私の幼馴染と兄貴が婚約してしまう話 (岸雨 三月)
しおりを挟む

私の幼馴染と兄貴が婚約してしまう話

木組みの街の中でもお洒落な店が集まる通りの一角にあるレストランにマヤはいた。高級感ある店構えときちっとした礼服風の制服を纏った店員さんのにこやかな対応は、まだ大学生のマヤにとっては若干の居心地悪さを感じる。普段自分ではあまり使わないこんな店にマヤがいるのは、メグから折り入って話があると呼び出されたからだ。テーブルの向かいに座るメグも心なしか普段より気合いの入ったお嬢様風の装いに見える。ドレスコードのある店ではないのは事前に確認していたけれど、いつもの癖で動きやすいジーパンで来てしまって大丈夫だったのだろうか――そんなことを思いながら上の空でナイフとフォークを動かす。メグの方も自分で呼んでおいて緊張しているのか、声が上ずっていて会話はあまり弾まなかった。お互い積もる話も色々とあるはずなのに。マヤがメグとこうやってちゃんと話すのは実に半年ぶりくらいになる。高校時代までは学校でもバイト先でも話さない日がないくらいだったのに、ここ最近はマヤは院試の準備、メグは就活があって忙しく、すれ違いになってばかりだったのだ。メグの就活が良い結果が出て、それからしばらくしてマヤの院試も良い結果が出たので、久しぶりにメグとでも遊ぼうかと思っていた矢先にメグから誘いを受けたのだ。しかし、色とりどりの前菜とスープが運ばれ、バゲットが運ばれ、メインディッシュの子羊のなんとか風のなんとかソースがけとやらが運ばれてきても、今日呼び出された話の本題はメグの口から出てこなかった。そして食後のコーヒーを注文するタイミングになって、ようやくメグの口から出てきたその一言を聞いた時、マヤは思わずのけぞってしまった。

 

「結婚って……どういうこと!?」

 

メグに付き合っている相手がいるらしいことは薄々察してはいた。しかし、マヤもメグもまだ二十二歳なのだ。法的にはできる年齢ではあるけれど、結婚なんてまだどこか遠い世界のことのように思っていた。いや、よく思い出すと同じ学部の何とかゼミの誰それが学生結婚したとか、お嬢様学校時代の同級生が親の意向で名家のご子息の誰それとお見合いさせられてるとかの話はあったけれど、そういうのは自分とは違う人種の人たちの話だと思っていたので、メグがそんなことを言い出すとはまるで予想していなかった。結婚、けっこん、ケッコン。そんな言葉を自分事として語り出すメグが、まるで別の世界の住人になってしまったかのように見えた。しかしそれ以上に衝撃を受けたのは、結婚の相手が誰なのかを聞いた時だった。

 

「えーっ!! 私の兄貴と!?」

「しーっ、マ、マヤちゃん、声大きいってば!」

 

今度は衝撃のあまり椅子から立ち上がってしまったマヤの服の裾を、メグが顔を真っ赤にしながら引っ張る。店員や周囲の客の目線が集まっていることに気づき、マヤは自分を落ち着かせるようにコホン、と咳払いをしてから席に着くが、内心は全く落ち着いてなどいなかった。

 

「付き合ってたんだ、私の兄貴と……」

 

マヤが発した力ないつぶやきにメグはこくん、と頷いた。全く気づかなかった。いや、正確に言えば、メグに彼氏がいるらしいとは気づいていたし、兄貴に彼女が出来たらしいとも気づいてはいた。しかしその二つの線を一つの面の上で考えていなかったのだ。しかも、結婚を考えるまでの深い仲になっていたとは。ショックで働かない頭のまま、別の種類の生き物を見る気分で目の前のメグの姿を眺め回す。高校を卒業してから、いや高校時代からだったかもしれないが、メグはどんどん綺麗になっている。高校に入ってからもう一段背が伸びたようで、身長ではマヤは頭半分くらいは抜かされてしまっていた。すらりとしたプロポーションに成長した胸を持つその姿は女優だと言っても通用しそうだ。いや、愛嬌のある童顔には不釣り合いなくらいに豊満な胸が着衣の上からでも分かるくらいに強調されている様子は、どちらかというとグラビアアイドルかも。服のセンスやお化粧の仕方も洗練されてきていて、高校の頃までは教えたり教えられたりだったのが、大学に入ってからはマヤが教えられる機会ばかりになってきていた。圧倒的に男社会である学問の世界に一歩足を踏み入れたせいか、身なりもしぐさもどこか男っぽくなってきているマヤとは対照的だ。一方でマヤは自分の兄を思い浮かべる。マヤの兄は、こういっては何だけど、イケメンで華があるタイプではない。物静かで不器用、家庭の中でもあまり存在感がない、地味な銀縁のメガネをかけているゲームオタク。マヤにとっては威厳のある年長者というよりは都合の良い遊び友達で、マヤが中学生の頃にはもうマヤのパシリにされていた。今考えると大人しく妹のパシリをやってくれてたのは優しいと言えば優しかったのかもしれないが、いずれにせよ今のメグの隣に並んで釣り合うとは思えなかった。いったいメグは兄貴のどこが良かったんだろう。

 

「……でね、マヤちゃん。式の日取りなんだけど、私が就職すると何かと忙しくなるから、年度内に済ませちゃった方が良いかなって……」

「……える」

「え?」

「もう今日はかえる! 何だよ急に結婚って! しかも私の兄貴と! 何で今まで一言も教えてくれなかったんだよぉ!」

 

マヤは衝動的にバンとテーブルに手をついて立ち上がり、レストランの外へ駆け出していた。メグの制止する声も聞かず、行く当てもなくただ駆け出した。

 

頭の中は真っ白だったが、脳の中のある一部分は妙に冷静で、一、二ヶ月ほど前のある出来事を思い出していた。その日、兄が一人暮らしをしている社宅にマヤは遊びに行った。そして「男一人の一人暮らしは大変だから家事や片付けを手伝ってあげる」という名目でマヤは家捜しをしてみたのだった。兄貴の好きな巨乳もののエッチな漫画でも出てくるかと思ったら、意外にも出てきたのは女物の下着だった。黒系のセクシーな色合いとフリフリの飾り付けのパンツで、明らかに「勝負下着」というやつだ。男性経験の無いマヤでもそれくらいは分かる。「えー何これ! 誰の!? 兄貴彼女出来たんだ!? ひゅーひゅー! え、てことはついに脱童貞……!? 良かったじゃん兄貴! じゃあ後で感想文提出するように!」。そんなことを言ってめちゃくちゃに煽りまくり、からかいまくったのを覚えている。今ならあれが誰のものだったのかはっきりと分かる。それが分かってしまうとあんなに調子に乗ってからかいまくったのは若干、いやかなり気まずいような気分だ。

 

「メグのだったのかよ、あのパンツ……」

 

マヤのそのつぶやきは木組みの街に吹く一陣の風に乗って、澄みわたる青空へと吸い込まれていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

走りながらマヤは少し泣いた。その涙は、親友だと思っていたメグに人生の一大事を直前まで伏せられていた悲しみが原因だったのかもしれないし、もう二度と戻れない子供時代を懐かしむものなのかもしれなかった。しかし秋の風には頭を冷やす効果があったようで、走り疲れてたどり着いた小さな公園で一休みしているうちに、マヤは冷静さを取り戻していった。さっきはお会計もせずに店を出てきてしまった。流石にメグが会計してくれてはいるだろうけど、そのメグを置き去りにしてしまったのだ。本当は、おめでとう、と誰より真っ先にマヤが言ってあげないといけないのに。一言の相談もなしに話を進めていたのは釈然としないところもあるけれど、とりあえずはメグに謝らないと。お店にはもういないだろうけど、メグの家に行けば帰っているかもしれない。今からメグの家に向かおう――そう思いながら公園を後にしようとしたとき、しかし思わずマヤの足が止まった。隣のベンチから変な声のようなものが聞こえてくるのだ。

 

「うわぁぁぁぁ……。うぇーん……ひっく。う゛ぁあああああ……」

「えっ何これ……。呻き声、いや泣き声……?」

 

地縛霊めいた不気味な唸りに内心びびりながら恐る恐る隣のベンチを見ると、ダークスーツに身を包んだ栗色の髪の大人の女性があたりをはばかることもなく号泣しているのだった。女性の近くには小さい子供たちが集まってきていた。子供たちは「お姉ちゃん大丈夫ー?」とか「飴ちゃん食べるー?」とか口々に言い、女性を心配しているようだった。女性は着ているスーツこそ高級そうだが、横顔を見ると年齢はマヤとそこまで変わらないくらいに見えた。社会人なりたてくらいだろうか。しかしそれにしてもこの横顔には見覚えがあるような。その瞳には見る人をドキッとさせるような理知的な光があり、その表情には見る人を脱力させるような間の抜けた気の緩みが表れているような気がする。焼きたてのパンの匂いとともにこの人の顔を思い出すような、懐かしい感じがする――

 

「って、ココアじゃん!」

 

女性の正体に気づいたマヤは思わず叫んだ。マヤがココアと一緒に過ごしたのは彼女がこの街の高校に通っていたわずか三年間だけだが、強烈に記憶している。街の外から春の風のようにやってきたココアは、高校三年のある日突然になって「私、本気で国際弁護士を目指す!」と言い始めた。周囲も初めは冗談半分と捉えていたのだが、ココアは持ち前の行動力と、いったいどこにそんな力が眠っていたんだろうという驚異的な集中力を発揮し、高校卒業とともに本当に海外の大学へ留学してしまった。ココアがこの街を発つ日、みんなで見送りに行った駅のホームで起こった出来事は今でも昨日のことのように覚えている。「私、泣いたりしませんから。これはココアさんの夢が叶う第一歩なんです。絶対にみなさん笑顔で送り出しましょう」。そう宣言していたはずのチノが、いよいよお別れを告げる発車ベルが鳴り始めると同時に、こらえていたものが決壊するかのようにぼろぼろと大粒の涙を流し始めた。つられてマヤも、他のみんなも大泣きしてしまった。当時のマヤ達にとっては海外留学など別世界の出来事のように思え、ココアが二度と帰らない旅に行ってしまうかのように思えたのだった。しかし長かった留学もいつしか終わり、ココアは弁護士資格を得て帰国し、この国の都会の大手法律事務所で働き始めたと聞いていた。まさか今日この日に木組みの街を訪れていたとは知らなかった。

 

「ぶわぁぁぁ……。うぇ、う゛ぇあああ……。ひっく、ひっくしょい! うぇんわぁゎ……」

 

しかし目の前でまるで子供のように泣き続け、本物の子供からは慰められるココアの姿は「大学から海外留学し、帰国して大手法律事務所でバリバリ働く若き女国際弁護士」という華麗な経歴と肩書が想像させるデキるキャリアウーマン像を全力で裏切っていた。大丈夫か、国際弁護士。そんなんでいいのか、国際弁護士。何があったのかは分からないがとにかくまずはココアを落ち着かせるのが先だ。そう思ったマヤはココアの方に向かって駆け寄る。すると、ココアを囲んでいた子供たちの一人からこう話しかけられた。

 

「ちょっと。もしもし? あなたがこのおねえさんのほごしゃさんかしら?」

「えっ? あ、えーと、うーん?」

 

話しかけてきた少女はここに集まっている子供たちの中でもリーダー格らしい。小学三、四年生くらいだろうか。三つ編みにそばかすで気の強そうな目をしている。「ほごしゃ」というのは「保護者」のことを指すのだろう。別にマヤはココアの親でも何でもないのだけれど、ココアを保護しようとしていると言えばそうだし、何と答えて良いのか分からず曖昧な答えを返すと、肯定と受け取られたらしく少女はこう話を続けた。

 

「はぁ、こまるのよねぇ。だめじゃない、ほごしゃなのにひほごしゃからめをはなしたら。ほごせきにんしゃいきざいってしってるかしら? さんかげついじょうごねんいかのちょうえき。あなたはまだわかいみたいだからじかくがないのかもしれないけれど、あなたのやったことはりっぱなはんざいよ。それにこのおねえさん、さっきからこんなちょうしでずっとなきっぱなしよ。ほごしゃにみすてられてどんなにこころぼそかったか。けいほういぜんに、どうとくもんだいとして、かわいそうとおもわないのかしら? まあこんかいは、さいわいにもそうきにはっけんされたということでけいさつざたにはしないつもりだけれど、つぎみかけたらおなじようにはしないから。つねにめをはなさず、ほごしゃとしてのせきにんをまっとうしてちょうだいね」

 

そう言うと少女はマヤのお尻のあたりをぽん、と叩くと、他の子供たちに目配せをした。とりあえずココアのことはマヤに任せれば大丈夫と思ったのか、少女を先頭に子供たちは満足そうな様子で去って行った。

 

「いや何だったのあの子……」

 

口調こそたどたどしかったが、ココアを放置した場合の法律上の責任について説教されていた、と思う。状況だけ見るとココアとあの少女とどちらが弁護士なのか分かったものじゃない。マヤにしたってココアに会うのは実に六年ぶりなので、それで保護者と言われても困るのだが、この状態のココアを放置するのは道義的に問題があるのは確かだ。マヤは意を決してココアに話しかけた。

 

「ココア、どうしたの? 大丈夫? てか私のこと覚えてる? マヤだよ! 昔よくこの街で一緒に遊んでた」

「えっぐ、ひく……。え!? あ、マ、マヤちゃん!? うわーん、会いたかったー! う゛ぁああああああああ」

 

マヤを認識して一瞬泣き止んだココアは、しかし感極まった様子でまた泣き始めてしまった。ココアを宥めて話を聞き出すのにたっぷり三十分はかかったと思う。マヤの記憶では元々ココアの話は結構要領を得ないようなところがあったし、感情が高ぶっている状態ではなおさら何を言っているのか分かりづらかった。しかもこの六年間で外国の生活に馴染んだせいか、話にところどころ英語まで混ざるようになったのでますます意味が分からない。なんとか話を解きほぐし要約するとこういうことのようだった。

 

弁護士資格を得て帰国し、この国の法律事務所で働き始めたココアは、初仕事として馴染み深い木組みの街の案件を任された。クライアントは木組みの街にも出店しているとある世界規模の大手チェーン企業。色々な事情があって木組みの街への二号店の出店は棚上げされ続けていたのだが、このたびついに店を構えるのに最適な土地が見つかり、ココアはその用地買収の交渉代理人に任命された。しかしその土地というのが、とても権利関係の入り組んだ土地であり、複雑な権利関係を整理して地元の不動産業者も巻き込みながらそれぞれの権利者たちと交渉を進めていくのは予想以上に難航したらしい。当初の想定以上に時間を使ってしまい、クライアントがただでさえお怒り気味のところ、交渉の最後の最後になってとんでもないミスが発覚した。クライアントが買収したかった土地の一角に、ほんのわずかのスペースではあるが、権利者不明の土地があることが発覚したのだ。過去に変な形で土地が分割された結果、そのスペースだけがとある独居老人に所有権が渡ったのだが、その老人が亡くなってしまい今誰の持ち物なのかが不明らしい。ココアいわく、亡くなる時まで老人の持ち物であったとすれば遺族に相続されるはずだが、色々な書類などを調べた結果、亡くなる直前に第三者に譲渡されたのではないかと思われる痕跡もあるとかで、ますます持ち主を分からなくする結果になっているとか。とにかく権利者不明と言うことは、買収したくても誰を相手に交渉すれば良いのかすらも分からないということだ。わずかなスペースとはいえ、そこを避けて店を建てようとするとデザインが不格好になってしまうし、重要な配管を通す計画もあるので避けて通る訳にはいかない。「このままじゃ出店計画が台無しじゃないか! どうしてくれるんだ!」――そうやってクライアントの怒りと責任を一手に押しつけられたのが、可哀想な新米弁護士ココアという訳で、途方に暮れて公園で泣き暮れているのが今の状況という訳だった。

 

「……」

 

話を聞いてココアに同情すると同時に、マヤの頭には色々なツッコミが浮かび上がってきた。まず、クライアントだという「世界規模の大手チェーン企業」のこと。守秘義務があるらしくココアは会社名はぼかした言い方をしていたが、木組みの街に一号店はあるが紆余曲折あって二号店は出ていない、という条件に当てはまるのはブライトバニーしか無いように思えた。それにココアの話だと、責任をココア一人に負わせるのもあまりに酷なように思えた。マヤもビジネスに詳しい訳ではないからよく分からないが、普通そんな大きな計画を進める前にはブラバの側でも十分に事前確認をするのではないだろうか。それを怠った責任をココア一人に押しつけるのは何かおかしいような気がする。「ナツメとエルに連絡して、ブラバ社内で何が起こってるのか調べてもらったら?」。そんな提案が喉まで出かかるが寸前で引っ込める。ナツメとエルにしたって、立場は私たちと同じ学生で、ただお父さんがブラバの社長というだけだ。そういえばエルがフルール・ド・ラパンの土地買収に反対する提案をした時は、結果的には認めてもらったけどお父さんに怒られたと言っていたっけ。まだはっきりしたことも分からない段階でナツメとエルのお父さんの権力を借りようとするのは時期尚早かもしれない。

 

「それで、ココアは木組みの街で何をしようとしてたの?」

「うん、とにかく土地の持ち主を調べる必要があるから、聞き込みで何か分からないかと思って問題の土地の近くにまで来てみたんだけど、予想以上に道が入り組んでて、迷子になっちゃって」

「相変わらずだなぁココアは」

 

マヤが苦笑いしながらそう言うとココアはてへへ、と笑う。失敗したのをごまかすようなその笑顔を見てマヤは懐かしい気持ちになった。海外留学を経て国際弁護士になったと聞いて、ココアは完全に雲の上の人になってしまったと思っていた。しかし、仕事に失敗して子供のように大泣きしているところとか、迷子になっているところとか、マヤの目の前にいるココアは、ちょっと高級なスーツを着ている以外はマヤの良く知る昔のココアと何も変わらない。――マヤとメグの関係は決定的に変わってしまい昔には戻れない予感がしていたけれど、一方でこの世界には変わらないものもあるのかもしれない。そう思うとマヤは自分の気持ちが少しだけ楽になるのを感じた。

 

「聞き込みするんだったら私にも手伝わせてよ。ココアの木組みの街歴は三年だけど、私は二十二年。この街は私の庭みたいなもんだよ。私と一緒にいれば迷子になんてなりっこないし。絶対、その方が良いよ」

 

マヤのその言葉を聞くと、目を赤く腫らしていたココアの顔にはぱあっと笑顔の花が咲いたのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

(ま、迷った……。あんだけ大見得切ったのに、は、恥ずかしい~。こ、こんなところ木組みの街にあったっけ?)

 

数十分後。マヤ、ココアの二人は見事に迷子になっていた。こういうのを何と言うんだっけ。ミイラ取りがミイラになる? ちょっと違う気もする。周りの景色は確かに木組みの街のはずなのに、マヤの知っている街並みとは微妙なズレがあり、マヤの方向勘を絶妙に狂わせているのだった。しかも、今は秋のはずなのに、焦って汗をかいているからでは説明できないくらい暑く感じる。まるで季節が数ヶ月巻き戻ってしまったかのようだ。おまけに蝉の声まであたりに響き始めた。マヤが上着を脱ぐとココアもスーツの上着を脱いだ。ココアはハンカチで汗をぬぐいながら「何だか急に暑くなったね~」と独り言のように言う。決定的に何かがおかしいと気づいたのはココアがこんな一言を発したときだった。

 

「うーん、六年も経つと結構様変わりするんだね。ほら、あそこはフユちゃんが働いてたブラバがあったところだよね? 今は別のお店になってるんだね」

「えっ? 何言ってるのココア、ブラバがなくなる訳……」

 

ココアの指さす先を見てマヤは唖然とした。つい先日までブラバがあったはずの場所にココアの言うとおり別の店があった。そんなに急に撤退してしまうものなのだろうか? いやそもそも今はブラバの二号店を出すための土地についての聞き込みの最中なのだ。二号店を出すのに一号店が撤退とは変な話ではないか。それに木組みの街のような小さなコミュニティでは噂話が出回るのは早い。ブラバのような人気チェーンが無くなるとなれば絶対にマヤの耳にも入るはず。しかもマヤの友達には社長令嬢のナツメとエルと、一号店とオーナーの老夫婦に三年間お世話になっていた当事者であるフユまでいるのだ。そんな話があれば流石に誰か前もって教えてくれるはずだ。

 

「とにかく、知ってる道に出てきたってことは、ここからもう一度地図をたどり直せば必ず目的の土地にたどり着けるはずだよ。慌てず急がずもう一度トライしてみよう」

 

混乱するマヤとは逆にココアの方が冷静さを取り戻してきており、今はココアがリードする形になっていた。マヤはココアの後を追いかけながら、頭を懸命に働かせて今どういう事態が起こっているのか考える。遠い記憶を掘り起こすと、まだマヤが中学生の頃、マヤとココアの二人だけで出かけたら不思議な場所に迷い込んだという事件があった。その時の状況と今の状況は似ている気がする。何で二人だけで探検することになったのか、きっかけはもはや覚えていない。ただその時は見たことの無い古めかしいゲームセンターにたどり着いて、二人はレトロなゲームで白熱した勝負を繰り広げたりして遊んだのを記憶している。しかし翌日になってそのゲームセンターにもう一度行こうとしてもどんなに探しても見つからなかったのだ。マヤとココア以外のみんなはそもそもこの街にそんなゲームセンターは無いと口を揃えて言う。当時は受験前で忙しい時期だったのもあり、その変な体験についてそれ以上深く考えはせず、今の今まで忘れてしまっていた。だが、今になって考えると、あのゲームセンターはもしかして――

 

「うーん、ここだ! ここで間違いないよ。この土地の、あそこらへんからあそこらへんまでが問題の権利者不明の土地」

 

考え事をしているといつの間にか目的地についていたらしい。その土地は一見ただの何の変哲も無い空き地だった。ココアが、ここからここまでだよ、と指で指して教えてくれるが、地面の上に何か境界を示す物がある訳では無いので正直マヤにはよく分からなかった。

 

「……で、これからどうする? 見たところ空き地だから誰も住んではなさそうだけど。手分けして近所の人に話聞いてみようか?」

 

マヤはそう提案しながら何とはなしにあたりを見回した。すると、二人組の子供が空き地の中を歩いているのが目に入った。さっきマヤが説教をされた子供よりもさらに年下くらいの年齢だ。五、六歳くらいだろうか。青い髪をした女の子と赤い髪をした女の子で、青い方の子は頭の高いところで短めの二つ結びにした髪型をし、赤い方の子は天然パーマのふわふわな髪型をしている。それだけだったら何も珍しくない光景だが、二人の子供の会話を聞いたとき、マヤの頭に殴られたような衝撃が走った。

 

「うわぁぁぁん……。やっぱりどれだけさがしてもみつからないよ、マヤちゃん」

「なくなよ、メグ。かならずわたしがみつけてあげるって」

 

「子供が泣いてる……助けてあげなきゃ!」と言いながら二人の方に近づこうとするココアを、すんでのところでマヤは引き留める。「ちょ、ちょっと待ってココア! あの二人、私の推測が正しければだけれど、あれは過去の私とメグだ……。めちゃくちゃな理屈の通らないことを言うけど、落ち着いて聞いて欲しい。私たち、過去の木組みの街に迷い込んでるんだ……」

 

マヤはココアに向かって一気呵成に説明した。さっきからの木組みの街の光景は、マヤが知っているものとは微妙なズレがあり、マヤたちが生きる今の時代とは違う時代のものなのではないかと思われること。ブラバが出店しているはずの場所に違う店があったのも、ブラバが出店する前の過去の世界と考えると辻褄が合うこと。急に暑くなったのも、蝉の声も、今の季節が夏であると仮定すれば自然であること。そして、目の前にいる「マヤ」「メグ」とお互いに呼び合う二人の子供こそ、子供の頃のメグとマヤなのだと。話を聞くとココアの目はみるみる丸くなっていった。

 

「えーっ! そんな、そんなことが……。でもでも、だったらなおさら二人を助けてあげなきゃ!」

「って、ええ……。ココア、私の話聞いてた? 過去の私とメグだよ? 過去に干渉したら何が起こるか分からないよ? どうやってここから抜けだして元の時代に戻るかを考えるのが先なんじゃ」

 

タイムリープもののSF小説などでは、過去の自分に干渉することは禁忌という設定のものが多い。タイムパラドックス。たとえば、現在の自分が過去の自分を殺してしまったとしたら、現在の自分はどうなる? バタフライ・エフェクト。たとえば、過去の自分に対して行った些細な干渉によって、未来の自分が生存しないような結果が導かれるとしたら? ちなみにマヤがそのような小説を嗜むようになったのは、バイト先の常連客の小説家、青山ブルーマウンテンの影響が強いが、他ならぬココアの影響も強い。ココアは何気に小説の類は好きで良く読んでいるのだ。しかしココアはマヤの制止を聞くことはなくこう言うのだった。

 

「でもでもやっぱり、目の前で困っている二人を放っておくことなんて出来ないよ。それにSF小説の話をするなら、過去の自分が元の時代に戻る鍵を握っているっていうパターンもあるし」

 

こうなってしまうと誰もココアを止めることは出来ない。結局ココアに押し切られ、マヤ(幼)とメグ(幼)の話をまずは聞いてみることになった。

 

「ねぇねぇ君たち! どうして泣いてるの? 迷子かな? お困りごとがあったらお姉ちゃんたちに相談してごらん。お姉ちゃんに任せなさーい!」 

「はぁ!? わたしはないてないし! ないてるのはメグだけ! それにここはわたしにとってにわみたいなものだから、まいごになんてならないよ!」

 

ココアが「お姉ちゃんに任せなさーい」をする時のポーズは、マヤの記憶に残っているココアが昔よくやっていた動作そのものでマヤは思わず吹いてしまった。それにしても対するマヤ(幼)の態度もなかなかだ。私ってこんな生意気な子供だったっけ? しかも「ここは私の庭みたいなものだから」という言い方が、先ほど自分が言った台詞そのものであると気づき、自分の成長しなさに呆れるような恥ずかしいような微妙な気分になる。しかしよくよく話を聞いていくとマヤ(幼)は決して虚勢を張っている訳ではなく、メグが泣いている原因は別にあるようだ。

 

「ぐすっ……えぐっ……あのね、おばあちゃんがくれた『たからもの』どこかにおとしてなくなっちゃったの……」

「メグはどんくさいから、どっかでおとしたんだよ。わたしたちいつもこのちかくであそんでるから。おねえちゃんたち、さがしてくれる?」

 

メグの「宝物」をどこかで落としたから、探して欲しいということらしい。マヤ(幼)のきらきらと何かを期待するような目線に射貫かれて、ココアは「はぅっ! そこまでお願いされたら、断る訳にはいかないよ。でもどのへんで落としたのかなぁ。心当たりある?」とやる気になっている。やれやれ。ココアに付き合うしかなさそうだ。

 

「……」

 

それにマヤには、「宝物」がどこにあるのかの心当たりがあるのだった。「……三人とも、ついてきてもらえる? 私はそれがどこにあるのか、多分知っていると思う」。マヤがそう言うと、マヤが冗談ではなく真剣に言っているのを他の三人も感じ取ったのか、神妙な顔つきになりマヤの後に従った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

木組みの街の曲がりくねった道を四人は歩いて行く。マヤにとってはよく見知った道で、たとえ時代が違っても絶対に間違えることはない。今度こそマヤは迷わずに案内役を務めるのだった。程なくして、街並みの中に溶け込んでいる一軒の家が目に入ってくる。他の住人達の目には何の変哲も無い普通の家としか映らないだろう。しかしここはマヤにとっては特別な意味を持つ。その家を見た幼マヤと幼メグも、声を揃えて目を丸くしてこう言うのだった。

 

「「ここ……わたしの(マヤちゃんの)おうちじゃん(だよ)!」」

 

そう、マヤが連れてきたのは、マヤが今も両親達と暮らしているマヤの実家だった。家の見た目は今と比べると多少は新しく綺麗に見えるような気がする。もちろんこの時代にはマヤの兄も一緒に暮らしているはずだ。四人で暮らすには多少手狭なこの家には子供部屋は一つしか無く、兄が自立するまではマヤと二人で同じ部屋をシェアしていた。なのでマヤの趣味は兄の影響を結構受けている。マヤが女の子にしては珍しくTVゲームをよくプレイするのも兄がやっているのを見て自分もやりたくなったからだ。TVは部屋に一台しか無いので、土曜の夜などはどちらがそれを使うかでよくバトルが勃発した。しかし大体はマヤが勝つ結果になったし、負けそうになった時もマヤが最強のカードを切る(「あーあ、いーのかなー兄貴。そんなことしてー。兄貴が隠してるエッチな本の置き場所、お母さんの前で口を滑らせちゃうかもなー。」)と兄が折れてくれた。家ではゲームばっかやってた印象しかない兄貴と、ここにいるちっこいメグとが将来結婚を――ということをマヤは思いだし、複雑な気分になりかけるが、頭を横に振って今は忘れるように努める。マヤは自分の家なので気安く中に入ろうとするが、その時にはっと気づく。今のこの状況、この時代のマヤの家族に見つかると面倒なことになるのでは? 客観的に見ると、幼い子供が自称お姉ちゃんの不審者とその連れの不審者に連れ回され、しかも不審者たちは家に不法侵入を試みようとしているのだ。が、幸いにも共働きのマヤの両親はこの時間は職場のはずだ。兄貴は、今が夏休みだとすれば家にいるかもしれない。けれど、兄貴一人だったらもし見つかっても言いくるめられるから多分大丈夫だろう――と自分で自分を納得させながらマヤは敷地内に足を踏み入れていった。

 

「確かここだったはず……」

 

玄関先にある植木鉢の並びを慣れた手つきでどけていく。するとアザレアの植木鉢とルピナスの植木鉢の間に、白く光る貝殻が落ちているのを発見した。

 

「はい。これでしょ? なくした『宝物』」

 

マヤがそう言いながら幼マヤと幼メグにそれを見せると、二人の目は輝いた。

 

「わーすごーい! どうしてここにあるってわかったの? わたし、じぶんでここにかくしたのわすれてた! ありがとう! マヤちゃんと、おねえちゃんもありがとう!」

 

幼メグはマヤと幼マヤとココアに礼儀正しくお辞儀をする。幼マヤは「じぶんでかくしておいてわすれるなんて!」と幼メグを小突く。一方ココアはまだ状況に追いついてこれていないのか、目を白黒させて小声でマヤにこう聞いた。

 

「マヤちゃん、どういうこと? 何でマヤちゃんが宝物の場所を知って、いやそもそもどうやってこれが宝物だって分かって……」

「『思い出した』んだよ。私が小さい頃、メグが宝物をなくして、こうやって誰かに助けてもらったことがあった。宝物の場所は覚えてたけど、その時どんな人に助けてもらったのかは覚えていない。でも今考えるとあれは『私』だったんだ。未来から来た私が、過去の私とメグを助けた。だから私も私とメグに同じことをした」

 

ココアはまだ理解し切れていないという表情だった。が、そんなココアとマヤの様子には構わず幼メグと幼マヤの会話はまだ続いていた。

 

「じゃあ……はい! このきれいなかいがらは、マヤちゃんにあげる!」

「えっ……いいの? メグがおばあちゃんからもらったたからものじゃん」

「いいの、いいの。もともとそうするつもりだったから。だってきょうはマヤちゃんのおたんじょうびだもん! このいろは、わたしよりマヤちゃんににあうよ」

 

そう言うと幼メグは貝殻にたこ糸を通して簡単なネックレスを作り、マヤの首にかけた。そうだ。このことは忘れていた。見つけた宝物は、誕生日プレゼントとして私が貰ったんだった――。今のこの暑さも、今日が八月八日なのであれば納得がいく。それにしても、照れながら顔を真っ赤にして「あ、ありがとう……」と言う幼い自分の姿をココアと一緒に見るのは何だか気恥ずかしいものがあった。ココアは小声でマヤにこう質問した。

 

「メグちゃんは宝物はおばあちゃんから貰ったって言ってたけど、それってメグちゃんのお祖母ちゃん? それともマヤちゃんのお祖母ちゃんだったりする?」

「いや、そのどちらでもないと思う。私たちが子供の頃、よく遊んでもらっていた近所のおばあちゃんがいたんだ。確かその人から貰ったんだと思う。さっきの空き地の手入れとかをしにここらへんをよく歩いてた。もしかしたら空き地のことも何か知っているかも……」

 

ちょうどその時、幼マヤと幼メグが「たからものがみつかったって、おばあちゃんにもいうからさっきのところにもどるね」と言い始めたので、マヤとココアも一緒についていくことにした。どうせ他に行く当てもないし、小さいマヤとメグから目を離すのも心配だったからだ。当時は自身では何とも思っていなかったが、小さい子供たちだけで外で遊ばせるなんて、マヤとメグの両親はずいぶん大胆なことをしていたものだと思う。だからといって決して放任主義だった訳ではなく、街の人や近所の人が見守ってくれるから安全と思っていたからこそそうしたのだろう。マヤとメグは両親たちだけでなく色んな人たちに見守られて育ってきたのだと、今更のように実感する。

 

マヤ達が空き地に戻ってくると、果たしてそこにはメグに貝殻をプレゼントした「おばあちゃん」の姿があった。日差し避けのクロッシェ帽子を頭に被り薄手の花柄のシャツに身を包んだ上品な老婦人然としたその姿は、マヤの記憶にある姿そのままだ。老婦人の目からすると、夏なのに長袖のワイシャツを着てスカートスーツを履いたココアと、そのままフィールドワークにでも行けるようなラフなジーンズ姿のマヤはかなり奇妙な取り合わせに見えただろうが、気にした様子もなく愛想良く二人にも挨拶してくれる。

 

「ねぇねぇおばあちゃん! かいがらみつかったの! このおねえちゃんたちがさがしてくれて……」

 

幼マヤと幼メグはお互い先を争うように今あった出来事を説明し始める。二人の話はあっちこっちに脱線し、時に幼マヤが幼メグの話に茶々を入れたりしてなかなか先に進まなかったが、老婦人はにこにこと「そうなの」「よかったわねぇ」といった相槌を入れながら聞いていた。実際に植木鉢の間から貝殻を見つけるところのくだりはマヤが話を引き取って説明した。流石に「私は未来から来て……」というぶっ飛んだ説明をする勇気はなかったので、偶然にそこにあったのを見つけた、という風に聞こえるように説明した。それを聞くと老婦人はマヤとココアに丁寧にお礼を言うのだった。

 

「二人とも、ありがとうね。メグちゃんはこの貝殻をなくした時に本当に落ち込んでいて、見ている私の方が辛いくらいだったのよ。代わりをあげられるものなら良かったんだけど、これは私も旅行先でたまたま拾ったものだから、すぐに代わりを準備するという訳にもいかなくてね。重ねてお礼を言わせてちょうだい」

 

老婦人は目を細めながらこう続ける。

 

「元々、自分の土地くらいご近所さんのためにも綺麗に保っておこうと思ってここに通い始めたんだけれどもね。いつのまにか空き地で遊んでいるこの子たちと仲良くなっちゃった。私は夫に先立たれ、子宝に恵まれなかったから、二人のことは孫同然に思っているの。私も持病のある身だから、手入れするのも決して楽ではないのだけれど、マヤちゃんとメグちゃんに会うのだけが日々の楽しみで、それで続けられているのよ。見たところ、あなたたちは旅行者、ではないわよね? 迷子、っていう年齢でもないだろうし……。何か手伝えることがあるのだったら言ってちょうだい。私に出来ることならお手伝いするわ」

 

マヤとココアは目を見合わせる。聞き間違いでなければ今この老婦人は「自分の土地」と言っていた。「あ、あの! じゃあこの土地のこと……詳しく聞かせてくれませんか!」ココアがそう切り出すと、老婦人は予想外の申し出に驚いた様子になりながらも快く応じてくれた。

 

話を聞くと、やはりココアの探していた権利者不明の土地の持ち主がこの老婦人であるらしい。元々この空き地は老婦人の曾祖父にあたる人物が事業に使おうと思って取得していたのだが、土地を買った直後に大恐慌が到来、事業を拡大するどころではなくなり、結局何にも使われないままになっていたらしい。そのまま曾祖父が亡くなったため、土地は老婦人の祖父やその兄弟たちに相続されることになったのだが、親戚間の仲が良くなく、この土地を誰が所有してどういう用途で使うのか、最後まで話し合いがまとまらなかったため、土地の分割が繰り返される結果となり、最終的には使い道のない中途半端な土地が老婦人の手元に転がり込む形になったのだという。

 

「空き地全体が使えるならまだしも、これっぽちの土地持っていても仕方無いんだけれどもね。税金がかかり続けるだけだから、ただでも人に譲ってしまった方が良いんだけど、あまりに使い道がなさすぎて貰い手がつかないから」

「あ、あの! それだったら……」

 

老婦人の言葉にココアは俊敏に反応した。ココアはこの空き地を利用する計画があるという事情を説明した。そして計画のためには老婦人の持っているわずかのスペースも必要になるということも。老婦人は話を聞いて、そんな計画があったなんて全く聞いてなかったわ、とびっくりした様子ではあったが(未来の話なのだからそれはそうだ)、それだったら、と言ってその場を後にすると、しばらくして書類を手にして戻ってきた。マヤにはよく分からないが、土地の権利書だろうか。

 

「あなたがこれを必要とするなら……これはあなたが持っていた方が良いと思うの。どっちみち使い道がなくて持て余していたものだし、どうか持って行ってくださる?」

「おばあちゃん……!」

 

ココアは藍色の大きい瞳をうるうると潤ませていた。いざ権利書を受け取る時には完全に大泣きモードに入っていて、「う゛ぁあああ……本当にあ゛り゛がどう゛ー゛!」と涙ボロボロになり「あらあら……そんなに泣くと大事な権利書が濡れちゃうわよ」と老婦人に苦笑されていた。そんなココアは泣きじゃくったままでかばんをごそごそと探し、一枚の書類を取り出してこう言うのだった。

 

「ひっく、あっ、あのっ! で、手続ぎ、権利書、渡すだけじゃ、だめな゛ので……ごっ、こっちの、譲渡契約書にもさ、サインを゛……」

 

今度はマヤと老婦人の二人で顔を見合わせて思わず苦笑した。感極まっているように見えてもしっかり手続きも把握していて抜かりがないということらしい。今日一日ココアと一緒に過ごして、昔とちっとも変わっていない気がしていたけれど、こういうところはちゃんと弁護士なんだな、六年前と一緒のように見えても、変化し、成長しているんだ――マヤはそんな感想を今更のように抱くのだった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

書類手続も無事に終わり、マヤとココアは三人に別れを告げてその場を去った。幼マヤと幼メグは「おねえちゃんたち、またあおうね!」と言って見えなくなるまで手を振り続けてくれていたし、老婦人は「土地のことで困ったことがあったらいつでも連絡ちょうだいね」と連絡先を教えてくれたが、もう会うことはないであろうとマヤとココアは知っていた。特に老婦人は、ココアが最初に説明してくれた情報が正しければ、もうこの後長くは生きられずに亡くなるのだ。マヤは目に涙を貯めているのを三人に悟られないよう、敢えて後ろを振り返らずに歩き続けた。

 

何となく、この時代で成すべき事は成し終えたので、元の時代に帰る時だろうという予感がしていた。そして実際にそれは当たった。しばらく歩くとマヤとココアは突然視界を失うほどの深い霧に包まれた。それでも歩き続けると、だんだんと周りが涼しくなり、完全に秋のような気温になったところで霧が晴れた。そしてその時にあたりに広がった木組みの街の光景は、ちゃんとマヤの記憶と一致する今の時代の街並みだった。街頭の売店で売られている新聞の日付がマヤの認識している「今日」の日付であると確認したとき、マヤは思わずほっとため息が出た。

 

さて、現代に帰ってきたマヤにはやらなければならないことがあった。もちろん、メグの結婚について、メグともう一度会って話し合わないといけない。だがその前に一つだけ確かめたいことがあった。マヤは自分の家に立ち寄ると、埃まみれになりながら物置の中の戸棚を探す。確かマヤの昔のおもちゃ類はここにあったはずだ。そして引き出しの一つで、ボロボロになった菓子箱に保管された「それ」を発見できた。そう、十五年以上前のあの日、メグから誕生日プレゼントとして貰った白い貝殻のネックレスだ。ネックレスの糸は経年劣化で黄色く変色しあまり綺麗とは言えない状態になっていたが、貝殻の白い輝きは今でも変わっていなかった。マヤは貝殻を耳に当てる。波の音は聞こえなかったが、あの夏の木組みの街に響きわたっていた蝉の声と、「このいろは、わたしよりマヤちゃんににあうよ」と言った幼馴染の声が聞こえる気がした。マヤは貝殻を耳に当てたままさらに回想する。あの日、メグは貝殻をくれたが、本当はそんなものを貰わなくてももうプレゼントは貰っていたのだ。植木鉢の間から貝殻を見つけた時のメグの笑顔。それこそがマヤが本当に欲しかったものなのだ。マヤとメグはよく二人で宝探し遊びをしていた。街の中で偶然に見つけたシストの地図を使うこともあったし、自分たちで勝手に決めたお宝を探しに行くこともあった。あの頃のメグはのろくてどんくさかったから、マヤがいつも引っ張ってリードしていた。でも、この世に移り変わらないものなどない。木組みの街の風景はずいぶん様変わりしたし、春の嵐のように街を訪れたココアは六年の時を経て国際弁護士になった。小さい頃よく遊んでくれた老婦人は今はお墓の下で静かに眠っている。メグは、まるで蛹を経て美しい蝶になるような成長を遂げた。私も変化を受け容れる時なのかもしれない――マヤの心の中にはそんな心境の変化が起こっていた。

 

「メグ……さっきはごめん。改めて、結婚おめでとう」

 

メグの家を訪れたマヤはメグの目をまっすぐ見てそう言った。

 

「ううん、マヤちゃん、こっちこそごめん。マヤちゃんの院試の結果出るまでは邪魔しない方が良いかなとか、変に気を遣っちゃって、言うのが遅くなっちゃって……」

 

マヤとメグはほぼ二十年の付き合いの幼馴染なのだ。これくらいで二人の絆が壊れはしない。これからは幼馴染としてだけではなく家族としても、共に歩んでいく。そんなことをお互いに確認し合った。

 

「それにしてもメグが兄貴とか~。全然気づかなかったよ。ん、てことはメグは私のお義姉さんになるってこと……? じゃあ今日から『お姉ちゃん』って呼んだ方がいい?」

 

上目遣いで目をうるうるさせながらそう言うマヤにメグは苦笑しながら答えた。

 

「うわ~、なんか悪い意味で鳥肌立ちそう……。そこは今まで通りでいいよ」

 

その日の夜はマヤの家で婚約パーティーが開かれることになった。パーティーと言っても参加者は条河家からはマヤの両親とマヤの兄とマヤの四人、奈津家からはメグの両親とメグの三人だけというささやかな身内だけの食事会だ。だが面白いことに、突然ココアもそこに飛び入り参加することになった。メグの結婚の話にはココアも初耳で当然びっくりしていたが、流れでメグの家で一緒に話を聞いているときにメグの両親から誘われ、マヤの両親も乗り気になったのだ。身内だけの会に突然招かれても遠慮するでもなく「いやー、こんなおめでたいパーティーに同席できて光栄ですなぁ」と屈託の無い様子で笑顔を浮かべるのはいかにもココアらしかったし、両親たちも「ココアちゃんしばらく見ない間に本当に立派になったねぇ。ココアちゃんはうちの街の誇りよ」「うちの子のおめでたい場に国際弁護士に来てもらえるなんて、こちらこそ光栄だなぁ」となぜか嬉しそうな様子だった。ココアは昔から、その場にいるだけで人から愛されるような不思議な魅力があるのだ。

 

パーティーでは八人掛けのテーブルにココアとマヤ、マヤ兄とメグ、マヤとメグの両親たちがそれぞれ向かい合わせになるように座った。テーブルの上にはマヤとメグの両親達が腕をふるった料理が並んだ。料理はハンバーグに餃子、具だくさんのシチューにスパゲティなど、気取りすぎず家庭的で、しかもどれも結婚する二人の好物ばかりだった。マヤの兄がハンバーグをがっつきすぎてデミグラスソースを口の周りにつけてしまうと、メグは「もう、本当にしょうがないんだから」と言いながらテーブル越しに手を伸ばしてマヤの兄の口元を拭ってあげていた。その時のメグの横顔は、マヤが見たことがないほどの優しい目をしていた。それを見た時、マヤは気づいた。昔は、マヤがリードしてメグのために「宝物」を探してあげていた。それから十何年が経って、メグはついに自分の力で自分の「宝物」を見つけたのだ。それは、貝殻がマヤの家の植木鉢の間に隠されていたのと同じように、元々マヤのすぐ近くにあったのだ。宝物を見つけた時のメグの喜ぶ顔が楽しみでしょうがなかった小さな頃のマヤが知ったらきっと喜ぶことだろう。いつも隣にいてくれたはずのメグがマヤよりも先を行ってしまったことについては、ちょっとだけ悔しがるかもしれないけれど。

 

それにしても、結婚か。まるで自分事としては考えていなかったけれど、自分もいつか「宝物」と言えるような人と巡り会う時がくるのだろうか。メグを見習って、私も身近なところからでも探し始めてもいいのかもしれない――自分の兄とメグとの幸せそうに談笑する横顔を眺めながら、そんな物思いに耽るマヤだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。