悪役令嬢ですけど婚約破棄されて実家勘当されたら性癖:下剋上に目覚めましたわ (うた野)
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婚約破棄ですわ!

今更だけど流行に乗りました。


──クローディア学院 中央広間

 

「メルナス・クルストゥリア。君がリオネ・ゼアノール嬢に行ってきた所業、貴族として許されるものではない。この場限りで君との婚約を破棄する」

 

 多くの生徒たちの野次馬、その中心にある三人の男女。

 二人の男女は睦まじく寄り添い、一人の女はそれを睨みつけた。

 

「な……納得出来ませんわ! 私は貴族として、この学院に相応しくない生徒を指導していただけのこと! それを責められ、あまつさえ婚約破棄だなんて……到底納得できるものではありませんわ!」

「指導? 俺から隠れ、影でこそこそと彼女を虐げていたことがか? ……他の生徒からの証言も、裏も取れている。これ以上、見苦しい真似はやめろ、メルナス」

「誰ですの!? 一体誰がそんな根も葉もない嘘を……!」

 

 糾弾された一人の女、メルナス・クルストゥリア公爵令嬢は周囲の野次馬たちに血走り、今にも噛みつかんばかりの眼光を向けた。

 しかし、今まであれば誰もが怯え、逸らしていたはずの視線は真っ向から──いいや、上から彼女を見下している。そこにあるのは嘲笑、哀れみ、そして愉悦。この場に集まった生徒たちには一人として、メルナスに味方する者はいなかった。

 

「なんですの、その目は……なんで、どうして、この(わたくし)がこんな──!?」

 

 ふらつき、膝をついて、苛立ちのままに金切り声を上げようとしたメルナスの頭の奥が急激に痛む。

 ずりずりと脳髄から何かが引き出されるような、そんな錯覚。

 怒りのあまり、切れてはならない脳の血管でも切れたのかと思うほどの激痛の中、メルナスの脳裏に過ぎる見知らぬ光景。

 それは知っているはずの過去であり、今を映していたが、視点が違う。それはまるで目の前の婚約者に寄り添う、リオネの、いやそれよりもさらに一歩引いたまた別の誰かの──?

 永遠かと思われた痛みは、他者から見れば一瞬だったらしい。誰もメルナスを案じる者はなく、次の言葉を、罪を認めることを待っているだけ。

 

(そう、だ……(わたくし)、は、この光景を、ずっと昔に見たことが……)

 

 頭痛と共に脳に焼き付いた、焼き直しされた過去の記憶。その意味の咀嚼にさらに暫しの時間を要して、メルナスは全てを理解し、思い出す。

 

(そう、これは、物語の中盤で、山場の一つ。ライオット様の個別ルートが確定する、悪役令嬢メルナスの断罪イベント!)

 

 かつて自分が追体験した物語(ゲーム)の筋書き通りの出来事。ただし、それを知る自分はメルナスとしてではなく、リオネを現身として、向こう側に立っていた。

 それが意味するのは、つまり。

 

(わたくし)、あの憎き悪役令嬢、メルナスになっていますのー!? ……心の声までますのとかつけてますの! 完璧に悪役令嬢が板についてますわー!?)

 

 口調から髪型からゲームで語られる事のなかった内心まで、物の見事に悪役令嬢メルナスそのままであった。

 

(や、やべーですの! これもう断罪イベント真っ只中で軌道修正とか無理ですの! 勘当国外追放待ったなしですの!)

 

 突如として降って湧いたように蘇った前世の記憶と知識。こんな時でなければ使い道などいくらでもあるにも関わらず、よりにもよってこのタイミングでは何の役にも立たない。

 起死回生の一手はないものかと意味もなく再び周囲をこっそりと見渡してみても、変わらず野次馬たちの蔑む視線が無数にあるだけ、と此処でメルナスに電撃走る。

 

(あれ、なんですの、この感じ)

 

 流石はこの世界、この時代では反則とも言える前世の知識を思い出した、生まれてからずっと公爵令嬢として超高等教育を受けてきたメルナス・クルストゥリア。チートに覚醒したことでこの状態からでも一発逆転、起死回生、妙手を発想──

 

(なんだかその視線、めっちゃ興奮しますわ!!!!)

 

 なんか違うものに覚醒し(目覚め)てしまったようだった。

 

(ちょっともっとこう上から! 豚を見るような感じの視線をプリーズですわ! あの傲慢公爵令嬢がこんな無様を晒してるんですわよ! その気持ちを視線に乗せて! もっと目力出せるでしょう! ほらほらほら!)

 

 この時点で目の前の婚約者と泥棒猫は既に意識の外だった。もうこれは婚約破棄待ったなしである。

 

「……どうやら申し開きもないようだな」

 

 原作の流れでは怒りに燃えるメルナスが不安そうに婚約者ライオットに寄り添っていたリオネに手を上げようとし、それをライオットに止められ、正式に婚約破棄がなされる夜まで部屋に閉じ込められることになるのだが、メルナスの脳内はそれどころではなかった。

 

「公爵家にも既に使いを出している。今夜には正式に君にもご実家から沙汰が下るだろう。それまで大人しく待っていたまえ。クロード、彼女を部屋まで送ってさしあげろ」

「かしこまりました」

 

 ライオットが控えていた自身の従者、クロードに指示することで若干変わりはしたが原作通りの流れに無事修正された。

 

(そう! そこのあなた! 確か男爵家の次男でしたわね! 名前覚えてないですけど! あなたの視線いいですわよ! そういうのもっと下さいもっと!)

 

 だがそんなことなど知らないメルナスは未知の感覚を存分に味わっていた。

 元々、公爵令嬢として抑圧された幼少期を送り、ライオットと婚約し、未来の王妃となることを約束された人生を送っていたメルナスお嬢様にとって前世の記憶は劇薬だったのだろう。だがだとしても酷過ぎる。

 

「メルナス様……」

「リオネ、君が心配することはもうない。行こう」

 

 待て、行くな。

 誰かこの限界性癖お嬢様を止めろ。

 

(あ、こらそこの子爵令嬢! あなた、居た堪れなくなって視線を逸らしましたわね! いいんですのよこの無様な姿をもっと見て!)

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 その後、現実と妄想の視線の区別がつかなくなったメルナスはまったく記憶にないがクロードに連れられ、学生寮の自分の部屋のベッドに座っていた。

 

「メルナスお嬢様、一体何があったのですか……どうしてクロード様がお嬢様をお連れに……?」

「……はっ!?」

 

 お抱えメイドであるニーナの不安そうな声にようやく正気を取り戻した悪役令嬢メルナス。

 周囲を見渡し、此処が自分の部屋であることを確認して、原作通りに自らの断罪イベントが終わっていた事を悟った。

 

「や、や……」

「や……?」

「やっべーですわやっべーですわ! 結局何も変えられないままいつの間にかイベント終わってますわー!?」

「お嬢様!?」

 

 これまで見た事のない取り乱し方をしてベッドにダイブ、枕を抱きしめてばたばたと足をばたつかせる姿にニーナは混乱し、とりあえず惜しみなく晒されている下着を隠そうとメルナスのスカートを横から押さえた。

 

「お、おおおおお落ち着いてくださいお嬢様、一体何があったのです!? 淑女がそんなはしたない真似をしていたら旦那様たちがお嘆きになりますから!」

「今の実家はそれどころじゃないお嘆き具合ですわよ! なんかもうお通夜七日連続してるレベルのお嘆きですわ!」

「仰ってる意味が分かりません! だからスカートで暴れるのおやめください!?」

 

 どたどたばたばた、ぎゃーすかぎゃーすか。

 それからメルナスが落ち着きを取り戻すまでたっぷり十分以上が掛かり、ニーナは疲労困憊であった。

 

「ふぅー……落ち着きましたわ」

「それは良かったです……」

 

 ニーナが淹れた紅茶を飲み、一息。しかしソーサーを持つ手はガタガタガチャガチャと振動を繰り返していた。ニーナは見て見ぬふりをして、説明を求めた。

 ガチャガチャと音を鳴らしながらもメルナスが口調は冷静に簡潔に起こった事実のありのままを説明し終えると、ニーナは顔を真っ青にしてメルナスの手を取った。

 

「そんな! どうしてお嬢様がそんなことに!」

「あっぢいですわ!?」

 

 喉を通り切らずにカップに残っていた紅茶が膝を濡らしてメルナスは悶えた。

 

「お嬢様!? も、ももも申し訳ありません!」

「あ、でもこの熱さちょっとクセになりそうですわ」

「すぐにお着替えしてお冷やしします!」

「いいですわ! もうちょっと! もうちょっとこの感じ堪能させてくださいまし!」

 

 さらに五分ほどのどたばた騒ぎを経て。

 

「ともかくそういうわけでライオット様に婚約破棄を突き付けられましたわ」

「そんな……どうしてお嬢様がそんな目に……」

 

 染みが付いたままの制服のスカートが気になりながらもニーナは気を取り直して嘆き直した。

 幼少期からメルナスの御付きのメイドをし、その成長を見守ってきたニーナにとって、ライオットが一方的に下した婚約の破棄は受け入れられるものではなかったのだ。

 

「リオネ様……確か男爵家の御令嬢でいらっしゃったはず。ですがお嬢様がライオット様が語ったようなつまらない嫌がらせなどするはずありません! 一体誰がそんな根も葉もない嘘を! どうしてライオット様はそんな嘘を真に受けてしまったのですか!?」

「あ、そのつまらない嫌がらせは全部本当ですわ」

 

 ……幼少期からメルナスの御付きのメイドをし、その成長を見守ってきたニーナにとって、そのお嬢様がそんなつまらない嫌がらせをしていたなど、受け入れられるものではなかった!

 

「でも(わたくし)がしたつまらない嫌がらせでライオット様がこんな突然一方的な婚約破棄を決断するとは思えませんわ。きっと(わたくし)を、引いては公爵家を良く思わない他の貴族たちの思惑も絡んでいたのでしょうね。腐っても公爵令嬢、男爵家の一人娘をどうこうした所で普通は咎められませんわ」

「あの、お嬢様付きとはいえ私の雇い主は旦那様なのですから腐ってもとか仰らないでください……」

 

 沈痛な面持ちで嘆願するニーナを無視し、さてどうしたものかとメルナスは思案する。

 紅茶の熱さが目を覚まさせてくれた。ついでに性癖もさらに一歩深いものが目覚めた。痛いのもイケる。

 

(えーとこの後の流れだとたしか、(わたくし)の実家が正式に婚約破棄を受け入れることになって、さらに(わたくし)は学院を退学、実家に戻った後は……そう! 勘当されるんですわ!)

 

 少し記憶を辿ればすんなりとこれからの展開が思い出せた。

 ジャージに眼鏡、すっぴん姿のまま暗い部屋で画面に向かう寂れたOLの姿も一緒に見えたが無視した。前世の記憶を取り戻したとはいえ、メルナスにとってそのOLの人生は何処か他人事のようにしか思えなかった。

 

「って勘当!? ンア゛ッッッづ!!!!」

 

 驚き立ち上がったメルナスの顔面にお代わりした紅茶がびしゃりと跳ねた。

 頑張れ限界性癖お嬢様! 原作では最終的には死亡エンドしか用意されていないぞ!



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勘当ですわ!

 クルストゥリア公爵家 書斎。当主であるディード公爵の帰りを待つ人影が二人。

 一人は光を反射して揺れる金の巻き髪を二つ持っていた。金髪ドリルツインテ、悪役令嬢にして限界性癖お嬢様、メルナスその人である。

 もう一人はメルナスと同じ金の髪、しかしドリルではなくストレート。メルナスによく似た顔つきを沈痛に歪める女性はメルナスの母、ルミリアであった。

 

「失礼いたします。……奥様、お嬢様、旦那様がお戻りになられました」

 

 新たに入室したのはメイド服に身を包んだ黒髪。メルナス御付きのメイド、ニーナが同じく沈痛そうな面持ちで家の主の帰還を伝えた。

 あの学院の一件の後、ニーナの勧めもあってメルナスは学院を抜け出し、実家である公爵家へと帰還していた。

 今のライオットには何を言っても無駄、取り付く島もないだろう。しかし父であるディードならばメルナスの話を聞いてくれる。ライオットの決定にも異議を申し立ててくれるはずだという淡いニーナの期待があった。

 一方、そんなニーナの提案を受けたメルナス本人は。

 

(もう覚悟も決めたし身辺整理も出来る分はしたし勘当追放いつでもバッチ来いって感じですわー)

 

 完全に諦めていた。

 帰宅後、一体何があったのかと駆け寄ってきたルミリアへの説明をニーナに丸投げし、さっきまで自室に引きこもっていたメルナスはこれからの展開を原作知識から推測して行動していた。

 ちなみに母ルミリアは傷心の娘の内心を思い、泣きはらしていた為、目は化粧で誤魔化しきれないほど真っ赤である。

 

「大丈夫よ、メルちゃん。お父様ならきっと分かってくれるわ。私もメルちゃんの味方よ」

「うっす」

 

 それが心配してくれている母親に対する態度か。

 フォローするわけではないが、父が帰ってくるまでの短い時間に色々と忙しく働いていたメルナスは疲れ切っていた。対応がなおざりになってしまうのも無理はない……が仮にも公爵令嬢がしていい態度ではない。

 ルミリアは憔悴しきった我が子の様子に再びハンカチで目元を拭った。

 

「……戻ったぞ」

 

 ニーナの後を追うように入室する、髭を蓄えたダンディーな男、彼こそメルナスの父であり公爵家当主、そしてヴェルフェクス王国財務大臣、ディード・クルストゥリア。

 纏う雰囲気は重苦しく、表情も硬いがそれはいつものことだった。

 

「あなた……! メルちゃんが、ライオット王子が……!」

 

 耐えきれず夫に駆け寄ったルミリアを宥めつつも、視線でニーナに連れ出すように伝え、ニーナが従った事で書斎にはメルナスだけが残され、父と二人きり。

 

「お帰りなさいませ、お父様」

 

 いくら疲れ切っているとはいえ、流石に厳格な父を相手に舐めた態度を取るのはマズイと知っているからか、淑女の仮面を被りなおしてメルナスが父を迎える。

 なお内心ではこの後の既定路線をそのまま突っ走る気満々である。

 

「昼間、ライオット王子から私に宛てた書簡が届いた。内容については説明するまでもないな?」

「はい。承知しております。(わたくし)の悪行と、婚約の破棄に関して記されていたのでしょう?」

 

 暫し親子は見つめ合い、ディードは深く重い溜息を漏らした。

 メルナスの対面へと座り、手に持っていた書簡をテーブルへと投げ出す。封から飛び出た手紙にはメルナスの予想通りの内容が羅列されている。読む気にもなれず、メルナスはすぐに興味なさげに視線を外した。

 

「何故、このような愚かな真似をした?」

 

 厳しい、詰問する口調。此処に立っているのは父ではなく、公爵としてのディードであった。

 

「リオネ男爵令嬢が気に入らなかったからですわ。お父様相手だと流石に興奮しませんわね」

「なんて?」

「んんっ! ともかく婚約者であったライオット様の周りをちょろちょろする彼女が気に障ったんですの」

 

 何か幻覚が聞こえた気がして聴き返したディードにメルナスは素知らぬ顔で繰り返した。もうこの娘さんは救いようがないのでさっさと沙汰を下した方が公爵家の為だと思われる。

 

「だとしてもこのような短絡的な……お前ならもっとやりようもあったろうに」

(わたくし)も同感ですわ。けれど、恋は人を盲目にしますわね」

「……その様子だと覚悟は決めているようだな」

 

 ディードは悪びれないメルナスに違和感を覚えた。自分の知る娘ならば、もっと言い訳を重ね、自分には非はなく、如何にリオネが気に入らない娘かを語って来るかと思っていたからだ。

 だがどのような態度を取ろうとも、既に決断した決定を覆すつもりはない。

 

「如何様にも。全ては(わたくし)の不徳と愚行が招いた事ですわ」

 

 再び大きな溜息を零し、ディードはさらに重くなった自身の口を開いた。

 

「証拠も出揃っている。婚約の破棄を回避する術もない……メルナス、お前は我が公爵家の恥だ。お前に今後、クルストゥリアの名を、貴族を名乗る資格はない」

「……それは、つまり」

「我が公爵家に、いいや、この王国にお前の居場所はなくなると思え。お前を勘当とし、国外へと追放する事で今回の件を収める」

 

 王子から婚約破棄を突き付けられ、より盤石となるはずだった公爵家の未来を台無しにした。

 だが一人の少女の愚行に対してあまりに重すぎる処罰。しかしそうしなければ今回の件を他の貴族たちにつけ込まれ、さらに公爵家は王国での力を失うことになる。家を守る為にはそうする他なかった。

 メルナスが推測した通り、事はライオットとメルナス、当人同士の問題ではない。メルナスを陥れようとする他の貴族たちの思惑が深く絡んでいた。

 ディードとしても苦渋の決断だった。だが当主として、そして王国の未来を左右する立場にある大臣として、今王宮内での発言権を失うわけにはいかない。ディードは父であることよりも多くの国民と国の金庫を預かる財務大臣であることを選んだ。

 恨んでくれて構わない。いくら娘に非があろうとも味方である事が本来の父としての自身がすべきことなのだから。

 

「あ、はい。分かりましたわ。まあそうなりますわよねー」

「……うん、そうなるんだけどね」

 

 なんか娘の反応、軽くないか?

 もっとこう、お父様まで裏切るんですの! とかお父様の事を信じていましたのに! とか。涙ながらの恨み言を受け止めるつもりでいたのだが。

 

「そうなると思って、お父様から(わたくし)が預かっていた事業について色々まとめて(わたくし)の部屋に置いておきましたわ。お兄様方や他の者たちでも問題なく引き継げるはずですので、後程確認しておいてくださいまし」

「あ、ああ。やけに準備がいいな。というか勘当だよ? そんな後の事まで考えなくとも……」

「さっきまでは(わたくし)が責任者でしたので。その責任を果たしたまでですわ。引き継ぎ資料がない仕事の後任なんて(わたくし)なら絶対に御免ですし。置き土産とでも思ってくださいな」

 

 この場合の置き土産ならもっと滅茶苦茶にしてやる、みたいな問題事なのでは? と父は思った。

 メルナスに預けていた商会含めた諸々の事業は公爵家に結構な利益を齎していたのでありがたい限りではあるのだが、この局面でそんな事に気を回さなくとも全然気にしなかったのに。

 

(わたくし)を追放しても暫くは色々と言われるでしょうから、そのお詫びにちょっと本気出して今後の方針とかも考えましたので、良かったら参考にしてください。信じられないかもしれないですけど、やっといて損はしませんわよ」

「うん……」

 

 ドライな娘にしょぼんとするディードだが、後にメルナスが残した新規事業案や事業改革案により莫大な利益が公爵家に齎され、お詫びどころかお釣りが出るレベルの成果を出すことになる。前世の知識を使ったチートなので当然である。

 

「今更学園には戻れませんし、このまま退学して正式に用意される婚約破棄の書面に署名するまでは置いてくださりますか? (わたくし)に婚約破棄を言い渡す為にここまでお膳立てしていたのです、恐らく一週間と待たずに用意されるはずですわ」

「あ、ああ。書簡を受け取った時に正式なものをすぐに用意するとも言っていた。それまでお前は公爵家の娘だとも」

「あら、今後もう家名は名乗れないのでは? なんて、冗談ですわ。お父様のご寛大な御心に感謝いたします」

 

 そんな風におどけてみせるメルナスはやはり、自分の知る娘でありながら一皮剥けたような貴族の顔をしていて、ディードは自分もライオットも早まった決断を下したのではないかと思わせた。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 父から勘当を言い渡されて五日。

 メルナスは自室に引きこもり、食事以外では家族と顔を合わせない生活を送っていた。

 

「あ゛ー……気楽なもんですわぁ……」

 

 訂正。重苦しい空気に耐えられず家族を避けて引きこもった自堕落な生活を満喫していた。

 断罪イベントを回避出来なかった時点でメルナスの運命は決まった。原作通り勘当と国外追放の回避は不可能。

 原作のメルナスはそれに納得できず、この一週間の軟禁状態の間に家の金庫から金を持ち出して逃げ出し、物語終盤でごろつきを雇ってリオネに復讐しようとするも失敗。ならば自らの手でとリオネを襲うがライオットの手で捕らえられ、余罪を含めて追及され、処刑されることになる(なおその結末はモノローグの数行で済まされる)。

 勘当と追放は避けられなくとも、それに素直に従えば死亡エンドは避けられる。そうと分かればこの一週間は貴族から庶民へと落ちるモラトリアムだ。

 幸い前世の知識のおかげで生き延びる術、というか庶民に落ちることを受け入れられれば生きていくことはそう難しくない。

 しかも原作でどうだったかは知らないが、父から追放する時には庶民が一生暮らすのに不便しない分のお金を手切れ金として渡すと約束された。贅沢は出来ないが第二の人生、いや第三の人生を謳歌できると分かればこの堕落っぷりもむべなるかな。

 

「昼間からぐーたらしてワイン飲んでほろ酔い気分なんて前世では考えられませんわー」

 

 前世どころか今世でもそんな貴族令嬢はいない。だがこれでも最初の一日、いや半日は気を張っていた。

 元々家をすぐにでも追い出される可能性を考えて、色々と跡を濁さずに立ち去れるように引き継ぎ資料を作っていたのだが、ふたを開けてみればこの自由な謹慎生活である。

 勘当と追放というから重罰のように聞こえるが、実際には裁かれるような罪状は公爵令嬢であるメルナスにはないし、王国からの罰ではなくあくまで公爵家内で収まる話だ。

 前世の記憶を思い出したメルナスからすればご近所の目があるからお前ちょっと実家出て一人暮らししろ、と言われたぐらいの心持ちである。

 それも国外とはいえ国境を挟んですぐ隣。その気になって早馬を飛ばせば此処、王都からも一日の距離。父からも変装して会いに行くし会いに来いと暗に言われていた。

 言うなれば卒業後、就職前の休暇のようなもの。自堕落にもなろう。……前世の自分を他人として捉えている割には順応が過ぎるが。

 ちなみにこんなだが追放後の身の振り方についても一応は考えていた。

 手切れ金を使って適当な家を買って悠々自適なスローライフ。

 もしくは教会のシスターとして慎ましやかに健やかに生きていくか。

 原作通り逃げて復讐? 御冗談を。

 スローライフというのも憧れはあるが、実際に自給自足の農業生活をするとなると知識があまりに足りない。前世の仕事に忙殺された記憶のせいで憧れだけが先行している感じはある。

 一方シスターとして生きる方法。公爵家の一人娘であるメルナスには縁のない話だが、貴族の中には末女を嫁ぎ先が見つかるまでシスターとして育てる家もある。淑女は貞淑であれ、そんな共通認識のための売れ残り防止だ。

 ヴェルフェクス王国も、追放先であるお隣、ノルフェスト王国も崇める神は変わらず、フローレンス教のみの一神教。作法などは淑女として身に着けている。余計なプライドのない今のメルナスなら自己責任のスローライフよりは生きやすいだろう。

 人の口に戸は立てられない。メルナスの正体も察せられ、勘当された訳ありの元公爵令嬢となれば難色を示すかもしれないが、手切れ金を寄付すれば問題ない。教会も世知辛いのだ。

 

「そうなるとこんなぐーたらは出来ませんわよねえ。うん、禁酒しますか」

 

 ほろ酔い気分で出した結論だったが、前世と違い、そして貴族の面倒臭い柵からも解放されれば酒に逃げなければならないほどのストレスを抱えることもない。

 残ったグラスの中身を飲み干したメルナスはあっさりと禁酒を宣言し、ソファに身を投げ出した。

 

「せっかく前世知識を手に入れたんだし、有効活用してイージーに生きたいですわねえ。原作知識は今更役に立ちませんけど」

 

 原作の流れは思い出したが、前世の全てを思い出したわけではない。頭痛と共に流れ込んできた記憶は無駄に長い映画を無理やり見せられたような感覚で、だんだんと薄れていってさえいる。

 だが、それはそれで良いのだろうとメルナスは考えていた。

 どうやら前世の自分、彼女は順風満帆とは言えない生涯を送ったらしい。そんな彼女と今の自分を完全に同一視してしまっていれば、きっと欲が出てしまう。前世の分まで、とか。物語の主人公になってやる、とか。それは余計だ。

 前世の彼女のような生き方は御免だ。公爵令嬢の立場に無様にしがみ付く原作の私のような生き方も御免だ。というか死んでるし。

 欲をかかずに楽にのんびり生きるで十分じゃないか。原作ゲームの自分ではなく、それをプレイした彼女としての記憶を得た公爵令嬢メルナスはそんな風に現状とこれからを受け止めていた。

 それよりも気になるのはあの時から感じ始めた未知の感覚だ、と思考をシフトする。以前までの自分では決して考えられなかったような嗜好に目覚めている気がする。それが一体何なのか、それを一体なんと呼ぶのか。前世の記憶からあと少しのところまで出かかっているのだが、まだ分からない。

 あの高揚感を覚えさせられる嗜好を、前世では一体なんと呼ばれていたのだったか。

 

「お嬢様、失礼いたします」

 

 そんな深く考えない方が絶対に良い思考の深みにはまり始めたメルナスをノックの音が呼び戻した。

 ソファに寝ころんだまま、顔だけを上げるとメイドのニーナが硬い表情で立っていた。

 流石にだらしなさすぎて愛想を尽かされて軽蔑されてしまったかも、と考えるとそれはそれでまた興奮した。

 

「あら、もう昼食の時間かしら。お父様もお母様も出ていますし、簡単な物でいいですわよー」

 

 このまま呑気にだらしない事を言えばお嬢様には向けないような目で見てもらえるかもしれない、そんな終わっている思考で手をひらひらと振ったメルナスだが、ニーナの用件は別のようだった。

 僅かに逡巡し──勘当と追放が決まり自暴自棄になっているお嬢様に心を痛めて──ニーナが口を開く。

 

「あの男爵令嬢……リオネ様がお嬢様を訪ねて来られました」

「なにそれ知らない展開」



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追放ですわ!

 中庭に用意されたテーブルを二人で囲みつつ、酔い覚ましに頼んだレモンティーを口にしてその酸っぱさにメルナスは顔を顰める。

 砂糖をしれっとどばどばと投入し、満足する味になったところで俯くリオネにメルナスの方から声を掛けた。

 

「それで? 本日はどのようなご用件ですの?」

 

 今となっては何の恨みも妬みも、含む感情が一切ないメルナスの口調は優しかった(メルナス比)が、リオネはびくりと肩を震わせた。

 

(そんなに怯えなくともいいですのに。というか(わたくし)が主犯やってたイビリなんて全然マシな方ですわよ? ……っていけませんわ、完全にいじめっ子の身勝手な言い分ですの)

 

 まだまだお嬢様気分が抜けきらない自分を自省して、咳払いを一つ。

 

「ご安心くださいな。(わたくし)はもう何も出来ませんわ。学園の生徒ではなくなり、貴族ですらもうすぐなくなるのですから。あなたがこうして訪ねて来なかったら、もう二度と顔を合わせることもありませんでした。次はないでしょうから、言いたい事があるのなら今の内に全部言っておいた方がすっきりしますわよ」

「え……生徒じゃないって、それに貴族ですらって、どういう……?」

「明後日、婚約破棄の書面にサインをした後に勘当されて隣国に追放されることになっていますの。……聞いておりませんの?」

 

 原作ではどうだったか、と記憶を辿って、そういえば断罪イベントの後に暗転して追放されることになった、と短く書かれただけだったなと思い出す。本来なら婚約破棄が正式になされた後に知るはずだったのだろう。

 それがどういうわけか今、リオネが一人でメルナスを訪ねてきたことで原作からずれているのだ。

 

「国外追放だなんてっ、そんな……!」

「納得出来ませんか? そうですわよね。けれど公爵令嬢と男爵令嬢ですもの。いくら証拠と証言を集めたところで、流石にそれ以上のお咎めはありませんわ。納得してください、とは言いませんけれど」

 

 リオネに対する数々の悪行、申し訳ないとは思っているがそれで死罪なんてことにはなりはしないし、そうなればメルナスとて受け入れられない。リオネが納得できずともこれで手打ちとするしかないのだ。

 

「そうではありません! いくら何でも公爵令嬢であるメルナス様にそんな仕打ち、酷すぎます!」

「はい?」

「メルナス様にはその、酷いことを言われたりしました……でも私はやめてもらえればそれだけで良かったのに……それにライオット様が集めてくださった証拠を読ませていただきましたが、メルナス様にされた事以外の方が多かったですっ。あそこまで酷いことをメルナス様はなさっていません!」

 

 何やら雲行きが怪しくなってきた。

 ひょっとしてだがリオネは(わたくし)を庇おうとしているのか? 悪役令嬢である(わたくし)を?

 そんなまさかと考えたが、リオネの瞳には涙さえ浮かんでいて、嘘や皮肉を言っている様子はない。

 

(え、なんて良い娘なの)

 

 原作よりも人が良すぎる。ゲームではなく、リオネを操るプレイヤーがいないのだからある意味、原作と違って当然なのかもしれないが、それにしたって良い子がすぎた。

 

「で、でもほら、あなたはライオット様をお慕いしているのでしょ? 婚約が破棄されて(わたくし)が追放されればあなたたちの仲を邪魔するものはいません……とは言えませんが、目の上のタンコブがいなくなるんですのよ? 棚ぼただと思えばいいじゃありませんの」

「確かに私はライオット様をお慕いしております……でも幼い頃からの婚約者であるメルナス様を押し退けて、身分も違う私などが王子様であるライオット様と結ばれるなんて……そんなの、許されません」

「いやいやいや! 恋は戦争ですのよ! そんな甘っちょろいこと言ってないで蹴落とすつもりで来ていいんですのよ!?」

「だとしてもこんなメルナス様を陥れるような方法は間違っています! この恋が許されるのだとしたら、私はメルナス様と正々堂々と戦います!」

「かーっ! 甘いですわ甘いですわ! この砂糖どばどばレモンティーよりも甘ったるいですわ! あなたは勝者! 私は敗者! 勝者は勝者らしくふんぞり返っておーっほっほっほと笑えばいいんですわ! むしろ笑ってください! なんか散々見下してたあなたに笑われると思ったら滾ってきましたわ!」

 

 淑女が出していい音ではない音を喉から発し、このままではよりにもよって一番の被害者であるリオネの心に良くないものを残してしまうとメルナスは必死に説得する。……説得か?

 

「それに(わたくし)はライオット様なんてよく考えたら別にそんな好きでもなかったですわ! あんな堅物イケメン気障王子なんてこっちから願い下げですわ! あなたにくれてあげますから精々お幸せになりなさいな!」

「なっ、いくらメルナス様でもライオット様の悪口は許せませんっ、撤回してください!」

「そうそれ! それですわ! その強気な目いいですわー! そういうのもっとくださいまし!」

 

 まだ公爵令嬢のはずだが、とてもそうとは思えない自分の欲望に忠実で浅ましい姿だった。

 

「意味の分からないこと言ってないで私と一緒にライオット様に会ってください! あの証拠が出鱈目だってお話するんです! そうすれば追放もなくなるはずです! そしてまた学園に戻ってきてください!」

「公衆の面前で断罪された後でいけしゃあしゃあと学園に戻れと!? 可愛い顔してそんな鬼畜なプレイをよく思いつきますわね! ちょっと魅力的で心が揺れてしまいますわ!」

 

 貴族社会においては階級、家格は絶対。いくら勘当が決まっているとはいえ現役公爵令嬢相手に男爵令嬢がこのように強要めいた口調で訴えればお家取り潰し待ったなしなのだが、そんなことは両者ともに頭にない。

 二人を見守るニーナなど親の仇のような目でリオネを睨んでいた。しかし、ヒートアップを続ける二人の口論もメルナスの溜息で終わりを告げる。

 

「非情に残念ですけど、その提案には頷けませんわ」

「どうしてですか!? 今回の事はメルナス様も納得出来ていないはずです!」

「大勢の貴族たちの前で(わたくし)はろくに罪を否定できないまま、無様を晒しましたわ。それをあなたはともかく、断罪した側のライオット様の方から取り下げてみなさい。公爵家が黙っていません。今度はライオット様の信頼が地に落ち、引いては王家の信用問題にまで発展、ライオット様は王子ではいられなくなりますわ」

 

 たとえ王でも暴君となればやがては討たれる。未だ王ではないライオットならば猶更だ。優秀で誠実な現国王の事、息子であっても忠臣である公爵家の娘に対する侮辱と冤罪には罰を与えるだろう。

 ただでさえ未来の王となる三人の王子にそれぞれ派閥が分かれているのだ、その一角が消えれば貴族社会のパワーバランスは大きく崩れ、混乱が生じる。その割を最も食うのは民だ──と丁寧に説明するメルナスだが、実際にはそんなことになって原作が崩壊した物語の舞台に残るのが嫌なだけである。

 

「そんな……」

 

 しかしゲームならいざしらず、現実にライオットと婚約関係にあったメルナスからすれば、今回の件でのライオットは少々迂闊と独断がすぎる。

 恨みはしないが、もう少しリオネと話し合った上で婚約の解消とイジメの解決方法を模索するべきだった。このままでは追放された後の二人の関係が心配だ。

 

(まあそっちもそっちで別に知ったこっちゃねーんですが)

 

 前世の記憶を取り戻す前の自分にとってライオットは将来結ばれると信じて疑わなかった相手だが、そこにしっかりとした愛があったかというとそうでもない。未来の王妃になるべく教育を受けてきたメルナスに相応しい相手はライオットだと思っていただけ。

 能力と将来に惹かれていたのであって、人柄は二の次だった、というよりは自分の夫になるのだからそれは素晴らしい人なのだと思っていただけだ。

 今となってはライオットとリオネがどうなろうと嫉妬に身を焦がすことはない。皮肉でもなんでもなく、どうぞご自由にお幸せにという感想しか抱けない。

 

(だけども(わたくし)の件が尾を引いて破局、なんてのも面白くねーですわね)

 

 後腐れなく貴族を辞めて第三の人生を送りたい。自分はもう受け入れてるのだから二人も悪役令嬢倒したやったーと能天気に喜んでもらいたいものだ。

 仕方ない、とメルナスは渋々ながらとある一手を選んだ。

 

「で、でも他に何か方法があるはずです……!」

 

 まだ食い下がるリオネを前に深呼吸を一つ。

 

「ええいやかましい女ですわ! さっきからぐちぐちと! このメルナス・クルストゥリアが何処の馬の骨とも分からない男爵令嬢風情に情けを掛けられるなど不愉快極まりありませんわ! そもそもあなたは最初から気に入らなかったんですの! あなたと顔を合わせているだけで臍でお紅茶が沸くぐらいイラっとしますわー!」

「え……」

 

 原作らしく。悪役は悪役らしく。もう一度、自分の意思でメルナス・クルストゥリアという役に殉じることを選ぶ。

 リオネが原作以上のお人良しのいい子ちゃんなら、原作以上に思いつく限りの暴言を並べ立てることでヘイトを向けてしまえばいい。

 

「あー! 口を開かないでほしいですわー! 口から芋臭さが溢れて田舎臭さが移ってしまいますわー! あーくっさ! くっさいっ、はーっ、くっさぁー! ニーナ!」

「は、はい、お嬢様」

「田舎菌ターッチ! はい今あなたに田舎臭さが移りましたわ! いやーくっさいですわー! もう(わたくし)は無敵バリアー張ったから匂いは移りませんわー!」

 

 ただ悲しいかな、前世と今世の知識が混ざりあったことで悪口が小学生レベルに低下していた。

 かつてリオネをいじめていたメルナスは混ざりっけのない純度百パーセントお嬢様であったが、今のメルナスは前世という異物が混じった似非お嬢様、その弊害であった。

 

「そ、そんな、酷いです、メルナス様……」

 

 が、その心ない──語彙もない──悪口がリオネの心を深く傷つけた!

 

「そ、そんな、酷いです、お嬢様……」

 

 ニーナの心も傷つけた!

 

「おーっほっほっほ! 田舎臭い小娘の顔なんてもう二度と見たくありませんわ! とっとと帰ってライオット様の胸でも吸ってればいいんですわー!」

「……っ!」

 

 極悪卑劣な悪役令嬢の暴言に耐えきれずにリオネは涙を溢れさせる。だがまだメルナスは止まらない。やるなら徹底的でなければならない。

 

「あー泣きましたわ! だっせーですわ! 泣虫弱虫毛虫ですわー! おほっ、おほほっ、おーほっほっほほー! ですわー!」

 

 リオネは席を立つと逃げるように背を向けて走り出す。その背に向かってなおもメルナスは暴言を吐き続ける。それがいけなかった。

 

「んほぉっ!」

「お嬢様ァ!?」

 

 最後の駄目押しがリオネの堪忍袋の緒を切れさせた。踵を返し、つかつかとメルナスに歩み寄るとおおきく振りかぶって平手を一発。メルナスの頬に大きな紅葉が咲く。

 まさか男爵令嬢が公爵令嬢に手を上げるとは。信じられない光景を目の当たりにし、ニーナの頭は真っ白となり、呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

「もう知りません! メルナス様のおたんこなす!」

 

 そしてその間にリオネは捨て台詞を吐き、今度こそ公爵家を跡にした。

 

「ふ、ふへ、ふひひ……い、いいもん持ってますわ……あっ、この後からジンジンくるのたまんないかもですわ……」

 

 この二日後にメルナスは公爵家を跡にした。というか追放された。



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出会いと別れですわ!

「うっ、うっ、お、お達者で、お嬢様……!」

「あいあい。今までお世話になりましたわね、ローレンス」

 

 公爵家を追放され、生まれ故郷であるヴェルフェクス王国を飛び出しお隣ノルフェスト王国、ソルランド領。

 手荷物にローラーのついたキャリーケースを持って、メルナスはその地に足を下ろした。

 幼い頃にメルナスが贈ったハンカチで溢れる涙と鼻水を拭う庭師兼御者のローレン爺の肩を気楽に叩いて慰める。

 父と母はついてくるわけにはいかず、公爵家で別れは済ませてきた。それぞれ仕事で家を離れていた二人の兄も駆けつけ、親子そろってわんわんと泣かれてそれを宥めた後だ、慰め方もおざなりになろうというもの。

 そうしながら、道中もずっと無言であったニーナに視線を向ける。

 本来なら彼女とも公爵家での別れとなるはずだったのだが、御付きのメイドとしての最後の仕事であると此処まで同行してきた。

 

「ニーナも、お世話になりましたわね」

「……お嬢様がお生まれになってから十七年、嫁入りまで誠心誠意お仕えするつもりでおりました。それが、それがこのような形で辞することになろうとは……!」

「いやあなたがメイドになったのは(わたくし)が五歳の時でしょう。記憶を捏造してんじゃねーですわ」

 

 行き倒れていた孤児であったニーナを拾い、メイドとして雇うように父に嘆願したのはメルナス自身。それだけで十分感動的な話なのにこのメイド、捏造感動話を盛ってきた。悲劇のヒロインを気取るつもりはないが、その役をニーナに譲るのも面白くなかった。

 

「お嬢様……やはり私には納得出来ません!」

「無視すんじゃねーですわ。その無視は全然キュンキュンしませんわ」

「お嬢様、どうか私も共に! 私はお嬢様がこんな辺境の地で惨めに野垂れ死んでいくかと思うと、心が張り裂けそうなほど痛むのです!」

「わざわざ惨めとか野垂れとかつける必要ないですわよね」

 

 わざとならばキュンとしたかもしれないが、完全に天然だと分かっているのでメルナスの琴線には触れなかったらしい。同じ天然でもリオネと違うのは長い付き合いであるが故か。

 

「心配しなくともぼちぼちやっていきますわよ。手切れ金で軍資金もたんまりとありますし」

「ううっ、本当に行ってしまわれるのですね……なら、ならせめて週に一度は顔を見せに帰ってらしてください……!」

「追放だって言ってるでしょうが。単身赴任のリーマンだってもっと頻度少ないですわよ」

「これは旦那様の願いでもあります……!」

「勘当した本人が言っちゃいます?」

 

 原作ゲームのメルナスの公爵家での生活がどうだったのかは知らないが、この調子なら大人しく追放されてた方が原作メルナスでももっとマシな最後を送れたのではないか。ゲームのこととはいえ、不憫でならなかった。

 

「とーにーかーく! (わたくし)(わたくし)で元気にやりますから、あなたもいつまでもメソメソしていないの!」

「ほれ、ニーナ、ハンカチ貸してやるから」

「ずずっ、ずびっ、ずずずーっ! ……はい、お嬢様」

 

 使い回されて鼻水塗れになった贈り物のハンカチを何とも言えない目で見つつ、泣き止んだニーナに頷き、腰に手を当ててさらに一喝。

 

「良し! ならさっさとお帰りなさい! お父様たちによろしくね!」

「ううっ、はい……!」

 

 ニーナを乗せた馬車が走り出す。

 

「どうか、どうか、お元気でー!」

「うげ汚え! ですわ!」

 

 窓から顔を出し、ニーナがハンカチを振るう。風に乗って流れてきた鼻水をお嬢様らしからぬ悲鳴を上げて避け終えた後にはもう、馬車は見えなくなっていた。こんな別れ方でいいのか?

 

「……泣きたいのは(わたくし)も同じですわよ」

 

 しかし、流石のメルナスも一人になって本音がぽろりと零れる。

 いくら原作を思い出し、自ら選んだ追放と言えども家族や幼い頃からの付き合いのニーナとの別れ。思う所がないわけではない。ローレンとの思い出はハンカチ贈ったぐらいで特にない。

 

「ふぅ! (わたくし)まで落ち込んでいてはいけませんわね! 教会にいきますわよ!」

 

 悲しみは胸にしまって、明るい声でメルナスは笑う。

 既に教会への話は父ディードがつけてくれている。何事も初めが肝心だ。明るく笑顔で元気に挨拶、一日でも早く立派なシスターになる為にも、いつまでも落ち込んではいられない。

 心機一転、キャリーケースを引きずりながらメルナスが歩き出す。

 身を寄せる教会がある村までは此処からそれほど離れていない。これからシスターとして世話になる元令嬢が馬車で乗り付けては心証が悪かろうと途中で下ろしてもらったのだ。

 ニーナは僻地とは言っていたが別に未開の地でもなんでもない。この辺りは長閑だが、国境に面する地域だ。近くには通商の要ともなっている大きな街もある。ただそちらが重要視されるばかりにこちらはあまり目が行き届いていないようでもあるが。

 ──と、モラトリアム中に書物で読み込んだ浅い知識を思い出しながら進むメルナスに忍び寄る怪しい影。

 

「おーっと待ちなぁ! げへへ、その身なりは隣国の貴族だろう? こんな所に一人でいるなんて、何やら訳ありみたいだが運がなかったな。金目の物を差し出すだけなら命だけは助けてやるよ」

「ひっ……!」

 

 前途多難。ニーナたちと別れてすぐに野生の山賊A、Bとエンカウントしてしまった限界性癖お嬢様メルナス。

 刃物をちらつかせながら脅されれば、いかに図太く限界性癖に目覚め始めた彼女であっても怯え、震え、悲鳴を上げることしか出来ないのか。

 

「おっと、悲鳴を上げても無駄だぜ? オレたちゃこの辺りで噂の泣く子も黙る山賊よ。誰も助けになんて来やしねえぜ」

 

 キャリーケースの中には手切れ金として渡された大量の金貨が詰まっている。それを奪われてしまえば、無償の愛を与えてくれる教会と言えど追放された公爵令嬢という厄介そうな人間を受け入れてくれるか分からない。

 諦めるな、誰かに届くと信じて悲鳴を上げて助けを呼ぶんだ、メルナス!

 

「ひっ、ひっ────ヒャッハー! 山賊ですわー!」

 

 なんて?

 

「え、あ、うん。山賊だけど……」

「ちょーっとお待ちになってくださいね! 山賊と言えば服をビリビリ破いて乱暴するもの! 破く服は多い方がいいですものね! 今すぐ黒タイツ履きますから! 破かれた黒タイツと白い素肌とのコントラストは滾りますわよー!」

「いや金目のもの……」

「あーはいはい! 網タイツの方が破きやすいですわよね! 勿論用意してありますわ!」

「網目じゃなくて金目……」

 

 キャリーケースを開けて穴の大きめな煽情的な網タイツを取り出したメルナスはケースを椅子代わりに靴を脱いでいそいそと網タイツを履こうとし始める。

 だが震える手足のせいで中々通させてくれない。ひょっとするといきなりすっとんきょうな事を叫んだのも内心の恐怖を隠して時間を稼ぐ為の奇策だったのか。

 

(やっべ、追放早々山賊に出会えるなんて思っていませんでしたわ! 滾ってしまって上手く履けませんわ! 破かれる前に(わたくし)が破いてしまったら台無し! ここは慎重にいきなさい、メルナス!)

 

 そんなわけはなかった。

 前世の記憶を取り戻しながらも、未だに自分の性癖が何であるのか自覚がないメルナス。しかし一度琴線に触れてしまえばその暴走は彼女自身にも止められない。このまま山賊に身ぐるみを剥がされ、ここでは記すことの出来ないような目に合ってお気の毒でもないがメルナスの悠々自適な第三の人生は始まった直後に終了しました。

 

「お、おい兄者、こいつなんだかおかしいぞ……?」

「あ、ああ。怪しすぎる……」

 

 とならないのが悪運の強いメルナスである。

 慣れない網タイツに四苦八苦する限界性癖お嬢様(元)を余所に及び腰となる山賊二人組。疑わず欲望に素直にいけば酒池肉林も夢ではないのだが。

 

「もしかしてこいつはおとりで、今にオレたちを捕まえに騎士連中がやってくるんじゃ……」

「それだっ。訳ありだとは思っちゃいたがどう考えてもおかしすぎる、こんな貴族の娘がいるはずねえ」

 

 美人局扱いされているなど夢にも思わない──というより聞こえていない──メルナスは焦る心を必死に落ち着かせながらようやく片足をタイツに通したところだった。

 

「兄者、ここは退いた方が身のためじゃないか?」

「そうだな。初犯で捕まるなんて山賊の名が泣いちまうぜ……!」

 

 どうやら話はまとまったらしかった。

 夢中になっているメルナスに気付かれないように山賊たちはそーっと踵を返し、

 

「やーっと履けましたわ! さあ! どうぞ! 勿論(わたくし)は抵抗しますが足は使わないので片手で抑えられますわよ!」

「すたこらさっさー!」

「あらほらさっさー!」

 

 メルナスが顔を上げる頃には山賊たちは遥か遠く。そのまま森の中の木々に紛れて視界から消え去ってしまっていた。

 残されたのは両手を広げる網タイツ姿のメルナス一人だけであった。

 

「ど、どうして逃げるんですのー! 鴨が葱を背負ってお鍋に火をつけてるんですわよー!?」

 

 今日一番の大声に鳥たちが飛び立っていった。



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教会ですわ!

 山賊たちと別れた後、メルナスは何のトラブルもなく目的地であるサバート村、その端にある教会へと到着していた。

 来るまでに眺めた村の様子はいたって平凡、平穏。メルナスがイメージする田舎そのもので、静かに暮らすにはちょうどいいと思える場所だった。

 最初に話を通してあるという領主の屋敷に挨拶に伺ったのだが生憎と留守であったため、日を改めることになったが些細な事だ。

 こうして眺める肝心の教会は木造の外観は若干傷んではいるが、公爵家で贅沢な暮らしを送ってきたメルナスからすればそれもまた趣深い。

 

(地下室に粗相をしたシスターの折檻部屋とかあるといいですわね)

 

 当然、教会にそんな無意味なデッドスペースはない。

 表でにこにことした柔和な笑顔を振りまきながら裏ではあくどい事に手を染めている神父もいない。清廉潔白な教会である。

 

「ごめんくださーい、ですわー」

 

 少し立てつけの悪い両開きの扉を開けば、ステンドグラスを通して日の光が鮮やかに降り注ぐ礼拝堂。

 そこで一人のシスターが静かに女神像へ祈りを捧げていた。

 

(おー、雰囲気出てますわねー)

 

 メルナスも神聖な空気と真摯な祈りを捧げるシスターに当てられたのか、口を噤んで静かに扉を閉め、シスターの祈りが終わるのを待つことにした。

 

「ああ、女神様……隣国の公爵家から受け取った多額の寄付金を全て持ち逃げして逃げたあの神父にどうか天罰をお与えください……」

「ズコー、ですわ!」

 

 あんまりな祈りの内容にメルナスは思わず古臭いリアクションを取って、キャリーケースごとごろごろと礼拝堂の中をスライドしていき、そのシスターの真横まで流れていった。

 

「あ、あら、参拝の方ですか? 申し訳ありませんが本日はちょっと都合が悪くて……」

「違いますわ! 今日から此処でシスターとしてお世話になるメルナスですわ!」

「シスターに? そんな話は聞いておりませんが……」

「でしょうね! 逃げた神父は知っていると思いますわ!」

 

 まさかメルナスに渡した手切れ金だけでなく、教会にまで寄付金を送っていたとは知らなかったメルナス。

 本当によく勘当と追放を決断出来たほどの甘やかしっぷりである。しかし、今回はその甘やかしが残念な結果を齎してしまったようだった。

 

「そうですか。あなたが寄付をしてくださった公爵家の……」

「ええ。メルナス・クルストゥリア……ではなく、ただのメルナスですわ」

 

 天罰を願っていたシスター、ミケに事情を説明したメルナス。

 今の自分にとっては恥としか思えない勘当、追放された経緯は省いたが、ミケは親身になって話を聞き、メルナスに同情の視線を向けた。

 

「事情があったとはいえ家族から捨てられ、一人隣の国に放り出されてさぞお辛かったでしょう。本当にお気の毒に……」

「むしろあなたの方が気の毒でなりませんわ……」

 

 聞けばミケもシスターとしての経験は浅く、半年前に見習いを卒業してこの教会に赴任してきたばかりなのだと言う。

 だというのに神父が金を持って逃げ出したなど、災難にもほどがある。

 

「女神フローレンス様は全ての民の平穏を願っております。身分の区別なく全ての民に施しを、それはこのエクィナス教会も同じです、ですが……あの神父様野郎が寄付金を持ち逃げしたせいでこのままでは施しを与えるどころかメルナス様を受け入れることすら……」

「様はいりませんわよ。それにこの(わたくし)が来たからにはもう心配はいりませんわ」

 

 ドンと胸を叩き、強く叩き過ぎてちょっとえずいて、メルナスはキャリーケースから布袋を取り出す。

 鈍器として十分に通用するずっしりとした重みは全て金貨の重みだ。

 

「こ、これは……?」

「追放された(わたくし)を受け入れてくださった教会への寄付金ですわ。(わたくし)に内緒でお父様も寄付していたとは思いませんでした。もっともそちらは消えてしまいましたが、(わたくし)の分だけでも十分財政は潤うでしょう」

「こんなによろしいのですか……!? これだけあれば教会に身を寄せずともあなた一人で暮らしていけるはずです……!」

 

 二人は知らないことだが、布袋の中身は公爵家が寄付した金額よりもむしろ多い。

 シスターとして教会に身を寄せると話したメルナスが行き過ぎた清貧のひもじい生活を送るようなことがないようにと公爵は教会に寄付を送ったが、それはそれとしてもし心変わりしても不自由しないよう、娘の自由に出来る大金を持たせていたのだった。親馬鹿がすぎる。

 

「いいんですのよ。(わたくし)、これからの人生はシスターとして生きると決めてきたんですの」

「ああっ、ご自分の罪を悔いて神に残りの人生の全てを捧げようというのですね……! なんてご立派な!」

「ん、まあそんな感じでいいですわ」

 

 そんな親の過剰すぎる気遣いを山賊相手に無に帰そうとした馬鹿娘がメルナスである。悔いるべき罪が増えている。

 

「分かりました! 若輩ながらシスター長として、あなたを立派なシスターに育ててみせます! 今日から共に女神フローレンスへ信仰と祈りを捧げましょう!」

「ええ、よろしくお願いしますわ! シスターになって穢されるのもまた乙ですわ!」

「え?」

「なんでもねえですわ」

 

 被虐趣味、嗜好こそ薄々自覚しだしたようだが──それにしても自覚が遅すぎる──メルナスは未だ自分が目覚めてしまった真の性癖には気づいていない。

 平民となった今、元公爵令嬢などという肩書は時間と共に薄れていく。だがシスターならば。

 本能からか、公爵令嬢でなくなった自分が一体何になればその性癖を満足させられるのか、無意識が知っていた。

 神に仕えるに相応しくない下心満載の出家であった。

 

「一日でも早く立派なシスターになるため! ビシ! バシ! 鍛えてくださいまし! 炊事洗濯雑用奉仕! なんでもしますわー!」

「素晴らしい心がけです! ではまずさっそく!」

「はいですわ!」

「シスターになるのですからそのような煽情的な格好はおやめください」

 

 スカートから覗く網タイツと素肌の煽情的なコントラストを見せつけていたメルナスは、無言でスカートの裾を押さえた。

 滾っていない平時であれば羞恥心はまだ残っているらしかった。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 幸先悪く人生詰むレベルの不幸に立て続けに見舞われたものの、それらをあっさりと回避したメルナスは晴れてシスター見習いとしてエクィナス教会に受け入れられた。

 その晩、寄付金でうはうはとなったことで細やかながらメルナスの歓迎会が行われることとなり、食堂には教会が預かる孤児たちとシスターミケ、そしてもう一人の先輩シスターであるフェル、全員が集合していた。

 

「えー、ごほんっ。今日から教会でお世話になるメルナスですわ! 至らぬ点も多いかと思いますが、どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたしますわ! 子供たちも(わたくし)を本当のお姉さんだと思って仲良くしてくださいね!」

 

 教会が預かっているのは三人の子供たち。一人は親を早くに亡くし、残る二人は親から捨てられた。全員が天涯孤独の身の上。

 この教会に預けられるまでの荒んだ生活で警戒心が強く、ミケも心を開いてもらうまでに時間が掛かったと言っていた。すぐに受け入れられるとは思っていないが、努めてメルナスは笑顔で接することにした。

 

「神は私たちに試練をお与えになり、神父様が教会を去る事となってしまいました。ですが試練の後には幸いが来るもの。新たにシスターとして迎え入れる事となったメルナスさんを皆で歓迎しましょう!」

 

 財政難が解決してほくほく顔のミケは手を叩き、グラスを掲げて乾杯の音頭を取ると一気に呷る。ただの水だがまるでビールであるかのようないい飲みっぷりである。

 メルナスの事はさておいて、滅多に見る事のない豪華な食事(教会比)に目を輝かせる子供たち、それとは対照的に不機嫌そうな表情で食事をつつくシスターフェルにメルナスは改めて挨拶していた。

 

「シスターフェル、慣れない内はご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いしますわ」

「ふん、元貴族のお嬢様にシスターが勤まるのかよ? 此処にはあんたをお着替えさせてくれるメイドもエスコートしてくれる王子様もいないんだぜ」

「おっ、いいですわねー」

「は?」

 

 フェルは何やらスレた所のあるシスターらしい。詮索はしなかったが、ミケの話では彼女も孤児たちと同じで幸福とは言えない幼少期を送っていたようだ。

 

「それより神父様がいないことの方が問題だと思いますわ……」

 

 反射的に漏れ出た妄言をなかったことにしてメルナスは会話を続けた。

 妄言を抜きにしてもあれだけの皮肉の後にそのまま会話を続けられる辺りメンタルが強靭である。

 

「はっ、頭お花畑の貴族様には嫌味も通じねえみたいだな」

「いえ、通じてますからその調子で続けてください。もっと痛烈なのがほしいですわ」

「お前頭大丈夫か?」

 

 信じられないものを見るような目で見られるメルナスだった。

 

「メルナスさんは自らの罪を悔いるあまり、自罰的な所があるようです。そのような態度はおやめなさいっ」

 

 これ以上の暴言は見逃せないとミケが割って入り、メルナスに聞こえないようにフェルに耳打ちして窘めるが、肝心のメルナスは頬を赤らめて次の言葉責めを待ちわびていた。本当にシスターとして受け入れて大丈夫か、金だけもらって放り出した方が良いんじゃないか?

 

 



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シスターですわ!

 シスターとして教会に身を寄せて一週間。

 いくら前世の知識を持っているとはいえ、貴族の生活を謳歌してきたメルナスにとってシスター見習いとして過ごすこの一週間は地獄のような日々だったことだろう。

 

「ああ、メルナスさん、こちらにいらしたんですか。随分と早起きなのですね。一緒に皆の朝食の準備を──」

「くっ、この(わたくし)が早起きして朝食の準備など……! 終わりましたわ!」

「え、ええ。これをお一人で……?」

 

 かつては時間になれば食事が運ばれ、

 

「おい新入り、汚れた子供たちの服を洗っとけ。当然、冷えた井戸水であんた自身の手でな」

「くっ、この(わたくし)が冷水と洗濯板で手洗いなど……! 終わりましたわ!」

「お、おう。お疲れ……」

 

 メイドに脱がされた服は皺一つなく返って来て、

 

「メルナスさん、礼拝堂のお掃除を手伝っていただきたいのですが……」

「くっ、この(わたくし)が礼拝堂の隅々までお掃除など……! 終わりましたわ!」

「あ、あら? ありがとうございます……?」

 

 何も言わずとも身の回りは清潔に保たれ、

 

「新入り、神父はいねえが来週からまた教会を開くから挨拶ついでに村の人たちに伝えとけ。一人一人丁寧にな」

「くっ、この(わたくし)がこれからお世話になる村人たちにご挨拶など……! 終わりましたわ!」

「あ、ああ。おかえり……」

 

 相手の方からこぞって挨拶をされる立場であり、

 

「ねえシスター、一緒に遊ぼ……?」

「くっ、この(わたくし)が子供のお守など……! (わたくし)、お馬さんやりますわ! ブルヒッヒーン!」

「わーい! きゃっきゃっ!」

 

 平民の子供などとは決して目を合わせることもなかったメルナスにとって、間違いなく地獄であったことだろう……!

 そんな地獄の日々に耐えるメルナスを、一日と待たずに音を上げて逃げ出すと思いながら一週間眺めていた先輩シスター、フェルはというと。

 

「なあシスター長、あいつ本当に貴族のお嬢様だったのか……? いや口調はお嬢様そのものだけど……」

「はい。お隣のクルストゥリア家という貴族の一人娘だそうです」

「クルストゥリア……って公爵家じゃねえか!?」

 

 あまり色眼鏡で見てほしくはないと、元公爵令嬢であることは隠して家名だけを伝えたミケだったが、フェルはすぐにその家名が公爵家のものであることを言い当てた。

 

「確かにその通りですが、よく隣国の公爵家の名を知っていましたね」

「たまたまだ。……だけど本当にあれが公爵令嬢サマなのかよ。ガキどもにあんなオモチャにされたらあたしでも怒るぞ」

「きっと子供好きなのでしょう。良いことじゃないですか」

「それはそうかもだけど……」

 

 納得していない様子のフェルを尻目にミケは朗らかに笑って、夕食の準備が出来たとメルナスと子供たちを呼び寄せた。

 泥だらけになった子供たちは最初の警戒が嘘のように笑顔でメルナスに乗って駆けてくる。

 そして子供たち以上に汗と泥にまみれたメルナスも幸せそうに笑っていた。

 

(わたくし)は馬! 庶民に跨られて嘶く馬ですわー!)

 

 幸せの形は人それぞれである。それを否定する権利は誰にもないのだ。それはそれとして品性は疑わしい。

 

「さあ、中に入って。こら、レフィ、いつまでもメルナスさんに乗っていないの」

「はぁーい」

「ご苦労様、メルナスさん。着替えて汚れを落として来たら食事にしましょう」

「ブヒッ、ブヒヒィーン!」

 

 豚の間違いでは?

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

「それではこれで本日の礼拝は終了となりますわ! 皆様に女神フローレンスの御加護をあらんことを、ですわ!」

 

 神父がいないながらも開かれた教会で行われた公礼拝は恙なく終了した。

 祈りは真摯なものではあるが、そうお堅いものでもない。メルナスの前世でたとえるなら病院の待合室のような、地域の交流の場に近い。

 村人たちがそれぞれの仕事に勤しむ毎日を送る中、宗教儀式という名目で週に一度集まる場を提供する。そうした団結こそが苦難を乗り越える力となり、女神の加護となるのだ──というのはメルナスの持論だが。

 

「メルナスちゃんが来てから一層教会が華やかになったねえ」

「あら嬉しい事を仰ってくださりますのね! おほほっ、高嶺の花も悪くはありませんが野に咲く花もいいものですわ」

「んだんだ。しっかりしてるし気立てもいい。どうだい、シスターやめてうちの息子に貰われちゃくれねえか」

「ちょっと好青年過ぎて(わたくし)には勿体ないですわね。もっと小汚い……もとい野性的な方が好みですの」

 

 そんなメルナスはこの一週間ですっかり村に溶け込んでいた。

 挨拶回りや日々の買い出しなどで交流していたおかげだろう。肝心の領主様はどうやら出張か何からしく未だに屋敷には戻っていないが。

 だが領主がいないながらも平和な日々を過ごせているのは良いことだ。ちなみに山賊被害はここ数年は出ていないらしい。

 

「さーて、お次はお昼の準備ですわねっ。お野菜のおすそ分けをいただいたのでお野菜たっぷりのポトフを作りますわよ! くっ、この(わたくし)があり物からメニューを考えるなどっ」

 

 村人たちを見送り、野菜が一杯に詰まった籠を抱えてよたよたと炊事場へと向かうメルナスだったが、その道中で誰かにぶつかり体勢を崩して尻もちをついてしまう。

 

「あいたた……」

「ちょっと面貸せ、新入り」

 

 激突事故の相手は先輩シスターフェル。メルナスを見る目は鋭く、敵意すら感じさせる。

 なおメルナスが来るのを待ってわざとぶつかりに行ったのだが、小柄なフェルも押されて尻もちをついていた。

 

「え、でも(わたくし)、これから昼食の用意が……」

「シスター長に任せとけ。第一、お貴族が料理なんざするかよ」

 

 メルナスが来てからは三食に一食はメルナス作であるのだが、そういう事ではないのだろうとメルナスは察し、神妙に頷いた。

 

「分かりましたわ。行先は人気のない校舎裏……もとい教会裏でよろしいかしら?」

「ああ」

 

 明らかに友好的ではない様子の相手に自分から人気のない場所を提案するメルナスに、やっぱりこいつおかしいと思いながらも表情には出さないフェル。胸に留めず言ってやるべきだ。……それはそれで喜ぶので無駄であるが。

 

(これは先輩による後輩イビリですわね! 出る杭は打たれる奴ですわ! 村の若い衆を用意していたりするんでしょうか! 人気のない場所で(わたくし)、何をされてしまうんでしょうかねえ!)

 

 こいつ無敵か?

 あまりに酷い内心を隠して、いや表情に漏れてはいるが、メルナスはるんるん気分でフェルの後を追った。

 当然ながら、教会の裏には誰もいない。村の若い衆は今頃家で午後の仕事に向けて英気を養っている頃だ。

 

「お前、一体何を企んでる」

「企む? 言っている意味が分かりませんわ」

 

 暫し無言を挟んで、背を向けたままフェルが口を開いた。

 メルナスに対する疑念が籠った声であった。

 

(キター! ですわ! 難癖ですわ! 適当な理由でイビられてしまいますわー!)

 

 他に誰もいなかったのは残念だがそれはそれとして状況を楽しむメルナス。

 この一週間、メルナスを観察し、その賢明な姿に絆されかけながらも信じ切れずに意を決して呼び出したフェルが不憫だ。

 フェルは振り向き、完全に敵意の籠った視線でメルナスを射抜く。

 

「何をしたのか知らないが、追放された公爵令嬢がシスターなんてやれるはずがねえ! シスター長たちは騙せてもあたしは騙されない! 大人しくシスターやってるふりして何を企んでる!? 何を待ってるんだ!」

「くっ、この(わたくし)に対してなんという物言いですの!」

「はっ、尻尾を出したなっ。貴族なんて皆そうだ、あたしらを見下して同じ人とも思っちゃいねえ!」

 

 今日まで散々使ってきた言い回しだが、場面が場面だけにフェルにはメルナスが悪役令嬢が本性を現したように見えているのだろう。

 曇った目では真実は見通せない……が、別に見通す必要もない真実なので問題ない。

 

「この教会はあたしの家なんだ。お前の復讐の道具にされてたまるか」

「へえ? だとして、どうする気ですの?」

 

 と、ここでメルナスが周囲をきょろきょろと見渡す。

 これは何処からか屈強な男どもが集まってきてあんなことやこんなことをされるパターンだと確信していた。

 

(まったくもうっ、焦らし上手なんですからっ。がっかりしたところにサプライズだなんて粋な計らいですわ! ノエルさんちの息子のブッシさんとか(わたくし)好みの体型なので是非登板してほしいですわー!)

 

 繰り返すが当然、誰も現れることはない。ノエルさんちのブッシくんは親子で街に買い物に出かけている。日頃の感謝を込めて母ノエルにプレゼントを買ってあげるつもりだ。

 

「力づくでも出ていってもらう」

「ほう。まさかとは思いますが、あなたがお相手してくださるおつもりで?」

 

 台詞から悪役感と強キャラ感が溢れ出しているメルナスに、フェルは修道服の何処に仕込んでいたのか、木を削って手作りした木刀を向ける。

 剣先に震えはない。虚勢ではなく、多少腕に覚えはあるようだ。

 

「ほうほう! それでそれで? その硬くて太いモノで(わたくし)をどうするおつもりなんですの!?」

「決まってんだろ、こうしてやるんだよ──!」

 

 振り下ろされる木刀が迫って来る。メルナスにはそれがスローモーションのようにゆっくりと見えていた。けれど体は動かない。動いたとしても避けなかったが。

 もしもこれがリオネだったならば、原作主人公であったなら、どこからともなくイケメン王子様が生えてきて受け止めて庇ってくれたのだろう。しかし、ここにいるのは主人公ではなく悪役令嬢。

 悪役令嬢の務めとは王子様と恋に落ちることではなく、やられて情けなくぎゃふんと叫ぶことである。

 無情にも木刀はメルナスの肩を強かに打ち付けた。

 

「きゃううん!」

 

 ……上がったのは痛みに悶える悲鳴ではなく、恍惚とした黄色い──或いは桃色い──悲鳴であった。

 

(こ──っれはやべーですわ! 貴族やってたら絶対に味わえないレベルの痛みですわ──!)

 

 目覚めた性癖は殴打すらも悦びに変えてしまっていた。もう公爵令嬢には戻れそうもない。

 だがメルナスは痛みへの耐性を獲得したわけではない。一昨日箪笥の角に小指をぶつけた時などは貴族どころか女が出していい声ではない叫びを上げて小一時間泣き叫んでいた。

 そんなメルナスが木刀の打撃に恍惚の声を上げる余裕があるのは、シチュエーションにある。

 シスターとして心から染まり切っておらず、元公爵令嬢という肩書がまだ色濃く残っているメルナス。

 それに対峙し、身分知らずにも敵意を向ける僻地の一般不良シスター。

 追放される前のメルナスなら、いや前世の記憶を取り戻す、性癖に目覚める前のメルナスであれば、絶対に見下し、嫌悪し、侮蔑していた相手からの暴力。逆転してしまった立場。

 ありとあらゆる要素がメルナスにとって屈辱となって襲い掛かる。それこそがメルナスにとって何よりの興奮材料だった!

 言うなればシチュエーションと自分に酔っていた。

 

「これ以上痛い目みたくなかったら今すぐ出てけ!」

 

 腰砕け、地面に座り込んだメルナスを見下し、フェルが叫ぶ。

 見上げる者と見下す者が物理的にも逆転した時、メルナスは。

 

(最っっっ高ですわぁ、たまりませんわぁ……見ていますか、前世の(わたくし)(わたくし)はあなたではないけれど、あなたの夢は、憧れは、(わたくし)が叶えましたわよ……)

 

 涎と涙を垂らして打ち震えていた。完全にイってしまっているやばい顔をしていた。

 義憤に燃えるフェルには醜態と映っても痴態とは映らないのは幸いか。

 

「ふふっ、ふひっ……おやりになりますわね、フェルミナ嬢……」

「っ……!?」

 

 もはや逆転の余地はない。このまま精神は満たされながら、肉体が悲鳴を上げて限界を超えるまでメルナスは嬲られ続けることになる、はずだった。

 しかし頬を上気させ、潤んだ瞳でフェルを見上げたメルナスが呼んだ名に、フェルは目に見えて動揺し、剣先をブレさせた。

 

「なん、で……どこでその名前を……!?」

「フェルミナ・キャロッツ。クルストゥリア家の遠い親戚であるキャロッツ伯爵家の使用人との間に生まれた子でしょう? 伯爵の寵愛を受け、隠れて暮らしていたのを正妻に見つかって母と共に追い出されたと聞いていますわ」

 

 ここでメルナスの口から明かされる衝撃の事実。なんと二人は遠い親戚関係にあったらしい。

 メルナスはその事に最初から気付いていたのだ。気付いた上で、親戚にぶたれて悦んでいたのだ。救いようがない。

 

「知ってたのか……っ!? どうして、一度も会ったことがないはずなのに」

 

 使用人の子となれば余程の事がなければ貴族としては認められない。

 シスターフェル──フェルミナも伯爵の妻にその存在が知られるまでは平民として、父の顔も知らないまま母と共に静かに暮らしていた。

 父親が誰であるか、傍流とはいえ公爵家に連なる血が流れていることは教わっていたが、メルナスとは互いに面識などあるはずもない。

 

「目元が伯爵そっくりですもの。あと身長も」

 

 メルナスも伯爵と深い繋がりがあったわけではない。会ったのは片手で数えられる程度に過ぎない。

 思い出した前世の原作知識にもフェルミナは登場しない。それでもフェルとフェルミナを結び付けられたのは公爵令嬢として受けた厳しい教育の賜物だろう。無駄にハイスペックである。

 

「くっ、うっ……」

 

 一歩、フェルミナが後ずさる。

 フェルミナがメルナスを追い出そうとしたのは今の自分の家族を守る為、そのはずだった。

 だが一体自分が何者であったのかを知られ、考えないように義憤で覆い隠していたもう一つの理由が脳裏にちらついて離れない。

 自分たち親子を排斥した貴族に対する個人的な恨み。家族を言い訳にした個人的な八つ当たり、そんな後ろ暗い理由が自らを駆り立てた本当の理由なのではないかという疑念。

 打たれた肩を押さえ、涙を滲ませながらも笑みを消さないメルナスに、それを見通されているようだった。

 

「あら、どうしましたの。この程度で満足出来るはずがないでしょう。さあ、もっと打ち込んできなさいな」

「満足……? 違う、あたしは、ただ、みんなの為に……」

 

 絶望的に会話がすれ違っていた。

 ぶつぶつと違う、違うと繰り返し、思考の袋小路へと至ってしまったフェルミナに痺れを切らしたメルナスが地面へと向いていた木刀の先端を掴む。

 

「さあどうしました! (わたくし)は逃げも隠れもしませんわ! もっと! 強く! 激しく! 叩きなさいな!」

「ひっ……」

「さあ! さあさあさあさあ!」

 

 ゴリゴリと額に木刀を擦り付けて迫るメルナスに動揺するフェルミナが恐怖を感じるのも無理はない。目は血走っているし。

 やがて力が抜け、フェルミナの手から取り落ちた木刀が地面に転がる。

 自らの浅はかで幼稚な復讐心を突き付けられたフェルミナは膝をつき、涙を流していた。

 

(一発で終わりなんて! 泣きたいのはこっちの方ですわ!!!!)

 

 お前は自分で壁に頭でも叩きつけてろよもう。



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悲しき過去ですわ!

 その後、昼食に呼びに来たミケをフェルは何でもないと誤魔化し、食事はいらないと部屋に籠ってしまった。

 メルナスもあえて事情を説明することはなく、フェルの分を肩代わりして一日の仕事を終える。

 硬めのベッドに身を預け、天井をぼんやりと眺める。眠りに落ちるまでの何もない、静かな時間。一週間が過ぎ、精神だけでなく貴族生活で弛んでいた肉体の方も順応してきたようで、それほど疲労は感じない。

 公爵令嬢としての最後の一週間はぐーたらすることに夢中で、シスター見習いとなってからは日々の仕事で、中々落ち着いて考える時間がなかったメルナスだが、この機会に前世の記憶について考えてみることにした。

 

 原作乙女ゲーム『プリンセス★スクール』に関しての記憶はもう役に立たないのでひとまず置いておいて、知りたいのは前世の記憶が蘇ったあの瞬間から自分の心と体に起きた変化の事だ。

 ゲームでも実際の現実でも、メルナス・クルストゥリアは悪役令嬢という役割に相応しい立ち振る舞いと性格をしていた。

 いや、ゲームほど(わたくし)は性格悪くなかったですわ、と自己弁護。

 ともかくかつてのメルナスは貴族として、公爵令嬢として、選ばれた者としての誇りを持ち、自分以外の全てを見下し、世界は自分を中心に回っている、自分の思い通りにならない事はないと信じてやまなかった。

 ゲームの主人公であるリオネへの嫌がらせも、きっかけは彼女と自分の婚約者ライオットが良い仲になってきたから。

 自分の夫に相応しい、自分を王妃としてくれる相手だと信じていた婚約者──それを愛と呼ぶかは怪しいが──が位の低い男爵令嬢と気付けば仲良くしている。それが気に入らなかった。

 目障りなリオネを排除しようと嫌味な発言を繰り返し、時には取り巻きたちを使って直接的な嫌がらせも行った。リオネはメルナスにされたのはライオットが集めた罪状のほんの一部だと言っていたが、そんなことはないだろう。確かに取り巻きたちが勝手にエスカレートし、それに自分を傘にして他の令嬢たちもより過激な嫌がらせしていたようだが。

 しかしライオットの目に留まったのは会う度に嫌味と皮肉を飛ばすメルナスだった。ライオットがメルナスの断罪のため、嫌がらせの証拠を集めているのを察知した他の令嬢たちは全ての罪をメルナスに被せ、自分たちは断罪側に回った。

 

(迂闊なのはライオットだけでなく、(わたくし)もですわね)

 

 能力は間違いなく優秀だった。社交界で生きていく術にも長けていたはずだった。

 そんなメルナスの目を曇らせていたのは、もしかすると父ディードに語った通り、以前のメルナスは自分でも気づいていない本心ではライオットに惹かれていたのかもしれない。だとしたら不器用な事だ。令嬢たちにしてやられるのも無理はない。

 

(ま、今の(わたくし)からすればライオット様はイケメンすぎて無理ですけども)

 

 そう、これだ。

 以前までの自分は多少なりともライオットが魅力的に映っていた。断罪され、裏切られて百年の恋も冷めたのか? いいや、そうではない。

 その原因は間違いなく、前世の記憶を取り戻した時から自分の中に目覚めた何かにある。

 初めてそれを感じたのはまさに記憶を取り戻したその直後、自分を囲む貴族たちの蔑みと嘲笑にだ。

 

(ああ、今思い出してもぶるっと来ますわぁ……)

 

 今まで見下していた木っ端貴族たちのあの目、忘れられない。あれだけでご飯が進む永遠のオカズとなるだろう。

 それに浸っている内に何も出来ないまま原作通りに進んだのだが。

 次に感じたのはメイドのニーナ、それにリオネ。

 視線、熱、平手打ち。ぶっかけ紅茶はともかく、特にリオネの平手打ちは良かった。直前の鬼畜な提案も良かった。

 ここまでなら自分はショックで被虐趣味に目覚めてしまったのだと思える。

 いわゆる痛いのが気持ちいい、という倒錯趣味だ。一般的ではないが、そういった趣味を持つ貴族は案外多いとも聞く。

 だが──

 

(なーんかそれよりも(わたくし)にぴったりの言葉があったはずですのよねえ)

 

 それが何なのかを思い出す為にメルナスは前世の記憶を辿っていた。

 前世の記憶がなければ、被虐趣味だと納得も出来ただろう。けれどそうだと思おうとすると、ずっと喉に小骨が引っ掛かったように何かが引っ掛かったように感じる。

 

(うーん、ゲーム以外の事はあんまりはっきりとは思い出せませんわ……)

 

 被虐趣味であるのも間違いではないはずなのだ。

 昼間のフェルの一撃は痺れた。痛いのが気持ちいいとはああいう事だ。

 厳格な父にされた詰問に何も感じる所がなかったのも、肉親相手という事で納得出来る……はずなのだが、やはり呑み込めない何かがある。

 それにたとえばライオット。イケメンな元婚約者。たとえば彼に折檻されるのを想像する。

 

(うっわ、めっちゃ腹立ちますわー)

 

 思えば断罪現場でも完全にメルナスが全ての嫌がらせの犯人だと決めつけ、上から目線で偉そうにごちゃごちゃと言っていた。しかし、それを思い出しても感じるのは今更な怒りばかり。他の者にされたような高揚感はない。

 父とライオットと、それ以外。二人に何か共通点があれば、それを見つけられれば霞がかった前世の記憶も晴れる気がする。

 

「……ま、そのうちぽろっと思い出すでしょう。思い出さずとも困るわけではありませんし」

 

 暫くうんうんと唸った後、あっさりと考えるのをやめて手足を開いて大の字に寝転ぶ。ニーナが見たら嘆き悲しむ光景である。

 日々にそれなりに満足して生きているメルナスにとって既に解放された原作も、他人事のような前世の記憶にも思い悩む必要はない。

 ここにいるのはちょっと被虐的な趣味があるだけの元公爵令嬢のシスター見習い。その今だけがあればそれで良かった。

 

「さーて、明日も頑張りますわよー」

 

 瞼を閉じ、ゆっくりとメルナスは眠りへと落ちて──

 

「……おい」

「はい?」

「あたしはずっとスルーかよ!? 普通に部屋に入って、普通に寝ようとしてんなよ!?」

 

 いくことはなく、隣のベッドで蹲っていたフェルが威嚇するように声を上げた。

 部屋数に限りがあるので初日からずっと二人は相部屋であった。

 

「えー、今日はもう遅いですし明日にしませんこと? 目を閉じて肩に残ったじんわりとした痛みを感じながら眠りにつきたいですわ」

 

 きっと今夜は良い夢を見れそうだと思っていたメルナスが横やりに気怠げに返すと、フェルはバツが悪そうに言葉を詰まらせた。

 

「……悪かったよ。乱暴して」

「こんなの乱暴に入りませんわ。もっとこう、男どもが寄って集って来ないと」

「貴族から寄付があって、それを持って神父様が逃げて、そんであんたが来て……また貴族にあたしの居場所を奪われるんじゃないかって不安だったんだ」

 

 メルナスの妄言を無視して、フェルはぽつりぽつりと内に抱えていた暗い感情を吐露する。

 フェルの過去に全く興味のないメルナスは肩から感じる心地良い痛みを堪能していた。聞けよ。

 

「あの国を追い出されて、仕事を探してこの国にやってきた。けどその途中で母様はこの教会にあたしを預けていなくなっちまった。……最初は捨てられたんだと思った。でも気付いたんだ、追い出された時にはもう、母様は何かの病気に罹ってたんだって。それで旅を続けられなくなった母様はあたしだけでも生きられるように此処に預けてくれたんだって」

 

 明かされるフェルの不幸な過去。残された最後の居場所であるこのエクィナス教会を守ろうとするのも無理はない。

 たしかに個人的な恨みと八つ当たりも混じっていたかもしれないが、それを責める者はいないだろう。

 

(これ絶対痣になってますわよねー。(わたくし)の白魚のような肌に走る真っ青な痣、視覚的にぐっときますわー。朝一番で姿見確認しましょそうしましょ)

 

 一番責める権利がある当事者もこの調子なので罪の意識とか持たなくていいと思う。

 

「あんたは貴族ってだけで色眼鏡で見てた身勝手なあたしの怒りを受け止めた。……母様が愛した親父と同じように、もしかしたらあんたが本当の貴族ってやつなのかもしれないな。すぐにはあんたの事を信じられないけど、これからはあんた自身をしっかりと見てみるよ。……その、悪かった。ごめんなさい」

 

 素直になれない、信じ切れない、そんなフェルの精一杯の謝罪。

 きっとこれからはフェルは瞳を曇らせることなく、自分が見たメルナスの姿を信じることだろう。

 

(次はあのぶっといのでお尻とかぶっ叩いてほしいですわね。考えただけで滾ってきますわー!)

「……はっ、謝られるようなことは何もないってか。ほんと、変わったお貴族様だよ」

 

 いや、今でも曇ったままだった。

 

「おやすみ。明日からまた、よろしくな」

(フェルさんは小柄ですし子供たちみたいにお馬さんになった(わたくし)に乗ってバシバシっと叩いて欲しいですわね! でもそんなことされたら(わたくし)、お馬さんじゃなくて豚さんになってしまいますわー! ふへっ、ふへへへぇ!)

 

 もう永眠させてやればいいと思うよ。



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事件ですわ!

 フェルミナことシスターフェルと知らない間に和解したメルナスの教会での日々は順調そのものであった。

 子供たちもすっかりメルナスに心を許し──本性を見抜けない彼らがいつか悪い大人に騙されないことを願うばかりだ──フェルも口は悪いが先輩シスターとして接してくれている。

 仕事にも慣れ、ある程度のルーティンが構築されつつある、だがメルナスには二つの気掛かりがあった。

 一つは神父が逃げ出して以降、教会に神父が不在のままであること。

 シスター長であるミケが王都にある教会の本部に手紙を出し、一日も早い新しい神父の着任をお願いしているが、一向に返事はない。

 潤沢な資金もあることだし、観光がてら一度直接王都に出向いたらどうかとメルナスは提案しているが、ミケは中々頷いてくれない。まだまだ未熟なメルナスを置いていくのが不安なのかもしれない。

 もう一つは未だに一度も見た事がない領主の存在。

 どうしてなのかとミケに尋ねると言葉を濁されたが、これはフェルが教えてくれた。

 

「半年ぐらい前、シスター長が赴任して暫くしてから領主が早死にしてな。遊び人の息子に変わったんだ。自分の領地をほったらかして街に入り浸ってるよ」

 

 フェルの貴族嫌いが加速したのはその遊び人の領主に変わったせいもあったようだ。

 領主の務めも果たせないとは嘆かわしい、と色濃く残る貴族としての思考(ノブレスオブリージュ)が呆れと侮蔑の感情を生んだが、今のメルナスはただの庶民、一般平民シスター。村で表立った不便なく過ごせている内は運がなかったと諦めるしかない。

 

「ま、実質的な領主代理の執事長が優秀だからな。本人は代理なんて烏滸がましいとは言っちゃいるが」

「執事長……ああ、最初にご挨拶に伺った時にお会いしましたわ」

 

 セバスの名が似合いそうな白髪と白髭の老紳士だった。そういうことなら彼にもっとしっかりと挨拶しておくべきだったかとメルナスは失敗を悟った。ダンディーではあったが枯れてそうなので義務的な会話しかしなかったのだった。

 

「お父様が使いを出した時には領主に話を通したと仰っておりましたし、まさか一ヵ月近く一度も戻らないとは思いもしませんでしたわ」

「隣国とはいえ公爵家からの使いが来たんだ。流石に大慌てで馬鹿領主を呼び戻したんだろうよ」

「公爵家の使いはともかく、追放された元公爵令嬢が来ても戻る理由にはならないというわけですか」

 

 少し腹立たしいが、貴族とはそういうものだ。

 元が付いた時点でメルナスに政治的価値はない。どれだけ無礼を働こうと首が飛ぶこともなく……実家に言えば国際問題にしそうだが、メルナスにその気はない。大人しく領主が気まぐれに戻ってくるのを待つだけだ。

 

「執事長に話を通したなら別にもういいような気もするがな。女好きでも有名な野郎だ。都会かぶれで田舎娘には興味がないらしいが、あんたの顔を見たら面倒な事になりそうだ」

「あら。それでしたらミケさんとフェルさんも大変だったんじゃありませんの?」

「シスター長はな。あたしみたいなちんちくりん、いくら馬鹿領主でも相手にはしねえよ。都会出身でもないしな」

「そうですの? こんなに可愛らしいお顔とそれに見合わないいいものも持っていますのに」

 

 今も修道服の何処かに隠しているだろう木刀による一撃を思い出しながらしたメルナスの呟きだったが、フェルは勘違いをしたらしい。これは紛らわしい言い方をしたメルナスが悪い。

 

「ばっ、変なこと言ってんじゃねえよ!」

 

 小柄な体格に見合わない、修道服を押し上げる二つの双丘を両手で庇い、頬を真っ赤にしたフェルが木刀を振り上げた。

 

「よっしゃ、バッチコーイ! ですわ!」

 

 それを待ってましたと尻を向けたメルナス。照れ隠しに反射的に木刀を振り下ろしてしまう暴力系ツンデレヒロインフェル。案外良いコンビなのかもしれない。

 

「ふぉぉぉおおおおお!」

「なんでわざわざケツ向けたんだよ!?」

 

 幼少期は優しい母に育てられ、その後もすぐにシスターとして生きてきたフェルにはメルナスの行動の意図はまったく分からない。もし知ってしまえば恐らく理解不能な趣味に頭をバグらせてしまうだろうからそのままの君でいてほしい。

 

「さて、夕食の準備も出来ましたし、後は森に散歩出たミケさんと子供たちの帰りを待つばかりですわね」

「お、おう。叩いて悪かったな……」

「お気になさらず」

 

 多少の手加減はしているとはいえ、何事もなかったように振り向いて会話を続けるメルナスにフェルは若干引いていた。正しい反応である。ドン引け。

 

「にしても、ちょっと帰りが遅くないか? もう日が暮れちまうぞ」

「やんちゃなキールが帰りたくないと駄々でも捏ねているんじゃありませんの?」

「かもな。飯が冷めないうちに帰ってくればいいけど」

 

 ──しかし、完全に日が暮れてもミケと子供たちが帰って来ることはなかった。

 

「おかしい、いくら何でも遅すぎる」

 

 完全に冷め切った食事を前に、フェルが不安を孕んだ声を上げた。

 もう子供たちはおろか、畑仕事や狩りに出ている村人たちも家に戻る時間をとうに過ぎている。

 

「獣は森の方には出ないんでしたわよね?」

「ああ。危険な獣が出るのは反対の山の方だ。けどもしかしたら怪我でもして動けなくなってるのかも……」

「ここ数日は雨も何も降っていませんし、平和な森で四人全員が一斉に怪我をするとは思えませんわ」

「だけど現に誰も帰って来ないじゃねえか!」

 

 複雑に入り組んだ深い森というわけでもない。誰か一人でも無事なら子供だけでも教会に助けを呼びに来ることは容易なはず。なのに一人として帰って来ないのは妙だ。怪我以外の他の理由があるはずだとメルナスは推察していた。

 

「落ち着きなさい。今此処にいる私たちが焦ってもどうにもなりませんわよ」

 

 ぴしゃりとした冷たい口調の正論にフェルは口を噤んだ。

 メルナスの冷静さが憎らしくもあったが、その通りだと思ったからだ。

 

「すみません。言い過ぎましたわ。駄目ですわね、まだ貴族気分が抜けていないなんて」

「その口調から変えなきゃどうしようもねえだろ。……あんたの言う通りだ。あたしらが焦っても意味はねえ」

「この口調を変えるのは中々骨が折れますの。けれど此処で黙って待っていてもどうにもならないのも事実ですわ」

 

 真剣な口調でそう言って、メルナスは立ち上がる。

 リオネという恋敵の一挙一動に心を波立たせていた無様な悪役令嬢はもういない。

 元貴族、元公爵令嬢としての知識と教養、冷静さ(と余計な性癖)だけが残ったのが今の見習いシスターメルナスだ。

 

「優秀な領主代理さまにお願いしましょう。彼に村人たちにミケさんたちの捜索を手伝うよう頼んでもらいますの」

「分かった。多分、それが一番だ」

 

 互いに頷き返し、手の付けられていない食事を残して二人は領主の屋敷へと足早に駆けていった。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 初日に訪れて以来となる領主の屋敷。公爵家には遠く及ばないが、それでもサバート村で最も大きな建物の扉を叩く。

 

「おい、いるんだろ! 開けてくれ!」

 

 やがて開かれた扉の向こうには礼儀知らずな急な訪問にも嫌な顔を見せない、片眼鏡の老執事が立っていた。

 

「これはシスターフェルと……シスターメルナス、どうなされました?」

「夜分の訪問となり申し訳ありません。領主様のお力をお借りしたく参りました」

「ただ事ではなさそうですな。生憎と主であるプルーキー様は不在ですが、私でよければ話を聞かせてください」

 

 老執事、セバスティンの対応と判断は迅速であった。

 シスターと子供たちが森から帰って来ないと聞くと屋敷から有事の際の村の組織図リストを持ち出し、そのリストを元に三人は民家を尋ね、すぐに捜索隊を結成した。

 

「シスターミケも子供たちにも森には慣れているはずです。それでも戻って来ないという事は何か不測の事態が起こったに違いがありません。分かれることはせず、集団で固まって森に入りましょう」

 

 快く集まった男たちに説明するセバスと焦りの表情を浮かべるフェルにメルナスは松明を掲げて近づくと、セバスには村に残るようにと告げた。

 

「あなたはご老体ですし、何より村にはなくてはならない存在。もしもがあってはいけませんわ」

「お気遣いは有り難いですが彼らを呼び集めた者として同行する義務があります」

「その義務は(わたくし)が負いますわ」

 

 有無を言わせない貴族の迫力にセバスは暫しの逡巡を経て、分かりましたと頷いた。

 そして焦りから待ちきれないと逸るフェルにもまた、教会で待っているようにと伝える。

 

「はあ!? ふざけんなっ、あたしも一緒に行くに決まってるだろ!」

「もし入れ違いでシスターたちが帰ってきた時、それを迎え入れる家族は残っていないといけませんわ」

「だったらお前が残れ! 元ボンボンのお前より森に入るならあたしの方が役に立つ!」

「温室育ちではありますが、これでも狩りや害獣退治に同行した経験もありますわ。それにフェルさんの体で彼らと足並みを揃えるのは難しいでしょう」

「うぐっ……」

 

 メルナスの語る正論はいつもフェルの耳に痛い。

 最初からそうだった。普段は子犬のようにぶんぶんと尻尾を振ってじゃれついてくるにも関わらず、激情に身を任せるといつもそうして釘を刺してくる。

 

「これ以上問答している時間は勿体ありませんわ。叱責も恨み言も後でいくらでも聞きます。今は(わたくし)に従ってくださいませ」

「……分かった、分かったよ! 全員無事で戻って来なかったら承知しないからな!」

「勿論です。食事を温めなおして待っていてくださいな」

 

 心情は納得していない。けれど、今求められているのは自分の激情ではなくメルナスの冷静さであると分かってしまう。フェルは苦虫を嚙み潰したような表情で提案を承諾した。

 

(無事にミケさんや子供たちを見つけた後で彼らの報酬として夜の森でいただかれてしまう役割は譲れませんわ!)

 

 メルナスは変わらず蛆虫のような思考をしていた。

 

(さあ! とっとと見つけて楽しい夜にしますわよー!)



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捜索ですわ!

 森の奥にある洞窟。そこにシスターミケと子供たちはいた。

 自ら望んだことではない。目の前にいる、下卑た笑みを浮かべる二人の男に連れ去られたのだ。

 

「げへへ、聞いたぜえ? なんだか最近は随分と羽振りがいいそうじゃねえか」

「私はどうなっても構いません……どうか子供たちには手を出さないでください……」

「暴れなきゃ何もしやしねえさ。ガキどもはまだ夢の中だしな」

 

 昼食の後、散歩へと出かけた子供たちは森の開けた場所で微睡み、それにつられてミケもうたた寝をしてしまった。それがいけなかった。

 いつの間にか縄で縛られ、この洞窟で目が覚めた。その風貌から彼らが盗賊であることを悟ったミケは子供たちを庇い、嘆願する。

 

「どっかの物好き貴族から大金を寄付されたらしいが、本当はその体でお願いしたんじゃねえのか? ぐへへ」

「女神さまに使えてるとは思えないいい身体をしてるからなあ、ぐふふ」

「あれは心優しき方の善意の施しですっ、神に誓って決してそのようなことは……」

「お前らを探しに人が来るまでまだ時間もある、その間にちょいと味見するのも悪くねえな、きひひ」

 

 手足を縛られ、抵抗できないミケに男の手が伸びる。

 震えるミケに構わず、ワンピース状の修道服のスカートがゆっくりと捲り上げられ──

 

「ヒューッ、見えない所は随分といやらしい格好してるじゃねえか」

「いや待て、あ、兄者、これは……!」

「ああっ、神よ……お許しください……干されていたメルナスさんの私物を出来心で履いてしまった私をどうか……」

 

 その下から露わになったものに盗賊、もとい自称山賊コンビに電流走る。

 忘れもしない約一ヵ月前、初めての山賊行為に及ぼうとした二人の前に現れた怪しい痴女貴族おとり捜査官(後半勘違い)が身に着けていたものと同じ網タイツであった。

 

「ま、まさかこいつもおとり……!?」

「ええい落ち着け、おとりであったとしてもこちらには人質もいるんだ、たとえ騎士団連中でも孤児のガキはともかく女神に仕えるシスターに手出しは出来ない……はずだ!」

「お、おお、そうだな兄者! 人質さえいればこちらのものだな!」

「そうだそうだ! がっはははは!」

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 夜の森を松明を掲げた捜索隊が行く。先頭を進むのはメルナスだった。何故か自然とそうなっていた。

 

(夜の闇に紛れても無駄ですわ! 後ろの男たちの下卑た視線をビンビン感じますわー!)

 

 勘違いである。男たちは全員真剣にミケたちを探している。

 だが体を微妙にくねらせながらもメルナスもまた捜索は真剣に行っていた。

 

(でも一体何があったのでしょう。山から獣が下りてきたとしても、森に入るには村を通らなければなりませんし……)

 

 自分が最初に出会った山賊たちの仕業だとは露とも知らず、メルナスは的外れな推察を重ねる。既に山賊たちの存在は頭から抜け落ちていた。

 思考を切り替えればニヤニヤ顔も険しい顔つきへと変わり、その変化に気付いたのか村一番の好青年と評判のソーマが後続から抜けてメルナスの隣に並んだ。

 

「大丈夫ですよ、きっと皆さん無事です」

「ええ。(わたくし)もそう思いますわ」

 

 若い奥様方からも評判の青年だが、今のメルナスの好みとは程遠い。もっとでっぷりと脂ぎってる青年から中年がストライクゾーンであった。

 しかしそこは元公爵令嬢現シスター、自分の好みでなかろうとも目に見えた塩対応はしない。

 それが良かったのか悪かったのか、ソーマはさらに会話を続けた。

 

「心配ですか?」

「当たり前ですわ。シスターミケも子供たちも(わたくし)の家族のようなものですもの」

「そうですか。もうすっかり溶け込んでらっしゃるんですね。最初にお会いした時は教会でやっていけるのか、失礼ながら心配だったんです、元貴族の方にはこの村での生活は辛いんじゃないかと」

 

 遺憾ではあるが、メルナスは見た目だけは今でも麗しい公爵令嬢のまま、悪役令嬢時代にあった棘が抜けているので見た目だけは良いのだ。こんな時ではあるが、一般好青年がお近づきになりたいと思っても無理はない。こいつはやめとけ。

 イケメン特有のコミュ力と距離感で会話を続けるソーマにメルナスは、

 

(なんですのこいつ、ぐいぐいきますわね)

 

 まるでときめいてはいなかった。ミケや子供たちの事も勿論あるが、隣国一番のイケメンといっても過言ではないライオットの元婚約者、イケメン慣れしている。

 

(わたくし)の事をどこで?」

「ああ、すみません。シスターたちが漏らしたわけではなく、村で噂になっていたんです。その気品ある佇まいや口調から、きっとご貴族の生まれだと」

 

 そりゃ田舎村にですわ口調の金髪ツインドリルが現れたら噂にもなる。

 

「そうですの。別に隠したい過去というわけではありませんし、構いませんよ。吹聴するものでもないというだけですわ」

 

 その通り、隠すべきは過去ではなくその性癖だ。永遠に秘めたままこの地に骨を埋めるのが親孝行である。

 性癖に刺さらない相手であるからか、上手い具合に元貴族の気品が出ていたのか、ソーマはメルナスにより好印象を抱いたようだった。

 

「深くは聞きませんがこの村にいらしたのもきっと何か事情があっての事なんでしょう。今回に限らず、困ったことがあったら何でも言ってください。僕で良ければあなたの力になりたいんです」

「感謝いたしますわ。今回みたいなことはこれきりであってほしいですが」

「まったくです」

 

 と、ソーマが何かに気付き、足を止めた。

 

「この辺りの草に踏んだ跡が残っています。シスターや子供たちではこんなには草は倒れない」

「大柄な男か、重い物を抱えた何者かが通った跡、ということですわね。……たとえば人を抱えて、とか」

 

 山賊たちの事を思い出せないまま、メルナスは真実を推測していた。

 獣でなければ不慮の事故か人為的な原因しか考えられない。まさかミケが子供たちを連れて神父のように逃げ出すとは思えない以上、考えられるのは人攫いだ。

 

「この奥に続いているみたいです」

「行きますわよ。皆さん、ここからはより警戒を強めてくださいな」

 

 後続の男たちが頷いたのを確認し、メルナスたちは足跡が続く森の奥へと足を踏み入れた。どうでもいいがソーマ以外の男たち、やけにガタイが良いモブ顔が揃っている。

 

「洞窟、ですわね」

「足跡はこの中に続いてるようです」

「恐らく当たりですわね」

「俺もそう思います」

 

 あからさまに隠れ家、といった風情。いかにもといった雰囲気。

 背後の男たちが息を呑む音が聞こえた。

 

(これはおあつらえ向きのロケーション! 洞窟の奥に踏み入ったが最後、ただでは出れませんわ! 入る時は一人、出る時は二人またはそれ以上、なーんだ! ですわ!)

 

 メルナスは恐怖など感じず、今からミケたちを助け出し無事に戻る絵を想像しているようだ。そういうことにしておく。

 意気揚々と洞窟に進むメルナスを男たちは追った。

 洞窟内部を暫く進むと曲がり角に当たり、その角を曲がると奥には明かりが見え、人の気配も感じる。この先に誰かがいるのは間違いない。

 男たちの松明を握る手が力み、緊張に汗を流す。

 だが先を行くメルナスは冷や汗一つかいてはいない。そんな気高い姿を見せられ、怖気づく者は一人もいなかった。

 

(いけない、いけない。まずはシスターたちを見つけ出すのが先決ですわ。流石に彼女たちは巻き込めませんものね)

 

 当初の予定を思い出したメルナスはその後に待つ展開を期待し、さらに足を速める。

 そして洞窟の奥、光源によって壁に照らし出された複数の人影を見つけ、そのままの勢いでその影たちの前へと躍り出た。

 

「ミケさん! みんな! 無事ですの!」

 



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再会ですわ!

 洞窟の奥でメルナスたちが見たのは、隅で集まる子供たちと二人の怪しい男たちと向き合って座る、拘束されたシスターミケの姿だった。

 

「ミケさん!」

「シスター!」

「あ、兄者! 村の奴らだ!」

 

 メルナスと後に続いて現れる男たちの姿に驚き、山賊コンビの片割れ、山賊Bは情けない声で兄貴分の山賊Aを呼ぶ。

 ミケはというと拘束されながらも首だけを振り向かせ、いつもよりも低い、申し訳なさそうな声音でメルナスの名を呼んだ。

 

「メルナスさん……」

「良かった、みんな無事ですのね……」

 

 動揺する山賊たちを余所に、ミケへと駆け寄ろうとしたメルナスであったが、それを山賊Aが止める。

 

「お、おおっと! それ以上近づくんじゃねえ!」

 

 ミケを人質に取り、ナイフを首元に突き付けてメルナスたちから距離を取って後ろへと下がっていく。

 人数で勝っていようと、あの距離では無傷で救出することは不可能だ。

 

「兄者!」

「慌てるな、こっちには人質がいるんだ。……もう後戻りは出来ねえんだよ!」

「ミケさん!」

 

 一触即発。刺激すればミケやその後ろの子供たちを傷つけてしまう。メルナスたちは踏み止まるしかなかった。

 

「あ、メルナスおねえちゃーん」

 

 ミケと山賊たちの横を通り抜け、拘束されていなかった子供の一人がメルナスの胸に飛び込み、それを追うように残る二人の子供たちもメルナスの周りに集まった。救出成功である。

 

「あ、兄者、ガキどもが!」

「ほっとけ! 人質ならこいつ一人いればいい! いいか、近づくな、近づくんじゃねえぞ……」

 

 何故かあっさり運良く子供たちだけは救出することに成功したが、ミケを人質に取られていることに変わりはない。

 ソーマを含む村の男たちは動けないままだ。

 そんな中、メルナスが一歩前に出る。

 

「お待ちなさい」

「な、なんだお前! 寄るんじゃねえ! このシスターがどうなってもいいのか!?」

「そうだそうだ!」

 

 人質を前にしても動じないメルナスにさらに半歩、山賊が下がる。

 それ以上刺激するのはやめた方がいいとソーマが忠告しようとしたが、メルナスは振り向かず無言で手で制した。

 

「人質になら(わたくし)がなりますわ。交換にシスターミケを解放なさい」

「な、なに……?」

「あなたたちの目的はお金か、それとも女かしら? どちらにせよ(わたくし)の方が価値があると思いますわよ」

 

 シスターのトレードマークとも言えるベールを外し、挑発的に笑うとわざとらしく金髪ツインドリルを手で後ろに流した。

 

「お、お前は……!?」

「あの時の……!」

「あなたたちのような下種な輩の知り合いはいませんが、どこかでお会いしたかしら? まあいいですわ。こう見えて(わたくし)、ただのシスター見習いではなくお隣の公爵令嬢ですの。訳あってシスターをしていますが、身代金を要求するなら田舎の村よりも公爵家の方がふんだくれますわよ」

 

 その姿にメルナスがかつて襲おうとした網タイツ貴族であることに気付く山賊たち。

 しかし、今の今まで忘れていたとはいえ、無駄に優秀な記憶力を持つメルナスが一度見た山賊たちの顔を忘れるとは思えないが……?

 

「それに貴族の女を抱く機会なんてこれを逃したらあなたたちには一生訪れませんわ。……(わたくし)には何をしても構いません。ですからシスターミケを解放しなさい」

 

 既に追放されたメルナスは貴族ではない。

 ミケを解放させるための嘘であり、既に解放されたはずの貴族としての責務(ノブレスオブリージュ)を果たす為の偽りであった──

 

(ヒャッホゥ! まさに運命の再会ですわ! 一度は惜しくも取り逃がした娘とのまさかの再会! これに滾らない山賊はいませんわ! 以前の分まで利子付きでお返しされてしまいますわー!)

 

 ──だけなら良かったのだが。実際には動機も決意も欲望まみれであった。

 当然、メルナスは山賊たちのことを思い出していた。微妙に記憶は改ざんされていた。

 

「メルナスさん!? 何を言ってるんですか! そんな取引をしてもあなたが人質に取られたら意味がない!」

「そ、そうだ! 奴らが素直に約束を守るかも分からないんだぞ!」

「もしメルナスさんまで捕まっちまったら意味がねえ!」

 

 御尤もなソーマの意見とそれに同意する男たち。その調子でフェルがメルナスにされたように正論でこいつを止めてくれ。

 だが悲しいかな、小賢しいメルナスにはソーマの言葉は予想の範疇であった。

 

「神父のいない教会でシスター長まで失ってしまったらもうお終いですわ。それなら見習いシスターである(わたくし)の方がまだマシですの」

 

 そんな尤もらしい詭弁と共にさらに一歩、前に出たメルナスの腕を後ろからソーマが掴んだ。

 

「待ってくれ……俺は君を行かせたくない……! 失いたくないんだ!」

 

 涙ながらのソーマの訴え。儚げイケメンの嘆願。

 数度言葉を交わしただけで好感度が上がりすぎだ。つり橋効果である。

 

「……離してくださいませ」

(はぁー!? 邪魔すんじゃねーですわよ! こんな滾るシチュが目の前で転がってるのに我慢なんて出来るわけねーですわ! もっと小太って脂ぎってから出直してきなさいまし!)

 

 掴まれたメルナスの腕はかすかに震えていた。恐怖を押し殺し、ソーマたちには自らを犠牲にしようとする献身に映ったことだろう。

 実際は理不尽すぎる怒りに震えていた。

 

「さあ、悪い条件ではないはずですわ! ミケさんを解放して、酷いことをするなら(わたくし)だけにしなさい!」

 

 ソーマの腕を強引に振りほどき、ついにメルナスは山賊たちの目の前にまで歩み寄る。

 ミケにナイフを突きつける山賊Aは俯き、山賊Bの視線は二人の間を揺れ動き、やがて。

 

「あらら……?」

 

 山賊Aは背中を軽く押して、ミケを解放し、メルナスは入れ替わるように山賊たちに並んだ。

 今のタイミングであれば二人を無傷で助けられるかもしれないと窺っていたソーマたちは何故みすみす自分から、とメルナスの行動が理解できなかった。

 

「ありがとうございます。(わたくし)も約束は守りますわ。(わたくし)のことは好きにしなさい。けれどいくらあんなことやこんなことをしても、(わたくし)の心までは穢せませんわ! ……皆さまは子供たちを連れて村に戻ってくださいまし。子供にこれから起こることを見せたくありませんわ」

 

 初めから自分を犠牲にするつもりでいたのか。相手が賊であっても約束を守る。それが貴族の、いやシスターとしての務めだと言うのか──などとソーマたちは都合良く解釈していたがどいつもこいつも見る目がなさすぎる。

 

「分かりました。皆さん、洞窟の外に出ましょう」

「シスター!? 本気ですか!? メルナスさん一人を残していくなんて……」

 

 メルナスの言葉に頷けない男たちだったが、解放されたミケが男たちを促した。

 それを信じられないソーマがミケに物申したが、まあまあ、と言いくるめて背中を強引に押していく。

 途中で振り向いたミケに向かって、メルナスは感謝を込めて礼をした。

 

(流石ミケさん! 分かっていますわね! これで邪魔者はいなくなりましたわ! 衆人環視の前でというのも滾りますが(わたくし)でも子供たちの前でというのは気が咎めますもの!)

 

 助けなど来ない洞窟に男たちと女一人、完璧なシチュエーションに心躍らせ、体くねらせるメルナス。

 しかし、そう都合よく限界性癖お嬢様の思い通りに事は進まないものだ。

 

「さあ! お願いしますわ!」

「兄者……」

「もう、ここまでだな……」

 

 カランとナイフが地面に落ちる音。山賊たちは地べたに腰を下ろし、乾いた笑みを浮かべていた。

 今か今かと乱暴されるのを待ちわびていたメルナス、何やら雲行きが怪しくなってきたことを知る。

 

「貴族のお嬢様にこんな覚悟を見せられたんじゃ、俺たちの負けだ……」

「そうだな、兄者……ここで手を出したんじゃ、本物の下種になっちまう……」

「あ、あのー?」

「王都でビッグになるんだって田舎を飛び出して夢破れて……ついには山賊にまで落ちたオレたちだが、これは越えちゃならねえ最後の一線だな……」

「これで良かった……これで良かったんだよ、兄者……」

 

 メルナスの献身に胸打たれ、いきなり綺麗な山賊に心変わりした二人だが、それに納得しない者が此処に一人放置されている。

 

「はぁぁぁあああ!? なーにあっさり改心してるんですの!? 今更遅えんですわ! もうこのまま落ちるところまで落ちて下種を極めるしかねえんですわよ!」

 

 お嬢様は山賊の親玉か何かで?

 

「落ちるところまではもう落ちたんだ。ここからまた這い上がっていこう、なあ兄弟」

「ああ。オレは兄者となら何度だってやり直せるよ。さっき人質にしてたシスターもそう言ってたじゃないか」

 

 男泣きし、がしっと抱き合う山賊たち。

 三人きりになりながらもメルナスは完全に蚊帳の外であった。

 

「ふざけんなですわ! くっ、殺せ! って言わせなさい! こっちは悔しい、でも感じたいんですわよー!!!!」



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連行ですわ!

「はぁ……そうですの。(わたくし)たちが来る前にミケさんに説得されていたんですのね」

「ああ、そうだ……そこで揺れてた所にお嬢さんの自分を犠牲にしてでも誰かを助けようとする姿を見て、自分が情けなくなっちまったんだ……」

 

 どう転んでも自分の理想の展開には繋がらないことを悟ったメルナスは仕方なく山賊たちと対話していた。

 こんな都合良く──メルナスにとっては都合悪く──改心するなど納得いかなかったが、その理由はメルナスだけではなく、シスターミケにもあったようだ。

 

「オレたちはもう逃げも隠れもしねえ。騎士団に突き出してくれ。最初からそれが目的であの村に来たんだろ?」

「そういうわけじゃありませんが……分かりました。(わたくし)も望まない相手にプレイの無理強いは出来ませんわ。十分に反省していることを伝えて、騎士団に引き渡します」

「ああ……塀の中から出て来れるかは分からねえが、もし出られた時は真面目に生きてみるよ」

 

 肩透かしにも程があるが、これでこの一件は解決。

 子供たちもミケも、メルナスも全員無事の円満解決、見事なものだ。

 原作の最中、悪役令嬢のままであったならこう上手く事は運ばなかっただろう。もしかすると前世の知識で知った、物語の強制力のようなものなのかもしれない。

 

(わたくし)の話を誰も聞いてくれないのは以前と変わっていませんわね……(わたくし)はただ惨めな思いをしたいだけですのに……くっ!)

 

 メルナスは爪を噛んで嘆いた。

 嘆きたいのは両親と被害を被った原作主人公たちである。

 

「それじゃ、一緒に村まで来てもらいますわよ。今日はもう遅いですから明日になったら街の騎士団の所に連れていきます」

「分かった。抵抗する気はねえが、そこらの縄で縛ってくれや」

「嫌ですわよそんな羨ましい、ではなくて面倒な。大人しくしてればそれでいいですわ。ま、逃げた所で追う気もありませんけれど」

 

 山賊たちから完全に興味を失したメルナスの対応は酷いものだったが、それがまた人に信じられたことなどない山賊たちの心を打つ。

 踵を返したメルナスの後ろ姿を潤んだ視界に映して二人はその後を黙って追った。

 洞窟を出ると、ミケたちが村に戻らずに出口で待っていた。にこにこと笑みを浮かべているミケはこうなる事が分かっていたのだろう。神父に裏切られようと人の善性を信じるシスターの鑑である。修道服の下は網タイツだが。

 

「メルナスさん! 無事で良かった……!」

「ご心配をおかけしましたわ」

「もうこんな無茶はやめてください、生きた心地がしません……」

「考えておきますわね」

 

 メルナスを囲む村人たちに事情を説明すると山賊たちは一晩馬小屋にでも転がしておこうという意見が出たが、それをミケが止め、教会で預かることとなった。子供たちもそもそも自分たちが誘拐され、人質されていたとすら分かっておらず、監禁中に遊んでもらっていたようで反対する子は一人もいなかった。

 被害者と預かる教会側がそれで良いと言うのだから村人たちも強くは反対できず、反省した様子の山賊たちを見て渋々了承した。

 恐らく反対するのはフェルぐらいだろうな、と教会で待つ彼女の顔を思い浮かべ、今回の無茶を知ったらまた叩いてもらえるかもしれないとメルナスはそれを楽しみに帰路へと着くのだった。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 散々フェルに説教を受けた──残念ながら暴力は振るわれなかった──翌日。

 一晩ですっかり憑き物が落ちたように穏やかな表情を浮かべる二人の山賊を駐留している騎士団に引き渡すため、フェルとメルナスが隣街へ向かうことになった。

 まだ街に出た事がないメルナスについでに羽を伸ばしてきなさい、というミケの心遣いだった。

 

「色々とご迷惑をおかけしやした、シスターの(あね)さん」

「罪を償ったらいの一番に報告に来やす」

「ええ。お待ちしていますね。その時はまた、子供たちと遊んであげてください」

 

 改心のきっかけとなったミケに深々と頭を下げる山賊たちをフェルは面白くなさそうに見つめる。

 今回の事件で一番蚊帳の外となったのは彼女だ。これだけ心配を掛けさせられて、その当人たちは気にした様子も見せないのだから面白くない。

 

「罪を憎んで人を憎まず、ですわよ」

「へーへー。元貴族様の言う事はご立派ですねえ」

「どちらかというシスター見習いとしての言葉ですけれど」

 

 フェルを同行させるのは街の案内と、彼女の機嫌を直して来いということなのだろう。

 そちらの方が大変そうですわ、と苦笑しつつ、久しぶりとなる都会を楽しみにしているメルナス。そういった一般的な女性の感性も残っているのは幸いか。

 

「それでは行って参りますわ」

「はい。道中気をつけて。夜には帰って来てくださいね」

「子供でもシスター長でもないんだ。分かってるよ」

 

 フェルの皮肉をあらあらと受け流したミケに見送られ、四人は一路隣街、グレイスの街へと向かう。

 街までは徒歩で二時間ほどだが、メルナスが馬を操れるということで馬車を借りることになり、片道一時間ほどの旅路になる。

 村一番の好青年ソーマが心配だと同行を申し出るも相手するのが面倒なメルナスがやんわりと断った一幕があったが割愛する。

 

「御者をする公爵令嬢なんて聞いた事ないぞ」

「今はシスターですので」

「それも聞いた事ない」

「でしたら貴重な体験ですわね」

 

 馬車を引かせるのは初めての経験だったが、そこは無駄な要領の良さを生かしてメルナスは難なく手綱を操り、街道を進む。

 屋根付き馬車から顔を出し隣に座ったフェルと取り留めない話をして、山賊たちは今も縛られもせず見張りもいない状態だったが逃げようともしなかった。

 

「此処は……」

「左がグレースの街だ。右は……国境に繋がってる」

 

 見覚えのある景色。ニーナたちと共に通った道だった。

 フェルも村にやって来た時に恐らく通って来たのだろう、複雑そうな表情を浮かべている。

 

「やっぱりまだ未練があるのかよ」

「ない、と言えば嘘になりますわ。公爵令嬢としての(わたくし)が、(わたくし)の全てでしたから」

「あたしには貴族の生活は分からねえが楽なことばっかりじゃなかっただろ」

「正しく生きていれば誰しもがそうですわよ」

 

 そういうもんかね、と気のない返事。フェル以上に思う所がある表情を浮かべるメルナスに気を遣ったのかもしれない。

 

(山賊たちも期待外れでしたし、こんな事なら名実ともに貴族だったうちにもっとやんちゃしておくべきでしたわ)

 

 そんな気遣いとか無用だから馬車に縄付けて引きずってやった方がいい。それでも悦びそうなのが恐ろしいが。

 その後も他愛のない会話を繰り返して、のんびりと馬車は街道を進んでいった。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 馬と馬車を預け、街へと降り立ったメルナスたち。相変わらず山賊コンビは逃げる様子もなく、大人しく従っていた。

 僅かに逆襲を期待していたメルナスも完全に諦め、フェルの案内で騎士団の支部があるという通りを進み、衛兵が立つ門の前にまでやってきた。

 

「む、シスターが騎士団に何用ですか?」

「お勤めご苦労様ですわ。(わたくし)たちは隣村の者ですの。こちらの二人組の自首を手伝いに来ました」

 

 銀の鎧に身を包んだ騎士は物腰こそ丁寧だが、その鎧のせいで威圧感を発している。普通の村人なら委縮してしまいそうだが、メルナスは慣れたもので気負った様子もなく視線で背後の二人組を指した。

 

「……からかうのはよしていただきたい。それに修道服に身を包んでおきながらそのような口調、貴族にも女神にも不敬と取られかねませんよ」

 

 慣れ始めた村人たちと違い、村の外で修道服を着たシスターが貴族のような口調でそのようなことを言えば冗談だと思われて当然である。

 

「これは失敬。中々どうして直せませんの」

 

 このまま怪しい奴だと捕らえられるのも面白いかも、などと同行しているフェルの迷惑も考えずに企むメルナスだったが、それを止めたのは山賊たちだった。

 

「冗談でも何でもなくオレたちは山賊よ。このシスターのお嬢様やそのお仲間に乱暴を働こうとした不届きものさ」

「オレたちが真面目な平民に見えるかい?」

 

 二度とも出会ったのは森の中ではあるが、それを今更指摘するのも野暮なことだ。

 騎士は仮面の下でじっと山賊を観察し、確かに悪人面だが拘束されてもいない悪人がわざわざ騎士団の支部までやってくるものか? と至極当然な疑問に翻弄されていた。

 

「……悪戯はやめていただきたい。本当に捕まえることも出来るのだぞ」

 

 結局、性質(たち)の悪い冗談の類だと受け取った騎士は憮然とした態度でそう返した。

 

「あたしらは悪人をとっ捕まえて突き出しに来たんだ。平和に貢献したってのに随分な態度じゃねえか」

「こんな子供まで……やはり我々をからかっているのだな?」

 

 そこに幼い子供と見紛う容姿のフェルまで割り込んでくれば、悪戯認定待ったなしである。そもそもこの二人に任せたのが間違いであった。

 

「子供扱いするんじゃねえよっ。あたしらはシスターで、こいつらはシスター長やガキどもを攫った悪人なんだっつの!」

「まだ言うか……これ以上は本当に冗談では済ませられなくなるぞ」

 

 ついには鎧姿にお似合いの低い口調へと変わり、怪しい空気が門前に漂い始める。

 ちなみにメルナスは面白い事になってきたと内心で小躍りしていた。どうしようもねえな。

 

「はぁ、お前じゃ話にならねえ。もっと偉い奴を呼んで来いよ」

 

 昨晩、納得したとはいえ教会で一人留守番ののけ者となっていたフェルは鬱憤が溜まっていたのか、語気を強めた。

 それとももしかしたら、引き渡しをさっさと終わらせて初めての街をメルナスに案内する気でいたのを邪魔されたのが気に食わなかったのかもしれない。

 

「落ち着いてください、シスターの姉御」

「そうですぜ。これで姉御たちまで捕まるなんてことになったら(あね)さんに顔向けできやせん」

「姉御って言うなっ。あたしまでお前らの仲間みてえだろうが!」

 

 にわかに騒がしくなってきたことで通りを行く人々の視線も集まってきた。怪しいシスターと怪しい山賊、怪しい四人組が騎士団の前でもめているとなれば当然だ。

 

(これは牢に入れられて折檻尋問コースもありえますわね。……原作処刑回避したから無理だと諦めてましたがワンチャンありますわね!)

 

 自分の性癖にフェルを巻き込む──普段から叩かれるように誘導して巻き込んでいるのだが──のは忍びないと事を荒立てるつもりはなかったが、フェルの方から騒ぎにしてしまったのだからこれは不可抗力。にやける顔を必死に押さえるメルナスだった。気付けフェル、このままではメルナスの思うつぼだぞ。

 

「──メルナス・クルストゥリア嬢?」

 

 と、そんなメルナス一人勝ちの流れを断ち切る乱入者(チャレンジャー)がここでインした。

 



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イケメン騎士ですわ

 よもや腰の剣にまで騎士の手が伸びようとした時、それに待ったを掛ける人影が門の向こうから現れた。

 

「その太陽に透き通る金髪、あなたはヴェルフェクス王国のクルストゥリア嬢ではありませんか?」

 

 銀色の長髪を靡かせる美丈夫、ノルフェスト王国騎士団の証である獅子の紋章が刺繡された団員服を着こなす男が少し驚いたようにメルナスのかつての名を呼んだ。

 婚約を破棄された悪役令嬢が追放先で出会った美男子。セオリー通りならばこれは間違いなく、原作とは異なる物語を歩み始めた悪役令嬢のお相手役、新たな恋と波乱を予感させる運命の出会いになる──

 

(誰ですのこの目に痛い髪色のイケメン顔は)

 

 ──はずもない。だってメルナスだもの。

 

「きゃあああ! クラウド騎士団長よ! なんてお美しい……!」

「き、騎士団長! お騒がせして申し訳ありません!」

 

 黄色い悲鳴を上げる女性たちと姿勢を正し上擦った声で敬礼を取る騎士団員、追放先の騎士団長や皇太子となれば普通は間違いなく新たなお相手役となるのだが、その展開はメルナスの物語には望めない。

 

(説明ご苦労ですわ)

 

 メルナスはまるで興味のない白けた目で門の外、メルナスたちの目の前にまでやってきたクラウド団長を眺めていた。

 性癖と前世をこじらせたメルナスにはイケメン顔には靡かないのだった。

 

「おいメルナス、知り合いか?」

「騎士団長だそうですからいつか何かの機会に会ったのかもしれませんわ」

 

 騎士団員と話すクラウドを眺めつつ、耳打ちしてきたフェルに冷めた口調でメルナスが答えた。

 地続きの両国は親交も深い。騎士団長であれば王侯貴族たちの集まりに警備に駆り出されたこともあるだろう。その時に顔を合わせていても不思議はない。流石のメルナスも警備した騎士団員の顔ぶれまでは記憶していなかった。

 一目見たら忘れられないイケメン顔ではあるが、前世の記憶にも引っ掛かるものはない。この現実世界の一般イケメン騎士団長ということだろう。

 

「団員の御無礼をお許しください、クルストゥリア嬢」

「構いませんわ。彼は職務に忠実であっただけです」

「寛大な御言葉、感謝いたします。しかし何故、あなたがこの街、この国へ? それにその装いは……」

「色々ありましたの。今の(わたくし)はただのシスター見習い。そのような畏まった態度は不要ですわ」

 

 公爵令嬢がシスター見習いとなった経緯を色々であっさりと済ませ、フラグをバキバキに折っていく会話スタイル、いっそ清々しい。

 

「承知しました……いえ、分かった」

 

 しかしそこはイケメン騎士団長。見事な対応。

口調を崩しながらキリッとした顔つきから僅かに笑みを覗かせ、お堅い印象を塗り替える好プレーを見せる。その笑顔を見た周囲の住民はくらりとやられていた。

 

「今のあなたが何者であっても平和に貢献すべく訪れていただいたのは事実。拘束されていないのは気になるが、詳しい話を伺っても?」

 

 今度は鋭い視線で山賊たちを射抜くクラウド。その表情のギャップにモブたちはくらくらである。

 

「ええ、勿論。ですがそう睨まないであげてくださいな。見ての通り反省しているんですの」

「だが君は彼らに……いや、すまなかった」

 

 クラウドの眼光から庇ってくれたメルナスを見る山賊たちの目がより輝いた。そっちのフラグは立てていくのか。

 物言いたげだったクラウドも視線を緩め、中で話を聞くとメルナスたちを促した。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 通された部屋はそれなりに立派な作りでソファも上質な物ではあったが、メルナスにとって驚くものではなかったし、仮にも王国騎士団の団長が使う部屋だとも思えなかった。

 

「ところで何故、騎士団長ともあろうお方が王都から離れたこの街に?」

 

 万が一にも母国であるヴェルフェクス王国と戦争となれば重要な場所ではあるが、関係は良好そのもの。平時に団長が詰める場所ではない。

 メルナスの疑問──といっても興味はそれほどそそられていないが──は尤もだった。

 

「隣国との合同演習の後でね。そのついでにこの街の支部を視察していたんだ」

「ああ、そういうことでしたの。そういえば定期的に行っていると聞いていましたわ」

 

 にこやかにメルナスの質問に答えた後、さて、とクラウドはメルナスの隣に座る山賊たちに再度目を向けた。

 先ほどよりも厳しい視線ではなかったが、まさか騎士団長という大物と相対することになるとは思っていなかった山賊たちは委縮しているようだった。

 

「あなたを襲った山賊、とは聞いたが、此処に自首してくるまでの経緯を聞かせてほしい」

「へ、へえ……」

 

 二人はしどろもどろになりながらも、ありのままの事実をクラウドに告白する。

 メルナスは山賊の罪がどう裁かれようとあまり興味はなかったが、ミケは恐らく減刑を望むだろうと悪しように伝えようとする山賊の言葉に時折フォローを混ぜ、全てを話させた。フェルは最初、むすっとした顔でそれを聞いていたが、やがて呆れ顔に変わり、口を挟むことはなかった。

 

「メルナス嬢……いえ、シスターメルナス、女性がそのような危険な真似をするものではないよ」

「その辺りの話は耳にタコが出来る程されましたので省いてくださいまし」

 

 しれっとした顔で紅茶を啜るメルナスに反省の色は見えない。クラウドは苦笑してそれ以上追及することはしなかった。

 

「生憎とこちらの国の法律には詳しくありませんが、見ての通り彼らは深く反省しております。逃げようとも思えば逃げられたにも関わらず大人しく此処までついてくるほどです。情状酌量の余地は十分にあると思いますわ。これは(わたくし)だけの言葉ではなく、同じ被害者の子供たちとシスターミケ、全員の言葉と受け止めてくださいな」

「だが彼らが略奪を行おうとしたのは事実。罪には罰を与えねばならない」

「それは勿論。彼らもそれを望んでおります」

「へい。煮るなり焼くなり好きにしてくだせえ」

「罪を償って、綺麗な体でもう一度シスターの姉さんたちに礼を言いに行きたいんでさあ」

 

 被害者と加害者双方からこう言われてしまえばクラウドも単純な罪状通りの罰は与えられない。

 暫し考え、結論を口にした。

 

「では騎士団監督の下、この街で一年間の奉仕を行ってもらうというのはどうかな?」

「社会奉仕活動の従事ですか。ま、妥当な落としどころですわね」

 

 この世界では民事と刑事、起訴と不起訴といったメルナスの前世にあったような仕組みは存在しない。

 貴族は別だが平民であれば騎士団が警察と検察の両方を兼ね備えているような状態だ。仮に冤罪であったとしても平民がいくら申し立てようと騎士団が黒だと断定すれば決定が覆る事はほとんどない。同時に、下心ある騎士や支部での話であれば金を積めば有罪を無罪にすることも可能であるが。

 罪状に対してあまりに軽い罰ではあるが、騎士団長が決定したことであればそれに異議を唱えるものは誰もいない。被害者も納得しているため、この場で下ったこれが最終判決となるだろう。

 

「ということですので精々励みなさいな」

「へ、へい!」

「あ、えー、ご、ご寛大な処置に感謝いたしやす……?」

 

 元来小心者であるためか、死罪すらも覚悟していた山賊たちは少し呆気に取られているようだった。

 その様子を見て、クラウドは自分の判断が間違っていない事を確信した。犯罪者をやむを得ずその場で斬ることもある立場だ、犯罪者であることに違いはないとはいえ、荒んでいた自分の心が癒されていくのを感じていた。

 

「それでは後の事はお任せいたしますわ」

「ああ。……もう行かれるのか?」

「お忙しい騎士団長様をいつまでも茶飲み相手には出来ませんわよ」

「そう、だな。サバート村の教会にいるんだったな?」

 

 一切メルナス側のフラグは立っていないが、クラウド側はそうでもなかったらしい。どうやらメルナスに何か惹かれるものがあったようだ。それが物語的には正しい反応ではあるが、やめておけと声を大にして訴えたい。

 

「もう数日はこの街に滞在している。……その、村の教会に祈りを捧げに行っても良いだろうか? この街では落ち着いて祈りを捧げられなくてね」

「人気者は大変ですわね。お好きにどうぞ。騎士団と違って教会の門はどなたにも開いておりますわ」

「ありがとう。必ず寄らせてもらうよ」

 

 どういうわけかメルナスは望まないまま騎士団長のルートを開いたところで山賊事件は終わりを見たのだった。

 

(こんなイケメンなんてどぉぉぉおおおでもいいですわー)

 

 復讐も逆襲も望まない、むしろその逆こそを待ちわびる元悪役令嬢メルナスだったが、原作を離れても変わらず、彼女の思うように事は運ばないらしかった。

 

 



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運命の出会いですわ!!

 サバート村と比べればグレースの街は十分に発展している。メルナスがかつて通っていたクローディア学院がある王都とは比べるべくもないが、それでも懐かしめる程度には都会だと言える。

 

「子供たちへのお土産はやはりお菓子がいいですわよね」

「いくら懐が豊かになったって言っても、あんたの基準で選んで大丈夫か……? また清貧すぎる生活に逆戻りするのは勘弁だぞ」

「そこまで金銭感覚ぶっ壊れていませんわよ。それにもしまた生活が厳しくなりそうならその前に金策は考えますわ」

 

 幸いにしてメルナスには前世の知識のおかげで一儲け出来そうなアイデアは無数にある。公爵家に置き土産としてそのいくつかを残してはきたが、それでもまだまだ実現可能な物は多く残っている。

 現状の生活に不満がないため、わざわざそれを形にしようとは思わないが必要であれば前世と今世の知識を総動員して教会を立て直す気でいた。

 

「シスターが金策なんてしたら目をつけられそうなもんだけどな」

「その時は追い出されたことにするだけですわ。子供たちが巣立った後、教会での生活を悔やむことにはしたくありませんもの」

「流石は元ご貴族様。ご立派なことで」

「家を守り、家族を愛おしむ。当然の事ですわ。フェルさんと同じですもの」

 

 今更フェルの皮肉めいた口調に腹を立てることも興奮することもなく変わらない口調で返しつつ、メルナスはお目当てのお土産を探して街中を進む。フェルはむず痒そうにして、その後に続いた。

 

「やっぱり村では見かけないものもたくさん並んでますわねー。せっかくですから食材も買っていきましょう」

 

 最初に目についたのはお菓子ではなく、野菜と果物が立ち並ぶ露店だった。

 村では見る事のない南国の作物も多く並んでおり、メルナスはそれを眺めて明日の食事のメニューは何にしようかと思案する。

 

「おやシスターのお嬢ちゃんじゃないか。うちに寄ってくれるなんて初めてだねえ」

 

 メルナスの背後で呆れ顔をしていたフェルに気付き、店主の男性が声を掛けた。

 街に何度も訪れたことのある修道服を着た子供、と見間違える体躯のフェルを覚えていたらしい。

 

「どんなゲテモノを売り付けられるか分からないからな。これとか何だよ、本当に食えるのか?」

「いやいや女神様に仕えるお人に滅多なもんを売り付けたりしないさ。それは南国の珍しい果実でな、味は保証するぜ?」

 

 どうやらこの街でも珍しい輸入品を取り扱う店のようだ。

 前世の知識からすんなりと受け入れていたメルナスだが、確かに公爵家でも食卓に並ぶ事がないような食材が並んでいた。

 

「パイナップルにバナナ、それにキウイにマンゴーですわね。どれも甘くて美味しいですわよ?」

「おっ、見ない顔だけど新入りさんかい? その通りだ、よく知ってるねえ」

 

 どれもこの辺りの気候で育てるのは難しいものばかり。フェルが怪しんで近づかないのも無理はないラインナップだが、メルナスには魅力的な食材の宝庫だ。

 

(子供たちの事を考えて栄養を重視したメニューばかりでしたけど、それに付き合う(わたくし)の肉付きが少し心配になりますし、(わたくし)とミケさんの分だけでもダイエット食にしてもいいですわね……)

 

 実は順風満帆すぎてお腹周りが不安になっていたメルナスだった。何故そういう普通の女の子らしい面もあるのにこんなのになってしまったのか。

 

「まあ、お前が言うなら信じるけどよ」

「お、デレ期ですわね」

「意味は分からないけど馬鹿にしてるだろ」

「いえいえ。素敵な先輩だと褒めているんですわよ」

「やっぱり馬鹿にしてるだろ?」

 

 店先で痴話喧嘩を繰り広げているにも関わらず店主は心広くも微笑ましく見守っていたが、ふと思い出したように口を開く。

 

「そういえば神父様が逃げて大変だって聞いたけど大丈夫なのかい?」

「心配されるような事はない……けど、なんで知ってるんだ?」

 

 この街の人間にまで逃げた神父の噂が広がっているとは思わず、フェルが聞き返すと店主は隠すでもなく教えてくれた。

 

「あんたらの所の領主様が酒の席で話してたのを聞いてね。今思い出したんだ」

「あの野郎、普段は寄り付かないくせに……」

「滅多なことは言うものじゃありませんわよ。ご心配なく。今、本部に新しい神父様を派遣するようにお願いしているところですわ」

 

 ただし状況は芳しくないが。という事実を隠してメルナスが微笑む。

 お金の問題は解決したとはいえ、そもそもきっかけを作ったのは公爵家。悪気はなかったとはいえその事実に思う所もあるらしく、あまり他所から突っ込まれたくはないらしかった。

 

「そうかい? それなら安心だな。酔った勢いとはいえ神父がいない教会なんて取り壊しちまえーなんて言ってたらしいからよ」

「ええ。すぐにでも新しい神父様がいらっしゃりますわ」

 

 おほほ、と愛想笑いを浮かべたメルナスはいくつかの果物を見繕い、購入するとすぐに路地裏でフェルと顔を突き合わせた。

 

「聞きましたか?」

「ふざけた事言ってくれるな、あの馬鹿領主……!」

「酔った勢いとは言ってましたが、早急に対策を練った方がよろしいかもしれませんわ」

「ああ。シスター長に相談しよう」

 

 領主の思い付きと勢いで家と家族を壊されるわけにはいかない。

 頷き合い、手早く子供たちのお土産を見繕って二人はすぐに村へと戻ることにした。

 しかし運命の悪戯か、二度、三度と華麗に破滅を乗り越えてきたメルナスの下に新たな不運がドスンドスンと足音を立てて現れる。

 

「げっ、メルナスっ、止まれっ!」

「はい?」

 

 曲がり角を抜け、馬車を預けた馬舎まで後少しという所で何かに気付いたフェルが叫ぶ。

 隠れるように角の影に戻ったフェルを振り返ると、メルナスの向こうを見つめて表情を顰めていた。

 一体何が、と視線の先を追うと行き当たったのは一件の宝石店とその店先で存在感を放つ巨体であった。

 

「こちらなんて如何でしょう? 王都で大変人気な職人が手掛けた一点物です。これを贈られて喜ばない女性はいません」

「ゲフフ、そいつは良い。プレゼントにぴったりだ、ゲフフ」

 

 特徴的な笑い声(安易なキャラ付け)の巨体は豚のように肥え太った人間だった。

 清潔感は欠片もないが、衣服と装飾だけは上等な物を身に着けている。明らかに貴族の身なりだ。

 

「噂をすればっ、あいつが馬鹿領主だ。見つかってぐちぐち言われるのも面倒だ。隠れてやり過ごすぞっ」

「え、ええ……」

 

 フェルに強引に腕を引っ張られ、そのまま影から様子を窺うメルナス。

 成程、馬鹿領主と呼ばれるのも頷ける、一目で分かる馬鹿っぷりだ。

 

「確か領主、ブルベック子爵家は元は商家の成り上がり貴族でしたわね」

「ああ。この国では男爵位は金で買えるからな。先々代が爵位を買って、先代と二人で経済発展の功績がどうのこうので子爵にまで成り上がったんだ」

「そう……ろくでもない方ですのね」

 

 もう会う事は叶わないがさぞ商人として優秀だったのだろう。

 母国では余程の功績を立てない限り、平民は貴族にはなれない。そのせいで下手な貴族よりも裕福な商家の方が金を持っている、なんてことにもなっているのだが。

 聞いた話では先代が亡くなった後、あの領主はこの国の王都にある商会の運営を部下に任せたそうだ。そして領地に戻ったはいいものの運営は執事に任せきりでああして遊び歩いている。商会も利益は上げてこそいるものの伸び悩んでおり、とんだろくでなしであることに間違いはない。

 そんな豚のように肥えた貴族を前にメルナスは、

 

「素敵ですわ……」

 

 トゥンクと胸が高鳴っていた。

 

「はぁ!?」

 

 聞き間違いか、いや明らかにフェルが見上げたメルナスの表情はうっとりととろけている。信じられないものを見たと思わず叫び声を上げたが、それがいけなかった。

 騎士団支部前での騒ぎの比ではない大声に周囲からの注目を集め、その中には問題の馬鹿領主の視線も混じっていた。

 しかも宝石店から離れ、ずしずしと地響きを鳴らしながらメルナスたちの方へと近づいてきている。

 

「やべ……っ」

 

 慌てて頭を引っ込めてももう遅く、メルナスに至っては隠れるどころか体を前に出していた。

 

(豚と見紛う非人間的なシルエット、ここまで聞こえてきそうな鼻息荒そうな顔、どうやって体を支えているのか分からないほどの脂肪……これは……)

 

 その感想でどうしてあんな世迷言が口から飛び出すのか理解不能である。

 ゆっくりと歩み寄る馬鹿領主改め豚領主をじっくりと観察していたメルナスに影が落ちる。眼前にまで近づいてきた豚領主の影であった。

 

「んんーっ? シスターのようだが街では見ない顔だなぁ……? 君のような可愛い娘を見たら忘れるはずないんだが……ゲフフ」

 

 普通の女性なら嫌悪感が溢れ出し、鳥肌が立つのを止められない視線でメルナスの上から下までを鼻息荒く、舐めるように眺めた豚領主の発言だが、メルナスは目を逸らすことなく豚領主に負けず劣らずじっとりと粘着質な視線を全身に向けていた。

 

(成り上がりの三流貴族、イエス! 脂ぎった肌、イエス! でっぷりと出たお腹、イエス! 厭らしい下種な視線、イエス! どぅへへへ……これは……運命では……?)

 

 どこに運命を感じる要素があるのか。どうしてその胸の高鳴りをクラウド相手に鳴らせなかったのか。

 まさか元悪役令嬢メルナス、限界性癖元お嬢様、新たな恋の予感……?

 

 



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出会ってしまった二人ですわ!

「ゲッフフフゥ……」

(ぐっふふふふぅ……!)

 

 互いが互いに気色悪い笑い声を内と外で漏らしながら、メルナス(バカ)豚領主(バカ)が相対する。ガチ恋距離もかくやの距離間である。

 ちなみにそれを眺める周囲の女性陣はもしメルナスの立ち位置が自分だったらと考えて鳥肌が止まらなくなっていた。

 

「お、おいっ、いつまでも突っ立ってないで行くぞっ!?」

 

 今更遅いと知りつつ、この状況はまずいとフェルが再びメルナスの手を引き、豚領主の脇を通り抜けようとするがメルナスはびくとも動かない。

 そしてフェルが前に出た事で豚領主の推測に確信を与えてしまう。

 

「むぅ……? 誰かと思ったら田舎村のガキシスターじゃないかぁ……ふーん、それじゃあ君は村の教会の新入り……ああ! そうか、君が追放されたとかっていう元公爵家の……ふーん……?」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんわ。村についてすぐに伺ったのですけれど」

「ゲフフ、あんな何もない村には居られないからねえ……でも君みたいな娘が来るって知ってたら待っていても良かったのになあ……まったく爺は気が利かなくて駄目だなぁ……」

 

 口ぶりからして今の今まで公爵家の使いが出向き、説明していた事を忘れていたのだろう。国が違えど貴族であれば考えられないことだが、そんな常識も彼には通じないらしい。

 

「改めまして、シスター見習いとして村に住まわせてもらっております、メルナスですわ。どうかよろしくお願いいたします」

「ゲフフ、結構結構。流石元貴族、態度がしっかりしてるねぇ……」

 

 深々と礼儀正しく頭を下げたメルナスに豚領主ことブルベック家現当主、プルーキーの好感度はうなぎ登りである。

 ひょっとするともしかすると、このまま二人が良い仲になった方が誰にとっても幸せ……なのかもしれない。

 

「自分の住まう村の領主様ですもの。礼儀を尽くすのは貴族でなくとも当然のことですわ」

「グフっ、いいねぇ……気に入っちゃったよ」

 

 馴れ馴れしく肩を抱いたプルーキーだが、メルナスもそれを拒絶せず、にこやかな笑みを浮かべるだけだ。

 本当の本当にメルナスの好みドストライクでその全てを受けいれてしまっている、かと思われた。

 

(うわっ、くっさい、汗くっさい。息もくっさぁー、はぁーくっさ、くっさい、くっさいですわぁ……)

 

 しかしどうだろう。

 内心のメルナスは嫌悪感を隠そうともしていない。

 やはり元は貴族の公爵令嬢。イケメン相手に肥えた美的感覚では豚は受け入れられないのか。

 

(こんなブッサイクの放し飼いされてるような豚野郎に触れられていると思うと……はぁぁあん! たまんねーですわね!)

 

 単にいつもの如く拗らせた性癖をしているだけだった。

 つくづく業が深い元お嬢様である。

 

「ゲフッ、一緒に食事でもどうだい? 領主として領民とは仲良くしたいからねぇ……」

「あら、よろしいんですの? それでは──」

 

 申し出をありがたく受けようとしたメルナスだが、その間にフェルが割り込む。

 プルーキーのお腹に触れてしまった腕を修道服に擦りつけつつ、メルナスの手を引いた。

 

「申し訳ないですけどっ、あたしらこれから村に戻るところなんで。シスターがあまり長く教会を離れるわけにはいけないんでっ」

「んぅ? お前、まだいたのか。だったらお前一人で戻るといい。彼女は僕が送っていってあげるからさぁ」

「あたし、こいつの先輩なんで。まだまだ教えなきゃいけないことがたくさん残ってるんですよ。……いくぞ」

 

 有無を言わさず、メルナスを連れてフェルが離れていく。メルナスは去り際にもにこやかに礼をして、されるがままに引かれていく。

 プルーキーは不満気であったが追う事はせず、メルナスの後姿に下卑た視線を送り続けていた。

 

「追って来ねえな……はぁ……お前、何考えてんだよ……」

「何、とは? 領主様相手なのです、礼を失してはいけないでしょう?」

「それはそうだが、なんかあれのこと素敵だとか何だとか言ってただろ……正気か?」

 

 あんなのでも領主。余計なもめ事や怒りを買うような真似を避けるべきなのはフェルも同意だ。

 フェル一人では自分を抑えられず、厄介なことになっていたかもしれない。

 だが、メルナスの口から零れ出た呟きから考えるにそれだけではなさそうなのが問題なのだ。

 

「ええ、まあ。今まで会った殿方の中で一番かもしれませんわ」

「嘘だろ……? お、落ち着いて考えろ? 目を覚ませ? あんな豚みたいな野郎だぞ? 貴族って言っても公爵家とは比べものにもならないような木っ端貴族の子爵家の馬鹿息子だぞ?」

 

 胸ぐらを掴んで揺さぶり、正気に戻れと訴えかけるフェル。メルナスは絞まる首の感覚にうっとりと現を抜かしていた。駄目だこいつ。

 

「うふふ、だからいいんじゃありませんの……」

 

 高貴な生まれの自分が成り上がりの木っ端貴族と。想像しただけで滾ってしまいますわ、とメルナスは体をくねらせる。

 フェルは信じられないものを見るような目で固まり、額を押さえた。

 

「まあまあ。(わたくし)の事はいいではありませんか。それより早く村に戻るとしましょう。さっきの様子だと本当にお酒の席での妄言でしかなさそうでしたが、情報を共有するのに越したことはありませんわ」

「あ、ああ。……本気かよ……」

 

 未だ納得できない様子のまま、メルナスが操る馬車はフェルを乗せて村へと引き換えしていった。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 教会へと戻り、子供たちにお土産を渡した後、メルナスたち、三人のシスターが別室で三者三葉の表情で向き合っている。

 

「そう。領主様がそんなことを……」

「あんな領主の言う事なんざ聞く耳持つ必要ないとは思うけど、一応は」

「フェルさんは知っているとは思いますが、この教会は先代の領主様がお建てになったもの。管理こそ教会本部が行っていますが土地も建物の権利もブルベック家が所有しています。私たちが此処に居られるのは領主様のお慈悲があってこそなのですよ?」

 

 と、ここでメルナスが知らない事実が明かされた。

 てっきり国の支援の下で教会が建てたものだとばかり思っていたが、そうではないらしい。

 

「元々は先々代の領主様が親を亡くした子供たちの為に孤児院を建てたのが始まりでした。それに村に立ち寄った教会関係者が感銘を受け、子供たちに読み書きを教えている内に教会へと変わっていったのです」

「そうだったんですの。ご立派な領主様だったのですね」

 

 子爵へと家格が上がったのもそういった慈善活動と教会の後押しがあったのかもしれない。

 しかし、そうなると現領主の発言も妄言だと切り捨てられないものになってくる。

 

「いくら権利を所有していてもフローレンス教は国の支援を受ける国教。一存で取り壊すことは出来ないはずですわ。……でも新しい神父様の件でも反応がないことから、教会の本部は当てには出来ませんわね」

 

 この国でも隣の国でも、貴族の一存で取り壊すようなことをすればそれは神へ唾吐くに等しい暴挙だ。そう簡単に出来ることではないが、本部も忙しいのか、それとも国の外れの僻地の事など捨て置いているのか。現状では分が悪いのはこちら側だった。

 

「やはり一度王都に直接出向くべきではありませんか?」

「どうだかな。シスター長が来て以来、向こうからは一切音沙汰無しだ。行っても知らんぷりで門前払いされても不思議じゃないぞ」

「……もう一度、今回の件も踏まえて手紙を送ってみます。信じて返事を待ちましょう」

 

 前世も今世もメルナスは敬虔な信徒というわけではなかったが、まるで神に見捨てられたような環境だ。

 実際に見捨てたのは神ではなく人だろうが、宗教の世界も貴族社会と同じで腐る所は腐っているようだ。

 

「いざという時は(わたくし)にお任せくださいませ。どうやら領主様も(わたくし)を気に入ってくださったようなので」

「バッ、お前シスターだろ!?」

「あら、何も言っていませんが、シスターだといけないようなことを想像したんですの?」

 

 万が一()()()()()()になったとしてもメルナスと教会にとっても領主にとってもwin-winなのだが、前回の誘拐事件の一件があるので今度こそ許してもらえないだろうし、認めないだろう。

 だからこの世界にセクハラという言葉はないが、前世であれば一発アウトな発言でフェルを煙に巻く。顔を赤くしたフェルは知るか! と部屋を飛び出していった。

 

「メルナスさん。自分を犠牲にする方法ばかりを考えてはいけませんよ」

「そんなつもりはありませんわ。(わたくし)(わたくし)が最良と思う選択をしているだけですわ」

「……」

 

 物言いたげに、しかしミケは押し黙った。

 ここだけを見れば間違った自己犠牲を良しとする歪んでしまった主人公を心配するも借りがある為に強くは言えない上司、結果的に主人公の選択が大きな過ちを呼ぶことを暗示するシーンにも見えるがそんなシリアスな展開は訪れない。

 一度痛い目を見るべきだと思うがそもそも痛いのでも悦ぶのでもう誰でもいいからどうにかして懲らしめてもらいたい。



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襲来ですわ!

 その日、子供たちが寝静まった夜更け。

 シスターミケの寝室の窓を叩く音が静かに響く。

 こんな時間に、それもシスターの寝室を訪れるなど普通の人間がすることではない。ミケは警戒し、手近にあった箒を手にしてカーテンを開いた。

 

「セバスティンさん……?」

 

 夜中の来訪者はミケも良く知る、先々代の頃よりブルベック家に仕える老執事、セバス。

 警戒を解き、窓を開くとセバスは紳士的に頭を下げた。

 

「こんな時間に女性の寝室を尋ねる御無礼をお許し下され。ですが内密にお伝えしたいことがございまして……」

「まあ、一体何が?」

「我が主、プルーキー様の事にございます」

 

 領主の名が出て、ミケは昼間メルナスたちから聞いた話を思い出し顔を青くした。まさかこんなに早く、まだ教会本部へ手紙を出してもいないのに、と。

 

「今日の夕方、主が屋敷にお戻りになられました。明日、こちらに伺うこととなるでしょう」

「その、ご用件は……? このエクィナス教会をお取り壊しにするというお話でしょうか?」

 

 しかしセバスは首を横に振った。

 そうではない、では信心深いわけではない領主様が一体何の用で? そこまで考えて、他に用があるとしたら一つしかない。

 

「シスターメルナスの事でございます。主は街で偶然お会いになられたシスターメルナスを大層気に入られたご様子で……彼女をメイドとして雇いたいと仰っているのです」

「そんな、メルナスさんを?」

 

 ミケもこの国の王都からやってきた。当初は田舎者嫌い都会好きの領主からしつこく絡まれていた辟易した記憶はある。

 けれどメルナスと会ったその日にグレースの街から村に戻るほどの気に入りようだったとはメルナスたちの話からは想像していなかった。

 礼儀を知りながらも位や立場で人を見ないのはミケの美徳だが、元公爵令嬢というメルナスの属性を甘く見ていた。そういう箔がついた美女こそプルーキーが最も好む人種なのだと気付けなかった。

 

「私では主様を止めることは出来ません。ですがご存知の通りこの教会の権利はブルベック家の物。拒否すればどうなるか……」

 

 セバスが非情な通告をしに来ただけではないことをミケはすぐに悟る。

 メルナスの事を思うのならば身を隠せ、暗にそう言っている。あの我儘な領主が思い通りにならないことがあれば自分に当たられることも承知の上でミケや子供たちを助ける為に行った献身を聞き、彼女をメイドとすることを良しとしなかったのだ。

 

「お伝え下さりありがとうございます、セバスティンさん」

「いえ、私に出来るのはこれぐらいなものです。遅くに失礼をしました。まだ夜はお寒い、風邪など引かれませんように……」

 

 華麗な一礼をし、セバスは去っていった。

 その後ろ姿を見送り、ミケは決意を秘めた表情でメルナスとフェルの寝室へと向かった。

 ノックを二度、返事を待たずして扉を開くと寝静まっていたメルナスの布団を容赦なく引き剥がした。

 

「メルナスさん、起きてくださいっ!」

「うぉわさぶなに!?」

「あ、間違えました」

 

 寝込みにいきなり布団を剥ぎ取られ、混乱して飛び起きたフェルに自分の頭をコツン。あざといが様になっている。

 とばっちりのフェルは不憫ではあるが。

 

「なんですの騒々しい……」

 

 対してメルナスは隣の騒ぎで意識を覚醒させたがフェルと違って心臓に悪い起き方ではない。こんな所でも悪運の強さを発揮していた。

 

「メルナスさん、大変なんです」

「ふぁああ……シスターミケ、夜更かしはお肌の大敵ですわよ……?」

「それどころではありませんっ。明日、領主様がメルナスさんをお訪ねにやってくるそうなんです」

「なっ、それってまさか……!?」

 

 寝ぼけ眼を擦るメルナスを余所に、すぐに事態を把握したフェルは忌々しげに顔を顰める。

 メルナスを叩き起こしに来たということは──実際叩き落とされたのはあたしだが──間違いなく昼間の邂逅に関係する何かがあったということだ。

 

「あなたを屋敷のメイドとして雇いたいと仰っているそうです。セバスティンさんが教えてくださいました」

「はぁ、(わたくし)をメイドとして……」

「寝ぼけてんな! あいつのメイドなんて婆さんぐらいしか残ってない、そんなところに行ったら何されるか分かったもんじゃないぞっ」

「そうですメルナスさんっ、起きてください!」

 

 フェルとミケ、二人に前後左右に揺さぶられ、渋々メルナスは意識を覚醒させる。

 休める時に休む、それは前世のOLも今世での公爵令嬢も変わらない必須のスキル。以前ほど時間に追われる生活ではなくなり、少し気が抜けていたメルナスは時間が掛かったが自らの両頬をバシンと打つと顔を赤くしながらも瞬時にいつもの表面上はキリッとした顔を取り戻す。

 

「ふぅ……さっそくのご指名とは、本当に気に入ってくださったようですわね」

「教会の権利書を盾にされてしまえば私たちではメルナスさんを庇うことは出来ません」

「構いませんわ。エクィナス教会そのものとシスター見習い、どちらを取るのが最良の選択かなんて分かり切っていますもの」

「いいえ。大恩あるメルナスさんを望まぬ場所へ行かせるつもりはありません」

 

 本人としても望む所ではあるのだが、そうとは知らないミケはメルナスの両肩を抱き、真剣な表情で語る。

 その優しさは他に向けた方が世のためなのだが。

 

「領主様がいつ訪れるかまでは分かりません。ですから今からメルナスさんには身を隠してもらいます。メルナスさんがいなくなったことにしてしまえば領主様も諦めになるはずです」

「そうは言いますが狭い村ですわ。領主様から隠れられる場所なんてありますの?」

 

 もしも匿っていると知れたら協力者もただでは済まない。そんな危険な役目を村人に押し付けるとは思えず、かと言って誰も知らない地下室などない教会では隠れようがない。いないと言い張ってもまず真っ先に教会内を家探ししそうなもの、現実的な案とは思えなかった。

 まだ人の心が残っていたメルナスはミケの気持ちを無下には出来ず、方法がないと諭せば諦めてくれるだろうと提案自体は拒絶しなかったが、ミケは自信満々に答える。

 

「あります。とっておきの場所が」

「……まさか本当に地下室が?」

「いえ、そんなものはどこの教会にもありませんが?」

 

 ちょっぴり期待していたメルナスは裏切られた気持ちになった。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 明朝。

 ミケの迅速な判断は正しく、領主プルーキーはセバスを供に朝早く教会を訪れていた。

 

「やあシスター長、久しぶりに見たがやはり君も中々の容姿をしているねぇ……」

「おはようございます、領主様。こんな朝早くにどのようなご用件でしょうか?」

 

 ミケにしては珍しい硬い表情。かつて言い寄られた経験から嫌悪とまでいかなくとも好ましくは思えないらしい。それでも十分に慈悲深い心の持ち主だと言えるが。

 

「いやなに、此処に新しくやってきたシスターがいるだろう? メルナスと言ったかな」

「はい。……いいえ、おりました、というのが正しいですね」

「むぅ?」

「メルナスさんは昨晩の内にこの教会を去りました」

「……どういうことだね?」

 

 一気にプルーキーの機嫌が悪化したのが伝わる。言い寄られ、拒絶する度にもそうだった。感情の起伏が激しい、まるで子供がそのまま大きくなったような性格に困り果てた。

 

「元貴族様にしてはよく耐えた方ですが、お嬢様に教会暮らしは難しかったってことですよ」

 

 礼拝堂の奥から現れたフェルが皮肉交じりにミケの言葉を捕捉する。

 子供を嫌うプルーキーにその見た目から邪険にされているフェルの登場にさらに機嫌が悪くなったが、ミケ一人に相手させるよりもそちらの方が説得力も増し、怒りの矛先も分散するだろうという考えからだった。いわゆるヘイト管理、ターゲット誘導である。

 

「子供が口を挟むものじゃないなぁ……」

「誰が子供だっ! ……ですか。あたしは立派なシスターです」

 

 感情の起伏が激しいのはフェルも同じだが、メルナス(家族)を思いぐっと堪えた。偉い。

 

「部屋にこんな書き置きが残されていました」

 

 ミケが取り出したのはデカデカと『実家に帰らせていただきますわ!!』と書かれた羊皮紙だった。証拠としてメルナスに書かせたものだ。『こんな教会に居られませんわ! 私は自分の家に帰らせていただきますわ!!』との二択でこちらが選ばれた。

 

「追放された貴族に帰る実家などあるものか。匿っているんじゃないだろうな?」

「まさかそのようなことは。領主様がどのような用件でいらっしゃっているのかも分かりませんし、匿う理由などありません」

「むぅ……」

 

 余計なことばかりする執事が告げ口をしたのかとプルーキーは己の背後を睨んだが、セバスは動じず静かに佇むだけだ。

 

「こんな寂れた教会で追放後の人生を歩むのは気の毒だろうと僕がメイドとして雇ってやろうと思ってね」

「それはまた。領主様に慈悲を向けられているとも知らずに逃げ出すなんてまったく礼儀知らずな奴ですね」

「……口を慎みたまえよ、君に話しているわけではないんだ」

 

 肩を竦めて白々しく言うフェルを睨むと、納得していない様子のプルーキーは礼拝堂の中を見渡し、

 

「夜に女一人で外に出るとも思えない。ひょっとすると隠れているのかもしれない。探させてもらうとしよう」

「プルーキー様、教会内を家探しするなどそれはあまりに恐れ多い事でございます」

「ええいうるさい! 僕は領主で、この教会も僕の物だ! 自分の物を好きにして何が悪い!?」

 

 セバスの言葉に激情し、厳しく叱責するプルーキーをミケが慌てて止める。

 忠告してくれたセバスが責められるのを黙って見ていることなど出来なかった。

 

「おやめくださいっ。領主様、お好きにお探しになってください。けれど教会には子供たちもいます。どうか乱暴な真似だけはしないようにお願いいたします」

「ふん、だったらちょろちょろして僕の邪魔にならないようによく言っておけ!」

 

 ズンズンと教会全体が揺れているのではないかと錯覚する地響きを鳴らし、プルーキーはずかずかと礼拝堂の奥へと踏み込んでいく。

 

「フェルさん、子供たちをお願いします」

「分かった。ガキどもには指一本触れさせない」

 

 ミケは頷き、セバスと共にプルーキーの後を追った。

 絶対に見つからない自信はある。けれど、それでも女神に祈らずはいられなかった。



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初体験ですわ!

 それから小一時間、プルーキーは教会内をドスンドスンと歩き回ったが結局メルナスは見つからない。

 プルーキーは納得していないようだったが、メルナスが戻ってきたらすぐに報告するように捨て台詞を吐いて去っていった。

 フェルはその背中を舌を出して見送り、ミケはほっと胸を撫で下ろす。

 

「上手くいったな」

「ええ。これで諦めてくれれば良いんですが……あの様子だと想像していた以上にメルナスさんを気に入られたようですね」

「シスター長が来た時も言い寄って二、三日は村に居座ってたからな。暫く昼間は隠しといた方がいいだろ」

 

 領主が村に滞在することを居座ると表現するのはいかがなものかと思ったが、ミケは咎めることはしなかった。

 プルーキーがメルナスを諦めてほしいのはミケも同じ。そのためにも関心が村からまた街へと戻ってくれた方が都合が良かった。

 

「そうですね。もう少しメルナスさんには我慢してもらいましょう」

 

 プルーキーがとりあえずは去った事と大事を取って今日も夜まで隠れているようにと伝えるため、二人は教会の裏手へと回る。

 そこは村の共同墓地になっており、無数の十字架が並んでいる。飢饉や事故で寿命を待たずして亡くなった村人、天寿を全うし安らかに眠った村人、理由は様々だが村で亡くなった人々は全員がそこには眠っている、のだが。

 木で出来た十字架の並びの端、一つだけ明らかに材質の違う木で作られた十字架が一つ。

 

「コーホー……コーホー……」

 

 竹によく似た木で作られたその十字架は中の節が削られており、何やら不気味な呼吸音のようなものが奥から聞こえてくる。

 その音に動じず、フェルは竹筒の中を覗き込んで声を投げかけた。

 

「おーい生きてるかー」

「コーホー……ええ、生きていますわ……コーホー……生きたまま棺桶に入るなんて思いも……コーホー……しませんでしたわ……コーホー……」

「そいつは貴重な経験だな。あたしは御免だけど」

「ええ……コーホー……貴重な初体験を味わっていますわ……コーホー……」

 

 音の正体は竹筒で出来た十字架を呼吸穴にして、生き埋めにされたメルナスであった。

 ミケが選んだ隠れ場所。それは共同墓地の地面の下である。シスターが選ぶにはいささか冒涜的な気もするが、緊急時につきシスター長ミケの中でGoサインが出たらしい。

 

「でも暗くて狭くて……コーホー……これはこれで良い感じですわね……コーホー……」

「空気足りてないのか?」

 

 メルナスの妄言を酸素の欠乏によるものだと勘違いしたフェルは心配そうに言うが、その意図しない辛辣な発言がよりメルナスの興奮を高めていた。本当に無敵だなこいつ。

 

「馬鹿領主はとりあえず帰ったけど、暫く村には残りそうだ。とりあえず日暮れまではそこで辛抱してろ」

「コーホー……あと数時間も一人で土の中に置き去りですか……コーホー……」

「辛いかもしれませんが耐えてください、メルナスさん」

 

 申し訳なさそうなミケだが、棺桶に入る時も上から土を掛けられる時もメルナス本人はノリノリだったことに気付いて欲しい。きっと十字架に磔にしても悦ぶだろう。

 

「コーホー……でもちょっと喉乾いて来たので水を筒から流し込んでくれません? 何ならフェルさんから出た水でもコーホー……」

「馬鹿か、溺れ死ぬぞ? 一緒に水筒入れてやっただろ」

 

 幸いにも後半は呼吸音で途切れ、聞こえなかったためにフェルは真面目な返答を送った。もういっそ十字架抜くか砂でも流し込んでやるべきである。

 

「時間になったら掘り起こしてやる。ま、明日の朝にはまた入ってもらうけどな」

「新手の拷問ですわねコーホー……滾りますわコーホー……」

「冗談言える元気があれば大丈夫そうだな」

 

 頭の方は大丈夫じゃないですが。

 生き埋めという新たな性癖の境地を開拓しつつ、とにもかくにもプルーキーをやり過ごしたメルナス。このまま何事もなくほとぼりが冷めればいいとメルナス以外の誰もが願っていた。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 翌日。

 メルナスは再び自分が埋まる為の穴を掘り返していた。拷問にも等しい苦行のはずだが汗を拭う彼女の表情はとても晴れやかで満ち足りた笑顔だった。

 作業の直前、子供たちの教育を考えてか、「いいですの? 絶対にこの穴の中に砂とか水とか入れてはいけませんわよ? 絶対の絶対ですわよ?」と空気穴が開けられた十字架を持ってしつこく言い含めるその姿はクソ野郎と言う他ない。なお子供たちはみな良い子なので素直に言う事を聞いていた。

 

「おいメルナスっ、大変だ!」

「えっ、まさかもう来たんですの!? いけませんわすぐに(わたくし)を埋め立ててくださいまし!」

 

 と、教会の方から慌てた様子でフェルが駆けてきた。

 メルナスはスコップ(シャベル)を放り出し、棺桶を穴に落として飛び込んだ。そのまま二度と這い上がって来なければいいのに。

 

「そうじゃない! あのクソ野郎、本気で教会を潰す気になりやがった!」

「……詳しく聞かせてくださいな」

 

 穴から顔を出し、神妙な顔つきでメルナスは尋ねた。

 

「それとそこに立てれるとスカートの中丸見えですわふぎゅんっ!」

「真面目に聞け馬鹿!」

 

 顎を蹴り上げられ、親指を立てながらメルナスは穴の中に沈んでいった。やはりこのまま埋めるかプルーキーに差し出すべきでは?

 ふざけてる場合ではないとメルナスをシャベル(スコップ)の先端を掴ませて引き上げると、フェルが事情を説明してくれた。

 

「さっき執事の爺さんが伝えてくれたんだが、父親の書斎を漁りだしたらしい。多分、教会の権利書を探してるんだろうって」

 

 重要な権利書が何処にあるのかも分からない杜撰な管理に呆れるが、僅かでも猶予が出来てその間に伝えてくれたのであればありがたい。

 しかし、権利書が見つかればメルナスたちではどうすることも出来ない。教会本部への手紙は今日出したばかり、対応は見込めない。

 

「それは困りましたわね……ミケさんは?」

「爺さんと一緒に屋敷だ。説得するつもりでいる。もっと早く本部に直接出向くべきだったって責任感じてるみたいだったからな……」

「それは対応が遅い本部が問題ですわ。まったく、一人で乗り込むなんて無茶をしますわね……」

「お前が言うんじゃねえよっ」

 

 自分のしたことを棚に上げるメルナスにフェルは怒りを示したが、どこ吹く風でそれを受け流す。

 執事のセバスがついている以上、危険な目には遭わないだろうが、だからといって話し合いで解決するとも思えない。

 話して分かるような相手にメルナスが運命を感じるはずもない。何を言っても無駄、人語を解しているかも怪しいような相手だからこそ、メルナスの胸はときめいたのだから。

 

「いいか? あたしはシスター長を追いかける。あんたは此処でじっとして、子供たちと居ろ。いいな」

「あら、今度は(わたくし)がのけ者ですの?」

「誰が狙われてるのかはっきりしてるんだ、当たり前だろ」

「それは残念」

 

 前回の事もあり、メルナスは大人しくフェルの言葉を聞き入れる。

 ここで自分が出ていき、身を捧げるのは容易い解決方法ではあるがそれは自分を守ろうとしているミケとフェルに対する裏切りだ。

 それを良しとしない程度にはメルナスの良心は性癖に勝っていた。

 

「晩御飯までには帰ってくるんですのよー」

 

 気の抜けた言葉でフェルを送り出し、残されたメルナスは穴を埋め返して子供たちの相手をすべく教会の中へと戻っていった。

 

(こういうパターンってだいたい戻って来ないんですのよねー)

 

 台無しだなクソが。

 だがメルナスの予想と反し、ミケとフェルは夜を待たずして二人で教会へと帰ってきた、だがその表情は暗いものであった。

 俯き、修道服の裾を皺が付くほどに握りしめ、唇を噛みしめるフェルと顔を青くしたミケの様子から良い知らせを持って帰ってきたわけではないことを悟る。

 

「……領主様に教会からの立ち退きを勧告されました」

 



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計画通りですわ!

「もう一度、状況を整理しましょう」

 

 重苦しい雰囲気を払拭するようにメルナスが手を叩き、殊更に明るい声でそんなことを言いだした。

 無事に戻ってきた二人から事情を聞いた後でのことだ。

 

「領主、プルーキーはこう言いました「ゲーフッフッフ! 神父も美女のシスターもいなくなった教会なんてのはあっても邪魔なだけ! 取り壊して更地にしてしまうでゲス!」」

「……その声真似やめろ。無駄に似てて思い出して腹が立ってくる」

「失礼しましたわ。当然、それに反対したお二人ですが見つかってしまったブルベック家名義の権利書を突き付けられ、押し黙るしかなくなってしまう。そんな二人に明日の昼まで待ってやるから荷物をまとめておけ、そう言い放った、と。そういうことでしたわね」

 

 声真似などせずともそうした権力を傘に弱者を虐げるムーヴは元公爵令嬢のメルナスでも十分に様になっていた。ともかく、そういうことらしかった。

 

「諦めるしかないのでしょうか……」

「あんな奴の言う事なんて聞く必要ねえよ。絶対にねえ」

 

 諦めムードを漂わせるミケと気を持ち直し、反抗する気に溢れたフェル。

 対照的ではあるが、どちらも教会を諦めたくない気持ちは一致している。

 そんな二人にメルナスは二本の指を立てた。そして反射的にもう片方の手も二本の指を立てて顔の横に上げていた。Wピースやめろ。

 

「諦めない選択肢が二つありますわ」

 

 誰にもツッコまれず、咳払いを一つ入れて左手を下げたメルナスがその内容の一つ目を語った。

 

「まずは(わたくし)が素直に出ていく方法」

「却下に決まってるだろうが!」

「それは絶対に出来ません」

「そう言うと思いましたわ。これが一番手っ取り早く済みますのに」

 

 渋々でも承諾してくれれば気兼ねなく出ていくのに、と内心で落胆した。

 このまま強行し、教会が救われてもそれは二人の心に大きな後悔と蟠りを残す。それはメルナスにとっても望む所ではない。

 約一ヵ月、追放されたメルナスと家族同然の時間を過ごした二人と子供たちだ。彼女たちを悲しませたくはなかった。まだ人の心は残していたらしい。

 

「ではもう一つ。設立の経緯の関係でブルベック家が権利を所有しているとはいえ、本来であれば教会は教会本部の管理下にあるもの。権利書さえなければこのエクィナス教会も自然とそうなりますわ」

「そんな事は分かって……って、まさか」

「なら、なくしてしまいましょう」

 

 よりにもよってそれを元貴族のメルナスが提案するのかとフェルは絶句した。

 

「プルーキーに見つからずに権利書を盗み出して処分すればいくら教会の権利を主張したところで通りませんわ」

「せ、窃盗ではありませんかっ」

「では(わたくし)が大人しく出ていきましょう」

「それは……」

 

 そう言われてしまえばミケは黙り込むしかない。それも駄目、これも駄目、だけでは意味がないと分かっているからだ。

 

「バレなきゃ犯罪じゃありませんわ、と言っても納得しないでしょうから……教会を守る為に罪を犯し、その罪を一生抱えて生きていく、それが罰ですわ」

 

 溜息を漏らし、少しでもミケの罪の意識が和らぐようにとメルナスは詭弁を並べた。

 それでもやはり駄目だと言われればメルナスは反対を押し切り出ていくつもりでいた。

 いずれ起こりえたことかもしれないが、それをここまで急な話にしたのは間違いなくメルナスが原因。流石のメルナスであってもその罪悪感までは快感に変換出来なかったようだ。

 

(駄目って言ってくれても……いいんですわよ!?)

 

 けれど内心がこれでは悲壮感も何も感じない。どっちに転んでもメルナスの一人勝ちである。

 

「分かりました。皆さんを守る為ならば……!」

「決まりですわね」

「だとしてどうやってだ? あいつは今も屋敷に居座ってるし、もしかしたら権利書だってあいつの懐に入っているかもしれない」

 

 フェルの尤もな心配にメルナスは不敵に微笑んだ。

 何か秘策があるのかと期待したフェルだったが、

 

(わたくし)が出ていって彼の気を引きますわ。肌身離さず持っているのなら肌着ごと脱がせてしまえばよろしいだけのこと」

 

 こいつ、勝ちが転がり込むのを待つのではなく自分から勝ち取りにいきやがった。

 

「ぶっ、おま、そ、それって!」

「受け入れるのではなく戦う事を選んだ以上、勝ち方まで選んでいる余裕などありませんわ」

 

 勝ち方を選んでいないのはお前だよ。

 

「だからってそれじゃあ意味がねえだろ!」

「権利書を手に入れて処分する。それが早く済めば(わたくし)の貞操は守られますわ」

 

 メルナスは顔を真っ赤にするミケとフェルにいけしゃあしゃあと言い放つ。

 二人にはもうメルナスに反対するだけの材料はなかった。

 

(おぅふっ、おほっ、おほほっ、おーっほっほっほ! いいですわいいですわ! 世界が(わたくし)を中心に回ってきた感じしますわー!)

 

 悪役令嬢時代より悪辣としてるなこいつ。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 そうして彼女自身の思惑通り、メルナスは一人でプルーキーの屋敷を訪れた。

 もう着慣れた修道服の下には網タイツを着用し、準備は万全。

 いつかと同じどころか、鴨が葱を背負ってお鍋に火をかけるどころか取り分けてあーんまでする積極ぶりである。

 

「たのもー! ですわ!」

 

 堂々とした振る舞いで扉を叩くメルナスをミケとフェルは物陰からこっそりと窺っていた。

 メルナスがプルーキーと接触し、注意を引いたところでこっそりと侵入する手はずになっている。

 

「! これは、シスター、いえメルナスさん……」

 

 扉を開いたセバスがのこのこと現れたメルナスに目を見開いた。

 どうにかプルーキーを説得しようとしていた矢先、身を隠していたはずの本人が現れれば驚きもする。

 だがメルナスが現れたということはその身を捧げる覚悟をしてきたのだろうと察してしまう。それがミケたちも同意したのか、独断専行なのかまでは判断できなかったが。

 

「シスターメルナスで構いませんわ。少なくとも今はまだ、そのつもりでおりますので」

「……ではシスターメルナス、本日はどのようなご用件ですかな」

「一度は逃げ出しましたが女一人で国境を越えて母国に戻る事叶わず舞い戻ってきたら領主様が(わたくし)を雇いたいというではありませんか。メイドとはいえ教会暮らしより何倍も増し、是非そのお話を詳しくお聞かせ願いたいと思いましたの」

「そう、でしたか……」

 

 すらすらと語られるカバーストーリー。

 やはりメルナスは自らの身を犠牲に教会を救う事を選んだのだと確信し、セバスは思わず重苦しい声を返してしまう。

 そんな彼の気など知らず、メルナスはプルーキー様と会わせてくださいなと胸を張った。

 

「……承知いたしました。中へどうぞ」

 

 セバスは善人ではあり、同時に執事の鑑とも言える人物。事情を説明し、願い出れば恐らく協力してもらえるだろう。

 しかし、それはきっとセバスの心にまで罪悪感を生ませてしまう。これ以上他人を巻き込まず、教会の問題はシスターたちで解決する。それが三人で決めたことだった。

 

「失礼いたしますわ」

 

 セバスに悟られないように後ろ手に作戦通りに任せましたわ、とサインを送って、メルナスは屋敷の中へと消えていった。

 ミケとフェルも敷地の中へと侵入する。窓から中を窺うまでもなく、ドスドスと響く足音にプルーキーとメルナスが接触したことは伝わってくる。

 二人は頷き合い、静かに扉を開いて屋敷内へと忍び込むことに成功したのだった。

 

「ご無沙汰しております、ブルベック子爵様」

「おおっ、おお! これはこれはメルナス! 教会を出たと聞いて心配していたんだよぉ!」

「お恥ずかしながらこうして戻ってきてしまいました」

「いいんだ、いいんだ。てっきり僕はシスター長たちが君を匿っているんじゃないかとも思ったが、教会暮らしでは不満も多かっただろう。逃げ出すのも無理はないさ」

「はい……」

 

 来るまでに観察した屋敷内の調度品と比べても質の良い家具たち。メルナスは恐らくこの部屋が現当主であるプルーキーの書斎であると推察した。

 綺麗に整頓され、磨き上げられた室内は手入れが行き届いているというよりは使い込まれていないだけ。

 お下がりを嫌いそうな彼のこと、歴代の当主が使っていただろう部屋は使わずに新しく用意させたもの。主自身は街で遊び惚けるばかりで不憫なことだ。

 

(権利書は……机の上ですわね)

 

 机の上に丸められ転がった羊皮紙。どうやら権利書は無事見つかったようだ。

 

「急な訪問をお許しください。今朝、教会に戻った矢先に子爵様が(わたくし)を雇いたいと申しておられたと聞きましたの。それで藁にも縋る思いで……どうか浅ましい女と笑ってくださいまし」

「そうかそうかぁ! いや笑いなどしないさ。君は賢い選択をしたよぉ。僕のメイドとして教会などよりもよっぽど上等な生活が送らせてあげよう」

 

 元公爵令嬢以上の上等な生活など、それこそ王妃にでもならなければ送れはしない。

 メルナスの遜った態度と、この小さな村、隣の小さな街でお山の大将をしているプルーキーには想像もつかないのだろうが。

 

「ブルベック子爵様……!」

「子爵など他人行儀な呼び方はやめておくれよぉ。メイドとは言ったが家族も同然、どうかその綺麗な唇で、声で、僕の名前で呼んでおくれ」

「ああっ、プルーキー様っ、なんて慈悲深いお方なのでしょう! (わたくし)、こんなに感動したのは生まれて初めてですわ……!」

 

 瞳に涙を浮かべ、今にも抱き着きそうなほどに感極まった演技。

 原作主人公のリオネや元婚約者のライオットが見れば互いの頬をつねり合うことだろう。

 

(この(わたくし)に対して何たる傲慢! 不遜! ですがそれがいいですわ!!)

 

 しかもそれが演技ではないことを知ったら、リオネなど卒倒してしまうかもしれない。

 ある意味、悪役令嬢として追放されたことでリオネの中でメルナスの最低限の名誉は守られていた。

 まあ本人はその守られたはずの最低限の名誉を踏みつけて踊り狂っているのだが。

 

「それじゃあ僕たちの今後についてじっくり話そうと思うんだが、どうかな?」

「ええ、是非っ。どんなことでも()んでいたしますわ!」

「ゲフフっ、それは嬉しいねぇ……。おい、僕らはこれから大事な話をする。お前は席を外せ!」

「はっ、ですが、しかし……」

 

 下心が見え見えの顔でプルーキーはセバスを怒鳴る。

 良心から言葉を濁し、どうにかメルナスとプルーキーを二人きりにすることを避けようとしたセバスだが、そこで水を得た魚のように生き生きと余計な口を挟むのがメルナスだ。

 

「ああん、プルーキー様、あまり怒らないであげてくださいまし。此処はプルーキー様の大事な書斎。本来、新参者の(わたくし)がおいそれと足を踏み入れて良い場所ではありませんもの」

「何を言うんだ、そんなことはないさ」

「それに(わたくし)も緊張してしまいますわ。ですからもっと落ち着く場所でお話がしたいですわ。……たとえばそう、プルーキー様の私室なんていかがでしょう?」

 

 その言葉にもうプルーキーの鼻の下と鼻息は限界である。

 堪らず頷き、メルナスの腰に手を回した。

 

「そ、そそそうだねぇ! 確かに君の言う通りだ!」

「はい。ほら、その机の上の紙なんて、とっても大事な物なのではありませんか?」

 

 ミケたちはまだ入り口の辺りで息を潜め、この書斎での状況までは窺えないでいるはず。それを良い事にメルナスは最低の忠告をした。

 

「ああ、これかい? これは君を苦しめたあの教会の権利書さ。あんなものはなくしてしまった方がいい。祈りは何処ででも出来るんだからねぇ」

「まあ! そんな大切な物ならば肌身離さず持っていた方がよろしいですわっ。もしかしたら盗人が入らないとも限りませんし。ご存知でしたか? 最近、山賊なんてものが出たそうですよ」

 

 権利書を手早く手に入れられ、処分されてしまったら自分の望む展開にはならない。出来る限り手遅れになるようにという時間稼ぎである。本当に最低だな。

 

「おお、それは怖いねぇ。しっかりと持っておくことにするよ。でも大丈夫、山賊なんてものが出ても僕の力で追い払ってあげるからねぇ。……おい爺! お前は庭掃除でもしてろ! 誰も部屋に近づけるなよ!」

「……承知いたしました」

 

 メルナスの忠告にプルーキーは脂汗でびしょびしょになっているだろう懐に権利書を仕舞い込むと再びセバスを怒鳴る。

 これでは服を着ている限りどうやっても気取られずに権利書を盗み出す事は不可能になってしまった。

 盗み出すチャンスがあるとすれば、服を脱ぎ、身を清めてる隙しかないが、こんな昼間から湯浴みをする者は普通はいない。

 まったく関係ない話で余談で豆知識でしかないがこの世界の人々は夜の営みを行う前に湯浴みを行うことは稀であるそうだ。お湯や水が貴重なものであった頃の名残だとかそんな理由で事後にしか浴びないとかなんとか。

 

(くっふふふふ! 計画通り! ですわ! これでどう転んでもミケさんたちが権利書が手に入れられるのは全て済んだ後! 今度こそ、今度こそ! この下品で低俗でどうしようもない下種野郎にあんなことやこーんなことをされてしまいますわ!!)

 

 いや本当に全然まったくまるで関係のない話でしかないのだが。

 

(さあヤりますわよ! セッ○ス!!!!)

 

 とうとう言いやがったな貴様!!!!



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こういうのを待っていたんですわ!!!!

 扉が閉まる音にミケとフェルは慎重に顔だけを出して確認すると、メルナスとプルーキーが廊下に出たのが見えた。

 書斎から連れ出すことには無事成功したようだ。その後、同じく書斎から出て、こちらへ向かってくるセバスをやり過ごし、二人は書斎へと向かう。

 周囲を警戒しつつ、書斎に侵入した二人は出来る限り物音を立てないように家探しを始めた。メルナスたちが向かった方向にはプルーキーの私室があると連れ込まれかけたミケは知っていた。時間はあまり残されていない。

 屋敷にいるのはプルーキーとセバスを除けば数人の年配のメイドたちだけ。その内の誰かがこの書斎を訪れる可能性は低いが、急いで権利書を見つけ、処分しなければメルナスの貞操が危ない。

 祈るような気持ちで探る二人だが、メルナスの最低過ぎる進言で権利書はそこにはないのだ。

 そんなことを露とも知らない二人は必死に机、本棚、ありとあらゆる場所に目を向けてあるはずのない権利書を求める。

 数分と経っていないにも関わらず、焦りからか時間の流れがとてつもなく早く感じてしまう。焦燥感がどんどんと増していく。

 可能性を示唆こそしたが、あのズボラで愚図のプルーキーが権利書を肌身離さず持っている可能性は低い。そう考えたからこそフェルはこの作戦に乗った。

 しかし、探せど権利書は出て来ない。額に汗が滲み、視界は潤み始める。今すぐにでも泣き出したい気分だった。

 こんな作戦に賛同するべきじゃなかった。別の方法で教会を守る為に戦うべきだった。

 そんな考えばかりが浮かんで、ついには探す手が止まってしまう。

 

「フェルさん、諦めてはいけません。メルナスさんが作ってくれたチャンスを無駄にしてはいけません」

 

 同様に焦りから汗を滲ませたミケが手を止めないまま、フェルを激励した。本当ならミケも膝を折って、嘆きに暮れてしまいたかった。だがそれはメルナスに対する裏切りだ。まだ一ヵ月、たったそれだけの時間しか過ごしていない彼女が自分を危険に晒してでも教会を守ろうとしている。なのに自分たちが諦めてどうする。その思いがミケを突き動かしていた。

 絶好のチャンスを不意にしたのもメルナス本人である。

 

「でも、これだけ探しても見つからないってことはこの部屋にはもう……」

「……そうかもしれません」

 

 もしかしたらプルーキー自身も権利書を見つけていないのかもしれない。

 だが先代領主は几帳面な男だった。その可能性は限りなく低い。そんなもしもに懸けることは出来ない。

 見つけた権利書を置くとしたらこの書斎か部屋だろう。書斎にないという事はプルーキーの私室か、それとも本当に肌身離さず持っているかのどちらか。

 どちらであっても既に私室に向かったであろうプルーキーに気付かれず手に入れる事は不可能だ。

 隙があるとすれば、それは全てが終わった後にしかない。

 静かにミケは胸の前で両手を組み、祈りを捧げる。やがてその手は強く、固く握り締められていた。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 ミケたちが書斎へと侵入したのとほぼ同時、メルナスはプルーキーに腰を抱かれながら彼の私室を訪れていた。

 書斎よりもさらに豪奢な家具が並んでいたが、メルナスの目をひと際引いたのは──というよりそれしか目に入っていないが──プルーキーの巨体が横になっても有り余るサイズの大きく立派なベッドだった。

 それ以外にも上等なソファや観賞用なのか大層な装飾が施された剣も壁に掛けられているのだが、それらはまるで興味の対象ではなかった。

 

(どんな豚小屋かと思いましたが、それなりの貴族の部屋、という趣ですわね)

 

 普段は寄り付きもせず、街の上等な宿屋の一室を根城にしているのだ。整えられているのも当然だった。

 感心と落胆が半々といった様子でベッドに目が釘付けになっている間にプルーキーは後ろ手に扉の鍵を下した。合鍵はあれど、これで密室の完成だ。

 

「さて、それではプルーキー様。今後についてのお話合いを──あら? どうされましたの? なんだか随分と息が荒くなっていますわ」

 

 メルナスはすっとぼけた態度でプルーキーの異変を指摘する。

 彼の鼻息はもはや騒音の域に達するほどに荒くなり、目は赤く血走っていた。

 初めて会った時と同じかそれ以上の熱の籠った視線でメルナスを舐めるように見つめ、一歩、また一歩と近づいてくる。

 

「ゲフッ、ゲフフッ、ああ……話し合いも大事だけど、その前にもっと大事なことがあってね……」

「まあ、そうなんですの? それは一体なんでございましょうか」

 

 世間知らずの無垢な箱入り娘のように小首を傾げるメルナス。

 それがより琴線を刺激したのか、豚のような歩調から猪の如く一気にメルナスに突撃し、その肩を掴んでベッドへと押し倒した。

 

「きゃっ、プルーキー様、一体何を……っ?」

「僕のメイドになったら毎晩相手をしてもらうんだ……まずは君の味見をしないとねぇ……!」

 

 両腕を頭の上で押さえつけ、巨体に圧し掛かられたメルナスは僅かに身じろぎすることも出来ない。

 そんなメルナスを見下ろし、プルーキーは口の端から涎を垂らして粘着質な笑みを浮かべた。

 

「そ、そんな……! お、おやめくださいっ、い、いやっ、いやですわ! そんなっ、だってっ、(わたくし)、初めてなのに……っ!」

 

 これから起きることを想像し、顔を青褪めさせて震え始めたメルナスの姿がさらにプルーキーの嗜虐心を滾らせた。

 貴族という強者として弱者を虐げる快楽は慣れ親しんだもの。だがそれがシスターの、しかも元は公爵令嬢という高貴な身分であって美女となればその征服感はこれまでの感じたものの比ではない。

 公爵令嬢を組み伏せている。公爵令嬢が涙を浮かべて嘆願している。それを蹂躙し、味わい尽くせる。これ以上の快楽があるだろうか。プルーキーは今までにないほどに興奮していた。

 

(んほおおおおおおおおお! たっまんねえですわ! やっべーですわこれ! 豚に押し倒されてますわ! 豚に見下されてますわ! 本来なら絶対に関わることないようなクズでゲスでブスの豚野郎に犯されてしまいますわー!!!!)

 

 限界性癖元お嬢様も過去最高に滾っていた。本当にもうダメだこいつ。

 

(腰から下が押し潰されそうなくらいの重量感! むわっと香るくっさい体臭! ぶにょぶにょの気色悪い手ェ! これですわこれですわ! (わたくし)が求めていた展開は! これ! なんですわ!!)

 

 逃れようのない土壇場にまで追い詰められれば正気に戻るかもしれない、そんな可能性があると思っていたがそんなことはなかった。

 もうこのお嬢様の性癖は取り返しのつかないところまで来ている。抜け出せない深みにどっぷりと浸かり、ハマっている。

 断罪からの婚約破棄と前世の知識はとんでもない性癖モンスターを生み出してしまっていた。

 

(んああああ! 汗が! 涎が! 垂れてきて(わたくし)の体を汚していますわ! これぜってー臭い残りますわ! だって超くっせーですもん! なにして育てたらこんな臭い生み出せるんですの! 豚以下の匂いがしますわ!)

 

 メルナスの内心は狂喜乱舞する。

 初めては野外とかもっと小汚い場所で、などと理想はあったがそんなものは消し飛んでいる。彼女にとって此処が、この場所この時が間違いなく過去最高の絶頂期であった。

 

「シスターに戻りたくはないんだろう? だったら大人しく僕の言う事を聞いていた方がいいよぉ……? 大丈夫、優しくしてあげるし、悪いようにはしないさぁ……」

(はあああ? こっちは悪いようにしてほしいんですわ!)

 

 まったく優しくないし紳士的でもない下種の言葉であったが、メルナスはお気に召さなかったらしい。

 鋭く、反抗的な目つきで睨みつけると、唯一自由に動く首を使い、ペッとプルーキーの顔に唾を吐きだした。

 

「お断りですわ……っ! あなたのような男に抱かれるくらいなら死んだ方がマシですわ!」

「……はぁ。優しくしてあげようと思ったのに、気が変わったよ……!」

「いやぁああぁぁっほう!!」

 

 予想していなかった思わぬ抵抗に青筋を浮かべ、プルーキーは力任せに片手で修道服の胸元を破り捨てた。

 飾り気のない下着が露わとなり、それだけでは隠しきれないメルナスの肌が外気と視線の下に晒される。

 隠しきれないメルナスの歓喜も悲鳴から漏れ出ていた。クソだな。

 

(くーっ! そうこなくてはですわ! まだまだ煽っていきますわよ!)

 

 これにはメルナスもにっこり。なに笑ってんだよ。

 

「いやっ、いやですわ! 離してっ、離しなさいこの下種!」

「無駄だっていうのに、鬱陶しいなぁ……!」

 

 必死に体を揺らし、どうにか脱出しようともがくメルナスの無駄な抵抗がさらにプルーキーを苛立たせた。そいつがどうなってももういいけど気付け、ここまで全てその女の思い通りだぞ。

 

「いいから大人しくしてろッ!」

「ひぐっ!」

 

 バシン、と乾いた音。プルーキーがメルナスの頬を手加減もなく平手打ちした音だった。

 

「えっ……あっ……?」

「顔に傷がつくと萎えちゃうからさぁ……これ以上叩かれたくなかったら大人しくしてなよ、ねぇ……?」

「ひっ……」

 

 平手打ちした部分を恐怖を煽るようにぱしぱしと軽く叩くと効果は覿面だった。

 メルナスはか細い悲鳴を上げ、それきり大人しくなった。

 

「そう、それでいいんだよぉ……ゲフフゥ」

「いや……そんな……誰か……っ」

 

 暴力に訴えられ、これ以上抵抗することも出来ず、メルナスは絶望に満ちた声で嘆くばかり。

 それに満足したのか、プルーキーは両手を押さえていた手を外し、破かれた修道服に手を掛けるとさらにその破れ目を一気に下まで広げた。

 

「あ、ああ……っ」

「随分といやらしい物を身に着けてるんだなぁ。君の国では女はみんなこんなタイツを穿くのか。これじゃあどのみちシスターなんてやれるはずもないなぁ……」

 

 上下の下着が曝け出され、その下の網タイツまでが丸見えの状態。決してシスターが見せるべきではない姿──はどうでもいいとして、とんでもない風評被害がこいつのせいで発生していた。ヴェルフェクス王国民全員に謝罪してほしい。

 

(ああっ! 罵られてますわ! 軽蔑されていますわ! こんな豚に! 生肌を見られてしまっていますわ! こんな豚に! このまま全身くまなく観察されて触れられてしまうんですわ! こんな豚に!)

 

 謝罪先に本物の豚も追加だ。

 そしてついにプルーキーの手がメルナスの下着にまで伸びる。もうここまで来たら逃れる術はない。

 完全にメルナスの狙い通り、メルナスは凌辱の限りを尽くされてしまうだろう。

 彼女の過去の悪行を思えばざまぁと言いたいところだがそれではメルナスを悦ばせるだけ。因果応報で可哀そうな目に遭っているはずなのに、あまりに釈然としない。

 本当にこのままメルナスの完全勝利に終わってしまうのか──そう思われたその時、鍵が掛けられた扉が強く叩かれた。

 

 



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いつもこうですわ

 ドンドン、ドンドン。壊そうという勢いで強く何度も叩かれる扉に、プルーキーはメルナスの下着に触れかけた手を引き、鬱陶しそうに顔を上げた。

 

「なんだ、これからっていう時に……一体誰だ!?」

(なんですの!! これからっていう時に……一体誰ですの!?!?)

 

 苛立ちの声を上げたプルーキーとそれ以上に内心で怒り狂うメルナス。

 返答は扉の向こうから返ってきた。

 

「メルナスさん! ご無事ですか! 領主様、ここを開けてください!」

「メルナス! まだ無事だよな!? おいクソ野郎! そいつに手を出しやがったら絶対に許さねえからな!」

 

 扉を叩いていたのはミケとフェル、誰にも気づかれないように侵入していなければならないはずの二人であった。

 そんな大声を出してはプルーキーだけでなく、屋敷中の誰もが彼女たちが忍び込んだことを知るだろう。

 けれど、二人にとってはそんなことは問題ではなかった。

 あのまま事が終わるのを待てば、教会は守れるかもしれない。

 だがそれでは駄目なのだ。メルナスの犠牲によって守られた教会でこれまで通りに暮らしていけるわけがない。

 たとえ教会がなくなっても、メルナスさえ取り戻せば家族が離れ離れになるわけじゃないのだ。

 それなら、と。二人は権利書を諦め、メルナスを助ける道を選んだのだった。

 

(どうして! 来てしまいますの!!)

 

 本当にどうしてこんな奴の為に来てしまったんでしょうね……。

 

(いいえまだ間に合いますわ! 女二人で扉をぶち破るなんて不可能! 扉越しに(わたくし)のあられもない声を聞いていってもらいます!! 仮にぶち破られたとしても(わたくし)凌辱ショーを特等席で拝んでいただきますわ!! (わたくし)の思い通りに動いてくれない貴女たちが悪いんですのよ!!)

 

 お前本当に最低だな。

 

「むぐっ!?」

「うるさい奴らだなぁ……これは彼女が望んだことなんだよぉ! 君たちは教会に戻って荷物をまとめておくんだな! すぐにあんな教会は取り壊してやるんだからさぁ!」

 

 プルーキーは声が上げられないようにメルナスの口を押さえると溜息を零し、扉の向こうに向かって叫ぶ。

 押さえられたメルナスは必死に首を()に振っていた。もう何も言うまい。

 叩かれていた扉の向こうがしんと静まり返り、諦めたかとプルーキーが満足そうにメルナスに向き直る。

 それと同時、ガチャリと外から扉の鍵が開く音。

 

「どういうつもりだ、爺……!」

 

 合鍵を持っているのは執事のセバスだけ。そして開いた扉の向こうにいたのもミケとフェル、そしてセバスだった。

 二人は覚悟を決めると真っ先に庭先に出ていたセバスに事情を説明していた。強引にでも合鍵を借りるつもりであったが、意外にもセバスはすぐに合鍵を取りに走り、こうして駆けつけてくれたのだった。

 

「メルナスさんは今も神に仕える教会のシスターのまま。如何にプルーキー様といえど穢すような真似は決して許されませんゆえ」

「おいッ、無事か!?」

 

 セバスの後ろに続いたフェルが彼を押し退け部屋へと侵入し、プルーキーに覆いかぶさられたあられもない姿のメルナスを見て、ぎゅっと手に持つ木刀の柄を握り締めた。

 その義憤は当然だろう。本人には伝えた事こそないが、既にフェルにとってメルナスは可愛い後輩で、家族の一員なのだから。

 それが男に組み伏せられ、肌を晒し、叩かれたであろう頬を赤く腫らしているのだから。

 貴族だろうと誰だろうと関係はない。今もなお家族を辱めるその男を許してはおけなかった。

 そんなフェルの怒気に気圧されたのか、セバスもミケもゆらりと動き出した彼女の歩みを止めることが出来なかった。

 

「……その汚い手を放せよ、クソ野郎」

 

 呼びかけは静かであったが、声は低く、目には見えない重圧が込められている。その小柄な体躯にプルーキーが恐怖を覚える程に。

 しかし、それがいけなかった。

 プルーキーはフェルを明確に脅威だと認識してしまった。その事実が彼の体を動かした。

 

「くっ、くくく来るなぁ!」

「きゃっ……!?」

 

 ベッドの上を這いずり下りて、メルナスを強引に腕に抱えたプルーキーは壁に掛けられていた剣を手に取ると、腕をメルナスの首に回し、刃を眼前にちらつかせて人質としてしまった。

 これまで通り、ただのガキだと見下していたならばそんな手は選ばなかっただろう。そんなプルーキーの意識を変える程に今のフェルは怒気に満ちていたのだ。

 

(おっとととと? これはまた予想外の展開ですわ)

 

 良い感じに首が絞まる苦しさで横槍が入った事に対する溜飲が下がったのか、メルナスは多少の冷静さを取り戻していた。そのきっかけにはまるで共感できないが。

 

(わざわざ木刀に真剣で対抗せずとも(わたくし)を手中に収めているのだからそのまま続行するかと思いましたのに)

 

 自分に向けられたものではないとはいえ、目の前のフェルの放つ怒気を見てもそんな風に考えられる辺り、やはり肝は据わっている。それをまったくプラスに働かせようとしないことが問題なのだが。

 メルナスにとっては今もフェルは可愛い子犬のような先輩である。出会った当初の野良犬のような態度が恋しくもあった。心を許したフェルに対してあんまりな感想だ。その本心が知れれば間違いなくその頃に逆戻りだ。

 

「ぼ、僕は貴族で領主だぞ!? 誰に向かってそんな物を向けてるんだぁ!?」

「テメェこそ、誰に向かって剣を向けてるんだよ……!」

「うるさい! こいつはもう僕の物だ! 自分の物をどうしようと僕の勝手だ! いいからそれを捨てろ! こいつがどうなってもいいのか!?」

「……クズが」

 

 下唇から血が滲むほどに噛みしめて、フェルは吐き捨てるように言って木刀を床に投げ捨てた。

 

「おい爺! お前は後でぶっ殺してやるからな! この僕を裏切りやがってぇ!」

「プルーキー様、どうかこのような事はおやめください……旦那様たちがこのことを知ったらどれだけ悲しむことか……」

「黙れ! 親父も母様ももう死んでるんだ! 今は僕が一番なんだよ!」

 

 セバスは悲し気に目を伏せた。きっと在りし日の旦那様と奥方様を思い出しているのだろう。彼らが健在であれば、いいや没後に自分がもっとプルーキーに意見し、良き領主であるようにと進言していれば。そんな後悔が見て取れた。

 だが血走ったプルーキーの目では理解できない。次の標的に目を向けるだけだ。

 

「ミケぇ……元はお前がいけないんだ……お前が大人しく僕の物になっていたら教会も安泰だったのになぁ……」

「領主様……」

 

 その言葉は今のミケにとってはこれ以上ない鋭い刃として心に突き刺さる。

 思えば逃げ出した神父の事もそうだ。慎ましくも平穏な生活を送っていたのに、自分が来てしまったばかりにプルーキーの目に留まり、気苦労をかけ続けてしまった。

 もしもあの時、自分がプルーキーを受け入れていれば、今も神父とフェル、そしてメルナスと子供たちは平和に過ごせていたのかもしれない。

 

「そうだ、今からでも遅くないぞぉ……? こいつと一緒に僕の物になるって言うなら、教会の事も考えてやってもいい」

「それは……」

 

 メルナスを犠牲にしては意味がない。誰かを犠牲にしては意味がない。そう決めたはずなのに、ミケの心は再び揺れていた。

 プルーキーのこれは過去を掘り返し、罪悪感を思い起こさせる悪辣な手法、悪魔の囁きだ。決して耳を傾けてはいけない類のものだ。

 

(いい感じの下種っぷりですわね!)

 

 お前は黙ってろ。

 

「僕の、貴族の部屋に勝手に上がり込んだんだ。お前ら平民にとってそれがどれだけ重い罪か分かるよなぁ……? お前も大人しく従うなら、そのことについても目を瞑ってやる。このガキは無事に帰してやる。ガキはガキ同士、教会で仲良く暮らせばいいさ」

「私、は……」

 

 教会は無事に残り、教会を一番の拠り所としているフェルは帰れる。

 メルナスだけが犠牲になるのではなく、メルナス一人に押し付けることなく、シスター長として自分も共に自らの身を捧げるのなら、女神はお許しになるだろうか。

 それは違う。今のミケが求めているのは神の許しではなく、自分自身の許しに過ぎない。

 罪悪感を拭い去る為の、自己犠牲の皮を被った自己満足の贖罪でしかない。

 まだ若いシスター長であるミケは自分自身の弱い心に支配されようとしていた。

 

「そんなの聞くな! こいつが約束を守るわけがない!」

 

 ミケを止めようとフェルが叫ぶ。それがプルーキーを刺激してしまった。

 

「お前は……黙ってろよぉ!」

「ぐっ!?」

 

 木刀を捨て、丸腰となったフェルをプルーキーは蹴り飛ばした。

 華奢なフェルの体はいとも容易く飛んで、床に転がることとなる。

 

「フェルさん!」

「おやめくださいっ、プルーキー様!」

「お前は帰してやる……けど、その生意気な口から出た言葉は許したわけじゃないんだぞ!」

「あっ、ぎっ……!?」

 

 倒れ伏しながら、転がった木刀に手を伸ばそうとしたフェルの手が踏みつけられた。

 ぐりぐりと足をねじる度、フェルの口から苦悶の声が漏れ出る。折れてこそいないが、暫く利き腕でまともに木刀を握る事も出来ないだろう。

 もうフェルにもミケにもセバスにも、誰にも取れる選択肢はない。

 メルナスがろくでもない性癖に芽生え、この村に追放されてしまった時点で決まってしまっていたのだ。

 プルーキーはどうしようもない小悪党であったが、全てはメルナスの愚考が招いた結果。

 自分が良ければそれでいい。追放され、原作から外れても悪役令嬢の本質は変わらない。どうしようもない悪役(ヒール)のままなのだから。

 

「……」

 

 破滅した悪役令嬢はその追放先でも周囲を巻き込んで破滅する。

 バッドエンド以外に迎えるエンディングは存在しない。性癖を拗らせた彼女にとって紛い物のハッピーエンドとなるだけだ。性根も性癖も永遠に救いようがない。

 その証拠に踏みつけられるフェルを見るメルナスの目は羨ましそうに細まっている──

 

「……なさい」

 

 目を細めたまま、メルナスは小さく囁くような声で何かを呟いた。

 

 

 



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これが私の性癖ですわ!

 フェルが踏みつけられ、ミケが自らを差し出そうとして、弱者が虐げられる様をまざまざと見せつけられてメルナスに頭痛が走る。

 断罪されたあの時と同じか、それ以上の痛みと記憶のフラッシュバック。

 見知った、けれど今の自分ではない前世の誰か。

 外ではスーツを着こなし、男だろうと上司であろうと間違っていると思えば噛みつき、周囲の女性や後輩たちから慕われるOL。

 家に戻ればだらしのないジャージ姿で缶ビールを片手に死んだような目でゲームをプレイする、そんなギャップと闇が見え隠れする生前の彼女だったが、その瞳が輝く瞬間があった。

 今世とは似ても似つかない彼女の人生に、しかしそれだけはメルナスは共感を覚えた。

 

(ああ……ようやく思い出しましたわ……)

 

 最初のフラッシュバックで原作ゲームの記憶ばかりが鮮烈に刻み込まれて。実用的な知識ばかりが印象に残されて。

 違和感を覚えながら、ずっと自分が目覚めたものを勘違いしていた。

 前世の彼女は今の自分とは違う。連続した自己とは違う。彼女の知識は有用なれど彼女の記憶は無用と目を向けていなかった。

 今、再び彼女の一生を追体験したことでメルナスは悟る。

 どうして逃げ道のないあの局面で前世の記憶が蘇ったのか。断罪と婚約破棄、過去に感じた事のない強いショックが原因だと思っていた。

 事実、それは間違いではないのだろう。

 だけどそれはきっと、自らが背負った真の業の名を理解するためだったのだ。

 この業に目覚めたのは彼女の記憶とリンクしたから、ではない。前世の記憶だからでは、ない。

 婚約破棄されて勘当されて、そうして目覚めたのは他の誰でもないメルナス自身。

 彼女は私ではない。けれど、彼女は赤の他人などではない。

 彼女は同じ業を背負った、偉大なる先駆者だったのだから。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

「……なさい」

 

 気付けばメルナスは口を開いていた。

 視線の先に映るのは涙を堪えたミケ、そして今もプルーキーの豚足に手を踏みつけられるフェル。

 見つめるその瞳は熱に魘されてなどいない。むしろ冷たく冷え切っていた。

 

「んぅ? 何か言ったかい? 心配しなくとも君の相手はこれからゆっくりとしてあげるよぉ、そこのシスター長と一緒にねぇ」

 

 メルナスは手中にある。剣も手にある。生意気なガキシスターは痛みに喘ぎ、誰も手出しは出来ない。

 絶対的な優位性を確保したプルーキーはにたにたとした笑みを浮かべて、メルナスの首に回した手で髪と頬を撫で上げた。

 

「その足をどけなさい、と言いましたの」

 

 汚らわしい手が触れている。その事実に興奮を覚えていたメルナスはもういない。

 静かな怒りに満ちた声で今度ははっきりとプルーキーへ告げる。家族を傷つけるその足を今すぐにどけろ、と。

 

「んんーっ? 状況が分かってないのかなぁ? そんな事を言われるともっと踏んであげたくなっちゃう、なぁ!?」

 

 再びプルーキーが足を持ち上げ、フェルの手を踏みつけようとした瞬間、メルナスは肘打ちをその胸に入れていた。

 脂肪の塊であっても響いたのか、プルーキーはたまらず呻き声を上げ、たたらを踏んで後ずさる。

 

「おっ、おまっ、お前……!?」

「ふふっ、あなた、中々良い殴り心地でしてよ」

 

 目の前をちらつく剣に怯えも見せず、悪役令嬢の名に相応しい傲慢で悪辣な笑み。

 しかし、此処に立つのは悪役令嬢にあらず。

 

「確かに(わたくし)は元公爵令嬢。王家に次ぐ貴き血がこの体には流れている。けれどそんなもの、(わたくし)の家族たちの涙を止められないのであれば、家族を不幸にしてしまうのであれば! 何の意味もありませんわ!」

 

 緩んだ腕から脱し、メルナスはプルーキーと面と向かって自身の出した答えを言い放った。

 

「今の(わたくし)は元公爵令嬢のメルナス・クルストゥリアではなく、ただのシスター見習い、メルナスですわ!」

 

 メルナスの中で意識が切り替わる。

 それは元公爵令嬢のシスターから、シスターの元公爵令嬢という肩書のスイッチ。

 公爵令嬢とシスター、二つの肩書の比重が完全に入れ替わった瞬間だった。

 

「シスターが貴族に逆らうのか!? あんな教会なんて僕はいつでも壊せるんだぞ!?」

「ようやく分かりましたの。(わたくし)、勘違いをしていましたわ」

 

 教会暮らしに嫌気が差していたはずのメルナスの暴挙にどういうことかとプルーキーが叫ぶ。

 メルナスは胸を張って答えた。

 

(わたくし)が目覚めた性癖の名はただの被虐嗜好ではなく、そう──下剋上!」

 

 間違いなく胸を張ることではないが。

 

「な、なに!? なんだ……何を言ってるぅ!?」

 

 プルーキーの混乱も当然だろう。

 この世界には本来、その性癖を表す言葉は存在しなかったのだから。

 ただメルナスが錯乱したとしか思えなかった。

 

(わたくし)が求めるのは見下していた者に見下し返される事! ただのシスター見習いである今の(わたくし)に、貴族様の脅しも暴言も通用しません! 死ぬほどムカつくだけですわ! うっざ! うっざいですわー! はぁーうっざ、うっざぁー!」

「言ってる意味が分からないぞ!?」

「分かる必要もありませんわ!」

 

 本当に分かる必要はない。

 何はともあれ、メルナスの中で決定的な何かが変わったことに違いはない。

 今更何をと言いたい気持ちはあるが、その心変わりで不幸に泣くシスターや子供たちが救われるのなら、それはきっと良い変化なのだろう。認めたくはないが。

 フェルたち背に庇い、メルナスはプルーキーと相対する。

 シスターであると自身を定義したにも関わらず、その顔つきは以前よりも強く気高く、まるで貴族のようであった。

 

「フェルさん、立てまして?」

「……ああ!」

 

 差し出された手を強く握り、フェルが支えられながらも立ち上がる。

 目に浮かんだ涙は痛みによるものではない。メルナスが口にした家族という言葉に柄にもなく感じ入っていたのだ。

 

「というか前隠せ! 丸見えだぞ!?」

(わたくし)の体に隠さねばならないような場所はありませんわ!」

「恥を知れって言ってんだよ!」

「よく知っていますわ! だからこそですわ!」

 

 プルーキーだけでなくフェルにもこの場の誰にもメルナスの言っている意味は理解できなかった。理解してしまったら最後であるのでそのままでいてほしい。

 

「ミケさん、セバスさん。フェルさんを頼みますわ。折れてはいないようですけど、すぐに処置をした方がいいですわ」

「はっ、これぐらいなんでもない。それより──」

 

 わなわなと震えていたプルーキーが剣をメルナスたちに突き付ける。

 涙ぐましい家族の絆の物語など、彼にとっては茶番でしかない。

 

「お前ら全員不良品だ! 僕の思い通りにならないならみんな殺してやるぅ!」

「プルーキー様! おやめくださいっ!?」

 

 でたらめに剣を振り回すプルーキーに従者として、主にこれ以上取り返しのつかない真似を指せない為にセバスが飛び出そうとして、メルナスが手で制した。

 今も尚、メルナスの目に怯えの色はない。

 

(わたくし)の国でもこの国でも貴族というだけで随分と幅が利きますわ。けれど、あなたはやりすぎましたわね」

「うるさい! 平民のシスターのくせに、知ったような口を! 公爵令嬢だが何だか知らないが、今は僕よりも下のクセにぃ!」

「ええ。ですから少しだけあなたが羨ましい」

「メルナスさん!」

 

 気負った様子もなく一歩を踏み出したメルナスにミケが数瞬後に訪れるであろう血生臭い光景を想像して叫ぶ。

 

「見下していたシスターに、手籠めにしようとしていた女に転がされるなんて、最高の気分でしょうからね」

 

 だがそんな未来は訪れない。

 首だけを逸らし、頭の金髪ツインドリルを揺らし、それだけで剣は掠ることもなく素通りしていく。

 

「く、来るなっ、来るなぁ!」

 

 まるで舞踏会の一幕のように優雅な所作で、メルナスはプルーキーの目の前にまでたどり着いた。

 もう顔や体が傷つけば萎える、などという考えは頭から抜け落ち、メルナスから逃れようと剥き出しになった目に眩しい白い素肌へと剣を突く。

 

「公爵令嬢といえど蝶よ花よと愛でられ育てられていたわけではありませんわ。そういうものを愛でられるようにと強く気高く育てられました。ですので貴族時代には剣も銃も扱っておりました。そのような乱雑な太刀筋では斬れるものも斬れませんわよ」

 

 メルナスは体をずらし、その一撃を両手を合わせる白刃取りにて受け止める。

 刃を渡るように受け流し、くるりと一回転。舞踏の終幕は間もなくだ。

 

「ああ、それから通信空手も習っておりましたの」

「お゛っ、う゛っ……!」

「一週間の無料体験だけでしたけどね」

 

 本来なら何の足しにも足らない経歴だが、その胡散臭い通信教育理論を体現出来るだけのスペックがメルナスに備わっていた。

 メルナスの拳は肉襦袢の鎧を貫通し、体の芯に響く打撃となる。

 極めれば何重もの瓦を砕く拳に、プルーキーが耐えられるはずもなかった。

 白目を剥き、プルーキーの体がずるりと床に崩れ落ちる。完全に意識が刈り取られていた。

 

「ああ……敗北が知りたいですわ……」

 

 お前まるで最強系主人公みたいだな。

 

 



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一件落着ですわ!

 元公爵令嬢としても、シスターとしてもらしからぬ拳でプルーキーを床に沈め、危機を回避したメルナス。

 しかしそれは目先の危機をやり過ごしただけ。

 プルーキーが目を覚ませば間違いなくメルナスたちを罪に問い、教会を潰そうとするだろう。

 

「今の内に子供たちを連れて村を出ましょう」

「そう、だな……シスターからお尋ね者になるなんてな」

 

 倒れ伏したプルーキーを一瞥し、フェルが苦笑する。

 

「あら、後悔していますの?」

「別に……わぷっ!?」

 

 メルナスは照れくさそうにそっぽを向いたフェルを胸に抱きしめた。

 今も服は破れたままなのでほぼ生乳の胸に顔が埋もれた。

 

「ご安心してくださいな。ひもじい思いはさせませんわよ」

「ぶはぁっ! ガキ扱いすんな! 離せ馬鹿!」

「おほほっ、照れずともいいんですのよ」

 

 そうして一頻りフェルに構い倒した後、メルナスはセバスに一礼する。

 紳士な老執事はメルナスから目を逸らしていた。

 

「申し訳ありませんわ、あなたの主に粗相を働いてしまいました」

「いえ……プルーキー様を止めて下さり、感謝いたします。目が覚めたら教会について取り計らっていただけるように進言しましょう。ですからどうかお待ちいただけませんか?」

 

 セバスの提案に無駄だと首を横に振った。

 殴り飛ばされて改心するようなタイプではない。きっと目覚めたら血眼になってメルナスたちを探す事だろう。

 

「このまま(わたくし)たちを見逃してくださるだけで十分ですわ。それにあなたも街に行って騎士団に匿ってもらった方がよろしいですわよ」

「長年このブルベック家に伝えて参りました。裏切ることは出来ません。それにこの老体一つで怒りが収まるのであれば、惜しくはありません」

 

 そうですの、とメルナスはそれ以上セバスを説得する気はないようだった。

 メルナスがフェルに手を出されるまでそうだったように、自分が望むことの邪魔をされるのは腹立たしいことだからだ。一緒にするなと言いたい。

 

「メルナスさん……ごめんなさい。私がもっと早くに決断していれば、恐ろしい思いをせずに済んだのに……」

「謝らないでくださいな。言ったはずですわ、(わたくし)(わたくし)が最良と思う選択をしているだけだと」

 

 だから気にする事はないと肩を竦めた。

 ミケは頷き、花開くように笑った。

 

「さて、それじゃあ急いで教会に戻りましょう」

「ってお前、その格好で外に出るつもりか!?」

「仕方ないじゃありませんの。戻らないと着替えもありませんし」

「メイドの給仕服でよければお使いください」

「ありがたい申し出ですが(わたくし)はシスター、今更メイド服に袖は通せませんわ」

「メルナスさん、その気持ちはありがたいですが流石にそれは……」

 

 三人から説得されるもメルナスは一向に頷こうとはしない。

 シスターとして真に自覚を持ち、誇りを持って袖を通すその意思は称賛されるべきなのかもしれないが、これでは痴女である。

 

(それに村を出るなら最後に一度くらい露出プレイをしてみたいですわ!!)

 

 痴女だった。

 立つ鳥跡を濁さずに出ていけ。もしくは焼き鳥にでもなってろ。

 

「さあいきますわよ!!」

「だから行くな馬鹿!」

 

 部屋を出て門へと向かおうとするメルナスをフェルが後ろから羽交い締めにするが、バイタリティーに溢れた限界性癖現役シスターは止まらない。フェルを引きずりながらとうとう門の目前にまで来てしまった。

 このままでは村の青少年たちや教会で大人しく待っているはずの子供たちに深刻な悪影響が出てしまう。

 ──と、追いかけてきたミケがベッドから引き剥がしてきたシーツを放り投げようとした時、門から一歩出たメルナスが何かにばさりと突き当たる。

 

「んぷぁ!?」

「噂で聞いた以上に苛烈なお嬢様のようだ、とは思っていたがその格好は些かお転婆がすぎるぞ、メルナス嬢……」

 

 頭から被ることになった布を剥がすと、メルナスの前では上半身がワイシャツという随分とラフな騎士団長クラウドがあきれ顔で額を押さえていた。

 

「あの時の騎士団長……? けど、なんで?」

「明日、王都に戻ることになって、今日の内に教会に寄らせてもらおうと尋ねたら子供たちに君たちを助けてほしいと頼まれてね。元々、街の住人からこの村の領主の噂は聞いていた。その調査も兼ねていたのだが……どうやらその通りだったようだ」

 

 メルナスの格好と頬、それにフェルの腫れた腕を見てクラウドは目を細め、追いついてきたセバスに何があったのかと尋ねた。

 

「なあ、ひょっとして最初から騎士団長を呼んでれば解決してたんじゃないか?」

「かもしれませんわね。……没個性的だからつい忘れていましたわ」

 

 クラウドを没個性呼ばわり出来るのはこの国はおろかこの世界でメルナスぐらいなものだろう。

 もっともフェルもプルーキーとの遭遇から頭が一杯で今の今まで忘れていたことに違いはない。王国騎士団長は本来雲の上の存在だ、メルナスの存在で繋がりが持てたとはいえ、すぐに思い当たらないのも無理はない。

 

「婦女暴行に脅迫、いくら貴族とはいえ牢屋行きは免れませんわね。正統派イケメンの彼のこと、お金を積まれたとしても罪状は覆らないでしょう」

「丸く収まるってことなんだろうけど……なんか釈然としないな」

 

 疲れ切った大きな溜息を吐いて、フェルは地面に座り込んでメルナスの足に寄り掛かった。

 見上げれば昨日までと変わらない高貴で生意気な後輩の顔が見える。

 

「結局、骨折り損かよ」

「あら、お二人が駆けつけてくれなかったら(わたくし)、今頃は手籠めにされてしまっていましたわ。だから、ありがとうございます」

 

 少しだけ迷って、メルナスは素直に感謝を口にする。

 

(でもやっぱり少し惜しかった気もしますわね!!)

 

 台無しだよ。

 

「そっか……今度は家族を守れたんだな」

 

 そんなメルナスの内心など知らず、フェルは腕の痛みを感じながら感慨深く呟いた。

 たとえ意味が薄かったとしても、かつて見送る事しか出来なかった母親の時とは違う。きっと意義はあったのだ。

 この腕の痛みはその勲章だと、手を太陽に翳した。

 

「女神フローレンスを信仰する教会を独断で取り壊そうとした事、シスターへの脅迫行為、それに領地経営の放棄。拘束するには十分すぎる罪状だ。彼の身柄は騎士団で預かろう」

「ええ。お任せします。公平なご判断をお願いしますわ」

「勿論だ」

 

 回り道もあったがこれで一件落着。

 メルナスは大きく深呼吸をすると、今までになく爽快な気分になった。

 真に公爵令嬢という柵から解放されたような気がする。

 見下していた平民たちの同じ目線に立って、同じように生きて、純粋に思う。

 

(性癖の為に望んだ追放ですけれど──まあ、平民も悪くありませんわね)

 

 人とは違う性癖に目覚めて、それでも人でなくなったわけではない。

 家族と共に勝ち取った勝利を悪くない、そう思える程度には人の心は残っている。

 だからきっと、メルナスはもう大丈夫だろう。

 人にはちょっと言えない性癖を抱えながらも、立派にシスターとしてこの村で生きていける──

 

(これからは平民として、シスターとして、下剋上されるために聖女を目指しますわ!!)

 

 やっぱ駄目かもしれない。

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 見立てではあと数時間は目覚めないだろうというプルーキーを置き、メルナスたち三人と共に教会へと戻ってきたクラウド。

 教会では見覚えのある人相の悪い二人組が子供たちに囲まれていた。

 

「おおっ、(あね)さんっ、姉御ッ、お嬢! 無事だったんですね!」

「山賊さんたち、子供たちを見ていてくれたのですね。ありがとうございます」

 

 正確には元山賊の、あのコンビだった。

 

「彼らにはこれからあの支部で団員たちの訓練相手を務めてもらうつもりでね。君たちに顔を見せることが難しくなるだろうから今日ぐらいはと一緒に連れてきたんだ」

「あまり酷い扱いはしてあげないでほしいですわね」

「いや俺も一度手合わせをしたんだが、中々どうしてやる。山賊なんてものをしていたのが勿体ないぐらいだ」

 

 それはまた意外な才能だ。けれども同時に納得もした。

 本当に何の取り柄もないような純山賊キャラなら出会った時点でメルナスの性癖は満たされていただろうから。

 

「アギスト、ブライ! 屋敷に行って子爵の拘束を頼む」

「へい! 承知しやした旦那!」

 

 そして今更になって山賊AとBの名前を知る。

 以前ならモブの名に興味は持てなかったが、心に留めておこうと決めたメルナスだった。

 性癖:下剋上に目覚めたことで良くない方に広がったメルナスの世界だが、徐々に良い方向にも彼女の世界も広がりつつあるようだ。

 

「おねーちゃんたち、お帰りなさい!」

「ただいまですわ、みんな」

「本当に騎士さんが助けてくれたんだね! ありがとー!」

「いや、俺は何も……」

「素直に受け取っておくべきですわよ。それにあなたが来なければ夜逃げすることになっていたのですから。(わたくし)からも感謝いたしますわ、騎士団長様」

 

 あまり子供が得意ではないのか、たじたじになるクラウドに耳打ちし、メルナスも深く頭を下げた。

 頭にはシスターのベール、上には丈の長い自分の団服を身に纏うアンバランスな姿に、しかしやはり元公爵令嬢の高貴さが滲む淑女の礼にクラウドは頬を掻き、謹んで感謝の意を受け取った。メルナスは意図せず、まだ彼のフラグを継続させたようだ。

 

「さて、みんなお腹空いたでしょう? お昼ご飯を準備しますから手伝ってくださいな!」

 

 パンパンと手を叩き、子供たちに指示するメルナスはもう十分に教会に溶け込んでいた。

 

「あなたも食べていってくださいな。お祈りはその後で。騎士団長様のお口に合うかは分かりませんけれど」

「あ、ああ。君が作るのか?」

「当然ですわ。だって(わたくし)、此処では一番下っ端のシスター見習いですもの」

 

 子供たちに手を引かれ、炊事場へと向かうメルナスが振り向き微笑んだ。

 噂とは違うとは知っていたつもりだが、本当に我儘公爵令嬢なんて噂とはまるで違う。クラウドは思わず見惚れてしまって、メルナスから視線をずらした。

 

「変わった奴だよな。本当に元貴族様なのかよ」

「ああ……けれど今の彼女は幸せそうだ」

 

 かつて要人警護任務で訪れた隣国ヴェルフェクス王国の王宮で見かけた彼女は美しかったが、とてもつまらなさそうに取り巻きたちに囲まれていた。

 だが今はどうだ。昔は触れあうことなど互いに許されなかっただろう孤児たちと手を取り合い、楽しそうに笑っている。

 彼女にとって公爵令嬢という肩書こそが枷だったのかもしれない──そう思えるほど、メルナスは今を謳歌している。騙されてますよそれ。

 

「あ゛っ!」

「? どうした?」

「おい馬鹿! お前はまず着替えろ!! って痛ぁ!」

「君もまずは治療した方がいいな。……まったく、自由なお嬢様だ」

 

 クラウドは苦笑し、フェルを支えて救急箱と着替えを持って走り寄って来るミケの下へと向かった。

 原作から外れ、前世とも折り合いをつけて、とりあえず最初の苦難は大団円を迎えたようだった。

 綺麗な感じに終わるのはやはり釈然としない部分はあるが。

 




次回最終話ですわ


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悪役令嬢ですけど婚約破棄されて実家勘当されたら性癖:下剋上に目覚めましたわ!!

 教会とメルナスの貞操の危機を回避して早二週間。

 フェルの怪我も完治し、すっかり元の平穏な生活が戻った教会。

 快気祝いと称して教会の庭先で少しだけ豪勢な食事を取ることとなったメルナスたち。

 

「王都に戻られたクラウド様が教会本部に話をつけてくれたおかげで神父様も新しい領主様と一緒に来月には着任してくださるそうですし、教会も安泰ですね。……これで馬に乗らずに済みました」

「まさか王都に出向くのを渋っていた理由が馬が苦手だからだとは思いませんでしたわ」

「お恥ずかしい……」

 

 なんてことはない真相に肩透かしを食らったのも良い思い出である。

 ミケはもっと早くに動いていればあそこまで大事にならなかったのに、と後悔しているようであったが。

 

「領主様はブルベック家の親戚筋の方だそうですわね」

「あれより酷くなることがなければ誰でもいいさ」

 

 今は食事を終え、せっかくだからと子供たちを遊ばせつつ、三人はお茶会を楽しんでいた。

 せめてものお詫びにとセバスが差し入れてくれた茶葉はメルナスも認めるほど上質なもので、公爵令嬢時代に戻ったようなつかの間の優雅な昼下がりである。

 

「けれど少し刺激的な日々が恋しくなってきましたわね」

「冗談だろ。もうあんなのは暫く御免だ」

「日々健やかに、子供たちが育っていける環境であればそれが一番ですよ」

 

 ミケも神父の問題が片付き、背負っていたものから解放されたのか表情はいつになく柔らかだ。

 彼女も元は今のようにもっとおおらかで天然気味な性格の持ち主であるので、ようやく本来の気質を取り戻したということだろう。

 

「思っていたよりも退屈なのですね、シスターというのは……こんな調子では聖女になるまでどれだけ時間が掛かるのやら」

 

 ぼそりと零したメルナスだが、ミケは耳ざとくその呟きを聞き逃さなかった。

 

「まあ! メルナスさん、聖女様に憧れが?」

「え? ええ、まあ、そうですわね。貴族でなくなった今、(わたくし)の目的を果たす為には聖女になるのが一番の近道かと思いまして」

「お前が聖女ぉ? そんなタマかよ? もっとこう、お淑やかで無垢な奴が呼ばれるもんだぞ」

 

 下剋上されるため、という超個人的で欲望に塗れた目的を思えばメルナスほど聖女に相応しくない人物はいない。

 フェルの指摘は的を射ていた──のだが、

 

「何を仰るんですか。メルナスさんが教会に来てから尽力して下さっています。きっと今の聖女様のようにもなれるでしょう」

「そうは思えないけどな」

「フェルさんも聞いたでしょう? あの時、お屋敷で語ってくださったメルナスさんの考えは素晴らしいものでした」

「!!!! 分かってくださるのですかシスターミケ! (わたくし)の性癖をアッヅぃ!!」

 

 勢い良く立ち上がった拍子に上がった紅茶の飛沫を顔面に受け、悶えるメルナスを余所にミケは胸に手を当ててあの時のメルナスの啖呵を想起する。

 間違いなく認識の齟齬が発生しているのだが、一体どこに勘違いする要素があったのか。

 

「メルナスさんが求めるのは見下していた者に見下し返される事、言葉は確かに乱暴ですがそれは貴族も平民も問わない、平等な世の中を目指したいということですよね?」

「んんぅー? それはちょっとズレてるような……?」

 

 メルナスが首を傾げるも、深い感銘を受けたらしいミケの語りは止まらない。

 

「しかもそれが生癖──生まれた時から胸に抱いていた、自分が自分であるために譲れない理念だなんて、素晴らしいではありませんか!」

 

 そんな都合の良い勘違いある???

 

「ま、まあそうとも言い換えられなくもありません……わね?」

 

 ミケの圧に負け、メルナスも曖昧に頷いてしまう。

 信仰に厚く、勘違いしてしまったミケの勢いは凄まじくメルナスも言い負けていた。

 メルナスも家族の一員となり、遠慮がなくなったとも言える。

 

「そのためにも! このエクィナス教会で女神フローレンスに祈りを捧げましょう! 女神様はいつも見ていてくださりますよ! それに王都から神父様がいらっしゃればきっと神父様もメルナスさんのお考えを支持してくださるはずです!!」

「う、うぃっす……ですわ」

 

 リオネとはまた違う天敵が思わぬところから現れたメルナス。元とはいえ悪役令嬢らしい、ざまぁである。

 そして新たに現れた天敵と過去の天敵、夢の競演が訪れようとしていた。

 

「ご、ごめんくださーい!」

 

 教会の入口の方から聞こえてくる女性の声。

 礼拝の時間は過ぎている、となれば何かの問題を抱える子羊の来訪かと信仰に燃えるミケは駆けていった。

 残されたフェルはマイペースに紅茶を口に運び、メルナスははてとまた首を傾げた。その声に聞き覚えがあるような気がしたのだ。

 ついでに言えば性癖に目覚めてからついぞ感じることのなかった嫌な予感、というものをひしひしと感じていた。

 

「メルナスさん! あなたにお客様ですよー!」

「だってよ」

「え、ええ……どなたでしょうか……」

 

 ミケの後ろをついてくる人影に目を凝らし、そしてメルナスは絶句した。

 

「メルナス様ー!!!!」

「なんであなたが来るんですの!?」

 

 忘れもしない主人公にして、原作でも性癖に目覚めた後でもメルナスの天敵、今最も未来の王妃に近い女、リオネ・ゼアノール伯爵嬢がそこにはいた。

 

「お久しぶりです、メルナス様!!」

「いや圧が強いですわ! というかなんでわざわざ恋敵の追放先に来てるんですの!?」

「あれからずっとライオット様を説得して、ようやく分かっていただけたんです!」

「はぁあああ!?」

 

 どうしてようやく追放出来た悪役令嬢をリオネが呼び戻そうと骨を折っているのか、メルナスには全くもって理解出来なかった。

 あまりに良い子すぎることが発覚し、ああして突き放してヘイトを向けさせたはずなのに、と。

 

「メルナス様は王国にとってもなくてはならないお方です。メルナス様が去った後でメルナス様が在学中に貢献していた多くの事業や学院の運営に影響が出て、ライオット様や生徒会の方々も苦労なさっているようで……」

「いやいや! 学院では(わたくし)、大した仕事はしておりませんわよ!? 精々ライオット様の手伝いをしていたくらいですわ!」

「はい、ですがメルナス様の後釜を狙った方々もあまりの忙しさに音を上げてしまって。私も手伝ってはいるのですが、とても一人では……やはりメルナス様はすごいお方です!」

 

 実家である公爵家に関しては追放後の事を考えて資料や方針を固めておいたが、メルナスにとって片手間の作業でしかなかった学院の方は一切引き継ぎを行っていなかった。

 メルナスは必要ないと考えていたようだが、自覚のないまま学院でも想像以上に色々と貢献していたらしい。相変わらず無駄で嫌味なスペックをしている。

 

「メルナス様! どうか学院に戻ってきてください!」

「絶対にお断りですわ! だいたい自分で追放したのだから自分のケツぐらい自分でお拭きなさいな!」

「そこをなんとか! ライオット様は私が絶対に頭を下げさせますので!!」

「なんともなりませんわ! というか、えぇ……あなた、原作ではそんな男を尻に敷くタイプだったかしら……?」

「私が弱かったからメルナス様をこんな目に合わせてしまったと反省しました! 私はもう自分の言葉も意思も曲げたりしません!!」

 

 この一ヵ月と少しの間に随分と逞しくなったらしいリオネ。

 形は原作通りに戻して追放されたはずだが、メルナスの見えない所でもどんどんと外れていってしまったようだ。

 

「メルナス様がお戻りになれば今度は私が、ライオット様から婚約破棄をしていただきます!」

「ひえぇ……なんですのこの子、なんでこんな強い子に育ってしまったんですの……」

 

 リオネにたじたじになって、助けを求めるように視線を彷徨わせる。

 ミケは駄目だ。にこにこと見守っているだけ。学校生活が上手くいっているか心配していた母が仲の良い友達を家に連れてきた子供を見るようだ。

 ではフェルは、と視線を動かせば、気難しそうに腕を組んでメルナスを睨んでいた。

 

「随分と人気者じゃねえか。流石はお貴族さまだ」

「え、なんで拗ねてますの?」

 

 たとえるなら自分だけだと思っていた親友が他の友達と仲良く話しているのを見てしまったような、そんな感じだった。

 

「!? どことなくメルナス様を思わせる高貴な雰囲気と幼い容姿……まさかお産みになられたのですか!?」

「どんな勘違いしてますの! (わたくし)は今も昔も清い身体のままですわ!」

「誰が誰のガキだって!? やっぱり貴族は全員気に入らねえ!」

「あーもうフェルさんも落ち着いてくださいまし!」

 

 早々には収拾のつかないてんやわんわの大騒ぎ。

 刺激が欲しいとは願ったが、こんな展開は望んでいない。

 そう、望んでいたのは単純明快、鮮烈痛快な──

 

(わたくし)はただ下剋上されたいだけですのにー!!!!」

 

 晴天の下、メルナスの悲痛な叫びが響き渡った。

 

「ンアッづい!!!!」

 

 ざまぁ。




めでたしめだし(強弁)

実は2年半ぐらい前の作品です。


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