不屈の悪魔 (車道)
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序章

※TS、憑依、独自解釈などの地雷成分が含まれます。TSに関する描写は薄いです。ご了承ください。
※魔法少女リリカルなのはとジョジョの奇妙な冒険の世界観がクロスしています。なるべく作中で説明するようにしていますが、両作の知識がなければイメージしづらい描写があります。
※作中では『魔法少女リリカルなのは』のアニメ版、劇場版、小説版、漫画版、とらいあんぐるハートシリーズの設定が混在しています。また世界観をかけ合わせている都合上、設定が改変されている部分があります。
※作中では『ジョジョの奇妙な冒険』の第1部から第8部と外伝漫画、外伝小説の設定が混在しています。また一巡前(第6部まで)と新世界(第7部から)の設定を混ぜている部分があります。


 オレは死に続ける。あらゆる状況で、あらゆる環境で、あらゆる方法で、何回も、何十回も、何百回も、何千回も、何万回も、何億回もオレは死に続ける。 

 ヤク中の浮浪者に刺されて死んだ、生きたまま臓器を摘出されて死んだ、よろけた拍子に車に()かれて死んだ、光線のようなスタンド攻撃にえぐられて死んだ、胸を腕で貫かれて死んだ、異空間に飲み込まれて身動きがとれず死んだ、ありとあらゆる殺され方で死んだ。

 

 死の迷宮に迷い込んだオレの精神は今までにないほど揺れ動いていた。

 絶え間なく襲いかかる死への恐怖と半生を共にしたもう一つの人格の喪失に、オレの精神が追いつけなかったのだ。

 しかし人間は良くも悪くも環境に適応する能力を持っている。

 オレの精神にかつての誇りは残されていないが、現実から目を背けて考えるのをやめようとはしなかった。

 オレはメビウスの輪だ。連続した生と死は、生きているとも死んでいるとも言えない。

 決して終わらぬ生と死の連鎖は、裏表が繋がったメビウスの輪と同じだ。

 

 だが、それは同時に無限に考える時間があるとも言える。

 死から遠ざかる行動を行うと体が鉛になったかのように重くなり身動きがとれなくなるが、考えるだけならいくらでも可能だった。

 思考を放棄し考えるのをやめようとしても、レクイエムは逃してはくれない。

 レクイエムはオレが考えるのをやめるという結果に到達しようとすることすら妨害しているのだろう。

 

 だからこそ過去の記憶を思い返す。

 パッショーネのボスをやっていた頃は疎ましいと思っていた未熟だった頃の記憶も、絶頂から転げ落ちた今では数少ない自己を保つための道具だ。

 まだ裏の世界に足を踏み込んでいなかった昔の記憶には、輝かしい栄光も豊かな暮らしもなかったが、たしかな温かみが感じられた。

 何も知らない娘を自分の都合だけで殺そうとしていた頃のオレが今の心情を知ったら、なんと軟弱だと嘆くだろう。

 キング・クリムゾンは過程を飛ばして結果だけを残せるが、過ぎ去った過去を変えることはできない。

 落とし穴を回避することはできるが、今までに選んできた道は変えられないのだ。

 

 オレは決して沈むことのない人生を絶頂だと思っていた。

 だが、そんな人生が幸福だったといえるのだろうか。

 心を許せる家族など誰もおらず、自由に顔を晒して生活することすら叶わない。

 そんなものを生きていると言っていいのか。

 

 本当の絶頂は常に感じるものではない。日々の暮らしの中で感じる幸せこそが、オレの求めていた絶頂だったはずだ。

 生まれたときから社会の底辺だったオレが、本心から憧れていたものだったじゃあないか。

 

 オレは人並みの幸せが欲しかっただけだ。

 社会的地位のないオレが人並みになるには、マトモな方法は残されていなかった。

 裏社会を生きるものを束ねて金を得るうちに組織は肥大化していき、気がついたら恐怖によって構成員を縛ることでしか舵をとれなくなっていた。

 

 その結末が今の状況だ。過去に後悔はしない。

 どれだけ悔やんだとしても過ぎ去った出来事を変える手段など存在しない。

 もしかしたらそういったスタンド能力もあるかもしれないが、オレのキング・クリムゾンに過去を変える力など備わっていない。

 

 ならばオレは抗い続ける。オレの意識が、オレの精神が、オレの魂が、オレを構成する全てが擦り切れてしまったとしても後悔はない。

 それが今のオレに残された唯一の道なのだから。

 

 

 

 

 

 

 かつてパッショーネというギャング組織を立ち上げて、イタリア全土の裏社会をまとめ上げていた男がいた。

 決して表舞台には顔を出さず、正体を徹底的に隠し通していた男の名はディアボロ。

 イタリア語で悪魔を意味する名を持つ男は、その名の通りの冷酷で残忍な性格をしていた。

 

 パッショーネのボスの正体を探ろうとする者には問答無用で死が訪れる。ボスの正体を探っていたソルベという男が、相棒の目の前で生きたまま輪切りにされたという逸話は、裏社会では有名な話だった。

 しかしディアボロの栄光は永遠のものではなかった。先送りにしていた死の運命が無くなることはない。彼はそのツケを最悪の形で支払うことになったのだ。

 

 この世には、射られることでスタンドという超能力を目覚めさせる矢が存在する。

 ディアボロがパッショーネを立ち上げるために、とある老婆に売り払った五本の矢の内の一つ。その矢が巡り巡って彼を殺すこととなる。

 その矢には生物をスタンド使いにする以外にもう一つの力が宿っている。

 それは屈強な精神の持ち主のスタンドに新たな能力を付与する力だ。

 奇しくもディアボロは裏切り者一行の新入り、ジョルノ・ジョバァーナが矢を手にしたことにより絶頂から叩き落とされた。

 

 ジョルノのスタンド能力は物質に生命エネルギーを送り込み、生物を生み出すものだったが、矢に貫かれてレクイエムになったことでまったく別種の能力を得ることとなった。

 その能力とは、周囲の人間の魂を支配して、スタンドと本体に対する攻撃や意思といった行動を無効化することで、それらの行動で発生する『真実』に到達させないというものだった。

 それだけでも十分に恐ろしい能力だが、このスタンドの恐ろしさは別のところにある。

 このスタンドで殺された者は、決して死んだという結果にはたどり着けなくなる。つまり永遠に死に続けるのだ。

 

 肉体は滅びても魂はレクイエムに囚われ続ける。

 ディアボロはこのままジョルノの寿命が尽きるまで殺され続けるはずだった。

 転機が訪れたのはそれから十年後。アメリカ合衆国フロリダ州中央部に位置するケープ・カナベラルで、エンリコ・プッチがスタンド能力を使って時間を超加速させたことにより引き起こされた。

 無限にも等しい時間の加速により世界は終焉を迎え、新たなる世界へと移行するはずだった。

 しかし、プッチの計画はうまくいかなかった。

 敵対していたスタンド使いの一人が完全に世界が一巡する前にプッチを殺したことで、正しい形で世界が生まれ変わることは無くなった替わりに無数の並行世界が生まれたのだ。

 

 プッチのスタンド能力で新たなる世界に行けるのは生きているもののみ。では死に続けていたディアボロはどうなったのだろうか。

 世界が一巡しレクイエムの効力から逃れたディアボロは、別の世界にはじき出された。

 レクイエムの干渉から解放され肉体を失った彼は、死人と何ら変わらない。

 本来あるべき流れのとおりに魂が天に登っていく最中(さなか)、ディアボロは安堵(あんど)の笑みを浮かべていた。

 しかし、彼が死の安息を迎えられることはなかった。天に還ろうとしていた魂が、そばを歩いていた女性の(もと)へと引っ張られ始めたのだ。

 ようやく楽になれると思っていたディアボロは必死に抵抗した。

 しかし、抵抗むなしくディアボロは女性の体内に吸い込まれて意識を失った。

 彼が次に目を覚ますこととなるのはこれから十ヶ月後、彼女が『娘』を出産するときだった。

 

 

 

 

 

 

 本来なら交わることのなかった『魔導師』と『スタンド使い』だが、この世界では話が違ってくる。

 『海鳴市』に『杜王町』が存在する時点で、両者が接触することは避けられない運命となった。

 古代文明の遺産を管理している『時空管理局』と、地球上に点在する異物を蒐集(しゅうしゅう)している『スピードワゴン財団』の思惑とはなんなのか。

 感情を歪んだ形で現実のものとする『ジュエルシード』と、精神をパワーあるヴィジョンとして現実のものにする『スタンドの矢』に関連性はあるのか。

 『無限の欲望(アンリミテッド・デザイア)』が今までの研究を投げ捨ててまで興味を示した『完成された究極の生命体(アルティミット・シイング)』の正体とは一体なんなのか。

 何もかもを忘れ、幽霊の殺し屋として彷徨(さまよ)い続けている殺人鬼『吉良吉影』と、26年間眠り続けている少女『アリシア・テスタロッサ』はどのような出会いを果たすのか。

 執務官長を名乗る『ファニー・ヴァレンタイン』と『最高評議会』の狙いとは一体なんなのか。

 『魔法』と『スタンド』が合わさったことでもたらされるのは繁栄か、それとも衰退か。それを知るものはただ一人としていない。



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第一部『ジュエルシード・トゥルーパーズ』
それは奇妙な出会いなの? その①


 夜の(とばり)が下り静まり返った住宅街を二人の男女が駆け抜ける。

 男性が少女に合わせて走るペースを落としているため、手荷物がなければランニングしているように見えなくもない。

 だが、それは成人男性が手に持ったジュラルミンケースと二人の纏っている雰囲気を見ればすぐに間違いだとわかる。

 成人男性と小学校中学年の少女の二人組は物々しい空気を纏いながら足早に目的地に向かっていた。

 目的地である動物病院までもう少しの距離に差し掛かったそのとき、黒い影が二人を追い越し動物病院へと飛び去っていった。

 

「なのは、あれが例の()()()()かい?」

「パパが見えるってことは、物質同化型のスタンドみたいだね。打ち合わせ通り、パパは周囲の警戒。わたしはあのスタンドと戦うってことでいい?」

 

 栗色の髪の毛を短めのツインテールで纏めている少女──高町なのはは、つり目気味の瞳を細めながらスタンド能力をいつでも発動できるように気を配りつつ、動物病院へと歩を進めた。

 黒髪の短髪の男性──高町士郎もジュラルミンケースから二本の小太刀を取り出して臨戦態勢に入る。

 スタンドはスタンドを使える人間──スタンド使いの目にしか映らず、実体化していないスタンドはスタンドでしか傷つけることはできない。

 それを士郎は以前の仕事で何度も体験してきた。

 その経験から、スタンドは本体さえ分かっていればスタンド使いにしか倒せないわけではないことを理解している。

 しかし、本体を特定できていない状況では彼は無力であった。

 

「悔しいがスタンド相手では、正面切って戦うのが難しいのはわかっている。なのはも危ないと思ったらすぐ逃げるんだぞ」

「スタンド相手なら、わたしはパパよりも戦闘経験は豊富だからね。餅は餅屋、スタンドはスタンド使いにまかせてよ」

 

 実の娘の発言に頷きながら、士郎はコンクリート製の塀の上を経由して民家の屋根の上に飛び乗った。

 なのはもそれに合わせて動物病院の敷地に忍び込む。

 月明かりに照らされて姿があらわとなった黒い影の正体は、文字通り影のような黒い怪物だった。

 ゆらゆらと(うごめ)く影のような四足のない怪物は地球上の生き物とは到底思えない。

 なのははすっかり変わり果てた動物病院の敷地を眺めながら、黒い怪物の戦力を判断していた。

 力と素早さに特化した単純な思考しかできない物質同化型と自動操縦型の性質を合わせ持った『スタンド』もしくはそれに準じる未知のなにか。

 なのはの見立てでは、そのほかに特筆すべき点は特に見受けられなかった。

 

 建物の影からなのはは、己の半身を背後に携えながら黒い怪物と緑眼のフェレット──ユーノ・スクライアの争いの様子を観察していた。

 スタンドとは、一部の例外もあるが原則としてスタンド使いにしか見えない、力を持った不可視のヴィジョンである。

 生命力と精神エネルギーが特殊な能力をもって姿を成した存在だ。

 守護霊のように使い手の『傍に立ち(Stand by me)』敵や困難に『立ち向かう (Stand up to)』ための闘争心の表れ。

 これこそが、なのはが生まれる前から持っていた異能の正体である。

 

(戦況は怪物が優勢、フェレットは避けるので精一杯か。これだけではフェレットがスタンド使いかは判断できないな)

 

 右目に少し被るように整えられている前髪を弄りながら、なのははどう動くべきか考えていた。

 彼女はユーノを助けるために、わざわざ貴重な睡眠時間を割いてまで動物病院に訪れたわけではない。

 昨夜、夢で見た光景が現実でも起きたことを知り、家族や仲間、知り合いに火の粉が降りかかる前に鎮火しに来たに過ぎないのだ。

 

 しばし悩んだ後、なのははユーノに助太刀することを選んだ。このままユーノがなぶり殺されるのを待っていてもよかったが、それではあの怪物の本体を調べる術が無くなってしまう可能性が高い。

 なのはが客観的に見るかぎり、ユーノは怪物に反撃する余裕も無く、切羽詰まっているようだった。

 だが、物質と同化して活動する物質同化型スタンドはスタンド使い以外でも見えるため、現状の判断要素だけではユーノがスタンド使いかどうかは判別できない。

 なのはは仮にフェレットがスタンド使いだったとしても、自分の持つスタンドなら始末することは難しくないだろうと踏んで、ユーノと怪物の間に割りこむように躍り出た。

 突然現れた少女の姿に目を丸くしながらも、ユーノは精一杯の声量で警告を発する。

 

「危ない!」

 

 咄嗟にユーノは、アルファベットを変形させたような文字が刻まれた若草色の円形の魔法陣を展開するも、効力が発揮されるよりも早くなのはが怪物に襲われるのは誰が見ても明らかだった。

 

(僕は見ず知らずの女の子一人すら助けられないのか!)

 

 いくら急いだところで、魔法の発動は早くはならない。

 彼の扱う『魔法』とは魔力というエネルギーの運用方法を、科学的に分析して効率化したものだ。

 呪文 (プログラム)によって魔力を消費して物理現象を引き起こす魔法は、設定された時間よりも早く詠唱が完了することなど起こりえない。

 駄目だ、間に合わない。心の中で諦めかけていたユーノは、次の瞬間あり得ないものを目にした。

 凄まじい勢いで突進を仕掛けていた怪物の顔にあたる部分が、粉々に消し飛んだのだ。

 

 ものすごい力を一点から受けたかのように裏路地目掛けて吹き飛ばされていった怪物と、顔色ひとつ変えずに立っているなのはを交互に見ながら、ユーノは冷や汗を流した。

 彼女は一体何者なんだ。魔法陣はおろか魔力光すら見えなかった。まさかレアスキル持ちなのか?

 ユーノの脳裏に次々と新たな疑問が生まれ消えていく。そんなユーノをよそ目に、なのはは訝しげな表情でブロック塀に埋まっている怪物を眺めている。

 バラバラになった怪物は、体を繋ぎあわせてゆっくりと回復し始めていた。

 なのはのような殴る蹴るといった攻撃方法が主体のスタンド使いは、この手の能力を持つ相手に対してあまり相性が良くない。

 戦いの中で弱点を見つけるか、本体を見つけ出すしか倒す手段がないからだ。

 戦場は目まぐるしく変化する。ゆっくりと考える時間は残されていない。なのははオロオロしているユーノをスタンドを使って持ち上げ、自らの顔を近づけた。

 

「え?」

 

 見えない何かに掴まれたユーノが、マヌケな声を上げながらなのはと目を合わせた。

 目に飛び込んできた一筋の光を宿した暗く淀んだ藍色の瞳に、思わずフェレットは息を呑んだ。

 可愛らしい少女が発したものとは思えない凄みに、ユーノはケツの穴にツララを突っ込まれたような気分になってしまったのだ。

 

「わたしが何本、指を立てているのか答えろ」

「さ、三本です」

 

 意味のわからない質問だったが、ユーノは即答せざるを得なかった。

 もしここで答えるのを渋っていたら、問答無用で頭部を破壊されていたような、そんな予感がしたからだ。

 ユーノが(ほう)けている間に、なのはは彼がスタンド使いであるかどうかのチェックを終わらせていた。

 頭をスタンドで鷲掴みにして視界を塞いでいる状態で、スタンド使いがなのはの指の本数を数えられるはずがない。

 彼がシロだと確信したなのはは、危険性はないと判断して自らの手でユーノを抱き上げた。

 

「さて、あなたは何者なのかな。フェレットさん?」

 

 服を着た喋る猫の話をうわさで聞いたことがあったなのはも、喋るフェレットの話は聞いたことがない。

 妖怪の類が実在していることは、父親や知り合いの漫画家から聞いたことがあったためその線を疑っていたが、返ってきた答えはある意味なのはを呆れさせるものだった。

 

「僕の名前はユーノ・スクライアと言います。信じられないかもしれないけど、僕は外の世界から来た魔導師なんだ」

「……このわたしが本当にそんな話を信じると思ったの? 子供だからって見くびるのは良くないと思うよ」

 

 可愛らしく微笑みながら、なのははユーノの首元を握りしめた。

 ユーノは息苦しさよりも先に、なのはの目に寒気を覚えた。まるで保健所の捨て犬でもみるかのような冷たい目だったのだ。

 今にも『かわいそうだけど、明日の朝にはガス室で処分される運命なのね』と語りかけてきそうな、そんな雰囲気が漂っていた。

 

「ほ、本当なんです。僕の首にかけられている赤い球体を手にとってください。そうすれば、あなたにもよくわかるはずです」

 

 急変した態度に、ユーノはなりふり構わず唯一の武装であったレイジングハートを手放した。

 元より性能の三割も引き出せていなかったが、有るのと無いのとでは天と地ほどの差がある。

 しかしレイジングハートを起動してもらい、少しでも魔法に触れてもらえば彼女も魔法のことを信じてくれると、ユーノは思ったのだ。

 

「それを手に目を閉じて心を澄ませて、僕の言うとおりに繰り返してください」

「……うん、わかった」

 

 警戒心の強そうな少女がいうことを聞いてくれるか怪しいところではあったが、ユーノの心配は杞憂に終わった。

 少しの間、俯いて視線を前髪の辺りに向けながら黙りこんでいたなのはから返ってきた返事は、ユーノの願ったものだったからだ。

 なのはの雰囲気が和らいだのと同時に、ユーノは安堵の溜息を漏らした。これで断られていたら、ユーノは残り少ない魔力で魔法を実演する羽目になっていた。

 なのはとレイジングハートの相性がどれほどのものかわからないため、ユーノは最悪でも彼女を逃すだけの魔力は確保しておきたかった。

 今の魔力でも厳しいのに、これ以上無駄に魔力を消費したくはなかったのだ。

 

「じゃあ、行きます!」

 

 レイジングハートを握りしめ、ユーノの声に合わせてなのはが起動のためのキーワードを繰り返す。

 

「「我、使命を受けし者なり」」

 

「「契約の下、その力を解き放て」」

 

「「風は空に、星は天に」」

 

「「そして、不屈の心はこの胸に」」

 

「「この手に魔法を」」

 

「「レイジングハート、セット・アップ!」」

 

《Stand by ready. set up.》

 

 レイジングハートが、なのはの余剰魔力を体外へと放出する。

 雲を突き破り天まで伸びた赤みを帯びた桜色の魔力光は、なのはにとって馴染み深い色彩だった。

 

「なんて魔力……」

 

 完全に魔力が回復していたとしても、遠く及ばないであろう魔力量にユーノはしばしの間、呆然としていた。

 あまりの魔力量に、回復し終え反撃しようとしていた化物までもが後退りしている。

 

ピアチェーレ(はじめまして)、新たな使用者さん》

ピ、ピアチェーレミーオ(は、はじめまして)

 

 ミッドチルダ語が描かれたリング状の魔法陣に包まれながら空中に漂っていたなのはは、イタリア語の挨拶を投げかけてきたレイジングハートに驚いてどもりつつも感覚を研ぎ澄ましていた。

 空からは機をうかがっている怪物と、突然の光の奔流に驚いている父親の姿がよく見える。

 

《あなたの魔力資質を確認しました。デバイス・防護服ともに、最適な形状を自動選択しますが、よろしいですか?》

 

「何かわからないけど、はい!」

《All right.》

 

 自分でもわかっているのか、わかっていないのかよくわからない返事をしながら、なのはは目を閉じる。

 数呼吸おいてなのはが目を開けると、いつの間にか赤い球体とそれを取り囲む金色の金属製のパーツが先端に配置された機械的な白い杖が左手に握られていた。

 服装も袖口と胸部に青色と金色の金属質のパーツが取り付けられた純白の防護服(バリアジャケット)へと変貌している。

 

「成功だ!」

 

 ユーノが歓喜の声を上げる。相性の問題で正常に起動できるかどうかは賭けだったのだが、思いの外レイジングハートとなのはの相性はよかったようだ。

 デバイスの展開が終わり、ユーノのもとに降りてきたなのはが、レイジングハートとバリアジャケットを交互に見ながらうろたえだした。

 いきなり服装が変わり妙に機械的な杖を手にしていたら誰だって混乱する。百戦錬磨のスタンド使いだって混乱する。

 

「す……」

「す?」

「スタンド攻撃!? 新手のスタンド使いなの!?」

「スタンドって何ですか……っ!? 攻撃が来ます、備えて──」

 

 ユーノが言い切るよりも前に、なのははスタンド能力を発動させる準備を整えていた。

 既になのはの傍らには、血のような紅色の表皮の上に白銀の網目模様を持つ、人間離れした外見の大男が立っていた。

 額にもう一つの小さな顔を持つこの人型こそ、なのはの持つスタンドのヴィジョン!

 

「キング・クリムゾン」

 

 このとき、この瞬間から、なのはの周囲は他の誰にも認識できない世界へと変貌した。

 魔導師の使う封時結界とは似て非なる真紅の王が支配するこの空間では、何者もなのはに触れることはできない。

 地面や壁などといった静止しているものが消え失せ、動いているもののみが残った世界。

 色がついているのはなのはとキング・クリムゾン、そしてレイジングハートのみ。

 

《空間断層及び離散時間信号に異常発生。この現象は一体なんですか?》

 

 レイジングハートが周辺空間の異常を感知して警告を告げる。

 過去の記録から類似する情報を探すも、該当するデータは存在しなかった。

 判明したのはデバイスを(もち)いず、既存の魔法とは根本から異なる原理で不可思議な現象を引き起こしたのが、レイジングハートの新しい使用者だということだけだ。

 本来、キング・クリムゾンの時を吹き飛ばした空間(以降は宮殿と表記する)に持ち込まれたものは身につけているもの以外は、なのはが触れていたとしても機能を保つことはできないはずだった。

 しかし、レイジングハートには、なのはの魔力が流れ込んでいる。

 リンカーコアという魔力を生成する器官を通して体の一部と繋がっていたレイジングハートは、なのはの体の一部とみなされて宮殿の内部でも普段通りに動作していた。

 

「細かいことはあとで説明するから、力を貸して!」

 

 なのはの命令により、レイジングハートの処理の優先順位が、現状の把握から飛行魔法の補助へと切り替わる。

 それにより、軽く間合いを取るために行ったバックステップが、飛行魔法のアシストと合わさり近くのビルの屋上に飛び移る程の跳躍となった。

 過去のなのはの姿を捉えた化物が、地面へとめり込むのを確認して能力を解除する。

 キング・クリムゾンの能力でこの世の時間は消し飛び、なのは以外の何者もこの時間の中で動いた足跡(そくせき)を覚えていない。

 空の雲はちぎれ飛んだことに気づかず、消えた炎は消えた瞬間を炎自身さえも認識しない。

 この世には化物が地面に突っ込んだという結果だけが残った。

 

「い、いつの間に!?」

 

 吹っ飛んだ時間を認識できないユーノには、いつの間にか自分となのはが瞬間移動していたようにしか感じられない。

 ビルから飛び降り道路にユーノを下ろしたなのはは、彼を巻き込まないために早急にその場から離れた。

 

《魔法についての知識は?》

「まったくありません」

《では、全て教えます。私の指示通りに》

「はい!」

 

 生身で空を飛ぶという前代未聞な展開に動揺しながらも、化物との戦闘に集中する。

 予想の範疇を上回る事態が起きることなど、スタンド使いにとっては日常茶飯事なのだ。

 一時は混乱しかけたが、この程度でなのはの集中力が途切れたりはしない。

 

《Flier Fin.》

 

 空を飛びながら体の一部を伸ばしてなのはに食らい付こうとする化物を避けるため、レイジングハートがフライアーフィンを展開する。

 すると靴から桜色の光の羽根が生えて、なのはの体が加速し始めた。

 魔法に触れたばかりのなのはでは自分の意思だけでは浮かぶので精一杯だが、レイジングハートがアシストすることで飛行を可能としている。

 化物の執拗な攻撃を避けるため、上下左右になのはの体が振り回される。

 攻撃の合間を縫って別のビルの屋上に着地したなのは目掛けて、化物の攻撃は続く。

 屋根から屋根へと飛び移りながら、体の一部を砲弾のように射出してくる化物の攻撃をかわし続ける。

 

「なんてパワーとスピード……あれは……生き物……?」

生物(せいぶつ)ではありません。あれはロストロギアの異相体です》

 

 周辺への被害をなるべく減らすため、なのはは地上付近を離れて空中に移動した。

 魔力源を追いかけて喰らうことしか能がない異相体は、その動きを察知して接近するために後を追いかける。

 こちらに飛びかかってくる異相体を正面に見据えながら、なのははキング・クリムゾンのもう一つの能力を発動させた。

 キング・クリムゾンの額にあるもう一つの小さな顔がなのはの額に浮かび上がり、数秒後に起きる未来の光景が前髪に映し出される。

 これこそがキング・クリムゾンの持つもう一つの能力。エピタフと名付けられた第二の能力により、なのはは客観的な視点で十数秒後までの未来を確認することができるのだ。

 エピタフによって予知されたのは、半透明な桜色の障壁を展開して化け物の攻撃を防ぐ自分自身の姿だった。

 一度予知された未来は、キング・クリムゾンで時を吹き飛ばさない限り必ず現実のものとなる。

 予知の通りに杖の先端を頭上に掲げて、身を守る為の魔法を思い描く。

 時を吹き飛ばして回避することもできたが、魔法という未知の力を試すためにあえて本来と同じ選択肢を選んだ。

 

《Protection.》

 

 レイジングハートから女性の合成音声が発せられ、思い描いた通りの魔法が現実となる。

 青色の紫電をまき散らしながら、アクティブプロテクションが運動エネルギーを受け流し、逆に魔力エネルギーを送り込み異相体をはじき返した。

 その衝撃に耐え切れなかった異相体は、伸ばしていた顔の一つが根本まで粉みじんになった。

 しかし、一瞬で異相体は崩れた体を再構築させる。核となるジュエルシードを封印しない限り、この怪物は無限に再生し続けるのだ。

 

《良い魔力をお持ちです》

「すごい、予想以上だ」

 

 地上から様子をうかがっていたユーノは、初心者とは思えない魔法の完成度と、凶暴な異相体を前にしても物怖じしないなのはの度量に驚いていた。

 

『あなたの魔力があればあれを止められます。レイジングハートと一緒に封印を!』

 

 空中戦を繰り広げているなのはに向けて、ユーノが思念通話を送る。そしてレイジングハートがユーノの言葉を引き継ぎ、なのはに封印方法の説明を行う。

 

《封印のためには、接近による封印魔法の発動か、大威力魔法が必要です》

 

 圧倒的な回避能力を誇るキング・クリムゾンでも、あれほどのパワーとスピードを兼ね備えた化物に近寄るのは、いささか骨が折れる。

 ならば取るべき方法は後者。大威力の魔法で遠距離から撃ち抜けば、リスクを犯さずに封印することができるとなのはは考えた。

 

《あなたの思い描く『強力な一撃』をイメージしてください》

「急に言われても、すぐには思い浮かばないよ」

 

 とはいえ、即興で考えるには難しいものがある。

 強力な一撃と言われても、なのはの記憶にある即死級の一撃はどれも物理的なものだ。

 しかも、それが()()()()()()()()()()()()()()のだから手に負えない。

 トラウマともいえるレクイエムの『無駄無駄ラッシュ』も遠距離攻撃には向かないだろう。

 ならば、いっそのこと新しい攻撃法を考えるかと思い悩んでいると、なのはの姿を見失った異相体が、矛先をユーノに向けようとしていた。

 

「キング・クリムゾンッ!」

 

 いち早く異相体の動きを察知したなのはが、キング・クリムゾンの能力を展開する。

 宮殿に取り込まれたものは、未来への軌道をなぞるようにゆっくりと動く。

 なのはの体感では、通常時の半分以下の速度で時間が流れているように感じられるのだ。

 素早く異相体を追い越してユーノの前に降り立ったなのはは、彼を守るためにプロテクションを発動すると同時に、レイジングハートに反撃の手があるか問いかけた。

 

「なにか攻撃する手段はある?」

《利き手を前に出してください》

 

 右手で杖を横に構えながら左手を前に突き出す。

 それに合わせて、袖口をぐるりと囲むようにリング状の魔法陣が展開される。

 

《Shoot Barret.》

「時は再び刻み始める!」

 

 シュートバレットの発射に合わせて宮殿が解除され、ユーノと異相体が意識を取り戻す。

 そしてプロテクションに突っ込んで動きの止まった異相体に、シュートバレットが突き刺さる。

 桜色の魔力の弾丸に貫かれた異相体は、体を三つに分けて繁華街方面に逃げ出しはじめた。

 本能のみで動く異相体も、勝てない相手から逃げ出すだけの知性は兼ね備えていたようだ。

 慌てて追いかけようとするも飛行に慣れていないなのはでは、普通に飛んだだけでは追いつけない。

 シュートバレットの火力では、異相体を完全に討ち滅ぼすのは難しいだろう。

 キング・クリムゾンで時間を吹き飛ばして追いかけたとしても、追いつく前に繁華街にたどり着いてしまう。

 

「さっきの光、もっと威力を出すことはできる?」

《あなたがそれを望むなら》

 

 ビルの屋上に降り立ったなのはが、異相体を撃ち落とすための魔法を想像する。

 同時に三体の異相体を狙い打つ、より高威力な魔法の弾丸を。

 

《そうです。胸の奥の熱い塊を、両腕に集めて》

 

 レイジングハートの切っ先を異相体の逃げた方向に向け、魔法に触れてから感じられるようになった力を両腕へと集める。

 すると、なのはの体が桜色の魔力光に包まれはじめた。

 

《Mode Change. Cannon Mode.》

 

 それに合わせてレイジングハートも形状を変化させる。

 杖の先端は丸みを帯びたフォルムから、二股の槍のような鋭利な形に、柄の部分からは銃のようなグリップとトリガーがせり出してきた。

 グリップを右に回転させ腰だめの姿勢で構えると、槍のような部分と柄の境目から桜色の羽根がX十字の形に展開された。

 

「まさか、封印砲!?」

 

 地上を走りながら後を追っていたユーノが、なのはの魔法の構えを見て唖然とする。

 封印魔法は誰しもが簡単に扱える魔法ではない。

 その上位互換である封印砲は、砲撃魔法の適性が高い魔導師しか使いこなせない難易度の高い魔法だ。

 魔法に触れたばかりの初心者に使いこなせる魔法ではないのだが、なのはの持つ高い魔力と砲撃魔法の適性、そして強靭な精神力が魔導師の常識を打ち破った。

 

《『直射砲』形態で発射します。ロックオンの瞬間に、トリガーを》

 

 なのはの眼前に現れた映像には、三つに別れて逃亡を図っている異相体と、それに追従して狙いを定めている照準が表示されている。

 数秒の間の後に、ロックオンが完了したことを知らせるアラーム音が鳴り響いた。それに合わせてトリガーを引く。

 それと同時になのはの体に大きな反動が押し寄せた。

 とっさにキング・クリムゾンで体を支えて体勢を維持したが、スタンドがなければ尻餅をついていただろう。

 弧を描きながら突き進む三本の桜色の光の柱が、次々と異相体を打ち抜いていく。

 最後の一体を粉みじんにし終えると、なのはの手元に封印の完了したジュエルシードが浮遊していた。

 

「これがジュエルシードです。レイジングハートで触れてください」

《Internalize No.18, 20, 21.》

 

 ユーノの言葉に従いなのはが杖の切っ先を浮かんでいるジュエルシードに向けると、吸い寄せられるように近づいてきた。

 そして杖の先端部分の赤い球体が桜色に輝き、ジュエルシードがレイジングハートの格納領域に収納された。

 起動状態から待機状態にレイジングハートが移行するのに合わせて展開されていた防護服が解除され、なのはの服装が元に戻る。

 

「お疲れ様、怪我はない?」

「うん、ちょっと疲れたけど怪我はしてないよ。……本当にあなたはスタンド使いじゃあないんだよね?」

 

 なのはが疑いの目をユーノに向ける。

 レイジングハートが実はスタンドだったという可能性もありえなくはないので、ユーノの言葉を信じ切れないのだ。

 

「僕はこの世界の住民じゃないから、現地の細かい言い回しまでは理解できないんだ。そのスタンドというのが何を意味しているのか、教えてもらえないかな」

「わたしもあなたに魔法について教えてもらうつもりだから構わないけど、説明するのは家に帰ってからだね」

 

 ユーノを抱きかかえたなのはは、ビルの階段を下りながら上着のポケットから携帯電話を取り出して、父親に電話しだした。

 

「もしもし、パパ? ……うん、大丈夫……あー、やっぱりそっちからも見えてたんだ……今帰ってるところだから……うん、わかった……もう、心配しすぎだってば……それじゃあ切るよ、じゃあね」

 

 電話を終えたなのはは苦笑しながら携帯を折りたたみ、上着のポケットへと戻した。

 わずかに漏れだしていた会話の内容を聞いたユーノが、なのはを見上げながら質問を述べた。

 

「あの、もしかして、魔法を使っているところを見られてしまったんですか?」

「途中まではパパと一緒に来たから、よく見えてたと思うよ。あれだけ派手に暴れまわっちゃったし、ほかに目撃者がいないとも言い切れないけど」

「ま、魔法の秘匿が……管理外世界では極力、魔法の存在は隠さないといけないのに」

「子供が空を飛びながら怪光線を撃ってたなんて話、信じる人いないだろうから心配ないと思うよ。

 それよりも建物とか派手に壊しちゃったから、明日にはニュースになってるだろうけど、そっちは大丈夫なの?」

「大丈夫じゃない……大問題です……」

 

 がっくりと肩を落としながらユーノは、これからの自分の行く末を考えて頭を悩ませ始めた。



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それは奇妙な出会いなの? その②

 人的被害もなく無事にジュエルシードの封印に成功したなのはは、士郎と合流してサイレン音から逃げるように現場を後にした。

 なのはたちの住んでいる町、M県海鳴市杜王町は不可解な出来事が度々起きることで有名だ。

 一部のオカルトマニアからは、多くの霊能力者が隠れ住んでいるとまことしやかに(ささや)かれているが、それはあながち間違いでもない。

 杜王町には数多くのスタンド使いが住んでおり、石を投げればスタンド使いに当たるとまではいかないが、意図せずスタンド使い同士が顔を合わせることぐらいはよくある。

 それだけ多くのスタンド使いが住んでいれば、不可解な事件のひとつやふたつ、起きてもおかしくない。

 今日のことも表向きには杜王町ではよくある事件のひとつとして処理されるだろう。

 

 門を開けた先には、黒髪の青年と腰まで伸びた黒髪を三つ編みにしている少女が待ち構えていた。

 士郎にどことなく似た顔立ちをしているこの二人は、なのはの腹違いの兄と姉だ。

 

「二人ともおかえり。無事なようでよかった」

「いきなり飛び出していったときは、何事かと思ったけどね。あら、かわいい。この子が例の森で怪我してたフェレット?」

 

 大学生と思わしき短髪の青年──高町恭也(きょうや)が安堵の表情を浮かべながらなのはたちを出迎えた。

 二人の無事を確認し終えた丸いメガネをかけた高校生ぐらいの年頃の少女──高町美由希(みゆき)の興味はユーノに向けられていた。

 

「うん、とりあえずここで立ち話もなんだし中に入ろうよ」

「そうだな、怪我をしているユーノ君を夜風に晒すのはあまりよくないだろう」

「あ、怪我は大丈夫です。なのはさんが僕のかわりに戦ってくれたおかげで、残った魔力を治療にまわせましたから」

 

 そう言いながらユーノが身震いすると、胴体に巻かれていた包帯がはらりと解けて、金色に近い茶色の毛並みが現れた。

 なのはと士郎はユーノが人語を話せるフェレットだと知っているため特に驚きはしなかったが、恭也と美由希はいきなり近くから聞こえてきた少年の声に目を見開いた。

 

「まさか、そのフェレットが喋ったのか……?」

「フェレットが喋るだなんて非現実的なこと、あるわけないでしょ。ファンタジーやメルヘンじゃないんだよ」

 

 二人して現実から目を背けているが、どうあがいても喋るフェレットが消えてなくなりはしない。

 二人が正気を取り戻したのは、なのはと士郎が家の中へ消えていった後だった。

 

 

 

 

 

 リビングのソファに腰掛けて、テーブルを囲んでいる高町家の面々の視線の先には、机の上で二本の足を使って器用に立っているユーノの姿があった。

 全身をせわしなく使ってボディランゲージを交えながら、ジュエルシードが地球にばら撒かれるきっかけや、自分がこの世界に来た経緯を話すユーノの姿は非常に愛くるしかったが、話自体は笑い話では済まないような内容だった。

 

「つまりユーノは地球の人々を守るために、ジュエルシードを回収しに来たんだね」

「はい、その通りです。管理局の人たちが来るのを待っていたら、確実に犠牲者が出てしまう。それだけはどうにかしないと駄目だと思って、いてもたってもいられず飛び出してきてしまったんです」

 

 話を頭の中でまとめ終えたなのはは、自分の解釈があっているかどうか問いかけた。そしてユーノの無謀とも勇敢ともとれる行動に感心していた。

 かつて自分を打ち倒した裏切り者たちや、この街の平和を守るために立ち上がったスタンド使いたちと同じように、自分の身を顧みず他人を助けるために、命をかけて行動することができる人を思いやる黄金の精神が彼の中に宿っていることを感じ取っていた。

 

「パパ、ユーノのジュエルシード集めを手伝ってあげてもかまわないよね」

「それはいいが、俺たちだけでは人手が足りないんじゃないか?」

 

 士郎の意見はもっともだった。なのはは小学校に通っていて、昼間はジュエルシードを探しに行けない。

 美由希も高校生なので、昼間から町を出歩くことはできないだろう。

 士郎も喫茶店の仕事があるため、昼間から抜け出すことは難しい。

 大学生の恭也なら、ある程度自由に時間をとることができるが、一人で闇雲に探しても見つかる可能性は低い。

 そうなると、必然的に捜索に当たれるのは早朝か夕方以降になってしまう。

 

「仗助たちに手伝ってもらったらどうだ? 講義の入ってない時間なら、昼間でも探せるだろう」

 

 恭也は同じ大学に通う友人たちの姿を思い浮かべた。

 腹違いの妹と同じくスタンドを使える彼らなら、不測の事態にも対応できるはずだ。

 きちんと事情を話せば、情に厚い彼らなら協力してくれるだろう。

 

「それはいいんだけど、あの漫画家まで出張ってきそうなんだよね」

「そういえば、なのはは露伴(ろはん)先生のことが苦手だったね。たしかに少し変わってるけど、いい人だと思うんだけどなぁ」

 

 美由希はなのはが異様に毛嫌いしている男性──岸辺露伴(きしべろはん)と面識があった。

 独特な絵柄の漫画、ピンクダークの少年を描いている彼は杜王町の有名人だ。

 なのはと露伴の間には色々と因縁があるのだが、スタンド使いではない美由希はあまり詳しい事情をしらない。

 思い当たるフシが無いわけではないのだが、その件はすでに水に流しているはずだった。

 よく露伴と共に歩いていたり、行きつけのイタリアン・レストランで一緒に食事をしている姿を見たことがあるので、「口ではああ言ってるけど、それほど嫌っているわけじゃないのかな?」と美由希は思っている。

 その考えは間違いで、なのはが露伴とよく一緒にいるのは行動範囲が似ているからだ。

 それともう一つ、()()()()()もあるのだが、それは美由希には伏せられていた。

 

「今日はもう遅いし、連絡は明日にしましょうね。ところでユーノ君は食べられないものとかはあるかしら?」

 

 今まで黙って話を聞いていた士郎の妻、もといこの家のヒエラルキーのトップに君臨している茶髪の女性──高町桃子がユーノを抱き上げながら微笑みかけた。

 優しい手つきで背中を撫でられるのは心地よいはずなのだが、ユーノはなぜか寒気が止まらなかった。

 

「いえ、特にはないです。人間の食べられるものなら平気です」

「それは良かったわ。良かった……実に良いわね……」

 

 ユーノは察した。このままこの人に抱かれていたら、なにかヤバイことが起きる。疑念は確信へと変わっていた。

 だが既にユーノは、桃子の魔の手から逃れられなくなっていた。

 ユーノはチェスや将棋でいう『詰み(チェック・メイト)』にはまっていたのだ。

 

「ま、まずい! 早くユーノ君を母さんから引き剥がさないと!」

「もう手遅れだ、諦めろ美由希」

 

 御神流(みかみりゅう)の奥義、神速を使ってユーノを奪い取ろうと試みた美由希の肩を士郎が掴んで制止した。

 たしかに、この場でユーノを助けることはできる。

 だが、その結果の代償はあまりにも大きすぎるのだ。

 向こう一週間の食事とユーノの安否、天秤は食事に傾いた。

 

「良ぉお~~~~~~~しッ!

 よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし

 よしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし

 いい子よ、ユーノくぅ~~~~~ん」

「う、うわああああああ!?」

 

 左手で体を支え安定させる! 右手は手首のスナップを利用して左右に動かす!

 恐怖を感じていたユーノも、手のひらが一瞬巨大に見えるほどの撫で回しにはビビった!

 そのふたつの手のひらの間に生じる優しさに溢れた空間は、まさに原初の宇宙の姿そのもの!

 

「ユーノ、あなたの黄金の精神はたしかに見届けたよ」

「ユーノ君、どうか頑張って耐えてくれ。君ならきっと耐え切れると俺は信じている」

 

 なのはと恭也は助けてほしそうな目でこちらを見てくるユーノから目をそらしつつ、感動的なセリフでこの場をごまかそうとしていた。

 スタンド使いと御神の剣士と言えど、胃袋を支配する者に逆らうことはできないのだ。

 ユーノは風になった。なのはたちが無意識のうちにとっていたのは『敬礼』の姿であった。涙は流さなかったが、無言でユーノの無事を祈った。

 

「フゥ~~~、久しぶりにかわいい動物を撫でれてスッキリしたわ」

 

 目を回しているユーノを、机の上に置かれたバスケットに戻した桃子は、ユーノが食べるための焼き菓子を作るためにキッチンに向かっていった。

 

 

 

 

 

 全身を撫で回されるという今までにない体験をしたユーノが目を覚ますと、見覚えのない部屋に移されていた。

 ピンク色のカーテンやクッションが置かれているが、部屋の主が寝ているはずのベッドには誰の姿もなかった。

 ユーノが眠っていたバスケットが置かれた机の上には、教科書類や皿に盛られてラップがかけられたクッキー、無骨なノートパソコンなどと一緒にレイジングハートが置かれていた。

 

「レイジングハート、なのはさんがどこに行ったかわかるかい?」

《マスターならランニングに出かけていました。今は帰ってきてシャワーを浴びているようです》

 

 そのとき、部屋のドアが開いて下着姿のなのはがスタンドを使って濡れた髪を拭きながら戻ってきた。

 

「な、なな、なのはさん! 何で服を着てないんですか!?」

「脱衣所に替えの服を持っていくの忘れちゃってね。それにしても昨日は災難だったね」

 

 何事もないかのように話を続けるなのはだが、ユーノはそれどころではなかった。

 ユーノはフェレットの姿をしているが、本来はなのはと同年代の少年だ。

 正直言って、今のなのはの姿は目の毒にしかならない。

 

 顔を真赤にしながら目をそらしてなのはの姿を見ないようにしているが、脳裏に焼き付いた映像は中々消えてくれない。

 理性を総動員しながら悶えている珍妙なフェレットとは裏腹に、なのはは下着姿を見られたことに対して特に何も感じていなかった。

 そもそもなのはには、男として30年以上過ごしてきた記憶がある。

 自称人間のフェレットに下着姿を見られたところで、痛くも痒くもないのだ。

 むしろ母親に笑顔で強要させられる女の子らしいファッションを誰かに見られる方が、精神的なダメージは大きい。

 白を基調とした清楚なデザインの制服に着替え終えたなのはは、スタンドで髪を結いながらユーノの正面に椅子を持ってきて腰掛けた。

 

「なんというか、なのはさんのお母さんは個性的な人ですね」

「にゃはは、普段はおっとりしてて優しい人なんだけど、可愛い動物を見るとああなっちゃうんだ」

「そ、そうなんですか」

 

 ユーノには苦笑いすることしかできなかった。

 そして桃子の手の届く範囲には決して近づかないようにしようと心の中で固く誓った。

 

「もう少し話したかったけど、もう学校に行く時間だから。スタンドについて説明するのは帰ってからになっちゃうね」

「それなら大丈夫。魔導師には離れている相手と会話する手段があるんだ。昨日も戦闘中にそれを使って話しかけたんだけど、気が付かなかった?」

「そういえば戦ってる途中で、頭のなかにユーノの声が響いてきたね。あれが念話なの?」

『そうだよ。レイジングハートを手にとって、心で僕に話しかけてみて』

 

 ユーノに言われるがまま、レイジングハートを握りこみ胸元辺りに近づけた。

 かつて自分の中にもうひとつの人格があったころの感覚を思い出しながら、頭の中でユーノに囁きかける。

 

『もしもし、わたしの声が聞こえる?』

『うん、聞こえるよ。なのはさんが暇なときでいいので、好きに話しかけてきてくださいね』

「わかった。それとユーノ、わたしのことは呼び捨てでいいよ」

「え、でも……」

 

 ユーノはなのはたちを巻き込んでしまった負い目から、無意識に敬称をつけて名前を呼んでいた。

 そして現地の人たちに手伝ってもらわなければ、満足にジュエルシードを集めることができない自分のことを歯がゆく思っている。

 

「ユーノはさ、たしかにジュエルシードの封印を失敗しちゃったけど、それでもこうして遠く離れた地球までわざわざ来てくれた。

 わたしからしてみれば、一向に来る気配のない管理局ってところの人たちよりも、ずっと頼もしく思えるよ。だからそうやって自分を(さげす)まないで」

「……うん、わかった。これからよろしく、なのは」

「こちらこそよろしくね、ユーノ」

 

 なのはの励ましを聞いて、ユーノは少しだけ救われたような気がした。

 実際の年齢以上のなにかを感じさせるなのはの言葉だからこそ、すんなり受け入れられたのかもしれない。

 机の上に置かれたクッキーに手を付けながら、ユーノはこれからどうやってジュエルシードの所在を突き止めるか模索し始めた。



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杜王町は危険がいっぱいなの? その①

(魔法に時空管理局、挙句の果てには古代文明の遺産か。わたしは不幸の星の(もと)に生まれたとしか思えないな)

 

 いきなり降って湧いてきた厄介事の数々に、なのはは深いため息をついた。

 彼女としては平和に暮らせればそれだけで満足だというのに、(しゅ)はそれを許してはくれないようだ。

 過去の行いが清算されたとは思っていないが、もう少し何とかならないものかと考えながら教室の席につくと、二人の少女がなのはのもとに駆け寄ってきた。

 

「なのは、今朝のニュースは見た?」

 

 金髪の少女──アリサ・バニングスがなのはに昨日の事件について話題を振ってきた。

 なのはと異相体の戦闘の痕跡は凄まじく、ニュース番組や朝刊で大々的にとりあげられていたのだ。

 暗かったため昨晩は周囲の様子がよくわからなかったが、朝になって近くのビルから撮られた写真の内容は、ギャング同士の抗争が起きたとしか思えないほど酷いものだった。

 

「え、ニュースって?」

「昨日行った病院の近くで事件があったみたいで、道路や建物が壊れちゃったんだって」

 

 紫髪の少女──月村すずかは事件のあらましを軽く説明しながら、なのはに疑いの目を向けている。

 

「なのは、もしかしてあのフェレットとこの事件、なにか関係があったりする?」

「うーん、ここで言えるようなことじゃないし帰りながら話さない? ほら、もう先生が来そうだしさ」

 

 アリサとすずかは、なのはがスタンド使いであることを知っている。

 そのため、なのはが何かしでかしたのではないかと疑っているのだ。

 話題が話題だけに、なのはの言葉に素直に頷いた二人は自分の席へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 ユーノに念話でスタンドについて説明しながら、なのはは物思いにふけっていた。

 実年齢はともかく精神的には親と子ほど歳の離れていそうな友人たちに、昨晩の件について真相を話すかそれとも黙っておくかどうか決めかねていた。

 ウソをつくこと自体は苦手ではないが、あまり好きでもない。しかし真相を話したら巻き込むかもしれない。

 二人の少女は、なのはほどではないものの同年代の子供よりは精神的に成熟している。

 

 つい先日、将来の夢について話し合ったときには、この歳で既に将来なにになりたいか決めていたのだ。

 なのはの前世(ディアボロ)がこのぐらいの歳のころは、将来についてなど漠然としか考えたことがなかった。

 船乗りになろうと思っていた時期もあったが、そう思い立ったのはスコーラ・メディア(イタリア語で中学校を意味する)を卒業する少し前だった。

 

 二人に魔法やジュエルシードについて教えても、興味本位で首を突っ込んだりはしないだろう。

 むしろジュエルシードの危険性を教えておけば、事故を未然に防げるかもしれない。

 そこでなのはは、魔法のことをスタンドに置き換えて二人に話すことにした。

 

 真実を真実らしく見せるためには嘘を混ぜる必要があるように、嘘を真実らしく見せるためには真実を混ぜるのが手っ取り早い。

 いつか本当のことを話すつもりだが、今はまだそのときではない。それになのはには一つ気がかりなことがあった。

 それは未だにユーノを助けに来ない時空管理局という組織のことだった。

 

(無数の次元世界を束ねている組織らしいが、胡散臭いことこの上ない。実際にこの目で見て、どんな組織か見極める必要があるな)

 

 前世でなのははギャングのボスとして、イタリアの裏社会を牛耳っていた。

 その経験から警察や政府の内情をある程度知っていた。

 警察官といえども全員が全員、善人とは限らない。

 賄賂を受け取る警察官や、裏でギャングと関わりを持っている幹部が一定数存在するのだ。

 管理局の内情がどうなっているか、なのはには分からないが、人間である以上は賄賂を受け取り犯罪を見逃したり書類を改竄する職員が誰一人としていないなどありえないと思っている。

 

 ようは法的機関や捜査機関をあまり信用していないのだ。

 社会の闇をこの目で見てきたなのはは、物事を悪い方向に考えてしまう癖がある。

 昔に比べたらだいぶマシになったが、今でもその癖は抜けきっていない。

 

『ありがとう、なのは。スタンドについては理解できたよ。たぶん管理世界では、スタンドは稀少技能(レアスキル)に分類されるだろうね』

『レアスキル?』

『管理世界では普通の魔法とは違う特殊な魔法を、生まれ持って使える人がいるんだ。生き物を召喚して使役する召喚士が一番有名かな』

『そういう魔法もあるんだ。もしかして、それって登録とか必要になったりする?』

『管理外世界の住人は本来は申告する必要はないんだけど、なのはの魔導師の才能は規格外だから……もしかしたら、届け出だけは出すことになるかも』

 

 ユーノの推測に、なのはは頭を抱えそうになった。

 スタンド使いは能力を無闇にばらしたりはしない。

 わざと相手に教えることで思考を誘導したりはするが、最初からスタンド能力がバレていては不利になるだけでメリットがない。

 

『大丈夫、スタンドのことは管理局には話さない。恩を仇で返すような真似はしないよ』

『黙ってても大丈夫なの? 管理局に許可をもらって探しに来てるんだから、てっきり報告義務とかがあるものだと思ってたけど』

『僕が報告するのは、魔法の使用履歴や町に与えた被害ぐらいだからね。民間の人間だから、そこまで詳しく説明する必要はないんだ』

 

 民間人が危険物を探しに行くのを許可している時点で、問題があるのではないかと口にしようとしたが、すんでのところでなのはは言葉を飲み込んだ。

 先ほどまでの穏やかな声色から打って変わって、緊張の色を含んだ真剣な口調でユーノが新たな話題を持ちだしたからだ。

 

『それで、その……なのはや色んな人たちに迷惑をかけてしまうかもしれないけど、一週間……いや、五日もあれば力が戻るから、その間だけ手伝って欲しいんだ』

『……駄目だよ。その願いは聞き入れられない』

『そうですよね。無関係ななのはを頼ってしまって申し訳ございません。やっぱり僕一人で──』

 

 最初から受け入れられるとはユーノも思っていなかった。

 なのはは昨日の夜、手伝うとは言っていたが気が変わったのだろう。

 ユーノがなのはのことを当てにしていたのは事実だが、無理に手伝ってもらうつもりもなかった。

 

 なのはが歳相応の少女ではないことはユーノも理解している。

 昨日の戦闘中に向けられた凄みは、今までに味わったことがないほどの恐怖をユーノに植え付けていた。

 

 もしかしたら、なのはにはとてつもない過去があるのかもしれない。

 今の彼女の態度は偽りのもので、本当は吐き気を催す邪悪なのかもしれない。

 朝の優しい励ましの言葉も信用してもらうための演技だったのかもしれない。

 だが、それでも彼女が自分を助けてくれたことに変わりはない。

 

 なのはに感謝しながらユーノは別れの言葉を告げようとした。

 しかし、その言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 

『違う、違うよ。わたしが言いたいのはそういうことじゃあない。これはもうあなただけの問題じゃなくて、杜王町全体の問題なんだよ。それにユーノだけで残りのジュエルシードを回収できるの?』

 

 早とちりしたユーノの言葉を遮るように、なのははまくし立てた。なのはの正論に思わずユーノは黙りこんでしまう。そして二人の間に少しだけ静寂の時間が流れた。

 

『わたしは善人じゃあないけど、あなたの行いが正しいことぐらいはわかる。わたしは手を差し伸べた。あとはあなたがわたしの手を取るかどうかだよ』

『なぜ、どうして、そこまでしてくれるんですか?』

 

 ユーノには、なぜなのはが手を貸してくれるのか分からなかった。

 お世辞にも彼女は、困っている人がいて助けてあげられる力が自分にあるなら、迷わず助けるようなタイプには見えない。

 

『見ていられないから、かな。一人ぼっちが寂しいのは、わたしもよく知ってる。だから気まぐれに助けたくなっただけだよ』

『……うん、ありがとう』

『さて、もうすぐ学校が終わるから、家についたら仗助たちを呼んで事情を説明しないとね。今朝のうちにメールは出しておいたから、予定は開けておいてくれてるはずだよ』

『って、最初から協力する気だったんじゃないですか!』

『乗り気になったパパたちを止めるのは無理だからね。手伝わないなんて選択肢はなかったよ』

『それならそうと初めから言ってくれればよかったのに』

『にゃはは、ごめんごめん。ついうっかり伝え忘れちゃってた。それじゃ、今から帰るから大人しく待っててね』

 

 文句がありそうなユーノに謝りながら念話を切ったなのはは、背後から近寄るアリサの魔の手から逃れるために席を立った。

 

「むー、なのはの尻尾をつかむには精進が足りなかったようね」

「誰だろうと、勝手にわたしの髪に触れる者は許さないよ」

 

 頬を膨らまして不満気にしているアリサに、勝ち誇った笑みを見せるなのは。

 そしてその様子を微笑ましそうに眺めるすずか。この三人のじゃれあう姿はこのクラスの名物の一つとなっていた。

 

 

 

 

 

 帰り支度を済ませたなのはたちは、海岸沿いの道を通りながら昨日の事件の経緯をアリサとすずかに説明していた。

 

「つまり敵のスタンドが大暴れしてああなっただけで、なのはのせいじゃないってこと?」

「そういうこと。あのフェレットはちゃんとうちで預かってるから、心配はないよ」

「だからって小学生が夜中に出歩くのはどうかと思うよ、なのはちゃん」

 

 紆余曲折ありながらもなんとか二人を納得させることに成功したなのはは、途中で二人と別れて勾当台商店街を抜けて家へと向かっていた。

 この道はいつも登下校に使っていて、なのはにとっては見慣れた風景だ。

 通学時間には聖祥大学やTG大学、ぶどうが丘高校へと向かう生徒の姿で賑わっている。

 

「なあ、あの話知ってるか」

「今朝のニュースでやってたやつだろ? 変な音がすると思ってよォ、窓から外を見たら、あの辺りがピンク色に光っててビビったぜ」

「んな与太話じゃあなくて、あの気持ちわりい岩のことだよ。この前までたしかにあったのに、いつの間にかなくなってたんだってよ」

「あの岩かなりデカかったよなァ。もしかしたら誰かに盗まれたんじゃあねえか?」

「バァカ、真っ昼間に堂々と盗めるわけないだろうが」

 

 いかにも不良らしい格好をした二人が、馬鹿騒ぎしながらなのはの横を通り過ぎていった。

 話の内容は他愛のない日常会話だったが、聞き捨てならない内容が含まれていた。

 

(……あとでネットに写真が上がってないか調べてみるか)

 

 あの姿を不特定多数の人間に見られるのは、人並み外れた精神力の持ち主でも羞恥を覚えるようだ。

 前世では網目状の奇抜なインナーこそ身に着けていたものの、その上にイタリアマフィアの例に漏れず一流の仕立て屋に作らせた一品物のスーツなどを着ていることが多かった。

 パッショーネのメンバーでも穴の空いたスーツを地肌の上に着た男(パンナコッタ・フーゴ)目を覆うマスクをつけたほぼ半裸の変態(メローネ)と比べたら服装のセンスはマトモな部類である。

 

 商店街を抜けて家まで辿り着いたなのはが玄関の戸を開けると、そこには見覚えのない靴が三足並べられていた。

 なのはがドアの隙間から居間の様子をうかがうと、そこには三人の青年と恭也が談笑していた。

 

「そういえば恭也センパイの家に来たのは、あのとき以来になるっスね」

 

 ソファに腰掛けたリーゼントヘアーの男──東方仗助(ひがしかたじょうすけ)が出されていたコーヒーを飲み干して口を開いた。

 彼の両脇には、大学生とは思えないほど小柄な男──広瀬康一(ひろせこういち)と剃りこみの入った独特な髪型の男──虹村億泰(にじむらおくやす)がシュークリームを頬張りながら仗助の話を聞いている。

 おとなしそうな青年と、誰がどう見ても不良としか思えない青年たち。

 接点があまりなさそうな組み合わせだが、仗助たちは恭也の数少ない友人だ。

 

「たしかに仗助や康一の家に集まってばかりで、俺の家に集まる機会はなかったな。うちには皆で遊べるようなものがないから仕方がないが」

「恭也さんの家族はゲームとかしないんですか?」

「なのはが携帯ゲーム機で遊んでいるところなら、たまに見かけるな」

 

 恭也も仗助たちと一緒にゲーセンに行くことはあるが、家庭用ゲーム機は持っていない。

 家にいるときは盆栽の世話や修行に時間を使っているため、ゲームをする暇まではないのだ。

 ほかの家族も似たようなものだが、基礎的なトレーニングしかしていないなのはは時間に余裕があるため、暇なときはゲームをして時間を潰していたりする。

 

「意外とミーハーなんだな。……昔よりも言動がガキっぽくなってる気がするんだが、幼児退行してるんじゃあねえか?」

「人の悪口を言うのはよくないよ、虹村億泰。ところで誰がションベン臭いガキになったって?」

 

 会話の一部始終を聞いていたなのはが、額に青筋を浮かべながら億泰の肩を軽く叩いた。

 恐る恐る振り向いた億泰の視線の先には、憤怒の表情を浮かべながらデコピンを叩き込もうとしているキング・クリムゾンの姿があった。

 たまらず億泰もスタンドを繰り出して防御しようとしたが、時をほんの少しだけ吹き飛ばして後ろに回り込まれてデコピンを後頭部に受けてしまった。

 

「それで話ってのはなんなんだ? おめーがわざわざ呼び出すってことは、かなり重要なことなんだろ」

「うん、そうなんだ。じつは──」

「おい、仗助ッ! それになのはッ! おれを無視して話を進めようとするんじゃあねえ! ちょっとはおれのことを心配しろよ、このダボがァ!」

 

 意識を取り戻して飛び起きた億泰は、仗助の襟元を掴み睨みつけた。

 元凶はなのはなのだが、さすがに小学生の女の子に暴力を振るうわけにもいかないため、八つ当たり気味に仗助に喧嘩を売るような真似をした。

 そもそも、なのはを掴んで持ち上げようとしていたら、今ごろ恭也の鉄拳が億泰の顔面に突き刺さっていただろう。

 

「億泰、てめーにはなにもいうことはねえ……とてもアワれすぎてなにも言えねえ」

「そんなだから億泰くんはモテないんじゃあないかな」

「俺から言えるのは一つだけだ。なのはを怒らせるとあとが怖いぞ」

 

 彼女持ち二人と年がら年中告白されまくっている男の言葉が、億泰の心に深々と突き刺さる。

 たまらず億泰は仗助から手を離し、よろめきながらソファーに座りなおした。そして静かに涙を流した。



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杜王町は危険がいっぱいなの? その②

 不可解な出来事には慣れていた仗助たちも、人語を話すフェレットと対面したときは、おもわず口をあんぐりと開けてしまった。

 そして続いて見せられたなのはの魔法で、三人はユーノの話を信じざるを得なくなった。

 スタンドも月までぶっ飛ぶこの衝撃に襲われた仗助たちは、口々に愚痴をこぼし始めた。

 

「こいつはグレートだぜ……」

「おれは馬鹿だからよォ、細かい話はよくわからなかったが、そのジュエルシードってのがヤベー力を持ってるってのは理解できたぜ」

「ぼくたちの暮らす杜王町に、そんな危ないものが散らばっていたなんて……」

 

 ジュエルシードは単体でもかなりの危険物で暴走した場合、次元断層を起こす恐れを秘めている。

 もし次元断層が起こったら地球は跡形もなく崩れ去ってしまうだろう。

 話のスケールが大きすぎて仗助たちにはイマイチピンとこなかったが、とんでもない危険物だということは理解した。

 

「僕の話に嘘偽りはありません。仗助さん、億泰さん、康一さん、お願いします。ジュエルシードの捜索を手伝っていただけないでしょうか」

 

 ユーノは頭を垂れて仗助たちにできるかぎりの誠意を表した。

 スタンドという特殊な能力を持っているとはいえ、仗助たちに魔法の才能はない。

 地球に住む人々の多くは、魔法を使うための器官が発達していないのだ。

 地球出身の有名な魔導師にギル・グレアムという男がいるが、彼以外に有力な魔導師が地球から輩出されていないことからもその事実がうかがえる。

 なのはのように魔力を湯水のごとく扱える才能の持ち主は、地球にはほとんどいないのだ。

 

「ユーノ、おめーの覚悟はよくわかった。その時空管理局ってのが来るまでの間、手伝わせてもらうぜ」

「おれらのスタンドは戦闘向きだからな。よぉし、早速探しに行こうぜ!」

「でも昨日みたいに町が壊されたらヤバイんじゃあないかな。警察の人が巡回し始めたら、探しにくくなりそうだし」

 

 スタンド使いが引き起こした事件ではないため仗助たちに協力する義理はないのだが、海鳴市や杜王町に危険が迫っているとなると話は別だ。

 

「それなら心配ありません。ジュエルシードの位置さえ確認できたら、封時結界を張って隔離することができます」

「封時結界?」

「空間をズラして、結界内を実際には影響の受けないようにする魔法です。現実の建物を傷つけることのない人のいない空間を作れるので、町の被害を気にせずに戦うことができます」

「……どうしてそれを昨日使ってくれなかったのかな」

「き、昨日は魔力がほとんど残ってなくて、結界を張る余裕がなかったんだ」

 

 封時結界は維持にはほとんど魔力を消費しないが、展開にはそれなりの量の魔力を消費する。

 ユーノは本来なら魔導師の平均を上回る量の魔力を持っているのだが、地球の環境が邪魔をして全力を出せていない。

 

 魔導師には魔力を扱うための器官がある。

 実体を持たないその器官の名はリンカーコア。

 大気中に含まれる魔力素を吸収することで、魔力を運用できる形に変換する変換器で、人間の臓器で例えるなら心臓と肺の機能を兼ね備えている。

 ユーノが魔力不足に陥っている原因は地球の魔力素にある。

 アレルギーを持つ人間がいるように、魔力素が体に合わず体調を崩す人間がいる。

 滅多なことでは起きない現象なのだが、ユーノは運悪く地球の魔力素が体に合わなかったのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 なのはとユーノの間に沈黙が流れる。

 仗助たちは口を閉ざして成り行きを眺めている。

 好き好んで藪をつついて蛇を出すようなマヌケはいないのだ。

 億泰ならいらぬことを口に出したかもしれないが、先ほど痛い目にあったばかりなので、なにも言うつもりはなかった。

 

「……それじゃあしょうがないね」

「よ、よかった……保健所送りにされなくてよかった……」

 

 出会って二日目で、すでになのはが上でユーノが下という力関係が生まれていた。

 こういうやりとりもなのはからしてみれば冗談のうちの一つなのだが、体から発せられる凄みや威圧感が凄まじいため、傍目には本気なのか冗談なのか区別がつかない。

 

「なのは、あまりユーノをいじめるんじゃないぞ」

「わかってるよ、お兄ちゃん」

(絶対わかってないだろうなぁ。というか、さっきのもわざとだろうし)

 

 恭也の忠告に素直に頷くなのはを見ながら、康一は心のなかでぼやいていた。

 日本語で喋っているときの口調は比較的穏やかななのはだが、イタリア語で喋るととんでもなく口が悪いことを康一は知っている。

 以前、康一がイタリアに住んでいるとある少年を調べに行く際に、露伴のスタンドで叩きこまれたイタリア語の知識が通用するかどうか、なのはに確かめてもらったことがある。

 それが切っ掛けで知ったのだが、そのときの衝撃は大きかった。

 その年の四月から小学一年生になる少女が、卑猥な単語やすさまじい罵倒の言葉を嬉々とした表情で教えてくるのだ。

 康一の脳裏には、そのときの光景がコールタールのようにこびり付いていた。

 

「そんなことより、ジュエルシードが発動しちまったらどうするんだ?」

「ジュエルシードが発動すると大きな魔力が発せられるので、僕やなのはなら発動を感じ取れるはずです」

 

 首を傾げている億泰にユーノが簡単に説明した。

 地球には魔力を発するものがほとんどないため、局所的に発せられる魔力は魔導師なら簡単に感じ取ることができる。

 レイジングハートに触れたことにより魔力を体感したなのはも、魔力の流れを感じ取ることができるようになっている。

 

「ただ、僕が地球に来るよりも前に発動してしまったジュエルシードがあるかもしれません。皆さん、最近身の回りでなにか変わった事件は起きませんでしたか?」

「そういえば帰ってる途中で、アンジェロ岩がなくなってたって話を聞いたよ。……仗助、どうかした?」

「アンジェロ岩が……なくなったのか……? それはマジで言ってるのか、なのは」

 

 唐突に席を立ち近寄ってきた仗助に、訝しげな表情を向けたなのは。

 そんななのはの様子を一切無視して仗助はなのはに詰め寄る。

 普段は見せない仗助の鬼気迫る表情に、なのはも深い事情があることを察した。

 

「実際に見たわけじゃあないから本当かどうかまではわからないけど、少なくとも嘘ではなさそうだったよ」

「落ち着け、仗助。お前が慌てるなんてらしくないぞ。急にどうしたんだ?」

 

 恭也の言葉で落ち着きを取り戻した仗助がソファに腰掛けて、深い溜息をついた後に言葉を紡ぎ始めた。

 

「……恭也センパイとなのはには話してなかったが、数年前におれは片桐安十郎(かたぎりあんじゅうろう)っつうスタンド使いを岩に埋め込んだんだ」

「数年前に脱獄したあと、行方不明になった死刑囚だったよね」

 

 片桐安十郎──通称アンジェロとは『日本犯罪史上最低の殺人鬼』と言われている殺人犯だ。

 数多くの犯罪者や社会のクズを目にしてきたことのあるなのはですら、アンジェロの犯罪経歴を聞いたときには「便器にはき出されたタンカス以下の存在」と言い切ってしまったほどの凶悪犯で、今でも彼には多額の懸賞金がかけられている。

 

「あいつは、おれのじいちゃんを殺しやがった。だが普通の刑務所じゃあ、あいつを閉じ込めておくことはできねえ。だから岩と同化させて放置しておいたんだ」

「アンジェロ岩が消えたのと、ジュエルシードが地球に落ちたのはほぼ同時期。なにか関係があるとしか思えないよ」

「アンジェロを放っていたらまた被害者が出ちまう。一刻も早く居場所を突き止めねえとヤベえぜ」

「了解した。ひとまず俺と康一、仗助と億泰、なのはとユーノに分かれて探すとしよう。みんな、それで異存はないな?」

 

 恭也の言葉に一同は無言で頷いた。お互いに定期的に携帯電話で連絡を取り合うことを決めた後に、なのはたちは別々の方向に駆け出した。

 

 

 

 

 

 ユーノを抱きかかえたなのはは、バスに乗ってアンジェロ岩のある広場に向かっていた。

 魔力の残照がどの程度残っているかで、発動してからどれぐらい経ったのかを把握するためだ。

 

『ごめん、なのは。まさかこんなことになるなんて』

『ユーノのせいじゃあないよ。でもどうやってアンジェロは岩から抜けだしたんだろ?』

『たぶんジュエルシードが、アンジェロって人の願いを歪んだ形で叶えたんだと思う』

『それで岩から逃げ出せたんだね。魔力を辿ってどこにいるか突き止めたりはできないの?』

『今は魔力がほとんど漏れだしてなくて居場所がわからないんだ。高度な機器か専用に組まれた魔法なら見つけられるかもしれないけど……』

『じゃあしらみ潰しに歩きまわるしかないね。仗助の家に現れてくれれば楽なんだけど、狙い通りに現れてくれるとは限らないし』

 

 しょんぼりしているユーノの額を軽く小突きながら、なのははもしアンジェロを見つけたらどうするか考えていた。

 

(仗助は動きを封じてくれれば、それでいいと言っていたが……)

 

 仗助や億泰、康一の考え方は、なのはからしてみれば甘っちょろかった。

 その考え方は彼らの美点なので、とやかく言うつもりはないが従うつもりもない。

 

(アンジェロが罪を認めて、素直に法の裁きを受けるのなら殺しはしない。だが、そうでない場合は──)

 

 なのはの心の奥底からドス黒い感情が沸き起こってくる。役に立たないものは始末しろ。

 絶頂を脅かすものは始末しろ。かつての記憶が、なのはに帝王としての力を使えと囁きかけてくる。

 

(──始末する必要は、ない。ジュエルシードを封印すれば取り込まれた生き物はもとに戻ると、ユーノが言っていたじゃあないか。そうだ、なにも殺すことはない)

 

 頭を左右に振って燃え上がった漆黒の意思を追い払う。

 なのはが視線を下ろすと、心配そうに見つめてくるユーノと目があった。

 

『ゆっくりしてると晩御飯に間に合わなくなっちゃうから、急いで調べないとね』

 

 誤魔化すためにつぶやいた緊張感のない言葉に苦笑しながら、なのははバスから降りて広場へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 一方その頃、仗助と億泰は愛用のバイクに乗って仗助の実家に向かっていた。

 

「わりいな、億泰。わざわざついてきてもらってよ。本来はおれとあいつの問題だってのに」

「つれねえなあ、仗助。おれも仗助のお袋さんには世話になってんだから、気にすんなって」

 

 億泰は仗助と知り合ってからというもの、たびたび彼の家で夕飯を食べさせてもらっている。

 

「さっき家を出る前に説明してたけどよ、ヤツのスタンドは水分と同化する能力なんだな?」

「ああ、そのとおりだ。前に襲われた時は、水蒸気に同化して体の中から引き裂こうとしてきやがったな」

「つまり、おれの『ザ・ハンド』なら一方的に削り取れるっつーことだな」

 

 億泰のザ・ハンドは右手で空間を削り取る能力を持っている。

 不定形の相手でも問答無用で攻撃できるザ・ハンドはアンジェロのスタンド、アクア・ネックレスの天敵とも言えるスタンドだ。

 

「大人しく捕まってくれるやつとも思えねーからな。少しぐらい削り取っちまっても問題ないぜ」

「にしても妙な話だよな。アンジェロ岩が無くなってどれぐらい経ってるかは分からねーが、仗助に襲いかかってきてねーなんてよォ」

 

 億泰の疑問はもっともだった。

 ユーノが地球に来てから二日が経過しているが、アンジェロが仗助に襲いかかってくる気配はない。

 馬鹿正直に真正面から勝負を仕掛けてくるような相手ではないことは明らかなので、なにか策を練っているのだろうと仗助は考えた。

 

「もしかしたら雨を待ってるのかもしれねーな。前も雨が降るまで待ってから襲いかかってきたからな」

「なら心配する必要はねえぜ。なんせ天気予報じゃ、ここ一週間はずっと晴れらしいぜ」

「となると当面の心配は飲水だな。後でコンビニかスーパーで買いだめしとくか」

「……らしくねーな仗助。今のおめーには仲間が大勢いるんだぜ? だからあんま焦るんじゃあねえよ」

 

 仗助の後続を走っていた億泰が、アクセルを吹かして並走しながらまくし立てた。

 その言葉にハッとした仗助は、億泰を視界の端に捉えながら、思っていたよりも自分が熱くなっていたことに気がついた。

 

「ありがとよ、億泰。アンジェロの野郎がこの町に潜んでると思うと、いても立ってもいられなくなっちまってな」

「一度倒した相手なんだろ? 承太郎さんはいねえが、今回は犯罪者のプロがいるし大丈夫だろうよ」

「たしかになのはのスタンドは承太郎さんのスタープラチナ並みにヤベーが、油断するのはよくねえぜ。前回みたいにうまくいくとはかぎらねえからな」

 

 ジュエルシードという未知の力を手にしたアンジェロに対して、気楽に考えている億泰とは対照的に、仗助は言い知れぬ危機感を覚えていた。

 

 

 

 

 

 恭也と康一は、アンジェロ探しとジュエルシード探しを平行して行っていた。

 康一は自身のスタンドを三段階に切り替えることができる。

 その中でも、一段階目のスタンド『エコーズACT1(アクトワン)』は高いパワーこそ持っていないものの、射程距離が50メートルもある。

 その射程距離の長さを利用して、上空からアンジェロがいないかどうか見て回っているのだ。

 恭也は道行く人たちにジュエルシードの写真を見せて、アンジェロやジュエルシードを見かけなかったかどうか聞きまわっている。

 

「ぜんぜん見つかりませんねえ」

「ジュエルシードを見つけるには、発動するのを待ったほうが手っ取り早いかもしれないな」

 

 ジュエルシードは杜王町だけではなく、海鳴市全体に散らばっている。

 特定できたのは落ちたおおよその範囲のみで、細かい場所まではわかっていない。

 とはいえ、人が手にする可能性の場所にあるものさえ回収できれば、後は時空管理局に任せればいいので、探す範囲は自ずと絞られてくる。

 

「重ちーがいれば、すぐに見つけられたんだろうけどな……」

 

 康一は故人の名を呟きながら感傷的な気分になっていた。

 杜王町に潜んでいた殺人鬼に殺された少年、矢安宮重清(やんぐうしげきよ)

 重ちーと呼ばれ親しまれていた彼は、ハーヴェストというスタンドを持っていた。

 一体一体は大したパワーを持っていないが、杜王町全体に大量のヴィジョンを展開できる強力なスタンドだ。

 彼がもし生きていれば、ジュエルシードも難なく集めることができただろう。

 

「それは……ん? 電話か?」

 

 康一に恭也が声をかけようとした時、ポケットに入っていた携帯のコール音が鳴った。

 ディスプレイにはなのはの名前が記されていた。

 まだ定時連絡には早い時間で不審に思った恭也は、すぐになにかアクシデントが起きたのだと察した。

 

「なのは、一体なにが起こったんだ」

『お兄ちゃん、アンジェロはやっぱりジュエルシードを取り込んでた。スタンド能力が強化されてて──ッ!』

 

 携帯電話から発せられるなのはの声には、空を飛びながら話しているのか風切り音が混ざっていた。

 会話の途中で、なにかがうねるような音と共になのはの声が途切れた。

 

「なのは! なにがあったんだ!」

 

 恭也が呼びかけるも、なのはからの返事は一向に返ってこない。

 聞こえてくるのは通話が途切れたことを示す電子的な不通音のみだった。



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杜王町は危険がいっぱいなの? その③

 バスを下車したなのはとユーノがアンジェロ岩のあった場所にたどり着いてみると、噂通り岩は綺麗さっぱりなくなっていた。

 周囲の地面に重機を走らせたような跡はなく、まるで岩がひとりでに動き出したようだった。

 ユーノが魔力の痕跡を調べている間に、なのははアンジェロ岩がいつ消えたか知ってる人がいないか聞いて回ることにした。

 

「あの、すいません」

「ん? どうしたんだ、お嬢ちゃん」

 

 携帯をいじりながら電柱に背を預けていた男に、なのはは声をかけた。

 どうやら学校から帰る途中にすれ違った不良の片割れのようで、誰かが来るのを待っているのか、しきりに携帯の時計に目をやっていた。

 

「ここにあった岩がいつなくなったか知りませんか?」

「わりいな、オレもさっきツレに聞いたばっかで、いつなくなったのかまでは知らねえんだ」

「それなら知ってるぜ。昨日の明け方にはなくなってたんだってよ」

 

 話に割り込んできたもう一人の男の姿に、なのはと話していた男がようやく来たのかと呆れの表情を見せた。

 

「ったく何分待たせやがるんだ。約束の時間から三十分は経ってるぜ」

「ところでよォ、なんでお前はあの岩について聞きまわってるんだ。おれにわかりやすく教えてくれねえか?」

「ッ!?」

 

 悪びれる様子もなく、薄ら寒い笑みを浮かべる男がなのはに近寄ろうとした。

 嫌な予感がしたなのはは、咄嗟にエピタフを発動させた。

 一度見えた未来は過程はどうであれ、キング・クリムゾンで映しだされた結果を吹き飛ばさないかぎり、必ずその通りになる。

 エピタフの予知では、なのはが水のようなスタンドをキング・クリムゾンでガードしようとして、失敗する未来が見えていた。

 

(すでにアクア・ネックレスはあいつの体の中に入り込んでいる。わたしのスタンドでは有効打は与えられない。ここは距離をおいて変身……じゃあなくて、魔法を使うべきだな)

 

 心のなかで変身などという言葉をつぶやいてしまったことに微妙な気持ちになりながら、なのははキング・クリムゾンを繰り出した。

 

「このガキ、やはりスタンド使いだったか!」

 

 男の口から這い出てきたアクア・ネックレスが、なのはにめがけて飛びかかってきた。

 キング・クリムゾンのスピードなら十分対応できる速度だが、ガードが意味を成さないことを、なのははすでに知っている。

 

「不意打ちしか能がないスタンドで、わたしに勝てると思うなよ。キング・クリムゾンッ!」

 

 一瞬だけ時を吹き飛ばしてアクア・ネックレスの攻撃を躱しながら距離をとったなのはは、ユーノに念話を送りながらレイジングハートを手にとって起動の準備を始めた。

 

『ユーノ、封時結界の準備をお願いしてもいいかな。わたしはみんなが来るまで時間稼ぎするから、ユーノはアンジェロにばれないように身を潜めておいて』

『うん、分かった。なのはも気をつけて』

 

 当初の作戦通り、ユーノは草場に逃げ込んで様子をうかがうことに専念した。

 魔力が回復しきっていない今の彼では、封時結界を展開しながら戦うのは厳しいため、今回の戦闘ではサポートに徹する手はずになっている。

 

「瞬間移動だと……? てめえ、なにをしやがったッ!」

「いい歳こいた大人なんだから自分で考えたら? レイジングハート、セットアップ」

《Stand by ready. set up.》

 

 アクア・ネックレスを通して発せられる激昂するアンジェロの声を聞き流しながら、なのははレイジングハートを左手に持って起動のためのキーワードを口にした。

 本当は無駄に長い前口上が必要なのだが、昨日のうちにレイジングハートと打ち合わせていたため不要となっている。

 それと同時にユーノが封時結界を発動させた。

 駅の近辺までを覆い尽くすように展開された結界の中には、なのはと術者のユーノ、そして闘志をあわらにしたことにより活性化したジュエルシードの魔力を捉えられたアクア・ネックレスだけが取り残された。

 

『なのは、どうやらジュエルシードはあの水の中にあるみたいだ』

『アクア・ネックレスの中か。物質と同化してるスタンドなら魔法も効くかな。とりあえずお兄ちゃんたちに連絡しないと──ッ!?』

 

 バリアジャケットの展開が終わったなのはは、空に飛び上がり携帯を取り出して恭也に連絡しようとした。

 コールをしようとしたそのとき、なのはを狙ってレーザーのようなものが地上から飛んできた。

 

《Protection.》

 

 なのはに向かって飛来したなにかを、レイジングハートが自己判断で発動したプロテクションがはじき返した。

 そしてレイジングハートは攻撃を分析した結果を提示した。

 

《先ほどの攻撃はどうやら超圧縮された水、つまりウォーターカッターによるもののようです。有効射程はそれほど長くないようですが、迂闊に近寄るのは危険です》

「ウォーターカッター……? そんな攻撃をしてくるなんて仗助は言ってなかったけど……」

 

 連続で飛来するウォーターカッターをプロテクションで防ぎつつ、なのはは恭也に電話をかけた。

 数回のコール音の後、恭也が慌てた様子で電話に出た。

 

『なのは、一体なにが起こったんだ』

「お兄ちゃん、アンジェロはやっぱりジュエルシードを取り込んでた。スタンド能力が強化されてて──ッ!」

 

 その瞬間を見計らっていたかのように水で作られた巨大な鞭が振るわれて、なのははプロテクションもろとも地上に向かって吹き飛ばされた。

 プロテクションそのものを壊すのに大半のエネルギーを持っていかれたのか、思ったよりも反動は大きくなくレイジングハートの姿勢制御により地面に追突するのは免れた。

 だが、その衝撃で手に持っていた携帯電話が宙を舞い、地面に追突してしまった。

 少しばかり名残惜しそうな表情で粉みじんになった携帯を見ていたなのは、攻撃してこなくなったアクア・ネックレスに目をやった。

 すると先ほどまではいなかったはずのアンジェロが、アクア・ネックレスのそばに立っていた。

 アクア・ネックレスから引き抜いたジュエルシードを手のひらで転がしながら、アンジェロは不気味な笑みを貼り付けたままなのはを見上げている。

 

「さっきの魔法陣みてーな能力、スタンドじゃあねえな。こいつと似たような力を感じたぜ。おい、クソガキ、てめえはこれがなにか知ってんのか」

「知っていたとしても、おまえのようなゲスに教えると思う?」

「……おれはよォ~~~、いい気になってるやつを見ると、ついついぶっ殺したくなっちまんだ。いい気になってるヤツは……おれのスタンドを食らってくたばりやがれッ!」

 

 その言葉が引き金となり、周囲のマンホールの蓋が吹っ飛び、大量の水が吹き出した。

 その柱から無数のウォーターカッターが、なのはの顔や体に目掛けて射出される。

 しかしウォーターカッターの凶刃が、なのはの肌を切り裂くことはなかった。

 顔に当たる直前にウォーターカッターが透明な壁にぶつかり飛散したのだ。

 

(伊達に防護服の名を冠しているだけのことはあるな)

 

 一見するとなのはの頭部や手足は無防備に見えるがそれは違う。

 目には見えないものの、風圧や外気から体を保護するために、服を着ていない部分にも目には見えないバリアジャケットが展開されているのだ。

 バリアジャケットの始まりは、飛行魔法を使う際に安全性を確保する魔法から発展したものだ。

 むしろそのための機能がついていて当たり前とも言える。

 

「次はこっちの番だね。大人しくジュエルシードを渡してもらうよ」

 

 左手に持ったレイジングハートをアンジェロに突きつけたなのはの周囲に、五つの桜色の光球が現れた。

 

「ディバインシューター、射出!」

《Divine Shooter.》

 

 なのはのかけ声に合わせて、レイジングハートがディバインシューターの待機状態を解除する。

 するとその場に留まっていた桜色の光球が、別々の軌道を取りながらアンジェロに目掛けて飛んでいった。

 

「随分とケッタイな技だが……そんな()()()()、おれには通用しねーぜ。アクア・ネックレスッ!」

 

 空に向かって間欠泉のように吹き出していた水がアンジェロに集まり、彼の体がアクア・ネックレスと同化した水に包まれた。

 なのはの放ったディバインシューターは、水の防壁に阻まれてアンジェロの元まで辿りつけず消滅してしまった。

 

『あの水、どうやらジュエルシードから魔力が流れ込んでいるみたいだ。普通の射撃魔法はジュエルシードまで届かないよ!』

 

 戦況をうかがっていたユーノは、アクア・ネックレスの操っている水に、普通では考えられない量の魔力が含まれていることに気がついた。

 アンジェロの操っている水は、下水道から持ってきたものではない。

 ジュエルシードの宿している膨大な魔力が、水に変換されたものだった。

 ジュエルシードの効力でスタンドパワーが上昇しているアクア・ネックレスとの相性は抜群で、今まででは操れなかったであろう量の水を操作できるようになっていた。

 

「なら昨日使った砲撃魔法で撃ち抜けば……」

「おっと、妙な真似はするんじゃあねえぜ。おめーの魔法みてえな妙な力と、正体の掴めねえスタンド能力を攻略するには力が足りねえ。だからここはトンズラさせてもらうぜ」

「逃すと思ってるの? あなたは知らないだろうけど、この空間から出ることはできないんだよ」

「さっきまで近くにいた不良どもが消えたのも、それが原因か。だがな、ジュエルシードを手に入れた今のおれは、おれ自身がスタンドのようなもんなんだぜ!」

 

 次の瞬間、アンジェロの体が水のように溶け去った。いや、正しくはアンジェロの体が水と同化したのだ。

 

「ククククク……おめーがわざわざここまで来た理由はこのジュエルシードっつう石なんだろ?今となっちゃあ仗助なんて怖くもねえが、得体の知れないてめえは別だ! じっくりとこの石について調べあげてからぶっ殺してやるッ!」

 

 そう言い残したアンジェロは下水道へと逃げ込んだ。いくら結界の範囲内で閉じ込めておけるとはいえ、何日も結界を張るわけにはいかない。

 

『……ユーノ、封時結界を解除していいよ。下水道に逃げ込まれたんじゃあ、どうあがいても見つけられないからね』

 

 なのはの言葉に従って封時結界を解除したユーノが、草むらから姿を現した。

 

『僕が戦えてたらこんなことには……』

『逃げちゃったものはしょうがないよ。それにあいつは必ずわたしのところにやってくる。ならあいつの水の防壁を破れるような魔法を、わたしが使いこなせるようになればいいだけでしょ?』

 

 首を横に振ったなのはが、レイジングハートを待機状態に戻しながら後ろを振り返った。

 そこには急いで駆けつけたのか肩で息をしながら駆け寄ってくる恭也の姿があった。

 なのはの無事な姿を見て表情を緩ませた恭也は、息を整えながらなのはに状況の説明を求めた。

 

「突然通話が切れたときは何事かと思ったが……アンジェロと交戦したんだな?」

「電話してる途中に携帯を落としちゃってね。アンジェロは取り逃がしちゃったけど、わたしとユーノに怪我はないから安心して」

 

 血の匂いがしないことからなのはが怪我をしていないことを察した恭也は、腰に下げていた小太刀をジュラルミンケースに戻し始めた。

 封時結界が解除されて人目がある状況で、刀を持ち歩いているのはさすがにマズイ。

 

「きょ、恭也さん……足、速すぎですよ……」

 

 恭也となのはが砕け散った携帯の破片を集め終えた後に、ようやく康一は広場まで辿り着いた。

 康一の身長は大学生の割に小さく、小学三年生のなのはと並んでも20センチ程度しか身長の差がないように見える。

 その分歩幅も短いため、ここまで来る道のりの間で恭也からかなりの距離を離されてしまっていた。

 

「すまんな。ほら、水でも飲むか?」

 

 恭也に手渡されたペットボトルの水を一気飲みした康一は、近くにおいてあったベンチにへたり込んだ。

 なのはが康一の横に座って残りの二人を待っていると、けたたましいバイクのエンジン音と共に仗助と億泰がやってきた。

 

「アンジェロの野郎はどうなった」

「ごめん、逃げられちゃった」

「そうか……あの野郎、逃げ足だけは素早いからな」

「レイジングハート、さっきの戦闘の様子をみんなに見せることはできる?」

《映像と音声を出力することは可能です》

 

 高度な自己判断プログラムが内蔵されているレイジングハートは、未知の力であるスタンドを解析するために、予め先ほどの戦闘の内容を映像として残していた。

 

「それじゃあ、家に帰ってみんなで見ようか。わたしが口で説明するよりは分かりやすいでしょ」

 

 待ち合わせスポットとして有名なアンジェロ岩があった広場は人気が多すぎるため、先ほどの戦闘の内容を確認するのは一旦家に帰ってからになった。

 

 

 

 

 

 高町家の敷地内にある道場に集まってレイジングハートが空中に投影した映像を見終えた仗助は、アンジェロの言葉に違和感を覚えていた。

 

(アンジェロはおれのことを恨んでるはずだ。なにせ四年近く岩に閉じ込めてたんだからな。なのにどうしてあいつはおれに復讐しようとせずに、なのはを敵視した……?)

 

 傍目から見たらアンジェロの言動はおかしくないように見える。

 しかし仗助にはアンジェロの行動が、どうにも整合性がないように思えてならなかった。

 

「にしても、とんでもねースタンド能力だな。本体も水になられちまったら逃げ放題じゃねえか」

「たしかにそうだね。でもどうしてアンジェロはこの町に留まっているんだろう。アンジェロ岩の近くにいなかったら戦わずにすんだのに」

 

 億泰と康一の言葉を聞いた仗助は、感じていた違和感の正体に気がついた。

 そんなまさかとは思いつつ、ユーノに質問を切り出した。

 

「ユーノ、たしかおまえの封時結界の中に入れるのは、ジュエルシードの魔力を持ったものと、おれらだけだったよな」

「はい、そうです」

「ならどうして本体のアンジェロも封時結界の中に入れたんだ? ジュエルシードはアクア・ネックレスが取り込んでたはずなのに」

「でも彼はたしかにジュエルシードの魔力を帯びていた。そうじゃないとおかしい……まさか!?」

「そのまさかだろうよ。きっとアンジェロのヤツはジュエルシードを二つ持ってやがったんだ」

「手に入れた二つ目のジュエルシードをわざとわたしに見せて、知っているかどうか試したってことだね」

 

 ユーノと仗助の討論を締めくくったなのはは、映像の中のアンジェロを睨みつけながら、心の中で舌打ちしていた。

 正直、なのははアンジェロのことをIQこそ高いが性格はマヌケなヤツだと舐めていた。

 その結果、まんまと逃げられてしまうという失態を犯してしまった。

 

(片桐安十郎、お前はこのわたしを本気にさせた。次会った時がキサマの最期だ。決して逃しはしないぞ)

 

 もうなのはの心の中には『傷めつけずに済ませてやろう』という慈悲の心は残っていない。

 殺しはしないが、自分の使える最大限の魔法で死んだ方がマシな痛みを味わわせてやると決意した。

 

「ということは、アンジェロもそのうちジュエルシードを探し始めるってことじゃあないかッ!」

 

 仗助たちの言っていることを理解した康一は、映像の中でアンジェロが言っていた捨て台詞を思い出した。

 アンジェロのスタンドパワーが急激に上昇していたのは、間違いなくジュエルシードの効果だ。

 アンジェロはジュエルシードが全部で21個だとは知らないだろうが、2つだけではないことはいずれ発覚する。

 昨日の事件の目撃情報を知れば、なのはがなにかと戦っていたことを察するだろうからだ。

 

「みんなー、晩御飯ができたわよー」

 

 桃子の間の抜けた呼び声に気が抜けたなのはたちは、とりあえず話を切り上げて夕食を取ることにした。



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宿敵?もうひとりの魔法少女なの! その①

 レイジングハートを手にしてからと言うもの、なのはの生活は激変までとはいかないが、確実に変化していた。

 毎朝の恒例のランニングの時間を魔法の練習に割り振り、夕食後も寝るまでの数時間はジュエルシード探しに当てるようになった。

 

 発動すれば場所を嗅ぎつけることができるのだが、そのような気配は一切なかった。

 偶然にも康一がジュエルシードを拾った小学生を見つけて、どうにか手に入れた一個を合わせた四個のジュエルシードがなのはの手元にあるが、思ったよりも集まりは良くない。

 

 アンジェロと遭遇してから、なのはは人気の少ない場所にユーノから教わった魔力を遮断する結界を張り、魔法の練習を重ねていた。

 魔法には人それぞれ適性というものがある。ユーノの場合は、捕縛、治癒、結界といった補助魔法を得意としている。

 その代わり攻撃系の魔法を不得手としており、射撃魔法は使えないこともないがあまり威力は出せない。

 

 なのはの適性は集束と放射、そしてなぜか変身魔法にも高い適性があった。

 ユーノは首を傾げていたが、なのはにはその原因に思い当たるフシがあり、苦笑いすることしかできなかった。

 なのはは前世では解離性同一性障害、いわゆる多重人格者だった。

 今のなのはを形作っている人格はディアボロだがレクイエムに囚われる前は、もう一つの人格が彼の中には宿っていた。

 その人格の名はヴィネガー・ドッピオ。気弱だが優しい性格の少年で、心からディアボロが信じられるのは彼だけだった。

 ディアボロとドッピオは同じ体を共有していたが、人格が入れ替わると顔や体つきまで変化するという特異体質で、正体を隠すのに一役買っていた。

 三十代の男が十代後半の少年に変化するその様は、まさしく変身といっても過言ではないだろう。

 

 ここ数日でひと通りの魔法を試し終えたなのはは、レイジングハートと戦闘方法の模索を始めていた。

 

「レイジングハートに近接戦闘の機能は備わってる?」

《フレームの強度に若干の問題はありますが、魔力刃(まりょくじん)で斬り合うことなら可能です》

 

 なのはのスタンド、キング・クリムゾンは本体から二メートルほどしか離れることができない。

 戦術にスタンドを取り入れるのならば、必然的に接近戦を強いられることとなる。

 レイジングハートのようなインテリジェントデバイスは接近戦には向かないが、全くできないわけでもない。

 アームドデバイス(武器の形のデバイス)や専用にチューンナップされたデバイスには劣るものの、無理に使わなければ戦闘自体は可能だ。

 

「射撃や砲撃はともかく、斬撃はあまり効果がないんじゃないかな」

「アンジェロ相手には役に立たないだろうけど、手札は多いに越したことはないからね」

 

 ユーノの指摘はもっともで、面で攻撃する射撃や砲撃と違い、線で攻撃する斬撃はアクア・ネックレスには効果はない。

 だがなのはは先のことを見越して、魔法のバリエーションをできるかぎり増やすことにした。

 魔法の才能やスタンドを使った実戦経験があるとはいえ、なのはは魔法の初心者だ。

 ユーノやレイジングハートの教えを着実に吸収しているが、慢心していては足元をすくわれる。

 無敵と称していたキング・クリムゾンにも勝てない相手はいるのだ。

 己のスタンドを過信しすぎて敗れてしまった苦い記憶は、なのはの中で教訓として根付いていた。

 

「なのはの訓練を見ていて感じたが、魔法というものは凄まじいな。だが、寄って切れば対抗することも……」

「恭ちゃん、なにかとてつもなく凶悪なこと考えてない?」

「いや、そもそもお兄ちゃんの太刀筋は、承太郎(じょうたろう)のスタープラチナぐらいでしか見切れないからね」

 

 空条承太郎、四年ほど前に数ヶ月だけこの町に滞在していたスタンド使いだ。

 彼は海洋学者として有名だが、裏社会のスタンド使いたちにもその名は知れ渡っている。

 

 時を止める最強のスタンド使い。

 スタンドに強い弱いの概念はないが、承太郎と組んだスタンド使いが敗れたという話がないことからもその強さがうかがえる。

 彼の強さは単純なスタンドの性能だけではない。

 冷静沈着に敵のスタンド能力を推理する判断力こそ、彼が最強と言われる理由だ。

 

(承太郎にはとりあえず話を通しておいたが、スピードワゴン財団の助力は借りられそうにない。精々、最悪の事態が起こったときの保険といったところか)

 

 相変わらず剣術馬鹿な兄に呆れながら、なのははアンジェロと遭遇した日の夜に交わした承太郎との通話の内容を思い返していた。

 

 

 

 

 

 つい先日、杜王町で起きた原因不明の事件。

 ネットにはいくつかの目撃情報が流れていた。

 嘘か真か判断の付かない情報ばかりに嫌気の差し始めていた承太郎のもとにかかって来た電話の相手の話は、ネットの噂なんて目じゃないほどにぶっ飛んだ内容だった。

 

「……本当なのか?」

 

 こんな下らない嘘を吐くやつでは無いことは知っているが、あまりにも現実味のない話に承太郎は口に咥えていた煙草を落としそうになった。

 

『信じられないなら、あとで仗助に電話しろ。あいつならおまえに嘘をついたりはしないだろう』

 

 電話越しに聞こえてくる可愛らしい声とは不釣り合いな喋り方をしている少女の真剣な声色に、承太郎は数秒黙りこくった後に口を開いた。

 

「わかった、おまえの話を信じよう。ポルナレフについての話は本当だったんだ。今回の件もきっと本当なんだろう」

『要件はただ一つ、SPW財団の力を借りられないかどうかだ』

「……難しいだろうな。SPW財団はあくまでスタンドや吸血鬼、超常現象に対してしか動けない。魔法を超常現象という括りで扱うことは可能だが、話が外部に漏れる恐れもある」

 

 スビードワゴン財団とは石油王ロバート・E・O・スピードワゴンが設立した財団だ。

 医療などを中心に力を入れている財団で、その中に超常現象を扱う部門が存在する。

 

 ジュエルシードによって引き起こされる現象も超常現象にあたるが、今ここで手を出してしまったら、いつか来訪するであろう時空管理局との話に折り合いをつけるのは難航するだろう。

 それに魔法の文化のない世界に魔法を広めてしまったら、ユーノになんらかの罪が課せられてしまう可能性もある。

 それゆえに承太郎は対応は難しいと答えた。

 

『やはりか。なら承太郎からSPW財団に、杜王町の件は問題ないと伝えておいてくれないか。余計なことをされてはたまらないからな』

「いいだろう。今は仕事が立て込んでてそっちに行けそうにはないが、なにかあったらおれのほうからも手を回してみよう」

 

 学会に提出する論文を書きながら、SPW財団の依頼で世界各国を飛び回っている承太郎は非常に多忙な身だ。

 なにせ家を開けすぎて妻に愛想を尽かされかけてしまうほどだ。

 これは必要以上に仕事を引き受けている承太郎に問題があるがここでは割愛しよう。

 

「ありがとう、承太郎」

 

 承太郎とのやり取りを終え普段通りの喋り方に戻ったなのはは、一言だけ礼を述べた。

 

「余計な気遣いはいらねえ。ガキはガキらしくしてればいい。今のお前はただの小学生だ。こっちは昼間だがそっちはもう真夜中だろう。ガキはとっとと寝ろ」

 

 子供扱いに若干の苛立ちを覚えながらも、眠気に耐えられなくなってきているのは事実のため、なのははなにも言えなかった。精神的には成長していても睡魔に耐えることは厳しいのだ。

 

「その気遣いを、もっと家族にも見せればいいのに」

「なにか言ったか?」

「べつになにも言ってないよ。それじゃあ、おやすみ」

「ああ」

 

 通話が切れた受話器を戻した承太郎は、虚ろな目でスタープラチナに取らせていた会話のメモに目を通し始めた。

 実は聞こえていたなのはの小言によって受けた心の傷は深かった。

 

 

 

 

 

 ユーノとなのはが出会った夜から二週間近くが経過した。

 その間に学校で発動したジュエルシードを一個封印したが、ほかに暴走したジュエルシードもなく仗助たちの捜索も順調ではなかった。

 学校やバイトのない暇な時間を見つけては町を歩きまわっているが、康一が見つけた一個以降はすっかり足取りが途絶えてしまったのだ。

 もとより被害を抑えるために探しまわっているため、人目につきそうな場所にないのならそれでいいのだが、ユーノは焦る気持ちを抑えきれずにいた。

 

『ここまで探して見つからないってことは、人目につかない場所にあるんじゃないかな。アンジェロの襲撃もないみたいだし、管理局が来るまでの辛抱だよ』

『そう、ですよね』

 

 週末、なのはは休憩を兼ねてユーノを連れて月村家に遊びに来ていた。

 本当は断ろうとしたのだが、夜遅くまでジュエルシードを探しまわっていて疲れの溜まっていたなのはを心配した家族たちには逆らえなかった。

 

『ユーノも朝から晩まで探しまわってて疲れてるでしょ? 今日ぐらいは休んでもいいんじゃあないかな』

 

 地球の魔力素に体が馴染んできて魔力に余裕が生まれたユーノは、家の中では人の姿に戻って生活している。

 最初こそフェレットの姿で過ごそうとしていたユーノだが、桃子に撫で回されないように生活するのに疲れたのか、変身魔法は外出するときだけ使うようになった。

 

 元々、ユーノが人間だということは聞かされていたが、思っていたよりも幼いユーノの姿になのはたちは驚いた。

 年齢までは聞かされていなかったが、成人しているということから少なくとも16歳ぐらいだろうと思っていたからだ。

 子供が働いていること自体には、なのはも特に気にしてはいない。

 裏社会ではユーノぐらいの年齢の子供が働いていることも珍しくない。

 なのはは地球とは常識が異なるのだろうと思うことにした。

 

 休憩がてら、ユーノの無事な姿を見せに来たなのはだったが、彼はむしろ危機に陥っていた。

 月村家は大量の猫を飼っている。

 そして今のユーノの姿はフェレットだ。

 フェレットとはイタチ科の動物で、猫の親戚に当たる。

 好奇心旺盛な猫がユーノに興味を示すのは当然のことだった。

 

『ちょ、なのは! 助けて、助けてえええ!』

 

 可愛らしい鳴き声を出しながら猫に追い掛け回されるユーノ。

 部屋の入り口まで追い詰められている彼を不憫に思ったなのはは、席を立ち近寄った。

 そのとき、すずか専属のメイド、ファリン・K・エーアリヒカイトが紅茶と菓子を銀製のトレーに乗せて部屋に入ってきてしまった。

 

 足元を走り回るユーノと猫に気を取られたファリンが、バランスを崩し転びそうになる。

 ファリンの身の安全──というよりは、運んできた紅茶と菓子の心配をしたなのはは、無言でキング・クリムゾンの手をファリンの後ろに回した。

 

「え、あれ……?」

 

 ちょうど入り口に向かおうとしていたため、キング・クリムゾンの射程距離内に入っていたことが功を制した。

 支えられたことでバランスを取り戻したファリンは、転ばずにすんだが目を白黒させていた。

 

「なのはちゃん、ありがとう。スタンドでファリンを支えてくれたんだね」

 

 すずかの目にスタンドは見えないが、なのはとファリンの位置関係からスタンドを使ったことを察した。

 

「勘違いしないでね。わたしが手を出したのは、ファリンのためじゃなくて、おやつのためなんだから」

「ふふふ、そういうセリフはアリサちゃんが言う方が似合うと思うよ」

「ちょっと、それどういう意味よ」

 

 冗談めかしたなのはの言い回しに、すずかは思わず笑ってしまった。アリサも口ぶりこそ不満そうだったが顔は笑っていた。

 そんな一悶着を終えたなのはたちはバルコニーから庭に出て、猫を見ながらお茶をすることにした。

 

「なのはちゃんって紅茶のこと詳しいよね」

 

 なのはは紅茶を淹れるのが上手い。ディアボロとして過ごしていた頃は、ドッピオの人格でしか町を出歩けなかったため自然と身についた技術だったが、前々からアリサとすずかはどこで学んだのか気になっていた。

 

「飲食店の娘だからね」

「まったくもう、いつか本当のこと教えなさいよね」

 

 なのはが昔からなにかを隠していることに二人は感づいているが、無理に聞き出そうとは思っていない。

 スタンドについて教えてくれたなのはが話そうとはしないこと。それはきっと彼女の根幹に関わることなのだろう。

 

 なのはは自分のことを嘘つきだと言っていた。

 だが彼女が人を傷つけるための嘘はつかないことを知っている。

 だから二人は、なのはが自分から話してくれるまで待つことにしたのだ。

 

 子猫を抱きしめて微笑んでいる二人を眺めていると、なのはの脳裏に金切り音のような違和感が過った。

 それはなのはが、プールのジュエルシードが発動した時に感じた感覚と同じものだった。

 

『なのは!』

『この反応はすぐ近く!?』

『どうする? 二人に黙って向かったら怪しまれるよ』

『えーと……そうだ! ユーノ、先にジュエルシードのもとに向かって。わたしもすぐに追いかけるから』

 

 念話でなのはの意図を理解したユーノは、机の上から飛び降りて森へと走り去っていった。

 

「ユーノ、どうかしたの?」

「なんだか興奮して森に入っていっちゃったみたい。ちょっと探してくるね」

「一緒に探しに行こうか?」

「大丈夫、すぐ戻ってくるから待ってて」

 

 ユーノのことを心配してくれている二人がついてこないように誤魔化しながら、なのはは森へと駆け出していった。

 

 

 

 

 

 ユーノと合流して走っている途中で、ジュエルシードが発動するときの魔力が溢れだした。

 

「早く封時結界を」

「うん、わかった!」

 

 青白い光とともに木々の隙間から現れたのは、一戸建ての家ほどの大きさになった子猫だった。

 文字通り、子猫の姿のまま大きくなった猫が、なのはたちの方に振り向き、鳴き声を上げた。

 ひとまず結界の範囲内にいるはずの恭也に連絡しようと、携帯を耳に当てていたなのはは、口をあんぐりと開けながら目の前の光景に固まってしまった。

 ユーノも同じく呆然としている。

 

「あ、あれは……?」

「た、たぶん、あの猫の大きくなりたいって思いが正しく叶えられたんじゃないかな……?」

「そ、そっか」

 

 高まっていた警戒心を飛散させながら、なのははとりあえずジュエルシードを封印するために胸元に吊るしていたレイジングハートを取り出した。

 

「レイジング──ッ!?」

 

 突如(とつじょ)として飛来した金色の光の筋が子猫を体を射抜く。

 痛々しげな表情で悲痛な声を上げる子猫を意識の外に追いやり、なのはは光が飛んできた方向に目をやった。

 視界の先の電柱の上に攻撃を放った人物は立っていた。

 斧槍のような漆黒の杖を手に持った、レオタードのような服装をした金髪の少女。

 その姿に見覚えはなかったが、直感でなのはは彼女の正体を理解した。

 

(あの子供は魔導師に間違いない。そしておそらく、味方ではないだろうな)

 

「バルディッシュ。フォトンランサー、連撃」

《Photon lancer Full auto fire.》

 

 金髪の少女──フェイト・テスタロッサが無表情で、次なる魔法を撃つための命令を右手に持ったデバイス──バルディッシュに告げる。

 レイジングハートのものとは異なる男性の合成音声で、バルディッシュは言葉を返した。

 バルディッシュの切っ先が金色に輝き、先ほどの閃光が連続で発射される。

 痛みで動けない子猫は、避ける間もなくフォトンランサーの的になってしまった。

 

「この辺りには魔導師はいないはずなのに、どこから彼女は……」

 

 前触れもなく現れた謎の魔導師の姿にうろたえながらも、ユーノは少女が何者か考えていた。

 すぐに落ち着きを取り戻したユーノの姿を見届けたなのはは、握りしめていたレイジングハートを掲げて起動の言葉を声に出す。

 

「レイジングハート、セットアップ!」

《Stand by ready. set up.》

 

 バリアジャケットを身に纏いキング・クリムゾンを出したまま、なのはは少女がどんな目的でいきなり攻撃し始めたのか問いただすために、猫のそばまで飛び立った。

 

《Wide area Protection.》

 

 広範囲を守ることのできるプロテクションを展開し、フェイトの放つフォトンランサーを受け止める。

 威力自体は至近距離で受けたアンジェロのウォーターカッターよりは低かったため、難なく防ぐことに成功した。

 

 乱入者に反応を示したフェイトが、子猫の足元をフォトンランサーで撃ち抜き転倒を狙う。

 子猫の上に立っていたなのはは、倒れる寸前で地面へと降り立ちフェイトの様子を観察していた。

 様子見に徹しているなのはのもとに近寄ってきたフェイトが、感情を感じさせない凍てついた声色でなのはに声をかけた。

 

「同系の魔導師、ロストロギアの探索者か」

「そういうあなたは、ジュエルシードをどうするつもりなの?」

 

 会話が止まり二人の間に不穏な空気が流れる。両者とも殺気こそ出していないが、一歩も引く気がないのは傍目からでも明らかだった。

 

「ロストロギア、ジュエルシード……申し訳ないけど頂いていきます」

《Scythe form Setup.》

 

 バルディッシュの矛先から魔力刃が伸び、鎌のような形状に変化した。

 そしてバルディッシュを斜め後ろに構えた体勢で、飛行魔法を用いて高速でなのはのもとへと接近した。

 

 しかしなのはは動こうとしない。レイジングハートが警告を発するも、焦る様子もなくなのははじっとフェイトを見据えている。

 この光景にユーノは既視感を覚えていた。

 

(たしか前にもこんなことがあったような……僕となのはが初めてあったとき……)

 

 本当ならあのときのように飛び出して守らなければならない状況なのだが、ユーノはなぜかそうしようとは思えなかった。

 そうしているうちにフェイトの凶刃は、なのはの目の前まで迫っていた。

 怪訝に思いながらもフェイトはバルディッシュを振りかぶる。

 避ける間もなく吸い込まれるように、金色の刃がなのはの胴体に向かって流れてゆく。

 

「キング・クリムゾン」

 

 直前にポツリとなのはが呟いた言葉にフェイトは首を傾げた。

 魔法の詠唱にしては魔力もなにも感じられない。

 その証拠になのはが手にしているデバイスはなんの反応も示さない。

 心の中で謝罪の言葉を唱えながら、バルディッシュを握る手に力を込める。

 せめて痛みを感じる間もなく意識を刈り取ろうと決めて、バルディッシュを振り抜こうとした。

 

「……え?」

 

 フェイトは驚きのあまり、鉄仮面のような無表情を崩してしまった。

 たしかにバルディッシュを振りかぶった。そのはずなのに、フェイトの心はあまりの衝撃で揺れ動いていた。

 

(あの子の姿が消えた……いったいどこに……?)

 

 前触れもなくなのはが姿を消したことに混乱しているフェイトの背後で、なのはは獰猛な笑みを浮かべながら次なる一手を放とうとレイジングハートを構えていた。



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宿敵?もうひとりの魔法少女なの! その②

 魔力刃を振りかぶった瞬間、時間は吹き飛ばされ世界は全ての出来事を認識できなくなる。

 その結果、フェイトの攻撃はなのはが本来立っていた位置で空を切り、無意味な行為となっただけで終わった。

 

 どんな攻撃にも終わった後は隙が生まれる。

 大ぶりの攻撃を空振りしてしまったフェイトの背後から、なのははレイジングハートを突き出した。

 先端に桜色の魔力刃が展開されたレイジングハートの姿は、さながら槍のようだった。

 御神流を習っていないなのはの体術は素人の域を出ないが、攻撃の後の隙を突かれたフェイトに、背後からの不意打ちを(かわ)す手段は残されていない。

 

「っ!」

 

 脇腹に魔力刃の切っ先が突き刺さったフェイトは、苦痛に表情を歪めながらも、とっさに空に飛び上がり追撃を免れた。

 非殺傷設定の魔法は肉体に傷は残さないが、実際の痛みはしばらく残り続ける。

 左手で脇腹を抑えながら、フェイトは牽制のために多数の光弾をばら撒いた。

 先ほど子猫に放ったものと比べると二回りほど大きい威力も増しているであろう光弾を、真正面から受けるのはまずいと判断したなのはは空中に逃れた。

 紫電を出しながらなのはの脇を掠めていった光弾は、着弾点の木々を吹き飛ばし土煙を巻き上げる。

 

 苦痛に耐えながらも、フェイトは空高く飛び上がったなのはと距離を取りながら飛行し始めた。

 フェイトの飛行魔法の練度は高く、なのはの動きではついていくことはできない。

 相手があまり魔法に慣れていないことを悟ったフェイトは得意な空中戦に持ち込むことにしたのだ。

 

『アルフ、聞こえる?』

『どうしたんだい、フェイト』

 

 フェイトはなのはに向かってフォトンランサーをばら撒きつつ、使い魔に念話を送った。

 狼を素体に作られた使い魔のアルフは、フェイトとは別行動を取っている。

 地球には魔導師がいないという話だったので、あまり警戒はしていなかったのだ。

 

『魔導師と接触した。動きは初心者みたいなんだけど何かがおかしいんだ』

『魔導師って、まさか管理局にバレたのかい?』

『たぶん現地の魔導師だと思う。忙しいところ悪いけど、援護しに来てもらってもいいかな』

『わかったよ、フェイト。すぐに行くから無茶はしないでおくれよ』

 

 転移魔法が使えるアルフなら1分もかからずにフェイトのもとに来ることができる。

 いまいち正体が掴めない相手と一対一で戦うのは危険と判断したフェイトは、アルフが来るまでこうして時間を稼ぐことにした。

 

「そっちがマトモにやり合うつもりがないなら、こっちにも考えがあるよ」

《Divine Shooter.》

 

 空中で立ち止まったなのはの足元に魔法陣が現れ、五つの桜色の光球がフェイトに向かって発射された。

 撃ち落とそうとフェイトもフォトンランサーを撃つが、ことごとく避けられてしまう。

 フォトンランサーは直射型のため追尾機能こそ持っていないが、ディバインシューターと比べると弾速は明らかに速いはずなのだ。

 続けて撃ったフォトンランサーも、まるでどう飛んでくるのか見えているかのように回避されてしまう。

 三発はどうにか撃ち落としたのだが、残った二発は確実にフェイトのもとに迫っている。

 このままでは直撃してしまうことを悟ったフェイトは、攻撃を逸らすために防御魔法を使用した。

 

《Defensor Plus.》

 

 なのはの防御魔法は攻撃を受け止める方面に重点を置いているが、フェイトの場合は逆に攻撃を受け流す方面に特化している。

 そのため正面からの純粋な防御魔法は不得手で、先ほど使用したディフェンサープラスも、どうしても避けられない魔法を逸らすための呪文だ。

 

 眼前に迫る桜色の光弾を防ごうとしたそのとき、突然光弾が消滅した。

 魔力がなくなったため飛散したのではなく、突如(とつじょ)として跡形もなく消え去ったのだ。

 バルディッシュに実行させようとしていたディフェンサープラスも、いつの間にか発動し終わっている。

 そして数十メートル先を飛んでいたはずのなのはの姿も消えていた。

 

(あの子は幻術魔法が使えるのか……?)

 

 だとしたらどこに行ったのだろうと辺りに目をやるも、なのはの姿は一向に見つからない。

 周囲をぐるりと見渡したが視界の中には誰もいなかった。

 まさかオプティックハイド(術者と触れたものを透明にする魔法)を使ったのかと思案していると、フェイトから少し離れた位置に、頭頂から獣の耳が生えているオレンジ色の頭髪をした高校生ぐらいの年頃の少女が転移してきた。

 彼女がフェイトの使い魔、アルフだ。

 

「フェイト、何やってるんだい! 敵は上だよ!」

 

 念話も使わずまくし立てるように叫んだアルフの声で、フェイトはようやくなのはのいる位置を把握した。

 頭上を見上げると地面と水平の体勢で飛んでいるなのはが、今まさに砲撃魔法を発射しようとしていた。

 砲撃魔法は総じて魔力を溜めるための時間が必要となる。

 その時間は威力によってマチマチだが、なのはの溜め込んでいる魔力量だと、少なくとも5秒以上その場に留まらなくてはならない。

 

「バルディッシュ!」

《Round Shield.》

 

 一体いつの間に魔力を溜めたのかもわからないまま、フェイトは今使える最大限の防御魔法を展開した。

 なのはに負けず劣らず膨大な魔力を持っているフェイトの防御魔法は、ユーノやなのはには劣るものの、平均的な魔道士のものよりは高い防御力を持っていた。

 

「ディバイーン……バスター!」

《Divine Buster.》

 

 なのはの掛け声とともに、桜色の魔力光の柱がフェイトを包み込もうと突き進む。

 フェイトも魔力を込めて必死にシールドを維持しようとするが、その努力もむなしくラウンドシールドに亀裂が入っていく。

 

「フェイト、危ないっ!」

 

 目を瞑り諦めかけていた主人の身を守るため、アルフはフェイトを突き飛ばした。

 軌道の中心からズレることで、フェイトとアルフはディバインバスターの直撃は避けることができた。

 ディバインバスターがもし直撃していたら、2人は今ごろ気を失い地面に向かって落下していただろう。

 

 しかし、直撃は(まぬが)れたとはいえ2人のダメージは決して軽いものではなく、このまま戦闘を続行するのは厳しかった。

 

「アンタ、よくもフェイトを!」

 

 犬歯をむき出しにしながら、アルフは怒りを露わにしていた。もしフェイトを抱きかかえていなければ、今すぐにでもなのはに飛びかかっていただろう。

 

「へぇ、その子の名前はフェイトっていうんだ」

 

 地面にひれ伏している2人を見下ろしながら、なのははレイジングハートを肩に担ぎ敵意がないことを表した。

 子をあやす母親のような優しい感情を込めて、激昂するアルフをなだめようとするも、先ほどの強烈な不意打ちに動揺しているのかフェイトは目を伏せて口を開こうとしない。

 

 なのはに人並み外れたカリスマ性は備わっていない。

 悪のカリスマと称されていたDIO(ディオ)という男のような、誰しもを魅了する話術やカリスマ性を持っていれば、組織の構成員や暗殺チームに裏切られることもなかっただろう。

 

『ユーノ、聞いてた話とぜんぜん違うよ! なんでこの魔法、こんなに威力が高いの!?』

 

 一向に問いに答える気配のない2人を見て、なのはは焦り始めた。

 本当は少しだけ脅してあの2人が何者かどうか聞き出そうと思っていただけなのだが、考えていたよりもディバインバスターの威力が高かったことで、まるでなのはが悪者のような雰囲気になってしまっていた。

 

『なのはの方こそ魔力を込めすぎだよ。非殺傷設定でもダメージが多すぎると気絶しちゃうんだよ』

『自分の感覚でやればいいってレイジングハートが言ってたから、てっきり大丈夫だと……』

《私のせいにするのですか、マスター? もとはといえば、マスターの一撃必殺主義が問題だと思いますが》

 

 なのはとユーノがレイジングハートを巻き込みながら念話で言い争いをしている最中(さなか)、フェイトは転移魔法を発動する準備を進めていた。

 ジュエルシードを回収するのは最優先事項だったが、正体の掴めない不気味な魔導師相手に戦って敗れでもして、再起不能にされては元も子もない。

 

『フェイト、あいつきっと悪魔かなにかだ。地面に座り込んでる私たちを見て、あんな笑みを浮かべてるんだから間違いないよ』

 

 なのははフェイトたちをできるだけ安心させようと微笑みかけていた。だがアルフには、上空から見下ろしてあざ笑っているようにしか見えなかった。

 そのせいでアルフの中のイメージは、天使(なのは)の皮を被った悪魔(ディアボロ)で固定されてしまっていた。

 

『せっかく見つけたジュエルシードを取り逃すのは惜しいけど、今は引くべきときだ。アルフ、準備はいい?』

『ああ、合点承知さ!』

 

 転移魔法の準備が済んだフェイトの合図に合わせて、アルフが魔力弾をなのはにめがけてばら撒いた。

 プロテクションで問題なく防げる程度の威力だったが、なのはの気を逸らすには十分な効果があった。

 

《あのままでは逃げられてしまいます。マスターの無敵のキング・クリムゾンでどうにかできませんか?》

「時を飛ばしてると触れないから、この距離じゃどうしようもないよ!」

 

 時を吹き飛ばしながら全力で飛行して、フェイトに近づいたタイミングで宮殿を解除しキング・クリムゾンの手を伸ばすも、捕まえるよりも僅かに早く詠唱が終わり転移が始まった。

 

「……ごめんね」

「え?」

 

 フェイトが消え去る寸前に、なのはの耳に届いたのは謝罪の言葉だった。

 弱々しくてほとんど聞き取れなかったが、その言葉は傍らでフェイトを支えているアルフではなく、なのはに向けて発せられている。

 聞き返そうとするも、すでにフェイトたちの姿はなく、残っているのは魔力の残照だけだった。

 

「なのは!」

 

 先ほどまで戦闘に巻き込まれないようにユーノと一緒に付近で待機していた恭也が、難しそうな表情をしながらフェイトたちが転移する前に立っていた場所を見つめているなのはに声をかけた。

 

「あ、お兄ちゃん」

「すまん、援護しようと駆けつけたんだが、なにもできなかった」

「さすがに普通の人は空を飛べないからね」

 

 頭を下げる恭也に、首を横に振って気にしていないことを示しながら、なのはは巨大化した子猫に封印魔法を放つ。

 異相体に向けて使った封印砲ではなく、魔力的なダメージは一切ない普通の封印魔法だ。

 

《Internalize No.14.》

 

 ジュエルシードを格納し終え、レイジングハートを待機状態に戻したなのはは、フェイトの言い残していった言葉について考えていた。

 

(あの子供……犬耳の女がフェイトと言っていたか。どうしてフェイトは別れ際に謝ったんだ? ジュエルシードを狙う第三勢力に間違いはないだろうが、イマイチよくわからないな)

 

 相手が子供という点に関しては全く気にしてない。

 見たところ自分と同年代のようだったが、子供だから攻撃できないなどという甘い考えなど、なのはは持ち合わせていない。

 問題はフェイトという少女が組織に属しているかどうかだった。

 もし彼女が、なんらかの組織に属している場合、新たな刺客が送り込まれる可能性もある。

 

 キング・クリムゾンの能力により先ほどの戦闘は終始優位に進められたが、次もうまくいくとはかぎらない。

 例えばデバイスに時間をカウントさせておけば、機械は時間が飛んだのがわからずとも、持ち主はどのくらい時間が飛んだか把握できる。

 もっとも魔法の訓練により、宮殿の内部でも砲撃魔法をチャージすることが可能だと判明しているので、隙を見せずに強力な魔法を使うことができるというメリットは消えはしない。

 

「あの子について話し合いたいけど、あんまりアリサとすずかを待たせるのもよくないし戻ろうよ。お兄ちゃんも忍さんと話してる途中だったんでしょ?」

「ああ、いきなり封時結界に巻き込まれたから、なにも言わずに出てきてしまったな」

 

 不思議そうにきょろきょろと辺りを見渡している子猫を拾い上げ、なのはたちは屋敷に戻っていった。

 

 

 

 

 

 海鳴市の近隣にあるマンションの一室で、フェイトたちは休息を取りながら先ほどの戦闘データを分析していた。

 

「バルディッシュ。この部分なんだけど、本当にこれで間違いはないのかな」

 

 それはなのはにバルディッシュで斬りかかっている部分だった。

 映像記録を見るかぎりでは間違いなく、フェイトはバルディッシュを振りかぶっている。

 しかし、なのはは紙一重でその攻撃をかわしていたのだ。

 

 なのはは、まるでスローモーションで動きを見ているかのような精密な動作で、フェイトの攻撃をかわしていた。

 そして、そのままフェイトの横を通りすぎて、背後からレイジングハートを突き刺した。

 

《原因不明です。エラーコードが発生したログすら残されていません》

「……じゃあ、こっちの映像は?」

 

 更に理解できないのは、フェイトが誘導弾を逸らした部分だった。

 体感的にはなにが起こったのかさっぱりわからなかったが、映像には何が起こったのかしっかりと残されていた。

 

 誘導弾を逸らしてかわしたフェイトは、なのはに向けてフォトンランサーを発射していたのだ。

 攻撃を防いだ後にフォトンランサーを撃とうとしていたのは間違いないのだが、フェイトには撃った記憶は残っていない。

 撃ち放たれたフォトンランサーはフェイトの頭上に移動しているなのはではなく、先程までなのはが飛んでいた位置に向かっていった。

 当然、フェイトの攻撃はかすりもせず、頭上に移動したなのはに気がつく様子もない。

 

《私の自己判断プログラムには、警告を行った履歴は残されていません》

 

 バルディッシュに搭載されている自己判断プログラムは、なにが起こったのか捉えることができていなかった。

 どれだけログを調べても異常は出てこない。

 分析した結果から導き出した答えは10秒もの時間、バルディッシュのあらゆる機能がなのはの存在を捉えられていなかったという事実だけだった。

 

「高度な幻覚魔法、ってわけでもなさそうだねえ」

 

 アルフは戦術にはあまり詳しくないが、なのはの戦法のおかしな点に気がついていた。

 幻術魔法は非常に使い手の少ない魔法で、適性のある魔導師も戦術に組み込んで補助として使う。

 

 しかし、なのはの使う魔法はどれもこれも粗末なものだった。

 魔力量こそ多いものの、どれもこれも狙いが甘いのだ。

 最後に放った砲撃魔法も狙いがズレていたため、フェイトとアルフは直撃を避けることができた。

 雰囲気からして戦いには慣れているようだったが、魔導師としての戦い方はお粗末としか言い様がない。

 まるで初めて対人戦を行った魔導師のようだった。

 

「もしかしたらレアスキルなのかも」

「この悪魔に一対一で接近戦は危ないね」

「使い魔も連れているようだから、どんなレアスキルか把握する必要があるね。……母さんならわかるかな?」

「あのオニババが調べてくれるかねえ。まあ、とりあえずジュエルシード探しを再開するとしようか」

「たしか、もう少しで一区画のスキャンが終わるところだったね。私も一緒にいくよ」

 

 夕暮れ時を過ぎすでにあたりは暗くなっているが、夜のほうが人気が少なく誰かに目撃される可能性は低くなる。

 転移魔法で海鳴市の廃ビルに移動した2人は、夜の街へと消えていった。



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宿敵?もうひとりの魔法少女なの! その③

 運に低迷期が存在するとしたら、彼の状況はまさしくソレだろう。

 バイトをクビになり家賃を払う余裕すら残っておらず、インディーズでほそぼそと売り続けているCDの売上も(かんば)しくない。

 溜息を吐かずにはいられない状況だ。

 

 どんよりとしたオーラを全身から出しつつ日課の路上ライブを終えて帰路についている途中で、彼はそれを見つけた。

 それは青白い輝きを放つ宝石のような物体だった。

 なんともないただのガラクタのようにも見えるが、もしかしたら高く売れるかもしれないと思い、彼は青い宝石を懐にしまいこんだ。

 それが厄介事の始まりだとは知らずに。

 

 彼が近道をするために人通りの多い表通りから裏道へと入って行くと、珍しく人影があった。

 毎晩、同じ道を通っているが、この時間に人とすれ違うのは珍しいことだ。

 

 街頭に照らされ正体があらわとなった人影の正体は少女、それも二人だ。

 年齢はそれぞれ小学生と高校生ぐらいだろうか。

 外国人らしく調った顔立ちをしており、この辺りでは見かけない顔だ。

 

 一歩も動こうとせずにこちらを見つめてくる少女たちに、彼は言い知れぬ違和感を覚えた。

 深夜に差し掛かろうとしている時間帯に、保護者も連れずに出歩いていることにも疑問を感じたが、コンビニにでも行くのだろうと気には止めなかった。

 

 軽く会釈して通り過ぎたそのとき、背後から機械の合成音声が聞こえてきた。

 不審に思った彼が振り返ると、金髪の少女が虚空から近未来的な見た目の斧槍をどこからともかく取り出していた。

 斧槍の先端部分が金色に発光した後に、少女の周りに三つの光る球体が現れ、そこから光の弾丸が生成される。

 間を置かずに撃ちだされた弾丸を前に、彼は身動き一つできなかった。

 

 だが彼の代わりに動くものの姿があった。

 パキケファロサウルスのような見た目の電気の塊──レッド・ホット・チリ・ペッパーと名付けられたスタンドが、飛んでくる電気を纏った光弾を彼の代わりに防いだのだ。

 彼──音石明(おといしあきら)は見ず知らずの二人組を睨みつけた。

 

 

 

 時間は少し遡る。なのはに撃退されたフェイトたちは、二人で固まって広域サーチでジュエルシードを探していた。

 数時間に渡るサーチの結果、一つのジュエルシードの在処(ありか)が判明した。

 サーチャーに映しだされているのは、ギターケースとアンプを手に持って帰路についているロックミュージシャンのような風体の男だった。

 見たところジュエルシードは発動していないようだ。

 強力な感情や魔力、衝撃を浴びせられないかぎり、ジュエルシードが発動することはない。

 

 彼の進むであろうルートを先回りしていたフェイトたちは、通りすぎるのを待ってから一撃で気絶させようとしていた。

 フェイトには魔力を電気に高効率で変換するレアスキルが備わっている。

 その資質により変換された射撃魔法は、直撃すれば強力なスタンガン以上の威力が相手の体を襲うだろう。

 後遺症を残さないように極力威力を下げているが、一発でも当たれば成人男性を気絶させるには十分だった。

 

《Photon Lancer.》

「……ん?」

 

 バルディッシュの音声に不審に思った音石が振り向くも、すでに撃つ準備は整っている。

 意識の中でトリガーを引きスフィアから三つの弾丸が射出される。

 

 しかし、間を置かずに放たれた弾丸は、とつぜん現れた電気の塊に防がれてしまった。

 それはまるで電気の幽霊のようだった。半透明だが電気特有のスパーク音を出しており、よく見えないが両手と両足があるように見受けられる。

 

「な、なんだいありゃ!?」

 

 驚きの声をアルフが上げる。

 いきなり現れた電気の塊がフォトンランサーを弾き飛ばしたのだ。

 軌道が乱された弾丸は、掻き消えるように光を失い自然に消滅した。

 

 その隙に手に持っていたギターケースからギターを取り出し、アンプを道端に置いた音石が、面倒くさそうな表情でため息を吐きながらフェイトたちに刺すような目線を向けた。

 

「そりゃあこっちのセリフだぜ。なんだてめーら、新手のスタンド使いか!?」

「……スタンド?」

 

 なんのことかわからないフェイトが聞き返すも、音石の目にはとぼけているようにしか映らない。

 

「あたしたちの目的はアンタの持ってるジュエルシードだよ。さっさとそれを渡せば悪いようにはしないさ」

 

 アルフの言葉に音石は思案した。

 いきなりスタンド攻撃を仕掛けてきて、しかもジュエルシードとかいう──恐らく先ほど拾った石だろうが、それをよこせと迫ってくる二人組。

 それがなんとなく気に食わなかった。

 承太郎たちにはスタンドで悪さはしないと約束しているが、これはあくまで自分の身を守る行為。約束をやぶるわけではない。

 

「脅してまでほしがるってことは、この石にはそれだけの価値があるってことだよな。なら渡すわけにはいかねーな」

 

 ガキだからといって手を抜くつもりはない。

 少し痛い目に遭わせて仗助どもに突き出してやろうと、音石はスタンドでフェイトに殴りかかった。

 

(とはいえ、全力でガキに攻撃するのはなんつーか大人げねえな。……軽く撫でる程度で済ませてやるか)

 

 音石のスタンドは電気を操る能力を持っている。

 電気を吸収すればするほどパワーやスピードが上がっていき、近隣一体の電気を吸い上げれば承太郎のスタープラチナにも迫るスペックまで成長できる。

 

 遠隔操作型のスタンドとしては破格のスペックを持っており、仗助たちに捕まる前はその能力を悪用して盗みを働いていた。

 一時期はスタンドをボロボロにされ刑務所に送られていたが、今はその当時のことを反省して真っ当な人間として生活している。

 

《Round Shield.》

 

 スタンドの拳を受け止めたのはフェイトの体ではなく、地球のどの言語とも異なる文字が描かれた魔法陣のような真円だった。

 ラウンドシールドは、フル充電ではないとはいえ並の近距離パワー型スタンドと同等の性能を持つチリ・ペッパーの一撃を防ぎきった。

 

 拳を振りかぶったことで見せた隙をアルフは見逃さなかった。

 ギターを構えて余裕な表情を浮かべている音石に殴りかかろうと地面を蹴る。

 人間には到底出せない脚力での動きは、たしかに素早かった。

 素の状態で反応できるのは、波紋の使い手や御神の剣士である高町家の面々ぐらいだろう。

 だが、音石のスタンドはアルフの動きを一切見逃すことなく捉えていた。

 

「どうやら、我が『レッド・ホット・チリ・ペッパー』の素早さにはとてもついて来れないようだなあ~~~っ! スローなんだよぉ────ッ!」

 

 目にも留まらぬ早さで回り込んだチリ・ペッパーの拳が、アルフの腹部に突き刺さる。

 バリアジャケットで威力は軽減されたが、拳に含まれている電気の衝撃までは防ぎきれなかった。

 

「かはァ!」

 

 肺から空気が吐出され全身が痺れるような衝撃に襲われたアルフは、たまらずチリ・ペッパーから距離を取った。

 フェイトの使い魔であるアルフも電気には多少の耐性があったため、気絶するまではいたらなかったのだ。

 

「チッ……もっと威力を高めておくべきだったか」

「よくもやってくれたねぇ。これでも喰らいな!」

 

 妙な手応えに不思議がっている音石に噛み付くように吠えたアルフが、フォトンランサーを無数にばら撒く。

 直線にしか進まない単純な射撃魔法だが、数で逃げ場を奪っている。

 

 魔導師ではないと高をくくっていた相手に手痛い反撃を貰ったことで、頭に血が登っていたアルフは思うがままにチリ・ペッパーごと音石を射撃魔法の雨に巻き込んだ。

 

「アルフ!」

 

 フェイトの制止の言葉にアルフがしまったと冷や汗を垂らす。

 雨霰(あめあられ)のような攻撃で道路は見るも無残な姿に変わり果てていた。砂煙で相手の安否はわからないが、これはどう見てもやり過ぎである。

 

 フェイトの身を案じて過剰気味な攻撃をしてしまったが、非殺傷設定なので命に別条はないだろう。

 ここは早い内にジュエルシードを奪って逃げようと、砂煙が漂っている中をアルフが突っ切ろうとした。

 

「……よくもやってくれやがったな」

「っ!?」

 

 怒りに声を震わせる音石がアルフをスタンドで地面に押さえつけた。

 本来なら電線に引きずり込んで感電死させることも容易かったが、音石にはこの二人に聞きたいことがあった。

 

「てめーら、さっきの攻撃はなんだ。本当にスタンド使いか?」

「あんたのほうこそ、なに訳のわからないことを言ってるんだい。そんなケッタイな魔法で勝ったつもりになるのは早いよ。フェイト、あたしのことはいいからコイツごとやっちまいな!」

「はぁ? おい、そこのガキンチョ。てめーらはスタンド使いじゃあないのか?」

 

 平行線を辿る会話にフェイトは目を白黒させていた。

 どう見ても目の前の男は魔法を知らないようだが、レアスキルと思わしき奇妙な力を使っているのはたしかだった。

 

 どちらにせよアルフを拘束されている状態では、下手に動いてはなにをされるかわからない。

 ラウンドシールドで防いだときの感覚からして、アルフを押さえつけている電気の塊が首をへし折る程度なら簡単にできる力を持っているのは明らかである。

 

「……話したらアルフを解放してくれるの?」

「フェイト! コイツの言うことなんて聞かなくていい!」

 

 デバイスの切っ先を地面に向け戦意がないことを示したフェイトに、訴えかけるように叫びかけるアルフ。

 フェイトはアルフのことを家族だと思っている。彼女を人質に取られては戦うことはできなかった。

 

 悲しげな表情で訴えかけてくるフェイトの顔を見た音石は、言い知れぬ罪悪感に蝕まれていた。

 襲われたのは自分のほうなのだが、大人げなく子供をいじめているような気分になってしまったのだ。

 

「ついでにこの石が何なのか教えてくれるならいいぜ。てめーらの狙いはこいつなんだろ」

 

 すっかり冷めてしまった音石の頭のなかには、すでに戦おうという気持ちは残っていない。

 もとよりフェイトたちに、ジュエルシードを殺してまで奪い取るという気迫がなかったのも相まって、本気で戦おうとしていたのが馬鹿らしくなったのだ。

 

「フェイトぉ……」

 

 情けなさそうな声でフェイトの名を呼びながら、弱々しくうなだれるアルフ。

 その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいる。

 

「ま、こいつを買い取ってくれるってんなら、別に渡しても構わないぜ」

 

 音石としてはジュエルシードを金に変えられたらそれでいい。

 普通に質屋に持っていったところで金にはなりそうにはないジュエルシードを売るなら、欲しがっている連中に売るほうが得策だろう。

 

(それにこのままじゃあ、おれのほうが悪いみてえじゃあねえか。おれにはガキを泣かせて喜ぶような趣味はねえってのによぉ)

 

 スタンドを使って人を殺したことがある音石だが、一般人に手を出したことはない。

 そもそも過去の行いを悔いて反省した彼には、スタンドを使って誰かを傷つけようなどという気持ちはなかった。

 

 単に音石が小心者で、杜王町に住むスタンド使いを敵に回したくないというのも理由の一つだが、彼にも人並み程度の良心は備わっている。

 

「……わかった」

「まずは場所を移すとするか。こんな場所にいたらサツに捕まっちまうからな」

 

 先日のニュースで流れていた事件現場に比べたらマシだが、アルフの攻撃の影響で道路は完全に破壊されている。

 ただでさえ前科持ちの音石がぶらついていたら、なにかと面倒なことになるだろう。

 

「私の住んでいる場所なら、落ち着いて話ができるはずです」

「な、なにをする気だ!」

 

 フェイトとアルフ、そして音石の足元に魔法陣が現れる。

 突然の展開に焦った音石が説明を求めると、フェイトはさも当然のような口ぶりで答えた。

 

「歩いて移動すると時間がかかるから、転移魔法で移動します」

「は……?」

 

 呆気にとられている音石をよそ目に、転移魔法が唱え終わったことで転移が始まる。

 眩しさに思わず目をつぶった次の瞬間、周囲の景色は一変していた。

 音石の視界に映るのは薄暗い路地裏ではなく、真新しい家具が置かれたマンションの一室だった。

 催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなものでは断じてない、とうてい理解できない現象に音石はスタンドの手を緩めてしまった。

 それでもギターを手放さなかったのは、ロックミュージシャンとしての意地だろうか。

 

「は、はは、ははは、おれは夢でも見てんのか?」

 

 乾いた笑いを漏らしながら、音石は窓の外に目をやった。

 そこから見えるのはM県の県庁だった。

 先ほどの裏路地から軽く10キロメートルは離れている位置に一瞬で移動したことになる。

 

「ごめんよ、フェイト。あたしのせいで妙なことになっちゃって」

「アルフが無事なら私は満足だよ」

 

 拘束が解かれたことで体の自由が戻ったアルフは、すぐさまフェイトに駆け寄った。

 音石はちょうど窓際に立っていて、フェイトとアルフはその反対側、部屋の入口付近で様子をうかがっている。

 

 明らかに警戒されているが致し方がない。

 なんとか落ち着きを取り戻し始めた音石は、やれやれと靴を脱ぎフェイトたちの方に歩み寄った。

 フェイトがバルディッシュを突きつけるも、歩みを止める気配はない。

 

「な、なんのつもりだい!」

「玄関に靴を置きに行くだけだっつうの。人の家を土足で歩きまわるわけにはいかねーだろ」

 

 敵意が無いことを表すためにスタンドを消して両手を上げる。

 殺し合いの経験のあるスタンド使いからしてみれば馬鹿らしい行動に見えるだろうが、音石の気質はどちらかというと一般人に近い。

 

 スタンドに目覚めた当時はその力に酔っていたが、元来の性格は絶対に勝てるという自信がなければ戦いたがらない小心者な男なのだ。

 慎重な性格とも言えるが、なのはならただの小悪党の一言で済ませてしまうだろう。

 音石に戦うつもりがないのを理解した二人は、念話で相談した後にバリアジャケットは展開したまま音石にジュエルシードについて話すことにした。

 

「触れたものの願いを歪んだ形で実現させる石……事実だったらとんでもねえが興味はないな」

 

 音石の夢はロックミュージシャンとして大成することだ。

 だが、その願いは自分の力で叶えるべきだと考えている。

 その結果として金や名誉は欲しいが、あくまで副次的なものだ。

 

 音石は呆気無くジュエルシードを手放した。

 感情の高ぶりに反応して暴走する危険物なんて、誰だって好き好んで持ち歩きたくはない。

 

「それよりも驚きなのが魔法ってやつだな。スタンド以外にもそんな力があっただなんて、思いもよらなかったぜ」

「あたしからすれば、スタンドのほうが不思議なんだけどねぇ」

「おれのチリ・ペッパーは電気と一体化してるから見えるだけで、普通のスタンドは見えねえからな。スタンド使いってのは、案外身近にいたりするかもしれねえぜ」

 

 ニヤついた表情で受け取った金を数えている音石の口はすっかり軽くなっている。

 金額にして十万円ほどだが、降って湧いてきた臨時収入に音石のテンションはまさしく絶好調だ。

 

 極めて危険なロストロギアは管理局が回収して厳重に保管しているため、金銭的な価値を算出することはできない。

 しかし、裏のルートに売り払えば、ジュエルシード一個で日本円にして数千万、下手をすれば一億円以上の金が動くのだが、価値を全く知らない音石はこの程度で満足していた。

 実に安い男である。

 

「……もしかして、あの子もスタンド使いだったのかな」

 

 バルディッシュに記録されている映像をフェイトは音石に見せ始める。

 その戦闘内容に音石は引きつる顔を隠しきれずにいた。

 

(こりゃあマトモに戦ってたら負けてたのはオレの方かもな。こんな速度、ラジコン飛行機(スピットファイア)にチリ・ペッパーを乗り込ませても出せるか分からねえぞ)

 

 高速で飛び回るフェイトの軌道はラジコン飛行機とは比べ物にならない動きだ。

 電源になる物さえ近くにあるのなら射程距離はほぼ無限大で、スピードも速いチリ・ペッパーだが、長距離の移動速度はそれほど速くない。

 短距離なら電力を消費して高速で動けるが、長距離でそんな真似をすればすぐに電力切れになってしまう。

 

「見たところ近距離パワー型のスタンドっぽいな。殴られたらただじゃあ済まねえだろう。能力についてだが──さっぱり分からねえ」

 

 キリッとした表情で真剣に解説している音石の話を聞き入っていた二人が、ソファからずり落ちた。

 期待していたフェイトの眼差しは、残念なものを見るような目つきに変わっていた。

 

「ま、まあ待てよ。詳細はわからねえが大雑把なことならわかる。少なくともコイツの能力は時間に関係しているんだろう」

「時間?」

「ああ、そうだ。オレの知ってるスタンド使いの一人に、時間を少しだけ止めれるヤツがいる。コイツはきっとその同類だろうな」

 

 時間を止める。

 言葉にするのは簡単だが、物理法則を無視した現象を魔法もなしに引き起こせる人物がいることに驚いた二人は、おもわず息を呑んだ。

 

「あの……」

「なんだ?」

「ジュエルシードを集めるのを手伝ってくれませんか。謝礼は必ず出します」

 

 フェイトは悩んでいた。

 ジュエルシードを集めるのは母からのお願いだったが、このままでは無事に集めきれるかわからない。

 昼間に対峙した少女の能力ははっきり言って一対一で勝てるか怪しい。

 アルフとともに挑んでも、フェレットの使い魔によって分断されるだろう。

 

 そこに現れたのが音石だ。

 彼のチリ・ペッパーとフェイトの魔法の相性はかなり良いだろう。

 アルフは難色を示すだろうが、フェイトに残されている道はこれしかなかった。

 

「別に構わねえが、おまえはどうしてジュエルシードを集めてるんだ?」

「それは──」

 

 詳しい理由はフェイトにもわからない。

 愛する母から集めて来いと命令されたから従っているだけだ。

 だが母がジュエルシードを良くないことに使おうとしているのは察していた。

 

「──ごめんなさい、答えられません」

 

 フェイトは開きかけていた口を(つぐ)んだ。

 フェイトの今やっていることは犯罪行為だ。

 それに無関係な人間を巻き込むことを、フェイトは容認できなかった。

 

「やっぱり、私たちだけでどうにかしてみます。お話を聞かせてくれてありがとうございました」

 

 頭を下げてフェイトは音石を送り返そうとバルディッシュに手を伸ばすも、触れることはできなかった。

 音石がチリ・ペッパーでバルディッシュをかすめ取ったからだ。

 

「おいおい、おれはまだ断るなんて一言も言ってないぜ」

「でも……」

「詳しい理由が話せねえってんならそれでも構わねえ。

 金さえ出せるんなら別に手伝ってもいいぜ。

 スタンドだけなら面が割れても本体まではバレねえからな」

 

 正直なところ、フェイトがジュエルシードを集める理由など音石からしてみればどうでもよかった。

 刺激の無い暇な日々に飽きてきていたのと、手伝えば金が貰えるだろうという魂胆。

 そしてほんの少しばかりの良心がフェイトを手伝うことを選んだ。

 

(それに、やばかったらジュエルシードをこいつらから奪って、敵のスタンド使いに寝返ればいいだけだからな)

 

 そして考えていることは結構下衆だった。

 そんな音石の考えはよそに、フェイトは時空管理局が地球に来るまでの間、音石にジュエルシード集めを手伝ってもらうことを決心した。

 正体を隠して行動できる音石なら、もし管理局にフェイトが捕まることになっても巻き込まれる心配はない。

 

「よろしくお願いします、えーと……」

「おれの名前は音石明、23歳。まっ! このギターは気にしないでくれ」

「私はフェイト・テスタロッサ。よろしく、アキラ」

「……あたしの名前はアルフだよ。フェイト、本当にいいのかい? コイツ、なんというか微妙に小物臭がするよ」

 

 チリ・ペッパーの能力を応用して、アンプが繋がっていないはずの音石のエレキギターがけたたましい音を鳴らす。

 興味深そうにその様子を眺めているフェイトとは対照的に、苦々しい表情で音石をそこと無く馬鹿にするアルフ。

 どうやらアルフと音石の相性はあまりよろしくないようだ。

 

「ならてめーは負け犬くせえってことだな」

「聞き捨てならないねえ」

 

 青筋を浮かべながら睨み合う音石とアルフ。

 どうにか鎮めようとフェイトはオロオロしている。

 口下手なフェイトではなかなか会話に割り込めず、口喧嘩の内容はだんだんとヒートアップし始めた。

 

 最終的に30分近く言い合っていた音石だが、肝心なことを最後まで忘れていた。

 フェイトに見せてもらったスタンド使いを音石は見たことがなかったが、仗助たちの関係者かどうか深く考えずにフェイトに協力することを約束してしまった。

 

 改めて言うが音石の運は低迷期だ。

 だが今が最底辺ではない。

 もっとも運が悪くなるのはこれからだということに、音石はまだ気がついていない。



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金の閃光とチリ・ペッパーなの その①

 謎の探索者との遭遇から一週間近く経過した。

 ジュエルシードの集まるペースは牛歩のようなゆっくりとしたものだが、着実に集まってきている。

 問題は一向に姿を見せる気配のないアンジェロと、月村の屋敷で接触した金髪の少女だ。

 

 アンジェロのアクア・ネックレスに警戒していたなのはの顔には、疲れが見え隠れしていた。

 常に気を張っているわけではないが、自分の近くに親しい者がいるときは常にキング・クリムゾンを出しっぱなしにして、即座に反応できるようにしている。

 

 仗助たちやレイジングハートに睡眠時の警戒をしてもらっているため寝首をかかれるような自体には陥っていないものの、着実に疲れは溜まってきていた。

 スタンド使いとして優れた精神力を持っているとはいえ、身体能力は大人と比べるとどうしても劣ってしまうのだ。

 

 そんななのはを心配してかゴールデンウィークの頭から高町家は月村家の面々とアリサを引き連れ、毎年恒例となっている温泉旅行に出かけていた。

 三週間ほどの捜索によりなのはの手元には八個のジュエルシードが集まっている。

 異相体の三個、小学生が持っていた一個、子猫を封印した一個、そしてその後の捜索で三個が見つかっている。

 アンジェロが最低でも二個のジュエルシードを持っていると仮定すると、半分近くのジュエルシードの在処が明らかとなっている。

 

 この時点で街中にジュエルシードが残っている確率はかなり低くなっている。

 残りは森や公園の茂み、ビルの屋上などといった人が滅多に訪れないような場所に落ちているだろうと仮定して、ジュエルシードの捜索頻度を落として、アンジェロの警戒と月村家で出くわした二人の少女の捜索に力を注いでいる。

 彼女たちは管理世界出身の魔導師で、少なくとも管理局員ではなくジュエルシードが事故でばら撒かれたことを、どこかから嗅ぎつけた人物だとユーノは推測していた。

 

「やあ、なのはくん、士郎さん。こんなところで会うだなんて奇遇だね」

「はぁ……」

 

 純和風の温泉宿のロビーでソファに座って庭を眺めていたなのはと士郎に、背後から二十代前半の男性が声をかけた。

 聞き覚えのある声に、なのははため息を吐きながら隣に座っている士郎にもたれかかった。

 

「おや、露伴先生じゃないですか。いつも店を贔屓(ひいき)にしてもらってありがとうございます」

「翠屋のコーヒーは絶品ですからね。こちらこそ、いつも長居してしまって申し訳ない」

 

 清々しい笑顔で士郎と世間話を始めだした卵の殻のようなギザギザしたヘアバンドをつけている黒髪の男性の名は岸辺露伴。

 外面こそ常識的な一般人に見えるが、彼は杜王町でも有数の変人の一人だ。

 

 実際のところ、露伴はかなりの負けず嫌いで大人げのない性格をしている。

 士郎とは相性が良いのか良好な関係を保っている一方、なのはとの相性はよろしくない。

 犬猿の仲というほどではないが、なにかにつけてなのはが露伴に食ってかかることが多いのだ。

 

「随分とテンションが低いようだが、なにか嫌なことでもあったのかい?」

「今さっき嫌なことが自分からやって来たからね。……なんで、こんなところにいるのかな」

 

 不快感をあからさまにさらけ出して、半目で露伴を睨みつけるなのは。

 そんななのはの様子はつゆ知らず、まったく気にする気配すら見せずに露伴はピンポイントにこの時期を狙ってやって来た理由を答えた。

 

「本当にたまたまだよ。スタンド使いは引かれ合うってのは本当らしい」

「嘘だ、と言いたいところだけど嘘だと言い切れない……」

 

 スタンド使いは、ときに特殊な引力で吸い寄せられるかのように、数奇な出会いを果たすことがある。

 知らず知らずのうちにスタンド使いと知り合っていることは、意外とよくあることなのだ。

 無論、何十年も他のスタンド使いと出会わずに過ごしているスタンド使いも少なからず存在するが、一生スタンド使いと出会わないスタンド使いはいないと言っても過言ではない。

 

「それよりも最近、ぼくに黙って康一くんたちが、なにか妙なことをやっているようだけど、君はなにか知ってるかい?」

「わたしの恥ずかしい記憶をひと目に晒すような人間には教えたくないかな」

「色々と誤解を招きそうな言いがかりはやめてくれよ。君の記憶は、ぼくの漫画の参考にはさせてもらったが、そのことについては謝ったじゃあないか」

 

 露伴のスタンド、ヘブンズ・ドアーはスタンド像で触れることにより、相手の記憶を本にして読んだり命令を書き込んだりすることができる。

 彼の連載している漫画、ピンクダークの少年の第五部に出てくるギャングのボスのモチーフはなのはの過去、すなわちディアボロの記憶が元になっている。

 もちろんそのまま流用しているわけではないが、いくつかのエピソードはなのはの過去を知っている人物が読めば、参考にしていることは火を見るよりも明らかだった。

 

「いつか話すから今日は諦めろ」

 

 ドスをきかせた低い声で、なのはは隣に父親が座っているのも忘れて、この話は諦めろと露伴に告げる。

 精一杯低くしたところで少女らしい甲高い声ではあまり迫力は出ないのだが、不思議となのはの声には凄みがこもっていた。

 

 なのはは彼に敬意を払っており感謝もしているが、尊敬だけは一切していない。

 ゴミ収集車に突っ込まれた闇医者とその患者のようなゲスだとは思っていないが、尊敬に値する人間とも思っていないのだ。

 ゆえに『この場では話さないがいつか必ず話す』という意思を露伴に告げた。

 やろうと思えばヘブンズ・ドアーで記憶を読むこともできるが、後が怖いため露伴は肩をすくめながら去っていった。

 

「彼には教えなくてもいいのかい?」

「教えたらむしろ暴走しそうで怖いよ。事件に片がついたら好きなだけ話を聞かせるつもりだから今はいいかな」

 

 露伴の漫画に対する異様なまでの意気込みを知っているなのはは、苦笑しながら考えていることを士郎に明かした。

 仗助に殴られたときの体験を「作品に生かせるから得した」と言い切れるほど漫画に全てをかけている人物なのだ。

 ジュエルシードについて話したら、十中八九ヤバイことになるのは分かりきっている。

 

 そうでなくとも「魔法を見せてくれ」だとか「魔法でぼくに攻撃してくれ」と言い出しそうなのだから、話すのはどう考えても得策ではない。

 士郎も露伴の異様なまでの漫画へのこだわりは知っているため、なのはの言葉に反論することはなかった。

 

 

 

 

 

 その後、なのはは一緒に泊まりに来ていた月村家の面々とアリサを引き連れて、温泉に浸って疲れを癒やした。

 フェレットの姿で同行しているユーノを風呂に連れ込もうとしたアリサとすずかを止めるために一悶着あったりしたが、大したこともなく無事に温泉に浸かることができた。

 

(イタリアにいた頃はシャワーだけで済ませていたが、風呂というのもよいものだな)

 

 珍しく緩んだ表情を見せた事をからかわれて顔を若干赤くしたなのは(本人は湯に浸かって赤くなっただけと主張している)が、一人で縁側の通路を歩いているとオレンジ色の髪の少女が急に絡んできた。

 

「この前はうちの子が世話になったねえ、お嬢ちゃん」

 

 挑発と受け取ったなのはがスタンドを出すも、アルフは射程距離のギリギリに立っているため攻撃は届きそうにない。

 ならばと動き出そうとしたなのはの足元を稲妻がくぐり抜けた。

 

「おい、犬っころ。ボロ雑巾みてーにされたくなかったら、無闇に喧嘩を売るのはやめといたほうがいいぜ。スタンドには非殺傷なんて都合のいい設定はないんだからよォ」

「新手のスタンド使い!?」

 

 稲妻の正体は、隣の部屋のコンセントから飛び出してきた音石のレッド・ホット・チリ・ペッパーだった。

 キング・クリムゾンを上回る移動速度を前に、なのははより警戒を高める。

 

「おいおい、そんな怖い目で見るんじゃあねえよ。最初に言っとくが、おれはてめーを殺す気はないんだぜ」

「……おまえも欲にかられてジュエルシードを集めているのか?」

「それはすこしばかり違うな。おれは金を貰って手伝ってるだけで、なんのためにこれを集めてるかまでは知らねえよ」

 

 チリ・ペッパーとなのはのにらみ合いは続く。どうにか相手の腹の中を探ろうと会話を続けるが、音石は本当になにも知らないため、のらりくらりとした態度でなのはの言葉を受け流している。

 アルフは忌々しげになのはを睨みつけているが、下手に近寄ったら最悪、腹を貫かれて死ぬと音石に忠告されているため、なにもできないでいた。

 

(二人同時に仕留めるのは厳しいか。ここは時間を稼いでユーノが来るのを待つ──いや、とりあえずバインドで拘束しておくべきだな)

 

 キング・クリムゾンの能力によって生み出された宮殿内では物に触れることができない。

 以前はスタンドで殴る蹴るといった物理的な攻撃しか取れなかったが、今のなのはは魔法を使うことができる。

 やろうと思えば相手にバインドを仕掛けて、能力を解除すると同時に相手をそのまま拘束することも可能なのだ。

 

「逃げられる前に手を打たせてもらうぞ。おまえたちのジュエルシード集めは……これにて終了だ」

「なにを──」

 

 アルフが言葉を発するよりも早く、なのはを中心に宮殿が広がり温泉宿が宮殿に飲まれる。

 人の多い場所で使うべきではない能力だが、時が吹き飛ぶ感覚を知っているなのはの家族たちなら、異常を知らせることに繋がるだろう。

 

 すぐさまレイジングハートを起動させたなのはは、バリアジャケットは展開せずに捕縛魔法の準備を始めた。

 使おうとしている魔法はレストリクトロック──発動から完成までの間に指定した区域の中にいる対象を、光の輪で空間に固定する集束系に分類される魔法だ。

 

 発動の瞬間に宮殿を解除することで相手に知覚されることなく捕縛できることから、なのはは優先的にこの魔法を習得していた。

 見た目は単純に手足を光の輪で縛るような魔法だが、流体も固定することができる便利な魔法だ。

 

《発動まで一秒前、準備をしてください》

「時は再び刻み始める!」

 

 レイジングハートの合図に従いなのはが能力を解除する。

 ふっ飛ばした時間は実際の時間だと五秒程度だが、勘の鋭いものなら確実に違和感を覚える間隔だ。

 

「なっ!?」

「これがてめーのスタンド能力かッ!」

 

 一瞬のうちに手足を拘束されていたことに驚くアルフとは対照的に、チリ・ペッパーはキング・クリムゾンの攻撃を実際に味わって能力の正体をつかみ始めていた。

 

(これは……時を止めたのか……? いや、それじゃあ映像の説明がつかねえ。これは幻覚か時間を操作するスタンドに違いねえな)

「そこのスタンドはともかく、おまえは気絶していてもらうぞ」

 

 ゆっくりと近寄ってくるなのはを見て、慌ててバインドから逃れようとしているアルフをよそに、チリ・ペッパーは抵抗する様子もなくだんまりを決め込んでいた。

 チリ・ペッパーは電気と同化して行動する実体を持つスタンドのため、バインドで身動きを封じることはできる。

 魔力を放出することでバインドを砕く技もあるが、アルフがバインドを破壊するよりも早く意識を刈り取られるのは明らかだった。

 

「さっさと逃げるぞ、犬っころ」

「この状況でどうやって逃げるんだい!」

「ククククク……ところがどっこい、逃げる手筈は整ってんだよ」

 

 その瞬間、チリ・ペッパーの体が足元のコンセントの穴に飲まれていった。

 拘束していた対象を失ったバインドは光の粒となって自然消滅した。

 そして再びコンセントから姿を現したチリ・ペッパーがアルフの体に触れると、彼女の体までもが電気になりバインドの拘束を逃れてしまった。

 

「てめーの能力はおおよその見当はついた。次会ったときは覚悟しとけよ!」

 

 捨て台詞を残してアルフとチリ・ペッパーは逃げ果せた。

 その場に残されたのはレイジングハートを手に持ったなのはと、遅れてやって来たユーノだけだった。

 

「また……逃げられた……」

 

 三度も続けて相対する敵に逃げられてたことを、地味に気にしているなのはであった。



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金の閃光とチリ・ペッパーなの その②

 まんまと逃走を許してしまったなのはだが、先ほどの電気のスタンドに聞き覚えがあったことを思い出し、すぐさま仗助に連絡した。

 なのはが仗助たちと出会ったのは、かつて杜王町に隠れ住んでいた連続殺人犯──吉良吉影(きらよしかげ)の事件が切っ掛けだったため、それ以前の事件は耳に挟んだだけで深い部分までは聞いていなかったのだ。

 なのはの連絡を聞いた仗助は大慌てで音石の自宅に向かったが、そこはもぬけの殻で音石の行方を見つけることはできなかった。

 近隣住人に聴きこみをしたところ、ここ一週間は家に戻ってきていないという事実が明らかになった。

 

『音石の野郎、なに考えてやがるんだ。ジュエルシードが危険物だってこと、わかってんのかよ』

「十中八九、わかってないだろうね。念の為に仗助もこっちに来てくれないかな」

『今からそっちに行けだァ? 仮にも承太郎さんと渡り合ったてめーが負けるとは思えねえッスよ』

 

 杜王町からなのはたちが泊まっている温泉宿まで、バイクで軽く二時間はかかる。

 敵が攻めてくる可能性が高いとはいえ、仗助には呼び出す理由が見えてこなかった。

 

「なに勘違いしてるの」

『あ?』

 

 声のトーンが多少下がった程度だが、その言葉に込められた意思に電話越しだというのに仗助は背筋が寒くなった。

 

「勢い余って殺しちゃったら話が聞けないからね。念の為っていうのはそういうことだよ」

『てめー……かなりプッツン来てるようだな』

 

 なのははそろそろ我慢の限界だった。

 どう考えても舐められているとしか思えない相手を、油断していたとはいえ取り逃がしてしまったなど、パッショーネなら始末されていてもおかしくない失態だ。

 性格が昔と比べたら丸くなったとはいえ、なのはは腑抜けたわけではない。

 単純に本気を出す必要はないと敵を見くびっていたのだが、度重なる失態になのはは静かに闘志を露わにしていた。

 

「来られないなら来られないで別にいいよ。期待して待ってるからじゃあね」

『おい! まだ誰も行くだなんて言って──』

 

 仗助からの返事を待たずに通話を切ったなのはが泊まる予定の大部屋に戻ると、女性陣がユーノを取り合っていた。

 最終的に桃子の魔の手にかかったユーノがなのはに念話で助けを求めるが、諦めるように首を横に振って遠巻きにその様子を眺め始めた。

 

(フェイトとその使い魔、そして音石明。どこかで様子を見ているアンジェロにスタンド能力をあまり晒したくはなかったが、おまえたちはわたしを本気にさせた。その償いは、その身で支払ってもらうぞ)

 

 待機状態のレイジングハートを握りしめたなのはは、夜空に浮かんだ月を視界に入れながら漆黒の意思で心を塗り固めた。

 

 

 

 

 

 予想通り、ジュエルシードの発動を確認したなのはとユーノは士郎と恭也、美由希、無理やり呼び出された仗助と無理やり着いて来た露伴を連れて発動地点に急行した。

 露伴が着いて来た理由は、仗助の宿泊料金を払ってやるから代わりになにが起こっているのか教えろと迫られ、なのはとユーノが仕方がなしに真相を伝えたからだ。

 どうしてこんな楽しそうなことを黙っていたんだと憤慨していた露伴だったが、ジュエルシードが発動したことを教えられると、嬉々としてカメラ片手に勝手に着いて来た。

 戦闘力はともかくヘブンズ・ドアーを使えば尋問の手間を省いて敵の秘密を知れるため同行こそ許可されたが、後方で見ているようにときつく言い聞かされている。

 

「レイジングハート、セットアップ」

《Stand by ready. set up.》

「これが魔法か! いやあ、これはいいものを見せてもらった。ビデオカメラも持って来るべきだったなぁ」

「あんたはなんつーかブレないっスね」

 

 なのはの変身を生で見た露伴の言葉に卑しい気持ちは一切含まれていないが、口にしている内容は何とも怪しいものだ。

 魔法を見て驚きもしない露伴に仗助は思わず呆れてしまった。

 

 それでもめげずに高そうなデジタル一眼レフカメラで写真を撮りまくっている露伴をよそに、なのはたちはジュエルシードが発動したであろう池にかけられた橋へと辿り着いた。

 そこには案の定、フェイトとアルフ、そしてチリ・ペッパーの姿があった。

 フェイトとアルフは想像以上の大人数が現れたことに、音石は仗助がいることに驚いた。

 

「じょ、じょじょ、仗助がなんでこんなところにいるんだッ!?」

「それはこっちの台詞だぜ。スタンドを使って悪さはしないって約束、よくも無視してくれやがったな」

「……こうなっちまった以上、てめーら全員まとめてぶっ潰してやる!」

 

 管理外世界では一銭の価値にもならないジュエルシードを集めるのは悪さではないが、本来の持ち主がいるのであれば話は変わってくる。

 仗助の脅しに耐え切れなくなって頭に血が上った音石の言葉とともに、戦いの幕が切って落とされた。

 

「あたしも本気でやらせてもらうよ」

 

 橋の欄干に腰掛けていたアルフの姿が変貌し始めた。

 狼のような鋭い牙が生えそろい、髪の毛と同じオレンジ色の体毛が伸び本来の姿へと戻ったアルフの咆哮に大気が震える。

 

「やっぱり……あいつ、あの子の使い魔だ!」

「そうさ、あたしはこの子に作ってもらった魔法生命。製作者の魔力で生きる代わり、命と力の全てをかけて守ってあげるんだ。頭数は揃えてきたようだけど、魔導師でもないヤツらがあたしに勝てると本当に思ってるのかい!」

 

 目にも留まらぬ速さで迫ってくるアルフの爪と刀が交わり、凄まじい金属音が鳴り響く。

 ユーノが防御魔法を使う間もなく、一瞬で間合いを詰めた二人の剣士がアルフの攻撃を受け止めたのだ。

 

「おまえの言うとおり、俺たちは魔導師でなければスタンド使いでもない」

「だけど御神流をあまり舐めないでほしいわね!」

 

 恭也と美由希がそれぞれの前足の爪を峰打ちでなぎ払った。

 弾き飛ばされたアルフはあり得ないものを見るような目で二人を見ていた。

 今のアルフの動きは紛れも無く獣のもので、魔法で身体強化もされていない人間が反応できるようなものではなかった。

 しかし御神の剣士は、銃口の向きではなく銃弾を見て躱すことができる超人じみた身体能力を持っている。

 生半可な吸血鬼なら、一瞬で細切れにできるほどの強さを持っているのだ。

 

「ではユーノ君、手筈通りに分断するとしようか」

「わかりました、士郎さん。なのはも気をつけて!」

 

 士郎の合図に従ってユーノが準備していた転移魔法を発動させる。

 敵が二人組だと把握していたなのはたちは、事前にどう戦うか作戦を練っていた。

 

 逃げ出そうとするアルフの体を、ワイヤーのようなものが縛り付ける。

 御神の剣士たちの手に握られた鋼糸(こうし)が、アルフの動きを封じ込めたのだ。

 魔法で強化された獣の力に長時間耐えれるようなシロモノではないが、容易に千切れるようなものでもない。

 

 数秒の後に転移魔法に飲まれたアルフとユーノたち。

 その場に残されたのは、なのはと仗助、そして露伴の三人のみだ。

 もとよりフェイトとやり合うのは、なのはだけの予定だった。

 

「……一応、聞いておくけど話し合うつもりはある?」

「私はロストロギアの欠片、ジュエルシードを集めないといけない。そしてあなたも同じ目的なら、私たちはジュエルシードを賭けて戦う敵同士ってことになる」

「あのときみたいに優しく済ませる気はない。理由を話して降参するなら、再起不能にはしないであげる」

 

 それはなのはにとって最大限の譲歩だった。

 問答無用で叩きのめして露伴に突き出せば、なにが目的なのかははっきりするにもかかわらず、こうして話だけで済まそうとしているのは、前回の遭遇時の別れの言葉が気になっているからだ。

 

「話しあうだけじゃ、言葉だけじゃきっとなにも変わらない、伝わらない。アキラ、行くよ」

「仗助、おめーはとりあえず後回しだ」

 

 電気に変換された魔力を体に纏わせたフェイトにチリ・ペッパーが同化して、飛行魔法でなのはの後ろに回り込む。

 チリ・ペッパーは電源からあまり離れられないスタンドだが、フェイトの魔力を電源として行動することで以前とは比べ物にならないほどの行動範囲を実現させた。

 

 振りかぶられたバルディッシュの矛先をレイジングハートの魔力刃で受け止める。

 それに合わせて繰り出されるチリ・ペッパーの拳はキング・クリムゾンが防いだ。

 本体とスタンドが全く異なる動きで戦うのは、かなり難しい技術だ。

 それを可能にしたのが空戦魔導士の基本技能の一つ、マルチタスクである。

 現在のなのはは完全に二つの思考を独立させて走らせることができる。

 それを利用して、片方の思考を完全にスタンドを動かすことに割り振ったのだ。

 

《Flier Fin.》

 

 上空から一方的に的になるのを避けるため、飛行魔法を使って空に飛び上がる。

 追従するように追いかけてくるフェイトがなのはに語りかけた。

 

「賭けて、それぞれのジュエルシードを一つずつ」

《Photon Lancer. get set.》

 

 使い慣れた射撃魔法を待機状態で構えながら持ちかけてきた提案に、なのはは笑いが漏れそうになった。

 

(この期に及んであくまで賭けろと言うのか。わたしを倒して全て奪い去ろうとしないとは、おかしな話だ)

 

 一度は敗走したにもかかわらず、まだ相手を気遣っているフェイトの気持ちを、なのははわずかだが察していた。

 だからといってスイッチの入ってしまったなのはの戦意がなくなるわけではない。

 

「生憎だけどそれは約束できないよ。あなたのほうから、全部渡したくなるだろうからね!」

《Divine Shooter.》

 

 日々練習して練度を上げているなのはのディバインシューターにより生み出された五発の桜色の光球が、不規則な動きでフェイトの体に肉薄する。

 防御魔法は間に合わないと判断したフェイトが、フォトンランサーを射出して弾丸を撃ち落とす。

 降り注ぐ金色の槍に次々とかき消されるが、嵐を抜けたディバインシューターの残りの一発がついにフェイトの体を捉えた。

 しかし実体を現したチリ・ペッパーに弾き飛ばされ攻撃は届かなかった。

 更に高度をあげたフェイトは、足を止めて砲撃魔法の準備を始めた。

 

《Thunder Smasher.》

 

 電撃を伴った砲撃がなのはの体を包み込もうと迫り来る。

 しかし、行動はすでになのはに予知されていた。

 

「キング・クリムゾンッ!」

 

 真紅の宮殿が世界を覆い全てを飲み込む。

 悠々(ゆうゆう)とサンダースマッシャーの軌道から移動したなのはが、フェイトの後ろに回り込みキング・クリムゾンの手刀を叩き込む準備を始めた。

 

「宮殿が解除されると同時に、おまえの右腕を切り飛ばさせてもらう──なにッ!?」

 

 なのはが後ろに回り込もうとしたそのとき、フェイトの体が電気に変わりサンダースマッシャーに吸い込まれていった。

 急いで宮殿を解除するも、すでにフェイトは砲撃の着弾点に移動し終えていた。

 

「やはりてめーのスタンド能力は、時間の進みを操る能力だったようだな!」

 

 なのはの軽く倍はあろう飛行速度で迫ってきたフェイトとチリ・ペッパーが、すぐさま近接戦闘に切り替えて襲いかかってきた。

 チリ・ペッパーの攻撃は軽くいなせるが、接近戦の練度が高いフェイトと素人のなのはでは、真っ向から斬り合うと勝負にならない。

 時を吹き飛ばすにはある程度の間を置く必要があり、連続で使うことはできない。

 その時間を稼ぐためなのははプロテクションを展開して、フェイトの斬撃を弾き飛ばした。

 

「……たしかにわたしのスタンド能力は時を吹き飛ばす。だが、理解したところで意味はない。我がキング・クリムゾンの前では、何者だろうとその『動き』は無意味となる!」

「おれたちの動きに騙されてるくせによく言うぜ。フェイト、一度距離を取らねえとまた能力を使われるぞ!」

 

 音石の助言に頷いたフェイトが、なのはとは反対方向に向けてフォトンランサーを一発だけ放った。

 狙いを察したなのはが止めようと動くも、普段のフェイトの数倍の速度で移動する光弾に追いつく手段はなかった。

 再び時を吹き飛ばせるようになる頃には、フォトンランサーと同化して距離をとったフェイトは、宮殿の範囲外で魔法を放つ準備を始めていた。

 

 キング・クリムゾンが時を吹き飛ばせる範囲は限られている。

 本人を中心としておおよそ数百メートル程度だ。

 承太郎のスタープラチナのように全世界の時を止めるような真似は、スタンドパワーと持続力の兼ね合いから不可能なのだ。

 

「これだけ離れりゃ、さすがに射程距離外だろ。今のうちにファランクスシフトで撃ち抜いちまえ。あいつは映像では必ず攻撃を避けようとしていた。避ける隙間もない攻撃をあいつが防ぐ手立てなんてないはずだ」

「少し卑怯かもしれないけど、ごめんなさい」

 

 魔導師の使う魔法の中は、魔法名をキーワードに発動するものがほとんどだが、大規模な魔法を使うには長い詠唱が必要な場合がある。

 フェイトのフォトンランサー・ファランクスシフトも詠唱が必要な魔法だ。

 38基のフォトンスフィアを設置して、毎秒7発のペースで4秒間フォトンランサーを発射し続ける一点集中型の高速連射魔法は、正しく射撃魔法の台風と言えるだろう。

 

 避ける隙間なく打ち出される無数の光弾は、防御魔法で防ぐ以外の手立てが存在しないが、チリ・ペッパーが合わさることで効果は更に増大する。

 弾丸から弾丸へとチリ・ペッパーが移動することで、全方位からの攻撃が可能となるのだ。

 時が吹き飛ばされると予想しているため意味はないが、ダメ押しというやつだ。

 

「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ」

 

 詠唱が始まると同時に、フェイトの足元に十メートルを超える大きさの巨大な魔法陣が形成された。

 そして周囲に38基のフォトンスフィアが生成され、フェイトのリンカーコアから魔力を吸い上げる。

 近寄るのを諦めたのか、なのはもその場で収束砲撃の準備を始めたが、ファランクスシフトの詠唱よりも早く魔力を収束できるはずがない。

 初心者が判断を間違えたのかと思ったフェイトは、そのまま詠唱を続行した。

 

「バルエル・ザルエル・ブラウゼル。フォトンランサー・ファランクスシフト。撃ち砕け、ファイアー!」

 

 その合図が引き金となり、秒間260発のフォトンランサーとともにチリ・ペッパーがなのはに襲いかかる。

 一発一発は大したことのない威力だが、防御魔法も使っていない相手が耐えきれるはずがない。

 しかし予想はたやすく覆される。フェイトと音石はなのはのキング・クリムゾンを軽く見すぎていたのだ。

 

「宮殿内のわたしの動きが映像に残ることを把握していないと思ったのか?」

《見事にあの二人は、マスターが攻撃を避けなくてはならないと勘違いしてましたね》

 

 時を吹き飛ばしながらなのはが口を開く。

 裏で収束魔法の演算をしながらレイジングハートが軽口を叩いた。

 

 宮殿の内部ではなのはは何者の攻撃も受け付けない。

 干渉できるのは重力と大気、そして光だけだ。

 それなのに、あえて魔法を避けていたのは、能力を相手に誤認させるためだ。

 

 宮殿内の動きを生き物は捉えることができないが無機物は正常に動作し続ける。

 戦っている姿をビデオカメラで記録されると、宮殿内でなにをやったのか見られてしまうのだ。

 それが弱点に繋がるとは思っていないが、念には念を入れて回避できる攻撃は必ず避けるように、なのはは心がけている。

 今回はそれが功を奏することとなった。

 

「スパークエンドッ!」

 

 攻撃が当たらないことに焦ったフェイトが、魔力の残ったフォトンスフィアを集めて、一本の巨大な弾丸を作り出した。

 矛先の無い巨大な槍のような姿をした弾丸をオーバースローで投擲するも、なのはの体は貫けない。

 そのまま直線に飛んでいき、山の斜面に生い茂っている木々を吹き飛ばすだけだった。

 帰還用に打ち出された誘導制御弾に入ったチリ・ペッパーがフェイトの側に帰って行くのを見届けたなのはは、カノンモードに変形しているレイジングハートのトリガーに指をかけた。

 

「これがわたしの全力全開……食らってくたばれ! スターライトブレイカーッ!」

《Starlight Breaker.》

 

 周囲に漂っている魔力素と飛散したフェイトの魔力を取り込んだ桃色の閃光が、勢いを増しながらフェイトに迫る。

 ディバインバスターの比にならない量の魔力が込められた一撃をどうにか防ごうと、フェイトは大慌てで残った魔力を防御に回した。

 複数枚の障壁を展開するマルチディフェンサーを使って、どうにか砲撃を防ごうと魔力を注ぎこむも、徐々に押され始めシールドが一枚ずつ破れていく。

 拮抗していたのは一瞬で、多量の魔力を余していたなのはの放ったスターライトブレイカーを前に、フェイトの防御魔法は脆くも崩れ去った。

 はじけ飛んだ砲撃の一部が周辺環境を破壊しながら降り注ぐ。

 ビルを倒壊させるような威力ではないが、無数の弾痕が木々を根本から吹き飛ばしている。

 

「くっ……」

 

 見るも無残な姿を晒しているが、フェイトは意識を保っていた。

 チリ・ペッパーも半壊して錆色になっているが死ぬほどのダメージは受けていない。

 

 スタンドは干渉する気がないなら魔法でダメージをうけることはないが、チリ・ペッパーは魔力を含む電気を取り込んでいる。

 その電力が軒並みスターライトブレイカーで吹き飛ばされたため、ほとんど電力切れに近い状態に陥っている。

 

「む、無理だ、勝ち目がねえよ。諦めて降参しようぜ」

「私はジュエルシードを持って帰らないと駄目なんだ」

 

 電力がすっかり消え失せ錆色に変色してしまったチリ・ペッパーは、すでに戦う気をなくしていた。

 フェイトもどこからどう見ても限界そのものだった。

 空を飛んでいるのでやっとの状態で、とても攻撃に魔力を回す余裕は残されていない。

 

「どうして持って帰らないと駄目なのかな」

 

 肉声が届くほどの距離まで近寄ったなのはが、魔力刃をフェイトに突きつけながら話しかける。

 口調こそ優しいが、答えなければ有無をいわさず魔力刃がフェイトを突き刺すだろう。

 しばらく俯いた後、フェイトは口を開いた。

 

「母さんがジュエルシードを欲しがってるから……詳しい理由までは私も知りません」

「……わかった。使い魔はユーノが捕縛してる。あなたが降参してくれるなら悪いようにはしないよ」

「本当、ですか……?」

「わたし以外は善人ばかりだからね。管理局に突き出すかどうかは、話を聞いたあとになるかな」

 

 フェイトはどうするべきか分からなくなってしまっていた。

 大切な家族のアルフが人質になっているが、ここで降参したら母親を裏切ることになる。

 どちらの選択も選ぶことのできないため、答えを出せなくなってしまった。

 

「とりあえず地上に降りて話そうか。空を飛びっぱなしってのも辛いでしょ?」

 

 魔力刃を解除してなのはがフェイトの横に並んだ。

 妙な動きをしたらキング・クリムゾンで攻撃する準備はできているため、無防備というわけではない。

 

「……はい」

 

 かなり悩んだ後にフェイトは頷いた。

 そして徐々に高度を下げて仗助と露伴が立っている場所に降りている最中に、エピタフが未来を予知した。

 予知を見たなのはは、焦った表情を浮かべつつ上空に向けて防御魔法を展開する。

 残った魔力をすべて注ぎ込まれたラウンドシールドが発動した数秒後、上空の空間が歪み紫色の雷が飛来した。

 シールド越しに伝わってくる電気に苦痛を感じながら、攻撃が終わるまで耐えしのぐために魔力を込める。

 しかし雷の威力は増していくばかりで、弱まる気配は一向に来ない。

 

「か、母さん!?」

 

 フェイトの叫びになのはが顔をしかめた。

 この攻撃はフェイトを守るために撃たれたものではない。

 なのはや地上にいる仗助と露伴を、フェイトを囮にして巻き込むために放たれた一撃だ。

 娘を平然と攻撃する母親に、なのはは怒りをあらわにしていた。

 

「っ!」

 

 シールドに亀裂が走る。魔力で補強するが壊れる速度に補強が追いつかない。

 膠着状態が続くも着実になのはは押されていた。

 

「ここはオレが一肌脱ぐっきゃねえな。感謝しろよな」

 

 フェイトの肩に乗っていたチリ・ペッパーが唐突に呟いた。

 今まで注意を逸らしていたなのはが目だけ動かして様子を見ると、チリ・ペッパーは戦い始めたときの輝き以上の光を放ちながら、シールドを乗り越えて紫電を吸収し始めた。

 

 吸収できる電力量の限界が存在しないチリ・ペッパーは、余すところなく電力を吸収する。

 攻撃の全てが電気ではないが威力が軽減された攻撃は、なんとかなのはが防げるレベルまで弱まっていた。

 

「攻撃が止んだ……?」

 

 なのはの魔力切れまで続くかと思われた電撃は、チリ・ペッパーが介入したことで拮抗状態に持ち込まれ、相手が諦めたのか徐々に攻撃は弱まっていった。

 どうにか攻撃を防ぎきったなのはが地上に降りると、ユーノたちが転移してきた。

 気絶しているのか人の姿に戻ってぐったりとしているアルフは、美由希に背負われている。

 

「なのは、ちょっとこっちに来なさい」

 

 両腕を組んで待っていた士郎が真剣な声色でなのはを呼びつけた。

 ひとまずフェイトをユーノに預けて士郎のもとに近づくと、なのはの頭に拳骨が落とされた。

 

「痛っ!?」

「事前に無茶はするかもしれないと聞いていたが、あれはどう見てもやり過ぎだ」

 

 士郎が指差す先には、台風が去った後のような惨状が顔を見せている。

 その大半がなのはの魔法によるものだ。

 

「おれのスタンドでもこれは直しきれないッスね」

 

 至近距離で戦況を見ていた仗助は、初めこそなのはを応援していたが、最終的にフェイトの心配をしてしまっていた。

 なのはが何やら桃色の光を集め始めた時から嫌な予感はしていたのだが、まさかこれほどの一撃を放つとは仗助も思ってなかったのだ。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 若干涙目になりながら頭を下げるなのは。

 先ほどまでの悪魔のような戦いぶり目の当たりにしていたフェイトは、あまりの態度の違いに目を白黒させている。

 

「それで、音石よォ。てめー、殴られる覚悟はできてるんだろうな?」

「ゆ、許してくれよ。今回は不可抗力だったんだ」

「こんな子供から金をセシメといてそんな言い訳、通るわけねえだろ!」

 

 いつの間にかちゃっかり混ざっていた音石に仗助が詰め寄る。

 チリ・ペッパーの今の電力量なら仗助と戦うのは簡単だが、さすがに承太郎やSPW財団を敵に回したくはないため、素直に降参している。

 

「仗助君、説教は後回しだ。今はこの子の話を聞くのが先決だな。ユーノ君、すまないが家まで転移できるかい?」

「はい、大丈夫です」

 

 転移の光りに包まれ、ユーノ含む総勢十名は高町家に併設されている道場に転移した。



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金の閃光とチリ・ペッパーなの その③

「クレイジー・ダイヤモンドッ!」

 

 転移が完了した仗助は真っ先にスタンドを使って治療を行った。

 仗助のクレイジー・(ダイヤモンド)は壊れたものを治す能力を持っている。

 死んだ人間を蘇らせることや、完全に消し去られたものを戻すことはできないが、大抵の物なら治すことが可能だ。

 

 特に怪我の酷かったアルフの傷が、まるで時間を逆再生しているかのように戻っていく。

 体の傷が癒えて目を覚ましたアルフは、すぐさま近くに座っていたなのはに飛びかかろうとしたが、クレイジー・Dとキング・クリムゾンに取り押さえられてしまった。

 

「手足をへし折られたくなければ、おとなしくしろ」

「……降参だよ。抵抗しないから放しておくれ」

 

 鋭い目つきでなのはがアルフをひと睨みする。

 野生の勘で勝てないと悟ったアルフは大人しく降参してフェイトの隣に腰掛けた。

 フェイトとアルフ、音石の正面にはなのは、ユーノ、仗助が座っている。

 

 話し合いという名の尋問は、魔法についての知識が深いユーノと外見上は歳が近いなのはが主導で行うことになった。

 仗助は万が一がないようにスタンドの射程距離に音石を捉えるため同伴している。

 露伴以外の面々は話し合いには参加せず傍観に徹している。

 露伴は会話に耳を傾けながら、先ほどの光景から思い浮かんだアイデアをスケッチブックに書きなぐっていた。

 

「まずはあなたたちの名前から教えてもらえるかな。わたしの名前は高町なのは」

「私の名前はフェイト・テスタロッサ」

「あたしはフェイトの使い魔のアルフだよ」

「おれの名前は音石明、23歳。まっ! このギターは気にしないでくれ」

「てめーには聞いてねえだろ」

 

 無意味にエレキギターを演奏しながら自己紹介する音石に、呆れながら仗助がツッコミを入れるが、気にする素振りも見せずになのはは話を続けた。

 

「フェイトがジュエルシードを集めていた理由はお母さんのため。それで間違いない?」

「はい、そうです」

「ジュエルシードは危険な物なんだ。どうして君のお母さんはジュエルシードを集めようとしていたんだい?」

「それは……わかりません……」

 

 ユーノの質問にフェイトは答えられなかった。

 そもそも答えを持ち合わせていなかったのだ。

 口を結んで黙りこくってしまったフェイト。

 明日の朝までには情報を聞き出して温泉宿に帰らないと、色々と問題が出てくるためなのはは強硬手段をとることにした。

 

「岸辺露伴、ヘブンズ・ドアーを使っていいよ」

「それではお言葉に甘えて、ヘブンズ・ドアーッ!」

 

 スケッチの手を休めフェイトたちの前に移動した露伴が、スタンドを顕現させる。

 彼の書いている漫画の主人公を模したスタンド像がフェイト、アルフ、音石の三人に触れた。

 するとどういうことかスタンドに触れられた腕や足の部分が、薄く剥がれて『本』のページになり始めた。

 

 これが彼のヘブンズ・ドアーの能力だ。

 『本』には対象の記憶している実際の体験が記されている。

 どんなに嘘が得意な人間でも、記憶を偽ることはできない。

 

「な、なにをしたんだいッ!?」

「君たちが嘘をついていないか確認するだけさ。能力を解除すれば元通りになるから心配する必要はない」

 

 体に得体のしれないことをされたフェイトたちを代表してアルフが露伴に食って掛かろうとするが、手と足が本にされているため上手く動けないで藻掻いていた。

 

「君のご主人様や音石のようにじっとしてな」

 

 とりあえず身動きができないようにするため本に命令を書き込もうと、『本』にされたアルフを覗きこんだ露伴がうめき声を上げた。

 何事かと思いなのはとユーノも文字を読もうと顔を近づける。

 本に記されていたのは、アルファベットのようにも見えるが全く異なる文字だった。

 

「な、なにをしたのかよくわかりませんが、これはミッドチルダ語です」

 

 引きつる表情を必死に誤魔化しながらユーノが答える。

 いきなり人が本になる光景にユーノは驚いたが、スタンド使い達と行動することで度胸が付いて来ていたため、なんとか堪えられていた。

 ほかの面々は露伴のスタンド能力を知っているため、特に驚きはしなかった。

 音石も驚いてはいたものの、自分の恥ずかしい記憶が読まれなくてすんで、むしろホッとしていた。

 

「騒がれるのは面倒だが、これじゃあ、ぼくが命令を書き込むのは無理だな。すまないがユーノくん、この二人の本にペンで『気を失う』と書き込んでくれないか」

「は、はい、わかりました」

 

 言われるがままにユーノが、恐る恐るミッドチルダ語でフェイトとアルフの本に気絶すると書き込むと、書き込んだ通り二人は気を失った。

 一足先に音石に同じ命令を書き込み終えた露伴は、ユーノが命令を書き終えたのを確認すると次の頼み事を言い始めた。

 

「引き続いて頼みたいんだが、この二人の本の内容をぼくたちに読み聞かせてくれないかい?」

「いや、でも、それってプライバシーの侵害になるのでは」

「必要最低限の内容で構わないよ。本当は事細かに知りたいが、非常事態だし我慢しようじゃあないか」

「……わかりました」

 

 魔法で日本語が話せるようになっているユーノが、気を失っているフェイトに頭を下げた後、なのはたちに書かれている内容を淡々と読み始めた。

 

「フェイト・テスタロッサ、三人家族。家族構成は母親のプレシア・テスタロッサ、使い魔のアルフ、そして娘のフェイト。数年前まではプレシアの使い魔、リニスもいたが契約を破棄されたことにより消滅」

 

 使い魔は契約者の魔力を削る。

 今からおよそ25年ほど前までは家族のように使い魔と接する魔導師のほうが珍しく、一定の期間を設けて使役するのが普通だった。

 しかし、現在では法改正が進んだ結果、使い魔にも人権が認められ家族同然の扱いをすることが義務付けられている。

 プレシアがリニスを使い魔にした前後で法改正が行われて、使い魔を保護するための条例が作られている。

 

「地球に来た理由はジュエルシードの捜索。プレシアに強要される形だったため、ジュエルシードに関しては最低限のことしか知らないみたいだ。

 一緒に『ジュエルシードを集め終えたら昔の優しい母さんに戻る』と書かれています。アルフの記憶によると、プレシアはフェイトのことをよく思っていなかったそうだ」

「あのときの雷撃から考えると、この件の黒幕はフェイトの母親ってことになるのかな」

 

 地球という名の管理外世界に散らばったロストロギア、ジュエルシードを集めて来い。

 それが数年間の魔法の訓練が終わったある日、唐突に言い渡された母からのお願いだった。

 唯一の肉親であり、生まれてから母以外の人間と接したことのなかったフェイトには、それを断ることはできなかった。

 もし断って嫌われたら生きていけないと思っていたからだ。

 

「ジュエルシードの場所についても書かれています。どうやら海の中に七個ほど散らばっているようですね。ただ細かい場所まではわかっていないようです」

「海の中となると簡単には取りにいけないね」

 

 フェイトの記憶の中には、ジュエルシードのおおよその落下位置が記されていた。

 どうやらプレシアからロストロギア探索用の広域調査魔法を受け取っていて、大まかな捜査は終わっていたようだ。

 次々とページを捲っていたユーノの指がピタリと止まった。

 なにやら難しそうな顔で唸ったあとに、顔を上げたユーノが露伴に質問した。

 

「……あの、露伴さん。書かれている内容が飛び飛びになったり、数年で途切れたりしているんですが、古い記憶は書かれていないのでしょうか」

「ぼくが読んできた中ではそんなことは一度もない。それに物心がついた頃からの記憶が書かれていないのは、普通では考えられない」

 

 ページを捲った先に記されていた記憶は、まるで他の本のページを張り合わせたかのように継ぎ接ぎだらけだった。

 文字も掠れてしまっていて、注意深く観察しなければ読めないほどだ。

 母親とピクニックに出かけたり食事をとっていたことは読み取れるが、文体そのものが変わっていて、ユーノは別人の記憶を読んでいるような気分になった。

 

「残りの部分には字が掠れていて一部分しか読めませんでしたが、日常生活が記されていました。どうやら本当に彼女はプレシアの目的を知らないようです」

「それじゃあ、ユーノくん。二人の本に『高町なのはとその仲間を攻撃することはできない、本にされたことを忘れる、目を覚ます』とミッドチルダ語で書き込んでくれ」

 

 言われた通りにユーノが書き込んだのを露伴が確認すると、ヘブンズ・ドアーが解除されフェイトとアルフが意識を取り戻した。

 音石の方も露伴が命令を書き込んで目を覚ました。書き込まれた内容はしっかりと反映されており、三人ともなにをされたのかは覚えていないようだった。

 

「質問は終わりだよ。次にお願いがあるんだけど、あなたのお母さんに会わせてくれないかな」

「え……?」

「今すぐにってわけじゃあないよ。今日はとりあえず帰っていいからお母さんに話を通して、念話で結果を教えてくれたらいいからさ」

 

 なのはの突然の申し出にフェイトは動揺した。てっきり管理局に突き出されると思っていたにも関わらず、帰っていいと言われたのだ。

 しばらく思い悩んだ後にフェイトは黙って頷いた。この戦力差ではいくら挑んだところでフェイトに勝ち目は無い。

 

「最後に一つだけ聞きたいんだけど、フェイトはどうしてあのとき、わたしに謝ったの? 一方的に攻撃したのはわたしのほうなのに」

「それは……先に仕掛けたのは私のほうだったから」

 

 結果がどうであれ最初に攻撃を仕掛けたのは自分だとフェイトは言った。

 その言葉になのはは納得したように頷いて、手を差し出した。

 

「これは……?」

「仲直りの握手だよ。なんだかんだでわたしもやり過ぎたとは思ってるし、これで許してくれるかな」

 

 恐る恐るフェイトが手を伸ばす。優しく手を握り微笑みを見せるなのはの姿は、先程まで悪魔の様な戦い方をしていた相手とは到底思えなかった。

 

「次はアルフだね」

「あ、あたしは遠慮しとくよっ!」

「どうしてそんなに怖がるのかな……」

 

 悲しげな表情で顔を伏せるなのは。アルフの良心にチクリと痛みが走った。

 

「しょうがないねえ、わかったよ」

 

 アルフが手を差し出した瞬間、なのはの表情がもとに戻り笑顔で手を握り返した。

 どう見てもなのはの演技だったのだが、知り合って間もないアルフには見抜けなかったようだ。

 騙されたことに気がついて不貞腐れているアルフをよそに、話し合いが終わったのを見計らってフェイトが仲間を連れてマンションへと転移魔法で去っていった。

 

「帰してよかったのか、なのは」

 

 最後まで黙って話を聞いていた恭也が、せっかく捕らえた相手を逃したことに説明を求める。

 

「ジュエルシードは一個しか持ってないようだったし、プレシアとコンタクトをとってなにを考えているか把握するほうが重要だよ」

「だが相手が約束を守るとも思えないぞ」

「それなら大人しく管理局に任せるよ。ヘブンズ・ドアーの命令でわたしたちには攻撃できないだろうからね」

 

 なのはの目的はあくまでジュエルシード集めである。

 フェイトの家庭環境に首を突っ込みたい気持ちもあるが、優先事項はアンジェロを捕らえることだ。

 

「そろそろおれたちも宿に戻ろうぜ。いないのがバレたら、誤魔化すのが面倒になるッスよ」

 

 仗助の一声でユーノが転移魔法の準備を始めた。緑色の魔力光に包まれて一同は温泉宿へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった道場の天井裏から水が滴り落ちる。

 ウジュルウジュルと音を立てて周囲の水分が集まっていき、最終的に成人男性の形に固まった。

 

「ククククク……そうか、ジュエルシードは海にあるのか。天はおれに味方しているようだなァ~~~っ!」

 

 水が固まって現れた男──アンジェロが口元を歪めながら独り言を呟いている。

 アンジェロはなのはから逃げ出した後、かつて音石がチリ・ペッパーを使って電線を通して仗助たちを見張っていたように、下水道を通して街を監視していた。

 

 アンジェロは魔導師ではない。

 リンカーコアを持っていないため、ジュエルシードの発動を感じることはできないのだ。

 それゆえに、なのはたちの動きを利用していた。

 

 彼の手元には三個のジュエルシードがある。

 目覚める切っ掛けとなった一個、市民プールで見つけた一個、学校のプールで発見した一個。

 ジュエルシードの力でパワーが上がったスタンドの扱いにもようやく慣れてきたアンジェロだが、正体のわからないなのはのスタンド能力を把握するために潜伏し続けていた。

 毎朝の魔法の訓練、月村家でのフェイトとの戦い、そして先ほどの戦いも影でアンジェロは観察していた。

 そして後を追って道場まで付いて来ていたのだ。

 

「ジュエルシードの力さえあれば、なにも恐れるものはねえ! おれは世界を支配する力を手に入れてやるぞッ!」

 

 狂ったように笑いながら排水口の中へとアンジェロの体は吸い込まれていく。

 その場に残されたのは、わずかながらに漂う水分と魔力だけだった。



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金の閃光とチリ・ペッパーなの その④

「それでおめおめ逃げ帰ってきたというの?」

「……ごめんなさい、母さん」

 

 次元空間に浮かぶ巨大建造物『時の庭園』の一室、玉座の間のようなデザインの部屋に設置された椅子に腰掛けていたプレシアが、眉間にシワを寄せながら冷徹な声色でフェイトに話しかけた。

 向かい合うように距離をおいて鎖で吊るされているフェイトの体には、鞭で打たれた後のような無数の傷が刻まれている。

 体を震わせながらどうにか声を絞り出して謝ったフェイトの言葉に機嫌を損ねたのか、プレシアは席を立ちフェイトの側に近寄る。

 

「フェイト、あなたは大魔導師プレシア・テスタロッサの一人娘」

 

 フェイトの顎に手をやり顔を自分の方に向けながら、プレシアが言い聞かせるように言葉を紡ぐ。

 

「それにもかかわらず、こんなに待たせておいて上がってきた成果がこれでは、母さんは笑顔であなたを迎えるわけにはいかないわ。あなたには罰を与えなければならない」

 

 プレシアの右手に持たれた杖が鞭の形になった。

 殺傷設定で振るわれた紫色の鞭がフェイトの体を傷つける。

 なのはの魔力刃で切り裂かれた時の何倍もの苦痛が体を襲い、フェイトの口から叫び声が漏れ出す。

 

(なんだよ、いったいなんなんだよ。あんまりじゃないか、あの女。なんで実の母親が子供を傷めつけるんだよ)

 

 部屋の外で膝を抱えて耳を押さえているアルフが、肩を震わせながら立ち上がり壁に手をついた。

 

(あの女の、フェイトの母親の異常さとかフェイトに対するひどい仕打ちは今に始まったことじゃないけど……今回のはあんまりだッ!

 フェイトは話したがらなかったけど、母親の攻撃に巻き込まれそうになったって話じゃないか。

 音石とあの悪魔(なのは)に守ってもらってなかったら大怪我をしていたところだった……本当になにを考えているんだ、プレシアはッ!)

 

 アルフは前々からプレシアのことが気に入らなかった。

 母親の愛情を求めているフェイトの気持ちに一向に応えようとしない態度に苛立ちを感じている。

 それでもプレシアが今まで物理的にフェイトを傷つけることはなかった。

 一緒に食事をしたことなどなく、フェイトを無視することなど日常茶飯事だったが、手を上げることはなかったのだ。

 

「フェイト、私はあなたに期待しているわ。あの小娘を必ず連れて来なさい。それぐらいならあなたにもできるでしょう?」

「……はい、母さん」

「しばらく眠るわ。精々私の役に立ちなさい」

 

 プレシアが部屋の奥へと消えていくのを見送ったフェイトは、おぼつかない足取りで立ち上がり壁に手をつきながらゆっくりと歩き始めるが、バランスを崩して倒れそうになった。

 それに気がついたアルフが、すぐさま駆け寄りフェイトを抱きかかえた。

 

「もうやめよう、こんなこと。きっとあの女はフェイトのことを道具としか思ってないよッ!」

「違うよ、アルフ。母さんは私に期待してくれているんだよ? だから私は母さんの思いに応えないといけないんだ」

「どうして、どうしてそこまで信用できるのさ……」

 

 アルフにとっての至高はフェイトの身の安全だ。

 それはフェイトに造られたときに心に刻まれた主を守るという命令ではなく、純粋に劣悪な家庭環境にもめげずに頑張っている少女を助けたいという気持ちによるものだ。

 だからといってアルフにはフェイトの考えを曲げることは出来ない。

 助言することは出来ても己の考えを主に強要したりはできないのだ。

 それが使い魔のあり方であり、魔導生命の限界でもある。

 

「だって親子なんだよ。私が母さんを信じないで誰が母さんを信じてあげられるの? それにきっと母さんもあの子……なのはに本当のことを話してくれる」

「そんなの方便だよ。あの女がそんなこと話すわけがない。きっとあいつらをここに誘い込んでジュエルシードを奪い取るつもりだよ」

「大丈夫だよ、アルフ。母さんはきっと、なのはからジュエルシードを借りたいだけなんだ。なのはだってきちんと理由を話せば、わかってくれるよ」

 

 真摯な目でアルフを見つめるフェイトの決意は硬かった。

 結局、アルフはどうすることもできず、ただ黙ってフェイトの身の心配することしかできなかった。

 

 

 

 

 

 プレシアは寝室には向かわずに研究室でフェイトとなのはの戦闘データを解析していた。

 彼女は条件付きSSランクの魔導師であると同時に、多彩な才能を持つ科学者でもある。

 その能力はアンジェロなどとは比べ物にならず、人並み外れた洞察力と知性を兼ね備えた稀代の天才と呼ぶにふさわしい人物だ。

 

「思っていた通り、この小娘は時間を飛ばすことができるようね」

 

 画面に映っているのは白いバリアジャケットに身を包んで、悪魔の様な攻撃でフェイトを撃ち落とすなのはの姿だった。

 様々な角度から観察されている映像をプレシアは気だるげに眺めている。

 

 今の彼女のコンデションは最悪に近い。

 もとより病に冒されていて大規模な魔法の行使は難しかったのだが、無理をしてでもなのはを葬ろうと次元跳躍攻撃を放ったのが不味かった。

 時折(ときおり)咳き込んでいるプレシアの口からは赤黒い血液が滴り落ちている。

 

「フェイトではどう足掻いても勝てないでしょうね。失敗作に期待した私が間違いだったわ」

 

 口元を拭いながら映像を消して睡眠を取ろうとしたプレシアの元に通信が入ってきた。

 姿をくらませているプレシアに連絡をとれる人物はほとんどいない。

 通信者の名前を見たプレシアが不機嫌になりながら通話に応じた。

 

「なんのようかしら、スカリエッティ。もうあなたと連絡を取るつもりはないと言ったはずよ」

『私もそのつもりだったのだがね。君のおかげで、興味深いことがわかったのだよ。そこで礼の代わりと言ってはなんだが、高町なのはのスタンド能力を教えてあげようと思ってね』

 

 映しだされた紫色の髪をした白衣を着た男──ジェイル・スカリエッティが不気味な笑みを顔に貼り付けながらプレシアに語りかけた。

 

「あなたにご高説してもらわなくても、時を飛ばせることぐらい解ってるわよ」

『おや? プレシア女史は彼女が未来を視る能力を持っていると知っていたのか。いやはや、それでは私の出る幕はなさそうだ』

「……未来を視るですって? スタンド能力は一人一つ、例外はないと言っていたのはあなたのほうでしょう」

 

 プレシアが胡散臭いものを見るような目でスカリエッティを睨みつける。

 以前の通信でプレシアは彼に、なのはのレアスキルに該当しない能力について尋ねていた。

 その答えとして提示されたのがスタンドだった。

 

『どうやら君は私の言っていることが信用ならないようだ。簡単に言い表すなら、彼女は時間と空間を消し去る能力を使い分けているのさ。能力が派生することは、スタンド使いにとっては珍しくないことらしい』

「随分と曖昧な言い方ね」

『なにせ他人のまとめた情報を読んでいるだけなのだからしょうがないだろう』

「あなたのことだから、てっきりスタンドについて研究を始めるものだと思っていたけれど違ったのね」

『スタンドも魅力的だがそれよりも優先すべき研究ができたのでね。添付したデータに詳しいレポートが書いてある。ぜひ読んでみたまえ。それではプレシア女史、健闘を祈っているよ』

 

 通信が切れ画面が切り替わる。

 添付されていたデータの書式は一般的な管理世界のものではなく、紙媒体からスキャンされたもののようで、プレシアが見たことのない組織のロゴマークが記されている。

 そのデータを読みながら、相変わらず趣味の悪い男だとプレシアは心の中で呟いた。

 スカリエッティとプレシアの仲はそれほど親しくない。

 あくまでお互いに利益が出るので連絡を取り合っているだけだ。

 

「予知した未来を消し去る……強力な能力のようだけれど、その程度で私の悲願を止めることはできないわよ」

 

 虚ろな目でプレシアは液体で満たされたカプセルの中に浮かぶ少女を眺める。

 フェイトを幼くしたような容姿の少女は、未だに目覚める気配を見せない。

 

 

 

 

 

 フェイトとアルフは時の庭園を離れてマンションへと戻ってきていた。

 音石を連れて行くわけにはいかなかったのでマンションに待機してもらっていたのだ。

 

「意外と時間がかかったな、飯作るから待ってろよ」

 

 金色の光に部屋が照らされたことでフェイトが戻ってきたことに気がついた音石が声をかけた。

 一人暮らしをしている音石は、料理の経験の無い二人よりはマトモなものを作れるため、ここ一週間は簡単な料理を作ってフェイトに食べさせるのが習慣となっていた。

 最初は音石も面倒だと思っていたのだが、あまり食べ物を食べないフェイトを見かねて食べやすそうなものを作っているうちに、すっかり料理にハマってしまっていた。

 

「っておい! どうしたんだその傷はッ!」

 

 数時間前まではなかった無数の傷がフェイトの白い肌に刻まれていることに気がついた音石は、声を荒らげながら問いただした。

 しかし、フェイトは悲しそうな表情をするばかりで口を開かない。

 

「フェイトの母親がやったんだよ。鞭で滅多打ちにして……ごめんよ、あたしには止めることができなかった」

 

 苦々しげにアルフがフェイトの代わりになにがあったのか答えた。

 怪我を負った経緯は簡単にしかわからなかったが、音石はフェイトの母親が娘に暴力を振るったという結果だけは理解できた。

 

「……おれは警察に捕まったあと親父に思いっきりぶん殴られたことがある。その時は縁を切られるもんだと思ってた。

 でもよぉ~~~、親父とお袋は月に一度は必ず面会に来てくれた。こんなおれでも見捨てることはできないんだとよ。

 親父がおれを殴ったのは愛してるからだ。だがフェイトの母親はどう考えてもやり過ぎだ。ガキにそんな仕打ちをする親が子供を愛してるとは思えねえ」

 

 音石は静かにキレていた。一週間以上、面倒を見てきた子供に対して情が湧いてきていた音石は、一度も会ったことのないプレシアのことを優しい母親だと思っていた。

 フェイトが楽しそうに母親との思い出話を話しているのをうんざりするほど聞かされていたため、そう思い込んでいた。

 

 だが実際はどうだ。

 失敗したフェイトを優しく励ましたりするのではなく、暴力で言い聞かせるような母親だったではないか。

 心優しい少女に対する仕打ちとはとても思えない。

 

「そんなことはないよ、アキラ。ジュエルシードでやりたいことを終わらせたら、きっと昔の優しい母さんに戻ってくれる」

「……とりあえず仗助のところに行くぞ。傷跡を残すわけにはいかねえからな」

 

 どこまでも母親に心酔しきっているフェイトを説得するのは難しいと考えた音石は、携帯を取り出して電話帳にハンバーグという名前で登録されている電話番号にコールした。

 

 

 

 

 

 4月25日──ゴールデンウィーク最後の一日の昼時、高町家でジュエルシード探しを協力している謝礼として昼食を御馳走になっていた仗助たちのもとに、フェイトを抱えたアルフと音石が駆け込んできた。

 電話で事情を聞いていた仗助がおもむろにスタンドでフェイトの体に触れる。

 するとアルフの時と同じように肌の裂傷や痣がみるみるうちに治っていく。

 治癒魔法ではあり得ない回復速度にフェイトとアルフは驚きながらも、スタンドとはこういうものなのかと納得し始めていた。

 

「すまねえな、仗助。この借りは必ず返す」

「別にいらねえよ。おれはただ、元に戻しただけッスからね」

 

 頭を下げて礼を言う音石に礼はいらないと首を横に振った仗助だが、その表情は複雑そうだ。

 音石からフェイトが怪我をした経緯を簡単に聞かされていただけに、このまま帰していいのか悩んでいる。

 

 その気持ちはなのはも同じだった。

 フェイトの記憶からプレシアが子供にどう接しているかは知っていたなのはは、家庭の問題だからと放っておくつもりだったのだが、黙って見過ごす気になれなくなっていた。

 

 なのはは母親というものに対して特別な感情を持っている。

 その感情は歪な存在のなのはを受け入れた今生の母親の高町桃子、そして獄中でディアボロを出産した前世の母親の両方に向けられている。

 

「ありがとうございます、仗助さん」

 

 治療が終わったフェイトが仗助にペコリと頭を下げた。

 そして頭を上げたフェイトが、仗助の頭を見ながら不思議そうな表情で音石に疑問を尋ねた。

 

「ねえ、アキラ。どうしてケータイに登録してた仗助さんの名前はハンバーグだったのかな」

 

 ハンバーグという料理がどんなものか知らないフェイトは、その質問が仗助にとってはタブーだとは知らずに首を傾げながら音石に問いかけた。

 

「……おい、音石。てめー、このヘアースタイルがぼた餅みてェーだとォ?」

「誰もそこまで言ってねえよ! つーかこんなことしてる場合じゃ──」

 

 仗助の目つきが変わり髪の毛が逆立ったのを見た億泰と康一、なのはの三人は、冷や汗を垂らしながらフェイトとアルフを連れて部屋の外へと逃げ出した。

 逆鱗に触れてしまった音石も逃げようと後ずさるが、無常にも部屋の壁に阻まれ逃げられない。

 迎撃しようとチリ・ペッパーを出すよりも早く、クレイジー・Dの拳が音石の顔面に叩き込まれた。

 

「ドラララララララララララララララララァ!!」

「ヤッダーバァァアアアア」

 

 承太郎のスタープラチナに匹敵するラッシュが音石とチリ・ペッパーの体を殴り飛ばす。

 壁を突き破って庭に殴り飛ばされた音石は、そういえば仗助のラッシュをモロに食らったのは初めてだなと思いながら意識を失っていった。



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決戦は時の庭園でなの その①

 つまらないことで再起不能になりかけた音石だったが、ぶん殴ったことで冷静になった仗助のおかげですぐに意識を取り戻した。

 文句の一つでも言おうと思ったがまた殴られては堪らないので、音石は黙ってフェイトの(もと)へと向かった。

 

 リビングから客間に場所を移したなのはたちは、主にアルフから、なにがあったのか伝えられた。

 虐待としか言いようのない仕打ちに、一同は眉をひそめながらプレシアという人間の一面を理解した。

 

「それでフェイトのお母さんはなんて言ってた?」

「母さんはなのはを連れてくるようにって……」

 

 見え透いた罠を前になのはは腕を組んで目を閉じながら、プレシアの誘いに乗るかどうか考えた。

 現在、なのはの手元には九個のジュエルシードが集まっている。

 一方、フェイトは音石から受け取った一個しか持っていない。

 現状で一番ジュエルシードを集めているなのはから、プレシアが奪い取ろうとするのは明白だ。

 

 問題はプレシアがなにを仕出かすのか分からないところにある。

 なにせ相手は次元を超えて魔法で攻撃できるような魔導師だ。

 やろうと思えばなのはの家族や仲間を人質に取ることなど容易いだろう。

 

 今はまだ、それほど追い詰められていないためそういった外道な行為はしてきていないが、マトモな精神状態ではない相手が黙って見ているとは思えない。

 面倒なことになる前に管理局に連絡して捕らえてもらうのが最も簡単な方法だが、現状ではプレシアは管理局の定めた法律をほとんど破っていない。

 精々、管理外世界で無断に魔法を使ったことぐらいだ。

 むしろ許可を取らずに転移魔法や探索魔法を使っているフェイトのほうが犯している罪の量は多い。

 もしも管理局員を攻撃していたりすれば、すぐさま武装局員を送り込まれていただろうが、現状で管理局が迅速に動くことは無きに等しい。

 

「わかった。プレシアの誘いに乗るよ」

 

 悩んだ末になのははプレシアの誘いを受けることにした。

 なにをしてくるのかわからない相手なら、なにかする前に手を打つことにしたのだ。

 行方しれずのアンジェロと違いプレシアの居場所はわかっている。

 少しの間とはいえ地球から離れるのは得策とはいえないが、なのはは目先の障害を排除することを選んだ。

 

「……僕は反対だ」

 

 フェレットの姿ではなく、人間の姿に戻って話を聞いていたユーノがなのはの意見を切り捨てた。

 

「魔法とスタンドを組み合わせて戦えば、なのはには並大抵の相手を苦もなく倒せる実力がある。

 でも、なのはは魔法を使い始めて一ヶ月も経っていない初心者なんだ。次元跳躍攻撃みたいなSランクオーバーの魔法を使いこなす魔導師と戦って、絶対に勝てるとは思えない」

 

 それはなのはの身を案じての言葉だった。なのはのことを信頼しているからこそ、ユーノはその言葉を受け入れられなかった。

 時折(ときおり)見せる冷酷な一面に怯えることもあるが、なのはの不器用な優しさをユーノは一ヶ月近い付き合いの中で何度も見てきた。

 

 例えばフェイトとの初戦で、なのははわざと手を抜いていた。

 フェイトに敵意はあっても殺意はないことを感じていたのもあるが、それだけなら魔法ではなくスタンドを使って無理やり無力化すればよかったのだ。

 ユーノと出会った日の翌日、なのはは自分は善人ではないと告げていた。

 その言葉に今まで疑問を覚えていたのだが、ようやくユーノは理由を理解した。

 

 なのはの行動の根底には、家族と仲間を守るという意思がある。

 今回の場合はそれが善の行動として現れているが、もし人を殺さなければ解決できない状況ならば、なのはは躊躇(ちゅうちょ)せずに障害を始末するだろう。 

 そしてそこには(みずか)らの保身が含まれていない。

 ユーノの目には、まるで己のせいで自分を取り巻く環境が破壊されるのを恐れているように映った。

 

「でもわたしが行かないで誰がプレシアを止めるの? 現状でプレシアと戦えるのはわたしぐらいしかいないんだよ」

 

 やっぱりだ、とユーノは内心で独りごちた。

 ユーノの予想通り、なのはは一人でプレシアの元に向かうつもりだった。

 罠だと分かっていて敵陣に(おもむ)くような真似を、仲間に強要させるつもりなど端からなかったのだ。

 

「それでも僕は、なのはを一人でプレシアの元に行かせたくない。どうしても行くっていうのなら僕もついていくよ」

「……まったく、とんだお人好しだね。着いて来たいなら勝手にしたらいいよ」

 

 真摯な目で見つめてくるユーノの意思を断ることができずに、なのはは呆れ気味に申し出を受け入れた。

 

「だけどパパたちが来るのは許可しない。下手に頭数を増やしても、人質に取られる可能性が高くなるだけだからね」

 

 士郎たちは不服そうだったが、魔法を防ぐ手段が無いため着いて行ったところで足手まといのは目に見えている。

 フォトンランサー程度ならかわすことはできるが、アルフのような接近戦主体の相手ではないかぎり、対等に戦うのは非常に難しいだろう。

 

「スタンドの射程距離が長い康一、電気を吸収できる音石、防御を無視して無力化できる露伴の三人に絞って連れて行く。残りはアンジェロの警戒をしててもらえるかな」

 

 露伴はこの場にはいないが、ヘブンズ・ドアーは射程距離内なら視線さえ通っていれば防御魔法越しでも能力が通用する。

 戦闘が得意なわけではないが、一度首を突っ込んだのが露伴の運の尽きだった。

 むしろ運がいいと言いながら嬉々として着いて来そうだ。

 

 なのはの判断に士郎たちは黙って従った。

 この手の合理的な戦況判断になのはが優れていることは周知の事実であるからだ。

 

「フェイト、念の為に言っておくけどわたしたちはあなたのお母さんを倒すために行くわけではないよ。話し合いで済むならそれでいいけど、不測の事態があったら困るからね」

「ありがとう、なのは」

 

 張り詰めた空気を感じて不安になっているフェイトを落ち着けるために優しい言葉で誤魔化したが、十中八九戦闘になるだろうとなのはは考えている。

 そもそも話し合いで終わらせるつもりがあるのなら、フェイトとの戦いにプレシアが干渉してくるわけがない。

 恐らくプレシアは譲れないなにかのためにジュエルシードを求めているのだろうが、なのはも黙って見過ごすつもりはなかった。

 

 

 

 

 

 同時刻、地球付近の次元空間内を航行中の巡航L級8番艦『アースラ』のブリッジは平穏そのものだった。

 近未来的な外観を持つこの戦艦は、高次元内と宇宙空間の航行を目的として建造された戦艦だ。

 アースラの主な任務は哨戒任務で、普段は一定のルートを通り管理世界や管理外世界を警邏(けいら)して回っている。

 

 管理局の主な仕事は管理世界の治安維持だが、管理外世界に逃げ込む犯罪者を取り締まるために魔力反応をサーチして回るのも主な任務の一つだ。

 また巡航中に近隣の世界で魔法が関わる事件が発生したときは、すぐさま駆けつけられるように一定の戦力が保持されている。

 アースラには武装局員三十名と執務官二名、非常時には提督も動けるような体制がとられている。

 静けさに包まれているブリッジの扉が開き、青い管理局の制服を着た緑髪の女性が席についた。

 彼女がアースラで最も高い権限を持つ女性、リンディ・ハラオウン提督だ。

 

「みんな、どうかしら。今回の旅は順調?」

「はい、現在第三戦速にて航行中です。目標次元には今からおよそ六時間後に到達の予定です」

「計測によると推定ランクSの魔法が使用された形跡があります。どうやら二組の捜索者が戦闘を行った際に使用したようです」

 

 二名のオペレーターがリンディに現状の報告を行った。

 リンディの手元には近隣の次元空間に設置された測定器からの観測結果が、視覚的にわかりやすいように映像化されて映しだされている。

 

「失礼します、リンディ艦長」

「ありがとね、エイミィ」

 

 そのデータを確認しながら短く返事を返したリンディの元に、執務官補佐兼管制官のエイミィ・リミエッタが紅茶の淹れられたカップを差し出した。

 

「それにしても物凄い魔力量ねぇ。純粋な総量だけならクロノよりも多いんじゃないかしら」

「魔導師の実力は魔力だけでは決まりませんよ、艦長。とはいえ、魔導師の少ない地球にこれほどの才能の持ち主がいるとは」

 

 エイミィの近くでデータを眺めていた全身黒ずくめの小柄な少年──クロノ・ハラオウンがリンディの発言に一般論を付け加えながら唸り始めた。

 彼はわずか11歳で筆記試験、実技試験ともに合格率15%にも満たない執務官試験を、たった二度の挑戦でくぐり抜けた秀才である。

 それは天性の才能もあったが、なによりも幼い頃から努力を重ねていたことが大きい。

 

 クロノを秀才とするならば、なのはは天才だろう。

 天性の感覚で魔法を構成して持ち前の戦闘センスでそれを生かす戦い方は、スタンドを使わなくとも一般的な武装局員をはるかに上回っている。

 空戦魔導士で編成された武装局員たちの魔導師ランクは決して低くはない。

 分隊長なら最低でAランク、隊員でもBランク以上の魔導師が揃っているのだ。

 

「末恐ろしい子供だが、まだまだ荒削りのようだな。見たところ飛行適性は高いが、随分と練度が低い──いや、その分を他の魔法に割り当てているのか」

 

 遅れて入室してきた二十代前半の男が、リンディとクロノと会話に割って入った。

 その服装は一般的な管理局員のものとは異なり、ヒョウ柄のダスターコートにジーンズ、そしてゼブラ模様のテンガロンハットを被ったカウボーイのような格好をしていた。

 ちなみにルックスもイケメンだ。

 

 二の腕の部分に金属製のトゲのようなものが装飾として付けられているクロノに負けず劣らない珍妙な服装をしているこの男がこそ、アースラに搭乗しているもう一人の執務官だ。

 

「しかし随分と妙な戦い方ですね。あなたはどう見ますか? マウンテン・ティム執務官」

「憶測にすぎないが、彼女はレアスキルの持ち主だろうな」

 

 (マウンテン)・ティムは、上空から見下ろす形で記録されている戦闘記録に映っている白衣の少女をじっと見つめていた。

 正確にはなのはを守護するように寄り添っている真紅の王を見ているのだが、アースラの搭乗員達は知る(よし)もない。

 

「つまりこの不可解な現象も、彼女のレアスキルによるものということね。どちらにせよ現地に着いたら一度、話を聞かなければならないわね」

 

 鉄砲水のように押し寄せる無数の射撃魔法がなのはの体をすり抜けているワンシーンを眺めながら、リンディはなのはのレアスキルについて推測していた。

 何種類かの可能性を考慮した上で、彼女は高性能な観測機すら(あざむ)く幻影という結論に行き着いた。それはクロノやM・ティムも同じだった。

 

「事前に申告のあった民間協力者の安否確認と被害状況の把握、更にはロストロギアの捜索もありますからね。仕事は山積みですよ」

「本来は僕たちが解決するべき仕事だ。一刻も早く被害が出る前に動かなくてはならない」

 

 エイミィの発言にクロノはにべもない態度で淡々と答えたが、内心では焦る気持ちを募らせていた。

 次元震こそ起こっていないものの、ロストロギアが管理外世界にばら撒かれるなどあってはならないことだ。

 

 現地にそれなりの数の魔導師が在住している管理世界ならともかく、自衛手段を持たない管理外世界ではどれほどの被害が出るかわかったものではない。

 だからこそ迅速に動くべきなのだが、近隣に動ける戦艦がおらず、たらい回しのようにアースラに仕事が回されてきたのだ。

 

 管理局が確認済みの管理世界だけで35、管理外世界は150以上存在している。

 もちろん管理局が全権を担っている訳ではない。

 原則として各々の管理世界の行政機関に協力する形で、現地機関が対応しきれない事件を取り扱っている。

 しかし危険な任務に対応できる優れた才能を持つ職員の数は限られており、優先度の低い事件はどうしても後回しにされてしまっている。

 クロノはそんな現状にやるせない気持ちを抑えきれないでいた。

 

「だが妙な話だな。ロストロギアの運搬事故なんて普通は起きないぞ」

 

 長い歴史の中で発展してきた次元航行船の安全度はかなり高い。

 民間での遭難事故など十年に一度、起きるか起きないかのレベルである。

 戦艦に至っては十一年前の事件以来、一隻も事故を起こしていないのだ。

 

 執務官になって五年、それなりに経験を積んできたM・ティムの勘が事件の異様さを感じ取っていた。

 クロノと同じく執務官という役職に誇りと信念を持っている彼は、なにか裏があるのではないかと疑い始めていた。

 

「運搬は管理局指定の企業に任されていたはずです。しかも手続きはスクライア一族が行っている。ただの事故とは思えませんね」

 

 事故の原因は人的要因とされているが、自動化が進んでいる時代にそんなものがピンポイントで起こるはずがない。

 そもそも定期的に監査が入っているのだから、そんな杜撰(ずさん)な管理をしているのならその企業はとっくに指定企業から外されている。

 

「これは一旦、調べ直してみる必要がありそうね」

「エイミィ、手伝ってくれるか」

「了解しましたー」

「やれやれ、もう少しはゆっくり出来ると思ったんだが、どうやら忙しくなりそうだ」

 

 リンディの一声により執務官二名と補佐官が管理局のデータベースにアクセスして、運搬事件に関する資料を改めて精査し始めた。

 結果として大したことは分からなかったが、M・ティムが感じ取った予感は確かに当たっていた。

 この件が事故ではなく事件であることがはっきりするのは、アースラが地球に着いてからのこととなる。




第7部(スティール・ボール・ラン)の登場人物は管理世界出身の人物として登場します。生まれた年代や過去設定、スタンド能力に改変が入る場合があります。


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決戦は時の庭園でなの その②

「これが時の庭園……なんて広さなんだ」

 

 康一の口から漏れた一言は、一同の考えていることを見事に代弁していた。

 転移が終わったなのはたちは、中世の城や古代ギリシャの神殿を連想させる時の庭園の内装に唖然としていた。

 

 魔法という一種の科学技術が発達した世界の巨大建造物と聞いていた康一や音石はSF映画に出てくるような近未来的な光景を想像していたのだが、予想とは違い現実は立派な屋敷のような内装だった。

 時の庭園の中心部以外は、いささか規模は大きいものの地球の一般的な建造物となんら変わりない造りだ。

 康一の考えているような設備が備え付けてあるのは、プレシアが研究室として使っている最深部か魔力を発している駆動炉の設置されている動力室ぐらいだ。

 

「油断するんじゃないよ。鬼ババ(プレシア)のことだから傀儡兵の一つや二つ、平気で出してくるかもしれないからね」

 

 立ち位置的にはプレシア側のアルフだが、なのはたちの敵というわけではない。

 むしろフェイトのことを一人の人間としてみている音石や、仗助たちに協力したいとすら考えている。

 フェイトをオーバーキル気味な魔法で撃墜したのを根に持っているため、なのはのことはイマイチ苦手に思っているが、少なくともアルフはプレシアの味方ではない。

 

「康一、スタンドを先行させて安全を確認してもらえるかな」

「てめーのスタンドなら、不意打ちは防げるんじゃねーのか?」

「無敵のスタンドなんて存在しない。どんな能力にだって弱点はあるよ」

 

 音石の発した疑問に顔を前に向けたままなのはが答える。

 エピタフは十数秒後までの未来を自由に連続で予知できるが、不用心に過信し過ぎるのは危険だということをなのはは(わきま)えていた。

 

 危機を探知して未来の映像をプロジェクターのように映し出すエピタフは、完全無欠の予知能力のように思えるが欠点がある。

 予知した結果はどんなことをしても覆すことはできず、映像として見るため誤認する可能性があるのだ。

 キング・クリムゾンの真価は二つの能力を利用して、結果を取捨選択することができる点にある。

 どちらか一方の能力だけではあまり役に立たないが、二つの能力が合わさることで無敵の防御性能を生み出しているのだ。

 

「ぼくが襲われそうになったらちゃんと守ってくださいよ」

 

 フェイトの指示を聞きながら『エコーズACT1(アクトワン)』が、なのはたちの通るルートを先行して警戒に当たる。

 康一のスタンド、エコーズには三つの形態が存在しており、音に関係する能力を使い分けることができる。

 その中でも最も射程距離が長い形態がエコーズACT1だ。

 

 パワーやスピードこそ大したことないが、本体から50メートルほど離れて行動できる機動力は、警戒に最も向いている。

 単純な射程距離ならチリ・ペッパーのほうが長いが、時の庭園の大部分は電力の供給が止められていたためスタンドを引っ込めて節電している。

 時の庭園の動力源は魔力素を燃料にして駆動する魔導炉だ。

 発生させているエネルギーは魔力だが管理世界の多くは電力に変換して使用している。

 エネルギー源としては優秀な魔力だが一般的な機械を動かすのには向いていないのだ。

 

 10メートルは軽くある扉を開けて吹き抜けの円型のホールを抜けた一同は、そのまま何事もなく玉座の間へと辿り着いてしまった。

 神経を尖らせて不意打ちに警戒していたなのはは、あまりの呆気なさに警戒心を高めていた。

 

「よく来たわね、高町なのは」

「そういうあなたはプレシア・テスタロッサ」

 

 先端に水晶のような飾りの付いた杖を手に持ったプレシアが、玉座に座ってなのはたちを出迎えた。

 感情のこもっていない冷たい声は、歓迎しているとはとても思えない。

 

「早速で悪いけれど、あなたの集めているジュエルシードが私には必要なのよ。譲ってくれないかしら」

「おまえの目的が分からないかぎり、ハイそうですかとは言えないな。ジュエルシードを欲している理由、話してもらおうか」

 

 なのはとプレシアが睨み合うと同時に、我の強い二人の間に不穏な空気が漂い始める。

 なにも話す気のないプレシアと、話を聞かなければ動く気のないなのはを例えるなら油と水。

 お互いに妥協する気が全くないため話し合いにすら発展しない。

 

「待って!」

 

 しびれを切らした二人が杖を構えて臨戦態勢に入ろうとしたが、フェイトが間に割り込んたことで戦闘には発展しなかった。

 

「あなたの仕事はもう終わったのよ」

 

 眉をひそめたプレシアが下がるようにフェイトに言い聞かせる。

 庇うように前に出たアルフの後ろでフェイトは縋るように声を出した。

 

「どうして、どうして母さんは本当のことを話してくれないの」

「……あなたはどこまでも私の期待を裏切るのね。いいわ、知りたいのなら教えてあげる」

 

 フェイトの悲痛な叫びを退屈そうな顔で聞いていたプレシアが手を掲げると、空中に巨大な映像が表示された。一同の視線が映像に釘付けになる。

 映っていたのは、液体で満たされた円柱型の容器の中で膝を抱えて浮かんでいるフェイトによく似た金髪の少女だった。

 

「フェイト、あなたはこの子の身代わりの人形にすぎないのよ」

「……え?」

 

 現実を受け入れられないで呆然としているフェイトに畳み掛けるようにプレシアがしゃべり続ける。

 

「せっかくアリシアの記憶をあげたのにそっくりなのは見た目だけ。役立たずでちっとも使えない私のお人形」

「まさか……フェイトはその子のクローンなのか!?」

「よく分かったわね。使い魔を超える人造生命の生成技術、そして死者蘇生の技術『プロジェクトF.A.T.E』の産物があなたなのよ、フェイト」

 

 ユーノの推測は当たっていた。

 地球においても遺伝子情報から人間のクローンを作り出す技術は存在するが、プレシアが作り上げた技術はそれをはるかに凌駕している。

 人工的に優れたリンカーコアを持つクローン体を生成して、予め取り出しておいた記憶を書き込む技術。

 それこそがプレシアの行っていた研究の正体だった。

 

「だけど駄目ね。ちっとも上手くいかなかった。作り物の命は所詮、作り物。失ったものの代わりにはならない。アリシアはもっと優しく笑ってくれたわ。アリシアは時々わがままも言ったけど、私の言うことをよく聞いてくれた」

「……黙れ。てめーにフェイトのなにがわかるってんだ」

 

 怒りのあまり、音石はスタンドで殴りかかっていた。

 しかし、見えない壁に阻まれ攻撃はプレシアには届かない。

 スタンドによる攻撃を気にすることもなく、プレシアは映しだされているアリシアの顔を撫でるように手を動かしながら口を動かし続ける。

 

「アリシアはいつでも私に優しかった……フェイト、あなたはやっぱりアリシアの偽物よ。せっかくあげたアリシアの記憶もあなたじゃ駄目だった」

「その口を閉じろって言ってんのが聞こえねえのかッ! レッド・ホット・チリ・ペッパーッ!」

 

 チリ・ペッパーから迸る金色の電光がプレシアに向かって突き刺さる。

 しかし、電気を地面に逸らされてしまい攻撃は一向に通らない。

 電気を失い赤茶けた錆色に変色していったチリ・ペッパーは、姿を保てなくなり音石の元に戻った。

 

「アリシアを蘇らせるまでの間に私が慰みに使うだけのお人形。あなたはもう用済みなのよ」

 

 俯いて涙を流すフェイトをアルフが黙って抱きしめる。

 アルフの形相は怒りの色に染まっており、今にも噛み付きそうなほどの殺気をプレシアに向けている。

 

「私はこの場にある十個と海の七個のジュエルシードを集めてアルハザードに行く。そしてアリシアとの時間を取り戻すのよ」

「忘れられし都、アルハザード。伝承でしか残っていない伝説の都市が実在するわけがない」

 

 ロストロギア発掘を仕事としているユーノは、考古学的な知識としてアルハザードを知っていた。

 だが、実在していたという確たる証拠は未だに見つかってはいない。

 卓越した技術と魔法文化を持ち、辿り着けばありとあらゆる望みが叶う理想郷(ユートピア)としての噂がひとり歩きしているに過ぎないのだ。

 

「アルハザードへの道は次元の狭間にある。時間と空間が砕かれる時、その狭間に滑落してゆく輝き。道は確かにそこにある」

「まさか……あなたは故意に次元断層を引き起こすつもりなのか! そんなことをすれば、地球や周辺の世界がどうなるかわかっているのかッ!」

 

 次元断層とは高次元における災害レベルの異常事態の一つだ。

 プレシアは高い魔力を秘めたジュエルシードを同時に暴走させて、次元空間に亀裂を作り虚数空間を剥き出しにしようとしているのだ。

 

「そんなものどうでもいい。アリシアが生き返るのなら世界を敵に回したって構わない。最後にいいことを教えてあげるわ、フェイト。あなたを創りだしてからずっと私はあなたのことが──」

「キング・クリムゾン」

 

 プレシアの最後の一言がフェイトの耳に届くことはなかった。

 宮殿に一度飲み込まれれば、いかなる言葉であろうと虚空に消え去る。

 デバイスをカノンモードに切り替えたなのはは、プレシアの頭上に回り込み魔力を集束させる。

 それに合わせて四つの循環魔法陣がレイジングハートを取り巻く。

 普通ならば砲撃魔法は発射時間の兼ね合いから、中距離以上で運用しなければならない。

 だが、発射までの時間を無視することの出来るなのはには、距離を取る必要など一切なかった。

 

《Divine Buster》

 

 強力なバリア貫通能力を持った直射型砲撃魔法がプレシアを飲み込む。

 循環魔法陣で増大・加速された桜色の魔力の柱は、フェイトに放たれた時よりも力強く突き進む。

 

 時間が吹き飛んだことを察知したプレシアは即座になのはのいる方向に手を掲げ、事前に準備されていた不可視の防御魔法を発動させた。

 駆動炉の膨大な魔力で練り上げられた魔法を前に、ディバインバスターは拮抗を続けたが貫くまでには至らなかった。

 

「あなたのスタンド能力はお見通しよ。単純な力技では私に攻撃は届かない。未来が見えたとしても意味はない。さあ、どうするのかしら」

「我がキング・クリムゾンの能力を暴いた程度で図に乗るんじゃあない」

 

 レイジングハートを槍のように構えて魔力刃を展開したなのはが、プレシアに刃を突き立てる。

 魔力と魔力がせめぎ合うことで紫電が飛び散るが、やはり防御魔法を突破するには火力が足りない。

 

 だが、なのはの狙いは魔法による拮抗ではない。

 スタンドが見えていないプレシアの背後に、キング・クリムゾンを回りこませて意識を刈り取るのが目的だ。

 

 プレシアの展開している防御魔法は耐久度に優れるシールドタイプ。

 ドーム状のバリアとは違い指定した部分しか防御はできない。

 キング・クリムゾンが拳を振りかぶったそのとき、プレシアがその場から姿を消した。

 魔力と設備に物を言わせた短距離転移魔法で攻撃を回避したのだ。

 

「馬鹿な! あれは完全に死角からの攻撃だったぞッ!」

「まさか……プレシアもスタンド使いなのか!?」

「いいえ、私はスタンド使いではないわ。攻撃を見破った正体はこれよ」

 

 戦況をうかがっていた露伴と康一は驚愕を隠せないでいた。

 そんな二人に見せつけるようにプレシアが出したのは、紫色の球体だった。

 

「スタンドはスタンド使いにしか見えない。そしてスタンドでしかダメージを与えられない。

 けれど攻撃するときは物理的に干渉するのでしょう? この部屋のあらゆる動きはサーチャーが監視して解析しているのよ。

 攻撃する際に引き裂かれる空気の動きも、私には手に取るようにわかる」

 

 スタンドは物体をすり抜けることができるが、攻撃するときは本体の意思で物質に干渉させなければならない。

 非スタンド使いでもスタンドに触れられた感覚はわかるのだ。

 レポートに記されていたスタンドの特性を利用して、プレシアは対スタンド用の防御魔法を用意していた。

 時の庭園の限られた場所でしか運用できず、プレシアにしか使いこなせない専用の魔法だが、その効果は絶大だった。

 

「母さん」

 

 アルフによって戦いに巻き込まれないように後方に下げられたフェイトが、弱々しい声色でプレシアに呼びかける。しかし返事は返ってこない。

 フェイトが虐げられても頑なにプレシアのことを信じ続けていたのは、認めてもらいたかったからだ。

 自分のことを娘と認めて、そして記憶の中にしか残っていない優しい笑みを取り戻して欲しかったからだった。

 

 フェイトの生きがいはただそれだけだった。

 プレシアしか知らないフェイトにとって、生きる意味などそれしかないと今まで思っていた。

 だが今のフェイトはもう独りではない。

 フェイトのことを認めて、本気で怒ってくれる人がいる。

 言葉では語らないが、フェイトの心が傷つかないように守ってくれた人がいる。

 

「行くよ、バルディッシュ」

《yes sir.》

 

 こぼれ落ちた涙を手で拭いながらフェイトは立ち上がった。

 母親に認めてもらうためではなく、母親の間違いを正すためにフェイトはバルディッシュを握りしめた。

 

「アルフ、アキラ……私は母さんを止めたい。そのために力を貸して欲しいんだ」

「あたしはフェイトの使い魔だ。フェイトが望むならどんなことでも手伝うよ」

「丁度、あのババアをぶん殴りてえと思ってたところだ。電気さえあれば、何度だって立ち向かってやるぜ」

 

 フェイトの電気に変換された魔力で充電を済ませたチリ・ペッパーと、手のひらに拳を打ち合わし気合いを入れたアルフがプレシアに立ち向かう。

 先陣を切って近づいたフェイトがプレシアに斬りかかった。

 

「母さん、私はあなたの娘だ。だから、あなたが間違いを犯す前に私が止めさせてもらいます」

「……どうやら小娘共々、再起不能にされたいようね」

 

 フェイトの裏切りを予想していたかのように、プレシアは動揺することなく迎撃のために杖を高らかに構えて魔法陣を作り上げた。

 それはフェイトがなのはに対して使ったフォトンランサー・ファランクスシフトと全く同じ構成の魔法陣だった。



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決戦は時の庭園でなの その③

 足元に広がった魔法陣の回転速度が増すにつれて、プレシアの周りに紫色の球体が数を増やしていく。

 瞬く間にフェイトのフォトンランサー・ファランクスシフトと同じ三十八のフォトンスフィアが展開され、駆動炉から膨大な魔力が流れ込む。

 

 フェイトの時のように即席で組まれたわけではなく、あらかじめ用意されていた術式は詠唱を用いずに完成しようとしていた。

 ファランクスシフトの発動を止めるべく先陣を切ったのはフェイトたちだ。

 人間形態で拳を突き出したアルフがプレシアに攻撃を繰り出した。

 当然のごとく攻撃は防御魔法に阻まれるが、アルフは不敵な笑みを浮かべている。

 

「バリアブレイクッ!」

 

 その掛け声にあわせてプレシアの防壁に僅かな亀裂が走る。

 アルフの得意技であるバリアブレイクは確実に効果が現れている。

 だが亀裂は広がることなくシールドの構成も崩れていない。

 

 防御魔法の術式に魔力で割り込みをかけて破壊するバリアブレイクには、相手の魔力が膨大であればあるほど、破壊に時間がかかるという弱点があった。

 使い魔にすぎないアルフでは亀裂を入れるので精一杯だったのだ。

 

 しかし、バリアブレイクが通用しないのは百も承知だ。

 亀裂が入ったことを確認したアルフがフェイトに念話を送り、すかさず後ろに飛び退く。

 それを見越してアルフの背後からバルディッシュを大鎌の形態に切り替えたフェイトが、短距離高速移動魔法のブリッツアクションで加速しながら魔力刃をバリアの亀裂に突き立てた。

 

 一瞬見失ってしまう程の速度で放たれた渾身の一撃は、反動でデバイスを取り落としてしまいそうなほどの威力があったが、それでもバリアを破壊するには威力が足りない。

 魔力刃の先端がバリアを貫き顔を見せただけで、プレシアに攻撃は届かなかった。

 

「悪あがきはよしなさい。ファランクスシフトが完成するまでにバリアを破るのは不可能よ」

「バリアは壊せないかもしれない。でも攻撃を届かせることはできる!」

 

 フェイトの掛け声が合図となり、魔力変換資質により電気を帯びている魔力刃から不自然な火花が飛び出した。

 そこから現れた小型の恐竜のような形をした電気の塊が、プレシアに強烈なボディーブローを叩き込む。

 

 とっさのことで反応に遅れたプレシアは攻撃を逸らすことができず、チリ・ペッパーの一撃を躱せなかった。

 チリ・ペッパーが完全な状態ではなかったことと、バリアジャケット越しだったのでダメージはそこまで受けていないが、プレシアの口元から血液が僅かに滴り落ちる。

 一瞬、フェイトがプレシアの苦痛に歪む表情に気を取られたが、バルディッシュを強く握りしめて必死に堪える。

 

 その様子を後方で露伴とともに見ていた音石が、一撃で仕留め切れなかったことに舌打ちを漏らす。

 魔力刃からの不意打ちは一度も見せていない隠し技だったのでプレシアに通用したが、二度目は通用しないだろう。

 

「目に見えない攻撃は厄介ね。それならこれはどうかしら」

 

 二撃目を叩き込もうと腕を振りかぶったが、チリ・ペッパーの拳はプレシアに当たることなく空を切った。

 どこかに転移したのかと、なのはたちが周囲を見渡すがどこにもプレシアの姿は見当たらない。

 不自然に思っていたなのはにエピタフが少し先の様子を映像として伝えた。

 

 予知されている未来になのはは目を疑った。

 そこに映っていたのは地面にひれ伏している仲間たちと、バインドで身動きの取れないフェイトとユーノ、そして風景に溶け込むように浮遊しているプレシアと対峙しているなのはの姿だった。

 エピタフは起こりうる事象を、肉眼よりも高い解像度で確認することができる。

 本来なら見えないはずのプレシアを捉えられたのはそれが理由だった。

 

 エピタフには未来を見た上で時を飛ばさずに行動した状態が映し出される。

 味方が捕まっている状況はどんな行動をしたとしても、時を飛ばさなければ打開できないのだ。

 なのはは咄嗟に近くにいたユーノとフェイトの腰をスタンドで掴み大声で叫んだ。

 

「プレシアは透明になってる! 不意打ちに気をつけて!」

 

 なのはの言葉に反応した康一たちが警戒を高める。

 それとともにキング・クリムゾンの能力が発動した。

 宮殿に取り込まれたものは本来の動きをなぞるように無意識に行動する。

 そしてなのはは宮殿内のものに触れることはできないが、あらかじめ触れていたものなら動かすことができる。

 

 なのはとしても不本意だったが、全員を守りきれないことは前もって理解していた。

 キング・クリムゾンは自分の身を守ることに特化した能力であり、その真価が活かされるのは一対一、もしくは一対多数の戦闘に限られる。

 以前のなのは──ディアボロとは精神性がかなり異なるとはいえ、スタンドの能力が変化するほど精神的に別人になっているわけではないのだ。

 

「透明になれる魔法に心当たりはある?」

《幻術魔法にオプティックハイドという魔法があります。魔力の流れからプレシアは転移魔法と併用して使用していると推測します》

 

 見えざる攻撃の正体はオプティックハイドという幻術魔法の一種だった。

 術者と接触した相手を光学スクリーンで包み込み不可視になる魔法だが、激しい動きに弱く維持するには膨大な魔力が必要となる。

 

 プレシアは時の庭園を動かしている動力源の大型駆動炉により供給されている魔力を利用して、これらの魔法を連発している。

 大魔導師としての類まれなる魔力操作技術により実現されている離れ業だ。

 

「対抗策は何かあるかな」

《術式の解析ができれば無効化は可能ですが、戦闘中に行うのは不可能でしょう。攻撃魔法を使用した際に狙うのが最も有効な策です》

 

 レイジングハートの説明に耳を傾けながら、なのはは砲撃魔法を撃つ構えをとった。

 予知によりプレシアが現れる地点の予測はついている。プレシアが魔法を使うよりも早く、いるであろう地点を予想して照準を合わせる。

 

(透明になる魔法か……リゾットを思い出すが、体の内側から攻撃されるよりはマシだな)

 

 パッショーネに在籍していた暗殺部隊のリーダーとの戦闘時に身を持って味わった、鉄分を操作する凶悪なスタンドを思い出しながら、なのはは引き金を引いて魔力を解放した。

 

《Divine Buster》

 

 牽制で使うには威力と魔力の消費が大きすぎるが、今のなのはに使いこなせる攻撃魔法は数種類しかない。

 スターライトブレイカーはプレシアの立ち位置では味方を巻き込んでしまうため、消去法でディバインバスターが選択された。

 

 康一たちの頭上を掠めるように発射された桜色の光線が、プレシアに当たる瞬間に宮殿が解除される。

 色彩が戻った世界に広がる魔力の余波に耐えるため、地面にしがみつくように康一、露伴、アルフ、音石の四人が倒れこんだ。

 

 しかし、一度目と同じくディバインバスターはプレシアのバリアによって防がれる。

 プレシアは攻撃する前から居場所がバレていたことに一瞬目を見開いたが、予め予想していたのか取り乱すことなく冷静さを保っている。

 結果的にフェイトとユーノがバインドに捕まることはなかったが、それ以外はエピタフの予知通りになった。

 康一たちが無事なことを確認したなのはは、心のなかで安堵の溜息を漏らした。

 

「幻術魔法でも未来予知を掻い潜るのは難しいようね。けれどそう何度も足手まといを庇うことができるかしら?」

「そういうおまえは随分と顔色が悪いな。体調が悪いのなら大人しく降参したらどうだ?」

「私はアルハザードで全てをやり直す。アリシアを蘇らせるためなら命だって惜しくないわ」

 

 病的なほど青白い肌をしているプレシアが口を抑えて咳き込むと、手のひらにべっとりと鮮血が張り付いた。

 チリ・ペッパーによる一撃と度重なる魔法の乱用によりプレシアの体は悲鳴を上げていた。

 想像を絶する痛みに苛まれているにもかかわらず、プレシアは平然とした表情でなのはに睨みを効かせている。

 

「奇跡が起きて死んだ人間が生き返ったとしても、生前と同じとはかぎらない。あなたの娘がいつ死んだのかはわからないけど、過ぎ去った時間は決して戻りはしないんだよ」

「十年も生きていないような小娘が分かったような口を利くなッ!」

 

 射殺すような敵意ではなく哀れみの込められたなのはの言葉に怒りをあらわとしたプレシアが、杖の切っ先を突きつけた。

 紫色の魔力光が集まり12個の誘導弾が形成され、稲妻のような鋭角な機動でなのはに迫る。

 前後左右、ありとあらゆる角度からフォトンランサーに勝るとも劣らない速度で飛来する攻撃は、なのは一人では到底防ぎきれない物量だった。

 時を飛ばして避けるにしても、数呼吸おかなくては宮殿を展開することは出来ない。

 

「なのは、ここは僕に任せて魔力を温存するんだ」

 

 せめて正面からの攻撃だけでも防ごうと、プロテクションを発動しようとしたなのはをユーノが止める。

 魔力量でこそユーノはなのはに劣るが、防御魔法のバリエーションと堅牢さでは優っている。

 それでもデータだけ見た人間ならば、魔導師ランク換算では総合Aランクのユーノが、条件付きSSランクのプレシアと渡り合えるはずがないと思うだろうが、それは違う。

 彼のランクが控えめな理由は攻撃魔法が不得手だからであり、結界魔導師としての力量は非常に優れている。

 特に結界やバリア系魔法の知識はプレシアを上回っているのだ。

 

「サークルプロテクション!」

 

 ユーノを起点としてなのはとフェイトを包み込むように現れた高速で回転する半球状のバリアは、魔力に物を言わせているプレシアのバリアとは設計思想からして異なるものだった。

 一般的な理論で組まれたプレシアの術式は汎用性に優れてるが、専用に組まれたわけではない。

 良くも悪くも普遍的なミッドチルダ式魔法なのだ。

 

 一方、ユーノが使った魔法は見かけこそサークルプロテクションと変わりがないが、内部の構成は彼に合わせてかなりのチューニングが施されている。

 一発一発がAAランク相当の威力の魔弾がなのはを貫くために、怒涛の勢いでバリアの魔力を削ろうと飛来する。

 

 しかし、誘導弾にはバリア貫通などといった属性が付与されていなかった。

 砲撃魔法に匹敵する魔力が込められた弾丸ならば、そのような術式は必要ないだろうと高をくくっていたのだ。

 若草色のバリアと菖蒲(しょうぶ)色の誘導弾がぶつかり合う。

 ろくに魔力も込められていない半端なバリアなどすぐに貫けるとプレシアは確信していた。

 

 だが、一秒、二秒と時間が流れ、十秒が経ってもバリアは砕けない。

 ついに推進剤代わりの魔力が無くなった誘導弾は、地面に逸らすように受け流され本来の威力を発揮することなく消え去った。

 まさかの展開に焦りの色を顔に浮かべながら、プレシアは再びオプティックハイドを発動させて姿を隠す。

 

 プレシアは一流の研究者だが戦闘技能が格段に優れているわけではない。

 駆動炉から供給される魔力と、人並み外れた処理能力(マルチタスク)を駆使して圧倒してるだけで、戦闘に慣れているわけではない。

 プレシアに残ってる理性が、僅かながらに危機感を覚え始めていた。

 

『ありがとう、ユーノ。あの攻撃、よく防ぐことができたね』

『魔力を逸らせたからなんとかなったけど、あれが砲撃や広域魔法だったら危なかったよ』

 

 ユーノがプレシアの魔法を防ぎきれた理由は彼の出自にある。

 スクライア一族にはそれなりの数の魔導師がいるが、その大半が結界魔導師だ。

 それは遺跡に残されたロストロギアや防御機構の強力な攻撃から身を守る為に、自然と格上の相手の攻撃を処理する技術が磨かれてきたからだった。

 

 それでも限界はある。

 プレシアの攻撃が砲撃魔法だった場合、ユーノはプレシアの膨大な魔力に押し負けていた。

 広域魔法だったとしても、なのはとフェイトを除く仲間たちが餌食となっていただろう。

 

(どうしてプレシアは高威力の魔法を使わないんだ。あれだけ魔力があるなら範囲の広い魔法で薙ぎ払えばいいだろうに)

 

 森での戦いが終わった直後、プレシアは次元を跳躍させた広域攻撃魔法をなのはとフェイトに目掛けて使っている。部屋全体を攻撃できるサンダーレイジならば、電力を吸収できるチリ・ペッパーでも防ぎきれない範囲を攻撃できる。

 少なくとも康一と露伴を無力化できるにもかかわらず、プレシアがあえて準備に多少の時間がかかるファランクスシフトを選択したのが釈然としなかった。

 

(それにプレシアが二種類の回避法をとる理由がわからない。わたしや音石のスタンド攻撃には転移、魔法攻撃にはバリアを使うのには、なにか理由があるはずだ)

 

 転移魔法で回避できるのなら、最初から攻撃を受け止める必要などない。

 身体的な負荷を抑えるために緊急時しか使用しないのかと考えたが、捨て身の覚悟で戦っているプレシアが保身に走るとは、なのはには思えなかった。

 音石やアルフの攻撃はともかく、ディバインバスターは真っ向から受け止めるのよりも、転移でなのはの後ろに回り込んだ方が確実に消費が少ない。

 それなのにプレシアは二度にわたってディバインバスターをバリアで防いだ。

 

 それはまるで、何かを巻き込まないようにしながら戦っているような不可解な動きだった。

 狂気と信念で突き動かされているプレシアが守っているものなど一つしかない。

 確信に近いが念の為になのはは、時の庭園の構造を最もよく知るフェイトに念話で問いかけた。

 

『フェイト、あの奥の部屋になにがあるかわかる?』

『ごめん、母さんから絶対に入るなって言われてて入ったことがないんだ』

『やっぱりわたしの予想通りってことか……ん?』

『……え?』

 

 玉座の奥の半開きの扉をスタンドで注視していると、扉の隙間から誰かが様子をうかがっているのが見えた。

 金色の髪と赤い瞳だけしかなのはからは確認できないが、頭の高さはなのはやフェイトよりも10センチメートルほど低い。

 

 なのはの予想が正しければ、あの部屋にはプレシアが生き返らせようとしているアリシアという少女が安置されているはずである。

 フェイトのクローン元なのだから髪の色は金髪で目の色が赤なのは確実だろう。

 スタンド使いは幽霊が見える。スタンド自体がオカルトであり前世の経験を覚えているなのはも、別の世界の幽霊を見るというのは初めてだった。

 ちらりと康一たちの方になのはが視線を向けると、三人とも奥の扉に釘付けになっていた。

 

(……面倒なことになったな)

 

 なによりもなのはの頭を悩ませたのは、フェイトが幽霊となったアリシアを目視できていることだった。

 魂の繋がりが強い場合はスタンド使いでなくとも幽霊が見えることがあるが、フェイトの場合もそれに当てはまっていた。

 

 このせいでアリシアの遺体を利用してプレシアを出し抜こうと思っていたなのはの計画は、一から練り直しとなった。

 頭を掻きむしりたくなる気持ちを抑えながら、なのはは次なる作戦を伝えるためにスタンドで三人に話しかけた。



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決戦は時の庭園でなの その④

 なのはたちの目線が扉ではなく自分に向けられていることに気がついたアリシアが、扉をすり抜けて白いワンピース姿を晒した。

 遠目から見ると生きているようにしか見えないが、物をすり抜けるという物理的に不可能な動きから、彼女が実体を持っていないのは明らかだった。

 

「露伴先生、あの子って……」

「あの容姿からして彼女がプレシアの娘、アリシアだろうな。死んでいることは会話から察していたが、まさか幽霊になっていたとは」

「どうやらフェイトも見えてるみたいだが、どうしてプレシアには見えてないんだ?」

「ぼくは霊媒師じゃあないから推測でしかないが、恐らくは心理的なものなんだろう。ヘブンズ・ドアーでプレシアに命令を書き込めば、見えるようになるかもしれないな」

 

 音石の疑問に憶測だが露伴が答えた。

 スタンド使いが幽霊を見ることができる理由ははっきりとは分かっていないが、SPW財団の研究では魂の繋がりを感じられることが関係しているのではないかとされている。

 

 スタンド使いの中には、血のつながりの深い相手の居場所を第六感で感じ取れる者がいる。

 ディアボロにはトリッシュ・ウナという娘がいたが、彼女も魂の繋がりから父親が近くにいることを察することが可能だった。

 アリシアのクローンであるフェイトが彼女の姿を見ることができるのも、魂が強く繋がっているからだった。

 プレシアも本来なら見えているはずだったが、愛する愛娘を失った失意とアリシアが死んだことを認めようとしない思いからか、目が曇ってしまっていた。

 

「あなたが、アリシアなの……?」

「フェイト、行くなッ!」

 

 蚊の鳴くような声でアリシアの名前を呟いたフェイトは、なのはの制止を無視して扉に向かって駆け出していた。

 フェイトの心は、数年前のフェイトと瓜二つの姿をした少女の正体を確かめたいという気持ちで埋め尽くされていた。

 今にも泣き出しそうな表情で見つめてくるアリシアに、フェイトは言い知れぬ何かを感じていた。

 

 偽りの記憶を除く数年間の生活で一度も感じなかった感情の正体が、フェイトには分からない。

 他者との繋がりの薄いフェイトには理解できない感情の正体、それは嫉妬だった。

 大好きな母親の愛情を死してなお一身に受けているアリシアのことがフェイトは許せなかったのだ。

 

「避けてっ!」

 

 アリシアが立っている場所まであと一歩というところまで迫ったフェイトの耳に、どこかで聞いたことのある声が飛び込んできた。幼い少女のような高い声にフェイトは聞き覚えがあった。

 どこで聞いたのかと思考を巡らすうちに、フェイトはなのはと戦っているときの映像で流れていた自分の声を思い出した。その声の正体は目の前で泣くのを堪えているアリシアだった。

 そのとき、フェイトの体が背中から何者かに突き飛ばされた。いきなりのことでバランスを取れずに尻もちをついてしまったフェイトの目に、紫色の魔力刃に胸元を貫かれた少女の姿が飛び込んできた。

 

「なの、は……?」

 

 魔力刃が非殺傷だったのはプレシアに残された最後の良心からだろうか。

 深々と魔力刃が突き刺さっているにもかかわらず、なのはの胸元からは血液がまったく流れでていない。

 しかし、実際には死んだほうがマシな痛みがなのはの体を襲っていた。

 

 非殺傷設定の魔法には物理的には肉体を傷つけず、神経を誤認させることで脳に痛みを伝えたり、相手の魔力を削り取ることで体力を消費させたりする術式が組み込まれている。

 魔力が込められれば込められるほど痛みが増し、場合によっては失神することも珍しくない。

 

「馬鹿な小娘ね。人形を(かば)って身代わりになるだなんて、なにを考えているのかしら」

 

 なんの反応も返さずぐったりと地面に倒れこんでいるなのはをプレシアがあざ笑う。

 なのはが身に纏っていたバリアジャケットは解除され、力が抜けたのかレイジングハートを手放してしまっていた。

 最も厄介な相手を処理できたことに気を良くしたプレシアが、魔力刃を引き抜こうとデバイスに力を入れる。

 しかし、どれだけ力を込めて引張っても、空中に固定されたかのようにデバイスはびくともしない。

 

「いいや、マヌケはおまえのほうだ。捕まえたぞ、プレシア・テスタロッサ」

 

 なのはが味わったのは常人ならば気絶するであろう激痛だった。

 だが、レクイエムによる数えきれないほどの死の経験を、今でもトラウマとして夢の中で味わっているなのはにとって死にそうな痛みなど、どうってことは無かった。

 僅かに涙を流しているのは反射的なものだ。決してやせ我慢をしているわけではない。

 

 気絶していたはずのなのはが声を発したことに、プレシアは危機感を覚えた。

 このままではマズイと判断したプレシアはすかさず杖を手放し、サーチャー類に割り振っていたマルチタスクを転移魔法に回して逃げようとした。

 しかし逃げ切るよりも先に、鈍い音を立ててプレシアの右足がキング・クリムゾンにへし折られた。

 体を蝕む死の病とは異なる痛みに顔を顰めるが、プレシアは歯を食いしばりつつ飛行魔法で浮かびながら転移魔法の詠唱を続ける。

 

 だがしかし、いかに高ランクの魔導師といえどデバイスを通さない詠唱には数秒の時間がかかる。

 あらかじめスタンドによって作戦を伝えられていた康一は、スタンドの有効射程に収めるために距離を詰めていたのだ。

 感情に身を任せ、プレシアが選択を誤るであろう絶妙なタイミングに合わせて、康一は全力でスタンド能力をプレシアに叩き込んだ。

 

「『エコーズ (スリー) FREEZE(フリーズ)!!』」

 

 エコーズの第三形態、エコーズACT3(アクトスリー)の触れたものを重くする能力がプレシアの体を襲う。

 ACT3とプレシアの距離は僅か三十センチ。人一人がコンクリートで舗装された道路にめり込むほどの重力が、プレシアの体を大地に縛り付けた。

 飛行すらままならずに地面にひれ伏したプレシアに、バリアジャケットを展開し終えたなのはが魔力刃を展開したレイジングハートの切っ先とキング・クリムゾンの手刀を突きつける。

 そして魔力刃でプレシアの意識を刈り取ろうと腕を動かすが、刃が到達するよりも速くフェイトとアリシアがなのはの前に飛び出してきた。

 

「母さん!」

「ママ!」

 

 今までの無理がたたったのか、それとも康一の攻撃がトドメを刺したのか、プレシアは目線だけで人を殺せそうなほどの眼力でなのはを睨みつけている。

 すでにエコーズACT3の能力が解除されているにもかかわらず魔法を使う様子は見られなかった。

 

 口からは止めどなくドス黒い血液が流れでており、プレシアの体は限界に近いようで、デバイスも破壊され駆動炉の魔力を操作することすら難しい。

 頭部を強打したのか頭からは血が滴り落ちており、骨が折られたことにより右足は紫色に変色している。

 フェイトは既にプレシアの痛みを少しでも和らげようと(つたな)い回復魔法をかけ始めており、アリシアはなのはを親の敵を見るような目(むしろ親の敵そのものである)で威嚇している。

 どうしたものかと困り顔でなのはがプレシアとその娘たちを眺めていると、プレシアの側頭部の辺りから銀色のなにかが飛び出していることに気がついた。

 

「……これは?」

「ママに近寄らないでっ!」

 

 両手を左右に広げたアリシアが通らせまいと邪魔をするが、キング・クリムゾンで両脇を掴まれて持ち上げられた。

 幽霊には何通りかのタイプがあるが、アリシアの場合は見えている相手には触れることができるタイプだったようだ。

 

 じたばたと暴れているアリシアを無視しながらなのはがプレシアの頭部を触れると、直径十五センチほどの銀色の円盤がこぼれ落ちた。

 真ん中には穴が開いており、CDやレコードのように見えるが絵や文字はなにも書かれておらず、硬さを確かめようと両手で触れるとゴムのようにぐにゃりと曲がった。

 

「もしかしてこれもロストロギアの一種、じゃあないよね」

《魔力の痕跡が一切感じられません。ロストロギアである可能性は非常に低いでしょう。念の為に格納領域に保管しておきます》

 

 レイジングハートの内部にある魔法によって作られた特殊な空間に銀色の円盤を格納したなのはは、プレシアの雰囲気が少しだけ変わっていることに気がついた。

 敵意や狂気は以前と変わらず感じるのだが、なにがなんでもアルハザードに行こうとしていた気迫がすっかり消え失せていた。

 

「私を管理局に突き出したいのなら好きにしなさい。もうアリシアのいない世界で生きるのは疲れたわ」

「アルハザードに行ってアリシアを蘇らせるんじゃなかったのか? 随分と簡単に諦めるんだな」

 

 会話の主導権を握るために挑発とも取れる発言をかましたなのはに対するプレシアの反応は、頭の残念な人間を見るような目だった。

 

「なにを言っているの? 魔法が無効化される虚数空間に飛び込むだなんて自殺行為じゃない。それとも小娘、あなたの世界には虚数空間を航行する技術があるとでも言うのかしら」

「え? いや、でもさっきと言ってることが違うというか、とりあえずその馬鹿を見るような目をやめて。そもそもあなたがアルハザードに行くって言い始めたんだよ」

「あら、責任転嫁するのは良くないわね。そんな非現実的な手段を私が選ぶわけ──どうして私はジュエルシードをフェイトに集めさせたのかしら……」

 

 あまりにも急変したプレシアの態度に思わず素のしゃべり方に戻ってしまったなのはだが、原因には心当たりがあった。

 先ほどプレシアの頭部から出てきた銀色の円盤が、プレシアの物事の優先度を操作していたのだろうと推測した。

 このプレシアの反応は、ヘブンズ・ドアーに命令を書き込まれた人間が能力を解除された後の行動によく似ていたからだ。

 

(となると、あのDISC(ディスク)には頭に差し込まれることで行動が制限、もしくは命令通りにしか動けなくなる能力があるのか? もう一度プレシアに差し込めば効果が分かるだろうが、後で露伴に頼んで記憶を読んだほうが確実だな)

 

 なのはを馬鹿にするような態度で軽口を叩いているがプレシアはかなりの重症だ。

 口からは血だまりができるほどではないがそれなりの量の血液が流れでており、咳き込むだけで口から血が出るほど内蔵が弱っている。

 

 仗助ならイメージできる範囲で治療することはできるが、病気まで治すことはできない。

 もっとも杜王町には体の不調や病気を治すことのできるスタンド使いがいるため、大抵の怪我と病気が治せるという環境が整っている。

 

「はぁ……この話は後回しにしようか。あなたはアリシアが幽霊として目の前にいるって言われたら信じる?」

「証拠はあるのかしら」

「てっきり激怒するものだと思っていたけど、意外と冷静なんだね。あの部屋に近寄ろうとしただけで、わたしに接近戦を挑んだくせに」

「言ったでしょう、もう疲れたって。20年もの歳月をかけた研究でもアリシアを生き返らせることができなかった。もう一度アリシアの声が聞けるのなら、悪魔に魂を売ったっていいわ」

 

 本当に悪魔がいたら魂を売り渡しそうな勢いでなのはに食って掛かるプレシア。

 鬼気迫る表情で足を引きずりながら近寄ってくるプレシアの姿は、さながらホラー映画に出てくるゾンビのようだった。

 

「そこの変なヘアバンドを着けた男のスタンド能力なら、見えるように出来るかもしれないよ」

「外見と中身が釣り合ってない奴に言われたくはないが、ぼくのスタンド能力はある程度の無茶ならどうにかできる。どうなるかはわからないが、せっかくだから君たちにも『幽霊が見えるようになる』と書き込んでみるか」

 

 無論、書き込むのはユーノくんに任せるよと付け加えられ、やっぱりかと肩を落としながらも人のいいユーノは断りきれずに了承した。

 ついでに何が書かれてるかちょこっとだけでもいいから読んでくれと露伴に頼まれたが、ユーノは僕の仕事は命令を書き込むだけだと言い切りスッパリと断る。

 とても残念そうな表情を浮かべながらも、内心で絶対にミッドチルダ語を覚えてやろうと決心した露伴であった。

 そしてプレシア、アルフ、ユーノの三人が了承したのを確認した露伴は、素早く指先を動かしてヘブンズ・ドアーを発動させた。



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これにて一件落着なの? その①

「ママ、わたしの姿が見える? わたしの声が聴こえる?」

「ええ、見えるわ……聞こえるわ。アリシア……私のかわいいアリシア……」

 

 ヘブンズ・ドアーの『幽霊が知覚できるようになる』という命令により、露伴の予想通りプレシアたちの目にアリシアの姿が知覚できるようになった。

 スタンド能力の強度は精神力が大きく影響している。『自分なら絶対できる』『死んでも食らいついてやる』という意思が、能力を高めたり解除されにくくする要因となっている。

 過去に露伴は『時速70キロの速度で後ろに吹っ飛ぶ』や『僅かな時間でイタリア語を完全にマスターさせる』などといった物理的に不可能なはずの命令を、実際に実行させている。

 確定された運命を変えることはできないが、幽霊を見えるようにすることなどヘブンズ・ドアーにとっては造作もない。

 

「感動の再会を邪魔するようで悪いが、どういう経緯があってこうなったのか話してもらうぞ。ヘブンズ・ドアーで直接読んでもいいが、過去に土足で踏み込まれるのは嫌だろう?」

 

 なのはは敵意こそ見せていないが、警戒心を途切れさせていない。

 無粋な行動だということはなのはも理解しているが、プレシアの処分をどうするべきか検討するために二人の会話に割って入った。

 

「……分かったわ」

 

 露骨に嫌そうな顔をしながらもプレシアは了承した。

 どうやら過去を話すのが嫌なわけではなく、アリシアとの再会の瞬間を邪魔されたのが嫌だったようだ。

 飛行魔法の応用で折れた足を固定しつつ玉座に腰掛けたプレシアは、アリシアを膝の上に座らせながら過去のあらましをなのはたちに話し始めた。

 

 

 

 

 

 今から26年前、プレシアは第一管理世界『ミッドチルダ』に設立されている中央技術開発局という組織に勤めていた。

 若くして第三局長の地位に就いており、次元航行用の魔法エネルギー駆動炉開発プロジェクトのリーダーを兼任していた。

 プレシアは仕事のスケジュールが詰まっていたこともあり非常に多忙な日々を送っていた。

 娘のアリシアを施設の敷地内にある自宅に預け、出来る限り会えるように心がけていたのだが、当時の彼女はその選択が間違いだったことに気がつけなかった。

 

 開発も中盤に差し掛かった最中、プレシアの元に上司から人事異動の通達が届けられた。

 アレクトロ社の技術者の派遣、そして新たに設計された駆動炉の開発命令にプレシアは異議を唱えた。

 届けられた資料の数字だけを見れば、プレシアの設計していた駆動炉よりも出力は大幅に向上しているものの、理論に致命的な穴があり安定的に稼働できるとは思えないシロモノを受理するわけにはいかなかったのだ。

 

 しかし、プロジェクトの決定権はあくまで上層部にある。

 プレシアは局長という地位に就いているが、それほど高い権限は与えられていなかった。

 高い成果を上げているものの研究者としては若手の域を出ないプレシアに、上層部は最低限の権限しか与えていなかったのだ。

 

 それでもプレシアは安全な駆動炉に仕上げるために尽力した。

 刻一刻と迫る開発期間に間に合わせるために、身を粉にして改良を続けた。

 開発終了まで三ヶ月、このままのペースなら万全な状態に仕上げられる所までこぎ着けたプレシアの元に、新たな通達が届けられた。

 

 それは開発期間の短縮を命ずる通達だった。

 必死にプレシアは止めようとするも、上層部の判断は覆らず完成を待たずして、派遣された技術者たちにより実験が行われた。

 その結果、駆動炉が暴走を起こし実験は失敗に終わった。

 高濃度の魔力素が施設に撒き散らされ、郊外に位置していた研究所は閉鎖に追い込まれた。

 駆動炉付近にいた研究者たちはプレシアの魔法により事なきを得たが、関係者たちに多大な被害の出た大惨事となった。

 

 アリシアの死因は、撒布された高濃度の魔力素をリンカーコアで取り込んだことによるショック死だった。

 特殊な培養液に漬けられることで生命活動こそ維持されていたが、現代の医療技術では意識レベルの低下を回復させることは不可能なため死亡と認定された。

 

 愛娘を自らの研究により失ったプレシアは、失意に暮れたまま流されるように別の研究施設に移ることとなる。

 実験失敗の責任は彼女の上司が取らされたが、責任者の立場上、左遷は避けられなかった。

 

 それから数年、未だに立ち直れずにいるプレシアの元に一通の通信が入った。

 何をするでもなく、生ける屍のように無意味に生きていたプレシアが行方不明になる数日前のことだった。

 連絡者の名前は、ジェイル・スカリエッティ。広域次元犯罪者として管理局に指名手配されている生体研究を主に取り扱っている科学者で、プレシアとは縁もゆかりもない人物だ。

 

 彼はプレシアに、とある研究を引き継がないかと持ちかけてきた。

 それこそが記憶転写型クローンを作り出す研究『プロジェクトF.A.T.E』だ。

 畑違いの研究にプレシアは難色を示したが、アリシアを蘇らせられる可能性にかけてスカリエッティの研究を引き継ぐことにした。

 それからというもの、プレシアは時の庭園に引きこもり研究を始めた。

 

 クローン技術は違法とされている。

 プレシアはスカリエッティ独自の裏のルートで資材を集めながら、着々と研究を進めていった。

 身も心も削りながら寝る間も惜しんで研究を続けるプレシアの体は、研究に使っている薬品や疲労から次第に弱っていった。

 

 10年以上の研究の結果、プレシアはアリシアの記憶を持ったクローンの作成に成功した。

 だが、完成したクローンは不完全な記憶しか持っておらず、利き手や魔力資質、魔力光がアリシアとは異なるものになってしまっていた。

 人造魔導師の研究としては成功だが、プレシアが望んでいたのはアリシアの蘇生だ。

 数をこなせばいずれは完璧なクローンが出来るのかもしれないという考えがプレシアの脳裏に過ったが、その考えを実行には移さなかった。

 

 アリシアと同じ姿形のクローンを量産して、失敗作ならゴミのように処分できるほどプレシアの心は狂ってはいなかったのだ。

 プレシアはクローンによる蘇生を諦め、別の手段を探し始めた。

 

 しかし、プレシアの専門はあくまで魔力エネルギー関連だ。

 そこでプロジェクトFの研究成果を渡す代わりに、プレシアは死者の蘇生手段をスカリエッティに探させた。

 しばらくの期間を置いてスカリエッティが提案したのは、伝承とされているアルハザードの地を目指してみてはどうかというものだった。

 プレシアはその提案を自分でも不思議なほど自然と受け入れていた。

 

 不完全なアリシアのクローンの世話を任せるために、プレシアはアリシアのペットだった山猫のリニスの遺体を使い魔にした。

 理由としては病気の進行により動きまわるのが厳しいのもあったが、アリシアと似ているようでどこか違うクローンをプレシアは直視することが出来なかったのが大きい。

 まるで自分の努力が否定されたかのような気持ちに陥ったプレシアは、クローンの自分の名前に関する記憶を書き換えた。

 そしてプロジェクト名からクローンのことをフェイトと呼ぶようになった。

 

 次第に進行する病の苦痛とアルハザードの手がかりが見つからないことから、プレシアの精神は徐々に狂っていった。

 そしてフェイトに必要以上に冷たく当たったり、癇癪を起こすような日々が増えていった。

 

 フェイトの教育が完了してプレシアがリニスとの契約を解除してからしばらく経った頃、スカリエッティからの通信が届いた。

 その内容はジュエルシードという高魔力結晶体を暴走させることで、アルハザードへの道を開くというものだった。

 病により余命いくばくもない状態のプレシアは、その計画を受け入れてフェイトにジュエルシードを集めさせるために地球に向かわせた。

 ジュエルシードに関する情報や地球での潜伏場所、現地の紙幣などは全てスカリエッティがあらかじめ準備しており、プレシアは一切関与していない。

 スカリエッティにいいように利用されているのは分かっていたが、プレシアには時間が残っていない。

 この機会を逃せば二度とチャンスはやって来ないだろうと思ったプレシアは、焦る気持ちを抑えながらジュエルシードが集まるのを待つことにした。

 

 

 

 

 

「その後の流れはあなたたちの知る通りね。ああ、小娘のスタンド能力はスカリエッティからの連絡で知っただけよ。もう私には必要のないものだからあなたに渡しておくわ」

 

 一頻り話し終えたプレシアは、虚空からストレージデバイスを取り出しなのはに投げ渡す。渡された内容を確認するためレイジングハートに内部データを移させたなのはは、そのまま空中に内容を投映させた。

 

《ミッドチルダ語に訳されているようですが、本来の形式のレポートも含まれているようです。そちらを表示いたします》

「これは、まさか……」

 

 その内容に、なのはは目を見開いた。本体名、スタンド名、大まかな性能、能力等の情報とともに資料に記されているロゴマークは見覚えのあるものだったからだ。

 車のホイールキャップのような円形のロゴ、そして上半分の外周に沿うようにアルファベットで記された『SPEED WAGON』の羅列。

 なのはも目にするのは初めてだったが、それはSPW財団の極秘資料だった。

 

 なのはは過去に承太郎を通して大まかなスタンド能力をSPW財団にバラしてある。

 時を飛ばせる長さやエピタフの詳細な能力などといった細かい点は伝えていないが、時を飛ばす能力と未来が見える能力は資料として残っているのだ。

 厳重な警備が為されているはずのSPW財団からスタンドに関する資料が盗み出されていたことに驚きを覚えながら、なのはは情報の出処であるスカリエッティが何者なのか気になっていた。

 

(プレシアの話によると、多岐にわたる罪状で指名手配されている犯罪者らしいが、思っていたよりも大事(おおごと)になっているようだな。……どうしてわたしばかり面倒事に巻き込まれるんだ)

 

 複雑に絡み合った事態になのはは頭を悩ませていた。

 SPW財団との繋がりが薄い康一たちとは違い、なのははそれなりの関係を築いているため、厄介事を持ち込まれることがある。

 最近は平穏な日々を過ごせていただけに、ここに来て超弩級の厄介事が舞い降りてきた運の悪さに、なのははうなだれてしまった。

 

「でも、その話を聞くかぎりアリシアちゃんは目が覚めないだけで、まだ生きてるってことだよね。だったら仗助くんのスタンドで体を治して、ジョルノのスタンドで生命エネルギーを注ぎ込んだら、どうにかなったりするかも」

「その話、詳しく聞かせてもらえるかしら」

 

 膝に座らせたアリシアの頭を撫でていたプレシアが、康一の何気ない一言に食いついた。

 康一の口走ったジョルノという男の本名は汐華(しおばな)初流乃(はるの)

 日本人とイギリス人のハーフだがイタリアで生活しているため、名前をもじってジョルノ・ジョバァーナと呼ばれている。

 康一とジョルノが知り合ったのは今から二年ほど前、承太郎からの依頼でイタリアに(おもむ)いたときのことだ。

 当初は荷物をスられたりもしたが、その後に意外な再会を果たして友好を結んでいる。

 

 その名を聞いたなのはが顔を強張らせた。彼女にとってジョルノの名はトラウマになっている。なにせ前世で永遠に死に続ける羽目となった張本人がジョルノなのである。

 この世界でもジョルノはパッショーネのボスの座に就いており、なのはもそのことは知っている。問題は過去からの因縁を断ち切るために、ジョルノと接触してしまったことだ。

 紆余曲折を経て、ジョルノたちになのはが別の世界のディアボロということが判明して以来、パッショーネの相談役として定期的にやりとりをする約束を取り交わしてしまっている。

 その当時、ジョルノは十五歳、なのはは七歳である。史上最年少のボスと相談役が誕生した瞬間だった。

 

「いや、ぼくよりも詳しい人があそこに……」

 

 プレシアの剣幕に押された康一がなのはを指さす。

 肝心のなのはは静かに笑いながら、何やらブツブツと独り言を呟いていた。

 

「消したつもりでも……『過去』というものは、人間の真の平和をがんじがらめにする。もうパッショーネとは関わりたくないって言ったのに……ジョルノの奴、足元見やがって……」

「な、なのは?」

 

 なのはの様子がおかしいことに気がついたユーノが声を掛けるが返事は返ってこない。

 最初は日本語で喋っていたが次第にイタリア語が混ざり始め、最終的に聞くに堪えない罵詈雑言(ばりぞうごん)ばかりになっていた。

 プレシアはアリシア、アルフはフェイトの両耳に手を当てて聞こえないようにしている。

 

 翻訳魔法で聞き取れるユーノは、普段のなのはからは想像がつかないチンピラのような言葉遣いに絶句していた。

 イタリア語を理解できる康一と露伴は、過去に何度か口が悪くなる姿を見たことがあるのか平然としている。

 思いつく限りの汚い言葉を言い終え満足したなのはが正気に戻ると、隣に立っていたはずのユーノが5メートルほど距離を開けていることに気がついた。

 アルフやプレシアは可哀想なものを見るような目でなのはを見ている。

 

「え、えーと……仗助は知っての通りものを治すスタンド使いで、ジョルノは無機物を生き物にしたり生命エネルギーを注ぎ込むことが可能だ。康一の言うとおり、魂さえあるのならどうにかなるかもしれないな」

「対価ならいくらでも出す。私の命が欲しいのならそれでも構わない。アリシアが人としてもう一度生きれるなら、どんな願いでも聞き受けるわ」

 

 膝に座っていたアリシアを地面に降ろしたプレシアが頭を下げた。

 なのはは鼻で笑いながら、ぶっきらぼうな態度で言葉を返した。

 

「そんなもの必要ないし、確実に蘇生できるともかぎらない。それに今すぐジョルノを呼ぶこともできないぞ」

「なにか呼べない理由があるのかしら」

「片桐安十郎というスタンド使いがジュエルシードを付け狙っている。妙に動きが少ないのが気になるが──」

 

 言葉の途中で地面が大きく揺れた。次元の海に浮かんでいる時の庭園が揺れる原因など一つしかない。

 プレシアが地球に放っておいたサーチャーの一つを使い、地上の様子を映しだす。

 

 そこに映っていたのは海上に渦巻く九本の巨大な水の柱と、その中に取り込まれている九つのジュエルシードだった。

 共鳴を起こしているジュエルシードから発せられる魔力は、時の庭園からでも感じ取れるほどの威圧感を出している。

 次元震を通り越して次元断層が起きそうな状況を作り出している者の正体が、サーチャーを通してモニターに映しだされる。

 両手を空に掲げて高笑いしているアンジェロの姿を見て、なのはは小さく舌打ちをした。



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これにて一件落着なの? その②

 狙い定めたかのようなタイミングで引き起こされたアンジェロの凶行を止めるべく、すでに現場には仗助と億泰、高町家の面々が集まって応戦しているが戦況は芳しくない。

 水を巻き上げながら海沿いの倉庫街に向かって叩きつけられる巨大な竜巻は、空間を削り取る億泰のザ・ハンドですら範囲が足りずほとんど意味を成していない。

 仗助は周辺に散らばっているコンテナを一度壊して治すことで、中にアクア・ネックレスを閉じ込めようとしているが、海の水と一体化した相手ではとてもではないが追いつきそうにない。

 

「仕方がないわね」

 

 いつの間にか予備のデバイスを手にしていたプレシアが軽く杖を振ると、玉座の間の中心に魔法陣が展開された。

 映しだされている映像の先にも同じ魔法陣が見えていることから、転移魔法であることがうかがえる。

 

「早く行きなさい。ゆっくりしていたら、あなたたちの世界が無くなるかもしれないわよ」

 

 玉座の肘掛けで頬杖をつきながら、プレシアが命令口調でなのはたちを急かす。

 小さく頭を下げた後に、なのはは躊躇せず魔法陣に飛び込んだ。その背中を追うように康一たちも次々と魔法陣に足を踏み入れ、玉座の間にはプレシア、アリシア、フェイト、アルフの四人が取り残された。

 

 プレシアと魔法陣を交互に見つめながらフェイトはどうするべきか悩んでいた。

 音石やなのはを手伝いに地球に戻るか、体調の優れないプレシアに治癒魔法をかけ続けるか、フェイトは選びきれないでいた。

 アルフは何も言わずにフェイトの決断を待っている。

 心情的にはいけ好かないプレシアのもとよりも、なのはたちの援護に行きたいがアルフにとっての至上はあくまでフェイトだ。

 

「フェイトはどうしたいの?」

 

 沈黙を打ち破ったのは意外にもアリシアだった。

 いきなり名前を呼ばれたことに驚いたフェイトは、ぴくりと肩を震わせた後に泳いでいた視線をアリシアに向けた。

 ゆっくりとした足取りで近寄ってきたアリシアは、フェイトの手を握り笑みを浮かべた。

 

「ママが心配なのは分かるけど、今はもっとやるべきことがあるでしょ? 大丈夫、ママにはわたしから無理をしないように言っておくから」

 

 そんなことは理解している。プレシアの容態はすでに安定していた。

 次元跳躍魔法こそ難しいが、自力で治癒魔法を使って回復することも可能な程度は回復しているのだ。

 それでもフェイトはこの場から離れたくなかった。

 

 心の奥底に渦巻く負の感情が、アリシアに話しかけられたことで次第に増していく。

 怒りでもなければ恨みでもない。

 なのは達を助けに行っている間に、最愛の母を本当の娘に取られてしまうのではないかという不安から、フェイトは自分がどうするべきなのか分からなくなっていた。

 

「わたしはママを独り占めするつもりはないよ」

 

 心の中を見透かしたかのような発言にフェイトは息を呑んだ。

 アリシアは握っていた手を離して、背伸びをしながらフェイトの頭を優しく撫で始めた。

 その手つきはフェイトの持っているアリシアの記憶の、優しかった頃のプレシアに撫でられた時の感覚によく似ていた。

 

「ママ、わたしとピクニックに出かけたとき、約束したこと覚えてる?」

「……ええ、覚えているわ。誕生日のプレゼントに妹が欲しいと言っていたわね」

 

 プレシアの仕事が本格的に忙しくなる少し前、ミッドチルダ郊外の白い花が咲き誇る草原で交わした約束。

 狂気と失意に囚われ忘れ去られていたプレシアの記憶が、アリシアの言葉とともに蘇った。

 

「そう、フェイトはわたしの妹でママの娘なんだよ。少なくともわたしにとってはね」

「私が……アリシアの妹……」

 

 フェイトはアリシアの遺伝子と記憶から生み出されたクローン体だ。

 それでもアリシアは本心からフェイトのことを妹だと言ってのけた。

 嘘偽りのない本心からの言葉に、フェイトの心の中にあった不安感が少しだけ和らいだ。

 

 アリシアの言葉を聞いたプレシアは難しそうな顔をしたまま何も喋らない。

 プレシアはアリシアの言いたいことを理解したがゆえに、なにも言えなくなってしまっていた。

 

「いつかフェイトとこうしてお話するのがわたしの夢だったんだ。それとお願いがあるんだけど……わたしのことを、お姉ちゃんって呼んでくれないかな」

 

 頭を撫でていた手を離して語り始めたアリシアの願い。

 それはフェイトが生まれてから胸に秘め続けていた思いだ。

 アリシアは事故当時から幽霊となってプレシアの行動を見続けていた。

 

 アリシアの死に嘆いているとき、クローン技術に手を染めようと決意したとき、フェイトが生まれたとき、フェイトがアリシアとは違うと分かったとき、常にアリシアはプレシアを見続けた。

 それが何もできない自分にできる唯一のことだったから。

 

 誰の目にも映らず物に触れることすら叶わないアリシアの小さな願い。

 それがフェイトにお姉ちゃんと呼んでもらうことだった。

 今でこそ二人ともアリシアの姿を視認できるが、プレシアは狂気に囚われていたことで、フェイトは自分以外に娘などいないという先入観からか、当時は認識することが出来ていなかった。

 アルフは薄々、アリシアの存在に感づいていたがハッキリと姿を見ることまでは出来なかった。

 

「え、ええと、その、ね、姉さん……?」

 

 フェイトはアリシアの唐突な申し出に、初々しくはにかみながら答えた。

 何故か疑問形になっていて呼び方も若干変わっていたが些細な違いだ。

 願いどおりの言葉を聞けて満足したアリシアは、地上の戦況が映っているモニターを左手で指さした。

 

「ほんとうはもっといっぱいお話ししたいんだけど、そんな時間もなさそうだから最後に一つだけ……ママは態度に表さないけど、フェイトのこともちゃんと愛してるはずだよ。

 今すぐには本心を見せてくれないだろうけど、いつかきっとフェイトのことをフェイトとして認めてくれる」

 

 プレシアに聞こえないように耳元に手を当てて呟かれたアリシアの一言。

 それは暗にフェイトがアリシアの代用品では無いということを示している。

 

「ありがとう、姉さん」

 

 負の感情が収まったわけではないが、フェイトはいつの間にか落ち着きを取り戻していた。

 待機状態にさせていたバルディッシュを起動したフェイトは、力強い足取りで魔法陣に向かって歩みだした。

 

「行くからには必ず帰って来なさい」

 

 魔法陣に入る直前、プレシアがあまり大きくない声量でそっけなくフェイトに声をかけた。

 激励とは思えない感情の篭っていない声だったが、思ってもみない言葉に思わずフェイトは振り返って返事を返した。

 

「はい、母さん!」

「……あなたが無事に帰ってこなかったらアリシアが悲しむと思っただけよ」

 

 咲き誇らんばかりの笑みを浮かべながら転移の光の中に消えていったフェイトと追従していったアルフを見届けたプレシアは、モニターに視線を移しながらこれまでのフェイトに対しての仕打ちを思い返していた。

 

(私はいつも気づくのが遅すぎる……でも、今回だけは間に合った。フェイト、ちゃんと帰って来なさい)

 

 魔法陣から飛び出してなのはを援護するフェイトを見ながら、プレシアは心の中でフェイトの身を案じていた。

 

 

 

 

 

 海上での戦闘は熾烈を極めていた。

 単純なジュエルシードの暴走ならば、バインドで縛り上げれば手間はかかっても封印が可能なのだが、スタンドと一体化した竜巻は並大抵の攻撃ではビクともしない。

 

 以前と比べて格段に威力と数の増したウォーターカッターが、なのはの体を貫かんと発射される。

 エピタフで攻撃の軌道を先読みして、回避できない結果が見えた場合は時を飛ばして躱しているので被弾こそしていないが、防戦一方の状況に陥っていた。

 アンジェロの狙いはジュエルシードのようで、他の魔導師には目もくれずになのはばかりを執拗に攻撃している。

 その隙にユーノがチェーンバインドで竜巻を縛り上げようとしているが、手数が足りず捕縛しきれないでいた。

 

「クケカカカカカカカッ! 逃げまわったところで無駄だぜェ~~~!」

 

 海上に立っているアンジェロが指揮者のように腕を振ると、それに合わせて竜巻が自在に動く。

 それを難なく躱しながらレイジングハートをカノンモードに変形させたなのはが、照準をアンジェロに合わせ時を吹き飛ばす。

 

 なのはを飲み込まんと迫り来る高層ビル並みの長さを持った竜巻を悠々と避けながら、現状で最も威力の高い魔法を放つため魔法陣を展開する。

 自身と周囲の魔力を収束させ、方向性を付けて加速させる砲撃魔法、スターライトブレイカーは放つためにある程度の時間が必要となる。

 そのときのコンディションによるがキング・クリムゾンが吹き飛ばせる時間は十秒前後、長くても15秒程しか飛ばすことができない。

 魔法を使いながらの能力行使では10秒にも満たないだろう。その限られた時間でできたのは、アンジェロの攻撃を完全に回避してスターライトブレイカーのチャージを終えるところまでだった。

 

「力に溺れている割には妙に悪知恵の働くヤツだ。……時は再始動する」

 

 アンジェロは継続的な攻撃でなのはを一定の場所に留まらせず、時を飛ばしても接近できない距離を保っている。

 数回に渡る時飛ばしを実際に見たことで、アンジェロはなのはの飛行速度とキング・クリムゾンの有効時間を完全に把握していた。

 砲撃魔法主体のなのはにとっては戦いやすい距離ではあるものの、今回に限ってはそうもいかない。

 アンジェロの繰り出すウォーターカッターがなのはを侵攻を阻み、時を飛ばしてその場で砲撃魔法を撃たせないように竜巻が継続的に付け狙ってくるのだ。

 

「ウププッ! クケッ! 何度試しても無駄だってのが分からねえのか? てめーのチンケなスタンドと魔法じゃあ、おれのアクア・ネックレスは破れねんだよッ!」

 

 数本の竜巻が崩れ去り、その代わりに現れた巨大な水の防壁に阻まれスターライトブレイカーはアンジェロには届かない。

 プレシアの堅牢な防御魔法とは違い、質量と魔力で防ぐアンジェロの戦い方は、なのはを倒すために練られたものだった。

 防御に回していた水の壁が無くなると、水を巻き上げながら竜巻が巻き上がる。

 

 これまでになのはは二発のディバインバスターと一発のスターライトブレイカーを撃ちこんでいるが、結果は何度試しても同じだった。

 何度も同じような攻撃を試しながら、なのははアンジェロのスタンド能力の欠点を探していた。

 

(何度か試して分かったが、アンジェロはジュエルシードを持っていないヤツに攻撃する気は無いようだ。ジュエルシードに取り込まれたことでスタンド能力が変化した代わりに、正気を失っているようだな)

 

 ジュエルシードに取り込まれているアンジェロのスタンドは、能力の本質から変化していた。

 本来はスタンドを水に潜り込ませる物質操作型のスタンドだったのだが、現在は水を操る群体型スタンドに近い能力となっている。

 

(だが、ヤツにも操れる限界はある筈だ。スタンドと一体化している竜巻の動きをバインドで封じれば、防御に割くリソースも減るはずだが……)

 

 遅れてくることを見越しているフェイトとアルフを合わせても、魔法を扱える人物は四人しかいない。

 プレシアが手を貸せば頭数は増えるが、激しい戦闘を行えるほど容態が安定しているわけではない。

 なのはが攻撃に当たるとして、残りの三人で竜巻を固定することは難しいだろう。

 

 だからといって相手が自爆するのを待つわけにもいかなかった。

 共振を起こしているジュエルシードの影響で次第に揺れは強まっており、このままでは一時間もすれば次元断層が引き起こされてしまうのは目に見えている。

 

『ごめん、遅くなった』

 

 考えを巡らせているなのはの元にフェイトからの念話が届いた。

 回避行動を取りながらスタンドの視界で周囲を見渡すと、ユーノが飛んでいる付近にフェイトとアルフがいるのを確認した。

 

『忙しいから手短に言うけど、フェイトたちはあの竜巻の動きを止めて欲しい。あれを止めないと本体に魔法が届かないんだ』

 

 残った魔力でなのはが使える魔法はスターライトブレイカー1発程度だ。

 プレシアとの戦いで手痛い一撃を受けているため、扱える残存魔力があまり残っていないのだ。

 痛がる素振りは見せていないが、体には魔力刃が突き刺さったことによるダメージが残っている。

 

 精神はレクイエムの経験により痛みを受けることには慣れているが、幼い体は連戦により限界が近かった。

 このままのペースでスタンド能力を使いながら戦うのは無理だと、体が悲鳴を上げている。

 

「だんだん動きが鈍くなってるようだなあ~~~。限界が近いってんなら一撃で楽にしてやってもいいんだぜ」

 

 言葉を返す余裕も無く攻撃をかわし続けているなのはだが、アンジェロの言うとおり動きにキレがなくなってきている。

 数十分も連続してスタンド能力を乱用しながら空を飛ぶという行動は、思った以上の疲労を蓄積させていた。

 

 そしてついに一発のウォーターカッターがなのはの肩に突き刺さった。

 キング・クリムゾンの回避能力に合わせて、バリアジャケットに割く魔力を減らしていたのが仇となってしまった。

 

「勝ったッ! てめーを竜巻で粉みじんに引き裂いてジュエルシードを奪い取ってやるぜッ! ウプププッ! ウププッ!」

「おっと、そいつは困るな」

 

 衝撃で体勢を崩しかけたなのはの真下から一本の竜巻がせり上がる。

 しかし、それよりも早く、赤茶けた魔力で形成されたロープバインドがなのはの腰に巻きつき、空中に引き上げられた。

 

 全員の目線が空中に釘付けとなる。

 暴れ狂う竜巻を取り囲むようにいつの間にか、三十人以上の人間がどこからともなく現れたからだ。

 その大半は同じような服装をしているが、二人だけ他とは異なる防護服を身に纏っている。

 

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。これよりロストロギア、ジュエルシードの封印作業を開始する。民間協力者及び現地協力者は安全圏まで撤退してくれ」

 

 その内の一人、全身黒ずくめの黒髪の少年、クロノ・ハラオウンがユーノたちに後ろに下がるように命じる。

 その横でなのはを助けたカウボーイのような出で立ちの男、マウンテン・ティムが西部劇に出てくる回転式拳銃のような形のデバイスを構えた。

 

「痛むだろうが我慢してくれよ、お嬢さん。封印が終わったら医務室に連れて行ってやるからな」

「なんなんだ、てめーらはよォォォ! いい気になってるヤツはおれのスタンドでブチのめしてやるッ!」

 

 余裕の態度を見せているM・ティムとは裏腹に、アンジェロは突然の乱入者に対して怒り狂っていた。

 怒りの感情に反応してジュエルシードから発せられる魔力が更に増大する。

 勢いを増した九つの竜巻がクロノとM・ティム、武装隊員たちに襲いかかった。



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これにて一件落着なの? その③

『総員、捕縛魔法を(もち)いて動きを封じろ』

 

 総勢三十名にのぼる武装局員に念話を通じてM・ティムから指令が下され、多種多様のバインドが暴れ狂う竜巻を封じ込めようと飛来する。

 捕縛魔法に特化しているユーノと比べると束縛力に劣っているが、数が揃えばそれを補うことは容易である。

 

 とっさにスタンドを解除するよりも早くバインドが竜巻を空間に固定する。

 続けざまに暴走したジュエルシードを封印するため、クロノがデバイスをかざしながら封印魔法の準備を進めていた。

 この場の管理局員の中で、単純な魔力量が最も多いのはクロノであるため、この選択は妥当だった。

 

「ヒ、ヒヒ! ヒヒヒヒヒ! この程度で勝った気になってるんじゃあねえ!」

 

 問題があるとしたら、それはクロノたちがアンジェロを甘く見ていたことだ。

 人間が次元干渉型ロストロギアに取り込まれ、暴走するケース自体はそれほど珍しくはない。

 

 また、ジュエルシードそのものがロストロギアとしてはあまり危険性が高くない。

 少なくとも普通ならば、武装局員一個小隊とニアSランクの執務官二名がいれば苦もなく封印できるのだ。

 

 しかし相手は知性のない化物や竜巻という現象ではない。

 本家本元のギャングですら吐き気を催す邪悪と評価するほどの凶悪犯罪者であり、IQ160という極めて高い知能指数を持った一種の天才なのだ。

 その才能は誤った方面に使われており、ジュエルシードに取り込まれたことで思考はいつも以上に愚鈍なものになっているが、戦いの才能は少しも鈍ってはいない。

 

(音石のように電気に変化させるならまだしも、水と同化したスタンドがバインドから逃れる手段は無いはずだ。ならばあの自信はなんだ……ッ!?)

 

 いつまでも抱き上げているM・ティムの手を引き剥がしながら思考していたなのはの眼前に、起こりうる未来の映像が映しだされる。

 前髪がスクリーン代わりとなり投影される映像の長さは極僅かだが、なにが起こるかは容易に予想できた。

 

『今すぐこの場を離れろ! できるだけ上空に逃げるんだッ!』

 

 無差別に放たれたなのはの念話が、その場に居た魔導師たちに響き渡る。

 エピタフのことを知っているなのはの仲間たちは、咄嗟に意味を理解して上空へと撤退し始めた。

 だが、武装局員たちはそうとはいかない。一介の民間協力者の忠告が真実であるかどうか判断できずにいたのだ。

 

 それでもクロノとM・ティムは、なのはの警告を注意深く受け入れていた。

 転移魔法で移動できる範囲に辿り着くまでの間、アースラのブリッジで戦いの様子を観戦していた二人は、なのはの危機回避能力の高さをよく理解している。

 

 その正体がエピタフとスタンドにより高められた動体視力による結果だということまでは知らないが、クロノは魔導師としてM・ティムはスタンド使いとしてなのはのことを高く評価しているのだ。

 彼女がここまで言うのならば何かあるのではないかという考えが二人の執務官の脳裏をよぎる。

 ここは一つ彼女の考えに乗ってみようかとM・ティムが念話で命令しようとした瞬間、アンジェロの周りを取り囲むように膨大な魔力が膨れ上がった。

 

『総員退避──いや、全力で防御しろッ!』

 

 逃げる時間が残っていないと判断したM・ティムの号令に従い、武装局員たちが各々に最大限の防御魔法を使い使い迫り来る攻撃に耐えようと行動した。

 膨れ上がる魔力が一個の塊に凝縮され、ジュエルシードの影響でアンジェロが得ていた魔力変換資質により多量の水に変換される。

 ただし変化したのは液体ではなく気体だった。

 

 アンジェロの魔力変換資質は本来のものと比べると本質からして異なる。

 フェイトの持っているような魔力変換資質は、術式を用いずに高効率で魔力を電気や氷、炎などといった物質に変換できる先天的な体質だが、アンジェロのそれはジュエルシードが擬似的に再現したものだ。

 水を操ることに特化しているアクア・ネックレスは気体に同化することも出来る。

 その影響と持ち前の発想力からアンジェロは魔力を意図的に気体に変化させる術を獲得していた。

 

 一瞬のうちに膨れ上がった多量の水蒸気が高温の熱波になってアンジェロから放たれる。

 当の本人は水と同化することで被害を防いでいるが武装局員たちまではそうもいかず、バインドの制御を手放して防御と姿勢制御に気を取られてしまった。

 高高度の飛行にも耐えうる性能を持っている防護服に包まれているため高温の水蒸気の影響はほとんど受けないが、視界が塞がれたことにより武装隊員たちは竜巻が再出現したことを探知できず、何人かの局員が竜巻に巻き上げられた。

 

 水蒸気爆発にて生じた白煙が消え去ると、すぐさまクロノは戦況を確認するため周囲を見渡した。

 局員の大半は乱雑なアンジェロの攻撃に巻き込まれたのか、息も途絶え途絶えに現状の報告を行っている。

 

 幸いにも重症を負った人間は一人もいなかったが、このまま戦闘を続行できる局員は両手で数えられるほどしか残っていない。

 もう一人の執務官と民間協力者、そしてその仲間たちが無事だったのが唯一の幸いだった。

 信じられない光景に顔をこわばらせていたクロノだが、すぐさまアースラに通信を飛ばし戦闘続行が不可能な局員を転移魔法で撤退させ始めた。

 その一方、M・ティムを宮殿に引きずり込みアンジェロの攻撃を上空に逃れることでかわし切ったなのはは、ユーノたちと合流して作戦を練っていた。

 

「あなたたちには、わたしがスターライトブレイカーを撃つまでの時間を稼いで欲しい。束縛と砲撃を同時にやればアイツの防御を打ち破れるはずだ」

「あの爆発を起こさせる前に本体を叩くということか。本来は民間人に任せるわけにはいかないが事は一刻を争う。負傷している君を頼るようで悪いが我々も協力させてもらおう」

 

 肩を撃ちぬかれた際の傷はすでにユーノによって治癒されているが、表面が塞がっているだけで無理は禁物である。

 しかし、この場で最も威力の高い魔法を使えるのは、希少技能(レアスキル)として『魔力集束』を保有しているなのはだった。

 魔力の放出・集束は特に優れており、制御においてはプレシアには劣るが光るものを持っている。

 圧縮・縮小が苦手なため魔力を固めるのには向いていないが、周囲に散らばった魔力を集める事に長けているなのはにとってスターライトブレイカーは正しく専用の魔法なのだ。

 

「民間人を危険な目に合わせるのは不本意だが、マウンテン・ティム執務官の言うとおり、僕たちだけでは手に負えない。どうか力を貸してくれないだろうか」

 

 負傷者の撤退を終わらせたクロノはM・ティムの回答に難色を示したが、切羽詰まった状況を前に四の五の言う暇はない。

 最初から手伝う気でいたユーノたちが頷くと同時に、全員がなのはを守るように散開した。

 

《マスターの体はすでに限界です。その状態で動ける精神力には感服いたします》

「スタンド使いにとってこの程度の怪我や疲労は問題ないよ。さあ、始めようか。レイジングハート!」

《All right, My master!》

 

 カノンモードに変形したレイジングハートを構えたなのはに、様々な色の魔力が集まり始める。

 それは武装隊員達の魔法の残照やジュエルシードから漏れでている魔力が元となっている。

 以前のスターライトブレイカーとは比べ物にならない量の魔力が集まり始めたことに感づいたアンジェロが、チャージを妨害するために竜巻をなのはにけしかけようと腕を振るう。

 

「てめーの相手はオレらが引き受けてるんでな。ロデオはオレの得意分野だぜ」

《Load Cartridge.》

 

 M・ティムの手に握られたリボルバー型のデバイスから女性の人工音声が流れ弾倉が二発分回転する。

 そして彼の足元にミッドチルダ式とは異なる三角形の魔法陣が現れた。

 頂点と中心に小さな円形の魔法陣が描かれた独特な形の魔法陣は、ミッドチルダ式とは全く異なる形式を持った魔法だった。

 

 トリガーを引くとともに現出した乾燥した荒野の土を思わせる色のロープバインドが三つの竜巻を縛り上げ、一切の身動きができないように空間に固定する。

 ジュエルシード三個分の魔力を含んだ塊の動きを封じれるほどM・ティムの魔力量は多くはない。

 単純な魔力量はユーノよりは多いもののクロノには劣る程度しか持っていないのだ。

 

 それを補っているのが先ほど装填した二発の弾丸だ。

 拳銃弾とほぼ同口径のそれに詰まっているのは無煙火薬ではなく魔力だ。

 弾頭を打ち出すためではなく魔力を術式に補充するための役割を持った弾丸と、装填するための機構を管理世界では一纏めにカートリッジシステムと呼んでいる。

 それに続くように若草色と夕焼け色のチェーンバインドが一本ずつ竜巻を縛り上げた。

 ユーノとアルフのバインドがそれぞれ一本の竜巻を担当し、残った竜巻もフェイトとクロノ、管理局員が手を回して動きを封じた。

 

「ば、馬鹿な、このおれが……こんなところで負けるはずが……」

「キサマのようなゲスには海の底がお似合いだ。もう一度、岩に戻って反省し直してこい」

《Starlight Breaker》

 

 集束された魔力が光の筋となってアンジェロの体を覆い包む。

 逃げようと足掻くアンジェロの抵抗むなしく、膨大な魔力の塊が海水を蒸発させ一時的に海上に大穴を開けた。

 モーゼの奇跡のごとく海底まで割れた海の底には、不細工な形状の岩が顔を見せていた。

 

 海上にポッカリと空いた穴が元に戻りアンジェロ岩が海中に飲み込まれたのを確認したなのはは、ジュエルシードをレイジングハートの格納領域に保管した。

 これでなのはの手元に19個、フェイトの手元に1個のジュエルシードが集まった。

 

「戦闘が終わったばかりで悪いが、君たちの事情を聞かせてもらいたい。ユーノ・スクライアの申告はこちらにも通っているが、現地協力者の話も詳しく聞かせて欲しいんだ。それと彼女は急いで医務室に連れて行ったほうがいいだろう」

 

 クロノの言う通り、青い顔でふらついた飛行をしているなのはが限界なのは、素人目から見ても明らかだった。

 ユーノとフェイトに支えられてなんとか空を漂っているが、体力と魔力はすでに底をつきかけている。

 唯一残っている精神力でなんとか意識を保っているが、それも限界が近い。

 

 うつらうつらとし始めた頭を必死に回転させながら、なのはは考えを巡らせていた。

 見る限り執務官と名乗っている二人に敵意は感じられず、罠にかけようとしているような姑息な相手ではないことも見て取れた。

 だが、M・ティムの視線がなのはは気になっていた。どんなに訓練していようとも、目に見えるものに反応しないでいることは難しい。

 上手くごまかしているようだが、M・ティムの目の動きはキング・クリムゾンを視界の端に入れていた。

 

(この男、マウンテン・ティムがどこの出身かはわからんが……どうやらスタンドが見えているようだ。矢で目覚めたのか、自然に使えるようになったのか……どちらにせよ、なにやらきな臭くなってきたな)

 

 積極的に入団試験と称してスタンド使いを量産していたパッショーネですらスタンド使いの比率はあまり高くはない。

 パッショーネ直属の構成員は千人にも満たなかったが、下部組織も合わせると数千人、関係者を含めたら数十万にも膨れ上がるほどの規模を持った組織にもかかわらずだ。

 

 時空管理局の規模がパッショーネとは比べ物にならないとはいえ、たまたま地球に来た次元航行船にスタンド使いが搭乗していたと思うほどなのはは楽観主義ではない。

 

「構わないよ。ただし何人か事情を知ってる人も同行してもらうけどいいかな?」

 

 しかしスタンド使いはスタンド使いと引かれ合う。M・ティムとの遭遇はスタンド使い故の奇妙な運命により導かれたという可能性も捨てきれない。

 悩んだ末になのはが出した結論は、最低限の関係者を引き連れてクロノたちに着いて行くという選択だった。



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これにて一件落着なの? その④

 艦長と二名の執務官による本格的な事情の聞き取りは、なのはの体調が回復するまで延期となった。

 アースラの医務室でリンカーコアの過剰使用と魔力ダメージの蓄積と診断されたなのはが、用意された個室のベッドに横になるなり意識を手放してしまったためだ。

 

 なのはと共にアースラに搭乗していたユーノとジュエルシードに関する事情をよく知っている恭也、未知のスタンド使いを警戒して同行している億泰の三名はベッドで小さく寝息を立てているなのはを見守っていた。

 フェイトとアルフは一度、時の庭園に帰った後にプレシアと共にアースラに搭乗する手筈となっている。

 

「こうして改めて見てみると、寝顔はそこら辺のガキと変わらねえよなあ」

 

 椅子に腰掛けて腕を組んでいる億泰がまじまじとなのはの寝顔を眺めながら、思っていることをぽつりと口にした。

 なのはと億泰は面識こそあるものの個人的な付き合いはあまりなく、イタリアンレストラン『トラサルディー』か翠屋、もしくは町中で時たま顔を合わせる程度の関係だ。

 むしろ不良と小学生にプライベートの付き合いがある方がおかしい。

 社会人なのに執拗になのはを取材している露伴は例外である。

 

 そんな億泰がなのはに対して持っているイメージは、天使の皮を被った悪魔で固定されている。

 見かけこそ少しだけ目付きが鋭い小学生だが、本性は裏社会を支配していたギャングのボスの生まれ変わりなのだ。

 今でこそ平常時は歳相応の言葉遣いと態度を見せているが、億泰が対面した当時は言葉では言い表せない不気味な雰囲気と凄みを漂わせている子供だった。

 

「なのはは僕と同年代のはずなのに随分としっかりしていますからね」

「おめーだって人のこと言えねーだろ。育った環境が違うってのはわかるが、異世界のガキはどいつもこいつもそんなに大人びてるもんなのか?」

「そんなことないですよ。自分で言うのもなんですが同年代の人たちと比べると、僕は落ち着いているほうでしたから」

 

 ユーノが知っている同年代の人間の中には多少大人びている者も居たが、基本的に地球と大差がない。

 魔法学院の修士課程を一年程度で終わらせて、部族の長に成人と同列に扱ってもらっているユーノが異例なのだ。

 

 そんなユーノからしてみても、なのはは精神的に成熟しているように見えた。

 日常と戦闘で別人のような二面性を見せるなのはが、ただの子供ではないことはユーノも薄々感づいている。

 初めて触れる力に対して極僅かな時間で落ち着きを取り戻す冷静さと、敵に対して微塵も物怖じしない度胸を管理外世界の一般的な子供が持っているとは思えない。

 

 最初はスタンド使いだからだと思っていたが、仗助や億泰、康一などと会話を交わす度にユーノは違和感を覚えていた。

 スタンド使いという点では彼らとなのはは同じなのだが、生きていた世界が違うような印象を受けたのだ。

 いまだに本心を見せてくれないなのはのことを考えながら、ユーノはレイジングハートを手に取り管理局に提出するための資料を纏めることにした。

 

 

 

 

 

 半日ほど経過して体力が回復したなのはは、クロノに先導され艦長が待っている一室に案内されていた。

 明かりの光をうっすらと反射しているリノリウムのような材質の暗緑色の床と、デザイン性よりも利便性に考慮された灰色の内壁から連想する印象は、SF映画に出てくる宇宙船というよりもホテルに近いものだった。

 

(もう少し機械的なものを想像していたが、どうやら管理局はわたしの予想よりも遥かに高度な技術を持っているようだ。火星の土すら踏めていないNASAの研究者が見たら腰を抜かすだろうな)

 

 現実味のわかない光景に感慨深い気持ちになっていると、道案内をしていたクロノが歩く速度をゆるめてなのはたちに目的地についたことを伝えた。

 クロノが入り口の正面に立つと、内装と同質の材質で作られたスライド式のドアが中央から左右に分かれ静かに開かれる。

 

 その先に広がっていた光景に、なのは、恭也、億泰の三人は思わず目を見開いた。

 無機質な部屋に植わっている桜の木と風も吹いていないのに舞い散る花びら、風流な音を打ち鳴らす鹿威し、段々畑のように流れ落ちる水、野点の際に用いられる野点傘と小道具が並ばられている。

 これで背景が日本庭園ならば違和感はなかったのだろうが、灰色の壁と巨大な窓から見える様々な色が揺らめく次元空間の風景がすべての雰囲気を台無しにしていた。

 

 そんな部屋の中央に敷かれた毛氈(もうせん)(と言うよりはただの赤いカーペットに見える)の上で五人の男女が座っていた。

 プレシアがリンディと向かい合うように座り、その隣にフェイト、後ろにアルフが控えている。リンディの隣にはM・ティムが胡座をかいており、アルフも正座がつらいのか足を崩していた。

 温和な笑みを浮かべているリンディとは対照的に、プレシアは無表情で話を進めている。だがプレシアの顔色は昨日までの半死人のような蒼白ではなく、かなり血色が良くなっていた。

 

 その原因は昨日の戦闘後、プレシアが杜王町に訪れていたことが関係している。

 アースラに搭乗する前になのはは、念話でプレシアに、電話で一人のスタンド使いに連絡を取っていた。

 その相手は行きつけのレストランの店主、トニオ・トラサルディーという男だ。

 

 トニオのスタンド、パール・ジャムには一切の戦闘能力がない。

 元来、争いとは無縁の性格をしている彼が望んでいたのは、故郷で待っている彼女の病を癒す力だった。

 その結果、彼は自分が作った料理にスタンドを潜り込ませ相手に食べさせることで、食べたものの体調や病を回復させるスタンド能力に目覚めた。

 

 常連客のなのはとは、イタリアとフランスでパティシエの修行をしていた桃子とトニオが顔見知りだったことと、共にイタリア語が話せることから個人的な交友を結んでいる。

 本来は早いうちに店を閉めてしまうのだが、なのはの頼みを快く引き受けたトニオは営業時間外にもかかわらず、店を開けておいてくれた。

 トニオが作った料理を食べれば病気が治るかも知れないとなのはに聞かされたときはプレシアも半信半疑だった。

 更にはフェイトはおろかアリシアも同伴させるなと念押しされていたのも気にかかっていた。

 その理由は実際に料理を実際に口にすることで明らかとなる。

 

 プレシアはいずれ死に至る病に侵されていたが、その病そのものは決して不治の病ではなく、適した治療さえ受ければ完治する病だ。

 あまりにも症状が進行しており合併症も現れていたが、幸いにもパール・ジャムで治せる範囲内だった。

 問題があるとすればパール・ジャムの能力で悪くなった部分が治る際の治り方が特殊な点にあった。

 目が疲れているのなら眼球がこぼれ落ち、虫歯が生えているのなら歯が銃弾のように飛び出し一瞬で生え変わり、腸の調子が悪ければ腹が裂け内臓が飛び出す。

 傷跡はおろか違和感すら感じずに綺麗に治るのだが、その光景がグロテスクすぎるため、なのははフェイトとアリシアを同伴させないように注意していたのだ。

 

『トニオさんの料理は美味しかった?』

『味は文句のつけようが無かったけれど、喉元から胸元まで体が裂けて内臓が出てくる料理なんて初めて食べたわ』

 

 開口一番になのはが念話で感想を聞くと、恨めしそうな声色でプレシアが返事を返した。

 相も変わらずそっけない女だと思いながら、なのははプレシアの隣に座り正面に座っている艦長と思わしき女性と向き合った。

 一見すると二十代半ばの若い女性だが、艦長という役職に就いていることから見かけどおりの年齢ではないだろうとなのはは推測した。

 隣に座っているプレシアも血色が良くなったおかげか外見だけなら三十代半ばに見えるため、管理世界の女性は外見で年齢を計ることができないというイメージがなのはの中に生まれていた。

 

「他の皆さんとは一度顔を合わしてみますが、改めて自己紹介させてもらいますね。初めまして、なのはさん。私がアースラの艦長を任されているリンディ・ハラオウンです」

「オレの名前はマウンテン・ティム。お嬢ちゃんの世界では馴染みがないかもしれないが、執務官という役職に就いている。大層な役職名だが、要するに融通の聞く便利屋だと思ってくれればいい」

「クロノ・ハラオウンだ。僕も彼と同じく執務官をやらせてもらっている。それとマウンテン・ティム執務官、誤解を生むような発言は控えてくれないか」

 

 鋭い目つきで睨みを利かせているクロノの視線を悠々と受け流すM・ティム。

 生真面目な優等生とそれなりに経験を積んだ少し不真面目な兵士というイメージがしっくり来る二人だが、軍人という印象はあまり感じさせない。

 

 挨拶はそのままつつがなく行われ、本題であるジュエルシードについて話し合うこととなった。

 とはいえ昨日、なのはが眠っている間にジュエルシード回収についてのデータはユーノが提出しているため、話すことはほとんど残っていなかった。

 

「散らばった二十一個のジュエルシードのうち、二十個は回収が終わっているのですね。それでは残った一個の回収は私たちが担当します」

「はい、よろしくお願いします」

 

 元々、管理局が来たらジュエルシードについては任せる気だったなのはは、あっさりとリンディの言葉に同意した。

 あれだけ探しまわって見つからなかったのだから、人海戦術に頼るほかないのは分かりきっていた。

 そもそもアンジェロを処理してプレシアと和解した今となっては、率先してジュエルシードを集める理由はあまりない。

 

「それと一つだけ君に聞きたいことがある。昨日の戦いで見せた幻術のような魔法は君のレアスキルなのか?」

「魔法ではないとだけは言っておくよ。この力の正体が知りたいのなら、そこのお兄さんに聞いてみればいいんじゃないかな」

「マウンテン・ティム執務官が……?」

 

 思いもよらぬ返答に、クロノの口から疑念の声が漏れ出ていた。

 M・ティムがレアスキル持ちだということはクロノも知っており、何度か模擬戦を行った際には、そのレアスキルを使いこなし普通の人間では絶対に不可能な回避法を取られたことは鮮明に覚えている。

 だが彼の能力となのはの能力ではあまりにも接点が無さすぎる。

 そんなクロノの疑問に答えるように、今まで口を閉ざしていたM・ティムが喋り始めた。

 

「彼女の能力の正体はスタンドと呼ばれているものだろう。レアスキルにはいくつかの分類があり、その中にスタンドと表される能力が存在している。

 スタンドは基本的にスタンドを使える人間にしか見えず、数百万人に一人の割合でしか発現しない特殊な力だ。その上、魔力資質のある人間となるとかなり数が限られる」

「……そんな話、聞いたことがない」

「スタンド使い以外だと、一定以上の経験を積んだ執務官か、ある程度の階級以上の人間にしか開示されない機密情報だからな。おいおい、そう怖い顔をするんじゃあない。この航海が終わったらクロノにも話そうと思っていたんだぞ」

「ごめんなさいね、クロノ。彼に黙っていて欲しいと頼んだのは私なのよ」

 

 止めに入ったリンディの口ぶりからして、彼女もスタンドのことを知っていたのは明らかだ。

 仏頂面で文句を言いたげにしているクロノだが、場の空気を乱すわけにはいかないため大人しく引き下がった。

 管理局側の話がまとまったのを見計らって、なのははクロノの質問の続きを答え始めた。

 

「スタンドについての認識は同じようだね。ところで、このアースラにはお兄さん以外のスタンド使いは乗ってるの?」

「いや、オレ以外にスタンド使いは乗ってないな。それよりも、その物騒なスタンドを引っ込めてくれないか。警戒しているのはわかるが、オレのスタンドじゃアンタのスタンドには太刀打ちできそうにない」

「あなたのスタンド能力を教えてくれたら解除してもいいよ」

 

 未知のスタンド使い相手に警戒心を緩めるつもりのないなのはが出した提案。

 それは奇術師に手品のタネを明かせと言っているようなものである。

 スタンド使い同士の戦いにおいて最も優先されるのは、相手のスタンド能力を見破ることだ。

 あえて一部の能力だけを開示することで相手に動揺を誘うこともあるが、それは勝ちを確証しているときなどに限られる。

 

「いいぜ、教えてやるよ」

 

 まず素直に答えることはないだろうと判断していたなのはは、どうやって相手の能力を聞き出すか策を練っていたのだが、M・ティムは思いもよらぬ早さで即答した。

 仗助や康一、億泰といった杜王町在住のスタンド使いに露骨にスタンド能力を隠すような性格の人物は少ないが、まさかM・ティムも彼らに近い人種だとは思っていなかったのだ。

 

 しかし、時を止めることが出来る承太郎のスタープラチナのように、能力がバレてもあまり意味が無いタイプのスタンド使いも少なからずいる。

 キング・クリムゾンも能力を見破られないに越したことはないが、見破られていたとしてもあまり意味が無い部類のスタンドだ。

 攻撃手段が血の目潰しか近接戦しかない昔ならともかく、魔法が使える今となってはプレシア並みの使い手でなければ対抗策は取れない。

 目の前で拳銃型デバイスを腰のガンホルダーから抜いて、くるくるとガンスピンさせているカウボーイ気取り男もその手の類ではないかとなのはは推測した。

 

「オレのスタンド、『オー! ロンサム・ミー』はヴィジョンを持っていないタイプのスタンドだ。能力は説明するよりも実際に見せたほうが早いな」

《Seil Binden》

 

 M・ティムの十八番(おはこ)、ロープバインドが彼の右手からなのはたちの背後へと伸びる。

 この手のバインドは本来、ユーノが使ったチェーンバインドのように魔法陣から複数伸ばすことで対象を捕捉する魔法なのだが、彼は自分の手で触れられるように魔法を構成している。

 

 一見すると何の利点もないように見えるが、このバインドこそが彼のスタンドの正体だった。

 握っているはずの手をよく見ると、赤茶けたロープバインドにみるみるうちに同化していき指や手、腕がバラバラになり伝っていく。

 最終的に全身のパーツを事細かに分解して、ケーブルを移動するロープウェイのようにロープバインドを使って移動してみせた。

 

「見ての通り、オレのスタンドの能力はロープバインドに触れた人間を一体化させることができるだけだ。さて、用心深いお嬢さんの信頼を勝ち取ることはできたかな?」

「可でなく不可でもないと言ったところだね。初対面の人間、しかも異世界人を無条件で信頼するほどわたしはお人好しじゃあない。言われた通りスタンドは消すけど、わたしのスタンド能力は教えないよ」

 

 本当は自分がスタンド使いであることを隠しておきたかったが、相手にスタンド使いがいるのでは仕方がない。

 自分がスタンド使いであることを明かしている時点で、なのはからしてみればかなり譲歩しているのだ。

 クロノがなにか言いたげな顔をしているが、なのははあえて無視を決め込んだ。

 

 なのは側はプレシアとフェイトという厄介事を抱えているのだから、出せるカードは多いに越したことはない。

 助ける義理が無いとはいえ、悲劇的な過去に加えスタンド使いに操られていた可能性が高い人物を放っておけるほど、なのはは冷徹ではなかった。

 仗助たちと出会う前なら、このような厄介事に関わろうなどとは考えなかっただろうが、良くも悪くも今のなのはは周囲の環境に感化されていた。

 

 無論、プレシアを助ける理由の中には打算的な考えも混ざっている。

 SPW財団からスタンドの情報が盗まれている現状をどうにかするには、時空管理局と関係を持つ必要がある。

 魔法についての情報を持っていないSPW財団では、魔導師の侵入を防ぐ手立ては無いからだ。

 封時結界で研究施設を覆い尽くされれば、いかなるセキュリティも意味を成さない。

 

 そうなるとほぼ間違いなく、なのはが窓口役として仕立てあげられるだろう。

 SPW財団と関わりのある人物で、魔法の才能があるスタンド使いはなのはの他にいない可能性が高い。

 ただでさえパッショーネとの縁を切りたいと思っているのに、さらに面倒な立場になる気など少しも持ち合わせていなかった。

 

 そこでなのははプレシアに恩を売り、管理局とSPW財団の窓口役に仕立てあげることにした。

 スタンドのことを知っていて、どこにも所属していない魔導師となるとプレシア以上に都合のいい人物はいない。

 問題は違法研究の処罰がどれほどのものになるかだが、都合の悪いことは黙っていればいいのだ。

 

「私たちも無理に強要するつもりはありません。なのはさんが私たちを信用できると思ったときに、話してもらえれば結構ですよ」

 

 柔らかい物腰を見せつつ子供に接するような態度で話しかけるリンディ。

 過去の経験からなのはは、この手の相手との交渉が油断ならないことを知っている。

 念話でプレシアと口裏を合わせながら、切れるであろう手札の枚数を数え始めた。

 

 

 

 

 

  事件の経緯やプレシアの過去についての説明を聞き終えたリンディは、大きく頷いて微笑を浮かべながら優しげな声を発した。

 

「プレシアさんの事情はよくわかりました。できる限り罪が軽くなるようこちらでも尽力いたします」

 

 なのはとプレシアがでっち上げたカバーストーリーの大筋に嘘偽りは混じっていない。

 人為的な事故により娘を失ったことで狂ってしまったプレシアが、当時から指名手配されていた次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティにそそのかされクローン技術の研究を進めていた過去と、研究は成功したもののスタンドにより記憶と思考を操作され、正気を失っていたことを赤裸々に明かしただけだ。

 

 最近までプレシアが正気を失っていたのは事実であり、スカリエッティが接触しなければ違法研究に手を出さなかったのも事実だ。

 プレシアが少しばかり同情を煽るような演技を加えたのと、なのはがスタンドによる影響が大きいのではないかと主張したが、この程度なら嘘には当てはまらない。

 

 実際にプレシアが正気を失い始めたのはクローン技術が完成した後の話で、DISCがどのような影響を与えていたかどうか検証すらしていないが、そんなものは些細な問題である。

 要するにプレシアが正当な裁判を受け、まっとうな立場に戻れればそれで十分なのだ。

 

(この女がそれなりの地位に就いていることは、親族を選り好んで船に乗せていることから察することができる。

 そしてマウンテン・ティムの話が事実なら、スタンド使いは管理世界においても希少な存在なのだろう。

 ならばスタンドについて数十年にも渡り研究してきたSPW財団の存在は無視できないはずだ)

 

 なのはは内心でほくそ笑みながら丁寧に頭を下げた。言葉の裏で交わされた交渉は、双方ともに損をしない終わりを迎えた。

 有り体に言うと、なのははプレシアの罪を可能な限り減刑させる代わりにSPW財団と管理局の交渉権を提示したのだ。

 SPW財団と関係を持っているからとはいえ、なのはの立場は意見できるほど高くはない。真実を知っている承太郎やジョルノは、なのはのことを大人と同列に扱っているが、それ以外の人間からしてみればただの子供にすぎない。

 

 そんななのはが約束できるのは、承太郎の口を通して管理局とSPW財団の幹部を引き合わせるところまでだ。

 なのはの口添えがなければ、表向きには総合研究機関として通っているSPW財団に、地球では無名な時空管理局がコンタクトをとるのは不可能だ。

 それに加えて、スカリエッティがプレシアに渡していたSPW財団のスタンドに関する研究データの一部をあえて見せることで、SPW財団がどれほどの精度でスタンドを研究しているかをリンディたちに理解させた。

 

 資料に目を通していたリンディの真剣な目つきからして、SPW財団の研究結果が有用だと判断されたのは間違いないだろう。

 その実、地球と比べると管理世界でスタンド使いが現れる確率は非常に少ない。

 魔法という目に見える超常現象が関係していると言われているが、管理局も詳しいことは分かっておらず、絶対数が少ないためスタンドの研究はあまり進んでいない。

 

『彼女は本当に約束を守るかしら』

『腹に一物抱えている人間は山ほど見てきたが、あの女からは汚職に手を染めている連中特有の腐臭を感じなかった。女だてらに船を任せられるほどの立場に就いている人間だ。損得勘定ぐらいは出来るだろう』

 

 さすがのプレシアも自身の研究に後ろめたさを感じていたのか、いつもと比べるといささか声色が弱々しい。

 一方、なのはは弱みを見せる気配すらなく、堂々とした口調で念話を返している。

 本業が研究者のプレシアと比べると、姿を隠していたとはいえ人の上に立っていた経験のあるなのはのほうが、交渉事には長けているのだろう。

 

 悪事に手を染めている人間を数えきれないほど見てきたなのはは、リンディのことを交渉事に長けているそれなりに誠実な女だと判断した。

 立場からしていくつかの『抜け道』は持っているだろうが、権限を乱用して悪事を行っているような人間にしてはやり方が回りくどすぎた。

 

『前々から思っていたけど、あなた本当は見た目通りの年齢じゃないでしょ。こんなにも可愛げのない子供は初めて見たわ』

『酷いよ、プレシアさん。九歳の子供にそんな心にもないことを言うだなんて……』

『急にわざとらしいことを言うのはやめなさい。その変わり身の早さを見ていると、二重人格を疑いたくなるわね』

 

 何気ないプレシアの一言に、なのははほんの僅かだけ片眉を吊り上げた。

 彼女の言動は人格を切り替えているというわけではない。

 ただ単に物腰の柔らかな喋り方では相手に舐められるので、男性的な口調で話しているだけだ。

 家族や友人といった気を許した相手には、普段の子供らしい口調を見せている。

 

 なのはがポーカーフェイスを崩した理由は、未だに引きずっている過去が影響していた。

 二重人格という単語を聞いて、かつて切り捨てたもう一つの人格、ヴィネガー・ドッピオのことを思い出してしまったのだ。

 過去のディアボロは人の成長は未熟な過去に打ち勝つことだと豪語したが、未だになのはは全ての過去を乗り越えることが出来ていない。

 しきりにリンディが薦めてくる角砂糖やミルクが限界まで溶かし込まれた緑茶のような飲み物を押し返しながら、なのはは心の中で交渉が無事に終わったことに対して安堵の溜息をついた。

 

 

 

 

 

 数時間に渡る聞き取りという名の交渉を終えたなのはたちは、クロノに地上へと送ってもらうこととなった。

 プレシアたちは、なのはたちが送り届けられた後に、クロノとM・ティム、そして何人かの武装局員と共に、時の庭園に向かう手筈となっている。

 名目上の任務は違法研究を行っていた証拠の捜索となっているが、スカリエッティとの通信履歴の回収が主な目的だ。

 

「まさかジェイル・スカリエッティの名が出てくるとは……こうなると輸送船の事故もヤツの仕業である可能性が考えられますね」

「プレシアさんに連絡が来たのは、事故が発生してから数日後だったようね。親切丁寧に隠れ家や現地の通貨まで用意されていたとなると、突発的な襲撃ではなくあらかじめ計画されていた線が濃厚……スカリエッティは何を考えているのかしら」

 

 聞き取りに使われていた部屋で緑茶を啜りながらM・ティムとリンディは今後のことについて話し合っていた。

 プレシアたちは一旦、客室に戻らされているためこの場には二人しかいない。

 当初の目的であるジュエルシードの回収任務は収束の兆しを見せているが、新たな問題ごとにリンディは頭を悩ませていた。

 スタンドによる犯罪は数こそあまり多くはないものの、広義的には魔法犯罪に分類されるためリンディも対処法は心得ている。

 問題は突如として容疑者に浮上した大物犯罪者ジェイル・スカリエッティと、SPW財団なるスタンド研究機関の存在だ。

 

「狂人の考えは図りかねるな。現状で推測できるのは、スカリエッティもスタンド使いかもしれないということぐらいですか」

「あるいは他人の記憶を書き換えて命令するDISCを作れるスタンド使いが、スカリエッティの協力者にいるのかもしれないわね」

「どちらにせよ一筋縄ではいかないスタンドだ。……しかし地球にはスタンド使いがかなり大勢いるようですね。オレを含めて八人のスタンド使いと相会するなんて初めてです」

 

 管理局にも多数のスタンド使いが所属しているが、ほうぼうに散らばっているためお互いに面識のない場合が多い。

 M・ティムも数人のスタンド使いに心あたりがあるものの、そりが合わないため個人的な付き合いは無きに等しい。

 基本的にスタンド使いは普通ではない人間が多い。

 まともな感性から少しズレていたり、集団生活を行うのに問題があったり、平気な顔で犯罪に手を染めていたりいる者が大勢いる。

 その点においてM・ティムは取っ付き易い性格をしていると言える。

 

「その中でも高町なのはは別格だ。彼女はスタンドが発現してから5年程度しか経っていないオレとは比べ物にならないほど、スタンドを使いこなしていました」

「魔法の才能だけでもエース級で、それに加えて強力なスタンド使いとなると、人事はなんとしてでもなのはさんを入局させようとするでしょうねえ」

「スタンド使いを説得するのは難しいですよ。それに彼女はリンディ提督と交渉できるぐらい口が達者ですからね」

「なのはさんの扱いについてはレティに任せましょう。彼女ならスタンド使いの扱いも心得ているはずよ」

 

 リンディが口にした女性、レティ・ロウランは時空管理局本局運用部に所属している提督で、装備・人事・運用の担当をしている。

 リンディとは旧知の仲で昔から愚痴を言い合ったりしており、気心のしれた相手だ。

 彼女は仕事に対しての真面目な気質と、優秀な人材であれば過去や出自は問わないという信条が相まって、複雑な過去を持つ人間やスタンド使いの人事をよく担当している。

 リンディがスタンド使いについての知識を持っているのは、酒の席でレティの愚痴を聞かされていたからだ。

 

「それではオレは目先のことに専念しますかね。お先に失礼します、リンディ提督」

 

 クロノから念話でなのはたちを送り届けた報告を受け取ったM・ティムは腰を上げ、リンディに頭を下げた後にカウボーイハットをかぶり直し退出した。

 ドアが閉まる音を聞き届け自分以外に誰もいなくなったことを確認したリンディは、湯呑みの中身を眺めつつぽつりと独り言を呟いた。

 

「どうしてみんな、私の淹れた緑茶を飲もうとしないのかしら」

 

 リンディの疑問に答えるものは誰も居ない。

 一定周期で鹿威しが打ち鳴らす風流な音を聞きながら、リンディはわずかに残った緑茶を飲み干した。



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ひとときの休息

 革張りの黒いソファに座り心地の良さそうな椅子、天然物のマホガニー材で作られた机と家具が並んだ高級感ただよう部屋に二人の声がこだまする。

 机の前に腰掛けている金髪の青年は微笑を浮かべながら、丁寧なイタリア語で相手方の言葉を受け流していた。

 

 部屋にいるもう一人の黒髪の男はだらしなくソファに身を預けながら、固定電話のスピーカーから垂れ流されている物騒なイタリア語をBGMに、スミス&ウェッソン社製の回転式拳銃『M49ボディーガード・カスタム』の整備をしている。

 

「ついに頭の中まで子供になったんですか?」

『だからわたしの言っていることは本当だと何回言わせれば……もういい、現物を見せてやるから首を洗って待っていろ』

 

 電話先の相手は年端もいかない少女のような声でしきりに悪態をついていたが、(らち)が明かないと判断したのか捨て台詞を吐き捨てて一方的に通話を切った。

 やれやれと肩をすくめながら受話器を戻した青年は、机の上に広げられていた書類を引き出しの中にしまってパソコンの電源を落とした。

 銃の整備をしながら会話を聞き流していた男は、彼の行動を不審に思い手を止め声をかけた。

 

「どうしたんだ、ジョジョ。まだ仕事は半分も片付いてねーようだが」

「もうすぐ彼女がここに来るようなので、出かける準備をしておこうと思ってね」

「あのよォ、ジョジョ。いや、ここはあえてジョルノと呼ばせてもらうが、アンタは本気でディアボロの言ってることを信じるつもりなのか? 魔法なんてもんがあるわけねーだろ。ファンタジーやメルヘンじゃあないんだぜ」

 

 分解整備を終えた拳銃に弾込めしながら金髪の青年──ジョルノ・ジョバァーナに訝しげな視線を送っているこの男の名はグイード・ミスタ。

 イタリアのナポリに本拠地を置く犯罪組織『パッショーネ』の幹部でスタンド使いでもある。

 パッショーネに反旗を翻しボスを倒したチームの一員で、ジョジョ(ボスだとディアボロを連想させるので、あえてジョジョと呼ばせている)、参謀に続くナンバー3の座に就いている。

 

「ミスタ、何度も言っていますがナノハとディアボロは別人だ。それに彼女は無駄なことを言うような性格じゃあない。魔法というのは、オカルトではなくそういう名称の()()を指しているのでしょう」

「ならどうしてナノハの    んだ……ッ!?」

 

 喋っていた言葉が途中で途切れるという独特の感覚。

 正確には途切れるのではなく、自分が何を喋っていたのか認識できなくなると表現するのが正しい。

 あえて言葉で言い表すなら『時が消え去る』と表現できる現象。

 それはかつてパッショーネをまとめ上げていたディアボロのスタンド、キング・クリムゾンの能力に他ならない。

 

「なにをそんなに驚いている。わたしのスタンド能力を味わうのは、これが初めてではないだろう」

「こ、この声は……本当にナノハ・タカマチなのか!? テメーは日本にいるはず……だろ……」

 

 背後から投げかけられた声に過剰に反応したミスタは、とっさに拳銃のグリップを両手で掴み撃鉄を引き起こしトリガーに指をかけた。

 近距離パワー型のスタンドに小口径の9mm弾が通用するとは思っていないが、長年の経験からミスタの体は自然とスタンドを出して警戒態勢をとっていた。

 

 しかし、拳銃の照準器越しに、ソファの背もたれ側から見下ろすように佇んでいるなのはを視界に入れたミスタは、言いかけていた台詞を引っ込めてゆっくりと銃口を下ろし、まじまじとなのはの格好を確認しだした。

 まず目に入ってくるのは左手に握られた杖だ。

 アニメやカートゥーンに出てくる魔法少女が持っていそうな物や、フィクションに出てくる魔女が持っていそうな物とは異なり、妙に機械的な雰囲気を漂わせている。

 次に目に入ったのはなのはの服装だ。

 白色の生地をベースに青色の生地がアクセントに入っている服は似合っているのだが、胸元や袖口についている金属製の装飾品が近未来的な印象を与える。

 

「その手に持った杖はなんだ」

「人工知能が搭載された魔法の杖、レイジングハートだ」

 

 真顔で答えるなのはに対して、ミスタは目を手で覆い大きな溜息を漏らした。

 数分前まで日本からイタリアまで国際電話をしていた人間が一万キロメートルの距離を瞬時に移動して目の前に現れたのは、いささか無理があるものの新手のスタンド使いの仕業で片付けられる。

 

 だが、縁起が悪いという理由で『4』という数字を嫌っているミスタが言えた口ではないが、機械仕掛けの魔法の杖という返答はどうにも納得できなかった。

 

「テメーの出自がオカルトじみてるからって、いくらなんでも魔法の杖はねえだろ。それよりどうやって日本からここまで来たのか説明しやがれ」

「知り合いの魔導師に転移魔法で上空まで送ってもらった、と言っても信じないのだろうな。スタンド使いが固定概念に囚われるなど愚かなことだ。え? お前はどう思う? グイード・ミスタ」

 

 ふわりと浮き上がり軽い音を立ててソファに腰掛けたなのはが、足を組みながらミスタに冷ややかな視線を送る。

 あまりにも自然な動きで宙に浮いたのを見てミスタは目を見張らせた。

 一方、ジョルノは驚いた素振りも見せずに椅子から立ち上がり、なのはの対面に位置するソファに腰掛け口を開いた。

 

「話には聞いています。はじめまして(Piacere)、レイジングハート。ナノハが世話になっているようですね」

《こちらこそ、はじめまして(Piacere mio. )。あなたがマスターの言っていた()()ですか》

 

 ジョルノの挨拶に流暢なイタリア語の人工音声が言葉を返す。

 声が発せられた方向にミスタが顔を向けるも、視界に映るのはジト目でジョルノを睨みつけるなのはと切っ先の球体が赤く点滅している杖だけだ。

 まさか、というミスタの思考を代弁したのは周囲に浮かんでいるスタンドたちだった。

 

「オイオイ、杖が喋ッタゾ! コイツ、スタンドナンジャネエカ」

「オレは機械ダト思ウゼ。最近のパソコンは高性能ダカラナ。ナンナラ今日の昼飯を賭ケルカ?」

「黙ってろピストルズ。おまえたちが喋り出したら話が進まねえだろうが。それとNo(ナンバー).3は勝手に飯を賭けるな。外したらNo(ナンバー).5から奪うつもりだろ」

 

 本体であるミスタの意思を無視して勝手に会話を進めようとしている六人のスタンドたち。

 セックス・ピストルズと名付けられた彼らは六人一組の群体型スタンドだ。

 

 それぞれに1~7の番号が割り振られており(ミスタのジンクスから4番は存在しない)、銃弾の軌道をある程度操作する能力を有している。

 また、彼らが操作した弾丸はスタンドパワーが宿るため、スタンドにダメージを与えることも可能だ。

 ただし、スタンドとしては珍しく自我が強いため、睡眠や食事を取らせてやらないと機嫌を損ねてしまうという欠点がある。

 

「相変わらず騒がしいスタンドだ。ところでジョルノ、さっきは散々バカにしてくれたな。覚悟はできているか」

「そう怒らないでください。逆に聞きますが、あなたは電話越しに魔法があるなどと言われて信じますか」

「……その割には真面目に話を聞いていたようだな」

「あなたの考え方は現実主義(リアリズム)に基いていますからね。理想を追わずに現時点での最善を判断できるという才能は、ぼくも高く評価しています」

 

 ジョルノの言うとおり、理想の絶頂を維持しようなどというこだわりを、なのははとうの昔に捨てている。

 その先にあるのは滅びだということを過去の経験から理解しているからだ。

 だからこそSPW財団やパッショーネと繋がりを持つことで、周囲を取り巻く環境を守ることに徹している。

 

 もっともなのはとパッショーネの関わりはジョルノ直属の幹部たちにしか知られていないため、組織内の立ち位置は以前のディアボロとあまり変わっていない。

 大きな違いは命令する権限を持っていないという点ぐらいだ。

 

「ところで勝手に魔法を使っていいんですか? 時空管理局という組織が魔法を管理していると言っていたのはあなたですよね」

「連中の人事には話を通してある。故意に魔法を広めさえしなければ問題はないそうだ。ある程度自由に魔法を使っていいという許可ももぎ取ってきた。悪用するなときつく言い聞かされたがな」

 

 アースラから降ろされた数日後、再び呼び戻されたなのはは映像通信越しにレティと交渉を行っていた。

 世間話もそこそこに、レティはなのはに管理局の保護下に収まらないかと提案した。

 

 なのはがスタンド使いで、なおかつ魔導師であることはSPW財団の資料やプレシアとの会話でスカリエッティに知られており、拉致される可能性がある。

 現地に局員が滞在していない地球では警護することも難しく、管理局地上部隊の本拠地が置かれている第1管理世界『ミッドチルダ』に移住することを提案してきたのだ。

 もちろん、レティの提案になのはが頷くはずがない。管理局の保護下に収まるということは、つまり遠回しに管理局員になれと言っているようなものだ。

 

 それに加えて故郷から離れて異世界で暮らすなどという選択は論外だった。

 本来ならリンカーコアを封印して魔法を捨てて地球で暮らすという選択肢もあったのだが、なのはの情報がスカリエッティに知られており、魔法を捨ててしまったら何かあったときに抵抗する手段がスタンドだけになってしまうため除外された。

 

 平行線をたどる交渉は双方が妥協する形で終わりを迎えた。

 移住こそしないものの、魔導師からの適切な指導と魔導師ランク試験を受けること。

 そして聖王協会に希少技能(スタンド)の申告を行うことが取り決められた。

 

 聖王協会とは次元世界で幅広い勢力を持っている宗教組織だ。

 教会騎士団という魔導師の私兵部隊を有しており、ロストロギアの保守、管理やレアスキルの認定、研究などを行っている。

 管理局ともある程度の情報交換を行っており、共同で作戦を実行することもある。

 スタンド能力を公開することになのはは難色を示したが、見返りとして示唆された地球での魔法の使用権を前に仕方がなしに承認した。

 最後に管理局に入りたいならいつでも連絡してきて欲しいとレティに言われたなのはは、自分の身は自分で守るとだけ言い残し通信を切った。

 こうしてなのはが転移魔法でイタリアまで来れたのも、この権利を使ったからだ。

 

「それでわざわざここまで来たということは、ぼくになにか用事があるんでしょう?」

「ああ、その通りだ。話せば長くなるが──」

 

 長いようで短い一ヶ月に渡る海鳴市での出来事を語りながら、なのはは追想にふける。

 まだ全てのジュエルシードは集まってはいないが、杜王町に一時の平和は訪れたことを改めて実感した。

 

 

 

 

 

 わたしが魔法を知る切っ掛けとなった事件は取り敢えずの終息を迎えた。

 事情を説明した後にジョルノを引き連れて(ミスタもいるけど)時の庭園に向かったわたしたちは、アリシアの蘇生を試みた。

 事前に合流していた仗助がクレイジー・Dで肉体を直し、ジョルノのゴールド(G)エクスペリエンス(E)レクイエム(R)で生命エネルギーを注ぎ込むという荒業は、意外なことに苦もなく成功した。

 

 正直なところ、成功率は五分五分だろうと踏んでいたのだが、仮死状態で魂が残っていたとはいえ蘇生に成功したのは驚きだ。

 ちなみにアリシアの存在は、表向きにはプロジェクトF.A.T.Eで造られたクローンの内の一体ということにされている。

 死者が生き返ったことを下手に広めると、厄介な輩が山のように集まってくるだろう。

 わたしは不老不死に興味はないが、権力者ほどその手の話題に食いついてくる。

 

 SPW財団と管理局の交渉は半年後を予定されている。

 承太郎に取り次いでもらい話を通すことはできたのだが、SPW財団も一枚岩とはいえないため意見を統一する時間が必要となった。

 それとその後の調べでわかったことだが、スタンドに関するデータの他に、ナイル川の底から回収された刀剣のスタンドと、スーパー・エイジャという波紋エネルギーを増幅する石が消失しているという事実が明らかになった。

 無くなった時期から考えて、犯人はスカリエッティの可能性が高いだろう。

 

 ユーノはもう少し地球に残ることを選んだ。

 ジュエルシード捜索はすでに管理局が担当することに決まっているが、最後の一個が見つかるまで帰るつもりは無いそうだ。

 それと魔法のレクチャーが中途半端になっているのが気がかりらしく、わたしの魔法の腕が半人前程度になるまでは地球に滞在するらしい。

 こちらとしても願ったり叶ったりなのだが、お人好しすぎて見ていて不安になる。

 

 フェイトはプレシアと過ごすことを選んだ。アリシアとの仲は意外と良好なようで、念話で長々とアリシアの話を聞かされる羽目になった。

 一方、プレシアとの仲は以前よりはマシになったものの歩み寄る勇気が出せないらしく、ぎこちない関係のまま進展していない。

 それはプレシアも同じらしく、恥を忍んでわたしに相談してきた。

 小学生にそんなこと相談してくるなと突き返したが、これに関してはそのうち時間が解決するだろう。

 

 こうして2003年の春は、ほとんどの人々にとっていつもの春と同じように、当たり前に過ぎ去っていった。

 だが、今回の事件は始まりに過ぎない。()()の本を宿した少女が新たな事件を呼び込んで来る日はそう遠くはない。

 

 

 

 

 

第一部 ジュエルシード・トゥルーパーズ 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よろしかったのですか? やろうと思えばプレシアを内々で処分することは可能ですが』

「彼女はわたしの計画において障害には成り得ない。無闇に才能のある人材を散らすのは、ミッドチルダの不利益に繋がるだけだ。……それで、彼女の研究は君の役に立ちそうか?」

『数さえこなせば可能性はあります。しかし『矢』とクローンを利用したとしても、スタンド使いを量産するのは難しいでしょう。やはり地道にスタンドDISCを集める必要があります』

「面倒だが仕方がない。引き続き頑張ってくれたまえ、エンリコ・プッチ査察官」

『お気遣いありがとうございます、ファニー・ヴァレンタイン執務官長。それでは失礼致します』

「……ミッドチルダが真の栄光を得る日はまだ遠い。だが最初のナプキンを取るのは、最高評議会ではなくこのわたしだ。いつまでも耄碌(もうろく)した老人どもの時代が続くと思うなよ」



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第二部『二一世紀の精神異常者』
そいつの名は高町なのは その①


※第二部はなのはの一人称によって進行しますが、戦闘描写などの兼ね合いで三人称に切り替わる部分があります。
※ジョジョ要素が濃くなる代わりにリリなの要素が薄くなります。作中で簡単な説明はしていますが、ジョジョの知識が必要となる部分が多くなります。


 ジョルノのスタンド攻撃を食らったオレはティベレ川に叩き落とされたものの、かろうじて生き残り排水溝にしがみつくことができた。

 まだ生きていることに安堵を覚えながら、残った力を振り絞りよじ登ったそのとき、前触れもなく壁面に叩きつけられた。

 

 突然のことに混乱しているオレの前に現れたのは、排水溝に住み着いたヤク中のゴロツキだった。

 立ち上がって反撃しようと手足に力を込めるが思うように体が動かない。

 それどころか口からは止めどなく血液が溢れてくる。

 数瞬遅れて気がついた。オレはこの頭がおかしくなったゴロツキに刺されていたのだ。

 悪あがきも虚しく、底なし沼に沈むような感覚と共に意識が薄れていく。

 

 こんなところで小汚いヤク中に殺されて終わるのか。

 目を開けていることすら難しくなり、オレの意識が暗闇に飲まれる。

 

 

 

 死んだと思った次の瞬間、オレは病院の死体置き場に寝かされていた。

 横に立っている女医に話しかけるが、聞こえていないのか無視して作業を進めている。

 

 しびれを切らして腕をつかもうと手に力を込めたが、糸が切れたマリオネットのようにピクリともしない。

 それに加えて内蔵をかき乱されるような痛みが走る。

 ドサアッと音を立てて取り出された自分の腎臓を視界に捉えると同時に再び意識が途絶えた。

 

 

 

 全身から多量の汗を垂らしながらオレは無意識に叫び声をあげていた。

 立っていることすら難しくなり、コンクリートで舗装された歩道に倒れこむ。

 

 そして背後から犬に吠えられたオレは、いつの間にか車道に飛び出していた。

 クラクションを鳴らしながら迫る乗用車に全身の骨が砕かれる感覚を味わいながら、オレはまたもや死を体験した。

 

 

 

「うずくまって█████、オナカ痛いの?」

 

 全てに怯えて草原のど真ん中でうずくまっているオレに、5歳前後と思わしき子供が話しかけてきた。

 茶色い髪と藍色の瞳をしたどこかで見たことのある少女。

 束ねていない後ろ髪の長さはオレと同じぐらいだろうか。

 

 後ずさりをしながら必死に逃げようとするオレをあざ笑うかのように、冷たい眼差しで射抜いてくる。

 

 待て、この子供はオレのことを何と呼んだ?

 

 それ以前にオレの手はこんなに小さかったか?

 

 オレの髪は茶色だったか?

 

 抵抗をやめ困惑するオレの背後から聞き覚えのある声が囁かれた。

 

「自分を知れ……そんなオイシイ話が……あると思うのか? おまえの様な人間が、平穏に暮らせるはずがない。その報いは、いずれ周囲の人間に降り掛かってくる」

 

 オレを無限に続く死の迷宮に送り込んだヤツが、少女と同じ眼差しでオレを見下ろす。

 

 やめろ、そんな目でオレを見るな。

 

 そんな目でわたしを見るな。

 

 オレは、わたしは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 跳ねるように飛び起きたわたしは、胸元に手を当てながら周囲を見渡した。

 視界に入ってくる風景は、寝る前と何も変わらない自分の部屋だった。

 

 わかっている、あれは夢だ、夢にすぎない。

 寝汗で肌に張り付いた寝間着に気持ち悪さを感じつつ、わたしは布団から這い出た。

 

 こうして悪夢にうなされて飛び起きるのは何度目だろうか。

 絶え間なく続いていた死の迷宮での記憶は、未だ心の奥深くに刻まれている。

 

 すでに迷宮からは解放されているにもかかわらず、週に一度は必ず夢であの頃の体験を思い出してしまう。

 情けないことに一時期は外にでることすら怯えていたほどだ。

 今でこそエピタフは使えないにしろ時を飛ばせるようになっているが、当時はスタンドすら出せないほど精神的に参っていた。

 

 ベッドから降りたわたしは、ひとまず汗を洗い流すために風呂場に向かうことにした。

 二階にある自室からゆっくりとした足取りで階段を降りて、風呂場の手前にある洗面所に置かれた台に昇り、鏡で自分の姿を改めて確認する。

 

 鏡に映っていたのは、夢で出てきた少女に瓜二つの人物だった。

 

 わたしには誰にも明かしていない秘密が二つある。

 一つはスタンドと呼ばれる超能力のようなものが使えること。

 そしてもう一つは前世の記憶があるということだ。

 

 死ぬ前の世界がこの世界と同じ世界かは定かではないが、わたしはディアボロという男として33年もの歳月を生きていた記憶がある。

 神は信じていないもののキリスト教の信者だったわたしが生まれ変わるというのもおかしな話だが、こうして新たな生を謳歌している。

 

 これで性別が男なら文句なしだったのだが、GERの呪縛から解放され普通に生きていけるだけで十分だろう。

 あの生き地獄をもう一度味わうぐらいなら、ミジンコに生まれ変わるほうが遥かにマシだ。

 

 人目がないのを確認してスタンドを使い寝間着を脱いだわたしは、シャワーを浴びながら物思いにふけっていた。

 もしかしたらこうして何事も無く過ごしている今の環境こそ、夢なのではないかと時々思ってしまうことがある。

 死に続けることに慣れてしまったオレ(ディアボロ)が、頭の中に作り上げた妄想の世界なのではないかと疑ってしまうほど、わたしの家庭環境は恵まれている。

 

 わたしはオレの父親の顔を知らない。

 看守も含めて女性しか収容されていない刑務所に二年間放り込まれていた母親が、いつの間にか妊娠したという話を育ての親から聞かされただけだ。

 刑務所では赤ん坊を育てることができないため、身近な親戚もいなかったオレはサルディニア島の神父に引き取られ、その際にディアボロという名を与えられた。

 

 イタリア語で悪魔を意味する名前を養子につける神父がマトモな筈もなく、外面こそ良かったものの到底父親と呼べるような男ではなかった。

 

 そんな環境で育ったオレの精神は歪んでいた。

 いや、オレは環境で悪になったのではない。

 きっと生まれついての悪なのだろう。

 

 歪んだ愛情と憎しみを持っていたオレは出所した母親の口を縫い合わせて教会の地下に隠し、その事実が神父にバレたら村を焼き払い証拠を隠滅した。

 

 逃げるように生まれ故郷から離れたオレはエジプトで偶然、スタンドを目覚めさせる矢を発掘してスタンド使いになった。

 この力(スタンド)に目覚めたときからオレの精神は完全に二つにわかれた。

 だがオレたちは二人で一人だったわけではない。

 

 ドッピオはオレの隠れ蓑に過ぎなかったが、心から信用できる唯一の人物だった。

 それは自分自身しか信用出来ないという心の表れだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びて体の汗を流したわたしは浴室を出てリビングに移動した。

 壁に掛けられた時計の針は6時を示している。

 普通の家庭がどうなのかは知らないが、わたしの家族は規則正しい生活を心がけているため、この時間には全員が起きている。

 白色のソファに腰掛けコーヒー片手に新聞を読んでいる黒髪の男性が、タオルで髪を拭きながら部屋に入ってきたわたしに話しかけてきた。

 

「おはよう、なのは」

「おはよー」

 

 新聞から目を離してわたしの方に顔を向けて、黒髪黒目の短髪の男性が笑顔を浮かべている。

 彼こそが今世における実の父親──高町士郎(たかまちしろう)だ。

 

 客観的に見ても誠実で家族にやさしい理想的な父親で、新婚気分が抜けきっていないのか、わたしの母と甘い雰囲気を無差別にばら撒くのが玉に瑕だが、それ以外は非の打ち所がない人だ。

 父の隣に座り新聞を横から眺めていると、朝食の用意をしていた女性がキッチンから出てきた。

 

「こら、なのは。ちゃんと乾かさないと髪が痛むわよ」

「んー」

 

 途中で髪を拭くのが面倒になって半乾きで放置していたのを見かねてたのか、ドライヤー片手に背中の中ほどまで髪を伸ばした茶髪の女性が近寄ってきた。

 

 彼女がわたしの母親──高町桃子(ももこ)だ。

 もうすぐ30歳になるはずなのだが、20歳と言われても通ってしまうほど若々しい美女だ。

 

 わたしは母親似らしく、彼女と顔つきが非常によく似ている。

 性格の違いによるものなのか、わたしは母と比べると目つきが少し鋭いが、それ以外は子供の頃の母にそっくりらしい。

 このまま成長するとわたしも母のような容姿になるのだろうか。

 ……深くは考えないようにするとしよう。

 

 他人に髪を乾かしてもらうというのは不思議と幸せな気分になる。

 母親というものがどんなものか知らないわたしにとって、家族とのふれあいはどれも新鮮なものだ。

 

 髪が乾き終わったので、今度は父の膝の上に移動した。

 今のわたしの身長は110センチほどしかなく、横から記事全体を読むにはスタンドを使って覗き込む必要がある。

 さすがに人目のあるところでスタンドを使うわけにもいかないため、普段通り父の膝の上に陣取ることにした。

 

 新聞を読んでいる主な目的は日本語を覚えるためだ。

 ドッピオを通して交渉をしていた経験から、母国語であるイタリア語に加えてドイツ語、フランス語、英語といったヨーロッパ圏内の言語ならある程度話したり読み書きすることはできるが、遠く離れた島国の言葉は専門外である。

 何しろオレが知っていた日本語はツナミ、カミカゼ、スシ、ニンジャなどの有名な単語程度だった。

 

 それでも5年も日本人として生きていると日常会話はそつなくこなせるようになる。

 イタリア語と日本語の発音はある程度似ているので、話せるようになるまでそう時間はかからなかったが、読み書きはそう簡単にはいかなかった。

 

 ひらがなやカタカナは苦もなく読み書きできるのだが、漢字が曲者なのだ。

 何しろ日常的に使う常用漢字だけで二千種類近くも存在するため、覚えるだけで一苦労だ。

 

 それに加えて社会情勢を調べるというのも目的の一つだ。

 杜王町立図書館──通称『茨の館』や『海鳴市立風芽丘図書館』に足を運んで過去の歴史などを調べたりもしたが、誰でも知っているような歴史に変化は無かった。

 細かい事件などは覚えていないが、イタリアの地名や地理に変化がないことから、わたしはオレが死ぬより前の時間軸の世界か、よく似た異なる世界にいるのだと推測している。

 

 原因はジョルノのスタンドか、わたしも知らない何者かのスタンド攻撃によるものだろう。

 少なくとも神のしわざではないことは明らかだ。

 もし神がいるのなら、わたしは確実に地獄に行っているはずだからな。

 

 そうなるとジョルノ・ジョバァーナがこの世界にいる可能性は非常に高い。

 そしてオレがこの世界にいる可能性もある。

 どちらもわたしには関係のないことだが気がかりなこともある。

 それはオレの娘『トリッシュ・ウナ』と、彼女の母親『ドナテラ・ウナ』の現状だ。

 

 わたしと彼女たちに接点は一切存在しない。

 過去はどうであれ今のわたし(高町なのは)オレ(ディアボロ)は別人なのだから当たり前だ。

 

 オレの代わりに謝りたいだとか罪を懺悔(ざんげ)したいという気持ちは微塵もない。

 過去はバラバラにしてやっても、石の下からミミズのようにはい出てくる。

 わたしは過去と決別するために、ドナテラとトリッシュがどうなっているのか知りたいだけだ。

 

 とはいえ、わたしはドナテラの連絡先など知らないし、入院している病院の住所なんて覚えていない。

 知っていたとしても下手に探りを入れればパッショーネに目をつけられる可能性がある。

 

 そうなると安全に接触できるのは、オレがジョルノに倒される2001年4月6日以降になってしまう。

 それでは遅いのだ。ドナテラは2001年の2月に病気でトリッシュを残してこの世を去る。

 それまでに何とか接触を試みたいのだが、わたしは海外に住んでいる人物に接触するコネなど持っていない。

 わたしに悪魔(ディアボロ)が宿っていることを家族に隠している以上、両親に頼ることもできない。

 

 わたしは何一つとして家族に秘密を明かしていない。

 キング・クリムゾンのことも、生まれながらに別の人間の人格が宿っていることも、家族に拒絶されるのが怖いという理由だけでひた隠しにしてきた。

 死を繰り返す中で思い描いていたささやかな温もりを壊すぐらいなら、わたしは嘘をつき続ける。

 

 わたしは昔から何一つ変わっていない。

 一歩前に踏み出すことを拒否して、現状を維持しようとしかしていない臆病な人間だ。未来(エピタフ)すら投げ捨てて、ただ流されるまま生きている。

 絶頂であり続けたいというちっぽけなプライドすら無くしたわたしには、一体何が残っているのだろう。

 偽りの姿を演じ続け、彼らを騙して愛情だけを受け取り続けて本当にいいのだろうか。

 

「……どうしたんだい?」

「この漢字、なんて読むのかわからなくって」

 

 ……どうやら今朝の夢のせいでセンチな気分になっているようだ。

 急に表情を曇らせたわたしを心配してか、父が声をかけてきた。

 

 数年前まで情緒が不安定だったわたしを心配しているのだろう。

 今は悪夢を見る回数も減っていて心配する必要はないのに、事あるごとに一緒に寝ようなどと言ってくる始末だ。

 これが親バカというやつなのだろうか。

 

 紙面に書かれている読めない単語や語句を父に説明してもらっていると、玄関からドアの開く音が聞こえてきた。

 ドタドタという足音とともに、父とよく似た顔立ちの黒髪黒目の短髪の青年と、腰のあたりまで伸ばした髪をうなじの辺りから三つ編みにしている黒髪黒目のメガネをかけた少女が顔を見せた。

 

 この二人──高町恭也(きょうや)と高町美由希(みゆき)はわたしの兄と姉である。

 わたしと母以外の家族は日課のトレーニングと称して、剣術修行をしている。

 

 父が『永全不動八門一派(えいぜんふどうはちもんいっぱ)御神真刀流(みかみしんとうりゅう)小太刀二刀術(こだちにとうじゅつ)』という長ったらしい名前の古武術の師範代で(普段は略して御神流と呼んでいる)、その影響か兄と姉はわたしが生まれる前から御神流を学んでいる。

 

 普段は家に併設された道場で鍛錬しているが、たまに野外に出かけることもあるそうだ。

 ちなみにわたしは御神流を習っていない。

 ものは試しにと修行を見学したこともあるのだが、ついていける気が全くしなかったからだ。

 

 日本にはニンジャの末裔が住んでいるという冗談めいた話を聞いたことがあるが、そうとしか思えないほど俊敏な動きを見せつけられた。

 後日、父にニンジャの末裔なのかと聞いてみると、笑いながらニンジャになるには国家試験を受けなければならないと教えられた。

 きっと冗談だろうが、ニンジャに国家資格が必要だなんて妙に現実味のある話だ。

 

「おかえりなさい、お兄ちゃん、お姉ちゃん」

「ああ、ただいま」

「ただいまー」

 

 挨拶もそこそこに、ジャージ生地のトレーニングウェアを脱ぎ捨てた姉は風呂場に向かっていった。

 目を覚ますのがもう少し遅くなっていたら、きっとわたしと鉢合わせていただろう。

 家族から一定の距離を置いているわたしに甘えて欲しいのか、精神的に少しばかり老成している兄とは違い、姉はよく物理的にスキンシップを取ろうとする。

 

 家族との距離感を掴みかねているわたしは、時々どう接したらいいのか戸惑ってしまうことがある。

 出来るだけ不信感を抱かせないように立ち振る舞っているつもりだが、無限に続く死の経験で擦り切れかけているわたしでは、子供の真似事を続けるのは無理があるのだ。

 

「みんなー、朝ご飯ができたわよー」

 

 兄と姉が体の汗を流し終えるのに合わせて朝食の準備が整った。

 高町家の朝食は日によって変わるが、今日は和食のようで茶碗に注がれた白米が白い湯気を立てている。

 

 家族と食卓を囲みながら食べる日本食も悪くはないが、ふとした拍子にピッツァやパスタといったイタリア料理を懐かしく思うときがある。

 そういえば母がイタリアとフランスでパティシエール修行をしていた際に知り合ったというイタリア人が、杜王町に店を構えたらしい。

 今度、家族総出で食事に行こうと話していた。

 店主の名前は確か、トニオ・トラサルディーという男だったか。

 

 トニオは愛称なので本名はアントニーオ・トラサルディーということになる。

 ……どこかで見たことのある名なのだが、どうにも思い出せない。

 まあ、アントニオという名前のイタリア人など掃いて捨てるほど居るので、誰かと混同しているだけだろう。

 

 トニオという男性に関して少しだけ引っ掛かりを覚えたものの、彼について深く考える意味は無いだろう。

 イタリアと比べると日本はとても平和な国だ。

 

 杜王町に限っての話だと行方不明者が全国平均と比べて少し多いものの、犯罪率自体はとても低い。

 常日頃、警戒心を維持する必要も無いだろう。

 もし何か良からぬことが起きたとしても、そのときはキング・クリムゾンで叩き潰してしまえばいいのだから。



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そいつの名は高町なのは その②

 両親がいちゃついている姿を眺めながら朝食を一足先に食べ終えたわたしは、読書をしながら家を出るまでの時間を潰すことにした。

 決して微妙な疎外感と甘酸っぱさを感じて、気を散らすために別のことに集中しているのではない。

 

 というか、結婚してから少なくとも五年は経っているだろうに、いつまでも新婚気分が抜け切らないのはどうなのだろうか。

 最近、無口で無愛想だった兄が同級生の少女と友達になったらしいが、この二人に影響されないことを切に願う。

 

「なのは、そろそろ時間だぞ」

「はーい」

 

 父の呼びかけに軽い返事を返し、読みかけの本に(しおり)を挟んでカバンに収めた。

 昔は読解力を磨くために子供向けの絵本を読んでいたが、日本語に慣れはじめたので高学年向けの児童書を読むことが多くなった。

 そのため家族からは本を読むのが好きな子供だと思われている。それは間違いではないが、わたしの趣味が読書かと問われると答えはNoだ。

 やれることが少ないから本をよく読んでいるだけで、もう少し体が成長したら必要以上に本を読むことはなくなるだろう。

 

 そもそもわたしは趣味といえるほど道楽を嗜んだことがない。

 故郷を焼き払い自らの過去から逃げ出すまでは趣味の一つでもあったかもしれないが、パッショーネの運営が軌道に乗った頃には趣味に費やす時間など残っていなかった。

 暗殺を恐れていたオレは普段はドッピオに体の主導権を譲り、自分が表に出ているときも組織の運営のためにメールで部下に指令を出していた。

 これはあれだ、仕事が生きがいな人間の行動と非常に似ている。

 そう考えるとオレの趣味はパッショーネの運営だったのか……なんとも虚しいな。

 

 

 

 過去の自分の趣味が仕事だったことに気がついて、微妙な気持ちになりながらしばらく歩いていると、三階建ての建物が見えてきた。

 ベージュ色の外壁に緑色の看板がよく映えている。

 この建物が父が店長、母が経理とパティシエを務めている喫茶店『翠屋(みどりや)』だ。

 

 同じく駅前商店街に店を構えているオープンカフェ『ドゥ・マゴ』とは違い翠屋は洋菓子店も兼ねており、ケーキやシュークリーム、自家焙煎コーヒーが看板メニューとなっている。

 菓子の仕込みなどの兼ね合いで開店時間は午前11時と少し遅めの時間だが、ランチタイムにはテラス席まで満席になるほどの賑わいを見せる。

 昼時の主な客層は近所の会社員や主婦が多いが、午後4時頃からは女性客や学校帰りの学生の割合が多くなる。

 

 従業員用の勝手口から二人とともに店内に入ったわたしは、いつもと同じように店内の掃除を手伝い始めた。

 掃除といってもわたしの仕事は机や床の汚れを拭き取ったりする程度で、厨房の中に入ったりなどはしない。

 

「おはよう、なのはちゃん。今日もお手伝い? えらいねェ~」

「おはようございます。掃除の途中なんで邪魔しないでくれませんか」

 

 しばらく掃除をしていると出勤してきた従業員の女性が突然、わたしの頭を撫でてきた。

 どれだけ冷たくあしらっても効果が無いので諦めているが、個人的にはあまり子供扱いをされたくはない。

 そもそも可愛いと言われたところでちっとも嬉しくない。

 

 しかし下手に反論しても恥ずかしがっていると思われるのが関の山だ。

 ……撫でられている間だけ時間を飛ばすか? 

 いや、こんな下らないことで能力を使って、誰かにスタンドがバレたらシャレにならない。

 

 結局、されるがまま頭を撫でられながら他愛のない会話を交わした後、彼女は三階にある従業員用のスペースへと向かっていった。

 あれで母の次に優秀なパティシエだというのだから驚きだ。

 話によると母は以前、東京の有名ホテルでチーフパティシエをしていて、その当時の知り合いから紹介してもらった人を雇っているそうだ。

 先ほどの従業員も、元々は母が助っ人として一時期仕事をしていた杜王グランドホテルで、パティシエをやっていたらしい。

 

 それがなぜ、こんな地方都市で店を構えることになったかというと、父との馴れ初めが関係しているそうだ。

 すこしばかり気になるが、そういった過去には深く踏み入らないようにしている。

 誰にでも隠したい過去というものがあることを、わたしは誰よりも理解しているからだ。

 

 開店時間まであと少しになると、いつも通り邪魔にならないように従業員用のスペースに移動して読書を始めた。

 普通の幼児なら幼稚園や保育所に居るような時間だが、わたしはそのどちらにも通っていない。

 両親の負担になっていることは自覚しているが、普通の子供ではないわたしでは、馴染めるはずがないのはわかりきっている。

 精神的には父や母と変わらない年齢の人間なのだから当たり前だ。

 

 あと二年もすれば小学校に通うことになるだろうが、果たして自分は馴染めるだろうか。

 出来ることならわたしとオレの人格を切り分けたいぐらいだが、残念なことにわたしは二重人格者ではなくなっている。

 

「どうしたの? なんだか難しそうな顔をしてるけど」

「ちょっと集中してただけだよ。もうお昼の時間?」

 

 いつの間にか休憩時間になっていたらしく、休憩ついでに母がわたしの様子を見に来ていた。

 物思いに(ふけ)っていたせいで気が付かなかったが、もうこんな時間になっていたのか。

 心配そうにこちらを見ている母には申し訳ないが、本心を明かせるはずもなく適当な言葉で誤魔化すしかなかった。

 

 

 

 

 

 昼食を食べた後も黙々と本を読み続けていると、下階から若い男女の話し声がいくつも聞こえてきた。

 どうやら学校帰りの学生客が入店してくる時間帯になっていたようだ。時計の針は4時を指している。

 

 この時間帯なら一人で町中を歩いていても問題はない。

 返却期限が迫っている本を図書館に返しに行くため一階に降りると、テーブル席に座っている学ランを着た三人組の男子学生の姿が視界に入った。

 

「お待たせいたしました、ご注文のシューセットでございます」

「どうもっス」

 

 シューセットは翠屋の看板メニューの一つだ。

 できたてホヤホヤのシュークリーム二つと、シュークリームに合うようにブレンドされたコーヒーがセットになっている。

 値段も手頃で学生客に人気のあるメニューだ。

 

 様子を眺めていると不機嫌そうな表情で膝を組んで座っていた学生が、シュークリームを手に取り豪快にかぶりついた。

 続いてコーヒーを一口だけ飲んで、もう一度シュークリームを口に含む。

 するといきなり涙を流しながら大声で喋り始めた。

 

「ゥンまああ~~いっ! こんなに美味いシュークリームを食ったのは生まれて初めてだぜ────ッ! 

 サクサクのパイ皮と中にギッシリ詰まったカスタードクリームッ! 一口頬張るごとに濃厚なバニラの香りが口の中に広がる! 

 それに加えてこの特選ブレンドコーヒーッ! 絶妙な酸味と苦味がシュークリームの甘みを更に引き立てる!」

「おい、億泰。美味いのはわかるけどよォ、あんまり騒ぐと店から追い出されちまうぜ」

 

 整髪料で髪を固めたハンバーグのような髪型の学生が、シュークリームとコーヒーの感想を大声で喋っている学生を小声でたしなめた。

 同席している小柄な学生は、申し訳無さそうな顔で周囲の客にペコペコと頭を下げている。

 

 背の低い気の弱そうな学生はともかく、オクヤスという男とハンバーグ頭の男は世間一般で言う不良のような風体をしている。

 この店ではあまり見かけないタイプの客だ。

 トラブルになったら困るが……父なら一捻りで追い出せるだろう。

 

 父の本気を見たことはないが、相手がスタンド使いでもないかぎり遅れを取ることはないと言い切れる。

 兄の話によれば御神流を極めた達人は、銃を持った相手が百人いたとしても勝てるのだとか。

 さすがにそれは冗談だとしても、飛んでくる弾丸を切るぐらいなら平然とやってのけそうな気がする。

 

 奇妙な三人組の様子をいつまでも見ているわけにもいかないので、レジカウンターから店内の様子を見ている父に声をかけた。

 

「ちょっと茨の館まで行ってくるね」

「あまり遅くならないように気をつけるんだぞ」

「大丈夫、門限までには帰るよ。それじゃ、いってきまーす」

 

 手を振っている父に手を振り返して、茨の館へ向かうため駅の方に向かって歩き始めた。

 茨の館は商店街をぬけた先に建っている。

 蔵書数は風芽丘図書館と比べると劣っているが、歩いて通える距離なので頻繁に利用している。

 

 すっかり顔なじみになった商店街の住人に挨拶をしながら見慣れた道のりを進んでいると、赤煉瓦(れんが)造りの洋館が見えてきた。

 三階建てのいかにも古そうな建物で、外壁は隙間なく茨に覆われている。

 これが近隣住人に『茨の館』と呼ばれている理由だ。

 

 赤煉瓦を見ているとフィレンツェの町並みを思い出す。

 あの辺りの建物は赤煉瓦の屋根が多く、ジョットの鐘楼(しょうろう)から見える景色は、仕事ついでに観光していたドッピオ越しに見たものだがなかなかに綺麗だった。

 

 門から建物までのびている煉瓦で舗装された道を踏みしめながら扉を開けると、図書館特有の匂いが鼻腔をくすぐった。

 この香りを嗅いでいると本を読むのに集中できる気がするから不思議だ。

 テストが近いのか一階の閲覧スペースにはいつもよりも多くの人が座っていた。

 

 玄関ロビーの先にあるカウンターにいた図書館員に返却する本を手渡して、螺旋階段を登り三階に移動して洋書のコーナーに向かう。

 常日頃から日本語の本を読んでいると、時々慣れ親しんだイタリア語に触れたくなるときがある。

 本当は家でじっくり読みたいが、イタリア語を読めることが家族に知られるとマズイので、何回かに分けて図書館で読むことにしている。

 

 ズラリと並んだ本の中から目当ての本を見つけることはすぐに出来たが、前は下の方にあったのに最上段に移動してしまっていた。

 近くに設置されている踏み台に乗って背伸びをしてみたが、身長が全然足りない。

 ジャンプしても届きそうにない。

 図書館員を呼ぶかスタンドで取るか悩んでいると、誰かが手を伸ばして目当ての本を本棚から引き抜いた。

 

「読みたいのはこの本であってるか?」

 

 声が聞こえてきた方向に顔を向けると、帽子と厚手のコートを着込んだ背の高い男が立っていた。

 距離が近いせいもあって顔は見えないが、イタリア人だったオレよりもデカイのは確実だ。

 礼を言おうと目を合わせるために見上げると、そこには見覚えのある顔があった。

 

 直接会ったことはない。

 写真越しでしか見たことのない顔だったが、わたしはこの男のことを一方的に知っている。

 かつてオレが殺したと思っていた男、ジャン=ピエール・ポルナレフの身辺調査を行った時に要注意人物としてマークしていた男だ。

 

 男の名前は空条承太郎(くうじょうじょうたろう)

 表向きには海洋学者として知られているが、SPW財団と深い繋がりを持っている手練のスタンド使いだ。

 

 しかし、なぜこの男が杜王町に居るんだ? 

 昔は日本で暮らしていたようだが、結婚してからはアメリカに移住したはずだ。

 

 いや、どちらにしろわたしには関係のないことか。

 わたしの記憶通りに物事が進んでいるのなら、ポルナレフはとっくの昔に再起不能になっている。

 スタンド使いだと思われることはないだろうが、変に勘ぐられる前にさっさと離れるとするか。

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 頭を下げて足早に螺旋階段を駆け下りて閲覧スペースに移動する。

 本を読みに来ただけなのに、どうしてこんなことになったのか。

 スタンド使いとスタンド使いは引かれ合うという話を聞いたことがあるが、まさか本当に引き合わされるとは思ってなかった。

 あとすこし承太郎が来るのが遅かったら、スタンドを見られていたかもしれない。

 ……そういえばあの男、どことなくジョルノ・ジョバァーナと顔つきが似ていたな。

 

 

 

 

 

 今思えば、これが運命の始まりだったのだろう。

 命を運んでくると書いて運命と読むが、わたしの命は運ばれてきただけでまだ動き始めていない。

 過去に縛られ踏みとどまっているだけでは生ける屍と何ら変わらないのだ。

 わたしが歩み始める切っ掛けになった事件はすぐ側まで迫っていた。



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そいつの名は高町なのは その③

 1999年6月29日の昼過ぎ、その凶報は母の言葉という形で前触れもなく届けられた。

 その日、わたしは定位置となっている休憩室の片隅で、椅子に座ってテレビを眺めていた。

 時間帯が悪かったのか、どのチャンネルも主婦向けのドラマかバラエティ番組の再放送、胡散臭い通販番組しか流れていない。

 正直なところ、あまり面白くはないのだが借りてきた本を全て読み終えてしまって暇だった。

 つまらないテレビ番組を見るのに飽きて足をブラブラさせていると、慌ただしい足音とともに扉が乱暴に開け放たれ母が部屋に入ってきた。

 

「どうしたの?」

 

 わたしの問いかけに母は切羽詰まった表情で何かを言おうとして口ごもってしまった。

 数秒間、目を閉じて思案した後にわたしの目を見ながら発せられた母の言葉は、にわかには信じられないものだった。

 

「ついさっき、士郎さんが『事故』に巻き込まれて病院に運ばれたって連絡が来たの」

「……え?」

 

 数日前から父はボディーガードの仕事で遠方に出かけていた。それ自体は珍しいことではない。

 数ヶ月に一度、父は数日間だけ家を開けて仕事に出かけることがある。

仕事の内容までは知らないが、もしやその仕事で怪我を負ったのだろうか。

 

 怪我の具合を聞こうと口を開きかけたが、母の青ざめた顔色から父の容態が危険な事を察して声を出せなかった。

 これから病院に行くとだけ告げて兄と姉に連絡しに向かった母の背中は、なぜかとても小さく見えた。

 

 

 

 連絡を受けた兄と姉は学校を早退して息を切らせながら大急ぎで翠屋にやって来た。

 あらかじめ呼んであったタクシーに乗って向かった海鳴大学病院の手術室前で、わたしたちは医者から命に別状はないので心配しなくてもいいと説明された。

 怪我の容態は子供のわたしが同伴しているからか、かなり軽い表現で説明されたが、少なくとも四肢の欠損や顔への怪我がないことはわかった。

 

 医者からの説明が終わると、続けざまに近くで待機していた警察官から父がどんな事故に巻き込まれたのか聞かされた。

 事故現場は商店街の一角にある『靴のムカデ屋』という靴屋。

そこで血まみれになって倒れている父と店主の首無し死体が、窓ガラスが割れていて不審に思った通行人に発見されたそうだ。

 

 死因や怪我の原因ははっきりしていないが、室内には何かが爆発したと思わしき痕跡が残っていたらしい。

 だが不思議なことに近隣住人は爆発音を誰も聞いておらず、爆発したと思われる何かのかけらも見つかっていない。

まるで()()()()()()()()()()()ようだと警察官は首を(かし)げながら語っていた。

 

 込み入った話をするため警察官に引きつられて別室に向かっていく母の姿を見つめつつ、わたしは奥歯を噛み締めながら父の身に何が起こったのか考えていた。

 真っ先に思い浮かんだのは爆弾で暗殺されかけたという線だが、その可能性は考えにくい。

 

 爆発物は暗殺でよく使われる手段ではある。

だが、犯人が父を確実に殺す気があったのなら、自宅か翠屋に爆弾を仕掛けていたはずだ。

 実の父親の過去を詮索するのは心苦しいが、全身に刻まれた無数の傷から真っ当な人間ではないことは容易に推測できる。

 だが、心魂が腐った人間ではないのも明らかだ。

オレは裏社会に属している人間を腐るほど見てきた。

 

 オレには崇拝されるような人並み外れたカリスマ性こそ備わってなかったが、組織運営能力と人を見る目なら多少の自信がある。

 最終的に構成員に裏切られてボスの座を乗っ取られたが、あれは部下が勧誘した構成員なので関係ない。

オレの指令なら命すら投げ捨てられる部下だって多くはないが確かに存在した。

 そもそも()の強いスタンド使いを正体を隠したうえで金や恐怖心だけでコントロールしようとしていた時点で無理があったのだ。

 

 ……オレの失態や父の経歴はともかく暗殺の線が薄いとなると、この事故は父の過去や仕事とは関係のない何らかの事件に巻き込まれただけなのかもしれない。

 しかし、暗殺の可能性がまったく無いわけでもない。

爆発音のしない爆弾なんてものは現実には存在しないが、それを実現する手段をわたしは知っている。

 

 例えば、あまり効果的な能力の使い方ではないが、わたしでもキング・クリムゾンで爆弾が爆発する瞬間だけ時間を吹き飛ばして、爆音という過程を知覚させずに爆発した結果だけを残すことは可能だ。

 そう、スタンド能力を使えば警察には証拠の掴めない現象を引き起こすことができる。

 そして爆弾の残骸が見つからないということは、父を襲った犯人は爆弾かそれに近いスタンド能力を持った人間の可能性が高い。

 

 スタンドが発した音は基本的にスタンド使いにしか聞こえない。

 一部の例外として物質と同化したスタンドの音や、物理的に干渉して物音を出した場合、音を出すこと自体がスタンド能力になっているなら話は別だが、それらの例に当てはまるスタンドなら周囲の人間が爆発に気がついていたはずだ。

 

 裏の世界で暗殺者として名の知れているスタンド使い、皇帝(エンペラー)のホル・ホースは拳銃型のスタンドを使うが、その銃声はスタンド使いにしか聞こえない。

 それと同じように爆弾のスタンド使いが出した爆音も、普通の人間には聞こえないのだろう。

 だが、暗殺が目的なら半殺しの状態で父を放置した理由がわからない。

やはり父はスタンド使い同士の戦闘に巻き込まれたのだろうか。

 

 どちらにせよ早急に杜王町で何が起こっているのか調べる必要がある。

 ふつふつと沸き起こる怒りや憎しみに近い感情を誤魔化すために視線を泳がしていると、照明の光を反射して室内を映し出している窓ガラスが視界に入った。

 

 窓の外はすっかり日が暮れて一面の闇に包まれている。そうしていると鏡のように反射している窓ガラスにくっきり写ったわたしと目が合った。

 窓ガラスの向こう側にいるわたしは口元に弧を描きながら、深海を思わせる濁った蒼色の瞳でこちらを見つめてきた。

 

 その目が無敵の能力を使って平穏を維持しろと訴えかける。

 

お前の絶頂を邪魔するものは全て殺せと囁きかける。

 

 違う、わたしはそんなものを望んではいない。

頭を左右に振って心の内に広がった漆黒の意思を振りほどく。

 もう一度、窓ガラスに写った自分の顔を確認すると、そこにはいつもと変わらない無表情なわたしの顔が写っていた。

 

 警察官から詳しい話を聞き終えた母が戻ってきてから九時間が経過した。

すでに日付が変わっており、いつもならとっくに寝ている時間なのだが、不思議と眠気はやってこなかった。

 通路に置かれた長椅子に座って静かにしていると、手術室のランプが赤から緑に変わって扉が開かれた。

 

 話を聞くために立ち上がったわたしたちは、中から出てきた執刀医に無事に手術が終わったことを告げられて安堵のため息を漏らした。

 祈るように父の身を案じていた姉は、経過を見なければハッキリしないが、リハビリこそ必要なものの日常生活を送るのに問題は無いだろうとわかって、気が抜けたのか地面にへたり込んでしまった。

 

 眉間にシワを寄せながら手術室を食い入るように見つめていた兄はへたり込んだ姉を支えつつ、複雑そうな表情を浮かべながら医者の話を聞いていた。

 おそらく後遺症が残る可能性が高いという話を聞いて、父が助かったという嬉しさと以前のような動きができなくなるのではないかという悔しさが綯い交ぜになっているのだろう。

 

 ストレッチャーに載せられて手術室から集中治療室に移された父の姿はとても痛々しいものだった。全身に包帯を巻かれて口には人工呼吸器が取り付けられている。

 薬品の匂いが漂う集中治療室には、心電図の規則正しい電子音と眠っている父の呼吸音だけが響きわたっていた。

 

 この日、父が目を覚ますことは無かった。

数日もすれば目を覚ますと医者に言われたが、二度と父は目覚めないのではないかという不安感が拭えなかった。

 

 もう少し父の様子を見ていたかったが、いつまでも居座るわけにもいかないので、わたしたちは後ろ髪を引かれながらも病院を後にした。

 死ぬような怪我ではないはずなのに、どうしてか不安感が心のなかから消えない。

わたしは夢の中で聞こえてきたアイツの言葉を思い出していた。

 

『自分を知れ……そんなオイシイ話が……あると思うのか? おまえの様な人間が、平穏に暮らせるはずがない。その報いはいずれ周囲の人間に降り掛かってくる』

 

 あの悪夢から目を覚ます直前、わたしは必ずこの言葉を聞かされる。

わたしはレクイエムの呪縛から完全に解放されたわけではないのだ。

 たとえトラウマが見せる妄想だとしても、わたしの心はレクイエムに囚われ続けている。

 

 そしてついに悪夢は現実になってしまった。

偶然だということは理解している。それでもわたしは父に何があったのか調べなければならない。

 スタンドはスタンドでしか倒せない。法ではスタンドが起こした事件を裁くことはできない。

 だからわたしが自分の意志で行動する。

そして父の怪我の原因がスタンド使いなら……わたしの平穏を壊したヤツに然るべき報いを与えてやる。

 

 

 

 

 

 翌日、わたしは『靴のムカデ屋』に忍び込むため昼間から家を抜けだした。

 普段は翠屋に居る時間帯なのだが、人目のある場所から抜け出すのは難しいので、母には調子が悪いので家で留守番すると言っている。

 ……騙して悪いとは思っているが、こうでもしないと平日の昼間に出歩くことなんてできない。

 

 目立たないように裏道を通りながらやって来た靴屋からは人の気配が感じられなかった。

 どうやら今は警察の現場検証は行われていないようだ。

通りに面している窓は粉々に壊されていて、人が勝手に入り込まないようにKEEP OUT(立入禁止)と書かれた黄色いテープが張り巡らされている。

 

 しかも外から中の様子が見えないように、窓ガラスがあった部分が青いビニールシートで封鎖されている。

 仕方がなく裏口に回りこんでみるが、正面と同じようにしっかりと補修されてしまっている。

 二階の窓は開いているが、あそこから入るのは不可能である。

ビニールシートを引き裂いて侵入してもいいが万が一、誰かに見つかると厄介だ。

 

(……しょうがない、数年ぶりに時間を飛ばすか)

 

 スタンドを背後に出して能力を発動させると、依然変わりなく宮殿が世界を包み込んだ。

 滅多にスタンド能力を使う機会がないので、わたしは数えるほどしか発動させた覚えがないが、能力は無事に発動してくれたようだ。

 

 ゆっくりと壁をすり抜けて室内に歩を進めると、すぐに限界になり宮殿が勝手に解除された。

 やはり時を飛ばせる時間がオレと比べるとかなり短くなっている。

腕時計で確認していたが、現実の時間に直すと五秒ほどしか時を飛ばせてないようだ。

 

 全盛期(ディアボロ)の3分の1しか時を飛ばせなくなっているのも厳しいが、それ以上にエピタフを使えないのが厄介だ。

 キング・クリムゾンの額にあるもう一つの顔には、自分の周囲の未来を映写する能力が宿っているのだが、今は眠ったように目と口を閉じてしまっている。

 

 最初はわたしの中からもう一つの人格が消えた影響で使えなくなったのだと思っていた。

 だが思い返してみればジョルノとの戦いのときはドッピオが居なくても使えていた。

そうなるとエピタフが使えないのは、わたしの精神的な問題なのだろう。

 

 裏口の先はキッチンだったようで、何かが暴れまわったのか電気コンロが無残にも破壊されていた。

 しかし不可解なことに、そのほかの調度品はほとんど壊されていない。

爆発で壊されたような跡は残っているのに、どこも焦げていないというのも不自然だ。

 

「やっぱりスタンド使いの仕業なのかな」

「そういうお前もスタンド使いなんだろう?」

「誰だッ!」

 

 わたしは咄嗟(とっさ)に声が聞こえた方向に向けてスタンドの拳を突き出していた。

 しかし手応えは感じられず、ひらひらと一枚の紙切れが宙を舞った。

いや、どうやらこれは写真のようだ。

古びた矢を持った壮年の髪の毛が寂しい男が映っている。

 

 ……待て、この矢には見覚えがある。

そうだ、この矢はオレがエジプトで発掘した『スタンドの矢』の内の一つに間違いない。

 

「待て! わしはお前の敵じゃあないッ!」

 

 写真の中から特徴的な男の声が聞こえてきた。どうやらあの声の主は目の前で浮かんでいる写真の男のようだ。

 必死に敵意が無いことをアピールしているが、わたしは問答無用でスタンドを使って写真の男を掴みこんだ。

 わたしの見た目に騙されて油断していたのか、写真の男を意外なほどあっさりと捕まえることができた。

 

「は、離せ、このクソガキッ! まさかオマエもクソッタレの仗助たちの仲間なのかッ!?」

「わめくな。破り捨てられたくなかったら、わたしの質問に答えろ」

 

 写真を握っている手に力を込めると、ビビったのか写真の男は冬のナマズのように大人しくなった。

 この手のスタンドは厄介な能力を持っていると踏んでいたのだが、思っていたよりも戦い慣れていないようだ。

 さて、この男がどうしてスタンドの矢を持っているのかはわからないが、ここで何があったのか聞き出させてもらうとしよう。



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そいつの名は高町なのは その④

 外見というのは人間の第一印象を決める重用な要素だ。

 鼻や耳にピアスをつけたり刺青をしていれば、それだけで気の弱い人間は萎縮してしまう。

 逆に喧嘩慣れして無さそうな外見なら相手に油断を誘うこともできるだろう。

 

 そういう観点から見れば、幼い子供という見た目もそう悪くはない。

 実際、写真の男はわたしのことを子供だと油断して接近してきた。

 大方、甘い言葉でわたしを騙して利用するつもりだったのだろう。

 

「まずはその矢をどこで手に入れたのか教えてもらおうか。ただし、わたしを騙そうとは思うなよ?」

 

 脅し代わりに写真を少しだけ引き裂くと、写真の男が小さな悲鳴を口から漏らした。

 

 ……やけにうそ臭い反応だな。

 ダメージが本体にフィードバックしているわけでもないのに、反応が大きすぎる。

 パッショーネの暗殺チームに所属していたイルーゾォと同じタイプのスタンドなのか? 

 

 イルーゾォのスタンド、『マン・イン・ザ・ミラー』は鏡の中の世界を創りだし、指定した物体だけを引きずり込むという能力を持っている。

 あくまで空間を作る能力なので出入口となる鏡を破壊されても本体にダメージは入らない。

 写真の男のスタンドが『写真の中の世界』を行き来する能力なら、その理屈が当てはまる。

 

 わたしに抵抗しないのは、写真の中に引きずり込む条件を満たせていないからだろう。

 周囲を見渡すと部屋の片隅に目立たないようにポラロイドカメラが置いてあった。

 しかも写真の男が逃げようとした方向にだ。

 マン・イン・ザ・ミラーが鏡に映った相手しか引きずり込めないように、写真の男のスタンドは写真に写った相手しか引きずり込めないのかもしれないな。

 

「こ、この矢は十数年前にエジプトでとある老婆から手に入れたものだ」

「その老婆は、エンヤという占い師か?」

「ああ、そうだ。わしはヤツに貸しがあって、その報酬としてこの矢を譲り受けた」

 

 写真の男は慌てた様子でべらべらとわたしの問いに答え始める。

 身振り手振りがうそ臭いが話自体は嘘では無さそうだ。

 この世界にもスタンドの矢が存在するとなると、オレとは似て非なるもう一人のディアボロが居る可能性が高くなった。

 

 オレは故郷を焼き払った後、目的もなく旅をしていた時期があった。

 その途中、路銀を稼ぐためにエジプトで遺跡発掘のバイトをしていた時に、偶然にもスタンドの矢を発掘したのだ。

 その際に(やじり)で指を傷つけてしまったのが、オレがスタンド能力ともう一つの人格を開花させた切っ掛けだった。

 

 それから少し経った頃、オレは両方の手が右手のエンヤ・ガイルという不気味な老婆と出会った。

 彼女はその道では有名な占い師で、スタンドの矢を持っているということを占いで予知していたらしい。

 

 エンヤは破格の大金を用意して、オレの持っているスタンドの矢を買い取らせてくれと言ってきた。

 彼女が何に使うため矢を欲しがったのかは分からないが、オレは目の前に積まれた大金に目が眩んだ。

 

 これだけの大金があれば今よりもいい暮らしができる。

 オレと同じ行く当てのない人々の受け皿になれる。

 より優れた運命を選択して絶頂を手にすることができる。

 

 オレは迷うことなく発掘した六本の内の一つだけを手元に残して、残りをエンヤに売り渡した。

 そうして手に入れた金を元手に、裏社会の浄化を名目としたギャング組織『パッショーネ』を作った。

 

 オレがエンヤに矢を売り渡してから数年後、彼女が死んだという話を知った。

 風の便りに聞いた話によると、エンヤはDIOという吸血鬼の信奉者だったらしい。

 嘘か本当か怪しい話だが、エンヤが死ぬ間際に雇われていたと噂されているホル・ホースは、吸血鬼に関係する仕事は絶対に引き受けないと公言しているそうだ。

 

 エンヤが死んだと知って矢の行方を独自に調べたこともあったが、結局どうなったのかは分からなかった。

 エンヤの縁者が持ちだしたか、SPW財団が回収したのだろうと考えていたのだが、まさかその内の一本がこんな近場にあるとはな。

 

「それじゃあ次の質問だ。この靴屋で戦ったスタンド使いは誰だ」

「そ、それを聞いてどうするんだ?」

「いいから黙って答えろ」

「く、空条承太郎という大男と、広瀬康一(ひろせこういち)というチビの学生だ。

 ここで戦ったのはその二人だ! それ以上は何も知らんッ!」

 

 ここで関わってくるか、空条承太郎。

 なぜヤツが日本に来ているのか気になっていたが、スタンドの矢を回収しに来たのなら話の辻褄は合う。

 問題は写真の男が本当のことを言っているかどうかだ。

 

 この男の言い分では、承太郎とコウイチという学生が争ったようだが、なにか隠し事をしているように思えてならない。

 わたしが写真の男を睨みつけると、露骨に動揺して目をそらした。

 嘘はついていないが、真実も喋っていないといったところか。

 

 消去法で考えると、コウイチかムカデ屋の店主が爆弾のスタンド使いということになるが、仮に写真の男が爆弾のスタンド使いの協力者だとして、仲間の名前をわざわざバラすか? 

 

 動揺しているように見えて、写真の男は反撃の機会をうかがっているようにも見える。

 ここは追い詰めて更に情報を吐き出させるべきだな。

 

「そうか、なにも知らないのか。ならばキサマはここで用済みだ」

「ま、待ってくれッ! わしはお前と協力することができるッ!」

 

 わたしの目的は父が怪我をする原因となったスタンド使いたちを、二度とスタンドを使えないように徹底的に傷めつけることだ。

 どんな崇高な理由があったとしても関係ない。

 父が怪我をしたという結果は覆らないのだ。

 

 だが承太郎やコウイチ、写真の男を再起不能にさせたとして、仲間がいないとは限らない。

 全盛期には及ばないにしてもキング・クリムゾンは強力なスタンドだ。

 しかし複数のスタンド使いを相手するのは体力的に無理がある。

 

 ならば最後は裏切るとしても、一時的に写真の男と協力するというのは悪い手ではない。

 それにコイツはスタンドの矢を持っている。

 わたしには必要のないものだが、スタンド使いを増やせば父の怪我を治せる能力を持った者が見つかるかもしれない。

 

 ……まあ、その選択肢はありえないだろうがな。

 この男はわたしのことを舐めきっている。

 最初からコイツはわたしに協力するつもりなんて微塵もないのだろう。

 

「わたしに協力して欲しいのなら、承太郎とコウイチのスタンド能力を教えてもらおうか」

「おお、協力してくれるんだな! ならわしとお前は仲間だ。もういいだろう? さっさと手を離しておくれ」

「……いいだろう」

 

 わたしが手を離すと写真の男がニヤリと笑みを浮かべながら、写真から身を乗り出してポラロイドカメラの方向に糸を飛ばした。

 無論、写真の男が逃げ出すことは想定済みだ。

 エピタフがなくてもこの程度の行動は予測できる。

 

「フッフッフッフッフ、フッフッフッフッフ、まんまと騙されたな。

 誰がお前みたいな生意気なクソガキと手を組むかッ!」

「騙されたのはキサマの方だ、このヌケサクが」

 

 宮殿に取り込まれると、わたしを除いた全てのものの動きは非常に遅くなる。

 いかに相手が素早く動けようが、先に回りこんで対処することは簡単だ。

 

 写真の男よりも先にカメラに近寄ったわたしは、キング・クリムゾンの拳をカメラに振り下ろしながら時を再始動させた。

 

「やはりカメラが能力の発動条件だったようだな」

「な……なにィ───ッ!?」

 

 いきなりわたしが目の前に現れてカメラが破壊されていることに驚いて固まっている写真の男を、すかさずスタンドで握りしめる。

 写真から体を出している今なら攻撃も通用するだろう。

 正直に喋らないのなら拷問も手の一つだ。

 

「き、キサマのスタンドはまさか、空条承太郎のように時間を止める能力なのかッ!?」

「その話、詳しく聞かせてもらおう……なんだ、この音は?」

 

 その話が本当かどうか聞き出そうと手に力を込めかけたその時、裏口の方から戦車のキャタピラが回っているような金属音が聞こえてきた。

 その音を聞いた写真の男が突然、大きな声で騒ぎ始めた。

 

「おお! 来てくれたか、わしの息子よッ! さあ、早くこのクソガキを爆破してくれッ!」

 

 爆破という単語を聞いた瞬間、わたしは理解した。

 爆弾のスタンド使いはコウイチや店主ではない。

 写真の男が呼びかけている息子という人物こそ、父を傷つけた真犯人なのだと。

 

 じっと身動きをせずに裏口を警戒していると、封鎖のために貼られていたブルーシートを突き破って一体のスタンドが突っ込んできた。

 

 前面にドクロのような飾りがついた砲身のない戦車のようなスタンド。

 本体が目に見える範囲に居ないということは、遠隔操作型のスタンドなのだろう。

 能力は不明だが爆発に関する能力を持っていると考えて対処したほうが良さそうだ。

 スタンドの右手で写真の男を掴んで、空いた左手で迎え撃つために構えを取る。

 

「コッチヲ見ロォ~~~ッ!」

「キング・クリムゾンッ!」

 

 無機質な声を出しながら一直線に向かってくる敵スタンドに向けて、渾身の力を込めた拳を叩きつける。

 殴り飛ばされた敵スタンドは、窓の付近で遠隔操作型とは思えない凄まじい爆発を起こして、貼ってあったブルーシートを吹き飛ばした。

 

 煙の中から這い出てきた敵スタンドは、ほとんどダメージを受けた様子がなかった。

 キング・クリムゾンは精神的な影響で能力が劣化しているとはいえ、パワーやスピードは全盛期と同等のレベルまで戻っている。

 それなのにここまで攻撃が通用しないのは異常だ。

 

 このまま片手で戦い続けるのは難しいと、今までの経験が警笛を鳴らす。

 少し悩んだが、わたしは写真の男から手を離して、両手を使って戦車のスタンドに殴りかかった。

 時を飛ばすには数呼吸、間を置かなければならない。

 それまでの時間を稼ぐにはこうするしかなかった。

 

「コッチヲ見ロッ!」

「クッ……」

 

 両手を使った殴打を何発食らわせても敵スタンドは動きを止めない。

 履帯(りたい)が外れて全体にへこみができても、スタンドの動きは一向に弱まらなかった。

 決して倒されることのないスタンドなら知っているが、これほどまでに耐久度の高いスタンドは初めて見た。

 

 本体を探そうにも、遠隔操作型のスタンド使いが近くに隠れているとは考えにくい。

 そもそも顔や名前すら分からない相手を探す手段がない。

 

 写真の男もドサクサに紛れて逃げ出したようだ。

 今から追いかけてもすでに手遅れだろう。

 最低限の情報と承太郎のスタンド能力が分かっただけでも十分の収穫だ。

 

 性懲りもなく飛びかかってくる敵スタンドを外に投げ飛ばし、時を吹き飛ばす。

 そのまま表通りに移動すれば、敵はわたしの姿を見失うだろう。

 

 ここで一時『退く』のは敗北ではない。

 次に繋げるための一手だ。

 次こそは必ず正体を掴んでやる。

 

 ひとまず表通りに撤退したわたしは、一旦家に帰り写真の男が喋っていた人物の名前を紙に書き写していた。

 フルネームがわかっているのは空条承太郎とヒロセコウイチの二人、名前だけわかっているのはジョウスケという人物だ。

 名前からして男だろうが、年齢と容姿がわからないので探しようがない。

 

 空条承太郎に関しては容姿も名前も判明しているが、どこに宿泊しているのかわからない。

 運任せで街を歩き回って見つけられるとも限らない。

 そうなると比較的調べやすいのはヒロセコウイチという学生だ。

 

 電話帳でヒロセという苗字の家を探して電話をかけまわれば、いずれは行き着く。

 あとは住所を調べて家に乗り込めばいい。

 コウイチが承太郎や写真の男と繋がりがあるなら、連絡先を知っているはずだ。

 

 だが行動を起こす前に、考えておかなければならないことがある。

 それは承太郎のスタンドにどう対処するかということだ。

 

 写真の男はコウイチのスタンド能力を簡単にバラそうとした。

 そのことから考えるに、この二人は恐らく仲間では無いのだろう。

 仮に仲間だとしても、利用しあうだけの関係のはずだ。

 

 そうなるとコウイチは承太郎と繋がっている可能性が高い。

 その場合、コウイチに手を出すと承太郎が出張ってくるのは確実だ。

 それに承太郎も父の仇の一人である。

 

 ヤツのスタンド、『スタープラチナ』の能力は謎に包まれていた。

 

 ダイヤモンドと同等の硬さのスタンドを砕き、ゼロ距離で放った銃弾すら掴むことのできる精密さを持っているという話は有名だが、能力については誰も知らないのだ。

 

 恐らく時間を止めるという能力を意図的に使っていなかったのだろう。

 もしくは使わざるを得ない状況に陥ることがなかったのか。

 

 キング・クリムゾンもスタープラチナと同じ近距離パワー型のスタンドで、時間に関係する能力という共通点を持っている。

 だが能力の本質は全く違う。

 実際に戦ってみなければ分からないが、回避に特化している時飛ばしとは違い、 時止めは攻撃にも応用できる能力のはずだ。

 

 問題はヤツが何秒、時間を止められるかどうかだ。

 一秒か、十秒か、一分か、それで対処の方法が変わってくる。

 しかも下手に時を飛ばせば、能力を再発動させるまでの間に時間を止められて攻撃される可能性がある。

 

 未成熟な体で近距離パワー型スタンドの一撃を受ければ、一発で再起不能になってしまうだろう。

 ならば時間を止めても攻撃できないような状況を作ればいい。

 ヤツはわたしのスタンド能力を知らないのだ。

 

 それなら不意を突く方法はいくらでも存在する。

 わたしはドス黒い感情が心の中に広がっていくのを感じながら、誰もいない家の中で一人静かに計画を練り始めた。




Q.『アトム・ハート・ファーザー』と『マン・イン・ザ・ミラー』って本当に同じタイプのスタンドなの?

A.違います。
『アトム・ハート・ファーザー』は撮影したばかりのポラロイド写真に写っている人物の魂を写っている空間に閉じ込め、本体が写真の中で閉じ込めた魂を傷つけると実際にダメージが伝達する能力。
鏡面に映り込んでいる対象を攻撃することで、その対象にダメージを伝達させる『ハングドマン』と同じタイプのスタンドです。
『マン・イン・ザ・ミラー』は現実世界が元となった無機物が反転していて生物のいない鏡の中の世界を創りだして、出入口となる鏡から本体が取捨選択したものを出入りさせる能力。
何かに挟まれることで、基本世界が元となった隣の世界と行き来できる『D4C』と同じタイプのスタンドです。


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そいつの名は高町なのは その⑤

 過去の繋がりを完全に断ち切ることは不可能だ。

 ジョースター家とDIO(ディオ)の因縁が百年経っても続いているように、深く刻まれた因果は関わったものをがんじがらめに縛り付ける。

 

 高町なのははディアボロではない。

 どれだけ内面が似ていたとしても、なのははディアボロとは違う道を歩んでいる。

 だが彼女は過去に囚われ続けている。

 

 恐怖とはまさしく過去からやって来る。

 レクイエムから解放されているにも関わらず夢を通して死を体験し続けているのも、未熟な過去を乗り越えられていないからだ。

 

『運命の車輪』は確実に回転していく。

 ディアボロが弓と矢を発掘してエンヤに売ったことで始まった運命の流れは確実になのはの元に迫っていた。

 運命から逃げていては何も始まらない。運命とは自分で切り開くものなのだ。

 

 なのははまだ、自分の意志で道を選択する余地のない『ぬきさしならない状況』に陥っていない。

 選んだ道が近道か遠回りかはともかく、自分でどの道を進むか選択することはできる。

 

 その結果がどうなるかは誰にもわからない。

 しかしこれから起こる出来事は、結果から見ればなのはが歩み始める切っ掛けとなるだろう。

 それがなのはの意図する展開ではなかったとしてもだ。

 

 

 

 

 

 広瀬康一は、ぶどうヶ丘高校に通っているどこにでもいるような普通の男子学生だ。

 身長と体重が高校一年生の全国平均を大きく下回っているのが彼の個人的な悩みだが、それ以外に目立つところもなくクラスメイトからの評価もいたって平凡である。

 

 塾に通っているが勉強はあまり出来る方ではない。

 最近は少々性格のキツイ同級生の少女に勉強を教えてもらっているのでマシになったが、結果が現れるのはもう少し先になるだろう。

 

 そんな彼がスタンド使いになったのは今年の四月のことだ。

 ひょんなことから知り合ったリーゼントがトレードマークの同級生、東方仗助(ひがしかたじょうすけ)と共に近所の廃屋に近づいた際に、隠れ潜んでいた虹村形兆(にじむらけいちょう)という同じ学校に通う上級生に『スタンドの矢』で射抜かれた。

 

 矢に選ばれなかったものはどんな部位に当たろうが死んでしまう。

 康一は狙いすましたかのように喉を貫かれてしまった。

 だがほんのちょっぴりだけ矢に選ばれていたが故に即死しなかった。

 

 瀕死の怪我を負った康一を救ったのが仗助だ。

 彼は触れたものを元の状態に戻すという珍しいスタンド能力を持っていた。

 

 本来は死んでしまう状況から救われた康一に発現したのは、直径三十センチほどの大きさの緑と白のまだら模様をした鶏の卵のようなスタンドだった。

 

 スタンドとは精神が具現化したものだ。

 攻撃的で醜悪な精神をしているのならそれ相応の外見と能力を持ったスタンドになる。

 スタンドとはスタンド使いの性質を表す鏡のようなものなのだ。

 

 康一の場合は精神が未熟だったため、殻に閉じこもった何も出来ないスタンドとなってしまった。

 しかし逆に考えれば、どんな形にも成長しうる可能性を秘めたスタンドとも言える。

 

 康一はスタンド使いになってからの数ヶ月で様々なスタンド使いと渡り合った。

 その経験が彼の精神とスタンドを大きく成長させた。

 

 母と姉を守りたいという決心が、追い詰められた状況を打開したいという恐怖が、自分を庇ってくれた承太郎の気持ちに答えるための覚悟が、彼のスタンドの殻を破り脱皮という形で進化をもたらしたのだ。

 

「ぼくは塾に行く準備をしてから合流するよ」

「それじゃあ、おれと仗助は先に病院に向かっとくぜ」

「承太郎さんも時間を合わせて来るから遅れるなよ?」

 

 わかってるよと答えながら康一は手を振って駅に向かう仗助と億泰を見送った。

 彼らは高町士郎の治療と事情を説明するために海鳴大学病院に出向くことになっている。

 

 本日の日付は七月一日、この日の時点でムカデ屋での事件から二日が経過していた。

 士郎がどこに入院しているかは桃子とトニオが知り合いだったためすぐに分かったのだが、実際に行動するのには準備が必要だった。

 

 表向きには士郎はSPW財団が経営している病院に移送されることになっている。

 いきなり仗助のスタンドで大怪我を完治させてしまうと大騒ぎになってしまうからだ。

 

 スタンド能力は大っぴらにするものではない。

 仗助のスタンド能力が万が一にでも広まったら、ろくな事にならないのは目に見えている。

 だからこそ病院関係者を誤魔化すために多少の時間を要した。

 

 今現在、この町には多数のSPW財団の人員が待機している。

 理由としてはスタンド使いが杜王町で起こした事件を内々で処理するためというのもあるが、スタンドの矢を回収することも仕事に含まれている。

 

 康一や仗助、承太郎とその仲間たちは杜王町に潜む殺人鬼『吉良吉影(きらよしかげ)』を追いかけている。

 ただの殺人鬼なら警察に任せるのが妥当だが、吉良はスタンドを使って人知れず殺人を行っていた。

 

 地球ではスタンドを使った犯罪を法律で裁くことができない。

 魔法や稀少技能(レアスキル)といった超常的な現象が日常となっている管理世界とは前提が違うのだ。

 

 調査機関や法的機関に所属しているスタンド使いや、スタンドを知っている普通の人間も僅かながらに居るものの、あてに出来るほど人数が多いわけではない。

 だからこそスタンド使いの犯罪はスタンド使いが止めなくてはならない。

 

 しかし四六時中、吉良を探すのに時間を割り当てられるわけではない。

 ある程度自由に予定を立てられる漫画家や調査の一環として滞在している海洋学者、仕事から引退して隠居生活に入っている老人とは違い、吉良を追っている者の大半は学生なのだ。

 

 放課後や休日の時間を吉良の捜索に割いているが、連続殺人犯を追いかけているからといって学校を休むわけにはいかない。

 正義感で動いているからといって日常生活を投げ出すわけにはいかないのだ。

 

 急ぎ足で家に帰った康一は、玄関の前で死んだように眠っている大型犬──ポリスの背中をいつものように軽く踏んだ。

 相変わらず身じろぎ一つしないなと思いながら玄関のドアに手をかける。

 

 しかしドアは開かない。

 この時間帯は康一の母親が在宅しているので玄関の鍵が開いているはずなのだが、今日に限って鍵がかけられていた。

 

 鍵がかかっているということは買い物にでも出かけたのだろう。

 そう思った康一は通学カバンから家の鍵を取り出してドアの鍵穴に差し込んだ。

 

「ただいまあ」

 

 誰も居ないのはわかっているが、いつもの癖で挨拶を口にする。

 康一の予想通り誰の返事も帰ってこない。

 やっぱり誰も居ないのかと思い靴を脱いだ康一は違和感を覚えた。

 

 出かけているはずの母親の靴がなぜか玄関の三和土(たたき)に置かれたままなのだ。

 それに室内の電気がついたままなのもおかしい。

 康一の母親はこういう細かいところはシッカリしているはずだ。

 

 以前、康一の家に小林玉美(たまみ)というスタンド使いのゆすり屋が入り込んでいたときのような嫌な予感を感じた康一は一メートルほどの大きさの人型スタンド『エコーズACT3(アクトスリー)』を出しながらリビングのドアをゆっくりと開けた。

 

「かあさん……?」

 

 康一の母親は窓際に置かれている二人掛けのソファーにもたれ掛かって眠っていた。

 何かがおかしいと直感的に思った康一が近寄ろうとしたそのとき、母親がもたれ掛かっているソファーの背後から幼い子供のような声が聞こえてきた。

 

「おまえが広瀬康一だな」

 

 その声色は思わず康一が息を呑むほど恐ろしく冷たいものだった。

 いきなりの問いかけに康一が返事もできずに固まっていると、ソファーの背後にニメートル近い大きさの人型が浮かび上がった。

 

 赤と白の二色で彩られた人型が、憤怒の形相を浮かべながら康一を睨みつけている。

 現れた人型の姿に見覚えはないが、それの正体を康一は瞬時に理解した。

 

「スタンド使いだとッ!? 母さんに何をしたッ!」

「わたしはおまえが誰かと聞いているんだ。質問に質問で答えるのは礼儀がなってないぞ」

 

 身構えた康一をたしなめながら、声の主がゆっくりとソファーの脇を回りこんで母親の隣に腰掛けた。

 康一の立ち位置からだとスタンド像が邪魔をしていて本体の姿はよく見えなかったが、髪型と身長ぐらいは見て取れた。

 

 康一よりも頭ひとつ小さい背丈と左右に別れたツインテール。

 チラリと見えた服装からして少女であることに間違いは無さそうだが、感情を感じさせない冷徹な声は何十年も生きているような重みを漂わせていた。

 

「ぼくが広瀬康一だ。さあ、答えたぞ! 次はおまえがぼくの質問に答える番だッ!」

「そんなに心配することはない。当て身で気を失わせているだけだ。放っておけばそのうち目を覚ますだろう」

 

 少女は単調な調子で康一の質問に答えた。

 どこか機械的な印象すら感じられる口調に康一は冷や汗を流した。

 お互いの距離は約5メートル、すでにACT3の射程距離内に入っているにもかかわらず康一は身動きをとれずにいる。

 

 母親と敵スタンドの距離が近すぎるため迂闊に手を出せないのだ。

 康一の眼前に佇んでいる真紅のスタンドはどこからどう見ても近距離パワー型のスタンド。

 普通の人間と比べると素早い動きができるACT3だが、承太郎のスタープラチナや仗助のクレイジー・D(ダイヤモンド)と比べるとどうしても見劣りする。

 

「では次の質問だ。おまえは二日前の午後、靴のムカデ屋で空条承太郎と共に爆発する戦車のようなスタンドと戦ったな」

「たしかに戦ったけど……どうしてそんなことを聞くんだ?」

「……認めたな。ならばキサマは今この時からわたしの敵だ。二度と戦えないように再起不能になってもらうッ!」

 

 てっきり少女のことを吉良の仲間か何かかと思っていた康一には、質問の意図がさっぱり分からなかった。

 だが康一の回答は少女が感情を露わにする理由となった。

 敵意をむき出しにしてソファーから立ち上がり襲いかかってきた少女の言葉の端々には、肌で感じられるほどの怒気が込められていた。

 

「迎撃しろ! ACT3(アクトスリー)ッ!」

「了解シマシタ。『3(スリー) FREEZE(フリーズ)』」

 

 いきなり態度が急変したことに驚きながらも、康一はスタンドに命令を下す。

 エコーズの第三形態は自我を持っていて、本体が命令すれば自動的に対処することができる。

 

 ACT3は拳で触れたものを重くする能力を持っている。

 ACT3の殴打をスタンドでガードすればそれだけで能力が発動して本体にも影響が出るのだ。

 素早さや力で劣っていたとしても、真正面からの殴り合いなら拳を触れさせることなど難しくないと康一は考えた。

 

「選択を誤ったな、広瀬康一」

「なッ!?」

 

 康一の攻撃は一発も敵を捉えることはなかった。

 少女と真紅のスタンドは康一の視界から掻き消え、音もなく背後に回りこんでいたのだ。

 

 スタンドを戻そうと思った時にはすでに手遅れだった。

 腕と足に車で()ねられたかのような衝撃を受けた康一は、窓に突き破って屋外にふっ飛ばされた。

 

 生け垣に突っ込んだので地面を転がるようなことにはならなかったが、手足は完全に使い物にならなくなっていた。

 これではスタンドを十全に扱うのは難しいだろう。

 

「なに……が……起こったんだ……まさ……か、時間を止めたのか……?」

「空条承太郎のスタンド能力と一緒にするんじゃあない」

 

 頭から血を流してうずくまっている康一の胸ぐらを、真紅のスタンドが掴んで持ち上げる。

 肉が裂け骨が露出するほど折れ曲がった手足が、粗雑に持ち上げられたことで悲鳴を上げた。

 

 全身に走った激痛で泣きわめきそうになった康一は、奥歯を噛み締めて声を出さないように必死に堪えた。

 下手に騒いで近所の住人が様子を見に来たら巻き込んでしまうと思ったからだ。

 

「なんで……急所を外したんだ……」

「キサマが承太郎をおびき寄せるための撒き餌だからだ。ヤツが泊まってるのは杜王グランドホテルの324号室なんだろう? 

 仲間の連絡先を固定電話のそばに置いてあるアドレス帳に書いておくなんて、不用心すぎるんじゃあないのか?」

 

 息も途絶え途絶えになっている康一にアドレス帳を見せつけた少女は、スタンドの脚力で生け垣を飛び越えて裏道に移動した。

 そこには、そこらのチンピラが乗っていそうな型落ちのセダンが停車していた。

 タイヤがすり減りボディが薄汚れていることから、納車からそれなりの年月が経過しているようだ。

 窓ガラスが全てスモークになっていて中の様子が見えないようになっている。

 

 少女は後部座席のドアを開けて乱暴に康一を押し込むと、助手席に移動して運転席にスタンドを座らせた。

 スタンドで車のキーを回してエンジンを始動させた少女は、おもむろに折りたたみ式の携帯電話を取り出して、杜王グランドホテルの電話番号を打ち込み始めた。



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キング・クリムゾンv.s.(バーサス)スタープラチナ その①

 杜王グランドホテルは海岸から駅までの間にある農業地帯の境目近くに建っている大きなホテルだ。

 杜王駅から直行のバスが出ていて十五分もあれば行き来することができる。

 

 プライベートビーチも完備しており、スイートルームからは杜王町の町並みが一望できる。

 承太郎はこのホテルのスイートルームに四月から宿泊している。

 

 当初はこれほど長期に渡って宿泊し続ける予定ではなかった。

 承太郎がこの街に来た理由は自身の祖父であるジョセフ・ジョースターの隠し子──東方仗助が杜王町に住んでいることが発覚したからだ。

 

 承太郎は加齢により身体能力が落ち気軽に身動きのできないジョセフの代わりに顔合わせと遺産相続の話をするため、一週間ほど滞在する予定だった。

 しかし杜王町に『スタンドの矢』があると発覚して、急遽予定を変更して街に残っているのだ。

 

 その後、紆余曲折を経て形兆の持っていた矢は確保したのだが、それだけで事態は終息しなかった。

 形兆を殺して矢を奪った音石明が増やしたスタンド使いの後始末、そして仗助たちの友人を殺した殺人犯──吉良吉影を探すため帰国できないでいる。

 

「おい、じじい。支度は終わったか? そろそろ出ねえと予定の時間に遅れるぞ」

「そう()かさんでくれ。ちょこっとトイレに行っておっただけじゃろうに」

 

 ホルスタイン柄の帽子を手に持ってソファに腰掛けていた承太郎が、手を拭きながらトイレから出てきた大柄な老人──ジョセフ・ジョースターを急がせる。

 不満気な声を上げながらもジョセフは背筋をピンと伸ばして、落ち着いた足取りで承太郎のもとに歩み寄った。

 

 杜王町に来た当初は歩くのに杖が必要で認知症も進みかけていたのだが、トニオのスタンド能力により抱えていた持病の数々が改善したことで以前のような精気を取り戻しつつある。

 ジョセフの帽子を手渡した承太郎が袖をまくり腕時計に目をやると三時半を指していた。迎えの車が来る時間が迫っている。

 

 SPW財団の本部はアメリカのテキサス州ダラスにあるが、東京の目黒にも支部がある。

 そしてSPW財団の正式な人員ではないが、この街にも何人かの関係者が住んでいる。

 その関係者の代表が気を利かせて移動用の足として車を用意したのだ。

 

 関係者の家系は名家として有名で、M県でも一二を争う資産家だ。地元の施設に顔が利くので今回の件の火消しに協力している。

 

『とうおるるるるるるるるるるるるるるる とうおるるるるるるるるるるるるるるる』

 

 ジョセフに帽子を渡して机の上に置いていたルームキーを手に取ろうとしたとき、部屋に備え付けられた電話が鳴り響いた。

 仗助たちは病院に向かっているはずの時間に一体誰が電話をかけてきたのかと思いつつ、承太郎は怪訝な顔で受話器を耳に当てた。

 

『じょ……承太郎さん……』

「この声は……康一くんか? 息が荒いようだが、なにかあったのか?」

『新手の……新手のスタンド使いに襲われたんです! 気をつけてくださいッ! ヤツは──ぐあッ!?』

「おい、どうした! 大丈夫かッ!」

 

 何かがへし折れるような鈍い音とともに康一の声が途切れる。声を荒らげ承太郎は康一に安否を問いかけるが、受話器から聞こえてくるのは、康一のうめき声と車のエンジン音だけだった。

 

『広瀬康一の身柄はわたしが預かっている。助けたければ三十分以内に杜王港の埠頭にある灯台まで一人で来い』

「……やけに若い声だな。いや、若いというよりは幼いと言うべきか。てめーは吉良吉影の仲間か?」

 

 胸底からこみ上げてくる感情を理性で抑えこんだ承太郎は、明確な意思を込めて淡々と話している少女が何者なのか推し量ろうとしていた。

 

 康一を誘拐したと思わしき人物の声は、承太郎が想像していたよりも遥かに若かった。

 今年で六歳になる承太郎の娘、空条徐倫(くうじょうジョリーン)と同年代と思えるほどに幼かったのだ。

 

 子供のスタンド使いは珍しいが全くいない訳ではない。

 実際、ジョセフと仗助は杜王町で赤ん坊のスタンド使いを保護している。

 しかし子供は精神が未熟なためスタンドを持て余すことが多い。

 スタンド能力を暴走させたり高熱を出すことがあるのだ。

 

 スタンドとは闘争心が具現化されたものだ。

 何かと戦おうとする意思の薄いものはスタンドを使いこなせない。

 承太郎もスタンドが発現した当初は思い通りに扱いきれなかった。

 

『そいつが爆弾のスタンド使いか写真の中にいる男のことを指しているのなら、わたしは仲間ではないとだけ答えておこう。手遅れにならないうちに指定した場所に来るんだな』

 

 承太郎の質問にそっけなく答えた少女は、返答を待つこと無く一方的に通話を切った。

 これ以上話すことはないと言わんばかりの態度だった。

 無言で受話器を戻した承太郎は、隣で険しい表情をしているジョセフに声をかけた。

 

「電話の内容は聞こえてたか」

「ああ、シッカリと聞こえておったわい。どうするんじゃ、承太郎。誘拐犯の言葉を信用するのか?」

「おれは康一くんを誘拐した犯人は吉良の仲間ではないと思っている。仮に繋がりがあったとしても協力しあうような関係じゃあないだろうな」

 

 電話をかけてきた子供は吉良の仲間ではないと言っていたが、その言葉が真実だと断定するには判断材料が少なすぎる。

 承太郎たちの現状から考えると、普通は真っ先に吉良が仕掛けた罠だと思うだろう。

 しかし承太郎はわざわざ子供を使って電話をしてきたことに引っかかりを覚えた。

 

 吉良は辻彩(つじあや)というスタンド使いを脅して、人相や指紋を変えて別人になりすましている。その際に声も変えているはずだ。

 

 唯一、現在の吉良の顔を知っている辻彩は既に殺されてしまった。

 些細な証拠を残さないように本人が電話しなかったとしても、吉良に協力している写真の男、吉良吉廣(きらよしひろ)に電話させればいいはずだ。

 

 それに電話してきた子供の声から脅されているような雰囲気は感じられなかった。

 しかし承太郎をおびき寄せる理由は分からないが、なにか明確な目的を持っているのは明らかだった。

 

「じじいは病院にいる仗助たちになにがあったのか伝えに向かってくれ。おれが康一くんを助けに行く」

「……仗助たちと合流したらすぐに港に向かう。承太郎、くれぐれも無茶をするんじゃあないぞッ!」

 

 時間にして五秒ほど黙りこくった後に、ジョセフは神妙な面持ちで承太郎が単独行動するのを認めた。

 ジョセフは納得いかない様子だったが、誘拐犯が指定したタイムリミットは刻一刻と迫っている。

 みすみす敵の術中に飛び込むような真似をさせたくはなかったが、ジョセフが思いついた選択肢の中ではこれが最善だったのだ。

 

 海鳴大学病院は海鳴市の中心部にある。

 杜王町からは距離が離れているため、どれだけ急いだとしても三十分で杜王港にたどり着くのは不可能だ。

 杜王町に住んでいて、すぐに連絡がつくスタンド使いの名は何人か思い浮かんだが、戦闘に向いているかと言われると答えは微妙なところだ。

 

 康一と仲の良いスタンド使いは仗助と億泰を除くと二人いるが、一人は戦闘に向いているスタンド能力ではない。

 もう一人にいたっては康一が人質になっていると知れば、暴走して誘拐犯を八つ裂きにしようとするだろう。

 

 ジョセフ本人が付いて行っても足手まといになるのは本人が一番理解している。

 十年前なら承太郎とともに戦えただろうが、衰えた今の体ではとてもではないが戦えない。

 

 話をそこそこで切り上げ足早にホテルを後にした二人は即座に移動を始めた。

 ジョセフは迎えの車に乗って病院に、承太郎はタクシーに乗って港へと向かう。

 車の窓から港の方向を眺めつつ、ジョセフは承太郎と康一の身の安全を祈っていた。

 

 

 

 

 

 港の入り口でタクシーから降りた承太郎は、スタンドを背後に待機させながらゆっくりと灯台の(もと)へと進んだ。

 敵の人数やスタンド能力が分からないため、スタンドを常時展開して不意打ちに対応できるようにしているのだ。

 

 サマーシーズンに入ったとはいえ、港の貨物エリア付近は人気が少ない。

 今日は貨物船が入港していないのも合わさって、作業員の姿も見当たらなかった。

 誘拐犯が指定した場所は港の貨物エリアの更に先にある。

 以前、音石明と仗助たちが戦った場所だったため、承太郎も道順は把握していた。

 

(防波堤の手前にセダンが停まっているが……あれが誘拐犯の車のようだな。わざと窓を開けて康一くんの姿が見えるようにしてやがる)

 

 埠頭沿いに灯台へと向かっていた承太郎は、すぐに康一を見つけることができた。

 スタープラチナの優れた視力で、口に猿轡(さるぐつわ)を噛まされてぐったりとしている康一の姿を確認して、警戒心を高めながら歩く速度を早めた。

 

 灯台は船着場の端から伸びている防波堤の先端に建っている。恐らく、誘拐犯は灯台の上から一人で来たかどうか確認していたのだろうと承太郎は当たりをつけた。

 

 車の周囲に人影はない。

 コンテナや運搬物が放置されているため身を潜められる場所は多いが、背面が海に面しているため自ずと潜んでいる場所は絞られる。

 なにか異常があればすぐに時間を止められるように神経を研ぎ澄ませつつ、承太郎はセダンに近寄り康一の安否を確認した。

 

(手足の骨が砕かれているが出血は少ない。どうやら命に別状はないようだな。誘拐犯がどこに居るのかはわからねーが──ッ!?)

 

 窓から手を突っ込んで康一を引っ張りだそうとしたその時、承太郎はいくつかの違和感を感じ取った。

 まず最初に気がついたのは、鼻を突くガソリンの匂いだった。

 遠目では分からなかったが、車のタンクからガソリンが漏れ出ていたのだ。

 よく見ると車の内部にも液体が撒かれたような跡が残っていた。

 

 続いて感じたのは言葉では言い表せない奇妙な感覚だった。

 あえて表すなら十年前、DIOによって時間を止められたときに感じた感覚が近かった。

 承太郎はその違和感の正体を確かめるよりも早く、脳裏に過ったスタンド使いとしての勘に従ってスタンド能力を発動させた。

 

「スタープラチナ・ザ・ワールド!」

 

 その瞬間、一定の間隔で聞こえていた波の音が消え去り、世界が灰色に染まる。

 時が止まった世界で動けるのは、同じタイプのスタンド使いだけだ。

 時間を吹き飛ばせるキング・クリムゾンでも、時が止まった世界を認識することはできない。

 

 すぐさま振り返った承太郎は、先ほどの直感の正体を理解した。

 距離にして五メートルほど離れた空中で、火炎瓶が固定されたように静止していたのだ。

 

 時間が止まるとすべてのものの動きは停止する。

 燃え盛っているであろう炎も、時間が止まったことで完全に静止していた。

 あと一秒時間を止めるのが遅ければ、承太郎は康一共々気化したガソリンの爆発に巻き込まれて火だるまになっていたであろう。

 

 空中で止まっている火炎瓶をスタンドで海に向かって投げ捨てながら、承太郎は貨物置き場を見渡した。

 しかし火炎瓶が飛んできた方向には、積み重ねられたコンテナとフォークリフトが放置されているだけで人の姿は見当たらない。

 

「……時は動き出す」

 

 その言葉が合図となり世界に色が戻る。

 海に落ちることなく空中で浮かんでいた火炎瓶が、時が動き出したことにより物理法則に従い動き始める。

 地面にぶつかって砕け散る運命だった火炎瓶は、海の中へと沈んでいった。

 

 今現在、承太郎が止められる時間は最大で二秒。

 それだけの時間で車の中から康一を助けだすのは、最初から不可能だった。

 車のドアをこじ開けるだけなら可能だったが、誘拐犯が罠を仕掛けている可能性を考えて、どこから火炎瓶を投げたのか確認するために残った時間を費やした。

 

 康一が乗せられた車を守るように立ちながら、承太郎は睨みつけるように貨物置き場を凝視する。

 火炎瓶が飛んできた方向から考えて、誘拐犯が隠れているのは貨物置き場だろうと承太郎は推測した。

 

 承太郎の読みは合っていた。積み重ねられたコンテナの内の一つの扉がゆっくりと開き、中から小柄な少女が飛び降りてきたのだ。

 着地の瞬間に真紅のスタンドを展開して衝撃を逸らした少女は、承太郎から十五メートルほど離れた位置で立ち止まった。

 

 潮風に吹かれて左右に垂れた少女のツインテールが波を打つ。

 真紅のスタンドの背後に隠れるように立っている少女は、蛇のような冷たい目つきで承太郎の様子を凝視している。

 その瞳は泥水のように濁りきっていた。

 

「てめーとは図書館で一度会ったことがあるな。まさか、写真の親父にスタンドの矢で射られて吉良に協力してるのか?」

 

 スタンドの矢には隠された能力が幾つかある。

 代表的なのは、矢が自分の意志で持ち主に協力的な人物を選ぶ力だ。

 過程はどうであれ、選ばれた人物は矢の持ち主に協力するのだ。

 

 その他にも、もう一度スタンドや本体を射抜くことで新たな能力に目覚めたり、スタンドの才能がある人物を探す力もある。

 矢によって個体差があるものの、その内のいずれかの能力は必ず持っているのだ。

 

 もっとも、この質問は少女が吉良の仲間かどうか見極めるためのものではない。

 承太郎は少女が吉良の仲間ではないと確信している。

 もし彼女が吉良の仲間なら、熱源を自動的に追尾して爆破する爆弾戦車──シアーハートアタックの動きを阻害する行動をするはずがないからだ。

 

「スタンドの矢に射られた覚えは無い。そしてヤツらはキサマらと同じく、わたしの敵だ。キサマを再起不能にしたあとに、ゆっくりと始末させてもらうッ!」

「なに──ッ!?」

 

 背筋が寒くなるような敵意とともに少女の姿が忽然(こつぜん)と掻き消えた。

 承太郎はスタンドの中でも特に優れた動体視力を持っているスタープラチナで少女の動きを観察していたが、それでも消える瞬間を見逃してしまったのだ。

 

 超スピードではない。予備動作すら見えなかった。それなら瞬間移動だろうか? 

 いや、何かが違うとスタンド使いとしての勘が告げる。

 承太郎は周囲の警戒を怠ることなく、同時に目まぐるしい速度で少女のスタンド能力を推測していた。

 

 先ほどの質問の回答から、少女が()()()()では無いことはわかっていた。

 だがその点を踏まえても、承太郎の目には少女が得体のしれないもののように映っていた。

 外見や声色こそ幼い子供そのものだが、その小さな体から発せられる凄みが釣り合っていなかったのだ。

 

 DIOほどではないものの、並大抵のスタンド使いでは出せないような凄みを発する人物がただの子供だとは思えない。

 子供の頃から()()()()()()性格だった承太郎でも、これほどまでにアグレッシブな行動は取らないだろう。

 

 少女が何者かは分からないが、歳相応の相手では無いことは明確である。

 誘拐犯の少女が次にどんな手で攻めてくるのか警戒しつつ、承太郎は二度に渡って感じ取った謎の感覚の正体を見極めようとしていた。



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キング・クリムゾンv.s.(バーサス)スタープラチナ その②

 反射的に能力を発動させた承太郎は、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま時が止まった世界をぐるりと見渡した。

 奇妙な感覚を感じ取った時には、すでに姿を消していた少女──高町なのはの不意打ちに反応するために、反射的に時間を止めざるを得なかったのだ。

 

 強烈な海風が吹いてるとはいえ、気化したガソリンは車内に充満したままだ。

 康一を守るため車の側から動こうとしない承太郎は、スタンドと自分の視界を共有しながらコンテナやフォークリフトが置かれている辺りをじっと見つめつつ、自分の置かれている状況を分析していた。

 

(あの子供は少なくとも二回、スタンド能力を発動させている。どういう能力かハッキリとは分からんが、風を切る音もなく火炎瓶を投げたり姿を消すことができるのは分かった)

 

 承太郎が仲間内や敵から最強のスタンド使いと呼ばれている理由は、時を止められるからではない。

 人並み外れた洞察力と冷静さ、そして並大抵のことでは揺るがない度胸こそが最強のスタンド使いと呼ばれる所以(ゆえん)なのだ。

 

 能力をマトモに受けると一撃で再起不能になる可能性が付きまとっているスタンド使い同士の戦いでは、単純な頭の良さよりも瞬間的な発想力の有無がものをいう。

 その点においては、なのはもディアボロの頃から培ってきた経験から優れた洞察力を持っている。

 スタンドの矢を取り込んだポルナレフのシルバーチャリオッツ・レクイエムの弱点をすぐさま見抜いてみせたこともあるのだ。

 承太郎と比べると劣って見えるが、彼女も一流のスタンド使いと言えるだろう。

 

 一方、なのはは最初に隠れていたものとは異なるコンテナに身を潜めながら、次なる攻撃のための準備を進めていた。

 

(やはりヤツは時を止めている間でも自由に物に触れられるようだ。だが仲間を車から連れ出さなかったことから察するに、あまり長く時を止めることはできないのだろう。止められる時間は長く見積もっても五秒程度か)

 

 多数のスタンド使いを構成員として抱え込んでいた関係上、なのはは承太郎と同等かそれ以上の交戦経験を持っている。

 

 良くも悪くもスタンド使いは我が強い。

 己のスタンド能力を過信して反逆を試みる構成員も(おの)ずと出てくる。

 そんな連中を始末するために親衛隊を構成していたが、真に自分の正体に迫っている人物は必ず自らの手で殺している。

 彼は病的なまでの臆病さから、ごく僅かでも正体がバレる可能性を減らそうとしていたのだ。

 

 その経験から、なのはは時止めの性質を推測してみせた。

 彼女の推測の通り、承太郎の止められる時間は非常に短い。

 十年前にDIOと戦ったときは体感時間で五秒ほど時を止めることが出来たが、現在では二秒しか時を止められない。

 

 承太郎は止められる時間を伸ばそうとしなかった。

 それは戦いから身を引いて学業に勤しんでいたという理由もあるが、鍛えたところで無駄だと分かっていたからだ。

 

 承太郎の体は既に全盛期を過ぎている。

 鍛えれば全盛期と同等の時間を止められるだろうが、それ以上伸ばすのは非常に難しい。

 

 スタンドの性能は本体の肉体や精神力によって左右する。

 精神が昂ぶれば一時的に性能や能力が強化されることがあるが、それでも限界は存在する。

 

 肉体的なピークを過ぎた今、全盛期と同じだけ時間を止められるようになったとしても、それよりも長い時間を止められるようにはなれないのだ。

 衰えることのない不老不死の肉体ならば無限に能力を鍛えることもできるだろうが、承太郎も一介の人間に過ぎない。

 老いは誰しもが平等に訪れるのだ。

 

(先ほどの一手でヤツの能力の性質は理解できたが……念には念を入れさせてもらう。ジョルノのときのように、しくじるわけにはいかないからな)

 

 なのはのとった戦法は承太郎を殺すためのものではない。

 時飛ばしからの不意打ちで仕留められるほど単純な相手なら、そもそも康一を囮にするような真似はしなかった。

 あの火炎瓶は承太郎が一瞬の時飛ばしにも反応するかどうかと、どれぐらいの時を止められるか測る為の一手だったのだ。

 

 客観的に見ればスタープラチナの総合的な能力は、未来を読めない現在のキング・クリムゾンよりも優れている。

 なのはの体力では瞬間的なスタンドパワーで拮抗することはできても、すぐにスタミナ切れを起こしてしまう。

 時を飛ばして背後をとったとしても、承太郎を再起不能にする前に時を止められ反撃されるだろう。

 

 だからこそ、なのはは康一を手元におかずに車の中に閉じ込めて放置した。

 直接的に康一を人質にしたとしても承太郎を倒せるわけではない。

 一人しかいない人質を使ってできることなど、時間稼ぎぐらいしかないのだから。

 

 時間を稼いだところでなのはに援護してくれる仲間などいないが、承太郎には少なくとも仗助という仲間がいる。

 だからこそ早急に承太郎を倒して、スタンド使いとして再起不能にしなければならないのだ。

 

 なのははあらかじめ準備していた灰色のポリタンクに向けて、キング・クリムゾンの手刀を横一文字で叩き込む。

 成人男性の体を一発で肩から胸にかけて切り裂ける手刀の斬撃は、豆腐に包丁を通すかのようにあっさりとポリタンクの上面を切り飛ばした。

 

「これでキサマの能力の性質を見極めさせてもらうぞ」

 

 宮殿の性質の一つとして、一度(ひとたび)持ち込まれたものは本体やスタンドの手を離れても、取り込まれたものには干渉できないというものがある。

 もし仮に時を飛ばしてナイフを投擲したとしても、当たる直前に宮殿を解除しなければすり抜けてしまうのだ。

 

 無論、途中で時を再始動させれば当てることはできる。

 しかし宮殿に取り込まれたものは静止しているわけではないため、正確に急所を狙えはしない。

 キング・クリムゾンの精密動作性が高ければそれも可能だろうが、()()()()人間の域を超えない程度の器用さしか持ち合わせていないのだ。

 ナイフ投げで10メートル以上離れた相手の頭部を破壊するなどという器用な真似はエピタフを併用しなければできない。今のキング・クリムゾンでは、せいぜい胴体を狙うのが限界だ。

 

 時を飛ばしながらスタンドで地面を蹴ったなのはは、火炎瓶を投擲したときのようにコンテナの壁をすり抜けた。

 そして間髪入れずにポリタンクの中身を承太郎に向かってぶち撒ける。

 

 この液体もこのままでは承太郎をすり抜けて地面のシミになってしまうだろう。

 そこでなのはは液体が承太郎の体に触れる直前で、背後に向かって飛びながら時を再始動させた。

 

「時よ止まれッ!」

 

 当然のごとく、承太郎は目の前に現れた液体に反応して時を止めようとする。

 しかしすでに体にかかる直前だったため、タイミングがズレて少しだけ液体が顔や体にかかってしまった。

 厚手の上着を着ていたため地肌にはほとんど触れなかったが、右の頬にかかった少量の液体が承太郎の肌を蝕む。

 焼けるような痛みに承太郎は表情を歪めた。

 

 なのはが承太郎にぶち撒けたのは高濃度の硫酸だった。

 ポリタンク一杯分、約二十リットルの硫酸が液体の壁となって承太郎の逃げ場を塞いでいる。

 

 時の止まった世界ではありとあらゆる物質が動きを止める。

 どれだけの勢いでナイフを投げようが本体から離れれば自然に空中で静止し、銃の撃鉄を下ろしたとしても弾丸は時が動き出すまで発射されない。

 そして液体も同じように動きを止める。

 たとえ承太郎が触れても手につくことはなく、形を変えることもない。

 逆に言えば、一度(ひとたび)体に張り付いてしまうと剥がせないということでもある。

 

 承太郎はすぐさま硫酸が張り付いた上着を脱いで顔と体を守るために前面に広げながら、スタープラチナで大まかな硫酸の塊を安全な方向に移動させた。

 それらの行動が終わるとともに時が動き出す。

 

 空中を漂っていた硫酸のほとんどは明後日の方向に飛んでいった。

 残った硫酸もスタープラチナの精密な動きで弾き飛ばし、それでも防ぎきれなかった部分は上着で受け止める。

 結果的に承太郎は頬を僅かに焼かれるだけで済んだ。

 被害としては微々たるもので、高濃度とはいえこの程度の量の硫酸がかかったところで戦闘に支障はない。

 

 客観的に見ればなのはの攻撃は失敗に終わったように見えるだろう。

 不意打ちの火炎瓶は防がれ、硫酸のシャワーも意に介さなかったのだから。

 しかし承太郎はそうは思わなかった。

 

「最初は瞬間移動かなにかだと思っていたが、どうやらてめーのスタンドは時を吹っ飛ばす能力を持ってるようだな。

 それでいて相手の能力を探るような戦い方までして来やがる。……てめーは一体、何者なんだ?」

 

 手に持っていた上着を地面に放り投げた承太郎は、帽子の(ひさし)に右手を添えてかぶり直しながら試すように言葉を発する。

 

 三度に渡り能力が発動する瞬間を体感したことで、承太郎はキング・クリムゾンの能力を把握していた。

 これまでの状況だけでは判断しきれなかったが、なのはが硫酸を使ったことで承太郎は何が起こっているか把握できた。

 もし彼がDIOと戦っておらず、自身が時を止めるという能力を使えなければ、この程度の判断材料で理解することはできなかっただろう。

 

 並の人間なら対面しているだけで震え上がってしまうであろう威圧感を向けられているにもかかわらず、なのはは余計なことなど話すつもりはないと言わんばかりに口を閉ざして、深い蒼色の瞳で承太郎を見つめている。

 こんな小さな子供がどうしてこんなにも戦い慣れているのかという承太郎の問に答えるつもりは無いのだろう。

 敵意と怒りの篭った視線には、ハッキリとした意思が宿っていた。

 その中には黄金の精神とは似て非なるドス黒い何かが混じっている。

 

 時間にして数呼吸程度つづいた二人のにらみ合いは、なのはが先に動いたことで終わりを迎えた。

 なんとなのはは懐から折りたたみ式のナイフを取り出して、自分の手のひらを大きく切り裂いたのだ。

 鋭利な刃が毛細血管を傷つけてじんわりと血液が滴り落ちる。

 動脈を傷つけたわけではないため溢れ出る血液の量は多くないが、決して少なくもない。

 あっという間に血で赤く染まっていく右手を一瞥(いちべつ)したなのはは、拳を握りしめながら高らかに自身のスタンドの名を口にした。

 

「キング・クリムゾンッ!」

 

 その言葉が引き金となり帝王の宮殿は形成される。

 静止しているものが消え去った世界は、なのは以外の誰も受け入れずに孤独の時を刻み続ける。

 唯一の違いは指を伝って流れ落ちる血液が地面にシミを作っているところだ。

 宮殿の内部ではいかなるものも物体に干渉することはできない。

 しかし本体とものの中間である体外に流れ出た血液だけは、例外的に宮殿に取り込まれたものにも干渉することができるのだ。

 

 ゆっくりと承太郎の足元まで移動したなのはは、キング・クリムゾンの手に飛び乗った。

 そして承太郎の目に向けて血しぶきを飛ばす。

 これは正しくなのはの奥の手である。

 血の目潰しを行い背後から攻撃すれば、普通ならどんな相手でも葬ることができる。

 しかし、なのはは更に警戒を重ねた。

 このまま背後に回りこまずに、あえて車の影に隠れて距離をおいたのだ。

 

「時は再び刻み始めるッ!」

 

 宮殿が解除され承太郎の意識が現実に戻る。

 血の目潰しによって周囲を見ることはおろか目を開けることさえできないが、時を止めないという選択肢は無かった。

 硫酸の時と同様に、体に張り付いた血液はどんなことをしても動きはしない。

 承太郎は時を止めても目に入り込んだ血液を洗い流すことも拭い去ることもできないのだ。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!」

 

 視界を奪われた承太郎にできることは、当てずっぽうにスタープラチナの殴打(ラッシュ)をブチかますことだけだった。

 背面に振り向き上から下に叩き潰すように放たれたラッシュは、コンクリートで舗装された埠頭の地面を扇状に粉々に破壊する。

 限界までラッシュを続けて車と自分の間の地面を破壊し終えた承太郎は、再び振り向き直して正面を向いた。

 

 そして時は動き出す。

 時が動き出したことで、吹き飛ばされて空中を漂っていたコンクリート片が地面に転がる。

 時が止まった世界で承太郎が何をしたのか察したなのはは、瞬時に承太郎が考えていることを推測した。

 

(足場を悪くして攻撃してくる方向を絞ろうとしているのか? そんなものただの悪あがきに過ぎんッ!)

 

 崩した地面に背を向けて攻撃を待ち受けている承太郎の姿は、なのはの目にはひどく滑稽に映った。

 五歳児相応の体格のなのはなら、コンクリート片を避けて音を立てないように承太郎の背後に近寄ることも十分に可能だ。

 そこでなのはは、あえて時飛ばしを行わずに承太郎の背後へと歩み寄る。

 

 今までの承太郎の反応から、時を飛ばせば必ず時を止めてくると予想がついた。

 防御用に能力を温存するのなら、時を飛ばさずに背後からスタンドの手刀を食らわせばそれで片がつく。

 

(これでオレの勝ちだッ! 空条承太郎!)

 

 このとき、なのはは自身の勝利を確信していた。

 承太郎が火炎瓶の投擲に気がつけたのは、投げる際になのはが時を飛ばしたからだ。

 

 承太郎は優れたスタンド使いだが、高町士郎のような武術の達人ではない。

 正面からの殴り合いならともかく、視覚に頼らず気配を読んで背後の敵に反撃できるわけがないのだ。

 ゆっくりとスタンドの拳を構え()()()()()()()承太郎の背後に回り込み手足に狙いを定めたなのはは、拳を叩き込もうと力を込めた。

 ──この判断がなのはと承太郎の命運を分けることになるとは知らずに。



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キング・クリムゾンv.s.(バーサス)スタープラチナ その③

 目の前の敵に集中していたなのはには、一つだけ失念していたことがあった。

 それは車内に閉じ込めたまま放置していた康一のことだ。

 手足を折って念入りに猿轡(さるぐつわ)まで噛まされた康一が介入するなど不可能だろうとなのはは思っていた。

 スタンドが使えるだけの平和な国で暮らしている平凡な学生だと(あなど)っていたのだ。

 

 キング・クリムゾンの拳を振り下ろそうとしたなのはの背後から何かが飛来した。

 なのはの()()に向けて転がるように投げつけられたそれは地面に触れると染みこむように浸透して、代わりに漫画で使われる擬音語のようなものが浮かび上がる。

 承太郎に意識を向けていたなのはが背後で動く気配に感づいて振り返るよりも早く、それは能力を発動させた。

 

「ッ!?」

 

 前触れもなく吹いた突風になのはとキング・クリムゾンが片膝を突く。

 しかし奇妙なことにあれだけの強風が吹いたにもかかわらず、コンクリートの破片は微動だもしていない。

 予想だもしていない不意打ちで注意が逸れたなのはは、崩れた体勢のままで攻撃をするか、振り下ろそうとした拳を引っ込めスタンドの脚力でその場から離れるか悩んだ。

 

 埠頭はだだっ広い直線だ。スタンドの強靭な脚力を使って時を飛ばしながら移動すれば、一時的に離脱することもできるだろう。

 しかしキング・クリムゾンの能力がバレている以上、ここで逃げれば承太郎を仕留め切れない可能性が出てくる。

 その迷いがなのはの動きを鈍らせた。

 

 それは時間にして一秒にも満たない僅かな間だ。

 しかし承太郎はその隙を見逃さない。

 なのはが片膝を突いたときに発せられた音を聞き逃さなかった承太郎は、背後に向けてスタープラチナを展開して、狙いも定めずにラッシュをぶちかました。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ───ッ!!」

 

 当てずっぽうに放たれた無数のラッシュは半分以上が空を切りながらも、キング・クリムゾンの腕や胴体、顔といった部位を的確に捉える。

 一発一発の威力よりも手数と面積を優先したラッシュなら、ガードさえできればキング・クリムゾンでも十分に防ぐことができる。

 だが体勢が崩れていたことで満足に防御することもできずに攻撃を受けてしまった。

 

 耐久性に優れる近距離パワー型のスタンドといえど、本体へのダメージのフィードバックは発生する。

 ラッシュによる衝撃は減衰することなく、なのはの体に伝わった。

 

「う……ぐ……」

 

 スタンドごと後方へと殴り飛ばされたなのはは、車体に体を叩きつけられ地面を転がった。

 立ち上がろうと四肢に力を込めるが、小さくうめき声を上げるだけで動けない。

 攻撃を受けた衝撃で髪を()めていたリボンが千切れ、肩ほどまで伸ばしている髪が顔にかかる。

 

 脚や腕が折れ、頭からおびただしい量の血液を垂れ流しつつ、なのはは焦点の定まらない目を動かしながら承太郎の姿を探っていた。

 懐から取り出したハンカチで目についた血液を拭きとった承太郎は、なのはが重症を負いながらも意識を保っていることに驚き、僅かに目を見開く。

 

「これでお前は再起不能だ。諦めてスタンドを引っ込めな」

 

 見るからに再起不能な状態にもかかわらず、なのはは戦意を途切れさせていない。

 キング・クリムゾンの左腕だけを展開しながら、承太郎の隙を突こうとしていた。

 奇跡的に左腕の骨だけ折れていなかったようだ。

 

 それが無意味な行為であることは、なのは自身も理解している。

 だが負けを認めるわけにはいかなかった。

 このまま負けてしまえば、自分がスタンド使いであることが家族に露見してしまうからだ。

 

 あの幸せな空間を壊すぐらいなら、なのはは自分から命を絶とうとするだろう。

 生きて苦しむぐらいなら、死んで楽になった方がマシだと思うほどに、なのはは今の家族を必要としていた。

 

「あなたに、なさけをかけられる、ぐらいなら、しんだほうがマシだよ」

 

 もはや言葉を取り繕う余裕もないのか、なのはの口調は普段の歳相応のものに戻っていた。

 力なく地面に横たわるその姿は、ただの少女にしか見えない。

 

 しかし、どれほど強靭な精神を持っていても簡単に肉体の限界を超えることはできない。

 辛うじて保っていた意識は、なのはの意思に関係なく手放されてしまった。

 

「……やれやれだぜ」

 

 なのはが気絶したのを見届けた承太郎はいつもの口癖を口ずさみながら、車のドアを開けて康一を外に連れだした。

 口に噛まされていたタオルが外されると、康一は大きく深呼吸をした後に承太郎に声をかけた。

 

「ありがとうございます、承太郎さん」

「それはこっちのセリフだ。康一くんがいなければ、おれは負けていただろう」

 

 折れた手足を動かさないように慎重に康一を運びつつ、承太郎は僅かに口角を曲げて微笑を浮かべた。

 承太郎を一瞥(いちべつ)した康一は、車の側でぐったりと倒れているなのはをじっと見つめる。

 

 実のところ康一は、なのはと承太郎が戦い始めた辺りから目を覚ましていた。

 気絶したフリをして機会を(うかが)っていた康一は、なのはが硫酸を取りにコンテナに隠れたタイミングでスタンドを出した。

 そして三つの形態の内の一つ、エコーズACT1(アクトワン)の音を貼り付ける能力で作戦を伝えていた。

 本体の腕が折れていて文字を投げつけたりするような激しい動作はできなかったが、痛みに耐えながらスタンドを飛ばして承太郎に触れることはできたのだ。

 

 作戦を伝え終えた康一は、気絶したフリをしながらなのはが背中を向けるタイミングでエコーズACT2(アクトツー)の能力を発動させた。

 ACT2は全体的に丸いフォルムをしたスタンドで、尻尾の先端を擬音語に変えて物に貼り付ける能力を持っている。

 そして貼り付けられた擬音語に触れた人物は擬音語の通りの効果を体感する。

 

 実際に物理現象を引き起こすわけではないため、『ドヒュウウウ』の尻尾文字で突風を吹かせてもコンクリートの破片が転がったりはしない。

 手を使って尻尾文字を投げることはできなかったが、尻尾を振って遠心力を利用することで尻尾文字を投擲した。

 もし生け垣に突っ込まずに康一が背中を負傷していたら、ダメージがスタンドにもフィードバックして尻尾文字は使えなかっただろう。

 

 承太郎が地面を無闇矢鱈(むやみやたら)に破壊したのも、なのはをわざと背後におびき寄せて康一から注意を逸らすための作戦である。

 時を飛ばす能力の持ち主なら、正面から攻撃してくることはないだろうと考えたのだ。

 

 それでも尻尾文字が見える角度から攻撃してくる可能性は十分にある。

 そのときは、相討ち覚悟で時を止めて仕留めるつもりだった。

 なのはが康一を念入りに処理していれば、あのまま勝っていたかもしれない。

 彼女の敗因は情報を十分に集めずに僅かな準備期間で突発的に行動を起こしたことだろう。

 

「この子、大丈夫なんでしょうか。このままじゃあ、死んじゃうかも……」

「ひどく出血しているように見えるが、頭を切っただけだ。すぐに仗助に治療させれば命に別状はない」

 

 しゃがみこんでなのはの怪我の状態を見ていた承太郎が、地面に寝かされている康一の質問に答えた。

 普段よりもぶっきらぼうな受け答えだったのは、先ほどまで囚われの身だったにもかかわらず、自分の身よりも誘拐犯の心配をしている康一に呆れているからだろう。

 

 なのはは意識こそ失っているものの、規則正しく呼吸をしており息苦しそうにしているわけでもない。

 内臓を傷つけた様子も無く、打撲や骨折こそしているが承太郎の言ったとおり命に別条はなかった。

 

 上着の懐から携帯電話を取り出すと、承太郎はジョセフに電話をかけた。

 数回のコールの後に電話に出たジョセフは、慌てた様子で承太郎と康一の安否について尋ねてきた。

 

『本当に大した怪我はしておらんのかッ!? もし承太郎になにかあったら、わしはホリィになんと伝えたらいいか……』

「うだうだ騒ぐな、うっとおしい。それより仗助は車に乗ってるか? けが人の治療を頼みたいんだが」

 

 平気な顔をしているが、承太郎の頬には高濃度の硫酸がかかっている。

 このまま放置していたら皮膚が焼けただれたようになってしまうだろう。

 

『ああ、康一くんが(さら)われたと聞いて、大慌てで病院から飛び出してきた。あと五分もせずに港に着くじゃろう』

 

 ジョセフの返答を聞いた承太郎は電話を切ると、地面に腰を下ろして別の仲間に連絡を取りながら、仗助たちが着くのを待つことにした。

 

 

 

 

 

 仲間に連絡を付け終えた承太郎の(もと)に、ホテルまでジョセフを迎えに来ていたものと同じ国産の高級車が走ってきた。

 地面にスリップ痕を残しつつ急停車した車のドアが開くと、慌てた顔をした仗助たちがぞろぞろと降りてきた。

 皆一様に承太郎と康一の身を案じていたようだ。

 

「康一、無事かッ!」

 

 地面に寝かされている康一のもとに駆け寄った仗助は、すぐさまクレイジー・ダイヤモンドの能力を使った。

 手のひらで軽く康一の体に触れると、時が巻き戻るように折れた四肢が再生を始める。

 数秒もせずに怪我が完治した康一は、何事もなかったかのようにすんなりと立ち上がった。

 その姿を見届けた仗助は、続いて車の側で倒れている見知らぬ少女を治そうとするが、承太郎に片手で遮られた。

 

「……承太郎さん? そっちの子も早いとこ治さねえとマズイっスよ。かなり血が出てるみてえだし」

「その必要はない。康一くんを誘拐した犯人は、そこで倒れている子供だからだ」

 

 承太郎の言葉に康一を除く全員が眉をひそめた。

 小学生にもなっていないような子供が、康一を誘拐して承太郎をおびき寄せるなんて真似をできるとは思えなかったからだ。

 

 しかし少女以外に、康一を誘拐したと思わしき人物の姿は見当たらない。

 硫酸によって焼けただれた承太郎の肌を治した仗助が、なにがあったのか聞こうとしたそのとき、億泰がなのはを指さしながら声を上げた。

 

「この子、士郎さんとこの子供だ。髪型が違うから分からなかったけどよォ、翠屋に行ったときに何度か会ったことがあるぜ」

「おめー、最近付き合いが悪いと思ってたら、一人で翠屋に行ってたのかよ」

 

 前回、翠屋に行った時に食べたシュークリームの味が忘れられなかった億泰は、仗助たちに黙って通いつめていたのだ。

 何度か通っているうちに士郎や桃子と顔見知りになっていて、その際になのはの話も聞いていた。

 何度か顔を合わせたこともあり、億泰はなのはのことを年齢の割に礼儀正しい子供ぐらいにしか思っていなかった。

 なのはも億泰のことは常連の見た目が個性的な学生程度の認識だった。

 

「士郎さんって、仗助くんがこれから治療しに行こうとしていた人じゃあないかッ! どうしてその人の子供が、ぼくたちに襲いかかってきたんだろう」

「そもそも、どうやってこんな小さな子供が車で康一を運んだんだ。スタンドに運転させたとしても、こんなガキが車を走らせられるとは思えねーぜ」

 

 黙りこくっている承太郎をよそに、仗助、億泰、康一の三人はなのはが何者か討論している。

 しかし考えたところで謎は深まるばかりだ。なのは本人に問いたださなければ、答えは永遠に分からないだろう。

 

「しかしこのまま放置するわけにもイカンぞ。どうするつもりなんじゃ?」

 

 即座に命に関わる怪我ではないとはいえ、放置していればマズイのは確実だ。

 生半可とはいえ、スタープラチナのラッシュを受けたのだから当たり前とも言える。

 ジョセフの問いに承太郎が答えようとしたとき、バイクのエンジン音が聞こえてきた。

 

 真新しい漆黒の車体のタンク部分に『ZOPHAR』と刻印されたそのバイクは、今年出たばかりの新型である。

 乗っていた青年がバイクスタンドを立てて、ヘルメットを脱ぎながら承太郎と康一のもとに歩み寄ってきた。

 

「どうも、承太郎さん。そいつが康一くんを誘拐した犯人ですか?」

「ああ、そうだ。電話で話したとおり、君のヘブンズ・ドアーをこいつにかけてもらいたい」

 

 頷いた男はなのはの側に近寄り、少年のような姿のスタンドを展開した。

 彼──岸辺露伴(きしべろはん)は形兆のスタンドの矢で射抜かれた人間の一人で、現在は康一や承太郎と協力して吉良吉影の行方を追っている仲間だ。

 

 仗助や億泰との仲はあまり良くはない。

 数ヶ月前、康一の記憶を(無断で)読んだ仕返しにボコボコにされたことがあり、仗助のことは特に嫌っている。

 今も仗助のことをあえて無視して話を進めている。

 

「おい、漫画家。なんでてめーがここにいるんだ」

「そりゃあ、承太郎さんに呼ばれたからに決まっているだろう。そんなことより、早くそいつを治せ。いつまで経っても、ぼくがスタンドを使えないじゃあないか」

 

 途端に不機嫌そうな顔になった露伴は、顎で仗助に指図した。

 対する仗助も気分が悪くなるが、無駄な言い争いをしている暇はない。

 露伴の人間性は気に入らないが、なにを仕出かすかわからないスタンド使いに対して有効な能力の持ち主だとはわかっている。

 

 康一のときと同じように怪我を治すと、即座に露伴がヘブンズ・ドアーでなのはの体に触れて能力を発動させた。

 顔や腕が『本』のページのようにペラペラとめくれ始め、露伴はすぐさま『気を失い続ける』『スタンドを出せない』という命令を書き込んだ。

 

 精神力の低い一般人はヘブンズ・ドアーの能力を受けると気を失うが、スタンド使いとなると話は変わってくる。

 このような命令を書き込んでおかなければ、目を覚ます可能性は十分にあるのだ。

 

「高町なのは、1994年4月6日、海鳴大学病院で生まれる。五人家族で父の名前は士郎。スタンド名はキング・クリムゾン。能力は……時を消し去る、か。それとエピタフという未来を読む能力もあるが、今は使えないと書いてあるな」

「……今は使えないとは、どういうことだ? 昔は使えていたが、なんらかの原因があって使えなくなったということか?」

 

 淡々と『本』を読み進める露伴に承太郎が問いかける。

 冷静を装っているが、承太郎は内心でキング・クリムゾンの真の能力がどれだけ凶悪なものか理解して戦慄していた。

 

 未来を読み、自分にとって不都合な場合は時を吹き飛ばす。それは正しく無敵の能力だ。

 もし、仮になのはがエピタフを使えれば自分がどうなっていたか、容易に想像ができてしまう。

 今回、承太郎が大した怪我もなくなのはを無力化できたのは、運が良かっただけなのだ。

 

「待ってください、いま読み進めていますから。……ふむ、どうやら康一くんと承太郎さんを襲ったのは、父親の敵討ちのためらしい。康一くんを誘拐する前日に、ムカデ屋で写真のおやじと遭遇しているようだが、これは──」

 

 なのはの『(記憶)』には、そのときの会話の内容と考えていた事が事細かに記されている。

 五歳の子供の記憶とは到底思えない冷徹な内容に、露伴は思わず押し黙ってしまった。

 

 彼女の『本』に書かれていた思考は、確かな経験に裏付けされたものだ。

 天才だとか、大人びているという一言で済まされるようなものではない。

 露伴は無意識のうちに、内容を朗読するのをやめ一心不乱に『本』を読み進めていた。

 

「……なんなんだこれはッ! あり得ない、こんなことがあり得るのかッ!?」

「おい、露伴。おめーが読まないと内容がわからねえだろうが」

 

 黙々と『本』をめくっている露伴の肩を仗助が掴む。

 普段の露伴なら即座に振り払うだろうが、今回ばかりはいつもとは反応が違う。

 露伴はとあるページを見つめたまま、手を震わせつつ固まってしまっていた。

 

 身を乗り出して露伴が開いているページを仗助が覗き込むと、そこには真っ黒なページが開かれていた。

 注意深く目を凝らしてみると、そのページは小さな文字がぎっしりと詰め込まれていることがわかる。

 しかも書かれている言語は日本語ではない。

 

「アルファベット……? 英語じゃあないみたいだけど、どこの文字なんですか?」

「文法からしてこれはイタリア語だろう。しかしこいつは……」

 

 尋常じゃない様子の露伴を見かねて背後から『本』を覗きこんだ康一の疑問に、スタープラチナで内容を読んでいた承太郎が答える。

 その額からは、うっすらと冷や汗が垂れていた。

 

「……これは死の記憶だ。様々な死因が心情とともに書かれている。しかも、しかもだ。なに一つとして同じ死因が書かれていない」

 

 震えた手でページをめくりながら露伴が答える。

 次のページも、その次のページも、全て黒に塗りつぶされている。

 どれだけめくり続けても終わりは見えない。

 

 ヘブンズ・ドアーは、本人が忘れているような些細な記憶でも読み取ることができる。

 脳ではなく魂に刻まれた記憶を読み取るのだ。その内容に嘘偽りはない。

 この無限とも思える死の記憶は、実際になのはが体験したものなのだ。

 

 全員が息を呑み黙りこむ。

 一分ほど無心でページをめくっていると、ようやく死の記憶が途絶え白いページが現れた。

 そこには、なのは(ディアボロ)が無限とも言える死を味わうこととなった原因が刻み込まれていた。

 

「2001年4月6日、ジョルノ・ジョバァーナのゴールド・エクスペリエンス・レクイエムによって殺される。……2001年だと?」

「今年って1999年だよな。なんで2年後に死んだ記憶があるんだよ。タイムスリップしたってことか?」

「……とりあえず場所を移すぞ。これは、おれたちだけで話すような内容じゃあない。この子供──高町なのはの家族にも伝える必要がある」

 

 謎が更なる謎を呼ぶ。承太郎たちを乗せた車は、士郎が入院している海鳴大学病院へと向かっていった。



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サルディニアの夢

 オレは睡眠という行為が怖い。

 死の記憶を悪夢として見るから──ではない。

 だんだんと意識が薄れて体が冷たくなっていく、あの感覚を思い出してしまうからだ。

 

 そんなことはないと頭で理解していても、心までは納得してはくれない。

 その恐怖が形として現れたのが、あの悪夢だ。

 死に近づいているからこそ、夢の中で死を追体験するのだろう。

 

 重く閉じた瞳を開けると、見慣れて『ない』が見慣れて『いる』天井が視界に入ってきた。

 スプリングがやけに硬い安物のベッド、薄汚れていて肌触りの悪いシーツ。そうだ、オレはこの場所を知っている。

 

「どうして、いまさらこんな夢を見る」

 

 日本ではすっかり使うことのなくなったイタリア語が、すんなりと口から出た。

 この場所の空気に当てられてしまったのだろうか。

 

 慣れた手つきで窓を開けると、そこには酷く懐かしい風景が広がっていた。

 一面に広がる青い海と、杜王町と比べるとひどく寂れているように見えてしまう町並み。

 ここはオレの生まれ故郷、サルディニア島だ。

 

 ベッドから降りると、わたしの足のサイズにあった靴が用意されていた。

 夢なのだから都合がいいのは当たり前だが、なぜオレ(ディアボロ)ではなく、わたし(高町なのは)の姿なんだ? 

 

 夢だからの一言で片付けてしまえばいいが、一度もこんな夢を見たことがなかったということは、今の姿にもなにか意味があるのだろうか。

 ……考えたところで、ここはわたしの記憶が創りだしたマヤカシの世界だ。どれだけ考えても答えなどわからないだろう。

 

 外に出るために靴を取ろうとしたオレの視界に、コンクリートで塗り固められた床が飛び込んできた。

 この床の下に、オレは何年も母親を閉じ込めていた。

 声を出せないように口を縫いつけて、僅かな食料だけを与えてほんのちょっぴりだけ生かしていた。

 

 恐る恐る、出入口に使っていた部分から中を覗き込む。

 そこには暗闇が広がっているだけで、オレの母親の姿はどこにもなかった。

 オレは思わずほっとして、大きなため息を吐いてしまった。

 

 彼女がここにいなくてよかった。そう思ってしまったのだ。

 これもオレが犯した罪の一つだというのに、無意識のうちに見たくないものに蓋をしようとしていた。過去から逃げようとしていたのだ。

 

 オレは母親を愛していたのだろうか。それとも恨んでいたのだろうか。

 今となっては、当時のオレが考えていたことはわからない。

 一言では言い表せない愛情と憎悪、独占欲が混じった異質な感情だったということだけは覚えている。

 

 あの女はオレのことを拒絶した。出所してきたあいつは実の子供にもかかわらず、オレのことを悪魔の子と罵ったのだ。

 そこから先は覚えていない。気がついたらオレは彼女を自室の床下に監禁していた。

 常軌を逸した行動だということは自覚している。

 そんな環境で平然と日常生活を送れていたというのもおかしな話だ。

 そういったオレの中の異常な部分が残り、残った人間的な部分がドッピオに引き継がれたのだろう。

 

 古びた扉を開けて礼拝堂を通りぬけ屋外に出ると、そこにはオレが焼き払ったはずの町並みが広がっていた。

 昔と比べると道幅が広く見えるのは、体が小さくなってしまったからだろうか。

 

 しかし再現されているのは町並みだけで、人っ子一人歩いていない。

 いつも見ている悪夢では、欠片も覚えていないような人間が山ほど出てくるというのに、こんなときにかぎって誰も出てこないとは、なんとも不便な夢だ。

 

 無人となった町並みはオレの記憶しているものと寸分(たが)わず同じはずなのに、まるで廃墟の中を歩いているような気分になってしまう。

 夢の中でまで憂鬱な気分になるぐらいなら、さっさと目を覚ましてしまいたい。

 

「……目を覚ましたところで、なにが残っているというんだ」

 

 オレは父親の敵討ちで承太郎や康一を襲ったが、結局のところは敗北してしまった。

 その過程でオレは無関係の人間を傷つけた。オレは父に怪我をさせた吉良吉影という男と同じことをしでかしたのだ。

 

 これからどうなるのかなど、深く考えなくともすぐにわかる。

 問答無用で殺されるか、最低でも家族から切り離されSPW財団の施設に閉じ込められるだろう。

 あの組織がどれだけのスタンド使いを抱え込んでいるかは推測しかできないが、もしかしたらオレの記憶を覗けるようなスタンド使いがいるかもしれない。

 

 そうなった場合は、情報を引き出された上で殺されるだろう。

 もしエピタフを使えるようになれば、オレを確実に仕留められるスタンド使いは限りなくゼロになる。

 あの承太郎でも、逃げに徹したオレを殺すのは難しいはずだ。

 

 道端にポツンと置かれていた木製のベンチに腰掛けて、空を流れていく雲を眺めながらそんなことを考えていると、視界の端になにかが入り込んできた。

 動くものなど雲ぐらいしかないというのに、なにが動いたのかと気になって視線を下げると、それは逃げるように物陰に隠れてしまった。

 ベンチから飛び降りてなにかがいた場所まで行ってみると、逃げるように背中を見せて走り去っていく少年の姿が見えた。

 

「待てッ!」

 

 そいつの姿を見た瞬間、オレは思わず声を上げていた。

 必死に追いかけるが、青年に差し掛かっているあいつには、とてもではないが追いつけない。

 

 海に向かって走っているということは、おそらく『あそこ』に向かっているのだろう。ここで会うつもりはない、ということだろうか。

 夢の中なのに息が上がってしまったオレは、肩で息をしながら走り去るアイツの姿を眺めることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 オレの住んでいた村はCosta Smeralda(コスタ・ズメラルダ)──エメラルド海岸にほど近い位置にあった。

 有名な観光地やリゾートホテルからは少し離れていたが、毎年それなりの数の観光客がサマーバケーションに訪れていた。

 

 その名の通り浅瀬にはエメラルドグリーンの海が広がっており、沖はわたしの瞳とよく似た深い蒼色の海となっている。

 くっきりと境界が分かれているその様は、まるでオレの二面性を表しているかのようだった。

『彼女』との思い出の場所に辿り着くと、あいつは海岸沿いに設置されている石造りの長椅子に腰掛けて、オレが来るのを待っていた。

 

「待ってましたよ、()()

「……久しぶりだな、ドッピオ」

 

 穴の空いた紫色のタートルネックを着込んだ青年になりかけの少年──ヴィネガー・ドッピオが微笑みかけてくる。

 なんと答えるか迷ってしまったオレは、そっけなく返事を返すことしかできなかった。

 

「おまえは、あのとき消えたはずだ」

「ええ、そうですね。ぼくはドッピオ本人じゃあない。ボスの中に残った記憶が創りだした、ただの残りカスです」

 

 ドッピオの魂はオレが死ぬよりも前に、あの世へと旅立った。

 レクイエムによってあの死の無限回廊に送られたわけではないのだから、コイツがオレの知るドッピオではないことぐらいわかっている。

 ドッピオはオレの正体が、自分の別人格だとは気がついていなかったはずだ。

 それに今まで影も形もなかった人格が突然復活するなど、到底あり得ない話だ。

 

「つまり、おまえはオレが生み出した都合のいい存在ということか」

「それは違います。ぼくはヴィネガー・ドッピオであり、ボス自身でもある。ボスの指令に従うだけの操り人形じゃあない」

「……おまえがなにを言いたいのかサッパリわからない。おまえはオレを、ディアボロを否定したいのか?」

 

 ズカズカとドッピオの正面まで歩み寄ったオレは、見上げながら睨みつけた。

 なぜ夢の中で、自分自身に否定されなければならないのだ。

 対するドッピオは返事も返さずに、腰を上げて海の方へと向かい古びた石碑に手をかけた。

 彼女──ドナテラのポートレートを撮ったときも、同じように石碑に触れていた。

 

「ボスは彼女と共に過ごしていた頃のような、平穏な幸せが欲しいと願っている。それ自体は悪いことじゃあない」

「まるで、オレがなにか間違いを犯しているとでも言いたげな口ぶりだな」

 

 オレは自然と自分の目付きが鋭くなるのを自覚した。

 目の前に立っているコイツは、オレの知っているドッピオ本人ではない。妄想の産物にすぎないというのに、なぜか苛立ちすら感じている。

 そんなオレの様子を見てもドッピオは一切動じない。

 それどころか子供をなだめる親のような口調で、オレに言い聞かせるように続きの言葉を紡ぎだした。

 

「その通りです、ボス。あなたは昔からなにも変わっていない。結局のところ、追い求めていたものが『絶頂』から『平穏』に変わっただけだ」

「そんなことは──」

 

 否定しようと思ったが、続きの言葉を口にすることができなかった。

 オレの本質的な部分はなにも変わっていない。必要であればオレは殺人すら罪とは思わないだろう。

 

 実際、オレは父に怪我を負わせた連中に暴力という形で復讐しようとした。

 そのために人質をとるという作戦を使ったが、罪の意識など一切浮かんでこなかった。

 オレから平穏を奪ったのだから、再起不能にされて当然だと考えていた。

 

『生き残るのは、この世の『真実』だけだ。真実から出た『誠の行動』は、決して滅びはしない。ブチャラティは死んだ、アバッキオも、ナランチャも……しかし彼らの行動や意志は、滅んではいない。彼らがこの『矢』をぼくに手渡してくれたんだ。

 そして、おまえの行動が真実から出たものなのか……それともうわっ面だけの邪悪から出たものなのか? それはこれからわかる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ()()……』

 

 ふと脳裏にジョルノの喋っていた言葉が思い浮かんできた。

 永遠に死に続ける前のオレは、絶頂という結果だけを追い求めていた。

 そこには、なんの信念や思想も宿ってない。

 

 しかし今は違う。少なくともわたしは自分の意志で、未来を視る力に頼らず行動を起こした。

 その結果がどうであれ、わたしの行動には家族を守るという意志が宿っていた。

 

「そんなことは、ない。わたしが承太郎たちを襲撃したのは、復讐のためであり家族を危険から守るためだ! その結果が破滅であろうと後悔はしていないッ!」

 

 無意識にわたしは震えた声で吠えていた。

 結果がどうであれ、これはわたしが自分の意志で選んだ道だ。

 レクイエムから解放されたわたしが、初めて自分の意志で歩みを進めたのだ。

 

 わたしの行動が間違っているか間違っていないかなど関係ない。

 死んだまま生きているぐらいなら、生きたまま死んだほうがマシに決まっている。

 

「あなたは『絶頂』を維持するためなら、なにも知らぬ無知な者を自分の利益のために平然と利用する人間だ。今のボスはそれが『平穏』に置き換わっただけなんじゃないですか?」

「それは違うな。わたしは地位や名誉など求めてはいない。現状の暮らしに満足している。平穏を邪魔する要因を排除することはあれど、利益のために利用する必要などない」

 

 試すような挑発的な目つきでドッピオが見つめてくる。

 しかし口にしている言葉は、わたしにとっては無意味な内容だ。

 

 人というものは簡単には変われない。

 あの終わりのない死の連鎖で帝王としてのプライドを砕かれたからといって、わたしの本質まではそう簡単には変化しない。

 

 わたしは一切の悪意なく他人を利用できる外道だ。

 ならば利用してやろうではないか。わたしの状況は正しく絶体絶命だが、完全に詰んでいるわけではない。

 足掻けば現状を打開できる可能性は十分にあるはずだ。

 

 考えがまとまったそのとき、ドッピオの体に異変が起き始めた。

 なんと幽霊のように足元から徐々に体が消え始めたのだ。

 ドッピオの体に触れようと手を伸ばすが、煙を掴むかのようにすり抜けてしまう。

 

「ドッピオ……?」

「ボス──いや、あなたのことは、なのはと呼ぶべきですね。なのは、そろそろこの夢も終わりです。最後に一つだけ、助言をさせてください」

 

 表情を和らげたドッピオは、微笑を浮かべながら穏やかな口調で語りかけてきた。

 まるでわたしの本心を聞けて安心したような、そんな表情を浮かべながら。

 

「あなたはもう独りじゃあない。もう少し、誰かを頼るということを覚えてください」

「……そんなこと、できるわけがない」

 

 生まれてこの方、真に信用できる人間など自分以外には誰も居なかったわたしが、そんなことできるはずがない。

 そんなわたしの情けない答えを聞いたドッピオは、困ったような笑みを浮かべながら最後の言葉を呟いた。

 

「まったく、しょうがない人ですね。なら、借りていたものをお返しします。これを使ってどうかうまくやってくださいよ。それでは、アリーヴェデルチ(さよならです)

「おい、待てッ! わたしはまだおまえに言いたいことが──」

 

 わたしの口が最後まで言葉を紡ぐことはなかった。

 喋っている途中で猛烈な睡魔が押し寄せ、体が言うことを聞かなくなったのだ。

 最後に見えたのは、安心したような表情で風景に溶けていくドッピオの姿だった。



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高町なのはの新しい事情 その①

 わたしはどちらかと言うと寝起きが悪いほうだ。

 その割に夜の九時を過ぎると体が眠気を訴えてくるのだから手に負えない。

 例外的にレクイエムの悪夢を見たときだけは、無駄に意識がハッキリしている。

 どうせなら夢も見ないぐらいの深い眠りにつきたいものだ。

 

 過去のサルディニア島でドッピオと話すなどという奇妙な夢を見たわたしの意識は、悪夢を見た後と同じぐらい冴え渡っていた。

 眠ったというよりは気絶したというほうが正しいだろうが、意識を失ったことに変わりはない。

 

 そんなことより、わたしはあの後どうなったんだ? 

 わずかに薬品の香りが漂っているということは、承太郎一行に病院へと連れて行かれたのだろうか。

 ゆっくりと目を開けると、どこかで見たことのある白い天井が目に映った。

 

 ……どうやらここは海鳴大学病院の病室のようだ。頭を右に傾けると、窓際に置かれた長椅子に腰掛けている大柄な老人と、その隣に立ってこちらを見ている承太郎と目が合った。

 ほかにも翠屋に最近よく顔を見せている億泰という高校生や見覚えのあるリーゼント頭の高校生が、承太郎の側から遠巻きにわたしの姿を眺めている。

 

 すっかり失念していたが、あの二人に広瀬康一を加えた面々を翠屋で見たことがあった。

 大声を出していた億泰しか印象に残っていなかったが、ヤツらも康一の仲間だったのか。

 康一や見知らぬ男と何やら小声で密談しているようだが、話している内容を聞き取ることはできなかった。

 ……どうして康一の怪我が治っているんだ!? 

 

「なのはっ!」

 

 状況を確認するため、反対側に振り向こうとしたそのとき、いきなり死角から誰かに抱き上げられた。

 聞き覚えのある声に思わず顔が強張ってしまう。

 割れ物に触れるかのように、わたしの体を優しく抱きしめているのは、紛れも無くわたしの母だった。

 

 嫌な汗が流れるのを感じながら母の胸元から抜け出しベッドに座り込む。

 上半身を起こした体勢で母の背後に視線を向けると、そこにはわたしの家族が勢揃いしていた。

 しかも大怪我をしていたはずの父が、何食わぬ顔で立っているではないか。

 

 そんなバカな、と叫びたい衝動をすんでのところで抑えて自分の体を確認する。

 すると驚くことに、承太郎に再起不能にされたはずの怪我が跡形もなく完治していた。

 病室に置かれている電子時計の日付は、わたしが康一を誘拐した日から変わっていない。

 時刻は夕暮れ時を過ぎているようだが、こんな短時間で怪我が自然に治るはずがない。

 

 ありえない。そんな都合のいいことがあるはずがない。しかしそうでなければ理屈が合わない。

 父が目を覚ましてここにいるという事実は、承太郎の仲間に怪我を治すことのできるスタンド使いがいたという現実を冷酷に伝えてきた。

 これでは、わたしはただの道化ではないか。

 あまりの衝撃に続く言葉も出せずに呆然としていると、黙りこくっていた承太郎が唐突に口を開いた。

 

「目が覚めたようだな、高町なのは。それともディアボロと呼んだほうがいいか?」

「……なんの、ことだ」

 

 ヤツの言葉に息が詰まる。どうにかひねり出した声は、冷静さを欠いている自覚のある状態ですら分かるほどに震えていた。

 どうにか落ち着こうと拳を握りしめるが、全身に広がる寒気は治まるどころか、時間が経つに連れて酷くなる一方だった。

 

 (しら)を切ろうにも、こんな精神状態で誤魔化せるとは思えない。

 ここは一旦逃げて時間を置くべきだ。逃げきれる気はしないが、まずは精神的に落ち着かなければどうしようもない。

 今すぐ逃げなければ、どうにか時間を稼がなくては。焦る思いが空回りしてわたしの思考を埋め尽くしていく。

 だが、わたしの意思に反してキング・クリムゾンは現れなかった。

 

「スタンドが、出せないだとッ!?」

「暴れられると困るんでね。君のスタンドには、すでに『安全装置(セーフティーロック)』をかけさせてもらったよ」

「バカなッ! どうやってわたしのキング・クリムゾンを──ッ!?」

 

 すぐ側に家族が居ることも忘れて慌てているわたしに向かって、卵の殻のようなギザギザしたヘアバンドをしている若い男が、小柄な少年のような姿のスタンドを出しながら右腕を突き出してきた。

 その動きに追随するようにスタンドが動き出し、わたしの手の甲に触れると表皮が『本』のページの様にペラペラとめくれ始める。

『本』にはわたしが先ほどまで考えていたことが日本語で記されていた。まさか──

 

「まさか、わたしの記憶を読んだのかッ!?」

「ああ、そうだ。おまえがパッショーネのボスだった男の記憶を持っているということは、ここにいる全員が知っている」

 

 スタンド能力を実演したヘアバンドの男が後ろに下がり、ベッドに近寄ってきた承太郎がわたしの言葉に答えた。

 承太郎を睨みつけながら現状を打開するための策を考えるが、何一つとしてマトモな案は思い浮かばない。

 誤魔化そうとしたところで、わたしの出せる情報は全てあいつらが握っているのだ。

 それ以前に家族に秘密がバレた時点で、どんなことをしても意味はない。

 

 スタンド使いだったということぐらいなら受け入れてくれるかもしれないが、これだけは駄目だ。

 こんな邪悪な存在を受け入れてくれるはずがない。きっとわたしの家族もオレの母や養父と同じように、わたしのことを拒絶するだろう。

 

 ……違う、この人たちはあの女とは違う。

 もしかしたら、万が一にも、わたしのことを受け入れてくれるかもしれない。

 だが、以前のような関係には戻れないだろう。

 

 承太郎から視線をそらして、母たちが立っている方向に視線を向ける。

 そこには心配そうにわたしを見つめている家族の姿があった。

 

「なのは」

 

 普段と何一つ変わらない声色で父がわたしの名を呼ぶ。

 返事をしようと口を開くが、わたしの喉から声が発せられることはなかった。

 

 わたしは父を、母を、兄を、姉を、ずっと騙し続けていたのだ。

 ディアボロという本性を隠して、なのはという偽りの姿を演じ続けていた。

 父の呼びかけに答える資格など、あっていいはずがない。

 

 なにも言えなくなってしまったわたしは、目を伏せて黙りこくってしまった。

 そんなわたしの姿を見かねたのか、父が病室に備え付けてあった折りたたみ式の椅子をベッドの横に移動させて腰掛けた。

 

「俺は、なのはの父親だ。誰の記憶を持っていようが、そんなことは関係ない。だからこそ、なのはに謝らなくちゃならないことがある」

 

 どうして、なんで、父がわたしに謝らなければならないんだ。

 悪いことをしたのは、わたしのほうじゃあないか。

 

 逸らしていた視線を戻すと、真剣な目つきでわたしの瞳を見つめている父と目が合う。

 怨みや恐怖、敵意ばかり向けられてきたオレにとって、その眼差しはひどく久しぶりに見たものだった。

 

 それはわたしがディアボロだったころ、観光のためにサルディニアまで来ていたドナテラの瞳とよく似ていた。

 今になって気がついた。オレはドナテラに家族としての愛情を求めていたのだろう。

 だから彼女と別れてからというもの、オレの心は一度たりとも満たされなかったのだ。

 

 不完全な心を埋め合わすためにドッピオというもう一人の自分が生まれたが、信用はしていても信頼はしていなかった。

 結局は便利な駒としか思っていなかったのだ。

 

 どんなに組織の勢力を伸ばしても、どんなに金を集めても、イタリア全土を裏から牛耳るようになっても、オレは心から満足することはできなかった。

 オレが本心から求めていたものは、そんなものではなかったのだから当たり前だ。

 結局のところ、オレという人間は自分自身を信じることすらできなかったのだ。

 

「謝らないといけないのはわたしのほうだ。わたしは、あなたたちをずっと騙し続けてきた。だから──」

 

 だから、わたしをあなたの子供だと思わないでくれ。

 お願いだからわたしのことを嫌ってくれ。

 わたしに愛情を与えないでくれ。

 わたしを許そうとしないでくれ。

 

 とうの昔に消えてなくなったはずの罪の意識が、わたしの心に重くのしかかる。

 思っていることを口に出すことすらできない自分の弱さが苛立たしい。

 

「騙していたのは俺たちも同じだ。なのはが誰かの記憶を持っていることは、前々から知っていた」

「え……?」

 

 わたしの頭を撫でながら、父がとんでもない事実を明かしてきた。

 わたしは中身と外見が釣り合っていないという自覚があるが、ボロを出したことは一度たりともないはず……だと思う。

 少なくとも言葉遣いは歳相応の子供のように振舞っていたはずだ。家族の前でイタリア語を使ったこともない。

 いつ、どこで、どうやって気がついたのか。わたしには思い当たるフシはなかった。

 

「ある日、うなされているなのはが心配で添い寝をしていたときに見てしまったんだ。苦しそうな表情でぽつりぽつりとイタリア語をつぶやいているなのはの姿を」

 

 父の答えに合点がいった。悪夢の内容までは詳しく語っていないものの、わたしは過去に何度か病院の世話になったことがある。

 医者に相談したところで解決するような問題ではなかったが、それほどまでに過去のわたしは憔悴していたのだ。

 

 わたしは生まれながらに見聞きしたものを理解できるような、常識はずれな赤子ではなかった。

 三歳頃の記憶までは思い返すことができるが、それ以前の記憶となるとあまりハッキリとは覚えていない。

 

 家族の話によれば、よく夜泣きをする赤ん坊だったらしく、常に何かかに怯えているような様子だったそうだ。

 恐らく、脳がオレの記憶や人格を完璧に読み取れるまで成長するのに、三年の歳月を要したということだろう。

 

「他にも気になるところはいくつもあった。だが、あえて深く追求はしなかった。せめてなのはが悪夢を見なくなる日が来るまで待とうと、そう考えていた。なのはがここまで追い詰められていたとも知らずに。俺は父親失格だ」

「……お人好しにも程がある。オレの記憶を見たんだろう? こんな罪人に、どうして……どうしてそこまで情けをかける! 娘に取り憑いた悪魔を憎いとは思わないのかッ!」

 

 わたしは頭に乗せられていた手を払いのけて父に食って掛かっていた。

 日本語ではなくイタリア語で感情のままに吐き出された言葉の数々の意味が分からなかったのか、それとも急変したわたしの態度に驚いたのか、兄と姉は目を丸くしている。

 

 一方、父はわたしのイタリア語を聞き取れたらしく、神妙な面持ちでこちらを見つめている。

 口元は硬く閉ざされているが、澄んだ黒い瞳はわたしの心内を探ろうとしているように見える。

 時間の流れが宮殿を発動させているときよりも遅く感じられた。

 今の私の心情は、さながら刑が執行される直前の死刑囚といったところだろう。

 

「思うわけがない」

 

 重々しく閉じられた口から発せられた一言に自分の耳を疑った。

 父の隣で話を聞いていた母が兄と姉にわたしの喋っていた内容を伝えている。

 出た答えは同じなのか、三人とも無言で首を縦に振っている。

 

「なん、で……」

「なのはが俺たちを家族だと思ってるように、俺たちはなのはを家族だと思ってる。ただそれだけのことだ」

 

 父が言っているのは、理屈もヘッタクレもないただの感情論だ。

 それなのに、わたしの心は意外なまでに父の回答をすんなりと受け入れていた。

 形式上ではなく本当の意味で家族だと思える人物など、今の今まで一人足りとも存在しなかった。

 前世(ディアボロ)の家族はもちろんだが、今世(高町なのは)の家族に対してもわたしは一線を引いていた。

 家族だと思っている。信頼だってしている。だからこそ拒絶されるという結果を恐れて嘘を()き続けてきたのだ。

 

「わたしは、みんな(家族)を頼ってもいいの……?」

「いいに決まってるじゃない」

 

 縋るような思いで喉の奥からひねり出した問いに答えたのは、父の隣で物静かに話に耳を傾けていた母だった。

 いきなりのことで呆然としていると、少し息苦しいと感じるほど強い力で母に抱きしめられた。

 しかし、今度は抜け出そうとは思えなかった。

 

 嬉しそうに笑みを浮かべながら涙を流している母の姿を見てしまい、わたしは思わず固まってしまった。

 母は悲しみを誤魔化すために無理をして笑っているのではない。

 この人は、この人たちは、心の奥底からわたしのことを心配してくれていたのだ。

 それを自覚した瞬間、二筋の涙がわたしの頬をつたって滴り落ちた。

 スタンドを封じられ、過去を家族に暴かれたことでヒビの入っていた感情の堤防が、ついに崩れ去ってしまったのだ。

 

「……ごめん、なさい。今まで黙ってて、本当にごめんなさい」

 

 もはや言葉を取り繕う余裕すら残っていない。

 母の胸の中でみっともなく泣き腫らしながら、わたしはひたすら謝り続けた。



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高町なのはの新しい事情 その②

 わたしが家族にひた隠してきた悩み事は杞憂に終わった。

 過去を引きずっているわたしとは対照的に、父たちが重要視していたのは現在のわたしだったのだ。

 しかし家族に受け入れられたからといって、現状が改善したわけではない。

 むしろこの状況は、わたしをさらなる絶望の(ふち)へと(いざな)う試練となるだろう。

 

 わたしが下手をすれば家族から嫌われるかもしれない発言をしたのには理由がある。

 言葉を取り繕う余裕がなかったというのも理由の一つだが、どうせ離ればなれになるのなら嫌われていた方がマシだという考えも働いていた。

 底辺(マイナス)から底辺(マイナス)に堕ちるのなら、まだ耐えることが出来るだろう。

 しかし、絶頂(プラス)から底辺(マイナス)に叩き落とされたとき、わたしの心はきっと耐えられないだろうと思ったのだ。

 

 後悔の念が絶え間なくわたしの心を(さいな)み続ける。

 どうせならもっと早く家族に秘密を打ち明けていればよかった。

 覚悟は決めていたはずなのに、『矢』に選ばれなかったときをはるかに上回る焦燥感に心が締め付けられている。

 

 あの後、わたしたちは話し合いの場を高町家に移した。

 いつまでも病室を意味もなく占領しているわけにもいかず、一般人の目がある公の場でこれ以上、込み入った話をするのは得策ではない。

 そこでSPW財団の関係者が用意した車に乗り込んで移動したのだ。

 

 家族間での話し合いが終わった今、残った重要事項はわたしの今後の扱いである。

 自分で言うのもなんだが、わたしの潜在的な危険度は父を襲った爆弾のスタンド使い──吉良吉影に勝るとも劣らないだろう。

 

 車内で聞かされた断片的な情報によって、吉良が承太郎たちと敵対している理由は理解できた。

 続いて吉良の経歴を聞かされたときは、わたしも思わず眉をひそめた。

 ヤツは十五年以上前から何十人もの人間をスタンドを使って人知れず殺している殺人鬼だったのだ。

 

 意味もなく人を殺す連中の考えていることなどわからないが、殺人に罪悪感を抱かないという点においては吉良と同類だと言えるだろう。

 もっとも悪人だという自覚のあるわたしでも、よっぽど追い詰められないかぎりカタギの人間を巻き込もうとは思わないが。

 

 オレが直接的、間接的に殺した人間の数を考えると、吉良の悪行など大したことはない。

 数だけで言えば、監視も兼ねてパッショーネの親衛隊に所属させていた『最低のゲス(チョコラータ)』のほうが大量の人間を殺しているだろう。

 自らの正体がバレそうになっただけで一般人を手にかけたこともある。

 部下のスタンド使いに大量虐殺を命令したこともある。

 過程は違えど結果だけを見れば、わたしと吉良の行動に大差はないのだ。

 

 顔を上げると眉一つ動かさずに黙りこくっている空条承太郎と、興味深そうな表情でわたしの様子を見ているヘアバンドの男──岸辺露伴。

 そして居心地悪そうにソワソワしている広瀬康一が、机を挟んだ向かい側のソファに座っている。

 わたしの隣には父が座っており、緊迫した空気が応接間に漂っている。

 

 残った承太郎の仲間や母たちは、居間で話し合いが終わるのを待っている。

 どうして露伴までこの場に同伴しているのかはわからないが、不特定多数の人間には聞かせられない話をするつもりのようだ。

 

「それで、おまえたちはわたしをどうするつもりなんだ。まさか、このまま解放してくれるわけではないだろう?」

「てめーの考えは露伴のスタンドであらかじめ読ませてもらった。それを前提にした答えだが……今すぐに殺すつもりはない」

 

 せめてもの抵抗のつもりで放ったわたしの問に対して、承太郎はどうとでも取れるような返答をした。

 たしかにスタンドを封じられた状態なら取るに足らない子供に過ぎないだろう。

 殺そうと思えば、いつでもわたしを殺せるということだ。

 

「そこの男のスタンド能力で、このわたしの記憶を探り終えたあとに始末するということか。実に合理的な判断だな」

 

 露伴に視線を向けながら吐き捨てるように言い放つ。

 つまるところ、露伴のスタンド能力でわたしの記憶を断片的に読んだはいいが、まだ全ての記憶は読み切れていないのだろう。

 

 わたしはパッショーネに所属している大半のスタンド使いの情報を持っている。

 スタンド使いについて研究しているSPW財団からしてみれば、喉から手が出るほど欲しい情報だろう。

 

 目を細めて睨みをきかせるが、承太郎は押し黙ったまま何も喋らない。

 康一は何やら気まずそうな表情で承太郎の顔色をうかがっており、露伴は相変わらず好奇の眼差しをわたしに向けている。

 

 おそらく、コイツらはわたしの考えをあらかた喋らせた後に、わたしの処刑方法を伝えるつもりなんだろう。

 いや、洗脳系の能力を持ったスタンド使いがいるということは、もっとえげつない行動に出る可能性すらある。

 

 そもそも承太郎たちが所属しているであろう組織、SPW財団が信用ならない。

 SPW財団は表向きには医療財団として知られているが、あのナチス・ドイツと関わりがあったという事実をわたしは知っている。

 正式名称すらわからない石造りの古めかしい仮面──通称『石仮面(いしかめん)』を調べていた際に手に入れた情報だが、ナチスの極秘資料にSPW財団の名前が記されていたのだ。

 戦前の記録のため裏を取ることはできなかったが、信用ならない組織であることに変わりはない。

 

「どうやらおまえは、おれたちをギャングかマフィアと勘違いしているようだな。敵対している相手だろうが、更生の余地があるのなら殺したりはしない。だからと言って、てめーを無条件で許すつもりもないがな」

「このわたしに更生の余地がある、だと?」

 

 わたしは思わず困惑してしまった。

 絶頂を望んでいたオレとは違い、わたしは大それた目的など持っていない。

 それこそ父が吉良と承太郎たちの戦闘に巻き込まれなければ、ただの子供として過ごしていただろう。

 しかし、わたしの本質が大きく変化しているとは思えない。

 

「なのはは自分のやったことに後悔しているか?」

 

 冷めた眼差しで承太郎を見つめていると、隣に座っていた父がわたしの頭に手をおいて声をかけてきた。

 家族に頭をなでられるのは嫌いではないのだが、時と場合は選んでほしい。

 ナメられないように出来るだけ男のような口調で話しているのに、こんなことをされたら意味が無くなってしまう。

 

 しかし……後悔している、か。たしかに後悔をしていないといえば嘘になる。

 ただしそれは家族を騙し続けていた自分自身に対してだ。父が言いたいのは、承太郎や康一を傷つけたことについてだろう。

 少しばかり感情に身を任せてやり過ぎた自覚はあるものの、二人を襲ったことについては後悔はしていない。

 八つ当たりに近い行為ではあったが、そもそも父を巻き込まなければよかっただけの話だ。

 

「記憶を読んだのなら知ってると思うけど、承太郎たちを襲ったのはわたしにとって正当な理由があったから。行き違いはあったけど後悔はしてない。だけど……康一の母親を巻き込んだのは悪いと思ってる」

 

 意図的に変えていた口調から普段通りの口調に戻して答える。

 今さら取り繕ってもしょうがないだろう。

 違和感を持たれないように使い続けていたというのもあり、日本語で話すとなるとこの口調が一番しっくり来るのだ。

 

「……ぼくの母さんを襲ったことについて思うところはある。だけど君にも事情があったことはわかる。だから、本心から母さんに謝るつもりがあるのなら、ぼくは君を許そうと思う」

「本当に申し訳ない、康一君。なのはが君のお母さんを傷つけた原因は俺にもある」

 

 深々と頭を下げた父に合わせて、わたしも頭を下げる。数秒ほどそのままの体勢でいると、康一が声をかけてきた。

 

「頭を上げてください。病院に来る前に(うち)に寄りましたが、幸いにも母さんは元気でしたから。誰に襲われたのかは覚えてないみたいで、泥棒に入られたかもって大騒ぎしてましたけどね」

 

 時を飛ばして家に侵入して背後から忍び寄って意識を刈り取ったので、誰に襲われたかまでは覚えていないのか。

 そもそも初めから人質に取るつもりはなかったのだが、結果的にそうなってしまったので言い訳はできない。

 

 しかし内側から突き破った窓や、康一が突っ込んだ生け垣を警察にごまかせるのだろうか。

 そう考えていると、承太郎がタバコに火をつけながら口を開いた。

 

「関係者が警察に根回ししていなければ、もっと厄介なことになっていただろう。てめーが盗んできた車や薬品の処理にも協力してもらったからな。その分、キッチリと働いてもらうぞ」

 

 そこまで言い切ると、承太郎の隣に座っていた露伴の正面からスタンド像が浮かび上がった。

 そのままわたしの手よりも小さいスタンドの手が腕に触れ、その部分から侵食するように『本』が広がっていく。

 

「今からおまえのスタンドを封じている命令を消す。その代わりにいくつかの命令を追加で書き込む。てめーにおれたちと敵対する理由はないだろうが、万が一ということもあるからな」

 

 あらかじめどんな命令を書き込むのか示し合わせていたのだろう。

 承太郎が説明している間に、露伴は懐から取り出した万年筆でサラサラと命令を書き込んでいた。

 

 書き加えられた命令は『空条承太郎とその仲間には攻撃できない』『空条承太郎と岸辺露伴の命令に逆らうことはできない』の二つ。

 駒代わりにされるのは気に食わないが、もっとえげつない命令を書かれないだけマシと考えるべきか。

 

「キング・クリムゾン」

 

 前置きなくスタンドを出現させ、その拳を承太郎の顔面に叩き込もうとする。

 しかし承太郎の眼前に迫った時点でピタリとも動かなくなった。

 いきなりの攻撃に警戒して康一が反射的にスタンドを出すが、承太郎は身じろぎひとつしていない。呆れるほど肝の座った男だ。

 

 軽くため息を吐いて拳を引き戻す。

 本気で殺せるとは思っていなかったが、露伴のスタンド能力がわたしにどのような影響を与えているかは試すことができた。

 思考そのものに影響する命令を疑っていたが、どうやら行動を制限しているだけのようだ。

 

「ヘブンズ・ドアーの命令は絶対だ。ぼくのポリシーに反するから思考までは操作していないがね」

「露伴先生……まさかリアリティがなくなるからって理由じゃあないですよね?」

「まさにその通りさ。ウソっぽいことをされても作品のためにならないからな」

 

 露伴の発言に康一が呆れ顔で言葉を返す。

 万全を期するなら思考も操作したほうがいいと思うのだが、この男はなにを考えているのだろうか。

 いや、わたしとしては思考まで操られたくはないのでこのままでいいが、本当によくわからない男だ。

 

 どうやら岸辺露伴は悪人ではないようだが、何やら妙なプライドを持っているようだ。

 そんな露伴と康一のやりとりを横目に、承太郎が二の句を語り始めた。

 

「おれはいつまでも杜王町にいることはできない。だからてめーにはSPW財団の関係者を監視につける。それと裏で何か企まないように、定期的に露伴に記憶を読んでもらう」

「悪事を企むようなら始末する、ということか。だけど、そんな労力をかけてまでわたしを生かす必要なんて……」

 

 ない、とは言い切れない。

 おそらく承太郎はわたしが再起不能にして行方知れずとなったフランス人の男──ジャン=ピエール・ポルナレフを救出したいのだろう。

 全盛期のディアボロを相手に承太郎一人で渡り合うのは難しい。

 未来予知と時飛ばしの防御をすり抜けるには、止められる時間が短すぎる。

 だから同一の能力で対抗できるわたしを監視までつけて生かすのか。

 

「吉良吉影の捜索、おまえの知っているスタンド使いの情報、ポルナレフの救出。それ相応の対価は出すが、最低限この三つはやり遂げてもらう」

「……ベネ(良し)、わかった。吉良の始末は言われるまでもなくやるつもりだったし、残りの二つも報酬があるなら協力するよ」

 

 眉間にしわを寄せてなにか言いたげにしていた父を制止して、承太郎の提案を受け入れる。

 絶対的な命令権を相手が持っている以上、これはもはや交渉ではない。

 ある程度対等な条件でなければ交渉は成り立たないのだ。

 問答無用で命を取られなかっただけマシだろう。

 

 わたしの返事を承太郎が聞き終えたことでようやく張り詰めた空気が緩んだ。

 随分と短くなったタバコを灰皿に押し付けた承太郎は、おもむろに立ち上がり脇をすり抜けてドアノブに手をかけた。

 

「聞き出したいことは山ほどあるが今日のところは帰らせてもらう。おまえも疲れているようだからな」

 

 それだけ言い残して承太郎は応接間から去っていった。

 後を追うように露伴と康一が出て行くのを眺めながら背もたれに身を預ける。

 問題は山積みだが、どうにかこの場を乗り切ることはできた。

 その安心感で緊張が途切れたのか、一気に疲れと眠気が押し寄せてくる。

 

 どうやら少しばかり無理をしすぎたようだ。わたしの意志に逆らってまぶたがストーンと落ちる。そして、そのまま溶けるように意識が薄らいでいった。



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高町なのはの新しい事情 その③

 目覚まし時計の電子的なアラーム音が鼓膜を刺激して、深く沈んでいた意識が覚醒する。

 目を開けるとそこには見慣れた薄茶色の天井が広がっていた。

 霧がかかったような、ぼんやりとした思考で頭を右横に向けて時計に左手を伸ばすが、軽い音を立てて掛け布団を叩くだけでかすりもしない。

 時計はベッドの横に置いてある小さな机の上にあるのだが、五歳児相応の体では起き上がるか転がらないと届かない。

 アラームを止めなければならないと頭ではわかっているが、眠くて動くことすら(わずら)わしい気持ちが上回っている。

 寝ぼけたまましばらくそうしていると、誰かの手が視界の下から伸びてきた。

 予想していなかった展開に驚き寝ぼけ眼を擦りながら頭を動かすと、腕を伸ばしてアラームを止めた父と目が合った。

 

「おはよう、なのは」

「……おはよう」

 

 父の優しげな声とともに差し出された蒸しタオルで顔を拭ったことで、ようやく思考がはっきりしてきた。

 承太郎たちが部屋を出て行くところで記憶が途切れているが、気が緩んで眠ってしまったのか。

 頭では理解していたつもりだったが、やはりこの体は年相応の体力しかないようだ。

 この町に住む一般人と大差ないスタンド使いと比べたら戦い慣れている自信はあった。

 しかしその経験は成人男性(ディアボロ)としてのものであって、五歳児(高町なのは)としてのものではない。

 今後のことを考えると、無理のないトレーニングぐらいは始めたほうが良いかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、寝ているうちに着替えさせられていた淡い桜色のパジャマを脱いで、半袖のシャツとひざ丈のプリーツスカートに着替える。

 そして白色のリボンを片手に持ち、鏡を見ながら自分の手を使って髪を結う。

 手慣れたもので、昔は母に手伝ってもらっていたが最近では自分の手でも問題なく髪を結えるようになっていた。

 自分の手を使うより、大柄な成人男性ほどの体格があるキング・クリムゾンで髪を結ったほうが楽ではある。

 しかし事実を知られているとはいえ誰かがいる状況でスタンドを使って楽をしようとするほど、わたしはモノグサではないのだ。

 当然だが髪の毛は長くなればなるほど手入れに手間がかかるため本当は短くしたほうが楽なのだが、理由があってセミロングを維持している。

 その理由こそが我がスタンド、キング・クリムゾンの額にあるもう一つの顔だ。

 

 この顔のことを、わたしは墓碑銘(エピタフ)と呼んでいる。

 エピタフは未来の光景を映写する能力を持っているのだが、確認するためにはスクリーンとなる物体が必要になる。

 戦いの最中に手の平などに映写する訳にもいかないため、オレ(ディアボロ)は髪を伸ばしてスクリーンの代わりにしていた。

 レクイエムから解放され高町なのはになってからは使えなくなっていた能力だが、再び使えるようになる日が来るかもしれないと思って備えていた。

 

『なら、借りていたものをお返しします。これを使ってどうかうまくやってくださいよ』

 

 エピタフのことを考えていたら、唐突に夢の中で出会ったドッピオが最後に発した言葉を思い出した。

 まさか、という気持ちを押しとどめつつキング・クリムゾンのヴィジョンを出した瞬間、わたしは欠けていたピースが埋まったような感覚を覚えた。

 ……この目で見て確認するまでもない。わたしは頭を振り前髪を広げてスクリーンにするという慣れ親しんだ動作を行いながら、エピタフを発動させる。

 すると、わたしの前髪に着替え終わるのを見計らっていた父が扉を開けて手招きをして、それに応じたわたしが無表情でついて行くという光景が映し出された。

 感慨深い気持ちになったわたしは、顔には出すまいと口元を固く結びつつ父の背を追い家族の待つリビングへと歩を進めた。

 

 

 

 分かりきっていたことと言われればそうだが、苛まれていた懸念は何の意味もなく家族はいつも通り──いや、いつもより遠慮無くわたしに接してくれた。

 今まではわたしに隠し事があるということもあり、踏み込みすぎないようにどこかよそよそしかったのだが、隠す必要がなくなったのか様々なことを話した。

 それはわたしの身の上話から始まり、兄と姉の出自、そして父の過去まで大まかに説明された。

 兄がわたしの異母兄妹で姉は父の妹の娘、つまり従姉妹(いとこ)の関係にあると聞かされたときは少々驚いた。

 だが血のつながりがどうであれ家族であることに変わりはない。

 元を辿ればわたしの人格なんて赤の他人なのだから、その程度の事実など気にする必要もない。

 

 しかしその過程で明かされた父の経歴にはさすがに度肝を抜かされた。

 父が要人警護を生業としていたが、その裏で要人暗殺を行っていた一族の生まれだったこと。

 本来は長男の父が裏稼業を継ぐ予定だったが、弟に座を譲って世界を放浪していたこと。

 『(ロン)』というテロ組織による爆弾テロ事件によって父や叔母の他、僅かばかりの御神流(みかみりゅう)の後継者が生き残ったが一族は壊滅的な被害を受けたこと。

 その後はボディーガードの仕事で生計を立てていたこと。

 そして最後はとある事件に巻き込まれた母を助けて、それが縁で結婚したという話で締めくくられた。

 

 色々と細かい説明は省かれていたが、父の半生を書き連ねるだけで小説を何冊も執筆できそうなほどの濃い内容である。

 もっと詳しく話を聞きたかったが、兄や姉はこれから学校に行かなくてはならないため、食事を挟みながら1時間ほど話したところで一旦切り上げることになった。

 

 

 

 現在の時刻は午前8時過ぎ。わたしは父の運転するミニバンに乗って杜王グランドホテルに向かっていた。

 普段は父も翠屋で仕事をしている時間帯なのだが、昨日まで入院していたことを従業員全員が知っているため、しばらく休暇をとることにしたらしい。

 建前こそ短時間で怪我が治ったのを誤魔化すためとしている。口には出していないものの、わたしのことを心配しているのだろう。

 

 こうして車を走らせてホテルに向かっているのは、これから承太郎と情報交換を行うためだ。

 昨日の話し合いは康一と康一の母親、承太郎を襲った件についてで、それとは別に話があるらしい。

 わたしが寝てしまったため詳しく話せなかったポルナレフや吉良吉影(きらよしかげ)に関する情報。そして今後の協力関係をどうするか直接聞きたいそうだ。

 

「ん……? あそこにいるのは億泰君と仗助君か?」

 

 父の指差す方に視線を向けると、住宅街の一角にあるアイスクリーム屋の前で騒いでいる億泰たちの姿が目に入った。

 二人して透明なビニール袋で包装されたアイスクリーム片手に、学ランを着た長髪の男と言い争っているようだが、通学中だろうに喧嘩でもしているのか?

 なにがあったのか聞くために父が車の速度を緩めつつ窓を開けると耳をつんざく怒声が飛び込んできた。

 

「そんな事、きいてんじゃあね────ッ!」

「何者だ、てめえッ! おれたちになにか用かよォ────ッ!?」

「だから……それはさっき言ったはずですけれど。わたしはこの地球に住むため、()()()()から来ましたと。

 あ……! わたしの自己紹介を聞きたいんですか? そうですね? うっかりしてました。わたしの名は『ヌ・ミキタカゾ・ンシ』といいます。

 年齢は216歳です。職業は……この星で言うと『()()()』でしょうか? 趣味は『動物を飼うこと』です」

 

 さも当然のことのように頓珍漢(とんちんかん)な話をされて呆気にとられたのか仗助と億泰はポカンと口を開けて絶句している。

 言動だけ見れば妄想と現実の区別がつかなくなったヤク中としか思えないが、瞳孔は開いていないし頬がこけているわけでもないのでその線は薄いだろう。

 正直いってあまり関わりたくないのだが……今後共闘する可能性のある二人を見なかったことにして通り過ぎるわけにもいかないか。

 路肩に停車して父と一緒に車を降りると、気を取り直した仗助と億泰が小声でヒソヒソとどう対処するか話し合い始めていた。

 長髪の男は二人を気にもとめていないのか、カバンから取り出したネズミを手のひらに乗せて背中を撫でている。

 

「昨日ぶり。億泰さん、仗助さん」

「なッ……てめーはッ!?」

「士郎さんとなのはちゃん? どうしてこんなところにいるんだァ?」

 

 このまま見ていてもしょうがないので密談している二人に声をかけると、仗助が目を見開きながら警戒心を露わにした。

 億泰は翠屋で何度も顔を合わせたことがあるためか、単純に知り合いと遭遇したような対応である。

 友人を拉致して人質にしていたのだから、仗助の反応も理解できる。だがこの状況で警戒すべきは、わたしではなく目の前の長髪の男だろう。

 ひとまず口に人差し指を当てて声を下げるように示すと、ハッとしたような表情をしながら仗助と億泰は口元に手を当てた。

 

「なにやら揉めてるようだが、喧嘩をしている……というわけでもなさそうだな」

「それがよぉ士郎さん、手短に説明すると新手のスタンド使いかもしれないんスよ」

 

 困り顔を浮かべた億泰がこめかみを人差し指で掻きながら父の質問に答えていた。

 その光景を視界の端にとらえつつ少し離れた位置から異常がないか周囲を観察していると、長髪の男とわたしを交互にチラチラと見ていた仗助が声をかけてきた。

 

「高町なのは、あんたはどう思う」

 

 どうやらわたしがスタンド使いとの交戦経験が豊富だと見込んだのか意見が欲しいようだ。

 合理的に考えると敵対するスタンド使いなら一般人のフリをして近づくのがセオリーで疑われるような言動を控えるはずだ。

 あえておかしな行動をすることで油断を誘っている可能性もあるが──今のわたしならこちらから仕掛けたほうが早いか。

 

「判断材料が足りなくてなんとも言えないけど、手っ取り早く確かめてみる」

 

 答え終わると同時にキング・クリムゾンを出し、じっとこちらを見つめている長髪の男の顔に向けてスタンドの拳を振り下ろす。

 相談もなしにわたしが攻撃を仕掛けたことに仗助と億泰は驚いているようだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 スタンド使いとの戦いは情報戦であり時間との勝負でもある。

 わたしは過去の経験則とパッショーネの情報分析チームに集めさせた数多くのデータからスタンドの法則性をある程度把握している。

 スタンドの性質は大きく分けて『近距離パワー型』『遠隔操作型』『遠隔自動操縦型』の三つに分類される。

 原則としてスタンドのパワーと射程距離は反比例するため、素手で人体を貫いたりできるほどの力を持ったスタンドは本体から数メートルしか離れられない。

 例を挙げるなら、わたしのキング・クリムゾンや承太郎のスタープラチナは時間を操作するという特殊な能力こそ合わせ持っているが典型的な近距離パワー型に該当する。

 いささか短絡的な判断とも言えるがスタンド使いが自ら姿を表した時点で、そいつのスタンドは近距離パワー型か近寄らなければ発動できない能力であると予想できる。

 我々全員がすでに敵の能力を受けている可能性や、あえて攻撃を受けることでスタンド能力が発動する可能性もあるが、今のわたしなら後手に回っても対処は可能だ。

 

「……? 急にどうしたんですか?」

 

 いきなりスタンドを出して殴りかかったわたしをとっさに止めようとした二人は、目を見開いたまま片腕を突き出した体勢で固まっていた。

 その一方、長髪の男は何が起こったのか理解しておらず二人の真似をして片腕を伸ばしている。

 

「どうやらスタンドは見えていない、か。この人はスタンド使いじゃなさそうだね」

 

 エピタフで別の角度からこの光景を予知していたが、スタンドの拳が鼻先で寸止めされてるにもかかわらず、避ける素振りはおろか条件反射で目をつむりもしなかった。

 承太郎のような常識外れな胆力の持ち主なら見えていても反応しないでいられるだろう。

 しかし、こいつからはそういった人物特有の存在感やオーラといった()()が感じられないのだ。

 

「て、てっきり顔面を思いっきりぶん殴るのかと思って焦ったぜ」

「探りを入れるにもよォ、もうちょっとやりようがあるだろ、フツーはよぉ。

 つーか、もしスタンド使いだったら、このままぶっ殺すつもりだったのか?」

「反応したら気絶させてたけど、話が聞けなくなるから殺したりはしない……本当だからね?」

 

 二人して後ずさりしながら疑わしい視線を向けているが、もし僅かにでも反応があったら頭部に衝撃を与えて気絶させるつもりだったのは本当だ。

 昨日の今日で信用してもらえるとは思っていないが、なにをしでかすか分からない危険物扱いされるのも複雑な気分である。

 昨日、本当に攻撃ができないのか確かめるために承太郎に殴りかかったばかりなのに同じような行動をしたというのも影響しているのであろう。

 

 裏社会での暮らしが長すぎて一般的な感覚に馴染めていないせいか。

 それとも正体を隠さなければいけないという束縛から開放されたせいか。

 もしくはエピタフが使えるようになって浮かれているのか。

 いずれにせよ、今のわたしには手っ取り早く事を済ませてしまおうとする癖があるようだ。

 オレはもう少し慎重だったはず……いや、最終的に暴力に訴えるという点では変わっていないのか?

 戦術的には間違った行動ではないと思うのだが、その一方で自分の感性が一般人とはズレている自覚もある。

 なにかおかしな行動だっただろうかと首を(かし)げ考えていると、もの言いたげな目でこちらを見ていた父が口を開いた。

 

「俺は()()()()()武術の心得があるが、彼の体つきや身のこなしは普通の人とおなじに見える」

 

 億泰と話しながらも様子をうかがっていた父の目から見ても、長髪の男に不可解な点は見受けられなかった。

 言動が常識外れで()()()()()()()を感じるが、それ以外に特筆すべき要素がない以上、風変わりではあるが一般人なのだろう。

 

「それじゃあ、わたしたちはもう行くね」

「すまないがこれから用事があってな。もし何かあったら空条さんか昨日教えた俺の携帯電話に直接連絡してくれ」

 

 ここから杜王グランドホテルまではそう遠くはない。万が一があっても助けに行くまで乗り切ることは難しくはないはずだ。

 これ以上探りを入れてもあまり意味がなく約束の時間も迫っていたため二人に別れを告げて車に戻ろうとしたとき、ふいに長髪の男に声をかけられた。

 

「すみません、そこの茶髪の人。一つだけお聞きしたいことがあるのですが、いいですか?」

「急いでるから手短にならいいけど」

「ありがとうございます。質問なのですが、身に覚えのないハードカバーの開けない本か白紙の本を持っていたりはしませんか?」

「うーん、どっちも知らないかな」

 

 質問の意図は分からないが、正直に答えておこう。余計なことを言って話が長引いても困る。

 わたしの返答を聞いた長髪の男は納得したのか、それ以上問いただしてくることはなかった。

 まだ納得できない仗助と億泰は長髪の男が宇宙人なのかと質問しているようだが付き合っていられない。

 どうせこいつは数年前にヒットした映画を見て、自分を宇宙人を管理する秘密組織のエージェントだとでも思い込んでいるのだろう。

 車に乗り込んだわたしたちは消防車のけたたましいサイレンの音を聞き流しながら杜王グランドホテルへと向かうのだった。




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高町なのはの新しい事情 その④

 意図せぬトラブルで時間を取られたが、なんとか予定の時刻に間に合ったわたしと父はフロントまで降りてきていた承太郎の案内により杜王グランドホテルのスイートルームに招かれた。

 格式高いとまでは言わないが歴史のあるホテルのスイートルームなだけあって、置かれている家具は有名な海外ブランドのもので統一されている。

 

「とりあえず座ったらどうじゃ?」

 

 屋内なのに大人用のサングラスとニット帽をつけた赤ん坊を抱いている大柄な老人──ジョセフ・ジョースターに(うなが)されてソファに向かうが──

 

「……」

 

 座ろうとしたソファは承太郎やジョセフのような2メートル近い日本人離れした長身の男性でもゆったり座れるような立派な品だった。

 大きめとはいえ一般的な日本人女性でも背もたれとの間にクッションを挟めば十分に座れるサイズだ。

 つまり身長が110センチにも届かない五歳児のわたしでは大きすぎるということである。

 試しによじ登って座ってみたが両足が浮いてしまう上に、ソファクッション1つでは背もたれとの隙間をカバーできず非常に座り心地が悪い。

 

「ふむ、クッションをもっと用意したほうがいいかのう」

「それとも俺の膝の上に座るか?」

「パパ、遊びに来たわけじゃあないんだよ」

 

 父を半目で睨みつけると残念そうな表情を見せながらも、おとなしく引き下がった。

 結局、父の要望はなかったことにして部屋にあったソファクッションをかき集めて無理やりソファに座ることにした。

 ジョセフのこちらを見る目が、心なしかやさしいような気がするのが余計に腹立たしい。

 

 

 

 机を挟んで対面する形で置かれた2脚の一人がけの椅子にそれぞれ腰掛けた承太郎とジョセフ。

 彼らの手元にはA4サイズで印刷された数十枚の資料があり、机の上には一台のラップトップ(ノートパソコン)が鎮座している。

 画面上には様々な言語の新聞や雑誌の切り抜きの画像が表示されている。

 

「ここにあるのはお前の記憶との差異を把握するため、半日ほどかけてSPW財団の人間に調べてもらった資料だ」

 

 そう言って手渡してきた資料は日本語ではなく英語で(しる)されていた。

 欲を言えばイタリア語が一番助かるが、これでも日本語よりは読みやすい。

 しかし、たった半日でこれだけの資料を集めてくるとは、世界規模の組織なだけはある。

 

「わたしの記憶を読んだときに大まかに内容を記録していたとは、抜け目のない男だ」

「どちらにせよ確認は早急にしなくてはならなかったからな。見て分かるように、お前の記憶との差異は()()()()ない」

 

 承太郎の言う通り、パラパラと資料をめくると見覚えのある事件の詳細な内容が比較されていた。

 パッショーネが強く干渉していたイタリア周辺ですらオレの記憶と同じ事件が起こっている。

 全てが同じというわけではなく、些細な違いはあるようだが誤差の範囲に収まるレベルだ。

 

「逆に言うと、わずかだが差があるということか。つまり過去のオレ──ディアボロが死んだ世界ではない、と言いたいんだな」

「暫定だが、おれやSPW財団の科学者たちはそう考えている。

 今後1年ほど様子を見て、おまえの記憶にある出来事が実際に起こるか検証はするが、ほとんど確定だと思っていい」

 

 単純に過去の世界に生まれ変わったわけではない、というのは喜ばしい事実である。

 なにせ、わたしの記憶通りに物事が進む運命の固定化された地獄のような世界ではないと証明されたのだ。

 

「未来を予知できるスタンド使いは感覚で理解しているが、一度予知して(見て)しまった未来(運命)を変えるのは、()()不可能だ。

 運命そのものを捻じ曲げるほどの強力な力を使うか、見た未来の解釈を変えることで回避するぐらいしか抜け道は存在しない」

「記憶通りに物事が進む可能性が減ったとしても、確実に変えられる可能性があるだけマシ、ということかのう」

 

 承太郎のオマケだと思って軽視していたが、ジョセフも話の内容は理解できているようだ。

 むしろ難しい顔をして唸っている父のほうが、ちゃんと理解できているのか怪しい。

 

「小難しい話は置いておくとして、ディアボロの正体や行動パターンを把握しているなのはなら先手を取れる、ということか」

「そういうことだね」

 

 父の言う通り未来予知を改変する手段については、あまり関係ない話である。あくまで高精度の未来予想ができるというだけの話だ。

 組織にわたしの知らないスタンド使いが増えているかもしれないので盲信はできないが、行動の指針にはなるだろう。

 

「……とはいえ、承太郎たちの目的としているポルナレフの救出は実行できるか怪しいな」

 

 わたしがポルナレフを話題に出すと、承太郎とジョセフの目つきが変わった。わたしの記憶については前座で、やはりこれが本題だったか。

 

「おまえの記憶通りなら、この時期のポルナレフは既にディアボロに崖から突き落とされているんだったな」

「ううむ、あと数年早くなのはちゃんと接触できていたらポルナレフに忠告できたかもしれんのにのなあ」

 

 承太郎は真剣な表情で思案し、ジョセフは口惜しそうにうなだれている。

 追い打ちをかけてしまうため口には出さないが、ジョセフの言うように運良く数年早く接触できたとしてもポルナレフを救出するのは不可能だっただろう。

 オレがポルナレフを始末したのは1990年代前半だが、わたしが生まれたのは1994年の4月6日──奇しくもジョルノに殺された日と同じである。

 つまりどれだけ早く出会っていても手遅れだったのだ。それに生まれたての頃はマトモに意思の疎通などできなかったし、意識もはっきりしていなかった。

 

「コロッセオでのポルナレフの言葉から推測するに、現在は農村の廃家(はいか)に隠れ住んでいるはずだ」

「人の少ない農村となると候補はある程度絞られるが、どうにかして見つけ出すことはできないか?」

「パッショーネはSPW財団や承太郎の動向も監視しているから難しいだろうな。

 下手を打てば情報分析チームのカンノーロ・ムーロロにいいように利用されて終わるだろう」

 

 ヤツのスタンド能力や組織内の立場、本人の人格を踏まえると、組織の調和を乱す存在を見つけたら素直に報告などせず、駒として扱うに決まっている。

 ムーロロは暗殺チームにオレの娘(トリッシュ)の情報を流した人物として疑っていたぐらいには信用ならない男だ。

 お世辞にも褒められた性格ではないが有能だったため多少の独断(ソルベとジェラートの件)は見て見ぬふりをしていたが、あのままオレがブチャラティチームに勝利していたらヤツは始末していただろう。

 

 それはともかく、ムーロロのスタンド──劇団<見張り塔(ウォッチタワー)>は53枚のトランプを模した群体型のスタンドで、本人は千里眼のような予知能力があると(うそぶ)いていたが嘘だろう。

 予知能力は思ったほど使い勝手のいいものではない。映像、音声、静止画、文章、どのような形で表しても本人の受け取り方で解釈違いが発生してしまう。

 映像と音声という複合的な能力のエピタフですら、十年以上使っていても読み違いは避けられなかった。

 それなのにトランプたちが勝手に動いて劇を行い情報を伝えるという分かりにくい表現で百発百中というのは、いくら何でもおかしい。

 あれの正体は非常に射程距離の長い群体型と遠隔操作型の性質を併せ持ったスタンドで、真の能力を誤魔化すために自力で情報収集をした結果をああやって見せていたのだろう。

 

「ディアボロの行動を先読みして先手を打つことは可能だと思うが」

 

 ……らしくないな、空条承太郎。冷静沈着で思慮深(しりょぶか)いこの男なら、そんなことをしたら何が起こるかぐらい分かっていると思っていたのだが、過大評価しすぎたか?

 わたしが否定的な答えばかり出しているせいで焦れているのか、心なしか機嫌も悪くなっているように思える。

 承太郎の意見を無下(むげ)に扱っているが嫌がらせのつもりはない。

 かつて自分が支配していた組織の恐ろしさを、わたしは誰よりも理解している。

 だからこそ速攻でケリをつける方法を模索せねばならないのだ。

 

「わたしの記憶通りにヤツが動いているのなら不可能ではない。だが後々の事を考えるとそれは下策だ。

 よしんばディアボロを殺せたとして、統制がとれなくなったパッショーネがどうなるか容易に想像できる。

 あれは恐怖と利権で縛り付けただけの連中だ。絶対的なボスを失えば、ただでさえ悪化している治安が更に悪くなるだろう」

 

 パッショーネは売春と強盗*1を除けば、ほぼ全ての違法行為に手を出している。特に国内外の麻薬取引は大きな収入源となっている。

 当時のパッショーネは今ほど組織力が大きくなく、原産地や密輸ルートの確保はまっとうな手段では不可能であった。

 手っ取り早く参入できる事業が裏社会に残っているはずもなく、どうやって組織の規模を拡大するか考えていたときに現れたのがマッシモ・ヴォルペという没落した貴族の家に生まれた男だ。

 ヴォルペが海水や岩塩を原料にスタンド能力で作り出した麻薬は原価がほぼゼロなので、パッショーネの組織力を高めるのに非常に役立っていた。

 もっとも個人の力に頼り切っていては離反されたときのリスクが大きすぎるため、初期こそヴォルペの作ったスタンド麻薬しか取り扱っていなかったが、最終的に通常の麻薬販売ルートも他のマフィアからかすめ取る形で確保している。

 麻薬チームはヴラディミール・コカキというパッショーネ設立前から有名だった大物マフィアをリーダーに据えているので上手く逃げおおせるだろう。

 しかし一般的な麻薬は偽装工作も兼ねて、パッショーネの支配下にある既存マフィアの名義で流通させていた。

 パッショーネのボスが変わったと知れたら、フリーになった利権を巡って血で血を洗う抗争が起こるのは目に見えている。

 

「……だが、おまえの知識があるのなら、騒ぎを大きくせずにパッショーネを掌握することも難しくは──」

「空条さん、あなたはなのはをどうしたいんだ」

 

 それは抑揚の感じられない静かな一声(いっせい)だった。

 あからさまに怒気を出しているわけではない。にもかかわらず、承太郎の首元に刀を()えた父の姿を思い浮かべたのは、わたしだけではなかったようだ。

 承太郎とジョセフも同じイメージを感じ取ったらしく、父が座ったまま動いてないにもかかわらずスタンドを出してしまっている。

 

「──すまない、おれが軽率だった」

「頭を上げてくれ、空条さん。あなたがポルナレフさんの身を案じて焦っているのもわかるが、少し冷静になってほしい」

 

 かぶっていた帽子を脱いで頭を下げた承太郎に父が答える。

 父も本気で怒ったわけではなく承太郎をたしなめるのが目的だったようで、すでに普段の(ほが)らかな姿に戻っていた。

 

「ワァ────ッ! ンギャあああ────ッ!」

「お、おおっと、こりゃあイカン! 話の途中でスマンが、わしはこの子をなだめてくるぞ!」

 

 一瞬とはいえピリピリとした空気が流れたせいか、今まで静かに寝ていた赤ん坊が大声で泣き出してしまった。

 ジョセフは歳に見合わぬ見事な健脚を発揮してサッサと部屋を出ていってしまった。そもそも、なんで話し合いの場に赤ん坊を連れていたんだ……?

 

 

 

 ジョセフがいなくても話は続けられるが場の空気を変えるため少し休憩を挟むことになった。

 承太郎がルームサービスで頼んだ軽食と飲み物をつまみながら、わたしは先程の赤ん坊について尋ねてみることにした。

 

「ジョセフさんの抱いていた赤ん坊って何者なの?」

「……急に外見相応の口調になると調子が狂うな」

「そっちが話しやすいように意図して切り替えてるだけで日本語ならこっちが()だからね」

 

 真面目な話をしているのに場の空気が緩みそうな喋り方をするのもどうかと思うので、あえて父や兄の口調を真似ているのだが気に入らないのだろうか。

 本格的に学び始めて3年は経つが未だに日本語や日本文化は理解しきれていない。表現方法が多いのはいいことだが、この言語は複雑すぎるのだ。

 

「じじいの抱いていた赤ん坊は、ものを透明にできるスタンド使いでな。親に捨てられたのか、見つけられなくなったのかは分からねえが、5月頃に仗助とじじいが保護した。

 警察やSPW財団の手を借りて両親を捜索しているんだが、まだ見つかっていない。じじいが近くにいないとすぐに泣き始めてスタンド能力を暴走させちまうから、ああやって一緒にいたってわけだ」

「生まれながらのスタンド使いか。早く能力をコントロールできるようになるといいね」

 

 親に捨てられたかもしれないというのは、わたしにも少し思うところがある。

 良心ではなく同族意識に近いが、異質な力に理解のある親が現れることを願おう。

 

「ところで、おまえ──」

「なのはでいいよ」

 

 承太郎はポルナレフの(かたき)の記憶を宿しているわたしとの距離感をはかりかねているのだろう。

 だからといって、ジョセフのように()()()()()というのも違和感がかなりあるし、はっきり言って承太郎はそういう性格(キャラ)でもない。

 だが、これから仮初とはいえ仲間になるのだ。呼び捨てでいいので、さっさと名前で呼んでほしい。

 

「──なのはが『スタンドの矢』について把握していることを教えてほしい」

「知っていることはあまり多くはないけど、それでもよければ」

 

 オレの発掘したスタンドの矢は6本で、その内の1本をパッショーネが確保している。

 わたしと承太郎の情報を統合した結果、ポルナレフが確保している1本と吉良吉影の父親が持っている1本、虹村億泰の兄が持っていた1本までは所在を絞ることができた。

 スタンドの矢がオレの発掘した6本しか存在しないと断定はできないが、最低でも行方不明の矢が2本存在すると把握できたのは大きい。

 

「そしてポルナレフの持っている矢にはスタンドを進化させる力がある」

「記憶にあった『鎮魂歌(レクイエム)』というやつか。吉良吉影の親父の矢にも同じ力があったら厄介だな」

 

 レクイエム化したスタンドは能力がどのように変化するか予想できない。

 思えば虫のようなデザインの施された(やじり)の矢が2本混ざっていたが、あの2本に特殊な力が宿っていたのだろうか。

 承太郎によると回収した矢は普通の見た目で、回収できなかった吉良吉影の父親の矢にも、そのような特徴はなかったらしい。

 スタンドをレクイエム化される可能性は低いがゼロとは言い切れない。

 承太郎とその仲間たちには、敵のスタンド能力が変化するかもしれないと忠告しておいたほうがいいだろう。

 

 その後もジョセフが帰ってくるまで、わたしたちはお互いの知識のすり合わせを続けていった。

*1
売春と強盗はイタリア・マフィアには汚らわしい仕事として扱われている。売春行為そのものは合法だが斡旋(あっせん)や売り込みは法律で禁止されているためイタリアに娼館は存在しない。




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高町なのはの新しい事情 その⑤

「待たせてしまって悪かったのォ~」

 

 赤ん坊がすぐに泣き止んだのかジョセフは意外と早く帰ってきた。

 泣き疲れて寝てしまった赤ん坊をベビーベッドに横にしたジョセフはそのまま席につくと、背筋をピンと伸ばして腕を組んだ。

 そこにいるのは激動の時代を生き抜いた老練な戦士だ。めっきり老け込んで覇気がなくなったように見えたが、競争社会のアメリカで不動産王にまで上り詰めた男は(いま)だ健在ということか。

 

「わしらは対等な関係を築きたいと考えておる。承太郎が先走ってしもうたが、最初からリターン(報酬)に見合わないリスク(危険)を負わせるつもりはなかった。

 表と裏の違いはあれど大規模な取引の経験があるきみには馴染み深い話じゃろう?」

 

 ニヤリと老人らしからぬいたずらっぽい笑みを浮かべるジョセフの姿を見て、わたしは判断ミスを悟った。

 てっきりわたしのことを子供扱いしている腑抜けとばかり思っていたが、腑抜けていたのはわたしのほうだった。

 承太郎との世間話にうつつを抜かしていないで、ジョセフがいないうちにさっさと最低限の内容で交渉をまとめておくべきだったのだ。

 対等な関係と対等な取引は必ずしも両立するわけではない。内心では『あからさまに不利だと思われない限界ギリギリまで搾り取ってやるもんね』と考えているに違いないッ!

 

「さて、まずはそちらのスタンス(考え)を聞かせてはもらえんじゃろうか」

 

 まずい、このまま会話の主導権を握られたら非があるわたしが不利だ。

 なんだかんだで情に訴えかけたら効果はありそうだが、わたしがどういう性格をしているのか既に把握されているので効果があるか怪しい。

 どう答えるべきか思い悩んでいると、わたしより先に父が口を開いた。

 

「なのはが空条さんと広瀬さんたちに怪我をさせた償いをしなければならないのは納得している。それに、なのはが苦しんでいたのに止められなかった俺にも責任はある。

 親としては切った張ったの(暴力が支配する)世界ではなく、陽のあたる場所(平和な世界)を生きてほしいが、俺の考えを押し付けるつもりはない。

 もしも、なのはがイタリアの裏社会を率いなければならないと本気で考えていて、何も知らない弱者を踏みにじるような間違った道を歩まないのなら、俺は止めはしない」

 

 ……比べるのもおこがましいが、わたしの父は人でなしで父親失格だったオレ(ディアボロ)と違い、本当に(わたし)のことをよく考えている。

 先日から時折見せる険しい表情を見れば嫌でも察せられる。本当はスタンド使いとの争いや裏社会との接触なんてしてほしくないのだろう。

 だが、力あるものにはそれ相応の責務がつきまとう。腕のほどは分からないが父もこちら側の人間だ。それは重々承知だろう。

 世界の頂点すら狙える絶対的なスタンド能力は、帝王としてのプライドを失った今のわたしには過ぎた力だが消えてなくなりはしない。

 

「わたしはパッショーネに未練なんてない。協力は惜しまないけれど、再びボスになるなんて死んでもごめんだ」

 

 そもそも純粋な日本人のわたしでは、年齢は無視したとしても絶対にボスにはなれないだろう。

 パッショーネはギャングや組織と呼ばれているが基礎的なシステムはイタリア・マフィアを参考にしている。

 ヨーロッパ系の人種(コーカソイド)でなければ下っ端の構成員にすら食い込めない。

 それに妙に裏社会に詳しいアジア系の人種(モンゴロイド)がパッショーネにちょっかいをかけたら、真っ先にフランスからやって来た三合会(トライアド)系列の組織の構成員かと疑われるはずだ。

 

「そちらの考えは分かった。さっきはすまなかったな。ディアボロに取って代わってパッショーネのボスになってくれなんて無茶な要求はしない。

 代わりにこちらに協力的でボスの代役を任せられる信頼できる人物がいたら教えてほしい」

 

 承太郎の要望に合致する人間か。ボスの座を任せられるだけの才覚と組織内の立場を持っている人物となると、第一候補はヴラディミール・コカキかヌンツィオ・ペリーコロになるが……いや、やはり難しいな。

 コカキは身内には優しいが敵や裏切り者には容赦ないという典型的なマフィアで、カタギ(一般人)には手を出さないが麻薬チームのリーダーなだけあって麻薬取引に忌避感を抱いていない。

 部外者の言うことを聞くとは思えないし面倒事を避けるためパッショーネに見切りをつけて、さっさと足抜けしてしまうだろう。

 ペリーコロはディアボロに絶対的な忠誠を誓っている。麻薬取引から手を引かせることはできるかもしれないが、何かの拍子に組織を乗っ取った事実が露呈したら、どう転ぶか予想できない。

 ボスの座を狙っていたリゾット・ネエロを焚きつけるのもナンセンスだ。暗殺者としては有能だが、パッショーネほどの規模の組織をまとめられるカリスマ性を持っているか不明瞭である。

 まっとうな手段でパッショーネをまとめ上げるには、人を引きつける何かが必要不可欠だが、パッショーネ立ち上げ当時から在籍していて今も健在な古株の幹部でもオレを超える才覚の持ち主はいなかった。

 ……クソッ! それでいて善寄りの思考をしている人物など、あいつらしかいないじゃあないかッ!

 

「その条件に当てはまる適任者は2人いる。

 ひとりは麻薬取引を目撃した父親を守るため売人を返り討ちにして殺した結果、組織に入団することとなった麻薬を嫌っている男、ブローノ・ブチャラティ。今はまだ十八歳だが、補佐さえ付ければ組織の運営は可能だろう。

 もうひとりは……わたしとしてはあまり……いや、非常にオススメしたくはないけど、ジョルノ・ジョバァーナには光るものを感じた。もっとも現時点ではパッショーネに入団すらしていない十四歳の一般人だけどね」

 

 余裕がなくなってきて口調が素に近くなっている自覚はある。しかしジョルノはわたしにとっては、まだ乗り越えられていない過去の象徴なのだ。名前なんて口にしたくもないし、顔を思い出したらゲロを吐きそうになる。

 ……わたしのトラウマはともかく、ブチャラティチームにはジョルノを除く全員が抜き差しならない状況で仕方がなく組織に入ったという共通点がある。

 ギャングになりたくてなったわけではないという過去があるためか、あのチームにはいい意味でギャングらしくない連中が集まっているのだ。

 私怨を抜きに考えると2001年の時点でも二十歳と少し若すぎるきらいがあるもののブチャラティが適任で、将来性を含めるとジョルノも選択肢に入らなくはない。

 決して認めているわけではないが、ヤツからは僅かながらに王者の風格のようなものを感じた。

 

「ディアボロとの戦いを制した二人か。しかし現時点ではパッショーネと縁もゆかりもないジョルノ・ジョバァーナに頼るのは現実的ではないな」

「ブチャラティも麻薬にいい感情は抱いていないが、組織の職務には忠実な男だ。ディアボロに関する情報を伝えたとして、確実に組織を裏切るかと言われると自信はない」

 

 不平不満を感じているからといって簡単に裏切ろうと思うほどパッショーネは小さな組織ではない。

 電話、郵便、インターネット、交通、マスコミ、政治……イタリアの社会を取り巻く要素の全てにパッショーネの手は伸びているのだ。

 組織の幹部なら地元警察や国際警察(インターポール)のデータベースへのアクセスコードすら容易く入手できると言えば、その手広さは子供でも理解できるだろう。

 

「じゃが案はあるんじゃろう?」

「あるにはある。ブチャラティチームと暗殺チームが動き出すまで待てるのなら、確実にポルナレフと接触はできるはずなんだけど……」

「問題は接触する時期か」

 

 コロッセオにポルナレフが居たという結果から逆説的に推測すると、サルディニア島でレオーネ・アバッキオがスタンド能力を使って見つけ出した何か(ディアボロの情報)が鍵になっているはずだ。

 それがなんなのかさえ分かればこちらからポルナレフと接触できるのだが、過去を確認できるスタンド使いなど都合よく見つかるとは思えない。

 アバッキオの力を借りるにはブチャラティの信用を得る必要がある以上、できるだけ怪しまれないように接触する必要がある。

 

「あのときと同じ行動をするのが前提となってしまうが、ブチャラティチームと友好的に接触できるチャンスは大きく分けて3つある。

 第一にコロッセオでディアボロとポルナレフが対峙するとき。

 第二にサルディニア島でディアボロの過去を探っているとき。

 第三にヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マジョーレ島でトリッシュをディアボロに引き渡すとき。

 この3つは詳しい所在地と時間を把握できているタイミングでもある」

「どうしてその3つだけなんだ? ディアボロの娘さんを護衛している最中でも問題はなさそうだが」

 

 父の質問はもっともだが理由はもちろんある。

 

「トリッシュの護衛任務中、ブチャラティに組織を裏切るつもりはこれっぽっちもなかったはず。

 ──今ならわかる。ブチャラティは何も知らない(トリッシュ)を自分の都合だけで始末しようとしたディアボロを人の親として許せなかったんだ」

 

 ブチャラティ、おまえは『きさまにオレの心は永遠にわかるまいッ!』と言っていたが、こんなわたしでも永遠にも等しい苦しみを味わったら理解ぐらいはできるようになったぞ。

 

「裏切りを決意する前のトリッシュを護衛しているブチャラティたちに接触して、暗殺チームではないかといらぬ疑いをかけられても困る。

 だから最低でも組織を裏切る決意を固めたブチャラティがディアボロと戦う直前までは接触を避けたほうがいい」

 

 非情と思われるだろうが、ブチャラティチームは一人も欠けることなく暗殺チームの大半を退けている。

 余計な真似をして警戒する対象を増やしてしまい誰かが再起不能になられては元も子もない。

 

「わたしとしては成功率が最も高いであろう第一の案を推したいんだが問題がある。ブチャラティとディアボロの戦いに割り込んで流れ(結果)を変えなければ、ジョルノにパッショーネを任せるしか道が残されない」

「そうか、ブチャラティはヴェネツィアで死んでいたはずなのに、コロッセオでの戦いまで生きているように動いていたんだったな」

「死体が意思をもって動く、じゃと……? ま、まさか吸血鬼に屍生人(ゾンビ)にされたんじゃあなかろうなッ!?」

 

 ジョセフの慌てようは真に迫っていた。それこそ吸血鬼やゾンビが実在するかのような反応である。

 まさか危険と判断して放棄したアレのことを知っているのか……?

 

「ジョースターさん、あなたはヴェネツィアにあるエア・サプレーナ島に住んでいる特殊な呼吸法の使い手たちについて心当たりはある?」

「……ああ、現代の使い手と直接会ったことはないが、あそこは今でも鮮明に思い出せるぐらいには覚えとるよ。じゃが、どうしてきみが波紋法について知っておるんじゃ?」

(いにしえ)の時代から権力者は不老不死を追い求めてきた。それはディアボロも同じだった。波紋法──仙道には老化を遅らせる効果があると知って一度だけ素性を隠して学びに行ったことがあったんだ。才能がないと言われて素直に諦めたけどね」

「わしの私財やSPW財団の予算を使って波紋の使い手の育成は続けておったが、まさかそんなニアミスがあったとはのォ~」

 

 文化保存の名目でSPW財団が資金を投じていたので、裏向きに隠れ家か基地を用意しているのかと思って調査させたのが発覚の理由なのだが……急に金の流れが変わったらそれはそれで怪しまれるだろうから今は黙っておくか。

 

「……もしかして吸血鬼になる手段も知っておったりはせんよな?」

「それが石でできた仮面のことを指しているなら把握してる」

「OH! MY! GOD! なんということじゃッ!」

 

 両手を頬に当てて英語と日本語で同じ意味の言葉を繰り返しているが、そんなに心配しなくともオレはあんなものに手を出したりしないだろう。思っていた展開ではないが、どうにか会話の主導権は奪えそうだ。

 

「ブチャラティは日光に当たっても平気そうだったから、精神力か何かで無理やり動いていただけで本来の意味のゾンビにはなってないと思う。

 それにディアボロは石仮面を手元に置いてないし、日中に活動できなくなると組織の運営が成り立たなくなるから使われる可能性は無きに等しい」

「どうやらじじいの危惧しているような事態にはならなさそうだが、危険であることに変わりはない。問題は山積みだな」

 

 承太郎から余計な手間を増やしやがってという意図の籠もった視線をヒシヒシと感じるが、元凶は全ての石仮面を処分しきれなかったナチス・ドイツのせいだろうに。

 言い争っても露伴に書き込まれている『空条承太郎と岸辺露伴の命令に逆らうことはできない』命令を行使されると徒労に終わるため口には出さないが後で覚えていろよ、空条承太郎。

 

「作戦と対策はこれから時間をかけて煮詰めていくとして、わたしとしてはそろそろ報酬と最低限必要な機器について話し合いたいんだが構わないな?」

 

 報酬について語る前に、まずはSPW財団とのやり取りに必要な物品を要求しておかねばならない。

 父はカメラが趣味でAV機器にも手を出しているがパソコンやインターネットにはあまり興味が無いようで、その手の機器は家に置いていない。

 オレは1990年台初頭から情報通信技術(ICT)の発達を予期して、IT企業を立ち上げて技術者を集めたりハッカーにクラッキング技術を研究させたりしていた。

 専門の技術者ほどではないが、オレも組織の運営業務にパソコンを使っていたので人並み以上には詳しい自信がある。

 欲を言えばデスクトップとラップトップを1台ずつと周辺機器を一揃え。それにオフィスソフト一式とネット回線の費用は報酬とは別に負担してもらいたい。

 

「参考までに聞いておくが総額でどれぐらいになるんじゃ?」

「すべて揃えるなら最低でも6000米ドル(約50万円)はかかる。いいものを揃えるなら、その倍は必要になるかもしれないな」

「意外と高いんじゃな。それぐらいの額なら出せなくはないじゃろうが、本当に必要なのかのう」

「ジョセフ・ジョースター、まさかとは思うが、わたしに手書きでSPW財団に提出する資料を作れと言うんじゃあないだろうな?」

 

 資料作りに必要だというのは半分事実だが、残りの半分は単純にわたし個人で使用できるパソコンが欲しいだけである。

 安いものを選んでも10万円前後はする上に月々の通信料が別途必要になる。父と母に負担をかけてまで欲しいものではないがいい機会なので要求してみたのだ。

 

「……まあいいじゃろう。必要経費と思えば安いもんだ」

ベネ(良し)、それじゃあ続いて報酬の話だが────」

 

 わたしの語った内容に承太郎とジョセフは不可解な面持ちでこちらを見つめ返してきた。

 今朝から考えていたが、わたしの願いを叶えるにはSPW財団に協力して貰うのが一番の近道のはずなのだ。

 

「本当にそれだけでいいんだな?」

「未熟な過去に打ち勝つことで……人は成長できる……わたしは金や権力に興味なんてない。ただ、人として成長したいだけなんだ」

 

 わたしには正しい生き方がどういうものなのか分からない。過去の考え方が間違っていると理解はできるが……本当にわたしが本心から変われたのか自信がない。

 ブチャラティチームの連中は皆が皆、社会の闇に飲まれ裏の世界で生きていくしかなかった。だが、それでも己の信念を貫き通した。彼らのようになりたいわけではないしなれるとは思えないが、その気高き精神は尊敬に値する。

 だから、わたしは彼らを見習って一歩踏み出すことにした。自分の選択は正しかったと実感することでようやくわたしは過去を乗り越え、本当の意味で『高町なのは』になれる。

 

 机の上に広げられたイタリア全土の地図とにらめっこしながらブチャラティチームの軌跡(きせき)を再確認している承太郎とジョセフに口出ししつつ、ここ数日の出来事を振り返る。

 当初はどうなることかと思っていたが、承太郎たちとの出会いは幸運だったのだろう。こんな機会がなければ、わたしは永遠に変わることができなかったかもしれない。

 吉良吉影、おまえを再起不能にするのは変わりないし許すつもりはほんのちょっぴりもないが……承太郎たちとの(えん)を運んできたという一点だけは感謝しているぞ。

 

 

 

 その後も話し合いは長引いた。パッショーネに関する情報は語りきれないほど残っており本腰を入れるとなると何日もかかってしまう。

 情報の交換はやろうと思えばいつでもできるので重要と思わしき情報を伝えるだけで済ますことにした。続きは吉良吉影を捕まえるか再起不能にしたあとになるだろう。

 

 吉良吉影について分かっていることはそう多くなかった。生年月日や経歴といった個人情報は出てくるのだが、親しい友人が誰もいないのか個人的なエピソードはほとんど見つからなかったそうだ。

 現在は吉良吉影の父親──吉良吉廣(きらよしひろ)の経歴について探っている段階らしい。

 生前は海運会社を経営していたそうだが、吉良吉影が跡を継がなかったというところまでは突き止められている。

 会社そのものは吉良吉廣の親戚が継いでいるが吉良吉影は経営に関わっていなかったそうだ。

 

 ヤツはエンヤから矢を譲り受けたと言っていたが、替えの利かない貴重品をそう簡単に手放すとは思えない。

 しばし考えを巡らせたが、最後まで理由はわからずじまいで謎が残る結果となってしまった。

 

 

 

 日が暮れかけるまで口と頭を動かし続けていたせいか、わたしの体力は限界に近くなっていた。

 まだ大丈夫だと強がったが眠気には勝てず体が勝手に船を漕ぎ始めてはどうしようもない。

 気がついたら父に抱きかかえられていて、話し合いも終わりの流れになっていた。

 気を張っているのもバカバカしくなってきていたわたしは、父に体を預けたまま杜王グランドホテルを後にするのだった。




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エピタフの少女 その①

 本日の日付は7月15日──あの話し合いから2週間近くが経過したが吉良吉影の足取りは(いま)だに掴めていない。

 その間にも吉良吉廣が生み出した新たなスタンド使い2人──ジャンケンに妙な哲学を持っている子供『大柳賢(おおやなぎけん)』と、バイク事故で入院していた高校生『噴上裕也(ふんがみゆうや)』に露伴と仗助が襲撃されたものの無事に切り抜けている。

 わたしや家族は襲撃されることもなく、特筆すべき事態は起こっていない。

 

 ちなみに康一の母親への謝罪は話し合いの翌日に済ませている。

 さすがにスタンドやわたしの正体を気軽には明かせないので謝る流れまでもっていくのにかなり苦労したが、なんとか心からの謝罪には成功した。

 彼女が康一の言葉を信じてくれなければ上手くいかなかっただろう。……謝りに行ったのに嘘をついては元も子もない気がしなくもないが、こういうのはお互いの気持ちが重要なのだ。

 

 情報収集は承太郎や露伴、SPW財団の人間に任せて、仗助たち学生組は夏休みが始まるまではいつもどおりの生活を続けてもらうことになった。

 本人たちは納得いかない態度を見せていたが、承太郎(いわ)く学生は学生の生活をしていればいいそうだ。

 わたしも承太郎の判断に賛成した。素人の学生が放課後の数時間地道に捜索しても見つかる可能性は低いだろう。それなら普通に生活してもらってスタンド使いを引き寄せる引力(運命)に任せるほうがいい。

 

 わたしは何度か承太郎と会って、犯罪者の観点から吉良吉影のプロファイリングを進めている。

 吉良吉影は典型的なサイコパスである。サイコパスを一言で言い表すなら、反社会的な精神異常者といったところか。

 反社会的だからといってサイコパスと診断された者が全員凶悪な殺人鬼になるわけではない。そういうイメージが根強いのは、サイコパスについてのデータを取ったときに犯罪歴のあるものを多く集めたからに過ぎない。

 むしろ一部の分野の成功者には典型的とまでは言わないが、サイコパス的特徴を備えた人物がそれなりの割り合いでいるはずだ。

 サイコパスだって自らの異常さや倫理と相反する嗜好に悩みを感じることはある。殺人すら手段の一つとして選べるわたしも、日々どうあるべきか思い悩んでいるのだ。吉良吉影にもヤツにしか理解できない悩みを抱えて生きているのだろう。

 ……もっとも自制できずにサイコパスを飛び越えてサイコキラーとなっている吉良吉影を生かしておくつもりはないが。

 結局のところ、最終的な意見は承太郎と一致しているため、有効に時間を使えているとはいい難い。

 

 父も数日前から翠屋の仕事に復帰しており、わたしも翠屋の手伝いを再開した。

 父は連絡を受けたらすぐに動けるように二振りの黒塗りの小太刀──八景(やかげ)をジュラルミンケースに入れて持ち歩いている。

 銃刀法違反ではないのかと思うが許可は得ているらしい。どこで知り合ったのかよく分からないコネを持っていたり、大抵の乗り物の免許を持っているという多彩な才能といい、父の語られていない過去はオレよりも波乱万丈だったのではないだろうか。

 

 

 

 12時過ぎ、わたしが従業員用のスペースで取り急ぎ用意してもらったノートパソコンを使ってパッショーネに関する資料を作成していると、ゆっくりとドアが開けられた。

 顔を見せた父の顔色はあまり良くない。エプロンを脱いで片手には小太刀の入ったジェラルミンケースを持っているということは、なにか火急な要件なのだろう。

 

「パパ、どうしたの?」

「さっき仗助君から連絡があった。今朝方、康一君が行方不明になったらしい」

 

 2週間ちょっとの間でわたしを含めて3回もスタンド使いに襲われるとは、康一はつくづくめぐり合わせの悪い男だ。

 

「今は仗助君が噴上裕也というスタンド使いと一緒に康一君が普段使っている通学路を捜索してるようだ。場所は聞いておいたから今から手伝いに行きたいんだが、ついて来てくれるか?」

「うん、わかった」

 

 書きかけの資料を保存してノートパソコンを閉じると、()ろしていた髪をツーサイドアップに纏め上げる。

 噴上裕也……承太郎からまた聞きした情報によると、匂いを記憶した相手を時速60kmで追跡して養分を吸い取る自動操縦型と遠隔操作型の特徴を(あわ)せ持ったスタンド──ハイウェイ・スターの使い手だったか。

 スタンドに強い弱いの概念などないという意見もあるだろうが、特定の条件下においてならば優劣を決めることはできる。かつてオレがミスタのスタンドを下っ端のカス能力といい切ったのは、キング・クリムゾンに対して有効打を与える(すべ)が存在しないからだ。

 人探しにおいてならば嗅覚を頼って追跡できる噴上の能力はこの上なくベストな選択だろう。杜王町に住むスタンド使いの層の厚さをこの世界のオレが見たら唖然(あぜん)とするに違いない。

 杜王町にいる友好的か中立の立場のスタンド使いの情報は把握しているが一筋縄ではいかない能力の持ち主が多い。特に仗助や億泰、露伴のスタンド能力はブッ飛んでいる。汎用性の高さでは康一も優秀と言えるだろう。

 しかしどれだけ強力なスタンド能力でも本体が不意をつかれればあっけなく敗北してしまう。できるだけ早く合流して迎え撃つべきだな。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、東方仗助と噴上裕也は窮地に陥っていた。

 敵対しているスタンド使い──エニグマの少年こと宮本輝之輔(みやもとてるのすけ)は、広瀬康一と仗助の母親──東方朋子(ひがしかたともこ)をスタンド能力で人質にとり仗助をワナにかけた。

 彼のスタンド能力はどんな対象でも『紙』に封じ込めるという力だ。無機物なら無条件に、生物(せいぶつ)なら個別に特有の『恐怖のサイン』を本体が見極めることで『紙』にすることができる。

 はっきり言って格闘能力は皆無で一般人相手でも殴り殺せないほどひ弱だが、本体が卑劣な手段すら迷わず実行できる性格というのも相まって悪用を繰り返していた。

 

 人質に取るという一点では、なのはも康一や承太郎に対して同様の行動を起こしているがエニグマの少年とは方向性が異なっていた。

 なのはは突発的な事故や対象をおびき寄せるための道具──つまり戦闘を有利に運ぶため二人を人質にとったが、エニグマの少年は自らの欲望を満たすために一般人の朋子に手を出した。

 エニグマの少年は他人の恐怖する姿を眺めることに喜びを覚えるという歪んだ趣味を持っている。

 他人の死にゆく様を観察することに楽しみを見出していたチョコラータ(最低のゲス)ほどではないが、無差別にスタンド能力を行使して『紙』をファイルしている彼もゲスと呼称されるだけの邪悪さを兼ね備えていた。

 

「仗助! 康一ィ────ッ!」

 

 噴上は声を張り上げながらシュレッダーに飲み込まれていく『紙』を必死につかもうとしていた。

 今にも裁断されそうな『紙』の中には仗助と康一が閉じ込められている。『紙』が破かれたら中身もバラバラになってしまうとさきほど実演されている以上、黙って見ているなんて選択は噴上にはなかった。

 ハイウェイ・スターにシュレッダーを破壊できるほどのパワーはなく、改造されているのか電源スイッチや非常停止ボタンを押しても止まる気配はない。

 焦った噴上の右手は無意識に顎先に触れていた。それこそが噴上の『恐怖のサイン』だった。

 

「ついにさわったな……噴上裕也。アゴにさわって怖がって、カッコ悪いぜ……その姿……」

 

 恐怖のサインに目をつけていたエニグマの少年がその姿を見逃すはずもなく、彼のスタンド──エニグマが能力を発動させる。

 決して物理的に防御することのできない攻撃が噴上を襲う。彼は抵抗する間もなく一瞬のうちに一枚の大きな『紙』に閉じ込められてしまった。

 

「おまえをビビらせるなんてスゴク簡単なんだよ、噴上裕也。

 『エニグマ』が『紙』にできない者なんて誰もいない……誰だろうと簡単になあ────ッ!」

「簡単? だからこそいいんだぜ。瞬間的に『紙』にしてくれるからこそ……()()()()()……」

 

 噴上は可能性にかけていた。『紙』にされても少しの間は動くことができる。その僅かな時間でシュレッダーの隙間にスタンドを入り込ませられる可能性にかけていたのだ。

 彼は賭けに勝った。『紙』のようにペラペラになったハイウェイ・スターをシュレッダーに潜り込ませ、機械の内側から『紙』になった仗助と康一を掴んで引っ張り出すことに成功したのだ。

 

「おれの負けだ……マジでびびったよ。だが、喜んで敗北するよ」

「……フフ……フフ、ハハ……そうだな。おまえの負けだよ。そしてぼくの勝ちだ」

 

 シュレッダーから二人を引っ張り出されてしまったにもかかわらずエニグマの少年は余裕の態度を崩さない。

 まるでシュレッダーから助け出されたとしても、初めから問題など一つもなかったかのような反応だった。

 

「ば、馬鹿な……どうして『紙』が開かないんだ……ッ!? これはッ!」

 

 エニグマの少年は言っていた。紙を開けば自動的に出てくると。噴上が目を凝らすとその理由は簡単に理解できた。

 

「ぼくは用心深い性格でね。東方仗助と広瀬康一の『紙』を、このセロテープであらかじめ開かないように固定しておいたのさ。

 ちょっぴり焦ったが保険をかけておいてよかった。噴上裕也……これが『賢い行い』を選ばなかった者の末路だよ」

 

 見せびらかすように指先で携帯用のテープカッターをつまんでいるエニグマの少年を『紙』の中から噴上が睨みつける。

 もはや体ほとんどが紙に封じ込められてしまっていて、無理やり『紙』をこじ開けられそうにもない。

 

「がらにもなくカッコつけてみたが、うまくいかねえもんだなァ……だが、時間稼ぎにはなったようだぜ」

「なに……ッ!?」

 

 パタンパタンと音を立て自動的に折り畳まれていく噴上の最後の一言に、エニグマの少年は慌てて振り返る。

 交通量の少ない道路を一台のミニバンが明らかに法定速度を無視してこちらに迫っているではないか。

 このまま突っ込んでくるかと思われたが、車体が横転しそうな勢いでドリフトを決めて急停車した。

 そのままスリップ痕から立ち昇る煙が消える間もなく、飛び出すように車内から二人の人影が姿を見せた。

 

「どうやら……なんとか間に合ったようだな」

「最短ルートで杜王グランドホテルに向かってくれていて助かった」

 

 小太刀を手に持った黒髪の男と真紅のスタンドを携えた茶髪の少女──高町士郎と高町なのはがエニグマの少年と相対する。

 

 二人がこの場にたどり着いたのは偶然ではない。機転を利かせた噴上がメッセージを残していたのだ。

 噴上はエニグマの少年と交戦する前に、仗助からスタンド使いの仲間とその親が合流すると聞かされていた。

 仗助を『紙』に封印したエニグマの少年がタクシーに乗って杜王グランドホテルへと向かった直後。

 匂いによる追跡を始める前に、噴上は『仗助が紙に閉じ込められた。恐怖のサインを2度見られると紙に閉じ込められる。敵は杜王グランドホテルに向かっている』とノートの切れ端に書き記して、その場に残しておいた。

 そばには仗助の母親と康一のカバンが転がっている。仗助が当てにした味方ならきっと気がついてくれるはずだと信じての行動だった。

 そのまま仗助の仲間が承太郎に連絡してくれれば上々。運良く戦っている最中(さいちゅう)に追いついてくれれば更に良しと思って残していた策が功を(せい)した。仗助と噴上は運に見放されてはいなかったのだ。

 

「さっき『紙』に閉じ込めた男と仗助と康一を返してもらおうか」

 

 スタンドを先行させてにじり寄ってくるなのはを前にエニグマの少年が取った行動は──逃亡ッ!

 みっともなく背中を見せながら大急ぎで運転手のいないタクシーの後部座席に乗り込んだ。

 逃げ場のない車内に隠れてどうするつもりなのかと思いながらも、なのはと士郎は警戒しながらタクシーへと近寄る。

 しかし予想とは違いタクシーには誰も乗っていなかった。

 

「あの少年はどこに隠れたんだ?」

「これ見よがしに仗助と康一、噴上の名前が書かれた紙が置かれてるのが気になるね」

 

 車外から中の様子を確認しているなのはと士郎をよそに、エニグマの少年は自分の体を紙にすることで僅かな隙間から抜け出して、離れた位置から二人の様子を注意深く観察していた。

 

(まさかこんなに早く援軍が来るとは思っていなかったが、これはこれで好都合だ。

 男の方はしらないが、あの子供……吉良のおやじから聞かされていた始末対象の一人だろう。空条承太郎と合流される前に、この場で始末させてもらうぜ)

 

 なのはたちは知る(よし)もないがタクシーの内部には、すでに『恐怖のサイン』を見極めるためのワナが仕掛けられてあった。

 噴上のときと同じように、なにも考えずにドアを開ければ『紙』が開き中身が飛び出すワナである。

 

「待て、なのは。よく見るとドアに『紙』がはさまっているぞ」

「……なるほど、そういうことか。ドアを開けるよ、パパ!」

 

 士郎がいち早く見つけたワナを確認したなのはは一瞬だけ黙り込むと、納得した表情で後部座席のドアの取っ手に手をかけて勢いよく開いた。

 

(フフ……しょせんはただの子供だ。ろくな推理もせずにドアを開けたな。このワナは噴上裕也のときのような、なまっちょろいものじゃないぞッ!)

 

 ドアが開かれるとともに紙が開き中から卵型の物体が転がり落ちる。車のシートに落ちそうになったが、タイミングよく手を伸ばしたなのはがキャッチした物体に士郎は目を見開いた。

 

「な……ッ!?」

 

 それは士郎が海外で仕事をしているときに何度も見たことのある物体──M26手榴弾が安全レバーの外れた状態で転がっているのである。

 陸上自衛隊でも正式採用されているこの手榴弾は安全ピンと安全レバーが外れると約5秒で爆発するように設計されている。

 爆発すれば半径15メートル圏内を殺傷できるだけの威力があり、半径3メートル以内ならたとえ伏せたとしても破片を食らってミンチのようになってしまう。

 

(『紙』の中にしまった物体は時間の流れを受けない。あの手榴弾は数秒と経たずに爆発するぞ!

 たとえ上手くスタンド能力を使って回避したとしても、絶対に『恐怖のサイン』を出すはずだ!)

 

 スタンドを使って放り投げたとしても致命傷は免れない。エニグマの少年は勝ち誇った表情を浮かべた。

 

「なのは! すぐにそれを投げ捨てて伏せるんだ!」

 

 父の叫びに無言で頷いたなのはは顔色一つ変えることなく腕を()()()()()()振りかぶる。

 

(バカめ、どこに向かって投げて──)

 

 次の瞬間、エニグマの少年は己の目を疑った。爆発するはずだった手榴弾はどこにも見当たらず、なのはや士郎はおろかタクシーすら傷一つ付いていないではないか。

 いや、それもおかしいがもっと異質な部分がある。

 恐怖を感じない人間などいない。怖いという態度や表情を押し隠しても普通は無意識の『サイン』を出すはず。それはエニグマの少年が十数年あまりの人生で見出(みいだ)した絶対的なルールであった。

 それなのに、なのはは一ミリたりとも『恐怖のサイン』を見せていない。戦闘のプロである士郎ですら恐怖まではいかずとも焦っていたにもかかわらずだ。

 

(吉良のおやじはヤツが時間を操作すると言っていたから、その能力で手榴弾の爆発をどうにかしたのは理解できる。

 だが……爆発寸前の手榴弾が突然現れて冷や汗一つ流さないのは理解できないッ!)

 

 このときエニグマの少年は意識こそしていなかったが片目をつぶってしまっていた。これこそが彼の『恐怖のサイン』だ。

 彼は知らず知らずのうちに、今まで一度も目にしたことのない理解の範囲外にいる人物と遭遇して恐怖を抱いてしまっていた。

 

(こ……これはなにかの間違いだ。我が『エニグマ』は絶対無敵……攻撃さえ成功すれば(のが)れられる者など誰もいないはずだッ!)

 

 自らの能力を信頼──いや、この場合は過信しているほうが近いだろう。

 杜王町という狭い範囲でしか過ごしたことのないエニグマの少年は、想像を絶する能力の持ち主と相対(あいたい)してしまった自覚なく、根拠のない自信を抱いたまま戦い続ける選択を選んでしまった。




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エピタフの少女 その②

 なのはが手榴弾を処理した方法は至極単純であった。

 承太郎と戦ったときに宮殿を展開してコンテナをすり抜け火炎瓶を投擲したのと同じ要領で手榴弾を()()()()()()()投げたのだ。現実の時間にして僅か1秒の時飛ばしだがそれで十分だった。

 五歳児の腕力では飛ばせる距離など(たか)が知れているが、下に向かってなら重力が作用して最低でも5メートルは進む。

 宮殿の内部では時間がゆっくり流れるのに加えて、微力だがなのはの腕力も加わっているので実際にはもっと地下深くまで到達しているであろう。

 

 宮殿の内部では特殊なルールが適用される。生物や動く物体は動きの軌跡が残るので確認できるが、建物や地面といった固定されていて動かない物体は見えなくなるのだ。

 では、宮殿を展開した時点で持ち込んだものを軌跡が見えなくなった物体に重なるように配置したらどうなるか。答えは条件によって異なるが明確な法則が働いている。

 見えない状態になった物体に重ねた場合、優先度は手放したもののほうが上──つまり建物や地面にめり込んだ状態で出現する。応用すれば銀行にある巨大な金庫すら紙切れ1枚で壊すことができる。

 動くもの同士を重ねた場合、めり込まずにはじき出されてしまう。時を飛ばして首に紙切れを重ねた状態で時を再始動しても、ギロチンのように使ったりはできない。

 だが、生きた人間を掴んだ状態で地面に向けて投げ飛ばしても生き埋めにはできない。動くもの同士を重ねたときと同じく、はじき出されてしまう。

 生物相手にものを重ねることができないのは本体を守るための防衛機能なのだろう。本体が物体と接触した状態で宮殿を解除してしまったときに致命的な怪我を負わないように、無意識のうちにセーフティをかけているのだ。

 

「隠れていないで出てきたらどうだ?」

 

 仗助たちの名前が書かれた紙を開かず手に持ったまま、なのはは放置されているシュレッダーに強い眼差しを向ける。

 そうしていると幼い子供ぐらいしか隠れられるスペースのないシュレッダーの物陰からエニグマの少年が現れ出た。

 

「フフ……どうやったのかはわからないが、よくさっきのワナをかわしたね。まさかこうも早く仗助たちを奪い返されるとは思わなかったよ」

 

 もちろんブラフである。なのはが手に持っている紙にはそれぞれ『燃え盛る炎』『可燃性ガス』『タイマーが起動しているダイナマイトの束』が封印されている。

 本来は承太郎を倒すためにエニグマの少年が用意していた品々だが、吉良吉廣に警告されていたのもあり危険性の高い物品をワナとして使い切ることにした。

 時間さえあれば同じ紙に包み込んで多重トラップにすることもできたが、さすがに一瞬でそこまで手の込んだワナは準備できなかったようだ。

 

「嘘だな」

「な……おまえッ!?」

 

 ただ一言、ひどく無機質な声で答えたなのはは的確にダイナマイトの入った『紙』だけを見極めてキング・クリムゾンでビリビリに引き裂いた。

 驚くエニグマの少年をよそに、発火装置ごと破壊されたダイナマイトは爆発することなくなのはの足元に散らばる。

 残った2枚の『紙』も誰もいない方向に放り投げてしまった。当然、『紙』が開いて漏れ出した可燃性ガスに炎が引火して爆発を起こしたが、地面をわずかに黒く焦がしてなのはのツインテールを揺らしただけで終わってしまった。

 

 エニグマの少年や士郎には、なのはが直感で判断したように見えるが、先程の手榴弾の対処と同じくエピタフの予知に従って行動しただけである。

 エピタフの未来予知は単純にそのまま行動した先の未来が見えるわけではない。予知を見た上で最終的に選択した結果を映写する能力である。

 かつてDIOの配下にマンガという形で未来を予知できるスタンド──トト神の使い手であるボインゴという少年がいた。

 ボインゴと彼の兄、オインゴは承太郎たちを始末するため、予知で出てきた毒薬や爆弾入りのオレンジを短時間で用意した。他人からすれば都合が良すぎる話に聞こえるが、実現可能な範囲の行動だったからこそ予知に現れたのだ。

 トト神と同じくエピタフも実現可能な範囲の未来を選択することができる。途中で自分の行動に疑念を抱いたりしても最終的には必ず予知の通りの結果が訪れるのだ。

 

「この程度で空条承太郎を始末するつもりだったのか……? だとしたらキサマはあの男を見くびりすぎだ」

 

 なのはが一歩踏み出すとエニグマの少年が一歩後ずさる。士郎は抜き身の小太刀を構えたまま、いつでも動けるように集中している。

 

(まさか噴上裕也のように『紙』の中身を察知できるスタンド能力を持っているのか? ならば……そっちの男を人質にとって『恐怖のサイン』を引き出してやる)

 

 エニグマの少年はなのはが士郎のことをパパと呼んでいたのを聞き逃していなかった。いくら不意打ちに動じない根性がすわった人物でも、肉親を人質に取られれば恐怖するに違いない。

 彼にとって幸いにも、なのはと士郎は5メートルほど離れた位置に立っている。この距離なら明らかに近距離パワー型の見た目をしている真紅のスタンドでは庇いきれないはず。

 そう考えてエニグマの少年は懐に隠していた『紙』から黒光りする物体を取り出した。

 

「東方仗助には拳銃の不意打ちを防がれたが──これなら防げまいッ!」

 

 エニグマの少年が取り出したのは11.4mm短機関銃──アメリカではM3サブマシンガンとして知られている銃器である。

 若かりし日のジョセフ・ジョースターが吸血鬼となったストレイツォに向けてぶっ放したトンプソン・サブマシンガンの後継機で、これも陸上自衛隊に配備されている装備の一つだ。

 装填された30発の弾丸を5秒ほどで撃ち尽くす連射速度を持っており、スタンドを出す気配も見せない相手が対処できるはずがないとエニグマの少年は断定していた。

 

(やっとスカした顔を崩したぞッ! 予想通り、あの男が弱点だったんだな! さあ……早くぼくに『恐怖のサイン』を見せるんだ)

 

 銃口を向けトリガーに指をかける段階でようやくなのはの顔に感情が表れた。

 怖がっているというよりは想定外の事態を目撃してしまったかのような反応だが、整然とした態度を崩したことに変わりはない。

 気を良くしたエニグマの少年はそのままトリガーに力を込める。狙いも定まっていない素人の射撃だが10メートル先の棒立ちの相手を撃つだけなら支障はない。

 

「ビビって足が(すく)んだか。できるならおまえの『恐怖のサイン』も見たかったが……動かないのなら、このままトムとジェリーのマンガに出てくるチーズのように穴だらけにしてやろう!」

 

 先程とは打って変わって、今度は士郎の方がなんの反応も示していないが、エニグマの少年には関係のないことだった。

 この段階でもスタンドを出さないということは、この男はスタンド使いではない。ならばチンケな刀を持ったサムライ気取りの男が銃に勝てる道理などない。

 己の知識を基に確信を得たエニグマの少年は人差し指に力を込めた。そしてけたたましい銃声が数秒に渡って静かな街道に鳴り響く。

 だが──事態はエニグマの少年の予想とは真逆の方向に進んだ。

 

「な……なんだとォ────ッ!?」

 

 大量の冷や汗を流しながらエニグマの少年が絶叫する。装填された銃弾が空っぽになるまで撃ったにもかかわらず、士郎は無傷で立っているではないか。

 眼前の男の動きが速すぎてエニグマの少年にはなにをしたか分からなかったが、足元に転がっている弾頭の数々を見れば嫌でも理解できる。

 この男──高町士郎はスタンドも使わず、自らの身体能力と二刀の小太刀だけで数十発の銃弾を全て切り裂いたのだ!

 

「昔、とある暗殺者が『銃は剣よりも強し』と言ってきた。だから俺はこう言い返した。『達人の剣は銃よりも強し』とな。弾道も操れない目に見える銃弾で殺せるほど御神の剣士は甘くはないぞ」

 

 なのはが無表情を維持できなかったのは士郎を心配したからではない。この光景をエピタフで予知してしまったからだった。

 さすがのなのはも無数にばら撒かれた銃弾をすべて刀で切り落とせるとは欠片も考えていなかった。真横に飛び退いて射線から逃げるぐらいは普通にやるだろうなと思って予知をした結果がこれである。

 

(そうか……パパはニンジャの末裔じゃなくてサムライの末裔だったんだね……)

 

 さり気なく暴露したスタンド使いとの交戦経験があるような口ぶりも相まって、遠い目をしたなのはの中に歪んだ日本人像が形成されかけ始めていた。

 実は前世(ディアボロ)祖国(イタリア)にいる波紋戦士たちも髪の毛に波紋を込めてばら撒くだけで銃弾を弾き返したりできる人間離れした存在なのだが、それを知ってしまったら余計に混乱しそうである。

 

「よ……寄るな、おまえらッ! この『紙』を見ろ……やぶくぞ! この『紙』の中には東方仗助がいるん──」

 

 最後の悪あがきにエニグマの少年は片目を閉じながら折り畳まれた『紙』を取り出した。

 事実、この『紙』には本当に仗助が封印されている。破れかぶれになったエニグマの少年は助かりたい一心で人質に手を出してしまった。

 

「──がァ!?」

 

 しかし、どうあがいてもエニグマの少年は詰んでいた。

 彼は本気で仗助を殺してでもこの場を乗り切るつもりだった。その殺気を感じ取った士郎が袖口に隠していたワイヤー──鋼糸(こうし)を使ってエニグマの少年の両腕を縛り上げたのだ。

 糸の種類にもよるが本気で巻き付ければ首を落とすこともできる殺人術である。今回は拘束用の鋼糸だったが、それでも肉に食い込み血を流すぐらいの威力はある。

 

「キサマのスタンド能力はタネが割れた手品だ。どれだけあがこうが無意味な行為にしかならない」

 

 膝をついたエニグマの少年をなのはが(さげす)むような目で睨む。それでも仗助たちの『紙』を握りしめたまま手放さない諦めの悪い姿を見て、なのはは諦めたように(かぶり)を振った。

 たとえ相手が高校生だろうが一度敵対した相手に情けをかけるほどなのはは腑抜けてはいない。無言でスタンドを出すと、()を置かずに全力でキング・クリムゾンの手刀をエニグマの少年の手の付け根に振り下ろして両手を切り落とした。

 

「ぐぎゃあああああああァ!」

 

 想像を絶する痛みにのたうち回っているエニグマの少年をなのはは一見(いっけん)もせず、切り落とした手から『紙』を奪い取り固定していたセロハンテープを剥がす。

 そのまま折り畳まれていた『紙』を開くと怪我一つない状態の仗助たちが飛び出してきた。シュレッダーでバラバラにされかけたが、幸運にもダメージは受けていなかったようである。

 

「駆けつけてくれてありがとよ! 礼を言うぜ、なのは、士郎さん。それから噴上裕也、おめえ……なんか、ちょっぴりカッコよかったじゃあねーかよ」

「オレがカッコよくて美しいのは分かりきったことだ。あのまま一人で仗助と康一を助けられてたら、もっとカッコよかったかもしれねーけどよォ……終わり良ければ全て良しだぜ」

 

 仗助と噴上がハイタッチしているのを横目に、康一は一言も発さずエニグマの少年に粘りつくような視線を向けている。どうやら内心ではかなりイラッときているようである。

 

「みんな無事で良かった。それから気を失っていた女性も車に乗せて保護しているんだが、もしかして誰かの母親か?」

「ああ、多分おれのおふくろっス。あのヤロー、おれをビビらせるためだけに無関係のおふくろに手を出しやがったんだ」

 

 仗助の無関係の母親に手を出したという言葉を聞いて、肩をびくっと震わせたなのはがチラリと康一の様子を確認する。

 母親という存在に特別な感情を持っているなのはは、謝罪を終えたとはいえ康一の母親に手を出した件に対して未だに罪悪感を覚えていた。

 なのはの視線に気がついた康一は軽く手を上げてうなずき返した。どうやら康一の方は既に割り切っているようだった。康一の反応になのはは安堵の表情を浮かべている。

 

「た……助けてくれよ、仗助ェ……血が止まらないんだ。このままじゃあ、ぼくは失血死してしまう……」

「……しょうがねえな、おまえの手は直してやるよ」

 

 苦痛に(もだ)えるだけの体力すら残っていないのか、白い改造学ランを真っ赤に染めたエニグマの少年が血溜まりにうずくまったまま、か細い声を上げる。

 エニグマの少年に処断を下す権利は母親に手を出された仗助にあると判断したからか、他の面々は黙って事態の推移を見守っている。

 

「あ……ありがとう、仗助。ゆるしてくれて──ッ!?」

「おれはてめーを()()()だなんて言った覚えはねえぞ」

 

 (おもて)を上げて涙を流しているエニグマの少年にクレイジー・D(ダイヤモンド)の拳が突き刺さる。くぐもった声を出しながらふっ飛ばされたエニグマの少年は、そのままシュレッダーにぶつかって裁断された紙を撒き散らしながら倒れ込んだ。

 

「えーと、何だっけな? おまえに対して思い出すことがあったんだ……そうだ、思い出した。

 おれ、おまえを『殺す』って言ったよな……そうそう、確かに言ったぜ」

 

 人差し指を自分の顔に向けながら仗助はわざとらしい調子で喋り続ける。片目を閉じたままエニグマの少年は、ただ黙って話を聞いている。

 

「おれ、おまえのようなタイプは『ぜってーゆるさねえ』って言ったよなあ。人質にとってよォ、人の精神に脅しかけてくるヤローはよォ──ッ!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。ぼくは他人が怖がるのを確認するのが好きなだけだったんだ。

 スタンドを身につけたばかりなもんで、つい図に乗ってしまったんだ。は……反省するよ。わ、悪かったと思ってるんだよ」

 

 鼻血を流しながら必死の形相で仗助に弁解の言葉を投げかけるエニグマの少年。もし彼が音石明のように正々堂々と仗助に戦いを挑んでいたのなら、このままスタンドのラッシュを食らわせられるだけで終わっただろう。

 だが、彼は仗助を本気で怒らせてしまった。彼が向かうべき2つの道──1つは、なのはに殺される道。そしてもう1つは、仗助に死ぬより酷い目にあわされる道である。

 

「おめーを見ててひとつ気がついたことがある。おまえよォ、怖がるとき片目をつぶるクセがあるだろう? ン? それ、クセだよなあ?」

 

 人差し指を突きつけながら仗助がエニグマの少年に近づく。腰を浮かして逃げようとするも、なのはと士郎に睨まれて勝手に体がすくんで動けない。

 

「だが、もっと怖いときは両目をつぶる」

 

 そうしている間に仗助はクレイジー・Dの握りこぶしをエニグマの少年の顔に突きつける。そして恐怖に負けて両目を閉じたエニグマの少年に、スタープラチナと真っ向から勝負できるラッシュが放たれた。

 

「ドラララララララララララララァ!」

「シュレッダーの中の紙と、い……一緒に……うわああああああああああああッ!?」

 

 クレイジー・Dの能力は直すだけではない。生物と物質を合体させて、意識を保ったまま本体がイメージした物体へと作り変えることもできるのだ。

 アンジェロを岩と同化させたときと同じ要領で、仗助はエニグマの少年を紙と合体させて本に作り変えたのだ。

 

()()()()()()()()? じゃあ、してろよなあ。黙って、おとなしく観察だけをよォ~~~っ!」

 

 こうしてエニグマの少年は再起不能となった。その後、彼は杜王町立図書館に寄付されることとなる。彼がこのまま一生を本として過ごすのかどうかは──仗助の気分次第だろう。

 

 

 

 『紙』にされていたタクシーの運転手を解放した後、士郎のミニバンに乗り込んだ仗助たちは帰路についていた。

 

「本当にこれでいいの? わたしのキング・クリムゾンなら誰にも見つからないように死体を隠蔽することもできるけど」

「なにサラッと真顔で(こえ)えこと言ってるんスか」

 

 本になったエニグマの少年をパラパラとめくっているなのはの爆弾発言に、仗助は身震いしながら反論した。

 死体は魂が宿っていないので宮殿の内部では無機物扱いされる。時を飛ばしながらキング・クリムゾンを使って全力で地中に向けて投擲すれば、地下300メートルを軽く超える深度に死体を埋めることができる。

 この特性を悪用してディアボロは見せしめにする必要のない死体をヨーロッパ全土の地下に遺棄している。建造物を建てるときのボーリング調査でも地下100メートルを超えることはなかなか無いので、見つかる可能性は皆無だろう。

 髪型を馬鹿にされるとプッツンする仗助だが、これでも感性は一般人なのだ。いきなり『死体遺棄は気軽にできるのだから殺してもいいんだよ?』と言われても困惑するだけである。

 『ブッ殺す』と心の中で思ったなら、その時すでに行動は終わっているギャング連中と一緒にしてはいけない。

 

「口ではああいったけどよォ、本気で反省するなら殺すまではしなくてもいいんじゃねーかと思っただけだ。……ま、最低でも夏休みが終わるまでは戻すつもりはねえけどな。

 あんま頼りたくねーけど、露伴のスタンド能力でおめーみたいに枷を付ければスタンドを悪用もできねえだろうし、いつかコイツが反省したら戻すつもりだぜ」

 

 きっぱりと言い切った仗助の顔に陰りはない。本気で命まで取るつもりはないようである。

 

「……仗助が納得できるなら好きにしたらいいよ」

 

 自分が仗助の立場なら間違いなく殺していたのに、どうして仗助は殺さないという結果を選べたのか。なのはには仗助の考えが理解できなかった。

 ただ、どことなくブチャラティチームの連中と同じく芯の通った考え方だな、と内心でひとりごちる。こういうのは理屈ではないのだろう、と一人納得したのであった。

 

 

 

 

 

 

「おのれ~~~ッ! しぶといヤツらめ! だが……あのクソガキのスタンド能力は完全に把握できたぞ!」

 

 矢を手に持った写真の男──吉良吉廣が誰もいなくなった道路の上空を舞いながら声を上げる。高所からエニグマの少年の戦いを見物していた吉廣は、なのはの行動を注意深く観察していた。

 一番の難敵として位置づけている空条承太郎に手傷を負わせたなのはを吉廣は警戒していた。それこそ承太郎と戦っているときから、ばれないように密かに観察を続けていたのだ。

 

「あのガキ──高町なのはのスタンド能力は2種類あるッ! 1つは時間を飛ばす能力。そしてもう1つの能力……未来を見る力が復活しているのもお見通しだ! 能力さえ分かれば、あんなクソガキ恐れるに足らんぞ、ウケケケケケケケ」

 

 吉廣は赤の他人のフリをして隠れ住んでいる吉影の下へ向かう。杜王町を取り巻くスタンド使い同士の争いは佳境を迎えようとしていた。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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キング・クリムゾンの重圧 その①

 エニグマの少年を再起不能にしてから数時間後、承太郎経由で吉良吉影に関して気になる情報が見つかったとなのはに連絡が入った。

 露伴が駅前で撮影していたサラリーマンたちの写真の中に怪しい人物が写っていたと判明したのだ。

 その人物の名は川尻浩作(かわじりこうさく)、S社に勤めるサラリーマンだ。家族構成は妻と息子と自身を含めた3人家族。

 素行や経歴に怪しい点があったわけではない。偶然、コソコソしている小学生に興味が湧いた露伴が気まぐれに撮った写真がきっかけだった。

 

 背中に取り憑く敵スタンド──チープ・トリックを倒すために、杜王町内に存在するオカルトスポット『振り向いてはいけない小道』に逃げ込んだ露伴は、無事にチープ・トリックを倒すことができた。

 その際に、小道に居着いている吉影に最初に殺された被害者──杉本鈴美(すぎもとれいみ)の幽霊が、偶然にも露伴がばらまいてしまった写真の中から(くだん)の少年を見つけ出したのだ。

 少年の名は川尻早人(かわじりはやと)──川尻浩作の息子である。息子にビデオカメラで隠し撮りされている男は普通じゃない。そう睨んだ露伴は翌日の朝に早人と会うため承太郎たちに招集をかけた。

 待ち合わせの時間は7月16日の午前8時30分、早人に関する情報を持っている露伴と合流して、戦えるスタンド使い全員で話を聞きに行くという形でまとまった。

 

 なのはももちろん同行するつもりでいる。士郎も当初は付いていくつもりだったが、スタンド使いとの交戦経験があってもスタンドが見えないことに変わりはないのだから無理をしないでほしいと、なのはに止められてしまった。

 明日も士郎には仕事があるし承太郎や仗助たちが一緒だから平気だと説得されて渋々折れたが、集合場所までなのはを送る約束だけは取り付けたのだった。

 

 

 

「もうこんな時間か」

 

 自分の部屋で椅子に座って早人の写真を眺めていたなのはがポツリと呟く。室内に置かれている目覚まし時計は7月16日の午前8時を指している。

 集合場所は高町家からそう遠い位置ではない。なのはの足でも十分に歩いて行ける距離である。今から家を出ても早すぎるだろう。

 そろそろ一階に降りようかと思ったなのはが席を立ったとき、奇妙な音が室内に響き渡った。

 なのはが何事かと思って目をやると、飲みかけで放置していた蓋の閉じたペットボトルがなぜかひしゃげているではないか。

 

「……?」

 

 不思議に思ったなのはが蓋を開けるとペットボトルはプシュッと音を立てて元の状態に戻った。

 いよいよもって意味がわからず首を(かし)げていると、急に顔をしかめてよろめいた。

 

「耳の奥が痛い……いったいなにが……スタンド攻撃を受けているのか?」

 

 耳を押さえながら、なのはは下階にいる家族の様子を確認するために前進する。

 そして扉を開けようと取っ手に手をかけたが、そこでふと動きを止め額に意識を集中した。

 エピタフの予知を見たなのはは困惑した。どれだけ能力を使い続けても、予知に映っている自分は扉の前で立ったまま動こうとしないのだ。

 

(なぜ扉を開けない……いや、これは()()()()のではなく()()()()()()のか?

 開けたら何かが起こるから『扉』を開けない、ということなんだな。ならば時を飛ばして『扉』をすり抜ければいい!)

 

 ゆっくりしている暇はない。蓋をもう一度閉じたペットボトルはベコベコと音を立てながら圧縮され続けている。

 エピタフを解除してキング・クリムゾンを出現させたなのはが時を飛ばそうと身構えたその時、ゆっくりと部屋の扉が何者かによって開かれた。

 

「なの、は……大丈夫か……?」

「パ……パパッ!?」

 

 倒れ込むように扉を開けて室内に入ってきたのは士郎だった。だが、その様子は尋常ではない。

 扉を開けて移動してきた瞬間、鼻や目、耳から多量の血を垂れ流し始めたのだ。しかも症状は悪化の一途を辿っている。

 このままでは士郎が取り返しのつかない状態になってしまう。どうにかしようと高速で思考を巡らせていたなのはの脳裏に、ひとつの可能性が浮かび上がった。

 

(そうか、理解できたぞ。予知のわたしが『扉』に触れなかった理由(わけ)が!)

 

 出したまま待機していたキング・クリムゾンで倒れ込んでいた士郎を廊下に移動させたなのはは、そのまま大急ぎで扉を閉める。

 そして、すぐにでもスタンド能力を使って士郎の様子を見に行こうとしていたなのはの頭上に、先程までは影も形もなかった未知のスタンドが姿を現していた。

 

「よくもやってくれたな、くらえッ! キング・クリムゾン!」

 

 逆さまにしたバケツのような頭部と先端がキャスターのようになっている四足が特徴的な敵スタンドに、鬼のような形相をしたキング・クリムゾンの拳が襲いかかる。

 しかし敵スタンドはぐにゃぐにゃと形を変えて攻撃を受け付けない。煙を殴ったような手応えしか残らない結果に、なのはは舌打ちをついた。

 

(クソッ! この手応え、ポルポのブラック・サバスと同じ遠隔自動操縦型のスタンドか!)

 

 本体が近くにいない可能性になのはは焦りを覚えた。通常の攻撃が通用しない遠隔自動操縦型のスタンドはダメージのフィードバックがなく、直接本体を倒さなければ能力が解除されない場合が多いのだ。

 

 キング・クリムゾンは一見すると強力な防御能力と予知能力を併せ持った無敵に近いスタンドだが、明確な弱点が存在する。

 それは遠隔で広範囲を攻撃するスタンド相手に有用な攻撃方法が欠けているという点だ。

 相手の効果範囲外に逃れるだけなら簡単なので弱点とは言えないかもしれない。実際、自分を守るだけでよかったディアボロにとっては弱点でも何でもなかった。

 だが、なのはは違う。ディアボロとは違い、なのはには()()でも守らなければならない家族がいるのだ。自分ひとりだけ助かるだなんて選択肢を選べるはずがなかった。

 

「……賭けになるが、やるしかない。キング・クリムゾンッ! 我以外の全ての時間は消し飛ぶ!」

 

 髪を結っていたリボンを外しながら宮殿を展開したなのはは、意を決して廊下へと歩を進める。

 そのまま扉をすり抜けながら首を回して髪を広げると、宮殿を展開したままエピタフの能力を発動させた。

 これこそがなのはの真の切り札、キング・クリムゾンとエピタフの同時使用である。

 代償として宮殿の展開時間が半減するが、代わりに時を飛ばした場合の未来を予知することが可能となる。

 この予知で室内に戻っている自分の姿が見えた場合、敵スタンドの能力はキング・クリムゾンでも回避不能ということになるが──

 

「ぐっ……すまない、なのは。迂闊に動いてしまったようだ」

「ううん、パパは悪くないよ。それよりママたちは?」

 

 なのはは敵スタンドの影響を無事に回避することができたようだ。

 とはいえ安心はできない。なのはがスタンド能力の影響を確認するために部屋から持ち出したペットボトルは、元に戻るどころかへこみ続けている。

 

「みんなリビングにいたはずだが……まずいな、異変に気がついて『扉』を開けてしまうかもしれない。それにこの現象はいったい……」

「『加圧』だよ。スタンド能力で空気が『加圧』されているんだ。そして『扉』を開けると一気に『減圧』される……そういう能力だと思う」

 

 士郎の身に起きた症状になのはは心当たりがあった。いや、心当たりどころか実際に食らって死んだ経験すらあった!

 この症状の正体は──減圧症! 人体が馴染むよりも早くに気圧が低下することで発生する機能障害だ。

 急激な気圧変化で血中の空気が気泡となり膨張することで血管をつまらせる。

 どれだけ肉体を鍛えた武術の達人でも体の作りが人間である以上、耐えることのできない現象だ。

 

「なら『扉』ではなく窓や壁に穴を開けて移動すれば……」

「いや、その程度で回避できるほどスタンド能力ってのは単純じゃあない。このスタンドは閉じられた空間ひとつひとつを『結界』にして、それぞれの内部を『加圧』していく能力の可能性が高い。

 どんな手段であれ、移動して『結界』の境界をまたいでしまったら能力の影響で『減圧』に巻き込まれるよ」

 

 キング・クリムゾンは発動中、ほぼ全ての物質や能力から干渉されなくなる。敵スタンドの『結界』を通り抜けた過程すらなかったことになるのだ。

 スタンドを超越した存在(レクイエム)や、能力同士が矛盾していて相手のほうがスタンドパワーが上回っていないかぎり、キング・クリムゾンの能力は絶対である。

 

 しかし戦闘面において突出した強さを誇るキング・クリムゾンでも、場に作用するスタンド能力を全て無効にすることはできない。

 なのはは『減圧』こそ回避できたが『加圧』の影響は受け続けている。

 気圧差による影響がなかったということは、それぞれの『結界』の『加圧』される速度は同じであると証明された。だが、時間の猶予はあまり残されていない。

 

「わたしのキング・クリムゾンならパパを連れて『減圧』の影響を無視して『結界』から『結界』へ移動できる。とりあえず、みんなの様子を見に行かないと」

 

 減圧症の影響でふらついている士郎をキング・クリムゾンで支えながら、なのはは階段を降りる。

 幸いにもリビングの『扉』は開けっ放しになっていて、廊下の『結界』と同じ範囲内に収まっていた。

 

「桃子!」

「ママ!」

 

 リビングにはソファに座ったままぐったりとしている桃子しかおらず、恭也と美由希の姿が消えていた。

 なのはと士郎が桃子に声をかけると、頭だけを二人に向けながら青白い顔をして口を開いた。

 

「ふたりは道場に……人影が見えたから様子を確認してくるって……」

 

 高町家にはあまり大きくないが道場が敷地内に併設されている。家と繋がっているわけではなく独立した作りとなっていて、移動するには一度外に出る必要がある。

 

「すぐに終わらせてくるから、パパとママはここで待ってて」

 

 恭也と美由希が追いかけた相手はスタンド使いの可能性が高い。ならば手遅れになる前に動かねばならないとなのはは考える。

 自分のせいで家族を巻き込んでしまったことを悔やみながらも氷のように冷たい表情で内心を隠しつつ、すぐさま道場に向かおうとした。

 

「俺も連れて行ってくれ」

 

 よろめきながら立ち上がった士郎がなのはを呼び止める。

 なのはも万全の状態とは言い難いが、一度『減圧』を食らっている士郎よりは余裕があったがゆえの判断だった。しかし彼には納得いかなかったようである。

 

「立つのがやっとの状態で、いったいなにができるの? わたしならこんな相手、簡単に倒せるから──」

「刺し違えてでも勝つつもりの娘を黙って見送れるわけがないだろ」

 

 暴慢とも言える答えで煙に巻こうとしたなのはの言葉に重ねるように士郎が言い返す。

 ピクリと眉を動かしたなのはは視線を左右に揺らしながら返す言葉を考えているが、ろくに言い返せずにいる。

 

「恭也と美由希も、そのスタンド使いに攻撃を受けているかもしれないのに、黙ってここで待っているなんてできない。

 戦った結果、二度と戦えない体になるかもしれないが構わない。それに、やっと本心を知れた娘を守れないほうが、よっぽど悔いが残るからな」

「……絶対に死なないと約束して。約束できないなら同行は許可しない」

 

 重々しく口を開いたなのはの顔には苦渋の色が見て取れる。本来ならば、僅かにでも勝率を上げるなら士郎も一緒にいたほうがいいだろう。

 肉体のリミッターを外す奥義がある御神の剣士は、多少なら常人よりも無茶をすることができる。当然反動は相応のものだが、それでも無理を通して戦うことはできる。

 役に立つのは分かっていた。それでもなのはが連れて行こうとしなかったのは、単純に士郎にこれ以上怪我をしてほしくなかったからだ。

 だが士郎の想いを知ってしまえば簡単には断れない。矛盾するふたつの思考はなのはを悩ませた。苦悩の上で出した答えが、意味のないようにも聞こえる口約束であった。

 

「ああ、約束する。俺は絶対に死なない」

 

 呼吸を整え小太刀を手にした士郎が、なのはの暗く淀んだ藍色の瞳を(しか)と見つめる。

 なのはは士郎を信じることにした。そして何が何でも家族全員──自分も含めて絶対に誰も死なせないという覚悟を決めたのだった。

 

 

 

 なのははキング・クリムゾンにファイヤーマンズキャリーという方法で士郎を担がせて、残った片腕を使って自分を持ち上げた。そして時を飛ばすと同時に力強く地面をスタンドに蹴らせる。

 近距離パワー型のスタンドの脚力は馬鹿にはできない。一般的に脚力は腕力の三倍と言われているのと同じで、スタンドの脚力も腕力以上に常人離れした力を持っている。

 一度(ひとたび)地面を蹴れば、長距離は難しいが自動車並みの速度で移動することも可能なのだ。

 

「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」

 

 道場の入り口をすり抜けて内部に入ったなのはの目に飛び込んできたのは、士郎のときと同じように顔から血を垂れ流して床に倒れ込んでいる恭也と美由希の姿だった。

 士郎のときよりも容態が悪く、手足や顔の一部が大きく陥没してしまっている。担ぎ上げていた士郎を下ろしながら、なのはは二人の容態を確認するために駆け寄った。

 

「……よかった、息をしてる」

「なのは、気を緩めるんじゃない! 誰かがいるぞ!」

 

 士郎の忠告に従って、なのはも道場の奥まった位置に身を潜めていた人影に視線を向ける。確かに、そこにはなのはと大差ない大きさの人影が見えていた。

 

「時が吹っ飛ぶ感覚でなんとなくわかってはいたが、まだくたばっていなかったか。

 ワシのスタンド……『オゾン・ベイビー』の能力を受けてなおここまでたどり着けるとは、吉廣の言っていたとおり中々に強力なスタンド能力ぢゃな」

 

 隠れていたのは不気味とも言える風体の男だった。身長は五歳児のなのはより少し大きい程度で、遠目から見ればただの子供に見える。だが、顔や手には壮年の男のような無数のシワが刻まれていた。

 服装もマトモではない。ちゃんと服を着ているように見えるが、実際には短パンと靴しか履いておらず、残りは直接体に書かれたボディペイントである。

 そんな異様な外見の男──プアー・トムは、あぐらをかいてタバコを吹かしながら、ブロックのおもちゃで作られたホワイトハウスのような見た目の物体を小脇に抱えている。

 

「おまえも吉良の父親が矢で生み出したスタンド使いか!」

「いいや、違う。ワシと吉廣はもっと昔からの付き合いぢゃよ。もっとも……ここで始末されるおまえに語ったところで無意味ぢゃがなッ!」

 

 両者の距離は10メートルと少し、キング・クリムゾンで時を飛ばせば十分に近づける距離である。だがプアー・トムは立ち上がりもせずに、ただニヤニヤとなのはたちの様子を眺めているだけだ。

 

(ヤツはわたしの能力を理解しているようだが、なぜ逃げようとしない? この手のスタンドは本体に近寄られるのが弱点のはず……何か秘策があるのか?)

 

 エピタフの予知で映し出される5秒後の未来でもなのはは一歩も動いていない。近づくことで何かが発生するのは確実なようだが、迂闊に行動できずにいた。

 こうしている間にも『加圧』は進んでいく。気圧ではなく水圧で例えるが、人間の素潜りの最深記録は214メートルである。

 鍛えている士郎なら21気圧を超えても耐えられる可能性がある。しかし一般的な五歳児と大差のないなのはでは、とても耐えられない。

 しびれを切らしたなのはがエピタフによる予知を打ち切り、時を飛ばしてプアー・トムを直接攻撃しようとしたとき、沈黙を続けていたプアー・トムが口を開いた。

 

「おまえ、いまスタンド能力を使ってワシに近付こうとしたな? それはやめておいたほうがいい。余計に苦しむだけぢゃ」

「キサマが近寄られたくないからって、そうやって警戒させようとしても無駄だ」

 

 発言とは裏腹に、なのはの脳裏にはプアー・トムの発言は本当なのではないかという考えが浮かんだ。

 根拠はある。恭也と美由希の負傷が士郎の負傷よりも酷いという点になのはは疑問を覚えた。

 もし『加圧』が始まってから外に出たのなら、リビングから出た時点で倒れているはずである。

 つまり二人が道場に入った時点では、まだオゾン・ベイビーの効果は本格的に現れてはいなかったはずなのだ。

 それなのに減圧症の症状に加えて、手足が陥没するほどの『加圧』を受けた痕跡が残っているのは辻褄(つじつま)が合わない。

 欠けていたピースが組み上がっていく。無意識のうちに、なのはは自分の予想を口に出していた。

 

「……まさか、キサマのスタンド能力は『距離』も影響するというのか?」

「そのとおり、ワシのオゾン・ベイビーは一定の距離に近づけば一気に『加圧』が強くなる。そこの二人はワシを取り押さえようとしただけでそうなったんぢゃよ」

 

 ニタニタと嫌らしい笑みを貼り付けたまま、プアー・トムは新しいタバコに火をつけた。

 『加圧』は緩むことなく進み続ける。なのはたちに残された時間は刻一刻と減っていっていた。




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キング・クリムゾンの重圧 その②

 何もせず傍観を続けると『加圧』が進み一方的にプアー・トムが有利になる。

 『加圧』の影響で顔から血を流しているなのはからは、体力的にも精神的にも段々と余裕がなくなってきていた。

 黙って見ていては(らち)が明かない。遠隔自動操縦型のスタンドなのに本体が姿を現したことに疑問を覚えつつ、なのはは次なる一手を打った。

 

「近寄れないなら、それはそれでやりようがある! キサマには後悔する時間をも与えんッ!」

 

 キング・クリムゾンに床板を引き剥がさせて宮殿を展開する。そのまま槍投げのように床板をプアー・トム目がけて投擲した。

 宮殿の内部での行動は相手には把握できない。当たる直前で解除すれば、確実に避ける間もなく攻撃を食らうはずだった。

 

「ん? いま、なにかしたか?」

 

 目を見開き驚いているなのはに対して、とぼけるように答えるプアー・トムは座ったままタバコを吸っている。

 頭部を貫く軌道で投げたはずの床板はプアー・トムには当たらず壁に突き刺さっていた。

 キング・クリムゾンの力加減を間違えて軌道がずれたわけではない。なのはの目からは確実にプアー・トムの頭部を貫いたように見えた。しかし、まるで実体が無いかのようにすり抜けてしまったのだ。

 後ろを振り返って壁に突き刺さった木片を見たプアー・トムは、ようやく自分が何をされたのか気がついた。

 最初から手頃な物を投げて攻撃してくるのは予想の範疇だったようで慌てる様子はない。

 

「ワシがその程度の攻撃を予想してないわけがないだろ。こうして姿を見せているのは、確実に始末できるという自信があるからぢゃ」

「……大した自信だな」

 

 ダラダラと止まらない血を手の甲で拭いながら、なのはは思考を続ける。プアー・トムがこうも無駄話をしているのは時間を稼ぐためだろう。

 黙って見ていても『加圧』で倒せるからか。なのはを承太郎たちと合流させたくないからか。その両方の可能性もある。

 ろくな遠距離攻撃のないキング・クリムゾンには、これ以上プアー・トムに有効打を与える手段が残っていない。

 無理やり時を飛ばして近づいて『加圧』を受けながらプアー・トムを攻撃するのは、なのはにとってリスクが大きすぎた。

 恭也や美由希ですら耐えられなかった強烈な『加圧』を受けながら一撃でプアー・トムを再起不能にするには、なのはの体は華奢すぎるのだ。

 

(コイツのスタンド能力は密閉された空間に作用する。キング・クリムゾンを使ってみんなを車に運べば能力の範囲外に逃げられるかもしれない)

 

 逃げて他のスタンド使いに助けを求めるのも選択肢のひとつだ。時を止められる承太郎のスタープラチナならオゾン・ベイビーの能力を無視できる可能性は十分ある。

 

「逃げても無駄ぢゃ。逃さないために、こうして直接ワシが乗り込んできたんだからな」

 

 撤退するため、倒れている恭也と美由希をキング・クリムゾンで担ぎ上げようとしたなのはにプアー・トムが語りかける。

 吸っていたタバコの火を床に擦り付けて消したプアー・トムは、立ち上がって伸びをしながらオゾン・ベイビーの能力を説明しだした。

 

「車に乗って範囲外に逃げようと考えたな? それも想定内の行動なのによお。絶望させるためにあえて教えるが、オゾン・ベイビーの射程距離は半径100メートルだ。

 車で逃げたって、これだけの射程があるなら付け回すことぐらい簡単なんだよなあ。わかるか? おまえたちは、もう負けているんだよッ!」

 

 プアー・トムはあえて教えなかったが、オゾン・ベイビーの『加圧』は射程距離外に出れば緩やかに元の気圧へと戻る。

 射程距離から逃れるために車を選んだのは間違いではなかった。しかし、プアー・トムも己のスタンド能力の欠点はよく理解していたのだ。

 

 オゾン・ベイビーはホワイトハウスのような見た目のヴィジョンを地面に埋めるか、本体が直接触れることで発動する変則的なスタンドだ。

 逆さまにしたバケツのような頭部を持ったヴィジョンは相手が『結界』の影響を受けていると出現するサインのようなもので、それ自体に意味はない。

 

 地面に埋めた場合は自動で半径100メートル内の密閉された空間の『加圧』を始める。

 本体がどれだけ遠くにいても能力は解除されないので、埋める手間がかかるが使い勝手はこちらのほうが上だろう。

 それなのに、あえて本体を晒すというリスクを犯しているのは確実になのはを始末するためだった。

 吉廣からの情報でキング・クリムゾンの特性を知ったプアー・トムはなのはを一番の難敵に位置づけた。

 直接操作しなければ能力の範囲外に逃げられ、対策を練られる可能性が高いとすら考えていた。だからこそ、こうして直接始末するために対峙しているのである。

 

(なぜ、ヤツに攻撃が当たらなかったんだ……本来の能力は『加圧』ではないのか?)

 

 ズキズキと痛む耳鳴りに耐えながら、なのははエピタフの予知を頼りに推理を進める。

 スタンド能力は原則として一人につき一つしか現れない。キング・クリムゾンとエピタフも時の飛ばし方を変えているだけで、基本の能力から派生したに過ぎない。

 つまり根本から異なる能力を複数宿しているスタンドは存在し得ないのだ。その点を踏まえて、なのははじっと考える。

 

(本体に近づいたり『結界』の内部にいると『加圧』されるのは能力によるものだ。それらは過程であって結果ではない。

 ヤツは実体がないかのように、わたしの攻撃を(かわ)してみせた。

 なにかカラクリがあるはずだ。()()()()()()()()()……これらに関連する現象がなにかあるはず……)

 

 スタンド使いは特異な能力で超常的な現象を引き起こすが、物理法則を完全に無視するわけではない。

 オゾン・ベイビーもそうだ。スタンド能力で『加圧』と『減圧』を起こすだけで、減圧症などの事象は現実でも起こりうる範疇である。

 つまり、先程の攻撃を(かわ)した手段も本体を透過させる能力などではなく、『加圧』と『減圧』の能力から派生した事象のはずなのだ。

 

「わかったぞ……わたしの攻撃が当たらなかった謎が! キサマは『加圧』によって気圧をズラして()()()()()()()()()()()んだなッ!」

 

 蜃気楼という現象をご存知だろうか。砂漠に有りもしないオアシスが見えたり、海上にビルや山があるように見える現象である。

 かいつまんでメカニズムを説明すると、これらの現象は密度の異なる大気の中で光が屈折して違う場所の風景が映し出されることで起こる。

 オゾン・ベイビーは本体に近ければ近いほど大気を『加圧』させることができる。『加圧』するということは密度が変化するということだ。

 自然ではありえないレベルの気圧差を発生させることで、光を屈折させてプアー・トムはなのはたちに自分の位置を誤認させたのだ。

 

「この短時間でワシのオゾン・ベイビーの能力をそこまで理解するか。本当に油断ならないヤツぢゃな、おまえは。

 ……で? 謎が解けたのはいいが、どうやってワシを倒すつもりなんだ? やろうと思えばこういうことだってできるぞ」

 

 膝の上にホワイトハウスのようなオゾン・ベイビーのヴィジョンを乗せたプアー・トムが手のひらを合わせると、生暖かい空気が道場に広がった。

 大気は密度が上がると温度が上がっていく。自転車のタイヤに空気を入れていると空気入れのポンプが熱くなるのは、空気が圧縮されているからだ。

 プアー・トムは手のひらを合わせることで簡易的な『結界』を作って一気に『加圧』を促進させたのだ。それと同時にプアー・トムの姿がブレる。

 

「ば、馬鹿なッ!?」

「こうなってはどれが本当のワシかなんてわからんよなァァアア────ッ!」

 

 五人に数を増やしたプアー・トムが一斉に口を開く。彼は気圧の差を更に大きくして光を乱反射させることで、合わせ鏡に写すように多数の自分の姿を投影してみせた。

 いかにエピタフで未来が読めても、選択肢が多すぎてどれに攻撃したらいいかすら分からない。攻めあぐねいて唇を噛み締めているなのはの肩を士郎が叩いた。

 

「ここは俺に任せてくれ」

 

 目を閉じ袖口から取り出した鋼糸を手にした士郎が構える。プアー・トムは一つだけ計算に入れていなかったことがあった。

 吉廣から情報を貰っていなかったというのもあるが、彼は士郎を()()()()武術の使い手だと思っていたのだ。

 

「ギッ……グッ……ど……どうやってワシを見分けたッ!?」

 

 誰もいない場所に向けて放たれたように見えた鋼糸は、しっかりとプアー・トムの首にくくりついていた。

 士郎が減圧症により負傷しているのもあって、いきなり首をへし折れはしなかったが、ボンレスハムのように肉に食い込んでいる鋼糸を指で引き剥がすのは不可能だ。

 

「気配を感じ取った。ただそれだけだ」

 

 士郎は今までずっと目を閉じてプアー・トムの気配を探っていた。御神流には視界に頼らず、音と気配だけで相手の居場所を察知する奥義がある。

 言葉にするだけなら簡単だが、実際に姿の見えない相手がどこにいるかピンポイントで見極めるのは不可能に近い。驚くべきは、それを可能にした士郎の技術だろう。

 

「こ、こんな目にあうなんてよ……ワシ()はおまえらをサッサと始末して、吉廣が隠し持っている()()を対価に貰うだけの予定だったのによお」

「下らない無駄話に付き合っていられるか。このまま首を締め上げて頚椎(けいつい)を折って──っ!?」

「パパッ!?」

 

 ピンと張った鋼糸をプアー・トムが手のひらで挟み込む。ただそれだけの動作で、士郎の脇腹がバギョンッと音を立ててえぐれるように大きく陥没した。

 

「ワシに直接触れるなら覚悟しろよ。おまえが触れている加圧の数値は、直接だから一気に登っていってるからな!」

 

 オゾン・ベイビーの能力はパッショーネの暗殺チームの一人、プロシュートのスタンド『ザ・グレイトフル・デッド』と同じく直接触れることで一気に能力を促進させられる。

 その圧力は遠隔攻撃時とは比較にならない。袋に入れられて掃除機で圧縮されている布団のように、ベコベコと士郎の体が見る見る間に加圧されていく。

 

「ワシの頚椎はまだ折られてないぞッ! このワシの体より早く……おまえの身体内部を潰してやるッ!」

「いや、キサマはもうおしまいだ……そもそも、わたしの声も聞こえていないだろうがな」

 

 宮殿を展開したなのはが、光沢のない瞳でプアー・トムがいるであろう空間をじっと見つめている。

 もし吹っ飛んだ時間を認識できる人物がいたら、なのはの瞳の中に黒い炎が揺らめいているように見えただろう。

 なのはの攻撃は既に終了していた。視線の先には誰もいないが、周囲にいるプアー・トムの幻影を見れば何をしたか一目瞭然(いちもくりょうぜん)である。

 

「──ゴボッ!?」

 

 時が再始動したことで、初めてプアー・トムは己の身に起きた事態を把握した。金魚のように口をパクパクと開くが、うまく声がでない。それは当然だ。なにせ首や顔の肉をズタズタに切り裂かれているのだから。

 

 宮殿の内部では基本的に干渉はできない。だが例外が一つだけ存在する。なのはが承太郎と戦ったときに使った血の目潰しだ。本体から流れ落ちる血は、唯一の例外で動きの軌跡となった相手にも干渉できる。

 それだけでは動きを妨害できても攻撃としては役に立たない。承太郎に敗北してから、なのはは宮殿内部でも使用可能な攻撃方法を模索していた。

 そして行き着いた答えが、血液を高速で飛ばし水圧カッターのように相手を切り裂く技だった。シチュエーションこそ違うが、本来の流れで仗助が吉影に対して行った攻撃と同じ原理である。

 

 時を飛ばしてもプアー・トムの位置までは把握できない。それなのにプアー・トムを正確に狙えたのは、士郎が鋼糸を首に巻き付けられたおかげである。

 光が湾曲して正確な位置が分からなくとも、真っ直ぐに伸びた鋼糸の方向を見ればおおよその位置は特定できる。

 限界まで時を飛ばしながら血の水圧カッターを何発も鋼糸に沿って、プアー・トムがいるであろう位置に向けて放っていたのだ。

 

「倒せた、のか……?」

「どうやら……スタンド能力は解除された、ようだね」

 

 プアー・トムの幻影が全て消えて、ずっと続いていた耳鳴りや出血も弱まったのを確認した二人は警戒を解いた。

 鋼糸を手放してぐったりしている士郎は、立ち上がれないのか横たわったまま様子をうかがっている。

 血を流しすぎて顔色の悪いなのはが動けない士郎の代わりに、床にひれ伏しているプアー・トムに近づく。そうしていると、いきなりプアー・トムの体が石化し始めた。

 突然の変化に二人が驚いていると、あっという間に風化していき最終的に砂粒サイズまで粉々になってしまった。

 

「あっという間に粉々になってしまったな……人間ではなかったのか?」

「……コイツの正体は気になるけど、いまは後回しだよ。パパはここで安静にしてて。急いで仗助を呼んでくるから」

 

 かろうじて意識こそあるものの士郎はかなりの重症である。恭也や美由希も目を覚ます気配がない。幸いにも待ち合わせ場所まで行けば仗助と合流できる。

 貧血でふらつく体を無理やり動かしながら、なのはは血で汚れた服を着替える間もなく急ぎ足で集合場所へと向かうのであった。

 

 

 

 プアー・トムとの戦闘が長引いたのに加えて、負傷による貧血で足が鈍っていたのもあってか、なのはが集合場所にたどり着いたときには8時30分を過ぎてしまっていた。

 

「……おかしい。もう全員揃っているはずの時間なのに誰もいない」

 

 雨に濡れて顔に張り付いた前髪を手ぐしで整えながら、なのはは腕時計を見ている。時刻は8時37分で予定の時間から10分も経っていない。

 集合時間に遅れたからといって、無視して先に出発するほど承太郎たちは薄情な性格ではない。何かがおかしいと思いながら、なのはは周囲を見渡した。

 目立つのは扉を開けたまま停車している赤い二人乗りの外車だ。エンジンのキーも刺さったままで、不用心を通り越して不穏な雰囲気すら感じられる。

 更に気になったのは、ランドセルと黄色い通学帽を地べたに放り投げて泣いている茶髪の小学生だ。転んだにしては膝や顔に外傷はないが、それが余計に怪しかった。

 実はなのはが角を曲がる直前、茶髪の小学生は叫び声を上げていたのだが、雨音と貧血の影響でなのはの耳には届いていなかった。

 

「ちょっと聞きたいんだけど、ここで真っ白いコートを着た背の高い男の人を見なかった?」

「し……知らない! そんな人()()、ぼくは見てないッ!」

 

 うつむいたまま地面に伏していた茶髪の小学生がガバリと起き上がると、慌てたように否定の言葉を重ねた。しかし、その行動は逆効果である。

 慌てていたのか、余裕がなかったのかは分からないが、なのはが特定の個人について尋ねたのに対して、茶髪の小学生は複数形で言い返してしまった。

 口にした後で失言に気がついたのか、茶髪の小学生はアタフタしながら両手で口を覆う。

 なのははそんな挙動不審の小学生の様子を眺めているうちに何かに気がついたのか、すっと目を細めながらゆっくりと口を開いた。

 

「おまえ……川尻早人だな。ここで何があったのか、包み隠さず教えてもらおうか」

「言えないんだ……どうしても言えないんだよおおおッ!」

 

 茶髪の小学生──川尻早人は大粒の涙をこぼしながら走り去ろうとするが思ったように前に進まない。

 おかしい、どうしてだと考えていると急に服の襟を掴まれたかのような衝撃が首に走る。

 逃すまいとなのはがキング・クリムゾンで早人を捕まえたのだ。そして、そのまま尋問を開始してしまった。

 家で重症を負った家族が待っているのに加えて自身も怪我をしている状況では、さすがのなのはも普段のような洞察力は発揮できなかった。

 

「いいか、わたしの質問に答えるんだ。答えなければ首の骨をこのままへし折る。

 承太郎たちはどこに行った? おまえの父親……川尻浩作の正体は()()()()なのか!」

 

 その一言──吉良吉影の名前がスイッチだった。これこそが早人がこうまで怯えていた理由であり、承太郎たちの姿が見当たらない理由でもあった。

 拳ほどの大きさしかない猫を人の姿にしたような外見のスタンド──キラー・クイーンが条件を満たしたことで、なのはへと襲いかかる!

 

「これは吉良のスタンド、キラークイーンか! 迎え撃て、キング・クリムゾンッ!」

 

 事前に承太郎から情報を伝えられていたため、なのはは瞬時にキラークイーンが吉影のスタンドだと理解できた。

 反撃するためにキング・クリムゾンで殴りながら、なのははエピタフで5秒後の未来を見る。そこには爆破され全身から血を吹き出している自分の姿が映っていた。

 原理は分からないがこのままでは爆破される未来を知ったなのはは、迷わず時を飛ばす。

 だが、なのはの表情は険しいままだ。その時、宮殿では本来はありえない現象が起きていた。

 動きの軌跡しか残らないはずなのに、聞いたことのない男の声が響き渡ったのだ。

 

「正確には早人に仕掛けたキラークイーン第3の爆弾『バイツァ・ダスト』だよ。攻撃しても、もう遅いんだよ。

 わたしの姿を()()ということは、すでに目の中に入ったということなのだ。そして時間を飛ばそうがバイツァ・ダストは自動的に発動する!」

 

 なのはの瞳の中に入り込んだ第3の爆弾──バイツァ・ダストは非スタンド使いに取り憑く自動操縦型の能力だ。

 取り憑かれた人物が本人の意志かどうかはともかく吉影の正体をばらすか、攻撃されると自動発動する。

 なのはは川尻浩作と吉良吉影は同一人物だと早人の前で言ってしまったせいで条件を満たしてしまった。

 

「爆破されるという結果はふっ飛ばしたはず! 何が起こっているというんだッ!?」

 

 宮殿の展開時間はまだ残っているはずなのに、静止したものが消え去り夜空が広がる世界がボロボロと崩れていく。まるで時間そのものを破壊されているような光景である。

 ゴールド・エクスペリエンス・レクイエムの能力で結果を無かったことにされたときとは、また違った光景だ。

 

 これこそがバイツァ・ダストのもう1つの能力だ。バイツァ・ダストは瞳の中に入り込んだ対象を爆破した後に、自己判断で本命の能力が発動する。

 本命の能力──それは直近の1時間を爆破して無かったことにするというやり直しの能力だ。

 しかも、ただやり直すのではない。時間を巻き戻しても、運命そのものはスタンド能力を解除しなければ固定されてしまうのだ。

 承太郎たちは固定された運命により何もできないまま爆破されて、この世から消えてしまった。

 記憶を引き継げるのは早人だけである。早人は前回の記憶を頼りに承太郎たちを助けようとしたが、失敗してしまい打ちひしがれていたのだ。

 

 なのははキング・クリムゾンにより爆破と運命の固定化こそ回避できたが、時間そのものを破壊して巻き戻る能力までは回避できなかった。

 スタンドパワーで負けていたわけではない。これは相性の問題だ。時間を飛ばしても時間そのものを爆破する行動まで無かったことにはならないのだ。

 

 こうして()()()の7月16日の朝は終わりを迎えた。そして()()()の7月16日の朝が始まる。

 バイツァ・ダストを破って、承太郎たちを固定化された運命から助けられるか否かは早人の肩にかかっている。




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キング・クリムゾンは挫けない その①

 5回目の7月16日の朝──川尻早人は生まれて初めて心の底から神様にお祈りした。『どうか、このぼくに人殺しをさせてください』と、11歳の少年が覚悟を決めたのだ。

 彼はスタンド使いではない。波紋法や御神流のような特異な技術を身に付けているわけでもない。だが、早人には吉良吉影を殺せる可能性がたったひとつだけ残っていた。

 

 それをランドセルの中に詰め込んだ早人は、今までのループの記憶に従って運命を逆手に取った。運命が固定されている──それは過程を無視してどんな形でも結果が現れるということだ。

 一度破壊されたものは、どうあがいても破壊される。以前のループでウェッジウッド(ティーカップ)が割れる運命を知っていた早人は、あえて母親──川尻しのぶにコーヒーのおかわりを注がせることで、吉影の手に熱々のコーヒーをぶっかけてやったのだ!

 (なか)ば意趣返しのようなものだが、運命の固定化を実証するためでもある。これなら大丈夫だと確信した早人は、準備を整え運命の場所へと向かった。

 

 

 

 当初の狙い通り吉影を至近距離まで近寄らせた早人はランドセルに隠していたもの──猫草(ストレイキャット)に光を当てることで攻撃を誘発させた。

 猫草はスタンドの矢に射られた猫が死んだことで発現したスタンドである。肉体と同化しているため非スタンド使いにも見ることができる。

 見た目こそ草のような姿の猫で性質や性格も猫に近いが、スタンド使いなので当然、特殊な能力をもっている。猫草の能力──それは光の刺激を受けたりすることで空気の弾丸を発射する力だ。

 なにかに利用できるかもしれないと吉影が家の屋根裏部屋に隠していた猫草を、早人は攻撃手段として持ち出していたのだ。

 

「とどめだッ! 殺人鬼ッ!」

 

 猫草の空気弾が左胸に直撃して倒れている吉影にトドメを刺そうとした早人だが、上手くはいかなかった。口から血を垂らしながらも吉影が立ち上がって殴りかかってきたのだ。

 吉影の攻撃もバイツァ・ダストは自動的に防御するので早人にダメージはない。だが驚いてランドセルを手放してしまった。驚き戸惑っている早人にランドセルを踏みつけて確保しながら吉影が語りかける。

 

「最近……『爪』が異様にのびるこの時期……どうもわたしは最近まったくいいことがないと思っていたが……」

 

 吉影が穴の空いたスーツの左胸に手を突っ込む。すると、ひしゃげて壊れた腕時計が出てきた。この腕時計が吉影の身を空気弾から守ったのだ。

 

(そ……そんなことって! ウェッジウッド! ぼ、ぼくがあれを……)

 

 ここに来て早人の行動が裏目に出てしまった。欲をかいて手に火傷を負わせなければ、ここで勝っていたはずなのに失敗してしまったのだ。

 いや、早人に落ち度はない。左胸ではなく右胸や頭に当たっていたら吉影は助からなかった。純粋に吉影のほうが運に味方されているだけなのだ。

 

(し、失敗したッ! 時間がッ……! 来るッ!)

 

 露伴がバイツァ・ダストの効果で殺されるまで残り1分を切っている。曲がり角の向こう側では、露伴が車に体を預けて承太郎たちが来るのを待っている。

 助けを呼ぼうにも雨音で声はかき消されてしまう。早人の頭を押さえつけながら、吉影は(おのれ)の推測を言い聞かせるように語り始めた。

 

「『猫草(ストレイキャット)の空気弾』でわたしの命を狙おうとしたということは、だ。早人、おまえ……この朝を少なくとも四回か五回は往復しているな。それぐらい往復しなければ思いつかない『考え(アイデア)』だッ!」

 

 事実、早人は最初の一回こそ覚えていないが同じ朝を五回繰り返している。猫草を使って反撃したのは今回が初めてだった。

 

「そして、()()()これだけ戻ったということは……『バイツァ・ダスト』の運命がこれからふっ飛ばすのは、あの露伴のほかにも誰かいるということだな?

 これから露伴の仲間が来るな? 早人、おまえは露伴の他にも何人かに、わたしのことを喋ったということだな? フフ!」

 

 塀に手を付きながら饒舌に予想を語る吉影に対して早人は言い返さない。いや、吉影の予想が的中していて言い返せないのだ。

 

「いや、質問されただけかな? 誰を殺して来た? ン? 康一のチビがいなかったか? 露伴と仲がいいからな。空条承太郎はどうだった? あいつが死んでくれると、わたしはとても嬉しい。

 それとも高町なのはとかいう茶髪のガキか? 直接相手すると面倒そうだから、あいつ(吉廣)が妙な連中に始末させると意気込んでいたが、返り討ちにしてここまで来るかもしれないな」

 

 睨めるような視線を向けながら吉影は口を止めない。通勤通学時間の割には雨が降っていて人通りが非常に少ないためか、周囲を気にもしていない。

 

「ま……来るか来ないかわからないヤツは気にしなくてもいいか。おまえは『猫草』のことを知っている……もうこれ以上この『朝』を戻らせるのは危ないことだ。フフフ、()()()()()()()()()()

 だから……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 早人を見下ろしながら吉影は結論を出した。()()()()()とはいえ、これ以上危険な橋を渡る前に運命を確定しておくことにしたのだ。

 

「フフフフ、フフフフフ……『バイツァ・ダスト』は無敵だッ! そして()()()()に『運』は味方してくれているッ!」

 

 今まさに吉影は33年の人生で一番の絶頂を迎えている。彼は完全に『勝ち』を確信していた。それが砂上の楼閣(ろうかく)とも知らずに。

 

「名前……いま、言った……その、名前……」

「おっと、わたしの本名を言っちゃったかなァ~~~! そう、わたしの名は『吉良吉影』。フフフ、ハハハハ! 誰かに喋ってもかまわないよ」

 

 吉影の背後を見つめていた早人の目に輝きが戻る。先程までは肥溜めで溺れかけているネズミのように絶望してたが今は違う。

 

「ぼくは()()()()()()()。最初っから、ぼくはあんたのことを一言だって()()()()()()()()。ぼくは電話しただけなんだ。

 あの人は、ぼくの血を止めてみせた。だから番号を調べて伝えただけなんだ。朝……家から電話で『一言』伝えただけなんだ」

「何のことだ? 何を言っているんだ」

 

 今の早人の目には決意が宿っている。勝ち誇っていた吉影も、負け犬の目をしていた早人が急に息を吹き返したことに今になって気がついた。

 

「あんたが()()()()()……()()()()()、あんた自身なんだ。ぼくはただ、待っていただけなんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()早く家を出て助けたあとに、ここに来るのを待っていただけなんだ」

 

 何かがおかしい。吉影が耳をすませると、雨音に混ざって背後からバイクのエンジン音がしていることに気がついた。

 音は遠ざかるわけでもなければ近寄っているわけでもない。完全に停車しているのか一定の音量で鳴り続けている。

 

「おい、仗助ェ、なのはァ。おめーらは聞こえたかァ~~~?」

チェルト(もちろん)、しっかり聞こえてたよ」

「俺もバッチリ聞いたぜ。ブッたまげる『名前』をよぉ、()()()()()()()()()()ッ!」

 

 仗助となのはは吉影をスタンドの射程距離に捉えた状態で、億泰は数メートル離れた位置でバイクに跨ったまま吉影を睨んでいる。

 彼らは本来、歩いて待ち合わせ場所に向かうはずだった。もし早起きしたとしてもバイクに乗ってまで急いでは来なかったろう。だが早人の電話によって運命に狂いが生じたのだ。

 

「こっ……こんな偶然がッ!」

「偶然なんかじゃあない……運命なんかでもない! これは『賭け』だ! ぼくが『賭け』たんだッ! ちょっぴり早く来させることに『賭け』たんだッ!」

 

 早人が仗助の家に電話をしたのは7時55分──なのはがオゾン・ベイビーの能力に気がつく数分前のことだった。

 早人は最初、コールして起こすだけにしようかと考えていたが確実性が薄い。そこで前回の朝、最後に現れたなのはと仗助が仲間だと仮定して、怪我をしていると伝えて急がせることにしたのだ。

 電話には誰も出なかった。朋子は教師なので、この時間には家を出ていた。そこで早人は留守番電話に情報を残したのだ。

 留守電に気が付かなくても、着信音で目を覚ましてくれればいい。留守電に気がつけば、確実に急いてくれるはず。どちらに転んでも早人は不利にはならない。

 仗助の仲間に茶髪の少女はなのはしかいない。誰が電話してきたのかは分からなかったが緊急事態だと判断した仗助は、近所に住んでいる億泰の運転するバイクで急いで高町家へと向かった。

 運のいいことに、仗助たちはなのはがプアー・トムを倒した直後にやってきた。もし時間が早すぎたら、仗助たちまでオゾン・ベイビーの能力で再起不能になっていたかもしれない。

 

 仗助が士郎たちを治すと、そのままの足でバイクに乗って集合場所に向かった。プアー・トムの他にもスタンド使いが残っている可能性が高いと判断したなのはが二人を急かしたのだ。

 こうした過程の変化が、吉影が早人に対して語っている最中に立ち会うという結果を生んだ。

 

「まさか──ッ!?」

「この状況で逃げられるわけがないだろう」

 

 吉影は身を(ひるがえ)して逃げようとするが遅すぎた。この光景を予知していたなのはが、1秒だけ時間をふっ飛ばして背後に回り込み、横っ腹にキング・クリムゾンの拳を叩き込んだのだ。

 本気の一撃ではないので肉体を貫通したりはしていないが、吉影の体が宙を舞い壁面に叩きつけられた。気絶させて露伴に記憶を読ませるつもりのなのはに、容赦するつもりは一切なかった。

 

(な……なんてことだッ! 今から電話で()()()を呼ぶ時間もないッ! 『バイツァ・ダスト』を解除して『キラークイーン』で、わたし自身を守らなくては!)

 

 いかに自分の能力に自信を持っている吉影といえども()が悪すぎた。動きはなのはに読まれ、シアーハートアタックは億泰と絶望的に相性が悪い。仗助が怪我を治せるので遠慮なく攻撃される。

 頼みの綱の伏兵も電話しなければ駆けつけてこられない。吉影にはバイツァ・ダストを解除してキラークイーンで迎撃するしか選択肢が残されていなかった。

 

「やれ! キラークイーンッ!」

「仗助! 真横に飛べッ!」

 

 吉影となのはの声が被さって響く。吉影は仗助に背中を向けて、キング・クリムゾンの攻撃を防ぐためにキラークイーンの両腕をクロスさせている。

 挟み込む形で仗助が吉影を攻撃できる絶好のチャンスにもかかわらず、なのはは攻撃を中断して避けろと命令した。

 普通ならおかしいと思うだろうが、仗助は道すがら、なのはに予知能力(エピタフ)のことを聞かされていたので、迷わず攻撃より回避を優先した。その選択が仗助の命を救うこととなる。

 仗助が回避してコンマ数秒後、前触れもなく空気が火を吹いた。直撃していたら脇腹をゴッソリとえぐり取られていたであろう一撃である。

 

「な、なにが起きやがったんだッ!?」

「触れてもねえのに爆発しやがったぞ!」

 

 仗助と億泰は驚き戸惑っているが、なのはの目には何が起きたのかすべて見えていた。二人の疑問にポツリとなのはが答える。

 

「……空気、か。空気の弾丸を爆弾にしたんだな!」

 

 エピタフは肉眼よりも高い解像度で未来を視認できる。なのはが仗助に忠告したときには、空気弾の軌道と爆発する未来が見えていたのだ。

 それに加えて肉眼でも視認できていた。仗助や億泰は見えていなかったようだが、それは視線の高さや立ち位置の問題である。

 空気弾は大きさにもよるが、上から見下ろしていると接近しなければ視認するのが非常に難しい。しかし水平方向や下から見上げると光の反射で途端に見えるようになる。

 なのはや早人は視線の高さが低いため、仗助たちに比べて空気弾を視認しやすいのだ。

 

「空気の弾丸が爆発……まさかッ!?」

 

 早人には思い当たる節がある。目を凝らしてみると、覆いかぶさっていて最初はよく分からなかったが吉影が早人のランドセルを()()()()()()()ではないか。

 

「ふっ飛ばされたときにランドセルごと猫草を確保してたのか……でも、間に合った! 『運命』に勝った!」

 

 バイツァ・ダストが解除されたことで固定された運命は無力化された。もう定められた時間が来ても誰も死ぬことはない。早人はバイツァ・ダストに打ち勝ったのだ!

 

「激しい『喜び』はいらない……そのかわり深い『絶望』もない『植物の心』のような人生を……そんな『平穏な生活』こそわたしの目標だったのに……」

「……おまえの『平穏』の定義なんてどうでもいい。吉良吉影、おまえは(みずか)らの『平穏』を保つために、わたしの『平穏』を脅かした。わたしがおまえを殺す理由は……ただそれだけだ!」

 

 立ち位置を変え、なのはたちは取り囲むように吉影を包囲する。逃げ場など無いはずなのに、吉影は落ち着きを取り戻していた。絶対に勝てるという自信すら感じられる。

 口元に付いた血を拭いながら吉影が立ち上がる。()()()()()()()()()()()、左手はスーツのポケットに手を突っ込んだ状態で吉影はなのはたちを鋭く睨んでいる。

 

「言っておくが、わたしは……『川尻浩作』となって、別におまえたちから()()()()()()()()()()()。おまえらを始末しようと思えば、いつでも殺すことはできた。

 やらなかったのは単にわたしが『(たたか)い』の嫌いな性格だったからだ。おまえらを、わたし自身の手で始末しなかったのは、ただそれだけの理由だからだ。

 高町なのは……わたしが闘う理由はおまえと同じだよ。わたしの『平穏』を乱す者……『正体』を知った者とだけは闘わざるをえないッ!」

 

 キラークイーンを身構えさせながら、吉影はスーツの左ポケットに隠していた携帯電話の呼び出しボタンを押した。これこそが、彼らがあらかじめ決めていた襲撃の合図だった。

 妙な動きをしている吉影を不審に思い、仗助はクレイジー・Dで殴ろうとしたが失敗した。仗助を阻むように、アスファルトで舗装された路面から何かが飛び出してきたからだ。

 

「な、なんだとォ!?」

新手(あらて)のスタンド使いかッ!?」

 

 いきなり現れたのは奇妙な生物(せいぶつ)だった。全長は足のような尻尾を含めて2メートルと半分程度。体は戦車やトラクターの履帯(キャタピラー)のような構成をしていて()()()()()()()()()()()()()が、比率としては小さいものの顔や手といった生物の特徴が現れている。

 そんな正体不明の岩生物──ドレミファソラティ・ドの背中の部分から、外周に鋭いトゲのあるレンズとレンズを拭くためのワイパーが備え付けられたマスクを被った人物──アーバン・ゲリラが姿を現した。

 

「おい、吉良吉影ェ……おまえ、オレらに姿を見せるつもりはないって言ってなかったかァ?」

「事情が変わった。わたし一人でコイツら全員を相手するのは無理がある。()()が欲しいのなら黙って手を貸せ」

 

 こんなことを言っている吉影だが、内心では『全てが終わったら、わたしの正体を知っているおまえたちも始末するがな』と考えている。

 吉影は几帳面な性格をしている。ディアボロのような完璧主義者ではないが、自分の正体に繋がる可能性を排除したがるという点ではよく似ていた。

 交換条件として提示しているものが惜しいわけではない。むしろこんな厄介なもの、さっさと手放してしまいたいとすら思っているが、メリットもあるため手元に残しているだけだ。

 プアー・トムやアーバン・ゲリラは吉廣の仲間であって吉影の仲間ではない。彼らの正体や目的は吉廣から聞かされているので吉影も知っているが、個人的な付き合いは皆無だった。

 

「ドラァッ!」

 

 新手のスタンド使い相手でも仗助は怯まなかった。仗助と吉影の間に割り込んだということは、クレイジー・Dの射程距離内である。しかし、アーバン・ゲリラとソラティ・ドに拳が当たるよりも早く地面に潜行してしまった。

 いかにクレイジー・Dがパワーとスピードに優れたスタンドでも地面を掘り返して攻撃するのは難しい。新たな敵の対処に追われている仗助たちを眺めながら、吉影は次なる一手の準備を進めていた。




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キング・クリムゾンは挫けない その②

「野郎ッ! 一瞬で地中に潜りやがった!」

 

 声を荒げながら周囲を見渡す仗助だが、地面に目に見えてわかるような変化はない。地中を確かに進んでいるはずなのに、地面がめくれ上がったり振動が発生したりもしていないのだ。

 ソラティ・ドはキャタピラのような体を推進させることで地面へと潜行する。土はもちろんのこと、アスファルトやコンクリートすら多少速度は遅くなるが自在に掘削できる。

 道路の下は上下水道やガスの配管があるが基本的に土で構成されているため障害物は存在しない。削り取った土砂を後方に送ることで推進するため、振動もほとんど発生しない。

 

 どこから飛び出してくるか分からないのに加えてソラティ・ドに乗っているアーバン・ゲリラの能力が分からない現状、仗助となのはは迂闊に動けないでいた。

 仗助は仲間を治せるため、真っ先に狙われる可能性が高い。なのはは未来予知と時飛ばしで回避や攻撃ができるが、一度発動させると一呼吸置かないと能力を再発動できない。

 そのため二人は積極的に動けなかった。そんな二人を見かねてか、それとも何も考えていないだけかは分からないが、億泰が先んじて行動を起こした。

 

「地面の中にいるんならよォ~~~。削り取っちまえばいいだけだぜェ!」

 

 当てずっぽうに億泰がザ・ハンドの右手を振るい空間を削り取る。地面がえぐれ下水の配管がむき出しになるが、そこにソラティ・ドの姿はない。

 億泰は地面を穴だらけにしてソラティ・ドをあぶり出そうとしているのだ。悪くない作戦だが、億泰は敵がもうひとりいることを失念していた。

 

「頭脳がまぬけか、おまえは。『穴』ができたってことは、オレも『穴』を利用して攻撃できるってことなんだぜ」

「まぬけはてめーのほうだ。姿を見せたなら、おれのザ・ハンドで削り取れるぜ!」

「ダメだ、億泰さんッ! 空気弾がすぐ側まで近づいてる!」

 

 路面を突き破って億泰の背後に現れたアーバン・ゲリラに億泰の注意が向く。そんな億泰に空気弾が近づいてることに、遠巻きから様子を見ていた早人がいち早く気がついた。

 空間を削って瞬間移動でソラティ・ドを地上に引きずり出そうと構える億泰を、吉影は密かに狙っていた。

 空気弾はザ・ハンドの空間を削り取る能力と相性が悪い。よほど上手く不意打ちをしなければ、攻撃を当てられないどころか簡単に破壊されてしまう。

 使い手の性格やスタンド能力を考えると、排除の優先度は億泰が最も高かった。そこで吉影とアーバン・ゲリラは示し合わせて億泰を集中攻撃したのだ。

 億泰も簡単にやられるほど間抜けではない。早人の忠告で空気弾の接近に気がついた億泰は、すぐさま右手で空間ごと削って空気弾を消滅させた。

 

「チッ……早人のやつめ。だが……攻撃は成功したようだな」

 

 本命は空気弾による遠隔爆破だったが吉影もそこまで高望みはしていない。空気弾を無力化するためにその場で立ち止まっていた時点で、すでにアーバン・ゲリラのスタンド攻撃は成功している。

 

「な、なんだァ? 急に足の力が抜けて……」

「おい、億泰! おめー自分の足をよく見てみろッ!」

 

 アーバン・ゲリラが億泰に喋りかける前から、彼はスタンド攻撃を仕掛けていた。

 億泰の開けた穴から、小さなトゲが生えた箱型のブロックを組み合わせたような姿の大量のスタンド──ブレイン・ストームを地面を伝わせて密かに攻撃していたのだ。

 ブレイン・ストームの能力によって億泰の足は現在進行系で穴を開けられている。慌ててその場から離れようとするが、思うように動けない。

 

「無駄だ。おまえはブレイン・ストームの能力で両足にアキレス腱断裂を起こしている。もう決して立ち上がれない!」

「な、なんだこりゃああっ!」

 

 ひび割れたアスファルトの隙間からアーバン・ゲリラの声が反響する。己の身に起きている現象に対して、億泰は驚き戸惑っていた。

 見る見る間にブロック状のスタンドが増殖していって、億泰の体が足先から穴だらけになっていく。

 地面にひれ伏している億泰の体を覆うようにブレイン・ストームが数を増していく。数が増えれば増えるほど全身の崩壊する速度が早くなっていた。

 ブレイン・ストームは細菌のような性質をもった群体型スタンドだ。直接の戦闘能力はないが、小さなトゲで対象を傷つけて体内に侵入して毒素を発生させることで溶血を引き起こし細胞を破壊する。

 一度体内に侵入されたら、本体を倒すか感染した部位を切り離すしか対処法はない。しかし、それは通常の手段で対処した場合だ。スタンド能力を使えば話は違ってくる。

 

「待ってろ億泰、すぐに治して──ッ! ドララァッ!」

 

 料理に侵入して食べられることで対象の病気を治癒させるパール・ジャムというスタンドと同じく、物体に入り込むスタンドならクレイジー・Dで治せば外に追い出せる。

 症状が悪化する前に億泰を治療しようとする仗助だったが、吉影が行動を封じてくる。キラークイーンが仗助に目がけてアスファルトの破片を大量にばら撒いてきたのだ。

 

 散弾のように散らばる破片が全て爆弾になっているかもしれない。しかも避けたら足を負傷して満足に動けない億泰に当たる可能性もある。

 仗助たちはキラークイーンに一度に一つしか爆弾を作れないという制約があることを知らないが、どれが爆弾になっているか分からない以上、対処法は変わらない。

 仗助は咄嗟に歩道の石版を壊して直すことで壁を作り出してアスファルトの破片を受け止めた。幸いにも接触爆弾となっていた破片の爆発はそれほど大きくなく、即席の防御壁でも防ぎきれた。

 

「『もの』をなおす能力……まさか、歩道の石版で壁を作るほど『直す』スピードも早いとは……」

「本体ががら空きだぞ、吉良吉影!」

 

 仗助に意識が向いている吉影の隙を、なのはは見逃さない。近寄れない仗助と億泰の代わりに、爆弾で攻撃したばかりの吉影になのはが駆け寄った。

 怪我が治ったとはいえ流れた血が全部戻ったわけではないので、なのはの体調は万全な状態とは言えない。あまり長く戦えないことを自覚しているため、短期決戦を狙っているのだ。

 吉影はなのはが承太郎と同じく時間操作が可能なスタンド使いだと把握しているが、だからといって必要以上に恐れたりはしない。

 相手を追い詰めるための着実な一手を積み重ねている。計算高い吉影にとって、この程度の事態は想定の範囲内なのだ。

 

「コッチヲ見ロォ~~~ッ!」

「こいつは……靴のムカデ屋で攻撃してきたスタンドかッ!」

 

 ソラティ・ドがいつの間にか開けていた穴から、キュルキュルと独特な音を立てながらシアーハートアタックが飛び出してきた。しかし未来を見ているなのはに足元からの不意打ちなど通用しない。

 吉影は仗助たちに近寄りはせず、じわじわと塀沿いに移動していた。吉影は一つ隣の通りに承太郎たちがいたのを知っている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、遠ざかるに越したことはない。

 すでに時を飛ばして移動できる範囲内から吉影は出てしまっていた。時を飛ばしてギリギリまで近寄ることはできるだろうが、仗助たちを援護できなくなる。

 キング・クリムゾンとエピタフの同時使用は負担が大きいため、確実にトドメを刺せるとき以外は使いたくない。吉影の狙い通りに行動するのは(しゃく)だったが、なのははシアーハートアタックを優先することにした。

 

「……あいかわらず無駄に頑丈なスタンドだな」

「今ノ爆破ハ人間ジャネェ~~~」

 

 直撃して爆発する瞬間の0.5秒だけ時間をふっ飛ばしてダメージを無効化したなのはは、キング・クリムゾンでシアーハートアタックを掴んで投げ飛ばした。

 しかし、シアーハートアタックはターゲットを固定しているかのように再びなのはへと一直線に向かっている。

 

 シアーハートアタックは熱量の高いものを優先して攻撃する。雨が降っているせいで夏場特有の強い日差しが陰っていて、体温より高温な物体は近場になかった。

 そして、なのはは子供なので今いるメンバーでは一番平熱が高かった。

 もし、この場になのはがいなければ吉影はシアーハートアタックを絶対に使わなかっただろう。なのはの次に体温が高いのは早人だからだ。

 せっかくバイツァ・ダストで早人を生き返らせたのに、また殺してしまっては元も子もない。吉影の素性を知る非スタンド使いがいなければバイツァ・ダストは発動できないので、早人を殺すわけにはいかないのだ。

 

(これだけ時間を飛ばしたり爆発が起きているのに承太郎たちが一向に現れない……まさか、他のスタンド使いに襲われているのか……?)

 

 僅か数秒の時飛ばしでも承太郎なら間違いなく感じ取れる。既に予定の時間は過ぎているので、射程距離が長めのスタンドを使える康一がいるなら合流は簡単にできるはずなのだ。

 なのはが一瞬だけ空を見上げると、数十メートル上空に小さな影が浮かんでいるのが見えた。色合いや形からして、康一のエコーズACT1(アクトワン)に違いない。

 なのはから見えるのだから、康一もスタンド越しに見えているはずである。それなのに、なのはたちを見つけて近寄ってこない。

 承太郎たちも新手のスタンド使いに襲撃を受けているというなのはの予想は確信へと変わった。

 

 

 

 なのはの予想通り、承太郎たちは吉廣が呼び寄せたスタンド使いの攻撃を受けている真っ最中だった。

 敵スタンド──ドゥービー・ワゥ!の能力は本体が対象か対象のスタンドに直接触らなければ発動しない。そのかわり一度発動してしまえば、本体がどれだけ離れても発動し続ける遠隔自動操縦型スタンドだ。

 現時点で能力の発動条件は承太郎たちも把握している。そして本体がズボンのようなニット帽を被った男──大年寺山(だいねんじやま)愛唱(あいしょう)ということまでは判明していた。

 

 最初に狙われたのは、週刊少年ジャンプに漫画を掲載しているので知名度が高い露伴だった。愛唱は手始めに露伴のファンだと偽って近づいた。

 外見上は(プアー・トムやアーバン・ゲリラと比べたら)普通の若者だったため、別段怪しまれもしなかったのだ。

 約束の時間が過ぎていたのに仗助たちがなかなか現れないことに露伴は苛立っていた。

 そのせいか彼は違和感の正体を探るより先に、時間が迫っているのでサッサとサインを書いてしまう方を優先した。

 

 露伴は一見すると大人気なく負けず嫌いで、過去の(おこな)いを根に持つタイプの自己中心的な性格の男である。

 善人とはいい(がた)いが、生物を完全に洗脳できるスタンド能力をほとんど(康一の件を除いて)悪用したことがないので悪人でもない。

 基本的に人間嫌いでアシスタントを雇ったりもしていないが、自分の作品の純粋なファンの要求ならサインぐらいは応じる度量の広さも持っている。

 総合すると、いわゆる『変人』や『奇人』の(たぐい)に当てはまる人物だ。

 

 色紙を手渡してもらう際に露伴に握手を求めたことで、愛唱は簡単に能力の発動条件を満たせた。

 そのあと、わざとサインペンを落として康一に拾ってもらう。落としたサインペンを渡してもらうときに康一の手に触れた。

 最後に少しよろめいて承太郎に肩をぶつけて三人全員をスタンドの影響下においたのだ。

 

 演技は完璧だったが、承太郎は愛唱の行動に疑念を抱いていた。そこで立ち去る前に呼び止めてスタンド使いかどうか確かめようとしたが、間が悪かった。

 ちょうどそのタイミングで、なのはが1秒だけ時間をふっ飛ばして吉影の背後に回り込んでしまったのだ。

 普通はそんな短時間の時飛ばしなんて反応できない。しかし承太郎は感じ取れてしまった。勘が鋭すぎるというのも考えものである。

 承太郎の気が逸れた一瞬の隙を突いて愛唱は行方をくらませていた。その直後にドゥービー・ワゥ!の能力が発動して、承太郎たちは愛唱がスタンド使いだったと気がついたのだ。

 

 ドゥービー・ワゥ!の能力は対象が呼吸することで発動する。対象が息を吸ったり吐いたりすると、竜巻を纏ったスタンドが発生して対象を引き裂くのだ。

 息を止めれば攻撃されなくなるが、ずっと息を止めているのは不可能である。たとえ道具を使って呼吸しても、道具の内部に竜巻が発生して攻撃される。

 普通に息をする分には殺傷性が飛び抜けて高いわけではないが、呼吸が荒くなればなるほど竜巻も大きくなる厄介な性質も持ち合わせている。

 

 今まさに、露伴のヘブンズドアーで通行人の記憶を読みつつ、康一のエコーズACT1で周囲を見渡し、承太郎の状況判断能力で愛唱を追っている。

 仗助たちが戦闘中だということは承太郎たちも把握している。だが、援護はできそうになかった。このまま本体を見失えば、死ぬまで能力の影響下から脱せない可能性があるからだ。

 幸いにも仗助たちにはなのはがついている。承太郎はなのはをスタンド使いとして高く評価していた。真の意味で無敵な能力など存在しないので絶対に負けないと断言はできないが、自分が合流しなくても勝機はあると考えていた。

 精神的に歪んでいて年相応の子供のような一面があることも知っているが、それは日常生活のときの話である。戦闘が始まって意識を切り替えれば、なのはは超一流のスタンド使いである。

 

 承太郎が目星をつけた愛唱の目撃情報を持っていそうな通行人を、露伴は片っ端から『本』にしていっていた。

 見るのは直近の記憶のため時間はかからない。緊急事態なので、のんきに関係ない内容に目を通すこともない。露伴は人間とは思えない速度で情報を集めていた。

 

 康一はしきりに仗助たちの心配をしているが、承太郎が目の前の敵を優先しろと忠告する。冷たく思うかもしれないが、承太郎は仗助たちを信頼しているからこそ落ち着いていられるのだ。

 同じく露伴も無関心を貫いているが、それは仗助と億泰との相性が良くないので心配などしてやるかと思っているだけである。くそったれ仗助に、あほの億泰がこの程度でくたばるわけがないという信頼の表れ……なのかもしれない。

 

 承太郎たちは呼吸を荒らげないように注意しつつ、通行人の記憶から逃走経路を推理しながら愛唱を確実に追い詰めていく。

 同時刻、計画通りに上手く分断できたと愛唱から連絡を受けた吉影は、静かにほくそ笑んでいた。




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キング・クリムゾンは挫けない その③

 シアーハートアタックの起爆スイッチは人間の体温以上の物体に接触することで起動する。承太郎が火をおこして誘導したときのように、高温すぎる物体に近づくと距離があってもいきなり爆発することもある。

 吉影はシアーハートアタックに弱点はない、狙った敵は必ず仕留めると豪語していたが、実際にはいくつか相性的な欠点がある。

 スタンドで物理的に攻撃されても本体はダメージを受けないが、能力をかけられれば影響を受ける。キラークイーンの手の甲から分離させた能力なので、クレイジー・Dで治されれば強制的に能力を解除させられてしまう。

 

(できればシアーハートアタックの相手は仗助か億泰に代わってほしいが……二人とも苦戦しているようだな)

 

 予知と時飛ばしで位置を変えながら猛攻を受け流しているなのはには余裕がある。一方、仗助と億泰は善戦できているとはいい難い。

 嫌らしいことに、アーバン・ゲリラはその名の通りゲリラのような奇襲戦法を好んで行っているのだ。

 シアーハートアタックを仗助に対処してもらうため、なのははもう少し近づくことにした。

 

「お、億泰さんッ!」

「動くんじゃあねえぜ、早人! あの野郎……スタンドを忍者が使うマキビシみてーにばら撒きやがった。これじゃあ近寄れねえじゃあねーかッ!」

 

 億泰を助けようと前に出ようとする早人の肩を仗助が掴んで止める。スタンド使いではない早人には見えないが、億泰の周りには無数のブレイン・ストームが散らばっていた。

 アーバン・ゲリラはモグラたたきのモグラのように、ソラティ・ドを使ってアスファルトや石版を砕いて出たり入ったりを繰り返している。

 潜るときにソラティ・ドが後方へと飛ばす土にブレイン・ストームを混ぜることで、物を伝わせてでしか移動できない欠点を補っているのだ。

 

 アーバン・ゲリラとドレミファソラティ・ドの関係は、とあるスタンド使いたちとよく似ている。

 人体をグズグズにしてしまう能力と地面に潜行できる能力のコンビ。戦法は似ていないが、なのはは最低のゲス(チョコラータ)考えの読めない男(セッコ)のことを思い出していた。

 ボスの正体を探っていた暗殺チームのメンバーを見せしめにするため処刑しろという任務を与えたのが、ディアボロがチョコラータの異常な性格を知る切っ掛けだった。

 ディアボロは冷酷な男だが、流血や暴力を好んでいるというわけではない。それらの行為を組織の運用に利用こそするが、あくまで手段であって目的ではない。

 

 元医者という能力を活かして、恐ろしい殺し方で見せしめにしてくれ。具体的な始末方法は一任する。チョコラータの性格を掴みきれていない状態で、そんな命令を出したのがディアボロの過ちだった。

 チョコラータは自分の趣味を優先して生きたままソルベを36等分にすると、そのまま死体をホルマリン漬けにして額縁に入れるというディアボロの予想の斜め上を行く殺し方を実行したのだ。

 確かに恐ろしいだろう。なにせ常人には考えつかないし実行しようとも思えない内容だ。恐ろしい方法で殺す様子を見せることで相棒を苦しめて自殺させるというディアボロの意図は守っていたので、任務そのものは成功として扱われた。

 任務内容を過大解釈して暴走する可能性があると発覚したが、能力はあるので当面の間は親衛隊として使い続けることとなった。だが、チョコラータのスタンド能力が無差別に広範囲を攻撃できるというのも合わさって、彼らはディアボロの中で要注意人物に位置づけられた。

 そして、いつでも始末できるようにスタンド能力の対処法を用意されることとなる。

 

 話がそれたが、触れた相手を崩壊させる能力と地面を潜る能力に対する攻撃手段をなのはは考えついている。チョコラータとセッコを始末するための手段を応用すればいいのだ。

 知識の多さは固定概念に囚われやすくなるという欠点もあるが、選択肢の多さに直結する。逆手に取られて騙される可能性もあるが、機転を利かせて回避すればいいだけだ。

 

「どうする……無理して突っ切るか……?」

「いや、それはやめておいたほうがいい」

 

 億泰を助けるために仗助がブレイン・ストームで作られた地雷原に飛び込もうとするが、なのはが待ったをかける。

 言葉を口にするとともに、起爆する寸前のシアーハートアタックを仗助と億泰の間の路面に放り投げた。

 けたたましい爆音をともにアスファルトをふっ飛ばすと、ひび割れとともに路面が崩れ始めたではないか。

 

「案の定、といったところか。うまいこと土を削って落とし穴を作っていたな」

「うげ……オマケに底にスタンドがぎっちり敷き詰められてやがる。落ちたらぜってー助からねえな、これは」

 

 爆発の衝撃で路面には50センチから1メートルほどの深さの穴が何個もできている。仗助のすぐ近くにも一つ穴ができており、覗き込むと中には大量のブレイン・ストームがひしめき合っていた。

 落ちたら足を取られるだけではなく、億泰のように足先から細胞を破壊されて身動きができなくなるところだった。

 

「とりあえず、コイツは治しとくぜ」

「ありがとう、助かった」

 

 再びなのはを攻撃しようと帰ってきたシアーハートアタックを仗助がクレイジー・Dで治す。するとシアーハートアタックは、あっという間にキラークイーンの左手へと戻っていった。

 なのはの手が空いたことで戦況は変わりつつある。ちょうどそのとき、吉影のポケットに入っている携帯電話のひとつが鳴った。

 目立たなかったが、吉影の右耳にはイヤホンが刺さっている。鳴っている携帯電話はイヤホンには繋がっていないようで、ポケットから取り出して左耳にスピーカーを当てた。

 そのまま数秒だけの短いやり取りをすると、ほくそ笑みながら通話を切った。どうやら吉影に都合のいい報告だったようだ。

 

「……ゲリラ、愛唱から連絡があった。承太郎たちの分断には成功して、今はT()G()()()()()に向かっているそうだ。そろそろ本格的に攻めるぞ」

『おまえがオレに命令するな。いつからそっちが上になった? おまえら『人間』はオレたち『()()()』の下だってのによォ。エラソーに命令してるんじゃあない。少しは手伝ってはやるが、こっちはこっちで好きにやらせてもらうぜ』

 

 吉影は携帯電話に接続したイヤホンマイクを通してアーバン・ゲリラと常に連絡を取り合っている。他の協力者は別に用意している携帯電話に連絡するように伝えてあった。

 1999年当時、日本のプリペイド携帯は黎明期(れいめいき)であった。現代とは違い個人情報を誤魔化して購入することも容易なプリペイド携帯を複数台用意して、吉影は彼らと同時にやり取りしている。

 

 しかし、彼らの関係は良好とは言えない。対等ですらない。吉廣は彼ら──岩人間たちとビジネスパートナーではあるが、正確には彼らのうちの片方のグループと協力しているだけだ。

 プアー・トムやアーバン・ゲリラは吉廣と直接協力しているグループには属していない。愛唱の所属しているグループと懇意(こんい)にしていて、その繋がりで『とある物』を報酬に戦力を引っ張ってきたのだ。

 要するに彼らは利害の一致で協力しているに過ぎない。下手をしたらアーバン・ゲリラの所属しているグループと愛唱の所属しているグループですら、仲間意識はない可能性すらある。

 

(フン……協調性のない連中め。あんな性格で、よく医者なんてやっていけるな。

 まさかとは思うが、患者をモルモット扱いしてるんじゃあないだろうな……多少遠いが今後は何かあってもTG大学病院ではなく海鳴大学病院に行くようにするか)

 

 ランドセルの蓋を開閉して空気弾を発射し、すぐさま爆弾化する作業をしている吉影の口元は弧を描いている。どうやら、すでに彼の頭の中では勝利までの道筋が出来上がっているようだ。

 発射された空気弾は着実に進んでいる。吉影の視線の先には億泰を救出しようと躍起(やっき)になっている仗助の姿がある。

 

「やめろ、仗助! ぜってーこっちに来るんじゃあねえ。むしろもっと後ろに下がれ!」

「な、なに言ってんだよ、億泰……早く治さねーと手遅れになるぞッ!」

 

 腰を超えて胴体まで崩壊が広がりつつある億泰が仗助に向かって叫ぶ。両者を阻む僅か5メートルちょっとの距離が、今の仗助には断崖絶壁で隔たれているかのようにすら思える。

 

「おやおや、仲間割れか? それとも涙ぐましい友情ごっこかい? くだらなさ過ぎてヘドが出るが、億泰を始末できるなら喜んでこの寸劇を見てやろうじゃあないか」

 

 自分を見捨てて戦えとでも言わんばかりの億泰の台詞を聞いた吉影は、つまらなさそうに口元を歪めながら仗助たちを見下している。

 

「ならそこでゆっくり見てろよなァ~~~。この虹村億泰の脱出ショーをよォ!」

「……ッ!? やめろ、虹村億泰! ()()()()()()()()!」

 

 ザ・ハンドの右手を振りかぶろうとしていた億泰を、何かに気がついたなのはが止めようと声をかけるが遅かった。

 すでにザ・ハンドは能力を発動して空間を削り取ってしまっている。発動してしまった能力を解除することはできない。

 

 ザ・ハンドの能力を億泰は『削り取る』ものだと思っているが、実際には正しくない。特殊な空間を右手に作って削り取っただけなら、瞬間移動や断面がくっつくなんて事象は発生しないからだ。

 ザ・ハンドによく似た能力として、暗黒空間を作り出して飲み込んだものを粉微塵にするクリームというスタンドがある。削り取ったり粉微塵にして壊すという結果は似ているが、発動までのプロセスは別物である。

 パソコンの機能で説明するとイメージしやすいかもしれない。クリームの能力は単純な削除(デリート)だが、ザ・ハンドの能力は後退(バックスペース)なのだ。

 応用すれば無限の可能性があるが……単純な使い方だけでも十分に強いので億泰にとっては問題はないだろう。

 

 億泰が狙っていたのは空間が元に戻る力を利用した瞬間移動である。手元に引き寄せるか本体が移動するかは任意に選べるため、不意打ちやフェイントにも使える汎用性の高い使い方だ。

 確かに瞬間移動すれば地面に触れずにブレイン・ストームや落とし穴を回避して移動できる。この状況で助かるには、()()()()()()()()

 

「まただ! また、空気弾が迫っている!」

「く、空気弾だとォ!? 野郎、瞬間移動で億泰がこっちに来るのを狙ってやがったのか!」

「焦るこたぁねーよ。来るのが分かってりゃ問題ないぜ、このダボがァ────ッ!」

 

 仗助に怪我を治してもらった億泰の体は完全に元通りになっている。ブレイン・ストームはクレイジー・Dの能力で体内と体外両方から追い出された。

 スクリと立ち上がった億泰が腕を軽く振るうだけで空気弾は消滅してしまった。その光景を見た吉影は、歯を食いしばって驚いたような顔をしている。

 

「何だってェ~~~ッ! ……なんてな。キラークイーン、爆弾を点火しろ!」

 

 その瞬間、仗助と億泰の足元が爆ぜた。なのはがエピタフで確認できた通りの光景である。忠告した上で回避できなかった結果だった。

 爆発の煙が晴れる。吉影の予想では爆発を受けてボロ(きれ)のようになった仗助と億泰が転がっているはずだ。

 

「そ、そんな……億泰さんが!」

「……億泰? おい、億泰! しっかりしろッ!」

 

 しかし、予想は半分しか当たっていなかった。そこには爆発で上半身と下半身がちぎれて別々に転がっている億泰と、急いでクレイジー・Dを出して治そうとしている無傷の仗助の姿があった。

 仗助をかばうようにスタンドを出したなのはが吉影を睨んでいる。早人は爆発で死にかけている億泰を見てショックを受けているようだ。

 

(……高町なのはが時間をふっ飛ばして仗助だけ助け出したのか。未来が見えていても、瞬時に他人を助けるのは難しいという予想は正しかったようだな)

 

 キング・クリムゾンが掴んで宮殿に引きずり込んだものは、動きの軌跡や本来の流れの影響を受けなくなる。実質的に、本体であるなのはと同じく万物の影響から逃れられるようになるのだ。

 先程は立ち位置が悪く、仗助の影になっていた億泰まで掴めず一人しか助けられなかった。本当にギリギリのタイミングだった。エピタフの予知通りなら(失敗していたら)、仗助も取り返しのつかない怪我をしていたのだ。

 

「億泰……! キズは治したぜ、だから目をさますんだ! 億泰!」

「……虹村億泰を捨てて早く移動しろ、東方仗助。ここはもう駄目だ。ヤツは、わたしたちが道路のどこにいても空気弾で不意打ちできる」

 

 億泰を担いで助けようとしている仗助に、なのはの冷徹な声が突き刺さる。彼女は先程の爆破の正体を把握していた。

 

 億泰が破壊した空気弾はダミーだった。爆弾化などしていない普通の空気弾だったのだ。本当の空気弾はアーバン・ゲリラが受け取って運搬していた。

 空気弾そのものは勢いがなければ弾力性の強いボールのようなものだ。風の流れで進んだり、ほぼ静止している空気弾に破壊力はない。

 早人は気が付かなかったが、空気弾の性質は光合成で発生するエネルギーで変化する。当てる光量で威力や速度、大きさが変わるのだ。吉影はランドセルを小さく開けて僅かに光を当てることで、空気弾の勢いをコントロールしている。

 吉影の誘導で仗助の足元まで移動したアーバン・ゲリラは、億泰が瞬間移動するタイミングに合わせて空気弾を開放した。

 小さなひび割れすら通過できる空気弾に大きな穴は必要ない。シアーハートアタックの爆発やソラティ・ドが地面を掘り返した影響で発生したひび割れを通り抜けて、仗助の足元に空気弾は現れた。

 空気弾が浮かび上がったタイミングで吉影が爆弾を起動した。それが事の真相だった。

 

「どうした!? おい? 目を覚ましゃいいんだよ。もうなんともないんだぜッ! 億泰! 目を開けりゃあいいんだよ────ッ! 億泰ッ! おいッ!」

「東方仗助ッ!」

「仗助さんッ!」

 

 仗助が一向に目を覚まさない億泰の胸ぐらをつかんで揺らしているが、目を閉じたまま起きる気配がない。そうしている間にも吉影は新たな空気弾を用意してアーバン・ゲリラに手渡していた。

 更にダメ押しでシアーハートアタックまで向かっている。なのはは仗助たちが巻き込まれないように距離をとって迎撃せざるを得なくなった。

 

「早く逃げてッ! 億泰さんは、すでにッ! すでに死んでいるんだ────ッ!」

「死んでなんかいるものかッ! 億泰は治っているッ! 絶対に目を醒ますッ!」

 

 早人と仗助が言い争っている内容を聞いて、なのはは仗助の気持ちも分からなくもないと思っていた。仮に士郎が億泰と同じ状態だったら、仗助と似たような行動をするだろう。

 だが、生きてるか死んでるかも分からない人物を助けるために死んでは元も子もない。時には躊躇(ちゅうちょ)なく切り捨てる必要もある、というのがなのはの持論である。

 空気弾はアーバン・ゲリラが直接運んでいるはず。ならある程度近づいてくるはずだ。なのはは考えていた作戦を実行することにした。

 

「仗助、おまえから見て2メートル先のアスファルトを舗装される()()の状態まで直せ」

「──ッ! ドララララララァ!」

 

 なのはがやりたいことを理解した仗助がアスファルトをクレイジー・Dで殴打する。ボロボロにひび割れていたアスファルトの地面は見る見る間に新品同様の輝きを取り戻していく。

 しかし、クレイジー・Dで直せる範囲は無限ではない。肝心の足元のひび割れまでは直しきれていなかった。

 

『ひび割れがないなら新たに作ればいいだけだ。地面を直したって無意味なのが分からないのかァ?』

「いや……これは……ッ! ゲリラ、今すぐ引き返せ! もしくは地上に出ろッ!」

 

 舗装された直後の状態を通り過ぎてアスファルトはドロドロと解けていく。なのはの狙いをやっと理解した吉影がアーバン・ゲリラを止めようとする。同時に出していたシアーハートアタックを引っ込めようとするが、どちらも手遅れだった。

 

「コッチヲ見ロォ~~~ッ!」

 

 一直線になのはを攻撃しようとしていたはずのシアーハートアタックがいきなり狙いを変える。向かった先は仗助が直したドロドロのアスファルト──舗装前の状態まで戻っているアスファルト混合物だった。

 アスファルト混合物は舗装する際に加熱して使用する。その温度はなんと150℃以上だ。体温を遥かに超える高温の物体が現れたことで、シアーハートアタックは狙いを変えた。

 そして、狙った位置はちょうどアーバン・ゲリラとソラティ・ドが潜行している真上だった。吉影たちに気が付かれないように一瞬だけ時間を飛ばしたなのはが、地面の中を進む動きの軌跡を見つけ出し位置を割り出したのだ。

 

「ギィヤヤアアアアアッ! ちくしょおおッ!」

 

 周囲を穴だらけにしていたせいでアスファルト混合物は穴の中へと溜まっていく。アスファルト混合物を追いかけていたシアーハートアタックが穴に突っ込んでいき、そのまま地中で爆発した。

 直撃こそしなかったがアーバン・ゲリラとソラティ・ドの被害は甚大だ。爆圧が衝撃波となって不可視の攻撃として全身を襲う。体を内部から破壊されたのか目や耳、鼻からおびただしい量の血を流している。

 同様の怪我をソラティ・ドも負っていた、平衡感覚を失ったソラティ・ドをアーバン・ゲリラが必死になだめるが、岩生物はそもそも知能がそれほど高くない。ソラティ・ドはたまらず潜行をやめて地上に出てきてしまった。

 

「億泰を見捨てる気がないなら家の中に逃げろ。おまえたちを庇いながら戦う余裕はない。こいつらの相手はわたし一人でする」

「……すまねえ、億泰を寝かせてくる。すぐに戻ってくるから、それまでどうにか耐えてくれッ!」

「ぼ、ぼくが言うのもなんだけど……頑張ってください!」

 

 なのはは仗助を助けるような行動をしているが、気を許しているわけでもなければ正義の心に目覚めたわけでもない。これが仗助以外の人物なら、ここまで面倒は見なかっただろう。

 彼女は仗助に家族を治してもらったという恩があった。それに報いるため、こうして骨を折っている。あとは自分の手(キング・クリムゾン)で吉影を殴りたいという意図も過分にあるだろう。

 

「『治す能力』……気に入らん。あの『治す能力』さえなければ、わたしの『爆弾』は無敵だ……わたしの『心の平和』にとって、()()()()恐れるべきだったのは承太郎ではない。ましてや高町なのはでもない。東方仗助、()()()()()()()()!」

 

 気を失ったままの億泰に肩を貸した仗助が、早人を引き連れて家の中へと消えていく。

 ぽつりぽつりと降っていた雨が上がって晴れ間がのぞく。吉影は殺意の籠もった眼差しで仗助を見つめていた。




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キング・クリムゾンは挫けない その④

「このクソがきゃあああァァァ────ッ! てめーからぶっ殺してやるよォッオオオオオ────ッ!」

「いいか……聞いているか分からんが、わたしは東方仗助を始末する。おまえは高町なのはの足止めをしておけ」

 

 これまでの余裕のある態度はどこに消えたのか、アーバン・ゲリラは腹の底から怒号を吐き出している。爆圧の衝撃でヒビが入ったレンズの奥には血走った目が覗いていた。

 吉影はアーバン・ゲリラに構っていられないのか、見下すような眼差しで一瞥すると足早(あしばや)に仗助が逃げ込んだ家に向かおうとしている。

 

「わたしが大人しく行かせるとでも思ったかッ!」

「逆に聞くが……君にわたしを止められる余裕があるのかね? 行け、シアーハートアタック!」

 

 雨が止んだとはいえ気温がすぐに上がるわけではない。早人は仗助とともに家の中に引っ込んでアーバン・ゲリラとソラティ・ドは地面の中、本体の吉影は狙われないとなればシアーハートアタックを出さない理由はなかった。

 吉影はなのはと直線上に立たないように気をつけている。地面を蹴って至近距離まで近寄られる可能性を避けているのだろう。実際には、今のなのはにそれだけ激しい動きをする余裕は残っていないので吉影の杞憂である。

 スタンドパワーの持続力は精神力だけではなく本体の体力も影響する。死にかけていても精神力で無理やり最後の力を振り絞って能力を発動させたりすることはできるが、それでも一定以上の肉体の強さは必要となる。

 普通は体力がなくなればスタンドパワーが低下していき能力の発動も難しくなっていく。なのはが1秒以下の時間しか時飛ばしを行わないのも体力の消耗を避けるためだった。

 

「わたしのキラークイーンで直接おまえを倒すのは……正直言って難しいだろう。だから疲れ果てるまで、そこでアイツらとシアーハートアタックの相手をしてもらおうか」

 

 キラークイーンはスタープラチナやクレイジー・D、キング・クリムゾンと比べると格闘能力で劣る。人体を拳で貫けるだけの破壊力はあってもスピードで負けていて殴り合いではどうしても競り負けるのだ。

 吉影は勝ち目の薄い勝負をバカ正直に挑むような性格ではない。むしろ策を弄する性格である。年齢や家族という明確な弱点があるなのはを策でがんじがらめにして殺すのは容易いと考えていた。

 

「コッチヲ見ロッ!」

「ブレイン・ストームッ!」

 

 シアーハートアタックの突撃に合わせて、地中から噴水のように土と一緒にブレイン・ストームが巻き上がる。

 当然のごとく時間を飛ばして回避されるが、それも織り込み済みの行動だ。時が吹っ飛んでも本来の結果──当たらなかったブレイン・ストームが地面の上に残るという結果までは変わらない。

 宮殿の内部ではスタンド能力の影響を受けないが、解除された瞬間からは通じるようになる。アーバン・ゲリラは足の踏み場をなくして偶発的にスタンド能力を当てようとしているのだ。

 この場から逃げるのなら、それもまた良し。分断してる間に吉影が仗助を始末すれば数で上回れる。プッツンしているように見えてアーバン・ゲリラの行動は意外と理にかなっていた。

 

「……ッ!」

 

 時間にして数分間、なのはは猛攻を耐え続けていたが仗助は帰ってこない。そして、ついにブレイン・ストームの能力を食らってしまったのか体勢を崩してしまう。

 

 このとき、仗助は吉影の空気弾に襲われていた。爆弾化した空気弾に任意で切れ目を入れて空気を噴出させることで誘導弾にして屋外から屋内を攻撃したのだ。

 空気弾を至近距離で食らって木片が体中に突き刺さっている仗助のほうが重症だが、吉影も手痛い反撃を受けて背中がズタボロになっていた。

 吉影に仗助の血が付着していないので血の誘導弾はできなかったが、仗助は粉々にした窓ガラスを袋に詰めて吉影の背後に向けて全力で投げて攻撃していた。

 元から直撃するような投げ方ではなかったので無視して正面を注視していたのが吉影の失策だった。クレイジー・Dの能力は細かいガラス片なら弾丸並みの速度で直せる。

 直ったガラス片は吉影の正面の窓に向かって一直線に進んだ。そして、ちょうど中間地点で立っていた吉影は背中で大量のガラス片を受け止めてしまった。途中で気がついて身を(よじ)らなければ吉影はそのまま再起不能になっていただろう。

 

「オレは岩人間……おまえの『上』だッ! このまま地中に引きずり込んで溶血崩壊させて──ッ!?」

 

 好機と見たアーバン・ゲリラが片膝をついているなのはを地中に引きずり込もうと接近する。これがなのはの狙い通りとも知らずに。

 

「……重要なのは『距離』と『角度』だ。おまえが()()()助かったよ。これが承太郎やポルナレフなら引っ掛かりはしなかっただろうからな」

 

 ブレイン・ストームを食らったのは事実だが、それは偶然ではなく故意であった。そもそも、なのははやろうと思えばすぐにでもアーバン・ゲリラとソラティ・ドを攻撃することはできた。

 エピタフで出現地点を予知してキング・クリムゾンでソラティ・ドを殴るのは難しくはない。実行に移さなかったのは、他にも敵がいるか探るためだった。

 吉影が目を離していてもアーバン・ゲリラはピンポイントになのはを攻撃できた。セッコのように過敏な聴覚に頼っているのかと思ってシアーハートアタックの爆圧を食らわせたが精密さに変化はない。

 つまり、アーバン・ゲリラは外部から情報を得ているということになる。しかし周囲に人影はなく立ち位置を変えて高層の建造物から死角になる位置に移動しても追跡は続いた。残された可能性はたった一つだ。

 

 なのはが空を見上げる。誰が飛ばしているのかガソリンエンジンで動く大型のラジコンヘリが上空を旋回している。これこそがアーバン・ゲリラの『目』になっているのだろうとなのはは睨んだ。

 技術的にビデオカメラを搭載しても遠隔で内容を確認することは難しい。現代ならドローンを使って簡単に空撮ができるが、1999年当時は夢のまた夢な技術である。

 似たような系統の技術はあるかもしれないが、軍用の無人偵察機に使われるような技術を民間人が用意できるはずがない。だがスタンド能力を(もち)いれば難易度はぐっと下がる。

 なのはにバレたのに気がついたのか、ラジコンヘリはあっという間に高度を下げてどこかに着陸してしまった。上空から見ていたからこそ早期に気がついたのだろう。()()()()()()()()()()()()()ということに。

 

「おい、上で何が起きているんだ! 答えろッ!」

『……どうやら君たちは()()したようだ。わたしは()()()()を始めるよ』

 

 電話越しに聞こえる男の声に特別な感情は一切籠もっていない。まるで重要度の低い仕事上の通達を告げるような気軽な調子だった。

 

「撤収だとォ────ッ!? 『院長』はオレを切り捨てるのかッ!」

『言ったはずだ、おまえたちは()()したとな。それより、わたしとのんびり喋っている暇があるのか?』

「い、いつの間にコイツが……吉影のスタンド(シアーハートアタック)()()()()()()()()()()()んだッ!?」

 

 地中にシアーハートアタックが現れたのは当然なのはの仕業である。彼女は防戦一方に見せかけながら、シアーハートアタックが爆発するまでの時間を調べていた。

 幸いにもシアーハートアタックが爆発するまでの時間は完全にランダムというわけではなく、スイッチが入ってから一定の時間が経つことで爆発する仕組みだった。

 そこまで分かれば、あとは簡単である。エピタフを使えば敵の行動パターンなど手に取るように分かる。わざと能力を喰らえば、頭に血が上っているアーバン・ゲリラが直接始末しに来るのも簡単に予想できた。

 地中はソラティ・ドが散々掘り返しているので空洞だらけだ。スタンドも生命と同じ扱いなので、時を飛ばして地中に投げてもめり込みはしない。

 しかし空洞があれば、そこに投げ入れて時を再始動させることで移動させられる。吉廣はキング・クリムゾンの能力を大まかには理解していたが、細かい部分までは把握していなかった。

 時を飛ばせば動かないものは透過して見えるなど、ディアボロとなのはしか知らない事実である。既存の情報だけで判断して、地中にいる自分の位置を見破る手段などないだろうと高をくくっていたアーバン・ゲリラのミスだった。

 

「あ……『()()()()()()()』で……オレたちにとって新しい世界がやって来るはずだったのに。

 おまえたちが落ち込み続け……オレたちが昇っていくワクワクする世界が来るはずだったのに……そんな……」

 

 シアーハートアタックの爆発をもろに食らったアーバン・ゲリラとソラティ・ドは地上に吹き飛ばされた。

 死にかけで前後不覚になっているのか『新しいロカカカ』という未知の何かについて言い残して、アーバン・ゲリラはプアー・トムと同じく石化して砂のようにバラバラになった。

 ソラティ・ドも同じくあっという間に風化して砂の山になった。そのまま強風に吹かれて二人の亡骸は痕跡も残さず消え去ってしまった。

 

(あのときと同じ現象……コイツらもあの男(プアー・トム)と同じ人種だった、ということか……?)

 

 塀にもたれかかって思案しながら、なのはは息を整えていた。クレイジー・Dは怪我は治せても体力は回復させられない。30分の間に2回もスタンド使いと連戦して、なのはの体力は尽きかけていた。

 まだ吉影が残っている。空から監視していた別の敵が襲ってくるかもしれない。気力で無理やり体を動かして、なのはが壁に手をついてふらつきながら進んでいると背後から誰かに支えられた。

 

「すまない、遅くなってしまった」

「助けに来たよ、なのはちゃん!」

「どうやら、もうほとんど終わっているようだけどな。あっちでケガしているスーツの男が『川尻浩作』に化けた『吉良吉影』か?」

 

 なのはを支えたのは康一だった。三人ともドゥービー・ワゥ!の能力で顔や手に少し切り傷は負っているが、ほとんど無傷の状態だ。

 彼らは驚くべき速度で愛唱を追い詰め、あと一歩で捕まえられるところでTG大学病院に逃げ込まれてしまった。

 すぐさま彼らもTG大学病院に乗り込んだが受付や警備員の記憶を読んでも愛唱の目撃情報は無く、スタンド能力も解除されていたため急いで仗助たちを援護するため帰ってきたのだった。

 

「ゆ……『夢』だ……これは『夢』だ。このわたしが追い詰められてしまうなんて……きっと、これは『夢』なんだ」

 

 アーバン・ゲリラとソラティ・ドによってボロボロにされた道路を曲がってすぐの場所に吉影と仗助たちは居る。

 周囲には大量の消防車が集まっていた。ライターの火を使って早人のポケットに隠れていた吉廣をあぶり出したせいで火事になったのだ。

 

「もう、おまえにはどこにもよォ~~~」

「逃げ道はないようだなぁ~~~」

「もうおしまいだ……」

 

 億泰、仗助、早人の順にそれぞれが言葉で吉影に追い打ちをかける。実際、吉影は完全に詰んでいる。吉廣の用意した協力者には見限られて、本人も負傷で動けない。

 吉影はクレイジー・Dのラッシュを食らって全身から血を流している。負傷で足に力が入らず路面に伏している吉影を救急隊員や消防士、野次馬が取り囲んでいる。

 

「露伴の予想どおり、あの男が吉良吉影……本人が自分から言っていたのを確かに聞いたよ。それに、まだ協力者が居るかもしれない」

「なるほど……承太郎さん! あなたのスタープラチナで時間を止めてヤツをこっちに連れてこれますか? ぼくのヘブンズ・ドアーで記憶を読んで情報を探らなくては」

「ああ、もう少し近づいたら時間を止めて……ッ!」

 

 手短に現状把握するため話し合っていた間に事態は急変していた。女性の救急隊員が吉影の具合を見るために近寄ってしまっていたのだ。

 運命の天秤は、また吉影の方へと傾こうとしている。吉影は既に女性の救急隊員を爆弾に変えて人質にしてしまった。

 

「承太郎さん! なのはくん! あなたたちのスタンドなら止められるはず!」

「わかっている。だが……もっと近づかないと無駄だ! 時を止めても距離が遠すぎてヤツには何も手出しはできない! 最低でも5メートルまでは近づかなければ……」

「体調が万全なら届くだろうけど、今の状態では攻撃する余裕まではない。それに時間を長く飛ばし過ぎたら察知されて爆破されるかもしれない……いや、近づくだけなら……」

 

 吉影に聞こえないように、なのはが承太郎にヒソヒソと話しかける。なのはの提案に納得した承太郎は静かにタイミングを見計らうことにした。

 人質を取られて仗助たちが動けないのをいいことに吉影は着々と『バイツァ・ダスト』の発動条件を整えていく。自らが殺人鬼であることや本名を女性の救急隊員に暴露し始めたのだ。

 

「たっ! たいへんだッ! バ……『バイツァ・ダスト』が始まるぞッ! キラを守るため『正体』を知った者は、みんな吹っ飛んでしまうッ! い……今! ヤツをやっつけな──」

 

 早人が警告を口走っている最中、絶好のチャンスがやってきた。吉影がスイッチを押すまで、まだ少しだけ時間に余裕のある今この瞬間、なのはは宮殿を展開した。

 宮殿に取り込まれたものは本来の運命の通りに行動する。しかし例外として、キング・クリムゾンか本体に触れられて直接引きずり込まれたものは、未来の軌跡から切り離されて動きが停止するのだ。

 運命では早人が警告を言い終わると同時に承太郎が吉影に向かって走り出す。その後に吉影はスイッチを押そうとする。その間の行動を捻じ曲げるために、なのはは承太郎を宮殿に取り込んで時間をふっ飛ばした。

 

「あとは任せたぞ、空条承太郎」

 

 宮殿を限界まで維持したなのはは吉影に向かって全力で近づいた。狙い通り、吉影のすぐ隣まで移動できたなのはは承太郎を降ろすと能力を解除した。

 

「『スイッチ』を押させるな────ッ!」

「いいや! 限界だ、押すね! 今だ──」

「スタープラチナ・ザ・ワールドッ!」

 

 バイツァ・ダストを止めようとする仗助と静止の声を振り切って起爆しようとする吉影の声が響き渡る。時間が飛んだことを周囲の人間が認識するよりも早く、承太郎はスタープラチナの能力を発動させた。

 あらかじめ時間を飛ばすと伝えられていた承太郎は、時を止めるため準備していた。その結果、吉影がスイッチを押す直前、見計らったかのようなタイミングで承太郎は時間を止めることができた。

 

「まさか……高町なのは、おまえが(みずか)ら協力を申し出るとはな。おまえは未熟な過去に打ち勝って成長したいと言っていたが……おれの目には、もう成長し始めているように見えるよ」

 

 相当に無理をしたのか片膝をついて吉影を睨んでいる状態で静止しているなのはを承太郎が横目で見る。

 生まれながらの悪だったとしても、己の意思であり方を変えることはできるのかもしれない。そう思う承太郎であった。

 

「そしてやれやれ、間に合ったぜ……オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!」

 

 スタープラチナの殴打がキラークイーンの全身に襲いかかり、ついでとばかりに右手を粉々に粉砕する。右手の全ての指がへし折れた状態では、さすがの吉影も爆弾を起爆できない。

 

「『時』は動き出す」

「うげああああああ────っ!」

 

 時が動き出し、止まっていた時間の中で蓄積されていたエネルギーが一気に爆発する。体中から血を吹き出しながら吉影の体が宙を舞った。

 少し遅れて仗助たちは呆気にとられながらも、何が起こったのか分からないが承太郎の攻撃が間に合ったことだけは理解できた。

 吉影はうわ言のように『バイツァ・ダストは作動する』『スイッチを押す』と繰り返し口走っている。これほどまでぼろぼろになっても能力を作動させようとする執念は恐ろしいが、彼はもう終わりだ。

 このまま露伴にスタンド能力を封印されて尋問されるであろう。正体の掴めない協力者グループやロカカカなど聞き出したいことは沢山ある。しかし吉影を尋問する時間は残っていなかった。

 

「た……たいへんだ! 男が救急車の下じきになったぞッ!」

「いるのに気づかなかった!」

「戻してッ! 車を戻してッ!」

 

 バックしていた救急車の後輪に吉影の頭が下じきになるという突然の事態に周囲は騒然となる。その後に続く救急隊員の即死という言葉に、思わず承太郎は「何てこった……」と口走る。

 

「わたしの責任です……言いわけするつもりはありませんが、おさえつけるヒマもありませんでした」

「いいや、君は()()していない。これは不幸な事故だ」

 

 上着のあちこちに『DocToR』と書かれたプレートを付けている三十代前半と思わしき男が囲いのテープをくぐり抜けて女性の救急隊員に声を掛ける。

 周囲の救急隊員に止められずに入れたということは病院の関係者なのだろう。その証拠に女性の救急隊員は彼を見るやいなや頭を下げて挨拶し始めた。

 

羽伴毅(うーともき)先生! 美容皮膚科の羽先生がどうしてここに?」

「通勤途中にたまたま通りかかってね。わたしも一部始終は眺めていたが、この男性が自分から飛び込んだように見えたよ」

 

 救急隊員と医者の会話を聞き流しながら、仗助たちはなんとも言えない気持ちになっていた。人知れず48人もの女性を殺してきた殺人鬼の最期が事故死だなんて呆気なさすぎた。

 だが、これでいいと露伴が言う。法律では裁けないのなら、スタンド使いが手を下さなければならない。それなら事故死が一番マシだ。だが、早人の心はそれでは納得できなかった。

 

「ぼくは……ぼくのパパと別に仲よしじゃあなかったけど、ぼくのパパはあいつに殺された。ぼくは『裁いて』ほしかった……()()()を誰かが『裁いて』ほしかった……」

 

 矛盾しているのは分かる。それでも早人は吉影を法律で裁いてほしかった。残される母親のことを想って、そして自分自身が納得できる答えを探して早人はこれからも悩み続けるだろう。

 

 

 

 こうして数々の謎を残したまま吉良吉影と吉良吉廣の引き起こした事件は終幕を迎えた。その後、わたしは一切面識のない杉本鈴美とかいう幽霊の見送りに付き合わされたりもしたが、何事もなく生活している。

 一週間ほど敵の残党が襲撃を仕掛けてこないか警戒していたが、全く動きを見せなかった。SPW財団の関係者の話でアイツらが『岩人間』と呼ばれる人間とは全く異なる生命体ということは判明した。しかし詳しいことはサッパリであった。

 承太郎はもう少し杜王町に残ろうとしていたが娘が高熱を出しているらしく、後のことはわたしとSPW財団の関係者に任せてサッサと船に乗ってジョセフと一緒にアメリカに帰国してしまった。信用されたのかは分からないが、五歳児に報告書を書かせるのはどうかと思う。

 実はSPW財団の関係者──月村家という、この地域屈指の名家の長女と兄が友人関係だった事実が判明したりと一波乱があったりはした。わたしは知らなかったが、兄は月村家の長女──月村忍のボディガードをしていたらしい。

 てっきりただの友人だと思っていたから驚きだ。そして、この当時は思いもよらなかったが月村家関連で騒動が何度か起こることになる。それについては今後語る機会が来るかもしれない。

 

 こうして1999年の夏は、ほとんどの人々にとっていつもの夏と同じように当たり前に過ぎていった。平和すぎて一抹(いちまつ)の不安を覚えたが、この不安が杞憂だと思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 TG大学病院の一室──羽伴毅専用の診察室兼研究室となっている一室に声が響く。

 

「『院長』の指示通り、わたしのスタンドで救急車の運転手を操って吉良吉影は始末しました。愛唱まで手が回らず『院長』(みずか)ら動く事態になってしまい申し訳ありませんでした」

 

 内線で通話しながら羽伴毅はペコペコと頭を下げる。彼は上っ面だけ謝っているのではなく、本心から謝罪していた。

 

「『新ロカカカ』の確保は失敗しました。ですが我々の正体が月村の連中──夜の一族やSPW財団に露見するのだけは避けなければなりません。

 ……ええ、通常のロカカカの栽培は順調です。吉廣が担っていた密輸ルートは使えなくなりましたが、当院の特別治療だけで賄えるはずです。……問題ありません。この羽伴毅、決して()()はしません」

 

 隠し扉を開けた先には奇妙な植物が栽培されていた。トゲが生えたリンゴぐらいの大きさのオレンジ色の果実──これこそが岩人間たちの収入源である『ロカカカ』の正体だ。

 彼らとなのはたちの運命が交差するのは今ではない。彼らの正体が露見するのは今から4年後──なのはが魔法と出会った後の話となるだろう。




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食物連鎖の頂点

 吉良吉影が事故死してから一週間ほど経ったある日、わたしはジョセフに連れられて海鳴市を離れていた。目的地は海鳴市と隣り合った隆宮(としみや)市にあるSPW財団の関係者が住む家だ。

 月村家という名はわたしも聞き覚えがあった。わたしの家から直線距離で40キロメートルほど離れているが、海鳴市には月村家が管理する土地が数多く存在している。

 夫婦でそれぞれ重工業会社と建築会社を経営している資産家として有名で、度々(たびたび)全国紙や地方紙にも名前が上がっている。

 

「……で、わたしだけ呼び出したのには、どんな理由があるのかな」

「そうカリカリせんでくれ。わしの口から直接は伝えられないデリケートな話題なんじゃよ」

 

 月村家の用意した運転手が運転する車に揺られながら、わたしはジョセフを問い詰めていた。車内にはわたしとジョセフ、それから透明の赤ん坊と運転手の四人しかいない。

 承太郎や父、月村忍と付き合いのある兄は同乗していない。どうにも怪しい雰囲気と言うか、聞いてはいけない秘密を聞かされに行く気配が漂っていて不安になってきた。

 

「パパやお兄ちゃん、それに承太郎が駄目でジョースターさんは同行してもいい理由も分からないんだけど」

「『岩人間』とこれからも戦う可能性がある以上、杜王町に住むスタンド使いのうちの誰かが秘密を知らなければならないのは分かるのう?

 ()()()()()を尊重して不特定多数に聞かせるわけにはいかない話もある。そこで抜擢されたのが君というわけじゃ」

 

 ハッキリ言って面倒である。『岩人間』が全滅したとは思えないし、ヤツらがどのような存在か知りたい気持ちもある。だが、それとこれとは話が別だ。

 杜王町に住まうスタンド使いは若年者が多い。社会人として成功を収めている露伴ですら、まだ20歳だ。不測の事態が起きたとき、彼らを指揮できるほど経験を積んだ人物がいないのだ。

 消去法で選ばれた身としては、納得はできてもやる気は出ない。このままなし崩しでSPW財団のエージェントにされるのだけは勘弁してほしい。

 

「監視対象に自分たちの秘密を教えるだなんて本末転倒だと思うけどなあ」

「お、見えてきたぞ! 最後に来たのは15年ぐらい前じゃが、あいかわらず大きな家じゃのー」

 

 ジョセフ・ジョースター……そこを突かれると言い返せないからか露骨に話題をそらしたな。

 ため息をつきながら車の窓越しに風景を眺める。ジョセフの言うとおり、青い屋根と煉瓦色の外壁が特徴的な三階建ての大きな洋館が見えている。

 オレもセーフハウス(隠れ家)や純粋な資産として不動産を多く持っていたが、これほどまでに立派な豪邸に住んだ経験はない。物珍しさはあるが、こんなに大きな家だと維持管理が大変だろうな。

 

 どうでもいいことを考えて現実逃避していると、正面玄関の前で停車して運転手が車のドアを開けた。ジョセフを追って車を降りると、薄紫色の髪をした20歳ぐらいの外見のメイドがわたしたちを出迎えていた。

 

「ジョセフ・ジョースター様、高町なのは様でいらっしゃいますね。どうぞ、ご案内いたします」

 

 メイドが丁寧なお辞儀を見せると、そのままキビキビとした動きで客間へと案内しだした。案内された部屋は一見すると地味ながらも、調和の取れた調度品が並んでいる旧来の名家に相応しい一室だ。

 既に待っていたのか、ティーカップに口をつけていた紫色の長髪の少女──月村忍がソーサー(受け皿)にカップを置きこちらを見ると柔らかく微笑んだ。

 

「お久しぶりです、ジョースターさん。なのはちゃんは3日ぶりね。翠屋のほうはもう大丈夫なの?」

「おお、忍ちゃん。最後に会ったときはこんなに小さかったが、ずいぶん大きくなったのお」

「はい、()()()()()()()()パパも仕事に戻れたので、もう大丈夫です。無理を言ってお店のお仕事を手伝ってもらって、ありがとうございました」

 

 実は父が翠屋の仕事を抜けていた期間、兄を通して忍に頼んでウェイトレスの仕事を手伝ってもらっていた。今年の4月の中頃からちょくちょくバイトには来ていたのだが、集中的に手伝ってもらったのは今回が初めてのことだ。

 ジョセフも面識があるのか、わたしの背よりも低い高さに手をかざしている。そういえば15年ぐらい前に来たことがあるとジョセフが言っていたが……仗助の年齢と合致するのが気になるな。まさか月村家の用のついでに不倫して帰ったのか?

 

「こんなに働いたのは初めてだったけど私も楽しめたし、なのはちゃんが気に病む必要はないのよ。ジョースターさんや高町君……なのはちゃんのお兄さんから何があったのかは聞いているけど大変だったわね」

「……それは、わたしの身の上話も含めてですか?」

 

 口調こそ丁寧なままだが目つきと声色が鋭くなっている自覚がある。いかに兄の友人で家族ぐるみの付き合いをしている相手とはいえ、踏み込んだ内容を他人に知られているというのはいい気分ではない。

 わたしは誰かを頼ったり信じることを覚えたが、その範囲は家族に限られている。忍を信用していないわけではないが、秘密を明かせるほど信頼しているわけでもないのだ。

 

「なのはちゃんの事情については……超能力(スタンド)が使えるのと別人の記憶がある、というところまでね。詳しいことは聞かないし調べるつもりもないわ。ごめんなさい、あなたに黙って話を進めてしまって」

「忍さんがわたしのことをどう思おうが気にしません。ただ……わたしの事情を知って、お兄ちゃんとの関係に悪い影響があったら嫌だな、と思っただけです」

 

 無論、忍のことを思いやってではない。兄は家ではわたしや姉をからかったりするが、外では寡黙な性格だと思われている。

 友人が居ないわけではないだろうが、せっかくできた異性の友人との関係を、わたしのせいで台無しにしたくないのだ。

 

「そうね……なのはちゃんは『高機能性遺伝子障害(HGS)』という先天性疾患を知ってる?」

「せ、せんてーせーしっかん……?」

 

 待て待て待て、いきなり漢字だらけの難しい単語を使わないでくれ。普通にやり取りしてるように見えるが、わたしは小学生にもなっていないんだぞ。新聞だって一人では読めないのに高機能ナンタラといきなり言われても理解できない。

 

「英語での病名は『Highly Genetic Disorder』だな。20年ほど前に、いきなり発生した病気のことじゃよ」

「聞いたことはあるけど……もしかして忍さんもHGS患者だったりするってこと?」

 

 困った顔をしているのがバレたのかジョセフが助け舟を出してきた。()()()()()()()()()病気だったので、図書館に保管されていた英語の新聞や雑誌で少し触れられているのを覚えていた。

 詳しい症例は図書館で調べても不自然なくらい見つからなかったので知らないが、何か関係あるのだろうか?

 

「SPW財団では()()()には、わたしたち月村家を含めた一族──夜の一族はHGSに近い『Genetic Disorder(遺伝子障害)』を定着させた一族として扱われているの」

 

 わざわざ表向きと言うからには裏向きの理由があるのだろう。HGSを前置きとして出したのは、わたしに建前を教えるためか。

 忍が目を軽く閉じて息を深く吸い込んだ。客間に沈黙が訪れる。数秒が経過して、伝える覚悟ができたのか忍が口を開いた。

 

「……なのはちゃんは『吸血鬼』が実在するって言われたら信じる?」

 

 そんな一言から説明は始まった。忍の言う『吸血鬼』とは『石仮面』によって人為的に作られた存在ではなく、種族として定着した存在だそうだ。

 『石仮面』で吸血鬼になった者のように日光を浴びるとボロボロと体が崩れたりするわけではない。創作物に出てくる『吸血鬼』のように流水や聖水が弱点というわけでもない。

 200年ほど生きられる寿命と人並み外れた身体能力や再生能力、記憶操作や洗脳、霊感や蝙蝠に変身できるといった空想上の吸血鬼とほぼ同じ能力を持っているのは驚きだが、純血の一族の外見は人間とほぼ変わらないそうだ。

 ちなみに忍は夜の一族としては珍しく身体能力はあまり高くない。そのかわり知性が飛び抜けて高く、特に工学分野に高い適性がある。

 成人すると外見上の成長が停滞したり、人狼(ワーウルフ)のような動物の特徴を持った一族も居るそうだが、事前に『石仮面』やスタンドについての知識があったのですんなり受け入れられた。

 むしろ普通の人間なのに数十発の銃弾を切り裂ける父のほうが遥かに人外だと思う。

 

 ここまでは前置きだ。紅茶を口に含んだ忍が一息ついて次に語りだしたのは『岩人間』に関する情報だった。連中は『夜の一族』と()()()()()()()()だが仲間ではない。

 種族の方向性や考え方が違うので、お互いに不干渉を貫いているそうだ。ここ数百年は交流した記録も残っていないらしく、今回の一件で初めて近場に岩人間が潜伏していたことを知ったそうだ。

 岩人間が何人ぐらい居るのか、どんな社会的地位についているのかは一切不明。分かるのは書物として残されていた岩人間の生態についてだけだった。

 寿命は夜の一族の平均より少し長い240年程度。だが、多くの要素が人間とかけ離れていた。岩人間は人間のように全身の細胞が入れ替わることで成長するのではなく、6年毎に脱皮して変態していく。

 1ヶ月から3ヶ月ほど眠り続ける代わりに、2ヶ月ほど起き続ける変則的な睡眠周期。冬眠中は体表の水分を体内に移動させることで岩のようになる。そもそも人間との間に子供を作れない。聞けば聞くほど人間離れした存在だと思えてならない。

 

「冬眠……岩のようになる……君たちと起源が同じ、ということはやはり……」

「はい、岩人間たちも『闇の一族』に連なる種族です」

 

 話を聞き終えたジョセフは深刻な表情をしている。訳知り顔で話を進めているところ悪いが、わたしの知らない情報で納得しないでほしい。じっと睨んでいるとジョセフが「スマンのお」と謝りながら、闇の一族について語り始めた。

 

 

 

 闇の一族──それは今から1万年ほど前まで栄えていた人類とは異なる進化の過程で生まれた種族である。起源は分かっていない。自然発生したのだろうと思われるが、真相は誰も知らない。

 数千年単位で冬眠こそするが、永遠に近い時間を生きられる人間とは比較にならない寿命や不死身に近い身体能力、高い知性を持った生命体の頂点とも言える存在だ。

 だが、日光を浴びると体が石化してしまうという致命的欠陥があり、地底でひっそりと過ごす温厚な種族だった。そんな一族の現状に不満を抱いていた男がいた。その男の名はカーズ──あの石仮面を作り出した人物だ。

 彼は日光を克服するために石仮面を作り出した。結局、パワーが足りずに本来の用途では役に立たなかったが、カーズは石仮面を人間に使うことで餌としての価値を上げようとした。

 一族はカーズを危険視し排除しようと動いた。だが、稀代の天才であり抜きん出た戦闘能力を持っていたカーズは数人の仲間とともに一族を皆殺しにした──はずだった。

 

 カーズは知らなかったが、闇の一族は他の地方にも存在していたのだ。闇の一族は優れた知性を持っている。カーズたちが何をしでかしたのかは、すぐに発覚した。

 しかし、数多の生命エネルギーを吸収して力をつけているカーズたちに太刀打ちできるほど、一般的な闇の一族は強くはない。このまま静かに暮らしてカーズに怯えて過ごすのは耐えられない。そこで闇の一族は人類と融和する道を選んだ。

 

 温厚とはいえ闇の一族にも派閥は存在する。人間社会の中で生きていくという目的意識は同じだったが、闇の一族の力を大きく残したまま融和しようとする一派と、完全に別の存在となって生きていくことを選んだ一派に分かれた。

 前者が『岩人間』であり、後者が『夜の一族』である。『岩生物』や『獣人』も人間へと近づく過程で意図的に生み出された種族である。これこそが両方の種族に伝わる始まりの記録だ。

 

 

 

「それでカーズという男はどうなったの?」

「60年ほど前に目覚めたが、わしが宇宙に追っ払ってやった。SPW財団の観測員の話だと、今は火星の重力に捕まって静止しているようじゃがな」

 

 左手を見つめながらジョセフは思いを()せている。宇宙空間に追放した割に死んだと明言しないということは、まさか今も生きているというのか?

 真空下では通常の生命体は生存できない。宇宙線といった高エネルギーが飛び交っているので、宇宙服を着ても寿命が十年単位で縮む世界なのだ。そんな生物を対処できたジョセフは、表立って知られていないが世界を救った英雄だろう。

 

「本当は一族の秘密を知った人は記憶を消すか、恋人や友人として秘密を共有しながら共に生きる掟があるのだけど、今回は特例ね。

 SPW財団の人たちには色々とお世話になってるし、なのはちゃんなら絶対に秘密を漏らしたりはしないと信じているわ」

「……わたしにしか話を聞かせられない理由は理解できた。お兄ちゃんにも喋ってはいけないってこともね」

「ありがとう、なのはちゃん。高町君には近いうちに……私から直接伝えるつもり。覚悟ができたら話すから、それまで待っててね」

 

 実は自分たちは普通の人間ではありませんと言われたら、上っ面だけの付き合いでは一歩身を引いてしまうか信じてもらえず馬鹿にされるだろう。

 わたしは自分の出自が特殊というのもあって気にしないし、兄もなんだかんだで受け入れそうな気がするが、伝えるか伝えないかは当人の気持ち次第だろうし、わたしには関係ないことだ。

 ……承太郎との約束で定期的に露伴に記憶を読ませることになっていたはずだが、それはいいのだろうか?

 忍に大丈夫かどうか尋ねてみると考え込んでしまった。わたしも露伴と直接話したことがないので信用に値する人物かどうか把握できていない。ジョセフは少々芸術家気質で偏屈な部分もあるが善人だと言うが……本当だろうか。

 まあ、洗脳や記憶操作も可能なスタンド使いにもかかわらず承太郎が認めているということは悪人ではないだろう。最終的に露伴については後々、個別で呼び出して話をつけるという結論に落ち着いた。

 

「そういえばジョースターさんも夜の一族について最初から知っていたみたいだけど……」

「それはね……ジョースターさんは最初、私たちのことを石仮面で生まれた吸血鬼だと思って乗り込んできたのよ」

「あ、あのときは吸血鬼という情報しか分かっていなかったんじゃよ。実戦経験がある波紋戦士なんてほとんどおらんかったから、わしが出向くハメになったんじゃが……逆にそうなってよかった。

 波紋戦士は良くも悪くも純粋な面があるから、わしが来なかったら俊くんと春菜さんに危害を加える可能性もあったしのお」

 

 困った顔で昔話をする忍にジョセフが慌てた様子で弁明する。どうやら最初の出会いは穏便とは言えなかったようだ。

 月村俊は忍の父親で月村家の当主。月村春菜は忍の母親で綺堂(きどう)家という夜の一族の名家の養子だったそうだ。

 二人とも純血の夜の一族だが、それ以前に国内有数の大企業の社長でもある。危害を加えていたら色々と問題になっていただろう。

 本来なら娘の忍ではなく年長者の両親が『夜の一族』や『岩人間』について説明する予定だったが、ジョセフたちの帰国のタイミングと予定が噛み合わなかったようだ。

 

 日光や波紋を受けても平気ということで疑いはすぐに晴れたが、その後も一族の体質改善や共同研究のためSPW財団と協力関係を築いているらしい。

 夜の一族に属する全ての人々が賛同しているわけではなく、人間を見下していたり迫害された過去がある家の者からは反対意見も出ているとのことだ。

 夜の一族の中でも発言力の大きい月村家や綺堂家が連名で睨みを利かせているが強硬手段に出る家もあるようで、兄が忍のボディーガードをしている理由でもあるそうだ。

 

 おそらく忍が伝えたかった本題はこれなのだろう。兄が関わっている以上、何かあったら協力するつもりではある。しかし……周囲に流されて、どんどん深みにはまっているように思えてならない。

 承太郎と出会ってから運命が急に動き出したと思えるほど様々な情報が飛び込んでくる。……家族に相談して早めに体力をつけるためのトレーニングを始めないといけないな。

 

 

 

 わたしに対しての説明が終わったが、ジョセフと忍はSPW財団関係で話したいことが残っているようで、わたしはサッサと退出することにした。

 聞いていても問題ないと言われたが正直これ以上、余計なことを知って首を突っ込みたくない。わたしは植物のように平穏に……とまでは言わないが一般的な暮らしをしたいのだ。

 

 時間を潰すため客間まで案内してくれたメイド──ノエル・K・エーアリヒカイトに連れられて庭に出ると、大量の猫が放し飼いにされていた。

 わたしも人並みには動物好きである。時と場合によっては平然と殺せるだろうが……少なくとも動物を故意に傷つけるような趣味はない。そもそもイタリア人は動物好きな気質があり、ペットを飼っている比率は日本より多いだろう。

 例えばローマにあるアルジェンティーナ神殿跡はキャット・サンクチュアリ(猫の楽園)と言われるほど猫が多くいる。猫の保護区にもなっていてイタリア人の動物好きがよく分かる場所だ。

 

 月村家で飼われている猫は管理が行き届いているのか美しい毛並みをしている。近くにいる猫に狙いを定めて、そーっと近寄るが逃げもせずこちらを見ている。ずいぶんと人懐っこい猫だな。

 

「あの、どなたですか?」

「──ッ!?」

 

 もう少しで猫を抱きかかえられる寸前、背後から声をかけられた。突然のことで驚いたわたしにびっくりしたのか、妙におとなしかった猫は走り去ってしまった。

 振り返ると、そこには忍とよく似た紫色の髪のわたしと同い年ぐらいの少女が立っていた。見ず知らずの人物にどう声をかけようか迷っているのか、少女は子猫を腕に抱えたまま固まっている。

 

「わたしの名前は高町なのは。忍さんに呼ばれて来たんだけど……あなたは?」

「わたしはすずか……月村すずかです。お姉ちゃんのお客さん……もしかして高町恭也さんの妹さんですか?」

 

 わたしから名乗ると少女──すずかもすぐに口を開いた。兄の名前を知っていて、この口ぶりから判断するに忍の妹なのだろう。(うなず)き返すと、忍の知り合いと分かって少し安心したのか、すずかの表情が(やわ)らいだ。

 

「よかったら……この子を抱いてみる?」

「……いいの?」

 

 おずおずと手を伸ばして子猫を受け取る。猫を不安にさせないように脇と尻を支えて体で固定するように抱き上げると、すずかが微笑んだ。

 正しい抱き方を心がけても嫌がる場合があるのだが、この猫はすんなりとわたしに身を預けた。わたしが猫の扱い方を理解していると知ってか、段々とすずかの態度が軟化していくのがよく分かる。

 

 その後、ジョセフと忍の話し合いが終わるまで、わたしたちはポツリポツリと言葉を交わした。家族のことや趣味、好きなものについてという他愛のない内容だったが新鮮な気分だった。

 思えば同年代の子供と腰を据えてじっくり話すのは初めての経験かもしれない。すずかも幼稚園や保育園には通っていないようで、一族と関係ない同年代の相手と話すのは初めてだったらしい。

 いつの間にか、わたしたちは打ち解けていた。すずかは口数こそあまり多くないが非常に聡明な子供だったのもあって、自然に会話することができたのが大きいだろう。

 

 ジョセフと共に月村家を去るとき、寂しそうな表情をしているすずかに対して、つい「また来るね」と言ってしまったのは余計な一言だっただろうか。

 ……SPW財団関係の用事で、ここに来る機会もあるはずだ。そのついでに会うぐらい別に構わないだろう。だからジョセフ・ジョースター……わたしを生暖かい目で見るのはやめろ!




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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東方仗助は稼ぎたい

 夏が終わり秋も過ぎ、木枯らしが吹き付ける寒い冬がやってきた。案の定というべきか、その間に月村家関連でトラブルに見舞われた。

 月村家に伝わるロストテクノロジーに関する情報を忍がSPW財団に提供しようとしていた動きに反発して、月村安次郎という夜の一族の男が襲撃してきたのだ。

 危うく月村の屋敷が火事になりかけたが母を除いた家族総出で対応に向かい、なんとか大事にならずに済んだ。

 安次郎も根っからの悪人というわけではなかったようで、殺すつもりはなく脅して考えを改めさせる予定だったと言っていたが、不法侵入や殺人未遂の容疑で警察に逮捕された。

 かすり傷程度の怪我を何人か負ったが、ほとんど無傷で終わってよかった。今後はこのようなことが起きないように協議していくそうだが、まだ一波乱ありそうな気がしてならない。

 

 それはさておき、わたしは東方仗助の家を訪ねていた。SPW財団の研究員からクレイジー・Dのスタンド能力について実験をしてほしいと承太郎経由で頼まれたのだ。

 そのために必要な物品を渡すと連絡したら仗助も相談したいことがあると言い出したので、こうして顔を合わせることになった。

 

「……金儲けの手段を教えて欲しいだって?」

 

 東方家のリビングに案内されたわたしは、椅子に座って温かい紅茶が淹れられたマグカップに口をつけながら仗助の言葉を繰り返す。

 ……この紅茶は淹れ方がなってないな。リーフ(茶葉)ではなく市販のティーバッグとはいえ、もう少しマシな味になるはずだ。

 イマイチな風味の紅茶に眉をしかめていると、わたしが機嫌を損ねたのかと勘違いしたのか慌てた仗助が口早に理由を説明しだした。

 

「ついこの前、億泰と一緒に中型バイクの免許を取ったんでバイクを買いたいんだけど、()()()()()()手が届かねえんだ。……そこで、なのはさんの知恵を貸してもらえたらなーって思ったんスよ」

 

 右手の親指と人差指の先をくっつけて円を作りながら仗助がニヤリと笑う。おそらく『金』を表すハンドサインなのだろう。イタリアでは日本とは違い中指から小指までを折りたたむが、ほぼ同様のハンドサインが存在する。

 

 日本の法律では中型二輪の免許は16歳になっていたら高校生でも取れるんだったか。虹村億泰の誕生日は10月だったから、それに合わせて仗助も取りに行ったのだろうが……億泰は以前から普通にバイクに乗っていなかったか? 

 アイツが乗っていたカワサキの『ZOPHAR』はギリギリ中型二輪免許で乗れる400ccのバイクだったはず。わたしも車を勝手に運転したので無免許運転をとやかく言ったりはしないが……ヤンチャは程々にしておくんだな。

 仗助が見せてきたカタログをめくると今年出た新型『ZOPHAR』の定価は60万円ほど。この価格帯のバイクなら中古でも40から50万円ぐらいはするだろう。更に保険料や燃料代、メンテナンス費用も合わせると高校生が維持するには難しい値段になる。

 

原付(50cc)にしろとは言わないけど、せめてグレードを下げて250ccのバイクにしたらいいでしょ。ネイキッドバイクならホンダの『ホーネット』は10万円ぐらい安いはずだよ?」

「『ホーネット』も悪かねえけどよォ……10万ぐらいの差なら、おれは『ZOPHAR』を選ぶね」

 

 10万ぐらいというが、それだけの金でも稼ぐのは簡単ではないぞ。なにせ暗殺チームの一回での報酬なんて頭数で割れば15万円以下だったからな。

 金をやりすぎれば他のチームから文句が出るが、安すぎれば暗殺チームから不満が出る。舵取りに失敗して裏切られるという結果に終わったが、そもそも使い勝手が悪かったり忠誠心の薄いスタンド使いを固めた部署だったので裏切りは想定内だった。

 ブチャラティチームに任せたので実際には動かさなかったが、連中を始末させるために用意していたのが親衛隊であり、他にもスタンド使いだけで構成されたチームは数多くある。

 そもそも暗殺チーム自体がパッショーネ立ち上げ当初から残っていた遺物であり、人員を追加する予定もなかった。

 

「それで現状の予算はどれぐらい?」

「……20万っス」

 

 10万円ぐらい足りないのなら、まっとうな手段で稼ぐ方法はいくつか思い浮かぶが想定の半分以下の金額だと……? 

 これを『ちょっと手が届かない』で済ませられる仗助の面の皮の厚さには呆れてものも言えない。このままでは『ZOPHAR』どころか『ホーネット』すら買えないじゃあないか。

 

「……ホンダの『スーパーカブ』っていいバイクだよね。なにせ世界で一番売れてるんだから」

「そ、そんなこと言わないでくれよォ。全力で協力するから、この20万を100万……せめて80万まで増やす方法を教えてくださいッ!」

 

 予算内で買えるバイクで妥協させようとするが、当然のごとく仗助は食い下がってきた。両手を顔の前で合わせて頭を下げているが、そう簡単に金を増やせたら苦労しない。

 絶対に儲かるという話が回ってきても信じてはならない。その手の話は十中八九、詐欺のたぐいだからだ。ちょっと考えてみれば分かるが、儲け話を簡単に他人に明かすわけがない。

 

「その20万を頭金にしてローンでも組めばいい」

「おふくろがぜってー認めてくれねーから困ってるんスよ。銀行に預けてある宝くじの金が自由に使えたら、こんなことで悩まずにすんだのによォ」

 

 未成年がローンを組むには保証人が必要となる。仗助の場合は保証人になれそうな親族が母親しか居ないので、まずは親を説得するところから始めなければならない。

 仗助の母親がバイクの購入を認める可能性があるなら、わたしに相談したりはしないだろう。仗助には家族を治してもらった恩があるから可能なかぎり協力するつもりだが……どうしたものか。

 

「なあ……なのはのスタンドは未来を予知できるんだよな。なら、競馬とか競輪で大穴を当ててボロ儲けできねーのか?」

「エピタフの未来予知は何分も先の未来までは見れない。カードゲームや結果を当てる賭け事なら無敵の能力だけど……日本にはカジノがないし非合法の賭場にわたしを連れて行ったら悪目立ちするでしょ」

 

 訓練の成果か精神的な影響かは不明だが、この数ヶ月で予知と時飛ばしの最大時間が1秒伸びた。とはいえ最大で6秒の未来予知が日常生活で役に立つ機会はほとんど無い。

 元から予知のタイミングは勘に頼っていた部分が大きいので戦闘では役に立つが、賭け事に応用するには難しい能力である。

 オレは能力の検証でエピタフを使ってイカサマをしたことはあるが、あくまで実験であり資金源としたことはない。勝ち過ぎたらイカサマしていると疑われて、胴元の裏社会関係者が出てくるからだ。

 仗助のように()()()()()()の金が欲しいなら予知のイカサマも悪くないが、パッショーネでは億単位の金を動かしていた。矢を売却した資金とスタンド麻薬の密売で組織の運営は軌道に乗ったので、そこまでして金を稼ぐ機会はなかったのだ。

 

「そんな場所知らねえし、もし知っててもなのはを連れてったってバレたら恭也センパイにゼッテー怒られるって。露伴のヤツが破産してなかったら、ミキタカにトランプにでも化けてもらって購入資金の足しにするのによォ」

 

 岸辺露伴はついこの前、漫画の取材で山を6つも買った挙げ句、維持できないということで自己破産した。さすがに借金は残っていないが住む家がなくなったので康一の家で厄介になっている。

 前々から変なやつだと思っていたが、取材で自己破産する漫画家なんて前代未聞だろう。本人は破産した際に売ってしまったコレクションを惜しんでいたが、自分の行動自体には一切後悔していなかった。

 

 そして仗助の言っているミキタカ──わたしが遭遇した長髪の自称宇宙人だが、どうやら妙な変身能力を持っているらしい。スタンドが見えないのは確定しているが、自覚のないスタンド使いか夜の一族のような特殊な種族なのだろうか? 

 仗助は灰色に近い茶色の髪をした年若い双子の姉妹と一緒に歩いているのを見かけたことがあるようだが、基本は一人で行動しているらしい。ふらっと唐突に出くわすことが多く、どこに住んでいるかや連絡先は知らないようだ。

 話を聞くかぎりだと相当に怪しいのだが、仗助たちに協力的で言動こそズレているが人格も問題はないと判断されている。岩人間の仲間ではなさそうだが何者なのだろうか。

 

「仗助のスタンド能力で廃品やジャンク品を直して、それをリサイクルショップに持ち込むのは?」

「できなくはねーけど、おれらは車の免許持ってないから小物しか運べないぜ。それに高校生が何度も売りに行ったら万引きしてきてると思われるかもしれねーし、やる気になれねえんだよなァ」

 

 仗助の言うとおり、まず間違いなく店側から怪しまれるだろう。誤魔化すために複数の店舗を利用するにも肝心の移動手段が乏しい。

 こんな髪型をしているが仗助は単細胞な不良ではない。考えられる範囲で可能な手段は模索した上で、わたしに相談しているということか。

 

「もう大人しくバイトして地道に貯金しようよ。億泰だって、うちでバイトしてるんだしさ」

「……あ? いま、なんつった?」

「億泰が翠屋でバイトしてるって言ったんだけど……もしかして知らなかったの?」

 

 仗助は口をポカンと開けて呆然としている。億泰のやつ、さては恥ずかしいと思って黙っていたな。

 

「あいつが翠屋でバイトォ……? あいつの顔と髪型じゃあ、あの店の雰囲気ぶち壊しで仕事にならねえだろ」

「ホールじゃなくてキッチンや雑用担当だね。自炊してたみたいだから意外と手際がいいし、すぐに店員のみんなと打ち解けたよ」

 

 元々、億泰はうちの店の常連だったので店員のみんなと顔見知りだったというのも大きいだろう。億泰は髪型や顔からは明らかに不良という雰囲気が漂っていて頭が弱いように見えるが、人懐っこい性格をしていて仕事も教えればちゃんと理解する。

 本人は自分のことを不良だと思っているようだが、見た目が不良っぽいだけで内面はそこらの高校生と大差ない。学校をサボったりタバコを吸ったり酒を飲んだりもしない。さすがに無免許運転は擁護できないが、免許をとったし真剣に仕事をしているので父と母も問題なしと判断した。

 

「億泰のやつ、なんで翠屋をバイト先に選んだんだ?」

「ずっと自炊してたから飲食関係に興味があるんだってさ。あとは何かあったときのために、親の遺産をなるべく残しておきたいってのもあるらしいよ」

 

 億泰は金銭感覚に関しては仗助より遥かにシッカリしている。大学に進学したとしても当面は持つだけの貯金があるのに、真面目にバイトをするぐらいには将来を見据えているのだ。

 学力には不安が残るが……そこは周囲の友人に助けてもらうしかないだろう。アホだが物覚えが悪いというわけではないので、真剣に勉学に取り組んだら進学ぐらいはできるはずだ。

 

「短期のバイトなら、おれもそれなりにやってるけど欲しいものが色々あって金が貯まらないんスよね。都合よく金が湧いてくるようなスタンドがあればいいのによォ~~~」

「……お金が増えるスタンド、か。聞いたことはあるよ」

「マジかよ!?」

 

 お茶請けのごま蜜団子を奥歯で噛み締めながらボヤいていた仗助が、わたしの言葉に反応して机に両手を突けながら勢いよく立ち上がった。

 オレの知識を参考にSPW財団が情報を集めたところ、この世界にも同一のスタンドが存在すると判明したのだ。

 

「そのスタンドの名は『ミラグロマン』……一人歩きしているスタンドで一体化した紙幣を手に入れたら所持金が無限に増えていく能力がある」

「それさえあれば誰でも億万長者になれるってことっスか!」

()()()手に入るよ。代償として、マトモに買い物できなくなるけど」

 

 詳しい能力を仗助に説明する。ミラグロマンは印刷されている記番号の下二桁が『13』になっている紙幣に宿る『呪い』のようなスタンドだ。

 かつて武器を売って荒稼ぎしていた人物が高額の賠償金を払えずに自殺した際に発生したスタンドということになっているが、それより前から存在したとも言われている。

 

 能力は先の説明通り一度手にして使ってしまったら、元の持ち主に金を返却するか誰かにミラグロマンが宿った紙幣を破壊させないと無限に金が増えていくというものだ。

 金が増えるのならいいだろうと思うだろうが、そううまい話ではない。金銭を支払って買い物をすると、どんどん金が増えていき使う速度よりも早く増える紙幣の処理に追われることになる。

 呪いの効果には不確かな部分も多く、イタリアでもミラグロマンは関わってはいけない社会の闇として扱われていた。

 

「そんな危険なシロモノ誰が使うかッ!」

「じゃあ露伴から聞いた話だけど、特定のキーワードを領収書に書いて支払いを踏み倒すって手段もあるよ」

「……そのキーワードとやらを言わねえってことは、それもとんでもないデメリットがあるんだろ?」

「対価として1円につき1日、肉体の時間を奪われるんだってさ」

 

 仗助が実際に試すとは思えないが万が一があってはいけないので、特定のキーワード──『オカミサマ』については黙っておく。

 ヘブンズ・ドアーを使って他人を操作すれば無理やり帳消しにできるだろうが、仗助を嫌っている露伴が協力するとは思えない。それに二人ともスタンドの悪用を進んで(おこな)う性格でもない。

 

 オカミサマはミラグロマンとは違ってスタンドではなく純粋な超常現象だ。露伴の体験談によれば6本足のコガネムシのような体格の赤子が無数に現れて時間を奪いに来るらしい。

 わたし自身が悪魔や亡霊のようなものだし、幽霊を見たこともある。兄と同じ学校に霊媒師が通っているのも知っているので、オカルトは信じるタイプだ。それにしても露伴は超常現象と遭遇しすぎである。

 ミラグロマンとオカミサマがぶつかったらどっちの能力が上か少しだけ気になるが、実験してみる気にはならないな。

 

「も、もっとこう安全な方法が知りたいんスけど……」

「世の中そんなに甘くない。対価もなしに無条件で金が手に入るなんてオイシイ話、転がっているわけがない」

 

 わたしの無情な回答に仗助はガックリと肩を落とす。結局、金を稼ぐには知識か人脈か権力、もしくはそれらを超越した特殊技能が必要になるのである。

 普通の高校生の仗助とは違い、わたしには前世(ディアボロ)の記憶と多少の人脈がある。どうにかして合法的に仗助の金稼ぎに協力しよう。

 

「そろそろ本題に移ろうか。SPW財団の仕事を持ってきたよ」

「なんスかこれ?」

「ダイヤモンドパウダーだよ。主に研磨剤として使われてる……って言ってもピンとこないか」

 

 わたしがカバンから取り出した白い円柱状の容器の蓋を開けて仗助が中を覗き込む。中にはきめ細かい粒状の白い物体が詰まっていた。

 この容器には10グラムの人工ダイヤモンドの粉末が入っている。多結晶ダイヤモンドと比べると単結晶ダイヤモンドの粉末は安価だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……なるほど、これをクレイジー・Dでダイヤの塊に『直せば』いいんスねェ~~~」

「あ、ちょっと待って。一気に全部は直さないで、この匙一杯分だけにしてね」

 

 仗助は実感がわかないだろうが10グラムのダイヤはカラット数で表すと50カラットになる。研究用なので市場には流さないだろうが、もし成功して数十億円もの価値があるダイヤを作られても困るだろう。

 それに実験は複数回に分けて実行する予定である。ダイヤモンドパウダーは金の10分の1程度の値段なので惜しくはないが、使い切られたら再入手する手間がかかる。

 匙に乗せた2グラムのダイヤモンドパウダーをクレイジー・Dの手のひらに乗せる。仗助が能力を発動させると、あっという間にカットされたダイヤになった。

 しかし、これは……ダメだな。宝石として最低限の価値はあるだろうが、鑑定書がないのでキュービック・ジルコニア扱いされて買い叩かれそうな見た目だ。

 

「うーん……屈折率はダイヤと同じだけどカットが微妙。これじゃあ、ただのイミタッツィオーネ(模造品)だ」

「んなこと言われても本物のダイヤなんて見たことねえしなあ」

 

 線の引いた紙の上に乗せれば素人でも屈折率ぐらいは確認できる。一部の模造品は屈折率も近いので厳密には当てにできない見分け方だが参考にはなる。重さと透明度と色は申し分ないだけに、おもちゃのようなカットなのが残念だ。

 半々の確率でこうなるだろうとは予想されていた。仗助のクレイジー・Dで純粋に『なおす』だけなら関係ないが、再構築する場合は本体の想像力に影響されると推測されていたからだ。仗助の言い分も分かるので、忍経由で預かっていたものを見せるか。

 

「そう言うと思って見本を用意しておいたよ。これ一つで500万円はするから丁寧に扱ってね」

「ごっ!? ごひゃくまんだとォ────ッ!?」

 

 用意したダイヤの重さは10カラットだが、4C*1基準で最高のグレードの物である。鑑定書付きの本物をジョースター家の私物から引っ張り出してきたらしい。

 相場によって変動するが、このクラスのダイヤは本当は五千万円近い値がつけられるはずだ。本当のことを教えて落っことされても困るので、わざと低めの金額を告げたのだが……これでも高すぎたか。

 ケースに入ったダイヤをキング・クリムゾンを使って取り出す。素手で触ると手の脂や汗が付着するが、スタンドならそんな心配は無用だ。そのままクレイジー・Dに手渡すと、仗助は冷や汗を垂らしながら引きつった顔で受け取った。

 

「そんなにビビらなくてもいいのに。もし落として傷をつけてもジョースターさんの私物だから、仗助が受け取れる遺産から差し引かれるだけだし」

「余計に雑に扱えなくなったじゃあねーかッ! 平然とカバンからコレを取り出して手渡せるおめーの金銭感覚はどうなってんだよ!」

 

 高額な取引に慣れているだけで、わたしの金銭感覚は普通だと思うのだが……いや、子供としては普通ではないか。

 SPW財団からの報酬として振り込まれている金を使って週に1回はトニオの店で昼食を食べてるし、図書館には置いていない英語やイタリア語で書かれた参考書も買い揃えている。

 それでも使う金額は月に数万円程度だが、この歳の子供としては普通ではないだろう。しかし、これでも仗助よりは無駄遣いしていないはずだ。

 

「ちょっとした興味心なんだけどよォ……ギャングのボスってのをやってたら、こういうのも普通に取り扱ったりするのか?」

「貴金属や宝石でのやり取りもそれなりにあるかな。現金化に時間がかかるけど、マネー・ロンダリング(資金洗浄)の手間が省けるのは大きい」

 

 隠し財産として現金をこの手の価値が変動しにくい物に換えて隠す連中も多い。ポルポも遺産の一部を100億リラ(6億円)分の貴金属に換えて隠していた。

 ポルポは最古参の幹部だったので金を貯め込んでいる。ヤツにとって100億リラは端金だっただろうが、幹部にのし上がる上納金としては妥当な額である。

 

「……仗助はギャングになりたいの?」

「誰がなるかよ、そんなもん。それだったら、おれはじいちゃんみたいな警察官になるぜ」

 

 仗助はクレイジー・Dの指先で摘んだダイヤを角度を変えながら観察しつつ、そっけなく答えた。分かりきっていたが、日本で平和に暮らしている高校生がギャングなんかになりたがるわけがない。

 

「そうだな、それがいい。好き好んで裏社会に関わる必要なんてない。まっとうに生きるのが一番だ」

「なに()()()()()()()を言ってんだ……? それより、とりあえずもう一回『直して』作ってみたぜ」

 

 仗助が手渡してきたダイヤは、わたしが先程手渡した見本のダイヤと瓜二つのカットがなされている。やはり仗助のスタンド能力は本体の想像力に作用されているという仮説は正しかった。

 次は宝石の純度を高められるかどうかの実験だ。カバンから不純物の多いルビーなどの宝石を取り出す。それらを仗助に手渡して指示を出しながら、わたしは先程の言葉を頭の中で反芻(はんすう)していた。

 

 裏社会に関わらないのは当たり前のこと。一般人からしてみれば、それが普通なのだろう。ならパッショーネの今後を(あや)ぶんで手を出そうとしているわたしは、()()()()()()()()()

 命令されたから仕方がなく、というわけではない。承太郎やジョセフはイタリアまで付いて来いとは言わなかった。彼らと色々と話して、わたしがまだジョルノに対してトラウマを抱えたままだと知ったからだ。

 なぜ、わたしは時間を割いてまで戦う準備を進めているのか。イタリアはかつての祖国だが、今の故郷は日本の杜王町だ。かつてパッショーネを立ち上げた当時、オレはどんな思いを抱いていたのだろう。

 宝石をスタンド能力で組み立て直している仗助を眺めながら、わたしは遠い過去の記憶を思い返す。しかし、どれだけ記憶を掘り起こしても心の中に宿っていたはずの情熱(パッショーネ)を思い出すことはできなかった。

 

 

 

「助かったぜ。ありがとな、なのは」

「わたしはアドバイスをしただけで何もしてないけどね」

 

 結局、わたしが儲け話を斡旋しなくてもバイクの購入資金は手に入ったので、仗助にグレードを落とした1カラットのダイヤを何個か作らせて月村家を通して売却するという計画は構想だけで終わった。

 後日、本命である()()()()()()()()()()()()()()の純度を高めて合体させる依頼を完了させた仗助は、SPW財団から多額の報酬を分割で貰うことになったのだ。

 一括で貰うと母親に貯金されてしまうと危惧してのことだったが、日本は年収が一定額を超えると税金が余計にかかるのでそれを避けるためでもある。

 いくら貰ったのかは聞いていないが、どうせバイクなんて大きい買い物をしたらすぐに母親にバレるだろう。仗助は地頭がいいはずなのに妙なところで抜けている。

 

 浮かれている仗助に軽く手を振って帰路につく。桜色のマフラーを首に巻き白い息を吐きながら歩いていると、曇り空の隙間から雪がちらつき始めた。

 足を止め、空を見上げる。今年は記憶通りに物事が起こるか確認するため動けなかったが、来年からは未熟な過去を乗り越えるため本格的に動くことになる。

 幸運にも仗助から許しを得て、()()()を計画に組み込めたので成功率は当初よりかなり高まった。失敗するわけにはいかない。失敗したくない。そのために使える駒は全て利用する。

 運命を変えるためのパーツは杜王町に揃っている。あとは、わたしがうまくコントロールすればいい。決意を胸に、わたしは歩みを進めるのだった。

*1
ダイヤの価値を決める4つの要素のことで『カラット』『カラー』『カット』『クラリティ』の頭文字にCが付くので、そう呼ばれている。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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料理人トニオ・トラサルディーの秘密

 オレ(ディアボロ)がジョルノに殺される日まで1年を切った。それと同時にわたしは6歳の誕生日を迎えた。年は違えどオレが死んだ日と、わたしが生まれた日が同じというのには不思議な因果を感じる。

 あれから1年が経ちSPW財団はわたしが提供した情報の信憑性は高いと判断したようだ。露伴に記憶の中から必要な情報を抜き出させて、月村家を通して経済を混乱させない程度に証券取引や為替取引で資産を増やしたついでにデータを提供したのも大きい。

 以前、承太郎とジョセフに金や権力に興味はないと言ったが、スマンありゃウソだった。いや、厳密にはウソではなく言葉の(あや)である。金や権力者との繋がりを違法な行為に手を染めてまで手に入れるつもりはないが、あるに越したことはないのだ。

 将来、わたしが翠屋を継ぐのかSPW財団に就職するのか、別の道を選ぶのかは分からない。エピタフがあっても遠い未来はわからない。だからこそ非常事態が起きたときのために、個人で動かせる一定の資産を確保しておくに越したことはない。

 

 投資家としての知識はパッショーネを運営していた頃に独学で身につけているが、組織力を活かした情報網に頼らず金を稼げるのは今のうちだけだ。来年の3月までに可能なかぎり資産を増やして、今後に向けて備えておくつもりである。

 ジョセフの紹介で月村家とのパイプを手に入れられたのは幸運だった。月村家はわたしを見張る監視者という役割だったはずが、今では完全に投資関係の窓口扱いである。

 月村俊や月村春菜も、わたしの知識や経験を利用して(したた)かに会社の業績を伸ばしている。良好な関係を築けているのはいいが、経営方針についてそれとなく意見を求められても困る。

 二人はわたしの常識はずれな手腕を知って天才だと思っていそうだが、漢字もろくに読めないぐらい幼い頃から工学分野に関して専門家以上の理解力を有していた忍とは違う。

 未来の予測や情報の取捨選択能力が優れているという自覚はあるが、経験で補っている部分も多い。まあ、二人も本気でアドバイスを求めているわけではなく、わたしに経験を積ませて成長させようとしているのだろう。

 ()()くは月村家の跡取りの補佐になってほしいぐらいには考えていそうだ。忍としてはすずかを跡取りにしたいようだが、その辺りの家庭事情は勝手にやってくれ。

 

 

 

 2000年も半分以上が終わり、仗助たちは高校生活2回めの夏休みを謳歌(おうか)している。大学に進学した兄とは、今でも集まって一緒に遊んでいるようだ。

 一回だけ仗助にちょっとした用事があったので、ついて行って4人で遊べる対戦アクションゲームに付き合ったことがある。仗助は下手くそだったので相手にならなかったが意外なことに億泰が強く、意地になってエピタフを使って無理やり勝った。ちなみに康一はいたって平凡な腕前だった。

 億泰からは大人げないと(わめ)かれたが、子供なので関係ないと揚げ足を取ってやったりした。仗助はそんなことでエピタフを使うなと言っていたが、アホの億泰に負けるのはプライドが許さなかったのである。

 最終的に反射神経が一般人とは桁違いな兄とエピタフで対戦相手の動きを読むわたしの一騎打ちになり、億泰と康一そっちのけで戦っていた。仗助の家で集まっていたのに、人数があぶれるのでゲームの苦手な仗助がハブられていたのは哀れだった。

 テレビゲームなんてガキの遊びだと思っていたが意外と奥が深いと知った一件だった。

 

 時間はかかったが諸々(もろもろ)の根回しも終わった。最後の要素を埋めるために、わたしはトニオ・トラサルディーの店──イタリア料理店『トラサルディー』へと出向いていた。

 トニオの店は商店街を離れた霊園が見える位置にひっそりと建っている。彼の店はコース料理が出てくるが、リストランテのような高級志向の店ではない。

 入り口の上の看板にも書かれているようにトラットリア(大衆食堂)を意識しており、トニオのこだわりでリスタ(献立表)こそ無いが良心的な価格で料理を提供している。ドレスコードを意識せず気軽に入れる店だ。

 余談だがブチャラティチームが拠点としていた『Libeccio(リベッチオ)』という店はリストランテに分類される。ポルポも目をかけていたスタンド使いだけで構成されたチームなだけあって、それなりの給与を受け取っていたのだろう。

 

 扉の金具に『準備中』と書かれたプレートが吊るされているが、無視して取っ手に手をかける。鍵はかかっておらず取り付けられたベルがチャリーンと鳴りながら、すんなりと扉は開いた。

 今日はトニオの店は定休日なのだが、重要な話があると伝えていたので鍵を開けておいてもらった。店内に入ると音を聞いてキッチンからトニオが出てきた。

 

ボンジョールノ(こんにちは)、トニオさん」

「ボンジョールノ。いらっしゃいマセ、なのはサン。立ち話もなんですし、こちらにお座りくだサイ」

 

 そう言ってトニオは2つしかないテーブル席のうちの1つの椅子を引いた。わたしが来ると分かっていたので、あらかじめ子供用の座面が高い椅子に取り替えてあった。

 この椅子は常連客でもあるわたしのために、トニオが気を利かせて用意したものだ。本人は子連れの客のために用意したものなので気にしないでくれと言っていたが、半分はわたしのためでもあるだろう。

 それはいいのだが……どうして同じテーブルに見知った男が座っているんだ。こいつも常連だから今日が定休日だということは知っているだろうに、のんきに『(あわび)のリゾット』を食べている。

 

「うぉおおおおッ! 疲れ目がスッキリしたああっ────ッ!」

 

 男の眼球がドロドロに溶け出して流れ落ちそうになっていたが、最終的に店に来る前より健康な状態へと回復した。

 わたしも一日のうち結構な時間、本を読んだりパソコンを使って作業をしているので同じ効果の能力を受けたことはあるが……(はた)から見ると相当にグロテスクな光景だな。

 スタンド使いや特殊な血筋でなければ異常だと思わない効果もあるようで今まで問題になったことはないそうだが、事前情報がなかったら敵スタンドの攻撃だと勘違いしてしまいそうな光景である。

 味や効果は一級品で健康に気を使っていれば普通に食事できるので文句はないが、もう少し料金を上げてもいいのではないだろうか。

 

「感動させていただいた。人は腹が空いたときは、所詮(しょせん)()()()()()()だからな。

 祖国のイタリアではなく、この杜王町に店を開いている点だけは前から気に入らないが、人の孤独を『感動』にする腕を持つ君には心から敬意を表するよ。今……『幸せな』気持ちだ」

「お褒めの言葉と受け取らせていただきマス」

 

 食べていた料理の内容に夢中でわたしが入ってきたことに気がついていないのだろう。対面に座っているわたしには目もくれずに、男はトニオに自分の考えを伝えている。

 トニオがお辞儀をしたことで、ようやく興奮から冷めたのか目の前の男がわたしに気がついて、さも偶然出会ったかのように白々しく話しかけてきた。

 

「オヤオヤオヤオヤオヤオヤオヤオヤオヤ、()()()()。なのはくんもトニオさんに用事があったのか?」

「……キサマ、わかっていてわざと()()()()()()()()()押しかけてきたな。どうせうまいことトニオを口車に乗せて、自分も()()()()()()だと言いくるめたんだろう? え? 答えろ、岸辺露伴ッ!」

 

 この男──岸辺露伴は認めたくないが、わたしの考えをこの世の誰よりも理解している。承太郎との契約で週に1回は記憶を読ませているので、わたしの計画の全容を知っている数少ない人物の一人だ。

 露伴によると、オレの記憶は胸くそ悪くなる内容も多いが創作意欲が高まるようだ。どこがいいのか分からないが、オレはともかくわたしの性格は気に入っているらしく、いつか漫画のキャラの参考にしたいと言っていた。

 本人(いわ)くダークヒーローとしては中々参考になると漏らしていたが、いささか夢を見すぎているのではないだろうか。

 わたし個人としては露伴のような性格の人物は嫌いである。すずかのような人の内面に踏み込みすぎない人物なら仲良くしたいが、露伴のような自分勝手な人間は知り合いならともかく友人にはなりたくない相手筆頭である。

 

「水臭いこと言うなよ。ぼくたち友達だろォ──?」

「わたしはキサマと友人になった覚えなどない! こっちから攻撃できないとはいえ調子にのるなよ。この便器に吐き出されたタンカスがッ!」

 

 体を前のめりにして噛み付くようにイタリア語で露伴に食って掛かるが、当の本人は言葉を理解できているはずなのに気にする様子もなく優雅にワインを飲んでいる。

 ヘブンズ・ドアーの命令で攻撃できないのが、こんなにも忌まわしいと思ったのは何度目だろうか。縛りさえなければ、今この場でキング・クリムゾンを使って露伴を拷問していてもおかしくないぐらいには苛立っている。

 

「落ち着いてくだサイ、なのはサン。露伴先生もこれ以上、彼女をからかうようでしたら店から出ていってもらいますからネ?」

 

 有無を言わせないトニオの態度にわたしたちは無言で頷いた。トニオのような温厚な人物は怒らせると恐ろしい。ただでさえこちらから頼み事をするのだから、言うことを聞いたほうがいいだろう。

 深く息を吐きだしてトニオに手渡された『アフリカキリマンジャロの5万年前の雪どけ水』のミネラルウォーターで喉を潤す。柔らかく喉越しのいい水を飲んだことで、高ぶっていた感情が少し落ち着いてきた気がする。

 自分のことは無視して話を進めてくれと言わんばかりの態度で傍観を決め込んでいる露伴の行動は気に食わないが、これ以上不毛な言い争いをするのは無意味な行為だ。

 

「トニオさん、あなたにお願いしたいことがあります。この女性……ドナテラ・ウナの病気をあなたのスタンドで治療してほしいのです」

 

 SPW財団に頼んで集めてもらったドナテラのカルテやCT写真などの医学的な情報を開示する。現在、ドナテラはイタリアにあるSPW財団系列の病院に入院している。

 この世界のディアボロもオレと同じく彼女に干渉するつもりはないようで、パッショーネが周囲を嗅ぎ回ったり手を出してくる様子はないようだ。

 オレの場合は意図的にドナテラから目をそらしていた。そのため娘の存在はおろか、彼女がトリッシュの父親のソリッド・ナーゾ(ディアボロの偽名)を周囲の人間に探させなければ死んだことにすら、しばらくは気が付かなかったはずだ。

 パラパラと資料に目を通していたトニオは納得したかのように頷くと、おもむろに口を開いた。

 

「……これも何かの運命かもしれまセン。直接診なければ断言できませんが、彼女を治せる可能性はありマス」

ダヴェラメンテッ(本当か)!?」

「ワタシのパール・ジャムでも、ここまで大きな頭の中にある腫瘍は取り除けまセン。しかし、杜王町の『ヒョウガラ列岩(れつがん)』という場所で採れる特別なクロアワビを使った料理なら……快復させられるかもしれナイ」

 

 トニオのパール・ジャムはどんな病気でも治せるというわけではないらしく、特別なパワーの宿った食材を使わなければ命に関わる重病は手がつけられないのだと悔しそうな表情で語り始めた。

 そもそも、トニオは元々は没落した貴族の生まれだったそうだ。弟に家督を譲り故郷を捨てて料理人になるため世界を放浪していたのは、理想とする料理を求めてだった。そして不治の病によってジワジワと死んでいく恋人の治療法を探すためでもあった。

 奇しくもトニオの彼女とドナテラは同じような症状で苦しんでいた。故郷で養生していたトニオの彼女が医者に手の施しようがないと見放されて、つい最近日本に連れてきたとのことである。

 

「杜王町はスバらしいところです。特に()()()を気に入って、ここに店を出すと決めたのデス。

 そこでお二人に、お客様としてではなく友人としてお願いしたいのですが……一緒に杜王の海岸に『(あわび)』を取りに行ってはいただけまセンか?」

「普段、トニオさんがレストランの食材をどこから仕入れているのか知らないが……漁師たちから直接買えばいいだろう?」

 

 自然と頭数に含まれていた露伴が勝手に話を進めている。わたしは口を出さずに黙って今後どう動くか考えをまとめていた。

 ドナテラを治せるかどうかはダメ元だったので期待こそしていたが、まさか本当に治せる可能性があるとは思わなかった。これなら本当に運命を変えられるかもしれない。

 

 1年以上前、承太郎やジョセフと話し合ったときは、ドナテラと直接会って話す場を用意してもらうのを報酬にした。しかし杜王町に住まうスタンド使いたちの能力を知って欲が出たのだ。

 仗助のクレイジー・Dでは病気は治せないので治療は難しいだろうと諦めていたところに現れた病気を治せるスタンドを持つ母の知り合いの男、トニオ・トラサルディー。彼の存在を知ってから、わたしは本気でドナテラを救うための計画を考え始めた。

 既にドナテラをパッショーネの目をかいくぐって日本まで移送する段取りは整っている。脅したとはいえ、()()()がわたしと仗助に従順で助かった。

 

 じっと黙って話を聞いているわたしをよそに、トニオと露伴の押し問答は続く。目的のクロアワビは貴重すぎて漁師は売ってくれないと告げるトニオ。売ってくれないものを獲りに行こうと誘っているが、それは違法ではないのかと言い返す露伴。

 採るのは自分でやるから、露伴とわたしは電灯で照らすだけで何もしなくてもいいとトニオは言う。段々とまっとうな手段から外れていく話をわたしは黙って聞き続ける。最終的に目的のクロアワビを手に入れられるなら合法か違法かなど、どうでもいいからだ。

 

「ナアナアナアナアナアナアナアナアナア、ライトを照らすだけだって……子供のなのはくんなら見つかっても注意されるだけだろうが、ぼくは健全な少年少女のために漫画を書いてる大人だぜ。社会的に少しは有名なんだ」

 

 バレたら父や母に責任が発生するかもしれないが、そもそもキング・クリムゾンなら時を飛ばして逃げられるので捕まりはしないはずだ。露伴も最悪の場合はヘブンズ・ドアーで誤魔化せるし、マンガの参考になるなら多少の違法行為は目をつぶるタイプの人間だと思っていたんだがな。

 

「『密漁』をしマス」

「だから気に入った」

「いや待て、どうしてそうなる」

 

 もっともらしい理論を展開していた露伴が一瞬で手のひらを返した。わたしが思わずツッコんでしまったせいで、二人に今更何を言ってるんだコイツという目を向けられてしまった。

 トニオはともかく露伴はわたしが杜王町を含む地域一帯の有力者と親しい仲だと知っているはずなんだが、密漁という経験したことのない体験ができるという餌に釣られているようだ。

 

「そもそも、どうして漁師がクロアワビを売ってくれないのか。『物事』には必ず『理由』がある。その『理由』はなんだと思う?」

「そんなの、もう売る相手が決まってるか、地主に止められてるんじゃあないのか? だからトニオさんも『密漁』しようと……どこに電話してるんだ?」

 

 電話の相手など決まっている。ちょうど電話の相手──月村俊は休憩中だったようで、すぐに会話することができた。ヒョウガラ列岩のクロアワビについて尋ねると、すんなりと質問に答えてくれた。

 どうやら(くだん)のクロアワビは夜の一族が独占している高級食材らしく、市場に流れることは一切ないようだ。事情があって譲って欲しいと伝えたら、(こころよ)く分けてくれると約束してくれた。

 かつてのオレは人と人の繋がりや感情を軽視していたが、やはり信用できる相手は多いほうがいいと実感できる。

 わたしが月村家と深いつながりを持っていなければ、忍が作った警備システムをかいくぐり密漁するという非常に難易度の高いミッションを実行しなければならなかった。

 

「ありがとうございマス、なのはサン。まさか、真っ当な手段でクロアワビを手に入れられるとは思いませんでシタ」

「せっかく『密漁』を体験できるチャンスだと思ったのに……君ならこの手の違法な行為も()()に手伝ってくれると思ったんだがなァ」

「どうしても犯罪に手を染めなくてはならなくなったら迷わず実行するけど、合法的になんとかなる道があるならそっちを選ぶよ。()()はそうするよね?」

「ぼくが言えた口じゃあないが、普通の人間はよっぽど切羽(せっぱ)詰まらないと犯罪に手を染めないぞ。……まあ、『密漁』はできなくても特別なクロアワビの生態を取材できるならそれはそれでアリか」

 

 もっとごねるかと思っていたが、意外なことに露伴はわたしの言葉をアッサリと受け入れて密漁を諦めた。露伴も理由がなければ法を無視したりはしないぐらいには物事の分別がついている、ということか。

 罪を犯す必要がないのに犯罪行為に手を出すのは合理的ではない。一般人がどう考えているかは知らないが、今のわたしにとっての普通とはそういうことだ。

 それに犯罪者には犯罪者の、ギャングにはギャングの掟がある。それを(ないがし)ろにした結果こそがオレの末路である。人間は大なり小なり社会に属している生き物だ。それが社会から完全に孤立して活動することなど不可能である。

 

「確実に治せるかは分かりませんが、可能なかぎり手を尽くすつもりです。これでも無理なら『ロカカカ』を使うという手もありますが……」

「『ロカカカ』だって? トニオさん、あなたは『ロカカカ』がどういったものなのか知っているのか?」

 

 予想外の単語が出てきて、思わずわたしはトニオに聞き返してしまった。トニオの口から岩人間が言い残した『ロカカカ』のついて出てくるとは思いもよらなかった。

 SPW財団も調べていたが欠片も情報が見つからなかったシロモノを、一介の料理人が知っているとは驚きだ。

 

「ワタシも実物を見たことはありまセン。インドネシアを旅していたときに原住民から聞いた噂話なのですが、『ロカカカ』という果実は食べた者の体を治癒させる能力があるようなのデス」

 

 トニオの説明によると、ロカカカの実は食べた人物の失った機能を回復させる代わりに他の機能を失うリスクがあるようだ。昔はニューギニア島に自生していたようだが第二次世界大戦時に日本軍に占領されて以降、ロカカカを見つけた者は誰一人としていない。

 パール・ジャムの能力と組み合わせたらリスクを回避できるかもしれないと考えたトニオは情報を集め続けて、ロカカカを高額で密売している売人が存在することを知った。当初はトニオもロカカカを追い求めていたが、1億円近い金を出さなければ買えないと知って諦めたようだ。

 

「1億円か……今のわたしなら手が届く額だが2個手に入れるとなると、すぐに動かせる現金だけでは足りないな」

「そもそも、ワタシの知っている売人の連絡先は繋がらなくなっているのデス。電話以外にも指定された場所にメモを残せば連絡先を伝えると言われていたのですが、それも音沙汰がありまセン」

 

 そう言って手渡してきたメモには携帯電話の電話番号が書かれている。試しにコールしてみるが、トニオの言ったとおり一向に繋がらず呼び出し音が鳴るだけだった。

 売人の連絡先を知ったのは杜王町に越して来たばかりの頃だそうだ。1年以上経っているので足取りを掴まれないように、売人が番号を変えたのだろう。

 トニオも売人の顔や名前は知らず、電話越しに聞いた特徴的な男の声しか覚えていないようだ。残念ながらヘブンズ・ドアーでも音声までは再現できない。岩人間のうちの誰かだったとしても、今となっては確かめる手段はない。

 

「クロアワビを使った料理の治療が失敗する前提で考えていてもしょうがないだろ。ぼくはトニオさんの料理人としての腕前を信頼している。あなたなら、きっと人生最高の料理を完成させられるはずだ」

「……そうですネ、露伴先生の言うとおりです。失敗すると思っていては、成功する可能性すら失いかねまセン。ワタシの彼女も、ドナテラさんも必ず治してみせると約束しまス」

「…… ペルファヴォーレ(よろしくお願いします)、トニオさん」

 

 目的のクロアワビは一週間以内に手に入る。治療が可能かどうかはトニオの腕にかかっているが……トニオの腕を信じて行動するしかない。わたしがイタリアへと向かう日は刻一刻と迫っていた。




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Come si chiama?(なまえをよんで)

 トニオにドナテラの治療の約束を取り付けてから一週間後、わたしは生まれて(高町なのはとしては)初めてイタリアに訪れていた。

 既に特別なクロアワビの料理が、脳腫瘍の治療に効果があるというのはトニオの彼女で確認済みである。料理の効き目は凄まじく、リハビリの必要もなくトニオの店を手伝えるぐらいに回復している。

 なお、わたしたちは正規の手段でイタリアに渡航していない。俗に言う密入国というやつだ。

 下手に渡航歴を残してパッショーネの情報分析チームに察知されるのを防ぐため、ものを『紙』にできるスタンド使い──宮本輝之輔のスタンド能力を利用した。

 

 輝之介のスタンド──エニグマは相手の『恐怖のサイン』を見極めなくても、相手が『紙』に封印されるのを同意するだけで能力を発動できたのだ。

 輝之介は『本』にされて暗い本棚の中で半年以上放置されていたのがよほど堪えたのか、ヘブンズ・ドアーで保険をかけるまでもなく従順な態度で協力している。

 そもそも他人の『恐怖のサイン』を見たいだけなら、映画館に行ってホラー映画を鑑賞している観客の様子を眺めていればいいのだ。

 自分の手で恐怖させることに喜びを覚えるのなら、映画監督になって自分で作ったホラー映画を流せばいい。

 終始わたしに対して怯えっぱなしでうっとおしかったので、誰にも迷惑をかけることなく『恐怖のサイン』を見る方法を世間話がてら教えると輝之介は呆気にとられていた。

 結局、目を合わせようとしないのは変わらなかったが、心境に変化があったのか話しかけるだけでビビったりはしなくなった。

 

 

 

 イタリアの医療制度は世界最高水準である。保険料さえ支払っておけば薬こそ有料だが専門的な治療以外は無料で受けられる。

 それだけ聞くと日本より優れているように聞こえるが、その制度は公立病院にのみ適用されるため私立病院に行かなければ混雑で診察まで何時間も待たされるというデメリットもある。

 私立病院はサービスや設備が公立病院より整っていて、すぐに診てくれるが非常に高額なので一般市民は気軽には行けない。

 ドナテラが入院しているのはSPW財団が出資して運営しているピサの郊外にある私立病院だ。脳腫瘍手術の第一人者として知られる医者が在籍している有名な病院で、半年ほど前から個室で暮らしている。

 

 事情を知るSPW財団から出向してきている医者や看護師の案内で、わたしはドナテラの病室の前まで来ていた。

 人払いをしているので、この場にはわたししかいない。ドナテラが子供の言葉を信じないという可能性も十分に考えられる。そのときは医者や看護師に任せるが、最初はわたしから話をしたいと頼んだのだ。

 いつまでも突っ立っているわけにもいかない。無意識に握りしめた拳を開き、覚悟を決めて扉を開ける。

 

「……あら、可愛いお客さんね。トリッシュのお友達……にしてはちょっと年が離れてるわね」

 

 窓際に置かれたベッドの上で上半身を起こして雑誌を読んでいた茶髪の女性──ドナテラ・ウナがこちらを向きながら首を(かし)げている。

 ドナテラは三十代前半のはずだが、二十代前半と言われても納得できるぐらい若々しいままだった。化粧で若作りしているというわけでもないというのが驚きだ。

 室内にこもりっきりなせいで肌は白いが顔色は悪くない。一見すると病人とは思えないが、トニオの彼女と同じく脳腫瘍の影響でドナテラは立って歩けない。病室の片隅に置かれている車椅子がその証拠だ。

 

ピアチェーレ(はじめまして)、わたしの名前はナノハ・タカマチといいます」

ピアチェーレミーオ(こちらこそはじめまして)、あたしはドナテラ・ウナよ。その名前の響き……あなた、もしかして日本人?」

 

 壁に立てかけてあった折りたたみの椅子をベッドの脇まで運んで座り挨拶を交わす。ドナテラとオレはひと夏の付き合いだったが、日本について聞いたことはない。

 サルディニア島で会ってから15年近くが経っているので、その間に詳しくなったのかもしれない。

 

「確かにわたしは日本人ですが……詳しいですね」

「昔、デビューする前イギリスのクリステラ・ソングスクールに通っていて、そこの校長先生が親日家だったのよね。その関係で、ちょっとだけ日本に詳しいの。

 あなたぐらいの歳だと知らないかもしれないけど、あたしってこれでも()()()()()()()な歌手なのよ?」

 

 それなりどころの話ではない。ドナテラは『世紀の歌姫』と呼ばれていた伝説の歌手──ティオレ・クリステラから直接、教えを請うたイタリアでもトップクラスに有名な歌手である。

 クリステラ・ソングスクールはティオレが校長をしているのだ。そして、わたしの家族とクリステラ一家は実は関係があったりする。

 イギリスで上院議員をしているティオレの夫──アルバート・クリステラのボディーガードを父がしていたのだ。父と母の出会いもアルバートをボディーガードしていた際に巻き込まれた事件がきっかけだったそうだ。

 世間は広いようで狭いと思い知らされた。アルバートと父は以降も個人的な付き合いを続けており、わたしもティオレやアルバート、娘のフィアッセ・クリステラとは父の関係で何度か顔を合わせたことがある。

 わたしの家族とクリステラ一家の関係を掻い摘んで説明するも、ドナテラは余計に首を(かし)げている。お互いの家族全員で集まって撮った写真を見せたので、話自体は信じているが納得はできていないようだ。

 

「ティオレ先生と知り合いだったのね。だけど、あたしとあなたって初対面だし、お見舞いに来てくれたってわけでもなさそうね。ファンの子とも思えないし……」

「……落ち着いて聞いてください。わたしは、あなたの病気を治療できるかもしれない方法を伝えに来ました」

 

 当然だが、わたしの言葉を聞いたドナテラは胡乱(うろん)な目でこちらを見ている。脳腫瘍手術の第一人者も(さじ)を投げた病気を治せると六歳の子供が言って信じるほうがおかしい。

 

「あんた……自分が言ってることを理解できてるの? まさか、あたしを騙して金をせしめようとしてるんじゃあないでしょうね!」

「ドナテラ・ウナ、おまえがわたしの言葉を信じられないのは当然だろう。だから証明しよう。この世には常識の枠を超えた力が存在するという事実を」

 

 口調を昔の自分(ディアボロ)に戻しながら、わたしはドナテラの肩をキング・クリムゾンに軽く触らせた。ドナテラは目を見開き周囲を見渡しているが、すぐ側に立っているキング・クリムゾンの姿は捉えれられていない。

 やはりトリッシュとは違ってドナテラにスタンド使いとしての才能はないようだ。スタンド使いの要素は遺伝する。子であるトリッシュならともかく、ドナテラにはスタンド使いとしての素養はない。

 

「──ッ!? な、なに……? 今の感覚は……風じゃあない。まさか……見えない何かに触れられたの……?」

「この力のことを我々は『スタンド』と呼んでいる。わたしのスタンドは、今おまえの側に立っている」

 

 これは『試練』だ。わたしがドナテラに与える『試練』なのだ。スタンド能力を誤魔化してドナテラを日本へ連れて行くことはできるが、彼女には真実を知る権利がある。

 ドナテラが恐れおののきスタンドの存在を認められないのなら、輝之介に『恐怖のサイン』を見極めさせてエニグマで無理やりにでも日本へ連れて行く。そしてヘブンズ・ドアーで記憶を書き換えて、病気だと勘違いさせたまま来年の2月まで過ごさせるつもりだ。

 その後はアメリカにあるSPW財団の本部で、わたしたちがディアボロを始末するまで(かくま)ってもらう手はずとなっている。ドナテラの感情を無視したやり方で恨まれる可能性は高いが、助けられる可能性があるのに死なれるよりはマシだ。

 ……この計画を聞いた承太郎とジョセフは賛同も反対もしなかったが、いい顔もしなかった。強引すぎる計画だ。もっといいやり方があるのではないかと説得されたが、わたしにはこれぐらいしか方法が思い浮かばなかった。

 他人の心を理解できていないと言われても反論できない。合理的なら他人の感情を無視してでも確実な手段を選んでいい、なんてわけはない。間違った考えだと理解できている。それでも長年培った経験が導き出す答えは、どうしてもそうなってしまうのだ。

 

「へえ、意外とガッシリした体つきなのね。ねえ、ナノハ。彼、でいいのかしら。彼の名前は何ていうの?」

「スタンドの名は『キング・クリムゾン』だ。……スタンドを恐ろしいと思ったりはしないのか?」

 

 実体化させたまま立たせていたキング・クリムゾンをドナテラは両手でベタベタと触っている。スタンドによって個人差があるが、キング・クリムゾンは視界だけ本体と共有することができる。触覚は共有できないので触られてもくすぐったくはないが……恐ろしくはないのだろうか。

 わたしの質問にドナテラは不思議そうな顔をしている。まるで、どこに怖がる必要があるのかといった態度である。オレが初めて出会ったときカエルが好きだと言っていたし、どこか感性がズレているのだろうか。

 

「詳しくは言えないけど、あたしの『知り合いの娘*1』が超能力者なの。その、スタンドだっけ? それとは違って、あたしも見えるんだけどね。

 だから超能力の存在そのものは疑っていなかった。ただ……あたしが病気だと知って、金目当ての胡散臭い連中が山のように妙なものばかり勧めてきて、ちょっと参ってたのよね」

 

 イタリアどころか世界各国でドナテラの曲は聞かれている。多くの人に歌を聞いてほしいという理由で、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、英語で同じ曲を歌っているのだ。

 病気の影響で音感が狂ってしまい5年ほど歌手として活動できていないが、それでも手元に入ってくる印税や貯蓄は凄まじい額だろう。

 今はSPW財団やドナテラが所属してる事務所の協力で秘密裏に病院を移れたおかげでマスコミには嗅ぎつけられていないようだが、いつまで隠蔽工作が保つだろうか。

 

「納得できたのなら話は早い。わたしの協力者に、料理を食べた生き物の病気を治す能力を持ったスタンド使いがいる。ドナテラと同様の症状の女性も、つい先日回復させることに成功している」

「それが本当ならすごいことだけど……ちょっと考えさせてちょうだい。あと悪いけど、そこの冷蔵庫から飲み物を取ってくれないかしら」

「ああ、わかった。わたしも適当に飲ませてもらうぞ」

 

 病室の冷蔵庫を開けるとワインや缶ジュース、それからペリエというフランス産の硬水の炭酸水が並んでいた。あの頃から、炭酸水に限らず色々なものに(こだわ)っていたが味の好みは変わっていない、ということだろう。

 迷わずペリエを取り出して手渡す。ドナテラは少しの間わたしの瞳をじっと見つめたあと、瓶の蓋を開けてゆっくりとペリエを飲み始めた。わたしも冷蔵庫から缶ジュースを取り出して、話し続けていて乾いてしまった喉を潤した。

 

「そういえば、あなた日本人なのよね。それにしてはイタリア語が上手いわ。まるでイタリア人みたい。でも、ちょっとサルディニア(なま)りが入ってる気がする。喋り方も男っぽいし誰に習ったの?」

「な……訛っている、か? そんなつもりはないんだがな」

 

 いきなり確信に近い質問をされて思わずむせてしまった。さすがにわたしとディアボロを結びつけるのは不可能に近いだろうが、何か怪しい行動をしてしまっただろうか。無意識に何も聞かずにペリエを手渡したのは失敗だったか……?

 訛りで出身地がバレないように、オレは意識して標準イタリア語で話していた。だから、わたしのイタリア語も訛ってはいない……はずだ。昔から相手の機微(きび)に敏感な女だったが……さすがに野生動物のような勘の良さまでは持っていなかったはずだ。

 

「……動揺したわね。あたしとナノハに接点なんてほんの僅かにしか無いのに、一人でこうして現れた時点でおかしいとは思ってたのよ。ナノハ、あなたの正体は──」

 

 どんどん真実へと迫っているようなドナテラの口ぶりに、わたしは思わず喉を鳴らしてしまった。それを見たドナテラは確信を得たのか、わたしの正体を告げようとしている。

 オレには緊張しているとき喉を鳴らす癖があることをドナテラは知っている。まさか、本当にドナテラはわたしとソリッド・ナーゾ(ディアボロ)が同一人物だと──

 

「──ソリッド・ナーゾの娘ね!」

「……は?」

 

 ──思っていなかった。ドナテラの予想外な発言に、わたしは間抜けな声を出してポカンとしてしまった。いや、普通に考えたら六歳の日本人少女と三十代前半のイタリア人男性を同一人物だと推理できるわけないのだが……あの流れでは真相に辿り着いたと思うだろう!

 かつての恋人と似た癖を持っていて、個人的にドナテラを気にかけている人物、となるとソリッドを思い浮かべるのは言われてみれば当たり前だった。ドナテラにとっては死ぬ間際、トリッシュを託そうと周囲の人間に探させるぐらいには思い入れがあるのだから。

 

「……もしかして、ハズレてた?」

「わたしがソリッド・ナーゾに関係している、というのは間違いではないが……血縁関係はない」

 

 さすがに、こうなってしまってはソリッドと無関係だと言い逃れるのは難しい。こういう展開は予想外だったので即興になるが、なんとか適当なバックストーリーをでっち上げるしかない。

 かなり無理があるが、わたしが予知能力でドナテラの死を知って、ソリッドに頼まれて送り込まれたということにするか……? いや、それだとトリッシュの存在をディアボロが知る切っ掛けが無くなって、ブチャラティチームが組織を裏切る流れが変わってしまう。

 どうやっても現在開示している情報だけで上手くドナテラを説得できる気がしない。芯が強い性格なので、一度疑念を抱いたら間違いなく追及してくるだろう。これは……危険は(ともな)うが、ディアボロについての情報を一部だけ伝えるしかないか……?

 

「わたしのスタンドは()()()()()()()()()()()()()を持っている。その能力で、わたしはソリッド・ナーゾの秘密を知ってしまった。こうして動いているのは、()()()()わたしも当事者だからだ」

「ソリッドの秘密……? 彼は、今何をしているの?」

「教えてもいいが……知ってしまったら後戻りはできない。僅かにでも誰かに伝えたら、問答無用で殺されてもおかしくない危険な情報だ。それでも知る『覚悟』があるなら……教えてもいい」

「……きっと彼は変わってしまったのね。それでも……あたしは彼の本当の姿を知りたい。絶対に誰にも……トリッシュにも喋らないと約束する。だから本当のことを教えて」

 

 ドナテラは決意に満ちた表情でわたしを見つめている。彼女の明るい空色の瞳とわたしの深い藍色の瞳が交差する。わたしは本来辿るであろう未来を、少しだけ嘘を織り交ぜながら彼女に語ることにした。

 

 

 

 三時間ほどかけてソリッド・ナーゾ──ディアボロの正体や、これから起こるであろうトリッシュを取り巻く争いを伝え終えるとドナテラは目を閉じて考え込み始めてしまった。

 さすがにかつての恋人が故郷を焼き払って過去と決別して、現在はイタリア全土に麻薬をばら撒いていると知ったのでショックを受けたのだろう。特にトリッシュを己の手で殺そうとした話は衝撃だったはずだ。

 

「ナノハはソリッドを……ディアボロを殺すつもりなのよね」

「ああ、そうだ。あの男は後戻りできないところまで足を踏み入れてしまった。()()()()()()絶対に止まらないだろう」

 

 ディアボロを生かしておく利点は全く無い。ヘブンズ・ドアーで記憶を読んで、わたしとディアボロの記憶の差異を検証するぐらいしか役に立たないだろう。

 パッショーネを再編するだけなら、わたしの知識と経験だけで事足りる。わたしがいなくてもSPW財団とブチャラティやジョルノが力を合わせたら、案外難なく統一できるかもしれない。

 だからディアボロは殺す。これは決定事項だ。ドッピオも一緒に殺してしまうのは思うところがあるが、我ながら何をしでかすか分からない相手を生かしておく訳にはいかないのだ。

 

「……あたしがあなたにこんなことを頼むのはオカシイかもしれないけど……彼に一度だけ『変わる機会』をあげたいの」

「変わる機会、だと……? あの男は生まれながらの悪だ。今更、変わることなど──」

「でも、彼はあたしをあえて見逃しているんでしょう? 彼の中にも、きっとほんの少しだけ善の心があるはず。そう信じるのは悪いことかしら」

 

 確かにオレもディアボロもドナテラを殺そうとはしないだろう。本名を知らないから。病気で長く生きられないから。そう言い訳して病死するまでドナテラの周囲を探ろうともしなかった。

 本来なら未熟な過去の象徴でもあるドナテラは真っ先に始末していないといけないはずなのに。生かしておく意味など一切ないはずなのだ。

 本当は彼女を殺したくなかったのだろう。愛していたからなのか、家族として認めていたからかは分からない。少なくとも今のわたしはドナテラを愛してはいない。目の前にいるドナテラは、オレのよく知るドナテラとは別人だ。

 

 ……オレはドナテラと、もう一度会っていたら変われただろうか。何も知らない娘を自分の都合だけで利用する男が、絶頂や栄光を捨てて平穏な暮らしに戻れただろうか。

 分からない、解らない、判らない──わからないのは当たり前だ。わたしはディアボロではない。人は環境に影響されて常に変わり続ける生き物だ。既に、わたしはあの男と同じ記憶を持っているだけの別人だったのだ。

 

「希望的観測としか言えないが……できるかぎり善処しよう」

グラッツェ(ありがとう)、ナノハ!」

 

 断りきれず安請け合いしてしまったが、ドナテラは思いの外喜んだ。そのまま感情に任せて足がうまく動かないのに、わたしに抱きつこうとしたドナテラがベッドから落ちそうになった。

 慌ててキング・クリムゾンで抱き上げて事なきを得たが、年甲斐(としがい)もなく何をやっているのやら……潔癖症なくせに気に入った相手との触れ合いは好むところも昔から変わっていないんだな。

 

 

 

 実はドナテラを移送する間、病室が空になるのを誤魔化すために杜王町から、もうひとりスタンド使いを連れてきていた。現在は大学に進学している間田敏和(はざまだとしかず)という男で、地味に康一と連絡を取り合っている仲らしい。

 間田のスタンド──サーフィスは物質同化型のスタンドで、等身大の木製のデッサン人形を媒体に発動するスタンドだ。能力は単純で人形に触れた相手の姿形と性格をコピーするというものだ。

 記憶は完全に再現できないし、真似るのは外見だけなので実際に触れられたらすぐにバレてしまうだろうが、担当の医者や看護師はSPW財団の者だから問題ない。間田に協力するかは、コピーした相手の性格に左右されるという使い所が難しいスタンドだが、影武者ぐらいには使える。

 

 自分そっくりの姿になったサーフィスを見てドナテラが興味を惹かれてデュオで歌い始めたりして少々余計に時間を食ったが、無事に日本へと戻ってこられた。ちなみにサーフィスの射程距離の問題で間田はイタリアに置いてきた。

 元々、間田は日当5万円のバイト扱いでわたしが雇っていて、暇つぶしのために『紙』に封印した娯楽品を山ほど持ち込んでいるので本人は納得している。

 

 ドナテラの治療は、あっけないほどあっさりと終わった。数年ぶりに自分の足で歩けるようになったのが余程嬉しかったのか、通訳を兼ねて散歩に同行させられてしまったぐらいだ。

 その後も、せっかく日本に来たのだからと杜王町や海鳴市の観光につきあわされて、速攻でイタリアに帰るはずが一週間ほど滞在期間が延びたのは余談である。

 思えばオレも大概ドナテラには逆らえなかった。行動の主導権を握っているが無理やりではなく、相手が嫌がることは強要しないという絶妙なバランス感覚をドナテラは持っていた。

 

 観光も終わり、ドナテラをイタリアの病院に送り返した後、別れ際に気になっていたことを聞いてみた。絶対反対されると思って、どう納得させるかずっと考えていたのに一切聞かれなかったのが不思議だったのだ。

 

「このまま計画を進めるとトリッシュが危険な目に遭うが、それは構わないのか?」

「心配してないわけじゃあないけど……あなたがあたしを救ってくれたように、トリッシュを守ってくれると信じているから」

 

 ドナテラは体の後ろで手を組んで、わたしにヒマワリのような笑顔を向けながらそう答えた。日本でそれなりに話したからか、ドナテラは妙にわたしを信頼している。

 客観的に見たら明らかに怪しい子供にしか見えないと思うのだが、どこに信頼できる要素があったのだろうか。微妙に引っかかりを覚えつつも、わたしはドナテラにしばしの別れを告げた。

 次に会うのは来年の4月になるだろう。オレの記憶通り、来年の2月に偽の情報を流して表向きには死んだ扱いにするのは心苦しいが、パッショーネを掌握できればマスコミの発表はいくらでも捻じ曲げられる。

 ドナテラとの約束を守るためにも、計画は確実に成功させなければならない。こうして20世紀最後の年はあっという間に過ぎていった。

*1
フィアッセ・クリステラのことである。機会がなかったため、なのははHGSの正体が先天性の超能力者になる病気だと知らされていない。当然、フィアッセがHGS患者だということも知らない。高町家で真実を知っているのは士郎と桃子だけである。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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岸辺露伴は喚かない Episodio #01 広瀬家の日常

 広瀬康一はごくごく一般的な4人家族の末っ子である。家族構成は父、母、姉、そして飼い犬が1匹おり、一戸建ての家に住んでいる。

 恋人の熱心な指導と真面目に塾で勉強するようになったおかげで、一時期は億泰以下だった学校の成績も順調に伸びて順風満帆(じゅんぷうまんぱん)な生活を送っている。

 そんな彼にも悩みがないわけではない。成長期の真っ只中にも関わらず身長は全然伸びないし、恋人の山岸由花子(やまぎしゆかこ)はあいかわらず康一が家族以外の女の子と親しく会話していたら暴走しそうになる。

 それらは些細(ささい)なことだ。康一の目下(もっか)の悩みは、かれこれ一年以上、自宅に居候している漫画家──岸辺露伴との接し方である。

 最初は部屋が余っているので高町家に厄介になる流れになりかけたのだが、なのはが断固拒否して康一が(なか)ば脅される形で引き取ったという経緯がある。

 色々とトラブルを持ち込んだりもしたが、露伴は広瀬家の面々と友好な関係を築けている。なんだかんだで露伴も常識はあるので、親友の家族に無礼な態度をとったりはしない。

 さすがに大学生の女性がいるので洗濯は康一の母親に任せているが、洗い物や掃除、買い出しは自分から手伝うし食費と家賃も支払っている。

 

 しかし、なんだかんだで2年近くの付き合いになるが、康一は露伴の突飛な行動に巻き込まれることが多くて困っていた。

 康一に気を許している露伴は割と遠慮なく無茶をする。犯罪まがいな行為まで付き合わされたことはないが、取材に同行して超常現象に遭遇した回数は、そろそろ片手では数えられなくなりそうだ。

 やや一方的な関係だが、康一も露伴のことを友人だと思っている。だから放っておけないのだが、親友の忠告だろうが露伴は平然と無視する。

 作品のためになるなら、命がかかっていたとしても絶対にやり通す『覚悟』を持っている露伴は、他人の言葉程度では止まらないのだ。

 

 2001年の3月中旬の休日。康一は昼過ぎに露伴を訪ねてきたなのはのために飲み物を取りに行っていた。

 承太郎となのはの契約はまだ続いており、週に1から2回の頻度で露伴に記憶を読ませている。なのはは露伴を家に入れたくないようで、こうして自分から足を運んでいる。

 

「やめて……そんなところ見ないで……」

「大丈夫、ぼくは気にしない」

 

 飲み物とコップを乗せたお盆を持って部屋の前までやってきた康一の耳に、なのはと露伴の会話が飛び込んできた。

 なのはの泣きそうな声に対して露伴が優しく語りかける。そんな絶対にありえないシチュエーションに遭遇した康一は、危うく持っていたお盆を落としそうになった。

 扉が閉まっているので声量が小さく途切れ途切れにしか聞こえないが空耳ではない。このまま部屋に入ったら見てはいけないモノを見てしまうのかと思った康一は、扉の前で固まってしまっていた。

 

「いやだ……恥ずかしいよ……」

「そんなことはないさ。ほら、もっとよく見せてくれ」

 

 ヤバイ! ナニがどうヤバイかは言えないが、とにかく見て見ぬふりをしたら士郎や恭也に殺される! そう判断した康一はエコーズACT3(アクトスリー)を出しながら扉を乱暴に開け放って、露伴を止めるためにスタンド能力を解き放った。

 

「岸辺露伴! それ以上はやらせないぞッ! やれ、ACT3(アクトスリー)!」

「必殺『エコーズ (スリー) FREEZE(フリーズ)』!」

 

 康一に背中を向けてなのはを追い詰めるように迫っている露伴に向けて、ACT3の物を重くする能力が炸裂した。いきなりの攻撃に露伴はろくに反応できず、アゴを強打してグエッと潰れたカエルのような声を出しながら床にへばりついた。

 

「な、何をするんだ康一くん……」

()()をしているのは露伴先生のほうだろッ! 6歳の女の子に手を出すのは犯罪です……よ?」

 

 部屋を見渡すが、康一が考えていたような光景は広がっていなかった。なのはは恨みがましい目つきで露伴を威嚇(いかく)しているが服装は乱れていない。ただし、体の一部が『本』になっていてイタリア語で記述された内容が見え隠れしている。

 早とちりしたことにようやく気がついた康一は、慌ててACT3の能力を解除する。だが、能力を解除した後で康一は思い至った。嫌がっている少女の記憶を無理やり読んでいる男を止めるという行動自体は、むしろ正しかったのではないかと。

 

 

 

 

 

 

「そういう冗談はシャレにならないんだから、絶対にやらないでくださいよ! てっきり、いつぞやの蜘蛛(くも)みたいに『味もみておこう』としているのかと思いました」

「康一くんがぼくをどんな目で見ているのかはよーく分かった。言っておくがね、ぼくが描いているのは少年漫画なんだぞ。そういう方面の描写を描くと思うのか?」

「い、いえ! そんなつもりで言ったわけじゃあなくて……」

 

 康一くんは騙されやすい上、新鮮で自然な反応を返してくれる。日常的にからかうせいでチープ・トリックのときは信じてもらえず帰ってしまうということもあったが、康一くんの表情は漫画の参考になるからやめられないのだ。

 人がいい康一くんは、ぼくがわざとふてくされた態度を見せると、こちらが明らかに悪くない限りはすぐに折れる。今回は言い過ぎたと思ったのか、すんなりと謝りだした。調子に乗っていると本気で怒られるので加減を見極めるのが重要である。

 

 湧き上がってきたイメージをスケッチブックにササッと描き起こし終えると、麦茶をちびちびと飲んでいるなのはが、ぼくを半目で睨みつけてきた。

 今年から小学生になる少女とは思えない迫力のある雰囲気を(まと)っている。見かけはごく普通の少女だが、犯罪組織のボスをやっていただけに独特な凄みが感じられる。もっとも、ぼくは見慣れているのでこれっぽっちも怖いとは思わないが。

 康一くんが邪魔したせいで、ディアボロとドナテラがどんな付き合いをしていたのか全然読めなかったのは残念だが、まだチャンスはあるだろうし今日はこれぐらいにしておこう。

 

 しかし、康一くんのエコーズACT3を直接食らうのは初めてだが、あのときと同じく腰にくるな。チープ・トリックのときは、ぼくを狙った攻撃じゃなかったから分からなかったが、体の重さが何倍にもなった感覚は把握できた。

 ……何倍もの重力を受けた描写には役に立ちそうな体験だったが、三度目は勘弁願いたいな。さすがに、この歳でぎっくり腰にはなりたくない。

 実は康一くんが勘違いして乗り込んでくるように、なのはのほうからわざとそれっぽい言葉を選んでいたのだが、悪乗りしたのが裏目に出てしまった。まさかスタンド能力を使ってまで止めるとは思わなかった。

 

「でも、去年はゴシップ記事を書かれそうになってたよね。『若き天才漫画家、岸辺露伴が幼気(いたいけ)な少女と秘密の関係を!?』って見出しで週刊誌に載りそうになったのを止めてあげたのは、どこの誰だったかなァ?」

「それは過ぎたことだろ! 第一、後をつけられて隠し撮りされていたのに、途中まで気が付かなかった君にも非はあるはずだぞッ!」

 

 まだ自己破産する前、低俗な記事を書くことで有名な週刊誌の記者が、ぼくのスキャンダルを探っていた時期があった。ぼくとしては自分のポリシーを貫いているだけなのだが、業界内で変わり者扱いされているので目をつけたのだろう。

 その記者は定期的にぼくの家を訪れる子供という格好のネタに飛びついた。アイドル並みとまでは言わないが子役としてやっていけそうなぐらいには、なのはの容姿は優れている。(いささ)か幼すぎるが写真映えはするだろう。

 途中でなのはが監視されていることに気がついて、キング・クリムゾンで時を飛ばして背後に忍び寄って意識を刈り取った後、ヘブンズ・ドアーで記者の記憶を少しだけ書き換えて事なきを得た。

 

 世間一般に『岸辺露伴はロリコン』というレッテルを貼られるのは気にしない。ぼくは金や名声を求めて漫画を書いているわけではないからな。だが、そのせいで作品の評価まで落ちるとなると話は別だ。

 自分では最高の漫画を描けたつもりでも、読者が面白いと思うかどうかは分からない。作者のスキャンダルで潜在的な読者を失うなど耐えられない。下手したら逮捕されて連載を打ち切られる可能性だってあった。

 

 まあ……結局、山を6つ買って自己破産したことが大手新聞社に取り上げられてニュース番組でも話題になってしまったがな。一時期、居候している広瀬家の周りにマスコミが押し寄せる事態になったが……こうなることを予期して、なのはは高町家に世話になろうとしたぼくを止めたのか?

 いや、あれは単純にぼくのことが気に食わないから拒否しただけだな。こちらも好かれようと思っているわけではないので文句はないし、そもそも本命は康一くんの家で高町家はダメ元の予定だった。運よく居候できたら銃弾すら切れる古武術の取材ができるかも、という期待はあったけどな。

 

「露伴先生って、よくなのはちゃんの記憶を読んでますよね。そんなに漫画の参考になるんですか?」

「裏社会の知識なんかは詳しくは描けないが、今後の展開を描くときの参考にはなるな。もっとも、そっちはオマケで一番の目的はこれだよ」

 

 康一くんの疑問に答えるため、ぼくは机の上に置いていた分厚いハードカバーの本を手にとった。見た目はごく普通の本だが、中身は白紙のメモ帳である。なのは以外には知られていない極秘のネタ帳だが、康一くんになら教えても構わないだろう。

 手渡された本を開いた康一くんは、おもむろに中身を読み始めた。ふむ、予想通りあっという間に顔を青ざめたな。題をつけるなら『見てはならないモノを目撃してしまった少年』と言ったところか? 少し陳腐(ちんぷ)すぎるかもしれないな。

 

「ろ、露伴先生ッ! なんですかこれ!?」

「見てのとおり、()()()()()()()()()()()をまとめた本だよ。ぼくは翻訳家じゃあないから直訳気味だが、中々悪くないだろう?」

「まさか……()()()()()()んですかッ!? ああ……天国にいる鈴美さんになんて報告したら……」

「早とちりするんじゃあないぜ、康一くん。ぼくのヘブンズ・ドアーは死体を『本』にはできないんだ。幽霊の記憶は読めるが……幽霊なんて()()()()いない連中の記憶を読んで回るのは難しい」

 

 幽霊と言えば、地縛霊の少女がいるという噂があった市街地の外れにある廃ビルは期待はずれだった。終始ビビりっぱなしだった康一くんは不幸な少女がいなくて良かったと言っていたな。

 ただの廃墟探索で終わってしまったが、噂話の内容はかなり胸糞悪かったのでガセネタで良かったのかもしれない。感情を制御できずに騒ぎ回る奴が多いから子供は好きではないが、かといって不幸になってほしいと思うほど嫌いでもないのだ。

 次は退魔師の巫女と妖怪の狐がいるという噂のある神社か、幽霊に殺人を斡旋(あっせん)しているという噂のある寺に行ってみたいな。もっとも寺のほうは場所はおろか名前すら分かっていないので、行けるのはいつになるか分からないが。

 

「それじゃあ誰からこんな記憶を読んだんですか……?」

「目の前にいるじゃあないか。この世の誰よりも死んだ経験のある奴が」

 

 ぼくの指摘でようやく気がついた康一くんは、なのはの顔を見て納得したようだ。さては康一くん、なのはの前世についてすっかり忘れていたな。

 敵対していたり襲われた相手とも改心すれば普通に接することができるのは康一くんの美点だが、殺されかけて人質にまでされた相手に気を許しすぎじゃあないか?

 

「真っ黒に塗りつぶされてるように見えるぐらい小さな文字だから読み解くのに時間がかかるが……この記憶はクリエイター(創作家)なら、どんな対価を出してでも知りたがる内容だ」

「ざっと計算したら少なくとも1000万回以上死んでるけど、それを全部書き起こすつもり……?」

 

 目を伏せているなのはが、疲れた声でポツリと呟いた。たとえ何十年かかろうが全部書き起こすつもりだと答えると、付き合っていられるかと騒ぎ始めた。

 なのはの言うとおり、1ページに書かれてる死亡回数とページを(めく)る速度から逆算すると、最低でもそれぐらいにはなるだろう。さすがに、ぼくもそこまで付き合わせるつもりはない。

 今は金がないし技術も追いついていないので手作業でやっているが、『本』の文字を読めるぐらい高画質の写真を撮れるデジタルカメラが出るまでの辛抱だ。

 死の記憶が記された『本』は枚数が多すぎて、引きちぎったらなのはが死んでしまう。だが、写真で撮れば相手に影響を出すことなく、『本』をいつでも見られる形で保管できる。

 

「ただでさえ『例の日』が近づいてて、()()()を見る頻度が増えて疲れてるんだから勘弁してよ」

「なのはくんも忙しそうだし、今月はもう記憶を読むつもりはないさ。ぼくも短編の執筆や取材でこれから忙しくなるからな」

 

 例の計画の実行まで2週間と少し。なのはにとってはトラウマの塊であろう存在と再会する処刑日のようなものだ。覚悟はできていても怖いものは怖いだろう。

 それでも逃げ出さずに立ち向かおうとしているのは好感が持てる。暗く残虐な過去を持っているので好みは分かれるだろうが、彼女も康一くんと同じく読者から好かれそうな性格をしている。

 

 ぼくが忙しいのは本当のことだ。本気で書けば1ヶ月分ぐらい描き溜めておくのは簡単だが……編集部に安っぽく思われるのも気に食わないので、()()()()()()()()()()()()()()()()そんなことはしない。

 康一くんの家でお世話になるのも悪くはないが、やはり一人暮らしのほうが気楽でいい。幸いにも月村春菜が社長を務める建設会社の系列企業の不動産会社が都合をつけてくれたおかげで、結構気に入っていた元々の家は誰にも売られずに残っている。

 ぼくの顧問税理士の坂ノ上誠子の算出では、漫画の印税と原稿料を合わせたら()()()()取材や趣味で使う金を差し引いても来年には買い戻せる予定になっている。またキレられてボールペンを投げつけられてはたまらないので、()()()()()無駄遣いはしないつもりだ。

 もっとも、六壁坂(むつかべざか)の妖怪伝説のときのように、取材の目的を逃さないためなら金は惜しくない。ぼくにとって、取材のために使う金は無駄遣いじゃあないからな。あのブチギレ税理士がなんと言おうが、取材に使う金をケチったりはしない。

 

「……ところで康一。イタリア語の学習は進んでいるか?」

「露伴先生となのはちゃんのおかげで、だいぶ喋れるようになったよ。いやあ、ヘブンズ・ドアーってスゴイですねえ」

「それは康一くんにイタリア語を覚えられるだけの『才能』があったからさ。ぼくのヘブンズ・ドアーでも『不可能』を『可能』にするのは無理だからな」

 

 意図的にイタリア語で喋り始めたなのはに、康一くんは流暢なイタリア語で答えた。ぼくもイタリア語は読み書きできるが、発音に関しては康一くんのほうが上手かもしれないな。

 ヘブンズ・ドアーの能力は今もなお成長を続けているが、書き込んだ命令を何もかも実行できるわけではない。たとえ話だが、ズブの素人に人類史上最高の漫画を描けと書き込んだら、実際に傑作が生まれるかと言うとそうではない。

 どれだけ出来が良くても佳作か凡作止まりである。漫画を描かせることはできるが、その人物の限界を超えることはできないのだ。一方で肉体面の操作は融通がきくので、肉体のリミッターを外させてぶっ飛ばしたりはできる。

 最近は知性があまりない生き物も『本』にできるようになってきたので、いつかは限界を超えさせられる日が来るかもしれない。とりあえずの目標は、魂が宿っていない物も『本』にできるようになることだ。

 

「ヘブンズ・ドアーによる基礎知識の転写と学習能力の増強……加減を間違えると鼻血を出してぶっ倒れる欠点もあるが、意外と実用的だったな。もっとも、楽を覚えて精神的な成長に悪影響が出たら康一くんのためにならないし、今回っきりになるだろうが」

「露伴が言い出したときは失敗するとしか思えなかったが、こうも上手くいくとは……恐るべきはヘブンズ・ドアーの応用力か」

「あの、もしかして……二人してぼくを実験台にしたわけじゃあないですよね? 承太郎さんの仕事のために必要だからやっただけですよね?

 というか、これが成功したら受験勉強を楽できると思って協力したのに、これじゃあ無駄にイタリア語を覚えただけじゃあないですかッ!」

 

 康一くんの質問に曖昧な笑みで答えると、ガックリとうなだれてしまった。そもそも康一くんが早とちりしただけで、最初からヘブンズ・ドアーを使って学業の手助けをする気はなかった。

 いいか、康一くん。今後のために覚えておくといい。大人はウソつきじゃあないが、間違いはするんだぜ。それにイタリア語だって、いつか役に立つ日が来るさ。入試では役に立たないけどな。

 

「ちょっとガッカリしただけで、やっぱり仕事は手伝わないなんて言いませんけどね。露伴先生となのはちゃんには結構な時間を割いてもらいましたし……途中からは露伴先生とマンツーマンだったけど」

「わたしが教えたほうが手っ取り早かったが……また、山岸由花子に襲われたくないからな」

「由花子さんも悪い人じゃあないんです。ただ、虫の居所が悪かったというか……」

「半分は自業自得だから責めはしないが、今後は絶対に康一と二人っきりにはならないぞ」

 

 一週間ほど前、翠屋のテラス席で康一くんがなのはにイタリア語を教わっていたときに不幸な事故が起きた。運悪く由花子と出くわしてしまったのだ。

 アホの億泰がうっかり、なのはが康一くんをボコボコにして誘拐したことがあると漏らしてしまって機嫌が悪かったのに加えて、二人っきりで会話している状況を見てしまい由花子はものの見事にプッツンした。

 店に被害を出すまいと逃げるなのはを『逃げるなッ! このションベン臭いガキがァ────ッ!』と叫びながら追いかける由花子。

 反撃しようにも、なのはは『空条承太郎とその仲間には攻撃できない』命令が書き込まれているので手出しできない。時を飛ばして逃げ回るなのはを、由花子はスタンド能力をフル活用して追い詰めていた。

 康一くんが止めに入ったおかげで、なんとかその場は収まった。由花子は康一くんが許すなら自分も許すと言っていたそうだが、あの性格だから同じ状況になったら絶対に暴走する。

 

「そういえば今まで聞けなかったんだけど、どうしてぼくだけが調査の人員に選ばれたんですか? スタンド能力の適性があるっていうのは分かりますが、なのはちゃんなら土地勘もあるし未来を読めるから成功率が上がると思うんだけど」

「本当はわたしも同行したいんだが、別件で予定が埋まっている。イタリアは日本と比べたら治安があまり良くないからスリや置き引きには気をつけたほうがいいが、スタンドがあれば対処できるはずだ」

 

 康一くんは、なのはと承太郎さんが別ルートでイタリアに向かうことは知らされていない。偶然にもDIOという吸血鬼の息子がイタリアに住んでいると判明した時期が悪すぎた。

 計画の最終地点はローマだが、DIOの息子──汐華初流乃(しおばなはるの)が住んでいるのはナポリのネアポリスなので、広範囲のスタンド攻撃に巻き込まれる可能性は低い。念の為、なのはがローマは治安が悪いから行くなと康一くんに言い(ふく)めてある。

 

「旅費は全額負担するし、バイト代も別途支給する。承太郎が言っていたように、春休みの旅行だと思って楽しんできたらいい」

「思えば初めての海外旅行だもんなあ。そうだ! なのはちゃん、オススメの観光スポットとか教えてよ」

 

 どこからともなく観光ガイドと地図を取り出した康一くんが、なのはに質問している。元々はネアポリスを本拠地にしていただけあって、観光地や穴場スポット、危険な場所について詳しいだろう。

 ()()()()イタリアへ取材に行くので、ついでに色々聞いておくとするか。そう怪しむなよ、高町なのは。ぼくは何も企んでいないぞ。ただし、偶然取材に行った先で君たちと出くわすかもしれないけどな。




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遠い国から来たボディガード その①

 トリッシュ・ウナはイタリア国内の女性シンガーとして非常に知名度の高い人物──ドナテラ・ウナの娘である。

 父親譲りのストロベリー・ブロンドと母親譲りの美貌を持った歌手見習いの15歳の少女だ。

 トリッシュはイギリスのクリステラ・ソングスクールに留学していたが、ドナテラが急死したという連絡が入って大急ぎでイタリアに帰国していた。

 

 膨大な遺産などの整理はドナテラと仲の良かったティオレ・クリステラに協力してもらって片付きつつある。

 金銭目当ての見たことも聞いたこともない親戚や、怪しい活動家が実家のあるイスキア島へ集まってくるので一刻も早くイタリアを離れたいが、遺産整理は簡単には終わらない。

 

 事情を説明しても納得する連中などおらず、最愛の母親を失って傷ついた心を癒やす暇もない。

 それでも2ヶ月ほど頑張って、なんとかイギリスに戻れる目処(めど)が立った。

 

 トリッシュはできることならドナテラとの思い出が詰まった実家を離れたくはなかった。

 歌手としての活動で忙しかったにも関わらず、ドナテラはできる限り時間を作ってトリッシュに愛を注いだ。

 トリッシュにとって、この家は唯一の家族との思い出の場所なのだ。

 

 イギリスにも友人はいる。特に世話になっているティオレの娘のフィアッセのことをトリッシュは姉のように慕っている。

 HGS患者が超能力を使う際に現れる光の翼(フィン)についても知っているほど親しい仲だ。

 

 ああ、早く帰っていつもの生活に戻りたい。そう願うトリッシュだったが、運命は彼女を逃さない。

 強盗対策のために民間の警備会社を雇っていたにもかかわらず、トリッシュはパッショーネの者に半ば拉致に近い形でレストランテに連れて行かれ事情を説明されることとなった。

 

 一般人でも知っている犯罪組織のボスが自分の父親だった。

 そう言われてもトリッシュには実感が湧かない。

 生まれてこの方、父親について考えたことは無くはないが、一度も会ったことのない男など居なくて当然なものとしか思っていなかった。

 

 トリッシュに事情を説明した小柄な老人──ヌンツィオ・ペリーコロはギャングとは思えない物腰の柔らかい人物だった。

 それは警戒心を緩めさせるための擬態だったのかも知れないが……環境が変わりすぎてついて行けていないトリッシュには、そこまで深く物事を読み取る余裕はなかった。

 

 ペリーコロに言われるがままカプリ島まで連れて行かれたトリッシュは、年若い青年たち──ブチャラティチームに護衛されながらパッショーネのボスであるディアボロの(もと)へ向かうこととなった。

 

 

 

 サン・ジョルジョ・マジョーレ教会が建っている島は1ヘクタール──縦横100メートル程しかない小さな島である。

 キング・クリムゾンの時飛ばしなら島全体を軽く覆ってしまえるほどの小さな島だ。

 

 ディアボロはパッショーネの力を使って、改修工事と称して観光客や教会の関係者を追い払ってトリッシュの到着を前日の朝から待ち構えていた。

 ブチャラティチームは暗殺チームの猛攻を()(くぐ)り、一人も犠牲者を出すことなく最終目的地へと辿り着いた。

 

 自分自身ともう1つの人格以外は絶対に信頼しないディアボロだが、ブチャラティの統率力とチームの実力には尊敬の念を抱いていた。

 このまま何事もなくトリッシュを引き渡し終えたら、組織内での地位を更に引き上げてもいいと思うぐらいには評価している。

 

 教会の鐘楼(しょうろう)からブチャラティとトリッシュ以外のチームメンバーが入ってこないことを確認したディアボロは、キング・クリムゾンの能力を使ってエレベーターをすり抜け、指定した場所に向かっていたブチャラティからトリッシュを奪い地下にある『納骨堂』へと移動した。

 

 ディアボロはトリッシュを自らの手で始末するために護衛させたのだと気がついたブローノ・ブチャラティは、エレベーターシャフトを伝って追跡を開始した。

 こうしてブチャラティの生死を分けるであろう戦いが始まったのである。

 

「くらえ『スティッキィ・フィンガーズッ!』」

 

 ジョルノ・ジョバァーナがゴールド・エクスペリエンスの能力で生命を与えたテントウムシのブローチはセンサーとしての役割を果たす。

 ブチャラティはエレベーターシャフトを降りていくディアボロに、密かにブローチをくっつけていたのだ。

 

 ジョルノからディアボロの位置を携帯電話で伝えられたブチャラティは、間髪(かんぱつ)入れずにスティッキィ・フィンガーズの能力で石柱にジッパーを付けてバラバラにしながら拳のラッシュをブチかました。

 

 だが、ブチャラティの攻撃はディアボロには当たっていない。

 彼の目には、柱の陰に立っている自分を自分で殴ったように見えていた。

 

「柱の影にいたのは()()()! こ、これは……!?」

「最後だから教えてやろう……おまえがたった今目撃し、そして触れたものは……『未来』のおまえ自身だ。

 数秒過去のおまえが未来のおまえ自身を見たのだ」

 

 ブチャラティは過去にジョルノのスタンド能力で生命力を過剰に与えられて、精神が暴走して肉体を飛び出すという経験をしている。

 今起きている現象は、そのときと同じ原理だ。

 

 時間が吹っ飛んでいる間の行動はキング・クリムゾンを使える人物以外は把握できない。

 ブチャラティは攻撃している最中に時間をふっ飛ばされて、無意識に柱の裏に回り込んだ行動を認識しきれず脳が誤作動を起こしたのだ。

 

「これが我が『キング・クリムゾン』の能力! ()()()()()()()()飛び越えさせた!」

 

 時を飛ばしてブチャラティの背後に回り込んでいたディアボロは、そのままキング・クリムゾンの拳を叩き込もうと構える。

 だが、そのとき予想外の出来事が起きた。

 

 拳が腹に突き刺さる寸前だったブチャラティが、いきなり目の前から消えたのだ。

 まるで瞬間移動したかのように姿を消したブチャラティに、ディアボロは目を見開いて驚いた。

 

 ディアボロが知るブチャラティチームのメンバーに瞬間移動を可能とするスタンド使いはいない。

 唯一スタンド能力の全貌が分かっていない新入りの少年(ジョルノ)の能力かと考えるが、答え合わせは後回しにしてディアボロはエピタフを起動した。

 

(馬鹿な……エピタフが『未来』を映し出さないだとッ!?)

 

 未来さえ読めれば不幸という名の『落とし穴』を回避して『沈む』ことなく『絶頂』のままでいられる。

 しかし、起動したはずのエピタフは真っ黒な未来を映し続けたまま、何の情報ももたらさない。

 

 納骨堂が暗いからなどという単純な理由ではない。

 ディアボロも初めて遭遇する現象だが感覚的に理解できた。

 何らかの能力が干渉して、エピタフの未来予知を妨害しているのだ。

 

「やれやれ、際どいタイミングだったが……なんとか間に合ったようだな」

「キサマは……まさか、ジョータロー・クージョーか!」

 

 暗がりから現れた厚手の白いコートを着込んだ男が、キング・クリムゾンの背後から様子をうかがっていたディアボロと向かい合う。

 

 ディアボロは現れた男のことを以前から知っていた。

 男の名は空条承太郎。ディアボロの正体を追っていたジャン=ピエール・ポルナレフの仲間であり、SPW財団という超常現象を密かに研究している組織と繋がりがある。

 暗殺を生業としている裏社会のスタンド使いには名のしれた人物で、ディアボロも警戒していた相手だ。

 いずれ戦う可能性があると考えて顔を覚えていたので、瞬時に正体を見破ることができた。

 

「な、何が起こっているんだ……オレはボスに背後をとられていたはずなのに……この『能力』は一体なんなんだッ!」

「落ち着け、ブローノ・ブチャラティ。わたしたちは敵ではない。トリッシュを保護しに来たSPW財団の人間だ」

 

 承太郎はトリッシュとブチャラティをディアボロから守るため立ちふさがっている。

 警戒している承太郎の代わりに、柱の陰から姿を見せた何者かがブチャラティに語りかけた。

 

 聞こえてきた声の主の姿にブチャラティは困惑する。

 スコーラ・エレメンターレ(小学校)に通っているような年齢の少女が、10年は修羅場を潜り抜けてきたような凄みと冷静さを感じる眼でディアボロを睨んでいるのだ。

 

「な……子供だと……?」

「あの男の『未来を見る能力(エピタフ)』は、わたしのスタンド能力で相殺(そうさい)している。いいか、おまえは余計なことをするな。この場はわたしと承太郎に任せるんだ」

 

 スティッキィ・フィンガーズを出したまま、どう動くべきか思い悩んでいるブチャラティに桜色の長袖のパーカーと灰色のショートパンツを着ているツインテールの少女──高町なのはが忠告する。

 

 あえてディアボロに自分を警戒させるため、なのはは自身の能力の一部をこの場で説明した。

 彼女の狙い通り、ディアボロは突然の乱入者に警戒して動きを止めている。

 

 エピタフは最終的に選択した未来を予知する能力だ。

 では、同じ能力か同系統の能力がかち合うとどうなるか? 

 答えは単純だ。お互いに結果を覆し続けて永遠に予知が終わらなくなる。

 

 後出しジャンケンに例えると分かりやすいだろう。

 両者とも最初から後出しするつもりだと、どちらも動けずに膠着(こうちゃく)状態になってしまう。

 その結果が真っ黒に塗りつぶされた予知である。

 

『ブチャラティ、聞こえていますか! 何か異常が起きている。早くそこから逃げてくださいッ!』

「緊急事態だ、ジョルノ。説明は後でするがオレは今、ボスと戦っている。そして第三者が戦いに介入してきた。

 相手の言葉を信じるなら、オレとは敵対する気はないようだが……どうにかトリッシュを連れて脱出を試みる」

『……分かりました。ボスの足止めは任せてください』

 

 承太郎が時間を止めて救出したブチャラティの手には携帯電話が握られたままだった。

 承太郎となのはを信用できない以上、敵になるかも知れない人物がいる状況でディアボロに集中していたら不意打ちされる恐れがある。

 

 ブチャラティが最も信用ならないと思っていたのは、承太郎ではなくなのはだった。

 彼はギャングとしては若輩者(じゃくはいもの)だが、見た目にそぐわぬ経験を積んでいる。人を見かけで判断するほど甘い男ではない。

 

 彼は直感的に、なのはが自分と同じく裏社会に属しているか、かつて属していた過去の持ち主であろうと見抜いていた。

 その上、未来を予知できるスタンド能力を持っていると自分から明かしたとなっては、警戒するのは当然とも言える。

 

(実際に会ってみて、トリッシュが『我が娘』であると直感で理解した。ということは、つまり! おまえも、このオレと同じことを感じられるということだ。

 だからこそ、この場で始末しなければならないのだが……クソッ! エピタフが使えなくては迂闊(うかつ)に動けんッ!)

 

 一方のディアボロも、このまま戦うか逃げるか決めあぐねていた。

 キング・クリムゾンをポルナレフが無敵の能力と称したのはエピタフで未来を予知できるからだ。

 

 未来が読めなくても直感で時を飛ばすことはできるが、ここぞというときに時を飛ばせない可能性が出てくる。

 見るからに近距離パワー型のスタンドを使う承太郎を相手にするだけならディアボロは戦うことを選ぶだろう。

 だが、自分と同じく未来予知のスタンド能力を使えると宣言してきたなのはが加わると、一気に戦況は怪しくなる。

 

 それに加えてディアボロは奇妙な違和感を覚えていた。

 トリッシュよりはハッキリとしないが、なのはからも妙な気配を感じるのだ。

 血の繋がりとは違う。むしろドッピオと自分の関係に近いであろう()()()()()()のような感覚である。

 

「キサマの目的はジャン=ピエール・ポルナレフの敵討ちといったところか。

 だが、()せんな。どうやって、我がキング・クリムゾンの能力を知った? 

 ポルナレフが密かに情報を伝えていたとしても、動くのが遅すぎやしないか? え? ジョータロー・クージョー」

「ポルナレフがてめーにやられたってのも理由の一つだが……問題はそこじゃあない。

 おまえは自分のためだけに『娘』を切り捨てようとした。『悪』とはてめー自身のためだけに弱者を利用しふみつけるやつのことだ。

 だから……てめーは、この空条承太郎がじきじきにブチのめす」

 

 未来が読めなくとも時を飛ばせば簡単に逃げられる。

 ならば最終的にどちらを選ぶにしろ、少しでも情報を引き出すべきだと考えたディアボロは、あえて承太郎を挑発するような言葉を選んで投げかけた。

 

 しかし承太郎は挑発には乗らなかった。

 これがDIOを倒すために旅をしていた頃の承太郎なら、ディアボロの悪辣(あくらつ)さに対して怒りをあらわにしていただろう。

 だが歳を取ったことで承太郎は良くも悪くも落ち着きを覚えてしまったのだ。

 

 それはつまり、精神的な爆発力が減ってしまったということだ。

 DIOとの決戦時に怒りでスタンドパワーを増大させたような真似は、今の承太郎では難しいだろう。

 戦いの勘を取り戻したことで全盛期と同等──5秒の時間停止が可能となっているが、それでも当時の承太郎のほうが強い。

 

 しかし落ち着いたとはいえ、承太郎は怒りを感じていないわけではない。

 彼は結婚していて8歳の娘もいるのだ。海洋学者やSPW財団の仕事が忙しくて直接会える機会は多くはないが、それでも1日1回以上は電話で家族と話すことを心がけている。

 

 承太郎にとって父親は家にいないのが当たり前の存在だった。

 だから、自分が家に居なくても、態度や言葉で示さなくても、妻や娘は自分の考えを理解しているだろうと思い込んでいた。

 

 その考えが変わったキッカケは、杜王町で見た高町家のやり取りだった。

 頭では分かっていても、言葉にしなければ分からないことはある。

 仕事の忙しさにかまけて、承太郎は無意識に妻と娘に自分の考えを押し付けていたのだと気がついたのだ。

 

 それからというもの、承太郎はマメに家族と連絡を取るようになった。

 熱を出していた娘の(もと)に行けなかったことも素直に謝った。

 寂しい思いをさせてすまなかった。これからは一緒に過ごす時間を可能な限り作ると自分の考えを言葉にした。

 

 急に態度が変わったことで妻と娘に気持ち悪がられて落ち込んだりしたが、少なくとも家族を大切にしているという気持ちは伝わった。

 失った信頼を取り戻すのは難しい。これから何年もの歳月をかけて、承太郎は妻と娘に(みずか)らの行動で家族としての在り方を示さなければならない。

 

 そんな彼が、自分の娘を(ないがし)ろにする人物に対して怒らないはずがない。

 顔に出さないだけで、承太郎は爪が食い込み血が出そうなぐらい力強く拳を握っている。

 先に手を出さないのは、時を止めて仕留めきれなければ逆に再起不能にさせられると理解しているからだ。

 

「ならば、キサマも食らうがいい。我が『キング・クリムゾン』の能力を──ッ!? な、なにィ~~ッ!?」

「『亀』にボスが吸い込まれた……ジョルノの『ゴールド・エクスペリエンス』の能力か! 

 足止めとはそういう意味だったんだな。よし、今のうちにトリッシュを連れて──」

 

 ディアボロが承太郎の真意を確かめるために二の足を踏んでいたのは悪手だった。

 密かに貼り付けられていたテントウムシのブローチにジョルノはスタンド使いの亀──ココ・ジャンボの細胞を植え付けた上で生命力を与えていた。

 

 ココ・ジャンボはディアボロがブチャラティチームに貸し与えていたスタンド使いである。

 ココ・ジャンボのスタンド──ミスター・プレジデントは本体である『亀』の体の中に居住空間を作り出すという能力を持っている。

 

 『亀』は人間ほど多彩な精神性を宿していない。そのためか、ゴールド・エクスペリエンスで作り出したココ・ジャンボのクローンも同じスタンド能力を持っていたのだ。

 

「正直少し驚いたが……エピタフで未来が読めなくとも、時を飛ばせばこのような小手先の技をかわすのは容易(たやす)いぞ。

 このままエピタフを妨害しているガキから始末してやる」

「ずいぶんと自信があるようだな。やれるものならやってみるがいい。

 もっとも……わたしからしてみれば、おまえの能力は無敵でもなんでもないがな」

「き、さま……なぜだ、なぜ()()()()()()()()()()ッ!」

 

 時間が消え去り、全ては動きの軌跡となった世界をディアボロ以外の人物が認識している。

 それはあってはならない事態だった。ディアボロは衝撃のあまり、脂汗をにじませながら顔を歪めている。

 

 ディアボロがパッショーネのボスとして君臨できているのは、これまで築き上げてきた経験によるものが大きいが、彼は生まれながらに帝王だったわけではない。

 

 帝王としての『素質』こそ生まれながらに持っていただろうが、それを開花させたのはキング・クリムゾンの存在が大きい。

 彼のプライドや自信は、スタンド能力で『未来』を捻じ曲げられる絶対的な優位性があるからこそ維持できているのだ。

 

 その立場を脅かす()()()()()()()()()()など絶対に認められない。

 それこそ、自分の正体の手がかりになりうるトリッシュより見逃せない存在だ。

 

 なのははスタンドのヴィジョンを出さずに、無表情でじっとディアボロの瞳を見つめている。

 懐かしむようでいて、嫌悪感も混ざっている奇妙な眼差しだった。

 もっとも、ディアボロにはなのはの些細(ささい)な感情を感じ取れる余裕などなかった。

 

 ディアボロはキング・クリムゾンに絶対の自信を持っているが、素顔を見られた上で逃げられるリスクは避けようとする臆病とも言える性格をしている。

 幸いにもディアボロは、宮殿を認識しているなのは以外には顔を見られていない。撤退するなら、今このタイミングしかない。

 

 近接戦しかできないキング・クリムゾンは、多人数を相手に戦うと顔を見られる可能性が高い。

 過去の経験上、エピタフを併用すれば5人相手までなら完全に隠れたまま立ち回れる自信があったが、予知を封じられている現状では3人相手でも完全に姿を隠して立ち回るのは難しい。

 

 承太郎のスタンド能力も把握しきれていない以上、無理をしてまでこの場で決着をつけるのは不確定要素が多すぎる。

 自分と似たような能力の持ち主であろうスタンド使いを放置するのは歯がゆいと思いながらも、ディアボロは今すぐに始末するのを諦めて撤退することに決めた。

 

「逃げる気か? このまま身を隠して、わたしに怯えて過ごすつもりなのか?」

「オレの『帝王』としてのプライドを刺激して、無理やりにでも戦闘に持ち込もうとしているようだが、その手には乗らんぞ。

 このままブチャラティの部下が集まってきたら、オレの素顔が露見するリスクが増えるから仕切り直すだけだ。

 だが……我が宮殿に土足で踏み入ったおまえを決して逃しはしない。覚悟しておけ……次に会ったときがキサマの最期だッ!」

 

 なのはの挑発を軽くいなして、ディアボロはエレベーターの入り口をすり抜けて消えていった。

 ディアボロを取り逃がしてしまったが、なのはは最初からこうなるだろうと思っていた。

 

 なのははディアボロの性格をこの世の誰よりも熟知している。

 本人が敗北を意識していないかぎり、逃げようとしたときに呼び止めても『帝王の誇り』を守るために戦闘はしないだろうと予想はできていたのだ。

 

 結末は分かっていたのにディアボロを挑発した理由──それは、自分を囮にしてトリッシュを守るためだった。

 

 今回の邂逅(かいこう)でディアボロはトリッシュよりなのはのほうが厄介な存在だと認識した。

 優先順位を上げさせることで、少しでもトリッシュに身の安全を確保する。

 そのために、あえてなのはは自分がディアボロに対応できるスタンド使いだと明かしのだ。

 

『ブチャラティ、ナランチャのレーダーが島から離れていく反応を探知しました。そっちはどうなっていますか?』

「オレにも何がどうなったのか分からんが……どうやらボスは姿をくらましたようだ。その離れていく反応とやらがボスなんだろう。

 ジョルノとミスタ、ナランチャは納骨堂まで降りてきてオレの援護をしてくれ。こいつらから注意をそらしたくない」

 

 トリッシュを抱えて離れた位置から承太郎となのはの様子を注意深く観察しているブチャラティが、携帯電話でヒソヒソとジョルノに連絡を取っている。

 視線の先では承太郎となのはが何やら会話しているが、ブチャラティには内容までは分からず見ていることしかできない。

 

 なのはと承太郎の会話はイタリア語ではなく日本語だったため、ブチャラティには何を言っているか理解できなかったのだ。

 意見のすり合わせを終えた二人は、壁に背を預けて一言も言葉を発さずにジョルノたちが降りてくるまで動かずに待っていた。




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遠い国から来たボディガード その②

 ジョルノたちと合流したブチャラティが最初に行ったのは承太郎となのはの拘束だった。

ブチャラティはジョルノのスタンドの生命を生み出す能力で太く成長する(つる)植物を作らせて、二人が腕を動かせないように巻き付かせた。

 

 スティッキィ・フィンガーズの能力でジッパーを作って腕を使えなくすれば確実に無力化できるのだが、近距離パワー型のスタンド使いに近づくのは反撃される恐れがあると考えて安全策をとったのだ。

 

 もっとも、拘束そのものにスタンドを無力化できるような効果はない。

少しでも行動を縛るための苦肉の策に過ぎないが、やらないよりはマシだろうと判断しての行動だった。

 

「ぼくのゴールド・エクスペリエンスで生み出した生命には攻撃しないほうがいい。

もし攻撃したら、そのまま自分自身への攻撃となり命とりになる」

「康一くんからの報告どおりの能力だな。

分かった。下手な動きはしないで黙って指示に従おう、汐華初流乃(しおばなはるの)

「……コーイチ、だって? おまえはコーイチ・ヒロセの関係者なのか?

それに、ぼくの本名を知っている……あなたたちは一体何者なんだ」

 

 拘束されて4人のスタンド使いに囲まれているにも関わらず、承太郎は冷や汗一つ流さずに冷静さを保っている。

自分の情報が広まるには時期が早すぎると思ったジョルノは考えを巡らせている。

 

 自分がパッショーネに入団してから、まだ5日しか経っていない。

そもそも康一と最初に出会ったのは入団するより前だ。

しかも完全に偶然としか思えない遭遇だった。あれは演技ではなかった。

 

 別件で自分のことを追いかけていたのか?

だが、自分を追いかけてきたと言う割には、探るような態度は見られない。

パッショーネの手の者ではないという可能性は高まったが、同時に余計に事態が複雑化したようにジョルノは感じた。

 

「ジョルノよォ~~~。オメーが、あのやたら図体がでかいオッサンと因縁があるのは今はカンケーないだろ。

優先するべきは、こいつらの目的を聞き出すことじゃあねえのか?」

「それに時間がない。ひとまず納骨堂から出て、こいつらに尋問をした後で今後どうするかみんなで話し合いたい」

「おい、おめーら! もし5メートル以内に近づいたら、オレとミスタのスタンドで蜂の巣にしてやるからなッ!」

 

 ナランチャ・ギルガの背後から垂直にラジコンサイズの戦闘機が飛び上がる。

航空力学を無視して、ナランチャの頭上で浮いている戦闘機こそ彼のスタンド──エアロスミスだ。

 

 グイード・ミスタも6人のスタンド──セックス・ピストルズを両手で構えた回転式拳銃(リボルバー)に移動させ、戦闘準備を整えた。

 

 少しでも妙な動きをしたら即座に攻撃できるようにミスタは拳銃を突きつける。

ナランチャもエアロスミスの機銃の照準を合わせて鋭い目つきで睨んでいる。

 

 ピリピリとした刺すような視線を背後から向けられているが、承太郎となのはは顔色一つ変えずに指示に従って、ゆっくりと階段を昇っていった。

 

 

 

 2001年4月2日の午前6時過ぎ、朝焼けに染まる空を背景に尋問は始まった。

ブチャラティたちが帰ってくるのをボートの側で待っていたレオーネ・アバッキオとパンナコッタ・フーゴは、見知らぬ人物を連れて帰ってきたのを見て驚いている。

 

 イタリア人と比べても見劣りしないどころか、この場にいる誰よりもガタイのいい承太郎はともかく、見るからに荒事に向いていなさそうな少女まで拘束しているのだ。

二人ともブチャラティの判断に異論を唱えるつもりはないが、内心ではそこまでする必要があるのだろうかと思っていた。

 

 それに加えて、本来はボスに引き渡すはずだったトリッシュを抱えて帰ってきたのもおかしい。

ブチャラティとジョルノを除いたチームメンバーはブチャラティに今すぐにでも問いかけたいと思っているが、正体の分からない二人組への対処を優先して(こら)えている。

 

「あんたらは、どうやってかは分からないが()()()()()()()()()()()()オレを助けてくれた。そのことについては礼を言う。

だが、それだけで『信用』はできない。まずは、おまえたちの名前と所属、目的を教えてもらおうか」

()()()()()()()()()()()()……? どういうことなんだ、ブチャラティ! ()()()()()()()()()!? あんたは!」

「そのことについては後で必ず説明する。だから、もう少しだけ(こら)えてくれ、アバッキオ」

 

 今置かれている状況に不安を覚えているアバッキオが、他のメンバーの考えを代弁して、ボートの中にトリッシュを寝かせていたブチャラティに問いかけた。

 

 ブチャラティも本当は先延ばしなどしたくはない。

今すぐにでも説明したいと思っているが、ボスを裏切ったと聞けば確実にアバッキオたちは混乱する。

 

 そんな状態で尋問などできるはずがない。だから、あえてブチャラティは現状の説明を後回しにしているのだ。

なぜか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ジョルノにブチャラティが視線を送ると、無言で頷き返された。

 

 ジョルノはブチャラティがボスを裏切ったことを既に悟っていた。

その上で、彼はブチャラティに同行するつもりでいるのだ。

ジョルノの夢はギャングスターになって街にのさばる不条理な悪を浄化することである。

今回の一件は、ボスを蹴落とすチャンスだと捉えていた。

 

「おれの名前はジョータロー・クージョー……こっちの子供はナノハ・タカマチ。

おれたちはスピードワゴン(SPW)財団という組織の関係者だ。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」

()()()()ワゴン財団ン~~~? そんなの聞いたことねーよ。なあ、フーゴは知ってる?」

()()()()ではなく()()()()だよ、ナランチャ。

SPW財団はアメリカのテキサス州ダラスに本拠地を置く世界有数の民間のシンクタンク(総合研究機関)ですね。

イタリアではパッショーネのほうが影響力がありますが、()()()()()()()世界規模の影響力を持つ巨大組織です」

 

 無知なナランチャにフーゴがSPW財団の概要を説明する。

フーゴは、なるべく分かりやすいように優しく言い聞かせているが、ナランチャは興味なさげに頷くだけだった。

 

 アメリカのテキサス州なんてどこにあるか知らないし、シンクタンクという単語にいたっては生まれて初めて聞いたナランチャにとって、フーゴの説明は難解過ぎたのだ。

 

 SPW財団の名は非常に有名である。活動内容はともかく名前ぐらいならナランチャ以外のメンバーは全員知っているぐらいには知名度が高い。

 アメリカからは遠く離れたイタリアでもニュース番組や新聞で度々(たびたび)名前が出るのだが、ナランチャはその手の話題に興味が無いので一切知らなかった。

 

「おれは正式にSPW財団に在籍している。言葉だけで信用できないならSPW財団の本部に問い合わせれば確認が取れるだろう」

「……その必要はない。裏社会に属している一定以上の立場の人物は、全員あんたのことを知っている。SPW財団に在籍しているということもな。

オレも名前や容姿は聞いたことがあるが……SPW財団はパッショーネと戦争でもするつもりなのか?」

 

 ブチャラティは、かつて上司だったパッショーネの幹部──ポルポから絶対に戦ってはならない相手として、承太郎に関する情報を伝えられていた。

もし姿を見かけたら、すぐに組織の情報分析チームに報告しろと念押しされていたため、深く記憶に刻まれていたのだ。

 

 承太郎は海洋学者としての仕事をしながら、SPW財団のエージェントとしても活動している。

明らかにスタンド使いが関わっているであろう事案を解決するために世界を飛び回っているのだ。

 

 意図的にスタンド使いを量産していたパッショーネほどではないが、裏社会の組織に在籍しているスタンド使いは数多くいる。

 裏社会の掟を破ったスタンド使いは、基本的に裏社会の秩序を守るスタンド使いが秘密裏(ひみつり)に始末している。

だが稀に裏社会のスタンド使いでも対処しきれない、非常に強力なスタンド使いが現れる。

 

 そういったときに承太郎に話が回ってくる。

SPW財団は実際のところ、研究や超能力者の保護のために資金力や権力に物を言わせて非合法な活動を行うことがある。

 その一環で表社会では対処できない事態に対応するため、SPW財団は裏社会の治安を守るために動いている組織と協力関係を築いている。

 

 裏社会の秩序を乱すスタンド使いに対する最終兵器──それが空条承太郎なのだ。

スタンド能力の詳細は口止めされているため広まっていないが、彼が非常に強力なスタンド使いであるという話は、ある程度裏社会に属している人物なら誰でも知っている。

 

「そうならないように、おれたちはここに来た。

そもそもの目的はトリッシュ・ウナの救出と移送だったんだが、手短に説明するとしよう」

 

 手首を切り落とされ大量に出血した影響で目を覚まさないトリッシュに視線を向けながら、承太郎はイタリアまで来た経緯を説明し始めた。

 

 

 

 事の発端は、ドナテラの(ささ)やかな願いだった。

死ぬ間際、ドナテラからトリッシュを託すためにソリッド・ナーゾという男を探して欲しいと頼まれたティオレは、SPW財団に協力を仰いだのだ。

 

 ドナテラが世話になっていた恩師であるティオレは、娘の病気(HGS)の関係でSPW財団と繋がりがあった。

福祉活動などのために多額の寄付をSPW財団にしているティオレの頼みを無下(むげ)にはできなかった。

 

 SPW財団の捜査網や人員を駆使してソリッドについて探った結果、見つけてはならない真実を把握してしまった。

ソリッド・ナーゾという名前は、パッショーネのボスを探る者を釣り上げるための疑似餌の一つだったのだ。

 

 幸いにも関わっていたエージェントは早期に手を引いてイタリア国外に脱出したため無事だったが、トリッシュの保護にまで手が回らなかった。

国外に逃がそうとSPW財団が動いたときには既に手遅れで、トリッシュはパッショーネの者に拉致されてしまっていた。

 

 それだけなら承太郎が動くような事態にはならない。

SPW財団のエージェントはスタンド使いの数こそ多くないが、退役軍人や元諜報員といった優秀な非スタンド使いの人材が揃っている。

通常の非合法組織相手なら、決して遅れを取ったりはしない。

 

 だが、イタリアで行方不明になっている承太郎の友人──ジャン=ピエール・ポルナレフが追っていた相手とソリッドが同一人物かもしれないという可能性が浮上して話が変わった。

 

 ポルナレフは手練(てだれ)のスタンド使いだ。

スタープラチナの時止めやキング・クリムゾンの時飛ばしのような強大な能力こそ持っていないが、幼少期より鍛え上げてきた経験と判断力は承太郎も一目置いている。

 

 そんな男を人知れず葬りされる相手となると、強力なスタンド使いである可能性が非常に高い。

そこでSPW財団は『ものを紙にできるスタンド使い』の手を借りて、承太郎となのはをイタリアに密入国させた。

 

 その後は『特定の人物の居場所を念写できるスタンド』と『遠い未来と近い未来を予知できるスタンド』の能力を併用して、トリッシュが移送されるであろう場所を割り出して先回りしていた──というカバーストーリー(作り話)を、さも真実であるかのように語った。

 

 

 

 これらの情報は真実も含まれるが、ほとんどの要素がでっち上げの作り話である。

ティオレとSPW財団に関わりがあるのは事実だが、ソリッドを探しているという噂を流した後は軽く探っただけで捜査を打ち切っている。

 

 そもそもドナテラは実際には死んでいない。

特殊な素材で作った人形に同化させたサーフィスをドナテラの遺体だと偽って土葬したことで、トリッシュの目を誤魔化したのだ。

今はSPW財団の本部で保護されている。

 

 トリッシュの行方は、なのはの記憶を基に先回りさせたSPW財団のエージェントたちの監視で把握していた。

それらの情報は暗号化された衛星通信で集約されている。

 

 記憶通りにブチャラティチームが動いていると判明した時点で、承太郎となのははディアボロより先に移動して教会の納骨堂にあらかじめ作っていた隠し部屋に潜んでいたのだ。

 

 パッショーネの情報網は強大だが、SPW財団も短期間ならすり抜けられるだけの力を持っている。

SPW財団が探りを入れているとパッショーネの情報分析チームが把握した頃には、エージェントは全員国外に逃げ延びているだろう。

 

 それらしい理由付けの為に具体例を出しただけで、エニグマ以外のスタンド能力の説明も半分は嘘である。

ジョセフのスタンド──ハーミット・パープルはジョースター一族の血縁者相手か、物理的な手がかりがある場合しか念写能力を使えない。

 

 なのはのエピタフも予知できる時間が多少は伸びたが、それでも10秒が限界だ。

前世(ディアボロ)の記憶を誤魔化すために、遠い未来も予知できることにしているだけである。

 

 ブチャラティたちには承太郎の説明した過程が真実かどうか確かめる手段が存在しない。

語った過程が噓か本当かはともかく、トリッシュの居場所を突き止めて先回りしていたという結果しか現状では分からない。

 

「話の筋は通っているようだが……トリッシュをボスの手から逃す手段は用意できているのか?」

「おれたちを密入国させた『ものを紙にできるスタンド使い』がアドリア海沖の船上で待機している。

そいつのスタンド能力でトリッシュを『紙』にして、クロアチアからアメリカまで飛行機で移送するつもりだ。

アメリカにあるSPW財団の本部ならパッショーネも手が届かないだろう」

「おい、ブチャラティ! 御託(ごたく)はいいから、さっさとオレの質問に答えろッ!

 あんたは……あんたは、()()()()()()()んじゃあないのかッ!」

 

 話が長引き、このままでははぐらかされるではないかと危惧したアバッキオが、ブチャラティと承太郎の会話に割って入る。

アバッキオの核心を突く質問に、ブチャラティチームの面々は顔を青くして冷や汗を流した。

彼らは組織がどれほど恐ろしい存在か理解している。

 

 金も権力も後ろ盾もない下っ端の彼らが組織から逃れるのは不可能だ。

状況から考えて裏切ったとしか思えないが、もしかしたら不幸な事故か些細(ささい)な行き違いがあったのかもしれない。

ブチャラティの返答は、そんな僅かながらの希望を打ち砕く一言だった。

 

「分かった……話は途中だが単刀直入に言おう。アバッキオの予想は正しい。

()()()()()()()()()()ッ! おまえたちとは、ここで別れるッ!

 これから、おまえたちがオレと一緒に行動すればッ!

 おまえたちもオレと同じ『裏切り者』になってしまうからだ!」

 

 ブチャラティの発言は彼らが頭の片隅で予想していた通りの内容だった。

だからといって驚かないわけがない。あらかじめ理解していたジョルノと部外者の承太郎となのは、当事者のブチャラティを除いた面々は口をポカンと開けて放心している。

 

 数秒の沈黙の後、おもむろにナランチャがエアロスミスの機銃を承太郎に向けると、大声で叫びながら殺意をむき出しにした。

 

「そうか……テメーらが、テメーらが妨害したせいで、ブチャラティは任務を失敗したんだなッ!

 殺してやる! 殺してやるぜェ~~! ジョータロー!」

「待て、ナランチャ! 彼らは悪くない! 彼らが現れたのは、()()()()()()()()なんだッ!」

 

 混乱のあまり、物事の前後関係を理解しきれなくなったナランチャはブチャラティの制止を振り切ってエアロスミスで攻撃しようと動き出してしまった。

まずは明らかに強者の風格を漂わせている承太郎から始末しようとしたのは、ナランチャの持つ天性の戦闘センスによるものだろう。

 

 空高く飛び上がったエアロスミスが、承太郎の死角である頭上から弾丸の雨をばら撒いた。

頭上からの面攻撃は近距離パワー型のスタンドと言えど防ぎ切るのは難しい。

だがナランチャの予想に反して機銃攻撃は成功しなかった。

 

「き、消えただとォ!? どこだ、どこに行きやがった!」

「いい攻撃だったが、狙いが直線的すぎる。おれに攻撃を当てたいのなら跳弾を狙うべきだったな」

「後ろだ、ナランチャァ────ッ! あのヤロー、瞬間移動する能力でも使うのか? クソ、ピストルズで援護を──ッ!?」

 

 ナランチャの背後に時を止めて移動した承太郎は、スタープラチナを出したまま攻撃もせずに様子を見ている。

ついさっき船上で起きていた奇妙な現象のように瞬間的に移動したのを見て、ミスタは咄嗟(とっさ)に拳銃を撃とうとしたが、そこでようやく自分の身に起きた異常に気がついた。

 

 なんと拳銃から手を離した記憶はないのに両手が空になっていたのだ。

ホルスターにも拳銃は納まっていない。瞬間移動したかのように消え去ってしまった拳銃の行方はすぐに明らかになった。

ミスタの拳銃は承太郎のスタンドの右手に握られていたのだ。

 

「悪いが拳銃は奪わせてもらった。我々は君たちと敵対するつもりはないが、攻撃されたのなら当然反撃はする。

それより、()()()()()で無駄な時間を使っていていいのか?」

「……ジョータローの言うとおりです。彼がもし敵対するつもりだったのなら、ナランチャとミスタは今の一瞬で殺されていた。

それよりも……ブチャラティ、みんなに説明してください。もしかしたら、あなたに『ついてくる者』がいるかもしれない」

 

 慌てた様子で承太郎から距離を取るナランチャをよそ目に、ジョルノが状況を動かそうとブチャラティを急かした。

彼は無駄を嫌う性格をしている。このままでは無為に時間だけを浪費してしまうと思って、(なか)ば無理やり話を進めたのだ。

 

 アバッキオは急に場を仕切りだした新入り(ジョルノ)の行動に難色を示したが、話が進まないのも事実であるため眉をひそめるだけで胸ぐらを掴んだりはしなかった。

 

「……ボスは自らの手で自分の娘を始末するために、オレたちに彼女を『護衛』させた。

トリッシュには血のつながるボスの『正体』が分かるからだ。

それを知って、俺は許すことができなかった。そんなことを見てみぬふりをして、帰ってくることはできなかった。だから裏切った!」

 

 ブチャラティの行動が正しいか間違っているのか。

現状の情報だけで判断するなら明らかに間違っているだろう。

 

 フーゴはありえない選択をしたブチャラティを信じられなくなった。

ミスタはブチャラティの正気を疑った。

ナランチャはただただ黙り込んで立ち尽くしている。

アバッキオは危機的状況に陥ってると忠告している。

 

 助けが必要だ。ともに来るものがいるのなら、階段を降りてボートに乗ってくれとブチャラティが告げるが、誰しもが顔を背けて動こうとしない。

 

(そうだ、()()()()()()()()()。パッショーネに楯突(たてつ)こうなどと思うほうがおかしい。

予期はしていたが……ジョルノとブチャラティだけで、ディアボロと親衛隊を始末しなければならないかもしれない、か)

 

 顔を真っ青にしてダラダラと汗をにじませている彼らを見て、なのはは記憶の中で美化しすぎていたのかもしれないと思っていた。

 

 情に流されて血迷った選択をしたと非難しているフーゴの言葉を聞き流しながら、なのはは承太郎の隣に移動した。

彼女はアバッキオたちに冷たい視線を向けている。

 

 自分たちが干渉したせいで、本来の流れから変わりつつある自覚はある。

ジョルノとブチャラティしか協力してくれない可能性も考えてはいたが、それは最悪な場合の話である。

 

 なのはは彼らの気高き精神を尊敬していただけに、落胆もまた大きかった。

フーゴの意見に同意しだしたアバッキオの姿を見て、落胆は失望に変わりそうになった。

だが、すぐになのはは判断が早すぎたと知ることとなる。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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遠い国から来たボディガード その③

「オレが忠誠を誓ったのは『組織』になんだ。あんたに対し忠誠を誓ったわけじゃあねえ! 

 しかしだ。オレも、もともとよォ……行くところや居場所なんてどこにもなかった男だ」

 

 船を停めておくための金属製の柱に腰掛けていたアバッキオが意を決して立ち上がる。

 パッショーネに入る前、彼は警察官だった。正義感から警察官になったが、現実は彼が思っていた環境からは程遠かった。

 

 汚職に手を染めるのが日常と化していた警察官たちに失望したアバッキオは、当初の(こころざし)を忘れて悪事を見逃しても平気な人間になってしまった。

 金をもらうことで見逃していたチンピラに銃で撃たれた際に、同僚がアバッキオを庇って殉職したことで彼の人生は一変した。

 

 警察から追放され行くあてのなくなったアバッキオは落ちるところまで落ちた。

 そんな彼を拾い上げてパッショーネへの入団を勧めたのがブチャラティだ。

 

「この国の社会からはじき出されてよォ。オレの落ち着けるところは……ブチャラティ。あんたと一緒のときだけだ」

 

 パッショーネに元警察官という経歴の男の居場所なんてない。

 どれだけ組織に忠誠を誓っても、ボスが代替わりしない限り彼は一生下っ端のままだろう。

 だからといって表社会にも居場所はない。アバッキオはブチャラティの率いるチームしか自分の居場所はないと理解していた。

 

 今この瞬間、彼は忠誠より居場所を選んだのだ。

 ただただ腐っていくだけだった男に目的を与えてくれたブチャラティと共に進むため、彼は恐怖に打ち勝ち誰よりも先に階段を降りた。

 

 アバッキオの選択に微笑を浮かべるジョルノと、彼の反応が気に触ったのか、いい気になるんじゃあないと鼻を鳴らすアバッキオ。

 フーゴは彼の選択に驚愕しているが、この行動が引き金になり、ついていくことを決断した男がいた。

 

「ボスを倒したのならよォ。実力からいって……次の幹部はオレかな。ホレ! 『亀』を忘れてるぜ」

 

 地面を這っていたココ・ジャンボを拾い上げてジョルノに手渡しながら、ミスタが階段を下った。

 ミスタは良く言えば前向きでポジティブな性格、悪く言えば後先考えずに動くいい加減な性格だが、ブチャラティのためなら命をかけるだけの覚悟と信頼がある。

 

 ミスタはブチャラティが組織を裏切ったのは勝つ算段があるからだと判断した。

 実際には今まで積み重なってきた組織に対する不信感がトリッシュを殺そうとしたディアボロの行動で爆発しただけなので、ミスタが深読みしすぎているだけである。

 

 とはいえミスタとブチャラティの信頼関係は薄っぺらなものではない。

 たとえ本当の理由を知っていたとしても、なんだかんだでミスタはブチャラティと共に組織を裏切っただろう。

 

 もしかしたら一番にボートに乗るのを選んだら、ブチャラティ、ジョルノ、トリッシュの次──()()()になるのでアバッキオの後に続いただけかもしれないが、本当の理由はミスタにしか分からない。

 

「つーか、オッサン! もう攻撃しねーから、オレの拳銃返してくれよ」

「……ああ、分かった。拳銃は返してやろう」

「うおおおおおおッ!? 思いっきり投げるんじゃあねえよ! 危ねえじゃあねーかッ!」

 

 やたらとオッサン呼びしてくるミスタの態度に少し苛ついたのか、承太郎はやや乱暴に拳銃をスタープラチナで投げ渡した。

 もちろん普通の人間が受け取れる程度の勢いまで弱めている。

 本気で投げていたら、受け止めたミスタの腕がちぎれ飛んでいるだろう。

 

 確かに今いる面々の中では、30歳の承太郎が一番の年長者である。

 ブチャラティチームはアバッキオが21歳、ブチャラティが20歳で残りの面々は10代後半だ。

 彼らから見れば30歳はオッサンと言えなくもないだろうが……承太郎は納得いかないようだ。

 

 そんな承太郎とミスタのやり取りをよそに、フーゴはブチャラティの説得を諦めてボートに乗らない(組織を裏切らない)選択をした。

 残る一人、ナランチャは信頼と現実に板挟みになって動けない。

 

 ブチャラティが一緒に来いと命令してくれれば恐怖を見て見ぬふりをして動ける。

 だから命令してくれとナランチャは頼み込むが、ブチャラティは自分の『歩く道』は自分で決めろと突き放した。

 

 頭を抱えて、どうすればいいか分からなくなってしまったナランチャにブチャラティが忠告する。

 来るな、おまえには向いてないと。そのままの流れで、階段の上からその様子を眺めていた承太郎となのはにブチャラティが声をかけた。

 

「この場に留まり続けるのは得策ではない。

 だからジョータローとナノハ、あんたたちもトリッシュが目を覚ますまでは同行してもらう。

 トリッシュがオレたちと来るか、それともあんたらに保護してもらうかは、トリッシュ自身が選ばなくちゃあならんからな」

「いいだろう。トリッシュの保護、もしくは護衛しながら行方不明になったポルナレフの足取りを追うのが、おれたちの目的だ。

 おまえたちに協力するのが、現状では最善の手だろう」

 

 ブチャラティの提案に承太郎が頷いた。

 パッショーネの情報を探っていたポルナレフの足取りを追う──それはパッショーネのボスの足取りを追うことと同意義である。

 敵の敵は味方などという単純な理屈ではないが、共通の敵を前にして両者は同盟を組むことにした。

 

 信用の証にブチャラティがジョルノに拘束を解除させた。

 両腕が自由になった承太郎は懐に手を伸ばし、1枚の『紙』を取り出した。

 イタリア語で『クルーザー』と書かれているそれを、承太郎は丁寧な手付きでフーゴに手渡した。

 

「……これは?」

「その『紙』にはクルーザーが入っている。

 押しつぶされたいのなら止めはしないが……そんなマヌケな死に方はしたくないだろう? 

 取り出したいのなら海の上に放り投げろ」

 

 思わず『紙』を開きそうになったフーゴの手を承太郎が押さえつける。

 続けざまに教えられた事実に、フーゴはギョッとして顔を引きつらせた。

 そういう重要なことは渡す前に言えよ、このスカタンがと思うフーゴだったが、ギリギリで理性が打ち勝ってキレずに終わった。

 

「これを機にパッショーネから抜けたいと思うのなら、クルーザーの通信機を使ってアドリア海沖にいるSPW財団のエージェントに連絡して国外へ脱出しろ。

 SPW財団に受け入れてもらえるよう話は通している」

「アンタ……本気で言っているのか? オレがパッショーネに情報を売る可能性だってあるんだぞッ!」

「これは、おれたちの代わりにトリッシュを護衛していたおまえたちへSPW財団が用意した報酬だ。 『忠誠』『裏切り』『亡命』……どれを選ぶのも自由だが、おまえたちが()()()()な選択はしないと見込んでの提案でもある」

 

 裏切り者のチームに所属していた男の将来は決して明るくはない。

 ディアボロが勝てば真実の一端を知る人物は粛清される可能性だってある。

 消されなくても、幹部に評価されなければ死ぬまで下っ端のままだ。

 

 だからといって勝ち目のない闘争に身を置くのが正しいとも思えない。

 そんなフーゴにとって、承太郎の提案は唯一の生き残る道に見えた。

 手のひらに乗せた『紙』をじっと見つめているフーゴと、うつろな目で息を荒くして唸っているナランチャに背を向けて、承太郎は両手をズボンのポケットに突っ込みスタスタとボートに乗り込んだ。

 

 なのはも無言で承太郎の後を追いかけてボートに乗り込む。

 承太郎は中心付近で船べりに腰掛けているジョルノの正面、なのははアバッキオの隣を通り抜けて、ボートの進行方向に背中を向けて座った。

 

(このガキ、なんでわざわざトリッシュから真反対のオレの後ろを選んだんだ……? 

 トリッシュを保護しに来たのなら、一番近いブチャラティの隣に行けばいいだろうが)

 

 なのはの意味が分からない行動にアバッキオは疑問を感じた。

 アバッキオの背後を選んだのは、船上のメンバーの中で彼のスタンドが一番戦闘向きではないから──などという深い理由ではない。

 

 ただ単に、できるだけジョルノから離れたかっただけである。

 想定外の事態に驚きはすれども、大抵の相手に物怖じしないなのはだが、ジョルノだけは例外だった。

 目を合わせるのも嫌なのか、納骨堂で対面してから一度もジョルノの顔を見ようともしていない。

 

「行くぞッ! ボートが離れたのなら、おまえたちは『裏切り者』となるッ!」

 

 フーゴとナランチャ以外が乗り込んだのを確認したブチャラティが号令をかける。

 自分たちを置いてどんどん離れていくボートを眺めているフーゴは、正論を述べて自分の心を納得させようとしていた。

 

 自分は組織を裏切っていないのに、裏切り者はブチャラティたちのほうなのに、フーゴは言い知れぬ虚無感に襲われていた。

 その虚無感の正体をフーゴは自覚できない。

 

 ここにいる誰よりも常識的──様々な知識をため込んでいるが故、彼は一歩前に踏み出せない。

 理性が邪魔をして、感情の(おもむ)くまま勇気を振り絞って行動できないのだ。

 

「ジョルノ、『亀』をとってくれないか。トリッシュを中に入れよう」

「……ブチャラティ、振り返って見てください」

 

 『亀』を手渡そうと後ろを向いたジョルノが何かに気がついたのか、ブチャラティに振り返るように声をかけた。

 彼らの視線の先──そこには必死に泳ぎながらボートに向かっているナランチャの姿があった。

 

「行くよッ! オレも行くッ! 行くんだよォ────ッ! オレに『来るな』と命令しないでくれ────ッ! 

 トリッシュはオレなんだッ! ()()()! トリッシュの腕のキズはオレのキズだ!」

 

 口の中に海水が入るのも気に留めず、ナランチャはブチャラティに聞こえるように大声で呼びかける。

 自分の意志で『歩く道』を決めたナランチャを受け入れるため、ブチャラティはボートをその場で止めた。

 

 ナランチャは父親に愛されず見向きもされなかった過去がある。

 元々家族に対して冷たい父親だったが、ナランチャの母親が病気で亡くなったことが拍車をかけた。

 彼自身は父親のことを尊敬していたが、現在も父親との仲は修復できていない。

 

 実の父親に殺されかけたトリッシュの姿を見て、ナランチャは共感した。

 あそこにいるのは父親に認められず、悪友に濡れ衣を着させられ、目を患って残飯を漁っていた頃の自分だ。

 

 あのときはフーゴとブチャラティが自分を守ってくれた。

 だから次は自分がトリッシュを守る番が来たのだと、ナランチャは思ったのだ。

 

「てめえ、決断が(おせ)えんだよ」

「どうなっても、誰かを恨んだりすんじゃあねえぞ」

「ナランチャ、きみのその勇気に敬意を表します」

 

 ボートの上にナランチャを引っ張り上げながら、ミスタ、アバッキオ、ジョルノがそれぞれ言葉を投げかける。

 教会の方に目を向けると、既にフーゴの姿は見えなくなっていた。

 

「フーゴの野郎、来なかったな」

「まあ、判断はそれぞれの問題だ。頭のいいあいつなら、組織に残るか亡命するか……どっちを選んでも上手くやっていくだろうさ」

 

 ブチャラティにトリッシュを守りたいと宣言しているナランチャの姿を眺めながら、ミスタとアバッキオがフーゴについて言葉をかわしている。

 ブチャラティチームの面々はフーゴが自分たちについてこなかったからといって、彼を非難するつもりはなかった。

 

 あの選択肢の中なら、SPW財団を頼って海外に逃げるのが一番利口な選択だろう。

 胡散臭くはあるが、仮にも表社会で有名なSPW財団の待遇がパッショーネより悪いとは思えない。

 

 自分たちの選択は間違っていないという自信はあるが、同時に裏切りを決意した自分たちのほうがおかしいという自覚もあるのだ。

 

「それで、これからどうするんだよ、ブチャラティ。こんなチンケなボートじゃあ外洋には出られねーぜ」

「ひとまずは運河を通ってヴェネツィアに上陸して、トリッシュが目を覚ますまで食事でもしながら、今後どう動くか話し合うつもりだ」

 

 ミスタの質問にブチャラティはすんなりと自らの考えを明かした。

 危機感があまり感じられないようにも思えるが、そもそも現状ではできることがほとんどない。

 ボスの正体を突き止めるためのヒントをどうにかして手に入れなければ、動こうにも動けないのだ。

 

 当てもなく移動するにしても、ヴェネツィアは陸路ではリベルタ橋──ミスタとジョルノが暗殺チームのギアッチョという男と戦闘を繰り広げた橋でしか行き来ができない。

 既にパッショーネの手の者が陸路や海路、鉄道を監視するために動いているだろう。

 

 ヴェネツィアに上陸するためにボートを動かそうとブチャラティが(かじ)に手をかける。だが、それに待ったをかける者がいた。

 

「ヴェネツィアに上陸するのは賛成できない。たった今、食事中に敵スタンドに襲撃される光景を『予知』した」

「テメー……ワケわかんねーこと言って、ブチャラティの判断にケチつけるつもりか? 

 さっきから一言も喋ってねーガキの言葉を、オレらが信じると思ってんのかッ!」

 

 すぐ側に座っていたアバッキオがなのはにガンを飛ばすが、無表情のまま逆に睨み返された。

 

 アバッキオも含めて、この場にいる面々は子供相手にビビるような性格はしていない。

 それなのに、彼らはなのはの藍色の瞳の奥に言い知れぬ不気味さを感じていた。

 直接対面していたアバッキオはケツの穴にツララを突っ込まれた気分になって、無意識のうちに立ち上がってなのはの胸ぐらを掴んでいる。

 

「どんな未来が見えたんだ? 詳しく教えてくれ」

「おい、ブチャラティ! コイツの言ってることを真に受けるつもりか!?」

 

 予想に反して乗り気なブチャラティの反応に驚いたアバッキオが、なのはから手を離して振り返った。

 アバッキオから解放されたなのはは、不機嫌そうに掴まれて少しシワの寄ったパーカーを整えている。

 

「予想に過ぎないが『遠い未来と近い未来を予知できるスタンド』の使い手とはナノハのことなんだろう。

 だから、こんな子供をイタリアまで連れてきた。あってるか、ジョータロー?」

「ブローノ・ブチャラティ。おまえの言いたいことは分かるが、なのはは自分の意志でここにいる。

 無理やり連れてきたわけじゃあない」

 

 ブチャラティは子供や老人といった弱者を守る正しい心を持ったギャングだ。

 このような争いごとに子供(弱者)を巻き込みたくないと思って当然だろう。

 

 もっともブチャラティはなのはを弱者だとは思っていない。

 なのはの立ちふるまいは、命のやり取りや戦いをしたことのある人間特有のものだからだ。

 

 ブチャラティたちが妙な動きをしたら反応できるように、船の先端にいるのもその証拠だ。

 理由の内訳は監視が1割、ジョルノから離れるためが9割だが、心を読めないブチャラティからしてみたら戦い慣れているとしか判断できない。

 

 どちらかと言うと、この質問は承太郎が子供を平然と利用する人間かどうか見極めるためのものだった。

 裏社会のスタンド使いの殺し屋というイメージが広がっているせいで、ブチャラティは承太郎の人となりを知らないのだ。

 

「『予知』には水面から飛び出して攻撃してくるサメのようなスタンドと、舌に取り憑いて嘘をつかせるスタンドが見える。

 時刻は……今から一時間とちょっとといったところだな」

「えらく具体的な内容だけどよォ~~~。それってどれぐらい当たるんだ? 

 半分しか当たらないとかだったら、ショージキあんまり参考にならねーぜ」

「わたしの『予知』は、近い未来は予知を見て行動した場合の結果が見えるが、遠い未来は何もしなかった場合の結果しか見えない。

 だから当たるとも言えるし、当たらないとも言える」

 

 疑惑の目を向けてくるミスタに対して、なのはが予知の仕組みを簡単に説明した。

 未来予知が可能なスタンドの使い手なら、なのはの説明は嘘だとすぐに見破れるだろう。

 

 『運命(未来)』は簡単に変えられるものではない。()()()()()()()()()が『運命』で決まっているのだ。

 よって、予知結果を変えるのは不可能だ。解釈を変えることで見えた未来を回避できても無かったことにはできない。

 

 だからこそ、それを可能とするキング・クリムゾンを知ったポルナレフは承太郎でも勝てないと思ったのだ。

 

 ブチャラティたちは裏社会では全員が若手の部類に入る。

 当然、未来予知ができるスタンド使いの知り合いなどいない。

 運命のズレによる(旧世界から新世界に移行した)影響か、カタギの花屋の依頼は()()()()()()()()()()()()()

 

 よって、ブチャラティたちは近い死の運命が決まっている人間を安らかに殺すスタンド──ローリング・ストーンズと本体のスコリッピという男とは遭遇していない。

 

 もっとも、なのはの前世の世界(本来の流れ)でスコリッピから運命についての説明を聞かされたのはミスタだけだ。

 地頭(じあたま)は悪くないが適当な性格をしているミスタが覚えているかは怪しいので、もし同じ出来事がこの世界で起きていても、なのはが誤魔化していると気がつきはしなかっただろう。

 

「ナノハの予知が本当だとしたら、ぼくは迎え撃つべきだと思います。

 敵の能力が分かっているのなら、こちらが有利だ。

 それに無防備に船で海上を移動するのは、水面から攻撃できる敵スタンドにとって有利すぎる」

「ならば()()()()()()()()()()()()だけの話だ」

 

 承太郎がポケットから取り出した『紙』を開けると、大きめの旅行カバンが現れた。

 その中から分厚いポケット付きのファイルを取り出してパラパラとめくり、目当ての『紙』を引き抜いた。

 そのまま水上飛行機と書かれている『紙』を全員に見えるように掲げる。

 

「何かの冗談か? 準備が良すぎるどころの話じゃねーぜ。オメーらはネコドラくんかよォ────ッ!?」

「我々は可能な限りの下準備をしてから、この場に来ている。

 陸海空、全ての移動手段を用意していると思ってもらっていい。

 それで……どうするんだ? 飛行機に乗って空に向かうのか、ヴェネツィアに上陸して追手を迎え撃つのか。『歩く道』を選ぶのはおまえたちだ」

 

 イタリアでは80年代から日本のアニメがテレビで浸透している。

 キャプテン翼やドラゴンボールはイタリアでも人気な作品だ。

 奇妙な道具をポケットから取り出すネコドラくんも、日本と同様の知名度を誇っている。

 ミスタは意外とテレビを見るタイプの男だった。

 

 ミスタの例えを無視して承太郎はブチャラティに決断を迫った。

 承太郎となのはは協力者なだけで、行動の主導権はブチャラティが握っている。

()()()()()()、信用を得るために二人ともブチャラティの選択を尊重するつもりでいる。

 

「ナランチャ、周囲に怪しい人影はないか?」

「ああ、レーダーに反応は無いぜ」

「そうか……決めたぞ、みんな! オレたちは──」

 

 追手を迎え撃てば親衛隊を削れるかもしれないが、確実に始末できるかは分からない。

 飛行機でヴェネツィアから脱出すれば、パッショーネの追跡を一時的にやり過ごせるかもしれないが、逆に追い詰められるかもしれない。

 

 ブチャラティがどちらを選んでもジョルノたちはついていくだろう。

 一瞬の沈黙の後、ブチャラティは選択した。その選択にジョルノたちは反論することなく、黙って頷いて同意したのだった。

 

 

 

 

 

 

 ボートに向かって泳いでいったナランチャの姿を見ていられなかったフーゴは、ブチャラティたちを見送ることなく足早に教会の中へ逃げ込むように移動していた。

 

 クルーザーを取り出して亡命するのが一番助かる可能性が高いはずなのに、フーゴは心の中をジワジワと蝕む虚無感のせいで何もできずに礼拝堂のベンチに腰掛けて(うつむ)いている。

 

「ぼくは……正しい馬鹿にはなれない。だけど、ブチャラティたちの情報をパッショーネに流すような()()()()にもなりたくない。ぼくは……どうしたらいいんだ……」

 

 フーゴはブチャラティに一番最初に拾われて共にチームを作ったという経歴を持つ。

 彼には返しきれないほどの恩があった。だが自分の命が惜しいと思う理性的な部分も同時にあった。

 

 フーゴはナランチャのように自分の感情に素直に動ける正しい馬鹿になりたかった。

 今からでも遅くはない。急げば間に合うはずだ。それなのに、足がすくんでフーゴは一歩も動けない。

 

 彼には『歩く道』を自分で選べる勇気がなかった。

 ナランチャと同じく、フーゴも今まで誰かに命令されて生きてきた人間だ。

 どうしてもメリットとデメリットを天秤にかけてしまうのだ。

 

「ならば、パンナコッタ・フーゴ。おまえに第四の選択肢を与えよう」

「──ッ!? 誰だッ!」

 

 コツコツと足音を立てながら、見知らぬ黒髪の男がフーゴに向かって歩み寄ってきた。

 フーゴは立ち上がってスタンドを出して警戒するが、黒髪の男は気楽に散歩するかのような態度のままペースを落とさずに近づいていく。

 

「見たところ、きみが動けずにいるのは情報が足りないからだ。

 だから、()()()()()()()()()()()()このぼくが『真実』を教えてやろう」

「な、何を言って──」

「ぼくはパッショーネのボスが誰なのか知っている。高町なのはと空条承太郎の本当の目的も把握している。

 信じるか信じないかはきみの自由だが……もう少し自分に素直に生きてみたらどうなんだ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()黒髪の男の言葉に、フーゴは半歩後ずさってしまう。

 なのはが立てた筋書きの裏で、予想もしていない事態が起きようとしている。

 黒髪の男の行動がどう影響するのか、それは誰にもわからない。




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目的地はサルディニア! コスタ・ズメラルダ その①

 現在、ブチャラティたちは高度6000m上空を飛ぶ飛行機の中にいた。

 SPW財団が用意していたのは、黄色い外装が特徴的な全長20mほどの大きさの本来なら放水作業に使われるカナダ産の『スーパースクーパー(ボンバルディア CL-415)』という大型水上飛行機だった。

 

 飛行機を操縦できる者がいないという問題も、多種多様な乗り物の免許を持つ()()()()()()()()()が『紙』に入って同行していたため解決した。

 

 なのははSPW財団のエージェントが付いてくるとしか聞かされていなかったため、無表情を崩して驚きながら視線を揺らしていた。

 

「わたしはついてくるなって言ったはずだよ」

「この状況に対応できる一番の適任者が俺だったんだ。本当は一緒に戦いたいが足手まといにはなりたくない。

 なのはたちを送り届けたら、すぐに国外に脱出するつもりだ。だから、これぐらいはさせてくれ」

「おい、オレの分からねえ言葉で会話するんじゃあねえ。もし中央イタリア以外に向かってたら、ただじゃおかねえからな」

 

 コックピットに座って操縦桿を握っている男──高町士郎になのはが日本語で抗議していた。

 映画やテレビで見ただけとはいえ飛行機に関して少しは知識があるということで隣の座席で監視しているアバッキオは、日本語が分からないので密談しているのかと怪しんでいる。

 

 現在、この飛行機はイタリア国内のどこにでも行けるように中央イタリアを目指して飛行している。

 この飛行機はジェット機ではなく両翼に取り付けられた2機のプロペラで飛んでいるため、巡航速度は時速300km程度とあまり速くない。

 

 アバッキオは方角や計器の動きと地図を見比べながら、妙な場所に向かっていないか見張っている。

 非常用にパラシュートなども用意されていたが、完全には信用できないため警戒は怠らないようにアバッキオが自分から申し出て監視しているのだ。

 

「さきほど確認したとおり、俺はスタンド使いではない。君たちと戦う手段なんてないのだから、無謀なことはしないつもりだ」

「そのわりには度胸がありすぎんだよ。スタンド使いを知っていて、こうして平然といられる時点でおかしいってのに……ジャポネーゼ(日本人)はこんなヤツばかりなのか……?」

 

 実際には士郎はスタンド使いと戦えなくはない。

 この至近距離なら思考速度と身体能力を跳ね上げる『神速』という奥義を使えば、士郎の動きはムーディー・ブルースを軽く上回る。

 

 しかし近距離パワー型のスタンド相手となると、御神の剣士といえども分が悪い。

 スタープラチナのような例外を除けば士郎の太刀筋を見切って受け止めるのは非常に難しい。

 だが、それは士郎も同じである。スタンドは目に見えないため、力押しで無理やり突破されてしまう可能性が高いのだ。

 

 アバッキオの日本人のイメージが歪められていく最中、ブチャラティたちは機体後方に左右に1脚ずつ設置された4人がけのベンチシートに腰掛けて話し合っている。

 

 本来は山火事や船上火災を消火するために使われる機体なので、水を溜めるタンクなどにスペースが割かれていて居住性は考慮されていないのだ。

 

 ナランチャとミスタは亀の中でトリッシュが目をさますのを待ちながら、承太郎が『紙』で持ち込んでいたイタリア料理を食べている。

 これらの料理はトニオが用意したものだ。さすがにパール・ジャムまでは入っていないが、非常時の食事として3日分ほど用意してもらっていたのだ。

 

 向かい合って座っている承太郎はジョルノに事情の説明を行っていた。

 DIOとジョースター家の一世紀以上にわたる因縁のあらましを聞かされたジョルノは、少しばかり落胆したかのような反応を示した。

 

 DIOの首から下はジョナサン・ジョースターという男のもので血縁上は承太郎の親戚にあたると言われたときは、真剣な眼差しを向けながら話を聞いていた。

 

 だが今まで顔と名前ぐらいしか知らなかった父親の経歴と性格が判明してからは、感情を見せないように(つと)めていたがDIOが邪悪な男だと知って衝撃を受けていた。

 

 承太郎がDIOを殺したこと自体は気にしていなかったが、大人びていて冷静で理知的なジョルノも、まだ15歳の少年である。

 一度も会ったことのない父親の写真を持ち歩いていたぐらいには思い入れがあった。

 

「ああ、待ってください。詳しい説明はもういいです。

 ぼくの知らなかった過去を教えてくれるのはありがたいのですが……正直、今の状況には何の関係もない()()()()()に時間を割けない。

 ジョータローがぼくの父親を殺したことについては、気に病む必要はありません」

「……きみがそう言うのなら、話の続きはすべてが終わってからにするとしよう」

 

 承太郎は、少しだけ表情を変えたもののすぐさま表情を取り(つくろ)ったジョルノの性格を測りかねていた。

 あまり表情を変えないジョルノは何を考えているのか分かりにくい。

 

 康一はジョルノを手癖は悪いが悪人ではない『さわやかなヤツ』だと報告している。

 ジョルノは生活のために置き引きなどの犯罪行為に手を染めていたが、過剰に金品を盗んだりはしていない。

 

 承太郎も自分の考えを貫くために不良のレッテルを張られていた過去があるため、普段の行いと正しい心を持つかどうかは別の問題だと思っている。

 

 承太郎はジョルノがDIOのような世界に混乱をもたらす野望を持っているか見極めようとしている。

 もしジョルノがDIOの悪い部分を受け継いだ吐き気をもよおす邪悪だった場合は、矢を強奪して始末するつもりでいるのだ。

 

「あんたらはボスの『正体』について何か情報を掴んでいないか? 

 過去にボスが訪れたであろう場所さえ知れれば、アバッキオのスタンド能力で素顔と指紋を調べることができる」

「残念だが、おれたちが把握しているのはパッショーネのボスが『ソリッド・ナーゾ』という偽名を使っていたところまでだ。

 スタンド能力は予知の関係で把握していたが、それ以外はサッパリだな。今からヴェネツィアに戻って、納骨堂を調べてみてもいいが……」

「ボスがアバッキオのスタンド能力を把握していないとは思えない。

 きっと、何らかの対策をとっているでしょう。調べるのなら、確実に素顔を見せている場所でなければならない。

 ボスはトリッシュを消そうとしていた。彼女は、きっと()()()()()()()()()()()()を知っているはずだ」

 

 ブチャラティの提案に承太郎は首を横に振って答える。納骨堂に戻るという案も下策だとジョルノが否定する。

 今から納骨堂にとんぼ返りしても、パッショーネの手の者によって監視されている可能性が高い。

 

 そもそも病的なまでに過去を隠蔽するディアボロが証拠を残している可能性は低い。

 ディアボロの正体を見つけるための手がかりはトリッシュが握っているとジョルノは考えた。

 

 アバッキオのスタンド──ムーディー・ブルースは過去のその場所にいた人物やスタンドに変身して、対象の行動をビデオのようにリプレイ(再生)できる能力を持つ。

 

 本来なら情報分析チームに配属されるべき能力だが、ムーロロが悪用して自分の正体を探る可能性を考えて、ディアボロはアバッキオを移籍させずに放置していた。

 

 当然、ディアボロもムーディー・ブルースについては把握している。

 あの場にいたディアボロは髪型を変え顔を隠すために変装もしていた。

 指紋を残さないように手袋もしていたので、仮にリプレイをしていても体格ぐらいしか把握できなかっただろう。

 

 そもそもディアボロの素顔を知ったとしても、普段は気弱な少年──ヴィネガー・ドッピオの人格と姿で過ごしているため見つけるのは至難の業だ。

 

 承太郎たちはディアボロとドッピオが同じ肉体を共有している事実を知っているが、ポルナレフとブチャラティたちが連絡をとった方法がわからない以上、よほど切羽詰まらない限り情報を開示するつもりはない。

 

「……なあ、ブチャラティ。やっぱり……トリッシュには何も知らせないまま、亡命させたほうがいいと思うんだ。

 目を覚まして実の父親に殺されそうになったと知ったら、きっとものすごいショックを受ける」

 

 亀の中からブチャラティたちの会話を聞いていたナランチャが、食事を終えたのか外に出て自分の考えを述べた。

 合理的ではない感情的な判断だったがトリッシュへの思いやりが感じられる一言だった。

 

 ジョルノの提案はトリッシュの感情を度外視したものだ。

 トリッシュが繊細な心を持った少女なら、確実にショックを受けるだろうとナランチャが思うのもおかしくはない。

 

「トリッシュは父親に裏切られたんだぜ。ブチャラティ! 

 お願いだよ。ボスの正体だとか、そういった話は隠しておいてやってくれよ」

「その必要はないわ、ナランチャ。もうすでに……理解しているもの。さっきから……」

 

 いつの間にか目を覚ましていたトリッシュが、亀の中から身を乗り出してナランチャに声を掛ける。

 切り落とされた左腕を止めているジッパーを見つめているトリッシュの眼差しは、覚悟を決めた者のそれだった。

 

 トリッシュは承太郎の口から出た『ソリッド・ナーゾ』という名前を聞いて思い出した。

 今から4ヶ月ほど前──正月に合わせてドナテラの見舞いに行っていたトリッシュは昔話を聞かされていたのだ。

 

 

 

 サルディニア島に旅行に来ていたドナテラが、カエルを守って車に()かれそうになったソリッドと出会ったところから昔話は始まった。

 ラブロマンスと言うには日常的すぎる内容だったが、ドナテラにとっては忘れられない日々だった。

 少女のような笑みを浮かべながら楽しげに語っていたのをトリッシュはよく覚えている。

 

 感情を読むのがうまかったドナテラは、ソリッドという名前が偽名だとすぐに感づいたが最後まで指摘しなかった。

 偽名を名乗っている理由──愛した相手に本名を知られて嫌われたくないというディアボロの気持ちを察してしまったからだ。

 

 どんな名前だろうとドナテラはソリッドを嫌いはしなかったが、彼は言葉だけで納得できるほど他者を信頼できる性格ではなかった。

 それでも徐々に態度が軟化していたので、いつかは自分から名前を教えてくれるだろうとドナテラは待っていたのだ。

 

 結局、ドナテラはソリッドから本名を聞き出せなかった。

 彼はドナテラを安全な位置に逃がすと、『すぐに戻ってくる』と言い残して『写真』も『本名』も何も残さずに村ごと全てを焼き払ってしまったのだ。

 

 神父が地下に生きたまま埋められていたディアボロの母親の存在に気が付かなければ、彼は悪魔(ディアボロ)にならず平凡な一人の青年として船乗りになって生きていたのか。それは誰にもわからない。

 

 

 

「なぜオレたちに教える!? オレたちはきみの父親を殺すかもしれないッ! いや! 倒そうと決意しているんだぞ」

「倒すとか倒さないとかは、あたしにとっては別問題だわ! あたしはどうしても知りたい! 自分が何者から生まれたのかを! 

 それを知らずに殺されるなんて、まっぴらゴメンだわッ!」

 

 トリッシュの語ったディアボロの過去は正体を探るための助けになるだろう。

 ブチャラティがトリッシュの覚悟を試すために、情報を明かした理由を問いかける。

 

 汗一つ流さず、トリッシュは父親の過去を知りたいと言い返す。

 何も知らないのに命を狙われる理不尽にトリッシュは耐えられなかった。

 父親として興味があるのではない。どうして命を狙うのか、その理由を知りたいのだ。

 

「きみの覚悟は分かった。その上で提案がある。

 トリッシュ、きみには2つの道がある。このままオレたちについて行って父親の謎を探るか、SPW財団のエージェントと共にアメリカに亡命するか。選ぶのは2つに1つだ」

「……あたしは自分の目で真実を知りたい。何も知らずに逃げるだけの弱者のまま、目をそらしているのは嫌なのよッ! 

 だから……あたしはブチャラティたちについて行くわ」

 

 逃げずについて行くと啖呵(たんか)を切ったトリッシュの姿をコックピットと座席の間の通路から、なのはが静かに眺めている。その心境は複雑だった。

 

 ドナテラにトリッシュを守ると約束している以上、連れ歩くのはリスクが上がるだけだ。

 だが、トリッシュの感情を無視して無理やり逃がすのも正しいとは思えない。

 てっきり逃げる手段が無いのでコロッセオまで同行していたとなのはは思っていただけに、トリッシュの今回の選択は想定外だった。

 

 目的地がサルディニアに決まって話は一段落ついた。承太郎が士郎に話を通すために立ち上がってコックピットへ向かう。

 その途中で難しい顔をしているなのはに近寄って日本語で話しかけた。

 

「どうやら彼女の心は、なのはが思っているよりも強く(しな)やかだったようだな。それより……もう少しうまく演技はできないのか?」

「……わたしとしては、うまくやっているつもりなんだけどな」

「威圧感を出すのなら全員に対してやれと言っている。露骨(ろこつ)にジョルノ・ジョバァーナだけ避けているせいで、あからさまに怪しまれてるぞ」

 

 ブチャラティチームのメンバーの中では、もっともとっつきやすい外見をしているのがジョルノだ。

 その次にブチャラティが続くが、他の連中は正直チンピラにしか見えない。

 

 胸ぐらを掴まれたアバッキオにすら真っ向から向き合えるのにジョルノとだけ視線を合わせようとしないなど、言外(げんがい)に何かあると教えているようなものだ。

 

「こうなると思って、おれは無害な子供のフリをして接触しようと提案したんだが……せめてポルナレフの潜伏場所が発覚するまでは、どうにか正体を隠し通してくれ」

「戦闘になったとしても、ブチャラティの前でスタンドを出すのだけは避けるつもりだ。

 時飛ばしもなるべくは使わないつもりだが……危なくなったら出し惜しみはしないぞ」

「ここから先はどうなるか読めないからな。もう少し信用されれば、親衛隊のスタンド能力を予知ということにして伝える予定なんだ。

 無理して親しくなれとまでは言わないが、もう少ししっかりしてくれ」

 

 承太郎の忠告にゆっくりと頷いたなのはだったが、ジョルノと顔を合わせて話をできる自信はなかった。

 そもそも過去(ディアボロ)を乗り越え恐怖(トラウマ)に打ち勝つためになのははこの場にいる。

 

 恐怖に打ち勝つ前に、一足先にトラウマの元凶と直接対峙するなどという状況自体が間違っているのだと、なのはは内心で言い訳している。

 

 コソコソと内緒話をしていては怪しまれるだけだと会話を打ち切って、なのははベンチシートに座る。

 ブチャラティとジョルノが食事するために亀の中に入るのを待っていたようだ。

 

「おーい、アバッキオは飯、食わねーの?」

「そうだな……何か軽くつまめる物があれば持ってきてくれ」

 

 アバッキオは監視の目を緩めたくないようで、その場で食べられる物をナランチャに要求した。

 承太郎から貸し出されている食料品をまとめているファイルをめくり、ナランチャはパニーニ(サンドイッチ)と書かれた『紙』を引き抜いてコックピットに持っていった。

 

「オメーらは食わなくていいのか?」

「……今は食事をしたい気分じゃない」

「前日から、ろくに食事をとれていないおまえたちと違って、おれらは前日も夕食は食べているからな。サルディニアについてからで構わない」

 

 目的地を伝えて帰ってきた承太郎とベンチシートの隅で座って目を閉じているなのはに、拳銃の手入れをしながらミスタが軽い口調で尋ねる。

 そっけなく断ったなのはの言葉を承太郎が補足する。なのはの態度に気分を悪くすることもなく、ミスタは拳銃の整備を続けている。

 

 過剰に警戒しているアバッキオとは真逆で、ミスタはあまり承太郎たちを警戒していない。

 承太郎は飛行機に乗り込んだ直後に、スタープラチナの時間を止める能力をブチャラティたちに伝えてあった。

 

 時間停止などという単純に強力な能力を警戒しても無意味だと悟ったミスタは、誰よりも早く警戒を解き普段どおりに接することにしたのだ。

 入念に下準備しているのは見て取れるので、少なくともボスを倒すまでは敵対しないだろうという楽観的な考えもあった。

 ボスを倒したあとどうするかは、そのときに決めればいいだろうと気楽に考えている。

 

 親衛隊に襲撃されることもなく、飛行機は順調にサルディニア島へ進んでいる。

 親衛隊の内、スクアーロとティッツァーノ、カルネの三人はやり過ごすことができた。

 ディアボロも自身の過去に繋がる何かがある可能性の高いサルディニアに親衛隊を送ったりはしないだろう。

 

 島ごと滅ぼすためにカルネを送り込む可能性はあるが、殺さなければいいだけの話だ。

 順調にいけば、自らの手でサルディニアまで自分たちを始末しに来たディアボロを返り討ちにできるかもしれないと、頭の中でなのはは算段をつけていた。

 

 

 

 ブチャラティ、ジョルノ、トリッシュの三人は亀の中で食事をしながら、承太郎となのはが()()()()信用できるのか話し合っている。

 信用しないという選択肢は、早い段階で排除されていた。

 

 承太郎の時間を止める能力となのはの未来を予知する能力を組み合わせて使えば、ブチャラティたち全員を二人だけで再起不能にすることもできていたはずだ。

 それをしなかったということは、ブチャラティたちに()()()()()()を見出しているということだ。

 

「トリッシュの救出は表向きの理由で、本命はボスの排除だとオレは考えている。

 ボスは麻薬に手を出して手広くやりすぎた。相応の恨みを買っているはずだ。

 ボスの存在を危険視して、SPW財団が重い腰を上げたんじゃあないか?」

「予知でこちらの行動を予測していたのなら、ブチャラティが組織を裏切る前に接触することも可能だった。

 後々(のちのち)のことを考えて、パッショーネの構成員を味方につけるためにタイミングを見計らっていたというのは、ありえる話ですね」

 

 ブチャラティの意見にジョルノが同意する。承太郎たちが現れたタイミングは色々と都合が良すぎるのだ。

 客観的に考えたらブチャラティが組織を裏切ると知っていて隠れていたとしか思えない。

 トリッシュを救出するだけなら、時間を止められる承太郎がいるならいつでも実行できるのだ。

 

 もっとも、裏があるかないか分からない真っ白な人間よりは、明確な理由があると分かる人間のほうが信用はできる。

 そういう意味では、裏社会でも立ち位置がハッキリしている承太郎は信用できる相手だと言える。

 

「……いま思い出したのだけど。あたし、ナノハを写真で見たことがあるわ。

 病室であたしの母と一緒に映っている写真が日記に挟まっていたのよ」

「それはいつ頃の写真か分かりますか?」

「日付は去年の8月だったわ。裏に『新しい友人との再会』とだけ書かれていたのは覚えてる。

 あと、もしものときはナノハを頼れって言っていたけど……名前しか教えてくれなかったから、こんな小さな女の子だとは思わなかったのよね」

 

 トリッシュ自身はなのはと面識はない。『母親の友人(ティオレ)』の『友人の娘(なのは)』など他人なので面識がなくて当然なのだが、ドナテラと知り合いだったという事実は余計に状況を複雑にしてしまった。

 

 ジョルノは面識がないにもかかわらず、異様に自分のことを避けているなのはの考えが読めなかった。

 

「なぜかナノハは、ぼくのことを最初から避けている。

 ぼくの父と彼女の間に何か因縁があって、その関係で苦手意識を持たれている、というわけでもなさそうですし……」

「苦手というよりは、恐れているように見えたな。

 ジョータローが同行を許しているということは、ヴィジョンを見せていないだけでスタンドで自分の身ぐらいは守れるのだろうが……トリッシュ、きみさえ良ければ、彼女の考えをそれとなく探ってみてくれないか」

「二人とも警戒しすぎだと思うけど……あたしには普通の女の子にしか見えないわよ? 

 まあ、ブチャラティがそこまで言うなら、世間話がてら話すぐらいは構わないけど……」

 

 半信半疑ながらも、トリッシュはブチャラティの言うことに従った。

 腹の(うち)で何を考えているか分からないなのはのことを、トリッシュはあまり怪しんでいない。

 

 トリッシュは、なのはの子供らしからぬ姿を一度も見ていないというのもあるが、理由はそれだけではない。

 その理由をトリッシュが自覚するのはもう少し後、サルディニア島に上陸してからになるだろう。




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目的地はサルディニア! コスタ・ズメラルダ その②

「それで、どうするんだ? 燃料にも限界があるんだ。早いとこ飛び降りてほしいんだが」

「もう少しだけ! もう少しだけ待ってくれ!」

 

 決心がつかないのか、中々動こうとしないミスタを承太郎が急かす。

 彼らの背中にはパラシュートが背負われている。その様子を、わたしは亀の中の天窓から眺めていた。

 

 ブチャラティたちと話し合った結果、パッショーネの監視の目をできるだけ掻い潜るため、飛行機は着陸させずにパラシュートを使って島に降りるという流れになった。

 

 トリッシュとわたしはぶっつけ本番でスカイダイビングに挑戦するのは危ないという判断で『亀』の中に退避することになり、チームを代表してブチャラティも見張るために『亀』の中にいる。

 そこまでは良いのだが、飛び降りる直前になってミスタがビビりだしたのだ。

 

「決心がつかないのなら『亀』の中に入ったらいいのでは?」

「オレが『亀』の中に入ったら『4人』になっちまうだろうがッ! 

 3人や5人ならいいが……4人だけは駄目なんだよォ───ッ!」

 

 ジョルノの現実的な提案をミスタは一蹴(いっしゅう)する。

 子供のように駄々をこねるミスタに一同は怒りもせず、ただただ呆れている。

 

 ブチャラティチームはブチャラティ、ナランチャ、アバッキオ、ミスタ、ジョルノの5人。

 それにわたしと承太郎、トリッシュを加えたら8人になってしまうので、ミスタのジンクスとやらに引っかかりやすいのは分かるが……この調子で、よくギャングとしてやっていけていたな。

 

「誰かオレと一緒に『亀』に入ってくれよ。そしたら5人になるんだ!」

「オレ、実はスカイダイビングやってみたかったんだよなァ~~~」

「金を払ってやろうとしたら、安くても20万リラ(1万2千円)ぐらいかかるからな。いい機会なんだ、飛んでみろよ」

 

 ナランチャとアバッキオは飛び降りるのに乗り気で、一緒に亀に入ってやるつもりは無いようだ。

 もしくはミスタをからかっているだけなのかもしれないが……遊んでないで早く飛び降りてほしい。

 

 ジョルノは口を挟まずに『亀』を手に持ったまま最後尾でミスタたちの様子を眺めている。

 この流れでジョルノが『亀』に来たら最悪なので、ミスタにはさっさと決断してもらいたいんだが。

 

 そんなことを考えながら、わたしはL字型のソファの真ん中あたりに座って、じっと上を見上げていた。

 

 外の様子を確認していると、肘掛けの付いた1人掛けのソファに座って雑誌を読みながらペリエ(炭酸水)を飲んでいたトリッシュが、わたしの人ひとり分ほど隣に座っているブチャラティに話しかけた。

 

「あたしがミスタの代わりに飛んだほうがいいんじゃないの?」

「その服装でスカイダイビングはやめておいたほうがいい。

 きみが出るぐらいなら、オレとミスタが交代するほうがまだマシだが……それはできる限り避けたい」

 

 ブチャラティチームは近距離パワー型のスタンド使いが少ない。

 力強さと素早さを兼ね備えているのは、ブチャラティのスティッキィ・フィンガーズぐらいだ。

 ジョルノのゴールド・エクスペリエンスもレクイエムとしか戦ったことはないが、素早さだけならそれなりのものがある。

 

 ジョルノが『亀』に入らないのは、承太郎とわたしを警戒して『亀』の中と外で近距離パワー型のスタンド使いを最低一人ずつ配置しておきたいという思惑があるからだろう。

 

 実際には、我がキング・クリムゾンをも凌駕する基礎能力を持つスタープラチナを相手するのは難しいだろうが、堅実な考えではある。

 

 対ディアボロ戦を想定して一時的に『空条承太郎とその仲間には攻撃できない』命令を解除して、この2年で何度か承太郎と模擬戦をしているが、スタンド同士の格闘戦での勝率は、ややこちらのほうが負け越している。

 

 パワーとスピードはそれほど劣っていないのだが、精密な動きの差が大きい。

 エピタフ込みでなんとか正面から戦えているが、時を飛ばしてもカウンターの時止めで逃げられるので、最終的にスタンド同士の殴り合いになってしまう。

 

 承太郎相手にわたしが戦った場合は、時を飛ばした状態で血の水圧カッターを放つぐらいしか具体的な勝ち筋はない。

 模擬戦で殺しにかかるわけにはいかないので実行には移していないが、ディアボロが同じ技を使える場合は承太郎のほうが不利だろう。

 

 もっとも、わたしが一緒にいればエピタフを妨害できるのは実証済みだ。

 承太郎のスタンド能力はまだ広まっていないので、こちらが有利というのは変わりない。

 

 時たま雑誌から目を離し、こちらを見ているトリッシュの視線を受け流しながら待っていると、ようやく『亀』の外の状況が動き出したようだ。

 

「さっきも言ったが、おれは何度かスカイダイビングをやったことがある。

 人気の少ない開けた場所に向かって先導するから、説明したとおりに付いて来てくれ」

「ま、待てって! まだ心の準備がああああああッ!?」

 

 待ちきれなくなった承太郎がミスタの腰をスタープラチナで掴んで強引に飛び降りてしまった。

 機内に残された一同は、徐々に小さくなっていくミスタの叫び声を追いかけるように次々に飛び降りていく。

 

 その様子を眺めていると急に天窓から外の様子が見えなくなった。

 ジョルノが『亀』を落とさないように服の内側に入れたのだろう。

 それにしてもボートに乗る前から思っていたのだが、承太郎とミスタはあまり相性が良くないのだろうか……? 

 

 

 

 なんだかんだで全員無事にサルディニア島に上陸できた。

 ミスタはあんなにビビっていたのが嘘のように平気そうな顔をしている。

 尻込みしていただけで、実際に飛んでみたら意外と平気だったようだ。

 

 承太郎が『紙』から取り出した高級な部類に入る5人乗りの乗用車にブチャラティ、ナランチャ、トリッシュの3人が乗り込み、残ったメンバーは『亀』の中で待機することになった。

 

 8人全員が乗れる大きさのミニバンやマイクロバスも用意していたが、不用意に目立つ必要もないということでリゾート地を走っていてもおかしくないグレードの車を選択したのだ。

 

 運転はブチャラティが担当して、助手席に座ったトリッシュの記憶を頼りにソリッドとドナテラが出会った場所を探すという計画だ。

 後部座席ではナランチャがスタンドのレーダーを展開しながら尾行されていないか警戒している。

 

 本当はミスタや承太郎も『亀』の外で警戒したほうがいいのだが、4人だとミスタが嫌がり5人だと承太郎がデカすぎて窮屈になりすぎるということで、索敵能力の高いナランチャが選ばれた。

 

 とりあえず、一度近場の街に行って昼食をとったあとにコスタ・ズメラルダ(エメラルド海岸)へと向かう計画にはわたしも賛成している。

 ディアボロがすでに動いているのなら、エメラルド海岸から一番近い空港のある街であるオルビアに向かっている頃合いだろう。

 もしかしたらすでに到着していて先回りしている可能性もあるが、その場合は追い詰める手間が省けるので願ったり叶ったりだ。

 

 ただし、この段階でディアボロを排除してしまうと別の問題が発生するので手放しには喜べない。

 ボスの座を乗っ取るだけならディアボロを排除したあとにブチャラティにわたしの情報をぶちまければいいのだが、チョコラータの抑えがなくなって動きが読めなくなる恐れがあるのだ。

 

 あの男はディアボロに忠誠を誓っていない。命令にこそ従うが機会さえあればディアボロを殺して好き勝手しようとするだろう。

 目の上のたんこぶだったディアボロがいなくなれば、ヤツが暴走するのは目に見えている。

 

 それにディアボロがどう動くのかも読みきれない部分がある。

 オレは少しでも情報を隠蔽するために、わざわざオルビアにある当日でも泊まれる宿を利用して、石碑を見張るためにタクシーを使って移動していた。

 

 ポートレートを撮影した場所は高級リゾート地からほど近いため、事前に予約していなければ近場のホテルに泊まるのは難しい。

 パッショーネの力を利用すれば泊まるのは難しくないが確実に目立ってしまうので、そのような回りくどい手段を選んでいた。

 

 あのときとは違って飛行機は墜落していない。ニュースでも、わたしたちの乗っていた飛行機のことは話題になっていない。

 暗殺チームのリゾット・ネエロがサルディニアに来るより早く調査は終わると思うが……何事もなくポルナレフと連絡が取れることを祈るしかない。

 

 それよりも今はこの状況を何とかしたい。体調が悪いわけでもないのに寒気が止まらないうえ、体が勝手に震えるのだ。

 それもこれも、全ては隣に座っているジョルノのせいだ。

 

『亀』の中の部屋は30畳程度の広さしかないが、それぞれが離れて座るぐらいの余裕はある。

 ジョルノとしては真剣に見張っているのだろうが、わたしの隣を選ぶなど嫌がらせとしか思えない。

 

「気分が悪そうですが、大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですよ」

「……大丈夫だから放っておいてくれ」

 

 気分が悪いのはおまえのせいだと言ってやりたいが、そんなことを言ったら間違いなく理由を追求される。

 落ち着け、コイツはオレを殺したジョルノ・ジョバァーナとは別人だ。

 スタンドの矢に選ばれておらずレクイエムも使えない()()()()()()()だ。

 

 深く息を吸って吐くのを何度か繰り返して、ようやく体の震えが止まった。

 そうだ……わたしは過去を乗り越えるために、いつまでもレクイエムの影に怯えている自分を変えるためにここに来たんだ。

 恐怖と向き合わなくてはならないのだ。

 

 ジョルノを視界に入れないように下に向けていた顔を上げると、承太郎がやっといつもの調子に戻ったかと言いたげな顔でこちらを見ていた。

 

「おまえたちも薄々勘付いているとは思うが、なのはは見た目通りのヤワな性格はしていない。

 勝手に立ち直るだろうから心配するだけ無駄だ。……なのは、予知はどうなっている?」

「……鉄分と磁力を操作するリゾットというスタンド使いに襲われる予知が見えた。

 もっとも確定した未来というわけではないから襲われるかは不確かだが、警戒はしておいたほうがいいだろう」

 

 背格好やスタンド能力をざっとまとめて紙に書き起こしてジョルノに手渡す。

 そのままジョルノは上半身だけ『亀』の外に出して、ブチャラティに報告しに行った。

 

 ブチャラティは暗殺チームの人数と名前は把握していたようで、リゾットがチームの最後の一人だとすぐに理解した。

 ブチャラティは参考にするとだけ言っていたが、それで十分だ。

 

 親衛隊も含めて知っている情報を全て明かしてもいいのだが、あまり一気に情報を出しすぎたら怪しまれるので、あえて小出しにしている。

 現状でも本当に未来予知なのか疑われているだろうが、ディアボロを追い詰めるまでの言い訳なので最終的にバレても構わない。

 

 さすがの情報分析チームも、わたしたちの足取りを完全に掴むには数日はかかるだろう。

 あの水上飛行機は父が適当な航路を通って逃げながら、最終的にアドリア海沖にいる輝之介が機体ごと回収する予定だ。

 

 SPW財団からのレンタルなので、ジョセフは墜落させても構わないと言っていたが可能なら無傷で持ち帰りたい。

 さすがに32億円もする飛行機を使い捨てるほど思い切った計画は立てていない。

 

 とはいえ今回の計画で用意した物やかかった経費や人件費を合わせると50億円は超えているだろう。

 水上飛行機が用意してきた物の中では一番高額だが、違法性の高い物も色々と持ち込んでいる。

 

 入手経路の関係で露見したらアメリカとイタリアの国際問題になるので、()()()()()()()()()()()()()()以外では使うつもりはない切り札だ。

 ポケットに入れている切り札の入った『紙』のことを思い浮かべていると、天窓の外からトリッシュの興奮した声が聞こえてきた。

 

「すごい、写真やテレビでしか見たことなかったけど本当にエメラルド色なのね!」

「海水浴のシーズンにはまだ早いが、砂浜にはそれなりに観光客の姿が見えるな。これなら観光客のフリをして行動できそうだ」

「だけどさあ、ブチャラティ。人が多いとレーダーの反応が多すぎて精度が落ちるぜ」

「レーダーはあくまで目安だからな。怪しい動きをしている反応さえ見分けられれば問題はない」

 

 コスタ・ズメラルダとはサルディニア島の北東部を一纏めにした名称だ。

 トリッシュはドナテラがサルディニアのコスタ・ズメラルダへバカンスに行っていたという話と、ディアボロが撮影したドナテラと石碑と白い建物が写ったポートレートしか知らない。

 

 ブチャラティたちは詳しい場所を知らないので、オルビアから北上しながら海岸線を調べて回るしかない。

 飛行機や車での移動時間が多かったため、日が暮れるまでにポートレートの場所にたどり着ける可能性は低い。

 

 それでも明日には見つけられるだろう。明日見つけられたとしても、オレの記憶より2日早く動いていることになる。

 これならディアボロの準備時間も相当に削ることができるはずだ。

 

 結局、この日はポートレートの場所を見つけられずに日が暮れた。

 一旦オルビアまで戻ったわたしたちは、適当なホテルで一晩休んで翌日に向けて休息を取ることにしたのだった。

 

 

 

 翌日、午前中の早い時間から海岸線を4時間ほど北上していたわたしたちは、ついにポートレートの場所を発見した。

 リゾットのスタンド能力──血液の鉄分を操作して攻撃してくる技を警戒して、わたしたちはそれぞれ距離を取って周囲を警戒することになった。

 

 石碑をリプレイしているアバッキオの側には、大抵の事態に時を止めて対応できる承太郎が付いている。

 崖の上からジョルノとブチャラティがアバッキオの周囲を監視しており、ナランチャとミスタはレーダーを頼りにリゾットが透明になって潜んでないか探している。

 

 そして残ったわたしとトリッシュはナランチャとミスタがカバーできる範囲で待機している。

 スタンド使いとして目覚めていないトリッシュと、戦闘能力が不明確なわたしは『亀』の中にいたほうが安全だとブチャラティは主張していた。

 

 だが、『亀』をリゾットに殺されたら中にいる人物がどうなるか分からないとジョルノが提案して全員で話し合った結果、トリッシュとわたしも『亀』の外で待機することになったのだ。

 わたしの10秒後の予知(エピタフ)が絶対に当たると実証したのも大きいだろう。

 

「ナランチャ、レーダーの反応はどうだ」

「野ネズミとかカエルばかりで人間大の呼吸の反応は見当たんねえ。

 やっぱり予知はハズレでリゾットとかいう暗殺者は来ねーんじゃないの?」

「馬鹿みてーに全部の反応を見るんじゃあねえぞ。

 ブチャラティが言っていたように、()()()()()()()()だけを見張ればいいんだ」

 

 エアロスミスの二酸化炭素レーダーを使いこなせていないナランチャにミスタが索敵方法を言い聞かせている。

 ナランチャのエアロスミスならスタンド能力で背景と同化したリゾットも簡単に見つけられるのだが、この様子を見ていると少し不安になってくるな。

 

 念のために髪を下ろして定期的にエピタフを使っているが、今のところ危なげな未来は見えていない。

 時飛ばしと比べたらエピタフはスタンドパワーの消費が少ないとはいえ、現在と未来を同時に処理するのは頭が疲れる。

 

 複数の思考を同時にできるような人間でなければ、予知能力の連続使用は負担が大きい。

 少し頭を休ませるために岩に腰掛けてエピタフを解除して海を眺めていると、トリッシュが隣までやってきて声をかけてきた。

 

「ねえ、ナノハ……あなたって、あたしの母さんと友達だったのよね。どういう経緯で知り合ったの?」

「わたしの父がドナテラの友人と仲が良くてその関係で偶然、見舞いに行くことになったのがキッカケだった。

 会った当日から、どういうわけか気に入られてしまっただけで、付き合いが長いわけじゃあない」

 

 ドナテラが海鳴市や杜王町を観光していたのは隠しているため、記録上は1日しか顔を合わせていないことになる。

 実際は一週間以上の付き合いなのだが、それでも気に入られすぎている気がしてならない。

 

「でも、ナノハが会った日から母さん、急に明るくなったのよね。

 多分だけど、母さんが明るくなったのはナノハのおかげだと思うの。だから、お礼が言いたくて」

「わたしは大したことはしていない。それに礼を言われる筋合いもない。全てが終われば、()()()()()()()が待っているんだからな」

 

 ドナテラを治療したのも、トリッシュを守っているのも全ては自分のためだ。

 わたしがやりたいと思ったからやっただけだ。

 貸しを作るためでも、感謝されるためでもない。ただの自己満足に過ぎない。

 

 だから、わたしは自分がディアボロの記憶を持っているとドナテラとトリッシュに教えるつもりはない。

 彼女たちの人生に遺恨を残すために、手を貸したわけではないのだ。

 

「もっと良いこと……? それって──」

「何だテメーはッ! こっちにこれ以上近寄るのなら、脳天に銃弾を叩き込むぞ!」

 

 トリッシュの声に被さるように、ミスタの大声が波音しか聞こえない岩場に響き渡った。

 これは……トリッシュとの会話を続ける暇はなさそうだな。岩から飛び降りて足早にミスタたちの下へ向かう。

 

 ミスタとナランチャは水着姿の一般人と思わしき男と向かい合っていた。カルネを送り込んできたという予想は外れたようだ。

 

 本土から離れているとはいえサルディニア島はイタリアではシチリア島の次に大きな島だ。

 本体の死後、怨念のエネルギーで動き続けるスタンド──ノトーリアス・B・I・G(ビッグ)を160万の人々が住んでいて観光地としても有名なサルディニアに送り込むのは、ディアボロにとっても最終手段だろう。

 

「ミスタ、なんか変だぜコイツ! 口元はホッチキスみてーな金具で固定されてるし、手足にも金属の輪っかが埋め込まれてて血まみれだ」

「クソ、近づくんじゃあねえッ! セックス・ピストルズッ!」

 

 壊れたおもちゃのロボットのように足を止めない水着の男の足を撃ち抜こうと、ミスタが拳銃の引き金を引いた。

 3発の銃弾に乗ってピストルズが発射される。見当違いな方向に飛んだ銃弾をピストルズが蹴って、強引に射線を変えた。

 

 しかし、ミスタの放った銃弾は弾道がねじ曲がり、水着の男には当たらず地面にめりこんだ。

 この能力はまさか……リゾットのスタンド──メタリカの磁力操作か!? 

 

「その場を離れろ! そこはすでに敵の射程距離内だッ!」

 

 もしあの水着の男の背後にリゾットが隠れているのだとしたら、すでにミスタとナランチャはヤツの射程距離内に入ってしまっている。

 予知をしながら咄嗟に忠告するが、二人の動きは鈍かった。

 

 やはりというべきか、出会って2日しか経っていない相手を信用しきれなかったのだろう。

 わたしはただただ、予知のとおりに血を吹き出して倒れゆくミスタとナランチャを見ていることしかできなかった。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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裏切りと復讐のメタリカ その①

 首の裏から鉄杭が突き出ているミスタと、体中から尖った鉄の固まりが肌を貫いて穴だらけになったナランチャの横を通り過ぎて、透明のまま姿を見せない黒いフードを被ったモノクロ調の服を着た男──リゾット・ネエロは真っ直ぐ歩みを進める。

 

 なのはの目にはリゾットの姿は見えないが、エピタフの予知で立っている位置は把握していた。

 足音を立てないようにゆっくりと着実に歩いているリゾットは、倒れているミスタとナランチャには目もくれずにトリッシュとなのはに向かっている。

 

「え……何が起こったの? 急にふたりとも倒れて……血が、あんなにも血が出てるわ! すぐに助けないと──」

「駄目だ! 近寄るんじゃあないッ! すでにわたしたちは敵スタンド使いから襲撃を受けている。今すぐ後ろに下がれ!」

 

 前に出ようとするトリッシュの手をなのはが掴んで引っ張りながら、ポケットから透き通った物体を取り出した。

 先端が尖った銃弾のような形をしたそれは、リゾットと交戦した場合に備えて用意していたポリカーボネート製の弾丸だった。

 

 ポリカーボネートは戦闘機の風防(キャノピー)や警察や軍隊で使われている軽量の盾(ライオットシールド)に使われるプラスチックで、衝撃に高い耐性を持っている。

 金属製の弾丸ではメタリカの能力で防がれると考えて、事前に用意していたのだ。

 

 キング・クリムゾンの両腕だけを出したなのはが、スタンドの手に弾丸を握らせて指弾の要領で発射する。

 精密な動きがスタープラチナやクレイジー・Dと比べると苦手でも、この距離なら狙った場所に攻撃するのは容易い。

 

 なのはの狙い通りに飛んだ弾丸がリゾットの右太ももに食い込んで体勢を崩した。

 金属と比べると合成樹脂はどうしても質量が軽くなるので、距離が離れていたのもあって貫通まではしなかった。

 

 だが、ダメージを受けたことでスタンド能力の制御が緩んで、透明だったリゾットの姿がなのはたちの目に見えるようになった。

 

 リゾットの透明化は、スタンド能力で生み出した磁力で砂鉄を体の表面に付着させて景色と同化させるという原理で発動している。

 表面の砂鉄が攻撃で削れたり本体がダメージを受けると、どうしても一瞬だけ能力が解除されてしまうのだ。

 

()()()……オレのスタンド能力を知っていたな。予知のような能力を持っているのは本当だったのか。

 ならば……トリッシュ・ウナ共々、ボスを暗殺するために利用させてもらうぞ」

「トリッシュだけではなく、わたしも狙っているだと……? どこでその情報を──ッ!」

 

 地面から飛び出してくるメスのような形状のナイフによる集中砲火をエピタフで予知したなのはが、小さく舌打ちしながらキング・クリムゾンの両腕を使って防御を行う。

 

 同時に『紙』から金属が一切使われていない特注品の透明なライオットシールドを取り出して、トリッシュとともに身を隠した。

 両腕だけでは防ぎきれなかったナイフが盾に深く突き刺さってトリッシュが小さく悲鳴を上げた。

 ザクザクと音を立てて大量のナイフが盾に突き刺さるが、幸いにも一本も貫通しなかった。

 

 小口径の銃弾なら防げるように設計されているだけあって、磁力で初速が上がっていたとはいえ、目で追える程度の速度のナイフを防ぎ切るぐらいの耐久度はあった。

 

「オレの『メタリカ』への対策は万全ということか。ならば、やり方を変えるとしよう。

 オレはおまえに近づかない。コイツらを殺されたくなければ、おまえのほうからメタリカの射程距離内に入ってこい」

 

 なのはが都合よく取り出した非金属製の道具を見ても、リゾットは表情を崩さない。

 あえて二人を即死させずに生かしていたのは、人質にするためだった。

 

 もっとも、なのはが躊躇したらリゾットは問答無用で二人を殺すだろう。

 二人に意趣返しのような攻撃をしたのも、散っていった仲間たちの痛みを思い知らせてやるという意思の現れだった。

 

(マズイ、このままではミスタとナランチャを殺されてしまう。時を飛ばすか……いや、()()()()()()()()()

 ブチャラティたちに時を飛ばしたことがバレるのは構わないが、ディアボロに感づかれるのだけは避けなくてはならない。時を飛ばすのは最終手段だ)

 

 スタンドの腕だけではなく全身を展開してダメージ覚悟でリゾットの側まで近づき、1秒ほど時間を飛ばして背後から不意打ちをすれば始末できる自信がなのはにはあった。

 

 ダメージを受けたとしても即死しなければジョルノのスタンドで治療できる。

 勝算はそれなりに高かったが、それでも実行には移せなかった。

 1秒以下の時飛ばしに反応できる人物はほとんどいない。なのはの知っているかぎり、気がつけるのは承太郎とディアボロだけだ。

 時を飛ばせば承太郎は何か起きていると感づくだろう。

 

 だがディアボロがこの付近に潜伏している場合は、なのはの本当のスタンド能力を自分から教えることになってしまう。

 自分以外にも時を飛ばせる相手がいると知った場合ディアボロがどう動くのか、なのはにも予想がつかない。

 

 時間にして数秒にも満たない間に最善の行動を考えているなのはと向き合っているリゾットも、優れた観察眼と事前に仕入れていた情報を用いてなのはの正体を探っていた。

 

(なぜ、あの子供はスタンドの腕だけを展開しているんだ? 

 あの動きの速さからして、両腕だけではなく全身を出せばナイフを防ぎきれたはず……まさか、()()()()()()()()()()()()()があるのか?)

 

 下半身が無いスタンド(ザ・グレイトフル・デッド)をリゾットは見たことがあるが、一部の部位がないスタンドと一部分しか展開していないスタンドは明確な見た目の違いがある。

 

 そもそもスタンドの腕だけ出しても本来のパワーは発揮できないので、本体が殴るのと同時に体に沿わして展開して射程を伸ばすぐらいしか使いみちのないテクニックである。

 

 明らかにスタンドと本体の体格が釣り合っていないなのはが両腕しか出さない理由など、リゾットにはひとつしか思い浮かばなかった。

 この状況においてスタンドのヴィジョンを隠す理由──それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からに他ならない。

 

 なのはがキング・クリムゾンの腕しか使っていない理由をリゾットは正しく見抜いていた。

 なのははリゾットをナメているから手を抜いて戦っているわけではない。

 むしろ、条件さえ整えばディアボロすら暗殺できる人物という高い評価をしている。

 

 全力を出せていないのは、ブチャラティがキング・クリムゾンのヴィジョンを見てしまっているからだ。

 彼に自分のスタンドを目撃されるか共に戦った人物から外見を伝えられたら最悪の場合、そのまま協力関係が瓦解してしまうのを危惧して腕だけで戦っているのだ。

 

 似た能力ならともかく外見すら同一のスタンドなど、それこそ()()()()()()()()()でなければ存在し得ない。

 スタンドとは本体の精神性の表れであり、たとえ家族や双子でもよっぽど特異な条件が重ならなければ全く同じ外見にはならない。

 

 なのはのキング・クリムゾンはディアボロのものと完全に同じ外見をしている。

 精神性の違いで、なのはのキング・クリムゾンは歯を食いしばったような表情はしておらず口を閉じているが、違いはそれぐらいしかない。

 

 全身ならともかく、腕だけなら多少は誤魔化せるだろうという考えで仕方がなく、ドッピオにキング・クリムゾンの腕を貸し出していた状況と同じ戦い方をしているのだ。

 

「無駄だと思うが、ひとつだけ聞いておきたいことがある。

 リゾット・ネエロ、わたしたちと協力してパッショーネのボスを倒すつもりはないか?」

「オレは組織を乗っ取るために、ボスを暗殺しようとしている。

 ブチャラティたちと目的が同じなのに協力できるわけがない。さて……そろそろ決断したか?」

 

 スタンド能力を再発動して足先から徐々に透明になっていくリゾットの黒い瞳がなのはを射抜く。

 ()()()()()()()、なのはが予知能力を持っていると知っていたリゾットは決してその場を動こうとしない。

 

 ミスタとナランチャの首元に大ぶりのナイフが生成されていく姿を見せつけながら、リゾットがなのはを急がせる。

 リゾットが少しでも磁力を操作してナイフを動かせば、ミスタたちは頸動脈を傷つけられて死んでしまうだろう。

 

「……分かった、わたしからキサマのほうに行く。だから、その二人には手を出すんじゃあないぞ。トリッシュは、そこで動かず待っていてくれ」

「駄目よ! ナノハじゃあ、一度でも攻撃を受けたら再起不能になるわッ!」

 

 透明化が解けているリゾットの特徴的な外見を見て、トリッシュはようやく目の前にいるスタンド使いが、昨日なのはが予知で見た人物だと気がついた。

 リゾットのスタンド能力も説明されていたため、トリッシュはなのはを止めようと警告したが首を横に振って前へと進む。

 

 なのはの体重は20キログラムちょっとしかない。身長が180センチ前後あるドッピオやディアボロの体重の三分の一以下である。

 人間の体の中を流れる血液は体重に比例する。当然、血中に含まれる鉄分の量も同じだけ変化する。

 

 すなわち、なのははドッピオの三分の一以下しかリゾットの鉄分操作に耐えられないということになる。

 実際には身体能力の差もあるので、耐えられても2回が限度だろう。そのリスクを承知で、なのははリゾットとの戦闘に踏み切った。

 

「そうだ! あたしがブチャラティたちを呼んでくるわ!」

「オレは近づかないとは言ったが黙って見逃しもしないぞ、トリッシュ・ウナ」

 

 リゾットに背中を向けて、ブチャラティたちがいる方向に行こうとしたトリッシュに向けて大量のナイフが放たれた。

 なのはがスタンドの腕を使って盾を投げて壁にしたことで大半は弾き飛ばされたが、防ぎそこねた一本がトリッシュの頬をかすめた。

 

 まさか自分まで攻撃されるとは思っていなかったトリッシュは、軽く裂けて血が出ている頬を触れながら怯えている。

 リゾットは無傷でトリッシュを手に入れるつもりはない。情報さえ聞き出せるのなら、手足を切り落としてでも拉致するつもりでいる。

 

 なのはが血を流して意識を失っている二人に近づいたのを確認したリゾットは、体を完全に透明にして気配を消してしまった。

 なのはには士郎のように気配を探る技術がない以上、リゾットの居場所を知る手段はエピタフと磁力の反応しかない。

 

(コンパスの針は大きくは動いていない。リゾットはトリッシュのほうには向かわず、スタンドを使えるわたしを先に再起不能にするつもりか)

 

 手のひらの中に密かに隠し持っていた方位磁針(コンパス)の針の動きを見ながら、なのははリゾットの位置を探っている。

 エピタフでは現在のリゾットの位置が分からないので、予知と合わせて磁力の発生源を探っているのである。

 

 戦いは時間との勝負だった。メタリカの鉄分操作は即効性があるわけではない。

 例外として自分自身の鉄分は瞬時に操作できるが、射程距離の中心である本体から離れれば離れるほど鉄分を集めるのに時間がかかる。

 

 また、血中の鉄分を操作する場合は、完全に静止している相手以外は表皮に近い位置しか操れないという欠点もある。

 動き回っている人間の体内の鉄分を集める場合、どうしても目に見える表皮に限定されてしまうのだ。

 

 よって、この状況で脳や心臓の中に鉄製の物体を出現させ対象を即死させるのは不可能だ。

 もっともリゾットの目的は暗殺ではなく拉致、もしくは拷問なので可能だったとしても即死させようとはしないだろう。

 

「……そこかッ!」

「ぐっ!?」

 

 リゾットの大まかな位置を推測し終えたなのはが弾丸をリゾットに向けて放った。

 リゾットはなのはから見て左方5メートル前方の岩陰に潜んでいた。この距離ならば、予知と併用すれば確実に弱点を攻撃できる。

 

 なのはの撃ち出した弾丸はリゾットの左目に突き刺さり、そのまま眼球を完全に潰した。

 反射的にメタリカを使って眼球周辺の鉄分を集めてガードしていなければ、眼窩(がんか)を貫通して脳内まで達するほどの威力があった。

 

 再び透明化が解除され左手で目を押さえながらよろめいているリゾットに、なのはが距離を詰める。

 すでにキング・クリムゾンの腕には新しい弾丸が握られており、リゾットの右目に狙いを定めていた。

 

「キサマのスタンドは暗殺向きだが……致命的な欠点があるな。

 射程距離の短さから察するに、目視した相手しか攻撃できないんだろう? このまま右目も潰してやる」

「見事な攻撃だ……だが、メタリカの弱点を知ったところで、もう遅いんだぞ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 鉄分を操作して止血したのか、目から手を離したリゾットが岩に背を預けて右目を細めながら冷淡な声で宣言する。

 エピタフの予知ではリゾットに攻撃が成功する未来しか見えていなかった。

 

 だからこそ攻撃に踏み切ったのだが、今になってなのはは判断ミスだったと理解した。

 リゾットは攻撃されることを想定して、なのはをこの場所まで誘導していたのだ。

 

「こ、これは……いつの間に、こんな物を……」

「ナノハッ!?」

 

 突然、なのはの左足を突き破って銀色の液状の金属が大量に飛び出してきた。

 前触れもなくいきなり発生した攻撃に、トリッシュが悲痛な声でなのはの名を呼ぶ。

 

 筋繊維ごと足をズタズタに引き裂かれたことで体重を支えきれなくなり、なのははそのまま崩れ落ちてしまった。

 痛みで錯乱することもなく、なのはは殺意の籠もった眼差しをリゾットに向けているが状況は最悪だった。

 

「オレのスタンドは磁力を操作して鉄分を集めるが、それは鉄が地表に出る金属の中ではもっとも多い金属だからだ。

 ミスタの銃弾を曲げたように、鉄以外の金属を操作することも当然できる。

 おまえの予知が見ることしかできない能力で助かったよ。

 もし予知した未来を実際に体感できる能力だったのなら、こうして騙されなかったはずだからな」

 

 背景と同化している自分の位置を正確に見破れる能力ということは、視覚に頼った予知なのだろうとリゾットは予想していた。

 恐るべきは、これだけの判断材料で能力の詳細を見抜いてみせたリゾットの観察眼だろう。

 

 なのはがリゾットの目に弾丸を直撃させる未来を見た段階で、実際にはリゾットの攻撃も始まっていた。

 液体金属(ガリンスタン)を磁力で操って、なのはの足の裏から体内へと侵入させていたのだ。

 

 エピタフは死角からの攻撃には反応することができない。

 10年以上エピタフを使っているなのはも、そのことは理解していたつもりだった。

 だが誰かを守りながら戦うという慣れない動きは、彼女の判断を僅かに鈍らせていた。

 

 キング・クリムゾンは自分の身しか守ることのできない能力だ。

 誰かと共闘した経験など数えるほどしかないなのはでは、この状況で本領を発揮できるはずがない。

 

 最初から時を飛ばしていれば、この場にトリッシュがいなければ、ミスタやナランチャが人質になっていなければ結果は変わっていただろう。

 しかし、この結果を招いたのは全てはなのはの判断によるものだ。

 

 なのはは無意識の内にリゾット・ネエロを甘く見ていた。

 ギリギリのところまで追い詰められてナランチャのエアロスミスを利用したとはいえ、一度は前世で勝っている相手だ。

 

 スタンド能力の全容を把握していて、対策として様々な道具も用意している。本当に危なくなったら時を飛ばせばいい。

 なのははリゾットを高く評価しているつもりで、自覚もなく()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと見下していたのだ。

 

 彼女の精神性はひどく歪んでいる。日常や家族、友人を守ろうとする心がある一方で、帝王としてのプライドが崩れ去っても、かつての傲慢(ごうまん)さが残り火のように(くすぶ)っているのだ。

 

 杜王町にいる頃は比較的安定していたがイタリアに来てからというもの、なのはの精神性はディアボロの頃に近づいていた。

 ディアボロと同じように、異常なほどに正体を隠したがる言動もその表れである。

 

 その結果、時を飛ばせば勝てるはずのリゾットにものの見事に手玉に取られてしまった。

 追いつめられたことで、ようやくなのはは自分がどれほど愚かな行動をしていたのか自覚した。

 

「持って生まれた『(さが)』は簡単には変えられない、か。

 礼を言うぞ、リゾット・ネエロ。おまえのおかげで、わたしはようやく『自覚』することができた」

「おまえ……何者だ? その目つきに自信……元より年齢にはそぐわないと思っていたが、外見通りの中身をしていないな」

 

 急に改まって、神妙な面持ちで礼を言い始めたなのはにリゾットは眉をひそめる。

 おそらく時間稼ぎなのだろうと判断したリゾットが次なる攻撃を放とうと構えた瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「消えただとッ!?」

 

 地面から垂直に伸ばした鉄の棒で体を縫いつけようとしていたリゾットは、攻撃が失敗してなのはの姿が見当たらなくなったことに一瞬だけ動揺したが、すぐさま落ち着きを取り戻した。

 

 目を凝らすと、岩場に点々と血が滴り落ちているのだ。

 その血痕を追いかけるとすぐになのはの居場所は見つかった。

 なのはは腕しか見せていなかったスタンドの全身を展開して、時を飛ばしながら岩陰まで移動していた。

 

 ギリギリ射程距離の外まで逃げられたこと以上に、どうやって一瞬で移動したのかについてリゾットは考えを巡らせている。

 そして最終的に行き着いた答えに、そんなことがあり得るのだろうかと自問自答してしまった。

 

(血が滴り落ちているということは、ジョータロー・クージョーが時を止めて救出したというわけではないだろう。

 ……まさか、()()()()()がありえるのか? 今の現象はボスのスタンド能力としか思えない。

 もしかすると……オレは思いもよらぬところでボスの正体を掴んでしまったのかもしれない)

 

 彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からボスを暗殺するための手がかりを受け取っていた。

 どこで知ったのか、その情報にはブチャラティチームや承太郎たちだけではなく、ディアボロのスタンド能力まで含まれていたのだ。

 

 ボスの素顔や素性、本名までは分からなかったが、サルディニア島に辿り着けたのもその男の情報によるものだ。

 なのはの予知能力を知っていたのも、それが理由だった。もっとも半信半疑だったので、リゾットも最初から信じていたわけではない。

 

 トリッシュからはボスの素性を引き出すため、なのはからは事前に予知で得ていたであろう未来の知識を得るためにリゾットはサルディニアまで来ていたのだ。

 ブチャラティチームの暗殺はボスを始末してからでも遅くないと考えている。

 

 砂鉄をかき集め背景に溶け込みながら、復讐者となった暗殺者は静かに動き出す。彼は今まさに『真実』の一端に触れようとしていた。




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裏切りと復讐のメタリカ その②

 岩陰に身を潜めて『紙』から取り出した布を左足に巻き付けて止血をしているなのはをよそに、トリッシュはただただ呆然と立ち尽くしていた。

 トリッシュは今までも暗殺チームにスタンド攻撃を受けたことはあるが、直接傷つけられた経験は一度もなかった。

 

 自分の目で父親の正体を確かめたいという覚悟はあったが、トリッシュには暴力に抗うための強さがない。

 スタンド使いに対抗できる手段もないトリッシュに、この場でできることなど何一つ残されていなかった。

 

 怯えたまま動こうとしないトリッシュを後回しにして、リゾットはなのはにトドメを刺すために動いている。

 完全に戦いの蚊帳の外に置かれているトリッシュは、情けなく後悔の言葉を呟いていた。

 

「あたしのせいだ……あたしが付いてこなければ、きっとこんなことにはならなかった。あたしが足を引っ張ったせいで……」

 

 青ざめて汗を流しているトリッシュの思考が、どんどんマイナスの方向へ傾いていく。

 もしこの場にトリッシュがいなかったとしても、リゾットはなのはを狙って現れただろう。

 

 確かになのははトリッシュをいつでも守れるように動いていたが、それだけで状況が不利になったわけではない。

 どちらにしてもリゾットは相性が悪いナランチャを真っ先に始末するために動いたはずだ。

 

 自責の念にとらわれている彼女は、どうしても自分が悪いと考えてしまう。

 そんな負の感情に飲まれかけていたトリッシュに声をかけるものがいた。

 

「イツマデ、ツッタッテイルツモリ? アナタニモ、デキルコトはアルハズデス」

「だ、誰……? 誰の声なのッ!?」

 

 唐突に背後から聞こえてきた女性の声に驚いたトリッシュが振り返る。

 慌てていて最初は気が付かなかったが、その声をトリッシュは知っていた。

 歌手としてのトレーニングで自分を声を録音して聞く機会が多かったトリッシュにとって、とても馴染み深い声だった。

 

「ズット前カラ、ワタシはイマス。アナタが幼イ時カラ、イツモアナタのソバにイマシタ。

 アナタはスデに『戦ウタメの武器』を手ニ入レテイル! アトは進ムダケデス。命令をシテクダサイ、ワタシに……」

「……この声は、あたしの声? そ、そこにいるのは……誰!?」

 

 トリッシュの視線の先には、膝を抱えて岩の上に座っている女性のような姿の亜人がいた。

 胴体とふくらはぎから下は赤色で網目模様が入っていて、残りの部分はピンク色という人としてはあり得ない色合いをした亜人──スタンドが、トリッシュに語りかけていたのだ。

 

「ワタシはアナタデス! サア……戦ウ『覚悟』ヲ決メタノナラ、ミスタとナランチャに近ヅイテクダサイ。マズハ、彼ラを助ケルノデス!」

「でも……近寄ったら、あいつの能力の射程距離内に入ってしまうのよッ! そんなことをしたら、今度こそ取り返しのつかないことに……」

「モウ一度言イイマスガ、ワタシはアナタナノデス。自分ヲ信ジテ前ニ進ムノデス。ソレニ……スデニ時間はアマリ残サレテイマセン」

 

 スタンドの指差す先には地面に倒れて気を失っているナランチャとミスタがいる。

 言われるがまま、目を凝らしたトリッシュは思わず叫びそうになった。

 リゾットが首元に生成していたナイフが徐々に首に食い込み始めているのだ。

 

 リゾットはなのはが時間を飛ばして射程距離外に逃げたと気がついて、人質は意味がないと判断したのだ。

 距離が離れているので磁力操作は弱々しいが、それでも10秒もすれば頸動脈を傷つけてしまうだろう。

 

「……()()()()()()()()。分かったわ、あんたが何かは分からないけど、あたしをちゃんと守ってよねッ!」

 

 自分しか二人を助けられないと気がついたトリッシュは、覚悟を決めて危険を(かえり)みずメタリカの射程距離内に飛び込んだ。逃

 げるのではなく逆に近寄ってきたトリッシュに、透明になって様子を見ていたリゾットは顔には出さないが驚いている。

 

 彼はトリッシュのことを、ただの一般人と大差ない相手だと考えていた。

 一度殺されかければ恐怖に支配され動けなくなるか、我が身可愛さに逃げるだろうと予想していたが、ミスタとナランチャの下へ向かうとは思わなかったのだ。

 

「情報にはなかったが、トリッシュはすでにスタンド能力に目覚めていたのか。

 だが無策にも前に出るとはな。いいだろう……ナノハより先に、おまえから再起不能になってもらうッ!」

 

 トリッシュが動くのは計算外だったが、次なる攻撃のためのナイフは()()()()()()()()

 本来はなのはを再起不能にするために用意していた攻撃がトリッシュへと襲いかかった。

 

 トリッシュの背後では先程姿を現したばかりのスタンドがナイフを防ぐために拳を振るおうとしている。

 そんなトリッシュの行動を見たなのはは、慌てて岩陰から足を引きずりながら声を荒げて止めに入ろうとした。

 

「やめろ、トリッシュ! そのまま進んだらナイフがおまえに当たるぞッ!」

「止マッテはイケナイ。ムシロ走リ続ケルノデス。敵の攻撃はワタシが全テ防ギマス」

 

 なのははエピタフの予知で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()を見てしまった。

 いかにキング・クリムゾンが優れたスタンドといえども、足を負傷しているなのはでは時を飛ばしてもトリッシュには追いつけない。

 

 なのはの言葉で足を止めかけたが、スタンドの後押しで覚悟を決めたトリッシュは逆に更に加速した。

 しかし全力で走っても、鍛えてもいないただの少女の脚力などたかが知れている。

 

 地面の鉄分によって作られたナイフが磁力操作によって凄まじい勢いで加速して、寸分違わずトリッシュの背中へと飛来する。

 先ほどとは違い動いている相手なので一方向のみの攻撃だが、それでも防ぎ切るのは難しい。

 

 トリッシュのスタンドが拳を振るうが、力ではなく速度を優先した殴打では弾き飛ばせないほどの攻撃だった。

 拳こそ当たったが軌道を変えるには至らなかったナイフがトリッシュのスタンドをすり抜けて、弾丸のような速度で背骨の付近に直撃する。

 

 スタンドはスタンドでしか攻撃できないというルールがある。

 メタリカの能力で生み出した鉄製品は独立した物品で、セックス・ピストルズのようにスタンドパワーを帯びさせる能力は持っていない。

 

 実体化しているスタンドでも、力負けしている物理的な攻撃は受け止められずにすり抜けてしまう。

 無理やりスタンドの耐久度を超える物品を殴れば本体がダメージを受ける。

 

 物質と同化していないスタンドはスタンド以外に対しては無敵だが、仁王立ちさせていれば本体を問答無用で守れるというわけではないのだ。

 

「あっけなかったが、これでトリッシュは動けないだろう。このままナランチャとミスタを始末して──ッ!? 

 な、なぜだ……()()()()()()()()()()()()()()()ッ!」

 

 透明になっているためトリッシュとなのはには見えなかったが、脊髄を損傷させたと確信していたリゾットは驚きのあまり表情を歪めていた。

 もっともトリッシュからしてみれば、背中に僅かに衝撃を受けたぐらいにしか感じていない。

 

 トリッシュの背中に刺さったように見えたナイフは、まるでゴム製のオモチャのように硬さを失っていた。

 いかに鋭い刃物でも、刃先が柔らかければ本来の切れ味は発揮できない。

 

 エピタフの予知で見えた光景はこれだった。

 刃先が柔らかくなり曲がったことで、なのはが見ていた予知の角度からは深々と突き刺さったように見えたのだ。

 

 確実に当たるだろうと思っていた攻撃が不発に終わり、リゾットにはトリッシュの足を止める手立てがなくなった。

 すでにトリッシュとなのはの体内の鉄分操作は開始しているが、出来上がるにはまだ時間がかかる。

 

 時間を稼ぐために液体金属を使おうにも、あれは非常に高価な物品で協力者の男がいつの間にか調達していた物だ。

 一回きりの罠として使える以上の量をリゾットは持ち合わせていなかった。

 

 リゾットの妨害を乗り切って、なんとか二人の下に辿り着いたトリッシュだったが事態は好転しなかった。

 二人の首の皮膚の下に作られたナイフは、すでに表皮を裂いて無理やり摘出できないほどの大きさになっていたのだ。

 

「ああ、クソッ! ナイフが大きすぎるわ。これじゃあ、無理やり動かしたら頸動脈を傷つけてしまう!」

「イイエ、モウ何モ心配はアリマセン。コレがアナタの能力ッ! 首に埋マッタ『ナイフ』を()()()()()()()()ッ!」

 

 悪態をついているトリッシュを遮って、スタンドが皮膚を僅かに突き破って両手の人差し指を使ってそれぞれのナイフに触れる。

 すると見る見る間にナイフは液体のように柔らかくなり皮膚の裂け目からこぼれ落ちていった。

 

 異物がめり込んでいたため出血こそしているが、失血死するほどの量は流れていない。

 自分の行動で二人を助けることができたトリッシュは、ほっとして安堵のため息を漏らしている。

 

「あなたのおかげで二人を助けられたわ。ねえ、あなた……名前はあるの? あんたのこと、なんて呼べばいいの?」

「『スパイス・ガール』、ワタシのコトはソウ呼ンデクダサイ。

 ソシテ、ムダ話をスル暇はアリマセン。トリッシュ、マダ戦イは終ワッテイマセン」

「トリッシュのスタンドの言うとおりだ。リゾットは今ここで始末しなければ大きな障害となる」

「ナ、ナノハッ!? 一体いつのまに移動していたの!?」

 

 岩陰に隠れていたはずのなのはの声が背後から聞こえてきたことに驚いたトリッシュは、肩をびくっと震わせながら振り返った。

 そこには岩に座って険しい表情で予知を見ながら周囲を警戒しているなのはがいた。

 

 なのはは守りを固めるために時を飛ばしてトリッシュの背後まで移動していた。

 最大時間の10秒を飛ばしたので勘が鋭いものはすぐに気がついてもおかしくないが、ナランチャたちを助けるのに集中していたトリッシュは時が飛んだのに気が付かなかった。

 

「さっきは助けてくれてありがとう……足は大丈夫なの?」

「わたしのほうこそ、予知を見間違えてしまってすまない。足は歩くだけならなんとかなるが……走ったり激しい動きをするのは厳しい。

 そこでだ……トリッシュ、おまえのスタンド能力でわたしを援護してくれないか」

 

 守るべき相手を頼らざるをえない状況に、なのはは複雑そうな顔をしながらもトリッシュにどう動くべきか作戦を伝えた。トリッシュは決意に満ちた眼差しで頷き返した。

 

 待っていれば遅かれ早かれ時間が飛んだことに気がついた承太郎たちが現れるだろうが、それを見過ごすほどリゾットは甘くはないだろう。

 リゾットに対抗するため、なのはは相手方に能力が知られていないであろうトリッシュに協力してもらうことにしたのだ。

 

 その作戦はトリッシュが怪我をする可能性が高かったが、なのはだけで動いたとしても無傷でいられる確率は低い。

 そもそもトリッシュが作戦に協力する義理などないのだが、不思議と彼女はなのはのことを『信頼』していた。

 

 信じてくれと言われたわけではないが、彼女の行動は自分の身と心を案じてのものだとトリッシュは理解し始めていた。

 時間を飛ばして逃げ出すことも十分可能なのに戦い続ける選択を選んだのは、トリッシュの『覚悟』を尊重しているからだ。

 

 リゾットを取り逃がしたら姿の見えない死神に狙われ続けるようなものなので、この場で始末しようとしている打算的な理由もある。

 だが比率としては、ナランチャたちを見殺しにしてトリッシュの心に影を落とさないように立ち回っているほうが大きい。

 

 そんな彼女の不器用な感情をトリッシュは正確に読み取っていた。

 よく分からない部分も多いが、()()()()()()()()()()()()()()()()()という確信があった。

 

 あるいは僅かながらに残っている魂の繋がりによる影響かもしれないが、これこそがトリッシュも自覚していなかったなのはを怪しまなかった感情の正体だ。

 

(ナノハがオレに攻撃を当てられたのは、こちらが立ち止まっていたからだ。

 たとえ未来を読めて時間を飛ばせようが、こちらの位置をリアルタイムで把握できているわけではない。

 あの怪我では、まともに動き回るのは不可能だろう。あとは近づかれないように、ひとつの場所に留まらずに常に立ち位置を変えていればいい。

 優先すべきは……刃物による裂傷を無効化できるトリッシュの方からだッ!)

 

 なのはの読みは正しく、リゾットはのんびりと尋問しながら戦うのをやめて、速攻でケリをつけてこの場から二人を連れ去るプランに切り替えていた。

 

 エピタフの予知による位置の確認は厄介ではあるが、リゾットはなのはを射程距離のギリギリに入れていれば近寄る必要はない。

 一方のなのはは距離を詰めるか遠距離攻撃をうまく当てるしかないが、どちらもリゾットは対策していた。

 

 同じ攻撃を何度も食らうほどマヌケなら、リゾットは危険と隣り合わせだった暗殺チームでリーダーなど務められない。

 先程は手痛い反撃を受けてしまったが遠近問わず多数のスタンド使いを暗殺してきたリゾットは対処法を心得ている。

 

 リゾットは常になのはたちを視界内に入れながらも、射線を通さないように岩や地形を利用して移動していた。予知はなのはに有利な視点で見えるわけではない。

 本体が目視していないとピンポイントの磁力操作ができないので効率は落ちるが、リゾットは安定性を選んだ。

 

 トリッシュやなのはの体格なら、1回から2回ほど鉄分を集めてしまえば鉄欠乏性貧血を起こすとリゾットは今までの経験から把握している。

 そして貧血にしてしまえば倦怠感やめまいで動けなくなる。

 

 生成した鉄製品を柔らかくされたとしても鉄分が血中からなくなることに変わりはない。

 負傷させて動けなくするのが難しくなっただけで、依然リゾットの有利は変わりないのだ。

 

「た、助けてッ! ブチャラティッ! あたしたちは敵に襲われているわ!」

 

 あと数秒で鉄製品を肌の下に作り出す下準備が終わりそうになったそのとき、いきなりトリッシュが助けを求めて走り出しながら、やたらめったらにスタンドの拳を振りかざして攻撃をし始めた。

 

 トリッシュのスタンド──スパイス・ガールはキング・クリムゾンと同じく近距離パワー型のスタンドだ。

 射程距離は若干キング・クリムゾンより長く、全力で遠ざければ5メートルほど離れられる。

 そのかわり離れれば離れるほどスペックが下がっていき、2メートル以内にいたとしても力や速さはキング・クリムゾンより劣っている。

 

 メタリカは本体の体内に潜んでいる群体型スタンドなので、本体を防御できるスタンドのヴィジョンを持たない。

 リゾットにとって防御できない近距離パワー型の相手は脅威ではあるが、当たらない攻撃に意味などない。

 トリッシュがスタンドを自分から遠ざけて攻撃に回したのは明らかにミスであった。

 

「逃がすものかッ!」

「きゃあッ!?」

 

 逃すまいとアキレス腱を切断するために、リゾットはトリッシュの右足首にハサミを作り出した。

 急に足に異物が現れたトリッシュは踏ん張りが利かなくなり転んでしまった。

 

 それを好機と見たリゾットは近づいて、一気に血中の鉄分を固めて意識を刈り取るために移動を開始した。

 時間を飛ばすという圧倒的な能力を前に、リゾットは無意識ながらも焦っていたのだ。

 

 普段なら冷静に判断していたであろう状況にもかかわらず、リゾットはトリッシュのスタンド能力を注意深く観察することなく動いてしまった。

 

 なのはがボスと同じ能力の持ち主だと知ってしまったリゾットは、もしかしたら親衛隊には他人の姿を変えるスタンド使いが在籍していて、なのははボスが変装している姿なのかもしれないと最初は考えていた。

 

 だが、それならトリッシュを早急に始末して行方をくらますはずだ。

 そこまで考えたところで、リゾットはひとりのスタンド使いの存在を思い出した。

 本名は不明でスタンドの姿しか知られていないが、その人物は裏社会で密かに語り継がれている。

 

 その人物は、スタンド使いの能力と記憶を円盤にして抜き取ってしまうという都市伝説のような噂だけが独り歩きしていた。

 その人物が関わっているとは思わないが、記憶を抜き取るという部分にリゾットは引っかかりを覚えたのだ。

 

 スタンド能力は千差万別、誰にも予想もつかないような能力が存在しうる。

 ならば、()()()()()()()()()も探せば見つかるだろう。

 基となる記憶が同じなら、同一のスタンド能力を持っていてもおかしくはない。

 

 ボスは信頼できる部下を作るために自分の記憶を子供に転写したまではいいが、裏切られてしまったのではないかというSF映画のような結論に辿り着いていた。

 自分自身でも半分はありえないと思っていたが、部分的にリゾットは真実に辿り着いていた。

 

「おまえは優秀な男だ。それこそパッショーネのボスを追い詰められるだけの可能性を持っていた。

 おまえが『暗殺者』のままなら、わたしたちは勝てなかったかもしれない」

「……え? 一体……なに、が……?」

 

 いつの間にか首が深く裂けて肩から胸にかけてスタンドの手刀で深くえぐられていたリゾットが、口元から血を垂らしながら途切れ途切れに問いかける。

 時間が飛んだのは理解できる。だが、どうやって自分の位置を把握したのかリゾットには分からなかった。

 

 血溜まりに沈んでいくリゾットは、冷酷ながらも敬意を感じられる目で自分を見下ろすなのはの顔を見上げながら思った。

 ああ、自分の予想は間違っていた。この子供はボスではないと。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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裏切りと復讐のメタリカ その③

 姿を背景に溶け込ませていたリゾットに奇襲が成功した理由。それはトリッシュのスタンド能力によるものだった。

 

 スパイス・ガールの能力はクレイジー・Dやスティッキィ・フィンガーズと同じく、拳で触れた対象に能力が発動する。

 先程の攻撃は見えないリゾットに攻撃するためではなく、()()()()()()()()()()()だった。

 

 柔らかくする範囲や硬度はトリッシュが自由に選べる。

 ナイフを処理したときのように自重で崩れるほど柔らかくすることもできるが、周囲の硬さはそのままに一部分だけ柔らかくすることもできる。

 

 地面が柔らかくなっていると気が付かず、リゾットは死地へと踏み込んでしまった。

 時間が飛んでいたためリゾットは自覚できなかっただろうが、彼の右足は膝まで地面に埋まっていた。

 トリッシュは地面を柔らかくして即席の落とし穴を作ったのだ。

 

 観察眼の鋭いリゾットなら何らかの手段で脱出か反撃を試みただろうが、それを実感する前になのはが時を飛ばして先手を取った。

 

 宮殿に取り込んだ相手は動きの軌跡となって見えるが例外も存在する。

 光の屈折率を変えることで自分の位置をずらして見せていたプアー・トムのように、なのはやキング・クリムゾンではなく場所や自分自身に干渉する能力は無効化できない。

 

 メタリカの透明化は背景に溶け込む技なので、地面や固定された動かない物は動きの軌跡にならず消え去ってしまう宮殿の内部では意味をなさない。

 問題だったのは、なのはが足を負傷して動き回るリゾットに追いつけない点だった。

 

 本体のダメージはスタンドにもフィードバックするので、キング・クリムゾンの脚力で無理やり移動するのは難しい。

 そこでトリッシュにスパイス・ガールで足止めを頼んだのだ。

 

 宮殿を展開しながら、なのはは足の怪我を止血するために固く結んでいた布を(ほど)いていた。

 太い血管も傷つけられている足からは少なくない量の血が流れ出ている。

 

 手始めに、なのはは血をキング・クリムゾンの手で(すく)って水圧カッターにしてリゾットに向けて飛ばした。

 片足が埋まったリゾットはその場から逃れようともがいているが、太ももを負傷しているのも相まって時間がかかっている。

 

 宮殿に取り込まれた人物は認識こそできないが、本来行おうとしていた動作を実行する。

 だがキング・クリムゾンの使い手だけは、動きの軌跡(定められた運命)から逸脱した動きを誰にも悟られずに実行できるのだ。

 

 脱出されないように左足と首元を血の水圧カッターで切り刻みながら、なのはは足を引きずりつつもリゾットの背後まで移動した。

 そして、そのままリゾットにトドメを刺すためキング・クリムゾンの手刀を振り下ろしながら宮殿を解除したのだ。

 

「最後に……教えて、くれ。アンタは……何者なんだ」

「……冥土の土産に少しだけ真実を教えよう。わたしはパッショーネのボス()()ではない。

 そしてわたしのスタンド能力は10秒先の未来までしか読めない。だが()()()()()()()()()()()()()()()()を把握している。

 教えられるのはここまでだ」

 

 肩から心臓付近にかけて深々と体をえぐられ、仰向けに倒れているリゾットが掠れた声でなのはに問いかける。

 その質問に答える必要などなかったが、なのははボスに反旗を翻すことを決意した暗殺チームの面々に敬意を表して、顔を耳元に近づけて小声で真実の一端を明かしだした。

 

 肺や心臓といった生命維持に必要不可欠な臓器を破壊されたリゾットは決して助からない。

 1分とせずに死んでしまうだろう。生かしておけば必ず障害になるであろう相手なので始末したが、なのは個人としてはリゾットに負の感情は持っていない。

 

 組織を裏切り全ての仲間を失ったリゾットは『ぬきさしならない状況』に陥っていた。

 『運命とは自分で切り開くものである』という考えも正しくはあるが、どうあがいても運命を変えられない状況は存在する。

 

 リゾットの死も変えられない運命だった。

 それを証明するかのように、かつての流れより早く行動しているにもかかわらず、リゾットはなのはの記憶のとおりにコスタ・ズメラルダで生を終えようとしている。

 

 なのはの記憶にあるリゾットは最後にボスの正体を掴んだ。

 だが、なのはの目の前で徐々に冷たくなっていっていくリゾットはディアボロと対面していない。

 そこでなのはは、手向けの代わりに自分の正体に関するヒントを口にしたのだ。

 

「そう、か……そういうこと、だったのか。ナノハ……()()()()()()()()は……ボスと戦ったんだな……?」

「横槍が入らなければ、おまえはボスに勝っていた。

 リゾット・ネエロ、おまえはボスを追い詰めて『誇り』を失わずに命を絶ったんだ」

 

 なのはの語った情報によってリゾットはついに目の前の相手の正体を理解した。

 死に際の妄想と言われてもおかしくない突飛な発想だったが、なのははリゾットが答え合わせのために口にした質問を肯定した。

 

 リゾットに未練はなかった。もはや共に組織を裏切った仲間は誰一人として残っていない。

 ボスと同じ能力を持つなのはに最後の力を振り絞ってメタリカで攻撃することはできるが、八つ当たりのような真似をする気にはなれなかった。

 

「わたしも聞きたいことがある。おまえはどうやって、()()()()()()()()()()()()()()()()ことを知ったんだ?」

「オレは……情報分析チームの、ある男と……密かに情報の、やり取りを……していた。その男の名は──ガハッ!?」

 

 協力者の名前を暴露しようとしたリゾットだったが、最後まで言い切ることはできなかった。

 リゾットの服の内側から現れた手足の生えたスペードのキングの絵柄のトランプが、手に持った剣をリゾットの首に突き刺して切り裂いたのだ。

 

 続けざまに襲いかかってきたトランプをキング・クリムゾンで迎撃したなのはは、急いでリゾットの容態を確認する。

 何か言葉を口にしようとするリゾットだったが、気道まで大きく裂けている傷口から空気が漏れ出て音にならない。

 

「トランプ型のヴィジョン……言葉にせずとも分かる。おまえの協力者はカンノーロ・ムーロロなんだな?」

 

 キング・クリムゾンによって真っ二つに裂かれたトランプは手足が消えて地面に散らばっている。

 なのははスタンドが同化していたトランプ──劇団<見張り塔(ウォッチタワー)>の本体を知っていた。

 

 なのはの問いかけにリゾットは頭を僅かに動かして肯定する。

 トリッシュの情報を暗殺チームに流した人物かもしれないというなのはの予想は確信に変わった。

 

 それと同時に限界を迎えたのかリゾットが目を閉じて動かなくなる。

 メタリカの能力で生み出された鉄製品が形を保てなくなり消え去っていく。

 

 天へ昇っていく霊の姿など見えないが、なのはは今にも落ちて来そうな空を見上げていた。

 

「ムーロロがスタンドを使って監視していたということは……マズイな。早く、亀の中に行かなくて、は……」

「ナノハッ!?」

 

 視線を戻し、おぼつかない足取りで移動しようとしていたなのはだったが、地面の出っ張りに躓いてバランスを崩して地面に倒れ込んだ。

 遠巻きから様子を見ていたトリッシュが慌てた様子で駆け寄って、なのはを両腕で抱え上げた。

 

 なのはは気を失っていた。左足の怪我により、あまりにも多量の血を失ったことで貧血を起こしたのだ。

 常人より力があるスパイス・ガールでも怪我人全員は運べない。

 どうしたものかと、なのはを抱えたまま慌てているトリッシュだったが助けはすぐにやってきた。

 

「大丈夫か、トリッシュ!」

 

 時間が飛んだことを察知したブチャラティたちは一旦リプレイを中止して、全員でトリッシュたちがいた場所まで向かっていた。

 ディアボロが付近にいるかもしれない状況で、単独で誰かを残すわけにはいかないと考えたのだ。

 

 ブチャラティはトリッシュに何があったのか聞き出しながら、ジョルノに怪我人の治療を頼んだ。

 先に重傷のナランチャとミスタを、その次になのはを治療するためにジョルノはゴールド・エクスペリエンスの能力を発動させた。

 

 3人全員の治療となると時間がかかる。そこでブチャラティは怪我人を亀の中に入れて、承太郎に外を監視してもらいながら同時にリプレイも行うことにした。

 

 未来予知を無力化できるなのはが気を失っているスキを突いて、ディアボロが攻めてくるかもしれない。

 なのはの最後の一言に僅かに疑問を覚えながらも、彼らは行動を開始したのだった。

 

 

 

「リプレイが終わったぞ、ブチャラティ! ビンゴだ、ボスの素顔と指紋はバッチリ取れそうだぜ」

「よし! 早速、警察のデータベースにアクセスして情報を探すぞ!」

 

 ムーディー・ブルースによるリプレイは無事成功した。

 途中でサッカーをしている子供がボールを木に引っ掛けることもなく、時間が飛ぶこともなかった。

 

 若かりし日のボスの姿になっているムーディー・ブルースだが、物質と同化しているスタンドではないのでそのまま写真を撮ってもデータには変換できない。

 スタンド使いなら写真に写っているスタンドも見ることができるが、機械は認識してくれない。

 

 そこでムーディー・ブルースをスパイス・ガールで少しだけ柔らかくした地面に押し付けて型を取ることにした。

 スタンド能力に目覚めたばかりのトリッシュだが、すでに自分の能力の使い所を理解し始めているようだ。

 

 型取りに成功したブチャラティたちは亀に入って情報を集めることにした。

 その間、亀の外の警戒と移動は承太郎に一任することになった。

 ここまでの行動を見て、ブチャラティは承太郎を信頼できる相手だと判断した。

 

 哨戒向きのスタンド使いが怪我をしているというのも、承太郎だけを外で待機させている理由のひとつである。

 ブチャラティはチームのリーダーだが、全体の方針を決めているのはジョルノだ。

 

 意見をすり合わせるためにも、この二人は手が離せない。トリッシュは積極的に戦闘に出せない。アバッキオは戦闘向きのスタンド能力ではない。

 余計な援護を付けても足かせにしかならないという考えで、承太郎だけを外に出しているのだ。

 

「ダメです、ありません!」

()()()を探すんだ! 必ずあるッ! ()()()()()()、ボスは娘の存在を消し去ろうとし、素顔を知られるのを恐れた。

 探すのだ……この男の『過去』がッ! どこかに必ずあるッ!」

 

 亀の中でラップトップを操作してジョルノがデータベースから情報を検索しているが、国際警察(インターポール)やサルディニアの警察を探っても一向に該当者は見つからない。

 

 ジョルノの右隣からラップトップの画面を覗き込んでいるブチャラティは、必ず情報があると信じていた。

 しかし実際には警察のデータベース上にディアボロの情報は存在しない。

 

 そもそもディアボロがトリッシュを殺害しようとしたのは、直感で肉親だと理解できるからだ。

 スタンドの外見には類似点も少しはあるが、能力は全くの別物である。

 

 病的なまでに過去の露見を恐れているからこそ命を狙っただけで、ディアボロに繋がる情報をトリッシュはほとんど持っていないのだ。

 ブチャラティのような優れた観察眼の持ち主でも、直接会ったことのない相手を正確に分析するのは難しい。

 

「……ブチャラティはボスがここに来ていると思いますか?」

「3回は確実に時間が飛んだ感覚があった。だがトリッシュの話を聞く限りでは……」

「そこで寝てるガキが時間を飛ばした。状況から考えるに、そうとしか思えねえだろ」

 

 足を組んでソファに座っているアバッキオが忌々しげな表情で、トリッシュに膝枕されているなのはを睨みつけた。

 承太郎は、なのはが目を覚ましたら本当のことを伝えるとだけ言い残して口をつぐんでいる。

 

 アバッキオはなのはから離れろと何度も忠告していたが、聞く耳を持たないトリッシュに呆れて機嫌が悪くなっていた。

 元よりアバッキオは生意気そうなガキが嫌いなため、ジョルノやなのは、トリッシュとは相性が悪いのだ。

 

「アバッキオが心配するのもわかるが、今はナノハの正体よりボスの正体を優先するべきだ。

 ボスの正体をつかんで『暗殺』できなければオレたちは負ける。親衛隊を集合させられる前に正体を掴まなければ!」

「ブチャラティ……今、思いついたのですが『死亡した者』の記録はどうでしょう? 

 ボスは全ての個人記録をデータから消すとき、自分を『死亡した』ことにしたのかもしれない」

 

 アバッキオを説得しているブチャラティにジョルノが新たな提案をする。

 僅かな希望に賭けたブチャラティはラップトップにアクセスコードを打ち込んで、指紋と合致する死亡記録を検索した。

 

 しかし、やはり該当者はいなかった。こうなっては、なのはが目を覚ますのを待って新たな情報を聞き出すしかないかと諦めかけたそのとき、ラップトップから聞き慣れない男の声が流れ始めた。

 

『そんなことはないぞッ! 君たちは追跡をもう()()()()()ッ! 後は倒す方法を見つけるだけだ!』

「逆探知されたぞッ! ジョルノ、通話を切れッ!」

『待てッ! 切るなッ! ()()()()()を倒したいのだろう!? わたしは味方だッ!』

 

 ディアボロという名前に疑問を覚えたトリッシュが聞き返そうとするが、ブチャラティが人差し指を口の前で立てて黙るようにジェスチャーで示す。

 

 男はディアボロを倒そうとする者が現れることを信じて、特定のデータベースにアクセスして指紋を調べようとする者を張っていた。

 だが男の話は簡単には信じられない。ボスの名前を告げたところで、味方だという証拠にはならない。

 

 ブチャラティはジョルノに通信を切らせようとする。

 ジョルノがキーボードに指を伸ばすのと同時に、男が唐突にディアボロのスタンド能力を語りだした。

 

 ディアボロの時を飛ばせる能力を知っている者は、この世には()()いない。

 ディアボロの部下に知っている者がいたとしても、()()()()()()()()()()即座に始末しようとするだろう。

 

 トリッシュは男が味方だと確信して口を開こうとしたが、ブチャラティに手の内を見せてはいけないと止められる。

 

「よし……話は聞こう! 何者か、まず名を名乗れッ!」

『わたしの名など、どうでもいい。わたしはすでに再起不能の体になっているんだからな。

 わたしは、もう闘えないのだ。肝心なのは、君たちがヤツを倒せるかどうかだ。ヤツの『時を吹き飛ばす』能力に弱点はないッ! 

 君たちは、これからヤツを『暗殺』しようと考えているだろうが、それはきっと失敗するぞ! 

 そのままでは、まず君らは()()()()になるのは目に見えている!』

 

 ディアボロのスタンドに弱点はないと言われたブチャラティは、時を止めるスタンド使いなら勝てるのではないかと聞き返そうとしたが、(すんで)の所で取りやめて倒す方法を聞き出すことにした。

 

 男は倒せる可能性があると言う。そして、それを手に入れるために『ローマ』にいる自分に会いに来いと告げた。

 ブチャラティは疑いを深める。何をさせようとしているのか、ディアボロとどんな関係なのかも分からない相手を信用してローマに行こうなどとは思えない。

 

 そんな彼らを説得するために、男はとある画像を送りつけた。その画像に写っている『矢』に彼らは見覚えがあった。

 ブチャラティやアバッキオがスタンドを発現させるため、ポルポのスタンドに突き立てられた矢とよく似ていたのだ。

 

「なぜ、おまえがこれを持っている!?」

『君たちは、わたしのところまでこれを取りに来るのだ。ヤツは、この『矢』の真の使い方を知らない! 

 この『矢』には秘められた叡智があるのだッ! それを教えようッ! 

 キング・クリムゾンを超える力を手に入れなくてはならない! ローマに来るのだ。

 この『矢』は、あの男を倒すたったひとつの最後の手段なのだ!』

 

 そして男は『矢』のルーツについて説明しだした。話を要約すると、矢の材質はグリーンランドにある『ケープヨーク』という土地で採れる隕石と同じ物質だった。

 ()()()()からやってきた隕石に含まれる『ウィルス』こそが、スタンドを目覚めさせる原理なのだ。

 

 秘められた力を教えられるのはひとりだけで、他の誰にも漏れてはならないと男は言う。

 ブチャラティは男の話に確証を持てなかった。だが今は具体的な目標がない。

 それに加えて彼の正体に心当たりがあったブチャラティは、男の言葉を信じることにした。

 

「あんたの話には確証がない。しかし……あんたを信じよう、ジャン=ピエール・ポルナレフ」

『……どこでその名を知った』

 

 通信越しに聞こえる男──ジャン=ピエール・ポルナレフの声色が一段と低くなった。

 下手なごまかしはせず、ポルナレフは自分の名前が合っていることを肯定しながらブチャラティに問いかける。

 

「ジョータロー・クージョーがあんたを助けるためにオレたちと同行している。今は外にいるが、呼んできたほうがいいか?」

『承太郎が君たちと一緒に行動しているだとッ!? 

 そうか……それでおれのことを知っていたのか……色々と積もる話はあるが、そろそろ電話が傍受される頃合いだ。

 わたしはローマのコロッセオで待っている。何時だろうと構わない。コロッセオですべてを説明しよう』

 

 名残惜しそうにしながらも、ポルナレフは通信が傍受される前に自分から回線を切ってしまった。

 承太郎がいてもいなくても、ポルナレフはブチャラティたちを信用していただろう。

 それでも承太郎という、かつての仲間の存在はポルナレフを奮い立たせるのに十分な効果があった。

 

 車椅子に座ったまま、ポルナレフは懐からDIOを倒すためエジプトへと向かう途中で撮った仲間たちとの集合写真を左手で取り出した。

 残された左目でじっと写真を見つめながら、ポルナレフはディアボロを必ず倒すと、より固く誓ったのだった。




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ボスよりの最終通告

 北イタリアでもっとも大きな都市──経済の中心地として有名なミラノのビジネス街に情報分析チームの本部は存在する。

 本部の入っているビルは、表向きには多方面で手広く活躍している総合情報技術(IT)企業の本社として知られていた。

 

 上層階にはイタリア中に散らばっている情報分析チームのメンバーや、支部から送られてくる情報を統括する情報管理部門が入っている。

 最終的な判断はディアボロが行うので厳密には違うが、この場所はパッショーネの頭脳と言っても過言ではない。

 

 その実態を知る者は少ない。下層階では、実際にパッショーネとは無関係の何も知らない職員が通常の業務を行っている。

 しかし一般の職員は決して上層階に立ち入ることはできない。

 

 下手に探ろうとする者の末路は2つに1つだ。情報分析チームの仲間になるか、物理的に首を切られるか。

 この会社の存在意義は表社会で自由に使える金を稼ぐためだが、同時にもうひとつ目的がある。

 

 ネアポリスは兵士となるスタンド使いを集めるための場所だった。

 それと同じでミラノはこれからの時代、絶対に必要になるIT技術者(エンジニア)の諜報員を集める場所なのだ。

 

 

 

 ブチャラティたちがポルナレフから情報をもらって1時間と少し経った頃、情報分析チームの本部の最上階にある一室で、ボルサリーノ帽と仕立ての良い漆黒のスーツを着込んだ1930年代のギャングのような服装の男が一心不乱にパソコンを操作していた。

 

 一見すると古めかしい家具で統一された部屋は、来訪者を古いギャング映画の世界に迷い込んだかのような感覚に陥らせる。

 だがモニターアームによって空中に固定された6枚の液晶ディスプレイや業務用の巨大なコピー機などが部屋の調和を崩していた。

 

 ボルサリーノ帽を被った三白眼の男──カンノーロ・ムーロロは椅子に座らず立ったまま、卓上に設置されたマイクに向かって命令を下していた。

 複数のモニターで流れている情報の数々を流し見ながら、ムーロロは焦燥に駆られた表情を浮かべている。

 

『だ、ダメです! 警備を突破されました!』

「どうにかしてオレがデータを移し終えるまで足止めしろ! 敵は()()()()()なんだ。銃や爆弾を使ってでも時間を稼げッ!」

 

 情けない声で助けを求める部下に、ムーロロは普段の小物のような演技をかなぐり捨てて指図する。

 負傷しているのか黒いスーツと灰色のシャツは、体からにじみ出た赤い血で汚れている。

 

 情報分析チームの構造は他のチームとは異なり、常に同じチームで活動するような仕組みにはなっていない。

 チーム内の人員は、それぞれの専門分野別に更に細分化されている。

 

 任務に応じて、情報分析チームの全体の動きを取りまとめている幹部が専門のチームを組ませる。

 諜報には専門性の高い技術が要求されるため、得意不得意を見極め個性を活かすためにディアボロが一から構築した仕組みだった。

 

「まさか、ボスがブチャラティたちやリゾットではなく、オレにスタンド使いを差し向けるとは……しかも、()()()()()()()()()()()使()()だとッ!? 計算違いにも程があるぞ!」

 

 最先端のセキュリティが施されている社内のネットワーク経由で表示されるはずの監視カメラの映像が届かないことに、ムーロロは自分が追い詰められているのではないかと思い始めていた。

 

 パッショーネに所属しているスタンド使いの能力を密かに調べるのがムーロロに割り当ててられている仕事だ。

 ボスには伝えず秘匿している情報も含めると、彼はパッショーネで一番スタンド使いに関する情報を抱えている。

 リゾットやカルネのスタンド能力をも把握している自分すら知らないスタンド使いが現れたことに、ムーロロは驚き戸惑っていた。

 

 ムーロロはボスと暗殺チームを争わせて、自分の都合のいいほうに味方するつもりだった。

 彼は勝ち残ったほうに恩を売るためだけに、自らの手で内部抗争を引き起こしたのだ。

 

 パッショーネという組織そのものに不満はなかったが、彼は一向に幹部へと昇格できないことにストレスを感じていた。

 誰かのために神経をすり減らして仕事をするなんて馬鹿馬鹿しいという、たったそれだけの理由で彼は組織に混乱をもたらした。

 

 ムーロロが組織のために働いて、見返りに金を積んでも幹部になれなかった理由──それは誰も信じていなかったからだ。

 誰も信じない者は誰からも信じられない。どれほど優れた能力の持ち主だったとしても、信頼に値しない人間は便利な道具扱いしかされない。

 

 ボスであるディアボロは他人の仕事ぶりを評価こそするが、信頼するような性格はしていない。

 だが組織を運営している幹部たちの心情は別だ。信頼の形は人それぞれだが、幹部になるには他の幹部に信頼され許可を貰わなくてはならない。

 

 ブチャラティが北部と比べて経済規模では劣るとはいえ、イタリアで三番目に大きな都市であるネアポリス(ナポリ)の縄張りを100億リラ(6億円)程度の金で譲り受け幹部になれたのは、ペリーコロを含めた幹部たちに普段の働きを認められていたからだ。

 

 仮にサーレーとマリオ・ズッケェロがポルポの遺産を確保して上納したとしても、信頼も何もない下っ端の戦闘員でしかない彼らでは門前払いされていただろう。

 それと同じで、ムーロロのような信頼できない男を上の立場にしようとする幹部など誰一人としていないのだ。

 

(落ち着け……まだウォッチタワーは半分以上残っている。オレの能力なら、この場を切り抜けられるはずだ)

 

 ムーロロは迎撃のためにウォッチタワーを20体ほど侵入者に差し向けていた。

 だがディアボロが送り込んだ刺客は、彼が思っていた以上に手ごわかった。

 

 ウォッチタワーは群体型のスタンドだが、一組のトランプと同化して実体化する物質同化型の特性も併せ持つ。

 非スタンド使いにも見えてしまうというデメリットがあるが、その代わりにイタリア全土をカバーできる非常に長い射程距離と、1体だけでも成人男性を殺せるだけのパワーとスピードを両立している強力なスタンドだ。

 それに加えて、誰にも明かしていない能力も隠し持っている。

 

 取り囲めば、どれだけ優秀なスタンド使いでも対処は難しいだろうとムーロロは慢心していた。

 ウォッチタワーは暗殺向きの能力だが直接戦闘もこなせる。

 しかし、どんな相手にも有利に戦えるわけではない。

 

 相性を考えずに排除しようと動いた結果、ムーロロは20体のウォッチタワーを失ってダメージのフィードバックで負傷してしまった。

 他の組織の襲撃を防ぐために待機していた戦闘向きのスタンド使いは、幹部から言い含められているのか手を出す気配がない。

 

 そんな状況でムーロロの言うことを聞くのは、弱みを握っている非スタンド使いの人間ばかりだ。

 非スタンド使いなど足止めにしか役に立たない。

 スリルを求めて罪の意識もなく組織の命令に背いていたが、生まれて初めての命の危機にムーロロは恐怖を感じていた。

 

 ボスと暗殺チームの抗争にブチャラティチームが参戦したが、組織内の第三者が乱入することはムーロロも予想して行動していた。

 だが承太郎となのはがブチャラティチームに加わったことで雲行きが怪しくなった。

 このまま承太郎たちがボスやリゾットに勝ってしまった場合、SPW財団の手でパッショーネが解体される恐れがある。

 

 ムーロロは様々な情報を操作して、他人の行動を自分の意のままにコントロールできる現在の立場を気に入っていた。

 ボスが誰になろうが自分の立場を脅かさないのなら関係ない。

 だがパッショーネそのものが無くなってしまっては元も子もない。

 

 そこでムーロロは、サルディニア島へブチャラティたちが向かった情報を()()()()()()()()()()()()()()

 ボスには承太郎となのはの能力を、リゾットにはそれに付け加えてディアボロの能力も伝えることで、一番の邪魔者である承太郎となのはを排除させる腹づもりだったのだ。

 

 ムーロロの予想では、ディアボロがブチャラティチームを襲撃している最中に、リゾットが全員をスタンド能力で巻き込んで始末すると思っていた。

 しかし実際にはディアボロとリゾットはムーロロの情報を怪しんで独自の考えで行動した。

 

 ブチャラティチームはともかく、SPW財団の存在は盤上にはなかった。

 彼は今まで上手く立ち回っていたが、当初のプランを急遽変更したことで計画に歪みが生じてしまったのだ。

 

(『亀』に潜ませていたウォッチタワーも、あのガキに見つかって破壊された。

 どうする……どこかの犯罪組織かSPW財団にパッショーネの情報を持ち込んで身売りするしかないか?)

 

 ムーロロは自分の能力は無敵だと思っている。どんな相手でも、その気になれば殺せると信じていた。

 そんなトランプのように薄っぺらい自尊心が、今まさに引き裂かれようとしている。

 

 彼は『亀』の中にウォッチタワーを1体だけ隠していた。

 ジョーカーのカードを通して、潜ませていたウォッチタワーで会話を盗み聞きしていたのだ。

 それが承太郎やなのは、ディアボロのスタンド能力をムーロロが知っていた理由である。

 

 盗聴器のたぐいと違って、スタンドであるウォッチタワーは電波などは発しない。

 バレるはずはないと思っていたが、目を覚ましたなのはによって即座に排除された。

 もっともムーロロは重要な情報は手に入ったので、問題ないと割り切っている。

 

 パッショーネに見切りをつけて、SPW財団や他の国の犯罪組織に移籍するのなら手土産(情報)が必要になる。

 そこで彼は外部と切り離された記録装置に保存されている機密情報を記録媒体(HDD)に保存して持ち出そうとしていた。

 

 麻薬の販売ルートや仕入元、スタンド麻薬を生産している麻薬チームのメンバー情報。

 その他にも様々なパッショーネの資金源となっている仕事に関する情報を抜き出しているのだ。

 

 ガリガリと音を立ててHDDが唸りを上げる。画面上の数字は95%を超えていた。

 あと少しでデータを移し終えられる。そのとき部屋のドアを何者かが乱暴にノックした。

 

「小刻みに音を立てられたらムカつくからノックはするなと言ったのを忘れたのかッ!」

「ム、ムーロロさんッ! 助けてください! 化け物が……ギャアアアァ────ッ!?」

 

 苛立ちを押さえきれずにいるムーロロに助けを求めていた部下の断末魔が扉越しに響き渡る。

 不気味な音が聞こえた後に扉の下から赤黒い血液が染み出してきた。

 ムーロロは咄嗟に残ったウォッチタワーの内、10体ほどを天井に張り付かせて待機させた。

 

 ボルサリーノ帽を深く被りムーロロが扉を注視していると、扉の隙間からスタンドをねじ込まれて無理やり扉がこじ開けられた。

 ゆっくりと開く扉の影から侵入者が姿を見せる。

 

「確認するまでもねーが、おまえがカンノーロ・ムーロロだな。

 てめーがコソコソと隠れているせいで、探すのに余計な手間がかかったじゃねえか。このタコッ!」

「……おまえ、()()()()()()()()()。親衛隊には、おまえのような男はいなかった。ボスが金で雇った暗殺者といったところか?」

 

 チンピラのような口調で立ちふさがっている男をムーロロは知らなかった。

 この土壇場でボスが情報にない新入りを送り込んでくるはずがない。

 そう考えたムーロロは目の前の黒髪の男が外部の人間だと見抜いていた。

 

 ムーロロの予想を聞いた黒髪の男は下唇に人差し指の側面を当てながら、得意げな顔で自分が雇われた経緯を語りだした。

 

「おれの雇い主は太っ腹だぜェ! ()()()()()()()邪魔な連中を始末すれば、最高で1億ドル(120億円)の報酬を出すと言ってるんだからなァ!」

「おい、そいつは殺さずに情報を聞き出せってのが雇い主の意向だろうが。

 こっちも危ねえ橋を渡ってるんだ。おめーが先走って報酬がパーになるのは困るぜ」

 

 ムーロロからは見えない通路側の死角に隠れていた帽子を被った男が顔だけ覗かせながら、スタンドを使って攻撃しようとしていた黒髪の男に制止の声をかけた。

 帽子の男の言葉に水を差された黒髪の男は、つまらなさそうな表情をしている。

 

 部屋の入口付近から動こうとしない二人に怪しまれないようにムーロロはチラリと視線を動かす。

 データの保存はもう少しで終わる。このデータさえあれば、無理に戦わずとも逃げれば未来はある。ムーロロは時間を稼ぐために口を開いた。

 

「ボスの欲しがっている情報を渡せば……オレを見逃してくれるのか?」

「さてな、そこまではおれも知らねえよ。そもそも、()()()()()はてめーみたいな小物じゃあなかったからな。おれらのターゲットは──」

「だからよォ────ッ! おめーは自分が有利になったらペラペラと余計な情報を口に出す悪癖をどうにかしろっての!」

 

 余計なことまで言いそうになった黒髪の男を帽子の男がたしなめた。

 こんなマヌケな奴に負けそうになっているのかとムーロロは眉をひそめる。

 

 当たり前の話だが、スタンド能力と本体の知性は比例するものではない。

 承太郎のようにスタンドと知性が共に優れている例もあるが少数派である。

 使い所の難しい能力を戦術と頭を使ってカバーする者もいれば、単純な力押ししかできない者もいる。

 

 黒髪の男はそれなりの年月を裏社会の人間として生きてきたので己の立場を(わきま)えてはいるが、あまり頭が回るほうではない。

 コンビを組むたびに、帽子の男は精神的に成長しない黒髪の男に頭を悩ませている。

 これでいて純粋な前衛として考えるなら、裏社会でもトップクラスのスタンド能力の持ち主という矛盾した存在だった。

 

「もういい、おめーに任せたおれが間違いだった。続きはおれが話す。

 雇い主が求めているのはブローノ・ブチャラティたちが、どこに向かっているのかについてだ。

()()()()のスタンドなら把握しているんじゃあないか?」

「……ローマのコロッセオだ。そこでジャン=ピエール・ポルナレフという男が『矢』をブチャラティチームに渡すために待っている。

 そのときの会話をスタンド越しに録音した音声データも残している。信憑性は高いはずだ」

 

 ポルナレフの名を聞いた二人は僅かに眉を動かして何かを思い返していた。

 その一瞬のスキを突いてムーロロは動き出した。机の上に置いていた記録媒体を手に取りながら、天井に待機させていたウォッチタワーを黒髪の男ではなく帽子の男に向かわせた。

 

 黒髪の男はスタンド能力の相性が悪すぎて勝負にならない。ならば防御手段のない帽子の男を先に仕留めるしかない。

 しかしウォッチタワーは帽子の男に近寄る前に黒髪の男のスタンドに()()()()()()全滅してしまった。

 

「中々に速いが……しかしィ────ッ! この()に及んで、おれのスタンドを無視して攻撃するとは学習能力がねえのかァ? このマヌケがァ────ッ!」

「いいや、これでいい……逃げるなら、これで十分だッ!」

 

 そう言い残したムーロロは、足元に残していた20体ほどのウォッチタワーを使って窓を開けさせて、ダメージのフィードバックで血を滴らせながら飛び降りた。

 

 咄嗟に帽子の男がスタンドで攻撃してムーロロが手に持っていた記憶媒体を破壊することは成功したものの、追い打ちまではできなかった。

 ムーロロがどうなったのか確認するために、彼らは窓から身を乗り出して下の様子を確認している。

 

「おいおい、このビルは10階建てだぜ。30メートルの高さから飛び降りて助かるわけがねえ。ヤケになって自殺したのか?」

「いや、見てみろ。うまいことスタンドを使って自分の体を受け止めさせたようだ。そのまま車を盗んで逃亡したようだな」

 

 ムーロロはウォッチタワーを地面まで移動させてクッション代わりにすることで、無理やり衝撃を逃して命をつなぐことに成功していた。

 代償として両足と肩の骨が折れて腕も満足に動かせない重傷を負ったが、ウォッチタワーに自分の体を運ばせて車まで移動した。

 

 二人は顔を見合わせてどうするか考えたが、現場では判断できずにムーロロに従わなかったディアボロの息がかかった組織の人間に指示を仰ぐことにした。

 電話で呼び出すと、すぐに下階で待機していた組織の人間が部屋に入ってきた。

 

「手始めにしては悪くない仕事だった。ムーロロを取り逃がしたのは痛いが、あの怪我ではイタリアから脱出するのは難しいだろう。

 ぼくはこれから情報の精査に入る。二人は下の階で待機していてくれ」

 

 セーターを着ているピンク色の髪の気の弱そうな少年──ヴィネガー・ドッピオが二回り以上年上の男たちに命令する。

 一見するとギャングとは思えない様相をしているが、男たちの言う依頼人は彼のことだ。

 

 二人が退出して下の階まで降りていくのを確認したドッピオは、部屋の扉を閉めてパソコンの前に立った。

 そしてマウスを手にして操作しようとしたそのとき、ドッピオは人が変わったかのように感情のない表情で奇妙な声を出し始めた。

 

「とおるるるるるるるるるる。とお~~~~るるるるるるるるるる! ガチャリ! ピー! 

 はい、ボス! 命令通り、ムーロロのオフィスまで着きました。

 え……? 今からボスがここに来るんですか!? はい、わかりました」

 

 机に置かれた固定電話──ではなく右手で触れていたマウスをそのまま耳に当てて、ドッピオは一人芝居のように会話をしている。

 それだけなら頭のおかしい人間にしか見えないが、すぐさま彼の体に異変が起きだした。

 

 まずはじめに瞳の色が変わり、次に体と顔の作りが変わっていく。

 数秒後、そこには少年とは言えない年齢と体格の男──ディアボロが立っていた。

 ディアボロは忌々しいものを見たかのように険しい表情を浮かべながら、保存されていた音声データを聞いている。

 

「そうか……ジャン=ピエール・ポルナレフ。ヤツが生きていたのか。

 もはや再起不能になっているポルナレフは脅威でもなんでもないが……『矢』の真の使い方とやらは気になるな。

 もしかすると、オレを『絶頂』から突き落とす『落とし穴』になるかもしれない」

 

 ディアボロは自分のスタンド能力を知っているムーロロを始末するつもりだが、優先するべきはブチャラティチームと協力者を殺すことだ。

 ミラノからローマまでは直線距離で500キロメートルほどある。

 

 親衛隊はサルディニア島から近い位置に待機させているため、ローマに向かわせるのは手間ではない。

 むしろディアボロたちのほうが急いで移動しなければ、ローマに着く前にブチャラティたちがポルナレフと合流してしまう恐れがある。

 

 ムーロロを追跡していてはブチャラティたちが『矢』を手に入れてしまうかもしれない。

 正体を隠したがるディアボロとしては苦渋の決断だったが、ムーロロの始末は後回しにすることにした。

 

 手早くディアボロは待機させていた親衛隊のメンバーに指令を出す。

 コントロールできなくなる可能性が高いのでカルネは向かわせないが、手を借りたくなかったゲスたちにもディアボロは指令を出した。

 

 メールを送り終えたディアボロは、雇った暗殺者を引き連れて急いでローマに向かえと書き置きを残してドッピオに体の主導権を渡した。

 頭痛で頭を押さえながらもディアボロの書き置きを見つけたドッピオは、足早に暗殺者と合流して空港へと移動したのだった。

 

 

 

 ミラノ郊外にある隠れ家でムーロロは明かりも付けずに誰かと連絡を取っていた。

 ムーロロは優れた人間だが一人でできることは限られている。

 ボスの秘密を知ってしまい裏切り者扱いされているムーロロに付き従う者などいない。

 

 こんな状況で連絡を取れる相手など、元からボスに忠誠を誓っておらず本気を出せば勝てると思っているムーロロの同類ぐらいだろう。

 頼みの綱だったパッショーネの極秘情報も破壊されてしまったムーロロに残された手札はごく僅かだ。

 

 ディアボロが勝てば始末され、ブチャラティたちが勝っても暗躍していたことはバレている。

 どっちに転んでもダメなのなら前提を崩すしか無い。

 善と悪の区別もできていないムーロロは、決して渡してはならない相手に最悪の道具を与えてしまった。




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約束の地 コロッセオ その①

 時はムーロロが襲撃される30分ほど前までさかのぼる。ブチャラティたちを乗せた承太郎の操縦するスポーツ用の高速艇は、55ノット(時速100km)もの速さでコスタ・ズメラルダを離れてローマのコロッセオへと向かっていた。

 ローマにほど近い漁村に船で乗り付けたあとは、車に乗り換えてコロッセオがある市内まで一気に向かう計画となっている。所要時間は漁村からコロッセオへ移動する時間を含めて3時間と少しといったところだ。

 すでにポルナレフの情報提供から30分ほど経過しているが、なのはは目を覚まさない。その一方で、なのはより重症を負っていたミスタとナランチャはすでに回復して、のんきに腹ごしらえをしている。

 

「ンマイなぁぁあぁぁ────ッ!」

「このトリッパ(牛の第二胃)のトマト煮込みも絶品だが、そっちも美味(うま)そうだな。なあ、ナランチャ。おめーが食ってるピッツァ、一切れでいいから分けてくれねーか」

「だめだね。このピッツァは、あと3切れしか残ってないんだッ! ほかにもピッツァの入った『紙』はあるんだから、そっちを選べばいいじゃんかよォ!」

「一切れぐらい渡したっていいだろうに……セコイ野郎だな」

 

 焼き立てのモッツァレラチーズとキノコがトッピングされたピッツァ・マルゲリータにかぶりついていたナランチャは、ピッツァの乗った皿を抱えてミスタから遠ざかった。そんなナランチャの姿を見てアバッキオは呆れている。

 ミスタはケチくさいやつだなとぼやきながらも無理にナランチャからピッツァを奪おうとはせず、『紙』からトッピング違いのピッツァ・マルゲリータを取り出した。ミスタはピッツァを一切れ取ると、そのまま皿ごとアバッキオに回してピストルズにサラミを与え始めた。

 途端に騒がしくなったことで意識を刺激されたのか、なのはが身動(みじろ)ぎしながら目を開ける。なのははソファに座っているトリッシュに膝枕されていた。目を覚ますなり、いきなりトリッシュと目があって驚いたのか、なのはは目をしばたたかせている。

 

「ブチャラティ、ナノハが目を覚ましたわ!」

 

 トリッシュの報告に亀の中にいる面々は会話を止めて黙り込んだ。食事をしているミスタたちも手を止め、探るような目つきで起き上がって周囲を見渡しているなのはを注視している。

 ブチャラティたちの視線を気にすることもなく、一瞬だけアバッキオの顔を見ていたなのはは小さく頷いた後に、おもむろに口を開いて現状の確認を開始した。

 

「確認したいことがある。おまえたちはジャン=ピエール・ポルナレフから情報をもらい、ディアボロを倒すために必要な『矢』を受け取るためにコロッセオへ向かっている。わたしはそう認識しているが、相違はないか?」

「……そのとおりだが、どうしてそれを知っているんだ?」

 

 なのはの問いかけを肯定すると同時に、ブチャラティは疑問を投げかけた。なのはは先程まで気を失って寝ていた。狸寝入りしていたようにも見えない。未来を予知してこうなるのをあらかじめ知っていたのだろうか。

 少しばかり考える素振りを見せたなのはは、飛び降りるようにソファから立ち上がると同時に真紅のスタンドを発現させた。なのはのスタンドのヴィジョンを見たブチャラティは、目を見開きながら冷や汗を流す。

 

「それはッ!? ディアボロの──ッ!?」

「テメェ────ッ! ブチャラティを離しやがれ!」

 

 ディアボロのキング・クリムゾンと瓜二つななのはのスタンドを見てブチャラティが声を上げそうになる。だが、時を飛ばして目の前まで移動したなのはが、キング・クリムゾンを使いブチャラティの口を塞いだことで言葉は最後まで紡がれなかった。

 ブチャラティがスタンドに顔を掴まれているのを見たナランチャはスタンドを出して攻撃しようとした。しかし、このまま機銃を撃てば射線上にいるブチャラティまで巻き込んでしまう。

 ナランチャたちは背中に嫌な汗がにじむのを感じていたが、ジョルノだけは冷静になのはの様子を観察していた。なのはの目には敵意や殺意は宿っていない。ただし何かを警戒しているような様子が見て取れた。

 

「いきなり口を塞いだことは謝ろう。すまなかった。だが、余計なことは喋るな。この部屋はスタンドで監視されている。ブローノ・ブチャラティ、このソファをジッパーで分解してくれないか」

「……詳しい説明を後で聞かせてもらうぞ。スティッキィ・フィンガーズッ!」

 

 なのははブチャラティの口を押さえていた手を離してソファから移動させると、とある部分を指さした。そこは今まさにブチャラティが座っていたソファだった。

 ブチャラティがスタンド能力でジッパーを作りソファをバラバラに分解すると、内部からトランプのような姿をしたスタンドが現れた。再度、時間を飛ばして移動したなのはは一瞬でトランプのスタンド──ウォッチタワーを破壊してしまった。

 

「なにィ────ッ!? マジでスタンドが隠れていやがった! 一体いつから潜んでたんだ、コイツはッ!?」

「……マズイですね。このスタンドの本体にポルナレフさんとの会話を聞かれてしまっている。もし相手がパッショーネの人間だったら、ぼくたちの目的が筒抜けになっているかもしれない」

「あのスタンドはカンノーロ・ムーロロという男が操っている。ヤツは情報分析チームの人間だ。情報はすぐにディアボロに伝わるだろう」

 

 構えていた拳銃を下げてミスタが驚きの声を上げる。ジョルノはすぐさま事態が危うい方向に向かっていることを悟った。ウォッチタワーの本体を知っているなのはは、ジョルノの懸念に冷静に答える。

 ムーロロという名にブチャラティたちは心当たりはなかったが情報分析チームの存在は知っていた。ブチャラティたちは知る由もないが、この『亀』の内装は情報分析チームの人間によって手入れされている。

 ムーロロは家具の搬入に合わせて、密かに部下にウォッチタワーを仕掛けさせていた。ブチャラティチームの道程は最初からムーロロに筒抜けだったのだ。もっとも、この行動はムーロロの独断でディアボロも途中まで気がついていなかった。

 ディアボロは最初からムーロロのスタンド能力は予知のような力ではないと考えていた。結論が出たのはムーロロからブチャラティたちがサルディニアに向かったという情報を受け取ったときだ。いくらなんでも情報の伝達が早すぎる。

 そこでディアボロはスタンドを『亀』に潜ませているのではないかという考えに至った。今までムーロロを見逃していたのはブチャラティたちの情報を集めさせるためだ。

 そしてムーロロが集めた情報を刈り取るために、ディアボロはドッピオと暗殺者を使って情報分析チームの本部に自ら出向いたのだ。

 

「あまり時間は残されていない。わたしのスタンドについて聞きたいことがあるだろうが、その前に話したいことがある。承太郎を交えて話をしたいが構わないか?」

「……いいだろう。ミスタ、起きたばかりで悪いが『亀』の外に出てジョータローと船の操舵を代わってくれ」

 

 ブチャラティの指示に頷いたミスタは何枚か料理の入った『紙』を手にとって『亀』の外に出ていった。そして1分もせずに入れ替わりで承太郎が険しい顔をしながら『亀』の中に入ってきた。

 

「スタンドを『亀』の中に潜ませていたとは……やつのスタンドはもう残っていないのか?」

()()()()()()確認したが、他に潜んでいるものは見当たらなかった。隠していたのはあの一体だけだったんだろう」

 

 明け透けに自分のスタンド能力を口にしたなのはの言葉にブチャラティたちは戦慄する。未来を予知することができて時間を飛ばせるスタンド。それはディアボロのキング・クリムゾンと同等の存在としか思えない。

 戦意こそ感じられないが戦力差は大きな開きがある。承太郎の時を止める能力に加えて、なのはがディアボロと同じような能力を使えるのだとしたらブチャラティたちに勝ち目はない。

 顔に汗を浮かべながら二人の一挙手一投足に気を配っているブチャラティたちをよそに、承太郎が静かに口を開いた。

 

「まずは、おれたちの本当の目的を教えなければならないな。おれたちがここにいる理由──それは()()()()()()()()()()()()だ。()()()()、きみたちがポルナレフと接触することは知っていた」

「そして、ブローノ・ブチャラティかジョルノ・ジョバァーナをパッショーネのボスにするのも目的のひとつだ。そのために、わたしたちはここにいる」

「あんたらのスタンドなら、そんな回りくどいことをしなくてもボスを暗殺すれば……いや、そうか。ボスを消したらパッショーネは間違いなく統率を失う。

 そうなったら今以上にイタリアの治安は悪化する。それを防ぐために、ボスの座を引き継げる人物としてオレたちに目をつけたのか」

 

 理解の早いブチャラティの回答に承太郎は首を縦に振った。そのまま承太郎は『紙』から取り出した資料を広げてブチャラティたちに確認するように(うなが)した。

 

「これは……親衛隊の情報かッ!? まさか、こんなものまで用意していたとは……」

 

 内容に目を通し始めたブチャラティは戦慄していた。資料にはブチャラティたちや暗殺チームの情報だけではなく、まだ戦ったことのない親衛隊たちの情報まで記されていたのだ。

 顔写真ではなく()()()()()()しか載っていないが、個人情報のみならずスタンド能力まで詳細に載っている。これほど詳細な情報を持っていることにブチャラティは納得と同時に疑念を覚えた。

 

「ナノハがムーロロという人物の名を知っていたのは、あらかじめパッショーネのスタンド使いについて調べていたからだったのか。だが……どこから、これほど詳細な情報を手に入れたんだ?」

「ぼくのゴールド・エクスペリエンスの生体パーツを生み出す能力まで載っていますね。この力は暗殺チーム(メローネ)スタンド能力(ベイビィ・フェイス)を見て思いついたものだ。ナノハ、あなたはいったいどこまで知っているんだ」

 

 事前に予知していたという理由では済まされないほど、承太郎が出した資料は詳細に記されている。それこそパッショーネの内部情報を知っている人物から直接抜き出したとしか思えないほどの精度だ。

 感情を感じさせない顔色でジョルノがなのはを見つめている。対するなのはは観念したかのように(かぶり)を振って、真実を伝えることにした。

 

「……前もって言っておくが、わたしはパッショーネに何の未練もない。それを念頭に置いて、わたしの話を聞いてほしい。わたしは……()()()()()辿()()()()()のディアボロの記憶を持っている」

 

 なのはの言葉を聞いたブチャラティたちの反応はそれぞれ異なっていた。ナランチャは首を傾げて話の内容を整理している。アバッキオは与太話だと思って口を歪ませながら、なのはを睨みつけている。

 トリッシュは驚きのあまり、目を見開いて固まっている。ジョルノは疑念が氷解したのか納得した顔をしている。ブチャラティは真剣な眼差しをなのはに向けている。一様に違った反応を見せる中、一番最初に口を開いたのは眉をひそめているアバッキオだった。

 

「そんなバカげた話、信じられるわけねえだろッ! テメーがディアボロの隠し子って言われたほうが、まだ納得できるぜ」

「……ぼくはナノハが嘘をついているとは思えない。今までの行動も、知りえないはずの情報を持っているのも、全く同じ能力のスタンドを持っているのも、ナノハがディアボロの記憶を持っているのなら全て説明がつく」

「オレは納骨堂でボスのスタンドを直接見たことがあるが、ナノハのスタンドと瓜二つの見た目をしていた。仮に血縁者だったとしても、これほどまでに似通った外見にはならないだろう」

 

 疑ってかかっているアバッキオとは対照的に、ジョルノとブチャラティはなのはがスタンド能力や素性をひた隠しにしていた理由を聞いて納得していた。前世の記憶を持つ子供という話は世界各国で散見している。

 別の世界となると話は変わるだろうが、スタンドが関わっているのなら平行世界に干渉する能力もあるだろう。なのはが前世でどのような過程を辿ったのかは分からないが、ブチャラティの目から見ても嘘をついているようには見えなかった。

 

「あなたは……本当にディアボロなの……?」

「正確には『矢』を手にしたジョルノに敗北して死に続けたディアボロの成れの果てだが……この世界のディアボロに限りなく近い過去をもっている。僅かながらに感じる魂の繋がりが、その証拠だ。

 それを踏まえて言うが……わたしはディアボロではない。()()()()()()()()()()を、わたしはもう手に入れている。ここにいるのは、ディアボロの記憶を持ったナノハ・タカマチという一人の人間だ」

 

 トリッシュは自分の気持ちを整理できずにいた。実の父親に殺されかけたが、代わりに別の世界の父親が少女の姿で自分のことを守りに来たなどという話をすぐに納得できるはずがない。

 確かに感じる魂の繋がりはトリッシュに不思議と安心感を与えるが、なのはを父親として見ることはできない。なのはもディアボロとしての過去は乗り越えるつもりなので、トリッシュのことを自分の娘とは思っていない。

 だからといって、守ろうという気持ちが無いわけではない。なのはがトリッシュの父親代わりになることはできない。なるつもりも毛頭ないが、心身を守るために助力するつもりはある。

 なのははドナテラと約束したから守っていると思っているが、それは違う。自覚こそなかったが、それは前世の自分(ディアボロ)がトリッシュに与えられなかった愛情の一欠片だった。

 

「細かい話はよく分かんねーけどよォ、ディアボロと同じスタンドが使えるってことは『矢』が無くても戦えるってことなのか?」

「わたしのキング・クリムゾンはディアボロのものと比べると劣化している。承太郎と協力して闘えば、まず間違いなく勝てるだろうがタイマンでは絶対に勝てるとは言い切れない。

 それにディアボロがわたしと承太郎を同時に相手するかも分からない。ディアボロを確実に始末するなら不意を打つか……ジョルノが『矢』を使うしかないだろう」

 

 ナランチャの疑問になのはが答える。個人的な感情が大半を占めるが、なのはとしてはジョルノに『矢』を渡したくはない。だが、レクイエムの能力がどうなるか把握できているのはポルナレフとジョルノの二人だけだ。

 ポルナレフのレクイエムは暴走することが分かっているので利用できない。そうなるとジョルノに『矢』を渡すか、一か八かブチャラティや承太郎、なのはがレクイエムを発動させることになる。

 最終的に誰が『矢』を手にするかは分からないが、安全策を取るなら確実にレクイエムが使えると分かっているジョルノに任せるべきだろうと、なのはは承太郎と事前に話し合っていた。

 

「……オレはテメーを信じたわけじゃあない。ブチャラティが信じると決めたから、ついて行くだけだ。絶対に信頼を裏切るような真似をするんじゃあねえぞッ!」

「分かっている。全てが終わったあとに、手のひらを返してボスの座を奪い取ったり、おまえたちを利用してパッショーネを裏から操ろうとはしないと約束しよう」

 

 なのはのひたむきな眼差しを見て、アバッキオは舌打ちをしながらそっぽを向いて机の上に広げられた資料を読み始めた。なのははこれから戦う可能性の高い敵を説明しながら、残り僅かな時間を少しでも有効に使おうとしている。

 承太郎と入れ替わりで『亀』の中に戻ってきたミスタは、何があったのか分からず困惑した後に、ブチャラティからなのはの正体を聞かされて驚いたのであった。

 

 

 

 日が暮れ薄暗くなった漁村に上陸したブチャラティたちだったが、予想に反して誰も襲撃してくることはなかった。なのはの記憶では親衛隊のチョコラータとセッコという二人組が待ち構えているはずだったのだが、漁村の住人は誰もスタンド攻撃を受けていない。

 ポルナレフの居場所がディアボロに把握されている可能性が高い以上、こんなところで二の足を踏むわけにはいかない。警戒しながらも階段を上がって道路まで出た一同は、承太郎が『紙』から取り出した車を見て驚いていた。

 

「すっげー! 本物のハンヴィーだぜッ! こんなのマンガでしか見たことねーよッ!」

「オレの目には機関銃(ブローニングM2)が載ってるように見えるんだが……あれってモデルガンじゃあねえよな?」

 

 子供のように興奮しているナランチャをよそに、ミスタは顔を引きつらせながらカーキ色の軍用車両(ハンヴィー)の天井付近を指さしている。ミスタの見間違いでもなんでもなく、そこにはアメリカ軍を問わず各国の軍隊で使われている有名な重機関銃が鎮座していた。

 スペック上はかつてジョセフと共闘して柱の男たちと戦ったナチス・ドイツの軍人──ルドル・フォン・シュトロハイムの腹部に内蔵されていた機関銃と同等のシロモノだ。対物ライフルにも使われている銃弾を1分間で600発ほど発射できる対人用としてはオーバースペックな兵器である。

 

「本当はストライカー装甲車を用意したかったんだが、さすがに民間には払い下げられていなくてな。乗員数の問題で何人かは『亀』の中に入っていてもらうが大丈夫か?」

「そうだな……運転はオレがしよう。ミスタは銃座を頼む。助手席にはジョータローが、ナランチャとジョルノ、ナノハは後部座席で待機だな。トリッシュとアバッキオは『亀』の中に退避していてくれ」

 

 冷静に人を割り振ったブチャラティの判断に覚悟を決めたミスタは大人しく銃座に乗り込んだ。ミスタのセックス・ピストルズは拳銃弾までしか操作できないが、そもそも他のメンバーは銃を操作したこともないので妥当な人員がいなかった。

 全員が乗り込んだのを確認したブチャラティが、クラッチを操作しながらギアを切り替えアクセルを踏み込む。けたたましいエンジン音を立てながら、市内に向けてブチャラティたちを乗せた車が進んでいくのだった。




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約束の地 コロッセオ その②

 漁村を通り過ぎ、峠も越えてローマ市内に入ってもチョコラータとセッコの襲撃が無いことに、なのはは妙な胸騒ぎを感じていた。この時点でディアボロが動かせるであろう親衛隊は5人いる。

 ヴェネツィアで襲ってくるはずだったスクアーロとティッツァーノ。飛行機での移動を妨害するために特攻させるはずだったカルネ。そしてブチャラティと落ち合う相手ごと始末させるために、仕方がなくローマに向かわせるはずのチョコラータとセッコ。

 彼らを除いた親衛隊は国外に派遣していたり、すでに別の任務に当たらせているため、動けない可能性が高いとなのはは判断しており、事実ディアボロの動かせる親衛隊は上記の面々しか残っていない。

 水面を瞬間移動するスクアーロのスタンドでは、水の都として有名なヴェネツィアならともかくローマでブチャラティたち全員を相手取るのは難しい。対抗手段が無いわけではないが、カルネのノトーリアス・B・I・Gを暴走させればイタリアそのものが滅ぶ可能性がある。

 ならばディアボロは一般人の被害を度外視して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()チョコラータとセッコを送り込んでくるだろうとなのはは予想していた。だが、なのはの予想とは違い上空を飛ぶ不審なヘリコプターは一向に現れない。

 

「……ッ! 車を止めろ、ブチャラティ。誰かが道路に飛び出してくるぞ!」

 

 車の窓から空を眺めながらも、エピタフで10秒後の未来を予知し続けて警戒していたなのはは、進行方向上に飛び出してきた人影を避けるため急停車する光景を見た。

 ヘッドライトで照らされているだけの人影は、周囲が暗く予知の角度も悪かったため人相や背格好までは分からなかった。そもそも軍用車両であるハンヴィーなら人を跳ね飛ばしても耐えるだろう。

 だが、この人影がカルネだった場合、死後に真の効果を発揮するノトーリアスの発動条件を満たしてしまう可能性がある。その万が一の危険を避けるためにブチャラティにブレーキを踏ませたのだが、なのはの心配は杞憂だった。

 スリップ痕を残しながら急停車するハンヴィーに手を振りながら近寄ってきたのは、承太郎のよく知る人物だった。

 

「近寄るんじゃあねえ! 妙な動きをしたら、この機関銃でミンチ肉みてーにするぞッ!」

「待て……そいつは敵じゃあない。どうして、おまえが……ポルナレフがこんなところにいるんだ。コロッセオで待っているんじゃあなかったのか?」

 

 いつでも機関銃を撃てるようにトリガーに親指をかけていたミスタを承太郎が引き止め、側面の窓を開けて現れた人物に話しかけ始めた。唐突にブチャラティたちの前に姿を表したのは、円柱状の特徴的な髪型をした銀髪の男──ジャン=ピエール・ポルナレフだったのだ。

 これから会おうとしていた人物といきなり遭遇したことに一同は目を見開いて驚いた。次いで注目したのは、ポルナレフの右手に握られている古めかしい矢の存在だ。ポルナレフは慌てた様子で()()()()()()()、矢を差し出そうとしている。

 

「おれも最初はコロッセオで落ち合うつもりだったんだが事情が変わったんだ。どうやら、おれがコロッセオにいることがパッショーネの連中にバレちまったらしい。だから、必死こいてここまで逃げてきたんだ」

「なるほどな……ところで、いくつか聞きたいことがある。ポルナレフ、おめーの妹の名前を教えちゃくれねえか?」

「いきなりどうしたんだよ。おれが本物かどうか疑っているのか? こんな状況だし、しょうがねえか……おれの最愛の妹の名前はシェリーだ。まだ信じられねえようなら、シルバーチャリオッツも見せるぜ?」

 

 真剣な眼差しを向けている承太郎とは対照的に、ポルナレフはおどけた様子で自然体のまま更に近付こうとしている。その様子をブチャラティたちは車に乗ったまま、黙って見守っている。

 ポルナレフが出したスタンドのヴィジョンは承太郎の知るシルバーチャリオッツそのものだった。しかし、それだけでは納得できなかったのか承太郎は続けざまに質問を重ねた。

 

「それじゃあ次の質問だ。おめーなら当然知ってるだろうが……おれの娘の名前を答えてもらおうか」

「承太郎の娘の名前をおれが忘れるわけない。徐倫(ジョリーン)ちゃんだ。どうだ、あってるだろ承太郎!」

「ああ、あってるぜ! だが……()()()()()()()()()()()()()

「なにィ────ッ!?」

 

 承太郎の一言と同時に、けたたましい銃声が市街地に響き渡る。掘削機のような爆音を立てて撃ち出された鉛玉の嵐が、シルバーチャリオッツに防御させようとしたポルナレフの体をズタズタに引き裂く──ことはなかった。

 弾丸が直撃した瞬間、シルバーチャリオッツが黄色の水飴のようなドロドロとした粘体に変貌したのだ。そのまま黄色の粘体を貫くかと思われた銃弾は衝撃を吸収され、甲高い音を立てて地面に散らばった。

 

「いきなり何をしやがるッ! おれに銃弾が当たってたら死んでたぞ、このビチグソがァ~~~っ!」

「やれやれ……10年以上経っても、てめーの性根はちっとも変わってねえようだな。花京院(かきょういん)の次はポルナレフに化けるとは……そろそろ正体を見せたらどうだ?」

「チィ! 大人しく騙されてたら、『矢』に擬態させたおれのスタンド──黄の節制(イエローテンパランス)を楽にくっつけれたのによォ! 見たいのなら見せてやる。これがおれの本体のハンサム顔だ」

 

 ()()()ポルナレフなら決して言わないであろう下品な罵倒が発せられる。正体がバレて観念したのか、ポルナレフに化けていた者の頭部が弾け飛び、本当の顔があらわとなった。

 ポルナレフに化けていたのは、黒髪をオールバックにしてうなじの辺りで束ねているくせ毛の男──ラバーソールだった。承太郎は過去に一度、花京院典明(かきょういんのりあき)という今は亡き仲間に化けたラバーソールと戦ったことがある。

 ラバーソールはDIOに成功報酬として1億ドルを貰うことを条件に、承太郎やジョセフたちの暗殺を請け負っていたフリーの暗殺者だった。一度は顔面にスタープラチナのラッシュを食らって再起不能になったが、何らかの手段で怪我を治したのか昔と変わらぬ顔をしている。

 

 承太郎がポルナレフを偽物だと判断した理由は単純である。まず第一にラバーソールが化けていたポルナレフの姿は10年以上前の姿だった。波紋の戦士でもなければ、これだけの歳月が流れれば多少は老けるはずなのに、若々しいままというのはいささかおかしい。

 それだけではなく両足を負傷して車椅子での生活を余儀なくされているという情報を、なのはからあらかじめ聞かされていたのもある。極めつけは、知り得るはずのない承太郎の娘の名前を把握していたことだ。ドッピオを通して承太郎の情報を貰っていたことがあだとなった。

 

「ボスの用意した殺し屋かッ! ゆっくり相手をしている暇はない。このまま突っ切らせてもらう!」

「そいつは困るなァ! 時間を止められる承太郎に勝てるとはおもっちゃいねえが、雇い主の注文(オーダー)通り頭数を削っとく必要がある。それに……おれだけを注目して脳天ぶち抜かれても知らねえぜッ! やっちまいな、相棒!」

 

 ラバーソールの掛け声が合図だったのか、車を発進させようとしているブチャラティ目がけて、どこからともなく3発の銃弾が()()()()()()()()飛んできた。ハンヴィーの窓ガラスは防弾仕様だが、本来の役割を果たすことはなかった。

 まるで物理的に存在しないかのように、銃弾が窓ガラスをすり抜けてきたのだ。咄嗟にスティッキー・フィンガーズを出して防御しようとしたが、スタンドの拳が銃弾を捉えることはなかった。

 

「き、軌道が曲がっただと!? このままでは防ぎれないッ!」

 

 まるで意思を持っているかのように軌道が変わり拳を避けてブチャラティの脳天へと銃弾が突き進む。このまま直撃するかと思われた次の瞬間、銃弾が忽然とブチャラティの前からかき消えた。

 ブチャラティの隣に座っていた承太郎が時間を止めて、銃弾をスタープラチナで握りつぶしたのだ。その様子を離れた場所から見ていた帽子を被ったカウボーイ風の服装の男──ホル・ホースが物陰から姿を現した。

 

「リーダー格のブチャラティはこれで暗殺できたと思ったんだが、そううまくはいかねえか」

「てめーは……ホル・ホースか。あのときの刺客が揃いも揃って現れるとはな。DIOの次はディアボロに雇われたといったところか?」

「おれらが誰に雇われているかなんてカンケーねえだろ。だが……のんびり話がしたいのなら何時間でも付き合ってやるぜ。その間にポルナレフが死んじまうかもしれねえけどな!」

 

 手に持った銀色のリボルバー式拳銃のような見た目のスタンド──皇帝(エンペラー)を右手でくるくると回しながら、ホル・ホースは小馬鹿にしたように笑っている。

 ブチャラティたちは選択に迫られていた。この二人を無視してコロッセオに向かったとしても、いずれは追いつかれて挟撃されるだろう。だからといって、全員で対応していてはポルナレフがディアボロや親衛隊に殺されてしまうかもしれない。

 承太郎やなのはならラバーソールとホル・ホースのコンビ相手にも互角以上に戦えるだろう。だが、承太郎となのははディアボロと戦闘になったときに必要不可欠な人員だ。

 

「……コイツらの相手はオレがする。ジョルノたちはコロッセオへ急いでくれ」

「いいや、進むのはブチャラティ。あんたのほうだぜ。ここはオレたちに任せちゃくれねーか?」

「サルディニアでは、オレたちはまんまと敵の攻撃を食らって役に立てなかった。()()()()の機会なんだ。行かせてくれよ、ブチャラティ」

 

 そうなると動かせるのは、ブチャラティチームの誰かということになる。ブチャラティは後のことをジョルノたちに任せて、自分が迎撃に動こうとした。しかし、それはブチャラティの役目ではないとミスタとナランチャに引き止められた。

 頭数を減らすのは得策ではないが、今は一分一秒を争う状況だ。相性で言えばラバーソールと一番戦いやすいのはブチャラティだろう。しかし、今後もスタンド使いが妨害してくることを考えるとチームの支柱となっているブチャラティが抜けるのは得策ではない。

 目を閉じて考え込んだブチャラティはすぐさま答えを出した。索敵役のナランチャが抜けるのは痛いが、不意打ちには未来を予知できるなのはが対応できる。苦笑を浮かべながら、ブチャラティは口を開いた。

 

「それを言うなら名誉挽回だ、ナランチャ。だが、おまえたちの言うことも一理ある。戦力を分散させたくないが時間がない……だから、()()()()()()()()()()()()ッ!」

「ずっと足止めを食らうわけにはいかないから、ざっと説明しておく。あの黄色いスタンドは物理攻撃や熱、冷気に対して高い耐性を持っている。どうにかして本体を直接攻撃するんだ。

 ホル・ホースのほうは見て分かるように銃弾を操作する能力だ。ただし、実銃のように装填数に上限があるわけではないことを意識しておいてくれ」

 

 ブチャラティの回答に頷いた後、承太郎から敵のスタンド能力の説明と移動手段の入った『紙』を受け取ったミスタとナランチャは暗殺者と戦うために車から飛び出していった。

 ミスタの代わりにジョルノが銃座についたのを確認したブチャラティは、振り返ることなく車を急発進させてその場を後にした。エンペラーを使って追撃することなく黙って車を行かせたホル・ホースは、懐に仕舞っていた携帯電話を手にとって誰かに連絡を取っている。

 ホル・ホースはミスタとナランチャの分断に成功したことをドッピオに伝えているのだ。そしてブチャラティたちを狙っているスタンド使いは彼らだけではない。次なる刺客はすぐ側まで迫っていた。

 

 

 

 車の間を抜けて先を急いでいるブチャラティの運転するハンヴィーは、かなりコロッセオへと近づいている。このまま順調に進めば20分もせずにコロッセオに到着するだろう。順調に進んでいるように思えたが、次なる敵の攻撃はすでに始まっていた。

 先を急ぐブチャラティは路面の変化に首を傾げた。雨も降っていないのに、なぜか路面に多数の水たまりができているのだ。視線を横に向けると火事でもないのに消防車が何台も集まっている。周囲の消火栓からは水が垂れ流しになっていた。

 異様とまではいかないが違和感を覚える光景に、ジョルノとなのはは情報にあったスタンド使いの能力を思い浮かべた。親衛隊に所属しているスクアーロという男のサメ型のスタンド──クラッシュは水面を媒体に出現する。この道はクラッシュにとって絶好の条件が整っている。

 

「ブチャラティ! この道は何か妙だ。別の道を選ぶべきですッ!」

「──ッ!? キング・クリムゾンッ!」

 

 このまま進むのはマズイと判断したジョルノの忠告を受け入れたブチャラティがハンドルを切って別の道を進もうとしたが、少しばかり判断が遅すぎた。すでに車の周囲は多数の水たまりに囲まれている。

 一際(ひときわ)大きな水たまりに潜んでいたクラッシュは、銃座から上半身を出しているジョルノに狙いを定めていた。銃座に取り付けられている機関銃ごと、人間の上半身ぐらいならもぎ取れるサイズとなったクラッシュがジョルノを喰らうため飛び出してきた。

 助手席に座っている承太郎では時間を止めても間に合わないと判断したなのはが、ジョルノの体をキング・クリムゾンで掴んで時間を飛ばす。ジョルノを車内に引きずり込むと同時に、機関銃ごと銃座がクラッシュにえぐり取られた。

 

「進行ルートを先回りしてきたのか……しかも水たまりから水たまりへジャンプして、どんどんこっちに近づいているぞッ!」

「もっと加速してください! このままじゃあ、追いつかれてしまうッ!」

 

 リアガラス越しに後方から迫るクラッシュの姿を視認したなのはとジョルノが、ブチャラティに車の速度を上げさせようと叫んでいる。ブチャラティもアクセルペダルを奥まで踏み込んで限界まで速度は出しているが、クラッシュの移動速度のほうが速かった。

 抵抗虚しく車に追いついたクラッシュが無理やり停車させるために、タイヤを破壊しようと車体の下から強襲を仕掛けてきた。攻撃によって左後輪がえぐり取られて車体が傾いた──ように見えたが、すぐさま車はバランスを取り戻し再び進み始めた。

 

「馬鹿なッ!? 確実にクラッシュは後輪に喰らいついたぞッ!」

「落ち着いて、スクアーロ。まだ攻撃のチャンスは残っているはずです」

 

 少し離れた位置に停まっている車の中からクラッシュを操作していた相棒とお揃いのバンダナを巻いた男──スクアーロが驚きのあまりハンドルを叩いている。助手席に座っている褐色肌の男──ティッツァーノがスクアーロをたしなめている。

 クラッシュは確実に後輪に噛み付いていた。大きさも十分あったので、そのままえぐり取ることも十分可能だったはずなのに失敗した理由。それは密かに『亀』から抜け出してスタンド能力を発動させていたトリッシュのおかげだった。

 

「攻撃される瞬間だけ、車体の後部を柔らかくしたわ。そして、あのスタンドが離れると同時に能力を解除した。少しだけ減速してしまったけど、これなら何も問題はないッ!」

 

 スパイス・ガールで柔らかくした物体は決して破壊されることはない。キラークイーンやザ・ハンドのような破壊そのものが能力になっている場合は別だが、物理的な攻撃で破壊するのは不可能だ。

 車体が傾いたのは後輪ごと車体の後部が柔らかくなった結果、前後のバランスが崩れたからだ。しかし、地面と擦れる部分はスパイス・ガールの能力で柔らかくなっていたため車体は無傷である。

 

「……今確認したが、さっきまで停まっていた消防車がこっちに向かってきている。どれだけ逃げても、水を撒かれたらこっちが不利だ。誰かが迎撃しなければ、移動手段を破壊されてしまうぞ」

 

 承太郎がスタープラチナの望遠鏡並みの視力を使って後方から近づいてきている消防車を発見していた。乱戦になれば、クラッシュは恐ろしいまでの戦闘力を発揮する。水の中に噛み付いた相手を引きずり込める相手を無視するのはリスクが高い。

 誰かが車を降りなければならない。バックミラー越しに車内にいるメンバーを見ているブチャラティは、誰を向かわせるか悩んでいた。考え込んでいるブチャラティが判断を下すよりも先に、トリッシュが鏡越しにブチャラティの瞳を見つめ返した。

 

「あたしがアイツらの相手をするわ。それが最善の選択のはずよ」

「トリッシュ……? きみは、何を言っているんだ。連中は親衛隊なんだ。きみを問答無用で殺せる相手なんだぞッ!」

「それでも……ッ! あたしはギャングじゃあないけど、それでもブチャラティたちの仲間なのよ。だから、あたしも『正しい』と思った道を貫かさせてもらう!」

 

 なのはは黙ってトリッシュの選択を聞いていた。そして、トリッシュの瞳の中に杜王町で共に戦った仲間たちと同じ黄金の輝きを見出していた。こうなっては気絶でもさせない限りトリッシュを止められないだろう。

 後部の扉を開けて車外に飛び出そうとしているトリッシュを、なのはは引き留めようと思えなかった。ブチャラティの制止を無視して、囮になろうとしているトリッシュに、なのはは言葉を贈ることにした。

 

「わたしはトリッシュの考えを尊重する。だが……もし、勝ち目がないと思ったら逃げてもいい。だから、絶対に生きて帰ってこい。おまえには、伝えなければならないことが残っている」

「……ええ、わかったわ。それじゃあ、また後で会いましょう!」

 

 時速100km近い速度で動いている車から飛び降りたトリッシュは、地面を柔らかくしてクッションのようにして無傷で着地した。トリッシュは覚悟を決めていたが、一人で敵に立ち向かうことに少しだけ心細さを感じていた。そんな彼女に声をかける者がいた。

 

「おいおい、一人だけ突っ走ってるんじゃあねえよ」

「アバッキオッ!? どうして、あなたまで車を降りているのッ!?」

「どうして、か。どうしてだろうな。オレはおまえと大して親しくもない。守る義理なんてねえんだが……どうしてか見過ごせなかったんだ」

 

 アバッキオはトリッシュと接点はあまりない。それなのにアバッキオがトリッシュを追いかけて車から飛び降りていたのは、純粋な守ってやりたいという感情だった。それは、かつて警察官を目指していた頃にアバッキオが心の中に抱いていた感情だ。

 アバッキオは生意気そうな子供が嫌いだが、子供そのものを毛嫌いしているわけではない。心の奥底には、かつての正義の心が今も残っている。裏と関わりのない一般人のはずのトリッシュの覚悟を見て、アバッキオは衝動的に行動していた。

 道路の中央で話し込んでいるトリッシュとアバッキオの目の前に消防車が停まった。二人の戦いが今まさに始まろうとしている。




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約束の地 コロッセオ その③

 トリッシュとアバッキオを残して車は先を急ぐ。誰も口を開くことなく周囲を警戒している車内には張り詰めた空気が流れている。なのははエピタフの予知を流し見ながら、少しでも現状を把握しようとしていた。

 なのはもディアボロの頃の知識からスタンド使いの殺し屋として有名なホル・ホースやラバーソールの情報は知っていた。そしてディアボロが、この二人をわざわざ高額な報酬まで用意して招き入れた理由も推測できている。

 ブチャラティたちを分断するのも目的のひとつではあるだろう。だが、本命はそうではない。ディアボロが彼らを雇った本当の理由──それは、全てが終わった後にチョコラータとセッコを始末するためだとなのはは考える。

 

 かつてのなのは(ディアボロ)がそうであったように、ディアボロがチョコラータとセッコを処分せずに親衛隊に入れて利用しているのは処分する方法を用意しているからだ。

 チョコラータのスタンド──グリーン・デイは無差別に広範囲を攻撃できる凶悪なスタンドだが、どんなものにも『カビ』を生やせるわけではない。グリーン・デイは生物相手にしか能力を発動できない。()()()()()()()()()()()()()

 その特性上、スタンドのみで遠隔攻撃できるクラッシュやエンペラーなら一方的に攻撃できる。身に纏うタイプのスタンドであるイエローテンパランスは本体を『カビ』から守れる。

 

 ブチャラティたちの足止めのために現れたスタンド使いたちは、全員がグリーン・デイの能力を無視できる可能性が高かった。セッコという近距離戦闘に高い適性を持つ相棒がいるので簡単に勝てるとは言えないが、少なくとも一方的にやられるほど相性の悪い人選ではない。

 消去法でこうなったのかもしれないが、十分に対処が可能な状況で暴走を恐れてゲスどもを呼び寄せないほどディアボロは臆病ではない。だからこそ、なのははコロッセオまで数キロ圏内に入った現状でも上空を警戒している。そして、ついに予期していた状況が現実のものになった。

 

「……なんだ、この音は? オレの耳鳴りか?」

「いえ、ぼくにも聞こえています。しかも、どんどんこちらに近づいている。この音は……ヘリコプターのローター音かッ!」

 

 ブチャラティが耳鳴りだと思った音は全員が聞こえていた。クラッシュによって機銃を破壊されて無意味になった銃座から、ジョルノが身を乗り出して上空を確認する。見上げた先には、()()()()()()()()()()()()低空飛行で車を追いかけている白色のヘリコプターがいた。

 車を追い越して、そのまま急旋回して大きく傾いたヘリコプターの内部から何かが車にめがけて投下された。エピタフで未来を見ていたなのはが目を見開く。彼女は、とんでもないものが車に直撃しそうになる未来を見てしまった。

 

「承太郎ッ! 空から()()()()()()()()()()が降ってくるぞッ!」

「スタープラチナ・ザ・ワールド!」

 

 なのはの警告とほぼ同時のタイミングでヘリコプターを操縦している緑髪の男──チョコラータがスタンド能力を伝播させるために落とした死体が車体に当たりかける。だが、そのまま死体がフロントガラスを突き破るより早く承太郎が時間を止めた。

 全身が『カビ』だらけの死体がこのまま直撃すれば、いかに頑丈なハンヴィーでもバランスを崩してスリップを起こす恐れがある。そこで承太郎は時間を止めたまま車外にスタープラチナを移動させて、全力で死体を掴んで近隣の住居の屋根の上に向けて放り投げた。

 時が再び動き出し、彼らを乗せた車は坂道を降っていくが『カビ』が生える気配はない。承太郎が時を止めてグリーン・デイの能力で発生した『カビ』を遠ざけたおかげで感染を免れたのだ。しかし、チョコラータの攻撃はこれで終わりではなかった。

 

「この坂道を過ぎれば、コロッセオに着くまでは平坦な道が続いている。『カビ』に感染するより早く坂道を通り過ぎれば問題は──ッ!?」

「な、何が起こったんだッ! いきなり車がバランスを崩したぞッ!?」

「くっ……キング・クリムゾン! 時間を消し去って飛び越えさせるッ!」

 

 ブチャラティが目視できる距離まで近づいたコロッセオを見ながら語りかけていたが、最後までいい切ることはできなかった。いきなり車体が前方に大きく傾いたことにジョルノが反応を示す。

 坂道を下り終えかけていた車が前触れもなく大きな衝撃とともに勢いを失った。一同はすぐに動けるようにシートベルトをしていない。時速100kmオーバーで進んでいた車が急減速したことで、一瞬の内に全員の体が慣性の法則で空中に投げ出された。

 このままでは窓ガラスを突き破って車外に放り出されるか、地面を転がる車内の壁面に叩きつけられて大怪我を負うだろう。コンマ数秒というごく僅かな猶予しかなかったが、なのはは迷うことなくキング・クリムゾンの両腕を使いジョルノとブチャラティを強引に掴んで時間を飛ばした。

 

 宮殿を展開したことで物体をすり抜けられるようになったなのはは、車の外に脱出するとすぐさま時間を再始動させた。宮殿に取り込まれたことで運動エネルギーを一旦リセットされたブチャラティとジョルノは、いきなり車外に移動したことに驚き目を白黒させている。

 時間を止めて脱出したのか承太郎も無傷でなのはの隣に立っていた。スタープラチナで時を止めてブチャラティたちを移動させることもできたが、時止めでは本体以外に作用している運動エネルギーに干渉することはできない。

 時間を動かしたあと、真横に吹っ飛んでいかれたら困るので承太郎は二人の対処をなのはに任せたのだ。二人は互いにスタンド能力の検証や模擬戦を、この2年間に何度も行っていた。時止めと時飛ばしの利点と欠点は完全に把握している。

 親と子ほど歳が離れているが、承太郎となのはは言葉を交わさずに動けるぐらいには信頼関係を築いている。友人といえるほど親密ではないが、かといって顔見知りほど冷めているわけでもない。あえて例えるなら職場の同僚のような関係だった。

 

「車が道路に沈んでいく……資料に書いてあったもうひとりのスタンド使いの能力か?」

「どうやら連中は二段構えの罠を張っていたようだな。おれたちのスタンド能力は、すでにバレていると考えたほうがいい」

 

 バンパー部分が大きく歪んでいるハンヴィーが、エンジンが載っていて比重が重い前輪部分から沈んでいくさまを眺めながら、ブチャラティと承太郎が話し合っている。一同は坂道を下り終えているため『カビ』の影響を気にする必要はないが、民間人の被害は甚大だった。

 ヘリコプターのローターによって舞い上がったグリーン・デイの『カビ』が散布されて、あっという間に感染が広がっていく。

 娘のために医者を呼びに行こうとした父親が、坂道を下っていたバイクの運転手が、ベランダから下を見ようと身を乗り出した男性が次々と『カビ』の餌食となっていく。

 この状況を見たジョルノとブチャラティは明らかに動揺していた。こうなる可能性を知っていた承太郎は口元を歪めて帽子を深く被り直しながら、なのはに視線を向けた。無言で頷いたなのはは、ポケットの奥深くに入れていた『紙』を取り出して広げようとしている。

 

「そんな……ッ! ローマには300万人もの人々が暮らしているんだぞ! 組織の者だっているはずだッ! それに、ボスがコロッセオに向かっているのなら確実に巻き込むぞッ! ヤツは親衛隊じゃあなかったのかッ!」

「……こいつは平気だ。こいつは楽しんでいる! ナノハッ! ボスはこれを承知でチョコラータを送り込んだのかッ!」

()()()()()()()、暴走することはわかっていながら連中を投入した。こうなる前にケリをつけたかったが……あのゲスどもには、わたしがじきじきに引導を渡してやるッ!」

 

 チョコラータの凶行を見たブチャラティとジョルノは額に汗をにじませている。思うところがあるのか、なのはは射殺さんばかりの殺気を漂わせながら『紙』から取り出した筒状の物体をキング・クリムゾンに握らせた。

 兵器の類にはあまり詳しくないジョルノとブチャラティだったが、それが何の用途に使われるシロモノかはすぐに理解した。単眼鏡(スコープ)や駆動用のバッテリーケースが取り付けられているそれは、本来なら民間人が決して手にすることのない物だった。

 

 キング・クリムゾンの肩に担がれた暗緑色の物体──それは『スティンガーミサイル(FIM-92E スティンガー)』という兵器だった。スティンガーとはアメリカ軍で正式採用されている携帯式地対空ミサイルである。

 当初は安価で比較的容易に入手できる対戦車ロケット(RPG-7)やグレネードランチャーが案として挙がっていたのだが、エピタフの予知があっても上空を飛ぶヘリコプターに当てられるか怪しかった。

 実際に戦う予定の承太郎やなのはは銃火器の扱いに長けているわけではない。そこでSPW財団やジョセフ・ジョースターの人脈を使ってアメリカ陸軍の高官と交渉して、狙いさえつければ自動的に追尾するスティンガーを1基だけ調達したのだ。

 この事実が発覚したらアメリカ陸軍やSPW財団を巻き込んだ一大スキャンダルになるので、なのはもここぞというときしか使うつもりのない物だった。もし時期がずれ込んでアメリカで歴史的な同時多発テロ事件が起きたあとだった場合、入手は難しかっただろう。

 

 数百メートル離れた位置からなのはたちの様子を見ているチョコラータはミサイルの照準を合わせられているとはつゆ知らず、つまらなさそうに鼻を鳴らしながら地面の中に潜んでいるセッコと電話をしていた。

 

「フン……時間を操作できるスタンド使い相手に、あの程度の罠は通用しないか。だが、残っている連中はどいつもこいつも近距離しか攻撃できない。オレはこのままヘリからカビを撒き続ける。真綿(まわた)で首を絞めるように追い詰めるのだ、セッコッ!」

『……でも、よォ~~~ もし、あいつらが……ボスを倒しちまったら、どうするんだよォ。チョコラータァァ?』

「そのときは、あの男に教えてもらった『例のもの』を使うまでのことだ。ま、どっちが勝とうが最終的には使う予定なんだがな。ヘリを操縦しながらじゃあ、ビデオカメラで生命にしがみつく必死の形相を撮れないは残念だが……ん? あのガキ、何を持っているんだ?」

 

 距離が離れているため肉眼ではなのはたちの様子がよく見えないチョコラータは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()隣の座席に置いていた双眼鏡を手にとって覗き込んだ。そして確認を優先してしまったのは失敗だったとチョコラータは瞬時に悟ることになる。

 ヘリコプターの動きが止まったタイミングで、なのはがスティンガーの引き金を引いたのだ。白い煙が尾を引きながらミサイルがチョコラータの操縦するヘリコプターに向かって突き進む。そして、そのままヘリコプターの側面に突き刺さって爆炎を上げた。

 スティンガーの命中精度は8割程度だがエピタフの予知があれば百発百中である。ミサイルの一撃に耐えられるスタンド使いなど時間を操作できるか防御に優れた能力の持ち主だけだ。だが、地上に散らばるヘリコプターの残骸を眺めているなのはの表情は険しかった。

 

「直撃したぞッ! あの爆発なら、ヤツは確実に死んでいるはずだッ!」

「……いや、失敗だ。『カビ』が解除されない。チョコラータはまだ生きている」

「スタープラチナで見ていたが……どうやらあの野郎は爆発の寸前にヘリから飛び降りたようだ」

 

 ブチャラティの目には爆発に巻き込まれたかのように見えたが、実際にはチョコラータは上手く逃げ延びていた。その証拠に、周囲に広がる『カビ』はまだ解除されていないとなのはが指摘する。承太郎の言うとおり、チョコラータは()()()()()()()爆発から逃れていた。

 なのははあわよくばこれで仕留められると思っていたが、そううまく事は運ばなかった。このままチョコラータを見逃して被害を広げるわけにはいかない。隠蔽のため時間を飛ばしてスティンガーの発射機を地中深くに埋めたなのはは、振り返って承太郎に話しかけた。

 

「あの男は確実に始末しなければならない……承太郎、後のことは任せる。チョコラータとセッコはわたしが相手をする」

「……ナノハだけであのコンビを同時に相手するのは厳しいでしょう。ぼくも残ります。ブチャラティとジョータローはコロッセオへ急いでください」

 

 唐突に共闘を持ちかけてきたジョルノの言葉になのはは目を丸くした。なのはが単独でチョコラータとセッコを迎え撃とうとしたのはスタンド能力の相性もあるが、ブチャラティたちと協力して戦えるほど信用されていないと思っていたからだ。

 今は協力しているとはいえ、かつてはディアボロと同じ人間だった相手に簡単に気を許すはずがない。ましてや、その気になれば簡単に自分を殺せるであろう能力の持ち主と肩を並べるなど正気ではない。そんななのはの反応を見たジョルノは微笑を浮かべている。

 

「ナノハの話で把握した人物像から判断するに、ディアボロとぼくの考え方は似通っている部分がある。ぼくが幼い頃にあの人(名もなきギャング)と出会って『人を信じる』ことを学ばなければ、きっとディアボロのように弱者を平然と利用する人間になっていただろう。

 だからこそ、ナノハはディアボロとは違うとわかるんだ。ナノハやジョータローがぼくたちに協力しているのは、こちらを信じているからだ。だから、ぼくもあなたたちを信じると決めた。さあ、行ってください。ブチャラティ、ジョータロー!」

 

 ジョルノはジョースターの正当な血統ではない。もし、歯車がひとつでも狂っていたらDIOのような悪のカリスマになっていた可能性がある。しかし、劣悪な環境で生きてきたにもかかわらず、ジョルノはDIOのように歪むことなく黄金の精神を宿して成長できた。

 幼い頃、ジョルノは名も知らぬギャングを助けたことがある。そのギャングは恩を返すため、間接的にジョルノの境遇を改善していった。それでいて、そのギャングはジョルノを決して裏社会の事情に巻き込もうとはしなかった。

 前世のあり方を引きずっていたなのはがが高町家の面々から『人を頼る心』を学んだように、ジョルノは両親ではなく裏社会を生きるギャングから『人を信じる心』を学んだのだ。ジョルノとなのはには信じて頼ることを知ってあり方が変わったという共通点があった。

 

「行かせる、ものかよ……おまえたちは、ここで、地面に沈んで、カビだらけになるんだぜ」

 

 地面から頭だけ出している茶色いスーツのようなスタンドを纏った男──セッコが周囲の地面に向けてスタンド能力を発動させた。彼のスタンド──オアシスは無機物、生物問わず本体が触れたあらゆるものを溶かしてしまう能力を持っている。

 チョコラータはセッコをあらかじめ潜行させて、道路を溶かさせていたのだ。スパイス・ガールとは違い、オアシスの能力で液状化したものは本来の硬さを保っている。沈みこそするが液体のように扱えるのは、本体であるセッコだけなのだ。

 高速で移動していた車は、溶けながらも硬いままの地面に()()()()()()()()()。コンクリートの壁面に正面から突っ込んだようなものである。そして、チョコラータから次なる命令を受けたセッコはブチャラティたちを始末するために地面を溶かし始めた。

 しかし、セッコの思い描いた通りに事態は進まない。地面に沈んで『カビ』を生やすかと思われたブチャラティたちだったが、そのような単調な攻撃が通用するほど承太郎となのはは甘っちょろい相手ではない。すでに二人は時間を操作して移動していた。

 

「……おまえが、オレと、戦うつもり、なのか? ジョルノ・ジョバァーナよォォォ!」

「おまえをこれ以上先に行かせるわけにはいかない。チョコラータの相手はナノハに任せた。おまえはぼくが始末するッ!」

 

 ジョルノの斜め後ろから現れたセッコが(ども)りながら言葉を紡ぐ。すでになのはは時間を飛ばしながらチョコラータが落ちていった場所へと向かっている。ブチャラティと承太郎は『紙』から取り出したバイクに二人乗りして、コロッセオへと走り去っていった。

 こうして様々な思惑が入り乱れた『矢』を巡る戦いが始まった。個々に分断されながらも、ブチャラティチームの面々は懸命に戦っている。最終的に誰が生き残り、誰が勝者となるのか。それは本来の運命を知るなのはですら予測できなかった。

 生き残るのはこの世の『真実』だけである。真実から出た『誠の行動』は決して滅びはしない。過去を乗り越えるために運命をかき乱したなのはの行いが本当に『誠の行動』だったかどうか、今まさに試されようとしていた。




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イエローテンパランスは誰よりも強し その①

 日が暮れて街灯と家から漏れ出す明かりだけが照らしている道路の中央で、4人の男たちがそれぞれ睨み合っていた。十代後半の年若い青年の二人組──ミスタとナランチャは明らかに手練であろう四十歳前後と思わしき二人組が言動通りの手ぬるい相手ではないと判断していた。

 ディアボロがドッピオの名義で雇った二人組──ホル・ホースとラバーソールは『矢』によってスタンド使いになったわけではない。ポルナレフや花京院と同じく幼少期からスタンドが発現していた生まれついてのスタンド使いだ。

 それゆえ、彼らは自身の能力を深く把握している。すでに肉体のピークは過ぎているが、長く付き添ってきた半身(スタンド)の能力は欠片も鈍ってはいない。最初に動き出したのは、口元にタバコを咥えたままミスタにエンペラーの銃口を向けていたホル・ホースだった。

 

「雇い主から聞いたんだがよォ……拳銃使いのグイード・ミスタ。おめーは『4』って数のつくものが嫌いなんだってな」

「気安くオレの名前を呼ぶんじゃあねえッ! 言っておくがな、オメーらが()十代のオッサンだからといって、オレは弱気になったりはしねーぜ? そんな細かいことまで気にしてたら、オレは自動車にすら乗れなくなっちまう」

 

 馴れ馴れしい態度で接してくるホル・ホースに対して、ミスタは拳銃を構えたまま思考を重ねる。僅かにでも妙な動きをしたら、セックス・ピストルズを乗せた銃弾を発射する準備は整っている。

 ミスタは『4』という数字が絡むと、途端に普段の楽天的な性格が反転して消極的になってしまう。だからといって、何が何でも『4』が混ざっていたら避けるというわけではない。さすがに()()()自動車に乗るぐらいは耐えられる。

 なお、ミスタは知らなかったが移動に使っていたハンヴィーは()輪駆動車である。口ではこんなことを言っているが、もしそれを知っていたら絶対にハンヴィーに乗ろうとはしなかっただろう。

 飛行機のときの一件でミスタの面倒な性格は把握していたので、本人が知らないならいいかと承太郎たちは黙っていた。……何はともあれ、過去に『4』が関わるとろくなことにならなかったというジンクスから縁起が悪いと思いつつも、ミスタはやるべきことは必ずこなすのだ。

 

「そうか、それじゃあ()()()()を教えてやるよ。おれのスタンドはな、タロットカードの大アルカナ()()()のカード──皇帝(エンペラー)を暗示するスタンドなんだぜッ! あんさんとオレの相性は最悪ってことさあ、イヒヒヒヒ」

「……だったらよォ────ッ! 縁起が悪いテメーは、さっさと消しちまわなきゃあならねえよなァ! 行け、セックス・ピストルズッ!」

「イイイ────ッ ハァァァ────ッ」

 

 ミスタが手に持った拳銃──M49ボディーガード・カスタムの引き金を一瞬の内に3回引いた。瞬く間に発射された3発の銃弾の上には、それぞれ一人ずつ黄色い小人が乗っている。これがミスタのスタンド──セックス・ピストルズたちだ。

 彼らは六人一組の群体型スタンドだ。それぞれが自我を持っており、性格も全員異なっている。また、本体が意識を失っていても自発的に行動できる半自動操縦型ともいえる性質も持っている。ピストルズを乗せた銃弾の行方は、すでにピストルズの手に委ねられていた。

 甲高い声を上げているピストルズたちが乗った銃弾を明後日の方向に撃ったミスタの攻撃に、ホル・ホースは咥えていたタバコを空に向けて捨てながら立ち向かった。ミスタの拳銃よりも重々しい銃声を立ててエンペラーから3発の銃弾が発射される。

 そのまま両者の銃弾が対決するかに思えたが、事態はミスタの予想とは違う方向に進んだ。

 

「その歳で物怖じせずに立ち向かってくる覚悟は認めるが……()()()()()()()()。おれはコンビを組んでるんだぜ。律儀にてめーの銃弾を、おれのエンペラーで撃ち落とすと思ったのか?」

「やっ、野郎ッ! オレを狙ってきやがった! エアロスミス! 機銃で銃弾を撃ち落せッ!」

 

 エンペラーの銃弾が自分めがけて飛んできたことに驚きながらも、ナランチャは自分の周囲を旋回させていたエアロスミスの機銃を掃射した。この場には銃弾が攻撃手段のスタンド使いが3人いるが、純粋な銃弾の威力は単発では全員大差ない。

 そしてテンパランスは耐久力や持続力は優れているが破壊力は高くない。よって、この場においては連射力で勝るエアロスミスが最も破壊力の高いスタンドになる。

 ホル・ホースの操作する銃弾は直角に曲がりながら隙間を抜けようとするが、精密な動作はあまり得意ではないのか機銃の雨を抜けることはできなかった。しかし、同じようにミスタの攻撃もホル・ホースには届いていなかった。

 ピストルズは可能なかぎり角度をつけて銃弾の軌道を操作したが、ラバーソールがテンパランスを操作してあっという間に絡め取ってしまったのだ。幸いにもピストルズたちは無事だったが、ラバーソールの予想外なまでの反応速度にミスタは純粋に驚いている。

 

「おれのテンパランスに弱点はねーんだぜッ! おれのスタンドは自動的に攻撃を防ぐ()()のよろいだ。承太郎のスタープラチナにすら反応できたテンパランスが、そんなチャチな銃弾程度防げないわけがねーだろーがッ!」

「……おいおい、ラバーソールの旦那よォ。こいつらはおれたちの半分も生きてねえガキだが、ナメてかかるのはよくねーぜ。あんたのテンパランスは間違いなくこの場にいる誰よりも強いだろうさ。

 だけどな……()()なんてものは無いんだぜ。銃は剣よりも強いが、()()()使()()()()()()()()()ことだってあるんだ。普段相手してるチンケな連中とはワケが違う……って、オイッ! おれの話聞いてねーだろッ!」

「こちとら、てめーと組むたびに同じこと言われてんだ。聞き飽きちまって、真面目に聞く気も起きねえよ」

 

 得意げな顔で自分のスタンド能力について語っているラバーソールに対して、くるくると回転しながら落ちてきたタバコを口でキャッチしたホル・ホースが自身の人生哲学を言い聞かせている。

 非スタンド使い(高町士郎)にエンペラーの銃弾を刀で弾き飛ばされた経験はホル・ホースの中で今も生きている。

 スタンド能力の大まかな内容がバレていたとはいえ、目に見えず音も聞こえない銃弾を防ぐ普通の人間がいるという事実はホル・ホースを()()()()()()()()()()()()

 元より慎重派だったホル・ホースだが、今の彼は例え相手が幼い子供や赤ん坊だったとしても油断しないだろう。もっとも、相手が女性だった場合は戦おうとはしない部分は変わっていない。

 そんな実体験を交えたホル・ホースのアドバイスを、ラバーソールは耳くそをほじりながら完全に聞き流している。そもそも、この程度の話で性格が変わるのならホル・ホースはラバーソールの扱いで苦労していない。

 強力なスタンドのおかげで裏社会で生き残っているラバーソールの自意識過剰な性格は、それこそ死ぬまで変わることはないだろう。

 

「小難しいことを考える必要はない! おれのテンパランスをくっつけて消化しちまえばいいだけだ。じわじわとてめーらを食らいつくしてやるッ! ホル・ホース、おまえもさっさとおれを援護しろ!」

「まだ色々と言いたいことはあるが……アイアイサー(承った)! No.2(ナンバーツー)らしく援護をしてやるぜ!」

 

 ミスタたちとの距離を詰めるラバーソールに合わせてホル・ホースがエンペラーを乱射する。エンペラーの銃弾は自分の意志で操作するため、ミスタのように複数の銃弾を同時に精密に動かしたりはできない。

 ホル・ホースも訓練は積んでいるが、マルチタスクが可能な魔道士のように同時にいくつも思考を走らせられるほど卓越した技術は持っていない。そのため、エンペラーは弾数を増やせば増やすほど操作の精度が落ちていく欠点がある。

 だが、普通の拳銃と同じように真っ直ぐ飛ばすだけなら何の問題もない。一度撃った弾丸をそのまま飛ばすか曲げるかはホル・ホースが好きなタイミングで選べるため、単純ながらに厄介な攻撃だった。

 

「数撃ちゃ当たるとでも思ってんのか? 読めるんだよ、マヌケッ! てめーが弾丸を曲げる方向はよォ────ッ!」

「あんさんが銃の天才だということは理解してるさ。だけどよォ、おれとてめーには決定的な差があることを忘れてるようだな。そっちは6発撃ち尽くしちまったが、こっちは拳銃(ハジキ)もスタンドなんだ。弾切れなんてないんだぜ」

 

 ミスタは射撃に対して天才的な才能を持つ。その才能はスタンドに目覚めていなかったころから顕著に現れていた。彼は常人離れした『静かなる集中力』を持っている。その集中力を使ってピストルズに弾道を操作させ、()()()()()()()()()()()という神業を披露している。

 しかし彼が使っている拳銃は6発しか弾丸を装填できない。一方のホル・ホースは銃本体と弾丸、どちらもスタンドのため精神力が続くかぎり無尽蔵に撃つことができる。

 それはナランチャも同じだが、エアロスミスの機銃掃射はラバーソールの妨害でホル・ホースには届いていない。

 

「邪魔だぜ、テメーッ! 撃ち殺せッ! エアロスミス!」

「ブンブンとうるさい羽虫だなァ、おい? そんな豆鉄砲がおれに効くと思ってんのかよ。このビチクソがァ! ガァハハハハハーハハハハ────ッ!」

「なにィ!? ちくしょうッ! やつのスタンドが飛び散りやがった!」

 

 仁王立ちしているラバーソールにエアロスミスの弾丸が降り注ぐ。しかし、その攻撃はラバーソールに少しも届いていなかった。テンパランスが受け流せる衝撃はスタンド攻撃も含まれる。銃弾に含まれる熱でテンパランスが飛び散るが、その程度では防御壁は薄くはならない。

 むしろ、ナランチャの攻撃は逆効果だった。飛び散ったテンパランスの欠片がナランチャの顔にめがけて飛んできたのだ。咄嗟に両腕で顔をかばったことで最悪の事態は防げたが、代償に右腕の前腕部にテンパランスが張り付いてしまった。

 ウジュルウジュルと嫌な音を立てながら、テンパランスがゆっくりとナランチャの腕を侵食する。自分たちの方に流れが向いていることにラバーソールは気を良くする。一方のホル・ホースはミスタの銃撃が終わらないことに怪訝な顔をしている。

 

「テメーに言われなくても、自分の欠点ぐらい把握してるさ。それによォ……リロード(再装填)の隙なんてもんは銃を持ち替えりゃ無くせるんだぜ?」

「どうなってんだ、こりゃあ……てめー、どこにそれだけの拳銃を隠し持ってやがったんだッ!?」

「自分から手の内を明かすのはマヌケのやることだぜ? オレが親切丁寧に教えてやるわけねーだろ」

 

 ミスタの両手には、それぞれ別々の拳銃が握られていた。右手には種類の違うリボルバーを、左手には大容量のドラムマガジンが装填された自動拳銃を握っている。装填されている弾が切れたら帽子の隙間から銃弾を落として弾倉(シリンダー)に込めている。

 それでも間に合わない場合は拳銃を地面に落として、ズボンのポケットから銃弾が装填された新しい拳銃を取り出している。この大量の拳銃は、全て承太郎たちから預かっているシロモノだ。彼らは護身用とミスタの武器を兼ねて、拳銃を含めた銃器を『紙』に入れてアメリカから持ち込んでいた。

 ポケットの中に隠し持っていた『紙』から、ミスタは拳銃を取り出していたのだ。ムーロロは『亀』の中の会話を盗聴していたので『紙』の存在は把握していたが、何を持ち込んでいるかまでは把握していなかった。

 ムーロロの集めた情報を基に行動しているディアボロも、承太郎たちが武器のたぐいまで持ち込んでいるとは予想していなかったのだ。

 

 空中に待機させているピストルズたちに弾道を操作させながら、口調はそのままにミスタはホル・ホースに冷たい眼差しを向けている。

 そんなミスタの様子に言い知れぬ悪寒を感じたホル・ホースは、一旦攻撃を止めると咥えていたタバコを地面に落として、ブーツで踏み消しながらエンペラーを構えなおした。

 ホル・ホースの纏う気配が変わったことに気がついたミスタは、ピストルズを手元に戻しつつ拳銃の弾を込めはじめた。リロードを終えると、前を向いたままテンパランスの攻撃を食らったナランチャに声をかけた。

 

「おい、ナランチャ。敵の攻撃を食らったようだが、このまま戦えそうか?」

「肉が溶かされてるような感じはするけど、全身にすぐに広がるわけじゃあなさそうだ。だけど、大量に食らったらヤバイかもしれねーぜ、これは」

「……あのスタンド(テンパランス)の性質を見て、ひとつ思いついた作戦がある。成功すれば、ラバーソールのほうは排除できるはずだ。オレはホル・ホースの注意を引く。そっちは任せても構わないか?」

 

 小声でミスタがナランチャに作戦を伝える。その内容に聞いたナランチャは、危険が伴うがやるだけの価値はあると思ったのか静かにうなずいた。ナランチャがテンパランスに取り付かれた以上、長期戦は不利になる一方である。

 ホル・ホースたちはここで足止めしていればいいが、ミスタたちは早急にブチャラティたちを援護しに行かなければならない。地面に散らばっている拳銃を腰のベルトやポケットにねじ込みながら、ミスタはホル・ホースに立ち向かっていった。

 

「おれと相棒を分断しようって腹積もりなんだろうが……タイマンならおれに勝てるとでも思ってんのかァ? そいつは少しばかり、おれのことをナメ過ぎちゃあいねーか。それとも相打ち覚悟で捨て身の銃撃戦をやる気なのか?」

「もしかしてよォ、オレみたいなガキに負けるのが怖いのか? No.2にこだわるのは一番になれないから妥協してるだけなんだろ」

「……そこまで言われちゃあ、無視できねえな。いいぜ、撃ってきな。どっちが早いか勝負って奴だぜ」

 

 ホル・ホースが喋り終えた瞬間、ほぼ同時に互いの銃声が重なって響き渡った。直線上に飛び交う銃弾は互いに相殺し、曲線を描いて死角から襲いかかる銃弾は同じように弾丸を操作して撃ち落とす。

 ホル・ホースはスタンドの弾丸を物理的に干渉できないようにできるが、ミスタは巧妙に相殺しなければ直撃するであろう方向に銃弾を放っていた。その一方で自分に当たる可能性の高い銃弾だけは、ピストルズにスタンドパワーを込めさせた弾で対処している。

 真っ直ぐに撃った弾の精度にはホル・ホースも自信があった。だが、ミスタの腕前はホル・ホースのそれを完全に上回っていた。弾が有限という差こそあるが、少なくともこの戦いでは弾切れの心配はない。

 ミスタの手元にある『紙』の中にはダース単位で拳銃弾が用意されているからだ。用意周到な承太郎たちの手腕にミスタは内心で感謝していた。これならナランチャを援護することもできるかもしれないとミスタは思い始めていた。

 

「ほれほれ、どうした! 大口をたたいてた割に攻撃が緩くなってるぜ。暗殺者なんて引退して隠居したほうがいいんじゃあねーのか?」

「今回の依頼が終わったら引退して、世界中のガールフレンドの下を回らせてもらうさ。こっちはもうすぐケリがつきそうだしなァ」

「なに勝ったつもりになってやがるッ! 圧されてるのはテメーのほうだろう、が……?」

 

 銃を撃とうと右手の人差し指に力を込めようとするが、ピクリとも指が動かないことにミスタは首を傾げた。次の瞬間、遅れてやってきた激しい痛みで、ミスタは指が動かなくなった理由を察することとなる。

 

「ミ、ミスタァ──ッ!? 自分の手をヨク見テミロォ──ッ!」

「イツノ間に攻撃を受ケタンダッ! 全然見エナカッタゾ!」

「馬鹿な……ヤツのスタンドは拳銃のはずッ! どうやって、()()()()()()()()()()()んだッ!?」

 

 ズルリと音を立てて拳銃を握った形のまま、ミスタの拳が地面へと落ちていく。左手で血が滴り落ちる右腕を押さえながらミスタは驚愕していた。あまりにも鋭利な一撃だったため、ミスタは切断された瞬間に痛みを感じなかったのだ。

 ミスタの周囲を浮遊しているピストルズたちが警戒しているが、拳を切断したものの正体は見つからない。必死な形相で攻撃の正体を探っているミスタをよそに、ホル・ホースは新しいタバコを口に咥えて火をつけていた。

 

「てめーがいかに優れた拳銃使いだろうが、片手でできることは限られるよなァ? さあ、諦めて楽になっちまいな」

 

 余裕の態度を見せているホル・ホースの視線の先には、ナランチャを追い詰めているラバーソールの姿があった。必死にエアロスミスの機銃を使って抵抗しているナランチャだが、テンパランスの防御力を超えることはできていない。

 銃弾の熱によって飛び散ったテンパランスは、ナランチャの体のいたるところに喰らいついている。肉を吸収され、ナランチャの動きが徐々に鈍くなっていく。ナランチャとミスタは軽くない負傷をしている一方で、ホル・ホースとラバーソールは未だに無傷だった。

 

「弱点はねーといっとるだろーが、このド低脳がァ────ッ! ドゥーユゥーアンダスタンンンンドゥ(理解したか)!」

 

 性懲りもなく攻撃を続けるナランチャをラバーソールが見下しながら馬鹿にする。言い返すだけの体力も残っていないのか、ナランチャは口を閉じて黙り込んだままじっとラバーソールを睨み返すだけだ。

 ジリジリと追い詰められていくミスタとナランチャ。だが、彼らの瞳には揺るぎなき意思が宿っている。彼らの戦意はまだ潰えていない。逆転の一手を繰り出すために、ミスタとナランチャはじっと耐えながら反撃のタイミングを見計らうのだった。




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イエローテンパランスは誰よりも強し その②

 ラバーソールのイエローテンパランスは本来、相手をゆっくりと追い詰めていくタイプのスタンドだ。直接的な攻撃能力は実のところ、あまり高くない。生物を吸収して大きくなるという特性上、物質と同化しているため非スタンド使いにも見えてしまう。

 エンペラーと違って暗殺向きとは言えない能力である。それでも暗殺者として裏社会で生き残れた理由──それは過剰なまでの防御能力のおかげだった。重機関銃の掃射による衝撃すら分散して吸収してしまうテンパランスは、スタンド使いの弱点である本体を守りながら攻撃できる防御壁だ。

 ラバーソールはテンパランスを体に纏わせたまま敵陣に乗り込めばいい。自分より大きな相手にしか変装できないとはいえ、敵陣の奥に忍び込むのは彼にとって容易(たやす)いことだ。もし途中で正体がバレたとしても、一般的な兵器ではテンパランスの防御壁は突破できない。

 総括すると、ラバーソールはテンパランスの能力に頼りきった愚直なスタンド使いである。スタンドの総合力はこの場にいる誰よりも優れているが、本体の対応力は誰よりも劣っていた。テンパランスに食われながらも、ナランチャは一気にラバーソールめがけて詰め寄った。

 

「ケェ! やぶれかぶれになって自分からつっこんできやがったか。その手に持った拳銃でおれを攻撃したって無駄なのによォ!」

「そんなもん、撃ってみなくちゃわからねえぜッ!」

 

 近づいて小声で作戦を聞かされたときに受け取ったのか、ナランチャの手には一般的な回転式拳銃(リボルバー)が握られていた。ナランチャは不慣れな手付きでリボルバーの撃鉄を引き上げると、ろくに狙いも定めずにラバーソールに向かって銃弾を撃ち放った。

 素人の撃った銃弾がそう簡単に狙った場所に当たるはずもない。ラバーソールの右脇にそれた銃弾は、そのまま当たらずにすり抜けていくかに見えた。しかし、それこそがナランチャの狙いだった。

 

「馬鹿が! おれに当てるどころか見当違いな場所を撃ってるじゃあねーかッ!」

「馬鹿はオマエのホウダッ! クラエッ!」

 

 ナランチャが外した銃弾の上からラバーソールを罵倒する声が響く。その正体はピストルズのNo.5(ナンバーファイブ)だった。ミスタはナランチャに拳銃を渡した際、一人だけピストルズを潜ませていたのだ。

 ピストルズは自我があるため、本体であるミスタが見ていなくても行動できる。ナランチャが放った銃弾に乗っていたNo.5は弾道を捻じ曲げて見事に狙いを補正し、銃弾をラバーソールに直撃させた。だが、それでもテンパランスの防御は超えられない。

 No.5の乗った銃弾と同時にエアロスミスが機銃を乱射しながらラバーソールに突っ込んでいったが、それすら防ぎきられてしまう。エアロスミスをテンパランスで絡み取りながら、ラバーソールは完全に勝ったつもりになっていた。

 

「てめーのスタンドはテンパランスで固定した! これでもうオレを攻撃できまいッ! そっちのスタンドも銃弾が無ければ何もできねえカスみたいな能力だしなァ!」

「……エアロスミスを捕らえさせたのはわざとだぜ。これでオメーが動かせるスタンドの量はだいぶ減ったよなァ? やっちまえ、No.5(ナンバーファイブ)ッ!」

 

 ミスタがピストルズをナランチャに託したのは攻撃に利用するためではない。人型ではないため、精密な動きができないエアロスミスをサポートするためだった。No.5の手には1枚の『紙』が握られていた。

 エアロスミスでテンパランスに攻撃を続けていたのは、ラバーソールをいい気にさせて注意をそらすのと同時に、一度に操作できるスタンドの量を調べるためだった。

 そして、ラバーソールの側まで移動させたピストルズに『紙』を渡すため、『紙』を括り付けたエアロスミスを突っ込ませたのだ。No.5が上空に向けて『紙』を開封して出てきた物に、ラバーソールは口をポカンと開けて驚いている。

 

「はっ! これはッ!? 自動車だとォ────ッ!?」

「もうおそい! 脱出不可能だッ! このまま車体と地面に挟まれて潰れちまえッ!」

 

 ナランチャがラバーソールを倒すために利用した『紙』は、移動手段として承太郎に預かっていた物だった。中身は一般的な5人乗りのセダンだが、それでも車体重量は1.5トン近くある。

 ミスタは承太郎がフーゴにクルーザーの入った『紙』を手渡していた際の説明を参考に、内容物を攻撃に転用する作戦を思いついたのだ。しかし、そのまま車に押しつぶされるかと思われたが、ラバーソールはスタンドを全力で展開して必死に堪えていた。

 

「おれのイエローテンパランスを舐めるんじゃねえッ! これしきのことで、やられるものかよォ────ッ!」

 

 全身にのしかかる車体の重量すら分散させながら、テンパランスを纏ったラバーソールが歯を食いしばって両腕を上に伸ばす。驚くべきことに、ラバーソールはテンパランスを寄せ集めて柱状にすることで、車を持ち上げて耐えていたのだ。

 しかし、ナランチャの攻撃はこれで終わりではない。車を持ち上げることに集中しすぎてテンパランスから解放されたエアロスミスが、大きく旋回しながら再び銃弾の雨をばら撒いた。

 

「何度やろうが結果は変わらねーぜ! おれの防御壁をてめーのスタンドは超えられねえッ!」

「たしかにオレのエアロスミスじゃあ、オメーは倒せねえ。だけどな、オレの狙いはテメーじゃあねーんだぜッ!」

 

 ナランチャが狙っていたのはラバーソールではない。彼が撃ちたかったのはラバーソールが必死に退けようとしている車のほうだった。ガソリンタンク付近を機銃で穴だらけにされた車は、一瞬で炎上して大きな爆発を起こした。

 車の真下にいたラバーソールは逃げる間もなく、炎と爆発を全身で受け止めて吹き飛ばされることとなった。咄嗟(とっさ)にスタンド能力で衝撃や炎はある程度防げたが、全身は守りきれなかった。

 それに加えて、一気に大量の熱を受けたことでテンパランスは辺り一帯に飛び散ってしまった。

 

「ゲェ! ヤ、ヤバイッ! すぐにテンパランスを戻さねえと、このままじゃあ──」

「散々オレのことを馬鹿にしてたけどよォ……これで終わりだ! ボラボラボラボラボラボラボラボラッ! ボラーレ・ヴィーア(飛んで行きな)!」

 

 がら空きになってしまった自分を守るために必死にテンパランスをかき集めようとしているラバーソールの胴体にエアロスミスが突撃する。プロペラの軸の先端が腹に突き刺さり、エアロスミスがラバーソールの体を持ち上げた。

 そして、そのままエアロスミスは機銃を乱射してラバーソールの胴体に無数の穴を開けて飛び去っていった。血を撒き散らしながら地面にひれ伏しているラバーソールを見ながら、ナランチャは自身の後方にエアロスミスを待機させた。

 少しばかり体に残っていたテンパランスで防御していたため、ラバーソールは微かに息をしているが起き上がる気配はない。意識を失ったことでスタンドを維持できなくなったのか、ナランチャの体に張り付いていたテンパランスはいつの間にか消えていた。

 怪我を負いながらもなんとかラバーソールを討ち取ったナランチャは、ふらつきながらミスタとホル・ホースの戦況を確認するために体の向きを変えた。その視線の先では、もう一つの戦いに決着がつこうとしていた。

 

 

 

 時は少し巻き戻る。ナランチャがラバーソールに詰め寄った時点で、利き手を失った状態のミスタは絶体絶命だった。帽子からこぼれ落ちた弾丸を弾倉に込めるという曲芸のような技術を持っているミスタなら、片手でも拳銃を使うことはできる。

 しかし、両手で拳銃を使えなければ手数が減る上、ろくに止血もできていない切断面からは止めどなく血液が流れ出ている。ナランチャに体を張ってラバーソールの相手をしてもらっている以上、ミスタも命をかけて戦う覚悟はできているが体がもつかどうかは別の話だ。

 目を細めて集中しているミスタは、自分の拳を切断した攻撃の正体を探っている。注意深く周囲を探っていると、すぐに攻撃の正体は見極めることができた。闇夜に紛れて目視しづらかったが、空中を滴り落ちる血液という異様な存在を見つけ出したのだ。

 

「……わかったぜ、さっきの攻撃の正体が。オメーの銃は弾丸もスタンドなんだよな? だったら弾丸を糸みてーに細くすることだって、できてもおかしくはない! 目に見えないぐらい細い弾丸でオレの拳を切断したんだなッ!」

「まさか、おれの『エンペラー・ワイアード(吊られた皇帝)』がこんなに早くバレるとはなあ。それで、正体を見破ったてめーはどうするつもりなんだ? まさか、このおれに勝てると、まだ思ってるんじゃあねえよな?」

 

 ミスタの推測は正しかった。ホル・ホースは目視が難しいほど細くした糸のような銃弾でミスタの拳を切り落としたのだ。かつてのホル・ホースは、ここまで技巧を凝らした戦い方をするタイプではなかった。

 ホル・ホースは自分がスタンド使いとしてはそこまで強くないという自覚があり、コンビを組むことに固執していた。自分ひとりで戦えるほど技術を磨こうとはしていなかったのだ。だが、高町士郎と戦って痛い目に遭わされたことで、元来の性格が少し変わることとなる。

 女好きで一番よりNo.2を選ぶ部分は相変わらずだったが、万が一に備えて奥の手を用意するようになったのだ。ホル・ホースがワイアード(張り巡らされた針金)と名付けているこの技こそ、彼が用意していた奥の手だった。

 この技を作るにあたってホル・ホースが参考にしたのは、士郎が使っていた鋼糸(こうし)という暗器である。ホル・ホース自身は二度と戦いたくない相手だと思っているが、士郎から与えられた影響は根深かった。

 

「どっちにしろ、この出血じゃあオレはすぐに気を失うだろうよ。だから……今すぐにでもテメーをブッ殺して勝たせてもらうッ!」

 

 左手に持ったリボルバーをホル・ホースに向けたミスタは覚悟を決めて引き金を2度引いた。先程まで銃弾を防いでいたラバーソールはナランチャが相手をしている。

 こちらは軌道が読める以上、防げるはずがないと思うミスタだったが、銃弾がホル・ホースに届くことはなかった。

 

「そんなに勝負したいのなら付き合ってやるさ。もっとも……おれにその攻撃は届かねえがな!」

「ソ、ソンナ馬鹿ナッ!?」

「オレタチを直接、見エナイ糸で攻撃シタダトォ────ッ!?」

 

 見えない糸に切り裂かれた銃弾は、細切れに切断されて失速してしまった。ホル・ホースはあらかじめ、糸を結界のように多数に張り巡らしていたのだ。いかに精密な操作に優れたピストルズと言えども、見えない糸を避けるのは難しい。

 糸によって切られたNo.2とNo.3のダメージがフィードバックしてミスタの体から血が吹き出す。ダメージで姿勢を崩したミスタは、手に持っていた拳銃を取り落として倒れてしまった。倒れた衝撃で腰やベルトに納めていた拳銃が周囲に散らばって滑っていった。

 

 必死にそばに落ちた拳銃に手を伸ばしているミスタから距離を取りながら、ホル・ホースは油断なくエンペラーを構えている。実のところ、ホル・ホースにもそれほど余裕があるわけではなかった。

 目視が難しいワイアードを使ってピストルズを迎撃することはできたが、この技は気軽に使えるものではない。スタンドの形状変化は適性があればそれほど難易度の高い技ではないが、同時に複数の弾丸を変化させるのは負担が大きかった。奥の手とは乱用するものではない。

 スタンドパワーの消費が大きいので、ホル・ホースはできることならこの技の使用は避けたかった。だが、普通に銃弾を撃っただけではピストルズの攻撃は防げないと思って、使用を踏み切ったのだ。

 

 ミスタが立ち上がるよりも早く、ホル・ホースはミスタの脳天に向けてエンペラーを()()撃ち込んだ。後頭部に銃弾が直撃したことで、ミスタの体がビクンと大きく跳ねる。

 

「人生の終わりってのは、たいてーの場合あっけない幕切れよのォー。さあて、ラバーソールの旦那は上手くやってるか──ッ!?」

 

 広がっていく血溜まりを見たホル・ホースはミスタを殺せたと確信した。そしてラバーソールを援護するために動き出そうとした瞬間、耳をつんざく爆音が周囲に響き渡った。

 慌てた様子でホル・ホースが視線を動かした先には、炎上した車にふっ飛ばされるラバーソールと追い打ちをかけようとしているナランチャの姿があった。大急ぎでラバーソールを援護するためにエンペラーを構えるが、ホル・ホースが引き金を引くことはなかった。

 ホル・ホースがエンペラーを撃つよりも早く、1発の銃声とともにどこからともなく銃弾が飛んできたのだ。注意がそれていたホル・ホースは反応できずに、手の甲を撃ち抜かれてエンペラーを落としてしまった。

 口に加えていたタバコが地面に落ちるのも気にせずに、ホル・ホースは銃声がした方向に大きく首を振る。視線の先には全身から血を流しつつも、よろめきながら立っているミスタの姿があった。

 

「……脳天を狙うつもりだったが、やっぱり『4』って数字は縁起が悪いな。だが、テメーがオレの嫌ってる『4』にこだわらずに5発以上撃ってきていたら、防ぎきれなかったかもしれねーからお互い様だぜ」

「な、何ィ~~~ッ! おれは確実にてめーの脳天にエンペラーを叩き込んだはず! なぜ生きてやがるッ!」

 

 2発撃ったことで残弾数が()()になったリボルバーから放たれた銃弾は、ミスタの狙い通りの部位には着弾しなかった。頭から血を流しているが、ミスタは未だ健在だった。その理由は、帽子に紛れ込ませていたピストルズのおかげだった。

 ミスタはホル・ホースが頭を狙ってくるだろうと先読みして、拳銃ではなく帽子の中にピストルズを()()だけ移動させていたのだ。それぞれが2発ずつエンペラーの攻撃を防いだため、ミスタは軽症で済んだのだ。

 通常の弾丸とエンペラーの弾丸は勝手が違うので、3発以上をピストルズ一人で防げるかどうかは怪しかった。もしホル・ホースがミスタの情報を知らずに何発も銃弾を叩き込んでいたら、防ぎきれずに死んでいたかもしれない。

 

(この右手じゃあ、もうエンペラーは握れねえ……ラバーソールの野郎は再起不能になってやがる。せめて、ミスタだけでも始末しねえと報酬は貰えそうにない。一番よりNo.2がおれの人生哲学だが……やるしかねえかッ!)

 

 覚悟を決めたホル・ホースは左手にエンペラーを出現させて、銃口をミスタに向ける。一方のミスタも左手でリボルバーを構えて引き金に指をかけている。両者の視線が交差して同時に銃声が響き渡った。

 ミスタの頸動脈を切り刻むべく、目に見えぬ糸状の銃弾がミスタに迫る。しかし、ミスタは役立たずになった右腕を盾にして無理やりホル・ホースの攻撃を防ぎきった。前腕が断ち切られた痛みで眉にシワを寄せるミスタだが、その瞳は輝きを失っていなかった。

 

 ミスタの放った3発の銃弾は、それぞれが見当違いな方向に飛んでいった。上空に向けて放たれた2発にはそれぞれ、No.6とNo.7が乗っている。彼らはホル・ホースの脳天めがけて、頭上から銃弾を蹴り飛ばした。

 しかし、ホル・ホースも死角からの攻撃は予想していた。すでに頭上にもワイアードは張り巡らされている。残り少ないスタンドパワーを使ったが、見合うだけの結果を出していた。そして残った1発の銃弾は狙いがそれたのか地面に当たっている。

 これでミスタは銃に込められた銃弾を撃ち尽くした。リロードする間を与える前に仕留めようと、ホル・ホースはエンペラーの引き金を引こうとする。そのとき、意図していない方向から銃声が響いた。

 

「……チッ、おれの負けか」

 

 ホル・ホースはふっ飛ばされて地面に落ちているエンペラーを眺めながら、負けを認めて帽子を深く被り直した。彼の左手には大きな風穴が空いている。一対一の銃撃戦を制したのはグイード・ミスタだった。

 

 地面を撃ったように見えた銃弾の狙いは散らばっていた拳銃だった。ミスタは体勢を崩したように見せかけて、ホル・ホースの後方にピストルズのNo.1を忍ばせた拳銃を配置していた。その拳銃を空中に跳ね上げるために、わざと1発だけ明らかに違う場所を狙って撃ったのだ。

 ピストルズはミスタが引き金を引かなくとも拳銃を撃つことができる。空中に跳ね上げた拳銃がホル・ホースの方向を向いた瞬間に、ミスタはNo.1に命令して銃弾を発射させたのだ。脳天を狙うには角度が悪く手の甲を撃ち抜くことになったが、これで勝敗は決した。

 

「テメーの仲間は倒した! そして、おまえも今からオレのエアロスミスで同じ目に合わせてやるぜッ!」

 

 全身から血を流しているミスタを支えながらナランチャがホル・ホースに脅しをかける。全身にテンパランスが張り付いていたナランチャだが、ミスタよりは軽症だった。出血もさほどしていないため、このまま十分に戦えるだけの体力は残っている。

 しかし、戦意を喪失したように見えるホル・ホースは不敵な笑みを崩さない。チラリとナランチャの背後に視線をやると、ホル・ホースはラバーソールに向けて大声で作戦を伝えはじめた。

 

「ラバーソールの旦那! プランBだ! 連中をスタンドで吸収しちまいなッ!」

「くそっ! 野郎、まだ意識があったのかッ!?」

 

 自信満々なホル・ホースの態度に目を白黒させたナランチャは、振り返りながら攻撃するためにエアロスミスを移動させた。だが、地面にひれ伏しているラバーソールはピクリとも動かない。

 警戒のためにナランチャはエアロスミスでラバーソールの足を撃ち抜いたが、(うめ)くだけで身動きひとつしない。何かがおかしいと思ったナランチャがホル・ホースと問いただすため、再び振り返る。

 だが、そこにホル・ホースの姿はなかった。視界に映るのは遥か遠くに走り去る1台の車だけだ。そこでようやくナランチャは気がついた。自分はホル・ホースに騙されたのだと。

 

「チ、チクショオオオオオオ! あのヤロー、逃げやがったッ!」

「それよりも……早く止血してくれねーか。そろそろ意識が朦朧(もうろう)としてきたんだが……」

 

 地団駄を踏んでいたナランチャにミスタが声をかける。取り逃がしこそしたが、両手とも拳銃が握れない状態のホル・ホースは無力化されたようなものだ。

 どうにか暗殺者たちを再起不能にしたミスタとナランチャは怪我の応急処置を終えると、周囲の住宅から車をかっぱらってコロッセオへと移動を開始した。




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クラッシュ-追走者 その①

 ミスタとナランチャが戦いを終えた頃、トリッシュとアバッキオは車から飛び降りて、親衛隊の追っ手が乗った消防車を無力化するために立ちふさがっていた。二人の目の前に停まっている消防車は一般的に見かけるものとは少しばかり見た目が異なっていた。

 車体の運転席上部に放水用のノズルが取り付けられており、車外に出ずとも直接放水ができる仕組みになっているこの消防車は、空港での消火活動に使われている特殊車両だった。

 スクアーロとティッツァーノはローマからほど近い場所にあるフィウミチーノ空港から、パッショーネの権力を使って特殊な消防車を持ち出していたのだ。これは水辺があまり多くない場所で有利に戦うためにティッツァーノが考えた策だった。

 

「どうする、ティッツァ。こいつらは無視してコロッセオへ向かうか?」

「いや……まずはトリッシュとアバッキオの排除を優先しましょう。()()()()()()()()()、トリッシュは絶対に始末しなければならない。アバッキオも優先的に始末しろとボスから通達されている。それに、取り逃がした連中はチョコラータとセッコが相手をするはずです」

 

 消防車の運転席に座ってハンドルを握っているスクアーロが、助手席で計画を練っているティッツァーノに話しかける。彼らはディアボロに始末対象の優先度を伝えられていた。理由までは聞かされていないが、彼らはそれでも構わなかった。

 ボスに忠誠を誓っている以上、余計な詮索はしないのだ。もっとも、聡明なティッツァーノは大方の理由を把握していた。アバッキオについては、過去をリプレイできるスタンド能力がボスの邪魔になったのだろうと考えている。

 よく分からないのが一般人のトリッシュだが、ブチャラティがボスの娘を護衛していたという情報はティッツァーノも独自に掴んでいる。

 ブチャラティチームに同行している人物の内、女性は二人しかいない。高町なのはは明らかに東洋人である以上、ボスの娘はトリッシュなのだろう。

 これらの考察をティッツァーノはスクアーロには教えていない。状況を整理するために推理しただけであって、ボスに懐疑心を抱いているわけではないからだ。口を閉じたティッツァーノは、アバッキオたちに鋭い目つきでにらみながら助手席に取り付けられたレバーを操作した。

 

「あの顔……情報にあった親衛隊のメンバーで間違いなさそうだな。……大丈夫か、トリッシュ?」

「ええ、大丈夫よ。あたしは自分の意志でここに残ったんだもの。今更ビビったりなんてしないわ」

 

 覚悟を決めたとはいえ、トリッシュは数日前まで喧嘩はおろか暴力沙汰を直接見たこともない普通の少女だった。無意識の内にトリッシュは恐怖心から来る震えを抑えるため、右腕を左手で握っていた。

 それを見かねたアバッキオがトリッシュを心配して声をかける。しかし、アバッキオの心配は杞憂だった。大きく深呼吸をしたトリッシュは恐怖を覚悟でねじ伏せて、決意に満ちた表情でアバッキオを見つめ返している。

 会話をしながらトリッシュとアバッキオが相手の出方をうかがっていると、消防車のノズルが向きを変えて狙いを定めてきた。有無を言わさず攻撃してこようとしている敵に対して、アバッキオは焦りの表情を浮かべながらトリッシュに話しかけた。

 

「まずいぜ! ここにいるのはまずいッ! 連中はこのまま放水しておれたちの周囲を濡らすつもりだッ! ひとまず距離を開けるぞ、来いッ!」

 

 車から飛び降りる際、なのはから手渡されていた『紙』を広げてバイクを取り出したアバッキオがトリッシュを急かす。バイクに二人乗りして急発進すると同時に消防車から放水が始まった。

 アバッキオが運転するバイクを消防車は執拗に追いかけてくる。アバッキオの操縦は見事なもので、左右に蛇行しながら器用に放水を避けている。

 車体が大きく大量の水をタンクに溜めている消防車ではバイクには追いつけない。放水も射程が足りていないので、バイクの進行方向に水を撒くことはできない。しかし、乗り物を使って逃げ回られるのもティッツァーノは計算に入れていた。

 

「おかしい、妙に工事中の道が多いぞ。細い脇道を抜けようにも、通り抜けできないように物が置かれている。どういうことだ、これは?」

 

 サイドミラーに映っている消防車を警戒しながら、アバッキオは消防車を対処するために距離を開けようとしていた。だが、アバッキオは消防車を振りきれずにいる。

 むしろ速度は勝っているはずなのに、両者の距離は離れるどころか徐々に縮まっていた。その理由は助手席に座ってインターネットに繋がったノートパソコンを操作しながら、スクアーロをナビゲートしているティッツァーノによる交通規制のせいだった。

 彼は情報分析チームを通して、パッショーネの支配下にある建設会社や警察機関に根回しをしていた。パッショーネの構成員以外の人間にも手を回して、アバッキオの行き先を誘導していたのだ。

 

 彼らは親衛隊の一員だが、所属している戦闘向きのスタンド使いとは別の役割が与えられている。有事の際は親衛隊として邪魔者を始末するために動くこともあるが、普段は別の仕事をして過ごしているのだ。

 彼らの表向きの立場──それは情報操作や敵対組織を内部崩壊させるために動く情報分析チームの諜報員という役割だ。もっとも諜報員としての実務能力が実際にあるのはティッツァーノだけだ。

 スクアーロは直接的な戦闘能力を持たないティッツァーノの護衛と、彼のスタンド──トーキング・ヘッドを対象に移動させるためのサポート役としてコンビを組んでいることになっている。

 

 ティッツァーノのトーキング・ヘッドは対象の舌に取りつかせて嘘をつかせるという戦闘向きではない能力だが、戦闘以外では非常に重宝されていた。

 彼はトーキング・ヘッドの能力でボスの邪魔になった組織の幹部級の人物を利用して、いくつもの裏社会の組織を内部崩壊させてきた実績を持つ。

 ディアボロが彼らを親衛隊として手元に置いているのは、ティッツァーノを諜報員として非常に高く評価しているというのが大きい。いわば、彼らはボスの勅命で動く専属の諜報員である。

 パッショーネがこれほどまでに勢力を伸ばしているのはディアボロの手腕によるものだが、ティッツァーノの働きも助けになっていた。

 邪魔になった組織を内部から破壊させることで、パッショーネは他の組織の人材や縄張りを乗っ取ってきたのだ。親衛隊はボスのために存在するチームだが、全員が戦闘向きのスタンド使いで構成されているわけではない。

 

「──ッ! アバッキオ、前を見て! 警察が道を通行止めにしているわッ!」

「クソ……このままじゃあパトカーの横っ腹に突っ込んじまうが、かといって引き返すわけにもいかねえ。どうする……どうすればいいッ!」

 

 トリッシュが指差す先には3台のパトカーが停まっていた。車体を横に向けて並んでいて、バイクでもすり抜けられそうな隙間は開いていない。後ろからはスクアーロたちが乗っている消防車が迫っている。

 このままぶつかるよりは停まって迎え撃ったほうがマシかとアクセルを緩めかけたアバッキオの手に、トリッシュの手が重ねられる。加速をうながすトリッシュの行動に驚いたアバッキオは、思わず振り返りそうになった。

 

「速度を緩めちゃダメ! アクセルを回してこのまま突っ込んでッ!」

「……なにか考えがあるんだな? 分かったぜ……このまま加速するから、しっかり掴まってろよッ!」

 

 アクセルを吹かしたバイクは更に加速する。停まる気配もなく突っ込んできたバイクを見て、停車させようとしていた警察官たちが散り散りになって逃げていく。

 後続から追いかけているスクアーロたちは自暴自棄になって突っ込んだのかと思ったが、予想とかけ離れた結果に驚くこととなる。

 

「な、なんだと!?」

「スタンドでパトカーを柔らかくして飛び越えやがった!?」

 

 バイクがパトカーに直撃する瞬間、トリッシュはスパイス・ガールの能力を発動させていた。道路の中央を陣取っていたパトカーの側面を殴って、車体の斜め半分だけを柔らかくして踏み台にしたのだ。

 着地の瞬間に地面を柔らかくして衝撃を逃したバイクはそのまま走り去っていく。続けざまに追いかけようにも、足止めするために用意していたパトカーが逆にスクアーロたちを邪魔してしまっていた。

 

「この先にクラッシュを出せそうな水面はない……このままでは取り逃がしてしまうぞッ!」

「焦らないで、スクアーロ。すでにあの道の先にも部下を待機させています。しかし、トリッシュがあのようなスタンド能力を持っているとは……クラッシュの攻撃を防いだのも彼女の能力だったのか」

 

 速度を緩めてパトカーを押しのけながら、スクアーロはトリッシュたちを追いかけるために急ごうとしている。焦燥にかられて焦っているスクアーロを落ち着けるために、ティッツァーノは取り逃がすことはないといい含めている。

 パトカーを押しのけ終えて、曲がり角の先にいるはずのトリッシュたちを追い詰めるためにスクアーロはハンドルを切った。曲がり角を越えて少し行った先では、トリッシュとアバッキオがバイクから降りて待ち構えていた。

 

「逃したと思ったが、バイクがぶっ壊れたのか? それとも……まさかオレたちを迎え撃つつもりじゃあないだろうな」

「……怪しいですね。スクアーロ、一旦ここは距離を取って──ッ!?」

 

 着地の衝撃でバイクが故障したのか、それとも二人の内のどちらかが体を痛めたのか。罠の可能性があるとティッツァーノがスクアーロに忠告しようとしたが、それより前に何かが破裂した音と共に車体に大きな衝撃が走った。

 音がした方向に視線を向けると、そこには車の前輪に先端の尖った鉄パイプを突き立てているアバッキオの姿が目に入った。先程まで離れた場所に立っていたはずのアバッキオが瞬間移動していたことに、スクアーロは驚き戸惑っている。

 

「なにィ!? い、いつの間にアバッキオが横まで来ていたんだッ!?」

「違う、トリッシュの横に立っているのはアバッキオじゃない。ムーディー・ブルースだ! あいつは過去の自分の姿をリプレイして囮にしたんだッ!」

 

 スクアーロがアバッキオと見間違えたものの正体──それは過去の自分の姿をリプレイしたムーディー・ブルースだった。アバッキオはトリッシュの隣に一時停止させたムーディー・ブルースを立たせていたのだ。

 リプレイ中に限り、ムーディー・ブルースの射程距離は非常に長くなる。その特性を利用して、本体のアバッキオは物陰に隠れて消防車を足止めするために不意打ちをしたのだ。

 前輪に鉄パイプが突き刺さった上、異物を巻き込んでしまったせいでハンドルをとられた消防車が右に逸れて民家に突っ込んだ。白煙を上げながら停車した消防車を眺めているトリッシュの下にアバッキオが駆け寄った。

 

「どうやら、成功したようね。これで、あいつらが乗ってる消防車は使い物にならなくなったわ」

「そのようだな……さっさと近づいて、やつらを再起不能に──ッ!? クソ、まだ動かせるのかッ!?」

 

 スクアーロたちに詰め寄って再起不能にしようと動いたアバッキオだったが、消防車のノズルが動いたことで歩みを止めた。てっきり事故らせたことで消防車を壊せたと思ったが、そううまくはいかなかったようだ。

 急いで離れようとしたが、アバッキオたちが距離を取るよりも先に放水が始まってしまった。瞬く間に路面に水が広がっていく。死角を無くすためにトリッシュとアバッキオは背中合わせになって、スタンドを出したまま消防車から距離を取ろうとしていた。

 そんな彼らを逃すまいと、そこら中に広がっている水たまりをクラッシュは目で追えない速度で瞬間移動し続けている。幸いにもそれほど大きな水たまりは無いのでハンヴィーに強襲されたときのような大きさではないが、クラッシュには水の中に引きずり込む能力がある。

 一度(ひとたび)噛みつかれたら、まず間違いなく連れ去られてしまうだろう。トリッシュたちは相手の能力を知っているが故に、迂闊に動けずにいる。フロント部分がひしゃげている消防車から脱出したスクアーロたちは物陰に隠れつつ、そんなトリッシュたちの様子を観察していた。

 

「具体的な情報のないトリッシュのスタンドは厄介ですが……事前情報通りなら、彼女はただの一般人だ。アバッキオという仲間がいなくなれば、一気に戦意を削がれるはず。さあ! スクアーロ! まずはアバッキオを仕留めてください」

「ああ、やるぜッ! いけ、クラッシュッ!」

 

 アバッキオの首元に食らいつくため、スクアーロはクラッシュに一際大きく跳躍をさせた。彼はアバッキオたちの死角からクラッシュを襲わせるつもりだった。足元の水たまりを注目している彼らは気がついていなかったが、両脇の民家にも水は飛び散っていたのだ。

 ろくな反応もできていないアバッキオに向けて、クラッシュが頭上から降下する。確実に食らいつけたとスクアーロは確信したのだった。




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クラッシュ-追走者 その②

 人間のように目が正面についている生物は視野角があまり広くない。一般的には左右の目を含めても水平方向の視野角は120度ほどしかないといわれている。

 その一方で馬やネズミといった左右の目がほぼ真横についている動物は、首を動かさずとも背後まで見渡すことができる広い視野角を持っている。その代わり、左右の目で視認できる映像が重ならないので立体感を認識しづらいという欠点もある。

 どちらにもそれぞれ利点があるが共通している部分もある。それは上方向に対する視野角の狭さだ。人間を含めた地上を生きる生物は水平方向に目を向けることが多い。そのため、上方向の視野角は60度程度しかないのだ。

 

「よし! あの二人はクラッシュに気がついてない。このままアバッキオの首に喰らいついて、水の中に引きずり込んでやるぜ」

「ああ……これで予定どおりだ」

 

 視線を誘導することで死角からの奇襲を行おうとしているスクアーロは、空中からアバッキオの首元めがけてクラッシュを一直線に進ませている。ティッツァーノはすでにアバッキオをトリッシュから引き離せると踏んで、計画の続きを考え始めていた。

 足元の水たまりを警戒するあまり、上方向への警戒が疎かになっているトリッシュとアバッキオは頭上から迫るクラッシュの姿が視界に入らない。このままアバッキオは連れ去られるかに見えた。しかし、スクアーロとティッツァーノの計画どおりに事は進まなかった。

 

「スパイス・ガール!」

「なッ! いきなり何をしやが──ッ!?」

 

 スタンドを出したまま周囲を警戒していたトリッシュは、あろうことか地面を攻撃しだした。硬さを失って体重を支えることができなくなった路面に二人の足がめり込む。

 背中合わせに立っていたのでトリッシュの動きが見えていなかったアバッキオは、想定外の現象に対応しきれず体勢を崩して尻餅をついてしまった。トリッシュの行動の意図が分からなかったアバッキオが抗議しようと振り返ったその時、彼の頭上をクラッシュがかすめた。

 

「やっぱりね。()()()()、あたしたちの死角から攻撃してきたわね!」

「トリッシュ、おまえ……最初から敵がどこから攻撃してくるか読んでいたのか」

 

 トリッシュに助けられたと知ったアバッキオは感嘆(かんたん)の声を上げている。背中合わせになって死角を消そうと提案したのはトリッシュだった。状況的に正しい判断だと納得したアバッキオはトリッシュの作戦に同意したが、この行動には真の理由があったのだ。

 スクアーロはティッツァーノの計画に従い、意図的に地面の上にある水面からしかクラッシュを出さなかった。クラッシュは水面さえあればどこからでも出現できるのだが、能力に制限があるように見せかけたのだ。

 出現場所が固定されていたため、アバッキオとトリッシュは地面に広がる水たまりを注目してしまっていた。しかし、トリッシュはいち早くスクアーロたちの行動が『注意をそらすためのもの(ミスディレクション)』だと気がついた。

 

 アバッキオと共に周囲の水面を警戒するフリをしながら、トリッシュはスカートのポケットに潜ませていた物を取り出していた。それは年頃の少女なら持ち歩いているであろう物──化粧直しに使うコンパクトミラーだった。

 トリッシュは手のひらの中に鏡を隠し持って密かに頭上の様子を警戒していたのだ。トリッシュは戦闘に関して人並み外れたセンスを持ち合わせているわけではない。クラッシュの死角からの攻撃を予想できたのは、なのはに忠告されていたからだ。

 船に乗ってコロッセオへと向かう道中で、トリッシュはなのはからスタンド使いの戦闘について大まかに説明を受けていた。その説明の中に、死角からの攻撃には気を配るようにというものがあったのだ。

 なのはが時を飛ばした際に背後から攻撃を仕掛けるのは、人間の死角を利用しているからだ。視覚の外からの攻撃は見えない攻撃と同意義である。それを理解しているからこそ、死角からの攻撃は何よりも恐ろしいとトリッシュに教えたのだ。

 

「まさか……クラッシュの攻撃をトリッシュの能力でかわされるとは。しかし、トリッシュの行動は逆に自分の首を絞めたッ!」

「そのとおりです。攻撃を避けるために地面を柔らかくしたのは、()()()()()()()()()()()! 今の状態なら、アバッキオは次の攻撃を絶対にかわせないッ!」

 

 必殺の攻撃を避けられたスクアーロだったが、彼はそれほど動揺していなかった。一度かわされたのなら、もう一度攻撃すればいいだけだ。スクアーロの考えていることを理解したティッツァーノが肯定の言葉を口にする。

 地面を柔らかくしてしまったことで、トリッシュとアバッキオは簡単には移動できなくなってしまった。それに加えて、アバッキオは体勢を崩して座ってしまっている。

 トリッシュはスタンド能力を使わずにアバッキオをスパイス・ガールで移動させるか、直接クラッシュを攻撃するべきだったのだ。アバッキオの頭上をかすめたクラッシュは別の水たまりに潜った後、即座に攻撃するため反転してアバッキオに向かって飛びかかった。

 

「早くスタンド能力を解除しろ! このままじゃあ、地面が柔らかすぎて立ち上がれねえぞッ!」

「いいえ、()()()。まだ、能力は解除してはいけないわ」

 

 弾丸のような速度で近づいてくるクラッシュを見たアバッキオが冷や汗を流す。そうしている間にも、二人の体はどんどん柔らかくなった地面へと飲まれていく。

 このままではなぶり殺しにされると思ったアバッキオが慌てた様子でスタンド能力を解除しろと言うが、トリッシュは聞く耳を持たずにスパイス・ガールで地面を柔らかくし続ける。

 ついに全身が地面に飲まれてしまって完全に身動きができなくなった二人を攻撃するため、クラッシュが再び攻撃を仕掛けようと柔らかくなった地面に飛び込もうとする。

 

「スパイス・ガール! 能力を解除しなさいッ!」

 

 クラッシュが飛び込む寸前、トリッシュがスタンド能力を解除した。その瞬間、柔らかくなっていた地面が元の形に戻った。

 トリッシュが地面を柔らかくしたのはアバッキオをクラッシュから守るためではない。この元に戻る際に発生するエネルギーを利用して、場所を変えるために地面を柔らかくしたのだ。

 柔らかくなった地面に埋まっているような状態だったトリッシュとアバッキオは、当然ながら元に戻った影響で空中へと弾き飛ばされる。能力の発動範囲を調整していたため、トリッシュたちは斜め上方向に飛ばされた。

 

 道路に広がる水たまりを飛び越したトリッシュたちは、勢いはそのままに洋服店のショーウインドーを突き破りそうになった。だが、逆にスパイス・ガールでガラスを柔らかくしてクッションとして利用した。

 大きくたわんで二人の体重を受け止めたガラスは、接合部分まではスタンド能力の影響を受けていなかったので窓枠から外れてしまった。しかし衝撃は分散できたようで、トリッシュたちは怪我をすることもなく店内へと逃げ込んだのだった。

 

「や、野郎……オレのクラッシュを2回もかわしやがった。ビビってるわけじゃあねーが……このままじゃあ本当に逃げられそうだぞ、ティッツァ」

「……どうやら、わたしたちは彼女を見くびっていたようだ。トリッシュ・ウナは一般人だが……その『精神力』は油断ならない。予定変更です、スクアーロ。先にトリッシュの方から始末する」

 

 洋服店から出てこないトリッシュたちを追い詰めるためにティッツァーノは歩を進める。彼の手には消防車に接続された放水用のホースが握られている。スクアーロは離れた位置からティッツァーノの様子を見守っていた。

 クラッシュは遠隔操作型のスタンドのため、本体が出向くのはリスクが高すぎる。かといって消防車は自走不可能なため、クラッシュを使って攻撃するには誰かがホースを使って放水しなければならない。

 戦闘の邪魔になるため、情報分析チームの人員やパッショーネの息がかかった人間は側にはいない。スクアーロは反対したが、ティッツァーノは自分が適任だと言って放水する役目を無理やり引き受けたのだ。

 

 手早く、それでいて慎重にティッツァーノは洋服店へと近づいた。警戒しているのか、トリッシュたちは最低限の照明で照らされた店の奥に引っ込んでいて出てくる様子はない。

 トリッシュのスタンド能力で予想外の攻撃をされる前に動かねばならない。冷静に判断を下したティッツァーノは、ホースの先端につけられた放水コックを操作して放水を開始した。

 あっという間に店内は水浸しになっていく。床だけではなく天井や壁にも水は付着している。水面から水面へ瞬間移動できるクラッシュにとって、これ以上無いほどに絶好のシチュエーションが完成した。

 スクアーロは肩に下げていた水筒を開けて、中に入れていたクラッシュに声をかけた。

 

「これで我々が『勝利』するための準備は終わりました。あとはクラッシュで()()()()するだけです」

「わかってるぜ、ティッツァ! すぐに連中を片付けて、ブチャラティたちの追跡を再開する!」

 

 水筒の水面から飛び出した5cmほどの大きさのクラッシュが、濡れた床の水面に潜り込む。独特なワープ音を立てながら、クラッシュは薄暗い店内を移動する。

 視認しづらいが、トリッシュとアバッキオはすぐに見つかった。二人は濡れていない壁に背中つけて周囲を警戒している。地面には濡れた洋服や無理やり引き倒された棚が散乱している。元々は洋服が並べられた棚が置かれていたようで、運よく放水が当たらなかったようだ。

 しかし、一方向からの攻撃を封じられた程度でクラッシュが不利になるわけがない。クラッシュは水面から出現する大きさによってパワーが変動するが、移動速度に関しては常に一定の速さを発揮できる。

 鏡面から鏡面へ移動するスタンド(ハングドマン)のように光のような速さで移動できるわけではないが、それでも銃弾並みの速さは出せる。そんな速度で移動するスタンドを攻撃するのは至難の業だ。

 その証拠に、移動を繰り返すクラッシュの姿にトリッシュとアバッキオは翻弄されていた。ただでさえ暗い室内で、クラッシュの動きを追い続けるのは難しい。健闘していたが、ついにアバッキオたちはクラッシュの位置を見失ってしまった。

 

「今だ! 喰らいつけ、クラッシュッ!」

 

 クラッシュが足に当たったことでトリッシュの体がバランスを崩す。慌てた様子でアバッキオが手を伸ばすが、すでに手遅れだ。トリッシュの柔肌を食いちぎろうと、クラッシュの(あご)が大きく開かれる。

 そのまま首に喰らいついたクラッシュがトリッシュを連れ去るために水に潜ろうとする。しかし、潜る寸前でスクアーロはおかしな点に気がついた。深々とクラッシュの牙が突き刺さっているにもかかわらず、血が一滴も出ていないのだ。

 

「どうだ、サカナ野郎……オレのムーディー・ブルースの味はうまいか? え?」

「これは……ッ! やりやがったな、レオーネ・アバッキオ! こうなったら、テメーから先に始末してやるぜッ!」

 

 足と首から血を垂れ流しながら、アバッキオはクラッシュを睨みつけている。リプレイ中のムーディー・ブルースは射程距離が非常に伸びるため、このままスタンドだけを水の中に引きずり込んでも意味はない。

 そこでスクアーロはアバッキオを直接殺すため、過去のトリッシュをリプレイしているムーディー・ブルースの喉をクラッシュに食い破らせようとした。このとき、スクアーロは失念していた。アバッキオが囮になっている理由と姿を見せないトリッシュが何を企んでいるのかを。

 

「テメェーッ! イツマデモ、ムーディー・ブルースに喰ライツイテンジャアネェェ────ッ! サッサと離レヤガレ、コラァァァ────ッ!」

「な、なにィ────ッ!?」

 

 突然、壁が歪んで飛び出してきた拳の殴打によってクラッシュの行動は妨害された。クラッシュに向けて罵声を浴びせながら攻撃したものの正体──それはトリッシュのスパイス・ガールだった。

 彼女は壁の一部を柔らかくして潜り込んでいたのだ。トリッシュはブチャラティのスティッキー・フィンガーズの能力──ジッパーを作り出してものを分解したり潜り込む能力をスパイス・ガールでも再現できるのではないかと考えて、この技を思いついた。

 店内を明るくしなかったのは、ムーディー・ブルースのリプレイを隠すためだけではなく、柔らかくなっている壁を誤魔化すためでもあった。横っ腹に近距離パワー型スタンドの攻撃を受けたクラッシュは、衝撃に耐えられず空中に投げ出されてしまった。

 

「スクアーロ! クラッシュを戻せ! 撤退して仕切り直すべきだッ!」

「すでに! やっている! だが、クソッ……クラッシュが戻ってこないんだッ!」

 

 クラッシュを遥かに上回るトリッシュのスタンドの動きを目の当たりにしたティッツァーノは、スクアーロに大声でクラッシュを戻すように呼びかけた。スクアーロも分が悪いことは理解している。すでに彼はクラッシュを手元に戻すために水面に潜ろうとしていた。

 しかし、水面に着水しようとしているクラッシュは、水面に潜る能力を発動できず浜辺に打ち上げられた魚のように飛び跳ねている。どうなっているのか分からず混乱しているスクアーロをよそに、壁から出てきたトリッシュがスパイス・ガールの腕を引き戻させた。

 すると、その動きに引っ張られるようにクラッシュがスパイス・ガールの手元に引き寄せられた。アバッキオが照明をつけたことで、ようやくスクアーロたちはクラッシュが水面に潜れなくなった理由を理解した。

 

「それは、まさか……この店のショーウインドーだとォ────ッ!?」

 

 顔に汗をにじませたスクアーロが驚愕する。クラッシュの能力が封じられた理由──それは、スパイス・ガールの能力で薄く引き伸ばされたガラスに捕らえられていたからだった。

 クラッシュは直接水面に触れなければ潜行することができない。トリッシュはスパイス・ガールにクラッシュを殴らせたとき、吹っ飛ばす方向に柔らかくしたガラスを配置していたのだ。

 本来、物質同化型以外のスタンドに物理的な干渉はできない。しかし、今回トリッシュが利用したのはスパイス・ガールの能力が込められたガラスだった。

 スタンド能力によって柔らかくなっている以上、このガラスはスタンドパワーを帯びている。部屋を暗くしていたのは上記の理由に加えて、柔らかくしたガラスを見えにくくするためでもあった。

 

「あなたたちは恐ろしい敵だった……だけど、あたしたちの勝ちよ!」

WAAAAAAAA(ワアアアアアアアアアアア)NNABEEEEEEEEEE(ナビィ────────ッ!)

「ぶぎイイイああっ」

「スクアーロッ!」

 

 空中に放り投げたクラッシュにスパイス・ガールのラッシュが突き刺さる。遠隔操作型スタンドの例に漏れず、クラッシュの耐久力はあまり高くない。ダメージのフィードバックで手足の骨が折れてふっ飛ばされたスクアーロの下にティッツァーノが駆け寄る。

 命まで取るつもりはなかったのか、再起不能にこそなっているがスクアーロは息をしていた。しゃがみこんで意識を失ったスクアーロの容態を診ているティッツァーノだったが、洋服店を出て近づいてくるトリッシュたちに気がつくと立ち上がって向かい合った。

 

「……オレたちの『負け』だ。オレのスタンドは戦闘向きではない。立ち向かったところで『勝利』できるとも思えない。それでも……オレの相棒を殺されるのは見過ごせない。だから、最後まで足掻かせてもらうぞ」

 

 ティッツァーノの手には警察で使われている自動拳銃が握られていた。その照準はトリッシュではなくアバッキオに向けられている。ティッツァーノは自身と同じく戦闘向きではないため一矢を報いれる可能性の高いアバッキオを攻撃するつもりでいた。

 ためらいもなくティッツァーノは引き金を引いた。しかし、その銃弾は一発もアバッキオには届かなかった。スパイス・ガールはキング・クリムゾンには劣るが銃弾を防ぐ程度は簡単にできるぐらいの基礎能力はある。

 全ての弾を撃ち尽くしてしまったティッツァーノは拳銃を投げ捨てると、懐から大ぶりのナイフを取り出してアバッキオに襲いかかった。トリッシュが助けに入ろうとしたが、アバッキオは無言で首を横に振った。

 ブチャラティチーム内で一番体術が優れているのはアバッキオだ。情報分析チームの一員でもあるティッツァーノは当然、そのことを知っている。

 それでも彼は一縷(いちる)の望みを賭けて攻撃した。しかし、やぶれかぶれの行動がうまくいくはずもない。訓練を積んでいないティッツァーノは一瞬でアバッキオに取り押さえられてしまった。

 

「ねえ、アバッキオ。この人たちはどうするの?」

「オレとしては、ここで殺しちまったほうが後腐れなく終わると思う。だが、それを決めるのはオレじゃあない。こいつらをどうしたいかは……トリッシュ、おまえが選べ」

 

 真っ先に戦うことを選んだのはトリッシュだ。アバッキオはトリッシュに付き添っているだけで、自分の意見を押し付けるつもりはなかった。アバッキオはブチャラティならこう言うだろうと思い、普段の自分らしくない提案をしたのだ。

 

「この人たちは父に……ディアボロに命令されただけなのよね。だったら……甘い判断かもしれないけど、あたしは殺す必要はないと思うわ」

「こいつらは、おまえを殺そうとした相手なんだがな。しょうがねえ、一度だけ見逃すか。もし、もう一度オレたちを襲ってきたら問答無用で殺すから覚悟しとけよ?」

 

 少しだけ考える素振りを見せたトリッシュは、すぐに答えを出した。トリッシュの答えに少しだけ眉をひそめながら、アバッキオは関節を固められて痛みで顔を歪めているティッツァーノに脅しをかけた。そして、そのままティッツァーノの首を絞めて気絶させてしまった。

 その後、スパイス・ガールで消防車のパーツを引っ剥がして柔らかくしたトリッシュは、スクアーロとティッツァーノを拘束するために体に巻き付けて能力を解除した。体に隙間なくくっついた状態で元に戻されたので、普通の工具で彼らを解放するのは不可能だろう。

 中々にエゲツないことをすると思いながら、アバッキオは路肩に寄せていたバイクのエンジンをかけた。トリッシュを後ろに乗せると、コロッセオに向かうため静かにアクセルを回した。




誤字脱字、表記のぶれ、おかしな日本語、展開の矛盾を指摘していただける国語の先生をお待ちしております。


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パニック・イン・ローマ その①

 ミスタとナランチャ、トリッシュとアバッキオは戦いを制しコロッセオへと向かっている。その一方で、なのはとジョルノの戦いは始まったばかりであった。

 スティンガーによってチョコラータの乗ったヘリコプターが墜落した場所は、この場所よりも低い位置だった。何も考えずに向かったらグリーン・デイの能力で『カビ』を生やされてしまう。

 そこで、なのはは『自分のスタンド能力なら対処できる』とだけ告げて、ジョルノにこの場を任せると時を飛ばしてチョコラータを始末するために移動してしまった。

 なのははジョルノのことを嫌っていて天敵扱いしているが、同時にスタンド能力や本人の才覚については高く評価している。仲間としてではなく敵対者だった過去が主な理由だが、それでも彼女はジョルノの能力を信頼していた。

 

「ブチャ、ラティたちを追ってもいいが……どっちみち、仕留めるのは、おまえ、からだ、ジョルノ。チョコラータは、おまえのスタンド能力を、()()()()()()からな」

「ぼくを優先して仕留めるだと……?」

 

 スタンドを傍らに立たせたまま警戒しているジョルノは、茶色いダイバースーツのようなスタンドで全身を包んでいる舌足らずな男──セッコの動向を観察していた。

 セッコは太ももから先は自身のスタンド──オアシスの能力でドロドロに溶かした地面に埋まっている。一見すると、彼は知能の低い頭脳がまぬけな男のように見えるが、それは擬態である。

 チョコラータにも隠しているが、本来の彼は他人を平然と利用できる冷酷かつ残忍な性格をしている。ディアボロもセッコの本性までは把握できていないが、チョコラータと同じく最低のゲスと称される吐き気をもよおす人物であることだけは確かである。

 

 セッコはチョコラータから、ボスと親衛隊、ブチャラティチームを壊滅させてパッショーネを乗っ取るための計画を聞かされている。その上で、ジョルノの生命力を生み出すスタンド能力がチョコラータの『天敵』になる可能性があると説明されていた。

 たとえ他の連中を取り逃がしたとしても、絶対にジョルノだけは始末しろと言い含められていたのだ。自頭はそれほど悪くないセッコは、チョコラータがジョルノを警戒する理由を把握している。

 チョコラータが負けないかぎり、セッコは従順な元患者という立場を演じ続けるだろう。そうしていれば、彼はチョコラータが生み出す甘い汁を吸い続けられるのだから。それに加えて、()()()()()()()()は誰にも負けるはずがないとセッコは確信していた。

 

「そうだ……忘れてた。ビデオを取らなきゃあな。仕留めるのに時間はかからねーが……」

 

 手に持っていたビデオカメラをおもむろに操作し始めたセッコの様子を眺めているジョルノは、このままスタンドを使って殴りかかるべきか悩んでいた。

 なのはの知る情報によって、セッコのオアシスは近距離パワー型のスタンドと真っ向から戦えるスペックがあると明かされていたからだ。

 スタープラチナやキング・クリムゾンよりは劣るが、スティッキィ・フィンガーズと同等か上回る相手にゴールド・エクスペリエンスで真っ向勝負をできるかジョルノには判断しきれなかった。

 いきなり直接攻撃するのは得策とはいえない。そこでジョルノはセッコではなく隣に生えていた樹木をゴールド・エクスペリエンスで殴って、スタンド能力で間接的に攻撃することにした。

 

「ゴールド・エクスペリエンス!」

「オアアアァアアアシス────ッ!」

 

 ゴールド・エクスペリエンスの能力で生命力を与えられた樹木が急成長して、幹から生えた槍のような鋭い枝先の数々がセッコに迫る。枝の槍を迎え撃つため、セッコは手に持っていたビデオカメラを上空に放り投げた。

 両手が空いたセッコは、目にも留まらぬ速さで拳の殴打を繰り返す。セッコは人間離れした反応速度を発揮して、伐採機のような勢いで枝をへし折っていく。ジョルノは樹木に生命エネルギーを与え続けて攻撃を続けるが、セッコに枝の槍は届きそうになかった。

 生命エネルギーを与え続けたとしても、永遠に枝を伸ばさせることはできない。過剰に与えた生命エネルギーによって寿命を迎えた樹木が、枯れて崩れ去ってしまったのだ。

 

(この速度……反動か! こいつは地面を完全に溶かさず弾力を与えることで、より強く、より速く拳を振りかぶっているッ! ぼくのスタンドでは確実に力負けしてしまう!)

 

 ジョルノはセッコの攻撃の仕組みを見破っていた。オアシスはスパイス・ガールと能力が似ている。即効性や破壊できなくするといった細かい部分は違いがあるが、溶かしたり柔らかくした対象に、弾力を与えることができるという点は一致している。

 拳を振りかぶる際に、地面に肘をめり込ませて反動で押し返すことで、セッコはパワーの底上げをしている。オアシスは近距離パワー型として申し分のないスペックを誇っているが、この技と本人の異常なまでの身体能力を合わせることで圧倒的な格闘能力を発揮しているのだ。

 

「スタンドで、殴りかかって、こなかったって、ことはよォォォ。オレの『オアシス』に、反応できる、自信がないってこと、だよなあ?」

「……たしかにおまえの言うとおり、ぼくのゴールド・エクスペリエンスはあまりパワーのあるスタンドじゃあない。だが、それは闘えないという意味ではない!」

 

 落下してきたビデオカメラを片手で受け止めたセッコは、ジョルノが積極的に攻めてこない理由をすぐに理解した。精神的に優位に立つため問いかけるセッコだが、ジョルノは動揺することなく次なる攻撃を用意していた。

 ジョルノが声を上げるのと同時に、頭部に刻まれた青と黒の模様が特徴的な小鳥が無数に現れる。枯れ落ちて周囲に散らばった樹木の破片は、命が失われているため生命ではない。ジョルノは枯れ果てた樹木を再利用して、さらなる攻撃に利用したのだ。

 

「どれだけ、数を用意したところで、目くらましにも、ならねーぜ。そんな、鳥に足らない……じゃなくて、歳に足らない……は違う。うぐぐ……虎に足らないでもなくて、賭場に足らない」

「……取るに足らない、ですか?」

「知ってんだよオオォォッ! 国語の教師か、うう……うう……うおお、おっ、おっ、オメーはよォォォォ」

 

 逆上したセッコは飛びかかってくる小鳥たちを殴り飛ばそうと拳を振るおうとする。だが、殴り殺す直前で何かに気がついたのか、セッコは攻撃を取りやめて地面に潜ってしまった。

 (すんで)の所で、セッコはジョルノの狙いに気がついたのだ。セッコのオアシスは、やろうと思えば銃弾を防ぐことができるほどに近接戦闘に優れている。そんな相手に大して速く飛べない鳥をけしかける意味──それは、あえてセッコに鳥を攻撃させることにあった。

 

 ジョルノが生み出した鳥の名前は『ズアオチメドリ』という。愛らしい見た目をしたあまり知られていない鳥だ。この鳥は皮膚と羽毛に『バトラコトキシン』という強力な毒を持っている。

 未来(6部)の話になるが、ウェザー・リポートという男がスタンド能力で生み出した竜巻を使って集めて攻撃に利用した『ヤドクガエル』と同じ毒を持っている。人間が0.1から0.3mg取り込んだだけで死んでしまう毒を使って、ジョルノはセッコを始末しようとしたのだ。

 毒を使って攻撃するならヤドクガエルや蛇のほうが確実だが、オアシスで液状化している地面を這わせるのは難しい。そこで空中を移動できる鳥を利用したのだが、セッコは直感で危険だと判断して逃れたのだった。

 

(逃してしまったか……だが、生命エネルギーを探知することで、どこにいるかは把握することができる。これでヤツの不意打ちは防げるが……どうしてチョコラータは、ぼくを警戒しているんだ?

 あの『カビ』は生物に反応する。生命エネルギーによって生み出したものは、『カビ』の影響を受けるはずなのに)

 

 樹木の枝を伸ばした攻撃でジョルノは密かにグリーン・デイの『カビ』が影響する範囲を実験していた。もしかしたら『カビ』が生えるのは動物だけかもしれないと思っての行動だったが、あえて下方向に伸ばした枝は全て『カビ』が侵食して崩れてしまった。

 あのままセッコが逃げずに立ち向かっていたら、ジョルノは鳥をセッコの側で急降下させて『カビ』によって殺させるつもりだった。一気に『カビ』を繁殖させることで鳥を殺させて羽毛を飛び散らさせて毒殺するつもりだったのだ。

 まるで能力で生み出された生物ではなく、()()()()()()()()()()()を警戒しているような印象を受ける。セッコの言っていたチョコラータの考えに妙な引っ掛かりを覚えつつも、ジョルノは地中に意識を向けた。

 

(よし……ヤツが殴って砕いた枝の破片に込められている余剰の生命エネルギーは、ちゃんと探知できている。一度でも溶かされた地面に引きずり込まれたら、その時点でぼくは負ける。その前に、ナノハから渡された物でヤツを攻撃しなければならないッ!)

 

 ジョルノが様子見で放った樹木の枝による攻撃の真の狙いは、セッコの体に枝の破片をくっつけることにあった。枝に込められている膨大な生命エネルギーは全てが消滅したわけではない。

 残っている生命エネルギーが多くないため、能力を再発動させても大した生物は生み出せないが、ディアボロにくっつけたブローチのようにセンサーとして活用するだけなら問題ない。

 ゆっくりと沈み始めている足を引き抜いて、ジョルノはその場を移動した。彼の手の中には、なのはに手渡されたセッコを相手にするための道具──『M84スタングレネード』が入った『紙』が握られている。

 

 グレネード(手榴弾)という名前が付いているがスタングレネードは殺傷用の兵器ではない。180デシベル(ロケットの発射音と同等)の爆音と100万カンデラ以上の光を発生させる非致死性兵器だ。

 これを地面の中で炸裂させて、セッコの方向感覚と聴覚を奪うのがなのはの考えていた作戦だった。手榴弾ではなくスタングレネードを選んだのは、敵に投げ返されたり取り扱いを間違えたときに致命的な負傷をしないようにするためでもある。

 地中に潜ったセッコの聴覚を奪うタイミングを見計らっているジョルノは、移動せずに留まっているセッコの動きに疑問を覚えながらも、相手の行動を予測するために考えをまとめている。

 その頃、セッコは地中に作った空洞内に座り込んで、懐に仕舞っていた携帯電話を手にとってチョコラータと連絡をとっていた。

 

『セッコか。そっちの様子はどうだ? さすがにヘリコプターが撃墜されたときは焦ったが、『例のもの』のおかげでなんとか乗り切れた。それで、ジョルノ・ジョバァーナのスタンド能力について、なにか分かったか?』

「やっぱり、チョコラータの考えは、正しかった。ジョルノは、スタンド能力で、()()()()()()()、攻撃してきたぜェ。あいつのスタンドは、()()()()()()させることが、できる」

『その性質……()()()()()と似ているな。もしかすると、万が一があるかもしれん。セッコよ、おまえは確実にジョルノの息の根を止めるのだッ! 帰ってきたら背中をかいてやるからな。角砂糖も食いたいだろう?』

 

 優しく語りかけるチョコラータの言葉に、セッコは大げさなボディーランゲージで答える。チョコラータはセッコに角砂糖を投げて食べさせるという餌付けのようなことをしている。

 チョコラータが普段与えている数より少ない個数を提示すると、セッコは首を大きく横に振って嫌がる。そんなセッコの反応を予想していたチョコラータは、すぐに嘘だと明かして5個投げてやると約束した。当然のごとく喜んだセッコは、首を縦に振って頷いている。

 

『……ナノハが来た。もう切るが、()()()()は覚えているな? ジョルノを始末したら、そこで落ち合って共にボスを乗り越えるぞ』

「チョコラータ……あんたは、とっても強い。()()()、あんたの言うことを、オレはちゃんと成し遂げるぜェェェ!」

 

 先程の声色から一転して、真剣な態度になったチョコラータの言葉にセッコは迷うことなく同意した。お互いに上っ面だけの関係で、奇跡的なバランスで成り立っている危ういコンビだが、それでも彼らの間には信頼があった。

 チョコラータが死んだとしてもセッコは悲しまないだろう。それでもチョコラータがセッコの期待を裏切らないかぎり、彼は忠実な元患者として従い続ける。チョコラータもセッコのことをモルモット(実験動物)ではなく、相棒として扱っている。

 通話を切ったセッコは携帯電話を懐にしまうと、おもむろに動き始めた。セッコは優れた聴力で、すでにジョルノの立っている場所を把握している。

 ジョルノは地面を柔らかくされて下に落とされるのを注意しているようだったが、セッコはそんなこと関係ないと言わんばかりに更に地中に潜った。より深く潜っていくセッコの動きにジョルノは首をかしげる。

 

「なんだ? ヤツは一体なにを狙っている……ッ!?」

 

 一向に攻撃してこないセッコの動きを訝しんでいるジョルノだったが、突然地面が大きく揺れたことで動揺を見せた。イタリアは日本ほどではないが、それなりの頻度で地震が起きる国だ。突発的な地震はジョルノも経験したことがある。

 だからこそ感覚で、この揺れの正体が地震ではないと分かった。どうなっているのか確認しようと周囲を見渡しているジョルノは、自分の体から『カビ』が生え始めているのを見て、セッコが何をしたのか理解した。

 

「これは地震じゃあない! ()()()()()()()()()んだッ!」

 

 セッコが地下深くまで潜っていった理由──それは地中深くに通っている物を柔らかくして、ジョルノのいる辺り一帯を沈めるためだった。ローマの地下には数は多くないが鉄道の路線が広がっている。

 地面の中から周囲の音を観察していたセッコは、地下鉄の運行音を聞いて利用することに決めた。セッコは土と地下鉄のトンネルの外壁を溶かして液状にしたのだ。空洞内に大量の土砂が流れ込んだことで、ジョルノが立っている周辺の道や建物は支えを失って崩れ始めた。

 運悪く道に沿って地下鉄のトンネルが道路と同じ向きに通っていたため、逃げ場はどんどん消えていく。どうにかして高い位置へと逃れていくジョルノに追い打ちをかけるかのように、セッコは浮上して新たな攻撃を仕掛けた。

 

「おまえの足音はよく聞こえるぞッ! 左前方14メートルだッ! ジョルノッ!」

「──ッ!? ゴールド・エクスペリエンスッ!」

 

 セッコが拳を大きく振るうと、オアシスの液状化させる能力は伝播していく。その先には4階建ての白塗りの建物があった。セッコはジョルノを押しつぶすために、地面を溶かして建物を倒壊させたのだ。

 周囲の犠牲を考えずに攻撃してくるセッコの行動に怒りを感じながらも、ジョルノは瓦礫を防ぐために、ゴールド・エクスペリエンスの拳を振るった。小さな瓦礫はそのまま弾き飛ばし、大きな瓦礫は生命エネルギーを与えて適当な生物に変えることで『カビ』に分解させる。

 ゴールド・エクスペリエンスはパワーは優れていないが、スピードはスティッキィ・フィンガーズと戦えるぐらいには優れている。結果的にジョルノは落ちてくる建物の瓦礫を防ぎきった。地上に出てきたセッコを睨むジョルノの目には、明確な感情が込められていた。

 セッコの暴挙によって、建物の中に住んでいた住人は『カビ』に侵食されるか、瓦礫に潰されたことで全員が死んでしまった。無関係な市民を自分を殺すためだけに巻き込んだことに、普段はあまり感情を見せないジョルノが怒りをあらわにしている。

 

「ずいぶんと、息が上がってる、ようだな。ジョルノよォォォ!」

「イカれているのはチョコラータだけだと思っていたが……キサマも同類だったようだな。おまえのような人間を生かしておくわけにはいかない」

 

 ジョルノはスタンド能力を乱用しすぎた影響で疲労していた。セッコもスタンド能力を使って動き回っているので相応に体力を消耗しているが、身に纏うタイプのスタンド使いは総じて体力面で優れているという特徴がある。

 できるかぎり『カビ』の影響を避けようと動いていたジョルノだが、完全に無傷でいることはできなかった。ゴールド・エクスペリエンスで応急処置を施しているが、手足には見るからに大きくなった『カビ』が見え隠れしている。

 

「うっとお、しいぜ……ジョルノ。おまえは、機転が利くらしいから、近づきたくなかったが……近距離のパワーと、スピードで圧倒して、始末するッ!」

「は、速いッ!?」

 

 5メートルほどまで距離を詰めていたセッコの姿が突然見えなくなった。彼は地面を泥にして摩擦を減らすことで、目で追えないほどの速度で滑って移動していた。ジョルノが気がついたときには、すでにセッコは拳を振りかぶって殴りかかろうとしていた。

 ガードしようとジョルノもゴールド・エクスペリエンスを繰り出すが、セッコは格闘戦において一枚上手だった。スタンドに攻撃がガードされると事前に読んでいたセッコは、右足を振り上げて液状になっている石畳を巻き上げた。

 液体のようでありながら、硬さはそのまま維持されるオアシスの能力を受けている石畳の弾丸がジョルノの腹部に突き刺さる。予想外の不意打ちにジョルノは攻撃の手を緩めてしまった。その隙を突いたセッコが、ジョルノの首の骨を折ろうと腕を伸ばす。

 

「くらえッ! これでおまえは終わりだ──ッ!?」

 

 ジョルノにトドメを刺そうとしてたセッコは、自分の意志と関係なく地面に潜ってしまい攻撃を強制的に止められた。まるで、()()()()()()()()かのような現象にセッコは混乱していた。

 セッコの影になっていて見えなかったが、ジョルノの視線の先には1週間ほど前にネアポリスで出会ったここに居るはずのない人物が立っていた。異国の人間にもかかわらず、母国語のようにイタリア語を使いこなす心優しい少年の名をジョルノは知っている。

 

「どうして、きみがここにいるんだ。コーイチッ!?」

 

 一度ならず二度までも助けられたことに感謝しつつ、ジョルノは驚きの声を上げる。緑と白で彩られたスタンドによってジョルノを助けた小柄な少年──広瀬康一は正義の心を宿した目でジョルノを見つめている。なのはの知らぬ第三者による介入が、いよいよ始まろうとしていた。




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パニック・イン・ローマ その②

 承太郎の依頼でジョルノの体質を調べるためネアポリスを訪れていた康一は、本来の流れではローマにいるはずのない人物だった。そして、それは今回も変わらないはずだった。

 なのはと情報を共有している承太郎はイタリアでなにが起こるか把握していたが、康一を含めた杜王町の面々には、あえて詳しい話は伏せていた。承太郎となのはには個人的に成し遂げたい目的があったが、康一たちは今回の計画とは無関係だからだ。

 承太郎となのはは康一に汐華初流乃の調査こそ頼んだが、ジョルノの本名だとはしらなかった。パッショーネ内の抗争に巻き込むつもりもなかった。

 康一のスタンド使いとしての実力は二人とも認めている。それでも康一を計画に組み込まなかったのは、平穏に暮らしている人間を裏に引っ張ってきたくなかったからだ。

 

 二人にローマに行くなと忠告されていたので、康一も最初はネアポリス周辺の観光を終えたら帰国するつもりだった。予定が変わったのはジョルノと出会ってから4日後──4月2日の昼過ぎのことだった。

 ネアポリスをぶらついていた康一は、()()()()個人的に交友のある黒髪の男と遭遇した。()()()()()()()()()を引き連れた黒髪の男は、盗み聞きされないように場所を移すと康一に『真実』を伝えた。

 これからなにが起こるのか知った康一は、しばし悩んだがローマに向かうことを決意した。普段は少々気弱な一面もある康一だが、決して悪に屈することのない黄金の精神を宿した少年だ。彼は命の危険があると知りつつも、なのはたちの手助けをすると決めたのだ。

 

「ここにきみがいる理由はわからないが……助かった。ありがとう、コーイチくん。だが……下がってくれ! 地面に潜るヤツのスタンドに、ものを重くするきみのスタンドでは決定打を与えられない」

「ジョルノの言うとおり、ぼくのエコーズACT3(アクトスリー)は相性が悪いかもしれない。だけど、ぼくのスタンド能力は1つじゃないんだよ」

 

 ACT3を引っ込めて長いしっぽが特徴的な緑色の亜人型のスタンド──エコーズACT2を出した康一の行動を見たジョルノは、目を見開いて驚いていた。ジョルノが驚くのも当然だろう。康一と同程度の体格だったスタンドが、一瞬で全く異なるスタンドと切り替わったのだ。

 ジョルノは康一のスタンド能力を一部分しか把握できていない。康一は意図して隠していたわけではないが、ジョルノと共闘したときの敵スタンド──ブラック・サバスにACT2では有効な攻撃ができないので使う機会がなかったのだ。

 

 スタンド能力は一人一つという原則があるが厳密に言えばそれは違う。基本となる能力は一つだが、精神が成長することで能力が派生することは多々ある。キラークイーンのシアーハートアタックやキング・クリムゾンのエピタフが代表的な例だろう。

 エコーズの能力は一見すると、能力同士の関連性が薄いようにも思えるが、言葉に関係するという特徴がある。ACT1(アクトワン)は言葉を染み込ませる能力。ACT2は言葉の意味を実際に体感させる能力。ACT3は言葉の重みを実体化させる能力であるとされている。

 これらはSPW財団の研究員たちが出した仮説であり、絶対に正しいわけではない。それに康一本人に聞いても明確な答えは返ってこないだろう。そもそも能力の本質など理解しなくともスタンド能力は行使できる。

 スタンド能力は精神性によって左右される。SPW財団の研究員たちは余計な知識を与えてしまうことで、スタンド能力に悪影響を与えてはいけないと考えている。そのため、この手の研究結果がスタンド使いたちに伝えられることはない。

 

「どこの誰だか、しらねーが、邪魔するのなら、オメーごと、地面に引きずり込んでやるよォォォ!」

「ドロ化が始まったぞッ! 逃げるんだ、コーイチくん!」

「逃げる? いいや、逃げる必要なんてない! エコーズACT2(アクトツー)! しっぽ文字を地面に貼り付けるんだッ!」

 

 ACT3のものを重くする能力は対象から離れれば離れるほど弱くなる。全身を重くされたセッコは浮上できずに沈んだが、オアシスの能力は解除しなかった。いち早くACT3の能力の性質に気がついたセッコは、射程距離外まで逃れるために地下深くまで退避していたのだ。

 セッコのスタンド攻撃から逃れるために、ジョルノは康一に移動しようと提案した。しかし、康一には策があったのか逃げようとはせず、立ち向かうことを選んでACT2の能力を発動させた。

 康一の命令に従いACT2がしっぽの先端に付いているひし形のパーツを取り外して地面に投げつける。しっぽの先端はそのまま地面に突き刺さるかに見えたが、そうはならず地面に染みこんでカクカクとした文字へと変化した。

 

 ジョルノは4歳のときに母親がイタリア人の男と結婚してネアポリスに移住するまでは日本に住んでいた。母親に育児放棄されていたため本格的に学ぶ機会こそなかったが、それでもひらがなとカタカナぐらいはジョルノも読むことができる。

 随分と久しぶりに見たかつての故郷の文字──カタカナで記された擬音語の内容を理解したジョルノは、康一の意図を即座に把握して躊躇(ちゅうちょ)なく一歩前へ踏み込んだ。その瞬間、地面に刻まれた擬音語──しっぽ文字が効果を発揮した。

 

「な……なんで、地面に沈まないんだ!? オレのオアシスは、ちゃんと発動してるはずなのに!」

 

 人間離れした聴覚を持っているセッコは、耳を澄ませれば大抵のものの動きを聞き分けることができる。ドロ化した地面に人が沈む音は聞き慣れているため、自動車が走っていたり人混みであっても決して聴き逃しはしないという自信がセッコにはあった。

 だからこそ、セッコは一向に沈む音が聞こえてこないことに驚いて混乱していた。セッコは身体能力とスタンド能力がうまく噛み合っている優秀なスタンド使いだ。

 地頭(じあたま)も悪くなく、パッショーネの構成員の中でも上から数えたほうが早い強者である。しかし、そんな彼にも明確な欠点があった。

 

 彼の欠点──それは逆境を経験したことがないため、追い詰められたり予想外なことが起きると冷静さを失うという点だった。セッコは自分のスタンドに拮抗(きっこう)できる相手や上回る相手と戦った経験がなかった。

 セッコはスタンド能力に目覚める前からチョコラータと組んでいた。スタンドの矢に貫かれてからも単独で戦ったことはない。彼らの能力は相性が良すぎて、過去に一度も追い詰められたことがなかった。

 これは一見すると無敵とも思える能力を持つスタンド使いに共通している弱点でもある。人は他者との出会いや闘い、自分の過去を見つめなおすことで精神的に成長する。何度も敵と戦って追い詰められたことで、短い期間でスタンド能力を成長させ続けた康一が代表的な例だろう。

 セッコはスタンド使いとしての能力は一流かもしれないが、精神的な強さはジョルノや康一より劣っていた。チョコラータとセッコは敗北を経験したことがないからこそ、ディアボロを乗り越えられるという自信があった。

 だが、過ぎたる自信は過信でしかない。セッコはそれを身を持って味わうこととなる。

 

「足が沈まない……コーイチくん、これもきみのスタンド能力なのか?」

「ACT2は貼り付けた擬音語の意味を実体化させるんだ。この能力で()()()()()()()()()()()()。もう地面がドロドロになっていても沈むことはないッ!」

 

 康一とジョルノの足元には『フワフワ』と書かれたしっぽ文字が刻まれている。この効果によって、彼らの体重は羽毛のように軽くなっていた。地面から足を離したら元に戻るが、しっぽ文字の上に立ち続けるかぎり彼らが地面に沈むことはない。

 セッコは優れた聴力を持っているが、地面に落ちるホコリの音まで聞き分けられるほど優れてはいない。音の反響でジョルノたちがどこにいるか探知していたセッコは、いきなり足音が聞こえなくなって慌てだした。

 以前なのはが戦ったコンビ──アーバン・ゲリラとドレミファソラティ・ドは上空から監視している味方によって誘導してもらっていたが、セッコはチョコラータの『カビ』の援護こそあるが索敵は自力で行わなければならない。

 音による索敵ができない以上、セッコは地上に出るしかない。地面に引きずり込めなくとも、ジョルノのスタンド相手なら格闘戦で十分に始末できる。そう判断したセッコが地上へ出ようとしたそのとき、なにかが地面に投げ込まれた音がした。

 

「……ッ! 真上から何かがこちらに向かって突っ込んでくるぞ。あまり大きくないな。重さは240g……いや、235gぐらいか? こんな小細工はよォォォ……いや、待て。まさか、これは……手榴弾かッ!?」

 

 余裕がなくなってきているセッコは、普段の(ども)り気味な口調から一転して、素の流暢(りゅうちょう)な口調に戻っていた。セッコも自分のスタンドの弱点は心得ている。地中は空中より音が伝わりやすい。それと同じで衝撃も伝わりやすいのだ。

 もしも投げ込まれた物が手榴弾のような爆発物だった場合、身に纏うタイプのスタンドとしては珍しく防御能力に(とぼ)しいオアシスでは爆圧を防ぎきれない。そこでセッコは逃げるのではなく、逆に投げ込まれた物を攻撃するために近づいた。

 

「やっぱり小細工だなァァァ! 石畳やアスファルトがドロ化してるんだぜェェェェェェ。地中にある爆弾だってよォォオオオオオオ。当然、オレのそばに近づけば近づくほどよォォォォォ、グヘヒホハァァァァ────ッ!」

 

 セッコはオアシスのスタンドパワーを全開にして、爆発するよりも先に投げ込まれた物を溶かそうとしたのだ。多くのスタンドの例に漏れず、オアシスも近づけば近づくほどスタンド能力が強くなる。

 オアシスはどんなものでも一定範囲内に入ったものは溶かしてしまう。そして、(じか)に触れてしまえば兵器の(たぐい)であっても簡単に溶かすことができる。

 彼は沈み続けている物──スタングレネードを()()()()()スタンドパワーを全力で流し込んだ。瞬く間にオアシスの能力でスタングレネードは溶けていく。信管も溶けてしまったため、スタングレネードは爆発せずにガラクタへと変貌してしまった。

 水中とは違って視界が役に立たない地中を泳ぎながら拳大の物をピンポイントに見つけ出すことなど、セッコのような特殊な人間以外には不可能だろう。

 なのはの考えていた作戦はキング・クリムゾンを使うことが前提だった。キング・クリムゾンの能力と併用すれば確実に仕留められただろうが、爆発物単体ではセッコには通用しなかったのだ。

 

「そして聞こえたぜ! おまえたちの居場所も──ッ!?」

 

 このまま連中に近づいて、直接始末してやると意気込んでいたセッコだが、意図せぬ事態に口を閉ざしてしまった。上に向かって泳ごうとした瞬間、自らの意思を無視して彼の体が凄まじい勢いで地上へとふっ飛ばされたのだ。

 聴覚に頼りきっていたためセッコにはわからなかったが、スタングレネードには『とある文字』が書き込まれていた。とある文字──それは『ドッゴォン』というしっぽ文字だった。

 康一は爆発して吹っ飛ばすという意味を込めてしっぽ文字を生み出した。ACT2のしっぽ文字は相手の精神に対して働きかける。そのため、無機物を固くしたり柔らかくするといった物理現象は引き起こせない。

 

 康一は試したことはないが、精神力のあまり高くない非スタンド使い相手にACT2を使っても劇的な効果は出ないだろう。ACT2の能力は触れた相手の精神力(スタンドパワー)を利用して、触れた対象しか実感できない現象を引き起こす。

 かつて山岸由花子が『ドッゴォン』のしっぽ文字で空高くまで吹っ飛んだときは、限界まで自分のスタンド能力を使っていた。しっぽ文字は相手が全力でスタンドを使っていれば、その分だけ効果が増していく。セッコは全力でスタンドを使ってしまったことで墓穴を掘ったのだ。

 

「ようやく……おまえを地上に引きずり出せた。おまえがどれだけ近距離戦で強かろうと、地上にいなければ力は込められないッ! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄、無駄ァアアアア!」

「うぎぐブげッ!」

 

 ゴールド・エクスペリエンスの蹴りのラッシュが宙を舞うセッコの体に次々と放たれる。パワーを分散するイエローテンパランスや氷の鎧を作り出すホワイト・アルバムのような身を護る能力がないセッコは、ジョルノの攻撃を防げずに全て食らってしまった。

 そのままふっ飛ばされて地面に倒れているセッコの両腕は曲がってはいけない方向に曲がっている。両腕の骨が粉砕され拳を振るえなくなっては、満足にスタンド能力を使うことはできないだろう。しかし、ジョルノはセッコを再起不能で終わらせるつもりはなかった。

 

「……浅かったか。ヤツは生かしていてはいけない人間だ。このままトドメを──ッ!?」

「危ないッ!」

 

 セッコの息の根を止めようとしたジョルノがバランスを崩して倒れそうになる。このまま転んだら全身に『カビ』が広がって死んでしまう。そう思った康一は一瞬で切り替えたACT3を使ってジョルノの体を支えた。

 ギリギリで間に合ったことに安心して、康一は冷や汗をかきながらも安堵(あんど)のため息を漏らしている。一方のジョルノは自分の右足を見て、なにが起きたのか理解したのか眉をひそめている。

 

「ジョルノ、その足は……」

「念には念を入れていてよかった。もし拳を使っていたら、二度とゴールド・エクスペリエンスの能力を使えなくなっていたところだった」

 

 康一が顔を青ざめながらジョルノの右足を見つめている。ジョルノの右足は関節部分まで完全に溶けてなくなっていた。セッコはスタンド能力を全力で使って、ゴールド・エクスペリエンスを溶かしていたのだ。

 もし拳でラッシュを放っていたら、ジョルノはダメージのフィードバックで両手を溶かされて怪我の治療ができなくなっていた。嫌な予感がして蹴りに切り替えていなければ、ジョルノはここで再起不能になっていただろう。

 康一に支えられたジョルノが下げていた視線を前に戻す。しかし、その先にセッコの姿はなかった。目を見開いたジョルノは、慌てて周囲を見渡すがセッコの姿は見当たらない。

 遅れてセッコがいなくなったことに気がついた康一がエコーズACT1(アクトワン)を飛ばして周囲を捜索するが、地面を潜ってしまったのか僅かな血痕しか残っていなかった。

 

「ごめん、ぼくがもっとしっかりしてたらきみの足は……」

「コーイチくんはなにも悪くない。それに、ぼくの足はゴールド・エクスペリエンスで作ることができる。それよりも……いまはセッコを追わなくては」

 

 心配している康一を落ち着けるために、ジョルノはブローチを外してゴールド・エクスペリエンスの能力を発動させた。ゆっくりと右足の形になっていくブローチを見た康一は、別の意味で顔を青ざめている。

 スタンドや露伴絡みの事件に色々とかかわってきた康一だが、感性そのものは普通の高校生と大差ない。戦闘中ならともかく、いまはセッコが逃げてしまったせいで気が緩んでいた。

 そんな状況で脈打っている人間の一部位を見せられても平然としていられるほど、康一の肝は()わっていない。

 

 康一の妙に一般人らしい反応に苦笑しながらも、ジョルノは地面に残されたセッコの血痕をゴールド・エクスペリエンスの能力で蝶に変えた。ジョルノが何かの片割れから作り出した生物には、一種の帰巣本能(きそうほんのう)が宿る。

 今回はセッコの血液を媒体としたので、蝶は彼の下へ戻ろうとしているのだ。蝶は迷うことなく、ひらひらと舞いながら進んでいく。ジョルノは康一を杖代わりにしながら(肩を借りるには身長差がありすぎた)蝶を追いかける。

 蝶の向かう方角を見たジョルノは眉をひそめた。その方角はジョルノたちが向かうべき場所──コロッセオが建っている。おそらくセッコはチョコラータと合流するために事前に決めていた集合場所に向かっているのだろうとジョルノは当たりをつけた。

 

 歩を進めながら、ジョルノはチョコラータがどうして自分の生命を生み出す能力を警戒しているのか考えていた。もしかしたら、ゴールド・エクスペリエンスの能力を使えば『カビ』を攻略できるのかもしれないと思いジョルノは思考を続ける。

 『カビ』に沈むローマを歩きながら物思いに(ふけ)るジョルノの脳裏に、承太郎から聞かされた父親(DIO)のエピソードが思い浮かんだ。可能性としては薄い。だが、あり得るかもしれない。

 しかし、思い浮かべた事態が現実のものになったのなら、なのはですら止められない可能性がある。最悪の可能性に思い至ってしまったジョルノは康一の手を借りて先を急ぐのだった。




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パニック・イン・ローマ その③

 セッコがチョコラータに電話していた頃、なのははキング・クリムゾンの強靭な脚力を使って跳ねるように移動していた。落下時と建物や壁が邪魔しているときは、時間を飛ばして一直線にヘリコプターの墜落現場を目指している。

 以前も説明したが、時飛ばし(キング・クリムゾン)時止め(ザ・ワールド)と比較すると防御方面に秀でた能力だ。宮殿を展開している間、本体に対する干渉を無効化するため通常の攻撃は全て無効化することができる。

 もっとも宮殿が解除されると影響を受けるので、広範囲を常に攻撃し続けるスタンドとは相性が悪い。以前戦ったプアー・トムのオゾン・ベイビーや、パッショーネの内部ならば麻薬チームのリーダーをしているヴラディミール・コカキのスタンド──レイニーデイ・ドリームアウェイが当てはまる。

 

 霧雨状のスタンドヴィジョンを広げることで、雨に触れた相手の感覚を定着させるレイニーデイ・ドリームアウェイと同じく、グリーン・デイも『カビ』が生えた死体を媒体にすることで広範囲を攻撃できるスタンドだ。

 しかし、霧雨状のヴィジョンが相手に触れるだけでいいレイニーデイ・ドリームアウェイと違い、グリーン・デイは『カビ』を増やすには寄生した対象が低い場所へ移動するという条件がある。

 常時発動している能力との相性こそ悪いが、発動条件が決まっている能力相手ならばキング・クリムゾンは能動的に動くことができる。『カビ』が下に移動したことを探知して増える瞬間に時を飛ばせば、それだけで影響を無視することができるのだ。

 

 燃え盛り煙が立ち昇っているヘリコプターの残骸のすぐ側まで近づいたなのはの前に、一人の男が立ちふさがった。携帯電話を片手に持って誰かと通話していた緑髪のドレッドヘアーのような髪型の男──チョコラータが見下すような冷笑を浮かべながらなのはに声をかけた。

 空高くから投げ出されたにもかかわらず、あまりチョコラータが負傷していないことに少しだけ違和感を覚えたが、なのははそれを無視して更に距離を詰めながらチョコラータに殺意を向けた。

 

「おまえが来るのを待っていたぞ、ナノハ・タカマチ」

「……無駄話をする気はない。チョコラータ、おまえには死んだことを後悔する時間をも……与えんッ!」

 

 なのははチョコラータに対して明確な嫌悪感を抱いている。露伴やジョルノのような()りが合わなかったり過去のトラウマから嫌っている相手もいるが、チョコラータに対する感情はそれらとは全く異なる。

 ディアボロの頃から人の『死』や『痛み』を観察するためだけに殺人行為に及んでいたチョコラータのことを嫌っていたが、高町なのはとして杜王町で黄金の精神を宿した人々と共に過ごした経験は彼女の価値観を少しばかり変えていた。

 なのはは本当に欲しいものを手に入れて平穏に暮らしている間に、相手の思いを()むことを覚えた。他人の想いを踏みにじり弱者を利用していた頃は必要としていなかった考え方である。

 

 孤高な帝王としての君臨することをやめたなのはは『精神的支柱(帝王としてのプライド)』を失っている。現在は『新たな支柱(平穏な暮らしを守る)』を立て直しているが、まだまだ心身ともに成長途中である。

 そんな彼女の心にはディアボロの頃から持っている冷徹(れいてつ)な部分が残っている。そして本人は自覚していないが、他人を思いやれる優しさが芽生えていた。だからこそ、なのははチョコラータの一般人を平然と殺す行為に怒りを覚えていた。

 ディアボロならばチョコラータの行いに嫌悪こそすれども、怒りはせず冷静に対処するだけだろう。そこがディアボロとなのはの大きな違いだった。孤高に生きるディアボロからして見れば、なのはは精神的に弱くなったと思うだろう。それでも彼女は確かに成長しているのだ。

 

「おまえのような人間は生かしてはおけない。このまま首を切り落とすッ!」

 

 宮殿を展開してチョコラータの背後に回り込んだなのはは、即死させるために首をキング・クリムゾンの手刀で切り飛ばすことにした。チョコラータは『カビ』の感染対象を自分の意志で選ぶことができる。チョコラータやセッコに『カビ』が生えないのはそのせいだ。

 そしてチョコラータは自分の体に限るが、下に降りるという条件を無視して自由に『カビ』を生やして止血することができる。生半可な攻撃では生き延びられるかもしれないという判断で、なのはは首の切断を選んだのだ。

 

 宮殿を解除しながら放たれた手刀は、チョコラータの首をちぎり飛ばすように切断した。チョコラータの首がくるくると回りながら宙を舞う。頭を失った胴体は断面から噴水のように血を吹き出しつつ、ゆっくりとバランスを崩して倒れていく。

 射程距離内に入ってしまった時点で、キング・クリムゾンの攻撃から逃れる手段は存在しない。よっぽど特殊なスタンド能力の持ち主でないかぎり、本気で殺しにかかられたら対処できるはずがない。

 それに加えて、なのははディアボロのように正体を隠す必要がない上、慢心もしていない。予想していたとおりとはいえ、あっさりと終わったことにあっけなさを感じつつ、なのははジョルノを援護するために戻ろうと身を(ひるがえ)したが、途中で歩みを止めて立ち止まった。

 

「カビが解除されていない、だと……?」

 

 周囲の建物のベランダには、墜落したヘリコプターの様子を見ていたであろう住人の死体が大量に残っている。チョコラータが死んだのなら『カビ』は消えていなければならないのだが、死体には毒々しい緑色の『カビ』が繁殖したまま残っていた。

 脳が活動するためには酸素が必要となる。首だけでも意識を保ちながら声を出せた波紋戦士(ダイアー)のような人物もいるが、あくまで例外である。チョコラータが一瞬で『カビ』を使って止血したとしても、胴体から切り離されて生きていられるはずがない。

 言いしれぬ不気味さを感じたなのはは、エピタフで警戒しながら生死を確認するためチョコラータの死体へと近付こうとする。その直後、エピタフの予知を見たなのはは動揺しながらチョコラータの生首に目を向けた。

 

「なんてひどいガキだ。出会い(がしら)にいきなり首を切り飛ばすなんて……危うく死んじまうところだったじゃあないか」

「ば、バカな……どうして、その状態で生きていられるんだッ!?」

 

 目を見開いたまま地面に転がっていたチョコラータの生首が、なのはに向かって喋りかけた。その光景をエピタフで予知していたなのはは、驚きながらもチョコラータが死んでいない理由を考えていた。

 チョコラータは数多(あまた)の人々を己の趣味のためだけに切り刻んできた男だ。人体実験をしてきた結果、チョコラータはどの部分を切断すれば無事でいられるか把握している。しかし、それは自分で自分の体を細切(こまぎ)れにした場合の話だ。

 そもそも血中に酸素が送られていない状況で意識を保っていられるはずがない。肺から息が送られていないのに発声できるはずがない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「わたしは……子供の頃、いろいろな人体実験をしていた。肉体のどの部分を切断すれば無事でいられるか。どこの血管を閉じれば出血しないですむか。よーく観察したからな。世界で一番知っているという自負すらある。

 そんなわたしでも、ひとつだけ分からないことがあった。それは……脳の働きだ。人間の脳は完全に使われているわけではない。結局、わたしはどうやったら脳の潜在能力を解放できるのか解き明かすことができなかった」

 

 エピタフの可視範囲を広げるために、なのはは髪を結っていたリボンを(ほど)いて背中の中ほどまで伸ばしている髪を自由にした。そんななのはの様子を気に留めずにチョコラータは生首のまま語り続ける。

 チョコラータの常軌を逸した行動の原動力は『好奇心』だ。彼は疑問に思ったことを試さずにはいられない性格をしている。人が苦しんで死んでいく様子を観察するのも知的好奇心を満たすためだ。それだけの理由でチョコラータはローマの人々を無差別に殺している。

 

「わたしの疑問の答え……それがこれだ。骨針(こっしん)で脳を()()ことで潜在能力を解放し、人の枠を越えさせる太古の遺産。その名は──」

「『石仮面』かッ! どこでそれを手に入れた!」

 

 なのはは苦々しげな表情を浮かべながら、頭部がないにもかかわらず起き上がったチョコラータの胴体が手に持っている『石仮面』を見つめている。チョコラータはなのはが『石仮面』を知っていたことに少し驚いたのか、興味深げな眼差しを向けていた。

 吸血鬼の能力をなのははディアボロだった頃、個人的に調べていたことがある。それに加えて、夜の一族やジョセフから石仮面によって生み出された吸血鬼の能力も聞いたことがあった。なのはは迂闊に近寄らずにチョコラータの動きを見極めようとしている。

 なのはが様子をうかがっていると、突然チョコラータの首が浮かび上がった。チョコラータは首の断面から触手のように伸ばした血管──血管針(けっかんしん)を使って動いたのだ。

 そのまま胴体が立っている場所まで移動したチョコラータの頭部は、あるべき位置に収まった。手早く針と糸を使って切断面を縫い上げると、首を回して接合具合を確かめている。満足したチョコラータは懐に石仮面をしまい、口元を歪めながらなのはに話しかけた。

 

「これはムーロロがわたしに寄越(よこ)した手土産だ。対価としてこの一件に関わっている連中を全員始末することになったが、元よりそのつもりだったからな。ボスはビビって使えなかったようだが、オレなら吸血鬼の力を完全にコントロールできるッ!」

 

 チョコラータは歯を見せて獰猛な笑みを浮かべている。石仮面を被り吸血鬼となった影響か、犬歯が異様なまでに伸びていた。石仮面を被った者は身体能力が急激に上昇する。近距離パワー型のスタンドと同等の力を得たチョコラータが、地面を蹴ってなのはに迫る。

 チョコラータの攻撃を迎撃するために、なのははキング・クリムゾンを繰り出した。一方のチョコラータはグリーン・デイを展開して、本体とスタンドの両方でラッシュを放つ。なのはは自分の身を守るために両方の攻撃を防ぐしかない。

 スタンドのパワーとスピードはキング・クリムゾンが勝っているが手数で負けているため、なのはは徐々に押されていた。骨をへし折り肉を削いでも瞬時に再生するチョコラータを見て、なのはは小さく舌打ちをした。

 このままでは不利だと思ったのか、なのはは仕切り直すために時を飛ばしてチョコラータから距離を置いた。自分が有利であると悟ったチョコラータは、両腕を広げて声高(こわだか)に語りだした。

 

「素晴らしい! 素晴らしいぞッ! 圧倒的なまでのパワー! スピード! 再生力! ナノハ・タカマチ、おまえの正体は気になるが、もはやそんなことはどうでもいい。ボスを確実に始末するために、おまえはわたしの実験台になってもらうッ!」

 

 チョコラータの指先から多数の血管針が伸び、周囲に倒れている『カビ』が生えた死体に突き刺さる。するとどういうわけか、完全に事切れていたはずの死体たちが動き始めたではないか。これこそが吸血鬼の能力のひとつ──屍生人(ゾンビ)を生み出す力だ。

 吸血鬼は自身の血液から特殊なエキスを生む出すことができる。そのエキスを使うと、骨だけになった死体ですら肉体や記憶を再生させて動かすことができる。しかし、周囲の死体はどれもこれも『カビ』の影響で四肢が足りなかった。

 無論、チョコラータがまともに動けないゾンビを作っただけで満足するはずがない。彼は血管針を使ってメスや針と糸を器用に操り、死体の足りないパーツを他の死体から手早く集めて補った。エキスを注入するときに命令を下していたのか、立ち上がったゾンビたちは迷うことなくなのはに襲いかかった。

 

「カンノーロ・ムーロロめ……取り返しのつかないことをしでかしたなッ! こいつをここで逃したら、イタリアどころか世界が滅ぶぞ!」

 

 襲いかかってくるゾンビをキング・クリムゾンで殴り飛ばしながら、なのははチョコラータが生き延びた場合の未来を予想して顔を青くした。ムーロロの行動は、なのはが想定していた最悪の事態を下回る状況を生み出していたのだ。

 ゾンビは死体であるためグリーン・デイの『カビ』は侵食しない。つまりゾンビを利用すれば、高低差を無視して自律的に動かし『カビ』を散布できるのだ。オマケにゾンビ化は感染する。ゾンビが生きた人間を襲うと、襲われた人間はゾンビになってしまうのだ。

 グリーン・デイの能力とゾンビは相性が良すぎた。キング・クリムゾンの能力ならば、この場を逃げることはできるだろう。だが、そうした場合チョコラータは間違いなくゾンビを量産する。そうなる前にチョコラータの息の根を止めなければならない。

 

(吸血鬼の弱点は把握しているが……太陽が昇るまで耐えるのは難しい。紫外線を照射できる道具は用意していない。ならば……脳を破壊するしかない!)

 

 吸血鬼は太陽光や紫外線、波紋法を弱点としている。強力な紫外線を照射する装置や波紋の戦士がいれば有利に戦えるが、そのどちらもなのはは用意できそうになかった。となると、有効な攻撃は脳を破壊して意識を刈り取るか、傷を再生させて疲労させるしかない。

 人間を超越した存在といえども肉体の構造は人間と変わらない。脳を攻撃されれば頭痛や吐き気を起こす。再生できないわけではないが、四肢を破壊するよりは有用と言えるだろう。

 また、肉体の再生には少なくないエネルギーを消費するため、致命傷を与え続ければ息切れを起こす。もっとも、なのはは同年代の少女より少しマシな程度の体力しかないので、持久戦では確実に負けるだろう。

 

「再び時間を消し飛ばした。今度こそ、キサマの息の根を止めるッ!」

 

 迷うことなく、なのはは再び時を飛ばしてチョコラータの背後に回り込んでいた。移動と戦闘で時飛ばしを連発していたため、なのはの体力は半分を切っている。確実にトドメを刺すために、力強く握り込まれたキング・クリムゾンの拳を叩き込みながら、なのはは宮殿を解除した。

 頭蓋骨ごと脳を潰そうと死角から迫るキング・クリムゾンの拳にチョコラータは反応を示さない。このまま殴り抜けようと、なのはは全力でキング・クリムゾンの拳を振りかぶった。しかし、その拳がチョコラータの後頭部を捉えることはなかった。

 

「傷が治る敵を倒すには脳を破壊するしかないよな。そんな浅知恵、このチョコラータが予期していないとでも思っていたのか?」

「自分から首を外して、わたしの攻撃をかわしただとッ!?」

 

 チョコラータは自分の首を回復させていなかった。血管針と糸を使って外見上は治ったように見せかけていたが、いつでも取り外せるようにしていたのだ。時が飛んだタイミングは強化されている聴力や反応速度でカバーして対応してみせた。

 彼は石仮面を被ってから()()()()()()()()()()()()が、()くなき探究心によって吸血鬼の特性をすでに使いこなしていた。時飛ばしに反応されたことに驚きながらも、なのはは頭部から腕に狙いを変えて攻撃を続行する。

 しかし、その攻撃すら読んでいたチョコラータは、体内に隠していたメスやハサミといった手術道具を筋肉の収縮を利用して脇腹から射出した。エピタフを使って先読みしていたなのはは、手術道具を軽くあしらったがチョコラータの狙いは次なる攻撃だった。

 

「やはり、おまえは短い未来しか予知できていないな! くらえッ! WRRRR(ウルルルル)YYYYYYY(イイイイイイイ)!」

「くっ……キング・クリムゾンッ!」

 

 血管針を使って浮かんでいるチョコラータの眼球が裂けて、圧縮された体液が両目から射出された。チョコラータは知らないが、かつてディオ・ブランドーがジョナサン・ジョースターの命を奪った攻撃──空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)と同一の技である。

 無理やりキング・クリムゾンの腕を伸ばして弾き飛ばそうと動いたが、片方しか防ぐことができなかった。残りの1本は、とっさに身を(よじ)ってかわそうとしたが、避けきれずになのはの脇腹を貫通して石畳を切り裂いた。

 穴が空き血が滴り落ちる左脇腹を右手で抑えながら、なのはは崩れ落ちそうになる体を気力で押し留めた。あと数日で7歳になるとはいえ、なのはの身長はすでに120cmほどある。もし地面に倒れたら、その瞬間『カビ』が全身から生えるだろう。

 

「本当に幸せを感じるって状況……あるよな、ナノハ・タカマチ。『幸せ』には……『2つの場合』があると思うんだ。ひとつは、絶望が希望に変わったとき……おまえの撃ったミサイルがオレに向かって飛んできたときは、実にヤバイとパニクったよ。

 ()()()()()()()()()()()()()切り抜けられなかっただろうな。運に味方されただけかもしれないが……それでも『幸せ』だって感じるんだよ」

 

 再び頭と体をくっつけたチョコラータはなのはを見下しながら独自の幸福論を語っていた。ただ喋っているだけでなく、その背中からは大量の血管針が伸びており、周囲の死体を次々とゾンビに変えている。

 なのはは奥歯を噛み締めて痛みに耐えながら、チョコラータの隙を探っている。そうしている間にも、次々と生み出されたゾンビたちに包囲されていく。絶望的な状況だが、なのはは怯えた表情を見せずに気丈に振る舞っている。

 

「そして、幸福だと感じる『2つ目』の状況は……絶望したヤツを見おろすときだッ! わたしに絶望の表情を見せろッ! 命を終える瞬間の顔をッ!」

 

 片腕を上げたチョコラータの合図に従って、動けずにいるなのはに向かってゾンビの群れが襲いかかる。反撃することなくなのはは脇腹を押さえたまま、何かに祈るように目を閉じて立ち尽くしているのだった。




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パニック・イン・ローマ その④

 10体を超えるゾンビたちになのはを襲わせようとしているチョコラータは、高々に勝ち誇りながら考える。ディアボロのスタンド能力に拮抗できる高町なのはを、このまま殺してしまうのはもったいないのではないかと。

 彼はなのはの時を飛ばすスタンド能力をムーロロから聞き出していた。一方でディアボロはなのはが時間を飛ばせるということを知らなかった。ムーロロは『亀』の中での会話こそ記録していたが、リゾットとなのはたちが交戦した際の記録は残していなかったのだ。

 

 『石仮面』によって生まれた吸血鬼は特殊な能力を行使できる。その中に他人を洗脳する能力──肉の芽というものがある。吸血鬼の頭髪を使って生み出されるそれは、洗脳対象の脳に寄生させることでスタンド使いであろうと精神的に支配できるのだ。

 相手の意識を無視して屈服させるため、精神力との関係性が大きいスタンド能力は弱体化してしまうという欠点こそあるが、完全に使えなくなるというわけでもない。殺したあとにゾンビ化させて従わせることもできるが、スタンド能力を喪失する可能性があった。

 

 ほんの一瞬だけチョコラータはゾンビたちに攻撃の手を緩めさせようと思ったが、顔をしかめながら安全策を取ろうとした己の考えを振り払った。なのはを肉の芽で洗脳してディアボロにぶつけるのは作戦としてはありだが、同時に()()()()()()()()()()ということにもなる。

 今の自分は人間を超越した存在だ。どんな相手だろうと勝つことができる。吸血鬼(超越者)となって気分が高揚(こうよう)しているチョコラータは、今まで味わったことのない全能感に酔いしれていた。

 たとえ相手が時間をふっ飛ばして未来を予知できるスタンド使いであろうと、不意を突けば攻撃を当てられるというのは実証している。スタンド使いは吸血鬼の能力で、波紋の戦士はスタンド能力で仕留めればいい。

 

 安全策など必要ないと判断したチョコラータはゾンビたちを止めなかった。絶望の表情は見れなかったが、まだ観察対象は大勢残っている。チョコラータは口元を歪めながら、ズタズタにして殺したなのはをゾンビにしてブチャラティチームの連中の反応を見るのも面白いかもしれないと考えている。

 しかし、チョコラータの考える未来はやってこなかった。時間が飛んだことを知覚したチョコラータは、急変した状況に驚愕したのか目を見開いて固まっている。

 彼の視線の先には首や手足が切り落とされて地面に転がっているゾンビたちと、なのはの隣に立っている()()()()()()()()の姿があった。

 

「……誰だ、おまえは? ムーロロの情報にはなかったぞ」

「おまえのような外道に名乗る名などない」

 

 苛立たしげな表情を浮かべて問いかけてきたチョコラータに、二振りの小太刀を腰に(たずさ)えている男──高町士郎は冷たい殺気の込められた眼差しを向けながら答える。なのはが動かずに棒立ちでいたのは、エピタフで士郎が現れるのを予知していたからだった。

 時間を飛ばしても本来の過程はそのまま実行される。ただ命令に従うだけの人形など、どれだけ数が多くとも御神の剣士の敵ではない。奥義を使うまでもなく、士郎は御神流の基礎の技である『虎乱(こらん)』を使ってゾンビの関節を狙って乱撃を放っていた。

 

「言いたいことは色々あるけど……助けてくれてありがとう」

「子を守るのは親の役目だからな。お叱りは全て終わってから聞くとしよう」

 

 すでに国外に脱出しているはずの士郎がこの場にいることに思うところがあり、もの言いたげな目を向けるなのはだったが戦闘中に深く追及する気はなかった。士郎は実のところ、最初からなのはに黙ってローマまで向かうつもりで内密に話を通していた。

 扱いとしては万が一の事態が起きたときに動く予備戦力となっている。なのはが士郎に危険な目にあってほしくないと思ってついてくるなと言ったのと同じように、士郎もなのはが怪我をしながら戦うのを見過ごせなかったのだ。

 チョコラータが首だけの状態で動いているのを見ていた士郎は、敵が人外の力を得ていることは把握している。手早く最低限の止血を済ませたなのはは士郎とタイミングを合わせてチョコラータに向かって駆け出した。

 

「くだらないことを……ただの人間が一人増えたところで、結果は何も変わらないぞ。UREYYYYY(ウリイイイイイイ)!」

 

 迫りくる二人をチョコラータは正面から迎え撃つつもりでいた。ムーロロから送られてきたデータに載っていた波紋の戦士が使う独特な呼吸法を士郎は行っていない。スタンドを出してもいない。ゾンビを無力化されたのには少し驚いたが、自意識が薄く回復能力も持たない使い捨ての駒がやられただけだ。

 チョコラータの本分は医者である。その見識や頭脳は常人を遥かに凌駕していてスタンド能力も類を見ない強力なものだが、純粋な戦闘者としての技量はそれほど高くはない。だからこそ相棒のセッコに近接戦を任せていたのだが、吸血鬼となったことで彼は気が大きくなっていた。

 

 石仮面は使用者に強大な力を授けるがデメリットも当然存在する。日光に弱くなるという弱点が代表的だが、場合によっては使用者の性格が急変し悪鬼のようになってしまうことがある。チョコラータは元来の性格が残虐だったため、そのような変化は起きなかった。

 石仮面との相性はよかったが、彼は大きな力を手にしたことで性格が多少変化していた。人間を超越したことによる強者の余裕を得たと言えば聞こえはいいが、吸血鬼となった者の大半は能力に過信して慢心している。人間が吸血鬼に勝てるはずがないという判断からチョコラータは士郎に殴りかかった。

 たしかに、ただの人間なら吸血鬼に太刀打ちなどできないだろう。もしくは、時間が飛ばされずチョコラータが士郎の身のこなしを見れていれば、正面から戦おうとはしなかったかもしれない。しかし、チョコラータは真っ向から戦うことを選んでしまった。

 

 数秒前まで余裕の表情を浮かべていたチョコラータだったが、今は頬を引きつらせて冷や汗を流している。どれだけ殴りかかっても士郎に攻撃が届かないのだ。拳の動きを先読みして立ち位置を変え、避けきれない攻撃は刃先を腕の側面に突き立ててそらしていた。

 なのはの相手をさせているグリーン・デイもキング・クリムゾン相手には力負けしていて、何発か攻撃を食らっていた。ダメージのフィードバックは自然治癒するので問題ない。

 しかし、このまま殴られ続けていたら致命的な攻撃を受けるだろう。ならばと血管針を出そうと防御した瞬間、チョコラータの右腕が切り落とされた。

 

「なんなんだ、オメーはッ!? どうして、吸血鬼となったオレの動きに人間のおまえが反応できるんだッ!」

「受け継がれてきた技術と日々の鍛錬の賜物(たまもの)だ。おまえのような男には理解できないだろうがな」

 

 的確に関節の部分を狙って切り裂いたのは、御神流奥義『神速』と『貫』という基本技の組み合わせだった。肉体のリミッターを外す『神速』は、極めれば瞬間移動としか思えないほどの速度で移動することが可能な歩法の一種だが、今回は知覚能力を引き上げるために使用していた。

 吸血鬼の身体能力は人間の枠を越えている。近距離パワー型のスタンドか波紋で身体能力を底上げした波紋戦士でなければ、なにもできずに殺されるだろう。それに加えて、吸血鬼は筋繊維が強化されているため、波紋が込められていない刃物は通用しにくい。

 いかに武術の達人といえども、身体能力の差がありすぎれば太刀打ち出来ないのは明白である。その差を埋めるために『神速』を使っていた。そらすだけで切り込もうとしなかったのは、下手に攻撃を差し込んで吸血鬼の強靭な筋力で刀を受け止められないようにしていたからだ。

 

 そして、しびれを切らしたチョコラータが殴るのをやめて別の攻撃を選んだ瞬間に、相手の動きを見切って防御を無視する『貫』を使ったのだ。本体が右腕を失ったことで、キング・クリムゾンの攻撃を防いでいたグリーン・デイの右腕が消え去った。

 それを好機と見たなのははグリーン・デイの頭部にキング・クリムゾンの拳を突き立てた。グリーン・デイはキング・クリムゾンの渾身(こんしん)の一撃を防ぎきれず、頭頂部が大きく陥没した。そして同じだけのダメージを本体のチョコラータも受けることとなる。

 頭蓋骨が砕かれ脳の一部が潰れたチョコラータの意識が一瞬の間、飛んだことで無防備になる。その隙を突いて、小太刀を鞘に収めていた士郎は呼吸を整え直し、『神速』の効果でモノクロに染まった視界に映るチョコラータ目がけて御神流奥義『薙旋(なぎつむじ)』を放った。

 

 なのははおろか、吸血鬼となっているチョコラータの目にすら追いきれない神速の4連撃がチョコラータの手足の付け根を襲う。それは『神速』を使える御神の剣士か承太郎のスタープラチナでしか知覚できないであろう一瞬の出来事だった。

 振り切った刀を鞘に収める音と同時にチョコラータの体が崩れ落ちる。切り落とされた四肢をくっつけようと伸ばした血管針も士郎が操る鋼糸によって断ち切られる。波紋を帯びていないため致命傷には至らないが、チョコラータは確実にダメージを受けていた。

 回復するために血を吸おうにも、周囲の人間はグリーン・デイの能力で全滅させてしまっている。ここまでやられて、ようやくチョコラータは焦りを感じだした。

 吸血鬼とグリーン・デイの能力は絶好の相性だったが故に高まっていた感情が、スタンド使いでもない人間に手足をもがれたことで沈静化したのだ。

 

GURURURURU(グルルルル)……こ、このチョコラータが追い詰められているだとッ!? 取るに足らない人間どもに……そんなことがあってたまるかッ! 見下すのはオレのほうだァァァ!」

「手足がひとりでに動き出しただと!?」

「どうなっているのか分からんが、くらえッ!」

 

 いきなり動き出したチョコラータの手足が二人に襲いかかってきた。その断面にはグリーン・デイの『カビ』が(うごめ)いている。チョコラータは『カビ』を使って神経の電気信号を操作して無理やり四肢を操作したのだ。首と繋がっていない胴体を動かしたのも同じ能力によるものだった。

 バラバラになっていても吸血鬼の筋力は片手間で対応できるものではない。石畳を砕きながら弾丸のような速度で迫るチョコラータの手足から身を守るため、士郎は鋼糸を手放し小太刀を抜いた。なのはもキング・クリムゾンを使って防御した。

 

 二人に弾き飛ばされた手足は明後日の方向に飛んでいくかに見えたが、チョコラータは『カビ』を使って肉体を遠隔操作して血管針を伸ばして手足を回収してしまった。

 いかに吸血鬼といえども、脳から遠く離れた四肢を自由自在に操ることはできない。せいぜいがバラバラに吹っ飛んだ肉片を集めて肉体を再生させる程度である。これは人体の構造を知り尽くしているチョコラータだからこそ可能な離れ業だった。

 無理やり四肢を動かしたせいで余計にエネルギーを消費したのか、手足を繋ぎ合わせたチョコラータは血に飢えた獣のような気配を漂わせながら周囲を見渡している。

 

(血が……エネルギーが足りん。このままでは、傷を負った体が治せなくなる。こうなったら……セッコと合流するしかない、か。どこだ……どこにいる……)

 

 吸血鬼になったことで強化された嗅覚を使ってチョコラータは生きた人間を探していたが、漂ってくる匂いはどれも死んだ人間のものだった。『石仮面』の吸血鬼は人間の生き血を牙や指先から吸収することでエネルギーを回復する。輸血用に生成された血液では大したエネルギーにはならない。

 生きた人間から直接吸うのが一番効果的だった。しかし、チョコラータが振りまいている『カビ』の影響はコロッセオまで届きかけている。追い詰められるはずがないと高をくくって見境なく『カビ』をばら撒いたチョコラータは、自分で自分の首を()めていた。

 

(……見つけたぞッ! わたしの可愛いセッコ。おまえはちゃんと言いつけを守って()()()()に向かっているんだな。だからわたしは、おまえのことが好きなんだ)

 

 チョコラータはセッコがジョルノを倒して合流地点に向かっているのだと判断した。実際には、ジョルノと康一に追い詰められたセッコが逃げているだけなのだが、チョコラータはセッコの居場所を見つけた時点で匂いを探るのをやめてしまった。

 もう少し注意深く匂いを探っていれば片足を負傷したジョルノの血の匂いも嗅ぎ分けられたが、そこまでしている余裕がなかった。なのはと士郎はチョコラータに勝ち筋がなくなったと判断して、今にも攻撃を仕掛けようとしているのだ。

 いま背中を見せたら確実にやられるだろう。そこでチョコラータは今まで伏せていた札を使うことにした。

 

「近づくんじゃあねーぜッ! やれ、ゾンビどもッ! オレを守れェ────ッ!」

「クソッ……まだゾンビを残していたのかッ!?」

「数が多いな……なのは、大丈夫か!」

 

 チョコラータが伏兵としてなのはが来る前に用意していた50体近い数のゾンビが、周辺の家々の窓や扉を突き破って湧き出てきた。あえて血管針を突き刺してゾンビを作っているところを見せることで、ゾンビは新しく作らなければいないと思わせていたのだ。

 本当はどうにかゾンビを蹴散らした敵に対して、追加でけしかけて絶望させるためにあらかじめ作っていただけである。死肉と血液を撒き散らしながら襲いかかってくるゾンビをキング・クリムゾンで砕きながら、なのはは悪態をついている。

 圧倒的な力でゾンビを始末しているキング・クリムゾンとは対象的に、士郎は最低限の動作でゾンビを無力化しながらなのはの様子を気にかけていた。止血しているとはいえ、なのはの脇腹の負傷は軽いものではない。

 

「まだ耐えられるから大丈夫……ッ! チョコラータのヤツ、逃げるつもりかッ!?」

 

 強靭な精神力を使って抑え込んでいるため外見上は分からないが、なのはの体には芯から響くような痛みが断続的に襲っていた。なのはは心配している士郎を安心させるために大丈夫だと答えたが、実際にはそれほど長くは持たないだろう。

 事実を隠しながら、なのはは士郎とともにゾンビの群れを処理しつつチョコラータに近づくために前に進む。時を飛ばせばゾンビの群れは無視できるが、ここで全て処理しておかなければチョコラータはゾンビをローマ中にばら撒いて被害を広げるだろうという確信がなのはにはあった。

 律儀にゾンビを始末している二人をあざ笑うかのように口角を歪めたチョコラータは、あっという間に数を減らしていくゾンビたちに背中を向けて跳躍した。逃げるチョコラータの手には、ヘリコプターから脱出する際に持ち出していた海外旅行用の大きめのキャリーケースが握られていた。

 

 チョコラータの後を追うよりゾンビを始末することを選んだなのはたちは、1分とかからずに襲いかかってくるゾンビを殲滅(せんめつ)していた。しかし、そのかわりにチョコラータがどこに向かったのか分からなくなってしまっていた。

 チョコラータの目的を考えるとコロッセオに向かっている可能性が高いが、雲隠れしてゾンビを増やしながら『カビ』を更に広範囲にばら撒く可能性も十分に考えられる。なのはがどう動くべきか悩んでいると、士郎が上着のポケットから携帯用の衛星電話を取り出して、誰かに連絡を取り始めた。

 

 士郎が電話をした相手──それはジョルノを援護するため別行動を取っていた康一だった。なのはもさすがに士郎が一人で来ているとは思っていなかったが、康一を巻き込んでいたとは思っていなかった。

 誰が裏で糸を引いているのかおおよその予想がついたなのはは、大きなため息を漏らしながらジョルノの誘導に従ってチョコラータとセッコが合流するであろう地点に向かって急ぐのだった。




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パニック・イン・ローマ その⑤

 歴史が感じられる建物の数々に目もくれず、4つの人影がローマの市街地を駆け抜けている。ジョルノたちと合流を果たしたなのはたちは、ゴールド・エクスペリエンスの能力で生み出された蝶を追いかけていた。

 なのはが脇腹に開けられた穴は手早くジョルノに治療され、今は体力を温存するため士郎に背負われている。鍛えている士郎や右足の治癒が終わったジョルノ、背が低いとはいえ人並み程度には体力がある康一と同じペースでなのはが走るのは不可能だった。

 なのはは不服そうにしていたが、合理的な判断ではあったので理性で無理やり感情を抑え込んで、士郎の申し出を黙って受け入れていた。おとなしく子供のように背負われているなのはの姿を見たジョルノは、今までのイメージとのギャップで少しだけ口を開けたまま呆然としている。

 

 そんな彼の反応が気に触ったのか、なのははジョルノを半目で睨みつけている。元よりジョルノとの共闘に好意的な感情は抱いていなかったのに加えて、チョコラータというゲスに対して怒りを覚えているため、なのはの機嫌はあまり良くない。

 士郎と康一がいるため食ってかかったりはしていないが、ジョルノと二人っきりだった場合は間違いなく暴言や愚痴を口にしていただろう。肉体が子供だからか、もしくは人生をやり直している影響か、なのはは精神が成熟している割には感情的になりやすい一面があった。

 微妙な気分になりながらも、なのははエピタフを常用してゾンビの不意打ちや意図せぬ高低差による『カビ』の攻撃に備えていた。どうしても下に降りなければならないときは、キング・クリムゾンで全員を宮殿に引きずり込んで『カビ』を無視して移動しなければならなかった。

 幸いにも両腕の骨が粉砕されているセッコの移動速度は遅かったため、移動に多少手間取っても逃げられることはなかった。こうしてなのはたちは10分ほどの短い追走劇を終えて、チョコラータとセッコが決めていた()()()()に辿り着いたのだった。

 

「ここは……ヴェネツィア広場か。マズイな。観光地なだけあってか、かなりの数の死体が転がっているぞ」

「幸か不幸か、生きている人の姿は見当たらない。少なくとも生き血を吸われて回復される事態にはならなそうだ」

「悪魔の所業とは、こういうことを言うんだろうな」

「吉良吉影もそうだったけど……どうして、こんなことを平然とできるんだ。ぼくには、それが理解できない」

 

 なのはは下で倒れている人を助けようとした結果、『カビ』に殺されてしまった人々の死体を見ながら顔をしかめている。共に周囲の状況を観察していたジョルノの反応は文面だけ見れば人間味に欠けるように思えるが、彼の声は怒りからかわずかに震えている。

 士郎は無表情のまま積み重なっている死体を見て、爆弾テロで大勢の一族が殺されたときのことを思い出して拳を握りしめている。康一は口元を押さえて吐き気をこらえた後、眉をひそめながら虐殺の元凶を睨みつけた。

 

「うがううう……痛え、痛えよ」

「手ひどくやられたな、セッコ。おまえならジョルノを始末できると思っていたが……そうか、ムーロロも把握していなかったスタンド使いがいたのか」

 

 20世紀初頭に建てられた大理石製の記念建物(モニュメント)──ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂に背を向けて立っているチョコラータとセッコに一同の視線が釘付けになる。

 ヴェネツィア広場は本来の流れではブチャラティとセッコが戦っていた場所だった。コロッセオからは1kmほどしか離れていない。『カビ』の被害は広がり続けているが、コロッセオまではギリギリ届いていなかった。

 順調にいっているのなら、ブチャラティと承太郎はコロッセオに到着してポルナレフから『矢』を受け取っているはずである。しかし、最悪の場合はディアボロが先回りをしてポルナレフを殺して『矢』を奪っている可能性もある。

 どちらにしても時止めで『カビ』を防げるかどうかは検証していないため、いち早くチョコラータを倒してグリーン・デイの能力を止める必要があった。一歩前に出たなのはは時を飛ばして攻撃しようとしたが、チョコラータの予想外の行動に動きを止めた。

 

「チョコ、ラータ……? なん、で……」

「セッコ……わたしはおまえのことが好きだった。だけどな、吸血鬼となったオレは一人でも無敵なんだ。ジョルノどもに負けて逃げてきた弱いおまえは、もう必要ない」

 

 口元から血を流しながら、セッコはありえないものを見るような目でチョコラータを眺めている。冷たい目でセッコを見下しているチョコラータの手はセッコの心臓に突き刺さっていた。絶望に染まるセッコの顔を見たチョコラータは、嬉しげに頬を緩ませている。

 チョコラータがセッコと合流したのは共闘するためではない。傷ついた体を治すために、生きた人間が必要だったからだ。吸血鬼となったチョコラータの倫理観は完全に破綻していた。かつては本心から信頼していたセッコのことすら、餌としか思えないようになっている。

 

 突き立てた手からチョコラータは血を吸い上げていく。心臓を破壊されたセッコだったが、戦闘における勘は死に際においても冴え渡っていた。とっさにオアシスを全力で発動してチョコラータの手を溶かして、完全に血を吸い取られる前に逃げ延びていた。

 しかし、血を吸いつくされてミイラのようにならずにすんだからといって、命が助かるわけではない。血の大半を失い心臓を潰されたセッコは死を免れない。仮にジョルノがゴールド・エクスペリエンスを使ったとしても命をつなぐことはできないだろう。

 

「な、なにをやっているんだッ!? そいつは、おまえの仲間じゃあなかったのかッ!」

「仲間……? 違うな、セッコはただの道具だ。強者は弱いやつを支配してもいい資格がある。他人を支配しなくてはならない宿命が強い者にはあるのだ。吸血鬼となったオレは誰よりも強い! オレより弱い下等な人間など、ただの餌に過ぎないッ!」

 

 仲間を切り捨てるチョコラータの行動を康一が問いただす。悪びれもせず、チョコラータは狂気をはらんだ赤い目を康一に向けながら持論を語り始めた。元より強者は弱者を支配してもいいという考えをチョコラータは持っていた。

 その考えは石仮面を被り人間をやめたことで、より大きくなった。今の彼にとって、人間は娯楽の道具と餌を兼ねた存在でしかない。血を吸ったことでエネルギーを補給したチョコラータだが、内心では分が悪いことを理解していた。

 

 波紋法と同じように生命エネルギーを操れるジョルノのゴールド・エクスペリエンス。吸血鬼の人間を超越した速度に生身で並び立てる士郎。未来を予知して時を飛ばすことで『カビ』を無力化できるなのはのキング・クリムゾン。

 チョコラータはそれらと1対1で戦っても負ける気はしなかったが、同時に相手をしても勝てると思うほど慢心はしていなかった。そもそも、チョコラータは無理をして決着をつける必要すらない。チョコラータはパッショーネのボスの座を狙っているわけではないのだ。

 ボスに普段の動向を監視されているのがうっとおしく思ったのでついでに始末しようとしているだけで、チョコラータは金や権力に興味があるわけではなかった。人間から逃げるのは気に食わないが、自分には無限の時間がある。

 そう考えたチョコラータは再生させた手でキャリーケースを掴むと、足に力を込めてこの場から逃げようとした。しかし、跳ぼうとした瞬間、地面がぬかるんで足を取られてしまった。よく知る能力の発動に驚いたチョコラータは、首を動かし地面に転がるセッコへと顔を向けた。

 

「くそ、チョコラータ……オレ、は……ただじゃあ……死なねえぞ……」

「死にぞこないめ……足止めのつもりか? こんなもの、わたしには通用しないぞ」

 

 人間相手なら有効なオアシスのドロ化能力も吸血鬼相手には意味をなさない。オアシスで溶かしたものは硬さが変わらないという特性があるが、吸血鬼なら石畳など発泡スチロールを壊すかのように容易く破壊できる。

 石畳を壊してチョコラータは手早く脱出してしまった。絶好のチャンスだったが、なのはたちは()()()()()()()に様子をうかがっている。

 時を飛ばせば背後に回り込めたが、地面がドロ化していて追い打ちできなかったのだろうと考えながら、チョコラータはオアシスの能力が及んでいない場所まで移動しようとした。しかし、踏み込んだはずのチョコラータの右脚からは何の感覚も返ってこなかった。

 

「足止め……じゃあ、ない。オレが、狙ったのは……おまえが持ってきた、()()()()の、ほうだ」

「こ……このマヌケがぁああああ────ッ! セッコォォォォォ────ッ! なんてことをしやがるッ!」

 

 息絶えてしまったセッコに対して、チョコラータが叫び声を上げる。バランスを崩して倒れているチョコラータは、ようやくセッコがやろうとしていたことに気がついたのだ。

 セッコの攻撃の狙いはチョコラータの足止めではない。注意をそらすために地面も柔らかくしたが、本当の狙いはチョコラータが持っていたキャリーケースを()()()()()()()ことだった。チョコラータはムーロロから『2つ』の情報を受け取っていた。

 一つは『石仮面』についての情報である。ディアボロは『石仮面』を使うつもりはなかったが、破壊してしまうのも惜しいと考えてローマのとある場所に隠していた。ボスについてそれとなく探っていたムーロロは、偶然にも『石仮面』の隠し場所を見つけてしまっていた。

 好奇心旺盛なチョコラータは回収した『石仮面』を一般人に使用して少しだけ実験した後に、自らに使用して吸血鬼となっていた。ヘリコプターが撃墜される直前に脱出できたのも、あらかじめ吸血鬼になっていたからだ。事前に『石仮面』を使っていなければ、あのときチョコラータは死んでいただろう。

 

 そしてもう一つの情報こそが、チョコラータがボスを仕留められなかったときに使おうとしてた奥の手であり、全てが終わったら解き放って楽しもうとしていたシロモノだった。彼らの言う例のものが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 チョコラータが本来の流れより遅れて現れたのは、『石仮面』の回収と実験をしていたのもあるが、()()()()()()()()()()()()()()()からでもあった。チョコラータが墜落するヘリコプターから無理をしてでも持ち出したのも、そうしなければならない理由があったからだ。

 常にチョコラータが手放さずに持ち歩いていたキャリーケースの中にはとある男が入っていた。その男の名はカルネ──親衛隊のメンバーであった。四肢を切断して『カビ』で止血したチョコラータは、ボスが使おうとしなかったカルネのスタンドを勝手に解放しようとしていたのだ。

 

 カルネのスタンド──ノトーリアス・B・I・G(ビッグ)は死後に能力が発現する変則的なスタンドだ。生前も人型のヴィジョンこそあったが特殊な能力はなく、パワーやスピードも人間並みしかない戦闘員としては役に立たないスタンドだった。

 それでもディアボロが親衛隊にカルネを入れていたのには理由がある。カルネは自分が死んだらスタンドがどうなるのか、本能的に理解していたのだ。それに加えてカルネは自分を拾い上げてくれたディアボロのことを心の底から崇拝していた。

 使用できる場所こそ限られるが、飛行機や船の中でなら絶対に相手を始末できる最終兵器として、ディアボロはカルネに親衛隊の席を与えていた。どこで聞きつけたのかチョコラータとセッコはノトーリアスの真の能力を知っていた。

 そして、親衛隊の動きを調べていたムーロロは、カルネを含めた親衛隊の居場所を把握していた。本来の流れなら死んでいるはずのカルネが生きていたことにより、ローマ市内でノトーリアスが解放されるという最悪の事態が起きてしまったのだ。

 

「GYAAAAAAHHッ!」

「こ、このままでは全身が食われてしまう……人間を超越したこのオレが、この世にへばりついている怨念にやられるだとッ!」

 

 鳴き声を上げながら本能のままに襲いかかってくるノトーリアスに対して、顔を青くしたチョコラータは必死にあがいていた。右脚だけとはいえ吸血鬼の膨大なエネルギーを吸収したノトーリアスの大きさは1mを超えようとしている。

 左脚も吸収して胴体へと上ってくるノトーリアスを排除しようにも、怨念で動いているため物理的な攻撃で消滅させることはできない。ノトーリアスは動きを探知して、周辺で最も速く動くものを攻撃するという特性がある。チョコラータの右脚に喰らいついたのは、移動しようと右足を動かしたからだ。

 なのはたちがオアシスの能力で足を取られたいたチョコラータを動かずに見ていたのは、その段階ですでにノトーリアスが発動していたからである。必死にもがいているチョコラータはエネルギーを使って食われていく肉体を再生させようとしているが、再生より侵食する速度のほうが上回っている。

 

「ならば、腕を切り落として囮に──ッ!?」

 

 自分の腕を切断して投げることで、そちらにノトーリアスを移動させようとしたチョコラータだったが、それもうまくいかなかった。動かずに様子を見ていた士郎が袖口に仕込んでいた飛針(とばり)を投擲してチョコラータの胴体に突き立てたことで、ノトーリアスの矛先が変わったのだ。

 両足を失い、胴体もノトーリアスに飲み込まれたチョコラータの顔は絶望に染まっていた。吸血鬼の身体能力と生命力でかろうじて生きているが、失った四肢を生やせるほどの再生力があるわけではない。

 もはやスタンド能力を維持する余力も残っていないのか、周囲の死体に生えていた『カビ』は消え失せている。見るも無残な姿になったチョコラータを憐れむ者はいない。人間を見下していたチョコラータは、自らが()いた種に殺されようとしている。

 

「力による支配は、より大きな力によって覆される。それがこの世の(ことわり)だ。チョコラータ、おまえは手にした力に酔って、やってはならないことをしてしまった。その償いを受けるんだな」

「……まだ、だ。わたしはもうすぐ死ぬだろうが……最後におまえたちが絶望する姿を目に焼き付けて死んでやるッ!」

 

 胴体を失い頭部だけになったチョコラータは、血管針を出して飛び上がりながら空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)を撃とうとしていた。吸血鬼のエネルギーを更に吸収したことで5mほどまで大きくなったノトーリアスが追いかける。

 死を覚悟しているチョコラータは気にすることなく圧縮した体液を放った。しかし、チョコラータの攻撃は見当違いの方向に飛んでいく。そもそもチョコラータが狙ったのはなのはたちではなかった。

 銃弾をも上回る速度で撃ち出された体液をノトーリアスは本能のままに追跡する。その先には、なのはたちの目的地──コロッセオがあった。

 

「おまえたちにノトーリアスを止めることはできない! このまま『矢』もろとも、全てを台無しにしてやるッ! うわははははははは──」

「やってくれたな、このゲスが」

 

 なのはは一瞬だけ時間を飛ばしてチョコラータに近づき、再生することがないようにキング・クリムゾンで念入りに頭部を踏み潰した。そして万が一にも蘇ることがないように、ジョルノがチョコラータの残骸をゴールド・エクスペリエンスの能力を使って花に変えた。

 チョコラータとセッコは倒せたが、もっと手がつけられない敵が現れたことになのはは頭を痛める。なのはの知るかぎり、ノトーリアスは本当の意味で無敵と言えるスタンドだった。本体がいないため永遠に活動し続けるスタンドを滅ぼす手段はほとんど存在しない。

 仗助のクレイジー・ダイヤモンドで吸収されたものをなおして引き剥がし、小さくなったノトーリアスを億泰のザ・ハンドで削り取るぐらいしか、なのはは対抗策が思いつかなかった。

 承太郎が時間を止めて削り飛ばすというのも不可能ではないが、あそこまで大きくなったノトーリアス相手では難しい。ディアボロがカルネを使うとしたら、海か空の上か最悪でもサルディニア島だろうと想定していたため、逃げる手段はともかく倒す手段は用意していなかったのだ。

 

「どちらにしても、行くしかない。あれを放置した結果、『矢』まで飲み込まれたら希望が完全に(つい)える」

「怨念で動く不死身のスタンドでもレクイエムなら倒せるかもしれない。それにノトーリアスについて分かっている情報が事実なら、倒すのは難しくとも時間稼ぎぐらいはできそうだ」

 

 スタンドの枠組みを越えているレクイエムならノトーリアスを滅ぼせる可能性は十分あるという考えに、なのはとジョルノは素早く至った。レクイエムは謎が多い能力のため、確実に対処できるかは分からないが現状ではそれぐらいしか望みがないのも事実である。

 また、ノトーリアスの性質そのものは単純なため、機内のような逃げ場のない空間ならともかくコロッセオのような開けた場所ならば、対処の方法はそれなりに存在する。

 

「物質と同化しているからか、あのスタンドは俺にも見えるようだな。それならやりようがある。俺もついて行こう」

「ぼくも手伝うよ。色々あったけど、この国のことは気に入っているんだ」

 

 士郎と康一も引く気は無いようで、怯えや不安も見せずにジョルノとなのはを見つめている。二人の意思を曲げさせるのは難しいと思ったなのはは黙って首を縦に振った。こうして意見がまとまった一同は、コロッセオへと繋がっている直線の道路を駆けていくのだった。




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裏切り者のレクイエム その①

 救急車と消防車のサイレン音を聞きながら車椅子に腰掛けている銀髪の円柱形の髪型をした男──ジャン=ピエール・ポルナレフはコロッセオの2階から双眼鏡を使って周囲の様子を探っていた。

 彼がコロッセオという有名な観光地を集合場所に選んだのには、いくつかの理由があった。第一に観光地なのでイタリア人以外の人物がいても違和感がない。第二にコロッセオ周辺は地元民が立ち寄ることは少ないので不用意に目立たずに済む。

 第三にブチャラティたちより先にパッショーネの暗殺者が現れた場合は、交戦や撤退がしやすい立地である。コロッセオは身を潜められる物陰が多い上、柵で封鎖されている部分もあるが脱出経路は多く存在している。

 ディアボロと戦ったときの後遺症で満足に体を動かすことのできないポルナレフだが、それでも鉄柵を自身のスタンド──シルバーチャリオッツのレイピアで切断できる程度の力は残されていた。

 

「あちこちから煙が立ち上っている。先程、大きな爆発音も聞こえたが……ディアボロの手下のスタンド使いが暴れているのか? 幸いにもコロッセオまで被害は届いていないが、ここで待ち続けるのは危険かもしれないな。だが……おれには待つことしかできない」

 

 車椅子を移動させてアーチ部分から離れたポルナレフは手に持っていた双眼鏡を手頃な高さの手すりの上に置いた。そして膝の上に乗せていたノートパソコンに目をやる。画面上には、協力者が用意したブチャラティたちの顔写真や経歴に関する情報が映っていた。

 ポルナレフは単独で動いているが協力者が全く残っていないわけではない。スタンド使いの協力者はいないが、彼の祖国であるフランスを拠点としているSPW財団と協力的な裏社会の組織や、麻薬を無作為(むさくい)にばら撒いて荒稼ぎしているパッショーネのやり方に反感を抱いているイタリア国内の比較的善良なマフィアと手を結んでいる。

 ディアボロに追い詰められてSPW財団や承太郎の助力を得られなくなってからはパッショーネに動きを察知されないように最小限の活動しかしていなかったが、ディアボロについて情報を探っている人物が現れたタイミングでポルナレフは協力者と連絡を取っていた。

 

 ポルナレフが死んだと思っていたディアボロはSPW財団や承太郎の動きは情報分析チームに監視させていたが、協力者の存在を全て把握できているわけではなかった。しかし、半死半生(はんしはんしょう)だったポルナレフが回復するまでの間にパッショーネは更に力をつけていた。

 協力者を通じてSPW財団と情報のやり取りをすれば、間違いなく自分が生きているとディアボロにバレるだろうとポルナレフは考えた。だからこそ、彼はディアボロの正体にたどり着く者が現れるまで耐え続けた。

 イタリアの社会に深く根を張ったパッショーネを簡単に出し抜けると思うほどポルナレフは単純な男ではない。満を持して協力者を本格的に動かした以上、ディアボロを倒さなければ遅かれ早かれ協力者の身元は割り出されて、全員始末されてしまうだろう。

 

「『希望』はある。彼らに『矢』を託すことができれば、間違いなくディアボロのキング・クリムゾンを超えることができるはずだ。おれは待っていることしかできないが……承太郎、どうにか彼らをここまで導いてくれよ」

 

 右手で握りしめた『矢』の(やじり)を見ながら、ポルナレフは10年以上顔を合わせていないかつての仲間の姿を思い浮かべる。承太郎は彼の知るかぎり、最強のスタンド使いだ。未来を読み時間を飛ばせるディアボロ相手に真っ向から戦えるスタンド使いは、承太郎の他には思い当たらなかった。

 ポルナレフは承太郎の実力の程を深く理解しているが、ディアボロに勝てると断言はできない。それでも承太郎ならなんとかしてくれるという不思議な安心感があった。DIOを倒したときのように、承太郎ならどんな障害があろうとも乗り越えられるとポルナレフは信じているのだ。

 

「……誰かがコロッセオに近づいてくるぞ。なんだ、あの小僧は? あんなヤツ、データには──ッ!? こ、これは……バカなッ! おれはパソコンを手すりの上に置いた覚えはないぞ! まさか、こいつはッ!」

 

 コロッセオに入ろうとしているタートルネックを着た少年の正体を確かめようとしていたポルナレフは、一瞬の内に膝の上からノートパソコンが消えて自分の位置が移動していたことに驚き戸惑っている。慌てた様子で2階へと上がるための階段に目を向けると、先程の少年が足音を立てながら足をかけていた。

 ゆっくりと着実に向かってくるそばかすが特徴的な赤毛の少年──ヴィネガー・ドッピオの動きをポルナレフは黙って見ていた。ポルナレフはドッピオの発するおぞましい殺気に当てられて、息を呑んで動けずにいるのだ。

 ドッピオは気弱な少年といった風貌だが、普段とは違い茶色から緑色に変化した瞳には水底のような冷たさが宿っていた。外見こそドッピオだったが、彼の体を動かしているのはディアボロである。ディアボロは階段を登りながら自分に言い聞かせるように、ぽつりと言葉を呟いた。

 

「これは『試練』だ。過去に打ち勝てという『試練』とオレは受け取った。人の成長は……未熟な過去に打ち勝つことだとな。え? おまえもそうだろう? ジャン=ピエール・ポルナレフ」

 

 時間を飛ばして服を脱ぎながらディアボロは持論を述べる。顔から汗を流して緊張しているポルナレフは、誰よりも早く現れたディアボロからどうやって『矢』を守り抜くか必死に考えていた。そうしている間にもディアボロはポルナレフに近づいていく。

 

「過去は……バラバラにしてやっても石の下から……ミミズのように()い出てくる。死んだと思っていたおまえが生きていたのは驚いたぞ。さて……おまえがヤツらに渡そうとしている『矢』の真の使い方とやらを教えてもらおうか」

「その階段に足をかけるんじゃあねぇ────ッ! おれは上! きさまは下だ!」

 

 ディアボロが知っているはずのない『矢』に関する情報が知られていることにポルナレフは眉をひそめながら声を荒げる。ポルナレフは指先を噛んで血の(しずく)を太ももに落としながら、襲いかかってくるであろうディアボロの攻撃に反応しようとしていた。

 本体であるポルナレフが足を欠損しているため、今のチャリオッツは鎧を脱いでも分身しているように見える速度で動くことはできない。それでもチャリオッツの振るうレイピアの速度は全盛期と同等の鋭さを保っていた。

 時を飛ばして攻撃してきたタイミングに合わせて反撃するため、ポルナレフは神経を研ぎ澄ます。動かずにいるポルナレフから『矢』を強奪するため、ディアボロは地面を蹴って一気に階段を駆け上がった。

 

「おまえが下だ! ポルナレフッ! オレの過去を知るおまえを地獄の下に送ったあとに、ゆっくりと『矢』の使い方を調べさせてもらうッ!」

「地獄に落ちるのはてめーのほうだッ! そこだ、シルバーチャリオッツ!」

 

 血の滴が増えた瞬間、ポルナレフはチャリオッツに自分の周囲に円を描くように切らせた。過去にポルナレフが殺されかけたときも、ディアボロは時間を飛ばして背後から攻撃してきた。

 そのときのことを覚えていたポルナレフは、時が再始動したのと同時に側にいるであろうディアボロを狙って攻撃したのだ。しかし、()()()()()()()()()()()ことにポルナレフは嫌な汗が流れるのを感じた。

 

「てっきり再起不能になっているとばかりに思っていたが……衰えてはいなかったか。そして勉強したようだな。時が消し飛んだ瞬間を『血の滴』で見分けるとは……タイミングも天才的だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かもしれないな。だが……これでおまえは終わりだ」

「ぐっ……ま、マズイ……このままでは『矢』がディアボロに奪われてしまうッ!」

 

 ディアボロは時を飛ばしながら同時にエピタフも使用していた。本来なら絶対にやらなかったであろう行動をした理由──それは姿を見せないなのはを警戒してのことだった。宮殿の内部で自由に動けるなのはが不意打ちしてくる可能性を考えて、ディアボロはエピタフを併用していたのだ。

 なのははこの時点ではチョコラータと戦っている最中である。距離も1km以上離れているため、時飛ばしの射程範囲外だった。妨害に来るはずのない相手を警戒して使ったエピタフは無駄だったが、無意味に終わったわけではなかった。エピタフの予知に映る自分の行動を見て距離をとることにしたのだ。

 

 近づくのはマズイと考えたディアボロはズボンのポケットに忍ばしていたコロッセオの外壁の欠片を2つ、キング・クリムゾンに投擲させて車椅子の車輪と『矢』のシャフトにぶつかる寸前で宮殿を解除した。片輪が壊れた車椅子はバランスを崩して、座っていたポルナレフも地面に投げ出された。

 同時にシャフトが折られて半分以下の長さになった『矢』は、ポルナレフの背後に飛ばされた。『矢』のシャフトを折るために飛んできた外壁の欠片が胸部に直撃したポルナレフは、口元から血を流しながら地面にひれ伏している。

 立ち上がれずにいるポルナレフを見下ろしているディアボロの目に油断の色は感じられない。なのはという自分の立場を脅かす存在が現れたことで、ディアボロは本気になっている。今のディアボロは普段は隠しているスタンド能力の応用も惜しみなく使うだろう。

 

(『矢』は5m以上離れてやがる……射程距離外に出てるからチャリオッツに拾わせるのは不可能だ。今のおれの足じゃあ、立ち上がって拾いに行く前にディアボロに殺されちまう。まさに絶体絶命の状況だな……まるであのときと同じだ。あのときはイギーが助けてくれたが……)

 

 ヴァニラ・アイスというDIOの部下に追い詰められたときと今回の状況は似ていた。ボストンテリアという種類の小型犬のスタンド使い──イギーを姿を思い出しながら、ポルナレフは反撃のアイデアを考える。足を負傷して動けなかったポルナレフを敵スタンドの攻撃から救ってくれたのは瀕死のイギーだった。

 今回のポルナレフは単身で戦っている。一歩一歩、未来を見ながらゆっくりと迫ってくるディアボロを瞬きもせずに睨みながら、ポルナレフは考えを巡らせる。あのときと同じ3択がポルナレフの脳裏に浮かんだ。

 

 

そこで問題だ! この状況でどうやってディアボロから『矢』を守るか?

 

3択─ひとつだけ選びなさい

 

答え① ハンサムのポルナレフは突如(とつじょ)反撃のアイデアがひらめく

 

答え② 仲間が来て助けてくれる

 

答え③ 『矢』を奪われる。現実は非情である。

 

 

 ポルナレフとしては②を選びたかったが、ディアボロが単身で現れた時点で承太郎やブチャラティたちがタイミングよく助けに現れる可能性は低かった。ローマの状況を観察していたポルナレフは広範囲を攻撃しているスタンド使いがいることはすでに把握している。

 だが、①を選ぼうにもチャリオッツの強みでもある機動力が失われている時点で、ポルナレフは戦いの土俵にすら立てていなかった。ポルナレフの目的は『希望()』を託すことである。最悪の場合、自分が死んででも『矢』を守り切る覚悟がポルナレフにはあった。

 

(承太郎……わざわざ助けに来てくれて悪いが、どうやら再会する前に死んじまいそうだ。それでも……希望をここで途絶えさせたりはしないッ! このクソッタレの悪魔(ディアボロ)に『矢』は渡さねえッ!)

 

 レイピアの剣先をディアボロに向けながら、ポルナレフは覚悟の込められた目で睨みつける。ポルナレフの纏う気配が変わったことに気がついたディアボロは警戒心を高めた。現在の両者の距離は3mほどあり、チャリオッツとキング・クリムゾンは互いに射程距離外である。

 エピタフの予知で危険がないことを理解しているディアボロは止まることなく歩き続ける。そして両者の距離が2メートルになろうかとしたそのとき、チャリオッツの構えていたレイピアの剣針(けんしん)が銃弾のように発射された。しかし、チャリオッツの奥の手もディアボロには通用しない。

 

「馬鹿が……オレが未来を予知していることを忘れたのか? 見えている攻撃が不意打ちになるわけがないッ!」

「それはどうだろうな」

 

 斜め上方向に射出された剣針を時も飛ばさず横にずれて避けたディアボロの行動を見たポルナレフは口の端を吊り上げている。そんなポルナレフの反応に違和感を覚えたディアボロは、何かに気がついたのか慌てた様子で0.5秒だけ時間をふっ飛ばした。

 ディアボロが時を飛ばすのとほぼ同じタイミングで、壁にあたって跳ね返った剣針がディアボロの頭部付近をすり抜けて飛んでいった。ポルナレフは射出した剣針を壁面に当てて反射させるつもりで放っていたのだ。20年以上、剣術を磨き続けてきたポルナレフの腕前は達人の域に達していた。

 針に糸を通すような繊細な攻撃をしてきたことにディアボロは驚きこそしたが、当たらない攻撃に意味はない。奥の手を外したというのに、動揺していないポルナレフに不気味さを感じたディアボロは、剣針の行方を見てようやくポルナレフの狙いに気がついた。

 

「ポルナレフ! キサマの狙いは、オレではなく『矢』だったのかッ!」

「おれは時間を稼げれば、それでよかったんだ。おまえに殺されたとしても、おれの意思を継いでくれるヤツらはいるからな」

 

 ポルナレフが剣針を当てるつもりだったのはディアボロではない。反射して飛んだ先にある折れた『矢』だったのだ。ディアボロが剣針をキング・クリムゾンで防がないかどうかは賭けだったが、運はポルナレフに味方した。

 甲高い音を立てて弾き飛ばされた『矢』はクルクルと回転しながら宙を舞い、そのままアーチ部分をくぐり抜けてコロッセオの外に落ちていった。その様子をディアボロは目を見開きながら呆然と眺めていた。

 

「おまえの予知は自分の身の守りには向いているようだが、それ以外には大して役に立たないようだな」

「やってくれたな、ジャン=ピエール・ポルナレフッ! キサマを殺して、すぐにでも『矢』を手にして──ッ!?」

 

 キング・クリムゾンにポルナレフの心臓を貫かせようとしていたディアボロが目を見開いて真横を向いた。自分を狙って飛び込んでくる物体に対処するため、ディアボロはキング・クリムゾンを迎撃に向かわせる。前触れもなくディアボロの真横に現れた物体──それは大型のバイクだった。

 よほど勢いがついていたのか、キング・クリムゾンが拳を突き立てたバイクは激しい衝突音を立てて破壊され、パーツが周囲に降り注いだ。バイクの衝突を難なく防いだディアボロは、険しい顔でポルナレフが倒れていた場所を見ている。

 ディアボロの視線の先には鋭利な刃物で切断されたような穴が空いた床があった。迷うことなく穴に飛び込んで1階に降りたディアボロはポルナレフを壁際に寄せていた男──ブローノ・ブチャラティを視界の中に収めると平坦な声で語りかけた。

 

(みずか)ら殺されに来たか、ブローノ・ブチャラティ。姿は見えないがジョータロー・クージョーもいるんだろう? あの場では逃してしまったが、おまえたちはオレのスタンド能力を知っている。今度こそ始末させてもらうぞッ!」

「滅びるのはあんたのほうだ、ディアボロ! このコロッセオで全ての因縁に決着をつけるッ!」

 

 ブチャラティとディアボロのスタンドが互いにラッシュを放つ。姿を隠している承太郎は息を潜めながら、時間を止めて攻撃するタイミングを見計らっていた。壁にもたれかかっているポルナレフは、自分の足掻きは無駄ではなかったと心の中でひとりごちながら、戦いの行く末を眺めているのだった。




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裏切り者のレクイエム その②

 ブチャラティのスティッキィ・フィンガーズは近距離パワー型としては優れた性能を持っている。しかし、ディアボロのキング・クリムゾンは力と速さ、その両方がスティッキィ・フィンガーズを上回っていた。

 エピタフで少し先のブチャラティの行動を把握しているディアボロに単純な攻撃は通用しない。拳を叩き込めれば相手に『ジッパー』を生やして擬似的に切断できるスティッキィ・フィンガーズの強みを、ブチャラティは発揮できずにいる。

 スタンドの総合的な性能で負けているブチャラティは徐々に追い詰められ、ジリジリと後ろに下がっていっている。仕切り直すためブチャラティは一旦攻撃をやめて柱の陰に隠れた。だが、ブチャラティの行動はディアボロにとっては無意味な行為だった。

 

「我がキング・クリムゾンは『無敵』だ。そして、その位置もすでに射程距離に入っている!」

 

 時間を飛ばしたディアボロは柱の裏に回り込んだブチャラティを攻撃するために近寄りながら思考を巡らせる。ブチャラティは優れたスタンド使いであり、スタンド能力も汎用性がある油断ならない相手だ。しかし、キング・クリムゾンを倒すには地力が足りていない。

 離れた位置から様子を見ているポルナレフも戦力としては役に立たないだろう。この場でもっとも注意しなければならない相手は、宮殿を閉じたタイミングで攻撃できる承太郎であると考えている。故にディアボロはスタンドパワーを多く消費しながらも時飛ばしとエピタフを併用していた。

 

「この未来は……ジョータロー、やはりキサマは油断ならない男だ」

 

 忌々しげに顔を歪めながら、ディアボロはブチャラティの心臓を破壊させようとしていたキング・クリムゾンを自分の(かたわ)らに戻して時を再始動させた。それと同時に10本以上のナイフがディアボロ目がけて飛来してきた。

 エピタフであらかじめナイフの軌道を把握していたディアボロは、予知で見た自分の知る未来のとおりにキング・クリムゾンを動かす。キング・クリムゾンに弾き飛ばされたナイフが狙いすましたかのように他のナイフに直撃して、ディアボロは最小限の手間で全てのナイフを防ぎきった。

 エピタフを使っていなければ、ディアボロは瞬く間に串刺しになっていただろう。警戒していて助かったと思うと同時に、ディアボロは承太郎がどこに隠れているのか見つけられずに困惑していた。

 

(ジョータローが物陰に潜んでいようが、宮殿の内部なら見えなければおかしい。ヤツは一体どこに隠れているんだ?)

 

 宮殿の内部では動きの軌跡が残らない静止したものは見えなくなる。生き物は生命活動を行っている関係で立ち止まっていても動きの軌跡は残るはずなのだが、先程の時飛ばし中にディアボロはブチャラティとポルナレフの姿しか見ていなかった。

 時間を止めてディアボロをナイフで攻撃したということは、承太郎は絶対にすぐそばにいるはずである。僅かながらの照明だけで照らされている薄暗いコロッセオの内部には隠れられる場所が多数存在する。エピタフの予知でも全方位は警戒できない。

 ならば時間稼ぎに付き合わずに『矢』を確保するべきだと考えたディアボロは、ブチャラティに背を向けてコロッセオの外に出ようとした。しかし、一瞬の内に進行方向にブチャラティが回り込んでくる未来を予知したディアボロは足を止めてしまった。

 

「言ったはずだ、ここで決着をつけると。『矢』を手にするのはボス、あんたじゃあないッ!」

「組織を裏切ったカスが……このディアボロに指図するなッ!」

 

 腕を『ジッパー』で分解して射程距離を伸ばしたスティッキィ・フィンガーズの拳が天井に触れる。『ジッパー』でバラバラに分解された天井がディアボロ目がけて降り注ぐ。だが、予知であらかじめ落下物が当たらない位置を把握していたディアボロは難なく攻撃を切り抜けた。

 追い打ちをかけるために時間を止めた承太郎がディアボロの足元に向けて複数の手榴弾を転がす。だが、ディアボロは爆発する瞬間だけ時間を飛ばして易々と回避してしまった。両者ともに有効打を与えられずに戦況は膠着(こうちゃく)している。

 

(ムーロロの掴んでいた情報が正しいのなら、ジョータローが止められる時間は5秒しかないはずだ。たったそれだけの時間でブチャラティを守りつつ攻撃を行える場所は限られている……なるほど、そういうことか!)

 

 ディアボロは崩れた天井の一部をキング・クリムゾンで拾い上げて時を飛ばしてブチャラティ目がけて投擲したが、またもや時間を止めた承太郎に迎撃された。しかし、これまでの承太郎の時止めの法則からディアボロは承太郎の居場所に目星をつけていた。

 承太郎を隠れている場所から引きずり出すためにディアボロは行動を起こした。弾き飛ばす際に掠め取っていたナイフで手のひらを傷つけると同時に時間を飛ばして、ブチャラティに血の目潰しを仕掛けたのだ。

 

「ブチャラティの攻撃はこれで完全に封じられたッ! 『予知』ではオレの攻撃は通っていないが……ジョータロー、キサマはオレの予想していたとおりの場所に隠れていたなッ!」

 

 そのまま攻撃はせずに距離を置きながら、ディアボロはブチャラティの首と心臓に直撃するようにナイフを投擲しながら時を再始動させる。当たるはずだったナイフは時間を止めて防がれたが、ディアボロの狙いはナイフによる攻撃ではない。

 血の目潰しで目が見えていないブチャラティはディアボロの攻撃を防ぐことができない。承太郎は連続で時間を止めることができない。つまり、承太郎が姿を現さなければ攻撃を止めることができない状況をディアボロは作り出したのだ。

 ブチャラティの息の根を止めるべく、ディアボロがキング・クリムゾンの手刀を振り下ろす。しかし、予知のとおりディアボロの攻撃は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()によって止められた。

 

「やはり、ブチャラティのスタンド能力を使って体の中に隠れていたか」

「……(あなど)っていたわけじゃあないが、こんな短時間でおれの居場所を把握するとはな。不意打ちで時間を止めて、てめーに一撃を喰らわせる予定だったんだが、想定が甘かったか」

 

 承太郎が隠れていた場所──それはブチャラティの背中に付けられた『ジッパー』の中だった。『ジッパー』で生み出された空間はある程度体積を無視することができる。

 内部から外の様子は見えないので、ディアボロに感づかれないように時間を止めている間だけスタンドを外に出して周囲の確認をしていたのだ。

 ディアボロがブチャラティを警戒せずに時を飛ばして背後を取ったときは承太郎が時間を止めて反撃する予定だったのだが、エピタフを掻い潜ることはできなかった。なのはと承太郎が現れたことでディアボロを必要以上に警戒させてしまったことが失敗の原因だろう。

 

「てめーが時を飛ばし終えたのと同時にスタープラチナをたたきこむ。かかってきな!」

「我がキング・クリムゾンの能力に対抗できるだけで、いい気になってるんじゃあないぞッ!」

 

 『ジッパー』の中から出てきた承太郎がズボンのポケットに手を入れながらディアボロと向かい合う。時飛ばしに対するカウンターを承太郎はなのはとの訓練で完全に身に着けていた。ディアボロが何も考えずに時間を飛ばせば、カウンターで時間を止めた承太郎の餌食になるだろう。

 ディアボロもエピタフの予知により、単調な時飛ばしによる攻撃だけでは反撃される可能性が高いことは理解している。それに加えて、ブチャラティチームを足止めするために向かわせている暗殺者たちから連絡が来ないことで、ディアボロは少しばかり焦りを感じていた。

 帝王としてのプライドがあるからこそ逃げずに戦っているが、ディアボロの脳裏には僅かにだが敗北の可能性が浮かんでいた。しかし、撤退して態勢を整えるべきだと思う一方で、ここで負けを認めるわけにはいかないという思いもあった。そして、ディアボロは冷静な考えを握りつぶして戦うことを選んだ。

 

「オレは『帝王』だッ! キサマらという『試練』を乗り越えて『頂点』を──ッ!?」

「さっきの光はスタンド攻撃か……? 何が起きているんだ」

 

 スタープラチナとキング・クリムゾンが拳をぶつけ合おうとした瞬間、両者の間を一筋の圧縮された光る液体が通り抜けて地面を貫いた。予想していなかった事態は更に続く。

 圧縮された液体を追いかけて、紫色の外装と車のヘッドライトのような丸く黄色い目が特徴的な人二人分以上の高さがある肉の塊のスタンド──ノトーリアス・B・I・Gが、コロッセオのアーチを突き破って承太郎とディアボロ目がけて突っ込んできたのだ。

 

「な、なんだこいつはッ! ディアボロの手下か!?」

「動くんじゃあない、ポルナレフ! こいつは動くものに反応するスタンドだ。動いたら真っ先に狙われるぞッ!」

 

 突然の乱入者に対処しようとチャリオッツを出して動きかけたポルナレフに承太郎が制止の声を投げかける。承太郎は時間を止めてブチャラティを掴んでポルナレフの隣まで移動していた。ディアボロも時を飛ばして逃れたようで、ノトーリアスは誰も立っていない場所に突っ込んだまま静止している。

 いきなり現れたノトーリアスを見ながらディアボロは眉をひそめて戸惑っていた。ノトーリアスは本体が死んだ際に発生する怨念によって動くスタンドである。攻撃対象は見境なく、ボスであるディアボロであろうと襲いかかる無差別な殺戮兵器である。

 通常の手段では倒せないであろうとディアボロは予想していたため、自分に被害が(こうむ)る場所でノトーリアスを解き放つつもりは一切なかった。カルネには待機しておけという命令を下していたにもかかわらず、死後発現するノトーリアスが暴れているという状況はディアボロにとっても完全に計算外だった。

 

 ディアボロにとって、カルネは非常事態が起きたときの切り札であった。ディアボロは一個人としては『頂点』に位置しているスタンド使いだという自認があったが、集団の敵と戦って勝てるとは思ってはいない。

 基本的にスタンド使いは一般人よりも優れた特殊な能力を持っている。だが、普通の人間より優れているからといって軍隊に勝てるわけではない。結局のところ、スタンドを扱うのはただの人間だからだ。だからこそ、ディアボロは軍隊相手でも勝てるスタンド能力の持ち主を確保していた。

 チョコラータもスタンド能力が判明した当初は同じ役割を期待されていたが、ディアボロに絶対の忠誠を誓うような性格ではないのに加えて危険思想持ちだったので監視を兼ねて親衛隊に入れられたという経緯がある。

 それはともかく、ノトーリアスは最新鋭の現代兵器で武装した軍隊相手であろうと戦える耐久性と性質を兼ね備えている。怨念で動くためスタンドパワーに限界はない。エネルギーを吸収することで無限に大きくなり続ける。そして一度発動してしまったノトーリアスを止める手段をディアボロは持っていない。

 

「なぜ親衛隊のスタンドがここに……ボスが呼び寄せたのか?」

「いや、ノトーリアスは死後に暴走するスタンドだ。自分のスタンドでも対処できないシロモノを、あの男が使うとは思えない。ひとまず──ッ!?」

 

 手から滴り落ちる血液を狙ってノートリアスがディアボロに襲いかかる。ディアボロは、そんな状況にもかかわらず口元を歪めて笑っていた。

 そのままノトーリアスはディアボロを喰らうかと思われたが、いきなり方向転換して承太郎たちの立っている位置に向かって動き出した。いち早く時間が飛んだことを感じ取った承太郎は、反射的に時間を止めて周囲の状況を確認する。

 ノトーリアスが向かってきた理由はすぐに判明した。ディアボロは時間を飛ばして、小石程度の大きさの天井の欠片を投擲していたのだ。時間を飛ばしている間、ノトーリアスは本体であるディアボロの動きを探知しない。

 欠片を投げると同時に時を再始動すれば、高速で振った腕より飛んでいく欠片を優先する。ならばと承太郎は飛んでくる欠片をスタープラチナで掴んで、ディアボロに向けて投げ返した。

 

「止まった世界で動くジョータローには、ノトーリアスも反応しないか。だが、丁度いいところに現れてくれて助かった。これでオレはキサマらを無視して『矢』を拾いに行けるぞッ!」

 

 迫りくるノトーリアスを無視してディアボロは承太郎たちに語りかける。ノトーリアスが直撃しそうになった瞬間、ディアボロは時間を飛ばして地面を蹴った。ディアボロは本能的にブチャラティたちに『矢』を渡してはならないと感じ取っていた。

 使い方こそ分からないが、『矢』を手にした者が戦いを制する力を得るという確信すらあった。ノトーリアスの追跡を振り切れるのは承太郎ただ一人。そして血の目潰しさえ当てることができれば承太郎は敵ではない。

 やはり自分は『頂点』に立つべき人間だと確信しながら、ディアボロはコロッセオの外を走りつつエピタフを発動させた。だが、エピタフは何も未来を映し出さない。黒く塗りつぶされた未来を眺めながら、ディアボロはゆっくりと振り返る。

 彼の視線の先には、以前と変わりなく自身の片割れのような魂の繋がりを感じられる茶髪の少女──高町なのはがジョルノ・ジョバーナを引き連れて立っていた。なのはの顔からは不快感がありありとにじみ出ている。

 

「言ったはずだ、ナノハ・タカマチ。次に会ったときがキサマの最期だと」

「それはこっちのセリフだ。おまえこそ、()()()()()()()()覚悟はできているか?」

 

 ディアボロのキング・クリムゾンとなのはのキング・クリムゾンが互いににらみ合う。片方は歯をむき出しにして怒りの顔を浮かべている。もう片方は口を閉じて静かに殺気を出している。

 全く同じ見た目のスタンドをなのはが出してきたことにディアボロは目を見開くも、浮かんできた疑問の数々はすぐに意識の外へと追いやった。余計なことを考えながら戦えるほど甘い相手ではないと、長年培ってきたスタンド使いとしての経験から察したのだ。

 ディアボロの姿を眺めながら、なのはは拳を強く握りしめる。過去の自分を乗り越えるため、なのははかつての怨敵と肩を並べて戦う道を選んだのだった。




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裏切り者のレクイエム その③

 なのはとジョルノがディアボロに立ち向かっている頃、康一と士郎はもう一人の仲間と合流してコロッセオの様子をアーチの下から確認していた。彼らはディアボロとは戦わずに、コロッセオの内部にいるノトーリアスによる被害を食い止めるため援護しようとしている。

 そんな彼らを車のヘッドライトが照らし出す。康一たちが振り返ると、そこには銀色の車体をした一般的なファミリーカーが停車していた。フロントガラス越しに見える人影は士郎が少しの間だけ顔を合わしたことのある相手だった。

 

「アンタはたしか、飛行機を操縦していたSPW財団のエージェントだな。それに……ッ!? そうか……おまえも立ち向かうことを選んだのか」

「戻ってくるのが(おせ)えんだよ。テメーがいたら、こんな怪我をせずにすんだかもしれねーのによォ」

「フーゴ! フーゴじゃあねーかッ! もしかしてオレたちを助けに来たのかッ!?」

 

 穴の空いたスーツを着ている男──パンナコッタ・フーゴは気まずそうに苦笑しながら、後部座席からミスタに肩を貸しながら出てきたアバッキオと運転席から飛び出してきたナランチャを見つめている。

 遅れて助手席に座っていたトリッシュが、ゆっくりと車から降りながらディアボロとなのはたちが戦っているであろう方角を眺めつつ険しい表情を浮かべている。彼女はディアボロが自分の近くにいる場合に限り、血の繋がりからか居場所を感じ取ることができる。

 姿こそ見えていないが、コロッセオを外周沿いに少し進んだ先にディアボロがいるのをトリッシュは感じ取ったのだ。それと同時に希薄ながらも、もう一つの気配が感じられた。すぐにでもディアボロの下へ向かおうとしたトリッシュだが、誰かに腕を掴まれて引き止められた。

 

「動くんじゃあない、トリッシュ・ウナ。ディアボロの相手は、なのはとジョルノに任せるんだ。おれたちはヤツの相手をしなければならない」

 

 トリッシュを引き止めたのは時間を止めてコロッセオの外まで移動してきた承太郎だった。承太郎が指差す方向を見たトリッシュは口元を手で押さえながら目を見開いた。薄暗いコロッセオの内部で、巨大な肉の塊がのたうち回っているのだ。

 承太郎は時間を止めて物を投擲することでノトーリアスがコロッセオから脱出するのを防いでいた。ノトーリアスの探知範囲はあまり広くないが、放置していれば風の動きを追いかけて外へと向かってしまう。そのため、足止め役に(てっ)していた承太郎はディアボロを追いかけることができなかった。

 

「ヤツを放置したら、いずれ手がつけられなくなる。()()()()()()()()()()()()()が……どちらにしても、今は自由に身動きできないように封印する必要がある。作戦はすでに考えている。虫のいい話かもしれないが……ぼくの言葉を信じてはもらえないだろうか」

 

 一度ブチャラティチームを離れているフーゴは自分の提案が受け入れられない可能性を考えながらも、真摯(しんし)に頭を下げて頼み込んだ。自分には愚直なまでの生真面目さぐらいしか取り柄がないとフーゴは思っている。

 アバッキオたちは、頭を下げたまま動かないフーゴを黙って見ている。そんなフーゴの肩を一人の男が軽く叩いた。それでも顔を上げずにいるフーゴに肩を叩いた男が言葉を投げかける。

 

「オレたちは誰もおまえがチームを離れたことを恨んではいない。むしろ、こうして再び会えたことに感謝しているぐらいだ。よく戻ってきてくれたな、フーゴ」

「ありがとう、ブチャラティ……ぼくは、正しい馬鹿にはなれなかった。可能性があると知って、それでようやく一歩前に進むことができた臆病者だ。それでも……たとえ(ののし)られようが、ぼくもブチャラティのチームの一員でいたかったんだ」

 

 右手を差し出してきたブチャラティに応えるように、フーゴも右手を差し出して握り返す。再びフーゴをチームに迎え入れた一同は、再会の言葉を重ねることなく足早にコロッセオの中へと向かっていった。

 

 

 

 コロッセオ内部へと移動した一同は、手早く説明された作戦を実行に移した。ブチャラティとトリッシュは特に重要な役割を与えられているため、即座に移動して指定された場所へと向かっていった。

 駆け出した二人を追いかけようと移動を開始したノトーリアスを引きつけるため、ナランチャが浮遊させていたエアロスミスの機銃を掃射する。壁に直撃した銃弾を追尾したノトーリアスが壁面に叩きつけられたが、ダメージを受けるどころか衝突した壁を突き破ってしまった。

 多少は(こた)えたのか、ぶつかった部分には瓦礫が食い込んでいて周囲には肉片が飛び散っている。血も吹き出しているが、すぐさま肉が盛り上がり再生してしまった。全体の大きさはほんの僅かに縮んだようにも見えるが、誤差の範囲内であった。

 

「マジで攻撃が効いてねーな。どうすんだよ、フーゴ」

「待ってくれ、ナランチャ……試してみたいことがある。ジョータローさん、これをノトーリアスの肉片にぶつけてみてください」

 

 バイザーのついたヘルメットを頭に被っている紫と白で彩られたひし形の格子模様が全身に刻まれた人型のスタンド──パープルヘイズの拳から取り外した『カプセル』をフーゴが承太郎に手渡す。その『カプセル』が何を意味しているのか、この場にいる人間で把握していないのはポルナレフだけだった。

 パープルヘイズの『カプセル』には、触れた生物を内部から腐らせてドロドロに溶かしてしまう『殺人ウィルス』が封じ込められている。日光や照明を当てれば十数秒で殺菌されてしまうという性質があるが、まだ夜明けまで6時間以上ある。

 コロッセオ内部の照明も最低限しか存在しないため、一度(ひとたび)『殺人ウィルス』が広がってしまうと、フーゴでも止められなくなる。『殺人ウィルス』そのものはスタンド能力から独立しているため、本体が能力を解除したとしてもグリーン・デイの『カビ』のように解除されたりはしないのだ。

 

「な、なるほど……おまえのスタンドがあいつに効くか試すのか」

 

 パープルヘイズの能力を聞いたポルナレフは納得しながらも顔を青ざめさせて、ゆっくりと後ずさりながらフーゴと承太郎から距離を置いている。歳を重ねることで落ち着いていたポルナレフの性格は、承太郎と再会したことでDIOを倒すために旅をしていた頃に戻りかけていた。

 義足を器用に使いこなしてジリジリと離れていくポルナレフを横目に、承太郎は時間を止めて一際大きなノトーリアスの肉片に『カプセル』を投げつけた。時間が動き出したことで空中で静止していた『カプセル』が動き出す肉片に触れた瞬間、『カプセル』は砕けて『殺人ウィルス』を周囲にばら撒いた。

 固唾(かたず)を呑んでフーゴは『殺人ウィルス』の動きを見ていた。承太郎が『カプセル』を当ててから10秒が経過し、20秒が過ぎてもノトーリアスの肉片に変化は現れない。その間にも承太郎は遠距離攻撃が得意なナランチャや拳銃を持っているミスタやアバッキオと協力して、ノトーリアスを誘導している。

 

 30秒が経過しそうになったそのとき、ノトーリアスの肉片に変化が起きた。『殺人ウィルス』を内部に取り込んで吸収したかに見えたノトーリアスの肉片がいきなり腐り始めたのだ。フーゴと()()()()()()()()()()()の予想していた通り、ノトーリアスにパープルヘイズは効果を現した。

 ノトーリアスは物質同化型のスタンドである。ゴールド・エクスペリエンスでも生命エネルギーは探知できないが、肉体そのものは物質化しているためパープルヘイズの『殺人ウィルス』が発動したのだ。これがただの遠隔操作型スタンドだった場合、パープルヘイズは発動しなかっただろう。

 

「フーゴのパープルヘイズは効いてるみたいだが……抵抗してるのか効き目はよくないな。このままだと、殺しきる前に朝になっちまうぞ」

「そんなに待ってられねえよ。早いとこジョルノとナノハを援護しに行かねえと、ディアボロに『矢』を奪われちまうッ! ここはオレらだけで足止めして、ジョータローに『矢』を確保してもらうほうがいいんじゃあねーか?」

 

 拳銃を使って時間稼ぎをしているアバッキオとミスタはパープルヘイズの効き目が(かんば)しくないことを感じ取って焦っていた。パープルヘイズの『殺人ウィルス』は発動してしまえば、相手が人間であろうとあっという間に全身を腐らせて殺してしまう。

 だが、ノトーリアスは『殺人ウィルス』の増殖するエネルギーすら吸収していた。エネルギーを取り込んで増えるより『殺人ウィルス』が増殖して肉体を破壊する速度のほうが上回っているが、普段と比べると効き目は雲泥(うんでい)の差である。

 

「いや、パープルヘイズが効くことが分かっただけで十分だ。それにジョータローがいなければ、()()()()()()()()()()()()()()ことはできないッ! ブチャラティ、そちらはどうなっていますか?」

『……たった今、()()()()()まで繋がったところだ。預かっていた物もトリッシュが柔らかくした。こちらの準備はできている』

 

 フーゴはパープルヘイズの効き目の薄さを気にすることなく、手にしていた無線機を使ってブチャラティと連絡を取った。ブチャラティはトリッシュと共にノトーリアスを追い詰めるべく、とある場所に向かっていた。そして、たった今ブチャラティは『ジッパー』を繋ぎ終えた。

 連絡を受け取ったフーゴは承太郎に準備が完了したことを告げると同時に、残していた5つの『カプセル』を全て承太郎に手渡した。『カプセル』を慎重に握り込んだ承太郎は、目的の場所まで一気に駆け出した。

 すぐさまノトーリアスが承太郎を追いかけて攻撃を仕掛けた。だが、捕食される寸前で承太郎は時間を止めて回避した。そして、承太郎はブチャラティが地面に開けていた『ジッパー』の中に飛び込んだ。当然のように、ノトーリアスも『ジッパー』に飛び込んだ承太郎を追いかける。

 

 5mほどの高さと奥行きのあるノトーリアスは『ジッパー』に入りきれない。しかし、ノトーリアスが『ジッパー』に突っ込んだ瞬間、地面が大きく歪んだ。そのままノトーリアスは地面の中へと潜り込んで承太郎の追跡を続けた。

 スティッキィ・フィンガーズの『ジッパー』は切開できる範囲に限界がある。ノトーリアスを飲み込めるほどの大きさの『ジッパー』を展開し続けるのは難しかった。そこで、スパイス・ガールで『ジッパー』が取り付けられた地面を柔らかくすることで、擬似的に『ジッパー』を拡張したのだ。

 時間を止めてノトーリアスの攻撃をスタープラチナで弾き飛ばしながら、承太郎は落下し続ける。3秒もかからずに『ジッパー』で作られた穴を抜けて地下に広がる空間へとたどり着いた承太郎は、柔らかくなった地面に受け止められた。

 

「スパイス・ガール、柔らかくした地面を元に戻してッ!」

「アギィィィヤアアアアアア」

 

 承太郎が安全に着地できたことを確認したトリッシュがスパイス・ガールの能力を解除する。自由落下していたノトーリアスは勢いを緩められずに地面に衝突して、肉片と血液を飛び散らせながら砕け散った。だが、体積を減らしただけでノトーリアスは健在だった。

 落下で受けたダメージを物ともせず、ノトーリアスはこの場でもっとも速く動くものへと襲いかかろうと動き出した。先程まで動いていた承太郎を狙うかに思われたが──ノトーリアスは見当違いの方向へと向かっていった。

 

 承太郎やブチャラティ、トリッシュを無視してノトーリアスが向かった先には、ひっくり返ったマイクロバスが鎮座していた。アクセルを踏んだ状態で固定されているのか、マイクロバスの後輪は回転し続けている。

 回転する後輪の動きに反応しているノトーリアスは、巨体を使ってマイクロバスを押しつぶそうとした。しかし、マイクロバスは破壊されることなく、ゴム製のオモチャのように歪みながらノトーリアスを受け止めた。変形しているにもかかわらず、マイクロバスの後輪は動きを止めていない。

 トリッシュはマイクロバスを柔らかくしてノトーリアスを引きつける囮にしたのだ。ノトーリアスに状況を判断できる知性は備わっていない。ただひたすらに、一番速く動くものを追いかけることしかできない。叫び声を上げながら、ノトーリアスは一心不乱にマイクロバスを攻撃し続けている。

 

「どうやら……うまくいったようね」

「ここならノトーリアスを放置していても人が立ち入ることはないだろう。しかし、コロッセオの地下にこんな空間があったとは……」

「おれも話で聞いていただけで実際に見たのは初めてだ。昔は柱の男とかいう化け物がここで冬眠していたそうだが、ノトーリアスを閉じ込めておくなら絶好の場所だろう」

 

 無事にノトーリアスを無力化できて安堵しているトリッシュをよそに、ブチャラティは驚いたような口ぶりで人の顔が掘られた石柱や古めかしい壁画を懐中電灯で照らして眺めている。そんなブチャラティの疑問に対して、承太郎が手短にこの場所のあらましを伝えた。

 承太郎は祖父であるジョセフからコロッセオには秘密の地下空間が広がっているという話を聞いたことがあった。今から半世紀以上前、ジョセフはコロッセオの地下で柱の男たちと戦ったことがあり、現在もこの場所はSPW財団と波紋の戦士たちが管理している。

 すでに隅々まで探索は終わっていて、『石仮面』のような危険物が残されていないことは確認されている。ディアボロが見つけて隠していたが、ムーロロによってチョコラータへと横流しされた『石仮面』も、元々はここにあった物である。

 最初はナチス・ドイツの軍人が確保していたのだが、第二次大戦時のどさくさで行方が分からなくなり、最終的にディアボロの手に渡ったのだ。同じ経緯で行方知れずとなった『石仮面』は多数存在すると言われている。

 

「ひとまず、これでしばらくはノトーリアスの動きを封じることができるはずだ。パープルヘイズで殺しきれなかったときは、レクイエムでどうにかするしかないが……これ以上おれたちにできることはない。さっさと地上に戻るとしよう」

「さっきから何度か時間が飛んでいる。急いだほうが良さそうだ……トリッシュ、きみはどうしたい?」

「あたしもついて行く。あいつが……ディアボロがどうしてあたしを殺そうとするのか、まだ直接聞いていないもの。それに、ディアボロから受け継いだ『運命』にビクついて逃げたりするつもりもないわ」

 

 フーゴから預かっていた『カプセル』を時間を止めてノトーリアスにぶつけた承太郎に合わせて、ブチャラティとトリッシュも地下まで繋げていた『ジッパー』と柔らかくしていた地面を解除した。これでコロッセオの地下は出入り口になっている真実の口を除けば完全に封鎖された状態になった。

 観光用に公開されているわけでもないため、コロッセオの地下に照明は設置されていない。地上に繋がっている部分は埋め固められているため、日光が入り込む心配もない。承太郎は無線機で地上に残った面々と連絡を取りながら、ブチャラティとトリッシュを引き連れて足早に階段を上っていった。

 

 吸血鬼となったチョコラータを取り込んだノトーリアスは、吸血鬼をこの世に生み出した男が眠っていた場所に封じ込められた。恨みの籠もった声を出しながら、ノトーリアスは全身を腐らせ続けるのだった。




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裏切り者のレクイエム その④

 二体のキング・クリムゾンが激しい音を立てながら拳をぶつけ合う。今のところ、力と速さは互角だが本体であるディアボロとなのはの消耗具合には明確な差が現れていた。なのはは疲労していることを隠すために意図して無表情を維持してるが、流れ出る多量の汗までは誤魔化せなかった。

 なのははこの日だけでリゾットとチョコラータという強敵たちと渡り合っている。それに加えて足や脇腹に負った怪我はジョルノが治療したとはいえ、消耗した体力は回復しきっていない。スタンドは精神力がものを言うが、行使するには相応の体力を消耗する。

 一方でディアボロには余力があった。時飛ばしも先程の戦闘以外では使っていないため体力は多分に残っている。肉体も一般的な範囲内だが鍛えているため、スタミナもなのはと比べると遥かに優れている。

 10秒ほどの殴り合いでディアボロは自分が有利だと見抜いたのか、少しだけ警戒を緩めて口を開いた。

 

「我がキング・クリムゾンと瓜二つのスタンドを出してきたときは驚いたが……どうやら、キサマはそのスタンドを使いこなせていないようだな。どうした? たったこれだけの殴り合いで、もう息が上がっているぞ?」

「そっちこそ、未来が見えなくなって焦っているんじゃあないのか?」

「なにを──ッ!? クソッ! キング・クリムゾン、時間を吹きとばせ!」

 

 なのはに意識を割いていたディアボロは、闇夜に紛れて自分の足元に多種多様な毒ヘビが近づいていることに気がついて時間を飛ばした。ジョルノは周辺に落ちている物を片っ端から生物に変えてディアボロに向かわせていたのだ。

 スタンド能力で生み出された生物であろうと宮殿の内部では無力である。先程まで自身が立っていた場所を噛みつこうとしている毒ヘビたちの動きの軌跡を、ディアボロがすり抜ける。そのままディアボロはジョルノを始末するために移動しようとしたが、なのはに阻まれてしまった。

 立ちふさがってきたなのはのキング・クリムゾンがディアボロを攻撃する。ディアボロはキング・クリムゾンを使って防ごうと動いたが、両者の拳はぶつかることなくすり抜けてしまった。両者ともに苦々しい顔をしながら距離をおいて時間が再始動する。

 

「時が消し飛んだ空間の中では、同じスタンドを使える人間同士ですら干渉はできないか。予想していたことではあるが……いささか面倒だな」

「……やはり、おかしい。てっきり()()()()()()()()()()()()()()だと思っていたが、おまえのスタンドはキング・クリムゾンと似すぎている。同一と言ってもおかしくない。それにトリッシュとは違うが直感で何かの繋がりが感じられる。()()()()()()()()()()()ッ!」

 

 再び襲いかかってきた毒ヘビをキング・クリムゾンで踏み潰しながら、ディアボロはなのはに問いかける。殺された毒ヘビたちは元となった石ころやガラクタに戻っていく。常人相手なら命の危機に陥るであろう獰猛な毒ヘビたちもキング・クリムゾン相手では無力だった。

 ジョルノはスタンド能力が成長したことで生み出した生物の行動を自分の意志で操作できるようになった代わりに、生物が受けたダメージを攻撃した相手に反射する能力を失っていた。精神が成長することでスタンド能力が変化することは多い。康一のように過去の能力を全て使えるほうが珍しいのだ。

 

「……わたしは『矢』をジョルノに奪われて敗北した『未来』のおまえ自身だ。わたしはおまえという未熟な過去に打ち勝って、人として成長するためにここにいる」

「オレが……この未熟な新入りに負けるだと? そもそも、おまえが『未来』のオレ自身だとして、なぜブチャラティたちと協力している。パッショーネをオレから奪おうとしているのかッ!」

 

 ディアボロの問いかけを聞いたなのはは冷淡な視線を向けながらも重々しく口を開いた。なのはの答えを聞いたディアボロは作り話だと思って切り捨てはしなかった。しかし、相手が『未来』の自分自身だったとしてもディアボロは手を結ぼうとはしないだろう。

 帝王として裏社会の頂点に君臨しているディアボロには相応のプライドがある。自分と同等の才能の持ち主を味方にできれば心強いだろうが、帝王の椅子に座れる者は一人しかいない。

 仮に今の自分が同じ立場になった場合、間違いなく組織を奪い返そうとすると考えたディアボロはなのはの目的を誤認した。なのははブチャラティたちと協力してパッショーネを乗っ取った後、彼らを排除してパッショーネを完全に支配しようとしているのだと思ったのだ。

 

「わたしが……オレが本当に求めていたのは人並みの幸せだ。今ならまだ引き返せる。トリッシュを殺そうとした事実は消えないが、わたしと同じ結末を辿らずにすむ道は残されている」

「そんな世迷い言を、このディアボロが信じると思っているのかッ! オレは帝王だ。オレが目指すものは絶頂であり続けることだ。人並みの幸せだと? くだらないな。オレが求めているのは、そんなものでは断じてないッ!」

 

 ディアボロには想像できない。無数に積み重なった死の経験によって帝王としてのプライドが完全に打ち砕かれる未来を。自分自身が本当に追い求めていたものの正体を。なのはがパッショーネの内部抗争に介入した本当の理由を。

 なのはがどれだけ言葉で言い表そうと、ディアボロがそれらの事実を理解することは決してない。無駄だと分かっていたが、それでもなのははドナテラとの約束を果たすためにディアボロを説得しようとした。

 根本的な部分で二人の考え方は分かれてしまっている。過去は同じ人物だったが、なのはとディアボロはあり方が変わりすぎてしまった。もはや説得はできないと割り切ったなのはは、ジョルノに目配せして攻撃の合図を送った。

 

「ゴールド・エクスペリエンス、新たな生命を生み出せッ!」

「ヘビの次はハチか。だが! どれだけ毒性のある生物(せいぶつ)を生み出しても無意味だ! キング・クリムゾンッ!」

 

 ジョルノが生み出したのはモンスズメバチというスズメバチの一種だった。本来ハチは夜は活動しないのだが、この種だけは例外で夜も活動するという特徴がある。しかし、30匹あまりのハチを使ってもディアボロに攻撃は通らなかった。

 時間を飛ばして立ち位置を変えたディアボロは、ハチの群れの側面に移動して宮殿を解除した。そのままラッシュを放って、あっという間にハチの群れを壊滅させてしまった。

 ディアボロのキング・クリムゾンによって叩き落されたハチは紙から作られていたようで、周囲に大きな紙片が飛び散っている。空中に散らばった紙片の隙間を縫うように近づいてくるなのはを攻撃するため、ディアボロは向き直る。

 

「これで終わらせてやる、ディアボロッ!」

「終わるのはキサマのほうだ、ナノハッ!」

 

 交差するように両者のキング・クリムゾンの拳が双方の頭部に叩き込まれる。一瞬の沈黙の後、頭から血を流してなのはが崩れ落ちた。ほんの一瞬だけディアボロのキング・クリムゾンのほうが早く届いていたのだ。

 体力を消耗していたなのはのキング・クリムゾンは、ほんの僅かにだが動きが鈍っていた。基礎能力に差が無いからこそ、その僅かな差が命運を分けたのだ。

 

「やはり、真に頂点に立つのはオレだったッ! オレは運命を乗り越えて『矢』を手に入れ──ッ!?」

 

 血を流して地面に横たわっているなのはの息の根を止めるため近寄ろうとしたディアボロが膝をつく。ディアボロは急に足に力が入らなくなったことに驚いて目を見開きながら自分の体を確認している。ディアボロが体勢を崩したのは当然だった。

 彼の右腕や右脚が『本』のページのようにめくれ上がって分解されていたのだ。スタンドも同様に分解されているディアボロは立ち上がることができない。そんなディアボロに追い打ちをかけるように状況は変化する。

 頭から血を流して倒れていたなのはが立ち上がったのだ。なのははディアボロの攻撃を完全に食らったわけではなかった。当たる寸前で右腕が『本』になったため、浅く攻撃を受けるだけで致命傷を回避していた。

 

「まだだッ! 時間を飛ばせばスタンド能力の影響からは(のが)れられる! キング・クリムゾンッ! ……バカな、なぜ時間が飛ばないッ!?」

「時間を飛ばせないのは当然だ。ぼくがインクを飛ばして『スタンド能力が使えなくなる』という命令をすでに書き込んであるからな」

 

 驚き戸惑っているディアボロの疑問に物陰から現れた頭にバンダナを巻いた黒髪の男──岸辺露伴が答える。彼は不機嫌そうにディアボロを見下ろしながら追加で『手足が動かせなくなる』という命令を書き込んで動きを完全に封じた。

 露伴のスタンド──ヘブンズ・ドアーが発動した理由はジョルノがハチに変えていた紙にある。露伴が不機嫌になっている理由でもあるそれは、彼が作戦のために提供した1話分の読み切り原稿だった。

 スタンド能力が成長したことで露伴はスタンドのヴィジョンで相手に触れるか、指を走らせて空中に描いた絵を相手に見せるだけで能力を発動させられるようになった。だが、康一にヘブンズ・ドアーを食らわせたときに使った漫画の原稿を見せることで『本』に変える能力も残っていた。

 ディアボロはハチを破壊したことで空中にばら撒かれた原稿の切れ端の一コマを目にしてしまったせいで、ヘブンズ・ドアーの発動条件を満たしてしまったのだ。

 

 都合よく露伴が現れたように見えるが、実のところ彼はフーゴと共にブチャラティと承太郎がディアボロと戦っているときからコロッセオのすぐ側で待機していた。

 直接戦闘に強いとは言えない上、エピタフで能力を回避される可能性が高い露伴と、『殺人ウィルス』で無差別に攻撃してしまうフーゴでは足手まといになると考えて様子を見ていたのだ。

 

 露伴がなのはと承太郎に黙ってイタリアに来ていた理由の半分は創作意欲を満たすためだったが、残りの半分はノトーリアスに対処する手段と保険として予備戦力を用意するためでもあった。

 なのははディアボロがカルネを市街地で運用するとは思っていなかった。また、露伴の面倒な性格をよく理解しているため、計画に組み込もうとしていなかった。露伴はなのはの考えをよく理解していたが、同時にヘブンズ・ドアーでノトーリアスを無力化できるのではないかと考えていたのだ。

 実際に露伴は宿主が死んだ後、他の人間に取り憑くチープ・トリックにヘブンズ・ドアーの能力を発動させたことがある。もし効かなかったときに備えて、途中でブチャラティチームから離脱したフーゴも情報を与えることで味方にしていた。

 

「せっかく描き下ろした原稿をバラバラにされたのはムカつくが、それだけの価値はあったか」

「……おまえが協力してくれたおかげで助かった。それについては礼を言おう。だが……パパと康一を巻き込んだ件については許したわけじゃあないからね」

 

 地面に落ちた紙片を指先でつまみ上げた露伴が眉を寄せながらため息を漏らす。そんな露伴に対してなのははイタリア語で礼を述べた後、日本語で抗議していた。露伴の行いは結果的になのはたちを助けたが、最悪の事態になっていた可能性も十分にあった。理屈はともかく感情では納得できていなかった。

 普段の露伴なら自分の作品を破壊することが前提の作戦に協力するはずがない。好奇心だけでこの場に現れたわけではなく、なのはと承太郎の手助けをするためという理由があったからこそ、露伴は原稿を使い潰す作戦に協力していた。露伴は大人げない負けず嫌いだが、恩を仇で返すような性格ではないのだ。

 身動きを封じられ、口と目ぐらいしか動かせないディアボロは窮地(きゅうち)を脱するために足掻(あが)こうとしているが、ヘブンズ・ドアーの拘束を破れずにいる。そうしている間にノトーリアスを地下に封じ込め終えた承太郎たちがやってきた。

 

「どうやら、そっちはうまくいったようだな」

「……やっと対面することができたわ。あんたが……あたしの父、なのね」

「おまえさえ……トリッシュ、()()()()()()()()()()()()()()……おれは永遠に絶頂にいられたはずだったんだ。あのとき、納骨堂でトリッシュを始末できていれば、こんなことには……」

 

 スタンドを出したままディアボロを警戒している承太郎が『本』になっているディアボロを眺めながら帽子を被り直した。ブチャラティチームに加えて、露伴が用意した増援も含めると10人以上のスタンド使いにディアボロは取り囲まれていた。

 なのはの隣へ移動したトリッシュがディアボロに問いかける。追い詰められて焦燥しているディアボロは、うわ言のように焦点の合わない目でトリッシュをぼんやりと見ている。

 

「ボス……あんたは自分ひとりのために人々の心を裏切り続けてきた。これはその報いだ」

「報い、だと? オレは……オレはッ! この世の運命は我がキング・クリムゾンを頂点に選んだはずなのだ……こんなところで終わったりなどしないッ!」

「なんだとッ!? ヘブンズ・ドアーの命令は解除されていないはず……まさかッ!?」

 

 ブチャラティの言葉に怒りを露わにしたディアボロは命令で動かせなくなっているはずの腕を動かして、強引に命令が書き込まれている部分の『本』を引きちぎった。ヘブンズ・ドアーの能力は絶対だと思っていた露伴は驚愕(きょうがく)しながらも、ディアボロが何をやったのか瞬時に把握した。

 ディアボロはもう一つの人格であるドッピオにヘブンズ・ドアーの命令を押し付けて無理やり体を動かしたのだ。しかし、命令が書き込まれている『本』を無理やり引きちぎった代償は大きかった。ディアボロは自分だけが助かるために、ドッピオの魂ごと『本』を引きちぎってしまったのだ。

 絶対的なヘブンズ・ドアーの支配から逃れるためにはそうせざるを得なかったとはいえ、ディアボロの決断は自らの絶対性を捨てるのと同意義であった。そうとは知らずにディアボロは時を飛ばしてこの場から脱出しようとした。しかし、ディアボロが逃げることはできなかった。

 

「ドッピオだけでも何とかできないかと考えていたが……うまくいかないものだな。だが、これでキサマを殺すのに躊躇(ちゅうちょ)する必要はなくなったッ!」

「この……便器に吐き捨てられたタンカスがッ! オレの邪魔をするんじゃあないッ!」

 

 再起を図ることができると信じて逃げようとしたディアボロだったが、なのはが飛ばした血の水圧カッターで太ももを大きく切断され足止めされてしまった。唯一の例外であった血液は同じスタンドを使う本体同士であっても有効だったのだ。

 それでもなお、往生際(おうじょうぎわ)悪く足を引きずりながらディアボロは逃げようとしている。すでに宮殿は解除されているが、承太郎となのははディアボロに追い打ちをかけることなく様子を黙って見ている。ディアボロが逃げる先には『矢』があるが、彼らが慌てる様子はない。

 追撃が来ないことに疑問を覚えながらも、ディアボロは『矢』を手にして逆転する可能性に賭けていた。しかし、ディアボロより先に『矢』を確保するために動いていた人物がいた。

 

「『矢』を手にするのはボス、あんたじゃあない。ゴールド・エクスペリエンスッ!」

「させるかァ────ッ! キング・クリムゾンッ!」

 

 ディアボロより一足早く回り込んでいたジョルノは、ゴールド・エクスペリエンスに握らせた『矢』をスタンドの胸部に突き立てようとしていた。ポルナレフが持っていた『矢』のシャフトをネズミに変えて追いかけていたジョルノが、ディアボロより先に『矢』を回収していたのだ。

 突き立てようとしている『矢』を止めるべく詰め寄ったディアボロがキング・クリムゾンでゴールド・エクスペリエンスの頭部を強打した。衝撃でゴールド・エクスペリエンスがひび割れたことでディアボロは口角を上げるが、数秒後には自分が間に合わなかったのだと実感することとなる。

 ディアボロが砕いたのは、レクイエムへと進化する過程で生まれた外殻だったのだ。慌てて追撃を放つディアボロだったが、攻撃は脱ぎ捨てた外殻にしか当たらなかった。

 スタンドがレクイエムになったことで得た溢れ出るスタンドパワーによって空中に浮かんでるジョルノを、ディアボロは呆然と見上げることしかできなかった。




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裏切り者のレクイエム その⑤

「生き残るのは、この世の『真実』だけだ。真実から出た『誠の行動』は、決して滅びはしない。おまえの行動が真実から出たものなのか……それともうわっ面だけの邪悪から出たものなのか? それはこれからわかる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ()()……」

「いい気になって知った風な口をきいてんじゃあないぞッ! ジョルノ・ジョバァーナ、おまえには死んだことを後悔する時間をも……与えんッ! キング・クリムゾン!」

 

 スタンドに『矢』を突き立てたことでゴールド(G)エクスペリエンス(E)レクイエム(R)を発現したジョルノは、攻撃するべくスタンドを携えてディアボロに近づいた。

 ディアボロはジョルノを迎え撃つべくキング・クリムゾンの能力を発動させた。なぜか近づいてこない承太郎となのはの考えを読めなかったディアボロは、逃亡せずにジョルノから『矢』を奪取しようとしている。

 

「レクイエムとやらが、ヤツにどんな力をもたらしたのかは分からんが……我がキング・クリムゾンの能力は無敵だ。何をしようとしているのか、完全に予測できるぞッ! やはりッ! 真実の頂点は、この我が能力にあるッ!」

 

 ジョルノとGERの動きの軌跡を読んで回り込みながら、ディアボロは太ももから滴り落ちる血液を利用してジョルノに血の水圧カッターを食らわせた。今までのディアボロは時を飛ばしている間に攻撃する手段を持ち合わせていなかったが、なのはが行った攻撃を再現したのだ。

 血の水圧カッターで切り裂かれたジョルノの首から血液が噴水のように吹き出す。更にダメ押しとばかりに血の目潰しを食らわせたディアボロは自身の勝利を信じて疑わなかった。その証拠にエピタフには胸をキング・クリムゾンの拳で貫かれているジョルノの姿が映っている。

 

「未来は我がキング・クリムゾンの動きを選んでくれたッ! 終わったァァァ────ッ!」

「終わったのは、キサマのほうだ。わたしが最初に言っていたことを忘れたのか? こうなった以上、残された道はひとつしかないというのに……」

 

 少し離れた位置からディアボロの行動を眺めていたなのはが、軽蔑(けいべつ)と同情の感情が籠もった言葉をディアボロに送る。過去の自分(ディアボロ)の行いが間違っていたことを自覚しているなのははディアボロを嫌っている。

 しかし、これから彼の身に降りかかる現象を身をもって経験したことがあるため、終わりのない地獄に落とされるであろうディアボロの行く末に、ほんの少しだけ同情もしていた。

 なのはの話に耳を貸すことなくディアボロはキング・クリムゾンの拳を振りかぶる。だが、拳がジョルノの腹部を貫く寸前で、異常を察知したディアボロは動きを止めることとなる。

 

「なっ……なんだッ!? まさか、これは……消し飛ばした時間が『逆行』しているのかッ!」

 

 目潰しのためにジョルノに当てた血が剥がれ落ち、太ももの傷口から流れ出ている血液が戻っていった。続いて止めどなくジョルノの首から吹き出している血が吸い込まれていき、パックリと開いた傷口が何事もなかったかのように閉じていく。

 木から落ちた葉が枝に戻り、カラスが前後逆に進んでいく様子を見たディアボロは、理屈は分からないがジョルノのGERが時間を戻しているのだと理解した。だが、エピタフの予知には変わらずにジョルノの死が映し出されている。

 

「しかし、予知はまだこのディアボロのほうを選んでくれているッ! くらえッ! ジョルノ・ジョバァーナッ!」

 

 なぜ、なのはがエピタフの予知を妨害していないのか考えもせず、ディアボロは確定した未来を盲信する。いや、ディアボロはなのはが予知を妨害しなかった理由を頭の片隅では理解していた。なのはが本当に未来の自分自身だとすると、同じ状況に陥って敗北していることになる。

 キング・クリムゾンではGERに勝てないと理解しているからこそ、なのはは何もしないのだ。それでも、己の敗北という未来を認められないディアボロは目に見えている未来に(すが)って動くしかなかった。

 

 GERの能力で強制的に戻されそうになる体を無理やり押し留めて、ディアボロは再びキング・クリムゾンの腕をジョルノに向けて振りかざす。しかし、ディアボロの足掻きは無意味な行為だった。

 殴りかかろうとした拳が動かせなくなり、キング・クリムゾンの腕の下になぜか別のキング・クリムゾンの腕が見えたことに疑問を覚えたディアボロが振り返る。そこには、どういうわけか目を見開き驚いている自分自身とキング・クリムゾンの姿があった。

 

「オ、オレは夢を見ているのか! 幻覚を見せられているのかッ! いや……そんなはずはないッ! ふっ飛ばした『時間の中』で動けるのは、このディアボロとそこにいるナノハだけのはずだッ!」

「コレが……『レクイエム』ダ! オマエが見テイルモノは確カニ『真実』ダ。オマエの能力が実際に起コス『動き』を見テイル。シカシ……実際に起コル『真実』に到達スルコトは決シテナイ!ワタシの前に立ツ者はドンナ能力を持トウと絶対に! 行クコトはナイ。

 コレが『ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム』。コノコトはワタシを操ルジョルノ・ジョバァーナさえも知ルコトはナイ」

 

 ディアボロが見ているのは幻覚ではない。時間をふっ飛ばされたことで過去の自分自身を目撃したブチャラティと同じく、時間が逆行している事実にディアボロの精神が追いついていないことで発生した錯覚である。

 混乱しているディアボロに何者かが語りかけた。無機質な男の声の正体──それはジョルノの意思とは関係なくスタンド能力を発動させているGERだった。GERの能力を実際に味わったことで、ようやくディアボロはなのはがなぜ動かなかったのかを理解した。

 そうしている間にも時間は戻り続けて、ついにディアボロは時を飛ばす前の状態まで戻されてしまった。無意識に時を飛ばす前に口走っていた言葉を喋りながら、ディアボロは自分の身に起きていたことを把握した。

 

「オッ……オレはッ! 初めから何も動いていないッ! こんなことが……オレの予知は絶対に起こる『真実』なんだッ! ジョルノ・ジョバァーナッ! ナノハ・タカマチッ! キサマらさえいなければ、オレは勝っていたはずなのに──」

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!」

「オマエは……ドコヘも……()()()()()()()()! 特に『真実』に到達スルコトは……決シテ!」

 

 GERに時間を飛ばす直前の状態まで戻されたディアボロはろくに反応できずに、全身にラッシュを食らってしまった。それでもキング・クリムゾンが優れた耐久力を持っていたおかげか、即死せずに攻撃を耐えて反撃しよう動き出した。

 だが、それを見過ごすジョルノではない。『矢』の力でスタンドの枠を越えたGERの性能は全体的に強化されている。特に元より優れていた攻撃速度はキング・クリムゾンを凌駕するほどまでに成長していた。

 

「くおのッ! ガキィガァァア!」

「無駄ァ────ッ! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄アァァァァ!」

 

 迎え撃つべく放たれたGERの拳はディアボロの反撃を許すことなく顔や胴体、手足を打ち抜いた。殴られた衝撃でふっ飛ばされたディアボロは、全身から血を吹き出しながらコロッセオの内部へと突っ込んでいき姿が見えなくなった。

 暗闇に飲み込まれたディアボロの姿こそ確認できないが、時間が飛ばされる様子はない。邪魔にならないように遠巻きにジョルノとディアボロの戦いの行方を見守っていたブチャラティたちは、戦いが一段落ついたと判断して近づいていった。

 

「ありがとう、ジョルノ。おまえのおかげでボスを倒すことができた」

「レーダーにはオレたち以外の反応は残ってねえぜ。何が起こったのかサッパリ理解できてねーけど、ジョルノがボスに勝ったんだなッ!」

「入団して一週間程度しか経ってねえ新入りのオメーが、あのボスを打ち倒すとはな……いい加減、テメーのことを認めざるを得ないか」

「ポンペイ遺跡のときから思っていたが……きみは本当にすごいやつだ」

「一体、何をやったのかオレにはよく見えなかったし分からなかったが、ついにボスを倒したってことだな。……ところで、ジョルノ。余裕があるんなら、オレの怪我を治しちゃくれねーか?

 ジョータローから貰った『紙』に入ってた医療器具を使って応急処置はしたんだが……ショージキ今にも気を失いそうなんだ」

 

 ブチャラティ、ナランチャ、アバッキオ、フーゴ、ミスタの順に次々とブチャラティチームの面々がジョルノに駆け寄りながら言葉を投げかける。数で大きく勝っていたとはいえ、ディアボロや親衛隊、殺し屋たちが強敵だったことに変わりはない。

 承太郎となのは、露伴が引き連れてきた増援がいなければ無事には済まなかっただろう。平然と立っているように見えるが、右腕を失ったミスタはかなりの重傷だった。すぐさまジョルノはGERでミスタの怪我を治療した。

 GERには本来の生命エネルギーを操作する能力も残っている。『矢』を使いレクイエムになったことで、操れる生命エネルギーの総量や生命を作り出す速度も強化されていた。重傷だったミスタはあっという間に完治して、ついでに負傷していた他の面々をジョルノは次々と治療していった。

 

「でも……ちょっと待って。あいつはまだ死んでいない……あたしには、まだヤツが生きているって感じるわッ! 確認しないと安心できないッ!」

「いや、探す必要はない。全てはもう終わっている。前もってレクイエムの能力はナノハたちから教えられていたが、実際に使えるようになって確信した。ヤツはもう()()()()()()()()()()()()

 特にヤツが『真実』に到達することは決して……『死ぬ』という真実に()()到達することは決して……『無限に』」

 

 GERの能力は通常のスタンドの領域を完全に超えている。なのはがディアボロとしてジョルノに殺された世界──『旧世界』でGERの能力から解放されたのは、エンリコ・プッチがDIOの(のこ)したとある方法を(もち)いてスタンドを進化させた影響によるものだ。

 プッチと敵対していた人物の一人によって進化したスタンドの能力が完遂することはなかったが、時間が加速して世界が再構成された影響でGERは一度解除されていた。死に続けていた旧世界のディアボロは時間が加速していたことを覚えてはいない。

 そのため、なのははGERが解除された理由を知らない。GERはスタンドを超えた存在だったが、自分自身に敵意を向けられていない限り相手の動作や意志の力をゼロにする能力は発動しない。プッチは意図していなかったが、偶然にもGERの欠点を突いたのだ。

 逆に言えば、プッチが行ったような特殊な事例を除けばGERの能力を回避することはできない。通常のスタンドでは、スタンドパワーで負けているためGERに太刀打ちすることはできないのだ。

 

「で、でもヤツは生きて……」

「トリッシュが心配するのは分かるが、ディアボロは確実に死に続けているとわたしが保証しよう。なにせ過去の……この世界の日付だと未来の話だが、GERの能力を実際に味わったことがあるからな。ヤツは今頃、終わりのない終わりを味わい続けていることだろう」

 

 心配しているトリッシュを安心させるために、なのはがディアボロの現状を説明する。なのはもトリッシュと同じくディアボロとの魂の繋がりを僅かながらに感じていたが、それは残り香のようなものだ。

 GERによって死を繰り返しているディアボロの肉体はこの世のどこかで死に続けているが、その死を認識できるものはいない。全てをゼロに戻す能力の影響で、死に続けているディアボロを見たものの記憶は即座に失われる。ディアボロは自分が死んだという『結果』すらこの世に残せずに死に続けるのだ。

 一様に集まって話をしているブチャラティチームとトリッシュとなのはをよそに、ポルナレフはタバコに火を付けて口に咥えた承太郎と並んで彼らの様子を眺めていた。

 

「さっきから気になっていたのだが、あの茶髪の女の子は何者なんだ? あの口ぶりからして、ディアボロのことをよく知っているように聞こえるが……」

「知っているもなにも、なのははディアボロとほぼ同一人物だ。厳密には『別の世界』のディアボロだがな」

「うそだろ承太郎! あのディアボロが、こんな女の子になっただなんて冗談だろ? 言ってることが分からねえぜ。イカれちまったのか、この状況で?」

「説明すると長くなるが……そうだな、まずはじじいの隠し子に遺産配分の話をするため日本に行ったところから話すか」

「ジョースターさんに隠し子だとォ────ッ!? おれが承太郎と連絡を取れていなかった間に何があったんだよ!?」

 

 義足で立っているのが辛くなったのかコロッセオの外壁にもたれかかっていたポルナレフの疑問に承太郎が答える。ディアボロが現れた後、話をする間もなくノトーリアスが突っ込んできたこともあり、ポルナレフになのはの素性を説明する時間がなかったのだ。

 混乱しているポルナレフは以前のような軽いノリで承太郎の発言に反応している。すっかり落ち着いたかと思っていたポルナレフの変わっていない一面を見た承太郎は呆れながらも懐かしい気持ちになり、自然と口角を上げて笑っていた。

 そんな場の様子を眺めていた露伴は日が変わろうとしている時間帯だというのに、街灯と僅かにコロッセオから漏れ出る光を頼りに湧き上がってきたイメージをスケッチブックに描いていた。ひとしきり描き終えて満足した露伴はスケッチブックを閉じると、杜王町からやってきた面々に話しかけた。

 

「当初の予定とはだいぶ違う過程を辿(たど)ったが、これで一件落着だな。物語として考えるなら陳腐(ちんぷ)な結果になったかもしれないが、これは現実だ。不幸な結末よりは陳腐な方が断然いい。康一くんと士郎さんも、ぼくの計画に付き合ってくれてありがとう」

「こちらこそ、なのはを手助けするために協力してくれてありがとう。露伴先生が話を持ちかけてくれなかったら、俺一人では手が出せなかったかもしれない」

一時(いちじ)はどうなることかと思ったけど、大きな怪我もなく終わって本当に良かったよ。だけどイタリア旅行中にいきなり露伴先生が現れたときはビックリしたなあ。もし似たようなことを今後するつもりなら、今度は事前に伝えておいてくださいよ?」

 

 強制しなかったとはいえ、露伴が自らの探究心のために危険な場所に友人を引きずり出したことに変わりはない。心を込めて礼を言いながら頭を下げた露伴に返すように、士郎も頭を下げて感謝の言葉を告げた。康一は露伴が珍しく自分から本心を告げたことに驚いて頬を掻きながら笑顔を浮かべている。

 

 こうして様々な思惑が交差しながらも、ブチャラティチームは誰一人欠けることなくトリッシュを守り抜きディアボロを打倒することに成功した。運命は簡単には変えられない。人一人の力で変えられるほど運命は軽いものではない。

 だが、多数の人間が立ち向かえば運命を捻じ曲げることは決して不可能ではないのだ。そして運命を変えられなかった者も、決められた運命に従わずに行動すれば誰かに希望を残すことができる。運命のままに死んでいったリゾットが、なのはの心を成長させたように。

 これから先の『未来(運命)』をなのはは知らない。それでも未熟な過去に打ち勝ったなのはは、見通せない未知に怯えて二の足を踏んだりはしないだろう。もはや、なのはのキング・クリムゾンは(みずか)らの身に降り注ぐ『不幸』を避けるためのものではない。

 孤独でなくなったなのはは、自分の周囲に降りかかる『危機』を排除して『未来』を切り開くためにキング・クリムゾンを利用する。善と悪、どちらにも繋がっている道をなのはは歩み続ける。それでも、なのはが周囲の人間を頼るということを忘れない限り、彼女が悪に堕ちることは決してないだろう。

 

 

 

 

 

 

 その後、ディアボロの死体を確認するためにわたしたちはコロッセオの内部に向かったが、ヤツの死体を発見することはできなかった。ジョルノは直感でディアボロがGERの支配下にあると理解しているため、仕損(しそん)じた可能性はないはずだ。おそらく以前のオレと同じように死に続けているのだろう。

 ついでとばかりにGERを維持したままのジョルノは『ジッパー』で切開された真実の口を通り抜けてコロッセオの地下に潜り、あっさりとノトーリアスを始末してしまった。怨念で動き無限に成長するノトーリアスも、スタンド能力の発動前まで戻すことができるGER相手では手も足も出なかったようだ。

 

 不安要素の確認が終わり、時間的に多少の余裕が生まれたわたしたちはブチャラティとジョルノ、どちらをパッショーネのボスにするか決めようとしたのだが、議論する間もなく決着がついてしまった。どういうわけか、ブチャラティがボスの座に就く気はないと辞退してしまったのだ。

 フーゴとアバッキオはブチャラティの決定が不服だったのか考え直してくれと詰め寄っていたが、やる気のない者をボスにするわけにもいかないため最終的には折れていた。ブチャラティはボスにはならずに、参謀の立場としてジョルノの手助けをしたいと語っていた。

 

 ディアボロの後を継いでジョルノがボスになることは決まったが、いきなりジョルノがボスだと公言したところでパッショーネの幹部たちが納得するはずがない。そこで、わたしは以前から計画していたパッショーネを統括(とうかつ)するための手段をジョルノたちに提示した。

 計画そのものは単純である。まず第一にパッショーネ全体の動きを把握している情報分析チームの幹部を抱え込む。縦の繋がりは強いが意図的に横の繋がりを弱くしているパッショーネの中でも例外的に、情報分析チームだけはチーム間の情報のやり取りを行っている関係で強力な横の繋がりを持っている。

 幸いにも情報分析チームを統括している幹部はディアボロに絶対の忠誠を誓っておらず、現在の立場を脅かさなければすんなりとジョルノの存在を認めるだろう。連中の収入の大半はIT企業の社員扱いで支払われているため、麻薬関係の取引を禁止したところで被害は(こうむ)らない。

 

 その次に穏健派として知られている幹部連中を味方につける。麻薬取引や人身売買をあまり行っていない地域の幹部を筆頭に、あらかじめ目星は付けてある。数は多くないが、大きな影響力を持っていたペリーコロの息子を味方に付けられたら他の幹部連中の説得も容易になるだろう。

 この段階まで来ると、わたしにできることはあまり多くない。幹部の説得にわたしがついていくわけにもいかないため、直接対面して説得するジョルノと補佐としてついていくブチャラティの話術とカリスマ性に全てがかかっている。

 

 かつて、オレは若年(ゆえ)に組織の立ち上げに苦労した経験があるため、パッショーネでは年齢より実務能力を優先する気風を作っている。そのため、ブチャラティやジョルノの年齢はそれほど足かせにはならないはずだ。

 その代わり、実力を示さなければならないが、そこはヤツらが自力でなんとかしなければならない。若くして幹部候補に選ばれたブチャラティはともかく、入団して一週間程度しか経過していないジョルノにボスが務まるかどうか……正直言って不安しかない。

 15歳といえば2年前の仗助や康一、億泰と同い年である。育った環境が違うとはいえ、ついこの間まで表社会で行きていた人間が裏社会の人間をまとめ上げられるとは到底(とうてい)思えない。どうにか、うまいことブチャラティに補佐してもらうしかないだろう。

 

「……そういえば、ナノハ。コロッセオに向かう途中で別れたときに、全てが終わったら伝えることがあるって言ってたけど、あれって何のことだったの?」

「ああ……そうだな、もう伝えても問題はないか。情報が漏れる確率を下げるために黙っていたんだが……ドナテラは生きている。この番号に電話すれば、きっとすぐに出るはずだ」

 

 まだ『紙』に残っていた乗用車を使って空港に移動しながら、『亀』の中でインターネットに繋がっているノートパソコンを操作していると、隣に座っていたトリッシュが話しかけてきた。

 ディアボロが組織の人間とやり取りするために使用していた回線を通して過去の指令の確認をしている途中だったが、ドナテラもトリッシュのことを心配しているだろうから先に連絡しておいたほうがいいだろう。

 連絡用に持ち歩いていた衛星電話を受け取ったトリッシュは、呆然としながらも無言でボタンを操作して登録してあった番号にコールした。5回ほどコール音がなった後、トリッシュは恐る恐る通話相手に語りかけた。

 

「もしもし……母さん、なの? あたしよ、トリッシュよ」

『……トリッシュ? よかった、無事だったのね。怪我はしてない?』

「うん、大丈夫よ。ナノハがあたしを助けてくれたの。ちょっと危ないこともしちゃったけど……でも、怪我はしてないわ。それより、母さんのほうはどうなってるの? てっきり、あたしは死んじゃったものだと思ってたから……」

『実はね、去年の夏頃には病気は治っていたのよ。だけど、あたしが死んだことになってないと未来が変わるらしくて……トリッシュには辛い思いをさせちゃったわね』

 

 目に涙を浮かべながらトリッシュはドナテラと話し込んでいる。スピーカーから漏れ出ているドナテラの声も僅かに震えていた。恐らく、ドナテラもトリッシュが無事だったと知って涙ぐんでいるのだろう。

 二人の邪魔にならないように一旦ノートパソコンから手を離して少し離れた位置に移動して様子を見ていると、話が一段落したのか電話を片手にトリッシュが近づいてきた。黙って電話を受け取って通話を代わったことを告げると、少しの沈黙の後にドナテラが口を開いた。

 

『ナノハ、あの人は……ソリッドはどうなった……?』

「説得はしてみたが受け入れられなかった。すまない、あいつの心を変えることは、わたしにはできなかった」

『……あの人は()()()()()()()変わることはできなかったのね……ありがとう、ナノハ。あたしのワガママを聞いてくれて』

「待てッ! ドナテラ、きみは──」

 

 わたしの言葉の続きを聞くことなくドナテラは通話を切ってしまった。薄々感じていたが……ドナテラはわたしの正体に気がついていたのだろう。だからこそ、ディアボロが変われる可能性を夢見てしまったのかもしれない。

 トリッシュと同じく強く靭やかな心を持つドナテラは、いずれは過去を乗り越えて新たな人生を歩むだろう。それでも、ディアボロとしてではなく高町なのはとして友人になることを彼女は許してくれるだろうか。

 戦いが終わったことで集中力が途切れたせいで一気に強くなった眠気を(こら)えながらノートパソコンのキーボードを指先で叩きつつ、わたしはそう願うのだった。




勝ったッ! 5部編完!

次回からは第一部までの空白期間を補完する幕間が始まりますが、第三部(A's編)のプロットを練りながら執筆するので今までのような定期更新はできないかもしれません。ご了承ください。


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