日輪の剣士 (黒蜜きなこ.)
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序章
第壱話:始まり


ハーメルンでは初めての投稿です。
至らぬところもあるとは思いますが、温かく見守って下さると嬉しいです。
また、評価や感想があると作者が喜びます。


 時は戦国_

 とある神籬(ひもろぎ)という神職の一族に、誰もが見惚れるような美貌をもった一人の男児が生まれた。

 夜空を溶かしたような漆黒の髪と朝焼けの瞳をもったその赤子は晴哉(はるちか)と名付けられ、両親からそれはもう多すぎるほどの愛を注がれて育てられた。

 例えその赤子の額と首筋に生まれながらに炎のような痣が浮かんでいたとしてもその愛は変わらなかった。

 

     ☆

 

 晴哉は赤子の頃からその美貌をにこりと緩ませることすらなく、滅多に喋らない様な物静かな子供であったが、七つに成る頃にはすでにその才能の頭角を完全に表していた。

 祈祷や禊祓をやらせれば、その才能を遺憾なく発揮させ、宮司であった父をも唸らせる。

 聞けば、他者の身体の中の筋肉や骨格内臓の動き、体内に溜まる穢れすらも透けているように見えるという。

 神楽を舞わせれば、息も切らさずに一昼夜舞い続け、巫女であった母を心配させる始末。

 聞けば、どんなに長い間舞っていても疲れることのない呼吸の仕方があるのだという。

 

 才能に溢れ、将来は跡を継いで宮司となる晴哉に父は人の命の尊さや神職としての責任を説き、母は感情の薄い晴哉のために大振りの玉虫色の鈴が付いた目の色と同じ鮮やかな朝焼けの組紐を結って、太陽の神が暖かく見守ってくれますようにと漆黒の髪を結んでやった。

 両親が晴哉を愛していたように、晴哉もまた両親を愛していた。

 社務所で寝食をし、依頼が来れば拝殿で穢れを祓い、極偶に穢れを祓いに外に出るような、ほぼ実家の中で完結している日常だったが、確かに幸せな日々だったのだ。

 

 それが壊れたのは晴哉が齢十三の頃だった。

 知人に頼まれて奥方の穢れを祓いに外に出ていた晴哉は、帰ってきてすぐにその違和感となんとも言いがたい不快感に全身を震わせた。

 神の領域が常に近くにあり、いつだって清めを怠ることのない晴哉にとって、こんな感覚は初めてだった。

 鳥居を潜り、護符を懐から取り出して構え、そっと音を立てないように歩いていく。

 

「血の、匂い……」

 

 晴哉のその優秀な鼻がソレを捉えた時、頭をガツンと殴られたかのような衝撃が走った。

 日が昇って数刻もしていない今の時間の境内には両親しかいない。

 ただ怪我をしているだけだとそう思いながらも、呆然と、血の匂いの元へ歩いていく。

 解っている、晴哉の勘はいつだって外れてことがない。

 それでも信じたかった。

 

「父様……母様……」

 

 奥の一室で、父と母は折り重なるように倒れ、夥しい程の血を撒き散らして死んでいた。

 構えていた護符が力の抜けた手からすり抜け、ヒラヒラと舞って血溜まりに浸かった。

 へたり込んだ晴哉は血で汚れるのも意に介さず、両親の手をとった。

 頭を撫でてくれた大きくて少しごつごつとした父の手も、髪を結ってくれた白くて折れそうな程に細い母の手も、あんなに暖かかったというのに今となっては冷たく固いままだ。

 

 過去は過去だ。

 起きたことを今更悔いたって仕方の無いことだ。

 それでも、もう夜も遅いからと引き止める知人を振り払って帰っていれば何か違ったのだろうかと思わずにはいられなかった。

 

 涙は出なかった。

 只々胸の中にぽっかりと大きな穴が開いたような喪失感があるだけだった。

 

 

 ぼんやりと両親の亡骸の傍で過ごしていれば、ある日、血が飛んだままの襖がスパンッと開けられた。

 そこに立っていたのは、腰に一振りの刀を差した袴の男だった。

 

「お前さん、こんな場所で何をしている!」

 

 血塗れの部屋で座り込んでいる子供(晴哉)に目を見開いた男だったが、その傍らに倒れている二人の人間を見つけると慌てて引きはがした。

 その拍子に晴哉の手から母の固くなった青白い手が零れ落ちた。

 

「おい、坊主」

「……」

「おい!」

 

 声を掛けても何の反応も示さない晴哉に、男は焦れたように肩を強く揺さぶった。

 漸く自分と両親以外の人間がいることに気が付いたのか、晴哉はゆっくりと顔を男の方に向けた。

 その憔悴しきった顔は、まるで晴哉こそが死人のようだった。

 

「……何か、御用ですか?」

「何か御用かって言われてもなァ……色々言いたいことはあるが、先ずはその人らを弔ってやらないと可哀そうだ」

 

 男の言った言葉に、晴哉はその朝焼け色の目をパチパチと瞬かせた。

 

「まだ餓鬼の坊主には酷な事だろうがな、お前の手で弔ってやらんと、その人らは浮かばれねェよ」

「私の手で……?」

「ああ、そうだ」

 

 男は晴哉の手を取って立ち上がらせ、その頭を剣ダコのできた硬い手で叩くように撫でた。 

 冷たく固くなってしまった父とも母とも違う、温かくて生きている手だった。

 

     ☆

 

 男はまだ幼い内に両親が殺されたというのに泣き叫ぶどころか何の感情も見せない晴哉に、随分と変わった子供だと思いながらもそれを口にすることはなかった。

 上質な着物に、腰に携えた一振の刀。月代を剃らぬ総髪に髷を結い、顎には無精髭を生やしている。

 歳の頃は二三十代と言ったところか。

 

「俺ァ東郷っちゅうもんだ。生憎と農民の出なんで学はねェが、まぁ訳あって今は鬼狩りをやっとる」

「……私は神籬晴哉という」

 

 弔いを終えた晴哉と男_東郷は、両親の血に濡れた部屋とは別の部屋に向かい合って座る。

 東郷は〝鬼〟という人ならざる者の話をした。

 

「鬼ってのは人を喰って生きるバケモンだ。奴らが死ぬのは陽光に当たるか、俺らが持つこの〝日輪刀〟っちゅう特別な刀で頸を斬った時だけ。そんでまぁ、俺らは奴らを追って鬼狩りをやっとる」

「貴殿が此処に来たのもその〝鬼〟というものを追って……?」

「ああ、そうだ。お前さんの親は喰われちゃいなかったが、人間をあんな惨たらしく殺せるのなんて鬼ぐらいなもんだ」

 

 何故その鬼が両親を殺したのかも、喰わずにこの場を去ったのかもわからない。

 

「俺がもっと早くに来れてれば何か違ったかもしれんが……間に合わず済まなかった」

 

 東郷は静かに頭を下げた。

 確立した移動方法もないこの時代、頼れるのは己の足だけであり、人間である鬼狩りは鬼と違って休息をとる必要がある。

 それ故に、間に合わないことの方が遥かに多い。

 

「頭を、上げてください」

 

 確かに鬼を殺す手立てのある東郷がいれば何かが変わったかもしれない。

 それでも、彼を無責任に責めることはどうしてもできなかった。

 両親を失った悲しみ、両親を殺した鬼への怒り、何も出来なかった自分への後悔。

 今まで感じたこともなかったような負の感情が身体中を駆け巡る。

 晴哉は膝の上に置いていた手を固く握りしめた。

 

「私にも鬼を、父と母の仇を追わせてほしい」

「……お前さんは神職だろう。俺はお前に鬼狩りになってほしいが為に話をしたんじゃねェ」

「もう手遅れだ。神聖なる神の領域は鬼なるものと両親の血で穢れ、清めたと言えどこの身の憎悪はもう既に消すことはできまい」

 

 晴哉の凪いだような朝焼けの瞳には確かに憎悪が宿っていた。

 

「……俺の一存では決められまい。御館様へ指示を仰がねば」

 

 人を喰う鬼であろうと、神職の者にそう易々と刀を持たせて殺生をさせる訳にもいかない。

 武士の出や農民の出の者とは訳が違うのだ。

 

     ☆

 

 翌日、日が昇ってすぐに御館様へと指示を仰ぎに出た東郷の背を見送り、文を一筆認めた後、晴哉は本殿の前に静かに正座をし、三つ指をついて深々と頭を下げた。

 

「天照大御神様、我が愚考をどうか御許し下さい」

 

 天照大御神、それは陽を司る神である。

 神籬の一族が古来より祀ってきたその神は偶然か必然か、晴哉の両親を殺した鬼を殺すものであった。

 幼い頃に母から貰った髪紐然り、鬼を殺す陽光然り、晴哉は許されない事を犯そうとしている。

 勿論、自分がどれだけ馬鹿な事をしようとしているのかは自分でよく解っている。

 一時の気の迷いだと、それをしてしまえば取り返しがつかないと言われても全くもってその通りで反論のしようもない。

 それでも、この怒りと憎悪を、両親の死をなかったことにするのはどう足掻いてもできそうにはなかった。

 

「私は、我が両親の命を奪ったモノを許せないのです」

 

 晴哉は自分が普通でないことを知っていた。

 否、初めは誰もが自分と同じように生き物の身体が透けて見えると思っていた。

 しかし、大抵の人間はどういうものなのかを教え、それでいて晴哉は晴哉のままでいいと言ってくれたのは他でもない両親だった。

 孤独だった晴哉の両手をしっかりと握り締め、生きることの喜びを、この世界の美しさを教えてくれたのは両親だったのだ。

 

「例え自分が命よりも大切に思っているものであろうと、他者はそれを容易く踏みつけにできる」

 

 両親と共に慎ましく生きていくことが晴哉の小さな小さな欲望だった。

 小さな一室で肩を寄せ合って過ごし、広い境内を掃除し、穢れを祓い、神にこの身を捧げる。

 それだけで、たったそれだけで良かったのだ。

 

 そんなことすら叶わない。

 鬼が、この美しい世界に存在しているから。

 

「私には、それが許せない……!!」

 

 頭を地面に擦り付けながら、晴哉は嘆きに満ちた声を喉の奥から絞り出した。

 それは懺悔であり、懇願の叫びであった。

 

「数日のうちに、私はこの地を出ます。名を変え、神籬の一族ではなく只の私として……罰は私が全てこの身に引き受ける故、どうか神籬の血の者は御許し頂きたい……!!」

 

 御館様なる方が晴哉を鬼狩りにさせてくれるのかは分からないが、鬼狩りになろうとならなかろうと晴哉はこの地を去ることを決めている。

 出ていく晴哉に変わり、先程書いた文の宛先である父の妹が嫁いだ神籬の分家がこの神社を継ぐことになる。

 罰せられるのは血を裏切ったと言われても仕方のないことをする自分だけでいい。

 これまで、そして今でも信仰している神からならば、どんな罰でも_それが例え死だとしても本望だ。

 

     ☆

 

 五日が経ち、東郷は御館様からだという手紙を持って戻って来た。

 何を話したのか、若干気まずげな顔で手紙を差し出す東郷を特に気にすることなく晴哉は手紙に目を通す。 

 

「……御館様は何と?」

「一度会って話がしたいと」

 

 少し口ごもってから、そうか、と言った東郷が何を思っていたのか少々気になりはしたが、それを聞くことはなかった。

 誰にだって話したくない事はあるだろうし、何より晴哉は人と話すのが得意ではなかった。

 なんせ今まで殆ど神社から出ることはなく、出たとしてもそれは仕事。

 両親以外に所謂世間話を言うものをしたことがあっただろうか。

 

「御館様の元に向かう支度は?」

「既にできている」

 

 支度と言っても持っていくものなど、数着の服と両親の形見_母の簪と父が奉納の舞を舞うときに着けていた耳飾りぐらいだ。

 それ以上のものは必要ない。

 

「では、行くとしよう。……覚悟は?」

 

 東郷は晴哉の顔を見ることなく、厳かに言った。

 それは鬼というバケモノと戦うことか。

 それとも姓を、育った地を、信仰している神に仕える立場を捨て、今までの人生の全てをまっさらにして生きていくことか。

 もしくはもっと違うことなのか。

 何にせよ覚悟はできている。

 否、覚悟を決めるしかないのだ。

 

「問題ない」



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第弐話:御館様

大幅追加&変更したので再投稿です。


 東郷と晴哉は天照大御神社を出て東へと歩く。

 

「御館様の屋敷までは大体四.五日はかかるだろう」

「四.五日?貴殿は五日程で往復したではないか」

 

 キョトンと首を傾げながら聞く晴哉は、これまでの大人びた言動とは打って変わって純粋な子供の様であり、そんな晴哉に東郷も思うところがあったのか、わしゃわしゃと頭を撫でる。

 朝焼け色の髪紐で結われた漆黒の髪が、先日まで血で固まっていたのが嘘のように柔く手の中から逃げていく。

 

「鬼と戦う術のないお前さんを連れて夜に出歩く訳にはいかん」

 

 日が沈んでからも進めるならば多少は早く着けるのだろう。

 しかし、鬼が活動し始めるのは奴らの天敵である陽光が沈んでからであり、そんな中を日輪刀(鬼を殺す術)を持たぬ晴哉を歩かせる訳にはいかない。

 そも東郷とて剣の指南を受けていた訳でもなく、晴哉という自分の身を守る術も持たぬお荷物を抱えながら生き残れる程強くはないのだ。

 

「日中は藤の家を探しながら御館様の元へ向かう」

「藤の家とは?」

「かつて鬼狩りに命を救われたっちゅう、藤の花の紋を家紋のように掲げる家のことだ」

 

 藤の家_後に藤の花の家紋の家と呼ばれるようになる_は、鬼狩りに命を救われた公家の一族の者が用意した家で、鬼狩りであれば無償で尽くしてくれる。

 今回の様に宿として利用したり、怪我をしていれば医者だって呼んでくれる。

 

「そんな家があるのか……」

「ふ、世界は広いだろう。鬼狩りになってもならんくっても、色んなもんを見て、聞いて、感じて、好きなもんを探してみるといい。お前さんは自由に生きるんだ」

「自由、に……」

 

 望んでいた小さな小さな夢はもう叶うことは無い。

 どれだけ願おうと、失ったものが帰って来ることはないのだ。

 ならば、新たな地で、新たな自分として、なんの縛りもなく自由に生きるのもまた一興。

 壊れた小さな夢に代わる、新しい夢を探すのもいいかもしれない。

 

「悩め、若人」

 

     ☆

 

 山を越え、川を越え、日中は只管に歩き、日が沈めば藤の家に世話になること数日。

 御館様の屋敷から一番近いという藤の家で、晴哉と東郷は藤の家の主人が用意した夕餉を食べていた。

 

「御館様の屋敷までは半日もあれば着くだろう」

 

 予想よりも少しばかり早い到着だが、それもそのはず。

 初めての長旅である晴哉に気を使った東郷が多少の余裕を持たせて四.五日と言っていたのだが、蓋を開ければ晴哉は歩けど歩けど疲れというものを知らなかったのだ。

 日頃鬼を狩っていて体力のあるはずの東郷の方が晴哉に気遣われていた程。

 

「全く、不思議なものだな」

「……」

 

 魚を箸で突きながら言う東郷を、晴哉は味噌汁を啜っていたのを一瞬動きを止めて盗み見た。

 魚の身を箸で摘まんで口に運ぶ手は止まっていおらず、東郷を見ている晴哉を見もしないのだから本当にただ疑問を口にしただけなのだろう。

 その様子にホッと息を吐きながら再び味噌汁を啜った。

 晴哉は人の身体が透けて見える〝透き通る世界〟のことも、どれだけ動こうとも決して疲れることのない呼吸法のことも東郷に話すことが出来ていなかった。

 親を亡くしたばかりで世間知らずの晴哉を気遣い親切にしてくれる東郷に黙っているのは少しばかり心苦しいが、仕方のないことだと割り切るしかないだろう。

 彼が善性で所謂〝いい人〟なのはこの数日で分かっている。

 しかし、この力はそう無暗に言いふらすものではない。

 どんなに〝いい人〟だろうと、たった数日で彼のすべてを信頼することなど出来はしないのだ。

 

「あのなァ、俺ァお前さんが何を隠してようが別に気にしやしねェよ」

 

 心配事が透けて見えていたのか、呆れたように言われ、思わず息が詰まる。

 

「、何故」

「そりゃあお前、人間誰にも言えねェ秘密の一つや二つぐらい誰にだってある。むしろたった数日で信頼なんぞされちゃあこっちが心配しちまうぜ」

 

 いっそ清々しい程に愚直で真っ直ぐな目に見詰められ、全てを見透かされているのでは無いのかと錯覚してしまう。

 

「俺にだって誰にも言えねェ、胸の内に秘めとる事ぐれェある。だからお前さんは俺の事なんて気にしなくていい」

 

 晴哉の隠し事も何も本当に気にしていないのだろう、そう言った東郷が最後に味噌汁の椀を一気に傾けて飲み干した。

 椀を膳に置き、風呂の支度を頼もうと席を立ったその袖の裾がキュッと柔く握られた。

 

「い、まは言うことが出来ない、けれど、、何時か貴方に全てを話せれたらと、思う」

 

 ほんの少し頬を赤らめ、つっかえながらも途切れ途切れに言う晴哉のその姿に思わず目を見開く。

 この数日間共に過ごして分かったことだが、晴哉は自分の事にも他人の事にも基本無頓着だ。

 全てがどうでもいいような顔をしながらも、それでいてこの世界の全てに焦がれているのだ。

 

 この限られた事しか知らない小さな子供に自由を、広い世界を見せてやりたい。

 それがまだまだ庇護されているはずの子供にこの薄汚くて血なまぐさい世界を見せてしまう、せめてもの贖罪になるのなら。

 

「いつまでも、待っててやるよ」

 

 それまでは、きっと絶対に死ねないだろう。

 手足が千切れようと、内臓が腹から転び出ようとも、意地でも生き足掻いて見せる。

 

「さ、さっさと食って、風呂に入って、明日に備えねェとな」

 

 晴哉の頭を軽く撫でた東郷は今度こそ風呂の支度を頼みに襖を開けて出ていった。

 きっと弟か妹か、少し年の離れた兄弟か何かがいるのだろう。

 ガサツそうに見えるその手はいつだって優しくて、面倒見の良さが所々に滲み出ている。

 

「まるで、兄様みたいだ」

 

 晴哉に兄弟はいない。

 けれど、東郷のような者が兄ならば、きっとそれは〝幸せ〟というものなのだろう。

 

     ☆

 

 翌日_

 東郷の言っていた通り、藤の家より半日もすれば、御館様の屋敷の塀だという土塀の横を歩いていた。

 ずっと先まで続いている塀の中ほどで漸く足を止めれば、右手側には大きな門がどっしりと構えている。

 門の脇には腰に刀を携えた門番が一人立っていた。

 

「御館様の命により客人を連れてきた。門を開けてくれや」

「久方ぶりです、東郷さん。客人の事は御館様より仰せつかってます」

 

 年若い門番はちらりと晴哉を見たが、別段何を言うでもなく視線を逸らす。

 今空けますね、と年若い門番が鐘を鳴らせば、それに呼応するかのようにゆっくりと左右に門が開いていく。

 一礼して敷地に足を踏み入れる東郷に習い、晴哉も一礼して後に続く。

 

「これから御館様に目通りしてもらう。お前さんに言う必要はないだろうが、くれぐれも御館様に失礼のないように頼むぞ」

 

 

 御館様の屋敷はとにかく広かった。

 晴哉の生まれ育った天照大御神社も神を祀るに相応しい広さを持っていたが、ここも負けず劣らずだろう。

 門から玄関までの道中には鯉の泳ぐ池に掛けられた朱色の橋を渡り、女中の案内で謁見の場まで連れられる途中には立派な庭園をも見た。

 鬼への対策だろうか、何所を歩けどもこの屋敷に満ちた藤の花の匂いが鼻を掠める。

 

「失礼致します、お館様。東郷様とお客様をお揺れ致しました」

「うん、入っていいよ」

 

 静かで穏やかな、鬼を狩る組織の長とは思えない声が襖の向こう側から聞こえてくる。

 女中が襖を開ければ、どこよりも濃い藤の花の匂いが漂ってくる。

 

「鬼狩りが一人、東郷明彦が御館様の命により馳せ損じました」

 

 晴哉よりは若干年上だろうが、まだ若い、少年と青年の間程の歳だろう。

 額に浮かぶ焼けただれたような痣がいやに目に付く。

 ああ、気持ちの悪い。

 ああ、何とも可哀そうに。

 その身体に、血に、魂にこびりついた呪いが_

 

「君が神籬晴哉だね?」

 

 パチリ、と問いかける御館様と目が合った。

 全てを受け入れて、それでも足掻いて、覚悟を決めた目に、胸の内から何かが沸き上がり零れ落ちていく。

 

 

産屋敷家22代目当主である産屋敷煌哉は、己よりも幾らか年下の客人を前にして歓喜に震えていた。

 

 鬼に神宮と巫女であった両親を惨殺され、神職の一族でありながらも鬼狩りになる事を望んだ哀れで可哀そうな子供。

 少なくとも実際顔を合わせるまで、煌哉は晴哉の事をそう認識していた。

 きっと己や侍こどもたちと同じように、鬼への怒りや憎しみに染まっているのだと、そう思っていたのだ。

 だがしかし、実際に顔を合わせてみればどうだ。

 その鮮やかな朝焼けの瞳は深淵を覘いているような、底知れぬ憂いを帯びていた。

 

「明彦、少し席を外してはくれないか。彼と二人きりで話をしたいんだ」

 

 一礼をした東郷が部屋を出ていき、晴哉と煌哉は二人静かに向かい合う。

 

 何も映していないような、或いはこの世のすべてを遥か彼方まで見透かしているような不思議な瞳に、己の身体の中に流れる呪われた血が沸き立つ。

 可笑しな話だが、煌哉はこの者こそを己が、前線に出て鬼を狩る侍こどもたちが、そして産屋敷の一族が待ち望んでいた人間だと思った。

 

「私は産屋敷家22代目当主、産屋敷煌哉。遠き地よりよく来てくれた、神籬晴哉殿」

「此度の招待、礼を申し上げる。だが姓は捨てた身故、名で呼んでほしい」

 

 カラン、と晴哉の頭上高くに結われた髪紐の大振りの玉虫の鈴が物淋しく鳴る。

 その音はまるで晴哉の憂いや哀しみを代弁している様に聞こえた。

 

「そうか、それは……いや、私が貴方の事をとやかく言うべきではないね」

 

 煌也はスっと姿勢を正し、真っ直ぐに晴哉の目を見た。

 生まれながらに病弱で、代々受け継がれる呪いで日々身体が蝕まれて長くは生きられない。

 呪いが目に見える様になり、身体を動かせば違和感を感じるようになってきた。

 時が経つにつれて呪いは進行し、やがて死ぬのだろう。

 それが平安の時代より定められた産屋敷一族の血の呪い。

 だがしかし、その藤色の瞳に諦めというものは微塵もなかった。

 

「明彦を遣いにやってから此処に来るまでの数日間、考える時間があったと思う。……鬼狩りになりたいというのは今でも変わらないかい?」

 

 暖かな風が吹き、開け放たれた襖から一層濃い藤の香りが漂ってくる。

 一度目を閉じてその香りを吸い込み、それからゆっくりとその朝焼け色を覗かせた晴哉は、真っ直ぐに煌也を見ているようでどこか遠くを見詰めていた。

 

「……私は、この美しい世界に生まれ落ちる事ができたことを幸福に思う。日々神に仕え、境内の小さな一室で両親と共に慎ましく暮らしてきたかつての生活が、私の小さな幸せだった。だが、それを壊した様に、この世に鬼が存在する事でそんな小さな幸せを奪われる者がいるのなら。私はそんな人々を守りたい。小さな幸せを、何の憂いもなく享受出来るような、そんな世界にしたい」

 

 今度こそ、晴哉は真っ直ぐに煌也を見た。

 晴哉の朝焼け色と煌也の藤色の瞳がぶつかって、そして交わる。

 

「どうか、私を鬼狩りとして生きさせて欲しい」

 

 晴哉は畳に手を付いて頭を下げた。

 頭上高くで結われた漆黒の髪が、左右から滑り落ちて晴哉の顔に影がかかる。

 

「顔を上げて」

 

 ゆっくりと頭を上げる晴哉に呼応するように、玉虫色の鈴がカランと鳴る。

 煌也は深く息を吸い、一瞬止めて、吐き出す前に言葉を紡いだ。

 

「正直に言ってしまうとね、私は貴方を鬼狩り(こども)にしてやるつもりはなかったんだ。貴方がどれ程それを望もうと、その身体には間違いなく尊き血が流れているから。神に仕える者に鬼であろうと殺生をさせる訳にはいかない」

 

 晴哉の切れ長の目がスッと細められる。

 至極真面目な顔をしていた煌也が、フッと力なく笑った。

 

「……そう、思っていたんだ」

「……と、言うと?」

「可笑しなことに貴方を前にしたらそんな考えは何処かに消えてしまったよ。どうか我々に力を貸して欲しい。鬼のいない、光り輝く未来を目指して」

「、御意」



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第参話:刀鍛冶

出来るだけ週一で投稿したかったんですが、やっぱり無理でした。
諦めてのんびり自分のペースで書いていくことにしました。


 晴れて鬼狩りとなった晴哉は先程の女中の案内で屋敷のすぐ傍にあるという刀鍛冶の里に出向いていた。

 温泉と藤の花の匂いが漂う中、里の奥まった場所にある里の長の家を訪ねる。

 

「ようこそいらっしゃった、お客人。儂はこの里の長の透鉄(とうてつ)(はがね)。よろしゅう」

「私は晴哉という。新たに鬼狩りに加わった為、刀を打ってもらいに来た」

 

 ひょっとこの面を被った護衛であろう二人の男に挟まれて座る、これまたひょっとこの面を被った小柄な男。

 

「うむ、産屋敷様より聞いとるよ。お客人、神職の生まれだったそうだね」

 

 頷く晴哉に、突然立ち上がった透鉄が思わぬ速さで距離を詰めてきた。

 思わぬ突撃だったが、予め見えていた晴哉は敵意はないと放置を決め込む。

 突き出したひょっとこの口が晴哉に触れそうになる程に近づいて、その朝焼けの瞳を覗き込まれる。

 そのくりぬかれた目ん玉の部分から黒々とした透鉄の瞳が見れる。

 

「ああ、以前の話ではあるが」

「いいや、いいや、以前の話であろうと何だろうとその身体に流れる血は変わらん!天照大御神に仕える神職の生まれに、朝焼けの目。不思議な雰囲気を纏っておるが、なにはともあれ実に縁起が良い!」

 

 興奮冷めやらぬままに透鉄は晴哉の肩を掴んだ。

 慌てて護衛が引き留めようとするが、もう遅い。

 

「お前の日輪刀は儂が打ってやろう!!」

「長!!?」

「貴方が打つって、柱の方々の刀はどうするのですか!」

「柱のも打ってこいつのも打てばいいだろう!!」

 

 刀鍛冶の里は完全な実力主義であり、刀鍛冶たちの中でも一番刀を打つのが上手い者が里の長となる。

 長は古来より、柱と呼ばれる九人の実力者の刀を打つことを義務付けられていた。

 代々柱の為だけに刀を打ち、柱以外の侍の刀を打つことはこれまでなかった。

 

「そんな事は今まで一度も……!前代未聞ですぞ!!」

「うるせェ!!前代未聞が何だってんだ!変化がなけりゃあ進化なんぞねェんだよ!!!」

 

 産屋敷家が抱える刀鍛冶たちは相当な実力者たちの集まりなのだが、揃いも揃って個性的な面々で、一度決めてしまえばどれだけ止めようとも抑えようのないほどに暴走する。

 そんな刀鍛冶たちを纏めているのが長である透鉄であり、彼の言うことには誰も逆らわない。

 しかし、そんな個性的な面々の中でも一等個性的で、一度決めてしまえば何があっても言うことを聞かないのも透鉄である。 

 ついでに言えばこの透鉄、今でこそ落ち着いている(様に見える)が若い頃は荒れに荒れており、〝刀狂いの鋼〟と呼ばれる程だった。

 

「こいつの刀は俺が打つんだ!!」

 

     ☆

 

 二人の護衛を呆れさせるほどに駄々をこねた透鉄は、とうとう晴哉の日輪刀を打つことを承諾させた。

 そも、里で一番偉いのは透鉄だから誰にも透鉄を無理やり止める権利などは持ち合わせいないのだがそれは置いておいて_

 

「すまんかったな。恥ずかしいとこを見せた」

「いや、気にしなくていい。それ程までに私の刀を打ちたいと思ってもらえたのだから」

「やはははは。ああ、そうだ。日輪刀の詳しい話を聞かせてやろう」

 

 目には目を、歯には歯を、蕎麦の話は蕎麦屋に聞いて、刀の事は刀鍛冶に聞かねばな、と分かるようで微妙に分かりずらい事を言いながら透鉄は立ち上がった。

 どうやら日輪刀の事を話しながら里を案内してくれるらしい。

 

「日輪刀の話は誰にどんなもん聞いた?」

「頸を斬ることで陽光以外に唯一鬼を殺せる刀だと、東郷殿から」

「そかそか、日輪刀は太陽に一番近く、一年中陽の射す〝陽光山〟という山で採れる猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石という日光を吸収した特殊な鉄で作られる」

 

 あの遠くに見える山のてっぺんが陽光山だと、南に指された先を見る。

 はるか遠くに、雲ひとつかからない天までそびえ立つような山があった。

 

「陽光をたっぷりと浴びた玉鋼はなぁ、取って暫くしても暖かいんだ」

 

 透鉄は〝刀狂い〟の名に恥じぬ程のうっとりとした顔で陽光山を見詰めた。

 〝刀狂い〟は刀のみならず、刀をつくる鉄やその鉄の取れる山にすらも熱を上げているらしい。

 

「まぁ、そんな鉄でできた刀で頸を斬ることのみが陽光以外で唯一鬼を殺せる方法だ」

 

 晴哉と透鉄は並んで歩き、その後ろを二人の護衛が続く。

 刀鍛冶の里は長の透鉄を筆頭に変わり者が多いが、その刀に対する情熱は確かなものだ。

 そこかしこにひょっとこの面を着けた者がおり、刀やおそらく玉鋼であろう鉄を手に井戸端会議を繰り広げている。

 

「儂らは鬼を殺すことは出来ん。だがお前さん達が儂らの打った刀を手に夜々戦ってくれることが、儂ら刀鍛冶にとっての誇りなんじゃ」

 

 里に住む刀鍛冶の大半は、長い間産屋敷家に仕えてきた者たちだ。

 だが決してそれだけではない。

 鬼の被害を受けた者が全員侍になれる訳でもなく、泣く泣く刀鍛冶になった者もいる。

 

「昔はな、己で刀を振れんことが、己で鬼を殺せん事が許せんかった」

 

 透鉄もその一人だ。

 鬼の岩のように硬い頸を斬るには、身長も、筋肉も、才能も、何もかもが足りなかった。

 

「先代の御館様が人には必ず役割があると言うたんじゃ。儂には鬼の頸は斬れん。だがお前さんらの様な者の手伝いは出来る」

 

 それが儂の役割だ、と言った透鉄はひょっとこの面を被っていてもわかるほど優しい目をしていた。

 

 鬼狩りたちは刀鍛冶たちの願いを背負って鬼を狩る。

 刀鍛冶たちは鬼狩りたちの覚悟を背負って日輪刀を打つ。

 何方も片方だけでは生きてはいけないのだ。

 

「……」

 

 晴哉は何かを言おうとして、口を閉じた。

 幸運にも体格に恵まれ、鬼狩りとなることの出来た晴哉には透鉄の気持ちは分からない。

 そもそも透鉄は晴哉の慰めの言葉など求めてはいないのだろう。

 

「どうかしたか?」

「いや……私は、貴方のような人に刀を打ってもらえて幸運だと」

 

 苦し紛れの言い訳だろう。

 きっと透鉄も晴哉が言いかけたのはそんなことでは無いとわかっていたはずだ。

 

「あったりまえだろ、馬鹿野郎。この透鉄鋼様にお前のような新米が刀を打ってやるなんてそうそうないんだからな!」

 

 それでも、何も気づいていないフリをしてくれる貴方は、本当に優しい人なのだろう。

 

     ☆

 

「さて、そろそろ玉鋼を選んでもらうとしよう」

 

 里の案内が終わるころにはもうすっかり日が傾き、地面に長い影を落としていた。

 まるでその時を読んだかの様なタイミングで小さな影が駆け寄ってくる。

 

「お師匠様、玉鋼の支度が出来ました」

「おう、丁度いいな。晴哉、コイツは(いこい)。儂の弟子だ」

「…どうも、鬼狩りのお侍さま。鋼塚憩です」

 

 師匠である透鉄に諭されて名乗りはしたが、憩は決してよろしくとは言わず、まるで見定める様にじっとりと晴哉を見ていた。

 人によっては見下されている様にも見えるその態度は憩なりの抵抗だった。

 代々柱にしか刀を打たない師匠でもある里の長が、柱ではない_それも新入りの_者に刀を打つというのだ。

 透鉄が認めたとしても自分は認めない、そう憩は思っていた。

 

「姓は捨てた故ないが、名は晴哉という。どうぞよろしく頼む、鋼塚殿」

 

 そんな憩の態度にも腹を立てることなく、晴哉は始終穏やかだった。

 こんな些細な事で腹を立てるような器の小さな男なら堂々と相応しくないと言ってやろうと思っていた。

 だがしかし、これではまるで己の方が小さな男みたいではないか。

 憩は面の中でひっそりと顔を顰めた。

 

「さ、行くぞ」

 

 憩の思いを知ってか知らずか、そう言ってさっさと歩き始めた透鉄を晴哉と憩、更にその後ろを二人の護衛が追う。

 目当ての場所はそう遠くはなく、透鉄はすぐにとある蔵の前で足を止めた。

 熱気で満ちていた鍛冶場とは全く違い、静かでひんやりとした空気が漂っている様にも感じる。

 里の中で見たどの蔵よりも大きく、正面には頑丈で重たげな扉が鎮座している。

 その扉を二人の護衛がゆっくりと開いていく。

 

「どや、凄いだろ」

 

 蔵の中には、数百、千にも届くほどの大量の玉鋼が納められていた。

 晴哉は透鉄に導かれてその圧巻の景色の中に足を踏み入れた。

 大きいもの、小さいもの、光を反射するほどに透き通るものや濁ったものなど、一つとして同じものはない。

 

「この中から一つ、選んでみろ。直感で選ぶも良し、一つ一つ吟味して選ぶも良しだ。どれだけ悩んでもいい。それがこれからお前の相棒になるんだからな」

 

 晴哉は数百もの玉鋼の中から己の直感と眼を信じ、たった一つの玉鋼を選び取った。

 拳三つ分程の大きさの、澄んだ空気の中に一房の朧雲のかかった様な玉鋼だった。

 晴哉の選んだ玉鋼を見て、透鉄は満足気に笑った。




原作と同じように玉鋼という言葉を使ってますけど、この時代ではまだ玉鋼とは呼ばれていなかったらしいです。
なんて呼んでたんだろう…?


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第肆話:才能の怪物

やっぱり投稿するなら月曜日ですよね!!!(クソでかボイス)

出来たら評価や感想が欲しいなぁ…なんて


 翌日の早朝。

 日が昇ってすぐ、晴哉は女中の案内の元で産屋敷邸にほど近い屋敷に足を運んでいた。

 

「ここが鬼狩り様たちが寝泊まりする宿舎となっております」

 

 此処で寝泊まりする時間よりも鬼を追って歩き回り藤の家に泊まることの方が多いのだが、決して休暇がないという訳ではない。

 長期の任務があればその分に見合った休暇が与えられるし、功績を上げればそれに見合った給与が与えられる。

 大抵の人間は失った者の仇を討つ為に鬼狩りとなるが、中には給与目当ての者や代々鬼狩りを生業としている血族の者もいる。

 

「宿舎には奉公人がおりますので、食事などの支度や後片付けなどは皆様がされる必要はございません。ただ、任務から帰られた後などには一言告げていただく様にお願い致します」

 

 時折腰に刀を差した者や忙しそうに駆け回っている者にすれ違い、会釈しながら屋敷を見て回る。

 ただ、気になったことが一つ。

 すれ違う皆々が女中の後ろを付いて回る晴哉を見て、揃って酷く感心するような顔をするのだ。

 

「それがどうにも気になる」

「そりゃあ産屋敷の女中長が案内するなんて余程の事だからな!」

 

 晴哉の疑問に答えたのは女中ではなく、後ろから割り込んできた声だった。

 振り向いた先には、炎を沸騰させる様な焔色の髪と瞳の男。

 そして、先日まで世話になっていた東郷明彦がいた。

 何方も滝のように汗を流しており、鍛錬をしていたのがわかる。

 

「君が御館様が仰っていた晴哉か!俺は鬼狩りが一人、煉獄(れんごく)総寿郎(そうじゅろう)だ!」

 

 歳の頃は二十の中程だろうか。

 顔だけであれば無精髭の生えた東郷よりも年若く見えるが、太々とした骨やぎっしりとつけられた全身の筋肉、所々にある歴戦の傷跡、多くの経験を積んだ強者の雰囲気が只者では無いと告げている。

 

「私は晴哉という。つい先日鬼狩りとなったばかりの新参者だがよろしく頼む」

 

 晴哉と煉獄はがしりと互いの手を握り合う。

 しかし、煉獄はふと不思議そうな顔をしたかと思えば突然笑いだした。

 

「はっはっは!!そうかそうか、刀を握ったことがないのだったな!」

 

 背を反らせる程に笑っていた煉獄だったが、ぐわんと勢いよく戻って来た。

 そして、何を思ったか晴哉をジッと見ている。

 感情の振り幅が大きいのか、なんなのか、どうにも落ち着きがない。

 そんな落ち着きのない煉獄は、ぐわりと立ちくらんでしまうほどの声量で言った。

 

「どれ明彦、暫く面倒を見てやれ!!」

 

 晴哉は若干目を見開き、東郷は実に分かりやすく口をあんぐりと開けた。

 そんな対象的な二人だが、何方もとても驚いていることには変わりない。

 

「総寿郎さん、何を言って……!?」

「お前が連れてきたのだからお前が面倒を見てやるべきだ!なぁに、御館様には俺から言っておいてやる!!」

 

     ☆

 

 突然の煉獄の提案に、御館様こと産屋敷煌哉は賛成を示した。

 あくまで一人の鬼狩りの意見であったものが、御館様の命となった。

 

「という訳で刀が完成するまで、必要ならばそれ以降もお前の面倒を見ることとなった」

 

 ソレに東郷明彦が背ける訳がなく、渋々ではあるが東郷は晴哉の面倒を見ることを了承した。

 

「面倒をかけてすまない」

「いや、お前はなんも悪くねェから謝んなや」

 

 予定では刀が完成するまでの十日から十五日間。

 長いようで短いその期間で晴哉が鬼狩りとして鬼を殺せるのか、もしくは鬼を殺せぬ役立たずとして遺体も残らずに死ぬのか、凡そ決まる。

 そもそも自分が連れてきた者が自分の教えで死ぬのは気分が悪い。

 渋々と言えど了承した以上は最後までやりきるのが東郷明彦という男だ。

 

「大抵は刀を使って鬼と戦う。初めは慣れないだろうが、何百何千と振ればいずれ慣れるだろう」

 

 東郷は山を登りながらこれからの事を話しながら、晴哉の様子を観察する。

 天照神社から産屋敷邸までの道中や、こうして頂上を目指している間にも息が切れていない事から体力は相当あると思われる。

 だが体力だけでは鬼は殺せない。

 

「よし、着いたな」

「傍から見れば低そうに見えるが、実際に登ってみると案外あるのだな」

「そうだな。だからこの山は新人の鍛錬に丁度良いんだ」

 

 反射神経、判断力、回避能力、其れから勿論体力も、いくらあっても困ることはない。

 寧ろあればあるだけ良い。

 

「普通に地面を歩いても、木を伝っても、何を使ってもいい。半刻以内に麓に戻ってこい」

 

 時刻は卯の刻。

 未だ日は顔を覗かせている程度で、朝餉も食べていない。

 

「半刻経ったら朝餉にする。遅れても俺は先に食べているから、急いで来いよ」

「ああ、わかった」

 

 ただ今登ってきた様子では、この程度の山を降りるのには半刻もかからないだろう。

 だがしかし、この山はただの山ではない。

 ありとあらゆる場所に様々な罠が仕掛けられていて、それらを使うことによって反射や判断力、回避能力などを身体に叩き込むのだ。

 

「まさか俺がこちら側に立つことになるなんてな……」

 

 東郷は罠を発動させない様に避けながら山を駆け下りる。

 東郷もかつてはこの山で散々師匠に鍛えられたのだ。

 初めは引っかかってばかりだった罠も次第に避けられるようになり、今では罠が発動することすらない。

 

 一方、晴哉は頂上で山を駆け下りていった東郷を見送った。

 極一般的な者が見れば東郷はまるで消えた様に見えるのだろうが、生憎と相手は一般人の皮を被った怪物(天才)である。

 東郷が動き出す瞬間、そして視界から消えるまでの間、その動きを目に焼き付けていた。

 

「……行くか」

 

 これ以上東郷に迷惑をかける訳にはいかないし、朝餉を食べ逃すのも勘弁だ。

 晴哉はスッと息を吸って、吐き出し、何も気負うことなく軽く跳んでみせる。

 宙に浮いた足が地面に着いた瞬間、音もなく晴哉の姿は消えた。

 

 全く無駄のない動きで足を踏み出し、土を踏み締める。

 

「っ!!」

 

 不意に横から飛んできた物体を反射で掴み取る。

 それは拳大の石であった。

 

「なるほど、罠が仕掛けられているのか」

 

 掴んだままだった石を放り、再び麓を目指して駆けていく。

 石が投げられ、落とし穴が掘られ、丸太が投擲され、短剣や槍が飛んで来たりと段々と罠の種類と危険度が増していくのは御愛嬌だ。

 それらを避けていくうちに、次第に晴哉は罠の位置や発動の仕方自体を把握し始め、仕舞いには発動させることなく駆けていた。

 

「東郷殿」

「、早ェな」

 

 朝餉の時間までと刀を振っていた東郷の元へ、晴哉は何事も無かったかのように何時もの無表情で帰ってきた。

 つくづく恐ろしい男だと思う。

 新人用にと手加減された罠しかないと言えど、あの山は一般の鬼狩りでも四半時はかかる。

 それなのに、この男は四半時もかからず戻ってきたのだ。

 

「怪我は?」

「ない」

「そうか、一先ず汗を流してこい。そうしたら朝餉にしよう」

 

 こくりとひとつ頷き、湯浴み場に向かう晴哉の背中を見送る。

 息も切らさず、汗のひとつも流れていないその姿に、東郷の背中につぅと冷や汗が流れる。

 もしかしなくても、自分はとんでもない男を拾ってしまったのではないかと。

 

     ☆

 

 晴哉は、紛れもない才子であった。

 この三日、只管に山を走らせ受け身を叩き込んできたが、もうそれに意味はないだろう。

 

「は、はは、参ったな」

 

 一日目、受け身の形を叩き込むために只管投げ飛ばした。

 二日目、避けることを許可したら東郷の手は晴哉に届かなくなった。

 三日目、反撃を許した今、気付いたら地面に寝転がって空を見上げていた。

 

 まだ刀を持たせてもいないが、理解してしまった。

 次期柱候補筆頭(・・・・・・・)である東郷と言えど、本物の天才には届かないのだと。

 否、そんなことは党の昔に理解していたが気付かない振りをしていただけだ。

 それでも東郷は晴哉への指導をやめなかった。

 才能も、潜在能力も、成長速度も、実力も、何もかもが劣っていようが、今この時は自分は師であるのだ。

 

「初めての鍛錬はどうだ?」

「正直初めての事ばかりで驚愕の連続だ。山を走ったのも初めてであったし、あれほどまでに投げ飛ばされたのも初めてだ」

 

 鬼狩りの方々は凄いのだな、と己の掌を眺める。

 東郷の手には剣ダコや豆の潰れた痕がありゴツゴツと分厚く固かったが、刀を握ったことのない己の手には剣ダコも豆の痕もなく、柔く薄かった。

 投げ飛ばされることはなくなったが、それは透き通る世界で骨や筋肉の動きを見て回避しているだけの事。

 いくら回避が上手くとも、刀を触れなければ岩のように固いという鬼の頸は斬れない。

 

 汗も流さず息の一つも乱さないまま手持ち無沙汰にしていた晴哉に、見た目は日輪刀の、透鉄曰く刀と呼ぶにもおこがましい鉄の塊を渡してやる。

 

「長から預かってた鍛錬用の刀だ。本物の日輪刀とは天と地とほどの差があるが、一応斬れない事はないそうだ」

 

 刃を上にして帯に差す事、必ず右手で刀を抜く事などを言い聞かせ、実際に帯に差させる。

 持ち方はこうだ、と己の刀を鞘から抜いて見せてやる。

 

「右手の親指は鍔に付けず、人差し指は付ける。柄巻の巻止めには左手の小指がかからないように」

 

 素材は一級品だが、技術は拙い素人のそれである。

 明日からは刀を差したまま山を走らせ、受け身を取らせ、素振りをさせる。

 予定よりもはるかに速い上達だが、これより相手取るのは人を喰うバケモノ。

 鍛錬はいくらやってもし足りない。

 山を駆け、素振りをし、東郷と木刀で斬りあいをすること九日。

 とうとう待ち望んでいた者がやって来た。

 




ひと段落ついたら晴哉や東郷、産屋敷煌哉、煉獄総寿郎などのプロフィール載せようかな。


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第伍話:日輪刀

 三対のひょっとこの面が並ぶ。

 小さなひょっとこの面が前を歩き、腰に刀を差した二人の大柄なひょっとこの面が後ろに続く。

 晴哉の前で透鉄は歩みを止め、一人の護衛が担いでいた木の箱を下ろした。

 

「幾万もの玉鋼を見、数多くの刀を打ってきたが、あんなにも美しく、不思議で、癖のある玉鋼は初めてだ」

 

 透鉄は地べたに胡坐をかいた。

 だが、今いる此処は晴哉が東郷と鍛錬をしていた場所であり、そもそも外である。

 

「着物が汚れるから中に入らないか」

「お前が選んだのは間違いなくあの中で最高の玉鋼だった」

「聞いているか、透鉄殿」

「里の長である儂が保証しよう」

 

 話が嚙み合わない。

 というか、透鉄は日輪刀の事を話すのに夢中で晴哉の声など聞こえてはいないのだろう。

 護衛達はそんな透鉄に慣れきっているのか我関せずであり、東郷も既に諦めている。

 此方の声は聞こえていない様だし、本人が良いのなら良いかと、晴哉も諦めて透鉄の前に座った。

 

「お前さんに似合う美人な刀に仕上がった」

 

 前に座った晴哉に気づいたのかそうでないのか、透鉄は刀の入った箱を開け、一振りの刀を取り出した。

 黒地に金色の縁取りが成された四ツ木瓜型の鐔、同じく金色の拵と目貫の無い出鮫式柄の他、無地の縁頭に黒塗りの鞘であり、質素ながらも何処か華やかさも感じさせる拵だった。

 

「ささ、抜いてみなさい」

 

 晴哉は透鉄から日輪刀を受け取る。

 ずしりと、覚悟の重さがした。

 左手を鞘に添え、右手で柄を握ると、ゴクリと誰かが息をのんだ音がした。

 なんてことはない、ただの日輪刀だ。

 だがどうしてだろうか、ただの抜刀がこんなにも神秘的に思えてしまう。

 

「では」

 

 晴哉は日輪刀を抜き放った。

 刀身には互の目の波紋が浮かび、刃元には『滅』の文字が刻まれている。

 素人の晴哉でもわかる、美しい刀だった。

 だが次の瞬間、動揺が走る。

 

「刃が黒く…!!?」

 

 鉄の色をしていた刀身が、墨を滲みこませたかのように刃元からじわじわと黒く染まっていったのだ。

 見開かれた五対の目がとうとう切先まで染まった日輪刀を凝視する。

 誰もが驚き固まる中、真っ先に動き出したのは透鉄だった。

 

「てめぇ……」

 

 ふらりと立ち上がり、ゆらゆらと揺れながら晴哉に近づいていく。

 俯いた為にひょっとこの面に影がかかってより一層不気味である。

 流石の晴哉も不味いと思ったのか立ち上がろうとしたが、透鉄が胸ぐらを掴む方が先だった。

 

「てんめぇ…俺の、俺の刀に何しやがったァ!!!!」

 

 晴哉が抜き身の刀を持っているにも関わらず、胸ぐらを掴んでゆっさゆっさと揺すりながら透鉄は叫ぶ。

 

「し、知らない。私にも何が何だか…!」

「知らねぇ訳ねェだろうが!!てめぇの事だろ!!!」

 

 より一層透鉄の揺さぶりが激しくなる。

 漸く我に返った東郷が慌てて晴哉の手から刀を抜き取り、護衛の二人も透鉄を晴哉から引きはがす。

 

「ふざっけんな!!」

「ちょ、落ち着いてください!!」

「之が落ち着いていられるか!!」

 

 護衛の一人に後ろから羽交い絞めにされながらも、透鉄は叫び続ける。

 透鉄にとって刀は自分の子供のようなもの。

 其れをどんな理由であれ汚されて黙っていられるはずがないのだ。

 

     ☆

 

「其れで、どういった経緯でこうなったのかな?」

 

 藤の匂いが香る屋敷の中、カポーンと鹿威しの音が響く。

 鞘に納められた日輪刀を前に、いつもと変わらぬ笑みで煌哉は聞いた。

 

 あの後、透鉄は誰の静止も聞くことなく叫び続けていたが、晴哉も含め刀が黒くなった件について話せる者はいない。

 誰もわからず、透鉄は叫び続けている状態で出てきたのは、一先ず御館様に報告をしようといったものだった。

 何とか透鉄をなだめ、煌哉に取り次ぎ、今に至る。

 

「…透鉄殿に諭され刀を抜くと刃元からじわじわと黒が滲んでいき、今の黒曜石の様な漆黒に染まった」

「そうか…こうなってしまったことに何か心当たりは?」

「いや」

 

 東郷と二人の護衛は居らず、晴哉、透鉄と並んで煌哉と向かい合いながら晴哉は二人の視線を浴びながらも淡々と答える。

 生まれながらに表情が動かない為どうにも気にしていない様に見えてしまうが、その無表情の下ではとても申し訳なく思っていた。

 なんせ打ってくれた刀を台無しにしてしまったのだ。

 晴哉が刀を抜いた時に染まったのだから原因は晴哉にあるのだろう。

 

「鋼も、晴哉の選んだ玉鋼に何か変わったことはなかったかい?」

「里で管理されとる玉鋼の中に変なもんは一つとしてない。玉鋼も刀も数えきれないほど見てきたが、此奴の選んだ玉鋼は間違いなく最高のもんだった」

 

 里で管理されている玉鋼は透鉄が一つ一つ見て選んでいる。

 だからこそ、日輪刀に起こった変化が許せないのだ。

 

「此奴は最高の玉鋼を選び、俺は其の玉鋼で最高の刀を打った。なのに…!!」

 

 ひょっとこの面の下で唇を噛みしめ拳を強く握る。

 透鉄とてわかってはいるのだ。

 幾本もの日輪刀を打ってきてこんなことは初めてだったが、あの漆黒に染まった状態の日輪刀こそが本物なのだと。

 あの時は怒りに身を任せてしまったが、今になればあの刀がどれだけ美しいのかがよくわかる。

 自分の打った刀が変わってしまったことに不満はある。

 其れでも、其れ以上に晴哉が握らなければ本物にはならない様な未熟な刀を打つ己が悔しくて仕方がなかったのだ。

 

「誰もこうなってしまった原因はわからない様だね」

 

 一見対称的で、其れでいて似たような思考に沈む晴哉と透鉄に、煌哉はそっと息を吐く。

 歴代の当主が残した書物を家の者で手分けして探してみたが、刀の色が変わったという話は見つからなかった。

 鬼狩りという組織が生まれてから凡そ500年余りの時が経つが、其れでも前代未聞の出来事だ。

 ともあれ、物事には何事にも始まりはある。

 変化を恐れていては何も成すことは出来ない。

 

「晴哉が選んだ玉鋼も、鋼が打った日輪刀も普通だったということは、何かがあるのは君かな、晴哉。」

 

 上に立つ者というのは、非情で残酷にならなければいけない時がある。

 例え知られるのを避けていたとしても、其れを承知で他者の領域に踏み込まなければいけない。

 

「些細な事でいい、君が他の人とは違うと思う事があったら教えてほしいんだ」

 

 そう言われて出てくるのは、つい最近まで神職であった事と、其れから呼吸と透き通る世界の事だった。

 生まれの事は特に隠しているわけではないし、既にこの場にいる者は全員知っている。

 だがしかし、呼吸と透き通る世界に関して知る者は誰もいない。

 言うべきか、隠すべきか。

 

「、ぁ」

 

 一度小さく口を開き、しかし諦めたように閉じる。

 母は晴哉に己が見えないものが見えていると知っても、変わらず優しい手つきで髪を結んでくれた。

 父は己以上に才に溢れた我が子を見ても、変わらず厳しく祈祷や禊祓を教えてくれた。

 疲れ知らずで人体が透けて見える普通ではない晴哉の事を、この至って普通に生きている人たちは理解してくれるのか。

 そうやって諦め、視線を落とそうとした晴哉の視界に此方をじっと見る透鉄の姿が映り込む。

 其れに、ハッとした。

 何を自分は怖気づいているのかと、己の特異が受け入れられるかなどどうだっていい。

 日輪刀を変えてしまったのは自分なのだ。

 まずは其の事を謝罪し、透鉄にも御館様にも真摯に向き合わなければいけない。

 

「…生まれ落ちた時より、私は特異な存在だった。どれだけ動いても疲れを知らない呼吸法と人の体内が透けて見える視界を、私は持っている。透鉄殿の打った刀が変化したのは、恐らく呼吸か透き通る世界のどちらかが原因だろう」

 

 晴哉は煌哉の藤色の瞳を真っ直ぐに見、そして横に座る透鉄を向く。

 申し訳ない、と両手を畳に付け、頭を下げる。

 ザァッと強い風が吹き、着物の裾を揺らし、晴哉の髪紐についた鈴がカランと寂しく鳴る。

 暫くの間、誰も何も言わなかった。

 

「てめぇに不思議な感じがするとは言ったが、まさか刀の色が変わるなんて思う訳ねぇだろうが」

 

 透鉄はそう言うなり、頭を下げたままの晴哉をそのままに煌哉の前に置かれていた日輪刀に手を伸ばす。

 鞘から刀を抜けば、変わらず漆黒に染まったままの刀身が見える。

 癪ではあるが本当に美しい日輪刀だった。

 透鉄が完成させたままの、只々刀身が染まっただけの透鉄が打った刀だ。

 其れならば多少変わったとしても愛してやらなければいけないだろう。

 

「もうこの刀の主はお前だ。しっかり愛してやれ」

 

 刃こぼれしても、折れたとしても、俺がしっかり直してやるよ。

 透鉄は刀を鞘に戻して、晴哉の前に置いた。

 晴哉は漸く頭を上げると、己の前に置かれた日輪刀を見て、透鉄の目を見ると確りと一つ頷いた。

 

     ☆

 

 其の晩、煌哉は縁側に座って淡い光を放つ月を眺めていた。

 思い出すのは勿論、日輪刀に起きた不思議な変化の事。

 晴哉も己の特異が原因だろうと言ったし、煌哉自身も話を聞く限りそうだと思った。

 

 先日、晴哉と初めて対面したときに己が待っていたのは彼だと思ったのは、之が原因なのだろうか。

 きっと晴哉は、鬼狩りの数百年の悲願を、鬼舞辻を殺しこの世界から鬼を消滅させる為の大きな鍵だ。

 

 何故刀が染まったのか、刀が染まったのは何の意味があるのか。

 彼が話していた、痣か、疲れ知らずの呼吸か、人体が透けて見えるという透き通る世界か、将又全てなのか。




来週(12/5)と再来週(12/12)は諸事情により投稿はお休みします。


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第陸話:鬼退治

 鬼狩りとなった者へ、鎹鴉という人の言葉を話すように訓練された鴉が一人一羽付けられる。

 鎹鴉は御館様より命じられた任務を伝令し、任務地へ鬼狩りを導く。

 鬼狩りとなった晴哉にも勿論つけられる訳で。

 

「カアァカアァ、御館様ヨリ伝令!伝令ィ!!鬼狩リガ一人晴哉ァ!御館様ヨリ伝令ィィ!!」

「聞こえているよ、暁」

「南西ニ三十五里ィ!飛騨ノ国、飛騨ノ国ィィ!若イ女ガ消エテイルゥ!!東郷明彦ト共ニ向カエェェ!!」

 

 晴哉により暁と名付けられた若い鎹烏が元気よく晴哉の頭上を飛び回る。

 腕を伸ばしてやればおとなしく降り立ち、ピョンと肩へ乗り移る。

 

「記念すべき初の任務だ」

「気合入レロ晴哉ァ!御館様ガ期待シテイタゾォ!!」

 

 耳元で鳴く暁を頭を撫でて黙らせてやる。

 鬼狩りにつく鎹烏の中でも一等若く、一等優秀だと言っていたが、如何せん元気が良すぎる。

 実を言うと、晴哉にとっても初の任務なのだが、暁にとっても訓練を終えて初めての任務であったのだ。

 

「暁といったか、其の鴉。随分と気合が入っとるみたいだな」

「東郷殿」

「初任務、初任務ゥ!カアァ!!」

「そうかお前も初任務か」

 

 宿舎の門の前で、腰に刀を下げた東郷と落ち合う。

 今回の任務、晴哉は東郷と共に向かうことになっていた。

 圧倒的な才を誇れど、今まで相手にしてきたのは仕掛けられた罠と人間である。

 晴哉は鬼と対峙したことも、戦ったこともないのだ。

 故に、主に動くのは晴哉だが危険な状態になれば東郷が出張る事となっている。

 

「任務地ニ遅レル!鬼ガ出ル!鬼ガ出ルゾォ!!カアァァ」

「おっと、そうだな。教えてくれてありがとよ、五右衛門」

 

 首に紺色の手拭いを巻いた東郷の鴉が頭上を旋回しながら鳴き、東郷と晴哉は出立の支度を整える。

 

「ご武運を」

 

 見送りに来ていた奉公人の若い娘が、二人の背中に向けてカツカツと火打石を打ち付けて火花を散らす。

 切り火を切ってもらったことへの礼を言い、南西へと旅立つ。

 

「そういえば、切り火は知っていたんだな」

「神職の出である故、禊や祓といった清めの儀には精通している」

 

     ☆

 

 鎹烏の案内に従い、飛騨の国のとある村にたどり着く。

 簡素な造りの家屋に、畑や田が並ぶ、何ら変わったこともない極一般的な村だ。

 

「そこのお侍様方、こんな辺鄙な村に何の御用です?」

 

 鍬で畑を耕していた男が顔を上げ、さも不思議そうに聞く。

 城下町でもなく、栄えている訳でもない村に他所の者が来るのが珍しいのだろう。

 東郷と晴哉は厳密には侍では無いが、上等な着物と腰に提げた刀で侍だと思われたらしい。

 

「ここら辺に奇妙な妖が出ると聞いてな。ふと立ち寄ったまでだ」

 

 他所の事はその土地の者に聞くのが一番だ。

 土地にも詳しいし、昔から住んでいる者ならば昔と今を比べて変化を感じられるからだ。

 

「妖ですかい…」

「嗚呼、何か知っているなら教えてくれ」

「妖でなくともいい。奇妙な出来事でもなんでもだ」

「妖は知らんですが、奇妙な出来事と言やぁ神隠しぐらいですなぁ」

「神隠し…?」

「へえ、この辺りに昔から伝わる話で」

 

 あそこ、と男が指した先には、陽の光を一筋も通さないほど木々が鬱蒼と茂った森があった。

 

「あの森の近くを通るといつの間にか神様に連れ去られちまうんじゃ。ただ、最近妙な事が続いてましてねぇ」

「妙なこと?」

「村の者は神隠しにあわんように皆あの森の近くは通らんのですが、最近は森の近くを通っとらん者も忽然と姿を消すんですよ」

 

 晴哉と東郷は顔を見合わせる。

 鬼だ。

 森の神隠しは兎も角、森の近くを通っていない者は鬼が攫い喰っているのだろう。

 

「森の近くを通っていないが神隠しにあったのはどんな者なのだ?」

「近くの御屋敷に奉公に行っとった若い娘っ子ばかりでなぁ、奉公に行っとった者はみんないなくなっちまって、娘も次は自分だと酷く怯えちょる」

 

 村には、もう男の娘しか奉公に行っていた者はいないらしい。

 二人は男に礼を渡し、村の中を見て回る。

 やはり物珍しいのかジロジロと見られているが、邪険にされることは無い。

 

「お前はどう思う?」

「森の近くを通った者も通っていない者も、いなくなったの理由は神隠しでは無い」

 

 晴哉は神隠しが起こるという森をみる。

 本当に神隠しであるならば森は神気に満ちているが、あの森はそうでは無い。

 神気どころか、あの両親を亡くした日のように森には夜の闇以上に何か(・・)が蠢いているように見える。

 

「村の若い女がいなくなるとしても其れは神の御意志。神隠しであるならばそういうものだと誰も探しはしないからな」

「だが、あちらさんも中々に運がないらしい」

 

 一般の鬼狩りであればこの騒動が鬼によるものか本当に神隠しによるものか区別がつかないだろう。

 鬼を狩るためと言えど、神の怒りをかってしまえばどうなるかも分からない。

 その躊躇いの間に鬼は人を喰えるし、逃げ出すこともできよう。

 だがしかし、晴哉に限ってはそうでない。

 

「お前、こういった任務が向いてるかもな」

「そうかもしれないな。私に出来ることならこの力、皆の為に役立てたい」

 

 晴哉は本当に美しいものを知っている。

 尊く祈りを捧げるべきものを知っているのだ。

 あんな見せかけの神に騙されるほど晴哉の神籬としての人生は安くない。

 

「そんで、どうするんじゃ晴哉」

「あの男に告げて傍で守るしかないだろう」

 

 気付かぬ内に姿を消しているのならば、何らかの血気術で直接連れ去られているのだろう。

 そんな鬼から家に閉じこもっている者を守るのならば、近くに居るしかない

 

「そうじゃな」

 

     ☆

 

「お侍様じゃあなかったんか」

「嗚呼、我々は鬼狩り。この村で起こっている神隠しの原因を討ちに来たのだ」

 

 あの男の家で晴哉は己の正体と守らせてほしい旨を告げた。

 男とその妻は、半信半疑ではあったが娘を守ってくれるならなによりと歓迎した。

 娘の部屋で晴哉が守り、東郷は万が一の為に外で待機している。

 

「鬼狩り様は、お強いんか…?その、鬼が怖くはないんか…?」

 

 千恵と名乗った歳若い美しい娘は、布団に包まって震えていた。

 知り合いが皆連れ去られたのだろう。

 次は自分だと、恐ろしいのだろう。

 

「恐ろしいよ。私の大切な者が奪われることが、誰かの大切な者が奪われることが」

 

 千恵は、布団から顔を覗かせて話を聞いていた。

 傾いた日が山々の間に姿を消し、黄昏時がとぷんと闇につかる。

 夜空に輝く月と、部屋に置かれた行灯の光のみが唯一の光源だ。

 

「孤独は寂しいんだ。一人の夜は凍えそうなほど寒い。そんな日々を誰にも過ごして欲しくはない」

 

 晴哉は素早く立ち上がり、その瞬間、一陣の風が吹く。

 千恵は、いつの間にか部屋の端から端まで対角線上に移動した晴哉に抱えられていた。

 

「ひっ」

 

 千恵が怯えた声を出す。

 先程まで千恵が寝転んでいた場所に、鋭い爪のやせ細った手が生えていたのだ。

 

「ここにいてくれ。私が貴方を守る」

 

 部屋の隅に千恵を下ろした晴哉が日輪刀を構える。

 黒の閃光が走り、何かを探すように動いていた手が手首から切られる。

 水揚げされた魚のようにピチピチと動き続ける手首を、晴哉は勢いよく踏みつける。

 千恵は身体を震わせ、悲鳴を出さぬよう口を押さえていた。

 次の瞬間、晴哉は千恵を背中に庇いながら再び刀を振るう。

 

「鬼狩りめ…邪魔をしおって」

 

 部屋の隅に、鬼は突如現れていた。

 やせ細った体躯に、ボロボロの擦り切れた着物、頭には一本の角が生えている。

 先程切り落とした腕は既に生えており、晴哉に切り裂かれた胸は血がダラダラと流れ出ていたが、次第にゆっくりと塞がった。

 初めて鬼と対峙するが、不思議と恐怖はなかった。

 あるのは、血肉の腐ったような匂いへの不快感と、その身にこびりつく夜の闇のように黒々とした呪いへの哀れみだけだったのだ。

 

「傷の治りが遅いなぁ…何なんだそ「鬼に教える筋合いはない」

 

 スパンと振るわれた一閃が鬼の首に走り、カラーンと遅れて髪紐の鈴が鳴る。

 切り離された首がゴロゴロと転がり、壁に当たって止まった。

 

 信じられなかった。

 見えなかったのだ、鬼狩りが振り込んだのも、刀が振るわれる瞬間も。

 気付いたら首が落ちていた。

 崩れゆく視界で呆然と鬼狩りを見る。

 その朝焼けの色は、死の色だ。

 

「あ、あ゙ぁぁぁぁ!!!死にたくない!嫌だ嫌だ嫌だ!!!」

 

 可哀想な生き物だと思う。

 陽の元で生きられず、人間を食べなければ生きていけないその生体も、そこまでして生きていたいと思う執着も。

 どれも晴哉にはわからないことだ、わかりたくもない。

 叫びながらボロボロと崩れ消えていく鬼を尻目に、血振りをした日輪刀を鞘に収める。

 

 鬼と初めて対峙した。

 鬼の頸を初めて斬り落とした。

 初めて、人を守ることが出来た。

 

「お、鬼は…死んだのか…?」

「死んだ。だがしかし、まだ終わってはいない」

 

 先程、あの鬼が出てきた後すぐから、別の鬼の気配がしている。

 外で待機していた東郷が相手取っているが、どうにも面倒な相手らしい。

 

「貴方は此処で待っていなさい」

 

 そう千恵に言い聞かせ、外に飛び出す。

 家の中にいた時よりも血肉の腐ったような匂いが強く鼻につく。

 先の鬼よりも多く人を喰っているのだろう。

 

 東郷と鬼は神隠しが起こっていたという森のすぐそばで戦っていた。

 東郷を囲むように、全く同じ容姿の鬼が五体。

 

「うん?新しい鬼狩りか」

「晴哉!!」

 

 脇腹からダラダラと血を垂れ流す東郷を前に、鬼はニヤニヤと嗤っていた。

 鬼狩りが一人増えたところで、何ら問題はないと思っているのだろう。

 

「気を付けろ!!そいつは数字の鬼だ!!!」

 

 東郷の叫ぶ声を聞きながら、晴哉は月を背負って宙を飛ぶ。

 数字の鬼の事は聞いていた。

 鬼の始祖によって血を与えられた、とても強い鬼だと。

 五体の、左目に刻まれた『下壱』の文字がいやに目に付いた。

 

 鬼の敗因はたったの三つ。

 一つ、自分を優秀な鬼だと勘違いし、その優秀な血鬼術に頼り切っていたこと。

 二つ、自分の血鬼術を過信していたこと。

 三つ、相手が晴哉だったこと。

 つまりは運がなかったのだ。

 

「、は…?」

 

 鬼の頸が血飛沫を上げて吹き飛ぶ。

 遅れたように髪紐の鈴がカラーンと鳴った。

 四体の鬼は消え去り、残った一体の身体が、ボロボロと崩れていく。

 

 死なないはずだった。

 鬼の血鬼術は、自分の体を五体まで増やせて本体を斬られなければ死なないのだ。

 本体はどの体にも移せる。

 其れなのに、自分の体は崩壊が止まらない。

 五つの頸を同時に斬られたのだ。

 

 鬼狩りの死を映すような朝焼けの色が、酷く美しく、恐ろしい。

 




やせ細った鬼…神隠しに扮して村人を喰っていた。影を渡る血鬼術。神隠しを恐れて村人が森に近づかなくなった為、下弦の壱に利用されることでおこぼれを貰っていた。

下弦の壱…近くの御屋敷に住み着いていた。奉公に来た少女たちを影の鬼を使って攫って喰っていた。本体入れ替えができる分身の血鬼術。一番のお気に入りは最後に食べる派。そう、つまり…


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第陸話:閑話 柱合会議/□□□□□

 産屋敷邸藤の間にて、五人の男が煌哉を前に跪く。

 

「鬼狩りが一柱、煉獄総寿郎」

「同上、凩重信(こがらししげのぶ)

「同上、遠雷(えんらい)やす」

「同上、水上依織(みかみいおり)

「同上、岩戸光善(いわとみつよし)。以上五柱、御館様の命により馳せ損じました」

 

 彼らは“柱”。

 数百人の鬼狩りの上位に値する最高戦力たちである。

 

「うん、皆よく来てくれたね。最近会ったばかりの子も、なかなか会えなかった子も、皆元気そうで何よりだよ」

「御館様におかれましてもご壮健で何よりです。益々の御多幸を切にお祈り申し上げます」

 

 空色の羽織を着た水上が口上を述べる。

 若干他の柱から睨まれている気がしないでもないが、水上は気にした様子もない。

 早い者勝ちの御館様への挨拶を皆がしたがるのはいつものことであり、己以外の者が口上を述べる時にはその者を羨むのだ。

 

「うん、ありがとう依織」

「つきましては、我々が今此の場に招集された理由をお聞かせ願いたい」

 

 煉獄はつい先日に大きな任務を終えて療養の為に戻ってきていたが、他の柱は皆、煌哉からの命で急ぎ戻って来た。

 とはいえ、急いだとしても至って普通の人間が全国各地からすぐに戻ってこられる訳がない。

 既に招集の命より数日の時が経っている。

 

「そうだね。私が今回招集したのは皆に少し相談したい事があったからなんだ」

 

 煌哉は遠雷の言葉に、さも当然のように頷く。

 年に一度の柱合会議は数か月前に済まされた。

 鬼を殺し人の命を救うようにと柱たちを各地に送り出している煌哉が態々全員を呼び戻すなど初めての事だ。

 

「相談でございますか!」

「煩いぞ煉獄。声を落とせ」

「すまん、凩!!」

「それが煩いと言われているのに気付け」

「全員煩い」

「そうだな、まずは御館様のお話を傾聴するのが先だろう」

 

 煉獄、凩、水上が揃えば大抵騒がしくなる。

 そんな若手三人を窘めて軌道修正させるのはいつだって少し大人な遠雷と岩戸の二人なのだ。

 そんな彼らを煌哉は微笑ましく思う。

 鬼狩りはどうしても命を懸けて戦うし、柱ともなれば一般の者には任せられないような厳しい任務をこなす。

 だから入れ替えも激しくなってしまう。

 そんな中でも皆が仲良くやっているのを見る事が出来るのがとても嬉しいのだ。

 

「ありがとう、やす、光善」

 

 もちろん柱となるには条件がある。

 目に数字の刻まれた鬼を倒すこと。

 だからこそ煌哉は悩んでいるのだ。

 

「まだ他の皆には伝えていないのだけどね。実は先日、目に数字が刻まれた鬼を倒した子がいるんだ」

「まさか」

「では、その者を柱に?」

 

 優秀な者が増えるのは嬉しい事だ。

 常に任務で走り回っている柱たちも、柱が一人増えるだけで楽になるだろう。

 

「その子の名は晴哉。少々特殊な生まれだけどとてもいい子なんだ」

「やはり晴哉でしたか!あの者はいずれ何事かを成すと思っておりました!」

 

 とはいえ初任務でとは恐れ入った!!と煉獄は豪快に笑う。

 あの時握った手は柔く、刀など握ったことの無い素人のものだった。

 鍛錬を請け負っていた東郷からとんでもない才の持ち主だとは聞いていたが、まさか九日の内に刀の腕を磨き、数多の鬼狩りを貪ってきた鬼をも倒すとは思いもしなかった。

 

「でも、その子に少し問題があってね.」

 

 つい最近に鬼狩りになったばかりで、それも数日前に刀を打ってもらったばかりの子なんだ、との言葉に煉獄以外の皆が静まり返る。

 

「初の任務で数字の鬼を?」

「何番をですか」

「任務に当たった鎹烏が言うには、左目に『下壱』の文字が刻まれていたそうだよ」

 

 有り得ないという空気が漂う。

 数字の鬼はそこらの鬼とは比べ物にならない程強い。

 鬼の始祖の血が濃いのか、切っても切ってもすぐに回復し、厄介な血鬼術を使う。

 それらに葬られた鬼狩りも多い。

 柱ですらも数字の鬼には敵わない。

 

「左目に『下壱』の文字…」

 

 凩が血の気の引いた顔色で呆然と呟く。

 約一年前に『下陸』の鬼を倒した凩は柱たちの中でも一番の新参。

 彼を育て剣術を教えた師匠は、四年前に任務の途中で『下壱』の鬼に遭遇し、凩を逃がして死んだ。

 それから彼は必死に鍛錬して、鬼と戦って、柱となったのだ。

 いつか恩人である師匠の仇をとる事を誓って。

 

「凩」

「、大丈夫だ、水上。其奴には後で礼を言わないとな」

 

 喜ばしい事だ。

 人の命を脅かす鬼が一体減ったのだ。

 悔しいが、『下陸』の鬼を倒せたのですら偶然のようなものだった凩では、きっと『下壱』の鬼に遭遇すれば死んでいただろう。

 

「俺のことよりも、御館様は何故お迷いに?」

 

 数字の鬼を倒したのなら柱にすればいい。

 たとえ刀を振り始めたばかりだとしても、たとえ初の任務だったとしても、その功績は評価するべきものなのだ。

 

「恐らく、今回の件で晴哉を柱としたとしても他の鬼狩り(子供たち)は受け入れられないと思うんだ。晴哉は明彦と総寿郎以外の子と関わっていないからね」

 

 それでも柱とするべきか、もう少し待つべきか、煌哉は決めかねているのだ。

 鬼狩りの長として、古くから決められた此の仕来りに従うべきだとは思う。

 が、仕来りが全てではない。

 柱も、鬼狩りも、晴哉も人間なのだ。

 出来るだけ多くの人間が納得する方法で事を収めたい。

 

「俺は反対ですね。柱とするのはもう少し待ってからでも遅くないはずです」

「うむ、俺はいいと思いますよ!彼奴は人を惹きつける不思議な魅力がある!」

「儂は良いと思いますよ。むしろ数字を倒したのに柱としないのはそれこそ問題になるのでは?」

「私も反対致しましょう。才があるとはいえ、新参の者に柱は荷が重すぎるかと」

 

 水上と岩戸が晴哉を柱とするのに反対し、煉獄と遠雷が賛成する。

 相談の対象は五人。

 どの柱が言う事も納得出来る。

 残すは凩のみだ。

 

「重信はどう思う?」

「俺は、いいのではないでしょうか。ただ御館様が其奴を他の奴らが受け入れるかどうかを懸念しておられるのなら、ひと月かふた月ほど任務をさせてから柱へと任命すればよろしいかと」

 

 凩の提案に皆がいい案だと満足気に頷く。

 そうすれば晴哉の功績を消すこともなく、時期が来れば柱として受け入れられる。

 皆、本当は判っているのだ。

 凩は己の手で『下壱』の鬼を殺したかったのだと。

 其の為に必死に鍛錬を重ね、文字通り死ぬ思いで柱に成り上がった。

 

「ありがとう、重信」

「いえ、御館様のお役に立てたようで何よりです」

 

 鬼狩りには様々な者がいる。

 愛する人を亡くした者、敵討ちの為に生き戦い続ける者、同僚を目の前で亡くし命からがら逃げ帰って来た者、仇を討って目的を果たした者…

 それらの者を見る度に、煌哉はどうしたってやるせなくなる。

 何時だって此の世界は残酷で、しかしてどうしようもなく美しい。

 

     ☆

 

 時は夜更け、とある武家屋敷の一室に一人の男がいた。

 上等な着物を着、今の時代珍しく髷を結わないその男の瞳は血のように赤かった。

 

「下弦の壱が死んだ」

 

 古い書物を読んでいた男はギンと目を見開く。

 その血のような瞳は瞳孔が猫のように縦に伸び、紙のように白い肌には青い血管が浮いていた。

 鬼の形相とはよく言ったもので、彼は紛れもなく鬼である。

 名は鬼舞辻無惨。

 悪の根源、悲劇を産む鬼を作り出す存在、鬼の始祖である。

 

「この男……」

 

 下弦の壱は並大抵の鬼狩りには殺せない。

 殺されては違う鬼を入れているだけの下弦の陸とは話が違うのだ。

 下弦の壱の記憶、そう大して強くもない鬼狩りを相手取っていたが、次に現れた鬼狩りは実に異質だった。

 鬼と並ぶどころかそれ以上の身体能力。

 どの鬼の記憶を覗いても初めて見る刀の振り。

 見ているだけなのに鳥肌が立つような忌々しい気配。

 こんな事は初めてだ。

 まるで暖かい陽光がすぐ傍にあるような、羨望と不快感がせめぎ合う。

 その死を予見するかのような不吉な朝焼けの瞳が不快で仕方ない。

 

「どうかなさったのですか」

 

 そっと声をかけてきた女_珠世を腕を振って払い除ける。

 吹き飛ばされた珠世が棚にぶつかって書物がいくつか落ちたが、今はそんなことなどどうでもいい。

 

「晴哉……不快だ。実に不快だ!」

 

 鬼狩りが呼んでいたあの男の名を呼べば、苛立ちが募って書物が真ん中から破けるが、それもどうでもいいのだ。

 どうせこの書物にも青い彼岸花のことは乗っていない。

 

「いつか必ず私の手で殺してやろう」

 




少し変更しました


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第漆話:柱

だいぶ間が空いてしまいました…汗

原作では十二鬼月は縁壱などの日の呼吸の剣士に対抗するために組織されたらしいです。


 任務を終え、数日の療養の後に晴哉と東郷は宿舎に戻ってきていた。

 東郷は鬼との戦いで刃こぼれした刀を打ち直してもらう為に刀鍛冶の里に出し、自身も軽くは無い怪我をおった為に療養をしていた。

 晴哉もまた怪我こそしていないものの、初の任務が次期柱候補筆頭であった東郷をも甚振った鬼だということで暫くの療養を言い渡されていた。

 

「今日も変わらず精が出るな」

 

 とはいえ、療養と言えど晴哉は怪我をしている訳では無い。

 よって暇さえあれば身体を鍛え、刀を降っていた。

 療養ついでに宿舎の奉公人の手伝いを買ってでて、晴哉に用があった東郷が見つけた時、丁度3000本目の素振りを終えたところだった。

 

「貴殿も怪我が大事ないようで何よりだ」

 

 あの鬼との闘いで東郷がおった傷は、一番大きなものは抉られた脇腹。

 次に左腕と肋骨の骨折。

 あとはまあ大して支障のない軽い怪我ばかりだ。

 晴哉の眼には血の滲む脇腹も、バキバキに折れた骨ですらも、全て見えている。

 

「ああ、お前さんがいなかったら俺はあの時死んでいた。俺を助けてくれたこと、感謝する」

「いや、私は私のするべきことをしたまでだ」

「それでも、だ」

 

 あの日、東郷が相手取っていた左目に『下壱』と刻まれた鬼は、実力の劣る東郷を甚振って遊んでいた。

 もし晴哉がいなかったら、もし晴哉の到着が遅れていたら、東郷は甚振られた末に奴の餌となり血肉へとなっていた事だろう。

 “もし”を言っても仕方の無いことだが、鬼と戦うというのはそういうことだ。

 だがそれはそれとして“もし”は“もし”。

 晴哉は間に合い鬼を倒し、東郷は負傷はあれど生命に関わりは無い。

 

「ああ、そうだ。お前さんに御館様からの文を預かっている。それを渡しに来たんだ」

 

 東郷が懐から取り出した文を受け取れば、質のいい和紙からは藤の香りが漂ってくる。

 切封を解き、手紙を広げれば“明日の巳の刻、屋敷に来られたし”と簡潔に書かれている。

 

「お前さんも柱か。まさか俺よりも先になっちまうとはな」

「いや、まだ分からないだろう。今までがそうであっただけで、私は違うかもしれない」

 

 鬼の中には稀に目に数字の刻まれた鬼が存在する。

 そんな鬼は大抵想像を絶する程に強く、幾多の鬼狩りが奴らに喰われ儚い命を散らした。

 小隊を組んで任務に当たった鬼狩り達が全滅し、命からがら逃げ帰ってきた者の証言だった。

 故に、目に数字の刻まれた鬼を殺せば、鬼狩りの最上位に位置する柱へ任命される。

 今回晴哉が殺した鬼がそうであるのだが、なんせ晴哉は鬼狩りになって数日で初任務だった。

 関わりを持っているのは東郷と煉獄だけであり、他の鬼狩りとは精々宿舎ですれ違ったり食事や湯浴みの時間が偶然合った時ぐらいしか会うこともなかった。

 

「まぁ、この話は置いておこう。決めるのは御館様であって、俺たちが考えたって仕方のない事だ」

 

 漸く顔を出し始めた陽光にその美しい顔が照らされており、東郷ははっと息を飲む。

 眩しいくらいの光は目を瞑るほどだと言うのに、晴哉は真正面から受けてもその目を閉じることは無い。

 その朝焼け色の目が朝日に照らされて深く深く色付いている。

 それは、鬼を滅する陽光の色だった。

 

「……東郷殿、この世に鬼は一体どれだけいるのだ?」

 

 朝焼け色の瞳がこの場を離れ、陽光ですらも通り越して、何処か遠いところをぼんやりと見詰める。

 晴哉には時折こういう所があった。

 東郷の様な平々凡々な人間には理解できない、不思議で何処か神秘的な。

 まるで彼の存在自体が尊き神の所有物の様にも思えた。

 

「さあな。そんな事、何処かで鬼という忌まわしい存在を生み出している鬼の始祖しか知り得ないだろう」

 

 否応にも惹き付けられるその存在から無理やり顔を背け、東郷はぶっきらぼうに告げる。

 鬼狩りは鬼を殺す組織だ。

 それは家族や恋人の仇だったり高額な給与や家系だったりと殺す目的は様々だが、古くから続く割に鬼の情報は少ない。

 分かっている事は主に三つ。

 一つ、鬼は元人間で、人間の血肉を喰らう。

 二つ、殺すには日輪刀で頸を切る、若しくは陽光を浴びせる。

 三つ、藤の花を嫌う。

 たった、たったのこれだけなのだ。

 平安の時より幾万もの人間が鬼に立ち向かい無惨にも殺されて喰われていく。

 そんな中で少しでも未来のためにと必死に繋いだのがこれらの情報だ。

 

「鬼がどれだけいるのか、何故鬼なんていう存在がこの世に存在しているのか、何故人間を喰うのか……どれもこれもわかんねぇ事ばかりだ」

 

 鬼を殺すことに希望なんて抱くわけがない。

 どいつもこいつも家族や恋人の仇だと死んだ目を晒して、鬼を殺すことで自身の不甲斐ない過去を清算することに必死で。

 高い給与が目当てだったり家系によって鬼狩りになる奴は大した目標もないから、よっぽどの才能ある奴か運のいい奴以外はすぐに死んでいく。

 

「俺も、なんでこんな事続けてんのかねぇ……きっと、彼奴も怒ってんだろうな」

 

 悲しい目をして、それでもチェッと一つ舌を打って足元の小石を蹴った東郷は晴哉に背を向けて去っていった。

 

     ☆

 

 翌日、晴哉は産屋敷邸を訪れた。

 客人の来訪に戸を開けた女中長の“しの”は、晴哉の姿を見るや否や無事に帰ってきたことへの安堵の息を漏らす。

 

「おかえりなさいませ、晴哉様。ご無事なお姿を見ることを出来てしのは嬉しゅうございます」

 

 女中として、数多くの鬼狩りを見送ってきた。

 しかし無事に帰ってきた者の顔を見ることが出来たのはきっと半分にも満たないだろう。

 死地へ向かう鬼狩りの背に切り火を打ち、鬼を殺すことの出来ない己を呪いながらもその姿を目に焼き付けてきた。

 

「此処に無事に帰って来られたのは、きっと貴方の無事を祈る心もあったのだろう。こうして再び相見える事が出来て、私も嬉しく思う」

「私の微弱な祈りで皆様がご無事に帰ってこられるのなら、どれほど嬉しいことでしょうか」

 

 煌哉の命で来たのだと言えば、しのは承知したとばかりに静々と歩き出す。

 淡い葉桜色の着物に項で結ばれた艶やかな黒髪が揺れ動く。

 晴哉はそれをぼんやりと眺めながら続いて歩く。

 立派な御屋敷には相も変わらず香が炊かれていて藤の匂いが充満している。

 

「失礼致します、御屋敷様。晴哉様をお連れ致しました」

「うん、入っていいよ」

 

 襖を開ければ、部屋の奥に煌哉が、手前側には五人の男がずらりと背を向けて座っている。

 その五人の中には、炎を沸騰させる様な焔色の髪もあった。

 部屋に入った晴哉に、六対の視線が集まる。

 その目の中に好奇心や期待感はあれど、決して悪くは思われていないようだった。

 

「待たせて申し訳ない、煌哉殿」

 

 しかしその瞬間空気が揺れ、怒気が膨れ上がる。

 鬼狩りにとって御館様(産屋敷煌哉)とは何にも変え難い至高の存在だ。

 特に柱の面々は一般の鬼狩りよりも共に過ごす時が多いからか気持ちが強い。

 彼らは御館様を尊敬し、敬愛している。

 決して、晴哉などが馴れ馴れしく接していい相手ではないのだ。

 

「テメェ……」

「よしなさい、やす」

「……御意」

 

 傍らに置いた刀を手に立ち上がろうとした遠雷だったが、煌哉に制されて渋々と座り直す。

 その様子を、晴哉は無感情に眺めていた。

 

「皆に晴哉を、晴哉に皆を紹介する前に少しだけ話をしよう」

 

 晴哉は煌哉に諭されて向き合う煌哉と柱との間に横を向いて座った。

 煌哉とも柱とも顔を見やすく、話しやすい位置だった。

 

「私は皆が思っているほど偉くはないんだよ。皆の様に刀を振ることも出来ず、鬼狩り達の長を名乗っていても実際に鬼を見た事もない」

 

 産屋敷の血は宿命(呪い)だ。

 その血の呪いのせいで、産屋敷の人間は皆生まれながらに短命が決められ、身体も弱く脆い。

 煌哉もまた決められた運命に抗う者だった。

 

「私は先代から継いだだけで、私が居なくなった後にこの場に座る者もすぐに決まる」

 

 今でこそ煌哉には子供は居ないが、血を繋ぐことは産屋敷としての義務である。

 代々神職の一族から妻を娶り、少しでも其の寿命を延ばしながら、鬼舞辻を倒すために心血を注いでいる。

 

「今私がこの場に居るのは、皆がそれの如く扱ってくれているだけなんだ。貴方が嫌だと思うなら同じようにしなくていいし、皆も嫌だったらやめてくれていいんだよ」

 

 そっと話し始める煌哉には親が我が子に向けるような慈しみが溢れていた。

 

「私はこの鬼狩りという組織を回す小さな、替えのきく歯車の一つでしかない。それに拘るよりも、皆はひとつでも多くの人の命を救っておくれ」

 

 煌哉はそう言えど、彼を替えのきくただの歯車だと思っている者はここにいない。

 それでも柱は皆一様に御意と頭を下げる。

 晴哉はとうに覚悟を決めた。

 それは柱も、長たる煌哉も同様で、鬼という存在を滅する為に戦い続けるというのなら啀み合う必要は決してない。

 

「晴哉と申す。陽光を司る天照大御神様を祀る神職の一族、神籬家にて生を受けたが鬼狩りとなる為姓は捨てた。先日鬼狩りへと加わったばかりだがよろしく頼む」

 

 これからは共に戦う仲間だ。

 各々思うことがあれど、彼らが仲間であることは変わらず、鬼を滅するという目的も同じだ。

 

「……私は岩戸光善。岩の剣術を使う岩柱だ」

「儂は遠雷やす。雷の剣術を使う鳴柱」

「凩重信。風の剣術を使う風柱だ。……左の眼球に『下壱』と刻まれていたあの鬼の討伐、感謝する」

「自分は水上依織という。水の剣術を扱う水柱。まぁ、よろしく頼むよ」

「うむ!最後は俺だな!!もう既に知り合ってはいるが、俺は煉獄総寿郎だ!炎柱を務めている!!よろしく頼む、晴哉!!!」

 

 岩戸に続き、並んでいた順に右から遠雷、凩、水上、煉獄と順に挨拶をしていく。

 これは柱たちなりの誠意と期待だった。

 既に齢二十を超えた柱たちは、まだ十三の子供に柱として責任ある刀を振らせるべきではないと考えていた。

 たまたま才に恵まれただけの子供なら、本人の前だろうと柱への就任を辞めさせるべきだと進言しようとしていたのだ。

 しかし、晴哉には覚悟があった。

 未来へ繋ぐために鬼を殺し、己の死を目前にしても戦い続けるという覚悟が。

 既に覚悟あるものに今更言うことは無い。

 

「晴哉には一月後に柱に就任してもらおうと思っているんだ」

 

 煌哉は、晴哉へ希望を抱いていた。

 停滞した現状に新しい風が吹く時、きっと自体は変化する。

 かの柱の名を日柱。

 古くより伝わる大筋の岩、雷、風、水、炎と違って、晴哉の扱う剣術には名前が無い。

 元は東郷の扱う名も無き剣術を教わっていたのだが、晴哉が振りを変えているのだ。

 故に、陽光を司る天照大御神を敬う者として『日』の名を与えられたのだ。

 

「その間に柱の皆や他の鬼狩り(子供たち)と交流をし、共に任務を熟してこの組織に慣れて欲しい」

 

 次に全員が集うのは恐らく一月後。

 晴哉の日柱就任の式の時になるだろう。



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第捌話:炎柱 煉獄総寿郎

「おい、聞いたか?なんでも最近入った奴がとんでもなく強いらしいぞ」

「ああ、なんでもどんな鬼だろうと一太刀で首を斬り飛ばすらしい」

「俺も聞いた事がある。実際に共に任務にあたった奴曰く、その太刀筋はまるで陽光の様で見惚れる程に美しいと」

 

 水柱である水上は、ふと耳に入った会話に足を止める。

 あの顔合わせの日より数日が経っており、柱や一般の鬼狩りと共に任務にあたっている晴哉は既に噂の的らしい。

 

「陽光の如き太刀筋、ねぇ…『日柱』の名に相応しいじゃないか」

 

 柱とは特別な存在だ。

 晴哉も柱になるにあたって、多少の認知度がなければ鬼狩りという組織の中に亀裂を生むことになる。

 柱と共に任務にあたる鬼狩りですらそれなりの成果を残している者だけだ。

 晴哉と共に任務にあたった鬼狩りが他の者に話し、噂となり、噂を聞いていた者が共に任務を熟してやはり噂は本当だったと触れ回る。

 

 どれもこれも御館様の先見の明による采配ともなれば、流石としか言いようがない。

 学のない水上には御館様の考えることは分からないが、此処までこれば推測するのもできなくはない。

 きっと、そろそろ柱との合同任務が入る事だろう。

 

「水上殿じゃねえか。どうかしたんで?」

 

 振り返れば、件の噂の新人の面倒を見ていた者がいるではないか。

 

「東郷、お前あの晴哉って奴の面倒見てたんだよな。彼奴は一体どんな奴だ」

「晴哉ですかい…?彼奴は、正直言葉にすんには些か厳しい。ただ、とんでもない奴なのは間違いない。俺ァあんなにも綺麗な太刀筋は見たことがねぇ」

 

 東郷の何気ない言葉に水上は首を傾げる。

 東郷の扱う型は水上や煉獄の様に古くから続くものではない独自の型である。

 神職の生まれで刀どころか鍬すらも持ったことのなかった晴哉は、東郷によって一から仕込まれているはずだ。

 それなのに今の言い方では、まるで晴哉が教えていない型で刀を振るった様ではないか。

 

「俺ァ彼奴が『下壱』の鬼を倒したとき、震えちまったのさ。信じられるか、水上殿。柱のあんた達とも共に任務をした事のある俺がだぜ?」

 

 東郷は自虐するように嗤って話すが、その瞳は熱に浮かされたかの様だった。

 水上はそんな東郷の様子にぶるりと震えた。

 

「俺からはそう大したことは言えねぇ。ただ、きっと彼奴は誰の想像よりも上を行く。それが善と出るか、悪と出るか…」

 

 けれど、少なくとも味方ではある。

 善が出ればそれでいい、悪が出れば全員で止めるまでだ。

 

     ☆

 

 晴哉は炎柱の煉獄総寿郎と共に任務に赴いていた。

 様な羽織と玉虫の鈴がついた髪紐を靡かせながら煉獄と晴哉は並んで走る。

 

「晴哉!此度の任務については聞いているな!!」

「嗚呼、西の村で幾人の村人が姿を消し、其処に向かった鬼狩り達も同様に消えていると」

「そうだ!柱には担当の地区があるが、その村は俺の担当の一つだ!!」

 

 柱となれば屋敷が与えられ、通常の任務に加えてその周辺地区の見回りもする必要がある。

 一人でも多くの人を救い、一体でも多くの鬼を殺せるようにと、屋敷は全国のあちこちに置かれている。

 あと一月も経てば晴哉も自身の屋敷を貰い、柱として全国を駆け回ることになる。

 

「村には藤の家がある!!この調子なら日が暮れるまでには村に着けるだろう!!」

 

 既に日は傾いている。

 藤の家まで距離がある為、走らなければ日が暮れてしまうだろう。

 日が暮れれば、もう鬼の時間だ。

 

 

 煉獄と晴哉が村に着いたのは陽光がもうあと一筋の光ばかりを残すだけになった頃だった。

 夜に外に出ると攫われると噂が立っているのか、人間の気配は全て家屋の中にある。

 代わりに鬼の気配が薄く残っていて、どうも哀しくなる。

 行方不明の村人や鬼狩り達はやはり鬼の被害にあったのだろう。

 

「総寿郎にぃちゃん!!」

「む!二郎か!!」

 

 タッと駆け寄ってきた小さな影が煉獄に抱きつく。

 八歳ぐらいの、泥だらけで目を赤く腫らした男児だった。

 

「助けて、総寿郎にぃちゃん!!一郎にぃちゃんがいなくなっちゃったんだ!!」

 

 煉獄は二郎の前に膝を着いて正面から見据える。

 炎の瞳の中に二郎の姿が写り込む。

 ゾッとするような、炎のように熱く、それであって真剣で冷静な目だった。

 

「一郎はいついなくなったんだ」

「昨日の、夜」

 

 俺が悪いんだ、と泣き出した二郎を宥める煉獄を横目に、晴哉はそっと辺りを見渡す。

 ほんの微かにだが、村に入った時から血の匂いがしている。

 糸を引くように細く村の中を小さな存在が動き回っている様に。

 煉獄はきっと気付いていない。

 

「昨日の夜、飯の時に薪がもう無いことに気付いたんだ。薪の補充は俺の仕事なんだ。でも、俺は忘れてて...」

 

 二郎はグズグズと鼻を啜り、泣き出した。

 晴哉は先程二郎が飛び出してきた家を見やる。

 蜘蛛が巣を張っている様に、細い糸のような血の匂いが比較的濃くこびりついている。

 

「初めは、俺が行くって言ったんだ。俺の仕事だから」

「一郎は、代わりに薪を取りに行ったのか?」

「...うん」

 

 二郎は腹を空かせながら待っていたが、一郎は朝になっても帰ってこず、今になっても帰っては来なかった。

 兄は忽然と姿を消した。

 少し前から相次いでいる行方不明の村人や、村にやってきた鬼狩り達が気付いたらいなくなっていた様に。

 

「煉獄殿、私は一度村を見て回る。その子と藤の花の家紋の家で待っていて欲しい」

「俺も行くぞ」

「その子は兄が行方知らずで不安だろう。親しい仲であろう貴殿と共に居れば安心であり、そも鬼がいるやもしれぬ場所に子供を連れていく訳にも行かない」

 

 晴哉は煉獄の炎のような瞳をじっと見た。

 煉獄も晴哉の黒の瞳をじっと見詰める。

 

「その子を守ってくれ、煉獄殿」

「此方も出来る限りの事はしてみる。其方は頼んだぞ、晴哉」

「了解した」

 

     ☆

 

 晴哉は村の片隅に生えた木の枝の上に立ち、村を見渡す。

 どうにも可笑しな村だ。

 晴哉という男は、どうにも生き物の類に好かれる気質であった。

 道を歩けば犬や猫が後に続き、鳥が肩や頭で羽を休める。

 穏やかな心根とポカポカと暖かい体温が惹き付けるのだろうとは東郷の談だ。

 それが今、この村に足を踏み入れてからというもの、生き物の一匹も見ることはない。

 

(鬼の気配は残り香。血の匂いは蜘蛛が糸を張り巣を作るように村中に巡っている。恐らく血鬼術だ)

 

 匂いがない家はたった一つ。

 立派な門に藤の花の家紋が彫られている大きな屋敷だ。

 藤の家は産屋敷家から藤の花の香が支給されていて、夜が来る前に炊くようにしていると言う。

 日中は血鬼術も陽光の前には無力で、日が沈んでも鬼は藤の花の匂いを嫌って寄り付かない。

 

(鬼が昨晩現れたのは薪を置いておく小屋。そこで一郎を攫い、)

 

 晴哉は抜刀と同時に刀を振り抜く。

 目の前を飛んできた小さな羽虫は真っ二つに斬られていた。

 

「これは…」

 

 晴哉は羽虫を切った極わずかな血をまじまじと見る。

 ただの虫では無い。

 この世のものとは思えないおぞましい物が濃縮された様な気配、鬼の血に染った虫だ。

 

「虫の血鬼術…もしくは生物の身体を操る血鬼術、か。なんと厄介な」

 

 何方の場合でも面倒なことに変わりない。

 虫の場合、自然豊かなこの村には虫も多く生息しているのに加え、それはとても小さなものだ。

 ほぼ無限に湧く虫を一匹一匹躱していく余裕はない。

 かといって邪魔だてる全てを斬り捨てていくわけにもいかない。

 身体を操る場合、どこまで操れるのかという疑問も湧くが、虫や動物、果ては人間ですら操られては溜まったもんじゃない。

 

「一先ず煉獄殿と相談だな」

 

 今のところ鬼は現れていないし、現れる気配もない。

 藤の家で作戦を練る時間ぐらいは取れるといいのだが。

 

     ☆

 

 晴哉が藤の家を訪ねれば、屋敷の主人に出迎えられて煉獄の部屋へと通される。

 

「戻ったか!」

 

 煉獄は、夕餉を食べて湯浴みを済ませた二郎を寝かしつけていた。

 泣き疲れて寝入ったのだろう、二郎の目元は赤く腫れ、涙の流れた跡が見て取れた。

 晴哉はそんな二郎を哀れに思いながらも、煉獄にわかった事と推測を話した。

 

「なんと、それは厄介な…」

「多くの村人や鬼狩りを喰らい、ここまでの血鬼術だとすれば数字の鬼である可能性も高い」

 

 行燈の灯が晴哉と煉獄の横顔を照らす。

 常より声量を落とした煉獄が寝ている二郎の頭をさわと撫でた。

 

「この子の両親は隣の村に交易に出た時に鬼に喰われて死んだ。俺は、間に合わなかったんだ」

 

 頭ばかりを好んで喰う偏食の鬼だった。

 脳を吸われ、眼玉をくり抜かれて舐められ、残ったのは頸なしの死体のみ。

 彼らは手を強く繋いだまま死んでいた。

 

「一郎と二郎は二人きりの兄弟で生きてきたんだ。これ以上、この子から、この子達から一つでも奪わせてたまるものか!!」

「その子が起きてしまうぞ、煉獄殿。……」

 

 煉獄を窘めた晴哉はおもむろに立ち上がり、刀を腰に差す。

 ぞわりとした悪寒が背筋を走る。

 

「む、鬼か」

「いや、鬼ではない。が、近しいものだ。血気術の可能性が高い」

 

 同じように煉獄も立ち上がり、刀を腰に差す。

 既に床に就いている主人を起こさぬよう、足音を立てず長い廊下を駆け抜ける。

 玄関の戸を開ければ三日月が夜空に浮かんでいる。

 

「嫌な夜だな」

 

 「何か言ったか?」と聞く煉獄に首を振り、一足で屋根まで跳ぶ。

 煉獄もそれに続き、村を見下ろす。

 気配があるのは西の方、広い雑木林の近くだ。

 

「気配はそう大きくない。精々拳ほどだ」

「大きめの虫、若しくは小動物か!!」

 

 頭は悪くないのだろう。

 村の中で戦うよりも障害物の多い林の中のほうが戦いにくい。

 特に煉獄の扱う炎の型は大振りの威力が高い範囲攻撃が多い。

 

「行くぞ、晴哉!!」

 

 目指すは西に広がる雑木林。

 幾人の村人を喰い、派遣された鬼狩り達をも喰い尽くした、鬼のいる場所へ。




日輪コソコソ噂話
煌哉「晴哉は一般人よりもとても五感が優れているんだ。不思議だよね、これも呼吸だったり“透き通る世界”に通じているのかな。
でも、大正の世に生まれるあの子たちにはきっと負けてしまうと思うんだ」
晴哉「大正?あの子たち?一体何の話をしているのだ?」
煌哉「いいや、何でもないよ」


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