異端児が異世界から来る。 (全智一皆)
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序章「狂人の異端児」

来てやったぞ異世界風情。
「上から目線にも程があるわね」
「ヤハハ、有り余る元気があって良いこった」
「問題児よりも問題児なのですよ!」


 

■  ■

 灰色の雲に覆われた天と、その天からポタポタと降り始めた雨水を髪と服で受け止めながら、詰路諦はベンチに腰を降ろして、眼前に広がる景色を見て呟いた。

「壊すには、まだ早かったか。」

 一切の明かりが灯されておらず、窓は所々割れていて、壁は傷付いていた。

 人の気配など無かった。生き物の気配など無かった。特徴的なものは、何も無かった。

 彼の眼の前には、ただ廃れた町の姿だけが在るだけで、それ以上の何かがある訳でもなかった。

 否、そもそも。

 その光景自体が、あまりにも“異常”なものである事は明白だった。彼以外には誰も居ないが、誰もがそう思うという事実は間違いなかった。

「まぁ、どちらにせよ検証は成功か。やはり壊す方が簡単で実に良い」

 『一つの町を守るのと一つの町を壊すのはどちらが簡単か』という狂気に満ち溢れたその検証の最終段階へ進んだ、その結果。

 彼が守り続けた町は守護者であった筈の彼の手によって、呆気なく破壊された。

 蹂躙された訳ではなく。殺戮が犯された訳でもない。

 ただ、壊されたというだけ。彼が自らの手で、守り続けてきた町をまるで蟻を踏み潰すかの如く簡単に破壊したという、それだけの事だった。

「…もう、この町も用済みだな。次は何処に行ったものか」

 彼がベンチから立ち上がったその瞬間。

 つい先程まで腰を降ろして座っていた筈のベンチがぱき、ぱき、とまるで木の枝が折られたかのような、そんなか弱い音を立てて崩れ去った。

 比喩ではない。夢幻でもない。正真正銘の、紛れもない現実だ。

 踵を返し、彼は振り返る事もなく自ら壊し、廃れさせた町にひらひらと手を振った。

 まるで、後ろに居る友人が「またな」と言った際に、言葉ではなく行動で答えるかのように。

 そんな、何気ない行動を起こして彼は去った。

 彼が去ったと同時に、廃れた町は、“かつての平凡普通な活気溢れる町”に姿を変えてから、大きな穴が開けられた硝子の如く、脆くも崩れ去ってしまった。

「これで五回目、か。はぁ…やっぱり、こんな平々凡々な世界じゃ簡単過ぎる。もっと別の世界じゃないと。魔物とかが居るだけの世界じゃダメだ。そう―――修羅神仏に溢れた世界じゃないと」

 彼の力は、あまりにも異質で常識から遠くかけ離れたものであった。

 才能と呼ぶには、あまりにも異質。

 能力と呼ぶには、あまりにも特異。

 そんな力を持って産まれた彼が生きる世界は、現実世界のような平々凡々のものではない、無茶苦茶な世界でなければならない。

 モンスターが存在しているようなファンタジーな世界では意味が無い。たかだか魔物程度でどうこうなる力ではないから。

 

 空は、晴れなかった。雨は、止まなかった。

 しかし、ひらひらと一通の手紙が彼の元に舞い降りた。

 それはまさしく、彼の運命を変えるものであり、天使からの手紙だった。

 




ストックでやっていくぜ。


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第一章「異端児が異世界から来た」
異端の狂人


『多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい。』
古代ギリシャの哲学者、ピタゴラス。


■  ■

 彼を含めた四人は、突如として上空に喚び出され、その挙げ句に上空から池へと高速で落下た。

 大きな水飛沫が上がり、服はびしょ濡れになってしまった。

 だが、彼はそんな事を気にしなかった。

 上空から落下したというにも関わらず、彼と一人の青年はまるで何事も無かったかのように立ち上がり、陸へと上がったのだ。

「なんだ、お前は平気そうじゃねぇか」

「たかが上空から落下した程度で慌てるものでも無いだろ。こんな地味な被害を被るなら、石化した方がまだ新鮮だった。」

「意見が合うじゃねぇか。俺も石の中に呼び出された方がマシだったぜ」

 ヤハハ、とヘッドフォンを付けている金髪の青年が笑う。

 彼は水が滴る自分の髪を乱暴に掻き乱し、辺りを見回して一人の青年と二人の少女と一匹の猫を目視する。

 金髪の青年。見た目は明らか不良のそれ。

 黒髪の少女。見た目は明らかお嬢のそれ。

 茶髪の少女。見た目はかなり普通のもの。

 三毛猫。何の変哲もない、ただの三毛猫だ。

「…石の中じゃ動けないでしょ?」

「俺は動けるから問題無ぇよ」

「同じく。自分が動ければ問題無い」

「そう、野蛮ね」

 お嬢様であろう少女から野蛮だと言われても、しかし二人は気にせずの態度だった。

 二人の少女と一匹の猫も陸へと上がり、自分達の現状を再認識している。

 突如として喚び出され、上空から池へと落下するとはこれ如何に。

「一応確認しとくが、もしかしてお前らにもあの変な手紙が?」

「そうだけど、そのお前って呼び方を訂正して。私は久遠飛鳥よ。以後気を付けて。…それで、そこの猫を抱き抱えている貴方は?」

「春日部燿。以下同文」

「そう。よろしく春日部さん。で、野蛮で凶暴そうな貴方は?」

「高圧的な自己紹介をありがとよ。見たまんま野蛮で凶暴な逆廻十六夜です。粗野で凶悪で快楽主義者と三拍子揃ったダメ人間なので、用法と容量を守った上で、適切な態度で接してくれよ、お嬢様?」

「取り扱い説明書を書いてくれたら考えてあげるわ…。それで、最後の貴方は?」

「異端児、狂人、罪人の三つが呼び名の探究心と研究心に満ち溢れた、好奇心旺盛で年頃の少年のような性格をした研究者もどきの詰路諦だ。人生詰みの詰に、袋小路の路、諦観の諦で詰路諦だ。気になる事があればその事に集中して周りを気にしない危険性がある事が特徴だ。よろしくしたいのだがよろしく出来る確証はない。が、それでも構わないというのならば以後よろしく」

「長々とありがとう、詰路くん」

「ヤハハ、面白ぇじゃねぇか」

 

 心からけらけらと笑う逆廻十六夜。

 傲慢そうに顔を背ける久遠飛鳥。

 我関せず無関心を装う春日部耀。

 手を顎に当てて思考する詰路諦。

 そんな彼らを物陰から見ていた黒ウサギは思う。

(うわぁ……なんか問題児ばっかりみたいですねぇ……)

 召喚しておいてアレだが………彼らが協力する姿は、客観的に想像できそうにない。黒ウサギは陰鬱そうに重たくため息を吐くのだった。

 

            ✻

 十六夜は苛立たしげに言う。

「で、呼び出されたはいいけどなんで誰もいねぇんだよ。この状況だと、招待状に書かれていた箱庭とかいうものの設定をする人間が現れるもんじゃねぇのか?」

「そうね。なんの説明も無いままでは動きようがないもの」

「全く以てその通りだ。」

「……。この状況に対して落ち着き過ぎているのもどうかと思うけど」

(全くです)

 黒ウサギはこっそりツッコミを入れた。

 もっとパニックになってくれれば飛び出しやすいのだが、場が落ち着き過ぎているので出るタイミングを計れないのだ。

(まぁ、悩んでいても仕方がないデス。これ以上不満が噴出する前にお腹を括りますか)

 三者三様ならぬ四者四様の罵詈雑言を浴びせている様を見ると怖気づきそうになるが(特に十六夜と諦に)、此処は我慢である。

 ふと十六夜がため息交じりに呟く。

「―――仕方がねぇな。こうなったら、“そこに隠れている奴にでも”話しを聞くか?」

 物陰に隠れていた黒ウサギは心臓を掴まれたように飛び跳ねた。

 四人の視線が、黒ウサギに集まる。

「なんだ、貴方も気付いていたの?」

「当然。かくれんぼじゃ負け無しだぜ? そっちの猫を抱いてる奴も狂人くんも気付いてたんだろ?」

「風上に立たれたら嫌でもわかる」

「この空間に存在しているのならば、生命の認識は容易だろうさ」

「……へぇ? 面白いな、お前ら」

 軽薄そうに十六夜は笑う。だが、その目は一切笑ってはいなかった。

 三人は呼び出されて早々びしょ濡れにされた理不尽さを腹いせに殺気の籠もった冷ややかな目線を黒ウサギに向ける。…一人だけは、少しばかり目を輝かせて黒ウサギを凝視していた。誰なのかは、言うまでもないだろう。

 黒ウサギはやや怯んだ。

「や、やだなぁ御三人様。そんな狼みたいに怖い顔で見られると黒ウサギは死んじゃいますよ? えぇ、えぇ、古来より孤独と狼はウサギの天敵にございます。そんな黒ウサギの脆弱な心臓に免じてここは一つ穏便に御話を聞いていただけたら嬉しいでございますヨ?」

「断る」

「却下」

「お断りします」

「ふむ、ではティンダロスの猟犬でも呼んで事実性の確認でも…」

「あっは、とりつくシマも無いですね♪ って、一人だけ有りとんでもない事を宣言しましたね?!」

「孤独と狼に対する恐怖心が絶対である事を試すにはティンダロスの猟犬が最適だろうよ。」

「ひぃぃ!」

 顔を真っ青にして、自分の体を守るように自分の手で体を抱いてガタガタと震えて見せる黒ウサギ。

 しかし、その目は冷静に彼ら四人を値踏みしていた。

(肝っ玉は及第点。この状況でNOと言える勝ち気は買いです。まぁ、扱いにくいのは難点ですけども…特に最後の御方! 魔導書無しでティンダロスの猟犬を喚び出せるなんて恐ろしいにも程があります!)

 ティンダロスの猟犬。

 それは、米国ことアメリカで生きていた有名な小説家の一人であるハワード・フィリップス・ラブクラフトが書いた宇宙的恐怖を題材とした小説『クトゥルフ神話』に登場する獣の事である。

 異次元に巣食う独立種族。出会えば最後、その者は死ぬ事が決定されている。

 一度でも出会えば、逃げ込んだ先が次元の間であろうと追い掛けてくる執着性を有しており、更には時間の角を通り過去、未来を自在に行き来する事が出来るという理屈不明な能力すら有している。

 修羅神仏が生きる箱庭においては大して珍しいものではないが、しかし厄介である事には変わり無いし面倒な事にも変わりはない。

 黒ウサギにとっても、大変恐ろしいものである。

 それを容易く呼び出そうとしている彼、もとい諦とその他問題児をどう扱ったものかと黒ウサギは震えながら(まだ呼び出していないとは言えども恐ろしいものは恐ろしい)思考する…と。

 春日部耀が黒ウサギの隣に立ち、黒ウサ耳を根っこから鷲掴み、

「えい」

「フギャ!」

 力いっぱい引っ張った。

「ちょ、ちょっとお待ちを! 触るまでなら黙って受け入れますが、まさか初対面で遠慮無用に黒ウサギの素敵な耳を引き抜きに掛かるもは、どういう了見ですか!?」

「好奇心の為せる業」

「自由にも程があります!」

「へぇ? このウサ耳って本物なのか?」

 今度は十六夜が右から掴んで引っ張る。

「………。じゃあ私も」

「ふむ…では、俺はその様子を観察させてもらうとするか」

「ちょ、ちょっと待―――!」

 今度は飛鳥が左から。そして真ん中には諦が座り込んだ。

 左右から力いっぱい引っ張られた黒ウサギは、言葉にならない悲鳴を上げ、その絶叫は近隣に木霊した。




私が語ろうとする事は、少しの言葉では語れないのです。


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語る事は軽く、しかし言葉は重く。

『多くの愚者を友とするより、一人の智者を友とするべきである。』
古代ギリシャの哲学者、デモクリトス


           ✻

「――――あ、あり得ない。あり得ないのですよ。まさか話しを聞いてもらうために小一時間も消費してしまうとは。学級崩壊とはきっとこのような状況を言うに違いのデス」

「いいからさっさと進めろ。でなけりゃ詰路がマジで呼び出すぞ」

「任せろ」

「任されないでください! 説明します、しますから!」

 半ば本気の涙を瞳に浮かばせながらも、黒ウサギは(内心結構ガチで焦りながら)何とか話を聞いてもらえる状況を作り出した。本当に、何とか作る事が出来た。

 四人は黒ウサギの前の岸辺に座り込み、彼女の話を『聞くだけ聞こう』という程度には耳を傾けている。

 黒ウサギは気を取り直して咳払いをし、両手を広げて、

「それでは良いです、御四人様。定例文で言いますよ? 言いますよ? さぁ言います! ようこそ、"箱庭の世界"へ! 我々は御四人様にギフトを与えられた者達だけが参加出来る『ギフトゲーム』への参加資格をプレゼントさせていただこうかと召喚しました!」

「ギフトゲーム?」

「そうです! 既に気付いていらっしゃるでしょうが、御四人様は皆、普通の人間ではございません! その特異な力は様々な修羅神仏から、悪魔から、精霊から、星から与えられた恩恵でございます。『ギフトゲーム』はその"恩恵"を用いて競い合う為のゲーム。そしてこの箱庭の世界は強大な力を持つギフト保持者がオモシロオカシク生活出来る為に造られたステージなのでございますよ!」

 両手を広げて箱庭のアピールをする黒ウサギ。飛鳥は質問する為に挙手した。

「まず初歩的な質問からしていい? 貴女の言う"我々"とは貴女を含めた誰かなの?」

「YES! 異世界から呼び出されたギフト保持者は箱庭で生活するにあたって、数多とある"コミュニティ"に必ず属していただきます♪」

「嫌だね」

「属していただきます! そして『ギフトゲーム』の勝者はゲームの"主催者"が提示した賞品をゲットできるというとってもシンプルな構造となっております」

「……"主催者"って誰?」

「様々ですね。暇を持て余した修羅神仏が人を試すための試練と称して開催されるゲームもれば、コミュニティの力を誇示するために独自開催するグループもございます。特徴として、前者は自由参加が多いですが"主催者"が修羅神仏なだけあって凶悪かつ難解なものが多く、命の危険もあるでしょう。しかし、見返りは大きいです。"主催者"次第ですが、新たな"恩恵"を手にすることも夢ではありません。

 後者は参加のためにチップを用意する必要があります。参加者が敗退すればそれらはすべて"主催者"のコミュニティに寄贈されるシステムです」

「後者は結構俗物ね。………チップには何を?」

「それも様々ですね。金品・土地・利権・名誉・人間………そしてギフトを賭けあうことも可能です。新たな才能を他人から奪えばより高度なギフトゲームに挑む事も可能でしょう。ただし、ギフトを賭けた戦いに負ければ当然―――ご自身の才能も失われるのであしからず」

「……………なるほど。」

 黒ウサギは愛嬌たっぷりの笑顔に黒い影を見せ、諦は深く考え込むように仕草する。

 挑発ともとれるその笑顔に、同じく挑発的な声音で飛鳥が問う。

「そう。なら最後にもう一つだけ質問させてもらっていいかしら?」

「どうぞどうぞ♪」

「ゲームそのものはどうやったら始められるの?」

「コミュニティ同士のゲームを除けば、それぞれの期日内に登録していただければOK! 商店街でも商店が小規模のゲームを開催してるので良かったら参加してくださいな」

 飛鳥は黒ウサギの発言に片眉をピクリとあげる。

「………つまり『ギフトゲーム』とはこの世界の法そのもの、と考えても良いのかしら?」

 お? と驚く黒ウサギ。

「ふふん? 中々鋭いですね。しかしそれは八割正解の二割間違いです。我々の世界でも強盗や窃盗は禁止ですし、金品による物々交換も存在します。ギフトを用いた犯罪などもってのほか! そんな不逞な輩は悉く処罰します―――が、しかし! 『ギフトゲーム』の本質は全く逆! 一方の勝者だけが全てを手に入れるシステムでございます。店頭に置かれている商品も、店側が提示したゲームをクリアすればタダで手にすることも可能だということですね」

「そう。中々に野蛮ね」

(犯罪は無理か…ちっ。)

「ごもっとも。しかし、"主催者"は全て自己責任でゲームを開催しております。つまり奪われるのが嫌な腰ぬけは初めからゲームに参加しなければいいだけの話でございます」

 と、殆どのルールを黒ウサギが説明し終えた時だった。

 それまで大人しく説明を聞いていた諦が、突如として立ち上がって、南の方向に歩き出したのだ。

「ど、どうかなさいましたか?」

「いや、黒ウサギの説明を聞いて更なる興味が溢れた故な。我慢が効かなくなった。取り敢えず手始めに、この箱庭という世界の果てまで探査兼冒険しよう思ってな。」

「えぇ!? こ、困ります! 諦さんにも我々のコミュニティに属していただきますのに」

「安心しろ。君達のコミュニティとやらにはちゃんと属するさ。向こうにあるドームで覆われた街に行くのだろ? なに、冒険した後に、君たちと合流出来るよう其処に向かうさ。まぁ、少々周囲に天災の被害が残ってしまうだろうが…そこは寛大寛容な心で赦してくれ。それでは諸君、また会おう」If you can meet and make friends.

 

 狂人に、友が出来るか否かは君たちが決めなさい。

 

 

            ✻

 心地良い風が吹いて、木々の葉が揺れる自然地帯。

 ナイアガラの滝よりも長く、大きな滝の水飛沫によって虹が架かっているその光景は、まさしく絶景と呼ぶ他無い。

 そんな、景色に―――滝のような鮮血が、溢れて架った。

『―――…………』

「ふむ。これはこれは…中々に興味深い。『神格』が“原典”よりも薄くなってはいるが、それでも神格の保持者か。流石は“アステカ文明の最高神ケツァルコアトル”、その力を与えるに相応しい力を持った蛇。人類に火をもたらした太陽神の力は、伊達ではなかったな。」

 諦の眼の前には、血の海とその上に大きな死体が出来上がっていた。

 諦が作り出した、凄惨な現場。アステカ文明の最高神、平和の豊穣の創造神にして人類に火をもたらした太陽神であるケツァルコアトルの『太陽神』としての力を授けられた蛇神の死体。

 鮮血は、諦のものではなかった。

 神格を与えられた蛇神の、切り裂かれてしまった腹部から零れる程に溢れ、滝のように流れた綺麗な真っ赤の液体。

 眠っていた所を突如として現れた人間に襲われ、噛み付かんと開いた口の中に仕組まれた大きな牙を呆気なく折られた蛇。

 木の枝で目を貫かれて潰され、蜻蛉の翅を毟り取るように簡単に白い翼を根っこから引っこ抜かれ、更には内臓が有る部位を的確に殴打し続けて破壊された。

 そして遂には、心臓が有る部位の腹を引き裂かれた。

 無論の事、蛇神は絶命した。太陽神の力の一端すら使う事を許されずに呆気なく、その命を終えられた。

「まぁ、取り敢えず。貴様の心臓は抜き取らせてもらおう。太陽神の力が宿った心臓、神格の根源だ。売れば高値だろうしな。」

 自ら引き裂いたその腹部に腕を突っ込み、その中心部に有る物を掴み取って引き抜いた。

 あまりにも眩しく、常人であれば失明してしまう神々しい光を放つ熱き球体の心臓。

 溶岩のように赤く、そして太陽の如く熱い。これこそが、太陽神の神格を象徴する力の塊。

 神格の根源である力の塊を売ってしまえば、その値段の桁は八を越えるだろう。

「とは言え…このままは忍びない。というか、俺が勝手に殺しただけだが。重要な物は頂いた訳だし、その礼として」肉体と意思の再構成はしてやらねば、な。

 パチンッ―――と、指を鳴らす。

 物質や物体というものは、粒子という概念が基本のものであり、粒子が無ければ物質や物体は構成されていない。

 素粒子、原子や分子なども粒子という概念に当て嵌まるものであり、それらが有るからこそ物質や物体は構成されている。

 また、量子も物質や物体の構成に必要なものであり、生命という物理的物体が引き起こす物理現象における物質量の最小単位だ。

 人類だけに限らず、生命とは肉体と魂の二つが有って成り立つものであり、それは神も例外ではない。

 神が肉体や魂を必要としていない、光やら宇宙やらの超次元的かつ超越的存在であったとしても、宇宙や光を構成するのは必ずしも粒子である。

 あらゆる物質や現象は、必ずしも何らかの『源』がある。

 分子や原子、または電子などの微視的な物理現象を記述する量子力学や一般相対性理論などを元にして、古くからそれらは証明されてきた。

 世界を構成するのは粒子。現象を構成するのもまた、微小で極小な因子である。

 ここまで少々長々しく、そして理解が困難なことばかりを述べてきたが、これは彼が何をしたのか説明する為のもの。

 彼が蛇神に何をしたのか?

 その答えは、やった事自体を理解する事は実に簡単だけれど、しかしどうやってそんな事をしたのかは理解不能な、偉人の御業。

 彼は、量子世界に一時干渉し、視界に入れた量子を観測して、そこに『肉体と意思の再構成』という入力をして蛇神の肉体という物質と意思という現象を再構成したのだ。

 常人では決して行えないし考える事も出来ない、辿り着く事も出来ない異常の境地。

 量子力学に支配された世界を量子世界と呼び、その量子世界は亜空間のようにありとあらゆる法則が存在せず、何が起こるか全く分からない未知に溢れた世界である。

 その世界を観測し、しかも干渉までするというのは常人の域から大きく逸脱した行為だ。

 かの有名な大天才アインシュタイン博士であろうとも、量子世界の観測をした事は無いし、したという証拠も見つかっていない。

 だが、詰路諦はそれを為した。

 呆気なく、いとも簡単に。

「ではな、蛇神。またいつか会おう。復讐であれ何であれ、友になれれば良いな」

 

           ✻

「諦さんはなんて馬鹿げた事をやらかしたんですか!?」

「馬鹿げた事ではあるが、しかしコミュニティの為になるものだっただろう? ケツァルコアトルの太陽神としての神格が宿された蛇神の心臓。桁が八になるのは予想外ではあったが、実に良い利益だった。」

 パァン! と黒ウサギが振るったハリセンの良い音が響き渡る。

 だが、諦は一切動じなかった。黒ウサギの力で振るわれたハリセンが脳天に直撃したにも関わらず、一ミリとして体を動かさず、太陽神としてのケツァルコアトルの神格が宿った蛇神の心臓を売り払った事で手に入れた大金をジンへと投げ渡した。

「重っ!?」

「桁が八だぞ? 重たいのは当たり前だろう。」

 大金が入った袋がジンの手に触れたその瞬間、ジンの腕に錨が落ちてきたのではないかと錯覚してしまう程の重さが乗ってきた。

 十一歳のジンにそれが持てる訳もなく、ジンの手に袋が触れた時点でジンの体は重力に逆らえずに地面へ向けて落ちていく。

 地面と打つかる。ジンはそれを確信した筈だった。

 が―――いつまで経っても、ジンの体に衝撃が迸る事は無かった。

「……………え?」

「すまん。子供の君に、このような重たい物が持てる筈無かったな。配慮が足りなかった。言い訳という訳ではないが、何分人と関わる事が無かったものでな。気遣いが上手く出来ないんだ」

 ジンの体は、停止していた。

 諦はジンに投げ渡し、持たせた袋を取ってジンの服の襟を掴み、体制を元に戻して謝罪する。

 体制が元に戻され、諦がジンに謝ったその瞬間にジンの体は自由を取り戻した。

「い、今のは…」

「ん? 大した事は無い。君を一時的にだが空間に固定しただけだ。肉体そのものがその空間に固定されれば、重力による落下もしないし自由落下に関する法則も働かない。俺なりにアレンジを加えて応用した『量子力学的空間固定』だ。」

 簡単なように諦は言ってみせるが、しかし十六夜は心の中で、

(おいおい…コイツ、自分がどれだけスゲェ事言ってるか分かってんのか?)

 表に出さず、諦の異常さに少なからず驚いていた。

 物体が空間に固定される事はまず無いし、物体を空間に固定するなんて事も本来なら出来る訳が無い。

 物体が地面に落下せず、その落下している空間に固定されるなんて事は時間停止などの能力が無い限り不可能な筈だ。

 しかし、諦は『量子力学的空間固定』だと言った。

 つまりは、量子力学を利用してジンという物体を空間に固定させたという事だ。

 何の機械も使わず、何の動作もなくそんな事が出来る。

 これが異常でないなら一体何だと言うのか。

「さて、黒ウサギ。俺たちは次に何処へ向かう?」

「えっと、次は"サウザンド・アイズ"というコミュニティの店まで行って、ギフト鑑定をしてもらうんです。」

「ふむ…ギフト鑑定か。つまり、俺や逆廻、久遠や春日部の持つ“恩恵”が判明するという事か」

「YES! その通りでございます。」

「そうか。では黒ウサギ、案内をよろしく頼む。」

 “と言っても”。

 “自分の恩恵が何であるか、なんて。もう随分と前から分かっている事なのだがな”。




愚者が身近に居るからこそ知者が輝くのである。


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狂気とは、気分である。

『好機は去りやす、経験は過ち多し』
古代ギリシャの哲学者、ヒポクラテス。


■  ■

「そういえば、詰路くんは研究者だって、言ってたわよね?」

「ん、あぁ。職業に就いていた訳ではないが、一応な」

「ジンくんに使った『量子力学的空間固定』は、貴方が量子力学を研究したから出来たものなの?」

 サウンド・アイズの店へ向かう道を歩きながら、飛鳥が諦へと問い掛けた。

 研究心と探究心に満ち溢れた研究者もどき。それが、諦が彼らに自己紹介した時に言った自分の素性の一部。

 飛鳥の問いに、諦は平然と答えた。

「あぁ。量子力学系の理論を少しばかり調べるついでに出来上がったものでな。そう時間は掛からなかったな」

「へぇ、研究者ともなるとやっぱり頭が良いの?」

「そうだな。常人以上には良いだろうな。量子力学以外にも、小説などの創作物も実際に作れるのかを研究した事もあるな。嫌われ薬とか」

「嫌われ薬?」

 嫌われ薬、という聞き慣れない単語に飛鳥は首を傾げた。

「それ、どんな薬なの?」

「文字通り、飲んだ者はあらゆる全てから嫌われるという代物だ。対象は動物も含まれ、相手が恋人や親友であろうと必ず嫌悪される。詳しく説明されている訳ではないが、俺は仮説として“飲んだ者の体から生命に嫌悪される物質のようなものが発生しているのではないか?”と考えた。実際、この仮説が合っていた訳だ」

 嫌われ薬。

 それは様々な小説で扱われる想像上の薬であり、惚れ薬の対極に位置するものである。

 飲んだ者はあらゆる全てから嫌われる。それがペットであれ、恋人であれ、親友であれ、誰であろうと必ず嫌悪されるという恐ろしい代物。

 諦はこれを真面目に研究し、そして発明してみせた。

 

 惚れ薬が人間の性的興奮を高める作用を持つ薬であるならば、嫌われ薬は人間の嫌悪的感情を高める作用を持つ薬。

 交尾のために自分の居場所を知らせる匂いを性フェロモンという。

 諦はその性フェロモンの性質を反転させて、『飲んだ者の体から嫌悪的感情を刺激する匂いを発生させる作用を持つ薬』である嫌われ薬を作り出した。

 しかし、諦にとってこれはあくまでも副産物のようなものでしかなく、諦の研究の本命は『現代科学や化学を以てして創作の薬を作る事は出来るのか』という検証である。

 その副産物として『嫌われ薬』が出来上がったのだが、これがまぁ意外にも売れたもので―――お陰で、街が一つ無くなったのだが、それは黙っておこう。

「この箱庭も、興味が尽きない。いつかは久遠達に襲い掛かった虎紳士の言う『魔王』とやらの存在も、隅から隅まで研究したいものだな」

「マッドサイエンティストかしら…」

「笑みが邪悪…」

「失礼だな。研究心があると言ってくれよ」

 そうして話していると、諦の頭が桜の花びらが止まった。

「桜…? おかしいな。冬の筈だが」

「何を言っているの? 今は夏でしょ?」

「まだ桜の咲き始めじゃ?」

「いや、まだ初夏に入ったばかりだぞ。気合いの入った桜が残っててもおかしくないだろ」

 四人が揃って首を傾げたが、しかし諦はすぐに何かに気付いたようにハッとして、

「立体交差平行世界論…俺たちは、違う世界から召喚されたのか」と呟いた。

 諦の答えに、黒ウサギが感心したように声を上げた。

「おぉ、凄いです素晴らしいです諦さん! 諦さんの言った通り、皆様はそれぞれ違う世界から召喚されたのデス。歴史や文化、生態系等細やかな部分に違いがあるんです」

 立体交差平行世界論―――それは、『仮に2つ以上の世界軸があるとするなら、その全てが独立しているわけではない』という考え方。

 平行世界、もといパラレルワールドとは世界軸が常に並行なため、お互いの世界が交わることがない。

 世界軸AにXという人物が居るとし、世界軸BにYという人物が居るとする。

 平行世界では世界軸が平行な為に二人は決して会う事が無いのだが、立体交差平行世界だった場合はある一点で世界が交わる為に二人は出会う事が出来る。

 複雑なもの故に説明が難しく、説明するとなれば二日程度時間を有する。

 解説はいつかしよう。諦と黒ウサギがそう言ってから、前を振り向く。目当ての店に着いたようだ。

 だが、向かい合う双女神の旗を揺らしたその商店は、今まさに従業員が暖簾を下ろしている所だった。

「待っ――――――」

「待ったは無しです、お客様。本日の営業は終了しました」

 淡々と下ろされる暖簾に、黒ウサギは恨みがましく見ているしか出来なかった。

 文句の一つでも言いたい所なのだが、しかし相手は超大手の商業コミュニティ。押し入りなど出来ないし、やってしまったら不利益になる事は確かだろう。

「……黒ウサギ。備えておけ」

「はい?」

「―――来るぞ」

 

 

「いぃぃぃぃぃぃやっほぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお! 久しぶりじゃな黒ウサギぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

「きゃぁああああああ!? 白夜叉様なぜここに!」

 突如として店内から現れ、颯爽と駆け抜けて来た白髪頭の和装幼女は黒ウサギに抱き着くように飛び込んで、そのまま水路へと黒ウサギごと突っ込んでいった。

 その光景に店員は頭を抱え、十六夜は興奮した様子で店員に近付いた。

「……………おい店員。この店にはドッキリサービスでもあるのか」

「ありません……」

「なんなら有料でも」

「いたしません」

 真面目な表情を浮かべている十六夜と、同じく真面目な表情の店員。

 中々に面白い店だな、と諦は思いながら笑う。

「し、白夜叉様! ちょ、ちょっと離れてください!」

 水路に飛び込まれた黒ウサギが、頭を掴み力を込めて和装幼女を投げ飛ばした。

 くるりくるりと回転しながら十六夜の方へ投げ飛ばされた幼女を、

「詰路パス」

「了解だ」

 蹴飛ばして諦へと渡したのだ。

「お、おんし、飛んできた初対面の美少女を足で蹴り飛ばすとは何様だ!」

「十六夜様だぜ。以後よろしく和装ロリ」

「何たる小僧だ…まぁ、それはそれとして。受け止めてくれたおんしには感謝するぞ」

「気にするな。人の形をした星霊は肉体まで見た目相応なのか試したかっただけだ」

「…! おんし」

 驚きの表情を顕にし、警戒の意が入った目線を刺すように諦へと白夜叉は向ける。

 だが、当の本人は知った事ではないと言った感じで白夜叉を地面へと降ろした。

「それで、君が店のオーナーで間違いはないか?」

「う、うむ。そうだとも。この"サウザンドアイズ"の幹部、白夜叉だ。」

「本日から"ノーネーム"に所属する事となった詰路諦だ。金髪が先程も名乗ったのように逆廻十六夜、猫を抱いた少女が春日部耀、御令嬢が久遠飛鳥だ。」

「ほぉ…お前達が黒ウサギの新しい同士か。異世界の人間が私の元に来たという事は……遂に黒ウサギが私のペットに」

「なりません! どういう起承転結があってそんなことになるんですか!」

 うさ耳を逆立てて怒る黒ウサギ。何処から何処までが本気か分からない白夜叉は、笑いながら店に招く。

「まぁいい。話があるなら店内で聞こう」




危機は突然であり、成果は乏しい。


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狂人とは、我々と同類である。

『親切にしなさい。あなたが会う人は皆、厳しい闘いをしているのだから』
古代ギリシャの哲学者、プラトン。


            ✻

「さて、もう一度自己紹介しておこうかの。私は四桁の門、三三四五外門に本拠を構えている“サウザンドアイズ”幹部の白夜叉だ。この黒ウサギとは少々縁があってな。コミュニティが崩壊してからもちょくちょく手を貸してやっている器の大きな美少女と認識しておいてくれ」

「はいはい、お世話になっておりますよ本当に」

 投げやりな言葉で受け流す黒ウサギ。その隣で、耀が小首を傾げて問う。

「その外門って何?」

「箱庭の階層を示す外壁にある門ですよ。数字が若いほど都市の中心部に近く、同時に強大な力を持つ者達が住んでいるのです」

「一桁ともなれば、抗うとかそう行為すら出来ない存在ばっかりなんだよね。」

 突如、虹色がその場に居る全員を釘付けにした。

 靡いた虹色の長髪、輝く虹色の瞳、白い肌の体を覆い隠すだけの白いコートを纏う存在が現れた。

 白夜叉は、呆れたため息を吐いた。

「はぁ…“ソトース”。来るなら来るで連絡を横さんか」

「嫌よ。貴方のその反応が見たかったんだから」

「全く…ほれ、現れたならこやつらに自己紹介せい。おんしの美貌に釘付けになっとるだろ」

「二桁の門、その中心部で活動するコミュニティ『オムニス』の副リーダーを務める“ヨグ=ソトース”よ。久しぶりね、黒ウサギ」

 5人の内、二人が釘付けのままで、二人が驚愕の感情を隠さず表に出し、一人が感動していた。

「ソトース様!? なぜ此処に!?」

「外なる神々の副王…一にして全、全にして一の存在。ヨグ=ソトースか。ヤハハ、マジモンの化け物じゃねぇか…!」

「制限をもたらす数学や論理、空想すら凌駕する超越的存在。アカシックレコードそのものと言われる大いなる概念―――何と素晴らしい…!」

 諦は、大いに感動する。

 研究者として、ありとあらゆる全てを研究しようとしてきた者として。

 あらゆる世界のありとあらゆる全てそのものであるヨグ=ソトースとは実に素晴らしい存在である。

 実に―――“丁度いい相手”。

「うんうん、良い反応。あ、話し遮っちゃったわね。続けてどうぞ」

「全く…まぁ良い。では、続けるぞ」

 箱庭の図が、黒ウサギによって描かれる。

 箱庭の都市は上層から下層まで七つの支配層に分かれており、それに伴ってそれぞれを区切る門には数字が与えられている。

 外壁から数えて七桁、六桁、と内側に行くほど数字は若くなり、同時に強大な力を持つ。箱庭の四桁ともなれば、名のある修羅神仏が割拠する完全な人外魔境。

 白夜叉はその四桁、そしてソトースは一桁に位置している。

 その図を見た四人は口を揃え、

「……超巨大タマネギ?」

「いえ、超巨大バームクーヘンではないかしら?」

「そうだな。どちらかと言えばバームクーヘンだ」

「切れ端が食いたくなるな」

 うん、と頷き合う四人。身も蓋もない感想にガクリと肩を落とす黒ウサギ。

 対照的に、白夜叉は面白い感想だと笑い、二度三度と頷いた。

「ふふ、うまいこと例える。その例えなら今いる七桁の外門はバームクーヘンの一番薄い皮の部分に当たるな。更に説明するなら東西南北の四つの区切りの東側にあたり、外門のすぐ外は〝世界の果て〟と向かい合う場所になる。あそこにはコミュニティに所属していないものの、強力なギフトを持ったもの達が棲んでおるぞ―――その水樹の持ち主などな」

 白夜叉は薄く笑って黒ウサギの持つ水樹の苗に視線を向ける。

 白夜叉が指すのはトリトニスの滝を棲みかにしていた蛇神の事だろう。

「して、一体誰が、どのようなゲームで勝ったのだ?知恵比べか?勇気を試したのか?」

「いえいえ。この水樹は十六夜さんがここに来る前に、蛇神様を素手で叩きのめしてきたのですよ」

 自慢げに黒ウサギが言うと、白夜叉が驚きの声を上げる。

「なんと!?クリアではなく直接的に倒したとな!?ではその童は神格持ちの神童か?」

「いえ、黒ウサギはそう思えません。神格なら一目見ればわかるはずですから」

「む、それもそうか。しかし神格を倒すには同じ神格を持つか、互いの種族によほど崩れたパワーバランスがある時だけのはず。種族の力でいうなら蛇と人とではドングリの背比べだぞ」

 神格とは生来の神様そのものではなく、種の最高ランクに体を変幻させるギフトを指す。

 蛇に神格を与えれば巨躯の蛇神に。

 人に神格を与えれば現人神や神童に。

 鬼に神格を与えれば天地を揺るがす鬼神と化すように。

「白夜叉様はあの蛇神様とお知り合いだったのですか?」

「知り合いも何も、アレに神格を与えたのはこの私だぞ。もう何百年も前の話だがの」

 小さな胸を張り、呵々と豪快に笑う白夜叉。

 だがそれを聞いた十六夜は物騒に瞳を光らせて問いただす。

「へえ?じゃあオマエはあの蛇より強いのか?」

「ふふん、当然だ。私は東側の〝階層支配者〟だぞ。この東側の四桁以下にあるコミュニティでは並ぶ者がいない、最強の主催者なのだからの」

 〝最強の主催者〟―――それは黒ウサギが今一番聞きたくないし、言って欲しくなかった言葉であった。

 十六夜・飛鳥・耀のは一斉に瞳を輝かせた。

「そう………ふふ。ではつまり、貴女のゲームをクリア出来れば、私達のコミュニティは東側で最強のコミュニティという事になるのかしら?」

「無論、そうなるのう」

「そりゃ景気のいい話だ。探す手間が省けた」

 四人は剥き出しの闘争心を視線に込めて白夜叉を見る。白夜叉はそれに気づいたように高らから笑い声をあげた。

「抜け目のない童達だ。依頼しておきながら、私にギフトゲームを挑むと?」

「え?ちょ、ちょっと御三人様!? 諦さんも一緒に止めるのを手伝ってください!」

「断る。寧ろ俺も興味がある」

 四人が話している中。

 白夜叉は着物の裾から〝サウザンドアイズ〟の旗印―――向かい合う双女神の紋が入ったカードを取り出し、壮絶な笑みで一言、

 

 

「おんしらが望むのは〝挑戦〟か――――もしくは、〝決闘〟か?」

 そう、言葉を放ったわ




差別しなさい。あなたが会う人は、あなたの敵なのだから。


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我が才能、凶悪なり。

『良く従うことを知らないと、良く導く者にはなれない。』
古代ギリシャの哲学者、アリストテレス


            ✻

 白夜の魔王「白夜叉」。その挑戦を受けた問題児三人は、難なくその『試練』をクリアした。

 が、問題なのはもう一人の方だ。試練ではなく、『決闘』を選んだ『異端児』詰路諦が何よりの問題だった。

「お馬鹿様なのですか!? 白夜叉様を相手に『決闘』など、愚行無謀も良いところでございますよ!」

「今回ばかりは俺も黒ウサギに賛成だぜ詰路。死ぬかもしれねぇぞ?」

 黒ウサギは勿論、問題児である十六夜、飛鳥、耀の三人も今回ばかりは黒ウサギに同意せざるをえなかった。

 相手は魔王。『ノーネーム』というコミュニティに仕立て上げ、壊滅させた相手と同格の異次元の超常的存在。

 ギフトを持った人間程度には、相手が務まらないどころの話しではないのだ。

 だが、そんな事は知った事じゃない。そんな風に、諦はこう言った。

「だからこそ挑む。挑まなければならない。俺たちの相手と同格の相手だからこそ、戦わなければならない。何より―――心底、興味深いのだから。」

 真剣な眼差しと気迫を以てして、諦はそう断言したのだ。

 「いや最後のが本音だろ」という十六夜の言葉を無視して、諦は白夜叉の前へと立った。

 立ち塞がるように、魔王の前へと一人の狂人が立った。

「『決闘』をしよう、白夜叉。命を賭けてでも、俺は君の底を掴みたい。」

「何とも斬新な口説き文句だの、小僧。」

 

ギフトゲーム名“夜叉と狂人”

 

プレイヤー一覧

詰路諦

 

・クリア条件 魔王白夜叉を打倒せよ

クリア方法 魔王白夜叉を倒す・気絶させる

・敗北条件 降参、プレイヤーが気絶させられる・殺害される。

 

宣誓 上記を尊重し、誇りの御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

『“サウザンドアイズ”印』

 

「先手必勝だな。」

 ぎゅ、と拳を形作り、諦は腰を落すように構えを取って、躊躇なく白夜叉の顔面へと拳を放った。

 白夜叉との距離は僅か1m。常人であれば、避ける事など不可能の速度で放たれた拳を、しかし白夜叉は少し体をずらすだけで難なく躱して見せた。

 魔王、白夜叉。その反射神経やら動態視力やらもまた、その他の生物とは規格外のものであり、光速程度などであれば余裕を持って避けられる。

 が―――避けた直後、白夜叉の右頬がゆっくりと凹んでいき、遂には体全体に衝撃が積み重ねって白夜叉は明後日の方角へと呆気なく吹き飛ばされた。

「なんだと…!?」

「な、何が起こったの…?」

 反応が乏しいもの、反応が激しいものと其々だが、しかし全員が共通して、『驚き』という感情を隠すことなく顕にしていた。

 白夜叉は、確かに避けた。諦の攻撃を、諦の拳を、回避したのだ。

 にも関わらず、白夜叉は吹き飛んだ。吹き飛ばされた。右ストレートを食らわせられたが如く頬を凹まされ、凄い勢いで殴り飛ばされた。

 氷山の一角へと体が突撃しねも、白夜叉は血反吐を吐く立ち上がった。

 だが、驚いていた。皆と同じく、不可解な現象に驚いた。

「今のは…攻撃の位置変換か? もしくは、因果律の干渉か…?」

 難しい言葉を並べて、白夜叉は思考しながら諦の方へと突っ込んだ。

 それこそ音速。当たれば全身の骨が木っ端微塵に砕けて即死するであろう速度での突撃だ。

 しかし、諦は避けなかった。微動だにする事なく、ただ棒立ちする事を選んでいた。

 傍から見れば、それは見えないが故に反応出来なかったと取れる行動。誰もがそう思うであろう事だ。

 事実、黒ウサギはそうだと思っていた。

 だが、三人は違った。十六夜、飛鳥、耀の三人だけは、「何か仕出かす気だな」と確信していた。

 それは的確。事実だった。

 パキンっ――と、何かが割れるような音が響いた。

 そして、全員が直視した。

 “魔王の腕が、本来曲がらぬ方向に曲がった”という現実を。

「俺の世界には、『オッカムの剃刀』という原理がある。哲学者オッカムが提唱した原理で、ある現象・事柄を説明する際には、より単純な仮定・理論を採用するほうがよいとする考え方だ。ジンのような子供が居る、それに仲間が居るのだから簡単に手の内を明かそう。

 

これは、『ベクトル操作』。あらゆる物理の向きを自在に操る、攻防最強の能力だ。」

 そう言って、一歩踏み出した瞬間。

 地面が、一直線に大きく凹み、そして割れた。

 ベクトル。もしくは矢量。

 それは大きさだけでなく、向きももった量の事。速度や加速度、力といったものを指す物理・数学の単語だ。

 ある世界には、そのベクトルを操作する事が出来る能力者が存在する。

 運動量、熱量、電気量といった、あらゆる種類のベクトルを観測し、触れたベクトルを自由に変換するという能力。

 力が作用する方向を操るというそれは、力の向きを一点集中させてしまえば地面を揺るがす程の攻撃力を発揮する。

 現に、そうなった。

「それが、おんしの『ギフト』、という事か?」

「どうだろうな。俺にも分からん。恐らくは違うだろうな。これはあくまで『開発』したものであって、俺のギフトには当てはまらないだろう―――な」

 転けるような風に、体の重心を前へと向けて―――風圧を発生させて、前進した。

 風量ベクトルを操作した事によって発生する風の翼、黒い翼。

 それは山すら切り崩し、ビルすら崩壊させる程の風圧を発し続ける危険なもの。

 それを、白夜叉は目視して理解した。触れてしまえば、自分であろうとただでは済まないと。

 自然を利用した技術。それ程までに、恐ろしいものは存在しない。

 故に、白夜叉は回避へ徹した。

「どうした、避けるばかりで反撃は無しか?」

「幾ら強い力で撃ち込もうと、貴様には効かんからの!」

 それがギフトであったならば、白夜叉は容赦なく反撃していた。

 神刀で切り裂いていただろうし、拳で殴っていただろうし、脚で蹴っていただろう。

 だが、あれはギフトではない。

 あれは自然そのもの。世界の常識、世界の理そのものを操っているに等しい芸当だ。

 作用反作用。それは、気体ではなく物体である惑星に必ずしもある概念である。

 地球や月といった惑星において、作用・反作用という概念が無ければ生命はその場に存在する事が出来ないし、建物を作る事も出来ない。

 作用反作用の法則という、力が釣り合い、平均を作り上げているからこそ『立つ』という行為が成り立つのだ。

 彼が操っているのは、力の作用する向き。力の釣り合いを、限定的ながら一方へと向ける事が出来るのだ。

 更には他所から集めることすら可能。

 攻撃されてしまえば防いで骨を砕き、攻撃すれば肉を削って骨を砕く。一歩踏み出せば地面を壊し、空を舞えば山を崩す。

 世界の原理を限定的ではあるが操る事が出来るその力を、警戒しない訳が無いのだ。

 それは勿論の事。だからこそ、白夜叉は反撃しない。防御しても意味が無い。だから、回避に徹しているのだ。

「風と反射に警戒し続けては意味が無いぞ―――『天動説』。」

「―――貴様、本当に只者ではないようだの。」

 白夜叉の小さな体から、世界を震撼させんとばかりの鋭く、そして大きい殺意が波の如く発せられた。

 初見の時点で、普通ではないと理解していた。

 だが、その単語を発した。初対面でありながら星霊である事を見抜いた事も含めて、白夜叉は確信した。

 “この人間は、真に異常なる存在である”―――と。

 遂に、白夜叉から躊躇と容赦が無くなった。意識が、『決闘』の方へと傾いたのだ。

「すまんな黒ウサギ。どうやら、此奴には本気で挑まねばならぬようだ。」

「ちょ、白夜叉様!? そ、ソトース様! どうにか白夜叉様を止めてください!」

「えー、無理だよそれは。白夜叉のやつ、久々にガチっぽいし。それに、心配しなくて良いと思うよ? あの人間、死なずに敗けるから。」

 突然ながら。

 地球という惑星は、地殻、上部マントル、遷移層、下部マントル、外核、内核という六つの層で構成されている。

 地球以外にもそのような構成をしている惑星があるのかはさておいて、大抵の惑星はそのように必ず中心に『核』というものがある。

 今、彼らが居るのはゲーム盤。ギフトゲームを行うが為に構成された、遊戯の為の世界。

 『世界』だ。このゲーム盤もまた、一つの世界なのだ。

 何かを作る時は、必ずと言って良い程に『台』がある。『核』がある。

 ある地を元に作成したゲーム盤ではなく、零から百まで自分で創り出したゲーム盤であれば核となる概念があのは必然。

 であれば―――その核そのものを弄って、改造する事が出来たとしたら、このゲーム盤は誰のものとなるのだろうか?

「楽しくなるじゃないか、本当に。」

 地面に屈んで、地面に触れた

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、意識が途切れた。




悪意で逆らう事を知らないと、悪人に反抗する事は出来ない。


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第二章「類稀なる狂気」
全知とは苦痛である


才能とは即ち、凶器である。
良き才能は持ち主すら蝕み、他人を苦しませる。
悪き才能は持ち主を殺し、他人を巻き込む。
才能というのは、実に度し難いものだ。


「君の脳は確かに異常なのかもしれないけど、それでも一気に処理する事が出来る情報っていうのは限度があるの。人間という存在である以上、肉体には必ず制限っていうのがあるからね。完全記憶能力を持ってる人が良い例かな。完全記憶能力を持つ人間は、体験した・見た物事を完全に記憶する事が出来る脳を持っているというだけであって大量の情報を一気に処理する事が出来る頭脳を持っているって訳じゃない。君は確かに異常な頭脳を持っているんだろうけど、それでも人間だから情報処理には必ず限界っていうのがある。君の意識が途切れた理由は、情報処理数が桁違いだったから脳がショートしてしまったっていう至極当然の理由だね。一気にかたをつけるつもりだったんだろうけど、元魔王のゲーム盤を甘くみたのがいけなかったね。」

 ぐさり、と言の刃が諦の心へと突き刺さった。

「ぐうの音も出ない正論だ…。もっと冷静さを保っていれば、あんなミスは犯さなかったというのに…なんたる失態…!」

「反省すべきところはそこではないのですよ、お馬鹿様!」

 パァン! と、諦の脳天を引っ叩いたハリセンが良い音を立てた。

 だが、諦は一切微動だにしなかった。十六夜の如く。

「白夜叉も、済まなかった。煽るような言葉を発してしまった…」

「…まぁ、反省しているようだし、良しとするかの。しかし、警戒はしておくからの。憶えておけ。」

 釘指すような視線を向けて、白夜叉は諦へと言葉を刺した。

「あぁ。以後気を付けるつもりだ。」

 確信は無いが。

「あぁ、それと。これがお主のギフトカードじゃ。」

 ぱんぱん、と白夜叉が軽く手を叩いた瞬間、諦の手元に一枚のカードが顕現した。

 

 ホワイトグレイのカードに詰路諦・ギフトネーム“理解不能(バグアンドエラー)” “異端の狂力” “万全の能(アリストテレス)

 

「…理解不能、それに加えて狂力か。そこまでは俺に相応しいが…俺の頭脳に、貴方のような偉大なる先人が宿ってくれるとは思わなかったよ。」

 

□  □

「魔が人を滅ぼす事は、確かにある。だが、人は魔では滅びない。」

 薄暗い牢屋の中で、囚人が呟いた。

 鎖に両手を繋がれ、全身傷だらけでありながらも、澄んだ声で。

「神が人を滅ぼす事は出来る。だが、人も神を滅ぼす事が出来る。」

 神が人を作ったのではない。人が神を作ったのだ。

 神が星を作ったのではない。無が星を作ったのだ。

 神が地を作ったのではない。星が地を作ったのだ。

「人は星で滅びる。だが、星も人で滅びる。」

 星に生き物が住み着いた。それが人間。

 星に異常を発生させた。それも、人間。

 星を荒廃させてしまった。それも人間。

「修羅神仏も魑魅魍魎も、神話や伝説も人が居なければ成り立たない。人に信仰が無ければ神は居ない。人に恐怖が無ければ魔は生まれない。あらゆる超常的存在は、全て人を通じて存在を確立させている。即ち、所詮は人間という存在が無ければ確立する事すら出来ない矮小な存在でしかなく、全て幻想妄想に当てはまるものであるという事だ。」

「魔は人に滅ぼされ、神は人に抗われ、星は人に荒らされる。人は強い生き物だ。しかし逆に言えば、人が魔を滅ぼし、人が神に抗い、人が星を荒らす害悪的存在であるとも言える。」

「魔にも神にも星にも、人は愚かしい存在であると同時に、恐ろしい存在でもある人間。だが、この世界は人を恐れていない。誰もが人ではなく、『魔王』と呼ばれる存在を恐れている。魔王そのものを、恐れている。」

「そんな魔王の中で、最古の魔王は、『人類最終試練』と呼ばれている。それぞれが、その特徴で呼ばれている。」

「では、ここで一つ、俺から君たちへ疑問を挙げよう。

 

「星霊やら魔物やらが成る事が多い魔王だが、もしも最古を生きた人間が、人類への強敵とされている人類が存在するとしたら、君たちはその人類を何と呼ぶ? 人類への害悪となる魔王である人類を、何と呼ぶ?」

 

            ✻

 開かれた扉の先に広がったのは、草木生い茂る豊かな自然―――などではなく、その真逆。全くの反対。草木一つ無い、荒れ果てた大地だった。

 その光景は、まさしく荒廃した世界と呼ぶに相応しいものだった。

「―――なんだ、これは」

 諦と十六夜が、口を揃えて呟いた。

「魔王によって荒らされた、ノーネームの地でございます。」

「…魔王とのギフトゲームがあったのは、何百年前の話しだ。」

「わずか三年前でございます。」

「この惨状が作られたのが、たった三年前だと?」

「笑えるな。だが、断言出来る。数年前程度の出来事で、大地が死ぬなんて有り得ない。」

 たかが三年。長いのか短いのか分からない曖昧な年月。

 今より三年前に行われたギフトゲームで、この大地は死んだのです。そう、黒ウサギは答えたのだ。

 にわかに、どころの話しではない。だが、眼の前に広がっているのは全てその事実そのものだ。

「これは事実なのです。魔王という存在は…それ程までに強力なものなのです。」

「土が死んでる…動物の気配も一切無い。」

「ティーセットはそのまま残されている…まるで、人が消えたようね。」

 耀と飛鳥がそれぞれ、その荒廃してしまった地を見て感想を述べる。飛鳥の感想が、比喩ではなく事実であると伝えられようと、違和感はない。

 そんな事を為す事が出来る存在―――それが、『魔王』である。

 その認識を、四人は強く叩き込まれた。

 しかし、そんな中で。

 諦だけは、すぐに動いた。

「……」

 体を屈め、死んでしまった地面の土を取って握り締め、その感触から成分、粒子などの微弱と化してしまった概念を頭脳で認識する。

 成分は埃も同然。土という物体を構成する粒子すら、ボロボロかつよれよれな紙きれのようになってしまっている。

 質が良い、それに加え新鮮、かつ神聖が付与された水が大量にあれば、この大地の完全な再構築は“一ヶ月”で何とかなるか…と諦は小さく呟いた。

 それは本当に小さく、ぶつぶつ言っているような声だったのだが、しかしその言葉を黒ウサギは拾った。拾うことが出来た。

「あ、諦さん、今、一ヶ月でどうにかなる、とおっしゃいましたか…?」

「聞こえたのか…。まぁ、そうだな。ギフトゲームで、そういった水を大量に入手する事が出来れば、後は問題ない。それが無理となると、俺がこの大地について研究漬けになる。で、俺が研究漬けしたとして…そんじょそこらの地面と大差無いまでには直すには、今の所の予測だと3ヶ月は要…どうした? 黒ウサギ。」

「さ、3ヶ月…? たった、3ヶ月ですか…?」

「あ、あぁ。あくまで予測だが…まぁ、3ヶ月だ。長くても5ヶ月。」

「魔王に敗北し、荒れてしまったこの大地が一般的な大地になる時間が、たった3ヶ月…長くても、5ヶ月―――」

 三年と、3ヶ月。もしくは5ヶ月。

 その二つを比べてみれば、どちらが短いかの判断など簡単。至極単純だ。

「諦さん! どうにか、お願い申し上げ」

「頭を下げるな黒ウサギ。そう畏まってお願いされずともやるつもりだ。コミュニティの一員としても、研究者としても、気になるからな。」

 諦はただ単純に、自分の研究欲を満たしたいだけなのだった。

           ✻

 女子組は風呂へと入り、十六夜はジンと共に外の侵入者達の方へと向かい、諦は自室で研究に没頭していた。

「構成因子の殆どが紙切れ同然、物質粒子は埃のように脆い。酸素やらの原子から再構築して、組み替えて成功したとして…大地そのものに適応するかどうかの確信が不確定だ。となれば、やはり実験は必要不可欠。しかし失敗してしまえば更に悪化する可能性もある。となれば、スタイルは慎重で確定。水にも何らかの工夫を加えなければ。」

 諦は、このノーネームの大地について深く考え込んでいた。

 大地の土を持ち帰り、自分の部屋を自室と大差無い―――もとい、研究室のような部屋に変えて、そこで研究漬けになっていた。

「酷い荒らされ様だ。土にすらここまでの被害を与えるとは、魔王というのは本当に恐ろしい存在らしい。とはいえ…再構築が出来る程度の弱さがある、という事でもあるか。しかし白夜叉が魔王を辞めてもあれなんだ、現在を生きる魔王というのは、全く恐ろしい。…まぁ、今は良いか。今はとにかく、大地の事を考えなければ。」

 魔王の事は確かに大事なことなのだが、しかし今の諦にとっては二の次の事。

 今の諦にとって大切なことは、荒廃してしまった大地を研究し、出来る限りノーリスクで大地を再構築する事だ。

 水があれば再構築するのは一ヶ月で済む。だが、今の所はその水が無い。

 十六夜が勝ち取った水木も充分に素晴らしいものだったが、大地を再構築するには神聖がまだ足りない。

 水無しで大地を再構築するには、朝昼晩研究し続けても、最短でも3ヶ月掛かる。

 三年という時間に比べれば短い時間なのだが、しかしそれでも、長いは長い。

 大地が回復すれば畑仕事が出来る。畑仕事は食料問題を解決する為に必要だ。

 大地が回復すれば栽培が出来る。栽培作業は様々な効果を及ぼすものだ。適度の運動にもなれば、栽培して採れたものを食べるなり観察するなり出来る。

 大地の影響は凄まじく、大地の有り難さは偉大なものだ。

 ノーネームの為にも、所属している場所の為にも、やりきらねばならない。

 …という理由は、正直に言えば二番目の理由。一番の理由は、間接的ながらではあるが魔王に勝つという諦の私情だ。

 さぁ、いざ没頭しよう―――そう意気込んだ瞬間、

「諦、居る?」

 扉の向こうから、耀が声を掛けてきた。

「タイミングが悪いな…」とは、言わない。言えば信頼に関わるから。

「春日部か。どうした?」

「お風呂、空いたから呼びに来た。」

「そうか。分かった、今の研究が一段落したら向う。」

 研究をやり続けるのは絶対。だが、休憩は必要だ。

 一先ずは今やっている課題を終わらせよう。湯に使って、それからの課題を考える事にしよう。

 諦はそう考えて、課題に取り組み、終了してから風呂場へと向かった。




扱い方を間違えれば、天才であろうと罪人となる。
その逆として、才能の扱い方を正しくすれば罪人も天才となるのだ。


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英雄もまた狂人

「言うべき時を知る人は、黙すべき時を知る。」
古代ギリシャの数学者、アルキメデス。


■  ■

 フォレスト・ガロのギフトゲームはノーネームが勝利を収めて無事に終わった。

 まぁ、諦はずっと自室に籠もって大地の研究に漬けていた為にそのギフトゲームは見ていないのだが。

 それから数日。しかし諦は、ずっと自室に籠もって大地の研究を続けていた。

 数日が経ったというのに。ずっと、自室に籠もっていた。

 十六夜がドアを抉じ開けようとしても、反射機能が作用されたドアに改造されている為にどうにもならない。

 黒ウサギと問題児三人は、出す事を諦めていた。

 そして、本日。レティシア=ドラクレアがノーネームにやって来て、十六夜と試し戦をし、更にはゴーゴンの威光に当てられレティシアが石化し、ペルセウスの騎士達がやってきたその時。

「なんだ、随分と客人が多いな。」

 窓から、諦が現れた。

「諦様! 生きていらしたのですか!?」

「…何故、死んだと思われているのかは、まぁ、さておいて。あの宙を舞っている奴らはなんだ? 客人か、それとも侵入者か?」

「侵入者でございます!」

「そうか。なら」

 さっさと帰ってもらおう。

 そう言って、諦は軽く指を鳴らした。

 突然だが。

 瞬間移動とは、超能力の一種であり、物体を離れた空間に転送したり、自分自身が離れた場所に瞬間的に移動したりする現象、及び能力のことである事は、誰もが知っている事だろう。

 テレポート、もしくはテレポーテーションともいう。念力の一種と考えられている。

 よく間違われるのだが、この瞬間移動と『空間歪曲』…ワープ、は、似ているが少し異なるものである。

 ワープ。空間歪曲。

 物理理論、もとい力学や相対論において、実数や要素が実数であるベクトルで表される質量や速度を負にしたり、複素数にしたりすることによって、数式上は既存の物理理論と整合性を保ったまま、光速を越えることが可能であることが理論的には示される。

 ここまで説明してしまえば、後はお分かりだろう。

 機械無くして量子世界に干渉する事が出来る諦が、此処に要るのであれば。

 

 彼らは、消え去った。

「『空間歪曲』に抗うこともできずに居なくなったか…実に呆気ない。(まぁ、どこに送られたかなど、使用した俺にも分からんのだがな。恨むならリーダーを恨んでくれ。)」

 澄ました顔をして、諦は内心でペルセウスの騎士達にご愁傷様と呟いた。

 自分でやったくせして何を言っているのやら、この異端児は。

「それで、何が起きたんだ? 今の所、敵が襲撃しに来たとしか把握していないんだが。」

「俺が説明してやる。黒ウサギはレティシアを頼むぜ。」

 十六夜が言うに。

 元【ノーネーム】所属であった、“箱庭の騎士”と呼ばれる純血の吸血鬼にして、吸血鬼の純血と神格を持ち合わせる魔王であった吸血鬼の少女、レティシア=ドラクレアが館に来訪した。

 紆余曲折あって『腕試し』と称して十六夜と戦い、敗北してしまった彼女は魔王としての力を失った事を黒ウサギ達に見破られた。

 ペルセウスに買われてしまっている事が判明した瞬間、ギリシャ神話の悪魔であるゴルゴーンの『ゴーゴンの威光』が放たれレティシアが石化し、そこにペルセウスの騎士が現れたのだと。

「ふむ…なるほど。では、『ノーネーム』の敷地へ無断で侵入した、という罪を犯した『ペルセウス』に謝罪とギフトゲームを要求するか。ギフトゲームの勝利報酬はレティシア、敗北した際に渡すのは黒ウサギにするとしよう。」

「なぜ黒ウサギを商品にするのですか!?」

「ノーネームの中では黒ウサギが一番の美人だろう? それでいて月の眷属だ。恐らくペルセウスのリーダーもお前を欲しがるだろうよ。」

「一番の美人と呼ばれた事を喜べば良いのか売った事を怒れば良いのか分からないのでございますよ…」

 困ったように黒ウサギは言って、そして硬直した。

「あの、諦さん…」

「どうした?」

「レティシア様は、何処に…?」

 諦と十六夜が黒ウサギの方を見る。

 石化したレティシアが其処に有った、という跡はあれども、其処には石化してしまったレティシアは存在していなかった。

「…………………すまん、レティシアにも使ってしまった。」

 

「―――このお馬鹿様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」

 勢いよく振るわれたハリセンが諦の脳天を叩き付け、気持ちいい音を出した。

 

             ✻

 結論を述べてしまえば、《ペルセウス》というコミュニティは《ノーネーム》というコミュニティに大敗を喫したのではなく、一人の問題児と一人の異端児によって大敗を喫した。

 逆廻十六夜という『正体不明』の問題児と『理解不能』という異端児の詰路諦。

 この二人によって、ペルセウスは大敗し、退廃した。

 その時の事を語るべく、その時間へと遡ろう。

 ペルセウスのリーダー、ルイオス=ペルセウスとノーネームの対談を白夜叉の店で行った時から、既に大敗への道をペルセウスは歩いていた。

「御初にお目にかかります。ギリシャの偉大なる英雄ペルセウスの血統、コミュニティを束ねるリーダー、ルイオス=ペルセウス。私はコミュニティ《ノーネーム》に所属する研究者もどき、『狂人』、『異端児』の蔑称を頂いている詰路諦と言う者だ。」

「へぇ…君が『狂人』か。噂は聞いているよ。元魔王様の白夜叉と対等に渡り合い、一桁に位置する『特異例』ヨグ=ソトースが興味を持った狂気の人間だってね。」

「恐れ多い。だが、狂気という点に関しては同意している。…まぁ、私のような狂人は兎も角、本題へと移らせていただく。

「まず、我々ノーネームが求めるのは敷地への侵入した事への有罪無罪を判決するギフトゲームに加え、そちらが物として扱っている神格を失いし吸血鬼、レティシア=ドラクレアの所有権の譲歩だ。

「レティシア=ドラクレアはペルセウスが所有する物となっている。物が動くという表現も些か可笑しい為に、ペットと表現させて頂こう。貴方にとってもその方が的を射ているだろうしね。

「レティシア=ドラクレアはコミュニティ『ペルセウス』から抜け出して我々ノーネームの敷地へと侵入した。手綱を強く握ってなかったが故にペットが駆け出し、他人の家に侵入したとも表現出来る。

「更にはそれを連れ戻す為とは言え、他者の敷地で勝手にアルゴルの威光を使用、且つ騎士を派遣しノーネームの一人に怪我を負わせている。(まぁ、春日部に怪我を負わせたのはレティシアであってペルセウスの騎士ではないがな。)

「とはいえど、私がペルセウスの騎士達を彼方の地へと転移させてしまい危険に身を晒させてしまったのも確か。

「しかしこれでは、我々だけが悪い事となっしてまう。それでは話しが成り立たない。証拠が無いと言われればそれまで。

「…が、私が手に持っているこの板に、その証拠が収められている。これは白夜叉も確認している。

「以上の事を理由に、我々ノーネームは我々へ領地侵入の謝罪の代わりに、ペルセウスの有罪か我々の有罪、そして無罪を判決するに加え、元ノーネームの一員たるレティシアを取り戻す為のギフトゲームを望む。…答えによっては、仲間を傷つけられたこちらもそれ相応の答えを見せるので、お好きに。」

 下手のようで、上。

 その場の空気は、ルイオスのものではなく詰路諦という一人の“嘘つき”によって独占され、支配されていたのだ。

 諦の言葉に、くそっ、と毒を吐いて「…分かった。ギフトゲームを受けよう」とギフトゲームの事を承諾し、苛立ちを隠すこともなくその場から去って行った。

 しーん…と、その場は静まっていた。

 その場に居た全員が、一つの感情を隠さず顕にしていたのだ。

 それは―――『ドン引き』だ。

「おんし…詐欺師か何かなのか?」

「白夜叉は確認なんてしてないし、そもそもスマホで録画すらしていない。…殆どが嘘だったわね、詰路くん。」

「春日部が怪我を負った理由はあくまでもレティシアが原因であって、ペルセウスが原因じゃない。そこをすり替えたな、お前。」

「ドン引きなのですよ、諦さん…」

「知った事ではないな。」

 怪しむ事もせずにその場の情報と空気に呑み込まれ騙される奴の方が悪い―――と、諦は悪怯れることもなく淡々と言った。

「詐欺師と呼ばれようが知った事か。どちらにせよ、奴らの不手際でこちらは(魔王を研究する為に必要不可欠な素材である)仲間を傷付けられているんだ。やるからには徹底的に、だ。」

 ギフトでも何でも使ってやる――と、諦は鋭い殺意を放ちながら白夜叉の部屋を出た。

 そんな諦に、面々は驚いて固まっていた。

「あやつ…あそこまで仲間想いな義理堅い人間だったかの?」

「ノーネームの為にケツァルコアトルの神格が宿った鳥の核もぎ取ってきた奴だぜ、アイツ。」

「マッドサイエンティストという認識は、少し改めた方が良いのかしら…?」

「諦さん…!」

 残念ながら、ノーネームの為ではない。いや、少しはノーネームを思っているのだろうが、行動の殆どは自分の為のものである。

 




言わない時を知る人は、発言すべき時は知らぬ。


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狂人の科学

「人は賢明になればなるほど、ますます腰を低くして他人から学ぼうとする。」
イギリスの哲学者、ロジャー・ベーコン。


ギフトゲーム名:FAIRYTAIL in PERSEUS

 

・参加プレイヤー

逆廻十六夜

久遠飛鳥

春日部耀

詰路諦

 

・〝ノーネーム〞ゲームマスター

 

・ジン=ラッセル

 

 

 

・〝ペルセウス〞ゲームマスター

ルイオス=ペルセウス

 

 

 

・クリア条件

ホスト側のゲームマスターを打倒

 

・敗北条件

プレイヤー側ゲームマスターによる降伏・プレイヤー側のゲームマスターの失格

 

・プレイヤー側が上記の勝利条件を満たせなくなった場合

 

・舞台詳細・ルール

 

・ホスト側ゲームマスターは本拠、白亜の宮殿の最奥から出てはならない。

 

・ホスト側の参加者は最奥に入ってはならない

 

・プレイヤー達はホスト側の(ゲームマス ターを除く)人間に姿を見られてはいけない

 

・失格となったプレイヤーは挑戦資格を失うだけでゲームを続行できる

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、〝ノーネーム〞はギフトゲームに参加します。    〝ペルセウス〞印

 

 ペルセウスとのギフトゲームが開始した、その直後の事だ。

「大半の兵は俺が蹴散らす。十六夜達はジンと一緒にルイオスの方に行け。」

 そう言って、諦は颯爽と駆け出し、数秒も経たずに十六夜達の眼の前から姿を消してしまったのである。

「はやっ…」

「体内で加速器でも使ったのか? 音より速かったぞ、多分。」

 十六夜の答えは実質的に正解である。

 諦がやって見せた芸当は、簡単に言ってしまえば『物体を構成する粒子を作り変えて等速循環させた』というものだ。

 “架空粒子”―――タキオン。それは常に光速よりも速く移動する仮想的な粒子であり、現代において存在しないものと断言に等しく考えられていたもの。

 大抵の物理学者は光よりも速い粒子は既知の物理法則と一致しないために存在しないと考えている。

 仮にそのような粒子が存在し、光よりも速い信号を送ることができたとするならば、相対性理論によれば因果律に反することとなってしまい、親殺しのパラドックスのようなタイプの論理的パラドックスが生じることになってしまう。

 それ故に、この粒子は存在しないもの。存在する根拠が見つかっていないのだ。

 だが、諦は“この世界では、それは存在する”と理解した。理解する事が出来た。

 修羅神仏が存在するこの"箱庭"において、星霊という桁違いな存在が居る世界においてならば、そういった粒子が有っても可笑しい事ではないのではないか? と仮定した。

 その仮定こそが実在の証明となってしまった。

 光速など普通たる箱庭の世界において、“星辰粒子体”という粒子が存在している『この世界』において、タキオンという粒子は存在していようと何ら不思議ではない。

 そも、"ギフト"である『万全の能』がタキオン粒子を証明しているのだから、確かにタキオン粒子はあるのだと納得するしかないのである。

 では、ここでも問題である。

 光速、光の速度が『1秒間に地球を7周半回ることができる速さ』である事は皆さんご存知だろう。

 現代において、光速は299792458m/sとされていることも、知っている人が多い筈だ。

 光速で動けば台風なんかとは比べ物にもならぬ、核爆発が起きたのではないかと錯覚してしまうか、それ以上の風圧が発生して周囲を破壊し尽くす事も理解しているだろう。

 では、そんな光速よりも速く移動する粒子、タキオン粒子を体の中で循環させた諦がペルセウスの騎士達の方に直進したならば―――果たして、宮殿と兵士達はどうなるのだろうか?

 

 答えは、簡単である。

「――」

 な、なんだ?

 敵の姿は見えない。音も聞こえない。…自分の声は、出せない。

 それは何故なのか?

 …体が、無くなっているから。肉体が、消失してしまったからで、ある。

 そもそも、普通の人間というのは光速に肉体の質量が耐えられない。それ故に、人間が生身で光の速度に到達する事は本来ならば不可能である。

 どんな努力をしようと、人間が光速に到達する事は出来ない。肉体が耐えられないから。

 しかしそれは、こうとも言える――『光速に到達したものには抗えない』と。

 人間は光速に到達出来ない。つまりそれは、光速にはどうやっても勝てないという事であり、光速かそれ以上のものが来たならばその時点で敗北が確定しているという事である。

 光速以上の速度に耐えられる人間が突っ込んできたというそれは。

 超光速で隕石が落下する事と同義であり、それにただの騎士達が耐えられる訳も無かったのだ。

 まぁ、結局の所はそれだけの話し。

 ただの蹂躙で終わったという、それだけの事だ。

「再構成」

 そして、“何事も無かった。誰一人、消されてなど、いなかった。”

 事実はそう書き換えられた。否、正確に言うならば書き換えられたのは“ペルセウスの騎士達の肉体が消失した”という現実だけであり、彼が『死んだ』という事実は確かに残ったままである。

 ペルセウスの騎士達は愕然としていた。

 何が起きたのか、碌に把握する事も出来ていない。

 まぁ、それもその筈だ。なにせ、諦は普通の人間であれば、本来ならば、成し得ることの出来ない神の御業のような事を仕出かしたのだから。

「量子世界への一時的干渉による事象改竄。…なんて、言った所でお前達には理解出来ないのだろうがな。」

 それだけを言い残し、諦は普通に走り出した。

 

       ✻

 元魔王にして、ギリシャの悪魔であるアルゴールが召喚され、その威光を十六夜が圧し折った時の事。

 ぴんっ…と、コインが空へ投げられた。

「レールガンというものを、知っているか?」

 宮殿の上層にて、下でアルゴールと十六夜の戦いを見ているルイオスに対して、諦が言い放つ。

 レールガン―――それは、物体を電磁気力により加速して撃ち出す装置の事。

 並行に置かれた2本のレールとなる電極棒の上に、弾体となる金属片を乗せて電流を流し、電磁力により金属片を駆動し射出するというものである。

「おいおい、マジかよ…?」

 諦の言葉が聞こえたのか、十六夜はアルゴールの頭を踏んづけてから直ぐ様その場から離れた。

 乱暴かつ凶悪ながら、頭脳明晰で膨大な知識を持つ十六夜は諦が何を仕出かそうとしているのかをすぐに理解した。

 故に、その場から離れた。あのままでは自分も巻き添えを喰らってしまうと分かったから。

 幾ら強力な肉体を持つ十六夜であろうと、流石にレールガンに耐えられる自信は無いのだ。

 何より、使うのが諦である。普通のレールガンよりも強力なものである事は、想像に難くない。

「これもまた、ベクトル操作と同じく、俺が知る“有り得るかもしれない科学の超能力”の一つだ。」

 『学園都市』と呼ばれる科学が現代よりも発展した場所には、科学技術によって超能力者を生み出している。

 その学園都市に有る学校の一つ、常盤台中学校に在学する女子生徒には、5人しか居ない超能力者の内の一人が居る。

 その少女の能力は、『超電磁砲』。発電系の能力であり、その最高峰。

 彼女の得意技は、その能力の名前ともなっている超電磁砲。

 目標に向かう2本のレールをイメージし、それに沿って磁場を形成、フレミングの左手の法則に従って発生するローレンツ力に乗せて、金属の弾体を放つ。

 主にゲームセンターのコインを弾丸として用い、指で弾く形で撃ち出し音速の3倍以上で放つというものだ。

 諦がやろうとしているのは、それだ。

 

 バチバチッッッ!!!!―――と、小さな稲妻がその空間に迸る。

 くるりくるりと、投げられて空で回っていたコインが自由落下の法則に従って、綺麗に諦の手の方へと落下する。

 レールとなる稲妻は、アルゴールへ造られた。

 アルゴールは、動けない。体全体に強力な電流を放出されてしまったが故に、死人も同然の如く停止している。

 図体はデカく、当てやすい。つまる所―――文字通り、『良い的』である。

「失せろ。」

 

 雷鳴が、轟いた。

 




人は盲目から解き放たれれば、頭を高くして他人を扱う。


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狂人の休憩時間

狂人であれ、休む時は休む。


            ✻

 諦と十六夜の蹂躙を以て、"ノーネーム"と"ペルセウス"のギフトゲームは終了した。

 そして、その結果としてレティシアは今一度、ノーネームへと舞い戻ったのだ―――メイドとして。

「君がノーネームのメイドとなる事に関しては俺からどうこう言うつもりはない。だが、もし俺の部屋に入る時は必ずノックをして声を掛ける事を心掛けてくれ。基本的に俺は研究をするか実験をしているかの二択なので、勝手に入った場合は巻き添えを喰らう可能性があるから気を付けてくれ。」

「黒ウサギみたいにラビットイーターで凌辱されちまう可能性もあるからな。」

「はっははは、十六夜も味わってみるか? 成人向け同人誌のようになるがな。」

「マジすいませんでした。」

 乾いたように笑いながら光を殺した目でそう言った諦に、十六夜はすぐさま綺麗に腰を折って謝罪した。誠意をもって、だ。

 その他の人間が言うなら冗談として流せるのだが、しかし諦の場合、冗談ではないのだ。ガチでやりかねないから。

 ボコボコにされるのならば、まだ良い。だが“凌辱される”のだけは御免だ。男として色々終わってしまう。

 ラビットイーターもどきを生み出して黒ウサギが凌辱され掛けた時は大変だった。色々な意味で。

「私はまだ許していませんからね、諦様。」

「いや、元はと言えば黒ウサギが勝手に入って来た事が悪いだろ。部屋に『研究中』と掛けていたにも関わらずにな。」

「うっ、それは…」

 諦の言葉に、黒ウサギはたじろいだ。

 確かに、黒ウサギが勝手に諦の部屋に入ったというのは事実。研究中と扉に札を掛けていたにも関わらず、だ。

 黒ウサギが勝手に部屋の中に入らなければ、ラビットイーターもどきに犯されかける事も無かったのだ。

「まぁ、罪を投げつけるというのであれば、それで良い。俺は狂人という異名が折り紙付きで有るからな。誰も黒ウサギのそれを咎めはせんだろうよ。」

「うっ…」

「諦、言葉が重たいよ…」

「敢えて重たい言葉を選んでるのよ、諦くんは。罪悪感を増やす為にね。」

「良心を傷つける言葉の使い方だな。」

「ふむ…なるほど。諦殿は良い性格、をしているのだな。」

「それが的を得ている。良い表現だ、レティシア。」

 まぁ、それはそれとして―――帰るとするか。

 

       ✻

 ノーネームへ帰還した共に、ノーネームのメンバー達は外で改めて歓迎会を開く事となったのだった。

 子供達が楽しむ姿を眺めている飛鳥達と、空を眺める十六夜。

 そして、ノーネームの館の屋根の上に座って、諦はノーネームの皆を眺めていた。

「仲間、などという輪に交わるのは始めてだったんだが…中々良いものだな。このメンバーで魔王へ挑むというのも、良い目標だな。」

 柄にもなく。もしくは、らしくもなく。諦は小さな笑みを浮かべて、仲間というものを楽しんでいた。

 今の今まで味わったことのないもの。味わおうとしたことも無く、作ろうともしなかった。

 そんな仲間というものは、とても面白いものであるというのが、諦の感想だった。

「あれ、諦はどこに行ったの?」

「アイツなら屋根で俺たちを眺めてるぜ。アイツも主役だってのに、何してんだ?」

「…やっぱり、気にしているのかしら。自分が“狂人”である事を。」

 少し俯いて、飛鳥が言った。

 狂人、異端児という不名誉な称号。詰路諦という人間に与えられた蔑称。

 しかし、その称号に、その蔑称に違わぬ人間性と異能を、諦は有していた。

 皮肉などではなく、事実。仮想などではなく、現実で。

 彼はそのままの意味で“狂人”であり、そして“異端児”なのだ。本人もそれを自覚している。自覚して、生き続けている。

 しかし、だからこそ、人から距離を取るのだろう。狂っているが故に、溝を作るのだろう。

 子供達から距離を取るのだ。子供達に狂気を感染させぬように。

 本人にそんな気など、微塵も無いのだけれども。

 しかし飛鳥達は、そう勘違いで考えるしかない。

 何故ならば、彼女達は知らぬのだから。詰路諦という人間、狂人にして異端児である性を運命とされた青年の性格と、その生き様を。

 しかし、そんな曇りは黒ウサギが蜘蛛の巣を払うかのように散らせたのだった。

「さぁ、皆様。ここからが歓迎会の本番、本日の大イベントが始まります! みなさん、箱庭の天幕に注目してください!」

 黒ウサギのその言葉を起点とし、全員が夜空へと目線を向ける。

 そして、その目に―――流星を、写した。

 ペルセウスというコミュニティは敗北し、失墜したも同然となった。

 箱庭において、それが何を意味するのか?

 それは―――ペルセウス座の、消失である。

「この星空全てが、箱庭の為だけに作られたもの…か。」

 綺麗なものだな、と諦は呟いて、笑った。

 十六夜と黒ウサギの会話。あの空に、ノーネームの旗を飾るというロマン溢れる話しが聞こえて、更に笑った。

「滅亡は、まだ先だな。試したいこと、やりたい事が次々と生まれてくるんだ。」

 この世界は、前よりも楽しそうだ。




そして、また破滅を呼び覚ます。


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第三章「異端児の狂心」
人を狂わす灯り


「どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えきて、もっと全体がよく眺められるようになります。」
ルネサンス期の芸術家、万能の人レオナルド・ダ・ヴィンチ


 

■  ■

 冷えた大地の上、脆くも崩れ去るが如く呆気なく荒廃してしまった綺麗だった大地の土を踏んで、狂人は立っていた。

 狂人にして異端児である研究者もどき、『ノーネームの頭脳?』詰路諦の朝は早い。

 諦はノーネームの大地を一般的な大地へと回復させるべく、十六夜達がギフトゲームを行って金銭を集めている中でも一人部屋に籠もって研究をし続けている。

 ノーネームの大地は魔王によって荒廃させられてしまい、その土は『土という物質』を構成する因子が紙屑も同然のものとなってしまっている。

 所謂、『死んでいる』状態なのだ。

 一応、水を吸い込む事は出来る。そして、それが作用して酸素やらも取り込むようになり、花の芽を出す。

 新鮮かつ神聖な水が有れば一ヶ月も掛からない。だが、そのような水がそう簡単に手に入る訳もない。

 ギフトゲームを続けているが、未だそのような水は手に入っていない。

 故に、諦は一人で大地を回復させる為に研究に研究を重ね、自分のギフトを使用しながら試行錯誤を繰り返しているのだ。

("万全の能"を使用して、構成因子を全盛期のように再構成するまでは良い。そこまでの課題は終了している。だが、残る問題は、この広大さと魔王の残滓だ。広大さは"異端の狂力"でカバー出来るかもしれないが、魔王の残滓が厄介だな。ちっ…魔王め。まさか土地を回復させようとする奴の事も想定していたんじゃあるまいな? だとしたら桁違いだな。俺のようなギフトを持つ人間を想定して残滓を置いていったとするなら、未来予知かラプラスの悪魔並の頭脳を持っているぞ。)

 "万全の能"―――アリストテレス。それは諦の持つギフトの一つであり、諦を諦に足らしめるギフトでもある。

 そのギフトの能力は、『万物理解』と『万象使用』の二つに別けられる。

 “万物理解”とは文字通り、『ありとあらゆる全ての物の性質、根底を理解する』というものである。

 全ての物の性質と、その根底を理解するという能力によって諦は土の構成因子を見透かし、どう工夫すれば構成因子を再構成出来るか、修理する事が出来るのかも理解出来る。

 次に、“万象使用”。これもまた文字通り『理解したありとあらゆる事象を使用する』というものである。

 “理解した事象”と限定されてはいるものの、“万物理解”によって物の性質、根底を理解した事によって『その物が何を発生させるのか』、『その物を利用すればどんな事象が引き起こされるのか』すら理解している為に、制限など無いも同然だ。

 これらは論理学、自然学など数多くの事を研究し、かつ『アイテール』という天の物質を提唱した偉大なる哲学者『アリストテレス』に由来する。

 一説によれば、クトゥルフ神話のヨグ=ソトースはアイテールの集合体でもあるらしい。

 万物を理解し、万象を使用する事が出来るのはそれも由来しているのだろう。

 だが、それすら払い除けるのが魔王の残滓。

 白夜叉を少しとは言えど圧倒した諦のギフトすら払い除ける魔王の残滓。一体、どんな力を持った魔王が襲来したというのか。

「考えられるのは…『退廃の風』か。」

 "退廃の風"―――エンド・エンプティー。

 それは魔王という存在が『天災』と表現されるようになった元凶にして、最古最悪の姿無き無貌の魔王。

 それは、“時間の流れ”という抗いようの無い概念。いつかは必ず訪れる終焉の形、その一つ。

 どの魔王が襲来したのかは諦にも分からない。だが、考えられるのは"退廃の風"だと、諦は思っている。

 だが、これもあくまで予測である。

 退廃の風が来たならば、一体何故、ノーネームの館は無事なのか。館が無事である説明がつかないからだ。

 …まぁ、魔王に関しては考えても仕方が無い。元々そういう存在なのだから。

「よく分かってるじゃん、狂人くん。」

 突如として、背後から聞き覚えのある声がした。

 諦は振り返り、そして再び目視する。

 二桁の門に属する魔王、二桁の中心部で活動するコミュニティ"オムニス"の副リーダー―――「ヨグ=ソトース」だ。

「ヨグ=ソトース…何故、此処に」

「レティシアが戻ってきたらしいから久々に会おうと思って。その過程で貴方とも話そうかなーって。」

 良いでしょ? と笑うソトースに、諦は少し戸惑いながらも「それは構わないが…」と返した。

「で、退廃の風のこと、どこで知ったの?」

 ソトースは、諦へと素朴な質問を投げた。

 しかし、ソトースの質問は実にもっともである。

 諦は“箱庭”に来てから日は浅い。十六夜達もそれは同じだ。

 だが、諦は白夜叉と出会った時から白夜叉が星霊である事も、元魔王である事も、人類最終試練『天動説』であった事も見抜いていた。

 ソトースには、それが不思議で仕方なかった。

「…俺が答える必要があるのか?」

「どういう事?」

 

「だって、貴方はそれも、その先の事すら『知っている』のだろう?」

 諦は、ヨグ=ソトースという神がどのような神であるのかを知っている。

 ヨグ=ソトース。クトゥルフ神話に登場する外なる神の一柱にして外なる神の副王。

 全知全能の神、ありとあらゆる全てと等しい者。一にして全、全にして一、門にして鍵、アカシックレコードそのものと呼ばれる超越的存在。

 アカシックレコードとは、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念。

 ヨグ=ソトースは、それそのもの。元始であり、事象であり、想念であり、感情である制限を知らぬ存在にして大いなる概念。

 故に、知っている。諦の答えも、そこから先の事も、全て。

「――ふふっ。そうね、その通り。私は『なんでも知っている』わ。貴方の答えも、その先の質問も、行動も、全てね。」

 柔らかく、彼女は笑う。全てを見通した目をして、諦を笑う。

 万全の能という力を持つ諦ですら理解する事が出来ない偉大なる全知全能の存在は、人でありながら全知全能の領域に片足を突っ込み、転けそうになっている諦を嘲笑っている。

 諦は目を背けるように無視して、それを紛らわせる為にソトースへと質問を投げた。

「何故、貴方のような存在が一桁でないのか分からないな。」

「だって、私は極論してしまえば所詮は全と無でしかないもの。一桁に存在しているのは、究極的で局所的な能力しか持っていない不完全。"退廃の風"は、ただ壊す事しか出来ない存在だから一桁に居るの。対して、私は全てであり、そして無でもあるだけ。窮極の無って異名もあるにはあるけど、その他として全ての要素が詰まっている。だから、私は一桁じゃない。1にしかなれない一桁の奴らと違って、1にも0にもなれる私は一桁に相応しくない存在だからね。」

 ま、父様は違うかもしれないけどね。ソトースは最後に、そう言った。

 が、それはとても小さかったが故に、諦には聞こえなかった。

 皮肉な事だな、と諦は呟いた。

 全にして一、一にして全であるが故に、最強の一桁には当てはまらないとは。

「まぁ、そうとも言えるね。でも、そのお陰で二桁に居られているとも言える。一桁の魔王なんて、碌なの存在してないし。私はあそこの仲間にはなりたくないね。」

「俺も、出会いたくはないな。」

 雑談よりも花は咲いていたのだろうが、しかしその会話は雑談よりも殺伐としていた。

 終焉やら、魔王やら。恐ろしい単語ばかりが飛び交っていた。

 一人の狂人が浮かべる笑みは、凶悪に近しいもの。

 一柱の神が浮かべる笑みは、虚しさが籠もっていた。




今の場所から離れなさい。仕事が大きくなって、何もかも見えなくなってしまうけれも。


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狂人にも休日を

狂人にだって、休みは必要だ。


            ✻

 ヨグ=ソトースとの雑談を終えた後、諦は十六夜達に連れられて白夜叉の支店へと赴く事となった。

 曰く、北側にて大規模なギフトゲーム…"サラマンドラ"の火竜誕生祭とやらがあるのだとか。

 諦本人としては研究に没頭したかったのだが、十六夜、飛鳥、燿、ジンの四人から「偶には休め」と口を揃えて言われたので渋々といった感じでついて行く事となった。

「数ヶ月ぶりじゃな、諦。まさか、おんしも十六夜達に付いてくるとは思わんかったぞ。」

「休め、と言われたからな…渋々だ。」

 “万全の能”を用いれば何とも無いというのに…と、不機嫌そうに不服の言葉を零す諦。

 研究者である諦にとって、神霊の浄化を使う事なく大地を回復させるという実験は有意義な時間であり、楽しみの一つである。

 前提は定まった。故に後は実験と検証を繰り返すだけだった。

 だというのに、休めと言われ半強制的に連れてこられたのだから、諦にとっては溜まったものではないのだろう。

 だが、十六夜達にも意見があった。

「諦は殆ど自室に籠もってるんだ。レティシアの件が起こるまで、コイツが部屋を出た所を俺は見た事がない。」

「食事を摂る事もせずに数ヶ月も研究し続けるなんて、もはや狂気の沙汰よ。同じコミュニティの仲間として見過ごせないわ。」

「諦はギフトでどうにかっても、私達は諦が心配。」

「コミュニティのリーダーとして、見過ごす事は出来ません。」

 全員が全員、同じ意見を諦へと突き刺してくる。

 これには白夜叉も「それは仕方が無いのぉ。」と納得する他なかった。

「白夜叉まで…」

「意欲があるのは良いが、周りを気にする事を覚えた方が良いの、おんしは。」

 呆れた、といった風に嘆息する白夜叉。

 詰路諦―――"ノーネーム"の一員にして狂人、異端児。

 その異常性を、白夜叉は実際に見ている。あの決闘の際に、目の当たりにしている。

 ギフト、恩恵無しで自然現象を操作する、一切の情報無しで星霊である事を看破する、更には『天動説』である事すらも見破っている。

 その上、十六夜の“正体不明”というギフトと似て、全知の一端であるギフトカードに『理解不能』と刻まれた謎のギフト。

 全知の一端。全てを知る超越的存在であるラプラスの悪魔ですら理解する事が出来ない恩恵、バグアンドエラー。

 十六夜と同じく、未だ訳の分からないギフトを身に宿す、底が知れぬ青年。

 しかし、仲間想いで義理堅い(と、勘違いされているだけだが)青年である。

 しかも黒ウサギ曰く、自分が狂人、異端児であるという事を無意識に気にして、子供たちと関わる事を避けている(これもまた、黒ウサギ達の勘違いである)のだとか。

 最初こそ警戒すると言ったが、こうも人間らしい一面を見てみると、それもどうかと白夜叉は思ったのだ。

「では、さっそく北側へ向かうとするかの。その方が面白いとの事だし。」

 ぱんぱん、と白夜叉が手を叩いたその瞬間、

「着いたぞ」

 彼らは、北側へと到着した。

 

            ✻

 黒ウサギは“月の兎”、その末裔であり帝釈天の眷属である。

 それ故に、そのギフトは強力なものばかりである。

 そんな黒ウサギは激昂すれば髪色が黒色から綺麗な緋色へと変化するのが特徴的なのだが。

「黒ウサギの髪質は一体どうなっているのだろうか…」

「唐突だね。」

 白夜叉の私室で、黒ウサギに捕まってしまった諦は、黒ウサギの髪質について、唐突に呟いた。

「見ただけで麗しいのは理解出来る。艶があり、触れれば質の良い絹を触れているのではないかと錯覚してしまう程のものであると。だが、元の黒髪も確かに美しいが、緋色に変化した髪はその質も変わるのだろうか?」

「…諦もそういうのに興味あるの?」

 耀にとって、諦は女性の体やらに興味を持たぬ人間に見えていた。一切興味が無いと、思っていた。

 だから、耀にとって諦の疑問はとても意外だった。

「俺も男だからな。そういった事、もとい女性に対して興味が無いという訳じゃない。性癖と言うのかは分からないが、俺は女性の髪が好きだ。確か、髪フェチ、というんだったか。」

「おんしもそういった趣味を持つ同志だったか!」

 バンッ! と勢いよく襖を開き、白夜叉が嬉しそうに、興奮したように現れた。

 そういった趣味。それは、女性の肉体や服装についての事だろう。

 黒ウサギにあのような格好をさせたのは誰でもない白夜叉なのだ。十六夜はグッジョブと言っていたが。

「黒ウサギは肉体美も勿論の事ながら、その髪も実に良いのだ。おんしが言ったように、質の良い絹を触れているのではないかと錯覚してしまう程のものであるというのは的を得ている。」

「やはりか。…まぁ、俺は黒ウサギの髪を触った事はないのだが。」

「あれだけ語ったのに触れた事はないのか、おんし!?」

「狂人ではあるがな、俺は男だ。そう簡単に女性の髪を触る事が出来る訳なかろうよ。そも、異端児かつ狂人である俺に黒ウサギが髪など触らせる訳が無い。」

 はっきりと、そこだけを強調して諦は断言した。

 異端児であり、狂人である詰路諦に自分の綺麗な髪など触らせないと。

 その断言に、白夜叉は若干、驚いたような表示を浮かべた。

「…そうかの? まるで自分が黒ウサギから信用を得られていないような言い方だが、わたしはそうは思わんが。」

「私も白夜叉に同意。」

「違う。俺は信用なんて得られていない。黒ウサギからも、そして十六夜からも、な。」

「…何故そう思う?」

「十六夜も黒ウサギも、警戒しているんだ。俺が居る時、ギフトゲームに参加する時、常に小さく警戒している。それはつまる所、俺が怪しい動きをすると思っているが故のものだ。」

 不満は無いがな―――と、零して。

 白夜叉はそれを聞いて、「…まぁ、確かにの。」と頭を抱えながらも、納得したように言った。

 耀だけは、その言葉を聞いて戸惑った。

「そ、そうなの…?」

「それ以外の理由が無い。俺を怪しんでいないなら、警戒する必要は無いだろ。」

「おんしが見せてきた技を見れば納得なんじゃが…しかし、黒ウサギまでもか。」

 人を怪しむ事を覚えた事に喜ぶべきか。

 十六夜ならば不思議な事ではなかったが、しかし黒ウサギまでもが諦を警戒しているというと、諦は本当に危険視されているのだろう、と白夜叉は諦を見ながら改めて思う。

 自分も未だ警戒が完全に解けていない訳ではないが、だが前よりはマシな方だ。白夜叉は過去の自分を思い返した。

 あの頃は、いざとなれば権能を使ってでも殺そうと考えていた。それ程までに危険だと判断していたから。

 だが、今となってはそれも緩くなった。ルイオスとの対談でのノーネームに対する言葉に嘘は無かったから。

 恐らく、黒ウサギは心を傷めながら警戒しているのだろう。ノーネームの為に自室で研究をし続け、レティシアや耀の為に全霊で動いた諦を警戒するのはどうか、と考えながら。

 黒ウサギは善良だ。とても、善良だ。甘過ぎると言えてしまう程に、善良な娘だ。

 仲間を疑う事にも心を傷めてしまう。特に諦は土地の研究に尽くしてくれているのだ。感謝もしているだろう。

 まぁ、十六夜達がギフトゲームをしている中でも研究を続けているのは自己満足であって、ノーネームの為というのは二の次というのが事実なのだが、黒ウサギは知る事も無い。

「…して、おんしは不満は無い、と?」

「あぁ。して当たり前の事だからな。それに、そうしてくれた方が俺としても助かる。」

「助かる…って、どういう事?」

「俺が好奇心に負けて過ちを犯そうとすれば、彼奴等が止めてくれるからな。俺にもストップが効く。」

 やらかすかもしれない自覚がある、もしやらかしたら十六夜達が止めてくれるから、不満は無い。諦は白夜叉が出してくれた緑茶を飲みながら、落ち着いて言った。

 諦自身、この箱庭の世界をいつか壊すかもしれないと考えてはいるが、しかしそれは今ではない。

 だが、そう決めてはいるのだが、もしも想定外の事態や興味を惹かれるものがあった場合、世界崩壊へ直行する手段を取ってしまうかもしれないというIFも考えられなくはない。

 故に、十六夜と黒ウサギが自分を警戒してくれるのはありがたい事なのだ、と。

「春日部や久遠を巻き込んでしまう可能性は否めん。だから十六夜達には、俺はどちからと言えば感謝しているんだ。…最初の話題から大分ズレてしまったな。」

 元の話題に戻ろう、と、諦が言った、その時に。

 

「ちょっと白夜!? いきなり北側に飛ぶって、何してんだお前!?」

 晴れ空に浮かぶ雲の如き白い髪、焼けた空に沈んでいく夕日の如き赤い瞳を持った少年が、戸を勢いよく開けて現れたのだ。

 

「あー…俺はエデン。楽園、なんて名前してるけど、別に言霊がある訳でも神格が宿ってる訳でもない、ただの白蛇だ。白夜…白夜叉とは旧友の間柄。突然現れて御免な?」

 申し訳なさそうにしながらも、白夜叉の菓子類を勝手に食べる少年――「エデン」に、諦と耀は「お、お構いなく…」と、戸惑いながら口を揃えて言った。

 白夜叉は「謝るなら食べるのを止めんか。」と、扇でパチンとエデンの頭を叩き(決して軽くはない一撃)、白夜叉に叩かれたエデンはごふっ、と地面とキスを交わした。

 星霊の一撃に、白蛇が耐えられる訳もなかった。

「力込め過ぎだろ!」

「おんしが礼儀知らずなのだから仕方無かろう。」

「…まるで姉弟のようだな。」

 姉の友人が家に遊びに来ても気にする事なく、いつも通りにしている弟に恥ずかしいから止めろと叱る姉のようだ、と諦は白夜叉とエデンの二人を具体的な表現で、小さく呟いた。

 具体的な表現を小さく呟くというのは、どちらかと言えば独り言なのではないか? という質問にはノーコメントだ。

「白夜みたいな姉は欲しくないな…」

「私も此奴のような弟は要らんの。」

「…仲良し?」

「それな。」




狂人だから、休まなければならないのだ。


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黒い狂気

「あらゆるものは毒である。あるものを無毒とするのは、その服用量のみによる。」
スイスの医者、パラケルスス。


            ✻

 黒死病。それは、1346年から3653年にかけてアフロ・ユーラシア大陸でパンデミックを起こした腺ペストの俗称である。

 症状が進行すると敗血症による皮膚の出血斑で体が黒ずんで見え、発病から2-3日で死亡してしまうが故に黒死病と呼ばれるようになったその病は、現代のコロナウイルスと同じく、人類を恐怖させた絶望だ。

 ユーラシアと北アフリカで7500万-2億人が死亡した、人類史上最も死亡者が多いパンデミック。この病だけで、当時の欧州人口の30-60%が死亡したと推定されている。

 その歴史は、この箱庭にすら影響を及ぼし、その証拠として現在のギフトゲーム“The PIED PIPER of HAMELIN”の主催者である魔王ペストは、その黒死病の魔王である。

「でも、そうね…貴方も欲しいけど―――私が一番欲しいのは、ソイツよ」

 審議決議の実行による話し合いで、"ノーネーム"のリーダーであるジンを玩具にしてみせると豪語したペストは、邪悪な笑みを浮かべて、柱に背を預けながら話しを聞いていた男―――"ノーネーム"の異端児、詰路諦を指さして、そう言った。

「白夜叉に攻撃を入れ込み、力の一端を出させただけでなく、例外の魔王ヨグ=ソトースからも認められた狂人。私は貴方も欲しいわ。」

「黒死病の化身にそう言ってもらえるとは光栄だ。俺としても君個人に興味がある。負けるつもりなど一切無いが、負けたら負けたで潔く君に付くとしよう。」

 ペストの言葉に対して、諦は悩む事もなく呆気なく答えを返した。

 もしもノーネームが敗北したならば、文句一つ言わずにペストの下に着くつもりである、と。

 己の探究心と好奇心を満たしたいが為の言葉、その真意は最悪かつ災厄に等しいものであった。

 しかしペストは

「あら、そう? やっぱり面白いわね、貴方。」

 そんな真意に気付く事なく、笑ってみせた。

(諦さん…)

(諦くん…)

(どっちにしたってペストはご愁傷さまだな。)

 その場に居たノーネームの者達は、全員揃って内心でペストを哀れんだし、諦に呆れ果てた。

 ノーネームの主戦力の一人であり仲間である耀は黒死病の初期症状に苛まれ、その他の民達も黒死病に苛まれている。

 諦にとって、北の領域の民達は割りとどうでも良いのだ。否、割りと、ではなく心底、どうでも良い。

 耀とギフトゲームを行ったハロウィンの連中については興味を唆られたが、ジンの友人であるサンドラという少女についても、サラマンドラというコミュニティについても、諦にとっては心底どうでもいい事でしかない。

 魔王を研究する為に必要不可欠な戦力である耀を苦しめている事、そして眼の前の少女に単純な興味を持っている事。それこそが、諦がギフトゲームに参加する理由である。

(いつか魔王の研究をしてみたいと思っていた。それに、黒死病についても試したかった事もあった。実に丁度いいタイミングだ。)

 ふっ…と、諦は微笑みを見せた。

 やりたかった事が出来るようになる。これに喜びを感じるのは、子供だけではない筈だ。

 大人であっても、やりたかった事が出来るようになるというのは嬉しいことの筈だ。それがゲームであれスポーツであれ仕事であれ、嬉しいという一点は変わらないだろう。

 研究する事が出来る、実験が出来る。諦にとって嬉しい出来事の二つがある。

 まぁ、しかし。

 溢れた笑みからは――凶悪さが、感じ取れた。

 その笑みを見たペストが、一瞬だけ身を震わせ、冷や汗の一つをかいたのが証拠だ。

 

(まぁ、それに…少しばかり、気になる事もある。それを調べる為にも、事は早急に終わらせなければな。)

 

            ✻

 場所は本陣営のバルコニー。

 その真ん中で、白夜叉は一人ぽつんと、黒い風の中で寂しく座り込んでいた。

「ふわぁ…暇じゃのー。こうも暇だとやる気すら起きん…」

 独り言を吐き捨てて、白夜叉は仰向けになって寝転んだ。

 小さな体に地面の冷たい感触が伝わって来るが、別に気にする程の事でも無し。白夜叉は、平然と瞼という幕を下ろした。

 …そんな、時に。

 シィ…と、舌が鳴らされた。

 白夜叉は下ろした瞼を直ぐに開き上げ、寝転んだ体制から体のバネを利用して立ち上がる。

 音が鳴った方向へと視線を向ければ―――

「やぁ、白夜。随分と寂しい檻だな?」

 其処には、紅い瞳を持った白髪の少年が、「エデン」が立っていた。

「エデン…」

「どうせ暇してるだろうなーと思ってさ。話し相手ぐらいにはなってあげようかと思って。良かったなー、こんな優しい友達が居てさ。」

「…うざっ」

「はぁー?! わざわざ来てやったのに返す言葉がそれかよ!」

「事実だしのう。」

「んだと…? …はぁ。まぁ良いや。そんだけ元気があるなら来なくて良かったかな?」

「いや、正直助かった。おんしの言う通り暇じゃったからの。暇過ぎて死にそうじゃったよ。」

「白夜なら、暇程度じゃ死なないだろ?」

「おんし、私を何だと思っとるんだ?」

「言論弾圧を楽しみ、ゴリ押しを好むし楽しい事を好む快楽主権の一面を持ったセクハラ大好きな問題児。」

「容赦無いの…私はあやつらに比べれば幾分もマトモじゃろうに。」

「そりゃ、クイーンハロウィンとか“閉鎖世界”とかアジ=ダハーカに比べればマシだろうけどさ。」

「おんしが入っとらんのじゃが?」

「おいおい、俺のどこが問題だってのさ。白夜みたいに心優しいだろ、俺は? 過去の白夜みたいに人類最終試練じゃないよ、俺。」

 何を言っているのやら。白夜叉を小馬鹿にするように、やれやれといった仕草をしながらそう言うエデン。

 だが、白夜叉の表情は良いものなどではなかった。決して、悪いものだったという訳でもないが、しかし良いものでもなかった。

 迷っているような、そんな表情を浮かべていた。

「…まぁ、おんしがそう言うのであれば、それで良い。今更、変わるものでもないしの。」

「何か言った?」

「いいや、何も。それより、エデンよ。おんしから見て、ノーネームの童達はどうじゃった?」

 小さな呟きを虚空へ消して、白夜叉は話しを逸して十六夜達の事についてどう思うかを、エデンと聞いた。

「どう、ねぇ…まぁ、そうだな。期待出来るか出来ないかで言えば期待出来る奴らだった。現段階じゃ成長途中だ―――あの狂人を除いて、な。」

「おんしにも、諦は違って視える、と?」

「あぁ。ありゃ本当に次元が違う。人間という枠組みからかけ離れた人間だ。そりゃ狂人とか異端児とか呼ばれる訳だ。これまで数多くの人間を見てきたけど、ああいう…なんて言うか、裏表じゃなくて全体そのもの、って感じの人間は初めてだ。あれは一方の側面が特徴的って訳でも側面が水平なのが特徴って訳でもなく、あらゆる側面を内包してる人間だ。喋る事の全部が表で動く事の全部が裏でもある。なんかソトースに似てるんだよ。」

「そう言われてみると、確かにのぅ…」

 善性や悪性といった一般的な人間性の側面、その一方が特徴的な人間というのは意外と多い。

 善性という側面が特徴的な人間というのは、いわゆる善人だ。人の事を考えられる、無条件に人を助ける事が出来る人達だ。

 悪性という側面が特徴的な人間というのは、いわゆる悪人だ。人の心を理解しない、汚い条件で人を翫ぶ事が出来る人間だ。

 そして、善性と悪性が中立的、平均的で両方が丁度良い具合の人間というのは然程多くない。

 善悪の中立化がこなす事の出来る人間。人の事を考えようとする事が出来る、人を助ける事も出来れば、その逆で無慈悲に人を殺す事が出来る、人を見捨てる事が出来る人間というのは、本当に稀だ。

 だが、エデンから見て詰路諦という人間はそのどちらでもなく、そのどちらもを内包した人間であるのだと。

 善性の中に悪性が含まれ、悪性の中に善性が含まれている。片方に傾けば、もう片方にも傾くという本来ならば有り得ない現象を引き起こすような人間性。

 コインの表裏ではなく、そのコインそのもの。表裏一体なのではなく、表裏を持った物そのもの。

 左に善、右に悪と書いた透明な管があるとしよう。

 左の方に蓋をした後に、管の中間辺りまで水を入れてから、右の方に蓋をして、持ち上げたとしよう。

 左を下に向ければ、当然の事ながら水は自然法則によって変わる事なく左の善の方で停止している。

 では、向きを変えて右の方に傾けてみればどうなるか? それは勿論の事、法則のままに水は右の方へと流れて、右の一番下から管の中間までを水が埋める。

 それなら、管を両手で持って、綺麗に中間で維持すれば水はどうなるか?

 水は左右へと流れる。綺麗ぴったりに左右へ行く訳ではないが、ほぼ同じ量でなる筈だ。

 しかし、少し右か左のどちらかに傾ければそれだけで水は傾けた方へと一方的に流れて片方から無くなる。

 それが普通。だが、諦の場合はそうではない。

 右方向に傾けたにも関わらず、水の半分が左方向へと流れていくのだ。

 その逆もまた然りで、左方向に傾ければ右方向へと水の半分が流れていく。

 つまり、エデンが言いたいのは、詰路諦の人間性というのは底が見えない、理解する事が出来ないものであるという事だ。

「ラプラスですら理解する事が出来ない存在なんて、ソトースやアザぐらいなものだとばかり思っていたけど…人間でもあんなのが居るもんだね。正直、度肝抜かされた。まだ逆廻十六夜の方が可愛かったよ、あれに比べれば。全く、いつの時代も」

 人間っていうのは、恐ろしいなぁ。

 

 それから、少しの雑談を交えて。

「じゃ、白夜。残念なんだけど、俺はもう帰らなきゃ。やる事もあるしね。」

「…東までか?」

「うん。長いけど、まぁ大丈夫さ。いざとなれば誰かを頼る。」

「そうか。では、気を付けての、エデン。」

「おう、じゃ、またな、白夜。」

 笑って、手を振りながらその場を去っていくエデン。

 

 こんな事を思うのは、柄ではないと分かっている。

 だからこそ、なのだ。

 寂しいなんて、白夜叉は言えなかった。

 




その毒は、一滴垂らせば全体に廣がる致死である。


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狂人にとって、死など乗り越えられる壁である

寿命? 伸ばせば良い。狂人にはそれが出来る。
病気? 治せば良い。狂人にはそれが出来る。
事故、事件? 生き返らせれば良い。狂人には、それが出来る。


            ✻

 ギフトゲームの謎を解いたのは、諦ではなく十六夜だった。

 諦は謎解きの全てを十六夜へと任せ、一人で調査に出ていたのだという。

 更には―――黒死病を改造した新たなるウイルスを、ペストの仲間の二人にこっそりと、感染させて。

 まぁ、それはさておいて。

 諦は今、十六夜達と共にペストの前に――否、ペスト達の真上に、立っていた。

「ペスト。お前の敗因は実に単純だ。黒ウサギをゲームに参加させてしまった事、そして―――俺の能力を詳しく知らなかった事だ。」

 背中には、6つの黒い翼が生えていた。

 それは、“オリジナル”よりも“オリジナル”らしさを追求した結果であり、“あの時”、「彼」が目にして、そして至った境地の力でもある。

「白夜叉が封印された理由には納得がいった。それと同時に、お前を苦しめるに最適なものであるという事も分かった。だから、この能力は実に良い。」

 その力の名前は、『未元物質』。この世に存在しない素粒子を生み出す、もしくは引き出して、操作する事の出来る能力である。

 諦の背中に生えた黒い翼もまた、その未元物質によって創られたものである。

 月光が翼を通して、ペストを照らし出すと共に、

「なっ…!」

 ペストの衣服から、黒い煙が上がったと同時に、彼女の肌が少しだけ黒ずんだ。

 ペストはそれを見た瞬間、すぐにその場を離れ、同時に黒い風を発生させてそれを諦へと投げ捨てるように放った。

 黒い風、死の恩恵が乗せられた殺人の黒い台風。一度喰らえば与えられるは絶死、奪われるのは其の生命。

 だが、狂人は畏れる事なく、翼を翻して真正面から翔け抜けた。

 黒い死が、全身を覆い尽くさんと襲い掛かる。だが、それら全てを狂人は畏れぬ。見向くことすら、一切しない。

 ボウッッッッ!!!!!! と、黒い風が炎に包まれ、そして消え去った。

「黒い風が、燃えた…!? 貴方、一体何をしたの!」

「簡単に言えば、月光を殺人光線へと変えたのと似たようなものだ…と、言った所で分からんだろうしな。簡単に言えば、流れ動いた空気を燃焼させるように、月光に素粒子を創り出した。」

「なら、なんで貴方は巻き込まれて…」

「ん? あぁ、そうか。お前には見せていなかったな。『ベクトル操作』、あらゆる力の向きを操る能力を使って、風と炎を反射したんだ。」

 まるでそれが、誰でも出来た当たり前の事であるように。諦は、平然と言い放った。

 あらゆる力の向きを操作する? 素粒子を生み出す?

「なにを、言っているの…?」

「…分からないのか? 簡単に言った筈なんだが…」

「単純に、素粒子などの単語が分からないだけだと思いますよ、諦さん。」

 黒ウサギの言葉に、「あぁ、そういう事か。」と納得した諦は、敵であるペストに「なら教えてやる。死ぬ前の授業だ。」と言って、新たな素粒子を生み出し、それを操作してペストを拘束した。

「いいか? あらゆる物質、物理的現象には力が伴い、そしてそれには力が作用する向きがある。例えば、生物が地面に立っていられるのは作用・反作用の法則という力の釣り合いによって成り立っている。地面が物体、もとい生命を押す力と物体が地面を押す力の両方が釣り合い、立つという行為が成り立っている。俺が操るのは、そういった物体の力が作用する向きだ。例えば、矢が飛んでくれば俺はその矢の力を反転させて、別の方向へと反射する。これがベクトル操作だ。

「次に、素粒子とは物質を構成する最小の単位の事。俺の…というより、この『未元物質』は、本来ならばこの世界に存在しない素粒子を作り出す、もしくは引き出して操るものだ。月光という物質を殺人光線に変えた後に、動くものを燃焼させる燃焼光線に作り替えた。

「理解したか?」

 

「なに、よ、それ…」

 規格外。圧倒的。

 信じられない現実。人でありながら、神のような力を持った人間。

 狂人である事は知っていた。だが、それはただ精神が可笑しいだけだとばかり思っていた。

 異端児である事は知っていた。だが、それは常人よりも変わっているからだと思っていた。

 それが甘かった。

 最初から、ペスト達に勝ち目など無かった事を知っている上で嘲笑い、弄んだ。

 伝承を解き明かしたにも関わらず、仲間には一切伝える事もなく別の事をしていた。

 興味があるから、嘲笑った。仲間を、仲間の主の力で蝕んだ。

 お前は、狂って、いる。

「何を今更。それを知った上で、お前は戦いを挑んだんだろう?」

 呆れたように、諦は言って。

 黒死斑の魔王に向けて、数多の命を奪った魔王へと死を告げる為に、失墜した天使の如き黒翼を、はためかせた。

「さようなら、魔王。隷属した際には、たっぷりと実験させてもらおう。」

 絶望は、もう眼の前に立っていた。

 綺麗な月の光が、ペストの体を焼き尽くした。

「―――あ、ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!????????????????????!!!!!!!??!?!?!?!?!?!?!?」

 あつい、あつい、あつい。

 もえてる、もえてる。わたしのからだが、もやされている。

 さむくない。つめたくない。でも、わたしはひとり。きえるのは、わたしだけ?

 いやだ、いやだ。あのときよりも、こわい。きえたくない、きえたくない。

 たすけて、たすけて、たすけて。だれでもいいから、たすけて。

 

「甘えるな、魔王。誰もお前を助けはしない。死者の霊群、その代表者よ。お前がどんな過去を背負っていようとも、お前は魔王だ。箱庭の最悪、天災へと至る者だ。そしてだからこそ、滅ぼされる。ゆめゆめ忘れるな、魔王というのはそういう存在なのだ、と。」

 物語を着飾るのは、物語最大の敵が葬られる時だ。

 どんな死に方であれ、なんであれ、敵は死ぬ。殺される。それこそが、世界に平和をもたらすものだから。

 魔王とは、誰かに倒されるものだ。

 どんな相手であろうと、何百年と時が経とうとも、いつかは敗れるのだ。

 そういう、ものなのだ。

 

             ✻

 ペストは、焼死した。そして、誰一人として嬉々とはしなかった。

 その次の日の夜。黒ウサギは、寝る前に開けていた窓を閉めようとした時に、大地に座り込む諦を見つけた。

「諦さん…?」

 諦は大地に座り込んで、俯いたまま、ぶつぶつと口を動かしている。

 そんな諦が気になった黒ウサギは、寝間着のまま靴を履いて、外へと出て、邂逅日のようにこっそりと、うさ耳を立てた。

 

「(しまった。よく考えてみれば、月光を殺人光線に変えるのは過去にやった事があった。検証するべきは黒い風を上書きして跳ね返すことが出来るかどうかだったというのに…)また間違えた…あんなやり方じゃなくても良かった筈だ。もっと、良い方法が有った筈だ。深く考え込めば、いや、そんな事はしなくとも苦しめる必要は無かった筈だ(あのやり方は時間が掛かる。まだ調べ尽くしていない事があったというのに、それを忘れるとは…)苦しめる事なく、逝かせれば…」

 それは、後悔だった。自分がした過ちに対する、後悔だった。

 決して綺麗なものなどではなく、あまりにも汚れた後悔。ペストを殺した事を後悔しているのではなく、ペストを殺す為に取った手段そのものを悔いている訳でもなく、その手段以外にもやる事があったのにやらなかった事を悔いている。

 だが、黒ウサギは真意を読めない。例え黒ウサギでない者であろうとも、誰も諦の真意は理解出来ないのだけど。

 未だ使用されていない諦のギフト『理解不能』。その一端が作用しているからだ。

 それすらも、黒ウサギには分からない。故に、黒ウサギからすれば、諦がペストに対して後悔しているように聞こえるのだ。

「諦さん…」

 狂人と呼ばれ、異端児と呼ばれた男。全知にも等しい頭脳を持ちながらも、選択を間違え続けた男は、後悔の多い人生を歩んできた。

 最初から狂っていた訳ではない。最初から異端だった訳ではない。

 最初は好奇心から科学に触れた。そして、それがいつしか狂気へと変貌した。

 人は離れ、遂には街すらもが彼を手放した。

 狂人へと至った彼が恐ろしかったが故に。異端児へと至った彼が怖かったが故に。

 その時は、まだ後悔する事が出来た。自分の人生を、自分の誕生を。

 だが、時が経てばそれも薄れ、そして今が出来上がった。今の、詰路諦が出来上がった。

 しかし、黒ウサギには、諦の事は分からない。少しとは、十六夜と共に警戒すらしていた黒ウサギには、諦という人間の底にある過去の異物が分からない。

 だからこそ、

「諦さん。」

「黒ウサギ…?」

「少し、夜更かしいたしませんか?」

 黒ウサギは、そんな子供っぽい言葉とは真逆の、優しい微笑みを浮かべて、諦に近付いた。

 純粋に、彼の事を知りたいと思ったが故に。




狂人の心に、優しさは届くのか。
それは未だ分からない。
だが、理解を示すことは出来るだろう。
そしていつか、その狂った心を癒やしてくれる。


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第四章「理解不能」
理解できぬ存在


もはや、誰も分からない。


■  ■

 理解。物事のすじみちをさとること。わけを知ること。物事がわかること。もしくは、人の気持や立場がよくわかること。

 不能。可能でないこと。もしくは、それをする能力がないこと。

 『理解不能』。理解する事が出来ないという事。

 全知全能の悪魔、超越的存在であるラプラスの悪魔ですら理解する事が出来ないギフトというのは極稀であり、今の所は詰路諦のみである。

 "理解不能"、未だ使用されていない諦のギフトの一つ。

 諦が使用した事があるギフトは、今の所は"万全の能"のみであり、"理解不能"と"異端の狂力"は未だ使用されていない。

 否、改めて。

 “使用されていなかった”、だ。

『ゔぁ…ぁぁぁぁぁ………』

「巨人、巨人か。こうも数が多いとは―――実に、好都合。」

 《理解不能》、その力の一端は、このギフトゲームで明かされた。

 “捻れた巨大な体”は、諦の振り抜かれた拳によって引き起こされた。

 潰れたソーセージのようになった頭は、諦が振り下ろした蹴りによって、そうなった。

 目を縦横無尽に駆け巡らせて、発狂しながら同士を殺している巨人は、諦の言葉によって支配されている。

 こうなってしまったのは、全て詰路諦という人間が居るから。

 では、こうなる前の時間へと遡ろう。

 ペストとのギフトゲームを終え、黒ウサギと諦が共に夜を明かして、それから一ヶ月の話しだ。

「それだと黒ウサギが諦さんと初夜を迎えたみたいじゃないですか!」

「実に良かった。以上だ。」

「諦さんは怪しまれるような事を言わないでください!」

 またもやハリセンがスパァン! と良い音を叩き出した。

 しかし、不動。諦はいつもの如く、巨石のように不動であった。

 そんな二人のやり取りを見て、

「諦さんもノーネームに馴染んできましたね。」と、笑いながらジンが言った。

 ジンの言葉に、黒ウサギは勿論の事、レティシアや十六夜達もまた頷いた。

 何処となく距離を感じ、基本的に部屋に籠もりっぱないだった諦だったが、ペストとの戦いを終えて黒ウサギと話し合ってからというもの、子供達とも関わるようになった。

 結論から言ってしまえば、諦は子供達から大人気になった。

 『ベクトル操作』といった能力は子供達の遊びにはぴったりのものであり、更には博識である諦によって子供達にも様々な知識が身についた。

 諦本人も、悪い気はしなかったようだ。

「それで、ジン。ノーネームの農園区に、霊草・霊樹を栽培する特殊栽培の特区を設けようというのが本題だったな?」

「あ、はい。諦さんの研究のお陰で、大地全体は一般的な大地にまで回復しました。その分、農園などの事が幅広く出来るようになったので、新たに霊草といったものを栽培する特区を造ろうと思ったんです。」

「ふむ、なるほど。では、俺達にはその特区に相応しい苗や牧畜を手にれれば良いんだな?」

「あぁ、その通りだ。」

「牧畜って、山羊とか牛のこと?」

「あぁ。幸運な事に、南側の〝龍角を持つ鷲獅子〟連盟から収穫祭の招待状が届いているそうだ。連盟主催だ、収穫物の持ち寄りやギフトゲームも開かれる可能性が高い。」 

 なるほど、と頷く十六夜達。

 しかし、と黒ウサギが言葉を繋いだ。

「この収穫祭ですが、二〇日、それに前夜祭からの参加を求められているので総計二五日。約一ヵ月にもなります。この規模のゲームはそう無いですし最後まで参加したいのですが、長期間コミュニティに主力がいないのはよくありません。そこでレティシアさんと共に一人残って欲し」

 

「嫌だ。」

 問題児三人は、全員口を揃えて否定した。

 だが、諦だけは否定などしなかった。それが、三人には意外だった。

「なんだ、諦は居残りで良いのか?」

「あぁ。基本的に前の世界で霊草といったものは調べ尽くしているからな。今はあまり興味が湧かないから、レティシアと共に本拠地に居残ることにしよう。」

 少しつまらなさそうに言う諦を見て、(あぁ、これが諦さんの特徴の一つですね。)と、黒ウサギは諦から話された自分の特徴の一つを思い出した。

 『興味が湧かないものには、本当に興味が無いしやる気も起きない』。諦が黒ウサギと共に話し合った夜の日に自ら教えた自身の事の一つだ。

 小さなため息を吐いて、諦は「そんな訳だ。頑張ってきてくれ。」と、半ば投げやりになったように言った。

「うわ、マジかよ。黒ウサギの言った通りじゃねぇか。」

「諦くんもそんな風になるのね。」

「うん。なんか、意外。」

「分かってはいたが遠慮が無いな、お前達は。」

 そうは言ったものの。

 諦は、ははっ、と笑った。

 

            ✻

 暗闇の中、冷たい地面に男は這いつくばっていた。

「ぐっ、うぁ、」

 黒衣を纏う男が呻き、苦しんでいた。

 穴が空いた胸を抑え、体中に稲妻が迸るが如く暴れ回っている激痛に耐えんと歯を食い縛りながら、苦しんでいた。

 男は、見下されていた。

 白い縁、黒い羽を持った一つの片翼を右肩から生やした天使のような姿をした青年が、流血が付着した一振りの戦斧を持って見下していた。

「実力差を理解していながら、態々襲い掛かってくるとは、実に愚かだな。私からすれば、あの娘と同じで貴様もその力を上手く扱えてはいないがな。」

「グッ…そ、れは、貴様が、げんざ」

 ぶぉん――と、戦斧が下から真上へと振り上げられた瞬間。

 膝から下が切り飛ばされ、肉塊と血飛沫が共に舞った。

「ぐぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 暗闇の中で、絶叫が響き渡った。

 どくどくと、血が滴っている。血が流れている。まるで、ビンが倒れて一気に溢れた水のように。

 青年の目には、強固な意思の如き鋭い殺意が宿っていた。

「それ以上、それを口にしてみろ。貴様の命は無いぞ。」

「」

 それは、遥か昔に存在していた無敵の英雄を苦しませ、激痛に苛ませて殺害した神々の毒。

 神が遣わした一匹の蟲が放った致死毒の一撃は、無敵の英雄の肉体を突き破り、その体内へと毒を渡らせて全身に広がらせた。

 神の血を引く英雄すら殺した致死の毒をもたらすその“太陽主権”に、ただ生命の力を扱えるだけの人間が耐えられる訳もなかった。

 まぁ、それ以前に。その青年の力が、あまりにも特殊だった故に耐えられなかったのだが。

「…もう喋ることすら碌に出来なくなったか。流石は英雄すら殺した力だ。…だが、貴様がここで死ぬことなど私は赦さない。貴様には、まだやってもらわなければならい事が残っているのだから。」

 そう言うと、青年は一つの瓶を取り出した。

 透き通った綺麗な水が、蒼穹の如き青色の水が入った瓶。その栓を外し、男の体へと傾けて中の水を少し、ばら撒いた。

 その瞬間、男の肉体から激痛が消え去り、また切り飛ばされた筈の脚が元に戻っていた。

「これは…『水瓶座の太陽主権』…!?」

「我が友から借りていたものだ。今日を返す日としていたからな。」

「貴様は、どこまでの繋がりを…」

「それを貴様に教える義務は無い。そして、深読みと勘違いをするなよ下郎。私と私の友の繋がりは、決して遊びなどのものではない。“俺”にとって、あいつ等は大切なものだ。誰にも奪わせはせん。その為にも、私はやらなければならない事を為す。」

 全ては、我が友と世界の為に。

 

       ✻

 本来ならば収穫祭に向かうのは諦ではなく十六夜だったのだが、しかし十六夜は自分のヘッドフォンが紛失してしまったが為に辞退した。

 それ程までに大切なものなのだろうと、諦は納得して十六夜の代わりに飛鳥達と共に収穫祭へと向かう事とした。

「耀。少し良いか?」

 西側へと向かう直前、諦は耀を呼び止めた。

「なに?」

 耀は振り返り、諦の方を向いた。

 諦は耀の眼の前に立って、少し体を屈めて耀の耳元まで顔を近付けて

「俺はお前の選択に口は出さん。だが、一応聞こう。お前は、これで良いんだな?」

 そう、問を投げた。

 耀は、驚いて、固まった。

 御二人ともー、どうかなさいましたかー? と、黒ウサギが言った。

「なんでもない。今行く。」後悔はしないようにな。

 小さく呟いて、諦は向かった。

 耀は少し悩んで、諦に付いていった。




自分ですら、理解できない。


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その心、理解し難き

「どんな真実も、発見してしまえば誰でも簡単に理解てまきる。大切なのは発見することだ。」
イタリアの天文学者、ガリレオ・ガリレイ。


            ✻

 境界の門を通り、そして辿り着いたるは“アンダーウッドの大瀑布”フィル・ボルグの丘陵。

 ビュゥ、と吹き込んできた冷たい風に、飛鳥と耀は小さな悲鳴を上げる。

 諦はただ静かに風をその身に受けて、「心地良い風だな」と、文字通り涼しげに言った。

 外門を出た彼らの目に飛び込むのは、樹の根が網目模様に張り巡らされた地下都市、そしてそれを彩る飛沫の舞う水舞台である。

「驚愕する他無いな…日本の神社で数多の御神木を見てきたが、この水樹はその全てを上回っている。」

「箱庭でも上位に食い込む大きさを持っていますからね。」

「なるほど。しかし、なんだろうな…こうも大きいと、俺としては切断、もしくは燃焼出来るか試したい所なんだが…」

 さらっととんでもない発言をする諦。今日もやはり科学者としての悪い癖が出てしまっているようだ。

 勿論の事、そんな発言を聞いた黒ウサギは「駄目に決まっているのですよ、このおバカ様!」と、いつもの如く伝家の宝刀たる『ハリセン』を以て、全知的頭脳を持つ諦の脳天を引っ叩く。

「やはりダメか。」

「当たり前でございます! どういう思考回路の元そのような結論に至るのですか!?」

「日本で数多の御神木を切断し燃焼させたからだが?」

「なんと罰当たりな!」

 御神木というのは、特別に神聖視されている樹木の事であり、古来より日本は自然にこそ神が宿るという信仰の中で樹木、岩、山、滝といった自然の代表を神の依り代として崇めてきたのだ。

 一説によれば、神が人を生むのではなく人が神を生むのだと言う。元々、神というのは世界が誕生した際に生まれたものではなく、人類が誕生して遥か先の時代で創り出した空想の産物である。

 しかし、人は神こそが万物を創ったと言う。決して自分達が神を創り出しました、なんて事は言わない。

 人々が神を想えば、神はそれに宿る。妖怪といった存在が人々が妖怪という存在を恐怖しなければ存在出来ないのと同じように、神もまた人に崇められなければ、人が覚えていなければ、存在する事は出来無いとも言われる。

 ここで言いたいのは、御神木という古から伝わり、既に神が宿っているであろう神の如き樹木を、異端児である彼が切断し、あまつさえ燃やしたという行為が箱庭から見てもあまりにも狂気的な罰当たりであるという事だ。

「伊邪那岐様が知れば激怒する事は間違い無しでございますよ…」

「だろうな。その所為か一時期、何度も死にかけた。雷に打たれたのはとても痛かった。」

「もう既に手遅れだったのですよ!?」

 大丈夫でございますか…?、と今頃の諦を心配する黒ウサギ。

 だが、諦は何の問題も無い。と言ってアンダーウッドの地下街へ行く為、白夜叉の時に耀に試練を持ちかけ、そして耀と友になったグリフォンに乗る飛鳥達と共に、『未元物質』を発動させて空を翔ける。

 雷に打たれても平気だったのは、ひとえに『ベクトル反射』という攻防一体の最強とも言える能力を持っていたからである。

 とは言え、流石は神の雷。その能力を以てしても、完全に防ぐ事は出来なかったのである。

 だが、そのお陰もあって諦は神の雷の性質を理解するに至ったのだ。それ即ち、神が起こす事象の性質に、理解が及んだという事である。

 そしてそれ故に、諦は白夜叉の攻撃を防ぐ事が出来たのだ。星霊の最強種、元人類最終試練「天動説」こと、白夜王の攻撃を防ぐ事が出来たのだ。

 まぁ、それはともかく。

『驚いた。まさか生身で私に追い付くとは。』

「まぁ、そうだな。少し訂正すれば、完全に生身という訳ではないのだがな。」

 黒ウサギ、飛鳥、ジンの三人はグリフォンの手綱を強く握って風に仰がれながらしがみつき、グリフォンの力を使う事が出来る耀はグリフォンの速度に追い付けないと理解し、急ぎグリフォンの毛皮を掴み何とか並走している。

 しかし、諦はと言うと『未元物質』により創り出した6枚の漆黒の翼を羽撃かせてグリフォンに追い付いていた。

 “空を踏みしめて走る”とも言われるグリフォンの速度に追い付くというそれは、生半可な苦労ではない。しかし、諦は苦にもせず並走していた。

 それにも驚きだが、それより驚くべきは、『グリフォンと会話した』という事だ。

「諦、グリーの言葉が分かるの?」

 グリー、というのはグリフォンの名前だろう。耀は、驚きを隠さずに諦へ問う。

「あぁ。“万全の能”を使って、言語を変換しているからな。」

 言語の変換。“万全の能”の『万物理解』による、本来であれば理解する事が出来無い他言語を理解する事の出来る言語への変換。

 所謂、脳内翻訳である。庶民的に言えば、『翻訳蒟蒻』のようなものだ。

「本当に便利ね、“万全の能”。言語の変換も出来て、万物の理解も出来て、更には万象の操作すら可能で。何でも出来るじゃない。」

「万能にして全能。それが“万全の能”だからな。科学者として、俺もアリストテレスを強く尊敬している。」

 古代ギリシアの偉大なる哲学者、アリストテレス。

 西洋哲学の基礎を気付いた人物の一人であるソクラテスの弟子の一人たるプラトンの弟子にして、しばしば西洋最大の哲学者の一人にも数えられる偉人。

 科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる彼は、近代哲学や論理学に多大なる影響を与えた。

 彼は善性や中庸、理性や四原因説、三段論法といった概念などの他にも『アイテール』という第五元素も提唱している。

 四大元素を拡張して天体を構成する第五の元素、アイテール。これでも彼が如何に凄まじい人物であったのかは理解出来るだろうが、しかしこれだけでは万物万象の理解には及ばない。

 それもその筈。何故ならば、このギフトを構成しているのはアリストテレスという人物の知能のみならず、ヨグ=ソトースの要素もあるからだ。

 一説によれば、ヨグ=ソトースは第五元素アイテールの集合体であるのだという。天体を構成する元素の集合体とは即ち、世界そのものと言える超越的存在を意味する。

 万物の根底を理解し、そして理解した万象を操作する事が出来る能力は、そのヨグ=ソトースの要素が関連しているのだろう。

 そんな話をしている内に、諦達は地下の宿舎へと降り立った。

(此処までは問題無し、か。…確率論だが、しかしこれまでの事態から予報するに、今回も何かしらの事件が起きる筈だ。警戒しておくに越した事は無い。一応、演算も試してみるか…)

 耀達が“ウィル・オ・ウィスプ”のメンバーであるアーシャとジャックと世間話をしている間、諦だけが警戒心を内で強めていた。

 

            ✻

「あれ、黒ウサギ達じゃないか。お前達も収穫祭に来てたのか?」

 無事に南側の七七五九一七五外門、“龍角を持つ鷲獅子”が主催する収穫祭の舞台へと辿り着いた諦達は、アンダーウッドの地下都市の螺旋階段を登っていたのだが、その途中で螺旋階段を降りていたエデンと遭遇した。

「エデン様? エデン様も収穫祭にいらしていたのですか?」

「まぁね。白夜から、御使頼まれちゃってさ。で、色々買い終えて、知り合いと話し終わって今から帰る所。」

 よく頼まれるんだよ…と、遠い目をしながらそう言うエデン。どうやら苦労しているらしい。

 白夜叉の事だ、足くらい自分でどうにかしろみたいな事でも言ったのだろう。何気にエデンには他人より厳しい気がするが、何故なのだろう。

 エデンは遠い目を止め、「じゃ、収穫祭を楽しんでくれ。俺は早く帰る。じゃないと白夜が煩いから。」と言って、螺旋階段を降りて行った。

 その背中を、諦は見送った。嫌々ながら姉のお使いに行き、そして不機嫌ながら帰る弟が容易に想像出来た。

「やはり白夜叉とエデンは姉弟になるべきではなかろうか?」

「明らかな願望が滲み出てますよ、諦さん…」

「それなりに多くの創作小説を見てきたが、姉と弟という組み合わせは中々に良いものだぞ。家族ならではの距離感は、見ていて微笑ましい。」

「諦が創作小説を見る…? 想像出来ない。」

「私もよ。」

「あはは…諦さんでもそういった類の小説は読まれますよ。」

「ジン、君だけが救いだ。」

 ジンだけが良い子だ。だが、ここまで言われるのも諦なれば仕方ない事である。

 そんな雑談に花を咲かせながら階段を登っていた一同だが、しかし諦は何か思い付いた、足を止めた。

「? どうかしましたか、諦さん?」

 ジャックが足を止めた諦へ問う。

 諦は名案を思いついたという顔つきで「これ、飛んだ方が速いのでは…?」と零した。

 が、その提案に一度は口を揃えて

『それが出来るのは貴方だけですよ/よ/だよ』と、一蹴した。

 飛んだ方が速いという考えは確かだが、しかしこの中でそんな事が出来るのは諦のみである。

「そうか。では先に待っているぞ。」

 だが、諦は彼女達の一蹴を自分の合理的判断で一蹴する。

 螺旋階段から跳んで空へと落ち、その途中で『身元物質』を発動して再び6枚の翼を展開し、「エレベーターもあるんだろ? ならばそう時間は掛からん筈だ。先に行って待っている。」と言い残し、目的地まで翔けて行った。

「マジかよアイツ、マジで行きやがった?!」

「あはは…まぁ、諦さんですから。」

「諦くんだもね。」

「諦だから。」

 一人は苦笑い、その他はだろうなと納得の表情で、ノーネームのメンバーは揃いも揃って、もう遠くなってしまった諦の背中を見送っていた。

「アンタらもなんでそんな納得してんの!?」

「黒ウサギが諦と一夜を明かして諦の事を知って、そしてその情報が私達に経由してきたから。」

「え…! ま、マジなの…!?」

「ヤホホ、それはお祝いしなければなりませんねぇ。」

「ち、違います! ただ黒ウサギと諦さんは夜更かしをして互いの事を話し合った、というだけであって、決してそのような意味合いなどではないのです! 耀さんも、誤解を招くような言い方をしないでください!」

 ハリセンの一閃。その振りは正しく剣豪の如く。

 強烈なハリセンが、耀の頭を引っ叩く。威力は自然と今までより強いものであった。

「そうでしたか。(しかし…)」

 意外にも、満更でもなさそうでしたけどね。

 心の中で、ジャックは笑った。もしかすれば、そんな結末も有り得るかもしれない、と。

 まぁ、それはそれとして。黒ウサギ一同はエレベーターを使い登り、そして目的の場所へと辿り着いた。

 其処には勿論の事、先に行った諦が飲み物を飲みながら立って待っていた。

「ん、意外にも遅かったな。」

「諦さんが速いだけなのですよ!」

「そうか? それはすまなかった。」

「謝罪を求めている訳ではないのですよ…」

「…? よく分からんな。」

 きょとんとする諦に、一同は呆れてしまった。

 その途端、暑い風が吹いた。暴風とも例えられる、強い風が熱気と共に現れ、吹き荒れた。

 来たようだな。諦はそう呟いて、その風が吹いた方へと体を向ける。

「初めまして、サラ=ドルトレイク殿。ノーネームの一人、詰路諦だ。」

「初めまして、詰路諦殿。“一本角”の頭首、サラ=ドルトレイクだ。」

 狂人と火龍、その邂逅が果たされた。




どんな虚偽も、誰が聞いても簡単には信じられない。何故なら皆、疑い深いのだから。


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理解する事の出来ない力

「すべてよき書物を読むことは、過去のもっと優れた人々と会話を交わすようなものである。」
フランスの哲学者、ルネ・デカルト。


           ✻

 そして、物語の冒頭へと戻るのだ。

『ヴォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!!』

 喧しい、雄叫びの如き咆哮がアンダーウッドに轟く。

 地響きが街を、水樹を、世界を揺らす。人すらも揺らし、もはや逃げる事は出来無いと断言するかのように、巨人達が大きな歩幅で迫っている。

 だが、そんな巨人達に恐れる事もなく。

「見るのは初めてだな。」

 狂人は、恐怖する事も、緊張する事もなく、ただ余裕を保ったまま巨人に立ち塞がっていた。

 最初に断言しておこう。この戦いにおいて、詰路諦は『超能力』に分類される自身の力を、一寸も一文も使わない。絶対に使う事はなく、そして使わずに眼の前に群がる巨人を一掃するのだ。

 今ここで、漸く使われる。漸く披露される。

 詰路諦が詰路諦である所以を。詰路諦が白夜王に警戒される最大の理由を。詰路諦がラプラスの悪魔に勝利した原因を。

 詰路諦が―――『正体不明』の逆廻十六夜をも越える、『理解不能』である事を。

「さて。それでは、始めるか。」

 そう口にした、次の瞬間の出来事だった。

 ―――地面が、隕石が落ちたのではないかと錯覚してしまう程に凹み、そしてソニックブームに勝るとも劣らない勢いの風圧が発生した。

 ぶち、と。赤い液体と桃色の肉塊が溢れると共に、何かが彼方の方向へと呆気なく吹き飛ばされる。

 巨人の動きが停止する。何が起きたんだ? と。一体、どうしたんだ? と。そんな疑問で、巨人達の頭が埋め尽くされた。

 視線だけを、横へと送る。

 其処に“有る”のは、勿論の事、彼らの同士である巨人―――などでは、なく。

 首から上が無理矢理“蹴飛ばされ”、その勢いで脳味噌と脳漿、血液をぶち撒けた、物言わぬただの死体であり、ただ立ち呆けるだけの肉塊であった。

 唖然とした。だが、それこそが過ちであり、そして自分を殺す隙だった。

 その屍の肩に乗っていた諦が、屍の右肩を踏み台に、その屍の後ろに立っていた次の巨人の肩目掛けて拳を振り翳し、勢い良くその肩へと拳を振り抜く。

 直後、ゴリゴリゴリゴリゴリッッッッッッ―――と、まるでかき氷機が氷の塊を削る時のような音が鳴らされる。だが、それは決して夏を代表する爽やかな物などではなかった。

 巨人の体が、体そのものが、本来ならば回らない筈の方向に、180℃の方向に回っていた。

 かき氷を削るかのような音、それは―――“巨人の脊髄が無理矢理に回された音”だったのだ。

 諦の拳によって、巨人の肉体は捻じれてしまった。そして、そのまま息絶え、体が歪んだまま地面へと斃れる。

 脳から連続する中枢神経であり、人間を支えている骨でもある脊髄。それは巨人であろうと例外ではない。

 だが、肩に放たれた想像を絶する威力の衝撃によって、回転する球体の玩具の如き速度で無理矢理に回転した肉体の負荷を受け止め切れなかった脊髄は、完全に歪なものと成り果てた。

 それが何を生み出すのか? 『死』と『屍』。それ以外には、何も生み出さない。

『―――』

 世界が、停止した。そんな錯覚が訪れる程に、その場は静寂に包まれていた。

 その場面を見たフェイス・レスも、グリーも、そして巨人も。その場に居た誰もが、そのたった一瞬の内に起きた惨い出来事に、絶句する他無かったのだ。

 だが、そんな事など知った事ではないと。狂人は、再び屍を蹴って巨人の頭上へと舞う。

 瞬速で落下する諦は、巨人を潰さんとする勢いで踵を振り翳し、

「死ね。」

 短い言葉を吐き捨て、巨人の脳天へと踵落としを叩き込んだ。

 ぶちゅ、と。巨人の頭蓋が砕け、そしてその中身である柔らかい脳味噌をも踵が無情にも粉砕する。脳漿と血潮をまき散らし、そしてその惨状が、更に巨人共の恐怖を煽る。

 速く殺さねば、と。眼の前で同士を次々と惨殺していく狂人を今すぐ殺さなければ、と。そう決意し、一人の巨人が狂人へと拳を振り下ろす。

 だが、狂人はまるで予知していたが如く、軽々とその拳を躱して巨人の腕に乗り、颯爽と巨人の耳元まで駆け抜ける。

「“巨人共を殺せ。殺し終えた後は自殺しろ。”」

『ヴァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ―――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!』

 響き渡るのは、絶叫。目を縦横無尽に泳がせて、巨人が同士討ちを始めたのだ。

 目を潰す。口に拳を入れ込む。喉を掴む。腹綿を抉り出す。

 狂気的な行動で、一人の巨人が数多の巨人を次々と殺していく。

「はは、滑稽だな。」

 狂人は笑う。面白そうに、愉快に、嘲笑うように。

 そして、巨人達が自分達を嘲笑う狂人の方を見る。

 その目に浮かぶのは、恐怖だ。自分達よりも小さい体の人間を、彼らは恐怖したのだ。

 だが、それも当たり前か。

 彼は、巨人の頭を蹴飛ばした。地面に隕石が落ちたのではないかと誤解してしまう程のクレーターを創り出し、挙げ句にはソニックムーブの如き風圧をも発生させた。その速度は、第三宇宙速度に匹敵する。

 マッハ49という速度で、蹴りを喰らえばそうもなるのは必然だ。

 だが、それとは別に彼は巨人の肩を殴り、そして体を無理矢理に回転させ脊髄を歪にさせた。

 それだけでも、十分にグロテスクなものだった。そして、それだけで巨人達を恐怖させるには十分だった。

 しかし、許さない。

「まだ使い足りないんだ…もっと遊ばせてくれ。」

 新しい玩具を手に入れた子供のように、狂人は笑う。

 だが―――問題児にも敵が立ち塞がったように、異端児にも、敵は立ち塞がる。

「まぁ、そう焦る事はないさ、幼き狂人。君の相手は私がしようじゃないか。」

 突如として、諦の眼の前に紳士が現れた。

 黒いスーツを身に纏う、サラリーマンを思わせる格好をした男性。見た目こそ凡人のそれであったが、しかしその赤黒い瞳には見透かす事の出来ない闇が広がっていた。

 直後、諦の背筋に阿寒が走る。この世界において、初めて感じた阿寒。元居た世界でも、そう感じる事が無かった感覚―――『恐怖』。

 諦は即座に距離を取り、構えを取る。

「お前…神の類だな。しかも、邪神の枠組みに入る質の悪い神。」

「ほぉ? 初見で私を神だと見抜くとは…中々、見る目があるじゃないか、幼い狂人。流石は父上が見込みし人間だ。」

 面白そうに、男は笑う。だが、諦は笑わなかった。

 先程までの余裕は何処へやら、諦は顔を真剣なものに変えて雰囲気を殺伐とした気迫へと変化させる。

 "万全の能"を使用している筈なのに、何故なのか眼の前の存在を理解する事が出来ない。何か、モヤのようなものが脳内に掛かっているのだ。

 しかし、相手が神の類である事は、ただの神などではなく質の悪い神であるという事は理解出来た。今こうして対面しているというそれだけで、気味が悪いのは十分な証拠だ。

(十六夜のようなギフト無効のギフトを持っているのか…? 可能性として有り得ない事は無いが、そう簡単に得られるギフトか、あれは?…どちらにせよ、考察するには情報があまりにも少な過ぎる。戦って、出来る限り情報を引き出さなければ…)

 ポーカーフェイスを保ったまま、諦は思考を巡らせる。

 会話での情報の引き出しは期待出来そうに無い。相手はそのような話し合いが出来る相手ではないのは明白だ。

 相手が纏う雰囲気は異質のそれだ。明らかに異常の存在である。

「戦うかい? ラプラスの悪魔すら理解する事が出来なかった不確定要素、ノーネームの狂人にして異端児、詰路諦くん。」

「…お前は、誰だ。」

「教えても構わないけど…でも、戦って理解した方が君としても良いだろ?」

「分かったように…まぁ、その通りだが――なっ!」

 即座、男の顔面目掛けて蹴り掛かる。

 風圧が屍を彼方へと吹き飛ばし、再び地面が抉れ、アンダーウッドへと地震を引き起こす。

 諦の蹴りは、確実に男の顔面を捉えた。第三宇宙速度に匹敵する速度で放たれた蹴りは、確かに紳士の左頬を捉えていた。

 直後、ミサイルが直撃したような爆風の如き風圧が発生すると共に、空間を割りかねない程の衝撃が迸る。

 グリーやフェイス・レスといった面々は、為す術もないままアンダーウッドの方へと呆気なく吹き飛ばされてしまった。

 だが―――

「強いな。あまりにも強い。」

 男は、吹き飛ばされてなどいなかった。そも、顔面に蹴りを直撃させてすらいなかったのだ。

 諦の蹴りを、右足を、男は左腕の手のひらでがっしりと掴み、そして受け止めていた。

 諦は、驚愕する。だがそれは、蹴りを受け止めた事だけにではなく、第三宇宙速度に匹敵する速度で放たれた蹴りの衝撃に微動だにせず耐えたという点も含めての事だった。

 蹴りを受け止めるだけであれば、驚くことなどしなかった。何せ、神なのだから。

 だが、男がしてみせたのは、それ以上に驚く事だった。

 一切の衝撃を殺す事なくその場に立ち止まっている。それが、どれだけ凄まじく、そして恐ろしいことか。

「なるほど。確かにこれならば、魔王にも匹敵するだろう実力だ。しかし、しかしね。世界というのは余りにも広い。広大で、かつ残酷だ。世界を探求すればする程に、自分が如何に程度の低い存在であるかを自覚してしまうものだ。今の、君のように―――ね。」

 瞬きをした、その次の瞬間には―――眼の前に広がるのは、森林だった。

 

       




僅かな悪の歴史書を読まずとも、今の罪ある人々を知る事は出来る。


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狂人、眠りにつく

「隠れた高潔な行いは、最も尊敬されるべき行為である。」
フランスの哲学者、ブレーズ・パスカル


            ✻

「―――は?」

 理解するのに、数秒の時間を要してしまった。周りからすれば僅か数秒の事であろうけれども、しかし諦にとっては、その数秒を要したという事実すら悔しく思う事だった。

 諦は数秒を要し、そして理解した。自分が、“アンダーウッドという場所から、『世界の果て』まで吹き飛ばされた”という衝撃的な事実に。

 アンダーウッドと、世界の果てまで一体どれ程の距離があるのかを、諦はサラマンドラの誕生祭に向かった際に理解していた。

 それ故に、この事実はあまりにも驚愕的で、かつ衝撃的で受け入れ難いものだった。

 体感時間、僅か1秒。たったその一瞬で、何十万kmという天と地の差をあの男は埋めたのだ。ただの拳の一振りで、それを埋めてしまったのだ。

 諦は、動くことも出来なかった。指一本すら、動かすことも叶わなかった。

「…自分が如何に程度が低い存在かを知れる、か…はは、何とも…」

『なんだ、随分と懐かしい奴が現れたな。』

 突如の声。諦は、目線だけを声のする方へと向ける。

 其処に居たのは、翼を持った巨大な蛇だった。見覚えのある、神格の持ち主“だった”者だった。

「お前は…」

『無理して喋るな、傷が開くぞ。』

「……」

『貴様も愚かよな。態々あの方に敵対するなど…今の貴様は、生きているのも奇跡のようなものぞ。』

 呆れたように、蛇は言う。諦はただ、黙ってその言葉を受け入れるだけだった。

 諦としても、何故自分が今、生きているのか不思議であるからだ。

 何十万kmの差を一瞬で埋める程の一撃を直撃して、何故生きているのか。それが、諦には分からないのだ。

 手加減された、という考えも浮かんではいるが、その線は薄いだろうと切り捨てた。

 あの一撃に、手加減などという感情は入っていなかった。明らかに、仕留めるつもりで放たれた拳であったから。

『して、お前は…あの方が誰であるのか、知っていて挑んだのか?』

「…知らん。ただ、途轍も無い邪神である事は理解した。」

『ほぉ、そこまでは理解したか。…まぁ、お前が負けるのも仕方無い事だ。何故ならば、あの御方は―――』

 二桁の門を象徴とするコミュニティ『オムニス』のリーダーと同等の力を持つ無貌の神なのだからな。

 そう、蛇が事実を告げた。

 そして、諦は即座に理解した。相手がどんな桁違いな存在であったのかを。

「…ははは、そうか。まさか―――外なる神のメッセンジャー、千変万化の無貌の神、“ニャルラトテップ”だとはな。なるほど、敵わないのも道理だ。」

 ニャルラトテップ。またの名を、ナイアーラトテップ。

 外なる神の一柱にして、旧支配者の一柱。

 クトゥルフ神話における最強の神にして、この箱庭において一桁に最も近い魔皇と称される全創全壊の神であるアザ=トースと同等の力を持つ土の精。

 眷属を持たぬ代わりに千の化身があり、それ故に様々な解釈があるが、無貌の神として言われる事が多い。

 貌を持たないが千の貌を持ち、唯一無二の存在だが、そうでありながら無数に存在し、正体や本質といったものを化身毎にそなえている。こういった自己矛盾を内包しているのもまた、ニャルラトテップが桁違いな神である事の証明だ。

 それを諦は知っている。故に、諦は理解し、そして納得した。自分が敗北した理由を理解し、そして自分が敗北した事にも納得したのだ。

「勝てる訳も無いか…となれば、派遣したのはソトースか。俺がああなるのを見越してか…」

『…潔いな。』

 あっさりと自分の敗北を認める諦に、蛇は面食らった。

 だが、諦はそう言われようとも、反論をするという訳でもなく「あぁ。」と、素直に答えた。

「寧ろ感謝しているよ。俺が暴走しかけたのを止めてくれた事にな。」

 やはり持つべきは友という事だな。

 諦は、穏やかにそう言って、無防備にも眠りについたのだ。

 まるで、死んでしまったかのように、静かに。

 

            ✻

「私としては、貴方のその力は、本来ならばこの『箱庭』には無い筈のものだと考えています。」

 ニャルラトテップは語る。

 “綺麗だったスーツをズタボロにされ、無傷であった肉体はどこもかしかも傷だらけとなり血を流しながら血に伏せる”外なる神の一柱は、自分の喉元に戦斧を添えている青年へと、語り掛ける。

「貴方の力は、外界における有名かつ大規模で、更には最高とも言える知名度補正を持った『神群』の秘奥のものなのは確かです。ですが、しかしその神群は外界なればともかく、だが『箱庭』の世界においては十全にも満たない。何故ならば、その神群は唯一神のみを信仰する一神教だから。この箱庭は、『全能の逆説』という概念によって、一元論・一神教を基軸とした宇宙観を構築することが許されない。

「そして、それ故に2000年代に実在する最大宗派が力を存分に振るう事が出来ない…そうである筈なのにも関わらず。貴方は、それと同じ筈の神群の秘奥を部分的ではあるが、扱うことが出来る。それが、あまりにも不可解なのです。

「神群の秘奥―――"疑似創星図"とは、神群を構築する世界そのものと言ってもいいものです。北欧神群のアースガルド、仏門の三千世界、人類最終試練が一人『絶対悪』アジ=ダハーカの“拝火教”の善悪二元論、“てんの赤道”の鏡像の“虚星・太歳”、ケルト神群の“来寇の書”など。

「ですが、貴方が扱う“疑似創星図”は完全な“疑似創星図”ではない。その伝承の内の一章のみを反映させた不完全な“疑似創星図”だ。そして、それが貴方の神群の弱体化を顕にしている筈だ。

「そうであるにも関わらず、貴方はその力を十全に、完璧に、完全に扱えている。本来ならば不十分な力を、本来ならば不完全な力を、貴方は十分に、完全に扱っている。

「それは貴方が『魔王』であるが故なのでしょうか。それとも、貴方こそが人類に『悪』を背負わせた張本人であるからでしょうか。私には、否、私にすら、それは皆目検討もつかないのです。理解することが出来ないのです。生まれ落ちたその時から魔王である筈の貴方が、彼らの味方をすることが。誕生したその時から人類に害する存在であると定められた真の魔王である筈の貴方が、ここまでして彼を助けようとするのか。

「どうか、教えてはいただけないでしょうかね。

「人類最終試練とは異なる類の、生まれ落ちたその時より魔王と定められた人類種の天敵。

 

「“真性魔王(しんせいまおう)”―――『原初の罪(オリジンクライム)』。」

 にひると笑いながら、青年の名前を、無貌の神は呼ぶ。

 青年は、何も言わない。何も返さない。ただ、蔑むような目線を無貌の神に向けて、ただ静寂を身に纏っている。

 だが、それは徐々に変わりゆく。蔑む目線は、少しずつ憎悪と嫌悪が入り混じったものへと。復讐に身を焦がす復讐者の如き眼光に、変わる。

 そして、青年は戦斧を振り翳し、

「……」

 何かを告げることもなく、無貌の神の首を切り落とすが為だけに、ただ静かに戦斧を振り下ろした。

 ざしゅ―――と。戦斧によって切断されてしまった神の首は肉体から離れ、鮮血をまき散らしながら宙を舞う。

 冷たい風が、青年の髪を揺らし、そして神の屍を晒して吹き抜ける。

 青年はただ、その目で屍を見下す。

 だが、屍は消え失せる。そして、代わりに神々しい存在が現れた。

「ニャルをやるなんて、流石だね。」

 虹色の髪を靡かせて、ヨグ=ソトースは青年へと笑い掛ける。

 だが、青年は笑わない。無表情のまま、「…ソトースか。」と、言うだけだった。

「冷たいねぇ、相変わらず。その状態だといつもそんな感じなの?」

「お前が気にする必要は無い。」

「そうかもね。でも、気になるから仕方ないでしょ?」

「……やはり、お前の相手をするのは面倒だ。」

 ため息と共に、戦斧を『ギフトカード』へと納め、懐へと直し青年はアンダーウッドの方角へと目を向ける。

 先程とは売って変わり、懐かしむようで、それでいて悲しむような目線で、青年はアンダーウッドを見詰めている。

「俺は、此処すらも壊さなければならない。そうしなければならない。それが俺の在り方だから。」

「抗いようもない事だからね。確定事故、定められた人生にして縛られた運命。答えは分かっているけど、一応聞くよ。悔いは、ない?」

 笑みを潜め、真剣な表情に変えて、ソトースは青年へと問う。

 傍から聞いても、それは誰にも理解する事の出来ない会話だろう。辛うじて理解出来るのは、青年がアンダーウッドを破壊するという部分だ。

 だが、それ以外を理解する事は出来ないだろう。それを聴いているのが十六夜であろうが黒ウサギであろうが、絶対に理解は出来ない。

 しかし、当の二人は勿論のこと、理解している。それ故に、何ら問題はない。

 青年は、悲しげに笑って、

 

「あるよ。大いにある。」

 そう答えた。




狂人よ。一時とはいえど、静かに、そして安らかに眠れ。


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第五章「原罪判決」
原初の罪


さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、蛇が最も狡猾であった。蛇は女に言った、「楽園に有るどの木からも取って食べるなと、本当に神は言われたのですか?」。
女は蛇に言った、「私たちは楽園の木の実を食べることは許されていますが、ただその中央に当たる木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました。」
蛇は女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです。」
旧約聖書 口語訳 第三章 一節〜五節


■  ■

 闇の底へと落ちていた意識が手を伸ばした瞬間、顔面に眩い暖かい一条の光が降り注いだ。

 あまりの眩しさに顔を顰め、僅かに目を開く。

 光に照らされながらも、僅かに開いた目に映るのは見覚えのない天井。

「……これが、知らない天井というやつか。」

 ノーネーム本拠の詰路諦の自室ではない、諦の全く知らない天井が、ベッドに倒れている諦の目に映った。

 僅かであった目を一度閉じ、意識を完全に覚醒させてもう一度目を開く。そして、現状を再確認する。

 体が重い。腹に力を込め、起き上がろうとしても起き上がる事が出来ない。やはり、まだニャルラトテップの攻撃のダメージが残ったままなのだろうか? と諦は起きたばかりであるにも関わらず思考を巡らせる。

 仮にダメージが残っている為に起き上がれないとするならば、この温いのは何だ? 腹の辺りが何故か妙に温いのは、一体何故なんだ?

 妙に温い腹の辺りに目線を向ける。すると、そこには―――

「…」

 腕を組み、顔を横にして眠っている黒ウサギが居た。

 諦の思考が停止する。らしくもなく、戸惑ってしまっているが故に。だが、それを考える為に再び思考を巡らせる。

 何故、黒ウサギが居る? いや、これは簡単だ。考えるに、恐らくは看病をしてくれたのだろう。もしくは見舞いに来てくれたか。そのどちらかに絞られる。

 だが、問題なのは次。何故、今の自分は戸惑っている? 黒ウサギが居る事に対して、黒ウサギが眠っている事に対して、何故戸惑っている?

 戸惑う程のことでもない筈なのに、何故、戸惑っている?

 ……いや、別に気にする程のことでもないか。寧ろ、看病か見舞いをしに来てくれていた事を喜ぶべきだろう。

 諦は思考を切り替えて、そう結論付けた。

「…とはいえ、起き上がれないのは辛いな…」

「良いじゃないか。男子にとっては喜べるシチュエーションだ。素直に喜んでおけ。」

 扉が開かれ、そして部屋に入って来たのは、十六夜ではなくエデンであった。

「エデン。」

「おう、エデンだ。見舞いに来てやったぜ、馬鹿野郎。」

「馬鹿野郎と言われるとは…まぁ、言われても仕方ない事をしたのは確かだが…」

「あぁ、そうだ。見た時は驚いたぜ。まさかニャルと戦うなんざな。」

 呆れながら、エデンは椅子に座って「改めて、お前の好奇心は底が知れねーなって思い知った。」と、皮肉を吐いた。

 そして、諦へとニャルラトテップの事、それと同時にオムニスについても話し始めた。

「二桁の中心部で活動するコミュニティ“オムニス”の参謀役、ニャルラトテップ。まぁ、コミュニティつーか、ほぼ『神群』みたいなもんだがな、“オムニス”は。リーダーも副リーダーも参謀も、所属している奴らの殆どがクトゥルフ神話の連中だ。で、お前が戦ったニャルはその中でもソトースに並ぶ実力者だ。本当によく生きてたよ、お前。」

 ニャルラトテップは魔皇であるアザ=トースと同等の力を持った土の精。この箱庭の世界においても、それは変わっていない。変わっていないからこそ、"理解不能"というギフトを持っている諦の攻撃を微動だにせず受け止める、僅か1秒で世界の果てまで吹き飛ばすといった事が出来たのだ。

 そもそも、二桁の門に位置する連中は馬鹿げた強さを持っている修羅神仏ばかり。ニャルラトテップはその二桁で活動するコミュニティの参謀役である。諦よりも圧倒的な力を持つのは至極当然である。

 だが、諦もそれは吹き飛ばされて理解している。故に、それよりも気になる事をエデンへと問う。

「エデン。俺を見た時と言ったが、俺とニャルラトテップの戦いを見ていたのか?」

 諦はニャルラトテップと戦っていたが、しかし周囲の警戒を怠っていたという訳ではない。

 ニャルラトテップと戦っていた時も、まだ巨人達は生きていた。巨人達が襲い掛かってくるという可能性もあったが故に、周囲の警戒は怠っていなかった。

 だから、疑問に思ったのだ。「見た時は驚いた」という、エデンの言葉に。

 諦の問に対し、エデンは?と頭に疑問符を浮かべて首を傾げたが、すぐに「あぁ、すまん。言葉が足りなかったな。」と、諦へ言葉が足りなかったと謝罪した。

「俺が見たのは、ニャルにぶっ飛ばされて眠ってたお前を、だ。で、お前の傷を見てニャルと戦ったんだな、って分かったんだよ。俺もニャルと戦った事あるからな。」

 俺もお前みたくぶっ飛ばされたよ。遠い目をしながら、エデンは言った。

 答えは分かった。だが、諦は驚く。エデンがニャルラトテップと戦ったことがある、という事に。

「戦ったことがあるのか? お前のような蛇がか?」

「おい、随分と失礼な言いようだな。まぁ、その通りなんだけどさ…。本当に戦ったがあるよ。伊達に白夜と旧友やってないんだ。昔の白夜とつるんどけば、色んな神が喧嘩振ってくるんだわ。迷惑も良い所だった。」

 懐かしいなぁ…と、笑いながらエデンは椅子から立ち上がり、笑みを消して真剣な表情となって扉の前に立つ。

 そして、

「諦。短かったけどさ、俺、お前と話すの楽しかったぜ。あと…もし、黒ウサギが起きたらさ、こう伝えといてくれよ。」

 白夜、今までありがとうってさ。

 悲しげに笑いながら、エデンはそう言った。

 諦は疑問を抱きながら「分かった。じゃあな、エデン。」と、答えるのだった。

 エデンは安心したように、部屋から出て行った。

 その、次の瞬間。

 

『ギフトゲーム名“CONVICTION OF ORIGINAI SIN”

 

プレイヤー一覧

箱庭に存在する全てのコミュニティ(コミュニティ『オムニス』を除く。)

 

・クリア条件

一 己が罪を認め、自決せよ。

二 原初の蛇を狩り、己の罪を受け入れよ。

三 己が罪ある者である事を否定し、自らの無罪を証明してみせよ。

 

・敗北条件

参加するコミュニティの全滅

 

宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、箱庭に存在する全てのコミュニティはギフトゲームに参加します。

“オムニス”印』

 そのような、無茶苦茶な内容の“契約書類”が現れた。

 

            ✻

 燃え盛る街の中、白い巨体に三つの首を持つ竜が、肩まで伸びている死人のような白い髪と流血の如き真紅の瞳を持つ、白い蛇が巻き付いた戦斧を構える青年と対面していた。

「久しいな、『絶対悪』。私の事は憶えているかな?」

『忘れる訳がない。貴様だけは忘れぬぞ―――「原初の蛇」。人間でないにも関わらず、“アヴェスター”を起動した私に傷を与えた忌々しい存在故に。』

「そうか。憶えてくれていたならば光栄だ。」

 『人類最終試練』―――ラストエンブリオ。

 それは人類を滅ぼし、神霊を殺し、現状の箱庭の世界を滅ぼす力を持った魔王。最古の魔王の総称であり、人類を根絶させる要因の試練が顕現した存在。

 “主催者権限”がそのまま擬人化したような存在であり、それ故に彼らは“契約書類”を必要とせずにギフトゲームを開催し続ける事が出来る。

 青年の前に立つ三つ首の竜は、その『人類最終試練』が一体。

 “拝火教”神群が一柱、五大魔王の三頭龍。幾多数多の神群を退け、月の兎の故郷である月影の都を一刻という僅かな時間で滅亡させた張本人。宗主より悪の御旗と箱庭第三桁を預かり、今世を魔王として過ごすことを約束された不倶戴天の化身にして人類の膿から生まれた悪神。

 ゾロアスター教の聖典、アヴェスターに登場する最悪の龍―――「アジ=ダカーハ」である。

 夜天を照らす凶星のような紅玉の眼、頭から頭蓋を貫通した杭を打たれた異形の三本首の白蛇だ。

「だが、今の君も一人の参加者、ゲームに参加し勇気と知恵を働かせて戦いへと挑む、彼らと同じプレイヤーだ。君が人類最終試練という最古の魔王であろうとも、しかしそんな事は知った事ではない。君は彼らが倒すべき怨敵であると同時に、彼らと共に私を斃さなければならない人類の味方でもある。」

 青年は笑う。挑戦的かつ、諧謔的な感情が含まれた笑みを浮かべて、戦斧を担ぐ。

 眼の前の魔王に恐れず、箱庭において最も畏怖されている最大の存在を前にしても一切の恐怖を抱かずに、青年は断言した。

 お前は俺の敵であり、そしてお前の敵である人類はお前の味方である、と。人類の敵である筈のお前は人類の味方をしなければならない、と。

 悪神は、顔を顰めた。

『…解せんな。貴様は、そうまでして“死にたいのか?”』

「…死にたくないさ。出来ることなら、まだ生きていたいよ。やりたい事も沢山あったしな。白夜とも、ソトースとも、帝釈天とも、そんな色んな奴らと関わって、楽しく生きてた。でも、俺の在り方は既に定まっている。人類が人類を滅ぼす悪であるお前達とは違い、俺は生まれ落ちたその時から全存在を滅ぼす事を定められた真の魔王だからな。」

 青年は、魔王である。

 “真性魔王”―――それは、人類最終試練と似て、しかし彼らとは異なる存在の魔王。

 人類の星を滅ぼすかもしれない愚行によって生み出される人類最終試練とは違い、突如として生まれ、そして生まれ落ちたその時から魔王である事を定められた真の魔王。

 真性とは、生まれつきの性質。即ち天性。名は体を表すという言葉の通り、“真性魔王”とは生まれついての魔王という事である。

 青年―――真性魔王“原初の罪(オリジン・クライム)”。

 神群の秘奥である疑似創星図と最も多くの神仏が宿る太陽主権を兼ね備え、今この時を以て人類最終試練すらも敵に回し、箱庭の為に糧となる事を決意した魔王。

 その青年の真名を―――「エデン」と言う。




蛇とは、狡猾な存在ではあるが、それと同時に神としても崇められている。


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罪の源

主なる神は蛇に言った、「お前はこんな事をしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最も呪われる。お前は腹で這い歩き、一生、塵を食べるであろう。
わたしは恨みをおく、おまえと女のあいだに、おまえの末と女の末との間に。彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう。」
つぎに女は言われた、「わたしは貴女の産みの苦しみを大いに増す。貴女は苦しんで子を産む。それでもなお、貴女は夫を慕い、彼は貴女を治めるであろう。」
更に人は言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと私が命じた木から取って食べたので、地は貴方のために呪われ、貴方は一生、苦しんで地から食物を取る。
地は貴方のために、いばらとあざみを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは塵だから、塵に帰る」。
旧約聖書 創世記 口語訳 一四〜一九節


            ✻

 突如として現れた訳の分からない“契約書類”を見た諦は、凄まじい速度で布団から抜け出して、掛けてあったパーカーを急いで取って纏い、窓から燃え盛る街へと駆け出した。

 既に理解してしまった。だが、らしくもなく信じたくないと思っている自分が居る。その事実は嘘であってくれと必死に思っている自分が、居る。

 こんなのは自分ではないと思う暇も、今の諦にはない。今は兎に角、この目で見るのだと。この目で真実を確認するまで、絶対に認めはしない。そんな思いで、諦は街を駆けているのだ。

 街は燃え盛っている。だが、諦は燃え盛る街には目を向けていない。“万全の能”を使用してエデンの気配を探り、ただ必死に探し回っている。

 エデン。白夜叉の旧友にして“ノーネーム”の友人。十六夜や飛鳥、耀や諦と話すこともあれば飯を食べた事もあり、奢った事もあるし奢られた事もあり、また遊んだ事も遊ばれた事もある友人。

 物語に登場する事は少なかったものの、しかし一ヶ月や数年という時間で、諦達はエデンと長く関わった。

 それ故に、諦は信じたくないのだ―――“エデンと殺し合わなければならない”という現実を。

「っ、まだだ。まだ確定した訳じゃないんだ…!」

 言い聞かせるように、自分を落ち着かせる為に、諦は独り言を吐く。

 だが、それは無意味な言葉である。

 何故ならば、今の諦は“万全の能(アリストテレス)”を使用している状態であるからだ。“万全の能”を使用して得られる恩恵は『万物理解』と『万象操作』の二つであり、『万物理解』は“万全の能”を使用した瞬間に発動するパッシスキルのようなものである。

 それ故に、諦は既に理解してしまっているのだ。契約書類に刻まれた、勝利条件の意味を。そして、『原初の蛇』という存在が誰を指しているのかも。

 ぎりっ、と歯を食いしばる。握り潰さん勢いで、拳を握り締める。

 手のひらから血が流れる。だが、無視して走る。兎に角、走って、走って、走って、走って。

 そして、立ち止まった。

「これ以上は進ませないぞ、狂人。」

 白髪の少年が、立ち塞がったから。

 諦は眼光を尖らせ、蓋世の如き殺気と狂気を発しながら、

「…其処を退け。邪魔をするな、ガキ。」

 荒い言葉遣いで、少年に告げる。邪魔をすれば、お前を殺すと、殺気と狂気で物語る。

 しかし、少年は表情を変えない。寧ろ、好戦的な笑みを浮かべて、「やれるものなら、やってみろ。」と断言して見せた。

 

 次の瞬間、少年は自分の目を疑った。

「―――は?」

 少年の目に映るのは、炎が燃え盛る破壊されてしまった街などではなく、ただただ紅い天空と、境界線に沈みつつある眩しい光の球。即ち、夕焼けの空であった。

 何だ? 一体、何が起きた? 何をされた? 彼奴は、俺に何をしたんだ?

 疑問が少年の思考を埋め尽くす。自分が狂人に何をされたのか分からない少年は、ただ呆然と空を舞っている。

 何をされたのか? 答えは実に簡単だ。何ら難しいことなどではない。

 ただ、単純に。少年が諦の"理解不能(バグアンドエラー)"による解析不明な威力を誇る膂力が込められた拳と、ベクトル操作によって呆気なく空に吹き飛ばされたという、ただそれだけの事だ。

 が、

 ドゴッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 激しい空気の爆ぜる音と鈍い音と共に、少年が見ていた夕焼け空の景色も、直ぐに変わった。

 見慣れた街。燃え盛るセカイ。先程まで少年と諦が居た、〝煌焰の都〟の地面に、少年は顔を半分を埋められて倒れ伏せていた。

「っ、」くそ。

 そう言おうとしたが、次の瞬間に再び強い衝撃が少年の体を迸り、バギィッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!! と、骨が完全に砕けた音が大きく鳴った。

 風圧を身に纏い、全身の骨に罅を作り出して少年は彼方の方向へと吹き飛ばされ、

「…」

 バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 轟音と共に放たれた一直線の雷光と、緑色の球体から放たれた鋼すらも溶かす光線に体を撃ち貫かれた。

 諦は少年を見ることもなく、再び急ぎ出した。

 

            ✻

 刃の如く尖った風の斬撃が、次々と蛇の体を切り刻まんと尋常ではないスピードで飛翔してくる。

 だが、蛇が戦斧を振り下ろした瞬間にその尖った風の斬撃は掻き消され、蛇に飛んだ斬撃とは別に、振り下ろされた戦斧が生み出した真空の刃が絶対悪の三頭龍へと飛燕のように飛んでいく。

 万物を切断する真空の斬撃は、その表現に違う事なく本来ならば掠り傷すら負わぬ筈の三頭龍の白い巨体に大きな傷を刻み、三頭龍の顔を顰めさせる。

『私に傷を負わせるか…やはり忌々しいな、貴様の「神装」は。』

「当然だ。この刃は人類の『原典(オリジン)候補者』、貴様と同類の人間にすら傷を負わせるものだからな。」

『…人類の原典(オリジン)候補者。そして私の同類か。真逆、貴様が気に掛けるあの狂人か?』

 原典(オリジン)候補者―――それは、誕生が円環状になっている人間と神様の関係に対して「どちらが本当の原典であるか」を問うための代表者。

 狂人。それ即ち、詰路諦の事。

 絶対悪であるアジ=ダハーカと同じ、「悪」を背負う者。

 だが、アジ=ダハーカの言葉を蛇は否定する。

「いいや、違う。諦は『原典候補者』ではない。諦は―――“決める者”ではなく、“()く者”だ。」

『解く者だと?』

「そう。誕生が円環状になっている人間と神様の関係に対して、『どちらが本当の原典であるか』を問うための代表者であるのが原典候補者だ。だが、諦は本当の原典であるのかを“問う”のではなく“調べる”人間だ。人でありながら、人の誕生と神の誕生のどちらが正しい始まりなのかを調べ、探し、究める者―――『原典探究者(オリジン・シーカー)』。彼はそういう存在だ。」

 人が神を生み出したのか、それとも神が人を生み出したのか。原典候補者というのは、その問いを決定する為の代表者であり、人類の代表者は〝正体不明(コード・アンノウン)〟こと逆廻十六夜、神の代表者は先程殺されかけた少年―――殿下と呼ばれる少年である。

 エデンから言わせてみれば、諦も十分以上に原典候補者に相応しい人間なのだが、しかし諦は自らその座を降りるだろうと確信している。

 諦の性格上、ただ問うだけなどつまらないと断言する。そんな確信があるのだ。

 諦であるならば、あの異端児であるならば、ただ問うのではなく自ら謎を探し、調べ、そして隅から隅まで理解しようとする。それが、詰路諦という人間である。

 質問の代表者などではなく、質問の意味、どうしてその質問が投げられたのか、その質問に真実性はあるのかといった部分を調べようとする探究者。

 それが、詰路諦。そして、それ故にエデンはこう呼んだ―――『原典探究者(オリジン・シーカー)』と。

「彼は誰にも理解されない。例え相手が神であろうとも。だか、誰もが彼を理解出来ずとも彼は全てを理解出来る。…まぁ、貴様には関係無い事だがな。

 

貴様はそれを見ることもなく(たお)されろ。」

 戦斧を構え、蛇は三頭龍へと真正面から襲い掛かる。

 ヒュン、と風を切る音。

 その直後、都の街が切り刻まれ、吹き飛ばされ瓦礫が蛇の方へと飛んでいく。

 が、それは塵の如く切り刻まれ、蛇は体を止めることなく猛進する。

 だが、それだけで攻撃は終わらない。刃物の如き鋭い片翼が、蛇の顔を真っ二つに斬り捨てようと振るわれる。

 躱す。首を横に動かし、眼前にまで迫っていた刃翼を紙一重で躱すと同時に戦斧を振り上げて刃翼へと一撃を加える。

 血が飛ぶ。人が跳ねられ、重力に逆らうことなく地面へと落下するように、血もまた重力に従って煉瓦の地面へと落下し、一部を染める。

 白蛇が巻き付いた、翼のような形の刃を持つ戦斧―――『失楽園(バッドエデン)』。

 それは創世記の第三章の指話。人類の祖たるアダムとイブが蛇に騙され、禁断の実を食べた事が原因で楽園から追放され、大地へと降り立つ物語。

 その題名を関した戦斧は、霊装などではなく神装。即ち、神の武装である。

 斬撃や打撃といった攻撃では傷を負うことなど殆ど無い三頭龍の体に傷を負わせる事が出来るその武器は、三頭龍にとっても、その他の人間にとっても脅威。

 それ故に、三頭龍は再び顔を顰め、『いでよ、そして蛇を狩れ』と、詠唱した瞬間、三頭龍の血が付着した煉瓦の地面の一部が、まるで生物の如く動き出した。

「『双頭龍』か…」

 三頭龍の血が付いた大地、枯れ木といった物体を眷属である双頭竜へと変貌させるという、厄介なギフトの一つ。

 第一世代は神霊級の強さを誇り、本体の命令を忠実に従うのみで意思や感情は宿っていないが、闘争の点においては知恵が回るのだという。

 蛇を狩れ、という三頭龍の命令に答えるように、双頭龍は煉瓦の地面から現世へと顕現し、蛇へと襲い掛かる。

 

「―――タナハ解読。〝原罪〟判決」

 その言葉と共に、人類を堕落させ、殺害する疑似創星図(アナザーコスモロジー)が顕現した。




罪を生み出したのは人であり、しかし罪を与えたのは蛇である。


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蛇とは何ぞや?

ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
伝道者は言う、空の空、一切は空である。
日の下で人が労するすべての苦労は、その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変わらない。

旧約聖書 口語訳 「伝道の書」一節〜四節


            ✻

 場所は空に浮かぶ一つの城。その中で、諦を探す為に動き出した黒ウサギ達を抜いて、人類最終試練『絶対悪』アジ=ダハーカと真性魔王〝原初の罪〟エデンを打倒するべく集まった強者達が共に作戦を練っていた。

「アジ=ダハーカの対策もそうだけどよ…俺としては、エデンの方の対策も重要だと考えてる。」

 “契約書類”を手に持ち、少し怒ったような目線を紙切れに向けながら十六夜は腹立たしげに言う。

 

『ギフトゲーム名“CONVICTION OF ORIGINAI SIN”

 

プレイヤー一覧

箱庭に存在する全てのコミュニティ(コミュニティ『オムニス』を除く。)

 

 

 

・クリア条件

一 己が罪を認め、自決せよ。

 

二 原初の蛇を狩り、己の罪を受け入れよ。

 

三 己が罪ある者である事を否定し、自らの無罪を証明してみせよ。

 

・敗北条件

参加するコミュニティの全滅

 

宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、箱庭に存在する全てのコミュニティはギフトゲームに参加します。

 

“オムニス”印』

 

 博識である十六夜は、『原初の蛇』という単語が何であるのかも、全て見抜いていた。

「原初の蛇ってのは、旧約聖書の第三章『失楽園』に登場する蛇の事であり、そして俺たちの知る白夜叉の旧友「エデン」の事だ。クリア条件に書かれてある“己の罪”ってのは、蛇の所為でアダムとイブが禁断の木の実を食べた事によって背負うことになった人類最初の罪、要するに“原罪”だな。」

 深く考えれば最初から分かる事だったんだ…。と、十六夜は後悔するように吐き捨てる。

 東の〝階層守護者〟である〝覆海大聖〟蛟劉。

 南の〝階層守護者〟であるサラ=ドルトレイク。

 北の〝階層守護者〟であるコマンダーラプ子Ⅲ。

 そして救援に駆け付けた、〝混天大聖〟鵬魔王と、女王騎士フェイスレス。

 彼らもまた、その表情を苦いものに染めていた。

 此処に居る全員が、エデンと面識があり、かつ友人であった。

 十六夜は用意された薬湯を飲みながら、改めて問う。

「そもそも、白夜叉の旧友って時点でエデンが普通じゃないって事を物語ってたんだ。そうだろ? 蛟劉さんよ。」

 十六夜の問に、蛟劉は苦い顔をしながら腕を組み、頷いた。

「…あぁ、その通りや。僕が白夜王を知る前から、エデンは白夜王を旧友言うとった。もうその時点で、エデンが只の蛇なんかじゃないって事を物語っとった。」

「元〝人類最終試練(ラスト・エンブリオ)・天動説〟、太陽と白夜を司る星霊の旧友。今更だが、確かに深く考えてみればその時点で彼の存在は十分に怪しかった。」

 クロアの言葉に、全員が頷く。

 元東側の階層守護者である白夜叉。ノーネームも度々世話になった彼女ではあるが、しかしその正体は箱庭でも屈指の実力者にして箱庭が創造される前では最強の存在であった。

 白夜王―――神々としての神威と、魔王としての王威を生まれながらにして持つ星霊最強個体にして箱庭席次第10番。“白き夜の魔王”と恐れられる太陽と白夜の星霊。

 元は不変の象徴にして天地の概念が生まれる以前の天体法則であり、世界の創造に於いて星々の全ての質量を飲み込んでしまった原初の星。

 〝サウザンド・アイズ〟の創世(アルファ)終末(オメガ)の双女神によって分たれた最古参の魔王。天と地に解体された星霊最強個体である白夜叉は、“人類最終試練(ラスト・エンブリオ)・天動説”と名を改めた。

 そして、エデンはその最古参の魔王と旧友であると言った。白夜叉本人もまた、エデンの事を「信用出来るし信頼する事が出来る腐れ縁じゃよ。」と言っていた。

 つまる所、皆が言いたいのは、“白夜叉の旧友であるという時点でエデンという存在は既に理解し難い謎多き存在であった”という事である。

 魔王の旧友が、ただの蛇に務まるものか? 原初の星の友人に、ただの蛇如きがなれるものか?

 否、否だ。そんな事は無い、絶対に有り得ない。現在では魔王の中では良心的であり社交的であるとして知られている白夜叉だが、しかし過去の白夜叉は最強の存在。魔王であった白夜叉だ。

 そんな白夜叉を相手にして無事で居られ、あまつさえ互いに旧友と認め合うなど、そんな事は普通の種族には到底叶うこともない現実である。

 では、そこから導き出される答えとは何か?

 即ち、エデンという存在が只の白蛇などではないという事の、人類最終試練に匹敵する存在であるという事の、何よりの証明である。

「〝人類最終試練(ラスト・エンブリオ)・絶対悪〟アジ=ダハーカとは何ぞや? という疑問もそうだが、それと同時に“エデンとは何者なのか?”という考察も必要だ。最強の星霊の旧友ともなれば、その実力は未知数だぞ。」

 クロアの言葉に、其々が考え込むような仕草をして答えて見せる。

 白夜叉は箱庭でも最強クラスの実力者なのは分かってもらえただろう。それは、この場に居る誰もが知っている事実だ。

 次に、アジ=ダハーカという存在もまた最強と言うに相応しい存在であるという事もまた、事実。

 しかし、エデンはどうだろうか?

 全員がエデンと面識はあるし、友人関係ではあるのだが、しかしエデンの事を詳しく知っているのか? と問われれば答えは否で、皆揃いも揃ってエデンの事を詳しくは知らないのである。

 だが、一応の材料は揃っている。

「エデンについて分かっているのは、〝原初の蛇〟である事、エデンが“原罪”に関係しているって事ぐらいだが、これだけでも考察材料としては十分だ。」

「そうやね。こんくらいでも、考察するには十分や。」

 十六夜の言葉に蛟劉は頷いた。

「原初の蛇って事は、つまる所、神が創り出した生物における最初の蛇って事だ。蛇という生物の祖、蛇が狡猾かつ邪悪な存在であると見られるようになった原因に当たる。」

「それでいて、人類が罪という概念を背負う事になった原因でもある…と。全く、エデンさんはとんでもない御方ですね。」

 それな。

 鵬魔王の言葉に、全員が頷いた。

 最強種の旧友にして、蛇の祖に加えて人類が罪という概念を背負わなければならなくなった原因だと?

 規模があまりにもデカすぎる。だが、そこまで規模がデカいからこそ白夜叉の友として釣り合った、とも言えるだろう。

 そして、フェイスレスが次を繋ぐ。

「神が最初に創り出した生物の一体、それでいて人類に罪を背負わせた原因ともなれば、その霊格は膨大なものでしょう。それに、神格も与えられている筈です。」

 霊格とは世界に与えられた恩恵であり生命の階位。そして、神格とは神霊に神として認められた位を指し、種族・物質の霊格を最高位にまで引き上げる恩恵。

 霊格を得る方法は、世界に影響、功績、対価を与えるか、もしくは誕生に奇跡を伴う遍歴があるのかどうか。

 エデンの場合、『外界を実質的に支配している人類という存に、罪という概念を背負わせた』というあまりにも大きな影響と功績を残している。

 罪という単語を聞けば、あまり良い考えは浮かばないのだろうが、しかし深く考えれば罪という概念は人を人たらしめる為に必要な概念なのであるとも考えられる。

 大抵の人間が自分とは別の人間に対して暴力を振るう、殺すといった行為をしない、躊躇する、容赦する事が出来るのは『殺人罪』という罪があるからである。

 人の物を盗めば窃盗罪。人を傷つければ傷害罪。人を殺せば殺人罪。様々な罪が存在し、そして様々な罪が人を恐れさせ、その悪の道に墜ちないようにする為の抑止力となっているのだ。

 箱庭の世界は、今となっては修羅神仏の遊び場となっているが、しかし元々は外界を正しく発展させる為に造られた神造世界、即ち第三点観測宇宙なのである。

 神霊種が人類史と共依存している世界であり、人類の破滅が確認されれば箱庭の世界も滅びるのだ。

 罪とは、人類と箱庭の為の抑止力の一つであるという見方。

 実際にそう考えてみれば、エデンが人類と世界に大きな影響と功績を残した事により、膨大な霊格を得たという可能性も高いものとなる。

 それに加えて原初の生物の一体ということもあり、神格を宿されているともなれば白夜叉の旧友としても相応しい存在であるという考えにも行き着く事が出来るのである。

 あくまでも予想ではあるが、しかしそう考えなければ魔王としての白夜叉の友として成り立たない。

 そうでなければ、エデンが白夜叉の旧友として存命している事が不思議でしかないのである。

 それ故に、その場に居る全員がフェイスレスの考えに納得している。

「そうなだとしてもうたなら…エデンの攻略はマジで難しいな。仮にそうでなかったとしても、エデンの攻略は難しいんよ。」

「ん? そりゃどういう事だよ?」

 悩みながら言った蛟劉に、十六夜が疑問を浮かべる。

 仮にエデンの霊格が膨大なものではなく、神格も宿されていないならば攻略は簡単なものだと、誰もが考える筈だ。

 しかし、蛟劉はそうでなくても、どっちにしたってエデンの攻略は難しいと言った。

 十六夜は、それを不思議に思った。

「エデンさんは、〝太陽主権〟をいくつか保持していらっしゃるのです。」

 蛟劉の代わりに、鵬魔王が答える。

 太陽主権―――それは、最も多くの神仏が宿る太陽の主権。

 黄道の十二宮に記される白羊、金牛、双子、巨蟹、獅子、処女、天秤、天蝎、人馬、磨羯、宝瓶、双魚の十二星座。

 赤道の十二辰に記された鼠、牛、虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、狗の十二辰。

 そもそも、箱庭の中では事象や概念などの主権というのは全て恩恵の上位に相当する力である。

 ちなみに、白夜叉はその太陽主権の半分を持っている。

 その残りのいくつかをエデンが所有しているという事。太陽主権を持っているというそれだけで、戦況は十分以上に変わる。

「持ってる言うても、殆どは白夜王から借りたもんばっかなんやけどね。でも、そうであっても太陽主権が厄介な事に変わりはあらへんよ。エデンの場合、特に警戒すべきは天蝎宮の主権―――もとい、“蠍座の太陽主権”や。」

 獣帯の黄経210度から240度までの領域で、だいたい10月23日(霜降)から11月22日(小雪)の間まで太陽が留まる星座―――蠍座。

 天の川沿いにある大きく有名な星座の一つであり、日本では夏の大三角形と共に夏の星座として親しまれている星座である。

 其々の星座にモデルがあるように、この蠍座にもモデルとなった神話がある。

 古代ギリシア、豪傑の英雄として名高い「オリオン」を殺毒殺害したサソリ。それが、蠍座の神話、伝承である。

 神と人の間に生まれ落ちた英雄を殺す事が出来る程の毒を持った蠍の星座、その主権が持つ能力など、簡単に予想出来るだろう。

「蠍座…古代ギリシアの英雄、オリオンを殺したサソリの伝承か。そりゃ確かに厄介だな。」

「あれは神すら苦しめる致死性の猛毒を攻撃に付与する主権だ。相手が半人半神や英雄だったなら、もはや即死と変わらない毒と化す。鵬魔王に対しても脅威になる主権だ。」

「それに、あの主権は発動しているかどうかが全く分かへん。白羊宮の太陽主権や牡牛座の太陽主権のように武器や物体が顕現するんやなくて、〝獅子座の太陽主権〟のように武器や体そのものに影響を及ぼすものやからね。」

 〝獅子座の太陽主権〟は所有者の不断の恩恵を付与する主権。

 例え天地を切り裂く斬撃であろうと、神が放つ槍であろうと、所有者は決して切断されず、貫通される事も無い。

 体に影響を及ぼすものである主権は、基本的に発動しているかどうかが分からない。

 〝蠍座の主権主権〟も同じく。所有者の攻撃に神すら苦しめる致死性の猛毒を付与する恩恵は、攻撃という行動にのみ付与されるものである為に、発動しているのか発動していないのか分からないのである。

「…どっちにしたって、エデンの攻略の難易度はアジ=ダハーカと同等か、それ以上って訳か。」

 十六夜はそう結論付けた。

 その直後。

 

『タナハ解読。〝原罪〟裁決』

 全員が、『自分はただの弱っちい人間だ。』と自覚してしまう錯覚に陥った。




全ては虚しい。全てはただ虚しいものだ。


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蛇の本心、狂人の疲労

日はいで、日は没し、その出た所の急ぎ行く。
風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れ入る、しかし海に満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目に見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

旧約聖書 口語訳 「伝道の書」 五節〜八節


            ✻

 楽園。生命の終着点、幸せのみがただ在るだけの世界。

 苦痛はなく、困難もない。ただの幸せと娯楽のみが、その世界には在るのだ。

 だが、

「それは、見方を変えれば辺獄だ。」

 楽園は今、地獄と化している。

 楽園に育った樹木は燃え盛り、その樹木に宿る禁断の果実も燃え、塵となって風に乗って飛んでいく。

 白蛇がその光景を嘲笑う。残酷に、滑稽に、地獄と化してしまった楽園を嗤う。

 三頭龍は、ただ沈黙を纏って地獄を見詰める。誰もが幸せに生きていた世界が、誰もが死んでしまった世界と化した光景を見て、何かを思うという訳でもなく。

 悪は静観する。その光景を見定めるかのように、静観している。

 そして、徐ろに口を開いた。

『貴様は、何がしたいんだ?』

 怪訝そうに、三頭龍は蛇へと問う。

 三頭龍の問いは、至極当然のものであった。

 三頭龍は人類最終試練(ラスト・エンブリオ)。人類が終末を乗り越える為の最後の試練、人類の為の最後の胎盤の意味を掲げて戦いを挑む魔王である。

 だが、エデンはどうか?

 真性魔王、生まれ落ちたその時から魔王。人間に罪という概念を背負わせる原因。だが、それだけ。

 存在自体が危険的である事は理解されているが、しかし彼の目的自体が一切として分からないのだ。

 何のために、こんな大規模なギフトゲームを引き起こしたのか?

 何のために、全員を巻き込んで自分を殺すようなギフトゲームを引き起こしたのか?

 人類の為なのか、仲間の為なのか、それとも箱庭の為なのか。

 目的は不明。予測は出来てもあやふやで、不確定的なものでしかない。

「…あー、そうか。思えば、ちゃんと話してなかったっけ?」

 エデンはぼやいた。つい、〝真性魔王〟としてのエデンではなく、〝ただの蛇〟エデンとしての口調で。

「といっても、別にお前みたいに大層な目的って訳でもないんだけどさ。んー…なんて言うんだろうな…簡単に言えば、『自殺』かな?」

『…………自殺、だと?』

 貴様、本気で言っているのか? と言いたげな目を向けながら、三頭龍は驚いた。

 ここまでして、〝オムニス〟まで引っ張って全コミュニティを巻き込んでおいて、その目的が自殺。

 それこそ訳が分からない。ただ自殺したいのであれば、こんな大きな遠回りなんかせずに自殺すればいい。

 故に、アジ=ダハーカには分からない。エデンが何故、このような遠回りをしてまで行うのが自殺なのか。

 たが、それを見透かしたように、エデンは笑った。笑って、続けた。

「はは、そう阿呆面するなよアジ=ダハーカ。俺だって、こんなのでも最古の魔王の端くれだぜ? ただ自殺したいってだけじゃないよ。」

『……では、何だ? 何が理由で、ここまで大規模な事態を引き起こす?』

「俺が、生まれ落ちたその時からの魔王―――生まれた時から、全人類を滅亡させてしまう一種の終末として定められている存在だから。」

 誕生した時から、全人類を滅亡させる一種の終末的存在であるから、自殺したい。

 そんなエデンの言葉に、アジ=ダハーカは特に驚くことはなかった。

 寧ろ、その言葉を聞いて『…なるほど。そういう事か。』と、納得したようだった。

『貴様は原初の蛇。人類に罪という概念を背負わせた、人類を人類として足らしめた元凶にして罪の源。そんな貴様が、この箱庭に誕生し、魔王として確立した。それ故に自殺したいという願望を貴様は抱いた。それ即ち、貴様の魔王としての在り方が「人類を滅亡させる元来の魔王」であるからという理由が自殺願望の答え。未だ人類と神の誕生の原典の答えを見出だせていない箱庭の世界で、人類を滅亡させようとする貴様は最悪にして真の魔王。だが、貴様はそれを認めていない。寧ろ、拒絶している。故に、貴様は自殺を望んだ。人類史を、箱庭を滅ぼさない為に。』

 真性魔王。誕生した瞬間から、魔王として確立された正真正銘の魔王。

 それ故に、その在り方は誕生した瞬間から定まっている。定まってしまう。

 エデンの場合、人類という存在に罪という概念を背負わせた元凶という事実が作用した事によって、『全人類の滅亡』という在り方が定着してしまった。

 エデンは本来ならば力を振るえない筈の神群の秘奥を扱え、そしてその所為で目的を達成する事が出来る存在となっている。

 だが、エデンはそれを否定している。拒絶している。自業自得でありながら、人類を滅ぼすという自らの運命を拒んでいるのだ。

 故に、エデンは自殺の道を選んだ。それと共に、いつか現れる自分と同じ存在の為に、次の〝真性魔王〟の対策の為に、踏み台になるとも決意した。

 エデンは白夜叉と出会い、そしてその過程で様々な神々と出会い、最期にノーネーム一行と邂逅した。

 そこから、エデンは決めた。自殺を決行しようと。

 自分を必要悪に仕立て上げ、魔王として殺されようと。

「殆ど正解。でも、ちょっと違うかな。」

 だが、アジ=ダハーカの内容は少し違うと、エデンは否定した。

 エデンは戦斧を構え直す。それと同時に、座り込んで静観していたアジ=ダハーカもまた立ち上がる。

 少しの静寂が訪れた後に、

 ヒュンッッ!!! と、風圧が鋭い剣と化し、静寂は鳥達の如く過ぎ去った。

 

「俺はただ、友達を殺したくないだけだよ。」

 エデンは、無邪気な子供のように笑いながらそう言った。

 

            ✻

 その頃、詰路諦は無様にも倒れていた。

 怪我が完全に治っていないにも関わらず、無理して走り、尚且つ戦闘した事により怪我が悪化したのだ。

 怪我を負わせた相手はニャルラトテップ。クトゥルフ神話において最強の魔皇と呼ばれる外なる神と同等の力を持った神である。

 その一撃を喰らい、それでも尚死んでいないことが、そもそもの奇跡である。

「…っ、くそっ、くそっ…! 動け、動け…!」

 膝から崩れ落ち、地面に伏せながらも、しかし諦は動こうと、這いずろうと力を込めていた。

 だが、それは虚しくも実る事は無い。ただ時間が経過していくのみであった。

『タナハ解読。〝原罪〟裁決』

 エデンの声で、その言葉が街に響いた瞬間から、諦は倒れた。

 怪我の影響もあってか、諦は指一本も動かせなくなって、倒れる事となったまま。

 ただ、動けぬ自分を憎むまま、後悔するまま、倒れ伏せるのみである。

「ぁぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!」

 慟哭が上がる。そして、虚しく消え失せ、無の底へと落ちていく。

 以前の諦でも、考えられない変わり様だ。

 〝ノーネーム〟を魔王打倒の道具にしか思っていなかった狂人とは。

 〝黒死斑の魔王〟を外敵、実験対象としてしか見ていなかった異端児とは。

 もはや、全く違う。様変わりというよりは、まるで転生したかのようだ。

 だがそれも、ノーネームのお陰。彼が道具にしか思っていなかった筈の、仲間達のお陰である。

「居ました! 諦さん!」

 黒ウサギの声が聞こえる。

 だが、諦は立ち上がれない。どれだけ力を込めようと、立ち上がる事はおろか、体を震わせることすらもままならないのだ。

 産まれたての小鹿にすらなれない。ただの物と変わらない。

 黒ウサギが駆け寄り、諦へと声を掛ける。

「大丈夫でございますか!? 立てますか?」

「っ…立てない。動くことも…ままならない…」

 声を震わせながら、諦は零す。

 後悔と情けなさ、そして怪我の苦しみが諦の体の中を駆け回っている。

(諦さんが、このような表情を浮かべるなんて…って、今はそんな事を気にしている場合ではございません!)

「諦さん、少し失礼しますよ!」

 黒ウサギは倒れる諦を軽々と持ち上げ、世間で言う所のお姫様抱っこで上空の城へと跳び上がる。

 諦は何かを喋る訳でもなく、ただ苦しい表情のまま無言を貫いていた。

 黒ウサギは城の入口へと到着し、そのまま城内へと入り込む。

 中には、まだ傷が癒えていない十六夜と、蛟劉が立って待っていた。

「よぉ、おかえり黒ウサギ。諦は大丈夫か?」

「いえ…怪我がまだ完全に癒えていないのに無理をした所為で、諦さんの怪我は悪化してしまいました。」

「あらら…そりゃ災難やね。でも、諦くんにとって、それ程までにエデンが大切やったって事やろ?」

 なんか、噂と全く噛み合っとらんなぁ。

 蛟劉の言葉に、諦は何か言い返す事は無かった。ただ、沈黙を纏うまま、黒ウサギに抱かれたままであった。

「…取り敢えず、黒ウサギは諦を部屋に運んでくれ。諦、色々と話してもらうぜ。」

 十六夜の言葉に、諦はただ静かに、そして短く「……あぁ。」と、弱々しい声で言葉を返す。

 そのまま黒ウサギに部屋へと連れて行く諦を見たまま、十六夜は「はぁ…マジかよ。」と、頭を乱暴に掻きながらぼやいた。

「あんな弱々しい諦は初めて見たぜ。」

「僕はそもそも諦くん見るの初めてやから分からんけど、普段はどない人なの?」

「探究心と好奇心に溢れる根っからの研究者だ。でも、興味が無いものにはとことこん興味を持たねぇ。」

「へぇ…やっぱ、噂は噂なんやねぇ。噂じゃ『誰もを狂わせる狂人』やったり、『全知すら理解する事を拒む禁忌の権化』とか言われとったらしいんやけど。」

「……いや、あながち間違いじゃねぇよ。」

 十六夜は目を細めながら、そう言う。

「…どういう事や?」と、蛟劉が声のトーンを落として問う。

「諦のギフトの一つ、〝理解不能(バグアンドエラー)〟は恐らく俺の〝正体不明〟以上のギフトだ。彼奴がニャルラトテップの攻撃を受けても出血してないのが何よりの証拠だ。あと、使った所は見た事ねぇけど、〝異端の狂力〟っつーギフトは狂気に気圧された、恐怖した奴を支配する恩恵らしい。」

 〝理解不能〟―――全知の一端、量子論によって全てを観測し、「上に投げれば下に落ちる」とされる程の信憑性を持った未来予知能力を持ったラプラスの悪魔ですら理解する事が出来ない、諦の恩恵。

 ギフトカードに記された、そのギフトを見た白夜叉は「ラプラスですら理解する事が出来ぬ恩恵とは…」と、驚愕していた。

 未だ正体を明かされていない十六夜のギフト〝正体不明〟以上のギフトであると、十六夜は予想している。

「つっても…あんな成りじゃあ、俺も分からねぇけどな。」

(…あんなんでも、まだ子供か。ほんま、世間ってのは酷いな。)

 蛟劉は、静かにそう思うのだった。




「……あの馬鹿者め。」


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仲間

先にあったことは、またも後にもある、先になされた事は、叉後にもなされる。日の下には新しいものはない。
「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それは我々ノ前に世々に、すでにあったものである。
前の者のこもは覚えられることがない、また、来たるべき後の者のことも、後に起こる者はこれを覚えることがない。


            ✻

 詰路諦は寝室に運ばれ、ベッドに倒れたままだった。

 だが、黒ウサギが居なくなったその瞬間、今までの沈黙を破った。

「…『滞空回線(アンダーライン)』、展開」

 その一言と共に、幾万もの極小の鉄線が顕現し、部屋の中を雲のようにふよふよと漂い、その部屋と開けられた窓から風に乗って街へと飛んでいく。

 『滞空回線(アンダーライン)』―――それは、『学園都市』と呼ばれる現代科学が他よりも十年先を行っているとされる程に科学が発展した文字通り学園都市。

 其処に散布されている、70ナノメートルのシリコン塊。

 それは、簡単に言ってしまえば『学園都市のほぼ全ての情報が内包されている科学的な叡智の集合体と呼ばれる総合データベース以上の情報が内包されている通信網』。

 機体自体が空気の対流を受けて自家発電を行うため、半永久的に情報収集が可能であり、収集したデータは体内で生産した量子信号を直進型電子ビームを使って各個体間でやりとりされ、一種のネットワークを形成している。

 諦はそれを使い、街全体の情報を一気に掴み取り、街の現状とエデン、そしてアジ=ダハーカの情報を搾取しようと試みたのだ。

 溢れてしまう程の膨大かつ緻密な情報量が、諦の脳裏へと流れるように叩き込まれていく。だが、諦は平然としたまま、目を閉じて頭の中で莫大な情報を纏め、丁寧に処理していく。

(エデンとアジ=ダハーカの姿は無いが、しかしその存在自体は都の中に確立されている。となれば、居るのは『ゲーム盤』か。恐らくエデンが自らのゲーム盤を開いたな。となれば侵入するのは些か難しいか…?)

 つい先程までの情けない姿をした諦は一瞬にして消え失せ、いつも通り幾万もの考えを巡らせる科学者が其処には居た。

 諦は未だゲーム盤を理解していない。

 〝万全の能(アリストテレス)〟の機能の一つである『万物理解』を使用すればゲーム盤も隅から隅まで理解出来るのだが、しかし諦は白夜叉との対面の際は未だ〝万全の能〟の存在を知らなかった。

 諦が知るゲーム盤は白夜叉のゲーム盤のみ。それ以外のゲーム盤を知らない。故にゲーム盤の事を隅まで理解している訳ではない。

 そして、だからこそ諦はどうすればゲーム盤に侵入出来るのか、ゲーム盤を外側から破壊する事が出来るのか、その他の知識を持っていないのだ。

 諦に出来るのは、少ない情報でゲーム盤についての予測を建てる事。

(白夜叉のゲーム盤を元に予測を建てるに、恐らくエデンのゲーム盤とは『その空間に別の世界を構築すし周囲を巻き込む』ものではなく、『創り出した世界に自分以外の他者を呼び出し、その空間から隔離する』ものだ。白夜叉のゲーム盤が他者を強制的に転移させる事が出来るように、エデンのゲーム盤も同じなのだろう。)

 諦の予測はこうだ。

 エデンのゲーム盤は、自分が居るその『空間』に『ゲーム盤』という別の別次元的空間を構築し、それによって周囲を巻き込むものではない。

 白夜叉のゲーム盤のようにその『空間』ではなく、元から別の空間、亜空間のような世界に別次元的空間であるゲーム盤を創って置いておき、エデンの意思で他者と自分をそのゲーム盤に転移させるものである、と。

 つまる所、空間という物理学が関与している。世界から分別して別の世界を創り出している訳ではなく、あくまでも存在しているのは「箱庭」という世界。「箱庭」という世界の、別の『空間』にゲーム盤という全体的ではなく部分的な別次元的空間を創り出している。

 であるならば、

「俺の領域だな。」

 異端児と忌み嫌われた科学者の領域である。

「演算開始。量子世界、潜水」

 諦は脳内で『量子世界』と『別次元的空間』への演算を開始し、その意識を量子の世界へと潜らせる。

 世界を構成するのは様々な粒子。量子は物理現象における物理量の最小単位。

 その量子の世界は、あらゆる物理法則や時間の流れ、果てには膨大かつ緻密な情報が内包された絶対的世界であり亜空間と何ら変わらない。

 ゲーム盤とて、量子がある。白夜叉のゲーム盤に白夜や氷山といった有機物や無機物が有ったように、エデンのゲーム盤にもそういったものがある筈だ。

 量子の世界から、その空間を探し出す。

 ゲーム盤にも粒子によって構成された物体が存在するならば、その粒子を辿ってゲーム盤へと到れば良い。

 極小だが膨大な粒の世界を、諦はかき分けながら泳ぎ、情報を探し出す。

 あまりにも膨大で緻密な情報は、人間の脳に尋常ではない負荷を掛ける。普通の人間であるならば、そのような情報量を処理する事は絶対に出来ない。

 だが、諦の脳は凡人のそれなどではない。故に、処理が出来る。幾億、何兆もの情報を一気に処理する事が出来る。

 

「見付けた。」

 目を開く。意識という顔を、量子の世界という海中から現実の世界という水面上へと出して呼吸をする。

 深く息を吐き出し、浅く吸う。

 行かねばならない。体を修復し、エデンのもとへ行かなければ。

 そうと決まれば話しは速い。

 …と、思っていた。

「元に戻ってるっぽいじゃねぇか。で、俺たちに隠し事かよ?」

 声の方へと首を向ければ、凶悪な笑みを浮かべて、十六夜が立っていた。

 話しは遅くなるのかもしれない。

 

            ✻

「量子世界に意識をダイブして、そんでゲーム盤に有る物質の量子からゲーム盤の在り処を発見して自分一人で行こうとした、って? ヤハハ、テメェ巫山戯んなよスゲェじゃねぇかぶっ飛ばすぞ。」

「褒めているのか罵倒したいのか分からんな…」

 十六夜に捕まり、かつ戻って来た飛鳥や耀、黒ウサギに問い詰められて洗い浚い白杖した諦は、現在進行系でノーネーム一行から褒められ、そして罵倒されていた。

「諦くんが前々からチートだという事は分かっていたけれど、そんな領域まで行っているとは思わなかったわ。わからず屋なのが残念だけれど。」

「うん。凄いけど、諦は馬鹿。」

「酷い言われようだな…まぁ、それは良い。」

 やるべき事は、決まっている。

 見つかったからには、巻き込まれてもらう。

「待たずして、今から向かう。…だが、俺だけではどうにかなる確率はあまりにも低い。〝理解不能〟や〝万全の能〟、〝異端の狂力〟を使っても、恐らく勝てない。だから、頼む。“一緒に付いてきてくれないか。”」

 頭を下げて、諦は頼む。

 世界で初めて、狂人は仲間を頼った。人生で初めて、異端児は友人を頼った。

 

 勿論―――仲間は笑った。




箱庭、罪の道へと


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狂人の説明

この人は証の為に来た。光について証をし、彼によって全ての人が信じる為である。
彼は光ではなく、ただ、光について明かしをする為に来たのである。
全ての人を照らす真の光があって、世に来た。
彼は世に居た。そして、世は彼によって出来たのであるが、世は彼を知らずに居た。

ヨハネによる福音書 第一章 七~十節


            ✻

 巨木が燃え盛る野原に、鋭い暴風が幾度も吹き荒れ、地面を抉る。

 刃物の如き鋭利な翼が大きく羽撃き、日本刀を振るうように白蛇へと振り下ろす。

 ガキィッ―――と、白蛇は振り下ろされた刃翼を、己が握る戦斧で以て受け止める。

 火花すら散る。だがそれこそ、それ程までに刃翼が硬く、それでいて鋭いものであり、それを受け止めた白蛇の戦斧もまた硬度かつ鋭利である事の証明だ。

 白蛇は戦斧を握る両腕に力を込め、斬り捨てんと強く押し続ける翼をあしらうように押し返す。

 同時に、一閃。一瞬の隙をも逃さず、返した翼へと戦斧による鋭い一撃を叩き込む。

 ザシュ、という音と共に肉が裂け、鮮血が跳ねる。だが、それで終わらず。その一撃を期とばかりに白蛇は颯爽と竜の懐へと駆け出した。

 疾走ではなく瞬速。白蛇は瞬く間に竜との距離を詰め、がら空きの竜の体へと戦斧を大きく振り下ろす。

 ザンッ、と竜の体に大きな斬傷が刻まれる。だが竜は顔を顰めるでもなく、平然としたまま鋭い爪を持った巨腕を風の如く白蛇へと振り下ろした。

 ゴウッッッッ!!!!!

 再び暴風が吹き荒れ、抉れた地面が更に抉れて土が舞う。だが、既に其処に白蛇の姿は無く、

「よく見ろ」

 白蛇は竜の真上へと飛んで、戦斧を振り翳していた。

 白蛇は、竜が腕を振るわんとした一瞬すら見逃さなかった。夕焼け空のような赤い瞳で俊敏な腕撃を捉え、即座に竜の腹を壁のようにして蹴って空へと舞ったのだ。

 流星の如き勢いを付け、白蛇は高台から落ちる刃のように竜の三つ首を切り落とさんと戦斧を振り下ろした。

「〝アヴェスター〟起動――相剋して廻れ」

 だが、その言葉によって首切りは防がれた。

 拝火教の聖典、ゾロアスター教の秘奥―――二元論の最速構築の『疑似創星図』。

 相手の恩恵を含めた額面上の性能を全てそのまま己に上乗せする恩恵であり、彼が数多の神霊に勝利した理由。

 弾かれた戦斧と共に、白蛇もまた宙に浮く。

「…」

 だが、白蛇は焦りなど浮かべず。ただ、にやりと笑っていた。

「見付けたか――此処を。」

「…あの狂人か。」

 思い浮かぶのは、ただ一人。

 元ある世界、〝箱庭〟の世界から隔絶された別次元的空間に創り出された世界を観測する事が出来る“人間”など、実に少ない。

 この箱庭において、そんな事が出来る人間は、彼――「詰路諦」以外に存在しない。

「諦は、真のイレギュラーなんだ。このくらい出来ても、何ら不思議は無い。」

 地面に降り立った白蛇は、まるで自分の事のように誇らしげに言う。

 詰路諦は本来ならば絶対に生まれ落ちる事など無かったイレギュラーであり、それ故にこの程度の事は容易である…と。

「詰路諦。〝原典(オリジン)候補者〟ではなく〝原典探索者(オリジン・シーカー)〟にして―――〝物語の特異点(主人公)〟。」

「主人公…だと?」

 白蛇の言葉に、竜は疑問を抱いた。

 主人公。詰路諦が、物語における主人公だ、という白蛇。竜には、全く訳が分からなかった。

 イレギュラーである事と主人公である事に、何か関係があるとでも言うのだろうか?

 心に芽生えたその疑心を見透かしたように、白蛇は続ける。

「何故、詰路諦は人間でありながら人間以上の恩恵、叡智を持っていると思う? 何故、詰路諦は人間でありながら神や星にすら屈しないと思う?」

「……人間ではないから、か。」

 竜は考えた末、答える。

 詰路諦は人間ではない、と。その答えは実に妥当であり、ある意味では正解に近しいものでもあった。

 人間でありながら人間以上の、神霊や星霊すらも殴り飛ばす上に蹴飛ばす事が出来る強度と膂力と全知の神と同等の叡智を持った人間。

 それはもはや人間などではない。人間という、愚かだが美しいような素晴らしき生物ではないのだ。

 それは、ただの化け物だ。ただの怪物でしかない。

 人でありながら人に非ず、人である故に神でも星でもない曖昧な存在。それはまさしく―――〝理解不能〟の、化け物にして怪物である。

 だが、白蛇は首を横に振った。

「彼は人間だ。だが、ただの人間ではない。平凡普通の凡人などでは、断じて無い。言ったろ? 諦は、イレギュラーだと。主人公だと。即ち、だ。詰路諦という存在は人類におけるイレギュラーであり、箱庭における『決して触れてはならない禁忌』なんだよ。」

「……」

 イレギュラー。不規則、変則などの意味を持つそれが人に対して意味するのは、『世界の法則に則られない人間』。

 アンタッチャブル。触れることが出来ないという意味のそれは、転じて言及したり関係を持ってはいけない存在の事を指す。

 人類におけるイレギュラー、〝箱庭〟とってのアンタッチャブル。

 それが、詰路諦という存在。

「イレギュラーであるが故に強力なんだ。何故イレギュラーなのかどうこうじゃない。『イレギュラーだから』―――全てはこれだけで事足りる。あの十六夜ですら、人類の原典候補者である十六夜ですら、人類にとっねのイレギュラーではなく、箱庭においてのアンタッチャブルでもない“能力などの正体が未だ分からないだけ”の人間だ。

「でも、諦はそうじゃない。何故なら諦は、本来ならどうやったって“現世”にも〝箱庭〟にも生まれ落ちる事など無かった筈の存在なのだから。しかし、それ故に、本来なら存在しない筈なのに存在しているが故に、世界はどうにか修整しようと、詰路諦という人間を消そうと抑止力を働かせようとする。

「諦が真に狂人であったなら、どれだけ良かっただろう。だが現実はそうじゃなく、諦はただ人と関わる事が出来なかったが故に歪んでしまっただけの哀れな子供だった。そして、それをノーネームの面々が変えつつあるんだ。

 

「俺は箱庭と、俺の友の為に自殺する。皆の糧となる。そこには勿論、諦も含まれている。例え諦がイレギュラーであろうと何であろうと、諦が俺の友であるから。」

「……いい加減、聞き飽きるぞ。」

「だろうな。だから、これが最後だ。ここからは―――無様に殺し合おう」

 爪と戦斧が交差する。

 迅風が、吹き荒れた。

 

            ✻

 歪な音が、王宮のような室内に響き渡る。

 奏でられるのはフルートと太鼓。だが、それらが奏でる音は全てが冒涜的で歪なものであり、人が聞けば数分も保つことなく発狂し、自壊し、脆くも崩れ去るだろう狂気的演奏だ。

 そんな狂気的かつ冒涜的な演奏が響く王室には、人の姿を取った二柱の神が存在していた。

 片方は神々しき神秘的な虹色を放つ女。

 片方は王室の中央、本来なら玉座があるべき場所に有る丸いソファに寝そべる一人の少年のような少女のような人間。

 女は、誰もが識る窮極的存在―――全能の逆説という箱庭屈指の枷が有るにも関わらず、その逆説すら内包して逆説に縛られず全能を行使する事が出来る唯一無二の神「ヨグ=ソトース」である。

「しかし、エデンも大胆な事をするよねぇ…態々、私達に、『オムニス』にサインを書かせてまで誰にも邪魔されず、自殺したかったなんて。」まぁ、全部知ってたけど。

 嘆息と共に、己を神ではなく人として扱った愚かで愛おしき友人―――エデンに呆れ果てるソトース。

 ヨグ=ソトースは全知にして全能の存在であり、故に何もかもを知る超越者だ。

 だが、そんな彼女をエデンは人間として扱った。全知全能の神としてではなく、外なる神としてでもなく、『ただ何でも出来るだけの人間』として扱った。

 それが、どれだけ滑稽かつ愚かなもので、誰一人としてやってこなかった事なのかをエデンは知ることも無かった。

 何故なら、それを知る前にエデンは死ぬのだから。人類のイレギュラーと人類の原典候補者に、〝人類最終試練〟諸共殺されてしまうのだから。

 だが――

「ソトース」

 それを良しとしたくない者も、居た。

 静かに開かれた扉。そして、ソトースの名を呼んで入って来るは―――平安時代に生きていた姫君のような、綺麗な和服を身に纏った白髪の美女であった。

「あら、白夜叉。随分と懐かしい姿で来たわね。」

 そう。

 その美女は白夜叉―――かつて、最古の魔王〝人類最終試練・天動説〟として、『白夜王』として、数多の神霊、コミュニティから恐れられていた時の白夜叉の姿である。

 その白夜叉の姿を見て、懐かしい姿だ、とソトースは零す。驚くこともなく。

 白夜叉は静かに、されど早くソトースの方へと歩いて行き、

「エデンについて、詳しく教えろ。」

 短く、しかし神威を込めて言霊を放つ。

 それは、自分だけが付き合いの長い大切な友の事を知らぬが故の嫉妬心が故か。

 それとも、同じ大切な友が死ぬという事を知っていたのに何故止めなかったという怒り故か。

 まぁ、どちらにせよ。今の白夜叉が、誰よりも憤っていたという事に変わりはない。

「ちょいちょい、此処でそんな怒らないでよ。父様が起きちゃうから。」

「知ったことか。早く教えろ、ソトース。何故、エデンは、エデンは…」

「…(あの白夜叉が、こんな乙女みたいになっちゃって…エデンも罪な男ね。まぁ多分、エデンなりに白夜叉をこうさせなくなかったから言わなかったんだろうけど)分かった分かった、教えるから、取り敢えず神威を抑えてくれる?」

 神威出しっぱなしだと本当に父様起きちゃうから―――ソトースの言葉を聞き、白夜叉は素直に己から溢れ出していた神威を収めた。

 そうじゃった…危なかった。白夜叉は、今更ながら落ち着き、そして自分が箱庭を崩壊させんとしていた事を自覚した。

 丸いソファに寝そべる、少年のようで少女のような人間―――外なる神の王にして、箱庭創設に関わった神々の一人。

 曰く、『盲目白痴』。

 曰く、『白痴の魔皇』。

 曰く、『万物の王』。

 曰く、『全ての父』。

 その神の名を、「アザ=トース」。

 箱庭の二桁で活動するコミュニティ『オムニス』の創設者にして実質的なリーダー、そして箱庭の『一桁』に属するべきであるにも関わらず属さぬ魔皇である。

「で、エデンの話しだっけ…。となると、白夜叉はエデンの正体は知らないんだ?」

「あぁ。長い間、あやつと共に居たが…知らん。」

「じゃ、まずエデンの正体からか。…ま、単刀直入に言うとエデンは〝魔王〟だよ。しかも〝人類最終試練(ラスト・エンブリオ)〟よりも馬鹿げてる類の魔王。」

「…エデンがか?」

「そうだけど。なんでそんな『何を言ってるんだコイツは?』みたいな顔してるのよ…」

「いや、だって…エデンじゃぞ?」

 心底不思議なように、白夜叉は首を傾げた。

 エデン。あの子供っぽい、ガキっぽいエデンが魔王。しかも、〝人類最終試練〟という類よりも桁外れな魔王。

 それを聞いても、白夜叉にはそんなエデンの姿が思い付かなかったのだ。

真性魔王(しんせいまおう)―――箱庭に生まれ落ちた、その瞬間から魔王として在り方を確定された存在。何故ならエデンは、キリスト教・ユダヤ教で聖典とされている旧約聖書に登場する最古の生物の一体にして、人類に『罪』という概念を背負わせた元凶だから。〝真性魔王・原罪の源(オリジン・クライム)〟―――そして、原初の蛇。世界で初めて創られた太古の蛇。」

 最初の人間、アダムとイブの二人に禁断の果実を食べるように仕向け、人類に罪という概念を背負わせた元凶。人類が人類足りしめる要因を創り出した張本人。

 白き体と赤き瞳を持った蛇。滑稽にして狡猾、愚考にして賢能の生物。世界に初めて誕生した生物の内の一体、最初の蛇。

 蛇が狡猾な生き物であると認識され、そしてある宗教では神としても崇められる原因となった者―――それが、エデンなのである。

「あのエデンが、そのような…」

「でも、エデンはそれを許容しなかった。自分が魔王である事も、自分がいつか箱庭の人類を殺し尽くす事を―――自分の友達を苦しめる事を。だから、エデンは大規模な自殺計画と共に箱庭の強化を企てた。」

「箱庭の、強化じゃと…?」

「そう。正確に言えば、箱庭に存在するコミュニティの強化。自分が強大な存在である事を知っているエデンは、箱庭に存在する全コミュニティを巻き添えに自分を殺すギフトゲームを開催した。そうすれば、全コミュニティがエデンを殺しに掛かる。全コミュニティが協力し、エデンを殺したとすれば箱庭は今後、無関係なコミュニティが巻き込まれないようにギフトゲームの範囲を改めようとする。最終的に自殺は完遂され、更には箱庭も今後の対策が出来る―――でも、それとは別の目的もあったんだよね。

 

詰路諦の弱体化。どっちかと言えば、これの方が第二の本命かな。」




「なぁ、西郷。私は、どうすれば良かったんだ。」
 白い部屋の中、一人の老人が呟く。
 白衣を身に纏う老人は、俯いたまま震えた声で独り誰かに問い掛ける。
「私は、あの子をどう愛せばよかったんだ。あの子は私の子だ。私と妻の間に産まれた、子供だった筈だ。なのに…何故、私は、あの子を愛する事が出来なかったんだ。」
 声が震える。だが、誰も答えない。
「あの子は何も悪くない。あの子は、ただ生まれてきただけだ。何も悪くない…なのに、私はあの子が恐ろしかった。あの子の才能が、あの子の叡智が、私はただ只管に恐ろしかったんだ。」
 ぽたぽたと、涙が落ちる。
 男は泣いた。だが、誰も答えない。
「何が医者か…何が探索者か…」
 何が
「何が、偉大なる科学者かっ!」
 男は怒鳴った。
 自分自身に。たった一人の子供を愛する事すら出来ず、寧ろ恐怖して捨て去った腐れに、外道に、憤っていた。
「誰が狂人だ! 誰が異端児だ! あの子をそうしたのは私だ! あの子を狂人だの異端児だの呼ばせた原因は私達だ! なのに、何故あの子だけを責める! 何故あの子だけが責められる!? 私は、私達は! 子供を愛する事すら出来なかった私達が、見放した私達が、何故誰一人にも責められないんだ!」
 それは、慟哭であり、それでいて懺悔でもあった。
 罪の告白。自分が犯した、犯してしまった最悪の罪。
 男は叫ぶ。何故、自分が責められないのだ、と。何故、子供ばかりを責めるのだ、と。
「…西郷。私は、疲れてしまったよ。勝手にも、私は疲れ果ててしまった。」
 かちゃ、と手のひらにぎりぎり収まるサイズの黒鉄を、男は自分の頭に向ける。
「…ごめんな。こんな私を、こんな腐った父親を、どうか許してくれ―――諦。」
 ぱぁん…と、肉が爆ぜた。


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最終決戦・序

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

新約聖書 第一章



 

            ✻

 最終決戦。

 巨木は、切れて倒れていた。

 野原は、焼け切っていた。

 黒ずんだ野原、ただただ黒い荒れ地。

 だが、空は快晴であり、綺麗な青色が太陽を抱いている。

 そして、その場に二人の魔王と五人の英雄が立っていた。

「来たな、皆。」

 白髪赤眼の青年が柔らかく笑う。

 〝真性魔王(しんせいまおう)原罪の源(オリジン・クライム)〟―――エデン。

 

「来たか、人類の英雄よ。」

 三つ首の白竜が、漸くか…と重い腰を上げるように立ち上がる。

 〝人類最終試練(ラスト・エンブリオ)・絶対悪〟―――アジ=ダカーハ。

 

「喧嘩しようぜ、魔王サマ。」

 金髪の青年が、戦意満々の笑みで挑戦の意を上げる。

 〝ノーネーム・主戦力〟―――逆廻十六夜。

 

「倒させてもらうわ、貴方達を。」

 赤いドレスを纏う長い黒髪の少女が鋭い目で宣戦布告する。

 〝ノーネーム・主戦力〟―――久遠飛鳥。

 

「ごめんね、エデン。」

 翼が付いたブーツを履いた茶髪の少女が白髪の青年に謝罪する。

 〝ノーネーム・主戦力〟―――春日部耀。

 

「アジ=ダカーハは兎も角、エデンは覚悟していただくのですよ!」

 黒髪にうさ耳を生やしたディーラー服を着た女性が、白髪の青年に覚悟しろと言う。

 〝ノーネーム・審判者〟―――黒ウサギ。

 

「…行くぞ、エデン。」

 黒髪の青年が、構える。

 異端児・狂人…否、今はもう、そんなものではない。

 今の彼は、周囲を狂気に陥れる異端児でも、己が都合の為に遍く全てを利用する狂人でもない。

 〝ノーネーム・主戦力〟―――詰路諦だ。

「――来い。数多の罪を背負う者よ。その異能を以て、事の元凶を狩ってみせろ!」

 高らかに声を上げ、白蛇は生き生きとしながら戦斧を構え、颯爽として諦へと攻め入る。

 先程までの、アジ=ダカーハとの戦いでの殺伐とした雰囲気は何処へやら。白蛇は、エデンは、とても生き生きとしていた。とても、楽しそうであり嬉しそうでたったのだ。

 眼前へと迫り、下から諦を切り上げようと、白蛇は勢いよく戦斧を振り上げる。

 ブンッ! と戦斧が空振る。掠りもせず、戦斧はただ誰もいない空を空振ったのだ。

「其処には誰も居ないぞ。」

 背後から、諦の声が聞こえた。

 何故だ。諦は、眼の前に居た筈なのに…と、エデンは自らが体験した謎の現象を考えながら声のした背後へと振り返る。

 其処には、傷ひとつ負っていない諦が立っていた。だが、それも当たり前だ。

 何故なら、諦は白蛇が自分の下に駆けた時から既に体を横に逸らして、白蛇の特攻を回避していたのだから。

 しかし、それでは疑問が浮かび上がるだろう。何故、エデンはそれに気付かなかったのか? という疑問がだ。

 エデンが駆けた瞬間に諦は体を横に動かして、エデンの特攻を回避した。しかし、それはつまりエデンが自分の間合いに入る前に避けたという事である。

 特別素早く動いた、という訳でもないのだから、エデンがそれを目視する事が出来ない理由など無い。

 本来ならば、エデンはそのまま戦斧を振り上げるのではなく、回避があまりにも早かった諦の体を斬り捨てようと戦斧を横に薙ぐように振るう筈だ。

 だが、エデンはそうしなかった。

 それは、その行動は、まるで、エデンの目に映る諦は回避などしていなかった、かのようでもあった。

「『心理掌握(メンタルアウト)』の応用技―――『心理幻覚(スピリット・イマジネーション)』。」

 過去に、「学園都市」という科学が大きく発展した街では科学による超能力の開発が行われている、という話しをしただろう。

 そんな学園都市の能力には『LEVEL』というものが設定されている。

 LEVEL0―――無能力者。

 正確には、能力を持っているが演算能力や自分だけの現実の不足によって能力を駆使する事が出来ない者達の事だ。

 LEVEL1―――低能力者。

 発火能力を持つものであれば、ライター程度のものしか出せないレベルだ。

 LEVEL2―――異能力者。

 LEVEL1よりも幾らか上だが、日常生活ではあまり役立たない程度の能力。学園都市の能力者の殆どはこれに分類される。

 LEVEL3―――強能力者。

 目に見えて強く、しかし日常生活でも役立つ程度の能力。一応、能力的にはエリートとして扱われるらしい。

 LEVEL4―――大能力者。

 学園都市の外部の科学技術では到底再現不可能な超常現象を発生させる事が出来る上、軍隊で戦術的価値を得る事が出来る能力。

 そして、最後に。たった七人しか存在しない、LEVEL5―――『超能力者』。

 あらゆるベクトルを操る『一方通行(アクセラレータ)』。

 存在しない素粒子を生み出す『未元物質(ダークマター)』。

 電気系なら何でもありの『超電磁砲(レールガン)』。

 何もかもを溶かす光線や盾を操る『原子崩し(メルトダウナー)』。

 人間の心理を自在に操る『心理掌握(メンタルアウト)』。

 己の肉体を自在に操る『肉体操作(メタモルフォーゼ)』。

 不可思議な事象を引き起こす『最高原石(ナンバーセブン)』。

 諦が使ったのは、その第五位である『心理掌握』の応用技である。

 『心理掌握』という能力は、人間の精神を自在に操る能力として知られているのだが、その原理は『ミクロレベルの水分操作』である。

 対象の液体を介して各種伝達物質や生体電流の流れをコントロールし、間接的に精神を支配するというのが心理掌握という能力の答えである。

 諦が行ったのは、エデンの体、もとい脳と眼球への水分や伝達物質をいじりエデンに『詰路諦が其処に居る』という幻覚を見せたのだ。

「フッ!」

 諦にとって、エデンは友人だ。

 だが、今は敵だ。故に、一切の躊躇も容赦も無い。

 エデンの顔面目掛け、諦は容赦なく鋭い蹴りを振り抜いたのだ。

 突如として、顔面へと襲い掛かる蹴撃。エデンは咄嗟に戦斧を眼前で構え、どうにか諦の鋭い蹴りを防ぐ。

 ガンッ!!! と鈍い音がエデンの耳元に強く鳴り響く。まるで、耳元で太古を叩かれたようだ。

「『ベクトル操作』」

「ぐっ…!」

 バゴッッッッッ―――!!!!!!!

 何かが凹むような音が響く。

 諦のベクトル操作という言葉と共に、受け止め切れた筈の衝撃が復活し、さらなる威力となってエデンの全身へと襲い掛かる。

 〝理解不能〟と『ベクトル操作』の二つを掛け合わせた蹴り。それが生み出した衝撃は―――

 ドゴォォォッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!! と、まるで対空砲が爆発したのではないかと思えてしまう程の風圧を発生させ、エデンを彼方へと吹き飛ばした。

「ちょっと、諦くん!? 少しは加減しなさい!」

「諦さんのお馬鹿様ー!」

『――?!』

 …訂正。どうやら飛鳥と黒ウサギ、そして十六夜と耀の二戦力による戦闘で流血し、そして生み出した双頭竜も巻き添えを喰らったようだ。

 耀と十六夜はアジ=ダカーハと双頭竜と戦いながら「ヤハハ! すげぇ風だな! 熱かったから丁度良いぜ!」「諦、グッジョブ」と其々が諦へと言葉を零す。まぁ、風圧の所為で全く聞き取れはしないのだが。

「す、すまない、飛鳥、黒ウサギ!」

 回収しようと、諦は二人が浮いてしまった方へと駆けんとした。

 だが、

「戦いで余所見は禁物だぞ、諦!」

 ブォンッ! と、眼前に戦斧が振り降ろされた。

「っ!」

 だが、戦斧は諦の顔面をばっさりと切り捨てる事は出来なかった。

 寧ろ、戦斧は意思を宿し叛逆するかのように勢いよく後退し、エデンの顔面へと迫ったのだ。

 ベクトル操作による『反射』。思えば、これを使ったのは白夜叉との決闘以来だったな、と諦は懐かしく思った。

「帰ってくるのが速いな、エデン。万kmの単位で吹き飛ばした筈なんだが。」

「俺は北側から東側まで一人寂しく帰った男だぞ? 万km単位を帰るなぞ、造作も無いさ。」

「自ら一人寂しくと言うのか…」

「事実だからな。ま、途中まではソトースも居たけど…あ、これ白夜には内緒な? アイツ俺が死んでも上の連中に文句付けて俺ん所まで来そうだから。」

「OK、伝えておく。」

「マジで止めてくれ――よ!」

 ―――ザシュッ!

 戦斧を振り上げ、エデンは上空から落ちてきた双頭竜の双頭を呆気なく両断して見せた。

 勘違いなどしてはいけない。エデンとアジ=ダカーハは、味方同士などではないのだ。寧ろ、その真逆で敵なのだ。

 故にエデンは双頭竜を切った。殺したのだ。

 この戦いは、エデンとアジ=ダカーハとノーネームの、三つ巴なのだから。

「白夜に怒られない為にも、お前を斃さないとな。」

「お前が白夜叉に怒られている所を見る為にも、俺はお前を殺さず倒すぞ。」

「それが出来るもんなら、やってみろ―――!」

 諦の拳とエデンの斧が、交差した。

 

             ✻

 場所は変わり、『オムニス』の本拠地。

「諦の、弱体化…じゃと?」

 白夜叉は、ソトースから告げられたエデンの第二の目的に首を傾げた。

 詰路諦の弱体化。それが、エデンにとっての第二の目的であると。

「そ。白夜叉も知ってるだろうけど、あの子強いでしょ?」

「うむ…それは、そうじゃな。あやつの強さは確かじゃが…」

「いや、白夜叉が思っている以上だよ。それこそ、『原初の星』であった頃の白夜叉に勝る程にね。」

 ソトースは断言する。

 原初の星、最強の星霊種であった頃の白夜叉を倒してしまう程の強さを、詰路諦は持っているのだと。

「〝理解不能(バグアンドエラー)〟―――全知であるラプラスですら理解する事を拒む程の恩恵。天地万物を豆腐を破壊するように簡単に破壊する恩恵と最高で第六宇宙速度まで加速する加速の恩恵、それに加えてニャルの攻撃を受けて傷を負うだけという強度の恩恵。しかも、それ以上の恩恵がまだ眠っている。」

 詰路諦を象徴とするギフト、〝理解不能(バグアンドエラー)〟。

 ソトース曰く、今分かる恩恵は天地万物を豆腐の如く破壊する事が出来る〝万物破壊の恩恵〟と最高で光速になる事が出来る〝加速の恩恵〟、外なる神の中でも上位の実力を持ったニャルラトテップの攻撃を食らっても傷を負うだけで済ます程の〝強度の恩恵〟。だが、その他にもさらなる恩恵が眠っているという。

「〝万全の能(アリストテレス)〟―――万能にして全能の恩恵。見た瞬間に物体のあらゆる部分を理解する万物理解の恩恵と、理解した事象を操る事が出来る万象操作の恩恵。諦が使う『超能力』とやらもこれがあるから使える訳。」

 詰路諦の頭脳を示すギフト、〝万全の能(アリストテレス)〟。

 目にした物体の隅から隅までを完全に理解する〝万物理解の恩恵〟と、理解する事が出来た事象を自在に操る事が出来る〝万象操作の恩恵〟の二つを持った万能にして全能の恩恵。

 諦の超能力も、このギフトあってこそだ。

「最後に、〝異端の狂力〟―――ま、これもう無くなったんだけどね。」

「…何?」

「詰路諦の弱体化の証明、その一つ―――ギフト、もとい狂気の消失。まぁ、弱体化っていうよりは“人間らしくなった”が正しい所かな。」

 詰路諦が強いとされている理由―――それは、ギフトも関連しているのは確かだが、しかしギフトはあくまでもオマケである。

 詰路諦が強い理由は、『自分以外のあらゆる全てを一切気にしない狂気』にこそあるのだ。

 自分以外のあらゆる全ての存在を、詰路諦は気にしなかった。

 それ故に彼は強かった。それ故に彼は狂人だと言われた。

 〝異端の狂力〟は、詰路諦に内包された確か且つ悍ましい狂気で周囲を支配するギフトである。

 だが、それは詰路諦の狂気があってこそ成り立つギフトである。即ち、詰路諦から狂気という部分が無くなれば、そのギフトも消失されるのである。

 では、ギフトの消失が、狂気の消失が、一体何を意味するのか。

 先程、ソトースが言ったように―――それは、詰路諦の弱体化、もとい『人間性の獲得』である。

「諦は自分以外の有象無象を気にしなかったから強かった。周囲の何もかもを気にせず、利用して戦うから強かった。その証拠として、彼がペストを相手に蹂躙する時も月光そのものを殺人光線に変えたでしょ? あれ、一部の月光じゃなくて月光そのものだから周りにも結構な被害被るんだよね。」

「……」

「でも、今の諦は違う。十六夜や黒ウサギは兎も角、飛鳥や耀の身を考えなきゃいけないから全力は出さない。全力だったら吹き飛んじゃうからね。周りを気にするようになった、仲間を気遣うようになった彼は弱くなり、そして人間らしくなった。エデンの第二の目的はこれだね。」

 エデンの第二の目的―――それ即ち、詰路諦の人間性獲得。

 周囲を気にし、仲間を気遣い、そして眼の前で困った人が居るなら損得云々ではなく咄嗟に助けんとする善性の獲得。

「エデンは原罪の象徴。人に罪を与えた本人。故に人の罪の全てを把握している。だからこそ、諦の罪を知っているからこそ、エデンは諦を救おうとしてる。」

「諦を救う…? どういう事じゃ?」

「単純だよ。

 

詰路諦の罪は想像を絶するものであり、それが本来なら犯される筈のものでなかったから。」




罪の証明


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最終決戦・中

堅苦しい筋書きは、もうおしまい。
ここからは、単純だ。


            ✻

 バゴッッ、グッッッ!!!!!

 強烈な暴風と共に、地面が凹む音、得物を勢いよく殴る音が爽快に草原へと響き渡る。

 互いが吹き飛ばされ、しかしその吹き飛ばされた際の勢いすらも利用して地へ留まり、ボールを蹴るように地面を蹴って再び相対する。

 青年が拳を振り翳し、白蛇が戦斧を振り上げる。

 片や、300km/hオーバーの車が一斉に轢きに来るが如き勢いで殴ろうとする者。

 片や、一度斬り裂かれれば肉を腐らせ魂を蝕む英雄殺しの毒の恩恵を付与した刃で殺そうとする者。

 青年が拳を振り抜けば、それは真っ直ぐ戦斧の刃へと飛んでいく。

 本来、それはザシュ、という肉を切る音を立てて青年の拳を切り裂く。だが、現実はそうではない。

 ギィンッ! という鈍い音と共に、戦斧が白蛇の手元から離れ、真上へと跳ね返されたのだ。

「ふっ!」

 振り抜き、戦斧を上空へと吹き飛ばした拳を、青年は引くことなくそのまま右方向へと薙ぐ。

 グキィッ――と、首と頬の骨が軋む音を鳴らして手の甲が白蛇の頬を捉え、凹ませ、バンッッッ!!!! と弾丸の様な勢いで白蛇を彼方の方へと吹き飛ばした。

「ったく、容赦が無いな…!」

 動揺せず、態勢を整えて地面へと足を付けた白蛇が、衝撃に引っ張られるように引き摺られながら吐き捨てるように愚痴を零す。

 だが、白蛇が浮かべている表情は決して憂鬱的なものでも鬱陶しく思うものでもなく、ただ純粋な笑顔であった。

 目的達成に近付きつつあるのならば、それが誰であろうと必ずしも喜びというものが湧くだろう。

 白蛇も例に漏れることはなく、己が目的、宿願が成就される事が近付きつつあるのだから、白蛇とて笑いもする。

 だが、

「何を笑ってるんだ?」

 青年は、それをも隙と見て攻めを絶やさない。

 自ら真上へと吹き飛ばした白蛇の戦斧を握り締め、真上から台風時の雨粒の如く戦斧を振り下ろす。その姿はまるでギロチンの刃を思わせる。

 白蛇は「ホントに容赦ねぇな!」と叫びながら、バックステップで後ろへと下がって振り下ろされた戦斧を何とか躱す。

「容赦などするか。…というか、この戦斧、重すぎだ。人が扱える重さじゃないぞ。」

「そりゃ俺しか扱えないからな。…あれ、なんで諦扱えんの?」

「いや扱えん。振り下ろせたのは自由落下の法則のお陰だ。」

 振り下ろし、地面へと突き刺さった戦斧から手を離した青年―――「詰路諦」は再び腰を降ろし構え

「諦、キャッチぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!」

「は?」

 た…にも関わらず、突如として諦の方へと吹き飛ばされてきた耀をキャッチする為に、直ぐ様構えを解いて抱き締めるように耀をキャッチする。

 十六夜と共にアジ=ダカーハと双頭竜と戦っていた耀。それが諦の方へと吹き飛ばされた。

 察するに、恐らくアジ=ダカーハか双頭竜のどちらかの攻撃で吹き飛ばされ、それが偶然にも諦とエデンが居た方向だったのだろう。

 グググッ――と、衝撃に引っ張られながらも踏み留まりながら、諦は何とか耀を傷付けることなく、無事に受け止める事が出来た。

「ご、ごめん諦。ありがとう」

「問題無い。」

 耀を離し、諦は再び構えを取る。

 アジ=ダカーハか双頭竜に吹き飛ばされた耀は、しかしアジ=ダカーハの方へと向かわずに諦の隣へと並んでエデンと相対した。

「行かなくて良いのか? 幾ら十六夜でも、二対一はキツイと思うが…」

「大丈夫、黒ウサギ達が協力してくれてたから。それに、私もエデンを殴りたい。」

 ぎりぎりと握り締めた拳を見せ付けながら、耀がじろ、とエデンを睨む。

「そうか。なら一緒に殴ろう。顔面ストレートで。」

「うわぁ、諦だけじゃなくて耀まで容赦無いのねー…」

 友であろうとも、しかし敵であるなら殺しはせずとも容赦無くぶん殴る。そんなスタンスの諦と耀にはエデンも苦笑いを浮かべる他なかった。

「…そういえば、耀。」

「なに?」

「受け止めた時に気付いたんだが、耀は髪質がふわふわとしているんだな。あと良い匂いがした。なんのシャンプーを」

「エデン覚悟ー!」

「照れ隠しに俺を攻撃すんな!」

 颯爽とした勢いでエデンへと蹴りを放つ耀。そして華麗にそれを躱すエデン。

 

「あいつら何してんだよ。」

「最終決戦なのに緊張感に欠けるわね…」

「全くです! 耀さん羨ま…じゃなくて、けしからんのですよ!」

(今羨ましいって言おうとしたよな)

(今羨ましいって言いかけたわね)

「…ふん。やはりあの白蛇の仲間、か。」

 いつだって、緊張感も無い。

 

            ✻

 ある街に、一人の天才が居た。

 その天才は、その街で数多の発明をして、そしてその街に自分の発明の成果を貢献していた。

 街は大きく発展し、都会でもなければ田舎でもないような区別の街は進化した。

 それからある時、天才は一人の女性に惹かれた。

 特別頭が良いという訳ではないが、しかし体力といった面には他の人よりも自信を持った元気な女性に。

 天才は、ただ純粋に凄いと思った。女性の持つ身体能力ではなく、その人柄を。

 女性は、ただ純粋に羨ましいと思った。天才の持つ才能ではなく、その人望を。

 互いに似ているようで、しかし所々違う。そんな二人だからこそ、共に興味を惹かれ合ったのだろう。

 二人は邂逅し、会話し、遊戯し、密接し、そしてその果てに結ばれた。

 それを誰もが祝福した。一切の例外などなく、誰もが喜んだ。

 片や街随一の天才。

 片や街一番の女性。

 お似合いな二人を、皆が祝福した。

 そして、その二人の間に子供も産まれた。

 子供には、「諦」という名前を付けた。

 その文字は、他からすれば良い意味のものではないように思えるだろう。

 だが、博識な天才と、その知識を知った女性はその文字に込められた意味を承知で子供に授けた。

 「諦」という文字は、仏教においては見極められた道理や真理といった意味を持つ文字なのだ。

 もし二人の才能を授かったのであれば、自分の才能を正しく見極め、それを正しく善い道へと扱って欲しい。

 そんな願いを込めて、二人は「諦」という名前を付けたのだ。

「だが、彼は二人が思う以上の才能を持った怪物だった。」

 巨大なフラスコのような、そんな容器に液体と共に逆さまとなっている『人間』が声を発する。

 その『人間』は、大人のようで子供のようでもあり、男のようで女のようでもあり、聖人のようで囚人にも見えた。

 『人間』は、誰も居ないであろう場所で、しかし誰かが居るか如く言葉を紡ぐ。

「全知と称される程の叡智、幼年であるにも関わらずアスリートにも勝る身体。彼は、彼らが思った以上の才能を、恩恵を身に宿していた。幼いにも関わらず、証明されていなかった論理を証明し、数多の記録を塗り替えた。子供であるにも関わらず、それまで最高とされていた記録を塗り替え、霊長類最強と名高き人間すら打倒した。」

「だが、それを自慢もしない。さも、それが出来て当たり前であるかのように振る舞い、彼は歓喜も抱かない。さらなる好奇心、探求心を抱くだけだった。それ故に、誰もが彼を恐れた。皆等しく彼を畏怖した。その果てに、彼は『異端児』と呼ばれ、『狂人』と呼ばれるようになった。挙げ句、親にすら見捨てられた。」

「だが、それで良かったのだろう。それが良かったのだろう。そうやって、漸く彼は己の才能を縛ることなく、余すことなく発揮する事が出来るようになった。まぁ、その所為で街が幾つか消え去る事となった訳だがね。」

 表情を変えることはなく、されど喜々としたように『人間』は語る。

「彼の才能が有れば、彼一人が居れば、私の『計画』はどれも順調に完璧へと辿る。いや、それ以上の結果、まさしく『究極』へと至るだろう。外に置いておくには、実に惜しい人材だ。」

「だが、確かに有った筈の彼の生体反応は消えてしまっている。世界の何処にも反応が無いのならば、幾ら私であろうとも探し出す事は不可能だ。それこそ、『魔神』でも無い限り、か。」

「まぁ、良い。彼も一人の『主人公』だ。いつかは此処に訪れるだろう。私は、その日が来るまで待ち続けよう。」

「『未だ掴めぬ知識を求め、その過程で人類を救う者』よ。

汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん。」

 

       ✻

 狂気が消えていく。内側で溢れていた筈の狂気が、もはや欠片程度しか残っていない。

 僅かな寂しさと共に、しかし自分が、確実に前に一歩と進む事が出来たという証でもある事を嬉しくも思う。

外典解読(タナハかいどく)―――〝原罪裁決〟

 キリスト教とユダヤ教において聖典とされている書物「旧約聖書」。

 ユダヤ教では、旧約聖書のことを『タナハ』と呼んでいる。勿論、内容などが変わっているという訳ではない。

 旧約聖書は神々が天地と生物を創造する章から始まり、第三章にて人類の堕落を描いている。

 最初の人類であるアダムとイブが、白蛇に唆されて禁断の果実である知恵の実を食べ、エデンの園から地上へと追放されてしまい、そこから今の人間らしくなっていく物語。

 エデンの疑似創星図は、旧約聖書の第三章部分のみを反映させた限定的な疑似創星図であり不完全なものだ。

 だが、不完全なものでありながらエデンはそれを完全かつ完璧に使いこなす。恐らくそれは、ある意味でエデンこそが、その物語の主役でもあるからだろう。

「人間に対して絶対的な力を得る疑似創星図―――それが、〝原罪裁決〟。相手が人間であるならば、俺には敵わない。」

 〝真性魔王・原罪の源(オリジン・クライム)〟――エデン。

 その決定的たる力の本質こそが、この〝原罪裁決〟である。

 ありとあらゆる人間に対して絶対的な力を得る恩恵。その『絶対的な力』というは世界そのものに干渉する巨大規模の概念であり、『必ずそうなってしまう』という恩恵の現実化の象徴である。

 エデンが人類という存在に対して絶対的な力を得た、という概念の記録は発動した瞬間から既に箱庭全体へと広がっている。

 遥か古の昔を生き続けた原初の蛇にして、世界最大規模とも言えるキリスト教とそれに連なるユダヤ教、全能の逆説が無ければ箱庭における最大神群となっていた二つの宗教の秘奥を扱う者。

 人類が必ず滅ぼさなければならない絶対敵。人類が必ず打ち勝たねばならない最悪の怨敵。

 それが、今―――詰路諦の前に立っている。

「そうかな。案外、やってみなきゃ分からない。」

 だが、そうであろうと。そんなものであろうとも。

 詰路諦は屈しなかった。恐怖しなかった。

 例えこちらの攻撃が必ず効かない敵であったとしても。

 例えあらゆる攻撃が絶対に当たるものであったとしても。

 そもそも諦には、最初から『勝つことを諦める』などという敗北的思考を持つつもりなど無かったのだから。

「対策は万全だ。お前に勝つ為に、どれだけ工夫して此処に来たと思ってる。」

「そりゃ、骨が折れそうだ。なら、使われる前に斃すさ」

「やってみせろ。」

 一秒、構え。

 三秒、暴風。

 五秒、翳す。

 七秒、直撃。

 九秒―――相剋。




あと少し


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終了

突然だけど、さようなら


「あぁ…ハハッ」

 乾いた笑いが、闇へと響く。

 焼き払われた草原に、もはや草一つすら生えない荒れ地に、大罪人は仰向けで倒れ伏す。

 愛用し続けた戦斧は呆気なく折られた。最終手段の疑似創星図は向こう側の切り札に敗れた。

 完膚無きまでの敗北だ。この場所で、この時間に、人類に罪を押し付けた白い蛇は一人の人間に倒された。

「強いなぁ…全く。俺を倒す為に、わざわざ〝カイン〟の恩恵を取りに行ったのか?」

「あぁ…そうだ。お前を倒す為だけに、命投げ捨てる覚悟で取ってきた。」

 荒れ地へと腰を降ろす諦は、自身が疲弊しているを隠さず態度で表しながら答えた。

 カイン―――人類最初の殺人者にして、人類最初の大罪人。

 人類の親であるアダムとイブが生んだ最初の子供。人類における最初の罪人。

 それまで誰一人として殺人を犯した事のない世界で、初めて殺人という罪を犯した男。ある意味、人間における『死』を証明した人物。

 諦が使用したのは、そんな〝カイン〟の恩恵である。

 “あらゆる恩恵を殺し切るギフト”―――放つ攻撃の全てが初見殺しであるカインのギフトゲームをクリアした暁に得る事が出来るそのギフトは、罪の源であるエデンに効果抜群の代物だった。

 その証拠として、その恩恵の攻撃を喰らったエデンは死にかけていた。

「そりゃ、ご苦労さまだ…だが、俺もよくやった。その切り札を使わざるを得ない状況になるまで、追い詰める事が出来た。」

「あぁ、そうだな…本当、しつこい程に粘ったよ、お前は。やっさと倒されてほしかった。」

「そんな事、出来る訳がない。こちとら仲間も友達もみーんな裏切って箱庭に宣戦布告したんだぞ? そんな簡単にやられてやるか。」

「それは意地か?」

「あぁ、そうさ。意地だよ。どうしもない、格好付けの意地だ。魔王としてではなく、俺個人としての酷い意地だよ。」

 悔しそうという訳でもなく、ただただスッキリとしたように。もう何もかも出し尽くしたと、快晴の如き笑みでエデンは自分の意地を語る。

 仲間を、友人を、自分の関係の何もかもを裏切って、彼は箱庭の敵になった。この世界の絶対悪になった。

 全てのコミュニティを無差別に巻き込み、全ての種族を無理矢理に巻き込んだ。

 真性魔王と人類最終試練の二匹を相手取らなければならないという過去最悪のギフトゲームを彼は開催し、箱庭を襲撃したのだ。

 そんな自分が、そんな大罪人が、簡単に敗北する訳にはいかないのだ、と。

 それは魔王としての心ではなく、エデンという個人としての心であり、そして意地というよりは切望だった。

 自分が敗北してはならないというそれは、どちらかと言えば自分が負けたくないというよりも相手に負けてほしくない、という切ない望みの方が近しい想いだった。

 人類愛? 否、これは人類に対する愛では、そんな大きな枠組みに当てはまる愛情では、ない。

 彼が抱いていたのは、彼が意地の内に秘めていたのは、友人に対する親愛だ。

「どっちにしたって…オレは、お前達に負けた。ギフトゲームはクリアされて、オレはやっと死ぬ事が出来る…どうだい、諦。お前の対策を全部、ひっくり返してやったよ。強かったろ? オレはさ。」

「あぁ…本当に、忌々しい程に強かった。インフレも良いところだ。もう少し弱くても良かったんじゃないか?」

「そんなんじゃラスボスが締まらないだろ。ラスボスなんだから、圧倒的じゃないとな。それこそ理不尽な程に。」

「理不尽にも程があるだろ。無効化される事のない人間特攻なんてラスボスが持っていて良い代物じゃないぞ。どんなバフだ。」

「だから良いんだろ。それに、俺なんて魔王の中じゃ下の下だ。ソトースや百夜に比べたら弱いぞ? 俺は。」

「比べる対象が桁違いだ。ソトースは第一層の魔王に匹敵するし、白夜叉は原初の星だ。それに、お前はニャルラトテップを倒してるだろ。」

「それは間違いだ。ニャルには倒す倒されるなんて概念は無いぞ。アイツの残基は無限だからな。」

「…やっぱオムニスのメンバー狂ってるだろ。」

「それがクトゥルフ神話だからな。」

 他愛のない雑談。何でもない雑談。

 ただの雑談。何か含みがあるという訳でも、何か策略があるという訳でも、何か意味があるという訳でもない―――ただの、楽しい会話。

 時間は、素早く過ぎていく。

「………………なぁ、諦」

「どうした、エデン。」

「蠍座の太陽主権…百夜に返しといてもらえないか」

「……自分で返せよ。じゃないと…白夜叉が、可哀想だ。」

「出来たらやってる……けど、無理だ」

「自分で、そう決めたくせして何を言ってるんだ…」

「はは………そういえば、そうだっなぁ……」

 朽ち果てる、朽ち果てる、朽ち果てる。

 魂が朽ち果てる。命が朽ち果てる。一匹の蛇が、徐々に徐々に朽ち果てていく。

 最初から、この戦いはエデンの敗北で終わっていた。エデンの死亡で、決定していた。

 エデンは最初から、生きて帰るつもりなどなかったのだ。勝っても負けても、消える事が定められていたのだ。

「……巫山戯たゲームだ…クソゲーも良いところだ…」

「……そりゃ、悪かったな……」

「あぁ…本当に……巫山戯るなよッッ!!!」

 諦は、叫びを上げた。

「自分勝手な莫迦野郎が! 俺が言えた事じゃないが、他人の心を蔑ろにしやがって…! お前、それでも友達か!?」

「……これでも、友達だよ……」

「あぁ、そうだ! こんなお前でも友達だ! だからこそ、だからこそ……! 止めようとしたのに…………

最初から、それら全てが無駄だったなんて……」

「………………」

「だが、ただで終わらせるつもりはないぞ…! 必ず、何らかの方法を見付けてやる! 絶対にだ! それまで……長く眠っておけ。」

「………………………………そ……う………か………」

 真っ赤な瞳が光を失っていく。

 幕が落ちていく。瞼が降りてくる。

 熱が無くなっていく。冷たさだけが残っていく。

 魂が消えていく。命が無くなっていく。

 蛇が―――朽ち果てていく。

 

 あれから数ヶ月の時が経った。

 〝人類最終試練・絶対悪〟アジ=ダカーハは逆廻十六夜によって倒され、〝真性魔王・原罪の源〟は詰路諦によって倒された。

 多くの死者が産まれた。多くの犠牲が生れた。

 しかしそれでも、其々が今を生きている。犠牲の上に、今日も生を謳歌している。

 詰路諦もまた―――その一人だ。

「諦様も…旅に出られるのですか?」

 ノーネーム本拠地。その玄関先。

 黒ウサギは、一つの荷物を持たないまま旅に出ようとする詰路諦と話していた。

 アジ=ダカーハとの戦闘を終えた逆廻十六夜も旅に出て、その次の日である今日に諦もまた旅に出ると言い始めたのだ。

「あぁ。この箱庭を、もっと調べたい。」

「…それは、エデン様の…」

 やや申し訳なさそうに問う黒ウサギに、諦は「そうだ。エデンを蘇らす方法の為でもある。」と、あっさりと答えた。

「箱庭。そして箱庭の外。隅々まで調べて、調べて―――エデンを蘇らせる方法を確立させる。」

「そうですか…諦様まで居なくなると、やはり寂しくなりますね。」

「…なら、黒ウサギにはこれをやろう。」

 諦は懐から黒い板を取り出し、それを黒ウサギへと差し出す。

 なんだろうという疑問を浮かべながら、黒ウサギは差し出されたその黒い板を受け取った。

「えぇと…これは?」

「スマートフォン―――俺達の時代では、スマホと呼ばれていたものだ。それで、電話というものが使える。」

「はぁ…電話、ですか?」

「試してみるか。」

 諦は別の板を取り出し、指でなぞるように液晶をいじり―――そして、

 黒ウサギが持っていた板から可愛らしい着信音が鳴り、震えた。

「きゃっ!? って、あわわ!」

 突然の着信音に驚き、落としそうになった板を何とか持ち直して画面を直視する。

 画面に表示されているのは、詰路諦という名前と、緑色と赤色に別けられたマーク。

「これは…?」

「その緑色のやつを横にスライドしてみろ。」

「これを…スライドする」

 細い指で、液晶に映る緑色のアイコンを赤色のアイコンの方へとスライドする。

 すると―――

『聞こえるか?』

 少し低くなった諦の声が、板から鳴った。

「え、」

「これが電話だ。まぁ、俺のは改造を加えているがな。〝万全の能〟で電波を共有しているから、何処にいても電話出来る。」

 これで、互いに寂しくなる事はない。

 諦はスマホを懐へと直し、

 

「じゃあな、黒ウサギ。いつかまた会おう。」

 それまで見せた事のない、快晴の如き笑顔を向けてそう言った。




もしも、また会えたら―――また会おう


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