キラキラの一等星 (ミヤフジ1945)
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設定 中央トレセン学園編



そう言えば詳しくトレセン学園やトゥインクルシリーズの設定を作中に出してなかったと思い簡単に纏めました。

今後加筆するかもしれませんが、私の中でのトレセン学園はこんな感じになっています。


 

『中央トレセン学園』

 

 

中等部1年

 

入学したばかりの綺羅星達。本格化前のウマ娘ばかりの為チームトレーナーや専属トレーナーによるスカウトは禁止されている。

本格的なトレーニングは体を壊す可能性がある可能性がある為、2年3年に比べると軽いトレーニングが主である。

月に2回、模擬レースが開催されている。最初の1回は全員参加であるが、2回目以降は個人の自由参加である。

開催レースは芝、砂両方とも

 

1600m右回り

1400m右回り

1200m右回り

 

と比較的短く固定されている。これは体への負担を減らしつつレースの空気感を学ぶ為に開催されているから。

 

 

 

 

中等部2年

 

中等部2年になってからはトレーナーによるスカウトが解禁される。本格化が始まったウマ娘や1年時の基礎トレーニングである程度体が出来上がって来たからである。

模擬レースも2年からは選抜レースとなり、1回目の全員参加や月2回の開催は変わらないが距離が変更されている。

 

2000m右回り

1600m右回り

1200m右回り

 

芝と砂共に距離が延び、メイクデビュー後のジュニア期と同じ距離で走る事になる。

尚、学園主催の選抜レースではあるが、リギル等の有名チームでは独自で選抜レースを主催することも可能である。その為、学園の選抜レースを1回休んででもチームの選抜レースを選ぶウマ娘もいる。

 

 

 

 

 

中等部3年

 

基本的には中等部2年と変わらないが、選抜レースに左回りが新たに追加される。

 

 

 

 

高等部1(ジュニア期)

 

アプリでいう育成スタート時。この年でほぼ全てのウマ娘がメイクデビューを果たす。

6月~12月の間でデビュー戦、未勝利戦が開催され、もし未勝利で12月を過ぎた場合は年明け~クラシック期9月までに開催されるクラシック未勝利戦でレースすることになる。

上記のレースで勝利出来なかったウマ娘はURA登録削除が行われ中央トゥインクルシリーズのレースで走れる資格を失ってしまう。

多くの場合、そうなったウマ娘は地方トレセン学園に転校し地方重賞を目指すか中央トレセン学園にあるサポート科に転科する娘が多い。

また、高等部で編入したウマ娘も上記のレースに従ってメイクデビューを果たす為トレーニング面で不利と言われているが中央トレセン学園の編入試験は中等部の入学試験よりはるかに難しく、編入生には相応の能力が求められる。

その為、編入生=即戦力として見ているトレーナーも居り、ちゃんとしたトレーナーが付けば不利を押しのけて中等部組とも競うことが出来るほど才能があるウマ娘が多い。

 

 

 

 

高等部2年(クラシック期)

 

多くのウマ娘の憧れ『東京優駿(日本ダービー)』を始めとしたクラシック三冠、華の三冠と呼ばれるトリプルティアラが開催されるクラシック期。

ジュニア期で未勝利で終わったウマ娘はクラシック未勝利戦で戦い、勝利しなければクラシック重賞に出場する事は出来ない。その為この時期の未勝利ウマ娘は精神的焦りからか、やや掛かり気味の傾向がある。

また、クラシック期から『夏季特別強化月間』通称夏合宿が許可され、その期間中であれば一部旅館やホテル、一般練習場の負担金の半分を中央トレセン学園が補填してくれる。実績のあるチームやトレーナーには特別手当として追加負担金が支給され、より効率的かつウマ娘の心身のリフレッシュが可能になる。

 

 

 

 

高等部3年(シニア期)

 

多くのウマ娘は重賞勝利などを目標にトレーニングやレースを行う。中には天皇賞連覇や宝塚連覇、春シニア三冠や秋シニア三冠等、実力あるウマ娘は新たな王冠を目指して熾烈な戦いを繰り広げる。

また、この時期からトレーナーと担当ウマ娘との間で恋愛トラブルが起こりやすくなる。トレーナーさんは身の回りに気を付けてね?

 

 

 

 

シニア2年目以降

 

 

シニア期が終わり、ウマ娘には1つの選択肢が提示される。

それはここで引退して卒業し、トレセン学園と提携している大学への編入試験を受けたり一般社会へと就職していくのか、はたまたシニア2年目としてまだレースを走るのかである。

殆どのウマ娘は引き続きシニア2年目に入るが、家庭の事情で辞めざるを得ないウマ娘や、多くの困難を乗り越え担当トレーナーを仕留めたウマ娘の一部は卒業して専業主婦になっていたりする。

無論、シニア2年目以降を走るとして留年扱いになるわけではない。

 

シニア期を満3年で引退すると短大卒業相当の卒業資格を貰え、シニア期最長の満5年を満たして引退卒業すると大卒相当の卒業資格を貰う事が出来る。

シニア期5年を超えてまだ走っていたいウマ娘はそれより上のWDT(ウィンタードリームトロフィー)SDT(サマードリームトロフィー)と呼ばれる重賞ではないがURA協賛の1年に一回の大型イベントレースに移籍することが出来る。

WDTは中距離~長距離。SDTは短距離~マイルと距離ごとに分かれており、WDTが冬、SDTが夏開催である。

シニア期ウマ娘の中にはWDTやSDTで先達の名バと競いたい為に早々移籍するウマ娘もいる。

彼女達シニア期からの移籍ウマ娘は『殿堂入りウマ娘』と呼ばれて居り、トゥインクルシリーズ以外の様々なイベントレースにも出場する事ができる。

 

 

 



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中等部編
第01話


 

『ウマ娘』

 

 

彼女達は走るために生まれてきた。

 

時に数奇で、時に輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る。

 

それが、彼女達の運命。

 

この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果は、まだ誰にも分からない。

 

瞳の先にある、ゴールだけを目指して…………

 

 

『アニメ ウマ娘プリティーダービーSeason2第一話より』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少なくとも、これが()が知っているアプリゲーム『ウマ娘プリティーダービー』の世界観であり、現実には存在するはずのない彼女達。そしてゲーム・アニメ・コミック等、それらの媒体でしか見ることのできない創作物の世界。

 

現実で活躍した競走馬達のウマソウル()を宿した『ウマ娘』と呼ばれるキャラクターをトレーナーとして育成し、(ターフ)(ダート)を走るキラキラとした彼女達と共に三年間を過ごす大人気コンテンツ。

 

()はこの作品が好きだった。所謂ガチ勢では無かったが、僅かな課金と忙しい仕事の合間に何とか集めたサポートカード(手札)を使って、夢に向かってひた走る一等星の如くキラキラと光る彼女達(ウマ娘)が好きだったのだ。

 

 

 

 

 

仕事で失敗して落ち込んだ時も彼女達(ウマ娘)に励まされた。

 

 

職場でパワハラを受けた時も彼女達(ウマ娘)に勇気を貰った。

 

 

医者からADHDと診断された時も彼女達(ウマ娘)に応援された(気がした)

 

 

そして、療養の為に実家に帰る途中で飲酒運転のトラックに轢かれてしまった時でさえも。

 

 

 

 

うん…………まぁ、不幸中の幸いなのは痛みを一切感じなかった事だろうか。倒れた俺は徐々に手足の感覚も無くなり、ゆっくりと暗転していく。

暗くなる視界と意識の中で、()が最後に思ったのは彼女達(ウマ娘)に対する感謝ともう少しだけ、もうちょっとだけ彼女達(ウマ娘)のキラキラを見たかったというほんの僅かな()

そんな口に出すにはいい大人には恥ずかしい思いを抱きながら()の視界と意識は途切れ、そこで死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はず…………だったのだが

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか転生、というか憑依しちゃうってどんだけって話ですかねぇ~」

 

 

 

()はウマ娘の世界に転生していた。いや、最後の恥ずかしい思いを神様(三女神様)が叶えてくれたのなら嬉しい限りだったのだけど。

 

 

 

「まさかまさか、ネイチャさんに憑依?するとは思わないですよ。いやネイチャさん的には一番の推しキャラだったから嬉しいんですけどね。」

 

 

 

まさか、()がアニメウマ娘プリティーダービーSeason2の準主役キャラ、ナイスネイチャに憑依するとは思わない訳でして。モブ娘(それでも舞台のトレセン学園に通ってる時点で圧倒的エリートだが)なら推しを遠くから見れるなぁなんて考えてた時も前世であった訳ですが。

いざ転生させていただいちゃうと一番の推しキャラのナイスネイチャさんだったので大分頭がパンク寸前な感じなんですよ。

 

 

『ナイスネイチャ』

下町生まれの高望みしないウマ娘。自分は脇役と考えているため、過度な期待からはやや逃げがち。そのため、いつも好走止まりである。

下町育ちゆえに生活力は高く、料理や洗濯などは手が空いた時に片付ける。

地元のおばちゃんやご老人に愛される名物少女である。

 

『公式プロフィールより抜粋』

 

原作のスマホゲームやアニメでも自分を脇役と感じていたり、同期のトウカイテイオーをキラキラした主人公と言っていたりと、やや後ろ向きなセリフを発言しているナイスネイチャ。

しかしその実誰よりもキラキラが好きで、後ろ向きな発言をしつつも決して勝つ為の努力を諦めない彼女は誰よりもキラキラしていたと思ったトレーナーも多いだろう。かく言う()もそんなナイスネイチャが大好きだった。

 

原作の原作、つまり競走馬としてのナイスネイチャの戦績は41戦7勝、うち重賞4勝という戦績で、総賞金額は6億2,689万円。実はG1馬でアニメでもライバルだったトウカイテイオーよりも賞金額は多い。

ナイスネイチャと言えば、1991年からの三年連続有馬記念三着が有名だ。競馬ファンからも『ブロンズコレクター』『善戦マン』等、三着にゆかりのあるあだ名を聞いた人も多いと思う。

競走馬引退後でも、ネットのファンから『馬主孝行しすぎる馬』等G1未勝利馬でありながらその戦いぶりからG1馬に引けを取らない人気を誇っている。

2022年の引退馬協会によるナイスネイチャのバースデードネーションでは、ウマ娘の影響もあってか寄付金が5410万とG2京都新聞杯の賞金を上回り、JRA重賞勝ち馬存命最高齢の34歳にして実質G2を勝ったと言ってもいいある意味ヤベー馬である。

 

もう一度言うがヤベー馬である。

 

決して名脇役で済ませていい馬ではない。

正しく引退馬協会の『顔』である。

 

 

 

 

頭がこんがらがって大分おかしい事を考えてた気がするが、うん…………大丈夫。

 

気持ちを落ち着かせる為に一息入れ周りを見れば、上級生らしきウマ娘さん達から遠巻きに温かい視線を感じる。客観的に見れば新入生としてトレセン学園に入学した私は三女神像の前で盛大にずっこけた訳でして。どうやら先輩方からすれば入学して浮かれすぎてこけちゃった新入生に見える様で…………というか実際そのまんまだったんですけどね?

 

途端にやってくる恥ずかしさ。頬が赤くなっているのを感じながらペコリと先輩方に頭を下げる。あ、手を振り返してくれるんですね。優しい先輩方でよかったです。

 

 

 

「…………さて、これからどうしましょうか」

 

 

 

幸いというべきか、感覚としては忘れていた事を思い出した様なスッキリとした状態であり今までの記憶を忘れてしまった、もしくはナイスネイチャの魂を上書きして消してしまったという状態ではない事。多分ナイスネイチャの魂?ウマソウル?と融合して生まれたのがナイスネイチャ()だと思う。

もしナイスネイチャの魂を消してしまっていたら多分罪悪感から首吊ってたと思う…………良かった。

そして新たに頭に浮かんだ疑問が

 

 

 

『この世界はどの世界線なのだろうか?』

 

 

 

という事。

 

チームシリウスがあるのならまずアプリ版の世界線で間違いないという事になるし、沖野さん率いるチームスピカやおハナさん率いるチームリギル、南坂さん率いるチームカノープスのどれか一つでも見つけられればここがアニメ版という事になる。

そして六平トレーナーがいればコミック版つまりシンデレラグレイの世界線という事になる。

 

 

 

「ぶっちゃけ、アプリ版だとキツイ処の話じゃないんですけどー…………」

 

 

 

だってアプリ版はなぜかナイスネイチャのクラシックにカイチョーことシンボリルドルフが出て来たり、スぺちゃん達黄金世代が出て来たりするなどありとあらゆる世代のウマ娘が出てくる群雄割拠、ネームド達の無法地帯なのだ。

ゲームだからまだ納得出来たけど、もしこの世界がそう(アプリ版)だったら明日には退学手続きをトレセン学園に叩きつける自信が私にはある。

 

いや情けない限りですけどね?

 

 

 

「さて、うだうだ悩んでないで散策がてら探してみますかぁ」

 

 

 

今日は入学式でHRも簡単に終わり未だ昼すぎである。記憶通りなら各自寮に戻って荷ほどきするようにと教師に言われているが、まぁ確認するだけなら直ぐ終わるだろう。

ベンチ代わりに座ってた女神像の台座から腰を上げ、取りあえず深々と頭を下げる。よくよく考えればかなり不敬だったはずである。

 

 

 

(三女神様が私に何をしたのか、何をさせたいのかは分かりませんが、新しい生を下さりありがとうございます。あと座ってしまいすみませんでした!)

 

 

たっぷり10秒ほど頭を下げて、私は取りあえず練習場に向かうことにした。そこに行けば誰かしら先輩方が練習してるだろうし、運が良ければトレーナーを見てどの世界線かが分かるだろう。

トレセン学園校内の地図はHRで貰ったパンフレットに載っているし、ここからでもほぼ一本道だから迷うことも無い…………と思う(ゴルシさえいなければ)

 

 

 

 

「それじゃ、散策いってみよ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第02話

 

さて、意気揚々と探し始めたはいいのだけれど。

 

 

 

「そりゃ、今日が入学式だったら先輩方も始業式ですよねぇ。」

 

 

 

探し始めて約2時間ちょい、練習場を巡ってみたは良いものの誰も居ないのだ。

それこそ芝の練習場(ターフ)砂の練習場(ダート)も、坂路もウッドチップコースも。

もしかしてと思いジムもプールも行ってみたがやっぱりウマっ娘一人(人っ子一人)いないのだ。

試しに20~30分ほど待ってみたけれど、待っても待っても誰も来ない。挙句に管理人らしき人に怪訝な顔されたためそそくさと退散してまた三女神像の広場まで戻ってきた所で今に至る。

 

 

 

「うわ~そうじゃん、HRで今日午後から練習場一斉点検って言ってたじゃん。なんで忘れてたんだろ恥ずかしぃ…………」

 

 

 

赤くなった頬に手を当て悶える。うん、多分生前この光景(恥ずかしがるナイスネイチャ)を見たら別の意味で鼻血出しながら悶えそう。

でも今は私がナイスネイチャ…………ガッデム!

 

 

 

 

「さて、どうしましょうかね……これから。」

 

 

 

正直このまま諦めて寮に向かってもいいのだけど、なんだかそれはそれで今後もやもやして生活しそうでなんか嫌。できれば今日の内にどの世界線かだけでも知ってスッキリしたい。

でも他に知りえそうな情報源なんて無い。スピカやリギル、カノープス等各チームの部室を見に行ってチームが存在するかだけでも確認してもいいかもしれないが、部室があるエリアは今いる場所とは真反対である。このクソ広いトレセン学園の真反対まで歩くのはめちゃくちゃ疲れる。後行ったら行ったでゴルシに拉致られそうでなんか嫌。

 

 

 

「でも他に確認する方法はなんか無いかなぁ」

 

 

 

こう、一目見てパッと分かる方法があればいいのだが。そういえば入学式に秋川理事長と緑の悪魔(駿川たづな)は居たけどシンデレラグレイって理事長達出たっけ?

生憎シンデレラグレイは近くの書店には売り切れで読んだことが無いのでそれだけでは判断が付かない……

 

 

 

「あ、そうじゃん…………ルドルフ診断があるじゃん」

 

 

 

ルドルフ診断とは、アプリ版、アニメ版、コミック版の各媒体によってトレセン学園生徒会長であるシンボリルドルフの雰囲気が全く違う事に対する生前の俺が作った診断である。

 

 

良くジョークを言い、『エアグルーヴのやる気が下がった』がネットでお馴染みのアプリ版

 

陰ながらテイオーを見守り、カノープスの思惑を一瞬で見抜いてはそれを即座に擁護するなど優しさとカッコよさを醸し出すアニメ版

 

『中央を無礼るなよ』とガチで怖い雰囲気を持ったコミック版

 

 

まぁ、アニメ版とコミック版は仕事がら全部見たことは無いから精度はお察しだけど、シンボリルドルフなら生徒会室にいるだろうし今日簡単に見分けるだけでいいならこれでいいと思う。

チームの部室があるエリアよりも遥かに近いし、まぁ生シンボリルドルフが見たいって理由もあるけども。

ちょろ~と行って、適当な理由でも作って少し挨拶して雰囲気で見分けて帰ろう。『中央を無礼るなよ』雰囲気のルドルフだったら怖い。これ以上遅くなったら寮に帰った時の荷解きが大変そうだしさっと行ってさっと帰るこれでヨシ!

 

 

 

敷地同様、これまたバ鹿デカい校舎は慣れるまでパンフレット必須だと思う。ちょっとだけ迷いながらも幸いにもパンフレット片手に校舎内をウロウロする様は『ザ・新入生』って雰囲気なのか、すれ違う教員や先輩方から特に注意の声をかけられる事もなく、割とすんなり目的地の生徒会室の前まで来れたのは良いのだけど。

 

 

 

「いやぁ…………やっぱ入り辛いわこれ。」

 

 

 

目の前の一見何処にでもあるクラシック調の素朴な扉。

ただの扉のはずなのに言いようのない威圧感と言うか、プレッシャーをひしひしと感じる訳でして。扉の上に掲げられれる達筆な文字で書かれた『生徒会室』の看板が余計に威圧感を助長させてることもあってぶっちゃけ凄く入り辛い。

かれこれ10分ほど扉の前に立っては、頑張ってノックしようとしていややっぱり無理ぃと扉から離れるを繰り返している。しかもこの通路は人通りが少ないのか誰も会わない。廊下に一人ぽつんと私だけがウロウロしているだけ。

これがまた心細くなって不安を煽るのだ。

前世25歳、今世12歳(4月16日生まれなのでまだ12歳)計37歳と中身中年のはずなのにこの体たらくである。精神が体に引っ張られるって設定作った人すごいと思う。絶賛私がその状態なのだから。

 

 

 

「大丈夫大丈夫…………ネイチャはやれば出来る子キラキラ出来る子。ちょっと挨拶するだけ直ぐ帰るから大丈夫だから。」

 

 

 

ぶつぶつと独り言を呟いて自分を鼓舞しては踏ん切りがつかずやっぱり止めて、中々次の一歩が踏み出せない。それでも『ネイチャなら出来る出来る諦めんなやれば出来るってどうしてそこで諦めるんだそこで!』と脳内で一人修造をし、覚悟を決めて扉の前に立つ。カラカラに乾いた喉、ノックしようと腕を上げれば、掲げた腕は僅かに震えている。

これで相手が威圧感全開のシンボリルドルフだったらどうしようか…………

 

 

……スゥー……ハァー……ヨシ!

 

 

深呼吸して扉をノックしようと手に力を入れたその瞬間。

 

 

 

「はぁ……一体いつまで待たせるんだ。用事があるならさっさと入ってこい。」

 

 

 

「ピェ‼」

 

 

 

ノックしようとした扉が開いて溜息ともにそう声をかけられた。急な事にビックリして半角テイオー(変な声)が出たのは仕方ないと思う。

恐る恐る視線を上げれば、綺麗な鹿毛を後頭部で結っているウマ娘が。ん?結ってる?

 

 

 

「え…………誰?」

 

 

「はぁ、その反応からして今日入学してきた生徒か?何の用?」

 

 

目の前のウマ娘は生徒会長シンボリルドルフでも副会長の女帝エアグルーヴでもシャドーロールの怪物ナリタブライアンでもないのだ。正しく星の流星の様な細く長い流星が前髪に垂れ、見た目はウマ娘のアイネスフウジンに近いのだが長身切れ目も相まって可愛いというより美人や麗人といった容姿。美人ではあるのだが正直かなり怖い雰囲気を纏ってる。もしかしてここって生徒会室の看板があるだけで違う部屋だったのだろうか?

まぁ取りあえず入れと彼女に生徒会室(仮称)へと促され、おずおずと入ってみればそこはアニメで見た生徒会室とほぼ同じ。所々私物が違う位で此処が本当に生徒会室だという実感と共にさらに頭がこんがらがって来る。

 

 

「取りあえずそこのソファーにでも座れ。茶ぐらいなら出してやる。」

 

 

「ハヒッ⁉……すみません」

 

 

「お前が私を知らないのは何となく想像がつく。今回は事務仕事が多くて入学式はショウやグラスに任せて私は出ていないからな。」

 

 

手際よく紅茶を淹れて私の分をテーブルへと渡しながら彼女は私にそう言った。対面のソファに彼女は座り、ゆっくりと紅茶を口へと運んでいく。

私は何を言えば良いのか分からず、紅茶を貰った際に小さく有り難うございますと返すのが精一杯だった。

 

チクタク……チクタクと時計の音だけが部屋を支配し、1秒が1分にも2分にも長く感じられ言いようのない緊張感が、テーブルに置かれたティーカップの中、琥珀色の紅茶の液面のごとくゆらゆらと体に纏わりついているように感じられた。

 

 

「さて、お互い名前を知らなければ用件も話辛いだろう。軽く自己紹介でもしよう。お前の名前は?」

 

 

先に口を開いたのは彼女だった。

 

 

「えっと……ナイスネイチャです。今日トレセン学園に入学してきました。」

 

 

「ナイスネイチャ…………Nice Nature(素晴らしい素質)か、良い名だ。」

 

 

彼女はそっとティーカップをテーブルに置きながら優しく笑った。その笑顔を見て、ここで漸く私の緊張もほぐれ始めた。

 

 

「飲まないのか?もしかしてコーヒーの方が良かったか?」

 

 

「あ、いただきます。」

 

 

零さない様にゆっくりと彼女が淹れた紅茶を飲む、今までの緊張でカラカラだった喉を潤していく優しい味だ。思わずほっと息を息を吐いた私を見てまた彼女は微笑んだ。

 

 

「うまいか?」

 

 

「とてもおいしいです。」

 

 

「私の父方の親族にアメリカとアイルランドで仕事をしている人がいてな、良い茶葉やコーヒーを頼んでもないのに送ってきてくれるんだ。」

 

 

そう言って再度紅茶を飲む彼女を見ているとなんというか、こう……第一印象が最初の怖い雰囲気だったので笑いかける今の彼女からは威圧感よりも安心感を凄く感じる。

 

 

「まったく…………ナイスネイチャ、お前が中々入ってこないから少しイラついて当たってしまった。それについてはすまなかったと思っている。」

 

 

「えっと、先輩は気づいてたのですか?」

 

 

「当たり前だ、ウマ娘の聴力ならすぐわかる。書類と格闘してる時にあぁもパタパタと足音を出されてはイライラしても仕方あるまい?」

 

 

確かに、ウマ娘は聴力が良いのはその通りであり失念だった。先ほどの私はそれすらも頭から抜けるほど緊張していた様だ。

 

 

「す、すみませんでした。」

 

 

「いや、丁度集中力も切れてきた所だったから丁度いい息抜きになる。気にすることは無いさ。」

 

 

次来るときはさっと来てくれればいいさ。と、苦笑しながら二杯目を注ぐ為ソファーから立ち上がった彼女に私は最初から頭を占めている疑問を投げかけた。

 

 

「その、失礼ですみませんが先輩のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 

「あぁ、言ってなかったな、すまない。」

 

 

私の空になったティーカップに新しく紅茶を注ぎながら、彼女はシマッタとばかりに顔をしかめた。

 

 

「では私の自己紹介をしよう。私の名前は『テンポイント』だ。一応、今代トレセン学園生徒会長を務めている。これからよろしくナイスネイチャ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

what?

 

 

 

 

 

 



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第03話

一応注意して読み返して確認してますが、不備がありましたらご指摘下さい。


 

 

 

『流星の貴公子 テンポイント』

 

 

アプリしかやってない、競馬を知らない私でもその名は知っている。

18戦11勝、重賞8勝うちG1を3勝の名馬。クラシックこそG1を勝利してはいないが、同期でありライバルの

 

 

 

『天馬 トウショウボーイ』

 

 

『緑の刺客 グリーングラス』

 

 

 

この二頭と共にクラシック、古馬戦線で激戦を繰り広げ、彼ら三頭の頭文字を取って『TTG』、もしくは『TTG世代』と呼ばれるほどの強い競走馬。

特に、1977年の有馬記念はライバルのトウショウボーイと激戦を繰り広げた末に勝利し、競馬史に残る名勝負の一つとされるほどだ。

 

そして何よりも、彼の最後は涙なしには語ることは出来ない。

 

1978年日本経済新春杯にて、テンポイントは左後肢を骨折し競走を中止した。この怪我は折れた骨が皮膚から飛び出す開放性骨折で血が噴き出すほどの重症だった。

本来、これほどの重症を負った場合はせめて馬が苦しまない様にと安楽死を行うのだが、数千件に及ぶ多くの競馬ファンからの助命を願う電話や、馬主、調教師の『種牡馬になってほしい』という願いにより異例の大手術が行われた。

脚を切開し、折れた骨を特殊合金製のボルトで固定し、その上からアルミ製のギプスで固定するという手術がおこなわれ、手術は一応の成功。一時は体温も心拍数も落ち着いていたのだが、テンポイントが脚に体重をのせた際にボルトが耐えきれず変形、骨がずれたままギプスで固定されてしまった。

患部が腐敗し、そこから様々な病気を併発してしまい事故から43日後、獣医師や調教師が懸命に最善を尽くすも虹の向こう側へと渡って行った。

 

当時のニュース番組が昼のトップニュースで報道する等、彼がどれだけ日本中から愛された馬であるかわ分かる。

 

 

流星の如く煌めき、多くのファンに愛された名馬、それが『流星の貴公子 テンポイント』なのだ。

 

 

 

 

 

そして、私の目の前で微笑む彼女もまた

 

 

 

 

悲運の名馬(テンポイント)にして流星の貴公子(テンポイント)。その魂、ウマソウルを受け継いだウマ娘(テンポイント)なのだ。

 

 

「………………」

 

 

言葉が出ない、とはこの事を言うのだろう。思考停止した頭の片隅でそんな言葉が思い浮かんだ。

 

確かに、彼女(テンポイント)はウマ娘に実装されているネームドキャラで最古参のマルゼンスキーよりも古い(それでも1年ほど早いのだが)

アプリでも実装されてない為彼女(テンポイント)がいるのかさえ分からなかったが、実際に名馬が元のウマ娘に会うと感動よりも脳がフリーズしてしまう。

 

 

「まぁ、レース中に怪我をしてから半ば引退していたからな、君が私を知らなくても仕方があるまい。

今はこうやって後輩たちの為に生徒会長と言う似合わん役職を頂いている。」

 

 

しかも日本経済新春杯、今は日経新春杯だったかな?その後なんですね。良かった生きていてくれて。

 

 

「も、もしかしてさっき言ってたショウさんやグラスさんって…………」

 

 

「お、知っていてくれたか!副会長にはトウショウボーイとグリーングラスが立候補してくれてな?

現役時代のライバルが手伝ってくれるのは気恥ずかしいものもあるが嬉しいものだ。」

 

 

やっぱりTTGのトウショウボーイさんとグリーングラスさんですかそうですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えっと?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンボリルドルフは?カイチョーは?

テンポイントさんのおかげでアプリ版じゃないのは分かったけど脳が追い付かない。え?もしかしてアニメ版やコミック版の更に前なの?

と、取りあえず

 

 

「あ、有マ記念は凄かったです。」

 

 

「嬉しい事言ってくれるね。あの時はクラシックではやられっぱなしだったがシニアで借りを返せて満足だったよ。ついショウと一緒にグラスを煽って煽り返してお互い笑い合ったものだ。」

 

 

そう言って笑うテンポイントさん。多分史実のタッケ騎手の父でテンポイントさんと同じ有馬記念で戦ったトウショウボーイの騎手だったタッケ父騎手のインタビュー

 

 

『3着?グリーングラス?来てたの。知らなかったよ』

 

 

が由来でトウショウボーイさんと一緒に言ったんだろうけど、こうして本人?本バ?から聞くと良いライバル関係で良い友人関係だったんだなぁとしみじみと感じてしまう。

ウマ娘からちょいちょい史実馬を調べてたニワカでこれだから、多分ガチ競馬勢だったらどうなるか分かんない。

 

 

「さて自己紹介も終わったところで、改めて用件を聞こうか。

君も大分緊張もほぐれただろう?」

 

 

「い、いえ。そんな大した要件とかじゃ無くて…………

今日入学したばかりで、まだトレセン学園の何処に何があるのか全く分からないので覚える為に敷地を散策してた時に生徒会室を見つけたので、その……今後お世話になるしご挨拶でもしたいなぁ、でもお仕事の邪魔になるかもだし……って部屋の前で悩んでた次第でして……」

 

 

嘘は言ってない。散策してたのは本当だし、生徒会に来たのは故意だが挨拶したいと思っていたのも噓ではなく本当の事。

ただ、流石にバ鹿正直に話せば私は直ぐにでも病院の隔離病棟(精神科)かカウンセラーに連れていかれるかもしれないのでそこは言わないだけ。

私の言葉を聞いたテンポイントさんは一瞬きょとんとした顔をして、そして直ぐに笑い出した。

 

 

「ハハハ!そうかそうか、いや大丈夫だ問題無いよ。

実は生徒会というだけで中々雑談しに来てくる生徒等来なくてね。ほら、ここの廊下も人通りが少ないだろう?私達は全然来てもらって構わないのだが生徒達からは怖がられている、というか恐れられているみたいでね。存外寂しい気分させられるから嬉しいよ。」

 

 

いやそりゃそうでしょ!

と言えたらいいのだが、そんな度胸は私は持っていない。多分他の先輩方も恐れ多くて近づけないんだと思う。

 

 

「久しぶりの仕事以外の来客だ、事務処理で滅入った私の気分転換に雑談に付き合ってくれないかな?」

 

 

緊張のほぐれた私はテンポイントさんのその問に是非!と答えた。

アプリではいなかった名バのお話が聴けるとあって私も興味深々だったからだ。そこからテンポイントさんと色々な話をした。

 

 

 

 

彼女のデビュー戦、函館芝1000メートルでのコースレコードの話

 

 

 

 

開催日時が変わってしまい調整不足で戦った皐月賞

 

 

 

 

体調不良と落鉄を起こした東京優駿(日本ダービー)

 

 

 

 

外に膨らむ悪癖が出てしまい2馬身半で負けてしまった菊花賞

 

 

 

 

そして3人で鎬を削った激闘のシニア戦線時代

 

 

 

 

どれもこれも、私にはとても貴重でいて聴いていて面白かった。勿論、テンポイントさんが語り上手だった事もあるが、会話に華を咲かせ気づけば空が朱く染まっていたほど楽しかった。

なにせ、挨拶して早々退散すると決めていたはずが寮の荷解きの事などすっかり忘れて聴き入ってしまったのだから。

 

 

「長話に突き合わせてしまってすまなかったね。」

 

 

既に夕暮れだと気づいたとき、テンポイントさんはそう言って私に謝ってきた。彼女としてもここまで話すとは思っていなかったらしい。

 

 

「いえ、とても貴重なお話を聞けて楽しかったです。また聞きたい位です!」

 

 

「なら何時でも来たまえ。生徒会の扉は何時でも開いているからな。忙しくなければ私の話し相手になってくれ。」

 

 

よっこいしょと立ち上がり、足元の鞄を手に取って別れの挨拶をしようとテンポイントさんに視線を合わせようとした時、彼女は左側へと顔を曲げ視線を合わせようとしない。

釣られるようにして視線をテンポイントさんと同じ方向へと合わせれば、今の今まで気づかなかった大きな額縁とそこに飾られた一文の英語。

 

 

そうだよね、生徒会だもん。あるに決まってるじゃないか。

 

 

 

 

 

〖Eclipse first, the rest nowhere.〗

 

 

 

「…………唯一抜きんでて並ぶものなし」

 

 

「おや、知っていたのかい?」

 

 

「い、いえ、深い意味までは」

 

 

無意識に呟いてしまった私に、テンポイントさんはそう問いかけた。

金色の額縁が夕日を浴びてキラキラと輝き、朱く染まったその言葉はまるで燃える熱意の象徴の様にも感じられた。

元ネタの競走馬、エクリプス(Eclipse)は18世紀後半(1764年 – 1789年)に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬で、18戦18勝の戦績に加え、サラブレッドの基礎を作ったと言われた馬と言われている。それは全てのサラブレッド、つまり競走馬の父の父の父…………

そうやって辿っていくとその殆どがエクリプスにたどり着くとすら言われているから。

 

 

直訳すれば、エクリプス以外入着無しという意味なのだけど、『唯一抜きん出て並ぶものなし』と訳した人は凄くセンスがあると思う。

 

 

「ナイスネイチャ、君はトゥインクルシリーズに何を見る?何を目指す?君の夢はなんだ?」

 

 

「夢、ですか?」

 

 

「そうだ。中央トレセン学園(ここ)に入学できただけでも君はエリートだ。誇っていい。

しかし、ここに入学出来た事がゴールではない。ここから君はスタートするのだからな。」

 

 

そう告げるテンポイントさんの言葉に私は悩む。原作のアプリやアニメのナイスネイチャは最初はキラキラしたいという漠然とした想いだった。そこからトレーナーと歩み、ライバル達と競いながら最終的にライバルであるトウカイテイオーに勝ちたいという目標()を持った。

しかし、今の私はどうだろうか?

走りたいという思いはあるものの、これはウマ娘自身が持つ本能でありトゥインクルシリーズを走りたいという思いは夢というには浅すぎるし他のウマ娘達ほどそこまでの熱意があるとは言えなかった。

それでも、私はナイスネイチャとしてナイスネイチャに魅せられたモノとしてトゥインクルシリーズを走らなければならない。

 

 

「まぁ、それを見つける為にトゥインクルシリーズを走るのも一興だろう。変な事を聞いてすまなかったな。」

 

 

テンポイントさんの言葉が聞こえなくなるほど、私は深く悩んでいる。何を目指すのか。確かに前世アプリトレーナーとしても一人のファンとしてもナイスネイチャをキラキラさせてあげたい気持ちがあるし、何かこう…………正解に近い何かだと本能が語り掛けているのだがそれが分からない。

トウカイテイオーを破り無敗の三冠を目指すか?そう思っても何かが違うと感じる。

アプリではあまり行かなかった華の三冠(トリプルティアラ)?これも何か違う。

天皇賞連覇?秋古馬三冠?春古馬三冠?どれも違うとそう感じる。

 

 

この時ばかりは憑依してちょっと後悔してしまった。

ただのアプリで育成するときはただただ愛バをキラキラさせて、それを見て一緒に嬉しくなった。

 

ナイスネイチャでトウカイテイオーを破り若駒Sに勝った時、菊花賞で有マで天皇賞の春も秋も…………ナイスネイチャはキラキラしていて本当に主人公だった。

 

トウカイテイオーで育成した時、初めて史実で成し遂げられなかった無敗のクラシック三冠を取らせてあげれた時は涙が出た。

 

他にもスペシャルウィークも、セイウンスカイも、エルコンドルパサーも、キングヘイローも、グラスワンダーも、ダイワスカーレットも、ウオッカも、ミホノブルボンも、ライスシャワーも、オグリキャップも、タマモクロスも、スーパークリークもetc……

 

 

持っていないキャラも多かったけど、彼女達のトゥインクルシリーズを全力で頑張ってキラキラさせてあげている時は時間を忘れて楽しかった。

 

 

 

(あ…………)

 

 

 

ここで何かがストンと胸に収まる感覚がした。

()はナイスネイチャとして、ナイスネイチャになったモノとして義務感でトゥインクルシリーズを走ろうとしていなかったか?義務感で走ってはだめだろう!

違う、違うのだ。()彼女(ウマ娘)に見た原点は彼女(ウマ娘)をキラキラさせてあげたいという想いだったはずだ。例えナイスネイチャとして走ろうともそれは変えられないし、諦めたくない。

だったらどうする?後に続くウマ娘達を魅せる様なレースを目指すか?シンボリルドルフの日本ダービーを見たトウカイテイオーの様に?トウカイテイオーやメジロマックイーンを見たキタサンブラックやサトノダイヤモンドの様に?

 

違う、私はもっと近くでウマ娘達をキラキラさせてあげたい。夜空に光る一等星の如く煌めく彼女達のキラキラを支え時には背中を押す。最も近くで眺めていたい。

ならば目標()は決まった。キラキラのスケールがナイスネイチャ(私個人)から多くのウマ娘達に広がっただけで、後はそれに続く(ターフ)を流星の如く走ればいいだけ。

 

 

「テンポイントさん、私夢が決まりました。」

 

 

どうやら少し考え込んでいてしまったらしく、そうテンポイントさんに話かける時、彼女は何も反応の無い私を心配そうに眺めていた。

 

 

「そんな直ぐに決められる物でもあるまいに…………

まぁいい、ナイスネイチャ。君はトゥインクルシリーズで何を目指す?」

 

 

そう問いかける彼女に、私は不敵な笑みで答える。だって、これはある意味では私の世代のトゥインクルシリーズを踏み台にする夢なのだから。

 

 

「私の目標()はウマ娘達のトレーナーになる事です。担当となったウマ娘達をキラキラさせてあげたい。夢に向かって走るウマ娘達の背中を支えて、その輝きを一番近くで見ていたい。

 

その為ならば無敗のクラシック三冠だろうが華の三冠(トリプルティアラ)だろうが、天皇賞連覇であろうがやって見せますよ。トゥインクルシリーズを私の目標()の為の踏み台として、私はその先を目指します。」

 

 

そう告げた時テンポイントさんはあっけに取られた様なポカンとした表情をして固まった。まぁ、彼女としては日本ダービー優勝とか、有マ記念とかそういうのを想像していたのだろう。

固まっていたテンポイントさんは、急に大笑いし始めた。1分か2分か、はたまた10分だったかもしれないが、ひとしきり笑い続けて落ち着いたころ彼女は私に口を開いた。

 

 

「過去、日本ダービーに勝ちたいとかトリプルティアラが欲しいとか有マ記念に勝ちたいとかいろんな夢を聞いて来たがまさかトゥインクルシリーズを踏み台発言する奴がいるとは思わなかった!

ナイスネイチャ、君は面白い。トレーナーになる?いい夢だとも。私は応援しよう。しかし……」

 

 

 

 

 

『中央を舐めるなよ?』

 

 

 

 

 

その瞬間、圧倒的威圧感が私に重圧を仕掛けてくる。勿論、その元凶は目の前の偉大なる名馬(テンポイント)以外いない。

 

 

「毎年毎年、此処中央トレセン学園の門を叩く者は数千を超える。しかしその大半はデビュー出来なかったり未勝利戦で引退し退学していくんだ。

ナイスネイチャ、確かに君はトレーナーじゃない私から見ても十分に素質がある。もしかしたら重賞を取れると思うほどに。」

 

 

冷や汗が体中から溢れ出し、無意識に体が震えそうになる。恐ろしい、今すぐ帰りたい、そう思わせるような威圧感が体を縛る。

 

 

中央トレセン学園(ここ)にはお前並みの才能は多くいる。その多くが貴様と同じ様に目標を見つけ、夢の為に毎日必死にトレーニングを行っているんだ。

それを踏み台にする?必要ならどんな賞でも取って見せる?トゥインクルシリーズはそんな気持ちで勝てるレースでは断じてない。

 

それでも、どうしてもトレーナーになりたいのなら地方のトレセンに転入するがいい。話に華を咲かせた仲だ、私が紹介状でもなんでも書いてやろう。」

 

 

威圧感は止まない。寧ろ時間が経つたびに重圧が重く圧し掛かってくる。それでも、私は夢を諦める訳にはいかない。このキラキラは誰にも奪わせない!

 

 

 

『人の夢は終わらねぇ』

 

 

私は咄嗟に、そう口に出した。生前読んでた漫画で敵の海賊が吐いた作中屈指の名言。それを、アプリやアニメで聞いたあのナイスネイチャとは思えない位低く、威圧感を含んだ声でテンポイントへと向けて。

 

 

「誰にでも夢を見る権利はある。周りから悪役(ヒール)と呼ばれていた少女が英雄(ヒーロー)になる夢を叶えた様に。怪我をし、昔の様に走れなくなっても尚、勝利を渇望し焦がれ願い叶えた少女の様に。

テンポイントさん、私は私の夢を諦めない。邪魔させない。例え邪魔をするのであれば、例え貴方であろうと私は貴方を倒して先に進みます。私のキラキラを叶えるために、未来の綺羅星達を光輝く1等星にしたいから。諦めなければ必ず道はそこにあるのだから。」

 

 

だから

 

 

 

 

 

(ナイスネイチャ)を舐めるなよ?』

 

 

 

 

私は出場すれば常に馬主に賞金を持ち帰って来たNice Nature(素晴らしい素質)だぞ?テンポイント、お前の何倍もの多くのレースに出場し、G1を勝てずともお前の倍の賞金を奪った偉業ではなく異業の名馬(ナイスネイチャ)なら

 

それくらいやってみせるとも。

 

そう言う意味を込め、私は彼女を睨み返す。もう重圧は感じない。冷や汗も流れていない。ただ、2人ともお互いを睨む。朱く焼けた空はその朱を藍色へと染まり始め、空に1つ、一等星が輝き始めた。

 

 

 

「わかった。ナイスネイチャ、君の覚悟は受け取ったとも。

ナイスネイチャ、あと私は最初に言ったぞ?私は応援すると。私は君に、自身()の為にライバル()を打ち負かす覚悟が見たかった。」

 

 

 

そう言ってテンポイントさんは微笑んだ。先ほどまでの威圧感を放っていたとは思えないほど優しい笑みだ。やや薄暗くなった生徒会室の中で、彼女の笑みはキラキラ光って見えた。

 

 

 

「今日はもう遅い、まだ寮にも行っていないのだろう?早く戻った方がいい。」

 

 

私は仕事に戻る、また雑談でもしよう。笑ったテンポイントさんに言われ私はまだ寮にすら帰ってないことに気づいた。門限が何時かは知らないが、初日から遅刻しては今後の寮生活でギクシャクしてしまうかもしれない。

私はテンポイントさんに『また明日』と頭を下げ、生徒会室を出ると急いで寮へと走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また明日か、図太いやつだ」

 

 

 

 

窓際から、外を寮まで走っていく後輩(ナイスネイチャ)を見つめて、生徒会室に残ったテンポイントはポツリとつぶやいた。

普通、あそこまで威圧感を向けられた相手に言う言葉ではないはずで、実際今までテンポイントにはその雰囲気から親しい後輩と呼べる存在が居なかった。

 

 

 

「存外、自分を慕ってくれる後輩とは良い物だ」

 

 

 

テンポイントの独り言、その言葉に答えるように、夕闇に染まった空には多くの綺羅星が輝いていた。

 

 

 

 

「さて、後輩に誇れるように、さっさと残りの仕事を片付けようか。」

 

 

 



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第04話

 

トレセン学園の敷地には、東西の両端に生徒達の生活するための寮が存在している。トレセン学園の東端、つまり東側に位置しているのが美浦寮。そして西端、西側にあるのが栗東寮だ。

これは恐らくそれぞれの元ネタである美浦トレーニングセンターと栗東トレーニングセンターが東西に分かれていたのが由来だと思う。確か、美浦トレーニングセンターは茨城県、栗東トレーニングセンターは滋賀県だったと思う。それが上手く反映されて東西に分かれているのだろうが、正直利便性を考えると凄く生活し辛いと思うのは私だけだろうか。

いやまぁ、アニメでもアプリでも各寮の立地について詳細には判明していなかったはずなので果たしてこれがサイゲが考えていた設定通りなのか、最早確認することは私には出来ないのだけどさ。

 

そして、現在進行形で私が急いで向かっているのは東側の美浦寮である。

 

記憶が戻らなかった頃はこの入学案内に書かれた入寮案内に特に違和感も無く受け入れていたけど、前世の記憶を思い出してからそのことを考えると疑問符が浮かぶ。

何故なら原作のナイスネイチャは栗東寮で生活しているのだから。そして原作の原作、競走馬時代のナイスネイチャも栗東トレーニングセンターに入厩しているのだ。美浦寮にも美浦トレーニングセンターのどちらにも縁もゆかりもない。

原作知識から外れた事にかなりの不安感が漂うが、テンポイントさんにあそこまで啖呵を切ってしまった手前弱音を吐くことは許されない。というか私自身が許したくない。この世界がアプリ版ではないことはテンポイントさんと会って確信できたし、少なくともアニメ版もしくはそれに近いオリジナルの世界だったとしても今の私にはもう関係ない。夢に向かって突っ走るだけだ。

 

漸く美浦寮の玄関が見えてきた時、空は既に真っ暗だった。

 

 

「これは怒られるかなぁ」

 

 

たははぁ…………と内心苦笑を漏らしながら玄関をくぐれば、一人のウマ娘がたたずんでいた。

 

 

「遅かったね、待ってたよナイスネイチャさん。」

 

 

「あ、すみません!事情があって遅れてしまいました!」

 

 

「まだ門限まで時間はあるけど、ホントは初日から遅れるのは感心しないんだよ?

まぁ、今回はテンポイント会長から事情は聞いてるから大丈夫。心配しないで?」

 

 

制服の上から浅葱色のエプロンを着た鹿毛のフジキセキ、と言えば分かりやすいかもしれない見た目の彼女はそう言って微笑みながら私の頭を優しく撫でた。うんちょっとキザっぽい所とか可愛い系よりも宝塚系のかっこいい見た目と合わさって撫でる仕草がよく似合っている。あとエプロンのギャップが実にアクセントで、それがあるだけで彼女の雰囲気に何処か家庭的な温かさが含まれている。

 

 

「そうだ、自己紹介がまだだったね。私の名前はモンテプリンス。美浦寮の寮長をやっているから何か困ったことがあったら何時でも私に相談においで。」

 

 

「コヒュッ!?」

 

 

テンポイントさんが居たから多分美浦寮の寮長も原作通りのヒシアマゾンではないだろうなと内心思ってはいたが、まさかモンテプリンスが寮長をやっているとは…………

 

 

『太陽の王子 モンテプリンス』

 

 

TTGが引退した後、ミスターシービーやシンボリルドルフが現れるまでの空白期間にて活躍し中央を支えた名馬の1頭で、24戦7勝重賞5勝うちG1を2勝している。

ミスターシービーやシンボリルドルフ等のスターホースと比べ知名度はどうしても下がってしまうが、春の天皇賞や宝塚記念を勝ち取った名馬に変わりはない。因みに、異名の由来は蹄の形などの問題で道悪馬場を大の苦手としたことから「太陽の王子」と呼ばれる様になったそうだ。G1を取るまでは『無冠の帝王』とも呼ばれていたらしい。そこだけ聞くと少年漫画あたりのライバル枠で出てきそうな異名である。

 

…………流石中央トレセン学園、何処に行っても名バしか居ないのはヤバイ。競馬を知らなくてもちょっと調べたら名前が直ぐ出てくる様な名バ達が沢山出てくるのは心臓に悪い。一瞬呼吸が止まってしまった。

 

 

「よ、よろしくお願いします、モンテプリンスさん。」

 

 

「ん~ちょっと硬いけどまぁ、今日は良しとしようかな。

それじゃ、ナイスネイチャさんの部屋まで案内しようか。一応同室の娘には遅れる事は話してあるけど心配しているはずだからね。」

 

 

こっちだよと私を呼びながら階段へと向かうモンテプリンスさん。慌てて彼女の後ろを追いかけながら考えるのは同室になった娘の事。一体どんなウマ娘が同室になるのか楽しみだ。

もし、名馬のウマ娘が同室だとしたら出来ればもう少しネームバリューを抑えてくれると嬉しいのが本音ではあるけれども。

 

 

「そういえば、テンポイントさんがナイスネイチャさんの事とても褒めてたよ?また一緒に紅茶が飲みたいとも言ってたし、良かったね気に入られて。あの人が他人を褒めるなんて滅多に無いんだよ?知ってた?」

 

 

「い……いえ、それは知らなかったです。」

 

 

「あ、そうなんだ。テンポイントさん話の内容を聞いても『ただ夢を語っただけさ』っていうだけで教えてくれないんだよあの人。まぁ、私も無理に人の夢を聞こうとは思わないし良いんだけどね。」

 

 

笑いながら語るモンテプリンスさんに相槌を打ちながらも、私はテンポイントさんにそう思って貰えたことが嬉しかった。

また明日にでも生徒会に顔を出しに行こう。ついでに売店で茶菓子でも買って来たら喜んで貰えるだろうか。

 

 

「そういえばモンテプリンスさん、同室の娘ってどんな人なんですか?同級生なんでしょうか?」

 

 

「いや、ナイスネイチャさんの1個上の中等部2年だよ。事情があって彼女の同室の娘が新学期前に自主退学しちゃってね。基本的に同室にする場合は同学年で合わせてるんだけど今回は人数の兼ね合いでナイスネイチャさんには申し訳ないけど先輩と同室にさせて貰ったんだ。」

 

 

ついでにと思い私はモンテプリンスさんに同室のウマ娘について聞いてみた。

どうやら同室の娘は中等部2年の先輩ウマ娘らしい。それにしても同居人が自主退学しちゃったのか…………もしや今から同室になる娘って気性の荒い先輩なのだろうか?

ステイゴールド一族の様な気性の荒い先輩だったら一緒にやっていけるか不安である。いやマジで…………ドリジャとかオルフェとか怖くない?あと話に付いていけないという意味ではゴルシ。

まぁ、初日なのにテンポイントさんにモンテプリンスさん、栗東寮ではなく美浦寮というもう原作に無い驚き要素ばかりで耐性が付いてきた私はちょっとやそっとじゃ驚かない自信がある。精神年齢も遥かに私の方が年上だしね。ネームバリューを抑えてくれると嬉しいとも思っていたけど落ち着いて心に余裕が出来たので撤回しよう、ドンと来い。

 

 

「さて、此処がナイスネイチャさんの部屋だ。通路は覚えたかい?作りは単純だけど寮自体が大きいから迷子にならない様にね?」

 

 

モンテプリンスさんに案内されてついたのは美浦寮の4階、その角部屋だった。造りはごく普通の寮なんだけどモンテプリンスさんの言うデカいから迷うのも納得した。寮だけで公立高校の校舎並みにデカいのだからそりゃ慣れてないと迷うわ。

やっぱ中央トレセン学園は設備凄いお金かけてる。

 

 

「モンテプリンスだ、同居人を連れて来たよ。」

 

 

「今開けますね。」

 

 

軽くノックしてからモンテプリンスさんは部屋の中にいる同居人に対して一声かけた。それに対して部屋の中から返事が聞こえたのだが、物凄く聞き馴染みのある声だ。それも、物凄くナイスネイチャの育成でお世話になった。

がちゃりと鍵を開ける音と共にドアが開く。見えたのは綺麗な鹿毛に前髪が黒鹿毛、特徴的な白い流星。知っている外見より幼さは残るものの物凄く見覚えのある外見。

 

 

「紹介するね、彼女が新入生で君の新しい同居人となるナイスネイチャさん。

 

ナイスネイチャさん。彼女が君の先輩で同居人のシンボリルドルフだ。どうか仲良くして欲しい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スゥ…………ハァ…………おk

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同居人はシンボリルドルフ(ライオン)かよ!なんでだよ!?

 

 

 

 

 

 

 



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第05話



皆さんの一番好きな競馬場は何処ですか?


私は絶対に『荒尾けいば』です。
地方競馬でもう無くなってしまいましたが、有明海に面したあの美しい競馬場は潮風を感じ、有明海を背に走る競走馬を見ることが出来る私の中で世界で一番美しいと感じた競馬場でした。
無くなった時私はまだ小学生で家族も親族も競馬をしていなかった為一度も入ることはありませんでしたが、ウマ娘を知ってから改めて地元市民として懐かしさと無くなってしまった悔しさが募ります。
もし知らない方が居ましたらネットで写真を探して見てください。きっと気に入ると思います。

あぁ、荒尾ダービー見たかった…………

11年越しだけど、優勝おめでとうリリー。


 

『皇帝 シンボリルドルフ』

 

 

誰もが知る無敗の三冠馬にして史上初の七冠を達成した名馬中の名馬。

 

「レースに絶対はないが、“その馬”には絶対がある。」

 

このJRAのCMのセリフが、そんな彼女の全てを表しているだろう。

全てのウマ娘の幸福を願い、その為ならばどんな苦難にも立ち向かう覚悟を持つ人徳者であり、生徒会長としてウマ娘のレース競技全般を盛り上げることに力を入れている。

 

それが私の知っているシンボリルドルフであり。今現在、目の前で耳を絞り脚で床を搔いているどう見てもまだ本格化前で幼さの残るシンボリルドルフは別人である…………と思えたら良かったんだけど。

 

 

(うわぁ…………いかにも私不機嫌ですって感じですよこれは。)

 

 

モンテプリンスさんが帰った後、取りあえず立ち話もあれだからと部屋へと入れてもらったはいいものの、不機嫌オーラMAXのシンボリルドルフ相手にどう話しかけていいか分からず無言の状態が現状だった。

部屋へ入った後に一応私のベッドと届いた荷物の場所は教えてくれたのでその整理をして気を紛らわせているが物凄く気まずい。

なにせ荷解きしている私の後ろでずっと腕組みしながら立っているのだ。しかも最初に言った通り耳を絞って脚で床を蹴るという不機嫌だと目に見える形で。

 

 

(どう話しかけたら良い物か…………今後の事を考えると流石に不仲になるのはまずいしなぁ。)

 

 

今は生徒会長はテンポイントさんがやっているが、多分確実に次の生徒会長はシンボリルドルフである。ここで印象最悪のまま不仲だと確実に色々と問題が出てくると思うし、出来ればそれは避けたいしアプリでお世話になった身としても是非仲良くなりたいとも思う。

 

 

「君は…………」

 

 

現実逃避の荷解き中、後ろから私を呼ぶ声が聞こえて意識が現実へと戻る。恐る恐る振り返ればシンボリルドルフは先ほどと同じ立ち姿のまま。違うのは先ほどまで絞られていた耳と床を蹴っていた脚が元に戻り不機嫌モードが解除された事だろうか。

 

 

「あ~ナイスネイチャだったか?その…………何故遅れたのか、教えてくれないかい?」

 

 

やや口ごもりながらも改めてそう話しかけてきたシンボリルドルフに、そう言えばお互いモンテプリンスさんに教えられただけでちゃんと自己紹介していなかったなぁと思いだした。

私は前世からシンボリルドルフの事を知っていても、彼女からしてみれば寮長から名前を聞いただけで私の事など何も知らない。初対面の私にどうアプローチしてよいのか分からなかったのだろか?

取りあえず、既に荷解きは切りのいい所まで終わったし、改めてシンボリルドルフと自己紹介して念の為遅れた理由を話そう。そうすればシンボリルドルフの機嫌も多少良くなるはずだ。というか寧ろ良くなって貰わないと困る。主に同室の私が!

 

 

「改めまして、今日から入学してきましたナイスネイチャです。これからよろしくお願いします先輩。」

 

 

シンボリルドルフへと向き直った私は遅れた謝罪の意味も込めて、私は自己紹介した後深々と頭を下げた。

 

 

「シンボリルドルフだ。その…………頭を上げてくれ、話し辛い。」

 

 

まるで記者会見で有名人が謝罪するが如く深々と直角90°で頭を下げ続ける私に、シンボリルドルフはやや困惑したような声音で答えた。

てっきり不機嫌感満載で答えられると思っていた手前、予想外の反応に私も困惑する。あれ?ルドルフってこんな感じだったっけ?

頭を上げた私は改めてシンボリルドルフを見る。腕を組んでいるのはそのままだが雰囲気は先ほどよりも柔らかくなった感じがする。

 

 

「えっと、良ければ遅れた理由を話して貰えないだろうか?」

 

 

そう切り出したシンボリルドルフに私は昼から起きた出来事を話す事にした。

 

 

「えっと、少し生徒会に行ってました。」

 

 

「何?生徒会に?」

 

 

「はい、生徒会に。」

 

 

私が答えた瞬間、シンボリルドルフの耳がピョンと跳ねた。

 

 

「もしかして入学そうそう何か問題でも起こしたのか?

いかんぞ、中央トレセン学園に入学したからには品行方正、文武両道で行かなければ。

特に生徒会長のテンポイント会長は問題児には特に厳しく当たることで有名なのだが、テンポイント会長に目を付けられれば同室の私としても彼女には申し訳が立たないからな。」

 

 

「その、テンポイントさんとお話を。」

 

 

「もしかしてもうテンポイントさんに迷惑をかけてしまったのか?それはいけないぞ、同室のよしみで明日私も付き添ってやるから二人で謝りに行こう。誠心誠意、きちんと謝罪すればテンポイント会長も許してくれるはずだ。」

 

 

私の話を聞くといいながら明後日の方に話を飛躍させるシンボリルドルフを見て、私は先ほどとは別の困惑が頭を支配した。

 

 

(あれ、シンボリルドルフってこんなポンコツだったっけ?)

 

 

もっとこう、シンボリルドルフは普段から冷静沈着意気自如なイメージがあるのだが、今のシンボリルドルフはアニメでトウカイテイオーがキタサンブラックとサトノダイヤモンドを案内している時のあの雰囲気を感じる。なんというか、お姉さんぶっているというか先輩ぶっている感じがする。

今も私を気にすることなく色々と喋っているシンボリルドルフの仕草も、矢張り何処となくアニメのトウカイテイオーに似ている。

 

 

(ウマ娘で血縁関係は無くなってもヤッパリ親子なんだなぁ)

 

 

こんな状況下で、ついそんなことを考えてしまった。意外な事実にほっこりするのは仕方ないと思いたい。

 

 

「だから、そのような事になる前に私も君に付いて行ってあげるから誠心誠意、テンポイント会長に謝って…………って聴いているかい?」

 

 

「あ、はい聞いてまs」

 

 

シンボリルドルフに視線を合わせようとして、落ち着いた事で今まで気づかなかった、というか意識できなかった事に私は気づくことが出来た。

まず部屋、子供がよくお祝いの時に作る折り紙の輪っかをチェーンの様に繋げた、あれの正式名称を何て言うのか知らないけどそれが部屋に飾られてたり。折り紙で作られた飾りが壁に貼ってあったり…………

そして慌てて隠したのか、クローゼットからはみ出したコピー用紙。一枚だけはみ出たそれには大きな文字で『入』の文字が見える。

シンボリルドルフを無視するのは気が引けるが、気になったのでそれを引っ張り出してみた。

 

 

「ッ!?それは出さないでくれ!」

 

 

慌てて遮ろうとするシンボリルドルフの静止を無視して、クローゼットから引っ張り出したコピー用紙。何枚ものコピー用紙の端と端を糊付けされ大きな一枚紙にされていた紙に書かれていたのは

 

 

 

『入学おめでとう』

 

 

 

と油性ペンで一生懸命明朝体で書かれた文字だった。

そして先ほどまでのシンボリルドルフの言葉を思い出す。

まだ顔を合わせて1時間も経っていない私の為に一緒に謝りに行こうとしてたり、シンボリルドルフらしくない先輩ぶった口調で話していたいり…………

 

 

「もしかして…………私を心配してくれてたんですか?」

 

 

私がそう問いかけると彼女はビクンと肩を震わせた。耳も尻尾も一気に毛が逆立ち、そして忙しなく揺れる。

 

 

「な!?何をいきなり言い出すんだ!わ、私は別に…………」

 

 

「シンボリルドルフ『先輩』?」

 

 

「!?」

 

 

私がシンボリルドルフを先輩と言った瞬間またしても彼女の肩がびくつく。

 

 

「…………た。」

 

 

「?」

 

 

「初めて、後輩が出来たんだ…………先輩として…………お祝いしたかったんだ…………」

 

 

(何この子可愛い!)

 

 

しおらしく、というか半ばイジケた様にぽつぽつ語りだすシンボリルドルフ。どうやら、彼女は小学校の頃は容姿端麗、成績優秀。そしてウマ娘としても同年代のウマ娘に敵うものは居らず、その所為か同じ小学校の子達からは妬みゆえに虐めを受け殆どを不登校で卒業したらしい。だからなのか彼女にとって私、ナイスネイチャが初めての後輩であり、そして同室という事もあって嬉しくて慣れないながらも歓迎しようとこういう事をしたらしい。

先ほどの早とちりも、私があまりにも遅かった為に何かに巻き込まれたんじゃないかとか、入学したばかりで知らず知らず問題行動を起こしてしまったのではないかと勘違いしたらしい。

 

しゅんとしながら話す姿は正直めちゃくちゃ可愛い。これが後の皇帝になるんだぜこれ。

 

私が後輩なのだけど、思わずしょんぼりルドルフ(誤字にあらず)を抱きしめた。だって嬉しかったんだからしょうがないじゃない。それに落ち込むシンボリルドルフが見ていられなかったし。

 

 

「シンボリルドルフ先輩、有り難うございます。私とても嬉しいです!

あと、心配させてごめんなさい。ちゃんと理由を話しますね。」

 

 

あたふたするシンボリルドルフにそう言葉を送れば、『そうか……良かった。』と安心したように言って抱きしめ返してくれた。これはマーベラス!

 

 

名残惜しいが、シンボリルドルフから離れてきちんと、昼からの事の始まりから私は話した。

生徒会室に挨拶しに行こうとした時は『何故そうなる?』と突っ込みを貰ったけれども、テンポイントさんとお茶しながらレースのお話を聞いた時の話をしたら『私も話を聞きたかった』と残念がり、夢の件ではテンポイントさんに啖呵切った私に大爆笑してくれた。アプリやアニメでは見られない珍しいシンボリルドルフの表情を見れて、私は大満足でした。

私は生前の知識で知っていたのでアレだが、シンボリルドルフからしてみれば私の夢は彼女の夢とも一部被る事もあり、同志を見つけたと思ったのだろう。満面の笑みで私はシンボリルドルフに握手されて、トレーナーになりたい私の夢を応援すると言ってくれた。

 

 

「シンボリルドルフでは長くて言い辛いだろう?今度からルドルフでいいよナイスネイチャ。」

 

 

「私も、ネイチャと呼んでくださいルドルフ先輩。」

 

 

そうして、最初のやや険悪な雰囲気は何処へ行ったのやら。遅れた分を取り返すかのように私とルドルフ先輩は遅くまで話に華を咲かせた。一緒にお風呂に入ったり(自主規制)、寮の食堂に案内してもらったり。部屋に戻ってもいっぱいお喋りをした。

…………それこそ消灯過ぎてまで話過ぎて寮長のモンテプリンスさんに二人とも拳骨を貰うくらいには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネイチャ。」

 

 

「何ですかルドルフ先輩?」

 

 

「おやすみ。」

 

 

「…………先輩も、おやすみなさい。」

 

 

 

こうして、私の入学初日はドタバタしながらも幕を下ろした。明日からどんなことが待っているのだろうか。

そう楽しみに思いながら私は眠りについた。

 

 

 

 



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第06話

だいぶオリジナルネイチャになってしまいました。

それでも良い方はドウゾ


 

 

ドタバタした入学初日から一週間、特に私に何かあったという訳でも無く毎日を楽しく送っていた。

時たま生徒会に顔を出し、テンポイントさんとお話したり、ルドルフ先輩と雑談したり、普通に授業を受けて、教官方から練習場の説明をうけたりしたが、生憎とまだ今日まで新入生は自主的にトレーニングをすることが出来なかった。

それもこれも、今日初めて私を含めた新入生達による模擬レースが始まるからに他ならない。現時点での新入生の実力を測る為に今日この日までトレーニングを禁止されていたのだ。

 

 

『さぁ、始まります新入生による模擬レース!今回も例年通り芝と砂の1000m、1200m、1600mで開催されます。

 

新入生は今の自分達の実力を!トレーナー達は未来の原石を見極める為に!さぁ、ここからが本当の中央トレセン学園生活の始まりです!』

 

 

模擬レースなのに実況が付くのかという呆れと、ここからが本当のトレセン学園生活の始まりという言葉への納得。

色々と考えてしまう部分もあるが、1600mより上が無いのはまだ入学したばかりのウマ娘は本格化前で体が未成熟な為に制限しているらしい。授業のレース座学で教わった事だ。中等部2年からジュニア期と同じ2000mで選抜レースが行われるとのことで、中等部1年の私達へのスカウト等はまだ禁止されている事もアプリでは分からなかった事だ。

 

また、メイクデビューは本格化がある程度進んだ高等部から一律始まるらしく、それこそアプリ版のニシノフラワーの様に本格化が滅茶苦茶早く飛び級でもしてトレーナーやトレセン学園から許可が出ない限り中等部でのメイクデビューは無いとの事。

 

トウカイテイオーとか中等部でデビューしてた気がするが、まぁこの世界がそう言う規則なのだとすればきっと未来のトウカイテイオーも高等部でデビューするのだろう。

正直、今の私にとっては未来の事など気にする余裕など無い。この模擬レースが私の初めてのレースだ。現時点で私が何処までの実力なのかを確かめる意味でも、余計な事は考えず今日は全力で頑張りたいと思う。

 

 

「やぁ、ネイチャ。調子はどうだい?」

 

 

私は芝1600mにエントリーしているのでまだ時間がある。他のレースを眺めつつ気を落ち着けていると後ろから呼びかけられた。振り返るとルドルフ先輩とテンポイントさんの二人が私に近づいてきた。

入学式の翌日、私は早速ルドルフ先輩を連れてテンポイントさんに会いに行ったのだ。ルドルフ先輩はテンポイントさんのお話が聴けて嬉しそうだった。テンポイントさんも慕ってくれる後輩が増えたのは嬉しいようで良くルドルフ先輩にも話しかけていた。

テンポイントさんとルドルフ先輩、2人が仲良くて私も嬉しい。

 

 

「テンポイントさん、ルドルフ先輩!どうされたんですか?」

 

 

「なに、せっかくの後輩が模擬レースを走るんだ。ちょっとした激励にな?」

 

 

「勇往邁進、頑張れよネイチャ。」

 

 

2人からの応援に気分が高揚する。それこそ絶不調だろうと一気に絶好調にまで上がるくらいに。

寧ろ、こんな名バに応援されてやる気を出せないウマ娘がいるのだろうか?

やる気が漲る。何せ文字通り私にとっては初めてのレースだ。それと同時にナイスネイチャとして、心の奥深くに隠していた不安が無意識に吐出してしまう。

 

 

「あははは…………応援して頂けるのはありがたいんですけど正直勝てる気がしなくて…………」

 

 

「おいおい、あの日の啖呵はどうした?随分と弱気じゃないか。」

 

 

「そうだぞネイチャ。気持ちで負けていてはどんなレースでも1着など取れんぞ?」

 

 

「私、本格的にレースするのは是が初めてなんです。」

 

 

怪訝な顔をする二人に私は、私の過去、前世の記憶が蘇る前の小学校時代の話をする。

普通、中央トレセン学園に入学するウマ娘は大体、小学校からトレーニングクラブやジュニアレース等に参加したりして結果を出したりする娘が大半である。

早くからトレーニング(年相応の簡単な物である)を行いURA協賛のジュニアレースや地域のレース大会に出るのだが、私はそういう事を行ったことが無かった。

 

早くに父を亡くし、女手一つで私を育ててくれた母を少しでも楽をさせたくて家事手伝いを率先して行っていた。バーを経営する都合上、夜型に近い生活をする母はそれでも無理して私の為にと家事をしてくれた。それが嬉しくもあり、でもやはり心配だった。

開いた時間に私は母の手伝いをして、迷惑をかけないよう物や何処かへ遊びに行きたいとねだったりしない私を母は気にしていたみたいだが、私は特に苦痛でもなかったし良く母のお店に来る商店街のおっちゃんや近所のおじいちゃんとお話するのが楽しかったので問題はなかった。

 

だからだろうか、私は学校では当たり障りない生活を送っていたので親しく遊ぶ友達というのが出来なかったし、ウマ娘として走るという行為をする機会が無かった。

唯一私が走ったことがあるのは、私に遊ぶ友達が居ない事を気にした商店街のおっちゃんやおばちゃん達が遊んでくれた時だけだろう。しょっちゅう商店街にお使いに行ったりお店でおっちゃんやおばちゃん達と喋ったり商店街の各お店の手伝いをしていた所為か、私は何時しか商店街全体の娘みたいな扱いになっていた。

 

今思えば私はウマ娘として異質だったと思う。普通のウマ娘ならば走りたいとか、レースに出たいとか我が儘を言うはずなのに私は一切そう言った我が儘を言ったことが無かった。

多分、ウマ娘の走りたい本能を無意識の内に理性で抑え込んでたんだと思う。母や商店街のおっちゃんおばちゃんたちに迷惑をかけたくなかったから。

 

きっと適当な中学、高校と進んで、卒業したら母のバーを手伝いながら走ることもなくのんびり過ごしていくんだろうな。

そう思っていた小学校6年の冬に、母と商店街のおっちゃんやおばちゃん達からサプライズで中央トレセン学園(ここ)の受験票を手渡された。

 

 

「ネイチャンは速いんだ!応援しているから思いっきりレースで走ってきな!」

 

 

「貴女には昔から我が儘をさせてあげられなかったから。少しくらい我が儘になっても良いのよ?」

 

 

聞けば母を始め、商店街の皆で必要な教育費や受験料を少しずつ貯めていたらしい。

嬉しくて涙が出た。レースに出れるとか、走れるとかではなく。母や商店街の皆の気持ちが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たぶん、あれが私の原点なんです。私はレースに出たことが無いけど、母や皆のおかげであの時私はキラキラさせて貰ったから。」

 

 

「…………いい家族だな。」

 

 

私が話し終わると、テンポイントさんはそう言ってくれた。

正しく、私の自慢の家族だ。

 

 

「なに、皆よりスタートが出遅れただけだ。此処から一人当千、皆を追い抜いていけばいいさ。」

 

 

ルドルフ先輩はそう言って励ましてくれた。

 

 

「当たり前です。確かに自信は無いけど、私は夢の為に頑張りますよ。」

 

 

 

『次、芝1600m参加者はゲート付近に集まって下さい。』

 

 

遠くで次走のレースのアナウンスが聞こえる。どうやらやっと私のレースが来たらしい。

両手で軽く頬を叩く。ヒリヒリとした痛みが身を引き締め、闘志に薪をくべる。

 

 

「テンポイントさん、ルドルフ先輩。行ってきます!」

 

 

「「行ってらっしゃい。」」

 

 

さぁ、行こう(走ろう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁ、本日最後のレースとなりました。芝1600m右回り。

各バまもなくゲート入りとなります。』

 

 

私の順番は3番3枠…………お馴染み3である。

 

 

『一番人気を紹介しましょう。4番4枠オネストワーズ。

二番人気には3番3枠ナイスネイチャ。

三番人気は6番6枠アライブカリンとなりました。』

 

 

意外にも、私は二番人気だった。まぁしかし、自分が出遅れていると自覚している以上この人気外のウマ娘全てが私よりも強いという意識を持って臨まねばならない。私の現状の唯一の長所はゲート嫌いではない事。他のウマ娘がちょっと嫌がったり落ち着かない中特に苦も無くゲートに入る。

 

 

『多少ゲート入りを嫌がった娘もいましたが各バゲートイン完了。まもなくスタートします。』

 

 

意識を切り替えて集中しろ。

走る構えを取り、何時でもスタート出来る態勢に入る。まだ走ってすらいないのに心臓がバクバクと大きな音を放ち、手汗が止まらない。

 

 

『今スタートしました!好スタートを取ったのは一番人気オネストワーズと1番プリメラーチカ!

二番人気ナイスネイチャ、三番手に付けています!』

 

 

ゲートが開いた瞬間飛び出す。中々の良いスタートだと思った直後、私はシマッたと後悔した。

アプリ版において、ナイスネイチャは差しウマだ。先行もある程度出来るが、固有スキルとの相性を考えても差しウマで育成するのが定番のウマ娘である。

私としても、差しで各ウマ娘の動きを観察してレースの流れを確認するつもりだったのに、出遅れを意識しすぎるあまり逆に好スタートして先行位置になってしまった。

 

 

(大丈夫!ネイチャは先行も行けるからここから逃げウマを意識しつつ最後にスパートすれば何とかなる!)

 

 

やってしまったことは仕方ない。このまま先行位置で進めていこうと頭を切り替え三番手を走るも、私は直ぐに自分がいかにウマ娘としてスタートが他のウマ娘より遅れているか感じることになる。

 

 

(皆速すぎる!スタミナが続かない!)

 

 

ゴリゴリと削れていくスタミナ。呼吸が荒く苦しくなり、口に溜まった唾を飲み込む隙も無い。

他のウマ娘が悠々とまではいかなくとも未だ余裕を残す走りをする中で、私は既にスパートに近い走りを強要されていた。

 

 

(何が!何が違う!私と他のウマ娘と違いを探せ!)

 

 

ウマ娘としての出遅れ、これを埋める為には相手を観察して盗むしかない。アプリだとしても、トレーナーだったのだ。観察し、見て、盗み勝機を探せ!

頭がぼやけ、纏まらない思考。それでも観察を止めてはならない。

 

 

(どうしてこんなにスタミナを消費してしまうのか考えろ!ナイスネイチャ()の走りとナイスネイチャ(アプリ)の走りの違いを見つけろ。)

 

 

必死に足の回転数を上げ、今のポジションを維持しながら前の逃げウマ2人と直ぐ横まで上がって来た先行ウマ娘を見る。

少なくとも、彼女達よりも私の方が脚の回転数は上のはずだ。彼女達が一歩脚を進める度に私は二歩進めているのだから。

 

コーナーに入り私は必死に速度を落とさず、なおかつ最短距離を走れる様出来る限り内ラチに体を近づける。人間の時とは比べ物にならない横G、遠心力が私の体を外ラチへと飛ばそうとする。

 

 

(わかっていたはずだ!人間だった頃とは何もかも違う事くらい!)

 

 

人間だった頃なら私はもう諦めて脚を緩めていただろう。こんなに一生懸命になってアホらしいとか思っていたはずだ。

今私が走っているのは最早根性でだけ。夢の為に。ただそれだけの為に脚を前へと伸ばす。

 

 

(せめて、何かきっかけでも見つけろ!このレースを無駄にするな!)

 

 

横で早めにスパートをかけるウマ娘に追い抜かれつつ、それでも食らいついて行く。

そこで見てしまった。隣のウマ娘の歩幅を。

 

 

(そうだった!なんで私は忘れてたんだ!ウマ娘の走りはヒトとは違うのは分かっていたじゃないか!ヒトの走りをしてウマ娘に勝てる訳がないじゃないか!)

 

 

ウマ娘とヒトでは根本的に走り方が違う。

例えるなら歯車。ウマ娘は車に近い速度という莫大な運動エネルギーを起こす。そのウマ娘の走りという大きな歯車を、ヒトの走りという小さな歯車で動かすにはエネルギーロスが大きすぎる。

人の走りという小さな歯車でウマ娘という大きな歯車を回そうとすると、大きな歯車を1周させるために小さな歯車は2周も3周もさせなければいけない。

合わない走りでウマ娘の速度を出す為に、無駄に大量のスタミナを浪費しているのが今の私の走り。

スパートに近い速度で漸くウマ娘の巡航速度という歪な走り。これを修正しなければ私は勝てる道は無いのだ。

 

 

(だったら!この場で歯車を合わせてやる!)

 

 

確かに、アプリ版のナイスネイチャも歩数を少なく、歩幅を大きく取るストライド走法だったはずだ。私は覚えてる。何十回も、何百回も彼女を育てレースの走りを目に焼き付けてきた。

覚えているなら、それを再現できるはずだ。

 

なぜなら

 

 

 

(私だってナイスネイチャだ!)

 

 

ナイスネイチャならば、アプリ版のナイスネイチャの走りだって出来るはずだ。

 

 

(歩数を減らせ!ストライドを大きく取れ!頭は少し低く、風の抵抗を逸らせ!)

 

 

少しずつ少しずつ(ナイスネイチャ)ナイスネイチャ()へと変えていく。まずはストライド。次は歩幅。その次は姿勢…………

 

 

(人の歯車からウマ娘の歯車へ変えろ!)

 

 

少しずつ、息が楽になっていくのを感じる。先ほどまでのスパートに近い息遣いから、まだぎこちないがさっきまで隣にいたウマ娘位の息遣いにはなっただろうか。

 

 

『さぁ、各バ最終コーナーを抜け最後の直線へと差し掛かった!今だ先頭はオネストワーズ!

2バ身差でプリメラーチカ!これ以上は苦しいか?その少し後にアライブカリン!上がってきたぞ!』

 

 

諦めるか。ナイスネイチャは末脚が自慢なんだ!

 

 

「ここからがスパートだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

無意識に叫びながら脚の回転数を上げる。ストライドを維持しながら、足の回転数を上げ、ピッチ走法を取り入れた。

さぁ踏み込みに力を入れろ。つま先が芝にめり込むほど深く、強く踏み込み、芝へと蹴り入れろ。

 

少し楽になっていた呼吸が再び苦しくなる。周りから音が消え、意識がぼやけ、ただ息苦しさだけが私を襲う。

それでも、私は足を止めない。

 

 

『ナイスネイチャ!ナイスネイチャ上がって来たぞ!

素晴らしい末脚だ!今三番手プリメラーチカを抜いた!

先頭に届くかナイスネイチャ!』

 

 

 

だけど、やっぱり序盤に失ったスタミナと脚のロスはどうしようもないらしい。

 

 

『だが届かない!

 

1着は逃げ切ったぞオネストワーズ!

 

2着には半バ身差でアライブカリン!

 

3着は2着から2バ身差でナイスネイチャでした!』

 

 

 

私は先頭に届かなかった。

確かに勝てるとは思ってなかったけど。

 

 

「…………お馴染み3着ってね。」

 

無意識にナイスネイチャ(彼女)のセリフを呟く。

勝てないと思ってても全力を出した。

収穫も沢山あった。寧ろウマ娘として出遅れてた私が3着ってのは十分凄いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………勝てないって…………悔しいなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然と瞳から涙が溢れる。

 

ゆっくりと、悔し涙が頬伝う。

 

あぁナイスネイチャ、やっぱりこれ(3着)でも諦めなかった君は凄いよ。

 

 

 



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第07話



毎回、誤字指摘ありがとうございます。
また、主は競馬に疎いので矛盾点や修正点がありましたら教えてください。


 

 

『模擬レース3着』

 

 

初めてのレースと言っていい今回のレースでこの着順は十分なはずなのに、私は悔し涙を抑えることが出来なかった。

 

これがレースに負けるってことなのか。

 

これが悔しいってことなのか。

 

これが勝ちたいってことなのか。

 

 

色々な感情が渦巻き、止めようにも涙が止まらない。

私は誰にも気づかれないよう、そっと模擬レースが開催されていた練習場を後にした。人気の無い方へ、人気の無い方へと私は歩いていく。後に思えば、涙を見られない様にこそこそと歩く姿はもしかしたら不審者に見えたと思う。

 

そうして涙が止まった頃、私は先ほどの練習場とは真反対にある練習場へとたどり着いていた。

模擬レースが開催されていたこともあって、此処の練習場にはポツポツと上級生がトレーニングをしてるだけで殆ど人は居なかった。

 

私はそっと練習場を眺めながら、今回のレースを振り返ってみる。確かに今回は得るものがあった。前半は確かに酷かったし、後半の修正した走りも私的には完全に歯車が嚙み合った感覚ではなかった。しかしあの歯車が噛み合っていく感覚が私の、ナイスネイチャとしてのウマ娘の本能だったのだろうと思う。

今まで走らなかったがゆえに、無意識に理性で蓋をしていたがゆえに感じることの無かったウマ娘としての本能。レース中のあの感覚を忘れずにトレーニングを進めれば私の目に焼き付いているナイスネイチャの走りを再現できる気がする。

 

 

(走りたいなぁ)

 

 

表へと出てきたウマ娘の本能がそう私に押し寄せる。気分を落ち着かせ様と練習場で走る上級生を眺めているだけだったはずなのに、私はあの(ターフ)を走りたいと願ってしまう。脚が疼き、萎んだ闘志に薪をくべる。

早く完成させたい。ナイスネイチャの走りを。バ群に呑まれても抜け出すパワーを、最終コーナーから炸裂させる素晴らしいコーナリングを。そして一気に先頭に踊り出る圧巻の末脚を。

 

この世界では私だけしか知らないナイスネイチャの走りを、皆に魅せたい。

私の足は自然と練習場の芝へと向かっていた。今日は一回だけ、この感覚を忘れない様に一回だけ走ろう。走ったらクールダウンして、明日へと残さぬよう念入りにストレッチして、ルドルフ先輩とお喋りして明日に備えよう。

そう自分に言い訳して、冷めた私の体を軽くストレッチして温める。一応、念の為に脚を確認しよう。ゆっくりと、しかし確実に触診して異常が無いか確かめる。ウマ娘自身による簡単な触診もこの1週間の授業で学んだ。オーバーワークしない為にまず最初に教わるのはこれらしい。私はトレーナーになる夢の為にルドルフ先輩にお願いしてトレーニング後のルドルフ先輩の脚を触診させて貰って練習していたから同期の中でも少しはこの触診が得意になっている。

 

 

(大丈夫。変に熱も持ってないし腫れもシビレも無い。でも念の為に本当に一回だけにしとこう。)

 

 

触診で私が分かる範囲で異常が無い事を確認すると、私は再びアップを再開する。触診で異常はなかったけど念の為に授業で教わった物より入念に。

 

 

「こんなところに居たのか。探しても見つからんから心配したぞ。」

 

 

アップが終わって、いざ走ろうと思った所に私は声をかけられた。どうやらテンポイントさんが私を探しに来てくれていたらしい。

 

 

「あははは…………すみませんテンポイントさん。」

 

 

「お前がゼッケンをつけたままどっかに行ったからな。運営していた教師が困っていたぞ?」

 

 

そうテンポイントさんに言われて、私は今の今まで模擬レース用に配られていたゼッケンをつけたままここまで来ていたのを思い出した。幾ら気が動転していたとはいえ、これは先生方に申し訳ない。

 

 

「あ!?すみません、すぐ返しに行きますね!」

 

 

「いや、私が預かっておくよ。私も用事があるから丁度いいさ。」

 

 

「えっと、有り難うございます!」

 

 

ゼッケンを脱ぎ、こちらに手を出しているテンポイントさんにおずおずと渡した。

 

 

「確かに。ちゃんと教師に渡しておくから安心しろ。それと…………」

 

 

ゼッケンを受け取ったテンポイントさんは、手に持っていた籠へとゼッケンを入れてから再び私へと向き直った。

 

 

「まさか、これから走るわけじゃあるまいな?まだ体も出来上がってない上に君はレースでかなり無理をしたんだ。今日はもう休みなさい。」

 

 

バレてたか。優しく微笑むテンポイントさんに申し訳無く思いながらも、それでもこの感覚を忘れない様に私は一度だけでも走りたかった。

 

 

「後一回だけですから大丈夫ですよテンポイントさん。一応ちゃんと触診して異常は無かったですし、休憩も取ったのでスタミナも脚も問題無いです。」

 

 

「駄目だ。大体の1年生皆そう言ってオーバーワークするんだ。ネイチャもトゥインクルシリーズを走る前に脚を壊す気か?」

 

 

実に正論である。テンポイントさんの主張は間違いないのだが、それでも私は行けると感じる。

 

 

「じゃ、じゃあテンポイントさんも私の脚を見てくださいよ。テンポイントさんから見て異常があったら走るのは止めて今日は休みますから。」

 

 

「…………はぁ~

 

絶対に疲労が溜まっているはずだから無理だと思うがな。」

 

 

そう言って笑いながら、テンポイントさんは持っていた籠を下ろして私の脚を触り始める。他人に触られるというのは思った以上にくすぐったいがここは我慢。

私の脚を診ていたテンポイントさんは最初こそ私の主張に呆れ笑いとも取れる笑いを浮かべていたものの次第に笑顔を消し、険しい雰囲気を纏っていく。

もしかして、私が気づかなかっただけで何か異常があったのだろうか?だとしたら仕方ないが今日は諦めるか。

 

 

「確かに問題は無い。ほんの少しだけ疲労はあるがネイチャの言う通り後一回だけなら問題ないだろう。」

 

 

そう言って触診を止めたテンポイントさんに私は内心ほっとするが、険しい、というよりも鋭い雰囲気のテンポイントさんは先ほどの籠からストップウォッチを1個取り出し再び私に向き直った。

 

 

「…………ネイチャ今からタイムを計るが、私の指定した距離を走れるか?」

 

 

「えっと…………何mで?」

 

 

「2400の左周りだ。」

 

 

「え!?」

 

 

確か中等部1年は最長で1600mまでしか走ってはいけなかったはず。2年3年も2000mまでしか駄目なはず…………それよりも2400mの左回りって

 

 

「…………日本ダービー?」

 

 

「そうだ。今ネイチャ、お前の脚を触って分かった。お前はダービーを勝てる。」

 

 

「いやいやいや!?無理無理無理ですって!?私今日初めてレースしたんですよ!それに1600mまでしか走っちゃいけないって先生が言ってましたし!」

 

 

「私に騙されたと思って一回走ってみろ。それに、多少長い方がお前も長くフォームの修正がしやすいだろう?

なに、教師に怒られるようなことがあれば私も一緒に頭を下げてやる。」

 

 

「き…………気づいてたんですか?」

 

 

「気づかぬ訳あるまい。あんな露骨にレース中フォームを変えおってからに。さては、レース中にフォームを変えるのがどれだけ高度な技術か分かって無いなお前?」

 

 

半ば呆れられた様に私を見るテンポイントさん。ちょっと恥ずかしい。

 

 

「と、取りあえずテンポイントさんを信じて走ってみます!」

 

 

「じゃあ、此処がスタートだ。幸いここは一周2400mだから丁度よかろう。」

 

 

スタスタと外ラチへと向かうテンポイントさんに合わせて、私は走る態勢を取る。これがターフを走るのが2回目という事実に目を瞑り。今は如何にナイスネイチャの走りを再現するかに集中する。

大丈夫、ナイスネイチャの主戦場は中距離(ミドルディスタンス)。私だって出来るはずだ。

 

 

「用意!」

 

 

テンポイントさんの声に合わせて、更に集中する。今回はタイム計測、競う相手は居ないから模擬レースの様に好スタートでも問題無い。

 

 

「始め!」

 

 

聞こえた瞬間に力を込めた脚を踏み出した。

脳裏に焼き付いたナイスネイチャの走りを思い出せ。

ストライドはスパートやや小さく。腕を大きく振れ。上半身を少しだけ前傾にしろ。

模擬レースの時よりも、歯車が噛み合う感覚。やはりこの走りで間違いは無いはず。後少し、合わない感覚を修正しろ。少しずつ荒くなっていく呼吸を感じながら、私はコーナーを曲がる。

 

遠心力で外ラチへと飛ばされ様とする体を、押さえつけるように内ラチへと体を少し傾ける。体幹がぶれ、少しコーナーが膨らんでしまった。

 

 

(まだだ!まだ違う!)

 

 

2コーナーを曲がり直線へと移りながら私は歯噛みする。後少しが噛み合わない。未熟な体ではナイスネイチャ(本格化した走り)を再現できないのは当たり前の事。

踏み込みのパワーが足りないからイメージよりも速度が出ない。

歩幅が小さいからストライドが余計大きくなってスタミナのロスが出る。

バランス感覚が足りなくて体幹がブレてしまいコーナーが上手く曲がることが出来ない。

心肺機能が未熟だから呼吸がすぐに荒くなってしまう。

それでも脳裏にチラつくナイスネイチャ(憧れ)を目指して可能な限り修正する。ストライドを微調整し、歩幅が足りないなら今の体に最適な歩幅のストライドを探せ。酸素が足りないならイメージよりも深く息を吸え。

 

第3コーナーに差し掛かり再びカーブへと挑む。今度は先ほどよりも深く、腕が内ラチにぶつかるギリギリまで体を傾ける。遠心力により今までよりもキツイ負担が脚に圧し掛かる。とっくに模擬レースで走った1600mは過ぎている。チカチカと明滅する視界。

酸素不足によってぼやける思考。一歩一歩が重く感じる。でもここからだ。第4コーナーを曲がって最後の直線、ナイスネイチャの仕掛け処。

ナイスネイチャならばどのタイミングで仕掛けるか、本番のレースなら前はウマ娘で塞がっているはず。いるはずの無いウマ娘の姿がチラつく視界。

内ラチは最短距離を走る逃げウマや先行バで固まっている。そんな時はナイスネイチャなら。

 

 

(ナイスネイチャなら外からぶち抜いていく!)

 

 

第4コーナーを今度は意図的に外へとずらしスパートの体勢へと変える。巡航時よりも深く前へと体を倒す。ストライドを広く、それでいてピッチを早く。芝を抉るぐらい深く、力強く脚を踏み込む。

雑音が消え、匂いも感じず、最早感じるのは苦しい呼吸のみ。明滅し、狭まった視界は最早ゴール役のテンポイントさんしか見えていない。

 

 

(もっと速く!前へ!)

 

 

虚像の中のウマ娘を抜かし、ターフを踏みしめろ。残っていないスタミナ。脚はとっくに使い切ってる。

消えない闘志と根性だけで、私はテンポイントさん(ゴール)を通り過ぎた。

 

ゴールを越えたと認識した瞬間戻ってくる感覚。どっと押し寄せる疲労感と思うように出来ない呼吸。

ゆっくりと速度を落とし、半周ほど呼吸を整える為歩くと私は疲労感からターフに倒れてしまった。脚はガクガクと震え、走っている時は感じなかった汗がドバっと出てくるのを感じる。

視界の端で此方に歩いてくるテンポイントさんに、私は話しかけることすら出来なかった。

 

 

「お疲れさん。走れたじゃないか。」

 

 

「タ……タイム…………どう……でしたか?」

 

 

そう笑いかけるテンポイントさんに、私は息も絶え絶えに答え様とするがカラカラに乾いた喉から出た声はまるで老婆の様で、出した本人である私は笑いそうになってしまった。

 

 

「今のタイムじゃまだまだ無理だな。ほら、水分を取ってちゃんとストレッチとクールダウンしろよ。してなかったら明日生徒会でお説教だ。」

 

 

私にスポーツドリンクを手渡しながら。テンポイントさんは練習場近くのベンチの方へと行ってしまった。

 

 

「あ、ありがとうございました。」

 

 

「あぁ、また明日な。」

 

 

テンポイントさんにお礼を言って、私はまたターフへと沈む。

まだまだ理想には程遠い。脳裏に浮かぶナイスネイチャにはどうしても今の段階では足りない部分が多すぎる。それでも。

 

 

(諦めない。私はナイスネイチャだ。)

 

 

緩む頬を抑えるのに時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、盗み見とは随分と穏やかじゃないな。」

 

 

テンポイントはナイスネイチャと別れた後、近くの茂みへとそう口にした。

 

 

「あらら。バレちゃってたのね。」

 

 

「すみません。テンポイントが慌てて何処かに行くのが見えてつい。」

 

 

ガサリと茂みが揺れたと思うと二人のウマ娘が両手に持った枝を茂みに捨てつつ姿を現した。一人は鹿毛の髪をショートカットにしたボーイッシュなメジロパーマーっぽい雰囲気のウマ娘。もう一人は黒鹿毛を腰まで伸ばした大人しそうなグラスワンダーっぽい雰囲気のウマ娘。

 

 

「気配でバレバレだ。どうせショウが興味本位で付いて来てグラスが巻き添えになったんだろ?」

 

 

「正解ですよテンポイント。」

 

 

「あ!売るなよグラス!」

 

 

『天マ トウショウボーイ』『緑の刺客 グリーングラス』

 

それが彼女達の名前。テンポイントと共に生徒会に所属し、テンポイントと共に1時代を築いた『TTG』のTとG。テンポイントと共に半ばレースから引退し今ではレースに出場することは殆ど無いが、それでも雰囲気は現役のまま。

 

 

「それで、あれがテンのお気に入りの新入生かぁ。」

 

 

そう言ってトウショウボーイが見るのはゆっくりと起き上がりストレッチを始めたナイスネイチャ。

 

 

「なんか普通だなぁ期待外れって感じ?」

 

 

そう言うトウショウボーイに、同意する様にグリーングラスも頷く。

 

 

「そうですね。私としてはナイスネイチャさんでしたっけ?あの子より2年のえっと、シンボリルドルフさん?あの子が将来楽しみですね。」

 

 

「私としちゃ、3年のミスターシービーが走ると思うがなぁ。下手したら三冠取るぜアイツ。」

 

 

グリーングラスはシンボリルドルフを。トウショウボーイはミスターシービーに期待している様だった。

確かに、テンポイントから見てもその2人の模擬レースや選抜レースを見て同世代とは違う物を感じた。それでも何故かテンポイントは、ナイスネイチャよりも2人に魅力を感じなかった。特に先ほどの2400mを見てからはそれが強くなるのを感じた。

 

 

「ショウにグラス。今日の模擬レースを見たか?」

 

 

「いや、私は興味無かったから見てないな。」

 

 

「私も、生憎先生方のお手伝いをしていましたので。」

 

 

テンポイントの質問に、トウショウボーイもグリーングラスも見ていないと返す。その返答を聞いたテンポイントはいたずらを思いついた様な笑顔になった。

 

 

「これを見ろ。」

 

 

そう言って、テンポイントはトウショウボーイにストップウォッチを放り投げた。慌ててキャッチしてストップウォッチを見るトウショウボーイ。グリーングラスもトウショウボーイ越しにストップウォッチを見た。

 

 

「これの距離は?」

 

 

「2400m。ついでに左回りだ。」

 

 

「だとしたらダービーか?遅っせぇな。私だったらもう10秒以上は速いぞ。」

 

 

「これってどの子ですか?明らかにクラシックを走るにしては不安があるのですが…………もしかしてタイムの子ってマイラーですか?」

 

 

トウショウボーイもグリーングラスも、お世辞にも速いとは言えないタイムに疑問を口に出す。

 

 

「いや、そいつの得意距離は中距離(ミドルディスタンス)だ。トレーニング次第じゃマイラーもステイヤーにもなれるがな。」

 

 

「だとしたら才能無いぜそいつ。このタイムでクラシックはG1どころか重賞にも入着出来ねぇよ。」

 

 

そう断言するトウショウボーイ。後ろでグリーングラスもこくりと頷きトウショウボーイを肯定する。それを見てますます笑みを深くするテンポイント。確かに、クラシックでこれは遅い。そう走ったウマ娘がクラシック期であれば。

 

 

「それを出したのは今そこでストレッチしているおバ鹿娘だ。全く、タイム計測のはずなのに最後はレースの様に走りやがって…………」

 

 

「「はぁ!?」」

 

 

テンポイントの言葉に、トウショウボーイもグリーングラスもビックリしたように声を上げる。確かにタイムは遅い。

が、それが入学したばかりの1年生だとすれば話は別。入学したてで『クラシック期にしては遅い』タイムであればそれは異常だ。

 

 

「というか、1年生に2400m走らせたんですか!?バ鹿ですかテンポイントさん!!

その娘が脚を壊したらどうするんですか!!」

 

 

グリーングラスだけはタイムを出した人物よりも、そのタイムを出したナイスネイチャの心配をしたらしい。血相を変えてナイスネイチャへと走り出して行ってしまった。

いきなりグリーングラスに遭遇して焦っているナイスネイチャと問答無用で脚を確認しているグリーングラスを眺めながら、テンポイントは改めてトウショウボーイへと問うた。

 

 

「どうだ、うちのネイチャはその2人に引けを取らんよ?」

 

 

「お前の話が本当ならそのナイスネイチャはトゥインクルシリーズだけじゃねぇ、世界だって取れるだろうよ。」

 

 

「当たり前だ。なんせ私の大事な大事な後輩だからな。欲しがったら花の都(パリ)だろうが新世界(アメリカ)だろうが連れてってやるさ。」

 

 

「おぉ~怖い怖い。そんじゃ、私は帰るぜ。」

 

 

ストップウォッチをテンポイントへと投げ返して、トウショウボーイはさっさと練習場から去っていく。

テンポイントは受け取ったストップウォッチの数字を改めて眺める。

 

 

 

『2:37.4』

 

 

ストップウォッチの安っぽい液晶を軽く撫でて、テンポイントはその数字をリセットしてナイスネイチャへと歩き出す。

グリーングラスのお説教が待ち受けているとも知らずに…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ネイチャのタイムはTTG世代の日本ダービーを勝ったクライムカイザーのタイム+約10秒にしています。


ネイチャ本人は気づいてませんが、入学したばかりでこれは化け物ネイチャです。
書いている本人としては、アニメ世界でネイチャだけアプリネイチャみたいな感覚で書いてます。


あほですね…………すみません(汗)


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第08話



基本的に私は書き溜めなんてせず、書き終わったたら誤字脱字の修正と文脈におかしいところが無いか一回読んでからすぐ投稿する派です。


なのでいやそこはおかしいやろとか、此処のシーン作り好きですとか感想貰えるとモチベーション上がります。



あとお気に入り100以上ありがとうございます。
私の様な駄文製造機にはもったいない栄誉でございます。





 

模擬レースから1週間ちょっと。自主トレーニングが解禁されたので毎日が大変充実しております。

まぁ、模擬レースのあの日、まさかクールダウン中にTTGの一角であるグリーングラス先輩に突撃されたのはびっくりした。後からテンポイントさんが申し訳なさそうにこちらに来て、私ともどもグリーングラス先輩にお説教されました。

グリーングラス先輩は私の脚の事をしきりに気にしており、別れる時には優しい笑顔で何時でも頼ってくれと言ってくれた。とても優しい先輩だと思ったが、テンポイントさん曰くあれがレースになると暗殺者の如く恐ろしくなるらしい。怖い。

 

まぁ、放課後に自主トレをしてルドルフ先輩と共にお風呂やら食事やらを済ませたらトレーナーになる為の勉強をしたりする。基本はウマ娘の人体医学を中心に基礎的なトレーニング方法やそれによる身体的負担の蓄積の有無の変化とか…………

正直トレーナーについて舐めてたと言ってもいい。参考書や医学書を理解する為にまた別の参考書を開かなくちゃいけない。それに頭で理解しても今度は実際に人体と見比べて見てみないと分からないのだから。その辺は私は恵まれてると思う。だってルドルフ先輩が凄く手伝ってくれる。流石に裸とかは申し訳ないので主に脚を見させて貰っているのだが、これは流石に日頃の感謝を含めて何かお礼しなきゃいけないと思う訳でして。

 

 

「で、できたぁぁぁぁ!」

 

 

「「「「おめでとうネイチャン!!」」」」

 

 

はい、実は寮の食堂にある厨房をお借りしてケーキを作っておりました。実はちょこちょこお借りしてはクッキーとか作ってテンポイントさんとのお茶会、お茶会?に持って行ったりルドルフ先輩に分けたり、モンテプリンスさんにおすそ分けしていた訳でして。

そのおかげで厨房のスタッフさんとは顔なじみになりました。何時もお世話になったお礼も兼ねてケーキは2個。両方とも苺のショートケーキで1個はスタッフさん達に、もう1個は私とルドルフ先輩で。

実はケーキを作るのは初めてで何個か失敗してしまったのだが、笑って許してくれた上に材料を提供してくれたスタッフさんマジ神!何時も美味しいご飯ありがとうございます。

 

 

「スタッフさん有り難うございました!」

 

 

「おう!ネイチャンも相手同室の娘だっけ?喜んでくれるといいな!」

 

 

「はい!」

 

 

形を崩さぬ様にそっとケーキをスタッフからお借りしたお皿へと移して、私は部屋へと戻った。

今は夕方。ルドルフ先輩は今日はトレーニングを休んでお友達とお出かけしているので、遅くても門限ギリギリには帰って来るだろう。取りあえずケーキを冷蔵庫へと入れて、私はこの待ち時間をどうするか考える。

 

 

「トレーニングをするにはもう時間も無いし…………勉強するにはちょっと早いしなぁ。」

 

 

悩ましい。宿題は寮に戻ってからすぐさま終わらせたし、やっぱりトレーナーの勉強だろうか。しかし、今持ってる参考書は一度全部読んでしまっている。無論読んだことと理解したのは別だけど、新しい参考書は欲しい。

 

 

「けど高いんだよなぁ。」

 

 

なんせ数冊買っただけで今まで貯めたお小遣いの半分が消えたのだ。出費を考えたら中々おいそれと買えるものでは無い。

今は、参考書の中でも比較的安い物を見繕ってはいるが、中には1冊で万を超える物もあるから高いなんてもんじゃ無い。そういった高いのは諦めてるが、実際今の参考書には足りない部分があるのは事実なのでもどかしいのも本当だ。

 

 

「仕方ない、無い物ねだりは止めて今持ってるのを読み返しますかぁ…………」

 

 

机に置いてある参考書の中から比較的理解度の少ない物を選びノートと筆記具を開く。まだ入学から2週間ちょっとなのに既にノートは3冊目。知らない単語の意味とか書き出していくだけで直ぐにノートが埋まってしまうのはしょうがないとは言え、ノート代もバ鹿にならない。今度の外出では纏め売りのを買って来よう。

 

ペラペラと、参考書を捲る音が室内に響く、私は勉強するときは音楽などを聴かない派だ。小さい頃に誰かが音楽を聴きながら勉強しても頭に入ってこないと言っていたのを聞いてから聴かない様にしている。効果があったのかについては実感できなかったけど。

参考書で分からない単語や意味をノートを振り返って探す作業を繰り返す。最早ノートが辞書代わりである。自作の辞書…………なんか良いなコレ。

ノートを見返しても、どうしても分からない単語や意味は別の参考書を開く。参考書(戦い)は数だよアニキ!

まぁ、その数も足りないんですけどね。

医学関係、主に脚はルドルフ先輩の協力もあって大体は分かるけど他がねぇ…………

トレーニング関係とか身体への負担とか、やっぱり本格的に現役のトレーナーに教えを請わないと分からない。そう考えるとサブトレーナーって制度はありがたいなぁと思う。だって現役のトレーナーの一番近くで教えてもらえるんだもの。羨ましい事だよホントに。

 

 

「そう考えると、やっぱアプリ版のトレーナーは頭おかしいわ。」

 

 

だって新人で、サブトレーナー経験も無くて三冠バとか育成するんだから。あれが天才なのか?つまり間接的にウマ娘を育成してた私達プレイヤーも天才?

 

 

「…………な訳ないか。」

 

 

にしても、ルドルフ先輩は遅い。もう時刻は午後7時半である。門限は午後9時なのでまだ時間はあるのだけど、普段なら既にルドルフ先輩は帰って来ている時間である。

休憩がてら冷蔵庫から炭酸飲料を取り出し軽く一口飲む。勉強で疲れた体に炭酸のシュワシュワ感が染みていい感じに気分転換出来た。

 

 

「流石に心配だなぁ」

 

 

椅子に座りながら、私はそう呟いた。気分転換が出来たとはいえ、集中力が切れてしまったので勉強する気力が向かない。

左腕を支えにして頬を預けながらコロコロとシャーペンを弄る。

 

 

「いけない…………集中力が切れたから眠気が…………」

 

 

数時間、活字をずっと読んでいたせいで疲れた脳が眠気を訴えてくる。流石に今ここで寝るのはまずい。まだルドルフ先輩が帰って来ていないのに…………

しかし、急速に膨らんでくる心地よい眠気に逆らえない。

 

 

「ね…………む………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………チャ…………ネイチャ!」

 

 

はっとして意識が戻った。どうやらそのまま椅子に座ったまま寝てしまったらしい。

 

 

「ネイチャ、大丈夫か?寝るならせめて寝間着に着替えてからベッドで寝ないとダメではないか。」

 

 

いつの間にか帰って来ていたらしいルドルフ先輩が私を心配そうに見つめている。慌てて時計を見ると時刻は午後9時前。どうやら一時間ちょっと寝てしまっていたらしい。

 

 

「す、すみません!ルドルフ先輩を待っているつもりだったのに寝てしまっていました。」

 

 

「そ…………それはすまなかった。中々良い物が見つからなくて遅くなってしまった。私も連絡の1つでもするべきだった。」

 

 

申し訳なさそうに謝るルドルフ先輩にこっちも申し訳無くなる。なんとも言えない空気に、何とか空気を変えようと私は夕方作ったケーキの話を切り出した。

 

 

「そうだルドルフ先輩、ケーキ食べませんか?」

 

 

「なに?ケーキだと?」

 

 

「えっと…………何時もトレーナーの勉強の為にルドルフ先輩にお世話になっているので……その、日頃の感謝の気持ちと言いますか…………」

 

 

ケーキと聞いた瞬間ちょっと顔をしかめたルドルフ先輩に、私はもしかしてケーキは苦手だったかと不安になってしまった。普段クッキーとか喜んで食べてくれていたので大丈夫かと思っていたのだけど…………

 

 

「もしかして………ネイチャ、君は今日が何の日か覚えてないのか?」

 

 

そう問いかけてくるルドルフ先輩に、私は首を捻る。私はカレンダーを見る。今日は4月16日、特に何かの記念日という訳では無いはずだけど?

 

 

「あ!」

 

 

「思い出したか?」

 

 

「確か国民年金法公布記念日ですね!」

 

 

「………………」

 

 

そう答えると何故かルドルフ先輩は頭に手を当て深々と溜息を吐いた。もしかして間違ったのだろうか?

 

 

「今日はキ・ミ・の・誕・生・日・だろうが!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………あ

 

 

「その顔は忘れていたな?まさか自分の誕生日を忘れるバ鹿がいるとはな…………」

 

 

そう呆れるルドルフ先輩に私は何も言い返せない。だって仕方ないじゃないか前世からの記憶がある以上、私の体感では中身は40前のおっさんなのだ。最早誕生日は書類を書くための記号としか記憶していないのだ。ぶっちゃけ最近充実しすぎて素で忘れてたのもあるけどさ…………

 

 

「ほら。」

 

 

ルドルフ先輩から手渡される綺麗にラップされた小さめの箱。両手に収まる位の小ささが私に手渡され、その重さが確かに今日は私の誕生日だという事を実感させてくれる。

 

 

「開けてみろ」

 

 

そう言われて、私は震える手でゆっくりとラッピングを破かない様に開ける。高そうな藍色の箱が姿を現し、中身を確認する。

 

 

「………綺麗。」

 

 

箱の中から出てきたのは蒼色の透き通った水晶が付いた1つの耳飾り。縁を銀色の金具で固定されており、一目見てこれが高い物だと理解できる。

そしてこれと同じものを誰が着けているかも直ぐ理解出来た。

 

 

「わ、私からの誕生日プレゼントだ。行きつけのお店が丁度売り切れで幾つか別の店舗を周っていたから今日は門限ギリギリになってしまったが。」

 

 

朱くなった頬を隠そうとそっぽを向いて、そう私に告げるルドルフ先輩。その右耳に揺れる同じ蒼色の水晶が付いた耳飾りと同じものが今、私の手元にある。

 

 

「君は何時も同じイヤカバーばかり着けていたから…………嫌だっただろか?」

 

 

不安げに私を見るルドルフ先輩に、私は首を横に振って答える。いかん涙が出る。まさかこんな良い物を貰えるとは思っていなかった。

私は今つけてるイヤカバーを脱いでからそっと、箱から耳飾りを取り出しルドルフ先輩に渡した。疑問符を浮かべるルドルフ先輩に私は静かに泣きながら、けども笑顔で頼んだ。

 

 

「ルドルフ先輩に着けて欲しいです。駄目ですか?」

 

 

「ッ!?あ、あぁ良いとも!」

 

 

そう言って尻尾をはち切れんばかりに振りながら受け取ったルドルフ先輩は、優しく私の右耳へと手を伸ばす。ルドルフ先輩の温かい体温と手が耳を触る感覚が少しくすぐったい。少しして、パチンッという音と共にルドルフ先輩が手を放す。

 

玄関近くにある姿見で、私は耳飾りを付けた私を見る。ルドルフ先輩と同じ耳飾りが部屋の明かりを反射してキラキラと光っている。感無量とはこの事だと思ってしまった。

 

 

「似合っているぞネイチャ。」

 

 

「有り難うございますルドルフ先輩!でも……これ高かったんじゃないんですか?」

 

 

「なに、大切な後輩への初めてのプレゼントだ。多少奮発したが問題ないとも!」

 

 

嬉しそうに語るルドルフ先輩に私はこれ以上は言わなかった。これ以上言ったら逆に失礼になると思ったから。

 

 

「それじゃあ、私の誕生日とルドルフ先輩への日頃の感謝を同時にお祝いしましょうか?」

 

 

「そうだな。ネイチャの手作りケーキは楽しみだ。」

 

 

ルドルフ先輩もケーキを買ってきたみたいだったけど、ウマ娘2人分の食欲では1ホールと2ピースなんてあっという間だった。

今日は前世も含めてトップクラスに嬉しい日だった。そう思いながら、私はルドルフ先輩の提案で今日だけは2人で同じベッドで寝た。

 

 

 

机に揃って置かれた2人分の水晶を眺めて、私は嬉しく思いながら眠りへとついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談というか、翌日はテンポイントさんからプレゼントとして欲しかった参考書を貰った。とても嬉しかったのだが、手作りケーキを食べれなくて悔しがるテンポイントさんと若干優越感に浸りながら自慢するルドルフ先輩は見てて面白かった。

グリーングラス先輩とトウショウボーイ先輩と共に笑いながら眺めていた。

 

 

 





誕生日忘れる系はあるあるだと思うんですが、皆さんはどうですか?
私は毎年忘れてます。だって祝われないしね!


今回からネイチャはお馴染みのメンコモチーフのイヤカバーからシンボリルドルフと同じ耳飾りを付けます。

思い浮かんだからには書かずにはおれなかった…………
シンボリルドルフは初めての後輩&似た夢を持つナイスネイチャを溺愛してます。恋愛とかじゃなくて親愛として。百合百合は多分ないです。




誰かこの二人のツーショット書いて(冗談です


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第09話

徹夜2日目です。ロイヤルビタージュース(モンエナ500ml)で気力を回復させて書いてました(1日2話投稿チャレンジは無理がありました)

沖野さんのセリフとか、地の分とかおかしかったらすみません。


 

 

私の誕生日から月日が経って今は5月初旬。相も変わらず私は自主トレーニングとトレーナーの勉強に勤しんでいる。少しだけ変わったことと言えば、トレーナーの勉強をしているおかげで比較的自主トレーニングの効率が上がって来たことぐらい。

特にストライドの幅を増やす為に股関節や膝、足首の柔軟に対する医学的知識からのアプローチを中心にやっているが、お陰で入学してから大分柔らかくなってきていると思う。まぁそれでもまだ始めて時間も経ってないから微々たるものだけどね。

 

本日は土曜日で学校の授業はお休み。今日は何時もと違って午前中に日課のトレーニングをしている。入念なストレッチから脚に負担の少ないウッドチップコースでフォームを意識した走りを行い、そこでレース中のストライドの変更を目標にトレーニング。

テンポイントさん曰く、私のレース中のストライドの変更は中々出来ないテクニックらしいので、この長所を伸ばすトレーニングを負担の少ないウッドチップコースで行う事で効率良く練習出来る。これをある程度やったら今度は踏み込みの練習。

アニメでもやってたタイヤ引きを数本ダートの練習場で行う。ターフだと芝が傷ついちゃうから仕方ない。ダートだから想像しているよりパワーがいるのもポイント高い。ナイスネイチャは末脚の爆発力が長所だから踏み込みにパワーを使うタイヤ引きはとても効率が良い。

ダートが使えない日はゴム紐を鉄柱に結び付けてそれを引っ張るトレーニングをしてる。効率はタイヤ引きより落ちるけど脚の負担的にはこっちの方が少ないので結構一長一短かもしれない。

それが終わったら最後に1600mを一本走って終わり。どんなに体力的に残っていてもそれでおしまい。クールダウンのストレッチをして、お風呂で汗を流して部屋で関節の柔軟ストレッチをして、トレーニングの記録をノートに纏めてからトレーナーの勉強をするのがここ最近のルーティーンだ。

 

因みに、トレーニングの結果を纏めているのもトレーナーの勉強の為、実はこうすると自分のデータを参考に勉強出来るのでかなり便利なのだ。最近じゃルドルフ先輩も私に習って同じことを始めた。ルドルフ先輩はチームに入ってトレーナーさんが管理しているのに豆だなぁと感心してしまった。

そう、ルドルフ先輩がチームに入ったのだ。チームはお馴染みのリギルである。まぁ知ってたとしか言えないけど、そのお陰で此処が一応アニメ世界だと分かったし、スカウトされた日はルドルフ先輩とちっちゃいけどお祝いしました。

 

そして今日、なんとルドルフ先輩の紹介でチームリギルを見学させていただける事になりました。…………なんでや。

 

話を持ってきたルドルフ先輩曰く、リギルのトレーナーであるおハナさんに会話の流れで同室の私の話を言った所、ウマ娘でトレーナー志望という珍しさもあって興味を持たれたとの事である。因みに、この話を持ってきた時のルドルフ先輩はアニメのトウカイテイオーの様などや顔でした。可愛かったです(小並感)

午前中はチームのミーティングがあるので見学は午後からとの事。なので普段午後からやっている日課のトレーニングを午前中にしている訳です。

 

トレーニング最後の1600mを走り終わり、持ってきたタオルで汗を拭う。最初はフォームを意識しすぎてブレていたタイムも、最近は大分安定して縮んできたと思う。テンポイントさん曰く余計な力が抜けてきたからだと言われたが、最初の模擬レース以降私はレースをしていないので良く分からない。模擬レースの翌日、テンポイントさんからは模擬レースにエントリーするくらいならフォームを崩さずストライドを変更する練習をしろと言われたのだ。

私としても、まぁレース中の読み合いや仕掛け処等の勝負勘を養うのは後からでもいいかと思い、最初の模擬レース以降の模擬レースには出ていない。

 

模擬レースも2年から始まる選抜レースも、両方とも最初の1回は全員参加であるが2回目以降は参加したいウマ娘のみのエントリー制だ。でも大体のウマ娘は体調不良以外だと殆ど参加するんだけどね。

私はさっきも言った通り、テンポイントさんの指示に従ってレースには参加してない。

 

さて、今の時刻は丁度11時。待ち合わせは午後1時なのでお風呂で汗を流したり今日のトレーニング結果を記録したりお昼ご飯を食べたら丁度いい時間だろう。

タオルを首にさげ、私は練習場から立ち去ろうとした所で、ゾワッとした感覚が体を支配した。発生源は脚、誰かに触られてる様な物凄く不快な感覚である。

ギギギギギ…………と壊れたおもちゃの様にゆっくりと足元を見れば、私の両足をいやらしく触る手。

 

 

「いやぁ~トモの筋肉も素晴らしいし、それを支える骨も頑丈。力を余すことなく伝えるバネの様に柔軟な関節。まだ本格化前みたいだがその状態で此処までの状態とは…………すげぇな!」

 

 

うん、何となくこのシチュエーションは覚えがある。というか、中央トレセン学園でこんな事する人はあの人しか居ないと思う。ゆっくりと振り返る私に気づいた人物は、足を触っていた事をまるで気にしていないかの様に私に笑顔で話しかけた。

 

 

「お前すげぇな!中等部でこんなトモを持ってるウマ娘は中々居ないぞ。」

 

 

茶髪の左側頭部を剃りこんで、残りの髪を後ろで結んでいる黄色いシャツに黒いベストを着た男性。どう見てもチームスピカのトレーナー、沖野さんである。場所は違うとはいえまさかアニメ1期の主人公、スぺちゃんことスペシャルウィークと同じ様な出会い方になるとはツイてない。もう少しマシな出会い方をしたかったと溜息が出る。

しかも、私が溜息を吐いた後、現在進行形で今も脚を触っている始末である。事前に知っていた事とは言え本能に任せて沖野さんを蹴らなかった私を誰か褒めて欲しい。

 

 

「お前名前は!というかどっかスカウト受けてんのか?良かったらウチのチームに入ってくれねぇか!!」

 

 

「…………えぇぇ(困惑)」

 

 

一気に捲し立てる沖野さんに、私はどうしていいか分からなかった。

沖野さんの手を払って呆れた目で見ている私に、沖野さんは慌てて自分の左胸につけているトレーナーバッチを私に見せた。

 

 

「大丈夫怪しい者じゃねぇ。俺はチームスピカのトレーナーで沖野ってんだ。なぁ嬢ちゃん?名前は?ウチに入らないか?」

 

 

いや十分怪しいんですけど…………と言えないのが私の悪い所。実際脚を触る癖以外はウマ娘に対する情熱も、触っただけでその脚の状態を把握できるトレーナーとしての腕も、沖野さんのトレーナーとしての実力をアニメで知っている分余計に強く言えない。

ダイワスカーレットにウオッカ、ゴールドシップにリギルからパクッ…………引き抜いたサイレンススズカにトウカイテイオー、メジロマックイーン。そして主人公のスペシャルウィークという史実を知っていたら厨パとしか言いようのないウマ娘達を育てる沖野さんは、本当に凄いのだ。…………脚を触る癖さえなければ。

 

 

 

脚 を 触 る 癖 さ え な け れ ば !

 

 

 

 

「で!名前は?」

 

 

「えっと…………ナイスネイチャ、です。」

 

 

「ナイスネイチャか!いい名前じゃないか!で、どうだ?入ってくれないか?」

 

 

ものっ凄くぐいぐい来る沖野さんに、沖野さんってこんな性格だったっけ?と内心思ってしまったが、そういえばゴルシを使ってスペシャルウィークを拉致していた事を思い出すとこんな感じだったかと納得してしまった。

 

 

「すみません、スカウトは無理なんです。」

 

 

「あぁ……もしかしてもうどっかのチームに入っちゃってる感じか?どうだウチに変えないか?今ならチームメンバーも居ないからマンツーマンで俺が指導できるぞ?」

 

 

いや沖野さん、もし私がどっかのチームに入ってたとしても引き抜きは流石に駄目でしょうよ?

 

 

「いえ、私まだ1年なのでスカウトは受けられないんです。」

 

 

「はぁ!?そのトモで1年ってお前!?嘘だろ?」

 

 

「いえホントなんですケド」

 

 

何故そんなに驚かれるのか私には分からない。確かに、トレーナーの勉強で学んだことを活かして同世代よりは効率良くトレーニング出来ているだろうけど、なんか私が老けてるみたいに言われてるようで物凄く心外である。

残念だけど正直待ち合わせまで時間が無いので、沖野さんには申し訳ないけどここでお別れさせて貰おう。正直もうちょっとお話したい所ではあるんだけどね。

 

 

「すみません、待ち合わせがあるので失礼します。」

 

 

「あ!ちょ!?」

 

 

沖野さんの返事も聞かず寮へと私は走る。ホントごめんなさい沖野さん。今度会ったらちゃんとお話ししますから。主にトレーナー関係について聞きたいです。

美浦寮についた私は急いで身支度を始めた。シャワー浴びて汗を流し、トレーニングの結果をノートに纏める。慌てていてもきちんとストレッチをして、念のため鞄にトレーニングノートとかメモ帳とか、筆記具なんかも突っ込んでおく。もしかしたら必要になるかもしれないからね。

食堂でパパッと軽めの昼食を済ませて予備のジャージに着替えて準備完了。

待ち合わせは美浦寮の玄関前なので何時でも問題無し。

 

 

「おハナさんにどんなお話が聴けるか楽しみだなぁ!」

 

 

気分は遠足前の小学生。ドキドキわくわくが止まらない。

 

 

「早く待ち合わせの時間にならないかなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待ち合わせまで後30分。

 

 

 

 



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第10話



まさか日刊ランキング乗るとは思っていませんでした。
こんな駄文にありがとうございます。

うれしくて小踊りしてたら脚の小指を角にぶつけて内出血しましたがロイヤルビタージュースのお陰で私は元気です。


 

 

「待たせたなネイチャ、遅くなってしまってすまない。」

 

 

現在時刻は午後1時を過ぎて15分。美浦寮の玄関前で待っていた私に対して、ジャージ姿でやって来たルドルフ先輩は申し訳なさそうにしながら合流した。額から少し汗をかいている事からルドルフ先輩が急いで来てくれた事が私には分かった。

 

 

「いえ、ルドルフ先輩もミーティングで遅れたんですよね?寧ろ私が楽しみで早く待ってた位ですよ!」

 

 

「そう言ってもらえると私としても助かるよ。」

 

 

それじゃ行こうか。と、ルドルフ先輩の案内でチームリギルの部室へと歩き始めた。各チームの部室が固まっているエリアは校舎を跨いだ北側の敷地。少し歩くことになるが、私としてはこういうのんびりと誰かと歩くというのは嫌いではない。

寧ろルドルフ先輩とのんびり話しながら歩くのはとても楽しい。基本的に寮の部屋以外では別行動なので新鮮だった。

 

 

「トレーニングの調子はどうだ?順調か?」

 

 

2人で歩きながら、お互いが居ない間の話を他愛もなく話す。それでもやっぱりウマ娘として会話が走りの方向へとなってしまうのは仕方ない事だと思う。

 

 

「はい、トレーニング量は変えずに主にフォームやストライド、踏み込みを重点的にやってます。」

 

 

「そうか、まぁネイチャなら心配は無いだろうが、オーバーワークだけには気を付けるんだぞ?」

 

 

「はい、ちゃんと毎日計算してトレーニングしているので大丈夫です。」

 

 

私はそう言って、バッグからトレーニングノートをルドルフ先輩に見せる。受け取ったルドルフ先輩も、苦笑しながら私のノートの中身を見た。

 

 

「相変わらず良く出来てるな。これなら今からでもトレーナーになれるんじゃないか?」

 

 

「まさか!まだまだ知らない事や分からない事だらけですよ!だから今日はリギルのトレーナーさんのお話を聞けるのが私嬉しくって。」

 

 

返して貰ったトレーニングノートをバッグへとしまいながら、私はルドルフ先輩の言葉に否定の言葉で答えた。実際、私はまだまだ知らない事ばかりでトレーナーのトの字も理解出来ているか怪しいのだ。

今日の体験を元に、もっと精進したいと思っているのが率直な私の思いだ。

 

 

瓜田李下(かでんりか)、謙遜も過ぎればなんとやら…………だぞ。少なくともネイチャ、君ほどウマ娘の人体に理解の深いウマ娘は中等部はおろか高等部にも居ないだろう。その知識は君の努力の結晶なのだからネイチャは誇っていいさ。」

 

 

「分かりました。でもルドルフ先輩、精励恪勤(せいれいかっきん)やるからには全力で!ですよ。」

 

 

「はははは!これは一本取られたな。確かに、驕ることなく全力で努力するネイチャにふさわしい言葉だ。

 

 

おっと、さぁ着いたぞネイチャ。此処が私の所属するチームリギルの部室だ。」

 

 

楽しい時間は直ぐに過ぎるもので、もうリギルの部室へと着いた。目の前にあるのは達筆な文字で書かれた『リギル』の看板。建物自体は他のチームと全く同じだけど、そこだけは他のチームと違って異彩を放っている。

 

 

「遅かったわねルドルフちゃん。おハナさんは中でもう待っているわよぉ?」

 

 

「すまないマルゼンスキー。ネイチャと話しているとつい時間を忘れてしまってな。」

 

 

「という事はその娘が噂のナイスネイチャちゃんね?

初めまして、私の名前はマルゼンスキーよ。よろしくね?」

 

 

大丈夫。もう耐性が付いたからいきなり名バに会っても前みたいにビックリすることは無い。嘘です内心メッチャびっくりしました。

 

 

『スーパーカー マルゼンスキー』

 

 

8戦8勝、重賞2勝うちG1を1勝した名馬、総会得賞金7660万1000円。持ち込み馬ゆえにクラシックには出場できなかったが、その余りの強さゆえに多くのファンから『ダービーに出ていればマルゼンスキーが勝った』と惜しまれるほどだった。

ウマ娘としても、確かにリギル所属だったし時期的にテンポイントさんが居るならマルゼンスキーさんも居るだろうなとは思ってたけど、実際に会うとなんと言うか…………ホントにマブい。

 

 

「中等部1年のナイスネイチャです!何時もルドルフ先輩にはお世話になってます!今日はよろしくお願いします!」

 

 

「元気があってチョベリグね!ルドルフちゃんったらリギルではいっつもナイスネイチャちゃんの事ばっかり話すのよ?」

 

 

「ちょ!?マルゼンスキー!」

 

 

マルゼンスキーさんの口を慌てて抑えようとするルドルフ先輩、その顔は真っ赤である。本人、ていうか私の前でバラされた事が恥ずかしかったらしい。可愛い。

 

 

「もう、別に恥ずかしがらなくても良いじゃない?だって自慢の後輩なんでしょう?」

 

 

「うむ、ネイチャは自慢の後輩だ!」

 

 

何故かそこは即答してしまうルドルフ先輩。言ってからシマッタとばかりに地面に蹲ってしまった。いや……私的には嬉しいですけどね?

でも恥ずかしいなら言わなくていいでしょうに…………

 

 

「さ、お話はこれくらいにして中に入りましょ?おハナさんが待ってるわよ?」

 

 

身悶える事数分、ようやく回復したルドルフ先輩を確認してからマルゼンスキーさんはそう言って部室の中へと私とルドルフ先輩を促した。

マルゼンスキーさん、ルドルフ先輩、私の順番でリギルの部室へと入ってく。所属ウマ娘が多いから私物とか多いのかなぁと思っていたが、流石は管理主義のチームリギル。私物の類は一切なく整理整頓された室内は実に清潔感を感じる物だった。

 

 

「おハナさん遅れてすみません。ネイチャを連れてきました。」

 

 

ルドルフ先輩が部室の中で待っていたおハナさんにまず謝罪した。アニメまんまのキリッっとした印象のおハナさんは、ルドルフ先輩に一瞥した後に私へと目を合わせた。

 

 

「午前中のミーティングが長引いてしまったから仕方無いわ。ルドルフ、彼女が貴女の言ってたナイスネイチャね?」

 

 

「中等部1年のナイスネイチャです!本日はよろしくお願いします!」

 

 

「私がチームリギルのトレーナーをやってる東条ハナよ。担当の娘達からはおハナさんって呼ばれてるからナイスネイチャも好きに呼んでいいわ。」

 

 

優しく微笑むおハナさん。第一印象はOKだったらしい。

 

 

「えっと、私の事は長いのでネイチャと呼んでいただければ幸いです、おハナさん。」

 

 

「じゃあそうするわね。取りあえず立ち話も何だから座っ「お!ナイスネイチャじゃねぇか!」…………沖野。」

 

 

おハナさんが私達に席を勧め様とした時、被せる様に部室の入り口から声が聞こえた。

 

 

「なんだよ待ち合わせってリギルん所だったのかよ!言ってくれりゃ俺が案内したのによぅ?」

 

 

「まず礼儀としてノックをしろと何回言わせるの沖野!」

 

 

おハナさんの言葉を遮ったのはお昼前に会った沖野さんだった。実に2時間ぶりの再会である。しかもおハナさんのお小言をヘラヘラ笑ってスルーしている。

 

 

「ネイチャ、知り合いだったのか?」

 

 

どうやらルドルフ先輩は沖野さんを知っていたらしい。まぁ、今みたいなやり取りを見せられたら普段からやっているんだと思うから納得である。

 

 

「えっと…………午前中のトレーニングの時に初めてお会いしました。」

 

 

「それにしてはやけに親しげだったが?」

 

 

「さ、さぁ?私もいきなり脚を触られてびっくりしてたので何が何だか…………」

 

 

言ってから私はミスッたと思ってしまった。スゥーとルドルフ先輩の目からハイライトが消えて、耳を絞り脚で部室の床をしきりに搔いている。やばい、あれは入学初日に私が遭遇した暴君(ライオン)モードだこれ。

ルドルフ先輩は蹄鉄付きシューズを履いている為、静まり返った部室に金属の摩擦音が反響する、一回音が鳴るごとに沖野さんの顔がどんどん真っ青になっていく。

 

 

「「…………ほぅ?」」

 

 

何とか穏便に済ませようとおハナさんに助けを求める様に顔を向ければ、希望は既に切れた蜘蛛の糸。案の定おハナさんもルドルフ先輩と同じ様に眼鏡越しに目が般若みたいになってる。ごめんなさい沖野さん私の失言でした。

 

 

「えぇ~と……お2人さん?一旦話し合おうか?」

 

 

「はぁい、じゃあネイチャちゃんはちょっとお外でお姉さんとヤングなお話でもしてましょう?」

 

 

私はマルゼンスキーさんに背中を押される様にして部室から外に連れ出された。連れ出される寸前に見えた沖野さんの目、あれはライオンに睨まれた草食獣みたいだった。

ごめんなさい沖野さん。でも正直ウマ娘に対してのあの行為は自業自得です。

 

ゆっくりと閉じられる部室のドアがまるでライオンが獲物に襲い掛かるカウントダウンに見えた。…………南無

閉じられた後の出来事について…………私は知ることは無かった。

 

 

 





すみません、一回で終わらせるつもりだったんですが流石に徹夜3日目は限界でした。

中途半端に感じるかもしてませんが2回に分けさせていただきました。申し訳ありません。


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第11話

本日三話目!
ロイヤルビタージュース(モンエナ)の効果で無事睡眠不足です!
皆さんこんな駄文を見ていただきありがとうございます!


【挿絵表示】

あらすじにも張りましたが本作のネイチャをイメージしやすい様に拙いですがナイスネイチャを書きました。
アナログですみません。


 

 

私とマルゼンスキーさんが再びリギルの部室へと戻った時、まず目に飛び込んできたのはソファーにぐったりと座り込んでいる沖野さん。例えるならば『燃え尽きたぜ……真っ白にな』状態。

それだけならまぁ、良いのだけど(良くはないが)沖野さんの両頬に真っ赤に染まった手形が如何せんシュールさをかもし出している。正直言って凄く残念だった。

 

おハナさんはため息を吐きながら頭に手を当てていた。ルドルフ先輩は少しだけスッキリした表情で私に手招きをしている。

 

 

「お話は終わったんですか?」

 

 

「あぁ、直ぐに終わったさ。取りあえず話の続きをしよう、ネイチャはこっちのソファーに座ってくれ。」

 

 

ルドルフ先輩がポンポンと自分が座っている隣を叩く。私は促されるままルドルフ先輩の隣に座るのだが、何故マルゼンスキーさんは私の隣に座るんですか?

対面のソファーには例の沖野さん(白い燃えカス)が未だぐったりとしており、嫌々といった感じでおハナさんがその隣に座った。

 

 

「ネイチャ、まずはごめんなさい。こいつは何故か才能あるウマ娘のトモを触る悪い癖があるのよ。こいつから事のあらましは聞いたけど。いきなり触られただけでも不快だっただろうに、その上学年も考えずスカウトまでとは…………」

 

 

そう言いながら深々と頭を下げるおハナさんに私は焦ってしまった。

 

 

「そんな、おハナさんは何も悪くは無いですよ!」

 

 

「これはトレーナーとしてのケジメよ。トレーナーはウマ娘の為に存在すると言ってもいいの。貴女達を輝かせる為に居る私達が貴女達に下手をすればトラウマになってもおかしくない事をした。それはトレーナー全体の信用を堕とす行為と言ってもいいのよ。」

 

 

「ゆ、許しますから頭を上げて下さい!」

 

 

「本当にごめんなさいね。でも沖野の才を見る目は本物なの。こいつが凄いと言ったのならネイチャ、貴女は十分誇れる才能を持ってる。本当なら今日は貴方の夢についてお話するだけのつもりだったけど、もし良ければネイチャの走りを私にも見せて貰えないかしら?」

 

 

「私なんかで良ければ是非お願いします。」

 

 

漸く頭を上げてくれたおハナさん。私はおハナさんの態度を直に見て、本当に私達ウマ娘が大切なんだなぁと感じてしまった。

 

 

「さて、それじゃ本題に入りましょうか。一応ルドルフから簡単には聞いているんだけど、改めてネイチャから聞かせてくれる?」

 

 

そうして始まったおハナさんとの面談。面談?まぁ、基本はルドルフ先輩が話してくれているらしいので私は夢の原点からおハナさんに話し始めた。最初はウマ娘がキラキラしている姿が好きだった事。そこから私自身がウマ娘を支え、キラキラする為の手助けをして、叶える瞬間を最も近くで見ていたい事。

 

もしかしたらおハナさんやそこでぐったりしているトレーナー(沖野さん)からすれば青臭い夢物語に聞こえるかもしれない。トレーナーはそんなに甘いものじゃ無いと否定されるかもしれない。けど私はテンポイントさんに啖呵を切ったあの日から既に覚悟を決めているのだ。

必要なら三冠だってなんだって取ってやる。最後にそう口にして、私はおハナさんと復活していたトレーナー(沖野さん)の顔を見た。

 

意外な事に、2人とも笑顔で私を見ていた。後マルゼンスキーさん、私の頭を撫でるのは何でですか?ルドルフ先輩も、なんで私の手を握ってるんですかね?

 

 

「いい夢だ。俺達トレーナーが、1番トレーナーをやってて良かったって思える瞬間はネイチャ達が夢を手にした瞬間の笑顔だ。

ネイチャ風に言うなら最高にキラキラした状態ってやつさ。」

 

 

沖野さんが良い笑顔で私の夢に対して答えてくれた。本当にあの癖さえなければかっこいいトレーナーなのに。

 

 

「でもねネイチャ、夢を見るだけじゃダメよ。ちゃんと自分から手を伸ばさなくちゃ。」

 

 

そう言っておハナさんはソファーから腰を上げるとトレーナー用のデスクから何枚かの写真を持ってきて私に見せてきた。

写真はウマ娘の脚のレントゲン写真。更に追加で幾つかの論文が書かれた資料も私に見せた。

 

 

「これが何か分かるかしら?トレーナーは何もただ貴女達を指導している訳じゃないわ。脚の負担を少しでも軽減させたり、少しの不調でも見逃さない様な知識も必要よ。」

 

 

一緒にレントゲン写真をのぞき込むルドルフ先輩も、マルゼンスキーさんも写真の内容に関しては分からない様で首を傾げている。沖野さんはレントゲン写真を一目見て何か分かったようでちょっとニヤついていた。

 

 

エビですよね。それも極初期の症状で合ってますか?」

 

 

エビ、もしくはエビハラとも呼ばれる病気。正式名称は屈腱炎である。

前世の競走馬において屈腱炎は、上腕骨と肘節骨をつなぐ腱である屈腱(大きく外側の浅屈腱(せんくっけん)と内側の深屈腱(しんくっけん)の2つからなる)の腱繊維が一部断裂し、患部に発熱、腫脹を起こしている状態のことで、前肢に起こる場合が多く、また深屈腱より浅屈腱に発症例が多い。

詳しい発症の原因は現代医学ではまだ不明であるが、継続的・反復的な運動負荷によって起こると推定されている。

ナリタタイシンやウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンにフジキセキ等多くの名馬達の引退に追い込んだ『不治の病』『競走馬のガン』なのだ。

 

ウマ娘においては主に脚首で発症する。足首の腱が炎症を起こし、最悪の場合断裂してしまう者も居るほどだ。レントゲン写真は極初期の症状で腫れ等は見て取れないが、良く見れば腱部に僅かな膨張が見て取れる。

そしてこの論文。ドイツ語なので全てを読む事は出来ないが、要所要所の単語などは参考書や辞書で調べた事があるので大まかな内容自体は分かる。

 

 

「…………良く分かったな。」

 

 

沖野さんが唖然とした表情で私を見ている。おハナさんもルドルフ先輩も、そしてマルゼンスキーさんも言葉には出していないが驚いている様子だった。

 

 

「トレーナーになると決めた日から主に医学系を中心に参考書を買いました。トレーニング系は最悪サブトレーナーとして勉強すればいいと考えていたので。」

 

 

「確かにそれは屈腱炎のレントゲン写真だ。新型の装置を使って初めて超音波測定以外で発見出来たヤツでトレーナーの間じゃちょっとした話題になった。上手く行けば治療法が確立できるかも知れねぇからな。」

 

 

どさっとソファーに深々ともたれかかり、沖野さんは私に呆れた様に言葉を続ける。

 

 

「お前本当に中等部か?新人トレーナーでもコレは多分分かんないぞ?」

 

 

「病気が最大の障害になると思っていたので重点的に勉強しました。最近はネットでも論文なんかは閲覧出来ますし、脚部に関してはルドルフ先輩が協力してくれたので比較的理解しやすかったのもあります。

こんな感じで毎日のトレーニングの結果も纏めているので。」

 

 

そう言って私はドヤ顔しているルドルフ先輩を無視してバッグからトレーニングノートを取り出して2人に手渡した。沖野さんもおハナさんも、私のノートの内容を確認してから溜息を吐いた。

 

 

「明確な目的とそれによる日々の変化。数字で視覚化してグラフを作って問題点を明らかにして課題を選出する…………ネイチャ、貴女今からでもウチでサブ張れるわよこれ。」

 

 

「これを中等部が自主的にやってるって、正直化け物だなこりゃ…………イデッ!!」

 

 

私を化け物呼ばわりした沖野さんは直後にテーブル下でルドルフ先輩の脛蹴りを喰らった。女の子を化け物呼ばわりするからだ。

 

 

 

「医学系に偏ってる気はしなくもないけど、知識も十分。ネイチャの覚悟は見せて貰ったわ。結論としては、私は貴女の夢に何の疑念も無いし、幾らでも協力してあげられる。

けど残念だけど、リギルとしては貴女が2年になってもスカウトすることは出来ない。」

 

 

「な!?何でですかおハナさん!!」

 

 

なんで私じゃなくてルドルフ先輩が一番驚いてるんですかね?いや私も驚いてはいますよ?けど私以上に驚くルドルフ先輩を見ると何というか、そっちの方が驚きな訳で。

 

 

「リギルは管理主義。そこはネイチャとは似ているわ。」

 

 

「だったら!」

 

 

「だからこそよルドルフ。リギルに居てはネイチャの技術は上がっても才能は伸びないの。リギルはウマ娘の能力を均一に上げていくトレーニングが主よ。勿論個人によって最適なトレーニングを選んでいるけど、言ってしまえば長所を生かしつつ短所を埋めてバランスよく安定した戦術を得意としているの。だからネイチャの様な特化型の才能を持つウマ娘を成長させてあげるには十分な環境じゃないのよ。」

 

 

「だからこそ俺の出番って訳だ!リギルが管理主義ならうちは言ってしまえば放任主義。最低限のトレーニングで基礎を抑えつつ長所を徹底的に伸ばすやり方がスピカだ。特にネイチャの場合はトレーナーの勉強もしたいだろ?トレーニング時間に拘束されやすいリギルとは違ってスピカは最低限俺の指示したトレーニングをやってくれたら後は自由だ。」

 

 

「遺憾なのだけどね。こんな良い才能を変態(沖野)にみすみす渡さなきゃいけないなんて。」

 

 

こう言われては流石のルドルフ先輩でも黙るしかなかったのだろう。悔しそうに俯いていて、マルゼンスキーさんに慰められていた。

 

 

「トゥインクルシリーズとしてはスピカに任せるしかないけど、トレーナーの勉強については私も面倒を見るわ。ネイチャの場合は多くの指導者から様々なトレーニング法や指導方法を学ぶことが重要だから、私と沖野以外にも信用できそうなトレーナーに相談して持ち回りで面倒を見てあげる。」

 

 

「いいんですか!?」

 

 

「もちろん。将来の後輩になるかもしれないのよ?ビシバシ鍛えてあげるから覚悟しなさい?」

 

 

「有り難うございます!」

 

 

まさかおハナさんからそう言って貰えるとは思ってもみなかった。しかも複数人の現役トレーナーから指導して貰えるチャンス、めちゃくちゃ嬉しい。

 

 

「それじゃあネイチャ。来年からはスピカで宜しく頼むぞ。その代わり俺のトレーナー知識も教えてやるからな。それまでは今の様にお前自身でナイスネイチャをトレーニングしてみろ。」

 

 

「はい!よろしくお願いします!」

 

 

ルドルフ先輩はまだ落ち込んでいるのか…………後で慰めてあげようかな。

 

 

「そんじゃおハナさん。ネイチャのウマ娘としての実力を見るか?せっかく体験入部なんだしよ。」

 

 

「そうね、他の体験入部の娘は先に練習場でウチの娘とやってるから急いで行きましょうか?ネイチャ、行けるわね?」

 

 

「はい!行けます!」

 

 

話し合いと今後の予定も決まった。カノープスではなくスピカに入部することになるとは思わなかったけど、既にアニメと違う以上とやかく言っても変わらない。

今は貴重な体験入部を経験させて貰おうかな。

 

 

沖野さん私、ルドルフ先輩、マルゼンスキーさん、最後におハナさんの順で部室から出る。そういや、今のリギルメンバーって誰なんだろう?

ちょっとだけ興味を持ちながら、私たちは練習場へと歩いて行った。

 

 

 



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第12話


休憩で煙草吸ってたら、あれ?ネイチャと沖野さんってめっちゃ似合うんじゃねって思いついたので試しに書いてみました。

作中ネイチャが吸っているのは煙草ではなくアロマシガーと設定したレース前や後にウマ娘の興奮状態を鎮静させる医薬品の一種です。

競馬では入れ込んだり馬っけを出したりして興奮している競走馬も居るらしいのでそれを知ってこのような設定をしました。

私も喫煙者ですが別に煙草を推奨している訳でも、未成年の喫煙を擁護するつもりもありませんのでお間違いの無いようお願いします。

どうしても気に入らない方はブラウザバックして読み飛ばす等お願いします。


 

 

練習場への道すがら、私たちは他愛も無い話をしていた。私としてはおハナさんが私の作ったクッキー等のお菓子に食いついたのは意外だった。

ちょっと失礼だけど、やっぱり女性だから甘い物が好きなのかな?とも思ったのだが、どうやら夜遅くまで仕事をしているから気分転換にコーヒーに合うつまめるお菓子が好きとの事。うーん基準が仕事人間なのはどうかと思う。

 

沖野さんはそんなおハナさんをからかってはおハナさんからの肘鉄に悶絶していた。そんなトレーナー同士のやり取りを見て私とルドルフ先輩、マルゼンスキーさんの3人で笑ったりもした。

何度目か分からないおハナさんの肘鉄を喰らった時、沖野さんの胸ポケットから小さな箱がポロっと落ちてきた。なんだろうな?と思ったが、それを拾ったおハナさんは呆れた様に溜息を吐きながら沖野さんへとその箱を突き返した。

 

 

「貴方、まだ止めてなかったの?ウマ娘は嗅覚も鋭いんだからそんな自分にも周りにも害しかない煙草なんかいい加減止めなさい?」

 

 

「すまん。何とか本数は減らせてるんだがまだまだ禁煙には程遠くてな。」

 

 

どうやら沖野さんが落とした箱は煙草だったらしい。おハナさんから受け取った煙草を胸ポケットへ仕舞いながら、私がじっと見ているのに気付いた沖野さんが笑いかけてきた。

 

 

「なんだ、興味あるのか?止めとけ止めとけ。こいつは百害あって一利無しのしろもんだ。ネイチャにゃ似合わねぇよ。」

 

 

そう言って笑っている沖野さんだが、ぶっちゃけ前世喫煙者だった身としては沖野さんの言ってる事の意味は分かっていてもつい吸いたい気分になってしまう事がある。

 

それに幼い頃のナイスネイチャ…………前世を思い出す前の事だが、商店街のおっちゃん達はほぼ全員が喫煙者だったので実は煙草の匂いを嗅ぐと商店街の日々を思い出してとても懐かしい気持ちになってしまう。

高い所の物に手が届かなくておっちゃんに抱っこされた時、お店のお手伝いを頑張り過ぎて疲れてしまいおっちゃんにおんぶされて家に帰った時…………

おっちゃん達の服に染み付いた煙草の匂いが好きだった。実の父を知らないナイスネイチャにとっては、おっちゃん達に染み付いた煙草の匂いが父親の匂いに感じられた。

つい懐かしさを思い出して喋ってしまったが、勿論私自身はどんなに煙草を吸いたくても法律は守る。未成年喫煙ダメ絶対!

 

 

「そうか…………良いお父さん達だったんだな。」

 

 

そう言って優しく微笑む沖野さん。待って、なんでおハナさんは眼鏡をずらして目頭を手で押さえてるんですか?マルゼンスキーさん頭を撫でないで下さい。ルドルフ先輩、何ぼそっと今度お父様に電話しようって呟いているんですか?聞こえてますよ!

 

 

「流石に煙草はやれん。やれんが………ネイチャには丁度良い物がある。」

 

 

そう言って沖野さんベストの内ポケットからまた別の箱を取り出した。箱の大きさは先ほどの煙草と同じ位の大きさでちょっと縦長な印象。

 

 

「これは煙草に似ちゃいるが全くの別モンだ。主にレース後に興奮したウマ娘用に使われる物でな、自然由来の素材を使った鎮静効果のある便利な物だ。

現代の西洋医学とは違って漢方を使う東洋医学に近いアプローチだからウマ娘の体に対して副反応が出る事も無い。考え方としちゃアロマオイルに近い代物で、名前もまんまアロマシガーって言うんだ。」

 

 

まぁ、最近は副反応も出ない錠剤タイプやガムタイプが出てきたから殆ど使われることは無くなったがな。そう言って私に手渡してきた沖野さんにお礼を言いながら箱を眺める。

箱には大きく目立つようにウマ娘用鎮静剤、喫煙タイプと書かれている。多分間違えて煙草を吸わない様にしているのだろう。少し箱を開けて匂いを嗅げば、漢方薬独特の匂いと共に甘いバニラの匂いがした。

 

 

「ついでだ、まだ早いがスピカ入部記念にこいつもやるよ。」

 

 

そう言って手渡されたのは年季の入った銀色に輝くジッポライター。所々細かい傷があるが、それが逆に良い味を出していて私は一目見てこのジッポライターが気に入った。

 

 

「俺がトレーナー合格祝いに貰ったヤツだがネイチャにやる。このジッポにもお前の夢を見させてやってくれ。」

 

 

「…………良いんですか?」

 

 

「おう、やるやる。オイルと代えのフリントは明日にでも家から持ってきてやるからな。

あ…………おハナさん、丁度そこの建物の影に喫煙所があるから試しに使わせてもいいか?」

 

 

「…………仕方ないわね。少しだけよ?」

 

 

沖野さんはおハナさんにそう断って私を喫煙所へと案内すべく連れ出した。校舎裏の入り組んだ影に隠れる様に設置された簡素なプレハブ小屋の喫煙所。ウマ娘達の邪魔しない様にひっそりと建てられたその喫煙所に私と沖野さんは入った。

私は沖野さんから手渡されたまま手に持っていたアロマシガーを早速開いた。

数本減ってはいたが、特に嫌悪感を持つ事も無く一本引き抜いてアロマシガーを口に咥えた。

 

前世では私もジッポライターを使っていたので、慣れた手つきでジッポの蓋を親指で弾いて開け火をつける。ゆっくりと軽く吸って、煙を肺へと満たしていく。

前世で吸っていた煙草とは全く違う甘くちょっと薬っぽい味。

多分吸いたい欲求もあったと思うが、ウマ娘用に作ってあるだけあってとても心地良かった。

隣では沖野さんが胸ポケットから普通の煙草を取り出して気まずそうにしていた。

 

 

はは~ん、さては私にジッポライターを譲ったからライターが無いな?

 

 

私は特に何も言わず、無言で口に咥えたアロマシガーを手に取ると沖野さんの方へと向けた。沖野さんも何も言わず、その火に煙草を近づけ火を移した。

間接的なシガレットキスみたいな物だが生憎その程度で感情を揺らされる様なお子様ではない。沖野さんも特に何も思う事も無かったのか、お互い無言で隣り合って煙草とアロマシガーをのんびりと嗜む。

こうしていると前世の職場の同期を思い出す。お互い嫌なことがあると何も言わず喫煙所に行って隣合って煙草を吸った物だ。ちょっと同期が懐かしいな。元気にしているだろうか?

 

 

「…………一応注意しておくが、喫煙所以外では吸うなよ?必要なら携帯灰皿を買ってきてやる。」

 

 

「分かってますよ。沖野さんもポイ捨てなんて駄目ですからね?」

 

 

「こいつぅ!」

 

 

そう言って沖野さんと少しの間にらめっこした後、2人仲良く笑い合った。示し合わせた訳でもないのに、2人そろって天井へと煙を吐く。天井へと立ち昇る2つの白煙。案外、沖野さんとは上手くやれるかもしれない、私はそう感じた。

後、もしかしたらアニメで良く舐めてた蹄鉄型の棒付きキャンディーって禁煙した反動だったのかな?

だとしたら沖野さんの禁煙フラグを折ってしまったかもしれない。将来のチームスピカの面々が嫌がらない事を祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方その頃

 

 

「あらぁ?案外良い雰囲気じゃない?」

 

 

「流石に担当に手を出す程沖野はバ鹿じゃ無いわよ。」

 

 

喫煙所を遠くから眺めるマルゼンスキーとおハナさん。ナイスネイチャと沖野さんが喫煙所へと向かった後、心配だと騒ぐシンボリルドルフを落ち着かせる為にこっそりナイスネイチャと沖野さんの2人を付けていたのだ。

 

 

「…………なんか息ぴったりで悔しいです。」

 

 

ムスッっとした表情で言うシンボリルドルフにマルゼンスキーとおハナさんは苦笑しながら確かにと思ってしまった。

今日出会ったばかりのはずなのにまるで長年付き添った相棒の様な雰囲気を出す2人。実際はナイスネイチャが前世が男だった事、精神年齢が沖野さんよりも上な事で男性と二人っきりでも落ち着いているだけでお互い何かを意識しあっている訳では無いのだが、マルゼンスキーとおハナさんからはそれが代えってホームズとワトソンの様な相棒の様に見えてしまった。

 

 

「…………悔しい」

 

 

そう漏らすシンボリルドルフ。内心大事な後輩が取られてしまうんじゃないかと気が気じゃ無い様だった。

 

 

「少しはネイチャを信頼しろルドルフ。全く、前から思っていたがお前はネイチャが絡むと少しポンコツになっているぞ?」

 

 

シンボリルドルフを呆れた目で見ながら、おハナさんはシンボリルドルフに対してそう注意した。

 

 

「取りあえず、2人共帰ってきそうだし私達も戻りましょうかおハナさん?」

 

 

「そうね、気づかれても面倒だし戻りましょう。行くわよルドルフ。」

 

 

今にも突撃しそうなシンボリルドルフの首根っこをひっつかんで、おハナさんとマルゼンスキーは元の場所へと戻っていく。駄々っ子(シンボリルドルフ)は、ネイチャ達が帰って来るまで治らなかった。

 

 

 

 






何時も誤字指摘有り難うございます。自分で書いた分気づかずにいた箇所もあってとても助かっています。

これからも、この駄文をよろしくお願いします。


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第13話



思ったより前話の反応が良くってびっくりしました。
流石に批判来るかなぁとびくびくしていたので好評で良かったです。


誰かアロマシガーを吸ってるネイチャさん描いて(失敗した人感


 

 

沖野さんと共に私達が喫煙所から戻った時ルドルフ先輩が何故か不機嫌だったものの、特にトラブルに見舞われる事も無く私たちは体験入部が行われている練習場へと到着した。

おハナさんを先頭に練習場に入って行った為リギルのチームメンバーや体験入部の1年生から私は変な目で見られた。確かに誰とも知らないウマ娘が自分のトレーナーと歩いてたら気になっちゃうよね。

 

 

「おハナさん遅かったですね。体験入部の娘、皆待ってますよ?

あと、そちらの方は?」

 

 

アニメにも出ていなかった知らない上級生がおハナさんに話し掛けてきた。多分リギル所属なんだろうけど見たことは無い。

 

 

「私の知り合いトレーナーのスカウト候補よ。今回の展示レースで特別に出走してもらう事になったわ。」

 

 

「そうなんですね。展示レースの参加者は全員アップを済ませていますので何時でも行けます。」

 

 

「分かったわ。有り難うカツラギエース。」

 

 

いえいえ~と言いながら離れていくウマ娘。いやちょっと待てよなんでそんなヌルっと名バが出てくるんだよリギルは!そう心の中で叫ばずにはいられない。

 

 

「そういう事だからネイチャ。貴女は展示レースで1年生代表で走ってもらうわ。」

 

 

「わかりました…………因みにアップの時間とかは?」

 

 

「10分上げるわ。なるべく早く済ませてね。」

 

 

「了解です。」

 

 

体験入部だからリギルのトレーニングを見させて貰えると思っていたのだけど。まさか初手に展示レースとは…………

距離は一年生にも分かりやすくする為に1600mとの事だけど、まぁ上級生に何処まで戦えるか知れるし良いかな。沖野さんは思いっきり私にサムズアップをしてくるし、ルドルフ先輩は私を応援するかリギルのチームメンバーを応援するかで迷ってるみたい。

いや、そこはチームメンバーを応援しましょうよルドルフ先輩?

 

ジャージを脱いで手早くアップを済ませようと体を動かしていると、後ろから私の方に近づいてくる足音が聞こえた。おハナさんかと思って私が振り返るのと、近づいて来たウマ娘が声をかけて来たのはほぼ同時だった。

 

 

「すまない。少し良いだろうか?」

 

 

「集中している所ごめんなさい。1年生代表で走るって聞いて同級生として応援したくて…………」

 

 

鹿毛と栗毛の2人のウマ娘。そうでしたね、スぺちゃんより前ならそりゃ貴女達も入学してますよね。

 

 

「確か、エアグルーヴさんとサイレンススズカさんで合ってましたか?」

 

 

「話したことは無かったが知っていて貰えるとは光栄だ。私もナイスネイチャの事を応援したくてな。」

 

 

そりゃ、貴女達の事は前世から知ってますとも…………とは流石に彼女達には言えないが、実際問題エアグルーヴさんもサイレンススズカさんも最近の模擬レースで1着常連となっていて同世代では有名だった。

 

 

「この前の模擬レース、お2人共凄かったです。あれ、でも私って自己紹介してませんよね?」

 

 

「ナイスネイチャさんは私達よりも有名ですよね?」

 

 

「え?なんで私が有名なんですか?」

 

 

「「え?」」

 

 

「え?」

 

 

何故か2人から私が有名人扱いされ困惑する。私は最初の1回以外模擬レースに出場していないのに何故?

 

 

「だって何時もテンポイント生徒会長と親しげにされてますよね?」

 

 

「テンポイント会長がトウショウボーイ副会長とグリーングラス副会長、1年生の君以外で笑って自分から話しかける所を見たことが無いんだぞ?」

 

 

「そうなんですか?テンポイントさんは何時も私の作ったクッキーを美味しそうに食べてくれますけど…………」

 

 

しかし、確かに思い出してみればテンポイントさんが私とトウショウボーイ先輩とグリーングラス先輩以外の人との会話で笑っている所を見たことが無い。また生徒会の仕事の話かなとその時々で思っていたけど、まさか仕事以外でもそうだったのか。

 

 

「何となく分かりましたけど、それだけでエアグルーヴさんとサイレンススズカさんより有名になりますか?」

 

 

「たわけ。ナイスネイチャは何時も休み時間に論文を読んでいるではないか。授業以外にも難しい外国語の論文を読んでいるのをクラスメイトが見ていたのを知らないのか?」

 

 

はい、すいません知りませんでした。というか私ってクラスメイトと殆ど会話したこと無いんです。休憩時間は論文か参考書読んでるし、昼休みは昼食がてら生徒会に遊びに行っているので…………そこ、ボッチとか言うな!

 

 

「私達実はナイスネイチャさんがレースで走っている所を見たこと無いんです。だから頑張ってって応援したくて。」

 

 

サイレンススズカさんが両手を胸の前に持ってきてグッと握ってそう言ってきた。サイレンススズカさんの隣でうむ、と頷いているエアグルーヴさんもサイレンススズカさんと同じ感じらしい。

仕方ない、これは全力で走らねばいけない。いや最初から走るからには全力でやりますけれどもね?

 

 

「有り難うございます。あ、私はネイチャと呼んでもらって大丈夫です。敬語も無しで良いですよ!」

 

 

「そうか、ネイチャも敬語じゃなくても良いぞ。」

 

 

「私もスズカと呼んでください、ネイチャさん。」

 

 

そう返してくれる2人。アップも終わったので私は2人に『勝ってくる』とだけ返して、おハナさんの所まで戻ることにした。

既にゲートが設置され、リギルの参加者が体を冷まさない程度に集まっていた。

 

 

「おハナさん、お待たせしました。」

 

 

「時間ピッタリね。それじゃ始めましょうか。」

 

 

私にゼッケンを渡してくるおハナさんにお礼を言って、何時でもゲートイン出来るように心を切り替える。

幸いな事に私は枠は大外枠。これは距離のロスという点では確かにデメリットだけれども、現段階で2400mを走り切れる私のスタミナなら1600mでのロスなど些細な問題だ。

むしろ大外からブン回せる訳で、下手にバ群に囲まれる心配が無い分メリットの方が大きいとさえ言える。

 

 

「ネイチャ、俺はまだお前のトレーナーじゃないしお前の走りを見た訳でもないが、少なくとも今回出走するウマ娘の中じゃダントツの才能だと思ってる。」

 

 

内枠から順番にゲートインしているので、順番待ちをしている私に外ラチから沖野さんが私に話しかけてきた。そういえば、第一印象が強すぎたせいで忘れてたけど沖野さん私の走りを見た事が無かったのか。

 

 

「公式レースじゃないし、まだ本格化前だ。あまり脚の負担になるような走りをして欲し「違うでしょ沖野さん」ん?」

 

 

「まだ沖野さんは私の担当じゃないし、私は沖野さんに走りを見せても居ないけど、これからの愛バがレースに出るんだから言う言葉、分かってるでしょ?」

 

 

「そうだな。そうだった…………ネイチャ。」

 

 

 

『勝ってこい』

 

 

 

「はい、勝ってきますよ沖野さん。」

 

 

私は沖野さんにそう返して丁度私の番となったゲートインを手早く済ませる。レース自体はこれで2回目だけど、誰かに勝ってこいと応援されるのは凄く熱くなるね。

今回の作戦は前回と同じで差し。今までのトレーニングの成果をフルで生かせる作戦だ。

走る体勢になり、極限まで集中力を研ぎ澄ます。差しだから出遅れても多少問題無いとはいえ、それでもしない方が良いのは当たり前の事。

 

 

ガコッ!!

 

 

という音と共に、開いたゲートを駆け抜ける。出遅れは無し。やはり上級生は1年生よりもレース経験がある為そう易々と出遅れはしないのは流石の一言。

9人立てのレースで序盤の位置争いに参加せず、現在私は8番手。リギルは先行差しの作戦を好む為に逃げは無し。事実上先行が逃げの様な形となっている。

 

序盤のストライドは少し広め。ピッチを落してスタミナの消耗を抑える巡航ストライドで最初のコーナーまで走る。ストライドは一歩一歩が広いので脚の消耗が多いが、その分歩数が少ないのでスタミナを温存しやすい。

逆にピッチは歩幅が狭い分脚の消耗は少ないが、回転数を上げないと加速できずスタミナの消耗も多い。

 

私はこのストライドとピッチの回転数をレース中に変えるトレーニングをしてきたので最初の模擬レースより多少はスムーズに出来ているが、余裕の出来た頭でしっかりと周りを観察することも忘れてはいけない。

最初のコーナー、脚のストライドを落しピッチを上げる。ピッチを上げた事でスタミナの消耗が増えてしまうが、歩数を稼いで脚の接地回数を増やすことで前までの強引なコーナリングからよりスムーズに、ロス無く曲がれる様になってきた。

体を可能な限り内ラチへと傾けて、遠心力に負けない様に走る。遠心力で脚への負担が増える事も、歩数を稼ぎ一回の接地時間を減らす事で少しでも減らせた。

ピッチを増やしたことで少し荒く乱れる呼吸。大丈夫、まだ問題にするほど消耗していない。

まだまだスタミナは残っている。私のポジションは陸上で言えば1レーン外で走っているような感じ。一目でロスの大きい走りだと分かるが、だからこそ妨害なんて一切ない。

2コーナーを抜け直線へ、コーナーストライドから巡航ストライドへと戻して一息つく。差し処は4コーナーから最終直線の入り際。そのギリギリで一気に末脚による加速を狙う。

 

 

(全体のペース自体は逃げが居ない分遅いけど、逆に言えば全員最後で加速出来るスタミナと脚が残っているという事!)

 

 

最初の模擬レースでは逃げウマが居た事、皆入学後初めてのレースという事もあってハイペース(それでも上級生から見れば遅いが)だった。けど今回は前回みたいに甘くはない、何せ相手は全員上級生なんだから。

 

 

(スタミナはまだまだ残ってる。少し早いけど3コーナーから仕掛けよう。)

 

 

私は少しだけピッチを上げた。ゆっくりと加速していく私は、1人2人と少しずつ順位を上げていく。勿論中には抜かせまいと加速してくるウマ娘も居るが、それはそれで勝手に多くスタミナを消費してくれるのだから私としてはありがたいだけ。

現在の私の順位は5番手、前4人はほぼ一直線で並んでいる状態で第3コーナーへと入っていく。

 

 

(よし!ここだぁ!)

 

 

残して置いたスタミナに物を言わせて一気にスパートストライドへとフォームを変える。体を前に倒し、ストライドを広げてピッチを限界まで上げる。

コーナーで使うと外に外にと遠心力で流されてしまう欠点はあるけれど、最終直線の短い今回では少しでも最高速まで加速する距離を取りたかった。

 

タイヤ引きで培った踏み込みのパワーが、芝で覆われた土をまるでダートの様に蹴り飛ばしていく。先頭との距離は4バ身、先頭のウマ娘も最後のスパートをかけ始めたけどもう遅い。

もうそこは私の射程圏内だ。

 

4番手のウマ娘を抜かし、3番手を抜かした所で4コーナーを曲がって最終直線へ。

遠心力が無くなって更に前へと加速していく。2番手まで半バ身。先頭とは残り1バ身半。

 

大外とまでは言わないけど、遠心力で外へと膨らんでいる私の前に障害となるウマ娘(2番手、1番手)は居ない。後は末脚任せの根性勝負。

 

ゴール板まで残り50mで私は先頭を躱す。負けじと抜き返そうとする先頭だったウマ娘も、加速する距離の無い今では抜き返せない。

 

そのまま誰も抜かせぬまま、一気に私はゴール板を走り抜けた。

 

確定のランプと共に電光掲示板に映る1着の数字は私のゼッケンと同じ9番。2着との差は1バ身半だった。

 

 

 

(私が1着……初勝利………ヨシッ!)

 

 

速度を落としながら、私は誰にも見えない様に小さく小さくガッツポーズをした。

 

公式戦でも何でもない。ただの展示レースである。けど日々のトレーニングの成果が出た、私にとって人生初の勝利したレースとなった。

 

 

 

 



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第14話


頑張ってシリアス沖野さんをやってみたけど、これ大丈夫かな?
沖野さんキャラ崩壊してない?






 

 

『勝者がいれば敗者が居る』

 

競い合い、命の蝋燭を揺らめかせ、それでも夢の為にターフを走るウマ娘が避けては通れない現実がそれだ。

初勝利に心躍りながら、沖野さんやおハナさん、見学している体験入部の1年生達の所まで呼吸を整えながら私は歩いていく。沖野さんは私の走りを見てどう思ってくれただろうか?

今直ぐにでも指導してみたくなっただろうか。それとも私の脚でも心配してくれるかな?

 

エアグルーヴやスズカ、ルドルフ先輩もおハナさんも、ちゃんと見ててくれただろうか?

私が勝利したことを祝ってくれるだろうか?それとも上級生に勝てた事に驚いた顔をしてくれるかな?

 

そんな事を内心言葉にしながら、私は皆が集まっている場所へと歩く。けれども私が戻った時、皆が集まっている場所では重苦しい雰囲気だった。

どうしたのだろうか。展示レースが始まる前までとても和やかで明るい雰囲気だったのに、これじゃまるでお通夜だ。

 

私と一緒に走った上級生達は苦虫を嚙み潰した様な悔しそうな表情をしていた。まぁこれは分かる。私も模擬レースで勝てなかった時とても悔しかったから。

出走しなかったカツラギエース先輩や他のリギルのメンバーもまだ分かる。だってまさか1年生に負けるとは思わなかっただろうし。

 

でもなんで体験入部の1年生は無言なんだろう。なんでエアグルーヴやスズカは応援してくれたのに何も言ってくれない。

なんで沖野さんは笑ってくれないだろう。おハナさんは走った娘のケアで私を見てくれない。ルドルフ先輩も顔を逸らして合わせてくれない。

なんでマルゼンスキーさんはそんな悲しそうな顔をするのだろう。

 

先ほどまでの嬉しさが急激に萎んでいくのを感じる。先ほどまで軽かった脚も急に鉛の様に重く感じる様になった。

誰も私を見てくれない。誰も私に声をかけてはくれない。

 

 

誰もおめでとうと言ってくれない

 

 

これじゃまるで私が悪役みたいじゃないか…………

私の口は縫い付けられたかの様に何も言えない開くことが出来ない。嬉しさも消え、重い脚を一歩前に出すごとに心がざわついていく。

 

なんでだろうね。今私は、直ぐにでもここから離れたかった。

外ラチへと掛けていたジャージを体操着の上から羽織って、私はおハナさんに近づく。

 

 

「おハナさん。」

 

 

「ネイチャか。貴女もクールダウンして来なさい。これから他の娘達に説明会をしてから体験入部を始めるから。」

 

 

そう言ってきてくれたが、私の心は晴れない。今は少し時間が欲しかった。

 

 

「すみません。少し用事を思い出したので今日は失礼します。有り難う御座いました。」

 

 

私はそう言っておハナさんに頭を下げて、返答も聞かずに練習場を後にする。

誰かに呼び止められた気もしたけど、私は生憎それに反応出来る状態じゃ無かった。

練習場を出た後、私はブラブラと当てもなく歩いて、たまに立ち止まって空を見て。そしてまたブラブラと何処へと無く歩いていく。

 

気づいた時、私はさっきまで居た喫煙所まで来てしまっていた。ついでだし、と私は思い喫煙所へと入った。

慣れた手つきで懐からアロマシガーを出す。一本を取り出して、口に咥えた。ジャージのポケットから沖野さんに貰ったジッポライターを取り出す。

鏡面磨きではない為にぼやけてしまっているジッポライターに反射して写る私の顔。少しだけ眺めてから、私はアロマシガーに火をつけた。

 

ジジジ…………

 

アロマシガーのゆっくりと燃える音が聞こえるほど喫煙所の中は静かで、ざわついた心を少しだけ落ち着かせてくれた。

 

 

(なんであんな反応されたのかなぁ…………私はただ頑張っただけなのに。)

 

【挿絵表示】

 

 

 

喫煙所の窓から空を眺めつつ、そう私は思ってしまった。重い溜息と共に甘い香りの白煙が私の口から吐き出される。

エアグルーヴやスズカに勝ってくると約束したから、沖野さんに私の走りを見せたかったから。私自身が何処までやれるか試したかったから…………

走る前は色々考えてたけど、終わったらただ一言『おめでとう』くらいは期待していた。沖野さんに褒めてもらって、エアグルーヴやスズカに嬉しがって欲しかった。リギルのルドルフ先輩やマルゼンスキーさん、おハナさんにちょっとだけ驚いて貰いたかった。

 

色々と頭の中がこんがらがって、私自身がこの気持ちが何なのか分からない。ただ漠然と辛いなぁって気持ちがあるのが分かるだけ。何に対して辛いのかも分からないけど、模擬レースで三着だった時の悔しさとは違うベクトルという事だけは何となく分かった気がする。

 

アロマシガーの灰が私のジャージの上へとポトリと落ちた。ゆっくりと灰を手で払い落して、また私は空へと視線を戻す。流れゆく雲を目で追って、壁にもたれながら無心で空を見続けた。

根元まで火が迫り、少しフィルターの焦げる独特な匂いを感じて慌てて灰皿へともみ消した。ずっと空を見ていて殆ど吸っていない事に少し勿体無さを感じて、ついもう一本咥えてしまった。

新たに咥えたアロマシガーに火をつけて、また私は空を眺めた。

 

レース直後のあの雰囲気。何と無くだけど、もしかして私は怖がられたのだろうか?

客観的に私は私自身を見て、同年代との人付き合いが上手く行って無いとは思う。休み時間はずっと一人で参考書や論文を読んでいたし、昼休みはテンポイントさんに会いに行っていたりしたから話しかけ辛いのかもしれないが、私からもコミュニケーションを取らなかったのはいけなかったかもしれない。

話した事も無い同期のクラスメイトが中央トレセン学園で最強と名高いチームリギルの、まだデビューしていないとは言え上級生達に勝ってしまったのだ。彼女達からすればクラシックを通して戦わなければならない強敵に見えてしまったのだろうか…………

 

強敵認定だけならまだいいや。正直に言って怖がられたり、嫌われてしまっていたらかなり辛い。エアグルーヴやスズカ、もしかしたら私が気にしていなかっただけでまだアプリに登場したウマ娘達が居るかもしれないが、その娘達に嫌われた上で学年で独りぼっちは私は心が折れそうになる。

 

 

(マルゼンスキーさんが悲しそうな顔してたのって…………もしかしてそうなってしまうって思ってくれたのかなぁ?)

 

 

マルゼンスキーさんと二人きりでお話していた時、私はマルゼンスキーさんが強すぎるあまり並走トレーニングや、他のウマ娘がレースで出走回避してしまい出走数が足りずレースが中止になってしまった話を聞いた。

本人は気にしてない様に語ってくれたけど、もしかしたら今の私と同じ気持ちになった事があるのだろうか…………

 

 

カラカラカラ…………パタン

 

 

白煙を吐きながら空を見ていた私の耳が喫煙所の扉が開く音を拾った。どうやら誰か煙草を吸いに来たらしい。

 

 

「良かった、此処に居たのか…………」

 

 

ちらりと声の主を見ると、沖野さんが私の方へ歩いてきた所だった。

 

 

「あ、沖野さん。」

 

 

私がポツリと呟いた声が聞こえたのか、沖野さんは苦笑しながら私の隣へと来て煙草を咥えた。私は無言で咥えていたアロマシガーを口から離すと沖野さんの方へと持っていく。

沖野さんも何も言わず、アロマシガーの火を火種に煙草に火を移した。最初にここに来た時にもやったシガレットキスっぽい何か。気にする事も無く私も再びアロマシガーを口へと咥えて、沖野さんと2人で白い息を吐く。

 

私も沖野さんも無言。何も言わず、ただ2人で空を眺めているだけ。

ユラユラと揺れ、立ち昇る白煙だけがこの狭い喫煙所の中で動いている。

 

 

「すまなかったな。」

 

 

1分か2分か、無言で吸っていた私にそう沖野さんは言ってきた。

 

 

「ネイチャが勝って帰って来た時、俺はまず誰よりも早く一番によくやったと褒めてやるべきだった。脚は大丈夫かって、そう心配してやらなきゃいけなかった。」

 

 

まるで悔いる様に淡々と話す沖野さん。

 

 

「別に良いんですよ…………私なんかにゃ勿体無い言葉ですよそれは。」

 

 

何時もは先輩や目上の人達としか喋らない為に敬語しか殆ど喋らなくなっていた私の口から、自然とナイスネイチャの口調がこぼれた。

 

 

「ほら、沖野さんもこんな所に居ないでさっさと戻った方がいいんじゃない?まだ体験入部やってるんでしょ?」

 

 

私がそう沖野さんに言っても、苦笑するだけで出ていこうとはしなかった。

 

 

「まったく…………ネイチャが居ないんじゃ、あそこに居ても意味はねーよ。」

 

 

頭を搔いて、深く煙草の煙を吸いながら沖野さんは口を開いた。

 

 

「俺はちゃんとネイチャを見てやれて無かった。お前は頭が良くて自分で自分を効率良くトレーニング出来る。年不相応な落ち着きを持っていて、まるで同年代のトレーナーと喋っているような気分になっちまった。

だから初めてお前の走りを見た時、自分の目が信じられなかった。あの中には既に本格化が始まったウマ娘も居たにも関わらずネイチャは勝っちまった。確かに俺は勝ってこいとは言ったが、どっちかって言うとネイチャを安心させる為のパフォーマンスとしか思って無かった。」

 

 

「まぁ、それが普通だよねぇ」

 

 

「だが、俺は結果にしか目を向けれなかった。ネイチャが一生懸命走る姿を見ていたはずなのに、勝っちまった結果を見て言葉を失っちまった。」

 

 

ゆっくりとアロマシガーを吸いながら、私は沖野さんの独白とも言うべき言葉に耳を傾けた。

 

 

「結果だけが頭を支配して。帰って来たネイチャになんて声かけて良いか分からなかった。自覚してたかネイチャ?お前、練習場から離れる時までずっと悲しそうな、寂しそうな顔をしてたんだぞ?

そんなネイチャを見て頭を殴られた感覚になった。どんなに雰囲気が大人びていてもやっぱりまだ中学生、子供なんだって…………」

 

 

「当たり前じゃないですか、沖野さんとは今日会ったばかりなんですけど?」

 

 

「そうだ、今日会ったばかりなのにスカウト出来た事に浮かれてネイチャとちゃんと正面から向き合って無かった。ネイチャ、頑張ったのに誰にも褒めてもらえないなんて辛かったよな…………

すまなかった。俺はトレーナー失格だ。」

 

 

悔しそうに呟く沖野さんに、私は何も言えない。ただ静かに、沖野さんの言いたい様に言葉を遮らないように言葉を待った。

 

 

「だからネイチャ…………いやナイスネイチャ。改めてお前の事をスカウトさせてくれ。チャンスを俺にくれ。トレーナーになりたいナイスネイチャでも無く、レースで勝つ強いナイスネイチャでも無い。ただのナイスネイチャを俺に支えさせてくれ。

…………頼む。来年チームスピカに入ってくれ。」

 

 

そう言って、いきなり私に頭を下げる沖野さん。人によっては告白にも取れそうな勢いに私はさっきまでの辛さは何処へやら、内心嬉しさでいっぱいだった。

自分で中身中年とか言って来たけども、やっぱり少し肉体に精神が引っ張られてる。だって、誰かに褒められるって…………頼られるって凄く嬉しく感じるのだ。前世じゃありえない感情だったのにだ。

 

 

「沖野さん、私って殆どレース走ったこと無いよ?」

 

 

「これから一杯走る機会がある。」

 

 

「トレーナーの勉強の為にあんまり練習しないかも?」

 

 

「だったら2人で効率の良いトレーニングを模索すればいい。」

 

 

「私ってめんどくさいかもよ?」

 

 

「それだってネイチャ、お前の良さだ。」

 

 

まるでアプリ版のトレーナーみたいな事を言ってくる沖野さん。どんだけ必死なんだって思ってしまうけど、別にスピカに入るのを止めるとは一言も言ってないのにね。

 

 

「沖野さん…………来年ね、良いよ。というか別に入るのを止めるとか私一言も言ってないじゃん。」

 

 

「これはトレーナーとしてのケジメだ。ネイチャには我慢してまでスピカに入ってほしくない。それはお互いの為にも、ネイチャの夢の為にもきっとマイナスになってしまうはずだ。」

 

 

『トレーナーとしてのケジメ』ね…………おハナさんと同じ言葉を言う沖野さんに思わず私は笑ってしまう。どれだけ2人共ウマ娘が大好きで大切なのかその言葉が良く表してくれていたから。

 

 

「それじゃ沖野さん。流石に体験入部にはもう遅いし、もう一本だけお付き合いお願いしても?」

 

 

私は笑って新しいアロマシガーとジッポライターを出しながら沖野さんにそう聞いた。

 

 

「勿論。」

 

 

沖野さんも笑って、新しい煙草を胸ポケットから取り出した。

 

2人でそれぞれアロマシガーと煙草を咥えて、私はジッポの火を起こした。2人で同時に1個のジッポから火をつける。これ、昔映画かなんかで見てやってみたかったんだよね。

カチャンとジッポの蓋を閉じて、深く息を吸う。先ほどまで感じなかったアロマシガーの甘い香りが鼻をくすぐっていく。

 

 

「これからよろしく沖野さん。」

 

 

「あぁ、これからよろしくナイスネイチャ。」

 

 

そう言って、2人で笑いあって2人同時に白い息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第15話


昨日は疲れからか投稿できませんでした。すみません。




 

 

沖野さんと話し合ったあの日から早一か月。例年よりやや早い梅雨入りにより土砂降り真っ最中の六月初旬。

展示レースから今日までの間に何かあったか。と言われればまぁ少しは良いも悪いも変わってしまったと言った方がいいかもしれない。

 

まず良い方としては、相も変わらずクラスメイトと上手く仲良く出来ない私に話しかけてくれるウマ娘が増えた事。

 

 

「メジロライアンです!ナイスネイチャさんの走りを見ました!とっても早くてカッコよかったです!今度一緒にトレーニングしませんか?」

 

 

名門メジロ家の筋肉お嬢様担当、メジロリャイア…………失礼、メジロライアンである。

メジロ家のお嬢様でありながらそこに名家ぶった所も無く、趣味は筋トレ特技は筋トレ、嫌いな物はコレステロールというスポーティーで爽やかな雰囲気のボーイッシュなウマ娘。

私が最早ルーティーンと化している授業間の休憩中に海外の論文を読んでいる時に気安く(悪い意味では無い)話しかけてくれて、リギルの展示レースの感想を貰った。ぶっちゃけあれ以降嫌われる、というか避けられるのは半ば覚悟していたのでかなり意外だった。

 

それとなく聞いてみたのだけど、いい意味でレースに対してくよくよしない性格の様で、悩む位なら自身を鍛えればいいとの事。ライアンのそう言う明るい性格というのも合って、彼女とは効率的な筋肉のトレーニング方法に対して良く議論する間柄となった。

エアグルーヴやスズカもライアン経由で再び話す事も出来た。クラスが違うのでライアンほど頻繁に話したりはしないが、テンポイントさんが忙しい日や特に予定も無い日は一緒に食堂で食事を摂る位には仲良くなれたんじゃないかなと思うけど、何故かライアンと一緒にジムに行こうと誘ってもエアグルーヴもスズカも最初の一回目以降、誘っても誘っても断られる様になってしまった。私は筋力トレーニングは程々に、論文や参考書で得た知識を元に実地練習としてライアンのサポートですよ?

 

私は知識により理解が高まる。ライアンはより効率的に筋肉を鍛えられる。まさにWin-Winの関係である。

ここ最近は梅雨の影響もあって、練習場で走れないほどの土砂降りが続いていたのでちょっと頻度が多かったかもしれない。梅雨明けしたらトレーニング内容に修正を加えたいと思う。

 

また、あの日以降流石に行き辛くてリギルには行っていないけどおハナさんとマルゼンスキーさん、あと意外にもカツラギエースさんとは良好な関係でいる。

おハナさんはあの日の夜に沖野さんから聞いたのか、翌日慌てて私の所まで来て謝ってきた。凄く申し訳ない雰囲気で謝罪してくるので私としてもどうしていいか分からなかった。だってリギルとして担当の娘のケアをするのは当然だし、一応は私にもちゃんとケアしなさいと声をかけてくれていた訳で…………

 

寧ろ私の方こそ勝手に帰ってしまい申し訳なかったので謝った所、『ネイチャは悪くないのよ、ちゃんと見てあげれなかった私が悪いのよ』とまた謝られ、たまたま朝の散歩をしていた(さては出番を待ってたな?)沖野さんが助けてくれるまで謝罪合戦の応酬だった。

マルゼンスキーさんとカツラギエースさんも、学校で会ったら世間話をする位には仲がいい…………とは思う。正直高等部には行かないのでそこまで会う頻度は無いから何とも言えない。ただ、マルゼンスキーさんとカツラギエースさん。お2人共あまり私をリギルの並走トレーニングに誘わないで下さい。

貴女方は大丈夫でしょうけど、きっと他のリギルの娘は嫌がると思います。

 

次に悪い方?に変わってしまった事。

まずめっちゃ見られる様になった。これはエアグルーヴに言われて私が意識して周りを見る機会を増やしたから気づいただけで前からそうだったのかもしれないが、教室で論文や参考書、ライアン達と話している時、挙句にはトレーニング中まで見られている気配がするのだ。正直、私的にはこれが中々気になって落ち着かない。

 

エアグルーヴに相談しても

 

 

「たわけ、デビューしたら嫌って程に多くの人間に見られるのだ。いい練習だと思って今のうちに慣れておけ。」

 

 

と一蹴されてしまった。幸いなのは悪意ある視線っていうのかな?そういうのが殆ど無い事。興味本位とか好奇心に近い視線がほぼ全てな事で特に不快な物では無い…………気になるだけで。

 

因みに、テンポイントさんに相談に行った所事の経緯を聞かれ、展示レースの事を話したら不機嫌気味に沖野さんの所に行ってしまった。流石に心配になって後で沖野さんの様子を見に行ったけど、頭にコメディーアニメ並みにでっかいたんこぶを作って悶えていた。

未だに不機嫌そうなテンポイントさん。これは流石に沖野さんが可哀そうだったので、沖野さんとテンポイントさんに低カロリークッキー(対マックイーン用最終兵器)とテンポイントさん流直伝の紅茶を用意しておいた。沖野さんはそれで少しは気分を持ち直してほしい。

 

機嫌の落ち着いたテンポイントさんは私の淹れた紅茶を飲みながら、悪意が無いならば放っておけとのお言葉を頂いた。そういった相手を観察するウマ娘の中には『見取り稽古』と呼ばれる相手の走りやトレーニングを見て自身の糧にするトレーニングをしている娘も居るそうだ。

立ち直った沖野さんも、寧ろ向上心があると褒めるべきだと言いながらクッキーを頬張っていた。

これには私も成程ねぇ…………と思ってしまった。そういうトレーニングもあるのか。

 

因みに、私と沖野さんの関係についてテンポイントさんは特に問題は無いと言っていた。トレーナーの中には2年生、3年生のスカウトでは無く1年生のウマ娘にスカウトの予約をする変わった性格のトレーナーも居るそうで、トレーナーとして活動したりトレーニングの指導をするのは2年生になって正式に担当になるまでは校則で禁止だが、雑談や勉強の面倒を見る等は問題ないらしい。

しかも、そうやって1年からスカウト予約が来たウマ娘の大半はトゥインクルシリーズで結果を残しているので、寧ろネイチャを評価されている様で嬉しいともテンポイントさんは言っていた。

沖野さんの腕も信用はしている…………けど私の脚を無断でいきなり触った事は未だ許していないとの事を最後、念押しするようにテンポイントさんは付け加えていたけど。

 

ここまでが私の中で特に大事にするほどでは無い変化。

1番変わってしまったのがルドルフ先輩との関係。

 

私はもう展示レースの事は過ぎた事として気にはしていないし普段通りルドルフ先輩に接しているのだけど、ルドルフ先輩からはどうにも避けられている印象。何時も帰る時間は門限ギリギリまでトレーニングしているし、帰っても直ぐシャワーを浴びて眠ってしまう。

朝早く起きて早朝トレーニングに行ってしまい前の様に一緒に食事を摂る事も一緒に登校する事も減ってしまって私は少し寂しい気持ちになった。一度、本格的にリギルのトレーニングが忙しくなったのかなと思いおハナさんに相談した所。

 

 

「最近は自主練でオーバーワークばかりしていたから、止めさせようとしたけど聞かなくてね。仕方ないから専用のメニューを組んでそれ以上トレーニングしない様言い聞かせてるのよ。」

 

 

そう言われてしまった。因みに、リギルのトレーニングはまだ年相応らしく激しいメニューはまだ無いとの事。

それを聞いて一応は安心したけど、どうやらルドルフ先輩は朝ご飯を抜いてトレーニングしている事をモンテプリンスさんから知らされた。

これには私もおハナさんも頭を抱えた。まさか食事を抜いてまでトレーニングをしていたとは思ってもみなかった。おハナさんからも注意するらしいが、私も一応対策をしておこうと思い、何時もお世話になっている美浦寮の食堂スタッフさんにお願いして厨房の一部を貸して貰った。

私は何時もルドルフ先輩よりも遅い時間に寝る。これは私がトレーナーの勉強をしている為だが、最近はルドルフ先輩が早く寝る為より顕著になっている。

ルドルフ先輩が寝た後、私は食堂で明日の仕込みをしているスタッフさんの邪魔にならない様に隅でルドルフ先輩がせめて朝食を抜かない様に簡単な物を作っていく。

余ったご飯で塩のおにぎりと簡単なお味噌汁。和風出汁の素は偉大なり。わざわざ出汁を取らないで済む。

おにぎりをラップで包んで、お味噌汁は実費で買ったちょっとお高い魔法瓶に入れる。最近の魔法瓶ってすごいね。半日以上温度が長持ちするなんて驚いたよ。

 

念の為にノートの一部を破って『ちゃんと朝ご飯食べて下さい』と書いてから私も就寝するのがここ最近の日課。一応朝起きたら全部無くなっているのでちゃんと食べてはくれている様で安心している。

 

 

「ネイチャ…………お前最早嫁さんだぞそれ?」

 

 

そして現在、土砂降りの雨を見ながら私は沖野さんとスピカの部室、その軒先の濡れない場所でアロマシガーと煙草を吹かしている。

一応私はテンポイントさんにアロマシガーを使っている事を言ったのだけど、聞いた途端に『喫煙所』の看板と許可証、灰皿スタンドをスピカに持ってきたのは流石にやり過ぎだと思う。物凄いやり切った感を出していたから何も言えなかったけど。

 

という事で私は校舎近くの喫煙所以外で吸える場所が増えたので絶賛スピカの部室で吹かしている訳だけど、別にただ吸いに来ている訳じゃない。沖野さんに約束通りトレーナーとしての勉強を見て貰っている。おハナさんからは課題を頂いており、それを沖野さん経由で渡して採点して貰い、沖野さんからは主にトレーナー試験の過去問を採点して貰い、空き時間で沖野さんのトレーナー論を教えて頂いている。実はしっかりした資料を使っていて、アニメ内の突拍子の無いトレーニングも実はちゃんと考えられていたのは正直疑っていてごめんなさいとしか言えない。

 

因みに、おハナさんからの課題はこんな感じ。

 

 

 

『中等部2年ウマ娘

距離適性 中距離

脚質適正 先行、差し

健康状態 良好

脚部不安 無し

本人目標 日本ダービー

本人性格 内向的、しかしトレーニングは真面目

友人関係 良好、クラスでも孤立せず

 

上記のウマ娘をメイクデビューまでの2年間のトレーニング表、及びメンタルケアの有無を計画しつつ問題点を見つけ、その改善策を纏め提出すること。』

 

 

こんな感じ、これを1週間で考えて文章で纏めて沖野さん経由でおハナさんに提出している。未だ合格点は貰えず赤字でめっちゃ添削、加筆されるけど、おハナさんも忙しいはずなのにここまでしっかり書いてくれるのは感謝しかない。

 

 

 

「お嫁さんって…………同性なのに何言ってんの沖野さん?それに同室なんだしこれ位普通じゃん?」

 

 

「比喩に決まってんだろ。普通って言うが、避けられてる相手にそこまで出来るのは中々居ないっつうの。」

 

 

そんな感じで軽く休憩がてら沖野さんと2人でアロマシガーと煙草を吹かしている訳でして、存外この時間が私は好きだったりする。

2人で吐き出した白煙が曇天の空目指して雨に濡れながら昇って行くのを見ながら、私は沖野さんと他愛の無い雑談に興じる。

 

 

「まぁ、お世話になってるし…………それにやっぱりルドルフ先輩とは仲直りしたいじゃん?」

 

 

「仲直りねぇ…………ネイチャとルドルフなら問題無いとは思うが、まぁ好きにしたらいいさ。」

 

 

「そうする。で、この後はどうするの?続きする?」

 

 

弱い雨なら重バ場のトレーニングとして走っても良いのだけど、正直ここまで強い雨脚だと流石に私としてはやる気は起きないので今日のトレーニングは休み。時間は余っているので私はそう聞いた。そうだなぁと、沖野さんは土砂降りの雨を眺めながら考えている。

 

 

「こっちも一段落してるし、今日はオフって事でのんびりするってのはどうだ?」

 

 

そう言って笑いかける沖野さんに私も笑顔で返す。まぁ、たまにはのんびりする日があっても良いか。

 

 

「そうですかそうですか。んじゃ沖野さん、バッグの中に朝作ったスコーンがあるんだけど…………どうする?」

 

 

「未来の愛バが作ったんなら勿論食べさせてもらうよ。紅茶をお願いしてもいいか?」

 

 

「いいともー…………なんてね?」

 

 

私が笑いながらそう言うと釣られて沖野さんも笑い出す。声を出さずに2人で笑い合って、最後にもう一口吸ってから灰皿スタンドにアロマシガーと煙草を押し付け火を消した。

白い息を吐いて私と沖野さんはスピカの部室へと入っていく。

 

 

甘い匂いと紅茶の香りが部室を満たすまで後10分。

 

 

そして2人の楽し気な笑い声が聞こえるまでもう5分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、とあるカフェにて

 

 

「もしかしてネイチャってスピカのトレーナーと付き合ってるのかな?」

 

 

「たわけ、1度ネイチャとトレーナーの2人でいる所を見た事があるがあれは恋人どころか最早夫婦だったぞ?」

 

 

「嘘でしょ…………ネイチャとトレーナーさんってそこまで進んでるの?」

 

 

 

ネイチャが3人の勘違いを正すまで後1日

 

それを信用されるまで後…………後…………3人とも信用するのかこれ?

 

 

 

 

 






メジロライアンが今回初登場。
出した理由はアニメ1期でメジロパーマーの代わりにネイチャと一緒にスズカを応援していた所からです。

同じシーンで居たチケゾーはやはりBNWとして出したいので今回出番なし。
また、ライアンと同室設定のアイネスフウジンはスぺちゃんと同じ高等部編入組の設定だったので時期的にこちらもボツに…………





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第16話



作者のやる気は絶好調だけど文章力は絶不調です。

どなたかやる気アップスイーツならぬ文章力アップスイーツを下さい。


 

 今日も今日とて空は曇天梅雨真っただ中。土砂降りの雨粒が校舎を叩き、多くのウマ娘達が晴れた青空の下で走れない事に憂鬱となっている毎日。

 私は相も変わらず平常運転でトレーナーの勉強に励み息抜きにアロマシガーを吸っては軽いトレーニングの日々である。まぁ、最近は主にジムで筋力トレーニングかプールでのスタミナトレーニングばかりなのでやや物足りない事は確かである。

 

だって私もウマ娘だ。走りたいのは本能の欲求なので仕方ないと諦めるしかない。スズカなんかはそれが顕著で、ここ最近は走れなくて物凄く気分が沈んでいる。私やエアグルーヴが何とかメンタルケアをしているけど、そろそろお天道様が晴れてくれないと文字通りスズカが暴走するかもしれない。

逆にライアンなんかは走れなくてもケロっとしていて、筋トレしてればそれでいいタイプなのか普段と全く変わらない平常運転である。何時も『来てます来てます!筋肉にビビッと来てますよネイチャさん!』なんて言うから梅雨の湿度もあって暑苦しい。

 

あと、流石に今のスズカをジムに誘わないであげて欲しい。ライアンとしてはジムのランニングマシーンでスズカのストレスを多少は発散出来るんじゃないかとスズカを思っての発言なのは分かるけど、今のスズカはアプリで言うなら絶不調よりの不調なのだ。けど流石にお出かけしても気分が晴れる訳では無い。だってスズカが走るのは先頭の景色が見たいって理由だから…………流石先頭民族だわホント。そりゃエアグルーヴも匙を投げるわ。

 

 

「ネイチャは大分紅茶の淹れ方が上手くなったな。もう私より美味いんじゃないか?」

 

 

「そんなこと無いですよテンポイントさん。私はまたテンポイントさんが淹れてくれた紅茶が飲みたいですよ。」

 

 

「そうか、嬉しい事を言ってくれる。では、次は私が淹れるとしようか。」

 

 

そして今日はライアンもエアグルーヴもスズカもトレーニングを休みにしているし、沖野さんはトレーナーとしての仕事があるらしいので今日のお勉強会は無し。

私は久々にゆっくりとした時間が出来たので、生徒会室に来てテンポイントさんと紅茶を飲みながら会話に華を咲かせていた。

ここ最近は話す事はあってもお茶をするほど時間が空いていた訳では無かったので私は楽しみにしていた。テンポイントさんも同じだった様で、いつもより少しお高い茶葉を用意してくれた。

 

 

「最近はどうだ?トレーニングの調子は?」

 

 

「順調…………とは言えませんね。こう雨が続くと流石に走る事が出来ないので体が鈍りそうで。」

 

 

ここ最近は特に土砂降りが続いており、練習場は重馬場を通り越して最早沼である。走れるってレベルじゃねぇ!って感じなので最初は梅雨入りしたばかりの頃は重馬場の練習として雨の中走っていたウマ娘達も諦める状態なので、私もトレーニングの大幅変更を余儀なくされている。

 

ライアンとの筋力トレーニングばかりではバランスが偏るしプールでのスタミナトレーニングも回数を増やしてみているが、結局バランスの良いトレーニングの根本的解決にはならずモチベーションの維持が難しい。アプリでいう『やる気が下がった』状態になってしまう。

 

なので、最近は慢性的な不調気味。私自身が考えてたトレーニング計画を遂行出来ず、その所為で頭では理解していても心が不満気味でトレーニングにあまり身が入らない状態なのだ。

 

 

「仕方あるまい。気象庁の発表ではもうすぐ梅雨明け間近らしいからそれまでの我慢だろうさ。」

 

 

「そうですね。まぁ逆に考えれば、こうして雨音を聞きながらテンポイントさんとお茶するのも良いですね。」

 

 

「トレーニングの邪魔をする雨も、見かたを変えれば悪い物じゃないってことかな?ネイチャらしい考え方だね。」

 

 

私とテンポイントさんはのんびりと紅茶を口に運ぶ。琥珀色の液体を口に含むと温かみのある味が口を潤し、香りがスゥーっと鼻から抜けていく感覚が心地よい。

ゆっくりと紅茶を嚥下して、私は一息ついた。

 

 

「トレーナーの勉強はどうだ?」

 

 

「そっちは順調です。最近は脚部発症の病気からウマ娘の骨密度とヒトの骨密度の違いや筋肉量の違い。それらの結果から骨折やヒビ等の故障した際の治療法の違いについて勉強しています。纏めたの見ますか?」

 

 

私はそう言って脚元のバッグから最近また新しくなったトレーニングノートとは別の勉強用ノートを取り出してテンポイントさんに渡した。既に5冊目に突入したノートの中身は参考書や論文に載っていたウマ娘とヒトの脚のレントゲン写真の模写とそれぞれを比較した際の違い、そして治療別の経過観察の纏め。

コピー機が使えたらわざわざ模写なんてしなくても良かったんだけど、生憎寮にはコピー機なんて無い。仕方ないので頑張って模写しました。都合ウマ娘とヒトの脚両方合わせて3時間、私としては結構頑張った方だと思う。

 

 

「凄いな、ネイチャは絵も上手いのか?」

 

 

「嫌ですよテンポイントさん、私なんて模写くらいしか出来ませんし。」

 

 

「それでも十分上手いさ。それに見易く丁寧に纏められているしネイチャが真面目に勉強しているのが良く分かる。」

 

 

「あはは…………有り難うございます。それにおハナさん、えっとリギルのトレーナーや沖野さんも協力してくれてますから、今までより効率良く勉強出来ている感覚はあります。」

 

 

「リギルのトレーナーというと…………東条トレーナーか。確かに、彼女も協力してくれているなら安心だ。」

 

 

ノートを私に返しながら、テンポイントさんはそう私に微笑んで来た。そしてテンポイントさんはおハナさんの事も知っているらしい。まぁおハナさんレベルの力量を持つトレーナーなんてそれこそ沖野さんやアニメの南坂さん、黒沼トレーナーくらいしか居ないし当然っちゃ当然なのかな?

 

 

「しかし沖野トレーナーか…………ネイチャは大丈夫か?脚とかまた触られてないか?」

 

 

どうやら沖野さんに対して、テンポイントさんはまだ不信感が抜けていないらしい。私に沖野さんに脚を触られていないか不安げに尋ねて来た。

 

 

「だ、大丈夫ですよ?最近は初見のウマ娘の適正………距離や先行や差しなんかの作戦を見極めるコツとか、個人の長所を伸ばすトレーニング方法なんかを教えて頂いてます。」

 

 

私がそう言っても、テンポイントさんはまだ納得していない様だった。実際問題初日の1回以降、無断で沖野さんが私の脚を触った事は無い。うん。サワッテナイヨ?

本当の話。私のトレーニングは私が計画を立ててオーバーワークにならない様にしているが、私はまだトレーナーになった訳では無い。なのでトレーナーの勉強としてちゃんと計画通りの負担量で収まっているか沖野さんにこちらからお願いして触診して貰っている。

 

勿論、違ったからと言って沖野さんが私に修正したトレーニング計画を渡してくれる訳では無い。負担量が違えばそれを指摘するだけで、何処が違うのか何が間違っているのかは私自身が見つけて修正しているようにしている。

そうしないと、沖野さんは1年でトレーナーが付いている事になってしまって処罰を受けてしまうからね。私もトレーナーの勉強にもなるし問題は無いよ。

 

だから無断では触っていない。ちゃんと私からお願いして触診して貰っているのだから多分テンポイントさんの言っている事とは違う…………はず?

 

 

「それならいいが…………また触られたらちゃんと言うんだぞ?また私が沖野トレーナーとお話してネイチャを助けてやるからな。」

 

 

テンポイントさんはそう言って安心したように再度紅茶を口に含んだ。うん、多分テンポイントのお話はOHANASHIだと思うんですよ?

…………絶対今の沖野さんとのやり取りは黙っておこう。

私はそう決意してテンポイントさんと同じ様に紅茶を飲んだ。少しぬるくなってしまったが、それでも美味しいのは使ったのが良い茶葉だからだろう。

 

相も変わらず雨は止まず、弱まる兆しも無い。生徒会室の窓に打ち付ける雨音をBGMに、そこからは特に変わった話をするでもなく他愛の無い世間話をテンポイントさんと喋り合う。

 

 

(あぁ…………幸せだ。)

 

 

トレーニングでもトレーナーの勉強の話でも無い。何処の喫茶店の紅茶が美味しかったとか、友達が出来た話とかそんなごく普通の会話…………友達が出来た時は何故かテンポイントさんは凄く嬉しそうだったけど。

まるで今まで私に友達が出来なかったみたいじゃないか…………いや確かに出来なかったんですけどね?

今度ライアン達も連れて遊びに行く約束をした。エアグルーヴは将来生徒会に入るから丁度いいんじゃないかな。今から3人の驚く顔が楽しみだ。

 

遠くで午後5時を知らせるアラームが鳴っているのが聞こえる。『ウゥゥゥゥゥゥ』って鳴るあの空襲警報みたいなやつである。あの音が鳴ったという事は、名残り惜しいけどテンポイントさんとの楽しい時間も今日はここまで。寮に帰ってトレーナーの勉強をしなければならない。

 

 

「ではテンポイントさん、私はこれで帰りますね。」

 

 

「もうそんな時間か…………楽しい時間は直ぐに過ぎていくな。まだまだネイチャと話したくて物足りないけども時間なら仕方ないか。」

 

 

「トレーニングは休みですけど、トレーナーになる為の勉強は休めませんから。」

 

 

残念そうな雰囲気のテンポイントさんに私は苦笑しながら、脚元の鞄を左手で手に取って立ち上がった。ティーカップは何時もテンポイントさんが洗ってくれている。一度私が洗おうとしたのだがテンポイントさんに固辞されてしまった。

何でも書類仕事の息抜きに丁度いいんだとか…………今度また甘い物でも作って来ようかな。

念の為に私は自分とテンポイントさんのティーカップをシンクへと持っていく。流石にこれ位はしないと申し訳無いからね。

 

 

「それでは、テンポイントさんお仕事頑張って下さい。」

 

 

「ネイチャも脚元に気を付けるんだぞ?濡れていて滑りやすいからな?」

 

 

流石にそれは過保護ですよテンポイントさん。私は心配そうにそう告げるテンポイントさんに思わず笑ってしまい、そんな私に釣られてテンポイントさん自身も笑った。

 

 

「テンポイントさん、また明日です。」

 

 

「あぁ、ネイチャ。また明日な。」

 

 

そう言って私は生徒会室の扉をくぐる。最初は怖かったこの扉も今では慣れたもので、尊敬する先輩の居る部屋だと思えば寧ろ視界に入ると嬉しさすらあるほどだ。

私は最後に振り返ってテンポイントさんに手を振って、生徒会室の扉を閉めた。明日はどんな話をテンポイントさんと話すか今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因みに。

言霊とは案外バ鹿にならないものの様で、私は傘を差して歩いていた帰り道に盛大につっこけてしまい寮長のモンテプリンスさんに大変呆れられてしまった。

 

…………解せぬ!



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番外 いずれ皇帝となる者の想い



すみません。もうちょっと纏められたら良かったんですけど、感情がぐちゃぐちゃになって変な文章になってしまったかもしれません。

番外なので最悪読まなくても大丈夫です。


 

 

 

「まだだ…………まだ速くなれるはずだ!」

 

 

曇天の空、止まない雨に全身を打たれながら私は首から下げたストップウォッチを握りしめた。

荒れた練習場、重バ場を超え最早池や沼と形容した方が良い有様のターフの上で見つめる数字は先ほどから殆ど変わらない。

濡れた髪が重い。雨を吸って重くなったジャージが私の動きを阻害する。グズグズに濡れたトレーニングシューズが私の一歩を阻もうとする。けど……それでも私は走るのを止めない。何度目か分からないストップウォッチのリセットボタンを押して、表示されていた数字を消去した。

 

 

「もう一度、再チャレンジだ。」

 

 

私は振り向いて練習場のスタートラインへと歩く。パシャン……パシャン……と歩く度に足元に大きな波紋を作り、土砂降りの雨粒の中へと消えていく。

スタートラインで走る体勢に移る。雨音が邪魔な騒音を消し、ただ私の荒れた呼吸音だけが雨音に紛れて練習場に響いている。

 

 

「フッ!」

 

 

ストップウォッチのスタートボタンを押したと同時に私は走り出す。雨が視界を塞ぎ張り付いた髪が不快感を醸し出すが、それらを一切合切無視して私は走る。ただどんなに雑念を振り切ろうとも、大切な後輩の悲しそうな顔だけが脳内に張り付いて離れない。

 

 

(何故私はあそこで声をかけなかった!何が先輩だ…………後輩に悲しそうな顔をさせて何様のつもりだ!)

 

 

笑顔を浮かべる顔、プレゼントを貰って泣いて喜ぶ顔、私を心配そうに見つめる顔…………

浮かんでは消えていく大切な後輩の顔。けどやはりあの展示レースの悲しそうな顔だけは消えることは無い。

 

 

「もっとだ!もっと速く!」

 

 

脚に力を込める。沼の様なターフを踏みつける度に大きな水飛沫がまるで乗用車が踏んだ水たまりの様に重力を無視して立ち上がるが、それすらも今の私には満足するほどでは無い。

無駄の無いコーナリングを意識して内ラチギリギリを強引に曲がる。重い脚をひたすらに前へと運び、荒い息と霞む視界の中で瞳だけはゴールへと向け続けた。

 

最後の直線。残して置いたスタミナと、溜めていた脚を爆発させる。先ほどよりも更に大きい水飛沫…………最早水柱を上げながら加速する。

何時もより前傾姿勢に変え、雨粒と風から顔を守りつつ空気抵抗を減らす。

 

 

「足りない…………これでは追いつくことは出来ても追い抜けない!」

 

 

いつの間にか過ぎていたゴールライン。無意識に押したストップウォッチの数字は先ほどと殆ど変化は無い。

 

 

(クソッ!)

 

 

内心で自身の不甲斐なさに悪態が出る。

私が見た大切な後輩(ナイスネイチャ)の爆発的な末脚を超えるには私の今の走りではまだまだ足りなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

しゃがみ込み、握りこんだ拳をターフへと叩きつける。緩くなったターフは私の拳を傷つかせることは無くただ包み込むように受け止めるだけ。

水飛沫だけが虚しく私の顔に飛び散った。

 

 

「やっと見つけたぞ…………シンボリルドルフ。」

 

 

雨音の中から聞こえた私を呼ぶ声。振り向けば、黒い傘を差し出しながら私を見つめる見知った顔があった。

 

 

「沖野トレーナーですか。何か用ですか?」

 

 

そう返した私に、沖野トレーナーは呆れた様に私を見て、腕時計を指さしながら私の問いに答えた。

 

 

「シンボリルドルフ、お前リギルの集合時間とっくに過ぎてるぞ?」

 

 

そう告げる沖野トレーナー。そうだった、今日はリギルのミーティングの日だった。すっかりその事を失念していた私は少し気まずかった。

 

 

「すみません、時間を忘れていました。」

 

 

「だろうな。おハナさんが心配して俺ん所まで探しに来てたぞ。」

 

 

おハナさんには悪い事をしてしまった。あとで謝らなければ…………

 

 

「すみません。着替えて直ぐにリギルに向かいます。」

 

 

沖野トレーナーにそう告げると、彼はちょっと意地の悪い笑みを浮かべながら私を見ている。

 

 

「その必要はない。俺がおハナさんに伝えた。おハナさんはお前を休ませる様にだってさ?」

 

 

「な!?」

 

 

なに勝手なことを!と少しばかり思ってしまったが、そもそも時間を忘れていた上に無理なトレーニングをしていた自覚はある。此処でそれを沖野トレーナーにぶつけるのは筋違いなので、私は大人しく従うしかなかった。

 

 

「どれ、場所を移して少し俺とお話でもしようか。」

 

 

そう言って笑う沖野トレーナーに、私は大人しく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チームスピカの部室、来年ネイチャが所属する場所。やっぱり同じチームが良かったとまでは思わなくは無いが、ネイチャの為にはスピカの方が良い事も頭ではきちんと理解している。複雑な事には変わりないが。

着替えた私を、沖野トレーナーはここに連れてきた。ネイチャは今日は少ないけど仲のいい友人と買い物に出ているらしい。会えないのは寂しいが、今は会いたくなかったので丁度良かった。

 

 

「すまんが、俺はネイチャみたいに紅茶なんて淹れれないんでな。インスタントコーヒーで我慢してくれ。」

 

 

白い湯気を立てながら沖野トレーナーから差し出されるマグカップ。私は受け取ると一口飲んだ。

インスタントコーヒー独特の苦みと酸味、そして温かさが、雨に打たれ無理なトレーニングをしていた為に疲れ冷えきった体に心地よかった。

 

 

「有り難うございます。」

 

 

「ちゃんと体をあっためろよ?風邪なんて引かれちゃ俺がおハナさんにどやされる。」

 

 

おどけた様に笑いながら、沖野さんはもう一杯のマグカップにコーヒーを注いだ。

お互いに無言になりながら、ゆっくりとコーヒーを啜る音と外の雨音だけが、無言の私達の間で部室を支配した。

 

 

「シンボリルドルフ、1つ聞きたいんだが?」

 

 

「何でしょう沖野トレーナー?」

 

 

マグカップの中身が半分ほど無くなった時、唐突に沖野トレーナーが私に話しかけてきた。

 

 

「お前があそこまで無理をするのは、やっぱりウチのネイチャの為か?」

 

 

沖野トレーナーがそう口にした瞬間、私は体がビックリして飛び上がりそうになった。

 

 

「別に叱りたいとかそういうんじゃねぇ。ただ気になっただけだ。」

 

 

「…………そうです。私はネイチャの悲しい顔を見たくない。」

 

 

堰を切ったようにとはいかないが、私はポツポツと沖野トレーナーに口を開いた。多分、ネイチャが信用しているから無意識に信用したんだと後になってそう思った。

 

 

「展示レースのネイチャの走りは凄かった。とても1年生とは思えない走りで驚きました。」

 

 

「そうだな。ネイチャは凄かった。」

 

 

「あの時私は彼女に…………ネイチャに声を掛けてあげる事が出来なかった。レースに圧倒されたと言えば聞こえは良いですが、ただ一言おめでとう頑張ったね。そう言ってあげればネイチャはあんな悲しそうな顔をする事は無かった。」

 

 

今でもネイチャの悲しそうな顔が頭から離れない。もし時が戻るのであれば直ぐさま戻って自分自身を殴り飛ばしてでもネイチャに声を掛けただろう。

 

 

「あの場で少なくとも誰かネイチャに声を掛ければあの場の雰囲気を少しでも緩和出来たでしょう。ですがそれはもう結果論です。私は出来なかった。」

 

 

「だが、例えそうしてもあの場に居たウマ娘はネイチャを怖がっただろうさ。上級生に勝ってしまう同期とクラシックで競わないといけないのかと。」

 

 

私の言葉に、沖野トレーナーはそう返した。確かに、例え私が声を掛けたところで焼け石に水。なぜなら私はネイチャの同期では無く先輩なのだから。

雨に濡れた部室の窓から曇天の空を見た。重く圧し掛かるあの空模様が、まるで私の心の心象風景の様だった。

 

 

「今のネイチャは小学生の頃の私です。今は良いですが、何時かその強さ故に人から避けられるようになってしまう。」

 

 

「勝てないから…………か?」

 

 

そう、勝てないレースほど楽しくないし、期待されないレースほど悔しい物は無い。

私が小学生の頃、確かに最初は友達と呼べるウマ娘が居た。しかし1年が経ち、2年が経って次第に実力が出てくるようになると私の周りから人は居なくなった。

 

何故なら勝てないから。面白くないから。

 

頑張って勝っても、誰も褒めてくれることは無い。ただ遠巻きにこそこそと見られるだけ。最初は悲しかった。どうしておめでとうとか、せめて頑張ったねと褒めてくれないのか?と。

何時からか、私は勝つことに嬉しさを感じることが出来なくなった。ネイチャ風に言うならキラキラする事が無くなって、学校に行くことも無くなった。

 

トレセンの中等部に入っても同期では敵なしだった。けど私はマルゼンスキーと出会い、初めて負けた。

今までの自分の全力を出してそれでも届かない悔しさ。そして強敵と競い合う事の出来る喜びを私は思い出せた。

 

 

「ネイチャは昔の私です。何時かきっと彼女は自分がキラキラする事が出来なくなってしまう。レースに楽しさも、悔しさも何もかも感じることの無い作業の様に走ってしまうかもしれません。きっとそれは、彼女の夢とは全く方向が違う形でしか叶わなくなる。」

 

 

「ネイチャの夢はトレーナーになる事だ。ネイチャ自身もレースを実績作りの踏み台と思ってるぞ?」

 

 

「ではなんでネイチャはトレーニングを積んでいるんですか?今のままでも本格化してしまえば同期では敵なしでしょう。トレーナーの勉強にしても頑張り過ぎだ。」

 

 

私は思い出す。夜遅くまで勉強し、真剣に早くなる為にトレーニング計画を作っているネイチャは真剣そのもの。

 

 

「…………誰かを幸せにするには、まず自分が幸せで無ければならない。」

 

 

「?」

 

 

「ネイチャが寝言で言っていた事です。多分ネイチャ自身は覚えて無いでしょうが。」

 

 

それは、ネイチャがまだ展示レースを走る前の時だった。私が夜中につい目覚めてしまった時に彼女はそう寝言を言って笑っていた。寝ていたけども。

 

それを聞いて何故か私は頭を殴られた気がした。『誰かを幸せにするには、まず自分が幸せで無ければならない』という言葉はまるで私に向けられている様に感じたから。

私の夢は全てのウマ娘の幸福。私が他者を幸福にするには、私自身が幸せを感じていなければならない。そう思った時から、私はなるべく素直に生きようと思った。

 

大切な後輩が褒められれば我が事の様に喜んだ。脚を無理やり触られたと聞けばOHANASHIしたし、バ鹿にされれば私はネイチャの代わりに怒った。

不思議と、違和感は無かった。寧ろ毎日が楽しく、これが幸せなのかと実感することが出来た。

 

 

「ネイチャは多分、無意識に自分キラキラしたいと思っているんだと私は思います。でなければ幾ら夢の為とは言えあそこまで自分を律してトレーニングや勉強に費やすなんて出来ません。」

 

 

「つまり、ネイチャは無意識に理性で本能を抑えている状態ってことか?」

 

 

「に近いとは思います。」

 

 

マルゼンスキーが最近ネイチャに良く並走トレーニングを誘っているのも、きっとキラキラさせてあげたいからだろう。彼女は今でこそ実質引退しているが、かつて強すぎるあまり競争相手が出走取消をしてレース自体が中止になった過去を持つ。

他にも持ち込みバ問題等もあってダービーに出れなかったが、その所為か彼女は他者の走りたい感情に敏感だ。自分が楽しく走ることが出来なかった分、ネイチャには楽しくレースして欲しいのだろう。

…………まぁやり方はともかくとして。

 

 

「このままでは、ネイチャはマルゼンスキーと同じ事になると思います。クラシック三冠には出れるでしょうが、出走取消によるレース中止もあり得るでしょう。」

 

 

「だからシンボリルドルフがネイチャに勝てる事を証明すると?」

 

 

「そこまでは言いません。ただ、私にとってのマルゼンスキーの様にネイチャに私がレースは楽しい物だと教えたい。ただ走る作業では無く、誰かと競い合い一喜一憂するあの楽しさを。

何度だって負けさせて、悔しい思いを忘れず勝利を目指してキラキラして欲しい。

 

彼女が支えたいキラキラってそういうモノじゃないんですか?他人をキラキラさせたいならまずネイチャ自身がレースでキラキラしないと始まらない。」

 

 

思っていたことがぐちゃぐちゃになって上手く言葉が纏まらない。言いたい事の半分も伝えられていない気がしてもどかしい。

 

 

「いいと思うぜ。」

 

 

「え?」

 

 

沖野トレーナーにそう言われて私は戸惑ってしまった。

 

 

「確かにネイチャは少し自分より他人を優先する性格がある。自分自身に対する欲が殆ど無い。

そう言う意味じゃ、おハナさんと相談してネイチャとお前の模擬レースを企画してもいいかもな。」

 

 

「しかし、今の私ではまだネイチャに勝てる自信がありません。」

 

 

「トレーナーが最もウマ娘が成長すると思う場所はなんだと思う?」

 

 

「?」

 

 

「レースさ。実際に走って、こいつには負けたくないあいつには勝ちたいって想いがウマ娘の今の限界を超えさせる。

もし、お前が本当にナイスネイチャに勝ちたいって想うんなら」

 

 

「意志の力で超えて見せな」

 

 

「シンボリルドルフなら、それぐらいやってのけるだろう?」

 

 

沖野トレーナー、彼はやはり生粋のトレーナーだ。

 

 

「いいだろう。勇往邁進、私の走りを見せつけてやるとも。」

 

 

彼は実にウマ娘を焚きつけるのが上手い。

冷めてしまい湯気も出なくなったコーヒーを一気に飲み干し、私は笑みをこぼす。

 

いつの間にか雨は止み、空は久しぶりに蒼さを少しだけ顔を出していた。

 

 

 

 

 

 









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第17話



スランプで精神不調、おまけにお腹の調子も絶不調。どなたかロイヤルビタージュース(カップケーキ付き)を下さい。





 

 

長くうっとうしい梅雨がようやく明け、久方ぶりの青空を楽しむ事ここ数日。夏近づく6月末の気温は日に日に高くなってきており、しっかりとした熱中症予防が必要になって来た。

熱中症予防にスポーツドリンクを複数バッグへと詰めて、私は美浦寮を後にした。

 

実は前日、私は沖野さんに今日の予定を空けて練習場へと来るように頼まれていた。普段そう言った私に何かをさせるといった行為を避けている沖野さん(トレーニングをさせていると思われ無い様にとの事らしい)が珍しく頼んで来たので、私は2つ返事で了承して今現在へと至る訳で。絶賛指定された練習場へと私はのんびり向かっている所である。

 

梅雨明けからのびのびと育っている青草や道端に植えられた木々の独特の匂いが鼻腔をくすぐる。暑くなってきた気温と遠くの空に見える入道雲と共に、実に夏を感じさせる感覚だ。

 

 

(龍の巣だ!…………なんちって。)

 

 

入道雲を眺めながら、私はつい内心でそう呟いた。ラ〇ュタは本当にあったんだ!とかも一緒に。一応この世界にもジ〇リはある。前世で同期と紅〇豚で熱く語り合ったのが懐かしい。おハナさんも沖野さんも〇ブリは好きらしいので何時か語り合いたいと思う。

 

感慨深い懐かしさに心揺らしながら、私は目的の練習場へとたどり着いた。

沖野さんに頼まれたからてっきり沖野さんしか居ないと思っていたんだけど、沖野さん以外にもおハナさんやルドルフ先輩、マルゼンスキーさんにカツラギエースさん。遠くにはテンポイントさんにグリーングラス先輩にトウショウボーイ先輩も居る。

トレーナーらしききっちりとスーツを着た男性と上半身裸でパーカーを羽織っただけの男性2人が沖野さんやおハナさんと話している事を見るに彼らも関係者なのだろうか?というか少しだけ見覚えがあるが…………

もしかして私遅刻したのだろうか?というか何でこんなに沢山人がいるの?頭が混乱しながらも左腕の腕時計(安心と信頼のG時計)を見ても集合時間の5分前。ますます訳が分からない。

 

 

「すみません…………もしかしてお待たせしちゃいました?」

 

 

念の為小走りで沖野さんに近づいて私はそう確認した。私に気づいた沖野さんは笑顔を私に向けてサムズアップ。

 

 

「お?流石ネイチャ集合時間の5分前とはきちんとしてるな!」

 

 

どうやら私が集合時間を間違っていた訳ではなかったらしい。それには私も安堵したが、途端に今度はこの人数に疑問が湧く。

 

 

「なら良かったけど…………そこのお2人は沖野さんのお知り合いで?」

 

 

近くに来て見れば更なる既視感を感じる。というか絶対そうだろって感じのトレーナー(仮)2人に視線を向けながら沖野さんに質問した。

 

 

「そうだな、先に紹介しておこう。おハナさん!先に紹介だけしとこうか?」

 

 

「そうね。簡単な事から先に終わらせましょう。ネイチャ、この2人が貴女に協力してくれるトレーナーよ。ほら、私が伝手を当たってみるって言ったでしょ?」

 

 

 

沖野さんに呼ばれてこっちに合流してきたおハナさんに言われて、私は漸く合点がいった。というか完全に忘れてた。

 

 

「その顔は忘れてたって思ってるわね…………まったく。まぁ良いわそれじゃ自己紹介でもしましょうか。」

 

 

おハナさんにちょっと呆れられつつ私は改めて2人のトレーナー(確定)に向き直った。

 

 

「えっと、ナイスネイチャです。ご無理を言って申し訳ありません。」

 

 

「いえいえ、最初はおハナさんのお願いでビックリしましたが、理由を聞いて納得しました。将来の後輩になるかもしれないんですからね、微力ながら協力させていただきます。

私はチームカノープスでトレーナーをしている南坂です。これからよろしくお願いしますね。」

 

 

「寧ろおハナさんのお願いじゃなきゃ普通はやらないんだがな…………俺は黒沼だ。チームは持ってない。」

 

 

スーツを着た優しい笑顔の好青年といったいで立ちの南坂さん。そして上半身裸パーカーに真っ黒いサングラスを身に着けた黒沼さん。はいどう見てもアニメでネイチャが所属していたチーム、カノープスの南坂トレーナーとミホノブルボンをスパルタトレーニングで育てた黒沼トレーナーですね有り難う御座います。

 

 

「南坂のチームは無故障で引退を主目標として中央トレセン学園で唯一『無事是名バ』を達成しているスゲー所だ。南坂はネイチャにはこの故障しにくいトレーニング法や怪我のケア方法を学ばせてくれるらしいから真剣にな?」

 

 

「反対に黒沼はウマ娘にひたすらスパルタトレーニングを課す事で距離適性や脚質適正を改善する事に長けたトレーナーよ。彼のトレーニングは確かにスパルタだけど、逆に言えば何処までなら故障しないか、疲労が抜けれるか見極める事が出来なきゃスパルタトレーニングなんて出来ないからネイチャの目標に必ず糧になるわ。」

 

 

南坂さん、黒沼さん、沖野さん、おハナさんの順番に言われ、私の頭は宇宙猫状態である。何このトレーナーの厨パ?おかしない?

いや、嬉しいですよ?アニメキャラに会えた事と素晴らしいトレーナーに勉強させて貰えるって事の二重の意味で…………でもおかしいやろ!

 

というか、黒沼さんの言い分だとやっぱり原因はおハナさんじゃないですか。普通はやらないって言ってますよ?どんな魔法を使ってこの2人を協力させたんですか。

 

 

「黒沼は沖野みたいにツケがあったから協力させたわ。南坂は普通に協力してくれたわね?」

 

 

「そうですね。私はこの中では一番若輩なので…………やはり後輩って良いですよね。」

 

 

「…………ツケなんてするもんじゃねぇ。ネイチャ絶対誰からも金を借りるなよ?」

 

 

三者三様で答えるトレーナー達に私は苦笑いを隠せない。口元が引くついてないか心配である。

同様にひきつった笑いを浮かべる沖野さん。まさか沖野さんもアニメ同様おハナさんにツケて貰っているのだろうか?ジト目で沖野さんを見る私に気づいた沖野さんは慌てて両手を眼前で振りながら違う違うと否定する。

 

 

「まさか…………」

 

 

「ち、違う!ネイチャ!?俺は借りてない、借りてないからそんな目で見るな!」

 

 

「…………本当に?」

 

 

「本当に!」

 

 

「ネイチャ、その男は俺と同様におハナさんに呑み代をツケにして貰っているぞ?」

 

 

「な!?黒沼てめぇ!」

 

 

「おいそこのダメンズ2人。」

 

 

道連れとばかりに沖野さんの秘密をばらす黒沼さん。それに焦る沖野さんに私は思わずそう言ってしまった。いや、これは仕方ないと思う。

 

私のダメンズ発言で爆笑するおハナさん、マルゼンスキーさんを含めた女性陣。どうやら笑いのツボに嵌ったらしい。

逆に困り顔で苦笑するのは南坂さん。まぁこんなダメンズなトレーナーが先輩だと苦労するだろうな…………将来のカノープスでも苦労人だし、私くらい優しくしよう。

 

 

「それで…………私はなんで呼ばれたんでしょうか?南坂さん達の紹介ならスピカの部室でも良かったのでは?」

 

 

未だターフの上で言い訳を続ける沖野さんを呆れた目で見ながら、私はおハナさんにそう問いかける。

 

 

「まぁそうよね。紹介するだけならスピカの部室でもリギルの部室でも、カノープスの部室でも良かったわ。でも今回のメインは紹介じゃないのよ?」

 

 

私の質問にそう答えたおハナさん。確かに沖野さんも簡単な物から済ませようとか言ってましたね。

 

 

「私達はついでですよネイチャさん。」

 

 

おハナさんの言葉に補足するように告げる南坂さん。いや、貴方達をついで扱いって普通出来ませんからね?

ますます深まる疑問。練習場って事は誰か走るんですかね?だとすれば誰が走るんだろうか?

此処に居るウマ娘は私を含めて7人。私、ルドルフ先輩、マルゼンスキーさん、カツラギエースさん、テンポイントさんにグリーングラス先輩とトウショウボーイ先輩の7人。

テンポイントさん達生徒会は練習場の外に居るから走らないだろう。という事はルドルフ先輩とマルゼンスキーさん、カツラギエースさんと私。

 

私以外リギルのメンバーだからつまり、ルドルフ先輩達3人で並走トレーニングでもするのだろうか?

それで私にケアの練習をかねて同席させたと。こんな感じかな?

 

 

「つまり、ルドルフ先輩達3人が並走トレーニングするから私にケアの練習も兼ねてやってみろって事ですか?

えっと、私今冷却スプレーとかケア用品持って来てないんで一度取りに帰っても良いですか?」

 

 

1人納得した私の言葉に、復活した沖野さん(ツケ魔妖怪)を始め、おハナさんや黒沼さん、果てはルドルフ先輩やマルゼンスキーさん達まで呆れた目を向けて来た。南坂さんは再び困り顔。

…………解せぬ。

 

 

「並走トレーニングっつうか、走るのは正解なんだが…………なんでそこでネイチャ自身が走る事を入れてないんだ…………」

 

 

「おい沖野、大丈夫なのかコイツは?」

 

 

「え?だって今回はリギルのトレーニングですよね?」

 

 

呆れたように言う沖野さんに若干心配そうな目を向けてくる黒沼さん。私が心外だとそう答えても返って来る言葉は無く、私の言葉は虚しく静かなターフに吸い込まれているだけ。

 

 

「それだったらお前に運動出来る服装で来させる理由がねぇじゃねぇか…………」

 

 

そう言って頭を抑える沖野さんを後目に、私の頭の中は疑問符でいっぱいだ。走る?私が?誰と?

辺りを再度見渡してもリギルメンバー以外周りには誰も居ない。ライアンもエアグルーヴやスズカ、果てはリギルの他のメンバーすら…………

 

 

「走る相手は私だネイチャ。」

 

 

そう言って来たのはおハナさんの後ろに控えていたルドルフ先輩が一歩前に出てきておハナさんに並びながらそう言った。私が?ルドルフ先輩と?

 

 

「えっと…………私がルドルフ先輩と並走トレーニングをすれば良いんですか?」

 

 

「いや、並走トレーニングじゃない。」

 

 

そう言って、ルドルフ先輩の雰囲気が変わる。今までのちょっとテイオー感のある雰囲気から一転、私のよく知るあの皇帝(無敗の三冠バ)に近いあの雰囲気へと。

ターフの芝が騒めく様な雰囲気。ヒリつく感覚が私の体をまるでヤスリの様に体を撫でていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネイチャ…………レースをしようか?

 

 

威圧感のある笑みを湛えつつ皇帝(ライオン)が静かに、しかしこの場の全員に聞こえる声で私に向かって吼えた。

 






画力が無さ過ぎて最後のルドルフの挿絵が書けませんでした。私の数時間を返して…………カエシテ


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第18話


難産オブ難産。

レース描写が難しい、もっと上手くなりたい私です。


 

 

「…………どうしてこうなった。」

 

 

誰に聞こえるともなくそう呟いた私の言葉に、入道雲を携えた青空は私に何も返す事も無い。

ご丁寧にゲートまで準備してのルドルフ先輩とのガチレースに私は何度目とも分からない溜息が出た。別に走ることが嫌なわけじゃない。普段からトレーニングで走っているし、なんなら走らないトレーニングがちょっと消化不良気味になる位には好きだと言えるが。

 

ルドルフ先輩と走るのも問題ない。何時か一緒に並走トレーニングとかしたいなぁって考えてたし、何ならこちらからどうやって誘うか悩んでいただけに今回は渡りに船って感じ。

 

 

(けど、なんかレースって気分乗らないなぁ)

 

 

そう、レースだ。なんでレース、しかもルドルフ先輩はやる気満々のガチレースを私なんかがやらなきゃならないんだ。もっと本気でやる相手が居ると思うんだけど。

重い足取りでターフを軽く蹴る。蹄鉄シューズが芝の上を滑り、綺麗に切り揃えられた芝の数本が千切れ倒れる。

 

アップはもう済ませてある。何時でも私は走り出せるが、やはり気分は乗らない。なんでだろう?このモヤモヤとした感情の根幹が私自身にも分からなかった。

ゲートの準備が済んだ様で、マルゼンスキーさんがルドルフ先輩をカツラギエースさんが私を呼んでいる。ゆっくりと、私はカツラギエースさんの方へと歩いて行った。

 

 

「ネイチャさん、アップはもう大丈夫ですか?まだでしたら私達は大丈夫ですから怪我をしない様に入念にして下さいね?」

 

 

「アップは大丈夫です。私は何時でも行けます。」

 

 

後輩相手でも敬語を使い雰囲気も常にポヤポヤとした感じのカツラギエースさんに私はそう答えた。あれだ、メジロブライトに似てるんだこの人。まぁ生前の私は持って無かったけどね。

ちらりと横目でルドルフ先輩を見れば、やる気は絶好調といった様子でキラキラしている。対して私は不調では無いけど…………さりとて好調でも無い。いたって普通?なのかな。

 

 

(まぁ、やるからには全力で行きますよっと。)

 

 

悶々とした感情を封じ込め、私は目の前のレースに集中する。枠順は私のお願いもありルドルフ先輩が内側で私が外。距離は1600mの右周り。

2人だけじゃ、バ群なんて関係無いから結局外の方がロスが大きいんだけど、慣れた枠の方が私はやりやすい。既にルドルフ先輩はゲートインしているので、私も特に嫌がる事も無くスーっとゲートイン。

外ラチへと離れていくマルゼンスキーさんとカツラギエースさんを見ながら、私は意識を集中させる。いつも通りやればいい。そう自分自身に叱咤激励して。

ピリつく感覚が横から感じる。枠順は幾つか開いているはずなのにここまでルドルフ先輩の存在感が伝わって来るのだ。

 

レース前だというのに嫌な汗が私の頬を流れる。

大きく深呼吸をして、私は気分を落ち着かせる。大丈夫、ルドルフ先輩は基本的に素の状態だと先行策だったはず。ピッタリついて最後に抜かせばいい。

走る体勢に移り、何時でもスタート出来る状態に入る。

 

 

ガコンッ!

 

 

勢いよく開いたゲートを私はいつも通り集中していた為に出遅れなく走り出す。

 

 

(よし!)

 

 

ひとまず出遅れは避けれた。私が狙うポジションはルドルフ先輩の直ぐ後ろ、出来れば外側がいい。そう思っていた。

私の前にマークすべき相手(ルドルフ先輩)は居ない。飛び出し過ぎたと思って横を見ても、矢張りルドルフ先輩は居なかった。

それと同時に感じる背中からの威圧感。背中から汗が一気に噴き出し、体操着が張り付いていく。

 

風に抗う様に後ろを微かに振り向けば、半バ身ほど後ろにピッタリとルドルフ先輩が私をマークしている。

 

 

(なんでルドルフ先輩が私をマークしてるんだよ!)

 

 

乱れる思考。初めてのマークされるという感覚に私は言いようの無いキツさを感じる。

ストライドをスタートから巡航ストライドへと変えながら、私はこの威圧感に耐える様に前だけを見つめる。変に後ろに気を向け過ぎればそれこそルドルフ先輩の思う壺。例え初めてのマークされる立場だとしても、私のやることは変わらない。

 

何とか乱れる呼吸を正そうとする。体が私の物じゃないみたいに言う事を聞かない。頭では理解していても、体が逃げろ捕まるな喰われるぞと警鐘を鳴らし、ストライドを乱しにかかる。まだ1コーナーにも差し掛かっていないのに私の呼吸はレース後半の様に乱雑だ。

コースの内側、内ラチギリギリを走りながら私は何とかこの状況を打破したいと必死に考える。ルドルフ先輩の威圧感は消えない。それどころか距離を走るにつれ次第に強まっていく気すらしてくる。

こうなってしまえば外から内ラチへと走った私の方がスタミナが不利、普段バ群回避の為に外側を走っていたから気づかなかったけど、想定していたより外から内はスタミナを消費してしまう。ただトレーニングで走っているだけじゃ分からない、レースとしての消耗の速さ。

 

漸く第1コーナーに差し掛かり、私はストライドをまた変える。歩幅を減らしピッチを上げて接地回数を増やしてコーナリングをスムーズに、遠心力に耐える脚の負担を減らす走り方。

 

 

(これなら少しは膨らんでくれるでしょ!)

 

 

体を内ラチギリギリまで傾けながら、私はカーブで少し見易くなった後方へと視界を移す。少しコーナーで膨らんでくれれば走る距離が多くなって私との差が多少なりとも広がってくれていればいいが。

そう思ってはいたが、ルドルフ先輩はピッタリと私の後ろを走っている。距離も離れるどころか始まりと変わらずピッタリと半バ身を維持しながら…………

 

 

(すまないが…………私もコーナーには自信があるのだ。)

 

 

(そういえば貴女コーナー得意でしたね!(弧線のプロフェッサー持ってましたね!))

 

 

私の視線に気づいたルドルフ先輩は、そう言いたげにニヤリと笑った。私は内心思わず悪態をつく。コーナーで離せないのであれば、私が取れるのは最後の直線勝負。つまり末脚勝負しかない。

なんとか落ち着いた呼吸を荒げない様に意識しながら、私とルドルフ先輩は第2コーナーを曲がって向こう正面の直線へと入る。ここの練習場は丁度一周1600mなので、今までトレーニングで走った練習場のコースより直線が短い。

直ぐにやって来る第3コーナーを意識しながらも、私は再び巡航ストライドへと脚を変える。

 

雨が続いていた為中々ストライド変更の練習が出来ず、少し心配していたが今の所は問題無し。さりとて完全にスムーズに変更出来ているかと言われればそうでも無い。今の私のストライドは体感的に言ってしまえば車のクラッチの切り替えと同じ。

変更するタイミングでホンの少しだけでも速度が落ちてしまうし、脚のタイミングを意識して行わないと体のバランスが崩れてエンストよろしく失速してしまう。

 

私が目指すのは車のクラッチでは無く新幹線の電動モーター。意思という電力によって自由に速度やストライド、ピッチを変更出来る無段変速機が目指すべき理想。

芝を踏みしめ、歩幅を広げストライドの間隔を伸ばす。ピッチは下げてスタミナの消費を抑え、呼吸を変える。

 

 

(最後の仕掛け処まで無駄なスタミナ消費は抑える!)

 

 

ルドルフ先輩から感じる威圧感はスタートよりも2倍近く強く感じる。これがルドルフ先輩が高ぶって強くなっているのであればまだ良いが(それでも良くは無いが)距離が近づいて強く感じるのであればかなり悪い。

スパート前に抜かれては末脚で抜かす前にゴールされる気がしてならないのだ。なおかつ抜かれない様にコース取りされればなお悪い。

 

何とか私が先行状態のまま短い直線が終わり第3コーナーへ。スタミナの消費で荒くなっていく呼吸と酸素不足で纏まり辛い思考。それでもなお上手くストライドの変更が出来たのは私の日頃のトレーニングのお陰なのかはたまたウマ娘の本能故か…………

再び内ラチギリギリまで体を傾け、遠心力を強引に振り切る。最初より強く感じる脚への負担を強引に無視して、私はルドルフ先輩の位置を確認した。

 

 

(よし、()()半バ身ある!)

 

 

最初と変わらない距離で私と同じく内ラチギリギリを走っているルドルフ先輩に少しだけ安堵して、私は再び意識をレースへと戻す。決めるのは第4コーナーから直線へと入る前。短い直線では十分な速度が出ないから少し前目でストライドを変えて加速させる。

そう決めた私は何時もよりピッチを抑えめにする。最後の末脚に存分にスタミナを使う為に、何時もよりスタミナ消費を抑えたかった。

ターフを抉る回数が少しだけ減る。その分僅かにコース取りがブレてしまうのを避ける為一歩一歩の踏み込みに力を入れて無理やりコースを維持する。

 

第3コーナーを抜けて第4コーナーへ。まだだ、まだ仕掛けるには早すぎる。焦れる心を何とか押さえつけ、私は最後の仕掛け処に意識を向ける。一歩一歩の歩幅を更に調整し、最適なタイミングで最高の踏み込みが出来るようにする。

 

 

(あと20m…………10m…………5m…………今!)

 

 

今までよりも強く、芝が千切れ、ターフに深く食い込むほど脚に力を乗せる。温存したスタミナの消費を考えず、ひたすら最高速を目指す走り。それの為に意識を脚に向けた瞬間、フッと後ろから感じて来た圧倒的威圧感が消えた。

 

 

(なっ!?)

 

 

一瞬で消えたルドルフ先輩の気配。今まで感じていた威圧感が消えた事で、私は戸惑って一瞬の仕掛け処で踏み込むことが出来なかった。少しだけバランスを崩す体を無理やり元に戻し、逃した仕掛け処を悔やみながら再度スパートをかけようと踏み込んだところで、再び威圧感が私を襲う。

 

 

それも真横から

 

 

「な!?」

 

 

その気配は間違いなくルドルフ先輩のそれ。思わずそちらを見た私の前を、風が通り過ぎた。

風にたなびく鹿毛と白い流星が私の横を通り過ぎ、一気に先頭へと躍り出たのだ。たった半バ身とはいえ、私が取り乱した僅か一瞬で此処まで加速したのか。既にルドルフ先輩との差は1バ身を超えて3バ身近く開いていた。

余りに一瞬の出来事で呆然としそうになる頭を風の抵抗を考えず無理やり横へと振って、私は末脚を爆発させる。

 

 

「負けるかぁぁぁぁ!!!」

 

 

無意識に飛び出た私の声。それすら意識する事は無く私はルドルフ先輩に追いすがる。なんで相手がルドルフ先輩だとか、なんで私が走ってるんだとか…………

最初に感じた感情とか最早頭に無く、私はひたすら足を前に出す。地面が陥没すると感じるほど深くターフを抉り、広いストライドで一気に加速する。少しでも風の抵抗を弱める為にバランスを崩すギリギリまで上半身を前傾させ、それでも目だけはルドルフ先輩を捉え続ける。

 

ゴールまであと僅か。それでも諦めず追いかける。少しづつ少しずつ縮まる距離。3バ身から2と1/2バ身へと。そして2と1/2バ身から2バ身へと縮む偉大なる皇帝(ルドルフ先輩を)との距離。

 

 

「「勝つのは私だぁぁぁぁ!!!!」」

 

 

シンクロする私とルドルフ先輩の叫び声。脚が重い。だから何だ、前へと走れ!

ルドルフ先輩と私の蹴り飛ばした芝が宙を舞う。しかしそれすらも今の私には邪魔でしかない。

 

 

(追いつきたい!追い抜きたい!)

 

 

けれども、どんなに私が死力を尽くそうともやはり短い直線ではこれ以上ルドルフ先輩を捉える事は出来ず、ルドルフ先輩は先にゴール板を走り抜けた。

結果は1と3/4バ身。最後の直線でルドルフ先輩相手に半分近く追いつけた事に喜べばいいのか、はたまた些細な事に気を散らせて仕掛け処を失った私自身を情けなく思えば良いのか…………

 

ただ…………走り抜けたルドルフ先輩がこちらを振り向いて展示レースより前と同じ、汗だくだくになりながらも優しい笑みを受かベているのが見えた。

 

 

 

 

(あぁ…………悔しいなぁ…………勝ちたかったなぁ…………)

 

 

走り終わって、私はターフに倒れながらそう呟いた。

 

 

 






何時も感想有り難うございます。返信を返せていませんが必ず見ており、何なら寝る前とかベットで眺めて1人にやにやシテマス。
…………気持ち悪いですねすみません

今後もシガーネイチャをよろしくお願いします。


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第19話



何時もはネイチャの本能スピードを聴きながら執筆してるんですが、久々にユメヲカケル(ネイチャver)を聴きながら書いてたらいつの間にか泣いてました。私です。





 

 

 

ルドルフ先輩とのレースが終わり、私は疲れ果てたまま未だターフの上で倒れこんだまま動けなかった。

荒れた呼吸が肺へと何とか酸素を送ろうとしている。立とうとしても、脚も腰も腕も何もかも動かせない。正しく全身全霊の勝負で負けた。

 

 

(悔しい…………あの時よりもずっと!)

 

 

初めてのレースである模擬レースで負けた時よりもずっとずっと悔しい。あの時よりも成長出来ていたはずだ。トレーニングだって一生懸命頑張って来た。幾ら相手が未来の皇帝シンボリルドルフだろうが、私に対してのマークが初めてだろうが関係ない、もっと私が出来る手があったはずだ。

 

言い訳なんてしたくない。けど、この心の奥底から溢れ出る感情は制止が効かず私は思わず振り上げた右拳でターフを叩こうとしてしまい、そして地面に打ち付ける前に誰かに優しく私の拳は包まれた。

 

 

「そんなことすれば綺麗な手が傷つくぞ。」

 

 

「ハァ…ハァ…………ルドルフ先輩。」

 

 

私の手を止めたのは先ほどまで走り合っていたルドルフ先輩。彼女も汗だくになりながら、しかしクールダウンもせずに私の方へ来てくれていたらしい。

 

 

「ほら、何時までも倒れてないで起き上がれ。」

 

 

そう言って私の手を引いて起き上がらせてくれたけど、ルドルフ先輩も踏ん張りがきかないのか引っ張った私の方に倒れこんで来てしまい、私とルドルフ先輩、2人抱き合う形で再びターフへと沈んでしまった。

良く見ればルドルフ先輩も脚が震えている。もしかしてルドルフ先輩も全力だったのだろうか?だったら少しだけ嬉しい。

 

再び倒れこんだまま、無言で私はルドルフ先輩を見る。それに合わせた様にルドルフ先輩も無言で私を見た。

暫くの間、私達はこのまま見つめ合っていた。初夏のぬるい風が優しく体を包み流れていき、火照った体から余分な熱を洗い流していく。

 

 

「「…………フフッ」」

 

 

と同時に2人で笑い合った。先ほどまで悔しかったはずなのに、こんな些細な事で笑ってしまうほど今は楽しい気持ちだった。

張り付いた髪の感触を、ちくちくと頬を刺す芝の感触も、汗で張り付いた運動服の感触も。全部全部気持ち悪いはずなのに可笑しい位嬉しくて、そして楽しい。

 

 

「…………すまなかったネイチャ。あの時お前に一言もかけてあげられなかった。」

 

 

2人でひとしきり笑い合った後、ルドルフ先輩は抱き合ったまま私にそう言って来た。多分、何となくだけど展示レースの事を言っているんだと私は感じた。

 

 

「ネイチャの走りは凄かった。それこそ言葉を失うほどに…………だけど、その所為でネイチャを傷つけた。」

 

 

「そんなこと…………」

 

 

「正直、あのままだったらネイチャは昔の私の様になってしまっただろう。だから私はネイチャにレースでキラキラして欲しかった。

勝って喜んで、負けて悔しがって。そして次の勝利の為にまた努力して…………だから沖野トレーナーとおハナさんに協力して貰って今日のレースを企画したんだ。」

 

 

お前が首謀者か!とは言わない。確かにここ最近の私は走りたい感情はあっても、あまりレースについて考えない様にしていた気がする。今日だって沖野さんに呼び出されても私が走るって全く思わなかった訳だし。

 

 

「今日の為にずっとトレーニングして来た。」

 

 

「…………それって?」

 

 

「最近は避けてしまうような態度ですまなかった。少しでもネイチャに勝つ可能性が欲しかったんだ。」

 

 

ルドルフ先輩の私を抱きしめる腕に力が入る。同時に良かったと思ってしまった。私はルドルフ先輩に嫌われている訳では無かったのだ。

 

 

「あはは~それじゃ私は競争相手に塩を送っていた訳ですねぇ」

 

 

「そう言わないでくれ。ネイチャのおにぎりと味噌汁があったから私は頑張れた。あれが無かったら途中で倒れていただろうな。」

 

 

茶化す様な私の言葉に、そう微笑みかけるルドルフ先輩。全く、そんなこと言ったって普通許してあげませんよ。

そんな思ってもいないどうでもいい事をルドルフ先輩に言って、私も強く抱きしめた。驚いた様に目を少し開いたルドルフ先輩。けれども一拍置いて同じ様に抱きしめ返してくれた。

 

 

「じゃあ、今度ルドルフ先輩が埋め合わせでもして下さい。」

 

 

「勿論だとも!夏休みを楽しみにしていろネイチャ。」

 

 

そう言って、私達はまた笑った。クスクスと、皆に聞こえる訳でも無い小さな声で笑い合った。

 

 

「ほら、2人で仲良く笑い合うのも良いがさっさとクールダウンしてこい。」

 

 

気づいたら私の近くに沖野さんが立っていて、笑いながら「ほら」と両手を差し出していた。

私とルドルフ先輩はそれぞれ沖野さんの手を取って、沖野さんは勢いよく私達を引っ張った。ルドルフ先輩と話していた間に多少回復した体は何とか立つことは出来て。沖野さんは立てた事を確認すると

 

 

「念の為に脚を診るぞ?」

 

 

と言って私の脚を触診し始めた。ルドルフ先輩には沖野さんの後から来たのだろうおハナさんが触診している。

暫く触診する沖野さん。少しくすぐったいが、それよりもムスッとしながらおハナさんに触診されているルドルフ先輩が可愛かった。まさかお喋りの邪魔されたのが嫌だったのかな?

 

 

「よし、異常は無いが念の為だ。今日はこれ以上走るなよ?」

 

 

「分かってますよ~寧ろヘトヘトで走る気力もありませんってば。」

 

 

異常が無い事を確認して伝えてくれた沖野さん。脚はガクガクと震えて走れる状態じゃない。笑いながら私は沖野さんにそう返したのだが、唐突に沖野さんは私の頭に手を置いて優しく撫でた。

 

 

「ネイチャ。俺はまだお前のトレーナーじゃないが人生の先輩として今一つだけ指導してやる。夢の為に頑張るのは悪い事じゃねぇ、寧ろ素晴らしい事だ。だがな、少しくらい寄り道したって問題無いんだ。」

 

 

そう話し始める沖野さんに私の頭は疑問符だらけ。何を言いたいのだろうか?

 

 

「ネイチャはトレーナーになってウマ娘をキラキラさせたい。そうだな?」

 

 

「えっと…………はい。」

 

 

「じゃあ、自分がキラキラするのは嫌か?」

 

 

沖野さんの問いかけに私はどう答えたら良いのか分からない。

 

 

「ネイチャは無意識で自分も褒められたいって、キラキラしたいって思って無いか?

別に怒ってるわけじゃ無いぞ?トレーナーって夢もお前の本心だろう。だが、ウマ娘としてのナイスネイチャは自分もキラキラしたいって思って無いか?」

 

 

そう言う沖野さんの言葉に、私は無いとは言い切れなかった。

確かに、私は初めての模擬レースの後でナイスネイチャの走りを皆に魅せたいとも思っていた。展示レースの時初めて勝って凄く嬉しいとも思った。これが私のキラキラなのだろうか?そう内心疑問符を浮かべるが、自然と嫌じゃ無かった。

 

寧ろもっと勝ちたい、負けたくない。皆にナイスネイチャが居ると魅せたいと思っている私がいる。

 

 

「多分、私もキラキラしたい…………と思う。」

 

 

やや自信無さげに言う私に、沖野さんは手を私の頭から離しながら「よし!」と言って笑った。

 

 

「ネイチャは展示レースの後からレースの事を考えない様にしてた節があった。あれが骨となって心に刺さったままだったらきっとお前はレースを楽しめない!どうだった?今日は楽しかっただろ?」

 

 

「楽しかった…………けどやっぱり負けて悔しい。」

 

 

「上々!まだデビューまで2年あるんだ。時間はたっぷりある、何時かルドルフに勝てるように頑張って行け!ほら、ルドルフも触診が終わったみたいだから今日はさっさとクールダウンして帰って風呂入って寝ろ!」

 

 

「沖野さん……それセクハラだから。」

 

 

そう言いながらも私は笑っていたと思う。多分沖野さんなりの励まし?なのかな。

私はルドルフ先輩の手を取ってクールダウンするべく沖野さん達から離れた。ムスッとしていたルドルフ先輩も少しは機嫌が治ったらしい。

…………良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃバケモンだな。」

 

 

「俺の未来の愛バに向かってバケモンとは言ってくれるね黒沼。」

 

 

沖野トレーナーとおハナさんがネイチャ達から離れて戻って来た時、開口一番に口を開いたのは黒沼トレーナーだった。愛用のサングラスをパーカーで雑に拭いながら、黒沼トレーナーはそう返した沖野トレーナーに視線を合わせる。

 

 

「ネイチャだけじゃねぇ、ルドルフもだ。」

 

 

「だとしたら私も心外だわ。」

 

 

4人のトレーナー達はクールダウンしに行った2人のウマ娘を眺めながら、口を開いている。

 

 

「それを言ったら黒沼さんだってミスターシービーをスカウトしたじゃないですか?あの娘も十分あの2人と競い合えますよ?」

 

 

「だからバケモンなんだ。下手すりゃ三年連続三冠バなんて事になりかねんぞ?」

 

 

「あら…………だとしたら存外夢のある話じゃない?」

 

 

「夢は夢でも、他のウマ娘からしたら悪夢だよ。全く…………」

 

 

 

南坂トレーナーを初め、沖野トレーナーも黒沼トレーナーもおハナさんでさえもあり得る未来に思いを馳せる。

未来の彼女達はトゥインクルシリーズでどの様に輝いているのか。

まだまだ分からない事ではあるのだが、凄く楽しみなのはトレーナー達の口元を見れば丸わかりだ。

 

 

「さて、俺は先に戻るぜ?シービーを待たせちまってるからな。」

 

 

「そうですね。私もネイチャさんに渡す資料を作りたいですし先に失礼します。」

 

 

黒沼トレーナーと南坂トレーナーはそう言うと、沖野トレーナーとおハナさんに別れを告げて練習場から離れていった。いつの間にかテンポイント達生徒会のメンバーも居なくなっている。

練習場に残っているのは沖野トレーナーとおハナさん、マルゼンスキーとカツラギエースの4人だけ。

 

 

「でも、ルドルフちゃんがちゃんとネイチャちゃんに謝れて良かったわぁ。」

 

 

場を読んで黙っていたマルゼンスキーがそう口にする。合わせる様に残りの3人が頷く事から全員同じ事を思っていたらしい。

 

 

「少なくともネイチャとルドルフは大丈夫だろう。なんたって同じ夢を追ってるんだ。」

 

 

「目指す場所は違うけどね?」

 

 

沖野トレーナーの言葉にそう返すおハナさん。2人の会話にニコニコと笑うマルゼンスキーとカツラギエース。

 

ターフに吹く暑く湿った初夏の風が4人を包むが、不思議と4人には気持ち悪くは無かった…………

 

 

 






感想にて等速ストライドって書いてあって、何ぞやって調べたら競走馬の技だったんですね。




調べた時の私「セクレタリアトってチートやんこっわぁ」


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第20話



文字数を3333文字で揃えてみたかった。私です。


私の拘りって訳じゃないんですが、トレーナーの勉強の描写とかあまり省いたり事後報告みたいに組み込みたくないので進行系でそう言った勉強やトレーニングの描写を書いてちゃんとネイチャはやってるんだよって魅せたい派です。

…………その前に書くとこ書けよ、はよ進めろって言われそうですが。


 

 

待ちに待った夏休み。

多くの学生にとって夏休みは至福の存在。夏休みが1日多いだけで大喜びし、最終日には新学期へと絶望する魔の誘惑期間はトレセン学園でも変わることは無い。

特に中等部はそれが顕著だった。休み期間何処に行こうか悩む者、休み期間のトレーニングに関して実技の教官に相談しに行く者。宿題がめんどくさいと今から嘆く者。実に様々であるが、おおむね一般の学校と変わらない雰囲気が中等部全体で漂っていた。

 

うん、実に健全だね。走りのエリートが集まるトレセン学園でも私達はまだまだ子供、知り合いの年相応の部分が見れて私は実に満足である。

同じクラスのライアンも、同学年のエアグルーヴやスズカも実家に帰省してトレセン学園に居ない。同室で仲直り?したルドルフ先輩もものすっごく渋りながらも実家に帰って行った。

うん、ご両親とは仲良くね?

 

 

そんな夏休み真っ最中の7月。私が今何をしているかと言えば実家に帰る訳でも無く、さりとて誰かの家に遊びに行っている訳でも無い。

 

 

「ですから、この事から管骨骨膜炎(かんこつこつまくえん)やボーンシストは本格化が始まっていないウマ娘に多く発症する怪我になります。どちらも骨に関する事ですので注意して下さい。」

 

 

私は絶賛チームカノープスの部室で南坂さんに座学を教わっている所です。

カノープスの部室はアニメで見たそのまんまで少しだけ感動。私は真ん中のテーブルにノートを開いて南坂さんの話を纏めて、ホワイトボードに色々と書き込んでいる南坂さんという構図。

 

 

「けどさ、管骨骨膜炎(ソエ)は兎も角、ボーンシストは骨の発達不良でしょ?」

 

 

「ソエって別名も知ってるんですね、普通は医療関係者やトレーナーしか知らないのに流石ネイチャさんです。はいネイチャさんの言った通りボーンシストは骨の発達不良で起こる骨病変の一種です。ですのでボーンシストが発症すると競争能力を疑問視するトレーナーも多数います。実に嘆かわしいですが。」

 

 

そう言って悲しそうな表情をする南坂さん。因みに私が敬語じゃないのは2回目、ルドルフ先輩とレースした日の次に会った時に話しやすい喋り方で構わないと南坂さんに言われたから。

南坂さんのトレーナー授業は主にウマ娘の病気について。てっきり私は病気の発症しにくいトレーニング法でも教えてくれると思ったのだがそこは南坂さん、まずは病気の理解からとこうやって病気の種類や発症例を交えて実に分かりやすく教えてくれる。

 

 

「そうなると…………過度なトレーニングはさせず、骨の強度を上げる食生活を促しながら尚且つ骨に負担のかからないピッチ走法とかで負担面の軽減とかで何とかする感じ?」

 

 

「それに加えてプールやウッドチップコースも追加ですね。とにかく骨の強度が上がらなければどうしようも無いので。」

 

 

「うへ…………そこまで出てこなかった。追加で勉強しなきゃ……」

 

 

「いえいえ、そこまで答えられたなら十分ですよネイチャさん。向上心があるのは良いのですが、詰込み過ぎて知識が偏っても行けません。バランス良く行きましょうか。」

 

 

「はーい。」

 

 

少し気の抜ける返事を返しながら、私はテーブルへと上半身を倒した。南坂さん、優し気な好青年かと思いきや案外見た目に寄らず怪我の知識はガチである。まぁ、怪我をさせずにトゥインクルシリーズを走り切る事を目標にしているので当たり前っちゃ当たり前なんだけどね。

 

 

「次はコズミや感冒(かんぼう)ですね。ネイチャさん分かりますか?」

 

 

「コズミは筋肉痛、感冒は風邪。で合ってる?」

 

 

「はい、ネイチャさんの答えで間違い無いですよ。どちらも怪我では無いのですが、トレーニングのケアを怠れば簡単に発症してしまいますから身近な症状と言っても良いでしょう。因みにですがウマ娘はヒトよりも体温が高いので軽度の感冒でも体温が40°位まで上がるのでヒトとの違いに注意しといて下さいね?」

 

 

なのでトレーニングのケアは大切に。そう言う南坂さんに私は激しく同意する。

トレーニングに付き纏うのがコズミである。特にトレーニング後に入念な柔軟等のケアを怠ったウマ娘は大体経験する症状だ。勿論、ウマ娘によって症状の個体差はあるし中にはケアしてもコズミになってしまうウマ娘もいる。

そう言ったウマ娘は得てして筋肉が固く、他よりも注意しつつ柔軟性を持たせるトレーニングをしなければいけない。

でなければ本格的なトレーニングを行う事が出来ず鍛えにくいウマ娘とトレーナーに見られてしまうからだ。

 

スカウト前のウマ娘にとっては死活問題、スカウトされたウマ娘も上手くトレーニングを出来ずいい成績を残しづらくなってしまう。

 

 

(ホント…………柔軟とか集中してやってて良かったわぁ)

 

 

私の走法はかなり特殊らしいので(沖野さん証言)特に最近は今までよりも柔軟を持たせるストレッチを重視している。レース中に走法を変えるのはそれだけ脚に負担がかかるとの事なので特に。

お陰様で体も大分柔らかくなって、最近では脚を開いたまま胸が地面に着くようになった。目標は目指せテイオー並みの柔軟性!

 

 

(まぁ無理か。)

 

 

脳内でコメクイテー顔の私を浮かべながらそう呟いた。

 

感冒、つまり風邪に関してはなるようにしかならないと思う。勿論予防は大切だけど、トレーナーに必要なのは風邪にかかった後のケア。

南坂さん曰く、感冒が治った後に急なトレーニングをすると逆効果らしいのでそのトレーニング計画が大事との事。

 

本人は謙遜していたけれども、それでも南坂さんの医療関係者顔負けの知識量はおハナさんでも敵わないって言う位だから本当に凄い。私の知らない事、そして知っている事でも豆知識を加えて教えてくれるので新たな知識が増える増える…………

なんでこの人アニメであんな振り回されてたんだ?こんなに凄い人なのに。この人のお陰であの程度に済んだのか、はたまたこの人でもあれほど振り回せるカノープスのメンバーが濃いのか…………

そんな事を考えてしまう位に脳を酷使しちゃってちょいとオーバーヒート気味な私。

 

これには南坂さんも苦笑して私を見た。ごめんなさいやる気が無い訳じゃないんです。ただ脳が疲れちゃって…………

壁掛け時計を見れば時刻は丁度昼の12時。朝8時からやっていたので気づけば4時間近く南坂さんの時間を盗ってしまっていた。南坂さんも時間に気づいたのか再度苦笑する。

 

 

「時間も時間ですし今日はこの辺でお開きにしましょうか。」

 

 

「ごめんね南坂さん。こんなに時間使っちゃってさ。」

 

 

「別に構いませんよネイチャさん。私の担当も夏休みで帰省していますし、それに存外私もこの時間が好きなので。」

 

 

私の謝罪に微笑みながら答える南坂さん。私はそんな南坂さんから視線をバッグへと移した。

ゴソゴソとバッグの中に手を突っ込む私はお目当ての物を見つけるとそれを南坂さんへと向けた。

 

 

「それは?」

 

 

「お礼だよ?一応おハナさんや沖野さんにもおいしいって感想を貰ってるから味の保証は実証済み。」

 

 

私が取り出したのは何時もの低カロリークッキー(マックイーンホイホイ)。1枚約20キロカロリーと市販品が大体1枚50キロカロリーなので約半分の代物。

いや~おからを使うのはよくあるんだけど、味の調整が大変でバターとか砂糖とか減らしてるから最初は美味しくなくて、ムキになってきな粉とか色々試してみて頑張った代物である。

 

 

「これがおハナさんが自慢していたクッキーですか。私も食べてみたかったので嬉しいですね。」

 

 

「そう言って貰えると嬉しいよ。お昼のデザートにでも食べてね?」

 

 

のんびり帰り支度をしながら私はそう答えた。テーブルに置いたクッキーは10枚入りを簡素にラッピングした物。沖野さんにもおハナさんにも作っているので量産化を本格的に考えなければいけない気がする。

 

感激したように嬉しそうにする南坂さんに少し笑いながら、私は部室の出入り口まで歩いた。

 

 

「次は来週でしょ?また作って来るから期待しないで待っててね?」

 

 

「残念ですがネイチャさん、期待してますよ?」

 

 

どうやらこれはリピーターが増えそうだ。そう苦笑しながら考え、私はカノープスの部室を後にした。

 

 

「んじゃ南坂さんさようなら、また来週。」

 

 

「はいネイチャさんも怪我の無いように。また来週会いましょう。」

 

 

 

 

 

 



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第21話



遅くなってしまい申し訳ありません。

全てはリアルの事情とスランプ、そしてウマーマンが悪いです。
だから私は悪くない(違う


 

 

『事実は小説よりも奇なり』

 

 

そんなことわざが日本にはあるけれど、私が直面しているこの問題はまさにそれ。

南坂さんとの勉強会が終わって帰ってる途中、私は近道の為に校舎の中を通って行こうとした。校舎の玄関?で良いのかな?入ってすぐの所に二階に上がる階段があるんだけど、その階段の前を通って反対側の玄関へと行こうとした時にふと気配を感じたんだ。

 

なんだろうと思って階段の方を見たら分厚い本が階段の上から私に向かって勢いよく飛んできていた。

 

 

(あ、これぶつかるわ…………)

 

 

頭では状況を理解しても体が動かないって瞬間あると思うが今の私が正にそれの状態。避けなきゃって頭では考えれても体が動かない。

『空から女の子が降ってくると思うか?』そんなセリフで始まるライトノベルが前世であったけども、まさか上から本が降って来るとは思わなかった。

 

 

「プギャ‼!」

 

 

広辞苑並みの分厚さの本が私の頭部を直撃し、私は大きく仰け反ってしまった。グワングワンと揺れる視界と意識。バランスを取ることもままならず、私は盛大に尻もちをついてしまった。

 

尻もちをついた後に一拍置いてやってくる頭部とおしりの痛み。おしりは大丈夫だけど頭がかなり痛い。思わず蹲って女の子が出しては行けない声で唸る位には痛い。

幸い直ぐに意識ははっきりしてきたし、ペタペタと頭部を触診しても出血等は無い。脳震盪が起きている事も無さそうだ。

 

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 

未だに少し視界は揺れている中で、階段の上からそんな慌てた声と共にバタバタと慌てて階段を下りてくる音が聞こえて来た。

 

 

 

「大丈夫ですか!こういう時はまず意識の確認でしょうか!?いやでも意識はあるしえっとえっと!?」

 

 

(負傷者がいたらまず二次災害を考えて周囲の安全確認だよ)

 

 

だいぶテンパった様子で私の前に来たウマ娘に私はついそう内心突っ込んでしまった。いやこの場合だと二次災害とか関係ないんだけどね?

元通りになった視界で件のウマ娘を見た。流星の無い黒鹿毛の髪をボブカットにして、蒼い瞳を不安げに揺らしている。

 

 

「大丈夫だから、心配しないでいいよ。」

 

 

「しかし、やはり一度病院に行くべきだと思います!」

 

 

ゆっくりと立ち上がりながら私がそう言っても、彼女は慌てた表情を和らげることは無い。まぁ言ってることは正論だけども。

 

 

「私の知り合いにそういうのに詳しい人が居るから、その人に一度見てもらってから行くよ。」

 

 

「では私も同行します!」

 

 

私の責任ですから!と言いながら私に付き添おうとする彼女は、私の頭にぶつかり床に落ちていた本を手に取った。本の題名は『世界お菓子大全決定版(レシピ付き)』うん、そりゃ分厚い訳だ。

 

 

「取りあえず、付いてくるのは良いけど自己紹介だけでもしませんか?私はナイスネイチャっていいます。中等部1年です。」

 

 

「私はエイシンフラッシュと申します。ドイツからの留学生ですが、ナイスネイチャさんと同じ1年生ですので敬語は不要ですよ。」

 

 

…………うん、何となくそんな気はしてた。

アプリよりも少し幼いけれどどことなくアプリ版の雰囲気があるし、何よりも紺と白のリボンが付いた白いシュシュ型の耳飾りを右耳につけてるからね。

 

それにしても、エイシンフラッシュの生真面目な性格は中等部でも変わらないようだ。まぁ、性格なんて早々違うなんて事は無いか…………

少しだけ落ち着いたのか、先ほどよりも冷静になったエイシンフラッシュに私は付き添われながら、元来た道を戻る羽目になった。

 

帰省しない生徒が自主トレーニングに励む練習場の横を抜け、ピッタリと私の横について気遣うエイシンフラッシュに少し居心地の悪さを感じる。

遠くに見える入道雲を眺めながら、南坂さんになんて説明すればいいか私は頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なるほど、事の経緯は良く分かりました。」

 

 

「私の不注意で本当に申し訳ありません。」

 

 

「大丈夫ですよエイシンフラッシュさん。今日は私も急ぎの要件はありませんので、トレセン学園付属病院まで付き添います。」

 

 

チームカノープスの部室に戻って来た私に驚いた南坂さんだったけど、私に付いて来たエイシンフラッシュが事の経緯を簡潔に説明してくれたおかげですんなりと理解して貰う事が出来た。こういう時エイシンフラッシュの真面目というか冷静?な性格は凄く助かる。

 

私?私は先ほどまで座っていた椅子に着いてそうそうエイシンフラッシュに座らされて絶賛安静状態です…………はい。

 

 

「ごめんね南坂さん。迷惑かけちゃってさ。」

 

 

「ネイチャさんは今は私の教え子でもありますからね。これ位どうってことありません。それより大丈夫ですか?」

 

 

「うん、触った感じ皮下出血もしてないし、脳関係は流石に分からないけど外傷は無いよ?」

 

 

そう答えた私に一応確認しますねと言って南坂さんも私の頭を触診してくれた。南坂さんもなるべく優しく触ってくれているのだが、正直かなりくすぐったい。

1分か2分か。くすぐったくて身じろぎしそうになるのを耐えていると、触診が終わったのか南坂さんは私の頭から手を離した。

 

 

「確かに確認した限りでは異常は無さそうですが、念のためMRIで脳の検査もしておきましょう。」

 

 

「はーい。」

 

 

南坂さんの言葉に気の抜けた返事をした私は、そのまま机へと倒れこんだ。

心配そうに私を見てくるエイシンフラッシュに大丈夫大丈夫と手を振りつつ笑顔で返した。

 

 

「それにしても、エイシンフラッシュさんはお菓子作りが好きなんですか?」

 

 

「はい、父がパティシエでして…………小さい頃から好きなんです。」

 

 

「だったら案外ネイチャさんと話が合うかもしれませんね。ネイチャさんもお菓子作りが趣味ですから。」

 

 

出発する準備をしながら、南坂さんはエイシンフラッシュにそう話しかけた。どうやら、エイシンフラッシュがそのまま持ってきていた本のタイトルを見ていたらしい。

 

 

「そうなんですか!?意外です。」

 

 

エイシンフラッシュはエイシンフラッシュで、目を真ん丸に開いて驚きの表情で私を見て来た。正直心外である…………君の中で私は一体どんなウマ娘なんだ?

 

 

「と言っても何時も簡単な物しか作ってないけどね」

 

 

「いえいえ、ネイチャさんの作ったクッキーとても美味しかったですよ?」

 

 

「はいはい、お世辞でも嬉しいですよ~」

 

 

そう言いながら、私は南坂さんにも手をひらひらと振り返した。

私の返答に対して苦笑する南坂さんを眺めながら、私はエイシンフラッシュに向き直った。

 

 

「良かったら今度食べてみる?」

 

 

「良いんですか!」

 

 

やや食い気味に返答するエイシンフラッシュ。私は彼女も甘い物が好きなんだなぁと思ったのだが、どうやら違うらしい。

 

 

「私、周りにお菓子作りが好きな娘が居なくて。同じ趣味の人が居てくれて嬉しいです!」

 

 

「そ、そうなんだ。」

 

 

そのままどんなお菓子が好きなのか。カロリーが少ないお菓子やトレーニングに負担のかからないお菓子は何なのか…………そのまま喋り始めるエイシンフラッシュに私は軽く相槌を打ちながら、アプリでは見られないエイシンフラッシュの知らない素顔に頬を緩ませる。

 

年相応の明るい表情で喋る彼女は、アプリの中のスケジュール管理を徹底しているイメージが強かった私(生前エイシンフラッシュをお迎えすることは無かったが)にとって良い意味で裏切られた感じだった。

 

 

「それにしても、ナイスネイチャさんって周りの方が言っていた印象とは全然違っているんですね。」

 

 

「どんな事言われてるのかひじょーに気になるけども、私は何時もこんなもんだよ?」

 

 

「何というか、凄く話しかけ辛い印象だったので。」

 

 

そう言ったエイシンフラッシュだったが、その雰囲気は明るい。仲良くなれてなによりである。

 

 

「さて、準備が終わりましたので行きましょうか。」

 

 

準備が終わったらしい南坂さんが私達にそう話しかけた。楽しいお喋りの時間は終わり。流石にこれ以上エイシンフラッシュに迷惑をかける訳にも行かないので彼女とはここまでだ。

 

 

「それじゃ、エイシンフラッシュさんもここまで有り難う。後は何とかなるからまた今度お菓子についてお喋りでもしよっか。」

 

 

「そうですか…………流石に病院まで付き添うのはあれですし、心配ですが仕方ありませんね。」

 

 

(可愛い。)

 

 

少し寂しそうにするエイシンフラッシュに私はついそう思ってしまった。

 

 

「大丈夫だって。また明日でも明後日でも、何時でも会えるんだからさ。何なら連絡先でも交換しとく?」

 

 

「!?良いんですか?」

 

 

「いいよ?」

 

 

「有り難うございます!」

 

 

お互いウマホを取り出して連絡先を交換する。新しい友人が出来て友達が少ない私はとても嬉しい。

 

お互いホクホク顔で交換して、私達は南坂さんに連れられて部室から外へと出た。

 

 

「それじゃフラッシュ、また今度ね。」

 

 

「はい。ネイチャさんも、怪我がない事を祈ってます。」

 

 

友人になって、どっちからという訳でも無く名前の呼び方をお互い縮めて呼び始めた。

 

 

「それじゃ、行きましょうか?」

 

 

「そうだね。」

 

 

フラッシュと別れ、私は南坂さんの車で病院へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談という訳では無いが、病院の精密検査でも幸いな事に特に怪我などは見つからなかった。

お医者さん曰く、本が当たった角度が良かったのと私が簡単に仰け反ってしまったことで衝撃が緩和されていたと思われる…………との事。

 

怪我が無かったのは良いが、翌日南坂さんから連絡を受けたらしい沖野さんのテンパり具合はとても大変だった。数十分問題無いと説明して漸く沖野さんに納得して貰えた。

フラッシュにも同様にウマホにて報告して、お互い良かったねと電話で笑い合った。

 

 

 

 



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第22話



難産of難産



シガーネイチャがシンボリ家に行く話を書こうとしたらなんかドンドン初期の妄想とはかけ離れた物になってしまって後半スランプになりました。おかしいなぁ……

本当に申し訳ない(博士感


 

 

 

 

私の家に遊びに来ないか?

 

 

 

 

そう、ルドルフ先輩から誘われたのは例の本脳天直撃事件から1週間たった木曜日の夜のこと。

型落ち3年物の、それでも初めて母から貰ったお気に入りのやや古い私のウマホを通して、近況報告を兼ねた雑談電話でそう言って来たルドルフ先輩のその誘いに、私は2つ返事で了承をした。

 

日帰りかどうか尋ねた所どうやら週末泊まり込みで遊びに誘ったらしく、私は明日の夕方までに外泊許可証と簡単な荷造りをしないとなぁ~と少しだけ嬉しい悲鳴を漏らしたのを憶えてる。

行きと送りはルドルフ先輩側でやって下さるらしいので、私は待ち合わせの校門前に手荷物片手に待っているだけで良いとの事だった。

 

 

(旅費が浮いてラッキー)

 

 

そう思った庶民思考丸出しのあの時の私を思いっきり殴ってやりたい。それも渾身のボディーブローからのアッパーカットコンボで…………

 

待ち合わせ時間の5分前に校門に到着した私の前に止まったのは車体は胴長のスラリとした黒塗りで、窓は全て薄灰色のスモークガラスで覆われた1台の高級車。うん、どう見てもザ・リムジンだ。

こんな高級車で学校まで送り迎えして貰うお嬢様なんているんだ~と、その時は私無関係ですよと少し校門の塀に身を引いてリムジンが離れるのを待っていた訳だけど、待てども待てども人1人降りる様子も無ければ乗る雰囲気すら無い。

 

そして約束の時間を過ぎてもリムジンは動く気配は無いし、ルドルフ先輩のお迎えが来る気配も無い。

どうしたものかと困り果てていた時、唐突にリムジンの後部座席のドアが開いた。出てきたのは真っ白なシンプルなワンピースを着たウマ娘。その娘がリムジンから降りてきて、まっすぐ私の方へと歩いて来たのだ。

 

 

「何故呆けているんだネイチャ?」

 

 

私の目の前に来て立ち止まったウマ娘は少し怪訝な顔付きで、物凄く聞き覚えのある声でそう話しかけた。

まって…………もしかしてルドルフ先輩?

 

思わずは?って思ってしまった私は悪くないと思う。真っ白なワンピースを着ていたのはまさかまさかのルドルフ先輩。普段と違って髪をポニーテール(馬が居ないのにポニーテール表現は正しいのか分からないが)に結っているし、雰囲気も少しだけ違っている。

それに、まさかリムジンから降りて来た人が待ち人だと思っていなかった私にはちらっと見ただけでルドルフ先輩だとは気づけなかった。

 

 

「えっと…………雰囲気が何時もと違いますね?」

 

 

「あぁこれか?私はもう少し落ち着いた雰囲気の服が好きなのだが母がこういうのが好きな人なんだ。何時も何時ももう少しおしゃれしなさいとうるさくてな…………」

 

 

「さ、さいですか…………」

 

 

うんざりそうに私の問に答えるルドルフ先輩。なんというか…………あぁ、そういえばお嬢様だったなぁって感想しか出ない。

 

 

「良く似合ってます。普段とはまた違ったルドルフ先輩が見れて良かったです。」

 

 

「そ、そうか?」

 

 

思わず言ってしまった私の感想に、ルドルフ先輩はまんざらでもなさそうにそう言った。顔は平然としていて隠してるつもりだろうけど、残念ながら私の位置からルドルフ先輩の尻尾が嬉しそうに少し揺れているのが丸見えである。可愛い。

 

 

「えっと、まさかリムジン(あれ)で行くんですか?」

 

 

私はルドルフ先輩にリムジンを指さしながら質問した。いつの間にか執事服を着た老齢の男性が助手席付近で立っており、私とルドルフ先輩の方を見て微笑ましそうにしている。

 

 

「なんだ、乗るのは初めてなのか?なに普通の車と大して変わらないさ。」

 

 

「噓でしょ…………」

 

 

思わず私はそう呟いてしまった。リムジンと普通の乗用車が変わらないってどんな価値観なのさ…………シンボリ家って凄い。

 

 

「そうだ、ネイチャに紹介しておこう。じぃ!ちょっと来てくれ。」

 

 

ルドルフ先輩はリムジンの近くで立っていた執事服の男性を呼んだ。ルドルフ先輩の呼びかけに答える様にゆっくりとこちらにやって来る執事さんに、私は軽いお辞儀をした。

 

 

「紹介しよう、家で執事長をしているじぃだ。ネイチャも何か用があったら彼に頼んでくれ。」

 

 

「お初にお目にかかりますナイスネイチャ様。シンボリ家で執事をしていますセバスチャンと申します。今後とも、ルドルフお嬢様の事をよろしくお願いします。」

 

 

そう言って綺麗なお辞儀をする執事さんに、私は思わず二度目の「噓でしょ」が口から飛び出してきた。

まぁ、服装から執事さんなのは何となく判ってたし、シンボリ家なら居てもおかしくないよなぁとは思ってたけど流石に執事長はビックリした。だって実質的な執事や家政婦(メイド?)のトップだよ?

 

あと名前。なんでセバスチャンなんですか?絶対偽名ですよね!

そう突っ込みたい。突っ込みたいけど我慢。ほら、セバスさんうっすら笑ってるもん!絶対確信犯だってこれ!

 

 

「ルドルフお嬢様。忘れ物があるのではなかったのですか?早く取りに行きませんと。」

 

 

「そうだった!ネイチャは先に車に乗っておいてくれ!私は急いで忘れ物を取って来る。」

 

 

そう言って慌てて走り出すルドルフ先輩。小さくなる背中を私はただ見つめるしか無かった。…………え、どうしろと?

 

 

「では、ナイスネイチャ様。お嬢様が戻るまでお車でお待ちください。」

 

 

そう言いながら、リムジンに戻りながら後部座席のドアを開けるセバスさん。私は物凄く気まずかったけど、ドアを開けっぱなしにさせたままなのもセバスさんにも悪いので慌てて開けて貰ったドアをくぐって車の中へと乗車した。

 

乗車して、私はすぐさまシートベルトをしめた。幸い荷物はボストンバッグ一個だったので脚の上で抱える事が出来たので特に車内を占有する事も無い。まぁ車内の広いリムジンだから別に問題無いんだけど、やっぱりちょっと遠慮しちゃうよね?

セバスさんは私が乗り込んだのを確認すると後部座席のドアを閉めて運転席へと乗り込んだ。どうやらセバスさんがリムジンを運転していたらしい。

 

 

「車内の室温は大丈夫でしょうか?」

 

 

セバスさんはシートベルトをしめた後、私へと振り返ってそう聞いて来た。

 

 

「はい、大丈夫です。」

 

 

外は真夏とあって蒸し暑かったけど、リムジンの車内はクーラーが効いてとても過ごしやすい。私の額に浮かんでいた汗が引いていく感覚を感じながら、私はセバスさんの質問に答えた。

 

 

「それは良かった。何かありましたらお気軽にご相談下さい。」

 

 

にこやかに答えるセバスさん。見た目60~70歳位なのにその雰囲気は凄く若々しかった。

取りあえず軽くセバスさんにお辞儀をして答えて、私はスモークガラス越しに外の景色を見る。セバスさんの雰囲気のお陰で少しは気が楽になったけど、それでもやはり居心地の悪さを感じるのを止められなかった。

 

夕焼け色に染まった街並みと楽し気に笑うトレセン生のウマ娘の声が、リムジン越しに私の目と耳を刺激する。

現実逃避と言ったらそれまでだけど、この気まずい雰囲気から意識を逸らしたかったっていう無意識での行動だったのかもしれない。

 

 

「ナイスネイチャ様には感謝しております。」

 

 

唐突に、セバスさんが私に対して話しかけて来た。ずっと外を見ていた私は窓の外から意識を車内に戻したけれども、私の頭にはどういう事なのだろうかと『?』が浮かんでいた。

 

 

「ルドルフお嬢様の事でございます。」

 

 

疑問符が浮かんでいた私を見てそう補足したセバスさんだけど、どういう事なのか生憎と私には良く分からなかった。

 

 

「ルドルフお嬢様は昔から旦那様や奥様から期待されていた為か、小学校高学年辺りからあまり我が儘を言われなくなりました。まるで自分の感情を抑えているようにも私には見えたのです。」

 

 

前を向いたまま、ポツポツと語りだすセバスさん。

 

 

「笑う事も滅多に無くなりました。学校にも行かなくなり、ルドルフお嬢様が毎日庭の練習用ターフで走っては夜遅くまで勉強に打ち込む姿はとても子供とは思えないほどストイックな物でした。」

 

 

私はセバスさんの言葉に口をはさむことは出来ないでいた。言葉の節々に何処か後悔の様な、懴悔の様なそんな感情が感じられたから。

 

 

「実はセバスチャンと言う名前も昔ルドルフお嬢様が好きだった絵本に出て来た執事のキャラクターから取ったのですよ?旦那様にお願いしてコネを使わせて改名しました。

まだ小さかったルドルフお嬢様が『セバス!セバス!私今日も頑張ったよ!』…………そう言って笑っていたルドルフお嬢様が私の何より癒しでした。」

 

 

偽名じゃないんかい…………そう思った私だけど、セバスさんの改名した理由がクッソほど重い。ルドルフ先輩が喜んでくれるからコネを使って改名したとかセバスさんのシンボリ家に、というかルドルフ先輩に対する愛が重くて凄く突っ込み辛い。

 

 

「しかし今回、ルドルフお嬢様が帰省された際には旦那様や奥様を初め使用人一同の前でも心から笑われるようになり、年齢さながらの言動もされる様になっていました。」

 

 

先ほどまでの雰囲気とは一転、嬉しそうな雰囲気を口調から感じられる喋り方で言うセバスさん。

 

 

「奥様がお話を伺った所、凄く楽し気にナイスネイチャ様のお名前を出されておりました。あの様な姿は本当に久しぶりで………不覚にも私は涙が出るほどでした。」

 

 

目頭を押さえながら、そう言葉をつづるセバスさんに私は物凄く居心地が悪い。いやだって私全然大したことしていないし、それに対してここまで言われると正直そうなるのも仕方ないと思う。

 

 

「シンボリ家一同にとって、ルドルフお嬢様が再び明るくなられたのはナイスネイチャ様のお陰なのです。ですからこうして感謝の言葉をお伝えしているのです。」

 

 

「えっと…………私は別に大したことはしていませんし。」

 

 

「それでは、これは老いぼれじぃの独り言で構いません。有り難うございます。」

 

 

ぬぅ…………むず痒いったらありゃしない。正直早くルドルフ先輩に戻って来て欲しい。

 

 

「これはルドルフお嬢様も知りませんが、旦那様も奥様もナイスネイチャ様には感謝しております。ですので、本日の送迎も専属の運転手では無く私が行って粗相の無いようにと旦那様から仰せつかっております。それほどまでにナイスネイチャ様には感謝されておられるのです。」

 

 

バックミラー越しに映るセバスさんのにこやかな顔。その顔からその言葉が皮肉でも何でもない純然な感謝の感情が感じられて、私はむず痒さに拍車がかかった。

どうしようか、と頭を抱えずにはいられない。感謝されるのは嬉しいけど自分では何かたいそうな事をした覚えなんて無いので困ってしまうのだ。

 

そうしているうちに、セバスさんは唐突にリムジンから降りて行った。

なんだろうと私が外を見れば、丁度ルドルフ先輩が校門を出てきている所だった。どうやらルドルフ先輩に気づいてセバスさんは車外へと出たらしい。

慣れた手つきでセバスさんはルドルフ先輩が乗りやすい様に後部ドアを開け、ルドルフ先輩も慣れた様子でササっと私の隣へと座って来た。何故席はいっぱいあるのに私の隣へと座るのだ…………

 

 

「すまない。ネイチャ待たせたかな?」

 

 

「いえ、大丈夫ですよ。」

 

 

「そうか、それじゃあ我が家へと行こうか。」

 

 

「では、出発しますルドルフお嬢様。」

 

 

「じぃ、頼む。」

 

 

私はルドルフ先輩が来たことでセバスさんの話が終わった事にホッと胸を撫でおろした。

と同時に、これから大丈夫なのかと不安が脳裏をよぎり…………つい溜息を吐いてしまった。だってそうだろう?セバスさんの話ではルドルフ先輩のご両親以外にも使用人すらセバスさんと同じ感じらしいから私の心臓が持つのだろうか心配だ。

 

運転席に戻ったセバスさんがリムジンを出発させる。

 

 

(どうかシンボリ家についても普通でありますように…………)

 

 

そう願いながら、走り始めたリムジンの中で私は遠くを流れる街並みを見つめ続けた。

 

 

 

 



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第23話



お待たせしてすいません。

正直ルドルフの実家編を思いついたは良いんですけど屋敷描写とか家族についてとか難産過ぎて正直実家編を思いついた事を少し後悔しました。

あと、作者は本当に競馬を知らないです。競走馬を少し調べるくらいでまともな競馬知識は皆無なのでその所為で困惑させてしまっていたらすいません。


 

 

何かを得る為には何かを犠牲にしなければならない…………というのは前世を含めて小説や漫画ではよくある設定だと思う。例えば錬金術とか練丹術の等価交換みたいな設定とかそうだと私は思う。

 

どうして今そんな事を考えているのかと言えば、私は圧倒的な分泌量の胃液によって感じる強烈な胃痛と僅かな嘔吐感をダイレクトにライフで受け止めているという最悪な状況な訳でして。

この嫌悪感を感じる犠牲を払って、私は一体何を得ることが出来るのか生憎今の私では全く分からない。

 

ルドルフ先輩のリムジンに乗って1~2時間弱。移動中はルドルフ先輩との会話したりして楽しかったけど、漸くルドルフ先輩の実家に着いた時にはその楽しかった気分も一気に吹き飛んでしまった。

遠くに見えるめちゃくちゃデカい建物、しかも複数。まさか正門から建物までかなり離れてる事に庶民の私には既に思考回路がパンク寸前。

ルドルフ先輩の好意(余計なお世話)によって普段は降りないらしい正門でリムジンから降りて、建物とか施設とか色々と私に紹介しながら歩くルドルフ先輩にこの時点で少しづつ胃がキリキリし始めた私。でも流石にこれ以上インパクトがある事は無いと思っていたんで、ルドルフ先輩の紹介を聴きながらお屋敷の方へと歩いてたんだけど

 

 

 

………………うん。

 

 

 

「「「「「お帰りなさいませお嬢様」」」」」

 

 

 

お屋敷の玄関前にずらーと並ぶメイドさんの皆様、なんとその数30人以上である。メイドさんが玄関前の石畳の両端に一列に並んでお出迎えしている光景を見た瞬間に、私はつい胃の辺りを抑えてしまった。

キリキリと痛み出す胃を感じながら、私はつい足を止めてしまう。立ち止まった私にルドルフ先輩は怪訝な目で見て来たけど、まぁそれに答えれる心境では私は無い訳でして。

 

無言で微かに首を横へと振る私を見て、ちらっとメイドさん達を目で見て、何か得心が言ったかのように納得顔でうんうんと頷くルドルフ先輩は良い笑顔で再び私に向き直って口を開いた。

 

 

「あぁ、言っておくが彼女達は本職だからアニメや漫画みたいなコスプレ衣装を期待するなよ?」

 

 

違うそうじゃない!

 

 

寧ろこれでコスプレ衣装みたいなミニスカメイドだったら更に胃が痛くなるわボケェ!!と言いたい。言いたいけれども、そんなこと言える訳ないのが私の駄目なところな訳でして。

クラシックで露出も少ないザ・仕事着なヴィクトリアンスタイルのメイド服を着こなし、年齢もぱっと見20~50歳と幅広くいらっしゃるから本物を見た事が無い素人の私でもあの人達がコスプレでも何でもないガチの仕事人なのは見てわかるんですルドルフ先輩。

 

私が首を振っていたのは一般庶民ウマ娘ピーポーの私にはここの次元が違い過ぎて場違い感が半端ないって事なんです。ウッ……やばい、また胃が…………

 

 

 

とまぁ…………これが私が最初に吐露していた『何かを得る為には~』に繋がる訳でして。

 

流石に脂汗が浮かぶほどまでとはは行かないけれども、キリキリ痛む胃の痛みを手で押さえている為に若干猫背気味になってしまった私は、メイドさんの間を何食わぬ顔で歩いてお屋敷へと歩いていくルドルフ先輩の後を追うので精一杯である。

私の内心とは裏腹に凄く嬉しそうに歩いているルドルフ先輩。その後ろを私はついていっているのだけど、いつの間にか私がトレセン学園から持ってきて肩にかかっていたはずのボストンバッグはルドルフ先輩の荷物共々一緒についてきている老メイドさんが預かっていた事にビックリした。

 

一体いつの間に……

 

気づかないうちに荷物を預かっているメイドさんに少し…………ちょっとだけ戦々恐々とした私だけれど、特に何も言わず普通に私を案内していくルドルフ先輩を見て私がおかしいのだろうかと頭が困惑してきた。

 

お屋敷の造りはまるで高級ホテルって言われても信じてしまいそうなほどの高級感があり、エントランスや廊下も広くて、要所要所に置いてある高そうな花瓶や絵画がますます非現実感に拍車をかけてきている。

正直ここがホテルでは無くルドルフ先輩のただの自宅だという事に未だ違和感がある。本当はここはホテルじゃないのだろうか?

 

 

「ばぁや…………お父様とお母様は?」

 

 

「旦那様と奥様共に明日休暇にする為にとおっしゃられて本日はお帰りにならないそうです。」

 

 

「む?そうなのか?」

 

 

「はい。お嬢様がお友達を連れて来たのがとても嬉しいのだと思います。」

 

 

ルドルフ先輩から『ばぁや』と呼ばれた老メイドさんは薄く微笑みながら、私の前を歩くルドルフ先輩の言葉にそう返した。

ルドルフ先輩も老メイドさんと楽しそうに会話しているので多分ルドルフ先輩が小さい頃からルドルフ先輩のお屋敷でお勤めされている方なんだろうなぁ~と内心思っていたのだけど、ふいに視線を感じて後ろを振り返ってみれば何故かこそこそ隠れてついてくるセバスさんが居た。

 

 

…………いや、何してるんですか?

 

 

普通にこちらに来ればいいのにこそこそ隠れるセバスさんに私は?マークを浮かべるしかない。

そんな私の内心を知ってか知らずか、セバスさんはカンペ…………うん、テレビとかで良く見るあれを取り出して私に見せて来た。

 

 

〖お嬢様のご両親はネイチャ様にお会いになりたくて明日休みを取るそうです。〗

 

 

…………マジですか。

 

 

〖旦那様と奥様はお優しい方ですのでご安心下さい。〗

 

 

いやそれは良いんですけど何でセバスさんは隠れてるんですかね?

 

セバスさんのカンペを読みながら私はついそう思ってしまった。そうしているとセバスさんはサササっと新しくカンペに文字を書いて私に見せて来た。

 

 

〖がーるずとーくに男が入るのは野暮というものでございます。〗

 

 

あぁ、なるほど…………ってなるかい!

 

思わず手でツッコミをする動きをしてしまうほど強くそう思ってしまった。というか…………もしかしてセバスさんは私の心を読んでいるのだろうか?

私の動きにイイ顔でサムズアップするセバスさんは再びカンペにスラスラと文字を書いて私へと見せてくる。

 

 

〖ナイスネイチャ様がご緊張されていらっしゃるようでしたので。〗

 

 

〖少しは心は落ち着かれましたか?〗

 

 

セバスさんが見せて来たカンペを読んで、私はいつの間にか自分の胃痛が引いている事にやっと気づいた。心なしかお屋敷に入った時より気分も落ち着いている気もする。

思わずセバスさんを見れば、先ほどのイイ顔はどこへやら。おじいちゃんが孫を見るような優しそうな顔に変わって私に微笑んでいた。

 

 

(もしかして…………セバスさんに気づかれてた?)

 

 

だとすればセバスさんは滅茶苦茶お人よしだと思う。いくらルドルフ先輩の友人?後輩?として招待されたとはいえ、普通ここまですることが出来るだろうか…………

 

 

〖緊張されるのも仕方無いと思いますが、どうか楽しんでいって下さい。〗

 

 

そうカンペを見せてから、セバスさんはカンペをしまって私へとお辞儀をした。もしかしてこのやり取りもルドルフ先輩に私の緊張とかを知られぬ様にというセバスさんの配慮なのだろうか?だとすればセバスさんに気を使わせてしまって申し訳なく感じてしまう。

 

慌てて私もルドルフ先輩達に気づかれぬ様小さくセバスさんに頭を下げた。おかげで気分が大分マシになったのだからとても有難い。

去っていくセバスさんを見送ってから、私は未だご両親の事で老メイドさんと楽しそうに会話していたルドルフ先輩のもとへと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、此処が私の部屋だ。」

 

 

セバスさんと別れてから数分、老メイドさんと会話が終わって再びお屋敷を案内をして貰った私は最後にルドルフ先輩の自室へと案内された。

 

 

「実は誰かとお泊り会をするのは初めてで少し楽しみだったんだ。」

 

 

「えっと、つまり私はルドルフ先輩と一緒の部屋でお泊りって事ですか?」

 

 

嬉しそうに話すルドルフ先輩に私はそう答えた。どうやら私はルドルフ先輩の部屋でお泊りすることになるらしい。

まぁ、ぶっちゃけ寮で一緒に生活してるから別段普段と何かが変わるって事も無いけれど、嬉しそうに話すルドルフ先輩を見ているとそんな事なんてどうでも良くなってくる。

 

部屋の中は何というかルドルフ先輩らしいというか、女の子の趣味らしい趣味の物なんてあんまり無い勉強机といろんなトレーニング本が詰まった本棚、そして大き目のベッドという一見大学生の部屋と言われても通じそうな部屋。

ただ誰か分からないけど、ぱかプチが飾ってあったり本棚に少女漫画が少しあったりして、普段一緒に生活している私からすると本当に『ルドルフ先輩らしい』感じがする部屋だった。

 

 

「もしかして…………嫌だったか?」

 

 

つい好奇心で部屋の中を見ていた私の耳に小さくそんな声が聞こえた。私が振り返って見れば、耳を垂らしたルドルフ先輩が不安げに私を見つめていた。

 

 

「…………やはり違う部屋の方が良かっただろうか?」

 

 

「いえ!全然嫌じゃないですよルドルフ先輩!ただ初めてが私で良かったのかなぁって思っただけですよ!」

 

 

「ッ!?…………そうか!それは良かった。」

 

 

そう言って安堵の溜息を吐くルドルフ先輩に私は少しだけ違和感を感じた。

何となくだけど自分の実家に帰ってきたからか、ルドルフ先輩は少しだけ『ルナちゃん』化してないだろうか。尻尾を軽く揺らしながら、機嫌が治ったらしく嬉しそうにそう言ったルドルフ先輩を見てて私は何となくそんな事を考えずにはいられなかった。

 

普段のトレセン学園での生活では見せることの無い年相応の表情というか、今も普段の『フフッ』って感じの笑い方じゃなくて『ニシシ!』って感じの…………何というかテイオーっぽい感じの笑い方だし。

 

最初はあまりのスケールの違いに胃痛やら何やらであまり意識出来ていなかったけど、そう言えばついた時から嬉しそうに案内していたし存外、アプリとかアニメのシンボリルドルフも皇帝、そしてライオンになる前ってこんな感じだったのかもしれない。

まぁ、私の想像だけどね。

 

 

「それではお嬢様、お食事の時間になりましたらまた御呼びいたします。」

 

 

「あぁ、ばぁやも有り難う。」

 

 

私達の荷物を部屋に運び込んでから、老メイドさんはルドルフ先輩にそう言って部屋から出て行った。

窓の外は真夏という事もありまだ明るいが、腕時計を見れば時刻は午後6時過ぎ。もう数十分もすれば夜の帳が訪れてくる。老メイドさんが言うには夕食にはまた呼びに来るらしいので、それまでルドルフ先輩とのんびり雑談でもしておこうかな。

 

私は邪魔にならない様に荷物を部屋の隅へと運び直して、ご機嫌な様子でベッドに座っているルドルフ先輩へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談というか、雑談の中でルドルフ先輩曰く敷地内に小規模ながらもターフや坂路等が整備してあるとの事。

 

 

(…………やっぱお金持ちは次元が違うわぁ。)

 

 

 

 

 






今回色々試験的に試してみました。

場面転換部分を分かりやすく、アプリの場面転換みたいに⏱マークでくぎってみました。
不評でしたら修正しますね。

あとセバスについては不登校時代のルドルフを見てきたら多少の羞恥心とか捨ててでもこんなユーモアとかやるだろうなって妄想で書きました。
何故ネイチャにしたのかはセバス自身の知るところです(笑)


スランプ真っ最中という事もあり、もし読みにくかったら申し訳ありません。
一応毎回全話読み返しながら書いているんですが…………



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番外 もしネイチャがトレセン学園に入学しなかったらIF



本編だと思っていた読者様には申し訳ありません。

スランプ気味なので、気分転換も兼ねて番外編を執筆していました。
因みに、作者は本作を執筆する際に本編と今回の番外編の2つの設定を思いついていて、こっちを不採用にしていました。

なので今回は初期設定の供養をかねて短編用に改編しての投稿となります。


 

 

深々と小粒の雪が降る年末のとある日、俺は担当の愛バの要望で近くの商店街へと足を進めていた。

ルンルンと独特のステップ(テイオーステップ)を踏みながら俺の前を歩く愛バ…………『トウカイテイオー』の姿を見つめながら、つい自分が笑ってしまうのを自覚した。

 

つい先日、年末の中山レース場で行なわれた有マ記念。そこでテイオーはそれまでの多くの困難を乗り越えて、多くの応援と歓声の中で再び1着を取って日本全国へとその雄姿を見せつけた。世間では奇跡の復活『不屈の帝王』だとか色々言われちゃいるが、チーム『スピカ』のトレーナーとしちゃ奇跡でも何でも無い、テイオー自身の諦めない努力の結果だと俺は思っている。

 

まぁその所為で祝勝会やらなんやらでボーナスを咥えたばっかの俺の財布はペラッペラの革細工となり果てて涙を飲む事になってしまったが、目の前で『ニシシッ!』っと笑顔を浮かべているテイオーを見られたのならそれも仕方ないと思っちまう。

あの笑顔を間近で見られるのは俺達トレーナーの数少ない特権なのだ。

 

 

「ねぇねぇトレーナー!今度はあのお店行ってみようよ!」

 

 

そんな事を考えていると唐突に、俺の前を歩いていたテイオーがそう話しかけて来た。テイオーが指さしている先に見えるのは商店街の隅に構えている小さな喫茶店…………の様なお店。

 

様な…………と言ったのはホントに喫茶店なのかパッと見分からなかったからだ。見た目は何というか少し古ぼけていて、人の気配もほとんど感じられない。唯一扉にかかっている『OPEN』の掛札と、掠れて読めそうもない店名の看板だけが辛うじてそこが喫茶店だという事が分かるだけだったからだ。

 

左腕に身に着けている腕時計を見れば時刻は昼の12時を少し過ぎたくらい。まぁ軽食には丁度いい時間ではあるのだが…………

 

 

「おいおいテイオー…………飯を食うにしてももう少しいい所にしようぜ。」

 

 

「うぅんトレーナー…………なんかね、あそこに行かなきゃって感じがするの!」

 

 

そう言って俺の意見も聞かずに、テイオーは喫茶店に向かって再び歩き出してしまった。ああ言ったらテイオーはテコでも動かないから困ったもんだ。

軽く溜息を吐いてから俺は仕方なくテイオーの後について歩いてく。心なしか、今までよりテイオーのステップも少し楽し気な感じがした。

 

カランカラン…………とテイオーが扉を開けると同時に、扉に付けられていた小さな鐘が軽やかな音を鳴らす。最近じゃあセンサーで電子音メロディーを奏でたり、そもそも入店時に音が鳴らなかったりするお店が多いからこのアナログな雰囲気に少し懐かしさを感じながら、俺とテイオーは2人で寒さから逃げる様に店内へと入った。

 

店内は外観と違って綺麗なクラシック調の装いで、立地故か少し狭い店内にはテーブル席は無くカウンター席しか無かった。珍しい内装だったが、存外俺はこういう雰囲気は嫌いでは無かった。

 

 

「いらっしゃいませー」

 

 

お店の扉が閉まったのと丁度同時に、壁掛けテレビから流れるニュース番組をBGMにしながらそんな声が聞こえた。

 

視線をカウンターへと向けるとカウンター席の前、丁度店員側の方で座っていたウマ娘…………微妙にサマになっているその姿に既視感があると思ってしまったのは彼女のポーズが某有名アニメ映画スタジオが手掛けた魔女っ子の宅配便アニメのポスターに似ていたからかと1人納得してしまった。

 

 

「アッ…………」

 

 

小さく聞こえたテイオーの声に、俺はつい隣を見てしまった。

目を開き、口を半開きにした驚き顔で固まっているテイオー。

 

 

「おい……大丈夫かテイオー?体調でも悪いのか?」

 

 

そうテイオーに喋りかけても聞こえていないのか、テイオーは固まったまま店員らしきウマ娘を見ているだけ。

 

 

「…………テイオー?おいテイオー!」

 

 

咄嗟にテイオーの肩に手を当てて、軽く揺すった。そこで漸くハッとした表情で戻って来たテイオーは俺の方を見て…………そしてまた店員のウマ娘を見て首を横に振った。

 

 

「大丈夫だよトレーナー…………大丈夫。」

 

 

「大丈夫って言ったってお前。」

 

 

「大丈夫だから。心配しないでトレーナー。」

 

 

明らかに大丈夫そうではない様子のテイオーだが、直ぐに何時もの笑顔に戻ってしまった。

その表情には無理をしている様子は見られない。普段隠し事は苦手なテイオーだから、もし嘘をついているのなら直ぐ見抜けるから本当に大丈夫なのだろうとは思うが、不安にはなるがこれ以上テイオーに聞ける雰囲気では無かった。

 

 

「えーと………2名様でよろしいですかね?」

 

 

そんな考えを胸中で思っている時、不意に店員のウマ娘からそう声がかかった。

俺とテイオーはずっと扉の前で話していたので話しかけるタイミングを失ってしまったらしい。正直申し訳ない事をしてしまったと思い、俺とテイオーの2人だという事を彼女に伝えカウンター席へと案内された。

 

改めて俺とテイオーにおしぼりとお冷を準備している彼女を見る。年齢はテイオーと同じくらいだろうか?

綺麗に手入れされたやや赤みがかった鹿毛の髪の毛をツインテールに結っていて、前髪には黒鹿毛の流星とは少し違った髪がワンポイントとなっている。

緑と赤のイヤーカバーをアクセントに白いシャツに黒いエプロンという喫茶店の制服も相まって、何処か年齢不相応な……良い意味で大人びた雰囲気を持った少し変わったウマ娘だった。

 

 

「ご注文は何になさいますか?」

 

 

「俺はコーヒーを頼む。」

 

 

「コーヒーですね。砂糖とミルクはどうなさいますか?」

 

 

「いやブラックで頼むわ。」

 

 

「はい、分かりました。」

 

 

そう言って紙の伝票にスラスラと注文を書いて行くウマ娘を横目に、俺はテイオーに注文をどうするか聞こうと横に座ったテイオーの方を見る。

 

 

「ボクね、ミルクティーがいい!」

 

 

「ミルクティーですね。注文は以上でよろしかったでしょうか?」

 

 

「ああ、テイオーも他に特に無いよな?」

 

 

「うん!」

 

 

「分かりました。では少しお待ち下さい。」

 

 

伝票をエプロンのポケットへと仕舞いつつ、俺達に背を向けて彼女はカチャカチャと注文した飲み物の準備をし始めた。どうやら厨房では無くカウンターの前で作ってくれるらしい。

 

お湯を沸かし、豆を挽いて、茶葉の準備をする。一つ一つの淀みのない動作から、彼女がこの作業にかなり手慣れていることが分かる。いや、それだけじゃない…………

 

 

(このウマ娘…………良い走りをするな。)

 

 

俺のトレーナーとしての部分が本能的にそう告げてくる。そこまでトレーニングはしていない様だが、きちんとしたトレーナーの元で適切なトレーニングを積めば、オープン戦なら楽々。

少なくとも重賞に出てもおかしくない位のポテンシャルを持っているのは確実だった。

トモを触って確認してみたい。そう思ってしまったがここは喫茶店。流石に諦めるしかない。

 

意識を逸らす為にちらりとテイオーを見れば、俺と同じく何かをあのウマ娘から感じ取ったのかじぃっと彼女を見つめ続けている。今までの楽し気な雰囲気は何処へ行ったのか…………何かを思い出すかのように彼女の全身を食い入るように見つめては、何かが引っかかってはいるものの何も思いだせ無いもどかしさを感じているかの様な、そんな複雑な表情をしていた。

 

 

「ねぇねぇ!君の名前は何ていうの?」

 

 

唐突に、テイオーは彼女にそう話しかけた。さっきまでのテイオーの反応からてっきり俺の知らない知り合いだと思っていたがどうやら違ったらしい。

 

 

「エッ……ア、アタシ!?」

 

 

唐突なテイオーの問いかけにどうやら作業に集中していたらしい彼女はビクッと肩を跳ねらせながらそう聞き返してきた。

 

 

「そうだよ!だってトレセンで君の事を見たこと無いからさ。」

 

 

確かに…………トレーナーという職業柄他のトレーナーの担当ウマ娘や有望そうなウマ娘の事は見たり聞いたりするものだが、彼女ほどの素質なら一度は耳に入ったりしてくるはずなのだが俺も聞いたことが無かった。

 

 

「いやまぁ…………そりゃ見た事は無いでしょうが。」

 

 

テイオーの言葉を聞いてそう漏らした彼女は、疑問顔のテイオーの顔を見て少しだけ笑った。

 

 

「因みにボクはトウカイテイオーだよ!」

 

 

「それは知ってますよー」

 

 

「エェ!?何で!?ボクは君の事知らないのに!」

 

 

彼女の返答にビックリした様に声を上げるテイオーに、彼女は『ほら』とテレビに指を指した。

 

丁度テレビでは先日の有マ記念の特番に切り替わっており、テイオーが他のウマ娘に抱き着かれてターフに倒れこむシーンが映っていた。

 

 

「あんだけテレビに出ていれば、走らないアタシだって君の事を知ってるから。」

 

 

呆れたようにテイオーにそう返した彼女は再び作業へと戻っていく。ん?いや待て、今なんて言った?

 

 

「え!?ちょっと待ってよ走らないってどういう事なの!?」

 

 

どうやらテイオーも気づいた様で立ち上がってそう聞き返した。言った張本人は『あ…………』と漏らしてヤッチマッタって顔をしていた。

どうやら話題を逸らそうとしていたらしい。

 

 

「取りあえず、もうすぐ出来ますからちょっと待って下さいね。」

 

 

そう言って作業に戻った。テイオーは『エェェ』と言いながら席に着くが少し不満そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました。ブラックコーヒーとミルクティーです。」

 

 

それから数分。時間潰しにとテレビに流れるニュースを見ていた所で、鼻腔を擽る良い匂いと共に彼女は俺たちにそう言ってコーヒーと紅茶を席へと置いてくれた。

ゆらゆらと揺れる焦げ茶色の水面から立ち昇る白い湯気。普段飲む缶コーヒーやインスタントとは違う本格的なその香りに、案外此処のお店は行きつけになるかもなぁと思ってしまう。

 

 

「ありがとう。」

 

 

「ねぇねぇ君の名前は!何で走らないって言ったの!?何で!?」

 

 

彼女の手が空いた瞬間、テイオーはそう彼女に一気に捲し立てた。

 

 

「おいテイオー…………」

 

 

流石に彼女にも事情があるのだしあまりプライベートな事を聞くもんじゃ無いとテイオーに注意しようとした所で、彼女から『別にいいですよー隠してるわけじゃないし』と言われてしまった。

 

 

「それで、有名なトウカイテイオーさんはアタシに何が聞きたいんですかね?」

 

 

「えっとね、まずは君の名前!」

 

 

少しだけ砕けた口調の彼女に、テイオーはそう答えた。

 

 

「アタシの名前かぁ…………どーも、ナイスネイチャでーす。呼びにくかったらネイチャでいいよ。」

 

 

彼女、ナイスネイチャはそうテイオーに言った。テイオーは『ネイチャ…………ナイスネイチャ…………』と、そう小声でナイスネイチャの名前を自分に刻み付ける様に繰り返していた。

 

 

「じゃあさ、ネイチャはなんで走らないってさっき言ったの?」

 

 

「だってアタシ、トレセン生じゃないからさ。」

 

 

これには流石に俺も驚いてしまった。これほどの素質がありながらまさかトレセン学園に通っていないとは………

テイオーをチラ見すれば、最早声にならないのか人の耳には聞こえない音域の叫びをあげながら驚いている。

 

 

「ナンデ!?」

 

 

「何でって…………アタシはトウカイテイオー(あんた)みたいにレースでキラキラする事は出来ないからさ。」

 

 

そう答えるナイスネイチャに、納得がいかないのかテイオーは不満顔。そして俺も、勿体無いと思う程度にはナイスネイチャの走りを見てみたいと思ってしまっていた。

 

 

「エェ……ネイチャだったら絶対トゥインクルシリーズで一杯活躍出来るから今からでも一緒に走ろうよぉ…………」

 

 

未だに不満顔を続けているテイオー。今までに無いテイオーの姿に困惑を隠せないが、それと同時に是非スカウトしたいという気持ちを持ってしまう俺がいる。

 

確か、生徒会長のシンボリルドルフが地方のトレセン学園から将来有望なウマ娘を中央へと引き抜いた前例がある。しかしその時は水面下でかなりの数の苦情が中央や担当トレーナーのおハナさんに来たらしい。

しかも、今回は地方トレセンでも無い一般生のウマ娘だ。実績なんて欠片も無い。

 

うちのスペ…………スペシャルウィークの様にトレセン学園の編入試験を受ければいいだろうが中央からのスカウト(特待生)が効かない分、学費や試験料で多くのお金がかかってしまうからそこそこの蓄え等が無いとキツイだろう。

 

レースの賞金で学費を…………なんて、そんな見通しが通るほどトレセン学園は甘い世界では無いのだ。

 

 

「ねぇ一緒にトレセン学園で走ろうよぉ……」

 

 

それでも粘るテイオーを、ナイスネイチャは苦笑しながら見つめていた。

 

 

「ねぇ、テイオー…………」

 

 

苦笑していたナイスネイチャは、そうテイオーを呼んだ。今まで一度もテイオーに対して『テイオー』何てそう呼んでいなかった彼女が急に愛称で呼んだことに、テイオーは少しだけ肩を跳ねらせた。

初めてナイスネイチャからそう呼ばれたはずなのに、肩を跳ねらせた直後にはテイオーはまるでそれが当たり前だったかのように嬉しそうに尻尾を揺らし始めた。

 

 

「アタシは、此処の商店街で育ったんだよね。おふくろが小さいけど商店街の近くでバーをやっててさ。物心ついた時からずっとずーと、ここで過ごしてきたんだよね。」

 

 

少し遠くを見る様な目で、ナイスネイチャはそう口に出した。

 

 

「魚屋のおっちゃんも、八百屋のじいちゃんも、肉屋のおばちゃんも…………商店街のみ~んなお人好しでさ、小学生の時も中学生の時も運動会の時とか全員お店休んで大声で応援しに来たりさ………

アタシが1着取ったりした訳でもないのにゴールしたら大騒ぎで喜んだりしてさ。当の本人よりバカ騒ぎして、終わったら終わったで今度は商店街で大騒ぎ…………

滅茶苦茶恥ずかしいったらありゃしない訳ですよ。

クリスマスにもアタシの為におふくろのバーでパーティーを開いて男衆はバカ騒ぎしてさ。

毎回毎回野菜やらお肉やら魚やら押し付けてきて、頼んでもいないのにお小遣い渡してきてさ。要らないって言っても『いいからいいから!』って聞かないし。」

 

 

愚痴の様に語っているナイスネイチャだが、その顔は何処か嬉しそうに見えた。

 

 

「それだけじゃ飽き足らずさ、商店街の皆おふくろを丸め込んで口座作ってアタシがトレセン学園に入学するとき用にって皆でお金出してさ。

アタシには秘密にしてそんな事やってたのよ。『ネイチャンは凄いから!』って言ってさ。まったく…………アタシはトレセン学園に行きたいって一言も言ってないのにね。」

 

 

「ってことはお金はあったんでしょ?なんで来なかったの?」

 

 

「アタシはさテイオー。さっきも言ったけど商店街(ここ)で育ったんだよ。そりゃさ、確かにはしゃぎ過ぎてこっちが恥ずかしい思いをした事も少し…………いや一杯あるけどさ、女手一つで育ててくれたおふくろと、そんなアタシを実の子供の様に世話してくれた商店街の皆がアタシは大好きなんだよね。

 

テイオーはどう?毎日が楽しい?」

 

 

「それは…………うん、きつい事もあったけど今は毎日が楽しいよ。」

 

 

ナイスネイチャの質問に少し考え込んだテイオー。多分ダービー後からの事を思い出したのだろうが、ちらりと俺の方を見てからテイオーはナイスネイチャにそう答えた。

 

 

「まぁ、有マ記念のテレビ見てたらなんとなく伝わって来るけどね。」

 

 

「エェ…………じゃあ何で聞いたのさぁ…………」

 

 

「ごめんごめん…………でもねテイオー。アタシはそれと同じくらい皆と過ごす毎日が楽しくて嬉しくて幸せで、凄く沢山のキラキラを貰ったんだよ。

おっちゃん達と下らない馬鹿話で盛り上がって、おばちゃん達と世間話して…………

確かにアタシもウマ娘だから走るのは楽しいけど、それ以上の毎日が商店街(ここ)にあるの。

 

何年後か何十年後か、普通の高校を出て、普通の大学に入って、卒業しておふくろのバーを手伝ってさ。普通に恋をして普通に誰かと結ばれて、普通に子供を産んで…………そん時にふと振り返っても、トレセン学園に入らなかった事に後悔することはきっと無いんじゃない?

レースの世界の熱い青春(毎日)よりも、包み込むような温かさの商店街(毎日)の方がアタシには幸せなんだよね。

 

それを皆に言ったらさ、おっちゃんもおばちゃんもおふくろも……皆一緒になって泣き出しちゃってさ。宥めるの大変だったよ。」

 

 

笑いながら、ナイスネイチャはそう語ってくれた。何年も地元に帰ったことの無い俺には実に耳の痛い話だ。今年くらいは一度地元に顔を出して見ようか…………そう思うほどに。

テイオーは分かる様な分からない様な、そんな顔をしている。まぁ無理もないだろうか。ナイスネイチャの語る幸せはどちらかと言えば年を食った俺達『大人』の想う郷愁に近いんだと思う。

 

 

「お前ホントに中学生かよ。」

 

 

余りにもナイスネイチャ自身の年齢に不釣り合いなその言葉に、ついそう口を開いてしまえば『あはは…………それ良く言われますわぁ』と苦笑いでナイスネイチャはそう答えた。

 

 

「ホントに駄目ぇ?」

 

 

机に倒れこんだ姿勢で、テイオーは不貞腐れた様にそう呟いた。どうやら本当にナイスネイチャと走りたかったらしい。

これにはナイスネイチャも今まで以上に苦笑いをするしかない様だった。正直ここまで粘るテイオーを見たのは初めてだったから俺としちゃ呆れるしかない。

 

 

「じゃあさ、テイオー。一つだけお願いしてもいい?」

 

 

唐突に、ナイスネイチャはテイオーにそう切りだした。

 

 

「ナニナニ!ネイチャのお願いならボクなんでも聞いちゃうよ!」

 

 

さっきまでの雰囲気は何処へやら。テイオーはガバっと起き上がって笑顔でナイスネイチャを見た。

 

 

「こんなアタシでもさ、一応はウマ娘な訳でして。少しくらいレース場で走ってみたいって想いは有る訳ですよー

だからさ、アタシの想いもテイオーに任せたいんだけど…………良いかな?」

 

 

「え…………それって?」

 

 

「究極無敵のテイオー様にとってはちっぽけなモノだけどね。アタシも見てみたいんだよね…………きっとその先へ…!(レースのキラキラ)ってやつをさ。」

 

 

そう言ったナイスネイチャはちらっと俺を見ると、テイオーにバレない程度にウインクして見せた。

 

 

(ははぁ…………なるほどね)

 

 

何となくナイスネイチャの考えに納得した俺だが、件のテイオーといえばナイスネイチャのお願いに目をキラキラさせていた。

 

 

「イイノ?!」

 

 

「テイオーが良いならね?」

 

 

「いいよいいよ!ぜんっぜん良いよ!」

 

 

「じゃあお願いね?」

 

 

「うん!」

 

 

嬉しそうに笑うテイオーを後目に、ナイスネイチャは安堵したかのように微かに笑った。

 

 

「じゃあさじゃあさ!次のレース見に来てくれる!?」

 

 

「えぇ…………まぁうん。お願いしたのは私だしね…………見に行くよ。」

 

 

「ヤッタァ!見ててよ!絶対見ててよ!?」

 

 

「はいはい、わかったから少し落ち着きなさいな。」

 

 

何というか、端から見れば年下のテイオーの面倒を見るナイスネイチャとしか感想が出てこない2人の会話だ。テイオーもナイスネイチャと同い年の筈なのに…………もう少し落ち着きを持って貰いたいものだ。

 

しかも、何というか今のテイオーはシンボリルドルフと一緒に居る時のテンションに近い物を感じる。たった数十分~1時間ちょいの間柄なのにどこでそこまでにナイスネイチャに気を許したのだろうか?

 

 

「さてと、テイオーのトレーナーさん?お昼はどうします?」

 

 

時計を見れば、既に時刻は午後1時を少しまわっていた所だった。

 

 

「もうこんな時間か…………ホントはここで昼食を食べようと思ってたんだが忘れちまってたな。」

 

 

「あはは…………賄いで良ければ作りますよ?」

 

 

ナイスネイチャは頬を搔きながらそう言った。

 

 

「流石にそこまでして貰うのは申し訳ないからきちんと注文させて貰うさ。」

 

 

「いいっていいって。その代わりといっちゃなんだけどさ、お願い聞いて貰ってもいい?」

 

 

「お願い?」

 

 

「そそ。お店の宣伝の為にテイオーにサインでも貰おっかなってね?お礼はネイチャさん特製ナポリタン。どう?」

 

 

「ナポリタン!?ヤルゥ!」

 

 

「あ!おいテイオー!」

 

 

俺の返答を待たずして、テイオーはナイスネイチャの提案に飛びついてしまった。

…………いや、この場合はナポリタンにつられてしまったというべきか。

 

テイオーの反応には俺もナイスネイチャも苦笑いも出ない。2人で顔を見合わせて思わずため息を吐いてしまった。

 

 

「済まないが…………テイオーに頼めるか?」

 

 

「あはは…………トレーナーさんのも良いよ。2人も3人も変わらないから。」

 

 

「…………済まない」

 

 

俺達2人の気持ちも知らずに、テイオーは『ナッポリッタン~ナッポリッタン~♪』と訳も分からない歌を歌っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、長々と済まなかったな。」

 

 

ナイスネイチャのナポリタンは正直かなり美味かった。こう、何というかファミレスやお高いレストランとは違う懐かしく温かい……そう、家庭的な美味さと言った方が良いのかもしれん。

テイオーに至っては『コレオイシイ!』と言いながらペロリと平らげ、遠慮も何も無くナイスネイチャにお代わりを頼んでいたくらいだった。これには流石にナイスネイチャに失礼だとテイオーに注意はしたんだが、そこは同じウマ同士。『大丈夫ですよー』と軽いノリでナイスネイチャはテイオーにお代わりを持って来た。

 

もしやナイスネイチャはテイオーがこうなる事を見越してウマ娘基準で3人分作っていたのだろうか…………?

 

 

「またねネイチャ!また遊びに来るからね!」

 

 

「はいはい、遊びに来るだけじゃなくて今度はちゃんと注文してよねー。」

 

 

既に入店してから2時間は経っている。今の時刻は午後の2時半だ。

流石に長居し過ぎたし、これ以上はナイスネイチャの迷惑になってしまうからコーヒーとミルクティー代だけを支払い(やはり昼食代は固辞されてしまった)お店を出ることにした。

 

笑いながらテイオーを軽くあしらっているナイスネイチャを見ながら、やはり惜しいと思ってしまうのは仕方ないだろうな。

トレセン学園でも脚の速いウマ娘はかなり居るが、正直いっちゃあナイスネイチャの様な『出来た』ウマ娘は殆ど居ないだろう。

 

 

「なぁナイスネイチャ。良かったら今度はチームスピカ(うち)にでも遊びに来てくれ。俺の名前を出せば簡単に入れるだろうし、お茶くらいは出そう。」

 

 

「トレセン学園にですか?」

 

 

「あぁ。テイオーも喜ぶだろうし、案外気の合う友達も出来るかもしれないぞ?」

 

 

「ネイチャがスピカに遊びに来るの!?やったぁ!」

 

 

何というか、今日のテイオーを見ていると知らない表情を良くする。まだナイスネイチャの返事も聞いていないのにそこまで喜ぶのか…………

 

 

「そうですね。行けたら行きますよー。」

 

 

行けたら行きますよー…………ね今や全国でも通じる断り文句(ソレ)を言うって事は残念ながらナイスネイチャの意思は固く、俺のプロポーズ(スカウト)は残念ながら失敗して、わかっちゃいたが振られちまった訳だ。

 

仕方ない。仕方ないが…………多分それでいいのだろう。きっとトレセン学園に来ても、ナイスネイチャ(彼女)が求めていたキラキラは別の所にあるのだから。

 

 

「ほら、行くぞテイオー。」

 

 

「ネイチャ!次のレース絶対見に来てね!絶対だからね!?」

 

 

最後に念押しするように、テイオーはナイスネイチャにそう言った。どんだけテイオーは見に来て欲しいんだよまったく。

 

 

「はいはい分かったから。テイオー、ちゃんとトレーナーさんの言う事聞きなさいよー?」

 

 

「モー、分かってるってばぁ!」

 

 

『ニシシッ!』とテイオーは笑いながらそう言った。そんなテイオーに釣られる様に俺とナイスネイチャもクスクスと笑う。

まぁ……これでいいのだ。また時間がある時にテイオーを連れて来ればいい。お店の扉を開け、来た時と同じアナログな鐘の音が室内に響かせながらそう思った。

 

 

「あぁそうだ。」

 

 

扉を閉める直前。唐突にナイスネイチャは声を出した。

 

 

「…………お帰り、テイオー。」

 

 

微笑みと共に紡がれたその言葉に、初めてナイスネイチャを見た時と同じ様に、テイオーは驚いた表情を見せた。

見開かれ、微かに揺れる瞳。一瞬止まったのだろう深く吸い込む呼吸の音。けれどそれはホンの一瞬だけ。

次の瞬間に、テイオーは今までに見た事も無い様な満面の笑顔でこう言った。

 

 

「…………うん! ただいま!

 

 

この2人の会話の意味を俺が知ることはきっと無いだろう。ナイスネイチャとテイオー(彼女達)にしか分からない、そんなナニカがその短い会話にはある。何となくそんな気がした。

再びお店の扉が閉まるまで、ナイスネイチャのテイオーに向けた微笑みは消えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒラヒラと舞い散る桜吹雪、歓声が沸き上がる春の京都レース場。

たった1人。1着のみに許された栄誉……春の盾を掲げ、笑顔で客席へと手を振る笑顔の少女(ウマ娘)を眺めながら、ナイスネイチャは1人呟く。

 

 

「やっぱキラキラしてんねー…………テイオーはさ。」

 

 

適正の壁を越え、数多の強豪を押しのけて…………

きっとその先へ…!(願い)因子継承して(受け継いで)走り、ユメヲカケル。そんなテイオーに小さく、しかしハッキリと手を叩いた。

 

 

「おめでとう。テイオー…………」

 

 

 






ネイチャとテイオーについては一体何があったのかは皆様の想像次第です。

もしかしたらネイチャとテイオーは〇〇かも…………という想像を思いついた数だけネイチャ達の新しい物語が分岐して行って欲しいですね。


…………私は取りあえず頑張って本編書きます。


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第24話



退職手続きや年末で忙しいのですが、何とか今年中に後一話は投稿したかったので普段の半分と短いですが投稿しました。

別にルドルフの両親出すと長くなりすぎて今年中の投稿が面倒だったとかそんなんじゃないですよ?


……ほんとですよ?


 

 

あた~らし~いあっさが来た~きぼ~の~あさ~が~♪

 

 

なーんて、寝起きそうそう呟いてみたのだけど、目を開けたら目の前には小さく寝息を立てるルドルフ先輩の顔が私の間近に見える。

 

いやまぁ、昨日一緒に同じベッドで寝たので近くに居るのは分かるんですけどね?カーテンの隙間から差す太陽の光でキラキラ輝く鹿毛の髪の毛とか、寝ている今だからこそ見れるだらしなく緩んだ笑みを浮かべる寝顔とか…………

確かに寮でも一緒の部屋で寝起きしてますけど、それはお互い別々のベッドで寝ているのでこんな間近でルドルフ先輩の寝顔を見たことは無いので実に起き抜けには心臓に悪い訳でして。

 

取りあえず、ルドルフ先輩を起こさない様に静かにベッドから出て、私はベランダの外へと向かった。

パタパタとスリッパの奏でる軽やかな足音を鳴らしながら、ベランダへと続く窓を開ける。

空は雲一つ無い快晴。東から太陽がゆっくりと顔を出す中で、夏の朝特有の暑すぎない心地よい風が寝起きの私の肌を優しく撫でた。

 

大きく息を吸って、吐く。私が何時もやっている寝起きのルーティーン。そしてベランダに出る前に手にしたアロマシガーを一本箱から取り出してジッポライターで火を着ける。

アロマシガーの甘い香りが私の鼻腔を擽り、未だに少し寝ぼけていた頭がしゃっきりと切り替わる感覚が分かる。

 

前世からのこのルーティーンは未だ私の中で染み付いている。不満があるとすれば前世では職業柄嗅ぎ慣れていた潮風のあの独特の香りが感じられない事だろうか…………

朝焼けに染まる黄金色の海原を眺めながら吸う煙草は格別以外の何物でも無かった。それこそついついカッコつけて飲めないコーヒーを飲んでしまう程に。

 

まぁその後は飲めないコーヒーを飲んでお腹壊して、上司に呆れられるまでが前世のテンプレだったんだけどね…………

 

 

(まあ、不満は無いけどね。)

 

 

折角の夏休みだし、何処かのタイミングで海でも見に遠出しに行っても良いかもしれない。暇そうなら沖野さんでも誘ってみようか?

案外、あの人もそう言うのが好きかもしれないし。そう思いながらまた一息、白い煙を口から吐き出した。

 

朝日を浴びて鈍く輝く沖野さんから貰ったジッポライターを眺めながら、この一服の時間をのんびりと至福の一時を過ごす。

少し灰が出ればこれまた沖野さんから貰った携帯灰皿にチョイチョイとタップして灰を落とし、ベランダを汚さない様に気を付ける。

 

 

「おや、おはようございますナイスネイチャ様。」

 

 

そうしてのんびりとアロマシガーを半分ほど吸っていた頃、下から私を呼ぶ声が聞こえた。ちらりとそっちを向けば、ジャージ姿のセバスさんが少し汗をかきながらこちらを見上げている所だった。

 

 

「おはようございますセバスさん。セバスさんは運動ですか?」

 

 

「はい。やはり健康に生活するには適度な運動が一番ですから。おっと、ナイスネイチャ様はまだ身だしなみを整えていらっしゃらないご様子で……これは大変失礼いたしました。」

 

 

そう言って私を見ない様にささっと後ろを向くセバスさん。うん、凄く紳士。

 

 

「あはは…………これはすみません。ですけど別に気にしないで下さい。」

 

 

「そうは参りません。ナイスネイチャ様はよろしくとも、これは男性のエチケットでございます。」

 

 

うん、やっぱセバスさんは滅茶苦茶紳士である。

 

 

「朝食は後一時間ほどで準備が整うと思われます。本日は旦那様と奥様もいらっしゃいますがお二方共とても今日を楽しみにしておられました。」

 

 

う…………そう言えば昨日そんなこと言っていた気がする。私は上流階級のマナーとか挨拶の仕方とか何にも知らないんだけど大丈夫だろうか……

 

 

「ナイスネイチャ様がご緊張なさるのも分かりますがご安心下さい。お二方共お優しい方でございます。」

 

 

首にかけたタオルで顔を拭いながら、セバスさんはそう言ってくれた。がやはり緊張するものは緊張する。苦笑いしか出ない自分に内心溜息を吐きだすしかなかった。

 

 

「それでは、私も仕事に戻らねばなりませんのでこれで失礼します。よい一日をお過ごし下さい。」

 

 

「えっと、セバスさんもお仕事頑張って下さい。」

 

 

小さく一礼して、セバスさんはお屋敷の中へと消えて行った。さて、私も準備するとしますか。

もうなるようにしかならないんだから。そう気合を入れて、燃え尽きたアロマシガーを携帯灰皿へと入れて私も室内へと入った。

 

カーテンをシャッと勢いよく開けて、薄暗かった室内に日の光を入れる。と同時にもぞもぞと日の光から逃れる様に布団に隠れるルドルフ先輩。

ルドルフ先輩のそんな姿を見て私はついつい苦笑を浮かべてしまった。

 

 

「ルドルフ先輩朝ですよ。起きてください。」

 

 

優しく肩をゆすってそう喋りかける。しかしルドルフ先輩は更に深く布団に包まってしまった。

『ん~』という返答なのかただの唸り声なのかよく解らない声を上げて布団に包まるルドルフ先輩に、私は優しく声を掛けつつづける。

 

 

「ルドルフ先輩。今日は練習場を案内してくれるんですよね?ほら、起きないと朝ごはん食べれなくなっちゃいますよぉ?」

 

 

まぁ、朝ごはんうんぬんは嘘だけれどもね。

 

暫くそうして声を掛けていると小さく『ん』と言って手を私に差し出してきた。どうやら起こしてくれって意味らしい。

手を取ってゆっくりと引っ張ると、まだ半分以上頭が寝てしまっているのかふらふらしながらも起き上がってくれた。

 

 

「…………あsごはんたべりゅ」

 

 

半開きの目を眠たげに擦りながら、呂律もまだ上手く回らず小さくそう言ったルドルフ先輩。

 

 

(可愛い。)

 

 

成程、これが前世のネットのイラストで良くあったルナちゃんモードってやつですかぁ、と内心1人で役得………いや納得してしまった。

 

何となく下らない事を考えてしまったけど、そんな私を余所にまだルドルフ先輩はふらふらと舟をこぎながら必死に寝ない様にしていた。どうやらまだ眠気から覚醒するまで時間がかかりそうだ。

先に洗面とか色々済ませてしまおう。昨日の内に場所は教えて貰っていたから問題ない。

 

開けたカーテンの外は太陽が昇り、少しづつ気温は上がり始めている。

遠く、山の影から現れ始めた入道雲が目に入った。

 

どうやら今日も暑くなりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第25話


まず、投稿が遅くなってしまい申し訳ありません。リアルの事情とかシンボリ家ってどう表現すればいいんだ?とスランプがあったりと色々あって遅れてしまいました。

まあ、他にも他サイトでオリジナル小説を試しに書いてみたりしてたんですけどね。設定が面白くないのかはたまた私の文章が面白くないのか…………
まったく読まれないし感想も来ない。評価されるされない以前の状態で


「これは大人しく続きを書けって事か」


と落ち込みながら今回書いていました。


 

 

ルドルフ先輩と共に身支度が済んだのは起きてから大体40分ほど経った頃だった。洗顔や着替え等の身だしなみに時間がかかるのは女の子故仕方無い。寧ろ外出とかじゃ無いので随分と簡単に済ませた方だと私は思う。

もっとも、時間がかかった原因の1つはルドルフ先輩の覚醒に時間が掛かってしまった所も大きいと思うけど…………

 

そんなこんなでいざ朝食を食べる為にメイドさんに案内して貰ったのだけど、案内されたのは何というか凄くシンプルで、言ってしまえばごく普通の一軒家のダイニングとそう変わらない広さの部屋だった。

もっとお金持ちらしい広いダイニングとか、豪華絢爛な装飾とかあるのかと身構えていた身としては良い意味で拍子抜けだった。私とルドルフ先輩が席に着いてそれぞれに出された朝食もごく普通の和食。綺麗な焼き目のついた焼き鮭に大根と胡瓜の浅漬け、豆腐とワカメのお味噌汁に1粒1粒が立っている熱々の白米。多分食材は厳選した良い物を使っているんだろうけど、それでもごくごく普通の一般的なメニュー。見ただけで唾液が口の中に溢れそうになる朝食がメイドさんによって私の前に運ばれてくる。

 

とても美味しそうだ。唾液が出るほど美味しそうなのだが、先ほどまで感じていた空腹感は消え失せ、昨日と同じ様に胃痛が徐々に私を支配して来るのだ。湯気の立つ朝食を挟んで私の対面に座る人達、沖野さんの無精髭とは違う綺麗に整えられたファッションとしてカッコいい顎鬚を蓄えた壮年の男性と、学生と言われたら信じてしまいそうな見た目をしている綺麗なウマ娘。

 

 

「ナイスネイチャさんだったかな?食べていない様だけど朝はパン派だったかな?だとしたら済まなかったね。事前に聞いておくべきだった。」

 

 

壮年の男性がそう私に話しかけて来た。慌てて大丈夫ですと答えてから私は一口味噌汁を飲んだ。…………ああ、痛む胃に味噌汁が染みて来る。美味しい。

 

 

「ナイスネイチャさんには娘のルドルフが凄くお世話になっているって聞いてるわ。」

 

 

今度は男性の隣に座っているウマ娘がそう話しかけて来た。そう…………この2人、ルドルフ先輩のご両親なのだ。

いやまあ、部屋に案内されて一緒に食卓に座っている時点でシンボリ家の親族の人達なのは流石の私も分かってはいたのだけど、ルドルフ先輩のお父さんは兎も角お母さんの方はどう見たってまだ学生にしか見えないのだ。食事前にルドルフ先輩にご両親の紹介をされて驚愕してしまった私は仕方ないと思う。

 

確かにさ、朝セバスさんにルドルフ先輩のご両親も一緒に朝食を食べられるって聞いてはいたけどさ?もっとこう、何ていうかお金持ちとか名家特有のオーラって言うかさ?映画とか漫画とかアニメとかでいるじゃん?そういう雰囲気の人。そう言うのを私は想像してしまっていたから最初は分からず夏休みで来ている親族の方々だと思ってしまったのだ。

だってルドルフ先輩のお父さんの恰好はどう見ても一般家庭の休日のお父さんみたいなラフな恰好してるし、ルドルフ先輩のお母さんの方もさっき言った通り学生と言われれば通じるほどお若く見えるのだ。本当に子持ちとは思えない。

 

 

「そう言えばナイスネイチャさん知ってる?ルドルフったら電話して来たと思ったら何時も貴女の事ばかり話すのよ?」

 

 

「うぇ!?」

 

 

「ちょ!?お母様何を言っているんですか!」

 

 

遅まきながら食事を始めた私に、ルドルフ先輩のお母様が笑顔でそう言って来た。思わず変な声を出してしまった私と、椅子から立ち上がる勢いで慌てて止めに入るルドルフ先輩。

 

 

「そんなに慌てる事も無いじゃない。貴女何時もナイスネイチャさんと今日は何した、明日は何をするんだって嬉しそうに言うんだから。」

 

 

「それはそうですが、今言う事では無いでしょう!」

 

 

「何だ?母さんには電話していたのか?父さんには全く電話をくれないじゃないか。」

 

 

「お父様は今入ってこないで下さい!」

 

 

「…………そうか。」

 

 

ルドルフ先輩は顔を真っ赤にしてルドルフ先輩のお母さんに突っかかる。そこにルドルフ先輩のお父さんも入って来たので急に食卓が騒がしくなってきた。ルドルフ先輩に入って来るなと言われしょんぼりと食事を再開するルドルフ先輩のお父さんは少し可哀そうだった。何だろう、前世で年の離れた妹の反抗期を体験していた身としては少しだけルドルフ先輩のお父さんに同情してしまう。

 

 

「あの…………ルドルフ先輩はご実家でもこんな感じなんでしょうか?」

 

 

思わず、というかルドルフ先輩とお母さんの会話に私は巻き込まれたくなかったので寂しそうに食事をしているルドルフ先輩のお父さんにそう話しかけた。

 

 

「いや、普段は当たり障りのない会話しかしないんだけどね。母さんもルドルフが友達を連れて来た事が嬉しかったんだろう。」

 

 

「そうなんですか?」

 

 

「そうだとも、ルドルフがあんなに感情を表に出すなんて最近では殆ど無かったんだ。ナイスネイチャさんのお陰だね。」

 

 

「いえ、私は寮が同室の後輩であって仲良くはさせて頂いてますがお友達なんて流石に…………」

 

 

「なに、同じような物さ。寮の同室で、更に仲の良い後輩が出来てルドルフも嬉しかったんだろうね。」

 

 

笑顔を浮かべながらそう私と会話するルドルフ先輩のお父さんに、私はそうですかと相槌を打つしか出来ない。

 

 

「まったく、ルドルフは昔から素直じゃないんだから。」

 

 

「それを言うのでしたらお母様こそそうでは無いですか!」

 

 

あーだこーだと言い合うルドルフ先輩とルドルフ先輩のお母さん。2人共お互いの会話に熱中していて、私とルドルフ先輩のお父さんは最早蚊帳の外の状態。もっとも、私とルドルフ先輩のお父さんも口を挟むこと無く呑気にお味噌汁を啜りながらそんな2人を眺めているだけ。

 

 

「こんなに賑やかな食事も久しぶりだ。ルドルフが小さい頃以来だ。」

 

 

「そうなんですか?」

 

 

独り言だったのだろう。ルドルフ先輩のお父さんはボソッとそう呟いた言葉に私は思わずそう返してしまった。

 

 

「なに、昔のルナ…………ルドルフも今の様な感じで食事の席でその日あった事を嬉しそうに話したり、母さんにからからかわれて不貞腐れたりしていたんだ。」

 

 

「…………意外です。」

 

 

「セバスから聞いているだろう?ここ数年は笑顔も見せてくれ無くなってしまった。私達が無意識にしても無責任にルドルフに期待を押し付け過ぎていたのさ。子供というのは人の感情にかなり敏感だ。ルドルフが私達の期待に応える様に結果を出した結果、あの娘は友達と呼べる存在が居なくなってしまった。」

 

 

悲しいのか、それとも辛いのだろうか…………私には分からなかったけど、2人を見つめながら少し困った様に笑いながらルドルフ先輩のお父さんはそう語った。

 

 

「けどねナイスネイチャさん。君がルドルフの同室になってからあの娘は昔の様に笑う様になってくれた。さっきは冗談で電話してくれないとか言ったけど、たまに帰って来た時とかは嬉しそうに話してくれるんだよ?」

 

 

2人から目を離し、改めて私を見ながらルドルフ先輩のお父さんはそう続けた。

 

 

「だから私や母さんは君に感謝しているんだ。昔の様なルドルフに…………いや、年相応の明るさをルドルフに戻してくれた君に。」

 

 

「私は別に…………」

 

 

「良いんだ、セバスから聞いている。だからこれも私達大人の無責任な感謝の押し付けさ。ナイスネイチャさんは気にしないで良いんだ。」

 

 

「…………はい。」

 

 

「有り難う……ルナと仲良くしてくれて。本当は誰に似てしまったのか変に気の強い我が儘っ娘なんだけど、どうかこれからもルドルフの事をよろしく頼むよ。」

 

 

そこに居たのはシンボリ家の当主では無く1人の子を持つ親にしか出せない優しい微笑みを浮かべたルドルフ先輩のお父さん。

 

 

「お父様!何時までネイチャと話しているんですか!」

 

 

「そうよ貴方。私だってナイスネイチャさんとお話したいのよ?」

 

 

「あはは……すまないね。2人の話が長いからついついナイスネイチャさんと話し込んでしまったよ。ほらお話するなら先に食事を済ませてしまおう?そうすればルドルフも母さんもゆっくり雑談出来るだろう?」

 

 

どうやらいつの間にかルドルフ先輩達の言い合い?は終わっていたらしい。ルドルフ先輩のお父さんは私に見せていた笑顔を直ぐに戻して2人にそう返事をした。

私とルドルフ先輩のお父さんは既に朝食を食べ終えて食後のお茶(緑茶)で口を潤しているが、言い合いに夢中だった2人はまだ少し残っている。ルドルフ先輩のお父さんの言葉を聞いて、はしたなく無い程度に急いで残りを食べ始めたルドルフ先輩達を、私とルドルフ先輩のお父さんが微笑みながら眺める。そんな少し変な状況の中で、不意に私は気づいた。私の胃痛もいつの間にか嘘の様に消え去っていたのだ。

 

多分だけど、ルドルフ先輩のお父さんの話を聞いたからだと思う。だってここにいるのは確かにお金持ちでウマ娘世界ではかなり発言力のある名家、シンボリ家の人達。

だけどごく普通のお父さんやお母さん達と同じ、ごく普通の一般人と同じ1人の我が子を愛するお父さんとお母さんだって分かったから。場違い感はまだまだ全然…………いや結構残ってるけど、少なくとも胃痛を感じてしまう程緊張する事は無くなった。

 

 

「そう言えばルドルフ。今日はナイスネイチャさんをターフに案内するんだろう?」

 

 

「はい。ついでに日課のトレーニングをしようかと。」

 

 

「だったらしっかり水分補給をしなさい。今日も予報ではかなり暑くなるそうだ。」

 

 

「そうね。後で使用人達にスポーツドリンクを持って行かせようかしら?」

 

 

「母さん。ルドルフもナイスネイチャさんも現役のトレセン生なんだ。その辺はちゃんと自分で準備するさ。」

 

 

「お父様の言う通りです。ネイチャに運動中に効率の良いスポーツドリンクのアレンジも教えて貰ったので安心して下さいお母様。」

 

 

「あらそうなの?」

 

 

「私は本で読んだ事をルドルフ先輩に伝えただけなのでそんな大層な事はしていませんよ。」

 

 

朝食を食べ終わったルドルフ先輩達も合わせて全員で食後のお茶を飲みながらのんびりと雑談に移って行く。食べ終わったお皿はいつの間にかメイドさんによって下げられていた。

 

さてさて、ルドルフ先輩のお父さんも言っていたが今日も暑くなりそうだしきちんとスポドリでも作りますかね。材料はバックに入れてあるしそう時間は掛からないと思うし、シンボリ家の自家用コースなんてどんな感じなのか興味もある。ある程度雑談も落ち着いたら準備しますか。

そんな事を温かい緑茶の注がれた湯呑を口に含みながら考えていたのだけど、実は私はこの時すっかり忘れていたのだ。ここはシンボリ家、ルドルフ先輩の他にもあのウマ娘が来る可能性がある事を…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ…………お前がナイスネイチャか。」

 

 

蒸し暑いターフの上で、私はそのウマ娘と対峙してしまった。

 

 

 

 

 

 







約二か月ぶりなので文章に違和感があったらすみません。





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第26話



昨日初めてネイチャの育成でUG行ったので嬉しくて書きました。






 

 

朝食を終えた私とルドルフ先輩は一度部屋に戻ってトレセン学園の運動服へと着替えてからシンボリ家所有のコースへと向かう事にした。私の場合は着替えに加えて私とルドルフ先輩の2人分のスポーツドリンクの準備もあるんだけどね。

スポーツドリンクと一括りに言ってもその種類はかなりの量になる。ペットボトルや缶に入っている完成品から粉末状になっていて必要な時に水で作れる商品。アイソトニック飲料やハイポトニック飲料の種類の違い。一般人用にウマ娘用、そこに更に各会社独自の配分もあるのだから、正直言って前世よりも種類が多くて数えるのもめんどくさい。

 

今回私がバッグに入れて持ってきたのは粉末状のウマ娘用ハイポトニック飲料系のスポーツドリンク。ハイポトニック飲料は浸透圧が低くて運動して体内の水分が減った時の水分補給の効率がアイソトニック飲料よりも良い。まあ逆にアイソトニック飲料は浸透圧が体内の水分と同じくらいで、風邪とか体調不良の時はそっちの方が効率良く水分補給出来るので私は時と場合で種類を使い分けているけど。

 

取りあえず運動服に着替えてから、私は持ってきたスポーツドリンクを作る為にセバスさんからお借りしたアレ…………名前何だっけ?ほら、良く運動部とかが使っている蛇口のついたでっかい水筒みたいなアレ。

 

…………まあいいか。

 

本当はこのスポーツドリンクも市販品じゃなくて完全に自分で自作してみたいんだけどね。水に塩と砂糖、あとレモンとかで基本的な部分は出来るんだけど中々美味しく、なおかつ低カロリーで安価に作る事が出来なくて現状は挫折中なのですわ。

 

そんな話は兎も角として、セバスさんにお借りしたでっかい水筒の化け物みたいなアレに私とルドルフ先輩の2人分のスポーツドリンクを纏めて作ってから、ルドルフ先輩の案内でシンボリ家所有のコースへとやって来た訳でして。青々と芝が生えるシンボリ家の自家用コースは流石に毎日専門業者が手入れしているトレセン学園にはどうしても劣ってしまうけど、一般的な公共コースに比べれば遥かに綺麗で整備されているとても立派な設備だった。コースの周りを囲むように植えられた広葉樹が影を伸ばし、公園にありそうな木製の屋根が付いたテーブルと椅子が観客スタンド代わりとでもいう様に小さく佇んでいた。

 

 

「ここが我が家のコースだ。一周2000mのコースが1つと、その中にダートコースが1つある。ウッドチップはまた別の場所にあるが今日は別に良いだろう。」

 

 

「はえぇ…………綺麗ですねぇ。」

 

 

「そうだろう?私も小さい頃は爺に頼んでここでトレーニングをしたものだ。」

 

 

少し得意げな様子で説明するルドルフ先輩に私は思わず少し間抜けな声で返事してしまった。私の出した変な声にルドルフ先輩はちょっとだけ笑っている。

 

もしかして笑いました?いや?笑っていないとも。そんな感じでルドルフ先輩とお互い笑いながら他愛の無い会話をしつつ、私達が歩いて来たお屋敷の玄関からコースへと続く石畳の道から芝の生えたコースの中へと入った。

蹄鉄付きのランニングシューズで芝を踏みしめる感覚を少しだけ楽しみながら、案内してくれているルドルフ先輩に着いて行く。

 

それにしても、まだ午前中だというのに日本特有のじめじめとした蒸し暑さがひりつく様なお天道様の光と共に私の体に纏わりついて来る、ルドルフ先輩はそんなモノ知らんとばかりに平気そうに歩いている。そんなルドルフ先輩に対して私は既にここまでの道のりでトレーニング用の運動服の中は汗でべとべとだ。

 

 

「ん?…………あいつは。」

 

 

唐突に、ルドルフ先輩は何かを見つけたのか足を止めてた。何だか分からないけど私も歩みを止めてルドルフ先輩が見ている方向、コースの反対側を見れば1人のウマ娘が不敵な笑みを浮かべてこちらに歩いて来る所だった。

 

ルドルフ先輩とは違うやや丸みがかった白い流星を持った鹿毛のウマ娘。右耳に付けられた波打つような形の耳飾りと、近づくにつれてハッキリと見える様になったルドルフ先輩に少し似た顔立ちが浮かべる不敵な笑み。

 

 

「おはようルドルフさんよ。今日は随分と遅かったじゃねぇか?」

 

 

「…………シリウスか。来ているなら一言言えば良かっただろう?」

 

 

「お生憎様、私は誰かと慣れ合う為にコース(ここ)に来ている訳じゃねぇんだ。」

 

 

「だとしてもだ。お父様のご厚意で使わせて貰っているんだ。せめてお父様に挨拶くらいはして行け。」

 

 

シリウスと呼ばれたウマ娘は不敵な笑みを消すこともせずルドルフ先輩に向き合っている。ああそうだ、なんで忘れていたんだろうか…………

シンボリ家と言えばルドルフ先輩の他にもいたじゃないか。ルドルフ先輩の1つ下で、史実ではシンボリルドルフに続き翌年の日本ダービーを勝ってダービー連勝という栄光をシンボリ牧場へと持ち帰り、2年間海外で活躍し日本競走馬に夢を見せてくれた名馬。そのウマソウルを引き継いだウマ娘が。

 

 

 

シリウスシンボリ

 

 

26戦4勝。G1を1勝し、生涯会得賞金1億4310万円+229,000フランス・フラン+16,500マルク。日本円で合わせると合計1億4930万円。海を渡りイギリス、更にはフランスやドイツ、イタリアなど、ヨーロッパを主戦場として走っていた名馬で海外での戦いは脅威の14戦。生涯戦績の半分以上が海外という珍しい競走馬で敗北してしまったがかの凱旋門賞にも挑戦した事がある名馬。それがシリウスシンボリである。

 

ウマ娘としてはルドルフ先輩をライバル視しており粗野で口も悪いが、しかしルドルフ先輩とは違う方向性でカリスマ性を持ち、嘘や方便が嫌いで常に強気で自信家のウマ娘。そのシリウスシンボリが今、私の前に腕を胸の下で組んで佇んでいる。

 

 

「あん?誰だお前?」

 

 

ルドルフ先輩に向けていた一対の瞳が私へと向けられる。というかシリウスシンボリは私が居る事に今の今まで気づいていなかったのか…………

 

 

「はあ…………ネイチャ。こいつの名前はシリウスシンボリだ。私の従妹で年は1つ下、丁度ネイチャと同級生だ。」

 

 

「ども…………ナイスネイチャです。」

 

 

溜息と共にルドルフ先輩は私にシリウスシンボリを紹介してくれた。私も一応挨拶をしたのだけど、当のシリウスシンボリ本人は私の自己紹介を聞いてから何やら先ほどまで浮かべていた笑みを更に不敵な物へと変えていた。

 

 

「へぇ…………お前が。私の名前はシリウスシンボリ。かの有名なナイスネイチャと会えて実に光栄だな。」

 

 

口ではそう言っているシリウスシンボリだけど、彼女の猛禽類の如き鋭い目は言外に全くそう思っていない事をはっきりと語っていた。

 

 

「…………それで、私達はこれから日課のトレーニングをする予定なのだがシリウス、お前はどうするのだ?もしここを使うなら私はネイチャは案内とアップがてらウッドチップコースの方に行って来るが?」

 

 

「本当は今日ルドルフ、アンタと勝負しようかと思っていたんだが…………気が変わっちまったぜ。」

 

 

「…………何?」

 

 

シリウスシンボリの言葉に訝し気に聞き返すルドルフ先輩。なんだろう、私としては凄く嫌な予感がするんだけど。

暑さによる汗とは違う嫌な予感による冷や汗が私の背筋をツーっと撫でる感覚。そしてシリウスシンボリはルドルフ先輩から私へと視線を移して、浮かべていた不敵な笑みを獰猛なモノへと変えた。

 

 

「模擬レースに一切出ないから疑っていた所だ。ナイスネイチャ…………お前と勝負してやる、トレセンの噂が本当かどうか確かめてやるぜ。」

 

 

「はあ?」

 

 

「何…………シリウス()こそが最も明るい星だ。いくらナイスネイチャ(素晴らしい素質)でも、素質だけじゃ1等星には勝てねぇって事を私が教えてやるよ。」

 

 

 

そう言ってシリウスシンボリが浮かべる獰猛な笑み。何時かのルドルフ先輩を彷彿とさせるその笑みだが、此処で私は気づいてしまった。

口では私に対して挑発する様にそう言っているシリウスシンボリだけど、その瞳の中に私は映っていない。ルドルフ先輩よりも明るいワインレッドに輝く彼女の瞳が映しているのはただ1人だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………少しだけ、私の中のナニカが吼えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 







シリウスシンボリというウマ娘のキャラクター像が掴めない…………
シングレは持ってないし、何とか史実エピソードを調べて書くしかない。


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第27話



レース描写久々すぎてさっぱり書けなくなってしまいました。



 

 

 

少しだけ昔話をしようか。

 

まだ私がナイスネイチャ()では無く、ただの自衛官()だった時の話だ。

 

今目の前にいるシリウスシンボリと同じ目をした人を私は見た事があった。私の同期だった彼もシリウスシンボリと同じく口は粗暴だったが自信家で、面倒見が良く仕事も出来るから職場では人気があった。

しかし彼は最後には職を辞する事になってしまった。理由はパワハラ。彼の後輩に対する指導がパワハラと周りに受け取られてしまったのだ。

 

無論、彼自身はその後輩に対して虐めていた訳では無い。寧ろ後輩が可愛かったから指導に熱が入ってしまった訳であるが、彼の粗暴な口調は後輩や周りからパワハラだと受け取られても仕方なかった。

私も当時は彼の指導は少し厳しめだと思っていた。彼とは当直も一緒で共に煙草を吹かす程度の仲でもあったので何度かもう少し指導を優し目に、せめて粗暴な口調をやめないと勘違いされるぞと注意したことがある。

 

けれども彼は私の注意を受け入れてはくれなかった。『船を降りてからは兎も角、職場では絶対手は抜かない。抜いては将来後輩の為にならんやろ!』とそう私に反論した。

彼に私の声は届かなかった。そして気づく。その時の彼の瞳もシリウスシンボリと同じく私を見ていても私を映してはいなかった。自分が正しいと思った事は曲げない自信家の彼にとって、私はただの職場が同じ同期というだけで友人でも何でも無い。そんな私の言葉など路肩の石ころほどの価値も無かったのだ…………

 

なあなあで入隊して、目標も無く生きていた私にはそれ以上強くは言えなかった。

 

…………結局彼が辞める事になってしまったのは彼自身の責任だし既に終わった事だから『たられば』は無意味なんだけど、もし私が彼にもう少し強く反論していれば。少しは話が変わっていたかもしれない。

無論、私は別にシリウスシンボリと彼を一緒にしている訳では無い。ただ…………性別も容姿も声も何もかも彼とは違うけれど、私を映さないその瞳だけはどうしても既視感を感じてしまった。

 

今のシリウスシンボリの瞳にはルドルフ先輩に勝つ事しか映っていない。

 

レースで勝つのでは無くシンボリルドルフに勝つではシリウスシンボリにとって意味合いが変わって来てしまう。もしレースで勝つのが目標だったら既にシリウスシンボリの瞳には私が映っているはずだ。一応同級生でライバルとして同じレースに出るかもしれないから。

 

けど今のシリウスシンボリがデビューしてレースに出たとして、シンボリルドルフに勝つ事しか考えていないシリウスシンボリはきっと一緒にレースに出走したウマ娘など欠片も気にしないだろう。

同じレースに出るウマ娘用の作戦など立てないだろうし、最悪トレーナーとの関係もシリウスシンボリにとってはどうでもいいのかもしれない。たった1人で走って走って走り続けて…………何時か大舞台でシンボリルドルフと勝負するのか。はたまた最終的な戦績で勝負するのか知らないが、もしその時シリウスシンボリがシンボリルドルフに負けてしまえば友やトレーナーという支えるモノを振り払って走って来た彼女の()止まってしまうだろう(折れてしまうだろう)

実力と自信だけで走った彼女がソレを折られてしまえば…………そんな考えが私の心の奥で小さな火種となった。

 

有るのか無いのかも分からない未来だけど、ウマ娘に救われた私としてはシリウスシンボリというウマ娘がそうなってしまう未来だけは潰したい。

 

 

 

 

嘘や方便が嫌いなはずのシリウスシンボリの、私に対して言った言葉と瞳の矛盾がふいごとして火種に空気を送る。

 

浮かんで来る前世のほんの僅かな後悔と小さな偽善が大きくなった火種を更に大きくする為に薪をくべる。

 

トレーナー志望として理想が彼女を救えと燃え上がる焔に鉄を投げ入れる。

 

ウマ娘としてのウマソウル(プライド)が彼女に勝てと朱く燃えた鉄を叩き上げる。

 

 

 

 

そうして私の心に出来上がったのは未だ刃も研がれていない無骨で鈍な黒鉄の塊(闘争心)

 

まずはシリウスシンボリの膝をターフへと沈めよう。その瞳に君と競い合えるのはシンボリルドルフだけじゃあない、ナイスネイチャ()というライバル(ウマ娘)が居るって事を焼きつけてやろう。

 

そんな決意は金剛石よりも硬い砥石となり、無骨で鈍な私の黒鉄の塊(闘争心)を鋭利で鋭い闘争心(武器)へと変えてくれる。

 

 

「…………良いよシリウスシンボリ。かかってきなさい。」

 

 

「フッ…………そう来なくっちゃなぁ!」

 

 

心で聞こえたあの吼える様な嘶きは…………きっと私の幻聴だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「位置について。」

 

 

シリウスシンボリの挑戦状を受けた私に、ルドルフ先輩は反対した。

まあ、当たり前だよね。一応私はルドルフ先輩の後輩としてシンボリ家に招待されたお客さんって立場だし。シリウスシンボリの言葉は客観的に聞けば私を侮辱している様に取られても仕方ない。

つまりシンボリ家の名前に泥を塗るような事をシリウスシンボリは私に言って来たのだ。さっきも言ったけどルドルフ先輩が反対するのは当たり前。

 

それでもやらせて欲しいと私はルドルフ先輩に頼んだ。シリウスシンボリの目を覚ます為に。

不承不承で「分かった」とルドルフ先輩には納得して貰った。後でルドルフ先輩の機嫌直し用にお菓子でも作らなきゃなあ…………

 

 

「用意!」

 

 

スタート位置にて右手を上げて合図をするのはルドルフ先輩。そしてこれから走るのは1600mの右回り。シンボリ家のコースは2000mなので形的には1コーナーと2コーナーを挟んだ『U』字型のレースになる。

2人だけのレースなのでゲートは不要。一応内側がシリウスシンボリで外側が私だけどその差は殆ど無いに等しい。

 

 

スゥー…………ハァー…………

 

 

大きく息を吸い、湿度の高い夏の空気を肺へと送る。半身を下げ何時でも走り出せる体勢のまま目線だけはターフの先だけを見据え続けた。

 

勢いよくルドルフ先輩が掲げていた右手を振り下ろした。それと共に私とシリウスシンボリは勢い良くスタートを切った。

 

最初に先頭を取ったのはシリウスシンボリだった。1バ身ほど離れて私がシリウスシンボリを追いかける形で走る。いつも通り、スタートはややストライドを広めに取って初速を稼ぐ。

巡航速度まで乗ればピッチを上げストライドを狭める。スタミナの消費を最小限にしつつスパートまで脚を残す。無論、そう考えている間もシリウスシンボリの動向には注意しているが、私とシリウスシンボリの距離は既に1バ身から3バ身まで開いていた。

 

 

(…………やっぱり私は眼中にないですかそーですか。)

 

 

確かシリウスシンボリの得意脚質は私と同じ先行・差しだったはず。しかし今のシリウスは私の事など眼中に無いかの様にドンドン速度を上げて行っている。

先行・差しの定石など知った事かと、最早彼女のスピードは逃げウマ並みのそれだ。フィジカルだけで私に勝つつもりなのか。

 

第1コーナーに差し掛かって、私とシリウスシンボリはほぼ同じタイミングで内ラチギリギリへと攻め寄り最短コースを抜けて行く。シリウスシンボリは腕がぶつかりそうなほど内ラチに寄り、私は体をバランスが保てるギリギリまで内ラチへと傾けている。

私のポジションからすれば丁度シリウスシンボリが壁となって内ラチ最短ルート側から攻める事が出来ない。仕方なしに私はピッチを上げる事にした。

 

4角形から6角形に、6角形から8角形に…………頂点が増えればより綺麗な円に近づく図形の様に、ピッチを上げてよりスムーズなコーナリングを意識する。

距離はこのまま3バ身を保とうかな。下手にシリウスシンボリに近すぎてもスパートでコース取りが難しいから。

 

この間もシリウスシンボリがこちらを気にする素振りを見せる事は無い。内ラチギリギリを走っているのも、それが最短コースだからってだけで私の進路を塞ぐ事なんて微塵も考えてないだろうね。

まるでシリウスシンボリの走りは自己ベスト更新の為のタイムアタックみたいな走りだ。

 

 

(あのスピードで最後に脚は残ってるのかな…………いや、彼女なら残してるだろうね。)

 

 

1歩脚を前へと進める。仕掛け処は私が最終直線に入る前。それまでは今のペースで大丈夫だ。私も十分に脚を残せている。

少しずつ荒くなって行く息が煩わしい。が、ルドルフ先輩と戦った時(あの時)ほどの乱れは無い。シリウスシンボリの蹴り上げた芝が溢れる汗に張り付き風と共に顔の後方へと流れて散って行く。

 

さあ、第1コーナーから第2コーナーへ。此処を抜ければ最終直線だ。シリウスシンボリ、君はどう動く?どこで仕掛けてくる?

コーナーによって見えるようになったシリウスシンボリの僅かに見える横顔を見る。僅か過ぎて表情までは分からないけど、きっと今もその瞳に私は映って無いんだろうね。

 

先ほどまで顔を横に向けなければ視界に入らなかった最終直線も既に正面を向いたままでも視界に入るほど近づいて来ている。第2コーナーも半ばまで過ぎた時、シリウスシンボリがちらりと振り返って私を見た。

 

一瞬だけ私の方を見たシリウスシンボリ。案の定私を見ているけど映してはいない彼女は煽る様に笑みを浮かべて一気に加速し始めた。

 

 

(やっぱり残してたか。)

 

 

先にスパートをかけたシリウスシンボリがどんどん離れて行く。保っていた3バ身の差が4バ身差へ、そして4バ身差が5バ身差へと私達の間は開いていく。

速い。逃げウマ並みの速度で走っていてまだそれほど脚が残っていたのか。

 

 

(けどさシリウスシンボリ。()はソレより速いスパートを知っているんだ。)

 

 

日々の柔軟のお陰で大分柔らかくなってきた筋肉や関節、それによって芝を撫でる様に走っていた脚に力を込める。

グシャッと1歩踏み出すごとに芝が抉れ、下の土まで蹄鉄が達する感覚を脚全体で感じ取って、私もスパートを掛け始める。仕掛け所も上々だし、一気に最高速まで持って行こう。

 

 

(シリウスシンボリ。()はソレより凄いスパートを知っているんだ。)

 

 

差す様に、跳ねる様に、這う様に、飛ぶ様に…………

 

 

(ただ速いだけじゃ私を離せないよ!)

 

 

シリウスシンボリのスパートは確かに速い。けど…………ただ速いだけのスパートだけじゃレースの世界では生き残れない。

アプリで見た、アニメで見た、漫画で見ていた全てのウマ娘達のスパートに比べて、今の君のスパートは全く怖くない。

 

 

「はああああああああ!!!」

 

 

咆哮の様に私は声を上げる。抉り取られた芝と土が爆ぜる様に宙を舞う。上半身を前へと傾けて、撫でるようなピッチ走法から回転率はそのまま少し跳ねる感覚でストライドを広げていく。

 

シリウスシンボリに私は闘争心(武器)を振り上げた。加速する景色と近づいて来るシリウスシンボリの背中。

 

 

「なっ!?」

 

 

私のスパートにシリウスシンボリは驚愕の表情を浮かべた。

 

 

「悪いけど、私も末脚には自信があってね!」

 

 

やり返す様に私はわざと不敵な笑みをシリウスシンボリに向ける。さあ、こっちを見ろシリウスシンボリ。君のライバル()は今この瞬間ここで君と走っているんだ。

 

 

「クソがっ!」

 

 

そう悔しそうに漏らしたシリウスシンボリ。既に先ほどまで浮かべていた笑みは消え去っている。

シリウスシンボリと並ぶまで後1バ身…………されどまだ1バ身もある。私はシリウスシンボリという名バに対して決して油断しないよ?だって君が本当に凄いウマ娘だって事は前世から知っているんだから。

 

 

「ッ…………負けられるかぁ!!」

 

 

叫ぶ様にシリウスシンボリが必死の形相で吼えた。何処に残っていたのか再び加速して私を抜かせまいと脚を動かしている。

 

 

「終わりだよシリウスシンボリ!!!」

 

 

そこから加速出来るのは凄いけど、スタートから逃げウマの様なペースで走っていた君にはもう脚もスタミナも残っていないだろう?

私も残っている脚を全て使う勢いで外からシリウスシンボリと並ぶ。もうゴールは直ぐそこまで近づいて来ている。

 

 

「「はああああああああ!!!!」」

 

 

お互いに吼える。一蹴り一蹴りに力を込めて前へと進む。

 

だけども拮抗したのは少しだけ。まだ少しだけ脚に余力のある私と違って、既に限界まで脚とスタミナを振り絞ったシリウスシンボリはゆっくりと私の後ろへと流れて行く。

 

そして、そのまま私は1バ身差でゴール板を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






書いては消してを繰り返していると頭が混乱してきて本当にこれで良いのか不安になって来る。
そう言う事ってありませんかね?

取りあえずネイチャ育成で心を落ち着かせてきます。


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第28話

 

 

 

「私が…………負けた?」

 

 

ゴール板を走り去り、脚に負担のかからない様にゆっくりと歩みを止めた私の後ろから、そう呟くようなシリウスシンボリの声が聞こえた。

私が振り返ると同時に、呆然と立ち止まっていたシリウスシンボリはその膝をターフへと沈める様に崩れ落ち、両の手で何とか体を支えている様な体勢で荒い息を吐いていた。

 

私も流れ出る汗を運動服の袖で拭い、ゆっくりと呼吸を整える。さてと、これでシリウスシンボリに膝をつかせることは出来た。ここからが第2ラウンドだと、シリウスシンボリの元へと歩きながらそう自分自身に叱咤する。どうやってシリウスシンボリが歩みを止めない様に促すか…………諭すか、もしくは発破をかけてみるか…………どうしようか。

 

全く、普段はそうでも無いのに変にスイッチが入ると後先考えずその事にのめり込んでしまうのは前世()から私の悪い癖だと、走り終わって冷静になって来た頭が注意するかの様に私にそう語り掛ける。前世()から上司や同期に注意されてきた悪癖に少しだけ後悔を憶える。尤も、今回はウマ娘の闘争心(武器)も合わさって前世より更にたちが悪いけども。

 

ターフには私の歩く音とシリウスシンボリの荒い呼吸音しか聞こえない。普段はうっとおしい蝉の鳴き声も、ぬるく不快な夏の風の音も、何故か今だけは空気を読んだかの様に聞こえては来なかった。

 

 

「…………私を笑いに来たか?」

 

 

膝を突いたシリウスシンボリの目の前まで私が歩いて来た時、シリウスシンボリはちらりと私を見上げてそう呟いた。

アプリで知っていた自信満々の彼女の姿は欠片も無かった。けれど、それも無理も無いと思う。今私の前に存在して居るシリウスシンボリは0と1で作られたデータ(ウマ娘)の塊じゃ無い。まだまだ本格化前で、精神的にも不安定で、笑いもすれば怒ったり悲しんだりそして傷ついたりと、ちゃんとした感情を持つ一人の生きた人間(ウマ娘)なんだから。

 

 

「ねぇシリウスシンボリ?自信満々で勝負を仕掛けて負けた気分はどう?」

 

 

「お、おいネイチャ…………」

 

 

私の煽りの様な言葉に、同タイミングでやって来ていたルドルフ先輩が少し戸惑いながら止めようとして来るが、私は右手をルドルフ先輩に向けてそれ以上言わない様に静止した。

私はすっかり存在を忘れていたアロマシガーをポケットから取り出した。忘れてポケットに入れたままレースをしてしまった為に箱はグニャグニャで、中のシガーもすっかりよれてしまっていたけどかまわず1本咥えてジッポで火を着けた。

 

 

「負けて悔しい?自分が不甲斐ない?それとも仕方ないと諦めた?」

 

 

白煙を吐きながら、私はそうシリウスシンボリに尋ねる。唸れ私の語彙力。頑張れ私の演技力。思っても無い事を悟られない様に、嘲笑という慣れたくも無い顔を頑張ってくれ私の表情筋。

 

 

「聞かせてよシリウスシンボリ。貴女が今何をどう思ってるのかをさ?」

 

 

やっぱり他者を貶めるというのはたとえ演技でも心が痛い。良く比喩で『心を鬼にして』って言葉があるけど、この言葉を実践する事は金輪際したく無い。

ルドルフ先輩は私の言葉に口をはさんでこない。私が静止した事もあるかもしれないけど、最初は私の言葉に戸惑っていたルドルフ先輩が今は薄っすら微笑んでいる事から何となく私がやろうとしている事を見抜いている気がする。

 

 

「…………私は。」

 

 

自惚れるなよ小娘。お前程度の実力者は世界には沢山いるんだ。」

 

 

シリウスシンボリが掠れる様に呟いた言葉に、私はアロマシガーを咥えたまま畳みかける様にそう口にした。いつの日かテンポイントさんに言われた言葉と同じ意味の言葉。歴戦の名バ(テンポイント)に比べれば私には迫力なんて欠片も無いけど、前世を含めれば私はシリウスシンボリよりも倍以上生きているんだ。迫力の無さは年季と煙草っぽいアロマシガーで少しでもカバーだ。

 

 

「シリウスシンボリ。レースでは貴女から逃げ切るウマ娘がいる。貴女の先を行くウマ娘がいる。貴女を差し切るウマ娘がいる。貴女を追い抜くウマ娘がいる。」

 

 

私の同級生、メジロライアンやエアグルーヴ、サイレンススズカを思い浮かべる。皆シリウスシンボリに負けず劣らずの名バ達だ。

確かにレース中他のウマ娘を気にしないウマ娘だって居る。

例えばサイレンススズカ、まだ会ったことは無いがアグネスタキオン。彼女達も先頭の景色が見たいだとか脚の限界に挑戦したいとか、言わば自分自身と戦っているウマ娘だが今のシリウスシンボリの様にレース以外も周りを見ていない訳では無い。寧ろ周りと話し、競い、糧として挑戦し続けるウマ娘達だ。

もしそんな彼女達が居る中で今のシリウスシンボリがレースをしたとして、果たして勝てるのか…………答えはNOだろう。

 

 

「私を見ろシリウスシンボリ。そして周りを見ろ。貴女のライバルはシンボリルドルフだけじゃ無い。」

 

 

私の言葉に俯いていた顔を上げたシリウスシンボリ。走る前のあの自信満々の表情は無かったけど、先ほどまでとは違いシリウスシンボリの私を見るその瞳は漸く私を映してくれた。

 

 

「漸く私を見てくれたねシリウスシンボリ。」

 

 

そう言って私は半分以上残っているアロマシガーを早々に携帯灰皿に押し込んで膝をついた。目線をシリウスシンボリに合わせて、先ほどまでと違ってなるべく優しい笑みを心がけて。

 

 

「さっきまでの貴女は私を見ていなかった。いや、私以外の他のウマ娘も見ていなかった。貴女が見ていたのはただ1人、シンボリルドルフだけ。違う?」

 

 

私は優しくシリウスシンボリの手を取って両の手で包み込んだ。

 

 

誰かに勝ちたい。誰かを超えたい。それは競い合うウマ娘にとっては当たり前の事。貴女がシンボリルドルフに勝ちたいと思っているのも、シンボリルドルフを超えたいと思っているのもそれは素晴らしい事だと思う。」

 

 

「…………お前に何が分かる。」

 

 

「分からないよ。私は貴女じゃ無い、私はナイスネイチャ()。私はシリウスシンボリ(貴女)には成れないもん。」

 

 

「ッだったら!「でもね」!?」

 

 

私はシリウスシンボリの声を遮ってそっと立ち上がった。まだ昇り切っていない太陽が逆光となって私の影を伸ばし、シリウスシンボリを暗く染めた。

 

 

「でもね、シリウスシンボリ。貴女が本当の貴女()を見失っている事だけは私にも分かるよ。」

 

 

「…………本当の夢だと?」

 

 

「そう。確かにシンボリルドルフは強いよ。私も負けちゃったしね…………

そのシンボリルドルフに勝つのも凄い夢だと思うけど、貴方の本当の夢はシンボリルドルフに勝つ事?

 

シリウスシンボリの夢はたかだかシンボリルドルフに勝つ程度で満足するちっぽけなモノなの?」

 

 

夢というのはそのウマ娘にとっての原点(オリジン)だと私は思っている。ウマ娘はその時の気持ち、感情、コンディションが大きく走りに影響する。アプリのやる気システムなんて要らないとか前世では思っていたけど、私もウマ娘になった事で何となくだけどその意味が分かった気がする。

 

非科学的だけど、想いが強ければそれだけウマ娘は壁を越えて強くなる。これは沖野さんもおハナさんも、南坂さんも…………というかトレーナー全員が共通認識として把握している。それだけ科学的根拠も無いのに認識されている思いの強さ。その根源にあるのが原点(オリジン)

 

なんて、ちょっとカッコつけて言ってみたけど実際の所はなんて事は無い。『おっきいレースで勝ちたい』とか『日本一になりたい』とか…………

人で言えば『サッカー選手になりたい』とか『アイドルになりたい』みたいなそんな小さくて青臭い、けど微笑ましい夢。

 

トレセン学園に来たウマ娘はそんな夢を現実にする為にやって来たウマ娘達。現実と自分の限界を知って去って行く仲間がいる中でそれでも頑張って登って行った頂に見えるのが『G1』というエベレストに登る為の切符。

アプリでは何気なく出走していたG1レースは現実ではそれほどまでに困難で切り立った存在。メイクデビューが出来る時点でエリートとは正しくその通りだと思う。

 

シリウスシンボリも同じはずだ。歪んだ末に忘れてしまったとしても、心の何処かに存在する小さくて青臭い、けど微笑ましい光輝く原点があるはずだ。

 

 

「………………」

 

 

無言で何かを考えるかのように視線を泳がせるシリウスシンボリを私は黙って見守っている。微かに残るアロマシガーの甘い残り香が鼻腔をくすぐる。

 

 

「…………言ってくれるじゃねぇか。」

 

 

暫くして、答えを見つけたのか一度目を瞑ったシリウスシンボリはレース前に浮かべていた不敵な笑みとは違う獰猛な笑みを浮かべた。獲物を狩る獅子を連想させるその笑みに、やっぱりシンボリルドルフの親族だなぁと私は思わずそう思ってしまった。

 

 

「てめぇが初めてだぜ。たかだかシンボリルドルフに勝つ程度だなんて言ったヤツは。一度でもシンボリルドルフに関わったヤツは大抵そんな事思わねぇし言わねぇのによ。」

 

 

「私には私の夢があるから。その為ならシンボリルドルフだろうがテンポイントだろうが勝ちに行く…………でも、それはシリウスシンボリ、貴女も同じでしょう?」

 

 

「ああそうだ…………そうだった。なんで忘れていたんだろうな。私が目指していたのは、私が憧れていたのはたかだかシンボリルドルフに勝つ程度なんかじゃねぇ。」

 

 

「改めて聞くよシリウスシンボリ。貴女は今何をどう思ってるのかをさ?」

 

 

獰猛な笑みを浮かべたまま、シリウスシンボリはゆっくりと芝の上へと立ち上がった。そこにはレース前のシリウスシンボリは居ない。

 

 

「いいぜナイスネイチャ。お前には教えてやる…………私は世界を目指す。ちっぽけな島国を出て、世界に私が居る事を教えてやる。

 

シリウス()こそが最も明るい星だ。

 

 

自信満々に答えるその言葉は正しく名馬シリウスシンボリの生き様そのもの。その魂を受け継ぐ彼女は言葉通り一等星の様に光り輝いて見えた。

 

 

「とても良い夢だと思うよ。少なくともさっきまでのシリウスシンボリよりも、今の貴女は遥かに一等星の様に光って見える。」

 

 

「何時かその素晴らしい素質も一等星が喰らってやるからな。首を洗って待ってろよ?」

 

 

「ウマ娘だったら脚じゃないかなあ?」

 

 

「フフッ…………確かにな。」

 

 

お互いに冗談を交えながら、私とシリウスシンボリは一番最初に出来なかった事をした。お互いに右手を出して相手の右手を握る。単なる握手だけど、握手をするという事はシリウスシンボリが確かに私を見ているという事に他ならない。

 

 

「シリウスシンボリ、私の事はネイチャで良いよ。」

 

 

「だったら私もシリウスでいい。シンボリだとそこのウマ娘と被るからな。」

 

 

「「よろしくシリウスシンボリ(ナイスネイチャ)次も勝つ(次は勝つ)。」」

 

 

お互いに微笑んで、そう口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後でルドルフ先輩のお父さんに聞いた事だが、どうやらシリウスの家庭は父子家庭との事。シリウスのお母さんは小さい頃に病で亡くなったらしい。お父さんはURAの重役らしく、忙しい仕事の中でもシリウスの事を頑張って育てた結果、シリウスのあの男勝りな口調になっちゃったらしい。

 

流石に今回の事はシンボリ家としてケジメはつけると、シリウス自らルドルフ先輩のお父さんとシリウスのお父さんに報告したのだけど、ルドルフ先輩のお父さんからは一応当主として注意を貰ったけど結果丸く収まったので子供の遊びとして特に何かある訳では無いとの事。

 

シリウスのお父さんは聞いた通り厳格な人の様で、ウマホでシリウスが連絡した際にははっきりと音が聞き取れるくらいシリウスを叱っていたのだけど、何故か私がシリウスのお父さんの謝罪を受ける事になってしまった。

 

シリウスからウマホを受け取り、ついうっかり自己紹介で『シリウスの友達のナイスネイチャです』と私は言ってしまった。そうしたらシリウスのお父さんのさっきまでのお叱り様は何処へやら……

 

 

シリウスに友達が出来たぞおおおおおお!!!!

 

 

電話越しに大はしゃぎしてしまった。

何だろう、シンボリ家って本家も分家もこんな感じなのだろうか。そう思ってしまいついついシリウスを見てしまった私と、頭が痛そうにしていたシリウスとルドルフ先輩の2人。

 

BGMの様に未だ電話越しで聞こえるはしゃぎ声と共に、中々にカオスな空間だった。

 

 

 

 






ネイチャのトレーナーとしての片鱗を入れたかったのだけど、なんか詐欺師っぽくなってしまった…………

あとカツラギエースどうしよう。あそこまで熱血ライバルキャラだとは思ってんかったので前話含めて修正するか悩み中です。


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第29話


遅くなってしまい申し訳ないという感情と

新しいアニメが始まった嬉しさと

ネイチャ誕生日おめでとうという気持ち

色々ごちゃまぜになって不思議な感情ですが取りあえず最新話です。


 

 

「いや~そんな事がありまして、中々大変な夏休みになりました。」

 

 

「…………ウチのシービーも問題児だがお前も大概問題児だな。」

 

 

「それは心外ですよ黒沼さん。私は巻き込まれた側です。」

 

 

「最終的にレースをしたのはお前の意思だろうが。」

 

 

「…………それについては何にも否定出来ませんね。」

 

 

数日前に長かった夏休みも終わり、未だ残暑の残る9月の頭。何時もより少し早く降り始めた夏特有の夕立をトレセン学園の喫煙所の窓から眺めつつ、私は隣で煙草を吸っている黒沼トレーナーとこの夏休み中であった事を話のタネに雑談に興じていた。

 

古ぼけた扇風機の少し異音を含んだ独特な機械音が喫煙所に響く中で、シンボリ家での出来事を話したのが先ほどの会話である。誰かさん(沖野さん)のせいで同じく禁煙の機会を失った黒沼さんと共に、雨が止まないかなと紫煙を吐き出しながらのんびりとした時間が流れる。

 

 

「…………それにしても雨、止まないな。」

 

 

「…………雨、止みませんね。」

 

 

分厚い雲に覆われた曇天の空から降り注ぐ雨粒を眺めながら、私と黒沼さんはしみじみとそう呟いた。

本当であれば、今頃は黒沼さんのトレーナー室でトレーナーの指導を受けているはずなのだけど、私も黒沼さんも生憎今日に限って傘を忘れてしまった為に喫煙所で煙を吹かしながら仕方なく雨宿り中なのである。

 

 

「そういやお前さん、南坂のヤツからは何処まで教わってるんだ」

 

 

「えぇと…………今は感冒とか身近な症状を中心に南坂さんからは教わってます。」

 

 

「んじゃ、まだ本格的に重い症状は教わってないってことだな。」

 

 

「そうですね。」

 

 

短くなった煙草とアロマシガーを煙缶へとガシガシと擦り消しながら、溜息交じりに黒沼さんと私はそんな会話を口にした。小雨とも土砂降りとも言えない中途半端な雨を再び眺めながら1本吸い終わった満足感と口寂しい物足りなさを同時に感じながらこれからどうしようかと思いを馳せた。

 

 

「あれ?ミスタートレーナーにネイチャじゃん。こんな所で何してるの?」

 

 

そんな声が聞こえたのは吸い終わってからそこまで時間は経っていなかった頃だった。雨水が喫煙所内に入らない事を良い事に換気目的で開けていた窓の外、そこには黒い傘を差した制服姿の1人のウマ娘が不思議そうな顔で黒沼さんと私を見ていた。

長い黒鹿毛の髪を腰まで伸ばし、小さな白いシルクハットを右耳付近に被った、どことなく自由人の様な雰囲気を持ったウマ娘…………黒沼さんの担当である未来の三冠バ、ミスターシービーだった。

 

 

「この時間はトレーナー室でネイチャの指導じゃなかったっけ?」

 

 

「見ての通り雨宿り中だシービー…………それにしても。」

 

 

「そうですね黒沼さん…………まさか。」

 

 

「「シービー(さん)が雨の日に傘をさしてる…………」」

 

 

「ちょっと!?アタシが雨の日に傘さしてるのがそんなにおかしい!?」

 

 

「いやぁ…………その…………」

 

 

「お前の普段の行いを見直してみろ…………」

 

 

「ん~…………いつも通り?」

 

 

「「…………はあ。」」

 

 

黒沼さんと共に、私は思わずため息を吐いてしまった。

 

そう、シービーさん…………黒沼さんの仲介で初めて会った時にそう呼んでとシービーさん本人から言われたのだけど、シービーさんの性格はデビュー前ながらアプリ版の育成キャラクター、ミスターシービーとほぼ同じといっていい自由奔放な性格のウマ娘だった。雨の日に嬉々として傘を差さず散歩に行ったりするし、ルドルフ先輩やシービーさんと同級生のカツラギエースさんが振り回されているのをよく見たりする。

 

そんな自由人なシービーさんが雨の日に折り畳みとはいえ傘を差しているのは知り合ってから初めて見た。私も黒沼さんもこれには流石に驚いてしまうのも正直言って仕方ないと思う。

 

 

「あ、傘はエースが渡してきたんだ。本当は今日も傘無しで散歩する予定だったんだけどね。

まあでも、雨粒が傘に落ちる音を聴きながら散歩するのも存外に良い物だね。」

 

 

私達の内心を知らないシービーさんは笑いながらそう言った。なんともまあシービーさんらしいっちゃらしい考えではあるが、幾らヒトより体温が高いウマ娘とはいえ雨でずぶ濡れになれば風邪…………ウマ娘風に言えば感冒という病気になるのだからシービーさんにはもう少し自重して欲しい所なのは私と黒沼さん含め、多くの知り合いが共通認識として頭を抱えている問題だったりする。

 

 

「話を戻すけど、ミスタートレーナーとネイチャはどうして此処にいるの?」

 

 

「雨宿りですよ。今日に限って私も黒沼さんも傘を忘れてしまいまして。」

 

 

「そうなんだ。しっかり者のネイチャにしては珍しいね?」

 

 

「そういう時もありますよ。」

 

 

「ふ~ん……そういうものかな?」

 

 

「えぇ……そういうものですよ。」

 

 

そんな感じの掛け合いをしながら私とシービーさんは、お互いに少し笑った。自由人気質のシービーさんだけどこんな感じでちょっとした事で笑い合ったり盛り上がったりするし、シービーさん自身も結構お人好しだったりするので実は、というか必然的にだけどトレセン学園ではかなり人気があったりする。

 

 

「じゃ、この傘貸すね。私的にやっぱり雨の中散歩したいしさ。」

 

 

ほらやっぱり。ミスターシービーというウマ娘はそう言う人なのだ。

 

 

「いや申し訳ないですよ。それにその傘はカツラギエースさんがシービーさんに貸した傘じゃないですか。」

 

 

「良いから良いから。どうせトレーナー室でやるんでしょ?そのまま部屋に置いといてくれたらアタシが明日回収しとくからさ。」

 

 

私がそう言っても、シービーさんは良いから良いからと雨の中折り畳み傘を閉じると窓からひょいっと私に押し付ける様に手渡してきた。雨を浴びて多くの水滴が付いた傘が私の手をじっとりと湿らせていく感覚に僅かな不快感を憶えながらも、渡してきた本人は「それじゃ、また明日。」とこちらの返事を聞かぬまま雨降る学園の中を楽しそうに歩いて去って行った。

 

後に残されたのは無言のままシービーさんの去って行った方を見つめる私と黒沼さん。そして私の手から零れ落ちる雫が作る小さな水溜まりだけ。

 

 

「取りあえず…………俺のトレーナー室に行くか?」

 

 

「そうですね、時間も勿体無いです行きましょうか。…………シービーさんには今度またお礼しなきゃですね。」

 

 

2人共立ったままなのだけど、心境的には重い腰を持ち上げる様な、そんな気分で外に出て受け取った折り畳み傘を丁寧に開いた。

雨粒で濡れた手で丸っこい持ち手を持って、私は黒沼さんが傘の中へと入れるように少し高めの位置へと持ち上げる。私と黒沼さんでは頭1つ分くらい身長が違うから仕方ない。

 

 

「ほら…………貸せ。」

 

 

唐突にそう言って、黒沼さんは私の手から少し強引に傘を奪い取った。

 

 

「濡れますよ?」

 

 

「何だ…………少しは担当の気分が分かるだろうさ。」

 

 

何も言わず私の方に余分に傘を出している黒沼さん。その所為で黒沼さんのパーカーは肩付近からびっしょりと雨で濡れてしまっていた。

アニメでは余り描写されていなかったけれども、こういう行為をさりげなくやれる黒沼さんもコワモテな雰囲気に似合わずやっぱりウマ娘の事を第一に考える立派なトレーナーなんだなという事を改めて再確認させられる。

 

 

「有り難うございます…………お邪魔したら温かい紅茶を淹れますね。」

 

 

「出来ればコーヒーで頼む。」

 

 

「インスタントしか出来ませんよ?」

 

 

「それくらいが俺には十分だ。」

 

 

パシャパシャと水溜まりを踏む2人分の足音と軽快に傘を叩く雨音を聴きながら、黒沼さんと私はほんの少しだけ速足で目的の場所まで歩いて行く。こういう時、変に申し訳なさそうにしても逆に気まずいだけ。だから私は素直に黒沼さんに感謝を伝えておく。

 

仕方ない、コーヒーを入れるのはまだまだ苦手だけどトレーナー室に着いたら温かいコーヒーを黒沼さんに入れてあげよう。

まったく、沖野さんもどっちかと言えば紅茶よりコーヒー派だったし少しは私もコーヒーを入れる練習でもしてみようかな。

 

なんて、少しだけ苦笑を漏らしながらそんな事を考えていた私は黒沼さんと一緒にトレーナー室までの道のりを歩いて行くのだった。

 

 

 

 






最近、この小説のタイトルに違和感を感じて来た…………なんでだろう?


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第30話


結局4000文字超えて8000文字近く書いてしまい昨日のうちに投稿出来ませんでした。

難しい知識と、何とか早めに投稿しようと徹夜で執筆したので目がチカチカしていますが私はきっと大丈夫です。


PS.RTTTはイイゾ





 

 

 

 

コトコトコトと電気ケトルが奏でる水を沸かす小さな音を聴きながら、私はせっせと鞄からノートや筆記具などを机の上へと並べていく。折角黒沼さんに気を使って貰ったのだけど、結局の所小さな折り畳み傘を2人で共有するのには無理があって、私は黒沼さん共々雨でずぶ濡れ…………とまでは行かないまでも、着ていて不快感を感じる位に制服が濡れてしまった。

 

なので今の私は上下共に運動用のジャージを着て、制服は黒沼さんのパーカー共々何故か部屋に置いてある乾燥機の中へボッシュート状態。件の黒沼さんも予備のパーカーに着替えて今は体を温める為のコーヒー待ちタイム。

 

お湯が沸いたのか、カチッというスイッチの切れる音が聞こえ、その音を合図に私はそっと席を立った。事前にマグカップとコーヒーの粉は黒沼さんが出してくれているので、私は準備してくれた2つのマグカップにコーヒーの粉を入れて、ゆっくりとお湯を注ぎこむ。

白い湯気と共にコーヒーの粉が渦を巻きながらお湯と混ざり合い、コーヒーの鼻腔をくすぐる香ばしい香りが一気に室内を包んでいく。だまが残らない様にスプーンでゆっくりとコーヒーをかき混ぜて、私は片方を黒沼さんへと差し出した。

 

 

「すまないな。」

 

 

「良いですよ。これ位はさせて下さい。」

 

 

そう言って笑い合って、お互い一口だけコーヒーを口にした。入れたばかりで熱々のコーヒーは舌が火傷しそうなほど熱かったけど、雨に濡れて冷えた体にはそれが存外心地良かった。

ただちょっと粉を入れ過ぎたかな?少し濃いめで思わずんべっと舌を出してしまった私を黒沼さんは少しだけ笑っていた。

 

 

「んじゃ、コーヒーも出来たしさっさと始めよう。」

 

 

「はい、今日はよろしくお願いします。」

 

 

少しだけ電気ケトルからお湯をマグカップにつぎ足しながら、んじゃそろそろ始めようと話しかけた黒沼さんに私は頭を下げてそう返事をする。教えて貰う身としてはきちんと礼儀は守らないとね。

 

 

「俺がお前に教えるのは前にも言ったがウマ娘の距離適性をどう改善し伸ばしていくかだ。」

 

 

「はい!」

 

 

「さて、お前さんならどうする?聞く前に自分で考えてみろ。」

 

 

そう黒沼さんに言われてて、私はどうすれば良いのか考えてみる。アプリで距離適性を変えたい場合、因子継承で適正Cを適正Bへ、適正Bを適正Aへといった形継承元のウマ娘から距離因子を貰い改善していくのだけど、勿論この世界でそんなシステムチックな事が出来る訳無いので却下。

 

それじゃあ現実的に考えてみた場合アプリの様に因子継承以外で距離適性を改善するとなるとなれば、それこそ史実馬やアニメのウマ娘のミホノブルボンの様に、鬼の様にひたすら坂路トレーニングを繰り返して走れる距離を延ばす方法しか私は思い当たらない。

けど、それじゃあ何で坂路トレーニングを行えば走れる距離が延びるのかと聞かれれば、その理由に前世を含め調べた事が無かったからさっぱり分からないとしか言い様がない。

 

単純に考えれば、私としてはより長い距離を走る事を考えればスタミナトレーニングを行って心肺機能の向上を図るのが良いのではないかとも思う。けどアプリだとスタミナトレーニング枠はプールトレーニングだけで、ミホノブルボンがやっていた坂路トレーニングはアプリだと根性トレーニング枠に入っているから一概にどっちが良いと決めるのは早計だとも思ってしまう。

 

 

「分からないなら今はそれでも良い。何より重要なのは分からない事をそのままにせず、考え、学び次へと成長していく事だ。」

 

 

うむむ…………と頭をひねっている私に黒沼さんはそう語って来た。確かにただ言われた事をこなすよりも自分で考えて意識して行う方が成長出来るとは何処かで聞いた事がある。

 

取りあえずもう少し考えよう。何で坂路トレーニングが根性トレーニング枠なのか?スタミナトレーニング枠でも良いのではないかとも思ってしまうけど逆に、坂路トレーニングで何が鍛えられるのかを考えてみるのはどうだろうか。

 

坂路トレーニングの利点は同じ距離で走った場合に比べ平地でトレーニングした時よりも効率が良い事。坂路の長さが決まっている為必然的にインターバル形式になりウマ娘にあった負荷で反復トレーニングが行いやすいこと。

 

実習中に教官が言われていた話では、一般的に用いられている傾斜3~4%の坂路コースでは、平地に比べてハロンタイムで2~4秒遅いタイムで、平地と同様の負荷を得られるらしい。速度が遅いという事はそれだけ脚の消耗が少なく故障や病気のリスクを減らせるという事でもあり、私達ウマ娘にとってリターンしかない様に思える。

 

しかし、本格化前で身体的に未熟、もしくは経験の無いウマ娘がきちんとした指導者、この場合は授業の実習で立ち会う教官や担当トレーナー無しで坂路トレーニングを行ってしまうとペース配分をミスしたりフォームが崩れたりして逆に故障や病気のリスクが伴ってしまう場合があるとの事。

 

そもそも、坂路トレーニングは平地トレーニングより効率が良いとはいえそのキツさは同じ距離でも平地以上。キツい、辛いといった弱音がウマ娘の精神をゴリゴリと抉って来るのでそれこそミホノブルボンの様なトレーニングに従順なウマ娘以外あまりやりたがらないトレーニングメニューなのだけど。

 

待てよ…………確か前世でウマ娘にはスタミナ値と根性値が計算式に入っているって聞いた事があった様な…………

 

そんなものがあるんだ~とその時は右から左へ聞き流していて詳しい事は殆ど覚えていないけど、それなら多少合点がいくのでは?

プールトレーニングで心肺機能…………スタミナを鍛えて、坂路トレーニングで負担を減らしつつ効率良く身体を鍛て、そのトレーニングのキツさでレース中の勝負根性を養っていくのであれば自然と納得出来る点も多い。

 

 

「黒沼さん。」

 

 

「何か思いついたか?」

 

 

「坂路とプールトレーニングっていうのはどうでしょうか?」

 

 

「何故そう思った?」

 

 

「脚質を伸ばす、つまり走る距離を延ばすという事でプールトレーニングは心肺機能を伸ばし長く走る為のスタミナを、坂路トレーニングはより平地よりも効率良く負荷をかけてる事で踏み込みやそれに付随するスピード、根性を延ばす事が出来ます。

2つともきちんとしたメニューで行なえば過度な負担を身体に与える事無くトレーニング出来るので選びました。」

 

 

「悪くない判断だ。それぞれのトレーニングの長所をきちんと把握している。だが、お前のその判断はトレーナーでは無く競争ウマ娘としてのトレーニングの選び方だ。トレーナーを目指すとなればもう少し視点を変えなければならん。」

 

 

「視点…………ですか?」

 

 

黒沼さんの言葉に私は思わずオウム返しの様にそう返してしまった。視点を変えるとは一体どういう事なのだろうか…………

 

 

「医学的なアプローチは南坂の分野だからな。もし詳しく知りたかったら今度アイツに聞いてみるといい。取りあえずこれを見ろ。」

 

 

そう言って、黒沼さんは私に1枚のプリントを手渡してきた。受け取って中身を見れば描かれているのは多分ウマ娘の脚だと思うイラスト。ただ普通のウマ娘の脚のイラストではなく、そのイラストはイメージするなら人体模型の様な感じの…………筋肉や神経を太腿の付け根から足先まで緻密に描かれた医学書とかに載ってそうなイラストだった。

 

 

「そいつは医学書に載ってるイラストのコピーだが、説明に使うのに最適なんでな。改めて聞くが、お前さんはまだ筋肉の種類とかは南坂から教えられているか?」

 

 

「筋肉ですか?いえ、喫煙所でも言いましたけど感冒とか身近な症状を中心に南坂さんからは教わってます。」

 

 

「だったらこれは南坂とこの予習も兼ねるか…………まず筋肉ってのは大きく別けて3つに別けられている。何か分かるか?」

 

 

「えっと確か…………速筋と遅筋と…………すみませんあと1個は忘れてしまいました。」

 

 

「さっきも言ったが何より重要なのは分からない事をそのままにせず、考え、学び次へと成長していく事が大事だ。お前さんの言った2つは正解、他に中間筋と呼ばれている筋肉がある。」

 

 

黒沼さんは1本のボールペンを取り出すと私に渡してくれたイラストの白い筋肉の部分にまず丸を付けた。

 

 

「最初に説明するのは白筋、別名速筋だ。その名の通り白い筋肉で筋繊維が太く、筋の収縮速度が速いから瞬発力はあるが、持久力は無い。」

 

 

「なるほど…………」

 

 

「そして赤筋、こいつの別名は遅筋だ。白筋と同じく赤い色をした筋肉だから赤筋だ。こっちは白筋ほど筋繊維が太くはない。だから瞬発力は速筋より圧倒的に劣るが有酸素代謝だから白筋よりも圧倒的に持久力がある筋肉だ。」

 

 

「ゆ、有酸素代謝ですか?」

 

 

今度は部屋に置かれているホワイトボードに『白筋』『赤筋』『中間筋』『有酸素代謝』など説明しながら文字を書き始めた黒沼さん。私はホワイトボードに書かれている文字をノートに書き写しながら、黒沼さんの説明を忘れない様に疑問に思った事は質問する事にした。

 

 

「そうだ。白筋と赤筋では使用するエネルギーが違う。赤筋はさっきも言った通り有酸素代謝、つまり脂肪や炭水化物を酵素で消費してエネルギーにするが白筋は解糖系代謝、グルコースをピルビン酸などの有機酸に分解してエネルギーにする。」

 

 

「筋肉でエネルギー源が違うんですね。」

 

 

「そうだ。良くダイエットなどで有酸素運動とか言われるのはこの赤筋を使う運動の事を言う。もっとも、この辺の事は俺より南坂の方が詳しいから詳しく知りたかったらアイツに聞け。」

 

 

「分かりました。」

 

 

「ん…………因みに赤色の理由だが、ミオグロビンという赤い色をした酸素を運ぶ赤色タンパク質が赤筋の方が多いからだ。血液も赤色だがそっちはヘモグロビンで全く違う物質だから覚えておいて損は無い。」

 

 

詳しくは南坂さんに聞けと言いながら、ちょっとした知識を教えてくれる黒沼さんの言葉に私は思わずほっこりしてしまった。

 

 

 

「…………さてと中間筋はまた後で説明するとして、ネイチャ…………此処までで何か気づくことは無いか?」

 

 

つらつらとホワイトボードに文字を書きながら説明してくれていた黒沼さんが一端ペンを戻してそう私に質問を投げかけて来た。

 

ここまでで何か気づく事……と言われたが、黒沼さんの説明の中にあった瞬発力や持久力という説明で何となく私は黒沼さんが聞いてきた事は分かった気がする。

 

 

「白筋の瞬発力はスプリンター向き、赤筋の持久力はステイヤー向きという事ですか?」

 

 

「そうだ。だが勘違いはするな?スプリンターに持久力が要らない訳でも、ステイヤーに瞬発力が要らない訳でも無いからな。」

 

 

「大丈夫です、そこはきちんと理解しています。」

 

 

「ならいい。続きだがこれら白筋と赤筋の筋繊維の本数、それに伴う割合には個人差があり生まれつきほとんど決まっている。これはお前達ウマ娘や俺達ヒトも変わらない。」

 

 

「うぇ!?そうなんですか!?」

 

 

「そうだ。つまり極端な話長距離で走るステイヤー型のウマ娘は白筋よりも赤筋が多く存在し、逆に短距離で走るスプリンターのウマ娘は赤筋が少なく白筋が多い傾向にある。」

 

 

黒沼さんの説明に私は思わず驚きの声で返してしまった。確かに筋肉の付きやすい人付きにくい人みたいな話は前世で聞いた事があった気がするけど、まさか生まれつき決まっているとは思わなかった。

 

けど、そうなると黒沼さんの言う距離適性を伸ばす方法というのは殆ど不可能に近いのではないのだろうか?生まれつき決まっているのなら、より長く走る為の赤筋をそれ以上増やす事なんて出来ないはずなのだから。

 

 

「ゲームを例えに簡単に説明するとキャラクターを決めてスタートした時、そのキャラクターに白筋と赤筋それぞれ2つの装備枠があると想像してみろ。その2つの装備枠にはランダムにスロットが与えられる。

 

スプリンターなら白筋の装備枠に10個のスロットがあり、赤筋の装備枠に5個のスロットがあるとする。

 

ステイヤーならその逆。白筋の装備枠に5個のスロットがあり、赤筋の装備枠に10個のスロットがある。」

 

 

「ふむふむ。」

 

 

「総スロット数は同じだが、筋肉の割合は真逆の設定だ。そして、それぞれのスロットに白筋と赤筋が装備出来る。」

 

 

「でもスロットが決まっているならそれ以上成長出来ないんですよね?」

 

 

私の質問に黒沼さんは少しだけ笑い、唇を湿らす様に一口だけコーヒーを飲んだ。

 

 

「なんの為に装備スロットって言ったと思ってる。最近のゲームだと装備も強化出来るらしいじゃないか?」

 

 

「つまり、そのスロット内のそれぞれの筋肉を強化してレベルアップする感じですか?」

 

 

「そうだ。それぞれのスロットにただ筋肉が装備されている状態を丁度本格化を終えたばかりのウマ娘だと思え。そこからトレーナーと協力して装備されている筋肉のレベルアップを行っていくのが今のウチのシービーだったり、来年のお前さんだったりする訳だ。」

 

 

まるでゲームのステータス画面の様な絵をホワイトボードに書きながら説明する黒沼さん。

 

 

「そして、もし筋肉のレベルが10で上限だったとしよう。スプリンターの赤筋スロットは5個。最大までレベルアップさせたとしても合計で50までしか上がらない。これが例えるならHPやMPの様にスタミナ値と仮定しよう。

 

ステイヤーの赤筋スロットは10、最大まで上げて合計でスタミナ値は100だ。コンディションやら勝負根性やらで多少変動するが、スプリンターとステイヤーのスタミナ値の差は50もある。」

 

 

「これってムリゲーなのでは?」

 

 

「そうだな、全く同じ速度で走ったとしてどうあがいてもスプリンターがステイヤーと同じ距離を走る事は出来ない。」

 

 

そう言って、黒沼さんは今までホワイトボードに描いていた絵の上から大きくバッテンを書いた。

 

 

「だがネイチャ。お前さんは1つ存在を忘れている。」

 

 

「?」

 

 

「それがこいつだ。」

 

 

グリグリと黒沼さんが何重にも丸で囲んでいるホワイトボードに書かれた『中間筋』の3文字。

 

 

「さっきも言ったが筋肉の割合は生まれた時から決まっている。だがこの中間筋、正式にはピンク筋だったか…………どっちでもいいがこいつは本来ミオグロビンが不活発状態であるはずの白筋がトレーニングによって変異してミオグロビンを持つ様になった変異筋だ。ミオグロビンが活発状態になった事で赤みが付いてピンク色になるのが名前の由来だ。

 

そして、変異した中間筋の特性は白筋と赤筋それぞれの特性を合わせ持つ点にある。」

 

 

一部を消して新たにホワイトボードに色々と単語やそれに付随した説明を書いて行く黒沼さん。私も慌ててノートに新たに書かれた言葉を書き写していく。

 

 

「えっと、つまり白筋が中間筋になって、それを強化していくことで赤筋になるという事ですか?」

 

 

「残念だが中間筋が赤筋になる事は無い。あくまでも中間筋は白筋が変異した筋肉であって、使わなければ白筋に戻る訳でも無い。」

 

 

「あぁ…………そうなんですね。」

 

 

「そしてなにより重要なのが両方の特性を併せ持つと言っても白筋と赤筋それぞれの力と同等の瞬発力や持久力を持てる訳でも無い事だ。さっきのゲームの例でいうなら中間筋レベル10のうち、瞬発力にレベル5、持久力にレベル5といったふうに真ん中の性能の筋肉になる。」

 

 

「つまり、見方によってはオールマイティーにも器用貧乏にもなる筋肉って訳ですね。」

 

 

「そう言う事だ。例えばさっきのスプリンターのうち、白筋スロット10個の中の半分、5個が中間筋になったとする。白筋の合計は100から5個×レベル5で25ポイント引かれて合計が75になってしまったが、持久力は瞬発力とは反対に赤筋の合計値50に中間筋の25が合わさって合計75まで上昇する。そうなるとステイヤーとのスタミナ値は前の50から25まで縮める事が出来る訳だ。

 

此処まで縮めることが出来たなら長距離は難しくとも、スプリンターがマイル戦線や中距離戦線で十分戦えるとは思わないか?」

 

 

「お、思います。」

 

 

ホワイトボードからペンを離し私に向き直ってそう語った黒沼さんに私はそう返すしかなかった。これがトレーナーと競技者としてのウマ娘の視点の違いって事なのだろうか…………

 

 

「…………勿論欠点はある。中間筋は白筋に戻る事は無い。つまり瞬発力の総合値が減っているのだからスプリンターとしての才能が無くなってしまう可能性もある。」

 

 

小さく溜息を吐きながらそう溢す黒沼さんの言葉にはまるで実体験であったかのような静かな、けど確かな重さが籠っていた気がした。

 

 

「勿論、お前さんが言ったプールトレーニングだって重要な要素だ。ウマ娘の体、筋肉というエンジンを動かす燃料は酸素だ。その酸素をエンジンに送る肺や心臓と言ったポンプが貧弱じゃ、どんな1級品のエンジンだってそのポテンシャルを十全に発揮する事は出来ないからな。」

 

 

「あ…………有り難うございます。」

 

 

「次回から、今日みたいに雨じゃ無ければ実際に坂路でどれだけの運動でどの部位にどれくらいの負荷がかかるのか、今の体で何処まで負荷をかけていいのか見極める点も教えていく。雨だったら今日みたく座学だ。」

 

 

「ハイ!よろしくお願いします。」

 

 

「言っておくが、実際に走るときはウォームアップから見るから自分でやるなよ?お前さんは本格化もまだなのに下手に事前に負荷を掛けられて坂路トレーニング中に挫滅症候群(ざめつしょうこうぐん)なんか起こされちゃ沖野やおハナさん、果ては理事長に何て言われるか…………正直言ってたまったもんじゃ無い。」

 

 

「はい、分かりました。」

 

 

先ほどまでの重い雰囲気は何処へやら。そう面倒くさそうにそう話す黒沼さん。というか、此処には私と黒沼さんしか居ないから良いけど、受け手によってはまるで私が黒沼さんの担当ウマ娘になっている様にも聞こえるのだろうが黒沼さんは気づいているのだろうか?

 

やれやれといった表情でコーヒーを飲む黒沼さんを見るに多分気づいていない気がする。私の立ち位置が担当の居ない他のウマ娘だったら絶対勘違いしてしまうだろうね。

アプリのトレーナーもそうだけどどうして男のトレーナーって変にウマ娘を勘違いさせる言動をするのかなぁ…………

 

いや…………アプリのトレーナーや沖野さんが変過ぎるだけか。RTTTの沖田トレーナーとか普通に良い人だった記憶があるし。

 

内心そんなどうでもいい事を思いながら黒沼さんに視線を戻すと既にホワイトボードを消したりペンを戻したりと片付け始めていた。どうやら今日はこれでおしまいらしい。

私もノートや筆記用具を鞄の中に仕舞って、最後にマグカップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

 

薄めたとはいえまだ少し濃い中途半端に冷めてしまったコーヒー。

正直余り美味しい出来では無かったコーヒーを飲み干して私と黒沼さん、2人分の飲み干したマグカップを流し台へと持って行った。

 

 

「コップは俺が洗っておくから、お前さんは早めに帰れよ。」

 

 

黒沼さんの言葉に、私は漸く暗くなり始めている事に気づいた。始めた時間も時間とはいえ、どうやら大分長い時間黒沼さんの話を聞いてしまっていたらしい。

 

 

「すみません。今日は有り難うございました。」

 

 

「おう、じゃあな。」

 

 

「はい!次回もよろしくお願いします。」

 

 

私は黒沼さんに深々と頭を下げて、未だ雨の降る外を鞄を傘に寮へと向けて走って帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………大急ぎで寮に帰ってから、私が制服を黒沼さんのトレーナー室の乾燥機にぶち込んだままだという事に気づいてしまいルドルフ先輩に呆れられながら再度雨の中走ったのはここだけの話にしておいて欲しい。

 

 

 






私の知識不足、説明不足の所もあると思いますが、意図的に黒沼トレーナーは説明を簡略化しています。

何故かというと、詳しく知りたいなら南坂トレーナーの方が詳しいからそっちに聞けってスタンスだからですね。
なのでネイチャになるべく分かりやすく説明しようと黒沼トレーナーなりに工夫してやってます。まあ完全に私の妄想なので皆さんの想像する黒沼トレーナー像と違ったらすいません。




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第31話



URAの前身って何だったんだろう?

ふと、そんな疑問が出て色々調べて妄想して書きました。

オークスって競馬だと優駿牝馬って名前ですけどウマ娘だとどうなってるんですかね?


 

 

 

甘い…………甘すぎる。

 

たった一口それを口に含んだだけで、圧倒的で無慈悲な甘味の暴力がまるで征服王アレキサンダー大王の様に正常だった私の口内を余すことなく侵略し続け、一度でもその甘味を嚥下すれば…………飲み物でありながら飲み物というジャンルに真向から喧嘩を売っているとしか思えない水あめを彷彿とさせるその粘度が、しつこく私の喉へとへばりついて中々離れてはくれないのだ。

 

 

「うへぇぇぇえ…………やっぱり濃いめ多めで頼むんじゃなかったわぁ…………」

 

 

「だから言ったじゃんネイチャ。何時も通りで注文しといた方が良いって。」

 

 

「たまにはネイチャさんも冒険したかったんですよ~…………うへ、ライアン後でそっち少し頂戴。」

 

 

「ハイハイ少しだけね。」

 

 

僅かばかりの冒険心で普段頼まない注文をした私に、ライアンは呆れたように笑ってそう言葉を返してくれた。

 

本日は久方ぶりの完全オフの日。とは言っても学生だから毎週休みはあるんだけど、やっぱり皆学生でありながらもアスリートの卵。

休みの日でも午前中か午後のどっちかにトレーニングをしたり、もしくは図書室や自室で自主的に勉強したり…………

 

文句も言わずむしろ自分達から進んで生き生きとトレーニングしている彼女達を見ていると、私も頑張るぞ!って感じで凄くやる気を貰えるのだ。

 

とまぁそんな感じで私としてもトレーニングと共にトレーナーの勉強を頑張っている訳だけど、流石にたまには休息で完全オフの日も欲しい。

そんな時にライアンに一緒に買い物に行かないかと誘われたので、私はこれ幸いとライアンと共に久方ぶりの完全オフを満喫する事にしたのである。

 

 

「それにしても珍しいね?ネイチャって何時もはちみーは薄め普通位でしょ?何でまた今日は濃いめ多めなんて注文したのさ。」

 

 

「いや、本当にたまにはネイチャさんも冒険したかったってだけ。新商品とか見るとついつい味が気になって買っちゃう系…………みたいな感じ?」

 

 

「あぁ…………何となく分かるかも。美味しくなってリニューアルとか書かれてるとちょっと気になるし。」

 

 

「そうそう、そんな感じでつい多め濃いめのが目に入っちゃってさ。どんな味なんだろうって気になって…………今回は選択ミスだったけど。」

 

 

あはは~と私は苦笑いを浮かべながら、ずっしりと存在感を放つはちみー…………はちみつドリンクの重量感に少しだけ辟易する。

ライアンも言った通り、私も上陸…………外出した際にはつい買ってしまうくらいにははちみーを飲んでいるのだけど、普段は薄め普通の軽い注文で満足していた私はついついテイオー…………原作ではライバルだったトウカイテイオーが好物だった濃いめ多めを興味半分で注文してしまったのだ。

 

結果はご覧の通り。私は多分、この濃いめ多めという注文を一生頼むことは無いだろうと確信する位には絶賛後悔中な訳である。

しかもこの注文、これ1つで平均的なウマ娘1回分の摂取カロリーと同程度という化け物ドリンクである。こんなのを常飲しているテイオーは大丈夫なのだろうか。未だ会った事も無い原作の主人公(ライバル)を軽く心配しながらも、私は私でこの味覚の暴力をどうしようか頭を悩ませてしまう。

 

 

「ネイチャ、この後どうする?私は新しく出来たウマ娘用スポーツ用品店に行ってみたいんだけどさ。」

 

 

「あぁ、確か大通りに新しく出来たお店?ライアン何か買うの?」

 

 

「最近新しいウマ娘用のプロテインが発売されたらしいんだよね。今までのはあんまり合わなかったし今回のはどうなのかなって思ってさ。」

 

 

「そういえば言ってたね。前に買ったのも美味しくなかったんだっけ?」

 

 

「うん。普段から飲む物だからやっぱり味も大事にしたいしさ。でも結構プロテインって荷物になるし、他にも買うかもしれないからネイチャの予定次第では後から行こうかなって思ったんだよね。」

 

 

そう言って朗らかに笑うライアンに私もさっきまでの後悔を忘れて笑顔を向けた。折角の休日なんだし、私も取りあえず一旦は甘味の暴力的を忘れて楽しむ事にしよう。

 

 

「だったら私もそこのお店に行こうかな。最近のスポーツ用品店って筋トレの本とかも置いてるらしいし、トレーニングの参考になるかも。」

 

 

「じゃ、のんびり行こっか!」

 

 

「あら意外…………ライアンなら走って行くって言いそうなのに。」

 

 

「もうネイチャ!流石にお休みの日まで走らないって!今日は筋肉を休める日なの。」

 

 

「あはは~知ってる知ってる…………スズカなら走るか…………」

 

 

「ああ…………たしかにスズカなら走って行きそう。」

 

 

苦笑しながら走って行きそうと言ったけど、ライアンは知らない。実は先週同じ様に私がエアグルーヴと共にスズカと外出した際に本当にスズカが走り出した事を…………

 

お陰で今日、スズカはエアグルーヴの監視の下で外出中。いつの間にか走る事が目的にすり替わってそうなスズカを御せるのはエアグルーヴしか居ないのだ。

 

 

「それじゃ行きますか~」

 

 

「おー!」

 

 

「…………っと、その前に一服一服っと。」

 

 

「って、ちょっとぉ…………」

 

 

そういった私にまるでコントの様に滑る真似をしつつ答えてくれるライアン。実は今日まだ1本も吸ってなかったから落ち着かないんだよね。

 

前までは寝起きにベランダで1本っていうのがルーティーンだったんだけど、寮長のモンテプリンスさんに怒られちゃってさ。アロマシガーは医薬品だし副流煙とか体に害があるシロモノでもないけど、やっぱり世間体というか周りへの配慮から寮では吸うなと言われた。

 

確かに、私の友人や知り合いは私が煙草では無くアロマシガーという医薬品を吸っている事は知っているけども、他の私と面識の無いウマ娘達やトレーナー、教師や教官方から見れば私は煙草を吸っている不良問題児という風にも見られかねない。

 

仕方が無いので、最近は朝と夜の寝る前に校内の喫煙所まで散歩がてら歩いてアロマシガーを吸いに行くというルーティーンに変えたのだけど、今日はライアンと外出するという事もあって残念ながら準備で吸えてなかったのだ。

 

 

「じゃあ、あそこのコンビニで1本吸ってから行こうか。」

 

 

「ごめんね。直ぐすむからさ。」

 

 

ライアンが示す先にあるのは何処にでもあるコンビニ。そこの喫煙所でアロマシガーを吸ってから私たちは買い物に行く事にした。

 

 

「そういえばさ。」

 

 

「何、ライアン?」

 

 

「ネイチャはトレーナー志望なんでしょ?」

 

 

「そうだけど?」

 

 

改めて私の夢について尋ねて来たライアンに少し疑問に思いながらも、私はライアンの問いかけに肯定した。

 

 

「いや、昨日歴史の授業受けてて思ったんだけど…………歴史の授業ってURAより前のレースの歴史って全然出て来ないなって思ってさ。トレーナー志望のネイチャなら少しくらい知ってるかなって。」

 

 

「ほうほう…………ライアンさんはレースの歴史に興味がおありのようですなぁ。」

 

 

「もぅ、何その言い方…………まあでもそんな感じかも。おばあ様の現役時代のお話は聞いた事あるけど小さい頃だったからあんまり覚えて無いし。」

 

 

顎に手を当てて思い出そうとしているライアンの言葉に、私は少しだけなるほどなぁと納得する事が出来た。

ライアンがURAよりも前の歴史について知りたいと思った切っ掛けには、ライアンの言うおばあ様のお話があるのだろう。

 

 

「いいよ。ではこのナイスネイチャ先生がライアンに教えて進ぜよう。」

 

 

「ナイスネイチャ先生よろしくお願いしまーす。」

 

 

私のおふざけにライアンも乗っかってきて、2人で笑いながらコンビニまで歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、何処から聞きたい?最初っから?それともURAになる少し前から?」

 

 

「ん~…………じゃあ最初っからお願い。」

 

 

「分かった。ちょっと待ってね。」

 

 

コンビニの喫煙所に着いた私はライアンにそう聞くとライアンは少し悩んでから最初から…………つまりウマ娘のレースの始まりからお願いして来たので、私はちょっと待ってねと言っていそいそと懐からアロマシガーを取り出した。

仄かにバニラの香りが漂う箱の中から1本を私はつまみ出すとそのままフィルター部分を口に咥えて沖野さんのジッポライターを取り出すと、親指でカバーをピンっと弾き開いた。すり減ったフリントの所為で中々火が付かず何度か試して、漸く火をアロマシガーへと付ける事が出来た。

 

今度新しいフリントを付け直さなきゃなぁと内心思いながら、軽く一息吸いつつジッポライターを懐へと戻す。マナーとして隣に居るライアンとは反対方向へと白煙を吐き出しながら、私は今か今かと待ちわびているライアンへと口を開いた。

 

 

「とはいってもね。ウマ娘のレース…………今私やライアンが目標にしているトゥインクルシリーズや地方のローカルシリーズみたいな洋式レース、近代レースって実は海外ほど歴史が深い訳でも無いんだよね。」

 

 

「そうなの?でもウマ娘だし昔から走ってたんじゃないの?」

 

 

「祭典競バって言って、1~2人で直線数百mを走ったり、走りながら的に向かって弓を射ったりする一種の奉納祭みたいなものだった訳。多分アイビスサマーダッシュとかを想像すると分かりやすいかもね。だから本格的なレース場は外国から本格的な洋式レースが持ち込まれてからになるね。」

 

 

チリチリと少しずつ燃えるアロマシガーを眺めながら、私はライアンに対して私達が走るトゥインクルシリーズを含めた日本の洋式レースの成り立ちを話す。

 

 

「日本で洋式レースが始まったのは江戸時代末期の1860年。所謂幕末と呼ばれた時代に横浜市で開催されたのが現存資料で確認可能な最古の洋式レースかな。」

 

 

「あれ?思ったより古いんだね…………で、なんで横浜なの?」

 

 

「その時日本は鎖国を止めて、1858年の日米修好通商条約をはじめとして英国、フランス、ロシア、オランダと修好条約を締結したでしょ?横浜は外国人居留地があったからそこで外国人ウマ娘向けにレースが出来るようにしたんだよ。」

 

 

「へぇ~そうなんだ。」

 

 

「他にも函館、長崎、新潟、兵庫なんかも外国人居留地になっているけどそこでもレースがされていたのかは資料が無いからわかんないだって。」

 

 

「でも、聞いた感じそれって日本だけど外国人向けのレースって事だよね?」

 

 

「そう。1865年には日本のウマ娘を招待した招待競バも開催されたけど、やっぱりこれも運営主体は外国人。そもそも日本に洋式レースの運営知識なんてないから仕方ないんだけどね。」

 

 

史実ではこの招待競馬に参加したのは武士だったけど、この世界ではどうやら一般ウマ娘から公募して募ったらしい。全く知らないレース形式で、しかも外国のウマ娘相手のレースなのに全国からかなりの応募者があったらしいからやはりウマ娘というのはいつの時代も変わらないんだなぁと、この事を調べた時に私はそう思ってしまった。

 

 

「そんで1870年に東京・九段の東京招魂社…………今の靖国神社で1周500間、1間約1.81mだから大体約900mの楕円形の競バ場が作られてこれが日本人の運営による国内初の洋式競バが開催されたの。」

 

 

「招待とはいえ5年で自国で出来るようになったなんてすごいね。」

 

 

「日本が明治政府になって急速に近代化に乗り出していた時期だからね。少しでも海外に追いつきたかったんだと思うよ。」

 

 

「というか、ねえネイチャ。さっきから競バって言ってるけど何それ?」

 

 

「昔はレースじゃなくて競バ、レースで走るウマ娘の事を競争バって呼んでたの。因みにこの呼び方自体は第二次世界大戦後まであって、レースとかトレーナーって英語で呼び始めたのはURAが出来て本格的に海外のレースを目指すようになってからだね。」

 

 

「そうなんだ…………全然授業じゃ習わないから知らなかった。」

 

 

確かに、実際レースの授業なんて開催されているレースの種類とかレース規約とか…………テスト対策や競技者として知っておかなければならない事、その辺が大半でレースの歴史なんて殆ど授業では習わないからライアンや他のウマ娘達が知らないのも仕方ないのかもしれない。

 

一息ついて、私は話す事に意識を割き過ぎて殆ど吸えず根元まで燃え尽きてしまったアロマシガーを煙缶の中へと捨てて、ゆっくりと新しく1本に火を付けた。殆ど吸えなかったんだからもう1本くらい許してよライアン。

 

 

「関係ない所は飛ばして、本格的に今のURAの源流になったのは1954年にそれまでは国営としてやっていた競バを民営化した日本中央競バ会っていう組織だね。此処からいわゆる中央競バ…………多分ライアンのおばあ様が走っていた八大競争とかになるんだけど…………大丈夫?」

 

 

「大丈夫、全然ついていけてるから続けてよ。」

 

 

「分かった。八大競争は桜花賞、皐月賞、オークス、東京優駿、菊花賞の五大競争にシニア期…………この頃は古バって呼ばれてたけど、天皇賞春と秋、それに有マ記念の3つを含めた8つの重賞の事を言うんだけど、当時の雑誌とかでは宝塚記念とかジャパンカップ、エリザベス女王杯とかも含めて十一大競争と書いてる雑誌もあるみたい。」

 

 

「八大競争は確かにおばあ様から聞いた事あるかも…………あれ?でもティアラ路線の秋華賞は無いんだね?」

 

 

「うん、秋華賞が出来たのは1996年だからこの頃はまだ無いんだよね。」

 

 

「そうなんだ…………意外だなあ。」

 

 

「そして、1984年に日本国内の開催レースの国際化を目指して日本中央競バ会は国営から続く旧体制を一新、各種用語を海外でも通じる様に幾つかの用語を横文字化したり、更には開催レースに国際グレード制を導入したりしたの。それがUma-musume Racing Association…………今私達が走ろうと目指しているURAになるって訳。」

 

 

「そうだったんだ…………でもさネイチャ、グレード制ってあのGⅠとかGⅡの事だよね?そんな簡単に海外で認められるの?」

 

 

「ライアンさんや、そんな簡単に出来たら苦労しないでしょうが。

まあ、此処からは多分今後の授業でも出てくると思うんだけど、URAも最初は独自グレードのJpnⅠとかJpnⅡっていうグレードから導入して、少しずつ段階的に国際グレードのGⅠ、GⅡとかにレースを昇格させていったんだよ。」

 

 

「そっか…………そうなんだね。」

 

 

私が掻い摘んで話し終えた時、感慨深そうにライアンはそう言葉を漏らした。もしかして、ライアンが話していたおばあ様の頃を想像でもしているのだろうか。

 

 

(まあ、私の雑な説明でもライアン的には十分だったのならそれでいいかな。私としてもこれ以上上手く説明出来る自信なんて無かったし、これでライアンが満足してくれて良かった。)

 

 

私はそんな事を思いながら咥えていたアロマシガーを煙缶へと近づけて、溜まった灰をトントンと中へと落とした。

そうしている間に、長く話してしまって乾いてしまった口を潤す為にと持ったままだったはちみーを仕方なく飲むけど、案の定粘度の高い液体は余計に喉が乾かすだけで思わず顔を顰めてしまった。

 

 

「さてさてライアンさんや、私の話に満足してくれたのならそろそろ目的地に行きましょうかね?」

 

 

「そうだね…………っていうかネイチャしれっと2本目吸ってたでしょ!1本だけって言ってたのに!」

 

 

ゆらゆらと白煙を口元から吐き出しながらそう言った私の言葉に、ライアンはちょっとだけむっとしながら私に言い返した。

 

ごめんごめんと笑いながら私はライアンに謝って、ライアンも仕方ないなあと笑い返して。

そんな何とも締まらない感じだけど、そろそろ行くかなあと私は残り少なくなったアロマシガーを煙缶へと擦り消した。

 

 

「それじゃ、時間は有限お目当ての商品も有限…………行こうかライアン。」

 

 

「ハイハイ…………ネイチャの喫煙癖には困ったものだよホントにさ。」

 

 

「なんなら今度ライアンもアロマシガー吸ってみる?」

 

 

「遠慮しとくよ。警察に勘違いされたくないもん。」

 

 

「……それは言わないでよライアン。私も補導されないか心配なんだからさあ。」

 

 

そんな掛け合いをライアンとしながら、私は重たいお荷物(はちみー)を持ってお目当てのお店へと歩いて行くのだった。

もっとも、まさかライアンがひたすらプロテインで悩んでいる間に吸い溜めしようと私が一服している所で本当に警察に補導されるとはこの時の私は全く想像していなかった訳だけど…………

 

念の為に、きちんと警察さんの誤解は解けたとだけは言っておく。

…………相手がウマ娘の婦警さんで良かった。

 

 

 





色々書いていて、いやトレセンの敷地外でアロマシガー吸ってたらそりゃ未成年喫煙と勘違いされて補導受けるよなぁって思って急きょ付け足したので纏まり悪いかも?

どうだろ?いいのかなぁこれ…………


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第32話



多分3回くらい全消去して書き直してたのと、猫ダニ?ノミ?に両足ズタボロにされて治療してたら遅くなりました。





 

 

『ホウヨウボザッ…イが来た!また内か……ンテプリンス!

そしザザッ……!最ウチからアンバーシャダイ!アンバーシャダイがザッ…と最後のスパートをかけ……く!

アンバーシャダイ!外……っ込んで来たのはオペッザッ…!ダービザッ…バのオペック!

モン…プリンスも来た!ホウヨウボーイも粘る!ザザッ

しかし1着はアンバーシャダイ!アンバーシャダイが優勝です!

アンバー(琥珀)に包まれ秘められていた熱……想いがこのザザッ…の中山で見事に前年の覇者ホウヨウボーイに差をつけましたアンバーシャザッ…。これがG1初制覇です!2着は惜しくも連……ならずのホウヨウボーイ、3着にはモンテプリンス…………』

 

 

 

 

つけっぱなしの安物のラジオから垂れ流される雑音混じりのレース実況が、寒空の下でのんびりと横になっている私の耳へと聞こえてくる。

 

12月の身を切るような冷たい風がトレーニングして幾分か経っているにも関わらず未だ火照ったままの私の体から余分な熱を奪い去る様に荒々しくも優しく撫でていく。

 

今日は下半期の総決算、誰もが走る事を羨む夢のグランプリ有マ記念。その開催日。

 

冬休みに入ったトレセン学園では実家に帰省する娘、トレセン学園に残ってトレーニングに励む娘、そして各種冬のレースに出走する娘。様々な娘達が居るけど、多分今日はどの選択肢を取っていてもきっと殆どの娘が有マ記念を見ているはずだろう。

 

現地に応援しに行く娘、テレビに齧り付いて見つめる娘、手が離せない場合は私の様にラジオで聞いている娘も居るかもしれない。

 

 

(いやまぁ、私の場合はトレーニング中のBGM代わりだったんだけどね。)

 

 

そんな事を内心1人ごちながら、雑音が酷くなり始めたラジオの電源を切って私はゆっくりと上半身を起こした。

 

冬休みという事もあってライアンにエアグルーヴ、スズカにフラッシュといった同学年の私の友人達は全員実家へと帰省しちゃっていて既にトレセン学園には居ない。同室のルドルフ先輩からは夏休み同様ルドルフ先輩の実家に遊びに来ないかとお誘いを頂いたけど、やはり年末年始はルドルフ先輩も家族でゆっくりして貰いたいとルドルフ先輩のお誘いを丁重にお断りさせて頂いた。

 

なおルドルフ先輩からは今回は少なくとも年明けの挨拶以外でシリウスが来ることは無いと何とも的外れで熱いプッシュを貰ったけども、別に私とシリウスは仲が悪い訳では無いんですよルドルフ先輩。年越し位家族でのんびり過ごして欲しいだけですから…………

 

というか私も年末年始は実家に帰るので無理ですよ。そう私が付け加えると寂しそうに『…………そうか』と呟いたルドルフ先輩に私は少しだけ罪悪感を感じたのは内緒の話。

 

 

 

話を戻して(閑話休題)

 

 

という事で、冬休みから今日まで寮はおろかトレセン学園内においても私の周りには誰も知り合いが居ない状態が続いている訳でして。今日だって本当は食堂で有マ記念を見てみようかなとも思ったんだけどね…………

 

観戦しようにも部屋にはテレビなんて無いし、唯一ある食堂ではテレビで有マ記念を見たいウマ娘達が大勢テレビに齧り付くように集まっていて、知り合いも居ないあの中にポツンとぼっちで入るのは私の精神的に居心地が悪い。

 

しゃあなしに、抜け出すようにトレセン学園から外出した私は手持ちぶさたでトレーニングするかとランニングがてら近くの河川敷まで走って来て、休憩がてら有マ記念のラジオを聴いていたのが今の現状って訳なのですよ。

 

 

「さてと……これからどうしましょうかねぇ……」

 

 

上を見上げ、ぽけ~と透き通る様な空を眺めながら私はそう呟いた。

 

抜け出すようにトレセン学園から出て来たので、私は河川敷でどんなトレーニングをするのかなど全く考えていなかった。一応、いつも通り普段準備しているトレーニング道具や終わった後のケア用品は持って来ているけれども…………何というかやる気が湧かないのである。

 

これからどうしようか、トレーニングするにしても惰性じゃ身にならないしなぁと河川敷の土手に座りながらウ~ンウ~ンと頭を悩ませている私の姿ははた目からしたら何とも滑稽なモノに映ったかもしれない。もっとも、脳みそのリソースをこの後どうするかに振っていた私にはその事に気づくはずも無く、我ながらなんともズブい事である。

 

 

「…………寒っ!」

 

 

風はそこまで強く吹いている訳では無い。けれどもトレーニングによって火照っていた体が冷えていく感覚と共に、汗で湿気っていたジャージの不快感と身を切るような冷たさが同時にやってきて思わず私は堂々巡りに陥っていた思考を放り投げてそう口を開いてしまった。

 

 

「ぬぅ……しょうがない…………トレーニングは止めにして今日はあそこにでも行くとしますかぁ。」

 

 

恐らく未だ有マ記念の熱で盛り上がっているであろうトレセン学園に戻るのも億劫だったし、なによりやる気が無く集中力を欠いたトレーニングではしょうもない怪我をする可能性もある。

 

私は重い腰を持ち上げる様に、ゆっくりと立ち上がってからそう呟いた。

 

隣に放り出していた結局使うことの無かったトレーニング用品の入ったバッグを手に取って、空いた手でジャージに付いた土や葉っぱを軽く払って私は目的地へと歩き始める。枯草を踏んで土手を上り、川沿いのアスファルトの歩道を小石を蹴りながらゆっくりと歩を進めて行く。急ぐことはしない。なんなら鼻歌でも歌いながら行こうかなとすら思ってしまう。

 

 

のんびり行こう。目的地は直ぐ近くなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おうネイちゃんじゃねぇか!今日はどうした?肉なら今日は鳥が安いぞ!」

 

 

「やだねぇあんた。いきなり大声出したらネイちゃんがびっくりするじゃないか。」

 

 

十数分ほど歩いて目的地に着いた途端、いきなり大声で私を呼ばれたのでびっくりしてしまい肩をビクつかせてしまった。

声のした方に振り向けば、私に声を掛けて来たのは清潔そうな服に年季の入ったエプロンを身に付け笑顔を見せる初老のおっちゃんと奥さんの2人だった。

 

 

「あ~おっちゃんごめんね。明日実家に帰るから挨拶だけで今日は何も買わないんだよね。」

 

 

「そうかいそうかい!何、ネイちゃんが来てくれるだけでおっちゃん達商店街の皆も嬉しいさ!」

 

 

思わず頬を指で搔きながら話しかけて来たおっちゃんに謝ると、ガハハッと豪快に笑いながらそうおっちゃんは私に返してくれた。これには私もおばちゃんも思わず苦笑してしまう。

 

そう…………ここが私が来たかった目的地、トレセン学園近くの商店街。アプリのストーリーで温泉招待券が当たるイベントが発生するあの商店街と言えば分かりやすいかな。

 

もっとも、商店街(ここ)を最初に私が見つけたのは全くの偶然なんだけどね。

 

確かライアンと知り合う前だから梅雨入り前くらいの時期だったかな?別に探していた訳じゃなくて、トレーニングの息抜きに外出した時たまたま見つけたんだよね。

明日は何のトレーニングをしようか? どんなトレーニングが効率が良いんだろうか? とか、そんな事を考えていた時にふと地元の商店街と同じ様な……何処か懐かしい雰囲気を感じて思わずふらっと寄ってみたらこの商店街へとたどり着いた。

 

この商店街は駅前とは離れた通り道にあって駅近くのショッピングモールとかを利用する最近のトレセン学園のウマ娘はあんまり商店街側には来ないらしく、ふらっとやって来た私を珍しく思って商店街の入り口近くでお肉屋さんをやっているおっちゃんが今みたいに大きな声で私に話してくれたのを憶えている。

 

 

「そうだネイちゃん! 丁度さっき良い具合にコロッケが揚がったんだ。その恰好だとネイちゃん運動して来たんだろう? ほら熱いうちに食べていきな!」

 

 

「ちょ!?私今お財布持ってきてないんですけど!」

 

 

「良いから良いから!ほれ。」

 

 

「あっつ!?おっちゃん熱過ぎ!いくら何でも揚げたて過ぎるってコレ!」

 

 

そう笑いながら、おっちゃんはコロッケを私の方へ軽く投げ渡してくる。思わず受けとってしまったけど、おっちゃんが言っていた通り揚げたてなのかこんがりキツネ色に揚がった熱々のコロッケは寒さで少しかじかんでいた私の手を急速に温めてくれる…………訳も無く。

熱々のコロッケは私の手を温めてくれる処か火傷しそうなほど熱く、私はお手玉をする様にコロッケをぽんぽんと忙しなく右手と左手を行ったり来たりさせるしかなかった。

 

 

 

「ガハハハッ!コロッケは熱々の内に食うのが美味いんじゃねぇか!な?美味いだろ?」

 

 

「ぐ…………美味しいけどさ。」

 

 

「ならいいじゃねぇか!なあネイちゃん!」

 

 

「もぅ…………アリガトウゴザイマス。」

 

 

ほんのちょっとの恨み節はあるけども、それでもおっちゃんの好意に対してお礼を言ってコロッケを口にした。

 

悔しいけど…………一度おっちゃんがくれた熱々のコロッケを口へと運べば、ひと噛みするごとに感じるこんがり揚がった衣のサクサクとした食感とホクホクとしたジャガイモと牛肉の旨味が口の中にじゅわ~と広がって嚥下するたびに幸福感というかほっとする味わいがゆっくりと体を満たしていく。

口の中が空っぽになれば思わず再びコロッケにかぶりついてしまうくらいにはおっちゃんのコロッケは美味しいのだ。

 

レストランで出される品の良いコロッケとは違う、大きさもちょっと不揃いでゴツゴツとしているおっちゃんのコロッケは身近故の何度でも食べたい美味しさがあった。

 

こんな感じでおっちゃん含めこの商店街の人達は私が来るたんびにこんな感じでコロッケやら唐揚げやら食べ物や飲み物を渡してくる。お金を払おうとしても『子供が遠慮するんじゃない』って言って受け取ってくれないし…………

そんな処が地元の商店街と重なってしまって、私は懐かしさでついつい何度も足を運んでしまってすっかりおっちゃん達と顔なじみになってしまったのだけど。

 

 

「あらあらネイちゃんったら、ほら口に食べカスがついてるわよ。」

 

 

「ゔ…………って、おばちゃん私も中学生なんだから言ってくれれば自分で出来るって!」

 

 

あらあら~と微笑ながら、ハンカチで私の口周りを吹いて来るおばちゃんに私は思わず恥ずかしくなってそう叫んでしまった。たぶん少し顔も赤くなっていたかもしれない。

 

 

「そうよねぇ。ネイちゃんも中学生だから流石に恥ずかしいわよね。ごめんねぇネイちゃん?」

 

 

「いや…………ではないけどさ。ありがとう、おばちゃん。」

 

 

モゴモゴとおばちゃんにそう私が返すと、ちゃんとお礼を言えて偉いわねぇとおばちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。おばちゃんに褒められて嬉しいけど、子供扱いはやっぱり恥ずかしい。

中身はいい年したおっさんなので何とも複雑な感情が湧いて出るけども、私はこの感情は嫌いでは無かった。

 

ナイスネイチャの記憶に残っている地元の商店街もこんな感じだったなぁと、知り合って1年も経っていないはずのこの商店街の皆に思わずそうやって重ねてしまう位には、私はこの商店街がいつの間にか好きになっていた。

 

 

「ネイちゃんデビューする時は言ってくれよな!商店街の皆で店閉めて応援に行くからよ!」

 

 

「デビューっておっちゃんさぁ。私がデビューするのは高校生になってからだからまだまだ先の話だって。」

 

 

「でもトレセンには飛び級制度ってのがあるんだろ?ネイちゃんなら行けると思うんだがなぁ。」

 

 

「無理無理無理!私が飛び級なんて絶対に無理だっておっちゃん!」

 

 

「そ、そうなのか?ネイちゃんでも無理なんてやっぱトレセンってのはやっぱり凄いんだなぁ…………」

 

 

思わず全力否定した私に、おっちゃんは感心したようにそう呟いた。

そもそも飛び級制度自体トレセン学園入学時に既に本格化を終えていたり本格化が始まっているウマ娘が選考対象であり、生憎と私はまだ本格化を迎えていない。

たとえ迎えていたとしてもそこから更に書類選考や学力テストなどで選別され合格したウマ娘だけが許されるのだから、それこそルドルフ先輩やシリウスならともかく私なんかが合格出来るはずもない。

 

いや確かにシリウスには一度は勝ちましたよ?でもそれは状況が状況だっただけにあれを勝ったと誇れるとは言い辛いですし、私としてはやるならきちんとしたレースで本気のシリウスに勝ちたい訳でして。

 

 

「それに、もし飛び級出来たとしても私は多分断ると思うし。」

 

 

「ん?ネイちゃんは飛び級したく無いのかい?」

 

 

私の呟きに今度はおっちゃんではなくおばちゃんが返してきた。

 

 

「あ……いやね、折角ゆっくり時間をかけて学べる機会、鍛える時間があるんだからさ…………私的には急いでデビューするよりその時間を大切にしたいなぁなんて思う訳でして。」

 

 

「「………………」」

 

 

「あ、勿論デビューに向けて一生懸命頑張りますよ?でも、今しか出来ない事も一杯あるからさ。大人になってもっとああしていれば良かった。こうしていれば良かったって後悔したくないんだよね。」

 

 

食べ終わったコロッケの包み紙を弄りながら私はそう語った。この気持ちは多分ナイスネイチャよりも()の気持ちが強いんだと思う。

大人になってからあの時もっと勉強しておけば良かったとか、そんな後悔を色々として来た身としては()は私の夢の為に妥協はしたく無いのだ。

 

 

「あの~おっちゃん?おばちゃんも…………なんで黙ってるんですかね?何か言ってくれないと恥ずかしいんですけど。」

 

 

ずっと黙っている2人に私は思わずそう口にした。おばちゃんはニコニコと笑ってはいるが、おっちゃんにいたっては顔を俯かせて肩を震わせている。

 

顔を俯かせている為おっちゃんの表情を見ることは出来ない。もしかして、私は何かおっちゃん達の気に障る事でも言ってしまっただろうか?

 

 

「…………え…」

 

 

「え?」

 

 

「偉い!」

 

 

「は、はい?」

 

 

唐突に顔を上げたかと思えば、おっちゃんは大声で私へと叫ぶ様に声を上げた。

 

 

「ネイちゃんは偉い! まだ子供なのにそこまで考えられるなんてな! おっちゃんなんてネイちゃんくらいの頃は手伝いほっぽり出して遊ぶ事しか考えてなかったってのになぁ。」

 

 

「ウチの孫ももう高校生なのに遊び惚けてばかりだからねぇ…………誰に似たかわかりゃしないよ本当に。」

 

 

『ネイちゃんの1割でも頑張ってくれればねぇ』『何、男はそんなもんだ気にすんなばあさん』…………なんてしみじみと呟くおばちゃんと笑いながら少し乱暴に私の頭を撫でるおっちゃん。

 

 

「あぁもう髪が乱れるからやめてよおっちゃん!」

 

 

「ガハハハハッ!ごめんなネイちゃん!ほら、お詫びにもう1個コロッケあげるから許してくれ。」

 

 

グシャグシャになった髪を右手ですかしながら、おっちゃんが渡してきた2つ目のコロッケを空いている左手で受け取った。

 

 

「よぉし、ばあさん!今日は気分が良いから商店街の皆を集めてネイちゃんのお祝いをするぞ!」

 

 

「ちょいちょいちょい!?」

 

 

突拍子もなくそんな事を言いだすおっちゃんに、私は焦って止めにかかる。お祝いって一体なんのお祝いなんだ。そもそも祝われる事なんて何も無いししてもいないだけど!

 

 

「あらあらあら…………ネイちゃんは明日には帰省しちゃうらしいからそうねぇ……今日ぐらいは良いかしらねぇ。」

 

 

「おばちゃんもおっちゃんに乗らないで良いから! おっちゃんを止めるの手伝ってよ!」

 

 

言うやいなや、お店をほっぽり出して笑いながら同じ商店街の知り合いのお店に走って行くおっちゃん。私がおっちゃんを止めようとしてもおばちゃんまで『仕方ないわねぇ』と店じまいを始めてしまい、残念ながら今この場においてこの大暴走を止めてくれる人は居ない。

 

 

「あぁぁぁぁもう!おっちゃん、私門限までには帰るんだからねぇ!」

 

 

走り去って行くおっちゃんの背にそう声を掛けても、返って来るのは逞しい背中から現れるグッドサインだけ。

ドップラー効果の様にだんだん小さくなっていくおっちゃんの笑い声をBGMに、私は思わず深い溜息を吐いてしまった。

 

 

(もう…………そんな所まで地元と似なくても良いのにさぁ)

 

 

どうせなんだかんだ理由をつけては騒ぎたいだけだろうに。何故こうも地元の商店街と同じ様に私の事で騒ぎ出すのか本当に訳が分からない。

 

結局、この後は肉屋のおっちゃんの呼びかけに集まった商店街のおっちゃんおばちゃん達にもみくちゃにされてしまった私がトレセン学園に帰れたのは門限ギリギリになった頃。

有マ記念で不在のモンテプリンスさんの代わりに寮長代理をやっていたテンポイントさんに少しだけ事の経緯を愚痴半分で言ってしまい私とテンポイントさん、2人で笑い合ったのは商店街の皆には秘密にしておこう。

 

 

けど。

 

 

(まあ、楽しかったのは本当だし今度お礼言わないとね…………)

 

 

ルドルフ先輩の居ない少し広く感じる部屋の中で、自分のベッドに横になりながら私はそう心の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日談といいますか、翌日に帰省して地元の商店街に着いた私は地元商店街のおっちゃん達についついこの事を話してしまい、張り合うかの様に地元のおっちゃんおばちゃん達が宴会を始めてしまった。

 

 

…………正直言って勘弁して欲しかった。

 

 

 








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第33話



遅くなってしまい申し訳ありません。

最初は5千文字程度で描き終わる予定がどんどんずれて初めて1万文字を超えてしまいました。




 

 

緑が芽吹き花は歌う新たな生命の始まりの季節。それが春。

力強く繁る芝の青臭い臭いと、その中で微かに香る花々の甘い香り。ひらひらと舞い落ちる桜の花びらが美しく舞い落ちる光景は何故か無性に心に響いて行く。

 

暖かな風が肌を優しく撫で、太陽から降り注ぐ光はこの地に新たに踏み入れた新入生という登山者達に祝福を送る様に明るくキラキラと降り注いでいる。

 

場所はトレセン学園の女神像前の広場。前世の記憶を思い出した丁度1年前のあの時と同じこの場所で、私は…………

 

 

「いやぁ…………キラキラしてんねぇ。」

 

 

「はぁ?急に何言ってんだお前は?」

 

 

絶賛シリウスとベンチでお茶を嗜んでいる最中でございます。

 

私とシリウス2人仲良く並んでベンチへと座り、自販機で買ったペットボトルのお茶をニギニギと弄りながら、楽しそうにトレセン学園の敷地内を歩く今日入学して来たばかりのピチピチ新入生を眺めていた私が呟いた一言に、呆れた様子でシリウスが返してきた。

 

 

「てめぇも私も新入生(アイツら)と1年しか変わらん若人だろうが。」

 

 

「ではでは逆に聞きますけどもシリウスさんや。私やシリウスが新入生(あの娘)達みたいにキャッキャウフフが出来ますかな?」

 

 

「……………………無理だ。」

 

 

呆れた様子で言って来たシリウスに私がそう返すと、多分少しだけ想像したのだろうシリウスは少し顔を顰めて私の質問に短く返した。

 

 

「私もシリウスもあんなキャラじゃないしね。シリウスはどっちかって言えば王子様系だし…………だとしたら私は多分おばあちゃん系かなぁ」

 

 

「王子様かどうかは兎も角、お前のは絶対違うだろ?」

 

 

「そう?縁側でお茶飲んでるのが似合ってたりしない?」

 

 

「あの日のお前を知る身としちゃ、どっちかと言えばお前はアフガン帰りのロシアンマフィアだな。」

 

 

クックックと小さく笑いながらそう返すシリウスに『ひどっ!』と返しつつも、シリウスと同じ様に笑いながら私は再び楽しそうに歩いて行く新入生へと視線を向けた。

 

漸くスタートラインに立って、明日への希望、夢への情熱を宿す彼女達は何といいますかこう…………キラキラと輝いて見える訳でして。

例えるならばじれったいラブコメ物の青春ライトノベルを読んでいる時の様な、たまたま通りかかった公園で小さな子供達が笑顔で遊び回っているのを見てしまった時の様な、微笑ましさと懐かしさと…………ちょっぴりの羨ましさが混ざった様な何とも言えない感情が湧き出るのだ。

 

 

「…………眩しいのか?」

 

 

ぼ~と、お茶を飲みながら新入生を見ていた私にシリウスはそう語り掛けて来た。

 

 

「そうだね。少しだけ羨ましいのかもしれない。」

 

 

未だトレーナー関係以外の交友関係、特に友人関係が狭い私には彼女達の様に大勢ではしゃぐ姿が少しだけ羨ましかったのかもしれない。

尤も、今の私に後悔なんて欠片も無い。私は私の夢と選択のお陰で今、掛け替えのない友人(ライバル)達や先輩達、沖野さん達先達から多くのモノを貰えているんだから。

 

 

「バカバカしい。」

 

 

「そう?」

 

 

私の言葉にシリウスは鼻で笑うようにそう吐き捨てた。

 

 

「羨ましい?憧れる?そんなのはレースという現実を理解する上で最も遠い感情さ。」

 

 

「ありゃ、シリウスさんは随分と手厳しい事で。」

 

 

「当たり前だ。別に原点はそれでも良いさ…………だがここは天下の中央トレセン学園だ。毎年数千、多いときじゃ万を超える競争ウマ娘が門を叩きに来るが門をくぐれるのはその数十分の一も行かない。」

 

 

ゴクゴクとペットボトルに残ったお茶を飲み干しながらシリウスは言葉を続ける。

 

 

「あそこに居る新入生共はそんな狭き門をくぐって此処に来た。名門の出か……はたまた地元で負け無しだった天才ウマ娘か……

 

ハッ!……お生憎様、このトレセン学園じゃ天才なんて箒で掃いてドブに捨てても釣り銭が来るぐらい在籍してるんだ。天才がモブに、主人公が脇役になってしまうこの厳しい世界で現実を見れず浮かれたままじゃこの先レースで生き残る事なんて出来やしない。」

 

 

「そう…………まるで去年のシリウスだね。」

 

 

「グッ…………それは言うな。」

 

 

ニヒルに笑いながら語るシリウスに思わずそう突っ込んだ私の言葉に、クルクルと空になったペットボトルを手で回していたシリウスは気まずそうにしていたが私は悪くないだろう。

 

 

「それでも、私はあの娘達にはあのままでいて欲しいかな。」

 

 

「なんだ?ナイスネイチャ様は将来の競争相手は少ない方が嬉しいのか?」

 

 

「バカなこと言わないでよシリウス。」

 

 

茶化すように相槌を打つシリウスにそう返しながら、私は静かに瞳を閉じた。

 

瞼の裏に思い写すのはあの日の問答。生徒会室にて私がテンポイントさんに夢を語ったあの日の記憶を確かめる様にゆっくりと。

 

 

「私の夢はトレーナーになって一番近くでウマ娘のキラキラとした瞬間を見る事。たとえ負けても、心が挫けても、絶望に膝を突いたとしても最後には立ち上がって夢を叶える。その支えになって夢を一緒に見ることが私の夢。」

 

 

「随分と甘っちょろいな。自分のレースはどうでもいいってか?」

 

 

「まさか!ライアンともエアグルーヴとも、スズカとだってフラッシュとだって全力で競いたい。競って競って競い合って、そして勝ちたい。勿論シリウス、あんたにだって勝つ。」

 

 

私の夢を聞いて少し不機嫌になりつつそう返して来たシリウスに、私はそうじゃないとハッキリと口に出した。

私だってウマ娘だ。テンポイントさんには最初夢の為なら三冠だって取ってみせるとか言ってしまったけど、今では夢の為とか関係無しにシリウス達と競いたい。重賞という大舞台で皆と勝負して、私自身もキラキラしたいという気持ちを自覚してしまったんだから。

 

ルドルフ先輩に発破をかけられたからとか、沖野さんのアドバイスとか、シリウスとの初対面時のレースとか…………いや、シリウスの時はぜってぇ負けてやんない。目を覚まさせてやるって変なスイッチが入っちゃった結果だけど。

 

まぁ切っ掛けなんて色々あるけれど、私がやる事なんて1年前のあの日から変わらないんだ。夢の為に、皆に勝ちたいから、後悔しない様に今を精一杯頑張るだけ。

 

 

「お前が私との勝負を忘れてないならそれでいいさ。全く…………ルドルフと似た甘っちょろい夢を持っているとは思わなかったがな。」

 

 

「『全てのウマ娘に幸福を』だっけ?」

 

 

「なんだ、ルドルフから聞いていたのか。」

 

 

ホントは前世から知ってます…………なんて言えるはずも無く。ルドルフ先輩から聞いたのも実際本当の事なので私は初日にルドルフ先輩から聞いたとシリウスに返答した。

私の返答を聞いたシリウスは深々と溜息を吐いて、溜まっていたモノを吐き出す様に口を開いた。

 

 

「アイツが言う全てのウマ娘に幸福をなんて甘ったれた幻想なんて聞き飽きてるんだ。そもそもだ、ルドルフのヤツが語る『全て』ってどこまでを指すんだ?

 

チームの仲間『全員』か?

 

トレセン学園に通う生徒『全員』か?

 

レースを走る競争ウマ娘『全員』か?

 

それとも文字通り世界中で生活しているウマ娘『全員』か?

 

だとしたら大言壮語はなはだしい。さっきも言ったが此処に入学出来た時点で他の誰かを蹴落として来ているんだ。

レースで走るという事は1着の栄冠を掴むウマ娘が居る一方で強者の後ろで挫折し膝を折るウマ娘が居る。

トレーナーが付いてデビューするウマ娘が居れば、他者との実力差に絶望してデビュー前に去るウマ娘が居る。

 

ほら見ろ?トレセン学園内だけでもレースという弱肉強食の世界において全員が平等に不平等なのさ。誰かが幸福を掴み取れば、その他の誰かが不幸を掴まされるそんな世界で『全てのウマ娘に幸福を』なんて根本から成り立つはずがねぇんだよ。」

 

 

呆れたようにそう捲し立てたシリウスは持っていた空のペットボトルを空へと放り投げた。綺麗な放物線を描いて落ちる先にあるのは金属製のゴミ箱。

ご丁寧にペットボトル専用のごみ箱に良い音を響かせながら入ったペットボトルを一瞥してシリウスは少しだけ満足そうに息を吐いた。

 

 

シンボリルドルフ(アイツ)はその現実が見えてねぇ…………いや、もしかしたら分かった上でやっているのかもしれねぇが、どっちにしても最後にアイツが手に入れるのはアイツが無くしたかったはずの不幸だけさ。」

 

 

そっと、肩に舞い落ちた桜の花びらを摘まんだシリウスはその花びらを太陽に透かすように空へと掲げた。

太陽から降り注ぐ温かな光が花びらを透かし、淡く儚い桜色の光へとその色を変えてシリウスへとその桜光を優しく降り注がせていた。

 

何処か遠くのナニカを見ている様なシリウスの瞳。彼女が花びらの向こう側に一体何を見ているのか。

それは私には分からなかったけど、何となく普段自身満々な性格のシリウスとは別の…………もう一つのシリウスの顔を見た気がした。

 

 

「シリウスってさ?」

 

 

「あん?」

 

 

「もしかしてルドルフ先輩の事が心配?」

 

 

「はあ?」

 

 

私が放った疑問の言葉に、シリウスは何言ってるんだコイツといわんばかりの顔をして私の方へと顔を向けた。

 

 

「私がアイツの事を心配してるだと?そんな事ある訳無いだろ。シンボリルドルフという存在は私が超える壁の一つであって、お手々握って仲良しこよしで過ごす仲じゃねえのはお前も知っているだろうが。」

 

 

摘まんでいた桜の花びらをひらひらと振りながらそう語るシリウス。だけど短いながらも彼女と親しい仲となれた私には、何となくだけどシリウスが私の疑問の言葉に対して照れているのが分かった。

 

上ずったかの様に少しだけ高くなった声のトーン。気づき難い程度に早くなった口調。そして何より木陰の所為で見え辛いけども僅かに淡く染まった頬。

 

 

(素直じゃないなぁ……)

 

 

シリウス本人は隠しきれてると思っているだろうけど、気づいている私からすれば思わずそう内心で吐露してしまう位には分かりやすかったと思う。

 

実際問題、私はシリウスはルドルフ先輩が好きだと思っている。勿論恋愛感情とかではなく親愛の情という意味でだけど。

 

それまで学園内でルドルフ先輩に顔を出したことすらなかったシリウスは夏休み以降、なんだかんだほぼ毎日ルドルフ先輩の所に顔を出す様になったらしい。私も毎日ルドルフ先輩と居る訳じゃないからホントかどうかは分からないけど、私とルドルフ先輩が一緒に居る時はなんだかんだシリウスは会いに来ているし、挑発気味にシリウスがルドルフ先輩に話している姿もどことなく楽しそうに見えるのだ。

 

ルドルフ先輩も昔の様にシリウスと話せるのは嬉しいと寮の部屋で私に話していたし、案外お互いに歳の近い兄弟姉妹の様な感覚なのかもしれない。

 

 

「まあでも、私…………シリウスの言いたい事も分かるよ。」

 

 

ゆっくりと私は視線をシリウスから空へと移した。私の視線の先にある透き通った空を流れる一筋の雲は、まるで私達の会話なんて関係ないとばかりにゆっくりと姿を変えながら風に乗って世界を巡っていく。

 

 

「言ってしまえばさシリウス。夢や目標なんて今あそこ()を流れている雲に私達が手を伸ばす様なものなんだと思う。」

 

 

そっと、右手を空へと向かわせながら私はそう口を開いた。

 

 

「どんなに手を伸ばしたって届かない。当たり前じゃない?だって遠いんだもの。どんなに届いてと叫んだって、腕が千切れるほど伸ばしたって届かない。今の私達じゃ何をしたって届く訳がない。」

 

 

空へと伸ばした手を引っ込めながら、私は視線だけシリウスへとやった。

 

 

「無茶無理無謀…………シリウスがそう言うのも分かるよ。ルドルフ先輩が目指す『全てのウマ娘に幸福を』って夢は本当に雲みたいに遠くて高い、道筋すらあるかも分からない朧気で曖昧な夢だもの。」

 

 

「そうさ。『全てのウマ娘』なんて不可能に決まってる。」

 

 

「でもねシリウス、それを決めるのは貴女じゃないんだ。それを言っていいのはその朧気で曖昧な、見えない先にどんな試練や苦難があるかも分からない道なき道を一歩でも脚を踏み出した人だけなんだよ。」

 

 

タンッ…………と、踏み出す部分を強調するように軽くローファーで石畳を叩いた私はそうシリウスへと言葉を紡いだ。

 

 

「諦めろ、無理に決まってる。夢に届く訳無い。そんな言葉を踏み出した事も無い他人が言ったってそれは頑張っている人に頑張ってって外野が応援するのと同じくらい無責任で無意味な言葉でしかない。

 

シリウス…………貴女の夢だってそうだよ?世界を獲るだなんて無茶だって、無謀だって何も知らない他人はきっと言うだろうね。」

 

 

「私の夢は無茶ではあっても無謀じゃねぇ。おばあ様…………スピードシンボリが世界の門を叩くことが出来た。私はその門を、おばあ様が開いたその道を最速で駆け抜けて行けば良いだけだ。」

 

 

私の言葉に少しだけ不満そうにそう返してきたシリウスに思わず苦笑を浮かべてしまった。やっぱり口では色々と言いつつもシリウスは身内には優しい。

 

それがシリウスの隠れた美点だろうと私は思う。普段の言葉遣いで勘違いされるけど、シリウスは一度自身の懐に入れた人間にはなんだかんだ言いつつ優しいのだ。甘い、のでは無く優しい。所謂厳しくする優しさの意味を理解しているタイプの人間。

 

シリウスシンボリというウマ娘の原点は、世界という夢への挑戦の始まりはきっとスピードシンボリの走りだったのだろう。スピードシンボリの様に世界で走りたい、スピードシンボリというウマ娘が開いてみせた世界への挑戦という道を無駄にしたくない。

 

何となく、私にはシリウスの言葉にはそんな思いがある様な気がした。…………勿論シリウス自身が言った訳じゃないから合っているかどうかも分からないんだけどね?

 

 

「そう言う事。外野がどんな事を言ったって本人からすればどうでもいいんだよ。ルドルフ先輩…………いや、シンボリルドルフの中では既にきちんと線引きされていて、覚悟ガンギマリで一歩脚を踏み出しているんだから。」

 

 

「じゃなんだ?お前はアイツが折れて膝を突くのを黙って見てろってのかよ。」

 

 

「まさか。」

 

 

苛立たし気に私の言葉にそう返したシリウスに私は肩を竦めながら短く返した。

 

 

「私もシリウスも、皆が皆違う夢を持ってる。誰かの為に、自分の為に、誇りの為に、栄誉の為に、もしかしたらお金の為にって娘も居るかもしれない。

 

皆が皆泥だらけで血反吐吐いて、傷だらけになりながらでもがむしゃらに十人十色で大小色んな夢を追いかけてる。でもさ、別に誰かの夢を一緒にしょい込んじゃっても良いんじゃない?夢は一つだけ、なんて決まりを誰かが決めた訳でも無いんだしさ。

 

 お互い違う夢だけど競い合いながら時には手を取り合って、膝を突きそうになったら尻を蹴っ飛ばしてでも奮い立たせて、何時か見える夢の果てを目指して走っていくその姿をライバルって言うんじゃないのかな。」

 

 

「ハッ!自分の夢を叶える為に努力しているのにその上他人の面倒を見ろだと?そもそもそんな奴らなんて居る訳ないだろうが。少なくとも私はごめんだね。」

 

 

吐き捨てる様に言葉を紡ぐシリウスに私は再び苦笑いを浮かべた。

 

既に先ほどまで居た新入生達は広場から離れ、今この場所に居るのは私とシリウスの2人だけ。新緑の若葉と散りゆく花びらが風に揺られながら楽し気に唄う中で、しばし無言を貫いた私とシリウスは唯々舞い落ちる花びらを眺めていた。

 

 

「そうだね。誰もが誰かの為に立ち上れる訳じゃない。どんなにカッコよかろうと、どんなに美しかろうと結局は自分の為。自分の心を満たすためのただの欲でしかない。」

 

 

「…………あぁ。」

 

 

「それでもここに1人は居る。」

 

 

「…………あぁ?」

 

 

怪訝な顔で私を見るシリウスに私は笑顔で答えた。

 

 

「私だって見てみたいんだよシリウス。『全てのウマ娘に幸福を』…………それを目指した先に一体何があるのか?どんな世界が広がっているのか?そんな夢の果てを考えてみるだけでワクワクしてこない?」

 

 

考えるだけで私の心がワクワクしているのが分かってしまう。一体どんな世界が広がっているのかな?

 

名門だろうが寒門だろうが、裕福だろうが貧乏だろうが関係なく実力を見てスカウトして貰える様な世界になっているかもしれない。

 

今の様に年齢でデビューするのではなく能力次第で先輩も後輩も、年上も年下も関係なくデビュー出来る様な世界になっているかもしれない。

 

地方と中央の壁が下がって中央から地方へ、地方から中央へと分け隔てなくレースに出走するウマ娘が出て来る様な世界になっているかもしれない。

 

 

「もしかしたら世界に挑戦しようとするウマ娘が毎年出てくるかもしれないね。フランスの凱旋門にアメリカのブリーダーズカップ。イギリスのKGVI&QESにオーストラリアのメルボルンカップ。それだけじゃない、ドイツにイタリアに香港にドバイ…………世界中の色んなレースに挑戦するウマ娘が増えるかもしれない。

挑戦する事すら出来なかった、無謀だと言われてきた事が未来では海外挑戦が当たり前の選択肢に、寧ろ相手国から是非来てくれって招待状が来るかもしれない。そんな世界を、あるかもしれない未来を私は想像するだけでワクワクしてくる訳ですよ。」

 

 

思わず自分の夢の様に語ってしまう私に、シリウスは何やら考える様な表情を浮かべている。シリウスもどんな可能性の世界が広がっているのか想像しているのかもしれない。

 

 

「シリウスの言ったスピードシンボリさんが開いた世界への挑戦という道。そしてこれから始まる世界の頂きを目指すシリウスの挑戦。その挑戦が終わった後にシリウスが走ったその道に『シリウス先輩に続け!』ってその道を続いて走ってくれる後輩がいるかもしれない。それって案外幸せな事じゃない?

 

1人で全員を幸せにするなんて確かに無謀だけど、そうやって自分の夢を追いかける中で誰か1人か2人でも幸せに出来たら、『何時かあの人に追いつくんだ』って目標にして貰えたら…………

誰かが誰かを、受け取った誰かがまた他の誰かに夢を、幸せを与えれたら何時か鼠算式に増えて行って『全てのウマ娘に幸福を』までは行かないけどそれに近い世界に出来るんじゃないかな?」

 

 

まぁ、結局の所私が語ったのは例の一つに過ぎないんだけどね。足を止め停滞して腐り落ちて行くのではなく、前へ前へと挑戦し続けられる、挑み続けれる幸せという一つの例を元にした話なだけ。

 

私がシリウスに話したそれが絶対に正しいという事では無い。幸せの基準なんて受け手によって変わってしまうのだから仕方ないのだ。色んな事にチャレンジする事に幸せを感じる人もいれば、何も変わらない平穏な毎日が幸せって人もいる。

 

 

「まぁ色々ごちゃごちゃと言っちゃったけど、結局の所私が言いたいのは1人では難しい夢だろうって事と誰かと共に歩めれば、たとえその可能性が那由他の彼方だろうと夢に近づけるって事。

 

その後の事はルドルフ先輩次第かな。人の幸せって言うのは求めれば求めるほど際限無く欲しちゃうから何処かで妥協しなきゃいけない。その妥協点をルドルフ先輩が見誤ればそれこそシリウスが言ったみたいに何処かで折れちゃうからその時こそ私やシリウスが止めるしかないかな。」

 

 

私はそう言ってシリウスに自分の考えの全てを話した。相も変わらず目を瞑り沈黙を貫くシリウスに少しだけ私は胸中に不安がよぎってしまった。

 

理解を得られただろうか…………はたまた話にならないとシリウスに切って捨てられるだろうか…………

 

まあ、どちらにしても私はシリウスの想いを否定しないし、その選択を尊重したいと思う。別に私は誰かに考えを強制したい訳でも押し付けたい訳でも無いから。

 

 

「お前の言いたい事は何となくだが分かった気がするが…………それでも私は私の考えを変えるつもりは無い。」

 

 

数分か、はたまた僅か数十秒だったかかもしれない。無言のでただ誰もいない広場を眺めていた私に、一言も発しなかったシリウスがそう口を開いた。

 

 

「幸せってのは自分でつかみ取るもんだ。少なくともレースの世界じゃ一緒に走る誰かを蹴落として一着を取らなきゃ掴めねぇ。『全てのウマ娘に幸福を』なんてレースを走るウマ娘相手じゃ絶対に叶わないのさ。」

 

 

「誰だってレースには一生懸命だもんね。ターフに立った時点で皆覚悟を決めて走ってる。」

 

 

「あぁ…………だがお前の話を聞いて少しだけ認識を変える必要がある事も分かった。」

 

 

「え?」

 

 

「レースの世界でも…………いや、レースの世界だからこそ夢と幸せはイコールにはならねえって事だ。」

 

 

ニヤリと少しだけニヒルに笑いながら、シリウスは思わず変な声を出した私にそう口を開いた。

 

 

「お前が口にしたのはレースの世界はレースの世界でも、ターフの外の話だ。結果と過程と言い換えてもいいかもな。」

 

 

「結果と過程…………」

 

 

思わずシリウスの言葉を私はかみ砕くように口にしてしまった。

 

分かる様なイマイチ良く分からない様な…………シリウスの言いたい事が完全に理解しきれず悶々とする私を後目に、シリウスはゴソゴソと自身のポケットから1つの箱を取り出した。

 

それは私と同じ銘柄のアロマシガーの箱。最近になって私と同じ様にこれを嗜む様になったシリウスが持っていること自体には既に違和感はないけれど、シリウスは遠慮なくその箱から1本取り出して遠慮なくマッチで火を着けてしまった。

 

おいここは禁煙だ。吸うならちゃんと喫煙所で吸えや…………なんて私が口を開こうとすればシリウスは何の遠慮も無く空いた私の口に吸いかけのアロマシガーを押し付けやがった。

 

 

「…………ちょっとシリウスさん。」

 

 

「誰も見てねぇよ。それに、これでもしバレちまっても共犯…………だろ?」

 

 

詫びれも無くそう返すシリウスに私は呆れてしまい…………というか、シリウスの問に対して難しい事を延々と考えていた私の茹った脳はついに思考を放棄してしまった。

 

諦めて一吸いすればアロマシガーの甘い香りが体を満たし、茹った脳を蕩けさせていく。

 

あぁぁぁぁぁぁシガーが脳に染みるわぁぁぁぁああああ…………

 

情けない声を胸中でさらけ出しながら私も一吸いしたシガーをシリウスへと返したのだけど、ためらいも無くシリウスは私が口を付けたシガーを咥えるのだから何というか…………凄く様になっていて将来デビューしたら夢女子増えそうだなコイツと思わずにはいられない。

 

…………というかウマだから夢女子じゃなくて夢牝馬になるのかな?いやどうでもいいんだけどさ。

 

 

「フゥー…………つまりは夢はレースの結果、幸せはその間のトレーニングや日常生活と言った過程と考えた方が良いって事だ。

 

夢の結果は結末に関わらず記録には残る。だがその過程だけはその時を過ごした奴にしか残らない記憶だ。」

 

 

「シリウスは中々詩人な事を言うねぇ~」

 

 

「茶化すなネイチャ!少なくともそうして別々に別けて考えた方がルドルフの夢もお前の考えについても私の中で一応の納得が出来るって事だ。」

 

 

ふぅ~っと紫煙を吐き、シリウスは自身が吐いて空へと昇って行く煙を眺めながらそう語った。

 

 

夢と幸せ(イコール)結果と過程(ノットイコール)、見た目は似てても中身は違う。複雑で乱雑で、答えなんて探したって見つからないもんだが、個人個人で解釈して自分なりの答えを仮定していく…………そうだろ?」

 

 

「そもそも基準なんて無いんだから仕方ないんじゃない?」

 

 

「あぁ…………だからこそ私は私の道を行く。もうルドルフの道を否定するつもりはねぇが、だからと言って私からルドルフに協力するつもりもねぇ。」

 

 

「良いんじゃないそれで?」

 

 

一吸いごとにシリウスは私とシガーを交換しながら吹かしていく。さっきまでのシリアスな雰囲気が少しずつ弛緩していくのを感じながら、私はシリウスの言葉に肯定の言葉を返した。

 

 

「それに私の道にはお前に勝つ事も入っているんだ。何時かルドルフと歩いているお前の道を一等星(シリウス)の方へ引き寄せてやる。」

 

 

「私はシリウスの事も応援してるんだけど…………まぁ、もしそうなったらさしずめ私は星の旅人って所かな?」

 

 

「ハハハハッ!星の旅人か!そいつは良いぜ。だったらの一等星(シリウス)が導くまま、いつか世界を案内してやるよ。」

 

 

短くなったアロマシガーを携帯灰皿へと押し込んで、笑いながらそう言ったシリウスはキリリとした瞳を私へと向け、楽しそうに口元に弧を描いてからベンチから勢いよく立ち上がった。

 

 

「じゃあな星の旅人さんよ。良い時間だから私はもう帰るぜ。」

 

 

「はいはい、学園内とはいえ気を付けてかえりなさいよ~」

 

 

私の言葉に後ろ手で返すシリウスに私は苦笑いを溢す。まったく、キザな仕草の癖にシリウスがやると絵になるのは何なんなんだろうねホントに。

 

去っていくシリウスを見届けてから、私もゆっくりとベンチから立ち上がった。今日はトレーニングの予定も入れていないし、1日のんびりする予定だったのでまだまだ時間は余っている。

 

 

「それにしても今日で1年かぁ…………時がたつのは早いよねホントにさ。」

 

 

私が前世を思い出したあの日から今日で1年。思わず口に出た中年臭い自分の言葉に呆れてしまうが、そんな言葉とは裏腹に前世の学校時代と比べれば遥かに濃密で楽しい1年だったと思えた。

 

広場から立ち去る前に、何となく私は視界の隅に映った三女神様の像を見た。何の為に、どんな理由があって私の願いを聞き届けてくれたのか。喋りもしないただの像に問いかけても意味は無いのだけど、ただ今の私から言えるのは1つだけ。

 

 

(この世界へ連れてきてくれてありがとうございます三女神様。)

 

 

教会の神父やシスターの様に格式ばったものでは無い。膝を突いたり、手を組んだりする訳でも無くただただ心の中でそう感謝の言葉を伝えると共に私は三女神様の像に対して軽く頭を下げた。

 

これからの事がどうなるか分からないけど、少なくとも三女神様に誇れる様に走って行こう。改めてそう心に刻んで私が頭を上げた時…………

 

 

(あれ…………?)

 

 

唐突に歪んでいく視界。

 

 

「や……ば……」

 

 

まるで貧血の時の様にどんどん四肢から力が抜けて行く。何とか踏ん張ろうとしても私の体からは力が湧き出る事は無く、次第に上下左右の感覚すら分からなくなり膝が崩れた瞬間。

 

私の意識は糸の切れた人形の様にプッツリと暗闇へ消えて去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………あらあら。』

 

 






息詰まると他の小説を読んで息抜きがてら良い言葉選びとか色々参考にしようとしてるんですけど、ついつい読むのに集中しちゃって寧ろ自分の文才の無さに愕然とするしかなくなったり、難しい事考えすぎて毎日頭痛がしていたりしましたが何とか投稿出来ました。

あとはアプリでずっとネイチャとシリウスばかり育成していたのでなんかシリウスが一番のライバルキャラっぽくなって来ているのは予想外でした。なんでだろうね?

サブタイちゃんと考えた方が良いのかなぁとか、この話なんか批判されそうだなぁとか行き詰ってスランプに入っちゃうとマイナス思考気味になるのでいいガス抜き方法探してきます。

次回はある程度決まっているので文章に詰まらなければそんなに遅くならない…………はずです。


がんばります。


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第34話



早く投稿するとか言いながら難産オブ難産でしたとか言い訳にしかならないので素直に言います。

遅くなってしまい申し訳ありませんでした。


 

 

温かい…………

 

上下左右の感覚は無く、まるで胎児の様に体を丸め微睡みの中にいる()()()が最初に感じたのはただひたすらに心地よく、何時までもこうしていたくなる様な温かさだった。

 

例えるのならばそう…………まるで小さい頃に母親に優しく抱きかかえられている時の様な、公園を駆けずり回って遊び疲れてしまった時に父親におんぶして貰った時の様な、きっとそんな感覚。

 

優しく包み込むかの様な安心感がアタシの心と体を満たし、ずっとこうして包まれていたいという欲がまるで小悪魔の様に微睡む意識をより深くへと誘ってくる。

 

 

『フフッ…………そろそろ起きなよ。可愛い可愛い俺の子羊ちゃん。』

 

 

深く、もっと深くへと沈みこもうとしていたアタシの耳がピクリと動く。何処かで聞いた事がある様な無い様な…………けど聞いてると安心するそんな声。

 

 

「んぅ…………やぁ…………」

 

 

『あぁもう…………そんな可愛く言っても駄目だよ。ほら、起きて。』

 

 

ずっとこうして居たい。このままこの温かさを享受していたい。不思議な声に少しだけ意識が浮上して来たアタシは思わずまるで幼児の様に駄々を言ってしまうけど、声の主は優しくアタシを揺り起こして来る。

 

 

『寝起きの気性難って所かな?まぁでも、eclipseに比べたらフフッ…………まぁそんな所も可愛いんだけどね。』

 

 

耳元で囁かれるかの様にこそばゆく、しかし優しく紡がれるその声に反応してかアタシの耳は意識とは関係なくピクピクと揺れ動き、水の中からゆっくり水面へと浮かび上がる様に少しずつアタシの意識も微睡みの中から意識もはっきりと浮かんでくる。

 

眠たげにゆっくりと瞼を上げれば、辺りは黒一色。3女神様の像も、トレセン学園も、星の瞬きさえも見えない、文字通りの泳ぐ様な暗闇だけがアタシの視界に広がっているだけ。

 

 

「…………何処……此処?」

 

 

あまりに現実離れしたこの光景に、寝起きで未だ完全に覚醒してはいないアタシの脳が情報を飲み込めずに唯一搾り出せた言葉。

 

 

『ようやく起きてくれたね可愛い子羊ちゃん♪』

 

 

「アタシは確か…………シリウスと別れてから…………」

 

 

ゆっくりと、アタシの意識が鮮明になって来る。来るのだけど、何処かこう…………意識に靄が掛かったみたいなフワフワとしたあの感覚が抜けない。それでも、何となくではあるけれど今のアタシの現状に対して少しずつ理解が追い付いて来た。

 

そう、アタシはシリウスと別れた後に確か3女神様の像に軽い祈りを捧げていたはず。その後にまるで貧血で倒れそうになった時の様に視界が歪んで…………

 

 

(あれ?…………何でアタシは3女神様の像にお祈りをしていたんだっけ?)

 

 

お祈りをした、という行動は思い出せても何故かお祈りをしたのかという理由が思い出せない。

 

 

『フフッ…………さぁ立って?子羊ちゃんが居るべき場所は此処じゃないだろう?』

 

 

それに先ほどから幻聴の様に聞こえるこの声は一体誰の声なのだろうか?聞き馴染みのない初めて聞いた声のはずなのに、何故か聞いていると安心するその声に促される様にアタシはゆっくりと重い腰を上げる。

 

今までは何処か水の中に潜った時の様な感じることの無かった上下左右の感覚は、起き上がる為に1歩脚に力を加えた瞬間には違和感も無く消え失せてしまい、見えないながらも確かに何かを踏みしめる感覚が脚の裏から伝わって来た。

 

ふらつきながらもゆっくりとアタシが立ち上がれば、安心したかの様に僅かに零れる吐息の音が暗闇の世界の中で微かに聞こえた。

 

 

(ん…………この感触は…………芝?でもなんか感触が少し違う気がする?)

 

 

何も見えない真っ暗闇の中、思わず1歩づつ踏み出したアタシの脚がガサッガサッとここ1年で感じ慣れたトレセン学園の芝とは全く違う、しかし何故か芝だと分かる感触をアタシに伝えてくれる。

 

歩く。

 

この暗闇が何処まで続いているのか、アタシは一体何処に向かっているのか、何も分からないままにただ1歩また1歩と歩みを進めて行く。

 

 

『此処は世界と世界の狭間の世界。』

 

 

幾ら歩いても声の主の姿を見つける事は叶わない。見えるのは右も左も前も後ろも真っ暗闇の世界だけなのに、まるでアタシの隣を一緒に歩いているかの様に謎の声は私の近くから聞こえて来る。

 

 

『これまで生まれて来た者達へ…………』

 

 

まるで何かを辿るかの様に、母の様な温かさで声の主はそう綴る。

 

 

『これから生まれて来る者達へ…………』

 

 

まるで何かの物語を読み聞かせるかの様に、父の様な凛々しさに声色を変えた声の主は謳う。

 

 

『脈々と紡がれる血統(運命)は時を超え、紡がれた原初の世界をも超えてまた刻む。

 

それは地平線の先で昇る太陽の様に。

 

そして水平線の奥で沈む太陽の様に。

 

巡り、巡ってその名と因果を背負い続ける。』

 

 

詠うかの様に語るその声に聴き入っていると、いつの間にか無意識の内にアタシの脚は前へと歩むのを止めて立ち止まっていた。その事に気づいて前へと進もうとしてもアタシの脚は何故か動かない。

 

まるでアタシの目の前に巨大なナニカがあるかの様に、アタシの本能の部分が前へと進むのを否定する。

 

 

『けれど可能性()は未来を変える力を持っている。可能性という楔を持った可愛い可愛い子羊ちゃん。

 

馬の魂人の可能性()、2つの因子を継承した、変えれぬ因果に楔を打てる俺の可愛い可愛い子羊ちゃん。』

 

 

声の主は喜色を持って言葉を謳う。それと共にアタシの体が少しずつ光っていく。

 

始めは小さく、そして淡く。

 

次第に大きく、そして力強く。

 

何というか、アタシ自身の体が光り輝いているって言うのは何というか変な感じ。眩しい訳でも無いんだけど、この暗闇の世界で光っているアタシを客観的に見ると何だか深海にいるチョウチンアンコウみたいでさ。

 

というかウマって何だろう?ウマ娘とは何か違うのだろうか?それに2人で1つって…………()()()()()()()()()()()1()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『分からないでいいさ。今を紡ぐ君にはその時その時を後悔の無い様に…………それだけの事。』

 

 

訳が分からず混乱するアタシに、声の主はそう語った。その瞬間、光り輝いていたアタシの体から光が離れて行く。

 

暗闇の中で光る蛍の様に、直径数センチの光の玉が1つ、2つとアタシから離れて行き1つの塊になる様に集まって行く。

 

それと同時にアタシの中で急激にナニカが消えてしまったかの様な、まるで大切な誰かを喪ってしまったかの様な、途方も無く辛くて悲しくて…………心にぽっかりと穴が開いてしまったかの様なそんな喪失感が広がって行く。

 

 

『子羊ちゃん、君の紡ぐ世界は本来の物語とは違うextra story(番外の物語)

 

けども、見方を変えればそれは新たな物語を始める序章にもなりえるのさ。』

 

 

(待って…………行かないで…………)

 

 

光の玉が1つアタシから離れるごとにこの喪失感が強くなっていく。思わず取り戻すかのように手を伸ばすけれど、先ほどまで動いていた脚はアタシの意思に反して動いてくれることは無い。

 

それでも取り返したくてアタシは必死に手を伸ばすけど、どんなに手を伸ばしてもあの光に届くことは無い。その間にもどんどんアタシの纏っていた光は光の玉となってアタシから離れて行き、比例する様に喪失感がアタシの心を蝕んでいく。

 

 

「嫌…………帰って来て…………」

 

 

掠れた声がアタシの口から出た。()()()()()()()()()()()()()()。けれどそんなアタシの願いは叶わない。ゆっくりと最後の1欠片がアタシの体から離れて行き、アタシが纏っていた光は萎む様に消えてしまった。

アタシの体に残されたのは大声で泣きたくなる位の喪失感とぽっかりとあいた喪失感だけで…………

 

ガクリ、とアタシの膝から力が抜けて行く…………

 

石の様に固まっていたはずのアタシの脚は、いとも容易くその場に崩れ落ちる瓦礫の様に膝を落してしまう。嫌、それでも取り戻したい。絶対に失いたくないと、ソフトボール位の大きさまで集まったアタシの…………アタシだった光の玉に必死に手を伸ばすけれど、それでもあと1歩分の距離がアタシの手にはあまりに遠すぎた。

 

当ても無く導かれるまま歩いていたさっきまでの、あのふわふわとした夢見心地だった意識はとっくに、いっそ苦々しい程にハッキリと鮮明になってしまっていた。

 

 

『そんなに焦らなくても大丈夫、別に子羊ちゃんから取ったりはしないさ。だからほら……そんなに泣かないで?』

 

 

先ほどよりも優しく…………まるで幼子をあやす様に声の主はアタシに語り掛けた。そっと光へと伸ばした手を自身の頬へと当てれば、直ぐさま感じる触れた指先が液体で濡れる感覚。止めどなく涙が瞳から流れ続けているにも関わらず、アタシは涙を流している事にすら気づく事が出来なかったらしい。

 

 

『大丈夫、少しだけ俺の加護をあげるだけだからさ。』

 

 

そっと、崩れ落ちているアタシの後ろから抱きしめる感覚がした。確かに抱きしめられているはずなのに、暗闇の世界は抱きしめているはずの相手の姿を見せることは無い。

 

 

『あの光は可能性の光。因子を継承し、因果を抜けて、運命を切り開く。そんな未来への可能性を秘めた光。』

 

 

(…………アタシの…………可能性。)

 

 

『君のお陰で既に因果の鎖は断ち切られ、新たな世界(物語)は始まってる。けども未だ馴染み切っていないこのままの君の魂じゃあ、子羊ちゃんの体は成長に耐えられず早々に限界を迎えて壊れてしまうだろうね。』

 

 

そう言って、アタシを優しく抱きしめていた声の主はゆっくりと離れて行く。アタシには見えないけど、小さく聞こえる足音から何となくその人はアタシの前へと移動した様な気配がした。

 

 

『その僅かにズレた綻びを俺が繋ぎ直そう。本来余り干渉するのは主義じゃ無いんだけど、可愛い可愛い俺の子羊ちゃんの為さ。』

 

 

その言葉と共に光の玉が輝き出す。蛍の様な淡い光だったものがまるで小さな小さな太陽の様に明るく力強く鮮明に。

 

暗闇に慣れていたアタシは唐突な輝きに思わず目を瞑ってしまう。それでも瞼越しに見える位に明るく輝いているその光は次第に小さくなって。思わずアタシが目を開けてしまうと光の玉があった所には小さな宝石の様な結晶が1つ。

 

 

『フフッ…………綺麗な結晶になったね。さぁ子羊ちゃん、君の片割れを返そう。』

 

 

ゆっくりとアタシの前へと戻って来た淡い虹色の光を放つ結晶を、アタシはもう2度と離すまいと両手で胸に抱きしめる様に優しく結晶を握りしめる。

 

手のひらから感じる結晶の温もりはぽっかりと空いたアタシの心を安心感で満たしてくれる様で、今までアタシを蝕んでいた不安と焦燥、そして恐怖は胸に抱いた虹色の結晶が綺麗さっぱり拭い去ってくれた。

 

 

『少し妬けるなぁ…………でも、その2度と失いたくないという感情はきっと君の因果故のなのかもしれないね…………』

 

 

何か声の主は呟いた気がしたけれど、アタシは虹の結晶に意識が向いていたので何と言っていたのか分からなかった。

 

 

(お帰り…………なさい…………もう、アタシを置いて行かないでね…………)

 

 

アタシはそう虹色の結晶に呟いた。それはまるで大切な家族に話す様に、愛している人に願う様に…………何でそう話しかけたのかアタシにも分からない。けど、どうしてもアタシはそう伝えたかった。

 

そうしてアタシが結晶に伝えた瞬間に、胸に抱いた暖かな虹の結晶はアタシが両手で抱いているにも関わらず先ほどよりも眩しい光を発してくれた。眩しいけれど嫌じゃない、キラキラとしたお星さまの様な優しい輝きを。

 

虹色の結晶が光輝いたのはほんの僅かな時間だったけど、何となくアタシにはあの結晶がアタシの中に戻って来てくれた気がした。

 

 

『フフッ随分と凛々しくなっちゃって。2人で1人、君達にはその魂がとても良く似合っているよ。』

 

 

光がおさまった後、アタシが抱いていた虹色の結晶は両手の中から無くなっていた。けど確かにアタシの内に帰って来た事が感覚として分かったからアタシはそれほど取り乱したりはしなかった。それよりもアタシが気になったのはアタシ自身の恰好。

 

さっきまでは気を失う前と同じトレセン学園の制服だったはず。なのにアタシはいつの間にか見た事も無い衣装へと変わっていた。

 

 

「え、あれ?…………服が変わった?」

 

 

焦げ茶色のロングブーツに左脚にだけ巻かれた真っ赤なベルト。

 

派手過ぎず、さりとて地味過ぎもしないほど良い色合いに染められた黒いジャンパースカート。

 

スカートの中にはフリルの付いた赤のインナースカートが少しだけ裾から顔を覗かせ、袖に赤と緑の縞模様が入ったクリーム色のパフスリーブのブラウスが。

 

そしてなにより胸元で目立つ赤と緑のストライプ柄のおっきなリボン。そのリボンに白字の筆記体で書かれた『N.N』の文字。その文字はきっとアタシのイニシャルで、赤と緑のストライプ柄と合わさって不思議な既視感と共に愛おしさが胸の内から湧きたってくる。

 

見た事も、着た事も無いはずの衣装なんだけど、何故か無性に懐かしくて気合が入る様に感じるのはなんでだろう?正直お洒落なんて今までアタシはあんまり興味は無かったけど、アタシの好きな赤と緑の2色が差し色に入っているからなのか、はたまたあの『N.N』の文字が入っているからなのか…………この衣装は着ているだけで不思議と昔から着ているかの様な、寧ろここ一番の()()()では着ていて当たり前だったかの様な、そんなよく解らない感情をアタシは感じてしまった。

 

 

『さて、そろそろお別れの時間だ。』

 

 

服を撫でたり摘まんだりして確かめていたアタシに声の主はそう語った…………と同時に、暗闇に染まるこの世界に重々しく何かが擦れる様な音が響き渡り、アタシの目の前に光が溢れ出した。

 

最初は細く縦長だった光の筋は、響き渡る音に合わせる様に少しずつその光の幅を広げて…………何時しか細かった光の筋はまるで巨大な光の壁となってアタシの前で佇んでいた。

 

 

『その光の先へと進んで行けば君は元の世界へと帰れるはずさ。』

 

 

まるで舞台の終幕を告げる様に、声の主は私にそう言葉を告げる。

 

 

『元の世界へと帰れば君は此処での事を殆ど覚えていないだろうけど、これだけは言っておくよ。』

 

 

『俺は、俺達3人は君達ウマ娘全ての走った軌跡を必ず見守っている。例え華々しい物語でも、例え辛く苦しい物語でも…………俺達からは干渉する事は殆ど無いけれど、それでも俺達が今を生きる君達の傍で見守っている事は…………』

 

 

『どうか忘れないでくれ。』

 

 

ガサリッ…………とアタシの足元で何かが擦れるような音が鳴った。視線を足元へと移してみるといつの間にかアタシは無意識の内に立ち上がっていたらしく、肩幅に開いている両方の脚に力を込めて見えない芝の様な地面を踏みしめていた。

 

いや…………力が入っていたのはアタシの脚だけじゃない。

 

アタシの両方の手は痛い程に握りしめられていて、ギリギリと軋む歯も、微かに口内で感じる鉄の味も、そして微かに震えるこの体も…………どれもこれも声の主が言葉を紡ぐ前には確かに感じていなかった感覚なんだ。

 

 

「…………何様のつもりだよ。」

 

 

目が覚めたら謎の世界に連れて来られていて、訳も分からないアタシから大切なものを奪おうとして、挙句の果てに因果がどうの運命がどうのと一方的に声の主は言ってくる。

 

何処までも傲慢で不遜で上から目線で。まるで自分が世界の支配者か神様にでもなったつもりなのかと、アタシからすれば理不尽以外の何物でもない声の主の対応にそうアタシは小さく声を漏らした。

 

足元へと俯いていた視線を睨む様に正面へと向けた。何となくだけどアタシと光の壁、その間に見えないけれど確かに声の主が居るような気がしたから。

 

 

「勝手にアタシを此処に連れてきて、勝手にアタシを弄って、一方的に訳も分からない話を聞かせて来た挙句『忘れないでくれ』だって…………」

 

 

プチプチと頭の血管が切れる様な音が聞こえる。きっとアタシの耳をはた目から見れば見えなくなる位に倒されているに違いない。

 

怒り。そうきっとこれは怒りだ。

 

此処へと連れて来た声の主への怒り。アタシから大切なモノを奪おうとした声の主への怒り。因果だとか運命だとか、まるでアタシ達の()()()()()()()()()かの様な訳も分からない話をする声の主への怒り。

 

そして何より…………声の主が語ったその意味が何となくだけど理解出来てしまい、思わず感情を制御できず爆発させる()自身への怒り。

 

 

「ふざけんな!!」

 

 

見えない声の主に向かって、アタシは心に溜まった重い泥を吐き捨てる様にそう声の主へと叫ぶ。

 

 

「何が因果の鎖だ!何が運命だ!何が可能性の光だ!」

 

 

アタシの叫びはまるで感情を上手くコントロール出来ない幼子の様で、抑えようとする理性とは裏腹にアタシの口が閉じてくれる事は無かった。

 

 

「そんな曖昧なものなんて知った事か!アタシはアタシなんだ!

 

お袋から生まれて、商店街の皆に面倒見て貰って!成り行きとはいえトレセン学園に行く事を決めたのは他でもないアタシだ!

 

因果に縛られてるんじゃない!運命に決められているんでもない!

 

他でもないアタシが!ナイスネイチャが自分で決めて歩いて来た道なんだよ!」

 

 

テンポイントさんと知り合ったのも、ルドルフ会長と語り合ったのも、ライアン達と友達になったのも、沖野さんとの本音も、シリウスとの問答も!

 

全部が全部アタシが選んだ選択だ。それを声の主は運命を切り開くだと?可能性の光だと?ふざけるな。

 

 

「アタシの夢はトレーナーになる事で、その夢は他の誰でも無いアタシだけの物語(キラキラ)だ。因果だとか運命なんて、噛みついてでも絶対辿ってなんかやるもんか。」

 

 

アタシは声の主へとそう言って、大きく右足を1歩前へと踏み出した。この踏みしめた芝へと食い込む蹄鉄の確かな感触は、アタシの進むべき道が此処にあると深くそして揺ぎの無い物だと、そうアタシ自身に教えてくれるから。

 

勿論目指すのはあの光の壁の向こう。声の主の言う事を信じるのならば、あの門の様な光の先はアタシが戻るべき場所へと続いているはずだから。

 

1歩脚を踏み出すごとに近づいて来る光の壁は少しずつアタシの視界を覆って暗闇の世界を眩しく染めて行く。視界の忙しさとは裏腹に、耳に入って来るのはアタシが踏みしめる足音だけ。

 

そうやって門の様な光が目の前まで近づいて来た時、微かに深く息を吐いたかの様な、そんな息遣いが聞こえた。理性の方は兎も角、先ほどまでの興奮からクールダウン出来ていないアタシの体は未だ浅く早く呼吸を続けているからアタシの吐息では無いし、そうなればアタシの耳が聞いたその音はきっとアタシ以外にこの世界に居るもう1人。声の主以外に他ならない。

 

声の主が吐いたと思うその吐息に込められた意味は感情を制御出来ず吼えたアタシへの呆れなのか。はたまた何某かアタシの言葉が琴線に触れたが故の安堵の吐息なのか…………

 

 

(まぁ…………アタシには関係ない…………か。)

 

 

幾分か冷静さが戻って来た頭でアタシはそう結論付け、また1歩光の中へと脚を踏み出す。光の中は例えるのならば先ほどの世界とは真逆と言えば良いのか、真っ暗だった世界が一変、辺り一面が白く光り輝いた不思議な空間。

 

しかしこの空間が眩しいかと言えばそう言った事も無く、どちらかと言えばLEDとかの光よりも白熱電球とかの様な暖かな光に近い気がする。

 

 

 

いや、というかそもそもの話だけども、あの声の主は一体誰なんだ?

 

 

 

 

こんな変な世界といい、あの意味深な言動といい、しまいにはアタシの体から出たあの光の玉といい…………まるで一般的な常識というものが当てはまらない気がする。

 

多分、というかまず間違いなく、アニメや漫画などに出てくる様な稀代のマジシャンや世紀の大怪盗でもこんなバカげた世界や事象を行う事など出来ないと思う。もしこんな事が出来るとするならばファンタジーに出てくる様な魔法使いや、それこそ神様の様な存在だろうか。

 

 

(あれ、そう言えば…………アタシが最後に居たのって確か3女神様の像の目の前だった様な………)

 

 

色々と考えている中でふと、神様という単語からアタシは記憶にある限り最後に居たであろう場所を思い出す。もしこれが恐らく3女神様の像の前で倒れたのだろうアタシが見ている夢ではなく現実の出来事ならば…………もしかして声の主の正体は…………

 

 

(いやいやいや…………ないないない!それに喋り方的に3人じゃなくて1人だからまず絶対にありえないって!)

 

 

思わず想像してしまった声の主の正体について、アタシはフルフルと頭を横へと振り考えてしまった内容を問答無用で頭からアンインストールした。だってもしアタシの考えが当たってしまっていたならば、アタシは神様に啖呵を切ってしまった何とも罰当たりなウマ娘という事になっちゃうのだ。

 

 

(…………いやぁ、やっぱり謝った方が良いのかなぁ…………なんて。)

 

 

ありえない…………とは思うのだけど、やっぱり謝った方が良いのかなぁと考えてしまっていたアタシの脚から唐突に力が抜ける。いや脚だけじゃなく腕や腰、体全体から力が抜ける感覚と共に暗く歪んでいく視界は何とも既視感のある感覚で。

 

 

(またこれ…………)

 

 

此処に連れて来られた時と同じ貧血や立ち眩みの様な感覚に耐えられず、アタシは倒れる様に意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………気が付いた時、重い瞼を開いて瞳に映ったのはこの1年で随分と見知った知り合い達の顔と見知らぬ部屋だった。

 

 

「…………知らない天井だ。」

 

 

「ネイチャ!気が付いたか!?」

 

 

思わずお決まりのセリフを吐いた()にルドルフ先輩は焦った様にそう問いかけて来た。ゆっくりと少しグラつく視線を横へと向ければ私の手を両手で握り締めていたルドルフ先輩が見えて、その後ろにテンポイントさんにシリウス。出入口と思われるドアの近くには沖野さんにおハナさんまで居る。

 

 

「…………私は…………というか此処は?」

 

 

寮でも無く、学校の保健室でも無い見知らぬ部屋のベッドに寝かされているという状況に私は困惑しながらそう口を開けば、少しだけ安心した様な顔付きで優しくテンポイントさんが答えてくれた。

 

 

「ここは病院さ。君が広場で倒れているのを見つけてくれた人が居てな。意識も無く、一時は酷い発汗や呼吸も乱れていたから救急搬送されたんだ。」

 

 

「そうだったんですか。」

 

 

「まぁでも、直ぐに落ち着いたしこうやって君は意識を取り戻したんだ。私としては今はそれだけで十分さ。」

 

 

そっとテンポイントさんは私の頭を撫でてから、仕事を抜けて来たので遅れない内に戻るよと私に一言告げて部屋から出て行った。続くように沖野さんやおハナさんも出て行ったので随分と忙しい中でわざわざ時間を作って来てくれていたのだろう。

 

それにしても意識を失って倒れたとは…………私としてはきちんと自己管理していたはずだったのだけど、もしかして無意識に無理をしていたのだろうか?

 

外を見れば既に日は傾き、西日がカーテン越しに室内を朱色へと染めている。シリウスと別れたのが昼過ぎ辺りだったのを考えれば、少なくとも数時間ほど私は意識を失っていたのだと分かった。

 

 

「起きるな、今は落ち着いているとはいえ少し前まで酷い状態だったんだ。」

 

 

未だ部屋に残っているルドルフ先輩とシリウスに失礼かなと体を起こそうとした時、いつの間にか近づいていたシリウスに体を押されて私は再びベッドへと上半身を沈める事になった。

 

 

「けど…………」

 

 

「良いから今は寝ておけ。お前が休んでいないとそこのライオンも安心出来ねぇだろうが。」

 

 

シリウスは薄く微笑みながら、寝かされた私の体に布団をかけ直した。何というかその微笑みといい上半身を起こそうとして乱れた布団をかけ直してくれた行動といい、普段笑みと言えば不敵な笑みしか浮かべない様な何時ものシリウスとは似ても似つかないどころか、真逆の態度に唖然としてしまった。

 

このウマ娘は本当にシリウスシンボリなのか?と、思わず当人に言えば失礼極まりない事を思ってしまう。それほどまでに今のシリウスの行動は普段の態度とはかけ離れたものだった。

 

 

「ふふ…………そう驚いてやるな。流石に私もライオン呼ばわりされて思う所もあるが…………なに、シリウスにも少し思う所があるのだ。」

 

 

未だ私の左手を握っているルドルフ先輩がぎこちなく少しだけ笑って、どうやら顔に出ていたらしい私の疑問に答えてくれた。視線をシリウスへと移せば先ほどの微笑みは何処へやら、少しバツが悪そうに、というか苦虫を噛み潰したかの様な表情だった。

 

 

「えぇ…………」

 

 

思わず困惑した声を出してしまった私に、シンボリ家のお2人は何も言わなかった。ただただ無言で私の手を握り締めるルドルフ先輩とその隣で佇むシリウス。静けさとほんの少しの医療機関独特の鼻につく少しの薬品臭さがこの部屋、というか病室に居る3人を包むだけ。

 

何とも形容し辛いこの空気が居た堪れなくて、私は何とか話題を作ろうと寝起きの頭をフル回転させる。

 

 

「そ、そう言えばですけど…………私が倒れた理由って何か分かったんですかね?」

 

 

「いや、お前が倒れた原因はまだ解っちゃいねぇよ。医者は恐らく過労だろうとは言ってるが一応念の為にこのまま入院して、明日精密検査をする予定だそうだ。」

 

 

「そう…………じゃあ流石に今日は寮には戻れないね。」

 

 

「「当たり前だ。」」

 

 

息ピッタリで私の言葉にそう返して来た2人。その様子に少しだけ私は笑みが零れた。

 

何となくだけど、体の方は倒れる前より軽く感じる。不思議なもので、先ほどまで自己管理の甘さと皆への申し訳無さで気分が沈んでいたはずなのに一度この軽さを自覚すると、まるで体がウズウズと走りたがっているかの様な違和感を感じてしまうのだ。

 

この疼きが良い物なのか…………それとも悪い事の予兆なのかは分からないけど、実馬のナイスネイチャは現役時代だけでも6度の故障を経験しているのだ。その事を思い起こせば、例え今私自身が体が軽く不調を感じていないと思っていても暫くは安静にする他ないだろう。

 

少なくとも、既に私自身が自己管理出来ていない事が倒れてしまった事で露呈してしまっているのだからここは我慢である。

 

 

「………………それにしても。」

 

 

「ん?どうしたネイチャ?」

 

 

「あ、いえルドルフ先輩。何でも無いですよ?」

 

 

少しだけ漏れてしまった私の声にルドルフ先輩が反応してしまい、私は慌てて何でもないとルドルフ先輩に訂正した。

 

 

(それにしても…………なにか不思議な夢を見ていた気がするなぁ…………)

 

 

体から力を抜いて私はより深くベットへとその身を預けながら、ルドルフ先輩とシリウスの2人に聞こえない様に心の中でそう呟いた。夢の内容は覚えていない。それはもう綺麗さっぱり思い出せないのだけど、不思議と夢を見たという実感だけは確かに私の中に残っていた。

 

 

(感じたのは安らぎか、悲しみか、喜びか、怒りか…………それに何故かこれだけは覚えている『見守っている』という言葉。自分が言ったのか、夢に出て来た誰かが言ったのかも分からない何ともチグハグでぐちゃぐちゃで、何の纏まりも無い様な変な夢だった気がする。)

 

 

はてさて、こんな不思議な体験なんてアニメでもアプリでもこんなエピソードやイベント何てなかった気がするけどどうなんだろう?

 

小さく欠伸を漏らしながら私はそんな事を考えるけれど、結局の所何にも思い当たる事は無かった。

 

 

「では名残惜しいが、私達は此処で失礼するとしよう。ネイチャ、また明日見舞いに来るよ。」

 

 

本当に名残惜しそうにルドルフ先輩がそう言ってシリウスを引き連れて立ち上がった。シリウスもここが病院だからなのかもしれないけど、ルドルフ先輩に何か言うでもなく素直に従っているのを見ると本当に不思議である。

 

 

「お前の荷物は私とルドルフで部屋まで運んで置いた。ウマホは横の机の引き出しの中だ。」

 

 

「そっか、有り難うシリウス。」

 

 

「あぁ、それとこの病院は全面禁煙だ。アロマシガーとはいえ例外は無いから我慢する事だな。」

 

 

「流石にこんな状態で吸いに行く訳無いでしょうが。」

 

 

「ならいいさ。精々ゆっくり休むんだなた・び・び・と・さ・ん

 

 

「はいはい、1等星さんも門限まで時間はあるけどもう暗くなるんだから気を付けなさいよね。」

 

 

私はベッドに横になったまま、せめてこの位はと病室から出て行くルドルフ先輩とシリウスに小さく手を振った。

 

さて、2人が帰ってしまえば明日まで1人で過ごさなければならないのは暇でしょうがないだろうが、シリウスに言った手前大人しくしていないといけないなぁ。というか、ルドルフ先輩?帰るんですよね?何でドアの前で立ち止まっているんですか。

 

 

「シリウスとネイチャが渾名で呼び合っている…………だと!?」

 

 

あの…………そんないつの間に!?みたいな顔をされても困るんですけど。あ、シリウスのやつ勝ち誇ったかのようにルドルフ先輩に笑ってやがるし…………

 

さては最後の最後にそれを狙っていたんだなシリウスめ!

 

 

 

 

 

 






まぁ多分今回のは賛否両論あると思いますが…………

私としては最初は普通に因子継承ネタで作ろうと思って書いてたんですけどね、書いて行くうちにあーでもない、こーでもないと書いては消してを繰り返していくうちにこうなっちゃいました。

だって普通、因子継承にヒト息子ソウルが入り込んだらエラー吐かない?とか思いません?

多くの二次創作があるって事はそれだけウマ娘の世界も枝分かれしているはずだし、その中でも覆せない史実ネタを因果や運命って事にしとけば作品に落とし込みやすいかなとか……


…………何かを作品として生み出すってホントに大変だなぁって半ば心折れながら書いてました。

次回もなんとか頑張ります。




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第35話



やっぱり、早めに投稿しようとすると文字数少なくなるなぁ。




 

 

 

 

「いやはや、確かに検査をするとは聞いてはいましたけれども…………ここまで色々検査をするもんですかねぇ?」

 

 

半ばやつれたサラリーマンの様にぐったりと椅子へと体を預けた状態で、私は溜息と共に僅かばかりの愚痴をこぼした。

 

私がトレセン学園で倒れてから一夜明け、事前にシリウスから聞いていた通り朝から私は精密検査を受けたのだけども、まさかここまで精神的に疲れるとは思ってもいなかった。

 

 

「まぁ言いたい事は俺も分かるが、どれもこれも全てはお前の為なんだから少しくらい我慢しろって。」

 

 

私の隣へと座った沖野さんが宥める様にそう返してくれたのだけど、分かってはいるが疲れたものは疲れたのだから仕方ないと私は言いたい。

 

何せ朝からお医者さんからの問診を皮切りに血液検査や尿検査を始めCTスキャンにMRI検査等々、色々な検査を受けさせられて気づけば太陽は天辺を過ぎ去っていた。

 

 

「まぁなんにせよ、特に体に異常は無かったんだから良かったじゃなぇか…………これでも俺だって心配してたんだぞ?」

 

 

「それはそうだけどさぁ…………念の為とはいえ一回目の選抜レースを回避しなきゃいけないし、泣きっ面に蜂と言いますか何といいますか…………」

 

 

うん、沖野さんが言っている様に私の体に異常は無かった。それは私の担当となったお医者さんがハッキリと結果を教えてくれたし、寧ろ普段からトレーニングして脚に大なり小なり負担が溜まっているはずのトレセン生にしては私の脚はきちんとケアして負担が殆ど無いとお褒めの言葉を貰ったくらいだ。

 

けどそれはそれこれこれ…………お医者さんからは念の為に最低でも1週間はトレーニングをしたり走ったりと体に負担のかかる運動は避ける様にと言う診断を受けてしまったのだ。そうなると第1回目の選抜レースに私は出走することが出来ない。

 

ウマ娘がトレーナーと担当契約を結ぶには中等部2年に上がる他にもう1つ、この選抜レースに出走する事が条件になっている。

 

…………まぁ、条件と言っても一種の暗黙のルールみたいなもので明確にトレセン学園の規則で決まっている訳でも無いのだけど、そう言う見えないルールというものがあるのだ。それに第1回の選抜レースは去年の模擬レース同様に第1回目は希望者のみではなく全員参加である。

 

 

「なに、事情は学園側も分かってくれているさ。第1回には無理でも第2回に回して貰えるよう俺からも報告しとく。」

 

 

「そうじゃない…………そうじゃないんだよ沖野さ~ん。」

 

 

選抜レースは月2回開催されるけど、逆を言えば1回でも逃せば約半月は出走出来ないという事でもある。私は沖野さんの担当ウマ娘としてチーム『スピカ』に入部する事が出来るという望外の幸運を得たけれど、その幸運も全ては選抜レースに出走してからである。

 

それまでは今まで通り私自身でプランを組んで自主トレーニングをする。もしくは担当トレーナーが付いていない娘や担当契約が出来ない1年生達のトレーニングを見ている教官方の指導を受けるしかない。

 

今回がダメでも半月後があるじゃないか。と言うウマ娘も居るかもしれないけど、私としては次の選抜レースまで半月()あるのだ。トレーニングの質であったり、ウマ娘のメンタルケアであったり、ウマ娘とトレーナーの関係の数だけ様々な差ではあるのだけれど、トレーナー有りとトレーナー無しで過ごす半月は小さくとも確かな差がある。

 

今回の事で私は私自身のトレーニング管理と言う物の未熟さを痛感してしまった。お医者さんからはお褒めの言葉を貰ったけど、少なくとも気を失って倒れるなど私からすれば言語道断である。だからこそトレーナーとして、指導者として沖野さんの指導を受けたい、身に付けたいと思うのだ。しかしお医者さんの言う事は絶対だ…………駄目だと言われたら諦めなければいけない。

 

ここで私の我が儘で無理をして選抜レースに出走して、また倒れでもしたら…………それどころか悪化して最悪怪我でもしてしまったら。私だけが怪我をしましたアハハ~では終わらない。沖野さんやおハナさん。テンポイントさんにルドルフ先輩等の私に期待してくれている沢山の人に更に迷惑をかけてしまう事になる。

 

だから1週間後の選抜レースは見送り。お医者さんや沖野さんが言っている事は正しくて、私のこの気持ちはただの我が儘だ。

 

何なら今現在だって、沖野さんはトレセン学園での仕事を一端放置してわざわざ保護者役を自分から買って出て病院まで来てくれているのだ。今現在沖野さんのチーム『スピカ』にウマ娘は1人もいないとはいえ、それ以外にも仕事はあるだろうに私は彼に迷惑をかけてしまっているんだから、もうこれ以上迷惑をかけたくない。

 

 

「あ~あ…………こうなるなら体がうずうずと疼くとか問診の時に要らん事言わなければ良かったかもなぁ。」

 

 

未練がましくそんな事を言いながら、私はだらしなく椅子に座っていた体を起こした。疲れた気分も愚痴を言ってハイさよなら。取りあえずは次の選抜レースに向けて万全の状態に持って行く方針で頑張って行くしかない。

 

 

「その事なんだがな…………」

 

 

はてさて、どうしようかとそれまでとは別の意味で悩んでいた私に沖野さんは歯切れ悪くそう口を開いた。

 

 

「どったのさ沖野さんや?」

 

 

「これは俺のトレーナーとしての勘であって、特に何かしら根拠とか確証がある訳じゃないんだが…………」

 

 

「もぅ、勿体ぶらないでさっさと言っちゃいなさいよ。」

 

 

「あぁ、もしかしたら何だがネイチャ…………その体の疼きとやらは本格化が来たからじゃないか?」

 

 

 

 

 

本格化が来たからじゃないか?

 

 

 

本格化が来たからじゃないか?言っていた

 

 

 

本格化が来たからじゃないか?

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

思わず思考停止して固まっている私に、沖野さんは少し苦笑しながら言葉を繋ぐ。

 

 

「本格化って言うのは明確にどういう物って決まっている訳じゃない。ある時期から急激に身長が伸びたり、バ体が一回り大きくなって筋肉が付いたりと一目で分かるウマ娘だって居るし、逆に二次成長期の延長線上の様にぱっと見は緩やかなウマ娘だって居る。

 

ネイチャが言っていた体の疼きとやらが医者の言う通り身体の不調ではないとするならば、それはウマ娘として本格化が始まったか、あるいはネイチャの体が本格化を始める準備段階に入ったかのどちらかという事だと俺は考えてる。」

 

 

最初は苦笑を浮かべていた沖野さんは話していくうちにその表情を真剣なものへと変えていた。そんな沖野さんの仮説に、私は自分の事なのに随分と現実感が湧かなかった。

 

本格化。

 

知識としては知っているし、私もウマ娘だから何時か本格化が来るのだろうと漠然と思ってはいたけど、いざ『ナイスネイチャに本格化が来たかもしれない』と言われたら喜びや驚きよりも唐突過ぎて現実感が湧かないというか、紙1枚隔てた他人のお話を聞いている様なそんな気持ちだった。

 

 

「…………それ本気で言ってる?」

 

 

「だから前もって言ったろ?俺のトレーナーとしての勘であって何かしら根拠とか確証がある訳じゃないって。」

 

 

「だからって…………それに本格化って早すぎない?」

 

 

私が言ったこの早すぎない?は本格化が来るのが早すぎないっていう意味とは別に、沖野さんに対して本格化って判断するのが早すぎないか?と言う意味も込めていた。

 

 

「そこは今後の経過しだいだろ?どうせ最低でも1週間は大人しくしとかなきゃいけないんだ。本格化が来たのかどうかの判断はその後でも問題無い。」

 

 

流石は沖野さん。私が聞いた事にきちんと把握して答えてくれる。何というか、こういったやり取りってなんか良いよね…………

 

思わず握った拳に親指からピンと立てて、私は沖野さんへとグットサインを送った。もっとも、私のグットサインの意味は伝わらなかったみたいで沖野さんはクエスチョンマークを浮かべていたけれど。

 

 

「さてと、そんじゃやる事やったし学園に帰りますか!」

 

 

「帰るったってお前…………」

 

 

「もう検査も全部終わったし、お医者さんから退院許可も出てるんでしょ?」

 

 

「そりゃあ…………そうだけどよ。」

 

 

「じゃあ問題無いじゃん?持ってきてもらった荷物も殆ど無いし、さっさと病室から荷物取って、少しだけでも綺麗にして帰りましょ。」

 

 

先ほどまでの私の態度とは真逆のあっけらかんとした態度に、沖野さんは少し面を喰らった様だった。ふふん、乙女の切り替え能力を甘く見てはいけないのよ沖野君?

 

…………なんてそんなつまらない冗談はさておいて、さっさとやる事やっちゃいましょうかね。荷物は1日分の着替えとウマホと充電器位だし直ぐ終わるでしょ。

 

よっこいしょっと、私は座っていた椅子から立ち上がってジャージの裾を軽く直した。私からワンテンポ遅く沖野さんも椅子から立ち上がって、私と沖野さんの2人は取りあえず昨日1日お世話になった病室へと戻るべく病院の奥へと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぇぇぇ…………沖野さんってそこそこ良い車に乗ってるんだね。」

 

 

「なんだ、意外だったか?」

 

 

「うん…………正直に言うと、チームのトレーナーだから大きいバンとかを持ってるのかと思ってた。」

 

 

「ん?あぁ…………遠征とか合宿用に使うバンとかは申請すれば学園から借りられるんだ。だからコイツは完全な自家用車だな。」

 

 

荷物を纏めて病室を少しだけ片付けた私は沖野さんの隣を歩きながら駐車場まで来たのだけど、沖野さんの所有車に思わずそんな感想が出てしまった。

 

まず目につくのがその真っ赤な車体。ピュアレッドに全身を包んだその車体は低めの車高も相まってスッキリとしたお洒落さを感じる。釣り眼のヘッドライトにがキリッとした表情を見せており、何というか一目見てこの車良いなぁ…………と思える様なそんな車。

 

 

「トヨタ86GT。俺が自分で買った初めての車なんだよなぁコイツは…………まぁ走行距離10万キロで買った中古車なんだが。」

 

 

「へぇ~かっこいいじゃん。ハチロク。」

 

 

私が素直にそう言うと、沖野さんは少しだけ嬉しそうにハチロクのボンネットを優しく撫でた。やっぱり自分で買った初めての車というのは愛着が湧くという物だろうか?生憎と前世では免許こそ持ってはいたが車を運転する事など殆ど無く、まして自分の車を持つ事など考えた事も無かった。

 

 

「荷物は後ろに乗せとけ。どうせ今から帰ったって食堂はしまってるだろうし帰りにどっか飯でも食って帰ろう。」

 

 

「お?太っ腹だねぇ沖野さん。実は私もうお腹ペコペコなんだぁ~」

 

 

沖野さんが運転席へと座り、私は手に持っていた荷物を後ろの後席へと置いてから助手席へと座った。深く体を預ける本革製のシックなセミバケット式の座席へと腰を下ろせば普通の座席よりも一段ほど低い視点で、本革のしっとりと体に吸い付く様な座り心地も相まって何とも経験の無い感覚である。

 

きっちりと、忘れないうちに私はシートベルトを締めてから興味津々でハチロクの内装を見る。

 

余計なモノが無い黒を基調として赤の差し色があるシンプルな内装。私自身車の事に関して全く詳しくないので分からないけど、特に内装をカスタムされた様な印象は無く精々がスマホ用のスタンドが設置されている位だろうか。

 

変にごちゃごちゃカスタムされているよりもこういったシンプルな方が私は好きだ。車内も綺麗に清掃されているし、沖野さんが如何にこの車に愛着を持って接しているのかが良く分かる。

 

 

「んじゃ、出すからな。シートベルトは締めとけよ。」

 

 

「…………大丈夫だよ。ちゃんと締まってるから。」

 

 

ガチャンと、シフトレバーを操作しながら安全の為に私に再度確認する沖野さんに私はもう一度ちゃんとシートベルトを確認してから問題無いと答えた。

 

ヴォォォン!と聞いていて気持ちの良いエンジン音が車内に響き、ゆっくりと沖野さんの運転するハチロクは病院の駐車場から公道へと安全運転で入って行く。少し楽し気に運転する沖野さんを横目に見ながら、私はついウマホにて沖野さんが運転するこのハチロクの事を調べてみた。

 

 

「へぇ…………今のハチロクってオートマもあるんだ?」

 

 

「あぁ、つってもコイツのオートマはすげえぞ?なんたってフロアmtモード付6atだからな。」

 

 

「なにそれ?」

 

 

「オートマ車の中で、手動操作によってギアの切り替えが可能なMTモードを備えたヤツをそう呼ぶらしい。ほら、シフトレバーのとこに+と-のボタンがあるだろ?そのボタンを押すと手動でギアが変えられるんだ。」

 

 

「はえぇ…………最近の車って凄いんだねぇ…………」

 

 

沖野さんの説明に私は思わずそんな声を出してしまった。前世では周りにスポーツカーを乗ってる知り合いなんて居なかったし、今世でも周りの知り合い…………と言うか商店街のおっちゃん達だけど、おっちゃん達は世代的にほら…………丁度走り屋世代だから古いスポーツカー持ちしか居なかったんだよね。

 

トレセン学園に来てまさかスポーツカーに乗るなんて思っていなかったから少しだけ懐かしい。小さい頃は私もやんちゃだったから、良くおっちゃん達の車に乗せてもらって喜んでた記憶がある。

 

 

「最近のって…………お前まだ中学生だろうが。まさか無免なんてしてないだろうな?」

 

 

「する訳無いでしょうが!」

 

 

疑いの目を向ける沖野さんに私は心外だと声を荒げる。…………こっちを見るなちゃんと前を見て運転しろよおいコラ。

 

 

「全く…………小さい頃商店街のおっちゃん達の車に乗せてもらってたの。AE86とかシルビアとか…………流石にRX-7とかGTRとかは無かったけどさ。」

 

 

「なんだそのラインナップは。お前って実は群馬出身とか?近所に豆腐屋やってる糸目の親父いた?」

 

 

「いるか!フィクションと現実をごっちゃにすな!」

 

 

「ははは、だよなぁ…………でも通りで少し86のイントネーションが可笑しかった訳だ。」

 

 

笑いながらそう言った沖野さんに私はなんのこっちゃと首を傾げる。はて、イントネーションとな?

 

 

「お前、86をカタカナで『ハチロク』って言ってるだろ?」

 

 

「あ、そうかも。」

 

 

某峠を走るアニメの所為だろうか。車には興味無かったけどあれは面白かった。こっちの世界でも細部は違うけどちゃんと存在していたし、なんなら普段のロードワーク中でもあのユーロビートをたまに聞いていたりする位には私はあのアニメが好きである。

 

 

「ツー事はあの漫画も読んでるだろ?ぜってー中学生の趣味じゃないだろソレ。」

 

 

「沖野さん残念でした~私が見ていたのは原作じゃなくてアニメの方ですぅ~」

 

 

「どっちにしても同じじゃねーか!」

 

 

そんな感じで2人して笑いながらあの作品の話に花を咲かせる。沖野さんは原作の漫画を、私はアニメの方の話をして盛り上がった。沖野さんも楽しそうにオーディオからあのアニメのユーロビートを流し出すし、それに合わせて私も空耳ネタで歌ってバ鹿笑い。

 

結局2人で盛り上がり過ぎて、お昼ご飯の事も忘れてドライブにしゃれ込んでしまいトレセン学園に着いたのは15時を過ぎた頃だった。2人してご飯食べるの忘れてたと肩を落としながら、スピカの部室でモソモソと購買で買ったパンでお腹を満たす。

 

当初の予定より帰りの遅い私を心配してか、途中からルドルフ先輩が乱入してきて…………ルドルフ先輩を追いかける様におハナさんにマルゼンスキーさんもやってきて…………しまいには皆で小さな退院祝いのティーパーティーだ。

 

むくれるルドルフ先輩に抱き着かれながら、私はたまにはこんな日があっても良いかとそう思ってしまった。

 

私も車の免許を取ろうかな?

 

そう独り言を呟けば沖野さんは『おう、取っちまえ』と、おハナさんも『トレーナー業には必要よ』と、マルゼンスキーさんは…………ごめんなさい、お誘いは嬉しいし少し気にはなるけど流石にタッちゃんの助手席は遠慮しときます。

 

え?峠を攻める?

 

カウンタックはそう言う車じゃ無いでしょうが!

 

思わずそう突っ込んだ私に、スピカの部室は笑い声が包み込んだ。

 

 

 

 






沖野さんはトヨタ86GT。

おハナさんはフィットとかのコンパクトカー。

南坂さんはプリウス。

黒沼さんはSUV。

そんなイメージが連載当初からありました…………

ネイチャが車を持とうとすると絶対商店街のおっちゃんがおさがりでハチロクとか譲りそうとかも…………

あと、もし車の描写とか車種とかご指摘を受けても私がペーパーなので余り詳しくないのでご容赦を…………

何せ車を運転した時間より船を運転していた時間の方が多かったので…………

まぁ、お陰で知り合いに『俺は昔バスを運転していたんだぜ』って言われて『俺は3500トンの船を運転してたよ』ってネタに出来ましたけどね。

MFゴースト見たら86GTに詳しくなれるかな?



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第36話



牡蠣にあたって高熱吐き気の中お久しぶりです。

投稿間隔も空いてしまっているし、病状は違うけどなんか丁度ネイチャに近い状態だな!執筆の糧にしよう!

とか思ってましたが舐めてましたすみませんノロ様…………

短いし色々可笑しいかもしれませんが今後もよろしくお願いします。


 

 

闇夜も眠る丑三つ時。曇りの為に月明りも無く、カーテンの隙間から漏れる街灯の微かな明かりだけが暗く光を落した室内をぼかし照らす中で、私は自身のベッドの中で小さく膝を抱える様に横たわっていた。

 

 

「ぐ…………いっだぁ…………いなもぅ。」

 

 

ほんの少しだけ脚を動かしただけで全身に襲ってくる鈍くも鋭い強烈な痛み。その痛みはまるで全身の骨を砕かれた上で1()()()()()()()()()()()()()()()()()()今までに経験したことも無い様なものだ。

 

最初に違和感を感じたのは病院から退院して2~3日たった頃。その時感じたのはほんの僅かな…………疼きに近い小さな痛みだったのだけど、一応念の為に翌日沖野さんに相談した上で再度病院へと検査を受けに行った。検査の結果は白。私の体には何の異常も見つからず、恐らくは沖野さんが予想した通り私のウマ娘としての本格化が来たことによる成長痛だろうというのがお医者さんの見解だった。

 

確かに、そう言われてみれば前世や今世を含め小さい頃に感じた事がある痛みだなぁと、その時は呑気に思いながら念の為にと痛み止めを貰ったのだけど…………私は正直に言ってウマ娘の本格化というモノを舐めていたのだ。

 

日に日に強くなっていく成長痛の痛みに、私は夜中に何度も起きては痛みに耐えながら無理やりにでも眠ろうとする毎日を送る事になった。痛み止めを飲めば少しは楽になるけれど、常飲による副作用が怖くてどうしてもという時にしか使わないから結果として私は夜は痛みで、日中は痛みは引くものの酷い寝不足とそこから来る倦怠感に悩まされてしまった。

 

それこそ今まで授業中一度も居眠りすることの無かった私(とはいっても今世になってからだけど)がいつの間にか人目もはばからず授業中に爆睡してしまう位には…………

 

幸いな事に、以前エアグルーヴに教えて貰ったメイクによって目の下に浮かんだ隈は隠す頃は出来たし、居眠りも上手くごまかせたので他の誰かに私の事はバレてはいないはずだ。

 

 

「さ……流石に今回はシャレになんない…………だけどッ! 」

 

 

隣のベッドで寝ているルドルフ先輩を起こさない様に小さく私はそう零した。昨日までも十分に酷かったけれど今夜の痛みは今までに比べて一段と酷かった。これは流石に痛み止めを飲むしかない。

 

動く度に感じる痛みに顔を顰め、さりとて寝ているルドルフ先輩を起こさぬようにと苦悶の声を我慢して震える腕をゆっくりと机の上へと伸ばしていく。

 

私の机は丁度私のベッドの隣、アニメ2期のテイオーの部屋や3期のキタサンブラックと同じ配置なので痛みで動けない状態である今の私でも手を伸ばせば何とか机の上に置いてある痛み止めの入った紙袋を取れる位置にある。

 

 

「も……もう少しぃ…………」

 

 

ゆっくりと震える腕をピンと伸ばし、机の上にある痛み止めを取ろうとするのだけど…………ベッドに入る前に痛み止めを置いた場所が悪かったのかあと少しが届かない。

 

痛みを堪えながら僅かに体を捻ると指先に感じた硬い感触とカサッと紙独特の乾いた音が聞こえた。どうやら今私が触れたのが痛み止めの入った紙袋なのだろう。何とか取ろうと更に体を捻った所で私は運悪く思いっきり体のバランスを崩してしまった。

 

ズルッとベッドの縁から滑ったかと思えば、私の体は床へと叩きつけられた。勿論、叩きつけられたと言っても僅か数十センチの高さなのだけど、忘れないで欲しいのは私の体は今少し動かしただけでも激しい痛みが奔る状態だという事。

 

ドサッと落ちた衝撃とそれによって全身を駆け巡った激痛は、多分前世において麻酔無しで顎を縫った時よりもめちゃくちゃに酷かった。

 

激痛によって洩れそうになる声を寝巻を噛んで必死に抑え、だらだらと溢れ出す嫌な汗を背中に感じながら私は再び机の上へと腕も伸ばした。端から見れば、這いつくばりながら必死に手を伸ばす私の姿は暗闇の時間帯も相まって化け物とかホラゲーに出てくるソッチ系の生き物に見えたかもしれないけれど、残念ながら今の私はそんな事を考えられるほど周りが見える状態では無かった。

 

ベッドから落ちた事で先ほどまでより手が机の上へと届かなくなってしまった。痛む体を歯を食いしばって耐えながら、なんとか椅子を支えに立ち上がろうとしても上手く力が入らず立つ事さえ出来ない。

 

先ほどまでよりも小さく、今度はペタンと床に倒れてしまった時、カーテンの隙間から漏れる街灯の微かな明かりしか無かった部屋が唐突に明るくなった。

 

 

「ネイチャ!? どうしたんだ!」

 

 

急に明るくなったことで眩む視界。そして私の耳から聞こえるドタドタと焦った様な足音と不意に体を誰かに支えられる感覚。

 

椅子に倒れこむ様に蹲っていた私を抱え込む様にして抱きしめたのは先ほどまで規則正しい寝息をたてていたはずのルドルフ先輩だった。どうやら私が考えていたよりも大きな音出してしまって先輩を起こしてしまったのかもしれない。

 

焦った様に私を抱きしめるルドルフ先輩に私は申し訳無さを感じつつも、震える手で机の上に置いてある痛み止めを指さした。

 

 

「すみません…………薬を……薬を取ってください……」

 

 

「薬だな! 分かった、任せてくれ。」

 

 

ルドルフ先輩は私を優しくお姫様だっこでベッドへと運ぶと、寮に備え付けられている水道からコップに水を汲んで机の上にある痛み止めと共に差し出してくれた。

 

ゆっくりと、痛み止めをルドルフ先輩が持ってきてくれた水で流し込んでいく。途中一気に飲み過ぎたのか少し咽てしまったけど、ルドルフ先輩は嫌な顔せず汗で湿気っているはずの私の寝巻の上から背中を優しくさすってくれた。

 

 

「…………ありがとうございますルドルフ先輩。」

 

 

「なに…………君の為ならこれ位なんということはないさ。」

 

 

どれくらいの時間が過ぎたのかは分からないけれど、即効性の痛み止めの効果で少しずつ痛みがマシになって来た私は申し訳無さで小さくそうルドルフ先輩にお礼を言った。そんな私の声に、ルドルフ先輩には柔和な微笑でそう返してくれた。

 

正直に言って、普段なら申し訳無さの方が出るのだけど今だけは素直にルドルフ先輩の言葉が嬉しかった。

 

 

「大丈夫か? 」

 

 

「まだ痛みますけど、さっきまでよりも大分マシになりました。」

 

 

「そうか…………それで……すまないがどうしてこうなっているのか、私にも教えてくれないだろうか?」

 

 

私の手を握りながら、努めて優しく話すルドルフ先輩に私は全てを話した。既に本格化が始まり成長痛があること自体は先輩には伝えていたのだけど、ここ数日は痛みが尋常ではない事や殆ど眠れていない事。日中は目の隈をメイクで隠している事など、本格化の痛みに耐えられない情けないウマ娘だと思われたく無くて隠していた事を素直に告げた。

 

隠していた事を責められるだろうか…………

 

はたまた情けないウマ娘だと思われただろうか…………

 

話すごとに思わず顔を俯かせてしまった私に、「…………そうか。」ルドルフ先輩は一言だけ返してくれるだけだった。

 

私もルドルフ先輩もそれから一言も口を開くことは無い。10秒か、1分か…………はたまた10分も経ったかもしれない。

 

沈黙が部屋を支配する中で唐突に、私はルドルフ先輩に抱きしめられた。

 

 

「話してくれてありがとうネイチャ。大丈夫だ…………私も君の友人もその様な些細な事で君を嫌いになったりしない。むしろネイチャに頼られて嬉しいくらいだとも。」

 

 

「ルドルフ先輩…………」

 

 

「大丈夫、本格化に伴う体の変化はウマ娘それぞれだ。君の……ネイチャの本格化は人よりもキツイものだっただけ。何も恥じる事など無いんだ。」

 

 

ルドルフ先輩は私を抱きしめながら優しい手つきで私の頭を撫でながらそう励ましてくれた。ウマ娘特有の人より高い体温が温かく、私は今だけその温もりに甘えていたかった。

 

 

「…………はい。ありがとうございます。」

 

 

「さて、落ち着いたのなら着替えなければな。そのまま寝てしまっては風邪をひいてしまうかもしてないから。」

 

 

そっと私から離れながら、ルドルフ先輩はそう笑いながら指摘して来た。確かに…………私の寝巻は汗でぐっしょりと濡れているし風邪云々を抜きにしてもこのまま寝るのは不快感があった。

 

 

「そうですね。一度きが「ネイチャはそこで安静にしていると良い」…………はい。」

 

 

「トレセンのジャージで良かったかな?それとも私の予備を貸そうか?」

 

 

「う…………私のジャージでお願いします。」

 

 

「…………そうか。」

 

 

私の代わりに着替えを持ってきてくれるのはありがたいのだけど、ルドルフ先輩は私の返答に少しガッカリした様な、少し残念そうな顔を一瞬浮かべた。

 

ゆっくりと、汗で濡れた寝巻を脱いでいく。痛み止めが効いて大分楽になったとはいえそれでもやはり体を動かすと痛みが来て少しだけ億劫になったけど、何とか上を脱いで寝巻を床へと放った。

 

あまり褒められた行為ではないのだけれど、それ以上動くのは私の体の調子から躊躇われたし何よりルドルフ先輩が素早くてきぱきと私のジャージを持ってきてくれたのでベッドの上から動く必要が無かった。

 

 

「着替える前に少しでも体を拭いた方が良いだろう。ネイチャ少し触るが我慢してくれ?」

 

 

ルドルフ先輩はそう言って私の体に濡らしたタオルを宛がった。少しくすぐったいけれど、水で濡らしてひんやりと冷たいタオルが汗でべた付く私の肌を拭っていく感覚が心地よい。

 

 

「んぅ…………ふぅ………」

 

 

拭われる度に思わずくすぐったさでそんな声が出てしまった。

 

 

「そら、これで終わりだ。体を冷やさない内に早く着替えると良い。」

 

 

「あはは…………すみません、こんな事までして貰っちゃって。」

 

 

いそいそと体操服、ジャージと順番に着替えながらそう呟いた私に、ルドルフ先輩はただ一言「気にするな」と言ってくれた。

 

そんなルドルフ先輩の気遣いが有難くて、私の脱いだ服を洗濯カゴへと入れる為に私から離れて行ったルドルフ先輩の背に小さく頭を下げた。

 

 

「着替え終わったなら電気を消すが良いかな?」

 

 

「あ、はい! 大丈夫です。」

 

 

ルドルフ先輩の問いかけに私がそう答えたあと、少しの間を置いて再び私達の部屋は暗闇へと世界を移した。電灯によって明るさに慣れていた私の目は一瞬にして何も見えなくなり、ぼんやりと明るい窓際とカーテンだけがうっすらと見えるのみだった。

 

ゆっくりと、私はベッドへと起こしていた体を預けた。薬を飲む前と比べれば遥かに楽になった体に、これならば少しは眠れるだろうと少しだけ安堵の溜息を吐いた時、私の纏っていた掛布団が少しだけ捲られた。

 

 

「ネイチャ…………すまないが少しだけ詰めて貰えるかな?」

 

 

「えっと…………先輩?」

 

 

「ん…………これ位でいいかな。」

 

 

てっきり自分のベッドへと戻ると思っていたルドルフ先輩が私のベッドへと入って来たのだ。思わず体を起こそうとしてしまった私をルドルフ先輩は優しくベッドへと押し倒し、そのまま私の隣へと横に…………所謂添い寝の様な状態になった。

 

 

「る、ルドルフ先輩?」

 

 

「なに、私が小さい頃にお母様にして貰った事を思い出してね。」

 

 

ルドルフ先輩はそう言って私を優しく抱きしめると、空いていた手で私の頭をゆっくりと撫で始めた。

 

 

「私が熱を出すと何時もこうして添い寝してくれてね…………風邪だと移るかもしれないというのに…………」

 

 

「…………良いお母様ですね。」

 

 

「まったく…………だが不思議とどんなに辛くてもこうやって抱きしめられるとぐっすりと眠れるんだ。」

 

 

少しだけ嬉しそうに話すルドルフ先輩に、自然と私も笑みが零れた。

 

 

「明日は選抜レースだ。ネイチャは出れないかもしれないが、見るだけでも十分に糧になるだろう。」

 

 

「そうですね。」

 

 

「あぁ。だから今のうちにしっかりと休んで疲れを取ると良い。」

 

 

そう言って優しく撫で続けるルドルフ先輩に甘える様に、驚いて思わず強張っていた体から力を抜いた。ウマ娘特有の人より高い体温が心地よく私の体を包み込んで、それでいてルドルフ先輩が普段使っている柔軟剤のふんわりとした香りも相まって私の体はすっかり安心しきっていた。

 

 

「♪~~♪~~♪~~」

 

 

まるで子守歌の様に、小さく歌うルドルフ先輩の歌声が私の耳を甘く揺らし、私はゆっくりと瞼を落した。

 

穏やかな眠気が私の意識を包み込んでいく感覚を確かに感じながら、しかし私はその感覚に抗うことなく身を任せた。

 

本当に、この心地よさに抗えな…………い…………

 

 

「ふふっ…………おやすみネイチャ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、私もルドルフ先輩もそのまま一緒に眠ってしまい寮長のモンテプリンスさんに遅刻寸前に起こされたのはまた別の話としておきたい。

 

笑いながら起こすモンテプリンスさんに、お互いに抱き着いて眠っていた私とルドルフ先輩という構図はめっっっっちゃ恥ずかしかった!

 

 






PS.人間ってマーライオンになるんですね…………

いや、マーライオンさんすみません。あと出来れば励みになるので感想下さい……


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第37話



いろいろ他の小説を読んでたんですけど…………

もしかしてこの小説ってそこそこ評価高めな感じ……ですか?

いやまさかそんな事無いですよね?


 

 

暖かな4月の春の日差しとは裏腹に、今日この場所だけは一段と熱く燃える様な熱気がトレセン学園のターフを支配していた。

 

何時もならば優しく体を拭き抜ける春の風も、今は踏みしめられ千切れ飛んだ芝の葉が風に乗って漂い、踏みこまれ巻き上げられたダートの砂が淡い黄砂の如く空気を沸かせている。

 

燃え滾るウマ娘達の熱気によって実際よりも遥かに暑苦しく感じるこの場所は、進級した2年生一同最初の苦難の関門として熱く、それでいて凍てつくかの様な圧迫感を醸し出している。

 

今日、このターフで行われるのは第1回目の選抜レース。2年生、そして3年生が担当トレーナーを求め、そしてトレーナーは輝ける原石を見つけてスカウトする場、その最初の選抜レースだ。

 

そんな中で私が何をしているのかと言えば、外ラチ沿いにある観客席(を模したただの休憩ベンチだけど)でのんびりとこの日1日行われる選抜レースを眺めていた。

 

 

「いやぁ…………走れるって羨ましいですなぁ…………」

 

 

太腿に腕を立て、頬杖をついてレースを眺めている私は思わずそう独り言を呟いてしまった。

 

退院後の経過観察や成長痛がヤバイ本格化の最中だから出走出来ないのは仕方がないし、また昨夜(実際には今日の午前2時くらいだけど)の件もあってこうやって他人が走る姿を見て学べることが無いか探すのもトレーニングの1つだと頭では割り切れてはいるのだけど…………

 

やはりと言うべきかなんというべきか理屈と衝動と言うのは別だと言いはるかの如く、本格化の始まりによって多少落ち着いていた私の走りたいという疼きが少しずつ沸き上がって来るのだ。

 

時刻は既に昼を回り、既に短距離の1200メートル、マイルの1600メートルでの選抜レースは終わっている。私の知り合いの中ではエアグルーヴとスズカがマイル1600メートルでそれぞれ出走していたのだけど、やはり流石ネームドウマ娘と言うべきか…………エアグルーヴは安定の先行1バ身勝利。スズカもまぁいつも通りの先頭民族っぷりを発揮して3バ身差の勝利と、同レースに出走していたウマ娘達とは頭1つ抜けた実力を発揮していた。

 

もっとも、私が見ていたのはレース中の彼女達であって、その後にエアグルーヴやスズカにスカウトが来たのかどうかは未だ知らないし、連絡も来ていない。私としては男であれ女であれ彼女達に寄り添って導いてくれる様なトレーナーが付くことを祈るだけだ。

 

そしてこれから始まるのは中距離2000メートルの選抜レースだ。此処にはライアンとフラッシュ、そしてシリウスの3人が出走する事になっているが…………正直言って羨ましい。

 

 

「やぁネイチャ。隣座ってもいいかな? 」

 

 

唐突に、後ろからそう声を掛けられた私が声の方へと顔を向ければ、普段の制服姿とは違うジャージ姿のテンポイントさんがそこに佇んでいた。

 

 

「どーぞどーぞ。テンポイントさんも選抜レースの見学ですか?」

 

 

「それでは隣に失礼するよ。ほら、これは土産だ。」

 

 

退院してからというもの本格化騒ぎも相まってあまりテンポイントさんとゆっくりお喋りする時間が無かったので、私は少しだけ嬉しくなってテンポイントさんへとそう返した。

 

テンポイントさんから差し出されたペットボトル。受け取ると手のひらに伝わる温かさが心地良いホットの飲み物を頂きながら、私は少しだけベンチからズレる様に人1人分のスペースを開けた。

 

私の隣へとテンポイントさんが座り、そのまま何気なくレース場のターフを見ていた。つい先ほど終わった何回目かの選抜レースに出走した娘達が残っているターフを2人でのんびりと眺めると、あるウマ娘はトレーナーからスカウトを受け、またあるウマ娘はスカウトこそ来ないものの自身の走りに確かな手ごたえを持って、そしてまたあるウマ娘は悔し涙を吞んでターフから去って行く様子が遠目でもよく分かった。

 

 

「体の調子はどうだ?たまたま先ほど会ったルドルフから聞いたが随分と重いのだろう?」

 

 

少しだけ心配そうに私へと視線を向けながらそう口を開いたテンポイントさん。どうやら私が居ない間にルドルフ先輩が伝えていたらしいが、まぁ今更隠す事も無いし私は素直に肯定した。

 

未来の皇帝(こうてい)の話に肯定(こうてい)…………ふふっ。

 

 

「えぇまぁ…………夜中は成長痛で滅茶苦茶痛いんですけど昼間は痛みも引いてますし、終わった後に何処まで成長しているのか楽しみでもありますよ。」

 

 

「そうか。私も本格化は少し重い方だったがネイチャほどでは無かった。ショウのヤツなんかは本格化に気づいてなかったくらい軽かったしな…………」

 

 

思い出すかの様に溜息を吐きながら空へと視線を移したテンポイントさんに、私は思わずあぁやっぱり私の本格化は重い方なんだと再確認させられた。

 

まぁ、今夜からは大人しく痛み止めも飲むようにして本格化が終わるまで待つしかない。そう思って小さく溜息を吐くと、何を思い出していたのかは知らないが同じ様に溜息を吐いたテンポイントさんとタイミング良く被ってしまいきょとんと2人で目を合わせた後に思わず笑い合った。

 

 

『まもなく、選抜レース中距離2000メートル部門を開始します。第1レース出生者はゲート前に集合して下さい。』

 

 

アナウンスが流れ、僅かながらターフに選抜レースを見に来ていた周りの人達に活気が戻って来る。なにせトレーナーもウマ娘も誰もかれもが目指す華のクラシック、そのメインである日本ダービーもオークスも共に中距離でのレースだ。

 

より才能のあるウマ娘をスカウトする為に、自身のライバルを見極める為に、どうしても中距離の選抜レースは注目が集まりやすいのだから仕方ないとは思う。

 

 

『第1レース、出生者の紹介をします。1番ミニキャクタス、2番デュオスヴィル、3番…………』

 

 

実況席から1回目の選抜レースの出走者の紹介がアナウンスされていく。はてさて私の知り合い達は一体何レースに出走するのやら…………

 

事前に出走レースくらい聞いておけば良かったとちょっとだけ後悔したものの、まぁこれはこれで良いかとのんびり待つしかない。

 

 

ピロリン! とテンポイントさんとのんびり待っていると唐突に私の制服に仕舞っていたウマホからそんな電子音が聞こえた。もぞもぞと、制服からウマホを取り出して通知を確認すると送り主は今回の選抜レースを走るはずのシリウスだった。

 

 

『おい、今日の第3レース。しっかり見てろよ?』

 

 

短くそう書かれた文章に、私は思わず笑みが零れた。

 

全く、レース前なのにウマホなんて触っていていいのかと注意すればいいのか、はたまた文章は兎も角として自分の走るレースをわざわざ教えてくれたことに感謝すれば良いのか…………

 

自信満々と言った顔を浮かべるシリウスが脳裏を過って、それが更に私の顔を緩ませる。

 

 

『はいはいちゃんと見てますよ~っと。

 

シリウスも、ウマホなんて触ってないでちゃんとアップするんだよ?』

 

 

『問題ねぇよ。これは慢心じゃなくて余裕ってやつさ。』

 

 

『ならいいけど、怪我しない様に楽しんでらっしゃいな。』

 

 

そんな感じで軽くシリウスと会話してから、私はウマホを再び制服へと仕舞った。

 

 

「どうしたネイチャ? 先ほどより嬉しそうだが。」

 

 

「いやぁ…………自信満々な1等星様がですね?しっかり私の走りを見てろよって連絡して来まして。」

 

 

テンポイントさんの言葉に私が笑いながらそう答えると、テンポイントさんも合点がいったのか少しだけ笑顔を見せた。実はシリウスもテンポイントさんと知り合いである。とはいっても直接話した事は少ないんだけど、何せほら…………シリウスはルドルフ先輩に毎日突っかかって行くからさ。

 

テンポイントさんと仲良くさせてもらっている私とルドルフ先輩経由でシリウスもめでたくテンポイントさんとお知り合いになった訳ですよ。

 

 

『さあ! 各バゲートインが完了しまして…………今スタートしました! 』

 

 

テンポイントさんと話している途中で、実況席からそんな声が聞こえた。

 

向こう正面から聞こえてくる地を駆ける多数の足音がまるで地鳴りの様に耳を震わせ、観戦しているトレーナーやウマ娘達は声を大にして声援を送り始める。

 

走る者、見守る者、声援を送る者…………それぞれ違うのに、まるでそれらが混ざりあいこのレース場を1つの生き物にしたかの様な熱い一体感がひしひしと私の五感を刺激し続けるのだ。

 

短距離戦もマイル戦もそうだったけど、走っている側に居ては分からなかったこの一瞬にして肌をゾワっと泡立たせる様な熱い一体感。前世のどんなスポーツでもこの熱量にはきっと届かないだろう。

 

 

『さぁ最終コーナーを抜けて各バ最後の直線へと向かって行く!中距離選抜1回目、1着を獲るのはどのウマ娘なのか!』

 

 

熱い空気を押しのける様に、6人のウマ娘がコーナーを駆けて行く。上手くコーナーを曲がって内ラチのスペースを開けない者が居れば、苦手なのか少しずつ外へと膨らんで行く者が居る。早めにスパートを掛ける者も居ればギリギリまで脚を溜めている者も居る。

 

各々が自身の出来る最大限を使ってコーナーを駆け抜けて、ラストの最終直線へと挑んでいく。

 

 

『先頭は依然としてデュオスヴィル! しかしその後ろから猛追して来るのは6番のナターレノッテ! 彼女の最後尾からの追い込み一気は炸裂するのか!? 』

 

 

最終直線に入ってより熱くなる実況をかき消す様に、6人12脚の脚はターフを蹴り上げて空気の壁を物ともせずに私達の目の前を走り抜けて行く。

 

 

『逃げ切れるのかデュオスヴィル! 差し切るのかナターレノッテ! 最後の直線勝負、勝つのはどっちだ! 差し切った! ナターレノッテ1着でゴールイン! 』

 

 

地鳴りの様な蹄靴の音を響かせて、私達の前を走り去った彼女達。僅か数秒にはその実況と共に割れんばかりの歓声がこのターフに響き渡った。たかだか選抜レースでこの盛り上がり、これが重賞…………それもG1レースになれば一体どれほどまでに盛り上がってしまうのか…………

 

アプリ、アニメでしか知らない(前世)も、テレビでしかレースを見たこと無い(今世)も、この生の声援と熱狂は初めての体験だった。

 

 

「素晴らしいレースだった。未だ未だ粗削りで、苦手を克服出来ていない娘も多い…………が、それでも1着の栄光の為に真剣に走る若人の走りは毎年そう思えてならない。」

 

 

「いやいや…………何言ってるんですか、テンポイントさんも十分若いじゃないですか。」

 

 

「なに、私にも色々と思う所が有るのさ…………ナイスネイチャ、君の走りにも期待しているよ?」

 

 

優しく微笑むテンポイントさんの言葉に私は思わず開きそうになった口をつぐんで曖昧な顔をするしかなかった。

 

言えない…………アンタが若くないならマルゼンスキーとかどうなるんだとか言えない。言ったら最後…………バレてしまえば私はタっちゃんで夜の峠へと連れていかれる未来が見えたから。

 

 

「さて、第1レースは終わったがレースはまだまだ続く。シリウスがどんな走りをするのか楽しみだ。」

 

 

「そ、そうですね。」

 

 

「ん? どうしたネイチャ? 」

 

 

「いえ…………ナンデモナイデス。」

 

 

湿気ったマッチに火を着ける時の様なもやもやを抱えつつも、私はテンポイントさんからレース場へと視線を戻した。

 

未だ次走の準備をしているターフを眺めながら、私は気持ちを切り替える為に小さく息をついてテンポイントさんから頂いたお茶へと口を付けた。

 

 

「…………ニッガ!? 」

 

 

余りの苦さに思わず顔を顰めた私。慌ててラベルを見ればそこに書かれていたのは『蜘蛛茶』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パタンっと、シリウスは自身のウマホを閉じてジャージのポケットへと仕舞った。

 

 

(楽しんで来てね…………か。)

 

 

つい先ほど短くも連絡を取っていた相手…………ナイスネイチャのその言葉を思い出してシリウスは不敵に笑った。

 

シリウスにとって、ナイスネイチャは超えるべきライバルでもあり夢を語り合った友人、そしてシリウスの原点を思い出させてくれた恩人でもある。勿論ナイスネイチャ本人の前ではシリウスは絶対に口を滑らせないだろうが、彼女が倒れた時は心配したし、目を覚ました時だって内心安堵の溜息を吐いていた。私が1年前のシリウスに語ってもきっと信じないだろう。シリウスは思わずそんな事を思ってしまった。

 

ナイスネイチャは不思議なウマ娘だ。

 

普段は余り他者と関わらず親しいウマ娘達としか話さない。コミュ障なのかと言えばそうでも無く、どちらかと言えばトレーナーや学年が上の先輩達との会話が弾んでいる事から会話が苦手という訳でも無い。

 

シリウス自身も、ナイスネイチャと話している時は時たま年上と会話している気分になる位には彼女の精神性というか、大人びた雰囲気を感じていた。

 

話している最中も『星の旅人』とか時たま詩的な表現を使って来たりと、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それはそれは後世に語り継ぐ語り部の様に、ナイスネイチャは語る事がある。

 

しかし一度スイッチが入れば、ナイスネイチャの纏う雰囲気は一気に強者のソレへと変わる。シリウスとしては余り思い出したくは無かったが、昨年初めてナイスネイチャと会った時の彼女の雰囲気は…………

 

そこまで考えていた所で、シリウスは少しだけ顔を横へと振った。兎も角として、シリウスにとってナイスネイチャというウマ娘は不思議なウマ娘であり、普段と走る時のギャップや振る舞いを全部含めてシリウスは彼女を認めている。

 

ナイスネイチャはおもしれー女である(不思議なウマ娘である)

 

だからこそシリウスは彼女を表舞台へと引きずり出したい。シリウスの夢は世界を取る事だ。自身こそ名前の通り1等星(スター)だと世界中に認めさせる事。

 

だからこそ、例えこの世界が物語のお話であったとして、その主役は私だと。シンボリルドルフでは無く私を見ろ! っと…………そしてそのライバルとして彼女を世界という大舞台のステージへと無理やりにでも引きずり出し、そう認めさせてやりたい。

 

シリウスはまた少し笑みを深める。自身のライバルで友人で恩人…………そんな彼女が世界の表舞台へと出た時どんな顔をするのか。どんな反応をするのか。

 

 

(あぁ、楽しみだ。)

 

 

不敵な笑顔を深めたまま、シリウスは内心でそう思う。

 

自身の選抜レースが始まるまで、まだ時間はある。シリウスはまるで獲物を狩る肉食獣の様な雰囲気を纏わせながら粛々とアップを済ませるのだった。

 

 

 

もし未来においてナイスネイチャがそんなシリウスの内心を聞いたならこう思うだろう。

 

 

(今まで友達が居なかったからってシリウスは友達への想いを拗らせ過ぎでは?)

 

 

実はこのシリウスシンボリ、ナイスネイチャが人生で初の友達だったのはここだけの秘密である。

 

 






そろそろレースしろよって怒られそうで怖い。

誤字報告、感想、何時も有り難うございます。

最近はNaval actionっていう帆船ゲームをずっとやってて中々執筆出来ませんでした。

だっていつの間にかクランの造船幹部になってて毎日クランの資材管理と造船のてんてこ舞い…………だったんです。

帆船ゲーって面白いですよ。時間が溶ける溶ける…………


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番外 1等星の視線の先



ギリギリ今月投稿出来ました…………


 

 

1歩脚を進める度に、彼女の鼓動は燃える様な熱さを体の隅々まで巡らせる。犬歯が見えるほどに深く切り上がった笑みは獰猛な肉食獣を彷彿とさせ、全身から溢れ出る闘志はプレッシャーとして無差別に近くに居たウマ娘達に無言の圧力をかけ続けた。

 

底の見えない、燃え盛る炎の様な闘志とは裏腹に釣り上がったヴァイオレットオレンジの瞳に灯されるのは見る者を硬直させるほどの凍てつく様な理性を宿した光。

 

彼女…………シリウスシンボリは競争ウマ娘として今出来うる中で最高のコンディションだと言えた。

 

例えるならば、周りのウマ娘が数打ちの刀であるならば、今のシリウスシンボリは名刀だろう。

 

和泉守兼定かもしれないし、虎徹かもしれない。孫六、正宗と受け手によって分かれるかもしれないが、今のシリウスシンボリはその名刀が鍔を鳴らしその研ぎ澄まされた刃を鞘から今か今かと抜かんとしている。

 

 

「やあ。」

 

 

「…………何をしに来たルドルフ。」

 

 

周りのウマ娘がシリウスシンボリが無意識に放っている威圧感から距離をおく中で、我関せずと涼し気に佇んでいたシリウスシンボリに声を掛けたのはシンボリルドルフだった。

 

 

「いやなに、従妹が初めて選抜レースに出走するんだ。最初くらい応援しにと思ってね。」

 

 

「そうかよ。」

 

 

「案外緊張しているかも…………と思っていたが、フフッ……どうやら私の杞憂だったようだね?」

 

 

微笑ながらそう告げるシンボリルドルフの言葉に、シリウスはハッと鼻で笑う。緊張? 私が? そんな物する訳無いと言わんばかりにシリウスシンボリは不遜で自信に満ちていた。

 

 

「見たら分かるだろルドルフ。少なくとも今日、この場において敵は居ねぇ…………主役はただ1人、この私だ。」

 

 

「確かにシリウス、君は頭1つ抜けた実力を持っているだろう。だが選抜レースの意味は担当を見つける事にある。

 

私は幸いにもおハナさんからスカウトを頂いたが、君の態度次第ではどんなにレースが強くてもスカウトが来ない可能性だってある。」

 

 

釘を刺す、と言うよりもどちらかと言えば従姉としてのアドバイスで口にしたシンボリルドルフの言葉に、シリウスはただ鼻で笑って返した。

 

シリウスシンボリの夢はシンボリルドルフに並ぶほど困難な道のりである。トゥインクルシリーズ、ひいてはURA史の始まりから今まで誰も成しえていない世界を取るというあまりにも高い夢の頂は、並大抵のトレーナーではまず萎縮して彼女と共に歩き、走ることすら出来ないだろう。

 

中には海外に行かせず国内で走らせようと夢を諦めさせようとするトレーナーも居るかもしれない。実力のあるシリウスシンボリを勝たせられなければ自身が世間から批難を浴びるかもしれないと恐怖してしまうトレーナーだって居るかもしれない。

 

シリウスシンボリが求めるトレーナーとは自身に従順なトレーナーか、もしくはどんなに正面から衝突しても共に夢へと目指してくれる心の強いトレーナーだ。シンボリルドルフがどういった心境で言葉を発したのかシリウスシンボリには分からないし、そもそもとして分かろうともしていないが、ただこれだけは言わなければと口を開いた。

 

 

「そもそも前提がちげーんだよ。私がトレーナーのスカウトを受けるんじゃねぇ、私が私に合うトレーナーをスカウトするんだ。

 

…………そこを履き違えるんじゃねぇよルドルフ。」

 

 

強い口調でシンボリルドルフにそう宣言したシリウスシンボリ。いや、シンボリルドルフだけではない。この場に居る他のウマ娘や声の届く範囲に居るトレーナー達にも聞こえる様にハッキリとそう口にした。

 

シリウスシンボリがただのトレセン学園の主人公(モブ娘)であれば、彼女の宣言はトレーナー達から鼻で笑われ、他のウマ娘からは多大なヘイトを買うだけだっただろう。だがしかし、シリウスシンボリはただの主人公(モブ娘)では無かった。

 

彼女もまた、目の間にて佇むシンボリルドルフと同じくウマ娘の歴史に名を刻む主人公(一等星)の素質を持ったウマ娘だった。

 

 

『中距離選抜レース、第3レースの出走者はゲート前に集合してください。』

 

 

シリウスシンボリの宣言によって生じた沈黙を破ったのは、ターフに響く実況席からのアナウンスだった。

 

 

「じゃあな…………良く見ておくんだなルドルフ、私の走りを。」

 

 

そうシンボリルドルフへと告げて、シリウスシンボリはゲート前へと去って行く。固まっていた他のウマ娘も、シリウスシンボリに遅れて慌てて移動を開始していった。

 

この場に残されたのはシンボリルドルフと、やや遠巻きに見ていたトレーナー達だけだ。

 

 

「フフッ…………君も変わったな、シリウス。」

 

 

シリウスシンボリが去った後、シンボリルドルフは呟く様にそう1人で呟いた。1年前のシリウスシンボリだったならば、トレーナーなんて誰でも良い自分1人で勝つ…………そんな事を言ったことだろう。

 

シンボリルドルフはゆっくりと元来た道へと歩き始めた。ひとまずは観客席へ、きっとそこに目的の人物が居るはずだと。

 

 

「シリウス…………君の走りにも期待しているよ。」

 

 

昔の思い出を思い出して、シンボリルドルフは届かぬともそう口を開いた。自身の昔の事なぞ忘れてしまって(棚に上げて)そう感傷に浸るシンボリルドルフだが、残念な事にそこに突っ込んでくれるはずのシリウスシンボリは既に居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まもなく始まります中距離選抜レース第3回、出走ウマ娘の紹介をいたします。』

 

 

出走ゲート前に集まった6人のウマ娘達。緊張で震える者、生唾を飲み込む者、笑顔で周りにアピールする者など多種多様だが、全員が大なり小なり不安を持つ中でただ1人…………シリウスシンボリだけはその様な素振りが見えなかった。

 

 

『1番オクシデントフォー

 2番タイムティッキング

 3番フェアリーズエコー

 4番デュオタージェ

 5番テイクオフプレーン 

 6番シリウスシンボリ

 以上6人のウマ娘です。』

 

 

1人、また1人と実況席に紹介されたウマ娘が係員に連れられてゲートの中へと入って行く中で、早くもシリウスシンボリは勝利を確信して笑みを溢す。

 

 

(どいつもこいつも体調管理すらなっちゃいねぇ…………)

 

 

シリウスシンボリが事前の調べによれば、1番のオクシデントフォーと2番のタイムティッキングと呼ばれたウマ娘が差し、3番のフェアリーズエコーが追い込みで、続いて4番のデュオタージェが先行、5番のテイクオフプレーンが逃げと、多用する作戦などは頭に叩き込んでいた。

 

しかし今目の前にいる5人のウマ娘のコンディションはどうだろうか?

1番のオクシデントフォーと2番のタイムティッキング、5番のテイクオフプレーンは緊張しすぎているのか体の動きが硬く不調気味、3番のフェアリーズエコーに至っては絶不調と言っても良いくらいにオロオロとしている。

 

唯一コンディションが良好そうなのが先行バである4番のデュオタージェ。笑顔で周りに手を振ってアピールしているのも彼女だった。

 

シリウスシンボリはトレーナーではない。友人のナイスネイチャの様にウマ娘のトレーナーになる気も無いからコンディションの悪化が何処までタイムに響くのかなどシリウスシンボリ自身の体感と今までの経験でしか分からない。

 

 

(一応念の為に4番を警戒しておこう。他は切り捨てて良いだろうな。)

 

 

脳内で警戒すべきウマ娘を浮かべながら、シリウスシンボリも係員に案内されてすんなりとゲートへと入って行った。ウマ娘の中にはゲート入りを嫌がる娘も居るが、今のシリウスシンボリはゲートに対して嫌いでも無いし、別段好きと言う訳でも無い。

 

小さい頃は狭いし暗いしと、泣きながらゲート入りを嫌がっていたシリウスシンボリだったが、シリウスシンボリの父親が仕事の合間を縫ってはシリウスシンボリの練習に付き合っていたからか、今ではとくにゲートに思う所はなかった。

 

 

『各バゲートに収まりました。まもなくレースがスタートします! 』

 

 

一瞬の静寂。

 

高ぶる闘争心を理性で制御しながら今か今かと待ちわびるシリウスシンボリが己の脚へと力を込めた瞬間に、目の前の鉄の扉が重い金属音を響かせながらその口を開いた。

 

 

『さぁ今スタートしました! 好スタートを切ったのは5番テイクオフプレーンと6番シリウスシンボリ! 3番のフェアリーズエコーは出遅れてしまったか? 』

 

 

目の前のゲートが開いた瞬間にシリウスシンボリは地を駆けた。やや遅れて隣のゲートに入っていた5番のテイクオフプレーンが逃げウマらしくシリウスシンボリを追い抜いて先頭を奪いにかかる。

 

シリウスシンボリは大人しく先頭をテイクオフプレーンへと譲った。シリウスシンボリとしてはここでテイクオフプレーンとハナの奪い合いをしても良かったのだが、そも今回のレースでは6人中4人がコンディションが不調でまともなレース展開になるとは思えなかった。

 

現に先頭を譲ったテイクオフプレーンは必死の形相でシリウスシンボリとの距離を離そうと加速を続けている。シリウスシンボリから見てもテイクオフプレーンが掛かっているのがよく分かった。だからこそシリウスシンボリはハナを譲り自身が最も得意であり、王道の先行抜け出しを選んだ。無理に奇を狙わなくても十分に勝てると踏んだからこその選択だった。

 

 

『まもなく各バコーナーに入って行くが未だ先頭は5番テイクオフプレーン!

 

続いて2バ身離れて6番シリウスシンボリとその内に4番のデュオタージェ。

 

その後ろ1バ身に固まって1番のオクシデントフォーと2番のタイムティッキング!

 

最後方のに3番のフェアリーズエコーです。』

 

 

コーナーに差し掛かり、シリウスシンボリは僅かに脚に力を込めた。遠心力によって外へと膨らみそうになる体を無理くり抑え込んだ。

 

コースの最短距離である内ラチ際は通れない。ちらりと左を見ればシリウスシンボリの後方内側に4番のデュオタージェが喰い込んで来ていたからだ。無理にでも内ラチへと寄せてしまえばシリウスシンボリが斜行判定を貰いかねなかった。

 

 

(チッ……やはりコイツ(4番)に警戒を移して正解だったな…………)

 

 

内心で舌打ちしながらシリウスシンボリは今のポジションを維持するしかない。仕方なくシリウスシンボリは作戦を変えて、前を走るテイクオフプレーンが蹴り上げた芝や土の欠片に怯むことなくその真後ろへと僅かに自身を加速させた。

 

ピッタリとテイクオフプレーンの真後ろへと着いた途端に今まで感じていた風の壁が弱くなる。車のレースや競輪などで良く使われる、前を走る者を風よけに使い自身の負担を減らし速度も上げることが出来る所謂スリップストリームと呼ばれる技法だが、ウマ娘相手にスリップストリームを行おうとすると前を走るウマ娘が蹴り上げた土や芝、ダートならば砂を被る事になる。

 

飛んでくる土や芝をものともしない精神力、些細な相手の動きも見逃さない集中力。レースを走る距離が長くなればなるほど、それらが多大なストレスとなってスリップストリームに慣れないウマ娘は集中力を乱されていく。

 

無論の事、シリウスシンボリにはそんな事など関係なかった。飛んでくる土や芝をものともしない精神力など朝飯前であったし、些細な相手の動きも見逃さない集中力も、そもそもこれがレースである限りスリップストリームに限らず絶対に必要であることを良く理解していた。

 

コーナーも中ほどまで走り、シリウスシンボリは自身の脚に溜めていた力を徐々に解放していく。

 

例えるならば蛇口をゆっくりと捻るかの様に、スリップストリームの恩恵もあって普段より加速するシリウスシンボリの体。タイミングも上々、このまま加速すれば最終直線に入るギリギリで先頭を走る5番のテイクオフプレーンに並びかける事が出来るだろう。

 

一筋の汗がシリウスシンボリの薄く開いた口内へと流れ込み、乾き始めた口の中に薄っすらと淡い塩味が広がってゆく。だが、そんな些細な事などお構いなしに他のウマ娘よりも早くスパートを掛けたシリウスシンボリ。

 

否。シリウスシンボリにとってはスパートを掛けた認識などは無かった。ただ最終直線で仕掛ける為に位置取りを調整しているだけだ。だがその加速を他のウマ娘達の視点から見れば、それはシリウスシンボリが早めにスパートを掛けているとしか思えないほどの加速だったのだ。

 

恐らく、誰よりもシリウスシンボリの加速に驚いたのは恐らく4番のデュオタージェだっただろう。

 

目の前で一気に加速したシリウスシンボリを目にしてしまったデュオタージェはその闘志で吊り上がった目を丸く見開いて驚愕してしまった。

 

何せその加速は彼女のスパートとほぼ同等、このまま行けば掛かり気味に先頭を走っているテイクオフプレーンをスパートで抜く事が出来ると計算していたデュオタージェとしてはシリウスシンボリの行動は余りにも予想外だった。

 

テイクオフプレーンは兎も角、此処でついて行かねば最終直線でシリウスシンボリを捉え切れるか分からない。他のウマ娘達とは違ってきちんと自身のペースと周りの状況を把握していたデュオタージェはシリウスシンボリに着いて行くか迷った。

 

そう、迷ってしまった。

 

 

『最終コーナーももうすぐ終わり! 6番のシリウスシンボリがぐんぐんと加速して先頭のテイクオフプレーンへと迫って行く!

 

テイクオフプレーンも粘るがこれは苦しい! 2バ身後方の4番のデュオタージェも追う様に加速するがこれは苦しいか?

 

並んだ! シリウスシンボリが今5番のテイクオフプレーンを外から躱した! ここから先は最後の直線勝負! 勝つのは一体誰だ! 』

 

 

僅か数秒…………

 

デュオタージェがシリウスシンボリに続いて加速するか悩んだその僅か数秒で、シリウスシンボリは先頭を走っていたテイクオフプレーンを軽々と追い抜いていた。

 

予定通り最終直線の入り口で並び追い抜いたシリウスシンボリは僅かに口元で笑みを浮かべる。

 

 

(さぁ見ていろ、私の走りを! )

 

 

心の中でそう吼えたシリウスシンボリはスパートを掛けるべく先ほどの加速とは比較になど成らないくらいに自身の脚へと溜めた力を巡らせた。

 

その瞬間、シリウスシンボリの脚元が爆発した。

 

そう周囲が錯覚してしてしまう程に、深く蹴りこんだ彼女の脚がターフを抉りまるでダートの砂煙の如くその芝を土ごと蹴り上げたのだ。

 

 

『ここで一気にシリウスシンボリが仕掛けた! さっきまでの加速はスパートでは無かったのか!?

 

もはやこれは独走状態! 他のウマ娘は誰もシリウスシンボリに着いて来れない! 』

 

 

テイクオフプレーンを追い抜き、スリップストリームの恩恵が無くなった事で再び感じることになった強烈な空気の壁。普通ならば加速が鈍り最高速が伸び悩むはずのソレは、名刀『シリウスシンボリ』にかかればそんな壁などは関係ないと轟々と唸る風切り音を無視して、居合の如く溜めた脚でもって切り裂く様に加速し続けた。

 

 

「「む、無理ぃ~! 」」

 

 

風圧によって倒れていたシリウスシンボリの耳に、後ろで必死に追っていたテイクオフプレーンとデュオタージェの諦めにも近い悲鳴が聞こえた。

 

いや、テイクオフプレーンとデュオタージェだけじゃない。その更に後ろで走っていた残りの3人も同様だった。全力で…………己の限界ギリギリのスパートでもシリウスシンボリに追いつけないというその現実が、シリウスシンボリ以外の5人のウマ娘を嫌と言う程に苦しめていた。

 

 

「ふん……自己管理も出来ないくせに弱音だけは一人前かよ。」

 

 

シリウスシンボリが小さく放ったその言葉は風切り音に紛れて誰にも聞かれること無く消えて行った。シリウスシンボリからしてみれば、レースというモノは当日に始まるのでは無い。その前の段階、準備から体調から全て始まっていると考えている。

 

だからこそシリウスシンボリ自身も十全にコンディションを万全にしていたし、ギリギリまで見極めて走るウマ娘の中でも比較的コンディションが整っていると感じていた4番のデュオタージェを警戒対象にすることにしていたのだ。

 

準備も体調も何もかも不十分。レースに己の十全を尽くせないなど言語道断。他のウマ娘に対してそう切って捨てたシリウスシンボリは警戒も何も、最早彼女達なぞ眼中に無いと言わんばかりに更に加速した。

 

荒くなる吐息。流れ出る汗。轟々と一切その他を遮る風切り音。

 

その全てを振り切るかの様に、シリウスシンボリはただ間近に迫るゴールだけを睨み続けた。

 

 

『今6番のシリウスシンボリがゴールイン! 第3レースを征したのは見事な他を圧倒し末脚を見せつけたシリウスシンボリ!

 

2着は3バ身差で4番のデュオタージェ! 3着は僅差で2番のタイムティッキング! 』

 

 

ゆっくりと、シリウスシンボリはその脚を歩みへと変えて行った。走り終わり、仮設の掲示板を見ればそこには堂々と掲げられたシリウスシンボリ(6番)の文字。

 

だが、シリウスシンボリに歓喜と言う感情は沸かなかった。

 

 

(勝って当然だった…………つまらねぇ。)

 

 

走り終わったことでドッと溢れ出して来た汗を無造作に腕で拭いながら、つまらなさそうにシリウスシンボリは胸中でそう呟く。

 

つまらなかった。

 

シリウスシンボリがこの選抜レースを走りきって感じた唯一の感情はただそれだけだった。

 

もし、第三者がシリウスシンボリの独白を聞いていたならば、競争ウマ娘として配慮に欠けると思うだろうか。

 

それとも、今回は運が良かったから勝てたのだとシリウスシンボリの勝利を疑うのだろうか。

 

初めての選抜レース。今後の運命を決める最初の関門。

 

確かに精神的にかなりの重圧があったのかもしれない。しかしそのことを差し引いたとしても、シリウスシンボリにとって今回のレースを走ったウマ娘達はつまらなかった。体調すら調整出来ない未熟さ、圧倒的強者(シリウスシンボリ)を前にしてそれでもなお食らい付こうとする根性も無い。

少なくとも…………今も観客席でレースを観戦して居るであろうライバル(ナイスネイチャ)がレースに出走していれば…………

 

残念ながら本格化の到来によって今回の選抜レースに出走していない自身の友人でありライバルでもあるナイスネイチャを思い浮かべたシリウスシンボリは、小さく頭を振って思わず思ってしまったことを否定した。

 

 

(…………考えても仕方ねぇ。今回はこれで納得しといてやるさ。)

 

 

ターフに背を向けて、シリウスシンボリは静かに選抜レースという舞台から降りて行く。

 

何せ選抜レース自体はただの切っ掛けに過ぎないのだ。選抜レースの目的は担当トレーナー(ウマ娘)を見つけること。トゥインクルシリーズを共に駆ける相棒を探さなければ選抜レースを走った意味が無くなってしまうのだ…………

 

レース前にシンボリルドルフに宣言した通り、シリウスシンボリは自身に合うトレーナー(子犬)を探す為に周囲にトレーナーが群がる中をスルスルと掻き分けて、そして人込みの中へと消えて行った。

 

 

 

もっとも、シリウスシンボリの宣言を聞いていなかったトレーナー達に囲まれ、耳を絞って物凄く不機嫌になっていたシリウスシンボリをナイスネイチャが見かけたのはまた別の話だろう。

 

 

 






文章中の矛盾点とか改善点とか遠慮なく感想で指摘してください。

『つまんない』とか『おもしろくない』だけだと流石に辛いですけど、そう言った改善出来るご指摘は大切ですからね。


まぁ、その前に私は煙草の量を減らさなきゃですけど…………(執筆中だけで煙草2箱消費)




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第38話



ネイチャさん誕生日おめでとう。





 

 

早いもので、最初の選抜レースが開催されてからもう既に1ヶ月が経った。

 

そう、1ヶ月も経ったのだ…………

 

1回目の選抜レースは仕方ないとしても、月2回あるはずの選抜レース…………まさか2回目の選抜レースすら私は出走することが出来なかった。

 

本格化に伴う身体の変化。夜毎に痛む成長痛は中々私から消え去ることはなく、諦め悪くギリギリまで粘ってみたのだけれど結局ルドルフ先輩やテンポイントさん、そして一応沖野さんと相談した上で第2回の選抜レースも出走を見送ることにした。

 

走れなくて悔しい…………と言うよりも出走出来なくて残念だ、という気持ちの方が強い。

 

不思議な事に、ルドルフ先輩曰く一般的なウマ娘の本格化と言うのは早くて1週間。長くても2週間行かないくらいで終わりを迎え本格的な走りの体へと成長するのだとか。だがしかし、私の本格化は1ヶ月経った今でも未だ終わりを迎えることはなく。果たして本格化がいつ頃に終わるのか、皆目見当もつかない状態なのである。

 

これには私を含め、多くの知り合い達が首を傾げながら待つしかない。幸いなのは、ピークを越えたのか成長痛の痛みが日に日に小さくなっていること。

 

最近では痛み止めを飲まずとも夜中に痛みで起きることなく眠れているから、恐らくもう少しすれば完全に成長痛を感じることも無くなって本格化も終わると思われる。

 

とは言えそんなこんなで未だ競争ウマ娘としての一歩を踏み出せないでいる私だけれど、かといって夢に向かって脚を止める訳にはいかない。

 

 

「副木は前腕の下から添える様に、そうです…………固定は肘と手首の2か所を三角巾で縛る様に。」

 

 

「こんな感じかな?大丈夫南坂さん、痛くない? 」

 

 

視線の先に写る南坂さんの細く、けれどしっかりとした腕に私は手に持っていた三角巾で添えていた副木と腕を縛った。

 

 

「…………はい。キツくもなく、ですがしっかりと副木を固定出来ています。ネイチャさん、上々です。」

 

 

確かめる様に何度か腕を動かして、南坂さんは笑顔でそう評価してくれた。この南坂さんの評価に、私は思わず安堵の溜息を吐いてしまった。

 

ここはチームカノープスの部室、そして今私は南坂さんに応急処置の方法を実地で教わっている。

 

応急処置と言っても、状況や場合によってその対応は千差万別だ。骨折に打撲、挫傷etc…………だけど確実に言えるのは要救助者を見つけた時、そして自身が事故などで要救助者となった時…………

 

知っているのと知らないのとでは雲泥の差であるということだ。もっとも、定義としては応急処置は救急隊員が行うことを指し、バイスタンダー (bystander) (一般市民)が行うものは応急手当と呼ぶ事になっているので今私が南坂さんから教わっていることも厳密には応急処置ではなく応急手当、更に言えば応急手当よりも緊急性の高い物…………例えば止血や心肺蘇生などは救命処置(手当)と区別されているので今練習しているのは救命手当になるのだけど。

 

まぁ、取りあえず今は応急処置と一纏めにしておこう。

 

 

「しかし、1度私が実演しただけで此処まで出来る様になるなんてネイチャさんは素晴らしいですね。」

 

 

「あははは…………いや南坂さんの指導が良いからですよ。」

 

 

関心した様子で私にそう言って来た南坂さんに私は乾いた笑いでそうそう謙遜するしかなかった。この応急処置、実は前世で一通りやってたんですよ…………なんて言えないから仕方ない。

 

応急手当・救命手当は怪我や病気を治療する行為(医療行為)ではない。あくまでも、怪我人や病人を医師等に引き渡すまでの間に症状を悪化させないための一時的な措置である。前世自衛官だった私は出港からの戦闘訓練のたびに応急処置の訓練をさせられた。

 

止血・骨折の副木固定・でき者救助・心肺蘇生…………なんならAEDやトリアージだって訓練させられた。

 

正直、仕事をやめてしまって記憶も掠れて朧げな部分が多々あるけど、それでも多少覚えているだけで此処まで出来たのは南坂さんの指導が良いからだろう。

 

 

「それにしても、トレーナーにはこういったこと(応急処置)も習わないといけないんだねぇ…………」

 

 

「そうですね。トレーナーという職業はウマ娘の人生を預かっていると言っても過言ではありませんから。」

 

 

先ほどまでの微笑を消して真面目な顔でそう告げる南坂さんの言葉に、私は自然と姿勢を正して聞いていた。

 

 

「怪我、病気、不慮の事故…………場合によってはその所為で後遺症が残ったり、最悪担当していたウマ娘が亡くなってしまうことだってあるかもしれません。だからこそ最悪を退けるために私達トレーナーは可能な限り最善を尽くし怪我の予防、そして怪我への対処を憶えておかなければならないのです。」

 

 

南坂さんのこの言葉は重く、そして刻まれるかの様に私の内へと圧し掛かって来た。この南坂さんの言葉は初めてではない。最初の座学からずっと、私の耳にタコが出来るくらいには頻繁に口にしていた言葉である。

 

何度も同じことを言われてウザったい…………なんてこと、私は1mmとも思わない。

 

だってそうでしょうが。この世界はアプリの様に保健室に行ったり、神社でお祈りするだけでバットコンディションが治るなんて都合の良いことはないんだ。アニメ2期のトウカイテイオーの様に怪我をしたら苦しんで苦しんで、それでも走ることを諦めきれなくて必死になって足掻いて這いずり回って。

 

辛いリハビリと、本当に走れるのか、元の様に走れるのかっていう心の不安と戦って。そりゃあ、それで復帰して勝利出来れば正しく美談、華々しい物語の中の1つのアクセントで済まされるかもしれないけれど。実際はそんなことなんて殆ど無い。

 

競争ウマ娘として終わった後も人生は続いて行く訳だからトレーナーとしては後遺症や怪我の跡なんて残させたくない。だからこそ無事是名バを目指すのならば怪我をしないに越したことは無いし、その為に取り組めることは何だってやるのがウマ娘のトレーナーなのだ。

 

南坂さんの言葉はそのことを忘れない様にと繰り返し私に伝えてくれている。将来私がトレーナーになった時…………私の肩に、そして私の背中に、担当ウマ娘の人生が圧し掛かって行くことになるのだから。

 

だから私も、何度も聞かされてウザったい…………ではなくその都度心に刻む様に真剣に南坂さんの言葉を聞く。

 

 

「さて、ネイチャさんの副木固定の処置は十分でしたので、ではこのまま次に行きましょうか。」

 

 

空気を切り替える様に、先ほどまでの真剣な表情から微笑みへと戻った南坂さんは机に置いていた実習用の応急処置道具の中から綺麗にアイロン掛けされた三角巾を1枚手に取って、それをそのまま私の方へと差し出して来た。

 

先ほど副木固定で使った三角巾もそうだけど南坂さんが長年使って来たのか、日焼けや色褪せで本来の白さはくすみ所々ほつれも目立つ三角巾は、しかし大切に大切に使われてきたのが一目で分かるほど綺麗だ。

 

そんな三角巾を南坂さんから受け取って広げながら、さてどうしたものかと私はその手を止めてしまった。

 

 

何故、南坂さんは細かい指示を出さずに三角巾だけを私に差し出したのか。いや、恐らく上腕骨や前腕骨、肘の骨折を固定する方法…………アニメやドラマなどで良く描写される様な、三角巾で輪を作り、それを首から下げてその輪を使って腕を吊り下げる方法がこの場合正適切なのだけれど。

 

果たしてそれだけなのだろうか?今まで南坂さんから学んできた限り、南坂さんは事前にきちんと座学を行って尚且つ実習でも最初は口頭で説明しながら確実に最後まで丁寧に教えるスタンスだった。

 

つまりこれは南坂さんがあえて何も説明せずに私に練習を行わせ様としている…………ということだろう。

 

 

(えぇ…………まぁ取りあえず座学で教えて貰った通りやるけどさぁ)

 

 

私は広げた三角巾を持って南坂さんの隣へと移動する。そばにあった椅子を引き寄せて、私は南坂さんにそっと座る様に促した。本番を想定するのならば流石に立ったまま処置することは無いし、あとは単純に座って貰った方が処置しやすいって言うのもある。

 

三角巾を副木で固定した南坂さんの下から潜らせる様に包む。三角巾を二等辺三角形で例えるならば90度の角が肘の方へと来る形。反対の二等辺三角形で言う底辺の方を手首が出ないギリギリの所で位置調整してから、私は残る2つの角を南坂さんの首元へとまわした。

 

腕を吊り下げる為に三角巾の端っこ同士を結ぶのだけど、ここで重要なのは結び目を背中側で作るのではなくて、首の右左どちらかの側面方向で結ぶこと。

 

何故そうするのかと言えば、首の真後ろで結び目を作ってしまうと腕を吊った時に脊椎…………所謂背骨の部分に結び目のコブが当たって負担が掛かってしまう。なので極力体への負担を減らす為にワザと真後ろからずらして結び目を作るのだ。

 

 

「この位置はどう南坂さん? 腕はきつくない? 」

 

 

結び目の位置を決める為に、私はそう南坂さんへと尋ねた。これは首の時と同様に、傷者役である南坂さんの負担にならない位置に腕の吊る高さを合わせるのだ。

 

 

「えぇ、今の位置で大丈夫ですよ。」

 

 

「わかった。んじゃこの位置で結ぶね。」

 

 

南坂さんの返事を聞いて、私はスルスルと三角巾の末端を結んでいく。結び目は私の立ち位置的にやや右側に寄せて、結んで余った部分は末端処理として三角巾の内側へと埋める。

 

結び目が終わればお次は肘の部分。二等辺三角形で言えば頂点の部分だけど、此処も重要なのだ。

 

肘を安定させるため此処にも結び目を作るのだけど、肘には尺骨神経(しゃこつしんけい)という神経が通っている。この神経は人体にある数多の神経の中でも骨や筋肉などに守られていない最も大きな神経であるために、少し圧迫するだけで簡単に腕に痺れが出たり、酷い時は運動麻痺も起こったりするらしい。

 

肘の下、もしくは内側に結び目が来ないようにすることで圧迫させない様にするのが大切なのだけど、前世で私が教わった方法としては一度肘を包む様に三角巾を束ねて、肘…………丁度上腕骨の肘ギリギリの部分で結び目を作る。

 

こうすることで尺骨神経を圧迫させずに肘を包む様に安定させることが出来る。あとは首の時と同様に末端処理として余った部分を三角巾の内側にねじ込んだら一応の完成だ。

 

…………だけど、これで終わって良いのだろうか?

 

ちらりと私は南坂さんの顔を見たけれど、南坂さんは何時ものニコニコ顔で特に何かを感じ取れることは無い。しかし何となくだけど此処で終わってはダメな様な気がしてしまうのだ。

 

 

(しょうがない…………蛇足になるかもだけどもうちょっちやってみるかぁ……)

 

 

そう内心溢しながら、私は新たな三角巾を1枚机から手に取った。幅5㎝程度まで三角巾を折りたたんで細長い包帯の様にしてから、腕を吊り下げている三角巾を押さえつける様に折りたたんだ三角巾を南坂さんの胸へと回した。

 

折りたたんだ三角巾の末端をそれぞれ南坂さんの脇の下を通して、末端同士を軽く結んだ。

 

 

「南坂さん、深く息を吸ってぇ…………吐いてぇ…………良し。」

 

 

南坂さんが私の合図で南坂さんが大きく息を吐く。そのタイミングに合わせて仮で軽く結んでいた三角巾を締めた。

 

 

「どう? 苦しくない? 」

 

 

「はい、大丈夫ですよ。」

 

 

折りたたんだ三角巾の役割は単純で、言ってみれば吊った腕が大きく揺れない様にする為の固縛みたいな物だ。結んだ三角巾の末端をこれまで通り処理しながら、きちんと固定されているかなどを私は南坂さんの吊っている腕を少しだけ触って確かめた。

 

 

「ん…………大丈夫そう。終わったよ南坂さん。」

 

 

「はい、手順などを見ていましたが特に指摘する事もありませんでした。良く勉強されてますねネイチャさん。」

 

 

「あはは~いやぁ、南坂さんが何にも言ってくれないから何処までやって良いのか分からなくて。」

 

 

「はい。自分で考えて何処までやれるのか…………ネイチャさんには十分な知識があると私は判断してあえて黙っていました。」

 

 

微笑ながらそう私の処置の感想を言ってくれる南坂さんに、私はこそばゆくなってポリポリと思わず頬を掻いた。

 

何というか、私は褒められ慣れてないので南坂さんの誉め言葉が物凄くこそばゆい。思わず話題を変えようと思わず机に置いてあった三角巾を手に持った。

 

 

「それにしても南坂さん。どうして未だに三角巾で応急処置をやってるのさ? いや私的には三角巾の方が手に馴染んでいるし、安いから良いんだけど。」

 

 

手に取った三角巾を少しだけヒラつかせてそう質問した私に、南坂さんは少しだけ困った様に笑った。

 

実際に最近では簡単に装着出来る副木や、三角巾で吊らなくてもいいアームサスペンダー等…………時間もかからず簡単に傷者に使用出来る道具も増えている。入手方法も最近ではUMAZON等のネット通販でも簡単に購入出来る様になってきているし、効率を考えればそう言った最新の道具を使った方が良いのではないか? そう思ってしまう。

 

 

「そうですね…………何故かと言われれば幾つか理由はありますが、やはり基本を押さえる事が重要だからでしょうね。」

 

 

「あぁ…………確かにこれを学んでおけば、まぁ最悪手元に器具が無くても布と硬い物があれば応用して処置出来るしねぇ。」

 

 

「えぇ、そう言う事です。」

 

 

なるほどねぇ…………と軽く南坂さんの言葉に私は納得しながら、手に持っていた三角巾を机の上へと戻した。

 

 

「んじゃ、一度片付けますか? 解くからそのまま動かないでね南坂さん。」

 

 

「そうですね、ではお願いしますネイチャさん。」

 

 

座ったままの南坂さんに私はそう言って、今までとは逆の手順で解き始めた。1つ1つ、使った三角巾は机の上にある物とは分けておく。これは南坂さんとお勉強会が終わった後で一纏めにして私が洗濯とアイロン掛けする為だ。

 

 

(…………私も自分用の道具を買おうかなぁ。」

 

 

「よろしければ私が伝手を使ってネイチャさん用のを一通り集めておきましょうか?」

 

 

「いひゃ!? 」

 

 

心の中で少しだけ自分用の道具一式が欲しいなと思っていた所で、いきなり南坂さんにそう声を掛けられて思わず変な声が出てしまった。

 

 

「…………聞こえてた? 」

 

 

「えぇ、ばっちりと」

 

 

「わいちゃぁ…………恥ずかしい。」

 

 

「いえいえ、誰しも自分専用の道具と言う物に憧れるモノです。

 

で、どうしますかネイチャさん? 」

 

 

少しだけ恥ずかしさで顔をそむける私と、笑顔でそう言ってくれる南坂さん。

 

 

「じゃ、じゃぁ…………お願いします。」

 

 

「はい、ネイチャさんに合う物を揃えておきますね。」

 

 

クッソ良い笑顔でそう言う南坂さんに、私も少しだけ笑って返した。

 

南坂さんってこんなにグイグイ来る人だったけ? 思わずそんなことを思ってしまうけれど、ここは素直に南坂さんのご厚意に甘える事にしよう。

 

 

(…………終わったら南坂さんの分もお茶でも入れよう。)

 

 

使った道具を片付けながら、私は今度こそ南坂さんに聞こえない様にそう心の中で呟いた。

 

 

 

 

 






これを書くにあたって知り合いのお医者さんに道具のカタログ借りたんですけど、私が習っていた頃より色々進化しているんですねぇ。

いや、もしくは予算の関係で道具が更新されていなかったのか…………

どっちにしろ応急手当は大切ですから1から学べたのは個人的に良かったですねぇ。

私の上司も道端で倒れている人を助けて警察かどっかで表彰されていたし、皆さんに一度くらい講習でも何でも受けてみると、いざという時助けになるかもしれませんよ?



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