あまりにも純粋で一途な少女達に心を壊された少年はその全てを「力」でねじ伏せる (ニャルラント)
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戦線布告

 眩しい日差しに照らされ、俺──黒鉄湊(くろがねみなと)の意識は覚醒した。

 傍らに置いた時計を横目で見る。 時刻は午前8時を指していた。

リビングからは何とも旨そうな味噌汁の香りがするのと同時に、俺は布団のぬくもりを惜しみつつ起き上がった。

 顔を洗いに洗面所まで移動しつつ、改めて我が家を見渡した。

 長い入院生活の後、この場所に引っ越してきたのはほんの一週間前であり、なおかつ緊急だった為、手配出来たのは2階建ての見た目はかなりボロボロのアパートだった。

 その賃金は月3万という安さであり、ワンルームかつキッチンはなく、トイレすらも共同する空間こそが俺にとっての安らぎの場だ。

 

「あれ?ひょっとして起きてる?」

 

 狭い部屋の中、キッチンの中から声が聞こえて来る。

 振り返ると、学制服に身を包まれた一人の少女がキッチン台前に立っていた。

 

「やっぱり。珍しいね。こんなに起きるなんて。おはよう、湊」

 

 朦朧とした意識の中で、少女は羞恥心もなく思春期の俺の顔を覗き込むように近づけて来た。

 

「せっかくの退院日だしな。それに、こんな時にまでお前に家事を任せるのも悪いだろ?」

「はい、嘘。湊、早起きしても私を手伝ってくれたことなんかないもんねー」

 

 微笑みながらも口元に人差し指を突き立ててくる少女は朝神奏(あさがみかなで)

 年は俺よりも一学年上であり、幼少の頃より付き合いがある、いわゆる幼馴染。 

 やや癖毛かかったロングヘアーに額を出した髪型は快活でながらも世話好きな彼女の母性的を表しているといえるだろうか。

 

「手伝うも何も、お前、俺が何かやろうすると台所から追い出すだろ」

「だって湊、一人だとカップ麺か冷凍食品しか食べないでしょ?私、たまには湊が愛情込めて作ってくれたものが食べたいんだけどなぁ」

 

 言葉とは裏側にしれっとした顔をしている辺り、相変わらずいい性格している。

 

「ま、二人暮らしなら何も問題はないだろ」

「可愛い幼馴染のアプローチをスルーですか?奏ちゃん、かなり傷ついちゃったよ?」

「ああ、なら問題ないぞ。わざわざ口に出すってことはその程度ってことだ」

「もー!意地悪」

 

 わざとらしく膨れっ面を作る奏をスルーし、俺は顔を洗って拭いたタオルを洗濯機に放り込む。

 やがて洗面所を出ようとした時、再び奏に声をかけられた。

 

「あ、そうだ」

 

 俺が後ろを振り向くと、奏は再び眼前に顔を近づけ──

 

「お帰りなさい、湊。また改めて宜しくね!」

 

 彼女は、満面の笑顔で俺との再会を祝福してくれた。

  

 ただ一つ、一筋の光も刺さない漆黒の瞳を除いて……。

 

 

 

 

 

 

 

 俺の両親は最低最悪の奴らだった。

 当時、俺は姉と妹、両親を含む祖母の五人家族で暮らしていたが、母はろくに家事もしなければ、外出もしない。

 父は妹が生まれから早々に会社をクビになり、祖母の年金と貯金にしがみつき、ギャンブルに打ち込む毎日。

 正直、家族全員で食卓を囲んだ記憶などなかった程だ。

 そんな環境の中で、子供だった俺達三人の身を案じてくれたのは祖母だった。

 率先して家事をしてくれたのも、学校の入学式に付き添ってくれたのも、保護者を代表して授業参観や家庭訪問を受けてくれたのも、運動会の応援に来てくれたのも全て祖母。

 しかし、その生活も長くは続かなかった。俺が小学五年に上がった頃、元からあまり身体が丈夫ではなかった祖母は重い病気にかかり、医師からは絶対安静が言い渡された。

 

 しかし、父と母は、そんな病弱している祖母に家事を強要したのだ。

 

 ──ただの軽い病気だろ。

 ──いつまでも寝てんじゃねーよ居候。

 

 もはや罵声としか思えない言葉浴びせ、結果……祖母は半年後に死んだ。

 表向きの死因は病弱だったが、誰よりも近くに居た俺にはすぐにわかった。

 元々金の為には手段を選ばない両親だったこともあり、奴らは小学校の卒業と同時に俺達を叔父夫婦に押し付けるように預け、それ以来は姿を現さなくなった。

 その理由はもはや清々しいと言えるものであり、本人達曰く、"こいつが居ると新しい生活の邪魔"の一点のみ。

 叔父夫婦は呆然としていたが、もはや何を言っても無駄だと悟ったのだろう。

 結果、俺達は数年を叔父夫婦の元で育った。

 

「(変わってるよなぁ。我ながら……)」

 

 押し付けに等しい型で引き取ってくれた叔父夫婦も俺達兄妹のことで相当に頭を悩ませていたらしく、それを話題に喧嘩をする姿もよく耳にした程だ。

 そういう意味では、仕方のないことだったのかもしれない。

 

 あいつらが、妹にしようとした仕打ちは。

 

「湊?」

「ああ、悪い。考え事してた」

「もぅ、しっかりしてよ。せっかくの退院日、でしょ?」

 

 俺達が向かった先は、いわゆる警察病院。

 世間では事件関係者や負傷した容疑者を収監されるのが目的などと誤解を招くこともあるが、主な対応は通常の総合病院と同様であり、一般人も問題なく利用可能である。

 とはいえ、何事にも例外というものがあるのも事実。

 俺は受付で軽い手続きを済ませると同時に、待つこと数分後、一人の刑事がやってくる。審査自体はすんなりと通ることができた。

 刑事に案内されながら、白い病室に訪れる。

 中央のベッドを含め、何もない、全てが純白に包まれた部屋。広さは六畳程の病室の個室としては狭く、羽のような低い音が響き渡るのみ。

 

「あっ、兄さん。それに──奏ちゃんも来てくれたんだ」

 

 その中央のベッドに横たわっている一人の少女は俺達が室内に入ると同時に微笑んだ。

 明るめの茶髪に短めのポニーテール、そんな容姿に不釣り合いな純白の服を着せられた彼女の名は…… 黒鉄莉緒(くろがねりお)

 

 俺にとって、たった一人の妹だった。

 

「やっほ、莉緒。退院おめでとう。思ったより元気そうね」

 

 軽い挨拶をかわしながら、俺達は予め用意してあったパイプ椅子に腰をかける。

 狭い部屋だけに中央のベッドで座る妹を含め、高校生三人が居座るのはやや窮屈ではあったが、我慢出来ない程ではなかった。

 

「どうだ?具合」

「うん、もう殆ど大丈夫だと思うよ。明日は一日だけ様子を見て、問題がなければ次の日からでも学校に復帰できるって言われたし」

「無理はすんなよ」

「それ、兄さんが言う?莉緒なんかよりよっぽどだと思うけど」

 

 事情を知る妹、莉緒は俺の心境を察してくれる。

 さらに、面会に来た最後の一人……奏に視線を向けた。

 

「奏ちゃんも、わざわざごめんね」

「ううん。全然。もう体調はいいの?」

「この通り!──って言いたいけどね、これだけ長く入院してると食べることしか楽しみがなくって、少し運動不足かもなぁんて」

「あちゃー、それは一大事。ごめんね、これからはなるべくカロリーの低い物をお見舞いにするから」

「あはは、もう必要ないけどね……」

 

 乾いた笑いで顔で頭をかく莉緒。 

 幼馴染である俺の目から見てもスタイルは良い方だとは思うが、こういうところは女同士でしか話せない悩みと言ったところだろうか。

 

「でも、本当に災難だったよね。ねぇ、莉緒を襲った犯人、まだ捕まってないんでしょ?」

「ああ、未だに捜索中らしい」

 

 奏からの問いに対し、俺は自然なままに答えた。

 

「夜道の中でいきなり、だったんだよね?それも何箇所も。本当に無事で良かった。怖かったよね」

「……うん。心配かけてごめんね。でも、もう大丈夫だよ。辛い時は兄さんが居てくれたから」

 

 そう言うと、莉緒は濁った瞳でその小さい指で俺の左手首を包み込んで来た。

 

「何はともあれ、莉緒が無事で何より……だね。それにしても、本当に愛されてますなぁ、お兄さん?」

「だろ?」

「あっ、自分で言っちゃうんだ!株が下がるなぁ」

 

 室内は笑いに包まれる。

 取り返しのつかない犠牲の果てに悲劇が終わり、取り戻せた平凡な日常。

 事実、その表現は間違いではなかった。

 

 そう、間違いでは。

 

「そうだ。兄さん。確か学校の近くに引っ越したんだよね。ちゃんと自炊はしてる?もう叔父さん達もいないんだから、あんまり無駄遣いしちゃ駄目だよ?」

「ああ、それなら大丈夫だ。安──」

「はいはーい。その為の家事代行が参上!なんてちゃってっ」

 

 静寂。

 それは、あまりにも長く続く……永遠にも感じてしまう沈黙。

 妹の中の時が再び止まった瞬間。

 俺の中の止まっていた時が動いた瞬間。

 

「……ひょっとして、奏ちゃんが手伝ってくれたの?」

「それがですねー、酷いんだよ。湊ったら、引っ越しの連絡一つもくれないんだもん。おまけに、部屋の中はグッチャグチャ。ご飯はインスタント食品ばっかり。だ・か・ら、家事代行無料サービスの出番。でしょ?」

 

 奏はからかうような悪戯っ子のような笑みを俺に向けてきた。

 その間も、莉緒からの追求は止まらない。

 

「兄さん、まさか奏ちゃんと暮らしてるの?」

「ううん。最近はご飯を作りに行ってるくらい。私はそれでも良かったんだけど、振られちゃったから。ね?」

「どうかな」

「ほら、素直じゃない。でも、大丈夫。莉緒が戻ってくるまでは責任取ってお姉ちゃんが面倒見てあげるから」

 

 世話好きな幼馴染のお節介。

 先程までと何一つとして変わらない平和な会話の中で、莉緒は静かに呟いた。

 

「あはは、ありがとう。兄さんは本当に昔から奏ちゃんにお世話になりっぱなしだね」

「どうしたの?別に莉緒にお礼を言われることじゃないよ」

「深い意味はないの。ただ、今のうちに言っておこうと思って」

 

 濁った瞳のまま莉緒は口を横に引き裂いたような笑みを浮かべる。

 それと同時に、室内にノック音が響く。

 ポケットにあるスマホを確認すると、時刻はすでに15分を回っていた。面会終了の合図だろう。

 

「時間だな。奏は先に出てろよ。俺は莉緒の退院の手続をしてから出るから」

「うん、わかった。またね、莉緒」

 

 そう言い残し、奏は病室を後にした。

 とっさに脳内に浮かんだ言い訳ではあったが、元より俺自身もこの病院に通院していた為か、違和感なく受け入れてもらえたようだ。

 

「………」

「………」

 

 狭い病室の中で、沈黙が舞い降りる。すでに面会時間終了のノック音は消えていた。

 どれほどの時間が過ぎただろう。

 僅か数秒か、数分か、はたまた数十分か。

 ただ静かに、会話もなく。響き渡る羽の音。

 永遠にも感じる時間の中で、最初に口を開いたのは妹の方だった。

 

「嘘つき」

 

 そう言う妹の表情は、笑みだった。

 先程と同じく、面会に来た友人と家族に見せた歓迎の笑み。

 

 しかし、今の妹の意図は全く異なるものだった。

 

「どうして──どうして嘘をつくのかなぁ?兄さんは」

 

 妹の、一筋すら射さない漆黒の瞳は──

 

「兄さんは莉緒を受け入れてくれるって言ったよね?自己中で身勝手な莉緒を受け入れてくれるって言ってくれたよね?」

 

 真っ直ぐに、この俺を捉えていた。

 

「それとも、また嘘なのかな?なら……」

 

 妹は自身の首筋に巻かれた包帯に手をかける。

 ゆっくりと、ゆっくりと白い包帯がベッドの上に落ちて行く。

 

 そこにあったのは──妹の決して完治することのない傷だった。

 

「もう一度、教えてあげるね?」

 

 首元の傷。

 ナイフの切り傷、ネジで抉られた穴、煙草を突きつけられて出来た火傷痕。

 

 そう、あの日。

 

 妹が……自らの手でつけた傷跡。

 

「あはっ、でも嬉しかったな。あの時、兄さんは莉緒を選んでくれた。他の誰でもない、莉緒を。それって、兄さんの心の中に居たのは"あいつ"じゃなくて、莉緒だったってことだよね?」

 

 妹は変わらず明るい笑顔で言い放つ。

 全てを見透かしているような黒い瞳に映し出されるのは、昨日のことのように思い出せる悪夢。

 何故今まで気づけなかったのか。

 あるいは、心のどこかで気づかないふりをしていたのか?

 

 かつて妹を救ってしまった後悔という感情が、俺の中に残った。

 

「……ねぇ、兄さん」

 

 気がつくと、妹はベッドの上から俺の手を握りしめていた。

冷たい。

 人間の体温とは思えぬ程に冷え切っていた彼女の身体は、まさに死体のようだった。

 今の妹の目には、自分に都合の良い理想の関係しか見えていないのだ。

 

「莉緒は、兄さんを手に入れる為なら何だってするよ?」

 

 俺がその言葉を聞いたのは、二度目だった。

 もう二度と、彼女以外の女性を見ない……そう誓い、家へ戻ったあの夜。

 首元から赤い血を流し続ける妹と、その妹を囲む叔父夫婦を見た瞬間、俺は己の人生で一番の失敗を痛感したのだ。

 なんだ、これ。

 嘘だ。

 嫌だ。

 認めるか。

 こんなもの、認められるものか……!

 これは、悪い夢だ……!!

 

 どれだけ自分に言い聞かせても、現実が変わる訳などないのに。

 

 それからのことは、よくは覚えてはいない。気がついたら、俺は二人を殴り倒していた。

 大切な人の為にと今まで学び、会得したもの為でもあった全てを、数年の育て親である叔父夫婦に浴びせていたのだ。

 

 ──そうするように仕向けた、悪魔の思うがままに。

 

「もう、誰にも……あの雌豚にも……絶対に渡さない。邪魔をするなら──兄さんだって許さないんだから。だからね、これは罰。兄さんが莉緒以外の女の子を見たことへの。わかってたこと……だよね?」

 

 妹の言う通りだった。

 わかってたことだった。

 だからこそ、目を背けた。

 これは、自分に与えられた当然の責任だというのに……。

 かつて、自己中で身勝手な妹を受け入れてしまった。

 泣きじゃくる彼女に妹の姿を重ね……いや、そんなものはただの言い訳だろう。

 本当は、己を過信し、ヒーロー気取りで彼に妹の願いを聞き入れただけだった。

 

 それが、目の前の天使のような笑顔の悪魔を生み出してしまっているとも知らずに。

 

 妹を受け入れたあの日、話を聞いてやると言ったのは誰だ?

 

 お前が自分で選んだ道だろう?

 

 ならば、受け止めてやれ。 

 

 この女にはお前しかいないのだ。

 

 話を、聞いてやれ。

 

 受け入れてやれ。

  

 目の前の悪魔を生み出してしまった責任を果たせ。

 

 それこそが、無責任に"彼女達"を手を差し伸べたお前への罪。

  

 そして、救ってしまったことへのお前への罰なのだから。

 

「兄サンハ、イツマデモ莉緒ト一緒ニイナキャ駄目ナンダヨ?ダッテ、莉緒ガソウ決メタンダカラ」

 

 妹は、あの頃から変わらない。

 我儘で、身勝手で、自分が欲しいと思う物はどんな手段を使ってでも手に入れようとする幼い子供のまま。

 

 当然、それに対する俺の答えは決まっていた。

 

「あぁ、うるせぇうるせぇ。散々人を嘘つき呼ばわりした挙句、似たような台詞を何度も繰り返しやがって。少しは聞いてるこっちの身にもなれよな」

 

 俺の手を握りしめる妹の手が止まった。

 

「今度はどうする気だ?事故と偽って、また首元を傷つけるか?それとも、あいつのように、財力で第三者に殺させるか?それとも──あの時のように、俺自身の手で邪魔者を殺めさせるのか?」

 

 妹は、いつも笑っていた。

 

 だから、俺も笑った。

 

「やってみろよ、それで本当に俺がお前らを愛する自信があるのならな。ただ今回ばかりは、俺もちょいとばかり抵抗させてもらうぜ」

 

 狭い病室の中で、俺達は笑い合った。

 

 そう、これは……抵抗の物語だ。

 

 あまりにも純粋で、あまりにも一途な恋によって、決して取り戻せない程に日常を壊された自業自得な負け犬の……ほんのちっぽけな。



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新たな日常の始まり

「ん……ぁん……あっ……」

 

 そこは暗闇に包まれた部屋だった。押し殺された少女の喘ぎ声と、唇が奏でる卑猥な旋律が、一室に響く。

 まるで息も絶えるかのようなその声の主は、第三者が聞いているだけで苦しくなりそうな程であり、暗闇の中でその行為に酔うのは一人の少女。

 くちゃくちゃ、と。何かが口の中で入り混じったような鳴き声を上げつつ、少女は恍惚の表情で目の前に存在する愛する人に唇を擦り続けた。

 

「はぁ……んぁ……!好き……好きっ……!愛して、います……!」

 

 何が辛いのか、何が悲しいのか。そんなことはもうどうでもいい。

 

 ただ快楽を得て、嫌な現実を忘れればそれでいい。

 

 憎しみから始まり、尊意へ、最終的には愛へと変わったその気持ちから始めた行為は、少女にとってはいつの間にか逃避行為になっていた。

 

「はぁ……!んんっ……!」

 

 心の奥底で感じるのは寂しさと虚しさ。夢は現実と異なり、いつも自分を優しく迎えてくれる。

 だからこそ、逃げててしまう。少女は身体を淫らにくねらせると、突きつけていた"写真"から唇を離した。

 

「はぁ……はぁ……ふふっ」

 

 頬を赤く染め、快楽に酔う。

 高校生の少女としては高めの身長、ストレートのロングヘアーにその容姿は側から目から見れば美人と可愛いの中間といったところだろうか。

 少女は朦朧とする意識の中、僅かに痙攣する手から写真が地に落ちる。

 

「今日からやっと会えますね、湊君♩」

 

 満面の笑みで、少女は空想の中の彼を想う。

 地に落ちた写真は色あせ、皺だらけになっていた。

 少女の唾液によりすっかり面影がなくなった、永遠の想い人の姿が写された写真に永遠の愛を誓いながら──

 

 

 

 

 

「ふわ〜〜……あー、眠ぃ……」

 

 翌朝。サッパリした青空の下で窓ガラス越しに反射する太陽に照らされ、学校への通路を一人で歩くと同時に、俺は自分でもわかるくらいの大きなあくびを漏らしていた。

 現在の時刻は8時30分。夏休みを利用して引越した新たな賃貸は、学校から徒歩15分で通える程の近さである。

 やや早めに来た為か、俺の周りを囲む生徒の数は少ないのは幸いだろうか?

 やがて、眼前に広がる巨大な建物が俺を出迎えた。

 

「(随分と久しぶりだな、来るのも……)」

 

 私立星宮高等学園。

 

 改めて今日から俺が通う高校だ。部活の朝練などで早めに来る生徒も居るためか、その中の何人もが物珍しそうな視線を向けて来た。

 その目は、確実に俺に対するそれである。

 理由はもはや言わずもがなの為、俺の覚悟は決まっていた。特に気に止めることもなく歩いていると、あっという間に正門前に辿り着いた。

 

「よっ、久しぶりだな。問題児!」

 

 突然声をかけられた。相手が問題児と言ったのだから、間違いなく自分が話しかけられただろう。

 声のした方を見れば、イメージとは真逆の端麗な顔の男子生徒が立っていた。

 

「何だよ、その反応。え?てか、まさか、記憶喪失とまでは聞いてないんだけど……」

「んな訳ねぇだろ。久しぶりだな、裕也」

 

 いかにもわざとらしく狼狽えるのは男子生徒──早乙女裕也《さおとめゆうや》。

 中学からの同級生であり、いわゆる腐れ縁な関係。 その整った容姿から告白されることも稀にあるものの、いわゆる性格があれなタイプであり、恋人が出来ては早ければ一週間には破局を繰り返している。

 まあ、自他共に認める自惚れ屋の残念な馬鹿キャラとでも紹介した方がわかりやすいだろうか。

 

「自惚れ屋残念な馬鹿って随分な罵倒だなおい!」

「おぉ、よく分かったな」

 

 その見事過ぎる心読みには素直に感心すると同時に、裕也の表情が変わった。

 

「ったく。でもお前、思ったよりずっとピンピンしてて安心したぜ。あの子の方は大丈夫なのか?その……心の傷とかさ」

「見た感じじゃ、思ったより元気そうだったって感じだな。そういう風に振る舞ってるだけかもしれないが」

「莉緒ちゃんも、災難だったよな。てか、想像するだけでも腹立つよ。あんな可愛い子の首をめった刺しにした挙句、犯人の奴はのうのうと生活してるかもしれないんだろ?出来ることなら、この手で同じ目に合わせてやりたい──いでっ」

 

 恨み言を漏らす裕也の言葉を遮るかのように、不意に頭の上からピンク色の鞄が置かれた。

 

「何朝からふざけたこと言ってんのよ」

 

 背後から聞こえてくる声。振り向いた先には、見知った女子生徒が立っていた。

 

「ああ、陽菜も一緒だったのか。久しぶりだな」

「はい、お久しぶりです。良かった。復帰してたんですね。湊先輩」

 

 礼儀正しく頭を下げる下級生──早乙女陽菜(さおとめはるな)。 

 癖毛を活かした短めのナチュラルヘアーに、少女というよりは、女性という言葉が相応しい長顔はオシャレ好きな彼女の性格を表しているといえるだろうか。

 

「最後に会ったのが夏休みが始まる前だったから、大体二ヶ月くらいか。長いもんだ」

「ですね。というか……本当、話を聞いた時は心臓が止まるかと思いましたよ。大変だったんですよね?その……色々と」

「この分じゃ、噂になってるみたいだな。いいとこ、俺が両親をやったってとこか?」

「え?ええ……まあ」

 

 気を使うだけ無駄だったとばかりに、陽菜は乾いた笑いを漏らす。

 彼女の気持ちはありがたいが、こっちとしてはむしろじれったいだけだった。

 

「普通、いきなりそういうこと言います?変わらないなー、湊先輩」

「だから言っただろ、こいつ相手に気を使う必要なんてないってさ」

「あんたは楽観的過ぎ」

 

 言いながら、裕也の額をこずく陽菜。普段から言い争いの絶えない二人ではあるが、兄妹仲は決して悪くはないだろう。

 

「悪いが、俺は先に行くぜ。色々伝えなきゃいけないこともあるしな」

「あ、はい。お気をつけて」

「また後でなー」

 

 裕也や陽菜に見送られながら、俺は人だかりとは反対側の左の通路へ曲がり、遠目で見ただけでもわかる職員室というプレートが下がった室内へ入る。

 さて、誰に声をかけたものかと周囲を見渡していたが、ふと一人の青年教師と目が合った。

 

「あれっ、君、もしかして入院してたって子?」

 

 どうやら俺に気がついてくれたようだ。軽く頷いてから俺は青年教師の元へ移動した。

 

「……えっと、名前は、黒鉄湊。二年生で間違いいんだよね。妹さんは……今日はお休みか。ご両親は―― あっ…… ああ、ごめん…… バタバタしてて、詳しく読んでなくて」

 

 バツが悪そうに頭をかく教師。もっとも、我ながら変わった経歴だ。このような反応も当然だろう。

 

「聞いてるよね?この後にすぐ始業式だから、一緒に行こうか」

 

 教師に同行し、俺は始業式の会場に向かった。

 ややブランクこそあるものの、その間が一ヶ月以上もある夏休みだったこともあり、俺が登校しなかった期間が他の生徒に比べてそこまでの差がないのは不幸中の幸いか。

 やがて、始業式が終わり、そのままクラスへの移動。初日なだけあり、その日は行事予定などの事務連絡をして、放課後となった。

 特にする事もなかった為、同じクラスの裕也と共に帰り支度を整えていると、教室に一人の上級生が入ってきた。

 俺の視線に気づいた裕也もそちらを見やると、その女子生徒──奏に声を掛ける。

 

「おっ、奏さん。いやー今日も可憐っすね。わざわざ僕に会いに来てくれたんすか?」

「うーん、残念!どちらかと言うと湊の方かなぁ。問題なくやってるかなって」

 

 人差し指を立てにウィンクを決めつつ、奏は俺の方へと目を向けた。

 

「あっ、居た居た。今って大丈夫?これからのこと、話しておきたくて」

「ああ、別にいいぞ」   

 

 それは、予め予想していたこと。表面上では恋人関係である俺に、彼女が接触してくることは何も不自然なことではないだろうが。

 

「何何、新学期早々にデートの相談な訳?僕が言うのもなんですけど、奏さんも結構遠慮がないっすよね」

「えへへ。こんな時だからこそ、かな。ねっ?」

「そうだな」

 

 微笑む彼女に対して、適当な相槌を打つ。下手に否定して彼女の神経を逆撫ですることもないだろう。

 俺達は軽いまとめた荷物を背に教室を後にした。裕也や奏に連れられるように、校内の渡り廊下を歩く。

 

 すでに叔父夫婦の死から二ヶ月程が経つだろうか。

  

 当然というべきか、それに関わった俺や妹は世間やマスコミから大いに注目の的となった。

 未成年であることが幸いしたのか、ネットや新聞に名前が載ることはなかったが、事件が起きたのが夏休みに入る寸前だったこともあり、噂は学校中にも瞬く間に広がったようだ。

 

「おい……見ろよ、あれ」

「例の人でしょ?ほら、殺されかけた一年の兄だっていう……」

「うわ、本当だ。復帰してたんだ」

「あいつ、直接殺害現場に居合わせたんだろ?入院してたのは、やっぱり精神状態とか?」

「わかんねぇ。でも噂によると、あいつも両親の死に少なからず関わってたって話だぜ」

「……マジで?」

「こりゃあ、あんまり近づかない方がいいかもな」

 

 とまあ、軽く廊下を歩くだけでも周りからヒソヒソ話が聞こえて来るのはもはや想定内だった。

 

「早く行こ、湊」

 

 周囲の生徒達からの罵倒とも言える言葉に奏は俺の手を取りながら早歩きでその場を去ろうとする。

 ちなみに、血の気が多いもう一人はというと。

 

「てめぇら、言いたい放題──!」

 

 俺は怒りのままに突っかかろうとした裕也の首根っこを掴んだ。

 

「おい、さっさと行くぞ」

 

 そのまま引きずるように渡り廊下を後にする。下手にトラブルにでもなればそれこそ面倒だろう。

 そのまま時間をやや時間をかけつつ、俺達は学園の下駄箱まで辿り着く。

 幸い人通りは少ない。裕也の首根っこを離すと共に、舌を出しながら呼吸を整えつつも俺に向き直り、声を荒げた。

 

「いいのかよ、あのまま言われっぱなしで!」

「ま、お世辞にもいい気分じゃないな」

「だったら!」

「仕方ねえさ、逆の立場になってみろ。あいつからからすれば、両親の殺害現場に居合わせた奴が何事もなく学校に通ってんだぞ。しかも、そいつの妹は両親に殺されかける?さぞかしいい話のネタだろうよ」

「でも、悔しいじゃんかよ……!」

 

 直樹は落ちつきを取り戻しつつも、気持ちは収まらないとばかりに拳を震わせた。

 心の傷を負った友人に対する陰口。そこに怒りを覚えることは決して悪ではない。むしろ、誰しもが真っ当な怒りと言うだろう。

 俺自身、裕也のその感情には感謝しているし、安心もしていた。

 

 それだけに、周囲の生徒の俺に対する疑念も真っ当な意見なのはなんとも皮肉な話である。

 

「気持ちはありがたく受け取っておく。だからお前も気にすんな」

「……わりぃ。でも、何かあれば相談しろよ?」

「わかってる」

 

 そう言うと、裕也はいつもの調子で笑い出す。

 女癖こそ悪いが、こういう情に熱いところは俺も見習うべきなのかもしれない。

 

「湊」

 

 背後から聞こえてくる声。

 同時に、手のひらに暖かい感触が走る。

 声のした方に目を向けると、奏が自らの両手で俺の左手を包み込んでいた。

 

「前に言ったこと、覚えてるよね?湊のこと、私は──わかってるから」

 

 そう言う彼女の表情は未だに満面の笑顔のままだった。

 



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お前とは単なる幼馴染

 数分後、裕也と別れた俺達は学校から少し離れた人気のない公園のベンチに腰を下ろしていた。

 新学期初日なだけに始業式のみで終わった久しぶりに始まった学校生活。

 そして明日からは、退院して来た妹も復帰して来る。

 もっとも、それはそれだ。俺は隣のベンチに座る彼女に視線を戻した。

 すると、すでに視線を送っていたらしい彼女と目が合う。どうやらあちらも観察中だったらしく、俺の顔を見るなり微笑んだ。

 

「ん?どうした?」

「べっつにー?ただ、随分とあの子のことを気にしてるなーって」

 

 言葉とは裏腹に、奏の表情からは微かな怒りが感じ取れた気がした。

 彼女の言うように、よそに俺の脳内を支配するのは前日による妹とのやり取りだった。

 仕方がなかった……ああするしかなかった──などとは口が裂けても言えないだろう。

 何故あの時、妹を挑発するような真似をした?

 あの場で受け入れてさえいれば、妹の手が彼女に迫ることも防げたのではないか?

 内なる声は、自分を責め続ける。

 ただ──

 

「なぁ、一つだけ聞いていいか?」

「ん?なぁに?」

「お前は、俺を恨んでいるのか?」

「……さて、どうなのかなぁ」

 

 俺の反応を楽しむかのように曖昧に答えつつ、彼女はベンチから立ち上がる。

 すると、街の空気を味わうように息を吸い込んだ。

 

「本当に変わらないよね、この場所は」

 

 彼女は俺にとっては見慣れた街を眺めていた。

 俺達が暮らす灯火市街は、人口も少なく建物もろくにない。街というよりは、村と呼ぶに相応しい場所だろうか?

 彼女自身、子供の頃より特に変わり映えしない空気を楽しんでいた。

 

「私ね、これでも湊の気持ちはわかっているだったんだ。だから、あなたの気持ちを尊重するべきだと思ってた。例え恋人同士じゃなくなっても、関係が終わる訳じゃない。お互いとって、たった一人の幼馴染に戻るだけだって」

 

 そう語る彼女の瞳は先程までとは打って変わり、どこか寂しげなものだった。

 

「でも、そうも行かないよね。どうやらあの時のことは、私の中で一生忘れられられない思い出になっちゃったみたいだし」

「ま、悪いとは思ってる」

「言葉が軽いなぁ。でも、さっきも言ったでしょ?湊の気持ちはわかっているつもりだから」

 

 寂しげな表情の彼女に、俺も思わず目を背けそうになる。

 俺達に愛情を注いでくれた祖母が死に、姉に捨てられ、何者をも信じられなかったあの頃。

 助けを求めなかった俺に歩み寄ってくれた彼女。

 

 だからこそ、俺は彼女に惹かれた。そして、彼女も俺を愛してくれた。

 だからこそ、終わりを告げなければならないのだ。

 

 俺はベンチから立ち上がり、彼女から背を向ける。

 

 「ねぇ、湊」

 

 俺は振り向かない。振り向いてはならなかった。

 

「私は──朝神奏は今でもあなたを愛しています、あなたが莉緒を、何よりも日常を守りたい気持ちもわかるよ。でも、それでも、私はあなたと……一緒に居たいの……」

 

 背を向けた俺に対し、彼女は両腕で俺の身体を包み込んで来た。その感触から、嫌でも彼女の顔が自身の背に埋められているのがわかってしまった。

 

「悪いな、俺はもうお前を好きじゃないぞ。今のお前との関係は単なる幼馴染でしかない。他を当たるんだな」

「駄目。絶対に諦めないよ」

 

 俺はあえて突放しの言葉を向けたが、彼女の俺を包む力がさらに強くなる。

 

「どうしたら諦めてくれるんだ?」

「今更だね。例え何を言われても、絶対に認めないよ。私の性格、湊ならもう分かってるでしょう?」

「ああ、そうだったな」

 

 その言葉と共に、俺は彼女の両腕から逃れる。振り返った先には、意味深な笑みで立ち尽くす彼女の姿。

 

 その瞳の先にあるのは、絶対の自信。

 

 他にはない飛び抜けた"力"があるからこそ、彼女は失敗の経験がなかった。ある意味、全てにおいての成功者と言えるだろう。

 この女は、挫折を知らないのだ。

 何故なら──これまで全てが、自身の思いのままだったのだから。

 

「離して下さい!」  

「?」

 

 人気のない公園に、突如として叫び声が響いた。

 何事かと目を向けると、そこには俺達と同じ星宮学園の学生服を来た男女生徒が揉め合っている姿が確認出来た。

 

「君、例の奴と同じクラスなんだろう?色々と大変みたいだね。相談乗るよ?」

「ですから……」

 

 側から見れば戸惑いの表情を見せる少女に対して、男子生徒は馴れ馴れしく喋りかける。

 少女は首を横に振って、言葉に怒気を含ませた。

 

「お気遣い、ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから。急いでるので失礼しますね」

 

 あくまで丁寧な口調ながら、少女は男子生徒に対して距離を置こうとする。

 一礼して、足早に男子生徒の目の前を去ろうとするが、その細い腕がぐいと掴まれる。

 

「遠慮しなくていいんだって」

 

 まさに触れば折れてしまいそうな、繊細な印象を見る者に与えるような少女の表情も、一見恐れを含んだ弱々しいものへと変わっていた。

 

「い、嫌……」

「何なら番号渡すから連絡してよ。それならいいでしょ?」

 

 男子生徒からすれば、親切心なのだろうかか?もしくは、ただの口実か。

 どっちにしても、少女にとってはこの上ない迷惑行為、俺の目から見ても今時珍しいタチの悪いナンパ行為にしか見えなかった。

 さて、ここをどう切り抜けるのか……などと能天気に構えていたところ、不運にも少女と目が合ってしまう。

 

「はぁ……」

 

 思わずため息をつく。どうやら放っておく訳にもいかなそうだ。

 

「悪い、先に帰っててくれるか?この話はまた今度ってことで」

「……ふーん。結局、繰り返すんだね。いいよ、それが湊の望みなら」

「ああ。お互いに、な」

 

 皮肉を言い合いなりながらも、奏は見て見ぬふりをするかのようにその場を去っていった。

 俺はなるべく気配を殺しつつ、男子生徒の前まで速歩で近づいていった。

 

「おい、その辺にしておいた方がいいぞ」

 

 男子生徒の背後寸前まで近づいたところで、その肩を掴む。幸い俺の気配には気が付かなかったのか、心底驚いた反応が掴んだ右手からも伝わって来た。

 

「あ?何だ、お前」

「いや、どう見ても嫌がられるねぇか。あんた」

 

 掴んだ肩は震え、男子生徒の怒りが籠った声。

 元より期待などしていなかったが、話してわかる相手じゃないことはこの時点で察しがついてしまった。

 

「モテねぇ男の嫉妬だねぇ。怪我したくなかったら大人しく──っ!?」

 

 勢いよく振り向こうとしたところ、俺はとっさに肩の拘束を離すと同時に、男子生徒の着地する足場に自らの足を置いたまま、瞬時に引き上げる。

 結果、男子生徒はそのままバランスを崩し、地に尻もちをつくことになった。

 

「ってぇな!てめっ──」

 

 当然のように激怒し、男子生徒はすぐさま体制を整えた後、その拳が俺を捉える。

 俺自身、多少の手荒はやむを得ないかと覚悟を決めていたが、その寸前、まるで金縛りにあったかのように男子生徒の拳がぴたりと止んだ。

 

「っ!?お前っ、親殺しの──」

 

 どうやら相手は俺のことを知っていたらしい。

 親殺し……その言葉から察するに、今日の生徒達の噂が大袈裟に広がっていると考えていいか。

 

 だとすれば、それを利用するのもいいだろう。

 

 俺は特に何をする訳もなく、男子生徒から目を逸らさずにいると、対照的に相手は心底怯えたように後退り……。

 

「ひ、ひぃっ!」

 

 まるで化け物から逃げるようにその場を駆け出す。途中で転び、膝を打ちながらもこちらを振り返りながらも必死に逃げていく様は恐怖の二文字に支配されていた。

 実際、あの男子生徒から見れば俺の存在は化け物にしか見えていないのかもしれないが。

 

「やれやれ……」

 

 やや不本意ながらも、暴力沙汰にならなかったことには安堵する。

 もっとも、新学期初日にしてこれでは先が思いやられるというものだが。

 

「えっと、黒鉄湊君……ですよね?」

 

 狭い路地の中で、さっきまで絡まれていた少女に声をかけられる。

 滑らかに手入れされたストレートのロングヘアーに、男である俺とさほど変わらない高い身長に、大人の女性に幼さを足したようなその顔立ちは間違いなく美少女と呼ぶに相応しい容貌だった。

 

「えっと、同じクラスの天野澪(あまのみお)です。その……助かりました」

「怪我はないのか?」

「あ、はい……大丈夫です」

 

 目を逸らしつつ、同年代であるはずの俺に敬語で話す少女。

 それは、親殺しと名が広まっている俺に対する恐怖心か?あるいは……。

 

「そうか、何事もなくて何よりだ。これからは気をつけろよ」

 

 俺は早急にその場を立ち去ろうとした。

 

「ま、待ってください!」

 

 背を向けたとこころで、少女に呼び止められる。

 そのまま首を傾けると、焦り声の中で、少女の口元が微かに緩んだ気がした。

 

「えっと……すみません、大した用事でもないのですが。良かったら」

 

 戸惑いの仕草の中で少女がポケットから取り出したのは、一枚の札のような物。

 白い用紙には店の名前であろうか?その隣には《男性様一名限り!》と書かれている。

 

「私の父が経営してる店なのですけど、見ての通り男性のみの券でして。日付の方も……」

 

 少女が指を指した先には小さな文字で今日という日付を示していた。

 

「黒鉄君が良かったら、お礼に受け取ってくれませんか?3000円分までなら無料ですから」

 

 小さな店ではあるが、そこに写るウェイトレスの制服は俺の目から見ても露出度の高い過激な制服を着用していた。

 わざわざ断る理由もないだろうが……。

 

「いいのか?」

「はい。お礼……ですから」

「サンキュ。遠慮なく貰っておく。晩飯にでもさせてもらうよ」

 

 礼儀正しく頭を下げる少女を眺めながら、俺はそのまま歩き出す。

 久しぶりにまともな同級生と会話した気がした。

 

「(ま、とりあえずは計画通りってところか)」

 

 そうして俺は、誘いを受けた。

 入学以来の一年間、事あるごとに俺の素性を観察していた女の誘いを──

 

 

 

 



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小悪魔な天使の告白

 昼間の出来事を振り返りながら、俺はあくびをしながら家とは正反対の隣町を歩いていた。

 時刻は18時半を過ぎ、昼食時には丁度いい時間だが、基本食事を取るのが20時を過ぎる俺にとってはそこまで空腹という訳ではなかった。

 その目的は勿論、あの少女……天野澪に貰ったファミレスの無料券だ。

 別に約束した訳ではないが、彼女からの好意、これからのことを考えれば無駄にするのも気が引ける気がした。

 

「あ、ここか」

 

 二十分程歩いた後、俺はようやく目当ての店を発見。そこには『プレジャーレストラン』と随分な名が書かれた看板があった。

 その下には煽り文か"最高の快楽を貴方に"と書かれている。

 

 見た限りでは、ただのファミレスにしか見えないが、店の大きさに対し、ぱっと見ただけでも駐車場には30台以上の車が止められていいた。

 

「(確か、あの女の父親が経営してる店って言ってたな)」

 

 だとすれば、味も期待出来るのだろうか?もしかしたら、席に着くまで長い時間待つ事になるかもしれない。今のところはそこまで空腹でもないし、それならそれで結果オーライと言えるが。

 

 俺はそのまま扉を開ける。

 

「おぉ……」

 

 しかし、そこで見た光景に俺は一瞬にして度肝を抜かれていた。券で見た以上に大胆なウェイトレスの制服──バニーガールにミニスカートを追加したような胸元や太ももが露わになっており、すっかりと身体のシルエットもさらけ出していた。

 もはや、そっちの店としか思われないデザインである。

 

「いらっしゃいませ♪プレジャーレストランにようこそ!一名のご主人様──あっ……」

「(え?マジ?)」

 

 もっとも、一番の驚きは平然とそこで働く天野澪……俺をこの店に誘った張本人の存在だったのだが。

 

 俺は改めて店内を見回す。一言で表すなら、特定の層をねらったサービスが特徴というべきだろうか?

 さらに視線を左右に向けると、自分より年下であろう子供から40代程の幅広い年齢層。

 それだけなら通常のファミリーレストランと変わらないだろうが、問題はその全員が男という点だろう。

 それも、遠目からでもわかるメタボ体型かつ油きった髪の毛。ダボダボのジーパンにチェックシャツ、ハーフパンツ。勿論、例外も存在するが……。

 俺はようやく納得する。多分、この店とは今日限りだろう。

 

「えっと、ご注文はお決まりですか?」

「……悪いな。なんか食欲なくなってきた」

 

 そのまま席に案内され、目の前にはハンディー端末を持つ天野澪。思わず、その狙ったデザインの制服に身を包まれた彼女に見入ってしまう。

 

「本当に来てくれるとは思いませんでした」

「え?ああ、来ないと思われてたのか?というか、知られたくなかったなら、わざわざ券なんて渡すこともなかったろ」

「いえ、そういう意味ではありません。それに、他にはお礼する物もなかったですし」

 

 やや戸惑いを見せつつも、目の前の少女に恥じらう様子はない。本人の言うように、ただ単に俺が来るのが予想外だったというだけなのだろうか?

 

「それにしても、ふふ……その視線、黒鉄君も男の子なんですね。でも、今なら好きなだけ見ても構いませんよ?」

「こりゃ明日死ぬかもなぁ、俺」

 

 我ながら冷ややかな目に対し、悪戯っ子のように笑う天野澪。

 彼女とは同クラスながらもろくな接点もなく、どこか引っ込み思案な印象を持っていたが。

 まあ、人は見かけによらないということだろうと俺は早々に納得した。

 

「それ以上に、あんたってそんなキャラだったんだな。健全な童貞の反応を見て楽しむのもいいが、その事実をクラスの男子に知られちまってもいいのか?」

 

 もっとも、父の店の手伝いなら仕方ない方法で済むかもしれないが。明らかにノリノリの彼女を見てるとそうも思えない。

 そんな俺に対し、天野は意味深な笑みで段々と顔を近づけてきた。

 

「そうですね、それは困りました。では黒鉄君、この事はクラスの皆さんには黙って置いて下さい。見返りは、ご主人様の望むだけ……」

 

 小さな声で耳元で囁く。さらりとした爆弾発言と共に、俺の耳に息を吹きかけてきた。そのあまりのギャップの違いに、俺も思わず口元を緩めてしまう。

 

「とんだ天使だな。悪い方の」

「ふふ……ありがとうございます。少しでも元気になってくれたなら何よりです」

 

 天野は頬を染めながら恥ずかしそうに微笑んでいた。この店とは今日限りだと決心したばかりではあるが、早くもその決意は揺らいでしまっていた。

 

「というか、どいつもこいつにも知れ渡ってんのな。本当、噂ってのは恐ろしい」

「ですが、悪いことばかりではありません。だからこそ、助けたいと感じる人も中には居ます」

「そうだな。ま、とりあえずは注文するわ。ハンバーグセットっての貰えるか?」

「かしこまりました。ところで、黒鉄君は長居で?」

「いや、食ったらそのまま帰るつもりだ。妹も心配だしな」

 

 それは約一年前、高校に入学したての頃だったろうか?

 裕也から他校との合コン(?)に誘われ、一晩中カラオケで過ごしていた日の事だ。

 時刻は深夜0時を過ぎ、家へと戻った俺が直視したものは血眼になって俺の帰りを待つ妹の姿だった。

 

"兄サン……浮気シタ浮気シタ浮気シタイツマデモ一緒ニッテ約束シタノニ約束シタノニ約束シタノニ約束シタノニ浮気シタ浮気シタ浮気シタッッ!!"

 

 その台詞を聞いたのは、何百、あるいは何千回だったろうか。正直、思い出すだけでも寒気が襲った。

 今だからこそ笑い話には出来るが、あれを説得するのは随分と骨を折ったものだ。

 文字通り、自分の骨を……。

 

「うん?黒鉄君、どうしました?」

「あ、いや、何か用事でもあるのか?」

「用事という程でもないですが、黒鉄君さえ良ければ、裏口で少しお話しでもどうでしょうか?私も今日は後30分ほどで上がりですので」

 

 思わぬ誘い。特に用事などはないが、その誘いを妨げるのはやはり妹の存在。

 予想もしなかった天野澪の一面は俺の中でも好印象だった。断るのも悪い気はしたが……。

 

「大丈夫です。長居はさせません。私も父が厳しく、門限は九時までですから」

 

 俺の心を読んでいたかのように拒否権を潰しにかかる。あまりのタイミングの良さに、本当に読んでいたのか?とも疑ってしまった。

 まあ、それならそれで……。

 

「妹さんが心配なら、帰りはタクシーを使いますか?この店の関係者なら、無料で送ってもらえますので」

「頼めるか?」

「勿論です。私の無理なお願いですから」

 

 嬉しそうに微笑む天野。しかし、これは思わぬ収穫だった。

 元より歩いて数十分の距離の道を歩くのは手数だったので、かなりのリスクを避けられる。断る理由もないだろう。そのタイミングで、別のオーダー機が音を立てた。

 

「あ、はい。すぐ行きます!では黒鉄君、また後で」

 

 そう言い残し、別のオーダーに去っていく天野澪。

 俺はしばらくその後ろ姿を眺めていたが──まあ、今更手遅れか、と目を閉じた。

 やがて数分後、別のバニーガールのウエイトレスが頼んだハンバーグセットを持ってきてくれた。

 

 何やら"魔王の愛液"やら"口移し"やら完全に危ない単語が出て来たが、健全、童貞、シャイボーイである俺は丁重にお断りした。

 

 

 

 

「悪い、待たせたな」

「いえ、私も今まで後始末をしていましたから」

 

 なるべく早くハンバーグセットを平らげ、俺は指定された場所へと足を運んだ。

 流石に飲食店の裏口なだけあり、狭い路地ではあるが、人通りは全くない。話すにはもってこいだ。

 彼女も先程までのはしたないバニーガール姿はなく、普段俺が最も多く目にかかる制服に身を包まれている。

 

「改めて言っておく。今日はサンキューな。いい気分展開になった。正直、別の意味で空腹を満たされた気分だが」

「振り返ると恥ずかしい気もしますね……あの、本当にこの事はクラスの皆には、言わないで下さいね?私、あんまりからかわれるのは慣れてなくて……」

 

 さっきまでの小悪魔な印象はどこへやら。頬を赤らめ、モジモジとした様子で要望してくる天野澪。

 もしかすると、あのバニーガールには店員をその気にさせる魔力でもあるのだろうか?一瞬であるが、そのギャップの違いに俺は思わず心が奪われそうになってしまった。

 

「まあいいけどな。で、どうする?あんま時間もないが、どこかに入るか?」

「……いえ、あんまり人には聞かれたくない話なので」

「あ?どういうこと──っ!」

 

 俺は目を疑った。先程まで3メートルは離れていたであろう天野澪の顔が密着するほど目の前まで迫っていたのだ。

 あまりに突然にして、一瞬の出来事。とっさに距離を取る俺に対し、天野澪の目線は俺を捉えてはおらず、モジモジと左手を首に重ね合わせ、左腕はブレザー着の内ポケットに隠れている。

 

「く、黒鉄君!」

「お、おう……?」

 

 かと思えば、今度は俺の目をしっかりと捉えて来た。まさに、逃げ場などないと言ったばかりと対応。

 次の瞬間、その真相の全てが明かされる事になる。

 

「あの……ずっと、あなたのことが好きでした!私と……私と付き合ってください!」

「……へ?」

 

 天野澪の瞳は真っ直ぐに俺を見つめていた。見た感じ、嘘はついているようには見えない。

 俺は思いっきり右の頬を抓ってみる。痛かった。

 もっとも、本題の方は──

 

「っ!」

 

 俺は、突如として信じられない程の速度で迫って来た天野澪の左手首を掴み上げた。

 

「やっと本性のお出ましか?あれはあれで面白かったけどな」

 

 天野澪は恐ろしいものでも見るかのように俺を見上げてる。

 掴み上げた手の平からはリモコンサイズの端末のようなものが握られており、ビリビリと物騒な高電圧が音を立てていた。

 そう──俗に言うスタンガンである。

 

「……ふ……ははははは。流石です、黒鉄君。やっぱり私は──あなたが欲しい……」

 

 目の前にて対峙する少女──天野澪の黒く、濁った、一筋の光も映さない、正気のない瞳。

 その姿に、俺も思わず口元を緩ませてしまう。

 

「(ほら、やっぱり。思った通りだ)」

 

 



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力による抵抗

 

 俺はそのまま天野澪の掴み上げた手掌からスタンガンを振り落とした。

 彼女は顔色こそ変えぬものの、心の中に残る動揺は掴んだ左手首から十分に伝わって来る。必死に俺の拘束から逃れようともがく天野澪。思ったよりも力が強い。

 そんな天野澪に対し、俺はとっさに拘束を離すと、彼女はそのままバランスを崩し、地べたに尻もちをついた。

 

「全く。女の子に対しての気遣いが足りませんね、黒鉄君は」

「そいつは悪かった。さっきも言ったが、童貞だからな。可憐()な美少女に対面するあまり緊張で我を失っちまってたらしい」

 

 言いながら、俺達は互いに笑い合う。

 とはいえ、彼女が本性を見せた以上、こちらもその気にならねばならないだろう。

 

「で、これは一体何の冗談だ?」

「白々しいですね。黒鉄君自身、わかっていたからこそ、あなたはあえて私の誘いに乗った。そうでしょう?」

「だったらどうする?」

「どうもしませんよ。ただ、もう少しだけ確かめさせて下さい──」

 

 言い終わるより早く、 天野澪は拳を握り、勢いよく駆け出してきた。

 俺はとっさに右手でその拳を受け止める。

 さっきも感じたが、年頃の女とは思えぬ程に力が強い。俺は特に反撃はせずにいたが、その油断が命取りだったらしい。

 計画通りとばかりに天野澪は微かに微笑むと、高所に飛び跳ねるように跳躍した。両手を地につけ、両足を上にあげるように着地。まさしく逆立ち状態。さらには、先程俺が弾き飛ばし、地面に転がったスタンガンを拾い上げた。そのまま再度跳躍し、俺から距離を取ると共に体制を戻す。

 

「(こいつ……!)」

 

 それは並大抵の訓練では習得出来ないであろう事は一目同然。予想すらしなかった華麗な動きに、俺は思わず目を見開き、賞賛の拍手を送ってしまった。

 

「やるじゃねぇか。まさかあんたにこんな才能があるとは思いもしなかったぜ」

「黒鉄君に褒められるなんて、これ以上の事はありませんね。必死に訓練した甲斐がありました」

 

 天野澪は嬉しそうに拾い上げたスタンガンを構える。

 優位に立ったつもりだったが、これでまた状況は振り出し、またはそれ以上に悪くなってしまったと言えるだろう。

 

「しかし、その動き。あんたの父親ってのは相当な達人だったのか?」

「バレてましたか。この一年、私も必死に修行しました。他ならぬ、貴方を手に入れる為に、です」

「一年、ねぇ……」

 

 ふと、忘れかけていた一年前の出来事が脳内に浮かんだ。まさかまさかと思いつつ、不安になる。

 そんな俺の心境を察したのか、答えはウキウキと嬉しそうにしている目の前の本人から明かされる。

 

「私、少し前まではこんな子じゃなかったんですよ?小学、中学生の時は数少ない友達の輪にすら自分からは入って行けなくて、行き帰り、休み時間はいつも一人ぼっちでした。昔から男子生徒にからかわれることも多くて」

「そいつはご愁傷様だな」

 

 おそらく、男子生徒にからかわれていたというのは彼女の容姿からだろう。並みの男と張れる程の高い身長に、大人の女性に幼さを足したようなその顔立ちに惹かれる男子生徒の気持ちはわからなくはない。

 

「さて、鈍感な黒鉄君もそろそろ思い出してくれたのではないですか?約一年と五ヶ月前、入学式の当日の出来事事です。体育館裏で男子生徒にからかわれていたところ、それこそが私達との出会いだったことを」

「……ああ、あの時か」

 

 天野澪は意味深に笑う。そこまで言われて、俺はようやく全てを思い出せた気がした。

 入学初日に彼女に絡んだ男子生徒は、俺や裕也の中学時代からの同級生だったのも理由の一つだろう。

 

「名前も何も知らぬ男性からの告白、私は断りました。その人の目は正気ではなかったからです。でも、それは悪夢の始まり。どこで撮ったのかはわかりませんが、その人は中学時代の更衣室での写真……いわゆる私のヌード姿での写真を見せながら脅してきたんです。思えばその時、私は生まれて初めて心の底から恐怖という感情を体感したのかもしれません。こんな事、誰にも話せないし……相談出来たとしても、その姿は学校中に知れ渡ってしまうんじゃないかって……怖かったんです、本当に……」

 

 言葉とは裏側に、天野澪は目を閉じ、大切な思い出のように語っていた。

 

「そんな時、彼は突然現れました。特に声を掛けて来た訳でもなかったですし、最初はただのぬか喜びだと思ったんです。でも、まるで自然に、風のままに通り抜けるように現れた彼は、とっさに男子生徒のスマートフォンを私の目の前で踏み潰したんです。その時は、"あ、すまん、手と足と目が滑っちまった"などと言ってましたよね?」

「改めて聞くと結構無茶苦茶だな」

 

 てか、目が滑っちまったって何だよ、当時の俺……。

 

「男子生徒は相当に激怒してましたけど、彼はすっかり遊んでいましたね。何度殴りかかられても、その度に男子生徒を地面に打ち付けていく姿は今でもはっきりと覚えています」

 

 残酷だな、当時の俺よ。その時なんかストレスでも溜まってたか?

 

「最後には、証拠として自分のスマートフォンに私と男子生徒の一部始終の映像を動画として残した事を告げました。男子生徒の後ろから写す事でその人はハレンチなヌード姿——私の醜態をも隠して世間に渡るのも防いでくれていたんです」

 

 ちなみに、あの時は気づかれない事を第一に行動していたのでヌード姿が撮れてなかったのは完全に偶然である。

 などと言っては彼女のイメージを壊す訳になるので俺は黙秘する事に決めた。これは全て彼女の素敵な思い出を守る為であり、決して己自身の為ではないのだ。

 

 わかるな?わかるだろ?黙ってわかれ。

 

「思えばこの日からでしょうか。私は彼を目で追い続けました。その学生生活は非規則かつ不真面目、入学初期には遅刻が原因で授業中に先生といざこざを起こしても超然とした態度でしたが、次に遅刻する時は必ず休み時間に登校。成績に関しては、平均点を上回っていましたからか、それからは先生と揉める事はなかったのでしょう?特に、妹さんが来てからはその生活は一変でした。表面では不遜で高飛車な印象を見せつつ、これまで通りの日常を貫こうとする。黒鉄君の本当の心はどこにあるんでしょうね?」

「おいおい、人の学校生活を覗き見か?心理作戦のつもりか知らんが、趣味が良いとは言えないぜ」

 

 何かを悟ったように微笑む天野澪。俺は軽くため息をつき、手掌を前額部に押し当てる。

 改めて自分の置かれた日常の異例さを実感させられた気がしたからだ。

 

「やはり、そう簡単には行きませんか。でも……」

 

 天野澪は手に持ったスタンガンのスイッチを入れる。

 遠目からでもバチバチと音を立てているのがわかる辺り、電流の威力も調整されてるのだろうか?

 

「黒鉄君、私ならあなたを受け入れてあげられます。貴方の強さも、悲しみも、日常の中で生きる恐ろしさも。私なら、あなたをわかってあげられます……」

 

 天野澪はゆったりとした様子で近づいて来る。その瞳からは光沢が消え、焦点が合わずに虚ろ目になっている状態。

 

 本人は頑張って良い話風かつ冷静にまとめようとしているつもりだろうが、こちらとしては異常としか言えない光景である。

 気がつけば、随分と時間は過ぎていた。これ以上は自宅にて帰りを待つ妹にも影響し兼ねないので、俺はあえて地雷を踏みに行くことにした。

 

「あんたが俺の何を知っているのか知らないが、こっちとしてはこのまま退く訳にも行かねえのさ。悪いがそれ以上の関係は無理ってことで」

「そうですか。では──仕方ありませんね」

 

 意味深な笑みと共に、天野澪は俺にスタンガンを突きつけてくる。彼女の身体能力の高さは他の比ではなく、そこには的確な狙いと速さがあったが、先程のようなテクニカルな動きはない。

 俺は身体を傾げ、いとも簡単にかわすことに成功した。

 

「仕方ない、か?初めて意見があったな。そいつはお互い様だ」

「っ……」

 

 俺はそのまま自らの右足で天野澪の両足首を引っ掛ける。彼女はバランスを崩し、目の前で転倒する──が、その反応の速さは流石と賞賛するべきか、すぐさま片手を地面つけ、逆立ち体制になる形で難を逃れる事に成功。

 さらに、広げ上げた両足は俺の顔面に目掛けて来る。彼女の渾身のかかと落としに対し、俺は両腕を前に上げ、防衛体制に移す。

 

「(……やっぱ、重いな)」

 

 力を込めた両腕が悲鳴を上げているのがわかる。二度も拳を受け止めた後に十分にわかっていたが、この女の怪力にはとことん舌を巻くレベルである。身体能力も他の男子とは比べ物にならない。

 

 だが、だからこそそこにつけこむことが出来た。

 

 さらに追い討ちをかけるように、天野澪は俺に回し蹴りを加えようとするも、今度は左腕で抱き上げる形で天野澪の両足を抑え込むことに成功した。

 

「な……!?」

「その馬鹿力は大したもんだ……が、肝心なところがワンパターンだな。実戦は初めてか?」

 

 片手を地面に、スタンガンを片手に逆立ち状態のまま驚愕の視線を向ける天野澪。

 そんな状況で身動きが取れる訳もなく、その体制を支えるのは彼女の両足を拘束する俺自身という訳になる。

 一度、二度と俺を上回る身体能力を発揮し、慢心したところを狙う騙し討ち、とっさの判断ではあったが上手くいったようだ。

 

 というより、この状態だと彼女の下着が丸見えである。ちなみに色は白だった。

 

「ふふ……何をジロジロ見ているんですか?この様な状況でもポーカーフェイスを貫くのは流石ですが、女の子としては複雑でもあります。そのまま襲ってくれてもいいんですよ?」

「我ながら随分と恵まれたもんだな」

 

 恍惚の表情で笑う天野澪。そんな目の前のど変態女に抱く男としての本能を抑えつつ、俺はそのまま足を下ろした。結果、俺は自らの膝の上で彼女の両足を抱き上げる形となる。

 言うなれば、今の天野澪はM字開脚と呼ばれるものに近く、第三者が見れば完全に通報されるレベルだろう。

 

 あまりに滑稽な状況に、俺は思わず口元を緩めてしまう。

 

 一人の男としてこのラッキースケベイベントを楽しむのも悪くないが、一方間違えれば今後の人生を左右しかねないのでここら辺で決めに行くことにする。

 

「あ……!」

 

 俺は自由が残してある右手で彼女のスタンガンを奪う。天野澪は必死で俺の拘束から逃れようと両足に力を込めるも、次なる俺の一手によりその抵抗は極端に弱まった。

 

「動くな」

 

 俺は天野澪から奪ったスタンガンを彼女の首筋にスタンガンを宛てがった。



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戦いの終わり、そして始まり

「さて、どうする?これでもまだ続ける気か?」

 

 彼女の首筋に当てられたスタンガン。現状電源は切られており、意識は健在。

 しかし、これ以上の抵抗が何を意味するのかは、彼女自身が一番よくわかっているだろう。 

 こんな形でもなければ両者の実力が拮抗した勝負になっただろうが、用心深さ故に武器を持ち込んだ事が敗因となったとも言える。

 

「……残念ながら、降参するしかなさそうですね」

「物分かりが良くて助かるぜ」

 

 その言葉と共に、俺は彼女の首筋からスタンガンを離す。同時に彼女の拘束を解き、再度距離を置いた。

 

「(しかし、この女。一体何者だ?)」

 

 その細身の身体からは想像も出来ない身体能力に驚いたのは言うまでもないが、それ以上に俺が疑問視しているのはこの女が見せた異常とも言える程の怪力にあった。

 

 あれは、まず間違いなく女性が得られる常識を遥かに超越していた。 

 

 生まれ持った握力や背筋力。一部の例外を除けば、女が男の力を上回るなどまず有り得ないことであり、その相手が俺だというのなら尚更だ。

 俺は再び天野澪に目を向ける。それに対しても特に反応を見せる事はなく、両足を解放されて尚も恍惚の表情でM字開脚体制を維持していた。

 

 この女、完全に誘ってやがる……。

 

「はぁ……もういいだろう?俺は帰るぞ」

 

 どっちにしても、今は考えるだけ無駄だろう。目の前の淫乱女を残しつつ、俺は背を向ける。

 このまま男としての本能に身を任せれば楽になれるだろうが、そんな事をすれば我が家で帰りを待つ妹が暴走するのは容易に想像できるので、俺は目の前の逆境を華麗にスルーして生き続ける道を選んだ。

 もっとも、やり合った中で天野澪の身体にはかなり触れてしまっているので今更な気もしないでもないが。

 

「始まり、ですね……」

 

 先程までとはどこか違う、冷静かつ小さな声。俺は背を向けたままで首を傾げた。

 

「一人の少年の心を賭けた、愛のバトルロワイヤル。果たして誰が生き残り、誰が勝利者となるのでしょうか?幼い頃から共に歩み、一度は掴み取った愛を、彼女がもう一度掴むのか?血の繋がりという一線を破った者が、このまま彼の心を掴むのか?はたまた──彼と同じように壊れ、それでも尚、想い続けただけの者か?ふふ……これからを考えるだけでワクワクします。ねぇ──黒鉄君♩」

「そうだな。だが残念ながら、そいつらの中から勝利者出ることはないと思うぞ」

 

 皮肉な捨て台詞を残し、満面の笑みで笑う天野澪を残し、今度こそ俺はその場を後にした。

 

「(帰ってシャワー浴びよ)」

 

 また面倒なのが増えてしまった事実に、俺は何度目かもわからないため息をついた。

 

 

 

 

 

「(ふふ……本当に面白い人ですね)」

 

 彼の去っていく背中を見送りつつ、私は呟いた。 

 あわよくばとも考えはいたが、やはりそう簡単でもないようだ。流石は実践経験者といったところか。

 夏休み明けとはいえ、季節は9月を過ぎ。やや冷たい風がまるで刃のように私の身体を引き裂いていくように通り過ぎる。同時に、内ポケットに入れてあるスマートフォンから振動が走った。

 そのまま手に取り、通話ボタンをタップする。

 

『俺だ。そろそろ終わったか?』

「ええ。おおよそ作戦通りに」

『そりゃあ良かった。手間暇かけた甲斐があったな』

 

 声の主は──彼を誘き出す為に私が用意した協力者だった。

 

「あなたも、なかなか迫真の演技でしたね。特に彼に怯えて逃げ出す様は、役者とすら思える程に」

『……てめぇ、喧嘩売ってんのか?』

「ふふ……冗談です」

 

 当然といえば当然と言うべきか、通話相手の方は内心穏やかではないようだった。

 

「それで、どうですか?調査の方は」

『あぁ、お前の睨んだ通りだよ。表向きじゃ、過労からのストレスで娘を()ろうとしたってのが警察側の公式発表になってる。その際に関わったのが、加害者である黒鉄莉緒と、実際に両親を()った黒鉄湊って話だ」

「では、"彼女"の方は?」

『残念ながら、名前も出てないな。あの女が残した多額の金も、今やどうなっていることやら』

「なるほど……」

 

 ある程度予想はしていたとはいえ、流石に唖然としてしまう。

 彼が妹の策略によって両親を殺めてしまったあの日……警察は予め叔父夫婦からの正当防衛と発表していた為、彼自身が咎めを受けることはなかった。

 黒鉄莉緒は、保険金目当てに育ての親である叔父夫婦に命を狙われ、その場に偶然居合わせた兄である彼に命を救われた。

 その偶然居合わせた彼に、決して完治することのない心の傷を背負わせて……。

 

「(しかし……)」

 

 その思想。真相は、警察の──被害者である彼の妹ですら知り得ない諸悪の根源。その真実を知っているのは、当事者である彼のみ。

 

 だからこそ、隠蔽することにしたのだろう、彼は。  

 

「(哀れむべきか。いえ、ある意味では讃えるべきでしょうか?金額にして、二千万。あの二人が彼ら兄妹を疎ましく思っていたとはいえ、第三者に彼の妹さんを殺させようとするなんて普通は考えつきません。ねぇ── 朝神グループの御令嬢さん?)」

      

 完全に無意識ながらも、私は手に持っていたスマートフォンが震えているのがわかってしまった。

 

『ん?どうした?』

「失礼。また何か情報が入り次第知らせて下さい。無論、その分の報酬は弾みます」

『あ……ああ、わかった』

 

協力者からの了承を確認すると同時に、私は通話を強制終了させ、空を仰いだ。

 どうしようもない程の興奮、胸の高まり、心が躍っているのがわかる。

 あの日から彼の一日一日を観察し、ある時は復讐への見せしめとして、またある時は同じ痛みを持つ仲間として、またある時は乗り越えるべき壁として私の中にあり続けた彼。

 直接話したのは入学式以来だった。しかし、私は知っている。

 

 彼を陥れた妹や幼馴染、恋人などよりも、よほど──彼という存在を。

 

「ふふ……あははっ、あはははははは!!あはははははは!!!あははははははははははははあははははははははははははッッ!!」

 

 先程まで対峙していた彼の姿を想う。それだけで卑しい妄想が止まらない。 

 

 私の計画を見抜きながらも、動揺のかけらも見せなかった彼。

 

 その絶対の自信に溢れた瞳で私を見て欲しい。 

 

 その口に吸い込まれていく食べ物の様に私を食べて欲しい。

 

 俺にはもうお前しかいないのだと、私に助けてを求めて欲しい。

 

 愛してると、囁いて欲しい。

 

 あなたの気の済むように幾晩でも抱いて欲しい。

 

 彼に、私を求めて欲しい。

 

 どんなに恥ずかしいことでも、彼が望むなら受け入れてあげられる。

 

 それこそが──私がずっと抱き続けていた、細やかな願いなのだから。

 

「(始まり、ですね……)」

 

 これから待ち受ける彼との日々。それを想像するだけで笑いが止まらなかった。

 あの日を境に、彼の中に眠ってしまった愛情、不安、後悔、絶望、恐怖、怨み、悲しみ、殺意。

 彼女達と向き合うと決めた日に、彼自らが捨て去った感情。

 その全てを引き出すのは私だ。

 そして、私以外の誰一人に向かうことは許さない。

 その全てを刻み込み私のものにする。

 そうなれば、彼は堕ちる。

 

 ──今度は私に、永遠の感情を向けてくれますよね?



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妹の復帰

 

 翌朝、羽のような低い音で俺は目を覚ました。頭の先にある目覚まし時計を確認してみると、8時05分と学校に行くには少し遅めの時刻。

 どうやら昨夜は目覚ましをかけ忘れたらしい。朦朧とした意識の中、首を横に向ける。

 

 そこに居る、同じ布団、同じ毛布の中で睡眠を共にしたらしい一人の家族を直視した。

 

「(なんつー格好だ……てか、また夜中に潜り込んで来やがったな)」

 

 自分と僅か1メートルにも満たない距離の中で首元に巻かれた物以外、一糸纏わず姿で眠る妹。

 いわゆる全裸、完全な無防備な状態である。

 まあ、流石に血の繋がった妹相手に欲情する程落ちぶれてはいないが……。

 

「うーん……えへへ〜……」

 

 スヤスヤと、まさに無邪気に、能天気に眠る妹。

 この間抜け顔を見ていると、今まであったことが嘘のように思えてしまうのは、兄である俺から見てもわかる、この恵まれた容姿からだろうか?

 俺は無言で妹の唯一身に付けている衣服──首に巻かれたネックウォーマーを軽く下げた。

 

「ん……兄さん?」

「あ、起こしたか?」

 

 薄っすらと目を開ける。どこか不機嫌そうな顔に見えるのは、未だに眠たい証拠だろう。

 

「……朝から大胆だね」

「おい。まさかとは思うが、カメラなんて仕掛けてないだろうな?」

「さぁ、どうかなぁ」

 

 目の前で嬉しそうに微笑む妹。こいつは殺人者のみならず、変質者の異名をも俺に背負わせる気だろうか?

 そんな俺の疑問に曖昧に答えつつ、莉緒は俺が手に掛けたネックウォーマーを取り始めた。

 

「いいよ?兄さんになら」

「悪いな」

 

 小さく手を上げながら、俺は妹の首元——決して完治する事のない傷を直視した。

 ナイフの切り傷、ネジで抉られた穴、煙草を突きつけられて出来た火傷痕。その姿を見るのは何度目だろう?

 かつて、妹が自らの手でつけた刻印の傷跡を……。

 

「莉緒は後悔してないよ?兄さんと違ってね」

「言ってくれんじゃねぇか」

 

 挑発的に言う妹に対して、そう答える。同時に、妹の言う後悔の過去が俺の脳内に蘇った。

 

「(振り返ってみれば、始まりだったんだよな、あれが……)」

 

 それは、俺達が姉や実の両親と共に暮らしていた頃。俺自身が、武道の道を極めるきっかけになった日のこと。

 

 憧れだった姉の後押しで始めたはずのそれは、一瞬にして俺の心を虜にした。

 ただがむしゃらに殴り合うのではなく、対戦ゲームのような読み合いやプレッシャーによる心理戦。

 無論、始めたての頃こそ勝率は5割にも満たなかったが、かつての想い人である幼馴染──奏への期待もあり、それは俺の生き甲斐であり、全てを賭けたいと思える存在になった。

 次第に小さな大会で優勝する事も珍しくなくなった中、夢中になればなるほど学業の成績は落ちて行ったが、両親は何も言わなかった。

 いや、奴らの場合は興味がなかった……正しいだろうが。

 思えば、その頃がきっかけだったのかもしれない。妹の心が取り返しのつかない程に壊れていったのは。

 

 そして、今──俺自身がこうして生きているのも。

 

「兄さん」

 

 莉緒の俺の手を握る力が強くなる。そこにはあの時と違い、確かな温もりがあるのがわかった。

 

「もう、嘘をついちゃ──嫌だよ?」

 

 妹の光のない壊れた瞳。果たしてそこに俺は映っているのだろうか?

 

「わかってるよ。そう睨むな。だがな……」

 

 かつてこいつを救ったことへの罪、罰、責任。

 その全てが俺にあるというのなら、いくらでも償おう。

 報いを受けろというのなら受けてやる。命が欲しいと望むならくれてやる。

 

 だだ……。

 

「俺を相手にしようってなら、お前も、それ相応の覚悟はしておくんだな」

 

 妹は、何も言わない。壊れた人形のように首を傾げるだけだった。

 しばらくの間、何気ない沈黙が室内に舞い降りる。 

  

 それは、まさにあの病室の時と同じ……時間を忘れる程の長く重いものだった。

 

 やがて、入り口の向こうから地鳴りのような足音。俺達は我に帰る。

 そのまま勢いよく放たれるリビングの扉。現れたのは、俺達にとっては見知った顔の少女の姿だった。

 

「みーなーとー!」

 

 まさに嵐のような絶叫と共に部屋にやって来たのは、幼馴染でありかつての想い人である奏。

 体育会系とも言うべきテンションの高さに飛びついてくるも、すっかり油断していた俺はそのまま抱きつかれてしまう。

 

「えっ、奏ちゃん!?」

 

 頭を前後左右に揺らされ、再び意識を手放しそうになる。莉緒ははっとしたかのようにネックウォーマーを首に巻き、俺達に近づいて来た。

 

「おいやめろ、寝起きだぞ。頭がクラクラするだろうが」

「え〜?とか言って、湊のこっちの方はカチカチだったりぃ?」

 

 いたずらっ子のように笑う奏。なんと彼女は不意打ちに俺の太ももを撫でて来た。

 そのままジリジリと、男にとっては朝に触って欲しくないもの彼女の指が這い上がってくる。

 

「おやおやおやぁ?流石の湊君も予想外でしたかなぁ。私だってやる時はやるんですよぉ」

 

 まるで慣れたような手つきで俺の物へ這い上がろうとする雛。その居心地のいいくすぐったさに俺は思わず言葉を失ってしまった。

 

「(あー、意外と気持ちいいな。これ)」

 

 もしかして経験あり——などと感心してる場合ではない。

 

「兄さん!」

「あ……」

 

 太ももを伝う刺激に快楽を感じてたのもつかの間、発症したかのように顔を赤くした我が全裸姿の妹の怒り声によって我に帰った。

 その様子に、俺は安堵する。どうやら今回は大丈夫だったらしい。

 

「奏ちゃんも、朝から兄さんにセクハラしないで!」

「女の子をセクハラ呼ばわりなんて失礼だなぁ。それに、そんな姿で言っても説得力ないよ?」

 

 右手で銃の形を作り、先程の行為によってすっかり大きくなった俺のものに向かい弾丸を放つ。

 まぁ、莉緒に対する意見は正論ではあるな。

 

「なぁんてね、冗談。たまたま近くを通りかかったから、一緒に学校行こうと思って」

「すでに冗談になってない!」

 

 軽いノリで話す奏に、莉緒の激昂は収まらない。奏の言うように、その格好で言っても説得力などあるはずもなく。

 とはいえ、この程度ならまだまだ可愛いものだろう。

 

「と・に・か・く!さっさと行こ、兄さん。これ以上は遅刻だよ」

「ああ、そうだな」

 

 俺は洗面所で軽く身だしなみを整える。時間も時間な為、朝食を食べている時間もなく、そのままアパートを後にした。 

 

「でね、湊ったら……」

「あはは、兄さんらしいね」

 

 通学路、学校に向かう途中で仲慎ましく駄弁り合う奏と莉緒。

 普段は比較的大人しく人見知りな莉緒だが、昔からの付き合いということもあり、奏とは実質姉妹のような関係とも言えなくもないか。

 女同士ということもあり話も趣味も合うらしく、特に休日となれば服選び、お菓子作りなど。二人きりで会う機会も多く、時には俺を荷物持ち扱いで朝から晩まで付き合わされたこともある程だった。

 

「(いつからこうなっちまったんだろうな、こいつら……)」

 

 そんなことを考えながら、数分後。学校にたどり着く。

 ホームルームまではまだ10分以上の余裕があった。

 

「とりあえず、莉緒は職員室だね。場所はわかる?」

「うん、大丈夫だと思う。兄さんと奏ちゃんは先に行ってて。このままじゃ遅刻しちゃうから」

「わかった。気をつけろよ」

 

 莉緒は駆け足でその場を去っていった。

 色々と心配ではあるが、俺が同行すればそれこそ面倒事になりかねないだろう。

 何より……。

 

「ついて行かなくて良かったの?」

「ただ教師に報告するだけだろ?それに、昨日の様子じゃ、俺と一緒の方が迷惑がかかる。幸い、莉緒は被害者で通ってるらしいからな」

「ふーん。なんだかんだで優しいんだ」

 

 言葉とは裏腹に、奏は鋭い視線を向けて来る……が、すぐにいつもの笑顔を見せた。

 

「でも、そうだよね。莉緒だっていつまでも湊の側に居れる訳じゃないもんね。そういうところ。ちゃんと考えるてあげてるんだ?」

「まあ、一応は兄貴だからな」

「頼もしい!少し寂しいかもしれないけど、いいお兄ちゃんだと思う」

「だろ?俺もそろそろ行くわ。昨日の続き、明日の休みにでもゆっくり話そうぜ」

「うん。今度は──絶対に邪魔が入らないようにね?」

 

 目の前の嘘偽りのない彼女の笑顔。その先にある嫉妬。

 俺はそのまま奏に背を向けつつ、自身の教室に歩き出した。

 やはりというべきか、廊下を歩くだけでも周りの生徒達の視線を集めているのがわかる。

 そんな生徒達の眼差しを華麗にスルーしつつ、俺は教室にたどり着く。すると、後ろ席の裕也が待ち構えるように自身の机の上に座っていた。

 

「おっす、湊。ギリギリだな」

「おう、流石に二日目から遅刻ってのもな」

 

 言いながら、俺も自身の席に腰をかけた。

 

「そういやお前、すげー狭い部屋に引っ越したんだったよな?ってことは、何?今や狭い屋根の下、下着姿の可愛い妹と同じ布団で寝ちゃったり──ぶはっ!」

 

 とりあえず顔面に軽く一撃を入れてやった。

 

「いてて。軽い冗談だって。んな怒んなよ……」

「いや、悪かった。実は引っ越してからというもの、莉緒が退院前する前から寝起きはやけに女臭い感覚があったからな。つい……」

「え?そ、それって……マジ?」

「……ああ、あの部屋……居るぞ。確実にな」

 

 室内に舞い降りる沈黙。勿論軽い冗談のつもりだったが、冷や汗を流す裕也に対し、俺は思わず吹き出してしまった。

 

「んな訳ねえだろ、信じるな、馬鹿」

「って、嘘かよ!あー、焦った」

 

 雄也はホッとしたように笑う。こういう会話はやはりいいものだ。

 

「本当、変わらねえよな、お前。で?どうなのよ?昨日の話、奏さんとは上手くやれてんの?」

「ぼちぼちだな。それに、こう見えても幼馴染だ。あいつのことはそれなりにはわかってるつもりだぞ」

「そうか?お前がそう言うならそうなんだろうけど」

 

 嬉しそうな、複雑な表情を見せる裕也。その心境には察しがついていた。

 こいつの立場としては……まあ、いい気分ではないだろう。

 

「まあいいや。それよりお前、今日の放課後って空いてる?」

「特に予定はないが、何かあるのか?」

「いや、今日から莉緒ちゃんも復帰して来たんだろ?せっかくいつもの面子が揃ったんだしさ、久しぶりに飯でもどうかなって」

「ああ、いいかもな」

 

 それは、予め予想はしていた展開。

 リスクこそあるものの、ある意味ではそれ以上のものが得られるかもしれない。

 そしてそれには、こいつの存在は必要不可欠だった。

 

「といっても、近所の中華屋だけどな。あいつも、久しぶりにお前が来るって言ったら喜んでたぜ?」

「ん?まさか、陽菜も一緒なのか?」

「まさかも何も、最初に提案した張本人。てかあのアホ、湊と莉緒ちゃんが休んでる間も一日一日にお前が学校に来てないか聞いてきやがるし。んなこと僕に聞かれても知らねえっつーの。なぁ?」  

 

 呆れたようにため息をつく雄也。

 しかし、今の俺にそれに付き合う余裕はなかった。

 

「どうしたんだよ、何か真剣な顔しちゃって。心配しなくても、飯代は僕らが負担してやるから安心しろって」

「色々悪いな」

「水臭えな、いいって。あ、何ならお前から行けるって伝えておいてやってくれよ。何だか断られないかなって心配してるみたいだっからさ」

「ああ、わかった」

 

 裕也からの誘いに頷くと同時に、ホームルームを告げるチャイムが鳴り響く。

 想定とは違ったが、まあ仕方ないだろう。俺は早速スマホを開き、ホームから連絡先画面へ移行し、飯会を提案した本人──裕也の妹である早乙女陽菜へのメッセージを作成した。

 

 

 9/2(金) (8:42)

 裕也から聞いた。飯の誘い、サンキューな。喜んで参加する。良かったら莉緒にも宜しく言っといてやってくれ

          

 

 こんなところだろう。俺はそのまま送信する。

 そうした内ポケットに戻したのもつかの間、数秒も待たずしてスマホは震え出した。

 

 

9/2(金) (8:42)

ありがとうございます。莉緒ちゃんにはすでに伝えました。ずっと心配してましたけど、元気そうで何よりです。私も、久しぶりにお二人とゆっくりお話しできる事を楽しみにしています!(既読)

 

 

「(随分と早いな……)」

 

 俺が送信してから一分にも見たぬ間、下手をすれば数秒しか経っていないにも関わらずこの長文。

 彼女とは裕也を通しての接点しかなく、二人きりで会うことも滅多にないが、純粋に心配し、身を案じてくれるのは素直に感謝すべきだろう。

 そんなことを思いながら、俺は視線を前に戻す。

 すると、中間の席に座る一人の少女の視線がこちらに向いている事に気付いた。

 

「ふふ……」

 

 微かな微笑みを浮かべながらもその少女──天野澪は手を振って来る。その様子に、俺は思わずため息をついた。

 



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愛と恋

 

「よーし、みんな、コップは持ったよな!それじゃあ、黒鉄兄妹の帰郷を祝って——」

「あ、湊先輩。この肉いけますね。おかわりあります?」

「ああ、前んとこ」

「って、お前ら何乾杯する前から始めてんだよ!ムード台無しじゃねぇか!!」

 

 新学期二日目、明日には土日に入る為か、授業そのものは午前中で終わり、昼食には丁度いい時間帯の放課後。俺達は学園から数分程歩いた中華屋に集まっていた。

 完全個室の畳部屋。高校生五人の集まり。目の前には無数の料理やコップが並んでおり、ムードとしては文字通りの飯会そのものと言えるだろうか。

 

「あ、裕也先輩、今日はありがとうございました。わざわざ莉緒達の為に開いてくれたんですよね?」

「いいよいいよ。いやーしかし。こうして五人が揃うのは本当に久しぶりだねぇ。あ、奏さん。ここ、夏休みの課題なんですけど」

「はいはい。変わらないね、裕也は」

 

 裕也はチャンスとばかりに早々に課題であるプリントを奏に筆記用具と共に突き渡した。思えば、中学時代はこれが当たり前の光景だったなぁと思い出に振り返る。

 一応言っておくと、夏休みは終わっているので今更やったところで完全に手遅れである。

 

「はぁ……本当にこいつは。すみません、湊先輩。こんな時に」

「気にすんな。それから、改めてありがとうな。今日はいい気分展開になりそうだ」

「いえ、そんな。私も久しぶりに先輩と話せて嬉しいです」

 

 陽菜は気にしないで下さいとばかりに満面の笑顔を向ける。

 莉緒や奏の真意を知った今となっては、彼女の存在はまさに癒しである。

 

 それだけに、一つだけ確認しておくことがあった。

 

「高校に入ってからは、どうなんだ?誰かに何かをされたりは……」

「……大丈夫です。私も、いつまでも子供のままじゃいられませんから」

「そうか、それならいい」

 

 陽菜はどこか複雑な表情を見せるが、ひとまずは安堵した。

 

「むっ、いつの間に二人だけの世界?なら、お姉ちゃんも混ぜてもらおうかな」

「あれ?まさか、嫉妬される程仲良く見えちゃいましたか?これはわたしにもワンちゃんありますかね」

「あはは。でも、莉緒の目が黒いうちは渡せないかなぁ」

「言ったなー、お前ら〜!」

 

 畳の上で繰り広げられる女子達のじゃれ合い。馬鹿騒ぎ。

 彼女達のその瞳には確かな「心」が宿っていた。

 

「女の子達、随分と楽しそうだねぇ。でもなんか、いいもんだよな。こういうの」

「だな」

 

 呆れつつも笑みを見せる裕也に、俺も頷く。

 他者を恨むこともなく、妬むこともない。誰もが笑い合える世界。

 

 まさに、俺自身が求めていた本当の日々が展開されてるのだから……。

 

「ホント、ライバル多いなぁ。でも、みんなの席はないよ〜。夏休みにろくに会えなかった分、これからは私が湊の隣に独占しちゃうんだから!」

「……でもそれ、もう無理だよね」

 

 そう──例え、その瞬間が束の間の時だったとしても。

 

「ん?どういう意味かな、莉緒?」

「言葉のまんま。もう奏ちゃんは、兄さんにとって過去の人。今も、ううん。これからも、幼馴染以上の関係には戻らないよ?だって、兄さんは──もう奏ちゃんとは歩むべき道が違うんだから」

「……湊先輩が、過去の人?」

「あ、あのー……莉緒ちゃん?」

 

 莉緒の言葉に疑問を感じる陽菜。裕也はその微妙な空気の変化に気づいたのか、オドオドとした様子で止めようとするも、奏の反撃もすぐに始まった。

 

「過去の人かぁ……うん、そうだね。莉緒の言い分が正しいのなら、湊はあなたとも歩むべき道が違うもんね」

「……どういう意味?」

「別に?ただ、これだけははっきりと言えるかな。あなたは、湊と血の繋がりがあるたった一人の妹。それは変わらないし、変えられないよね?だから──湊が一人の妹として莉緒を愛する気持ちがあったとしても、一人の"女"として莉緒に恋をすることは永遠に叶わないんないんだなぁって」

「っっ!?」

 

 ──それは、妹にとってもっとも触れてはならぬ言葉。

 俺はとっさに莉緒の手首を掴み、その先が奏の胸元へと向かっていた物の直進を抑えた。

 

「え……?」

「り、莉緒ちゃん!?何して……」

 

 裕也と陽菜は何が起きているのかを理解していなかった。

 いや、出来なかったが正しいだろうか?

 それもそのはずである。奏の胸先に使おうとした物は──その気になれば誰もが他者の命を奪える凶器だっだから。

 

「殺す……殺してやる……!」

 

 これ以上ない殺意と狂気を向ける莉緒。対して、奏の表情が微笑みから変わることはなかった。

 裕也はすっかりと青ざめ、陽菜は驚愕の視線を向け続けている。

 

「ありがとう、湊。それにしても、物騒だなぁ。そんな物、いつも持ち歩いてるんだ?」

 

 奏は傍に置いてあった自身の鞄を背に、そのまま立ち上がった。

 

「私ね、最近思うんだ。愛と恋は、似てるようで違うもの。だって、愛は見返りを求めなくても出来るでしょ?でも、恋とはなればそうもいかないよ。彼を振り向かせたい、彼を自分の物にしたいという欲求……血の繋がりのあるあなたはそこに立つ挑戦権すらも与えてもらえない。ここまで言えば、流石にわかるよね?あなたは湊にとって──妹でしかないんだから」

「っっ!!?」

 

 莉緒の抵抗が一層強くなった。凶器を掴んだ手に力を込め、身体中を捩り、必死に奏に摑みかかろうとする。

 俺は莉緒の背を抑えつけ、その凶器──果物ナイフを持つ左腕を背に持ち上げた。

 

「渡さない……あんたには二度と渡さないっっ!!兄さんは私のモノ……あの日からずっと…!」

「ご馳走様。ごめん、私は先に帰ってるね。裕也、また誘ってくれる?」

 

 裕也は答えない。日常とはあまりにかけ離れた異常とも言える光景に、すっかり言葉を失っていた。

 そんな裕也を気にも止めず、目の前の莉緒の狂声にも耳を貸さず、奏はその場を後にした。

 

「ああああぁぁぁぁぁぁ!!!うわあ"あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁっっっ!!!」

 

 絶叫。それは断末魔のような叫び。敗北を認めない者の哀れな抵抗だった。

 

「(だから言ったろ、覚悟はしておけってな)」

 

 あまりに滑稽で無様な妹を前に、俺はそう呟いた。

 

 それから数分後、莉緒の断末魔を聞きつけた店側のスタッフの何人かがかけつけて来た。

 その際、俺達の中に怪我人が皆無だったこと、完全個室だったこともあり、他の客に被害も及んでいなかったことから幸いにも通報は免れることが出来た。

 やがて、正気を取り戻した莉緒は体力を多いに消耗した影響か、先に帰ると言い残し、そのまま別れる。

 

 結果、その場に残されたのは俺と裕也、そして陽菜の三人のみとなった。

 

「あの……湊先輩」

「悪い、陽菜、裕也も。少しだけ時間を貰えるか?」

「あ、ああ……」

 

 ひとまずは、こいつらへの説明が先だろうな。

 



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協力者の確保

 

「そっか。じゃあ、奏さんとは……」

「ああ、別れた。そうするしかなかったんだけどな」

 

 数分後、中華屋を後にした俺達は、近場の公園に集まっていた。理由は言わずもがな、莉緒の行動への状況説明である。

 あの時、莉緒の手に握られた果物ナイフは確実に奏の心臓に向かっていた。

 それはもはや変えようのない現実であり、何よりも、この場にいる裕也と陽菜自身が目の当たりにしたこと。

 ここまで来れば、俺に出来ることは一つだけだった。

 

「つまり、今の莉緒ちゃんは湊先輩以外の人全員が、敵に見えてる状態……ってことですか?」

「大袈裟な捉え方をすれば、そうなるかもな。医者が言うには、下手に刺激しなきゃおかしな行動はしないって話だが」

「……それってさ、やっぱり叔父さん達に殺されかけたトラウマが原因ってことだよな?」

「多分な」

 

 陽菜と裕也の問いに対し、俺はそう答えた。

 当然ではあるが、莉緒が俺の気を引く為に自らの手で首筋を傷つけたことなど話せる訳もなければ、その裏には奏の策略があったなど言えるはずもなく、あくまで二人が納得出来る理由を延べたまでだ。

 全てが全てという訳ではないにしろ……まあ、半分以上は嘘だな。

 

「考えてみりゃあ、そうだよな。たった二ヶ月ちょっとで、心の傷が埋まるはずもねぇか。その……悪かったな。今まで気付いてやれなくて」

「気にすんな。俺も話さなかった。お互い様だ」

 

 申し訳なさそうな表情の裕也。

 世間からすれば、莉緒は義理とはいえ両親に殺されかけた存在。その心の傷が残されたたった一人の家族への依存や暴走に繋がるのは不自然ではないだろう。

 うまくいけば、このまま納得してもらえそうだ。

 

「あの……湊先輩。それで、朝神先輩の方は?」

「情けないが、あいつとは完全に拗れちまってる。ああ見えて結構嫉妬深いからな。最初こそ普段通りに莉緒と接し続けてくれてたんだが、俺が別れを切り出してからは見ての通りだ」

「あの奏さんがなぁ。失礼かもしれないけど、意外だよ。あの人、そういうとこには気を回してくれるイメージがあったからな」

 

 多少強引な部分もあっただろうか?とはいえ、どうやらこちらも納得してもらえたらしい。

 やや奏のイメージを壊すことになったが、それも仕方ないだろう。ここからが本番だ。

 

「物は相談なんだが、二人……特に裕也に頼みがある。これから先も、何度か奏と二人きりで話す機会があると思うんだ。その時は上手く口裏を合わせてくれないか?陽菜は莉緒と同じクラスだし、男の裕也ならあいつも信用するだろうからな」

「あ……ああ、勿論」

「わ、私も協力します」

 

 早乙女兄妹は戸惑いの様子を見せながらも協力を了承してくれた。

 かなり遠回りにはなったが、目的であった"味方の確保"には成功したと言っていいだろう。

 

「悪いな、今や奏と二人で会ってるだけでもいつ暴走するかわかったもんじゃない」

「なんつーか、本当、苦労してるよな。お前って……」

「慣れてるさ。そろそろ帰るわ。今の莉緒を一人にしておくのも不安だからな」

 

 中華屋を出た時には正気に戻っていたとはいえ、万が一がないとも言えない。

 俺はそのまま歩き出そうとした。

 

「あ、あの……!湊先輩!」

 

 突如として声を上げる陽菜に、俺は顔を向ける。

 すると彼女は、まさに今にも泣き出してしまいそうな、見ているこっちの方が居た堪れなくなるような表情を向けて来た。

 

「叔父さん達のこと、莉緒ちゃんや朝神先輩のこと、色々お辛いと思います。ただ、無理はしないで下さいね?私は……私だけはずっと湊先輩の味方ですから」

「……ああ、サンキュ。頼もしいぜ」

 

 軽く手を振りつつ、俺は今度こそ歩き出した。

 これで少しは動きやすくなるだろうか?

 純粋に心配してくれる友人を利用するような真似をするのは気が引けるが、もはやなり振り構っていられる状況ではないのだ。

 

「(それにまあ、本当のことを話したら、間違いなく協力されなかっただろうしな)」

 

 俺は歩みを止めることもなく、首を傾げる。

 すでにそこに陽菜の姿はなく、ただ一人、ぽつんと立ち尽くす裕也の姿があった。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 夕食を終えた後、私──朝神奏は自室に戻る。

 すでに夕陽は沈みかけており、まさに気の向くままとばかりに落ちようとする太陽は、私の心を皮肉のように描いているように見えるのは、流石に自惚れだろうか?  

 そんな私の脳内を支配するのは、やはり幼馴染であり"恋人"でもある人。

 彼の複雑な家庭環境のことは私もある程度は把握している。

 幼い頃の私でさえわかるくらいに実の子供に無関心だった両親。もっとも愛情を注いでくれたおばあちゃんの死。

 

 そんな環境の中で、最も信頼していた姉をも失ったことも。

 

「(本当、報われない……よね)」

 

 学問やスポーツの話ではない。昔からそうだった。 

 彼は恐れや陰口など、他人など評価を気にも止めず、常に自分という存在を貫き通す。

 それは私などには決してないものであり、同時に彼が抱く悲しみも感じ取っていた。

 

 そんな彼が、選んでくれたのだ。私という存在を。

 

 「えへへ……」

 

 思わず漏れてしまう声。もしかしたら、今の私はとてつもなくだらしない表情をしていているのかもしれない。

 しかし、それも仕方のないこと。

 私はベッドに寝転がったまま、天井を見上げる。

 そこは、普段と変わらない天井。

 睡眠を取る際、誰しもが目にするであろう光景。

 強いて違いを挙げるとすれば、無数の写真があるだけのただの天井とでも言えばいいだろうか?

 

 彼の写真が壁に、天井に──敷き詰められてるだけのごく普通の部屋だ。

 

「あへ……ひへへへへ……」

 

 思わず口元が緩むのが堪えられない。

 そう、この何もない部屋。

 彼を感じる為だけにわざわざ用意させた、精々20畳程の広さしかない部屋。

 彼が隣にいない間、私だけが摂取することが許された唯一の空間で。

 入口に貼られた、彼の写真。

 壁一面にしっかりと貼られた、彼の写真。

 純白の天井にびっしりと貼られた、彼の写真。

 

 初めて出会った時の、まるで女の子のように可愛かった頃の彼。

 

 小学生の時の、ちょっとだけかっこいい男の子になった頃の彼。

 

 憧れだったお姉ちゃんに見てもらおうと、夢に夢中だった頃の彼。

 

 あまりに唐突な絶望の中で、もがき苦しんだ頃の彼。

 

 家族を失った頃の彼。

 

 心を壊した頃の彼。

 

 その果てに、私のモノになった日の頃の彼。

 

 私の為の、湊。

 

 私だけの、湊。

 

「んん……!はぁっ……!」

 

 愛しい彼の思い出に囲まれながら、私は浮き出る感情を押さえ込みように両手で自身の身体を包み込んだ。

 そうでもしないと、あまりの興奮で飛び跳ねてしまいそうだったから。

 私は傍に置いてあったスマホを手に取り、写真フォルダーへ。

 そこに保存されている数百にも及ぶ彼の写真のうち──今日という日に撮られた写真をタップした。

 

 それは、新しく出来た思い出。

 

 彼が、私を守ってくれた写真だった。

 

「(素直じゃないなぁ。もうお前のことは好きじゃない……なんて。私、これでも結構傷ついたんだから。でも、嬉しかったよ?また守ってくれて)」

 

 一切の感情のない表情で、彼女である私の命を奪おうとしたあの女の手を拘束している彼の写真。

 見れば見るほど心臓の鼓動が高まった。

 

 だって、そうでしょう?

 

 その真意は、彼女である私の命を奪おうとした"あの女"への怒りなのだから──

 

 「(譲れない……譲れないなぁ……譲れないよぉ……)」

 

 しかし、いつまでも彼に頼り切る訳にもいかない。

 降りかかる火の粉は、消さねばならない。

 

 ねぇ、湊。

 ごめんね、もう……疲れたよね?

 もう、いいんだよ?後はゆっくり休んで。

 大丈夫。後は全部私が終わらせてあげるから。

 私達の邪魔をする奴は、全部消してあげる。

 

 ──今度は、私の手で確実に、ね。

 

 



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妹との休日

 

「ねぇ、昨日の歓迎会、どうして奏ちゃんを誘ったの?」

 

 翌朝の休日。特にすることもなかった為、優雅にソシャゲを楽しんでいたところ、妹にそんなことを問われた。

 

「何だ、いきなり」

「とぼけないでよ。兄さんなんでしょ?奏ちゃんを呼ぼうって提案したの」

 

 ようやく聞いてきたか……俺は手持ったスマホをスリープ状態にしつつ、向き直る。

 ここはひとまず、こいつの知りたがっていることを言ってやるのが一番効果的だろう。

 

「何を勘違いしてるのか知らないが、誘ったのは俺じゃなくて裕也だぞ。企画したのは陽菜らしいけどな」

「それ、本当に?」

「嘘をつく必要もないだろ。まあ、裕也に奏と別れたことを教えてなかった俺も悪かったが。今後は控えるように言っといてやるよ」

「……裕也先輩に聞くよ?」

「そこまで疑うのか?ま、信用出来ないなら好きにすりゃあいいがな」

 

 俺はあえて軽い口調で話す。陽菜にしろ裕也にしろ、この程度なら上手く察してくれるだろう。

 少なくとも、この賭けにおいてのアドバンテージは俺の方が圧倒的に有利だ。

 

「……わかった。兄さんを信じるよ」

 

 やや不本意ながらも、莉緒は素直に引き下がる。俺の投げやりな態度にこれ以上は無駄だと悟ったか。

 

「最後に一つだけ、正直に答えてね?兄さんはまだ——あの人のことを……奏ちゃんが好きなの?」

「いや?全く」

「………」

 

 由々しい雰囲気の中で、俺は迷いもなく本音を答えてやる。

 自身が想定していた答えとは大きく違ったのか、莉緒からの返答は数秒の時を要した。

 

「……流石の無慈悲さだよ、兄さん。でも良かった。良かったんだけど──今回ばかりは奏ちゃんに同情しちゃったかなぁ」

 

 莉緒は呆れたようにため息をついた。この妹に無慈悲呼ばわりされるのは心外ではあるが、そこはいいだろう。

 

「ま、奏とは幼馴染としてこれからも接して行きたいとは思ってる。だからお前にも……なんて強要するつもりはないが、自分の出来る、許せる範囲で接してやればいい。今は会う機会だってそこまでじゃないしな」

「うん。ありがとう、兄さん。何か安心した」

 

 莉緒は微かに微笑む。あんなことがあった後だ。初めから和解など期待はしていない。

 奏と莉緒。こいつらの中でどんないざこざがあったのか、それは想像しか出来ないが……。

 

「ごめんね、変な空気にさせちゃって。今日は何か予定はある?」

「いや、別に。せっかくの休日だし、ソシャゲでもやり込むつもりではいたが」

「なら兄さんが元気なうちに、朝ご飯は外で食べない?昨日は奏ちゃんのせいで台無しになっちゃったし、今度は莉緒と二人っきりで、ね」

「……そうだな」

 

 台無しにしたのはどちらかと言えばお前なんだがな……などと心の中で突っ込みつつ、俺は莉緒と共に外食をすることにした。

 

「(やっぱり、まだ暑いな……)」

 

 容赦なく襲い掛かる太陽の下で、俺は妹と人気のない路地を歩く。

 曲がりなりにも育て親だった親叔父夫婦をこの手に殺め、大人なしの暮らしにもある程度は慣れて来た。

 今や学校帰りに食材を買いに行くのは日課であり、値引きシールのついた弁当などを買い占める毎日。

 無論。その生活費は残された遺産からのものである。あの朽ちたアパートもその一つであった。

 

 俺達の生活は、あの最悪な両親は勿論、金に眩み莉緒を裏切った叔父夫婦に支えられている。

 

 改めて考えれば、なんとも皮肉な話である。故に、時々わからなくなってくる。

 俺達兄妹に愛情のかけらも向けなかった両親と、自ら手にかけてしまった叔父夫婦。今やどんな感情を受けるべきなのか?

 

 俺に、あいつらを憎み、その情けを受け取る資格があるのか?

 

「兄さん、莉緒達はまだ子供。それに、望んで生まれてきた訳じゃないよ?」

 

 そんな俺の心境はダダ漏れだったようで、莉緒に悟られる。

 確かに、少し考え過ぎだったようだ。

 

「わかってるさ。つか、珍しいじゃねぇか。お前の方から外出しようなんて。どっか行きつけの店でも見つけたのか?」

「うーん。行きつけになるかは、これ次第かなぁ」

 

 莉緒はどこか得意げに笑いながら、ポケットから二枚合わせの札のような物を取り出す。

 その用紙にはド派手に《家族と共に最高の快楽を!》と書かれている。

 

「昨日、裕也先輩に貰ったんだ。隣街で少し歩くけど、これを持っていけば一人千円までなら無料にしてくれるみたいだよ」

「……裕也にか?」

 

 思わず声が裏返ってしまう。何故かはわからない。わからないが、とんでもなく恐ろしいものが俺の脳内に走った。

 いや、そんな訳がないだろう。俺は恐る恐る逸らしていた視線を莉緒が握る用紙に向けた。

 中途半端にも、店の名所は莉緒の指に阻まれ直視することはできなかったが……。

 

「悪い、それ見せてくれるか?」

「……?うん、いいけど」

 

 莉緒は不思議そうな表情で俺に券を渡す。現在、俺の脳内に浮かび上がるのは、言わなくてもわかるだろう。

 いや、そんなはずはない。

 いかに変質者で変態かつ精神異常者なあの裕也とはいえ、友人の妹にあんな店の券を渡すなんて真似を——

 

 ──プレジャーレストラン。

 

 莉緒から受け取った用紙には、はっきりとその名が書かれていた。

 

「(裕也く〜ん?お前、殺すからな。マジで殺す。徹底的に埋葬した後に墓の中にゴキブリ放り込んでやるからな〜〜)」

 

 俺は柄にもない笑顔で遠く離れた親友(大爆笑)に囁いた。

 

「プレジャーレストランなら、土曜日からは朝10時から営業します。今から行けば開店と同時に入れますよ」

 

 突如として聞こえてきた声に莉緒は驚いたように俺の背に隠れた。

 それに対して、俺は思わずがくっと頭を落としてしまう。

 

「おはようございます、黒鉄君。こんな朝早くから妹さんと外食なんて、仲が良いんですね。ここでお会い出来たのも何かの縁。宜しければ、私もご一緒に"お邪魔"しても——いいですか?」

 

 そこに立っていたのは、俺にとってはもっとも警戒すべき相手。

 ランニング用のジャージ姿に包まれた美少女──天野澪の姿だった。

 



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莉緒と澪

 

「兄さん、この人は……?」

 

 俺の背に身を隠しながら、莉緒は問いかける。

 目の前の少女の本性を知る身からすれば頭を抱える状況ながらも、さて……どう説明したものか。

 

「申し遅れました。初めてまして、私は天野澪。黒鉄君のクラスメートです」

 

 そんな俺の心境を察したのか、天野澪はどこか影のある笑みで莉緒に手を差し出した。

 

「……どうも、黒鉄莉緒です」

 

 莉緒は冷淡とした様子を見せていたが、そのまま彼女の手を取る。

 側から見れば、今の彼女は人見知りな子供に心を開いて貰うために親しげに話しかける姉のような存在にも見えるかもしれない。

 特に莉緒は幼い頃から俺や奏以外で心を開ける相手が居た試しはほぼなく、特に同性ならば尚更だろう。

 

「ふふ……やっぱり兄妹ですね。黒鉄君とそっくりです」

「そうか?自覚はないが」

「自分ではあまり気がつかないものです。どちらかと言えば、黒鉄君が妹さんに似せているのでしょうか?私から見ても黒鉄君は女性側の顔立ちだと思いますよ?」

「あー、何か久しぶりに言われた気がするな。それ」

  

 と言っても、小学生だった頃に奏や周りにからかわれた程度だが、当時はわざと目を細めたり日焼けなどを試みていたなと振り返る。

 子供の頃の記憶とはいえ、脳内に刻み込まれていることを考えると、自分が思っている以上に気にしていたのかもしれない。

 というか、マジで女顔なのか?俺。

 

「話が逸れてしまいましたね。それで、どうでしょう?黒鉄君達の朝食、私もご一緒しても?」

「……まあ、俺は構わんがな」

 

 俺は何気ない自然体を装い、天野澪の様子を観察した。

 本音を言うならば、莉緒が居る状況で他の女と行動を共にするのは避けたかったが、彼女の意味深な笑みによってその選択肢はかき消されてしまっていた。

 

『断るなら、あの日のこと──妹さんに話しても構わないんですよ?』

 

 彼女の余裕の笑みからは、そんな心声が嫌でも聞こえてくる。

 ランニング用のジャージ姿に包まれ、一見朝練に見せかけてはいるが、それも偶然を装った理由付けか?

 プレジャーレストランの時といい、つくづく回りくどいやり方をしてくれる。

 となれば、本題はもはや言うまでもない。

 

「えっと……天野先輩?」

「澪、で構いませんよ。苗字で呼ばれるのはあまり慣れていませんから」

「すみません、では澪先輩で。兄さんとはどういう関係なんですか?」

「はい?」

「いえ、もしかしたら、恋人同士──なんて思ったりしたもので」

「(ああ、やっぱりそう来るよな……)」

 

 全身の力が一瞬にして抜けた気がした。

 ろくに接点のない天野澪だけに、莉緒からの問いに彼女がどう答えるのかは──まあ大体は想像出来るか。

 

「そうですね……あえていうなら、私の初めてを奪った男の子、でしょうか」

 

 瞬間、凄まじい殺気を感じ取った。

 それは、もはや何度目かに渡り、俺自身が身を持って体験して来たこと。

 怒りと嫉妬に狂った妹の暴走。

 普段ならば防衛体制を取るところを、俺はあえてその状況を見守り続けた。

 

「おや?随分と物騒な物を持ち歩いているんですね」

「なっ!?」

 

 そんな俺をよそに、気がつけば莉緒は昨日と同じく、果物ナイフを天野澪に向けていた。

 しかし予想通り、彼女の反応の速さと身体能力は健在。その手首を不敵な笑みで掴む天野澪に対し、莉緒は驚愕の目を向けている。

 

「これは考えを改めなければいけません。冷静で自信家なお兄さんとは違い、直情型ですぐに熱くなる。残念ですけど、それだけでは彼の隣には立てませんよ?」

「っ……!」

 

 天野湊は自らの手に力を込め、莉緒の手首から果物ナイフを振り落とす。

 そのまま手首を解放すると、莉緒はとっさに彼女から距離を取った。

 

「あんた……一体……」

「ふふ……早くも本性を表してくれましたね。嬉しいです」

 

 これ以上にない殺気を向ける莉緒に対しても、天野澪の態度は変わらない。

 正直、いつかはこんな日が来ることはわかっていたが。

 

「(よりにもよってあんな事があった翌日とはな……)」

 

 俺は周りを見渡すも、相変わらず人通りは少なく、周囲の人間がこちらに気づいた様子もない。

 

「さて、黒鉄君。わかってもらえましたか?私にも躾のない子供をあやす程度なら造作もありません。それとも……もう一度、黒鉄君がその身で体験してみますか?」

 

 先ほどとは打って変わった鋭い視線を向ける天野澪。

 しかし、凶器を向けてきた相手を躾のない子供呼ばわりとは……わざと莉緒の神経を逆撫でしたか。

 この女如きに、自分が殺されることなどあり得ない。あなたが目を向けるべきは、自分だと……。

 

「悪いな、妹が迷惑をかけた。その罪滅ぼしと言ってはなんだが、俺に出来る事があるなら可能な範囲で聞くつもりだ」

「兄さん!」

「お気になさらず。私の望みはただ一つです。一緒に行きましょう?黒鉄君と妹さんと三人で。プレジャーレストランに」

 

 そう言い、くすくすと笑みを浮かべる天野澪。

 現時点、俺が最も解決するべき問題は間違いなく奏だろうが、認めるしかないようだ。

 

 この女は間違いなく、俺がこれまで会った中でもっとも厄介な相手である、と……。

 



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平和な日常

 この世の中には、特定の層を狙ったサービスというものが存在する。

 それは俗に言うコンセプトによるキャバクラなどの話とは一味違い、女性の大事な部分が披露された衣装ながらも、通常通りに接客をし、通常通りの料理を提供してくれるごく普通のレストランなのだ。

 健全な店なのに「エロい…」と目線で追ってしまう、そんな店の名はプレジャーレストラン。

 まさに以前訪れた時と同じ、その客達の年齢層は俺のような学生から中年のサラリーマン。

 当たり前だが、客人の全員が男だった。

 

 たった一人を除いて、だが……。

 

「じー……」

「………」

 

 ずずーっ……。

 

「じーーっ!」

「…………」

 

 ずずーっ……。

 

「じーーーっ!!」

「はぁ……」

 

 いい加減耳障りなので、俺はすすっていたコーヒーを皿に置く。

 全く、せっかくの兄の優雅なコーヒータイムを邪魔するとは。

 

「随分とご機嫌斜めだな。莉緒に招待券をやったのは裕也だろ?それに、最初に来たいって言ったのはお前の方だ」

「うん、わかってるよ?ただ、その割には随分と落ち着いてるなーーって」

 

 バニーガールに包まれたウェイトレスが次々と通り過ぎる中、誰がどう見ても不愉快と言った様子で莉緒は首を傾げた。

 

「?」

 

 その目先を追っていくと、軽蔑するかのようにその胸元に鋭い視線を見せている。

 俺はさらに、ウェイトレスと莉緒の胸又を比べてみる。

 

「ぶっ……!」

「む……」

 

 そのあまりの違いに思わず吹き出してしまい、妹に睨まれる。

 なるほど、そういうことか。案外可愛いところあるじゃねぇか。

 

「気にするな。人間外見より中身だぞ。世の中にはお前みたいなのが好きなマニアックな奴も五万と居る。そういう物好きを狙え」

「ぶっ殺されたいのかな、兄さん♩」

 

 果物ナイフを手に、莉緒は柄にもない満面の笑顔を向けて来た。

 いかん、一応は店の中だ。からかうのも程々にしておこう。

 

「冗談だ。ま、お前も察してるようだし、いずれバレることだろうから言っておくが、偶然にも来たことがあるのは事実なんだけどな。当時はこんな店だとは思いもしなかったが」

「はーん。偶然にも、ねぇ……」

 

 誤解を招かぬようにとしたつもりだったが、莉緒は蔑むような目を向けて来た。

 妹と憎まれ口を叩き合いながら、俺はこれまでの状況をまとめる。

 以前に天野澪から預かった券。あれは彼女が予め用意していた物だったんだろうが、今回の意図は何なのか?

 あの様子からして、早朝から俺達を待ち伏せていたのは間違いないだろう。

 少なくとも、莉緒と天野澪には今日までに接点はなかった。となれば、彼女が裕也を通して渡させたということだろうか?

 

「ふふ……ぶっきらぼうな黒鉄君も妹さんには優しいですね」

「そう思うなら、誤解を招いた本人に責任を取ってほしいもんだがな」

 

 いつの間にか、目の前にはバニーガールに包まれた天野澪が立っていた。

 相変わらずというべきか、隠れ巨乳を強調する制服は健在。その手やポケットには以前に握られていたハンディー端末はない。

 

「……随分とはしたない格好ですね、澪先輩?」

 

 と、冷ややかな視線の莉緒。

 喧嘩腰かつぶっきらぼうな態度ながらも、基本人見知りなこいつがここまで食ってかかるのも珍しい。

 

「よく言われます。こんな機会ですし、莉緒さんも遠慮なく注文してくれてもいいですよ?」

 

 そんな嫌味をも華麗にスルーしつつ、天野澪はバニーガールの格好のまま俺の隣へと腰を下ろす。

 そんな彼女の隠れた右腕が俺の大事な場所の上にあるのは隠密である。

 

「(おや、あんまり大きくなってませんね。こんな格好までしてるのに……)」

 

 聞こえるか聞こえないくらいの声音。唐突な下ネタ発言も流石である。

 てか、マジかよ……この女、ズボン越しに擦って来やがった。

 

「な、何で兄さんの隣に座ってるんですか!?それに澪先輩って勤務中じゃ……」

「何の事ですか?確かに私はここのバイトですが、本日は非番ですよ?」

 

 平然とした様子で答える天野澪。

 辺りを見渡せば、他店員であるバニーガールが彼女に微笑みながら手を振っていた。どうやら嘘ではないらしい。

 

「プライベートで、しかもクラスメイトの前でそんな服を着て恥ずかしくないんですか!?兄さんもなんとか言ってよ!」

「え?あー……まあ、いいんじゃね?趣味は人それぞれってことで」

「んな……!」

「ふふ……流石は黒鉄君、話がわかりますね」

 

 正直、彼女と遭遇した時はどうなる事かと思ったが、初対面、しかも同性が相手にも関わらずここまで感情を出す莉緒は久しぶりに見た気がした。

 万が一昨日のようなことがあったとしても、彼女程の身体能力の高さがあればわざわざ俺が出る心配もないだろう。

 そういう意味では、案外この二人は相性がいいのかもしれない。

 

「(おや?少しだけ大きくなってきましたね。ようやく私で興奮してくれたんですか?)」

 

 んな卑猥な格好で握られれば健全な男なら誰だってそうなると思うわ……などと心の中で突っ込みつつ、相変わらず意味深な笑みで握り続けるド変態をよそに、俺は再度コーヒーをすすった。

 

「……変わってますよね、澪先輩って」

「お褒め言葉と受け取っておきます。何せ初対面の女性の命を奪おうとした方にそう言って頂けたのですから」

 

 中々にパンチのある皮肉である。しかも、正論なだけにタチも悪い。流石に莉緒も面を食らったようだ。

 

「そ、そのことは忘れて下さい。というか、何で敬語なんですか?兄さんとは同年代で、莉緒は年下ですよ?普通に友達感覚でいいと思いますけど……」

「特に理由はありません。ただ、環境の問題……でしょうか?そうするように育てられたので」

「?」

 

 その言葉と共に、その場の空気がどこか重苦しいものに変わった。

 隣を見れば、先程まで余裕の笑みを浮かべていた彼女のどこか寂しげな表情。莉緒もその空気の変化は感じ取ったようだ

 

「あっ、すみません。何か言っちゃ──」

「オラァァ!!全員動くなよおおぉぉぉっ!!」

 

 店内に響き渡る怒声と共に、莉緒の言葉は一瞬にしてかき消された。

 同時に放たれる銃声。それはあまりに突如として起こった。

 俺と莉緒、そして天野澪を含む観客の全員が何事かと目を向けると、その先には顎髭を生やした中年男性が拳銃を手にこの店のバニーガールの一人に突きつけていた。

 手に持ったコーヒーカップを皿に置く。

 どうやら俺達は、とんでもない荒くれ者が立ち上げたパーティに遭遇してしまったらしい。



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人助け?ただのストレス発散だが?

 

 まさにドラマや映画、ニュースなどでよく耳にする光景と言うべきか。

 銃声と共に、観客達は悲鳴を上げる。それと共に、必死にその場から逃げ出そうと空き窓に手をかけようとする観客も居た。

 

「騒ぐんじゃねえっっ!!じっとしてろ!!」

 

 さらなる銃声、犯人の怒声。それと共に客達の悲鳴や抵抗もある程度は小さくなる。

 俺と向かい合わせの席の莉緒も震え上がり、もはや何を言っていいのわからぬといった様子だったが、対照的に天野澪はどこか笑みを浮かべているようにも見えた。

 

「おい、店長はどこだ?」

「あ、あのっ……」

 

 再度拳銃を突きつける。人質となったウェイトレスの声は震え、言葉にならない。

 普通の人間ならば、この状況なら叫び声の一つや二つ上げてもおかしくはないだろう。

 

「買い出しに出ていて……今は私達バイトだけ、です……」

 

 それでも尚、必死に情報を伝えるウェイトレス。

 店長の不在、それが本当か否かは定かではないだろうが、犯人が正気でない事は誰の目から見ても明らか。刺激しないに越したことはないだろう。

 

「なら、店長の電話番号くらいはわかるよなぁ?さっさと電話貸せ」

「は、はい……キッチンにあります」

「ちっ……さっさと行くぞ。てめぇら、逃げ出そうなんてふざけたこと考えるんじゃねぇぞ!もし警察なんかに知らせたら、この姉ちゃんがどうなるか——わかるよなあ?」

 

 狂った笑みを浮かべ、男は人質であるウェイトレスと共にキッチンに入っていった。

 莉緒を含み、店内の客達はまさに固まったように動かない。俺はコーヒーカップに口をつけ、隣に座る天野澪に小声で話す。

 

「とんでもないことになったな。店長が不在ってのは本当なのか?」

「私も詳しくは聞いてませんが、恐らく。ただ彼の顔、ネットのニュースで見たことがあります。先日、警官から拳銃を奪った後、刑務所から脱獄したという指名手配犯ですね」

 

 天野澪は視線をキッチン側に向ける。犯人は拳銃を所持し、方やこの店のウェイトレスが人質に取られている。

 あの男の要求は大方想像がつくが、素人である俺達がまともにやり合えば被害は拡大しかねない。

 まさに今、刑事ドラマなどに幾度となく見てきた状況判断が試されていると言っていいだろう。

 人命を優先するなら、犯人の要求に大人しく首を縦に振るのが懸命だが……。

 

「いいか!人質を無事に解放して欲しかったら、今すぐ1億と車を用意しろ!制限時間は一時間以内だ!もし遅れるなら——」

 

 キッチンに居るであろう犯人の怒声はこちらにも丸聞こえだった。要求の目当ては予想通り金と逃走用の車らしい。 

 この店の店長は顔すら見たことはないが、まともな人間ならば間違いなく金よりは人命を優先させる。確実ではないにしろ、ここの店長が要求を呑んだとすれば俺達が無事に帰れる可能性はかなり高い。

 ただ、現状犯人の人質にされてるウェイトレスはそうもいかないだろう。人質がいなくなれば、店側はまず間違いなく警察に連絡を入れる。

 相当に馬鹿な犯人でもない限り、あのウェイトレス口封じの為の切り札として同席させる。どっちにしても、詰んでいるのだ。

   

 しかし、俺達は違う。何もせずとも、俺達は助かる。またあのはちゃめちゃな日常に戻るだけだと……。

 

「兄さん?」

「なあ、天野。あいつが脱獄したのっていつの頃の話かわかるか?」

「そうですね。私の記憶が正しければ、一週間は経っていないと思いますよ」

「なるほどな……」

 

 俺は飲みかけのコーヒーの残りを強引に流し込み、立ち上がる。

 人助け、などと格好つけたいところではあるが……まあ、結局のところ——日頃のストレス発散だな。

 

「まさか……!」

「行くんですか、黒鉄君?」

「ああ、何もなければ10分で戻る」

「な!兄さ——っ!?」

 

 莉緒は必死に俺を止めようと立ち上がるも、すかさずその口を天野澪が塞ぐ。

 どうやら彼女は俺の意図を察していたようだ。こちらを見ながら意味深な笑みで頷いていた。

 相変わらず何を考えているのか読めない厄介な女だが、味方となればこれ以上に頼りになる存在もいないのかもしれない。

 

 俺は何事もなかったかのように店内のキッチンルームに向かうと、目の前には【関係者以外立ち入り禁止】と書かれたプレートのついた扉。

 俺は構わずドアノブに手をかけ、そのまま開く。

 

「ひっ!」

「な!?てめえどこからっ」

 

 たどり着いたのは、12畳程のキッチンスペース。やはり予想通り、犯人はウェイトレスに拳銃を突きつけ続けていた。

 俺はとっさに両手を上げ、犯人が目視出来るようにとゆっくりと身体を回転させた。

 勿論、こんな事をしたところで警戒心を緩めるとは思っていないが、リスクは少ないに越したことはない。

 まあもっとも、肝心の打開策はリスクだからけなのだが。

 

「見ての通り、丸腰だ。別に手荒な真似をする気もない。ただ、あんたと少し交渉がしたいだけだ」

「交渉だ?」

 

 眉間にしわを寄せる犯人。しばらくこちらを警戒する素振りを見せていたが……。

 

「……いいだろ。話くらいは聞いてやる。で、思春期のガキが心理作戦でもやろうってのか?」

「多少は似たようなもんだな。時間もなさそうだし、単刀直入に言う。そのウェイトレスを今すぐ解放してもらいたい」

「あぁ?」

 

 俺は脳内にあるたった一つの要求を突きつける。犯人の反応は当然だろう。

 

「ああ、別にタダでとは言わないぞ。こっちの要求に答えてくれるなら、あんたのことが警察や店に広まるのは見逃してやる。悪くない条件だろ?」

「………」

 

 俺の言葉に、犯人はまさに時が止まったように固まっていた。

 いや、犯人だけではない。人質として拳銃を突きつけられていたウェイトレスも同じだ。

 

「ぷっ!?ぷはははははっっ!こいつは傑作だ!いいねぇっ、面白いよおめえっ!」

 

 犯人は爆笑した。目の前の俺のたった一つの提案が相当な笑いのツボだったらしい。

 無理もない。普通に考えれば、この提案は犯人にとっては何のメリットの一つもない。人質を解放し、目当ての金も手に入らない。この襲撃そのものを無に帰す事になる他ないのだから。

 

 普通に考えるなら……だ。

 

「おい小僧、残念だがお前に詐欺の才能はねぇらしいぞ。とっとと戻って震えてな。それとも、ここで死ぬかい?」

 

 犯人は不敵に笑いながら、銃口を俺に向ける。

 その表情は誰が見てもわかる、余裕の二文字が浮かび上がっていた。

 

 しかし、それもここまでだ。

 

「いいのか?ここで俺を始末したら、店内の客達も慌てて逃げ出すと思うぜ?」

「っ……」

 

 途端、犯人の拳銃を握る先が僅かな動揺で揺れ動くのを見逃さなかった。

 

「ちなみに、客の中には俺の妹やクラスメートも居てな、もし銃声が聞こえた時には、何があっても警察に連絡するように言い聞かせてある。ここで俺を殺すのはいいが、その後のことはどうする?あんたは店内の客の10人、20人に顔が知られちまってる訳だ。その全員を一人残らず始末するなんて大胆な覚悟があるのか?」

「てめぇ……」

 

犯人の表情に焦りの文字が浮かび上がる。同時に、その動揺で俺は確信出来た。

 この男は、最初から俺達を殺すつもりなどない。

 あくまでも自身が生き残る為の金と逃走が第一。天野澪からの情報が正しいなら……。

 

「さあ、どうするんだ?このまま俺を殺して一生檻の中で暮らすか、このままウェイトレスを解放して尻尾を巻いて逃げる負け犬になるか。さっさと決めてくれ」

「てめえ、誰が負け犬だとっ!?」

「ちょ、ちょっと君っ」

 

 どうやらこいつにとってのコンプレックスに触れてしまったらしい。

 犯人の激昂と共に、人質であるウェイトレスからの焦りの声。このまま冷静に説得すれば、穏便に解放されると思っていたのだろうか?

 確かに、それは間違いではない。

 むしろ人命や自身の安全を考えるなら最前の選択だろうが、俺はあえて犯人の神経を煽り続けた。

 

「ああ、悪い。癇に障ったか?でもなぁ、金目のものが大量にある銀行でもなく、こんな癖の強い女と童貞しかいない店を襲うなんて、負け犬って思われても仕方ないと思うぞ。まあ、いい歳して強盗なんてやってる時点で社会から逃げた負け犬か」

「っ……っ……!」

 

 犯人のコンプレックスである負け犬三連コンボ。とっさに思いついた俺の挑発に、遠目からでも犯人の身体が震えているのが伝わってきた。

 同時に、今度は犯人の拳銃の先がはっきりと揺れ動くのがわかる。

 正直、笑いを堪えるのが大変だった。この場に莉緒が居れば間違いなく説教の嵐だろうが、こればかりは諦めて欲しい。

 

「前言撤回だ。僅かだが、てめぇにも詐欺師の才能があるのは認めてやる。だがどうやら立場がわかってなかったようだな。調子に乗るなよ、ガキがっ!」

「ひいぃっ!」

 

 すっかり頭に血が上った犯人は、人質であるウェイトレスに銃口を突きつけた。

 ウェイトレスの悲鳴がキッチン中、あるいは店中に響く。

 

「もう金なんかどうでもいいっ!この場でこいつをぶち殺した後に、てめぇもぶち殺すっっ!!店の奴らも道連れにしてやる!!」

「や、やめてっ!助けっ」

 

 切羽が詰まった犯人は、まさにやけくそという言葉が相応しい行動に出た。

 

「(煽り耐性皆無だな、こいつ……)」

 

 しかし、こちらとしても楽しむ時間も終わりだろう。俺は心の中でウェイトレスに詫びを入れ、最後の仕上げに取り掛かる。

 

「なんだ、彼女を先に殺すつもりか?」

「ああ、そうだ!おめぇ、こいつを助けに来たんだったよな?だったら目の前で殺してやるよ!その後でてめぇも殺す!俺を馬鹿にしやがった罪はてめぇのしょうもない失敗と命で償うんだなっ!」

 

 いや、そのしょうもない失敗でお前の計画も見事に台無しになったじゃねぇか……などとは突っ込まないでおく。

 

「そうか。なら、仕方ないな」

「へ?」

 

 俺のその言葉に、最初に反応したのは犯人ではなくウェイトレスの方だった。

 

「いやむしろ、考えてみればその方がいいか。彼女を先に殺してくれるなら、俺は通報の時間が稼げるわけだしな」

 

 言いながら、俺は懐にあるスマホを取り出す。

 瞬間、人質となったウェイトレスの顔つきが絶望へと変貌した。

 

 いや、本当にすまん。耐えろ。もうちょいだ。

 



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負け犬の末路

「嫌!嫌!!嫌ああぁぁぁっ!!助けて、殺さないでぇぇぅーーっ!」

 

 まさに悪魔を見たように叫ぶウェイトレス。その悲鳴は、おそらくは店中に届くほどに大きなものであった。

 偶然にも脅迫犯に人質にされ、拳銃を突きつけられ、助けに来た男にまで見放されたとなれば当然だろう。

 

「(てかこの状況、まるで俺が悪役みたいじゃねぇか……)」

 

 まあ、お世辞にも正義のヒーローなんて呼べるものではないだろうが。

 酷な話ではあるが、ここで彼女に情けをかけることは今までの行動の全てを水の泡にするも同然。敵を欺くにはまず味方からだ。

 

「ほら、どうした?早く引き金を引けよ。モタモタしてたら警察にかかっちまうぜ?」

 

 俺は犯人にスマホを向け、そのままスワンプさせる。

 瞬間、画面にはメニュー画面が表示されたはずだ。

 

「や、やめろっ!てめぇ、こいつがどうなってもいいのか!?」

 

 犯人は明らかに動揺し、銃口をより強く押し当てる。

 それでも人質であるウェイトレスを恐怖に陥れるのには十分だった。

 

「ひっ!お、お願い!今だけは!今だけはこの人の言う通りにして!後でなんでも、どんなサービスでもしますっっ!!だから……!!だから、命だけは助けてえぇぇっ!!」

 

 犯人の激昂、人質のウェイトレスである命乞いにも一切耳を貸さず、俺はスマホを自分に向き直す。

 表示された通話画面のキーパッドに移動し、番号を入力する動作をした。

 そのままスマホを耳に当てる。

 

「人生終わったな、あんた」

「っっ!?」

 

 俺は口元を緩め、今の犯人にとってもっとも効果があるであろう一言を放った。

 ここまで追い詰められたなら、やることはただ一つだろう。

 

「やめろって……言ってんだろうがッッッ!!!!」

 

 我を失った犯人は、ウェイトレスに突きつけていた拳銃を離し、俺に向けた。

 

「(頃合いだな……)」

 

 俺はそのまま腰を大きく下げ、犯人に向かって駆け出す。

 瞬間——まさに爆発音のような効果音が鳴り響く。

 

 それは、間違いなく俺に向けて放たれた銃声だった。

 実際、犯人の持つ拳銃からは僅かな煙が溢れている。

 当たりが悪ければ、まず間違いなくあの世に直行するであろう拳銃の弾丸が俺に向けられた瞬間。 

 普通の人間ならば、ドラマや映画で耳にすることはあったとしても、その弾丸が自らに向くことはまずないだろう状況——

 

「うっ……あぁぁぁ……」

 

 店内が静まり返ると同時に、一人の男が呻き声を上げ倒れ込む。

 それが誰かなど、もはや言うまでもないだろう。

 

「素人が慣れない拳銃なんか持つもんじゃなかったな」

「て、てめぇ……」

 

 床に沈んだ犯人は、腹部を抱えながらも俺を見上げる。

 俺はそのまま振り向くと、犯人が放った弾丸が真後ろの扉に貫通しているのがはっきりと見えた。

 普通の人間ならば、拳銃で放たれる弾丸をかわす事など出来ようはずもない。

 そして、他ならぬ俺自身も普通の人間だ。

 

 ならばどうするべきか?答えは簡単だ。かわすのではなく、外させればいい。

 

 この作戦が始まったのは、天野澪からこいつが一週間前の脱獄の際に警官から拳銃を盗んだと聞かされてからだった。

 言うまでもないが、この日本において拳銃に所持している人間は特別な訓練を受けた者のみ。

 何の知識もない安全な人間がレクチャーもなしに自己流で使いこなすにはどんなに冴えてる奴であろうと30分は必要になる。

 

 しかしそれは、あくまでも当てるのみに限った話だ。

 

 予め撃たれてるとわかっていれば、動けばいい。

 それだけでいい。素人が持つ拳銃など、恐れる必要はない。

 散々神経を煽られ、切り札であった人質すら効果はなく、再度捕まるかもしれない恐怖の中で冷静な判断など出来る程のメンタルなどあるはずもないのだから。

 

「た、頼む……俺を、俺を助けて……」

 

 まだ若干の意識があるのか、犯人は弱々しい手で命乞いをしながら俺の右足を掴んできた。 

 当然、それに対する俺の答えなど考えるまでもなかった。

 

「悪かったな。でもま、いいストレス発散になったぜ。あんた」

 

 もう悠長に遊んでいる余裕はない。早々に終わらせるべく、俺は追撃の足蹴を数発と叩き込んだ。

 

 



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感謝の言葉

「いいかい?君の勇敢なる行動には感謝しているし、責めるつもりはない。しかし、これからはくれぐれも勝手な行動は控えるように」

 

 そこはつい先程まで犯人と対峙していたプレジャーレストランのキッチンルーム。

 犯人の襲撃から役数十分後、その身柄を拘束した後、天野澪は警察に連絡を入れていた。

 結果、被害者であるウェイトレスと俺はこのように取り調べを行われている。

 最初こそ人質にされた時の恐怖からかまともに話も出来ないほどに心に傷を負ったウェイトレスだったが、現状では多少ながらもまともに会話になるくらいの回復はしていた。

 

 そして、肝心の俺はというと、事情聴取と説教の連続。

 

 一応、人質を救出したことへの感謝の言葉は少なくはなかったが、それは結果的に上手くいっただけ、下手をすれば君自身や人質の命をも危機に晒すことになったんだぞ?などと何度も言い聞かされた。

 

「警部」

「うむ。黒鉄君、少し席を外しても構わないか?」

「お好きなように」

「すまないな、桃瀬さんもすぐ戻るから待っていてくれ」

 

 そう言い渡し、二人の警察はキッチンルームを後にした。

 

「(ま、こうなるわな……)」

 

 我ながら愚かな選択をした自分に苛立ちを覚えた。

 莉緒には店の外で待つように言ってあるが、天野澪はどうしているだろうか?

 早朝に妹と初対面を果たした時は、莉緒からの殺意を軽くあしらい、反撃しようとすらしなかった。

 勿論、あの時は俺という障害が居たからと考えることも出来るが今朝の狙ったようなタイミングの再会に、プレジャーレストランへの同行。彼女の狙いは未だに見えない。

 

「……ありがとう」

 

 警官達が出て行ったキッチンルームに、沈黙のみが舞い降りる。

 その沈黙を打ち破ったのは、ウェイトレスからの感謝の言葉だった。

 

「その……今更だけど、自己紹介しておくね。あたしは桃瀬紫(ももせゆかり)。それにしても、君には随分と格好悪いとこを見せちゃったなぁ……」

 

 乾いた笑いを浮かべるウェイトレス。

 凶悪犯による精神的ショックを受け、改めて自分の失態を振り返っているのだろうか。

 

「気にするな。助けに来たと思った奴に見放されそうになれば誰だってああなるさ。俺は──」

「知ってる、黒鉄湊君。澪ちゃんと同じクラスの男の子、でしょ?学校でも噂は聞いてるし」

「学校?」

 

 俺は目の前の女を観察する。改めて見れば、流石はこのプレジャーレストランで働いているだけあり、天野澪に負けず劣らずの女性だと思った。

 セミロングのヘアースタイル。可愛い、美しいという言葉が似合うような大人の顔立ちに、鋭い目つき。

 正直、一回り程の差があると思っていたが……。

 

「あんた、星宮なのか?」

「え?え?もしかして、気付いてなかったっ?いやーこう見えても、星宮学校の生徒会長なんだけどなぁ私」

 

 驚きのあまりか、やや呆れ気味に言うウェイトレス──もとい生徒会長、桃瀬紫。

 本人からすれば失礼極まりないだろうが、彼女の顔を見ても全く思い出せず、いや、記憶すらしてないが正しいだろう。

 

「いや、悪い。生徒会での話題ってのは、親殺しのことか?」

「……それ、自分で言っちゃうんだ。あれだけ噂になってるもんね。でも、半分は外れかな。あなた、成績は優秀でしょ?あの学校自体がそこまで偏差値は高くないしね、出席日数が多少悪くても成績でカバー出来れば特に言うことはないかなって感じ」

 

 呆れたように彼女は笑う。生徒会、それこそ会長と聞けば堅物なイメージがあったが、イメージとは大分違うと思った。もしくは、彼女が特別なのか。

 

「もう半分は、あなたが起こした事件の方かな?先生達からも正当防衛だって話は聞いてたけど、私としては疑ってたんだ。いくら妹を守る為とはいえ、何か裏があると思ってたから……」

「ま、そうだろうな」

 

 元より噂とはそういうものだろう。

 人から人に知れ渡る内、気が付いた時にはどんどん話に尾ひれがついてしまう。

 仮に俺本人が真実を話そうとしようものなら、必死や言い訳などと片付けられてしまう。

 

 当然といえば当然だろう。

 

 何も知らない者からすれば、"過ちを犯した子供を嘲笑える"という娯楽が奪われてしまうのだから。

 

「その……何かごめんね。こうして助けてくれたのに」

「別に気にしないさ。あんたも無理しなくていいぞ」

「ううん。女の子を助ける為に拳銃を持った男に立ち向かうなんて、格好いいじゃん。私も今から君を信じる。いいよね?」

 

 そうして、彼女は満面の笑顔を見せた。

 ひとまずは頷いておく。真意はどうであれ、わざわざ敵を作る必要もないだろう。

 

「それにしても、あの運動神経といい堂々とした雰囲気といい、君ってどことなく澪ちゃんと似てるかも」

「詳しいのか?天野のこと」

 

 思わず彼女の言葉に興味を持った。ちゃん付けで呼んでいる辺り、それなりに親しいのだろうか?

 

「詳しいのかって、君の方じゃないの?だって、あなたなんでしょ?澪ちゃんが言ってた再会出来た幼馴染って」

「は?」

「確か、去年の四月くらいだったかな?あの子がここのバイトに入ってきた日。初日からやけにテンションが高かったから、思わず聞いちゃったの。そうしたら彼女、なんて言ったと思う?」

 

次の瞬間、彼女から放たれる言葉。

 僅かではあるが、彼女と俺との差にあるアドバンテージというものを実感させられた気がした。

 

 

 

 

 舞台は変わり、そこはプレジャーレストラン裏口。狭い路地ではあるが、人通りは全くない場所だった。

 かつて黒鉄湊と天野澪が対峙した場所に立つ二人の少女。

 その中で、一人の少女は視線を鋭くさせていた。

 

「ふふ……そんなに硬くならないでください。貴女と少し話がしたいだけですよ?黒鉄莉緒さん」

 

 もう一人の少女は普段通り、穏やかな物言い。対峙した何者をも背筋が凍るような薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 言うならば、獲物を捕らえた捕食者の瞳。

 

 黒鉄莉緒と天野澪は対峙していた。お互い、一人の想い人を理解する者として。

 

 



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過去の記憶

 

 

 幼い頃の私は、兄が嫌いだった。

 

 仮に今の私──黒鉄莉緒を知る者が聞けば、どれだけの人間が信じてくれるだろうか?

 

 私にとって、もっとも触れられたくない、自分ですら思い返したくはない記憶。

 

 ある意味それは、かつては憧れだった実姉──黒鉄菫(くろがねすみれ)の存在がきっかけだったろうか?

 ガサツで口の悪い兄とは対照的に、姉はとにかく物静かな人だった。周りは揃いも揃って表情を変えない、時には感情がないのか?などと評されたこともある程に。

 しかし、彼女には他を圧倒する“力“があった。

 学業においては常にトップを走り、幼少期の頃より剣術の道を歩み身につけた並外れた身体能力は、小学校低学年にして大人とも渡り合うなど、人によっては常人ではたどり着けない域に存在するとも評されていた。

 

 そんな彼女の弟である兄は、姉と常に比較されていた。

 決して出来が悪かった訳ではない。

 むしろ、何かをやらせれば素人に毛が生えた程度の結果は出していたはずだった。

 

 しかし、所詮はそこ止まり。世間に対する兄の批判は、"天才"と呼ばれていた姉の才に遠く及ばなかったからからこそなのだろう。

 一応、そんな兄の微かな才能を評価し育成しようとする者も何人かは居たが、当の兄はまるで関心がないようだった。

 相手がどんな人間であろうと決して態度を変えることない姿勢に興味を惹かれる者は少なくなかったが、人によって無神経や礼儀知らずなどと目の敵にされる者も多かった兄。

 

 ──劣化コピー。

 

 誰が付けたのか、いつしか──兄はそう呼ばれるようになった。

 

 時は流れ、小学生に上がりたての頃。当然、私は兄より一年遅れて同じ小学生に通う事になる。

 いずれ私が、必要のない者として扱われる日々に。

 

「彼女の妹さんか。君には期待してるからね」

「おぉ、お兄さんと違って礼儀正しい子だな。君なら彼に出来なかった事もやってくれそうだよ」

 

 私は幼い頃から人と接するのが苦手だった。他人に嫌われるのを恐れ、常に自分と他人とを比較し、人と何を話したらいいか分からなかった。

 姉は当然として、兄は初めての課題であろうと素人に毛が生えた程度の結果は出す。

 

 ならば、私はどうだ?

 

 あの天才と謳われた黒鉄菫の妹ならば……入学当初で得た教師達の期待と信頼。無論、私は姉を越えるつもりだった。

 自分は兄とは違う。恐れを知らず、他人の評価など気にも止めない。

 まさに自分とは正反対の兄をいつの間にか軽蔑していたのかもしれない。

 

 だが、その現実は入学してほどなく突きつけられた。

 

「そういえば、先生。今年は黒鉄さん達の妹さんが入ってきたんでしょう?どうなんですか、彼女」

『あー、いい子とは思います。少し引っ込み思案ではありますが、素直な子ですし……ただ、能力という点で兄と比べて期待していたものとは違いますね。運動に関しては男女という差もありますが、学力も兄の湊君に平均に比べて……というところでしょうか」

「あら、そうなんですか?他の先生方も注目されてたから気になっていたんですが……まあ、まだまだ低学年ですし、これからに期待ですかねぇ」

 

 偶然にも立ち聞きしてしまった教師達の会話。

 私の評価は、姉は愚かその姉と比較されていた兄の域にすら届かないというものだった。  

 

 思わず、目の前が真っ暗になった。

 

 勿論、私とて努力はした。寝る間を惜しみ勉強に励み、放課後や休日には苦手だったスポーツ、体力作りのランニングにも積極的に取り組んだ。

 

 しかし、私が何かを成功すれば"流石は黒鉄の妹"と称えられ、何かを失敗する度に、周りの大人達は私に失望の視線を向けられた。

 

 ──何で?なんでなの……!? 

 

 わからない。姉と同じ教育を受け、兄と同じ血が流れているにも関わらず──私は、姉どころか兄の域にすら決して届く事は出来ない。

 

 実の姉、兄に対する嫉妬心、コンプレックスが私の心を支配した。

 悲しいこと、悔しいこと、妬ましいこと。比べられる悲しさ、劣等感。

 その時、私は、初めて姉と比較されていた兄の気持ちを理解出来たのかもしれない。

 

 だからこそ私は、ようやく無駄な努力をやめたのだ。

 

 もう何も失いたくないし、失望もされたくない。

 

 私には兄のように他者の視線を無視することなど到底出来なかったから……。

 

「湊、顔にソースが付いてるよ」

「ん?ああ、ごめん。姉さん」

「ううん。可愛い弟のことだし」

 

 あの日の晩、食卓を囲む双子の姉弟。

 元より、この姉弟は距離が近かった。まるで他人を寄せ付けないよう牽制しているみたいに。

 眼前で寄り添いながら食事を摂る姉と兄を見ていると、自分は家にも居場所がないのだと否が応でも思い知らされる。

 食事が終わり、姉が自室に戻った後、そんな私の存在に兄が気付いたのは今更だった。

 

「さっき姉さんと弁当買って来たけど、食うか?」

 

 思えば、最近はろくに会話もしてなかった気がする。というよりは、私自身が兄を避けていたのだ。

 自らの、くだらない嫉妬心、コンプレックスから。

 

 だから、これが最後だ。最後にせめて……。

 

「兄さんは、どうしてそんなに他人に無関心でいられるの?」  

 

 ただ一つ、今の私に一番ないものを持っている兄に問いただした。

 我ながらもっと言い方があったと思う。しかし、兄はそんな恨み言に対しても特に動じることなく私に目線を向けて来た。

 

 いつだってそうだ。この人は、決して自分のペースを崩さない。

 

 私と同じく、天才と呼ばれた姉と比較されて来た兄。

 しかし、この人にはこれといった意地も執着心もなく、姉と接し続けている。

 第三者は感情がないのは姉の方だと思っているようだったが、私にとってはこの人の泰然自若とも言える精神力に恐怖すら抱いていたのだ。

 

 この日、本当の兄と話をするまでは。



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あなたを理解出来るのは、私だけ

 

 プレジャーレストラン襲撃事件から数時間、俺はようやく警察の取り調べから解放されていた。

 事態が事態なだけに、店側は三日ほどの休業を決め、人質となった彼女も自宅に戻って行った。

 やべぇよやべぇよと焦りつつ、慌てて店を出るもそこはすでに無人。

 かつて天野澪と対峙した裏口にたどり着くのは難しくはなかったが、そこで目撃した光景に俺の口はすっかり閉じてしまっていた。

 

 それからは、どれほどの時間が過ぎていたのか。 

 

 対峙していた二人の少女の内の一人……莉緒がプレジャーレストランに戻ったのを改めて確認する。

 そろそろいいだろう。

 俺は路地の間から出て行った。思った通り、もう一人の方には即にバレてしまっていたらしい。

 

「質問責めは終わりですか?」

「ようやくな。6〜7割は説教の嵐だったが。ったく、せっかく丸く収めてやったってのに辛辣な刑事だぜ」

「それは同感です。しかし、刑事さんは黒鉄君の凄さを知りませんからね。私も黒鉄君なら大丈夫と思いつつ、内心はかなり不安でしたよ?」

「うわぁ、嘘くせえ……」

 

 俺たちはわざとらしく笑い合う。

 改めて考えれば、この上品で大人しそうな外見からは想像もつかないが、俺としてはしてはこんな風に軽口を言い合える関係が理想的だろう。

 

「莉緒とは何を話してたんだ?」

「少し黒鉄君達との昔話を聞いていただけです。それにしても、お互いに辛い幼年期を過ごされたんですね。一時とはいえ、あの妹さんが黒鉄君を恨んでいたなんて信じられません」

 

 くすくすと笑みを浮かべる彼女。特別知られて困る様な話題でもないか。

 

「それにしても、ふふ……やっぱり黒鉄君も妹さんには甘いんですね。強くて頼りになって極悪非道なお兄さんなんて私も憧れちゃいます」

「極悪非道とは随分な言われようだな。俺はいつだって博愛主義のつもりだってのに」

「うーん、博愛主義……と。全ての人を平等に愛する人、ですか。なるほど、散々犯人を煽って地面に地をつけさせた挙句に全治半年間まで追い込む人は博愛主義に当たるんですね。私、全然知りませんでした!」

 

 ご丁寧に天野澪はスマホで意味検索までして笑顔で乗ってきた。

 本人曰く、小学中学生共に数少ない友達の輪にすら自らは入って行けなく、いつも一人で居たとは思えぬ程にノリがいい。

 ただ猫を被ってるだけの優等生だったら良かったんだがな、とつくづく思うものである。

 

 この何気ない軽口を続けたいのは山々ではあるが、そろそろ莉緒も俺が居なくなっていることにも気づいている頃だろう。

 予めスマホの電源は落としてはいるが、再度ここに駆けつける可能性は高い。早々に終わらせるべきか。

 

 あのウェイトレス、桃瀬紫が語った事が真実だとすれば、自ずとたどり着く当然の疑問。

 

『澪ちゃん、その幼馴染に会う為にわざわざ偏差値の低い渦巻き学園に来たんだって。愛されてるねー黒鉄君』

 

 言いたいことは山ほどある。聞きたいことも山ほどある。

 が、まずこれだけは答えてもらわなければならないだろう。

 

「……お前、いつから俺を知っていた?」

 

 俺の言葉は、今まで穏やかだった天野澪の表情に微かな変化を起こした。

 しかし、それは決して焦りではない。むしろ、よくぞ聞いてくれたとばかりの余裕さえ感じ取れた。

 俺と彼女は一年前の入学式が初対面。少なくとも、俺自身の記憶にはない。 

 小さな街だけに、多少のすれ違いくらいはあったかもしれないが、そんなものは知り合いとも呼べる関係ですらないだろう。

 

「紫さんですか。もぅ、黒鉄君はぶっきらぼうなくせにお友達を作るのがお上手ですね」

 

 意味深な笑みを浮かべる彼女。

 しかし、どうやら隠すつもりはないようだ。

 

「安心して下さい。実際、直接会ったのはあの入学式が初めてですから。単に私があなたを知っていただけです」

「なるほど、そいつは実に興味深いな。で、その理由は?」

「いくら黒鉄君の頼みでも、そこまでは教えられませんね。ただ、今の情報だけでは私に辿り着く事は到底不可能でしょう。少しだけヒントを出します」

 

 彼女は笑みを崩さない。前回に続き、この女の行動は不自然かつ先が読めない。

 そして、その疑問はすぐに明かされることになった。

   

 驚くほどに、あっさりと。

 

「二カ月前、あなたがご両親を手に掛けてしまったあの日。世間では過度なストレスから娘を殺めようとしたとされていますが、真実は違いますよね?何しろ妹さんの首元にある傷は、ご両親ではなく彼女自身の手でつけられたものなんですから」

「っ……」

「それだけではありません。あの事件の裏で、彼らに妹さんを殺めさせようとした黒幕。朝神奏さん──黒鉄君の幼馴染でしたよね?」

 

 さらりと爆弾発言をかます天野澪に、俺の心臓は高鳴った。

 

「ヒントはこの二点です。黒鉄君なら大丈夫だとは思いますが、頑張って下さいね」

「(まさか……!)」

 

 そんなバカな話があるのか?

 否、実際目の前にあったのだ。

 

 かつて、被害者である莉緒ですら知り得ないと思っていた真実。当事者である俺を除けば、その根源であった奏のみ。

 かつて、武術に。奏の、愛する者の為にと夢中だった日々。だが同時に、この人生において最大の過ちだと思い知らされた。

 

 何故ならそれは、妹の心を壊す元凶になってしまったのだから。

 

 莉緒の首元にある傷──それが叔父夫婦ではなく莉緒自らの手によるものだと気がつくのはそう遅くはなかった。

 ふと目を閉じれば、昨日のことのように蘇る。

 首元から赤い血を流し続ける莉緒と、莉緒を囲む叔父夫婦。

 その光景を目の前にした瞬間、俺は何度も何度も殴った。自らの拳が、顔面も、制服すらも奴らの血に染まる中、確かに俺は莉緒の表情を見たのだ。

 

 ……あいつは、笑っていた。

 

 首元からナイフやネジ、煙草の火傷痕。想像を絶する痛みの中、瞳から光沢が消え、焦点すらも合わない目で笑っていたのだ。

 

「私の話、僅かでも信憑性を感じてくれましたか?黒鉄君」

「……お前、一体何者だ?」

「ふふ……いいですね、その重々しい表情。今の黒鉄君からすれば、私は得体の知れない存在そのもの。もっと私を見てください。私のことだけを考えて下さい。私なら、あなたの隣に並べる。私だけが、あなたをわかってあげられる。もう二度と、他の泥棒猫に取られる心配はありませんから♩」

 

 目の前の少女の天使のような満面の笑み。その先にあるのは、狂気。

 今回の一件、事の発達は莉緒が裕也から預かったらしい割引き券に加え、今朝の狙ったようなタイミングの待ち伏せ。

 これは天野澪が裕也を通して渡させたということで筋は通る。ただ、その目的まではわからなかった。聞いたところで答えてもくれないだろう。

 

「少し話し込んでしまいましたね。最後に一つだけいいですか?」

「……なんだ?」

 

 天野澪は背を向けたまま話しかけてきた。微かながら、顔はこちらに傾いている。

 

「澪、と呼んで下さい。私も他の皆さんと同じ土俵に立つ身、いつまでも苗字呼びでは距離感を感じますから」

「……?ああ、別にいいが」

「ふふ……嬉しいです」

 

 彼女は嬉しそうに顔を赤らめた。

 

「つか、そう言う割に天──澪は苗字呼びなのか?俺は全然構わないが」

「実に魅力的な提案ですが、私はまだ遠慮します。それに、妹さん以外の皆さんは黒鉄君を名前で呼びますからね。これはこれで特別感もありますよ」

「そういうものか?」

「そういうものです。では黒鉄君、また学校で。繰り返しになりますが、もう一度言いますね。本当のあなたを理解出来るのは、私だけ。この言葉、忘れないで下さいね?」

 

 言いたいことを言い終えたのか、彼女……澪はプレジャーレストランに戻って行った。

 結局、最後まで笑みを崩すことはなかった。今回は完全に計画通りだったということだろう。

 

 あの女は、第三者には決して漏れていないはずの奏の秘密を知っていた。

 それは、あの女が干渉していたからなのか。

 だとしたら何故、あの女にはそれを知ることが出来たのか?

 何故俺のことまで知っていたのか?

 

 もしかしたら、あの事件そのものが彼女の差し金だったのではないのか?

 

 少し考えるだけでも、これだけの疑問が生まれてしまう。

 ただ、今は奏の方をなんとかするのが先だろう。

 

「本当のあなたを理解出来るのは私だけ、ねぇ……」

 

 あの時の彼女の言葉の意味だけは、理解することは出来た。

 だが残念ながら、あの女の思い通りになるつもりはない。

 例え、それが間違った道だとしても。

 

 

 



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実らなくて良かった恋

 

 

 

「はぁ…」

 

 何気なく発したため息は、川辺の波音にかき消された。

 手のひらサイズに拾った石を掴み、川辺に放り投げると、先ほどよりさらに大きな波音が響く。

 時刻はすでに午後10時を回っており、当然ではあるが、年頃である私がたった一人で出歩いていい時間ではないだろう。

 事実、家の門限時間はとっくに過ぎていた。

 しかし、不思議と今の私──早乙女陽菜の中に焦りという文字はなかった。

 

「(別れたのよね、本当に……)」

 

 自宅から10分ほど離れた川辺。波音が響く中、私の脳内に浮かび上がるのは、かつて私を救ってくれた“あの人“だった。  

 役二カ月、あの人が自らの手で両親を殺めてしまったと聞いた時は、まさに心臓の鼓動が身体中に響く程に驚いたのも懐かしい。

 

「(私、やっぱり嫌な女だなぁ……)」

 

 振り返ってみれば、あの人との出会いはとんだ茶番から始まった。

 

 物心ついた頃より、一目惚れした、可愛い、天使だ、など。幼少期より数え切れないほどのアプローチを受けて来た。

 近所の人達も私達を美兄妹と呼んでくれることも多かったが、幼い頃より見知りで引っ込み思案だった当時の私は男子達のアプローチに対してもどう対応していいか分からず、ろくに目も合わせられない始末。

 多くの女子が憧れているシチュエーションは、当時の私にとってはまさに苦痛でしかなかったのだ。

 このままじゃいけない。

 普通の女の子らしいことがしたい。

 そう思い、私は初めて女と呼ぶべき人に声をかけた。

 

 しかし——

 

『は?いつも男にちやほやされてるあんたが、あたしらのグループに入りたい?』

『そんな事しなくても、あなたならモテモテじゃない?あっち行きなさいよ〜。私らが浮くじゃない』

『あんた、あたし達とは住む世界が違うのよ。悪い事言わないから、ほら、しっしっ』

 

 私の日常は、多くの女子から快く思われていなかった。理由は言わずもがな、自らと比較しての嫉妬、嫌悪、酷薄。

 

 そしてそれが、私の運命を大きく変えることになった。

 

 ある日の昼休み、教室の片隅。一人で机に座っている私の周りを女子生徒数人が取り囲んでいた。

 強引に腕を引かれ、教室から連行される。腕を引かれるがまま、校舎裏に連れ込まれた私は、壁を背に数人に囲まれる。

 

 それからは、まさにリンチ。殴る、蹴るなどの暴行が始まった。痛い!やめて!と、いくら泣いても彼女達はやめてくれないどころか、暴行はエスカレートして行った。

 

 ——何故?何故私がこんな目に合わなければならないの!?

 

 その時、私は生まれて初めて自身を呪った。こんな顔に、スタイルにさえ生まれて来なければ——普通の女の子として過ごせていたかもしれないのに……。

 家族に相談すれば解決する問題だとしても、もはや私の心は完全に手遅れだった。

 

 だから、私は決心したのだ。

 

——お前達が私を壊そうとするなら、壊される前にお前達を壊してやる

 

 それからの私は、予めアプローチして来た男子生徒一人一人と交際を始めた。無論、そこに恋愛感情、好意などは一切ない。

 まさに支配者、お姫様にでもなった気分に、当時の私は初めて他者を貶める快楽というものに目覚めたのかもしれない。

 その日を境に、私は付き合った男子に一方的な別れを告げ、それに続き、また新たな恋人と交際。プレゼントと偽り、餌を与え続ける。

 

 その手順を何回、何十回と繰り返す。

 

 そして、私の復讐は始まった。

 

『おいこら女子共、ツラ貸せやぁっ』

 

 その一人の交際相手、丸刈りの筋肉質の男。中学生にしてはがたいが良くお世辞にも顔は良いとは言えないだろう。喧嘩早く頭も弱い。

 だが、だからこそ私にとっては最大の兵器だった。

 交際を始めた翌日、男は血相を変えて教室に入ってきた。

 

 対象は、私をリンチしたあいつらだ。

 

 それからのことは、まさに昨日のように思い出せる。

 私に魅了していた男は、女子生徒の顔が歪むほどの拳、足蹴りを入れる。

 

 あいつらの無様に泣き叫ぶ顔。命乞いをするあいつらの声は私にとって何よりの快感だった。

 結果として、男は咎めを受けることになったが、私に被害はない。

 

 復讐など虚しいだけ?

 

 ドラマや漫画などでよく聞く台詞だろう。確かにそういうケースもあるのかもしれないが、そんなものは所詮、価値観の違い。

 私は復讐をする事であいつらの呪縛から逃れることが出来た。その事実を否定する権利など誰にあるのか?

 

 何より——それがきっかけで、私はあの人と出会うことになるのだから。

 

『この子が裕也の妹?流石は兄妹って感じだな。宜しく』

 

 そうして手を差し伸べて来たのは、珍しく兄が家に友人を連れて来た時だった。透き通るような髪に、青い瞳。

 クラスの男子達に比べて中性的な顔立ちではあったが、いわゆるイケメンというよりは、美少年という言葉が似合うだろうか?

 兄に聞くところによると、意外にも運動神経はいいらしく、チャンスだと思った。現在、私の駒は同学年にしかいない。

 

 ここで彼を私に魅了させておけば、あの女達が逆恨みをして来た時の心強い味方になる。

 

 元々は兄が連れて来たこともあり、少しやり辛かったが、その日は積極的に会話に参加してみた。

 ありがちな会話の後、私は遠回しに告白をする。

 自分は年上が理想、中性的な顔立ちが好み、男らしく運動神経の良い人が理想など。

 

 ただ——

 

『そうなのか、いい相手が見つかるといいな。女は、話を聞いてくれる男がタイプだっていうしな。陽菜の好きな人は何かスポーツでもやってるのか?』

『ありゃー、天然かぁ……これはこれで傷つくかも……)』

 

 などと心の中で呆れつつ、同時に私は驚いてしまった。

 日頃から私の機嫌を取ろうとうざったらしく話しかけて来たクラスの男子とは違い、目の前の私に対しても堂々とする姿勢。

 ただ一人といっていいほど私のアプローチに全く興味を示さなかった彼につい躍起になってしまった。

 

 結局、私は彼を堕とす事は叶わず。その日の夜。

 

 母からの買い物で夜道を歩いていると、偶然にも彼と遭遇した。

 今度こそチャンスだ。私はあの時のように強引に腕を引き、人気のない通りにて彼を壁際まで追い込む。

 さらには、壁を片手で対象越しに力を入れた。いわゆる壁ドンである。

 

『く、黒鉄先輩!す、好きです!私と付き合って下さい!』

 

 私はもう片方の手をモジモジさせながら、彼に告白をした。

 恐らく、彼は私を異性としては見てないだろうが、所詮は男。今までの経験から、女が照れている仕草ほど、男が魅力的に感じる仕草はない。

 不本意だが、彼のようなタイプを落としたいなら、照れ仕草を磨くことも必要だろう。

 

 例え、利用するだけの関係だとしても。

 

『悪いが、復讐代行で見知らぬ誰かを殴れる度胸はねぇんだ。遠慮しておく』

 

 その中で、彼が呟いた一言。

 私は、自身でもわかる程に間が抜けた声を上げてしまった。

 

『辛い現実から逃げるのはいい。お前をそうさせた人間を憎むのもわかる。でもだからって、関係ない奴まで巻き込むことはないだろ』

 

 私は頭が真っ白になった。

 

『せっかくの告白で悪いけどな、お前の望む通りには出来ない。ただ、話を聞くくらいなら出来ると思うぜ。悩みなんて、後になってから考えれば笑い話になることもある。だからな、な?全部吐き出しちまえ』

 

 そう……この人は、最初から私の本心を見抜いていたのだ。

 もはや何を言っていいかわからない私に、彼は穏やかに笑いながら私の頭に手を乗せた。

 家族以外では、初めての対等な会話。一見何を考えているのかわからないように見えたが、底が見えなかった彼。

 

 その安心感に、私は自らの想いの全てをぶちまけた。

 

 言っても仕方のないことを嘆き、これまで付き合った男達を冷評も、私をリンチした女共に関しては誹謗と言えるほどに。

 

 私自身、勝手な女だという自覚はある。全ての物事が自らにも原因があるとは考えず、全てを人のせいにする。現状を変えることもなく、自分を成長させる事もなく、自分以外の誰かを悪者にする。

 気に入らなければ、そのヘイトを押し付ける行為。そんな愚痴人間を心から歓迎する人間なんて存在しない。

 

 無論、彼も例外ではなかっただろう。

 

『その……何というか、悪りぃ。少し……いや、相当に想像以上だった』

 

 全てを吐いた後、彼は立ち上がった。困り顔で自らの頬を擦っている。

 

 見限られただろうか?呆れられただろうか?

 

 僅かな恐れが脳内を支配する中、彼からの言葉は私が全く想像していないものだった。

 

『まあでも、話を聞きたいって言ったのは俺の方だしなぁ。その様子じゃまた溜め込むのがオチだろ?これからも言いたいことがあるなら聞くし、お前が自分を変えたいって言うなら手伝ってやるよ。ま、お前が自分を大事にするのと引き換えにな』

 

 その時の私は、不覚にも涙が出そうだった。

 クラスの中でも目立たず大人しく、男子達の憧れであった偽りの私ではなく、ありのまま私を受け入れてくれた唯一の存在。

 

 何より、彼の会心の笑顔。それは私にとって、本当の意味での初恋の相手となってしまったのだから。

 

「(覚えてますか?始まりだったんですよ、これが。私と湊先輩との……)」

 

 それからの私は、男子達を駒にするのをやめた。理由は単純に、興味がなくなったからだ。あの女達のことは今でも憎いが、今となってはそれ以上の感情はない。

 元より念入りに痛めつけた後なだけあり、以降は絡まれる事もなかったのも理由の一つではあるが、それ以上に私はすっかり彼に目が離せなくなってしまった。

 そして、その恋は早々に終わりを告げたのだ。

 

 ただ、それでも──あの人は私を救ってくれた。

 

 だから、これ以上は何も望まない。

 

 それ以上の我儘は、いけないんだ。

 

 そんな権利など、私にはない。

 

 例え、あの人が最愛の人と別れたとしても──

 

「っ……」

 

 瞬間、ポケットに入れてあるスマホが震え出す。

 まず間違いなく痺れを切らした両親からだろうと慌てて取り出して見ると、通知されていたのは着信ではなかった。

 そこに表示されていたのは、メッセージ。

 

 数枚の写真が添付されていた、一通のメッセージだった。



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新たな惨劇の兆し

 休日明け、俺はいつも通りに学校に登校した。

 他の生徒達の変わらずの視線をスルーしつつ、自席に進んでいく。

 

「おっす、二日振り。今日から普通通り──ぶあっ!?」

 

 自席の机に鞄を置き、とりあえず裕也の腹部に一撃を入れた。

 

「って、なんでいきなり殴られるよ!?僕なんかした!?」

「一撃だけでも有り難く思え。こっちはお前のお陰で散々だったからな」

 

 俺は裕也に事情を話した。流石に彼女……澪との関係やその本性を知られるのは俺としても当人としても好ましくはないので、そこはざっくりだが。

 

「あ、ああ……あの券の話な。てか、プレジャーレストランだっけ?あの子ってそこのバイトだったんだ」

「澪から貰ったのか?つか、何でそれを莉緒に渡した?」

「何でって、そりゃああの子が兄妹で行くと色々サービスがつくって言うから。そりゃあ僕だって最初はあいつと行こうとしたぜ?まあ、見事に断られて──チョットマテ」

 

 言い訳のように語る裕也が、突如としてマリオネットのような動作で首を傾けてきた。

 なんだ?当たりどころ(殴ったのは腹だが)が悪くて狂ったのだろうか?だとすれば、昔のテレビのようにもう数発入れてやるのもいいのかもしれない。

 

「澪……ミ……オ……?今お前、確かにそう呼んだよな?」

「(あ、やべ……)」

 

 しまった。こういうとこには特に敏感だったな、こいつは。

 

「あ、おはようございます。黒鉄君、早乙女君。朝から仲が良いんですね」

 

 と、ここで狙ったように本人登場である。

 もっとも、この女のことだ。実際狙ったのだろうが……。

 

「おっ、澪ちゃん!聞いてくれよ!こいつ今、澪ちゃんを名前で──」

「あ……はい。その……黒鉄君にはプレジャーレストランの事件でお世話になったので」

「あ?ああ、僕も噂は聞いてるよ。店が強盗に襲われたって話でしょ?大丈夫だったの?」

「はい……あ、あの時の黒鉄君、本当に格好良かったですよ?」

 

 どうにも歯切れが悪いモジモジした喋り方に加え、いかにも引っ込み思案に振る舞う澪。

 そういえば、こういうキャラだったな。学校では……。

 

「しっかし、この湊がねぇ。でも真面目で恥ずかしがり屋な澪ちゃんにこの荒くれ者の相手はしんどいでしょ。その点僕は女の子の扱いに長け、顔もイケメン!お買い得だぜ?」

 

 今時小学生でも言わぬような口説き文句でスマイルを決める裕也。

 というか、真面目で恥ずかしがり屋……この女の本性を知った今となっては、もはやこれだけでも笑えてくる。

 

「ははは……面白いですね、早乙女君は。あの……だからその、ごめんなさい」

「がーん……」

 

 早々に告白を断られた裕也は絶望したような表情で俺を見る。

 この女はこの女で一見、言葉を選んでるようにも見えるが、ちゃっかりと俺の方を向きながら意味深な笑みを浮かべている辺り、流石の演技力である。

 

「(大方、俺が余計な情報を話さないように釘を刺しに来たってとこか?)」

「(ふふ……さぁ、どうでしょうか?)」

 

 互いに小声で言葉を交わした後、ホームルームを告げる予鈴が鳴り響く。

 

「では、またいずれ」

 

 予鈴と共に、彼女は自席に戻って行った。

 

「へぇ、随分と親しげじゃん。お前らが一緒に居るとこなんて見たことなかったけど、いつの間に仲良くなったんだな」

「ま、成り行きでな」

 

 言いながら、俺と裕也も自席につく。同時に、内ポケットから振動が走った。

 

 

 9/5(月) (8:42)

 やっほー、二日振り!突然だけど今日の昼休み、空いてるかな?

 実は今日、お弁当作り過ぎちゃって、捨てるのも勿体無いし、湊にも食べるの手伝って欲しいなーなんて^^;

 ほら、この前の話もなんだかんだで流れちゃったし、ね?(既読)

 

 

 メッセージの送り主は、奏だった。俺はすぐさま彼女への返信する文章を作成する。

 

 

 9/5(月) (8:43)

 別に構わないぞ。屋上で大丈夫か?

 

 

 我ながら淡泊とした文章であるが、気にすることもないだろう。

 そのまま送信すると、数秒と待たずに再びスマホが震え出す。

 

 

 9/5(月) (8:43)

 オッケー( ^∀^)

 屋上の鍵、空けとくね。今日は湊の好物、いっぱい詰めてあるから期待しててよ〜(既読)

 

 

「(おい、作り過ぎたのを食べるのを手伝って欲しいんじゃなかったのか?)」

 

 ただの口実だろうが、せめて自分で決めた設定くらいは守れと思いつつ、そのことには触れないでおく。

 遅かれ早かれ、こうなることは分かりきっていたこと。

 どうやら、決着の時が来たようだ。

 

 やがて、あっという間に今学期初の昼休みが訪れる。

 

「よっしゃ終わったー!なあ湊、お前昼は?」

「悪い、奏と先約だ」

「奏さんと?じゃあ……」

 

 裕也はこちらの事情を察してくれたらしい。それで良い。

 

「ああ、スマホの電源は落としておくからさ。莉緒に何かあったら頼むわ」

「お、おう。任せとけって……」

 

 どこか戸惑いながらも、裕也は頷く。お世辞にも頼りになるとはいえないが、妹の目を欺くにこれ以上の存在もいないだろう。

 教室を出た俺は廊下を小走りに進み、突き当たりを曲がる。さらにすぐに突き当たりにぶつかろうとする際、真後ろに視線を向ける。

 

「(よし、今のうちだ……)」

 

 廊下を進むとある階段の前までやって来た。その階段の前には『立ち入り禁止』と書かれたロープ。

 しかし、俺は気にせずそのロープをまたぎ、階段を上って行く。

 そのまま登り切ると、固く閉ざされた金属製の扉が現れた。

 ガチャリという音と共に、扉の奥の光景が俺を出迎えた。

 

「あ、きたきた。遅いよ!」

 

 すがすがしい青空の屋上。その中心には赤いレジャーシート。

 そして、体操着姿の奏の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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優柔不断だから、恨めない

 俺は斬新な空気を吸い込みつつ、大きく背伸びをした。

 まだまだ日差しが強い太陽の下、地面の直から守るレジャーシートの上には無数の紙コップや弁当箱が並んでおり、数本のペットボトルも同様だ。

 

「何だか、久しぶりだよね。こうして二人きりで食べるのって」

「そうだな」

 

 俺はレジャーシートに腰を下ろした。

 そこにはとても一人……二人分でさえ完食出来るのか怪しい程の煮物が容器に詰められている。

 奏はどこか切なげな表情をしていたが、それも一瞬だった。

 

「おぉ、こいつは確かに美味そうだ。また随分と張り切ったな」

「ふふん、でしょ?今日はいつも以上に腕によりをかけましたから。

 

 容器いっぱいに詰められたおかずは、野菜炒め、肉巻き、鳥の唐揚げなど。広げられた弁当の中はどれも俺の好物が並んでいた。

 食欲が抑え切れず、俺は早速煮物に箸を伸ばそうとした。

 

「こ〜ら。最初はい・た・だ・き・ま・す、でしょ?」

「わかったわかった。いただきます、と……」

 

 投げやりに手を合わせ、俺は改めて奏が用意してくれた唐揚げに箸を伸ばし、口の中に運んだ。

 

「んっ!美味い!」

「本当?良かった〜。久しぶりだったから緊張してたんだけど、上手く行ったみたいだね」

 

 あまりの適切な味付けに俺が思わずそう口にすると、奏は無邪気に微笑んだ。

 お世辞でもなんでもなく、日頃から俺が口にしているコンビニ弁当や病院飯とは比較にならぬ美味さだった。 

 

「何つーか、久しぶりにいいもん食わせて貰ったわ。最近はもっぱらコンビニや外食ばっかだったからな」

「そんなことだろうと思った。駄目だよ?ちゃんと自炊しなきゃ。湊、別に料理が出来ない訳じゃないでしょ?」

「いや、最初はそのつもりだったんだけどな。学校から帰ってから自炊しろってのも中々」

 

 呆れ顔の奏に、俺は渋々答えた。

 両親もいない今となっては、基本的に家事や洗濯などは莉緒と一日毎に交互に行ってはいるが、この一週間、互いに自炊などは一度もしたことはない。

 引っ越したて当初こそ奏が手を回してくれたが、家のキッチンの火をつけたのも彼女が最後だろうと言える程である。

 

「全くもぅ……でも、安心はしたかな。湊、全然平気そうだし」

「噂のことか?何だ、お前までもがいらない心配してたのか?」

「正直ね。湊がそういう人だっていうのは理解してるつもりだけど、心配もしちゃうよ」

 

 奏はどこか曇った表情を向けてくる。

 この時点で、俺自身の直感が教えてくれる。

 

 どうやら楽しい時間はここまでのようだ。

 

「ねぇ、湊。あの時の言葉……今度は私が言っていいかな?」

「あの時?」

「湊は、“私達“を恨んでる?」

 

 それはまさしく、新学期初日、俺が彼女にした問いそのままだった。 

 

「前に言ったよね?例え何を言われても、私は絶対に認めないって。それは変わらないし、変える気もない。ただ、湊はどうなのかなーって」

 

 彼女の快活な口調。しかし、その瞳は確実に俺の真意を探ろうとしていた。

 

「安心しろ。別に恨んじゃいねぇよ。ただ、忘れた訳でもないってだけさ。お前ら二人が俺にしたことはな」

「それは、恨みとは違うの?」

「こう見えても優柔不断だからな。俺はそこまで割り切れなかったってだけだ」

 

 軽口と共に、俺は嘘偽りのない真実を語った。 

 そこには、彼女達への恨みや復讐。ましてや、彼女達へ許しを与えるという強さもない。 

 

 俺には、彼女達を恨み、憎むという選択が出来なかった。

 

 ただ、それだけだ。

 

 だからこそ、その全てを「力」でねじ伏せるという選択を選んだに他ならないのだから……。

 

「私は好きですよ、湊先輩のそういうところ」

 

 それは、聞こえるか聞こえないかわからないくらいの声音だった。

 俺自身、彼女の気配にはとっくに気づいていた。

 その声にはかつてないほどの恨みと威圧感がこもっており、奏は自然とその場に立ち尽くしてしまう。

 

 そんな彼女を嘲笑うかのように、すぐに屋上の扉は放たれた。

 

「だって、それも仕方ないじゃないですか。目の前に居るのは湊先輩の愛を独り占めする為に、叔父さん達に莉緒ちゃんを手にかけるように仕向けた──本当の意味での黒幕なんですから」

 

 目の前で人懐っこく笑う後輩──陽菜の爆弾発言に、奏は表情を変える事なく、小さく肩を震わせながら陽菜を眺めていた。



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