ、彼に宿題を出していてね、その採点さ」

「まあ、先生に宿題を出すだなんて!」

 

 エツィオの冗談にシエスタはころころと笑う。

そして自分の分のカップにもコーヒーを注ぎ終えたシエスタが、向かいの椅子に腰かけた。

 

「それじゃ、いただくよ」

 

 エツィオはコーヒーを口に運んだ。

コルベールの研究室で飲んだコーヒーよりも甘くまろやかな味わいに、エツィオは頬を緩めた。

 

「うん、思った通りだ、これはいけるな」

「エツィオさんは、コーヒーを飲んだことがおありなんですか?」

「実は先ほど、コルベール殿の研究室でも御馳走になってね」

「そうだったんですか……」

 

 そんなエツィオを見つめながら、シエスタもカップを口に運ぶ、そしてその苦さに思わず顔をしかめた。

 

「にっ! にっがぁ~い……」

「はははっ、びっくりしたか? だから砂糖とミルクを頼んだんだ。きみも入れてみるといい、きっと飲みやすくなる」

 

 エツィオが笑いながら、砂糖とミルクがそれぞれ入った壜を手渡す。

シエスタはそれらを入れ、もう一度カップに口を付けた。口の中に甘い香りと風味が広がってゆく。

 

「わぁ、本当ですね、すごく飲みやすくなりました! 甘くてまろやかで……、なんだか落ち着きます」

 

 シエスタは、ほぅ……っとため息をつくと、エツィオを見つめた。

 

「ねえ、エツィオさんの国ってどんなところなんですか?」

「俺の国か?」

「はい、聞かせてくださいな」

 

 身を乗り出し、シエスタは無邪気に聞いてくる。

こうやって身近で見ると、シエスタはとてもかわいらしい顔立ちをしていることに改めて気づく。

黒真珠の様な艶やかな黒髪に、同じく大きな黒い瞳、低めの鼻も愛嬌があってとても可愛らしい。

 

「そうだな……、学問と芸術が栄える、美しい都だよ。フィレンツェっていうんだ」

「フィレンツェ……ですか」

「花の都って呼ばれるくらいだ、イタリアの中でも特に美しい、華やかな都さ」

「まぁ! きっと素敵な所なんでしょうね……」

 

 エツィオは、フィレンツェの事を話した。由緒ある大聖堂や、その横にそびえる大鐘楼、その頂上から眺めるフィレンツェの美しさ。

シエスタは、目を輝かせて、その話に聞き入った。

あまり大した話はしていないと思うのだが、シエスタは一生懸命に聞いている。

いつしかエツィオは、時を忘れて故郷の話をしていた。

 

 しばらく経つと、シエスタは立ち上がり、エツィオにぺこりと礼をした。

 

「ありがとうございます。とても楽しかったです、エツィオさんのお話、とても素敵でしたわ」

 

 シエスタは嬉しそうに言った。

 

「また、聞かせてくれますか?」

「勿論さ。でも、今度はきみの話も聞きたいな」

 

 エツィオはにっこりとほほ笑んだ。

シエスタはそれから、頬を染めて俯くと、はにかんだように、指をいじりながら言った。

 

「は、はいっ……! え、えっと……あの、エツィオさんのお話も、とっても素敵だけど……一番素敵なのは……」

「ん?」

「あなた……かも」

「きみの魅力には及ばないさ」

 

 思い切って言った言葉が、エツィオにさらりと返され、耳まで真っ赤になったシエスタは、居た堪れなくなったのか、逃げるように去って行った。

エツィオはそんな彼女の背中を見送った後、再び写本を取り出し、目を通し始めた。

 

 

 一通り写本の断片を読み終え、ルイズの部屋に戻ると、ルイズはベッドの上でなにかをやっていた。

エツィオの姿を見るや、慌ててそれをシーツで覆うとその上に本を乗せ、隠した。

 

「やあルイズ、何をやってるんだ?」

「な、なんでもないわ。ど、読書よ、読書!」

 

 僅かに頬を赤くしながら、取り繕う様にルイズは言った。

本当にこの子はわかりやすいな。と、両腕に付けたアサシンブレードを取り外しながら、エツィオは思った。

俺を見て慌てて隠す位だ、ということは、十中八九、俺関連だろう。

ならば、これ以上聞いても教えてはくれないだろうし、機嫌を損ねてしまう可能性もある、こういう時は無理に詮索しないのが一番だ。

 確かにルイズが自分の為に何をしてくれるのかは気になるが……、今はそれよりも……。

 

「ふぅん、ところで、きみ、いつからアサシンになったんだ?」

 

 エツィオはからかう様に笑いながら、ルイズの顔を覗き込む。

言葉の通り、ルイズは、エツィオのアサシンローブを着ていたのであった。

朝食の後、エツィオはルイズの提案通り、アサシンのローブを脱ぎ、部屋においていたのだ。

血の匂いが染みついていないかと心配したが、ルイズの様子を見るに、どうやらそんなことはないようだ。

ルイズは、おそらく下着の上に直にローブを着ているのだろう。ご丁寧にも腰のサッシュベルトまで捲いている。

しかし、袖も丈もぶかぶかなので、見ようによっては妙なワンピース姿にも見えた。

 ルイズはベッドに正座すると、フードを頭にかぶった。なんだか言いにくそうに、ルイズは言った。

 

「だって……、着るのなくなっちゃったんだもん」

 

 立てた指でシーツをこねくりまわしながら拗ねたように呟くルイズを見て、かわいいやつめ、とエツィオは内心ニヤついた。

 

「こんなに可愛いアサシンになら、殺されてもいいって奴が出てきそうだな」

「な、何言ってんのよ……もう」

「何って、俺がその一人だからさ」

 

 気恥ずかしそうに俯くルイズの顎を、指でなぞりながらエツィオが嘯く。

ルイズはびくっと震えると、身体をこわばらせ、う~~っと唸った。

 

「で? そんな凄腕アサシンは、一体何を読んでいるのかな?」

 

 エツィオはそう言うと、ルイズが慌てて何かを隠した本を見つめる。なにやら古ぼけた、大きな本である。

 

「『始祖の祈祷書』よ」

「『始祖の祈祷書』?」

 

 エツィオがその本を手に取ると、ルイズは少しだけつまらなそうに口をとがらせながら答えた。

 

「姫殿下が、今度ゲルマニアの皇帝とご結婚されるのは知ってるでしょ? その結婚式で、わたしはその書を手に詔を詠みあげなきゃいけないの」

「へえ、大役じゃないか。で、その詔は出来てるのか?」

 

 ルイズは首を横に振った。

 

「全然……、だからわたしは、式の日までに、その『始祖の祈祷書』を肌身離さず持ち歩いて、詔を考えなきゃいけないの。

あとそれ、トリステインに伝わる国宝だから、あまり雑に扱わないでよ」

「国宝の書物か……、どんな内容なんだ?」

「見てみたら? きっと驚くわよ」

 

 そう言われ、エツィオは何気なく『始祖の祈祷書』を開く、そしてその中身をみて、目を丸くした。

 

「なっ……! なんだ……これ……?」

「ね? 驚いたでしょ?」

 

 驚いたような表情のエツィオを横目に、『始祖の祈祷書』の中身を覗き込みながらルイズはつまらなそうに呟く。

エツィオがめくる『始祖の祈祷書』のページには何も書かれてはおらず、文字一つさえ見当たらない。どこまでめくっても真っ白なページが続くだけであった。

 

「何も書いてないなんて、酷い出来よね。そんなのを国宝だなんて……」

 

 ルイズがそう呟くと、エツィオは信じられないと言った表情でルイズを見つめた。

 

「なにも書かれていないだって? きみ……これが見えないのか?」

「えっ!?」

 

 エツィオのその思いがけない言葉に、ルイズは心底驚いたような表情でエツィオの顔を見つめる。

いつもの冗談……ではない、エツィオの表情は、至って真面目だった。その目は、とても嘘をついているようには見えない。

 

「え? あ、あんた、もしかして見えるの?」

「あ、ああ……でも……」 

「なに? 何が書いてあるの?」

 

 ルイズの心臓が早鐘を打つ。

そうだ、エツィオには"タカの眼"があったんだ。もしかしたら、『始祖の祈祷書』を読み解けるかもしれない。

そんな期待に胸を躍らせながら、ルイズはエツィオを急かす。

エツィオは再び『始祖の祈祷書』に視線を戻す、だが、エツィオはすぐに眩い光を見つめるように目を細めた。

 あまりの眩さにたまらずエツィオは『始祖の祈祷書』を閉じてしまった。

 

「ど、どうしたの?」

「凄い魔力だ……、タカの眼で見るには、文字に込められた魔力が強すぎる……」

 

 エツィオは、目を擦りながら、呻くように呟く。

どうやらエツィオの"タカの眼"では、始祖の祈祷書を読み続ける事は出来ないらしい。

 ルイズは、辛そうな様子のエツィオを心配そうに見つめた。

 

「大丈夫?」

「眼が焼かれそうだ……。書き写してあげようにも、これじゃあな……」

「そう……」

「すまないな」

「な、なにもあやまらなくても……」

 

 どこか落胆した様子のルイズにエツィオが謝る。

ルイズは僅かに頬を赤らめて俯いた。

 

「しかし……、こんなに魔力を込めて書くなんて……、一体、これには何が書かれているんだ……?」

「せめてあんたの"タカの眼"でも読めるくらいに加減して書けばいいのにね」

「そうだな。書いていて思わず力むくらいだ、きっと恥ずかしい内容なんだろ?」

 

 エツィオの冗談に、二人はくつくつと笑いあう。

それからルイズはごそごそと布団に潜り込んだ。

 

「もう寝るのか?」

 

 エツィオが尋ねると、「うん」とだけ返事が返ってきた。

エツィオはにやっと笑みを浮かべると、ルイズのベッドに潜り込む。

それから何を思ったか、ルイズの肩に手を回すと、ぐいと抱き寄せた。

 

「ひゃっ! な、なにすんのよっ……!」

 

 突然エツィオに抱き寄せられたものだから、ルイズは目を白黒させて驚いた。

互いの息がかかるくらいに顔を近くに寄せると、エツィオはにっこりとほほ笑んだ。

 

「おやすみをまだ言ってなかったからな」

「あ……」

 

 文句を言おうと思っても、頭が回らない、まるで麻酔にかかったかのように頭がじんわりと痺れてくる。

「あわ、あわ、あわ」とわめくうちに、額にキスをされた。

 

「おやすみ、ルイズ」

 

 顔を真っ赤にしたルイズに、エツィオはニッと笑う。

相も変わらず、自信たっぷりな使い魔の笑顔に、文句を言おうにも言葉が出てこない。

 

「ばっ……ばかっ! な、なにしてんのよ! も、もう……」

 

 かろうじてそれだけ言うと、ルイズは毛布を頭から被って丸くなってしまった。

ルイズは布団のなかで落ち着きなくもぞもぞと動いている。たまに中から「なによもう……」とか、「いきなりあんなことするんだもん……」とか

ぶつぶつと文句が聞こえてくる。この調子では当分眠ってはくれなさそうだ。

これから毎晩やってやるかな、なんて事を考えながら、エツィオは天井を見つめる。

そう言えば、先ほどルイズが言っていたように、そろそろアンリエッタ姫殿下とゲルマニア皇帝の結婚式である。

気がかりは、それに先駆けた、アルビオンによる親善訪問の名を借りた先制攻撃だ。

そろそろマチルダから報告が届きそうなものなんだが……。とアルビオンで内偵を行っているマチルダのことを考える。

 

 そうしばらくしているうちに、もぞもぞと動いていたルイズが、おとなしくなった。どうやら眠ったらしい。

とにかく、今はあまり考えても仕方が無い、まずはマチルダからの報告を待とう……。

エツィオはそう考えながら、静かに目を閉じた。

 

 ルイズが眠り、エツィオが目を閉じてから数時間後……。

突然エツィオが目を開け、むくりと起き上がる。

そして頭を振り、目頭を押さえると、彼には珍しく、少々イラついた様子で小さく呟いた。

 

「くそっ……全然眠れない……なんでだ?」

 

 首を傾げるも、理由がわからない。

目を閉じていればいずれ眠れるだろう……そう考えながらもう一度横になり、目を瞑る。

だが、どういうわけかその後も全く眠りにつけず、結局、エツィオがようやく眠りにつけたのは、空が明るみ始めた頃だった。

 

 

 

 

――写本の断片を入手

 

『私が助け、そして私の命を救ってくれた青年は、『オスマン』と名乗った。

(『オスマン』……記憶が正しければ、アナトリア地方に住む人間が名乗る名だ)

驚くべきことに、彼は『魔法』という力を行使する者(彼らが言うには『メイジ』と呼ばれる)らしい。

彼が私を助けるために行使した癒しの力、それが『魔法』なのだという。

最初、彼の口からそれを聞いた時、私は俄かには信じられなかった。

……魔法、私が知る限り、千夜一夜の物語に登場するような荒唐無稽なおとぎ話の中の力の筈だ。

しかし私はその魔法によって命を救われている。こうしてその力を目の当たりにした以上、信じないわけにはいかないだろう。

未だ半信半疑だった私は、別な魔法を使って見せるように彼に依頼をする。

彼は怪訝な表情をしたものの、私に様々な『魔法』を見せてくれた。

彼が杖を振るだけで、炎が噴き出し、風が巻き起こり、ただの土が金属へと変化する。

私は驚愕し、戦慄した。これは人が持ちえる技なのか? この力をテンプル騎士達が行使したらどうなる? 

この力は騎士団のような連中に知られるわけにはいかない……。

 

 ――その心配は全て杞憂に終わったことは幸運なことだった。

 

慄く私に、彼は首を傾げていたが、命を救ってくれた礼に宿を提供させてくれと申し出てきてくれた。

土地勘のない場所だったためにこの申し出は私にとって非常にありがたい話である、私は彼の申し出を受け入れ、彼の世話になることに決めた。

異国の友に感謝を。』

 

 

『私は推測していた、『果実』の暴走によって、私は遥か遠いところへ、それこそ別の大陸へと来てしまったのだと。

そしてその推測は、半分が当たっていて、半分は大きく外れていた。

 

結論から言おう、私が飛ばされてきたこの場所は、私が本来いるべきはずの世界から遥か遠くに隔絶された世界であった。

言わば別世界、異世界とも呼べる場所だ。

 

私はその事実に至った時、即座に『エデンの果実』を調査した、私をこの世界に導いたのがこの果実ならば、元の世界に戻す手段も当然これに限られるはずだ。

正直、使いたくはないが、他に手段がない、背に腹は代えられない。だが、果実は何も反応を示さない、戸惑う私に答えを教えてくれたのは、皮肉にも果実であった。

この果実の持つ空間転移と呼べる力、それ自体は多用できるものではなく、再び使用するためにはある程度時間を置かなくてはならないというのだ。

確かに、果実をよく"見る"と心なしか輝きを失っているように見える、しかし私の問いに答えたということは、機能を完全に停止するということは決して無いようだ。

なんとも間抜けな答えに、私は落胆しつつも安堵と一抹の不安を覚える。

これほどの力を行使したとしても、『エデンの果実』は決して機能を止めることはない。果たしてこの果実を止める、或いは破壊、封印する手立ては存在するのだろうか?

……兎も角、果実のエネルギーの充填を待つ間、私はこの世界に足止めとなる、アナトリア地方におけるアサシン教団の地盤を築くはずがこのようなことになってしまうとは……。

不幸中の幸いと言うべきか、果実は私の手元にある、ということはテンプル騎士達に奪われる心配は少なくとも存在しないのだが、それだけに今はアナトリアの同胞達だけが気がかりだ。

私が果実と共に消える時、傍にダリムがいた事を覚えている、……今となってはお前の無事を祈るしかない。マリアやセフだけでなくお前まで失ってしまえば、私は二度と立ち上がれはしないだろう。どうか私が帰還するまで無事であってくれ、我が息子よ』

 

 

『(冶金法の解説書及び設計図:エラーにつき閲覧不可)』

 

『成功だ! かねてより研究を進めていた、極めて小さな弾丸を戦闘に用いる方法が分かった。

弾丸を用いた戦闘は前例のあることではない、東方の国々では既に使われていることは広く知られている。

だがそれはずっと大型の武器で、それこそ攻城戦に用いられるようなものであったため、我々の目的には合わなかったのだ。

今回、私はそれを大幅に小型化し、手首に装着できるように作りなおす方法を考えついたのだ。

 

その威力は人を死に至らしめるに十二分であり、遠く離れていても使える。……正直に告白しよう、私がこの発見を得たのは、控えめに言っても危険な方法によってだ。

精神を集中させ、ほんの短時間だけに限るなら、『リンゴ』を使っても大丈夫のようだ。

 

だが、ここは異世界であって、マシャフではない。魔法という手段があるとはいえ、ブレードに使用される合金の錬金は、所謂スクウェアクラスのメイジであっても不可能だ。

全体的に見て、この世界の冶金技術は全く進んでいないと言っていい。しかし、私のもつ……否、『リンゴ』がもたらした知識は、

この世界を根底からひっくり返しかねない技術であることもまた事実だ。早すぎる技術革新がもたらす混乱、それは私の望むところではない。

故に、この書物に封印することに決めた。願わくは、心ある者がこれを読み解かんことを』

 

 

『"英知がもたらすは悲嘆のみ。真実を知るほど、悲しみはいや増す"という哲学者の言葉が、今では十分に理解できる気がする。

そう、これは確かに正しい、鉄を作る知識を得れば、鉄は剣へと変わり、剣は戦いを生み出す。

これはこの魔法の世界でも同じことだ、現に魔法は戦いに利用されている。

四つの系統すべてに、戦いに対応した攻撃魔法が数多く存在していることから、それは最早自明の理だ。

人は何故戦いを求めるのだろうか? 手を取り合って生きるということはできないのだろうか。

この世界は神によって創造されたものなのだというが、果たしてそうなのだろうか。

暴力に飢えたおぞましい存在が創造したとしか私には思えないのだ、この魔法が支配する異世界も、……私のいた世界も』

 

 

『(ピストルの設計図:焼失したため閲覧不可)』

 

 

『この世界にも、我々の世界と同じように神として、または神の代理人として崇拝される人間がいた、その者はブリミルと名乗っていたそうだ。

降臨、信徒、数々の奇跡、彼もまた、かの大工のようにこの世界の人々に崇拝、信仰されている。

しかし私の知る神話とは異なる点がいくつかある。彼に関しての逸話が、ほぼ存在しないのだ。

だが、最も注目すべき点は彼の死後だ。

彼の死後、6000年間の間、誰一人として宗教的指導者が現れていない。まるで『ブリミル教』以外の教えを全て排除したかのような。

彼もまた、『エデンの果実』を利用したのだろうか? 概念を世界に浸透させ、根づかせたのだろうか。

ただ一つ異教と呼べるもの、それはブリミル光臨の時より敵対していたとされる『エルフ』と呼ばれる者たちだ。

『エルフ』……先住……。

だとすれば、『彼』……『彼ら』はどこから来たのだ? 『かつて来たりし者』との関係は? 考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ』

 

 

『(手製爆弾の設計図:画像エラーにつき閲覧不可)』

 

『dx/dt= -10x +10y

dy/dt= 28x -y -xz

dz/dt= -8/3z +xy

 

(方程式のグラフ:画像ファイル破損につき閲覧不可)

 

"ليس هناك ما هو صحيح ، كل شيء مسموح به"

Laa shay'a waqui'n moutlaq bale kouloun moumkine』



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memory-26 「恋のからさわぎ」

 魔法学院の東の広場、通称『アウストリ』の広場のベンチに腰かけ、ルイズは一生懸命に何かを編んでいた。

今はちょうど昼休み。食事を終えたルイズは、デザートも食べずに広場へやってきて、こうやって編み物をしているのだった。

ときおり、手を休めては、『始祖の祈祷書』を手に取り、白紙のページを眺めながら、姫の式に相応しい詔を考える。

 周りでは、他の生徒がめいめいに楽しんでいる。ボールで遊んでいる一団がいた。

魔法を使い、ボールに手を触れずに木に吊り下げた籠に入れて、得点を競う遊びだ。

ルイズは、その一団をちらと眺めた後、切なげなため息をついて、作りかけの自分の作品を見つめた。

 はたから見るとその様子は、一幅の絵画の様であった。ルイズは本当に黙って座っているだけでさまになる美少女なのである。

 ルイズの趣味は編み物である。小さい頃、魔法がダメなら、せめて器用になるようにと、母に仕込まれたものであった。

しかし、天はルイズに編み物の才能を与えなかったようである。

 ルイズは一応、セーターを編んでいるつもりであった。しかし、出来あがりつつあるのは、どう贔屓目に見てもねじれたマフラーである。

というか、複雑に毛糸が絡まりあった、オブジェにしか見えない。

ルイズはそんなオブジェを恨めしげに眺めて、再びため息をついた。

 

 あの厨房で働くメイドの顔が思い浮かぶ。エツィオが彼女を誑し込んだことを、ルイズは知っている。

そんな彼女にエツィオは食事を用意させている事もルイズは見抜いていた。

 

 あの子は食事を作れる、キュルケには美貌がある。じゃあ自分には何があるだろう?

 そう思って、趣味の編み物に手を出したのだが……、あまりいい選択ではなかったようだ。

 

 そんな風に作品を眺め、軽く鬱に入っていると、肩を誰かに叩かれた。

振り向くと、キュルケがいた。ルイズは慌てて、傍らに置いた始祖の祈祷書で『作品』を隠した。

 

「ルイズ、なにしてるの?」

 

 キュルケはいつもの小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、ルイズの隣に座った。

 

「み、見ればわかるでしょ。読書よ、読書」

「でもその本、真っ白じゃないの」

「これは『始祖の祈祷書』っていう国宝の本なのよ」

「ふぅん、で? なんでそんな国宝をあなたが持ってるの?」

 

 ルイズはキュルケに説明をした。アンリエッタの結婚式で、自分が詔を詠み上げること。

その際、この『始祖の祈祷書』を用いる事……などなど。

 

「なるほど。その王女の結婚式と、この間のアルビオン行きって関係してるんでしょ?」

 

 ルイズは一瞬考えたが、キュルケが一応、自分達を先に行かせるために囮になってくれた事を思い出し、頷いた。

 

「あたしたちは、王女の結婚が無事行われるために危険を冒したってわけなのねぇ、名誉な任務じゃないの。

つまりそれって、こないだ発表された、トリステインとゲルマニアの同盟が絡んでるんでしょ?」

 

 なかなか鋭いキュルケであった。ルイズは憮然とした表情で言った。

 

「誰にも言っちゃダメなんだからね」

「言うわけないじゃない、あたしはギーシュみたいにおしゃべりじゃないもの。

ところで、二人の祖国は同盟国になったのよ? あたしたちも、これからは仲良くしなくっちゃ。ねぇ? ラ・ヴァリエール」

 

 キュルケはルイズの肩に手を回した。そして、わざとらしい微笑を浮かべる。

 

「聞いた? アルビオンの新政府は、不可侵条約を持ちかけてきたそうよ? あたしたちがもたらした、平和に乾杯」

 

 そんなのとっくに知ってるわよ。とルイズはうっとうしそうに相槌を打った。

その平和のために、アンリエッタは好きでもない皇帝の元へ嫁ぐ事になり、エツィオは暗殺を行い続けたのである。

仕方のないこととはいえ、明るい気分にはなれなかった。

 

「それはそうと、この間のアサシンの話、覚えてる? ほら、『アルビオンの死神』のことよ」

 

 ルイズは、ぴくりと肩を震わせた。

 

「ええ、それが?」

「ね、ここだけの話、『アルビオンの死神』って、エツィオなんでしょ?」

「残念でした、あいつはアサシンじゃないわ」

 

 ルイズの顔を覗き込んで、キュルケは言った。

ルイズは、つんと澄ました顔で首を横に振る。だが、キュルケは何食わぬ顔で首を傾げた。

 

「あら? そうなの? おかしいわね、エツィオがそう言ってたのに」

「なっ……!」

 

 ルイズは目を吊り上げた。

 

「あ、あのバカっ……! な、なに自分でバラしてんのよっ……!」

 

 苦々しい表情で呟いたルイズを見て、キュルケはにやっと笑った。

 

「あらら、てことはアサシンって、エツィオなんだ」

「あっ……! あ、あんたもしかして!」

 

 キュルケのその言葉に、鎌をかけられたことに気が付いたルイズははっとした表情になった。

キュルケは楽しそうに、ルイズの額を指でつついた。

 

「ウソに決まってるじゃない。エツィオに聞いたらはぐらかされちゃったわよ、彼って、煙に巻くのうまいわね。

ちなみに、彼にも同じ手を使ったけど、それでも自分ではないって否定されちゃったわ」

 

 あなたってほんとに分かりやすいんだから、とキュルケは笑いながら言うと、やがて、ほうっ……と、切なげなため息を吐いた。

 

「それにしてもすごいわね! エツィオがあの『アルビオンの死神』だなんて!」

「い、言わないでよ! だって……!」

「わかってるわ、あたしだって馬鹿じゃないもの」

 

 キュルケは少々むっとした表情でルイズを見つめる。それから頬に手を当て、うっとりした様子で呟いた。

 

「ああ、でもエツィオってば、想像以上だわ……、そのままでも十分カッコいいくせに、まだ秘密を隠し持ってたなんて……! 素敵……最高じゃない!」

「ふん、あんなバカのどこがいいのかしら」

 

 口をへの字に曲げながら、つまらなそうに呟くルイズに、キュルケはにやっと笑った。

 

「あら、そんなの聞くまでもないんじゃなくて? それにあなたも……」

 

 キュルケは、さっと始祖の祈祷書の下から、ルイズの作品を取り上げた。

 

「か、返しなさいよ!」

 

 ルイズは取り返そうともがいたが、キュルケに体を押さえられてしまった

 

「さっきから、この……え、えーっと……、ごめんなさい、なにこれ」

 

 キュルケはぽかんと口をあけて、ルイズの編んだオブジェを見つめた。

 

「セ、セーターよ」

「セーター? ヒトデのぬいぐるみにしか見えないわ」

「そんなの編むわけないじゃない!」

 

 ルイズはキュルケの手から、やっとの思いで編み物を取り戻すと、恥ずかしそうに俯いた。

 

「あなた、そのセーター、エツィオに編んでたんでしょ?」

「あ、編んでないわよ! ばかね!」

 

 ルイズは顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「あなたってほんとうにわかりやすいのね、好きになっちゃったんでしょ?

わかるわ~、あんな完璧な男、惚れるなって言うほうが無理だもの」

 

 ルイズの瞳を覗き込むようにして、キュルケは言った。

 

「す、好きなんかじゃないわ。好きなのはあんたでしょ」

「あのねルイズ。あなたって、嘘つくとき、耳たぶが震えるの、知ってた?」

 

 ルイズは、はっとして耳たぶをつまんだ。すぐにキュルケの嘘に気が付き、慌てて手を膝の上に戻す。

 

「と、とにかく、あんたなんかにあげないんだから。エツィオはわたしの使い魔なんだからね」

 

 キュルケはにやっと笑った。

 

「独占欲が強いのはいいけれど、あなたが今心配すべきは、あたしじゃなくってよ」

「どういう意味よ」

「ほら……なんだっけ、エツィオに誑し込まれたあのメイド」

 

 ルイズの目がつり上がった。

 

「あら? 心当たりがあるの?」

「べ、べつに……」

「今、部屋に戻ったら、面白い物が見られるかもよ?」

 

 ルイズはすっくと立ち上がった。

 

「好きでもなんでもないんじゃないの?」

 

 楽しげな声でキュルケが言うとルイズは。

 

「わ、忘れ物を取りに行くだけよ!」と怒鳴って駆けだした。

 

 

 エツィオは部屋の掃除をしていた。

箒で床を掃き、机を雑巾で磨く。最近、ルイズが洗濯や自分の身の回りの世話を自分でやるようになったため、仕事と言えば掃除くらいだ。

掃除はあっという間に終わってしまった、もともとルイズの部屋にはあまり物が無い。

クローゼットの隣には引き出しの付いた机。水差しの乗った丸い小さなテーブルに椅子が二脚。そしてベッド、本棚くらいである。

ルイズはわりと勉強家なので、本棚にはずっしりと分厚い本が並んでいる。

 

 父上の書斎も、こんな感じだったな。と、なんとなく昔を思い出しながら、椅子に腰かけた、その時である。

開け放たれたままの窓から一羽の鳩が、エツィオの元に飛んできた。

 

「やっと来たか」

 

 腕に止まった鳩から手紙を受け取りながら、エツィオは小さく呟く。

部屋の壁に立てかけたデルフリンガーが、エツィオに声をかけた。

 

「お? 姐さんからの手紙かい?」

「なんだよ姐さんって……」

 

 苦笑しつつも、その手紙を開封する。

だが、その中身をみたエツィオは、すぐに眉根を寄せた。

 

「奴ら……正気か?」

「どうしたよ、相棒」

 

 ただならぬエツィオの様子に、デルフリンガーが尋ねる。

エツィオは険しい表情のまま呟いた。

 

「『親善訪問』は予定通り行うそうだ」

「予定通りだって? するってぇと……」

「ああ、奴ら、艦隊の再編を終えつつあるらしい……。親善訪問に合わせ再編を終え、侵攻に乗り出すつもりのようだ。

最後通牒だったんだがな……、受け入れてもらえなかったようだ」

 

 全て、無駄だったな……。エツィオは低く呟くと、顎に手を当て考える。

 

「降下予定地は……ラ・ロシェール近郊、タルブの大草原……か」

 

 そんなところあったかな? とエツィオは小さく首を傾げる。

しかし、手紙に書いてある以上、あるものはあるのだろう。

エツィオは肩を竦めると、ルイズの机から羽根ペンを取り出し、なにやらさらさらと手紙をしたため始めた。

それを鳩にくくりつけ、窓から空へと放つ。

 

「これでよし、っと」

「何を頼むんだ?」

「資金源の再調査だ、今回の侵攻の軍資金がどこから出たのか調べてもらうのさ。まさか税金だけで賄える筈はないからな」

 

 そう言いながら、エツィオは椅子に腰をかける。それから再びマチルダからの手紙を広げ、じっと見つめた。

 

「銀行家は全て消した……、市民から税を捲き上げたとしても、奴らに軍を動かす程の金なんてないはず……。

奴ら……、一体何を考えているんだ?」

「でも相棒、お前、これを想定していたんじゃなかったのか?」

「まぁな……、予定より艦隊の規模が小さいらしいが……、不意を打てるのならば制圧は可能だと踏んだんだろう。

トリステインには、伝える事は全て伝えた……あとはトリステイン艦隊がうまく立ち回ってくれることを祈るしかないな」

 

 だが……もし万が一の時は、忙しくなるな……。と小さく呟き、エツィオは机の上に置かれたアサシンブレードを見つめた、その時、扉がノックされた。

エツィオは手紙を丸め、ポケットの中に入れようと。したが、ちゃんと入らず。丸まった紙きれがぽとん、と床に落ちる。

少し慌てていたためか、それに気が付かないまま扉に向かい、エツィオは「どうぞ」と声をかける。

すると扉ががちゃりと開いて、シエスタがひょっこり顔を見せた。

今までの険しい表情から一変、エツィオはにっこりとほほ笑んだ。

 

「やあ、シエスタじゃないか、どうしたんだ?」

「あ、あの……」

 

 そうやって現れたシエスタの手には、大きな銀のお盆があった。その上にはたくさんの料理が乗っている。

 

「あのですね、その、今朝、エツィオさん、食堂にいらっしゃらなかったじゃないですか」

 

 ああ、とエツィオは頷いた。

昨夜、まったく眠れなかったせいで、思いっきり寝過してしまい、ルイズはなんとか朝食にありつけたものの、

エツィオは食堂へルイズを送り出すことに精いっぱいで、朝食を食べる事が出来なかったのだ。

 

「だから、お腹すいてないかなって。心配になって……それで……」

 

 シエスタはお盆をもったままもじもじした。その仕草がとてもかわいらしい。

 

「いや、助かったよ、今日は思いっきり寝過しちゃってね、朝食を食べてなかったんだ」

「寝過しちゃったんですか? ……実は、わたしもなんです。お陰でお仕事に遅れちゃって、部屋長に怒られちゃいました……」

 

 シエスタはしゅんと項垂れた。

 

「なんだ、きみも寝坊しちゃったのか。お互い災難だな。さて、それはそうと、丁度お腹かがすいてたんだ、持ってきてくれて助かったよ」

 

 エツィオはにこやかにほほ笑むと、そう言った。

 

「ほんとうですか?」

 

 シエスタの顔が輝いた。

 

「うれしいです……、じゃあ、おなかいっぱい食べてくださいな」

 

 

 小さなテーブルの上に、様々な料理が、所狭しと並んでいる。

シエスタが、にこにこしながら隣に座る。

 

「それじゃ、いただくよ」

 

 エツィオはにっこりとほほ笑み、料理を口に運び始める。

 

「おいしいですか?」シエスタが尋ねてくる。

「ああ、とっても」

「えへへ……、たくさん食べてくださいね」

 

 シエスタは、上品な、それでいて手慣れた手つきで料理を口に運ぶエツィオを、うっとりとした目で見つめている。

 

「エツィオさんって、上品なんですね、なんだか、料理も口に運ばれるのを楽しみにしているみたい。作った人も幸せな気分だなぁって」

「きみの前だからな、カッコつけてるのさ」

 

 エツィオはウィンクしながら笑う。

まぁっ、とシエスタは頬を染めた。

 

「ところで、いつもと味付けが違うような……、誰が作ったんだ?」

 

 エツィオが首を傾げると、シエスタは、はっとした表情になった。

不安そうにエツィオを上目遣いに見つめ、尋ねる。

 

「あっ……。お、おいしくない……ですか?」

「とんでもない、それどころか俺好みの味付けだ」

「ほ、ほんとですか! じ、実はそれ、私が作ったんです」

 

 シエスタは、はにかんだ表情で言った。

 

「へえ! 大したものじゃないか!」

「あ、ありがとうございます。無理言って、厨房に立たせてもらったんです。

でも、こうやってエツィオさんに食べてもらうことが出来たので。お願いした甲斐がありました」

「きみの手料理を一人占めできるなんてな、これは寝坊して正解だったかな?」

 

 上機嫌に料理を口に運ぶエツィオに、シエスタは嬉しそうに笑った。

やがて、机の上に置かれた料理を一通り平らげると、エツィオはお腹をさすりながら満足そうに頷いた。

 

「ふぅっ……、食べ過ぎちゃったかな。ありがとうシエスタ、とてもおいしかったよ」

「いえっ! あ、あのっ! 言ってくださればわたし、エツィオさんのために、いつでも作ります!」

「ああ、また頼むよ」

 

 ワインを口に運びながら、エツィオは微笑む。

その魅力的な笑みに、シエスタは思わずクラっときてしまう。

しかしエツィオの手前、なんとか気を取り直そうと、シエスタは慌てた調子で言った。

 

「エ、エツィオさん!」

「うん?」

「あ、あのっ!」

 

 それからシエスタは、言葉を選ぶようにして口を開いた。

 

「昨日のお話、とっても楽しかったです! エツィオさんの故郷! えと、フィレンツェって、とっても素敵なところなんだなって!」

 

 ああ、とエツィオは呟いた。

エツィオとしても、フィレンツェについて、大したことは話していない、

しかし、あまり世間に詳しくない村娘のシエスタにとって、異国の話は、とても魅力的に聞こえたのだろう。

シエスタは、ぽん、と手を叩いた。

 

「あのね、エツィオさんの故郷の話も素敵だけど、わたしの故郷も素晴らしいんです。タルブの村って言うんですけど……」

「タルブだって?」

 

 その言葉に、エツィオの表情が一瞬強張った。

タルブ……、手紙に記されていた、アルビオン軍の降下予定地だったはず……。

そんなエツィオの様子に気が付いたのか、シエスタはおろおろとした様子で尋ねる。

 

「ど、どうしたんですか? わ、わたしったら、もしかして、なにかお気に召さないことを……」

「あ、いや……、なんでもない。……シエスタ、もしかしてそのタルブって村、近くに草原がないか?」

 

 エツィオが尋ねると、シエスタは顔を輝かせた。

エツィオが自分の村の事を知っていた事が、嬉しかったようだ。

 

「はい! 村の近くに広い綺麗な草原があるんです! もしかして、御存じなんですか?」

「ん……、ああ、是非一度行ってみたいと思っていた所でね」

「そうなんですか!」

 

 エツィオがにこりとほほ笑むと、シエスタは胸の前で手を組み、勢いよく立ちあがって叫んだ。

 

「そ、それじゃあ、エツィオさん! わたしの村に来ませんか?」

「タルブの村に?」

「今度、お姫さまが結婚なさるでしょう? それで、わたしたちに休みが出る事になったんです。

でもって、久しぶりに帰郷するんですけど……。よかったら遊びに来て下さい! エツィオさんに見せたいんです、あの綺麗な草原。

今はきっと、夏の花が咲いているわ、地平線の向こうまで……。今頃、とってもきれいだろうな……」

 

 とてもうれしそうに話すシエスタを見て、エツィオは、内心、胸を痛めた。

マチルダの手紙が確かならば、アルビオンの侵攻により、タルブの村は戦場となるだろう。

シエスタの身を案じるのであれば、彼女の帰郷を止めるべきである。

しかし、逆に考えれば、これはいい機会なのかもしれなかった、シエスタに事情を話し、村人の避難誘導に協力してもらえば、

被害を最小限にとどめることが出来るかもしれない。

無論、余計な動揺を防ぐために、現地に着くまでは、そのことを伏せておく必要があるが……。

 

「ああ、でも……、いきなり男の人を連れていったら、家族のみんなが驚いてしまうわ。どうしよう……」

 

 そんなエツィオの様子に気が付いていないのか、シエスタは半ば浮かれた気分で呟いている。

それからシエスタは、ぽんと手を叩いた。それから、激しく顔を赤らめて呟いた。

 

「そうだ。だ、旦那様よ、って言えばいいんだわ」

「ん?」

「け、結婚するからって言えば、喜ぶわ。みんな。母さまも、父さまも、妹や、弟たちも……。みんな、きっと喜ぶわ」

「おい、シエスタ?」

 

 なんだか、話がとんでもない方向へ進んでいることを心配したエツィオが、シエスタの顔の前で手をひらひらと振る。

すると、我に返ったのか、シエスタは慌てて首を振った。

 

「ご、ごめんなさい! そ、そんなの迷惑ですよね! っていうか、エツィオさんが遊びに来るって決まったわけじゃないのに! あは!」

「いや……、それはいい提案だ」

 

 エツィオはそう言うと、僅かに口元に笑みを浮かべ、やおら立ち上がる。

 

「是非きみの村に行ってみたいな、きっと素敵なところなんだろう」

「え……あ、ほ、ほんとうですか?」

「もちろんさ、言っただろう? きみの事をもっと知りたいんだ」

 

 シエスタはしどろもどろになりながら言った。

 

「エ、エツィオさんって……、だ、大胆ですよね」

「そうか? これでも大分遠慮してるんだけどな。それとも……」

 

 エツィオは、ずいっとシエスタの顔を覗き込む。

咄嗟の事に驚いたシエスタは、バランスを崩した。その後ろにはルイズのベッドがあった。

当然、ベッドに倒れ込む形になったシエスタ、その上に、エツィオがのしかかる様にして顔を寄せる。

まるで獲物を捕らえるように、エツィオの手がシエスタの顎を掴む。

 

「大胆な男は……嫌いかな?」

 

 かはっ……、っとシエスタの口から言葉にならない吐息が漏れた。

ボディブローのようにずっしりとくる、エツィオの甘い囁き。

もはやシエスタの顔はまるでゆで上がったように真っ赤になっている。

エツィオはニヤっと笑みを浮かべると、顎を掴んでいた手を離し、優しく撫でるようにシエスタの頬から首筋……そして胸へと下ってゆく。

 

「あわ、あわわ……あわわわ」

「……どうなのかな? シエスタ」

 

 意地悪な笑みを浮かべながらエツィオが囁く。

シエスタは、元々いったん覚悟を決めると大胆になる性格である、だが、エツィオの前では覚悟を決めることすら許されない。

完全にペースを掌握したエツィオは、ずいっとシエスタに顔を寄せる。

その時だった、まさしく絶妙のタイミングで、ルイズがドアを開けて入ってきた。

 

 それから十秒の間に、実に様々なことが起こった。

 

 ルイズが、シエスタをベッドに押し倒しているエツィオを発見した。これが一秒。

 エツィオが、「げっ!?」 とベッドから跳ね起きた。これが二秒。

 一拍遅れ、我に返ったシエスタが慌てて起き上がる。シエスタはこれに二秒費やした。

 衣服に乱れが無かったため、シエスタはペコリと頭を下げ、部屋を飛び出して行った。ここまでで六秒。

 ここでようやくルイズの硬直は解ける。これで七秒。

 ルイズはエツィオには向かわず、机の上に置いてあった、エツィオの鉄のセスタスを手に取り、それを右手にはめる。ルイズはこれに二秒費やした。

 エツィオが「あ、いや、これには事情があって!」とルイズに言ったのと、ルイズの文字通りの鉄拳がエツィオの鳩尾に叩き込まれたのが同時で十秒。

 

 そんなわけで、ルイズがドアを開けて十秒後には、エツィオは冷たい石の床に転がっていた。

 

 ルイズはエツィオの頭をがっしと踏みつけた。声が震えている。身体も震えていた。

 

「何してたのあんた」

「げほっ……う……ぐぐ……」

「うぐぐ、じゃわかんないわ、人のベッドの上で何をしてたの?」

「い、いやぁ……ええと、その、なんと説明したらよいか……ぐぁっ!?」

「言い訳はいいのよ。ともかく、使い魔のくせに、ご主人様のベッドの上であんなことしようとしてたのが、どうにも許せないの。今度という今度はあたまにきたわ」

 

 ルイズの目から、ぽろっと涙が流れた。

エツィオは流石にまずいと思ったのか、慌てて立ち上がる。

 

「いや、ちょ、ちょっとまった、泣くほどの事か?」

 

 ……彼らしくないミスだった、不用意に放たれたその言葉は、ルイズの心を大きく抉ってしまった。

 

「出てって」

 

 ルイズはきっとエツィオを睨んだ。

 

「お、おい……」

「出てって! あんたなんかクビよ!」

「いっ……!」

 

 ルイズは右手のセスタスを外すと、エツィオの顔に思いっきり投げつけた。

勿論、ただの手袋ではない、鉄のプレートが縫い込まれた、いわば凶器である。

ぽたたっ、っと再び開いたエツィオの古傷から流れ出た血が床に飛び散った。

その光景に、ルイズはちくりと心が痛んだが、今回はそれよりも、腹の底が煮えくりかえるような怒りが勝ってしまった。

 

「く、クビって、おい冗談だろ?」

 

 そんな目にあって尚、平静を保っているあたり、流石というべきか。

エツィオはなだめる様な口調で、ルイズに話しかける。

だが、そんな冷静なエツィオの態度が、益々癪に障ったのだろう、ルイズは掛けてあったエツィオのアサシンローブをひっつかみ、廊下に放り出す。

 

「クビよ! クビったらクビ!」

「お、おい! 落ち着けって!」

 

 エツィオがそんなルイズをなんとか落ち着かせようとするものの、その勢いは止まらない。

今度はデルフリンガーやその他の装備を、全て廊下に放り出した。

 

「落ち着けですって? ふざけないで! あんたはクビなの! あんたなんかその辺でのたれ死んじゃえばいいのよ!」

 

 ルイズは最後に、エツィオの袖を掴むと、そのまま部屋の外へと叩きだした。

 

「あんたの顔なんか、見たくもない!」

 

 その言葉を最後に、ルイズは、ばたん! と勢いよくドアを閉めた。

 

「おい! ルイズ! 俺が悪かったって! 機嫌直せって!」

 

 エツィオはドアを叩くも、返事が無い。

やがて諦めたのか、エツィオはがっくりと肩を落とすと、ルイズに投げ捨てられた自分の装備品を回収する。

 

「やれやれ、こんなカッコ悪いのは久しぶりだな……」

 

 そんな事をぼやきながら、最後にデルフリンガーを拾い上げる。

 

「よお相棒、こっぴどくやられちまったなぁ」

「ああ。ま、一時的な物だと思うんだけどな……」

 

 エツィオは肩を竦めると、どうしたものかと首を傾げる。

 

「はぁ……、参ったな……こんなに嫉妬深いなんて……。もっとうまく立ち回らなきゃな」

「お前……、いや、なんでもねーよ」

 

 ため息を吐きながら呟くエツィオに、あきれ果てたようにデルフリンガーが吐き捨てた。

 

 

 一人、部屋に残ったルイズは、ベッドの上に倒れ込んだ。

 毛布をひっつかみ、頭から被った。

 ひどい、とルイズは思った。

 

「今日だけじゃないわ。わたしが授業を受けてる間にあの子を連れ込んで、いっつもあんなことしてたのね。

知らないのは、わたしだけだったのね、許せない」

 

 ルイズは唇を噛んだ。

 あの夜のエツィオの囁きは、嘘で塗り固められていたのだ。

 涙がぽろっと溢れて、頬を伝った。

 

「なにが裏切らないよ……。キスまでしたくせに……、だいっきらい」

 

 自分に言い聞かせるように、ルイズは何度も呟いた。

 

「……キスしたくせに」

 

 

「……で、きみはいつまでぼくの部屋に居候する気なんだね?」

 

 ルイズの部屋を追いだされてから二日後、エツィオが転がり込んだ部屋の主が、ワイングラスを傾けながら、呆れたように呟く。

 

「そう言うなよギーシュ、お詫びにこうして、上等なワインを持ってきてやったんだからさ」

 

 机に向かい、何やら作業をしていたエツィオが振り向き、両手を上げて言った。

部屋を追いだされ、行くあてが無くなったエツィオは、こうしてギーシュの部屋に転がり込んだのであった。

 

「まあ、それはいいんだけどさ。どうだい? ルイズには、許してもらえそうかね?」

「いや……さっきも謝りに行ったんだけどな、全然ダメだ、困ったものさ」

 

 エツィオは肩を竦めて答える。

ギーシュは、はっはっは、と笑った。

 

「しっかし、きみも災難だねぇ、まさか、メイドを押し倒した所をルイズに見られるなんてさ」

「不運な事故って奴さ、ま、絶好の機会を逃したってのはあるんだけどな」

「きみがそんな事をしてても、別に驚くようなことでもないと思うんだけどね」

「まさかあそこまで初心だとはな……ますます燃えてきた」

 

 ニッと笑みを浮かべるエツィオに、ギーシュは呆れたようにため息を吐く。

 

「それ、どっちのこと言ってるんだい?」

「そんなの、聞くまでもないだろ?」

「……きみの前の恋人は、さぞかし心が広いレディだったんだろうね」

「ギーシュ、俺はこれでも、フィレンツェにいた頃は、クリスティーナ一筋だったんだぜ?」

「はっはっは! 嘘はやめたまえよ! そんなはずないだろう!」

「おい! 本当だって!」

 

 わっはっは、と笑うギーシュに、エツィオは少々むっとした表情で肩を竦める。

 

「なんだよ、全く……」

 

 エツィオは吐き捨てるように呟くと、中断していた作業を再開する。

そんなエツィオに気が付いたのか、ギーシュは首を傾げた。

 そう言えば、彼はここに来てから、自分と馬鹿話や、チェス等に興じる時以外はいつも机に向かい、羊皮紙を見ながら何かを作っている。

不思議に思い、エツィオの手元を覗き込むと、机の上には、秘薬の調合に用いる天秤や

なにやら多種多様な丸っこいものが置いてあった。

一体彼は何をしているのだろう? と気になったギーシュはエツィオに尋ねた。

 

「そう言えば、エツィオ、きみはさっきから何をしてるんだ?」

「ん? 見てわからないか? 爆弾作ってたんだよ」

 

 エツィオから返ってきた答えに、ギーシュは思わず目を丸くする。 

 

「なっ! お、おいおい! ぼくの部屋で何してくれてるんだねきみは!」

「冗談だよ!」

「いやいやいや! その丸っこい物体といい、その火薬っぽい黒い粉といい、明らかに爆弾じゃないかね! きみ、一体何考えてるんだ!」

「いいだろうが! 別にここで使うわけじゃないんだからさ! ヘマなんてするものか!」

「いいから片づけたまえ! ぼくは犯罪の片棒を担ぐつもりはないぞ!」

 

 ギャーギャーと、ギーシュと掴みあっていると、不意にドアがノックされた。

 

「おい、ジェントルメン、客だぜ」

 

 ノックに気が付いたデルフリンガーが声を上げた。

 

「あ、ああ、開いてるよ」

 

 ギーシュが返事をすると、ドアが開いた。

 

「し、失礼します、ミスタ・グラモン」

 

 ペコリと頭を下げ、おずおずと入ってきたのは、メイドのシエスタであった。

 

「きみは……、件のメイドじゃないか、何か用かね?」

「あの、エツィオさんがここにいると伺ったものですから……」

 

 シエスタがそう言うと、ギーシュは、得心したように、ああ、と呟き、エツィオを見た。

 

「きみも大変だったな。この……ろくでなしのせいで」

「お前が言うか! ったく……。で、シエスタ、どうだった?」

 

 エツィオは口をへの字に曲げ、ギーシュを睨みつけると、シエスタに尋ねる。

 

「あ、はい! マルトーさんに頼んだら、お休みが取れました!」

「……そうか、なら行こうか、準備は出来ているな?」

「はい!」

「それじゃ、下で待っていてくれ、俺もすぐに行く」

 

 シエスタは、わかりました! と、頷き、忙しげに去ってゆく。

それを見送った後、エツィオは、アサシンのローブを羽織り、荷物をまとめてゆく。

その様子を見つめていたギーシュが首を傾げた。

 

「きみ、出かけるのかい?」

「ああ、ちょっとタルブにな」

「タルブ?」

「彼女の故郷だよ」

「はあ? きみ、あのメイドの件でルイズに怒られたっていうのに、それでも彼女の故郷に行くってのかね?」

 

 ギーシュは呆れたようにため息をついた。 

 

「知らないぞ、どうなっても」

「……承知の上さ」

 

 一瞬、エツィオの顔が、思いつめたような表情になった。が、すぐにいつもの陽気な表情になると、ポンとギーシュの肩を叩いた。

 

「それはともかく、世話になったな」

「ぼくが言うのもなんだけど……、きみ、もう少し振舞いを考えた方がいいぞ」

「御忠告どうも。ま、戻ってきた時に、まだルイズに許されてなかったら、また世話になるからよろしくな」

「その時は、最高級のワインで手を打ってやろうじゃないかね」

 

 絶対に許されてないだろうな。とギーシュは苦笑しながら、エツィオを見送った。



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memory-27 「開戦」

 ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世と、トリステイン王女アンリエッタの結婚式は、ゲルマニアの首府、ウィンドボナで行われる運びであった。

式の日取りは、来月……、三日後のニューイの月の一日に行われる。

 

 そして本日、トリステイン艦隊旗艦の『メルカトール』号は新生アルビオン政府の客を迎えるために、艦隊を率いて、ラ・ロシェールの上空に停泊していた。

後甲板では、艦隊総司令官の、ラ・ラメー伯爵が、『国賓』を迎えるために、軍装に身を包み佇まいを正している。

その隣には同じく軍装に身を包んだ艦長のフェヴィスが口髭を弄っていた。

 

 アルビオン艦隊は、約束の刻限をとうに過ぎている。

 

「奴らは遅いな、艦長」

 

 眉間にしわを寄せ、やや緊張したような面持ちで、ラ・ラメーは呟いた。

 

「……本当に、仕掛けてくるのでしょうか、あのアルビオンの犬どもは」

 

 そうアルビオン嫌いの艦長が呟くと、ラ・ラメーは肩を竦めた。

 

「あの軍議に現れた、アルビオンから亡命してきたという男からの情報では、そういうことらしいな」

「はい、まさか不可侵条約がまやかしとは……未だ信じられませぬ」

「まだそうと決まったわけではない……が、奴らのことだ、在りえぬ話でもないからな、念には念を、と言うわけだ。艦の配備はどうなっている?」

 

 苦虫を噛み潰したような表情の艦長に、ラ・ラメーは尋ねる。

艦長はちらりと、ラ・ロシェールのある方角を見つめた。

 

「完了しております、艦は全て、ラ・ロシェールの桟橋に停泊中、こちらの合図ですぐにでも展開が可能です」

「……万一仕掛けてくることがあれば、対応が可能、か」

「不意打ち、ですな」

「それは向こうにも言えたことだ」

 

 ラ・ラメーがそう呟いた時だった、鐘楼に立った見張りの水兵が、大声で艦隊の接近を告げた。

 

「左舷より、艦隊!」

 

 なるほど、そちらを見やると、アルビオン艦隊が静々と降下してくるところだった。

その艦隊の最後尾には、他の艦と比べると、いささか見劣りする旧型艦が一隻、のろのろと着いてきていた。

 

「旧型艦を発見、情報通りだな」

「と言うことは、あの男の言っていたことは本当だったということですか」

 

 些か緊張したような面持ちで、艦長が呟くと、ラ・ラメーは後ろに控えていた士官に命令を下した。

 

「他の艦に戦闘準備と伝えろ、それと本陣にも伝達を」

「はっ!」

 

 敬礼し退出して行った士官を見送ると、ラ・ラメーと艦長は忌々しそうにアルビオン艦隊へと視線をもどした。 

 

「『ロイヤル・ソヴリン』級が見当たらんな」

 

 降下してくるアルビオン艦隊を見つめながら、ラ・ラメーは、少しばかり安堵のため息を漏らす。

ハルケギニア最強のフネと名高い、雲と見紛うばかりの巨艦である、しかし、降下してくる艦隊にそのような艦の姿は見当たらなかった。

 

「失った、という話は本当だったようだな」

「左様で、かのアルビオン人からの聴取によれば、たった一人の『アサシン』によって破壊された、とのことですが……」

「ふむ……、件のアサシンか、兵達の間で噂になっているそうではないか。聞いたことは?」

「建国と共に現れ、新政府の要人を次々暗殺した、謎のアサシン……。聞けば、かの裏切り者を暗殺したのも彼だとか」

「なんと、スクウェアのメイジすらも暗殺してのけるとはな……敵にはまわしたくないものだ。

何れにせよ、『ロイヤル・ソヴリン』級の相手をせずに済むのはありがたいことだ、そのアサシンに感謝してやろうではないか」

 

 艦長が鼻を鳴らしつつ、並走を始めたアルビオン艦隊を見つめながら言った、その時である。アルビオン艦隊が旗流信号をマストに掲げた。

 

「貴艦隊ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン艦隊旗艦『ゴライアス』号艦長」

「こちらは提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、これまたコケにされたものですな」

 

 艦長は、トリステイン艦隊の陣容を見守りながら呟いた。

 

「これから攻め落とす相手に礼など不要ということか。よい、返信だ。『貴艦隊ノ来訪ヲ歓迎ス。トリステイン艦隊司令長官』、以上」

 

 ラ・ラメーの言葉を控えた士官が復唱し、それをさらにマストに張り付いた水兵が復唱する。するするとマストに、命令どおりの旗流信号がのぼる。

どん! どん! どん! とアルビオン艦隊から大砲が放たれた。礼砲である。弾は込められていない。

ラ・ラメーはゆっくりと深呼吸すると、軍人の顔になった。これから、戦が始まるのだ。

 

「答砲だ」

「何発撃ちますか? 最上級の貴族なら、十一発と決められております」

 

 礼砲の数は、相手の格式と位で決まる。艦長はそれをラ・ラメーに尋ねているのであった。

 

「そうだな……、四発にしておけ、少ない答砲に彼奴等がどう出るか見ものだ」

 

 そんなラ・ラメーを、にやりと笑って見つめると、艦長は命令した。

 

「答砲準備! 順に四発! 準備出来次第撃ち方始め!」

 

 どん! どん! どん! どん! と『メルカトール』号から、順次答砲が放たれてゆく。

やがて最後の四発目が放たれ、ラ・ラメーと、フェヴィス艦長、そして水兵たちは、じっとアルビオン艦隊を見つめた。

すると、アルビオン艦隊最後尾の……、一番旧式の小さな艦から、火災が発生した。

それを見たラ・ラメーと艦長は、思わず苦笑いを漏らす。タイミング的には丁度五発目が放たれる頃だろうか。

しかしこちらは撃ってはいない。はたから見ればその艦が、勝手に火災を起こしたように見えた。

 

「着弾したにしては、火災が起きるタイミングが遅すぎですな」

「奴らはどんな言いがかりをつけてくるのやら、楽しみだな」

 

 二人がそう呟いた瞬間、火災を発生させた艦に見る間に炎が広がり、空中爆発を起こした。

残骸へと変わったそのアルビオン艦は燃え盛る炎と共に、ゆるゆると地面に向かって墜落してゆく。

 

「さて、一応言い分は聞いてやらんとな」

 

 すると、『ゴライアス』号の艦上から、手旗手が、信号を送ってよこす。それを望遠鏡で見守る水兵が、信号の内容を読み上げる。

 

「『ゴライアス』号艦長ヨリトリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」

「撃沈? あれを撃沈と言うか? なかなか笑わせてくれるではないか!」

 

 言葉とは裏腹に、ラ・ラメーは不愉快そうに唇を噛んだ。

 

「返信だ。『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』。……返信と同時に艦隊全速、右砲戦、及び対竜騎士戦用意、奴らが砲撃を開始した時点で作戦を開始する」

 

 すぐに『ゴライアス』号から返信が届く。

 

「『タダイマノ貴艦ノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス』」

 

 その返信が伝えられるのと同時に『ゴライアス』号が威嚇射撃を開始する。同時にトリステイン艦隊にゆるゆると接近を始めた。

新兵器の大砲を失った為、従来の大砲を積んだアルビオン艦隊は、トリステイン艦隊と同じ土俵に引きずり降ろされていた。

そのため、接近しなければトリステイン艦隊に砲撃は届かないのだ。

 

「来るか、アルビオンの畜生共め! 全艦隊に通達! 砲戦始め! 作戦開始だ! 撃て!」

 

 ラ・ラメーの号令と共に、トリステイン艦隊が一斉に砲撃を開始する。

 

 戦争が、始まった。

 

 

 トリステイン艦隊がアルビオン艦隊に向けて砲撃を開始した丁度その頃……。

初夏に変わりつつある日差しを浴びながら、エツィオとシエスタは、馬に跨ってタルブへと向かう街道を進んでいた。

遠く離れたここでは砲撃の音も戦場の喧騒も聞こえてはこない。

 

「急に行こうだなんて、無理言ったようで悪かったな、迷惑じゃなかったかな?」

 

 そうエツィオが尋ねると、シエスタは慌てて首を振った。

 

「迷惑だなんて! エツィオさんがわたしの村に来てくれるなんて、とってもうれしいです!

それに、コック長に『エツィオさんのお願いで』って言ったら、すぐにお暇を出してくださいましたわ」

 

 とてもうれしそうに答えるシエスタに、エツィオはなるほど、と納得した。

厨房を切り盛りするマルトーはエツィオの事を大変気に入っていた、おそらくシエスタの言うとおり、二つ返事で了承したのであろう。

 

「そっか……それを聞いて安心したよ」

 

 エツィオは小さく呟くとにこりとほほ笑む。

普段なら口説き文句の一つや二つ口を衝いて出るものだが、事情が事情だけにどうにもそんな気分になれなかった。

ちらとシエスタを見ると、まさに夢見心地といった様子でうっとりと笑みを浮かべている。

そんな幸せそうな彼女を見ていると、本題を切り出すことを躊躇ってしまう。

 

「さて、どうしたものかな……」

 

 誰にも聞こえないように小さく呟き、ふと街道の先へと視線を移した、その時だった。

街道の向こうから、大きな荷物を馬車に積んだ多くの人々が歩いてくるのが見える。

隊商か何かだろうか? とエツィオが首を傾げていると、馬に跨った護衛と思われる兵士が、こちらに気づいたのか、馬を走らせ、声をかけてきた。

 

「おい! そこの二人、止まれ!」

「ん? 俺達か?」

 

 急に呼びとめられ、二人は首を傾げる。

 

「我らはトリステイン警備隊の者である! お前達は、どこに向かっているのだ?」

 

 隊商の護衛かと思われたその兵士は、どうやらトリステインの衛兵らしい、エツィオは素直に目的地を告げた。

 

「タルブの村だが」

「タルブの村だと? 今現在タルブ方面への通行は許可していない、触れを知らんのか?」

「お触れですって?」

 

 それを聞いたシエスタが不安そうにエツィオを見つめた。

まさか……、エツィオは眉を顰め、衛兵の言葉を待った。

 

「聞いての通りだ、一般市民はラ・ロシェール、及びタルブ方面への通行を禁止するというお触れが王宮より出ているのだ」

「それじゃあ、あの人々は……」

 

 エツィオが避難民と思われる人々を指さすと、衛兵は頷いて見せた。

 

「近辺の住民たちだ、我らは今、彼らをトリスタニアへ一時避難させるために護送をしている」

 

 兵士がそう答えた、その時だった。

 

「あっ! お、お父さん! お母さん!」

 

 シエスタが、避難民の中に家族を見つけたのか驚いたような声を上げた。

馬から飛び降り、両親の元へと駆け寄ってゆく。

その声に両親も気が付いたのか、走り寄ってきたシエスタと、ひしと抱き合った。

 

「シエスタ! シエスタじゃないか!」

「ど、どうしてここに? 何かあったの?」

「それが、私たちにもなにがなんだか……、一昨日、急にお城の人たちが来て、戦になるかもしれないから、すぐに避難をしろって言われて……」

「ええっ! い、戦ですって!?」

 

 シエスタが驚いたように叫んだ。

エツィオも馬から降りると、シエスタを落ち着かせるために、優しく肩を叩いた。

 

「え、エツィオさん……、な、なにが起こってるんですか?」

 

 おろおろと不安そうに見つめてくるシエスタに、エツィオは目を伏せ、小さく首を振った。

 

「わからない……、でも、なにか良くない事が起ころうとしているのは確かみたいだ」

 

 口ではそう言ったものの、事情を全て察しているエツィオにとっては、この状況は非常にありがたかった、

トリステイン王宮が事前にラ・ロシェール近辺から住民を遠ざけてくれたお陰で、シエスタを危険に晒すこともなくなり、村人達を避難させる手間も大幅に省けたのだ。

 

「シエスタ、幸いきみの家族はこうして無事に避難できたようだ、きみはこのまま家族と共に、トリスタニアへ向かうといい。

家族を無事に送り届けたら、学院に戻ってオスマン殿にこの事を報告するんだ」

「で、でもわたし、ただのメイドですよ! オールド・オスマンにお目通りなんて……!」

「俺の使いだと言えば、すぐに通してくれる。念の為、学院から誰も出すなと伝えてくれ、いいね」

「は、はい……! あの、エツィオさんは……?」

 

 心配そうに見つめるシエスタに、エツィオはラ・ロシェールの方角を見やった。

 

「俺は残らなきゃ、まだやることがあるからな」

「そんな! 危ないです! 一緒に戻りましょう!」

「だめだ。何が起こっているか、調べないと。……心配するなって、すぐに戻るよ、これでも逃げ脚には自信があるんだ」

 

 エツィオはにっこりとほほ笑むと、シエスタを促し、馬へと乗せた。

シエスタは辛そうに俯くと、目に涙をためながら、エツィオを見つめた。

 

「……わかりました。あの、エツィオさん……、絶対に死なないでくださいね」

「わかってる、まだ死にたくはないからな。さあ、行くんだ」

 

 エツィオが促すと、シエスタは家族の元へと向かってゆく。

そんな二人の様子を見守っていた衛兵は、彼女を見送った後、後ろにいた筈のエツィオに視線を戻す。

 

「おい、お前はどうする……、ん? あ、あれ?」

 

 だが、衛兵がエツィオに話しかけようと振り向いた、その時。

エツィオの姿が、衛兵の前から、忽然と消えてしまっていたのである。

 

「あいつ、どこに……?」

 

 いつの間にか姿を消した男を探すために辺りを見渡すも、どこにも見当たらない。

衛兵は一つ首を傾げると、仕方ないとばかりに、護衛の列へと戻って行った。

 

 

「さて……」

 

 シエスタと別れ、街道から外れた場所へと姿を隠したエツィオは、デルフリンガーの柄頭に手を置いた。

そんなエツィオにデルフリンガーが声をかける。

 

「で、相棒、これからどうすんだ?」

「そうだな、手間が省けたのはいいが、まずは状況を確かめないと」

 

 エツィオは周囲を見回し、誰もいなくなったことを確認すると、街道へと姿を現した。

 

「どこに行くつもりだ?」

「ラ・ロシェールだ、前にワルドが言ってただろ? あそこは昔、アルビオン侵攻に備える拠点だったと。

降下予定地がその近くなら、トリステイン軍の本陣は、自ずとそこになるだろう」

 

 フードを目深にかぶりながら、ラ・ロシェール方面へと続く街道の先を見やり、エツィオは言った。

既に日は正午を回り、傾き始めている。

 

「もう始まってなければいいが……」

 

 小さく呟き、馬の腹に蹴りを入れる。エツィオの思いとは裏腹に、空は残酷なまでに晴れ渡っていた。

 

 

 さて一方、こちらはルイズの部屋、エツィオを追いだして三日が過ぎている。

その間ルイズは、気分が悪いと言って、授業を休んでベッドで悶々としていた。

 

 考えているのは追い出した使い魔の事である。キスしたくせにキスしたくせにキスしたくせに、と布団の中で何度も想う。

プライドを傷つけられて悔しくて悲しくて、ほんとにお腹が痛いくらいである。

 部屋の片隅を見ると、エツィオの使っていたクッションが置いてあった。

それを見ていると、ルイズは悲しくなった。捨てようかと思ったけど、捨てられなかった。

 そんな風にしていると、ドアがノックされた。またエツィオだろうか?

追い出してからというもの、あの男はまめに謝りに来ている。正直、ちょっとだけ許してあげようかな、なんて思う、

でも、まだ許さないんだから。もうしばらく反省してなさい。と再び毛布を被る。

 

 ドアががちゃりと開いた。

 ルイズはがばっと跳ね起きて、怒鳴った。

 

「ばかっ! なに入ってきてるのよ! まだ……! え?」

 

 入ってきたのはキュルケであった。燃えるような赤毛を揺らし、キュルケはにやっと笑った。

見ると手に杖を握っている、どうやら『アンロック』の呪文で鍵を開けたようであった。

 

「あたしで、ごめんなさいね」

「な、なにしに来たのよ!」

 

 ルイズは再び布団にもぐりこんだ。つかつかとやってきて、キュルケがベッドに座り込んだ。

がばっと布団をはいだ。ルイズはネグリジェ姿のまま、拗ねたように丸まっている。

 

「あなたが三日も休んでいるから、見に来てあげたんじゃないの」

 

 キュルケは呆れたような、ため息を吐いた、さすがに良心が痛む。

まさか、食事の現場を目撃したくらいで、ほんとに追い出してしまうとは思わなかったのだ。

ルイズの初心さ加減は、キュルケの想像を遥かに超えていた。

 

「で、どーすんの? 使い魔追い出しちゃって」

「あんたに関係ないじゃない」

 

 キュルケは冷たい目で、ルイズを見つめた。薔薇のような頬に、涙の筋が残っている。どうやら何度も泣いていたようだ。

 

「あなたって、嫉妬深くてバカで、高慢ちきなのは知ってたけど、そこまで冷たいなんて思わなかったわ、仲良く食事してたぐらい、いいじゃないの」

「それだけじゃないもん。よりにもよってわたしのベッドで……」

 

 ルイズは、ぽつりと言った。

 

「あらま、抱き合ってたの?」

 

 ルイズは頷いた、よほどショックだったようだ。

まぁ……エツィオならやってもおかしくはないか。とキュルケは納得したように頷いた。

 

「まぁ、好きな男が、他の女と自分のベッドの上で抱き合ってたらショックよねー。

でもあなた、エツィオがあたしを押し倒した時、そんなになるまで怒ってなかったじゃない」

「好きなんかじゃないわ! あんなの……! それに、あいつはただ、貴族のベッドを……」

「そんなの言い訳でしょ、好きだから、追い出すほど怒ったんでしょ?」

 

 いちいち図星なキュルケのセリフであったが、ルイズはなかなか認めない。

 

「しょうがないじゃないの、あなた、どうせなにもさせてあげなかったんでしょ? そりゃ他の女の子といちゃつきたくなるってものよ。

特にあのエツィオじゃね……。狼と羊を同じ柵の中に閉じ込めるようなものよね、即喰らいつくに決まってるわ」

「わたしはなんともないじゃない……」

「そりゃそうよ、やせっぽちな羊なら太らせてから食べるでしょうね。彼、ただの狼じゃないもの。その前に柵を飛び越えて他の羊を狩りに行っちゃうでしょうね」

 

 唇を尖らせ、黙り込んでしまったルイズに、キュルケはため息を吐いた。

 

「はっきり言ってね、エツィオは、あたしが今まで見てきた男の中で、ぶっちぎりでトップよ。

強くてハンサムで頭も切れて、その上誰にでも優しくて気品があって……。

その上なに? 正体は超凄腕のアサシンですって? ……ああ、なんだかムカついてきたわ」

「……なんであんたがムカつかなきゃなんないのよ」

 

 なぜか苛ついたような口調のキュルケに、ルイズはぼそっと呟く。

キュルケはキッとルイズを睨みつけると、肩を掴みがくがくと揺さぶった。

 

「あなたにムカついてんのよ! ただでさえ彼を使い魔なんかにしている時点で腹立たしいってのに! それをなに? クビにしたですって!?

ああもう! ほんっと信じらんない! あたしなら首に鎖巻いて絶対に逃がさないわ!」

 

 キュルケはそのままルイズをベッドに突き飛ばすと、腕を組んで、顔をしかめた。

 

「はぁっ……! 全く、彼みたいな男が、他にいると思ってんの? 彼の前じゃイーヴァルディの勇者だって裸足で逃げ出すわよ。

あたしが王様だったら、頭下げてでも、彼に仕えてもらうわね。そんなのを浮気程度でクビにするだなんて……、そりゃトリステインが衰退するわけだわ」

 

 ルイズはきゅっと唇を噛んだ。だがキュルケはそんなルイズを見つめながら、大きくため息をつき、呟いた。

 

「……悪いことは言わないわ、あなた、エツィオを恋愛対象として見ているなら、やめときなさい」

「なっ……! だ、誰が!」

 

 キュルケの言葉に、ルイズは思わず声を上げる。

だが、キュルケはルイズを無視して続けた。

 

「あのメイドもそうね、彼女もこの先、絶対痛い目を見るわ」

「だからわたしはっ……!」

「あなたじゃ彼と釣り合えないわ、ヴァリエール。彼とあなたじゃ、あまりにも差がありすぎる。もちろん、それはあのメイドにも言えたことだけど」

 

 キュルケの言葉に、ルイズは思わず声を荒げた。

 

「あ、あたりまえじゃない! あいつはただのつ……! へ、平民じゃない!」

 

 使い魔、一瞬そう言おうとして、慌てて言い直す。だがキュルケは肩を竦めながら、続けた。

 

「そりゃ身分で言えば、あなたの方がずっと上よ。あなたは公爵家、その点、彼はメイジでもなんでもない、ただの平民だもの。

でも人間的にはどうかしらね、……あたしは彼の方がずっと上だと思ってるわ。悔しいけど、あたしたちの周りにいる誰よりもね。

彼と話してて感じない? 妙に惹きこまれるのよ……カリスマっていうのかしらね、ああいうの。とても同年代とは思えないわ」

 

 キュルケにしては珍しい、惚れた男を語っているとは思えない程、淡々とした口調。

そんなキュルケの様子に、ルイズは思わず押し黙ってしまった。

 

「ま、それは置いといてね、あたしがホントに言いたいのは、恋愛経験の差よ」

「ど、どういう意味よ……」

「あなた、初心すぎるのよ、キスもさせてあげない男のために、泣いたり怒ったり……。一方のエツィオは、生まれついての女たらし。

そんな彼とあなたじゃ、勝負にすらなりゃしない。ヒヨコがグリフォンに挑むようなものよ」

 

 つまらなそうにそう言うと、キュルケは立ち上がった。

 

「魅力と才能に満ち、使い魔としても有能。それなのに彼の忠誠に応えるような事もろくにせず、

浮気しただのどうだのでクビにするようなあなたじゃ、どう頑張ったって釣り合えないのよ」

 

 ルイズはきゅっと唇を噛んだ。

 

「それに、使い魔はメイジにとってパートナーよ。それを大事にしないあなたは、メイジ失格ね。まあ、ゼロだししかたないのかもね」

 

 キュルケは去って行った。ルイズはなにも言い返せなかった。

ルイズは悔しくて、切なくて、ベッドに潜り込んだ。そして、幼いころのように、うずくまって、泣いた。

 

 

 ――その夜。いつかの強行軍の時のように、一日中馬を疾駆させていたエツィオは、夜も更ける頃にはラ・ロシェールに辿りつくことが出来た。

夜間であるためか、街中には篝火がたかれ、トリステイン軍の兵士達が警邏をし、次の戦に備えている。

エツィオの予想通り、現在、ラ・ロシェールの街はトリステイン軍の本陣として利用されているようだった。

 陣地と化したラ・ロシェール、その中にまんまと忍び込んだエツィオは、数多くいる傭兵達の中に紛れ込み、街の中を歩いていた。

今のエツィオを見れば、この戦に雇われた傭兵だと誰もが思うだろう。その中に紛れ、存在が希薄になったエツィオを気にとめる者など、誰もいなかった。

 

「……悪い予感が当たったな」

 

 街の中を歩きながら、エツィオは苦い表情で呟いた。

上を見上げると、遥か遠くの空にアルビオンの艦隊が見えた。街中には負傷した傭兵やトリステインの兵隊たちで溢れている。どうやら戦争が始まってしまったようであった。

今は夜中であるため、両軍とも一時的に戦闘行動を中止していたが、相手もいつ攻めてくるかわからない、

故にこうして、夜通し街中で篝火を焚き、寝ずの番が警邏をしているのであった。

 

「戦争……か」

 

 負傷し、苦痛に声を上げる兵士達を見つめながら、エツィオが表情を曇らせ、小さく呟いた。

 

「ここまで来たはいいが、これからどうするよ?」

「俺に出来る事はするつもりさ。……正直、俺には彼らを直接支援するだけの力なんてない、だが、勝機を得る手助けならしてやれるはずだ」

 

 そのためにはまず、情報を集めなければ、そう考えながら、デルフリンガーの柄頭に手を置き、街の中を歩いていた……、その時である。

 

「……ん? あれ?」

「どうした?」

 

 突然立ち止まり、目を擦り始めたエツィオに、デルフリンガーが尋ねる。

 

「あ、いや、今何か……見えたような……」

「見えた? こないだのアルビオンみたいなアレか?」

「いや……違う……、これは……」

 

 エツィオは呟くと、再び両目に精神を集中させる。その時、どういうわけか左手のルーンが淡く光りはじめた。

道を歩く兵士たちとは別に、実体のない幻が、エツィオの目の前を通過し、通り抜けてゆく。

その幻として視界に現れた人物に、エツィオは見覚えがあった。

 

「……ヘンリ・ボーウッド?」

 

 通り過ぎる幻を目で追いながら、エツィオは呆然と呟く。

 

「ボーウッドっていやあ、相棒が亡命させたアルビオン人だっけか? そいつがどうかしたのか?」

「今、そこを歩いて行った……そこの路地を曲がって……」

「は? 何言ってんだ? こんなとこ、誰も通ってないぞ」

 

 呆れたような声を出したデルフリンガーを無視し、エツィオはタカの眼に浮かび上がる、ボーウッドの幻影を追い、歩き始めた。

そうやってしばらく道を進んでゆくと、ボーウッドの幻影は、かつてエツィオ達が宿泊した宿屋、『女神の杵』亭へと入って行った。

 

 

「こちらが用意されたお部屋になります、ミスタ・ボーウッド」

 

 護衛の兵士が、直立不動の姿勢のまま、ボーウッドを部屋の中へ案内する。

 戦時下のため、トリステイン軍の高官用兵営として利用されている『女神の杵』亭の一室。

軍議を終え、ここまで案内されたヘンリ・ボーウッドは、兵士に振り向いた。

 

「ありがとう、面倒をかけてすまないね」

「いえ、あなたの護衛が我々の任務ですので。では、何か御用があればお声をかけてください、我々は外で待機しておりますので」

「わかった、ではよろしくたのむ」

 

 そう言うと、兵士は部屋を後にする。

それを見送っていたボーウッドは、小さくため息をつき、呟く。

 

「護衛……か、実際は監視だろうに」

「でしょうね」

 

 不意に背後から聞こえてきたその声に、ボーウッドは飛び上るほど驚いた。

まさか、暗殺者か? そう考え、即座に振り向き、身構える。

しかし、そこに立っていた人物を見て、ボーウッドは心底安心したかのように、大きく息を吐いた。

暗殺者、その予想は半分は外れで、半分は当たっていた。

 

「アウディトーレ!」

「シニョーレ」

 

 果たして、そこに立っていたのは、ボーウッドをトリステインまで導いた張本人、エツィオ・アウディトーレであった。

エツィオと握手を交わし、ボーウッドは、へなへなと椅子に腰を下ろした。

 

「はあっ……! 全く、驚かさないでくれ……、驚きのあまり死ぬかと思ったよ」

「これは失礼を」

「いや……。きみのことだ、来るとは思っていたよ。とはいえ、こうして突然目の前に現れるとは思いもしなかったがね」

 

 ボーウッドは苦笑しながら首を傾げる。

 

「しかし、どうしてぼくがここにいると?」

「……偶然です、たまたま街を歩いていたら、連行されるあなたが見えましてね、尾行したというわけですよ」

 

 ボーウッドの質問を、エツィオは適当にはぐらかした。

タカの眼にあなたの幻が視えた、なんてことを説明しようにも、首を傾げられるだけである。

エツィオの答えに、ボーウッドは肩を竦めて苦笑する。

 

「連行か……、それは間違っていないかもな。

ぼくは彼らからしてみれば未だ敵国人だからね、助言者として軍議に参加してはいるが、それ以外の時は、見ての通り、ほぼ軟禁状態さ。ほら、この通り杖まで取り上げられてしまったよ」

 

 まぁ、こればかりは仕方のないことだがね。とボーウッドは笑った。

 

「どうか、お堪えの程を。それより、軍議に参加しているとの事ですが、戦況は?」

 

 エツィオが尋ねると、ボーウッドは真面目な表情になり、ラ・ロシェールの周辺の地図を取り出し、机の上に広げた。

 

「きみの考案した作戦が功を奏したよ、あらかじめラ・ロシェールに商船に偽装した艦隊を配置し、合図と共に攻撃を開始する。

お陰で、相手の出鼻をくじき、先手を取って大打撃を与える事が出来た……。しかし、腐っても無双と名高いアルビオン艦隊ということか。

今は正直なところ、あまり芳しくないようだな。トリステイン艦隊もよく持ちこたえているとは思うのだがね……。地上部隊の降下を許してしまったそうだ」

「総司令官は?」

 

 ボーウッドはニヤリと笑い、小さく首を振った。

 

「すまないが、まだ判明していないんだ。なにしろ、僕の知る前任者はきみが消してしまったからね。

しかし、後任の総司令官は、やはり貴族議会の議員の一人だと予想できる。とはいえ、前任者と同じく、彼もまた名ばかりの司令官だろう」

 

 そういう組織なのだからな。とボーウッドは言った。

 

「旗艦は『ゴライアス』号だ、『ロイヤル・ソヴリン』には遠く及ばぬが、それでも強力なフネだ、艦長はおそらく、ホレイショの奴だろう、実質指揮を執っているのは彼だろうな」

「ホレイショ?」

「ホレイショ・ネルソン、ぼくの同期だ、艦隊の動かし方で大体わかるさ」

「旗艦の艦長か……。消すのは難しいな……」

「上空三千メイルだ、周囲には艦隊と竜騎士隊、羽根が付いていても無理だな」

 

 顎に手を当てながら、エツィオは考え込んだ。

指揮を執っている人物を暗殺し、軍全体の士気を挫き、統制を失わせる……。戦場における暗殺の常とう手段である。

しかしその標的が空に、しかも船の中にいるとなると、地上にいるエツィオには手も足も出ない。

 

「その降下した部隊は?」

「現在、草原の近くにある村を制圧したようだな。そこの防衛に当たっていた傭兵達が捕虜になってしまったと報告があった。彼らは現在、そこを司令部としたようだ」

「村ですって?」

「ああ、タルブの村、と言ったかな? もっとも、住民は既に避難しているがね」

 

 地図を指さしながら、ボーウッドが呟いた。

 

「地上部隊に動きは?」

「まだ動いてはいない、きみも知っての通り、このラ・ロシェールは天然の要害だ、空からの援護がなければ攻め込むのは難しいだろう。

しかし、空にはまだトリステインの艦隊が残っている。十分な援護が得られるようになるまで、彼らは動かないだろうな」

「なるほど……では決まりだ」

「どうするのかね?」

 

 エツィオは小さく頷き、フードを目深に被ると、椅子から立ち上がった。窓を開け、ボーウッドに振り向く。

 

「タルブの村へ、地上部隊を率いる指揮官に死を」

「待て! 少数とはいえ、アルビオン軍のど真ん中だぞ! その中に突っ込む気か! 危険すぎる!」

「しかし、得られる成果も大きい。地上部隊とはいえ、指揮官を失えば必ず混乱が生じる、トリステインにも勝機が生まれるはずです。

幸い、村の周囲は森に囲まれています、夜陰に紛れれば歩哨もやり過ごせるでしょう」

 

 淡々と答えるエツィオを、ボーウッドはじっと見つめた。

 

「何故……、何故きみはこの国の為にそこまでするのだ? なにがきみをそこまで駆り立てる?

きみはトリステインの人間でも、アルビオン王家の人間でもないのだろう?

たった一人を殺すために、そこまでの危険を冒すとは……。こんなことは言いたくはないが、とても正気とは思えない。……きみに恐怖はないのか?」

 

 エツィオは口元に僅かに笑みを浮かべた。

 

「主人の前なら、少しは余裕を見せていたでしょうが……。はは、情けないことに今も震えが止まりませんよ」

 

 自嘲気味な笑みを浮かべながら、エツィオは左手を掲げて見せた。

恐怖を感じているのか、その手は僅かに震えている。

 

「ですが……」

 

 小さく呟き、エツィオは窓の外を見つめる。遠くの夜空には、アルビオンの艦隊が見えた。

 

「今はそれ以上に、私は奴らを許せない。聖地の奪還、再征服……、私には『聖地』がどんなところで、『エルフ』がどんな人々なのかは知らない、

しかし、そのために無分別に戦火をまき散らし、死者の魂まで冒涜する。そんなことは決して許されることではない」

 

 エツィオは静かに、だが力強く答えた。

 

「そんな下劣な連中を、野放しなどにしておけるか」

 

 その言葉と共に、掲げていた左手から、アサシンブレードが勢いよく飛び出した。

いつの間にか、腕の震えは収まっていた。

 

「わかった……、最早きみを止められる者はいないようだ」

 

 ボーウッドは、諦めたように小さくため息を吐く。

それから、地図を指さし、平原を大きく迂回するルートを指でなぞって見せた。

 

「少々遠回りだが、行くならこのルートを勧める。森の中だ、夜陰に紛れてゆけば敵と遭遇する確率もぐっと低くなる。

ましてやきみは単独だ、部隊とは違い、動きを察知される心配もない。まぁ、多少の歩哨はいるだろうが……、きみならば問題はないだろう?」

 

 ボーウッドはそれだけ言うと、窓の縁へと足をかけたエツィオをじっと見つめた。

 

「きみの刃に幸運が宿らんことを祈っている。……きみはここで死ぬべき人間ではない、絶対に無理はするな」

「ええ、ここで死ぬつもりはありません、危なくなったら、さっさと逃げますよ。では、また生きてお会いしましょう」

 

 エツィオはニヤリと笑みを浮かべると、古びたマントをはためかせ、窓から身を躍らせる。

その姿を見送っていたボーウッドは、椅子に深く腰かけると、天井を見上げながら小さく呟いた。

 

「やれやれ……。これで彼が戦の流れを変えでもしたら……。ハルケギニアの戦史がひっくりかえってしまうな」



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memory-28 「Liberation」

 深夜、一時過ぎ。

夜空に煌々と輝く二つの月の光も、鬱蒼とした木々に阻まれ、森の中は闇に包まれている。

その深い闇の中を、風のように駆け抜けるフード姿の男が一人。エツィオであった。

左肩には、今や貴族派にとって死の象徴である、貴き血によって赤黒く染め上げられた亡王のマントが翻っている。

足音も鳴らさず走るその姿を見れば、誰しもがこう思うだろう、――死神と。

 動きを悟られぬよう、アルビオンの軍勢で埋まる草原を大きく迂回し森の中に入ったエツィオは、馬を降りて自分の足でタルブの村へと向かっていた。

 ボーウッドに示されたルートを辿っていたため、タルブの村に辿りつくのはそう難しいことではなかった。

辿り着いたタルブの村は、イタリアの農村にもよくあるような、こぢんまりとした、しかし素朴で美しい村だった。

しかし今は、アルビオン軍に占領され、村のほとんどの家屋が焼け落ち、黒い煙を上げている。そこかしこにはレコン・キスタの旗が誇らしげに掲げられ、

村の中心部の広場には物見櫓が聳え立ち、その上で弓兵が周囲を警戒していた。村を囲むように作られた柵の中には大砲が外へ向けずらりと並べられている。

村の隅には何人か死体が転がっている、そのぞんざいな扱いを見るに、ここの防衛に当たっていたトリステイン軍の兵士達だろう。

そんな異様な村の中を、アルビオン軍の兵士が我がもの顔で闊歩していた。

 

 エツィオは奥歯をギリっと噛みしめると、今にも怒りにまかせ飛び出してしまいそうな己を律するため、大きく深呼吸をする。

逸る心を落ち着かせ、周囲を警戒しながら村の中をじっくりと観察する。幸いにもアルビオン兵の姿はそれほど多くはないようだ。

目下のところ、その多くが大草原で待機しているラ・ロシェール攻撃部隊へとかりだされているのだろう。

さしもの彼らも、拠点防衛に回すほど人員を裂く余裕はなかったようだ。

ましてやここはトリステイン軍の立て籠るラ・ロシェールとは反対方向、ここからだと大草原のアルビオン軍、そして空軍艦隊を挟む形になっている。

そうやすやすと攻め込まれないと判断したのだろう。

 

 そうやってエツィオが中の様子を盗み見ていると。突然、ばっさばっさ、と力強く羽ばたく音が空から聞こえてきた。

竜の羽音だ、その音を聞いたエツィオは、咄嗟に身をかがめる。それから、音がした方を見上げると、なるほどそれは、アルビオン軍の風竜であった。

万一見つかりでもしたらひとたまりもない、エツィオは見つからないように体勢を低くして、それをやり過ごす。

そうやって風竜を目で追っていると、やがて風竜は、村の広場へと降下して行った。

 

「伝令か?」

 

 その風竜が降りた広場を見て、エツィオは首を傾げた。

見ると、村の広場に兵士たちが整然と並び、集まり始めている。どうやらその風竜を出迎えているようであった。

 するとその風竜から、それを操っていた竜騎士と共に一人の立派な貴族が広場に降り立つのが見えた。

貴族は広場に降り立つと、防衛部隊の隊長と思わしきメイジと何やら話しこんでいる。

 

「あれは……」

 

 エツィオはその貴族を見て、首を傾げた。

ここからでは距離が遠すぎてよく確認出来ないが、こうやって兵士たちに出迎えられているということは、かなり地位の高い貴族であることには間違いない。

もしかしたら、彼こそがこの地上部隊の指揮官なのかもしれない、と見当を付けた。

 

 話が終わったのか貴族は、元は村長が使っていたのであろう、村の中でも大きな家の中に入ってゆく。

それから、兵隊長が号令をかけ、兵士たちは明日の戦へと向け、それぞれの軍務へと戻って行くのが見えた。

 

 エツィオは兵達の動きが落ち着きを取り戻すまで待ち、頃合いを見計らって物陰に隠れながら村へと近づいてゆく、

すると、一人のアルビオン兵士が斧槍に寄り掛かってうつらうつらと船をこいでいるのが見えた。

どうやら彼は、この付近の見張りを任されているようだ。彼の他に周りの兵士の姿はない。

 エツィオは僅かに口元に笑みを浮かべると、職務怠慢な彼の足もとに、一枚の銀貨を放り投げる。

ちりん、と硬貨が涼しい音を立てる、すると彼は目を覚まし音がした足元を見つめ、思わず顔をほころばせた。

 

「おほっ、銀貨じゃねえか」

 

 兵士は喜んでそれを拾い上げる、すると数歩先に、もう一枚銀貨が落ちていることに気がついた。

思わぬ拾い物に兵士は顔を輝かせそれも拾い上げる、するとまた数歩先に、今度は金貨が落ちていた。

 

「おおっ! 今度は金貨! まだどっかに落ちてないかな?」

 

 それも拾い上げた兵士が、あさましくもまだ落ちていないか周囲の地面を見回す。

すると今度は……。なんと財布と思われる布の袋が落ちているではないか!

 

「財布じゃねえか! 神様ってのはいる――っ!?」

 

 兵士は思わず斧槍を放り出し、喜んでそれを拾い上げようと身をかがめた、その瞬間。

突如闇の中から伸びてきた手が、兵士の口を力強く塞いだ。

兵士は自分の身に何が起こっているのかわからず目を白黒させる。その手は兵士の身体を軽々と持ち上げ、木の幹に叩きつけた。

全身に走る強い衝撃で兵士は意識を手放しかける、半ば薄れかかった視界の中、首筋に突きつけられた短剣を目にし、恐怖のあまり兵士は言葉を失った。

 

「――っ! ……っ!」

「今から手をどける、……俺が言いたいことくらいわかるな?」

 

 少しでも意に逆えば即座に殺される。そう感じた兵士はこくこくと必死に頷いた。

 エツィオは兵士の胸倉をつかむと冷たい表情のまま口を開いた。

 

「お前に聞きたいことがある、答えてくれるな?」

「わかった! なんでも答える! ぼ、暴力はやめてくれ!」

「振るう側のお前がそれを言うのか? なかなか笑える冗談だ。……だが、それには賛成だ、俺も出来れば暴力は控えたい」

 

 その言葉とは裏腹に、敵兵の首に突きつけた刃先に、僅かだが力を込めた。皮膚が切れ、流れ出た血が一筋、敵兵の首の上を滴り落ちた。

恐怖に凍りついた敵兵に、エツィオは低い声で尋ねた。

 

「先ほど風竜で降りてきた貴族がいたな、そいつは何者だ」

「サー・ジョージ・ヴィリアーズ公だ! 議会議員の!」

「議会議員? ということは……」

「そ、総司令官だ! 明日俺達はラ・ロシェールに総攻撃をかける予定なんだ! その指揮の為にここに……!」

 

 その言葉に、エツィオは薄く笑った。なんという僥倖だろう、まさか相手からこっちに来てくれるとは。

だがその笑みを極力悟られぬように、平静を装ってさらに訊ねる。

 

「お前達が捕らえた捕虜はどこにいる?」

「む、村の離れだ! あそこの納屋と家畜小屋だ! 鍵は見張りが持つことになってる! ほら、あいつだよ!」

 

 兵士が視線を向けると、なるほどそこには見張りの兵士が一人、納屋の前に立っていた。

エツィオは、小さく頷くと、兵士へと視線を戻した。

 

「なるほどな……分かった、お前の言葉に偽りがなければ、だが」

「い、偽りなどない! も、もういいだろう! 正直に話したんだ、放してくれ!」

「放す? 放せば報せに走るだろう?」

「だ、誰にも言わない! 誓ったっていい! ずっと黙ってる!」

「……なら約束してくれ」

 

 エツィオがそう言うと、兵士は心底安堵したように頷いた。

 

「あ、ああ、約束する、約束すると……っ!」

 

 兵士の言葉はそこで途切れる。

いつの間にかエツィオは兵士の太腿にアサシンブレードの先端を突き刺していた。刺しはしたものの、傷口は浅く、少し血がにじんだ程度である。

しかしどういうわけか、兵士の顔色は見る見るうちに変わり、目を大きく見開くと、ばたりと仰向けに倒れ伏した。

そして全身に緊張を起こした後、やがて動かなくなった。

 

「おでれーた、それ毒剣だったのかよ」

 

 その様子を見ていたデルフリンガーが、カチカチと音を立てる。

 

「ああ、毒はレオナルドご自慢の特別製だ、効き目は……見ての通りみたいだな」

 

 エツィオはニヤリと笑みを浮かべると絶命した兵士の死体を担ぎあげる。

そして暗がりの中に下ろすと、兵服と鉄兜をはぎ取った。殺害に毒を用いた為、血は付いていない。

エツィオはすばやく敵兵の服に着替え、死体を草むらの中に慎重に隠した。

それから放り投げられた斧槍を拾い上げ、何食わぬ顔で村の中に入ってゆく。

見破られはしないかと、内心不安を抱いていたエツィオであったが、夜の闇も手伝い、他の見回りの兵達は中身が入れ替わったことに全く気が付いていないようだ。

 まんまと村の内部に潜入することに成功したエツィオは、自分の作戦がうまくいったことにほくそ笑みつつ、村の構造、敵兵の配置を把握するために歩き出す。

やはりというべきか、損壊を免れた家屋の多くは、アルビオン軍に利用されていた。ある家は兵達の宿舎として、またある家は武器火薬庫として。

それからエツィオは村の広場へと視線を送る、そこには先ほど総司令官が地上に降りるために乗ってきた風竜が一匹繋がれていた。

どうやらこの村にいる竜はこの一匹らしい、数が少ないのはいいが、それでも生身の人間 にとっては十二分に脅威である。

これはどうしたものかと首を傾げていると、不意に声をかけられた。

 

「おい、そこの貴様」

「はいっ!」

 

 エツィオが振り返り、下っ端らしく威勢よく返事をする。

すると目の前には一人の騎士が、牛や豚の肉の塊が入った手桶を持って立っていた。

 

「悪いが竜に餌をやっといてくれないか」

「自分が……ですか?」

「そうだ。なに、そんなに怯える必要はない、別に取って食われやしないんだから、とにかく頼んだぞ」

「りょ、了解しました」

 

 騎士はエツィオに手桶を手渡すと、そそくさと立ち去ってゆく。

その場に取り残されたエツィオは手桶の中身と風竜を交互に見やった。

別に従う必要もないが、不審な動きをしてばれてしまっては元も子もない、エツィオは意を決したように、そろそろと風竜に近づいてゆく。

以前、タバサの風竜の背に乗せてもらったこともあったが、やはりその巨体を目の前にすると竦んでしまう。

エツィオはおそるおそる手桶の中の肉片を風竜の前に置いてみる。ちょっと腰が引けている。

すると腹をすかせていたのか、風竜はがつがつと肉をおいしそうに食べ始めた。

ほっ、と胸をなでおろし、エツィオは残りの肉を風竜に与える、そして最後の一つをやろうとしたその時、何かを思いついたのかエツィオはその手を止めた。

 

「悪いが、これはまた後でな」

 

 どこか不満そうな目でこちらを睨みつけてくる風竜にエツィオは小さく笑みを浮かべると、その場を後にし、肉の入った手桶を物陰に隠しておいた。

 そうして風竜に餌をやり終えたエツィオは調査を続行する、頭の中で作戦を練りながら、捕虜たちが囚われているという離れへと近づいてゆく。

するとその姿に気が付いたのか、納屋の警備をしていた兵士がこちらに手招きをしてきた。

 

「おいっ……、おいっ、そこのお前だ、ちょっと」

「はい!」

 

 先ほどと同じように返事をし、エツィオがその兵士の元へ走り寄る。

すると兵士は、なにやら落ち着きのない様子でエツィオに囁いた。

 

「な、なあ、ちょっとお前に頼みがあるんだ」

「何でしょう?」

「少しの間でいい、見張りを代わってくれないか?」

 

 思わぬ申し出にエツィオは思わず口元が緩みそうになる。だがそれを悟られぬように、エツィオは頷いた。

 

「了解しました」

「へへっ、すまねえな、後でお前にもいい思いをさせてやるからよ」

 

 兵士はそう言うと下卑た笑みを浮かべながら、どういうわけか納屋の鍵を開け、その中に入っていった。

それを見送ったエツィオは周囲に他の兵士がいないことを確かめ、納屋の取っ手に手をかけようとした、その時だった。

納屋の中から、何かを殴りつける音が聞こえてくる。それから何かを引きずる音……。

拷問か? エツィオは顔をしかめながら納屋の扉を開ける。中はやはりというべきか真っ暗闇で、その中には傭兵達と思われる男達がすし詰めに拘束されていた。

しかし先ほどの兵士の姿は見えない。エツィオは近くにいた傭兵の元に歩み寄り訊ねた。

 

「おい、今入ってきた奴はどこにいった?」

「い、今、隊長を連れて、向こうの部屋に……」

 

 アルビオン兵士の格好をしているためか、どこか怯えたような様子で傭兵が答える。

エツィオはすぐに兵士が入って行ったという扉の前に行き、音を立てぬようにゆっくり扉を開けた。

 

 そして、その中の光景を見てエツィオは目を疑った。

窓から漏れる月明かりに短く切った金髪がきらめき、その下に青い瞳が泳ぐ。

白い肌、細い首、一目で女性とわかる、しなやかできめ細やかな素肌が月光の元に晒されていた。

彼女の足元には、無理やりに引き裂かれたのであろう革鎧が無造作に落ちている。

 思わずその姿に目を奪われてしまっていたエツィオだったが、継いで目に入ってきた光景に我を取り戻す。

先ほどの兵士が、彼女にのしかかるようにして襲いかかったのだ。

考えるまでもなく、エツィオは即座に兵士の背後に忍び寄り、頸部をアサシンブレードで貫いた。

 

「見下げた奴だ」

 

 言葉も発せずに絶命した敵の死体を見つめながら、エツィオが吐き捨てるように呟く。

それから、突然の光景に言葉を失っている女の拘束を解いてやる。そして鉄兜を脱ぎ捨てると、安心させるようににこりとほほ笑んだ。

 

「お怪我はありませんか?」

「お、お前は……? な、なぜ助けた?」

「ディアーナを汚そうとする不埒者を成敗したまで。立てるか?」

 

 震える声で尋ねる女に、エツィオは手を差し伸べる。

差し出された手を取り、女はふらふらと立ち上がる。その身体はまだ震えていた。

 

「きみは、傭兵か?」

「そうだ。……お前は、わたしを犯しに来たわけではなさそうだな」

「俺は紳士でね。でも、いざその時になったら、そこの男より満足させてあげられる自信はある」

 

 エツィオは彼女の頬をそっと掌で包み、仰向かせた。だがすぐにその手は打ち払われてしまった。

 

「言ってろ、その時はお前のモノを噛みきってやる」

 

 どうやら落ち着きを取り戻したようだ、彼女の物騒な物言いに、エツィオは苦笑しながら肩を竦める。

それから床に転がる兵士が脱いでいた兵服を拾うと、女傭兵に手渡した。

 

「お前……何者だ? アルビオンの兵士じゃないのか?」

 

 兵服に袖を通しながら、女傭兵が訊ねる。

 

「俺か? 俺はただの使い魔さ、……つい最近クビになったけどな」

「使い魔だと? 冗談はやめろ」

「残念なことに冗談じゃないんだ。なんにせよ俺はアルビオンの兵士じゃない。ついでに言えば、トリステインの兵士でもない」

「トリステイン兵じゃない? 救援じゃないのか? ではお前は何をしにここへ?」

 

 からかう様なエツィオの口調に女傭兵は顔を顰める。

そんな彼女の瞳を覗き込み、エツィオはにやっと笑った。

 

「聞けばこの村に、アルビオン軍の総司令官が来ているそうじゃないか」

「……らしいな」

「そいつを消しに来た、と言ったら?」

「消しっ……!」

 

 エツィオの口から飛び出した言葉に、女傭兵は思わず叫んだ。

エツィオは女傭兵の口に人差し指を当て、中断させる。

 

「……くっ! け、消すだと! お前は一体何者なんだ! 答えろ!」

「そのうちわかるさ。それよりもだ、そのためにはきみたちの力がいる。力を貸してほしい。どうかな? きみたちにとっても悪い話じゃないはずだ」

「名乗りもしない癖に……そんな奴をどうやって信用すればいいというのだ?」

「それを言われると返す言葉もないな。こちらも無理強いはできないし、するつもりもない。

ただ、このまま坐して敗北を待つか、行動を起こして勝機をつかみ取るか、好きな方を選べばいい。

まあ、どちらにせよ俺は動くつもりでいるけどな」

 

 未だに疑いの目を向ける女傭兵の胸に、エツィオは人差し指を突き立てる。

 

「それにだ、困ったことに俺はいくら手柄を上げても、恩賞を受け取れない立場にあってね、なんなら手柄を全部きみたちに譲ってもいい。うまくいけば大出世だ」

 

 その言葉に女傭兵は信じられないとばかりに大きく目を見開いた。

 

「ほんとうか?」

「もちろん、相手は総司令官、大手柄だ。勿論この戦に勝利し、生き残る必要があるけどな」

 

 女傭兵は、ほんの少し考えた後、エツィオの目をまっすぐ見据え、大きく頷いた。

 

「……わかった。その話、乗った」

「決まりだな」

 

 エツィオがにやりと笑い、手を差し出す。

 

「名前を聞いていなかったな」

「……アニエスだ」

「いい名前だ。俺は……アウディトーレだ。よろしくな、アニエス」

 

 差し出された手を、アニエスが握り返した。

 

「よし、それじゃあ、向こうの彼らにも手順を説明する。付いてきてくれ」

 

 最初、アルビオン兵の姿をしたエツィオをいぶかしんでいた傭兵達であったが、アニエスのとりなしで信用を得る事が出来た。

どうやら彼女は女性の身でありながら傭兵達を率いる身分らしい、相当な実力者のようだ。

 そうして捕虜の傭兵達を解放したエツィオは、彼らに作戦を説明し、納屋にあった農具で武装させ待機を命じた。

アルビオン兵の姿に変装させたアニエスには納屋の見張り役に立たせ、合図を待たせる。

それからエツィオは何食わぬ顔で納屋を後にし、行動を開始した。

まずエツィオが向かったのは、村の中心に聳え立つ物見櫓だった。

櫓の上には石弓を持った兵が二人控えており、周囲を警戒している。こちらの行動を察知されては困るため早急に始末する必要があったからだ。

エツィオは櫓を登ると、何気ない風を装い二人の弓兵に声をかけた。

 

「おい、困ったことが起きたんだ、ちょっと来てくれないか?」

 

 その言葉に反応した二人は、何事だろうかと首を傾げ、登ってきたエツィオに近づいてゆく。

その瞬間だった、エツィオの両腕から二本のアサシンブレードが弾かれたように飛び出し、二人の首を同時に切り裂いた。

声を出すこともできずに絶命した二人は、どさりと櫓の上に身を横たえる。この一瞬の早業に、気が付いたものは誰ひとりとしていなかった。

 

 首尾よく櫓の上の敵を始末したエツィオは、彼らが持っていた石弓とボルトを回収し、素早く櫓を降りる。

次にエツィオは、先ほど隠した肉の入った手桶を手に取った。

そして、その中の肉の塊に、アサシンブレードに仕込まれた毒剣を突き刺し、ありったけの毒を注入する。

 

「それ、竜にも利くかね? 竜相手じゃ、精々腹痛起こすとかその辺なんじゃないか?」

 

 その様子をみていたデルフリンガーがカチカチと音を立てる。エツィオは毒を注入しながら首を傾げた。

 

「こればかりはレオナルドを信じるしかないな、自信作とか言ってたが」

「その毒、中身はなんだ?」

「えーっと、確かドクゼリの根っこに毒ニンジン、ヒヨスのエキス……あと殴り殺した豚の肝臓に亜砒酸の混合……他色々だそうだ」

「うーん? 聞いたことねえのばっかりだな」

「だろうな、俺も毒については門外漢だ。とにかく、腹痛程度でも、無力化さえできればいいさ」

 

 そう呟きながら毒を注入し終えたエツィオは、風竜の目の前にその肉片を放り投げると、すぐにその場から離れ様子を見守る。

待ちかねていた食事に、風竜は嬉しそうに一声鳴くと、肉に齧り付いた。それを確認し、エツィオはそそくさとその場を立ち去る。

あとは毒の効果が表れてくれるのを祈るだけ……そう思っていた、その時だった。突然風竜が苦しそうにもがき始める。どうやら毒が効果を発揮し始めたようだ。

風竜は口から涎と泡、そして吐瀉物をまき散らし、翼や頭を振り回しながら広場で大暴れを始めた。

 

「お、おいおい……」

 

 予想以上の毒の効果にエツィオが思わず呟く。

 レオナルドが作ったとはいえ、本来人間相手に使うものである、

人間より遥かに強靭な肉体をもった竜にどれほどの効果が及ぼせるか不明ではあったが、まさかここまで強力な物だったとは思わなかったのだ。 

 

「竜すら殺す猛毒かよ……お前のその親友、おっかねえ野郎だな」

「……同感だ、あいつは恐るべき大天才だよ」

「それを人に使ったお前はもっとおっかねえけどな」

 

 デルフリンガーが呆れたように呟いたその時、風竜の異常に気が付いたのか、警備の為に村中に散っていた兵士たちが広場に集まり続ける。

 

「どうした! 何事だ!」

「風竜が暴れ出したぞ!」

「と、止めろ! なだめるんだ!」

 

 どうやら、村中の兵士たちの注意を集める結果になったようだ。これは予想外であったが、エツィオにとっては好都合だ。

必死になって竜をなだめようとする兵士たちを尻目に見ながら、次の行動に移るべく、そそくさと移動を開始する。ここからは早さとの勝負だ。

敵兵達の視線が、竜に釘付けになっている隙に、納屋の前のアニエスに向け手を振り、合図を送る。

すると納屋の扉があき、中にあった農具で武装した傭兵達が他の捕虜が囚われている家畜小屋や武器庫に忍び込み、没収された武器を運び出してゆくのが見えた。

捕虜を解放し、武装を終えた傭兵達が、アニエスの指示に従い、それぞれの配置場所へと移動してゆく。

全員が配置についたことを確認したエツィオは、すぐに物陰に隠れると、兵服からアサシンのローブへと着替え、フードを被る。作戦開始だ。

 

 

「くそっ……! 貴重な竜が……!」

「一体何があったんだ? 急に暴れ出すなんて……」

 

 広場では、毒にのたうちまわっていた風竜がようやく息絶え、その巨大な身体を横たえていた。

その遺骸の周りに集まっていた敵兵達は、奇妙な急死を遂げた風竜を見て首を傾げていた。

 

「とにかく! これは責任問題だぞ! 原因を究明しろ! 最後に竜に触れた者は誰だ!」

「そ、それは確か……、あ、あれ? あいつはどこに……!」

 

 エツィオに餌を与えるように命じた騎士は、あわててその姿を探す。

その時だった、兵士が一人、息を切らせて広場へと駆けこんできた。

 

「大変だ! そこの草むらで、フェルトンの死体が見つかった!」

「な、なんだと! してみると、敵襲か!」

「それだけじゃない、死体から装備がひんむかれてやがった。俺達の中に、フェルトンに化けている奴がいる!」 

「と言うことは……、我々の中に敵の間諜がいるのか!?」

 

 その言葉に、兵達の間に一気に緊張が走った。見えぬ敵の姿に、誰もが剣、或いは杖の柄に手を伸ばす。

その時であった。兵士たちが集まる広場に不意に一つの影が差した。何事かと振り向いた兵士たちは、全員言葉を失った。

 

 兵達が視線を向けた先、村の寺院、そのファサードの頂上に立ち、天上に輝く二つの月を背にこちらを見下ろす一つの影。

目深に被った白のフードに、左肩に翻る血塗られた王家のマント……。その姿はまさしく、冥府より現れた死神のようだ。

 

「あ……アサシン……?」

 

 手配書となんら違わぬアサシンの姿を見た兵士が、戦慄いたように呟く。

 

「アサシン? あれがっ……!?」

「う、嘘だろ……? な、なんで奴がここにっ……!」

 

 動揺が、瞬く間に広場に集まった兵士たちの間に伝播してゆく。

それを俯瞰していたエツィオに、デルフリンガーが呟く。

 

「銃兵だ、相棒」

 

 その言葉に、エツィオは広場に集まった敵兵達の中から銃兵をすぐさま割り出す。

 

「魔法なら俺がなんとかできる。だが弾丸はそうもいかねえ、狙われる前に銃兵を先に潰しちまえ」

「そうさせてもらおう」

 

 エツィオは小さく呟くと、先手必勝とばかりに敵兵達の中心目がけて跳躍する、

同時に腰のナイフベルトから四本の投げナイフを両手で引き抜き空中からすかさず投擲。

ヒュンと音を立てて放たれた短剣は、死神が振う大鎌にも劣らぬ効果を発揮した。

眉間に深々と投げナイフが刺さった四人の兵士たちが、そのままどさりと地面に倒れる。

それとほぼ同時に着地したエツィオは、まるで猛禽が獲物を捕らえるかのように両腕のアサシンブレードで二人のメイジの首を貫く。

素早く死体からアサシンブレードを引き抜き、近くにいた敵兵の首や急所を、手当たり次第に切り裂き、貫いた。

横一文字に切り裂かれた敵兵達の首から真っ赤な鮮血が噴き出し、エツィオに降りかかる。その恐ろしい姿に、敵兵達がさらに竦み上がった。

その瞬間を見逃さず、エツィオは弾丸の様な速さで敵の間を駆け抜けながら、いつの間にか引き抜いていたデルフリンガーを振い、次々に敵兵達の胴体を薙いでゆく。

己の身を翻し、刃を閃かせるたびに、血しぶきが舞い、敵の身体が倒れてゆく。目につく敵をどんどん排除し、握ったデルフリンガーから鮮血を滴らせ、

弾を装填している銃兵達目がけ突っ込んでゆく。その突撃に完全に泡を食った銃兵達は、なすすべもなくなぎ倒されていった。

そして最後の一人である銃兵を斬り伏せようとした、その時。

 

「相棒! 後ろだ!」

 

 デルフリンガーの叫びに、エツィオは素早く反応し背後に向け剣を振う。

するといつの間に放たれていたのだろう、背後から飛んできた火の玉が振ったデルフリンガーの刀身に吸い込まれ、消えて行った。

 

「礼は後だ!」

 

 エツィオは叫びながら、すぐ後ろにいた銃兵の胸倉をつかみ、デルフリンガーの刀身を鳩尾に突き立てる。

それから死体とデルフリンガーを盾に、そのまま魔法を飛ばしてきたメイジの元へ猛然と突っ込んでいった。

呪文を放ったメイジは、その恐ろしい姿に思わずひるみ上がり、がむしゃらに呪文を放った、しかしその呪文のいずれもが、デルフリンガーに吸収され、或いは

哀れな味方の死体に阻まれ、ついにエツィオに届くことはなかった。

エツィオは盾となってくれた死体を払いのけ、デルフリンガーを小さく振い、最小限の動きでメイジの喉を切り裂いた、

切り開かれた傷口から、ぱっと鮮血が舞う。メイジは切り裂かれた喉を押さえながら、がくりと膝を突き、崩れ落ちた。

 そうやって兵士たちをことごとく斬り伏せたエツィオがついと振り向くと、その姿に慄いたアルビオン兵達が恐怖のあまり後じさった。

 

「どうかな? 彼らには申し訳ないが、今降伏すれば、命だけは助けてやるぞ」

 

 そんな彼らに血糊が付いたデルフリンガーを左手で振いながら、エツィオが提案をする。

すると士官と思われるメイジが、激昂した様子でエツィオに杖を突きつけた。

 

「ふっ、ふざけるな! 貴様こそ、この数の不利を覆せると思うなよ!」

 

 その言葉に、怖気づいていた敵兵たちが剣や槍を構え、エツィオの周囲をぐるりと取り囲んだ。

メイジである者は杖を構え、呪文を詠唱しエツィオに突きつける。

 

「ここから生きて帰れると思うな! アサシン!」

「受け入れてはもらえないか……」

 

 しかし、剣や槍、果ては杖に囲まれてなお、エツィオは泰然とした態度で不敵に微笑んでいる。

それからエツィオは小さくため息をつくと、すっと右手を高く掲げる。

 

「残念だ」

 

 そう呟くや否や、エツィオは高く掲げた右手の指をパチン! と鳴らす。

その瞬間であった。真っ先に激昂しエツィオに杖を突きつけていたメイジが、ぐるんと白目をむき、ばたりと地面に倒れ伏した。

何事かと、敵兵が一斉にそちらを見つめる。メイジの背には、一本の矢が深々と突き刺さっていた。

 

「なっ、なにっ!?」

 

 敵兵達の間に、再び動揺が走ったそのとき、エツィオを囲む敵兵達目がけ、大量の矢、或いはボルトが次々撃ち込まれてゆく。

完全にエツィオに気を取られていたアルビオン兵達は、闇に紛れ背後に回り込んだ傭兵たちに全く気が付くことが出来なかった。

傭兵達の奇襲に、アルビオン兵達はなすすべもなく体中に矢を受け、地面に伏してゆく。

それは杖を構えていたメイジ達も同じであった。杖を目印に集中的に狙われた彼らは、真っ先に多くの矢を打ちこまれ絶命していった。

 

「今だ! 突撃開始!」

 

 あらかた矢を撃ち終えたのか、アニエスが号令をかける。傭兵達はそれぞれの得物を構え、広場へと突っ込んで行く。

エツィオもそれに合わせ、デルフリンガーを構え、アルビオン兵の中に斬り込んで行った。

 

 アサシンの襲撃に傭兵達の奇襲、それにより士官のメイジを失い恐慌状態に陥りつつあったアルビオン勢、

片やガンダールヴの力を発揮したエツィオにアニエス率いるトリステイン傭兵隊、その戦いの優劣は最早火を見るより明らかだった。

あっという間に戦況をひっくり返し、広場にはアルビオン勢の死体がどんどん増えてゆく。

優勢を確信したエツィオは、デルフリンガーを振り回し、敵を薙ぎ払いながらアニエスに指示を出した。

 

「アニエス! 手勢を率いてあの屋敷に襲撃をかけろ! 指揮官はそこにいる!」

 

 アニエスはエツィオの指示に耳を疑った。敵の身体を蹴り飛ばし、よろめいたところを止めを刺す。

血の滴る剣を抜きながら、彼女はエツィオを問いただした。

 

「お前は!」

「広場を制圧する! 言ったろ! 手柄はきみたちに譲るって!」

 

 エツィオはフードの下でウィンクすると、左右から同時に飛びかかってきた男達を瞬時に斬り倒した。

 

「急げ! 奴を逃がすな!」

「簡単に言ってくれる……! 聞いての通りだ! 敵将はこの中だ! わたしに続け! 討ち取るぞ!」

 

 アニエスは手早く傭兵に号令をかけ、村で一番大きな屋敷に突入してゆく。

勝利を確信したエツィオは、広場に残る敵兵達を睨みつける。もはやアルビオン勢の気勢は削がれ、武器を捨て命乞いを始めるものまでいた。

制圧は最早時間の問題だろう。

あとはアニエス達が出てくるのを待つだけか……。そう思っていた時だった。

 

 突如、アニエス達が突入した屋敷の扉から烈風が吹き荒れる、それと一緒に、中から彼女と共に突入した傭兵達が扉を突き破り広場にまで吹き飛ばされてきた。

何事かと、エツィオが屋敷の扉があった所を睨みつける。すると中から、立派な杖を持ったメイジの貴族が姿を現した。

果たしてその貴族とは、先ほど風竜に乗って村に降りてきたアルビオン軍総司令官、サー・ジョージ・ヴィリアーズ公であった。

ヴィリアーズ公はゆっくりと広場を見渡すと、じろりとエツィオを睨みつけた。

なんとも威圧感のある男である、その男が姿を現しただけで、いつの間にか広場は静まり返っている。

 

「アサシン……! 貴様が……!」

 

 ヴィリアーズ公は立派なカイゼル髭を揺らしながらエツィオに杖を突きつける。

だがエツィオは億した風もなく、優雅に腰を曲げて見せた。

 

「これはこれは、ヴィリアーズ公、お目にかかれて光栄の至り」

 

 いかにもわざとらしい、皮肉を込めた慇懃な振る舞いに、ヴィリアーズ公は不愉快だと言わんばかりに顔をしかめた。

 

「ふん! 薄汚いアサシンめ! 私の首を狙いに来たか!」

「御明察恐れ入ります、閣下。つきましては、我が刃の露と消えていただきたく……どうか御覚悟のほどを」

 

 エツィオはフードの下に笑みを浮かべ、左手を差し出す、同時にアサシンブレードが弾け、袖口から鋭い刃が飛び出す。

 

「成程、今までお前が殺してきた我が同胞たちのように、私もまたその刃で討ち取ろうというわけか。だがそうはいかぬぞ、アサシン!」

 

 そう言うと、ヴィリアーズ公は後ろからぐいと何者かを引っ張り出した。

果たしてそれは、先ほどこの屋敷に突入して行った、アニエスであった。

 

「くっ……! アウディトーレ……、すまない……!」

 

 アニエスは申し訳なさそうに俯くと、悔しそうに唇を噛みしめた。

ヴィリアーズ公はアニエスに杖を突きつけ、己の正面にまるで盾にするように立たせた。

 

「人質か、人のことを汚いと罵る割には、そちらも随分と卑劣な真似をするじゃないか」

「ほざけ! 貴様がこれまで行ってきた非道の数々に比べればどうということではないわ!

不意を打ち、その薄汚い刃にて多くの貴族の誇りを散々に踏みにじってきた貴様に比べればな!」

「お前も貴族だろう? だったら彼女を解放しろ。お前達が誇りとする魔法とやらで俺を殺してみろ!」

「貴様は挑発のつもりだろうが……、私は見ていたぞ、その剣に魔法が吸い込まれてゆくのを」

 

 ヴィリアーズ公はねめつける様にエツィオの手元のデルフリンガーを見つめた。

 

「この女を離してほしいか? ならばその剣を捨てろ、そうしたら離してやるぞ」

「離してはだめだ! 離したら奴は魔法を放つつもり――あうっ……!」

「黙っておれ! ……さあ剣を捨てろ、アサシン。それとも、丸腰の女を見殺しにするのかね?」

 

 はっとしたように叫ぶアニエスの顔をヴィリアーズ公が殴りつけた。それからエツィオを見つめ、楽しそうに呟く。

 するとエツィオは肩を竦め、何を考えたか、手に持っていたデルフリンガーを地面へと放り投げた。

がちゃり、と音を立て、デルフリンガーが地面に転がった。

 

「馬鹿め! 卑しいアサシンめ! 死ぬがいい!」

 

 それを見たヴィリアーズ公は盾にしていたアニエスを突きとばし、エツィオに杖を突きつけ、勝ち誇ったように叫んだ。

その時であった、すっとエツィオの左腕が伸び、掌をヴィリアーズ公にかざす。その瞬間、耳をつんざくような轟音と共に、エツィオの指の間から白煙が上がった。

 

「……卑しいのはお前の心だ。その穢れた魂とともに朽ち果てよ。――眠れ、安らかに」

 

 ――どさり。と、直立不動のまま、ヴィリアーズ公の身体が仰向けに倒れ込む。

倒れ伏した彼の額には小さな穴があき、そこから鮮血が溢れ出て、見る見るうちに血だまりを作った。

 周囲にいた人間は、何が起こったのか全く理解できなかった。それはヴィリアーズ公の最も近くにいた、アニエスもだった。

ただ分かったのは、アサシンが手をかざした瞬間、ジョージ・ヴィリアーズが額に穴を開け、地面に倒れ伏したということだけである。

 

「ひっ……!」

 

 アルビオン兵の一人が、情けない声を上げ、持っていた武器を放り投げる。それからじりじりと後じさったかと思うと、踵を返し全速力で村の外へと逃げて行った。

それは他の兵達も同じであった。手を触れずして、文字通り一瞬で総司令官の命を奪ったアサシンに対する恐怖が、見る見るうちにアルビオン兵達の間に広がってゆく。

 

「し、死神だ……! 奴は死神だぁああっ!」

「た、助けてくれ! こ、降参だ!」

「殺さないでくれ! 投降する! この通りだ!」

 

 ある者は地に跪いて命乞いをし、またある者は一目散に村の外へと逃げてゆく。

エツィオは、もう戦いを続ける必要が無いことを確信すると、地面に転がったデルフリンガーを拾い上げ、呆然と座り込んでいるアニエスの傍へと歩いていった。

 

「無事か?」

「あ、アウディトーレ? い、一体何が……?」

 

 アニエスはヴィリアーズ公の死体とエツィオの顔を交互に見比べながら、訳がわからないと言った表情で呟く。

 

「さぁ? そんなことより、いま重要なのは……」

 

 そんな彼女にエツィオはニヤリと笑みを浮かべると、近くに倒れていた傭兵の死体から、彼の持っていた拳銃を拾い上げ、こっそりとアニエスの手に握らせた。

そのエツィオの意図を測りかねているのか、さらに首を傾げる彼女を引き立たせながら、エツィオは大声で叫んだ。

 

「諸君!」

 

 その力強く勇ましい声に、半ば呆然としていた傭兵達が、はっとした表情でエツィオとアニエスを見つめた。

 

「アルビオン軍総司令官、サー・ジョージ・ヴィリアーズは、彼女の機転によって討たれた! この戦、我らの勝利だ!」

 

 デルフリンガーを天高く掲げ、エツィオが叫んだ。

 

「勝利は我らの手に!」

 

 大胆な宣言に、傭兵達も拳を突き上げ、或いは武器を振りかざす。そして一斉に雄叫びをあげた。

 

「勝利は我らの手に!」

「うおおおおおおおおぉーッ!」

「勝った! 勝ったぞ! 俺達の勝ちだ!」

「アサシン! アサシンだ! 俺達にはアサシンがついてるぞ!」

 

 静寂に包まれていたタルブの村に、勇ましい勝利の雄叫びが響き渡る。

傭兵達の歓喜に包まれる中、ただ一人、エツィオの隣で呆然としていたアニエスは、慌てたようにエツィオに喰ってかかった。

 

「へっ!? いやっ! ちょ、ちょっと待て! わ、わたしが……、わたしが討っただと!?」

「ああそうさ、やったじゃないか、大手柄だ」

 

 悪戯っぽく微笑みエツィオがウィンクする。

 

「いや! しかし!こ、ここ、この戦果は……っ!」

「よかったじゃないか、うまくいけば貴族の地位だって夢じゃないんじゃないか?」

 

 泡を食ったように慌てるアニエスを見て、エツィオはとぼけたように言った。

それからエツィオは傍らのヴィリアーズ公の死体に近づくと、驚愕に見開かれたままの彼の瞼をそっと閉じ、顔を整える。暫しの間瞑目し、祈りを捧げる。

そんなエツィオを見て、アニエスは小さく首を傾げた。

 

「何を……しているんだ?」

「祈りをな、死者には敬意を払うべきだ」

 

 生憎、信仰するものは違うけどな。と、エツィオは小さく呟く。

 アニエスはそんな彼の左肩にあるマントを見つめた。血で赤黒く染まったアルビオン王家のマント。

それを纏ったアサシンの噂は、当然彼女の耳にも入っていた。だとすれば、彼こそが『アルビオンの死神』その人なのだろう。

 

「『死神』と呼ばれるお前がか?」

 

 アニエスが、わずかに皮肉をこめた調子で尋ねる。

アルビオン軍に『死神』の二つ名で呼ばれ、恐れられるアサシンが、自ら手に掛けた標的に祈りを捧げるなど、まさに皮肉のように思えたのだ。

 

「そう蔑まれてもだ」

 

 そんな彼女の問いに、エツィオは顔色を変えずに答え、立ち上がった。

 

「……すまない。しかし、まさかお前があの『アサシン』だったとはな。何故もっと早く言わなかったんだ?」

「言っても信じてもらえないと思ってね」

「普段から真面目に振るまってりゃ、そうはならないんだがねぇ」

「ほっといてくれ」

 

 デルフリンガーの茶々に、エツィオはむっとした表情で、つまらなそうに腕を組んだ。

それから気を取り直す様にアニエスに視線を向け、肩を竦めて見せる。

 

「さてアニエス、こうして総司令官を討ちはしたが、残念ながら戦はまだ終わってはいない、異変に気が付いた草原の部隊がこちらにくる可能性もある、迎撃の準備に取り掛かろう」

「あ、ああ……そうだな」

「連中に総司令官の死が知れ渡るまで時間を稼ぐ。何としても生き残らなきゃな」

 

 エツィオの言うことにも一理ある、アニエスは素直に頷き、未だ広場で歓喜に沸く傭兵達に向け大声で叫んだ。

 

「聞いたな! 全員! 迎撃の準備――」

「待った」

 

 アニエスがそこまで言った時だった、突如エツィオがそれを遮り、前に進み出た。

 

「諸君! その前にだ!」

 

 引き継ぐように叫ぶエツィオに、何事かと傭兵達が首を傾げる。

そんな彼らをよそに、エツィオはぐるりと広場を見渡す。戦士者達には既にハエがたかり始めていた。

 

「死者を弔おう、手伝ってくれ。……仲間の死体を、野ざらしにはできないだろう?」

 

 エツィオはそう言うと、前へと進み出て、戦死した傭兵の死体を担ぎあげた。

そんな彼を見た傭兵達は顔を見合わせると、誰ともなくその後に続き、死体を運び出し始める。

誰もが怒りと悔しさを噛みしめながら、そして死した戦友達と共に勝利を噛みしめながら、黙々と亡骸を弔った。

 

 

 さて、時は遡りエツィオがラ・ロシェールに向かい馬を走らせていたその頃……。

こちらはトリステイン魔法学院のルイズの部屋。

入浴を終え、部屋へと戻ったルイズは、ふらふらとベッドに近づき、ばたっと倒れ込むと枕に顔を埋めた。

今の様な気分の時は誰とも会う気がしない。ベッドの中に閉じこもり、食堂に食事に行く時と、入浴の時だけ部屋を出た。

 

 ギーシュの部屋にエツィオが転がり込んでいる事は知っていたので、先ほどギーシュが一人でいるところを捕まえ問いただしたら、

エツィオは何とあのメイドと共に彼女の故郷……タルブの村へと出かけてしまったのだという。

 ひどい。それを聞いたルイズはますます悲しくなった。ショックで頭の中は真っ白になり、どうやって部屋まで戻ってきたか思い出すことが出来ないほどだ。

そうしてベッドに倒れ込んだルイズはしくしくとすすり泣いていた。悔しさと切なさで、どうしても泣けてきてしまうのだった。

そんな時、ベッドの端に置いてあった『始祖の祈祷書』が、どさっと床に落ちてしまった。

気が付いたルイズはもそっと身体を起こす、目を擦りながらそれを拾い上げようと、床の『始祖の祈祷書』へと手を伸ばした。

おや? 視界がぼやけた。そして、落ちた際開いた白紙のページに、一瞬、文字の様なものが見えた。

ん? とルイズは目を凝らす。しかし、次の瞬間、それは霞のようにページの上から消えていた。

今のはなんだろう? と思ってページを見つめた。しかし、もう、そこには何も見えない。

気のせいかしら、目が疲れてるのね……。と思った。どれもこれも、全部エツィオの所為よ。とルイズは呟き、『始祖の祈祷書』を拾い上げた。

その時、ふとその横に落ちていた、くしゃくしゃに丸められた紙片が目に入った。見るにどうやら手紙のようだ。

なにかしら? と首を傾げながらルイズはそれを拾い上げ、紙片を広げる。そして中身に目を通して言葉を失った。

 

 中身は、先日エツィオが部屋の隅に落としてしまった、マチルダの手紙であった。

そこにはアルビオン軍が、すぐにでもトリステインに攻め込んでくるということ、

そしてその戦場がラ・ロシェールにほど近い、タルブの草原であろうことが事細かに記されていたのだ。

手紙の差出人にあるマチルダという名、それが誰なのか、そんなことは今のルイズにとってはどうでもよかった。

重要なのは、アルビオンの侵攻が予定通り行われるであろう、という文面であった。

 そしてその戦場となるタルブの草原……。ルイズははっとした表情で顔を上げた。エツィオが向かったというメイドの故郷である村の名前と同じ……。

 くしゃくしゃに丸められた手紙、エツィオが向かったというタルブの村、アルビオンによる侵攻。

どうにも嫌な予感がする。まさかエツィオは、トリステインに攻め込もうとしているアルビオン軍を迎え撃つためにタルブに向かったのだろうか?

 

「まさか……そんなっ……!」

 

 湧き上がる不安に居ても立ってもいられなくなったルイズは、ベッドから立ち上がると、『始祖の祈祷書』と杖を手に、部屋を飛び出した。

階段を駆け下り、学院の正面広場まで一気に飛び出した。その時である。

トリステイン王立衛士の制服を着た一人の使者が、息せき切って現れる。

 彼はオスマン氏の居室をルイズに尋ねると、足早に駆け去って行った。

その尋常ならざる様子にルイズは胸騒ぎを覚え、使者の後を追った。

 

 オスマン氏は、式に出席するための用意で忙しかった。

一週間ほど学院を留守にするため、様々な書類を片づけ、荷物をまとめていた。

 その時である、猛烈な勢いで扉が叩かれた。

 

「誰じゃね?」

 

 返事をするより早く、王宮からの使者が飛び込んできた。大声で口上を述べる。

 

「王宮からです! 申し上げます! アルビオンがトリステインに宣戦布告! 姫殿下の式は無期延期となりました!

王軍は現在、ラ・ロシェールに展開! したがって、学院におかれましては、安全の為、全生徒と職員の禁足令を願います!」

 

 オスマン氏は眉を顰めた。

 

「宣戦布告とな? なんと……戦争となってしまったか……。現在の戦況はどうなっているのかね?」

「は……はっ! あらかじめアルビオンの奇襲を察知していたことが功を奏し、制空権を奪われることなく、現在五分の状況に持ちこんでいる状況です。

しかし、地上部隊の降下を許してしまい、アルビオン軍はタルブの村を占領、現在地上部隊の本隊がタルブの草原に陣を張り、我が軍とにらみ合っている模様です」

「ふむ……ちと厳しい状況のようじゃな」

 

 こうなることを予期していたとでも言うのだろうか、冷静に聞き返してきたオスマン氏に、少々戸惑いながらも使者は答えた。

 

「同盟に基づき、以前よりゲルマニア軍への派遣を要請していましたが、有事が起こらぬ限り動かぬの一点張りでして……、先陣が到着するのは、三週間後とか……」

 

 オスマン氏はため息をついた。

 

「杞憂で終わればよかったのじゃがな……大鷲の働きも無に帰してしまったか……。あいわかった、すぐに禁足令を出そう、伝令御苦労じゃった」

 

 

 学院長室の扉に張りつき、聞き耳を立てていたルイズは、戦争と聞いて顔を蒼白にした。手紙を握った手に力がこもる。

タルブの村が戦場に? そこはエツィオが向かった村ではないか!

そこまで考えが至った瞬間、ルイズはすぐに踵を返し、走りだした。転がるように階段を駆け下り、息を切らせて馬小屋へと向かう。

鞍の付いた馬を一頭引っ張り出し、ひらりとそれに跨った。馬の腹に蹴りを入れ、学院の外へと走りだそうとした、その時である。

 学院の正門の向こうから、一人の人物が、馬を走らせてくるのが見えた。

ルイズはその人物に見覚えがあった、あれはたしか、エツィオを追いだすにいたった原因であるあのメイド、シエスタではないか!

しかし、見えるのは彼女だけである、エツィオと共にタルブへ出かけたと聞いていたが、そのエツィオがどこにも見当たらない。

 

「シエスタ!」

 

 ルイズが大声で名前を呼ぶと、シエスタははっとした表情で馬を降り、息せき切ってルイズの傍へ駆け寄った。

 

「ミ、ミス・ヴァリエール!」

「シエスタ! エ、エツィオは! エツィオは一緒じゃないの!?」

 

 ルイズも馬から降り尋ねると、シエスタは目に涙を浮かべながら激しく首を振った。それから自分達の身に起こったことをルイズに報告した。

エツィオと共にタルブに向かってる途中、避難するタルブの村人達と出会ったこと。

家族と共にトリスタニアへ向かい、落ち着いたらオスマン氏にこの事を報告するようにエツィオに指示されていたこと。

そして、やることがあると、エツィオはタルブへ向かったと言うこと。

 

 それを聞いたルイズの頭の中で全てがつながった。

ルイズはポケットから、丸めて突っ込んだ手紙を取り出し、それを広げると、呻くように呟いた。

 

「あいつは……全部知ってたんだわ」

「え……?」

 

 戸惑う様に首を傾げるシエスタにルイズはその手紙を手渡す。

 

「多分だけど……、あんたとタルブに行ったのは、村人達を避難させるためだったんじゃ……」

 

 推測にすぎないが……、抜け目のないあの男のことだ、見ず知らずの他人の自分が行ったところで警告を聞きいれてもらえる可能性は低い。

それゆえに、多少危険に晒してしまうことになっても、タルブ出身者のシエスタを同行させたのではないか。

 

「そんな……エツィオさん……」

 

 ルイズは再び、馬に跨った。

手紙を読み、言葉を失っていたシエスタは、はっとした表情でルイズの足にすがりついた。

 

「ミス! どこへ行くつもりなんですか!」

「タルブよ! そこにエツィオがいるんでしょ!」

 

 それを聞いたシエスタは顔色を変えた。

 

「ダ、ダメです! 戦争なんですよ!? 行ったら死んじゃいます! それにエツィオさんが学院から誰も出すなって!」

「離して! エツィオが行ったのよ! あいつが死んでもいいの!?」

「エ、エツィオさんは、様子を見たら、すぐに戻るって……!」

「様子を見る? あいつがそれだけで終わらせる筈がないじゃない! あいつはっ……!」

 

 アサシンなのよ! そう言おうとして、はっとした。以前オスマン氏に聞いた、とあるアサシンの話を思い出したからだ。

エツィオのルーツ。アサシン教団の伝説。

『戦争を終わらせるために、両勢力の要人達を暗殺した』

 

「あっ……!」

 

 ルイズの頭の中で、悪い予感がどんどん膨らんでゆく。

ひょっとしたらあいつは、『戦い』に行ったのではなく、『暗殺』をしに行ったのではないか?

 

「や、やることって……、まさか……あのバカ……!」

「あ、あの……ミ、ミス?」

 

 顔色を蒼白にし、ふるふると頭を振るルイズに、尋常じゃない雰囲気を感じたのか、ルイズの足を掴んでいたシエスタの手の力が緩む。

その時である。ルイズが突然馬を走らせ、わき目も振らずにタルブへと向かう街道を駆けだした。

 

「ま、待って下さい! ミス! わ、わたしも行きます!」

 

 一人取り残されたシエスタは、慌てて自分の乗ってきた馬に跨ると、ルイズを追い馬を走らせた。



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memory-29 「代役の名は」

 タルブの村を奪還してから半刻程経ち、空が僅かに明るみ始めた頃……。

エツィオは村の中央に据え付けられた物見櫓の上から、迎撃の準備を整える傭兵達を俯瞰していた。

先ほど、エツィオが進んで死者の埋葬を行ったためか、兵士たちの士気は高いようだ。劣勢にありながらも逃げだそうとしなかったあたり、彼らは元々質のいい傭兵団だったのだろう。

村に運び込まれた大砲を据え付けている彼らを見て、エツィオは共に戦う仲間達がいることをうらやましく思った。

ルイズ達は確かに大事な仲間なのだが、自分が孤独なアサシンであることに変わりはないのだ。

 

「アウディトーレ」

 

 そんな風に物思いにふけっていると、背後から名前を呼ばれエツィオは振り向く、梯子を上ってきたアニエスがひょこっと顔を出した。 

 

「兵の一人に首をもたせて本陣に向け出発させた。最も馬の扱いに長けた者だ、迂回するルートとはいえ、おそらく夜明け前までにはラ・ロシェールへ辿りつけるだろう」

「彼の遺体は?」

「首を取った後、埋葬した」

「そうか……。わかった」

 

 エツィオは一つ頷くと、大草原の上空に浮かぶアルビオン艦隊を見上げる。

旗艦『ゴライアス』号を始めとしたアルビオン艦隊は、三千メイル上空で、ラ・ロシェールを中心に展開したトリステイン艦隊と睨みあっている。

 

「さて、どうしたものかな……」

 

 エツィオが小さく呟き首を傾げると、隣に立ったアニエスも空を見上げた。

 

「アルビオン艦隊か」

「ああ。これが海だったらまだ何とかなったんだろうけどな、空に浮いてるんじゃ手も足も出ない」

「流石のお前も、艦隊には歯が立たぬか」

「生憎、俺は空を飛べなくてね。最も、飛べたとしてもアレの相手はご免だけどな」

「ふふっ、なるほど、お前も人の子と言うわけか」

 

 エツィオが笑みを浮かべ肩を竦めると、アニエスもつられてクスッと笑った。

 

「まあ、艦隊の相手はトリステインに任せるとするさ。俺達には俺達のできることをしよう。そう言えば、元々ここの指揮をしていた指揮官はどうした? 討ち取れたのか?」

 

 アニエスは首を横に振った。

 

「いや、まだだ。ここを制圧する時に指揮を執っていた指揮官は、ヴィリアーズ公の到着に合わせ前線拠点へと向かったようだ。

捕虜からの聴取によると、そいつが地上部隊の副指令にあたる、ということだそうだ」

「前線拠点?」

 

 アニエスはなにやら筒のようなもの取りだすと、エツィオに手渡した。

 

「これは? 何に使うんだ?」

 

 筒を受け取ったエツィオは小さく首を傾げアニエスに尋ねる。

するとアニエスは、僅かに眉間にしわを寄せた。

 

「はあ? お前、ふざけているのか?」

「いや、ふざけるも何も、初めて見たんだ、これは何をする道具なんだ?」

 

 本当に何も知らないと言いたげなエツィオに、アニエスは唖然とした表情で見つめた。

 

「何って、これは遠眼鏡だろう? まさか、本当に知らないのか?」

「だからそう言ってるじゃないか……」

 

 肩を竦めるエツィオに、アニエスは遠眼鏡をひったくると、筒を伸ばし、端についた小さいガラスを指さした。

 

「ここを覗いてみろ」

「どれどれ……? うわわっ!」

 

 言われたとおりエツィオが遠眼鏡を覗き込む。そして驚きの声を上げた。

それからエツィオは、まるで新しいおもちゃを与えてもらった子供のように何度も遠眼鏡を覗きこんだ。

 

「これはすごいな! 遠くのものが近くに見えるのか!」

「まったく……、遠眼鏡も知らんとは……何なんだお前は?」

 

 アニエスは目の前で無邪気にはしゃいでいるエツィオを見つめ首を傾げる。

その様子は、どこか子供っぽく、とてもアルビオン軍がその名を聞いただけで震えあがるアサシンとは思えなかった。

 

「……堪能したか?」

「あ、ああ。レオナルドの奴に見せたらどんな顔をするかな」

「なによりだ、本題に戻ってもいいか?」

 

 にこにことほほ笑むエツィオに、アニエスはこほん、と小さく咳払いし、草原の片隅を指さした。

 

「あの寺院が見えるか?」

 

 遠眼鏡を再び覗き込むと、なるほど森と草原の境目あたりに古びた木造の寺院が見えた。

 

「ん、ああ……、随分変わった形だな」

「ずっと昔、ここの村の住民が建立したものだそうだ。何が祀られているかは知らないがな」

「なるほど……。篝火に……歩哨が見えるな、となると……」

 

 エツィオが呟くと、アニエスが肯定するように頷いた。

 

「ああ、アルビオン軍だ、そこに地上部隊副司令官がいる」

「そいつの名は?」

「ウィリアム・フィールディング。お前の標的である貴族議会の議員ではないが、それでも名のある貴族らしいな」

「なるほど……、副指令と言うことは、彼が新しい司令官になるのか」

 

 エツィオは遠眼鏡から目を離すと、小さく畳んで腰のポーチにしまい込んだ。

東の空を見上げると、僅かに空が明るくなりつつある。エツィオは顎に手を当てなにやら考えると、アニエスに尋ねる。

 

「奴らの予定では、夜明けと共にラ・ロシェール攻撃だったな」

「そうだ、無論トリステインもそれを察している、ヴィリアーズ公の死でどう影響が出るかはわからんが、空は空、陸は陸で両軍のぶつかり合いになるだろうな」

「そうか……、なら、先手を打っておく必要があるな」

 

 エツィオはニヤリと笑うと、突如手すりに足をかけ、物見櫓から飛び降りた。

アニエスが驚いて櫓の下を見やる、するといつの間にか馬に跨ったエツィオが、こちらを見上げていた。

 

「アニエス! 俺が戻るまでの間、留守番を頼む!」

「待て! アウディトーレ! どこに行く気だ!」

「新しい司令官殿に御挨拶をな! 開戦前までにケリを付ける! 戦いの準備を怠るなよ!」

「あっ、おい!」

 

 エツィオはそれだけ言うと馬の腹に蹴りを入れる、驚いた馬は馬首を上げながら一声嘶くと、村の外へと向け一直線に走り出した。

 

「くっ……! 好き勝手言ってくれる……!」

 

 物見櫓に一人残されたアニエスは、苦い表情で呟くと、地上でぽかんとアサシンの姿を見送っていた傭兵を怒鳴りつけた。

 

「見ての通りだ! アサシンが出撃した! 夜明けまでに戦う準備を整えろと全員に伝えろ! 急げ!」

 

 

 

 

 タルブの村から少し離れた森の外れ……丁度森と大草原の境目に位置する古びた寺院を臨時の前線拠点としたアルビオン軍の幕僚達は、

日の出と共に行われるラ・ロシェール攻撃作戦について話し合っていた。

 

「……と、このような形で我らはラ・ロシェールに総攻撃をかける、なにか意見はあるかね?」

 

 小さなランプの灯りの下、長方形のテーブル、祭壇を背にした上座に腰かけ、会議の進行を執り行っているのはラ・ロシェール攻撃部隊参謀、ウィリアム・フィールディング伯。

アルビオン軍総司令官であるジョージ・ヴィリアーズ公の副官でもある彼は、その補佐の為に先んじてこの前線拠点へと赴き、

幕僚を始めとした、各部隊を指揮する野戦指揮官達と会議を行っていたのであった。

 

「トリステインの対応がここまで早かったのは予想外であったが、この戦、何としても短期で決せねばならぬ、

この戦い、ヴィリアーズ総司令閣下が直接指揮をなさる、各員の奮闘に期待したい」

「ヴィリアーズ公は今どちらに?」

「地上司令部だ、たしか、タルブの村と言ったか。そろそろお見えになる頃だが……」

 

 指揮官からの質問にウィリアム伯がそう答えた、その時……。

俄かに外が騒がしくなった。何事かと一人のメイジの士官が窓を開けると、

寺院の周囲を警備していた見張りの兵達がなにやら慌てて一か所に集まりつつあるのが見えた。

そこへ向かおうとしている一人の若い兵を呼び止め、士官は問うた。

 

「おい、どうした、なんの騒ぎだ?」

「はっ! 森の奥で小火が起きたようです! おそらく焚火の不始末かと」

 

 兵士の答えに、士官がそちらを見ると、たしかに森の奥、暗がりの中から黒い煙がもくもくと上がっているのが見えた。

 

「たるみ過ぎだ馬鹿者! すぐに火を消し止めろ!」

「は、はっ! も、申し訳ありません!」

「まったく……」

 

 兵士をどやしつけ、眉根を顰めながら席に戻る。

 

「何か起こったのかね?」

「いえ、ただの小火騒ぎの様です。すぐに消し止められるでしょう」

 

 士官が再び席についた時、今度は寺院の扉が、ドンドンドン! と強く叩かれた。

 

「誰だ、今は軍議中だぞ」ウィリアム伯が問うた、次の瞬間、会議場の中に連絡士官が飛び込んできた。

 

「でっ、伝令! ち、地上司令部が陥落! サー・ジョージ・ヴィリアーズ総司令閣下が戦死なされました!」

「戦死? 陥落だと!」

 

 ラ・ロシェール攻撃を前に届いたその衝撃的な報せに、会議場が騒然となる。

ウィリアム伯は、信じられないと言った様子で立ち上がった。

 

「馬鹿な! 一体何があったのだ! トリステインはまだ部隊を隠していたのか?」

「サー。そ、それが……、司令部を陥落させたのは『アサシン』であります! 『アサシン』が地上司令部を強襲! 

我が軍が捕虜としていたトリステイン兵を解放し扇動、蜂起を起こさせた模様です!」

「あ……アサシン……だと! まさか……奴か!」

 

 ウィリアム伯は、目を丸くし、呆然と立ちつくした。顔を蒼白にし、握っていた杖を思わず取り落とす。

集まった幕僚たちは愕然とした面持ちで顔を見合わせた。

 

「アサシン……! 奴が……この戦場に?」

「ど、どうするのですか? サー! 総司令官が討たれたとあっては、兵達の……いや、それどころか、全軍団の士気と統制にすら関わりますぞ!」

 

 会議場の指揮官たちは立ちつくすウィリアム伯に向け直立した。総司令官が討たれた今、代わって指揮を取るべき人物は彼以外にはいない。

 

「と、とにかく、ご命令を! 総司令閣下!」

「閣下!」

 

 その声で我に返ったウィリアム伯は、はっとした表情で顔を上げた。

そうだ、とにかく今は、この混乱を治めなければ。総司令官を失い、統制と士気を失った軍団に未来はない、

もし今トリステインに攻め込まれれば、あっという間に地上部隊は壊走してしまうだろう。

いや、それどころか、アルビオン艦隊含む全ての部隊に多大な影響を及ぼすかもしれない。それだけはなんとしても避けなければならなかった。

ウィリアム伯は伝令に向け発令した。

 

「ぜ、全部隊長に伝達! 戦死したヴィリアーズ総司令閣下に代わり、私が指揮を取る! 部隊の混乱を治めるのだ!」

「はっ!」

 

 命を受けた伝令は、一礼すると、会議場の外へとすっ飛んでゆく。

それを見送ったウィリアム伯はどかっと椅子に腰を下ろすと、頭を抱え、うめき声を上げた。

予想どころか想像すらしていなかった、アサシンの襲撃という最悪の事態。

今、アルビオンで最も恐れられるアサシンが、よりにもよってこのタイミングで現れ、総司令官を暗殺してゆく。最早悪夢以外の何物でもなかった。

 

「ああ……なんということだ……。アサシンッ……! あの悪魔め……!」

 

 やり場のない怒りに、唇をきつく噛みしめテーブルを殴りつける。

 

「どうか冷静に、ここで取り乱しては、奴の思う壺です!」

「ともかく、今はラ・ロシェールを陥落させる事が先決かと、今はアサシンを相手取っている余裕はありませぬ」

「ご安心を! アサシンなど、トリステインもろとも虫けらの如く捻りつぶしてやりますとも!」

 

 幕僚たちは勇ましい声を上げ、椅子から立ち上がる。

その声に、ウィリアム伯が俯いていた顔を上げた、その時……。

 

「悪いがそうはいかない」

 

 突然聞こえてきたその冷たい声に、何事かと幕僚たちが辺りを見回す。

その瞬間、会議場中央に置かれたテーブルの上に、白のローブに身を包んだフードの男が、どすん! という音と共に着地する。

突然の闖入者に唖然とする幕僚たちの目の前で、その男は目の前にいたウィリアム伯の胸倉を掴むと、ぐいと手元に引き寄せた。

 

「さらばだ、『総司令閣下』」

 

 顔を鼻先に突きつけ、呟くや否や、左手首から飛び出した短剣を振い、ウィリアム伯の首を深々と貫いた。

ウィリアム伯の身体が椅子から床に崩れ落ちる。就任したての新たなアルビオン軍総司令官、彼の死は不意に、そして速やかに訪れた。

 突然の出来事に、一瞬、会議場が静まり返る。周囲にいた幕僚たちも、瞬時には何が起こったのか理解しかねていた。

フードの男が、テーブルの上で立ち上がり、ゆっくりと幕僚たちの方を振り返る。

はらりと、肩に掛かっていたマントが垂れ下がる。そのマントに刺繍された紋章をみた士官が、我に返って叫ぶ。

 

「アサシン!」

 

 そう叫んだ彼の眉間に、深々と一本のボルトが突き刺さる。そして彼が床に横たわるよりも早く、アサシンが動いた。

いつの間にか手に持っていたクロスボウを投げ捨て、すぐ近くにいたメイジの騎士に襲いかかる。

馬乗りになる形で押し倒し、メイジの首にアサシンブレードを突き立てる。鋭い刃が頸椎を断ち、あっという間に死に至らしめる。

 

「お、おのれ!」

 

 士官の一人が杖を引き抜き呪文を詠唱する、杖の先から巨大な火球が飛び出し、アサシンを焼き尽くす……筈だった。

だが、その瞬間はいつまでたっても訪れない、それどころかその士官の額には一本の小ぶりな短剣が突き立っており、そこから一筋の血が流れ落ちてゆく。

 

「……ぁ」

 

 どうっ、と士官がその場に崩れ落ちる。士官が杖を振り切るよりも早く、アサシンの手から放たれた小さな投げナイフが寸分たがわず彼の額を撃ち抜いたのであった。

 最後に残された将校が杖を引き抜く、だがアサシンが再び投げナイフを放ち、彼の手から杖を叩き落した。

 

「ひっ……! ひいッ!」

 

 杖を失った将校は、情けない悲鳴を上げながら祭壇へと逃げてゆく。

そしてその祭壇に祀られていた一振りの短刀を手に取ると、鞘から引き抜きアサシンに突きつけた。

 

「こ、この悪魔め! くっ、来るな! 来ないでくれ!」

「悪あがきはよせ、観念するんだな」

「う、うわああああっ!」

 

 恐怖に駆られた将校は、悲鳴に似た叫び声を上げながら、アサシンに斬りかかった。

死に物狂いで振り回しているだけに攻撃の軌道が読みにくい、振り下ろされた短刀が、アサシンの左前腕を叩く。

鈍い衝撃が走ったが、金属の手甲が腕を守ってくれた。無傷のアサシンに、将校は目を剥いている。

 

「お、お前はっ! お前は悪魔に守られているのか!?」

 

 その姿にひるんだ瞬間を、エツィオは見逃さず、将校の手首を捻り上げ、握っていた短刀を奪い取る。

そのまま短刀を逆手に持ち、相手の首筋に刃を添える。首元で鈍い光を放つ短刀に、将校は怯えたようにアサシンを見つめた。

 

「や、やめろ……、やめてくれ! ど、どうしてこんなことをする!」

「それを問うか? お前達がここにいるからだ」

 

 将校の問いにエツィオは小さく呟くと、相手の首筋に添えた短剣を横に滑らせた。

その短刀は驚くほどの切れ味で、ぱっくりと将校の喉笛を切り裂いた。

 

「汝らの死は必然なり――眠れ、安らかに」

 

 喉笛を裂かれた将校は、かっと目を見開いたかと思うと、ほどなくその身体は弛緩して膝から床の上に崩れ落ちた。

 瞬く間に全員の息の根を止めたエツィオは返り血を拭きとると、先ほど短刀が叩きつけられた左腕の腕甲をみて、思わず目を見張った。

見るとアルタイルの文献を元に、レオナルドが作り上げた特殊金属製の腕甲に傷が入っているではないか!

防具としての機能に問題はないものの、重装兵の斧の一撃にもビクともしなかった腕甲に傷が入ったのはエツィオにとって些かショックな事であった。

 

「俺の腕甲に傷を付けるなんて……」

 

 エツィオは信じられないと言った様子で呟くと、先ほど殺した将校から奪い取った短刀を見つめた。

刀身が鏡のように磨かれた、とても美しい片刃の短刀である。人を切ったと言うのに脂が付いておらず、錆一つ浮いていない。

この寺院の祭壇に祀られていたところを見るに、この寺院に治められた聖遺物、あるいはそれに準ずるものなのだろうとエツィオは当たりを付けた。

 

「ほー、こりゃすげえ短刀だな」

「わかるのか?」

 

 興味深げにそれを見ていたエツィオに、腰に下げたデルフリンガーが感嘆したように呟いた。

 

「まあ剣だからな、……しっかしこりゃあ、相当な業物だぜ。相棒ツイてるな、これ持ってっちまえよ」

「いいのかな……」

「いいんだよ、どうせここ置いてたって、アルビオンの連中が持ってっちまうぞ、連中にゃもったいないだろうが」

 

 さすがに祀られていた物を勝手に拝借するのは気が引けるのか、エツィオは顔を渋める。

しかしデルフリンガーの言うことも尤もである。先ほどこの寺院を占拠していた士官達は全員がメイジだったからこそ、この短刀に興味を示さなかったのだろう。

 エツィオは祭壇に向き直ると、何となく厳粛な気分になったのか胸の前で十字を切った。

 

「しばらくの間、お預かりいたします、願わくば我が力とならんことを」

 

 エツィオが呟き、落ちていた鞘を拾い上げた、その時であった。

異変を察知し駆け付けたアルビオン兵が、寺院の扉を開け、中に踏み込んできた。

 

「閣下! なっ……! あ、ああ……!」

 

 中に踏み込んだアルビオン兵は、寺院の中に転がる幕僚達の死体を見て言葉を失った。

いずれもが名のあるメイジの貴族である彼らが、皆一様にして首を裂かれ、或いは急所を貫かれ絶命してしまっている。

その中にはアルビオン軍総司令官に就任したばかりの、ウィリアム伯の姿まであるではないか。

その地獄の様な惨状に唖然としていたアルビオン兵であったが、祭壇の前に血の滴る短刀を握り締めた一人の男が立っていることに気がついた。

瞬間、アルビオン兵は恐怖でたちまち凍りついた。赤黒いマントに白のローブ、間違いない、この男は!

 

「あ、アサシン! だ、だだ、誰か来てくれ! アサシンだ! アサシンが出たぞ!」

 

 我に返ったアルビオン兵は悲鳴を上げながら、ほうほうの体で逃げ出した。その絶叫に、にわかに外の様子が騒がしくなった。

見ると騒ぎを聞きつけた敵兵達が寺院に殺到より先に、エツィオは驚くほどの俊敏さで壁を駆けあがり、天井の梁へと飛び移る。

そのまま梁の上を伝い、侵入経路であった換気用の窓から外へと出ると、屋根の淵に手をかけ、寺院の屋根の上へよじ登る。

彼がその上から身を躍らせた時には、あまりの早業に、敵の兵達はぽかんと口をあけていた。

風を受けてマントが翻るなか、アサシンブレードを発動させたエツィオは馬に乗っていたアルビオンの軍曹に飛びかかって鋭い刃で切りつける。

エツィオは敵を落馬させてそのまま馬を乗っ取ると、他の兵が反撃に出るより前に森へ向け全速力で走り出した。

一度も振り返らず、拠点である村を目指すことだけを考えて、さらに速く馬を駆り立てていった。



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memory-30 「Revelation」

 さて、一方その頃、魔法学院を出発し、ラ・ロシェールへと向かっていたルイズは、馬を替えるついで、駅で休息を取っていた。

本来ならば今すぐにでもタルブへ向かいたいが、ラ・ロシェールまでの道のりは長く、馬を替える必要もある。

そして何より、ルイズ達の体力では丸一日馬を飛ばし続けるのは無理があった。

しかし、ずっと馬を走らせてきた甲斐もあり、ルイズ達は随分早いペースでラ・ロシェールへと近づきつつあった。

 

「……今さらだけど、なんであんたまでついてきてんのよ」

「す、すいません……」

 

 駅に併設された旅人用の酒場、普段なら旅人達でにぎわうその酒場も、ラ・ロシェール近辺から避難してきた人々で溢れている。

そこのテーブルに肘を突き、ふてくされたような表情で、ルイズがシエスタを睨みつけた。

エツィオの件もあり、ほんとならあまり話したくない相手であったが、学院からここまで付いてきてしまったのだ。

振りきってしまえば、諦めて学院に戻るだろうと思っていたルイズは、何度も振り切ろうと試みたものの、

シエスタの乗馬の腕はルイズに勝るとも劣らないものであり、遂には振り切ることが出来なかったのである。

 

「あのね、これから向かうところは戦場なの、とっても危ないのよ?」

「は、はい……で、でも……」

「でも、なによ」

「わたしもエツィオさんのことが心配ですし……」

「ふん、なんだってあんなバカのことが……」

 

 ふてくされたようにルイズが呟く。

シエスタは、しゅんと肩を落とすと、ぽつりと呟いた。

 

「エツィオさんは、大丈夫でしょうか……」

「……わかんないわよ、だから探しに行くんでしょ? 

あのバカ……いっつもいっつも勝手なことばっかりして……どれだけ人を心配させれば気が済むのよ……」

 

 唇を噛み、ルイズは小さく呟く。泣きそうになったが、ぐっと堪える。

 

「タルブは……、わたしの村は、どうなっちゃったんでしょう?」

「さっき、酒場の人に聞いたわ。……あんたの前で、こういうことはあまり言いたくはないけど、アルビオン軍に占領されちゃってるみたいね」

「そんな……。わたしたちはなにもしていないのに……どうしてこんなことに……」

 

 それを聞いたシエスタは沈痛な面持ちで呟く。

戦で苦境を強いられるのはいつだって民草だ。以前聞いた、オールド・オスマンの言葉が蘇る。

どんな言葉をかけていいのかわからず、ルイズが俯いたそのとき。一人の男が、酒場の扉を開けて飛び込んできた。

 

「お、おい! 大変だ! 戦況が変わったぞ!」

 

 勢いよく飛び込んできたその男は、宿の中にいた人々全員に向けて、そう叫んだ。

 

「戦況が変わった? 何があったんだ?」

「占領されていたタルブの村が奪還されたんだ! 誰かがアルビオンの総司令官を討ち取ったらしい!」

「なんだって! それは本当か!」

「ああ! 本陣のラ・ロシェールに首が届いたんだ! 貴族議会の議員だ! これよりトリステインが攻勢に転ずるぞ!」

 

 酒場の中が色めきたった。避難民達は手を鳴らして立ち上がり、喝采の大声をあげる。シエスタもぱぁっと顔を輝かせた。

 

「ミス! 聞きました!? タルブが! わたしの村が解放されたんですって!」

「ええ! よかったじゃない!」

 

 ルイズもその報せに、ほっと胸をなでおろしシエスタと喜びを分かち合う。

その時であった、報せを持ってきた男が興奮気味に叫んだ。

 

「話によると、総司令官を討ち取れたのは、あの『アサシン』がタルブに襲撃をかけたからだそうだ! アサシンがこの戦に介入したんだ!」

「アサシンですって!?」

 

 アサシンと聞いて、ルイズの顔から、さっと血の気が引いた。顔を上げ、急いでその男を捕まえ訊ねる。

 

「ね、ねえっ! そのアサシンって、もしかしてエツ……っ、し、『死神』のこと?」

 

 突然貴族に話しかけられたその男は、少々驚いたものの、興奮冷めやらぬと言った様子で楽しそうに話してくれた。

 

「あ、ああ、あの『アルビオンの死神』だよ。アルビオンで貴族派の連中を殺して回っていると聞いていたが……、まさかここまで追ってくるなんてな。

あいつはどれだけ貴族派が憎いんだ? 王家の亡霊という噂も、まんざら嘘じゃないかもしれないな」

「あいつは今どこにいるのっ!?」

「え? あ、あいつ?」

「エツ……っ! あ、アサシンよ! アサシンは今どこ!」

「さ、さあ……、でもまだタルブの村じゃないか? なんでも、そこに捕まってた傭兵達をまとめあげちまったって話だし……」

 

 今にも掴みかからんと言うほどのルイズの迫力に、男は思わず口ごもる。 

 

「エツィオ……!」

 

 震える声で小さく呟くと、ルイズは駆けだした。シエスタはあわてて後を追う。

 

 ルイズは外に飛び出すと、新しく用意していた馬に飛び乗った。

後ろから、シエスタがルイズの馬に取りついた。

 

「ミ、ミス! 急にどうしたんですか!?」

「離してよ! タルブに行かなきゃ!」

「ど、どうしてタルブに!」

「あんた、さっきの話聞いてなかったの!? アサシンがいるって言ってたじゃない! エツィオはそこにいるわ!」

 

 ルイズが怒鳴った。シエスタは一瞬、ルイズが何を言っているのかわからず、きょとんとした表情になった。

 

「な、何を言ってるんですか? それって、『アルビオンの死神』っていうアサシンですよね? アルビオンで貴族派の人たちをたくさん殺してるっていうあの……。

あ、危ないですよ! そのアサシンが敵か味方かもわから――」

「ああもう! 何言ってんのよ! そいつがエツィオじゃない!」

 

 そこまで言って、ルイズははっとした。

しまった……。そう思った時にはもう遅く、シエスタは信じられないと言った様子で首を横に振っている。

 

「え……? じょ、冗談ですよね? あ、あはは……、あのエツィオさんがそんな……」

「ぅ……」

 

 ルイズは自分の迂闊さを呪った。

どう言って聞かせよう……。必死に考えるものの全く思いつかない。

居た堪れなくなってしまったルイズは、尚もひきつった笑みを浮かべ、首を横に振り続けるシエスタを置いて、何も言わずに馬を走らせる。

またも置いて行かれる格好になったシエスタは、慌てて馬に飛び乗ると急ぎルイズを追いかけた。

 

「ま、待って下さい! ミス! タルブへの道はわかるんですか!」

 

 

 

 追跡部隊を振り切ったエツィオは、ようやく拠点であるタルブの村に帰還することができた。

今まで夜の闇にまぎれ、身を隠しながらここまで来たため既に日が登ってしまっている。

しかし、大手を振ってそのまま村の中へ……というわけにもいかない。

いつアルビオンが攻めてくるかわからない状況である。不用意に村に近づけば敵と間違われ攻撃されるかもしれない。

無所属であるアサシンの辛いところである。と言うわけで、エツィオはすぐには村に入らず、馬を降りて草むらの中へと身を隠し、村の裏手へと密かに回り込んだ。

草むらの影に隠れながら村の中を注意深く観察し、警戒に当たっている傭兵達の動きを見極める。タイミングを見測り、物陰に隠れながら村に入り込むと、

誰にも見られないうちに素早く物見櫓の梯子にとりついた。

物見櫓の梯子を登り切ると、そこには遠眼鏡で草原のアルビオン軍の様子を伺っているアニエスがいた。

エツィオが声をかけようとしたその時、背後に近づく気配を感じ取ったのか、アニエスはすぐさま腰に差した剣を抜き放ち、背後に立つ人物に突きつけた。

 

「誰だ!」

「おっと! 随分な御挨拶だな」

 

 おどけるように両手を上げ、肩を竦めたエツィオは、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。

いつの間にか背後に立っていたアサシンの姿にアニエスは目を丸くして驚いた。

 

「アウディトーレ! いつの間に!」

「ああ、ついさっきな」

「む……、ちょっと待て」

 

 アニエスは眉を顰めると櫓の下を覗き込み、下にいた傭兵を怒鳴りつけた。

 

「おい! アサシンが戻ったなら戻ってきたと報告せんか!」

「はい? アサシンの旦那ですかい? いつ戻ったんですか?」

 

 すると傭兵は、なんのことだかさっぱり分からないと言わんばかりに首を傾げる。

どうやら、アサシンが帰還したことに、隊の誰一人として気がつかなかったらしい。

報告を聞いたアニエスは背中にうすら寒いものを感じながら、背後のアサシンを見つめた。

 

「なに……? お前、まさか……」

「ん? なにかな?」

 

 エツィオはいたずらっぽい笑みを浮かべると、楽しそうに首を傾げる。

そんな彼の態度が気に食わないのか、アニエスはむすっとした表情でエツィオを睨みつけた。

 

「……まあいい、それよりも、戻ってきたということは、きちんと成果はあったんだろうな?」

 

 そんな非難めいた彼女の視線を受け流しながら、エツィオは手すりに近づくと、草原に布陣するアルビオン軍を見つめ、淡々とした口調で呟いた。

 

「ああ、ウィリアム伯は死んだ。ご覧の通りだ、もう連中はまともに戦えはしないだろう」

 

 エツィオは草原のアルビオン軍を指さす、見ると指揮系統が麻痺しているのだろう、

アルビオン軍は陣形もまばら、兵達の様子もどことなく落ち着きが無いように見えた。

あの有様では突撃はおろか、進軍もままならないだろう。

 それからエツィオは、懐にしまい込んでいた短剣を取り出した。

 

「あの寺院に祀られていた短剣だ、せっかくだから、始末した証拠に貰ってきたのさ」

「ふ、ふん……、どうやら口先だけではないようだな」

 

 証拠の短剣を見たアニエスは、目の前にいるアサシンの技量に内心舌を巻きながらも、精いっぱいの強がりを言った。

そんな彼女にエツィオは肩をすくめながら、小さく笑みを浮かべた。

 

「まったく、きみも俺の主人みたいな事を言うんだな」

「主人?」

 

 エツィオがそう言うと、アニエスは首を傾げた。

 

「そう言えばお前、会った時に『使い魔』だとか言っていたな、それは一体どういう――」

「そうだな、それは俺ともっと親しくなったら教えてあげるよ。……それよりもだ、迎撃の準備はどうなってる?」

 

 エツィオはアニエスの追及を遮ると、村の広場へと視線を落とす。

アニエスはエツィオの横に立つと、広場の傭兵達を指さした。

見ると、傭兵達はバリケード作りや大砲の整備に余念がなく、忙しそうに走り回っている。

 

「防衛の準備は万端だ、マスケット銃、弓と矢、剣と槍、連中の物資を丸々鹵獲出来た。

大砲の弾も数こそ少ないが一通りそろっている、榴弾に鎖弾、葡萄弾だ。それに……」

 

 アニエスはそこで言葉を切ると、エツィオの肩をぽんと叩き、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「お前が戻ってきた。アテにさせてもらうぞ、アウディトーレ」

「きみに頼られるとは光栄だな、俺もやる気が出てくるってものさ」

 

 エツィオが力強く頷いたその時であった。

周辺の警戒をしていた傭兵の一人が、こちらに駆け寄ってきた。

 

「隊長! 大変です!」

 

 困ったような表情を浮かべている傭兵に「敵襲か!?」とアニエスが怒鳴った。

すると傭兵はそうではないと首を横に振ってみせた。

 

「いえ、それが困ったことが起こりまして。女の子が二人、村の中に入ってきちまったんです」

「なんだと?」アニエスが顔を顰める。

「非戦闘員がなぜこんなところに?」

「はい、なんでも人を探してここまで来たとか」

 

 その報告にエツィオとアニエスは顔を見合わせた。

 

「人だって? 誰を探しているんだ?」

「それが、『エツィオ』って奴に会わせろとの一点張りなんですよ、うちの隊にそんな名前の奴はいないし……。どうしたものか」

 

 ぽりぽりと頭を掻きながら困ったように傭兵が言った。

アニエスは腕を組むと、苦い顔をして、小さく舌打ちをした。

 

「『エツィオ』だと? ……知らん名だ。全く面倒なことになったな、何時戦闘が開始されるかわからんというのに……。

追い出すわけにもいかんし、かといってここに置いておくのもな。……どうする?」

 

 アウディトーレ。と、アニエスが隣にいるアサシンに訊ねる。

しかし答えは返ってこない。不審に思ったアニエスは、フードの中を覗き込む。

見ると彼の顔は真っ青になっており、額には玉のような汗が浮かんでいる。

 

「アウディトーレ? どうした?」

 

 明らかに動揺している様子のアサシンに、アニエスは首を傾げた。

その時であった。下にいた傭兵が慌てたように声を張り上げた。

 

「おい、こら! 勝手に入ってきちゃだめだ!」

「エツィオ!」「エツィオさん!」

 

 場違いなほど高い鈴のような声が、未だ戦火の燻るタルブの村に響き渡った。

今が平時であれば、さぞ心地よく聞こえるであろうその声も、今のエツィオにとっては一番聞きたくない声であった。

エツィオは、ぎょっとして櫓の手すりから身を乗り出し、声が聞こえてきた方向を見る。

果たしてそこには、彼の『元』主人であるルイズと、シエスタの姿があった。

 

「そんな……」

 

 駆け寄ってくる二人の姿にエツィオの膝が、がくんと折れそうになった。

戦火に巻き込むまいと最も心を砕いた人物が、自ら戦火に飛び込んできてしまったのだ。

 

 そんな彼の心境を知ってか知らずか、ルイズとシエスタは、櫓の梯子を登ると、愕然と立ち尽くすエツィオの元に駆け寄った。

 

「エツィオ! あんた――」

「どうしてここにいる!!」

 

 ルイズが言い終わるのを待たずに、エツィオは大声を張り上げ、二人を怒鳴りつけた。

エツィオの激しい怒声に思わず二人は竦み上がった。

 

「そ、それは……あ、あんたが心配だからで……っ」

「あ、あの……わ、わたしもエツィオさんが……」

 

 エツィオの迫力に半ば怖気付きながらもルイズとシエスタはもごもごと口を動かす。

そんなふうに立ちつくす二人に、エツィオはつかつかと歩み寄ると、突然二人の身体を抱きよせた。

 

「ちょ、ちょっと! エツィオ! な、なにすんのよ!」「え、エツィオさん!?」

「二人とも大丈夫か? 怪我はないか?」

 

 突然抱きしめられ、顔を赤くしてあたふたと慌てる二人からエツィオは身体を離すと、無事を確かめるように交互に二人の顔を見つめた。

そのあまりに余裕のない彼の表情に感ずるものがあったのだろう。ルイズはこくりと頷いた。

 

「え、ええ、わたしたちは大丈夫よ、シエスタの案内で、うまく森の中を抜けてこれたから。敵に出会ったりはしなかったわ」

「ああ……そうか、よかった……本当に……」

 

 それを聞いたエツィオは、安堵したように呟くと、がくりと膝を突き、力なく項垂れた。

大きく息を吐き、しばらく俯いていたエツィオに、ルイズが声をかけようと口を開く。

 

「エツィオ、あんたね――」

「……ルイズ」

「っ……!」

 

 ルイズの言葉を遮り、エツィオがぽつりと呟き、ゆっくりと顔を上げた。

その瞬間、ルイズはまるで心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚に陥った。

口調こそ静かだが、恐ろしい程の怒気を含んでいる。

泣く子も黙る、というのはまさにこの事だろう。ルイズは完全にエツィオの放つ気迫に気圧され、口を開くことが出来なくなってしまっていた。

 

「……どうしてここにいるんだ?」

 

 エツィオは静かに口を開くと、今度はシエスタに視線を向けた。

 

「シエスタ」

「ひっ……! は、はい……」

「学院から誰も出すなと俺は言ったはずだ。ちゃんとそれをオスマン殿に伝えたんだよな?」

 

 いつも彼が見せていた優しい笑みとはまるで違う、静かな、だが激しい怒りを湛えた刃のような鋭い視線に射竦められ、シエスタは心底振るえ上がった。

おまけにシエスタは、オスマンに会わずにここまで来ていた。エツィオに対し反論する術を全く持ち合わせていないのである。

今にも泣き出しそうなシエスタであったが、エツィオは構わず追い打ちをかけた。

 

「まさかここまでのこのこと彼女を案内してきた、なんてことはないよな?」

「……え、えっと……あの……」

「頼む、違うと言ってくれないか?」

「……ご、ごめんなさい……わ、わたしっ……うっ……うぅ……」

 

 容赦のないエツィオの叱責にシエスタはしくしくと泣き始めてしまった。

エツィオは沈痛な面持ちのまま、ハァ……と大きくため息をつき、ぼそりと呟く。

 

「きみを信じていたのにな……」

 

 どうやらその一言がトドメになったらしい、シエスタは泣き崩れ、わんわんと泣き始めてしまった。

だがエツィオは、それすらも無視すると、今度はフードの中の視線を、ゆっくりとルイズに向けた。睨まれただけで、ルイズの身体が凍りつく。

シエスタが震えあがるのも無理はない、とルイズは内心思った。今の彼は、いつもの優しくて陽気なエツィオではなかった。

今、目の前にいるのは、数多の要人を闇へと葬り去ってきた、本物の暗殺者。こんなのに睨まれたら、誰だって恐怖に凍りつくだろう。年頃の娘ならなおさらだ。

 

「きみは? なぜここに?」

「わ、わたしは……へ、部屋に落ちていた手紙を見たの、た、タルブが戦場になるって……」

 

 エツィオはぴくりと眉を動かすと、手紙をしまったはずのポケットへ手を伸ばし、中を探る。案の定、中には何も入っていなかった。

確かに入れたと思っていたのだが、どうやら彼女の言う様に、部屋で落としてしまっていたのだろう。

自分の不注意さに内心舌を打ちながら、ルイズをじっと見つめる。

 

「それで? 俺への手紙を見たとして、きみはここに何をしに来たんだ? まさか俺を探しに来ただなんて言わないよな?」

「そ、そうよ! あんたを止めに来たのよ! 悪い!?」

「悪いだと!?」

「ひっ……!」

 

 再びエツィオが怒鳴り声をあげる、そのあまりの剣幕に、ルイズは思わず竦み上がった。

 

「ふざけるな! どうしてわざわざ戦場になんか飛び込んでくるんだ! ましてや戦いを知らないきみたちが! 戦うすべのない彼女までも危険に巻き込んで! 

俺は何のためにこんなことをしていると思っている! きみたちにもしものことがあったら俺はっ――!」

「そこまでだ」

 

 声を荒げ尚も怒鳴りつけようとするエツィオの肩を、不意にアニエスが掴んだ。

 

「……アニエス」

「落ち着け、そんな問答をしている場合ではなくなった」

「……どういうことだ?」

 

 エツィオが訊ねると、アニエスは険しい表情で「あれを見ろ」と草原を指さした。

みると、一部の部隊が草原を引き返し、こちらに向かってきているではないか!

 

「なっ! どうしてこっちに来る! 背後にはまだトリステインの本隊がいるんだぞ!」

 

 それを見たエツィオは歯噛みした。だが、すぐにその理由に気がついた。

櫓のすぐ近くを一羽のフクロウが旋回している。エツィオははっとした表情になると、即座に投げナイフをフクロウに向け投げ放つ。

ルーンの力も合わさった投げナイフは、まるで吸い込まれるようにフクロウの眉間に突き刺さる。

 力なく地上へと墜落してゆくフクロウを見つめながら、エツィオは険しい表情で呟いた。

 

「くそっ……! 迂闊だった、敵の使い魔だ、俺の姿を見られたか……」

「……どうやら、連中は勝利よりもお前の首を選んだようだな。それほどまでにお前の存在が脅威なのだろう」

 

 アニエスはそんなエツィオの隣に立つと、櫓の隅で立ちすくんでいるルイズ達にちらと視線を送った。

 

「とにかく、彼女らの安全確保が第一だ、小言ならあとでいくらでも聞かせてやればいい」

「……ああ、そうか……。そうだな」

 

 エツィオは一度深呼吸をすると、ルイズ達に向き直り、肩に手を置いた。

 

「お説教は後だ、聞いただろ? ここは危険だ、俺達が出来る限り食い止める、その間に遠くへ逃げろ、いいな?」

「で、でも、あ、あんた……」

「でも、は無しだ、これ以上――」

 

 俺を困らせるな。そう言おうとしたその時であった。

 

「敵部隊が来るぞ! 迎撃の指示を!」

 

 下で待機していた傭兵が大声で叫ぶ。どうやら敵がすぐそこまで迫ってきているらしい。

 

「先に行っている、お前も急げよ」

 

 アニエスはエツィオの肩をぽんと叩くと、梯子を伝い下へと降りていく。

エツィオは小さく頷くと、二人に視線を戻し、真剣なまなざしで見つめた。

 

「俺がいいと言うまでここにいろ、それまで絶対に櫓から顔を出すんじゃないぞ」

「いやよ! あんた、戦うつもりなんでしょう!? だったらわたしも――!」

「ダメだ! ここにいるんだ、いいな?」

 

 ルイズに最後まで言わせず、エツィオは短く怒鳴りつけると、ついと立ち上がり、呆然としているシエスタに視線を向けた。

 

「シエスタ」

「は、はいっ!」

 

 名前を呼ばれ我に返ったシエスタに、「彼女を頼む」とだけ言うと、櫓の淵に足をかけた。

その時、ルイズの顔がふにゃっと崩れた。

 

「エツィオぉ……、あんたっ、死んだら、どうすんのよ……、イヤよ、わたし、そんなのイヤ……」

「俺は死なないよ、約束する。一緒に帰ろう、学院に」

 

 嗚咽を漏らしながら呟くルイズに、エツィオは振り返らずに言うと、そのまま櫓から身を躍らせ、下に留めていた馬に飛び乗った。

突然騎乗された馬は驚いて馬首を上げるが、エツィオはそれをなんなく御すると、アニエスの元へと走らせた。

 

「もういいのか?」

「ああ。……すまない、俺としたことが」

 

 同じく馬に跨っていたアニエスの隣に並ぶと、エツィオは小さく頭を振った。

 

「構わん、その代わり、後で事情を聞かせてもらうぞ、『エツィオ』」

「わかったよ」

 

 口元に笑みを浮かべ、名前を呼んだアニエスに、エツィオは苦笑しながら頭を掻く。

それから真面目な表情になると、まっすぐにアニエスを見つめた。

 

「そのためにもだ。アニエス、力を貸してくれ」

「わかっている」

 

 アニエスの言葉に、エツィオは力強く頷くと、馬の腹に蹴りを入れ、敵を迎え撃つべく整列した傭兵達の元へ駆け寄った。

 

「諸君! すまないが、君たちも力を貸してほしい!」

「おおッ!」

 

 エツィオは腰のデルフリンガーを抜き放つと、天高く掲げ、雄々しく叫んだ。

 

「俺たちの手に勝利を!」

「勝利を!」「勝利をッ!」「おおおおおおおッ!!」

 

 雄叫びは鯨波となり、戦場を揺るがす、その時だった。見張りの兵士が大声を上げた。

 

「敵部隊、来ました!」

「……来たな」

 

 唇を噛みながら低く唸る、こちらへと行進してくるアルビオン軍を睨みつけ、即座に傭兵達に指示を出した。

 

「大砲用意! 弾種、砲丸!」

「大砲用意!」

 

 指示を復唱しながら、砲兵達が大砲に砲弾を装填し、発射の準備を進める。

 

「装填よし! 撃てます!」

「まだだ! 引きつけろ! 角度そのまま!」

 

 エツィオのタカの眼が、大砲の最大射程と最大効果範囲を即座に導きだす。

先鋒の部隊が、その範囲内に踏み込んだ事を認識したエツィオは、天高く掲げていたデルフリンガーを振り下ろす。

 

「砲撃開始ッ!」

「砲撃開始!」

 

 号令と共に、大砲から砲弾が放たれる。

着弾。破裂した砲弾の破片で先頭を行進していたアルビオンの部隊が丸ごと吹き飛ぶ。

 

「銃兵隊! 構えッ! 第一射! 撃てぇ―――ッ!」

 

 間髪いれずにエツィオは銃兵に射撃を命じ、かろうじて生き残っていた敵兵達に銃弾を浴びせかけた。

大砲と銃兵の連携に、なすすべなく壊滅した先鋒部隊を見て、傭兵達が歓喜の雄叫びを上げた。

そんな中、エツィオは呆然と左手を見つめた。そこにはルイズとの契約で刻まれた、ガンダールヴのルーンが光っている。

今、無我夢中で指示を出していたが、こんなに的確な指示を、自分は今まで出せた事があっただろうか?

エツィオは既視感とも違う、不思議な感覚を覚えていた。それははるか先の自分を重ね見るような、まるで予感とも言うべき、奇妙な感じだ。

遥か先、未来の自分は、こんなふうに軍勢を率いて、強大な敵と戦っている……。

突如、エツィオはぞくりとして我に返った。この奇妙な感覚は何だ? 戦場と言う過酷な環境のせいなのか? いや、言葉では説明がつかない。

どこか奥底に眠っていた才能、或いは能力が突然開花してしまったかのようだ。

これもルーンのもたらす力なのだろうか? そんな事を考えていると、横にいたアニエスが大声を張り上げる。

 

「次が来るぞ! 装填急げ!」

 

 それからアニエスはエツィオの横に馬を付けると、彼の肩を掴み、激しく揺さぶった。

 

「エツィオ! どうした! ぼうっとするな!」

「あ、ああ!」

 

 その声で我に返ったエツィオは、慌ててアルビオン軍を見つめる。

先鋒部隊の死体を踏み越え進軍してきた後続の部隊が、横一列に並び、こちらにマスケット銃を向けているのが見えた。

列の中心に立った士官が杖を振りあげ、号令をかけようとしている。

 

「全員伏せろ!」

 

 エツィオが号令を出し、頭を伏せたその瞬間、アルビオン兵の一斉射撃が行われる。

運悪く顔を出していた数人の傭兵が銃弾を浴び、地面に倒れ伏す。

だが、傷つき倒れた彼らを気にかけている場合ではない。すぐさまエツィオは体勢を立て直し、傭兵達に向け叫んだ。

 

「装填の暇を与えるな! 砲撃開始!」

「砲撃始め!」

 

 号令と共に、備え付けられた大砲が一斉に火を噴いた。砲弾はまっすぐに敵部隊の中心に向け突っ込んで行った。

そして先ほどの砲撃と同じ様に、敵部隊を丸々吹き飛ばす……はずだった。

 放物線を描き、敵部隊の中心部へと飛んで行った砲弾が、敵部隊のはるか手前で炸裂してしまった。

砕け散った砲弾の破片のいくつかは、アルビオン兵を襲ったが、それでも先ほどの砲撃と比べれば、彼らに与えることができた損害は微々たるものだった。

 

「なんだ!?」

 

 エツィオが顔を上げると。敵の指揮官であるメイジが杖を振っているのが見えた。巨大な空気の壁がまるで敵銃兵達を包み込むように展開される。

アニエスが苦い顔で叫ぶ。

 

「風の魔法だ! あれでは弾が通らん!」

「俺が行く! アニエス! 俺に構わず砲撃を続けろ!」

 

 エツィオはそれだけ言うと、乗っていた馬の腹を蹴り、バリケードを飛び越え一直線に走り出した。

鞍の上で身を低くし、加速度を付けて敵陣の真ん中へと突っ込んでゆく。

 

「アサシン! 馬鹿め! 窮したか!」

 

 こちらに突っ込んでくるアサシンの姿を見たアルビオンの指揮官は、装填を終えた銃兵を見て、杖を振りあげる。

 

「銃兵構え! 目標はアサシンだ! 撃てェ――――ッ!」

 

 号令と共に、銃兵達が一斉射撃を行う。数十発もの銃弾を浴びた馬は堪らず嘶き声を上げ、地面にどうっと倒れ込む。

それを見た隊長は、占めたとばかりに唇の端を上げる。しかし、すぐにその顔は驚愕に凍りついた。

目の前には確かに、アサシンの乗っていた馬が倒れ伏している、しかし、その背に乗っていたはずのアサシンの姿がどこにもない。

どこに消えた? 慌ててアサシンの姿を探す。すると倒れ伏していた馬の影から白い影が飛び出した。

驚くべきことに、アサシンは一斉射撃の瞬間、馬の身体を盾にし、弾丸の雨をしのいでいたのだった。

 

「だっ、第二射構え! よく狙――!」

 

 杖を振り回し、銃兵に号令をかけようとしたその瞬間、アサシンは手に持っていた大剣を振った。

その瞬間、驚くべきことが起こった、その剣は指揮官メイジが作り出していた空気の壁を、まるで絹の様に切り裂いたのだ。

「馬鹿な――!」驚愕し、そう叫んだ時には、アサシンは銃兵の列に躍り込んでいた。

 アサシンはひるみ上がった銃兵からマスケット銃を奪い取ると、銃身を握り、今まさに発砲しようとしていた近くの銃兵の顔面を強かに殴りつけた。

その拍子に、その銃兵が手に持っていた銃があらぬ方向を向き、発砲される。不幸なことに、その弾丸は狙い澄ましたかのように他のアルビオン兵の眉間へと吸い込まれてゆく。

眉間に穴があいた銃兵が地面に倒れ伏した拍子に、手に持っていた銃が暴発、その弾がまたも味方に当たり、混乱から同士討ちが発生した。

 

 それからエツィオは、持っていたマスケット銃の持ち主であった銃兵を捕まえると、彼の首に腕を回し、ぐいと締め上げる。

その瞬間、トリステイン側から一斉射撃が放たれた。雨霰のように降り注ぐ弾丸に、混乱していたアルビオン軍がバタバタと倒れ伏してゆく。

味方から放たれた弾丸は当然エツィオにも降り注ぐが、盾にした銃兵が全て防いでくれたお陰で無傷のままだ。

銃兵隊が壊滅状態に陥ったことを確認したエツィオは、猛然と敵の指揮官の元へ向け駆けだした。

 

「た、短槍隊! 応戦しろッ!」

 

 こちらに向かってくるアサシンの姿に、恐怖に駆られた指揮官は、慌てて指揮下の槍隊を突撃させる。

しかし、アサシンはその槍衾を軽々飛び越え――、空中で右手に持ったマスケット銃を指揮官に向け、引き金を引いた。

 

「ぐあっ!」

 

 突然の出来事に魔法を唱える事が出来ず、左肩を撃ち抜かれた指揮官メイジは、馬の背から放り出され、地面に仰向けに崩れ落ちた。

 

「う……ぐ……! あ……ああ……!」

 

 落下の衝撃で朦朧とする意識の中、目の前に悠然と現れた白き影に、指揮官メイジは恐怖に凍りつく。

仰向けのまま、あわてて杖を振おうと試みるも、それよりも早く、アサシンが手に持っていた大剣を振い、杖を遠くへと弾きとばす。

 もはやなすすべもない、恐怖に凍りつく指揮官メイジに、白衣のアサシンは、大剣の切っ先で、メイジのマントの裾を捲りあげる。

その下の軍服についた、彼の身分を示す徽章を見た。胸に光る佐官の徽章。昨夜、あの寺院にいなかった、仕留め損ねた指揮官の一人だった。

 それを確認したアサシンは、目の前で恐れ慄くメイジに向け、手にしていた剣を振りあげ、彼の脳天目がけ躊躇うことなく振り下ろす。

 

「やめて――」

 

 グチャリ、と肉と骨が砕かれる厭な音が辺りに響く。兵士達は、その光景に堪らず目を瞑る。

一瞬の間、戦場が静寂に包まれる。周囲にいたアルビオン兵が恐る恐る目を開くと、そこには脳天を割られ、変わり果てた姿で倒れ伏した、指揮官の姿があった。

返り血がべっとりと付いた大剣を手に、幽鬼のように佇むアサシンの姿に、その場にいたアルビオン兵達は、恐怖に思わず竦み上がった。

 

 

「うっ……」

 

 その様子を櫓の上から恐る恐る見つめていたルイズとシエスタは、目の前で繰り広げられる光景に思わず口元を押さえていた。

櫓から見下ろす戦場では、エツィオが大剣を振り回し、アルビオン軍相手に大立ち回りを演じている。

迫りくる刃を紙一重で巧みにかわし、手に持った大剣で敵を次々に薙ぎ払い、時には足元に転がるマスケットすらも利用し敵を打ち倒す。

敵味方双方から降り注ぐ弾丸や呪文は、近くにいる敵兵を捕まえ無理やり盾にして防ぎ、敵兵からの攻撃すらもその場で利用し同士討ちにさせる。

しまいにはそんなエツィオの戦い方に恐れを為し、彼に近づこうとする敵兵がいなくなってしまったほどだ。

 

「あの……ミ、ミス? あれ、ほんとに……エツィオさん……なんですか?」

「わかんない……あんなエツィオ、はじめてみた……」

 

 円陣を突破し、こちらの陣地へ駆け戻ってくるエツィオを見ながら、シエスタは震える声でルイズに訊ねた。

ルイズはふるふると首を振りながら呟くように答える。

 

「あのマント……」

 

 そんな中、ルイズがエツィオの左肩のマントを見てぽつりと呟く。

ルイズはそのマントに見覚えがあった。そう、それはアルビオンでウェールズ殿下が最期に身に着けていた王家のマントだ。

ワルドに心臓を貫かれ、王家のマントが血で真っ赤に染まっていく瞬間を、ルイズは確かに見ていたのだった。

 

「殿下のだわ……」

「殿下?」

「アルビオンのウェールズ殿下よ、あのマントは、殿下が最期に身に着けていたものなの。あいつ……ほんとに……」

 

 『アサシン』だったんだ……。とルイズが小さく呟く。

彼自身から告白されてなお、どこか信じきれてなかったルイズであったが、実際に目にした以上、否が応でも認めざるを得なかった。

 

「アサシン……」

 

 ルイズにつられるようにシエスタがぽつりと呟く。

その時であった、地上の様子が俄かに騒がしくなる。何かと思い下を覗き見ると何やらエツィオもただならぬ様子で空を見上げているのが見えた。

ルイズとシエスタも何だろうと空を見上げる、そして目に入ってきた光景に恐怖で言葉を失った。

 

 

「竜騎士だぁーーー!」

 

 空を見上げていた傭兵の一人が戦慄いた声で叫ぶ。

上空の竜騎士隊が村目がけて急降下してきたのだ。

 

「弾を替えろ! 葡萄弾用意!」

 

 それを見たエツィオは、即座に大砲の砲手へと命令を飛ばす。

砲手達は慌てて大砲に葡萄弾を詰め込み、砲撃の準備を整える。

その時であった、ぶおん! と唸りを上げて、騎士を乗せたドラゴンが大砲に炎を吹きかけた。

火薬に火が付き、大砲が暴発を起こす、火だるまになった傭兵達が転げ回りやがてばたばたと倒れてゆく。

 

「くそっ!」

 

 一つの大砲が潰されてしまったものの、まだ大砲は残っている。

悔しさに唇を噛みしめながらも、エツィオは残った大砲の砲手に号令を飛ばした。

 

「射角合わせ! よく引きつけろ!」

 

 もう一騎の竜騎士が再び大砲に炎を吹きかけようと急降下を仕掛けてくる。

竜騎士が砲弾の降下範囲内に入る瞬間を見逃さずに、エツィオは剣を振り下ろす。

 

「撃てえ――――ッ!」

 

 号令と共に、大砲が火を噴いた。

放たれた砲弾は空中で炸裂、無数の小さな弾丸がドラゴンと騎士に襲いかかる。

体中に無数の穴をあけられたドラゴンと竜騎士は無残な姿となって地上へと墜落していく。

だが、小さな勝利に酔っている暇はなかった、上空からは別の竜騎士がこちらへと向かってきているのが見える。

 

「装填急げ! まだ来るぞ!」

 

 次いでアニエスが号令を出し、装填を急がせる。傭兵達が急ぎ大砲内の煤を取り、次弾を装填する。

 

「銃をよこせ!」

 

 しかし、このペースでは間に合わないと悟ったエツィオは、近くにいた傭兵からマスケット銃をひったくると、こちらへと向かってくる竜騎士に向け狙いを定める。

左手のルーンが標準のブレを修正し、ピタリと銃口がドラゴンを駆る竜騎士に合わさる。

ずどん! とエツィオのマスケット銃が火を噴いた瞬間、竜騎士は左肩を撃ち抜かれ、たまらずドラゴンの背から転げ落ちる。

乗り手を失ったドラゴンはいずこかへと飛び去り、竜騎士は村の真ん中へと投げだされてしまった。

 

「ぐっ……、お、おのれ……!」

 

 村の中に投げ出された竜騎士は、墜落のショックに身をよじりながらも、目の前に落ちていた杖を取ろうと手を伸ばす。

しかし、その手は無情にも、冷酷な刃によって切り落とされた。

 

「ぎゃああああああっ!」

 

 突然振り下ろされた戦斧によって、手首から先を切りとばされた竜騎士はあまりの苦痛に絶叫をあげる。

何事かと見上げると、目の前には数人の屈強な傭兵が武器を手にこちらを見下ろしている。

すると一人の傭兵がずいと前に進み出て、手に持っていた武器を竜騎士に突きつけた。

 

「てめえ……! さっきの竜騎士だな?」

 

 傭兵は怒りに震える声で唸るように呟く。

果たして、先ほど大砲を焼き払った竜騎士であった彼は、恐怖に凍りついた。

 

「くっ……来るな……! 来ないでくれ!」

「そうはいくか! この!」

 

 恐怖のあまり這いずりながら後ずさりする彼に向い、いきり立った傭兵が手に持っていたメイスを振い、彼の膝を撃ち砕いた。

骨が砕かれる厭な音と共に、再び竜騎士の絶叫が辺りに響く、それが呼び水となったのか、彼を囲んでいた傭兵達は手に持っていた得物を振い上げ、次々竜騎士に打ち下ろした。

 

「くそっ! この野郎! よくも弟を!」

「死ね! このクソ野郎が! 死ね! 死んじまえッ!」

「ひぎっ……! も、もうやめ――! だずげっ……! ぎゃああっ……!」

 

 戦斧、槍、剣、メイス、様々な武器が打ち降ろされるたびに、命乞いの声が小さくなってゆく。

その声が完全に消え失せ、ただの動かぬ肉塊に成り果てても、傭兵達の執拗な攻撃は止まらなかった。

 

「貴様ら! 何をやっている! 持ち場に戻れ!」

 

 そんな彼らを見咎めたアニエスの怒号に、傭兵達は死体にツバを吐きかけると、しぶしぶ元の持ち場へと戻っていく。

 

 

「うっ……うぅっ……もう……もういやぁ……助けて……おとうさん……おかあさん……」

 

 櫓の隅に蹲り、身を隠していたシエスタは、自分達の真下で行われた凄惨極まる処刑に、恐怖に打ち震えながらしくしくとすすり泣いていた。

ルイズはそんなシエスタの頭を抱きかかえ、震える声で呟く。

 

「大丈夫、大丈夫よ、エツィオがなんとかしてくれるわ、だからっ、泣かないでよぉ……」

 

 そうやって必死にシエスタを慰めるルイズも、怖くて怖くて今にも泣きそうになっていた。

やっぱり、エツィオの言うとおりこんなとこに来るべきではなかったと心が恐怖に呑まれそうになる。

唇をぎゅっと噛み、『始祖の祈祷書』を握り締めた。

エツィオを死なせたくない、連れ戻したい、そう思ったからこそ飛び出したのではないか。

ルイズは恐る恐る櫓から顔を出し、地上のエツィオを探す。

瞬間、エツィオが素早く振り向き、キッとルイズを睨みつけた。『顔を出すな』、言葉にこそしないが、その表情はそう語っている。

まるで自分の行動を全て把握しているかのようなエツィオにルイズは慌てて頭を引っ込めながら、なによ! と思った。

勝手に飛び出しておいて、自分だけ戦ってるような顔しないでよ、わたしだって戦ってるんだから!

 

 といっても、今の自分は何もすることが出来ない。

そもそもエツィオはルイズの目の届かぬ所で密かに問題を排除しているフシがあるのだ。何もできないのは当然と言えば当然であるのだが。

そんな彼が今こうして自分の前で苦境に立たされているにも関わらず何もできない事がどうしようもなく歯痒く、悔しかった。

とにかく恐怖に負けていては何も始まらない。ポケットを探り、ルイズはアンリエッタから貰った『水』のルビーを指にはめた。その指を握り締める。

「姫さま、エツィオとわたしたちをお守りください……」と呟く。

 右手に持った始祖の祈祷書を左手でそっと撫でた。

結局、詔は完成しなかった。ここのところずっと気持ちが沈んでいたため考えようにも全く思い浮かばなかったのであった。

正直、今もそのことを思い出すだけで胸がムカムカしてくるが、今は戦場のど真ん中、この際そんな事は言っていられない。

とりあえず、祈れるものになら、始祖にも自分達の無事をお祈りしておこうと思い、『始祖の祈祷書』を手に取った。

 

 ルイズは何気なくページを開いた。ほんとに他意なく開いた。

だからその瞬間、『水』のルビーと『始祖の祈祷書』が光り出した時、心底驚いた。

 

 

「たっ、大砲沈黙! 残り一つです!」

「敵竜騎士! 来るぞ!」

「全員伏せろぉーーーー!」

 

 エツィオの悲鳴のような号令に、傭兵達が咄嗟に身をかがめる。

瞬間、最後の大砲が竜騎士によって焼き払われ、爆発、沈黙してしまう。

 

「くそっ!」

 

 起き上がりながらエツィオが苦い表情で吐き捨てる。

最初は竜騎士相手に奮闘していた大砲であったが、やはり多勢に無勢、地上と上空からの波状攻撃に次々と沈黙、

そして今、最後の一つが焼き払われ、ついに全ての大砲が沈黙してしまっていた。

予想以上の規模の攻撃に、エツィオは愕然とした。指揮官を討ったにも関わらず、攻撃はやむ気配がない。

 

「どうする……!」

 

 エツィオは唇を噛みながら、思案する、押されつつあるためか、兵達の士気も下がり始めている、このままでは制圧されるのも時間の問題である。

ルイズ達を逃がす事も考えたが、空に竜騎士がいる以上、彼女らの姿を晒させる訳にはいかない。

この苦境をどう切り抜けるか……、答えなど無いに等しかった。

 

 

 ルイズは光の中に文字を見つけた。

それは……古代のルーン文字で書かれていた。ルイズは真面目に授業を受けていたのでそれを読むことが出来た。

ルイズは光の中の文字を追った。

 

 

序文。

 

これより我が知りし真理をこの書に記す。この世の全ての物質は、小さな粒よりなる。

四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。

その四つの系統は『火』『水』『風』『土』と為す。

 

 こんなときなのに、知的好奇心が膨れ上がる。もどかしい気持ちで、ルイズはページをめくった。

 

 

神は我にさらなる力を与えられた。四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。

神が我に与えしその系統は、四のいずれにも属せず。我が系統はさらなる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。

四にあらざれば零、零すなわちこれ『虚無』。我は神が我に与えし零を『虚無』と名付けん。

 

 

「虚無の系統……? 伝説じゃないの。伝説の系統じゃないの!」

 

 思わず呟いてページをめくる。鼓動が鳴った。

櫓の隅で、『始祖の祈祷書』を読みふけるルイズの耳にはもう、辺りの轟音は届かない。

ただ、己の鼓動の音だけが、やたらと大きく聞こえた。

 

 

これを読みし者は、我の行いと理想を受け継ぐものなり。またそのための力を担いしものなり。『虚無』を扱うものは心せよ。

志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。

『虚無』は強力なり。また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。

詠唱者は心せよ。時として『虚無』はその強力により命を削る。したがって我はこの書の読み手を選ぶ。

たとえ資格無きものが指輪をはめても、この書は開かれぬ。

選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。されば、この書は開かれん。

 

                            ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ

 

以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。

初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』

 

 

 このあとに古代語の呪文が続いた。ルイズは呆然として呟いた。

 

「ねえ、始祖ブリミル。あんたヌケてんじゃないの? この指輪がなくっちゃ、この『始祖の祈祷書』は読めないんでしょ?

その読み手とやらも……、注意書きの意味がないじゃないの。ていうかあんた、何も持ってないアイツに読まれかかってたわよ」

 

 そしてはたと気づく。読み手を選びし、と文句にある。ということは……。

 

 自分は読み手なのか?

 

 よくわからないけど、文字は読める。読めるのなら、ここに書かれた呪文も効果を発揮するかもしれない。

ルイズはいつも、自分が呪文を唱えると、爆発することを思い出した。あれは……、ある意味ここに書かれた『虚無』ではないだろうか?

 思えば、モノが爆発する理由を、誰も答えられなかった。

両親も、姉たちも、先生も……、友人たちも……、ただ失敗と笑うだけで、その爆発の意味を、深く考えなかった。

すると、自分はやはり、読み手なのかもしれない。信じられないけど、そうなのかもしれない。

だったら試してみる価値はあるかもしれない。だって……今のところ、それしか頼るべきものが無いのだから。

 

 頭の中がすうっと冷静に、冷やかに、冷めてゆく。先ほど眺めた呪文のルーンが、まるで何度も交わした挨拶の様に、滑らかに口をついた。

昔、聞いた子守唄の様に、その呪文の調べを、ルイズは妙に懐かしく感じた。

 

 やってみよう。

 

 ルイズは腰を上げた

 

「ミ、ミス……なにを……?」

 

 隣で泣いていたシエスタが、呆然とルイズを見上げる。

ルイズはアルビオン軍の艦隊が浮かぶ空の一点を見つめぽつりと呟いた。

 

「その……信じらんないんだけど……、うまく言えないけど、わたし選ばれちゃったのかもしれない。いや、なんかの間違いかもしれないけど」

「え? 何を言ってるんですか?」

「いいから黙ってて、……ペテンかもしれないけど、何もしないよりは試してみた方がマシだし、なんとかするにはこうするしかないみたいだし。

……ま、やるしかないのよね。わかった、やってみましょう」

 

 ルイズのそのひとり言のような言葉に、シエスタは唖然とした。

 

「あ、あぶないですっ! ミス! おかしくなっちゃったんですかっ!? しっかりしてください!」

「うっさいわね! 静かにしてって言ってるでしょ! もしかしたらなんとか出来るかもしれないんだから!」

 

 ルイズはシエスタを怒鳴りつけると、『始祖の祈祷書』を開いた。大きく息を吸って、目を閉じた。それからかっと見開き、『始祖の祈祷書』に書かれたルーン文字を詠み始めた。

 

 

「敵部隊! 突撃してきます!」

「バリケード! もうもちません!」

「食い止めろ! 櫓に取りつかせるなよ!」

 

 バリケードを乗り越え突撃してくるアルビオン兵を切り払いながらアニエスが叫ぶ。

どうやら地上に降下した部隊のほとんどがタルブの村へと殺到してきているらしい、

エツィオや、アニエス率いる傭兵達が必死に抵抗をするが、次々と現れる増援に、トリステイン軍は崩壊を始めていた。

 

「エツィオ! 彼女らを連れて逃げろ!」

「きみはどうするつもりだ!」

 

 襲いかかる敵兵を斬り伏せながらエツィオが叫ぶ。

 

「わたしたちも撤退する! ここはもうダメだ!」

「……わかった! すまない!」

 

 エツィオは小さく頷くと、踵を返し櫓を見やった。そして『始祖の祈祷書』を手に、何やら詠唱している様子のルイズを見て唖然とした。

 

「ルイズ! 何をしている! 顔を出すな!」」

 

 エツィオが大声で叫ぶも、ルイズは何も反応しない、ただ一心不乱に呪文の詠唱を行っているようだ。

そんな彼女のただならぬ様子に、エツィオは顔をしかめた。

 

「ルイズ……? 一体何を……っ!」

 

 その時である、上空を旋回していた竜騎士の一騎が、物見櫓に向け急降下してきた。

エツィオは咄嗟にアサシンブレードの銃を使い、竜騎士を狙い撃つ。絶妙のタイミングで放たれた銃弾は、竜騎士のこめかみを正確に撃ち抜き、墜落させる。

乗り手を失った火竜は、一声鳴き声を上げると、物見櫓を掠め、飛び去ってゆく。

櫓の中からシエスタのものと思われる悲鳴が聞こえてきたが、ルイズは立ったまま一心不乱に詠唱を続けているのが見えた。

一体彼女の身に何が起こっているんだ? エツィオは妙な胸騒ぎを覚えながらも、櫓を駆け登った。

 

 

 エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ

 

 ルイズの身体の中をリズムが巡っていた。一種の懐かしさを感じるリズムだ。呪文を詠唱するたびに、古代のルーンを呟くたびに、リズムが強くうねってゆく。

神経は研ぎ澄まされ、辺りの雑音は一切耳に入ってこない。

 体の中で何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転していく感じ、

誰かがそう言っていたのを、ルイズは思い出していた。自分の系統を唱えるものは、そんな感じがするのだと言う。

だとしたらこれがそうなのだろうか? いつも、ゼロと蔑まされていた自分……。

魔法の才能が無いと、両親や先生、姉に叱られていた自分……。そんな自分のほんとうの姿なのだろうか?

 

 オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド

 

 体の中に、波が生まれ、さらに大きくなってゆく。

 

 ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ

 

 体の中の波が、行き場を求めて暴れ出す。

しっかりと開いた眼で、空に浮かぶアルビオン艦隊を見据える。

 

『虚無』

 

 伝説の系統。一体どれほどの威力なのだろうか。

誰も知らない。無論自分が知るはずもない。全ては伝説の彼方の筈だった。

 

 ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……

 

 長い詠唱ののち、呪文が完成した。

その瞬間、ルイズは自分の呪文の威力を、理解した。

巻き込む、全ての人を。自分の視界に映る、全てのものを、自分の呪文は巻き込む。

選択は二つ、殺すか、殺さぬか。破壊すべきはなにか。

目の前に広がるは、アルビオン艦隊。

ルイズは己の衝動に準じ、宙の一点に向け、杖を振り下ろした。

 

 エツィオは信じられぬ光景を目の当たりにしていた。今まで空の上に浮かんでいたアルビオン艦隊の……。

上空に光の球が現れたのだ。まるで小型の太陽のような光を放つ、その球は大きく膨れ上がり……。

そして、包んだ。空を遊弋するアルビオン艦隊全てを包み込んだ。

さらに光は膨れ上がり、視界全てを覆い尽くした。

音はない。エツィオは堪らず腕で目を覆った。目が焼けてしまうと錯覚してしまうほどの強烈な光であった。

そして……光が晴れた後、アルビオン艦隊は炎上していた。旗艦『ゴライアス』号を筆頭に全ての艦の帆が、甲板が燃えていた。

まるで何かの嘘のように、アルビオン艦隊が、がくりと艦首を落とし、地面に向かって墜落していく。

 地響きを立て、艦隊は地面に滑り落ちた。

エツィオは暫し呆然とした。辺りは恐ろしい程の静寂に包まれている。誰も彼も、自分の目にしたものが信じられなかったのだ。

そんな彼の前で、ルイズの身体がぐらりと揺れた。

 

「……ルイズ!」

 

 冷静さを取り戻したエツィオはすぐにルイズの傍に駆け寄ると、すぐに彼女を抱きかかえた。

ルイズはぐったりとエツィオにもたれかかった。

 

「ルイズ! おい! しっかりしろ!」

「……うっさいわね、わたしなら大丈夫よ」

 

 狼狽し、今にも泣き出しそうな表情で自分の顔を覗き込むエツィオに、ルイズはくすっと笑った。

体中を、けだるい疲労感が包んでいる。しかし、それは心地よい疲れであった。

何事かをやり遂げたあとの……、満足感が伴う、疲労感であった。

 

「今のは……今のは一体……?」

「伝説よ」

「伝説?」

 

 ルイズはこくりと頷いた。

 

「説明は後でさせて、疲れたわ」

「わかった……。その前に、ここから逃げよう、今がチャンスだ」

 

 エツィオはルイズをぎゅっと抱きしめながら、あたりを見回した。

アニエスを含めたトリステイン傭兵隊や、今まで彼らを攻撃していたアルビオン軍まで、全員が呆然と空を見上げている。

逃げるなら今をおいて他にないだろう。エツィオはルイズをひょいと抱え上げた。

それから、同じように櫓の隅で呆然としているシエスタに駆け寄った。

 

「シエスタ! 大丈夫か?」

「え? ……あ、あの。一体何が……」

「わからない、でも、逃げるなら今しかない、立てるか?」

 

 エツィオが手を差し伸べ、シエスタを引き立たせる。

それから素早く櫓を降りると、村の隅に留めてあった馬を二頭拝借し、戦場の外へと向け駆けだした。




警告:始祖の祈祷書の文章に改ざんの痕跡がある、現在ハッキングを仕掛けている。
    真実はいずれ明らかになるだろう。いつか、こちらから連絡する、それまで警戒を怠るな。_-_-_


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memory-31 「大鷲の慧眼」

 トリステインの城下町、ブルドンネ街では派手に戦勝記念のパレードが行われていた。

聖獣ユニコーンにひかれた王女アンリエッタの馬車を先頭に、高名な貴族の馬車が後に続く。

その周りを魔法衛士隊が警護を務めている。

 狭い街路にはいっぱいの観衆がつめかけている。通り沿いの建物の窓や、屋根や、屋上から人々はパレードを見つめ、口々に歓声を投げかけた。

 

「アンリエッタ王女万歳!」

「トリステイン万歳!」

 

 観衆たちの熱狂も、もっともである。なにせ、王女アンリエッタが率いたトリステイン軍は先日、不可侵条約を無視して進行してきたアルビオンの軍勢を、

タルブの草原で見事打ち破ったばかり。この戦によって、民への被害を最小限に抑えただけでなく、アルビオン軍に対し大損害を与え、

歴史的とも言える大勝利をしてみせた王女アンリエッタは、『聖女』と崇められ、今やその人気は絶頂であった。

 この戦勝記念のパレードが終わり次第、アンリエッタには戴冠式が待っている。母である太后マリアンヌから、王冠を受け渡される運びであった。

これには枢機卿マザリーニを筆頭に、ほぼ全ての宮廷貴族や大臣たちが賛同していた。

 隣国のゲルマニアは渋い顔をしたが、皇帝とアンリエッタの婚約解消を受け入れた。一国にてアルビオンの侵攻軍を打ち破ったトリステインに強硬な態度が示せるはずもない。

ましてや同盟の解消など論外である。アルビオンの脅威に怯えるゲルマニアにとって、トリステインはいまやなくてはならぬ強国である。

 つまり、アンリエッタは己の手で自由を掴んだのだった。

 

枢機卿マザリーニはアンリエッタの隣で、にこやかな笑顔を浮かべていた。ここ十年は見せたことのない、屈託のない笑みである。

 馬車の窓を開け放ち、街路を埋め尽くす観衆の声援に、手を振って応えている。彼は自分の左右の肩に乗った二つの重石が、軽くなったことを素直に喜んでいた。

内政と外交、二つの重石である。その二つをアンリエッタにまかせ、自分は相談役として退こうと考えていた。

 

 傍らにこしかけた新たなる自分の主君が沈んだ表情をしていることにマザリーニは気がついた。口髭をいじった後、マザリーニはアンリエッタに問うた。

 

「御気分がすぐれぬようですな。まったくこのマザリーニ、殿下の晴れ晴れとしたお顔をこの馬車で拝見したことがございませんわい」

「なにゆえ、わたくしが即位せねばならぬのですか? 母さまがいるではありませぬか」

「あのお方は、我々が『女王陛下』とお呼びしてもお返事を下さいませぬ。妾は、『王』ではありませぬ、王の妻、王女の母に過ぎませぬ、とおっしゃって、決してご自分の即位をお認めになりませぬ」

「なぜ、母さまは女王になることをこばんだのでしょうか」

 

 マザリーニは、珍しく少し寂しげな憂いを浮かべて言った。

 

「太后陛下は喪に服しておられるのです、亡き陛下を未だに偲んでいらっしゃるのですよ」

 

 アンリエッタはため息をついた。

 

「ならばわたくしも、母を見習うといたしましょう。王座は空位のままでよろしいわ。戴冠など、いたしませぬ」

「またわがままを申される! 殿下の戴冠は御母君も望まれたことですぞ。トリステインはいまや弱国では許されませぬ。国中の貴族や民、そして同盟国も、あの強大なアルビオンを破った強い王を……女王の即位を望んでいるのです」

 

 アンリエッタは再びため息をついた。それから……左の薬指にはめた風のルビーを見つめる。

エツィオがアルビオンから持ち帰った、ウェールズの形見の品である。

 

 そんな物憂げなアンリエッタに、マザリーニが諭す様に呟いた。

 

「民が、全てが望んだ戴冠ですぞ。殿下の御体はもう、殿下御自身のものではありませぬ」

 

 こほんと咳をして、マザリーニは言葉を続けた。

 

「では、戴冠の儀式の手順をおさらいいたしますぞ。お間違えなどなさらぬように」

「まったく、たかが王冠をかぶるのに、大層なことね」

「その様なことをもうされてはなりませぬぞ、これは神聖なる儀式、始祖が与えし王冠を担うことを、世界に向け表明する儀式なのです。多少の面倒は伝統の彩と申すもの」

 

 マザリーニは勿体ぶった調子でアンリエッタに儀式の手順を説明した。

儀式の後、祭壇の前で神と始祖に対し誓約の辞を述べた後、戴冠が行われると言うこと。その時よりアンリエッタは女王となり、陛下と呼ばれるようになるということ……。

 

 誓約……。

 

 心にも思っていないことを『誓約』するのは冒涜ではないのかしら? とアンリエッタは思う。

自分に女王が務まるなどとはとても思えない。あの勝利は……。自分を玉座に押し上げることになったタルブでの勝利は己の指導力によるものではない。

経験豊かな将軍やマザリーニの機知のお陰だ。自分はただ、率いていただけに過ぎない。

 ウェールズがもし生きていたら、今の自分を見てなんと言うだろう。

女王になろうとしている自分、権力の高みにのぼりつめることを義務付けられてしまった自分を見たら……。

 

 ウェールズ。

 愛しい皇太子。

 自分が愛した、ただ一人の人間……。

 後にも先にも、心よりの想いが溢れ、誓約の言葉を口にしたのは、あのラグドリアンの湖畔で口にした誓いだけだ。

 そんな風に考え始めてしまうと、偉大なる勝利も戴冠の華やかさも、アンリエッタの心を明るくはしてくれないのだった。

 

 アンリエッタは手元の羊皮紙をぼんやりと見つめた。

先日、アンリエッタの元に届いた報告書であった、そこにはタルブで起きた『奇跡の光』のことが書いてあった。

『奇跡の光』がアルビオンに与えた損害は凄まじく、上空に遊弋していたほぼ全てのフネを撃沈せしめていた。

調査によると、あの光はフネに積まれていた『風石』を消滅させ、地面へと進路を向けさせたとあった。

そしてなにより驚くべきことは、誰一人として死者を出さなかったのである。光はフネを破壊したものの、人体には影響を及ぼさなかった。

 そんなわけで、艦隊の不時着の際に何名かけが人は出たが、死者は一人も出なかった。

発生源についてはいまだ結論が出ていないらしく、調査中とあったが、自軍を勝利に導いた『奇跡』であることには間違いはない。

 

 自分に勝利をもたらした、あの光。

 まるで太陽が現れたかのような眩い光。

 あの光を思い出すと、胸が熱くなる。

 

「『奇跡』……か」

 

 アンリエッタは小さく呟いた。

 

 

 さて一方、こちらは魔法学院。戦勝で沸く城下町とは別に、いつもと変わらぬ雰囲気の日常が続いていた。

 タルブでの王軍の勝利を祝う辞が朝食の際に学院長であるオスマン氏の口から出たものの、他には取りたてて特別なことも行われなかった。

 やはり学び舎であるからして、一応政治とは無縁なのであった。戦中にもかかわらず、生徒達もどこかのんびりしている。

ハルケギニアの貴族達にとって、戦争はある意味年中行事である。いつもどこかとどこかが小競り合いを行っている。始まれば騒ぎもするが、落ち着いたらいつものごとくである。

そんな中、エツィオはオスマン氏に呼び出しを受け、学院長室へと赴いていた。

 

「入れ、大鷲よ」

「失礼いたします」

 

 机の向こうに立ち、窓の外を見つめるオスマン氏の声は、いつになく硬い調子だ。

何かあったのだろうか? エツィオは少々疑問に思いながらも机のそばに立った。

 

「タルブでは随分と活躍したそうではないか」

「いえ……、活躍と言う程では……」

 

 言葉とは裏腹に、眉根を顰めるオスマン氏に、エツィオは嫌な予感を感じつつ小さく首を振って応えた。

オスマン氏は手を後ろで組むと眼を瞑り深くため息をついた。

 

「……大鷲よ、今回お主が取った行動は、決して褒められたものではない、なぜだかわかるかね?」

「……」

 

 沈黙で答えるエツィオに、オスマン氏はじろりと彼を睨みつけた。

 

「わからぬか? だとすれば、お主はアサシンの教えを一から学び直す必要があると見えるな」

 

 その一言にエツィオはむっとした、言葉を発しようとしたが、オスマン氏が手を上げて遮った。

 

「聞け。タルブの村を解放し、敵総司令官を葬ったまではいい。だが、そこで手を引くべきじゃった。

敵総司令官を討った時点で、あの戦の勝敗は決していた。戦いを続ける意味などなかった筈じゃ」

 

 公式発表では、総司令官を討ち取ったのはアニエスという女傭兵になっていたはずだが……、どうやらオスマン氏にはお見通しのようであった。

 

「……お主、前線拠点に集まっていた将校達を皆殺しにしたそうじゃな。なぜそのような事をした。

そんな事をしてしまえば、統制を失った二千の兵が散り散りになる可能性もあった、付近の村々にも被害を与えていたのかもしれぬのだぞ?」

「しかしそれは……!」

「口を噤め!」

 

 反駁しようとするエツィオをオスマン氏がぴしゃりと怒鳴りつけた。

 

「命ずるまで口を閉じておれ! 掟を忘れているならば思い出させてやろう! 

一つ、『我らの存在は鞘の中の刃』、お主はその行動によって無暗に目立ち、敵にその存在を知らせてしまった!」

 

 オスマン氏の大声が響く。老人とは思えぬ鋭い眼光に、エツィオは竦み上がった。

 

「それだけではない、お主が拠点とし、戦いの舞台にもなったタルブの村……。

そこにヴァリエールや学院のメイドもいたそうじゃな、どうやらお主を追っていったようだが……、さて、これはどう弁明するつもりなのだ?

よもや、彼女らの勝手な行動と断じるお主ではあるまい?」

 

 そう言われ、エツィオはぎくりとした。確かに、彼女らが勝手に飛び出した根本的な原因はエツィオにあると言えた。

そこまで一気にまくしたてたオスマン氏は、大きく息を吐いた。

 

「二つ、『罪なき者から刃を遠ざけるべし』……。彼女らは、我らアサシンが守るべき無辜の民、それを危険に晒した。

もし彼女ら二人のどちらかでも死していたら……、私はお主を粛清せざるを得なかった」

 

 そう呟き嘆息するオスマン氏の目は鋭く、その言葉が偽りではないことを表していた。

 

「答えよアサシン、我らアサシンが目的とする理想とは何ぞ?」

 

 ただただ頭を垂れるしかないエツィオに、オスマン氏が問うた。

 アサシン教団の理想……、エツィオは言葉に詰まった。

今までエツィオには、家族を奪ったテンプル騎士団への復讐という目的があった。

陰謀に関わったテンプル騎士を一人残らず抹殺すること、それは復讐を成し遂げる事と共に、世界支配という騎士団の野望を阻止することにもつながっていたのだ。

しかしそれは、テンプル騎士団という存在がある元の世界での話である。

故に、騎士団の存在しないこの世界においての……いや、本来アサシン教団が掲げる理想とは即ち……。

 

「……平和です、全ての……」

 

 エツィオの答えに、オスマン氏は大きく頷いた。

 

「忘れてはおらぬようだな。……然り、全ての平和だ、暴力を終わらせるだけでは十分ではない。心の平和も実現するのだ、どちらも重要だ。

そしてその平和とは、当然我らにも当てはまる、とりわけ『心』の平和、これこそが我らアサシンの本能を研ぎ澄まし、五感を導く。

無知、傲慢、怯懦、嫉妬、憎悪、それらの心の歪みがあるうちは、『心』の平和の実現など望めるべくもない」

 

 よいか。とオスマン氏はエツィオを厳しい表情で見つめた。

 

「トリステインに肩入れすること自体はかまわん、しかし方法を考えよ、表だって動けば、お主がトリステインに属していることが分かってしまうのだぞ?

所属や正体、目的を知れば、敵は我らを恐れなくなる、最悪攻撃の的になることも……。

何より、過ぎた行為はアサシンの沽券にかかわる。最後の三つ目、『教団の名誉を汚すなかれ』。これを破るは最大の裏切り。

お主はアサシンの教えと共にある、一度従うと誓ったのであれば、道を踏み外す事は断じて許さぬ!」

 

 オスマン氏にタルブでの出来事をそこまで知られていたとは驚きであったが、すべて事実であり、エツィオは恥ずかしくて反駁するどころではなかった。

エツィオはきつく唇を噛み、ただ黙って頭を垂れた。

 

「……とはいえ、お主のアサシンとしての手腕は見事という他に無い。

結果的にじゃが、アルビオンは艦隊のみならず多くの優秀なメイジを失った。当分連中は攻めてくることはないだろう」

 

 そう語るオスマン氏の口調と表情は幾分かは柔らかくなっていた。

 

「人は誰でも過ちを犯す、かつてのアルタイルも驕りにより過ちを犯した。無論この私も、犯した過ちは一つや二つではない……。

重要なのはそれを受け入れ、反省するか否かじゃな。これは生徒にもよく言っているが、間違いからは何かを学び、過ちからは反省をする。

お主もこの失敗を糧に、より修練を積むがよい」

 

 オスマン氏の言葉に、エツィオは深々と頭を垂れた。

アルビオンの要人を次々に葬り、侵攻作戦を大きく躓かせたことで、自分は思い上がっていた。

驕りは油断を生み、気持ちの乱れはいざという時の決断力を鈍らせる。そんな僅かな心の隙が、生死をわけるのだ。

 深く反省している様子のエツィオを見つめながら、オスマン氏は満足したように頷く。

 それからオスマン氏は口髭を擦りながらエツィオに訊ねた。

 

「それはそうと大鷲よ、お主をここに呼んだのはもう一つ用件があるからじゃ」

「なんでしょうか?」

「あの『奇跡』の事じゃ、お主もそこにいたのならば見たのじゃろう? タルブの草原で突然発生した巨大な光……、あの時、何が起こったのだ?」

 

 その質問にエツィオは一瞬素直に答えるべきか迷った。しかし、オスマン氏はエツィオと同じく、アサシンの信奉者だ。

ならばその答えもアサシンの教義に則ったものが返ってくるに違いない。エツィオは彼を信じ、起こったことを説明することにした。

 タルブ防衛の際、ルイズが『始祖の祈祷書』を手になにやら呪文を唱えていた事。

 彼女が杖を振り下ろした際、巨大な光が発生、気がついた時にはアルビオン艦隊が沈んで行くのが見えた事……。

 それらの状況を加味し、あの光はルイズが発生させた可能性が非常に高いというエツィオの考え。

 

 それらの報告を聞いたオスマン氏は、目を瞑り腕を組むと、ううむ……。と唸った。

 

「なるほど……虚無……か」

「そう考えるのが妥当かと」

 

 オスマン氏の出した答えに、エツィオも同意するように頷いた。

 

「彼女の手には『始祖の祈祷書』がありました、あの本からは常に強大な魔力が溢れておりました。おそらくあれは始祖ブリミルがらみの物……聖遺物とみるべきかと」

「お主、あの中身が読めたのかね?」

「はい、タカの眼で。しかし、本より溢れ出る魔力が強すぎて、私には文字の判別がつきかねましたが」

 

 エツィオは自分の目を指さし答えた。

オスマン氏は腕を組むと深く考え込むように再び目を瞑った。

 

「もしや……アレは『果実』なのか……? いやしかし……触れた時にはなにも……」

「始祖の祈祷書がですか? しかしあれは書物では?」

「あくまで可能性の話じゃ。私が手にした時、あの書物にそんな力は一切感じなかった、なにせまがいもんかと思った位じゃからな、

……そもそも果実ならば、私はあの誘惑に再び打ち克つ自信はない……」

 

 それほどまでにエデンの果実の持つ力は強いのじゃ、とオスマン氏は呟くように言った。

 

「しかし、これは厄介なことになったぞ、大鷲よ」

「いかがすべきでしょうか……、虚無と言えば、この世界の信仰の根底を為す存在、それが現れたとあっては……」

「うむ……そういった力を利用しようとする者は多くいるじゃろう、宮廷の連中がまさにそれじゃ、あとは信仰に目を眩まされた盲人共か」

 

 オスマン氏は大きくため息をつき、首を振った。

 

「いずれにせよ、ロクなことにはならん。今のアルビオンがいい例じゃ」

「同感です。しかし、これは私一人でどうにかできるようなことではないような気がします」

「……ううむ、今は様子を見るしかなかろうな、幸い、宮廷の無能どもはあの光を『奇跡』で片づけようとしておるでな。この事は他言無用に頼むぞ、大鷲よ」

「心得ております」

「あまり大した助言もできずに済まぬな、なにせこのような事は……わが学院としても前例がないのでな」

「いえ、大変参考になりました、オスマン殿」

 

 オスマン氏はそう言うと、すまなそうに頭を掻いた。

それからエツィオと握手を交わすと、真剣な表情でエツィオを見つめた。

 

「彼女を頼んだぞ大鷲よ、……彼女を支える事が出来るのはお主しかおらぬでな」

「オスマン殿、彼女を支える者は私だけではありません」

 

 オスマン氏の言葉に、エツィオは首を振って応え、にこりとほほ笑んだ。

 

「彼女には友が、仲間がいます」

「そうじゃな」

 

 オスマン氏は満足そうに頷くと、人差し指を立てた。

 

「ではアサシンよ、お主に一つ任務を与える」

「なんなりと」

 

 粛々と頭を垂れるエツィオに、オスマン氏はにんまりと笑った。

 

「ラ・ヴァリエール嬢の調査、護衛をお主に命ずる、彼女に眠る力について、より多くの情報を集めるのじゃ」

「心得ました」

 

 要は彼女の相手をしてあげろと言うことか。エツィオも頬を緩めた。

 

「よろしい、では行くがよいアサシンよ――安全と平和を」

 

 

 学院長室を退出したエツィオは、大理石の廊下を渡り、あまり人の来ないヴェストリの広場まで足を運んでいた。

広場の隅にあるベンチには一人のメイドが腰かけている、シエスタであった。

エツィオは渡したいものがあるからと、このヴェストリの広場までシエスタを呼び出していたのである。

エツィオはそっと近づいて声をかけた。

 

「やあ、シエスタ」

 

 その声にはっとしてシエスタは顔を上げた。

 

「あ……エ、エツィオさん……」

「待たせて悪かったな、学院長殿にこっぴどく叱られていてね」

「いえ! わたしも今来たところですから!」

 

 さも困ったように両手を広げたエツィオに、シエスタは慌てて答える、しかし、笑顔がいつもよりぎこちない感じだ。

 

「きみの様子が気になってね。もう、落ち着いたか?」

「は、はい、もう……大丈夫です……」

 

 エツィオはシエスタの隣に腰を下ろしながら訊いた。

タルブから逃げ出し、学院へと戻っていた時、ルイズとシエスタは過労が祟ってしまったのか、途中で意識を失ってしまったのであった。

困り果てたエツィオは、たまたま近くの納屋にあった馬車を拝借し、なんとか二人を学院にまで送り届け、介抱していたのであった。

 

「……あの時は、済まなかったな。危険な目に合わせた」

「そんな……、悪いのはわたしです……あの時、言いつけを守らなかったから……」

 

 消え入るような声で呟くシエスタに、エツィオは静かに首を横に振った。

 

「俺の考えが浅かったんだ、もっとよく考えるべきだった、そうすればきみたちを危険に巻き込む事はなかった。全部俺の責任だ。

……許してくれとは言わない、けど、あの時は本当に恐ろしかったんだ、きみたちを失うことが。それだけは、どうかわかってほしい」

「……」

 

 シエスタは応えない。どこか居心地が悪そうに俯いたまま手の指を弄っている。

そんな彼女に、エツィオは僅かに俯くと、呟くような声で尋ねる。

 

「俺が……怖いか?」

「い、いえ! そんなことないです!」

 

 エツィオのその問いに、シエスタは慌ててベンチから立ち上がった。

 

「エツィオさんは、わたしたちをっ……! トリステインを守ってくださったんです! エツィオさんは英雄です! そんな人をっ……!」

「英雄じゃないよ」

 

 シエスタの言葉に、エツィオは俯いたまま首を小さく横に振った。

 

「俺は……アサシン、暗殺者だ」

 

 英雄であるはずがない……。エツィオは小さく呟く。

二人の間に沈黙が訪れる。長い沈黙の後、シエスタがぽつりと絞り出す様にして呟いた。

 

「ほんとは……怖いです」

 

 エツィオは優しく、だがどこか悲しそうに微笑んだ。

 

「……そうだな、どんなに取り繕っても俺はただの……殺人者だ。シエスタ、俺にはもう――」

「違いますっ!」

 

 関わらない方がいい、エツィオがそう言おうとした時、突然シエスタが立ち上がり、大声で叫んだ。

エツィオはぎょっとしてシエスタを見つめた。

 

「それ以上、そんなこと言わないでください……!」

 

 今にも泣きだしそうな顔で、シエスタは言った。

 

「わたしはっ! エツィオさんに見捨てられるのが怖いんです! あの時、怒られたことよりも、エツィオさんがアサシンだって分かった事よりも、

エツィオさんがわたしのことを見なくなったって思っただけで、すごくっ……怖くなったんです、もう見捨てられたんだ、嫌われたんだ……って」

 

 シエスタの顔がふにゃっと崩れ、ぽろぽろと涙がこぼれおちた。鼻をすすりながら、ぎゅっと自分の肩を抱きしめる。

 

「そう思っただけで、震えが……止まらないんです……今も……怖い、すごく……怖いんです……」

 

 エツィオは静かに立ち上がると、優しくシエスタを抱き寄せ「すまなかった」と小さく呟く。

感極まってしまったシエスタは彼の胸に顔を埋めて大声を上げ泣き始めた。

 

「嫌です……イヤ……、見捨てないで……嫌いにならないで……」

「見捨てないよ、嫌いにもならない、約束する」

 

 シエスタの耳元で優しく囁き、頭を撫でる。

すると安心したのか、シエスタはぐしぐしと涙に塗れた顔をエツィオの胸に押しつけ泣き続けた。

 

「あ、あのっ……ご、ごめんなさい、わたしったら……」

 

 やがて泣きやんだシエスタは、エツィオの胸を離れ、鼻を啜りながらはにかんだ笑みを浮かべた。

 

「かまわない、むしろ謝らなきゃならないのは俺の方だ。そんなにもきみを苦しめていたなんて……本当にすまなかった」

 

 自分の軽率な行動が彼女をここまで傷つけていたとは……、エツィオは沈痛な面持ちを浮かべ、再びシエスタを抱き寄せきつく抱きしめた。

 相変わらず情熱的なエツィオのアプローチにすっかりとろけきってしまいそうであったシエスタであったが、

いつまでもエツィオのなすがままではいられないと、意を決して行動に出た。なんと目を瞑り、唇を突き出してきたのである。

当然のごとくそれに応えようと、その身を動かすエツィオ、二人の唇が今にも重ねられそうになった……、その瞬間であった。

 頭にぼごん! と大きな石がぶつかって、エツィオは気を失った。

 

 

 エツィオとシエスタがこしかけていたベンチの後ろ、十五メイルほどの地面に、ぽっかりとあいた穴があった。

その中で、荒い息を吐く少女がいた。ルイズである。

 ルイズは穴の中で地団太を踏んだ。その隣には、巨大モグラのヴェルダンデとインテリジェンスソードのデルフリンガーがいた。

ルイズはギーシュのモグラを捕まえて、穴を掘らせ、中に潜んでこっそり顔を出し、ずっとエツィオとシエスタのやり取りを見張っていたのである。

デルフリンガーには、いろいろと聞きたいことがあったので、持ってきたのであった。

 

「なによう! あの使い魔!」

 

 ルイズは穴の壁を拳で叩きながら、う~~~~~~! と唸った。

自分の使い魔のくせに、他の女の子にキスするなんて許せないのである。

 デルフリンガーがとぼけた声で言った。

 

「なあ、貴族の娘っ子」

「あによ。ところであんた、いい加減わたしの名前おぼえなさいよ」

「呼び方なんざどうだっていいじゃねえか。さて、最近は穴を掘って使い魔を見張るのが流行りなのかね?」

「流行りなわけないじゃないの」

「だったら、何故穴なんて掘って隠れて覗くんだね?」

「見つかったらかっこわるいじゃない」

 

 ルイズは剣を睨んで言った。

 

「だったら、覗かなきゃいいだろ? 使い魔のやることなんざ、ほっときゃいいじゃねえか」

「そういうわけにはいかないわ。あいつってば、こないだの事もう忘れたの? なのにまたいちゃいちゃいちゃいちゃ……」

 

 いちゃいちゃ言う時、ルイズの声が震えた。相当頭に来ているのであった。

 

「それに、わたしってば、伝説の『虚無』の系統使いかもしれないのに、でも誰にも相談できなくって、わたしが思い悩んでいるって言うのに、その相談にものりもしない……」

「んなこと言ってもなぁ、お前さん、今までぶっ倒れてたんじゃねえか、起きれるようになったのはつい最近だろ?」

 

 その言葉に、ルイズは「うっ……」と言葉に詰まった。

デルフリンガーの言うとおり、ルイズは二日ほど前まで疲労で寝込んでいたのであった。

その間エツィオが甲斐甲斐しく世話をしており、そのことはルイズも勿論知っていた。

 

「病み上がりのお前さんに、相棒がその話を振るワケがねえじゃねえか。それに、そういうのは娘っ子が切り出すってのがスジってもんじゃねえのか?」

「と、とにかく! わたしが、仕方なくバカでどうしようもないロクデナシな使い魔相手に相談しようというのに、あいつはどこぞのメイドといちゃいちゃいちゃいちゃ……」

「いちゃいちゃいちゃいちゃ」

「真似しないでよッ!」

「おおこわ、いやしかし、石を投げるのはどうかと思ったが、まさかあの相棒を仕留めるたぁな、ここがアルビオンだったら今頃大英雄だぜ」

 

 愉快そうに茶化すデルフリンガーに、ルイズは口をへの字に曲げて穴の中で腕を組んだ。

 

「冗談じゃないわ。……使い魔の責務も果たさずに、いちゃいちゃなんて百年早いのよ」

「やきもちか」

「違うわ、絶対違うんだから」

 

 頬を染め、顔を背けてルイズが呟くと、デルフリンガーがルイズの口調を真似て言った。

 

「なによ、他の女の子とばっかり遊んで」

「おだまり」

「あんたはわたしのものなの、あんたはわたしだけをみてればいいのよ!」

「今度それ言ったら、『虚無』で溶かすわ、誓ってあんたを溶かすわよ」

 

 デルフリンガーはぶるぶると震えた。どうやら笑っているらしい。ホントにイヤな剣ね、と思いながら、ルイズはデルフリンガーに尋ねた。

 

「ねえ、あんたに仕方なく尋ねてあげる。由緒正しい貴族のわたしが、あんたみたいなボロ剣に尋ねるのよ。感謝してね」

「へーへー、ありがたいこって、で、なんだね?」

 

 ルイズはこほんと可愛らしく咳をした。それから顔を真っ赤にしながら、精一杯威厳を保とうとする声で、デルフリンガーに尋ねた。

 

「わたしより、あのメイドが魅力で勝る点を述べなさい、簡潔に、要点を踏まえ、わかりやすくね」

「聞いてどうすんだ? っていうか、『虚無』の事じゃねーのかよ」

「あ、あんたに関係ないでしょ? いいから、さっさと答えてよ」

「色恋が先ってか……ほんっとしょうがない娘っ子だな。うーん……、そうだな、まずはあの娘っ子は料理が出来る」

「みたいね、でも、それが何だって言うのよ? 料理なんて注文すればいいじゃない」

「男ってのはそう言うのが好きなんだよ。言いかえりゃ、献身的ってやつだな」

「あいつはわたしの使い魔よ、立場が逆になっちゃうじゃない! 次!」

「顔はまぁ……、好み次第かね、お前さんもまぁまぁ整ってるし、あの娘っ子には愛嬌がある。しかし、あの娘っ子にはお前さんに無い大きな武器がある」

「言ってごらんなさい」

「むね、……と言いたいところだが、よくよく考えりゃ決定打にはならんだろうねぇ、見ての通り、ああいう奴なんだから」

「……人間は成長するわ。次」

「あとはそうだな……。強いて言やあ、積極性だな」

「せっきょくせい?」

「そのまんまの意味だよ、あのメイドの娘っ子を見ろよ、ガンガン相棒にアプローチかけてんじゃねえか。お前さんは何かやってんのか?」

 

 ルイズはうっ……と言葉に詰まった。確かに、あのメイドはいつもエツィオに何かしらのアプローチを掛けている。

その点ルイズは、エツィオに対し何も行動を起こしてはいなかった、強いて言えばセーターを作ってはいたが、あの騒動以来全く手をつけていない。

 う~~っと低く唸るルイズに、デルフリンガーは呆れたように言った。

 

「娘っ子、相棒は厄介だぞ。強くてハンサムで頭も切れて、性格も陽気で人当たりもいい、おまけになにやらせても完璧だ。

他の女が放っておくわけがないことぐらいわかるだろ?」

「わかってるわよ……。それ、キュルケも言ってたわ」

「しかも悪いことに、あいつ自身がとんでもない女ったらしだ。何もしない軟弱男とはワケが違う、ほっとくとどんどん他の女喰い散らかすぞ」

 

 デルフリンガーの言葉にピンとこないのか、ルイズは小さく首を傾げる。

 

「喰う? どういう意味?」

「そりゃお前、喰うっつったらセッ……」

「や、ヤダ! そんなのぜったいヤダ!」

「ヤダって言ってもな……そういうのも男の甲斐性ってもんじゃないのか? それともなんだ? お前さんまさか童貞がお好みなのかね?」

「どっ……! ち、違っ……! そ、そんなんじゃ……!」

 

 歯に衣着せぬデルフリンガーの物言いにルイズは益々顔を真っ赤にさせる。

 

「ま、童貞がお好みだってんだったら、残念ながらもう手遅れだ。元いたとこじゃ、恋人もいたっていうし、何より遊び慣れてるからな」

「ち、違うって言ってるでしょ! もうやめてよ! 黙って!」

 

 ルイズが羞恥に耐えきれず叫んだその時、傍らのモグラが、がばっと穴から顔を出した。嬉しい人影を見つけたのだ。自分を探していたギーシュである。

ギーシュはすさっと地面に立て膝を付くと、愛する使い魔を抱きしめ、頬ずりした。

 

「ああ! 探したよヴェルダンデ! ぼくのかわいい毛むくじゃら! こんなところに穴を掘って一体何をしてるんだい? ん? おや、ルイズ」

 

 ギーシュは穴の中のルイズの姿を発見して、怪訝な顔になった。

 

「なんできみは穴の中にいるんだね?」

 

 モグラは困ったような目で、ギーシュとルイズを交互に見比べた。ギーシュはうむ、と首を振って分別くさい口調で言った。

 

「わかったぞルイズ。きみはヴェルダンデに穴を掘らせて、どばどばミミズを探していたな? さては美容の秘薬を調合する気か、

なるほどきみの使い魔は……。ああやっぱり、食堂のメイドを誑し込んでるようだし……」

 

 ギーシュはちらっと、ベンチのところでエツィオを介抱するシエスタを見つめて言った。

相変わらずエツィオは気絶したままだ。シエスタはそんなエツィオの胸にすがってわぁわぁ騒いでいる。

 

「あっはっは! せいぜい美容には気をつかって彼の気を引くべきだね! エツィオはいろんな女の子に手を出してるからな! もう彼も首が回らなくなるんじゃないか?」

 

 いけね、とデルフリンガーが呟いた。ルイズはギーシュのシャツの裾を掴むと穴の中に引きずり落とし、二秒でギタギタにした。

モグラが心配そうに、気絶したギーシュの頭を鼻先でつついた。ルイズは拳をぎゅっと握りしめると低く、唸るように呟いた。

 

「もうっ……! 次はあいつだかんね……!」

 

 デルフリンガーが、切ない声で呟いた。

 

「いやぁ、今度の『虚無』はブリミル・ヴァルトリの百倍こええや」

 

 

 痛む頭を擦ってエツィオが部屋にやってくると、ルイズはベッドの上に正座して窓の方をじっと見つめていた。

部屋の中は薄暗い。もう夕方だというのに、ルイズは灯りもつけていない。

 

「あれ? どうしたんだ? 部屋が真っ暗だぞ」

 

 エツィオがそう言っても、ルイズは返事をしない、エツィオに背中を見せたままである。相当ご機嫌ななめのようだ。

 

「遅かったじゃない。今まで、どこでなにをしていたの?」

 

 正座したまま、ルイズが尋ねる、声の調子がいつもより冷たい。エツィオは肩を竦めた。

 

「オスマン殿に叱られていてね、その後、ヴェストリの広場でシエスタと会ってた、返さなきゃいけないものもあったしな。まぁ……返し損ねちゃったけど」

 

 そう呟きながら、エツィオは近くにあった椅子を引き、そこに腰かける。

 

「まぁそれはいいか、ところでルイズ、体調はどうだ? もう平気なのか?」

「ええ、もう平気よ」

 

 冷たい口調のまま答えたルイズに、「そっか」とエツィオは笑みを浮かべた。

 

「確かに、あれだけ大きな石を投げられるんだ、もう大丈夫だろうな」

 

 冷たい態度を装っていたルイズであったが、その一言は不意打ち過ぎた。

ルイズはがばっと振り向いた。

 

「あんたっ……! 全部わかってて……!」

「生憎、あの一件以来、きみから目を離したことはなくってね」

 

 自分の行動を把握されていたことへの気恥ずかしさと怒りに顔を紅潮させるルイズに対し、エツィオは意地悪な笑みを浮かべて嘯いた。

 

「ま、それだけの元気があるなら、もう安心だ。これならゆっくり話が出来るな」

「くっ……! あ、あんた! もう許さない!」

 

 ルイズはベッドの上で立ち上がると杖を振った。

一見何も起こっていない。しかしエツィオはついと振り向くと、入ってきたドアのノブをじっと見つめてニヤリと笑った。

 

「『ロック』か、呪文、成功するようになったみたいだな」

「ええそうよ! 簡単なコモン・マジックは成功するようになったわ!」

「『虚無』の覚醒が起因しているのかな?」

 

 これからあんたをぎったんぎったんに……! と息巻いていたルイズであったが、

エツィオが真面目な顔をして呟くものだから、思わずぽかんとした表情になった。

 

「あんた……なんでそれを?」

「だいたい察せるよ。今日はそのことで話があるんだ」

 

 エツィオは椅子に腰かけ直すと膝のあたりで手を組んで、じっとルイズを見つめた。

 

「ふ、ふざけないで! そんなことよりあんた――」

「……そんなことだって?」

「っ……!」

 

 エツィオの声に凄味が増した。

ぞくり、とルイズの背中にうすら寒い物が走る。

でた、とルイズは内心毒づいた。今のエツィオは、いつもの陽気な彼ではない。

 

「ルイズ、きみ自身の今後に関わる大事な話だ、どうか話をさせてほしい、いいね?」

 

 穏やかな声だった。しかし、先ほどまでのおどけた雰囲気は完全に消え去り、かわりに得体のしれない迫力がエツィオからにじみ出ている。

 

――アサシン

 

 不意に、辺りの闇が恐ろしくなった。

 

「どうしたんだ?」

 

 急に押し黙ってしまったルイズに気がついたのか、闇の中のエツィオは首を傾げる。

 

「え? な、なんでもないわ。それより待って、今、灯りつけるから」

「そうしてくれ、きみの顔が見えないとなんだか落ち着けない」

 

 我に返ったルイズは、慌てて杖を振り、部屋の灯りを付ける。

タルブでも感じたことだが……、この状態のエツィオはなんだか苦手だ。

まるで全て見透かされているかのような、そんな鋭さと冷たさが、今のエツィオにはある。

 

「ああ、ようやく可愛い顔を見せてくれたな」

 

 ルイズの心中を知ってか知らずか、エツィオがニヤリと嘯く。

その態度にルイズはちょっと安心する。なんだ、いつものエツィオじゃないの――

そう思った瞬間、突如エツィオの表情がこわばり、椅子から跳ねるように立ちあがった。

左手からはいつの間にかアサシンブレードが飛び出し、右手には数本の投げナイフを掴んでいる。完全な戦闘態勢である。

突然のエツィオの行動に、「ひぃっ!」 っとルイズが小さな悲鳴を上げる。

頭を抱えながら、何事かと恐る恐るエツィオを見ると、険しい表情で窓の外を見つめている。

 わけもわからずルイズが小さく震えていると、窓の外から何かが飛んできた。それは果たして一羽の鳥であった。足にはなにやら包みが縛られている。

 

「……鳥?」

 

 たしかあれは――ペリカン、という鳥だ、イタリアでは見ないが、ずっと昔、兄上達と見世物で見た記憶がある。

エツィオは警戒するかのように入ってきた鳥をじっと見つめる。使い魔の類ではないようだが、あの脚に縛られた荷物は何だろう、念のため中身を検めるか。

そう考えた時、縮こまっていたルイズがはっとしたような表情になり、慌てて首を横に振った。

 

「エツィオ! 待って!」

「ルイズ?」

 

 ルイズは慌てたようにベッドから飛び降りるとペリカンの脚に縛られた包みを外して、ベッドの上に置いた。

 

「ご、ごめんなさい、エツィオ、ちょっと待っててね。こ、これはただのわたしの買い物だから! ね? だから落ち着いて!」

 

 エツィオは小さく肩を竦めると、武器を収め再び椅子に腰かけた。だが、その目からは未だ警戒の色が消えていない。

こんな時に来ないでよっ……! ルイズは小声で恨み言を呟きながら、ペリカンのくちばしの中に金貨を入れた。確かに買ったのは自分だが、来るタイミングが悪すぎる。

料金を受け取ったペリカンが飛び立ち、ルイズは気まずそうにベッドに腰かけた。

 

「お……お待たせしました……」

「いや、こっちも驚かせてすまなかったな。ちょっと気が立ってたみたいだ。それより、中身は検めなくて大丈夫か? よければ俺が――」

「だ、ダメっ! 絶対ダメ! こ、これはその……わ、わたしのプライベートなものだから! だからあんたはダメッ!」

 

 再び椅子から立ち上がったエツィオに、ルイズは慌てて止めに入る。

確かに、エツィオを懲らしめるために買ったものではある、あるのだが、今のエツィオにこんなものは見せられない。

少なくともこれから真面目な議論を始めようとしている『アサシン』にこんなものを見せた日には、どんな目に会うかわかったものではない。

 

「……そうか? まぁ、きみがそう言うなら……」

 

 エツィオは小さく首を傾げると、再び椅子に腰かけ、ルイズをじっと見つめた。

 

「さて、話って言うのは他でもない、タルブで見せた……。きみのその力についてだ。

単刀直入に言おう、俺の見立てでは……、その力は『虚無』ではないかと思っている」

 

 エツィオは、その考えに至った理由をルイズに説明した。

あの時手に持っていた聖遺物『始祖の祈祷書』、エツィオ自身に刻まれた、虚無の使い魔たるガンダールヴのルーン。

そして、あの巨大な艦隊を吹き飛ばすほどの強大な力。

 ルイズも同じ考えだったのか、「そうよ」と小さく頷き、指にはめた『水のルビー』と『始祖の祈祷書』をエツィオに見せ、あの日、自分の身に起こったことを説明した。

 

「やはりか……」

 

 その説明を聞いたエツィオは、顎に手を当て、深く考えるように黙り込んでしまった。

 

「ねえ……わたし、どうしたらいいのかしら?」

「逆に聞くが、きみはその力をどうしたい? どうすべきだと考えている?」

 

 不安げに呟くルイズに、エツィオは質問を投げかける。

ルイズは首を横に振った。

 

「わかんない……、わからないわ。いきなりこんな力に目覚めるなんて……もうなにがなんだか……」

 

 困惑したように呟くルイズに、エツィオは小さく頷いた。

 

「そうだろうな……、きみの気持ちは理解できる、俺がきみの立場だったら、同じように困惑しただろう」

「あんたは……どうすべきだと思う?」

 

 ルイズの問いに、エツィオは静かに首を横に振った。

 

「どうするかはきみ自身が決めるべきだ。俺の考えを挟む余地はないよ」

「でも……!」

「訊いてみるんだ、自分の心に」

「いつまでも……隠し通せることじゃないとは思ってるわ……でも……」

 

 考えがまとまらず、ルイズは言葉に詰まった。

 

「なんであれ、長い間現れる事のなかった『虚無』がきみの中で覚醒した。それだけ強力な力が、理由もなく現れる筈もない。

きみが選ばれたのは、なにかしらの意味があってのことだと思う。……俺がきみの使い魔になったことも」

 

 エツィオの言葉に、ルイズは半ば困惑しながら返答した。

 

「ごめんなさい……わからないわ、もう少し、考えさせて」

「ルイズ、『真実はなく、許されぬことなど無い』、人の自由意思による選択に正解、――答えなんて無い。

だけど最終的に、きみはその力をどうするか決断を下さなきゃならない、そして俺はその意思を最大限尊重したいと考えてる」

 

 なぜか唖然とした表情のルイズに、エツィオは続けた。

 

「だが、忘れないでくれ、自由意思には常に代償が付きまとう、自身の選択によって何が起ころうとも、きみはその結果を受け止め、背負わなければならない」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って」

 

 尚も続くエツィオの言葉を、ルイズが遮った。それからごくりとひとつ息を飲み、口を開いた。

 

「あんた……、ほんとにエツィオ?」

「……え?」

 

 あまりに馬鹿げた質問だとルイズは内心思った、だけどそう訊ねざるを得ないほど、今のエツィオの言葉にはとんでもない程の重みがあった。

本当にこいつがあのエツィオなのか? と問われれば、今のルイズには頷く自信がない。

それほどまでに、今のエツィオは老成し過ぎていた。自分たちとそれほど歳も離れていない筈なのに、ここまで達観した考えを持てるものなのかと疑問に思ったのだ。

正直、学院の教師たちでさえ、このような考えに至っているかどうか、かなり怪しい。

呆れられちゃったかな? とルイズがおずおずとエツィオを見つめると、エツィオも困惑したかのように首を傾げていた。

 

「エツィオ? ……どうしたの?」

「え? いや……俺、変なこと言ってたか?」

「ううん、変じゃない。でも……あんたにしては重すぎたから……つい……」

「おいおい、それはちょっと酷いんじゃないか?」

 

 そうおどけたように笑うエツィオからはいつの間にか得体のしれない迫力が失せていた。

よかった、いつものエツィオに戻った。破顔するエツィオを見て、ルイズは内心ほっとした。

あの調子のまま続けられたら、ルイズはこの先エツィオに敬語を使ってしまいかねなかった。

しかし、エツィオの表情はどこか浮かないままだ。ちょっと心配になったルイズは、エツィオの顔の前で掌をひらひらと動かした。

 

「ねえ、ほんとに大丈夫?」

「ん? あ、ああ、……実は、俺も不思議に思っていたんだ。さっきは頭の中に浮かんだ考えが自然と口をついて出たって言うか……」

 

 エツィオは困ったように頭を掻いた。

 

「勝手に言ってた、ってこと?」

「わからない……、でも不思議と違和感はない、俺自身、この答えに深く納得していると言うか……。

この考えは俺の心の底から出たものだっていう確信がある……んだけど……」 

 

 エツィオは、ふと左手のルーンを見つめた。この感覚は、以前にも感じたことがあった。

タルブの村で傭兵達の指揮を取っていた時に感じた、あの感覚だ。あの時も、自分の奥底に眠る力が突然目覚めたような感じがした。

今回のそれも、同じような物なのだろうか。しかし左手のルーンは、あの時とは違い、光ってはいなかった。

エツィオは疑問に感じたが、やがて小さく首を振った。

 

「まあ、俺の事はいいな、それよりきみのことだ。さっきも言ったが、俺はきみの意思を最大限尊重する」

 

 だけど……。とエツィオは人差し指を顔の前に立てた。

 

「一つだけ、俺の意見を言わせてもらうなら、その力を軽々しく振わないでほしい。特に人を傷つける目的ではな」

「そんなこと……しないわ」

 

 エツィオの言葉に、ルイズは小さく頷いた。

それを聞いて、エツィオは安心したかのような笑みを浮かべ頷いた。

得体のしれない迫力は失せ、いつもの優しい雰囲気を纏っている。

 

「そうだな。でも安心しろ、きみを支えるのが俺の役目だから、それだけは変わらないよ。……この話はここまでにしておこう、疲れただろう?」

「え? ええ……そうね、あんたのせいで変に疲れちゃったわ」

「俺が? そういえば思い出したけど、きみ、さっきは何を怒ってたんだ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ルイズの顔が鬼のような形相になった。

どうやら自分が怒っていたことを思い出したらしい。

 

「そうよ! 思い出したっ! あんたっ! いったいどういうつもりよ!」

「どういうつもり、って?」

「シエスタのことよ! あんた、こないだのこと、もう忘れたの! ここ最近はわたしのことを看病していたようだから、ちょーっとは許してあげようかなって思ってたのに!

また手を出そうなんていい度胸してるじゃないの!」

「忘れてないさ、お陰でタルブに行く口実も出来たしな」

 

 怒りに打ち震えるルイズに対し、エツィオはなんと、悪びれる様子もなく肩を竦めて見せた。

そんなエツィオの態度に、ルイズは怒りを通り越してぽかんと口を開けた。

 

「今考えてみれば……ちょっと疑問に感じるところがあったんだ」

「何よ、言ってごらんなさい」

「きみ、俺が他の女の子に手を出すのが凄く気に入らないみたいだけど、それはどうしてなんだ?」

 

 ルイズは思わず、はぁ? と間抜けな声を上げた。エツィオが、そんな馬鹿げた質問をぶつけてくるとは思わなかったのだ。

しかしエツィオは構わずに続けた。

 

「この間までその場の勢いに流されてたけど、よくよく考えてみれば責められる謂れはないような気がしてさ」

「ど、どどど、どういうことよ!」

「そこできみに聞きたいんだけど、もしかして俺はきみの恋人なのか?」

「だ、だっだだっ、だぁれが恋人ですってぇ!?」

 

 ニヤリと笑いながら嘯くエツィオに、ルイズは顔を真っ赤にさせた。

 

「違うのか?」

「あ、ああたりまえじゃない! だ、誰があんたなんか!」

「ふぅん、それじゃ、なんで他の女の子に手を出しちゃいけないんだ? 俺はきみの恋人じゃないんだろ? 残念だけれども」

「そ、そんなのっ!」

 

 キスしたからよ! と危うく口に出しそうなったルイズは慌てて唇を閉じる、そして慎重に言葉を選んだ。

 

「あ、あんた! わたしの使い魔でしょ! 責務も果たさずに他の女の子といちゃいちゃしてる使い魔がどこにいるってのよ!」

「責務……か。おいデルフ!」

 

 それを聞いたエツィオは唇の端を上げ、部屋の隅に立てられたインテリジェンスソードに話しかけた。

 

「なんだね?」

「お前から見て俺の働きはどうだ? 使い魔の責務、果たしてると思うか?」

「ああ、十分に果たしてるね。もっと言わせてもらえりゃ、働き過ぎだ。もっとサボったってバチ当たらんよ」

「……だそうだ」

 

 勝ち誇ったようにこちらを向くエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまった。

 

「しかし困ったな、これでもまだきみは十分じゃないっていうのか?」

「っ……! そ、そうよ! とにかくあんたは使い魔の責務を果たしてないの!」

「へえ、それはなんだ? 今後の参考に教えてくれよ、至らない部分があってはきみの使い魔として誇れないからな」

 

 ルイズはなにかないか必死に考える。が、すぐに気が付く、指摘できる点が、何一つないのだ。

口ごもるルイズを見て、エツィオはやれやれと肩を竦め首を横に振って見せた。

 

「ないのか? それじゃあ誰に手を出そうかきみには関係ないことなんじゃないかな?」

「か、関係ないけど、あるのよ!」

 

 ニヤニヤと楽しそうに笑うエツィオを、ルイズはう~~~~っ、と睨みつける。

なんてイヤミな男なのかしら、とルイズは唇を噛んだ、エツィオはルイズの気持ちを知っている、

そしてそれが煮え切らない物だと知っていたとしても、それを口に出させようとしているのだ。

でもプライドの高いルイズはそんなこと口に出す事が出来ない、それも当然エツィオは知っている。それも含めて楽しんでいるのだ。

ヒヨコがグリフォンに挑むようなもの、以前キュルケが言っていた意味が、痛い程ルイズには理解できた。

 エツィオには、どうあってもかなわない、そこでルイズは、唯一刺し違えることが出来るとっておきの必殺技を出すことにした。

とにかく、言葉とか疑問とか、怒りとか、言葉の矛盾とか全部チャラにしてしまう、女の子の必殺技であった。

なんというのか、泣きだしたのである。

 目頭から、真珠の粒のような、大粒の涙がぽろっと流れた。それがきっかけでルイズはぽろぽろと泣き始めた。

 

「なんでいじわるするのよ、もう、ばか、きらい」

 

 ずるっ、えぐっ、ひっぐ、とルイズは目頭を手の甲でごしごしと拭いながら泣いた。

するとエツィオは椅子からやおら立ち上がると、ルイズのベッドに腰かけ、ルイズの肩に手を回して優しく抱き寄せた。

そうすると、ルイズはエツィオの胸板を叩きながらますます強く泣き始めた。

 

「きらい。だいっきらい」

 

 ――その時だった。優しく抱きしめていてくれていたエツィオが体重をかけ、ルイズをベッドに押し倒してきた。

何が起こったのか理解しかねていたルイズは、抵抗することが出来ず、そのままエツィオに覆いかぶされてしまった。

 

「ふぇっ……?」

 

 間の抜けた声を上げるルイズを、エツィオが覗き込み、ニヤリと笑みを浮かべ、囁く。

 

「ルイズ、そろそろ、俺達のカンケイってやつをはっきりさせるべきだとは思わないか?」

「か、かんけい?」

「そう、俺はきみの使い魔なのか、それとも恋人なのか。さあ、どっちだ?」

 

 ずいっと、エツィオの顔が近くに迫る。グリフォンの反撃が始まった。

ルイズはようやく自分の置かれた状況に気が付いたものの、もうすでに遅かった。

今のルイズは、グリフォンの鉤爪に捕らわれたヒヨコと同じであった。

 

「あ、あんたはわたしのことっ……」

「俺か? この間言っただろ? 俺はきみが好きだ。じゃなきゃ使い魔なんてやってない、とっくに出て行ってるさ」

 

 苦し紛れの質問であったが、逆に自分の首を絞める結果になった。

きゅっと唇を噛みしめるルイズに、エツィオは歌う様に言った。

 

「でも、俺は卑しいきみの使い魔だ、使い魔ごときが主人にそんな想いは寄せられない。ましてや手を出すなんてとんでもない! こうしていること自体が謀反に等しい事だ。

だからきみが使い魔だと言えば……、俺はこの事の罰を受けるし……もう二度ときみに手を出す事はしない。この先きみが心変わりしようともね」

 

 だけどもし……。とエツィオは楽しそうに続けた。

 

「きみが俺のことを恋人だと言うのであれば……、俺はもうきみしか見えなくなる」

 

 ルイズがぐっと言葉に詰まる、それはつまり、ルイズが使い魔だと言えば、エツィオは他の女の子に手を出しまくるが、ルイズは一切口を出せない上に相手にしてもらえなくなると言うことであり……。

逆に恋人だと言えば、エツィオはもうルイズの事しか見なくなる、ということであった。なんともまぁ理不尽な二択である。しかしその二択は、確実にルイズの退路を断っていた。

 

「さあルイズ、選択の時だ、俺にどうして欲しいのかな? 返答次第ではどうなるか……わかってるだろ?」

 

 互いの息がかかるくらいの距離にまでエツィオの顔が近付けられる。

ルイズは最早爆死寸前だった。心臓が狂ったように警鐘を鳴らし、顔は熱した鉄のように赤く熱くなっている。

 

「言ってごらん? 俺はきみにとってのなんだ?」

「あ、あああ……あんたは……わ、わたっ……! わたしのっ……!」

 

 ルイズはぴくぴくと体をふるわせていたが……、やがてぐったりと動かなくなった。

エツィオはついとベッドから立ち上がると、ルイズの体に毛布をかぶせた。

そんなエツィオに、様子を見守っていたデルフリンガーが声をかけた。

 

「相棒? どうしたんだ?」

「気絶したみたいだ。うまく逃げられちゃったよ」

 

 エツィオは肩をすくめると、苦笑したように呟いた。

進退窮まったルイズは、最後の逃げ道である、意識の遮断を選んだのだった。

なんとも見上げたプライドである。

 

「まったく、嫉妬と傲慢は人間の大罪の一つに数えられてるってのに、もっと素直になってくれたらいいんだけどもな」

 

 ベッドの上で眠っているルイズを見て呟くエツィオに、デルフリンガーが呆れたように言った。

 

「そいつを言うなら色欲もだ」



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memory-32 「戦略的外交」

 開け放たれた窓から吹き込む暖かい風に、エツィオは季節が変わりつつあるのを感じていた。

フィレンツェを離れ、この世界に召喚されてから時は刻々と経ちつつある。

ルイズとの騒がしくも賑やかな生活はエツィオに久しく忘れていた人の温かさを再び思い起こさせるには十分なほど、甘美で魅力的なものであった。

しかし、今自分がこうしている間にも、天敵であるテンプル騎士達がイタリアの支配を手中にせんと謀略を巡らせていると考えると、はらわたが煮えくりかえるとともに、背筋が寒くなる。

だからこそ、一刻も早く元の世界に戻らなくては……。そんなことを考えながら外の景色を眺めていると……、近くに立てかけたデルフリンガーがカチカチと音を立てた。

 

「何考えてんだ? 相棒」

「いや……、なんでもないよ」

 

 エツィオはわずかに笑みを浮かべると、部屋の中央に据え付けられた豪奢なソファに腰を落とした。

それから部屋の中を見回して、小さくため息をついた。

 

「それにしても、お払い箱とはな」

「しょうがねえだろうよ、お姫様も娘っ子に積もる話でもあるんだろ?」

「だからこそ心配なんだよ」

 

 エツィオがいるのはトリステインの王宮、その中の一室である謁見控室であった。

なぜ彼がそんなところにいるのかというと……。今朝にアンリエッタからの使者が魔法学院にやってきたのであった。

使者はルイズに『始祖の祈祷書』の返却を求めるとともに、アンリエッタ女王陛下からのお呼び出しがあると告げた。

そこでルイズは授業を休み、使い魔のエツィオと共に用意された馬車に乗り込みここまでやってきたのであった。

王宮に到着した二人は、そのまま謁見室に通される……はずであったのだが、謁見室の扉前に控えた衛兵に、「女王陛下から、使い魔殿には別室にて待機していただくよう仰せつかっております」と言われ、ここに連れてこられていたのであった。

 

「何が心配なんだよ」

「そりゃルイズのことさ、ただの四方山話に花を咲かせるならいい、でももうアンリエッタ姫殿下は女王陛下だ、そんな要件で呼び出せるはずもない、表向きには『始祖の祈祷書』の返却だが……どうだかな、何か重要な要件があって呼び出したに決まっている。……彼女の虚無のことが感づかれたか……あるいは……」

「はぁ、相棒は心配性だねぇ、いっくらなんでも考えすぎだろう」

「悪かったな、ここ最近は政治の後ろ暗いところばかり見てきたからな……おかげさまで、いまだ政治のことは理解しかねてるよ」

 

 ため息交じりに呆れるデルフリンガーにエツィオは複雑な表情で肩をすくめた。

 

「……ルイズが余計なこと言わなきゃいいけどな……」

「たとえば?」

「そうだな……『恐れながら陛下に、わたしの『虚無』を捧げたいと思います!』とかな!」

 

 ルイズの口調をまねて、おどけるように言ったエツィオであったが……、どうやらその様子をありありと想像できてしまったらしい。頭を抱えて「はぁ……、本当に言ってそうだ……」と呻くように呟いた。

 

「なんだよ相棒、お前、娘っ子が『虚無』のことをどう扱うかについては、口を出さないって言ってただろ?」

「あんなの建前だよ。俺だって、内心では扱いかねてるんだ、正直、ルイズには『始祖の祈祷書』を返却して、『虚無』については口を噤んでほしいと思ってるよ、けどな」

「けど?」

「彼女にとってはそうではないだろう、今までゼロだのなんだのと謗られてきたのが、いきなり伝説の系統だ、今までの評価を大きく覆すまたとない機会だ」

 

 そういうエツィオの顔は複雑な面持ちである。

 

「そりゃ、彼女が評価されるのは素直にうれしいし、誇らしい気持ちになるよ、だけど……、それに溺れないかが何より心配なんだ。彼女が壊れるのは見たくない」

 

 エツィオは沈痛な表情を浮かべて呟き……、やがて顔を上げた。

 

「少なくとも、今日彼女の周りで何かが変わる、そんな気がしてならない、いい意味でも、悪い意味でもな」

 

 そんなエツィオに、デルフリンガーが声をかけようとした時だった。エツィオの表情が鋭くなり、廊下へと続くドアへと向けられた。アサシンとして磨き上げられた感覚が、第三者の接近を告げる。

 

「どうした?」

「話はここまでだ、誰か来る」

 

 エツィオが小声で呟いたその時、ドアが開いた。謁見を終えたルイズ……ではなく、現れたのは聖職者のローブを着こんだ、痩せぎすの男であった。エツィオはその男に見覚えがあった、しかしどこで見たのか……、よく思い出せない。

 男は部屋の中のエツィオを見ると、聖職者の丸帽を取り会釈をした。

 

「やあどうも、陛下に謁見ですかな?」

「ええ、シニョーレ、ただいま私の主人が陛下に謁見中でございます。残念なことに私はここでお留守番ですよ」

「なるほど、お付きの方でしたか」

 

 白髪頭の男はにこやかな笑みを浮かべると、「こちら、よろしいですかな?」とエツィオの正面のソファに腰を下ろした。

 

「失礼ですが、あなたは?」

「これは失礼、わたくし、枢機卿のマザリーニと申します、以後、お見知りおきを」

 

 枢機卿! 目の前の男の正体にエツィオは驚きのあまり、一瞬言葉を失った。

枢機卿マザリーニ、今や女王陛下となったアンリエッタの補佐を行ってきた、この国の重鎮である。

その人物を前にして、エツィオの緊張は否が応でも高まった。

 

「これは……! 失礼を……、お目にかかれて光栄です、猊下」

 

 こわばった表情のエツィオとは対照的に、マザリーニは笑顔を崩さずに口を開いた。

 

「いえいえ、お気になさらず。今の時間の謁見は……、ラ・ヴァリエール殿の御令嬢の……」

「使い魔でございます、猊下」

 

 エツィオがそういうと、マザリーニは頷いた。

 

「そうそう、使い魔の方でしたな、ええと……」

「フィレンツェのエツィオ・アウディトーレ。以後お見知りおきを」

「どうぞよしなに。しかし人が使い魔とは、ずいぶんと珍しいこともあったものですな」

「おかげで毎日が刺激的ですよ、とくに彼女と過ごしているとね」

「結構なことです、しかし先ほど、フィレンツェの……とおっしゃっておりましたが、申し訳ない、どうも私の知らない地名のようだ。名前の響きからしててっきりロマリアの御出身かとも思いましたがそうではないようだ」

「ええ、猊下も御存じのとおり、私は彼女に『召喚』されるという形でここに来たのです。聞き覚えもないのも無理のないこと、どうかお気になさらず」

 

 人懐こい笑顔を見せて答えるエツィオに、マザリーニもまた笑みを見せた。

 

「なるほど、そうでしたな。以前魔法学院への行幸に御同行させていただいた際、いろいろと貴殿の噂を耳にしましてな、なんでもあの『土くれ』のフーケを捕えたのは貴方だとか」

「たいしたことはしておりません、すべて主人やその友人たちの尽力のおかげです。

まあ、残念ながらフーケには逃げられてしまったようですが」

「ははは、いや、お恥ずかしい限りです」

 

 牢破りの実行犯が目の前にいるとはつゆ知らず、マザリーニはばつが悪そうに苦笑した。

そんな彼に、エツィオは小さく首をかしげて尋ねた。

 

「しかし猊下、なぜこのようなところに? 貴方ほどの人であれば謁見を待つ必要はないと思うのですが」

「なに、私も貴方と同じです。旧友に再会する故と、陛下に追い出されてしまいましてな」

 

 困ったように笑いながらマザリーニは肩をすくめる。それからエツィオを見つめ「とは言え……」と呟く。

 

「そのおかげでこうしてあなたとお話ができる、またとない機会を得ることができました」

「私と……ですか?」

「ええ、今アルビオンが最も恐れているアサシンとお話できる、素晴らしい機会です」

 

 瞬間、エツィオの心臓が縮み上がった。

あまりに思いがけない展開に、さすがのエツィオも動揺を隠せなかった。

 

「猊下、おっしゃっていることが……」

 

 マザリーニは手を掲げエツィオの言葉を遮った。

 

「ご安心召されよ、あなたをどうこうしようというわけでありませぬ、ただ話をしたい、それだけです」

 

 それからマザリーニは、「ちょっと失礼」と立ち上がると、サイドボードから酒瓶を取り出し、ゴブレットを二つ持ってきた。

 

「本来ならば執務中の飲酒は御法度なのですが……、いかがですかな? このマザリーニ、とっておきのブランデーですぞ」

 

 そういいながらゴブレットにブランデーを注ぎ、エツィオに差し出した。

ゴブレットを受け取りながらもどこか表情の硬いエツィオに、マザリーニは、まずはついっと飲み干した。

 

「お酒は苦手でしたかな?」

「いえ……失礼をいたしました」

「結構、では」

 

 マザリーニは満足そうにほほ笑むと、ゴブレットを掲げた。

 

「トリステインに」

 

 エツィオは少し考えて、「平和のために」と応え、ゴブレットを合わせた。

かちん、と陶器のゴブレットが触れ合い、二人はブランデーを飲み下す。

強烈なアルコールで体を温まるのを感じながら、エツィオはふぅっ、と息を吐いた。

 

「なかなか……、強烈ですね」

「お口に合いませんでしたかな?」

「とんでもない、またとない美酒だ」

「それはよかった、お出しした甲斐があったというものです。……おっと、この件はくれぐれも陛下にご内密に、待合室に酒を持ち込んでいると知れてはお叱りを受けてしまいます故」

 

 マザリーニは、再びゴブレットにブランデーを注ぐと、ソファに深く腰かけエツィオを見つめた。

 

「さて、まずは突然のご無礼をお許しいただきたい、しかしどうしてもあなたにお会いしたかったのです」

「この様子だと、ずいぶんとお調べになったようだ」

 

 エツィオはゴブレットを掲げ、やや皮肉を込めて言った。

余裕のある笑みを作ってはいるが、エツィオは内心では危機感を覚えていた。

マザリーニはエツィオがここに来ることを知っていたのだろう、でなければこのような用意などしないはずだ。

 だとすれば、アンリエッタによる呼び出しも、エツィオだけが別室へと通されたのも、マザリーニの差し金である可能性が非常に高い。

 ルイズは別室、もはや人質に取られたようなものだ。エツィオの胸に不安が広がる、もしルイズを盾にトリステインに従えと脅されでもしたらどうする――?

 

 そんなエツィオの心境を知ってか知らずか、マザリーニは続けた。

 

「ええ、ずいぶんと苦労しました。しかし、このわずかな期間で起きた一連の出来事、その全てにラ・ヴァリエールの御令嬢がかかわっており……その度にあなたの影がちらついていては、いやでも気になるというものです」

 

 それに、とマザリーニは付け加えた。

 

「アルビオンでのあなたの噂は、列挙するだけでも暇がない。そうそう、とあるアルビオン人を亡命させ、侵攻の情報をわが軍に与えたのもあなただとか。まさかそのために陛下のお部屋にまで忍び込むとは……いやはや、アルビオンは恐るべきアサシンを敵に回してしまっているようだ」

「っ……!」

 

 そこまで知られていたか……と、エツィオは内心唇をかんだ。胸の内にオスマン氏の叱責が蘇る。

派手に動きすぎたのだ、そのせいで権力者の目に留まってしまっていたのである。

 

「とまぁ、我々も、ただ勝利に浮かれていたわけではないということです。

敵の敵は誰か、それを常に把握しておくことが外交……とりわけ戦において肝要なのです。

それゆえに、あなたをここにお呼び立てさせていただきました、敵の敵をより知るために」

「猊下も大胆なことをなさる、もし私があなたの命を狙っていたらどうするおつもりだったのです?」

「おっと! これは盲点でしたな!」

 

 エツィオの言葉に、マザリーニはおどけるように頭をたたいて見せた。

 

「しかし、そうであったとしても今すぐに殺されるということはないと私は考えております」

「なぜです?」

「あなたはアサシンである前に、ラ・ヴァリエールの使い魔だ、主人をみすみす危険にさらすことはなさらないでしょう……違いますか?」

 

 エツィオは面白くなさそうに肩をすくめた。

理由としては少し弱いと思うが……いかんせん図星である。

無論マザリーニを暗殺することなど微塵も考えてはいないが、そうも言われてしまうと何となく面白くないのも事実だ。

 

「それに、あなたほどの腕前だ。もしそのつもりであったのならば、もっと早くに私の前に現れていたでしょう。死を携えてね」

「……まったく、仰る通りです、猊下。しかし買いかぶりすぎです、私はそこまで有能ではありませんよ」

 

 エツィオは小さく首を横に振って呟いた。 

 

「それで、敵の敵を知ってどうするおつもりなのですか?」

「先も申しましたが、あなたをどうこうする気は一切ありませぬ。先の戦のみならず、あなたは今まで影でトリステインを救う働きをしてきた。そんな英雄とも呼べる人物を、感謝こそすれ非難することなど、どうしてできますでしょうか」

「……御過分なお言葉、大変恐縮です。しかし、あいにくと私は英雄などではありません、猊下」

 

 エツィオは表情を変えずにブランデーを呷った。

 

「暗殺者(アサシン)が英雄であってはならないのです、……決して」

「ええ、仰る通りです」

 

 返ってきた答えが意外だったのか、エツィオは片眉を上げマザリーニを見つめた。

 

「国家が暗殺という行為を是とするわけには参りませぬ、そのためアサシンによる『犯行』は全て、アサシンという一個人の判断によるもの、トリステインは一切関知いたしませぬ」

 

 マザリーニはきっぱりとした口調で言い切った。

 

「しかし、しかしそれでも私は貴方にお礼申し上げたい。あなたがこれまでにトリステインにもたらした益はまさに計り知れないほどだ。陛下に代わり、厚くお礼を申し上げる」

 

 目じりに涙を湛え深く頭を下げるマザリーニの真摯な態度が伝わってきて、エツィオは思わず恐縮した。

この男はトリステインを深く案じており、愛している、それがひしひしと伝わってきた。

 

「猊下、どうか頭をお上げになってください」

「いえ、私は貴方に謝らなければならない、先も申した通り、国家が暗殺という手段を是とするわけには参りませぬ、それゆえ、あなたには褒美を与えることは出来ぬのです。……もっとも、表向きには、ですが」

 

 マザリーニはそういうと、どこに隠していたのだろうか、大きな革の袋を取り出すと、エツィオの前にどさりと置いた。

じゃらっという音が聞こえるに、中身は金貨、宝石類だろう。

 

「どうかこちらをお受取りください、せめてもの感謝の気持ちです。あなたの成したこれまでの功績はにとても吊り合うことができぬとは思いますが、報いるところがなければなりませぬ」

 

 ところが大量の金貨を前に、エツィオは小さく首を横に振った。

 

「この上なく光栄に存じます、猊下。しかしながらこのような過分なものを頂くわけにはまいりませぬ、どうかお許しを」

 

 そのエツィオの言葉が意外だったのか、マザリーニは驚いたような表情になった。

 

「なんと、いらぬと申すのですか?」

「はい、申し訳ありません」と、エツィオは頭を垂れた。

「それに、問題はまだ解決しておりません。この戦で勝利はしましたが、敵の首魁はいまだ空の上。

……それに、アルビオンの裏には、なにか巨大な怪物が隠れている……そんな気がしてならないのです」

「あなたの仕事はまだ終わっていないと?」

「はい、この裏に潜む魔物の正体を暴きだし、戦乱を齎そうとする者たちに然るべき報いを与えます」

 

 迷いなく言い切ったエツィオに、マザリーニは「むぅ……」と唸った。

 

「なるほど……そこまで仰るのであらば致し方ありませぬな。それに報いることができぬのが残念でなりませぬ」

「では猊下、もう一杯ブランデーをいただけますか? 私にはそれで十分です」

 

 残念そうに呟くマザリーニに、エツィオはにっと笑うとゴブレットを掲げる。

そんなエツィオにマザリーニは満面の笑みを浮かべると、ゴブレットに並々とブランデーを注いだ。

 

「エツィオ殿、先ほどあなたはアルビオンの裏に怪物が潜んでいる、と仰っておりましたが、それはどういう意味なのです? この戦、なにか裏があると?」

 

 ゴブレットのブランデーを揺らしながらマザリーニがエツィオに尋ねる。

 

「はい、アルビオンに滞在していた際、彼らの議会に潜り込んだことがありました。その時の議題は何だったと思いますか?」

「はて……?」

「トリステイン、ゲルマニアを攻め落とした後の戦後処理です、聖地奪還という名目を掲げているにもかかわらず、そんな話題は一度も上がらなかった。彼らはただ、ハルケギニアというケーキをどう切り分けるか。どう自分の取り分を多くするか、それしか頭にない」

 

 エツィオはため息を吐いた。

 

「結局、議会の閉会まで、聖地のことや議題に上がって然るべき『民』にはまったく触れられなかった」

 

「おっと、民についてはまったくではありませんでしたね」とエツィオは付け加えた。

 

「徴税と兵役、そこだけはしっかりと話し合っていました。……それが彼らを排除すると決めた瞬間だった」

「……ふむ」

 

 興味深そうに頷くマザリーニに、エツィオは続けた。

 

「元々テューダー王家に不満を持つ貴族はそう多くはなかったとお聞きしましたが、それは本当ですか?」

「ええ、そのはずです。それに、民に対しても善政を敷いていたと思いますな、無論、為政者の視点ではありますが」

「にもかかわらず、あの反乱はまるで枯野に火を放つように広がったとか。それにこの国からも裏切者は出た」

「ワルドですな」

「この国の中枢にも『レコン・キスタ』の根は及んでいることを鑑みれば……」

「裏で糸を引く者がいて当然……ということですか」

 

 エツィオは頷いた。

 

「先もお話した通り、貴族議会の連中はハルケギニアの支配しか頭にない、にもかかわらず、わずかな期間でここまで巨大な勢力にまで成長し王家まで滅ぼした。全てがあまりに出来過ぎている。まるで誰かが用意したシナリオのように」

「なるほど……」

「考えすぎですか?」

 

 肩をすくめるエツィオに、マザリーニは首を横に振った。

 

「いえ……あなたの言うことにも一理ある。しかし、そんなことをして一体誰が得をするのです?

万が一彼らが勝利してハルケギニアを支配できたとしても、それではクロムウェルの一人勝ちですぞ」

「あるいはその勝利を横からかすめ取る誰か……」

「ロマリア……あるいは、ガリア……、いや、しかし……そんなはずは……」

 

 マザリーニが小さな声で呟くのを、エツィオは聞き逃さなかった。

 

「その二国が何か?」

「いえ、あくまで可能性の話です。この二国は、未だこの危機に対しての同盟が済んでいないのです。

とはいえ、ロマリアはブリミル教の宗主とも呼べる国家、クロムウェルが『虚無』を称していることに疑問を呈しており、参戦も時間の問題と思われます」

「ではガリアは?」

「ガリアは……、確かに強大な国ではありますが……」

 

 マザリーニは苦い表情になった。

 

「正直何を考えているのか、わかりかねる部分がありますな、なにしろ君主のジョゼフ王は『無能王』とも謗られるほどの愚物。なぜあのような者が王の座に就いたのか……、理解しかねます」

「では彼らが?」

「うーむ……、しかしこれもないと思うのです、なぜならかの国は内乱の火種がいまだ燻っている。そんな中、ハルケギニアを二分しかねない戦に参戦すれば、間違いなく内乱が勃発し、背後を守らせた者に後ろから刺される結果となりうるでしょう」

 

「それに……」とマザリーニは付け足した。

 

「愚物と言えど、ジョゼフ王も正当なる王家の血筋、王家の血筋を排除しようとしている『レコン・キスタ』に与するとはとても思えぬのです」

「なるほど……」

 

 エツィオはブランデーをぐいと呷ると、ふぅっ、とため息を吐いた。

 

「しかし今は情報が少ないのが現状です、こちらも調査を続け、必要とあらば動くつもりでいます」

「おお……、それはとても助かります。こちらとしてもあなたに対し協力を惜しみませぬ。

……とはいえ、あなたのおっしゃる通り、残念なことにこの国の内部にも奴らの根は及んでおります。誰が敵なのかわからぬ状況、あなたの存在を公にするのは非常にまずいと私は考えております」

「同感です、故に猊下、私の存在を可能な限り隠匿してほしいのですが……」

 

 エツィオのその申し出に、マザリーニは我が意を得たりと大きく頷いた。

 

「ええ、そうさせていただきます。幸い、あなたの正体をはっきりと知る人間はそう多くはない。

陛下に私、あなたが亡命させたヘンリ・ボーウッド、そしてあなたが救出したアニエスという女傭兵、この四人です。おっと、あなたの主人である。ラ・ヴァリエールの御令嬢もそうでしたか。

特に、陛下にはよく釘を刺しておきます故、ご安心召されよ」

 

 それからマザリーニは、何かを思いついたのか「そうだ」と手をたたいた。

 

「エツィオ殿、もしよろしければいつでもこちらに尋ねてきてもらっても構いませんが、いかがでしょう?」

「確かに、そうしたほうがよいと思いますが……」

「よろしい、連絡手段についてはこちらで手を考えます、あなたの存在は極秘中の極秘、そう城の中を歩き回られてはほかの者の目についてしまう可能性もありますので」

 

 マザリーニはそこまで言うと、ソファの背もたれに大きく背を預けると、まるで安心しきったかのように大きく息を吐いた。

 

「いや失礼、どうにも安心してしまいましてな。実のところ、あなたの考えが全く読めなかったのです」

「それはお互い様です、猊下」

「いやしかしあなたが敵ではなくて本当に良かった。このマザリーニ、これまで会談を数多くこなしてきたつもりでしたが……いやはや、ここまで神経をすり減らされたのは貴方が初めてだ。酒の力を借りなくてはこうはできなかったでしょう」

「褒め言葉として、受け取っておきます」

 

 ソファから身を起しマザリーニは言った。

 

「主人と同じくあなたの忠誠を得ることができるとは、トリステインはとても――」

「猊下」

 

 マザリーニの言葉を遮るようにエツィオが声をかけた。

 

「それは違います」

「はて? 違う……と申しますと?」

 

 何のことかわからない、といった様子のマザリーニに、エツィオは冷たい声で答えた。

 

「私はトリステインに、ましてやアンリエッタ女王陛下に忠誠を誓っているわけではありません」

「なんと! それはどういう……! では一体、あなたはなぜトリステインに対し協力を?」

 

 驚愕のあまり唖然とするマザリーニをよそに、エツィオは立ち上がると、窓辺に立って外の景色を眺めた。

 

「最初は……、そう、ワルドに対する暗殺は、主人であるラ・ヴァリエールに対する裏切りへの報復でした。彼はトリステインを裏切った挙句、ウェールズ殿下を殺し、あまつさえルイズすらも手にかけようとした、当然の報いです」

「では他の者たちは?」

「先もお話した通り、彼らの議会を覗き見て、彼らこそアサシンの理想を脅かす者だと認識したのです」

「アサシンの……理想?」

 

 呟くように尋ねたマザリーニに、エツィオが振り向いた。

 

「『平和』です」

「平和のための暗殺ですと? ……エツィオ殿、失礼ですがそれは矛盾では?」

 

 マザリーニの言葉に、エツィオは返す言葉がなかった。

アサシン教団の抱える矛盾、平和のための殺人、かつて伝説のアサシンとうたわれたアルタイルでさえ、万人を納得させる答えを得ることができなかった難問だ。まして今のエツィオに答えることができる道理などなかった。

 

「話の通じぬ者もおります」

「クロムウェルのように、ですかな?」

 

 マザリーニの問いにエツィオは頷いた。

 

「戦争を望む人間などそうはいない……それどころか、平和を願う人間のほうが多いと私は信じています。しかしそんな平和を望む人々を、自らの私欲のために戦に駆り出すなど、まして死者を弄ぶなど、断じて許されるものではない」

 

 エツィオは目を細めた。

 

「平和と自由、これこそがアサシンの縁(よすが)。人々からこれを奪い、支配しようとする者こそ、アサシンの敵」

「……その刃に例外はないと」

 

 「はい」と、迷いなく頷いたエツィオに、マザリーニはしばし瞑目する、そして静かに口を開いた。

 

「あなたは人の心というものを信じているのですね」

「為政者であるあなたにとっては、あまり面白い話ではなかったかもしれません、ですがこれが……我が信条の核を為すものなのです」

「いや、立派な考えをお持ちだ、どこぞの愚かな宮廷貴族どもに聞かせてやりたいくらいです」

 

 小さくため息を吐くと、マザリーニはエツィオを見つめ、力のない笑みを浮かべた。

 

「ですが。あなたはやはりまだまだお若い、人の心というものをまだおわかりになっていないようだ」

「……どういう意味でしょう?」

「人の心は移ろいやすいものです、一人一人がそうなのだから、それの集合体ともよべる『民衆』の心は、まさに荒れ狂う『怪物』そのものだ。我々はその『怪物』を、始祖の御名において神より与えられし『王権』という杖によって、手懐けているのです」

 

 マザリーニはゴブレットの中のブランデーを見つめながら呟く。

 

「しかし怪物はなぜ『王権』などという概念に頭を垂れるのか。それは人は本来、己の求めているものがわからぬからなのです、それゆえに権力者を頼る。とどのつまり、彼らは自らを導いてくれるものであれば何でもよいのです。現にレコン・キスタの支配するアルビオンはどうでしたか? 民衆はなにも変わらなかったはずです」

「しかし正しい道へ導くのが王の責務かと。民衆が自立し、自らの選んだ道を進めるように」

「ふむ、自由を民衆の手に……ですか。しかしエツィオ殿、自由というものは、『火』に似ています、その光は暖かく、人を惹きつけてやまない」

 

 静かにマザリーニは語り始めた。

その口調は、まるで司祭が説法を語り聞かせるように穏やかだ。

 

「しかし、たとえばあなたが父親で、その子供が退屈で泣きわめき、『お父さん、火で遊びたい』と言ったらあなたは火を子供に渡すのですか? 火傷をしたらどうするのです?」

「民衆は子供ではありません」

「そうかもしれませぬな、ですが心のほうはどうでしょう? 彼らにはそれを扱う土台がまだできていない。残念なことに」

 

 マザリーニはため息を吐きながら、肩をすくめた。

 

「私とて民衆に自立してほしいと願っております。しかし自由という名の炎に惹かれるあまり、その身を近づけすぎれば、たちまち熱に灼かれ、灯蛾のごとくに燃え墜ちるでしょう。それを防ぐために、火をコントロールする存在が必要だと私は思うのです」

 

 エツィオは片眉を上げた。「……その身を灼かれてもですか?」

「それが責任あるものの義務なのでしょう。それに灼け堕ちれば貴方に打ち倒される。私はこれまでの会話でそう感じましたが、違いますか?」

「私が打ち倒すのではありません、民衆の意志こそが暴君を打ち倒すのです。私の刃はその代弁にすぎません」

 

 エツィオのその言葉に、マザリーニが口を開こうとしたその時であった。

コンコンと待合室のドアがノックされた。「どうぞ」とマザリーニが言うと、ドアが開いて、一人の衛兵が現れて告げた。

 

「猊下、そろそろお時間です」

 

 マザリーニは頷くと、衛兵に下がるように告げ、エツィオに視線を戻した。

 

「申し訳ない、次の予定が入ってしまったようだ。もっと議論を重ねたかったところですが、今日のところはこれにてお開きといたしましょう」

 

 ブランデーを飲み干し、マザリーニは言った。

 

「とても有意義な時間でした、エツィオ殿」

「ええ猊下、一時はどうなるかと思いましたが……あなたと話せてよかった」

「そう言っていただけると、こちらもうれしいですな」

 

 エツィオは立ち上がると、マザリーニと固く握手を交わした。

それから外へ出ようとドアノブに手をかけたとき、不意にマザリーニが「エツィオ殿」と口を開いた。

 

「何でしょう」

「民衆が真の意味での自由を勝ち取るまでの道のりは、あまりに長い。もしかしたら数百年、あるいは数千年かかっても到達できていないかもしれない。それでもあなたは戦い続けるのですか?」

「その瞬間を目にすることは、おそらくはないでしょう。しかしたとえ小さくささやかでも、着実な一歩をもって前に踏み出しています。歩みを止めるつもりはありません」

 

 力強く答えたエツィオにマザリーニはにっこりとほほ笑んだ。

 

「なるほど。……ではエツィオ殿、平和を望む者として、あなたの行く道に幸運が宿らんことをお祈りしております。またいずれ、お会いいたしましょう。より上等な酒を用意してお待ちしております」

 

 マザリーニはにやりと微笑みかけた。




ここまでが投下した分です。
次回シンクロから新規投稿となります。
流れ作業でコピペしたので万が一文章が抜けているとかありましたらご一報ください。

では次回シンクロにお会いしましょう。


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memory-33 「思わぬ再会」

「むっ……」

 

 マザリーニとの会見を終え、緊張感から解放されたせいか、エツィオは全身にアルコールが回るのを感じていた。

思えばあのブランデーは味こそよかったものの中々に強烈なものだった、それを勧められるがままに飲み干せばこうなるのは当然だった。

 

「おいおい、大丈夫か?」

「ああ、ちょっとふらっとしただけだ。……参ったな、飲み過ぎたみたいだ」

 

 呆れたように声をかけてきたデルフリンガーに、エツィオは苦笑しながらかぶりを振った。

 

「ちょっと調子に乗りすぎたな……。それにしても、いい加減、ここにいると息がつまりそうだ……」

 

 エツィオは少々うんざりした様子で呟くと、ソファから立ち上がり、立てかけていたデルフリンガーを手に取った。

 

「外の空気でも吸うか、ついでに謁見室の様子も見てこよう」

 

 

 待合室を出たエツィオは、長い廊下を渡り、謁見室の前までたどり着いた。

しかし、そこにいたのは扉の前に控える衛兵だけである。

 

「失礼、ラ・ヴァリエールの連れの者だが、謁見は終ったのか?」

「いえ、まだ終わっておりません」

 

 扉の前の衛兵に尋ねると、どうやら謁見はまだ続いているらしい。

どうしたものかとエツィオは小さく首を傾げ……、それから再び衛兵に声をかけた。

 

「すまないが、彼女の謁見が終わったら、俺は外にいると伝えておいてもらえないだろうか?」

「かしこまりました、お伝え致します」 

 

 エツィオは「ありがとう」と礼を述べ、城の外へと向け歩き出した。

外の空気を吸えば多少は酔いも覚めるだろう、そう考えながら歩いていると、エツィオは城の中庭の一つにある練兵場へと出た。

今は昼時であるためか、訓練に励む兵士の姿はなく、打ち込み用の藁人形が寂しく佇むだけであった。

そんな中、練兵場の片隅に一本の木剣が転がっているのを見つけ、エツィオはそれを拾い上げた。

 

「まったく、整理整頓ができていないな。ここがヴィラだったら伯父上に殺されるぞ」

 

 モンテリジョーニの伯父、マリオを思い出しながらエツィオは呟く。

それから木剣を掲げると、自分の左手を見つめた。

 

「なあデルフ、これはルーンが光らないんだな」

「ああ、なんせ木剣だ、ガンダールヴにとっちゃおもちゃ同然ってことなんだろ」

「ふぅん……そんなこと言って、実は判断基準は適当だったりしてな、刃がついてれば武器! みたいにな」

 

 そんな風に冗談を言い合っている時であった。

 エツィオの背後から、聞き覚えのある威圧的な女の声が聞こえてきた。

 

「おい貴様。そこで何をしている」

 

 その声に振り向くと、声の主と目が合う。

「「あっ」」っと二人の声が合わさった。

 

「エツィオ……? お前、エツィオか!」

「そういうきみは、アニエスか?」

 

 果たしてそこに立っていた人物は、タルブの戦いの時、エツィオが助け出した女傭兵のアニエスであった。

 

「無事だったんだな! またきみに会えてうれしいよ」

「ふん、お前もな」

 

 二人は握手を交わし、互いの無事と再会を喜んだ。

 

「ところでエツィオ、お前、どうしてここにいるんだ?」

「俺の主人が陛下に呼ばれてね、俺はその付き添いさ」

 

 訝しげな視線で問うてくるアニエスにエツィオは肩をすくめて見せた。

 

「なるほど……あの女の子か、確かルイズとか呼んでいたな。あの少女は、陛下に謁見を許されるほどの身分だったのか?」

 

 タルブでエツィオとルイズのやり取りを見ていたアニエスは、得心したように頷く。

 

「まあそんなとこさ。それより、きみこそどうしてここに? 王宮にいるってことは、もしかして手柄が認められたのか?」

 

 エツィオが尋ねると、アニエスは「そうだ」と頷き、誰もいないのを確認するように周囲を見回した。

 

「ヴィリアーズ公を討ち取ったのはわたしだということになった。……お前のお陰だ、何度礼を言っても言い足りない」

 

 アニエスは伏し目がちに呟くと、腰のベルトに挟んだ拳銃をそっと撫でた。

果たしてその拳銃は、ヴィリアーズ公を暗殺した際、エツィオがアニエスに手渡していた拳銃であった。どうやらあの時から大事に持ち歩いていたらしい。

 アニエスの可愛らしい一面を見たような気がしたエツィオは、思わず頬を緩ませた。

 

「なに、気にする必要はないさ。それで? 貴族になれたのか?」

 

 エツィオが尋ねると、アニエスは小さく首を横に振った。

 

「いや、正式にトリステインに仕官が決まった事以外は特に音沙汰はない、あまりにやることがないんでな、訓練する時以外は、こうして城の見回りだ」

 

 どうやら中々に退屈しているらしい、少々むくれた様子でアニエスは答えた。

 

「しかし、認められて仕官できただけでも僥倖というものだろう。……少々肩身は狭いがな」

「すると、あまりいい扱いは受けていないのか?」

 

 エツィオが尋ねると、アニエスは肩を竦め「ああ」と呟いた。

 

「宮廷の貴族たちは、平民が仕官となって城の中を歩いていることがお気に召さないらしい。

聞こえてくるのは陰口だけだな」

「そうか……。大丈夫だアニエス、いつかきみの働きと存在が認められる日がいつかきっとくる」

 

 力強く肩を叩きエツィオが励ますも、アニエスは力のない笑みを浮かべて肩をすくめた。

 

「だといいがな……。しかし、わたしとしては城に入り込めただけで十分なんだ」

 

 彼女のその物言いに引っかかるものを感じたのか、エツィオが片眉を上げた。

 

「……入り込めた? それは…・…」

 

 エツィオがそこまで言ったときであった。

アニエスは話題を変えるかのように、にやっと笑った。

 

「そうだエツィオ、せっかくだ、訓練に付き合え」

 

 アニエスはエツィオが木剣を持っていることに気が付いたのだろう。

有無を言わさぬ口調でそういうと、隅に立てかけられた木剣を手に取り、エツィオの前に立った。

 

「実戦形式だ、どんな手を使ってもいい、相手から一本取ったら勝ち、それでいいな?」

「それはかまわないが……」

「言うまでもないと思うが、女だからとて手加減は無用だ」

「わかった、どんな手を使っていいんだな?」

 

 その言葉に、少々意地悪な笑みを浮かべ、エツィオが呟く。

その笑みが意味するところを知らないアニエスは、意気揚々と「ああ」と頷いた。

 

「きみに失望されないように頑張らせてもらうよ」

「アサシンの業、とくと見せてもらうぞ!」

 

 叫ぶや否や、アニエスは木剣を振りかぶり、遠慮のない一撃を見舞うべく、突進してきた。

それに対しエツィオは、なんと持っていた木剣をアニエスに向け放り投げた。

 

「なんのつもりだ!」

 

 緩い放物線を描いて飛んできた木剣をアニエスは激昂しつつも叩き落とす。

そして丸腰になったエツィオに一撃を加えるべく木剣を振り上げたその瞬間、

エツィオは猫のような素早さでアニエスの懐に潜り込むと、彼女の首根っこをつかみ、そのまま地面に組み伏した。

 

「ぐあっ……!?」

 

 全身に衝撃を受け、アニエスはたまらずうめき声を上げ、狐につままれたような顔をしている。

何が起こったのかもわからないまま、地面に組み伏せられているのだから当然だ。

 

王手(チェック)、さあどうする?」

 

 エツィオはニヤリと嘯くと、アサシンブレードを発動させ、アニエスの喉元に滑り込ませた。

刃先がわずかに首筋に触れる。

これが死神の刃か、その冷たい感触にアニエスはかつてないほどの寒気を感じた。

 

「ひ、卑怯……だぞ……!」

「卑怯? きみ、どんな手を使ってでもって言っただろ?」

「くぅっ……!」

 

 やっとのことで非難の言葉を口に出すものの、涼しい顔でエツィオに返されアニエスは悔しさに唇をかんだ。

たしかに、『実戦形式で』と言ったのは自分だ。だが相手を甘く見過ぎていた。なにしろ相手はあらゆる手段を用いて標的を殺す『アサシン』なのだ、正攻法で来るはずがなかった。

自分はまんまとエツィオの策にはまり、結果、こんなにもあっさりと()()()()しまったのだ。

 

「ま、今のはちょっと意地悪だったな。すまない、次からは真面目にやるよ。『こいつ』も使わない」

 

 エツィオはそういうと、アサシンブレードを手甲の中に収納した。

 

「くっ……! もう同じ手は食わんぞ……!」

「そうだな、通用するのは一回だ」

 

 その言葉に、エツィオは苦笑しながら木剣を拾った。

エツィオのその言葉と苦笑の意味するところを察したのだろう、アニエスは再び唇を噛んだ。

そう、これが実戦ならば、一回通用すればそれでいいのである。

通用したということは、その相手とは()()()()()ことはないのだから。

 

「さ、気を取り直そう、もう一度だ」

「わかっている!」

 

 アニエスが立ち上がり木剣を構えなおすのを見届けると、エツィオは同じように木剣を構える。同時にアニエスが速攻を仕掛けてきた。容赦なく振り下ろされる木剣をエツィオは時に受け止め、時に受け流す。

木剣と木剣が絡み合う激烈な一騎打ちが続く中、エツィオはアニエスの技量に舌を巻いていた。

実戦にて磨かれてきたのであろうアニエスの剣さばきは、女性とは思えないほど鋭く、モンテリジョーニの傭兵たちにも劣らぬくらいに見事なものであった。

 

「やるな」

「お前はどうした? タルブでのお前の動きは、こんなものじゃなかったはずだ」

「なに、ここからさ」

 

 だからといって負けてしまっては男が廃る。

エツィオはニヤリと嘯き、アニエスの一撃を回避し、彼女が身体を引くのを待った。

アニエスが一歩後退して体重を後ろ足にかけた瞬間、エツィオはその足をすくってよろめかせる。

不意打ちを食らったアニエスが体勢を立て直すよりも早く、エツィオは木剣を振り下ろした。

 

「うっ……!」

「今度こそ一本だな」

 

 木剣をアニエスの鼻先に突き付けながら、エツィオはにかっと笑った。

 

「も、もう一度だ!」

「いいとも、きみもなかなか負けず嫌いなんだな」

 

 息巻いて立ち上がったアニエスは、エツィオをにらみつけ、木剣を構えた。

エツィオは再び不敵な笑みを浮かべると、フードを目深に被った。

 

 

 それから十分ほどの間、エツィオはアニエスの訓練に付き合うことになった。

そして手合せも六回目を数えたころ、ついにアニエスが白旗を上げた。

 

「くそっ! 降参だ……!」

 

 地面に尻餅をつく形で座り込んだアニエスは、息を切らしながら悔しそうに吐き捨てる。

 

「よし、ここまでにしよう。きみの公務に支障が出るといけない」

「剣には自信があったのだがな……、わたしもまだまだということか……」

「いや、俺もかなり危なかった。全く、女性なのにたいしたものだ」

 

 同じように肩で息をしながらエツィオが素直に称賛する。

アニエスの剣技は、ルーンを使っていないエツィオに迫るものであり、事実手合せの最中、何度もいいのを貰いかけていた。アサシンとして実戦と経験を積んでいなければたちまち叩きのめされてしまっていただろう。自分もまだまだ訓練を積む必要がある……、アニエスとの手合せでエツィオはそう実感すると同時に、女性でありながらここまでの腕前を誇るアニエスに関心を持った。

 

「どこでそんなに腕を磨いたんだ?」

 

 エツィオが手を差し伸べると、アニエスは「いい」と首を横に振って自分の足で立ち上がった。

 

「基礎は街の道場だ、あとは傭兵たちに混ざって戦場で腕を磨いた」

「それであの腕か、まったく、本当にたいしたものだ」

「お前は?」

「大体きみと同じだよ、叔父上のもとでみっちり鍛えられてね、あの日々は今でも夢に出てくる」

 

 あの厳しかった戦闘訓練に明け暮れた日々を思い出し、エツィオは思わず苦笑いを浮かべた。

しかしその日々で学んだ戦闘技能は、確かにエツィオの血肉となり、今日まで生きながらえさせてくれたのだ。

 

「そのアサシンの技もか?」

 

 アニエスに尋ねられ、エツィオはにやっと笑みを浮かべ、彼女の顔を覗き込んだ。

 

「おっ、ずいぶんと聞いてくるな? もしかして俺に興味でも?」

「ああ、大いにある」

 

 からかうつもりで聞いたのだが……、アニエスに素直に頷かれてエツィオは思わず目を丸くした。

これがルイズだったらすぐに怒り出して有耶無耶になるのだが……。

しかし、そういった反応をされるのも悪くはない、エツィオはずいっと身を乗り出すと、アニエスの顎をもって甘い声で囁いた。

 

「それはうれしいな。実は俺もなんだ、さっきからきみのことを知りたくて仕方がなくってね」

 

 しかしそこはアニエス、エツィオの手を払って冷たくあしらうと、きっと睨み付けた。

 

「勘違いするな、わたしはお前のアサシンの技術に興味があるんだ」

「それはちょっと傷つくな、俺の魅力はそこだけじゃないと証明させてくれてもいいと思うんだけど」

「冗談もいい加減にしておけ、……お前、それでも本当にアサシンなのか?」

 

 ずいぶんとまあ自己主張の激しいアサシンがいたものである、おまけに口達者で女好きときた。

アニエスは自分の中に築いていた暗殺者というイメージが崩れていくのを感じながら、なかば呆れたように肩をすくめた。

 

「冗談なものか、俺はいつだって真面目なんだけどな。まあいいさ、それについてはもっと親しい関係になったら教えてあげるよ」

「……もういい、お前の言う関係がどんなものかなんてのも興味はないしな」

 

 どこまでも冷たくあしらってくるアニエスである、しかしそんなつれない態度だからこそ、エツィオは胸の中が熱を帯びていくのを感じていた。

 

「そういえば……」

 

 それからアニエスは思い出したかのようにぽつりとつぶやいた。

 

「お前の本当の名前は『エツィオ』でいいのか?」

「本当の名前だって? そうだけど、随分と今さらだな……どうしてそんなことを?」

「エツィオ! そこにいるの?」

 

 アニエスからの妙な質問に首をかしげたその時、王宮の中につながる扉が開き、よく通る鈴のような声が響いた。

 

「やあルイズ、今行くよ」

 

 聞こえてきたルイズの声に、エツィオは手を挙げて応える。

 

「ごめん、もう行かなきゃ。……さっきの質問だけど……」

「いや、なんでもない、どうやら本名らしいな」

 

 なにやら得心したように頷くアニエスに、「まあ、それならいいが……」と首を傾げながらもエツィオは呟く。

 

「それじゃ、これからのきみの活躍を祈ってるよ、アニエス」

「ああ、こちらこそ」

 

 それからアニエスと固く握手を交わし、エツィオはルイズの元へと歩いていく。

そんな彼の背中に、アニエスは「エツィオ」と声をかけた。

 

「ん?」

「その……また会えるか?」

 

 思いがけない言葉に、エツィオの頬が思わず緩む。

 

「もちろん、よろこんで駆けつけるよ」

 

 エツィオは魅力的な笑みを浮かべてそう答えると、新しい出会いに胸を躍らせながら、中庭を後にした。

 

 

「ちょっと、何してたの?」

 

 王宮の廊下を並んで歩いていると、ルイズがどこか拗ねたように尋ねる。

 

「偶然知り合いと会ってね、ちょっと話してたんだよ。ほら、きみがタルブに来た時、一人女の傭兵がいただろ? 彼女だよ」

 

 エツィオの説明に、ルイズは「ふぅん……」とどこか気のない返事をした。

たしかにあの時、エツィオの隣には女の人が立っていたような気がする。

というか正直、タルブでのことは、エツィオに怒られたショックと、戦場という異常な状況が原因でそんな細かいとこまでは覚えていなかったのであった。

 

「って、そうじゃなくって、なんでおとなしく控室で待ってなかったの? おかげで探しちゃったじゃない」

「悪かったよ。ついついお酒を飲みすぎちゃってね、酔いを醒ましたくて歩き回ってたんだ」

「あんた、お酒なんて飲んでたの!? 呆れた!」

 

 非難めいた声を上げたルイズに、エツィオは肩をすくめて見せた。

 

「仕方ないだろ? 枢機卿猊下に勧められたら、誰だって飲まざるを得ないよ」

「猊下って……もしかしてマザリーニ枢機卿?」

 

 エツィオの言葉に、ルイズははっとした顔になった。

 

「ああ、……この謁見自体が、彼の差し金だったようだ。どうやらこの謁見は、俺との接触が目的だったみたいだな」

 

 それからエツィオは急に真面目な表情になると、ルイズの手元を見つめた。

彼女の手元には、やはりというべきか『始祖の祈祷書』があった。

 

「……それはそうときみ、『虚無』のことを陛下に話したみたいだな」

「えっ? ど、どうしてそれを……?」

 

 どうやら図星だったようだ、ルイズはエツィオに言い当てられて戸惑いの視線を向けてきた。

 

「返却を求められたのに、未だに持ってるのを見れば嫌でも察しが付くよ。それで? 陛下はなにか言って――」

 

 エツィオがそこまで口にした時だった。廊下の向かいから、快活な声が聞こえてきた。

 

「エツィオ・アウディトーレ!」

 

 大声で名前を呼ばれ、何事かと顔を上げると、廊下を大股で歩いてくる一人の精悍な男が目に入った。

 

「シニョーレ!」

 

 その男を見たエツィオは、人懐こい笑みを浮かべると、歩いてきた男と握手を交わした。

 

「無事だったかエツィオ! 総司令が討たれたと聞いてもしやと思ったが……まさか本当にやってのけるとは! まったく、たいした男だ、きみは!」

「ありがとうございます、ボーウッド殿」

 

 肩を叩きながら豪快に笑うその男は、果たしてヘンリ・ボーウッドであった。

 

「それより、どうしてここに? きみの存在は内密にしていたはずだが……」

 

 そこまで言うと、ボーウッドは半ば隠れるような形でエツィオの後ろに立ち、もじもじと居心地の悪そうにしているルイズに気が付いた。

 

「あ……、え、えっと、エツィオ? その人は……」

 

 ボーウッドと目があったルイズが恐る恐るエツィオに尋ねる、するとボーウッドは快活な笑顔を浮かべ丁寧に一礼した。

 

「おお、これは失礼、アルビオンのヘンリ・ボーウッドだ。今は故あってトリステインに仕える身です。どうぞよろしく」

「は、はぁ……よ、よろしくお願いします」

 

 アルビオン訛りを色濃く残す自己紹介に、ルイズは戸惑うような視線をエツィオに向けた。

 

「アルビオン人……?」

「『死神』に目をつけられたのだがね、運よく見逃してもらえたのさ」

 

 ボーウッドは冗談めかしてそういうと、エツィオに視線を戻した。

 

「なるほど……彼女が……」

「ええ、彼女が私の主人です。……秘密はもう打ち明けましたのでご安心を。今日ここにいるのは彼女の付き添いですよ」

 

「そうだったのか」とボーウッドは頷くと、ルイズとエツィオを交互に見やり、にやっと笑みを浮かべた。

 

「『死神』を従える貴族と聞いて、どんな恐ろしい人物かと思っていたが、いやまさか、こんなにも可憐なお嬢さんだとはね」

「ええ、ですがどうかこの件もご内密に願います」

「もちろん、わかっているとも」

「感謝します、シニョーレ。」

 

 神妙な面持ちで頷くボーウッドにエツィオは深々と一礼した。

 

「ところで、もうお帰りになるのかね?」

「ええ、用事も済みましたし、そろそろお暇するところです」

「そうか、ならば立ち話もなんだ、入口まで送ろう」

 

 それから三人……、というよりもさっきから黙ってしまったルイズをよそに、エツィオとボーウッドは歩きながら会話を弾ませていた。

 

「そうだエツィオ、投降したアルビオン軍将兵たちの陳情を知っているか?」

「陳情ですか? はて、聞きませんね」

「それがな、中々に笑えるぞ、『死神の刃から我らを保護してくれ』だそうだ!」

 

 それを聞いたエツィオは、苦笑を浮かべながら肩をすくめてみせた。

 

「ずいぶんと嫌われたものですね、まったく、私とてそこまで見境がないわけではないというのに」

「まったくだな。とはいえ、ぼくもその立場だったら同じことを言っていたかもしれないがね」

 

 ボーウッドはわっはっは、と豪傑笑いをした。

その時、エツィオは彼が腰に杖を下げていることに気が付き、にやりと笑みを浮かべた。

 

「どうやら杖を帯びれるようになったようですね」

「ああ、失った手足が戻ってきた気分さ。ついでに、この一件で正式にトリステインに士官が決まってね、めでたく再就職というわけだ」

 

 ボーウッドは杖を抜くと誇らしげに目の前で振って見せた。

 

「おめでとうございます、どのようなお役職に?」

「ああ、実は艦を一つ任されることになってね、その艦の艦長に任命されることになっている」

 

 先ほどのアニエスとはえらい違いである。元敵国人と言えど、メイジの貴族にはここまでの礼が尽くされるのに、平民である彼女にはなにもないのか。とエツィオは内心複雑な気分になった。

しかしそこは顔に出さず、エツィオは素直にボーウッドを祝福した。立場はどうあれ、彼を信じ導いたのは自分だ、そういった意味で、彼も今では心強い味方であることは変わりない。そんな彼がトリステインに認められたことは素直にうれしかった。

 

「これもすべて、この戦での偉大なる勝利と……何よりきみのお陰だ、感謝してもしきれないな」

「信頼を勝ち得たのはあなた自身の力によるもの、私はなにもしておりません、ボーウッド殿」

「そう謙遜しないでくれ、こちらの立場がなくなるだろう」

 

 苦笑しながらボーウッドは呟く、それから「そういえば……」と呟いた。

 

「ぼくに任されるフネなんだが……、実は元はアルビオンのフネなんだ」

「すると、鹵獲した軍艦ですか?」

 

 ボーウッドは首を横に振った。

 

「いや、どうやら避難民を乗せてトリステインに逃れてきたフネらしい。避難船に使われたとはいえ、立派なブリッグだ」

 

 ボーウッドの口から出てきた言葉に、今まで後ろで黙っていたルイズが口を開いた。

 

「え? ねえ、それって……『イーグル』号じゃない?」

「おや? 知っているのかね?」

 

 ボーウッドは興味深そうに首をかしげて見せた。

エツィオはボーウッドに、アルビオンへ渡った時のいきさつを伝えた。

『マリー・ガラント』号に乗り込んだ際、空賊に扮したウェールズ殿下の乗る『イーグル』号に拿捕され、ニューカッスルへと渡った事を聞くと、ボーウッドは感慨深げに大きくため息を吐いた。

 

「そうか……、とすると『イーグル』号は殿下の忘れ形見、ということか……」

 

 それからしばしの間瞑目すると、やがて決心したように「うむ」と頷いた。

 

「ならばエツィオ、『イーグル』号は現在改装中でね、新しく生まれ変わるのだが……、トリステインでは慣例として艦長には艦の命名権があるそうだ。どうかな? よければきみに新たに命名してもらいたいのだが」

「よろしいのですか?」

「もちろんだ」とボーウッドは頷いた。

「『イーグル』に縁を持つきみだからこそ頼みたいんだ」

 

 ボーウッドの頼みも一理ある、ならばせめてよい名前を考えなくては……、エツィオは顎に手を当てじっくりと考えた。

それからしばらくして、よい名が浮かんだのか「そうですね……」と、顔を上げた。

 

「『アクゥイラ』というのはいかがでしょう」

「『アクゥイラ』? 聞き慣れぬ言葉だが、それはどういう意味かね?」

「『鷲』を意味する言葉です。ラテン語……私の故郷の言葉なので馴染みはないと思いますが……」

「成程……、『鷲』か、ふむ……なかなか独創的でいいじゃないか!」

 

 ボーウッドは嬉しそうに破顔すると、「決まりだな」と大きく頷いた。

 

「改装が済み次第、新たな名前として申請しておくよ。それにしても……、『イーグル』が『エツィオ』をアルビオンへ導き、『エツィオ』によって『アクゥイラ』に生まれ変わる、はは、こうして考えると、なんとも数奇な運命だとは思わないかね?」

 

 その言葉に、エツィオの胸も自然に熱くなる。

 

「同感です、ですからどうか、大切になさってください」

 

 ボーウッドは表情を引き締めると、杖を引き抜いて胸の前に掲げてみせた。

 

「エツィオ、我が杖、我が名にかけて、『アクゥイラ』号は決して沈ませないと誓おう」

 

 エツィオもそれに応える様に神妙な面持ちで頷いた。

 

「御武運をお祈りします艦長、あなたの航路に栄光があらんことを」

 



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memory-34 「エスコート」

 入口まで見送ってくれたボーウッドに別れを告げ、二人は並んで王宮を出た。

 

「驚いたわ」

「中々面白い人だろう?」

 

 ルイズがぽつりと呟き、エツィオを見上げた。

 

「そうね。……あんたって、意外と顔が広いのね」

「人徳、というやつかな?」

 

 そう答えて満面の笑みを浮かべたエツィオに、「人徳ぅ?」とルイズは訝しげな視線を向けてきた。

そんな彼女の視線を受け流し、エツィオは口を開いた。

 

「ところでルイズ、さっきの話だけど……」

「なに?」

「『虚無』のことを陛下に話したそうだけど、陛下はそれについて何か言っていたか?」

「ええ、姫さまはわたしを、直属の女官に任命してくださったわ」

 

 エツィオの質問に、ルイズはつんと胸を張ってアンリエッタから受け取った羊皮紙を手渡した。

それからエツィオに、謁見室でどんな内容の会話をしたのかを伝えた。

タルブで起きた『奇跡の光』は自分の『虚無』であることを打ち明けたこと。

『虚無』の力はルイズとアンリエッタのみの秘密だということ。

普段はその力を隠し、魔法学院の生徒としてふるまうこと。

ルイズにしか解決できない事案が持ち上がった時は、必ず相談するということ、などであった。

 

「二人だけの秘密……ね」

 

 オスマン殿にどう説明したものか……。まさか早々に宮廷の……しかも女王に知られるとは思いもしなかった。眉根にしわを寄せながらエツィオが呟く。

そんなエツィオの反応が気に食わなかったのか、ルイズは顔をしかめた。

 

「なによ、あんた、姫さまの事信じていないの?」

「信じていない、というわけでもないさ。でも、俺の事を秘密だと約束したのに、枢機卿に教えていただなんて酷い話だとは思わないか?」

 

 エツィオは肩をすくめた。その二人だけの秘密とやらも、いつまで続くのか分かったものじゃない。

口こそ出してはいないが、エツィオの態度はそう言っているようだった。

 

「なんにせよ、全部俺の予想通りだった、ってわけか」

「どういう意味?」

 

 やや自嘲気味に鼻で笑ったエツィオを、ルイズが睨み付ける。

 

「きみはとてもわかりやすいって意味だよ。連中も、このくらい単純だったら助かるんだけどな」

 

 いつもなら笑顔を向けて言うはずなのに、表情を変えずどこか棘のある口調でエツィオが呟く。

なんだか非難されているような気がして、ルイズはむっとした様子で眉間にしわを寄せた。

 

「それはいいとして、一つきみに聞きたいことがある」

「なによ?」

「なぜきみは『虚無』を陛下のために使おうと思った? そこだけ聞かせてくれないか?」

 

 エツィオはルイズに尋ねた。

マザリーニとの謁見の時、マザリーニはタルブでの虚無の光について何一つ触れなかった。

ということは、少なくともマザリーニはあの光についてなにも知らないということになる。

彼ほどの立場の人物がそれを知らないことを見るに、タルブでの巨大な光は、それこそ『奇跡』で片付いてしまっている可能性が非常に高い。

となると、ルイズが自ら打ち明けたと考えるべきだろう。エツィオは、そう決断するに至ったルイズの気持ちを知りたかった。

 

「それは……、姫さまのお力になりたいから……それだけよ」

 

 ルイズは僅かに視線をそらすと、やがてエツィオの顔を見据え、はっきりと答えた。

 

「わたしね、あんたに言われてから、ずっと考えてたの、この『虚無』をどうすべきなのか……どうしたいのかって」

 

 ルイズの言葉を、エツィオは黙って聞いた。

 

「わたしね、姫さまと祖国のためにこの身と杖を捧げる、そうしつけられて、そう信じて育ってきたの。だけどね、あんたも知ってのとおり、わたしは今まで失敗ばかりしてた、ついた二つ名は『ゼロ』。そういつもみんなに馬鹿にされて……、ずっと悔しかったわ」

 

「でもね」とルイズは呟く。

 

「そんなわたしが『虚無』の担い手だった。ならわたしは、それを信じるもののために使いたい。だからわたしはわたしの……心に従ったわ」

 

 昂然とエツィオを見つめ、ルイズが言った。

強い意志を感じさせる瞳だ、しかし、同時に危うさも孕んでいる。

そんなルイズの顔を見ているだけで、エツィオの胸はキリと痛みだした。

 

「そう、わたしは姫さまのおともだち……だからこそお力になりたいの」

「……利用されてもか?」

「なんですって?」

 

 思わずぽつりと呟いたエツィオに、ルイズは食って掛かった。

 

「どういう意味?」

「そのままの意味だ、その力が政争や争いに利用されることになったとしてもか? と聞いているんだ。

きみは、政治の裏側がどれほど汚いものかわかっていない。きみの力を知った権力者たちがどうするか何も考えなかったのか? アルビオンを見てみろ、それらしい力を使う『虚無』を騙る者が出ただけであのザマだ。私欲のためにきみを利用しようとするものが必ず現れるぞ!」

「な、なによ! そんな事わかってるわ!」

 

 自分でも驚くくらい、エツィオはきつい口調になっていた。しかし気の強いルイズも負けてはいない。

 

「わかっているだって? ならきみはその力を政争の道具にされても構わないと思っているのか!」

「違うわ! 姫さまがわたしを信じてくださっているように、わたしも姫さまを信じているわ! 姫さまはわたしの力を私利私欲のためなんかに使わない! 秘密にするって誓ってくださったもの!」

「どうしてそう言い切れる! 今この国が立たされている状況をわかって言っているのか!」

 

 二人の言い争いは徐々に熱を帯びてゆく。

そこはもう、王宮前のブルドンネ街。大通りである。道行く人々が、何事? といった目でじろじろと見つめている。

 

「もう! 人が見てるわ! やめてよ!」

「っ……!」

 

 エツィオはぐっとこらえる様に唇を噛むと、ルイズをにらみつけた。

 

「勝手にしろ! どうなっても知らないからな!」

 

 口ではそう言ったが、本当は不安で仕方がない、大人げないとわかっていても、ルイズを止められない自分がもどかしくてついついつっけんどんな口調になってしまう。

 

「うっさいわね! あんたなんかに言われなくってもわかってるわよ!」

 

 ルイズはぷいと顔をそむけ足早に歩き出した。どこまでも気の強い子だ。この頑固さは妹のクラウディア顔負けである。

足早に歩き去っていくルイズを見つめながら、エツィオは思わず立ち止まる。同時に胸がキリキリと痛みだした。

その痛みの理由は、エツィオ自身よくわかっている。危うい立場になったルイズが心配でたまらないのだ。もちろんルイズになにかあった場合、己の命に代えても彼女を守るつもりでいたが、こんなにも不安を覚えるのは、大切な人を守りきれなかった悔恨が根強いせいだ。おそらくこの胸の痛みは、一生消えることはないのだろう。

 日増しにルイズの存在が自分の中で大きくなっていく。エツィオは複雑な気持ちで、石畳の道を歩き出す。雑踏に紛れルイズはもう見えなくなっていた。

 

 

 つかつかと人ごみをかき分け、ルイズは足早に歩いていく。

街は未だに戦勝祝いでにぎわっている。酔っぱらった一団がワインやエールが入った盃を掲げ、口々に乾杯! と叫んではカラにしている。

 そんなお祭り騒ぎの人々とは裏腹にルイズは憤懣を募らせながら歩いていた。

 

「もうっ! なによ! 少しは褒めてくれたっていいじゃない!」

 

 ぶちぶちと使い魔への不満を愚痴りながら歩いていく。

ほんとは姫さまに重要な役職を任されたことを一緒に喜んでほしかった。これでようやく自分もエツィオに肩を並べられるような立派な主人になれたと思っていたのだ。

 けれど彼の口から出てきたのは小言ばかり、ちっとも褒めてくれやしない。確かにちょっと考えなしなところもあったと思うけど、あんな言い方はないんじゃないか。

 

「いてえな!」

 

 そんなふうにして、下を向いて足早に歩いていると、ルイズは男にぶつかってしまった。

どうやら傭兵崩れらしい。手に酒の壜をもって、それをぐびぐびラッパ飲みしている。相当に出来上がっているようだ。

 ルイズはその男のわきを通り抜けようとしたが、腕をつかまれた。

 

「待ちなよ、お嬢さん。人にぶつかって謝りもしねえで通り抜けるって法はねえ」

 

 傍らの傭兵仲間らしき男が、ルイズを見て「貴族じゃねえか」と呟いた。

しかし、ルイズの腕を握った男は動じない。

 

「へっ、今日はタルブの戦勝祝いのお祝いさ。無礼講だ。貴族も兵隊も町人もねえよ。ほら、貴族のお嬢さん、ぶつかったわびに、俺に一杯ついでくれ」

 

 男はそういって、ワインの壜を突き出した。

 

「離しなさい! 無礼者!」

 

 ルイズが叫ぶ。とたんに男の顔が凶悪にゆがんだ。

 

「なんでぇ、俺にはつげねぇってか。おい! 誰がタルブでアルビオン軍をやっつけたと思ってるんでぇ! 『聖女』でもてめえら貴族でもねえ! 俺たち兵隊だ!」

 

 男はルイズの髪をつかもうとした。しかし、その手が遮られる。

いつの間にか現れたエツィオが、男の手をがっしりとつかんでいた。

 

「なんだてめえ、ガキはすっこんでろ!」

「でしゃばって悪いが、こちらのレディの一日をこれ以上台無しにするわけにはいかなくてね」

 

 エツィオはにこやかな……だが凄みのある笑みを浮かべてそういうと、男の手首を軽くひねり上げる。

ぎしりと骨がきしむ音がして、男はルイズから手を放して悲鳴を上げた。

 

「い、いでででで!」

「それに、女の子相手にそこまでムキになるなんてみっともないんじゃないか?」

「ぐあああっ! お、折れるっ! 折れる!」

 

 エツィオは男の腕をさらにひねり上げ、勢いよく突き飛ばした。

男はたまらず地面に倒れこむ。途端に土ぼこりが勢いよく舞い上がった。

 

「ほら、彼女も悪いと思ってるようだし、ここはお互い様ってことで丸く収めようじゃないか」

「こ、このガキ! 調子に乗りやがって!」

 

 ルイズを後ろに押しやり冷笑をうかべたエツィオに、激昂した男が立ち上がり、怒りに任せてとびかかってきた。

エツィオは反射的に身をかがめ、男の足を払ってやる。バランスを失った男は顔面から派手に地面にたたきつけられ、さらに悲鳴を上げながら苦痛にのたうち回った。

 

「足元が覚束ないようだな、飲み過ぎじゃないのか?」

「ふっ……ふがっ……! て、てめえっ! おい! なにしてる! こいつを叩きのめせ!」

 

 男が怒鳴ると、周囲にいた仲間と思われる男たち三人が一斉にエツィオにとびかかってきた。

相手は武装していなかったのでこちらも素手で対抗する。

まずは殴りかかってきた男二人の頭をつかんで叩きつける、すると彼らは白目をむいて気絶した。

それから残る一人の股間を蹴り上げる、苦痛に身をかがめたところを見逃さず喉笛を掴んで頭を地面に勢いよくたたきつけ、あっという間に三人の傭兵を無力化してしまった。

 

「友よ、もう十分だろう?」

 

 あまりの早技に言葉を失い茫然と立ち尽くす男に、両手のひらを空へ向けエツィオが微笑みかける。

はっと我に返った男は、ようやく彼我の実力を思い知ったのか、慌てて踵を返し、仲間を捨てて悲鳴を上げて逃げ去ってしまった。

 

 すると周りで見物していた人々から、喝さいが巻き起こった。

どうやら彼らの素行の悪さは街の人々の目に余るものがあったらしい。

エツィオはそんな彼らの歓声に笑顔を浮かべ優雅に腰を曲げ一礼すると、ルイズに向きなおり、「お怪我は?」と尋ねる。

 そんな風に声をかけられたものだから、半ば茫然としていたルイズは気が動転してしまい、うまく言葉を返すことができない。

 そんなあたふたと慌てた様子のルイズを見て、エツィオは呆れたような表情を見せ、肩をすくめてくるりと踵を返してしまった。

 

「えっ……?」

 

 エツィオにつれない態度を取られたショックで、ルイズはしばし立ちすくんでしまう。

なにぶん、あのエツィオから初めて受ける冷たい仕打ちである。ただ呆れられた、たったそれだけのことなのに、それがどうしようもなくルイズの心に重く圧し掛かってきた。

 

「ま、待って!」

 

 ルイズは慌てた、ほんとは泣きたいほど辛かったが、これ以上嫌われたくないという一心で駆け出した。人ごみに紛れ込む前にエツィオを捕まえ、離さないように彼の袖をぎゅっと握った。それでも彼の歩みが止まらない。

 

「えっと……その……ごめん……」半ば引きずられるようにして歩きながら、ルイズは小さな声で呟く。

「なんのことかな?」エツィオは振り向かずに応える。

素っ気ないエツィオの態度が、ルイズの胸をさらに刺す。

どうしよう? 嫌われちゃった……? そう考えると益々悲しくなった。

 

「怒ってる?」涙をこらえ恐る恐るルイズが尋ねる。

「そう見えるか?」エツィオはちらとルイズに視線を送る。

するとルイズは口をへの字に曲げると悲しそうに顔を俯かせた。

 

「なら……悪かった、俺も少し言い過ぎたよ」

 

 エツィオは静かに笑みを浮かべると、立ち止まってルイズの視線の高さに合わせるように身をかがめた。

 

「なあルイズ、きみにとって、たぶんこれは大きなチャンスなんだろう、それは俺もわかっている。けど……」

「けど……?」

「ただ心配なんだ。うまくは言えないが……きみが……きみでなくなってしまうようで」

 

 心苦しそうに呟くエツィオを、ルイズはまっすぐ見つめて首を横に振った。

 

「わたしなら大丈夫よ、それともわたしってそんなに頼りないの?」

 

 寂しそうな目で見つめられ、エツィオは一瞬言葉を失った。

それから暫し目をつむると、エツィオはルイズをまっすぐ見つめた。

 

「……そうだな、きみの意思を尊重する、そう言ったのは俺だったのに……。俺がきみを支えないでどうするんだろうな」

 

 ぽんと、ルイズの肩に手を置き、エツィオはほほ笑んだ。

 

「すまなかった、これで仲直りだ」

 

 ルイズの表情が少し和らぐ。二人の間を漂っていたぎこちない雰囲気が柔らかくなっていくのを感じる。

胸のわだかまりが消えたルイズは、せめてもの強がりと、つんと胸を張って言った。

 

「そ、そうね、今回は特別に許してあげるわ」

 

 そんなルイズの顔を覗き込むと、エツィオはにっと笑みを浮かべ「それはどうも」と呟き、ルイズの目じりを優しく指先で拭った。

その突然の行動に面食らっていたルイズであったが、エツィオの指先で光る水滴を見つけ、自分が知らず知らずのうちに涙を流していたことに気が付いた。

どうやら今までこらえてきた涙がここにきて零れ落ちてしまったらしい。

 

「さ、仲直りもした事だし、そろそろ行こう」

「えっ! あっ! ち、ちがっ、これ違うから!」

 

 気恥ずかしさに顔を真っ赤にしてルイズが何かを言おうとする、しかしエツィオはまったく取り合おうとせずに、ルイズの手を取ってさっさと歩き出した。

突然のエツィオの行動にルイズは彼の成すがままになってしまう。どぎまぎしながら何か言おうとするも、それよりも早くエツィオが歩き出した。

いつもならルイズの歩調に合わせ半歩後ろを歩くエツィオであったが、今日の彼はいつもと違う、力強く大胆にルイズを先導していく。

そんなふうに歩いていくものだから、ルイズは半ば引っ張られるようにエツィオについていく。

 使い魔がご主人様を引っ張るなんて何事! と思う反面、こういう強引なところもいいかも……と思ってしまうルイズであった。

 

 ルイズはエツィオに手を繋がれて歩くうちに、ウキウキしはじめた。街はお祭り騒ぎで華やかだし、楽しそうな見世物や、珍しい品々を取りそろえた屋台や露店が通りを埋めている。

 地方領主の娘であるルイズは、こんな風に賑やかな街を歩いたことがない、まして異性と手をつないで歩くなんてことはしたことがなかった。その両方がルイズの心を自然と弾ませ、思わず泣いてしまっていた記憶を頭の中から早々に追い出していた。

 

「おっ、エツィオ! 今日はえらい別嬪さんを連れてるなあ! もしやデートか? この色男め!」

「彼女は特別でね、他の子ならそのうち紹介するよ」

 

「あ~らエツィオくん! 最近お店に来てくれないじゃない! お店の娘たちも待ってるんだから遊びにいらっしゃいな!」

「どうもマダム、そのうちお邪魔するよ、妖精達によろしく」

 

「ようエツィオ! お前が気に入りそうないい品を仕入れたんだ、今度見に来いよ!」

「やあ、それは楽しみだな、後で寄らせてもらうよ」

 

 そんなふうにして二人で街の中を歩いていると、道行く人々が次々とエツィオに声をかけてくる、その一人一人に笑顔を浮かべて応じるエツィオを、ルイズは少し驚いたようにして見つめた。

 

「ねえ、もしかしてあんたって、ほんとに顔が広い?」

「これもまた人徳ってやつさ」

「ふぅん……」

「きみは知らないだろうが、以前からギーシュのやつと一緒に遊びに来ててね。もしかしたら、今ではきみよりもトリスタニアを知っているかもしれないぞ?」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべたエツィオに、ルイズは首を傾げた。

 

「え? ギーシュと? いつ行ってたの?」

「以前きみがいじけて俺を追い出した時があったろ? その時にな」

 

 その時のことを思い出したのか、ちょっとむっとした表情を作ったルイズに、エツィオは少し意地悪な笑みを浮かべて答えた。

 

「それからちょくちょく遊びに行くようになってね。朝の食堂でギーシュに声をかけるんだ、『友よ、学ぶことも大事だが、時には休息も必要だとは思わないか?』ってな」

 

 ルイズは「通りで……」と呆れたような表情になった。

 

「あの時、たまにあんたがいなかったのも、授業でギーシュを見かけなかったのも、あんた達二人で遊びに行ってたからなのね」

「そういうこと、おかげでこうしてきみをエスコートできるようになったんだ、大目に見てくれよ」

 

 得意顔のエツィオに、ルイズは訝しげな視線を向けた。

 

「まあ、それはいいとして……、あんたの言うその人徳とやらで思い出したんだけど」

「うん?」

「……マチルダって、誰?」

 

 ルイズはジト目でエツィオを見つめた。

マチルダ、あの日、エツィオの手紙に書かれていた差出人の名前である。

察するに、どうやらアルビオンでの協力者のようではあるが、ルイズにはその名前に心当たりがない。

これが男の名前なら気にもとめなかったであろうが、マチルダとは明らかに女性の名前である。

 エツィオは指で頬を掻くと、笑みを浮かべてルイズの顔を覗き込んだ。

 

「うーん、誰って言われてもな……。どうしてそんなことを?」

「え? そ、そりゃあ気になるじゃない」

「気になっているのは、彼女の素性? それとも俺と彼女との関係かな?」

 

 まるでルイズの気持ちを見透かしているかのようにエツィオの笑みが深くなった。

 

「ち、違うわよ! 誰があんたなんかのっ……! 使い魔の行動はきちんと把握しておくのが主人としての務めだからよ!」

「ふぅん……、なら教えるけど……本当に聞いちゃってもいいのか?」

 

 顔を真っ赤にして反論するルイズに、エツィオは何やら意味深な笑みを浮かべた。

 

「どういう意味よ」

「いや、これが明るみに出れば間違いなく監獄行きなんだけど……、困ったな、これを聞いた以上、きみも俺の共犯ってことに――」

「待って待って待って! やっぱり無し! 言わなくっていい!」

 

 猛烈に嫌な予感がしたルイズは慌ててかぶりを振り、中断させる。

なにせエツィオは裏で何をしているのかわからないのだ。それこそエツィオの正体を知った今、それが冗談とはとても思えなかった。

 

「それがいい、彼女はトリステインじゃお尋ね者だ、知ったらきみも罪に問われかねないからな」

「なんでそんなのと知り合いなのよ……」

「蛇の道は蛇さ、それに、どうやらきみの手を引いて歩いている男は、アルビオンじゃとんでもない御尋ね者らしいぞ?」

 

 自分の胸にトントンと親指をあててエツィオはニヤリと笑ってみせた。

 

「まあ、そんなことより、きみが今一番心配しているであろう、俺と彼女の関係だけど……、安心しろ、きみが思ってるほどのものじゃない、彼女はよき友人で、協力者だよ」

「よく言うぜ」と、呆れたように呟いた愛剣の鍔を強く握り締めてこれ以上の発言を中断させる。

 水面下でそんなやり取りがされているとはつゆ知らず、ルイズは「ほんとに? そ、そうなんだ……」と、どこか安心したかのようにわずかに頬を緩ませた。

 それから同時に、そんな風に安心してしまった自分に腹が立った。

なんでエツィオの言葉を聞いて、安心なんかしてるんだろう? 好きだから? 違うもん。なんていうか、そう、プライドの問題ね。

 そう自分に言い聞かせたあと、ルイズは辺りを見渡す。

 そして、わあっ、と叫んで立ち止まる。

 

「どうしたんだ?」

 

 エツィオが振り返る。ルイズは宝石商に目を止めたらしい。立てられた羅紗の布に、指輪や

ネックレスなんかが並べられている。

 

「へえ、装飾品か、見たいのか?」

 

 エツィオが興味深そうに呟くと、ルイズは頬を染めて頷いた。

 二人が近付くと、頭にターバンを巻いた商人がもみ手した。

 

「おや! いらっしゃい! 見てください貴族のお嬢さん。珍しい石を取り揃えました。『錬金』で作られたまがい物じゃございませんよ」

 

 商人はそういうが、並んだ宝石は貴族がつけるにしては装飾がゴテゴテしていてお世辞にも趣味がいいとは言えない代物だった。

 ルイズの目が、ペンダントに止まった。貝殻を彫って作られた、真っ白なペンダント。周りには大きな宝石がたくさんはめ込まれている。しかし、よく見るとちゃちな作りであった。宝石にしたって安い水晶だろう。でも、ルイズはそのきらきら光るペンダントが気に入ってしまった。騒がしいお祭りの雰囲気の中では、こういった下賤で派手なものの方が目を引くのである。

 ルイズがそれを手にとってみようと手を伸ばそうとすると、それより先に、エツィオがそれを手に取った。

 エツィオは手に取ったペンダントをルイズの胸元に持って行くと、「素敵じゃないか」と笑みを浮かべた。

 そんなエツィオの行動に、ルイズは顔と胸の中がかっと熱くなるのを感じた。

エツィオが自分が気に入ったものと同じものを、自分のために選んでくれた! たったそれだけのことがどうしようもないほどうれしかった。

 

「それでしたらお安くしますよ。四エキューにしときます」

 

 そんなふうに舞い上がっていた彼女を、現実に引き戻すような言葉が店主から浴びせかけられる。

ルイズは思わず「高いわ!」と叫んでいた。

以前、エツィオに剣を買ったときに、今期のお小遣いは全て使ってしまったのであった。

 

「うーむ、参ったな、今は持ち合わせがない」

 

 どうやらお金を持っていないのはエツィオも同じのようだ、しかし言葉とは裏腹に、どこか余裕すら感じさせる口調だ。

 

「親父、少し待っていてくれないか? ルイズ、行こう」

 

 するとエツィオは、何を考えたか、ルイズの手を取って、今来た通りを戻り始めた。

 

「ちょ、ちょっと! どこいくのよ!」

「いいからいいから」

 

 突然の使い魔の行動に、慌てるルイズをよそに、エツィオは路地裏に入ると、道端の隅にしゃがみ込んで、何やら石畳を丁寧に調べ始めた。

 

「ねえ、あんたなにしてんの?」

「まあ見てろって」

 

 怪訝な表情で見つめるルイズに、やがて何かを見つけたのか、エツィオはニヤリと笑い、人差し指を口元に立てた。

それから石畳の一枚をはがし始める。するとその石畳の下は丁度いい空洞となっており、中にはなんと、エキュー金貨と宝石が詰まった小箱が入っていた。

 

「えっ! えっ! う、うそっ!? な、なによこれ!」

「ふふん、秘密の財宝ってやつだ」

 

 そのあまりの量に驚きのあまり言葉を失うルイズに、エツィオはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「えっ? あ、あんた、なんでそんなにお金を持ってるの?」

「レコン・キスタ、連中の金だよ、彼らは必要ないってさ」

 

 エツィオは肩をすくめて笑った。

 

「しかし、頂いたまではいいけど何分一人で持つには多くてね、俺がトリステインに戻ってきた時に、街のあちこちに隠したんだ。有事に備えてな」

 

 エツィオは金貨を取り出してそういうと、小箱の蓋を閉めて穴に入れ、剥がした石畳を元に戻した。

 

「これが街のあちこちにある、隠し場所を知っているのは俺だけだ、全部の隠し金貨をかき集めたら……、もしかしたら、今のきみよりお金持ちかもな」

 

「それじゃ行こうか」と、尚もあっけにとられるルイズの手を取って、エツィオは露天商のところへ戻り始めた。

 

 露天商のところへ戻った二人は、金貨を四枚支払い、ペンダントを受け取った。

エツィオは、手慣れた様子でルイズの首にそれを巻いてやる。お似合いですよ、と商人がお愛想を言った。

自分の首に巻かれたそれを手でしばらくいじくりまわしたあと、ルイズの頬が思いっきり緩んでしまった。

 エツィオに見てほしい、と思って振り返る、するとエツィオは下あごに手を当てて何やら真面目な表情でじっとルイズの顔を見つめていた。

 あんまりにも真面目な顔で見つめてくるものだから「な、なに?」と少々上ずった声で尋ねる。

すると「思った通りだな」と、エツィオはにっと破顔した。

 

「確かに、とても似合っているけど、やっぱりきみにはどんな宝石もかなわないな」

 

 魅力的な笑みで答えられ、再びルイズの頬がかあっと赤くなる。

素直に嬉しい思いと、気恥ずかしさが胸の中でまぜこぜになり、なんて言い返そうか言葉に迷う。

そんなルイズにエツィオはすっと手を差し伸べる、まるで騎士のように洗練された動作に、ルイズは思わずその手を握った。

 

 

「おっと、ここだな」

 

 ペンダントを購入し、再び大通りを二人で歩いていると、エツィオが何やら立ち止まり、一軒の店の前で足を止めた。

 なんだろうとルイズがエツィオの視線の先を追う、するとそこには一軒の酒屋があった。

 

「なあルイズ、ちょっと寄ってもいいかな」

「なあに? お酒を買うつもり?」

 

 さっき王宮で飲んでいたと聞いていたルイズは、少しだけ眉を顰めた。

 

「別にいいけど……まだ飲み足りないの?」

「なに、ギーシュに宿賃替わりに持って行こうと思ってね、ちょうどいい、きみとの分も買っておこう」

 

 そう言って、二人は酒屋へと入った、豪奢な内装と豊富な酒の品ぞろえを見るにトリステインでも有数の高級品を取り扱う店のようだ。そんな店だというのに、エツィオは別段臆した様子もなく堂々と店の奥へと足を踏み入れてゆく。

 公爵家の三女とは言え、こういった高級店に初めて足を踏み入れたルイズは、興味深そうに店内を見回す。酒瓶とはいえ、中々こじゃれたデザインの壜が関心を引く、しばらくそんな風に眺めていると、二本の酒瓶を持ったエツィオが戻ってきた。

 

「やあ、待たせたな」

「何を買ったの?」

「ブランデーをな、結構したけど……たまの贅沢だ、これくらいは目をつむってくれよ」

 

 エツィオはウィンクをして買ってきたブランデーの酒瓶をちらつかせた、見るに他の酒壜と比べ一回りも二回りも小さい。しかしルイズはその壜に見覚えがあった、どこで見たんだろう……? 確か実家の……。

 そこまで思い出したとき、ルイズは思いっきり噴き出した。

 

「うぇええっ!? そ、それって! こ、コルニャークじゃない!!」

「あれ? 詳しいんだな?」

 

 ルイズが銘柄を知っていたことが意外だったのか、エツィオはとぼけたように首を傾げた。

 

「そうそう、猊下から賜ったんだけどな、言うにはこれは大フィリップ一世っていう――」

「そ、それ! 大豪邸付きの土地が買えるっていうくらいすっっっっっごい高いお酒なのよ! 父さまでさえ特別な日にちょこっとしか飲めないっていうのに! なんてものしれっと買ってんのよ! しかも二本だなんて!」

「なるほど、道理で美味いわけだ。ルイズ、こいつはなかなか強烈だぞ、飲んでるうちにきみが目を回さないように気を付けないとな」

 

 はっはっは、と陽気に笑う使い魔の計り知れなさを改めて感じ、ルイズは早くも目が回る思いだった。

 




お久しぶりです
発狂していたらこんなことになっていました
久しぶりに書くと文章力の低下を感じずにはいられません、
忘れ去られているかもしれませんが、お待たせして本当にごめんなさい
文章力と妄想力の低下は智慧を絞ってなんとかします

ヽ旦ノ


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memory-35 「英雄の条件」

 一方その頃。

王宮の謁見室では、本日すべての執務を終えたアンリエッタは、とある人物を待っていた。

 

「陛下、マザリーニ枢機卿猊下がお戻りになりました」

 

 謁見室の外に控えた呼び出しの声に、アンリエッタは短く「通して」と告げる。

扉が開き、マザリーニ枢機卿が現れ、部屋の中へと足を進める。

 

「お待たせいたしました、陛下」

 

 マザリーニが深々とアンリエッタに頭を垂れる。

アンリエッタは部屋にいたお付きの者を全て下がらせ、マザリーニに向きなおった。

 

「いかがでしたか? 彼は」

 

 彼がどこにいたのか知っていたのであろう、アンリエッタはマザリーニに尋ねた。

果たしてエツィオの予想通り、この謁見自体がマザリーニの手によるものであったようだ。

マザリーニは力なく首を横に振ると、嘆息するように大きくため息をついた。

 

「陛下、お人が悪いですぞ」

「どういう意味でしょう?」

「なぜ彼をもっと早くに教えてくださらなかったのか、ということです。このマザリーニ、一生の不覚……、あれほどの傑物を今まで見出すことができなかったとは……。彼は一体今までどこに隠れていたというのでしょうか……」

 

 悔しそうに唇をかむマザリーニに、アンリエッタは問うた。

 

「それほどの人物なのですか? 彼はその……確かに有能ではあるようですけれど、少々軽薄な方という印象を受けていたのですが……」

 

 何しろ初対面の時、アンリエッタの身分を知らぬとはいえ、開口一番口説いてきた男である。

アンリエッタがそういった印象を受けるのも無理らしからぬ話であった。

しかしマザリーニは小さく首を横に振った。

「結論から申上げましょう。彼は……危険です」

「危険? 彼がですか?」

「はい。故に何としてもトリステインに引き入れ……、監視下に置いておきたいところですな、それがかなわぬのならば……」

 

 マザリーニはそこで一息つくと、アンリエッタを見据え、険しい表情で呟いた。

 

「殺してしまうべきです」

「殺すですって!」

 

 それだけに、マザリーニの口から飛び出した言葉に、アンリエッタは驚きのあまり思わず聞き返した。

 

「引き入れるというならまだしも、なぜ彼を殺さねばならないのですか? 確かに腕の立つ暗殺者だと聞き及んではおりますが……彼はルイズの使い魔であって……、メイジではないのですよ?」

「メイジではない……。そう侮った貴族派の者共が皆どのような末路を迎えたかお忘れですかな?」

 

 まあ、そこはよいでしょう、とマザリーニは言った。

 

「順を追ってご説明しましょう」

 

 「まずは一つ目」と、マザリーニは人差し指を立てた。

 

「これは私が直接対話して感じたことですが……。彼には人を惹きつける才能がありますな、これはまだ若く粗削りですが、磨けば確実に光るでしょう」

「『魅力』……ということでしょうか?」

「ええ陛下、これは稀有な才能ですぞ。人の上に立つものとして決して欠かせぬものです。無論陛下も国を治める身である以上お持ちではある。しかし長い歴史を紐解けば、極々稀に彼のような傑物が現れることがあるのです」

 

 「二つ目」、中指を立てマザリーニは続けた。

 

「『武力』……タルブの村で彼と共に戦ったという傭兵達からの聴取によりますと、彼は戦場にて鬼神のごとき戦いぶりを見せたと証言しております、その強さはメイジの騎士がまるで相手にならなかったほどだとか……。にわかには信じがたいですが、捕虜になったアルビオン兵からも同じ証言が得られたこと、そして彼の存在を何よりも恐れていることから事実と見るべきでしょう」

「メイジ殺しの戦士……」

「そうですな。……しかしそれだけではありません、同じく傭兵達からの聴取によると、彼はその場にいた傭兵達を瞬く間にまとめ上げ、指揮を執っていたとのこと、事実、アルビオン軍の総攻撃を受けてなお、彼らは寡兵でありながら持ちこたえていた。……どうやら彼には将としての才もあるようですな。まるで一端の指揮官のようだったと傭兵たちは証言しておりました」

 

 マザリーニは目を細めると、苦虫をかみつぶしたような顔を作った。

 

「知力に武力、そしてカリスマ性……間違いなく指導者の器です、しかも恐ろしいことに彼はまだ若くそれらが未だ成長段階にある。まるでおとぎ話の勇者ですな。古今、彼の様な者を『英雄』と呼ぶのでしょう」

 

 アンリエッタは驚いた、マザリーニがここまで人を褒めることはめったに……いや、今までにない事であった。

 

「そう、『英雄』……。彼がただの『英雄』であったならば、どれほどよかったか……」

 

 しかし、マザリーニは深くうなだれてため息を吐くと、気を取り直したように顔を上げた。

 

「ここまで言えばもうお分かりでしょう。故に、彼の存在は危険極まるのです。戦場で見せた一騎当千の武力。広い視野と聡明さ。そしてそれらに裏打ちされた暗殺者としての卓越した技量。いずれも脅威そのものだ。しかし何よりも危険なのは、彼の思想とカリスマ性なのです」

「思想……ですか? それがどうして?」

 

「はい、して陛下、ここからが本題なのですが……」と、マザリーニはアンリエッタに向きなおり、一つ質問を投げかけた。

 

「陛下、この世で最も強力な武器とは何と思われますか?」

「最も強力な武器……ですか?」

「はい、思いつくもので構いませぬ」

 

 そうですわね……と、アンリエッタは小首を傾げ、少し考える、最強の武器とはなにか?

そう問われれば、すぐに思い浮かぶものが一つある、ルイズがタルブで放った、アルビオン艦隊すらも滅ぼした伝説の系統……『虚無』の光だ。

 

「魔法……ですわね、例えばそう……伝説の系統である『虚無』かと」

 

 その答えを聞いたマザリーニは、ふむ、と頷いて見せた。

 

「なぜそう思われるのです?」

「それは貴方もよくご存じなのではなくて? 始祖ブリミルが用いた『虚無』の伝説は数多くの神話として残っておりますわ」

 

 実際に貴方もタルブでご覧になったでしょうに……、と誰にも聞こえぬように小さくごちる。

しかし、そんなアンリエッタをよそに、マザリーニは、わずかに笑みを浮かべた。

 

「なるほど、確かに強力なのかもしれませぬな、なにせ六千年たった現在でさえ、その系統の使い手である始祖ブリミルは信仰の対象となり、広く人々の知るところとなっております。……その全貌がはっきりとしていないにも関わらず」

「違う……、と仰りたいのですか?」

 

 虚無の担い手たる『始祖』を奉る聖職者とは思えぬ発言に、アンリエッタは眉をひそめる。しかしマザリーニは涼しい顔で小さく頷いた。

 

「ええ、残念ながら、私はそうは思いませぬ、この世で最も強力な武器とは少なくとも『魔法』……ましてや『虚無』などではないと考えております」

「では何と?」

 

 アンリエッタの問いに、マザリーニは短く答えた。

 

「『思想』です」

「『思想』ですって?」意味を理解しかねているのであろう、アンリエッタは戸惑うような視線を向けた。

 

「はい、『思想』あるいは『概念』とも言い換えてもよろしいかと。それらの前では『人』も『魔法』もただの道具でしかないと私は考えております。……無論、『虚無』でさえも」

「枢機卿、あなた……、何を仰って……!」

 

 聖職者としてあるまじき言葉に、アンリエッタは思わず言葉を失った、しかしマザリーニは表情を崩さない。

 

「不敬と仰りたいのも百も承知、しかしこうも考えられませぬかな? 確かに、陛下のお答えになった『虚無』、これを最強の系統だと信ずる者は多い、むしろほとんどの者がそう答えるでしょう。それこそがここハルケギニアに浸透した『思想』だからです」

「もしそうだとして……、その『思想』がなぜ武器になると?」

 

 アンリエッタの問いに、マザリーニは頷いた。

 

「『思想』……あるいは『概念』こそが完全無欠の武器、形こそ持ちませぬが、世界に無数の変化をもたらすことができます。時に暴力という形を伴って。陛下が仰ったいかな強力な虚無の使い手でさえ、人である以上、かならず死が訪れる、それはかの始祖ブリミルでさえ例外ではなかった。しかし、思想概念はそうはいきません。信じる者、あるいはそれを知る者全てを一人残らず抹殺し、それが記された書物を全て焼いたところで無意味なのです。一時的に勢力を弱めることはできても、いつか必ず何者かによってこの世に再びもたらされるでしょう」

 

 『虚無』ではなく、ブリミルの『思想』こそが、世界を変えた。その考えに、アンリエッタは納得できず、マザリーニに反論する。

 

「しかし、『虚無』を操った始祖ブリミルは確かに世界を変えたのでは?」

「ええ、確かに変えましたな、『虚無』という思想概念によって神に近い存在へと成った。そしてその教えと伝説を後世に伝え、時に創作することにより、現在の世界(ハルケギニア)を形作り……今もなおこの世界に無数の変化をもたらしております。今のアルビオンに、新教徒たち、例を挙げればキリがありませんな」

「それは始祖への冒涜ではなくて?」

「冒涜? 事実を申し上げているまでです」

 

 私もまた、その思想概念を信ずる者でありますゆえ。とマザリーニは涼しい顔で嘯いた。

 

「そして恐ろしいことに、思想というものは人である以上必ず持ちうるものです、そしてそれは羊皮紙をインクに浸すように、人の心にあっという間に染み込み広がってゆく」

 

 そして……、とマザリーニは言葉をつづけた。

 

「そしてあろうことか、その『武器』を担う者が現れてしまったのです」

「現れた? もしやそれはルイズの使い魔のことを仰っているの?」

 

 アンリエッタの問いに、マザリーニは重々しく「はい」と頷いた。

 

「確かに……暗殺者の思想となれば、それは危険なものだということは理解できますわ、しかしそのような――」

「いいえ陛下、それは違います」

 

 アンリエッタの言葉を遮るように、マザリーニはぴしゃりと言った。

 

「彼は暗殺者と言えど確固とした信条と倫理観がある。彼はその理想と信条を私に語ってくれました。世界の平和と自由意志の尊重について。

普段であれば、そんな青臭い理想など一笑に付すものだ。しかし彼が語るとどうでしょう。それがひどく眩いものに感じたのです……。『自由』、それこそが人のあるべき姿である、そう思ってしまったのです、……この私が、『アサシンの信条』に惹かれてしまっていたのですぞ?」

 

 マザリーニは表情を青くしながら首を横に振った。

 

「『思想』と『カリスマ性』を兼ね備えた英雄の危険性……私は彼との会話で、それを改めて認識させられました、彼の持つ思想は、あまりに正しく、あまりに眩く、そしてそれ故に……あまりに進み過ぎていた。これが年相応の普通の青年ならば、街に繰り出してその思想を大声で叫んだところで相手になどされません。しかし、彼のようなカリスマ性を持った傑物だった場合はどうでしょう? 必ず賛同するものが現れ、瞬く間に一大勢力へと変貌する、そんな気がしてならないのです」

 

 「話がそれましたな」とマザリーニは小さく息を吐いた。

 

「これらを踏まえまして、私自身の意見といたしましては、彼の存在は、伝説にある虚無の才能よりも稀有なものだと存じます。一代限りの虚無よりも、後々の世まで影響を及ぼしかねない強力な指導者のほうが私には恐ろしい。とはいえ、彼はまだ若く、そのカリスマ性も粗削りなものだ、すぐにどうなるといったものではないはずです。……もっとも十年、二十年後はどうなっているか、考えるだけでも恐ろしいですが……」

「では……どうすればよいのかしら?」

「幸いにも彼はトリステインに好意的です、その上、こちらの話し合いにも積極的に応じてくれます。ならば眠れる獅子は起こさなければよい。しばらくは彼を自由にするのが得策かと存じます。それに、彼からトリステインに協力を申し出てくれました。断る理由はありませぬ。故に彼……そしてラ・ヴァリエールとは友好な関係を築けられればと……」

「そ、そうですわね……」

 

 マザリーニのただならぬ様子にアンリエッタは思わず言葉を失った。

まさかルイズの使い魔の男が、あのマザリーニがここまで認めるほどの傑物だったとは……。 

そんな風に考えていると、マザリーニが口を開いた。

 

「その上で陛下、くれぐれも彼から目を離してはなりませぬよう……。目を離したが最後、その時には我々の手に負えない存在になっているかもしれない、私はそう思わずにはいられないのです」

 

 沈痛な面持ちで呟くマザリーニの表情は、今まで見せたことのないほど、真剣なものであった。

 

 

 

 王宮から部屋に帰ってきたルイズは、鼻歌交じりで着替えを済ませると、ベッドの上に横たわり『始祖の祈祷書』を開いた。

そんな彼女の様子を見て、エツィオは装備を取り外しながら微笑みかける。

 

「随分とご機嫌だな」

 

 エツィオに茶化されて、ルイズはむっとした表情を作った。

 

「い、いいでしょ別に」

「悪いとは言っていないさ、それよりどうだ? さっそく一杯」

 

 装備を取り外し終えたエツィオは、それから買ってきたばかりのブランデーの壜を振りながら言った。

 

「えー? もう飲む気なの?」

 

 呆れたように首を傾げるルイズをよそにエツィオは意気揚々とブランデーの栓を抜く、それから少し香りを愉しんだ後、ゴブレットに注いでルイズに手渡した。

「いい香りだぞ」とエツィオに言われて、ルイズは受け取ったゴブレットの中に注がれた琥珀色の液体の匂いを恐る恐る嗅いでみた。そしてその濃密なアルコールの臭いに思わず顔をしかめた。

父さまはこれの香りをすごくありがたそうに嗅いでから飲んでいたけど……。正直、今のルイズにはそれほどありがたがるほどのものではないと感じた。これではいつも食堂で出されるワインの方がまだ香りがいいと思ってしまう。

 とは言え目の前にあるのは公爵である父が、年に数えるほどしか飲めない超高級酒である。……そういう違いを感じられるようになってこその『大人』というものだろうか?

 そんなことをぼんやりと考えながら、ほんの一口、ブランデーに口をつけてみた。

 

「ん”に”ゃ”あ”あ”!?」

「うおっ!?」

 

 瞬間、ルイズは思わず素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 ほんの少し口に含んだだけで、先ほど嗅いだ匂いとは比べ物にならないほどの強烈なアルコールが、ルイズの口の中を蹂躙する。そのせいでブランデーが気管に入り込み、ルイズは思いっきりむせてしまった。

 

「げっほ! げっほっ! にゃ、にゃによこりぇ!」

「おい、大丈夫か?」

 

 げほげほと咳き込むルイズの背中をさすってやりながら、エツィオはブランデーの入ったゴブレットをルイズの手から取った。

 

「それで? お味の程は?」

「わ、わかんないわよ! そんなの……」

「どうやらきみには、まだ早かったみたいだな」

 

 恨みがましい目で見つめてくるルイズを笑いながら、エツィオはそのゴブレットに口をつけた。

 

「よくそんなの飲めるわね」

「きみと違って大人だからな」

「ふんっ、わたしなんてどうせお子様よ」

 

 ルイズ不満げに小さく鼻を鳴らすと、再びベッドに横たわり、『始祖の祈祷書』を開いた。

エツィオはその横に腰かけると、ルイズの手元、『始祖の祈祷書』を覗き込む。

その中身ははたから見れば相変わらず白紙のままだ。しかしタカの眼を通して見ると、眩いばかりの魔力を放っている。

もちろんそのまま読むと目が焼けてしまいかねないため、エツィオには読み進めることができないのであるが……。

 

「それで? その『始祖の祈祷書』について、なにかわかったことはあるか?」

「ダメね、今も開いてみたけど……ここの『エクスプロージョン』の呪文のところまでしか書いていないわ」

 

 ルイズは首を振った、どうやらルイズには他のページにはなにも書いていないように見えているらしい。しかしエツィオのタカの眼には、他のページにも魔力が続いている事が確認できた。

 

「他のページにも、強い魔力が続いているな……、でも何も見えないというのはどういうことだろう?」

 

 エツィオはうーん、と唸った。

 

「しかし、最初に飛び出したのがあの爆発か……、その『始祖の祈祷書』が言うには、それで初歩の初歩の初歩なんだろう?」

 

 エツィオはあの日、艦隊を吹き飛ばした魔法の光を思い出した。

『虚無』。それは始祖ブリミルが用いし伝説の系統……。そして俺はその始祖ブリミルが使ったといわれる使い魔、『ガンダールヴ』。あらゆる武器を使いこなす能力をもって、始祖の呪文詠唱の時間を守った伝説の使い魔……。

 

「『虚無』か……。最強の系統と呼ばれるのも頷けるな」

「そうとも言い切れないわ。実は、がっかりさせたくなくって、姫さまには言わなかったんだけど……」

 

 ルイズはため息交じりに、杖を取り上げ、ゆっくりと呪文を唱え始めた。

 

「エオルー・スーヌ・フィル……」

「お、おい! なにを!」

 

 こんなところであんな爆発が起きたら学院が消し飛びかねない。

しかし、ルイズは詠唱を止めようとしない。

 

「ヤルンサクサ……」

 

 そこまで唱えて、耐えきれなくなったようで、ルイズは杖を振った。エツィオのクッションの山が、ぼーんと爆発して飛び散った。

そしてルイズは白目をむいて、ぱたっとベッドに崩れ落ちた。

 

「おい! 大丈夫か! しっかりしろ!」

 

 エツィオは慌てて、ルイズを揺さぶった。それから首筋に手を当て脈を確認する、とくんとくんと指先に伝わる鼓動を感じ、気絶しているだけだと知って安堵する。

しばらくすると、ルイズはぱっちりと目を開けた。

 

「あううう……」

「どうしたんだ一体?」

 

 頭を振りながらルイズはむっくりと起き上がった。

 

「大丈夫、ちょっと気絶しただけよ」

「気絶だって?」

「実はね、最後まで『エクスプロージョン』を唱えられたのはあの時こっきり……。それから何度唱えようとしても、途中で気絶しちゃうの。一応、爆発はするみたいなんだけど」

「どういうことだ?」

「たぶん、精神力が足りないんだと思うの」

「精神力?」

「そうよ、魔法は精神力を消費して唱えるのよ。知らなかったの?」

「そういえば、詳しくは知らないな……。教えてくれないか?」

 

 ルイズはちょこんと正座をすると、指を立てて得意げに説明を始めた、

メイジはその足せる系統の数でクラスが決まるということ。

呪文のクラスが一つ上がるごとに、その精神力の消費は倍になるということ。

 

「なるほど、つまり低いクラスの呪文は何度も唱えることができるが、高いクラスの呪文はそう何度も唱えられないということだな?」

「そういうこと、呪文と精神力の関係は理解できた?」

 

 エツィオは「ああ」と大きく頷き、深い笑みを浮かべた。

いかな強力なメイジでさえ精神力の消耗は免れず、また呪文が強力であればあるほど、それに伴う詠唱も、精神力の消費が大きくなる。

常に魔法という存在に悩まされ続けているエツィオにとっては、とても有意な情報であった。

 

「ということはさっききみが気絶したのは……」

「そう、精神力が切れちゃったの。無理をするとさっきみたいに気絶しちゃうわ。呪文が強力すぎて、わたしの精神力が足りないんだわ」

「とすると……、なぜあの時は唱えられたんだ?」

「そこが分からないのよ……。どうしてかしら?」

「精神力はどうすれば元に戻る?」

「大体、睡眠をとれば回復するわ」

 

 エツィオは考える様に顎に手を当てた。

 

「うーむ……、きみは今までまともに呪文が唱えられなかったんだろう? だとしたらこれは俺の仮説だが、きみは精神力が貯まりに貯まっていたんじゃないか? それをあの一回で使い切ってしまったとか」

 

 ルイズははっとした表情になった。

 

「そうかもしれないわ……。スクウェアメイジといえど、スクウェア・スペルはそう何度も唱えられない。下手すると一週間に一度、一月に一度だったりするのよ。つまり強力な呪文を使うための精神力が貯まるのには時間がかかるってことなの。わたしの場合も、そうなのかもしれないわ」

「とすると、次、最後まで唱えられるようになるには……」

「わかんないわ、自分でも……、一か月なのか……もしかしたら一年なのか……」

 

 ルイズは考え込んでしまった。

 

「あれだけ強力な呪文だ……、そうそう早く貯まるとは思えないな。しかし、さっきのを見るに、成功することは成功するようだが」

「そうね、『虚無』は本当にわからないことだらけ、なにせ呪文詠唱が途中でも、効力を発揮するんだもの。そんな呪文は聞いたことがないわ」

「詠唱が途中でも……か」

 

 エツィオは苦い表情になると、吹き飛んだ自分のクッションの山を見つめ思案にふける。

詠唱を中断させれば、効果を発揮しない普通の呪文に対し、虚無の系統は詠唱こそ長いものの、発動に必要な精神力がなくとも、一定の効力を発揮する……。それも詠唱の途中であってもだ。

「厄介だな……」と、小さく呟き、エツィオは我に戻った。

……今、自分は何に対して『厄介』だと思った? 既存の概念に囚われぬ『虚無』の系統に対するものか、それともその力を得たルイズに対して?

そこまで考えた時、無意識のうちに『虚無』を、そして『ルイズ』を脅威と考えていた自分に怖気が走った。

 

――虚無が敵に回ったらどうする?

 

 内なる心の声に、冷たい手で心臓を鷲掴みにされた気分になった。

エツィオは心の中に浮かんだ、よからぬ考えを振り払うように大きく頭を振った。

しかしそれでも、タルブで見た、あの恐ろしい爆発は脳裏に焼き付いたままだ。

ルイズが言うようにそうそう使えるものではないのかもしれないが、あの力はまさしく神の威光としか言いようがない。

 

 一体何を考えている、エツィオ・アウディトーレ、お前は自分が守ると誓った少女を手にかけるつもりなのか?

 

 自分自身に活を入れるため、心の中で自分の名前を叫ぶ。

そうだ、そうさせないために、そうならないために、自分がいるのではないか。

 それでもどうしても払拭しきれない思いは、胸の中に渦巻いたままだった。

 

――虚無が敵に回らないと、どうして言い切れる?

 

 例の心の声が、再び冷たく響き渡る。エツィオは無意識に口元を押さえた。

瞬間、こちらを見ていたルイズが何かに気が付いたかのように、がばっと跳ね起き、キャミソールの裾を押さえて顔を真っ赤にした。

 

「な! 見た! 見た見た! 見たーーーーッ!」

「……え?」

 

 突然叫びだしたルイズに驚き、きょとんとした表情でエツィオはルイズを見つめる。

瞬間、飛んできた枕が顔面に直撃した。

 

「わぶっ! な、なんだよ急に!」

「と、とぼけないでよ! わ、わたっ、わたしのっ……お、お尻をみてたでしょう!」

 

 突然怒鳴りだすから何事かと思ったが……、考えるのに夢中でまったく気が付かなかったが、どうやらエツィオの視線の先に、ルイズのお尻があったようだ。

エツィオはその言葉を聞いて、あれこれと真面目に考えていた自分が急にばかばかしくなってしまって、思わず大声で笑ってしまった。

 

「なんだよ、随分と今さらだな、きみ、俺が召喚された初日なんて気にも留めなかったじゃないか」

「そ、それとこれとは違うわよっ! このばかあ!」

 

 そうやってしばらくぽこぽこと枕でエツィオを殴っていたルイズであったが、やがて唇を噛みながら、ごそごそと布団の中に潜り込んだ。

 

「寝る」

 

 エツィオも優しい笑みを浮かべると、彼女の額に唇を落とす。

エツィオが「おやすみ」とささやくと、ルイズは拗ねたように体を丸めた。

しばらくルイズはそのまま唸っていたが、そのうちにおとなしくなった。

エツィオも、明日はオスマン殿に報告をしなくてはならないなと思いながら、眠りについた。 

 

 

 翌日、ルイズを授業に送り出したエツィオは、王宮での出来事を報告するため、学院長室へと赴いていた。

 

「入りたまえ」

 

 ドアをノックしようとしたその時、部屋の中にいるであろうオスマン氏に声をかけられて、エツィオは驚いた。

来訪を予期していたのだろうか、エツィオは僅かに緊張した面持ちで学院室のドアを開く。

 

「失礼いたします」

「安全と平和を、アサシン。……少し待ちなさい」

 

 エツィオが学院長室に入ると、オスマンは机に向かい何やら作業をしていた。

オスマンは僅かに笑みを浮かべると、再び作業に没頭し始める。

何をしているのだろう? と興味がわいたエツィオは、オスマンの手元を覗き込む、すると丁度作業が終わったのか、オスマン氏が顔を上げた。

 

「ほほ、久しぶりに作ったもんでな、時間がかかってしまったわい」

 

 オスマン氏は呵々と笑うと、作り終えたものを机の上に置いた。

 

「何かお作りになっていたのですか?」

 

 机の上に置かれたものを興味深そうに見つめながらエツィオが尋ねる。

オスマン氏が置いたそれは、短剣であった。しかし普通の短剣と違うのは、刃の先端に鋭い返しがついており、柄尻の部分には長いロープが結ばれていることであった。

 

縄镖(じょうひょう)と呼ばれる暗器でな。見てのとおり、ナイフの柄にロープがくっついているものだと思ってもらって構わん。師が言うには、遥か昔、お主の世界のシンと呼ばれた国で考案されたものだそうじゃ」

「なるほど……、手に取ってみても?」

「構わん、使ってみなさい」

 

 オスマン氏は部屋の隅に飾られた甲冑を指さし、エツィオに縄镖……ロープダートを手渡した。

では、とエツィオは頷くと、甲冑目掛けてロープダートを放った。ルーンの力も合わさったダートはまっすぐに甲冑の兜、その眉間へと突き刺さる、同時にエツィオは手元のロープをぐいと引き寄せた。すると、ダートが突き刺さった兜が勢いよく甲冑から外れ、エツィオの元へと引き寄せられてきた。

 

「おっと!」

 

 ダートと一緒に戻ってきた兜を空いた左手で受け止め、エツィオは感嘆のため息を漏らした。

対象を殺傷、あるいは拘束し引き寄せる、原理こそ単純なものだが、それが戦いの場においてどういった効果をもたらすか、その有用性に気が付いたエツィオは興奮を覚えずにはいられなかった。

 

「こいつはすごい――」

「見事じゃ、アサシン」

 

 早くも新たな武器を使いこなした彼を見て、満足そうにオスマンが頷いた。

 

「持って行きなさい。使い方はそれだけに限らんでな、より鍛錬に励むがよい」

「ありがとうございます、オスマン殿、きっと私の助けになってくれるでしょう」

 

 エツィオは一礼すると、新しい武器をポーチにしまい込む。

今はこれ一本しかないが、構造自体は単純だ、これなら俺にも作れそうだ。

新しい武器を手にし心を躍らせるエツィオに、オスマンは「さて……」と、机にひじをついた。

 

「今日は何用かな? 昨日はミス・ヴァリエールとともに王宮へ行っていたそうじゃが……。お主がここに来たということは、何かあったのかね?」

 

 オスマン氏に尋ねられ、エツィオも表情を引き締めて、王宮であったことを説明した。

 謁見待合室にて、マザリーニ枢機卿の接触があったこと。

そしてルイズが、自身の『虚無』をアンリエッタ女王陛下に告白し託したということ。

 

それを聞いたオスマン氏は、ううむ。と顔をしかめた。

 

「なるほどのう、ツケは思ったよりも早く回ってきたようじゃな」

「……面目ありません」

 

 同じように苦い表情で呟くエツィオに、オスマン氏は小さく肩をすくめた。

 

「全ては過ぎたことじゃ、責めてはおらぬ。しかしマザリーニ枢機卿……、彼の嗅覚は噂以上らしいのう、こうまで早くお主にたどり着くとは、正直、予想しとらんかった」

「まだ彼を完全に信用したわけではありませんが……、彼はトリステインに忠誠を誓っているようでした、少なくとも貴族派であるということはないかと」

「そらそうじゃ、彼から忠義と政治手腕を取ったらあとは骨と皮しか残らんでな」

 

 大きく息を吐くと、オスマン氏は椅子の背もたれに背中を預けた。

 

「しかし、まさかミス・ヴァリエール自らが打ち明けるとはな」

「彼女の性格を考えれば無理からぬこと、せめて私がそばにいれば……」

「起きてしまったことは仕方があるまい、今はその問題に対しどうすべきかを考えるべきじゃな。陛下は彼女の処遇をどうすると?」

「陛下は彼女を直属の女官としたようです、『虚無』については秘密とするとのことでしたが……、正直、アテにはならないでしょう」

「外にも内にも、目を光らせる必要が出てきたということか……」

 

 難儀よな……、とオスマン氏が唸った。

 

「なにより、ミス・ヴァリエールにも気を配らなくてはならん、虚無の力に溺れ、道を踏み外すということは、何としても避けねばならん……、我らアサシンとしても、一人の教育者としてもな」

「同感です」

 

 エツィオは深く頷いた。内に外、そして今や『虚無』という計り知れないほど大きな力を持ったルイズ、その全てに気を配らねばならぬこの状況、どう考えても一人では出来る事に限界を感じてしまう。

「どうしたものか……」と小さく呟いて、エツィオは考える。現状、仲間と呼べる人物は、アルビオンにいるマチルダ、そしてトリステインのボーウッドとアニエスくらいだ。

こうしてみると、自分がいかにフィレンツェで多くの人々に支えられてきたのかが分かってくる。

『狐』率いるフィレンツェの盗賊や、ラ・ローザ・コルタ(摘み取られたバラ)の娼婦たち、モンテリジョーニの傭兵隊、……そしてレオナルド、みな心強い仲間達だった。ハルケギニアにも、彼らのような仲間がいてくれたら……、共に助け、支え合う仲間たちが……。

 

「仲間……か」

 

 エツィオはそこまで呟くと、小さく頷いてオスマン氏を見すえた。

 

「オスマン殿、ご相談が」

「なにかな?」

「オスマン殿の仰る通り、この先、様々な方向に目を光らせ、場合によっては行動を起こさねばなりません、私一人では対処しきれぬこともあるでしょう、そこで協力者……仲間を作るべきかだと考えます。

あらゆる場所に協力者を潜ませ情報網を蜘蛛の巣のように張り巡らせる。そうすれば状況の把握がはるかに容易になるはずです」

 

 熱っぽく語るエツィオに、オスマン氏は顎髭を撫でながら静かにううむ……と唸った。

 

「……確かに、街中から情報を吸い上げることが出来れば、この国の抱える病も見えてくる……それに、必要とあらば標的の追跡、排除も容易となろう」

「はい、では早速――」

「まあ待て、それに関しては私から一つ条件を出させてもらいたい、よいかな?」

 

 いざ仲間集めに――と、意気込んでいたエツィオを、オスマン氏がぴしゃりと止めた。

 

「条件……ですか?」

「うむ、協力者を作り、情報網を広げる、それ自体には賛成じゃ、より多くの協力者を募るがよい。しかし、共に戦う戦士(アサシン)に関しては条件がある」

 

 一体どのような条件であろうか? エツィオは自然と身構え、オスマン氏の言葉を待った。

 

「まずは一人じゃ。一人、共に戦う『仲間』を見つけなさい、そしてその者に、お主の持つ技術、教団の信条、余すことなく伝えよ。まずはその者の成長を見させてもらう」

「一人……ですか、わかりました。しかし、なぜそのような条件を?」

「その者はいわば試金石。我々がどの程度までのアサシンを育成できるかを見極めたい。……教育に関しては私も協力しよう、これでも教育者じゃからな。――ただし」

 

 オスマン氏はニヤリと笑みを浮かべると、エツィオを指さした。

 

「その時はお主も一緒じゃ、貴族の子弟共に教えているものよりもはるかに高度なものとなるぞ、覚悟するがよい」

「うっ……、わ、わかりました。どうぞお手柔らかに……導師(マスター)・オスマン」

 

 勉学か……! とエツィオは思わず苦笑した、まさか今になって再び座学を学ぶことになろうとは……。

 

「なあに心配するでない、言語学、数学、歴史学、美術、人体学、倫理学、魔法学、その他もろもろのフルコースじゃ。この私自ら教鞭を取るのじゃ、名誉に思うがよい」

 

 くっくっくっと、不穏に笑うオスマン氏に、これから待ち受けるであろう勉強の山に恐怖を感じつつ、エツィオは恭しく頭を垂れた。

 

「ではオスマン殿、まずはラ・ヴァリエールの警護を優先、それから頃合いを見て協力者を集めたいと思います。王宮の件ですが、内部にヘンリ・ボーウッド殿がいらっしゃいます。なにか王宮に不穏な動きがあれば、報告するよう彼に願い出ましょう。とはいえ、次に連絡を取れるようになるのがいつなのか、それが問題ではありますが」

「そうさな、お主の正体を知る彼ならば適任じゃろう。とにかく今は様子を見る事しか出来ん。だが、いずれ行動を起こさねばならぬときが来るじゃろう、その時まで指をくわえて待っておるわけにはいかん。――行くがよい、アサシン、あらゆる事態に備え、力を蓄えるのだ」

 




ダークソウル3面白いですね、トロコンしても周回が止まりません。
お陰で文章力が前にもましてガバガバになっている状況に内心危機感を覚えております。


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memory-36 「一杯のシロップ」

 オスマン氏との会談を終え、学院長室を退出するころには、丁度昼前になるかという頃だった。

 学院のメイドや教師たちとすれ違うたびに会釈しながら、エツィオは長い廊下を歩いていく。

途中、自室兼アトリエのある火の塔へ向かう途中のコルベールを見かけたが、手に『真理の書』を抱えたまま考え事をしているらしく、こちらには目もくれない。

いつものように、彼の頭の中は、まだ見ぬ知識に占領されているようだ。あれでは授業にも支障が出るだろうに……と、そんなことを考えながら彼を見送ると、エツィオはアウストリの広場へと足を運んだ。

 陽光降り注ぐ広場の隅、丁度木陰になっているベンチに腰掛け、エツィオはポーチからコルベールが解読した『真理の書』の写本を取り出し、再びそれに目を通しながら、今後について考えを巡らせた。

 教育、そして訓練に関してはこの『真理の書』が大いに助けになってくれるだろう、アサシンの信条や技術、装備の使い方など、基本的なことはここに一通り記されているため、自分の技術も合わせて訓練を行えば新人の育成も大いに捗るはずだ。

 だからこそ、このアサシンの技術を授ける最初の一人は、どうしても慎重に選ばねばならない。アサシンの業が悪用されてしまっては、オスマン氏に……そして何より、アルタイルを初めとするかつての偉大なるアサシン達に顔向けができなくなってしまう。

 

「責任は重大だな……」

 

 エツィオはぽりぽりと頭を掻くと、ふぅっ、とひとつ息を吐き、大空へと視線を向けた。

 今はまだ授業中のため、あたりに生徒の姿はなく、聞こえてくるのは葉擦れの音と、小鳥の囀りだけ、広場は平穏そのものだ。

 初夏の心地よい風がエツィオの頬を撫でる、心地よい陽気に、自然と気分も緩んでくる。

 思えば、こういう穏やかな時間を過ごすのは随分久しぶりな気がする、ルイズ達と過ごす騒がしくも賑やかな時間は心弾むものだが、こんな時は詩集を片手に、一人静かな時間を過ごしたいものだ。

 そんな風にして、しばらくの間ベンチでくつろいでいた時だった。

 

「あっ、エツィオさん!」

 

 聞こえてきた明るい声にエツィオが振り向くと、果たしてそこにはシエスタがこちらに向かって手を振っていた。

 

「やあシエスタ!」

 

 彼女の姿を認めると、エツィオは明るい声で手を振り返した。

 

「休憩かな?」

「はい、エツィオさんは、今日はミス・ヴァリエールと一緒じゃないんですか?」

「オスマン殿と会っていてね、午前の授業が終わるまで自由にしてもらったんだ」

 

 エツィオがそう答えると、シエスタは「失礼します」と、エツィオの横に腰かけた。

 

「そうなんですか、それじゃあわたしがエツィオさんを独り占めできるんですね」

 

 シエスタは嬉しそうにエツィオに体を預け、うっとりとした表情で呟いた。

エツィオも頬を緩めると、腕を彼女の肩に回し、抱き寄せた。

それから甘い言葉の一つでも囁こうとしたその時、ふとサッシュベルトに差した短刀が目に入った。

 

「ああそうだ、きみに返さなきゃならないものがあったんだ」

「返したいものですか?」

 

 ああ、とにこやかにエツィオは答えると、一振りの短刀をシエスタに差しだした。

 

「タルブの草原に寺院があっただろう? そこに祀られてた短刀だよ、村にとって大事なものなのだろうと思ってね。

アルビオンの連中に持って行かれでもしたら大変だからな、俺が預かっていたんだ」

「そ、そうだったんですか……、ありがとうございます」

 

 おずおずとそれに手を伸ばしたシエスタは、その短剣をじっと見つめ俯いた。

それから少し考えていた様子のシエスタであったが、なにやら決心したのか小さく頷くと、差し出された短剣をエツィオに押し戻した。

 

「それ、エツィオさんに差し上げます」

「え? そうは言うが、これは村にとって大事なものじゃないのか?」

 

 突然のシエスタの申し出にエツィオは困ったように首を傾げる。

 

「いえ、いいんです、だって、この短剣は元々わたしの家に伝わるものですから」

「きみの家の?」

 

 予想外の返答にエツィオは少々驚いた様子でシエスタを見つめた。

 

「はい、その短剣はわたしのご先祖様が持っていたものなんだそうです」

「ご先祖様が?」

「ええ、聞いた昔話なんですけど、二百年くらい前……、まだタルブの村が開墾されていないくらいずっと昔に、黒髪の小さな女の子がいたそうなんです。それで、その女の子が大事そうに持っていたのがその短刀で――」

「そしてその子がきみのご先祖様、というわけか」

 

 エツィオはシエスタのもつ艶やかな黒髪を見つめ、小さく頷く。

 

「はい、わたしの髪の色はそのご先祖様からの遺伝みたいで……。ですからわたしの家のものなんです。あの寺院もその子が歳をとってから建ててもらったものだそうですし。……実のところ、由来もはっきりわからないので拝んでる人もいないんです」

「なるほど……」

 

 エツィオは短剣を受け取ると、鞘から刀身を覗かせ、じっと見つめた。

鏡のように磨きあげられた片刃の美しい短刀である。見たところ『固定化』や『硬質』等の魔法は掛かっていない。

にもかかわらず二百年もの間、錆一つ浮いていない所を見るに、さぞや名のある鍛冶職人が手掛けた逸品であることは想像に難くなかった。

 

「きみがそう言ってくれるなら……、でもいいのか? デルフの奴が褒めてたぞ、凄い業物だって」

「デルフ……って、エツィオさんが使ってる剣の名前ですよね」

 

 デルフと聞いて何かを思い出したのか、シエスタがぽんと両手を叩いた。

 

「そう言えば、その短刀にも名前があるんですよ」

「名前? でもこれはデルフみたいなインテリジェンスソードじゃないぞ」

「ええ、たしか……『イマ……ノ……』? なんだったかしら? ごめんなさい、ちょっと忘れちゃいました」

「はは、こいつもデルフみたいに口が利ければいいんだけどな」

 

 えへへ、と舌を出してはにかむような笑みを浮かべたシエスタにエツィオは小さく微笑むと、短剣を腰のサッシュベルトに再び差しこんだ。

 

「わかった、それじゃ、これはありがたく使わせてもらうよ、きっと俺を守ってくれるだろう。ありがとう、シエスタ」

「はい! エツィオさんが喜んでくれて、わたしもうれしいですわ」

 

 その時であった、授業の終わりを告げる鐘が鳴り、教室から出てきた生徒たちの声が聞こえてきた。

 

「あっ、いけない! 仕事に戻らなくっちゃ!」

 

 シエスタはあわてて立ち上がると、ぺこりと頭を下げて走り去ってしまった。

その後ろ姿を見届けると、エツィオも写本をポーチにしまい、立ち上がって一つ伸びをする。

 

「さて、お姫様をお迎えに行かないとな」

 

 小さく呟くと、ルイズがいるであろう教室へ向け、歩いて行った。

 

 

 さて、その日の夜。

長い金色の巻き毛と鮮やかな青い瞳が自慢のモンモランシーは、寮の自室でポーションを調合していた。どちらかというと痩せぎすで背の高い体を椅子に預け、夢中になってるつぼの中の秘薬をすりこぎでこね回している。

『水』系統のメイジである、『香水』のモンモランシーの趣味は魔法の薬……、ポーション作りである。

そして二つ名の通り、香水作りを得意としていた。彼女の作る香水は、独特の素敵な香りを醸し出す逸品として騒がれ、世の貴婦人や街女たちに大人気であった。

 そんなモンモランシーは今、とあるポーション作りに没頭していた。

 ただのポーションではない、なんといけないことにそれは禁断のポーション。国のふれで作成と使用を禁じられているシロモノであった。

 モンモランシーは自分の作った香水を、街で売ってコツコツお金を貯めた。そして今日この日、そのためたお金を使い、闇の魔法屋で禁断のポーションのレシピと、その調合に必要な高価な秘薬を手に入れた。趣味は道徳に勝るもの、普通のポーション作りに飽きていたモンモランシーは、見つかったら大変な罰金を科せられると知りつつも、禁断とやらを作って見たくなってしまったのであった。

 滑らかにすりつぶした香木や竜硫黄やマンドラゴラなどの中に、いよいよ肝心要の秘薬……、大枚をはたいて買ったその液体を入れようと、傍らの小瓶を手に取った。

 ほんの少量……、香水の壜に収められた、わずかのこの液体のために、モンモランシーは貯めたお金のほとんどを使ってしまった。エキュー金貨にして七百枚。平民が、五、六年は暮らせるだけの額だ。

 こぼさぬように細心の注意を払いながら、小瓶をるつぼの中へ傾けていると……。

 コンコン、と扉がノックされ、モンモランシーは飛び上がった。

 

「だ、だれよもうっ……! こんなときにっ……」

 

 机の上の材料や器具を引き出しの中にしまう。それから、髪をかき上げながら扉へとむかった。

 

「どなた?」

「ぼくだ。ギーシュだ! きみへの永久の奉仕者だよ! この扉を開けておくれよ!」

 

 だーれーがー永久の奉仕者よ、とモンモランシーは毒づいた。ギーシュの浮気性にはほとほとあきれ果てていた。

 並んで街を歩けばきょろきょろと美人に目移りするわ、酒場でワインを飲んでいれば、自分が席を立った隙に給仕の娘を口説く。しまいにはデートの約束すらすっぽかして他所の女の子のために花を摘みに行く。永久が聞いてあきれるわ。

 モンモランシーは、イライラした声で言った。

 

「何の用かしら? もうあなたとは別れたはずよ」

「ぼくはちっともそんな風に思っていないよ。でもきみがそう思うのなら、それはぼくの責任だね……。なにせぼくは、綺麗なものが大好きだ、つまりぼくは美への奉仕者……、きみも知ってのとおり、芸術、そう芸術! きれいなものに目がないのでね……」

 

 ゲイジュツ? 趣味が悪いくせに笑わせる、と思った。デートに着てくるシャツの色はギンギラの紫だし、赤と緑の攻撃色全開なスカーフを巻いて来られたときなんか眩暈がした。

 

「でも、ぼくはもうきみ以外を芸術とは認めないことにした。だって、きみはなんだか一番芸術しているからね。えっと、金髪とか」

 

 冗談じゃないわ。

 

「帰ってくれる? わたし、忙しいの」

 

 モンモランシーが冷たく突き放すと、しばらく沈黙が走った。そのあと、おいおいおい、と廊下でギーシュが泣き崩れる声が聞こえてきた。

 

「わかった……、そんな風に言われては、ぼくはこの場で果てるしかない。愛するきみにそこまで嫌われてしまえば、ぼくの生きる価値なんてこれっぽっちもないからね」

「どーぞご勝手に」

 

 ギーシュみたいな男が、振られたくらいで死ぬわけがない。モンモランシーはつれない態度を崩さない。

 

「さて、ではここに……、せめて、きみが暮らす部屋の扉に、ぼくが生きた証を、きみを愛した証拠を刻み付けようと思う」

「えっ!? な、なにするのよ! やめてよ!」

 

 ガリガリガリと硬い何かで扉をひっかく音が聞こえてくる。

 

「愛に殉じた男、ギーシュ・ド・グラモン。永久の愛に破れ、ここに眠る……、と」

「と、じゃないわよッ! もうっ!」

 

 モンモランシーは扉を開けた。ギーシュは満面の笑みを浮かべて立っていた。

 

「モンモランシー! 愛している! 大好きだよ! 愛してる! 愛してる!」

 

 そして、ぎゅっと自分を抱きしめてくる。一瞬、モンモランシーはうっとりとしてしまった。

ギーシュはとにかく「愛してる」を連発してくる。語彙力がないせいなのだが、そんな陳腐なセリフでも何度も言われると悪い気はしないのであった。

 それからギーシュは、持っていた包みをモンモランシーに手渡した。

 

「……なにこれ?」

「あけてごらん、きみへのプレゼントだ」

 

 モンモランシーは包みを解いた。それは今朝がたエツィオがギーシュに宿賃として持ってきた例の高級酒であった。エツィオは彼に酒を手渡す際、ギーシュがその酒の正体に気が付かなかったのをいいことに、あえて銘柄には触れず、「飲んでからのお楽しみだ」としか伝えていなかった。ギーシュが飲んだ後に銘柄を教えて驚かせてやろうという魂胆である。

 悲しいかなそんな事情を知る由もないギーシュはその小さい瓶にいかほどの価値が封じられているとも知らず、その酒をモンモランシーにプレゼントすることにしたのである。

 

「お酒……? なーんか量が少ないんじゃないの?」

 

 同じくこの酒の正体を知らないモンモランシーは眉をひそめた。

 

「いやまあその……それはぼくも思ったけど、おいしいはずだよ、きっと」

「おいしいはず……って、あなた、味見してないの? それを渡そうとしてるわけ?」

 

 モンモランシーの追及にギーシュはうっ、と言葉を詰まらせた。

味見しようにも封が空いていたら彼女に失礼だし、エツィオから譲り受けたのはこれ一本だけだ。もっとも、あの自他ともに認める洒落者のエツィオが、不味い酒を持ってくるはずがない、という信頼もあるのだが。

 

「い、いやいやいや、実はそのお酒は秘伝のお酒でね、とても貴重で価値のある超高級酒なんだ! だからきみに一番に飲んでもらいたかったんだ!」

 

 もちろん口から出まかせである、しかし奇しくもそれは正鵠を得ていた。今しがたモンモランシーに手渡した酒が、泣く子も黙る超高級酒『グラン・フィリップ』だと知っていれば、ギーシュはその酒を絶対に手渡さなかっただろう。

 

「そうなの……? ふぅん……」

 

 その言葉に、モンモランシーは胡散臭げにその壜を小さく振ってみる。

壜の中で琥珀色の液体がとぷんと揺れた。

 

「ま、いいわ、貰ってあげる」

 

 ギーシュの顔が、ぱぁっと華やいだ。

 

「ああ、モンモランシー、ぼくの気持ちを受け取ってくれるんだね……、ぼくの可愛いモンモランシー……」

 

 呟きながら、ギーシュはキスをしようとした。すっと、その唇をモンモランシーは遮る。

 

「モンモランシー……」

 

 悲しげに、ギーシュの顔が歪む。

 

「かんちがいしないで。部屋の扉はあけたけど、(こっち)の扉はあけてないの。まだあなたとやり直すって決めたわけじゃないんだから」

 

 ギーシュはもう、それだけで嬉しくなった。まだ脈があるということである。

 

「ぼくのモンモランシー! 考えてくれる気になったんだね!」

「わかったから出てって! 用事の途中だったんだから!」

 

 はいはい出ていきますとも、きみがそう言うならいつでも出るさ、とギーシュはぴょんぴょん跳ねながら部屋を出て行った。

 

 そんなギーシュをため息交じりに見送ったモンモランシーは、さっそく貰った酒壜を開けてみた。

壜の中の液体の香りを確かめると、えも言われぬ芳醇な香りがモンモランシーの鼻腔を刺激した。

 

「あらっ……、いい香り……」

 

 さすがは香水の専門家である、熟成された上品なブランデーの香りに、思わずモンモランシーはうっとりとした表情をうかべた。

 

「もしかしてこれ……本当に高級なお酒なのかも……」

 

 ギーシュが持ってきた、という点においてはちょっと不安も残るが、高級酒というのはあながち嘘ではないのかもしれない。

 

 うむむむむ……。とモンモランシーは唸った。

これがもし本当に高級酒だとしたら誠意としてはまあ合格点だ、それに、あんな風に好きだ好きだと言われて、そりゃあまあ気分は悪くはない。もともとつきあってたんだから、嫌いではないのである。

 

「どうする? 許しちゃう?」

 

 でも、かつてのギーシュの浮気っぷりを思い出した。再び付き合ったって、同じことの繰り返しじゃないのかしら。もう浮気でやきもきするのはこりごりである。

 どうしようかなー、と考えながらモンモランシーは今しがた開けたブランデーを、ちょっとだけ飲んでみようと思った。ゴブレットに注ぎ、一口、口につけてみた。

 

「ん”ッに”ゃ”あ”あ”っ!?」

 

 瞬間、モンモランシーはまるでどこかのだれかのような素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 

「なにこれっ……強烈すぎっ……! うぇええっ……」

 

 ……残念ながら、モンモランシーの舌は、そのご自慢の嗅覚ほど鍛えられてはいないようであった。あっという間にブランデー特有の濃密な味わいに打ちのめされたモンモランシーは、思わず顔をくしゃくしゃに歪めた。

 

「もうっ! ギーシュったら! こんなお酒を渡すなんて!」

 

 モンモランシーはそう言うと、ゴブレットに注がれたブランデーを、飲めたものじゃないと、あろうことか廃棄用の壺の中に流し込んでしまった。

 世の美食家が見たら卒倒しそうな行為である。そのゴブレット一杯で数百エキュー相当が消し飛んだとはつゆ知らず、モンモランシーは腕を組んで考え始めた。

 

「もうっ、文句言って突き返してやらなきゃ気が済まないわ」

 

 ブランデーのふたを閉めながら、ふと調合していたポーションのことを思い出した。

引き出しを開ける。先ほど隠した香水の小瓶に入った秘薬が見えた。

 モンモランシーは首をかしげて考えた。

 うーん、もしかしたらいい機会なのかも……、効果のほども試せるし……。

 

「もう飲まないし、別にいっか」

 

 小さくつぶやくと、ブランデーのふたを開け、小壜の中身を、ほんの数滴垂らしこんだ。

透明な液体が、琥珀色のブランデーに溶けていく。

 あとはこれをどうやって飲ませようかしらと、モンモランシーは思った。

 

 

 翌朝、ルイズとともに教室に入ったエツィオは、なにやら上機嫌なギーシュとすれ違った。

 

「よう! ギーシュ!」

「やあエツィオ!」

 

 エツィオが声をかけると、ギーシュは軽い足取りでこちらへ向かってきた。

 

「友よ、ずいぶんとご機嫌じゃないか、何かいいことでもあったのか?」

「ああエツィオ! 実はモンモランシーがヨリを戻してくれそうなんだ!」

 

 エツィオはおおっ、とギーシュの肩を叩いた。

 

「よかったじゃないか、これで一安心だな」

「ああ、きみのお陰だよ、きみがくれたお酒が功を奏てくれてね、彼女にあげたら、『今夜一緒に飲みましょう』って誘ってくれたんだよ!」

「ええっ! ギーシュ! あれをモンモランシーにあげちゃったの?」

 

 横で聞いていたルイズが驚いたように声を上げた。

 

「え? ああ、あげちゃったけど?」

「うそでしょ! あんたね、あれは――!」

 

 勿体ない! と言わんばかりに叫ぶルイズの口元を抑え、エツィオは肩をすくめた。

 

「まあ、別に構わないさ、お前の役に立ったならなによりだよ。彼女と一緒に飲むんだろ? だったら、あとで感想を聞かせてもらうとするさ」

 

 エツィオはそう言って、意気揚々と去っていくギーシュを見送ったあと、ルイズの口元から手を放した。

 

「ぷぁっ! なにすんのよ!」

「まあ、別にいいじゃないか。それよりルイズ、俺たちも今夜、二人で飲まないか? もちろん、あのブランデーでよければだけど」

「えっ……」

 

 エツィオの提案に、ルイズははっと顔を赤くした。

そりゃあのブランデーは強烈だったけれど、こんな風に誘われたら悪い気はしない、相手があのエツィオならなおさらだ。

 

「べ、別にいいけれど? そのっ、あんたがどうしてもって言うなら……」

「ああ、どうしてもだな」

 

 エツィオはニッと魅力的な笑みを浮かべる。

ルイズが何か言おうと口をぱくぱくと動かしたとき、授業の開始を告げる鐘が鳴った。

 

「おっと、授業が始まるな、急ごう」

 

 エツィオに急かされ、教室の机につく、すぐに授業が始まったが、今夜のことを考えるとルイズは集中できそうになかった。

 



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ANIMUS Database
隠された真実『Philadelphia Experiment Report』





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ログイン資格を提示せよ:要セキュリティ レベル5

 

log in ID:_-_-_

Password:********

.

.

.

.

.

認証完了:ファイルを取得します。

 

 

 

『Philadelphia Experiment Report』

 

10/28/1943 Philadelphia

 

実験目的:異世界『ハルケギニア』への接続、転移実験。

 

実験、及び作戦概要:

当該プロジェクトは、駆逐艦『エルドリッジ』及びその乗組員を被験体とし、かねてより干渉が確認されていた、異世界『ハルケギニア』への接続、転移実験を行うものである。

近年多発する、人員、兵器消失事件の解明、異世界『ハルケギニア』の調査を目的としたものである。

 

説明:

PoE、及びニコラ・テスラによるテスラコイルの併用により、異世界への(ゲート)へ干渉、拡大することにより、『ハルケギニア』へのアクセスを試みる。

 

実験結果:失敗 被験体である乗組員のうち、行方不明・死亡者16名、発狂者6名。

 

詳細は以下に記す。

 

 実験開始後、PoEを利用したテスラ・コイルの起動とほぼ同時に駆逐艦『エルドリッジ』は、フィラデルフィアから忽然と姿を消し、2,500km離れたノーフォークへと姿を現した。

この時点で異世界への転移は失敗と思われていたものの、ノーフォークへと現れた『エルドリッジ』は再び姿を消し、三時間後、発光現象と共に再びフィラデルフィアに現れた。

 

 本部からの通信に対し、『エルドリッジ』からの応答が確認されなかったため、船内に調査隊を派遣。

 

 内部は惨状を呈しており、死亡した乗組員の中には、鋭い刃物のようなもので切り裂かれた者や、炭化した者、果ては冷凍化した者までもが確認され、行方不明者、死亡者含め、16名にものぼる重篤な結果をもたらした。

機械室にて、生存者である六名を保護したものの、彼らはみな精神に異常をきたしており、重要な証言は得ることが出来なかった。

 

 以上の結果により、秘宝には異空間転移能力自体は認められたものの、

重大な事故を引き起こす危険性を本件に鑑み、空間転移実験は、執行部の指示に従い無期限の凍結とする。

 

 

心配するな、連中にはどうしようもない。あの世界に対しても、我々に対しても。

E

 

 




以前適当に作って投稿したこの作品版の『隠された真実』を少し改定したものになります。
外伝的な投稿のテストと供養を兼ねてこちらにも投稿します。

テストなので消すかもしれませんがご了承ください


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