理想のシチュ (モン娘好きの勿忘草)
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影女とのシチュ

影女という妖怪に自分が考えたオリジナルの能力をつけています。
いじめの描写が少し生々しいのでお気をつけください。
影女ってシルエットだけなので逆に妄想の幅が広がりますよね…。


 午前8時、窓の向こうでわいわいがやがやと学生達が或いは楽しそうに或いは面倒臭そうに登校している

彼らと同じくらいの歳の僕だが今はもうその世界にはいなかった。

僕が不登校になって1ヶ月が経っていた。

 

 きっかけはよくある話だった。

クラスのいじめグループが1人の男子をターゲットにしてゲームをしていた。

靴や体操服を隠す、トイレの個室に閉じ込めホースで水をかけ続ける、帰りに待ち伏せして連れて行く

それを繰り返して学校に何日で来なくなるかを楽しんでいるのだ。

僕は自分の中の小さな正義感から先生に相談した。

先生の対応は早かった。いじめグループは先生に指導されいじめられていた子に謝って終了した。

しかし誰かが僕が先生に相談したことを見ていた様でいじめグループは今度は僕をターゲットにした。

僕は耐えた。僕は何も間違ったことはしていない。いじめられていた彼は助かったんだ。

そんな気持ちはある日突然崩れていった。

放課後連れて行かれて壁に立たされてグループが順番にボールを投げていく。なるほど彼はこんなことをされていたのか辛かっただろうなと考えているといじめられていた彼がいた。目の前でボールを振りかぶって。

僕は何もかもがそして誰も信じられなくなった。

 

 不登校になって最初は学校へ行けと怒鳴る父さんも泣きながら不登校なんかになってはいけないと叫ぶ母さんも家から出ようとする度にトイレへ向かい吐き続ける僕に次第に何も言わなくなり、やがて決まった時間に部屋の前にご飯を置く。夜は父さんが仕事から帰ってくると2人で出かけて僕が寝た後に帰ってくる様になった。

僕の世界は部屋が全てになり、世界には僕1人になった。

誰とも喋らなくて済むと楽なのだが、それはそれで悩みがある。

誰かと喋りたい、誰かの声が聞きたい、でも世界の外には出たくない、そんな悩みから僕は自分の影に話をし始めていた。

側から見れば僕は影に向かってぶつぶつ言ってる変人だ。昼間は母さんがいるので夜にこれをしていた。

内容は至って陳腐だ。いじめていた奴等を凄い力を手に入れてやっつける、転生してチート能力で異世界を旅する、そんな夢物語をずっと話していた。

そんなある日だった。僕はいつもの凄い力を手に入れて無双する話をしているととても甘ったるいそれでいて色っぽい女性の声が聞こえてきた。

 

「それで?そこからどうなるの?」

 

僕は咄嗟に身構えた。誰だろうか、僕以外家にはいないはず、泥棒か、女の声だったな、そんな考えがグルグル頭の中で回り続けるとまた声が聞こえた。

 

「だから!続きはどうなるのってきいてるのよ!」

 

さっきと一緒の声だけど今度は少し怒っている様なイラついてる様な感じだった。

僕はどこにいるのか尋ねてみる。すると声が少しからかう様に少し面白そうに答えた。

 

「ここよ、ここ。君のか、げ。」

 

驚いて僕の影を見てみるとさっきまで僕と同じ姿だった形が全く違っている。

つば広のハット帽に髪の長いシルエット、間違いなく女性のシルエットだ。

声が思う様に出ないぼくをよそに彼女は続き、続きと急かしてくる。

なんとか絞り出した声で妄想の続きを完結させた。

彼女は満足そうにでも心からといった感じで

 

「ありがとう!いつも聞いてて面白かったからつい出てきちゃった!」

 

と笑っている。次第に落ち着いてきた僕は彼女に色々な質問をしてみた。君は誰か、何故僕の影にいるのか、何が目的か、彼女はどれも答えてくれた。

彼女は影女という妖怪でいつもは女性の影なだけで話すことは無いけど自分の影に話してる僕に興味を持ったそうだ。そして我慢できなくて話しかけてきたそうだ。

 必死で謝る彼女…と言っても影がお辞儀してるだけなのだがそんな姿を見ていると恐怖など何処かへ行ってしまった。

それどころかそんな彼女が来てくれたことに喜びすら感じてしまっている。

我ながら人間不信になっても人に飢えてるのかと呆れながら自己紹介をした。

それから毎晩、色々な話をした。僕の突拍子もない妄想話に彼女はいつも笑顔で聞き入ってくれる。ある時は彼女の影としての過ごした日々や体験を聞いて過ごした。気がつけば僕は夜が待ち遠しくなっていた。

ある日、彼女はちょっとした疑問に思ったようで尋ねてきた。

 

「学校には行かないの?」

 

心臓の血が冷たくなった様な気がする。目の前がぐるぐる回る。僕の空想の世界が終わってしまう…。

気がつけば僕は大泣きして今までの色々なことを話していた。いじめを庇ってターゲットになったことそしてその日から体操服がゴミ箱に捨ててあったり、机に罵詈雑言の落書きと教科書がビリビリにされていたこと、放課後に壁に立たされいじめグループが的当てとしてボールをぶつけてきたこと、そしてそこに助けた彼が参加していたこと、全てが嫌になって不登校になったこと…全てを吐き出し終わってうずくまる僕の背中を彼女は優しくさすってくれている。

いや、待て…おかしい。何故さすってくれているんだ。彼女は影で触れられない筈なのに。

 

「そんな世界が嫌なら、一緒に逃げようか。」

 

優しくそして妖艶な声に顔を上げるとつば広の帽子を被った女性がモヤのかかった姿で立っていた。

 

 驚く僕を残して彼女は話を続けた。

影の中にも世界があってそこには僕と彼女の考えたものが実現すること、その世界には彼女と僕以外いないので誰もいじめてこないこと、それらをモヤでよく見えないが優しい笑顔で教えてくれた。

 

しばらく悩んだけど僕の答えは決まった。

一緒に行こう。そう告げると彼女はなら行きましょうと僕の手を握った。そして足元から影に沈んでいく、それは水に浸かった様に沈んでいく様だが温かく心地よい感じで気持ちも穏やかになっていく。

 

膝まで浸かった頃にそれは起こった。

いじめた奴等はこれからも新しいターゲットを見つけて楽しむんだろうな、そしていなくなった僕を嘲笑って生きていくんだろうな、せめてあいつらに一矢報いたかったな、そんな僕の声が聞こえてくるのと合わせる様に足は冷たくヌメヌメとした不快感に包まれる。

僕は彼女に、ごめんと謝って手を離した。足はすぐ床に戻りさっきまでの影は引いていく。

どうしたのかと聞く彼女に僕は気持ちを伝える。

いじめた奴等にやられっぱなしで悔しい、せめて一矢報いてやりたい、やれるだけやりたい、それから君と一緒にいよう。

影が僕の考えが実現する世界ならさっきの声と足元の不快感は間違いなく僕の未練なのだ。それが果たせないと影に行っても楽しい世界なんてないんだ。

彼女はそう…と呟くといつものそれでいて少し寂しそうな笑顔で消えていった。

 

 それから1週間後、僕は震える脚を抑え学校へ向かった。

この1週間色々あった。

まずは家族にいじめのことを伝えた。父さんは黙っていたことを怒るかと思っていたら怒鳴ってすまなかった、よく頑張ったと言ってくれ、母さんは辛かったね、そんな僕を避けてごめんねと泣いていた。

転校しようかと相談してくれたけど断った。

あとは仕返しする覚悟と気持ちの整理に時間を使った。

教室の前まで来る、脚は震えている。1発でも殴ってやろう、それで彼女と影に行こう。

扉を勢いよく開ける、一斉にこちらを見る、悲鳴が聞こえる。

…悲鳴、何故。見るといじめグループが泣き叫びながら逃げていく。どういう事だろう。

その答えは放課後にすぐわかった。放課後呼び出された僕の前に彼はいた。元いじめのターゲットだ。

彼は僕に泣きながら謝ってきた。助けてくれたのにまた自分がターゲットになるのが怖かったから裏切った、本当にごめんなさいと、聞くと彼といじめグループはこの1週間夜になると影の中に飲み込まれる夢を見たそうだ。その中で彼は自分の罪の意識がずっと聞こえてきた後に女の声で二度と僕に手を出すなと言われたそうだ。

特にいじめグループは恐ろしい体験をしたそうで女の姿もおぞましかったらしく僕が学校へ来る日までをビクビクして過ごしていたそうだ。

 

「頑張ってね。また素敵なお話聞かせてね。」

 

後ろから甘い声が聞こえる。振り返ると壁に伸びた僕の影だけ。ありがとうと呟くと影は陽炎の様に少し揺れた。



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鬼の娘とのシチュ

基本的に連載と言いながら短編の様なものなので気になった話から読んでも大丈夫な様にはなっています。
鬼の娘の角を撫で撫でして照れさせたい…!


 ゆらゆら揺れる体と目に隈が出来た気だるそうな顔が窓ごしに見える。

もうここ何週間も乗り続けている終電で俺はボーっと自分の情けない顔を見ていた。

おそらくというか間違いなく俺の会社はブラックだ。この後は帰りにコンビニで適当な酒とアテを見繕い家で飲みながら煙草を吸ったら仮眠をとって4時間後には出勤の準備だ。辞めたくないかと言えば嘘になるがもうこの生活が身についている。今更全てをガラッと変えるにはやっぱり踏ん切りがつかない。なんだかんだでこのままなんだろうなと一種の諦めすら感じていた。

 

 家に着き荷物を投げて酒を出そうとしていると留守電のマークがチカチカと光っていることに気が付いた。一体誰だろうか、交友関係は会社に入ってから疎遠になっていった。連絡きても碌に返せないし飲みにも行けない。自分から連絡もしなければ当然のことだ。いかんいかん、つい物思いに耽ってしまった。留守電を再生すると母親からだった。要件は簡単だった。

 

「お爺ちゃんが今日亡くなった。田舎で葬式を行うから帰ってこれる?」

 

お爺ちゃんか…とうとう死んじゃったんだ…。

俺は田舎のことを思い出していた。

 

 子供の頃はお盆と正月にはお爺ちゃんの住む田舎へ帰って遊んでいた。と言っても畑と山と川しかないし同年代が全くいなかったので適当に探検と言って散歩してたくらいだ。それも中学に上がるにつれて地元の友達と遊ぶ方が楽しくなり留守番することが増えていき受験なども控えだした頃からは全く行かなくなっていた。

お爺ちゃんとの思い出を一生懸命に記憶の引き出しから探してみる。

 

「おぉ!それはな、鬼さんだ!鬼さんと遊んだのか。」

 

ふとよぎった言葉…

なんだっけ、お爺ちゃんが俺に教えてくれた、そうだ、俺は田舎では最初は1人だったけどある日を境に2人で遊ぶようになったんだ。何故忘れていたんだろう。

俺は田舎での出会いと楽しかった日々を少しずつ手繰り寄せていった。

 

 小さい頃、小学2、3年位だったかな、暑い夏の中俺は山の中で虫取りをしていて奥の方まで行ったんだ。綺麗な蝶を捕まえようとして小さな崖から足を滑らして泣いていた。捻挫してたんだと思う。立てなくてここが何処か分からない、助けてと叫んでも聞こえる筈がない、そんな絶望感から動けなくなっていたんだ。その時

 

「やあ、こんな所で何をしてるんだい?」

 

からかう様なくすくす笑いと一緒にそいつがいたんだ。

歳は同じ位、髪は真っ黒で肩までの長さ、着物姿が周りの景色の中で一際浮いている。でもそれでも何より目が行くのが額から伸びた2本の角だった。

彼女は笑顔を崩さずに、こんな所で泣いていると大きな熊に食べられちゃうよと俺の元へ近寄ってきた。俺は逃げようとして立ち上がろうとするが足が痛くてうずくまってしまう。

「おやおや、こんな足じゃ歩けないね?ならしょうがない。」

そんなことを言うと俺をおぶり始めた。俺は恥ずかしくて離せ、離せと喚いてもがいたが彼女は一言、舌噛むよと言うと凄まじい速さで走りだした。それはもう走るというより滑って行くような感覚だった。横から風の音が聞こえる、下駄なのに何故こんなに速いのか、この子は一体何なのか…

そんな疑問を残して彼女はまた一言、着いたよと言って俺を下ろした。確かに山の入り口だ。口をぽかんと開けている俺を余所に彼女はじゃあねと笑顔で山の中に消えていった。

 

 俺は家に帰ると早速山で会った女の子の話をした。

しかし、当然というか両親は全く信じなかった。そういう遊びか、そんな危ない所に行ったら駄目、それよりズボン破いちゃってるじゃない、そんな返事だけで誰も聞いていない。そんな時にお爺ちゃんが

「おぉ!それは鬼さんだ!鬼さんと遊んだのか。」

と言ってやってきた。母さんは子供の遊びに付き合わなくてもと言っていたが気になった俺はお爺ちゃんに詳しく聞いてみた。お爺ちゃんが言うには、お爺ちゃんのお爺ちゃんが子供の頃に鬼の一族がこの田舎に追われて逃げてきたそうだ。不憫に思った村の皆は山に鬼達を匿ってやがて山に集落を作って暮らし始めたがいつしか姿を見せなくなったそうだ。

「鬼さんは不思議な力をいっぱい持っている。例えば山から家まではどうやって帰ってきた?」

そういえば驚いていた俺は呆然としながら歩いて帰ってきたが足を痛めていた筈だ。でも今は全然痛くないどころか山に入る前より調子がいい。お爺ちゃんはハッハと笑いながら驚いている俺に

「助けてもらったらお礼をせんとな。明日、お盆で作ったおはぎがあるから持っていってやんなさい。」

そう言って部屋に戻って行った。

 

 次の日、俺はおはぎと水筒にお茶をたっぷり入れて山に向かった。両親からは呆れられながらも無茶なことはしない様にと釘を刺されたが俺はワクワクしてそれどころではなかった。あの走った時の怖いながらの爽快感、鬼というファンタジー、そして何よりあの子と遊べるかもしれない。

そうして山へ入った俺は誰もいないだろう場所へ大声で昨日はありがとう、家の手作りおはぎ良かったら食べて、と力一杯叫んだ。

 

「そんな大声じゃなくても聞こえるよ。昨日は泣いていたのに今日は凄い元気だね。」

 

 振り返ると後ろに昨日の彼女が立っていた。昨日と同じくすくす笑いながら近付いてくる。

俺は改めて昨日はありがとう、と言っておはぎを渡す。でも1番言いたい言葉が出てこない。一緒に遊ぼう、その一言でいいのに彼女の笑顔の隙間に見える綺麗だけど吸い込まれそうな瞳に息が詰まって喋られなくなる。そうしていると

 

「美味しそうなおはぎだね。甘いものは好きだけどこんなには食べられないなぁ…。一緒に食べてくれないかい?」

 

と彼女は変わらない笑顔で俺に言って手を引いて歩き出した。無邪気な様子だけどどこか考えを読まれたようでドキリとしながら俺は黙って彼女に着いて行った。

 

 それからは毎日山で彼女と遊んだ。彼女は相変わらず着物なのにひょいひょいと森の中を駆けていく、でも俺が見えなくなる所には絶対に行かない。

ある日は綺麗な湧水がある場所を教えてくれた。君の足を治したのはこの水の力なんだよと教えてくれた。鬼の集落はどこにあるのと聞くとこの山色んな所に入り口があるよ、でも人間が見つけるのは無理じゃないかな、特別な術で隠してるしと笑っていた。俺が気になっていた角も触らせてくれた。彼女いわくむずむずするが悪い気分ではないそうだ。

そして俺は毎年のお盆と正月が楽しみになっていった。冬の山は危ないよ、と彼女は言うが俺は知ってる。集合場所になっていた湧水の所までの道だけ雪が綺麗に避けられているのを。彼女も一緒に遊ぶことを楽しみにしてるんだ。そう思うと嬉しくなって彼女の角を優しくなでると

 

「な、なんだい?全く君は泣き虫なのに懲りないねぇ…。角の撫で方だけは上手くなったけど。」

 

と悪態をついてくるのだった。

 

でもそんな楽しい日々に終わりが突然きた。

 

「もう君とは会えなくなってしまった。」

 

6年生の夏、彼女の口から突然告げられた。

 

 突然の言葉に驚きが隠せない。どうして、何故、そんな言葉を聞いても彼女は何も答えない。

俺が鬼の集落の場所を聞いたから、それとも不思議な湧水の場所を教えたから、だからなの、必死の問いかけに彼女は背を向けたまま少し掠れた様な声で絞り出す様に話し始めた。

 

「本来はね、人と鬼はあまり関わってはいけないんだよ。だから内緒だったんだ。鬼のことは皆に知られてはいけない。そんな掟だったんだけど君を見つけた。私は放って置けなかったんだ。それだけなら良かった。でももっと君といたい。君が来るのが楽しみで、君と話をするのが心地よかった。私の1年の楽しみは君だけだったんだよ。でもバレちゃった。君はそんなことしないと言っても大人達は秘密がバレる。人が押し寄せる。会うことをやめるか君を殺すかの2つだと言われた。こうするしかないんだよ。」

 

そう一気に早口で告げると言葉が出ない俺に振り返り

 

「君は私のことなんて忘れて、人間と楽しく遊びなさい。」

 

そういつもの笑顔で、でも目を腫らした顔で告げると去って行った。

 

 過去のことを思い出しながら俺は燃えて小さくなった煙草を灰皿で潰しながら新しい一本に火をつける。

そうだ、彼女に別れを告げられてから次の日も次の日も湧水の場所に向かおうとしたがどうやっても辿り着けずそうしてるうちに田舎へも行かなくなってしまったのだ。そして中学生になった時には彼女のことを完全に忘れて地元の友達と連む様になっていったんだ。何故今まで忘れてしまったのだろうか…

彼女の不思議な力か、いや違う、彼女に二度と会えない悲しみから自分の記憶に蓋をしたのだろう。

…お爺ちゃんの葬式に帰ってこいと母さんは行っていた。もう一度田舎へ行こう、あの湧水の場所に行けるかはわからない。それでももう一度彼女に会えるなら可能性に賭けてみよう。そう思うと居ても立っても居られなくなり急いで上司に初めての有給申請の電話をかけた。

 

 朝早く走る新幹線の中、俺は昨日の正確には今日の夜中だが行き当たりばったりで無鉄砲な行動の自己嫌悪に頭を抱えていた。

昨日思い立ったがと勢いで電話を掛けしばらくのコール音の後、さっきまで寝てたようなぼんやりした声の上司が出た。お疲れ様ですと俺、馬鹿野郎、今何時だと思ってると上司。時計を見ると午前2時過ぎ、なるほど確かに電話をするには遅すぎる。もっともいつもの俺はこの時間にようやく一息ついて風呂に入って寝るのだが。祖父が亡くなった知らせがあったので明日田舎へ向かいたいので有給を申請したいのですがとやや萎縮しながら伝える。すると上司は先程の眠そうな声から一変、猛烈な勢いで捲し立てた。何を寝ぼけたことを言っている、仕事を舐めてるのか、祖父が死んだ位で申請が通ると思ってるのか甘えるな、申請は受けんし会社には来い、嫌なら辞めろ代わりはいくらでもいる…

激昂した言葉の散弾銃に思わず謝って撤回したくなる、もういいだろうか、別に子供の頃の思い出だ、そもそも本当にあったのか…

頭の中でぐるぐる色々な言い訳が巡る。その中で彼女の腫れた目の笑顔がはっきりと甦る。今、行かなければ一生後悔する。俺は上司に伝えましたので、と告げると話を強引に終わらせてスマホの電源を切った。そしてその足で駅まで走ってきたのだった。

…今思えばなんて無謀なんだろうか。お爺ちゃんの葬式にかこつけてあるかもわからない場所のために会社を休むなんて。もう怖くてあれからスマホは電源を入れていない。もう腹を括れ、そう思ったと同時に目的の駅のアナウンスが流れた。

 

 それからは電車に揺られ、1時間に1本来るか来ないかのバスに乗り懐かしい田舎へと帰ってきた。

ここは何も変わらないな、まるで時間が止まっている様だ。そんなことを考えながら歩いているとやがてお爺ちゃんの家が見えてきた。記憶通りだがこんなに小さかったかな、いや俺が大きくなったのか。

そんなことを考えていると扉が開き母さんが出てきた。母さんは来るなら電話しなさい、少し痩せたか、しっかり食べてるかと色々聞いてきたがまずは上がってお茶でもと中へ入れてくれた。

家の中は親戚やご近所さんやらが一杯集まっていたが、皆ばたばたとしていて俺も何かしなければいけないのかとソワソワしてしまう。母さんはあんたに出来ることは今は無いよ、お爺ちゃんに挨拶してきなと言うと棺のある部屋へと連れてきてくれた。

棺の中ではお爺ちゃんが眠っている。こんなに皺多かったかな、こんなに小さかったっけ、そんなことを考えていると後ろから

「あら、もしかしてお孫さん?」

と若い女性に尋ねられた。誰だろう、親戚ではないのは確かだ会ったことがない、するとその人は自己紹介をし始めた。自分は介護士で訪問介護でよくお爺ちゃんと話していた。本当はこういう場には来ないのだけれどお爺ちゃんのどうしてもしてほしい事のお願いのため参加したことを話したあと手元の鞄から幾つもの封筒を取り出し俺に

 

「あなたのお爺さんがね、ここに帰ってこない孫が唯一帰るとしたら俺が死んだ時くらいだ。その時にこれを渡してやってくれってだからこれはあなたに。」

 

 お爺ちゃんが、俺に封筒を渡すように頼んだ。どういうことだろう、色々気になりながらも封筒を開けて中を確認していく。中には紙、紙、紙どれも紙だけだが中には文が書いてある。試しに一つ読んでみる、え…これってもしかして、それからは次の紙、また次の紙次々読んでいくうちに俺は動き出さずにはいられなかった。その沢山の封筒を鞄に詰め込みバタバタしてる母さんにちょっと行ってくると告げると返事も待たずに走り出していく。今行かなくちゃ、いや今行きたいんだ。俺は長旅で疲れていることなんて忘れて山へ駆けていった。

山の中は昔と変わらず木々が鬱蒼と茂っている。枝や葉がチクチク当たって煩わしい。でもそんなことどうでもいい、絶対に湧水の場所を見つけてやる。無いならあるまで探すだけだ、何処かにあるはずなんだ、いっそ大声で呼んでみようかそんなことを考えていると目の前を大きな風が通り抜けた。思わずめろをつぶってしまうその一瞬にそれはあった。

湧水の場所だ。彼女と別れてから一度も見つけられなかったあの場所だ。

俺は見つけた喜びと安堵にヘナヘナと座り込む。

そういえば昨日仕事から帰ってからねてなかったっけ…。

今更になって追いついた疲れに起き上がれなくなっていると懐かしい、それでいて待ち焦がれた声が聞こえてきた。

 

「やあ、こんな所で何をしているんだい?」

 

俺はバッと振り返る、見た目は大分変わったが間違いない、彼女だ。

肩までだった髪は伸びて腰くらいまである、身長も大分伸びていて着物と相まって落ち着いた雰囲気だがあのくすくす笑いと吸い込まれそうな瞳、何より額の角が証明している。

俺は精一杯の力で立ち上がると絞り出す様な掠れた声で言った。

 

「君に、会いたくて、来たん、だ」

 

そういうとまた力が抜けてヘナヘナと座り込んでしまった。

彼女は一瞬驚いた様に目を開いたがすぐに落ち着いた様子で

「そうなんだ。でも生憎だけどね、私は君のことなんて知らないし知ってたとしても会いたいとも思っていないかも知れな…」

嘘だ…。俺は彼女が最後まで言い終わる前に遮った。彼女が言葉に詰まっているうちに鞄に入れた封筒を見せる。

「これは…」

この封筒は手紙だった。彼女がお爺ちゃんに毎年夏と冬に送っていた手紙だった。内容は俺が元気にしているか、俺と別れたことが辛い、俺に会いたいと言ったことがずっと綴られていた。

 

「ごめんね。遅くなって、俺、帰ってきたよ。」

 

彼女の笑顔の仮面が剥がれて大粒の涙が溢れ出した。

 

 それからはお互い会わなくなってからの話を沢山した。彼女は俺の話をずっとそうかい、そうだったんだと聞いていた。彼女はお爺ちゃんからの手紙からある程度のことは知っていたそうだ。田舎へ来なくなった時は自分が原因じゃないかとずっと自分を責めていたらしい。お爺ちゃんはそんな彼女にずっとこんな田舎より一杯物がある地元の方が楽しいんだろうから気にするな、帰ってこないのが元気な証だと励ましてくれていた様だった。

あの日から彼女は自分の集落に戻ってもずっと俺のことを気にかけてくれていた。でも集落の皆は人に追われたことをずっと忘れずにいて人間は恐ろしい、人間には近付くなと言われ続けてきた。その度に俺と遊んだ思い出がよぎり、そんなことは無いと言い続けてきたそうだ。そして彼女は孤立してしまった。今では集落では腫れ物扱いの様だ。

お爺ちゃんが亡くなったのを風の噂で聞いてせめて遠くから見送ろうとしていた時に俺が山へ入ってきて慌てて隠れたら叫ぼうとしていたので急いでこの場所へ連れてきたらしい。

つい昨日まで忘れていたのに俺はなんて都合がいいのだろう。気が付けば彼女を力一杯抱きしめていた。

最初は驚いた様子で固まっていた彼女だがすぐにそっと背中に手を回し優しい声で囁いた。

 

「おかえり。ずっと会いたかったんだよ。」

 

…そろそろ戻らなければ。俺はそう告げると、彼女は名残惜しそうに俺から離れてこれでもうお別れだね、と言って背を向けて去ろうとする。

そんなことにはならないよ、とその背中に伝えると山を降りた。

お爺ちゃんの家ではやっぱりというか想像はしていたが親戚同士で話し合っていた。この家をどうしようか、売りに出すにもこんな田舎じゃねぇ…、取り壊すにも費用が…、俺はその話の中割って入って誠心誠意の土下座で頼み込んだ。この家に住まわせてくれ、俺はここに住みたい、ここじゃなきゃ駄目なんだ。親戚一同は騒然としながらここに住むってどうするんだ、仕事はどうするんだ、そもそも孫は相続できないぞ、当然の容赦の無い現実が突きつけられる。しかしそんな中、母さんは俺の顔を上げさせ目を見ながら聞いた。

中学からお爺ちゃんの家に来ない、一人暮らししてからは何も連絡もしてこないあんたがこんな我儘をいうんだ、よっぽどの事があるんだね。住んでて後からやっぱり辞めるなんて言わないね。

その問いに俺は迷いなく力一杯頷く。

母さんはわかったというと俺の横に並んで土下座し始めた。

普段は仕送りすら要求しない息子が精一杯のお願いをしてるんです。どうかここを預らせて下さい。

俺は涙を堪えながら一緒に頭を下げ続けた。

 

 それからの話をしよう。

土地は名義としては娘の母さんの物になった。その際の手続きや面倒な書類などが沢山あり申し訳なくなったが母さんはいいんだよ、老後はここで面倒見てもらうからと言い、冗談だよと笑っていた。

職場には退職願を叩きつけた。上司はふざけるなと怒鳴りながら破り捨て圧をかけて来るが気にしない。上司は電話でお前の代わりはいくらでもいると言ったが俺には彼女の代わりはいない。

俺はスマホの録音機能を見せて着信履歴と合わせて労基と弁護士に相談されたくなければ退職を受理しろと言った。上司は殺してやると言わんばかりに掴みかかる寸前だったが気にせず俺は会社をあとにした。

 

今は彼女と2人、お爺ちゃんの家で暮らしている。

本当に驚いたのは俺が来なくなった後のお爺ちゃんの行動力だった。近所や母さん、親戚に鬼がいることを言い続けて俺が鬼と暮らすと言ったら許してやってくれと頼み続けていたそうだ。話半分だった周りもその通りになったので驚いていたがすぐに理解してくれた。お爺ちゃんには本当に頭が上がらない。

でもそのおかげで俺たちは離れていた長い時間を取り戻すんだ…。

彼女がふとこっちを見て何考えてるんだいと尋ねてくる。俺は何でもないよと優しく角を撫でる。

すると彼女は恥ずかしそうにしながら教えてくれた。

 

「子供の頃から君は私の角を撫でるけどね、本来はね、鬼の角を触るのは婚姻の儀なんだよ…」



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アラクネとのシチュ

今回はアラクネさんです。
アラクネとのおねショタで日記形式で書いてます。
やはりアラクネはおねショタが似合う…!


5がつ8にち

 

きょうから日っきをつけようと思います。

きょうからお父さんとあたらしいおうちにおひっこししたからです。

あしたからはあたらしい学校です。

たのしみです。

 

5がつ9にち

 

きょうはあたらしい学校にいきました。

きょうしつであいさつをするとみんなはくしゅをしてくれました。

みんなお兄さんが2人とお姉さんが1人で先生はいなかだからだよと言っていました。

みんなでいっしょにべんきょうしました。

がんばったです。

 

5がつ10にち

 

きょうはお兄さん2人と森の中の大きなおうちにたんけんをするやくそくをしました。

お兄さんはこれができてここのいちいんだと言っていました。

おうちはクモのすがいっぱいでこわかったけどお兄さんがあした1人でいけといっていたのでがんばろうとおもいます。

 

5がつ11にち

 

きょうはびっくりすることがいっぱいありました。

お兄さんのいうとおりおうちの中をたんけんしていると大きなクモのすでうごけなくなってしまいました。

たすけてと大きなこえをだすと大きなお姉さんがたすけてくれました。

お姉さんはおなかから下がクモみたいでとってもかっこよかったです。

 

5月11日

 

今日も日記をしたためる。

同族が各地に向かいいなくなって早十数年、私の唯一の言葉を言える場所はこの日記だけになっていた。

しかし今日は久しぶりに、いや人間相手なら初めてだ。話をした。

誰も来ないはずの屋敷の下の階で助けてと声がした。ここはどうやら心霊スポットとして噂されていて誰も来ないはずなのに…。

また馬鹿な配信者が来たなら姿を見せずに脅かして返してしまおう。

そう思いながら屋根裏から降りていくと小さな男の子が私の糸に絡まっていた。

すぐに解いてあげると男の子は固まってしまっていた。

無理もない。私のこの異形の身体、上半身こそは人間と変わらないが下半身は蜘蛛そのものだ。

この屋敷の本来の所有者の家系には先祖が恩を売ったおかげで住まわせてもらっているがあの所有者も私とは目を合わせないし土地の引き継ぎ以来顔も見ていない。

私は出来るだけ怖がらせて二度とここに近付かせないようにしようとした…のだが、

あの子は目をキラキラさせながら格好良い!と言った。

一瞬呆気に取られたがすぐに落ち着きここには二度と来ない様に脅した。これでいい…。

 

5がつ12にち

 

きょうもクモ姉ちゃんのおうちにあそびにいきました。

学校ではお姉さんがお兄さん2人にぼくにあぶないことをさせちゃだめでしょとおこっていました。

ぼくはクモ姉さんのことはひみつといわれていたのでしゃべりませんでした。

クモ姉さんにぼくのおきにいりのクモ姉さんそっくりのカードを見せました。

いっぱいお話ししてたのしかったです。

 

 

5月12日

 

あの子供がまた来た…。

来ない様に脅したのに私が格好良いからと言っていた。

私の事はクモ姉ちゃんと呼ぶらしい。

誰にも私のことは話していないと言っていたがいつまでもつか…。

あの子が言うには母親はいないらしく父親と2人暮らしで家には誰もいないらしい…。

学校も歳の離れたクラスメイトしかいないので遊び相手が欲しいのだろうか…。

私が怖くないのかと聞くと何かのカードゲームのイラストを見せてそっくりだと言って目を輝かせていた。

確かにそのカードには私みたいな下半身が蜘蛛の綺麗な女性が優雅な笑みを浮かばせていた。

私はなるほど、今時の子だなと思いつつ話を聞いていた。

思えば誰かと目を見て話すなんて何年ぶりだろうか。

暗くなってきたので帰したが明日も来るのだろうか。

 

5がつ13にち

 

きょうはクモ姉ちゃんのおうちでぼくのおきにいりのゲームをもっていきました。

わるいモンスターをやっつけてだいまおうをたおすゲームをしました。

クモ姉さんはたのしそうにしてたけどモンスターをやっつけているとだんだんかなしそうなかおになってしまいました。

ぼくはこのゲームはもうやりたくないとおもいました。

 

5月13日

 

やはりあの子は今日も来た。

あの子はゲームを持ってきたから一緒にしようと言ってテレビに接続し始めた。

この屋敷には幸い電気が通っている。必要最低限の生活に必要な物も揃えているので困ることはない。

しかしテレビゲームは初めてだった。

あの子が持って来たゲームはとてもリアルで私の想像していた物とは大きく違っていてとても新鮮だった。

悪いモンスターを勇者の主人公がやっつけて大魔王を倒すんだとあの子は説明しながら出てきた敵を斬り倒していく。

その中には人の様な見た目だが羽が生えていたり角がある様な敵もいる…。

そうだ、たとえ人と似ている姿をしていても化け物は恐ろしい存在で人間の敵なのだ。それは私も…。

そう考えているとあの子は心配そうな顔で私を見ていた。そんなに辛そうな顔をしていたのだろうか。

あの子はそれからはゲームを止めて私に色々話をしていた。あの子に気を使わせただろうか。もう来なくなるだろうか。それがいい。私とあの子では住む世界が違うのだから…。

 

5がつ22にち

 

ひさしぶりに日っきを書きます。

クモ姉ちゃんとまいにちあそんでいたのでかくのをわすれていました。

お父さんに言うとお父さんは書きたいときに書いたらいいんだよと言ってくれました。

ぼくは色んなおもしろいことがあったときに書こうと思いました。

 

5月22日

 

あの子は毎日学校が終わったら私の屋敷に遊びに来る。

例のゲーム以来もう来ないだろうと思っていたが次の日も笑顔で遊びに来た。

私は少し肩透かしを食らった様な感じがしたが同時に少し安堵していた。

あの子はゲームだけが遊びじゃないからと外で走り回ったりお菓子を持ってきて一緒に食べたりした。

ある時は私の糸を凄い凄いとはしゃいでいたのでブランコやハンモックを作ってあげた。

こんなに遊んだのはいつ以来だろうか…。

今日はあの子も日記を書いていることを話した。

でも最近は書けていないらしいが父親が言うには書きたい時に書いたらいいらしい。

私も最近は日記を書いていなかった。

あの子と遊んだ後は疲れて寝てしまっていたし元々話し相手がいなくて書きはじめたが今はあの子がいる。あの子は何か会った時に書こうと言っていた。

私もそれでいいかもしれない。

 

6がつ3にち

 

きのうはクモ姉ちゃんのおうちにおとまりにいきました。

お父さんがおしごとでおとまりするとでんわでいっていました。

お父さんは1人でだいじょうぶかと言っていましたがだいじょうぶと言いました。

でもくらくてカミナリもなっていたのでこわかったのでクモ姉ちゃんのおうちにいきました。

クモ姉ちゃんはおふろにいれてくれていっしょにねてくれました。

たのしかったです。

 

6月2日

 

夜更け過ぎに扉を叩く音が聞こえた。

私は最近は来ない心霊スポット探索の類いなどかと思い警戒していたがあの子だった。

あの子がびしょ濡れで立っていた。

外は真っ暗で何より土砂降りで雷も鳴り響いている。何故こんな時間に来たのか、何があったのか聞いた。

あの子は父親が仕事で帰って来れないから遊びに来たと笑って言っていた。

顔は笑っているが少し強張っていて体は震えている。こんな雷雨の中傘もささずに走ってきたのだろう。小さな子供には1人は不安で怖かったに違いない。この子がここに来たのは他に頼れる所など無かったからだろう。

私はとにかくびしょびしょの冷え切った体を温める為に風呂に入れ今日は泊まる様に言った。

1人の寂しさはよく知っている。あの子は周りを不安にさせまいといつも笑顔でいるのだろう…。

布団は1枚しか無いが私は自分の糸でハンモックにして普段寝ているから使った事がないのでそこに寝かせる。

何か欲しいものはあるかと聞いたら手を繋いでいて欲しいと甘えたように言った。

私はあの子が寝付くまでずっと手を握っていた。

本当に久しぶりに人の手の温もりを感じた…。

 

6がつ15にち

 

きょうはお父さんがしごとでかえれないのでクモ姉ちゃんのおうちにおとまりにいきました。

おうちのまえにいくとスマホをもった金ぱつのお兄さんたちが車できていました。

お兄さんたちはしんれいスポットのちょうさと言ってカメラでおうちをとっていました。

ぼくはクモ姉ちゃんがだれにも言ってほしくないと言ってたのでお兄さんたちにやめてと言うとこわいかおでジャマとけられました。

こわかったけどすぐにクモ姉ちゃんがたすけてくれました。

ぼくがごめんなさいと言うとクモ姉ちゃんはすこしかなしそうなかおをしてしまいました。

やっぱりひみつがバレちゃったからかなとぼくもかなしくなりました。

 

6月15日

 

今日は最大の失敗をしてしまった…。

以前の土砂降りの事があってから私は父親が帰れない時は家に泊まりにおいでと伝えた。一応父親には内緒にしておく様に釘を刺して。

そして今日はあの子が泊まりに来る日だった。

私はあの子が転ばない様にと普段出している糸を集めて屋根裏に収納していると外から車の音がした。

窓から外を覗くといかにもな男が3人、心霊スポットの配信にきましたーっと大きな声で騒いでいた。

あの様子だと酒も入っているのだろう…。

飲んだことは無いが酔ってもあぁはなりなくないモノだ。

少し身を隠さないと…。

そんなことを考えていると外でもっと大きな声が聞こえた。

あの子が一所懸命に辞めて!中に入らないで!と叫んでいた。

私のことをバラさない約束を守ってくれている…。心に温かいものが生まれる。しかし次の瞬間それは一瞬に凍りついた。

金髪の男があの子を邪魔だと蹴り飛ばしたのだ。

次の瞬間私は窓から飛び降り恐らく人生で一度もしたこともない形相で男たちに死にたくなければ失せろと怒鳴った。

男たちは化け物だ!殺される!と叫びながら逃げていった。

私は置き忘れたカメラを脚で踏み潰しあの子を見た。

あの子は歯をカチカチと震わせながら怯えていた。そして絞り出す様にごめんなさいと謝った。

やってしまった。男たちを追い払った私の姿は凄く怖かったのだろう…。

化け物、殺される、あの言葉が頭をグルグル回る。

今日はあの子は別の部屋で寝る様に言った。

こんな化け物と一緒は怖いだろうから…。

 

6月16日

 

リビングで朝食を用意しているとあの子がやってきた。凄く辛そうな顔をしていたので私はもうここに来るのを辞めるか聞いた。するとあの子は泣きながら謝ってきた。秘密がバレちゃってごめんなさい!嫌いにならないで!そう叫ぶのだ。

私は何か噛み合ってない様に感じて私が怖くなったんじゃないのか聞くとそんな訳ない!格好良かった!と言うのだ。

あの子は私が怖くなったんじゃなくて私との約束を破ったから嫌われると思ってそれを謝っていたのだ。

私は昨日感じた温かさよりももっと熱いものが溢れていてあの子を精一杯抱きしめた。嫌いになる訳が無い!ありがとう!朝食を忘れてあの子をずっと抱きしめていた。

今思うとちょっと恥ずかしい…。

 

6がつ25にち

 

きょうはひさしぶりにクモ姉ちゃんのおうちにあそびにいきました。

まえにクモ姉ちゃんにぎゅーっとされてからおうちにいこうとするとかおがあつくなってしんぞうがドキドキしてはずかしくていけなかったからです。

クモ姉ちゃんはムスッとしていてちょっといじけていました。なかなおりしたいです。

 

6月25日

 

やってしまった…。

今日はあの子が来たのに全然来てくれなかったことと前に抱きしめたこともあって気まずくてついそっけない態度を取ってしまった。

あの子は何も悪くないのに…。

嫌いにならないといいな…。

 

6月27日

昨日の記憶があまりない…。

朝起きると頭がガンガンするし気持ち悪い…。

昨日はあの子が泊まりに来て確か仲直りにとお小遣いでコーヒーのペットボトルを買ってきてくれたのだった。子供の少ないお小遣いで買ってくれたこと、嫌いになってなかったことが嬉しくて飲んで…。

そこから記憶がない。

蜘蛛はカフェインで酔うとテレビで言っていたがまさかアラクネの私も同じだなんて…。

あの子に昨日私は何をしていたか聞いても顔を真っ赤にして教えてくれない。相当恥ずかしいことをしたのだろう…。

酔っても馬鹿なことはしないと思っていた自分を殴りたい。

…一体何をしでかしたのだろう。

 

6がつ27にち

 

きのうはクモ姉ちゃんのおうちにおとまりにいきました。

なかなおりがしたかったのでお父さんにおとなが好きなものってなにときくとおさけとコーヒーが好きだよっていいました。

おさけは子どもはかえないのでペットボトルの大きなコーヒーをかいました。

クモ姉ちゃんにあげるとよろこんでのんでくれました。

クモ姉ちゃんはコーヒーをのむとかおをまっかにしてぼくにだいすきとなんかいも言ってぎゅーっとしてくれました。ぼくもはずかしいけどだいすきと言うとうれしそうにいっぱいのあしでもぎゅーっとしてくれました。

うれしかったけどおぼえてなかったのでぼくのひみつにしようと思いました。

 

 

3がつ8にち

 

今日、荷物を整理していると懐かしい物が出てきたので久しぶりに日記を書いてみる。

子供の頃の僕へ、あの日初めて彼女に会ってからずっと彼女の家に遊びに行っていたね。

あの頃から随分経ったんだ。

大きくなっていくと色々なしがらみもあるけど大丈夫だよ。

あの日彼女が酔って大好きと言った言葉とあの日君が返した大好きという言葉は今もずっと変わらない。

僕は今でも彼女が大好きだし彼女とはずっと一緒にいる。

君にはこれから色んな障害もあるけど彼女が好きな気持ちと彼女がいればそんなものは乗り越えられる。

手紙みたいになってしまったな…。

日記というならこれだけは書かなければいけない。

今日、彼女は嬉しそうな顔で僕に教えてくれた。

僕はもうすぐ父さんになるんだ。



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番外編 影のお宿

番外編です
1話から3話までのキャラがでますが読んでなくても楽しめます。
こんな形で各話のキャラ達が出会うのが好きなのでちょくちょくこういうのも挟みたいと思っています。


 朝6時、俺はいつもの時間に目を覚ます。

ここに引っ越して随分経った。無理矢理な形で退職したがなんとか退職金も貰えたのでそれを元手にやりくりしながら仕事を探そうと思っていたが意外とすんなり見つかった。なんでもお爺ちゃんの孫なら大歓迎とのことだった。田舎とはいえやはり顔が広かったんだなと改めて思う。

 

「どうしたんだい?休みの日まで早起きかい?」

 

クスクス笑いと共にベッドの隣で声がする。見るとさっきまで寝ていたのだろうがいつものからかう様な笑顔、そして額にちょこんと生えた角がトレードマークの可愛い嫁がこっちをじっと見ていた。

 

「どうしても毎日の習慣って抜けないものでね。でも朝起きて夜寝る生活のリズムって凄く大事だって痛感してるよ。」

 

 俺は彼女の角を撫でながらそう答える。前の仕事を辞めた後もしばらく夜に眠れずその都度嫁が話を聞いてくれていた。そうして撫でていると照れ臭いのか嫁はいじわるそうなでも恥ずかしそうな様子で

 

「夜に寝てるねぇ…。本当にそうかな?」

 

とからかってくる。俺は昨日の夜を思い出す。確かに昨日は夜はお互いに遅くまで求め合った。

仕方ないじゃないか。昔は色々あって会えなくなってようやく再会出来てしかもこんなに美人になってるんだもの…。俺にとっては今この瞬間こそがまるで夢の様で少しでも現実だって感じたいんだ…。

そんなことを考えていると嫁は段々と顔が赤くなっていき掠れるような声で

 

「…考えてることが全部、口に出てるよ。」

 

と耳打ちしてきた。

さぁ…急いで朝ごはんを食べよう、そうしよう。

俺たちは何も言わず服を着てリビングに向かった。

 

 リビングでテレビを見ながらキッチンで料理している嫁を見る。最初はご飯は2人で作ろうと提案したが嫁はそれをピシャリと断った。

 

「君好みの料理を作りたいんだ。こればっかりは嫁である私の特権だよ。」

 

嫁は頑なだった。母さんから好みを教わっているようで確かに嫁の料理は絶品で外食なんてする気にもならない。

 味噌汁の香りがふわっと鼻をくすぐる。確か昨日ご近所さんからお野菜をお裾分けしてもらったと言ってたっけ。本来鬼である嫁が近所付き合いや母さんとも仲が良いのは全部お爺ちゃんのお陰だ。お爺ちゃんが頑張ってくれたから今の幸せがある…。

そんなことを考えていると玄関から郵便です、と声が聞こえてきた。どこか甘ったるい様な不思議な声だ。

俺は玄関に向かって返事をして判子を持っていく。しかし扉の向こうには誰もいないし誰かいた気配もない。不思議に思っていると足元に俺と嫁宛ての封筒がポツンと置いてあった。

 

『この度は新しくできた旅館にご招待したく手紙を綴りました。人ではない方でも気軽に泊まれる様に配慮してあります。気持ちのいい温泉と心地よい夢を提供します。もしご興味がありましたら来週の土曜日朝8時にお迎えにあがります。それまでに封筒に2人分の料金をお支払いの上、ご自宅の郵便受けにお入れ下さい。

                影のお宿  』

 

嫁と2人で読み終わると互いに顔を見合わせた。

 

「鬼の一族…ではないよね?」

 

「当たり前だよ。君も知っているだろう?私の集落は人間と関わりたがらないから…。」

 

そう、嫁の集落の鬼たちは人と関わらない。むしろ俺と一緒にいる嫁は集落に戻ることはないと覚悟している位だ。

ここらでも影のお宿なんて聞いたことも無いし新しい旅館なんて話もない。

いたずらにしては手が込んでいるし何より嫁が人間じゃないことを前提とした内容だ。

手紙の裏は料金表になっていて大人、子供と値段も丁寧に書いてある。

…ばかばかしいと一蹴したくなるがふと思う。嫁は近所付き合いもよく色々な所に行けるがそれはこの

田舎に限った話だ。ここから出て他の例えばちょっと街に出ればすぐさま好奇の目に晒されるだろう…。それは嫁も望むところではないようで基本近所と母さんしか関わりを持っていない。

 

「…騙されたと思って行ってみるか。」

 

俺がそういうと嫁は驚いたような戸惑った様な顔で

 

「ちょっと待ってよ。色々おかしいじゃないか。もし変な興味本位の奴に見せ物にでもされたらどうするんだい?そんなことになってまた離れ離れになったらもう耐えられない…。」

 

嫁の声が震える。確かに嫁とまた会えなくなるのは俺だって耐えられない。きっともう生きている意味すらなくなるだろう。だからこそ俺は嫁を抱きしめながらこう言った。

 

「俺だって一緒にいられなくなるのはもう二度とごめんだ。でもこの田舎で引きこもって他との交流を無くしてしまうのはそれこそお前が嫌がった集落と一緒じゃないか。それに俺にはお前が必要なんだ。もし離れ離れにしようとしても絶対に守ってやる。どんな手を使っても一緒にいる。」

 

嫁は震えていたがやがて決意を固めたようでそっと離れると涙まじりで赤らんだ顔でクスクスと笑いながら

 

「全く…。いつからそんな格好良い台詞が出るようになったんだい?思わずにやけちゃうじゃないか。頼りにしてるよ旦那様。」

 

と肩を預けてくれた。

 

 それから1週間はあっという間だった。俺たちは2人分の料金を封筒に入れて郵便受けに入れてすぐにカタンと音がなりあっという間に封筒は消えていた。

嫁は旅行の準備をしながら俺は仕事に帰ってから手伝った。嫁は不安そうだったけど俺の顔を見ると安心した様に笑顔になる。

思えば新婚旅行なんて行っていない。嫁と言っているが鬼の彼女と婚姻届なんて出せるわけがないからお互いに結婚していると言っているだけだ。

なんだかんだ不安半分楽しみ半分な自分がいる。

もし手紙通りなら素敵な温泉があるのだろう。

嫁と2人で温泉か…。なんて考えていると嫁がジトーっとした目で

 

「鼻の下が伸びているよ。…スケベ。」

 

いかんいかん、どうやら浮き足だっている様だ。俺は慌てて荷物をカバンに詰め込んだ。

 

 土曜日朝8時前、そろそろ迎えが来る時間だ。2人でソワソワしていると嫁はどんどん不安と緊張が入り混じった顔になっていく。俺は嫁の手をギュッと握る。お互いに顔を合わせてどんどん顔の距離が近くなっていく。ふと目をやると影だけが伸びて2人が重なっている。影は壁まで伸びてまるでアーチの様だ…。そう思っているとアーチから声が聞こえてきた。

 

「お迎えに上がりました。さぁ、この影を通った先が我が旅館なります。準備はよろしいですか?どうぞいらっしゃいませ。」

 

2人で変な声が出た。影のお宿とは言っていたけど本当に影にあるのか?壁に向かって歩いて行くのか?色々な疑問が浮かびながらも俺は嫁の手をしっかりと握って影の中に飛び込んで行った。

壁に激突…とはならずに暖かい暗闇が広がっていった。

 

 暗闇から抜けるとそこには静かな竹林の中に新しい、それでいて趣のある小さな旅館があった。風がサーっと吹き抜ける感じが気持ちいい。

ふと嫁に目をやると驚いた様なでも楽しみなことを隠しきれていない様な顔で俺を見ている。

とりあえず入ろうか。そう言って入り口の扉を開ける。するとそこには俺と同年代くらいだろうか。着物を着こなした男が立っていた。

 

「ようこそいらっしゃいました。突然の招待状で申し訳ありませんでした。お客様方のことは風の…いえ影の噂で聞いておりましたのでぜひ来ていただきたいと思っておりまして…。」

 

男はそう言うと深々と頭を下げる。聞くと男はこの旅館の主人らしく夫婦で営んでいるそうだ。

 

「奥さん…いや女将さんはどちらに?」

 

そう尋ねると男はにこにこと笑顔を崩さず自分の影に目をやるとこう言った。

 

「この影が私の女房です。今挨拶しますので。」

 

そういうと男の影がどんどん壁に伸びていきやがて形を変えて女性の姿に変わっていった。

 

「ようこそいらっしゃいました。私は影のお宿の女将の影女と申します。本日はごゆるりとお過ごし下さい。」

 

甘ったるい様なそれで色気のある声でそう言った。

 

 彼女に案内されるままに部屋にたどり着いた俺たちは荷物を下ろして伸びをしていた。

彼女は案内後に

 

「他のお客様もいらっしゃいますのでもし騒がしかったりした場合はお伝えください。」

 

と言って去っていった。

鬼以外にも人間じゃない種族っているんだなぁと嫁に言うと嫁も知らなかった様で

 

「びっくりしたよ…。影なのに喋って案内までしてくれるなんて。ひょっとすると自分達以外にも人間じゃない種族もいるのかも…。」

 

と衝撃を受けていた。

さて、これからどうしようか。旅館といっても温泉街みたいに色々ある訳でもなさそうだしかと言って今から風呂に入るのもなぁ…。そんなことを考えていると廊下の方から元気な子供の声が聞こえてくる。

そういえば他の客もいると言ってたな…。

この宿の招待客ならもしかすると同じ様に人じゃないのかもしれない。

そんな好奇心から扉越しに廊下を覗く。

すると凄く楽しそうなはちきれんばかりの笑顔ではしゃぐ男の子とそれを一所懸命制しながらも振り回されてる女性がいた。ただ1つ女性の特徴を挙げるなら彼女の腰から下が蜘蛛だってことだった。

 

「今日はりょこうだ!2人でりょこうだ!ありがとうクモ姉ちゃん!」

 

「わかったから少し静かにしなさい…。他のお客さんもいるって言ってたでしょ。」

 

そんな会話をしながら歩いている。親子…では無いよな。そんなことを考えているとふと蜘蛛の女性と目が合った。ビクッと警戒した様な表情をしてこちらを見ている。俺は咄嗟に

 

「…どうも。」

 

と会釈した。すると嫁もどうしたのかと顔を出して同じ様にどうもと会釈するのだった。

 

 今現在俺たちはロビーにいる。俺と嫁とさっきの少年とクモ姉さんのメンバーだ。

クモ姉さんも1週間前に手紙が来た様で最初は怪しんでいたが少年が旅館でお泊まりというワードに目を光らせたのでやむなく行くことにしたそうだ。

 

「なにかあったらぼくがクモ姉ちゃんをまもるからね!」

 

少年が胸を叩いて言うとクモ姉さんはありがとね、と少年の頭を撫でる。少年は顔を赤くしながらも振り払おうとはしない。よく見るとクモ姉さんも何処か照れ隠しの様にも見える。

そんな様子に嫁が

 

「しかし驚いたよ。鬼以外にも色々な種族がいたこともだけど私みたいに人と縁を結んでるなんて。」

 

その言葉にクモ姉さんは顔を真っ赤にして捲し立てる。

 

「え、縁って!この子とはたまたま色々あって一緒にいるだけだから!」

 

「ねーねー、えんってなーにー?」

 

少年が俺に質問してくる。俺は出会うきっかけや仲良くなることだよと教えた。

 

「それならそのえんはクモ姉ちゃんのおかげだよ!クモ姉ちゃんはいつもぼくをたすけてくれるんだ!」

 

笑顔の少年からクモ姉さんは顔を逸らして助けてもらってるのは私の方だっての…と呟いていた。

 

 色々と話しているとそろそろ夕食の時間だと女将さんが伝えてくれたのでお互い部屋に戻ることにした。嫁は滅多に外食はしない。それというのも地元の田舎にはファミレスなんかは無く少し街にまで行けないからでどうしても家で作れないものなんかはご近所さんがテイクアウトして持ってきてくれていた。竹林の中の料理だしきっと山菜みたいな山の幸の料理だろうか。

結論から言うと想像した食事とは全く違っていた。お造りの盛り合わせにサザエやあわびと言った海鮮尽くし、しかも漁れたての様にコリコリしている。

嫁は山で育ってきて魚といえば田舎にある魚屋でしか買ったことがないからかあまりの美味しさに目を輝かせている。でもこんな近くに潮の香りもしない場所でどうやったらこんなに新鮮なものを…。

食器を下げに来た主人に聞いてみると主人はにっこりと笑い

 

「妻がですね、色々な影の繋がりがありまして。新鮮な魚から採れたての山菜まで提供できるのですよ。今回、お客様は山の近くにお住まいと聞いていましたので海の幸をご用意致しました。お口に合いましたか?」

 

なるほど、ここでの影の繋がりとは裏とかではなく本当に影なんだろう。そういえばここに来た時も影の噂と言ってたな…。きっと女将さんは影を通して色々な所に繋がれたりするのだろう。俺と嫁は最高でしたと告げると主人は満足そうに去っていった。

…ここからは1番のお楽しみ、温泉だ!

 

 …なんてことだ。家族風呂がない…だと。俺は嫁と一緒にお風呂に入れると思ってわくわくしてたのに大浴場しかなくしかも男、女と別れているじゃないか…。あからさまにガッカリしていたのだろう。嫁は俺の顔を見て

 

「…スケベ。」

 

と言うと女と書かれた暖簾をくぐって行ってしまった。まぁいいか。きっとあの少年は小さかったのでクモ姉さんと女湯に入っているだろうし大きな風呂を独り占めだ。と半分ヤケになりながら服を脱いでいく。引き戸の曇りガラス越しに見えるが露天風呂の様だ。竹林の中で月を見ながらのんびり浸かるのもいいだろう。そう思い勢いよく戸を引くと既に先客がいた。あの少年だった。

 

「あれ?クモ姉さんと一緒に入らなかったのか?」

 

そう聞くと少年は恥ずかしそうに話し始めた。

 

「今日のばんごはんの時におさけがでたんだ。それでクモ姉ちゃんはぼくもいるしおさけはいらないって言っておちゃをたのんだんだ…。そしたら前にコーヒーをプレゼントした時みたいになっちゃって…。」

 

そう話していると壁一枚隔てた女湯から大きな声が聞こえてきた。

 

「らからね!あろ子はこんな見た目のわらしに格好良いって言ってくれらんらよ!しかも強面のおろこらちに立ち向かってくれらんらよ⁉︎あー‼︎もうらいすき‼︎‼︎」

 

「そ、そうか…。それは凄いことだね。ところで少し落ち着いたらどうだい?」

 

最初に会ったクモ姉さんとは別人の様に捲し立てている。そういえば蜘蛛はカフェインで酔うと聞いたことがある。ならクモ姉さんもそういうことなのかな?それにしてもあの嫁が完全にたじたじなのも珍しいな…。

少年に目をやると恥ずかしそうに湯船に顔から半分浸かってぶくぶくとしている。

なるほど、きっと前もこんな感じだったんだろうな。でもこの子もきっと…

 

「なぁ、クモ姉さんは好き?」

 

俺が聞くと少年は顔を真っ赤にしながら

 

「…うん。すきだと…おもう。」

 

と小さな声で呟いてクモ姉ちゃんには内緒ね!とすぐに釘を指してきた。もちろん言うつもりなんてない。

 

「それならな、どんなことがあっても一緒にいろよ。」

 

俺は少年の頭をくしゃくしゃと撫でながらそう伝える。少年はうわーと言いながらも笑いながら俺の手を受け入れていた。

 

 しばらくして風呂から上がって女性陣を待っていると身体の疲れみたいなのが取れてふわふわした心地良い感じの感覚が包み込んでいる。今なら布団に入るとすぐに寝てしまうだろう。少年も同じ様で既にゆっくりと船を漕ぎ始めている。少年を俺にもたれさせ椅子に座っていると壁の影が徐々に近づいてきた。俺は女将さんだと気付いて会釈すると女将さんはゆっくりと話し始めた。

 

「今日は、1日ありがとうございました。当温泉には疲労回復の他にも安眠作用などがあります。そしてこの宿ならではでお客様に最高の夢をもてなすことができます。ですので今晩は夜更かしなどせず早めに寝られますようお願いします。」

 

最高の夢、確か手紙にも書いてあったな…。キャッチフレーズじゃなくて文字通り夢なのか。まぁこんな不思議な旅館だし今更驚かないし俺もこの心地のままで寝てしまいたい気持ちもある。

そうしていると女性陣がやってきた。嫁も俺と同じ様にふわふわした感じになっているがクモ姉さんは…真っ赤になった顔を手で必死に隠している。

あの赤みは酔いではないだろうな。

嫁はコソッと俺に

 

「あの温泉に浸かっていると酔いも覚めてきたみたいなんだけど、自分の言葉に恥ずかしくなっちゃったみたい…。」

 

と耳打ちした。なるほどあの温泉にはそんな効果もあるのか…。そんなことを考えているとクモ姉さんは必死な顔で

 

「何も!聞こえてないわよね⁉︎」

 

と確認してくる。俺はすぐに首を横に振った。何も聞こえなかったともなぁ?と少年を見るともう完全に寝かかっている。なるほどさっきから会話に参加しないのはそういうことか。

俺はさっき女将さんが言ってたことを伝えると2人は不思議そうな顔をしながらもまぁこの旅館ならと納得していた。

俺たちはここで解散してお互いの部屋に戻ることにした。俺は少年を抱えようかとクモ姉さんに尋ねたが大丈夫と抱えていった。抱えた瞬間の顔は何というかとても愛おしい宝物を抱きしめる様に見えた。

 

 

 蝉の声が賑やかにあっちこっちで聞こえる。汗が頬を伝って溢れてくる。俺は麦わら帽子と虫取り網を持ってかつての湧水の場所に立っていた。あぁ…これは夢だ。それも忘れられない小学6年の夏の夢…。彼女と会えなくなる夏の夢。ほら、あそこに彼女が立っている。泣き腫らした後を隠す様に笑っている。思った通り彼女は俺にこう言うのだ。

 

「もう君とは会えなくなってしまった。」

 

俺はその言葉を言い終わる前に彼女の手を握った。

驚く彼女に俺は精一杯の言葉を伝えた。

 

「俺はお前が好きだ!集落の掟がなんだ!そんなもので俺はもう離れたくない!もう二度とあんな悲しい手紙はごめんだ‼︎…俺にはお前のいない毎日なんてもう考えられない。だから…ずっと一緒にいようよ。」

 

必死に言ったから息が上がっている。でもこれが俺の気持ちだ。あの時出来なかった俺の後悔だ。

彼女は一瞬驚いた様な顔をしたけどすぐにクスッと笑った。…それはいつも見ているあの笑顔だった。

 

「わかっているよ。旦那様。」

 

 

 俺と嫁が目を覚ましたのはほぼ同時だった。夢の中ではあの告白のあと色々なことをして遊んだ。進学して高校、大学となっても俺たちは一緒に成長した。そして当時出来なかったことを沢山した。

嫁におはようと言って急に照れ臭くなる。夢とはいえ流石に恥ずかしい。ふと目をやると嫁も顔を真っ赤にしている。

…もしかして。

 

「昨日どんな夢を見た?」

 

なんとなく答えは分かってたけど確認してみる。

 

「…多分、一緒の夢だよ。旦那様。」

 

嫁はクスクスとそれでも晴れやかな笑顔で答えるのだった。

 

 

 身支度も済んだしそろそろ帰る準備も出来た。あの少年とクモ姉さんはお父さんが泊まりから帰って来るからと早めにチェックアウトした。

2人にどんな夢を見たか聞いてみると少年は

 

「クモ姉ちゃんといっしょにゆうえんちとかどうぶつえんとか色んなところに行ったんだ!たのしかった。にっきにわすれないように書いておくんだ。」

 

とはしゃいでいた。クモ姉さんはというと…

 

「大人になったこの子と…なんでもないわよ。内緒よ!内緒!」

 

と教えてくれなかったが隠し切れてない赤い顔がいい夢の証拠だろう。

嫁と2人で主人と女将さんに挨拶に行く。いい夢は見れましたかと聞かれたので2人で最高でした、と答えると主人は満足そうに

 

「それは良かったです。実は女将の力でお客様達の理想の世界をお楽しみいただきたく当旅館を造りました。ですのでその言葉こそが1番ありがたいのです。」

 

そして深々と頭を下げ、女将さんが

 

「今後また泊まられたくなりましたら今回と同じ様にご自宅の郵便受けに手紙を入れていただくと都合のいい日にご予約しますのでまたお待ちしております。」

 

そう言うと影を扉みたいにしてお出口ですと案内してくれた。

扉をくぐる時に俺は嫁の手をしっかり握り嫁にしか聞こえないような声で

 

「夢みたいにあの日に離れなかったらって思うことはあるけど、今は今で最高に幸せだから、俺。」

 

そう伝えると嫁はクスクス笑いながら小さな声で

 

「私もだよ。」

 

と囁いた。

 

 

 

 

 

 

「…今日のお客様達も満足そうだったね。ありがとう影女。」

 

僕は身体を伸ばしながら彼女にお礼を言う。昔彼女に助けられてからずっと一緒にいた僕は色々な話を聞いた。その中には彼女みたいに人じゃない存在もいて中には人とそういう仲になっているそうだと。

僕は夢がなかったけどこの時にそうだと思った。

そういう人達は基本的に何処かに遊びに行けない。それならそういう場所を作ればいいんだと。僕は色々なことを勉強して影女も手伝ってくれたおかげでこの影のお宿は完成した。

 

…でも彼女は今ちょっと拗ねた様な顔をしている。と言っても影なので表情はわからないが。

 

「いーなぁ…。あの人達は手を繋いだりできて。あたしも手を繋いだりしてみたいなぁ…。」

 

なるほど影だものな。一度だけ影から出てきたことはあったけどあれは特別だしあの時だって触ることは出来なかった。

 

「あぁ…確かに。それならほら、そっちの柱の影に移って。」

 

彼女はキョトンとしながら僕の影から柱に移る。僕は伸びた影の手を彼女の手に重ねる。

 

「こんなのじゃ…駄目かな?」

 

自分て提案したけど少し自信が無くなってきた。

彼女は自分の手を見て凄く明るい甘えた様な声で

 

「ううん…!最高!ありがとう!ところで今日はこれで終わりって訳じゃないよね?」

 

とはしゃいでいる。僕は喜んでる彼女に満足して

 

「もちろん!今日は色んな話を思いついたんだ。いっぱい話をしよう。」

 

そう言って2人並んで部屋に帰っていった。



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スキュラとのシチュ

小さな町工場で家族と暮らしている主人公が色々な不幸に見舞われていきその中で1人のスキュラと出会う…
スキュラは思い入れが強い種族なので精一杯書きました!
スキュラの触手で全身巻きつきハグをしてほしい…


 波に揺られて客船は進む。潮風が肌を撫でてカモメ達は賑やかに鳴いている。甲板では楽しそうなグループがワイワイと走り回っている。そんな人達の中で俺は1人でいた。どこか遠くへ行きたい…。地元から出来るだけ離れたい。そんな気持ちで俺はこの船に乗っていた。

 きっかけは両親の死だった。家は決して裕福とはいえない町工場だったけど家族でなんとか切り盛りしてきた。ある日、父が作業中に事故を起こした。腕が上がらなくなる結構大きな事故だった。3人で仕事を回すだけでもカツカツだったのに何を思ったかメディアが取材に来た。事故のことだと思った俺たちはその時の経緯と後遺症が残っているが仕事は大丈夫だと伝えた。

これが大きな間違いだった。取材の目的は事故のことではなく俺たちの様な小さな工場などの実態というドキュメントだった。その内容は俺たちの話などほとんどカットされていて色々な工場がいかに大変で休み無く働いて怪我をしてもお構いなしな奴隷の様な現状と伝えていく…。慌てて取材に来た局に電話をしたが部署が違うだのとたらい回しにあった挙句、申し訳ないが報道したものは取り消せないと言われた。そしてテレビに取り上げられた結果、請負先のほとんどが仕事を回してこなくなった。そんな環境で色々なことに厳しい昨今では難しいとの話だった。

そして事件は起きた。俺は色々な企業に売り込みに行って帰ってくると両親は天井に首を括っていた。なんとも言いがたい異臭が漂っている。そこからはあまり覚えていない。警察と救急隊が駆けつけてきて説明をして…。その中で俺の頭の中は何故両親は俺を置いていったのだろうかしかなかった。

 

 葬儀が終わり、色々な知り合いやかつての請負先が挨拶に来た。皆悲しいでしょうと慰めに来たが俺の中には悲しんでいる暇もなくこれからどうしようかといっぱいいっぱいだった。そこへ彼らが現れた。かつて取材に来たメディアの奴ら、彼らはお悔やみ申し上げますと一言言うと現代の闇、町工場の現実として特集を組みたいと言い出した。何を考えているんだ…。お前らのせいで、お前らが来なければ、殺してやる、色々な考えで頭がぐちゃぐちゃになる…。もう嫌だ、人間は嫌だ、どいつもこいつも好き勝手に言いやがって…。両親もだ、俺も一緒に死ぬことを申し訳なく思っていて残したのかもしれないがこんな世界にいたくなかった。

何処か遠くへ行こう…。

俺は通帳の残高を全て引き出し客船の予約を取った。場所はどこでも良かった。うんと遠い所、自分を誰も知らない所…。そのあとのことなんて何も考えていなかった。

 

 船は優雅に進んでいく。水平線の端で鳥が群がっている。魚の群れがあるのだろうか…。ぼんやりと眺めていると大きく船が揺れた。ドンという衝撃が背中にくる。一瞬振り返ると先程からにぎやかだったグループの1人がバランスを崩してぶつかったのだとわかるが俺の身体はそのまま甲板から投げ出され冷たい海の中へと落ちていく。水のでは服がどんどん重くなっていきもがけばもがくほど底へ沈んでいく。鼻の中と喉に海水が入ったのだろう、ヒリヒリすると共に息苦しさに呼吸をしようとして水を飲み込んでしまう…。

…そうだ、何を足掻く必要があるんだ。俺にはもう何も無い。このまま死ぬならそれでもいいじゃないか…。次第に身体を動かすことを止めて底へ底へと沈んでいくことを許していく。意識が次第に消えていく…。お迎えって本当にあるんだな。ぼやけた景色の中でまっすぐに女性が近付いてくる。それが暗い海の中で最後に見た光景だった。

 

 俺の部屋に眩しい朝日が差し込む。1日の始まりの合図だ。さぁ着替えて準備をしなければ。

居間では父さんが新聞を読みながらお茶をすすっていて母さんが朝食を並べている。俺は軽くおはようというといつもの場所に座り箸を取ろうとするがおかしい。箸が無い、それどころか食事も俺の分だけ用意されていない。俺は母さんに俺の朝飯はと聞こうとするが母さんがいない。さっきまで新聞を読んでいた父さんも消えている。並べられていた朝食も何もない。次第に身体が居間からどんどん離れていきまるでトンネルの向こうみたいに小さくなっていく…。待ってと走り出そうと立ち上がった瞬間に俺の肺と腹部にドンッという重い衝撃がきて思わず目をつぶって顔をしかめる。なんだこれはと言おうとする間にまた衝撃がくる。堪らず声をあげそうになり口を開けるが声の代わりに大量の水がゲボッと出てきた。精一杯の力で目を開くと満天の星空と長い髪を俺の顔に垂れ下げた女性がこちらを見ていた…。

 

「あら、お目覚め?」

 

どこか棘のある冷ややかな声。

何か喋ろうとしても息が苦しく言葉にならない様な声が絞り出る。

 

「元気そうね、良かったわ。ここで死なれても困るもの。」

 

これが彼女との最初の会話だった。

 

 しばらく息も出来なく動こうにも力が入らないし何かが身体に巻き付いて離さない。冷えた身体に熱が戻るまではこの巻き付いているものから熱を貰おう。少しヌメッとしているが温かい。ところでこれはなんだろう。俺は精一杯頭を上げて目線を下げる。

長いタコの触手のようだ。だが太さは俺の脚よりもあり長さは俺を簀巻きにできるほどにある。そしてその触手は俺の身体から更に伸びていてその元には…先程の彼女?

彼女の腰から下から伸びていて本来あるはずの脚が無く代わりに同じような触手が何本も生えている…?

つまり彼女は人間ではなく…

 

「何をじろじろ見てるのよ。穢らわしい。」

 

俺の思考がまとまる前に彼女が喋った。

彼女の顔を見るとその長い髪の中の整っているだろう顔を嫌悪でしかめている。

 

「この脚がそんなに不気味?気持ち悪い?この脚はあんたが変なことしない様に縛り上げてるのよ。」

 

だんだんと彼女の脚の力が強くなってくる。それと同時に少し震えているのを感じる。震えているのは何故だろうか、怒り、悲しみ、それとも…。

再び薄れていこうとする意識の中で掠れた様なそれでも今思っていることを絞り出した。

 

「ありがとう…。怖くない…。温かい…。」

 

 身体を締め付ける脚の力が少し緩んだ気がしたところで俺の意識は再び途切れた。

 

 再び目を覚ました時は小さな部屋だった。小さな窓からは砂浜と海が見える。内部を見るにここはかつて座礁した船なのだろう。所々に航海に使われていたであろう物がある。扉を開くと眩しい日差しが目に差し込む、小さな島だなと思っていると海面から大きな音が、そして反射した水面から勢いよく水飛沫と共に彼女が飛び出してきた。

彼女の脚には網がぶら下がっていてその中には何匹もの魚が入っている。

 

「あら、目が覚めたの?てっきり死んだと思ってたわよ。」

 

船に登ってきた彼女はそう言うと網を俺に渡す。

 

「あんたを私の家まで連れて来て疲れちゃった。厨房は案内するからそこにある野菜とか調味料で何か作ってよ。」

 

彼女はスタスタと俺が出てきた所とは違う扉を開けて船へ入って行く。俺はそれに何も言わず着いていった。

厨房の中は綺麗だ、というより船の中自体が綺麗だった。船時代は昭和の日本のものだろうし劣化自体は所々見られる。しかし掃除が行き届いているようで不潔さはまるで感じられない。

更に驚いたのは厨房に米があり、塩と醤油…いやこれは魚醤だろうかそれにしては臭みがない。あと乾燥させた昆布と卵まであり野菜、油とありそれなりに充実している。

食器や鍋も全然使えるものばかりだ…。

 

「昔に魚醤?ってやつを作っていた奴がいたから色々教えて貰ったのよ…。野菜や卵はもう一つ別の所に家があってそこから獲ってくるの。場所?教えるわけないでしょ。」

 

そう言って彼女は座りながら早く作れと促す。とりあえず拾ったというガスコンロがいくつかあるのでそれでご飯を炊きながら昆布と魚醤と卵でスープを作る。その片手間で先程の魚を塩焼きにする。母さんと交代で料理も作ったりしていたので簡単なものなら出来る。…母さんか。

俺は何かが頭の中を覆っていく感覚がしたが振り切って料理に集中した。

出来上がった料理をテーブルに並べる。米に焼き魚に卵スープ…。彼女は目をキラキラさせてこの簡単な料理を見ていた。

俺は自分の部屋に帰ろうとすると彼女が脚で俺の身体を引き止める。

 

「何処に行こうとしてるのよ?」

 

「いや、作り終わったから俺は自分の部屋に戻ろうかなと…。」

 

「あのねぇ、私が魚や材料を持ってきた。あんたがそれを料理した。だからこれは2人の報酬なの。あと昨日から何も食べてないでしょ?あんたに私の家で死なれたら気分悪いわよ。」

 

そう言って俺をテーブルへ引っ張ってくる。俺は何にも言えず彼女の前に座った。

彼女はスープを口にして目を開く。

 

「何よこれ、私が作るより遥かに美味しいじゃない…。私のは塩辛いだけなのに…。お米もこんなにふっくら…。」

 

何かをぶつぶつ言いながら一心不乱に口に頬張る彼女。俺も同じくスープを口に入れる。うん、よく出来てる。魚醤なんて初めて使ったけどなんとかなった。しかし誰かと食事をするなんて久しぶりだな…。そんなことを考えていると今朝見た夢が頭によぎった。次の瞬間胃の中のものが一気に逆流してくる。料理中に頭の中を覆った何かがドス黒くネットリとした塊になって暴れ回る。

痛い、痛い痛い!気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い‼︎

 

「ちょっと何してるのよ!」

 

彼女の声が遠く聞こえる。俺はうずくまって吐いてしまっていた。と言っても胃の中には何もないので血が混じった胃液くらいだ。そして何かに縋るように自分の腕を血が滲むほど握りしめていた。

 

「ごめんなさい…。大丈夫です…。すぐに片付けますから…。」

 

俺は涙でぐしゃぐしゃになった顔を見せない様にしながらなんとか言葉を紡ぐ。

 

「そういうことを言ってるんじゃなくて…。とりあえず片付けとかはなんとでもなるからさっさと部屋に帰りなさい。」

 

俺は彼女に言われた通りよろけながら部屋に戻った。

 

 次の日も、次の日も食事は出来なかった。彼女の獲った魚や野菜なんかを料理して自分の部屋に戻る。食事はする気にならない…。彼女はしなくていいと言ってくれるがこれくらいしないと自分の存在意義が無くなってしまうと感じていた。

そもそも料理自体が自己満足でしかないのか…。

彼女の私の家で死なれたら気分が悪いという言葉を思い出す。

…この家を出よう。今日の夜にでも家を出てこの島の何処かで隠れて死のう。そんなことを考えながら俺は夜まで待った。

日はすっかり暮れて辺りは真っ暗で何も見えない。

そろそろ行こうか。そう思い立ち上がろうとすると部屋の扉にノックの音。俺は反射的にビクリとしながらも扉を開けると彼女が立っていた。彼女が部屋に入ったことはない。もしかして今日居なくなろうとしたことに気付いて乗り込んできたのか。

そんな疑念を抱きながらも彼女を部屋に入れる。

彼女はあっちこっち見ながらあー、うーと言葉に詰まらせる。

 

「俺が何かしてしまいましたか?」

 

そう尋ねるも彼女の耳には届いていないようだ。

彼女がいなくならないとここを出られない。お互いに硬直状態が続いていると彼女が唐突に何かを突き出してきた。彼女の手には皿と…これはおにぎりだろうか、形が崩れてしまっている。これを食べろと言うことだろうか。俺は前の様に吐いてしまうんじゃないかと恐る恐る口に運ぶ。おにぎりは塩が効きすぎているのかむせてしまう程塩っ辛い。しかもお米はベチャベチャで食感も何もない。

 

「…不味いでしょ?あんたが来るまではこれが当たり前だったのよ。私1人なら所詮こんなもの。あんたが作った方が美味しいけどあんた食べないから…。」

 

彼女は少し恥ずかしそうに言いながら続ける。

 

「あんたのことは私は知らない。でもあんたのその暗い目とか食べられない状態は知ってる。でも食べなきゃ駄目。どんどん考えが悪い方へいくわよ。」

 

俺はおにぎりを黙々と食べる。辛すぎて食感がグニュッとなるが吐き気は来ない。それは人生で一番美味しいと感じる料理だった。

自然に涙が溢れてくる。でも気持ちが温かい。これはそんな気持ちから出てくる涙だ。

彼女は俺が食べ終わるのを確認すると静かに部屋を去っていった。

 

 次の日、俺はベッドから起き上がる。結局俺はここを出ていかなかった。

彼女にこんなにしてもらってまだ何も返せていない。それに彼女ともっといたいと思っていた。

俺は厨房へ向かう。彼女に何か食べてもらいたい。いや、彼女と一緒に食べたい。卵と野菜を炒めながら塩と魚醤で味付け、ワカメがあったので米と一緒に炊いて…。

そうしていると彼女が厨房へ来た。手には何やら瓶をいくつか持っている。

 

「あら、目が覚めたの。」

 

そうそっけなく言う彼女だが機嫌がいいのか脚がリズム良く動いている。

 

「そういえば今日新しい船が沈んでいて中を探ってたらこんな瓶があったの。中には白い粉やら茶色の粉がいっぱいあったのよ。これ何かしら?」

 

船が沈んでいたの言葉にドキリとするが彼女は俺の顔を見て中に人はいなかったから避難したんじゃない?と続けた。安心した俺は瓶を預かり開けてみる。匂いはしないが白い粉には見覚えがある。一口舐めると甘い味が口いっぱいに広がる。もう一つの瓶も舐めてみる。少しの辛さがくる。

 

「これ、間違いありません。砂糖と胡椒ですよ。」

 

俺は早速野菜炒めに少量の胡椒をかける。彼女はキョトンとしながらもこちらを見ている。構わず俺は続けて卵に魚醤と砂糖で卵焼きを作る。やっぱり卵焼きは甘くないと。

出来上がった朝食を彼女の前に並べる。彼女は恐る恐る口に野菜炒めを入れる。次の瞬間信じられないと言った笑顔で

 

「美味しいわー!食べたことない味だけどどんどん食べたくなる!この卵焼き?っていうのも甘くてでもしっかり美味しいわ。」

 

そう言いながら夢中で頬張っていく。彼女の食べてる姿はとても可愛らしい。

 

「一緒に食べなさい。冷めたらもったいないわよ。」

 

そういうと彼女は脚で向かいの椅子を引く。

正直、一緒に食べていいのか迷っていた俺にはありがたかった。

 

「ありがとうございます。それでは俺もいただきます。」

 

そう言い座ると彼女は脚で俺の口をそっと閉じて

 

「私相手に敬語は禁止。むず痒くなるのよ。」

 

と忠告した。俺はわかったと言って卵焼きを口に入れた。

食事中色々なことを話してくれた。この辺は船が難破しやすく沈みやすいこと、そんな船から人がいなければ色々な物を拝借していること。この島には今は俺と彼女しかいないこと。

 

「そんな泥棒の食材は嫌かしら?」

 

そう少し圧をかける彼女に俺は首を横に振った。

彼女だって生きる為だし仕方ない。それにそれを使って料理して食べている俺も同罪だ。

 

 食事を終えると俺は彼女に自分も何かしたいと提案した。彼女は海やもう一つの家から色々な食材を持ってきてくれる。ここで料理だけは申し訳なかった。彼女は首を傾げていたが俺の目を見て諦めた様にため息ながらに言った。

 

「それなら、森の中で果物でもとってきて。でも奥には入らないで。これが条件よ。」

 

それからは料理の時間までは果物探しが俺の日課になった。森の果物にはあまり手をつけていないのか色々な種類があった。ある時は砂糖漬けにしたりある時は彼女が船で拾ったというブランデーにつけた果実酒を作ったりした。

どれも彼女は喜んで口にした。俺は彼女が食べる姿が好きになって気がつけば彼女の笑顔の為に散策と料理をする様になっていた。

今日はどんな料理を作ろうか。何を作ったら笑顔になるかな。俺の心は満たされていった。

 

 ある日事件が起きた。いつもの様に果物の散策をしていると茂みの向こうに甘そうで大きな果実が見えた。思わず身を乗り出して取ろうとしていると足に痛みが走る。目をやると大きな蛇が足に噛み付いていた。俺は急いで振り払う。噛まれた所は次第に紫色に腫れあがっていく。あの蛇、毒があったのか。意識が朦朧として頭がガンガンと痛くなっていく中でなんとか船が見えてきた。あと少し…。そこで倒れてしまった。

目を覚ますと彼女が部屋まで運んでくれている途中だった。息を切らしながら懸命に走ってくれている。脚で巻き付けずに腕でしっかりと支えてくれているので揺れも少なく吐き気もない。

 

「ありがとう、血清とかは無い…よね?」

 

俺が尋ねると彼女は必死の形相で

 

「そんなのあるわけないでしょう!迂闊だった!私には野生の生き物は近付かないから…」

 

そう言う彼女に俺は心配させまいとなんとか笑顔で

 

「気にしないで…。短い間でも楽しかった。誰かとご飯を食べたのも、誰かに必要とされたのも久々で本当に生きてるって感じたんだ…。」

 

そう言うと体の力が抜けていく。もう終わりなんだ。あれほど死にたいと思っていたのに彼女の顔を見ていると生きたいって思ってしまうなんて勝手すぎて自分でも笑ってしまう。

彼女は立ち止まり、何かを考えような様子のあと彼女の脚を自ら口に運んで…。もう目が開けていられない俺が最後に感じたのは唇に柔らかい感触と何かが喉を通っていく感覚だった。

 

 目が開く。身体が軽い。毒どころか今までの疲れすら感じない。ここは天国だろうか。そう考えていると一瞬で生きていることを察知した。ここは俺の部屋でベッドだ。端にはベッドにもたれかかる様に彼女が寝ている。ずっと看病してくれていたのだろうか。彼女の髪を思わず撫でる。ありがとうと言う気持ちと抱きしめたい気持ちが湧いてくる。

…でも何故俺は生きているのだろうか。

そう考えていると彼女が目を覚ました。彼女は起きている俺からすこし目を逸らし

 

「あら、起きたのね。痛みとかはない?」

 

と聞いてくる。俺は大丈夫と伝えると彼女に聞いた。

 

「どうして俺は生きてるの?毒も酷かったし…。それにどうしてこんなに助けてくれるの?」

 

彼女は少し困ったような戸惑うような最後に覚悟をした様な顔でこう言った。

 

「わかったわ。全てを答えるから明日は私ともう一つの家に行くわよ。」

 

 

 俺と彼女は森の中を進んでいく。なるほど、前に言った通り彼女がいると森の中は静かで鳥の鳴き声すらしない。そうしていると森を抜けて広い場所に出た。いくつかの小屋の様な家がある。ここは村…だろうか…。それにしてはボロボロで人がいる気配が無い。しかし小さな畑や鶏がいて水路の近くには田んぼもある。ここで収穫をしているのだろう。その中でも比較的綺麗な家へ彼女は入っていく。俺も釣られて入る。中は簡素な造りで必要以上の物は何もないという感じだった。

その中で彼女は話し始めた。

 

「実はね、この島は元々私たちの種族が暮らしていてこの村で生きていたの。人間は来ようにも船は沈んでしまうから会うことは無かったわ。」

 

「ある日船が座礁してきた。それが私たちが今暮らしている家。中からは色々な人間が出てきたわ。私たちは手厚く歓迎した。外から来ることなんてまず無かったし彼らも最初は驚きこそすれ優しかったから…。色々なことを教えてもらったわ、言葉もそうだし、田んぼや畑の耕し方とかね。魚醤や昆布だしなんかもそれよ。私たちは色んなことが知れて嬉しかった。だから…。」

 

そこまで言うと彼女は息を詰まらせながら続けた。

 

「私たちは何かお返しがしたかった。だからある日この島を調査している人が足を滑らせて大怪我をしたの。その時にその人に脚を食べさせた。私たちの脚は怪我や毒みたいなものを治す力があるのよ。あなたが元気なのもそのためよ。」

 

なるほど、だから俺は生きてるのか。でもそれは…。

 

「あなたの思っている通りよ。彼らはこの脚の力に目をつけた。船で帰った時に売り捌くと言っていたわ。あんなに優しかった人たちが次々襲ってきた。子供なら捕まえやすいと友達も狙われた。沢山死んだわ。でもね、この脚の効力は私たちが生きてる時だけだったみたい。それに気がついた時にはもう子供だった私しかいなかった。」

 

俺は黙って聞き続ける。だから最初あんなに敵意があったのか。

 

「彼らは残った私を巡って殺し合った。その時にはもう色々教えてくれた優しい人たちの顔は無かったわ。欲に眩んだケダモノだった。結局最後に残った1人も傷が深くて死んだわ。それからは私はずっと1人だった。家族も友達も皆死んだ。死にたいとすら思ったわ。でもやっぱり死ねなかったのよ。」

 

「あなたを見た時すぐにわかったわ。かつての私と同じ目をしてた。だから放っておけなかった。それにもう1人は嫌だった。あんたが脚を狙ってもいい位にね。」

 

彼女は話終わる。目にはうっすら涙を浮かべて。俺は口を開く。

 

「ありがとう。そんなことがあったのに人間の俺を助けてくれて。」

 

彼女は辛い過去を話してくれた。今度は俺の番だ。

俺も全て話した。かつての両親の自殺とそれを食い物にしようとした奴らの話。そして誰も信じられなくなった話。

そして最後にこう尋ねた。

 

「俺はこの島にずっといたい。君と生きていきたい。君のおにぎりがきっかけで俺は生きたいって思えたんだ。君の居場所が俺の居場所でもいいかな?」

 

彼女は目から涙を零しながらも笑いながら言った。

 

「バカ、あんたがいなきゃ美味しいご飯を誰が作って私は誰と食べるのよ。」

 

 



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ドールとのシチュ

ある男の子が人形展で見つけた陶器の彼女
彼は彼女の為に、彼女は彼の為に生き続けます。
※彼女一人称視点の為会話のシーンなどはほぼありませんのでご注意下さい


わたしが初めて見た光景はとある工房でした。

硝子の瞳を覗き込み綺麗に磨き上げ、満足気の顔。

わたしは出来上がっていくわたしの陶器の身体、腕、脚を眺めながら産まれたのです。

 

あなたにお会いしたのは小さな人形展でしたね。わたしは綺麗なドレスを着て座っているとあなたが近寄ってきました。あなたはまだ小さな子供でしたがお父様とお母様が女の子向けだからという反対を押し切りわたしを選んで下さいました。

あの時のキラキラした瞳ととても眩しい笑顔はきっとわたしの瞳に反射していたことでしょう。

 

あなたとはどこへ行くのも一緒でしたね。

時には男のくせにとご学友の方々に馬鹿にされていましたが気にも留めずにわたしを色々な場所へと連れて行ってくださいました。

鳥が優雅に泳ぐ公園の池のほとり、季節によって青々としげたり赤や黄色に色付く木々たち。

自分こそ美しいと咲き誇る花々。

わたしに世界が美しいと思わせてくれたのは間違いなくあなたでした。

 

雨の日にもあなたは世界を見せようとして下さいました。雨が奏でる様々な音色は葉っぱ一枚違っても変わっていて今でもどんなオーケストラよりもわたしは好きです。

ですがあなたは雨の中で熱を出してしまって…。

お母様の看病を見ながらわたしのせいで、わたしもあなたの力になりたい、あなたを支えたいと願ったものです。

 

…あなたのご両親が亡くなったのも雨の日でしたね。

大学生になったあなたはご両親が事故で亡くなられて塞ぎ込んでしまって何日も机に突っ伏していましたね。

あなたを支えたいと心から願ったわたしは割れてしまってもいいと思い精一杯手を伸ばそうとしました。

あの時の出来事は今でも忘れません。あなたに握って貰わなければ動かせないわたしの空っぽの冷たい腕に確かに力が入ったのです。

わたしは泣いているあなたの頭に手を伸ばしました。あなたの熱がわたしの腕を通してじんわりと伝わってきます。

 

泣かないで、わたしがそばにいるから

 

わたしはあなたにそう伝えようとしましたが動かないはずの口は話すことなどしたことが無かったので言葉にはならない様なかすかな声にしかなりませんでした。

ですがあなたは少し驚かれたあとに泣き腫らした目を擦りいつもの愛しい笑顔でわたしにありがとうと言って下さいました。

あなたはわたしが動いて喋ったことを神様のくれた奇跡だと喜んでいましたがわたしはそうは思いません。あなたがわたしを想って下さっていたこと、わたしがあなたを想っていたことが奇跡を生んだのだと今でも思っているのです。

 

わたしが動く様になってからは毎日が変わりましたね。わたしの為に言葉を話す練習、歩く練習に物を掴む練習…。

あなたは1つのことが出来る毎にまるで自分のことの様に喜んで下さいました。

わたしはあなたの喜ぶ顔が見たくてもっと頑張る様になりました。あなたがわたしに見せる笑顔はわたしだけのものだったから…。

 

ですが張り切りすぎてしまったのでしょうね。

あの日あなたの食器を並べようと足場を用意して棚のお皿を取ろうとした時にもっと注意するべきでした。不安定だった足場はぐらつき軽いわたしはバランスを崩して…。

手をついたのは良かったのですがわたしの身体は陶器で腕は空洞、響く音と共にわたしの左腕は粉々に割れてしまいました。

あなたはすぐに駆けつけてわたしを力いっぱい抱きしめてくれましたね。何度もごめんと謝りながら割れた腕の付け根で手を切っても気にも留めず…。

わたしは無くなった腕よりもあなたの辛そうな顔で空っぽの筈の胸が痛みました。

 

あれからあなたは人形師に弟子入りをすると言ってわたしと家を出ましたね。

あなたは家族との思い出がある家を出るのは辛くないのかと聞くわたしにあなたは君といることが幸せなんだ。君の腕も治すしこれからも一緒にいる為に人形師になるんだと言ってくれましたね。

わたしはあの時、嬉しさで満たされていく気持ちになりましたが同時にあなたの人生を狂わせているんじゃないかと少し不安になりました。

 

あなたが弟子入りに向かった工房を見た時は驚きました。そこは紛れもなくわたしが産まれたあの工房だったからです。

人形師の方も少々皺が増えましたが間違いなくわたしの硝子の瞳が最初に映したあの顔でした。

人形師の方はわたしのことを覚えていました。修行時代に作り上げた渾身の一作とのことでした。

あなたはわたしを買ったことからわたしが動いたこと、話が出来ること、食器を取ろうとして左腕が割れてしまったことをお話しになりました。弟子になるのなら真実を話そう。それはここに来る前に2人でした約束でした。

まるで頭のおかしなやつだという目をむける人形師さんにわたしは目の前でスカートを軽く持ち上げながら挨拶をしました。

その時のあの顔といったら、ふふっ、今でも思い出すと少し可笑しいです。

人形師さんは少しした後に落ち着いた様子であなたの目をしっかりと見ながら弟子入りを認めて下さりましたね。あの後、わたしの腕を治そうかとわたしに実は聞いて下さったんですよ。

もちろんお断りしました。わたしの腕はあなたが治して下さると約束しましたから…。

 

そこからは毎日あなたは大変そうでしたね。

人形についての1からの勉強、人形師さんの仕事を見て学びながらも身の回りのお世話…。そして陽が沈んでからは工房での練習で夜中に寝ては早朝に起きる。

毎日気を失う様にベッドに倒れるあなたを見るのは心苦しかったですがあれほど生気に満ちたまるで燃える様な瞳を見てしまうと止めることなんてわたしには…いいえ、きっと誰であっても出来なかったと思います。

 

あなたが人形師として一人前として認められた日のことは昨日のことの様に鮮明に覚えています。人形師さんから独り立ちを告げられわたしを早く直す様に言われた時の力が抜けた様なそれでもやりきった誇らしそうな顔には最初の頃の幼さなど無くなり1人の立派な職人としての風格があったと思います。

人形師さんはこの工房をあなたに渡す、自分は旅に出ると告げられるとすぐにここをあとにしました。あなたはすぐにわたしの左腕の修理に取り掛かって下さいましたね。でもわたしは決めていたんです。あなたが一人前になった時にここを去ろうと…。だってあなたも結婚してもいい歳になったのにわたしがいたらそういった機会も逃してしまう…。

なのでわたしはあなたに手紙を残して出て行こうとして深夜に扉へ向かうとあなたが立っていた時には本当に驚きました。あなたは全てお見通しだったのですよね。あの時あなたは

 

君は勘違いしている。自分が結婚しないのは君が邪魔だからなんかじゃない。君が好きだから他の人には目がいかないんだ。君さえ良ければずっと一緒にいて欲しい。

 

そう言われたあとにわたしの新しい左腕を見せて下さいました。薬指には装飾として綺麗なジャスミンの花の指輪をつけて…。

わたしはずっとあなたの人生を狂わせたと思っていましたがあなたはずっとわたしを支えにして下さっていた。その事実だけで今日にでも壊れてしまってもいいと思えました。

わたしはあなたに左腕をつけてもらい永遠の愛を誓ったのです。

 

それからはあなたは色々な人形を作ってこられましたね。それはどれも美しいもので様々な人を虜にしていきました。中では高額で取引されているものもある様ですね。

でも嫉妬なんてするはずがありません。あなたはわたしの瞳が傷ついた時には新しく綺麗なサファイアのような瞳を身体が劣化してきたら今まで以上に美しく作り直して下さいましたから。

でもわたしは決して左の薬指だけは交換は断りました。だってこの指の装飾だけはわたしの誓いですもの…。

わたしはあなたが作った小さなオルゴールが大好きでした。その曲に合わせて踊る時間は2人の結晶の様だと思っていました。あなたはそんなわたしをずっと愛おしそうに見ていましたね。

あなたのために踊りたい。この気持ちだけは絶対に壊れないものです。

 

やがてあなたの髪が白く染まり顔には幾つもの皺が刻まれ腕も上がらなくなってベッドにいる時間が長くなっていきました。

もう人形を作る力も残っていません。

息をするのも苦しそうな様子でしたがあなたはわたしに踊ってほしいと言われました。

わたしはオルゴールの音に合わせて踊りました。あの時の踊りは今までの中で最高の出来だったと思います。あなたはそんなわたしを小さな頃に見た様なキラキラした瞳ととても眩しい笑顔で見られたあとゆっくり眠られました。

 

あれからもう何年経ったでしょうか。あなたは街の人がベッドで眠られているのを見つけられ、どこかへ運ばれたまま帰って来ません。

…ええ、わかっています。きっとあなたはもう帰ってこないだろうと言うことを。

それでもわたしはあなたの帰りを待って今日もオルゴールの音色に合わせて踊るのです。あなたが帰ってきた時に最高の踊りが見せられる様に。

人形が動く奇跡があるんですもの…。

あなたがわたしの大好きなあの笑顔で帰ってくることだってきっとあるはず…。




ドールのシチュはある程度展開は考えていたのですが構成にかなり時間を費やしました。
我儘かもしれないですがもし自分がいなくなった後でも何か生きていた証が欲しい…。
それが愛なら素晴らしいなと思います。
寿命シチュが好きなのはそこから来ているのかもしれません。


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悪魔とのシチュ(前編)

久しぶりの投稿になります。
少しリアルが忙しすぎて心身共に崩していました。
今回、前、中、後と三部作の予定なので読んで下さると嬉しいです。


「ごめん!さっき連絡があって叔母さんが熱を出してすぐ帰らなきゃいけないの!だからお願い、掃除と日直変わって!」

「すまん、ちょっとこの書類をまとめる人がいなくて頼めるか?」

「最近、花壇の手入れをするはずの園芸委員が部活を優先で全然しないんですよ。申し訳ないが君が代わりにしておいてくれますか。私から言っておきますので…」

 

僕は二つ返事で了承する。昔から何かあった時に頼られることは多かった。小学生の時はクラスの皆や先生からも「何でも屋」と言われていた。

中学ではそんなこともあって生徒会長に就任、高校に進学した今でも学級委員として色々な頼まれごとをされている。

もちろん断ることはしない。頼んでくるという事は困っているということだ。困っている人を助けるのは「いいこと」なのだから…。

 

今日も色々なお願いを終わらせて帰る。下校時刻は過ぎて外はすっかり真っ暗だ。急いで帰らなければ…。

ふと校舎を出ようとすると奇妙な違和感を感じる。

門の前の電線いっぱいにびっしりカラスが集まっているのだ。まるで一つの黒い塊の様なそれらは校舎を出た途端に一斉にこちらを見る。そしてその塊は一つの意志を持ったみたいに鳴き始めると僕に向かって飛び交ってくる。思わず身構え目をぎゅっと閉じた僕をいくつもの鳴き声が通り過ぎていく。早く終わってくれ!なんなんだこれは⁉︎

色々な考えがぐちゃぐちゃになりながら縮こまっていると鳴き声は後ろの方で響いてくる。

恐る恐る後ろを振り返ると黒い塊は一つの形を作りまるで大きな球体の様になっている。そして次の瞬間には一斉に四方八方へ飛び立っていった。

黒い羽が紙吹雪の様に舞っていくその中にはさっきのカラスよりも黒いフードとマントを着た人が立っていた。

 

「我は悪魔、貴様の願い、欲望を叶えにやってきた。」

 

 

なんなんだ?なんなんだこの状況は⁉︎

理解が追いついていない僕を無視して目の前の人物は言葉を続ける。

 

「今日一日貴様の動向を見ていたがあれはなんだ?なんでもかんでも押し付けられてはわかりました、やっておきますなどと…。」

 

見ていた…?どこで?ここの生徒?会ったことがある?

そんなことを考えているとまるでそれに返事をするように

 

「ここの生徒な訳がないだろう?我は悪魔だ。貴様から見えていなくても我には全て見えている。信じられないというなら証拠を見せよう。」

 

そういうと目の前の人物はフードを外す。

腰まで伸びた銀色の髪の毛が勢いよく降りていく。

それよりも目を引くのが髪とは対照的な真紅の角、白目の部分は真っ黒でその中に光る金色の瞳、そしてどの人間でもあり得ない様な青い肌。

しかしそんな人とはかけ離れながらもどこか蠱惑的で美しさを感じる女性が現れた。

 

「どうだ?これで信じる気になったか?まぁいい。信じようと信じまいと話を続けるぞ。」

 

 

目の前の女性は驚いて口が開きっぱなしになっている僕などお構いなしに話し出した。

 

「我は見た通り悪魔だ。我は貴様の心から望む願い、欲望を満たしてやりに来た。心当たりがあるだろう…?なんでもかんでも押し付けられて不満や憤りはないか?我の力を使えば今まで虐げてきた奴らを今度は自分の思うがままだ。殺すもよし、欲望の捌け口に使うもよしだ…。もちろん代償は頂くがな。死後は貴様の魂は私のモノとして貰い受ける…。」

 

そう言うと目の前の悪魔はクックと笑いながらこちらを見ている。

 

「いえ、結構です。特にそんな願いとか無いですし。」

 

「そうだろう、そうだろう…っておい!何故だ?何故あれだけ虐げられて何故我慢できる?」

 

「いえ、そもそも僕は虐げられていないですし、お願いごとも無理矢理ではないですから…。」

 

僕の答えに悪魔は面食らった様な顔をしながら信じられないものを見るように僕を見る。

 

「何ということだ…。あれだけ好き勝手押し付けられてそれを好んでやっているというのか…。」

 

何やらぶつぶつ言っている悪魔を尻目に僕は

 

「そういうことですので願いを叶えるのでしたら他の方に…。それではこれで。」

 

そう言ってその場を去ろうとする。すると僕の肩に痛いくらいの力が込められる。見ると彼女の青い手ががっしりと掴んでいる。その指の黒い爪は肩に刺さるくらいに食い込んでいる。

 

「まぁ待て!悪魔は一度決めた獲物はほいほい鞍替えはしてはいけないのだ…。それに貴様の魂はそう簡単に逃すには惜しい程美しい。そこでだ!貴様の願いが叶うまで一緒にいようと思うのだがどうだろうか?」

 

なんてむちゃくちゃだ…。そう思うが頭を下げられては嫌だとは言い辛い。それに何より話すにつれどんどん手の力が強くなる。正直かなり爪が痛い。

僕ははぁ…とため息を吐き仕方なく了承するのだった。

 

 家族にどう話そうか迷っているうちにとうとう家に着いてしまった…。後ろから着いてきている悪魔は一緒にいれることが嬉しいのか呑気に鼻歌を歌っている。さっきまでの恐ろしい雰囲気は何処へ行ったんだ。

 

「なぁ…。今から家に入るけど姿が俺にだけしか見えないとかそういうのってあるの?」

 

そう尋ねると悪魔はあっけらかんとした顔で

 

「そんなものあるわけないだろ。まぁ大丈夫だ。安心して家に入れ。」

 

…何てことだ。そのまま家に入って家族に青肌の怪しい女性を連れて一緒に暮らす事になったなんて言ったら間違いなく大騒ぎだ。

中々玄関を開けられない俺に痺れを切らしたのか悪魔はもういいと言うと勝手に勢いよく扉を開けてただいまと大きな声で言い放った。

頭を抱える僕の前に母さんがやってくる。

 

「おかえりなさい。あら、メアちゃんも一緒だったの。今日からよろしくね。」

 

…え?メアちゃん?誰だそれ?理解が追いつかない僕を余所に悪魔はさっきまでとは全然違うお淑やかそうな声で

 

「お久しぶりです〜。今日からお世話になりますね。おばさま。」

 

と返事をする。えっと、どういうことだ?

蚊帳の外の僕に悪魔がそっと耳打ちする。

 

「まぁ、後で詳しく話してやる。」

 

そう言うと母さんにさっきみたいな口調で

 

「すみませんおばさま。私、ちょっと久々に来たので疲れてしまって…。お部屋で休んでもよろしいですか?」

 

そう言うと二階の僕の部屋に向かって行った。僕は何もわからないまま後に着いていくことにした。

 

「あれはのう、いわゆる認識改変と言うやつだ。お前の母親だけじゃない。お前の周りの奴等の我のことは従姉妹で進学をきっかけにこの家に厄介になっているメアちゃんとなっているのさ。」

 

そんな馬鹿な…。そう思ったがさっきの母さんの様子は絶対嘘じゃない。

改めて目の前の存在が只者じゃないことを思い知らされる。

 

「それじゃあ、お母さんそろそろ出かけるからー!メアちゃんに迷惑掛けないでよー!ご飯は自分で作ってメアちゃんと食べてねー!周りにも迷惑掛けたら駄目だからねー!」

 

下から母さんの声が聞こえる。

僕はわかったと返事を返すと玄関の開く音と共に一階は無人になった。

 

「なんだ?貴様の母親は今から仕事か?もうすぐ夜だぞ。」

 

悪魔は僕のベッドに腰掛けながら尋ねてくる。ベッドからこちらを上目遣いで見てくる姿に少しドキッとしながらも僕は平静を装い

 

「違うよ。母さんはいつも夜に男の人と会ってるんだ。多分父さんが出て行って離婚もしたから新しい彼氏じゃないかな。」

 

悪魔は質問しながらも興味なさそうな様子でふーんと返すとまた何か気になった様で

 

「そういえば貴様の母親は随分と貴様が迷惑をかけることを気にしていたな?なんだ、さてはなんでもはいはい言うのは学校だけでそれ以外では実は結構やりたい放題なのか?」

 

「それも違うよ。父さんが結構自分勝手な人で母さんが苦労しっぱなしだったからそれで過敏なんだよ。僕が周りに迷惑を掛けたりしないか心配なんだよ。」

 

そう…。だから僕は「いい子」でいなければいけない。誰も不快にさせたり迷惑をかけないのは「いいこと」なんだから…。

その返答にも興味がない様でふーんと生返事をするとそれっきり何も聞いてこなくて一日は終わった。

 

 それから1週間が過ぎた。悪魔は一緒に学校に着いてきて当然の様に同じクラスにいた。クラスの皆も「メア」が初めからいた様に接していたし何人かの女子は昔から友達だったと言っていた。

悪魔も母さんの時の様にお淑やかな女の子として振る舞っていたが僕と2人になると

 

「いい加減願いは決まったか?」

 

「今日、放課後の掃除を頼んできたあの女子が用事

とか言っていたがあれはデートだぞ。」

 

「なんでもほいほい聞くな!いつまでも帰られんだろうが!」

 

と言いたい放題だった。

そして事件は起きた。

 

 今日は予約していた漫画が届く日、実は悪魔も僕が読んでいるのを見てから読み始めて今ではすっかりハマっている様で横でソワソワとしながら急かしてくる。

用意も終わり帰ろうとすると突然声をかけられた。違うクラスの男子だ。

なんとなく見たことはあるが話をしたことはない。

 

「悪い!突然なんだが俺のクラスの掃除を変わってくれないか⁉︎母ちゃんが病気で寝込んでいるんだよ…?」

 

え、でも今日は本が…と思ったが目の前で必死に頭を下げているのを無視も出来ない。

…そうだ。「いい子」でいる為にも「いいこと」をしないと…。

 

「わかったよ。お母さんお大事にね。」

 

そう言うと頭を下げた彼はその姿勢のままフルフルと震え出し

 

「あ〜はっはっは‼︎やっぱり引き受けると思ったよ‼︎流石何でも屋‼︎」

 

盛大に笑いだした。

そこに教室の扉から隠れていたのか同じクラスの男子が2人程来て笑ってる彼と一緒に笑い始めた。

 

「な?やっぱり俺の言った通りだっただろう!頼んだら他のクラスでも行くって‼︎」

 

「くそー!賭けはお前の独り勝ちかよ⁉︎っていうかお前の母ちゃん元気じゃねーかよ!」

 

「そうだよ!今日も朝挨拶したじゃん⁉︎」

 

「こんなもん言ったもん勝ちなんだよ!ま、そういう訳なんだよ。あ、掃除はマジでよろしくなー。」

 

いきなりの事で頭が付いていかない。え?つまり僕が引き受けるか賭けをしてたってこと?

そうだ、悪魔は?さっきから何も言わないけど…。

僕は振り返るとそこには誰もいない。

あれ?何処に行ったんだ?そう考える間もなく僕の中にどろっとした何かが生まれる。いや、これは生まれるというより入ってきている…。

次の瞬間、僕は目の前の頼んできていた男子を思いっきり蹴り飛ばしていた。

 

 咄嗟のことに周りで笑っていたクラスメイトが固まる。でもきっと誰よりも驚いていたのは蹴った僕本人だったと思う。何故ならその突き出した脚は自分の意思は全く無く勝手に動いていた。更にそこから身体を動かそうとしてもピクリとも反応はしない。どうなってるんだ…!意味がわからなくてパニックになっていると

 

(少々ムカついた!貴様の身体を少し借りるぞ…)

 

悪魔の声が頭に響く。

そうか…!さっきいなくなっていたのは僕の中に入ったのか!

そんなことを考えているうちに今度は口が勝手に動きだす。

 

『黙って聞いておれば好き勝手なことをさえずりおって…。我はお前ら如きの玩具に成り下がるつもりはない。とっととそのゴミを連れてこの場を去ね‼︎』

 

クラスメイト2人はまるで機械の様に蹴られた彼を抱えて教室を走って出て行った。

そして少しの静寂のあと

 

「これでよし!さぁ、漫画を買いに行くぞ!」

 

後ろから悪魔の明るい声が聞こえた。

 

「あれは一体どういうことだよ…。」

 

僕が尋ねると悪魔は少し申し訳無さそうに

 

「突然ですまなかったな。我はこうして人の心に入って身体を動かせるのだ。よく言うだろう?魔が刺したと…。あれは偶に悪魔の1人が入ってることが「そういうことじゃない‼︎」

 

最後まで話そうとしている所を僕が遮る。

 

「あんな風に誰かに暴力を振るっちゃ駄目じゃないか!喧嘩なんてしたことないのに…。いい子でいなくちゃいけないのに…。」

 

僕はこんなことをしちゃいけない…!そんな気持ちで一杯になっていると悪魔はイライラとした様子でこう言った。

 

「貴様が何をそんなにいい子にこだわっているかは知らん。だがな、人は誰しも馬鹿にされたら怒ってもいいしやられたらやり返すもんだ。それに我は悪魔だからな!腹が立ったら殴ってやる。」

 

最後にそう言うとニカっと歯を見せて笑ってさぁ漫画だ!と教室から出て行った。

僕は何も言い返すことが出来ず悪魔の後をついていった。



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悪魔とのシチュ(中編)

久々に投稿しました!
読んで下さると嬉しいです!


あの悪魔との出会いから1ヶ月が経った。

僕の「何でも屋」を利用した賭けに対して僕が(正確には僕に乗り移った悪魔がだが)力いっぱい蹴り飛ばしたことは向こうも言うに言えない様で特に話題になることはなかった。

けれども僕の家に一緒に暮らしていて一緒に登校して「メア」を名乗る悪魔のせいで僕の学校生活は大きく変わってしまった。

誰かに頼まれごとをされると必ずメアが来て

 

「ごめ〜ん、この後私と一緒に用事があるの。」

 

と断り、僕しかいない時はどこからか僕に乗り移り断っていく。そんなことを繰り返していくうちに僕に頼ろうとする人はめっきり少なくなってしまった。そして学校で僕の周りにはメア以外だれも来なくなった。

今日も帰り道には悪魔がいる。放課後に叔母が寝込んで看病がしたいから掃除をお願いしたいというクラスメイトの女子にメアが

 

「へ〜、叔母さんてカラオケで寝込んでるんですね〜。さっきお友達とカラオケに行こうって話してましたもんね。家がカラオケ屋さんなんですか?」

 

と聞くとそそくさと離れていった。

 

「今日は一体何のゲームをするのだ?我はあのイカ同士で壁や床を汚し合うのがやりたいのだが…。」

 

そんなことを呑気に聞いてくる悪魔にうんざりしてくる。ずっといてわかったことだがこいつはなんだかんだ日常を楽しんでいる。僕の漫画やゲームも気に入っているしそれを話題に他のクラスメイトとも盛り上がっているのをよく見る。

 

「なぁ、お前は何故僕の願いを叶えたいんだ?魂を貰うって言っていたけどそれをどうするつもりなんだ?そもそも何故僕の魂なんだ?」

 

僕の質問に悪魔はクックックと怪しい笑みを浮かべるとゆっくりと答えだした。

 

「なんだそんなことか。悪魔にとって人間の魂とは宝石みたいに輝いて見えるものなんだよ。だからより美しく輝いている魂こそ願いを叶えて堕落させ自分のものとして印をつけて報酬として頂く。貴様の魂はとても輝いてみえたからな。」

 

…なるほど。僕の魂は何が基準かはわからないけれど綺麗に見えるのか。でもそれって

 

「僕にそのことを言って良かったのか?」

 

僕が聞くと悪魔はハッとした顔をして

 

「しまった!これを言ってしまうとより願わなくなってしまう!何ということだ…。」

 

そう、この悪魔は側から見れば妖艶でミステリアスな雰囲気なのだが結構抜けている。

この一ヶ月だって最初の方こそ願いをしつこく聞いてきたが僕の漫画やゲームにすぐにハマりだし熱中していき時々思い出した様に聞くくらいになった。

僕は横で頭を抱えて唸っている悪魔を尻目にゆっくりと帰路につくのだった。

 

 今日は日曜日、僕は特に予定も無いので母さんと悪魔と僕の3人分の朝食を作っていた。今日は母さんも仕事が休みなので久しぶりに揃ってご飯が食べられる。

盛り付けも終わり皿を準備しているとバタバタと慌ただしい様子で母さんがリビングにやってきて並べられた料理を見ると

 

「今日、出掛ける日なのよ!悪いけど朝ごはんは時間がないからいらないわ!」

 

と言って家を出て行こうとする。

 

「待ってよ!それなら前もって言ってよ!それに今日は仕事は無いはずだよ?」

 

僕が咄嗟に言うと母さんはイライラした様子で

 

「文句ばっかり言わないの‼︎早くしないと待ち合わせに遅れるでしょ⁉︎ちゃんと『いい子』でいてよ‼︎」

 

そう怒鳴ると家を飛び出していった。

 

「なんだ、朝から騒々しいな。我は昨日アニメを観ていて寝てないというのに…。」

 

悪魔が寝ぼけ眼でリビングにやってくる。外面じゃなくなっている…が、今はそれどころではない。

 

「やっちゃった…。『いい子』じゃなきゃいけないのに…。ごめんなさい…ごめんなさい…。」

 

俯いているが身体が震える、歯がカチカチ鳴っている、目から涙が溢れてくる。駄目だ、泣いたら駄目だ。『いい子』でいないと…。

 

「てい!」

 

頭に軽い感触がくる。悪魔が僕の頭に小さくチョップしていた。

 

「何を考えているか…。大体わかる。だがそれを踏まえて言わせてもらうぞ。辛ければ泣いてもいいし、腹が立ったら怒ってもいい。むしゃくしゃするならやけ食いしたらいい。言いたいことは言えばいい。」

 

そう言いながら僕の頭を悪魔はゆっくり丁寧に撫でる。

顔を上げると温かい、それでいて優しい目が僕を見つめていた。

 

「前に…、父さんが自分勝手だったって話しただろ?それに母さんは散々振り回されたんだ…。ある時はお金を借りてきたと思えばベロベロに酔って朝に帰ってきたこともあった。僕はその度に謝っている母さんを見てきた。だから『いい子』になろうって努力した。少しでも母さんの負担を減らしたくて…。父さんが死んだ後も頑張った。でも…この前母さんが酔って帰ってきた時に僕の顔が父さんに似てきて見てるとイライラするって…。」

 

話していくうちに涙が止まらなくなる。もう嗚咽も混じって何を言ってるか自分でもわからない。絞り出す声を悪魔は何も言わずに頭を撫でながら聞いていた。

 

「ごめん…。ありがとう。聞いてもらってちょっとすっきりした。」

 

僕は腫れた目を擦りながら悪魔…メアにお礼を言う。

 

「気にするな。我はただ聞いていただけだ。特に何かをしていた訳ではない。…何かをするのはこれからだ!」

 

そう言うとメアはニヤリと歯を見せて笑うととんでもないことを言い出した。

 

「頭を撫でている時に貴様に呪いをかけた!『いい子』でいようとすると本当にやりたいことをしてしまう呪いだ!まずはそうだな、貴様の作った朝飯を食べた後は昨日観たアニメの映画を観に行くぞ!そのあとはゲーセンと古本屋巡りで漫画を買いに行くとしようか。」

 

おいおい…、と思いながら呪いのせいだろうか。メアと一日遊ぶことにワクワクしている自分がいた。

 

 メアの呪いで遊び歩いた1日…。今日は色々買ってしまった。アニメのグッズに面白そうな漫画一式。ゲーセンではメアと遊び続けてもう小遣いなんてもう残っていない。

帰る頃には真っ暗になっていた。『いい子』でいる様なことは全くしてないけれど今日は凄く楽しかった。メアも隣で満足そうにグッズを抱きしめながら歩いている。

晩ご飯は何にしようか…。いっそピザでも注文しようか?そんなことを話していると家の前に着いた…と同時に一気に心臓が凍る様な感じがした。

家の灯りがついている…。家を出る時には灯りは全て消した…つまり…。

玄関の扉を急いで開けると母さんが仁王立ちで立っていた。

 

「どういうこと⁉︎母さんが帰ったら誰もいないし家のことも何もやって無いしそのおもちゃはなんなの⁉︎どうして『いい子』に出来ないの‼︎⁉︎」

 

顔を真っ赤にして怒鳴り続ける母さんがグッズを叩きつける。

僕の横のメアの顔に青筋が見える。

僕はと言うと何故かその様子を落ち着いて見ていた。

普段なら『いい子』でいられない自分が駄目だと謝り続けるのに今は不思議と何も悪いとは感じない。それどころか言いたいことがどんどん湧いてくる。

…そうか、これもメアの呪いか。それなら仕方ない。

 

「母さんにとっての『いい子』ってなんなの?母さんが勝手をしても僕を父さんと似ているからって言いたい放題言っても何も文句も言わず全部はいはい従うロボットなの?」

 

僕の言葉に母さんが一瞬怯む。きっと僕が言い返すなんて思ってもなかっただろうな。その隙を逃さず

僕は続ける。

 

「僕は『いい子』でいようとしたよ?母さんが男の人とデートに行って代わりに全てを押し付けても母さんの都合で八つ当たりされても文句も言わずに頑張ったよ?でも母さんは僕が思い通りに一回でもならないと気が済まない。それって『いい子』じゃなくて『都合のいい子』じゃないか‼︎」

 

僕が語気を荒げると母さんは親に向かってなんで口を‼︎と叫びながらぶとうとしてくる。

僕は咄嗟に目を閉じて身構える…がその手が来ることは無い。恐る恐る目を開けると母さんは恐ろしいものを見た様に口を開けて固まっている。視線は…僕の横…、そこにはメアがいる。しかしメアはいつもの外面では無い…。それどころでは無く人間を装ったいつもの姿ですら無くなっていた。

初めて会った時に見た銀色の髪はバチバチと音を立てながら揺れ動き真紅の角からは轟々と炎が燃え青い肌の顔の真っ暗な目の中の黄色い瞳はまるで獣みたいだった。

手を上げようとして止まっている母さんにメアは話し始めた。

 

「我は今日は気分が良い。一日楽しく過ごした上にこいつが自分の気持ちを話したんだ。水を差す様な真似はするなよ。」

 

まるで氷の様な冷たい声に母さんはカタカタ震えながら頷く。その様子をメアは静かに見ていた。

 

 あれからは特に何も無く僕たちは夕食を注文して食べた。

母さんはメアの姿を覚えていなかった。僕が怒った迫力に気圧されたということになっていた。きっとメアが記憶をいじったんだろう。

今は僕の部屋でメアと2人で買ってきた漫画を読みながら話している。

 

「しかし貴様があの母親にくってかかるとは思わなかったぞ。よく言ったな。見直したぞ。」

 

嬉しそうに笑うメアに僕は呆れながら答える。

 

「何言ってるのさ、メアがそういう呪いをかけたって言ってたじゃないか。だからこれはメアのおかげだよ。」

 

そういうとメアの顔が焦ったような何とも言えない表情に一気に変わる。

 

「…実はな、それはウソなんだ。そんな呪いはかけてない。貴様と遊べる様にと…。」

 

そう言って目を逸らす。

…え?あれは呪いじゃなかったのか?

じゃあ僕の今日一日は僕がしたかったこと…。

…それだとしても、嘘だとしても

 

「それでも今日楽しかったのは、言いたいことが言えたのはメアのおかげなんだ!だからありがとうメア!」

 

僕の本心からのお礼にメアは少し目を逸らすと照れくさそうに笑うのだった。



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悪魔とのシチュ(後編)

お待たせしました。後編になります。
今回は悪魔のメア視点になります。


 私は生まれた頃から落ちこぼれだった…。周りが上手に出来ることも満足に出来ずに失敗ばかり。周りはどんどん成果を上げていっても私は空回り…。

唯一持っていたのは凄まじい力だけ。その力も周りを恐れさせ遠ざける…。

私は周りに近付きたくて色々なことを引き受けた。どんな勝手なことも嫌なことも笑顔でやった。そうすればきっと好かれる、認めてもらえる。

…でも現実は違った。私は誰にも愛されず都合の良い存在として怒らせなければいいやつと言われていた。

…そうか。周りの顔色を見て行動しても結局はこうなる。

もういい。力のある「私」は…「我」はその力を使い決して周りに屈しない存在であろう…。

 

「ん…。なんだ?朝か…。嫌な夢を見た。」

 

我は布団からもぞもぞと身体を這い出し時計を見る。

 

「8時50分か…。あいつはもう大学か。」

 

我は仰向けになり大の字で天井を見る。

あいつが母親に歯向かったあの日から全てが変わった。あいつはバイトを始めて金を貯めていき学校で頼み事をされても我が間に入らなくても自分で断る様になった。

母親はあいつに「いい子」を強制することはなくなったがお互いに干渉はしなくなっていった。あいつは母親に大学進学に伴って家を出て1人で暮らすことを提案した。前から男と会っていて仲を深めていた母親はあっさりと了承した。今では男と2人で暮らして楽しく過ごしているらしい…。

あいつはというとバイトした金で部屋を借りてそこで我と2人で暮らしている…と言っても以前の様な「従姉妹のメア」ではなく周りには姿も見えない本来の悪魔としてだ。

あいつは卒業した後に我の居場所が無くなると思い自由でいられる様にと部屋を借りたそうだ。

確かにあいつがいないあの家にいる理由も無いしかと言って大学まで着いていき全て予定を合わせるのは不自然かと思っていたが…。

 

「あいつの魂…願いはなんだろうか…。」

 

我ら悪魔は人間の魂の輝きが見える。魂とは己を高めていくごとに磨かれその美しさを放つ。悪魔はその輝きを願いの契約によって印をつけて…堕落させその魂をいただく。

我もあいつの魂の金色の輝きを目にして狙いをつけた。最初は本当にそれだけだった…。しかしあいつを近くで見ているとわかってきた。あいつの魂の輝きはメッキだ。あいつは『いい子』である為に周りの頼みを断れず周りに認めてもらえる様に振舞っていた。それが…かつての「私」の姿と被ってしまいあいつへの頼み事を全て邪魔する様にした。

力がありすぎる為に独りだった「私」はなんでも言うことを聞いて周りに溶け込もうとした。結果、「私」は都合の良い道具と呼ばれた。道具の扱いは辛かったから力を誇示して周りを圧倒する「我」としてあり続けた…。

きっとあいつは迷惑だろうと…邪魔だろうとわかっていながら。しかしそんなことをしててもあいつは決して我を嫌がらなかった。口では悪態を吐きながらも心の底からは邪魔だとは思っていなかった。

ある時からあいつの魂の輝きが変わり始めた。メッキが剥がれ落ちてその中から本物の輝きを放ち始めた。それは安っぽい輝きでは無くルビーの燃える様な真紅、エメラルドの様な透明感のある緑、ラピスラズリの星空を思わせる光沢のある深い青、そしてダイヤモンドの様な眩い輝き。

そしてその光は周り全員ではなく我に向けてのものだと言わんばかりに主張している。

つまりそれは…そういうことなのだろう。

果たして我でいいのだろうか。こんな独りよがりの悪魔に…。

ふと腹の音が鳴る。時計を見るともう11時半になろうとしていた。考えに耽っていたら2時間以上も経っていたらしい。ごちゃごちゃとした考えは一旦置いておいてまずは食事にしよう。我は1人でヨシッと呟くと出掛ける用意を始めた。

 

 我はあいつが通っている大学の食堂で天ぷらうどんとおにぎりを頬張っていた。あいつの部屋から大学までの距離は結構近い上に食堂は一般開放していてコンビニ飯を買うよりも遥かに安いし味もいい。

我は食事はからっきしだし家事といっても大したことも出来ない。あいつは嫌な一つ見せずに全てやってくれる。他の悪魔は人間を堕とすためにそういったことは得意なのだが…。

またナーバスになろうとしていた我はその考えをかき消す様にうどんのつゆを一気に飲み干し食堂を後にした。

今の我の姿は本来の悪魔としての姿ではない。角は隠し銀の長い髪も茶髪のショートボブで肌も青ではなく人間と同じ色だ。そしていつも同じ姿で行くと顔を覚えられ、もしあいつの家に一緒にいるとなると普段あいつ以外から見えない我は面倒になるだろうと毎回容姿を変えていた。

 

「このまま帰るのもなんだしあいつを少しからかってから帰ろうか。」

 

たまに変えた姿で声色も変えあいつに会いに行き思わせぶりな態度をとってからかう。

しかしあいつは全然ドギマギすることなくいつも我の正体を見破り

 

「なんだメアか。今日はそんな姿なんだな。」

 

くらいで終わらせる。そして我はすぐにバレて悔しいのと気付いてくれた時のなんとも言えない心地よさの中帰る。それがこの大学に来る食事以外のもう一つの楽しみになっていた。

あいつがどこにいるかは魂の輝きでわかる。さて、今日はどうかな?そんなことを考えながら我はあいつのもとへ向かっていった。しかし今日はいつもと違ってからかうことは無かった。

 

 あいつはどこだ?輝きが近いからすぐ見つけられるに違いない、お?見つけた。

我はあいつに声をかけようと手を振ろうとしてすぐに手を引っ込めた。

あいつの隣で楽しそうに話している女は誰だ?

学生が沢山歩いていて混雑しているとはいえ近すぎないか…?

女は目をキラキラと輝かせながらあいつの話を聞いている。あいつもとても楽しそうに女と喋っていて盛り上がっていく様子と共に魂の輝きが増す。

我は会話が気になり聞き耳を立てた。

 

「……って凄い素敵…好き……私も……」

 

「ありがとう……じゃあ学校が終わったら……を買いに行こう…プレゼント……」

 

「…じゃあ駅前の…時計塔で……3時半…」

 

人混みに紛れて聞こえてくるのはこんな感じだ。

…そうか。あいつはいつの間にか彼女がいたのか…。

まぁあいつは元々人を助けるのは嫌いではなかった。そして以前と違い芯もある。その魅力に気付く女だって当然現れるだろう。楽しそうに笑い合う2人を見ながらチクリと心が痛んだがその痛みに気付かない振りをして大学を去った。

 

今は3時半、我は時計塔の裏で変装をして立っている。何故だ!我は何故ここにいる…?

そうだ、もしかしたらあいつが彼女が出来たことでそれに関する願いをするかもしれない!或いはあいつが頼まれ事を引き受けているのではないかとそれを見に来ただけだ!

自分にそう言い聞かせていると向こうから男女が2人で歩いてくる。

 

「結局、時計塔に着く前にあっちゃったねー。」

 

「ごめん、すぐに見にいきたくてさ。大学終わったらすぐに向かおうって必死だったから。」

 

「全然いいよ?むしろそういう風に一所懸命なんだなぁってわかってなんかいいじゃん?」

 

あいつと今日見た女だ。

女はとても楽しそうな様子であいつをからかい、あいつは顔を真っ赤にして照れている。

 

「いいな…。」

 

ポツリと我の口から溢れる言葉に我は慌てて口を紡ぐ。

そうだ、我とあいつは悪魔と人間…。願いを叶える為に我はいて、何より種族も違う。

 

「それじゃ、早速だけど行こうか!」

 

「え?もう?ちょっと僕はまだ心の準備が…」

 

「何言ってるの?善は急げだよー?時間は待ってはくれないからね!早く行こー!」

 

女はあいつの手を引き走り出した。我はバレない様に距離をとりながら着いて行った。

 

 大きなショッピングモール、我は服を見るふりをしながら向かいのジュエリーショップで話している2人を観察している。

 

「……あまり……高すぎる…私は……どうかなー……?」

 

「でも……大事な……だし……」

 

「……気持ちだよ……私は……嬉しいなー……」

 

やはり人混みの中だとあまり聞き取れないか…。

しかしあいつはあの女に何かをプレゼントしようとしている様だ。相当高いものの様で女が遠慮してるのか…。魂の輝き目当てに引き寄せられた我とは大違いだな…。

 

「お客様ー?何かお探しの服はありますでしょうかー?」

 

愛想の良い笑顔で店員が尋ねてくる。ここで目立ってしまっては尾行がバレてしまうかもしれない。

 

「いや…いい。もう…帰るから。」

 

我はここにはもう居られないと思い、店を後にした。店員と話していて見つかると面倒だし…何より楽しそうなあの2人をもう見ていたくはないと思った。

 

 部屋に戻った我はそのまま何かをする訳でもなく窓を開けて外の風を感じている。

いつもなら面白い漫画もゲームも今は情報だけが右から左で何も入ってこない…。

あのいくつもの宝石の様な魂は我にずっと向けられていると思っていた。一緒に暮らす為に部屋を借りたと聞いた時は驚きと共に嬉しかったのも事実だ。

大学で変装して会ってもすぐに我とわかる事に満たされていく感じがしていた。

 

「好きになっていたのかー…」

 

誰もいない部屋で我はため息と共に言葉にする。

そうか…人を堕落させ魂を手に入れる悪魔が逆に好意を寄せて失恋して落ち込むとは…相変わらず「私」は落ちこぼれだな…。

そんなことを考えていると外から足音が聞こえてくる。内心焦りを感じながらもある決意をする。

ここを出ていく決意を…。

 

「ただいまー。ごめんな、遅くなって。今から晩ご飯作るからな。今日はメアも好きな生姜焼きだぞ!」

 

いつもと変わらない様子のあいつ…。でも魂の輝きはいつもより眩しく美しい。

あの女とのデートがきっと楽しかったのだろう。

我は全てを覚悟して言葉を紡ぐ。

 

「貴様の願いを…聞こう。」

 

 あいつは一瞬、いつものかと笑いながらこっちを見たが我の表情を見ていつもの様子とは違うと気付いたのだろう。我の前にゆっくりと座る。

 

「いきなり、どうしたんだ?」

 

緊張した雰囲気、空気が張り詰める。

 

「今まで貴様は願いを聞いても特にないと答えてきた。それは本当に望みが無いのは明らかだった。だから今までは特に言及することは無かったが今回は違う…。望みが出来たのだろう?」

 

我の言葉にあいつは驚いている様子だ。

 

「何故、知ってるんだ…?」

 

「何故?我は悪魔だからな。魂の輝きでわかる…。だから貴様の願いを聞こう。…それともし出ていけと願っても安心しろ。その時は魂は奪わない。」

 

我は目を逸らしながら最後の言葉を付ける。

我の言葉にきっとあいつは安堵しているだろう。きっと願い通り我は出ていきあの女を遠慮なく家に呼ぶことも出来る。2人でいる時間ももっと増えるだろう。

 

「ん?出ていけ?何を言ってるんだ?」

 

あまりにも拍子抜けした様な声に思わずあいつの顔を見る。まるで意味がわからないと言った顔でポカンとしている。あいつは続けて

 

「お前は僕の願いがわかっているんじゃないのか?」

 

とキョトンとした顔で聞いてくる。おかしいぞ?何かが噛み合っていない。我は恐る恐る確認した。

 

「え?今日…貴様はあの女と一緒にデー…」

 

「なんだ、今日のあれを見てたのか。それで願いがわかったのか。そうだよ、僕の願いは…。」

 

話の途中であいつは割り込み願いを話し出した…。

待て、まだ心の準備が、

 

「メア、僕と一緒にこれからもずっといて欲しい。」

 

そういうとポケットから小さな箱を取り出した。中には綺麗な金色の指輪が入っている。

呆気に取られていると男は話を続けた。

 

「ごめんな。まだ学生のバイトじゃ高いものは買えなくて…。でも気持ちが大事だって言われたから…。」

 

「ちょっと待て…。今日、あの女とジュエリーショップに行っただろう?あの女は彼女でデートじゃないのか?」

 

しどろもどろな男に確認する様に我は尋ねる。

男は頭に?を浮かべながら

 

「いや?あの子は僕の相談に乗ってくれててメアに送る指輪を一緒に選んでくれていただけだぞ。あの子は恋バナとか好きだからな。」

 

そう言うと照れくさそうにハハハッとはにかむ。

恋バナ?恋?我に?我は…「私」はそんな好意をもらえる様な資格はあるのか?

 

「一緒にいる…。我は…わ、私は本当は力だけある…落ちこぼれで…貴様の魂目当てに来たような最低のヤツで…何より種族も違うのに…。」

 

私は溢れる涙を抑えながらしどろもどろに伝える。そんな言葉にもあいつは

 

「たとえそうだとしても、僕が強くなれたのはメアがいたおかげだし僕に都合の良い人では駄目だと教えてくれたのはメアなんだよ?メアがいない世界なんて考えられないよ。」

 

そう言うと私の頭を優しく撫でた。なんて心地いいのだろうか。こんな私でもそばにいていいのか。

 

「それで…僕の願いはどう?叶えてくれる?」

 

あいつのそんな質問に

 

 「この指輪で…ううん、この指輪がいい…。」

 

聞こえるかどうかの声で呟くと「我」はクククッと笑い声高らかに答えた。

 

「いいだろう。その願い、叶えよう!貴様が生きてる限り我はそばにいて、契約の元、貴様が朽ちても魂は我のものとしてそばにありつづけよう!」



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ハーピーとのシチュ(前編)

今回も前後編と分けます!
自分の理想と性癖をぶっ込んだら凄く長くなりそうで…
読んでもらえると嬉しいです


 ジメジメとした梅雨も終わって暑い日が始まった7月の初め頃…。

緑の木がサーっと音を立てる中、俺はそんな緑とは対照的な真っ赤な髪のお姉さんと出会った。

あの日から俺の毎日は全く違うものになった…。

 

「礼‼︎ありがとうございました‼︎」

 

 土曜日の昼過ぎ、蝉が賑やかに鳴いているがそれよりも大きな声が剣道場で響く。俺は面の紐を解いてぷはぁっとため息と一緒に勢いよく外す。

朝練が終わって更衣室に入ると道場のピリッとした空気から一気に解放される。

剣道は小学校に入学した時から今の6年生になるまでずっと続けてきたけどやっぱり毎年この季節は暑くて汗がボトボトになる。

 

「暑かったー‼︎今日は帰ってご飯食べたらプール行きたい!」

 

「マジでそれな!ヤベッ⁉︎面と籠手の匂い臭すぎる…。」

 

厳しい稽古が終わって同級生皆で何して遊ぶかを話し始める。

 

「なー!プール行こうって話してるけどお前も来るよな?」

 

友達の1人が聞いてくる。俺は特に予定も無かったし

 

「オッケー!俺も行くよー!」

 

そう言うと汗でびちょびちょになった防具に消臭剤を振りかけた。

こんな暑い日は冷たいプールは楽しみだった。

 

 道場からの帰り道、道着姿の男3人でのんびり歩いてる。洗濯物を増やしたくない母さん達はそのまま帰ってくるのは賛成で俺たちもなんだかカッコいいと理由で全然嫌じゃなかった。

ただ臭いのだけは気になったからミントのスプレーとスースーする汗拭きシートだけはしっかりしている。

 

「マジで必殺技みたいなの欲しいよなー。」

 

そういうのは健助、ガサツだけど気のいいやつだ。

 

「なんかオリジナル技みたいなのは欲しいよね。」

 

答えるのは光輝、爽やかな感じだけどこういうノリにも乗ってくれる。

 

「こう、ズバッて速い振りとか?」

 

俺も必殺技みたいなのには憧れてるから答える。

そんなことを話ながら駅の近くまで着いた。流石にバスや電車に乗ると臭いが迷惑なので友達2人は車で迎えに来てもらって俺は家が近いので歩いて帰る。

友達の迎えが来るまでわいわいと話していると近くの花時計の前でキーホルダーやアクセサリーを売っているのを見つけた。木を削った物に凄く大きな黒い鳥の羽根を飾り付けたキーホルダー、同じ羽根を使ったイヤリング…。それらはどこか無骨なデザインだけど少しかっこいいと感じる。

でもそれよりもインパクトがあったのが売っている女の人だった。

この暑い日に足元までありそうな黒のコート、服の色とは正反対の真っ赤な髪が腰くらいまで伸びている。そして髪の間から見える片耳にはいくつものピアスが開けられていて口には黒いタバコを咥えている。目はカラコンだろうか、黄色い瞳が真っ直ぐみている。

 

「なぁ、あれヤバくないか?」

 

「やめなよ、きっとヤンキーだよ!」

 

友達2人は赤い髪の女の人を怖さ半分、興味半分で見ている。

女の人はそんな俺たちをギロッと睨むと黙らせてまた真っ直ぐ前を見る。友達は完全にビビってしまって迎えが早く来ないかとソワソワして無言でスマホを触り続けている。

待ち合わせ場所の目印は花時計なのでここから動くことも出来ない…。

気まずいシーンとした空気が続く…。早くこの場所から消えたい、帰りたい。そんなことを考えていると女の人に話しかける人が現れた。

 

「お姉さん♪何してるの?」

 

「ていうかなんだこれ?鳥の羽根のキーホルダー?こんなの売れるのか?」

 

男の人が2人、女の人に話しかけている。ナンパだろうか。1人は金髪で口元にピアスを付けていてもう1人はゴツい感じの坊主頭のタンクトップで腕に刺青をしてる。

 

「こんなの売ってても全然儲かんないっしょ?俺たちと一緒に遊んでくれたら沢山お金あげちゃうよ〜?車もそこに止めてるからお出掛けしようよ〜?」

 

「もう、いいんじゃね?拉致ってあとはヤク食わせりゃいいだろ。ここ全然人いねぇし誰もも見てねぇよ。なぁ⁉︎」

 

タンクトップの男が急に俺たちを見る。俺たちはビクッとして跳ね上がる。正直むちゃくちゃ怖い…。

 

「逃げるぞ!」

 

健助の合図で友達2人が走っていってしまう。

ヤバい…突然のことでタイミングを逃した。パニックになって固まってしまって全く動けない…。どうしよう、どうしよう!

 

「おいガキ、お前は行かねえのかよ?なんかしようって考えてるならブチ殺すぞ!あぁ⁉︎」

 

「もういいよ、そんなガキ何も出来ねえよ。それよりこの女かなりの上物よ?早く連れて行こうぜ。さぁお姉さん!行こうか〜!」

 

金髪が女の人をまじまじ見ながら腕を掴もうとして手を伸ばしている。

最初は俺を睨んでたタンクトップも女の人の方へ戻っていく。何を言ってるのかは全くわからないけどナンパとかじゃないことは間違いないし女の人だってピンチだ。でも怖い、俺の倍以上ある大人に足が動かない。

 

「…やめろよ、放せ。」

 

掴まれそうになった腕を払い除けながら冷たい声で女の人が言う。

 

「いって〜。何なの?俺たち優しくしようとしてるのよ?暴力は良くないよ〜?」

 

「もういいだろ?腹でも殴れば大人しくなるだろ。なぁ!」

 

タンクトップは怒鳴りながら女の人が売っていたキーホルダーなどを蹴り飛ばす。気が付けば周りも人が大分集まってきている。でも誰も助けようとしない。皆怖いんだろうな…俺だって怖い…でも…!

 

「お姉ちゃん‼︎」

 

意外に大きな声が出たと思う。金髪もタンクトップも女の人も周りを避けていた人も皆こっちを見ていた。

ヤバい…ここからどう繋げよう…。もうなる様になれだ!

 

「お姉ちゃん!俺、さっき練習が終わったところだよ!お父さんももうすぐ迎えに来てくれるってさっき連絡あったよ‼︎」

 

俺は力一杯大きな声で続ける。こんなの全部でたらめだ。俺は1人っ子だ。

 

「おい、ガキ…!お前らどこが姉弟なんだよ?なんかしたらブチ殺すって言ったよなぁ⁉︎」

 

タンクトップが俺の道着の襟元を掴みながら拳を振り下ろそうとしている。俺は恐怖のあまりギュッと目を瞑る。

 

「おい!やめろ‼︎」

 

俺の顔に風がブワッと来た瞬間に怒鳴り声が聞こえる。恐る恐る目を開けるともう拳がすぐそこまで来てる…。止めたのは誰かと固まった首でタンクトップの視線の先を追う。金髪だ。さっきまで女の人に話してた生暖かい口調とは全く違うドスの効いた声だ。

 

「周り見てみろよ。ここでそのガキ殴ったら終わりだぞ俺ら。」

 

周りには相変わらずの人だ。でも違うのはほとんどの人がスマホを掲げている。写真や動画を撮ってるのだろうか。中には警察らしき所に電話している人もいる。

タンクトップは俺の道着を突き飛ばす様に離すと思いっきり睨んで金髪と去っていった。

俺はほっとしたと同時に今頃になって脚がガクガクと震えだす。力を抜いたら腰が抜けてしまいそうだ。

でもまだ駄目だ。最後にもう一個やることがある!

周りでは人だかりが更に増えてピロン、ピロンと音がする。女の人はカメラが嫌みたいで必死にコートのフードで顔を隠しながら蹴られた売り物を集めている。俺は自分でも驚くくらいのスピードでそれらを回収すると女の人の腕を掴んで人混みから連れ出す

 

「お姉ちゃん!行こう!」

 

俺はコート越しの腕から何かフワフワした感触に違和感を感じながらもその場所から目いっぱい走った。

 

 どれくらい走っただろうか。駅はもう大分小さくなっていてここは隣町の河川敷だ。

 

「ごめ…ハァ…ん…ハァ…結構…ハァ…遠くまで走っちゃって…ハァ…ハァ…」

 

全速力で走ったからまともに言葉が出ない。肺がキリキリ痛む。ふと女の人の顔を見る。

汗をかいてないどころか息切れ1つ無く少し警戒した様子で俺を見てる。小学生とはいえこれでも6年剣道に打ち込んできて体力に自信があった分この差は流石に凹む…。

 

「なんで助けてくれたのさ?怖かったんじゃないの?」

 

女の人は落ち込んでいる俺にはお構いなしで聞いてくる。怖かったよ!怖かったに決まってる!それでも…!

 

「放っておける訳ないよ!危なかったもん!」

 

そう言ってヘナヘナと腰が抜ける。今頃になって緊張が完全に解けた。そんなへたり込んだ俺を見て女の人はさっきまでの怖い顔じゃなくなっていっておかしそうに笑い出した。

 

「フフフ…。そっか、確かに危なかったね。あの2人は大人だし男だし大きかったし。」

 

女の人の余裕がある雰囲気に顔が赤くなっていく。

もしかして大変だと思っていたのは俺だけで実はこの人だけでも何とかなった?空回り?そんなことが頭の中でグルグルと回る。

 

「でもね、さっきは凄く格好良かったよー。ありがとうね、サムライくん。」

 

女の人はそういうと売り物だった丸い木彫りに黒い羽を一杯付けたキーホルダーを握らせてくれた。

手袋越しだけど初めて握った女性の手にドキドキしてると

 

「じゃ、それはあげるよー。お姉さんの家はここから近いし今日はもう商売は無理そうだし歩いて帰るよ。またどこかで会えるといいね〜サムライくん。」

 

そう言って俺の頭を撫でると手を振りながら帰っていった。残された俺はさっきの怖いとは少し違うドキドキを感じながら立てる様になるのを待っていた。

 

 

「ねぇ、あれから大丈夫だったの?」

 

「走ってしばらくしてからお前が着いてきてないってなって戻ってみたらやたらと人がいるけどお前いないしさぁ…。」

 

「そうそう、しかも色々動画が上がってて顔にぼかし入ってるけどこれ…お前だよね。」

 

今日の昼の件があってまだ頭の整理がついてないまま気が付けば夕方になっていた。

プールに行く約束を完全に忘れていた俺は2人からグループ通話で電話が来てようやくそのことを思い出していた。確かにスマホを見ると着信履歴がいくつもある。

友達はかなり心配していた様で怪我などはないかとか色々心配してくれていてあの騒動も投稿されていたと動画を送ってくれた。

なるほど、確かに顔はわからない様になっているけど俺の道着姿、女の人の赤い髪はばっちり映っている。

 

「一応さ、動画は削除依頼しといたけど本当にあの後何もなかったの?」

 

「警察はあのあと来てたみたいだけどお前もあの女の人もあいつらもいないからすぐ帰っちゃったし…」

 

俺は自分の頭を撫でながら貰ったキーホルダーを眺めて思い出す。

 

(格好良かったよ、サムライくん)

 

(また会えるといいね〜サムライくん)

 

顔が途端に熱くなる。赤い髪から覗く鋭い目が優しそうに笑ってた。

 

「お〜い、大丈夫だったのか?」

 

ボーっとしていて返事がなかったからか健助が心配そうに聞いてくる。

 

「あ、あぁ?お礼にキーホルダーを貰ってそれで終わりだよ。それ以外は何もなかったよ。」

 

しどろもどろになりながらも何とか返事を返す。頭を撫でてもらったことやサムライくんと呼ばれたこと、隣町に住んでることは何故か内緒にしたかった。

 

「それならよかったけどさ…。どうする?今日はもう無理だったけど明日も休みだしプールは行く?」

 

光輝の提案に俺は少し悩んだあと、明日はゆっくりするよと伝えた。2人もそうかと言って電話は終了した。

 

 晩ご飯、母さんと父さんが俺が食べようとする前に話があると言ってさえぎる。きっと今日のことだろうなと思って手を膝に置く。

 

「今日、健助君のお母さん達から連絡きたのよ。危なそうな人達に絡まれたって?母さん全然聞いてないわよ。」

 

母さんは心配そうに、でも責めない感じで聞いてくる。

 

「ごめんなさい…。俺も頭の整理が全然出来てなかったから…。でも絡まれたんじゃなくて絡まれてる人を助けたんだよ!怪我もなかったし!」

 

俺は必死に弁解する。あの時見て見ぬ振りはどうしても出来なかった。

 

「そうだとしてもな。危なそうな大人2人だったんだろう?今日は怪我が無かったかもしれないがもし手を出してきたらどうする?お前は剣道もやって力も強いがまだ小学生だ…。隠れて通報だって出来ただろう?」

 

父さんはゆっくりと諭してくる。確かに父さんの言う通りだ。俺は小学生…。大人の迫力にビビってたのも本当だ。

俺が下を向いて黙っていると父さんは続けて

 

「別に怒っている訳ではないんだ。お前が危ない人から助けたのは勇気がいることだったと思う。きっと心の中では逃げたかったのにその怖さに立ち向かったのは凄く褒めたい。でもな、お前に何かあったら父さんと母さんが凄く辛いことも覚えておいてくれ。」

 

そう優しく言うと母さんに、もういいだろと言ってご飯を食べようといつもの笑顔に戻る。母さんも

 

「今日は頑張ったみたいだからご飯たっぷりよそうわね。」

 

と笑顔で茶碗いっぱいのお米を出してくれた。母さんが作ってくれたハンバーグは凄く美味しかった。

 

 日曜日、健助達とのプールの約束も断った俺は家でのんびりと朝の番組を見ていた。

テレビの中では格好良いヒーローが剣で敵の怪人をやっつけている。1年生の頃に同じ様なヒーローに憧れて剣道を始めてなんだかんだで今もずっと観ている。

 

「昨日も竹刀は持っていたのになぁ…」

 

憧れていた悪者と戦う場面、実際は怖くて怖くて一緒に逃げるだけで精一杯で父さんと母さんにも心配掛けて…。

 

「そういえばあの人あれから大丈夫だったかな…。」

 

あんなにカッコ悪かった俺をカッコよかったと言ってくれたお姉さん…。

あの花時計の所でまたアクセサリーを売ってるのかな…。

やることもないから走り込みだけ、それでちょっと花時計の所も見るだけだから…。

なんだか自分に言い訳してるみたいだけどなんとなくあのお姉さんに会いたかった。

 

「母さん、ちょっと走り込みしてくる!」

 

俺はそう言うと靴を急いではいて玄関を飛び出した。玄関の向こうでは

 

「危ないところには行ったら駄目よー!気をつけるのよー!」

 

と母さんの注意する声が聞こえた。

 

 息を切らせながら駅前に着く。花時計は10時半を回っている。周りには色々な人で溢れているけどあのお姉さんはいない。やっぱり昨日の今日では流石にいないか…。どうしようかな、これで帰るには走り込みとしては時間が凄く短いし…。そんなことを考えているとある言葉を思い出した。

 

(お姉さんの家はここから近いし商売は無理そうだし歩いて帰るよ。)

 

もしかしたら隣町に行けば会えるかもしれない。何故かはわからないけどお姉さんに会いたい。俺は不思議なドキドキする気持ちを抑えられないまま走り出した。

昨日の河川敷、お姉さんが俺をサムライくんと呼んでキーホルダーをくれて頭を撫でてくれた場所…。

昨日は目一杯走ってヘトヘトだったけど今日は違う。普段ならここまで走るくらいなんてことはない。

 

「ここから歩いていける距離か…。」

 

もし住んでるならどこだろう。確か隣町には小さな商店街があったはず…。

俺は商店街でばったり会うんじゃないかと期待をこめて行ってみることにした。

…そんな偶然がそうそう起きることがないって気付いたのは母さんからのお昼ご飯を忘れてお叱りの電話を受けた時だった。

 

 

「しかし先週は大変だったねー!」

 

「マジでそれな。俺んちはしばらくどこへ行くのも親か姉貴が一緒だよ。マジでだるい。」

 

お姉さんを探して1週間が経った。今は土曜日の剣道場の稽古が終わって更衣室で話している。もちろん先週の事件についてだ。

 

「お前んちはどうだった?1番危ない目にあってたから学校以外行けなかったんじゃねーの?」

 

俺に話題が振られる。

…言えない。日曜日のあとも諦められず毎日学校帰りにお姉さんを探して隣町に行ってたなんて。

 

「えーと…、俺の家は…」

 

言葉に詰まっていると健助の興味は俺のカバンに移る。

 

「あれ?お前がカバンにつけてるそれってあの女の人が売ってたやつ?」

 

健助が俺のカバンを指差す。なんとなくこれをつけてるとあのお姉さんに会える気がして普段から付けていた。

 

「あ、あぁ…これ貰ったし何となくカッコいいから気に入ってるんだよ。」

 

「そうかー?なんか羽根はデカいし木彫りもなんかこわくね?」

 

俺の必死の言い訳もズバッと切り返される。何となくカッコいいは本心だっただけにちょっとショックだ。

俺がどう答えようか迷ってると光輝が

 

「まぁまぁ、コレがこいつにはカッコいいならそれでいいじゃない?ね?」

 

となだめてくれた。正直ありがたいけどなんだそのニヤニヤした顔は。

 

「とりあえず帰ろう!」

 

何となくいたたまれない気持ちになった俺は急いで更衣室を出ようとしたら

 

「あー、わりぃ!この前のことがあったから姉貴が車で迎えに来るんだよ!先帰っててくれ!」

 

「僕はこの近くに婆ちゃんの家があるから夕方までいて迎えに来てもらうんだよ。」

 

2人はどうやら一緒には帰れないみたいだ。なら仕方ないと帰ろうとすると

 

「そういう訳で例の人探し頑張れよ。」

 

光輝がそっと耳打ちしてきた。俺は光輝を見返すと含みのある笑顔で親指を立てていた。

…光輝はこういう時は勘が鋭い。俺はなんとも言えない気持ちで道場を後にするのだった。

 

 とりあえずまずは駅前だ。花時計の周りを見よう。お姉さんは…いない。やっぱり隣町かな?今日は母さんはご近所さん達とお出かけと言っていたからお昼ご飯のお金ももらってるし1日探せる。

急いで着替えてまた探そうと走り出そうとすると後ろからふいに呼び止められた。

 

「おい、坊主?」

 

咄嗟に後ろを振り返ると女性が立っていた。大学生くらいだろうかな。少し明るい茶色の長い髪で青いスカジャン姿…。これぞヤンキーといったスタイルだ。

 

「最近、赤髪の女を探してるのってあんただよな?」

 

女の人はじっと俺の顔を見てくる。この前の金髪やタンクトップみたいな脅そうとする雰囲気は無いけどやっぱりちょっと怖い。赤髪の…ってお姉さんのことだろうか。何も言えず固まっていると女の人の目線は俺のカバンに移っていった。

 

「そのキーホルダー…。それにその格好、あんたがもしかしてサムライくんか?」

 

サムライくん…!思わずその言葉に頷くと女の人はプッと笑い出した。

 

「いやー!わりぃわりぃ。ここんとこ周りを嗅ぎ回ってる奴がいるってんで顔は防犯カメラに映ってたから確認してたけどまさかサムライくんだったとは。」

 

俺の背中をバシバシと叩きながらケラケラ笑っている。なんのことかさっぱりわからない俺が呆気に取られていると続けて

 

「説明がまだだったな。あーしは明美。あんたが探してる赤髪のお姉さんの知り合いだよ。これからサムライくんをお姉さんのとこへ連れてってやるよ。」

 

明美さんは近くに停めてあったバイクにまたがるとヘルメットを俺に渡して後ろに乗るように言った。

俺はどうしようか迷っていたけど明美さんの

 

「お姉さんのとこへ行きたくないのかー?」

 

の人声に慌ててバイクに飛び乗った。

 

 バイクで走って10分くらい経った。

ここは最初に探した商店街だ。おかしいな?ここは最初に探したけど誰も知らないって…。

明美さんに聞こうとすると突然バイクを止めた。

 

「着いたよ。ここがあんたが探してるお姉さんの家だ。」

 

商店街の端に小さな木造アパートがあった。最初に見た時は何とも思わなかったけどかなり昔にできたみたいなテレビや映画に出てきそうな感じだ。

明美さんは扉をガラガラと引いて入っていく。俺も遅れないように急いで着いていくと中も昭和みたいな感じで廊下に電灯がいくつかチカチカと光っている。

 

「婆ちゃーーん!いるかーーー?」

 

明美さんの大きな声が廊下に響く。すると1番手前の扉が開いて中から腰の曲がったお婆さんが顔を覗かせた。お婆さんは凄く面倒そうな顔で明美さんと俺を交互に見る。

 

「なんだい、明美。わたしゃうるさいのは嫌いだって言ってるだろう?それにそいつは誰だい?知らない奴をここに呼ぶなって言ってるだろ?」

 

ぶっきらぼうな口調に明美さんは慣れてる様で笑いながらお婆さんと話を続ける。

 

「こいつだよ。先週から天ちゃんのこと探してたヤツって。しかも驚くなよ?こいつなんと…」

 

明美さんの話が終わらないうちにお婆さんが俺の元へ一気に近付く。次の瞬間、俺の視界はグルっと回転してお婆さんの足元を横たわる感じで見ていた。

 

「あんたかい!最近ここいらを嗅ぎ回ってるのは⁉︎天使さんに何のようだい⁉︎返事次第では…」

 

何が何なのかさっぱりわからない。天使?え?誰?というか俺投げられた?頭が着いて行ってない俺を庇うように明美さんがお婆さんを必死に止める。

 

「待てって!婆ちゃん!この子‼︎この子が例のサムライくん‼︎」

 

お婆さんはハッとした様子で屈むと申し訳なさそうに頭を地面に擦り始める。

 

「あんたがサムライくんだったなんて…!本当にすまないことをした!恩人に酷いことを…!」

 

何度も頭をグリグリとするお婆さんに俺は投げられた時の腕の痛みも忘れて止めに入る。

 

「こっちこそ色々ごめんなさい!ただあの後お姉さんは大丈夫だったかなって。またもう一回会いたいなって探してただけなんで‼︎」

 

とっさになって余計なことを言った気がする。明美さんがニヤニヤしながら俺を見てる。

とにかく1度落ち着こう。俺はお婆さんを立ち上がらせるとひとまずお姉さんのことを聞いた。

 

「その格好は間違いなく天使さんの言ってたサムライくんだねぇ。それにその羽飾りもあの娘のものだ。この前はうちの天使さんをありがとうねぇ…。」

 

聞くとお婆さんがこのアパートの大家さんでお姉さんはここで暮らしているようだ。でも天使さんってどういうことだろう。俺が名前なのか明美さんに聞くと

 

「まぁ、見ればわかるって」

 

とニヤッと笑うだけで教えてくれない。

大家さんは俺に天使さんは2階の奥だよというと部屋の前まで案内してくれた。

 

「天使さん、お客さんだよ〜」

 

ノックをして大家さんはゆっくりしておいきと興味津々な感じの明美さんを引っ張って階段を降りていく。

扉の向こうから

 

「入りなよ〜」

 

と返事が返ってくる。間違いない、この前のお姉さんの声だ。俺はバクバク鳴り続ける胸を抑えがら静かに扉を開けた。

 

「失礼しまー…」

 

言葉は最後まで出なかった。目の前には深く赤く長い髪と耳にはいくつものピアス、鋭く黄色い瞳と口には黒いタバコ、間違いなくあの時のお姉さんだ。

でもあの時と違うのは黒いコートではなく白いノースリーブにデニムの短パン、そしてコートで見えなかった腕には大きな黒い羽があってその先には人の大きさくらいの手はあるけど黄色く爪は黒く鋭い。脚も同じで膝から下はまるで大きな鳥の足みたいだ。

俺が口を開けて固まっているとお姉さんが

 

「そこでいられても落ち着かないからさぁ、とりあえずこっち来て座りなよ。」

 

そう言って俺の肩を掴んで部屋へ入れた。俺はされるがままに座らされていた。

 

 頭が落ち着かず部屋をあっちこっちに目をやってしまう。お姉さんの布団の近くにはコンビニでよくみる缶のお酒がいくつか転がっていてストロングって書いてある。お酒が好きなのかな?あ、あれは売ってたキーホルダーとかだ。黒い羽根飾りなのはやっぱり…俺はそう言ってお姉さんを見る。

やっぱり腕には大きな真っ黒の羽がありその先の手で口元のタバコを摘んでいる。

 

「それでさぁ…」

 

お姉さんは煙をプゥーっと吐くと話を始める。

 

「最近、お姉さんの周りを嗅ぎ回っているのがいるって聞いてたからどんな奴かと思ってたらサムライくんだったとはねー。」

 

俺はビクッとする。もしかしてお姉さん怒ってる?

 

「あの時助けてくれた格好いい子はまさかのストーカーで付け狙っていましたかー。お姉さんショックだなー。」

 

お姉さんの言葉に涙が溢れてくる。嫌われた。もう駄目だ。せめて謝ろう。

 

「あ、あの、ごめんなさ「ウ・ソ」」

 

俺の言葉に被せる様にお姉さんが言葉を被せる。

 

「わかってるよ。下の声も丸聞こえだったし、サムライくんはそんなことする子じゃないもんね。」

 

お姉さんはタバコの煙を吐きながら笑っている。

良かった。嫌われたわけじゃなかったんだ。

 

「そ、それじゃ「でもねぇ…」」

 

また俺が喋ろうとすると被せてくる。

 

「お姉さんのこの本当の姿は秘密でね。人には言わないで欲しいけどサムライくん誰にも言わないでくれるかなー?」

 

やっぱり秘密なんだ。だからあんなコートを…。

 

「誰にも言わないよ!約束する!」

 

俺が必死に言ってもお姉さんは表情を変えない。

 

「口では何でも言えるんだよね。お姉さんも秘密が欲しいなぁ…。そうだ、サムライくん。お姉さんがいいよって言うまで目を瞑って。」

 

俺は言われるままに目をつぶる。何をされるのかは怖いけどお姉さんが許してくれるなら…。

真っ暗な中で口元に何かが当たる感触…。これは…細い棒…?そしてカシャっという音。

 

「いいよー」

 

お姉さんの声で目を開けると口元には黒いタバコ、目の前にはスマホを構えたお姉さん。

 

「サムライくんタバコ吸って悪いんだー。証拠も撮ったからバラされたくなければお姉さんのことは内緒ね。」

 

いやいやいや、そんなことよりお姉さんの手にはさっきまでのタバコが無いってことはやっぱりこれって間接キス…!

 

「サムライくんにタバコあげちゃったから無くなっちゃったなー。」

 

そう言って新しいタバコを口に咥え始めて…そのまま俺に顔を近付ける。え?え?え?って言ってる俺の口元のタバコに自分のタバコの先を当て始める。

 

「ちょっと火を貰うよ。」

 

お姉さんのタバコに火がついて煙をプゥーっと吐き始める。俺はとにかく慌てて口元のタバコを灰皿に捨てて部屋を出ようとする…しかしお姉さんの脚で襟首を掴まれ一気に寄せられる。俺の頭は今、お姉さんの胸に当たってる。柔らかい感触にドキドキが止まらない。

お姉さんは知ってか知らずか耳元で囁くように

 

「今のはね、シガーキスっていうんだ。さっきのタバコも間接キスだし今日だけで2回もお姉さんとキスしちゃったね。」

 

そう言うとすっと掴んでいた脚の力を緩めて

 

「それじゃ、バイバイ。お姉さんの秘密は言っちゃ駄目だよ。」

 

そう言っていた。部屋を出た俺はどうやって帰ったのか覚えていない。

帰る時に大家さんの、またおいでの声が遠くで聞こえた気がした。

 



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