有名NTRゲームのハーレム野郎はハーレム大先生でした。 (蒼井魚)
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章:総まとめ(長い)
一気見エディション【本当に時間がある時にお読みください】


【注意】

 これは一章の一気観エディションです。

 多少の変化はありますが、膨大な量がありますので時間がある時にお読みください!

 

【1:プロローグ】

【2:強姦魔撃退】

【3:義妹との出会い】

【4:誘拐事件】

【5:異国からの転校生】

【6:地獄の一ヶ月】

【7:殺して負けろ!】

【8;束の間の休息】

【9:終わることによって見える変化】

【エピローグ】

 

 

 

 

 

【プロローグ】

 

 中堅エロゲーメーカー、ダーク・ライフから発売されたハーレム・スティール、『通称:ハレスティ』。こいつはネットでカルト的な人気を誇るゲームだ。

 ゲーム内容はラノベに居そうな鈍感系ハーレム野郎から薬や洗脳を駆使してヒロインを強奪するというゲーム性、だが、このゲームのヒロイン達は異様にプレイヤーに対する警戒心が高く、一個のイベントをミスするだけで豚箱エンディング直行という鬼畜難易度。

 だが、キャラデザは非常に秀逸で、声優も新人なのだろうがキャラクターに合った人をキャスティングし、失礼な話しをしてしまえば……エッチシーンは非常に興奮する。

 そんなハレスティには隠れ要素が一つ存在する。それはこのゲームのグッドエンディング、つまりはハーレム野郎からすべてのヒロインを奪って達成する称号『ハーレム・スティール』を達成したら出てくるハーレム野郎、相沢 明広(あいさわあきひろ)の日記。これがすべての元凶であり、ネット民をハーレム野郎もとい、ハーレム大先生である相沢大先生に感情移入してしまい、SNSや掲示板に土下座画像を残す者までいるくらいだ。

 そして、俺もハレスティのグッドエンディング『ハーレム・スティール』を達成し、ネットで有名な『相沢明広の日記』を開放した。

 生唾を飲み込んで心の準備を整える。

 このゲームで一番評価され、続編では相沢大先生がヒロイン達と甘いラブコメができる作品を作れと脅迫まがいの手紙が万単位で送られるくらいの隠し要素。

 よし、読むぞ!

 

 

 

『次の主人公は彼女達を幸せにしてくれるか』

 

 日記を書く習慣なんて無いのだが今日は喪失感から筆がよく滑る。

 そうだな、一言で表すと俺の人生は悲惨。この文字に限る。

 男を作って父さんに借金押し付けて消えていった母、あと少しで小学一年生になる時だったかな? 一番母親を必要する時期に消えてくれればいいものを顔を覚える歳で捨てていった。

 その後は本当に辛い日々だ。

 父さんが酒浸りになり学校では給食費も払えないでいじめられ、歳を重ねる事に言葉だけじゃなく暴力に切り替わっていく。

 リサイクルショップで買ってもらったランドセルは色が無くなるくらいにボロボロにされて、100円ショップで買ってもらった鉛筆は削っても文字を書けないくらいにへし折られた。

 一度だけヤケになってやり返したこともある。確か小学三年生の時だったかな? その時は本当に酷かった。いじめの主犯格の一番上の兄、それも高校も通わないで半グレやってて、それは凄い凄い。道理だとか仁義なんてない奴らが何十人も集まって俺のことを殴り潰した。アレは子供ながらに恐怖しか覚えなかった。

 学校に行きたくなければ行かなくていいとか言われてるけど、俺の父さんは毎日借金の返済の為に肉体労働、帰れば嫌な気持ちを和らげようと酒を飲む。そんな家に篭もっていたら餓死するだけ、本当に給食だけで食いつないでる状態だ。

 でも、父さんは一度も暴力を使ったことはない。依存症になっても父さんは父親であろうと必死だった。それが逆に悲しかった。俺の血には父さんを地獄に落とした女の血が入ってある。だからいじめっ子と同じように殴ってくれた方が楽なのに。

 そうだな、そう、それは確か小学五年生の時だ。結衣とさくらが強姦魔に殺されたんだ。本当に嫌な事件だった。強姦殺人、女の子としての尊厳を奪われて殺される。男の俺からしても嫌悪感が沸々と湧き上がる。まあ、あの時はただのクラスメイト、あの二人はいじめられてる俺を見るだけの存在、考えたくもないが……ざまあみろなんて感情もあったかもしれない。だからかもな、はは。

 その後、いじめの主犯が結衣に恋心を持ってたらしくて、殺したのは強姦魔なのに俺が殺したと角材や鉄パイプで袋叩きにされた。何歳も年上の存在に日が昇るまで殴られたから死なないとでも思ったのか普通死ぬくらい殴られた。そして俺の人生はぶっ壊れた。

 脊髄の損傷、俺はその日から体のすべてが動かなくなった。

 もちろん裁判沙汰になり主犯は小学生なのに少年院、それ以外は示談金を払って解決した。でも、俺はもう二足歩行できない存在に。

 示談金の額は借金、闇金の膨大な利子すら返済できるだけのもので、念願の借金生活からは脱却した。代償は大きいものだったが……。

 親父は泣いてたよ、その時は……俺も泣いてたかもな、悔しさでさ……。

 どうにかリハビリのおかげで手は動くようになったんだが、指は一本も動かない。人間って無くなって悔しくなるものなのかもな、その時は本当に思ったよ。

 それからは障害者年金制度で親子二人、借金も無くなって派手なことをしなければ何不自由なく生活できる。幸せというわけではないが……まともな人間らしい暮らしができて嬉しいと思ってた……。

 障害者生活は二十年目に突入、親父ももう少しで六十歳になろうとした日、互いの携帯からけたたましいくらいのJアラートが鳴り響いた。冷戦状態とか言われていたけど、まさか本当に日本がミサイルの標的にされるとは。

 父さんも俺も家から逃げることはしなかった。恥の多い人生をおくってきた。だから、死ぬ時は静かに待つことにした。

 俺は言ったんだけどさ、父さんだけでも逃げてくれって、でも、息子に救われたから一緒に行くと言われた時は三十なのに号泣したね。

 これが俺の最初の人生。

 

 核ミサイルの爆風で死んだと思ってた俺は懐かしい酒臭さで目を覚ましたんだ。驚いて体を起こすと体が自由に動いて、一滴も酒を飲まなくなった父さんが酒瓶を抱きしめて泣いていた。

 俺は理解した。これは神様が与えてくれたチャンスだと。小学五年生の頃に戻ってきて正しい親孝行をしなさいってね! それからは頑張ったさ、いじめにも屈せずにひたすらに勉強して、運動もして、そして死ぬ筈だった結衣とさくらも助けて!!

 でも、父さんは死んだ。

 自殺。父親が首を吊る姿なんて見たくなかった。

 その後は孤児院に預けらた。

 孤児院に預けられて、掃除をする時に一枚の古新聞を見つけたんだ。それには宝くじの当選番号が書いていて、もし、また自分が小学生からやり直せるなら――宝くじで父さんを救えるかもしれない。俺は必死にその番号を暗記し続けた。

 ――結衣が誘拐されて殺害されたとテレビで報道されていた。

 それからも俺の住んでいた場所では多くの事件が起きてネットでは魔の領域なんて表現されていた。

 俺は高校生になることもなく中卒で自衛隊に入った。核ミサイルが撃ち込まれるってことは戦争が起きる。戦争には兵士が必要だ。俺は陸自で起こる戦争に備えて訓練の日々を過ごした。

 でも、変わらなかった。

 そりゃそうだ。敵軍の基地に爆弾を落とすのが当たり前だ。俺は訓練をバカにされるように死んだ。

 

 三回目の人生、俺は二回目の人生で必死に暗記した数字を思い出して宝くじを買った。このくじさえ当たればお金で父さんが死ぬことはない。そう思って祈り続けた。そして宝くじは一等になり、借金は消えた。

 その後はいじめっ子と戦いながらも結衣とさくらを助けて、誘拐も足を怪我したけどどうにか解決する。これで自分は幸せな人間になれる。

 でも、この人生ではこのみを助けることが出来なかった。俺が宝くじを当てたと知った母が間男を連れて金の工面を申し出たんだ。その時に義妹のこのみもいて、俺と父さんはそれを突っぱねた。すると数日後、一枚のDVDが届いて……思い出したくない……。

 その日、スウェーデンから転校生がやってきた。親の仕事の都合で転校してきたらしいが、母国の言葉しか使えなくてさ、英語もあまり理解してなくてクラスは自然と彼女をハブるようになった。

 俺は必死にスウェーデン語を覚えて日本語を教えたり、逆にスウェーデン語を教えてもらったりと夏休みまでにはなんとか日本語で挨拶くらいなら出来るようになった。

 そして夏休み、8月の中旬に彼女は殺された。

 犯人は見つからず事件は迷宮入り、友達をなくした喪失感は凄いものだったさ! 無力な自分が嫌になった……。

 その後は、

 

 誰一人として失わずすべてを解決した時、俺は西暦と同い年になっていた。

 それでわかったことは一つ、俺はどんなに死のうとしても死ねない。死ぬ時は三十歳、戦争の戦火によるものに限定される。何度か嫌気が差して飛び降り自殺とかやってみたんだが、植物状態でも生きていた。俺は途中でリタイアすることは許されないらしい。

 でも、全員が生きているのだから素晴らしい。俺は誰一人欠かすことがなかった。何度も修羅場を超えて勝利した。

 高校の入学式、何度も世界を繰り返しているが高校で事件が起きることはない。俺はバラ色のスクールライフをエンジョイできる。

 

 おかしい、俺は何一つ失敗することなく彼女達を救った。でも、まるで歪むように世界は戦争へと突き進んでいく。

 結衣が結婚して子供が出来たというのに、彼女と彼の子供が戦火に燃やされることだけは許せない。俺はいつものようにパイロットとして空に上った。

 

 今回はさくらが結婚した。幸せになってくれと思うが戦争は起こった。

 どうして、幸せになったのに世界は狂うのか、それとも、戦争は確定された未来なのか。

 

 今回はこのみが結婚した。あれだけ甘やかした妹が嫁入りすると思うと寂しさが生まれる。このみの幸せな未来を守るために俺は絶対に、

 

 今回は、

 今回は、

 今回は、

 今回は、

 今回は、

 

 俺の前から彼女達は消えていった。一人の男に骨抜きにされたらしい。確かに俺も彼女達を侍らせていたが奴の目はどこか狂気を含ませていた。

 それに、今回に限って父さんがやってるお好み焼き屋が三回目の爆破、引っかかる。

 でも、俺に出来ることはない。

 だが、今回の世界は平和だ。

 戦争が起きるとは思えない。

 俺は戦闘機のパイロットをしている。でも、戦争は起きない。

 ――妹が自殺した。

 腕には薬を何度も使われたのか多くの痣ができており、あの男は薬を使って彼女達の意思を捻じ曲げた。そう、昔からアイツは薄気味悪い顔をしていたんだ。

 また、喪失感に襲われる。

 

 三十一歳の誕生日。

 俺は死ななかった。

 誕生日を迎えたということはループは消えたのだろうか? でも、多くのものを失った。俺には何も残っていない。

 もし、またループすることができるなら……。

 そうだな、アイツに当たる存在は名前も顔も変わる。

 言うならば顔がない主人公だ。

 だから、そうだ。

 次の主人公は彼女達を幸せにしてくれるだろうか、

 俺は彼女達を救う。だから、次の主人公……彼女達を幸せにしてくれよ……。

 

 

 

「……重たいよぉ」

 

 隠し要素を見た後に思ったのはエロゲーらしからぬ重々しいハーレム大先生の生い立ちと奪われて、そしてヒロイン達が幸せになっていない現実。

 何度もループして、死ぬはずのヒロインを全員生存させ、シングルルートだと結婚したヒロイン達の平穏を守るために空自のパイロットとして空を駆ける。

 そうだな、うん、これは相沢大先生が主役の新作を待ち望む声が大きいのも理解で来る! だって、こんなに救われない存在がいるのなら、救われて欲しいというのが人間の(サガ)だ。

 最初にタイトルを見た時は第三の壁を突破してて、萎えさせるのかなって思ってたけど、ネットの人達が言うようにこのゲームは相沢大先生をいじめて楽しむという、善人には出来ないことをやっていた。

 ――強い罪悪感に(さい)まれる。

 プレイヤーが知らないところで全力で努力し、失われるヒロインを全員生存させた先にあるのが戦争か、薬物や洗脳を使用した寝取り。

 あまりにも救われない存在で、もし、プレイヤー豚箱ルートでも彼は戦争という未来を歩むことになる。どうやっても救われない。

 これは続編の主人公を相沢大先生にしてくれという要望が多いわけだ。

 

「相沢大先生……寝取ってごめんなさい……」

 

 プレイヤーとして出来ることはキャラクターへの謝罪の言葉だけ。

 ネットでは相沢大先生のことを語る時、ハーレム野郎だとか、相沢明広だとかと書いてしまえば即座に相沢大先生警察が現れ「大先生をつけろよNTR野郎!」と批難の言葉が飛んでくるのだ。でも、この隠し要素を見てしまえば納得できてしまう。

 ハレスティ発売から三年、ネットでは相沢大先生の名前がミーム化し、女の子を命を張って助けるキャラクターや人物を相沢大先生と比べたりするのが流行している。正直、今時のラノベ主人公が相沢大先生の献身に勝てることは滅多に無く、ある意味では唯一無二の存在に昇華している。

 そして! ダーク・ライフがハレスティの続編を発売すると発表した!! ハレスティ登場から三年、続編発表記念でハレスティが千円セール! もちろん続編の主人公は相沢大先生だ。相沢大先生の新しい物語を見れるのであれば定価のボッタクリ価格でも買いたいと思ってしまった!! というか買う!!

 キャラデザ、声優、すべてが高品質だが、一番の売りは相沢大先生! ネット民達も発売をまだかまだかと待ち望んでいる。俺もその一人だ。

 

「俺も書き込むか」

 

 千円セールでハレスティを買い、グッドエンディングを達成して日記を呼んだプレイヤー達が間髪入れずに書き記す【相沢大先生……寝取ってごめんなさい……】。

 これはハレスティのグッドエンディングを達成し、心を痛めたプレイヤーが行う最大の謝罪の言葉、後ろめたい気持ちを掲示板で発散するのさ。

 俺もこの中の一人になる。

 そして、新しい相沢大先生の物語を待ち望むことにしよう。

 

「相沢大先生……寝取ってごめんなさい……」

 

 文字を叩いてエンターキーを押した。

 それにしても、ゲームの難易度と日記の破壊力で精神的に疲弊しちゃったな、お布団に入って次の相沢大先生の物語を期待し、一日でも早くプレイしたい……。

 相沢大先生が幸せになってくれたらいいな……。

 

 

 今日は酷く快晴で、航空基地から大空を見上げている。

 戦争が起こりもう、三年の時が経っていた。

 航空自衛隊に入隊してから数年、今ではベテランパイロットの一角として数えられている。だが、彼の心の中には今日が自分の命日なのかもしれないという一抹の不安感が心の中を縄で巻かれるような、そんな感覚を覚えさせる。

 ――人間、死ぬ時は死ぬ。

 誰でも知っているような言葉、それは何時に死ぬかわからない、だから身構える必要はないという言葉。でも、彼にとって今日という日はXデー、この日を乗り越えた試しがない。

 彼は自分の機体を見た。

 フランスのダッソー社が開発販売しているマルチロール戦闘機ミラージュ2000-5、日本に飛び火する前に行われていた隣国の局地戦。その時に多くのパイロット達が国、軍の命令で日本に亡命し、機体は航空自衛隊の預かりになっている。

 アメリカ製の戦闘機しか導入していない空自のパイロット達からは敬遠されている機体だが、その軽快な機動性に惚れ込んで彼は何度も繰り返す中で選び続けている。

 

「デュエル1、アンタならステルスも与えられただろうに」

 

 機体を眺めていると一人の整備士が彼に問いかける。

 戦争が始まって数年、怒涛の戦果を表している彼ならエースにだけ与えられるステルス戦闘機も即座に手配されるだろう。だが、彼は否定するように顔を揺らした。

 

「最新型のレーダーでステルスだろうと落とされる。それなら曲芸紛いの軌道がとれるこいつの方が生存性が高い」

「エースパイロットだけが許される発言だな、嫌いじゃないぜ――プライドを持ってる人間ってのは」

「プライドなんて捨てた方がいい、戦争に誇りや論理を持っていたら殺されるのは自分だ」

「……アンタの寂しそうな目、見たくないが、見れなくなるのも嫌なんだ。矛盾してるだろ?」

「――戦友が死ぬのは誰だって嫌さ」

 

 彼は懐から煙草を取り出して年季の入ったZIPPOで火を灯す。紫煙をくぐらせ、静かに空に向かって溜息のように煙を吐き出した。

 整備士は歴戦のエースパイロットが見せる儚さに目を奪われている。

 ――天涯孤独の人間が見せるような、そんな寂しい風貌。

 

「デュエル1、家族は?」

「最初の核攻撃で骨すら残ってない」

「……済まない」

「軍人、民間人関係なしの無差別殺戮だ。条約を無視した攻撃、ある意味では……民族浄化の一手なのかもな……」

 

 彼は携帯灰皿にまだ吸える煙草をねじ込んで喫煙道具一式を懐に収めた。

 サイレンが鳴り響き、彼の仕事の時間がやってくる。

 整備士の一人がヘルメットを渡して、彼は静かに自らの機体に向かっていく。

 

「こちらデュエル1、敵の大まかな情報を教えてくれ」

『爆撃機襲来、数は不明。だが、護衛機の姿を捕捉できない』

「了解、上がる……」

『まってくれ! こちらデュエル2!! まだこっちの準備が出来てない』

「わかった。早く準備しろ」

『くそぉ、昼飯も食えずに上がらないといけないのかよ……』

 

 安っぽい死亡フラグを建てる僚機に冷たい言葉を吐いて計器類の確認をする。

 綺麗にセッティングされ、吹き上がりも欧州機とは思えない程に整っている。日本の整備士の腕の良さを再確認する。

 デュエル2のミラージュが格納庫から出るのを確認してから滑走路に向けて機体を移動させる。

 

「空の英雄、爆撃機……臭う……」

 

 整備士が背筋に冷たい何かを感じる。

 ――戻ってこないような気がする。

 

 

 超高高度、雲の上には爆撃機が列をなして彼が所属している基地を爆撃しようと躍起になっているようにも見える。だが、護衛機の存在を確認できない。

 ――まるで、彼を誘い出すようにも見えた。

 彼は淡々と爆撃機を処理し、木っ端微塵にしていく。

 

『デュエル1、やっぱりアンタの僚機に――ッ!? アラート!!』

 

 即座にチャフを散布し、ミサイルで撃墜される僚機の残骸をチラリと見て歯を食いしばる。

 雲の中に隠れた最新鋭のステルス戦闘機、空自でトップガンと呼ばれている彼を殺し、プロパガンダにする為に爆撃機を犠牲にした。

 

「俺は……相沢明広だ!」

 

 彼は残りのミサイルの残量を確認し、隠れていた護衛機六機体がハゲワシが死肉を貪るように彼の機体に向けてミサイルを放つ。それを曲芸軌道で回避し、機銃の射程内に入った機体を蜂の巣にする。

 これで一機減る。

 そのまま彼はミサイルを節約しながら五機の戦闘機と格闘戦を続ける。

 ――被弾した。

 牽制で撃たれた機銃がエンジンに被弾し、推力が著しく低下する。

 このまま戦闘しても落とせはしない。

 彼は静かに海面に向けて舵を取った。出来る限り戦闘不能を装って。

 

「ゴホッ……嘘だろ……」

 

 腹部を確認すると大量の血液が流れていた。

 ダクトからも弾が入ってきて、弾速が落ちてバラバラになりはしないが――致命傷。

 彼は苦笑いを見せた。

 酸素マスクを外す。

 煙草を取り出してZIPPOで火を灯す。

 

「結局は死ぬのか……寿命だな……」

 

 三十歳のこの日、彼は死ぬ。

 人生最後の煙草を煙草を味わいながら、静かに目を閉じた。

 ――次の人生は物語に繋がるように。

 

 

 

【2:強姦魔撃退】

 

 彼が目を覚ます。

 人形のように整った顔立ち、優しげでどこか寂しい顔をした少年。

 彼の名前は相沢明広、この世界を繰り返している存在。

 懐かしい酒臭さとカビ臭さ、閑静な住宅街の外れの外れに存在するボロアパート。そこにはアルコール依存症になった父と健気にそれを支える息子が生活している。

 見渡せばボロボロの壁、大量の酒瓶、泣きながら眠っている父親、何度も見てきたこの場所。

 彼の生い立ちは酷いものだ。

 男を作って夜逃げ同然に消えていった母、それだけならまだいい。それだけではなく大量の闇金からの借金。それを心優しい父にすべて擦り付け破壊していった。

 すべては汚い大人に壊されている。

 

「ごめんな……父さんが弱いから……」

 

 寝言で息子に謝罪し続ける父、相沢 (あいさわ)明文 (あきふみ)

 彼の父親であり、最大の理解者。アルコール依存症になっても彼に暴力なんて振るわない。ただ、自分の弱さ、不甲斐なさに泣くじゃくり――最後は押し付けられた罪(借金)によって自死の道を辿る。

 彼はこの父の姿を見るだけで泣けてくる。母親より愛を注いでくれる父親なんて少ない。でも、明文は息子に母親分までの愛情を注いでくれる。だから、だからこそ! 許せない。汚い大人が美しい存在を汚すのが鳥肌が立つ程に許せない。

 どうして、こんなに善良な人間をここまで落ちぶれさせるのか、愛し合って出来た自分をどうして古くなった玩具のように捨てられるのか、何度もループする中で理解しようとしても理解できない事実。

 人間は正義や大義(理由)があって悪性に走ろうとも、絶対に最終的には良心によってある程度は抑制される。だが、彼の母親にはそれの欠片も存在しない。期待していた時期もあった。だが、期待するだけ無駄。人間、善性を信じるのは信じられる相手に限られる……。

 ――父親は善良な人間だ。

 

「父さん……父さんは何も悪くない……」

 

 泣きながら眠っている父の頬を撫でて彼も涙を流した。哀れだとか、そんな感情かもしれない。だけど、子供が優しい父親が苦しんでいる姿を見てしまえば自然と悲しみの表情と涙腺を刺激する。

 彼は毛布を父にかけてまだ普通の生活が出来ていた頃のお年玉、俗に言うヘソクリ。それは父に酒を買わせる為に少なくなってはいたが、宝くじを三枚買う程度には残っている。

 ――起死回生(希望)の一手、それは宝くじを当選させること。

 バカバカしいと思うかも知れないが、彼は世界をループしている。それはアニメやゲームで有名な平行線()の世界に移行するというものではなく、寸分違わずの同じ世界をループしている。

 だから、この世界の運命はすべて単一で動いている。だからこそ、宝くじの番号、株価の上昇下落、それらは確定している。そして、それらは全部彼の頭の中に入っていて、なんなら世界一の大金持ちになることも出来なくはない。

 ――最初の犠牲者の救済、それは金によって解決される。

 相沢明広という少年にとって最初の犠牲者は父親。それを救う方法は一つだけ、大金を確定された奇跡から拾い上げる。そして次のステージに立つ。

 彼は流れる涙を袖で拭い宝くじ売り場に走った。

 今度こそはすべてを助けて正しい(悲しい)物語に到達するように。

 

 

 相沢明広という少年はいじめられている。

 それもその筈だ。父親は日雇いで働き、大量の借金に追われているのは近所では有名な話し。だが、それが彼の母親に背負わされた借金だとは誰も思っていない。自業自得の借金、借金をして金すら払えない屑、それは子供達にも伝染する。見た目だけの黒(印象)で人は断罪を許す。

 彼は歯を食いしばり放たれる拳による痛みに耐える。

 

「謝れよ! おまえが生きてることを俺達に謝れよ!!」

 

 いじめの首謀者である羽渕という少年は満面の笑みで明広を殴り、蹴り、優越感に浸っている。他のいじめっ子達もサンドバックにされる彼を見て薄気味悪い笑みを見せている。

 ――教師達もいじめに関しては見て見ぬ振り(黙認)をしている。

 いじめというのは非常にストレス発散に有効的で自分より下の人間を虐げるという人間として当たり前の欲求をジャンクフードのように満たしてくれる。

 父親が屑なら息子も屑。屑ならいじめても許される。虐げて許しを懇願(こんがん)するその姿は強者になれたような不思議な優越感。止めるものはいない。なぜなら相沢明広は屑だからだ。

 

「おい! 『ごめんなさい』はどうしたんだよ!?」

「…………」

 

 彼は何も言わないで主犯の顔を見つめ続ける。どうして自分をいじめて気持ちよくなれるのかを観察する為だ。

 それが逆鱗に触れたのかいつも以上の蹴りが何度も飛んでくる。

 許しを請えば許される。だが、それは父を否定されることと同じ。戻ってきた明広は絶対に謝罪なんてしない。プライド、誇り、家族愛。そのすべてが繰り返す中で強くなり、そして、痛み程度ではそれを折ることはできない。

 ――噛ませ犬(脇役)程度に謝罪なんてしない。

 主犯と取り巻きの容赦のない拳と蹴り、それを歯を食いしばりながら耐え忍ぶ。幼い存在なら謝罪の言葉と泣くことで痛みから逃れようとするだろうが、成熟した彼にとって誇りを守ることは痛みから逃れることより大切なことなのだ。

 

「……結衣ちゃん」

「……見てて気持ちのいいものじゃないけど、やり返さないからこうなるのよ」

 

 物語のヒロイン、【新島(にいじま)さくら】と【立木 結衣》(たちきゆい)】はいじめられている明広の姿を直視できなかった。罪なき罪でストレス発散の道具にされている彼を助けたいと思う心はあるが、立ち入ってはいけないという自己保身の気持ちも存在する。

 いじめは無視も加害、でも、主犯を止める理由は彼女達にはない。この状況を覆すことができるのは明広ただ一人、彼が助けてと言えば彼女達は手を差し出す。でも、彼はそれをしない。彼女達は思っていた、プライドが彼を縛り付けていると……。

 そんなことはない、主犯の少年の兄はこの辺では有名な半グレ集団の構成員。主犯に反抗的な言葉を使えば鶴の一声で心をへし折る程の暴行を加えられる。この学年の生徒達には有名な話だが、転校してきた結衣はこれを知らない。だから、変なプライドで意固地になっているとしか思えないのだ。

 

「……凄いよな、無抵抗な人間を殴れるなんてさ」

「何だと!? 殺されたいのか!!」

「……殴れるうちに、蹴れるうちやっておけばいいさ」

 

 彼はきれた口から血液を流しながらも笑っている。

 主犯と取り巻き達は笑みの理由なんて理解できない。だが、いつもならノビているサンドバックが立ち上がって殴れるという彼とは違う笑みを見せる。

 そしていつものように自分の優越感を高める為にいじめという効率のいいストレス発散を繰り返す。

 ――滑稽(こっけい)だ。

 

 

 宝くじの当選日、彼は殴られた影響で熱を出したと事実を学校に報告した。すると担任の教師からは「仮病はやめなさい」といじめの事実を知っていながら、主犯のサンドバッグに休まれたら自分の労力が増えると言わんばかりの対応だ。

 彼は受話器をガチャ切りして公衆電話から出る。携帯なんて契約できないくらいに困窮している家庭に電話なんてない。父も一円でも返済に当てなければならないと酒以外のお金はすべて借金返済に当てている。

 ――そんな生活は今日で終わる。

 この時間帯に図書館で新聞を読んでいる小学生は彼くらいだろう。そして、三枚の宝くじと新聞に書かれている数字を照らし合わせる。

 寸分違わず同じ番号、キャリーオーバーが発生してこの番号の宝くじは一枚十億円の引換券。彼は番号が正しいことを確認して新聞をコーナーに置いて静かに図書館から立ち去る。

 

「明広、お弁当買ってきたよ……」

 

 近所のスーパーで売られているお弁当、それも半額シールが貼られているものをちゃぶ台に置いて疲れを癒やす為に酒に手を伸ばす。だが、明広はその手に宝くじを握らせて、帰り道で買った新聞を見せる。

 新聞と宝くじ、明文はまさか!? なんて表情で宝くじと新聞に記されている宝くじの番号を照らし合わせる。寸分違わず同じ数字、偽造した宝くじではないかと透かしてみるが本物。

 

「こ、これ……」

「父さんが辛い重いをしてほしくなくて、三枚買ったのは……どうせ外れるなら同じ数字にしようと思って……」

 

 明文は何度も新聞と宝くじに視点を合わせて、最後に自分の頬を抓ってみる。

 痛みを感じたのか唸り声を出して、酒瓶の中身を流しにすべて流した。

 ――もう、酒に逃げる理由はない。

 

「あきひろ……ありがとう……」

 

 すべての酒を捨てた後に明広を抱きしめる。自分を地獄から救ってくれた天使、奇跡を起こし、自分を蜘蛛の糸で釣り上げた存在。感謝の言葉が何度も何度も呟かれる。それを静かに頷いて抱きしめ合う。

 

「明広……ごめんな、父さんの為に……」

「お酒やめられそう……?」

「やめるよ……父さん……!」

 

 抱きしめ合いながら依存していたお酒をやめられるか問う。すると力が抜けたのか明文は崩れ落ち、息子は優しく抱きしめる。

 明文は別に酒が大好きというわけではない。ただ、自分の置かれている地獄から少しでも逃げる為に酒を飲んでいた。だから地獄から逃げ出せたのであれば酒なんて一滴もいらない。

 母親が作って擦り付けた借金は莫大な利子を含んでいたが無事に返済、父と息子の新しい生活。これで普通の父子家庭が始まる。なんて生易しいことは起こらない。

 宝くじの高額当選、それの噂が広がるのは一瞬だった。

 父を見捨てた親族(鬼畜)、父を地獄に落とした母方の親戚(悪魔)、それらが二人の住むボロアパートにひっきりなしにやってきては金の工面を申し出る。

 ――父はとにかく優しい性格で有名だ。

 まだまだ父が会社員時代は生活に困窮した親族に返さなくていいと十万円くらいポンと渡す程の善人。周りは出来た人間だとか、聖人の生まれ変わりだとかと褒め称えていたが、いざ彼が借金まみれになるとゴミを見るような目で縁を切る。

 金の切れ目が縁の切れ目、それを見せつけられて泣いた父の姿は今でも思い出せる。

 正直者がバカを見る(悪が笑う)。そんな世界は汚すぎる、でも、それがこの世界だとするなら――父は優しすぎる。

 でも、明広が与えてくれたチャンス。それを他人におすそ分けできるわけがない。

 

「俺はおじちゃんやおばちゃんを助けてきたよ……でも、どっちも俺と明広のことを助けてくれなかったじゃないか! 俺のことはどうでもよかった……! でも、息子だけでも助けてくれてよかったじゃないか!! 見ろよ!! 明広のランドセルはリサイクルショップで買った誰が使ったのかもわからない中古品。親として恥ずかしかった!! 二人に渡した金で新品のランドセルが何個買えた!? お願いだ。もう、明広に迷惑をかけないでくれ」

 

 明文の必死の言葉、それでも親族達は金を貸してくれと言葉を連ねる。人間の頭の中は金で出来ている。金があるから争い、そして憎しみ合う。明文は親族を恨んでいるだろう、だが、親族も同じように突如として金持ちになった明文を恨む。

 ――負の連鎖。

 自分はこんなに辛い思いをしているのに金を貸さない。今までどれだけ世話をしてやったか、そんな存在しない過去を捏造してまで金を毟ろうと画策する。汚い大人、自分さえよければすべていい。世の中は腐っている。

 

「父さん……引っ越そう、そうしないとあの人達は絶対に追ってくるから」

「……そうだな、このお金は本当なら全部明広のお金だ」

 

 小学校を少しの間おやすみして現金一括で購入したオートロックの新築マンション、一軒家でもよかったのだが、それだとボロアパートと変わらない。出来る限り警備が厳重な場所、変に大声でも出そうものなら警察か契約してある警備会社の人間が飛んでくる。

 最近のマンションは思っていたより広く今までのアパートに比べて三倍近い広さがある。家具の数からして部屋も二つくらい余る。物置か書斎になるだろう。

 

「冷蔵庫はそこに、洗濯機はそこに設置してください」

 

 金にものを言わせて新しい家具や家電を設置して貰う。大型の冷蔵庫にドラム型の洗濯機、42インチの大型テレビ、そして携帯電話。

 成金と言われても文句は言えないが、生活に必要な物だ。

 

「……明広、お父さん昔からの夢を叶えたいと思うんだ」

 

 家具の設置が一通り終わった後、互いに温かい茶を啜りながら切り出される。明広は笑みを見せて父親の話しを待つ。

 

「お父さん、お好み焼き屋を開きたいんだ」

 

 ハーレム・スティールでよく登場する【お好み焼き・アキ】、この店はお好み焼き屋をやってみたいという長年の夢を形にした産物。だが、だが! この店は明広の物語の中で三回も爆破される。もちろん設備の不備によるものではなく、ヒロイン達との関係で半グレや謎の秘密結社に爆破、明広の日記には三回としか書かれていないが明広は何度も爆破された現場を目撃している。最大の救いは死傷者が一人も出ていないことだ。後は保険でどうにでもなる。

 

「いいんじゃないかな、父さんずっと借金に追われてて夢なんて見れてなかったし。この際、やりたいことをやりたいだけ」

 

 明広は湯呑のお茶を飲み干し新しいお茶を急須から入れる。

 涙もろい父は嬉しさのあまりに号泣している。そして思うのだ。この人の息子として生まれてよかったと……。

 

 

 なんやかんやで引っ越しや親族の襲撃から開放されて久しぶりの学校。

 宝くじを当てて成金になったことは奥様方の井戸端会議で拡散され子供達にもある程度は共有されているらしく、いつもだったら顔を見た瞬間に嫌味を言ってくるクラスメイトも席から立つこともなくチラチラと見てくるだけだ。

 

「おはようございます」

 

 彼が朝の挨拶をする。返事は帰ってこないが軽い会釈は帰ってきた。

 今までの貧乏人で借金まみれの子供という概念は消え失せて非の打ち所がなにもない。いじめる理由が存在しなくなった。

 それでも引きずる人間は存在する。

 

「おう、借金野郎が金持ちになったからって調子に乗るんじゃねぇぞ!」

 

 主犯は明広のことを見ていつものようにいじめようと歩み寄ってくるが、冷たい瞳によってそれが出来ない。

 ――酷く冷たく、冷徹とも取れる凍てつく瞳。

 

「駄目だよ、理由もなく人をいじめたら」

 

 明広はポンポンと主犯の肩を叩いて自分の席に座る。そして休んでいる間に購入したスウェーデン語の指南書を開いた。

 いじめる理由があるなら好きなだけいじめればいい。でも、いじめる理由が無ければそれは犯罪。いや、暴行は立派な犯罪なのだが、理由のない犯罪というのは容認し難い。

 クラスメイト達は明広の姿を見て強い変化を感じた。

 いつもなら主犯に殴られ蹴られて何度も謝罪の言葉を紡ぐだけの存在、それが余裕とプライドをもって立ち振る舞っている。お金だけの変化ではない、まるで自分達より年上になったような、そんな変化。

 最初に居ても立っても居られないと思ったのは、

 

「あの……相沢くん……」

「新島さん? どうしたの」

 

 この世界のヒロイン、新島さくらが申し訳無さそうな表情で明広の前に立ち、深々と頭を下げる。

 

「わ、わたし……ずっと見てみぬふりしてて……」

「大丈夫。俺は大丈夫だよ。でも、新島さんは素直なんだね、素直だから自分を許せなかった」

「相沢くんって難しい言い方するね……でも、うん。自分(弱さ)を許せなかった」

「……ふふっ、じゃあ、ノート写させて。学校休んでたから」

 

 さくらがそんなことでいいの? そう答えるが、明広にとっていじめられていたという事実は深堀りする必要性がなく、全くの無意味。今はこの世界の歪みを正し、来る物語に備えて走り続ける。そして最後は……。

 さくらは急いで自分のノートを持ってきて汚い字だけどと渡してくれた。

 

「汚いなんて、俺よりずっと綺麗な文字だよ。文字が綺麗な人は心も綺麗って本に書いてた」

「っ!?」

 

 普段見ることのできない明広の優しい笑みに赤面する。

 パパっと信じられないスピードで休んでいた部分を継ぎ足してさくらにノートを返却する。西暦と同じくらい日本人をやっていればこの程度のことは出来るのだが、傍から見れば気持ち悪いと思われるだろう。

 

「ありがとう。これで先生に怒られなくて済むよ」

「うん、おやすみした時にはいつでも頼ってね!」

 

 ガシガシと床が軋む音が響き、音の方向に視線を向けると同時に明広の頬が思い切り叩かれた。

 そのまま明広の頬を叩いた張本人は新島さくらの親友、立木結衣。

 わからなくはない、今までいじめられてきた人間がいきなり自分の親友と親しく会話しているのだ。お金を使って仲良くしろと言われた。そういう表現もできる。

 

「ゆ、結衣ちゃん!? ひ、ひどいよ……」

「あんた! さくらに何吹き込んだのよ!!」

「はは……いじめられっ子に信頼なんてないか……」

 

 ごめんね。

 明広は久しぶりに謝罪の言葉を使った。もちろん、意味のない謝罪ではなく、意味のある謝罪。

 さくらは悲しそうなその言葉に心が苦しくなる。

 だが、彼の表情は懐かしさという表情だった。

 

 

 事件の前日、時刻で言うと六時頃だろうか? 学校から帰り即座に書斎に入っていき、鍵を閉め、何度も人が入れないかを確認して購入した大型のホワイトボードに向き合う。

 水性マーカーを手に取り蓋を取ってホワイトボードに文字を走らせる。

 

【河川敷少女強姦殺人事件】

 

 書き記された未来の事件、最初にヒロインが死ぬ事件。

 この事件でさくらと結衣は本来であれば死亡する。何度も繰り返し、何度も解決してきた事件。

 だからこそ、失敗は許されない。

 

下洲仁(しもすじん)

 半グレ組織アルタイル幹部、幼児性愛者。

 非合法の未成年売春宿を愛用し純潔を汚すことを趣味にしている。

 近年は幼児を仕入れることが出来なくなり売春宿が閉鎖、その余波によって行動に至る。

 身長:推定165cm

 体重:推定80kg後半

 

 写真などは無いが、彼の記憶がそれを補完する。

 

「……無視すると身代わり出頭させて罪を逃れるからな」

 

 彼の重々しい言葉、最初の事件だということで最も介入の回数が多く、失敗したこともある。その場合、この世界の運命力によって彼は死ぬことはなく、四脚を不自由にしたり、植物人間になったりとマチマチだ。

 そんな中で一度だけ下洲に敗れ、彼女達を見殺しにしたことがある。その時は、そう、下洲の部下が身代わりとなって出頭し、罪を逃れた。彼の証言は聞き受けられることはなく、真犯人は下洲の部下となり裁判は終結した。

 ――そんなことは繰り返してはいけない。

 

【新島さくら】

 同級生、物語のヒロインの一人。

 視力が低く黒縁メガネを愛用している。

 髪型は三編みが多い。

 兄妹はなし。

 

【立木結衣】

 同級生、物語のヒロインの一人。

 活発な少女、リトルリーグに所属。褐色の肌が特徴。

 髪型はポニーテールが多い。

 兄妹は上に兄、下に弟がいる。

 

 彼はヒロインの軽い情報を書き記し、事件が起こる時刻を走らせる。

 そして下洲と二人のヒロインに線を引き、【関連性なし】と書いた。

 その後は事件の解決方法を選ぶ準備に入る。

 西暦と同じくらいの時間を繰り返している彼にとってこの事件は全力で介入している。最初の試練ということもあり軽いジャブのようなもの。

 最初の解決方法は下洲が幹部をしている反社会勢力・アルタイルのパソコンにハッキングし、違法な児童ポルノなどを警察にリークする。比較的簡単なのだが、今現在この家に回線を引いておらずハッキングはインターネットカフェなどでやることになる。後々にアルタイルを壊滅させるための手法を先に持ってきているという一面もある。

 二つ目は下洲を深夜に急襲する。もちろん病院送りにして事件を起こらないようにする。単純明快な方法なのだが、こいつには欠点がある。下洲は拳銃を常に装備しており、一撃で戦意喪失させなれば撃たれて大怪我に繋がる。それに逃げられでもしたら明広が少年院送致なんてこともありえる。一回しかやったことがない。

 三つ目は至ってシンプル、二人を襲おうとした瞬間に間に入ってボコボコにするという計画もヘッタクレもないもの。彼が一番やってきた手法。実はこれにも欠点があり、下洲は拳銃で二人を脅すのだ。もちろん弾を受ければ大怪我、流れ弾でヒロインが死ぬこともある。最初のイベントにしては鬼畜難易度と言っても過言ではない。

 

「……いつもの三番でいいか」

 

 一番試行回数が多い三番目(鉄板)の作戦、今となれば銃を抜かせる前にすべてを終わらせることも朝飯前と言わんばかりだ。こうして一応の情報整理が終了、事件当日を忘れない為にカレンダーに印を付ける。明日起こることだとしても、入念な準備は必要不可欠。

 

「……未来は報われない。でも、同級生が死ぬのは嫌だ」

 

 彼はそう吐き捨ててホワイトボードに書かれた未来を消した。

 未来は存在し、結末も存在する。それをすべて知っている彼にとって、いや、これ以上は語らない方がいいだろう……。

 

 

 学校の授業。

 何度も戦闘機パイロットになってる彼にとって小学生の勉強は退屈としか言いようがない。でも、今現在の彼が小学生なので仕方がないと諦めて机でノートをとる。

 そんな彼を後ろの席から眺める瞳、さくらは変化した明広に心惹かれていた。

 

(相沢くん……かっこいいな……)

 

 少女達の目から見ても美形な明広、いじめられていた頃は前髪を目元まで伸ばし、猫背で顔が見にくい状態だったのだが、今はスッパリと髪を切り、猫背も治っている。

 堂々と凛々しい姿。数週間前まで泣きながら謝罪の言葉を必死に唱えていた彼とは思えない。

 うっとりと彼の後ろ姿を見ていたが、教師の「この問題わかる人いるかな」という言葉で意識を取り戻し、書いていない黒板の内容を必死に書き記していく。

 そして授業が終わり掃除の時間。

 さくらは少し心配そうに明広の背中を見る。掃除の時間、水浸しの姿で戻ってくる明広の姿を何度も見ている。トイレ掃除の当番、教師の目の届かない閉鎖空間。暴力も見逃されやすい。なんなら水浸しの状態で戻ってきても明広が水遊びしていたと他の生徒の言葉を鵜呑みにする教師しかいない。心配で胸が苦しくなる。

 

「さくらどうしたの? ぼーって」

「な、なんでもないよ……結衣ちゃん……」

 

 同じ教室掃除の当番である結衣がさくらの肩を叩く。そしてさくらの視線の先にある明広を見て顔をしかめる。

 

「……どうせまたいじめられるわよ」

「結衣ちゃんは相沢くんがいじめられた方がいいの……?」

「あたしはナヨナヨした男大嫌い。どうせお金持ちになったから気が強くなっただけよ!」

「でも、いじめは……」

「悪いことだけど、自分で解決できないなら一生いじめられるのよ……」

 

 結衣は心底嫌そうな顔をして雑巾をバケツに投げた。

 場所は変わって二階男子トイレ、小便器をブラシで丁寧に擦り汚れを落としていく。明広以外の生徒達はトイレ掃除なんてやる気はなく、明広一人にすべての作業を任せて雑談に花を咲かせている。

 

「おい相沢! 早く終わらせろよな!!」

「やってるだろ、早く終わらせたかったら手伝ってくれないかい」

「はぁ? 誰に向かって言ってんだ」

平田正宗(モブ)吉崎真司(モブ)

 

 二人は未だに明広をいじめの対象としか思っていない。だが、明広の言葉一つ一つに反論できない。現に明広以外は掃除なんてしていない。それでも、彼らの捻じ曲げられたプライドが衝動を生み出していく。

 掃除用のバケツに水を注ぎ、明広に向かってぶちまけた。

 明広は見透かしていたかのように個室の扉を開けて飛び込んでくる水を防いで個室の掃除に取り掛かる。

 

「避けんじゃねぇよ!」

「避けてないよ」

 

 再びバケツに水を注ごうとするが狙いを定めようとした瞬間には明広が目と鼻の先に立っている。今まで猫背でわかりにくかったが小学五年生にしては高い162cmの身長、そして見開かれた瞳は恐怖心さえ植え付ける。

 

「終わったから帰ろうか……」

「あ、ああ……」

「チッ……いじめられてた癖に……」

 

 二人は絶対にもう一度いじめて謝らせてやると心に決める。だが、それは永遠にできないことだ。今の明広は西暦と同じくらいの月日を生きた存在、それをいじめられるのは神様(世界)くらいだろう。

 

 

 HRが終了し、ランドセルに教科書類を詰め込む時間帯。明広は誰よりも早くそれを終わらせて足早に下駄箱に向かう。今からは一秒を争う、だから迅速に行動しなければならない。

 

「まてよ」

 

 下駄箱で靴を抜き取ると同時に上級生に声をかけられる。その視線は蛇のように鋭く、額にはシワがよっている。

 明広は少し遅かったか、なんて心で呟いて心底興味なさそうな顔で上級生を見つめる。

 

「俺の弟が世話になったみたいだな、仕返しさせてくれねぇか」

「……場所を変えましょう」

 

 明広は冷静に結衣とさくらが下校する時間、この上級生をやり込める時間を計算する。そして叩き出されたのは十分、これ以上の時間を使用すると最初の事件は悲惨なものに変化する。本当にこの世界の神様は残酷だと。

 体育館裏の誰も来ない場所に連れてこられた明広はいじめの主犯と数人の上級生に囲まれる。

 

「金持ちになったからって調子に乗るんじゃねぇぞ! おまえは俺達より下なんだからな!!」

 

 主犯が高らかにそう宣言し、明広に殴りかかる。が、それは空振りに終わり、雑草が生い茂る地面に倒れる。

 それを見た上級生達が怒りを顕にし一斉に襲いかかってくる。

 明広は怒りを顕にし言い放つ、

 

「時間が無いんだよ!」

 

 雑草を引き抜いて一番近い場所にいる生徒の顔面に投げつける。目に砂が入り痛いと連呼しているのをお構いなしに足払いで転ばせる。

 それを見た他の生徒が殴りかかるがそれを受け止めて首を絞め落とす。

 絞め落とされた生徒が盾になり明広を殴ることが出来ない、だから「そんなことしてわかってるのか!?」などと叫ぶ生徒達に向けて気絶した盾を投げつける。

 ――時間は消費されている。

 自衛隊で培った軍用格闘術、空手や柔道のような形に囚われた武術とは違う実戦を念頭に置いた格闘術。殴る蹴るしか取り柄のない人間にそれを打破することは出来ない。

 主犯が到着する頃には集まっていた生徒達はすべてノビきっており、その姿に戦慄の表情を見せる。

 ゆっくりとした歩みで主犯の横を通り過ぎる。

 

「――群れることしか脳のない屑が」

 

 彼は自分が出せる全速力で事件が起こる河川敷に向かった。

 一秒でも遅れたら結果が変わる。一秒でも早く到着し、そして解決する。

 ――それが出来るのは彼だけだから。

 

 

 結衣とさくらは帰り道である河川敷を歩く。

 彼女達は小さい頃からの友達というわけではなく、小学三年生の時に結衣が転校してきて共通の趣味で仲良くなった。その共通の趣味は野球。さくらは観戦だけだが、結衣はリトルリーグに所属するくらいの野球好き、互いに両親の影響だが今では自分の趣味にしている。

 

「セカンドとショートって難しいんだ。でも、監督に立木は目がいいからって」

「ふふっ、結衣ちゃんは本当に野球が好きだね」

「やっぱり白球を追いかけるのって楽しいし」

「猫ちゃんみたい」

 

 笑いながら歩く帰り道、彼女達は気づかなかった。後ろに自らの欲に溺れた存在が近づいていることに……。

 

「……さくら、やっぱり相沢と仲良くしちゃ駄目だよ」

「……どうして、相沢くんは」

「私が三年生の時に転校してきた理由しってる?」

 

 結衣は暗い表情で語りだす。

 彼女はいじめられていた。女の子なのに野球をしているというよくわからない理由で女子からは総スカン。男子からも男女と呼ばれて笑われる。被害者、でも、ある日一人の女の子が転んで怪我をした。

 その女の子は結衣に足を引っ掛けられて転んだと嘘をついた。その女の子が転んだ時、結衣は図書室で野球の本を読んでいた。確固たるアリバイ。でも、誰も結衣を信じてくれなかった。

 いじめられっ子に言い訳もアリバイもない。弱者は強者に食い物にされるだけ、また……自分がいじめられる立場になりたくない。だから相沢明広(弱者)とは関わりたくない。関わるにしてもいじめる立場(強者)として関わる。そうしないとさくらが危険になる。

 

「……それでも、相沢くんは変わったよ」

「あたしだっていじめられるのよ、意識が変わっても意味ないわ! もう、あんな惨めな気持ちにはなりたく――「動くな」」

 

 自分の首に当てられる銀色に鈍く輝く刃物、それは包丁や果物ナイフみたいな物ではなく日本刀を小さくしたような形をしている。ドスと呼ばれている刃物だ。

 結衣の首にあてられている凶器にさくらは叫びそうになるが、牽制するように、

 

「叫んだら殺す……ひひっ……」

 

 薄気味悪い笑みを見せて舌なめずり。

 小太りな四十代くらいの男はさくらの首根っこを掴んで河川敷の橋の下まで誘導する。そして乱雑に投げてズボンのファスナーに手をかける。

 その目には狂気が揺らめき、自らの欲望を発散する為だけの行為をこれからしますと言わんばかりだ。

 

「へへっ、こいつは上玉だ……気持ちよくしてくれよ……」

「け、警察呼ぶわよ!!」

「呼んでいいよ、でも……死ぬよ……!」

 

 ゆっくりとさくらの首にドスを差し向ける男、その目に躊躇いは存在しない。

 

「わ、わかった! あたしはどうなっていいから……さくらだけは……」

「いいね! いいね!! 店の女の子は従順だったからこういう態度は興奮する!!」

 

 男は結衣の服をドスで切り、行為に至ろうとする。さくらは声も出なく、自分達に未来は無いのだと確信した。

 これは現実、白馬の王子様(ヒーロー)騎士様(救世主)はやってこない。

 ある意味で結衣が言っていた受け入れるしかない現実。

 強者が弱者を食らう(弱肉強食)。自分達は弱者だ。

 ――その瞬間、結衣を犯そうとしていた男が吹き飛んだ。

 

「間に合った……!」

 

 息を切らした明広が脱いでいたジャケットを結衣に投げて小太りな男と向き合う。

 二人はこれが現実かわからなくなる。絶対に現れないヒーローがやってきて、刃物を持った男に立ち向かっている。

 ――弱者が強者(摂理)に立ち向かっている。

 

「クソガキ! 俺の楽しみを邪魔しやがって!!」

 

 男はドスを握りしめて突進するが、その刃は教科書が詰め込まれたランドセルに防がれる。そして男の手を思い切り殴りドスはランドセルという鞘に収まった。

 そのままランドセルを川に投げ捨て相手の武器を奪う。これで互いに拳――なんてことはない。懐から出されたのはトカレフ拳銃、男はニンマリと笑い殺意をぶつけてくる。

 

「相沢くん! にげ――」

 

 発砲音、二人は目を閉じた。同級生が撃ち殺される、その姿を目に焼き付けたくない。だから目を閉じ続けた。

 二発、三発と重なる銃声。

 相沢明広は蜂の巣になってしまっている。それを見てしまったら自分達は立ち直れなくなる。

 ――杞憂(きゆう)だ。

 四発目の発砲音とともに男の叫び声が響く、

 二人は目を開ける。そこには無理やりに男の足に発砲させ拳銃を奪い取った明広の姿があった。

 

「こ、ころさないで……」

 

 大の大人が小便を漏らしながら小学生に許しを請う姿は酷く滑稽に見える。明広は構えた拳銃のマガジンを抜き取り、スライドを引いて薬室の弾を排莢する。そしてマガジンを川に投げ捨ててゲームセット。

 

「……新島さん、発砲音ですぐに警察が来ると思うけど、防犯ブザー鳴らしてくれない?」

 

 あまりの出来事に現実か夢かわかっていないのか、ランドセルに付けてある防犯ブザーを使えないでいる。

 ――ようやく理解できて防犯ブザーを鳴らした。

 響き渡るブザーの中で静かに明広は危なかったと胸を撫で下ろす。

 時間もギリギリ、拳銃も四発撃たれた。もし、流れ弾で彼女達に怪我をさせてしまえば……考えたくない。

 自転車に乗った警察が何事かと河川敷に駆け寄ってきたが、足を撃ち抜かれた小太りな男と洋服を切り裂かれた少女。そして反社組織がよく使うトカレフ拳銃が転がっているのだ。大事だと察して即座に応援と救急車を手配する。

 

 

 小学生三人も取り調べを受けるが見ればわかる通りに強姦魔が半グレの存在で刃物や拳銃で脅し少女達を犯そうとした。それを明広が咄嗟に無力化し、加害者が怪我をして終わり。過剰防衛にもならない。

 一番の功労者である明広の事情聴取が終わり迎えに来てくれた明文が怪我は無いか!? そう叫んだ。

 

「大丈夫だよ、怪我なんてしてない」

「おまえは本当に……何やるかわからないんだからなぁ……」

 

 息子の無事を確認出来て胸を撫で下ろす。

 明広は心配性だな、なんて冗談ぽく言うが、一歩間違えば殺されていたかもしれない。それを小学生の彼が立ち向かい、匹夫の勇ではなく、真実の勇を見せた。他人の目からしたら奇跡とも言えるだろう。

 父のことばかりに目が行っていたが、結衣とさくらのご両親も心ここにあらずという表情で娘達の無事を確認している。

 ――本来だったら死んでいる存在。

 明広は今回も最初の事件は何事もなく集結したと右手を握りしめた。

 

「あの、君が明広くんかい?」

「はい。相沢明広です」

「娘を助けてくれてありがとう……! 怖かっただろうけど、本当に……」

 

 結衣のお父さんが涙を見せながら感謝の言葉を告げてくる。

 その後は同じようにさくらのお父さんが感謝の言葉とハグ。

 お母さん方も深々と相沢家に頭を下げる。

 

「あの! 相沢くん……ありがとう……」

「ずっと、見下しててごめん」

「人が殺されかけてたんだ。――助けるのは当たり前だよ」

 

 結衣とさくらが謝罪と感謝の言葉を告げる。

 それを当たり前、そんな風に流して窓の外の空を見る。夜の帳が下りて腹の虫がなる時間帯だ。

 ――腹の虫が鳴る。

 腹の虫の話しをしていたら反応してしまったらしい。

 その音を聞いて明文が提案した。

 

「えっと、結衣ちゃんとさくらちゃんだっけ? こんな事件に巻き込まれたけど……お腹減ってない?」

「えっと、相沢……相沢くんが助けてくれて、そんなに心は痛くありません」

「わ、わたしも……」

「立木さん、新島さん、美味しい物を食べに行きませんか? 息子が空腹みたいで」

 

 近所にあるビッフェ式のレストランに三つの家で向かった。

 結衣のお父さんが明文にお酒を進めたが、お酒はキッパリとやめたと断った時、明広は優しい笑みを見せた。

 

 

 

【3:義妹との出会い】

 

 事件から数日後、明文の夢であったお好み焼き屋の開店日、個人経営の小さな店で席は四つだけ、本当にこじんまりとした店だ。

 前日に朝食は作らなくていいと言われて来てみたら年季の入ったテナント、そこのカウンター席に座ってイカ玉を父が焼いてくれた。

 

「どうだ、父さんのお好み焼き美味いだろ」

「……普通に美味しいよ」

「そこはお世辞でも凄く美味しいって言ってくれよー」

 

 お好み焼きという食べ物じたい毎日のように食べたい物かと問われればそこまで、依存性の低い食べ物だ。この世界で一番依存症を引き起こしているのは砂糖。砂糖以上に依存性の高い物はない。

 父の最初のお好み焼きを完食した明広は行ってきますと一言告げて新装開店の店から出た。

 

【お好み焼き・アキ】

 

 明広は苦笑いを見せ、小さく「数週間後にダイナマイトで爆破されるんだよなぁ」と不穏なことを呟いて学校に向かう。

 ハレスティ名物お好み焼き屋爆破。

 

 

 お好み焼き屋からの登校なのでいつもより遅い時間に学校へ、教室に入ると事件の大事を取って数日間休んでいた結衣とさくらがソワソワしていた。そしてそのソワソワは明広の到着によって解消される。

 

「あ、相沢くん! えっと、大丈夫だった……?」

「こっちのセリフだよ、二人の方がひどい目に会ったんだから」

「……カウンセリングは受けたけど、特に問題なかった」

「心に傷が出来てないならよかったよ。じゃあ、俺は本を」

「待って!」

 

 いつもなら明広を毛嫌いする結衣が引き止める。明広は珍しいという表情で結衣を見つめる。すると結衣が「見つめるな!」と叱りを入れる。明広は呆れながらそっぽを向いて話しを聞く。

 

「えっと……ずっと見下しててごめん……」

「大丈夫、みんな見下してたから。なんとも思わないよ」

「で、でも! あたしは……相沢を叩いて……」

「気にしなくていいよ、殴る蹴るは慣れてるから」

 

 明広は二人の頭をポンポンと撫でて自分の席についた。

 二人は撫でられた反動で顔を真赤にする。今までの彼には無かった大人の色気、少女の幼い恋心を刺激するには十分過ぎる。

 そんな少女二人なんて知らないと本を熟読する。

 西暦と同じくらいの年齢だが、使わない言語というのは身から離れていくものだ。彼が読んでいるのはスウェーデン語の指南書。六月の初めにスウェーデンから転校生がやってくる。もちろんハレスティのヒロインだ。

 無難にアメリカ人の転校生が来れば英語だけで済むのだが、スウェーデンという創作物にしては珍しい場所から来る転校生。ループ二回目の明広は必死にスウェーデン語を勉強したものだと苦笑いを見せる。

 戦闘機パイロットなら英語、ロシア語、中国語、韓国語は必然的にマスターするがスウェーデンとなると話しは変わる。ここまで来るとこれも勉強だとスペイン語やドイツ語、フランス語までループの中で習得している。もし、予定される命日が消えたなら機体から降りた後は通訳か何かになりたいと思ったりもする。まあ、ハレスティの世界で明広は戦闘機の中で死ぬ。死ななかったとしても……あるのは辛い現実だけだ。

 ――それでも、前に進まないとならない。

 

 

 学校も終わり通学路を歩むと懐かしいが会いたくはない存在が校門前に車を止めて待っていた。明広はその姿を見るだけで鳥肌を立てる。どんなにループしようがその存在には近づきたくもないし関わりたくもない。

 ――母親。

 男は全員マザコンと言われてはいるが、明広は例外だ。

 

「明広……大きくなって……」

 

 感動の再会だと思っているのか? 出てもいない涙をハンカチで拭う。

 母親の襲撃、これはどうにも慣れない。明広はため息を吐き出した。

 明広は父親に電話を入れて母親が来たことを伝える。すると店を開いた初日に気分悪いと嘆きながら早めに店を閉めて向かうと返事が帰ってくる。

 

「明文さんは……なんて……?」

「早めに店を閉めて来てくれるって」

「近くのファミレスにお母さんと」

「父さんが来るまで待つ……」

 

 明広は父が来るまで母の顔を見ないように流れていく雲に視線を合わせる。

 この人は明広が母親に愛着があると思っているのだろうが、父がアルコールに依存した理由も、彼が寂しい思いをした理由も、そのすべてが目の前の血の繋がりがあるだけの母に押し付けられたものだ。

 父の乗る軽自動車がやってきて安堵する。

 

「……久しぶりだな、要件はなんだ」

「ここでは話せない。ファミレスで話しましょ」

「……明広、行こう」

「うん」

 

 助手席に座り風景を眺める。父は心底嫌そうな表情で息苦しいのか窓を開けた。

 それだけ母という存在は相沢家にとって嫌悪する対象なのだ。地獄に投げ捨て希望を見出したら引っ張り上げようとする。結局は人間お金なのだ。

 ファミレスに到着する。

 近所のファミレス、そこで二つの家族が向かい合う。

 一つは相沢、もう一つは山下と名乗る。父と自分を捨てた母との再会、感動で涙が流れてハッピーなんてありえない。明広は幼稚園の頃に捨てられた。溢れてくる感情なんてない。ただ、母親と間男に挟まれた少女に目が行くだけだ。

 

「お金を貸してください……」

 

 母だった人の第一声は金の無心だった。いや、確定している。

 父は両手で顔を隠して自分が愛した女の末路に呆れを通り越して涙が流れてくる。この女に自分の人生をボロボロにされ、息子の起死回生の一手がなければアルコールが切れた瞬間に自殺する状態だった。そんな状態にし、息子の顔を見ず自分の顔を真剣に見つめているソレに吐き気に近い何かを感じる。

 

「……虫が良すぎる。隣の男……いいスーツ着てるじゃねぇか? なんで金を工面してくれって」

「正人さんが事業に失敗して! ……負債が五千万円も」

「それを払ったら俺に何かいいことがあるのかよ……俺には明広しかもうないんだ。明広が俺のことを救ってくれて、俺に明かりを灯してくれて、おまえは俺達を奈落に突き落としただけじゃねぇか!?」

 

 父は別に喧嘩が弱いわけではない。学生時代は実戦空手の道場に通ってちゃんと帯も持っている。だが、心優しい存在ゆえ暴力で解決しようなんて思うタイプではない。だからこそ、どうして顔を見せたのかを問いただした。

 彼らは何も言おうともしない。ただ、明広が感じたのは自分は悪くない、周りが悪いのだ。だから自分達を助けろ、助けないと後悔するぞ、だから助けろ。極悪人も真っ青な思想で金を渡せと言っているのだ。

 突っぱねればいい話だ。でも、本当にどうしようもない奴らなのだ。

 真ん中の少女、彼女は明広の母の再婚相手、山下(やました) 正人《まさと》の前妻と授かった娘。だが、この正人という人、それの最初の事業失敗で夜の街で喰われる存在になり……悲惨な最後を遂げる。

 

『いたい……助けてお母さん……!』

 

 彼は知っている。この数日後に送られてくる一枚のDVD、それに映される一人の罪なき少女の純潔が小汚いおっさんに散らされる姿、天国か地獄かはわからない場所にいるであろう本物の母親に助けを求めるその姿。

 人間とは堕ちる時は奈落より底に堕ちる。人の欲は底知れない。

 

「……君、名前は?」

 

 明広は静かに人間ではない存在に囲まれる少女に名を尋ねる。

 

「このみ……」

「そうか、このみちゃんか……何年生?」

「……四年生」

「俺の一つ下か……父さん、この子は腐っても俺の妹だ。この子をくれるなら五千万くらい払おうよ」

 

 父と母は驚いた表情を見せる。明広は昔からワガママなんて言わない。聞き分けがよく利発で、そして……欲を見せない。だが、この時は違った。血の繋がらない妹を欲した。未来を知っているから出来ることだが、二人には自分の息子がワガママを言う姿があまりにも衝撃的すぎた。

 

「……その子をこっちに渡すなら払うよ、明広の最初のワガママだ。ただ、明広……誘拐されたとか言われたら不味いからな、正式な家族になるまでは我慢してくれよ」

 

 明広は頷いた。だが、彼らは欲深い。

 

「このみを渡すなら……六千万……」

 

 母は五千万は最初から貰えるものだと高をくくってもう一千万吹っ掛けてきた。本当は居なくなって欲しい存在の癖に毟り取れるなら限界までということらしい。父は反論しようとするが、明広父の足に手を乗せる。

 

「わかった……養子縁組ってことになるのかね、家庭裁判所だったかな? そこでこのみちゃんが正式に相沢家に入ったら小切手で六千万、それでいいか」

 

 吹っかけるものだと満面の笑みを見せて獣達は悔しそうな表情をしたこのみを撫でる。だが、これではまだ詰めが甘い。明広は義理の父に当たる正人の目を見つめる。そして吐き気を感じる。

 腐ってる人間は何をするかわからない。

 

「父さん、この人達は期待を裏切ることの天才だ。最初に三千万渡してこのみちゃんを家に招こう。その後で正式に養子縁組したら三千万。母さん……それでいい?」

 

 彼らは頷いた。

 最初に六千万でこのみを養子にした時、彼女は女性としてのすべてを奪われる。この世界は期待や待つという行為を許さない。即日決断、そうしなければ不幸になってしまう。

 明文は小切手を取り出しボールペンで必要事項と金額を書き記して立ち上がる。

 

「……娘に執着、無いんだな」

 

 パッと小切手を取った正人に明文は呟いた。

 二人は娘のことを一切見ずに小切手を現金化するために店を足早に出ていく。これが人間、それも人の親になったことがある存在のやることか? それとも、彼らは獣なのだろうか、どう考えても美しく表現することができない。

 

「このみちゃん……俺は明広、好きに呼んでいいよ」

「……お兄ちゃん?」

「それが呼びやすいならそれでいいよ」

「……お兄ちゃんありがとう。あの、えっと、おじさん。次、二人に会う時に……お母さんの写真、もらってきてもらえませんか」

「ああ、わかった。あと……おじさんだと色々と誤解されちゃうからお父さんって呼んで」

 

 本当に汚い大人ってのは駄目だ。

 まだまだワガママを言いたい子供を強制的に大人にさせる。

 帰り道、後部座席に並んで座り窓の景色を眺める。その時、このみは明広の手を握った。それを拒むこと無く、ただ、優しく握り返す。

 

「……お兄ちゃんは、()()()にどんなことをされたんですか」

「俺は何もされてないよ、父さんの方が酷いことされたかな」

 

 神妙な顔で車を運転する明文を見つめる。小さな声での会話、聞こえてはいないが、会いたくもない相手、それも男を作って逃げていった元妻の姿なんて人生で何度も見たくはないものだ。

 ――お金で娘を売るような奴、紙幣に脳みそを焼かれた存在。

 少し冷たいこのみの手を握る。

 

「あったかい……」

「手が温かい人間は心が冷たいって言うけどね」

「――そんなことない!」

 

 このみは両方の手で明広の右手を握る。そして、寂しそうな表情で語った。

 

「お母さんと同じくらい……温かい手……」

「……ありがとうでいいのかな? いや、ありがとう」

「――ッ!?」

 

 このみはパッと手を放して恥ずかしそうに両手で顔を覆う。そんな姿が愛おしくなったのか、明広はこのみの頭を優しく撫でる。嫌がる風でもなく、ただ、兄になった人の優しさに心癒されている。

 記憶の中にある本物の母に似た存在、心を許せるかわからない。

 でも、悪い人じゃない。

 そう思えた。

 

 

 山下このみから相沢このみになった当日、明文が全部終わったと小さく呟きリビングにこのみの母の仏壇を設置した。閉じられた仏壇を開くと蜘蛛の巣が張っており、長い間この仏壇は閉じられていたことを示している。

 このみは何度も新しい父に頭を下げて開かれた仏壇に寂しさの瞳を向けている。

 

「女の子は少し生意気な方がいいんだよ、このみちゃん」

「で、でも……生意気なんてしたら……」

「あの二人のことは忘れていいよ、いや、忘れた方がいい」

 

 明文に最低の親のことを忘れることを勧められる。このみも静かに頷いて新しい家族として振る舞うことを決める。

 明広は静かに正座して頭を深々と下げていた。

 

「掃除をすることをお許しください」

「えっと、わたしが……」

「このみちゃんのお母さんも新しい家族だから、俺と父さんで綺麗にするよ」

「そうだな、このみちゃんのお母さんも相沢の人間だ! 今日は新しい誕生日ってことで、お寿司でも出前するか!!」

 

 このみは優しい父と兄に涙腺が刺激される。

 明広は苦笑いしながら仏壇の掃除に取り掛かった。

 数時間後、全員でお線香を上げてから出前で取ったお寿司にお箸を伸ばす。このみは少し控えめにお先にどうぞという姿勢を崩さない。

 

「駄目だよ、このみちゃんの新しい誕生日みたいなものだからこのみちゃんが主役さ」

「そうだぞ! 今日はこのみちゃんが正しく相沢名になった記念日だ! このみちゃんが主役だ」

「……ありがとう、ございます」

「泣いちゃだめだよ、お母さんも見てるんだから」

 

 飾り菓子や果物を備えられた仏壇。

 ――明広は申し訳無さそうにそれを眺めた。

 

 

  自分の部屋を与えられ、学校ももう少しで通うことができる。

 少年の鶴の一声で山下から相沢に変わった名字。何も変わらないと思っていたけど、義兄と義父は優しく迎い入れてくれて、普通の少女として扱ってくれる。

 その日、いつもより早起きしたその時、兄が父が持ってきてくれた母の遺影に線香を上げ、静かに手を合わせて頭を下げている。その姿は美しく……凛々しくもあった。

 

「お兄ちゃん……」

「今日は早いな? 卵焼きと目玉焼き、どっちがいい」

 

 彼の優しい笑みを見た時、元気だった頃の母を思い出す。物静かでいつも柔らかい笑みを見せる母、その姿を兄に重ね合わせる。

 このみは立ち上がった明広を抱きつく。跳ね返して欲しいと思った。でも、彼は少し困った表情になりながらも優しく頭を撫でてくれる。

 母と同じ、甘えさせてくれる。抱きしめてくれる。彼女は大粒の雫を見られないように彼の胸に顔を当てる。暖かくて心が安らぐ、家族の愛。長らく感じられなかったそれを彼から与えてもらってる。

 

「……ごめんなさい」

「謝る必要はないよ、寂しい気持ちはわかるから」

 

 明広も寂しい思いはしてきた。母だった人に捨てられた父、酒に溺れ感情を消していた頃は彼女と同じように寂しさを抱えていた。だけど、確定した奇跡を使って今までよりもずっと、愛し愛されるようになっている。

 今回こそは失敗せず、ただ、この世界が壊れないことを願う。

 未来に誰もいなくても。

 

「……どうしてお母さんにお線香あげてくれるの?」

「故人を偲ぶ、つまりは死んだ人を思いやるのは大切なことなんだ。だから、お仏壇があったらひと声かけてお線香を上げる。それに家族や他人は関係ないんだよ」

「……お兄ちゃんはどんな気持ちでお線香をあげるの」

「そうだね、頑張ってお兄ちゃんやりますからこのみちゃんを守ってください……そんな風に思って手を合わせてるかな……」

 

 心の鍵が開いた音が聞こえる。

 嘘偽りの無い清らかな言葉、油汚れのような汚い言葉しか使わない前の両親には言えない。ただ、素直に天国にいる母に頼むだけの行為、正しい祈り。

 仏壇こそ買って飾ってあるだけの前の家、いつも閉じられて母の顔を見れなかった。でも、今は違う。水のように清らかな心を持った兄、不器用だけど優しい父、これだけでもこのみという少女の世界は別の世界に移り変わる。

 

「お兄ちゃん……ワガママ言っていい……」

 

 このみはもう一度抱きつき、最初のワガママを言う決意を固める。

 

「お母さんのお墓……お墓参りしたい……」

 

 それはワガママというには身勝手なものではなかった。

 

「うん、お花買って一緒に行こうか」

 

 それが少女の凍った心が溶けた。

 

 抱きつくのをやめたこのみを見て、自分の携帯電話を拾い上げる。

 繰り返す人生でこのみのお母さんの墓地は知っているのだが、その場所を知っているというのは不信感を抱く。だから本来では尋ねたくはないのだが、実母に電話を入れてみた。

 このみの母の墓地の場所を聞いてみたのだが、そんなの知らない、自分はハワイでバカンスをしているのだから邪魔をするなと一瞥されて電話を切られる。

 ――本当に人間か?

 彼は溜息を吐き出してこのみの頭を撫でる。

 

「このみちゃん、ごめん。あの人がゴミ人間だって忘れてたよ……」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん……お仏壇があるだけで……」

「それは駄目だよ。あの人達のことだ、お墓もどれだけ汚くしてるかわからない。父さんに相談して場所を知ってる人をあたるよ」

 

 諦めかけたこのみを牽制し、父と相談して場所を教えてもらうことを決める。

 互いに小さな沈黙の空間、負けて明広がこのみの頭を撫でる。

 

「目玉焼きと卵焼き、どっちがいい?」

「卵焼き……甘いの……」

「了解」

 

 

 人間は繰り返す生き物だ。

 人間は快楽を忘れない。

 美味しい物を食べた時、その味を忘れない。

 スポーツで勝利した時、その意味を忘れない。

 弱者を一方的にねじ伏せた時、その優越感を忘れない。

 簡単なものでいじめっ子というのはいじめられっ子の泣き叫ぶ姿を脳みそに焼き付けて新しい方法で虐げる。それは生物として当たり前、集団の個体の中で劣っているものを徹底的に排除し、その藻掻く様は快楽物質を発生させる。

 傍観者はいじめというものを否定しない。ある意味でそれは一種の見世物(ショー)として考える。見るだけでも快楽物質は発生するものなのだ。

 古来はいじめではなく処刑や拷問という形でそれを満たしていた。現在は陰湿ないじめという形でそれを継承している。

 

「今日こそはボコボコにしてやるよ!」

 

 明広の放課後は華々しいものではない。いじめの快楽に溺れた存在が明広を傷つけようと絡んでくる。これもいつものこと、まだまだ試行回数が少ない頃は骨を折られたりと失敗を繰り返していたが、西暦とほぼ同い年の彼に小学生の安直ないじめは通用しない。

 舞でも踊るように攻撃を回避し、隙きがあれば足を引っ掛けて転ばせていく。

 今ならわかる筈なのだが、『明広がいじめられるような存在ではない(弱者ではない)』と。だが、身近な場所にいじめの対象が居ないのだから彼を引き続き標的にするしかない。

 

「……もういいでしょ、俺をいじめの対象にしても疲れるだけだよ」

「うっせぇ! おまえのバカにしたような目が嫌いなんだよ!! 今までみたいに無様に許してくださいと泣いてりゃいいもんを!!」

「……どうして人をいじめて気持ちよくなれるの? 人が傷つく姿を見たいなら格闘技を見ればいい、傷つけたいなら格闘技をやればいい。それ以外の選択肢で人に怪我させれば犯罪だよ」

「なめてんじゃねぇ!!」

 

 正しいことを表現したら逆ギレ、これこそが人間。自分の不利になることには目を瞑り、利益になるなら他人を掻き分けてでも奪い取る。これを押さえつけるのが理性、この世界の摂理に従う力が弱ければ犯罪も軽い気持ちで犯す。

 合計六人のいじめっ子が明広に殴りかかり、それをすべて躱して飽きるのを待つ。すると教師の一人が人目に付きにくい体育館裏にやってくる。

 

「君達! 何をしてるんだ!!」

 

 明広は知っている。この教師は自分がいじめられている姿を見て見ぬ振りしていた存在。今更助けてくれるとは到底思えない。

 教師は明広の襟を掴んで地面に押し付ける。

 

「上級生が加わってるってことは君が悪いことをしたんだろ!?」

「……何もしてませんよ、来いって言われて殴られたくないから逃げてるッ」

 

 教師はゲンコツを落としてヘコヘコと自分より何歳も年下のガラの悪い生徒達に謝る。この世界は彼を助けてくれない。この世界は彼が不利になることしかしない。生徒も敵、教師も敵、なんなら『()()()()』まで敵と来ている。

 

「ほら、先生が叱りましたから帰りなさい!」

「そうはいけねぇ、俺達はそいつを殴らねぇと気がすまねぇ!!」

 

 生徒の一人が教師を引き剥がし体制を崩している明広に殴る蹴るの暴行を繰り返す。警察に通報してもいい現場、教師までいる。だが、そんなのお構いなしだ。

 嫌な話し、教師は事なかれ主義だ。いじめがあろうが暴行事件があろうが勤務している学校で問題事が起こったと発表したくない。それを知っているから明広が受ける暴行に目を逸らす。正義感の強い教師なら許さないだろうが……眼の前の教師に熱意なんて見受けられない。

 明広は障害が残らないように首の辺りを手のひらで庇う。一回だけだが、このような暴行で脊髄を損傷し一生動けない体にされたこともある。今は比較的順調に進んでいるのだ。糞餓鬼(加害者)に自らの歩みを止めさせる理由にはならない。

 気が済んだいじめっ子達が帰ったのを確認し、口の中の血の色に染まった唾液を吐き出す。

 

「先生……どうして止めてくれなかったのですか……」

「そ、それは……」

「先生の証言があれば、警察も動いてくれます」

「それはできない! 私にも生活がある……」

「じゃあ、なんで俺を殴ったんです!? 俺を殴ってアイツらが止まると思ったんですか! 先生……どうしてアイツらを許すんですか……」

 

 教師の答えを待つが彼は何も言わないでその場から逃げ出した。

 こっちは拳すら使っていないのに相手は手も足も使い放題。なんなら教師の公認ときた。事態は悪化の一途を辿っている。こっちが手を出せば警察、相手が手を出すのは教師、いや、学校公認。これでは公開処刑のようなものだ。

 今回のいじめっ子達はタイミングや心境が悪いのか引き下がるのが遅い。こうなってくると不本意だが別の学校に飛んでもらうことが最優先になるだろう。明広はため息を吐き出して新品になったランドセルを持ち上げた。

 

 

「ッ!? お兄ちゃんその怪我……」

 

 最近ようやく相沢このみになった義妹がリビングでテレビを見ていたのだが、明広のボロボロの姿を見て駆け寄ってくる。転校の手続きがまだまだかかるので学校にはまだ行けていないが、妹に危害が及ぶ前に行動開始したいと思うのが兄としての心境だ。

 

「大丈夫、六人に袋叩きされただけさ」

「ろ、ろくにん!? 救急箱もってくる!!」

 

 献身的な妹にほっこりする。

 彼女の将来は原作のルート次第ではあるが看護師。気弱だが心優しい性格に似合う職業だ。こんなに可愛い妹を、結婚も許される妹を寝取られると考えたら明広の肩は自然と落ちていく。

 この世界は彼に優しくない。この世界は彼を踏み台にしている。この世界は彼を徹底的に妨害している。

 それは、彼が死ぬ人間を無理矢理に生かすからか、ゲームを成立させるためか、真相はわからない。だが、一つだけ言えるのは最終地点は大空、大空を駆けるだけ。

 

「痛くない? しみない……」

「大丈夫だよ」

 

 消毒液で擦り傷を消毒してくれる妹に笑顔を見せる。最後に絆創膏、絆創膏に止血以外の効果は無いのだが気分的な問題もある。応急処置をしてくれた妹を撫でてソファに深く腰掛ける。

 

「お兄ちゃん……無理しないでね……」

「ふふっ、妹が生意気言うんじゃありません」

 

 このみの小さな体を抱き上げて自分の膝に乗せる。恥ずかしそうに顔を隠すが口元は微笑んで見える。

 ネグレクトされていた元の家より構ってくれる兄がいる家。

 母が死んで愛されるという当たり前が無くなった日々、今は違う。優しさと暖かさを分けてくれる兄。

 

「このみちゃん、お兄ちゃんは強いから大丈夫だよ」

「で、でも、暴力は駄目だよ……」

「暴力なんて使わないよ、お兄ちゃんは強くて頭もいいんだ」

 

 明広は優しい微笑みを見せて心の中では気を引き締めている。

 

 

 明広は飽きないね、そんな風に上級生の混じったいじめっ子達に呆れた顔を見せる。居合わせた教師も結局は指導なんてせずに明広の件は放っている。今は大問題になっていない。小学生が人を殺すなんてしない。多少の罪悪感はあるはず。そんな希望的観測、圧倒的な事なかれ、結局は大人のやり口。

 明広は両手を上げて久しぶりに情けない姿をさらけ出すことにした。

 

「もう許してください、痛いのは嫌なんです……辛いのも……」

 

 久しぶりの情けない謝罪に心躍ったのか主犯は助走をつけて明広の腹を殴った。

 唸り声を響かせて痛みに耐える。だが、次から次へと飛んでくる拳と足。

 明広は本当に無知な奴らだと痛みに耐え忍ぶ。

 

「謝ってるよ! お願いだから許してよ!!」

「おまえみたいな屑は俺達のオモチャなんだよ! これからもいじめ倒してやる!!」

 

 主犯は明広の髪を掴んで何度も拳を叩きつける。

 そして明広のランドセルをあさり財布を引っ張り出す。中身を確認してびっくり、そこには六枚の万札、この場所にいる誰よりも金持ちだ。全員が気色の悪い笑みを溢す。

 今まではストレスの捌け口としか利用できなかった明広が今では金のなる木、叩いても許されるし奪っても許される。こんな美味しい存在はいない。

 

「一人一万円な! そうだ、おまえさぁ、もっと金持ってこれねぇ? 俺の兄貴がバイク欲しいって言ってんだ。嬉しいだろ、俺の為に金を使えてさぁ!!」

「そんなの、自分でゴッ!?」

「なに馬鹿なこと言ってんだ……おまえは俺達のオモチャだろ? 言葉しゃべんじゃねぇよ!!」

 

 主犯達は明広の心をへし折る為にいつも以上に暴行を加える。これ以上は駄目だという一線すら超える暴行、顔は腫れ上がり立つことも出来ない。

 彼らは明日はもっと金を用意しろと捨て台詞を吐いてその場から消えていく。

 呼吸を整えてゆっくりと立ち上がる。

 本当に馬鹿な奴ら、自分達が何しても許されると思い込んだ井の中の蛙。世界は自分を中心に回っていると言わんばかりのくだらない思想。

 

「……本当に、嫌になる」

 

 木陰に設置したビデオカメラを止めて餅は餅屋と呟いた。

 その後はあっけないものだ。ただの暴行なら罪は軽くなるかもしれないが強盗となれば話しは別。彼らは一線を越えたのだ。別に少年院なんて望んでいないがこの学校、妹も通うことになる学校に居てもらいたくない。

 彼らの両親からの謝罪はテンプレートにそったありふれたものだが、主犯を含めた四人は転校してくれるらしい。残りの二人は六年生、来年には学校を去る。なんら問題はない。警察に連れて行かれる恐怖は二度と味わいたくないだろう。味わいたいなら罠を作るだけ。

 ――障害は乗り越える。

 

【4:誘拐事件解決】

 

 性善説と性悪説、人間はどちらなのか? それは何千年も続く謎掛けだが極悪人を見ていけば性悪説の方が信憑性は高いだろう。人間は生まれながらにして悪であり、それを理性という正しさで保っている。だが、一度でも正しさを捨てれば、それは悪を肯定し続けることになるのだ。

 反社会勢力、反社や半グレとも言われる存在。それは誰がどう見ても極悪人の巣窟。違法ドラッグ、人身売買、揺すりたかり、彼らがやっていることは数しれない。そして厄介なところは所謂ところのヤクザと違って踏み込んではいけない一線というものを持ち合わせていない。

 明広が警察に突き出した男、一見はただの性犯罪者に見えるが実際のところは半グレ組織の重鎮で、幼い子どもの純潔を散らすのを好んでいたらしい。だが、そういう子供を売り物にする売春宿が閉鎖し、暴走した結果、彼は強姦という行為に及んだ。だが、明広によってそれは未遂という形で終わった。

 でも、汚い大人の考えることは悪どい。

 地元では明広が宝くじの一等を三枚も当選させたということは有名な話しで通帳には大量の金額が記載されている。だが、相沢家は新築マンションで警備が厳重。強姦未遂事件のせいで警察官も過剰にパトロールを繰り返しているので明広を誘拐するなんてことは難しい。

 だからこそ、強姦未遂事件(前回の事件)の被害者――新島さくらと立木結衣に目星が付けられた。

 なぜ、小学五年生の少年が刃物と拳銃を持った男に立ち向かったのか? それは二人の少女が彼の友人であるから。もし友人でなくとも少女を誘拐すれば身代金を要求することもできる。なんなら相沢家に金の工面を頼んですんなりと身代金を用意するかもしれない。誘拐しない手はない。

 悪い顔の大人達は汚い笑みを見せる。

 ――世の中は金さえあればすべてが解決すると言わんばかりに。

 

 

 いじめ事件もありクラスでの明広の評価は触れたらいけない存在へと変化した。それもその筈、相手を一方的に貶めて自分は我が物顔で授業に出ている。弱者は強者に喰われ、食い尽くされたら死に晒す。その真逆をやってのけた彼に好感を持てる者は少ない。

 誰もが思っていた。耐えきれなくなって明広が転校するだろうと。

 明広がそんな面倒くさいことはしない。ヒロイン達も転校しない、これからの事件はこの学校の生徒(ヒロイン)が巻き込まれる。この学校を去ることは物語の否定にも繋がる。物語の否定は自分自身の否定。

 そんなこんなで時刻はお昼休み、学校給食を食した後はお友達との楽しいおしゃべりタイム、そんなものはない。実際、明広に友達はいない。ヒロイン達とは軽い会話をすることもあるが基本的には女の子の空間に踏み入れないのが男子。

 本を読んで備えるかといつもの指南書を開くがか細い声だが妹の声が聞こえる。

 

「お、お兄ちゃんいますか……」

 

 誰の妹だとクラスが騒然となるが明広が立ち上がりの頭を撫でた瞬間に凍りつく。明広は基本的に笑わない。それが妹の前だと優しい笑みを見せている。もしかしたら親しみやすい奴なのか、そう印象付けるには十分過ぎるものだ。

 

「このみちゃんどうしたの?」

「えっと、お兄ちゃん……お散歩しよ……?」

「ああ、そうだった。このみちゃんは今日が学校はじめてだもんね、お兄ちゃんが案内するよ」

「うん……えへへ……」

 

 手を繋いで教室を出る明広に氷より冷たい目線が二つ、結衣とさくらは見るからに嫉妬している。男子と女子は会話が続かない。明広は聞き手に回ることが多いので彼から話題を振るということが少ない。会話をするなら自分達から、でも、明広の顔をみると恥ずかしくなって(好きだから)長続きしない。

 

「……あいつに妹なんていたかな」

「小説みたいに義理の妹が出来たとか?」

「そんな小説みたいな……いやいや、あたし達も小説みたいなことになってたわね……」

 

 刃物を持った強姦魔に襲われそうになったところを助けられ、最終的に拳銃まで飛び出してきたトンデモ展開。それでも自分達は怪我一つなく普通に学校に通っている。小説より奇っ怪な状況なのではないだろうか?

 彼女達は少しだけ悩むが結論は出ている。

 

「結衣ちゃん……相沢くんともっと仲良くなろうよ……」

「そうよね、助けてもらったのに友達以下の関係ってあたし達どれだけ冷たいのよ」

 

 明広は近寄りがたい雰囲気を纏っているがこのみに見せた笑みを見たら雰囲気だけだと思えてくる。

 

 

 学校で行うすべてが終わり帰りの準備、新しい教科書とランドセル。小学五年生にもなってランドセルを買い換えることになるのは少しだけどうかと思う。ランドセルなんて小学生の間しか使わない。

 

(でも、ランドセル使うとドスの攻略が段違いなんだよな)

 

 ランドセルは小学生が持てる最強の防具だと誰かが言っていたような、言っていないような。

 教科書類をすべてランドセルに収納し、妹を拾って帰ろうと考えた時に二人の少女から声がかかる。

 

「相沢くん……一緒に帰らない……?」

「いいよ、確か途中まで同じ道だし。ただ、妹を拾わないと」

「断らないのね……以外……」

「断る理由なんてないよ、茶化してくる男友達もいないし」

 

 結衣が一人くらいと喉まで出かけるが、よくよく考えてみると彼の周りの男子生徒は皆すべてと表現できるくらいいじめっ子、明広はいじめられっ子、それ以外は傍観者。友達と呼べる男子生徒は一人もいない。だから茶化されることもないし、恥ずかしいと思う必要もない。

 いじめられていた理由も父親が借金まみれだったから。本当はいじめられる理由なんて何一つ無い。少しばかり愛嬌が無いだけで至って普通の小学五年生、そう考えると非常に不憫な存在。

 

(傍観者だったあたしも同罪だけど……)

 

 自身がいじめられた経験からいじめっ子もいじめられっ子も避けてきた結衣だが、明広の凛々しい対応で心変わりしている。毅然として振る舞えば相手は勝手に消えていく。消えないなら頭を使えばいい。本当にそれだけ。

 

「お兄ちゃん……帰ろ……?」

「ああ、このみちゃん。この二人も途中まで一緒だから」

 

 このみを見つめる結衣とさくら、二人の頭の中にある表現は一つ。

 

((天使みたい……))

 

 自分達よりずっと小柄で線が細く近くで見てみると小動物のような独特の可愛らしさがある。それに付け加えて現状明広以外に心を開いていないことを加味するとその愛らしさが際立つ。まさしく小動物系。

 

「へぇ、このみちゃんは相沢くんのお母さんの再婚相手の連れ子なんだ」

「なにそれ、お母さんが好きな昼ドラよりドロドロしてない?」

 

 帰り道でこのみの身の上を少しだけ話した。すると二人は小説やドラマよりネットリした家族関係に若干の気負い。確かに浮気した母親の再婚相手の連れ子となると義理の兄妹になるまでのハードルは高すぎる。なんならこのみが悲惨な最後を辿らないのであれば明広も無理に助けることはしていない。

 義理の兄妹と言えば親の再婚相手の子供、親権を放棄した方の親から妹を引っ張ってくるなんてまず無い。現実は小説よりなんとやらだ。

 

「……えっと、ごめんなさい」

「あ、謝らなくていいから! ちょっと相沢! 睨まないでよ!?」

「こわかったねーこのお姉ちゃんとは絶交するからねー」

「絶交なんて一日で忘れる言葉使わないでよ!」

「ふふっ」

 

 小学生とは言えど三人の美少女を侍らせている。これは紛れもない事実。だが、この先の未来を思い出すと素直に爆ぜろとも言えない。

 明広は笑みを見せてこの時間がずっと続けばいいと心の中で呟く。

 

「あ、相沢が笑ってる!」

「わ、本当だ!」

「え、結構笑う方だと思うけど……」

「いっつも教室ではムッスってしてるわよ」

「そうなのかな……?」

 

 このみに助け舟を求めるが彼女もふとした瞬間に笑みを確認できるだけで常に笑っているという評価は下せない。

 

「……結構笑ってる方だと思うんだけどな」

「でも、お兄ちゃんは……クールでカッコイイと思うよ!」

「このみちゃんは偉いねぇ、愛嬌が無い兄貴を必死にフォローするなんて! あたしは絶対にしない」

「結衣ちゃんはお兄ちゃんいるもんね」

「うん、上に兄貴、下に弟。このみちゃんみたいな妹が欲しかったな~」

「あげません!」

 

 このみの頭を撫でて牽制を入れる。二人は必死な兄の姿にクスクスと笑い出す。明広は必死過ぎたかと頭を掻いた。

 

「結衣ちゃん、相沢くんとこのみちゃん。わたしはここで」

「気をつけてね」

「またあしたー」

「あの、またあした……です……」

 

 最初の分岐でさくらと別れる。その後に結衣と別れて自宅に到着する。

 

「このみちゃん、友達はできたかい?」

「えっと……話せる子はできた、かな?」

「よかった。勉強もわからなくなったらお兄ちゃんに言うんだぞ」

「うん!」

 

 明広はこのみに見られないように渋い表情になる。明日、そう明日。明日のこの時間帯に事件は起きる。それを攻略しなければ立木結衣は死ぬ。

 

 

 明広は書斎の鍵を閉めてホワイトボードにペンを走らせる。

 

【反社少女誘拐殺人事件】

 

 明広はプリントした写真をマグネットで貼り付けて潜伏場所に使われる廃工場の地図にも目を通す。何度も繰り返して体で覚えているものだが、どうにもブリーフィングを行わないと失敗してしまいそうという強迫観念に襲われる。

 

「こことここ、そしてここ、敵は七人。一階に四人、二階に三人」

 

 地図に赤点をつけて拳銃持ちの部分には丸を描く。

 今更ながら小学五年生の男児が拳銃で武装した半グレ集団とドンパチするなんてありえない。だが、現実問題これを解決しなければ物語ははじまらない。失敗したら残りの人生は日記の先より酷いものになる。

 明広はため息をついて椅子に腰掛ける。

 

「……最初に二人無力化できれば」

 

 印刷された結衣が誘拐される現場、そこは人通りの少ない路地。誘拐に適している。ここで最初に拳銃持ちを無力化し、二人目を無力できれば四人しかいない構成員は明広と交戦する。だが、一人だけしか無力化できなければ結衣は工場に連れて行かれる。

 繰り返す世界で軍属になっている明広にとってチンピラと戦闘することなど朝飯前、路地とは言えど住宅街で発砲することは無い。逆に逃げるチャンスがある廃工場なら容赦なく発砲してくる。

 この世界のご都合主義で明広は絶対に死なない。逆にヒロインは非常に死にやすい。

 

「……本当に難しい世界だ()()()()()

 

 ホワイトボードに相沢明広と書き記す。

 

「……相沢明広、この名前も西暦とほぼ同い年。次は西暦より爺か」

 

 ノーコメント。

 

「次は日本より年上かもな、相沢大先生」

 

 問うな!

 

「もう、本当の名前すら忘れたよ」

 

 語るな!

 

「なあ、相沢大先生……アンタはどこにいるんだ……?」

 

 ――もう、俺は何も出来ない……。

 

 

 学校が終わり通学路を歩く。昨日と同じように四人が三人、三人が二人、明広はこのみに嫌な予感がすると言って結衣が歩いていった方向に駆ける。体感だと少しだけ早く追うことが出来たので迅速な突破が可能かもしれない。

 普通に歩く結衣の後ろ姿が見えた。路地裏に隠れて地面に落ちてある空き瓶を拾い上げる。白いバンも駐車されている。バンから人が出た瞬間に彼も飛び出す。

 

「なにっ!? う――!!」

「早く車にのせ――ウッ!?」

 

 男の一人に空き瓶が命中、そのまま顔に向かって膝を思い切りぶつける。二人目に取り掛かろうとするが結衣は車に詰め込まれ、走り去った。

 舌打ちをし、銃持ちを優先し過ぎたと反省する。そのまま気絶している半グレの懐から新聞紙に包まれた何かをズボンに挟んで大通りに出てタクシーを拾う。

 この場所から廃工場はタクシーで数分の場所、いつものように見張りも立てずに廃工場には下衆の香りが漂っている。タクシーから降りて誰も見られていない場所で新聞の中身を握る。

 トカレフ拳銃、反社が大好きな一丁だ。

 スライドを引いて初弾を装填。

 

「うー! うー!!」

「へへっ、こいつは上玉だなぁ、下洲の兄貴が捕まってなかったら凄いことになってたかもな」

「何いってんだ。下洲の兄貴はその子を襲おうとして捕まったんだぞ……本当にこんな乳臭いガキの何がいいのやら……」

「俺は女ならなんでもいいっすよ! この子も処女で死ぬのはいやでしょうから」

「勝手にしろ……」

 

 ――刹那、炸裂音が響き渡る。

 

「銃声!? 一階から!」

 

 二階にいる構成員達は一階から響いた銃声に身構える。

 明広は躊躇いもなく引き金を引いていた。

 炸裂音と共に肩に広がる熱を伴う痛み、半グレの構成員達は慌てて応戦しようとするが自分達の拳銃持ちは右肩を撃ち抜かれて銃を抜けない。そのまま男達はなすすべも無く肩や足を撃ち抜かれ戦闘不能になる。

 

「お、おまえは……何もッ!?」

 

 銃持ちの半グレを蹴り飛ばし懐からトカレフの新しいマガジンを装填する。そして無表情に二階にあがる。するとそこにはトカレフを構えた男、もちろん発砲される。

 ――互いに同時、だが、経験の差で明広の弾が当たり、半グレの弾は逸れる。そのまま残りの半グレにも致命傷にならない程度に弾を浴びせて誘拐された結衣の縄とガムテープを剥がす。

 

「あ、あいさわ……?」

「もう大丈夫だ……」

 

 明広は窓に向かって一発だけ発砲し警察が辿り着く時間を縮める。その後はタクティカルリロードしたマガジンから弾を抜き取り、マガジンにロードする。残弾数は8+1の九発、無謀に立ち向かう気にもならないだろう。

 

「あ、相沢……逃げた方が……」

「ここに居た方が後々が面倒くさくない。それに腰が抜けて立てないだろ」

 

 震えている結衣の頭を膝に乗せて頭を撫でる。緊張の糸が切れたのか静かな吐息、眠ったようだ。

 明広は悶ている半グレ達に睨みを効かせて反抗の兆しを見せた瞬間には銃口を向ける。

 程なくしてサイレンの音が響いて、誘拐事件の解決の音色となった。

 

 

 時刻は深夜、半グレ組織アルタイルの構成員達が人気のないお好み焼き屋に到着した。手に握りしめられているのは筒状の爆弾、ダイナマイトと呼ばれる爆発物だ。

 彼らの幹部は相沢明広によって逮捕された。

 次に誘拐した少女も彼によって救出された。

 二つの事件を一人の少年に阻止されたことになる。こうなれば彼を殺すことも考えたが、子供を殺すことは気が引けたのか、それともさらなる被害をもたらすと考えたのか、彼を狙うことはせずに彼の父が経営するお好み焼き屋を爆破するという決断に至った。

 

「これでよし、投げたら逃げるぞ」

 

 ダイナマイトの導火線にライターで火を付けてこじ開けた窓に投げ込んで車に乗り込んだ。

 ――形容詞し難い炸裂音と共に誘爆するガス、テナントは即座に火の海になり寝静まっていた周辺の家々の明かりが灯り、数分後には消防の車両が炎上したお好み焼き・アキの消火作業に入る。

 場所は変わって相沢家。

 ――貴方の店舗が燃えている。

 深夜に父が咄嗟に起き、子供達が寝ていることなんてお構いなしにドタドタと足音をたてて家を飛び出していく。明広は布団の上で「名物だなぁ」と笑い目を瞑る。これから先、あと二回も爆破されるのだから名物と言って過言ではない。なんなら原作ではグッドエンディングを達成するための必須条件、爆破しなければならない。制作陣はお好み焼き屋に恨みでもあるのだろう。

 ウトウトと睡魔が回ってくると同時に部屋がノックされる。

 

「お兄ちゃん……起きてる……?」

「んー? このみちゃん……どうしたの」

「怖い夢見て……お父さんの足音で起きれて……」

 

 このみはトテトテと明広の布団の中に入ってく。彼は苦笑いを見せながらもこのみに布団をかけて寒くないように近くに寄せる。

 

「……温かい」

「温めておきましたお嬢様」

「ありがと……むにゃぁ……」

 

 安心したのか兄の布団で子猫のように眠る。この愛らしさによって何度一線を越えたことか、明広は頭の中で般若心経を唱えて己の欲を必死に掻き消そうと努力を開始した。

 

 

 朝一番に父の店を見に行くとそこは綺麗に爆破されていた。天井にも大穴が開いており開放感抜群なんていう不謹慎な表現をしてしまう。勿論ガス設備の誘爆ではなく人為的な爆破。結衣を誘拐した半グレ組織アルタイルが人気のない時間帯にダイナマイトを投げて爆破、ガス管にも引火して大惨事というわけだ。

 消し炭というわけではないが、骨格くらいしか残っていない。出来たばかりの店の前で崩れ落ちる明文、これから何度も爆破されるのだから気の毒としか言いようがない。

 

「おれの……ゆめが……」

 

 保険でどうにかなると説得するが出来て一ヶ月も経っていない店が爆破、店主として心にクルものがあるのだろう。それでも乗り越えてもらわないとならない。これで心が折れてしまったら名物が二度と見れなくなる。

 自宅で兄妹でどうにか父の落ちた気分を元通りにした。

 警察の事情聴取やら保険会社との交渉やらで楽しくショッピングできるような時間帯でもない。この機会に出来なかったことを消化しよう。父も店が復活するまでは暇になる。

 家に常備してある線香とロウソク、着火するためのマッチなどを用意して後は近所のスーパーか何かで花を購入したらお墓参りができる。あの日、妹と約束したお墓参りは彼女の母が眠る墓地の場所がわからなくて断念した。一応は恥を忍んで母に連絡を入れたのだが、今はハワイでバカンスしていると言われて数秒で切られてしまう。

 不謹慎な奴らだと声を荒げたくもなるが妹を怯えさせる可能性によって理性が働いた。人の親になったことがある人間がこうも欲に溺れるとは嘆かわしいものだ。

 幸いにもこのみの母が眠る墓地は彼女の母方の親戚が教えてくれた。もちろん無料なんてことはない。彼女の祖父母に当たる人達は娘の死を酷く悲しんでいるらしい。だが、このみを引き取る気は無い。墓の場所は個人情報なんて言葉をならべて金銭を巻き上げてきた。本当に大人ってのは汚い。

 

「……荒れ果ててるな」

 

 これは酷い。誰も墓参りに来なかったのか墓石は砂埃がこびり付き、飾られている造花も色褪せてすべてが灰色に変色している。別に毎週墓参りをしろとは言わない。せめてお盆くらいは顔を見せるなりすればいいものを、彼らはそれすらしていないらしい。

 聞いた話によるとこのみの母が死んだ後に莫大な保険金が支払われたらしい。世間体も気にして一応はお墓を建てたのだが、建てた後は知らぬ存ぜぬで造花の殆どがプラスチックの棒になるまで放置。嫌な話だ。

 夫の事業の失敗によって夜の街に出稼ぎに行き、最後は客に首を締められ絞殺。本当にこの世界はヒロインに厳しすぎる。

 

「ごめんね……お母さん……!」

 

 その場で泣き崩れるこのみを父に任せる。

 

「父さん、掃除は俺一人でやるから気晴らしにドライブでもしてきて」

「わかった。頼むぞ」

「うん。こんな汚い状態にしてたら祟られちゃうからね」

 

 泣きじゃくる妹を父は優しく抱き上げて連れて行ってくれる。彼は墓の前に立ち、深々と頭を下げる。

 

「遅れてしまいすいません。このみちゃんの兄として眠る場所の掃除をお許しください」

 

 明広は汚れている隅々をブラシや雑巾で綺麗にしていき、新しい水を入れたり花を切ったりとやれることすべてをこなしていく。

 そして一時間後には他のお墓と遜色ない輝きを取り戻し花も綺麗に飾られている。

 袖で汗を拭い、そして一礼。

 

「俺は……このみちゃんを末永く幸せにすることはできません。それは、自分が背負っている未来にこのみちゃんが立てないから……! でも、このみちゃんが本当に好きな人と未来を歩めるよう、俺は全力で彼女を支えます。お義母さん、血の繋がらない息子のワガママをお許しください」

 

 もう一度、深々と頭を下げる。

 ドライブを終えた軽自動車が帰ってくる。

 明広は胸を抉られたような痛みに悶える。

 自分は、この物語に必要な存在。それと同時に不要になる存在。

 この世界は彼を利用する。彼はこの世界を利用できない。

 不条理だ。

 ――俺もそう思ったよ、もう一人の相沢明広()

 

 

 ようやく引かれた光回線、パソコンは事前に組み上げて繰り返す世界で習得したすべてを駆使して半グレ集団アルタイルの犯罪行為を引き出していく。

 別にお好み焼き屋を爆破された仕返しではない。今後に起こる事件に奴らが関与することが多いから先手を打つだけ、ここで野放しにしてしまっては面倒事が増えるからだ。

 ダークウェブ、一般人が入手できない違法な物や情報が並べられるダークサイド、ここで仕入れられない非合法はない。だからこそ警備は厳重で何か不備が起これば不備を起こした側のパソコンにクラッキングを開始する。

 事前に作ったプロテクト、この世界に存在するどのセキュリティプログラムより堅く製作者の明広ですら突破は不可能。なぜならこれを突破するには1秒ごとに変化する暗証コードを三連続で突破しなければならない。暗証コードは完全なランダム、数字とアルファベットが使用される一二桁の暗証番号を三回突破、量子コンピューターを使用しても突破できるかどうかの代物だ。

 名前は『イージス』

 

「……さて、情報を吸わせてもらおうか!」

 

 アルタイルの裏情報を持っている業者にクラッキングし使えそうな情報を吸い出していく。もちろん相手もクラッキングされたことを察知し、こちらにクラッキングを開始するがイージスの堅さに位置の特定すらできない。

 

「さて、仕上げだ……」

 

 大量の情報を引き抜いた後にウィルスを送りつけて完了。

 叩きまくったキーボードから手を放し冷たい緑茶に口をつける。

 苦いのか渋い表情になる。

 

「やっぱりイージスの性能はピカイチだな……これを売ったらいくらになることやら……」

 

 そのままダークウェブに存在する警察が極秘に管理するサイトに情報提供を開始する。表向きはダークウェブ版の掲示板。ここでの会話は犯罪自慢などが飛び交っているがその程度のことで警察は動けない。だから日々変化する暗号を解き警察へのリークが出来る場所に飛ぶ必要がある。

 すんなりと警察側の暗号を解いて半グレ集団アルタイルの犯罪証拠をすべてぶちまける。

 麻薬の隠し場所、誘拐された少女の監禁場所、地下賭博場の場所、数え切れない程の情報。その後は通信ケーブルを抜き取りハードディスクを木っ端微塵に砕いて燃えないゴミに捨てる。

 

「イージス……また次の世界でな……」

 

 一般人のパソコンに入れてはいけない情報の数々、それを持っていたら彼自身も危ない。後はすべて警察がやってくれる。今までの世界でも警察が動かなかったことはない。強いて言うならまだ使えるハードディスクを壊すのは勿体なく感じるだけ。

 最初の頃には次の事件に登場する組織『財団』にも使用できないかと画策したが、彼らのメインコンピューターはすべて独自規格を使用し、一般人が入手できる機械ではクラッキングが無理だと諦めた。

 

「……これでアリス、アリス・オーグレーンに備えられる」

 

 アリス・オーグレーン、スウェーデン人留学生。一度だけ実施された人気投票で明広、このみに次ぐ三位、淡いプラチナブロンドが特徴の美少女。ヒロイン以外も人気投票に入れたせいか当たり前のように明広が一位に輝いている。

 こいつは曲者、初期状態では英語も日本語も使えない。まだまだ若い頃はアリスと会話すらままならず、普通に会話できるようになったのは五周目くらいからだろうか? 主人公が日本語で会話できるのはすべて明広の努力、それを横から掻っ攫うのだから神様はいい趣味してる。

 

「それにしても財団……こいつらは本当にいい趣味をしてる……」

 

 書斎の鍵をかけているかを確認し、ホワイトボードに財団の特徴を書き記す。

 

【財団】

 

 この世界に存在する電子機器すべてに適合しない独自規格の電子機器を使用。

 宗教兵のように自決特攻も厭わない。

 私兵の武装はMP7、サイレンサー、ホロサイト、社外製フォアグリップ。

 拠点は推定大英帝国、イギリス訛りの会話を聞いたことによる推測。

 私兵の練度は非常に高く世界各国の特殊部隊、対テロ特殊部隊に匹敵する。

 

「驚異の白人率100% ……KKK? いや、フリーメイソンか」

 

 陰謀論が好きな人間なら一度は聞いたことがある結社、財団はこれに通じる組織なのではないかと疑いの目を刺す。

 この財団とは今後なんども交戦し日本支部のトップを潰してようやく攻撃が止まる。このトップが陰のような存在で一定のタイミングでしか現れない。そのタイミングが中学二年生、その秋。当たり前のように選りすぐりの私兵をゾロゾロと引き連れ、尚更にトップも強い。

 

「狩りそこねたら長距離狙撃で植物状態にされるからな……しくじれない……」

 

 この世界は明広を殺さない。だが、生きた屍にすることはある。何度も狩りそこねて時を待つ存在になったことか、毎日泣きながら手を握るこのみの姿、霊体で見るのは心が凍る。

 

「さて、明日は素晴らしい一日になるな」

 

 正義を示す時、正義を執行した者は悪人の顔になる。

 

「なあ、()()()()()……貴方はどんな気持ちで繰り返してきたんだ……?」

 

 また始まった。この男は自分自身を他人として認識している。今、この世界に存在する、軸となる相沢明広は二人存在しない。

 

「俺はもう、前の名前すら忘れた。確かに『相沢明広』という存在として正しいのかもしれない。だが! それでも()()()なんだ」

 

 手を広げて第三者視点で一人称を見つめる俺に語りかける。

 無駄口が多い、名無しになった貴様に相沢明広という名前以外は存在しない。この世界は貴様を舞台装置として選択し、最初の舞台装置は意味を失った。いや? 壊れたと表現した方がいいか……。

 

「どうして貴方は個を捨てた。どれだけ辛いことがあっても自分という存在を投げ出さなかった貴方は! どうして第三者である俺を巻き込んだ……」

 

 勘違いも甚だしい、貴様は俺という存在の身代わりとして自ら飛び込んできたに過ぎない。第一に貴様は西暦とほぼ同い年になるまで諦めることなく『相沢明広』という酷く安定した舞台装置の歯車になったではないか。

 

「教えてくれ、寿命の先に存在した結末……それは終わりだったのか? それとも……」

 

 ――始まりだ。

 

 

 半グレ組織アルタイルは壊滅した。

 ヤクザ組織に比べて忠誠心や仁義()というものを持ち合わせていない組織に結託なんてものはない。一度でも針に刺されれば水風船のように破裂し悪事を地面という名の世間にそれをぶちまける。

 街は阿鼻叫喚と表現したらいいだろうか? アルタイルの事務所に大量の警察官が押しかけては出るわ出るわと非合法。

 上部下部関係なく摘発される犯罪行為、日本は安全な国だと言われているがヤクザの衰退と共に半グレ集団の線引なき犯罪の増加、はたしてこの国は安全なのだろうか?

 線引なきと表現したが、それは壊滅しても続く。

 結局のところ反社の人間は一部の例外を除いて学のない食うに困る人間達の寄せ集め、自分の私利私欲を満たす方法が犯罪というリスクを伴う行為でしか果たされない。だから群れて悪事に手を伸ばす。

 警察が不甲斐ないと言いたいわけじゃない。警察は頑張ってくれている。だが、警察の頭のいい人物達よりも頭のいい反社の人間が見えない場所を探り当て悪事を横行させる。イタチごっことは言ったものだ。

 

「人間、追い詰められると選択肢は二つだけ」

 

 懺悔か自暴自棄、今回の場合は自暴自棄が過半数を占めている。

 昨日の夜からアルタイル残党の犯罪行為が大量発生、死人こそ出ていないが大怪我を負った人もチラホラと。ダイナマイトを仕入れているような大規模な組織だ凶悪性はピカイチ。ヤクザ組織が自分達を貶めたと思い込んでダイナマイトを投げ込んだり、風俗嬢が他組織に情報を売ったのではないかと街中の風俗店で傷害事件がわんさか。

 子供達に何かあったらいけないという判断で学校もお休みだ。

 

「テレビもネットもお祭り騒ぎ、本当に日本って平和な国なのでしょうか?」

 

 温かい緑茶を入れて一息つく。

 誰も小学五年生の幼い男児がこの惨状を招いたとは思わないだろう。アルタイル残党も明広という少年の名前は知っていても、幼い少年が自分達の犯罪行為を警察にリークしたなど微塵も思っていない。

 

『空港でアルタイル幹部が逮捕されました』

 

 どう足掻いても二十年間は人生を続けなければならない都合上、自分が成さねばならない事以外は頭から抜けていく。そしてパッと思い出してこのタイミングだったかなんて頷くことを繰り返す。

 アルタイルを壊滅させておかない場合に登場する極悪人が逮捕された映像を見て、自分が作ったセキュリティシステムの有能さに何度も頷いてみせた。

 

「おはようございます……」

 

 眠た眼を擦る妹が大口を開けてテレビを見ている兄に挨拶を返す。

 明広は視線を妹の方に向けて、柔らかい笑みを見せる。

 

「おはよう、よく眠れた?」

「うん、昨日体育があったから……いっぱい寝れた……」

「寝る子は育つぞぉー将来はお兄ちゃんより高身長かもな」

 

 自分より20cmは身長の高い兄を見て伸びるかな! なんて目を輝かせている。

 明広は目を逸らす。理由は単純、自分の身長とこのみの身長差は埋まらない。このみの最終的な身長は149cm、惜しくも150cmに届かない。逆に明広は最終的に184cm、この嘘をすぐに忘れることを切に願う。

 妹はいつものように兄の膝に座り撫でられて笑みを見せる。

 

(最善の選択肢を選び続けなければ……この笑みは次の人生か……)

 

 アルタイルをこのタイミングで壊滅させないと膝に座る天使が誘拐される。時期はそれなりに開くのだが、明広が中学二年生、それも財団日本支部制圧中に奴らは行動を起こす。父は即座に身代金を払うが食い逃げ、女性としての尊厳も命さえも食い逃げされていく。

 この時期に潰しておかないと後々に響く。

 先手を打たなければいけない。この世界は後手に回れば即座に理不尽を押し付けられる。常に相手より一歩前に立たなければならない。

 

「お兄ちゃんどうしたの? ……辛そうな顔してる」

「いや! あの……ちょっと昔のことを思い出してただけさ」

 

 間違えではない。彼にとって未来は過去にもなる。

 ここでアルタイルを潰さず、先手を打たなかった場合は妹が殺される。妹を殺さないように立ち回れば狙撃され時が来るまで病院で寝かされる。

 これは経験した未来であり過去。

 選択を誤った末の悲劇(現実)

 

「お兄ちゃんは……まだ寂しいの……?」

「いや……寂しくないよ。このみちゃんが居てくれるから全然寂しくない」

「わたしも寂しくなよ」

「ありがとう」

 

 寂しいのじゃない、悲しい、これが正しい。

 彼は知っている。だからこそ寂しいじゃない、悲しい。

 選択肢は固定されている。

 ――だからこそ、足掻きたいと思うのが人間。

 

【5:異国からの転校生】

 

 時期は六月、まだまだ梅雨の気配はなく青空が教室の窓から見える。

 明広は少しだけ冷たい目をしていた。今日やってくる転校生『アリス・オーグレーン』は彼の物語の中で最も無理難題を押し付けてくる存在だから。

 彼女が追われる財団と呼ばれる組織、銃規制が強い日本に堂々と軍用スペックのMP7を私兵に持たせ、練度は各国の特殊部隊に匹敵する。財団が何を目的にして創設されたのか? 名だたる秘密結社のクローンかそれとも親玉か、白人至上主義者が関与している可能性が高いこと、イギリス英語を使うこと、それくらいしかわかっていない。

 

「あの、えっと……皆さんに転校生を紹介します!」

 

 HRと同時に転校生の紹介が入った。教師の隣で不安そうな表情をしているプラチナブロンドを靡かせた少女。彼女が、

 

「スウェーデンから来たアリス・オーグレーンさんです! まだまだ日本語は使えな

いけど……多分英語は話せると思うわ! このクラスで一番英語が得意なのは……」

 

 明広はルールなんて知らないという顔で立ち上がりアリスに語りかける。

 

『やあ、スウェーデンからはるばるようこそ。夏にやってくるなんて気の毒だ……日焼けは痛いぞ、その白い肌だったら尚更に』

 

 流暢なスウェーデン語で皮肉たっぷりの挨拶をしてみる。古来から白人はブラックジョークを好むものだ。

 唐突に立ち上がり母国語を話した少年に目を見開くが隣の教師が彼を叱りつける。

 

「先生が紹介してるのにどうして立つんですか!?」

『すまないね、この教師は数日前に婚約破棄されたんだ。悲しいことにヒステリックになってる』

「どうしてオーグレーンさんが悲しそうな目で私を見るんですか!?」

 

 教師としての尊厳を傷つけられたと感じたのか、顔を真赤にして明広を睨むが、彼にとって教師という存在は例外なく敵、知らん顔でアリスの顔だけを見る。

 互いに万国共通の笑顔を見せて洋式の会釈を交わす。

 

『凄く綺麗な母国語、ご両親がスウェーデンの出身なんですか?』

『いや、将来は空軍に入りたいと思って色々な国の言語を勉強しているんだ。そうか、本場の方に訛りが無いと言われると光栄な気持ちだ。レディ』

『ふふっ、面白い人ですね。お名前は?』

『アイサワ アキヒロ、いや? 海外風だとアキヒロ アイサワの方が正しいかな。好きな方でお呼びください』

『アキヒロ、わたしはアリス・オーグレーンです』

 

 聞いたこともない言語を使用する二人に困惑するクラス。長いこと教職についている教師すら二人の会話の意味を理解していない。

 俗に言う二人ぼっちだ。

 

 

 給食が終わって昼休み、事業終わりの短い休み時間にも質問攻めにあっていたがティータイムを献上して通訳をする理由もない。それに傍観者もいじめっ子も関係なしに明広に頼る。まるで自分達がやってきたことを忘れたように。あまりにも都合が良すぎるのではないだろうか?

 だが、彼の評判が地に落ちても元通りになるだけ。彼女はどうだ? 親の都合で極東の島国に連れてこられ通訳になる生徒もおらず孤立する。冷たい人間ならそれを利用するかもしれない。利用できないのが彼だ。

 

「あの、オーグレーンさんはどうして日本に!」

『なんで日本に来たのか聞いているよ、就学ビザを見せないとね』

『アキヒロって叔父さんみたいに皮肉ばっかり……お父さんのお仕事の都合って伝えてあげて』

「お父さんの仕事の都合だって」

 

 ニコッと笑ってみせるアリスを見てクラスの男子生徒達は身の丈に合わない恋心を爆発させる。この中にスウェーデン語をマスターする生徒が現れればいいが、なんて期待をしていた時期もあった。単刀直入に表現するなら向上心の無い奴ら。便利な翻訳マシーンがいるのだから自分は頑張らなくていい。

 

「日本の料理はどう? 俺の実家お寿司屋なんだよ!」

『日本の料理は好きか、特にお寿司だってさ』

『日本食は好きだけど……生魚は無理かな……』

「日本食は好きだけど生魚は無理らしい」

 

 それからも質問を投げつけては返答を待つだけの存在がゾロゾロと。なんなら上級生達まで混ざりはじめた。それだけの好奇心があるなら自分で努力すればいいものをと心の中で吐き捨てる。

 

「アンタ達! いっつも相沢をバカにしてたのに都合のいい時は利用するわけ!? 本当に恥知らず!!」

 

 生徒達の好奇心に利用される明広を憂いた結衣が止めに入る。確かにそうだ、明広はこのクラスの嫌われ者、それを都合のいい時だけ利用して自らの欲を満たそうとする姿は酷く滑稽。素晴らしく人間的とも表現できるが。

 結衣の言葉で我に返ったのか彼らは身を引いた。数人は後ろ髪を引っ張られるようだが。

 

「えっと……相沢……スウェーデン語でこんにちはってなんていうの」

「英語と同じヘイとかハーイとかでいいよ、綴りが違うだけで似たようなもの」

「へ、へーい! アリス……」

 

 これは素晴らしい英語力だと腹を抱えて笑い出す。赤面して明広をポカポカと叩く結衣と駄目だよと止めるさくら、未来も同じような時が流れる。それが良いか悪いか、捉え方次第。

 

『どうも、わたしはアリス・オーグレーン。よろしくね……えっと?』

「立木さんの名前を知りたいって、教えていい?」

「それもあたしが言うわ! 教えなさいよ」

「そこまで来ると面倒くさいから任せてよ」

 

 むぅと顔を膨らませながら渋々了承。さくらの方を見ると自分もお願いしますと告げられる。

 

『彼女はタチキ ユイ、その隣が彼女の親友ニイジマ サクラ』

『ありがとう! よろしくね、ユイ! サクラ!』

「よろしくね!」

「よろしくおねがいします」

 

 自分の名前を呼ばれたら挨拶されたと理解する。

 微笑ましい光景。

 見つめるその姿は――少しだけ、他人事のように思えた。

 

 

「お父さん! 今日ね友達が三人も出来たんだよ!!」

 

 転校初日、母国語しか使えない娘が友達が出来たと飛び跳ねて報告してくる。日本人の過半数は英語も話せない、ましてやスウェーデン語なんて尚更だ。教師が通訳をしてくれた可能性もあるが、英語教師が趣味で北欧の言葉まで覚えるものだろうか。

 彼女の父は不思議そうな顔を見せながらどんな友達が出来たのかと聞いてみる。

 

「えっとね、最初の友達は叔父さんみたいに皮肉ばっかり言ってくるんだけど、将来の夢は戦闘機のパイロット! すごくハンサムなんだよ!!」

「ハンサム? じゃあ、男の子が通訳してくれたのかい」

「うん! 皮肉も多いけど訛りが無くてね」

 

 日本は昔からミラクルな国だと言われている。世界で日本だけが単一民族で成功した大国。欧米列強の支配から逃れるために産業革命(技術力)という最大の抑止力を達成。世界中、特にアジア人達がこぞって真似をした。

 だが、その革命は列強、または共産主義者達(独裁者)に阻まれ一周遅れて成そうとする。

 東洋の奇跡。

 

「……日本かドイツに天才現れる時、世界は新しい段階に移行する。それを阻むのが財団の仕事か」

 

 ――なんと言った!?

 まて、なんでアリスの父が財団のことを知っている。確かに彼は白人だ。だが、白人至上主義者とは思えない。娘が黄色人種の友達が出来たと言っても叱りつけることもしない。

 じゃあ、アリスの父は……。

 ――財団から逃れた存在?

 

「ぱぱ……怖い顔してるよ……? もしかしてアキヒロと仲良くしちゃだめ」

「いや、アリスと同い年で英語以外も話せるなら凄い子じゃないか! 彼から日本語を教えてもらいなさい。日本語は世界で一番難しい言語と言われているからね」

「アキヒロ教えてくれるかな?」

「アリスはパパとママの子なんだからお願いされたら断れないさ」

「ごはんよー」

 

 オーグレーン家は何者だ? いや、推測はできる。

 アリスの父は財団の職員。だが、何らかの理由で離反。日本にやってきた理由は仕事ではなく亡命? 家族の安全を確保するための措置、財団の日本支部には不可解な部分が散見する。

 確かに財団が保有する私兵の質は世界各国の特殊部隊に匹敵する。だが、それだけの白人を日本で運用するのは難しい。

 ――白人は日本で目立つ。

 付け加えて差別主義者であれば黄色人種が殆どを占める。その環境下で彼らは正常な精神を保てるであろうか、米軍基地近辺のような暴力事件を起こさないでいられるか、黄色人種も人間だと理解してしまわないだろうか?

 じゃあ、財団日本支部は何のために存在してある……。

 いや、思い出せ! 日本支部のトップとの会話の内容を……。

 ……無駄か、俺はもう個の存在を捨てた。

 今は第三者視点で物語を眺める傍観者。助言すら出来ない。

 名無し。

 ――いや、名無しだからこそ出来ることがある!

 

 

 俺が個……いや、相沢明広(自分)という名前、体、存在を彼に譲渡して2000年。今の年齢と合わせたら西暦とほぼ同い年。その前の自分のそれを足し算したら途方も無い数字が叩き出されるだろう。よくもまあ報われない人生(無駄)を何度も繰り返したものだ。

 だが、ようやく自分が名無し(観測者)になった本当の理由を思い出した。いや? 再確認した。俺が相沢明広を捨てた理由、それは新しい彼に『主人公(プレイヤー)』という化物に屈しない理由を。

 どこにでもいて、どこにもいない。

 第三者(観測者)であり第一人者(行動者)

 次に彼と会えるのは……何百年後になることやら……。

 ――必要なのは情報だ……!

 

「っ!? なんだ、これ……」

 

 体が軽くなるような感覚、風邪が治ったような感覚。だけど、後ろに居てくれた本物の相沢大先生()が消えた。それが俺の感情をどの人生よりもかき混ぜてくる。混乱、圧倒的な混乱、俺のことを絶対に捨てないと決めつけていた大先生が……。

 

「……俺と相沢大先生は二人ぼっちだった。俺という存在を唯一理解して、語り合うことは無かったが、それでも」

 

 行かないでほしかった。

 枕を壁に向かって投げつける。心は荒むがこの世界を放棄する理由にはならない。

 まだまだ原作にすら到達できていない。進むんだ。進み続けろ……!

 

「お兄ちゃん? お寝坊になるよ」

 

 心配そうな顔をした妹が入ってくる。投げつけられた枕と冷や汗が流れる顔、それを見て父に報告を入れようとした。

 

「大丈夫だよ、怖い夢を見ただけさ……」

 

 違う、怖い現実を考えた。夢なんかじゃない。

 ――現実。

 

「何時だ……こりゃ、朝ごはん作れないな……」

 

 壁掛け時計を見る。

 いつも朝の五時に起きて朝食の準備をしていたが、自分の体内時計に絶対的な信頼を持ち過ぎたらしい。目覚まし時計を買う理由が出来てしまった。

 トテトテと小さな足音を響かせて俺の顔を見つめてくるこのみ、覗き込まないでくれ……強がりがバレそうだ……。

 

「お兄ちゃん……わたしは味方だよ……」

「ふふ、可愛い妹め……こうしてやる!」

「えへへ」

 

 心優しい妹を抱きかかえて頭を撫でる。何度も繰り返して愛した妹、最初の世界で救うことは出来なかった。俺は大先生のことを知っている。でも、宝くじを当てるには一回目を犠牲にしなければならなかった。

 二回目は宝くじを当選させ、相沢大先生と同じように彼女を救った。でも、彼女の純潔を救うことは出来なかった……。

 反則だろうが、金も奪って小汚いおっさんに売り渡してはした金すら手に入れようなんて! ……相沢大先生もこの感情に苦しんだ。助言も無し、本当は教えていたのかもしれない。でも、俺に彼の声は聞こえなかった。

 

「パジャマで学校には行けない、着替えるから少しまっててくれ。朝ごはんは……父さんの秘蔵カップ麺だな」

「え!? お父さんが500円なのにいっぱい買ったあの!!」

「しー! 父さんには内緒だぞ」

 

 俺はこの世界の行く末を見届けなければならない。そして、相沢大先生の意思を継ぐ。

 そうだな、俺は相沢明広だが……相沢「()」先生だ……。

 戻ってくるのを待つしかない。どうせ死ねば戻ってくる。彼も俺という存在とワンセット、だから……。

 

「……逃げられると思うなよ、相沢明広(本物)

 

 俺は紛い物でしかない、だが、紛い物だからこそ……本物に出来ないことをやってみるつもりだ……!

 だから、違う結末を達成した時は……貴方が俺の功績を掠め取ってくれ……。

 

 

 アリスが転校してきてまだまだ週すら跨いでいない。何度も繰り返してはいるが他の人に何かを教えるという行為は本当に難しい。勉強というものがどれだけ簡単で小さい努力で解決できるものなのかを再確認させる。

 

「オバサンゴザイマス!」

「どうしておばさんが商品化されてるんだ」

「オジサンゴザイマス!」

「おじさんまで商品になってるよー」

 

 日本語は世界で一番難しい言語と言われている。世界のランキングだとアフリカの部族が使う言葉の方が難しいと紹介されているが、大国の言語としては世界一位だろう。そんな難しい言語を使ってて誇らしい、なんて思うわけもない。

 日本語は日本以外では通用しない言語、標準語は英語、英語と言うがイギリス英語ではなくアメリカ英語が基本だ。英語を使う国は多く、その地域独特の訛りがある。もう、それは英語と呼べるものなのだろうか? ある意味では地域英語はその国の新しい言語なのではないかと評論家ぶる今日。

 

『日本語難しいよぉ……』

『日本で母国語を使っても大使館くらいしか取り合ってくれないよ。英語でもバス以外の公共機関でしか使えないんだから』

『スウェーデンが世界征服したらいいのに……』

『怖いこと言うね……』

 

 その後は何度もおはようございますの練習をするのだが、なぜだか新商品が大量発注。名前からして倉庫で永遠に眠る在庫だな……。

 

「オハヨウゴゼイマス!」

「なんか悪役っぽい挨拶だけどギリギリセーフで」

「おはよー……って、相沢早いわね。あ、アリスちゃん! へい!」

「オハヨウゴゼイマス! ユイ」

 

 悪人のようなおはようございますに固まる結衣、おはようございますと言っていることはわかっている。だが、ゴゼイマスの部分に違和感を持ったみたいだ。

 あれ、なんで俺を睨みつけるの?

 

「外国の人に間違った日本語を教えるなんて……最低!」

「いや、違うから!?」

『アキヒロ? どうしてユイ怒ってるの……』

『貧血なんでしょ』

 

 息を切らしたさくらも登校してきて第一声は置いていかないでよ、こいつアリスに会いたくて早めに学校に来たな……。

 憐れむような目で見つめてやると鋭い拳が腹に向かって飛んでくる。

 

「ゴハッ!? ……暴力反対、ラブアンドピース」

「女の子をバカにしたら鉄拳制裁、OK?」

「ポンポン痛いでち……」

「ふふっ、相沢くん……変わったね……」

 

 呼吸が整ったさくらが最初に言った言葉。クールを演じていた俺が普通の男の子のように冗談交じりで会話することを示す。

 そうだな、今ではいじめられることもない。演じることをやめる時期。

 ゲームの相沢大先生はクールな性格というわけではない。どちらかと言えば社交的で誰からも信頼されるような明るい人物だ。俺も彼になってから長い……違うな、彼を演じてから長い。もうそろそろ……。

 

「そうかな? いつもと同じだよ」

 

 確かに俺は彼を演じてきた。でも、彼はもう俺を眺める存在ではない。俺は彼を欲しているが、彼は俺を捨てて消えてしまった……。

 それじゃあ、相沢明広とは誰だ? 確かに彼は相沢明広だ。でも、彼はもういない。今の相沢明広は俺だ。

 オリジナル(本物)が居ないのであれば、レプリカ(偽物)がオリジナルの猿真似をする理由がない。

 ――自分らしく自分になる。

 それが嫌なら戻ってくるさ、相沢大先生が。

 

「さーて、次はこんにちはを教えないと。挨拶は大切、古事記に書かれてある」

「それ古事記じゃなくて道徳の教科書だと思うんだけど……」

「そうか? ……それもそうか、挨拶は道徳だな」

 

 道徳……ただのエロゲプレイヤーだった。えっちなゲームをすることに何も罪はない。親兄妹に見られたら若干の痛い子として見られるくらいだろう。でも、俺はこの場所にいる子達、ゲームの世界のこの子達を非合法な薬物や洗脳という形で人間以下の存在に落とした。

 それは……俺が倒すべき敵と同じじゃないか……?

 ――俺は加害者(プレイヤー)じゃないか!?

 

「うっ……おえっ……!」

「ちょ!? 相沢!!」

『アキヒロどうしたの!?』

「救急車! 相沢くん顔色が!!」

 

 どうにか呼吸を整えてミキサーでかき混ぜられるような頭痛を掻き消していく。俺は悪くない。俺は正常。俺は加害者じゃない。

 どうにか正常な精神を取り戻して静かに立ち上がる。

 

「大丈夫。俺は正常だよ……」

 

 顔を洗ってくると言ってトイレに向かう。

 懺悔の意識、これは俺にしかない感情。相沢大先生はこの感情を持っていない。

 だから俺を後継者に選んだ。

 被害者でありながら加害者、そこまで織り込んだ。

 西暦と同い年、2000年と今の年齢の十歳を足し合わせたら俺はキリスト様とほぼ同い年になる。長い年月、または短い年月、それは……善悪という曖昧な定義を正しく理解するのに十分。

 だから、自分という存在を見失うこともある。

 

「嫌になってくる。俺は誰なんだろうな」

 

 トイレの蛇口をひねり大量の水で顔を洗う。鏡に映る自分の姿、それは正しく自分。俺のことを知る人間なら全員が相沢明広と答える。

 静かに背後を確認する。

 誰もいない。

 教室に戻ると心配そうな表情をした三人娘が一斉に大丈夫だったかと尋ねてくる。それを大丈夫の一点張りで躱し、アリスのセミナーを再開する。

 アリスは大丈夫ならいいけどと、引き続きセミナーを受け入れた。

 そうだな、おはようございますの次はこんばんはだろうか、試しにこんばんわと行ってみて、リピートをお願いしてみる。

 

コンバットニャンコ(猫と和解せよ)!」

「うっわ、撲滅する猫って……人類絶滅しそう……」

 

 おはようございますの次はこんにちは、でも彼女の日本語力は日本人の英語力以上に低いらしい。何やかんやで日本で定着した英単語が沢山ある。アリスにはそれすらないと言うわけだ。

 

コミュニストワンコ(同志ワン)!」

「共産主義者の犬って……冷戦じゃないんだから……」

 

 お昼休みになってからも日本語セミナーは続く。

 挨拶を教えるだけでここまでツッコミを入れられる存在は珍しい。この子に日本語を教える時は本当に退屈が無くなる。中学に入学する頃は不思議な解釈をした日本語を使いこなすのだ。いやはや子供の学習能力は恐ろしい。

 

「あの、お兄ちゃんいますか?」

「ん? ああ、このみちゃん。どうしたのー」

 

 一クラス下の妹が会いに来てくれた。忘れ物でもしたのだろうか? 教科書類は学年が違うから貸せないが、消しゴムや鉛筆くらいなら。

 

「えっと……お兄ちゃんの顔を見たくて、えへへ」

「おお、マイラブリーシスター……お兄ちゃんは嬉しいゾイ……」

 

 歓喜のあまり人目なんて気にしないで頭を撫でてやる。すると恥ずかしいよと言うが飼い猫のように目を細めて撫でられることを受け入れてくれる。いやはや、人間に必要なのは可愛らしい妹だ! 可愛らしい妹さえ存在すれば戦争なんて無くなる!!

 

「……うちの兄貴より重症ね」

「……お兄ちゃんがいたらあんな感じなのかな?」

「気持ち悪いだけよ」

 

 マイラブリーシスターはお兄ちゃん成分補給完了と言って足早に逃げていく。この場合、俺のほうがこのみ成分不足で酸欠になりそうだ。小学生って留年できるのかな? 留年していいよね、来年からこのみと一緒の教室で勉強するんだ。そうさ、俺はお兄ちゃんだけど義理だから妹とラブラブになっても許される。なんなら結婚さえ許される。世界は物凄く不条理だけど、これから二十年間、結婚生活となれば十二年間も楽しめる! ああ、そうだ。この人生はこのみと結婚しよう。そうしよう。俺は相沢代先生になったんだ。相沢大先生の意思を継ぐことに固執するのはもうやめよう。そうだね、そう、俺はこのみと死を分かつ時まで常に好き合うのだ。許してくれるよね大先生? 俺だって好きな子と添い遂げたいっていう乙女心もあるからさ!

 

「「気持ち悪い……」」

『叔父さんがサウナ入ってる時みたいな顔してるー』

「……悲しいかな人目」

 

 妹を愛でるだけでここまで冷たい視線を向けられるとは、日本はやっぱり兄妹愛に冷たい。俺はマイシスターを一人の女性として愛しただけなのに、酷い。

 ――このみは私の母になってくれるかもしれない女性だ!

 いや、この場合は奥さん? になってくれる女性の方が正しいか。

 おっとっと、アリスに日本語を教えなくては……。

 

「こんにちは」

コンスタントニッシン(お湯を入れて三分)!」

「絶えず続く日清……カップ麺ばっかり食べると健康に悪いぞ……」

 

 どうやって自分が日本語をマスターしたのかゲシュタルト崩壊しそうだ。

 でも、こういう経験が出来るのは悪くない……。

 

 

 目が覚める。

 歯を磨いて、顔を洗って、炊飯器のスイッチを押して、前日に干した洗濯物を取り込む。

 毎朝のルーティーン。

 世間のお母様方の苦労が身に染みる。専業主婦の年収は旦那より高給だとか、それもそうだろう。肉体労働と知的労働をミックスしたようなことを一年間休み無く繰り返す。そりゃ年収にしたら凄いことになる。

 衣服の整理を終わらせて温かい緑茶、それなりに暖かくなってきたが朝はまだまだ温かい緑茶が飲める。早起きの得の一つだ。

 テレビを付けて父さんと妹が起きない程度まで下げる。その後は栞を挟んだ歴史小説を開いて天気予報の時だけ目線を移動させる。

 

「……本は凄い。無限に近いからな」

 

 今の俺は日本語にこだわる必要がない。主要な言語で書かれた書籍は普通に読める。日本語くらいしかまともに読めなかった時期はライトノベルなんかを読んでたが、今となっては歴史小説にハマっていたりする。

 古今東西の歴史小説は風習や国民性を詳しく書き記していることが多い。日本人にない感性、それは知的好奇心を刺激してやまない。

 アドルフ・ヒトラーが書いた我が闘争もある意味では歴史小説であり、自己啓発本だ。彼の思想と理念、それは人間の心を鷲掴みにするだけの説得力がある。歴史に名を残す極悪人、でも、彼の作品を見た時……俺は不思議と正義なのではないか? そう思ってしまう。

 ドイツ語を覚えた時は即座にドイツ語版を輸入したものだ。

 

「ネット小説も面白いが……小説家になろうやカクヨムが台頭するのはもう少し先だからな、気長に気長に」

 

 メジャーどころは全部読んだが……。

 静かな朝、ニュースの音と紙が捲られる音が聞こえるだけ。

 

 

 妹と別れて教室に到着する。するとそこにはさくらが一人静かに本を読んでいた。珍しい、いつもなら結衣に合わせて登校してくるのだが……。

 ああ、そういえば今日は結衣が野球の練習で怪我をする日だ。こういう細々としたイベントは重要じゃないからポッと忘れてしまう。もう少し記憶力を鍛えないといけないだろうか?

 

「新島さんおはよう。立木さんは?」

「あ、相沢くん、おはよう。結衣ちゃんは……練習で捻挫しちゃってね、日曜日に練習試合があるから張り切りすぎたみたい」

「あらら、それはそれは……」

 

 知らないふりをして自分の席に教科書類を収納する。

 その後は自分の本を取り出して栞のページに飛ぶ。

 

「相沢くんってどんな本を読むの?」

 

 声の方向に視線を向けるとそこにはメガネっ娘美少女、おっとり美少女がおられるぞ! やっべ、俺のこのみ愛が……。

 平常心、冷静になれ……俺よクールになれぇ……。

 

「歴史小説が多いかな? 今はこいつ、伊勢物語を読んでる」

「歴史小説かぁ、わたしは恋愛小説ばかり読んでるから……」

「本に上下関係はないよ。本になってるだけで名誉さ、自分が伝えたい物語を後世に伝えることができてるんだから」

「ふふっ、相沢くんって詩的な言い回し好きだよね」

「前世が吟遊詩人だったのかも」

 

 小粋なジョークを気に入ったのかクスクスと笑ってくれる。

 そういえば、このみの次に攻略したのはさくらだったな、攻略情報は絶対に見ないぞ! そんな気持ちで攻略してた……。

 ――駄目だ駄目! あの頃の記憶を思い出したら罪悪感に押しつぶされる……。

 ……俺が、相沢大先生じゃない確かな理由。

 

「わたしも歴史小説読もうかな? おすすめとか」

「それだったら俺の秘蔵を貸すよ、お気に召すかわからないけど」

「じゃあ、わたしの秘蔵も貸すね!」

「砂糖みたいに甘いのお願い」

「おまけにはちみつもつけるね」

 

 回復薬グレートが作れそうだ。

 自分だけ座っていることに忍びなくなり立ち上がる。もうそろそろクラスメイト達がゾロゾロと登校してくる。自分が座っていてさくらを立たせる。いやはや、男として恥ずかしい姿は見られたくない。

 そのままさくらと結衣がいつも雑談している席がない窓際で本の話しを開始する。

 

「お母さんが昔から本が好きでね、自分でも本を出版したんだけど……あんまり……」

「出版するだけでも凄いよ、それは誇りさ」

「相沢くんって心から本が好きなんだね……」

「ああ、本は書き手の全身全霊の自己表現だと思ってる。自分の好きを他の人にも共感して欲しいという人間なら当たり前に持ってる顕示欲ってやつ? それを本屋に並べてもらうのは努力の結晶。馬鹿にすることは出来ないよ」

 

 さくらが青空を見上げる。自分の母が書いた作品、多くの人から馬鹿にされたのだろうか? 肯定してくれる人はいたのだろうか、確かに物語として成立していない本は無数に存在している。

 世界で一番有名な推理小説『シャーロック・ホームズ』もコナン・ドイルが本業の歴史小説を書くための小遣い稼ぎで書いた小説として有名だ。それがあれよあれよと大量の読者を獲得して彼は恐怖したという。

 ある意味で名作を作ろうとしたら駄作になり、軽い気持ちで書いた駄作が名作として語られるのかもな……。

 

「ねえ、相沢くん……名前で呼んでいいかな?」

「いいよ、さくらさん」

「っ!? ……ズルだよ、明広くん」

 

 何がズルなのだろうか? さくらんぼみたいな顔をみてそう思った。

 互いに本の話しをHRが始まるまで語り合った。傍から見たら本の虫の陰キャな会話に思えるだろう、だが、本というのは書いた人間の思想、理念の塊。それを否定してしまっては文化人としての底が知れるというものだ。

 会話の中で今日、結衣のお見舞いに行くらしい。それに俺も付いてこないかと誘われたので菓子折りは丁寧過ぎるので、駄菓子屋で大人買いしてお見舞いに行こうという話しで纏まった。

 スポーツと怪我はセットのようなものだ。

 

 

「……ドジしちゃったな」

 

 扉越しに聞こえる結衣の弱音、地獄耳は早死すると言われているが……実際合ってるな! 三十以上生きたことないし!!

 ……自分で言って泣けてきた。

 駄菓子屋で大量の菓子類を買って持ってきたのだが、この調子だと食べてもらえるのは捻挫が治った頃だろう。

 さくらがトントンとノックして結衣の返事を待つ。

 

「だれ?」

「さくらだよ、入っていい?」

 

 お見舞いに来たことを察して入ってと声が帰ってくる。

 さくらだけだと思っていたら俺とこのみまでやってきたことに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。アリスも来たがっていたのだが、アリスはお父さんが車で送り迎えする都合で欠席、過保護なお父さんだと思うね。父さんが結構な放任主義者でよかったと思える。

 

「駄菓子いっぱい買ってきた。あ、ご家族の分は渡してあるから安心していいよ」

「ちょ、相沢とこのみちゃんまで……見られたくなかった……」

「まあまあ、怪我くらい誰だってするさ」

「あの、えっと……早く治るといいですね……」

 

 駄菓子が沢山入った袋を勉強机に置いて部屋を見渡してみる。お人形もちゃんと飾られてて女の子の部屋って感じ。

 

「ジロジロ見るな! 恥ずかしい……」

「ごめんなさい」

 

 素直に謝る。

 女の子の空間に男がいたら駄目だな、結衣のお母さんに一声かけて相沢兄妹は撤収が安定かね。

 

「ねえ、相沢……アンタ野球の経験ある?」

「あるにはあるが……どうして」

「日曜日に練習試合があるの、それもピッチャー……さくらは喘息持ちだし、このみちゃんは年下だし、最近のアンタなら出来るかもって」

「……いいよ、投げるくらいなら」

 

 女の子の頼みを断るなんてできない。投げるだけ投げてみるか。

 

「キャッチャーは同じ学校だから明日から受けてもらいなさい!」

「了解。負けても文句言わないでね」

「凄く言う」

「ひっでー……」

 

 負けられないってやつか……。

 

 

 放課後、場所は近所の公園。

 松葉杖をついた結衣が鬼コーチのように竹刀を持って俺とキャッチャーの中島くんを怒鳴りつけている。なんだろう、頼まれた立場なのに叱られることに違和感がある。本当になんなのこれ?

 俺、助っ人だよ! 別に年俸貰ってるわけじゃないんだが……。

 

「アンタ達! 負けたら絶対に容赦しないからね!!」

「ちょ、結衣ちゃん……明広くんは頼まれて……」

「さくら! 確かにあたしは相沢に頼んだわ……でもね! 負けてもいいなんて一言も言ってない!! 投げるならパーフェクトする気持ちで投げなさい!!」

「ねえねえ、中島くん? 立木ってチームでもああなの……」

「は、はい……監督の次に偉いです……」

 

 中島くんの言葉に背筋が凍る。小学五年生の女児がチームで二番目に偉い? ありえるのそんなの……。

 中島くんの萎縮した姿を見ていると、早めに練習しなければならないという使命感が湧いて出てきたのでキャッチボールを開始する。

 その間にも結衣の気合が入ってないという罵声が大量に飛んできて俺より先に中島くんがダウンしそう。ここは不遇な彼を救うために本気を出すか……。

 

「中島くん……本気で投げるから構えて……」

「あ、はい!」

 

 ど真ん中のストレートのコースを示した。さて、俺が大好きな投手、何百年前かに真似したあの投手、コントロールは知らん! だが、体が覚えてたら届くはず!!

 体を思い切り沈ませて腕を地に這わせるように……!

 アンダースロー、サブマリンとも言われる投法。オーバーやスリークォーターみたいな球速は出ないがその白球はまるで――浮上する潜水艦のようにポップする!

 投げられた白球は高い回転数を維持してミットに収まった。

 

「おお、届いた……」

「え、ええ!? それ渡辺投手のアンダースロー!!」

 

 結衣も驚いているが俺も驚いている。いくら小学生が投げる距離でもアンダースローでキャッチャーにボールを届けることができるとは思わなかった。

 体で覚えたことって中々に忘れないものなのね!

 中島くんもアンダースローの球を受けるのははじめてなのか若干放心気味、一回言ってみたいことがあるんだよね。

 

「俺、またなんかやっちゃいました?」

 

 某、ライトノベル主人公が発したカッコイイのか悪いのかわからないセリフを使ってみるが、綺麗に無視されて結衣は松葉杖をついて中島くんと会話を繰り広げる。なんだよ、そこは驚いてやらかしまくり! とか言ってほしかったんですが……。

 

「中島! アレ受けられる?」

「は、はい! 球速は立木さんより遅いですし、コントロールがいいから取りやすいです」

「相手はアンダーなんてテレビでしか見たこと無い……ストレートだけで十分! 勝てる!!」

 

 なんだろう、これで負けたら俺……殺される?

 ……結衣って所謂ところの暴力系ヒロインだからな、殺されることは無いだろうがパンチが数発飛んできそうで怖い。

 中島くんは俺のサブマリン投法に惚れ込んだのか目を輝かせてもっと投げてくれと言わんばかりにキャッチャーミットを構える。野球少年の好奇心ってすごいですね……。

 

 

 そんなこんなで中島くんが完璧に女房になってくれて日曜日。サイン? そんなのストレートしか投げないから必要ない。中島くんの示す場所に真っ直ぐを投げればいいだけだ。

 ……それにしても、俺だけジャージだから浮くねぇ。

 

「相手のピッチャージャージだぜ……練習試合だからって舐めてるのかよ……」

 

 うわー、凄い睨んでる。こわいなー。

 監督らしいお爺さんの隣に鎮座する結衣、期待の目で見られても困るのですが……。

 少年野球は9回ではなく7回まで、肩の負担を考えた良心設計。でも、七回しか攻撃のチャンスはない。互いに無得点でも試合は流れて延長戦はなし。

 あれ? 俺が完璧に押さえても得点入れられないと絶対に勝てねぇじゃん! 引き分けはセーフ?

 

「相沢……引き分けも負けだから……」

「そんなの……あんまりだよ……!」

 

 某、魔法少女風にあんまりだよと告げるが結衣の表情は勝利を確信しているとしか言いようがない。これだから野球少女は……。

 肩をガックシと落としてどうするかと考える――ッ! 中島くんが燃えている!? これは勝てる!!

 こちら側からの攻撃、123と三振で攻守交代。

 一番バッターの中島くん? なんで三振してるんですか……。

 

「力まないでね、僕が絶対に取るから」

「うん、それはわかるけどさ……まあいいか……」

 

 頑張ってる中島くんに打ってくれとは言えない……。

 マウンドに立って守備を確認。みんなユニフォームで俺のジャージが凄く浮く、一種のSMプレイなのではないかと思うよこれ……。

 バッターボックスに立った見るからに足が早そうな一番バッター、どこまで通用するかな? 中島くんの指示は外角高め。

 

(っ!? アンダースロー)

 

 アンダースローの球をはじめてみるのかバットが出ない。次はどこだ? ああ、ボール球でいいから下ね。

 その後は目がなれていないのかお返しのように123バッターを三振で終わらせる。

 

「ナイスピッチング!」

「良いピッチャーだね、うちで投げないかい?」

「遠慮しときます」

 

 ベンチに入って即座に勧誘が入るが雑に断っておく。野球に人生を捧げられる程自由な身ではない。それに夏休みは山でサバイバルだ。野球なんてやってる場合か!

 4番バッターに期待の視線を向けるが無論空振り、その後もゾロゾロと……あはは、これは引き分けコースじゃないですかやだー。

 そのまま休み時間も与えられずマウンドに立つ。相手のクリーンナップ、小学生と言えど警戒した方がいいだろう。

 え、中島くん! 四番にど真ん中!? えぇ……。

 四番くんは打ってやるという闘志を滾らせている。

 ……ストレートは駄目だ。

 体を沈ませて球を投げる。

 流石は主砲と言わんばかりの風切り音を響かせて空振り。

 

「え? タイミングは……」

 

 チェンジアップ。現代野球で一番の魔球だ。

 その後はストレートとチェンジアップを使いこなしてバッターを翻弄し塁に出さない。

 さて、攻守交代。そういえば俺は……七番バッターだったな? バット借りないと。

 

「相沢! ガツンとアーチを作りなさいよ!!」

「無理言わないでくれよ……」

 

 メットを被って左バッターボックスに入る。全員が目を見開いて困惑している。

 やっぱりね、野球って右投げ左打ちだと思うんですよ! 理由はカッコイイからだけ!!

 四番でピッチャーくんが舐めやがってという視線をぶつけてくるがこっちは助っ人だぞ、好き勝手にやらせてくださいよ。

 一投目、内角低め……左ボックスに入ってるからデッドボールが怖くて球速が出てねぇぞ……。

 二球目、必死に外角を狙うが……ほとんど真ん中だぜ!

 金属バットの甲高い音を響かせて飛ぶは白球! 回れまわれ俺の足!!

 球は打っても飛ばないとタカを括ってた前進守備でいっぱいに引っ張った打球を追いかけても届かない!

 

「二塁打……いい感じいい感じ」

 

 結衣の方を見ると……なんで睨むの!? 右で打ってたらホームランだっただろってか! 真面目にやれってか! 二塁打打ったのにそりゃねぇぜ!!

 監督が二塁打を打った時の俊足を買ってかバントの指示を出す。三塁まで行けって……確かに小学生相手だけどさ……。

 八番バッターがバントの体制、ピッチャーくんは俺のことを警戒して牽制球を一回。スライディングでアウトにはならなかったが、お気に入りのジャージが泥だらけだよ……。

 カンッとバントの音が響いて即座にキャッチャーが対応して三塁に送球、だが逃げ足だけは天下一品、どうにか服を汚さずにたどり着いた。それを確認して一塁に送球するがそれを見逃さず本塁に駆ける!

 

「嘘だろ!? 間に合え!!」

 

 ファーストが投げるが焦りから送球が荒くなり、捕手がブロックしようとした時にはベースに手が乗っている。

 

「こりゃ凄い。天才だねぇ、結衣ちゃん」

「……そう、ですね」

 

 一点先制、その後は扇風機で全員塁に進むこと無く三回に突入した。

 小学生の野球とは言えど、ストレートとチェンジアップだけではラッキーパンチが怖くなってくる。

 バッターを三振させたところでタイムを入れて中島くんの耳元に口を近づける。

 

「シンカーとカーブも織り交ぜるから頼む。サインはいらない、向けられた場所に投げるから」

「え? 変化球も――」

「しー! 一応、変化球に耐性のない相手でも聞かれたら不味いって……」

 

 タイムを終了させてマウンドに駆け足で戻る。

 中島くんの示す場所はど真ん中、バッターの方もチェンジアップでくると予想してか感覚を研ぎ澄ましている。さて、この場合に一番いい変化球はなんだろうか?

 ――カーブだ。

 体を限界まで沈ませてストレートやチェンジアップではない握り方でリリース、上から落ちてくるような弾道のカーブに対応できずバッター手が出ない。

 中島くんの方はアンダースローで変化球まで使える俺に目を輝かせているが、本当にやめてほしい。既成事実だとか言われたくないから!

 その後も完全試合のペースで三振を量産し、また俺の打席が回ってきた。

 

「今度はホームラン打ちなさいよね!」

「無理言わないでくださいよ……」

 

 メットを被って左バッターボックスに入る。

 小学生野球で左利き以外で左バッターボックスに入る人間は少ない。右投げならどうしても弾道的にデッドボールを警戒して内角のギリギリを攻めるというのが難しいのだ。

 一球目、外角高め。打ってもよかったのだが、芯に捉えられないと踏んで見送り。

 二球目、外角低め。もう割り切って外角攻めに切り替えたか? それなら流し打つか……。

 ――三球目、ど真ん中のチェンジアップ。

 快音、速球を続けてチェンジアップは悪い選択肢ではない。だが、小学生野球の球速はバッティングセンターの球速より遅い。そしてチェンジアップとなれば尚更だ。だから打とうと思った時には芯で打ち返すことができる。

 ボールはアーチを描き、スタンドに入ってワンバウンド。

 

「……ほ、本当にホームラン」

 

 バットを丁寧に置いて誰も居ない塁を駆け抜けてホームラン。

 その後はピッチャーくんの心が折れたのか中継ぎに交代するが、俺のホームランで火が付いたチームにボコスカと打たれて最終的には5対0の完全試合で幕を閉じた。

 

「相沢くん凄いよ! 今まで一度も勝てなかったチームに完全試合なんて!!」

「ああ、そういうのいいから……お夕飯を作らないといけないし……」

「駄目だよ! その才能をもっと有効に活用しないと!! うちのチームに!!」

「もしもし? え、野球……ああ、勝ったよ。うん。すぐに帰ってお夕飯作るからまっててね」

 

 このみからの電話で中島くんの熱烈なプロポーズを回避して、今日一日女房してくれてありがとうと告げた。

 すると野球は楽しいのに、と、物凄く暗い表情で自分のミットを眺める。

 

「プロ野球の世界に入ったらもっと凄い球が取れるさ、中島くんのキャッチング技術は小学生離れしてる。将来は正捕手だよ」

「ほ、ほんとうかなぁ……」

 

 ハマの狂犬と呼ばれるキャッチャーが二十歳の時に大活躍する。打ってよし、走ってよし、守ってよしの万能キャッチャー、付いたあだ名がハマの狂犬。どんな球も取るし、甘い球は余裕でホームランにする。FAの時に海外留学の気持ちでメジャー優勝を掻っ攫う程の才能の持ち主、俺のモノマネ野球とは別次元の存在だ。

 結衣が俺の肩をポンポンと叩いて完全試合を初めて見たと大興奮だが、本当に運が良かっただけなんだよなぁ……。

 そのまま結衣と俺はバス停まで一緒に歩いていくのだが、後方からの惜しいという視線はどうにも慣れない。俺の最終的な職業は空自の戦闘機パイロットなんだよ……。

 程なくして帰りのバスがバス停に止まり、松葉杖をついた結衣を先に乗せて最後部の席に並んで座った。

 

「……ありがと、相沢のおかげで勝てたわ」

 

 バスに揺られながらの帰路、隣に座る結衣が小さく感謝の言葉を告げる。

 

「旅は道連れ世は情け、困った時は手伝うさ」

「……でも、ちょっとだけ自信失ったかも。相沢……いえ、明広の方が野球上手いから」

「趣味に上手い下手を持ち出したらギャンブルと同じだ。スポーツは健康な精神が大切だとか? 重要なのは楽しむ心だよ」

 

 それから結構な沈黙。

 

「……でも、明広のこと少しわかった気がする」

「どんなとこ?」

「すっごく馬鹿なとこ」

「ひでー」

 

 まあ、笑ってもらえればそれでいい。

 俺は君のヒーローであり続けなければならないから……。

 

 

 

【6:地獄の一ヶ月】

 

「「ホームパーティー?」」

 

 アリスが唐突にホームパーティーを開くと言ってきた。日本人に馴染みのないホームパーティーという文化、核家族化が一般的になった日本では人付き合いというものが希薄になっている。つまり、家に人を呼んでパーティーするというのが不思議に思えるのだ。

 

『それにしても唐突だな、まだまだ引っ越してきて間もないのにパーティーとは』

『お父さんがお友達に自己紹介したいって! 過保護なんだよね』

『日本人の想像するパーティーってのはレストランを貸し切ったりするものだからなぁ、やっぱり違和感が高いんだよ』

 

 欧米圏では集合住宅というのは珍しい、一部の貧困層以外は基本的に一軒家に住んでいる。隣の芝生は青く見えるという言葉があるようにホームパーティーは自分の庭を見てもらう品評会。これだけ綺麗な庭にしましたよ! どうぞ見に来てください!!

 そうだな、例えるなら日本の月見酒、花見酒と同列。だから芝見酒ってか?

 

『このみちゃんも連れてきていいかい?』

『もちろん! 人は沢山呼んだ方がいいからね』

 

 そうなれば軽く食べられるお見上げ品を用意しなければ、酒類は父さんが断酒したから持っていけないし……無難にチョコレートでいいか? 日持ちする。

 

『教会でお祈りをした後に準備するから……三時頃に来て! お父さんのBBQは凄く美味しいのよ!!』

『はは、それは楽しそうだ』

「呼ばれたら参上しないと廃るわね……行くわ!」

「結衣ちゃんが行くならわたしも」

 

 日曜日のホームパーティー、いつものイベント。

 

 

 日曜日の四時、オーグレーン家のホームパーティーにお呼ばれしてBBQや北欧の料理を楽しんでいる。外の人達はね?

 俺というとアリスのお父さんに強引に連れて行かれて書斎にテーブルと椅子二つ、置かれているのはコニャック、そういえば強引に飲まされるんだよね……。

 

『やあ、アキヒロくん。娘からは色々と聞いているよ』

 

 オーグレーンさんが語る言葉はスウェーデン語ではなくイタリア語、私は試していますよと言っているようなものだ。それにしても訛りが無い。どこで学んだのか不思議になる。

 

『ええ、自分の語学力が彼女に貢献出来て嬉しい限りです』

『仕事の都合での唐突なものでね、長期的な移住になるから連れてきてしまったんだ。それにしても、ドイツ語も訛り一つ無い。いや、ドイツ語は常時訛って聞こえるものだが』

 

 仕返し代わりにドイツ語で応戦してみるが聞き取ってきた。この人はスウェーデンの諜報員か何かだろうか? 少し昔に見た記事で日本は各国のスパイ激戦区だとか、もしかしたらアリスのお父さんは諜報員なのかもしれない。

 

『お酒は飲めるかい。それなりの酒だ』

『未成年ですよ、それともロシア語を使っているから飲めると思ったんですかね』

『ふふっ、飲まないと君が男色家だと娘に言ってしまうよ』

『それは怖い』

 

 この人は腹の中が本当に読めない。世界各国の言語を平然と使いこなし俺という存在の底を探ってくる……。

 ショットに注がれる琥珀色の酒、互いにそれを持ち一気に流し込む。

 

『もし、娘が暴漢に襲われていたら助けてくれるかい?』

 

 ショットに酒が注がれる。それを飲み干してボトルに手を伸ばしオーグレーンさんのショットに酒を注ぐ。

 

『助けますよ。自分の持てるすべてを使って……なんなら相手の武器を鹵獲する算段まで付けて……』

『それは頼もしい』

 

 オーグレーンさんが自分のショットを飲み干して俺のショットに酒を満たす。

 雰囲気はさながら洋画、酔いを使って相手から情報を引き出していく。

 鋭い眼光と見定めるような瞳、一回の会話で変化する言語。

 底が知れない、この人も俺も……。

 ショットを空にする。

 

『場所は森林、護衛対象は幼い少女。相手は武装した謎の組織、君はどう攻略する?』

『そうですね……獣道の上に少女を配置して小石を投げ続けて貰います。その音を聞きつけた兵士を撃破して武器を鹵獲、防弾チョッキなどを着ていれば護衛対象に装備させます。護衛の場合、最優先するのは護衛対象の命、戦う人間の命は不問です』

 

 ボトルを手に取りショットに注ぐ、少し溢れた。回ってきたか……。

 ショットを飲み干して……次のかいわにい行する……。

 

『どうして……ひっ……幼い自分にそんな話しをするんですかね……?』

『いや、僕は君が娘と同い年には見えない。だからこんな会話をしているんだ』

『しょれはしょれは……きゃほぎょへふね(過保護ですね)……』

『だが、酒の強さは年相応のようだ』

 

 やめてくれるかと期待してみたがショットにしゃけがにゃがれていく(酒が注がれる)。これではある意味で尋問にもかんじられ……る。

 ショットを手にとってくひに流す。

 そしてぶるぶるするてでぼちょる(震える手でボトルを握り)しょしょぐ(注ぐ)……。

 

「あなたは……なにをしてほしいのですか……」

「簡単だね、僕の死角で君が娘を守って欲しい」

「かほぎょすぎますよ……にへんはへいやたいきょく(日本は平和の国)……」

 

 からだがまわる。

 にのんごいがい(日本語以外)つかわれちゃらはいちぇいたばろう(吐いていただろう)……。

 

「やり過ぎたようだ。兄のマネをしたんだが……子供にすることじゃないね……」

きゃいがい(海外)だとぎゃくちゃい(虐待)うったへられれまふよ(訴え)……」

 

 たがいのぎゃらふにしゅあけがほほがれふ(互いの硝子に酒が注がれる)……。

 

「……君は護衛対象をどれだけ守れる?」

ぶっひへきなへんじょ(物資的な援助)しょふりょうやみふ(食料や水)せっひ(設置)をひてくれちゃら……いっかげつ……」

「気に入った」

 

 互いにショットを空にした。

 意識が遠のいていく。

 

 

 目が覚めると芝生の香りと人肌を感じた。まだまだアルコールが残る体を強引に叩き起こし人肌の主を見てみると我が愛しの妹様であった。ああ、女神……!

 

「お兄ちゃん大丈夫? すごく……お酒臭いけど……」

「ん、ああ……ちょっとハードボイルドを楽しんだんだ」

 

 頭を掻いて綺麗に整備された庭を見渡す。本当に欧米人の庭に対する情熱は常軌を逸している。もちろん素晴らしいという意味でだ。

 ポケットを確認すると一冊のメモ帳、物資の設置場所などを記した地図だ。

 これは他人に見せられない。

 

「このみちゃん……楽しめたかい……?」

「うん。でも、結衣さんとさくらさん、アリスさんはお兄ちゃんが独り占めにされてて少し怒ってたかな?」

「それはそれは、罪づくりな男になっちゃったねぇ」

 

 もう一度、妹の膝を借りて目を閉じた。

 強い酒飲ませすぎだよ……。

 

「何寝てんのよ! アリスが寂しがってるわよ!!」

「それは結衣ちゃんの方じゃ?」

「う、うぅ……新しいお肉焼けたから早く立ちなさいよ!」

『アキヒローお父さんのお肉美味しいよー』

 

 実感する。ハーレムって面倒くさい部分もあるんだよね……。

 でも、全員が親しい友人だからその面倒臭さもある意味では誇りなのかもしれないね。

 

 

 俺は同じ人生を繰り返している。

 繰り返す世界の中で何度も地獄を見ている。

 人間、死ぬことは覚悟でどうにかできる。他人に死なれるのは……案外、覚悟できないものだ。

 これは、俺が経験した夢だ。

 酒なんて飲んだからこんな夢を見る……。

 

『お兄ちゃん……抜け殻のわたしを愛してくれてありがとう……』

 

 二回目の人生、それは俺にとっての地獄だ。

 上手くいってたと思う。

 二回目にしては十分過ぎる進行状況だった。

 あの日までは……。

 その日は、そうだな、今日みたいに大雨が降り注ぐ……。

 

『駄目だ! やめろ!!』

『次に生まれ変わったら……お兄ちゃんのお嫁さんにしてね……』

 

 汚された自分の存在を憂いて身投げした。

 別に、汚れていても兄妹として見捨てることはしない。それなのに、このみは自らを舞台から強制的に下ろした。それは、俺にふさわしい少女達がいたからか、それとも――売女に落ちた自分に愛される資格が無いことに気づいてか……!

 一度しか経験していないが、あれは彼女が中学生になった日だ。

 新品のセーラー服を着て恥ずかしそうに写真に映る姿は普通の中学生、なにも問題はなかった。家族でレストランに行った。そう、レストランだ。結構高級な店で、そこには金持ちそうな人間が沢山いて、少しばかり場違いな雰囲気もあった。

 見たんだ。なんとなく見覚えがある姿、会ったこともないのに嫌悪感を感じさせる小太りな男。そいつを見た瞬間、このみは吐いた。

 その時、俺も体の芯から冷える何かを感じたんだ。

 ――ああ、あの男がこのみを買った屑かと……。

 お祝いできる空気じゃなかった。すぐに店をでて家に帰った。

 

『綺麗に育ってる……食べごろだ……』

 

 地獄耳というのは本当に嫌だ。

 ――俺は、彼女を救えたと思っていた。

 母親は父さんから金を奪い、このみの純潔も奪い、さぞ快適な生活をしていただろう。本当に、嫌になる……。

 このみは不登校になった。過去の記憶がフラッシュバックし、自傷行為も目立った。

 それでも、兄として……妹に寄り添い続けた……。

 少しずつ回復していき、ようやく外に出られるようになった。

 

『お散歩いってくるね……』

 

 彼女は一人で散歩にでかけた。俺もついていこうか、そう聞いたが、一人でお散歩できるようになりたいと返事が帰って、それを受け入れた。

 ついて行けばよかった。

 その日からこのみは散歩をよくするようになった。いや、散歩をしなければならない理由ができたと表現した方がいいか? ――あの男だ……!

 あの男は……! あの日、このみを攫い喰らった!!

 関係をバラせば兄に行為の映像を送りつけると脅されて、彼女は受け入れることしかできない存在にされた!!

 

『うそだよ……いやだよ……』

 

 このみは妊娠三ヶ月だった。

 父親はあの男、無責任でどうしようもない極悪人。

 望まぬ妊娠、俺という存在、そして――絶望。

 

『このみ!!!』

 

 俺は、あの日の光景を目に焼き付けては思い出す。

 亡骸を見ることができなかった。

 写真も見ることができなかった。

 存在を思い出すことができなかった。

 葬式が終わり、家に帰ると封筒がポストに差し込まれていた。

 それは男とこのみの関係、そして、

 

『僕の子供を産んでほしかったんだけどね』

 

 笑えるな、本当に。

 俺はその男を大通りで殺した。

 多くの叫び声に包まれ、サイレンの音が響いた。

 その後は覚えていない。

 

 

 そうだな、今度はアリスのことを思い出してしまった。

 彼女の死も酷いものだ。

 あの時はアリスのお父さんに物資の設置をお願いしていなかった。普通に考えればわかることだ。人間は食料と水がなければ衰弱し、死んでしまう。

 山の中で迫る財団の私兵、武器の鹵獲は成功し、食料や水も現地調達こそできていた。

 

『アキヒロ! 水が冷たくて気持ちいいよー!!』

『大声を出すな、どこに奴らがいるかわからない……』

 

 水浴びをするアリスを眺めながら、鹵獲したMP7の残弾数を確認していた時だ。

 相手も同じサイレンサーを装備した同じ武器、アリスのか細い体が鮮血に染まる。俺は即座にフルオートで制圧射撃を行い、撃たれたアリスを回収し、比較的安全な場所で止血を行う、でも……溢れ出る血……。

 

『アキヒロ……体がふわふわするよ……』

「くそ! 輸血!? 俺はO型だ……輸血をすれば……」

『アキヒロ……大丈夫だよ……』

「何を言ってるんだ!? このままだと!!」

『人は……死んでも……』

 

 ――天国に行くだけ。

 そんなの……わからないじゃないか……。

 失敗した。

 殺されたというのに安らかなその顔を思い出す。

 俺には永遠に理解できない。

 

 

 結衣にも悲惨な結末がある。

 リトルリーグを卒業し、中学で野球部に所属した。

 中学までは男女混合で野球ができる。

 男勝りな性格から中学までは絶対に野球をやめない。そう誓って彼女は投げ続けた。

 それがいけなかったのかもしれない。

 むさ苦しい野球部に美少女が一人、気さくな性格で彼女と付き合いたいと思う奴らは多かった。でも、彼女は……断り続けた……。

 それが上級生の安いプライドを傷つけたのか……彼女は右肩をバッドで殴られ二度と球を投げることができなくなる。それだけならよかった。

 

『やめなさい! やめて!!』

 

 複数の野球部員は彼女を性処理玩具のように使った。

 さくらが結衣の帰りが遅いと連絡をいれてくれた後には、もう、遅かった。

 彼女は転校していった。

 数週間後には、葬式の案内が……。

 大好きな野球をできない体にされ、そして、奪われて……。

 野球部の奴らはどこかに消えた。もし、このみを喰らったようにノウノウと俺の前に出てきていれば……。

 ――指を全部切り落としてやっていたさ。

 

『明広があたしに勝負を挑むなんて珍しいわね?』

『ああ、おまえみたいな美少女が男子に混ざって野球なんてしたら末恐ろしいからな? 女子野球にしてくれ』

『は、はあ!? び、美少女……おだてても容赦しないから!』

『俺が勝ったら……女子野球部に入れよ? 打つのと投げるの、どっちがいい』

『あたしが投げるわ! ホームランを打てたら考えてあげる』

 

 俺は打ったよ、一球目でね……。

 先手を打ったさ。

 

 

 もちろん、さくらにもこれから先、悲しい結末が用意されている。

 それは彼女が本屋から帰宅する際に電車に乗り込んだ時、刃物を持った男に刺される。

 無差別殺人、仕事も家庭もすべて失った男が起こした事件。

 こういうのを無敵の人とか言うらしい。

 

『あきひろくん……きてくれたんだね……』

 

 さくらはうわ言で家族にそう呟いていたらしい。

 

『あきひろくん……はじめて話した時からずっと……』

 

 ――好きでした。

 俺が彼女の病室についた時には白い布が被せられていた。

 

 

「はっ!? はぁはぁ!! ……最悪の夢だ」

 

 呼吸を整える。

 あれは目を逸らすことのできない現実。

 まだまだ彼女達に死神の鎌が伸びる。

 俺は、死神を殺し続ける……彼女達が幸せになるその日まで……。

 ――それが相沢明広という人間の使命だから……!

 

 

 六月の中旬、梅雨入りして毎日が雨粒の季節。

 そんな季節に唐突な提案が結衣によってもたらされる。

 

「プール行きましょ! 温水プール!!」

「藪からスティックだな」

 

 郊外にある温水プールの割引券、契約している地方新聞からの贈り物らしい。一枚で三人、それが二枚あるから六人まで半額で入場できるようだ。

 さて、ここで問題が発生する。

 

「女の子の空間に男の子が入っていいのですかね?」

 

 これに尽きる。

 いくら親しい間柄だと言っても女の子のお出かけに金魚のフンをしていいのか?

 このイベントははじめての経験なので少しだけ困惑している。もしかして好感度が原因でこのイベントが発生したのだろうか? この世界はエロゲーだが、一応は恋愛シュミレーションに分類されるわけだし……。

 

「明広くんは大切なお友達だよ! ハブるなんてできないよ!!」

「いや、でも……同い年だからボディーガードにもなれないし」

 

 普通になれるが謙虚を演じよう。

 

「いいのよ! この湿度で髪がゴワゴワする季節……ストレスが有頂天だわ!! ストレス発散!!」

「……そこまで言うんだったら別にいいけど」

『アキヒロ? なんの話しをしてるの』

 

 日本語で会話していた為、プールに行くことを理解していないアリス。

 それにしても……プラチナブロンドがアフロになってやがる、梅雨って恐ろしいなぁ……。

 

『いや、このメンバーでプールに行くらしいんだ。俺も強制参加、このみも無論連れていく。アリスはどうする?』

『プール!? ……わたし泳げない』

『ああ、極寒の北欧だからなぁ……そりゃ泳ぐ場所は少ないよな……』

 

 その代わり一家に一台サウナがあるらしい。

 アリスは少し悩んで頭上に電球を光らせる……どうやって光らせるの!? 俺もやってみたい!!

 

『アキヒロは泳げる?』

『どうして?』

『教えて! わたしバタフライしてみたい!!』

『いや、そこは無難にクロールからね、ね!』

 

 ヒラヒラ蝶みたいで綺麗な泳ぎ方だからやってみたいのにぃと拗ねる。いや、水泳初心者が真っ先にバタフライ泳ぐとか無理だから、アレすごく難しいから……。

 

「アリスは大丈夫みたいだ。無論、このみちゃんも連れてきていいよな……」

「本当にシスコンね……ハブるつもりなんて無いわよ!」

「よっしゃぁ!! このみの水着姿!!」

(((……ギリッ)))

 

 どうしてシスコンしたら睨まれるのでしょうか?

 

10

 

 そして当日。

 我が愛しの妹様も付いてきてくれて放課後に水着を買ったり色々と劣情が……。

 いやね、お風呂に入ってる時に背中流すっておNEWの水着を着て背中を洗ってくれた時は精通を覚悟したね、お兄ちゃんパワーでどうにかマイサンを押さえつけたけど! 数年後にアレをやられたら間違えなくマグナムリボルバーがタオルを貫通する……。

 

「それにしても、はじめてのイベントだ……何も起こらなければいいが……」

 

 この世界を繰り返す中でランダムイベントというものは多く発生する。推測ではあるのだが、ヒロインの好感度が一定以上に達していたら発生するような? 前の助っ人イベントはランダムイベントに該当する。それに付け加えて点を取り、無失点で勝利したからこのイベントが追加された可能性が高い。

 まあ、公衆の面前で犯罪をするようなバカはいないだろう。普通にプールを楽しめばいいか。

 

「相沢くん! こっちだよー」

 

 さくらが手を上げて俺のことを呼んでいる。

 ――小学生にあるまじき巨乳!?

 咄嗟に目線をそらす。

 女子小学生メガネっ娘巨乳……属性多すぎだろ新島さくら……!

 

「ど、どうかな? 可愛い水着があったから……」

 

 青を貴重としたワンピース水着、フリルが良いアクセントになっている。だが、それ以上に胸が……。

 駄目だ駄目! エッチな目で見ちゃメ!!

 

「に、似合ってる……でも、目のやり場に困る……」

「え? あうぅ」

 

 互いに目を逸らし合う。非常に気まずい。

 ――腹部に鋭い一撃が飛んできた。

 

「あんた! さくらのどこ見てたわけ……ええ!」

「ぽんぽんいたいでち……不可抗力でち……」

「お兄ちゃん大丈夫?」

 

 風呂でも見たがこのみの可愛らしさにスクール水着は反則だ! 小柄で可愛らしくて、実際幼くて……ああ、可愛い……! 犯罪的だ!!

 

「男って本当に変態! ……あたしのは似合ってる?」

 

 オーソドックスなパステルカラーのビキニタイプ、フリルが各所に散りばめられて可愛らしいという印象が強い。色黒な肌によく似合ってると思う。

 

「うん、似合ってる。すごく女の子っぽ――ゴハッ!?」

「さーて、アリスはまだかしら」

「ぽんぽんいたいでち……二回目……」

 

 アリスが手を振りながら駆け寄ってくる。

 え、何もついてない青ビキニ!? 発育はまだまだだけど逆にそっち系が好物な人間ならヤバイ水着着てるよこの子!!

 

『叔父さんとサウナ入る時の水着だよ! 似合ってる?』

『あ、うん。なんか、ちょっとね……白人さんの大胆さが凄いと思ったよ』

 

 頭にはてなマーク作ってる。わかってないんだね、その水着は日本人の価値観からしたら大胆すぎるんだよ……。

 飛ぶ。

 というわけで、当初から予定されていたアリスのための水泳教室。だが、そこにマイラブリーシスターも加わっている。なんでも金槌らしい。いやはや、アリスだけだとやる気60%だが、エネルギー充填120%になっちゃうね!

 

「バタ足うまいぞー」

『なんて言ってるの?』

『足の動かし方が上手いって褒めてるの』

『やったー!』

 

 アリスのバタ足の練習が終わったらこのみの番、運動音痴なせいか途中で水底に沈んでいく。これは絶対に船には乗せられない……この世界の乗り物は物凄く脆く設計されているんだ。まるで某ゲーム会社のヘリのように……。

 この世界で一番信頼できるのは父さんの軽自動車だけ、それ以外は対物ライフルで狙撃されたり、仲間にならないモンスター筆頭無敵の人が現れたりと乗り物が危険過ぎる。

 中学二年生の時に向かうコンテナ船なんて自爆装置付けてあるからな……。

 

「うぅ……泳げないよぉ……」

「浮き輪、持ってきたよ」

「お兄ちゃんなんて大嫌い!!」

「えぇ……」

 

 妹の唐突な反抗期に自分の心が折れる音がする。

 水泳の練習なんてほっぽりだして人気のないプールで潜水する。音のない静かな環境、そうさ、俺は水……水に妹なんていない……。

 

「あ、明広くん……五分くらい潜水してない……?」

「そうね……どんな肺活量してるのかしら……」

「結衣ちゃん! もっと心配しようよ!?」

「だって、試合終了までマウンド降りない男よ。あれくらい出来るんじゃない?」

『25m泳げたー! あれ、アキヒロは?』

 

 水、水はいいな、少し塩素の香りが強いが……。

 人間の60%は水、言うなれば運命共同体、

 互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合う、

 人間が水の為に、水が人間の為に、

 だからこそ普通に生きられる、

 水は兄弟、

 水は家族、

 ――嘘を言うな! 窒息死するわ!!

 

「妹に言われた大嫌いが俺の心をへし折る……」

『アキヒロー! 25m泳げたよー』

「うん、すごいね……俺は凄くないね……」

 

 シスコンなのに妹に嫌われるなんて……。

 

「お兄ちゃん……ごめん、言い過ぎた……」

「このみちゃーん!」

(((…………)))

 

 社会的に死んだけど妹の反抗期が終わったからオールOK!

 

11

 

 プールで満足を通り越して疲れるまで泳いだところで近場のファミレスでかき氷やパフェなどを食べている。俺も久々のストロベリーパフェとカプチーノ(砂糖一本入り)を楽しんでいる。

 

「やっぱり運動はストレス発散になるわね」

「泳ぎ過ぎて筋肉痛が怖いかな……」

『次は50mだー!』

「元気なこって……」

 

 カプチーノを一口、このくらいなら苦味は感じない。砂糖も投入したからな……中1頃にはブラックも楽しめる……。

 このみは俺と同じストロベリーパフェを楽しんでいる。リスみたいに食べて可愛いなぁ……。

 

「そういえば、秋に林間学校があるのよね」

「そうだね、結衣ちゃんと同じ班になりたいな」

「リンネテンセイガッコウ?」

「なんか殺されそうな活動だな……『ボーイスカウトだよ、泊りがけの』」

『へー』

 

 このみちゃんが寂しそうな目で見つめてくる。学年が違うから参加できないからな、それに三泊四日の結構な長期間。妹に会えない日が四日も……。

 ズル休みしていいかな……?

 

「ズル休みしたら〆るから」

「鯖になった覚えはねぇよ……って、俺の頭の中を読むなよな!」

「明広くん、行事にはちゃんと参加しないと駄目だよ?」

 

 行事ねぇ……林間学校より過酷なサバイバル生活を夏休みの間にやるんだけどね……。

 でも、林間学校中は事件も何も起きない。妹の心配をする必要もない。

 ある意味ではお疲れさまでした。突破おめでとうって感じのものだ。

 

「まあ、行けたら行く」

「絶対来ない魔法の言葉使わない!」

 

 本当に行けたら行くなんだよね、怪我したらそんなの参加できないし……。

 アリスを見る。チョコレートパフェを美味しそうに食べてる。

 これが普通、普通なんだよ……なんで財団は彼女を……。

 

12

 

 今日はズル休みをしてアリスのお父さん、ハンスさんに会いに来た。理由は簡単、娘を殺す実働部隊の動きを察知したからである。

 娘と同い年の子供にボディーガードを頼むというのは些か不相応に感じるが、オールレーン家には後ろ盾が少ないらしく現地協力者は俺以外に存在しないときている。それなら俺がアリス、いや、VIPを守るエージェントになるしかない。これまでもやってきたことだ。

 

「ここと、ここ、そしてここに物資を設置してある。この一番道路に近い場所には私の相棒が置かれているから娘を回収した時に返してくれ」

「相棒というと……」

 

 相棒という言葉を聞いて一丁の1911を取り出して見せた。SIG社製だからGSRという商品名だったような気がする。丁寧にサイレンサーまで取り付けられていて、暗殺拳銃ですよと言わんばかりだ。

 本物だということはわかりきっているので、収めてくださいと告げて会話を戻す。

 

「君にやってもらうことは一つ、娘を絶対に死なせないことだ……」

「簡単に言ってくれますね……――やり通しますよ」

 

 アリスのお父さんはにこやかな笑みを見せて大柄なリュックサックを俺に渡してきた。中身を確認すると飲料水や携行食料、双眼鏡に最悪の場合を備えたメディカルキットが入っている。それに丈夫そうなシースナイフ。

 

「これだけあれば十分です。銃火器は現地調達で済ませます」

「スナイパーは派遣されていないと聞いてある。安心してランボーを楽しんでくれ」

「他人事みたいに言わないでくださいよ……まあ、わかりました」

 

 最低限の装備、まるでメタルギアのようだな、食料以外は全部現地調達。嫌いじゃない。

 互いに握手をして健闘を祈り合う。

 ――失敗は許されない。

 

13

 

 バックパックの中身を再確認する。

 飲料水と携行食料、シースナイフに双眼鏡。最低限の止血が出来るメディカルキットが収納されており、それ以外はアリスのお父さんが設置してくれた物資頼りになる。

 アリスのお父さんと深い関係を築く前は食料と水は最初の分を消耗したら現地調達に切り替えていたのだから自分の甘さに苦味が生じる。

 時刻は二時を回ったところ、夏休み初日から生死の境を彷徨う大冒険、いや、自殺行為に身を投じる人間は少ないだろうが、その一人が俺だ。

 ノートに修行に行ってくると適当な書き置きを残してバックパックを装備し、自室から出る。

 ――妹の顔を見たくなった。

 音を立てないように静かに扉を開けて安らかな寝顔を見て覚悟が完了する。

 さて、地獄の一ヶ月間を生き抜く覚悟はできた……!

 

14

 

 アリスのお父さんから受け取った装備と設置されてあるトランクケースの中身を再確認する。ハンスさんの相棒であるサイレンサーの付いたGSRが予備マガジンと一緒に置かれている。

 家には修行に行ってきますと置き手紙を書いて置いてきたから大丈夫だろう。

 いや、妹が心配だ……。

 GSRの初弾を装填し、ランデブーポイントの木陰に隠れる。

 そこにはMP7で黒いセダン車を射撃する白いバンが見えた。財団の兵器は本当にお金に物を言わせているな……。

 三台バンのフロントタイヤを撃ち抜いてスリップさせる。

 アリスとアリスのお父さんが乗ったセダン車が木陰に付けて助手席を開けてアリスを無理矢理に引っ張りだして、助手席にGSRを置いてそのままアイコンタクトだけを済ませて鹵獲ポイントまでアリスを引っ張っていく。

 ――セダン車のエンジン音が響いた。

 

「あ、アキヒロ? ど、どうして……」

「今は話せない。でも、君の命が危ないんだ……付いてきてくれ……」

 

【一日目】

 

 ランデブーポイントからそれなりに離れた位置、草木が生い茂る道なき道をナイフで切り開いて歩みを進める。だが、護衛対象のアリスは困惑の表情を隠せないでいた。

 それもそうだ。

 軍特殊部隊が使うような兵器を持った謎の武装組織に襲われて、普通の同級生だと思っていた俺が颯爽と現れて山の奥に逃げているのだから。

 

「アキヒロ! 説明して……何が起こってるの……」

「俺は英国のスパイなんだ。こう見えて三十代だ」

「え? ええ!?」

「嘘だよ」

 

 頬を膨らませて怒っているが、俺が未来人で君が死ぬから助けに来たなんて言えない。ただ、これだけは言える……彼女の両親が物事を解決するまで一ヶ月、夏休みすべてを献上して山籠りだ……。

 アリスの質問攻めを無視し、獣道を発見。鹿かイノシシが通ったのかまだ新しい。ここでアンブッシュするか……。

 

「アリス……ここで小石を投げ続けてくれ……」

「ど、どうして?」

「いいから、小石を投げ続けるんだ」

 

 アリスを獣道の上に存在する木陰に隠し小石を投げ続けることを命令する。俺というと獣道の草むらに潜み、ナイフを握りしめて奴らが来ることを待つ。

 

『音がした……あっちだ!』

 

 やはりイギリス英語、訛りがない。

 顔は覆面を被っているため人種はわからないが、何度もこいつらの顔を見てきた。全員が白人、財団の採用基準は第一に白人であること。何を目的にしているのやら?

 190cmはありそうな白人が三人、装備はMP7……どこの特殊部隊だ……。

 

『あそこだ! ――っ!?』

 

 アリスの姿を見た私兵が銃口を向けるがその瞬間にナイフを持った俺が立ちふさがり、一人目の私兵の右手に突き刺す。防刃手袋を使っているとはいえ、ナイフで思い切り刺されれば武器を手放す。

 そのままMP7を鹵獲、残りの二人の右肩、足に向かって射撃。無力化に成功、奪った一人は負傷者の回収に残す。

 

『武装放棄して二人を回収しろ、このままだと失血死だぞ』

『き、貴様は……何者だ……』

『答える義理はない。ここで殺されるか? それとも助けるか、選べ……好きな方を……』

『っ! 二人を回収する……』

 

 銃口を背中に押し付けて待ったをかける。

 

『上質な防弾チョッキだな、置いていけ……こっちのVIPはピクニックの準備しかしていない。脱げ……』

『わ、わかった……』

 

 防弾チョッキを脱ぎ捨てて負傷した二名を回収していく。

 5.56mmNATO弾の話しでこういった物がある。

 兵器は人を殺すものではあるが、小銃は敵兵を負傷させるもの。一人の負傷兵を回収するのに戦線では二人の兵士を使用する。だから致命傷を与える必要は少ない。

 まあ、ゲリラ相手だと意味のない話だ。

 だが、財団の兵士は優秀な私兵、負傷兵は極力回収する。特殊部隊に匹敵する兵士を育てるのは才能と金が異様にかかる。殺すのは惜しい。そう教え込まれてるのだろう……。

 私兵の姿が見えなくなった。

 

「アキヒロ……あれ……」

「致命傷じゃない。回収に一人は無傷にしておいた」

「で、でも……人を……」

「迷ってる場合か! 撃たなければこちらが撃たれる……これを着てくれ。胴体なら死ななくて済む」

 

 鹵獲した防弾チョッキをアリスに渡す。金属プレートが入った高級品、小学生には少しばかり重いが、命には代えられない。

 

「……戦うアキヒロが着たほうが」

「俺は君のお父さんに頼まれたんだ。最優先は君の命、俺の命はどうでもいい」

「パパが?」

「いいから早く着てくれ……増援がいつ来るかわからない……」

 

 思い詰めた表情になるが、防弾チョッキを着込んだ。綺麗にブカブカ、だが、小さい体を大きな面積で守れるのは利点。場所を移動しよう、ここは道路からまだ近すぎる……。

 

「アキヒロ……パパに頼まれたって本当……?」

「ああ、君のお父さんに頼まれた。色々と訳ありのようでな、俺もそんなところだ……」

「……わかった。アキヒロについてく」

「それでいい。出来る限り道路から離れよう、道路は相手側の拠点みたいなものだ」

 

 アリスを連れて山の中腹を目指す。人間、下か上としか考えない。この場合は中腹が一番安全だ……。

 どうにか中腹の発見されにくい場所に到着し、事前に渡された地図を開く。そして二つ目の物資発見し、中身を確認する。 

 そこには食料と水、衣類などが詰め込まれたキャリーケースが捨てられている。アリスのお父さんが設置してくれたものだ。

 それにしても、丁寧に汗拭きシートまで入ってある。いやはや、娘のお肌トラブルにまで気を使うとは……。

 

「ここは安全なの?」

「いや、全然。一つの場所に留まるのは危険だ……まあ、休憩くらいはできるが……」

 

 防弾チョッキの重さにヘナヘナと座り込むアリス、十キロ近いベストを着て乱れた山を歩いたんだ、そうなるのも頷ける。支援物資の飲料水を手に取りアリスに渡す。いくら涼しい山の中だとしても真夏、脱水症状に悩まされる。

 

「ありがとう……」

 

 受け取ってチビチビと喉の乾きを潤す。

 俺の方は鹵獲したMP7の残弾数を確認し、正しくセミオートに設定されているかを再確認する。無駄弾は撃てない、消費は最小限に留める……トリガーハッピーは身を滅ぼすと言ったものだ……。

 

「……アキヒロ、そんな目してたかな」

「張り詰めてるからな、気にしないでくれ」

「そうだ! 焚き火しよ!! 火を見ると人は落ち着くって叔父さんが!!」

「――駄目だ。狼煙と痕跡が残る……相手はプロ、嗅覚は犬以上だと思ってくれ」

 

 アリスがしょんぼりと地面を眺める。仕方ないだろ、奴らは一ヶ月も子供を追いかけ回す異常者だ。それに特殊部隊に匹敵する練度、香りすら残さない細心の注意が必要……本当に厄介な相手だよ……。

 消費した物資をリュックに回収し残りを茂みの中に隠す。

 もうそろそろ、負傷兵を回収しきったタイミング……増援が駆け巡るだろうか……?

 

「移動しよう、一箇所に留まるのは危ない」

「行く場所はあるの?」

「無いから野営しないのさ、何日追いかけ回されるかわからない……」

 

 寂しげな瞳を覗き込む。

 やめてくれ、俺だって君が死なないならこんなことはしない……。

 ある程度移動を終わらせたら空は帳を下ろしていた。

  最初の夜、アリスは不安そうな瞳で俺のことを見つめる。

 

「大丈夫、護衛は任せてくれ」

「ち、ちがうよ……どうしてアキヒロはわたしを……」

「人間、知らない方がいいこともある。疲れただろ? 寝てくれ」

「う、うん……おやすみなさい……」

 

 アリスに迷彩柄のタオルケットをかけてMP7のストックを調整。

 赤外線スコープを装備した相手に裸眼、地の利以外は全部相手有利なんて素晴らしいとしか言いようがない。

 アリスの寝息が聞こえたと同時に立ち上がり、狩りの始まりだ……!

 

『日本の夏は凄いな、これなら勝手に死ぬんじゃないか?』

『いや、A1隊が負傷して帰ってきた。オーグレーンは優秀なエージェントを雇ったみたいだ』

『聞いた話ではエージェントは子供らしいぞ』

『そんな馬鹿なことがあるか――ッ!?』

 

 サイレンサーから弾が飛翔する甲高い音、それを聞いた瞬間には一人の足が撃ち抜かれていた。

 一人が負傷者の救護にあたる。

 

『居た――グッ!?』

 

 二人目を負傷させ、右肩を丁寧に撃ち抜く。残りの二人は木陰に隠れた俺に銃口を向けるが……こいつらは残しておかないとな、不殺なんて眼中にないが、移動の際に死体をアリスが見たら……まあ、嫌な気分になる。

 

『負傷兵を持って帰るか……それとも撃たれるか、どっちか選べ』

『お前を殺し――ッ! うっ……』

 

 引き金を引こうとした私兵の右肩に飛翔する。左手だけでも一人くらい回収できるだろう、仕方がない犠牲だ。

 

『負傷兵を持って帰れ。無駄死には嫌だろ?』

『わ、わかった……撤退する……』

『マガジンを数本置いていけ……』

 

 部隊長らしき男が予備のマガジンを静かに二本地面に置いた。

 そのまま部隊は負傷兵を回収して下山していく、簡単な任務だと思って気軽に来るから怪我をする。それは何度も経験している……。

 撤収して数分、予備のマガジンに小石を投げてトラップの類が設置されていないことを確認してベルトに挟む。

 初日は2部隊しか来ない、アリスの元に戻ろう……。

 

【一日目・相沢家】

 

「お、お父さん……お兄ちゃんが帰ってこないよ……」

 

 場所は変わって相沢家、修行に行くと書かれた置き手紙を見つけて七時間、夕食頃には戻ってくるだろうと帰りを待っていたが、深夜になっても帰ってこない。まさか武装組織と戦闘をしているなんて予想できるものか。

 

「……警察に頼むしかないか」

「……お兄ちゃん」

「大丈夫だ! 明広はとんでもない男……事件なんて……」

 

 明文は今までの彼の行動を思い返す。この数ヶ月の間に何度も事件に巻き込まれている。それを自らの力のみで解決し、飄々と学校に通う……。

 普通にありえる。

 実際にやってる。

 明文は携帯電話を拾い上げ、警察に電話を入れた。

 

「お兄ちゃん……」

 

 この一ヶ月、財団の影響で明広が駆ける山には捜索の手は及ばない。日数が経てばたつ程に捜索の手は広がるが、謎の組織・財団、その影響力は計り知れない。

 

「……お兄ちゃんはわたしを置いていかないって言ったのに」

 

 このみの瞳から光が消えていく。

 

【二日目】

 

 木々の合間から木漏れ日が落ちてくる。

 目を閉じて眠れるのは最初の十日間だけ、その後は地獄より素晴らしい攻勢がかけられる。その時には眠れることの素晴らしさを神様に感謝することになる。

 

「ん……からだいたい……」

「起きたか? 寝汗が酷かったぞ……水を飲め……」

「え!? アキヒロ! ……あ、そっか」

 

 普段の日常と錯覚したアリスが一瞬だけ取り乱すが、自分の置かれている立場を再確認し静かに気分を落とす。俺の方はお構いなしに水を手渡してMP7を眺める。

 

「アキヒロ……トイレどこかにあるかな……」

「すまないが……そういうのは無い……」

「あうっ……」

「ウェットティッシュがある……それで、まあ、頼む……」

 

 涙をウルウルとためて覚悟を決めたのか草木を掻き分けて消えていく。その後、大声が響き渡る、悲しいかな……これを何日も繰り返さなければならない……。

 数分後、酷い表情のアリスが体育座りをして恥ずかしいと連呼している。文明が進んだ現代で野外での排泄行為は非常に恥ずかしいものだ。いやはや、文明の進化は恥の歴史なのかもしれない。

 

「……アキヒロ、それ」

 

 アリスが静かにベルトに挟まれている二本のマガジンを指差す。

 

「アリスが眠った後にな」

「……殺したの?」

「いや、二人……三人を負傷させて回収させた。殺してない」

「アキヒロは……人殺しにならないよね……」

 

 少し悩んで、頷いた。

 殺すことより回収させた方が戦術として正しい。負傷兵が帰ってくれば恐怖が蔓延する。逆に部隊が帰ってこなければ家族を殺されたと殺意が蔓延する。どちらがお得か? 勿論前者、不殺を馬鹿にする連中も多いが……この場合は不殺の方が相手の行動が制限される。

 ――どこに敵が隠れているかわからない。

 戦争、戦闘、諜報、このすべてが心理戦。心理的にダメージを与えた方が優勢になるのは古来からの定めだ。

 少ない睡眠時間、眠気をかき消す為に持参した鷹の爪を口に放り辛さで目を覚ます。寝ぼけた状態で戦闘できる相手でもない。

 

「辛くないの?」

「かりゃい……」

「ふふっ」

 

 アリスが飲みかけのペットボトルを俺に渡してくる。

 

「飲料水は限られてる、一人で飲みな」

「その顔みてたら……ふふっ、笑っちゃうから……」

「……ありがとう」

 

 アリスの水を飲み干して吐息を一つ。ありがとうの一言をかけようとするが、彼女は顔を真赤にして目を逸らす。ああ、間接キスだな……。

 

「アキヒロは……好きな子とかいるの……?」

「そうだな、この戦いが終わったら教えてやるよ」

「それ、「シンリフリーダム」っていうんだよ」

「死亡フラグね、おまえをご両親に届けるまで死ねないよ……」

 

 アリスの顔がカッと赤くなり、また目を逸らす。

 吊り橋効果? それともストックホルム症候群か……いやはや、俺もあくどいことをしているものだ。

 鹵獲したMP7のマガジンを装填し、立ち上がる。

 

「……生きて帰ろう」

「……うん」

 

 伸ばした手を掴んでくれた。

 頼りにされるのは嬉しいことさ、期待を裏切れない……。

 

【二日目・立木家】

 

「え? 明広が家に来てないかって……来てないですよ、終業式も足早に帰って……」

『そうかい、ごめんね。ちょっと息子が家出なんてしててさ』

 

 結衣の背筋が凍る。

 明広が何か行動を起こす時、それは事件が発生している時。自分は二回も彼に命を救われている。もしかしたら三回目もあるかもしれない。

 このみに関してもそうだ。ただならぬ理由で妹として迎え入れたと聞いている。そうなれば、次は誰だ? まだ事件に巻き込まれていない存在……そう、アリス。

 北欧からの転校生、彼女はまだ明広に救われていない。

 ――明広がアリスを助けているという構図が目に浮かぶ。

 

「あの、明広のお父さん……アリス、オーグレーンさんにも電話してみてください。たぶん、そんなことはないとおもうけど……!」

『明広とこのみがよく話してる白人の転校生? うん、わかった』

 

 明文からの電話が切られ、結衣は静かに立ち尽くす。

 明広ならやりかねない。ドスと鉄砲を持った男に立ち向かい、誘拐された時にも大の大人が何人もいる状態でも制圧し、彼女を無傷で回収した。それがアリスの番になった。

 ――酷く納得できる。

 

「明広……アンタは……」

 

 何者なの? 答えは帰ってこない。

 

【二日目・昼】

 

 時刻は正午、ある程度の移動を終わらせて保存食を開く。残り29日の間はブロッククッキーと塩が主食。時間が経てば経つ程にケーキやコーラなどの砂糖が大量に使用される食べ物、飲み物が恋しくなるものだ。

 

「アキヒロも食べないと力出ないよ……?」

「いや、空腹状態の方が眠気が覚めていい。気にせず食べてくれ」

「……アキヒロ、無理はしないでね」

 

 アリスの言葉が胸に刺さる。

 無理をするなか……確かに、気を抜けるなら全力で抜きたい気分だ。でも、一秒たりとも気を抜いたら終わる。アリスという護衛対象を護衛しながらの仕事、気を抜いたらアリスが補足され、躊躇なく発砲される。それを阻止するには自分の身を限界まで張り詰めなければならない。優しい言葉に甘えてはならない。

 ――そうだろ? 相沢大先生。

 

「それを食べ終わったら移動しよう、道路から離れたと言っても敵が何人いるかわらない。下手をしたら負傷兵を連れて行った奴らが位置情報を吐いたかもしれない」

「うん、あむあむっ!?」

「ふふっ、ほら、水」

「むむっ……ふぅ……ありがとう」

 

 アリスに手を貸して移動を開始する。

 二つ目の物資の確認に行くか……。

 

【二日目・夜・相沢家】

 

「お兄ちゃん……お兄ちゃんの香り……」

 

 明広の部屋に入ったこのみが彼のベッドの飛び込む、そして枕や毛布を抱きしめて残り香を肺いっぱいに取り込んで、頭に兄の姿を思い浮かべる。

 自分を地獄から掬い上げてくれた存在、自分を母と同じくらい愛してくれる人。

 彼女は売られる状態だった。父と義母が電話で自分を抱かせるとかという会話を耳にしていた。もし、兄が提示した先に引き取るという言葉が無ければ――。

 

「お兄ちゃん……大好きだよ……」

 

 息を荒くする。

 

「お兄ちゃんだけ、お兄ちゃんだけ……」

 

 ――わたしを汚していいのは、

 

【四日目・昼】

 

「テトリス面白いなぁ」

「そりゃよかった」

 

 二つ目の物資、そこには乾電池を使用するゲーム機が置かれていた。山の中で警戒を厳にしなければならない俺にとってこのゲーム機は救いだ。アリスが話題を振れば無視することはできない。その一瞬の隙きに財団の私兵がやってくるかもしれない。それの対処、一秒でも遅れればゲームオーバー……彼女が手に持っているゲームと違って現実、気を抜かなくて済むのはありがたい。

 

「最高スコア更新! ねえ、勝負しようよ!!」

「すまないが、置き手紙に娘のゲームを取るなって書かれてた」

「大丈夫! お父さんには貸したなんて言わないから」

「気持ちだけ受け取っておくよ……嘘だろ、まさか」

 

 双眼鏡を取り出して谷に存在する小川に犬を連れた私兵が、嘘だろ……犬を投入するのはまだまだ先、なんでこのタイミングで……ッ!?

 ――そうか、昨日、三人目に発砲したから追加の兵員を送り込む前に犬を使ったのか! 一人の負傷でここまで変化するものか……。

 双眼鏡を仕舞い、アリスにトイレに行くと言って離れる。

 小便を空のペットボトルに流し込む。

 犬は厄介だ。昔は犬派だったのだが、この事件で犬のことが世界で一番大嫌いな動物になったよ……。

 犬は鼻が利く、最初は……アリスの排泄物に行き着くだろう。その後は臭いを辿って俺達の元へ、軍用犬の恐ろしさは誰よりも知っている。人間は殺さないが……。

 ――すまい、犬は殺させてもらう。

 

【四日目・夜・相沢家】

 

「明広……大丈夫なんだよな……」

 

 警察の事情聴取、親しい友人からの情報提供、明広の部屋から出てこないこのみ、事態は悪い方向ばかりに進行していく。

 明文は最悪の事態を想定する。

 

「――誘拐」

 

 だが、このマンションはセキュリティ万全、散歩に行くだけなら置き手紙を残す必要もない。どうして置き手紙を残したのか? それがわからない。

 ただ、小学生が一日経っても帰ってこない、これは問題だ。

 やはり事件に巻き込まれている。

 

「お父さんをいじめないでくれよ……」

 

 か細い声でそう告げた。

 

【四日目・深夜】

 

 犬と人間が歩く音が響く。

 アリスは五分先にある木陰でゲームをしているようにと留めて静かに時が来るのを待つ。

 犬の鳴き声が聞こえる。

 MP7を構えて木陰から静かに引き金を引いた。

 キャウンという絶命の声を聞いた瞬間に飛び出し、犬を連れた私兵の右肩を撃ち抜く。

 

『な、なんで……アダム……ッ!』

『すまないが、犬を放たれたら不利なんでね。亡骸をもって早く消えろ……』

『っ……くそやろうが!!』

 

 MP7を左手で持ち直し、撃ち返そうとするが、次は左肩に弾が撃ち込まれる。

 

『……早く消えろ、犬は残念だったな』

 

 武器を使えなくなった私兵は絶対に殺してやると捨て台詞を吐いて足早に消えていく。

 生き物の殺生は辛いものだ。

 尖った棒を拾い上げて亡骸に突き刺し、鮮血を辺りに撒き散らす。

 足止めになるかどうかわからないが、血の臭いは強烈な物。腐乱すれば尚更に強烈になる。

 犬の対処を終了させ、アリスの元に戻ると彼女は静かに眠っていた。

 タオルケットをかけて木陰に深く座る。

 

「あの様子だと、一匹しか放っていないだろう……逆に犬は効果がないと思ってくれれば……」

 

 犬は人間の最大の友であり、兵士の天敵だ……。

 

【六日目・夜・相沢家】

 

「おはよう……お父さん……」

「……このみちゃん、酷い顔だよ」

「えへへ、昨日ね、お兄ちゃんがわたしにいっぱいチューしてくれたんだ……だから全然眠れなかったの、酷いよね……」

「そ、そうだね……」

 

 その瞳に光はない。

 ――狂気。

 

【十日目・昼】

 

 十日目、アリスは現状に適応してきたのかいつものような笑みを見せるようになってきた。でも、排泄の際はやはり恥ずかしそうに消えていく。

 俺というと中途半端に使ったマガジンから弾を抜き取り、マガジンに弾を詰め直す。マグチェンジは戦闘中最大の隙き、それを絶対に起こさない対処だ。

 それが終われば木に登り双眼鏡で私兵が確認できないかを繰り返す。

 

「……私兵の姿は見えないな、注意しないと――っ!?」

 

 頬を掠める弾丸、双眼鏡の反射で悟られたか!?

 

「アキヒロー、電池が!?」

「移動するぞ! スナイパーを投入しやがった」

 

 一定のタイミングで撃ち込まれる弾丸、姿勢を低くし木の密度が高い場所に向かって歩みを進める。このタイミングにスナイパーに捕捉された……大まかな位置を把握されたことと同じ、今日一日は歩きっぱなしだな……。

 

「アキヒロ! 頬から血が……」

「大丈夫だ。掠っただけ、治療道具も持ってきてる……」

 

 MP7のサイトを外してアイアンサイトの状態にする。反射に一瞬で対応してきた……前の人生じゃスナイパーに捕捉されるなんてなかったのに……!

 凡ミス、まだ十日目だぞ……もう、アリスが死ぬ姿は見たくない……。

 

「アキヒロ……どこまで……」

「今日は一日中移動だ。スナイパーに悟られた……こいつの射程じゃライフルに勝てない……」

 

 距離は約500m、腕利きなら外さない距離……観測手がいないのだろう。だが、山の不安定な風で頬を掠める程の精度、子供を殺すことに躊躇いが生じたか?

 スナイパーの排除、できればライフルも欲しい。また犬が投入された時に重宝する。だが、アリスを置いて相手のスナイパーと対峙か……賭けだな……。

 

【十日目・夜・立木家】

 

「明広くん……まだ帰ってきてないんだね……」

「ええ、明広のお父さんに電話したけど……」

「アリスちゃんも帰ってきてないんだよね……」

「ええ、もしかしたら……アリスに何か……」

 

 あの時と同じように事件が発生している。

 でも、自分達に助け舟を出すだけの何かはない……。

 

【十日目・深夜】

 

 アリスが眠った。

 スナイパーを狩るならこのタイミングしかない。

 MP7のサイレンサーを外し、上空に向かって発砲した。

 返事と言わんばかりに朱色の弾丸が飛翔するのが見える。あそこか!

 再度サイレンサーを装着し、スナイパーがブッシュしている場所に向かって駆ける。スナイパーを野放しにすることは出来ない。絶対に今夜――潰す!

 

『銃声が聞こえたぞ! スナイパーに連絡を入れろ、撃ち返してた』

『わか――ウガッ!?』

 

 道中で数人の私兵を無力化し、スナイパーの場所に駆ける。

 ッ!? 捕捉されたか!

 足元に突き刺さる弾丸、木を縫うように移動しようやく到達した。

 

『こりゃ参った。観測手をつけるべきだったかな?』

『子供を撃つことを躊躇った結果だ。その右肩もらうぞ』

 

 撃ち返そうと振り返るが、両肩を撃ち抜いて武器を落とさせる。

 

『スナイパーはおまえだけか?』

『ああ、俺以外の奴らは全員興が乗らないって降りてったよ。狙撃手は流儀ってのがあるわけさ……俺には無いけどね……』

 

 地面に落ちたレミントンM700を拾い上げる。

 スナイパーを蹴り倒し予備のマガジンをすべて奪い取ってその場を去る。

 

『……こちらスナイパー9、武器を奪われた。撤収した方がいい、長距離狙撃の的にされるだけさ』

『……回収に向かう』

『了解、オーバー』

 

【十一日目・昼】

 

「武器が増えてる……また危ないことしたの……?」

「怪我をしてないからいいだろ、こいつがあればもっと安全にアリスを守れる」

「……殺さないでね、人」

 

 すぐに返事が出来なかった。

 .308winは非常に殺傷能力が高い弾だ。ヒグマだって急所を狙えば一撃で落ちる、距離が近ければ人間の体をズタズタにすることも可能……。

 だが、こいつ一丁で戦力比が大きく変動する。相手も昼間から私兵を投入することは無いだろう、つまり……昼は比較的安全。少しくらいアリスに構える。

 

「今日は夜までここでゆっくりしよう」

「え? でも……移動しないと……」

「こいつのおかげさ」

 

 ライフルを見せる。意味を理解していないようだが、嬉しそうな笑みを見せた。

 射程が長い武器が手に入り相手の野営地も観測できる。この状態なら多少の慢心は許される。

 久しぶりの火を拝むのも悪くない。

 

【財団視点】

 

「奴ら……焚き火なんてはじめやがった……」

「狙撃銃は無いのか!?」

「スナイパー9の一丁だけだ。悟られてるな、こっちがMP7しか装備にないことを……!」

 

 追加で連れてこられた私兵達が嘆く、度重なる武器の鹵獲に負傷した私兵達のうめき声、それが恐怖を助長させる。このままでは作戦遂行ができない。

 位置を特定できたのだから一気に攻勢をかけようと部隊に声が上がるが、双眼鏡を持った一人が腰を抜かす。

 

「どうした!? ッ……」

「見てます……奴はこっちを見てます!」

 

 スコープの反射でわかる。自分達の野営地を補足し、いつでも撃ち抜けると……。

 

「いや、素人がこの距離を撃ち抜け――」

 

 連れてきた犬達すべてが撃ち抜かれ、断末魔を上げる。

 

「物陰に隠れろ!!」

 

 予想を遥かに超えた相手、部隊は混乱し戦意が削がれていく。

 

【同時刻】

 

 マガジンをチェンジして初弾を装填する。選りすぐりの一丁を選んで装備しているようだ、ズレが一ミリも無かった。

 犬の殺処分完了、これで犬の対処は必要なくなった。

 

「アキヒロ? 本当に焚き火してよかったの」

「ああ、前言撤回。痕跡を残してもいい」

 

 本来であれば犬に警戒して焚き火を恐れていたが、犬の殺処分も完了し、相手の野営地を狙撃することもできる。相手も攻めあぐねる、追加のスナイパーの登場が危ぶまれるが……その時は先に撃ち抜けばいい。

 ライフルを置いて双眼鏡で野営地を確認する。部隊長らしき男が車の中で何かを叫んでいるのが確認できる。増援要請だろうか?

 

【十二日目・昼・財団視点】

 

「なに!? オーグレーン夫婦が支部に襲撃……支部長を殺害……?」

『ああ、尊い犠牲だ。それより早く娘を殺せ、支部長の敵討ちだと思ってな』

「そ、それが……彼女を警護するエージェントが! スナイパー9の狙撃銃も鹵獲され……」

『何をやっている!? 部隊の損耗は……』

「……戦闘できる隊員は半分を切りました。奴は負傷兵を増やして我々と心理戦を」

『……奴を送る。到着は15日後だ。それまでエージェントと娘を山に止めろ、巡回はいい』

「奴? まさか!?」

『ああ、財団最強の兵士だ……』

 

【十七日目・昼】

 

 もう五日も動いていない。

 おかしい、私兵が山で巡回することが無くなった。だが、野営地には変わらず兵士達がいて、まるで……何かを待っているような……。

 こんなことは無かった。どう対処すればいい? だが、アリスの両親が来るまでは動くに動けない。

 ――挑発してみるか?

 アリスと一緒に三つ目の物資が置かれている場所にやってくる。アタッシュケースを開くとそこにはテントが詰め込まれていた。

 

「て、テント! 寝袋もあるよ!!」

 

 三つ目のアタッシュケースにはテントと寝袋が収められている。今までは一つの場所に留まるというリスクを容認することができず、放置していたのだが……ここまで来れば使用してもいいだろう。

 アタッシュケースを拾い上げて相手の野営地が見える場所に戻る。

 ……さて、どう出る?

 

【十七日目・夜・相沢家】

 

「お父さん……お兄ちゃんまだ……」

「警察もちゃんと動いてくれてる。大丈夫、あいつが「お兄ちゃんが死ぬわけない!!!!」……こ、このみちゃん?」

「お兄ちゃん……お兄ちゃんの香りがしなくなったよ……」

 

 兄の毛布を抱きしめる。

 

【二十四日目・昼】

 

 テントを設営して一週間、堂々と拠点を作ったのに襲いに来る気配すら感じられない。どうしたんだ、増援を呼んだわけでもなく、ただ野営地で互いに睨み合うだけ、これでは第一次大戦の塹壕戦ではないか……。

 

「アキヒロ! ビーフジャーキー美味しいよ!!」

「あ、ああ、後でもらうよ」

 

 この生活も終りが近い。本来であれば犬や夜襲の対処に追われる日々の筈だが、今回に限ってテントで雨風を凌ぎながら……奴らは何を狙っているんだ……?

 

 

 

【7:殺して負けろ!】

 

【二十五日目・昼・空港】

 

「いやはや、日本に到着した途端に久しい顔に会えて嬉しいよ……弟よ!」

「やあ、兄さん。今までどこで何をしていたんだい?」

「いや、財団の存在を知ったアジア人マフィアと遊んでいたのさ! まあ、遊び相手にもならなかったが……」

 

 まさか、明広が山で戦闘を行っている間に日本各地にある財団のコンピューターの破壊活動をしていたとは驚きだ。この二十日間でオーグレーン夫婦の会話を聞いたが、日本支部は極端に私兵が少なく、ここまで大規模な作戦をしてくるとは思っていなかったらしい。まあ、起きたことだ。

 それにしても、この男は誰だ? 弟と呼んだということは兄なのかもしれないが、弟にこれだけの殺意を向けてくるか……。

 

「兄さんは知っているだろう……財団はアリス! 貴方の姪を殺そうとしているんですよ!?」

「ああ、確かに姪を殺すのは辛い。だが、私も財団の職員になったのだ……尊い犠牲だ……」

「……殺すんですか」

「……わからない、私に欠片程度の家族愛があれば、まあ、別かもしれないが」

 

 ハンスが銃を構える。だが、その瞬間には銃が空を舞っていた。

 

「やめてくれ、私に弟を殺させないでくれ……白人だろ? 仲間だ」

「アリスも白人だ!」

「たが、財団の命令には従わなければならない。わかってくれ、弟よ」

「娘を殺そうとする奴が兄の筈がない!」

 

 男はため息を吐き出し、賭けをしようと提案する。

 

「なーに、ちょっとしたかくれんぼだ。私がアリスを3時間以内に殺す。殺せなかったらおまえと同じように財団から足を洗おう」

「……いや、10分だ。アリスには心強い用心棒を付けてある。彼を10分で倒してみろ!!」

「用心棒? ああ、現地の下っ端から聞いている。アジア人のガキが姪を守っていると……白人がアジア人と馴れ合うとは……」

 

 男は笑みを見せ、いいだろうと約束を交わした。

 ハンスは男の威圧感に耐えながら、端末を取り出してコールする。

 

『誰だ……?』

「アキヒロくん……聞こえるかい?」

『アリスのお父さん? ゲーム機に通信端末を仕込んでいたんですか……』

「よく聞いてくれ。私と妻は日本各所にある財団のコンピューターの破壊活動を行った。だが、空港で不味い人間と鉢合わせしてしまった……」

『誰ですか?』

「私の兄だ……」

 

【同時刻】

 

 山で生活して二十五日、あと五日でこの地獄も終わる。アリスのお父さんが発煙筒を炊いたらミッションコンプリート、最大の難関が過ぎ去る。されど、まだまだ私兵がウロウロしている。一気に攻勢をかける可能性も少なくない。

 ――携帯の着信音みたいな音が響く。

 

「アキヒロ! ゲーム機がなんか変なの!!」

「ん?」

 

 ゲーム機の画面にBボタンを長押しと表示される。アリスのお父さんが用意したものだ。爆発物ではないだろう……長押ししてみる。

 すると吐息が聞こえる。

 

「誰だ……?」

『アキヒロくん……聞こえるかい?』

「アリスのお父さん? ゲーム機に通信端末を仕込んでいたんですか……」

『よく聞いてくれ。私と妻は日本各所にある財団のコンピューターの破壊活動を行った。だが、空港で不味い人間と鉢合わせしてしまった……』

「誰ですか?」

『私の兄だ……』

 

 アリスがヒョイとゲーム機を取り上げて耳を当てる。

 

「お父さんなの!? 怪我してない……鉄砲でいっぱい撃たれてたから……」

『アリスか……よかった。アキヒロくんに任せて正解だったよ』

「うん! シャワーは浴びれないけどスリリングで楽しいよ!」

『そうか――やあ、アリス。久しぶりだな? 叔父さんのこと覚えているかい』

「え、叔父さん? 叔父さんも日本に来たの!?」

『ああ、ちょっと野暮用でね。三日後くらいに迎えに行くよ』

「また一緒にサウナ入れる!? 今度こそ叔父さんより長く入ってみるもん!!」

『そう、だな……アリスのことを守ってるアジア人が頑張ってくれたら……』

「アジア人じゃないよ! アキヒロって名前だよ!!」

『そうかい、そうかい……そのアキヒロくんに代わってくれないか』

「うん! いいよ」

 

 天真爛漫なアリス、だが、どうにも嫌な予感がする。

 アリスに手渡されたゲーム機を耳に向ける。

 

『おまえがアリスと行動を共にしているアジア人か……どうだ、うちの姪は可愛いだろう? 死ぬ前の思い出によかったな』

「……アンタも、アリスを」

『悲しいが、そういうことだ。いやはや、上の人間は人の心が無い。私も姪を殺めたくはない……だが、仕事だ。家庭は持ち込めない』

「普通は逆だけどな……」

『ふふっ、私は弟と賭けをしているんだ。君が私と戦い――十分間生存できたらアリスを殺さないと』

「……アンタ、何者だ」

『アジア人に情報は渡せない。地図を確認したが、姪のいる山の山頂は電波基地でそれなりに平坦だ。殺し合いにうってつけじゃないか! そこで待っていてくれ、勝負をしよう……』

「……代わってくれ」

『アキヒロくん……兄の言うことを聞いてくれ、兄からは絶対に逃れられない。約束を破れば……! 指定された場所に移動してくれ、アリスを……頼む……』

 

 通信が切れた。

 ゲーム機をアリスに返し、双眼鏡で野営地を覗き込む。撤退していってる。

 横槍は不要ということか……。

 

【二十五日・昼・新島家】

「……さくら、お母さん心配してるよ?」

「……ごめん、今、顔を見られたくない」

「――あたしだって見られたくないよ! でも!! ……さくらも明広と同じくらい大切な友達だから」

「帰ってよ! わたしは……また、自分の弱さに負けたから……」

「……さくら、どうして」

「帰れ!!!!」

 

 ――自分が嫌になる。

 

【二十五日目・夜・警察署】

 

「生存は絶望的でしょう……失踪して二十五日も経っています。各所を捜索しましたが、痕跡一つ、目撃情報一つありません……」

「そうですか……」

 

 このみが崩れ落ちる。

 

「お父さん……お兄ちゃん死んじゃったの?」

「……わからない」

「答えてよ!」

「……わからないんだよ」

「お兄ちゃんがいない人生なんて……お兄ちゃん……」

 

 ――わたしを一人にしないで……。

 

【二十七日・昼】

 

 アリスの叔父さん、財団の何か、兵を撤退させる程の権力者……。

 

「アキヒロ! 缶詰美味しいね!!」

「あ、ああ……」

 

 あの後、アリスのお父さんから電話で野営地にレーションを残させてあると言われ取りに行った。もちろん人影一つなく、地面にレーションが置かれているという状態。明日にはアリスの叔父さんとやらが到着する。最後の晩餐を楽しめという計らいだろうか?

 ……俺はこの世界で死ぬことはない。だが、生きた屍になることはある。

 一人でやってくる、凄腕の殺し屋?

 財団の私兵を全員撤退させる程の存在、肉体が成熟していない俺に対処できるのか? ……今までは籠城戦だけで済ませてきた。だが、今回はイレギュラーが多すぎる。

 犬の投入の早さ、スナイパーの登場。

 何もかもが突発的に発生しているような気がしてならない。

 

「アリス……」

「なに?」

「叔父さんってどんな人なんだ?」

「えっとね! すっごく大きいの!! お父さんより10cmは高いと思うよ!!」

 

 アリスのお父さんが180cm前半くらいだから身長は190cm台か、一頭身くらい俺より上の大男か……。

 その後はサウナに三十分以上入れるだとか、冒険家で世界中を旅しているだとか、ドリフト走行が上手いだとかの普通の叔父さんとしての話ししか出てこない。

 

「そして……なんでだろう、お父さんよりお父さんみたいな感じがするの」

「そりゃ、可愛がって貰えたらそう思うのもわかるよ」

「違うの! なんというのかな……叔父さんの雰囲気がお父さんと違って、お父さんのような気がするんだ……」

 

 アリスの瞳が俺のことを寂しそうに見つめる。

 欧米人は家族意識が高いと言うが、どうにもアリスの叔父さんへの愛情は父と娘のようにも感じられる。

 膝に置いたMP7を見つめる。

 もし、アリスの叔父さんと戦闘になった時、俺は躊躇なく引き金を引けるのだろうか? この天真爛漫な少女が慕う叔父を容赦なく殺せるのだろうか……。

 今までは部隊を負傷させて回収させるということだけに努めてきたが、一対一の戦闘となれば生き死にが存在するかもしれない。

 ――俺は、彼女の大切な存在を奪えるか?

 

「アキヒロ……どうして泣いてるの……」

「え? あ、本当だ……」

 

 年齢相応の恐怖、そう、この涙の正体は恐怖だ。

 俺は責任がとれるかどうか頭の中がグチャグチャになっている。

 殺されるだとか、殺すだとか、そんなの十歳の少年が考えることではない。友達と遊んだり、悔しくて泣いたりするのが普通、それが大人以上の選択肢を下さないといけない現状に心も体もついてきていない。

 ――年相応。

 そうだよな、俺は今は十歳の少年。それが変に悩むのもバカバカしい。

 ……俺は運命で絶対に死なない、だから、アリスの叔父さんを殺すことは絶対にしない。

 

【二十八日・早朝】

 

 山頂にある電波塔、そこにスーツを着込んだ大男がやってきた。

 その顔は酷く優しく、その瞳は酷く――透き通っている。

 アリスと同じ青い瞳、この瞳だけでアリスの叔父だというこを十分過ぎるくらいに理解できる。だが、手には一丁のリボルバー拳銃が握られ、寂しそうに笑う。

 ああ、これは凄い人間がやってきたとため息がでそうだ……。

 

「叔父さん! ひさ――」

「すまないアリス……少し眠っていてくれ……」

 

 駆け寄ったアリスに鋭い拳を叩きつけ、気絶させる。

 プレートの入った防弾チョッキを着ていても相殺できない程の衝撃。

 手が出なかった……あまりに自然に、そして素早く拳を叩きつけたのだから……。

 咄嗟に理解した。

 ――この男には勝てない。

 

「やあ、アジア人……弟と賭けをしていてね、君が10分間死ななかったらアリスを殺さない。だが、君が10分以内に死んだらアリスを殺す。私にも仕事というものがある。仕事をしなければご飯が食べられない」

「……三分、アンタ程の男なら下手をすれば数秒で俺を殺せるだろ?」

 

 手に持ったMP7を投げ捨て、重りになるものすべてを外す。

 男はニンマリと笑い、見上げた根性だと絶賛の声をあげる。

 

「いやはや、日本人は他のアジア人とは違う! これが侍というやつか!! 潔さ、ああ、素晴らしい……アジア人ということで評価は奈落に落ちるがね……」

「どうでもいいさ、俺の仕事はアリスを守ること……可能性が高くなるなら手段は選ばない」

「素手で戦うのが一番確率が高い? 笑える冗談だ。まあ、いい。少ない寿命を楽しめ……」

 

 男は腕時計をいじり、そして――銃を天に向って撃った。

 ――速い!?

 大柄な体躯からは想像できない俊足で一気に距離を詰められるッ!

 両腕をクロスさせ、足を地面から放す。

 体が何度も回転し、威力が消えたと思った時には男の足が振り下ろされようとしてた。

 それを間一髪で回避し、転がって体制を立て直す。

 

「子供特有の軽さを利用した威力軽減、素晴らしい! 白人だったらスカウトしていたところだ……」

「生憎、アジア人でね……!」

 

 この男に攻撃するのは自殺と同じ、ただ受けて時間を稼ぐ!

 リボルバーを抜き取った瞬間に電波塔の陰に隠れ撃たれるのを回避――なんて速さだ!?

 額に突きつけられる拳銃、何秒でここまで到達した……!

 

「いやはや、マフィアよりは楽しめたよ、さようなら」

 

 炸裂音が響き渡る。

 ――左耳が銃声によって潰れる。

 咄嗟の判断、突きつけられた銃口を思い切り頭突きして射線を反らす。

 

「……素晴らしい! あれだけの絶望的状況で切り抜けるか!!」

「あと、何分だ……」

「ふむ、二分だな……それにしても、君はアリスと同い年だろう。どうして彼女を守る?」

「……わからない。理由なんてない。ただ、やらなきゃならないからさ」

 

 男は腹を抱えて笑った。

 そして、瞳に光が戻る。

 

「負けた気分だよ、私は上からの命令を素直に聞いて行動し続けてきた。だが、君は自分の意思ですべて行動している。ああ、羨ましい」

「無駄口を叩いていると時間が経つぞ……」

「正直、負けたいと思いはじめた。いくら上の命令だとしても、姪を殺すことを了承した自分、アジア人だとしても姪と同い年の少年を殺そうとしている自分、弟の頼みを断った自分、すべてが人間としてやってはならないこと……それを仕事だからと片付けている自分に嫌気が差してきた」

「それでも、仕事はしなければならないだろ? 早く撃てよ……でも、もうアンタは負けている」

 

 男は時計を確認する。体感だが、まだ一分くらい残っているだろう。

 

「人間の死は心臓が止まった時、銃で撃たれようが、首をはねられようが一分間くらいは心臓は動く! つまり死なない……無駄口叩いてるから心臓を撃たない限りアンタの負けだ……」

「では、しんぞ――」

 

 リボルバーに噛み付く。

 

ひんへもはなはねぇ(死んでも離さねぇ)! うへほ(撃てよ)!! ころひへまけほ(殺して負けろ)!!」

「……そうか、そうだな、私の負けだ」

 

 男はリボルバーから手を放してアリスの元に歩んでいく。

 そして、大粒の涙を流した。

 

「私は……大人だ。子供を殺すのを躊躇わなければならない。それをしない、ああ、私はまだ子供だった……」

 

 時計からアラーム音が鳴り響く。

 

「ああ、人生で初の敗北、気分は悪くない」

「……殺さないのか」

「負けたのに殺す? ありえない、逆に殺して欲しいくらいだ。そいつで撃ってくれないか」

 

 地面に落ちたリボルバーを指差す。

 

「それはできない。アリスは……叔父さんとサウナに入るのが大好きって言ってたからな……」

「本当に……私は……」

 

 男は静かにこの場から立ち去っていく。

 俺の一ヶ月の戦いが終わった。ここから見える道路に発煙筒の煙が見える。

 ああ、終わった。

 気絶したアリスを抱き上げて舗装路を歩む。

 相沢大先生……このイベントだけは本当に大嫌いだよ……。

 

 

 

【束の間の休息】

 

 アリスのお父さんの車で近場の公園に降ろしてもらい、そこのブランコの付近で倒れたフリをして警察が来るのを待った。公園というのは日本で一番通報されやすい場所だと偉い人が言っていたような気がするが、実際に通報されやすい。倒れたフリをしてものの十分で警察が吹っ飛んできた。もちろんクラウンパトカーで。

 その後は病院のベッドに寝かされて極度の疲労と栄養失調で三日間くらい入院。現状のヒロイン達に何されるかわからないので父以外とは面会は控えた。一回だけこのみが家族ということでやってきたのだが、目から光が消えていたので父に頼んでこのみは連れてこないで来れと泣いて頼んだ。あの目は包丁を握りしめてナニかをする目だ……。

 入院中に警察の事情聴取も受けたのだが、アルタイル残党に誘拐されて命からがら逃げたという嘘で誤魔化した。半グレ集団アルタイルの名前は日本中に響いてるわけだし、特別怪しまれることもなかった。真実を知るのはごく少数、財団なんて言われてもどこの金持ちだとしか返答が帰ってこない。

 退院後はそれはまあ、色々と酷かった。

 まず結衣、親友と絶交されそうになったと往復ビンタ、病み上がりの人間に放つ威力ではないと思ったが、甘んじて受け入れよう。

 次にさくら、マイシスターと同じように包丁を握りしめそうな目をしていたが、俺が元気なことを確認してどうにか光が戻った。やっぱりメガネっ娘属性は案外前向き、でも、俺のエースカード【ドラゴ・フリーダム】を奪い去って行きやがった。あのカードは俺の魂のカード、けじめにしては重すぎると思う……。

 そしてマイシスター、家に帰ったらと言い残した。うん、一番怖い。

 アリスの方は彼女のお父さんから健康体だと報告があって一安心。

 

「やあ、少年……一緒にサウナに行かないかい……?」

 

 そして、この世界ではアリスの叔父さんになぜだか気に入られた。

 目線がいやらしい。

 絶対にサウナに行ってはいけない、ナニかされる……。

 そんなこんなで小学五年生の間に起こる事件は無事解決された。

 悲しいかな、六年生になったらまたヤバイ事件が山のように起こるのだが、それはそのうち語られる。

 それよりもアリスの叔父さんが怖い。毎日サウナに誘ってくるの怖すぎるだろ……。

 

 

 退院して即座。

 さて、現状を説明することが先か、それとも大声で自分の父親を呼ぶことが先か、どうにもその選択肢しかないこの状況。そうだな、例えるなら捌かれるあんこうを想像してみて欲しい、フックに吊るされて熟成された豚のもも肉のように削られる。何を言いたいのか? 絶望的な状態ということさ……。

 いや、一昔前にヤンデレな女の子に監禁されて夜も眠れないCDとかいうのが流行っていたじゃないか? それを現実でやられているのだ。そう、我がラブリーシスターこのみに……。

 そもそもこれはご褒美なのではないだろうか? ヤンデレ気味な妹に手足を拘束され、見るからに切れ味の良さそうな包丁をチラチラさせられている。いや、これはご褒美だ。我々の業界ってやつだ。うん。

 いや、まて? よくよく考えたら俺はソフトSだ。小さいソフトクリームというわけではなく、軽くサディストという意味だ。

 

「お兄ちゃん……一ヶ月もどこをフラフラしてたの……?」

「宇宙人にめざめるパワーを貰って異世界で戦国無双してた」

「……まあいいか、お兄ちゃんを独り占めできるもん」

 

 小さい体、大きなロマンとは言ったものでこの小さな体が非常に高い庇護欲と母性を感じさせるのだから女というものは不思議である。あ! けっして幼い妹に劣情を感じたわけではなく、女の子という存在がいかに男の子という存在に影響を与えるかを推理しただけ、それ以上でもそれ以上でもある!

 

「お兄ちゃん……どうしてわたしを置いてったの……?」

「ふっ、男には旅が必要なのさ……それを警察て――ッ!?」

「あむ、れろれろ……はあはあ……」

 

 この幼女ペロチューしてきたぞ!? 幼女なのにペロチューぞ! あれ、幼女って何歳まで? 一桁年齢までは幼女でいいのかな、今すぐペディア先生に相談したい気分だ。ペディア先生は何でも知ってるな! ……ペディア先生は答えてくれない。

 なあ、大先生……俺はあと何回妹に発情すればいい、あと何回妹にガチ恋すればいい! 答えてくれ大先生!

 

「お兄ちゃん……赤ちゃん作ろ……?」

「いや、作らないから」

 

 手錠だろうが亀甲縛りだろうが縄抜けする俺に抜け出せない拘束なんてない。いや、俺だって妹と赤ん坊を拵えるなんて毎日がハッピーバースデーなイベントに喜々として乗り込む勇気くらいあるさ! でもね、ゲームのこのみは処女なのだ、もし、もし! 俺がこの場で間違いを犯してしまった場合、またあの一ヶ月がやってくる。快感と辛さを天秤に乗せたら辛さが勝るという悲しい現実、なんだろう、目から出汁が出てくる。美味しいお味噌汁が作れそうだ。

 

「妹よ……我兄ぞ? 兄は属性的に妹に強い」

「……お兄ちゃんはわたしのこと嫌い?」

「我兄ぞ? 兄の大多数はシスコンだ!」

「なら……いいよね……」

 

 あれ、兄妹図鑑では兄属性は妹属性に強いと書かれていたのだが、どうにも妹属性に兄属性が負けているぞ!? おいおい、出版社訴えられるぞ、だって有利な筈の妹に不利ついてんだから。

 さて、我がマイシスターに言わなければならないことがある。

 

「……このみちゃんには幻滅しました。お兄ちゃんやめます」

「――え? えぇ……」

「このみちゃんがお兄ちゃんのこと大好きなのはわかるけど、ね? 互いの合意が無ければこれ強姦だから、このみちゃんはお兄ちゃんを強姦してるんだよ、犯罪だよ? このみちゃんは賢いからわかるよね、犯罪は悪いこと、犯罪に走るこのみちゃんを妹なんて思いません! お兄ちゃんやめます!!」

 

 あ、泣いた。

 しょうがねぇ! 抱きしめるだけではしてやるさ……お兄ちゃんだから!

 泣いた妹を抱きしめて頭を撫で続ける。俺が兄として出来るのはこれくらい、本当にこれくらいなのだ。

 過度に入れ込んでしまえば……俺が失敗した時に辛くなる……。

 

「わたし、お兄ちゃんが大好き……」

「俺もこのみちゃんが大好きだよ……」

 

 傍から見たら愛を誓い合っているようにも見えるが、俺は妹としてではなく一人の女性としてこのみを愛している。それは幼いこのみも、大人のこのみも、そのすべてをチートを使って見てきた俺にとって、彼女は酷く愛おしい存在。

 でも、運命は残酷で……俺と彼女は水と油のように引き剥がされる。

 なぜ、それが言えるのか? それは、相沢大先生が残した日記。今でも頭に焼き付けられている。

 ――薬物を使用された形跡がある。

 このみはこの世界の主人公に薬を使われて、自責の念で自害の道を選ぶ。

 もし、この世界の主人公がこのみを選ばなかったとしても、このみは核攻撃で骨すら残らない。

 ……深い愛情が憎悪を作り出す。

 

「お兄ちゃん……もう、危ないことはしないで……」

 

 言葉に詰まる。

 これから先も危険と隣り合わせの現実が待ち構えている。

 だから、気安くわかったなんて言えない。

 俺は、優しくこのみと唇を重ねた。

 ――無責任な口づけだ。

 

「……お兄ちゃんはずっと、このみちゃんのお兄ちゃんだから。心配しないで」

 

 このみは俺の辛そうな表情を見て、察してくれたのか何も言わないで部屋から出ていった。

 可愛い妹に心配させるのも辛いものがある。本当に嫌になるな……。

 

 

 なぜだ、なぜなんだ……俺はなんでこの場所に座っている……。

 俺は絶対にアリスの叔父さんの誘いは受けないと魂に刻んだ筈だ。それなのに俺の隣になぜ――アリスの叔父さんが座っている!?

 

「やあ、少年……サウナは素晴らしいだろ……」

 

 最近我が家の妹様がご乱心されておられるので家に滞在することが一種の恐怖に昇華しはじめた一週間、土日なんて『気持ちいい』ことされる可能性が高確率、お母さんは小学生とか笑えない冗談だ。

 ――いや、隣の大男がそれをしてくる可能性はないだろうか?

 やめてくれ! 童貞を男で捨てるなんて絶対にいやだ!! それだったらまた一ヶ月を繰り返した方がマシだ!!

 

 

 最近我が家の妹様がご乱心されておられるので家に滞在することが一種の恐怖に昇華しはじめた一週間、土日なんて『気持ちいい』ことされる可能性が高確率、お母さんは小学生とか笑えない冗談だ。

 

「あれ? もう一回言いそうな気がする」

 

 なぜだか近い未来にもう一回くらいお母さんは小学生発言しそうな気がする。まあ、うちの妹がそれだけヤンヤンデレデレしているのは事実、特別おかしいことではない。

 だが、なぜだろう? 今回の人生はイレギュラーが多い。自分の行動一つで未来は変わるがここまでの変化は珍しい。アリスの叔父さんなんて写真でしか見たことのない存在が――眼の前にいるわけだし……。

 

「やあ、少年。サウナに行かないかい?」

「すいません、お使いなんです」

「何のお使いなんだい? 帰りに買ってあげるよ」

「それ、俺以外に言ったら通報ですからね……」

 

 アリスの叔父さんとしか言っていなかったが、この人はジャック・オーグレーンさん、アリスの叔父さんで絶賛男子小学生に声をかけている変態だ。

 それにしても、S30Zに乗ってるのか……いい趣味してるが、首都高を300kmで爆走する漫画の影響で綺麗な一台なら500万くらいする。どこで仕入れてきたかわからないが、少しだけ乗ってみたいという男の子心が出る。

 旧車好きなんだよね……。

 

「ふふっ、私が警察程度に屈するとでも? ロス警官100人に囲まれても逃げ切った男だぞ……日本の警察官に負けるものか……!」

「どうして国家権力に勝負挑んでるんですか……潔く捕まってください……」

「なに、仕事の都合で殺すことと逃げることは慣れてる。今は仕事から逃げるのが仕事だがね」

「何者ですか貴方……」

 

 財団の人間だということはわかるのだが、どうにもこの人がわからない。弟のアリスのお父さんの方がまだ人間味があるような気がする。まあ、あの人も結構人間やめてるが……。

 

「さあ、早くこの車に乗るんだ。私が快感の世界(サウナ)に連れて行ってあげるよ」

「遠慮……本物ですかそれ……?」

 

 向けられる一ヶ月と数週間前に財団のバンをバーストさせるために使ったSIG製の1911、GSRを構えられる。.45ACPを使用する拳銃らしく銃口は6mmBB弾のほぼ倍。アメリカ人が好きな理由はここだろうな。

 

「弟のコレクションさ、.357MAGがなかなか手に入らなくて借りパクしてる」

「弟から借りパクとか……いや、借りパクとかいう日本語だれから教わったんですか?」

「ふふっ、乗ってくれたら教えてあげるよ」

「はぁ、アリスの叔父さんが指名手配されるのはアレなんで乗りますよ……」

 

 助手席に回って年季の入ったレザーシートに腰掛けてシートベルトを装着する。この人の趣味は嫌いじゃないが、底が知れない部分には不信感。

 

「さて、行きつけの健康ランドに行こう。パンツはアリスの物を履いてくれ」

「なに男の子に女の子のパンツ履かせようとしてるんですか……履きませんよ……」

「昨日拝借した勝負パンツだぞ? 履きたくないのか」

「いや、俺はダイレクトな方が好きなんで」

「ふむ、日本人は下着だけでも興奮できると財団のコンピューターが示していたが、誤りだったようだ。いやはや、日本人はわからないねぇ」

「職場の機械で遊んだんですか……」

 

 スッと鋭い視線を向けられ、右足にGSRが押し付けられる。

 

「――財団を職場だとなぜ知っている? 誰がゲーしたんだい……」

「やめた職場のことを気にかけてどうするんですか。本当にわからない人ですね……」

「ふふっ、それはそっくりそのまま返すよ」

 

 GSRの引き金を何度も引いているがハンマーをコックしていないから発砲されることはない。1911(ガバメント)系列の銃は一部の例外を除いてシングルアクションオンリー、ハンマーを倒した状態じゃなければ使用できない。付け加えてセーフティが大きく少しの衝撃で外れやすいという欠点もあり、まあ、ハンマーを倒してセーフティを入れて携帯する人間は非常に少ない。それだったらハンマーレスかリボルバーを持つ人間の方が多いだろう。

 

「オートは嫌いだ。脅しにも使えない」

「本当に掴めない人だなぁ……」

 

 スライドを引いて撃ってくるか試してみる。

 すると降参だと銃口を上に向け、マガジンを抜いてもう一度スライドを引いて排莢。

 

「アリスが気にいるのもわかる。実際に私も気に入っているのだから」

「やめてくださいよ、その目……」

「今の時代、男と男でも許されるぞ……!」

「年齢的に逮捕ですよ」

「なーに、私は君を守りながら愛し合うことができる!」

「いや、俺が貴方のこと好きな前提で語らないでくださいよ」

「嫌いなのかい? 悲しいなー」

 

 脅しとブラックジョークを織りながら健康ランドに到着、タオルなどは事前に用意していたのだろうそれなりの枚数が用意されてる。

 

「本当にアリスのパンツいらないのかい? ちょっと黄色いところあるよ」

「いりませんよ……どうせ弱みとして暇な時にサウナ付き合えとか言うんでしょ……」

「バレてしまったか! 本当は弟の嫁さんのパンツだ」

「くだ――いえ、いりません」

 

 ――欲しかったのは内緒だ!

 

 

 思い出した。よくよく考えると銃で脅されて無理矢理に連れてこられた。

 別にハンマーを見て撃たれないという確信はあったが、探りを入れることを考えて同行したんだった……。

 サウナ室に入って二十分、確かサウナって8~10分入って水風呂に入ったり色々するんじゃなかったか? なんで想定以上に入ってるんだ……。

 体中から汗が噴き出し、冷たい空気と水を欲する。

 ――隣の大男はヌルいと言いたげな表情でテレビを眺めているのだから不思議だ。

 

「日本のサウナは凄いな、テレビが置いてある。熱で壊れないのだろうか」

「日本産のテレビは頑丈ですから……」

「そうか、流石は日本製。ところで、少年?」

「なんですか」

「とくさんか?」

 

 俺は立ち上がりその場を去ろうと体の力を振り絞るがどうにも熱で力が出ない。

 アリスの叔父さんはニンマリと不敵な笑みを浮かべて腕を引っ張る。

 ――やめて! 本当に童貞は女性で捨てたいの!! どの世界でも男に手を出したことないから!? マジで許してください!!

 

「ふふっ、君は本当になんでも知っているようだ。こんなネットの海に少しだけしか漂っていない情報まで仕入れているとは! やはり君は面白い」

「サウナに二十分も入って飄々としてる貴方も大概ですよ……」

「砂漠を一週間彷徨った経験さ、君もどうだい?」

「常人なら死にますよ……それ……」

 

 どうにか開放してもらい、水風呂で冷却、その後に外のベンチで外気浴。地獄かと思った……。

 でも、心臓発作になるまで入り続ける人間もいるのだからサウナは凄い……。

 

「少年、アリスのことをどう思ってる……?」

「天真爛漫な女の子、そのくらいですね」

「そうか、まあ……叔父としては悲しいが、父親としては嬉しいか……」

「――どういうことです?」

 

 叔父さんが父親? いや、アリスのお父さんも叔父さんも青い瞳をしている。血筋として継承しているだけで、この人の冗談の可能性も……いや、この顔は嘘の顔じゃない。

 ジャック・オーグレーンは静かに口を開いた。

 

「私には民間人のフィアンセがいた。そりゃもう、弟の嫁さんの三倍くらいは美人のな……」

「人の奥さん蹴落としてしっぺ返しが怖くないのかこの人は……?」

「まあ、聞いてくれ。私だって人の子、感傷というのがある。馴れ初めは長くなるから割愛する。そうだな、アリスが生まれた日のことを語ろうか……あの子が生まれたのはそう、今日みたいな晴天。病院で娘を抱き上げた時――自分は父親になっていい存在なのか? そう自問自答したものさ、でも、彼女が私を見た時……まあ、悲しいが自分が父親だと実感してしまった。この子の父親は自分しかいない。自分だけがアリスの父親だと実感した。それが今では姪だ」

 

 叔父さんは流れる雲を眺めてからまた語りだした。

 

「私の職業柄、まあ、彼女と結婚はしていなかった。家族がいると発覚してしまっては色々と仕事に支障が出る。だからずっと伏せていた。でも、彼女が財団の存在を知ってしまった。そして……私に家族がいることを知られた……」

「……殺したんですか?」

「いや、殺してない。殺したのは他人だ。つい先日までアジア人マフィアが殺したと洗脳されていたがね……」

「どうして殺される必要が……」

「簡単さ、私のフィアンセが半分日本人だから。財団の人間にアジア人の血は必要ない。だから……殺された……」

 

 財団。やはり白人至上主義者の組織なのか……それでも、ハーフだと言えど白人の血が入った人間を殺す。これだけ恐ろしい男の内縁とはいえ妻を……。

 

「私は彼らが作った薬を投与され、アリスを姪だというサイコセラピーを受けた。記憶から妻と娘の記憶を消し、財団の使い勝手のいい兵士として仕事をこなしていた。もちろん、成長したアリスと会っても自分の娘だと思わなかった。弟も仕事の都合で私の本当の記憶を思い出させるのは危険だと判断した」

「じゃあ、どうして思い出したんですか……」

「君との短い戦い、君が私の愛銃を噛み締めた時だ。最愛の人が消えていた筈の記憶から……そして、聞こえたんだ『娘の愛する人を殺して、娘すら殺すのか』いやはや、彼女が天国、地獄、どちらにいるかわからないが……」

 

 ――最初に感じたのは懐かしさと虚しさ。

 

「まあ、私はこれからもずっと姪の叔父さんだ。それ以上でもそれ以下でもない。悲しいが、仕事に家庭をすべて奪われた存在ということさ……」

「――歯を食いしばれ! そんな大人修正してやる!!」

 

 隣の席に座っている馬鹿(父親)を思い切り殴り飛ばす。

 酷いじゃないかと頬を撫でるが、悲しそうに雫を頬から落としている……。

 本当に、この世界は相沢明広と主人公以外には冷たいもんだ! 嫌気がさす!!

 

「……彼女が結婚するまでに自分が父親だと明かせ、そうしないと俺がアンタを殺す」

「……言ってくれるね」

「……仕事で家庭をほっぽりだした罪だ。殺されないように釈明の言葉を考えておけ? そして――娘の結婚式まで死ぬな、命令だ……!」

「ふふっ、君は……本当に私好みだ……」

 

 好かれたくもないけどな! アリスの本当のお父さん……。

 

 

 季節は九月の中旬、夏の暑さが落ち着き静かな風が吹くその場所、近所のカードショップのプレイルーム……。

 俺とさくらは互いの決闘技術(デュエル・タクティクス)を燃やし、静かにプレイマットをテーブルに置いた。

 ――その前にどうしてさくらとデュエルすることになったのかを説明しなければならない。

 

【回想】

 

 小学生に人気な遊びと言えばTCGだとか、ポケッドラゴンだったり、まあ、子供向けゲームってのは……。

 

「結衣ちゃん……わたしの手札は12枚……! 天国の飛翔龍は手札の枚数だけ攻撃力がアップするんだよ……」

「や、めて、まけたく!」

「飛翔龍でダイレクトアタック! ヘブンズアタック!!」

「負けました。楽しいデュエルでした……」

 

 頭のいい子が強い。

 さくらとのデュエルに負けてなぜだか俺のことを睨みつける結衣。いや、小学生環境だとは言え増殖する野次馬とコンビネーションディーラー入れてない君が悪いよ……。

 

「明広……座りなさいよ……」

「どうして?」

「この中で一番弱そうだから……」

 

 プッチンと何かが切れる音がする。

 さくらがにこやかに席を譲ってくれてデッキをセットする。

 いや、俺もデュエルマイスターは好きでカード集めてるんだよね……。

 

「あたしのエクストラプレイヤーデッキで蹂躙してあげるわ!」

「いや、デュエルする前に自分のデッキ教えちゃあかんでしょ……」

「「デュエル」」

 

 じゃんけんをしようと右手を出すが鼻で笑われて先行を譲られる。なんだこいつ?カードゲームが先行有利だって知らないのか……。

 

「俺のターン……そっちのデッキ何枚?」

「40枚よ! そんなデッキ分厚くしてプププッ……素人かしら……」

「隣の庭整理を発動、デッキから20枚墓地に送ります」

「ひょ?」

 

 デッキから20枚墓地に送る。内容はまずまず、じゃあ、はじめますか……。

 

「ドラゴンフレンド・ライラを特殊召喚、墓地にあるドラゴン族チューナーが三枚以上の時に特殊召喚することができる」

「おお、ドラゴンフレンドデッキ……殺意たかいなぁ……」

「ドラゴンフレンド・ライラの効果発動。このカードが召喚、特殊召喚に成功した際に墓地のドラゴカードを装備カードとして装備することができる。墓地のドラゴ・クールノを装備、ドラゴ・クールノの効果発動、このカードが装備カードになった時、特殊召喚することができる。ドラゴ・クールノを特殊召喚。このタイミングで墓地にあるドラゴ・ストライクの効果を発動。自分のドラゴと名のつくカードが特殊召喚に成功した際にこのカードを手札・墓地から特殊召喚することができる。そして手札からドラゴ・バスターを特殊召喚、このカードはデッキのドラゴと名の付くカードを一枚墓地に送ることで特殊召喚することができる。このタイミングで速攻魔法ドラゴ・ダンシングを発動、このカードは特殊召喚されたドラゴと名の付くカードの枚数までドローすることができる。俺が特殊召喚したドラゴカードは三枚、デッキから三枚ドロー、このタイミングで手札に加えたドラゴ・ソニックの効果発動、このカードが魔法・トラップカードの効果で手札に加わった時に守備表示で特殊召喚することができる。ドラゴ・ソニックを守備表示で特殊召喚。ドラゴ・ソニックの効果発動、自分の場にドラゴチューナーが二体以上存在する場合、デッキからレベル4以下のドラゴンフレンドカードを特殊召喚することができる。俺はドラゴンフレンド・ジョーダンを特殊召喚、ドラゴンフレンド・ジョーダンの能力発動、墓地のドラゴと名のつくカードを一枚除外してレベルを倍にする。ドラゴンフレンド・ジョーダンとドラゴ・クールノをチューニング、エクストラデッキからドラゴ・フリーダムをシンクロ召喚」

「攻撃力3300のモンスター!?」

「ドラゴ・フリーダムの能力発動、自分の墓地にあるドラゴと名の付くカードを可能な限り装備する。装備されたドラゴ・スターの効果発動。ドラゴ・スターが装備カードになった時、このカードを破壊することによってドラゴモンスターをアドバンス素材を必要とせずに特殊召喚することができる。俺は手札からドラゴ・レジェンドを特殊召喚。ドラゴ・レジェンドの効果を発動、自分の手札のドラゴカードを二枚捨てることによってデッキから任意のカードを一枚手札に加えることができる。俺は手札のドラゴ・クールノ二枚を捨ててデッキから一枚選択。手札に加えたモンスターカードをセット、ターンエンドです」

「どんだけ時間かけんのよ!? 目が回るじゃない!!」

 

 結衣がドローしてモンスターを召喚する。

 

「このタイミングでドラゴ・フリーダムに装備されたドラゴ・ウィングの効果発動。このカードを墓地に送ることによって場に伏せられているカード一枚を表側攻撃表示にすることができる。効果を発動して伏せてある時間の超越者を表側攻撃表示に、このカードのリバース効果、このカードが表側表示になった時、手札をすべて捨てて自分、相手のターンを強制的に終了する」

「……ねえ、それ禁止カードじゃない?」

「一枚制限」

 

 結衣がマジマジと時間の超越者を手に取り眺める。そんなのお構いなしに自分のターンに移行する。

 

「俺のターンドロー、ドラゴ・フリーダムの効果発動、墓地にあるドラゴカードを除外することによって相手のモンスターゾーンのカードを除外することができる。俺はドラゴ・クールノを除外し、エクストラプレイヤー・バットを除外。そしてドローした装備カード、ドラゴの覚醒槍をドラゴ・フリーダムに装備、このカードは装備されるドラゴカードのレベル✕100ポイント攻撃力をアップさせる。よってレベル10のドラゴ・フリーダムの攻撃力は4300! ダイレクトアタック! フリーダムショット!」

「くっ、でもライフはまだ3700ある!」

「場にあるすべてのモンスターでダイレクト――ゴハッ!?」

 

 鋭いビンタで吹き飛ばされる。

 いや、俺にデュエル申し込むからこうなるんだよ……ドラゴンフレンドデッキは普通に環境テーマだし……。

 

「なんで明広もデュエル強いのよ!? 普通に考えて弱いタイプでしょうが!!」

 

【回想終了】

 

 こんな感じで俺と結衣、さくらはデュエル・マイスターというカードゲームのプレイヤーなのだ。そして、結構前に俺のメインデッキの顔モンスターを心配させた代償として奪われている。

 ――だから、絶対にこの勝負負けられない!!

 

「俺の魂のカード……ドラゴ・フリーダムを返してもらうぜ!」

「私のデッキに勝てるかな? 今日の為に特別に組んだ最強のデッキ……」

「メタデッキか……いいぜ、フリーダムを取り戻すには必要な試練だ」

 

 互いにスリーブに収められたデッキを置き、静かに見つめ合う。

 さくらは結衣のようなポンコツデュエリストとは違う! この勝負、ドラゴンフレンドデッキは使えない。だからこそ、俺はこのデッキを使用する! フリーダムが使えないドラゴンフレンドは展開力と妨害力が小さくなり過ぎるんだよ!

 

「わたしは【ドラゴ・フリーダム】を賭けるよ!」

「俺は【流々ウララ】のシークレットを賭ける!」

「「デュエル!」」

 

 互いにダイスを振って出目を確認する。

 さくらが4、俺が6。

 相手のデッキを確認する為に……。

 

「後攻を選択するぜ!」

「いいのかな、わたしのデッキが先行OTKだとしても……」

「俺のカードを信じる心、デッキは答えてくれる!」

 

 前回さくらが使用していたのは【天国の飛翔龍】を軸にしたアドバンスデッキ。だが、あのデッキは確実に舐めプ用のガチデッキじゃない。じゃあ、使ってくるのはドラゴンフレンドデッキのような環境デッキ……何デッキでくる!?

 

「私のターン、何かありますか?」

「いや、大会準拠じゃないていいから……アニメっぽくはじめたのに大会の殺伐としたデュエルは嫌ですよ……」

「ふふっ、そうだね。カードショップのお兄さん(香ばしい)とデュエルした時に巻き戻し【マインド・ブレイク】使われて警戒してるんだ……」

「大丈夫だから、普通にプレイしようぜ」

 

 先行にドローはない、彼女は手札をギラリと鋭い眼光で睨みつけ、小さく回る! そう告げて一枚の魔法カードをセット――まさか!? ダークマジシャンデッキ!?

 

「ダークマジシャンとは恐れ入った。ドラゴンフレンドと肩を並べる最強のテーマか」

「そうだよ、明広くんと戦うなら環境デッキを持ってこないと……」

「いいぜ、環境デッキの凄さを見せてもらおうか!」

「手札から魔法カード、【マジシャンの下準備】を発動! このカードの効果でレベル4以下のマジシャンと名の付くカードをサーチ、そして私が手札にくわえるのはラッキー・マジシャン。このカードがカードの効果で手札に加えられる時、特殊召喚することができる「手札誘発! 増殖する野次馬を発動」止まらないよ! 【ラッキー・マジシャン】の効果で手札からマジシャンと名の付くカードを一枚特殊召喚、現われよ! 【ダーク・マジシャン】! ダークマジシャンの召喚にチェーンして速攻魔法、師弟の絆を発動! このカードは墓地・デッキに存在する【ダーク・マジシャンガール】を特殊召喚することができる。私はダーク・マジシャンガールを特殊召喚! ここで墓地にあるマジシャンの下準備の墓地効果発動! このカードを除外することによってマジシャンと名の付くカード一枚のレベルを1~3まで上げることができる! 私はラッキーマジシャンのレベルを4から6にアップ! ラッキー・マジシャンとダーク・マジシャンガールでオーバーレイ! 現われよ! 真実を見届ける魔道士!! 【ビジョン・マジシャン】!!」

 

 チッ! 野次馬以外の手札誘発が引けなかった……ウララか夏ウサギが引けていればビジョン・マジシャンを破壊出来たが……40枚デッキでここまで来ないか……!

 

「ビジョン・マジシャンのオーバーレイユニットを二つ取り除くことによって、場に存在するマジシャンと名の付くカード一枚を墓地・デッキから特殊召喚することができるよ! わたしはデッキからダーク・マジシャンを特殊召喚! 現われよ、漆黒の闇を纏いし魔道士……ダーク・マジシャン!」

「くっ、二枚目の野次馬を使用!」

「ふふっ、ウララとウサギが引けないようだね……わたしはダーク・マジシャンをオーバーレイ! ランク7! 【レジェンド・オブ・マジシャン】を召喚! このカードの召喚時効果で手札の魔法カードを相手に見せ、そのカードの枚数までドローすることが出来る! わたしの魔法カードは2枚! 2ドロー」

 

 手札は溢れる程、だが、ウララもウサギも来ない……俺が二つのカード大嫌いだからカードが答えてくれないのか!? 許してくれ……。

 

「サレンダーするなら今のうちだよ? レジェンド・オブ・マジシャンは効果の対象にされず、戦闘以外では破壊されない……それにユニットを一枚取り除くことによって破壊を免れる……! 流々ウララのシークレット! 嬉しいな~」

「まだデュエルは終わってないぜ! カード、デッキは俺に答えてくれる!!」

「そう、じゃあ、カードを二枚伏せてターンエンド」

「行くぜ! 俺のターン!!」

 

 ――カンコンッ!

 来たぜ……ピン刺しで入れておいた最強のメタカードがよ……!

 

「俺は【溶岩龍・ヒート】を相手の二枚のモンスターをリリースして通常召喚!!」

「っ!? なんで溶岩龍がデッキに!」

「現代デュエル・マイスターは破壊耐性があるモンスターが多すぎるんだよ、ピンでも入れててよかったぜ……」

「わ、わたしのマジシャンが……」

 

 ここからは俺のソリティアだ! フリーダムを返してもらうぜ!!

 

「俺は【美味魚・アジ】を特殊召喚! このカードは自分の場にカードが置かれていない場合に特殊召喚することができる」

「えっ! お刺身デッキ!?」

「ふふっ、ネタデッキとして君臨し続けてきたお刺身デッキ……サザナミがどうトチ狂ったか今発売されてるパックで大幅な強化を貰ったのさ! 行くぜ!! 美味魚・アジの効果発動、このカードが召喚・特殊召喚に成功した時、自分の手札にある美味魚と書かれたカードを自身をリリースすることによって特殊召喚することができる! 大海で鍛え抜かれたその肉体、脂が乗って超美味! 【美味魚・ブリ】を特殊召喚! 美味魚・ブリの召喚時効果、墓地にある美味魚と名の付くカードを一枚自分の場に守備表示で特殊召喚することができる。美味魚・アジを特殊召喚! 美味魚・アジの効果発動! 自分の手札から【美味魚・ヒラメ】を特殊召喚! 美味魚・ヒラメの召喚時効果、自分のデッキから美味魚・イワシを二体まで特殊召喚することができる! でてこいお魚パラダイス! 美味魚・イワシ二体! ここで速攻魔法! 【捕食者の大口】を発動! 捕食者の大口は手札にあるレベル8以上の美味魚と名の付くモンスターを美味魚・イワシを一枚使うことによって特殊召喚することができる。現われよ! 磯の支配者……! 【美味魚・タイ】!!」

「攻撃力3000のモンスター……いや、お魚……」

「まだ俺のターンは終了していないぜ! ここで通常魔法【大漁旗】を発動! 場にある魚族モンスターの数まで相手のカードを破壊することができる。溶岩龍と二枚の伏せカードを破壊!」

「っ!? でも、ブリは攻撃力2000、ヒラメは2400、タイが3000……わたしのライフは残る!」

「それはどうかな?」

「え?」

「俺はレベル9の美味魚・ブリとレベル1の美味魚・イワシをチューニング! 寒さ、海流、厳しさ、そのすべてを乗り越えし伝説の巨大魚! 現われよ!! 【美味魚・大間マグロ】!! マグロの効果発動! 自分のデッキを三枚墓地に送り、その中に美味魚と名の付くカードがある場合、一枚につき500ポイント攻撃力をアップする! 一枚目! 美味魚・アジ! 二枚目! 美味魚・サンマ! 三枚目! 美味魚・サーモン! これで美味魚・大間マグロの攻撃力は2500から4000へアップ! そして美味魚・大間マグロの二つ目の能力!! 自分の墓地にある美味魚とかかれたモンスターをすべて除外することによって攻撃力を倍にする!!」

「ま、まさか……こんな……!」

「大トロアタック! 8000!!」

 

 互いに口上やらを言い過ぎたせいか凄く疲れた……。

 するとカードショップの香ばしい香りのお兄さん達が拍手喝采、俺も新鮮魚デッキ作るわ! とか言ってる。

 ――互いに赤面した。

 どうにか香ばしいお兄さん達から逃れて帰路につく。

 

「明広くんのデュエル……本当に凄いよ……」

「ああ、カードを信じて己を信じればデッキは必ず答えてくれる。それが決闘者(デュエリスト)の絶対条件さ……」

 

 さくらがゆっくりとスリーブに入ったドラゴ・フリーダムを手渡した。

 

「次はもっと凄いデッキで相手するから……覚悟してね?」

「おーこわ」

 

 互いに笑いながら帰路についた。

 

 

 数日後には林間学校が行われる。

 正直な話しをしてしまえば一ヶ月間の山籠り生活を達成したのだ行かなくてもいいのではないか? それに付け加えて妹の精神状態が予想以上の乱れを見せている。このまま行事とは言っても……。

 バッティングセンター、お散歩ルートに存在する古めかしい施設。そこからは快音が響き、盛況しているようだ。

 ポケットの中を確認してみる。自販機で購入したスポーツドリンクのお釣りの小銭が大量に入っている。こういう鬱屈とした精神状態の時は気分転換の運動がいいと古来から言われている。

 店に入り店主に一礼してから自販機に500円玉を入れる。三枚のコインが出てきてコイン一枚で20球、結構サービスしてくれるお店のようだ。

 球速は100~140km、無難に100kmを流して帰るか。

 

「あら? 明広がバッセン来るなんて珍しいわね……」

「あらら、結衣……奇遇ですわね……」

「なんでお嬢様言葉……まあいいわ。わたしは休憩中、アンタは?」

「小銭があったから少しだけ流しに」

 

 これもイベントなのだろうか? それとも偶発的な……。

 この世界はゲームの世界だが、主人公が現れていない状態ならゲームじゃない。そのことを誰よりも理解している筈なのにどうにもしっくりこない。

 100kmのボックスが埋まっているので120kmに入り、コインを投入。球はランダムでもちろん左打ち。

 一球目はど真ん中、遠くに飛ばすというより流し打つという感覚で、

 

「うーん、一塁に取られるわね」

「一球目でダメ出しやめてよね」

 

 流し打ちを見事にダメ出しされてしまった。少しばかり打つタイミングが遅くなりファールか一塁に取られる程度、ダメ出しされる理由はわかるが、それでも一球目で打てたことを褒めてもいいだろう……。

 二球目は高め、年齢的に高めは手が伸びにくい。それでもギリギリタイミングが合ってピッチャーライナー。

 

「ピッチャー直撃……怖いわね……」

「高めは苦手なんだよ、許してよ」

 

 そのまま20球すべてに手を出したが快音を響かせることはできなかった。

 ボックスを出ると結衣がニッコリと笑みを見せて肩トントンと叩く。煽りに感じるのは俺だけだろうか?

 

「明広、やっぱり野球やりなさいよ! センスの塊だわ」

「お誘いありがとう。でも、野球以外にやることいっぱいあるから無理」

「監督や中島に早く引っ張ってこいって言われてるのに……」

「野球以外にいっぱいやることがあるのは事実だからさ、一枚あげるよ」

 

 長々と打つつもりはないのでコインを一枚渡して開いてるボックスに入る。すると隣のボックスに結衣が立った。

 

「勝負! どっちが遠くに飛ばせるか!!」

「本当に勝負好きだよね……」

 

 互いにほぼ同時にコインを投入、結衣が右打ちで俺が左打ち。

 勝負はどうなったか? 別に何かを賭けているわけじゃない。どっちが遠くに飛ばせるかって曖昧な勝負、ただ、互いに快音は響いてたよ。

 

 

 

【9:終わることによって見える変化】

 

 少年少女の健全な精神を育成する為の自然との触れ合い。正直な感想を述べると数週間前に約一ヶ月間山籠りの生活をして十二分に自然と触れ合った。これ以上はお腹いっぱいだ。

 

「お兄ちゃん……またわたしを一人にするの……?」

「学校行事だよ、仕方ないじゃないか」

 

 家にいる時は必ず出刃包丁を握りしめている妹に若干の恐怖心。せめて万能包丁にしてくれないだろうか? 先端恐怖症なんだよ……。

 仕方がないのでいつものように膝の上に乗せて撫で回す。

 

「むぅ、撫でられても許さないからね……」

「許してくれよマイシスター、お兄ちゃんもズル休みできるなら毎日したいさ」

「……今回だけだからね」

 

 なぜだろうか、妹の所有物になってないか? 兄属性は妹属性に強い筈……。

 

「お前達は本当に仲いいな~お父さん羨ましいぞ~」

「かわり……なんでもありませんこのみ様……」

 

 父さんも包丁持ってる妹に少しくらいのお叱りを与えてくれてもいいのではなくて? わたくしまだまだ死にたくありませんことよ!

 家族三人でテレビを見ているのだが、父さんの携帯電話が鳴り響く。

 

「もしもし相沢です……え? 店が!? ちょ、ちょっと待ってください!! 二ヶ月前に爆破されたばかりなんですよ……」

 

 ――日本初、下手をしたら初のC4爆弾で爆破されたお好み焼き屋の誕生だ。

 

 

 ついに今日という日がやってきてしまった。今朝の妹様は本当に荒ぶっていらっしゃったよ、父さんも再開数日後にダイナマイトからアップグレードした爆破で助けてくれない。

 

「アキヒロ! オハヨウゴゼイマス」

「うんうん、オハヨウゴゼイマス」

 

 天真爛漫な笑みを見せるアリスに挨拶を返す。

 近所の公園集合、いつもなら来ない生徒達も珍しく早起きして集合している。

 結衣とさくらはまだ来ていないのか、アリスはお父さんに毎日送り迎えされているから距離的に早くなる。

 

『ボーイスカウトには自信あるんだよ! 叔父さん直伝の高速着火術!!』

『マッチかライター借りれるからいらない技術だね』

『そんなー!』

 

 棒で木を擦り付けるジェスチャーをしてくるのだが、どうにも卑猥な行為をしている様にしか見えない。

 アリスと他愛もない会話を繰り広げていたら結衣とさくらも公園に到着。

 

「オハヨウゴゼイマス! ユイ! サクラ!」

「おはようアリス!」

「おはよー」

 

 三人の集結、俺という存在がいなければ百合漫画の世界なのだが、それの真逆だからこの世界は不思議だらけ。

 

「明広って料理得意なの?」

「普通だよ、早起きが得意だから朝食は作ってるけど」

「それなら今日のカレーは任せるわ!」

 

 キラキラと眼を輝かせているが結衣には料理苦手設定がある。小さい頃に包丁で手を切ったという幼い理由だが、人間苦手な事というのは案外小さい切欠なのかもな。

 

『日本のカレー食べやすくて好きだよ!』

『野菜とお肉、そしてカレー粉で出来る安上がりな料理だけどね』

 

 嫌な話し、俺は俗に言うアリスちゃん係というものになってる。母国語しか話せない彼女の通訳として暗黙のルール的に添えられたもので、班決めの時もそれを考慮され必然にアリスの班に混ざっている。人班男子三人、女子三人の六人編成だ。

 少し不安なのは通訳がいない状態でアリスがどこまで楽しめるか? 別の人生ではなにも起きなかったが、今回の人生はアリスの叔父さんが登場したり、色々と歪な部分が目立つ。今まで通りに物事が過ぎるとは思えない。

 

「少し不安だな……」

「どうしたのよ明広、怖い顔してる……」

「いや、少し肌寒いと思ってね」

 

 相沢大先生、こんな人生はじめてだよ……。

 

 

 バスに揺られて二時間と少し、到着したのは何度も経験しているキャンプ場。そこには同じ時期に林間学校をするために集められた多くの学生を乗せたバスが止められている。少子化だとか騒がれているが、何やかんやで学生というのはいる。

 

「うーん、空気が澄んで肺が喜んでる」

 

 衣類の入った鞄をポンポンと叩いて山の緑を見つめる。少し離れた場所だが、俺とアリスが一ヶ月生活した山も見える。本来ならこの場所でハイキングを楽しむという理由でアリスのお父さんが送迎してくれたのだが……。

 

『アキヒロと山に来るの久しぶりだね~』

『俺は二度と経験したくないよ、あんな経験……』

『結構楽しかったけどなぁ、叔父さんも来てくれたし』

『そうですか……』

 

 この子の図太さに恐怖心、銃火器で武装した謎の勢力に追いかけ回されて最終的にリーサル・ウェポン的な叔父さんまで飛び出してビックリってやつだ。

 俺も繰り返す人生で図太くなったと思うが、彼女の天真爛漫さには負ける。

 辺りを見渡すと懐かしいと感じる人間を見てしまう……。

 

「主犯……」

 

 他の学校との合同での林間学校だが、主犯くんが転校した学校も入っていたか……何も起きないことを期待するが、この世界がそれを許すだろうか? 不安要素が増えるのは本当にいただけない……。

 イカンイカン! また暗い顔をしていると指摘される。

 警戒しておいた方がいい。アイツに改心の心があるにしても、逆恨みされるだけの理由は腐る程に存在する。人間、自暴自棄が一番怖いものだ。

 インストラクターに案内されて初日はテントの設営、各校の生徒達が和気あいあいとテントを建てているが刺さるような目線が数人、これは逆恨みをはらす最高のタイミングだと思われているのか……。

 

『アキヒローテントつくるの手伝ってー!』

『わかった。「すまないけど手伝えって言われてるから行ってくる」』

 

 班の男子生徒に事情を説明して三人のテント方に向かう。

 ――テントに絡まる人間っているんだね。

 

「み、みるなぁ……」

「運動以外は点で駄目だな……」

 

 絡まった結衣とテントを剥がして淡々とテントの骨格を作り布を張っていく。

 設営が完了して額の汗を裾で拭うと三人娘が拍手で讃えてくれる。讃えられるようなことでもないのだが……。

 

「明広くん男らしかったよ!」

「いや、テント建てただけで男らしいとか……言わなくていいから……」

 

 さくらから男らしいと言われるが、テントを組み立てたくらいで男らしいなんて言われたらキャンパーの人達に睨まれるでしょうが! 小恥ずかしい。

 程なくしてすべてのテントの設営が完了し、昼食の時間。昼食はインストラクターの方々が焼きそばを焼いてくれたので自分達で作る必要はない。その後はハイキング、少し不安だが……。

 チラリと主犯とその取り巻きを見る。

 ――狂気に揺らいでいるように見える。

 

 

 昼食が終わってハイキング、予定のルートを歩くという珍しくもない行程なのだが、どうにも主犯とその取り巻きが恐ろしい。俺にだけ攻撃するならそれでいいのだが、団体行動という体をなしているこの場、この時、凶器を使われたら俺だけでは済まない可能性がある。

 人間、自暴自棄になってしまえば一人ではなく複数人を道連れにする。道連れにするからこそ人間らしい……。

 後方を確認するが、主犯のグループは存在しない。少しは安心していいのか……?

 

「みんな! この先にスタンプがあるよ!」

「スタンプを5つ集めて来たらお肉を少し多くするねぇ? カレーはジャガイモが一番美味しいと思うんだが」

「肉よ! 肉!!」

「女の子が肉々連呼するんじゃありません!」

 

 レクリエーションで道に設置されてあるスタンプを五つ集めたら夕食のカレーに使われる肉の量を増やしてくれるらしい。多くても少なくてもカレーはカレーだとしか思わない。

 

「あ、相沢……おまえって女子と仲良くできるよな……」

「友達に男女は関係ないだろ。仲良くなりたいなら仲良くなれよ」

「い、いや、恥ずかしいし……」

「どうして一歩踏み出す勇気が出ないのやら……」

 

 小声で隣を歩く男子に女の子と仲良くなる方法を聞かれるが、本当に男女関係なく友達になろうと思えばなれるものだろうとしか思わない。必要なのは一歩を踏み出す勇気、それ以外に必要なものはないだろう。

 軽く歩いたところに他校も含めて多くの生徒が集まっている。スタンプが設置されているのだろうか、俺達もスタンプを求めて集団の一部になる。

 

「――許さないからな」

「ッ!?」

 

 主犯の声が聞こえた。だが、辺りを見渡しても奴の姿は見えない。

 弱者だった頃の記憶がフラッシュバックし、呼吸を乱していく。

 こんなこと……無かったのに……。

 

「明広!? だ、大丈夫……?」

「あ、ああ……ちょっと喉が渇いただけさ……」

 

 水筒を取り出して無理矢理に水分補給、人目がつく場所では遠慮してくれるのか、それとも――凶器が無いのか……。

 

 

 すべてのスタンプを回収した。それだけ、それだけなのだが人の目線に過敏に反応してしまっている。

 

『アキヒロすごーい!?』

『これくらい普通だよ』

 

 包丁で器用にジャガイモの皮を剥いているのが物珍しいのかアリスが食い入るように見てくる。逆に結衣の方は包丁に苦手意識があるので包丁に目線を合わせないように釜戸の火に固定している。

 すべての素材の皮むきが終わり、お肉を最初に鍋に入れて火が通ったら野菜。水を入れてアクを取り除いていき、粗方のアク処理が終わればカレー粉を入れる。

 

「ご飯もいい感じよ!」

「いい匂い……」

 

 始めちょろちょろ中ぱっぱ、お米の方も綺麗に出来ているようで一安心。このまま全部が終わってくれたらいいのだが……。

 それから数十分後にカレーが出来上がり、各班の調理完了と共に食事に入る。

 美味しそうなカレー、スプーンを握りしめて口に運ぶが――味がしない……。

 

「明広? どうしたのよ……ごはんが硬いとか……?」

「いや、美味しくてさ……」

「それならいいけど……」

 

 人間の五感には色々な役割を果たす。その中の味覚は食という行為を有意義に果たす役割もある。だが、味がしない――呑気に飯を食べている時間ではないという警告、おまえは危険な場所に置かれているぞ……。

 ……どのタイミングで仕掛けてくる。

 

 

 空は夜の帳を下ろし、各生徒はテントの中で川の字になって眠る。

 考えすぎだったのかもしれない。こんな大人数がいる場所で攻撃なんて出来るはずがない。思い込み、これは俺が思い込みの果てに挙動不審になっただけ、主犯が転校しても俺を殺そうとしたことはない。過去を遡ってもそんなことはない。

 ――杞憂。

 そうだ。俺は安全な状態。

 張り詰めるな、次が重くなる……。

 静かに目を閉じた。

 咄嗟に目が開いた。

 

「うがっ……うぅ……」

 

 肩に熱を持った痛みが広がる。テントの中は鮮血の香りに包まれ、一人の男子生徒の瞳が月明かりに照らされ――狂気のそれが溢れ出ていく。

 隣で寝ていた男子生徒達の首にはテント設営用の杭、ペグが突き刺さっており、咄嗟に身を反らした俺が例外的に肩に刺された……。

 

「うっ……おまえ……」

「おまえのせいだ……おまえのせいで……」

「なん、で……」

「――おまえが悪いんだよ。全部!」

 

 体のすべての部位に何度も突き刺さる杭、抜けていく血液、消えていく意識。

 ――なんで、こんな……。

 繰り返しで無かったのに……!

 教えてくれ……。

 なんで……。

 俺が……。

 

 

 

【エピローグ】

 

  目が覚める。この感覚があるということは死んではいないのか、どの程度の外傷かわからないが、目が開けられるなら次の事件に間に合う可能性だって……!?

 空いっぱいに広がる白、地面は黒に染まる。

 ――現実とは思えない場所。

 

「目が覚めたか……」

「あんたは……!? 相沢大先生?」

「大先生か……くすぐったいな……」

 

 目の前に現れた未来の俺の姿、年齢は……四十代くらいに見える。

 世界を繰り返した先に見える本来の年齢、戦争なんて起こらない平和な世界でのみ存在できる姿。それが目の前にいる。

 

「おれ……死んだんですか?」

「いや、出血によって……脳死状態だ……」

「え? それだったら俺は……霊体になって……」

「最初の自分に代わってもらった」

 

 最初? 最初ってなんだ……俺と大先生二人が相沢明広という人格を持てる筈。それなのに最初って……。

 相沢大先生は静かに虚無から椅子を二つ作り出し、腰掛けるように促す。

 

「最初に説明しなければならないだろう。君と私以外にも相沢明広は存在する」

「え?」

「君が大先生と表現する私は……二番目の人格だ……」

 

 大先生静かな口調で語りはじめた。

 相沢明広という少年は最初の人生で自分という存在を放棄し、形成されつつあった二番目の人格に記憶などを譲渡し、そして心の奥底に自分を封印し、二番目がさも本物の自分のように偽った。

 大先生もそのことに気がついたのはつい最近で、西暦とほぼ同い年になった俺から離反してからようやくパズルのピースが埋まった。

 

「だから、君が相沢明広として認知しているのは――私であり、彼でもある」

「そ、そんな、でも! それなら……なんで俺が相沢明広になる必要があるんですか?」

「疲れたんだよ……私は君の何倍、何十倍、何百倍も人生を繰り返し、何度も主人公という存在に彼女達を預けてきた。だが、それを繰り返す中で少しずつだが、彼女達を助ける理由が無くなりかけた。自分が歩む未来より、彼女達が歩く未来の方が数倍幸せで、自分がまるで――道化師(ピエロ)のように」

「何を言ってるんですか!? 貴方は何度も彼女達を助けて……そして……」

「――報われなかったよ」

「っ!?」

 

 椅子から落ちた俺に手を差し伸べる。

 ――俺が、相沢大先生に求めていた行為、それは報われること……。

 幸せになってもらいたい。

 それだけ……。

 

「君は、私に憑依したのではない。私が君を作り上げた」

「……どういうことですか?」

「簡単なことさ、君という存在の生い立ちすべてを機械で作り上げ……それを繰り返す人生の中で人格として目覚めさせた……」

 

 俺という存在は進む未来で作り上げられた機械によって作られた。機械の中で生まれた俺は、名無しとして成長し、名無しとして成人し、名無しとして行動する。その名無しの期間で一番――諦めるという行為をしなかった存在。

 努力や根性を崇拝するわけではなく、ただ、目の前の課題に全力で立ち向かい。心が折れる可能性が非常に低い個体。

 ――それが名無しから相沢明広(名有り)に変化した存在。

 

「私は……彼女達を守り通す心が腐ってしまった。だから、繰り返す人生で君という『イデオロギー(行動理由)』を作り出した。君という存在がどんな状況であっても行動を止めない。そして、諦めない。自己犠牲という言葉を歩く君を定着させた」

「……で、でも!? 名前が無い頃は!!」

「君は、君の両親、友人、それら以外の人間とどれだけの交友を結んだ? 道を歩く人間すべての名前や年齢がわかったか。核家族化が進んだ現代では個の繋がりは希薄になり、コンピューターでシミュレーションするのに問題は存在しない。君は、私という創造者(プレイヤー)が作り出した一つの個体に過ぎない」

 

 そうだ。俺が名無しだった頃は母子家庭で友人関係も希薄、周りの人間を認知することはあっても、こちら側から認知しに行くという行為はしていない。

 だが、目の前に壁が現れれば毅然として立ち向かう。

 そんな存在だったような気がする。

 でも、それくらいの存在なら未来のAIで構築も可能。俺はその中の一つの行動を示した存在でしかない……。

 

「……私は君の父親ではあるが、君の兄弟でもある。君に体を預けて二千年、百回の人生で心を折ることもなく、毅然として立ち向かう姿は懐かしさを覚えた」

「なにを?」

 

 大先生は優しく俺のことを抱きしめた。

 

「私は、親として失格だろう。自分が作り出した問題を子供に投げつけて知らんぷり。この世界は狂っていると吐き捨てて……目を反らし続けた……」

「……」

「世界の風向きが変化した……」

「え?」

 

 名残惜しそうに両腕を放す。

 大先生は虚無から煙草、俺も吸うことが多かったピースを口に咥えてジッポライターで火を灯す。

 白と黒の世界に存在する灰色の紫煙。

 

「私という存在が作り出した世界が、私という存在が切り離された瞬間に変化を示した。君という存在が本物になった時、ループする(同じ)世界から平行線()の世界に移り変わった」

「っ!?」

「そう、君の後ろでウロチョロと行動する私が情報という資料を集める間にこの世界の彼でもあり、自分でもある存在――相沢明広を主軸として動き始めた」

「じゃあ、ループは?」

 

 ピースを地面に落とし、靴で踏みにじる。するとそこには何もない。

 

「ループは存在する。あの世界は相沢明広をある一定の時間まで生存させるが、その先は切り開くしかない。私達には寿命が二つ存在している……」

「三十と……」

「またループする君に私が体験した寿命を伝えるのは酷だろう……」

 

 大先生は二本目の煙草を咥えた。

 

「君に伝えなければならないことは一つ、世界が平行線の世界に移り変わり、二番目である私が経験したすべてが無に帰った。つまり、私が、私達が存在した世界での出来事はすべて変化する。その最たる例がアリスの叔父さん……彼の登場だ」

「……変化した世界」

「これから先、私や君に予想しえない出来事が多く起こるだろう。だからこそ、君には選ぶ権利がある……」

 

 大先生は背中を向ける。

 

「君という存在は言わば……私の息子だ。それをあの世界にもう一度、そして何度も放り投げるのは悲しさと苦しみが存在する。だから、逃げてもいい。君は、三番目の自分として、四番目に託すという選択肢を用意した」

「それって……」

「君より優秀ではない。だが、君の心が折れて、四番目に託すより――今、未来に向かって走るか、それとも、ここで折れるか……」

 

 ――答えられるか?

 

「俺がやります! 俺は、三人目だとしても――()()()()です!!」

 

 今更投げ出すことなんてできない。

 俺は、新しい世界でこの負のループを終わらせてみせる!!

 大先生は静かに笑って頼む、そう言って、また煙草に火を灯した。




 読破お疲れ様でした。
 薄暗い作風ですが、最初に書いたオリジナル作品なので長文を呼んで頂き非常に嬉しいです。
 お時間をとらせて申し訳有りませんでした。


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一章:立ち向かう少年
悲しい人生へようこそ、


 中堅エロゲー会社から発売された『ハーレム・スティール』、通称:ハレスティというゲーム、こいつはネットで有名なゲームだ。

 ライトノベルとかにありがちなハーレム野郎のヒロインを奪い、最終的にヒロイン達を全員性奴隷にするというありがちなゲームなんだが、このゲームの凄さはヒロイン達のガードの硬さ、エロゲーってのは即落ちが基本なんだけどこのゲームのヒロイン達はマジでハーレム野郎にガチ惚れで攻略情報が無ければグッドエンディング『ハーレム・スティール』はなし得ない。

 そして攻略情報を駆使してグッドエンディングを見た俺は達成感と虚無感に襲われる。理由は一つ、このエンドを見た後に見れるコンテンツ、相沢(あいさわ) 明広(あきひろ)の日記。これはネットでは非常に有名だ。

 

【次の主人公は彼女達を幸せにしてくれるか】

 

 第三の壁を突破したタイトル、それもそのはず、ハーレム野郎こと相沢明広は何度も世界を繰り返している。それは平行線の世界(似ている世界)に飛ぶというありがちな設定ではなく、十歳から三十歳までの二十年間をプレイヤーの数だけ繰り返し、最終的に死ぬ。時に医者であったり、時に国会議員だったり、時に弁護士だったり。

 その中で一番なることが多い、いや、最終的に数ある職業の中で一番人との付き合いが少ないから選ばれたであろうそれは、航空自衛隊のパイロット、戦闘機乗り。

 そして衝撃の事実、このゲームのヒロインはすべて本来であれば死亡していて彼がそのすべてを改変し、全員を生存させてプレイヤーが攻略する。そう、一人攻略するのすら難しいのはこの裏設定があるから。

 小学五年生の時に強姦魔からヒロイン二人を救出。

 売春を強要される義妹を助ける為に六千万を払う。

 ヒロインを誘拐した半グレの武器を鹵獲して制圧。

 謎の秘密結社に狙われたヒロインを山の中で一ヶ月守り抜く。

 その後も色々な紆余曲折(うよきょくせつ)があるわけだが、高校一年生になった時……このゲームをプレイする人間にヒロインを奪われて空に向かう。

 グッドエンディングがこのゲームの正史、でも、これはグッドとは呼べない。

 

「相沢大先生……寝取ってごめんなさい……」

 

 誰一人殺させないでループした先にあるのが親しい女の子全員性奴隷ルートとか……。

 こうしてハレスティは知名度と売上、そして相沢明広という少年をプレイヤーに刻みつけた。だからネットではハレスティで相沢明広を語る時は「大先生をつけろよNTR野郎!!」と言われている。

 そんなこんなでハレスティをクリアした俺は一つだけ思う、

 

「相沢大先生が主役のゲーム……来月発売だよな……」

 

 ハレスティ発売から三年、ネットでは相沢大先生の名前がミーム化したり、女の子を命を張って助けるキャラクターや人物を相沢大先生と比べたりが流行っている。正直、今どきのラノベが相沢大先生の献身に勝てることはなく、ある意味で唯一無二の存在に昇華しているのではないだろうか?

 そして待望の相沢大先生が主役の次回作、時系列はハレスティと同じ、シナリオは発売されてからのお楽しみだとか? それでも相沢大先生をロールプレイできるなら数万円くらい出せる! それに、ハレスティも次回作発売記念で1000円で販売されてるのだから!!

 

「さてさて、ネットに書き込もう……」

 

 掲示板に大量に連なる【相沢大先生……寝取ってごめんなさい……】、これはハレスティのグッドエンドを達成し、相沢明広の日記を読んだ者だけが書き込める謝罪の言葉。自分もようやく相沢大先生に許しを請えるのだ……。

 

「相沢大先生……寝取ってごめんなさい……」

 

 エンターキーを叩いた。

 達成感から眠たくなってきたな……相沢大先生の新しい物語が楽しみだ……。

 

 

 

【悲しい人生へようこそ】

 

 戦場(地獄)の雰囲気は嫌いじゃない。

 彼はそう言わん表情で爆撃機にミサイルを放った。爆撃体制に入ったそれに攻撃を避ける手段はなく、ただ羽虫のように落ちていく。この周期に入って十六機目の爆撃機撃墜、戦闘機は二十一機。令和のエースパイロット(トップガン)、終戦の頃には第三次世界大戦(WW3)の撃墜王として君臨するだろう。

 

『デュエル1今日も凄い戦果だな! 僚機になれて誇らしいぜ』

「こちらデュエル1……デュエル2無駄口を吐けるなら隠れた護衛機を探せ、こっちはステルスじゃない」

 

 爆撃機を落とすために上がった空だが護衛機が存在せず誘い出されたような気持ちになる。この近辺の航空基地で一番有名な撃墜王『デュエル1』、相手側にしてみたら多くの犠牲を払ってでも叩き落としたい存在だ。

 使用する機体は領地紛争の際に同盟国から亡命してきたパイロットが持ち込んだミラージュ2000・5、空自が使用するF-15やF-35に比べて操縦に癖があり乗り手を選ぶ。ステルスの消耗率は低いが通常戦闘機の消耗率は想定されていた数を上回っている。空自ではステルス以外は棺桶と呼ばれるほどだ。そんな棺桶に乗って大戦最強のパイロット候補に上がっているデュエル1は鬼神だろう。

 

『そういえば、デュエル1って嫁さんいるのか?』

「任務中に家族の話しをするな、死ぬぞ」

『いや、居ねぇんなら良い風俗教えようと思ってな』

「通信はレコードされてるんだ。下品なことを言うな……」

 

 僚機の軽口に叱りを入れて基地本部に通信を入れる。

 

「こちらデュエル1、爆撃機撃墜。帰投の許可を」

 

 帰投の指示を申し出た瞬間に鳴り響くアラート音、即座にチャフを散布し高度をさげて加速する。後方の僚機は咄嗟の判断が出来なかったのか大量のミサイルを受けて撃墜、脱出できる高度じゃない。

 

俺は……相沢大先生だ……!

 

 その日、六機と一機が死闘を繰り広げ、全滅した。



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1:彼だけが報われない未来へ、

 彼が目を覚ます。

 人形のように整った顔立ち、優しげでどこか寂しい顔をした少年。

 彼の名前は相沢明広、この世界を繰り返している存在。

 見渡せばボロボロの壁、大量の酒瓶、泣きながら眠っている父親、何度も見てきたこの場所。

 彼の生い立ちは酷いものだ。

 男を作って夜逃げ同然に消えていった母、それだけならまだいい。それだけではなく大量の闇金からの借金。それを心優しい父にすべて擦り付け破壊していった。

 すべては汚い大人に壊されている。

 

「ごめんな……父さんが弱いから……」

 

 寝言で息子に謝罪し続ける父、相沢 (あいさわ)明文 (あきふみ)。アルコール依存症になっても明広に暴力なんて振るわない。ただ、自分の弱さに泣きじゃくり――最後はいわれなき罪、その後悔によって首を吊る。

 明広はこの父の姿を見るだけで泣けてくる。母親より愛を注いでくれる父親なんて少ない。でも、明文は息子に両親分までの愛情を注いでくれる。だから、だからこそ! 許せない。汚い大人が美しい存在を汚すのが鳥肌が立つ程に許せない。

 

「父さん……父さんは何も悪くない……」

 

 明広は毛布を父にかけてまだ普通の生活が出来ていた頃のお年玉、俗に言うヘソクリ。それは父に酒を買わせる為に少なくなってはいたが、宝くじを三枚買う程度には残っている。

 起死回生(希望)の一手、それは宝くじを当選させること。

 バカバカしいと思うかもしれないがこの世界は平行線の世界(似て非なる世界)への移行ではなく同じ世界線をループしている。だから宝くじの当選番号も株もすべては明広の頭の中に入っている。

 相沢明広という少年にとって最初の犠牲者は父親。それを救う方法は一つだけ、大金を確定された奇跡から拾い上げる。そして次のステージに立つ。

 彼は流れる涙を袖で拭い宝くじ売り場に走った。

 今度こそはすべてを助けて正しい(悲しい)物語に到達するように。

 

 

 相沢明広という少年はいじめられている。

 それもその筈だ。父親は日雇いで働き、大量の借金に追われているのは近所では有名な話し。だが、それが彼の母親に背負わされた借金だとは誰も思っていない。自業自得の借金、借金をして金すら払えない屑、それは子供達にも伝染する。見た目だけの黒(印象)で人は断罪を許す。

 

「謝れよ! おまえが生きてることを俺達に謝れよ!!」

 

 殴る蹴るの暴行、教師連中は見て見ぬふり(黙認)している。

 いじめというのは非常にストレス発散に有効的で自分より下の人間を虐げるという人間として当たり前の欲求をジャンクフードのように満たしてくれる。

 父親が屑なら息子も屑。屑ならいじめても許される。虐げて許しを懇願(こんがん)するその姿は強者になれたような不思議な優越感。止めるものはいない。なぜなら相沢明広は屑だからだ。

 

「おい! 『ごめんなさい』はどうしたんだよ!?」

「…………」

 

 明広は主犯を睨みつける。

 それが逆鱗に触れたのかいつも以上の蹴りが何度も飛んでくる。

 許しを請えば許される。だが、それは父を否定されることと同じ。戻ってきた明広は絶対に謝罪なんてしない。ただ、時が来ることを待つだけ、それだけ。

 

「……結衣ちゃん」

「……見てて気持ちのいいものじゃないけど、やり返さないからこうなるのよ」

 

 物語のヒロイン、【新島(にいじま)さくら】と【立木結衣(たちきゆい)】はいじめられている明広の姿を直視できなかった。罪なき罪でストレス発散の道具にされている彼を助けたいと思う心はあるが立ち入ってはいけないという一面も存在する。

 いじめは無視も加害、でも、主犯を止める理由は彼女達にはない。この状況を覆すことができるのは明広ただ一人、彼が助けてと言えば彼女達は手を差し出す。でも、明広はそれをしない。彼女達は思っていた、プライドが彼を縛り付けていると……。

 

「……凄いよな、無抵抗な人間を殴れるなんてさ」

「何だと!? 殺されたいのか!!」

「……殴れるうちに、蹴れるうちやっておけばいいさ」

 

 明広は笑っていた。

 彼らはその意味なんて理解できない。そしていつものように自分の優越感を高める為にいじめという効率のいいストレス発散を繰り返す。

 ――滑稽だ。

 

 

 宝くじの当選日から明広のどん底の人生は劇的に変化した。

 数字を自分で選んで購入するタイプの宝くじ、今の御時世では宝くじを買う人間は少なく本来なら子供が買えない宝くじも普通に売ってくれる。そして確定された奇跡の番号を彼は三枚同じにして書いた。

 傍から見ればお金を溝に捨てるような行為。でも、明広にとってこれは父親を自殺させない為の回生の一手、もちろん外れることはない。

 宝くじはキャリーオーバーが発生しており一枚十億、それが三枚で三十億。確定された奇跡によって相沢家は本来の未来から開放された。

 

「明広……ごめんな、父さんの為に……」

「父さん……お酒やめられそう……?」

 

 父に抱きしめられながら依存していたお酒をやめられるか問う。すると力が抜けたのか明文は崩れ落ち、息子は優しく抱きしめる。

 明文は別に酒が大好きというわけではない。ただ、自分の置かれている地獄から少しでも逃げる為に酒を飲んでいた。だから地獄から逃げ出せたのであれば酒なんて一滴もいらない。

 母親が作って擦り付けた借金は莫大な利子を含んでいたが無事に返済、父は飲みかけであろうが、新品であろうがすべての酒をゴミに捨てて新しい生活。これで父と息子の新しい生活が始まる。なんて生易しいことは起こらない。

 父を見捨てた親族(鬼畜)、父を地獄に落とした母方の親戚(悪魔)、それらが二人の住むボロアパートにひっきりなしにやってきては金の工面を申し出る。

 ――父はとにかく優しい性格で有名だ。

 まだまだ父が会社員時代は生活に困窮した親族に返さなくていいと十万円くらいポンと渡す程の善人。周りは出来た人間だとか、聖人の生まれ変わりだとかと褒め称えていたが、いざ彼が借金まみれになるとゴミを見るような目で縁を切る。

 金の切れ目が縁の切れ目、それを見せつけられて泣いた父の姿は今でも思い出せる。

 正直者がバカを見る(悪が笑う)。そんな世界は汚すぎる、でも、それがこの世界だとするなら――父は優しすぎる。

 でも、明広が与えてくれたチャンス。それを他人におすそ分けできるわけがない。

 

「俺はおじちゃんやおばちゃんを助けてきたよ……でも、どっちも俺と明広のことを助けてくれなかったじゃないか! 俺のことはどうでもよかった……! でも、息子だけでも助けてくれてよかったじゃないか!! 見ろよ!! 明広のランドセルはリサイクルショップで買った誰が使ったのかもわからない中古品。親として恥ずかしかった!! 二人に渡した金で新品のランドセルが何個買えた!? お願いだ。もう、明広に迷惑をかけないでくれ」

 

 明文の必死の言葉、それでも親族達は金を貸してくれと言葉を連ねる。人間の頭の中は金で出来ている。金があるから争い、そして憎しみ合う。明文は親族を恨んでいるだろう、だが、親族も同じように突如として金持ちになった明文を恨む。

 ――負の連鎖。

 自分はこんなに辛い思いをしているのに金を貸さない。今までどれだけ世話をしてやったか、そんな存在しない過去を捏造してまで金を毟ろうと画策する。汚い大人、自分さえよければすべていい。世の中は腐っている。

 

「父さん……引っ越そう、そうしないとあの人達は絶対に追ってくるから」

「……そうだな、このお金は本当なら全部明広のお金だ」

 

 小学校を少しの間おやすみして現金一括で購入したオートロックの新築マンション、一軒家でもよかったのだが、それだとボロアパートと変わらない。出来る限り警備が厳重な場所、変に大声でも出そうものなら警察か契約してある警備会社の人間が飛んでくる。

 最近のマンションは思っていたより広く今までのアパートに比べて三倍近い広さがある。家具の数からして部屋も二つくらい余る。物置か書斎になるだろう。

 

「……明広、お父さん昔からの夢を叶えたいと思うんだ」

 

 家具の設置が一通り終わった後、互いに温かいほうじ茶を啜りながら切り出される。明広は笑みを見せて父親の話しを待つ。

 

「お父さん、お好み焼き屋を開きたいんだ」

 

 ハーレム・スティールでよく登場する【お好み焼き・アキ】、この店はお好み焼き屋をやってみたいという長年の夢を形にした産物。だが、だが! この店は明広の物語の中で三回も爆破される。もちろん設備の不備によるものではなく、ヒロイン達との関係で半グレや国際テロ組織に爆破、明広の日記には三回としか書かれていないが明広は何度も爆破された現場を目撃している。最大の救いは死傷者が一人も出ていないことだ。後は保険でどうにでもなる。

 

「いいんじゃないかな、父さんずっと借金に追われてて夢なんて見れてなかったし。この際、やりたいことをやりたいだけ」

 

 明広は湯呑のお茶を飲み干し新しいお茶を急須から入れる。

 涙もろい父は嬉しさのあまりに号泣している。そして思うのだ。この人の息子として生まれてよかったと……。

 

 

 なんやかんやで引っ越しや親族の襲撃から開放されて久しぶりの学校。

 宝くじを当てて成金になったことは奥様方の井戸端会議で拡散され子供達にもある程度は共有されているらしく、いつもだったら顔を見た瞬間に嫌味を言ってくる子達も席から立つこともなくチラチラと見てくるだけだ。

 

「おはようございます」

 

 明広が朝の挨拶をする。返事は帰ってこないが軽い会釈は帰ってきた。

 今までの貧乏人で借金まみれの子供という概念は消え失せて非の打ち所がなにもない。いじめる理由が存在しなくなった。

 それでも引きずる人間は存在する。

 

「おう、借金野郎が金持ちになったからって調子に乗るんじゃねぇぞ!」

 

 主犯は明広のことを見ていつものようにいじめようと歩み寄ってくるが、冷たい瞳によってそれが出来ない。

 

「駄目だよ、理由もなく人をいじめたら」

 

 明広はポンポンと主犯の肩を叩いて自分の席に座る。そして外国語の指南書を開いた。

 いじめる理由があるなら好きなだけいじめればいい。でも、いじめる理由が無ければそれは犯罪。いや、暴行は立派な犯罪なのだが、理由のない犯罪というのは容認し難い。

 クラスメイト達は明広の姿を見て強い変化を感じた。

 いつもなら主犯に殴られ蹴られて何度も謝罪の言葉を紡ぐだけの存在、それが余裕とプライドをもって立ち振る舞っている。お金だけの変化ではない、まるで自分達より年上になったような、そんな変化。

 最初に居ても立っても居られないと思ったのは、

 

「あの……相沢くん……」

「新島さん? どうしたの」

 

 この世界のヒロイン、新島さくらが申し訳無さそうな表情で明広の前に立ち、深々と頭を下げる。

 

「わ、わたし……ずっと見てみぬふりしてて……」

「大丈夫。俺は大丈夫だよ。でも、新島さんは素直なんだね、素直だから自分を許せなかった」

「相沢くんって難しい言い方するね……でも、うん。自分(弱さ)を許せなかった」

「……ふふっ、じゃあ、ノート写させて。学校休んでたから」

 

 さくらがそんなことでいいの? そう答えるが、明広にとっていじめられていたという事実は深堀りする必要性がなく、全くの無意味。今はこの世界の歪みを正し、来る物語に備えて走り続ける。そして最後は……。

 さくらは急いで自分のノートを持ってきて汚い字だけどと渡してくれた。

 

「汚いなんて、俺よりずっと綺麗な文字だよ。文字が綺麗な人は心も綺麗って本に書いてた」

「っ!?」

 

 普段見ることのできない明広の優しい笑みに赤面する。

 パパっと信じられないスピードで休んでいた部分を継ぎ足してさくらにノートを返却する。西暦と同じくらい日本人をやっていればこの程度のことは出来るのだが、傍から見れば気持ち悪いと思われるだろう。

 

「ありがとう。これで先生に怒られなくて済むよ」

「うん、おやすみした時にはいつでも頼ってね!」

 

 ガシガシと床が軋む音が響き、音の方向に視線を向けると同時に明広の頬が思い切り叩かれた。

 そのまま明広の頬を叩いた張本人は新島さくらの親友、立木結衣。

 わからなくはない、今までいじめられてきた人間がいきなり自分の親友と親しく会話しているのだ。お金を使って仲良くしろと言われた。そういう表現もできる。

 

「ゆ、結衣ちゃん!? ひ、ひどいよ……」

「あんた! さくらに何吹き込んだのよ!!」

「はは……いじめられっ子に信頼なんてないか……」

 

 ごめんね。

 明広は久しぶりに謝罪の言葉を使った。もちろん、意味のない謝罪ではなく、意味のある謝罪。

 さくらは悲しそうなその言葉に心が苦しくなる。

 

 



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2:最初の事件

 明広は書斎になった部屋でペンを走らせる。

 最近購入したホワイトボードに必要な情報を書き記していく。

 

【河川敷少女強姦殺人事件】

 

下洲仁(しもすじん)

 反社会勢力・アルタイル幹部、幼児性愛者。

 非合法の未成年売春宿を愛用し純潔を汚すことを趣味にしている。

 近年は幼児を仕入れることが出来なくなり売春宿が閉鎖、その余波によって行動に至る。

 身長:推定165cm

 体重:推定80kg後半

 

「……無視すると身代わり出頭させて罪を逃れるからな」

 

【新島さくら】

 同級生、物語のヒロインの一人。

 視力が低く黒縁メガネを愛用している。

 髪型は三編みが多い。

 兄妹はなし。

 

【立木結衣】

 同級生、物語のヒロインの一人。

 活発な少女、リトルリーグに所属。褐色の肌が特徴。

 髪型はポニーテールが多い。

 兄妹は上に兄、下に弟がいる。

 

 明広は事件が起こる日時を書き足す。

 そして下洲と二人のヒロインに線を引き、【関連性なし】と書いた。

 その後は事件の解決方法を選ぶ準備に入る。

 西暦と同じくらいの時間を繰り返している彼にとってこの事件はループする前以外は全力で介入している。最初の試練ということもあり軽いジャブのようなものだ。

 最初の解決方法は下洲が幹部をしている反社会勢力・アルタイルのパソコンにハッキングし、違法な児童ポルノなどを警察にリークする。比較的簡単なのだが、今現在この家に回線を引いておらずハッキングはインターネットカフェなどでやることになる。後々にアルタイルを壊滅させるための手法を先に持ってきているという一面もある。

 二つ目は下洲を深夜に急襲する。もちろん病院送りにして事件を起こらないようにする。単純明快な方法なのだが、こいつには欠点がある。下洲は拳銃を常に装備しており、一撃で戦意喪失させなれば撃たれて大怪我に繋がる。それに逃げられでもしたら明広が少年院送致なんてこともありえる。一回しかやったことがない。

 三つ目は至ってシンプル、二人を襲おうとした瞬間に間に入ってボコボコにするという計画もヘッタクレもないもの。彼が一番やってきた手法。実はこれにも欠点があり、下洲は拳銃で二人を脅すのだ。もちろん弾を受ければ大怪我、流れ弾でヒロインが死ぬこともある。最初のイベントにしては鬼畜難易度と言っても過言ではない。

 

「……いつもの三番でいいか」

 

 一番試行回数が多い三番目(鉄板)の作戦、今となれば銃を抜かせる前にすべてを終わらせることも朝飯前と言わんばかりだ。こうして一応の情報整理が終了、事件当日を忘れない為にカレンダーに印を付ける。

 

「……未来は報われない。でも、同級生が死ぬのは嫌だ」

 

 彼はそう吐き捨てて書斎から出た。

 

 

 何度も戦闘機パイロットになってる彼にとって小学生の勉強は退屈としか言いようがない。でも、今現在の彼が小学生なので仕方がないと諦めて机でノートをとる。

 そんな彼を後ろの席から眺める瞳、さくらは変化した明広に心惹かれていた。

 

(相沢くん……かっこいいな……)

 

 少女達の目から見ても美形な明広、いじめられていた頃は前髪を目元まで伸ばし、猫背で顔が見にくい状態だったのだが、今はスッパリと髪を切り、猫背も治っている。

 堂々と凛々しい姿。数週間前まで泣きながら謝罪の言葉を必死に唱えていた彼とは思えない。

 うっとりと彼の後ろ姿を見ていたが、教師の「この問題わかる人いるかな」という言葉で意識を取り戻し、書いていない黒板の内容を必死に書き記していく。

 そして授業が終わり掃除の時間。

 さくらは少し心配そうに明広の背中を見る。掃除の時間、水浸しの姿で戻ってくる明広の姿を何度も見ている。トイレ掃除の当番、教師の目の届かない閉鎖空間。暴力も見逃されやすい。なんなら水浸しの状態で戻ってきても明広が水遊びしていたと他の生徒の言葉を鵜呑みにする教師しかいない。心配で胸が苦しくなる。

 

「さくらどうしたの? ぼーって」

「な、なんでもないよ……結衣ちゃん……」

 

 同じ教室掃除の当番である結衣がさくらの肩を叩く。そしてさくらの視線の先にある明広を見て顔をしかめる。

 

「……どうせまたいじめられるわよ」

「結衣ちゃんは相沢くんがいじめられた方がいいの……?」

「あたしはナヨナヨした男大嫌い。どうせお金持ちになったから気が強くなっただけよ!」

「でも、いじめは……」

「悪いことだけど、自分で解決できないなら一生いじめられるのよ……」

 

 結衣は心底嫌そうな顔をして雑巾をバケツに投げた。

 場所は変わって二階男子トイレ、小便器をブラシで丁寧に擦り汚れを落としていく。明広以外の生徒達はトイレ掃除なんてやる気はなく、明広一人にすべての作業を任せて雑談に花を咲かせている。

 

「おい相沢! 早く終わらせろよな!!」

「やってるだろ、早く終わらせたかったら手伝ってくれないかい」

「はぁ? 誰に向かって言ってんだ」

平田正宗(モブ)吉崎真司(モブ)

 

 二人は未だに明広をいじめの対象としか思っていない。だが、明広の言葉一つ一つに反論できない。現に明広以外は掃除なんてしていない。それでも、彼らの捻じ曲げられたプライドが衝動を生み出していく。

 掃除用のバケツに水を注ぎ、明広に向かってぶちまけた。

 明広は見透かしていたかのように個室の扉を開けて飛び込んでくる水を防いで個室の掃除に取り掛かる。

 

「避けんじゃねぇよ!」

「避けてないよ」

 

 再びバケツに水を注ごうとするが狙いを定めようとした瞬間には明広が目と鼻の先に立っている。今まで猫背でわかりにくかったが小学五年生にしては高い162cmの身長、そして見開かれた瞳は恐怖心さえ植え付ける。

 

「終わったから帰ろうか……」

「あ、ああ……」

「チッ……いじめられてた癖に……」

 

 二人は絶対にもう一度いじめて謝らせてやると心に決める。だが、それは永遠にできないことだ。今の明広は西暦と同じくらいの月日を生きた存在、それをいじめられるのは神様(世界)くらいだろう。

 

 

 HRが終了し、ランドセルに教科書類を詰め込む時間帯。明広は誰よりも早くそれを終わらせて足早に下駄箱に向かう。今からは一秒を争う、だから迅速に行動しなければならない。

 

「まてよ」

 

 下駄箱で靴を抜き取ると同時に上級生に声をかけられる。その視線は蛇のように鋭く、額にはシワがよっている。

 明広は少し遅かったか、なんて心で呟いて心底興味なさそうな顔で上級生を見つめる。

 

「俺の弟が世話になったみたいだな、仕返しさせてくれねぇか」

「……場所を変えましょう」

 

 明広は冷静に結衣とさくらが下校する時間、この上級生をやり込める時間を計算する。そして叩き出されたのは十分、これ以上の時間を使用すると最初の事件は悲惨なものに変化する。本当にこの世界の神様は残酷だと。

 体育館裏の誰も来ない場所に連れてこられた明広はいじめの主犯と数人の上級生に囲まれる。

 

「金持ちになったからって調子に乗るんじゃねぇぞ! おまえは俺達より下なんだからな!!」

 

 主犯が高らかにそう宣言し、明広に殴りかかる。が、それは空振りに終わり、雑草が生い茂る地面に倒れる。

 それを見た上級生達が怒りを顕にし一斉に襲いかかってくる。

 明広は怒りを顕にし言い放つ、

 

「時間が無いんだよ!」

 

 

 結衣とさくらは帰り道である河川敷を歩く。

 彼女達は小さい頃からの友達というわけではなく、小学三年生の時に結衣が転校してきて共通の趣味で仲良くなった。その共通の趣味は野球。さくらは観戦だけだが、結衣はリトルリーグに所属するくらいの野球好き、互いに両親の影響だが今では自分の趣味にしている。

 

「セカンドとショートって難しいんだ。でも、監督に立木は目がいいからって」

「ふふっ、結衣ちゃんは本当に野球が好きだね」

「やっぱり白球を追いかけるのって楽しいし」

「猫ちゃんみたい」

 

 笑いながら歩く帰り道、彼女達は気づかなかった。後ろに自らの欲に溺れた存在が近づいていることに……。

 

「……さくら、やっぱり相沢と仲良くしちゃ駄目だよ」

「……どうして、相沢くんは」

「私が三年生の時に転校してきた理由しってる?」

 

 結衣は暗い表情で語りだす。

 彼女はいじめられていた。女の子なのに野球をしているというよくわからない理由で女子からは総スカン。男子からも男女と呼ばれて笑われる。被害者、でも、ある日一人の女の子が転んで怪我をした。

 その女の子は結衣に足を引っ掛けられて転んだと嘘をついた。その女の子が転んだ時、結衣は図書室で野球の本を読んでいた。確固たるアリバイ。でも、誰も結衣を信じてくれなかった。

 いじめられっ子に言い訳もアリバイもない。弱者は強者に食い物にされるだけ、また……自分がいじめられる立場になりたくない。だから相沢明広(弱者)とは関わりたくない。関わるにしてもいじめる立場(強者)として関わる。そうしないとさくらが危険になる。

 

「……それでも、相沢くんは変わったよ」

「あたしだっていじめられるのよ、意識が変わっても意味ないわ! もう、あんな惨めな気持ちにはなりたく――「動くな」」

 

 自分の首に当てられる銀色に鈍く輝く刃物、それは包丁や果物ナイフみたいな物ではなく日本刀を小さくしたような形をしている。ドスと呼ばれている刃物だ。

 結衣の首にあてられている凶器にさくらは叫びそうになるが、牽制するように、

 

「叫んだら殺す……ひひっ……」

 

 小太りな四十代くらいの男はさくらの首根っこを掴んで河川敷の橋の下まで誘導する。そして乱雑に投げてズボンのファスナーに手をかける。

 その目には狂気が揺らめき、自らの欲望を発散する為だけの行為をこれからしますと言わんばかりだ。

 

「へへっ、こいつは上玉だ……気持ちよくしてくれよ……」

「け、警察呼ぶわよ!!」

「呼んでいいよ、でも……死ぬよ……!」

 

 ゆっくりとさくらの首にドスを差し向ける男、

 

「わ、わかった! あたしはどうなっていいから……さくらだけは……」

「いいね! いいね!! 店の女の子は従順だったからこういう態度は興奮する!!」

 

 男は結衣の服をドスで切り、行為に至ろうとする。さくらは声も出なく、自分達に未来は無いのだと確信した。

 これは現実、白馬の王子様(ヒーロー)騎士様(救世主)はやってこない。

 ある意味で結衣が言っていた受け入れるしかない現実。

 強者が弱者を食らう(弱肉強食)。自分達は弱者だ。

 ――その瞬間、結衣を犯そうとしていた男が吹き飛んだ。

 

「間に合った……!」

 

 息を切らした明広が脱いでいたジャケットを結衣に投げて小太りな男と向き合う。

 二人はこれが現実かわからなくなる。絶対に現れないヒーローがやってきて、刃物を持った男に立ち向かっている。

 ――弱者が強者(摂理)に立ち向かっている。

 

「クソガキ! 俺の楽しみを邪魔しやがって!!」

 

 男はドスを握りしめて突進するが、その刃は教科書が詰め込まれたランドセルに防がれる。そして男の手を思い切り殴りドスはランドセルという鞘に収まった。

 そのままランドセルを川に投げ捨て相手の武器を奪う。これで互いに拳――なんてことはない。懐から出されたのはトカレフ拳銃、男はニンマリと笑い殺意をぶつけてくる。

 

「相沢くん! にげ――」

 

 発砲音、二人は目を閉じた。同級生が撃ち殺される、その姿を目に焼き付けたくない。だから目を閉じ続けた。

 二発、三発と重なる銃声。

 相沢明広は蜂の巣になってしまっている。それを見てしまったら自分達は立ち直れなくなる。

 ――杞憂(きゆう)だ。

 四発目の発砲音とともに男の叫び声が響く、

 二人は目を開ける。そこには無理やりに男の足に発砲させ拳銃を奪い取った明広の姿があった。

 

「こ、ころさないで……」

 

 大の大人が小便を漏らしながら小学生に許しを請う姿は酷く滑稽に見える。明広は構えた拳銃のマガジンを抜き取り、スライドを引いて薬室の弾を排莢する。そしてマガジンを川に投げ捨ててゲームセット。

 

「……新島さん、発砲音ですぐに警察が来ると思うけど、防犯ブザー鳴らしてくれない?」

 

 あまりの出来事に現実か夢かわかっていないのか、ランドセルに付けてある防犯ブザーを使えないでいる。

 ――ようやく理解できて防犯ブザーを鳴らした。

 その後は警察がやってきて川に投げたマガジンやドスを回収。男は病院に運ばれた。もちろん回復したら裁判が控えているだろう。

 小学生三人も取り調べを受けるが見ればわかる通りに強姦魔が半グレの存在で刃物や拳銃で脅し少女達を犯そうとした。それを明広が咄嗟に無力化し、加害者が怪我をして終わり。過剰防衛にもならない。

 

「明広! 大丈夫だったか!?」

 

 明文が明広を抱きしめて頭を撫でる。大丈夫だからと苦笑いを見せる。その後に結衣とさくらの両親がやってきて同じように子供を抱きしめて気が抜けたのか涙を流す。

 結衣とさくらはようやく頭が回りだし、怖かったと泣きじゃくる。

 

「明広くん……娘を助けてくれてありがとう……」

「いえ、自分に出来ることをしただけです」

 

 この世界の神様は酷いことしかしない。

 だから、明広は戦わなければならない。

 未来に救いが無くとも、



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3:この世界は待つという行為を許さない、

 今日は明文の夢であったお好み焼き屋の開店日、個人経営の小さな店で席は四つだけ、本当にこじんまりとした店だ。

 明広は学校に行く前に父が作るお好み焼きを食べていた。

 

「どうだ、父さんのお好み焼き美味いだろぉ」

「……普通に美味しいよ」

「そこはお世辞でも凄く美味しいって言ってくれよー」

 

 お好み焼きという食べ物じたい毎日のように食べたい物かと問われればそこまで、依存性の低い食べ物だ。この世界で一番依存症を引き起こしているのは砂糖。砂糖以上に依存性の高い物はない。

 父の最初のお好み焼きを完食した明広は行ってきますと一言告げて新装開店の店から出た。

 

【お好み焼き・アキ】

 

 明広は苦笑いを見せ、小さく「数週間後にダイナマイトで爆破されるんだよなぁ」と不穏なことを呟いて学校に向かう。

 ハレスティ名物お好み焼き屋爆破。

 

 

 お好み焼き屋からの登校なのでいつもより遅い時間に学校へ、教室に入ると数日間休んでいた結衣とさくらがソワソワしていた。そしてそのソワソワは明広の到着によって解消される。

 

「あ、相沢くん! えっと、大丈夫だった……?」

「こっちのセリフだよ、二人の方がひどい目に会ったんだから」

「……カウンセリングは受けたけど、特に問題なかった」

「心に傷が出来てないならよかったよ。じゃあ、俺は本を」

「待って!」

 

 いつもなら明広を毛嫌いする結衣が引き止める。明広は珍しいという表情で結衣を見つめる。すると結衣が「見つめるな!」と叱りを入れる。明広は呆れながらそっぽを向いて話しを聞く。

 

「えっと……ずっと見下しててごめん……」

「大丈夫、みんな見下してたから。なんとも思わないよ」

「で、でも! あたしは……相沢を叩いて……」

「気にしなくていいよ、殴る蹴るは慣れてるから」

 

 明広は二人の頭をポンポンと撫でて自分の席についた。

 二人は撫でられた反動で顔を真赤にする。今までの彼には無かった大人の色気、少女の幼い恋心を刺激するには十分過ぎる。

 そんな少女二人なんて知らないと本を熟読する。

 西暦と同じくらいの年齢だが、使わない言語というのは身から離れていくものだ。彼が読んでいるのはスウェーデン語の指南書。六月の初めにスウェーデンから転校生がやってくる。もちろんハレスティのヒロインだ。

 無難にアメリカ人の転校生が来れば英語だけで済むのだが、スウェーデンという創作物にしては珍しい場所から来る転校生。ループ二回目の明広は必死にスウェーデン語を勉強したものだと苦笑いを見せる。

 戦闘機パイロットなら英語、ロシア語、中国語、韓国語は必然的にマスターするがスウェーデンとなると話しは変わる。ここまで来るとこれも勉強だとスペイン語やドイツ語、フランス語までループの中で習得している。もし、予定される命日が消えたなら機体から降りた後は通訳か何かになりたいと思ったりもする。まあ、ハレスティの世界で明広は戦闘機の中で死ぬ。死ななかったとしても……あるのは辛い現実だけだ。

 少しだけの希望があるのなら、この世界がハレスティではなく相沢明広を主人公に据えた新作。それだったら明広は……。

 

 

 学校も終わり通学路を歩むと懐かしいが会いたくはない存在が校門前に車を止めて待っていた。明広はその姿を見るだけで鳥肌を立てる。どんなにループしようがその存在には近づきたくもないし関わりたくもない。

 ――母親。

 男は全員マザコンと言われてはいるが、明広は例外だ。

 

「明広……大きくなって……」

 

 感動の再会だと思っているのか? 出てもいない涙をハンカチで拭う。

 母親の襲撃、これはどうにも慣れない。明広はため息を吐き出した。

 明広は父親に電話を入れて母親が来たことを伝える。すると店を開いた初日に気分悪いと嘆きながら早めに店を閉めて向かうと返事が帰ってくる。

 

「明文さんは……なんて……?」

「早めに店を閉めて来てくれるって」

「近くのファミレスにお母さんと」

「父さんが来るまで待つ……」

 

 明広は父が来るまで母の顔を見ないように流れていく雲に視線を合わせる。

 この人は明広が母親に愛着があると思っているのだろうが、父がアルコールに依存した理由も、彼が寂しい思いをした理由も、そのすべてが目の前の血の繋がりがあるだけの母に押し付けられたものだ。

 父の乗る軽自動車がやってきて安堵する。

 

「……久しぶりだな、要件はなんだ」

「ここでは話せない。ファミレスで話しましょ」

「……明広、行こう」

「うん」

 

 助手席に座り風景を眺める。父は心底嫌そうな表情で息苦しいのか窓を開けた。

 それだけ母という存在は相沢家にとって嫌悪する対象なのだ。地獄に投げ捨て希望を見出したら引っ張り上げようとする。結局は人間お金なのだ。

 ファミレスに到着する。

 近所のファミレス、そこで二つの家族が向かい合う。

 一つは相沢、もう一つは山下と名乗る。父と自分を捨てた母との再会、感動で涙が流れてハッピーなんてありえない。明広は幼稚園の頃に捨てられた。溢れてくる感情なんてない。ただ、母親と間男に挟まれた少女に目が行くだけだ。

 

「お金を貸してください……」

 

 母だった人の第一声は金の無心だった。いや、確定している。

 父は両手で顔を隠して自分が愛した女の末路に呆れを通り越して涙が流れてくる。この女に自分の人生をボロボロにされ、息子の起死回生の一手がなければアルコールが切れた瞬間に自殺する状態だった。そんな状態にし、息子の顔を見ず自分の顔を真剣に見つめているソレに吐き気に近い何かを感じる。

 

「……虫が良すぎる。隣の男……いいスーツ着てるじゃねぇか? なんで金を工面してくれって」

「正人さんが事業に失敗して! ……負債が五千万円も」

「それを払ったら俺に何かいいことがあるのかよ……俺には明広しかもうないんだ。明広が俺のことを救ってくれて、俺に明かりを灯してくれて、おまえは俺達を奈落に突き落としただけじゃねぇか!?」

 

 父は別に喧嘩が弱いわけではない。学生時代は実戦空手の道場に通ってちゃんと帯も持っている。だが、心優しい存在ゆえ暴力で解決しようなんて思うタイプではない。だからこそ、どうして顔を見せたのかを問いただした。

 彼らは何も言おうともしない。ただ、明広が感じたのは自分は悪くない、周りが悪いのだ。だから自分達を助けろ、助けないと後悔するぞ、だから助けろ。極悪人も真っ青な思想で金を渡せと言っているのだ。

 突っぱねればいい話だ。でも、本当にどうしようもない奴らなのだ。

 真ん中の少女、彼女は明広の母の再婚相手、山下 正人(やましたまさと)の前妻と授かった娘。だが、この正人という人間、それの最初の事業失敗で夜の街で喰われる存在になり……悲惨な最後を遂げる。

 

『いたい……助けてお母さん……!』

 

 彼は知っている。この数日後に送られてくる一枚のDVD、それに映される一人の罪なき少女の純潔が小汚いおっさんに散らされる姿、天国か地獄かはわからない場所にいるであろう……本物の母親に助けを求めるその姿。

 人間とは堕ちる時は奈落より底に堕ちる。人の欲は底知れない。

 

「……君、名前は?」

 

 明広は静かに人間ではない存在に囲まれる少女に名を尋ねる。

 

「このみ……」

「そうか、このみちゃんか……何年生?」

「……四年生」

「俺の一つ下か……父さん、この子は腐っても俺の妹だ。この子をくれるなら五千万くらい払おうよ」

 

 父と母は驚いた表情を見せる。明広は昔からワガママなんて言わない。聞き分けがよく利発で、そして……欲を見せない。だが、この時は違った。血の繋がらない妹を欲した。未来を知っているから出来ることだが、二人には自分の息子がワガママを言う姿があまりにも衝撃的すぎた。

 

「……その子をこっちに渡すなら払うよ、明広の最初のワガママだ。ただ、明広……誘拐されたとか言われたら不味いからな、正式な家族になるまでは我慢してくれよ」

 

 明広は頷いた。だが、彼らは欲深い。

 

「このみを渡すなら……六千万……」

 

 母は五千万は最初から貰えるものだと高をくくってもう一千万吹っ掛けてきた。本当は居なくなって欲しい存在の癖に毟り取れるなら限界までということらしい。父は反論しようとするが、明広父の足に手を乗せる。

 

「わかった……養子縁組ってことになるのかね、家庭裁判所だったかな? そこでこのみちゃんが正式に相沢家に入ったら小切手で六千万、それでいいか」

 

 吹っかけるものだと満面の笑みを見せて獣達は悔しそうな表情をしたこのみを撫でる。だが、これではまだ詰めが甘い。明広は義理の父に当たる正人の目を見つめる。そして吐き気を感じる。

 腐ってる人間は何をするかわからない。

 

「父さん、この人達は期待を裏切ることの天才だ。最初に三千万渡してこのみちゃんを家に招こう。その後で正式に養子縁組したら三千万。母さん……それでいい?」

 

 彼らは頷いた。

 最初に六千万でこのみを養子にした時、彼女は女性としてのすべてを奪われる。この世界は期待や待つという行為を許さない。即日決断、そうしなければ不幸になってしまう。

 明文は小切手を取り出しボールペンで必要事項と金額を書き記して立ち上がる。

 

「……娘に執着、無いんだな」

 

 パッと小切手を取った正人に明文は呟いた。

 二人は娘のことを一切見ずに小切手を現金化するために店を足早に出ていく。これが人間、それも人の親になったことがある存在のやることか? それとも、彼らは獣なのだろうか、どう考えても美しく表現することができない。

 

「このみちゃん……俺は明広、好きに呼んでいいよ」

「……お兄ちゃん?」

「それが呼びやすいならそれでいいよ」

「……お兄ちゃんありがとう。あの、えっと、おじさん。次、二人に会う時に……お母さんの写真、もらってきてもらえませんか」

「ああ、わかった。あと……おじさんだと色々と誤解されちゃうからお父さんって呼んで」

 

 本当に汚い大人ってのは駄目だ。

 まだまだワガママを言いたい子供を強制的に大人にさせる。

 帰り道、後部座席に並んで座り窓の景色を眺める。その時、このみは明広の手を握った。それを拒むこと無く、ただ、優しく握り返す。



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4:人間は快楽を忘れない。

 人間は快楽を忘れない。

 美味しい物を食べた時、その味を忘れない。

 スポーツで勝利した時、その意味を忘れない。

 弱者を一方的にねじ伏せた時、その優越感を忘れない。

 簡単なものでいじめっ子というのはいじめられっ子の泣き叫ぶ姿を脳みそに焼き付けて新しい方法で虐げる。それは生物として当たり前、集団の個体の中で劣っているものを徹底的に排除し、その藻掻く様は快楽物質を発生させる。

 傍観者はいじめというものを否定しない。ある意味でそれは一種の見世物(ショー)として考える。見るだけでも快楽物質は発生するものなのだ。

 古来はいじめではなく処刑や拷問という形でそれを満たしていた。現在は陰湿ないじめという形でそれを継承している。

 

「今日こそはボコボコにしてやるよ!」

 

 明広の放課後は華々しいものではない。いじめの快楽に溺れた存在が明広を傷つけようと絡んでくる。これもいつものこと、まだまだ試行回数が少ない頃は骨を折られたりと失敗を繰り返していたが、西暦とほぼ同い年の彼に小学生の安直ないじめは通用しない。

 舞でも踊るように攻撃を回避し、隙きがあれば足を引っ掛けて転ばせていく。

 今ならわかる筈なのだが、『明広がいじめられるような存在ではない(弱者ではない)』と。だが、身近な場所にいじめの対象が居ないのだから彼を引き続き標的にするしかない。

 

「……もういいでしょ、俺をいじめの対象にしても疲れるだけだよ」

「うっせぇ! おまえのバカにしたような目が嫌いなんだよ!! 今までみたいに無様に許してくださいと泣いてりゃいいもんを!!」

「……どうして人をいじめて気持ちよくなれるの? 人が傷つく姿を見たいなら格闘技を見ればいい、傷つけたいなら格闘技をやればいい。それ以外の選択肢で人に怪我させれば犯罪だよ」

「なめてんじゃねぇ!!」

 

 正しいことを表現したら逆ギレ、これこそが人間。自分の不利になることには目を瞑り、利益になるなら他人を掻き分けてでも奪い取る。これを押さえつけるのが理性、この世界の摂理に従う力が弱ければ犯罪も軽い気持ちで犯す。

 合計六人のいじめっ子が明広に殴りかかり、それをすべて躱して飽きるのを待つ。すると教師の一人が人目に付きにくい体育館裏にやってくる。

 

「君達! 何をしてるんだ!!」

 

 明広は知っている。この教師は自分がいじめられている姿を見て見ぬ振りしていた存在。今更助けてくれるとは到底思えない。

 教師は明広の襟を掴んで地面に押し付ける。

 

「上級生が加わってるってことは君が悪いことをしたんだろ!?」

「……何もしてませんよ、来いって言われて殴られたくないから逃げてるッ」

 

 教師はゲンコツを落としてヘコヘコと自分より何歳も年下のガラの悪い生徒達に謝る。この世界は彼を助けてくれない。この世界は彼が不利になることしかしない。生徒も敵、教師も敵、なんなら『()()()()』まで敵と来ている。

 

「ほら、先生が叱りましたから帰りなさい!」

「そうはいけねぇ、俺達はそいつを殴らねぇと気がすまねぇ!!」

 

 生徒の一人が教師を引き剥がし体制を崩している明広に殴る蹴るの暴行を繰り返す。警察に通報してもいい現場、教師までいる。だが、そんなのお構いなしだ。

 嫌な話し、教師は事なかれ主義だ。いじめがあろうが暴行事件があろうが勤務している学校で問題事が起こったと発表したくない。それを知っているから明広が受ける暴行に目を逸らす。正義感の強い教師なら許さないだろうが……眼の前の教師に熱意なんて見受けられない。

 明広は障害が残らないように首の辺りを手のひらで庇う。一回だけだが、このような暴行で脊髄を損傷し一生動けない体にされたこともある。今は比較的順調に進んでいるのだ。糞餓鬼(加害者)に自らの歩みを止めさせる理由にはならない。

 気が済んだいじめっ子達が帰ったのを確認し、口の中の血の色に染まった唾液を吐き出す。

 

「先生……どうして止めてくれなかったのですか……」

「そ、それは……」

「先生の証言があれば、警察も動いてくれます」

「それはできない! 私にも生活がある……」

「じゃあ、なんで俺を殴ったんです!? 俺を殴ってアイツらが止まると思ったんですか! 先生……どうしてアイツらを許すんですか……」

 

 教師の答えを待つが彼は何も言わないでその場から逃げ出した。

 こっちは拳すら使っていないのに相手は手も足も使い放題。なんなら教師の公認ときた。事態は悪化の一途を辿っている。こっちが手を出せば警察、相手が手を出すのは教師、いや、学校公認。これでは公開処刑のようなものだ。

 今回のいじめっ子達はタイミングや心境が悪いのか引き下がるのが遅い。こうなってくると不本意だが別の学校に飛んでもらうことが最優先になるだろう。明広はため息を吐き出して新品になったランドセルを持ち上げた。

 

 

「ッ!? お兄ちゃんその怪我……」

 

 最近ようやく相沢このみになった義妹がリビングでテレビを見ていたのだが、明広のボロボロの姿を見て駆け寄ってくる。転校の手続きがまだまだかかるので学校にはまだ行けていないが、妹に危害が及ぶ前に行動開始したいと思うのが兄としての心境だ。

 

「大丈夫、六人に袋叩きされただけさ」

「ろ、ろくにん!? 救急箱もってくる!!」

 

 献身的な妹にほっこりする。

 彼女の将来は原作のルート次第ではあるが看護師。気弱だが心優しい性格に似合う職業だ。こんなに可愛い妹を、結婚も許される妹を寝取られると考えたら明広の肩は自然と落ちていく。

 この世界は彼に優しくない。この世界は彼を踏み台にしている。この世界は彼を徹底的に妨害している。

 それは、彼が死ぬ人間を無理矢理に生かすからか、ゲームを成立させるためか、真相はわからない。だが、一つだけ言えるのは最終地点は大空、大空を駆けるだけ。

 

「痛くない? しみない……」

「大丈夫だよ」

 

 消毒液で擦り傷を消毒してくれる妹に笑顔を見せる。最後に絆創膏、絆創膏に止血以外の効果は無いのだが気分的な問題もある。応急処置をしてくれた妹を撫でてソファに深く腰掛ける。

 

「お兄ちゃん……無理しないでね……」

「ふふっ、妹が生意気言うんじゃありません」

 

 このみの小さな体を抱き上げて自分の膝に乗せる。恥ずかしそうに顔を隠すが口元は微笑んで見える。

 ネグレクトされていた元の家より構ってくれる兄がいる家。

 母が死んで愛されるという当たり前が無くなった日々、今は違う。優しさと暖かさを分けてくれる兄。兄を信頼できるようなったのは仏壇()が戻ってきた翌日。

 

【回想】

 

 自分の部屋を与えられ、学校ももう少しで通うことができる。

 少年の鶴の一声で山下から相沢に変わった名字。何も変わらないと思っていたけど、義兄と義父は優しく迎い入れてくれて、普通の少女として扱ってくれる。

 その日、いつもより早起きしたその時、兄が父が持ってきてくれた母の遺影に線香を上げ、静かに手を合わせて頭を下げている。その姿は美しく……凛々しくもあった。

 

「お兄ちゃん……」

「今日は早いな? 卵焼きと目玉焼き、どっちがいい」

 

 彼の優しい笑みを見た時、元気だった頃の母を思い出す。物静かでいつも柔らかい笑みを見せる母、その姿を兄に重ね合わせる。

 このみは立ち上がった明広に抱きつく。跳ね返して欲しいと思った。でも、彼は少し困った表情になりながらも優しく頭を撫でてくれる。

 母と同じ、甘えさせてくれる。抱きしめてくれる。彼女は大粒の雫を見られないように彼の胸に顔を当てる。暖かくて心が安らぐ、家族の愛。長らく感じられなかったそれを彼から与えてもらってる。

 

「……ごめんなさい」

「謝る必要はないよ、寂しい気持ちはわかるから」

 

 明広も寂しい思いはしてきた。母だった人に捨てられた父、酒に溺れ感情を消していた頃は彼女と同じように寂しさを抱えていた。だけど、確定した奇跡を使って今までよりもずっと、愛し愛されるようになっている。

 今回こそは失敗せず、ただ、この世界が壊れないことを願う。

 未来に誰もいなくても。

 

「……どうしてお母さんにお線香あげてくれるの?」

「故人を偲ぶ、つまりは死んだ人を思いやるのは大切なことなんだ。だから、お仏壇があったらひと声かけてお線香を上げる。それに家族や他人は関係ないんだよ」

「……お兄ちゃんはどんな気持ちでお線香をあげるの」

「そうだね、頑張ってお兄ちゃんやりますからこのみちゃんを守ってください……そんな風に思って手を合わせてるかな……」

 

 心の鍵が開いた音が聞こえる。

 嘘偽りの無い清らかな言葉、油汚れのような汚い言葉しか使わない前の両親には言えない。ただ、素直に天国にいる母に頼むだけの行為、正しい祈り。

 仏壇こそ買って飾ってあるだけの前の家、いつも閉じられて母の顔を見れなかった。でも、今は違う。水のように清らかな心を持った兄、不器用だけど優しい父、これだけでもこのみという少女の世界は別の世界に移り変わる。

 

「お兄ちゃん……ワガママ言っていい……」

 

 このみはもう一度抱きつき、最初のワガママを言う決意を固める。

 

「お母さんのお墓……お墓参りしたい……」

 

 それはワガママというには身勝手なものではなかった。

 

「うん、お花買って一緒に行こうか」

 

 それが少女の初恋。

 

 

 明広は飽きないね、そんな風に上級生の混じったいじめっ子達に呆れた顔を見せる。居合わせた教師も結局は指導なんてせずに明広の件は放っている。今は大問題になっていない。小学生が人を殺すなんてしない。多少の罪悪感はあるはず。そんな希望的観測、圧倒的な事なかれ、結局は大人のやり口。

 明広は両手を上げて久しぶりに情けない姿をさらけ出すことにした。

 

「もう許してください、痛いのは嫌なんです……辛いのも……」

 

 久しぶりの情けない謝罪に心躍ったのか主犯は助走をつけて明広の腹を殴った。

 唸り声を響かせて痛みに耐える。だが、次から次へと飛んでくる拳と足。

 明広は本当に無知な奴らだと痛みに耐え忍ぶ。

 

「謝ってるよ! お願いだから許してよ!!」

「おまえみたいな屑は俺達のオモチャなんだよ! これからもいじめ倒してやる!!」

 

 主犯は明広の髪を掴んで何度も拳を叩きつける。

 そして明広のランドセルをあさり財布を引っ張り出す。中身を確認してびっくり、そこには六枚の万札、この場所にいる誰よりも金持ちだ。全員が気色の悪い笑みを溢す。

 今まではストレスの捌け口としか利用できなかった明広が今では金のなる木、叩いても許されるし奪っても許される。こんな美味しい存在はいない。

 

「一人一万円な! そうだ、おまえさぁ、もっと金持ってこれねぇ? 俺の兄貴がバイク欲しいって言ってんだ。嬉しいだろ、俺の為に金を使えてさぁ!!」

「そんなの、自分でゴッ!?」

「なに馬鹿なこと言ってんだ……おまえは俺達のオモチャだろ? 言葉しゃべんじゃねぇよ!!」

 

 主犯達は明広の心をへし折る為にいつも以上に暴行を加える。これ以上は駄目だという一線すら超える暴行、顔は腫れ上がり立つことも出来ない。

 彼らは明日はもっと金を用意しろと捨て台詞を吐いてその場から消えていく。

 呼吸を整えてゆっくりと立ち上がる。

 本当に馬鹿な奴ら、自分達が何しても許されると思い込んだ井の中の蛙。世界は自分を中心に回っていると言わんばかりのくだらない思想。

 

「……本当に、嫌になる」

 

 木陰に設置したビデオカメラを止めて餅は餅屋と呟いた。

 その後はあっけないものだ。ただの暴行なら罪は軽くなるかもしれないが強盗となれば話しは別。彼らは一線を越えたのだ。別に少年院なんて望んでいないがこの学校、妹も通うことになる学校に居てもらいたくない。

 彼らの両親からの謝罪はテンプレートにそったありふれたものだが、主犯を含めた四人は転校してくれるらしい。残りの二人は六年生、来年には学校を去る。なんら問題はない。警察に連れて行かれる恐怖は二度と味わいたくないだろう。味わいたいなら罠を作るだけ。

 物語はサビにも入っていない。



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5:誘拐とトカレフ拳銃

 性善説と性悪説、人間はどちらなのか? それは何千年も続く謎掛けだが極悪人を見ていけば性悪説の方が信憑性は高いだろう。人間は生まれながらにして悪であり、それを理性という正しさで保っている。だが、一度でも正しさを捨てれば、それは悪を肯定し続けることになるのだ。

 反社会勢力、反社や半グレとも言われる存在。それは誰がどう見ても極悪人の巣窟。違法ドラッグ、人身売買、揺すりたかり、彼らがやっていることは数しれない。そして厄介なところは所謂ところのヤクザと違って踏み込んではいけない一線というものを持ち合わせていない。

 明広が警察に突き出した男、一見はただの性犯罪者に見えるが実際のところは半グレ組織の重鎮で、幼い子どもの純潔を散らすのを好んでいたらしい。だが、そういう子供を売り物にする売春宿が閉鎖し、暴走した結果、彼は強姦という行為に及んだ。だが、明広によってそれは未遂という形で終わった。

 でも、汚い大人の考えることは悪どい。

 地元では明広が宝くじの一等を三枚も当選させたということは有名な話しで通帳には大量の金額が記載されている。だが、相沢家は新築マンションで警備が厳重。強姦未遂事件のせいで警察官も過剰にパトロールを繰り返しているので明広を誘拐するなんてことは難しい。

 だからこそ、強姦未遂事件(前回の事件)の被害者――新島さくらと立木結衣に目星が付けられた。

 なぜ、小学五年生の少年が刃物と拳銃を持った男に立ち向かったのか? それは二人の少女が彼の友人であるから。もし友人でなくとも少女を誘拐すれば身代金を要求することもできる。なんなら相沢家に金の工面を頼んですんなりと身代金を用意するかもしれない。誘拐しない手はない。

 悪い顔の大人達は汚い笑みを見せる。

 ――世の中は金さえあればすべてが解決すると言わんばかりに。

 

 

 いじめ事件もありクラスでの明広の評価は触れたらいけない存在へと変化した。それもその筈、相手を一方的に貶めて自分は我が物顔で授業に出ている。弱者は強者に喰われ、食い尽くされたら死に晒す。その真逆をやってのけた彼に好感を持てる者は少ない。

 誰もが思っていた。耐えきれなくなって明広が転校するだろうと。

 明広がそんな面倒くさいことはしない。ヒロイン達も転校しない、これからの事件はこの学校の生徒(ヒロイン)が巻き込まれる。この学校を去ることは物語の否定にも繋がる。物語の否定は自分自身の否定。

 そんなこんなで時刻はお昼休み、学校給食を食した後はお友達との楽しいおしゃべりタイム、そんなものはない。実際、明広に友達はいない。ヒロイン達とは軽い会話をすることもあるが基本的には女の子の空間に踏み入れないのが男子。

 本を読んで備えるかといつもの指南書を開くがか細い声だが妹の声が聞こえる。

 

「お、お兄ちゃんいますか……」

 

 誰の妹だとクラスが騒然となるが明広が立ち上がりの頭を撫でた瞬間に凍りつく。明広は基本的に笑わない。それが妹の前だと優しい笑みを見せている。もしかしたら親しみやすい奴なのか、そう印象付けるには十分過ぎるものだ。

 

「このみちゃんどうしたの?」

「えっと、お兄ちゃん……お散歩しよ……?」

「ああ、そうだった。このみちゃんは今日が学校はじめてだもんね、お兄ちゃんが案内するよ」

「うん……えへへ……」

 

 手を繋いで教室を出る明広に氷より冷たい目線が二つ、結衣とさくらは見るからに嫉妬している。男子と女子は会話が続かない。明広は聞き手に回ることが多いので彼から話題を振るということが少ない。会話をするなら自分達から、でも、明広の顔をみると恥ずかしくなって(好きだから)長続きしない。

 

「……あいつに妹なんていたかな」

「小説みたいに義理の妹が出来たとか?」

「そんな小説みたいな……いやいや、あたし達も小説みたいなことになってたわね……」

 

 刃物を持った強姦魔に襲われそうになったところを助けられ、最終的に拳銃まで飛び出してきたトンデモ展開。それでも自分達は怪我一つなく普通に学校に通っている。小説より奇っ怪な状況なのではないだろうか?

 彼女達は少しだけ悩むが結論は出ている。

 

「結衣ちゃん……相沢くんともっと仲良くなろうよ……」

「そうよね、助けてもらったのに友達以下の関係ってあたし達どれだけ冷たいのよ」

 

 明広は近寄りがたい雰囲気を纏っているがこのみに見せた笑みを見たら雰囲気だけだと思えてくる。

 

 

 学校で行うすべてが終わり帰りの準備、新しい教科書とランドセル。小学五年生にもなってランドセルを買い換えることになるのは少しだけどうかと思う。ランドセルなんて小学生の間しか使わない。

 

(でも、ランドセル使うとドスの攻略が段違いなんだよな)

 

 ランドセルは小学生が持てる最強の防具だと誰かが言っていたような、言っていないような。

 教科書類をすべてランドセルに収納し、妹を拾って帰ろうと考えた時に二人の少女から声がかかる。

 

「相沢くん……一緒に帰らない……?」

「いいよ、確か途中まで同じ道だし。ただ、妹を拾わないと」

「断らないのね……意外……」

「断る理由なんてないよ、茶化してくる男友達もいないし」

 

 結衣が一人くらいと喉まで出かけるが、よくよく考えてみると彼の周りの男子生徒は皆すべてと表現できるくらいいじめっ子、明広はいじめられっ子、それ以外は傍観者。友達と呼べる男子生徒は一人もいない。だから茶化されることもないし、恥ずかしいと思う必要もない。

 いじめられていた理由も父親が借金まみれだったから。本当はいじめられる理由なんて何一つ無い。少しばかり愛嬌が無いだけで至って普通の小学五年生、そう考えると非常に不憫な存在。

 

(傍観者だったあたしも同罪だけど……)

 

 自身がいじめられた経験からいじめっ子もいじめられっ子も避けてきた結衣だが、明広の凛々しい対応で心変わりしている。毅然として振る舞えば相手は勝手に消えていく。消えないなら頭を使えばいい。本当にそれだけ。

 

「お兄ちゃん……帰ろ……?」

「ああ、このみちゃん。この二人も途中まで一緒だから」

 

 このみを見つめる結衣とさくら、二人の頭の中にある表現は一つ。

 

((天使みたい……))

 

 自分達よりずっと小柄で線が細く近くで見てみると小動物のような独特の可愛らしさがある。それに付け加えて現状明広以外に心を開いていないことを加味するとその愛らしさが際立つ。まさしく小動物系。

 

「へぇ、このみちゃんは相沢くんのお母さんの再婚相手の連れ子なんだ」

「なにそれ、お母さんが好きな昼ドラよりドロドロしてない?」

 

 帰り道でこのみの身の上を少しだけ話した。すると二人は小説やドラマよりネットリした家族関係に若干の気負い。確かに浮気した母親の再婚相手の連れ子となると義理の兄妹になるまでのハードルは高すぎる。なんならこのみが悲惨な最後を辿らないのであれば明広も無理に助けることはしていない。

 義理の兄妹と言えば親の再婚相手の子供、親権を放棄した方の親から妹を引っ張ってくるなんてまず無い。現実は小説よりなんとやらだ。

 

「……えっと、ごめんなさい」

「あ、謝らなくていいから! ちょっと相沢! 睨まないでよ!?」

「こわかったねーこのお姉ちゃんとは絶交するからねー」

「絶交なんて一日で忘れる言葉使わないでよ!」

「ふふっ」

 

 小学生とは言えど三人の美少女を侍らせている。これは紛れもない事実。だが、この先の未来を思い出すと素直に爆ぜろとも言えない。

 明広は笑みを見せてこの時間がずっと続けばいいと心の中で呟く。

 

「あ、相沢が笑ってる!」

「わ、本当だ!」

「え、結構笑う方だと思うけど……」

「いっつも教室ではムッスってしてるわよ」

「そうなのかな……?」

 

 このみに助け舟を求めるが彼女もふとした瞬間に笑みを確認できるだけで常に笑っているという評価は下せない。

 

「……結構笑ってる方だと思うんだけどな」

「でも、お兄ちゃんは……クールでカッコイイと思うよ!」

「このみちゃんは偉いねぇ、愛嬌が無い兄貴を必死にフォローするなんて! あたしは絶対にしない」

「結衣ちゃんはお兄ちゃんいるもんね」

「うん、上に兄貴、下に弟。このみちゃんみたいな妹が欲しかったな~」

「あげません!」

 

 このみの頭を撫でて牽制を入れる。二人は必死な兄の姿にクスクスと笑い出す。明広は必死過ぎたかと頭を掻いた。

 

「結衣ちゃん、相沢くんとこのみちゃん。わたしはここで」

「気をつけてね」

「またあしたー」

「あの、またあした……です……」

 

 最初の分岐でさくらと別れる。その後に結衣と別れて自宅に到着する。

 

「このみちゃん、友達はできたかい?」

「えっと……話せる子はできた、かな?」

「よかった。勉強もわからなくなったらお兄ちゃんに言うんだぞ」

「うん!」

 

 明広はこのみに見られないように渋い表情になる。明日、そう明日。明日のこの時間帯に事件は起きる。それを攻略しなければ立木結衣は死ぬ。

 

 

 明広は書斎の鍵を閉めてホワイトボードにペンを走らせる。

 

【反社少女誘拐殺人事件】

 

 明広はプリントした写真をマグネットで貼り付けて潜伏場所に使われる廃工場の地図にも目を通す。何度も繰り返して体で覚えているものだが、どうにもブリーフィングを行わないと失敗してしまいそうという強迫観念に襲われる。

 

「こことここ、そしてここ、敵は七人。一階に四人、二階に三人」

 

 地図に赤点をつけて拳銃持ちの部分には丸を描く。

 今更ながら小学五年生の男児が拳銃で武装した半グレ集団とドンパチするなんてありえない。だが、現実問題これを解決しなければ物語ははじまらない。失敗したら残りの人生は日記の先より酷いものになる。

 明広はため息をついて椅子に腰掛ける。

 

「……最初に二人無力化できれば」

 

 印刷された結衣が誘拐される現場、そこは人通りの少ない路地。誘拐に適している。ここで最初に拳銃持ちを無力化し、二人目を無力できれば四人しかいない構成員は明広と交戦する。だが、一人だけしか無力化できなければ結衣は工場に連れて行かれる。

 繰り返す世界で軍属になっている明広にとってチンピラと戦闘することなど朝飯前、路地とは言えど住宅街で発砲することは無い。逆に逃げるチャンスがある廃工場なら容赦なく発砲してくる。

 この世界のご都合主義で明広は絶対に死なない。逆にヒロインは非常に死にやすい。

 

「……本当に難しい世界だ()()()()()

 

 ホワイトボードに相沢明広と書き記す。

 

「……相沢明広、この名前も西暦とほぼ同い年。次は西暦より爺か」

 

 ノーコメント。

 

「次は日本より年上かもな、相沢大先生」

 

 問うな!

 

「もう、本当の名前すら忘れたよ」

 

 語るな!

 

「なあ、相沢大先生……アンタはどこにいるんだ……?」

 

 ――俺に縋るな!

 

 

 学校が終わり通学路を歩く。昨日と同じように四人が三人、三人が二人、明広はこのみに嫌な予感がすると言って結衣が歩いていった方向に駆ける。体感だと少しだけ早く追うことが出来たので迅速な突破が可能かもしれない。

 普通に歩く結衣の後ろ姿が見えた。路地裏に隠れて地面に落ちてある空き瓶を拾い上げる。白いバンも駐車されている。バンから人が出た瞬間に彼も飛び出す。

 

「なにっ!? う――!!」

「早く車にのせ――ウッ!?」

 

 男の一人に空き瓶が命中、そのまま顔に向かって膝を思い切りぶつける。二人目に取り掛かろうとするが結衣は車に詰め込まれ、走り去った。

 舌打ちをし、銃持ちを優先し過ぎたと反省する。そのまま気絶している半グレの懐から新聞紙に包まれた何かをズボンに挟んで大通りに出てタクシーを拾う。

 この場所から廃工場はタクシーで数分の場所、いつものように見張りも立てずに廃工場には下衆の香りが漂っている。タクシーから降りて誰も見られていない場所で新聞の中身を握る。

 トカレフ拳銃、反社が大好きな一丁だ。

 スライドを引いて初弾を装填。

 

「うー! うー!!」

「へへっ、こいつは上玉だなぁ、下洲の兄貴が捕まってなかったら凄いことになってたかもな」

「何いってんだ。下洲の兄貴はその子を襲おうとして捕まったんだぞ……本当にこんな乳臭いガキの何がいいのやら……」

「俺は女ならなんでもいいっすよ! この子も処女で死ぬのはいやでしょうから」

「勝手にしろ……」

 

 ――刹那、炸裂音が響き渡る。

 

「だれだッ!?」

 

 炸裂音と共に肩に広がる熱を伴う痛み、半グレの構成員達は慌てて応戦しようとするが自分達の拳銃持ちは右肩を撃ち抜かれて銃を抜けない。そのまま男達はなすすべも無く肩や足を撃ち抜かれ戦闘不能になる。

 

「お、おまえは……何もッ!?」

 

 銃持ちの半グレを蹴り飛ばし懐からトカレフの新しいマガジンを装填する。そして無表情に二階にあがる。するとそこにはトカレフを構えた男、もちろん発砲される。

 互いに同時、だが、経験の差で明広の弾が当たり、半グレの弾は逸れる。そのまま残りの半グレにも致命傷にならない程度に弾を浴びせて誘拐された結衣の縄とガムテープを剥がす。

 

「あ、あいさわ……?」

「もう大丈夫だ……」

 

 明広は窓に向かって一発だけ発砲し警察が辿り着く時間を縮める。その後はタクティカルリロードしたマガジンから弾を抜き取り、マガジンにロードする。残弾数は8+1の九発、無謀に立ち向かう気にもならないだろう。

 

「あ、相沢……逃げた方が……」

「ここに居た方が後々が面倒くさくない。それに腰が抜けて立てないだろ」

 

 震えている結衣の頭を膝に乗せて頭を撫でる。緊張の糸が切れたのか静かな吐息、眠ったようだ。

 明広は悶ている半グレ達を見て思う。

 

(明日……ハレスティ名物が見れるな……)

 

 ハレスティ名物『お好み焼き爆破』。

 苦笑いを見せた。



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6:お好み焼き屋は爆破されるもの、

 深夜に父が咄嗟に起き、子供達が寝ていることなんてお構いなしにドタドタと足音をたてて家を飛び出していく。明広は布団の上で「名物だなぁ」と笑い目を瞑る。これから先、あと二回も爆破されるのだから名物と言って過言ではない。なんなら原作ではグッドエンディングを達成するための必須条件、爆破しなければならない。制作陣はお好み焼き屋に恨みでもあるのだろう。

 ウトウトと睡魔が回ってくると同時に部屋がノックされる。

 

「お兄ちゃん……起きてる……?」

「んー? このみちゃん……どうしたの」

「怖い夢見て……お父さんの足音で起きれて……」

 

 このみはトテトテと明広の布団の中に入ってく。彼は苦笑いを見せながらもこのみに布団をかけて寒くないように近くに寄せる。

 

「……温かい」

「温めておきましたお嬢様」

「ありがと……むにゃぁ……」

 

 安心したのか兄の布団で子猫のように眠る。この愛らしさによって何度一線を越えたことか、明広は頭の中で般若心経を唱えて己の欲を必死に掻き消そうと努力を開始した。

 

 

 朝一番に父の店を見に行くとそこは綺麗に爆破されていた。天井にも大穴が開いており開放感抜群なんていう不謹慎な表現をしてしまう。勿論ガス設備の誘爆ではなく人為的な爆破。結衣を誘拐した半グレ組織アルタイルが人気のない時間帯にダイナマイトを投げて爆破、ガス管にも引火して大惨事というわけだ。

 消し炭というわけではないが、骨格くらいしか残っていない。出来たばかりの店の前で崩れ落ちる明文、これから何度も爆破されるのだから気の毒としか言いようがない。

 

「おれの……ゆめが……」

 

 保険でどうにかなると説得するが出来て一ヶ月も経っていない店が爆破、店主として心にクルものがあるのだろう。それでも乗り越えてもらわないとならない。これで心が折れてしまったら名物が二度と見れなくなる。

 

 

 警察の事情聴取やら保険会社との交渉やらで楽しくショッピングできるような時間帯でもない。この機会に出来なかったことを消化しよう。父も店が復活するまでは暇になる。

 家に常備してある線香とロウソク、着火するためのマッチなどを用意して後は近所のスーパーか何かで花を購入したらお墓参りができる。あの日、妹と約束したお墓参りは彼女の母が眠る墓地の場所がわからなくて断念した。一応は恥を忍んで母に連絡を入れたのだが、今はハワイでバカンスしていると言われて数秒で切られてしまう。

 不謹慎な奴らだと声を荒げたくもなるが妹を怯えさせる可能性によって理性が働いた。人の親になったことがある人間がこうも欲に溺れるとは嘆かわしいものだ。

 幸いにもこのみの母が眠る墓地は彼女の母方の親戚が教えてくれた。もちろん無料なんてことはない。彼女の祖父母に当たる人達は娘の死を酷く悲しんでいるらしい。だが、このみを引き取る気は無い。墓の場所は個人情報なんて言葉をならべて金銭を巻き上げてきた。本当に大人ってのは汚い。

 

「……荒れ果ててるな」

 

 これは酷い。誰も墓参りに来なかったのか墓石は砂埃がこびり付き、飾られている造花も色褪せてすべてが灰色に変色している。別に毎週墓参りをしろとは言わない。せめてお盆くらいは顔を見せるなりすればいいものを、彼らはそれすらしていないらしい。

 聞いた話によるとこのみの母が死んだ後に莫大な保険金が支払われたらしい。世間体も気にして一応はお墓を建てたのだが、建てた後は知らぬ存ぜぬで造花の殆どがプラスチックの棒になるまで放置。嫌な話だ。

 夫の事業の失敗によって夜の街に出稼ぎに行き、最後は客に首を締められ絞殺。本当にこの世界はヒロインに厳しすぎる。

 

「ごめんね……お母さん……!」

 

 その場で泣き崩れるこのみを父に任せる。

 

「父さん、掃除は俺一人でやるから気晴らしにドライブでもしてきて」

「わかった。頼むぞ」

「うん。こんな汚い状態にしてたら祟られちゃうからね」

 

 泣きじゃくる妹を父は優しく抱き上げて連れて行ってくれる。彼は墓の前に立ち、深々と頭を下げる。

 

「遅れてしまいすいません。このみちゃんの兄として眠る場所の掃除をお許しください」

 

 明広は汚れている隅々をブラシや雑巾で綺麗にしていき、新しい水を入れたり花を切ったりとやれることすべてをこなしていく。

 そして一時間後には他のお墓と遜色ない輝きを取り戻し花も綺麗に飾られている。

 袖で汗を拭い、そして一礼。

 

「俺は……このみちゃんを末永く幸せにすることはできません。それは、自分が背負っている未来にこのみちゃんが立てないから……! でも、このみちゃんが本当に好きな人と未来を歩めるよう、俺は全力で彼女を支えます。お義母さん、血の繋がらない息子のワガママをお許しください」

 

 もう一度、深々と頭を下げる。

 ドライブを終えた軽自動車が帰ってくる。

 明広は胸を抉られたような痛みに悶える。

 自分は、この物語に必要な存在。それと同時に不要になる存在。

 この世界は彼を利用する。彼はこの世界を利用できない。

 不条理だ。

 ――俺もそう思ったよ、もう一人の相沢明広()



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7:相沢明広の日記

『次の主人公は彼女達を幸せにしてくれるか』

 

 日記を書く習慣なんて無いのだが今日は喪失感から筆がよく滑る。

 そうだな、一言で表すと俺の人生は悲惨、この文字に限る。

 男を作って父さんに借金押し付けて消えていった母、あと少しで小学一年生になる時だったかな? 一番母親を必要する時期に消えてくれればいいものを顔を覚える歳で捨てていった。

 その後は本当に辛い日々だ。

 父さんが酒浸りになり学校では給食費も払えないでいじめられ、歳を重ねる事に言葉だけじゃなく暴力に切り替わっていく。

 リサイクルショップで買ってもらったランドセルは色が無くなるくらいにボロボロにされて、100円ショップで買ってもらった鉛筆は削っても文字を書けないくらいにへし折られた。

 一度だけヤケになってやり返したこともある。確か小学三年生の時だったかな? その時は本当に酷かった。いじめの主犯格の一番上の兄、それも高校も通わないで半グレやってて、それは凄い凄い。道理だとか仁義なんてない奴らが何十人も集まって俺のことを殴り潰した。アレは子供ながらに恐怖しか覚えなかった。

 学校に行きたくなければ行かなくていいとか言われてるけど、俺の父さんは毎日借金の返済の為に肉体労働、帰れば嫌な気持ちを和らげようと酒を飲む。そんな家に篭もっていたら餓死するだけ、本当に給食だけで食いつないでる状態だ。

 でも、父さんは一度も暴力を使ったことはない。依存症になっても父さんは父親であろうと必死だった。それが逆に悲しかった。俺の血には父さんを地獄に落とした女の血が入ってある。だからいじめっ子と同じように殴ってくれた方が楽だ。

 そうだな、そう、それは確か小学五年生の時だ。結衣とさくらが強姦魔に殺されたんだ。本当に嫌な事件だった。強姦殺人、女の子としての尊厳を奪われて殺される。男の俺からしても嫌悪感が沸々と湧き上がる。まあ、あの時はただのクラスメイト、あの二人はいじめられてる俺を見るだけの存在、考えたくもないが……ざまあみろなんて感情もあったかもしれない。だからかもな、はは。

 その後、いじめの主犯が結衣に恋心を持ってたらしくて殺したのは強姦魔なのに俺が殺したと角材や鉄パイプで袋叩きにされた。何歳も年上の存在に日が昇るまで殴られたから死なないとでも思ったのか普通死ぬくらい殴られた。そして俺の人生はぶっ壊れた。

 脊髄の損傷、俺はその日から体のすべてが動かなくなった。

 もちろん裁判沙汰になり主犯は小学生なのに少年院、それ以外は示談金を払って解決した。でも、俺はもう二足歩行できない存在に。

 示談金の額は借金、闇金の膨大な利子すら返済できるだけのもので、念願の借金生活からは脱却した。代償は大きいものだったが……。

 親父は泣いてたよ、その時は……俺も泣いてたかもな、悔しさでさ……。

 どうにかリハビリのおかげで手は動くようになったんだが、指は一本も動かない。人間って無くなって悔しくなるものなのかもな、その時は本当に思ったよ。

 それからは障害者年金制度で親子二人、借金も無くなって派手なことをしなければ何不自由なく生活できる。幸せというわけではないが……まともな人間らしい暮らしができて嬉しいと思ってた……。

 障害者生活は二十年目に突入、親父ももう少しで六十歳になろうとした日、互いの携帯からけたたましいくらいのJアラートが鳴り響いた。冷戦状態とか言われていたけど、まさか本当に日本がミサイルの標的にされるとは。

 父さんも俺も家から逃げることはしなかった。恥の多い人生をおくってきた。だから、死ぬ時は静かに待つことにした。

 俺は言ったんだけどさ、父さんだけでも逃げてくれって、でも、息子に救われたから一緒に行くと言われた時は三十なのに号泣したね。

 これが俺の最初の人生。

 

 核ミサイルの爆風で死んだと思ってた俺は懐かしい酒臭さで目を覚ましたんだ。驚いて体を起こすと体が自由に動いて一滴も酒を飲まなくなった父さんが酒瓶を抱きしめて泣いていた。

 俺は理解した。これは神様が与えてくれたチャンスだと。小学五年生の頃に戻ってきて正しい親孝行をしなさいってね! それからは頑張ったさ、いじめにも屈せずにひたすらに勉強して、運動もして、そして死ぬ筈だった結衣とさくらも助けて!!

 でも、父さんは死んだ。

 自殺。自分の父親が首を吊る姿なんて見たくなかった。

 その後は孤児院に預けらた。

 孤児院に預けられて、掃除をする時に一枚の古新聞を見つけたんだ。それには宝くじの当選番号が書いていて、もし、また自分が小学生からやり直せるなら――宝くじで父さんを救えるかもしれない。俺は必死にその番号を暗記し続けた。

 ――結衣が誘拐されて殺害されたとテレビで報道されていた。

 それからも俺の住んでいた場所では多くの事件が起きてネットでは魔の領域なんて表現されていた。

 俺は高校生になることもなく中卒で自衛隊に入った。核ミサイルが撃ち込まれるってことは戦争が起きる。戦争には兵士が必要だ。俺は陸自で起こる戦争に備えて訓練の日々を過ごした。

 でも、変わらなかった。

 そりゃそうだ。敵軍の基地に爆弾を落とすのが当たり前だ。俺は訓練をバカにされるように殺された。

 

 三回目の人生、俺は二回目の人生で必死に暗記した数字を思い出して宝くじを買った。このくじさえ当たればお金で父さんが死ぬことはない。そう思って祈り続けた。そして宝くじは一等になり、借金は消えた。

 その後はいじめっ子と戦いながらも結衣とさくらを助けて、誘拐も足を怪我したけどどうにか解決する。これで自分は幸せな人間になれる。

 でも、この人生ではこのみを助けることが出来なかった。俺が宝くじを当てたと知った母が間男を連れて金の工面を申し出たんだ。その時に義妹のこのみもいて、俺と父さんはそれを突っぱねた。すると数日後、一枚のDVDが届いて……思い出したくない……。

 その日、スウェーデンから転校生がやってきた。親の仕事の都合で転校してきたらしいが、母国の言葉しか使えなくてさ、英語もあまり理解してなくてクラスは自然と彼女をハブるようになった。

 俺は必死にスウェーデン語を覚えて日本語を教えたり、逆にスウェーデン語を教えてもらったりと夏休みまでにはなんとか日本語で挨拶くらいなら出来るようになった。

 そして夏休み、8月の中旬に彼女は殺された。

 犯人は見つからず事件は迷宮入り、友達をなくした喪失感は凄いものだったさ! 無力な自分が嫌になった……。

 その後は、

 

 誰一人として失わずすべてを解決した時、俺は西暦と同い年になっていた。

 それでわかったことは一つ、俺はどんなに死のうとしても死ねない。死ぬ時は三十歳、戦争の戦火によるものに限定される。何度か嫌気が差して飛び降り自殺とかやってみたんだが、植物状態でも生きていた。俺は途中でリタイアすることは許されないらしい。

 でも、全員が生きているのだから素晴らしい。俺は誰一人欠かすことがなかった。何度も修羅場を超えて勝利した。

 高校の入学式、何度も世界を繰り返しているが高校で事件が起きることはない。俺はバラ色のスクールライフをエンジョイできる。

 

 おかしい、俺は何一つ失敗することなく彼女達を救った。でも、まるで歪むように世界は戦争へと突き進んでいく。

 結衣が結婚して子供が出来たというのに、彼女と彼の子供が戦火に燃やされることだけは許せない。俺はいつものようにパイロットとして空に上った。

 

 今回はさくらが結婚した。幸せになってくれと思うが戦争は起こった。

 どうして、幸せになったのに世界は狂うのか、それとも、戦争は確定された未来なのか。

 

 今回はこのみが結婚した。あれだけ甘やかした妹が嫁入りすると思うと寂しさが生まれる。このみの幸せな未来を守るために俺は絶対に、

 

 今回は、

 今回は、

 今回は、

 今回は、

 今回は、

 

 俺の前から彼女達は消えていった。一人の男に骨抜きにされたらしい。確かに俺も彼女達を侍らせていたが奴の目はどこか狂気を含ませていた。

 それに、今回に限って父さんがやってるお好み焼き屋が三回目の爆破、引っかかる。

 でも、俺に出来ることはない。

 だが、今回の世界は平和だ。

 戦争が起きるとは思えない。

 俺は戦闘機のパイロットをしている。でも、戦争は起きない。

 ――妹が自殺した。

 腕には薬を何度も使われたのか多くの痣ができており、あの男は薬を使って彼女達の意思を捻じ曲げた。そう、昔からアイツは薄気味悪い顔をしていたんだ。

 また、喪失感に襲われる。

 

 三十一歳の誕生日。

 俺は死ななかった。

 誕生日を迎えたということはループは消えたのだろうか? でも、多くのものを失った。俺には何も残っていない。

 もし、またループすることができるなら……。

 そうだな、アイツに当たる存在は名前も顔も変わる。

 言うならば顔がない主人公だ。

 だから、そうだ。

 次の主人公は彼女達を幸せにしてくれるだろうか、

 俺は彼女達を救う。だから、次の主人公……彼女達を幸せにしてくれよ……。



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8:家族の時間

 お好み焼き・アキの建て直し作業がはじまった。保険会社との交渉も上手く纏まり設備分のお金も支払われた。この店も賃貸ではなく持ち物だったことも効いている。

 全国から日本で唯一ダイナマイトで爆破されたお好み焼き屋としてそれなりに有名になり、新装開店したら県外から食べに来るというお客さんも沢山やってきていた。ダイナマイトを投げ込みたくなるくらい美味いお好み焼き屋。明広は笑う。

 

「秋頃には再開できそうだ。保険って凄いな」

「そうだね、保険は凄いよ」

 

 朝のニュースを見ながら温かいお茶を口に運ぶ。高級な茶葉を買う余裕はあるのだが小市民が抜けないので398円の普通の茶葉、それでも香りは悪くない。

 まだまだコーヒーに舌が適応できない歳なので緑茶で我慢、父の方は当たり前のように機械で淹れたブラックコーヒーを飲んでいる。少し羨ましい表情になる。何度も人生を繰り返していると子供の舌では味わえないものが沢山ある。その最たる例がコーヒー、子供の過敏な舌では香りは苦さに掻き消される。

 

「おはようございます……」

 

 まだまだ敬語が抜けきれていない妹に苦笑いを見せる。この感じは彼女が中学性になるまで抜けない。何度もループしている彼だが小学生の間に敬語が抜けた試しがない。気長に待つしかない。

 

「このみちゃんおはよう!」

「おはよう、このみちゃん」

「は、はい……」

「そんな怖がらなくても……お父さん寂しくなっちゃうなぁ……」

「あの、えっと、ごめんなさい……」

「父さん……」

「ごめんなさい……」

 

 このみは明広の膝の上にチョコンと座り上目遣いで見つめてくる。それを見て苦笑いをしながら頭を撫でてみる。すると心地いいと言わんばかりの鳴き声を出して微笑んでいる。

 

「本当の兄妹より仲良しさんだなぁ、お父さんにも弟と妹がいるが……昔からなぁ……」

「真っ先にお金の工面に来たのは叔母さんだったからね」

 

 宝くじ当選の話しをどこからか聞きつけ真っ先にやってきたのは明文の妹、息子の妹と真逆で兄のことを軽蔑し父親より早く洗濯物を別にしてくれと言われる程だ。父は別に不潔に見えるわけじゃない。逆にちゃんとした格好をしたら俳優レベルの精悍な存在になる。だが、実は気弱で顔色を伺うことが多い。そのヘコヘコとした態度が嫌いなのだろう。

 

「いっそのこと明広と結婚したらどうだ? 義理の兄妹なわけだし天下の法律様も許してくれる」

 

 このみは明広と結婚しないかという提案に顔を真赤に染め上げる。

 

「このみちゃんはまだ小学生だよ、これから先に本当に好きになる人が出てくるさ」

「むぅ……」

「いたいいたい! 膝を抓らないの! め!」

「お兄ちゃんが悪いもん……」

 

 嫉妬してくれて嬉しい。でも、未来のこのみはこの世界の主人公に奪われる。それはおれ――ッ!? ……相沢明広の日記に書かれてある通りに原作主人公の非道な手によって未来は砕け落ちる。

 それを望むのは兄として最低なのかもしれない。それでも相沢明広という存在は西暦と同じだけの絶望を繰り返し、辿り着ける終点はたった一つ、物語の終点は一つだけ、それが彼にとっての空虚。

 この世界はヒロインに冷たい。

 この世界は主人公に温かい。

 この世界は明広にとって――生温い。

 中途半端に優しく、中途半端に厳しい。そして結末は虚しい。

 答えを知らない迷路なら楽しめる。答えを知る迷路なら――それは結末次第。

 

「このみちゃんも起きたことだし朝ごはんを作ろうかな、お味噌汁は白と赤、どっちがいい? お兄ちゃんがんばるぞー」

「このみちゃんが選んでいいよ」

「えっと……お豆腐が入った赤いの……」

「サーイエッサー」

 

 彼は誰にも顔を見られていない時に酷く冷たい瞳になる。

 それはヒロインすら、自分すら変えられない無力さを嘆いているようだ。

 無駄、それでもまだ見ぬ主人公は彼女達を大切にしてくれると信じて……。



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9:二人の同一人物

 ようやく引かれた光回線、パソコンは事前に組み上げて繰り返す世界で習得したすべてを駆使して半グレ集団アルタイルの犯罪行為を引き出していく。

 ダークウェブ、一般人が入手できない違法な物や情報が並べられるダークサイド、ここで仕入れられない非合法はない。だからこそ警備は厳重で何か不備が起これば不備を起こした側のパソコンにクラッキングを開始する。

 事前に作ったプロテクト、この世界に存在するどのセキュリティプログラムより堅く製作者の明広ですら突破は不可能。なぜならこれを突破するには1秒ごとに変化する暗証コードを三連続で突破しなければならない。暗証コードは完全なランダム、数字とアルファベットが使用される一二桁の暗証番号を三回突破、量子コンピューターを使用しても突破できるかどうかの代物だ。

 名前は『イージス』

 

「……さて、情報を吸わせてもらおうか!」

 

 アルタイルの裏情報を持っている業者にクラッキングし使えそうな情報を吸い出していく。もちろん相手もクラッキングされたことを察知し、こちらにクラッキングを開始するがイージスの堅さに位置の特定すらできない。

 

「さて、仕上げだ……」

 

 大量の情報を引き抜いた後にウィルスを送りつけて完了。

 叩きまくったキーボードから手を放し冷たい緑茶に口をつける。

 

「やっぱりイージスの性能はピカイチだな……これを売ったらいくらになることやら……」

 

 そのままダークウェブに存在する警察が極秘に管理するサイトに情報提供を開始する。表向きはダークウェブ版の掲示板。ここでの会話は犯罪自慢などが飛び交っているがその程度のことで警察は動けない。だから日々変化する暗号を解き警察へのリークが出来る場所に飛ぶ必要がある。

 すんなりと警察側の暗号を解いて半グレ集団アルタイルの犯罪証拠をすべてぶちまける。

 麻薬の隠し場所、誘拐された少女の監禁場所、地下賭博場の場所、数え切れない程の情報。その後は通信ケーブルを抜き取りハードディスクを木っ端微塵に砕いて燃えないゴミに捨てる。

 

「イージス……また次の世界でな……」

 

 一般人のパソコンに入れてはいけない情報の数々、それを持っていたら彼自身も危ない。後はすべて警察がやってくれる。今までの世界でも警察が動かなかったことはない。強いて言うならまだ使えるハードディスクを壊すのは勿体なく感じるだけ。

 最初の頃には次の事件に登場する組織『財団』にも使用できないかと画策したが、彼らのメインコンピューターはすべて独自規格を使用し、一般人が入手できる機械ではクラッキングが無理だと諦めた。

 

「……これでアリス、アリス・オーグレーンに備えられる」

 

 アリス・オーグレーン、スウェーデン人留学生。一度だけ実施された人気投票で明広、このみに次ぐ三位、淡いプラチナブロンドが特徴の美少女。ヒロイン以外も人気投票に入れたせいか当たり前のように明広が一位に輝いている。

 こいつは曲者、初期状態では英語も日本語も使えない。まだまだ若い頃はアリスと会話すらままならず、普通に会話できるようになったのは五周目くらいからだろうか? 主人公が日本語で会話できるのはすべて明広の努力、それを横から掻っ攫うのだから神様はいい趣味してる。

 

「それにしても財団……こいつらは本当にいい趣味をしてる……」

 

 書斎の鍵をかけているかを確認し、ホワイトボードに財団の特徴を書き記す。

 

【財団】

 

 この世界に存在する電子機器すべてに適合しない独自規格の電子機器を使用。

 宗教兵のように自決特攻も厭わない。

 私兵の武装はMP7、サイレンサー、ホロサイト、社外製フォアグリップ。

 拠点は推定大英帝国、イギリス訛りの会話を聞いたことによる推測。

 私兵の練度は非常に高く世界各国の特殊部隊、対テロ特殊部隊に匹敵する。

 

「驚異の白人率100% ……KKK? いや、フリーメイソンか」

 

 陰謀論が好きな人間なら一度は聞いたことがある結社、財団はこれに通じる組織なのではないかと疑いの目を刺す。

 この財団とは今後なんども交戦し日本支部のトップを潰してようやく攻撃が止まる。このトップが陰のような存在で一定のタイミングでしか現れない。そのタイミングが中学二年生、その秋。当たり前のように選りすぐりの私兵をゾロゾロと引き連れ、尚更にトップも強い。

 

「狩りそこねたら長距離狙撃で植物状態にされるからな……しくじれない……」

 

 この世界は明広を殺さない。だが、生きた屍にすることはある。何度も狩りそこねて時を待つ存在になったことか、毎日泣きながら手を握るこのみの姿、霊体で見るのは心が凍る。

 

「さて、明日は素晴らしい一日になるな」

 

 正義を示す時、正義を執行した者は悪人の顔になる。

 

「なあ、()()()()()……貴方はどんな気持ちで繰り返してきたんだ……?」

 

 また始まった。この男は自分自身を他人として認識している。今、この世界に存在する、軸となる相沢明広は二人存在しない。

 

「俺はもう、前の名前すら忘れた。確かに『相沢明広』という存在として正しいのかもしれない。だが! それでも()()()なんだ」

 

 手を広げて第三者視点で一人称を見つめる俺に語りかける。

 無駄口が多い、名無しになった貴様に相沢明広という名前以外は存在しない。この世界は貴様を舞台装置として選択し、最初の舞台装置は意味を失った。いや? 壊れたと表現した方がいいか……。

 

「どうして貴方は個を捨てた。どれだけ辛いことがあっても自分という存在を投げ出さなかった貴方は! どうして第三者である俺を巻き込んだ……」

 

 勘違いも甚だしい、貴様は俺という存在の身代わりとして自ら飛び込んできたに過ぎない。第一に貴様は西暦とほぼ同い年になるまで諦めることなく『相沢明広』という酷く安定した舞台装置の歯車になったではないか。

 

「教えてくれ、寿命の先に存在した結末……それは終わりだったのか? それとも……」

 

 ――始まりだ。



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10:残党の自暴自棄

 半グレ組織アルタイルは壊滅した。

 ヤクザ組織に比べて忠誠心や仁義()というものを持ち合わせていない組織に結託なんてものはない。一度でも針に刺されれば水風船のように破裂し悪事を地面という名の世間にそれをぶちまける。

 街は阿鼻叫喚と表現したらいいだろうか? アルタイルの事務所に大量の警察官が押しかけては出るわ出るわと非合法。

 上部下部関係なく摘発される犯罪行為、日本は安全な国だと言われているがヤクザの衰退と共に半グレ集団の線引なき犯罪の増加、はたしてこの国は安全なのだろうか?

 線引なきと表現したが、それは壊滅しても続く。

 結局のところ反社の人間は一部の例外を除いて学のない食うに困る人間達の寄せ集め、自分の私利私欲を満たす方法が犯罪というリスクを伴う行為でしか果たされない。だから群れて悪事に手を伸ばす。

 警察が不甲斐ないと言いたいわけじゃない。警察は頑張ってくれている。だが、警察の頭のいい人物達よりも頭のいい反社の人間が見えない場所を探り当て悪事を横行させる。イタチごっことは言ったものだ。

 

「人間、追い詰められると選択肢は二つだけ」

 

 懺悔か自暴自棄、今回の場合は自暴自棄が過半数を占めている。

 昨日の夜からアルタイル残党の犯罪行為が大量発生、死人こそ出ていないが大怪我を負った人もチラホラと。ダイナマイトを仕入れているような大規模な組織だ凶悪性はピカイチ。ヤクザ組織が自分達を貶めたと思い込んでダイナマイトを投げ込んだり、風俗嬢が他組織に情報を売ったのではないかと街中の風俗店で傷害事件がわんさか。

 子供達に何かあったらいけないという判断で学校もお休みだ。

 

「テレビもネットもお祭り騒ぎ、本当に日本って平和な国なのでしょうか?」

 

 温かい緑茶を入れて一息つく。

 誰も小学五年生の幼い男児がこの惨状を招いたとは思わないだろう。アルタイル残党も明広という少年の名前は知っていても、幼い少年が自分達の犯罪行為を警察にリークしたなど微塵も思っていない。

 

『空港でアルタイル幹部が逮捕されました』

 

 どう足掻いても二十年間は人生を続けなければならない都合上、自分が成さねばならない事以外は頭から抜けていく。そしてパッと思い出してこのタイミングだったかなんて頷くことを繰り返す。

 

「おはようございます……」

 

 眠た眼を擦る妹が大口を開けてテレビを見ている兄に挨拶を返す。

 

「おはよう、よく眠れた?」

「うん、昨日体育があったから……いっぱい寝れた……」

「寝る子は育つぞぉー将来はお兄ちゃんより高身長かもな」

 

 自分より20cmは身長の高い兄を見て伸びるかな! なんて目を輝かせている。

 明広は目を逸らす。理由は単純、自分の身長とこのみの身長差は埋まらない。このみの最終的な身長は149cm、惜しくも150cmに届かない。逆に明広は最終的に184cm、この嘘をすぐに忘れることを切に願う。

 妹はいつものように兄の膝に座り撫でられて笑みを見せる。

 

(最善の選択肢を選び続けなければ……この笑みは次の人生か……)

 

 アルタイルをこのタイミングで壊滅させないと膝に座る天使が誘拐される。時期はそれなりに開くのだが、明広が中学二年生、それも財団日本支部制圧中に奴らは行動を起こす。父は即座に身代金を払うが食い逃げ、女性としての尊厳も命さえも食い逃げされていく。

 この時期に潰しておかないと後々に響く。

 先手を打たなければいけない。この世界は後手に回れば即座に理不尽を押し付けられる。常に相手より一歩前に立たなければならない。

 

「お兄ちゃんどうしたの? ……辛そうな顔してる」

「いや! あの……ちょっと昔のことを思い出してただけさ」

 

 間違えではない。彼にとって未来は過去にもなる。

 ここでアルタイルを潰さず、先手を打たなかった場合は妹が殺される。妹を殺さないように立ち回れば狙撃され時が来るまで病院で寝かされる。

 これは経験した未来であり過去。

 選択を誤った末の悲劇(現実)

 

「お兄ちゃんは……まだ寂しいの……?」

「いや……寂しくないよ。このみちゃんが居てくれるから全然寂しくない」

「わたしも寂しくなよ」

「ありがとう」

 

 寂しいのじゃない、悲しい、これが正しい。

 彼は知っている。だからこそ寂しいじゃない、悲しい。

 選択肢は固定されている。



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11:異国からの転校生

 時期は六月、まだまだ梅雨の気配はなく青空が教室の窓から見える。

 明広は少しだけ冷たい目をしていた。今日やってくる転校生『アリス・オーグレーン』は彼の物語の中で最も無理難題を押し付けてくる存在だから。

 彼女が追われる財団と呼ばれる組織、銃規制が強い日本に堂々と軍用スペックのMP7を私兵に持たせ、練度は各国の特殊部隊に匹敵する。財団が何を目的にして創設されたのか? 名だたる秘密結社のクローンかそれとも親玉か、白人至上主義者が関与している可能性が高いこと、イギリス英語を使うこと、それくらいしかわかっていない。

 

「あの、えっと……皆さんに転校生を紹介します!」

 

 HRと同時に転校生の紹介が入った。教師の隣で不安そうな表情をしているプラチナブロンドを靡かせた少女。彼女が、

 

「スウェーデンから来たアリス・オーグレーンさんです! まだまだ日本語は使えないけど……多分英語は話せると思うわ! このクラスで一番英語が得意なのは……」

『やあ、スウェーデンからはるばるようこそ。夏にやってくるなんて気の毒だ……日焼けは痛いぞ、その白い肌だったら尚更』

 

 流暢なスウェーデン語で皮肉たっぷりの挨拶をしてみる。古来から白人はブラックジョークを好むものだ。

 唐突に立ち上がり母国語を話した少年に目を見開くが隣の教師が彼を叱りつける。

 

「先生が紹介してるのにどうして立つんですか!?」

『すまないね、この教師は数日前に婚約破棄されたんだ。悲しいことにヒステリックになってる』

「どうしてオーグレーンさんが悲しそうな目で私を見るんですか!?」

 

 互いに万国共通の笑顔を見せて洋式の挨拶を交わす。

 

『凄く綺麗な母国語、ご両親がスウェーデンの出身なんですか?』

『いや、将来は空軍に入りたいと思って色々な国の言語を勉強しているんだ。そうか、本場の方に訛りが無いと言われると光栄な気持ちだ。レディ』

『ふふっ、面白い人ですね。お名前は?』

『アイサワ アキヒロ、いや? 海外風だとアキヒロ アイサワの方が正しいかな。好きな方でお呼びください』

『アキヒロ、わたしはアリス・オーグレーンです』

 

 聞いたこともない言語を使用する二人に困惑するクラス。長いこと教職についている教師すら二人の会話の意味を理解していない。

 俗に言う二人ぼっちだ。

 

 

 給食が終わって昼休み、事業終わりの短い休み時間にも質問攻めにあっていたがティータイムを献上して通訳をする理由もない。それに傍観者もいじめっ子も関係なしに明広に頼る。まるで自分達がやってきたことを忘れたように。あまりにも都合が良すぎるのではないだろうか?

 だが、彼の評判が地に落ちても元通りになるだけ。彼女はどうだ? 親の都合で極東の島国に連れてこられ通訳になる生徒もおらず孤立する。冷たい人間ならそれを利用するかもしれない。利用できないのが彼だ。

 

「あの、オーグレーンさんはどうして日本に!」

『なんで日本に来たのか聞いているよ、就学ビザを見せないとね』

『アキヒロって叔父さんみたいに皮肉ばっかり……お父さんのお仕事の都合って伝えてあげて』

「お父さんの仕事の都合だって」

 

 ニコッと笑ってみせるアリスを見てクラスの男子生徒達は身の丈に合わない恋心を爆発させる。この中にスウェーデン語をマスターする生徒が現れればいいが、なんて期待をしていた時期もあった。単刀直入に表現するなら向上心の無い奴ら。便利な翻訳マシーンがいるのだから自分は頑張らなくていい。

 

「日本の料理はどう? 俺の実家お寿司屋なんだよ!」

『日本の料理は好きか、特にお寿司だってさ』

『日本食は好きだけど……生魚は無理かな……』

「日本食は好きだけど生魚は無理らしい」

 

 それからも質問を投げつけては返答を待つだけの存在がゾロゾロと。なんなら上級生達まで混ざりはじめた。それだけの好奇心があるなら自分で努力すればいいものをと心の中で吐き捨てる。

 

「アンタ達! いっつも相沢をバカにしてたのに都合のいい時は利用するわけ!? 本当に恥知らず!!」

 

 生徒達の好奇心に利用される明広を憂いた結衣が止めに入る。確かにそうだ、明広はこのクラスの嫌われ者、それを都合のいい時だけ利用して自らの欲を満たそうとする姿は酷く滑稽。素晴らしく人間的とも表現できるが。

 結衣の言葉で我に返ったのか彼らは身を引いた。数人は後ろ髪を引っ張られるようだが。

 

「えっと……相沢……スウェーデン語でこんにちはってなんていうの」

「英語と同じヘイとかハーイとかでいいよ、綴りが違うだけで似たようなもの」

「へ、へーい! アリス……」

 

 これは素晴らしい英語力だと腹を抱えて笑い出す。赤面して明広をポカポカと叩く結衣と駄目だよと止めるさくら、未来も同じような時が流れる。それが良いか悪いか、捉え方次第。

 

『どうも、わたしはアリス・オーグレーン。よろしくね……えっと?』

「立木さんの名前を知りたいって、教えていい?」

「それもあたしが言うわ! 教えなさいよ」

「そこまで来ると面倒くさいから任せてよ」

 

 むぅと顔を膨らませながら渋々了承。さくらの方を見ると自分もお願いしますと告げられる。

 

『彼女はタチキ ユイ、その隣が彼女の親友ニイジマ サクラ』

『ありがとう! よろしくね、ユイ! サクラ!』

「よろしくね!」

「よろしくおねがいします」

 

 自分の名前を呼ばれたら挨拶されたと理解する。

 微笑ましい光景。

 見つめるその姿は――少しだけ、他人事のように思えた。

 

 

「お父さん! 今日ね友達が三人も出来たんだよ!!」

 

 転校初日、母国語しか使えない娘が友達が出来たと飛び跳ねて報告してくる。日本人の過半数は英語も話せない、ましてやスウェーデン語なんて尚更だ。教師が通訳をしてくれた可能性もあるが、英語教師が趣味で北欧の言葉まで覚えるものだろうか。

 彼女の父は不思議そうな顔を見せながらどんな友達が出来たのかと聞いてみる。

 

「えっとね、最初の友達は叔父さんみたいに皮肉ばっかり言ってくるんだけど、将来の夢は戦闘機のパイロット! すごくハンサムなんだよ!!」

「ハンサム? じゃあ、男の子が通訳してくれたのかい」

「うん! 皮肉も多いけど訛りが無くてね」

 

 日本は昔からミラクルな国だと言われている。世界で日本だけが単一民族で成功した大国。欧米列強の支配から逃れるために産業革命(技術力)という最大の抑止力を達成。世界中、特にアジア人達がこぞって真似をした。

 だが、その革命は列強、または共産主義者達(独裁者)に阻まれ一周遅れて成そうとする。

 東洋の奇跡。

 

「……日本かドイツに天才現れる時、世界は新しい段階に移行する。それを阻むのが財団の仕事か」

 

 ――なんと言った!?

 まて、なんでアリスの父が財団のことを知っている。確かに彼は白人だ。だが、白人至上主義者とは思えない。娘が黄色人種の友達が出来たと言っても叱りつけることもしない。

 じゃあ、アリスの父は……。

 ――財団から逃れた存在?

 

「ぱぱ……怖い顔してるよ……? もしかしてアキヒロと仲良くしちゃだめ」

「いや、アリスと同い年で英語以外も話せるなら凄い子じゃないか! 彼から日本語を教えてもらいなさい。日本語は世界で一番難しい言語と言われているからね」

「アキヒロ教えてくれるかな?」

「アリスはパパとママの子なんだからお願いされたら断れないさ」

「ごはんよー」

 

 オーグレーン家は何者だ? いや、推測はできる。

 アリスの父は財団の職員。だが、何らかの理由で離反。日本にやってきた理由は仕事ではなく亡命? 家族の安全を確保するための措置、財団の日本支部には不可解な部分が散見する。

 確かに財団が保有する私兵の質は世界各国の特殊部隊に匹敵する。だが、それだけの白人を日本で運用するのは難しい。

 ――白人は日本で目立つ。

 付け加えて差別主義者であれば黄色人種が殆どを占める。その環境下で彼らは正常な精神を保てるであろうか、米軍基地近辺のような暴力事件を起こさないでいられるか、黄色人種も人間だと理解してしまわないだろうか?

 じゃあ、財団日本支部は何のために存在してある……。

 いや、思い出せ! 日本支部のトップとの会話の内容を……。

 ――無駄か、俺はもう個の存在を捨てた。

 今は第三者視点で物語を眺める傍観者。助言すら出来ない。

 名無し。



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12:視点変更

 俺が個……いや、相沢明広(自分)という名前、体、存在を彼に譲渡して2000年。今の年齢と合わせたら西暦とほぼ同い年。その前の自分のそれを足し算したら途方も無い数字が叩き出されるだろう。よくもまあ報われない人生(無駄)を何度も繰り返したものだ。

 だが、ようやく自分が名無し(観測者)になった本当の理由を思い出した。いや? 再確認した。俺が相沢明広を捨てた理由、それは新しい彼に『主人公(プレイヤー)』という化物に屈しない理由を。

 どこにでもいて、どこにもいない。

 第三者(観測者)であり第一人者(行動者)

 次に彼と会えるのは……何百年後になることやら……。

 ――必要なのは情報だ……!

 

 

「っ!? なんだ、これ……」

 

 体が軽くなるような感覚、風邪が治ったような感覚。だけど、後ろに居てくれた本物の相沢大先生()が消えた。それが俺の感情をどの人生よりもかき混ぜてくる。混乱、圧倒的な混乱、俺のことを絶対に捨てないと決めつけていた大先生が……。

 

「……俺と相沢大先生は二人ぼっちだった。俺という存在を唯一理解して、語り合うことは無かったが、それでも」

 

 行かないでほしかった。

 枕を壁に向かって投げつける。心は荒むがこの世界を放棄する理由にはならない。

 まだまだ原作にすら到達できていない。進むんだ。進み続けろ……!

 

「お兄ちゃん? お寝坊になるよ」

 

 心配そうな顔をした妹が入ってくる。投げつけられた枕と冷や汗が流れる顔、それを見て父に報告を入れようとした。

 

「大丈夫だよ、怖い夢を見ただけさ……」

 

 違う、怖い現実を考えた。夢なんかじゃない。

 ――現実。

 

「何時だ……こりゃ、朝ごはん作れないな……」

 

 壁掛け時計を見る。

 いつも朝の五時に起きて朝食の準備をしていたが、自分の体内時計に絶対的な信頼を持ち過ぎたらしい。帰りに目覚まし時計を買う理由が出来てしまった。

 トテトテと小さな足音を響かせて俺の顔を見つめてくるこのみ、覗き込まないでくれ……強がりがバレそうだ……。

 

「お兄ちゃん……わたしは味方だよ……」

「ふふ、可愛い妹め……こうしてやる!」

「えへへ」

 

 心優しい妹を抱きかかえて頭を撫でる。何度も繰り返して愛した妹、最初の世界で救うことは出来なかった。俺は大先生のことを知っている。でも、宝くじを当てるには一回目を犠牲にしなければならなかった。

 二回目は宝くじを当選させ、相沢大先生と同じように彼女を救った。でも、彼女の純潔を救うことは出来なかった……。

 反則だろうが、金も奪って小汚いおっさんに売り渡してはした金すら手に入れようなんて! ……相沢大先生もこの感情に苦しんだ。助言も無し、本当は教えていたのかもしれない。でも、俺に彼の声は聞こえなかった。

 

「パジャマで学校には行けない、着替えるから少しまっててくれ。朝ごはんは……父さんの秘蔵カップ麺だな」

「え!? お父さんが500円なのにいっぱい買ったあの!!」

「しー! 父さんには内緒だぞ」

 

 俺はこの世界の行く末を見届けなければならない。そして、相沢大先生の意思を継ぐ。

 そうだな、俺は相沢明広だが……相沢「()」先生だ……。

 戻ってくるのを待つしかない。どうせ死ねば戻ってくる。彼も俺という存在とワンセット、だから……。

 

「……逃げられると思うなよ、相沢明広(本物)



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13:日本語は難しい

 アリスが転校してきてまだまだ週すら跨いでいない。何度も繰り返してはいるが他の人に何かを教えるという行為は本当に難しい。勉強というものがどれだけ簡単で小さい努力で解決できるものなのかを再確認させる。

 

「オバサンゴザイマス!」

「どうしておばさんが商品化されてるんだ」

「オジサンゴザイマス!」

「おじさんまで商品になってるよー」

 

 日本語は世界で一番難しい言語と言われている。世界のランキングだとアフリカの部族が使う言葉の方が難しいと紹介されているが、大国の言語としては世界一位だろう。そんな難しい言語を使ってて誇らしい、なんて思うわけもない。

 日本語は日本以外では通用しない言語、標準語は英語、英語と言うがイギリス英語ではなくアメリカ英語が基本だ。英語を使う国は多く、その地域独特の訛りがある。もう、それは英語と呼べるものなのだろうか? ある意味では地域英語はその国の新しい言語なのではないかと評論家ぶる今日。

 

『日本語難しいよぉ……』

『日本で母国語を使っても大使館くらいしか取り合ってくれないよ。英語でもバス以外の公共機関でしか使えないんだから』

『スウェーデンが世界征服したらいいのに……』

『怖いこと言うね……』

 

 その後は何度もおはようございますの練習をするのだが、なぜだか新商品が大量発注。名前からして倉庫で永遠に眠る在庫だな……。

 

「オハヨウゴゼイマス!」

「なんか悪役っぽい挨拶だけどギリギリセーフで」

「おはよー……って、相沢早いわね。あ、アリスちゃん! へい!」

「オハヨウゴゼイマス! ユイ」

 

 悪人のようなおはようございますに固まる結衣、おはようございますと言っていることはわかっている。だが、ゴゼイマスの部分に違和感を持ったみたいだ。

 あれ、なんで俺を睨みつけるの?

 

「外国の人に間違った日本語を教えるなんて……最低!」

「いや、違うから!?」

『アキヒロ? どうしてユイ怒ってるの……』

『貧血なんでしょ』

 

 息を切らしたさくらも登校してきて第一声は置いていかないでよ、こいつアリスに会いたくて早めに学校に来たな……。

 憐れむような目で見つめてやると鋭い拳が腹に向かって飛んでくる。

 

「ゴハッ!? ……暴力反対、ラブアンドピース」

「女の子をバカにしたら鉄拳制裁、OK?」

「ポンポン痛いでち……」

「ふふっ、相沢くん……変わったね……」

 

 呼吸が整ったさくらが最初に言った言葉。クールを演じていた俺が普通の男の子のように冗談交じりで会話することを示す。

 そうだな、今ではいじめられることもない。演じることをやめる時期。

 ゲームの相沢大先生はクールな性格というわけではない。どちらかと言えば社交的で誰からも信頼されるような明るい人物だ。俺も彼になってから長い……違うな、彼を演じてから長い。もうそろそろ……。

 

「そうかな? いつもと同じだよ」

 

 確かに俺は彼を演じてきた。でも、彼はもう俺を眺める存在ではない。俺は彼を欲しているが、彼は俺を捨てて消えてしまった……。

 それじゃあ、相沢明広とは誰だ? 確かに彼は相沢明広だ。でも、彼はもういない。今の相沢明広は俺だ。

 オリジナル(本物)が居ないのであれば、レプリカ(偽物)がオリジナルの猿真似をする理由がない。

 ――自分らしく自分になる。

 それが嫌なら戻ってくるさ、相沢大先生が。

 

「さーて、次はこんにちはを教えないと。挨拶は大切、古事記に書かれてある」

「それ古事記じゃなくて道徳の教科書だと思うんだけど……」

「そうか? ……それもそうか、挨拶は道徳だな」

 

 道徳……ただのエロゲプレイヤーだった。えっちなゲームをすることに何も罪はない。親兄妹に見られたら若干の痛い子として見られるくらいだろう。でも、俺はこの場所にいる子達、ゲームの世界のこの子達を非合法な薬物や洗脳という形で人間以下の存在に落とした。

 それは……俺が倒すべき敵と同じじゃないか……?

 ――俺は加害者(プレイヤー)じゃないか!?

 

「うっ……おえっ……!」

「ちょ!? 相沢!!」

『アキヒロどうしたの!?』

「救急車! 相沢くん顔色が!!」

 

 どうにか呼吸を整えてミキサーでかき混ぜられるような頭痛を掻き消していく。俺は悪くない。俺は正常。俺は加害者じゃない。

 どうにか正常な精神を取り戻して静かに立ち上がる。

 

「大丈夫。俺は正常だよ……」

 

 顔を洗ってくると言ってトイレに向かう。

 懺悔の意識、これは俺にしかない感情。相沢大先生はこの感情を持っていない。

 だから俺を後継者に選んだ。

 被害者でありながら加害者、そこまで織り込んだ。

 西暦と同い年、2000年と今の年齢の十歳を足し合わせたら俺はキリスト様とほぼ同い年になる。長い年月、または短い年月、それは……善悪という曖昧な定義を正しく理解するのに十分。

 

「嫌になってくる。俺は誰なんだろうな」

 

 トイレの蛇口をひねり大量の水で顔を洗う。鏡に映る自分の姿、それは正しく自分。俺のことを知る人間なら全員が相沢明広と答える。

 静かに背後を確認する。

 誰もいない。

 

 

コンバットニャンコ(猫と和解せよ)!」

「うっわ、撲滅する猫って……人類絶滅しそう……」

 

 おはようございますの次はこんにちは、でも彼女の日本語力は日本人の英語力以上に低いらしい。何やかんやで日本で定着した英単語が沢山ある。アリスにはそれすらないと言うわけだ。

 

コミュニストワンコ(同志ワン)!」

「共産主義者の犬って……冷戦じゃないんだから……」

 

 お昼休みになってからも日本語セミナーは続く。

 挨拶を教えるだけでここまでツッコミを入れられる存在は珍しい。この子に日本語を教える時は本当に退屈が無くなる。中学に入学する頃は不思議な解釈をした日本語を使いこなすのだ。いやはや子供の学習能力は恐ろしい。

 

「あの、お兄ちゃんいますか?」

「ん? ああ、このみちゃん。どうしたのー」

 

 一クラス下の妹が会いに来てくれた。忘れ物でもしたのだろうか? 教科書類は学年が違うから貸せないが、消しゴムや鉛筆くらいなら貸せる。

 

「えっと……お兄ちゃんの顔を見たくて、えへへ」

「おお、マイラブリーシスター……お兄ちゃんは嬉しいゾイ……」

 

 歓喜のあまり人目なんて気にしないで頭を撫でてやる。すると恥ずかしいよと言うが飼い猫のように目を細めて撫でられることを受け入れてくれる。いやはや、人間に必要なのは可愛らしい妹だ! 可愛らしい妹さえ存在すれば戦争なんて無くなる!!

 

「……うちの兄貴より重症ね」

「……お兄ちゃんがいたらあんな感じなのかな?」

「気持ち悪いだけよ」

 

 マイラブリーシスターはお兄ちゃん成分補給完了と言って足早に逃げていく。この場合、俺のほうがこのみ成分不足で酸欠になりそうだ。小学生って留年できるのかな? 留年していいよね、来年からこのみと一緒の教室で勉強するんだ。そうさ、俺はお兄ちゃんだけど義理だから妹とラブラブになっても許される。なんなら結婚さえ許される。世界は物凄く不条理だけど、これから二十年間、結婚生活となれば十二年間も楽しめる! ああ、そうだ。この人生はこのみと結婚しよう。そうしよう。俺は相沢代先生になったんだ。相沢大先生の意思を継ぐことに固執するのはもうやめよう。そうだね、そう、俺はこのみと死を分かつ時まで常に好き合うのだ。許してくれるよね大先生? 俺だって好きな子と添い遂げたいっていう乙女心もあるからさ!

 

「「気持ち悪い……」」

『叔父さんがサウナ入ってる時みたいな顔してるー』

「……悲しいかな人目」

 

 妹を愛でるだけでここまで冷たい視線を向けられるとは、日本はやっぱり兄妹愛に冷たい。俺はマイシスターを一人の女性として愛しただけなのに、酷い。

 

「こんにちは」

コンスタントニッシン(お湯を入れて三分)!」

「絶えず続く日清……カップ麺ばっかり食べると健康に悪いぞ……」

 

 どうやって日本語をマスターしたのかゲシュタルト崩壊しそうだ。



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14:読書少女と読書少年+助っ人日本人投手

 目が覚める。

 歯を磨いて、顔を洗って、炊飯器のスイッチを押して、前日に干した洗濯物を取り込む。

 毎朝のルーティーン。

 世間のお母様方の苦労が身に染みる。専業主婦の年収は旦那より高給だとか、それもそうだろう。肉体労働と知的労働をミックスしたようなことを一年間休み無く繰り返す。そりゃ年収にしたら凄いことになる。

 衣服の整理を終わらせて温かい緑茶、それなりに暖かくなってきたが朝はまだまだ温かい緑茶が飲める。早起きの得の一つだ。

 テレビを付けて父さんと妹が起きない程度まで下げる。その後は栞を挟んだ歴史小説を開いて天気予報の時だけ目線を移動させる。

 

「……本は凄い。無限に近いからな」

 

 今の俺は日本語にこだわる必要がない。主要な言語で書かれた書籍は普通に読める。日本語くらいしかまともに読めなかった時期はライトノベルなんかを読んでたが、今となっては歴史小説にハマっていたりする。

 古今東西の歴史小説は風習や国民性を詳しく書き記していることが多い。日本人にない感性、それは知的好奇心を刺激してやまない。

 アドルフ・ヒトラーが書いた我が闘争もある意味では歴史小説だ。彼の思想と理念、それは人間の心を鷲掴みにするだけの説得力がある。歴史に名を残す極悪人、でも、彼の作品を見た時……俺は不思議と正義なのではないか? そう思ってしまう。

 ドイツ語を覚えた時は即座にドイツ語版を輸入したものだ。

 

「ネット小説も面白いが……小説家になろうやカクヨムが台頭するのはもう少し先だからな、気長に気長に」

 

 メジャーどころは全部読んだが……。

 静かな朝、ニュースの音と紙が捲られる音が聞こえるだけ。

 

 

 妹と別れて教室に到着する。するとそこにはさくらが一人静かに本を読んでいた。珍しい、いつもなら結衣に合わせて登校してくるのだが……。

 ああ、そういえば今日は結衣が野球の練習で怪我をする日だ。こういう細々としたイベントは重要じゃないからポッと忘れてしまう。もう少し記憶力を鍛えないといけないだろうか?

 

「新島さんおはよう。立木さんは?」

「あ、相沢くん、おはよう。結衣ちゃんは……練習で捻挫しちゃってね、日曜日に練習試合があるから張り切りすぎたみたい」

「あらら、それはそれは……」

 

 知らないふりをして自分の席に教科書類を収納する。

 その後は自分の本を取り出して栞のページに飛ぶ。

 

「相沢くんってどんな本を読むの?」

 

 声の方向に視線を向けるとそこにはメガネっ娘美少女、おっとり美少女がおられるぞ! やっべ、俺のこのみ愛が……。

 平常心、冷静になれ……俺よクールになれぇ……。

 

「歴史小説が多いかな? 今はこいつ、伊勢物語を読んでる」

「歴史小説かぁ、わたしは恋愛小説ばかり読んでるから……」

「本に上下関係はないよ。本になってるだけで名誉さ、自分が伝えたい物語を後世に伝えることができてるんだから」

「ふふっ、相沢くんって詩的な言い回し好きだよね」

「前世が吟遊詩人だったのかも」

 

 小粋なジョークを気に入ったのかクスクスと笑ってくれる。

 そういえば、このみの次に攻略したのはさくらだったな、攻略情報は絶対に見ないぞ! そんな気持ちで攻略してた……。

 ――駄目だ駄目! あの頃の記憶を思い出したら罪悪感に押しつぶされる……。

 

「わたしも歴史小説読もうかな? おすすめとか」

「それだったら俺の秘蔵を貸すよ、お気に召すかわからないけど」

「じゃあ、わたしの秘蔵も貸すね!」

「砂糖みたいに甘いのお願い」

「おまけにはちみつもつけるね」

 

 回復薬グレートが作れそうだ。

 自分だけ座っていることに忍びなくなり立ち上がる。もうそろそろクラスメイト達がゾロゾロと登校してくる。自分が座っていてさくらを立たせる。いやはや、男として恥ずかしい姿は見られたくない。

 そのままさくらと結衣がいつも雑談している席がない窓際で本の話しを開始する。

 

「お母さんが昔から本が好きでね、自分でも本を出版したんだけど……あんまり……」

「出版するだけでも凄いよ、それは誇りさ」

「相沢くんって心から本が好きなんだね……」

「ああ、本は書き手の全身全霊の自己表現だと思ってる。自分の好きを他の人にも共感して欲しいという人間なら当たり前に持ってる顕示欲ってやつ? それを本屋に並べてもらうのは努力の結晶。馬鹿にすることは出来ないよ」

 

 さくらが青空を見上げる。自分の母が書いた作品、多くの人から馬鹿にされたのだろうか? 肯定してくれる人はいたのだろうか、確かに物語として成立していない本は無数に存在している。

 世界で一番有名な推理小説『シャーロック・ホームズ』もコナン・ドイルが本業の歴史小説を書くための小遣い稼ぎで書いた小説として有名だ。それがあれよあれよと大量の読者を獲得して彼は恐怖したという。

 ある意味で名作を作ろうとしたら駄作になり、軽い気持ちで書いた駄作が名作として語られるのかもな……。

 

「ねえ、相沢くん……名前で呼んでいいかな?」

「いいよ、さくらさん」

「っ!? ……ズルだよ、明広くん」

 

 何がズルなのだろうか? さくらんぼみたいな顔をみてそう思った。

 

 

「……ドジしちゃったな」

 

 扉越しに聞こえる結衣の弱音、地獄耳は早死すると言われているが……実際合ってるな! 三十以上生きたことないし。

 駄菓子屋で大量の菓子類を買って持ってきたのだが、この調子だと食べてもらえるのは捻挫が治った頃だろう。

 さくらがトントンとノックして結衣の返事を待つ。

 

「だれ?」

「さくらだよ、入っていい?」

 

 お見舞いに来たことを察して入ってと声が帰ってくる。

 さくらだけだと思っていたら俺とこのみまでやってきたことに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。アリスも来たがっていたのだが、アリスはお父さんが車で送り迎えする都合で欠席、過保護なお父さんだと思うね。父さんが結構な放任主義者でよかったと思える。

 

「駄菓子いっぱい買ってきた。あ、ご家族の分は渡してあるから安心していいよ」

「ちょ、相沢とこのみちゃんまで……見られたくなかった……」

「まあまあ、怪我くらい誰だってするさ」

「あの、えっと……早く治るといいですね……」

 

 駄菓子が沢山入った袋を勉強机に置いて部屋を見渡してみる。お人形もちゃんと飾られてて女の子の部屋って感じ。

 

「ジロジロ見るな! 恥ずかしい……」

「ごめんなさい」

 

 素直に謝る。

 女の子の空間に男がいたら駄目だな、結衣のお母さんに一声かけて相沢兄妹は撤収が安定かね。

 

「ねえ、相沢……アンタ野球の経験ある?」

「あるにはあるが……どうして」

「日曜日に練習試合があるの、それもピッチャー……さくらは喘息持ちだし、このみちゃんは年下だし、最近のアンタなら出来るかもって」

「……いいよ、投げるくらいなら」

 

 女の子の頼みを断るなんてできない。投げるだけ投げてみるか。

 

「キャッチャーは同じ学校だから明日から受けてもらいなさい!」

「了解。負けても文句言わないでね」

「凄く言う」

「ひっでー……」

 

 負けられないってやつか……。



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15:サブマリン明広

 放課後、場所は近所の公園。

 松葉杖をついた結衣が鬼コーチのように竹刀を持って俺とキャッチャーの中島くんを怒鳴りつけている。なんだろう、頼まれた立場なのに叱られることに違和感がある。本当になんなのこれ?

 

「アンタ達! 負けたら絶対に容赦しないからね!!」

「ちょ、結衣ちゃん……明広くんは頼まれて……」

「さくら! 確かにあたしは相沢に頼んだわ……でもね! 負けてもいいなんて一言も言ってない!! 投げるならパーフェクトする気持ちで投げなさい!!」

「ねえねえ、中島くん? 立木ってチームでもああなの……」

「は、はい……監督の次に偉いです……」

 

 中島くんの言葉に背筋が凍る。小学五年生の女児がチームで二番目に偉い? ありえるのそんなの……。

 とりあえず中島くんとキャッチボールを開始する。

 その間にも結衣の気合が入ってないという罵声が大量に飛んできて俺より先に中島くんがダウンしそう、ここは不遇な彼を救うために本気を出すか……。

 

「中島くん……本気で投げるから構えて……」

「あ、はい!」

 

 ど真ん中のストレートのコースを示した。さて、何千年前かに真似したあの投手、コントロールは知らん!

 体を思い切り沈ませて腕を地に這わせるように……!

 アンダースロー、サブマリンとも言われる投法。オーバーやスリークォーターみたいな球速は出ないがその白球はまるで――浮上する潜水艦のようにポップする!

 投げられた白球は高い回転数を維持してミットに収まった。

 

「おお、届いた……」

「え、ええ!? それ渡辺投手のアンダースロー!!」

 

 結衣も驚いているが俺も驚いている。いくら小学生が投げる距離でもアンダースローでキャッチャーにボールを届けることができるとは思わなかった。

 中島くんもアンダースローの球を受けるのははじめてなのか若干放心気味、一回言ってみたいことがあるんだよね。

 

「俺、またなんかやっちゃいました?」

 

 綺麗に無視されて結衣は松葉杖をついて中島くんと会話を繰り広げる。なんだよ、そこは驚いてやらかしまくり! とか言ってほしかったんですが……。

 

「中島! アレ受けられる?」

「は、はい! 球速は立木さんより遅いですし、コントロールがいいから取りやすいです」

「相手はアンダーなんてテレビでしか見たこと無い……ストレートだけで十分! 勝てる!!」

 

 なんだろう、これで負けたら俺……殺される?

 

 

 そんなこんなで中島くんが完璧に女房になってくれて日曜日。サイン? そんなのストレートしか投げないから必要ない。中島くんの示す場所に真っ直ぐを投げればいいだけだ。

 ……それにしても、俺だけジャージだから浮くねぇ。

 

「相手のピッチャージャージだぜ……練習試合だからって舐めてるのかよ……」

 

 うわー、凄い睨んでる。こわいなー。

 監督らしいお爺さんの隣に鎮座する結衣、期待の目で見られても困るのですが……。

 少年野球は9回ではなく7回まで、肩の負担を考えた良心設計。でも、七回しか攻撃のチャンスはない。互いに無得点でも試合は流れて延長戦はなし。

 あれ? 俺が完璧に押さえても得点入れられないと絶対に勝てねぇじゃん! 引き分けはセーフ?

 

「相沢……引き分けも負けだから……」

「あんまりだ……」

 

 肩をガックシと落としてどうするかと考えるが、中島くんが燃えている!? これは勝てる!!

 こちら側からの攻撃、123と三振で攻守交代。

 一番バッターの中島くん? なんで三振してるんですか……。

 

「力まないでね、僕が絶対に取るから」

「うん、それはわかるけどさ……まあいいか……」

 

 頑張ってる中島くんに打ってくれとは言えない……。

 マウンドに立って守備を確認。みんなユニフォームで俺のジャージが凄く浮く、一種のSMプレイなのではないかと思うよこれ……。

 バッターボックスに立った見るからに足が早そうな一番バッター、どこまで通用するかな? 中島くんの指示は外角高め。

 

(っ!? アンダースロー)

 

 アンダースローの球をはじめてみるのかバットが出ない。次はどこだ? ああ、ボール球でいいから下ね。

 その後は目がなれていないのかお返しのように123バッターを三振で終わらせる。

 

「ナイスピッチング!」

「良いピッチャーだね、うちで投げないかい?」

「遠慮しときます」

 

 ベンチに入って即座に勧誘が入るが雑に断っておく。野球に人生を捧げられる程自由な身ではない。それに夏休みは山でサバイバルだ。野球なんてやってる場合か!

 4番バッターに期待の視線を向けるが無論空振り、その後もゾロゾロと……あはは、これは引き分けコースじゃないですかやだー。

 そのまま休み時間も与えられずマウンドに立つ。相手のクリーンナップ、小学生と言えど警戒した方がいいだろう。

 え、中島くん! 四番にど真ん中!? えぇ……。

 四番くんは打ってやるという闘志を滾らせている。

 ……ストレートは駄目だ。

 体を沈ませて球を投げる。

 流石は主砲と言わんばかりの風切り音を響かせて空振り。

 

「え? タイミングは……」

 

 チェンジアップ。現代野球で一番の魔球だ。

 その後はストレートとチェンジアップを使いこなしてバッターを翻弄し塁に出さない。

 さて、攻守交代。そういえば俺は……七番バッターだったな? バット借りないと。

 

「相沢! ガツンとアーチを作りなさいよ!!」

「無理言わないでくれよ……」

 

 メットを被って左バッターボックスに入る。全員が目を見開いて困惑している。

 やっぱりね、野球って右投げ左打ちだと思うんですよ! 理由はカッコイイからだけ!!

 四番でピッチャーくんが舐めやがってという視線をぶつけてくるがこっちは助っ人だぞ、好き勝手にやらせてくださいよ。

 一投目、内角低め……左ボックスに入ってるからデッドボールが怖くて球速が出てねぇぞ……。

 二球目、必死に外角を狙うが……ほとんど真ん中だぜ!

 金属バットの甲高い音を響かせて飛ぶは白球! 回れまわれ俺の足!!

 球は打っても飛ばないとタカを括ってた前進守備でいっぱいに引っ張った打球を追いかけても届かない!

 

「二塁打……いい感じいい感じ」

 

 結衣の方を見ると……なんで睨むの!? 右で打ってたらホームランだっただろってか! 真面目にやれってか! 二塁打打ったのにそりゃねぇぜ!!

 監督が二塁打を打った時の俊足を買ってかバントの指示を出す。三塁まで行けって……確かに小学生相手だけどさ……。

 八番バッターがバントの体制、ピッチャーくんは俺のことを警戒して牽制球を一回。スライディングでアウトにはならなかったが、お気に入りのジャージが泥だらけだよ……。

 カンッとバントの音が響いて即座にキャッチャーが対応して三塁に送球、だが逃げ足だけは天下一品、どうにか服を汚さずにたどり着いた。それを確認して一塁に送球するがそれを見逃さず本塁に駆ける!

 

「嘘だろ!? 間に合え!!」

 

 ファーストが投げるが焦りから送球が荒くなり、捕手がブロックしようとした時にはベースに手が乗っている。

 

「こりゃ凄い。天才だねぇ、結衣ちゃん」

「……そう、ですね」

 

 

 監督や一期一会のチームメイト達からの熱烈なラブコールを必死に回避してどうにか帰路につくことができた。俺の人生に野球は必要ない。あとスポ根も。

 

「……ありがと、相沢のおかげで勝てたわ」

 

 バスに揺られながらの帰路、隣に座る結衣が小さく感謝の言葉を告げる。

 

「旅は道連れ世は情け、困った時は手伝うさ」

「……でも、ちょっとだけ自信失ったかも。相沢……いえ、明広の方が野球上手いから」

「趣味に上手い下手を持ち出したらギャンブルと同じだ。スポーツは健康な精神が大切だとか? 重要なのは楽しむ心だよ」

 

 それから結構な沈黙。

 

「……でも、明広のこと少しわかった気がする」

「どんなとこ?」

「すっごく馬鹿なとこ」

「ひでー」

 

 まあ、笑ってもらえればそれでいい。

 未来は……。



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16:ホームパーティーという名の交渉

「「ホームパーティー?」」

 

 アリスが唐突にホームパーティーを開くと言ってきた。日本人に馴染みのないホームパーティーという文化、核家族化が一般的になった日本では人付き合いというものが希薄になっている。つまり、家に人を呼んでパーティーするというのが不思議に思えるのだ。

 

『それにしても唐突だな、まだまだ引っ越してきて間もないのにパーティーとは』

『お父さんがお友達に自己紹介したいって! 過保護なんだよね』

『日本人の想像するパーティーってのはレストランを貸し切ったりするものだからなぁ、やっぱり違和感が高いんだよ』

 

 欧米圏では集合住宅というのは珍しい、一部の貧困層以外は基本的に一軒家に住んでいる。隣の芝生は青く見えるという言葉があるようにホームパーティーは自分の庭を見てもらう品評会。これだけ綺麗な庭にしましたよ! どうぞ見に来てください!!

 そうだな、例えるなら日本の月見酒、花見酒と同列。だから芝見酒ってか?

 

『このみちゃんも連れてきていいかい?』

『もちろん! 人は沢山呼んだ方がいいからね』

 

 そうなれば軽く食べられるお見上げ品を用意しなければ、酒類は父さんが断酒したから持っていけないし……無難にチョコレートでいいか? 日持ちする。

 

『教会でお祈りをした後に準備するから……三時頃に来て! お父さんのBBQは凄く美味しいのよ!!』

『はは、それは楽しそうだ』

「呼ばれたら参上しないと廃るわね……行くわ!」

「結衣ちゃんが行くならわたしも」

 

 日曜日のホームパーティー、いつものイベント。

 

 

 日曜日の四時、オーグレーン家のホームパーティーにお呼ばれしてBBQや北欧の料理を楽しんでいる。外の人達はね?

 俺というとアリスのお父さんに強引に連れて行かれて書斎にテーブルと椅子二つ、置かれているのはコニャック、そういえば強引に飲まされるんだよね……。

 

『やあ、アキヒロくん。娘からは色々と聞いているよ』

 

 オーグレーンさんが語る言葉はスウェーデン語ではなくイタリア語、私は試していますよと言っているようなものだ。それにしても訛りが無い。どこで学んだのか不思議になる。

 

『ええ、自分の語学力が彼女に貢献出来て嬉しい限りです』

『仕事の都合での唐突なものでね、長期的な移住になるから連れてきてしまったんだ。それにしても、ドイツ語も訛り一つ無い。いや、ドイツ語は常時訛って聞こえるものだが』

 

 仕返し代わりにドイツ語で応戦してみるが聞き取ってきた。この人はスウェーデンの諜報員か何かだろうか? 少し昔に見た記事で日本は各国のスパイ激戦区だとか、もしかしたらアリスのお父さんは諜報員なのかもしれない。

 

『お酒は飲めるかい。それなりの酒だ』

『未成年ですよ、それともロシア語を使っているから飲めると思ったんですかね』

『ふふっ、飲まないと君が男色家だと娘に言ってしまうよ』

『それは怖い』

 

 この人は腹の中が本当に読めない。世界各国の言語を平然と使いこなし俺という存在の底を探ってくる……。

 ショットに注がれる琥珀色の酒、互いにそれを持ち一気に流し込む。

 

『もし、娘が暴漢に襲われていたら助けてくれるかい?』

 

 ショットに酒が注がれる。それを飲み干してボトルに手を伸ばしオーグレーンさんのショットに酒を注ぐ。

 

『助けますよ。自分の持てるすべてを使って……なんなら相手の武器を鹵獲する算段まで付けて……』

『それは頼もしい』

 

 オーグレーンさんが自分のショットを飲み干して俺のショットに酒を満たす。

 雰囲気はさながら洋画、酔いを使って相手から情報を引き出していく。

 鋭い眼光と見定めるような瞳、一回の会話で変化する言語。

 底が知れない、この人も俺も……。

 ショットを空にする。

 

『場所は森林、護衛対象は幼い少女。相手は武装した謎の組織、君はどう攻略する?』

『そうですね……獣道の上に少女を配置して小石を投げ続けて貰います。その音を聞きつけた兵士を撃破して武器を鹵獲、防弾チョッキなどを着ていれば護衛対象に装備させます。護衛の場合、最優先するのは護衛対象の命、戦う人間の命は不問です』

 

 ボトルを手に取りショットに注ぐ、少し溢れた。回ってきたか……。

 ショットを飲み干して……次のかいわにい行する……。

 

『どうして……ひっ……幼い自分にそんな話しをするんですかね……?』

『いや、僕は君が娘と同い年には見えない。だからこんな会話をしているんだ』

『しょれはしょれは……きゃほぎょへふね(過保護ですね)……』

『だが、酒の強さは年相応のようだ』

 

 やめてくれるかと期待してみたがショットにしゃけがにゃがれていく(酒が注がれる)。これではある意味で尋問にもかんじられ……る。

 ショットを手にとってくひに流す。

 そしてぶるぶるするてでぼちょる(震える手でボトルを握り)しょしょぐ(注ぐ)……。

 

「あなたは……なにをしてほしいのですか……」

「簡単だね、僕の死角で君が娘を守って欲しい」

「かほぎょすぎますよ……にへんはへいやたいきょく(日本は平和の国)……」

 

 からだがまわる。

 にのんごいがい(日本語以外)つかわれちゃらはいちぇいたばろう(吐いていただろう)……。

 

「やり過ぎたようだ。兄のマネをしたんだが……子供にすることじゃないね……」

きゃいがい(海外)だとぎゃくちゃい(虐待)うったへられれまふよ(訴え)……」

 

 たがいのぎゃらふにしゅあけがほほがれふ(互いの硝子に酒が注がれる)……。

 

「……君は護衛対象をどれだけ守れる?」

ぶっひへきなへんじょ(物資的な援助)しょふりょうやみふ(食料や水)せっひ(設置)をひてくれちゃら……いっかげつ……」

「気に入った」

 

 互いにショットを空にした。

 意識が遠のいていく。

 

 

 目が覚めると芝生の香りと人肌を感じた。まだまだアルコールが残る体を強引に叩き起こし人肌の主を見てみると我が愛しの妹様であった。ああ、女神……!

 

「お兄ちゃん大丈夫? すごく……お酒臭いけど……」

「ん、ああ……ちょっとハードボイルドを楽しんだんだ」

 

 頭を掻いて綺麗に整備された庭を見渡す。本当に欧米人の庭に対する情熱は常軌を逸している。もちろん素晴らしいという意味でだ。

 ポケットを確認すると一冊のメモ帳、物資の設置場所などを記した地図だ。

 これは他人に見せられない。

 

「このみちゃん……楽しめたかい……?」

「うん。でも、結衣さんとさくらさん、アリスさんはお兄ちゃんが独り占めにされてて少し怒ってたかな?」

「それはそれは、罪づくりな男になっちゃったねぇ」

 

 もう一度、妹の膝を借りて目を閉じた。

 強い酒飲ませすぎだよ……。

 

「何寝てんのよ! アリスが寂しがってるわよ!!」

「それは結衣ちゃんの方じゃ?」

「う、うぅ……新しいお肉焼けたから早く立ちなさいよ!」

『アキヒローお父さんのお肉美味しいよー』

 

 実感する。ハーレムって面倒くさい部分もあるんだよね……。



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17:存在した悪夢

 俺は同じ人生を繰り返している。

 繰り返す世界の中で何度も地獄を見ている。

 人間、死ぬことは覚悟でどうにかできる。他人に死なれるのは……案外、覚悟できないものだ。

 

『お兄ちゃん……抜け殻のわたしを愛してくれてありがとう……』

 

 二回目の人生、それは俺にとっての地獄だ。

 上手くいってたと思う。

 二回目にしては十分過ぎる進行状況だった。

 あの日までは……。

 その日は、そうだな、今日みたいに大雨が降り注ぐ……。

 

『駄目だ! やめろ!!』

『次に生まれ変わったら……お兄ちゃんのお嫁さんにしてね……』

 

 汚された自分の存在を憂いて身投げした。

 別に、汚れていても兄妹として見捨てることはしない。それなのに、このみは自らを舞台から強制的に下ろした。それは、俺にふさわしい少女達がいたからか、それとも――売女に落ちた自分に愛される資格が無いことに気づいてか……!

 一度しか経験していないが、あれは彼女が中学生になった日だ。

 新品のセーラー服を着て恥ずかしそうに写真に映る姿は普通の中学生、なにも問題はなかった。家族でレストランに行った。そう、レストランだ。結構高級な店で、そこには金持ちそうな人間が沢山いて、少しばかり場違いな雰囲気もあった。

 見たんだ。なんとなく見覚えがある姿、会ったこともないのに嫌悪感を感じさせる小太りな男。そいつを見た瞬間、このみは吐いた。

 その時、俺も体の芯から冷える何かを感じたんだ。

 ――ああ、あの男がこのみを買った屑かと……。

 お祝いできる空気じゃなかった。すぐに店をでて家に帰った。

 

『綺麗に育ってる……食べごろだ……』

 

 地獄耳というのは本当に嫌だ。

 ――俺は、彼女を救えたと思っていた。

 母親は父さんから金を奪い、このみの純潔も奪い、さぞ快適な生活をしていただろう。本当に、嫌になる……。

 このみは不登校になった。過去の記憶がフラッシュバックし、自傷行為も目立った。

 それでも、兄として……妹に寄り添い続けた……。

 少しずつ回復していき、ようやく外に出られるようになった。

 

『お散歩いってくるね……』

 

 彼女は一人で散歩にでかけた。俺もついていこうか、そう聞いたが、一人でお散歩できるようになりたいと返事が帰って、それを受け入れた。

 ついて行けばよかった。

 その日からこのみは散歩をよくするようになった。いや、散歩をしなければならない理由ができたと表現した方がいいか? ――あの男だ……!

 あの男は……! あの日、このみを攫い喰らった!!

 関係をバラせば兄に行為の映像を送りつけると脅されて、彼女は受け入れることしかできない存在にされた!!

 

『うそだよ……いやだよ……』

 

 このみは妊娠三ヶ月だった。

 父親はあの男、無責任でどうしようもない極悪人。

 望まぬ妊娠、俺という存在、そして――絶望。

 

『このみ!!!』

 

 俺は、あの日の光景を目に焼き付けては思い出す。

 亡骸を見ることができなかった。

 写真も見ることができなかった。

 存在を思い出すことができなかった。

 葬式が終わり、家に帰ると封筒がポストに差し込まれていた。

 それは男とこのみの関係、そして、

 

『僕の子供を産んでほしかったんだけどね』

 

 笑えるな、本当に。

 俺はその男を大通りで殺した。

 多くの叫び声に包まれ、サイレンの音が響いた。

 その後は覚えていない。

 

 

 そうだな、今度はアリスのことを思い出してしまった。

 彼女の死も酷いものだ。

 あの時はアリスのお父さんに物資の設置をお願いしていなかった。普通に考えればわかることだ。人間は食料と水がなければ衰弱し、死んでしまう。

 山の中で迫る財団の私兵、武器の鹵獲は成功し、食料や水も現地調達こそできていた。

 

『アキヒロ! 水が冷たくて気持ちいいよー!!』

『大声を出すな、どこに奴らがいるかわからない……』

 

 水浴びをするアリスを眺めながら、鹵獲したMP7の残弾数を確認していた時だ。

 相手も同じサイレンサーを装備した同じ武器、アリスのか細い体が鮮血に染まる。俺は即座にフルオートで制圧射撃を行い、撃たれたアリスを回収し、比較的安全な場所で止血を行う、でも……溢れ出る血……。

 

『アキヒロ……体がふわふわするよ……』

「くそ! 輸血!? 俺はO型だ……輸血をすれば……」

『アキヒロ……大丈夫だよ……』

「何を言ってるんだ!? このままだと!!」

『人は……死んでも……』

 

 ――天国に行くだけ。

 そんなの……わからないじゃないか……。

 失敗した。

 殺されたというのに安らかなその顔を思い出す。

 俺には永遠に理解できない。

 

 

 結衣にも悲惨な結末がある。

 リトルリーグを卒業し、中学で野球部に所属した。

 中学までは男女混合で野球ができる。

 男勝りな性格から中学までは絶対に野球をやめない。そう誓って彼女は投げ続けた。

 それがいけなかったのかもしれない。

 むさ苦しい野球部に美少女が一人、気さくな性格で彼女と付き合いたいと思う奴らは多かった。でも、彼女は……断り続けた……。

 それが上級生の安いプライドを傷つけたのか……彼女は右肩をバッドで殴られ二度と球を投げることができなくなる。それだけならよかった。

 

『やめなさい! やめて!!』

 

 複数の野球部員は彼女を性処理玩具のように使った。

 さくらが結衣の帰りが遅いと連絡をいれてくれた後には、もう、遅かった。

 彼女は転校していった。

 数週間後には、葬式の案内が……。

 大好きな野球をできない体にされ、そして、奪われて……。

 野球部の奴らはどこかに消えた。もし、このみを喰らったようにノウノウと俺の前に出てきていれば……。

 ――指を全部切り落としてやっていたさ。

 

『明広があたしに勝負を挑むなんて珍しいわね?』

『ああ、おまえみたいな美少女が男子に混ざって野球なんてしたら末恐ろしいからな? 女子野球にしてくれ』

『は、はあ!? び、美少女……おだてても容赦しないから!』

『俺が勝ったら……女子野球部に入れよ? 打つのと投げるの、どっちがいい』

『あたしが投げるわ! ホームランを打てたら考えてあげる』

 

 俺は打ったよ、一球目でね……。

 先手を打ったさ。

 

 

 もちろん、さくらにもこれから先、悲しい結末が用意されている。

 それは彼女が本屋から帰宅する際に電車に乗り込んだ時、刃物を持った男に刺される。

 無差別殺人、仕事も家庭もすべて失った男が起こした事件。

 こういうのを無敵の人とか言うらしい。

 

『あきひろくん……きてくれたんだね……』

 

 さくらはうわ言で家族にそう呟いていたらしい。

 

『あきひろくん……はじめて話した時からずっと……』

 

 ――好きでした。

 俺が彼女の病室についた時には白い布が被せられていた。

 

 

「はっ!? はぁはぁ!! ……最悪の夢だ」

 

 呼吸を整える。

 あれは目を逸らすことのできない現実。

 まだまだ彼女達に死神の鎌が伸びる。

 俺は、死神を殺し続ける……彼女達が幸せになるその日まで……。



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18:温水プール

 六月の中旬、梅雨入りして毎日が雨粒の季節。

 そんな季節に唐突な提案が結衣によってもたらされる。

 

「プール行きましょ! 温水プール!!」

「藪からスティックだな」

 

 郊外にある温水プールの割引券、契約している地方新聞からの贈り物らしい。一枚で三人、それが二枚あるから六人まで半額で入場できるようだ。

 さて、ここで問題が発生する。

 

「女の子の空間に男の子が入っていいのですかね?」

 

 これに尽きる。

 いくら親しい間柄だと言っても女の子のお出かけに金魚のフンをしていいのか?

 このイベントははじめての経験なので少しだけ困惑している。もしかして好感度が原因でこのイベントが発生したのだろうか? この世界はエロゲーだが、一応は恋愛シュミレーションに分類されるわけだし……。

 

「明広くんは大切なお友達だよ! ハブるなんてできないよ!!」

「いや、でも……同い年だからボディーガードにもなれないし」

 

 普通になれるが謙虚を演じよう。

 

「いいのよ! この湿度で髪がゴワゴワする季節……ストレスが有頂天だわ!! ストレス発散!!」

「……そこまで言うんだったら別にいいけど」

『アキヒロ? なんの話しをしてるの』

 

 日本語で会話していた為、プールに行くことを理解していないアリス。

 それにしても……プラチナブロンドがアフロになってやがる、梅雨って恐ろしいなぁ……。

 

『いや、このメンバーでプールに行くらしいんだ。俺も強制参加、このみも無論連れていく。アリスはどうする?』

『プール!? ……わたし泳げない』

『ああ、極寒の北欧だからなぁ……そりゃ泳ぐ場所は少ないよな……』

 

 その代わり一家に一台サウナがあるらしい。

 アリスは少し悩んで頭上に電球を光らせる……どうやって光らせるの!? 俺もやってみたい!!

 

『アキヒロは泳げる?』

『どうして?』

『教えて! わたしバタフライしてみたい!!』

『いや、そこは無難にクロールからね、ね!』

 

 ヒラヒラ蝶みたいで綺麗な泳ぎ方だからやってみたいのにぃと拗ねる。いや、水泳初心者が真っ先にバタフライ泳ぐとか無理だから、アレすごく難しいから……。

 

「アリスは大丈夫みたいだ。無論、このみちゃんも連れてきていいよな……」

「本当にシスコンね……ハブるつもりなんて無いわよ!」

「よっしゃぁ!! このみの水着姿!!」

(((……ギリッ)))

 

 どうしてシスコンしたら睨まれるのでしょうか?

 

 

 そして当日。

 我が愛しの妹様も付いてきてくれて放課後に水着を買ったり色々と劣情が……。

 いやね、お風呂に入ってる時に背中流すっておNEWの水着を着て背中を洗ってくれた時は精通を覚悟したね、お兄ちゃんパワーでどうにかマイサンを押さえつけたけど! 数年後にアレをやられたら間違えなくマグナムリボルバーがタオルを貫通する……。

 

「それにしても、はじめてのイベントだ……何も起こらなければいいが……」

 

 この世界を繰り返す中でランダムイベントというものは多く発生する。推測ではあるのだが、ヒロインの好感度が一定以上に達していたら発生するような? 前の助っ人イベントはランダムイベントに該当する。それに付け加えて点を取り、無失点で勝利したからこのイベントが追加された可能性が高い。

 まあ、公衆の面前で犯罪をするようなバカはいないだろう。普通にプールを楽しめばいいか。

 

「相沢くん! こっちだよー」

 

 さくらが手を上げて俺のことを呼んでいる。

 ――小学生にあるまじき巨乳!?

 咄嗟に目線をそらす。

 女子小学生メガネっ娘巨乳……属性多すぎだろ新島さくら……!

 

「ど、どうかな? 可愛い水着があったから……」

 

 青を貴重としたワンピース水着、フリルが良いアクセントになっている。だが、それ以上に胸が……。

 駄目だ駄目! エッチな目で見ちゃメ!!

 

「に、似合ってる……でも、目のやり場に困る……」

「え? あうぅ」

 

 互いに目を逸らし合う。非常に気まずい。

 ――腹部に鋭い一撃が飛んできた。

 

「あんた! さくらのどこ見てたわけ……ええ!」

「ぽんぽんいたいでち……不可抗力でち……」

「お兄ちゃん大丈夫?」

 

 風呂でも見たがこのみの可愛らしさにスクール水着は反則だ! 小柄で可愛らしくて、実際幼くて……ああ、可愛い……! 犯罪的だ!!

 

「男って本当に変態! ……あたしのは似合ってる?」

 

 オーソドックスなパステルカラーのビキニタイプ、フリルが各所に散りばめられて可愛らしいという印象が強い。色黒な肌によく似合ってると思う。

 

「うん、似合ってる。すごく女の子っぽ――ゴハッ!?」

「さーて、アリスはまだかしら」

「ぽんぽんいたいでち……二回目……」

 

 アリスが手を振りながら駆け寄ってくる。

 え、何もついてない青ビキニ!? 発育はまだまだだけど逆にそっち系が好物な人間ならヤバイ水着着てるよこの子!!

 

『叔父さんとサウナ入る時の水着だよ! 似合ってる?』

『あ、うん。なんか、ちょっとね……白人さんの大胆さが凄いと思ったよ』

 

 頭にはてなマーク作ってる。わかってないんだね、その水着は日本人の価値観からしたら大胆すぎるんだよ……。

 飛ぶ。

 というわけで、当初から予定されていたアリスのための水泳教室。だが、そこにマイラブリーシスターも加わっている。なんでも金槌らしい。いやはや、アリスだけだとやる気60%だが、エネルギー充填120%になっちゃうね!

 

「バタ足うまいぞー」

『なんて言ってるの?』

『足の動かし方が上手いって褒めてるの』

『やったー!』

 

 アリスのバタ足の練習が終わったらこのみの番、運動音痴なせいか途中で水底に沈んでいく。これは絶対に船には乗せられない……この世界の乗り物は物凄く脆く設計されているんだ。まるで某ゲーム会社のヘリのように……。

 この世界で一番信頼できるのは父さんの軽自動車だけ、それ以外は対物ライフルで狙撃されたり、仲間にならないモンスター筆頭無敵の人が現れたりと乗り物が危険過ぎる。

 中学二年生の時に向かうコンテナ船なんて自爆装置付けてあるからな……。

 

「うぅ……泳げないよぉ……」

「浮き輪、持ってきたよ」

「お兄ちゃんなんて大嫌い!!」

「えぇ……」

 

 妹の唐突な反抗期に自分の心が折れる音がする。

 水泳の練習なんてほっぽりだして人気のないプールで潜水する。音のない静かな環境、そうさ、俺は水……水に妹なんていない……。

 

「あ、明広くん……五分くらい潜水してない……?」

「そうね……どんな肺活量してるのかしら……」

「結衣ちゃん! もっと心配しようよ!?」

「だって、試合終了までマウンド降りない男よ。あれくらい出来るんじゃない?」

『25m泳げたー! あれ、アキヒロは?』

 

 水、水はいいな、少し塩素の香りが強いが……。

 人間の60%は水、言うなれば運命共同体、

 互いに頼り、互いに庇い合い、互いに助け合う、

 人間が水の為に、水が人間の為に、

 だからこそ普通に生きられる、

 水は兄弟、

 水は家族、

 ――嘘を言うな! 窒息死するわ!!

 

「妹に言われた大嫌いが俺の心をへし折る……」

『アキヒロー! 25m泳げたよー』

「うん、すごいね……俺は凄くないね……」

 

 シスコンなのに妹に嫌われるなんて……。

 

「お兄ちゃん……ごめん、言い過ぎた……」

「このみちゃーん!」

(((…………)))

 

 社会的に死んだけど妹の反抗期が終わったからオールOK!

 

 

 プールで満足を通り越して疲れるまで泳いだところで近場のファミレスでかき氷やパフェなどを食べている。俺も久々のストロベリーパフェとカプチーノ(砂糖一本入り)を楽しんでいる。

 

「やっぱり運動はストレス発散になるわね」

「泳ぎ過ぎて筋肉痛が怖いかな……」

『次は50mだー!』

「元気なこって……」

 

 カプチーノを一口、このくらいなら苦味は感じない。砂糖も投入したからな……中1頃にはブラックも楽しめる……。

 このみは俺と同じストロベリーパフェを楽しんでいる。リスみたいに食べて可愛いなぁ……。

 

「そういえば、秋に林間学校があるのよね」

「そうだね、結衣ちゃんと同じ班になりたいな」

「リンネテンセイガッコウ?」

「なんか殺されそうな活動だな……『ボーイスカウトだよ、泊りがけの』」

『へー』

 

 このみちゃんが寂しそうな目で見つめてくる。学年が違うから参加できないからな、それに三泊四日の結構な長期間。妹に会えない日が四日も……。

 ズル休みしていいかな……?

 

「ズル休みしたら〆るから」

「鯖になった覚えはねぇよ……って、俺の頭の中を読むなよな!」

「明広くん、行事にはちゃんと参加しないと駄目だよ?」

 

 行事ねぇ……林間学校より過酷なサバイバル生活を夏休みの間にやるんだけどね……。

 でも、林間学校中は事件も何も起きない。妹の心配をする必要もない。

 ある意味ではお疲れさまでした。突破おめでとうって感じのものだ。

 

「まあ、行けたら行く」

「絶対来ない魔法の言葉使わない!」

 

 本当に行けたら行くなんだよね、怪我したらそんなの参加できないし……。

 アリスを見る。チョコレートパフェを美味しそうに食べてる。

 これが普通、普通なんだよ……なんで財団は彼女を……。



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19:決闘者(ネタ回)

 小学生に人気な遊びと言えばTCGだとか、ポケッドラゴンだったり、まあ、子供向けゲームってのは……。

 

「結衣ちゃん……わたしの手札は12枚……! 天国の飛翔龍は手札の枚数だけ攻撃力がアップするんだよ……」

「や、めて、まけたく!」

「飛翔龍でダイレクトアタック! ヘブンズアタック!!」

「負けました。楽しいデュエルでした……」

 

 頭のいい子が強い。

 さくらとのデュエルに負けてなぜだか俺のことを睨みつける結衣。いや、小学生環境だとは言え増殖する野次馬とコンビネーションディーラー入れてない君が悪いよ……。

 

「明広……座りなさいよ……」

「どうして?」

「この中で一番弱そうだから……」

 

 プッチンと何かが切れる音がする。

 さくらがにこやかに席を譲ってくれてデッキをセットする。

 いや、俺もデュエルマイスターは好きでカード集めてるんだよね……。

 

「あたしのエクストラプレイヤーデッキで蹂躙してあげるわ!」

「いや、デュエルする前に自分のデッキ教えちゃあかんでしょ……」

「「デュエル」」

 

 じゃんけんをしようと右手を出すが鼻で笑われて先行を譲られる。なんだこいつ?カードゲームが先行有利だって知らないのか……。

 

「俺のターン……そっちのデッキ何枚?」

「40枚よ! そんなデッキ分厚くしてプププッ……素人かしら……」

「隣の庭整理を発動、デッキから20枚墓地に送ります」

「ひょ?」

 

 デッキから20枚墓地に送る。内容はまずまず、じゃあ、はじめますか……。

 

「ドラゴンフレンド・ライラを特殊召喚、墓地にあるドラゴン族チューナーが三枚以上の時に特殊召喚することができる」

「おお、ドラゴンフレンドデッキ……殺意たかいなぁ……」

「ドラゴンフレンド・ライラの効果発動。このカードが召喚、特殊召喚に成功した際に墓地のドラゴカードを装備カードとして装備することができる。墓地のドラゴ・クールノを装備、ドラゴ・クールノの効果発動、このカードが装備カードになった時、特殊召喚することができる。ドラゴ・クールノを特殊召喚。このタイミングで墓地にあるドラゴ・ストライクの効果を発動。自分のドラゴと名のつくカードが特殊召喚に成功した際にこのカードを手札・墓地から特殊召喚することができる。そして手札からドラゴ・バスターを特殊召喚、このカードはデッキのドラゴと名の付くカードを一枚墓地に送ることで特殊召喚することができる。このタイミングで速攻魔法ドラゴ・ダンシングを発動、このカードは特殊召喚されたドラゴと名の付くカードの枚数までドローすることができる。俺が特殊召喚したドラゴカードは三枚、デッキから三枚ドロー、このタイミングで手札に加えたドラゴ・ソニックの効果発動、このカードが魔法・トラップカードの効果で手札に加わった時に守備表示で特殊召喚することができる。ドラゴ・ソニックを守備表示で特殊召喚。ドラゴ・ソニックの効果発動、自分の場にドラゴチューナーが二体以上存在する場合、デッキからレベル4以下のドラゴンフレンドカードを特殊召喚することができる。俺はドラゴンフレンド・ジョーダンを特殊召喚、ドラゴンフレンド・ジョーダンの能力発動、墓地のドラゴと名のつくカードを一枚除外してレベルを倍にする。ドラゴンフレンド・ジョーダンとドラゴ・クールノをチューニング、エクストラデッキからドラゴ・フリーダムをシンクロ召喚」

「攻撃力3300のモンスター!?」

「ドラゴ・フリーダムの能力発動、自分の墓地にあるドラゴと名の付くカードを可能な限り装備する。装備されたドラゴ・スターの効果発動。ドラゴ・スターが装備カードになった時、このカードを破壊することによってドラゴモンスターをアドバンス素材を必要とせずに特殊召喚することができる。俺は手札からドラゴ・レジェンドを特殊召喚。ドラゴ・レジェンドの効果を発動、自分の手札のドラゴカードを二枚捨てることによってデッキから任意のカードを一枚手札に加えることができる。俺は手札のドラゴ・クールノ二枚を捨ててデッキから一枚選択。手札に加えたモンスターカードをセット、ターンエンドです」

「どんだけ時間かけんのよ!? 目が回るじゃない!!」

 

 結衣がドローしてモンスターを召喚する。

 

「このタイミングでドラゴ・フリーダムに装備されたドラゴ・ウィングの効果発動。このカードを墓地に送ることによって場に伏せられているカード一枚を表側攻撃表示にすることができる。効果を発動して伏せてある時間の超越者を表側攻撃表示に、このカードのリバース効果、このカードが表側表示になった時、手札をすべて捨てて自分、相手のターンを強制的に終了する」

「……ねえ、それ禁止カードじゃない?」

「一枚制限」

 

 結衣がマジマジと時間の超越者を手に取り眺める。そんなのお構いなしに自分のターンに移行する。

 

「俺のターンドロー、ドラゴ・フリーダムの効果発動、墓地にあるドラゴカードを除外することによって相手のモンスターゾーンのカードを除外することができる。俺はドラゴ・クールノを除外し、エクストラプレイヤー・バットを除外。そしてドローした装備カード、ドラゴの覚醒槍をドラゴ・フリーダムに装備、このカードは装備されるドラゴカードのレベル✕100ポイント攻撃力をアップさせる。よってレベル10のドラゴ・フリーダムの攻撃力は4300! ダイレクトアタック! フリーダムショット!」

「くっ、でもライフはまだ3700ある!」

「場にあるすべてのモンスターでダイレクト――ゴハッ!?」

 

 鋭いビンタで吹き飛ばされる。

 いや、俺にデュエル申し込むからこうなるんだよ……ドラゴンフレンドデッキは普通に環境テーマだし……。

 

「なんで明広もデュエル強いのよ!? 普通に考えて弱いタイプでしょうが!!」

 

 この後にさくらとデッキが尽きる程のバトルをしたのは別の話。



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20:地獄の一ヶ月

 登山用のバックに大量の水と携帯食料、双眼鏡とガムテープ。応急処置用の軽いメディパック、これ以上の物は鹵獲する。

 来てしまったか……本当にこのイベントだけは慣れない……。

 完全武装した私兵が山を駆け巡り、一人の少女を殺す。理由は不明。

 

「……修行に行ってきます。探さないでください」

 

 机に置き手紙を設置して覚悟完了。

 さて、はじめますか……財団……!

 

 

「ママも来たらよかったのに……」

「はは、ママも仕事があるから仕方ないさ……明広くんが来てくれるから大丈夫だろ?」

「もう!」

 

 後ろにバンが三台。私を対処するには必要十分、彼とのランデブーポイントも近い……。

 最初の物資設置ポイントに到着しているのであれば……もうそろそろか……。

 バックミラーを睨むと助手席から身を乗り出した兵士が銃口を向ける。

 女子席に座る娘の頭を抑えて飛翔する銃弾から守る。

 

「――パパ?」

「……これは、ピクニックはできそうにないな」

 

 森の中に1911を構えた少年が見えた。

 

「撃ち漏らさないでくれよ……」

 

 重なる発砲音、バックミラーを睨みつけるとすべてのバンがバーストし、スピンする。完璧な射撃だ……!

 そのまま車を木陰につけて彼に任せる。

 

『頼むよ……出来る限り早く終わらせる……』

『今回はスペイン語ですか……遅れていいですよ。物資は確認しましたから』

『明広!? なんで銃を……』

『早く来てくれ、一秒を争う』

 

 MP7を構えた私兵を容赦なく撃ち倒し、そのままアリスを山の中に連れていく。

 

「使う分は鹵獲します」

 

 セーフティをかけた1911を助手席に投げて消えていく。

 

「……先に行った妻に追いつかなければ」

 

 

 どうにかランデブーには成功、物資の確認の際にガバメント……いや、SIG製だからGSRだったか? ご丁寧に置かれていた。付け加えて置き手紙には「使ったら返してね♪」なんて、どこで習ったのかわからないギャル文字で書かれていた。あの人の底が知れない。

 

「アキヒロ! 説明して……何が起こってるの……」

「俺は英国のスパイなんだ。こう見えて三十代だ」

「え? ええ!?」

「嘘だよ」

 

 頬を膨らませて怒っているが、俺が未来人で君が死ぬから助けに来たなんて言えない。ただ、これだけは言える……彼女の両親が物事を解決するまで一ヶ月、夏休みすべてを献上して山籠りだ……。

 アリスの質問攻めを無視し、獣道を発見。鹿かイノシシが通ったのかまだ新しい。ここでアンブッシュするか……。

 

「アリス……ここで小石を投げ続けてくれ……」

「ど、どうして?」

「いいから、小石を投げ続けるんだ」

 

 アリスを獣道の上に存在する木陰に隠し小石を投げ続けることを命令する。俺というと獣道の草むらに潜み、静かに部隊員が来ることを待つ。

 

『音がした……あっちだ!』

 

 やはりイギリス英語、訛りがない。

 顔は覆面を被っているため人種はわからないが、何度もこいつらの顔を見てきた。全員が白人、財団の採用基準は第一に白人であること。何を目的にしているのやら?

 190cmはありそうな白人が三人、装備はMP7……どこの特殊部隊だ……。

 

『あそこだ! ――っ!?』

 

 アリスの姿を見た私兵が銃口を向けるがその瞬間に尖った石を持った俺が立ちふさがり、一人目の私兵の右手に突き刺す。防刃手袋を使っているとはいえ、石で思い切り殴打されれば武器を手放す。

 そのままMP7を鹵獲、残りの二人の右肩、足に向かって射撃。無力化に成功、奪った一人は負傷者の回収に残す。

 

『武装放棄して二人を回収しろ、このままだと失血死だぞ』

『き、貴様は……何者だ……』

『答える義理はない。ここで殺されるか? それとも助けるか、選べ……好きな方を……』

『っ! 二人を回収する……』

 

 銃口を背中に押し付けて待ったをかける。

 

『上質な防弾チョッキだな、置いていけ……こっちのVIPはピクニックの準備しかしていない。脱げ……』

『わ、わかった……』

 

 防弾チョッキを脱ぎ捨てて負傷した二名を回収していく。

 5.56mmNATO弾の話しでこういった物がある。

 兵器は人を殺すものではあるが、小銃は敵兵を負傷させるもの。一人の負傷兵を回収するのに戦線では二人の兵士を使用する。だから致命傷を与える必要は少ない。

 まあ、ゲリラ相手だと意味のない話だ。

 だが、財団の兵士は優秀な私兵、負傷兵は極力回収する。特殊部隊に匹敵する兵士を育てるのは才能と金が異様にかかる。殺すのは惜しい。そう教え込まれてるのだろう……。

 私兵の姿が見えなくなった。

 

「アキヒロ……あれ……」

「致命傷じゃない。回収に一人は無傷にしておいた」

「で、でも……人を……」

「迷ってる場合か! 撃たなければこちらが撃たれる……これを着てくれ。胴体なら死ななくて済む」

 

 鹵獲した防弾チョッキをアリスに渡す。金属プレートが入った高級品、小学生には少しばかり重いが、命には代えられない。

 

「……戦うアキヒロが着たほうが」

「俺は君のお父さんに頼まれたんだ。最優先は君の命、俺の命はどうでもいい」

「パパが?」

「いいから早く着てくれ……増援がいつ来るかわからない……」

 

 思い詰めた表情になるが、防弾チョッキを着込んだ。綺麗にブカブカ、だが、小さい体を大きな面積で守れるのは利点。場所を移動しよう、ここは道路から近すぎる……。

 

「アキヒロ……パパに頼まれたって本当……?」

「ああ、君のお父さんに頼まれた。色々と訳ありのようでな、俺もそんなところだ……」

「……わかった。アキヒロについてく」

「それでいい。出来る限り道路から離れよう、道路は相手側の拠点みたいなものだ」

 

 アリスを連れて山の中腹を目指す。人間、下か上としか考えない。この場合は中腹が一番安全だ……。

 

 

 中腹に到着し、二つ目の物資を確認する。そこには食料と水、衣類などが詰め込まれたキャリーケースが捨てられている。アリスのお父さんが設置してくれたものだ。

 それにしても、丁寧に汗拭きシートまで入ってある。いやはや、娘のお肌トラブルにまで気を使うとは……。

 

「ここは安全なの?」

「いや、全然。一つの場所に留まるのは危険だ……まあ、休憩くらいはできるが……」

 

 防弾チョッキの重さにヘナヘナと座り込むアリス、十キロ近いベストを着て乱れた山を歩いたんだ、そうなるのも頷ける。支援物資の飲料水を手に取りアリスに渡す。いくら涼しい山の中だとしても真夏、脱水症状に悩まされる。

 

「ありがとう……」

 

 受け取ってチビチビと喉の乾きを潤す。

 俺の方は鹵獲したMP7の残弾数を確認し、正しくセミオートに設定されているかを再確認する。無駄弾は撃てない、消費は最小限に留める……トリガーハッピーは身を滅ぼすと言ったものだ……。

 

「……アキヒロ、そんな目してたかな」

「張り詰めてるからな、気にしないでくれ」

「そうだ! 焚き火しよ!! 火を見ると人は落ち着くって叔父さんが!!」

「――駄目だ。狼煙と痕跡が残る……相手はプロ、嗅覚は犬以上だと思ってくれ」

 

 アリスがしょんぼりと地面を眺める。仕方ないだろ、奴らは一ヶ月も子供を追いかけ回す異常者だ。それに特殊部隊に匹敵する練度、香りすら残さない細心の注意が必要……本当に厄介な相手だよ……。

 消費した物資をリュックに回収し残りを茂みの中に隠す。

 もうそろそろ、負傷兵を回収しきったタイミング……増援が駆け巡るだろうか……?

 

「移動しよう、一箇所に留まるのは危ない」

「行く場所はあるの?」

「無いから野営しないのさ、何日追いかけ回されるかわからない……」

 

 寂しげな瞳を覗き込む。

 やめてくれ、俺だって君が死なないならこんなことはしない……。

 

 

 最初の夜、アリスは不安そうな瞳で俺のことを見つめる。

 

「大丈夫、護衛は任せてくれ」

「ち、ちがうよ……どうしてアキヒロはわたしを……」

「人間、知らない方がいいこともある。疲れただろ? 寝てくれ」

「う、うん……おやすみなさい……」

 

 アリスに迷彩柄のタオルケットをかけてMP7のストックを調整。

 赤外線スコープを装備した相手に裸眼、地の利以外は全部相手有利なんて素晴らしいとしか言いようがない。

 アリスの寝息が聞こえたと同時に立ち上がり、狩りの始まりだ……!

 

『日本の夏は凄いな、これなら勝手に死ぬんじゃないか?』

『いや、A1隊が負傷して帰ってきた。オーグレーンは優秀なエージェントを雇ったみたいだ』

『聞いた話ではエージェントは子供らしいぞ』

『そんな馬鹿なことがあるか――ッ!?』

 

 サイレンサーから弾が飛翔する甲高い音、それを聞いた瞬間には一人の足が撃ち抜かれていた。

 一人が負傷者の救護にあたる。

 

『居た――グッ!?』

 

 二人目を負傷させ、右肩を丁寧に撃ち抜く。残りの二人は木陰に隠れた俺に銃口を向けるが……こいつらは残しておかないとな、不殺なんて眼中にないが、移動の際に死体をアリスが見たら……まあ、嫌な気分になる。

 

『負傷兵を持って帰るか……それとも撃たれるか、どっちか選べ』

『お前を殺し――ッ! うっ……』

 

 引き金を引こうとした私兵の右肩に飛翔する。左手だけでも一人くらい回収できるだろう、仕方がない犠牲だ。

 

『負傷兵を持って帰れ。無駄死には嫌だろ?』

『わ、わかった……撤退する……』

『マガジンを数本置いていけ……』

 

 部隊長らしき男が予備のマガジンを静かに二本地面に置いた。

 そのまま部隊は負傷兵を回収して下山していく、簡単な任務だと思って気軽に来るから怪我をする。それは何度も経験している……。

 撤収して数分、予備のマガジンに小石を投げてトラップの類が設置されていないことを確認してベルトに挟む。

 初日は2部隊しか来ない、アリスの元に戻ろう……。

 

 

「お、お父さん……お兄ちゃんが帰ってこないよ……」

 

 場所は変わって相沢家、修行に行くと書かれた置き手紙を見つけて七時間、夕食頃には戻ってくるだろうと帰りを待っていたが、深夜になっても帰ってこない。まさか武装組織と戦闘をしているなんて予想できるものか。

 

「……警察に頼むしかないか」

「……お兄ちゃん」

「大丈夫だ! 明広はとんでもない男……事件なんて……」

 

 明文は今までの彼の行動を思い返す。この数ヶ月の間に何度も事件に巻き込まれている。それを自らの力のみで解決し、飄々と学校に通う……。

 普通にありえる。

 実際にやってる。

 明文は携帯電話を拾い上げ、警察に電話を入れた。

 

「お兄ちゃん……」

 

 この一ヶ月、財団の影響で明広が駆ける山には捜索の手は及ばない。日数が経てばたつ程に捜索の手は広がるが、謎の組織・財団、その影響力は計り知れない。

 

「……お兄ちゃんはわたしを置いていかないって言ったのに」

 

 このみの瞳から光が消えていく。

 

 

 木々の合間から木漏れ日が落ちてくる。

 目を閉じて眠れるのは最初の十日間だけ、その後は地獄より素晴らしい攻勢がかけられる。その時には眠れることの素晴らしさを神様に感謝することになる。

 

「ん……からだいたい……」

「起きたか? 寝汗が酷かったぞ……水を飲め……」

「え!? アキヒロ! ……あ、そっか」

 

 普段の日常と錯覚したアリスが一瞬だけ取り乱すが、自分の置かれている立場を再確認し静かに気分を落とす。俺の方はお構いなしに水を手渡してMP7を眺める。

 

「アキヒロ……トイレどこかにあるかな……」

「すまないが……そういうのは無い……」

「あうっ……」

「ウェットティッシュがある……それで、まあ、頼む……」

 

 涙をウルウルとためて覚悟を決めたのか草木を掻き分けて消えていく。その後、大声が響き渡る、悲しいかな……これを何日も繰り返さなければならない……。

 数分後、酷い表情のアリスが体育座りをして恥ずかしいと連呼している。文明が進んだ現代で野外での排泄行為は非常に恥ずかしいものだ。いやはや、文明の進化は恥の歴史なのかもしれない。

 

「……アキヒロ、それ」

 

 アリスが静かにベルトに挟まれている二本のマガジンを指差す。

 

「アリスが眠った後にな」

「……殺したの?」

「いや、二人……三人を負傷させて回収させた。殺してない」

「アキヒロは……人殺しにならないよね……」

 

 少し悩んで、頷いた。

 殺すことより回収させた方が戦術として正しい。負傷兵が帰ってくれば恐怖が蔓延する。逆に部隊が帰ってこなければ家族を殺されたと殺意が蔓延する。どちらがお得か? 勿論前者、不殺を馬鹿にする連中も多いが……この場合は不殺の方が相手の行動が制限される。

 ――どこに敵が隠れているかわからない。

 戦争、戦闘、諜報、このすべてが心理戦。心理的にダメージを与えた方が優勢になるのは古来からの定めだ。

 少ない睡眠時間、眠気をかき消す為に持参した鷹の爪を口に放り辛さで目を覚ます。寝ぼけた状態で戦闘できる相手でもない。

 

「辛くないの?」

「かりゃい……」

「ふふっ」

 

 アリスが飲みかけのペットボトルを俺に渡してくる。

 

「飲料水は限られてる、一人で飲みな」

「その顔みてたら……ふふっ、笑っちゃうから……」

「……ありがとう」

 

 アリスの水を飲み干して吐息を一つ。ありがとうの一言をかけようとするが、彼女は顔を真赤にして目を逸らす。ああ、間接キスだな……。

 

「アキヒロは……好きな子とかいるの……?」

「そうだな、この戦いが終わったら教えてやるよ」

「それ、「シンリフリーダム」っていうんだよ」

「死亡フラグね、おまえをご両親に届けるまで死ねないよ……」

 

 アリスの顔がカッと赤くなり、また目を逸らす。

 吊り橋効果? それともストックホルム症候群か……いやはや、俺もあくどいことをしているものだ。

 鹵獲したMP7のマガジンを装填し、立ち上がる。

 

「……生きて帰ろう」

「……うん」

 

 伸ばした手を掴んでくれた。

 頼りにされるのは嬉しいことさ、期待を裏切れない……。

 

 

「え? 明広が家に来てないかって……来てないですよ、終業式も足早に帰って……」

『そうかい、ごめんね。ちょっと息子が家出なんてしててさ』

 

 結衣の背筋が凍る。

 明広が何か行動を起こす時、それは事件が発生している時。自分は二回も彼に命を救われている。もしかしたら三回目もあるかもしれない。

 このみに関してもそうだ。ただならぬ理由で妹として迎え入れたと聞いている。そうなれば、次は誰だ? まだ事件に巻き込まれていない存在……そう、アリス。

 北欧からの転校生、彼女はまだ明広に救われていない。

 ――明広がアリスを助けているという構図が目に浮かぶ。

 

「あの、明広のお父さん……アリス、オーグレーンさんにも電話してみてください。たぶん、そんなことはないとおもうけど……!」

『明広とこのみがよく話してる白人の転校生? うん、わかった』

 

 明文からの電話が切られ、結衣は静かに立ち尽くす。

 明広ならやりかねない。ドスと鉄砲を持った男に立ち向かい、誘拐された時にも大の大人が何人もいる状態でも制圧し、彼女を無傷で回収した。それがアリスの番になった。

 ――酷く納得できる。

 

「明広……アンタは……」

 

 何者なの? 答えは帰ってこない。

 

 

 時刻は正午、ある程度の移動を終わらせて保存食を開く。残り29日の間はブロッククッキーと塩が主食。時間が経てば経つ程にケーキやコーラなどの砂糖が大量に使用される食べ物、飲み物が恋しくなるものだ。

 

「アキヒロも食べないと力出ないよ……?」

「いや、空腹状態の方が眠気が覚めていい。気にせず食べてくれ」

「……アキヒロ、無理はしないでね」

 

 アリスの言葉が胸に刺さる。

 無理をするなか……確かに、気を抜けるなら全力で抜きたい気分だ。でも、一秒たりとも気を抜いたら終わる。アリスという護衛対象を護衛しながらの仕事、気を抜いたらアリスが補足され、躊躇なく発砲される。それを阻止するには自分の身を限界まで張り詰めなければならない。優しい言葉に甘えてはならない。

 ――そうだろ? 相沢大先生。

 

「それを食べ終わったら移動しよう、道路から離れたと言っても敵が何人いるかわらない。下手をしたら負傷兵を連れて行った奴らが位置情報を吐いたかもしれない」

「うん、あむあむっ!?」

「ふふっ、ほら、水」

「むむっ……ふぅ……ありがとう」

 

 アリスに手を貸して移動を開始する。

 二つ目の物資の確認に行くか……。

 

10

 

「お兄ちゃん……お兄ちゃんの香り……」

 

 明広の部屋に入ったこのみが彼のベッドの飛び込む、そして枕や毛布を抱きしめて残り香を肺いっぱいに取り込んで、頭に兄の姿を思い浮かべる。

 自分を地獄から掬い上げてくれた存在、自分を母と同じくらい愛してくれる人。

 彼女は売られる状態だった。父と義母が電話で自分を抱かせるとかという会話を耳にしていた。もし、兄が提示した先に引き取るという言葉が無ければ――。

 

「お兄ちゃん……大好きだよ……」

 

 息を荒くする。

 

「お兄ちゃんだけ、お兄ちゃんだけ……」

 

 ――わたしを汚していいのは、

 

11

 

「テトリス面白いなぁ」

「そりゃよかった」

 

 二つ目の物資、そこには乾電池を使用するゲーム機が置かれていた。山の中で警戒を厳にしなければならない俺にとってこのゲーム機は救いだ。アリスが話題を振れば無視することはできない。その一瞬の隙きに財団の私兵がやってくるかもしれない。それの対処、一秒でも遅れればゲームオーバー……彼女が手に持っているゲームと違って現実、気を抜かなくて済むのはありがたい。

 

「最高スコア更新! ねえ、勝負しようよ!!」

「すまないが、置き手紙に娘のゲームを取るなって書かれてた」

「大丈夫! お父さんには貸したなんて言わないから」

「気持ちだけ受け取っておくよ……嘘だろ、まさか」

 

 双眼鏡を取り出して谷に存在する小川に犬を連れた私兵が、嘘だろ……犬を投入するのはまだまだ先、なんでこのタイミングで……ッ!?

 ――そうか、昨日、三人目に発砲したから追加の兵員を送り込む前に犬を使ったのか! 一人の負傷でここまで変化するものか……。

 双眼鏡を仕舞い、アリスにトイレに行くと言って離れる。

 小便を空のペットボトルに流し込む。

 犬は厄介だ。昔は犬派だったのだが、この事件で犬のことが世界で一番大嫌いな動物になったよ……。

 犬は鼻が利く、最初は……アリスの排泄物に行き着くだろう。その後は臭いを辿って俺達の元へ、軍用犬の恐ろしさは誰よりも知っている。人間は殺さないが――すまない、犬は殺させてもらう。

 

12

 

「明広……大丈夫なんだよな……」

 

 警察の事情聴取、親しい友人からの情報提供、明広の部屋から出てこないこのみ、事態は悪い方向ばかりに進行していく。

 明文は最悪の事態を想定する。

 

「――誘拐」

 

 だが、このマンションはセキュリティ万全、散歩に行くだけなら置き手紙を残す必要もない。どうして置き手紙を残したのか? それがわからない。

 ただ、小学生が一日経っても帰ってこない、これは問題だ。

 やはり事件に巻き込まれている。

 

「お父さんをいじめないでくれよ……」

 

 か細い声でそう告げた。

 

13

 

 犬と人間が歩く音が響く。

 アリスは五分先にある木陰でゲームをしているようにと留めて静かに時が来るのを待つ。

 犬の鳴き声が聞こえる。

 MP7を構えて木陰から静かに引き金を引いた。

 キャウンという絶命の声を聞いた瞬間に飛び出し、犬を連れた私兵の右肩を撃ち抜く。

 

『な、なんで……アダム……ッ!』

『すまないが、犬を放たれたら不利なんでね。亡骸をもって早く消えろ……』

『っ……くそやろうが!!』

 

 MP7を左手で持ち直し、撃ち返そうとするが、次は左肩に弾が撃ち込まれる。

 

『……早く消えろ、犬は残念だったな』

 

 武器を使えなくなった私兵は絶対に殺してやると捨て台詞を吐いて足早に消えていく。

 生き物の殺生は辛いものだ。

 尖った棒を拾い上げて亡骸に突き刺し、鮮血を辺りに撒き散らす。

 足止めになるかどうかわからないが、血の臭いは強烈な物。腐乱すれば尚更に強烈になる。

 犬の対処を終了させ、アリスの元に戻ると彼女は静かに眠っていた。

 タオルケットをかけて木陰に深く座る。

 

「あの様子だと、一匹しか放っていないだろう……逆に犬は効果がないと思ってくれれば……」

 

14

 

「おはよう……お父さん……」

「……このみちゃん、酷い顔だよ」

「えへへ、昨日ね、お兄ちゃんがわたしにいっぱいチューしてくれたんだ……だから全然眠れなかったの、酷いよね……」

「そ、そうだね……」

 

 その瞳に光はない。

 ――狂気。

 

15

 

 二日目、アリスは現状に適応してきたのかいつものような笑みを見せるようになってきた。でも、排泄の際はやはり恥ずかしそうに消えていく。

 俺というと中途半端に使ったマガジンから弾を抜き取り、マガジンに弾を詰め直す。マグチェンジは戦闘中最大の隙き、それを絶対に起こさない対処だ。

 それが終われば木に登り双眼鏡で私兵が確認できないかを繰り返す。

 

「……私兵の姿は見えないな、注意しないと――っ!?」

 

 頬を掠める弾丸、双眼鏡の反射で悟られたか!?

 

「アキヒロー、電池が!?」

「移動するぞ! スナイパーを投入しやがった」

 

 一定のタイミングで撃ち込まれる弾丸、姿勢を低くし木の密度が高い場所に向かって歩みを進める。このタイミングにスナイパーに捕捉された……大まかな位置を把握されたことと同じ、今日一日は歩きっぱなしだな……。

 

「アキヒロ! 頬から血が……」

「大丈夫だ。掠っただけ、治療道具も持ってきてる……」

 

 MP7のサイトを外してアイアンサイトの状態にする。反射に一瞬で対応してきた……前の人生じゃスナイパーに捕捉されるなんてなかったのに……!

 凡ミス、まだ二日目だぞ……もう、アリスが死ぬ姿は見たくない……。

 

「アキヒロ……どこまで……」

「今日は一日中移動だ。スナイパーに悟られた……こいつの射程じゃライフルに勝てない……」

 

 距離は約500m、腕利きなら外さない距離……観測手がいないのだろう。だが、山の不安定な風で頬を掠める程の精度、腕利きだ……。

 スナイパーの排除、できればライフルも欲しい。また犬が投入された時に重宝する。だが、アリスを置いて相手のスナイパーと対峙か……賭けだな……。

 

17

 

「明広くん……まだ帰ってきてないんだね……」

「ええ、明広のお父さんに電話したけど……」

「アリスちゃんも帰ってきてないんだよね……」

「ええ、もしかしたら……アリスに何か……」

 

 あの時と同じように事件が発生している。

 でも、自分達に助け舟を出すだけの何かはない……。

 

18

 

 アリスが眠った。

 スナイパーを狩るならこのタイミングしかない。

 MP7のサイレンサーを外し、上空に向かって発砲した。

 返事と言わんばかりに朱色の弾丸が飛翔するのが見える。あそこか!

 再度サイレンサーを装着し、スナイパーがブッシュしている場所に向かって駆ける。スナイパーを野放しにすることは出来ない。絶対に今夜――潰す!

 

『銃声が聞こえたぞ! スナイパーに連絡を入れろ、撃ち返してた』

『わか――ウガッ!?』

 

 道中で数人の私兵を無力化し、スナイパーの場所に駆ける。

 ッ!? 捕捉されたか!

 足元に突き刺さる弾丸、木を縫うように移動しようやく到達した。

 

『こりゃ参った。観測手をつけるべきだったかな?』

『子供を撃つことを躊躇った結果だ。その右肩もらうぞ』

 

 撃ち返そうと振り返るが、両肩を撃ち抜いて武器を落とさせる。

 

『スナイパーはおまえだけか?』

『ああ、俺以外の奴らは全員興が乗らないって降りてったよ。狙撃手は流儀ってのがあるわけさ……俺には無いけどね……』

 

 地面に落ちたレミントンM700を拾い上げる。

 スナイパーを蹴り倒し予備のマガジンをすべて奪い取ってその場を去る。

 

『……こちらスナイパー9、武器を奪われた。撤収した方がいい、長距離狙撃の的にされるだけさ』

『……回収に向かう』

『了解、オーバー』

 

19

 

「武器が増えてる……また危ないことしたの……?」

「怪我をしてないからいいだろ、こいつがあればもっと安全にアリスを守れる」

「……殺さないでね、人」

 

 すぐに返事が出来なかった。

 .308winは非常に殺傷能力が高い弾だ。ヒグマだって急所を狙えば一撃で落ちる、距離が近ければ人間の体をズタズタにすることも可能……。

 だが、こいつ一丁で戦力比が大きく変動する。相手も昼間から私兵を投入することは無いだろう、つまり……昼は比較的安全。少しくらいアリスに構える。

 

「今日は夜までここでゆっくりしよう」

「え? でも……移動しないと……」

「こいつのおかげさ」

 

 ライフルを見せる。意味を理解していないようだが、嬉しそうな笑みを見せた。

 

20

 

「奴ら……焚き火なんてはじめやがった……」

「狙撃銃は無いのか!?」

「スナイパー9の一丁だけだ。悟られてるな、こっちがMP7しか装備にないことを……!」

 

 追加で連れてこられた私兵達が嘆く、度重なる武器の鹵獲に負傷した私兵達のうめき声、それが恐怖を助長させる。このままでは作戦遂行ができない。

 位置を特定できたのだから一気に攻勢をかけようと部隊に声が上がるが、双眼鏡を持った一人が腰を抜かす。

 

「どうした!? ッ……」

「見てます……奴はこっちを見てます!」

 

 スコープの反射でわかる。自分達の野営地を補足し、いつでも撃ち抜けると……。

 

「いや、素人がこの距離を撃ち抜け――」

 

 連れてきた犬達すべてが撃ち抜かれ、断末魔を上げる。

 

「物陰に隠れろ!!」

 

 予想を遥かに超えた相手、部隊は混乱し戦意が削がれていく。

 

21

 

 犬の殺処分完了、これで犬の対処は必要なくなった。

 

「アキヒロ? 本当に焚き火してよかったの」

「ああ、前言撤回。痕跡を残してもいい」

 

 本来であれば犬に警戒して焚き火を恐れていたが、犬の殺処分も完了し、相手の野営地を狙撃することもできる。相手も攻めあぐねる、追加のスナイパーの登場が危ぶまれるが……その時は先に撃ち抜けばいい。

 ライフルを置いて双眼鏡で野営地を確認する。部隊長らしき男が車の中で何かを叫んでいるのが確認できる。増援要請だろうか?

 

22

 

「なに!? オーグレーン夫婦が支部に襲撃……支部長を殺害……?」

『ああ、尊い犠牲だ。それより早く娘を殺せ、支部長の敵討ちだと思ってな』

「そ、それが……彼女を警護するエージェントが! スナイパー9の狙撃銃も鹵獲され……」

『何をやっている!? 部隊の損耗は……』

「……戦闘できる隊員は半分を切りました。奴は負傷兵を増やして我々と心理戦を」

『……奴を送る。到着は20日後だ。それまでエージェントと娘を山に止めろ、巡回はいい』

「奴? まさか!?」

『ああ、財団最強の兵士だ……』

 

23

 

 もう五日も動いていない。

 おかしい、私兵が山で巡回することが無くなった。だが、野営地には変わらず兵士達がいて、まるで……何かを待っているような……。

 こんなことは無かった。どう対処すればいい? だが、アリスの両親が来るまでは動くに動けない。

 ――挑発してみるか?

 アリスと一緒に三つ目の物資が置かれている場所にやってくる。アタッシュケースを開くとそこにはテントが詰め込まれていた。

 

「て、テント! 寝袋もあるよ!!」

 

 三つ目のアタッシュケースにはテントと寝袋が収められている。今までは一つの場所に留まるというリスクを容認することができず、放置していたのだが……ここまで来れば使用してもいいだろう。

 アタッシュケースを拾い上げて相手の野営地が見える場所に戻る。

 ……さて、どう出る?

 

24

 

「お父さん……お兄ちゃんまだ……」

「警察もちゃんと動いてくれてる。大丈夫、あいつが「お兄ちゃんが死ぬわけない!!!!」……こ、このみちゃん?」

「お兄ちゃん……お兄ちゃんの香りがしなくなったよ……」

 

 兄の毛布を抱きしめる。

 

25

 

 テントを設営して一週間、堂々と拠点を作ったのに襲いに来る気配すら感じられない。どうしたんだ、増援を呼んだわけでもなく、ただ野営地で互いに睨み合うだけ、これでは第一次大戦の塹壕戦ではないか……。

 

「アキヒロ! ビーフジャーキー美味しいよ!!」

「あ、ああ、後でもらうよ」

 

 この生活も15日目、本来であれば犬や夜襲の対処に追われる日々の筈だが、今回に限ってテントで雨風を凌ぎながら……奴らは何を狙っているんだ……?

 

26

 

「いやはや、日本に到着した途端に久しい顔に会えて嬉しいよ……弟よ!」

「やあ、兄さん。今までどこで何をしていたんだい?」

「いや、財団の存在を知ったアジア人マフィアと遊んでいたのさ! まあ、遊び相手にもならなかったが……」

 

 まさか、明広が山で戦闘を行っている間に日本各地にある財団のコンピューターの破壊活動をしていたとは驚きだ。この二十日間でオーグレーン夫婦の会話を聞いたが、日本支部は極端に私兵が少なく、ここまで大規模な作戦をしてくるとは思っていなかったらしい。まあ、起きたことだ。

 それにしても、この男は誰だ? 弟と呼んだということは兄なのかもしれないが、弟にこれだけの殺意を向けてくるか……。

 

「兄さんは知っているだろう……財団はアリス! 貴方の姪を殺そうとしているんですよ!?」

「ああ、確かに姪を殺すのは辛い。だが、私も財団の職員になったのだ……尊い犠牲だ……」

「……殺すんですか」

「……わからない、私に欠片程度の家族愛があれば、まあ、別かもしれないが」

 

 ハンスが銃を構える。だが、その瞬間には銃が空を舞っていた。

 

「やめてくれ、私に弟を殺させないでくれ……白人だろ? 仲間だ」

「アリスも白人だ!」

「たが、財団の命令には従わなければならない。わかってくれ、弟よ」

「娘を殺そうとする奴が兄の筈がない!」

 

 男はため息を吐き出し、賭けをしようと提案する。

 

「なーに、ちょっとしたかくれんぼだ。私がアリスを3時間以内に殺す。殺せなかったらおまえと同じように財団から足を洗おう」

「……いや、10分だ。アリスには心強い用心棒を付けてある。彼を10分で倒してみろ!!」

「用心棒? ああ、現地の下っ端から聞いている。アジア人のガキが姪を守っていると……白人がアジア人と馴れ合うとは……」

 

 男は笑みを見せ、いいだろうと約束を交わした。

 ハンスは男の威圧感に耐えながら、端末を取り出してコールする。

 

『誰だ……?』

「アキヒロくん……聞こえるかい?」

『アリスのお父さん? ゲーム機に通信端末を仕込んでいたんですか……』

「よく聞いてくれ。私と妻は日本各所にある財団のコンピューターの破壊活動を行った。だが、空港で不味い人間と鉢合わせしてしまった……」

『誰ですか?』

「私の兄だ……」

 

27

 

 山で生活して二十五日、あと五日でこの地獄も終わる。アリスのお父さんが発煙筒を炊いたらミッションコンプリート、最大の難関が過ぎ去る。されど、まだまだ私兵がウロウロしている。一気に攻勢をかける可能性も少なくない。

 ――携帯の着信音みたいな音が響く。

 

「アキヒロ! ゲーム機がなんか変なの!!」

「ん?」

 

 ゲーム機の画面にBボタンを長押しと表示される。アリスのお父さんが用意したものだ。爆発物ではないだろう……長押ししてみる。

 すると吐息が聞こえる。

 

「誰だ……?」

『アキヒロくん……聞こえるかい?』

「アリスのお父さん? ゲーム機に通信端末を仕込んでいたんですか……」

『よく聞いてくれ。私と妻は日本各所にある財団のコンピューターの破壊活動を行った。だが、空港で不味い人間と鉢合わせしてしまった……』

「誰ですか?」

『私の兄だ……』

 

 アリスがヒョイとゲーム機を取り上げて耳を当てる。

 

「お父さんなの!? 怪我してない……鉄砲でいっぱい撃たれてたから……」

『アリスか……よかった。アキヒロくんに任せて正解だったよ』

「うん! シャワーは浴びれないけどスリリングで楽しいよ!」

『そうか――やあ、アリス。久しぶりだな? 叔父さんのこと覚えているかい』

「え、叔父さん? 叔父さんも日本に来たの!?」

『ああ、ちょっと野暮用でね。三日後くらいに迎えに行くよ』

「また一緒にサウナ入れる!? 今度こそ叔父さんより長く入ってみるもん!!」

『そう、だな……アリスのことを守ってるアジア人が頑張ってくれたら……』

「アジア人じゃないよ! アキヒロって名前だよ!!」

『そうかい、そうかい……そのアキヒロくんに代わってくれないか』

「うん! いいよ」

 

 天真爛漫なアリス、だが、どうにも嫌な予感がする。

 アリスに手渡されたゲーム機を耳に向ける。

 

『おまえがアリスと行動を共にしているアジア人か……どうだ、うちの姪は可愛いだろう? 死ぬ前の思い出によかったな』

「……アンタも、アリスを」

『悲しいが、そういうことだ。いやはや、上の人間は人の心が無い。私も姪を殺めたくはない……だが、仕事だ。家庭は持ち込めない』

「普通は逆だけどな……」

『ふふっ、私は弟と賭けをしているんだ。君が私と戦い――十分間生存できたらアリスを殺さないと』

「……アンタ、何者だ」

『アジア人に情報は渡せない。地図を確認したが、姪のいる山の山頂は電波基地でそれなりに平坦だ。殺し合いにうってつけじゃないか! そこで待っていてくれ、勝負をしよう……』

「……代わってくれ」

『アキヒロくん……兄の言うことを聞いてくれ、兄からは絶対に逃れられない。約束を破れば……! 指定された場所に移動してくれ、アリスを……頼む……』

 

 通信が切れた。

 ゲーム機をアリスに返し、双眼鏡で野営地を覗き込む。撤退していってる。

 横槍は不要ということか……。

 

28

 

「生存は絶望的でしょう……失踪して二十五日も経っています。各所を捜索しましたが、痕跡一つ、目撃情報一つありません……」

「そうですか……」

 

 このみが崩れ落ちる。

 

「お父さん……お兄ちゃん死んじゃったの?」

「……わからない」

「答えてよ!」

「……わからないんだよ」

「お兄ちゃんがいない人生なんて……お兄ちゃん……」

 

 ――わたしを一人にしないで……。

 

29

 

「……さくら、お母さん心配してるよ?」

「……ごめん、今、顔を見られたくない」

「――あたしだって見られたくないよ! でも!! ……さくらも明広と同じくらい大切な友達だから」

「帰ってよ! わたしは……また、自分の弱さに負けたから……」

「……さくら、どうして」

「帰れ!!!!」

 

 ――自分が嫌になる。

 

30

 

 アリスの叔父さん、財団の何か、兵を撤退させる程の権力者……。

 

「アキヒロ! 缶詰美味しいね!!」

「あ、ああ……」

 

 あの後、アリスのお父さんから電話で野営地にレーションを残させてあると言われ取りに行った。もちろん人影一つなく、地面にレーションが置かれているという状態。明日にはアリスの叔父さんとやらが到着する。最後の晩餐を楽しめという計らいだろうか?

 ……俺はこの世界で死ぬことはない。だが、生きた屍になることはある。

 一人でやってくる、凄腕の殺し屋?

 いや、時が来ればわかることか……。

 

「アリス……」

「なに?」

「……いや、なんでもない」

 

 この天真爛漫な子を殺す。そんな奴に容赦や情けはいらない。

 ――立ちふさがるなら突破するまでだ!



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21:殺して負けろ!

 山頂にある電波塔、そこにスーツを着込んだ大男がやってきた。

 その顔は酷く優しく、その瞳は酷く――透き通っている。

 アリスと同じ青い瞳、この瞳だけでアリスの叔父だというこを十分過ぎるくらいに理解できる。だが、手には一丁のリボルバー拳銃が握られ、寂しそうに笑う。

 ああ、これは凄い人間がやってきたとため息がでそうだ……。

 

「叔父さん! ひさ――」

「すまないアリス……少し眠っていてくれ……」

 

 駆け寄ったアリスに鋭い拳を叩きつけ、気絶させる。

 手が出なかった……あまりに自然に、そして素早く拳を叩きつけたのだから……。

 咄嗟に理解した。

 ――この男には勝てない。

 

「やあ、アジア人……弟と賭けをしていてね、君が10分間死ななかったらアリスを殺さない。だが、君が10分以内に死んだらアリスを殺す。私にも仕事というものがある。仕事をしなければご飯が食べられない」

「……三分、アンタ程の男なら下手をすれば数秒で俺を殺せるだろ?」

 

 手に持ったMP7を投げ捨て、重りになるものすべてを外す。

 男はニンマリと笑い、見上げた根性だと絶賛の声をあげる。

 

「いやはや、日本人は他のアジア人とは違う! これが侍というやつか!! 潔さ、ああ、素晴らしい……アジア人ということで評価は奈落に落ちるがね……」

「どうでもいいさ、俺の仕事はアリスを守ること……可能性が高くなるなら手段は選ばない」

「素手で戦うのが一番確率が高い? 笑える冗談だ。まあ、いい。少ない寿命を楽しめ……」

 

 男は腕時計をいじり、そして――銃を天に向って撃った。

 ――速い!?

 大柄な体躯からは想像できない俊足で一気に距離を詰められるッ!

 両腕をクロスさせ、足を地面から放す。

 体が何度も回転し、威力が消えたと思った時には男の足が振り下ろされようとしてた。

 それを間一髪で回避し、転がって体制を立て直す。

 

「子供特有の軽さを利用した威力軽減、素晴らしい! 白人だったらスカウトしていたところだ……」

「生憎、アジア人でね……!」

 

 この男に攻撃するのは自殺と同じ、ただ受けて時間を稼ぐ!

 リボルバーを抜き取った瞬間に電波塔の陰に隠れ撃たれるのを回避――なんて速さだ!?

 額に突きつけられる拳銃、何秒でここまで到達した……!

 

「いやはや、マフィアよりは楽しめたよ、さようなら」

 

 炸裂音が響き渡る。

 ――左耳が銃声によって潰れる。

 咄嗟の判断、突きつけられた銃口を思い切り頭突きして射線を反らす。

 

「……素晴らしい! あれだけの絶望的状況で切り抜けるか!!」

「あと、何分だ……」

「ふむ、二分だな……それにしても、君はアリスと同い年だろう。どうして彼女を守る?」

「……わからない。理由なんてない。ただ、やらなきゃならないからさ」

 

 男は腹を抱えて笑った。

 そして、瞳に光が戻る。

 

「負けた気分だよ、私は上からの命令を素直に聞いて行動し続けてきた。だが、君は自分の意思ですべて行動している。ああ、羨ましい」

「無駄口を叩いていると時間が経つぞ……」

「正直、負けたいと思いはじめた。いくら上の命令だとしても、姪を殺すことを了承した自分、アジア人だとしても姪と同い年の少年を殺そうとしている自分、弟の頼みを断った自分、すべてが人間としてやってはならないこと……それを仕事だからと片付けている自分に嫌気が差してきた」

「それでも、仕事はしなければならないだろ? 早く撃てよ……でも、もうアンタは負けている」

 

 男は時計を確認する。体感だが、まだ一分くらい残っているだろう。

 

「人間の死は心臓が止まった時、銃で撃たれようが、首をはねられようが一分間くらいは心臓は動く! つまり死なない……無駄口叩いてるから心臓を撃たない限りアンタの負けだ……」

「では、しんぞ――」

 

 リボルバーに噛み付く。

 

ひんへもはなはねぇ(死んでも離さねぇ)! うへほ(撃てよ)!! ころひへまけほ(殺して負けろ)!!」

「……そうか、そうだな、私の負けだ」

 

 男はリボルバーから手を放してアリスの元に歩んでいく。

 そして、大粒の涙を流した。

 

「私は……大人だ。子供を殺すのを躊躇わなければならない。それをしない、ああ、私はまだ子供だった……」

 

 時計からアラーム音が鳴り響く。

 

「ああ、人生で初の敗北、気分は悪くない」

「……殺さないのか」

「負けたのに殺す? ありえない、逆に殺して欲しいくらいだ。そいつで撃ってくれないか」

 

 地面に落ちたリボルバーを指差す。

 

「それはできない。アリスは……叔父さんとサウナに入るのが大好きって言ってたからな……」

「本当に……私は……」

 

 男は静かにこの場から立ち去っていく。

 俺の一ヶ月の戦いが終わった。ここから見える道路に発煙筒の煙が見える。

 ああ、終わった。

 気絶したアリスを抱き上げて舗装路を歩む。

 相沢大先生……このイベントだけは本当に大嫌いだよ……。



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後日談

 アリスのお父さんの車で近場の公園に降ろしてもらい、そこのブランコの付近で倒れたフリをして警察が来るのを待った。公園というのは日本で一番通報されやすい場所だと偉い人が言っていたような気がするが、実際に通報されやすい。倒れたフリをしてものの十分で警察が吹っ飛んできた。もちろんクラウンパトカーで。

 その後は病院のベッドに寝かされて極度の疲労と栄養失調で三日間くらい入院。現状のヒロイン達に何されるかわからないので父以外とは面会は控えた。一回だけこのみがやってきたのだが、目から光が消えていたので父に頼んでこのみも連れてこないで来れと泣いて頼んだ。あの目は包丁を握りしめてナニかをする目だ……。

 入院中に警察の事情聴取も受けたのだが、アルタイル残党に誘拐されて命からがら逃げたという嘘で誤魔化した。半グレ集団アルタイルの名前は日本中に響いてるわけだし、特別怪しまれることもなかった。真実を知るのはごく少数、財団なんて言われてもどこの金持ちだとしか返答が帰ってこない。

 退院後はそれはまあ、色々と酷かった。

 まず結衣、親友と絶交されそうになったと往復ビンタ、病み上がりの人間に放つ威力ではないと思ったが、甘んじて受け入れよう。

 次にさくら、マイシスターと同じように包丁を握りしめそうな目をしていたが、俺が元気なことを確認してどうにか光が戻った。やっぱりメガネっ娘属性は案外前向き、でも、俺のエースカード【ドラゴ・フリーダム】を奪い去って行きやがった。あのカードは俺の魂のカード、けじめにしては重すぎると思う……。

 そしてマイシスター、家に帰ったらと言い残した。うん、一番怖い。

 アリスの方は彼女のお父さんから健康体だと報告があって一安心。

 

「やあ、少年……一緒にサウナに行かないかい……?」

 

 そして、この世界ではアリスの叔父さんになぜだか気に入られた。

 目線がいやらしい。

 絶対にサウナに行ってはいけない、ナニかされる……。

 そんなこんなで小学五年生の間に起こる事件は無事解決された。

 悲しいかな、六年生になったらまたヤバイ事件が山のように起こるのだが、それはそのうち語られる。

 それよりもアリスの叔父さんが怖い。毎日サウナに誘ってくるの怖すぎるだろ……。

 でも、最初の課題を乗り越えたという達成感はある。

 自分が完璧な人間じゃないということを再確認させられる。

 そして、終わらないループの世界の中で抗っているという実感が確実にあるのが本音というところだろうか?



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束の間の休息と終結
妹が精神的にやばい……


 さて、現状を説明することが先か、それとも大声で自分の父親を呼ぶことが先か、どうにもその選択肢しかないこの状況。そうだな、例えるなら捌かれるあんこうを想像してみて欲しい、フックに吊るされて熟成された豚のもも肉のように削られる。何を言いたいのか? 絶望的な状態ということさ……。

 いや、一昔前にヤンデレな女の子に監禁されて夜も眠れないCDとかいうのが流行っていたじゃないか? それを現実でやられているのだ。そう、我がラブリーシスターこのみに……。

 そもそもこれはご褒美なのではないだろうか? ヤンデレ気味な妹に手足を拘束され、見るからに切れ味の良さそうな包丁をチラチラさせられている。いや、これはご褒美だ。我々の業界ってやつだ。うん。

 いや、まて? よくよく考えたら俺はソフトSだ。小さいソフトクリームというわけではなく、軽くサディストという意味だ。

 

「お兄ちゃん……一ヶ月もどこをフラフラしてたの……?」

「宇宙人にめざめるパワーを貰って異世界で戦国無双してた」

「……まあいいか、お兄ちゃんを独り占めできるもん」

 

 小さい体、大きなロマンとは言ったものでこの小さな体が非常に高い庇護欲と母性を感じさせるのだから女というものは不思議である。あ! けっして幼い妹に劣情を感じたわけではなく、女の子という存在がいかに男の子という存在に影響を与えるかを推理しただけ、それ以上でもそれ以上でもある!

 

「お兄ちゃん……どうしてわたしを置いてったの……?」

「ふっ、男には旅が必要なのさ……それを警察て――ッ!?」

「あむ、れろれろ……はあはあ……」

 

 この幼女ペロチューしてきたぞ!? 幼女なのにペロチューぞ! あれ、幼女って何歳まで? 一桁年齢までは幼女でいいのかな、今すぐペディア先生に相談したい気分だ。ペディア先生は何でも知ってるな! ……ペディア先生は答えてくれない。

 なあ、大先生……俺はあと何回妹に発情すればいい、あと何回妹にガチ恋すればいい! 答えてくれ大先生!

 

「お兄ちゃん……赤ちゃん作ろ……?」

「いや、作らないから」

 

 手錠だろうが亀甲縛りだろうが縄抜けする俺に抜け出せない拘束なんてない。いや、俺だって妹と赤ん坊を拵えるなんて毎日がハッピーバースデーなイベントに喜々として乗り込む勇気くらいあるさ! でもね、ゲームのこのみは処女なのだ、もし、もし! 俺がこの場で間違いを犯してしまった場合、またあの一ヶ月がやってくる。快感と辛さを天秤に乗せたら辛さが勝るという悲しい現実、なんだろう、目から出汁が出てくる。美味しいお味噌汁が作れそうだ。

 

「妹よ……我兄ぞ? 兄は属性的に妹に強い」

「……お兄ちゃんはわたしのこと嫌い?」

「我兄ぞ? 兄の大多数はシスコンだ!」

「なら……いいよね……」

 

 あれ、兄妹図鑑では兄属性は妹属性に強いと書かれていたのだが、どうにも妹属性に兄属性が負けているぞ!? おいおい、出版社訴えられるぞ、だって有利な筈の妹に不利ついてんだから。

 さて、我がマイシスターに言わなければならないことがある。

 

「……このみちゃんには幻滅しました。お兄ちゃんやめます」

「――え? えぇ……」

「このみちゃんがお兄ちゃんのこと大好きなのはわかるけど、ね? 互いの合意が無ければこれ強姦だから、このみちゃんはお兄ちゃんを強姦してるんだよ、犯罪だよ? このみちゃんは賢いからわかるよね、犯罪は悪いこと、犯罪に走るこのみちゃんを妹なんて思いません! お兄ちゃんやめます!!」

 

 あ、泣いた。

 しょうがねぇ! 抱きしめるだけではしてやるさ……お兄ちゃんだから!



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仕事と家庭

 なぜだ、なぜなんだ……俺はなんでこの場所に座っている……。

 俺は絶対にアリスの叔父さんの誘いは受けないと魂に刻んだ筈だ。それなのに俺の隣になぜ――アリスの叔父さんが座っている!?

 

「やあ、少年……サウナは素晴らしいだろ……」

 

 最近我が家の妹様がご乱心されておられるので家に滞在することが一種の恐怖に昇華しはじめた一週間、土日なんて『気持ちいい』ことされる可能性が高確率、お母さんは小学生とか笑えない冗談だ。

 ――いや、隣の大男がそれをしてくる可能性はないだろうか?

 やめてくれ! 童貞を男で捨てるなんて絶対にいやだ!! それだったらまた一ヶ月を繰り返した方がマシだ!!

 

 

 最近我が家の妹様がご乱心されておられるので家に滞在することが一種の恐怖に昇華しはじめた一週間、土日なんて『気持ちいい』ことされる可能性が高確率、お母さんは小学生とか笑えない冗談だ。

 

「あれ? もう一回言いそうな気がする」

 

 なぜだか近い未来にもう一回くらいお母さんは小学生発言しそうな気がする。まあ、うちの妹がそれだけヤンヤンデレデレしているのは事実、特別おかしいことではない。

 だが、なぜだろう? 今回の人生はイレギュラーが多い。自分の行動一つで未来は変わるがここまでの変化は珍しい。アリスの叔父さんなんて写真でしか見たことのない存在が――眼の前にいるわけだし……。

 

「やあ、少年。サウナに行かないかい?」

「すいません、お使いなんです」

「何のお使いなんだい? 帰りに買ってあげるよ」

「それ、俺以外に言ったら通報ですからね……」

 

 アリスの叔父さんとしか言っていなかったが、この人はジャック・オーグレーンさん、アリスの叔父さんで絶賛男子小学生に声をかけている変態だ。

 それにしても、S30Zに乗ってるのか……いい趣味してるが、首都高を300kmで爆走する漫画の影響で綺麗な一台なら500万くらいする。どこで仕入れてきたかわからないが、少しだけ乗ってみたいという男の子心が出る。

 旧車好きなんだよね……。

 

「ふふっ、私が警察程度に屈するとでも? ロス警官100人に囲まれても逃げ切った男だぞ……日本の警察官に負けるものか……!」

「どうして国家権力に勝負挑んでるんですか……潔く捕まってください……」

「なに、仕事の都合で殺すことと逃げることは慣れてる。今は仕事から逃げるのが仕事だがね」

「何者ですか貴方……」

 

 財団の人間だということはわかるのだが、どうにもこの人がわからない。弟のアリスのお父さんの方がまだ人間味があるような気がする。まあ、あの人も結構人間やめてるが……。

 

「さあ、早くこの車に乗るんだ。私が快感の世界(サウナ)に連れて行ってあげるよ」

「遠慮……本物ですかそれ……?」

 

 向けられる一ヶ月と数週間前に財団のバンをバーストさせるために使ったSIG製の1911、GSRを構えられる。.45ACPを使用する拳銃らしく銃口は6mmBB弾のほぼ倍。アメリカ人が好きな理由はここだろうな。

 

「弟のコレクションさ、.357MAGがなかなか手に入らなくて借りパクしてる」

「弟から借りパクとか……いや、借りパクとかいう日本語だれから教わったんですか?」

「ふふっ、乗ってくれたら教えてあげるよ」

「はぁ、アリスの叔父さんが指名手配されるのはアレなんで乗りますよ……」

 

 助手席に回って年季の入ったレザーシートに腰掛けてシートベルトを装着する。この人の趣味は嫌いじゃないが、底が知れない部分には不信感。

 

「さて、行きつけの健康ランドに行こう。パンツはアリスの物を履いてくれ」

「なに男の子に女の子のパンツ履かせようとしてるんですか……履きませんよ……」

「昨日拝借した勝負パンツだぞ? 履きたくないのか」

「いや、俺はダイレクトな方が好きなんで」

「ふむ、日本人は下着だけでも興奮できると財団のコンピューターが示していたが、誤りだったようだ。いやはや、日本人はわからないねぇ」

「職場の機械で遊んだんですか……」

 

 スッと鋭い視線を向けられ、右足にGSRが押し付けられる。

 

「――財団を職場だとなぜ知っている? 誰がゲーしたんだい……」

「やめた職場のことを気にかけてどうするんですか。本当にわからない人ですね……」

「ふふっ、それはそっくりそのまま返すよ」

 

 GSRの引き金を何度も引いているがハンマーをコックしていないから発砲されることはない。1911(ガバメント)系列の銃は一部の例外を除いてシングルアクションオンリー、ハンマーを倒した状態じゃなければ使用できない。付け加えてセーフティが大きく少しの衝撃で外れやすいという欠点もあり、まあ、ハンマーを倒してセーフティを入れて携帯する人間は非常に少ない。それだったらハンマーレスかリボルバーを持つ人間の方が多いだろう。

 

「オートは嫌いだ。脅しにも使えない」

「本当に掴めない人だなぁ……」

 

 スライドを引いて撃ってくるか試してみる。

 すると降参だと銃口を上に向け、マガジンを抜いてもう一度スライドを引いて排莢。

 

「アリスが気にいるのもわかる。実際に私も気に入っているのだから」

「やめてくださいよ、その目……」

「今の時代、男と男でも許されるぞ……!」

「年齢的に逮捕ですよ」

「なーに、私は君を守りながら愛し合うことができる!」

「いや、俺が貴方のこと好きな前提で語らないでくださいよ」

「嫌いなのかい? 悲しいなー」

 

 脅しとブラックジョークを織りながら健康ランドに到着、タオルなどは事前に用意していたのだろうそれなりの枚数が用意されてる。

 

「本当にアリスのパンツいらないのかい? ちょっと黄色いところあるよ」

「いりませんよ……どうせ弱みとして暇な時にサウナ付き合えとか言うんでしょ……」

「バレてしまったか! 本当は弟の嫁さんのパンツだ」

「くだ――いえ、いりません」

 

 ――欲しかったのは内緒だ!

 

 

 思い出した。よくよく考えると銃で脅されて無理矢理に連れてこられた。

 別にハンマーを見て撃たれないという確信はあったが、探りを入れることを考えて同行したんだった……。

 サウナ室に入って二十分、確かサウナって8~10分入って水風呂に入ったり色々するんじゃなかったか? なんで想定以上に入ってるんだ……。

 体中から汗が噴き出し、冷たい空気と水を欲する。

 ――隣の大男はヌルいと言いたげな表情でテレビを眺めているのだから不思議だ。

 

「日本のサウナは凄いな、テレビが置いてある。熱で壊れないのだろうか」

「日本産のテレビは頑丈ですから……」

「そうか、流石は日本製。ところで、少年?」

「なんですか」

「とくさんかい?」

 

 俺は立ち上がりその場を去ろうと体の力を振り絞るがどうにも熱で力が出ない。

 アリスの叔父さんはニンマリと不敵な笑みを浮かべて腕を引っ張る。

 ――やめて! 本当に童貞は女性で捨てたいの!! どの世界でも男に手を出したことないから!? マジで許してください!!

 

「ふふっ、君は本当になんでも知っているようだ。こんなネットの海に少しだけしか漂っていない情報まで仕入れているとは! やはり君は面白い」

「サウナに二十分も入って飄々としてる貴方も大概ですよ……」

「砂漠を一週間彷徨った経験さ、君もどうだい?」

「常人なら死にますよ……それ……」

 

 どうにか開放してもらい、水風呂で冷却、その後に外のベンチで外気浴。地獄かと思った……。

 でも、心臓発作になるまで入り続ける人間もいるのだからサウナは凄い……。

 

「少年、アリスのことをどう思ってる……?」

「天真爛漫な女の子、そのくらいですね」

「そうか、まあ……叔父としては悲しいが、父親としては嬉しいか……」

「――どういうことです?」

 

 叔父さんが父親? いや、アリスのお父さんも叔父さんも青い瞳をしている。血筋として継承しているだけで、この人の冗談の可能性も……いや、この顔は嘘の顔じゃない。

 ジャック・オーグレーンは静かに口を開いた。

 

「私には民間人のフィアンセがいた。そりゃもう、弟の嫁さんの三倍くらいは美人のな……」

「人の奥さん蹴落としてしっぺ返しが怖くないのかこの人は……?」

「まあ、聞いてくれ。私だって人の子、感傷というのがある。馴れ初めは長くなるから割愛する。そうだな、アリスが生まれた日のことを語ろうか……あの子が生まれたのはそう、今日みたいな晴天。病院で娘を抱き上げた時――自分は父親になっていい存在なのか? そう自問自答したものさ、でも、彼女が私を見た時……まあ、悲しいが自分が父親だと実感してしまった。この子の父親は自分しかいない。自分だけがアリスの父親だと実感した。それが今では姪だ」

 

 叔父さんは流れる雲を眺めてからまた語りだした。

 

「私の職業柄、まあ、彼女と結婚はしていなかった。家族がいると発覚してしまっては色々と仕事に支障が出る。だからずっと伏せていた。でも、彼女が財団の存在を知ってしまった。そして……私に家族がいることを知られた……」

「……殺したんですか?」

「いや、殺してない。殺したのは他人だ。つい先日までアジア人マフィアが殺したと洗脳されていたがね……」

「どうして殺される必要が……」

「簡単さ、私のフィアンセが半分日本人だから。財団の人間にアジア人の血は必要ない。だから……殺された……」

 

 財団。やはり白人至上主義者の組織なのか……それでも、ハーフだと言えど白人の血が入った人間を殺す。これだけ恐ろしい男の内縁とはいえ妻を……。

 

「私は彼らが作った薬を投与され、アリスを姪だというサイコセラピーを受けた。記憶から妻と娘の記憶を消し、財団の使い勝手のいい兵士として仕事をこなしていた。もちろん、成長したアリスと会っても自分の娘だと思わなかった。弟も仕事の都合で私の本当の記憶を思い出させるのは危険だと判断した」

「じゃあ、どうして思い出したんですか……」

「君との短い戦い、君が私の愛銃を噛み締めた時だ。最愛の人が消えていた筈の記憶から……そして、聞こえたんだ『娘の愛する人を殺して、娘すら殺すのか』いやはや、彼女が天国、地獄、どちらにいるかわからないが……」

 

 ――最初に感じたのは懐かしさと虚しさ。

 

「まあ、私はこれからもずっと姪の叔父さんだ。それ以上でもそれ以下でもない。悲しいが、仕事に家庭をすべて奪われた存在ということさ……」

「――歯を食いしばれ! そんな大人修正してやる!!」

 

 隣の席に座っている馬鹿(父親)を思い切り殴り飛ばす。

 酷いじゃないかと頬を撫でるが、悲しそうに雫を頬から落としている……。

 本当に、この世界は相沢明広と主人公以外には冷たいもんだ! 嫌気がさす!!

 

「……彼女が結婚するまでに自分が父親だと明かせ、そうしないと俺がアンタを殺す」

「……言ってくれるね」

「……仕事で家庭をほっぽりだした罪だ。殺されないように釈明の言葉を考えておけ? そして――娘の結婚式まで死ぬな、命令だ……!」

「ふふっ、君は……本当に私好みだ……」

 

 好かれたくもないけどな! アリスの本当のお父さん……。



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熱い決闘者のバトル

 季節は九月の中旬、夏の暑さが落ち着き静かな風が吹くその場所、近所のカードショップのプレイルーム……。

 俺とさくらは互いの決闘技術(デュエル・タクティクス)を燃やし、静かにプレイマットをテーブルに置いた。

 

「俺の魂のカード……ドラゴ・フリーダムを返してもらうぜ!」

「私のデッキに勝てるかな? 今日の為に特別に組んだ最強のデッキ……」

「メタデッキか……いいぜ、フリーダムを取り戻すには必要な試練だ」

 

 互いにスリーブに収められたデッキを置き、静かに見つめ合う。

 さくらは結衣のようなポンコツデュエリストとは違う! この勝負、ドラゴンフレンドデッキは使えない。だからこそ、俺はこのデッキを使用する! フリーダムが使えないドラゴンフレンドは展開力と妨害力が小さくなり過ぎるんだよ!

 

「わたしは【ドラゴ・フリーダム】を賭けるよ!」

「俺は【流々ウララ】のシークレットを賭ける!」

「「デュエル!」」

 

 互いにダイスを振って出目を確認する。

 さくらが4、俺が6。

 相手のデッキを確認する為に……。

 

「後攻を選択するぜ!」

「いいのかな、わたしのデッキが先行OTKだとしても……」

「俺のカードを信じる心、デッキは答えてくれる!」

 

 前回さくらが使用していたのは【天国の飛翔龍】を軸にしたアドバンスデッキ。だが、あのデッキは確実に舐めプ用のガチデッキじゃない。じゃあ、使ってくるのはドラゴンフレンドデッキのような環境デッキ……何デッキでくる!?

 

「私のターン、何かありますか?」

「いや、大会準拠じゃないていいから……アニメっぽくはじめたのに大会の殺伐としたデュエルは嫌ですよ……」

「ふふっ、そうだね。カードショップのお兄さん(香ばしい)とデュエルした時に巻き戻し【マインド・ブレイク】使われて警戒してるんだ……」

「大丈夫だから、普通にプレイしようぜ」

 

 先行にドローはない、彼女は手札をギラリと鋭い眼光で睨みつけ、小さく回る! そう告げて一枚の魔法カードをセット――まさか!? ダークマジシャンデッキ!?

 

「ダークマジシャンとは恐れ入った。ドラゴンフレンドと肩を並べる最強のテーマか」

「そうだよ、明広くんと戦うなら環境デッキを持ってこないと……」

「いいぜ、環境デッキの凄さを見せてもらおうか!」

「手札から魔法カード、【マジシャンの下準備】を発動! このカードの効果でレベル4以下のマジシャンと名の付くカードをサーチ、そして私が手札にくわえるのはラッキー・マジシャン。このカードがカードの効果で手札に加えられる時、特殊召喚することができる「手札誘発! 増殖する野次馬を発動」止まらないよ! 【ラッキー・マジシャン】の効果で手札からマジシャンと名の付くカードを一枚特殊召喚、現われよ! 【ダーク・マジシャン】! ダークマジシャンの召喚にチェーンして速攻魔法、師弟の絆を発動! このカードは墓地・デッキに存在する【ダーク・マジシャンガール】を特殊召喚することができる。私はダーク・マジシャンガールを特殊召喚! ここで墓地にあるマジシャンの下準備の墓地効果発動! このカードを除外することによってマジシャンと名の付くカード一枚のレベルを1~3まで上げることができる! 私はラッキーマジシャンのレベルを4から6にアップ! ラッキー・マジシャンとダーク・マジシャンガールでオーバーレイ! 現われよ! 真実を見届ける魔道士!! 【ビジョン・マジシャン】!!」

 

 チッ! 野次馬以外の手札誘発が引けなかった……ウララか夏ウサギが引けていればビジョン・マジシャンを破壊出来たが……40枚デッキでここまで来ないか……!

 

「ビジョン・マジシャンのオーバーレイユニットを二つ取り除くことによって、場に存在するマジシャンと名の付くカード一枚を墓地・デッキから特殊召喚することができるよ! わたしはデッキからダーク・マジシャンを特殊召喚! 現われよ、漆黒の闇を纏いし魔道士……ダーク・マジシャン!」

「くっ、二枚目の野次馬を使用!」

「ふふっ、ウララとウサギが引けないようだね……わたしはダーク・マジシャンをオーバーレイ! ランク7! 【レジェンド・オブ・マジシャン】を召喚! このカードの召喚時効果で手札の魔法カードを相手に見せ、そのカードの枚数までドローすることが出来る! わたしの魔法カードは2枚! 2ドロー」

 

 手札は溢れる程、だが、ウララもウサギも来ない……俺が二つのカード大嫌いだからカードが答えてくれないのか!? 許してくれ……。

 

「サレンダーするなら今のうちだよ? レジェンド・オブ・マジシャンは効果の対象にされず、戦闘以外では破壊されない……それにユニットを一枚取り除くことによって破壊を免れる……! 流々ウララのシークレット! 嬉しいな~」

「まだデュエルは終わってないぜ! カード、デッキは俺に答えてくれる!!」

「そう、じゃあ、カードを二枚伏せてターンエンド」

「行くぜ! 俺のターン!!」

 

 ――カンコンッ!

 来たぜ……ピン刺しで入れておいた最強のメタカードがよ……!

 

「俺は【溶岩龍・ヒート】を相手の二枚のモンスターをリリースして通常召喚!!」

「っ!? なんで溶岩龍がデッキに!」

「現代デュエル・マイスターは破壊耐性があるモンスターが多すぎるんだよ、ピンでも入れててよかったぜ……」

「わ、わたしのマジシャンが……」

 

 ここからは俺のソリティアだ! フリーダムを返してもらうぜ!!

 

「俺は【美味魚・アジ】を特殊召喚! このカードは自分の場にカードが置かれていない場合に特殊召喚することができる」

「えっ! お刺身デッキ!?」

「ふふっ、ネタデッキとして君臨し続けてきたお刺身デッキ……サザナミがどうトチ狂ったか今発売されてるパックで大幅な強化を貰ったのさ! 行くぜ!! 美味魚・アジの効果発動、このカードが召喚・特殊召喚に成功した時、自分の手札にある美味魚と書かれたカードを自身をリリースすることによって特殊召喚することができる! 大海で鍛え抜かれたその肉体、脂が乗って超美味! 【美味魚・ブリ】を特殊召喚! 美味魚・ブリの召喚時効果、墓地にある美味魚と名の付くカードを一枚自分の場に守備表示で特殊召喚することができる。美味魚・アジを特殊召喚! 美味魚・アジの効果発動! 自分の手札から【美味魚・ヒラメ】を特殊召喚! 美味魚・ヒラメの召喚時効果、自分のデッキから美味魚・イワシを二体まで特殊召喚することができる! でてこいお魚パラダイス! 美味魚・イワシ二体! ここで速攻魔法! 【捕食者の大口】を発動! 捕食者の大口は手札にあるレベル8以上の美味魚と名の付くモンスターを美味魚・イワシを一枚使うことによって特殊召喚することができる。現われよ! 磯の支配者……! 【美味魚・タイ】!!」

「攻撃力3000のモンスター……いや、お魚……」

「まだ俺のターンは終了していないぜ! ここで通常魔法【大漁旗】を発動! 場にある魚族モンスターの数まで相手のカードを破壊することができる。溶岩龍と二枚の伏せカードを破壊!」

「っ!? でも、ブリは攻撃力2000、ヒラメは2400、タイが3000……わたしのライフは残る!」

「それはどうかな?」

「え?」

「俺はレベル9の美味魚・ブリとレベル1の美味魚・イワシをチューニング! 寒さ、海流、厳しさ、そのすべてを乗り越えし伝説の巨大魚! 現われよ!! 【美味魚・大間マグロ】!! マグロの効果発動! 自分のデッキを三枚墓地に送り、その中に美味魚と名の付くカードがある場合、一枚につき500ポイント攻撃力をアップする! 一枚目! 美味魚・アジ! 二枚目! 美味魚・サンマ! 三枚目! 美味魚・サーモン! これで美味魚・大間マグロの攻撃力は2500から4000へアップ! そして美味魚・大間マグロの二つ目の能力!! 自分の墓地にある美味魚とかかれたモンスターをすべて除外することによって攻撃力を倍にする!!」

「ま、まさか……こんな……!」

「大トロアタック! 8000!!」

 

 互いに口上やらを言い過ぎたせいか凄く疲れた……。

 するとカードショップの香ばしい香りのお兄さん達が拍手喝采、俺も新鮮魚デッキ作るわ! とか言ってる。

 ――互いに赤面した。

 

 

「明広くんのデュエル……本当に凄いよ……」

「ああ、カードを信じて己を信じればデッキは必ず答えてくれる。それが決闘者(デュエリスト)の絶対条件さ……」

 

 さくらがゆっくりとスリーブに入ったドラゴ・フリーダムを手渡した。

 

「次はもっと凄いデッキで相手するから……覚悟してね?」

「おーこわ」

 

 互いに笑いながら帰路についた。



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バッティングセンター

 数日後には林間学校が行われる。

 正直な話しをしてしまえば一ヶ月間の山籠り生活を達成したのだ行かなくてもいいのではないか? それに付け加えて妹の精神状態が予想以上の乱れを見せている。このまま行事とは言っても……。

 バッティングセンター、お散歩ルートに存在する古めかしい施設。そこからは快音が響き、盛況しているようだ。

 ポケットの中を確認してみる。自販機で購入したスポーツドリンクのお釣りの小銭が大量に入っている。こういう鬱屈とした精神状態の時は気分転換の運動がいいと古来から言われている。

 店に入り店主に一礼してから自販機に500円玉を入れる。三枚のコインが出てきてコイン一枚で20球、結構サービスしてくれるお店のようだ。

 球速は100~140km、無難に100kmを流して帰るか。

 

「あら? 明広がバッセン来るなんて珍しいわね……」

「あらら、結衣……奇遇ですわね……」

「なんでお嬢様言葉……まあいいわ。わたしは休憩中、アンタは?」

「小銭があったから少しだけ流しに」

 

 これもイベントなのだろうか? それとも偶発的な……。

 この世界はゲームの世界だが、主人公が現れていない状態ならゲームじゃない。そのことを誰よりも理解している筈なのにどうにもしっくりこない。

 100kmのボックスが埋まっているので120kmに入り、コインを投入。球はランダムでもちろん左打ち。

 一球目はど真ん中、遠くに飛ばすというより流し打つという感覚で、

 

「うーん、一塁に取られるわね」

「一球目でダメ出しやめてよね」

 

 流し打ちを見事にダメ出しされてしまった。少しばかり打つタイミングが遅くなりファールか一塁に取られる程度、ダメ出しされる理由はわかるが、それでも一球目で打てたことを褒めてもいいだろう……。

 二球目は高め、年齢的に高めは手が伸びにくい。それでもギリギリタイミングが合ってピッチャーライナー。

 

「ピッチャー直撃……怖いわね……」

「高めは苦手なんだよ、許してよ」

 

 そのまま20球すべてに手を出したが快音を響かせることはできなかった。

 ボックスを出ると結衣がニッコリと笑みを見せて肩トントンと叩く。煽りに感じるのは俺だけだろうか?

 

「明広、やっぱり野球やりなさいよ! センスの塊だわ」

「お誘いありがとう。でも、野球以外にやることいっぱいあるから無理」

「監督や中島に早く引っ張ってこいって言われてるのに……」

「野球以外にいっぱいやることがあるのは事実だからさ、一枚あげるよ」

 

 長々と打つつもりはないのでコインを一枚渡して開いてるボックスに入る。すると隣のボックスに結衣が立った。

 

「勝負! どっちが遠くに飛ばせるか!!」

「本当に勝負好きだよね……」

 

 互いにほぼ同時にコインを投入、結衣が右打ちで俺が左打ち。

 勝負はどうなったか? 別に何かを賭けているわけじゃない。どっちが遠くに飛ばせるかって曖昧な勝負、ただ、互いに快音は響いてたよ。



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終わることによって見える変化

 少年少女の健全な精神を育成する為の自然との触れ合い。正直な感想を述べると数週間前に約一ヶ月間山籠りの生活をして十二分に自然と触れ合った。これ以上はお腹いっぱいだ。

 

「お兄ちゃん……またわたしを一人にするの……?」

「学校行事だよ、仕方ないじゃないか」

 

 家にいる時は必ず出刃包丁を握りしめている妹に若干の恐怖心。せめて万能包丁にしてくれないだろうか? 先端恐怖症なんだよ……。

 仕方がないのでいつものように膝の上に乗せて撫で回す。

 

「むぅ、撫でられても許さないからね……」

「許してくれよマイシスター、お兄ちゃんもズル休みできるなら毎日したいさ」

「……今回だけだからね」

 

 なぜだろうか、妹の所有物になってないか? 兄属性は妹属性に強い筈……。

 

「お前達は本当に仲いいな~お父さん羨ましいぞ~」

「かわり……なんでもありませんこのみ様……」

 

 父さんも包丁持ってる妹に少しくらいのお叱りを与えてくれてもいいのではなくて? わたくしまだまだ死にたくありませんことよ!

 家族三人でテレビを見ているのだが、父さんの携帯電話が鳴り響く。

 

「もしもし相沢です……え? 店が!? ちょ、ちょっと待ってください!! 二ヶ月前に爆破されたばかりなんですよ……」

 

 ――日本初、下手をしたら初のC4爆弾で爆破されたお好み焼き屋の誕生だ。

 

 

 ついに今日という日がやってきてしまった。今朝の妹様は本当に荒ぶっていらっしゃったよ、父さんも再開数日後にダイナマイトからアップグレードした爆破で助けてくれない。

 

「アキヒロ! オハヨウゴゼイマス」

「うんうん、オハヨウゴゼイマス」

 

 天真爛漫な笑みを見せるアリスに挨拶を返す。

 近所の公園集合、いつもなら来ない生徒達も珍しく早起きして集合している。

 結衣とさくらはまだ来ていないのか、アリスはお父さんに毎日送り迎えされているから距離的に早くなる。

 

『ボーイスカウトには自信あるんだよ! 叔父さん直伝の高速着火術!!』

『マッチかライター借りれるからいらない技術だね』

『そんなー!』

 

 棒で木を擦り付けるジェスチャーをしてくるのだが、どうにも卑猥な行為をしている様にしか見えない。

 アリスと他愛もない会話を繰り広げていたら結衣とさくらも公園に到着。

 

「オハヨウゴゼイマス! ユイ! サクラ!」

「おはようアリス!」

「おはよー」

 

 三人の集結、俺という存在がいなければ百合漫画の世界なのだが、それの真逆だからこの世界は不思議だらけ。

 

「明広って料理得意なの?」

「普通だよ、早起きが得意だから朝食は作ってるけど」

「それなら今日のカレーは任せるわ!」

 

 キラキラと眼を輝かせているが結衣には料理苦手設定がある。小さい頃に包丁で手を切ったという幼い理由だが、人間苦手な事というのは案外小さい切欠なのかもな。

 

『日本のカレー食べやすくて好きだよ!』

『野菜とお肉、そしてカレー粉で出来る安上がりな料理だけどね』

 

 嫌な話し、俺は俗に言うアリスちゃん係というものになってる。母国語しか話せない彼女の通訳として暗黙のルール的に添えられたもので、班決めの時もそれを考慮され必然にアリスの班に混ざっている。人班男子三人、女子三人の六人編成だ。

 少し不安なのは通訳がいない状態でアリスがどこまで楽しめるか? 別の人生ではなにも起きなかったが、今回の人生はアリスの叔父さんが登場したり、色々と歪な部分が目立つ。今まで通りに物事が過ぎるとは思えない。

 

「少し不安だな……」

「どうしたのよ明広、怖い顔してる……」

「いや、少し肌寒いと思ってね」

 

 相沢大先生、こんな人生はじめてだよ……。

 

 

 バスに揺られて二時間と少し、到着したのは何度も経験しているキャンプ場。そこには同じ時期に林間学校をするために集められた多くの学生を乗せたバスが止められている。少子化だとか騒がれているが、何やかんやで学生というのはいる。

 

「うーん、空気が澄んで肺が喜んでる」

 

 衣類の入った鞄をポンポンと叩いて山の緑を見つめる。少し離れた場所だが、俺とアリスが一ヶ月生活した山も見える。本来ならこの場所でハイキングを楽しむという理由でアリスのお父さんが送迎してくれたのだが……。

 

『アキヒロと山に来るの久しぶりだね~』

『俺は二度と経験したくないよ、あんな経験……』

『結構楽しかったけどなぁ、叔父さんも来てくれたし』

『そうですか……』

 

 この子の図太さに恐怖心、銃火器で武装した謎の勢力に追いかけ回されて最終的にリーサル・ウェポン的な叔父さんまで飛び出してビックリってやつだ。

 俺も繰り返す人生で図太くなったと思うが、彼女の天真爛漫さには負ける。

 辺りを見渡すと懐かしいと感じる人間を見てしまう……。

 

「主犯……」

 

 他の学校との合同での林間学校だが、主犯くんが転校した学校も入っていたか……何も起きないことを期待するが、この世界がそれを許すだろうか? 不安要素が増えるのは本当にいただけない……。

 イカンイカン! また暗い顔をしていると指摘される。

 警戒しておいた方がいい。アイツに改心の心があるにしても、逆恨みされるだけの理由は腐る程に存在する。人間、自暴自棄が一番怖いものだ。

 インストラクターに案内されて初日はテントの設営、各校の生徒達が和気あいあいとテントを建てているが刺さるような目線が数人、これは逆恨みをはらす最高のタイミングだと思われているのか……。

 

『アキヒローテントつくるの手伝ってー!』

『わかった。「すまないけど手伝えって言われてるから行ってくる」』

 

 班の男子生徒に事情を説明して三人のテント方に向かう。

 ――テントに絡まる人間っているんだね。

 

「み、みるなぁ……」

「運動以外は点で駄目だな……」

 

 絡まった結衣とテントを剥がして淡々とテントの骨格を作り布を張っていく。

 設営が完了して額の汗を裾で拭うと三人娘が拍手で讃えてくれる。讃えられるようなことでもないのだが……。

 

「明広くん男らしかったよ!」

「いや、テント建てただけで男らしいとか……言わなくていいから……」

 

 さくらから男らしいと言われるが、テントを組み立てたくらいで男らしいなんて言われたらキャンパーの人達に睨まれるでしょうが! 小恥ずかしい。

 程なくしてすべてのテントの設営が完了し、昼食の時間。昼食はインストラクターの方々が焼きそばを焼いてくれたので自分達で作る必要はない。その後はハイキング、少し不安だが……。

 チラリと主犯とその取り巻きを見る。

 ――狂気に揺らいでいるように見える。

 

 

 昼食が終わってハイキング、予定のルートを歩くという珍しくもない行程なのだが、どうにも主犯とその取り巻きが恐ろしい。俺にだけ攻撃するならそれでいいのだが、団体行動という体をなしているこの場、この時、凶器を使われたら俺だけでは済まない可能性がある。

 人間、自暴自棄になってしまえば一人ではなく複数人を道連れにする。道連れにするからこそ人間らしい……。

 後方を確認するが、主犯のグループは存在しない。少しは安心していいのか……?

 

「みんな! この先にスタンプがあるよ!」

「スタンプを5つ集めて来たらお肉を少し多くするねぇ? カレーはジャガイモが一番美味しいと思うんだが」

「肉よ! 肉!!」

「女の子が肉々連呼するんじゃありません!」

 

 レクリエーションで道に設置されてあるスタンプを五つ集めたら夕食のカレーに使われる肉の量を増やしてくれるらしい。多くても少なくてもカレーはカレーだとしか思わない。

 

「あ、相沢……おまえって女子と仲良くできるよな……」

「友達に男女は関係ないだろ。仲良くなりたいなら仲良くなれよ」

「い、いや、恥ずかしいし……」

「どうして一歩踏み出す勇気が出ないのやら……」

 

 小声で隣を歩く男子に女の子と仲良くなる方法を聞かれるが、本当に男女関係なく友達になろうと思えばなれるものだろうとしか思わない。必要なのは一歩を踏み出す勇気、それ以外に必要なものはないだろう。

 軽く歩いたところに他校も含めて多くの生徒が集まっている。スタンプが設置されているのだろうか、俺達もスタンプを求めて集団の一部になる。

 

「――許さないからな」

「ッ!?」

 

 主犯の声が聞こえた。だが、辺りを見渡しても奴の姿は見えない。

 弱者だった頃の記憶がフラッシュバックし、呼吸を乱していく。

 こんなこと……無かったのに……。

 

「明広!? だ、大丈夫……?」

「あ、ああ……ちょっと喉が渇いただけさ……」

 

 水筒を取り出して無理矢理に水分補給、人目がつく場所では遠慮してくれるのか、それとも――凶器が無いのか……。

 

 

 すべてのスタンプを回収した。それだけ、それだけなのだが人の目線に過敏に反応してしまっている。

 

『アキヒロすごーい!?』

『これくらい普通だよ』

 

 包丁で器用にジャガイモの皮を剥いているのが物珍しいのかアリスが食い入るように見てくる。逆に結衣の方は包丁に苦手意識があるので包丁に目線を合わせないように釜戸の火に固定している。

 すべての素材の皮むきが終わり、お肉を最初に鍋に入れて火が通ったら野菜。水を入れてアクを取り除いていき、粗方のアク処理が終わればカレー粉を入れる。

 

「ご飯もいい感じよ!」

「いい匂い……」

 

 始めちょろちょろ中ぱっぱ、お米の方も綺麗に出来ているようで一安心。このまま全部が終わってくれたらいいのだが……。

 それから数十分後にカレーが出来上がり、各班の調理完了と共に食事に入る。

 美味しそうなカレー、スプーンを握りしめて口に運ぶが――味がしない……。

 

「明広? どうしたのよ……ごはんが硬いとか……?」

「いや、美味しくてさ……」

「それならいいけど……」

 

 人間の五感には色々な役割を果たす。その中の味覚は食という行為を有意義に果たす役割もある。だが、味がしない――呑気に飯を食べている時間ではないという警告、おまえは危険な場所に置かれているぞ……。

 ……どのタイミングで仕掛けてくる。

 

 

 空は夜の帳を下ろし、各生徒はテントの中で川の字になって眠る。

 考えすぎだったのかもしれない。こんな大人数がいる場所で攻撃なんて出来るはずがない。思い込み、これは俺が思い込みの果てに挙動不審になっただけ、主犯が転校しても俺を殺そうとしたことはない。過去を遡ってもそんなことはない。

 ――杞憂。

 そうだ。俺は安全な状態。

 張り詰めるな、次が重くなる……。

 静かに目を閉じた。

 咄嗟に目が開いた。

 

「うがっ……うぅ……」

 

 肩に熱を持った痛みが広がる。テントの中は鮮血の香りに包まれ、一人の男子生徒の瞳が月明かりに照らされ――狂気のそれが溢れ出ていく。

 隣で寝ていた男子生徒達の首にはテント設営用の杭、ペグが突き刺さっており、咄嗟に身を反らした俺が例外的に肩に刺された……。

 

「うっ……おまえ……」

「おまえのせいだ……おまえのせいで……」

「なん、で……」

「――おまえが悪いんだよ。全部!」

 

 体のすべての部位に何度も突き刺さる杭、抜けていく血液、消えていく意識。

 ――なんで、こんな……。

 繰り返しで無かったのに……!

 教えてくれ……。

 なんで……。

 俺が……。



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第二章:変化する現実
0:1と2と3


 目が覚める。この感覚があるということは死んではいないのか、どの程度の外傷かわからないが、目が開けられるなら次の事件に間に合う可能性だって……!?

 空いっぱいに広がる白、地面は黒に染まる。

 ――現実とは思えない場所。

 

「目が覚めたか……」

「あんたは……!? 相沢大先生?」

「大先生か……くすぐったいな……」

 

 目の前に現れた未来の俺の姿、年齢は……四十代くらいに見える。

 世界を繰り返した先に見える本来の年齢、戦争なんて起こらない平和な世界でのみ存在できる姿。それが目の前にいる。

 

「おれ……死んだんですか?」

「いや、出血によって……脳死状態だ……」

「え? それだったら俺は……霊体になって……」

「最初の自分に代わってもらった」

 

 最初? 最初ってなんだ……俺と大先生二人が相沢明広という人格を持てる筈。それなのに最初って……。

 相沢大先生は静かに虚無から椅子を二つ作り出し、腰掛けるように促す。

 

「最初に説明しなければならないだろう。君と私以外にも相沢明広は存在する」

「え?」

「君が大先生と表現する私は……二番目の人格だ……」

 

 大先生静かな口調で語りはじめた。

 相沢明広という少年は最初の人生で自分という存在を放棄し、形成されつつあった二番目の人格に記憶などを譲渡し、そして心の奥底に自分を封印し、二番目がさも本物の自分のように偽った。

 大先生もそのことに気がついたのはつい最近で、西暦とほぼ同い年になった俺から離反してからようやくパズルのピースが埋まった。

 

「だから、君が相沢明広として認知しているのは――私であり、彼でもある」

「そ、そんな、でも! それなら……なんで俺が相沢明広になる必要があるんですか?」

「疲れたんだよ……私は君の何倍、何十倍、何百倍も人生を繰り返し、何度も主人公という存在に彼女達を預けてきた。だが、それを繰り返す中で少しずつだが、彼女達を助ける理由が無くなりかけた。自分が歩む未来より、彼女達が歩く未来の方が数倍幸せで、自分がまるで――道化師(ピエロ)のように」

「何を言ってるんですか!? 貴方は何度も彼女達を助けて……そして……」

「――報われなかったよ」

「っ!?」

 

 椅子から落ちた俺に手を差し伸べる。

 ――俺が、相沢大先生に求めていた行為、それは報われること……。

 幸せになってもらいたい。

 それだけ……。

 

「君は、私に憑依したのではない。私が君を作り上げた」

「……どういうことですか?」

「簡単なことさ、君という存在の生い立ちすべてを機械で作り上げ……それを繰り返す人生の中で人格として目覚めさせた……」

 

 俺という存在は進む未来で作り上げられた機械によって作られた。機械の中で生まれた俺は、名無しとして成長し、名無しとして成人し、名無しとして行動する。その名無しの期間で一番――諦めるという行為をしなかった存在。

 努力や根性を崇拝するわけではなく、ただ、目の前の課題に全力で立ち向かい。心が折れる可能性が非常に低い個体。

 ――それが名無しから相沢明広(名有り)に変化した存在。

 

「私は……彼女達を守り通す心が腐ってしまった。だから、繰り返す人生で君という『イデオロギー(行動理由)』を作り出した。君という存在がどんな状況であっても行動を止めない。そして、諦めない。自己犠牲という言葉を歩く君を定着させた」

「……で、でも!? 名前が無い頃は!!」

「君は、君の両親、友人、それら以外の人間とどれだけの交友を結んだ? 道を歩く人間すべての名前や年齢がわかったか。核家族化が進んだ現代では個の繋がりは希薄になり、コンピューターでシミュレーションするのに問題は存在しない。君は、私という創造者(プレイヤー)が作り出した一つの個体に過ぎない」

 

 そうだ。俺が名無しだった頃は母子家庭で友人関係も希薄、周りの人間を認知することはあっても、こちら側から認知しに行くという行為はしていない。

 だが、目の前に壁が現れれば毅然として立ち向かう。

 そんな存在だったような気がする。

 でも、それくらいの存在なら未来のAIで構築も可能。俺はその中の一つの行動を示した存在でしかない……。

 

「……私は君の父親ではあるが、君の兄弟でもある。君に体を預けて二千年、百回の人生で心を折ることもなく、毅然として立ち向かう姿は懐かしさを覚えた」

「なにを?」

 

 大先生は優しく俺のことを抱きしめた。

 

「私は、親として失格だろう。自分が作り出した問題を子供に投げつけて知らんぷり。この世界は狂っていると吐き捨てて……目を反らし続けた……」

「……」

「世界の風向きが変化した……」

「え?」

 

 名残惜しそうに両腕を放す。

 大先生は虚無から煙草、俺も吸うことが多かったピースを口に咥えてジッポライターで火を灯す。

 白と黒の世界に存在する灰色の紫煙。

 

「私という存在が作り出した世界が、私という存在が切り離された瞬間に変化を示した。君という存在が本物になった時、ループする(同じ)世界から平行線()の世界に移り変わった」

「っ!?」

「そう、君の後ろでウロチョロと行動する私が情報という資料を集める間にこの世界の彼でもあり、自分でもある存在――相沢明広を主軸として動き始めた」

「じゃあ、ループは?」

 

 ピースを地面に落とし、靴で踏みにじる。するとそこには何もない。

 

「ループは存在する。あの世界は相沢明広をある一定の時間まで生存させるが、その先は切り開くしかない。私達には寿命が二つ存在している……」

「三十と……」

「またループする君に私が体験した寿命を伝えるのは酷だろう……」

 

 大先生は二本目の煙草を咥えた。

 

「君に伝えなければならないことは一つ、世界が平行線の世界に移り変わり、二番目である私が経験したすべてが無に帰った。つまり、私が、私達が存在した世界での出来事はすべて変化する。その最たる例がアリスの叔父さん……彼の登場だ」

「……変化した世界」

「これから先、私や君に予想しえない出来事が多く起こるだろう。だからこそ、君には選ぶ権利がある……」

 

 大先生は背中を向ける。

 

「君という存在は言わば……私の息子だ。それをあの世界にもう一度、そして何度も放り投げるのは悲しさと苦しみが存在する。だから、逃げてもいい。君は、三番目の自分として、四番目に託すという選択肢を用意した」

「それって……」

「君より優秀ではない。だが、君の心が折れて、四番目に託すより――今、未来に向かって走るか、それとも、ここで折れるか……」

 

 ――答えられるか?



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1:手探りの新しい世界

 俺、いや、私という存在が二番目だということに気がついたのは軽く見積もっても二千年前、ループする世界の中で私は自分が一人の存在から作り上げられた存在だと確認した。

 違和感があった。

 私という存在の過去を振り返ればある筈の記憶が少しだけ抜け落ちたような、そんな感覚。例えるなら多重人格者が複数の人格を分ける時、主人格にその記憶が共有されないような感覚。

 私は長い年月、自分の奥底に眠る最初の自分の存在を確認した。

 彼は、いじめと両親の関係によって逃避する自分を作り上げた。それが私、二番目の相沢明広になる。だが、その際に記憶の殆どを譲渡し、まるで二番目が主人格のように飾り立て……。

 私は気づかなった。そして、時間の経過によって存在を理解した。

 隣にいる糸が切れた操り人形のように眠る彼、彼が本物の相沢明広、私も彼も、彼という存在から作り出された存在。

 だが、彼は表舞台に立つ気はない。彼にとって自分という存在は苦痛を与えるだけの悪魔のような、そんな存在。もし、私と彼が幸せな世界を作り上げても彼は覚醒しないだろう。彼は、他人の功績をネコババする程落ちぶれてはいない。それは、私という人格を作り出せるだけ……善人だから……。

 多重人格者のもう一人の自分に当たる存在は基本的に悪性、悪いことを平然と出来るし、自己防衛の為なら論理を捨てる。だが、私という存在はそれができない。理屈に則った行動を好む。

 ――彼が私を作る際に出来るだけ善性、心が清い存在を作りだした。

 可能性としてだが、彼も私達と同じようにループしていたのかもしれない。だが、過激ないじめによって『全身不随』になることが確定された世界線の可能性もある。だからこそ、それから逃れる為に私に、そして彼に譲った可能性もある。

 世界は残酷だ。

 今まで彼の背中を借りて生活していたが、彼に主導権を渡し、情報を集めることに注力した。その結果わかったことは『平行線の世界』と『財団』。

 平行線の世界に移行した彼の人生は私が紡いだ物語とは違う結末が用意されているのだろう。最初の彼の結末が全身不随、二番目の核戦争、三番目の先の見えない未来。

 だが、私の予感では三番目の人生にも主人公(プレイヤー)の存在はあるだろう。だが、今回は財団に関する情報がある。

 第三次大戦、第二次太平洋戦争のシナリオを書き上げたのは財団だ。

 財団は白人至上主義者の秘密結社、白人種以外を絶滅させる為に作られた存在。歴史は古く、十字軍から続く血脈。宗教を主体にしたテンプル騎士団とは違い、キリストすら黄色人種が作った宗教だとして排除してきた。

 ある意味では、白人種だけで作る共産主義を求めた結社。

 その規模は世界中のマフィア組織が裸足で逃げ出す程、職員の資産を推し量ればそれはアメリカ合衆国の国債すべてに匹敵する。

 ――大戦の理由は奴らだ。

 奴らが肥大化した極東のアジア人を駆逐する為に戦争を引き起こす。

 奴らは共産主義者も社会主義者もすべてを駆使して戦争を起こす。

 戦争による人種の減少を引き起こす。

 困った存在だ。

 だが、彼の世界なら――財団という組織がどう舵切りするかわからない。

 アリスの叔父さんの存在は大きい。腕利きの暗殺者として育てられた存在だが、彼との戦闘で記憶を取り戻し、こちら側に付く。もし、姪であり、娘でもあるアリスの第二の故郷、日本に核兵器を使用する程の戦争が起こるなら事前に財団を叩く可能性が高い。そして、戦士として成長した彼を連れていく可能性も無きにしもあらず。

 ――息子よ、親が引き起こした不幸を許してくれ。

 



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2:世界の洗礼

「……宝くじの番号が違う」

 

 これからが始まりだというのに大先生が言うように元の世界ではなく、平行線の世界に移行した影響下かいつもなら当選する筈の宝くじが掠りもしなかった。

 図書館に置かれてある新聞、それをにが虫を噛み潰す表情で睨みつける。

 世界の洗礼、そうだよな、都合のいい部分だけを残してくれるなんてありえない。この世界は似ているが違う世界、宝くじの番号だって変化する。宝くじの当選番号なんて大きな視点で見れば小さな変化だ。だが、俺にとってこれは――重すぎる変化だ……。

 

「このみ……このみが……!」

 

 最愛の妹、それが汚い大人に汚され……自ら命を……!

 宝くじが当たらない世界線だと父さんとこのみが死ぬ。父さんを救うには障害者になるか……。

 ――選べない。

 だけど、助けられるなら一人でも助けたい。

 結衣とさくらが強姦魔に襲われる時にはまだ父さんは生きている。その間に俺が母と再婚相手を殺して、山奥で逃げる。そして結衣が誘拐される時に半グレの潜伏場所を警察に通報すればいい。

 その後は、出頭するだけでいいか……。

 外れた宝くじを鮮血が流れる程に握りしめて、この世界を最善の方法で切り抜ける決意を固める。俺は、最善だけは尽くす!

 

 

 結衣とさくらを強姦魔から救い出し、俺は汚い大人の家の前で静かに座り込む。何度も繰り返す時間の中で奴らの家くらい覚える。このみを引き取った後も金を要求する機械になった母、親父が一回、ループの回数でいうなら六回くらいまで許した。それで奴らの家は覚えている。嫌な話し、嫌いな奴の顔ほど覚えるものだ。

 そして、救えなかった父の首を吊る姿も……。

 

「あの、えっと……君は誰ですか……?」

「この……いや、君のお母さんの息子さ、お金の無心に来たんだ」

「で、でも……父も借金ができて……」

「それでも、お金が必要なんだ。百円でもいいからさ」

 

 この世界では同じ家に住む兄弟ではなく、母の再婚相手の子供であるこのみが俺の辛そうな顔を見て、まだまだ肌寒いからと家に招き入れてくれた。

 そして家に入れてもらい。

 

「借金でいろいろ取られちゃって……お茶はありますから、淹れますね」

「ありがとう」

 

 閉じられたこのみの母の仏壇を開いて、座布団も無く静かに正座。そして、一礼、湿気った線香を手に取りライターで無理矢理着火させて上げる。

 そして静かに両手を合わせた。

 

『お願いします。このみを守ってあげてください……』

 

 兄として最大限の行動はする。アリスは……救えないが……!

 それでも、この世界を探る為には絶対にしなければならないこと! 最初の一回は情報を集める為に捨てる。最低だろ? でも、一回目は語られる相沢大先生にはなれない。許してくれ……!

 

「え、えっと……お母さんにお線香あげてくれてありがとうございます……」

「ごめんね、声をかけないで勝手にお線香上げさせてもらって」

「い、いえ! お母さんも喜びます……」

 

 互いに帰ってくる親を待ち続ける。

 互いに会話を挟まない。

 俺は、本当に……!

 ――ガチャリとアパートの扉が開かれ、酒臭い大人二人が帰ってくる。

 

「このみ! 仏壇を開けるなと言ってあっただろ!!」

「ご、ごめんなさい……」

「んぁ? 誰だこのガキ……チッ、気分悪い」

「あ、あんた……明広?」

 

 俺は小さくこのみにごめんと呟いて隠し持った包丁を二人の首に突き立てた。

 小学五年生にしては高い身長のおかげで俺は二人の首を掻ききり、そして心臓に確実な一撃を突き刺すことに成功した。これでこのみは天涯孤独の身になる。外に親戚がいるかわからないが、彼女の現状を知って見て見ぬ振りをしているのだ。多分、孤児院に入れられる。この屑共と生活するより何百倍もマシだ……。

 包丁をボトリと手から離して部屋の隅で震えているこのみに声をかける。

 

「――ごめん、本当に」

 

 その後は深夜だということを利用して近くの山に潜伏した。食料は野草や川魚を食べて飢えを凌ぐ。

 そして、結衣が誘拐される日。

 俺は自販機の下に落ちてあった百円玉を使って公衆電話で警察に電話を入れる。ガラケー全盛期だ。不審なことが起こっていれば子供なら公衆電話で警察に連絡を入れることも珍しくない時代。

 

「すいません。田宮コンクリート、潰れた田宮コンクリートの廃工場にガラの悪い男の人達が入っていって、怪しいなって思って隠れて見てたら! 女の子が白いバンから運び込まれたのをみたんです!!」

 

 そして、三日くらい経った後、俺はもう一度公衆電話、それの警察直通のボタンを押して、

 

「相沢明広です。逃げるのは疲れました。捕まえに来てください」

 

 

 俺は少年院を出た後、孤児院に入った。

 その後は陸上自衛隊 高等工科学校に入学し、防衛大学に進んだ。

 犯罪者は公務員になれないと言うが、少年犯罪には前科は存在しない。だから一応は空を目指すことにした。

 アリスを見殺しにした自分の心は癒えないが、それでも、俺はもう一度――ファイターになれた。

 この世界も同じように戦争が起こり、そして、ミラージュ2000-5が俺の愛機だ。

 

「こちらデュエル2、デュエル1のッ!? アラート!!」

「護衛機を付けていない爆撃機なんていないってことか、背中を頼むぞデュエル2!」

 

 俺は、この戦争の未来を変える!!



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3:突破する課題

 大ぶりな拳、それを左頬に受けて地面に崩れ落ちる。

 平行線の世界に移り変わったとしてもいじめられているという事実は変わらない。

 前の前の世界で殺された主犯は同級生でクラスメイト、相手にとっては好条件、こっちにとっては不利ときている。

 移り変わりで林間学校の際に俺を殺しに来る。だが、俺がこいつを追い出さなければ危害を加えられるのは彼女達に移り変わる。アリスなんて良い例だ。

 俺が通訳として活動する間、主犯はアリスを狙う。可憐な北欧の美少女、小学五年生にもなれば性への知識もある程度は増える。現に主犯を追い出さず、アリスを助け出した先に望まぬ妊娠という結末も大先生の世界では確認できた。

 世界は腐ってる。

 だが、こうも取れる。

 ――林間学校以外でこいつが動けるタイミングはない。

 そう、こいつが転校していったタイミングから林間学校までの間隔は比較的長い。

 あの日、俺がこのタイミングで襲撃されることは過去になかったと隙きを見せたのがいけなかったのだ。同い年で俺より身長の低い男子生徒なんて気を張り詰めていたら対処はどうとでもなる。

 

「なんだその目は!?」

「……くだらない奴だよ、おまえは!」

 

 素早く立ち上がり、体を大きく見せて威嚇する。

 ――俺は、噛ませ犬(オマエ)に二度も屈しない……!

 

 

 図書館の新聞を見て思わずガッツポーズをしてしまった。

 平行線の世界一回目では達成することができなかった宝くじの当選、今回の世界では寸分違わずピッタリと数字を的中させた。金額は今までと同じ三十億、これで父さんもこのみも救うことができる。

 

「早く帰ろう」

 

 足早に帰宅し、酒瓶を抱きしめながら泣いている父を何度も揺すぶって起こす。焦点の定まらない酒飲みの目で俺のことを見つめるが、その二つの眼からは滝のように涙が溢れている。

 

「ごめんな……父さんが駄目人間だから……」

「父さんは駄目人間じゃないよ……今日、奇跡が起こったんだ……」

 

 図書館から拝借してきた新聞紙と三枚の宝くじを父に見せる。酔の頭痛で数字を確認するのに時間をかけるがそれが一等の当選番号だとわかると同時に青ざめて、本物の宝くじかどうかを隅々まで確認しはじめた。

 そして、それが本物の奇跡だとわかると酒臭いながらも優しく俺のことを抱きしめてくれる。

 

「ごめんな……あきひろ……」

「父さん……ずっと辛い思いしてたんだから……」

「うぅ……とうさんたすけてもらっでばかりで……」

「いいんだよ、父さん。これは神様が与えてくれたチャンスなんだ」

 

 この世界に神様なんていない。もし、神様に該当する存在がいるとすれば、俺という存在を作り出してこの体を譲った大先生。宝くじを当選させるという発想も、行動も、すべては大先生の歩みを真似た行為。

 

「父さん、お酒やめられそう?」

「うん……やめる……」

 

 変わらない涙脆い父は力なく俺を抱きしめる。大先生も最初は父親を救うことが目的だったんだろうな、そこから派生してヒロイン達を救う。その際にどれだけの絶望と諦めを感じたのだろうか、俺にとっての相沢明広は大先生以外は存在しない。一人目の自分がいるという事実はあるが、それでも、自分が思う自分という存在の頂点は大先生だ。

 父さんは本当に弱い人だ。だからこそ、救う必要がある。

 その後は移り変わる前の世界と同じようにどこからか宝くじを当選したという情報が流布して親族から金の無心の電話が引っ切り無しに鳴り叫ぶ。

 学校に登校することはできるのだが、一応は誘拐を心配して父さんは引っ越しの準備の為に俺を学校に行かなくていいようにした。いつものことだ。

 そして俺が提言したセキュリティが万全なマンションに引っ越してようやく金の無心、工面の攻撃が鳴り止んだ。人間、警察を呼ばれないという心理状態なら何でも出来るが、呼ばれるならリスクに似合わないと折れるのだろう。携帯電話もこのタイミングで番号変更、この時代では珍しく俺も携帯電話を与えられた。

 

「明広、もっと休んでてもいいんだぞ」

「駄目だよ、勉強に追いつけなくなるからさ」

 

 寂しそうな顔をしている父を尻目にくたびれたランドセルを背負って通学路に向けて歩みを進める。平行線の世界、前のトライでは宝くじの番号を当てることができなかったが、今回は父さんを救うことができた。

 大先生のルートと同じように小学生に到底対応できるものではない事件が数多く起こる。平行線の世界、似て非なる世界。結末はどうなろうと、俺はまだ主人公の顔すら見ていない。

 ――挑むしかない。

 この世界の不条理に。

 

 

「成金のとうじょーう! 財布見せろや」

 

 比較的遅く登校したのだが、クラスの大半が揃っていて主犯の大きな声がよく響く。

 俺は心底残念そうな表情をしているだろうか? どの世界でもこの主犯という少年は俺のことを下にしか見ていない。捕食対象の草食動物程度にしか見えていない。だが、俺は何度も繰り返す時間の中で弱肉強食の世界に矛盾した存在になっている。俺を止められるのは世界だけだ……。

 

「あぁ!? 成金で何が悪いんだよ……喧嘩なら買うぞ……!」

 

 ドスの効いた声で逆に恫喝してみる。すると弱い犬ほどよく吠えると言わんばかりに笑って腹部に向けて拳を叩き込んできた。

 この少年はある意味では無敵なのかもしれないな、俺という存在を捕食し続けた結果、どんなに環境が変化しようとも自分が捕食者であるという圧倒的な自信をもっている。

 

「誰に舐めた口聞いてる? またぼこぼ――ゴッ!?」

「おまえだよ、羽渕……」

 

 仕返しの拳を叩きつけて自分の席に戻る。この世界の俺はいじめられっ子という特性上、大それた筋力は存在しない。それでも体の動かし方一つでこの拳は凶器に変わる。体を十分に捻った一撃、それは小学生の未熟な精神をへし折るには十二分だ。

 俺からの宣戦布告、それに教室内がざわついた。

 その後は主犯の強がりで教師連中に報告されることもなくHRが終わり、授業に備える。後ろの席から見える主犯の貧乏ゆすりは上級生に頼んで俺のことを痛めつける算段をつけているようにも見える。

 いつものこと、だからこそ今回は強気に立ち向かうことを選択してみる。

 ――俺は弱者じゃない。

 ――そして、一人でもない。

 

 

 すべての学校活動が終わりくたびれたランドセルに教科書類を詰め込んで教室の壁に掛けられてあるカレンダーを確認する。二日後、前の人生では今まで通りに強姦魔が結衣とさくらを襲う。

 だが、強姦魔の毛色が違った。いつもならドスを使用し、危機にさらされたら拳銃を抜き取るというのがテンプレートだった。それが平行線の世界ではドスじゃなく拳銃だけを使用して行為に至ろうとする。

 奴が使うトカレフ拳銃は非常に貫通力が高い。教科書が入ったランドセルを貫通はできないが、小口径高速弾という特性上、反動が少なく連射も容易だ。ヤケクソでヒロインに弾丸を撃ち込まれたら……。

 

「おい、つらかせよ……」

 

 カレンダーを睨みつけていたら主犯がドス黒い笑みを見せて上級生数人を引き連れて俺をいつもの場所に連れて行こうとしている。 

 本当に困った奴だ。まだ平行線の世界に移行したと気がついてない頃は面倒くさい奴だと思ったが、平行線の世界だと理解してみると面倒くさいを通り越して殺意すら抱いてしまう。

 まて? 教室で暴れれば自宅待機なんかの処置になるかもしれない。

 今まではいじめっ子を対処してから結衣とさくらを襲う強姦魔と対峙する。だが、自宅待機なら? フリータイム……!

 馬鹿とハサミは使いよう、見落としていた部分だ。

 

「用事があるならここで済ませろ、上級生ゾロゾロと連れてさ? 一人で何も出来なくて恥ずかしくないの」

「ッ!? もう場所なんて関係ねぇ!! おまえだけはぶっ殺す!!」

 

 体重の乗った重い一撃、それを顔面で受けて思い切り机に向かって吹き飛ぶ。

 この学校の教師は一人残らず事なかれ主義、教室がグチャグチャになろうが俺が悪いと決めつける。そらそうだ。主犯の兄は半グレ集団に所属していて、家庭があるなら反社の人間と関わりたくない。教師だとしても一人の人間だ。

 ――逆に好都合!

 上級生達が大丈夫か? なんて表情は見せず、追撃を入れようと踏み込んでくる。

 その足を掴んで思い切り転ばせる。

 

「遊んでやるよ……鬱憤は溜まってるんだ……」

 

 今の家はオートロックのハイ・セキュリティのマンション、いくら反社でもそこを襲撃しようなんて思わない。もし、万が一が起こっても自分一人でどうにでもなる。さあ、この訛った体を駆使して鬱憤を晴らさせてもらおう。

 顔や腹部に飛び込んでくる拳をすべて弾き、陸自仕込みの日本拳法を駆使して柔道と空手のミックスのような動きで行動不能にしていく。

 

「まだやるかい?」

「舐めやがって!!」

 

 大振りな拳を受け止めロック、そのままロックを解除して机に向かって思い切り押しつぶした。

 女子生徒の叫び声が響き、教師連中がゾロゾロとやってきた。

 これで停学は確定。

 その後は警察、両親を絡めた事情聴取、俺は上級生を引き連れた主犯が俺のことを殴って、上級生達が追撃を加えようとしたのでやり返した。そう事実だけを語ったのだが、反社が怖い生徒連中は俺をどうにか悪いように持っていこうとしている。

 

「わ、わたし……ずっと見てました……」

 

 あの時、悲鳴を上げたのはさくらだった。教室に忘れ物を取りに来ていたのだが、上級生を引き連れて主犯が俺を殴り、教室の机にダイブ。その後は袋叩きしようと詰め寄った全員を時代劇のように大立ち回りで撃退し、最後に主犯の顔を机に押し込んだと。

 言ってしまえばリンチ(私刑)に抵抗しただけ、警察もそのことを聞いて過失は無いと言ってくれた。だが、学校側は反社が怖く俺のことを一週間の停学処分。主犯は音沙汰なし、これが教育に携わる者の行動とは思えない。

 

「ごめんね……相沢くん。わたし、助けること……!」

「いいんだよ、見てくれるだけで助けになったから」

 

 無力な自分を悔いているさくらに微笑みを見せて自分は大丈夫だと主張する。

 一週間の停学、これで備えられる。



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4:変化する事件

 停学、腑に落ちないという父の表情を尻目に俺は釣り竿を持って川釣りに出かけた。もちろん結衣とさくらが襲われる河川敷、そこの草陰と呼べる場所だ。

 この川では鯉や鮒、緩やかな水流なのでブラックバスにブルーギルなんかも釣れる。餌は除草の際に刈られた草を置く場所の腐葉土、そこに大量のミミズが生息していて、時間分だけ餌にさせてもらっている。

 釣果の方は鯉が二匹、そのすべてが80cm以上の大物、泥抜きさえできれば美味しく食べられるのだが、時間つぶしの行為でしかない。リリースさせてもらった。

 

「もうそろそろだな……」

 

 左腕に巻きつけた腕時計を見るにこの河川敷を通過する五分前と言ったところだろうか? そろそろ身構えておかなければ対処に支障が出る可能性がある。

 釣り竿を置いて、静かに草陰に潜む。

 ――二人が舗装路を歩いている姿が見えた。

 こうしてみると俺の方が不審者のように見えるだろうが、それ以上に異彩を放っている存在が彼女達の背後、数メートル後ろに覚束ない足取りで歩み寄っている。

 

「動くな……ひひっ……」

「だ、誰ですか……え、なにそれ……」

「刺されたくなかったら橋の下に行きなさい……おじさんは気が短いんだ……」

「ゆ、結衣ちゃん……!」

「叫んだらこの子を殺すよ……君も来るんだ……」

 

 遠方で聞こえないが結衣の背後にあてがわれるドスで状況は把握できる。

 そのまま人目につかない橋の下まで二人を誘導していく。

 ――駆けた!

 

「グハッ!? いっつ……!」

 

 結衣の服を破った瞬間には小太りな男は俺の両脚によって吹き飛ばされる。

 少し離れた位置にいたから服を破かれてしまったか……。

 着ていたジャケットを結衣に投げ渡して手放したドスを川に蹴って使えないようにする。

 

「この! 死ね!!」

「け、拳銃!?」

 

 結衣とさくらは目を瞑って俺に起こるであろう惨劇から目を背ける。

 ――杞憂だ。

 日本に密輸されるトカレフ拳銃は基本的に粗悪品、それに付け加えてライフリングは4本線で基本的には命中精度は低い。

 つまり、構えてちゃんと撃たないと対象に弾は当たらない。

 咄嗟に取り出して撃った弾は地面を抉り、二発目は大空に向かって飛翔する。

 懐に入り込み、片手で握られたトカレフを強姦魔の左足に無理矢理発砲させ、崩す。

 何度も繰り返している。慣れたものだ。

 ――背後から殺気を感じる。

 咄嗟に横に飛んで何かを回避する。

 

「が!? うぅあ……」

 

 右足にも風穴、強姦魔は立つことが出来ずそのまま崩れ落ちた。

 背後を見る前にトカレフ拳銃をローリングしながら回収し、構えてもう一人の誰かに照準をあわせる。

 ――若い男?

 

「あらら、羽渕に頼まれた子供じゃなくて下洲の兄貴を撃っちまった」

「お、おまえ! 中村!? ちゃんと狙え!!」

「いやいや、あれだけ密接してたら狙いも狂いますって……にしても、その構え方! 慣れてるねぇ……」

 

 銃を構えながら結衣とさくらの盾になれるように彼女達の前に立つ。

 

「民間人を庇いながら牽制を忘れない……こりゃ、どっかの特殊部隊か? カッコイイね! 嫌いじゃないよ」

「立木さんと新島さん……ここは危ないから壁に隠れて……」

「え、ええ? う、うん……」

 

 結衣が震えながら腰が抜けたさくらを抱えて弾丸を防いでくれる場所まで移動してくれる。これでヒロインの負傷は……俺が死なない限り大丈夫だろう……。

 男は拳銃を懐に戻して頭を掻いた。

 

「いや、下洲さんが小児性愛者だってのは噂で聞いてたけどさ、裏風俗以外の子にも手を出すなんて思ってもなかったですわ」

「なんで銃を戻してる! こいつを殺せ!!」

「いやぁ、このまま撃ち合えば確実に俺が撃ち殺されますって、そんなの嫌ですよ……で、僕? 俺は撃つ気なくなったけどさ、下ろしてくんね」

「……」

 

 トカレフのマガジンを抜いて、スライドを引いて薬室の弾を抜く。そのままマガジンを川に投げて銃だけを強姦魔に返してやる。弾を弾けない銃は鉄の塊でしかない。

 

「にしても、羽渕が言ってるような性根の腐った糞餓鬼には見えねぇな? 学校でガキ大将してて、ゆすりたかりが大好きって聞いてたが……真逆に見えるわ……」

「銃を抜け! 早く撃ち殺せ!! そうしないと警察が……」

「いや、俺はもう下洲の兄貴は見捨ててますって、羽渕の野郎も見捨てるか見定めてるんですわ……まあ、もう下してもいいと思うんですけどね……」

 

 男は携帯電話を取り出して誰かと通話をはじめる。

 

「おう、羽渕? おまえが言ってた糞餓鬼、俺から見たら完璧に真逆の存在に見えるんだが、あ? 頭の良い弟の言うことが間違ってるわけがないって……この坊やの同級生だろうが、どうみてもこの坊やの方がおまえの弟より頭良さそうだぞ。ああ、おまえさ……誰に物言ってるんだ……もういいよ、じゃあな……」

 

 男は携帯をポケットに仕舞い込んで溜息を吐き出した。

 

「いやさ、羽渕って奴に坊やを殺せって言われたのよね。でもさ、俺には坊やがどうみても奴が言うような悪ガキには見えないんだよねー、そこのところどうなの?」

「……弟の方が糞餓鬼だ」

「あ、そうなんだ。一回命を救われたから可愛がってやってたけど、年下の糞餓鬼に利用されてたって考えるとイラつくなぁ……」

 

 男は肩を落として静かに去ろうとする。

 

「おい! 中村! 俺を見捨てるのか!!」

「だ、か、ら! 俺は下洲さんを見限ったって言ったでしょ? 刑務所でオナ禁してくださいな」

「まて! 俺は!!」

 

 泣き叫ぶ強姦魔を尻目に河川敷に止められているバイクに向かう……中村という男、だが、後ろ髪を引かれたように振り返った。

 

「坊や、名前は?」

「……相沢明広」

「相沢ちゃんね、二度と会わないことを願うよ。じゃーね」

 

 中村はバイクを唸らせて颯爽と逃げていった。残ったのは小学生と犯罪者。

 震えるさくらのランドセルに付けられた防犯ブザーを鳴らして静かに座り込む。

 ――平行線の世界だからか、知らない人物が登場した……。



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