【凍結中】ペルソナ4 ~静寂なる癒しを施すもの~ (ウルハーツ)
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序盤
辰姫 零 故郷に帰る


『次は~八十稲羽~八十稲羽~』

 

 電車内にアナウンスが鳴り響く。そしてそれを聞いて座っていた青年が立ち上がった。

 

 彼の名前は鳴上 悠。親の都合によって都会から八十稲羽に住む叔父の家へ1年間お世話になるためにやって来た高校生である。悠は網棚に置いてあった荷物を下ろすため、上へ手を伸ばした。そして荷物を手に少し後ろに下がろうとして、人とぶつかってしまう。

 

「あ、すいません」

 

 急いで後ろに振り向いて謝れば、そこに居たのは自分より背の低い少女だった。水色の長い髪をした少女。どうやらドアに向かって歩いていた様で、悠には右横顔しか見えない。それに急にぶつかったせいで、目は閉じていた。

 

「怪我は無いか?」

 

「……ん」

 

 悠の言葉に少女は小さく頭を下げる。そしてゆっくりと目を開いた。悠はその時、見える様になった真っ赤な瞳にまるで吸い込まれるかの様な錯覚を覚える。が、すぐに我へと返った。少女は既にその場から立ち去り、扉の前に移動している。そしてそれから悠とその少女が話をする事は無く、やがて電車は八十稲羽へと到着する。

 

 電車から降りて周りを見渡せば、そこは家などがある静かな場所であった。今まで都会に住んでいた悠にとって駅前は人の集まる場所。ほぼ無人のこの場は非常に珍しい事であった。

 

 周りを見渡していると声が掛けられる。それは自分がお世話になる叔父であり、悠は自己紹介と同時に従妹である少女を紹介される。これからお世話になるために失礼の無い様に返した悠。そんな悠の真後ろを先程ぶつかった少女が通り掛かった。

 

 少女は無言で前を見ながら歩き続ける。そして途中でバス停を見つけて時間を確認し、そのまましばらく待ち始めた。田舎であるここはバスが一日に数本しか通っていないのだ。

 

 少女がジッとただバス停で待っていると、一台の車が目の前を通過した。それは悠が乗っている車であり、悠は車の中から外の風景を眺めていた。当然、少女がその場に立っていた事にも気づく。だが電車で唯ぶつかっただけであり、行き先も同じだけだった相手だ。良く見かけるな、と思うだけであった。まさか近い内に再会する等、知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 少女はバスを降りる。着いたのは稲羽中央通り商店街。その南側であった。

 

 バスから降りた少女は商店街を歩く。そして北側にたどり着けば、目的地が少女の視界に映った。少女は真っ直ぐにその入り口とも言える【鳥居】を潜る。……そう、そこは神社である。

 

 辰姫神社と呼ばれるその神社には子供が何人か遊んでいた。少女はそんな子供達を少し見た後、迷う事無くその神社の境内へ入った。中は綺麗とまではいかないが、言う程汚くは無い。どうやら定期的に誰かが掃除をしているらしい。少女は持っていた荷物を置くと、中の掃除を始めることにした。

 

 数時間後、既に暗くなってしまった外を気にせずに少女は道具を整理していた。既に掃除は終わり、綺麗になっている境内。だが肝心の家具などは一切無い為、生活するにはかなり不便だろう。少女は持ってきていた小物などを取り敢えず出すと、使いやすい位置に配置する。右腕につけていた腕時計を見れば既に23時。少女は少し考えた後、その日は眠る事にする。夜更かしをすることは出来ない。何故なら少女は明日、この町にある高校へ転入する予定があったのだから。

 

 少女の朝は非常に早かった。眠ったのはあの後、お風呂に入る等を含めて24時頃。起きたのは朝の4時頃である。朝早く起きて何をするかといえば……特に何をする訳でもなかった。ただ綺麗になった縁側の部分に座り込み、まだ暗い空を見続ける。

 

『コン!』

 

「?」

 

 突然頭上から聞こえた鳴き声に少女は上を向いた。屋根の上、そこには人では無い何かの姿。その何かは飛び降りて少女の目の前に着地する。そして少女を観察する様に、静かに目の前で座り込んだ。

 

 対する少女は目の前に居る生き物に驚く様子を見せず、ただジッと見続ける。結果、お互いに見つめ合い続けた。秒、分、時が過ぎていく。が、少女も生き物も一切喋らず、何もしない。しかし突然目の前の生き物が座るのを止めて立ち上がると、屋根の上へ大きくジャンプして居なくなってしまう。そして今度はお爺さんが少女の前に姿を現した。

 

「あんれま! おぉおぉ、久しぶりじゃの。帰って来たんじゃな。お帰り」

 

 お爺さんは少女を見ると最初は驚き、その後嬉しそうに告げる。少女はそんなお爺さんへ静かに頭を下げた。が、お爺さんはそれを見て「これからは汚れなくて住みそうじゃの」と言うと、優しい笑顔を少女に向けた。どうやら神社の中がそこそこ綺麗だったのは目の前のお爺さんが掃除をしてくれていたからだと少女は気付いた。

 

「やや!? そう言えばもう高校生かいの。八十神高校に行くのかい?」

 

 お爺さんの言葉に少女は頷き、横に置いてあった荷物入れから制服を取り出す。それを見てお爺さんは「そうかそうか」と頷くと、その後少し喋ってから去っていった。時間を見れば既に7時。少女は置いてあった制服に着替えると、軽めの朝食を荷物入れの中から取り出した。それは簡単に栄養が取れる食べ物であり、少女はそれを食べるととある事をし、鞄を持って戸締りをしっかりした後に外へ出る。向かう先は八十神高等学校。今日から少女の新しい学校生活が始まるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 少女はこれから歩き続けるであろう通学路を通る。道中には沢山の生徒達が通っており、知り合いを見つけては楽しそうに会話を始めていた。そしてしばらく歩いていると、目の前で苦しんでいる男子生徒と遭遇する。どうやら電柱に自転車でぶつかり、その時に大事な部分を強打した様である。が、少女は当然その苦しみが分からない。……静かにその場を通過した。

 

 学校の目の前にたどり着いた少女は学校を見上げる。これから2年近く通う事になる学校だ。その門を潜り、真っ直ぐに少女は職員室へ向かう。そして中に入ろうとした瞬間、目の前の扉が開いて出っ歯の先生が姿を現した。

 

「ん? 何だ貴様は? まさかもう1人の転入生か?」

 

 非常に高圧的な言葉で話かける先生。少女はその言葉に何も言わず、静かに頭を下げる。それを見て先生はしばらく黙った後、ついて来る様に少女へ告げて歩き始めた。すると、その後ろから青年が出て来る。銀髪で制服の前を開けた青年。その青年は少女を見て驚いた様子を見せる。青年は少女を知っていたのだ。学校で会う以前に見かけている。……青年は少女と電車でぶつかった鳴上 悠であった。

 

 悠は少女に話しかけようとするが、少女は何も言わずに先生の後を追ってしまう。別に無視をしている訳ではない。少女自身、悠の事を一切覚えていなかったのだ。

 

 2人が連れて来られたのは、2-2と書かれた札の付いている教室。2人も転入生が来た場合は違う教室に入れられそうだが、何故か少女と悠の教室は同じ様である。

 

 先生が入ればそれについて行く様に少女と悠も入る。そして先生から紹介をされるのだが、非常に先生の紹介の仕方は酷い物であった。都会から来た悠を落ち武者等と貶したのだ。が、悠は冷静に『誰が落ち武者だ』と返したことで周りの生徒は彼の度胸に驚いた。

 

 次に少女に関して説明が入ると思っていた生徒達。だが先生も余り知らないのか、特に何か特別な事は一切言わなかった。分かったのは少女の名が【辰姫 零】という事のみである。周りの学生同様、余り良い目で見られてはいない様だ。

 

 やがて先生の話が始まる。席を紹介されていない零と悠はその場に立ち尽くしていたが、突然座っていた1人の女子生徒が席について先生に話した事で2人は無事に座る事が出来た。どうやら席は誰かがずれる事で作っている様で、悠はその話をした女子生徒の隣。零は先程苦しんでいた男子生徒の隣であった。男子生徒は苦しみがまだあるのか、机に突っ伏している。

 

 その後、このクラスの担任でもある先生……諸岡 金四郎によって日程を教えられ、下校する時間となるまで零は静かに話を聞いていた。どうやら諸岡は生徒達から余り好かれていない様であり、周りの生徒は非常に残念だといった表情浮かべている。

 

 説明が終わったのか、諸岡は「明日から通常授業が始まるからな」と言って教室から出ようとする。だがその行動は突然流れた放送に止められてしまった。

 

『先生方にお知らせします。只今より、緊急職員会議を行いますので至急、職員室までお戻りください。また全校生徒は各自教室に戻り、絶対に指示があるまで下校しないでください』

 

 諸岡は少し黙った後、全員に教室から出ない様に指示を出してから教室を出て行く。そして少しして窓の外からパトカーのサイレンらしき音が聞こえた事で教室内はざわめいた。しかし零は教科書を鞄にしまい、後は指示が来るまで待つために本を取り出して読み始める。周りなど一切関係無い様だ。そんな零の前方では、天城と呼ばれた女子生徒に話かける男子生徒が居た。

 

「あ、あのさ、天城。ちょっと訊きたい事があるんだけど……天城の旅館にさ、山野アナが泊まってるってマジ?」

 

「悪いけどそう言うの、答えられない」

 

 男子生徒の質問に首を横に振って天城と呼ばれた女子生徒は答える。それを聞いて男子生徒は「だよな」と諦めて去っていった。と同時に女子生徒の後ろに居た者が話し掛ける。零と悠の席について諸岡に話した女子生徒だ。どうやら下校出来ない今の状態に不満を感じている様だ。

 

 すると突然再び放送が入った。内容は学区内で事件が起き、警察官が通学路に導入されるので、出来る限り保護者と連絡を取って欲しいという内容であった。そしてその放送と同時に零は立ち上がる。

 

「あ、ねぇ一緒に……」

 

「……」

 

 立ち上がった零に話をしていた女子生徒が話しかけるも、零は本を読んだまま気付かずに教室を出て行ってしまう。そんな姿を、天城と呼ばれた女子生徒は無言で見つめていた。そんな中、今度はもう1人の転入生である悠を誘う事にしたらしい女子生徒。悠はそれを了承し、一緒に帰る事にする。その時に苦しんでいた男子生徒と一悶着合ったりするが、悠はほぼ見ているだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 零は本を読みながら歩き続ける。普通歩きながら本を読むのは危険な行為であり、今現在町には霧が出ているため更に危ない状態である。だが零は読みながらも前方がしっかり確認できている様で、一切危ない事は起きなかった。

 

 しばらく歩いていると、零は人だかりが出来ているのに気が付いた。そこは事件が起きた場所であり、野次馬の話では『早退していた女子生徒が民家のアンテナに引っ掛かる女性の死体を発見した』。との事であった。

 

 零は本から一時目を離してその場を見る。だがまるで興味が無い様に本へ視線を戻すと、再び歩き始めようとする。が、突然低い声で声を掛けられて零は顔を上げた。

 

「お前、八十神高校の生徒か? ここは通すなって言ったんだがな……おい待て、本を読みながら歩くな。今は霧も出ているから危ないしな。分かったな?」

 

 零の前に現れたのは1人の男性だった。無償髭を生やしたその凛々しい顔つきに怯える人も居そうだが、零は顔を上げると特に気にした様子もなく歩こうとする。しかし再び声を掛けられ、本を読まずに歩く様に注意されてしまった。ここに居る事や、先程の言動から察するにこの男性は刑事か何かの職に就いているのだろう。零は軽く頭を下げると、鞄に本をしまって再び男性に頭を軽く下げてからその場を離れる。そして男性に見えないところまで到着すると、再び本を取り出して歩き読みを始めた。どうやら零から本を離すのは難しいらしい。

 

 しばらく歩き続けた零はやがて家でもある神社に到着する。すると境内の前に沢山の箱が沢山置かれている事に気付いた。かなり大きな物から小さい物まで色々あり、それを見て軽くため息をついた零は家の中に入る。その後、1つ1つ箱を家の中に入れ始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「? どうかしたの鳴上君?」

 

 悠は突然話し掛けられて顔を上げる。目の前には今日知り合った人物、里中 千枝がおり、その奥で天城 雪子が心配そうに悠の顔を見つめていた。

 

「ああ。今日一緒に転入した辰姫なんだが、実は会った事があるんだ」

 

「知り合いか何か?」

 

 悠は雪子の言葉に「いや、電車ですれ違ったぐらいだ」と答えると、再び考え始める。それを見て雪子は「何かあったの?」と質問した。その質問に悠は頷いてから口を開く。

 

「目の色が違う。横顔で見た時かなり印象に残ってるから間違いない。俺が見たのは『赤』だった」

 

「? でも私達が見た時は両方とも普通に『黒』かったよ? 見間違いじゃない?」

 

 悠の言葉に千枝は首を傾げて答える。そう、学校で出会った零の瞳は真っ黒であった。だが悠は電車の中で見た零の赤い瞳を確かに覚えている。吸い込まれそうとまで思ったくらいだ。だからこそ、その違いに悠は頭を悩ませる。しかし話の途中で事件現場に通りかかってしまい、その後悠達はその疑問を思考の外に出してしまった。

 

「横顔……赤い目……じゃあやっぱり」

 

 だが1人、天城 雪子のみは何かが引っかかるのか考えを止める事は無かった。



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辰姫 零 再会する

 4月17日。この日、零は神社の外を箒で掃いていた。服装は学生服でも私服でもなく、何と巫女服である。神社に居るのだから当然と言えば当然なのだが、この辺りでは余り見ない服装だ。

 

 学校は日曜日ので休み。空は晴天に恵まれ、零の目の前では子供達が遊んでいた。どうやら男の子が女の子に振り回されている様だ。

 

 零は掃除を終えると中へ入ると、小型の冷蔵庫を開ける。家の中には沢山の家具が置かれており、それは学校に初めて登校したあの日に置かれていた沢山の荷物の中身であった。学校から帰る度に少しずつ配置していったのだ。結果、神社の中はもう普通に暮らせる環境となっていた。

 

 零は冷蔵庫の中を見てため息をついた。中に入っているのは調味料のみであり、食べられそうな物が1つも入ってないからである。となれば買出しが必要だろう。零は着替えると、財布と買い物で必要な物を揃えて神社の戸締りをして外に出る。

 

 買い物をする場所、稲羽中央通り商店街には豆腐屋や染物屋といったお店が沢山あるものの、食材が置いてある店は意外な程に少ない。そんなこの町に、ジュネスという大きなデパートが建ったという話を零は生活の中で耳にしていた。どうやらそのジュネスのせいで商店街の活気が無くなっていると怒っている人も居る様である。が、零は特にそんな事は気にしない。

 

 ジュネスへの道のりを既に確認済みの零は、真っ直ぐにジュネスへ向かい始める。そして数十分移動した末に到着したのは見上げる程に大きな建物であった。扉の前に立てば勝手に開く自動ドア。商店街には存在しない設備である。零はそれに古と新の違いを感じながら中へ入った。どうやら最初の場所はエレベーターのみのフロアであり、そこから違う売り場へと移動する様だ。零は建物内の地図で食品売り場の場所を確認して、その階へ向かった。

 

 周りを見ても居るのは主婦の様な人ばかりであり、学生の姿は何処にも無い。そんな中で零は用意した籠へ適当に商品を入れていった。零は1人で暮らして居るため、料理は出来る。だが余り作る気は無いのか、その殆どが栄養食ばかりであった。

 

 零は買い物を終わらせて腕時計を見る。時刻は10時47分。ジュネスに着くまでが約30分程であり、買い物を終わらせて真っ直ぐに帰れば時間的にはお昼がまだ早い時間となる。実は零、建物内の地図に書かれていた【フードコート】という場所が気になっていた。だが真っ直ぐにそこへ行って食べるには時間が早く、それでいて食事を済ませられる程の時間が経てば肉類等は傷んでしまう可能性がある。少し考えた後、零は『1度帰ってもう1度来る』と言う結論に達した。

 

 30分程掛けて商店街に着いた零は、神社に向かう前に丸久豆腐店と書かれた看板のある豆腐屋に入った。中に居たのはお婆さん。そのお婆さんは零を見て「いらっしゃい」と笑顔で出迎える。

 

「お豆腐かい? それともがんもどきかい?」

 

 零はお婆さんの言葉に頷いた後、右手で3本指を立てた後に今度は2本立てる。その行動を見たお婆さんは少し分からないといった表情を浮かべるも、何かを思い出した様に「あらまぁ~」と嬉しそうに零へ視線を向けた。

 

「零ちゃんかい? 久しぶりだね~。帰って来てたのね」

 

 お婆さんの言葉に零は頭を下げる。その後お婆さんは「りせが居たら喜んだんだけどね~」と喋りながら、豆腐3つとがんもどき2つを用意して零に渡した。零はお金をお婆さんに渡して再び頭を下げると、丸久豆腐店から外へ。今の会話から分かる通り、ここは零が昔ここに住んでいた時からあるお店。そのため今のお婆さんは零の事を知っており、『りせ』というのは零の知り合いの名前であった。

 

 零は荷物を全て神社に置き、冷蔵庫に入れなくては駄目になってしまう物を速やかに入れる。そして数分休憩すれば、時間は11時30分。零は再びジュネスに向かって外出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零はフードコートで食事をする。昼にしては豪華なお肉料理。それを零はナイフとフォークを使って行儀良く食べていた。外食をする事はかなり贅沢な事であり、零はそれを出来る限り味わって食べ続ける。

 

 美味しく零が食事をしていたフードコート。その違う席に、悠は座っていた。悠だけではない。千枝と転入初日、苦しんでいた男子生徒……花村 陽介も座っている。そして彼らは非常に現実ではありえない話をしていた。それは雪子が行方不明になり、その雪子が『テレビの中に居る』という内容。そして彼らはその『テレビの中』に入る事が出来るのだ。

 

 食事を食べ終えた零。そんな零の目の前を3人は通り過ぎて行った。何か必死な様で、それで居て緊張もしている3人は零の存在に気づかない。零は通り過ぎた3人の明らかに可笑しな様子を見て少し不思議に思い、食べ終えた食器を片付けて3人を追い掛ける事にした。何時もの零ならば気にせずに帰るのだが、まるで『危険を覚悟している』かの様な表情を浮かべた3人を見れば気になるのも無理はない。

 

 3人が向かったのは家電製品が置かれている場所。だが零は3人の表情から何かを買うという考えは無いと思っていた。零は気付かれない様に3人の後を尾行する。

 

 やがて3人はテレビ売り場の方へと入って行った。そこは曲がり角となっており、零は静かに見える場所へと移動する。

 

「?」

 

 だが零は目の前の光景に首を傾げてしまう。確かにテレビ売り場の方へと入った3人。しかし見える場所に行っても、3人の姿は何処にも無かった。零はテレビ売り場の中に入って周りを見渡すが、やはり3人の姿は無い。少し周囲を見た後、零は諦めてその場を後にする。流石にテレビの中へ入るという発想は零には無い。故に1台のテレビ画面が波紋を生じさせていた事に、零は気付けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 4月30日。放課後、零は屋上で本を読んで居た。あの日以降、天城 雪子という生徒が居なくなったことで学校中がかなり騒いでいたが、今日無事に登校して来た事で学校関係者は安堵していた。

 

 ここ最近、この町では殺人事件が起きていた。最初は零と悠が転入した日に起きたアンテナに死体が引っかかっていた事件。そしてその事件の第一発見者が、後日同じ様に電柱に吊り下げられて発見されたのだ。この2人は一時行方が分からなくなっており、その後に死体で発見された事から雪子を心配する生徒もいた。しかし今回は無事に登校して来た事から、周りは非常に安心していた。

 

 突然屋上の扉が開かれる。そこから入ってきたのは、フードコートで見かけた悠達3人の姿であった。最初に零に気づいたのは悠。彼は零の姿を見て驚いた様な表情を浮かべる。悠の視線を追って、千枝と陽介も零の存在に気づいた。

 

「あ、えっと、辰姫さん、だっけ? ここで何を?」

 

 陽介が零に話し掛けると、零は本の間に栞を挟んで閉じてからそれを見せる。3人はその行為が『本を読んでいる』と言っているのだと分かった。が、何故ここなのか疑問にも思う。そしてそれよりも不味い事は、今から彼らは殺人事件について話そうとしていたのだ。ここに零が居る事は彼らに取って非常に不味い事であった。どうしようかと悩む悠達。しかし零は本を閉じたまま立ち上がると、屋上を後にする為に彼らの横を通過する。

 

「その、ごめんね? 気を使わせちゃって」

 

 その行動を見て千枝が零に謝ると、零は首を横に振って『気にしていない』と意思を示した。そして屋上から去る為に扉へ向かい、空いていた扉の向こうへ。目の前には階段。そして今日無事に登校を再開した天城 雪子が階段を上る姿があった。

 

「あ……」

 

 雪子は零の姿を見て固まる。何故か両手にはカップうどんとそばがあり、どうやら中にはお湯が入っている様だ。恐らく上に居る誰かが食べるのだろう。零は軽く頭を下げて去ろうとする。だが、

 

「ま、待って!」

 

 突然の静止の声に零は足を止めた。既に階段を下りている零は振り返って雪子を見上げる。雪子の表情は何かを戸惑っている様であり、だが少し時間が経った後に決意した表情で零へ話しかけた。

 

「もしも違うならごめんね。貴方は……姫ちゃん、なの?」

 

 雪子の言葉に零は黙る。そしてしばらく黙った後、静かに頷いた。と同時に零の目の前には人影が迫り、勢いよく押されるに近い衝撃を受けた零は倒れそうになるのをギリギリ耐える。首元にサラサラとした何かが当たり、それが髪だと分かるのにそこまで時間は要らなかった。背中には暖かい物があるため、それはカップうどんとそばだと分かる。そして零は今の状況を理解した。雪子が自分に抱きついているのだ。

 

「ずっと心配したんだよ!? あの日、神社に誰も居なくて。お母さんとか完二くんとか皆で探し回って……良かった、良かったよ……!」

 

 零は雪子の言葉を聞いてゆっくりと雪子の背中へ手を回す。そして背中を優しく叩く様にして雪子が落ち着く様に促した。だがしばらくこの状態が続いてしまい、結果的に雪子が元に戻った時には伸びてしまったカップうどんとそば。もう1度作り直す事になったのは仕方の無い事である。

 

 落ち着いた雪子と共に新しいカップうどんとそばを用意した零は帰宅する。その時雪子が一瞬寂しそうな顔をするも、彼女はこれから屋上の悠達と話をする予定だった事をすぐに思い出してお互いに別れる事になった。

 

「なんかさ。辰姫さんって物凄いレベル高いけど、あの関わるなオーラのせいで台無しって感じだよな」

 

「何時も本読んでるし、っていうか本しか読んでない気がするけど……あれ、なに読んでんだろ?」

 

 屋上に到着した雪子の耳に陽介と千枝の声が聞こえる。雪子が居ない間、事件の話では無く違う話をしていた様だ。そしてその内容は現在、先程までここに居た零の事になっていた。雪子は3人に待たせた事を少し謝ると、千枝に確認を取ってそばの方を渡す。

 

「姫ちゃんの話をしてたの?」

 

≪姫ちゃん?≫

 

 座り込んだ雪子が言った一言に千枝と陽介が驚いた様子で同じ事を聞き返す。それを見て雪子は「あ」と一瞬間の抜けた声を出した後に、自分が零と知り合いであった事を話し始めた。といっても詳しくと言う訳では無い。

 

 雪子の話を聞いて元々ここに住んでいた事を知った2人は『今度話しかけてみよう』といった会話をし始める。そしてそれを見て雪子は少し安心した表情を浮かべた。恐らく今の孤立した零の状況を彼女なりに心配していたのだろう。それに気づいた悠は黙って話す2人を見つめる。そしてしばらく他愛無い話をした後、事件について4人は話し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日、夜。零は神社の縁側に座って本を読んでいた。春の心地良い風が吹いて零の長い髪を揺らす。だが流石に真っ暗になると読んでいた本に栞を挟み、閉じて中へ入る。そして閉めようとして、

 

『コン!』

 

 完全に襖が閉まるその前に、何かが勢い良く零の目の前を通過した。そしてそれは部屋の真ん中に置かれていたテーブルの上に座る。零は余りの出来事に閉めた襖に手を掛けたまま自分を見つめている生き物を見続ける。零は零で驚いているのだが、完全に無表情であった。

 

 お互いに見つめ合い続ける事数分。突然目の前に居たそれはテーブルから飛び降りて零の周りを駆け回り始める。そして何週かした後、零の足元に擦り寄り始めた。零はそれに答える様に頭を触る。黄色い毛に尖った耳。左目の部分と右目の斜め上に傷が出来ており、目つきは非常に鋭い。……それは誰がどう見ても狐であった。どうやら零は気に入られたようだ。

 

 その後、何故かキツネは零の近くから離れなかった。零はテーブルで本を読むが、その横に静かにキツネは座り続けており、何が楽しいのか零には分からなかった。流石に風呂に入る時などはついて来る事は無かったが、それ以外ではほぼ零と同じ場所に座っていた。だがそれもかなり遅くになると流石に何かがある様で、零に頭を下げた体勢のまま固まる。その様子に何となく零が頭を撫でると、キツネは器用に襖を開けて外へ飛び出して行った。

 

 零は去ったキツネを見送り、開いたままの襖を閉めて布団を敷く。そしてその日は眠る事にした。明日は休日のため、零は何をしようか考えながら目を閉じるのだった。



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辰姫 零 誘われる

 5月2日。放課後。この日、周りの生徒達は喜び半分悲しみ半分であった。喜びは明日から数日間の連休、ゴールデンウィークが始まるからである。何処か遠くに出かける者もいる様だ。対する悲しみは来週、中間テストという学生にとって非常に地獄の連日が待っているからである。勉強が出来る者にとっては自分の力を確認する良いチャンスだが、出来ない人間にとっては非常に辛い行事である。

 

 零は放課後になると決まって屋上に行く習慣がついていた。そこが非常に落ち着くというのが主な理由である。だがこの日は雨が降ってしまっており、地面は確実に濡れている事だろう。そうなればシートか何かを引かなければ濡れてしまう。だが零はその様な物を用意していない為、この日は真っ直ぐ帰る事にした。

 

 教室を出て階段を下りる。そして下駄箱まで歩こうとした時、零は突然呼び止められた。呼んだのは……雪子だ。

 

「姫ちゃん。帰るの?」

 

 雪子の言葉に零は頷く。すると雪子は何かを考える様に一度顔を伏せ、何かを思い付いた様にその顔を上げて「明日からゴールデンウィークだよね?」と零に続けて話し掛けた。その通りのため、零は頷いて返す。その様子を見て雪子は笑顔になった。

 

「どこかで遊ぼうよ。友達も紹介するから、ね?」

 

 遊びの誘い。どうやら雪子の方は既に予定が出来ているのか、遊べる日がある様だ。零はその言葉に少し黙った後、ポケットから何かを取り出す。それはメモ帳であった。

 

 零は同じポケットにボールペンを入れており、そこに何かを書くと千切って雪子へ渡す。そこには綺麗な字で『何時でも、平気』と書かれていた。雪子はそれを見て一瞬不思議そうな顔をするも、すぐに「それじゃあね」と言って離れていく。零はそんな雪子を見送り、今度こそ学校を出て家へと向かう。

 

 零と別れた雪子は渡された紙を見てとある疑問に首を傾げていた。そんな時、ちょうど悠が通りかかる。悠は何かを考えている雪子に気付くと、声を掛けた。

 

「どうした?」

 

「あ、鳴上君。……ねぇ、鳴上君は姫ちゃんと電車ですれ違ったんだよね?」

 

「あぁ。……俺の不注意でその時、ぶつかったんだ」

 

 雪子は目の前に現れた悠に驚くも、今度は思い出した様に悠へ質問する。思い出したのは転入してきた日、悠が話していた内容だ。雪子が何かを確かめようと必死な姿に悠はその時の事を思い出す。そしてそれを聞いた雪子は「その時姫ちゃん、何か言わなかった? どんな言葉でも良いの」と続けて質問。悠は言われてあの時の事を思い出す。

 

『怪我は無いか?』

 

『……ん』

 

 ふと思い出したのは怪我が無いかを確かめるために聞いた時、小さく鳴く様な声で頷きながら言った返事。こんなことでも良いのか? と考えながら、悠はそれを雪子に告げる。雪子はそれを聞いて持っていた紙を見つめ始め、悠も釣られてそれを覗き込む。

 

「姫ちゃんに遊べる日を聞いたんだけど、紙に書いて答えたの。喋れないって思ったんだけど、違うんだね。……ならどうして」

 

 雪子の疑問に対する答えを悠は持っていなかった。その後、雪子は「ごめんね、突然聞いちゃって」と答えて去り、悠もやることがあったのか学校の外へ出る事にした。ゴールデンウィークは明日からだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月3日。昼間。零は何時も通りに巫女服で境内の外を掃いていた。憲法記念日で学校は休みであり、その翌日と翌々日も休みである。計3日間の連休。零は何も無ければ今の様な生活を送る事だろう。だが幸か不幸か、何も無い休みとはならない様だ。

 

「おはよう、姫ちゃん」

 

 零の目の前に私服の雪子が現れる。零は箒で掃いていた地面から雪子へと視線を動かしていくと、雪子は少し驚いた様な表情で「み、巫女さんの服なんだ」と顔を伏せながら呟いて黙ってしまう。が、黙ってしまった雪子を見て零は再び掃除を始めてしまう。どうやらしっかりと用件を伝えなければ、自分の作業に零は戻ってしまう様だ。

 

「遊ぼうって約束覚えてる? この後私大丈夫だし、駄目かな? 友達も皆居るし、どう?」

 

 作業に戻ってしまった零を見て少々慌てながら遊びに誘った雪子。零は掃いていた箒を止めて少し黙った後、頷いてから一度境内に入る。雪子は入ってしまった事に一瞬驚いてしまうも、待つこと数分。私服姿の零が雪子の前に現れた。そして雪子の前に立ち、ジッと視線を向ける。『準備は良い』という意味だろう。雪子はそれを理解すると、待ち合わせ場所であるジュネスのフードコートに向かって歩き始める。そしてそれに零もついて行くのだった。

 

 同時刻、ジュネスのフードコートに向かって悠と千枝。そして悠の従妹である堂島 菜々子は歩いていた。普段誰かと外に出る事の無い菜々子はご機嫌な様子である。そんな姿を見て千枝は微笑むと「あ、そうだ」と思い出した様に悠へ話し掛けた。

 

「辰姫さん、覚えてる?」

 

「あぁ」

 

「雪子が誘いたいって言ってたから、多分一緒に来るよ。だからさ、どうにかして友達になろうよ! 辰姫さん、友達あんまり居なさそうだからさ」

 

 千枝の言葉に悠は頷く。自分のいない場所で自分に関する事が起きていると、零は知る由も無い。そしてこの行動がやがて、彼女の心を大きく揺らす事を悠達は知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジュネスのフードコートにて、陽介を含めた6人は合流していた。どうやら雪子と零が最後だった様で、到着した時に何故か菜々子以外の3人が緊張した表情をしている。それは話し難そうなオーラを出している零のせいなのだが、本人は一切その気が無いので分かっていなかった。

 

「い、一応全員揃ったな。ってかさ、ゴールデンウィークだってのにこんな店じゃ菜々子ちゃん可哀想だろ」

 

「だって他に無いじゃん」

 

「ジュネス、大好き!」

 

 緊張を解く為か、陽介が千枝に話し掛ける。別に悪い場所という訳でもないのだが、どうやら陽介としては余り良い場所では無いらしい。だが千枝の頭の中には他に良い場所も思いつかなかった様で、そんな中菜々子が非常に良い笑顔でジュネスが好きだと告げる。その言葉に陽介が菜々子を天使の様に見つめた。嬉しかった様だ。

 

 だがその後に菜々子は少し残念そうに、本当は旅行に行く予定だった事を話す。その時の楽しみの1つに『お弁当を持っていく』という内容があり、作るのが悠だと聞いて千枝が悠をお兄ちゃんと呼んだ。その言葉に誰よりも菜々子が驚いた様な表情で悠を見つめる。どうやら今この時、菜々子の中で悠が自分に取って『お兄ちゃん』の様な存在だと確立された様だ。

 

 千枝が自分も料理が作れると告げ、陽介がそれを否定する。そしてそれに雪子も賛同した。すると雪子が入った事により、1人会話に参加していない人物を思い出す。

 

「……」

 

「い、何時も通りだな」

 

 零は話に参加せず、1人静かに本を読んでいた。そんな光景に陽介は非常に引き攣った表情を浮かべながら話す。まさかこの状況でも本を読むとは微塵も思っていなかったのだろう。しかし雪子が「今日は駄~目」とまるで子供を叱る様に零の持っていた本を取り上げてしまう。零はその行動に顔を上げて雪子を見た後、ため息を付いて栞を取り出した。雪子がそれを見て本を返せば、栞を挟んで鞄にしまう。

 

「ね、ねぇ。辰姫さんは料理出来るの?」

 

 話をしようと千枝が零に質問をする。だが零は喋らずに頷いて答えるため、陽介が「うわ、会話にならねぇ」と焦った様な表情を浮かべた。それを見て、今度は悠が少し考えた後に質問をする。

 

「辰姫はどうして引っ越して来たんだ?」

 

 それは頷いたりするだけでは答えられない質問。陽介は目で『良くやった!』と称賛の視線を送り、雪子は興味があるのか零を見ている。すると零はポケットから昨日と同じ様にメモ帳とボールペンを取り出した。その行動に陽介と千枝は驚き、雪子は心配そうに見つめる。

 

「わぁ! 書くの早い!」

 

 菜々子が零の書くスピードを見て驚きの声を上げる。零は速筆であり、達筆でもあった事でメモ帳には誰もが読める綺麗な字が書かれる。

 

『叔母の世話になっていた。叔母が亡くなった。前の家に帰ってきた』

 

 それは箇条書きの説明だった。そしてそれを見て陽介が先程とは真逆の『なんて事聞いたんだよ!』と非難の視線を悠に向ける。『叔母が亡くなった』の部分で不味いと思ったのだろう。悠が「悪かった」と言うと、零は首を横に振った。

 

「よ、よし! 奈々子ちゃん。一緒にジュース買いに行くか!」

 

「うん!」

 

「え、えっと……あたしも菜々子ちゃんになんか奢ってあげよ!」

 

 最初に陽介が元気良く菜々子にジュースを買いに行くと言ってその場を去る。その行動に非常に小さい声で千枝が「逃げやがった」と言うと、まったく同じ様に何かを奈々子に奢ろうと彼女もその場を去った。結果、残ったのは零と雪子と悠の3人だけ。

 

「姫ちゃん。少しお店の中を見てみない?」

 

 雪子が零に話し掛けて立ち上がる。零もその言葉に頷いて立ち上がると、2人はこの場から去って行った。そうして取り残された悠は菜々子から声を掛けられ、ほのかな絆を感じながら菜々子の元に向かって歩き出すのだった。

 

 その後。零は喋る事は殆ど無かったが、悠は菜々子と仲間達と共に楽しい時間を過ごすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月5日。こどもの日。学校は休みである。毎日欠かさず零は神社の前を掃除しているため、すっかり子供達からもこの神社の住人だと認識される様になっていた。それでいて騒いでも何も言わないため、子供達は頻繁に神社の前で遊んでいる。が、何故か今日に限っては子供達の姿が何処にも無かった。

 

 静寂が包む神社。すると突然、キツネが零の前に現れる。そして零を見て一度鳴くと、その周囲を駆け回り始めた。キツネの口には何かが加えられており、首には袋の様な物がぶら下がっている。

 

「辰姫?」

 

 突然掛けられた声に零は顔を向ける。そこには悠が立っており、どうやら零の今の状況と格好を見て驚いている様だった。クラスメイト、しかも一緒に転入してきた零が巫女服で神社を掃除しているとは普通思わないからだろう。そしてキツネがすぐ傍に居る事にも驚いていた。

 

 零は悠に軽く頭を下げると、キツネを一回止まらせて加えている物を触る。するとキツネはそれを零の手の上に置いた。それは絵馬であり、『おじいちゃんの足が良くなりますように けいた』と書かれている。そしてその絵馬の裏には1枚の葉っぱ。零はそれを受け取ると、キツネに頷いた。

 

 キツネは次に悠の目の前へ移動すると、袋を悠に見せる様な行動をする。悠はそれを見て一度不思議そうな顔をするが、意味が分かったのか袋をキツネから受け取って中を確認した。その中には非常に沢山の葉。何故か悠はその葉を徐に一枚口に入れる。何故やったのかは、悠自身も分からない。だがその行為は悠を更に驚かせた。今日1日の疲れが嘘の様に消えたのだ。

 

 悠は驚いた様子で葉を見た後、今度はキツネに視線を向ける。悠は『テレビの中』でキツネの様な助っ人が居てくれたら、と想像した。するとキツネはそれが分かったかの様に賽銭箱の方へ走り、中に入れる様に催促した。悠はその意味が分かり、再び近寄って来たキツネを撫でる。悠の事情を知らない零はキツネの行った行為の意味を当然分からず、首を傾げる。そんな彼女を見て、悠は零の思考を逸らす事にした。

 

「さっきのは何だ?」

 

『願い事。叶える』

 

 悠の質問に零はメモを取り出して書き、見せる。どうやら先程絵馬に書かれていたお願いを零が解決するつもりらしい。今のならば『おじいちゃん』を探して葉っぱを渡せば良いのだろう。悠は少し考えた後、零に『手伝うか?』と聞く。その言葉に零は少し黙った後、首を横に振った。だが悠には心なしか零の表情が少し嬉しそうに見えた。と同時に悠は零とキツネとの間にほのかな絆の芽生えを感じ、その後悠は明日学校で会う事を零に約束して帰宅する。

 

 悠が居なくなった神社で、零は再び掃除を開始する。何故かキツネは帰らずに零の近くに居り、しばらくこの状態は続くのだった。



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辰姫 零 春のテストを終える

 5月9日。午前。教室の中は静まり返っていた。稀に聞こえるのはペンの音と紙の擦れる音。今生徒達は全員、テストに集中しているのだ。

 

 悠は偶に手が止まるも、比較的スラスラと書いている。雪子は止まる事無くペンが動き続け、千枝と陽介は1度止まるとしばらく動かなかった。そして零は……既に終わっていた。

 

 テストの時間は50分。今の時間は開始15分。早くても半分程が普通だろう。だが零の場合、普段から筆談をしている故か非常に書くのが早い。それでいて伝える内容だけをすぐに頭の中で選んで書く判断力もあるため、問題が出ても素早く答えを頭の中に浮かべる事が出来るのだ。書く内容が決まれば、それを物凄い速さで書き記す。そんな事が繰り返す内に、気付けばテストは終了してしまった。

 

 テスト中なので本を読む事は出来ない。かといって授業の時には本の代わりに教科書を呼んでいたため、今現在その教科書すら無い机の上では自分が書いた答えを見直すしかなかった。零にとっては非常に退屈な時間。他の生徒の様に悩むのではなく、退屈という理由で地獄の時間を過ごす事となった。

 

 同日。放課後。1日目のテストが終わった教室は明日の事でテンションがかなり低かった。大体の生徒は勉強をするため、早めに帰ったり図書室に向かっている。この日は悠達も早めに帰るつもりで、零も屋上が閉まっている故に早く帰る事にした。

 

 本を読みながらの帰宅。既に零は前を見なくても道に何があるかを把握した様で、本にかなり集中している。そして神社の近くに来た時、町内掲示板にふと視線が留まった。そこには何個かのアルバイトも募集されており、零はそれを見続ける。

 

 零の住む神社、辰姫神社には賽銭箱がある。だが賽銭箱に入るお金など殆ど無いのが現状だ。零はここに来る前にお金を貯めていたが、放っておいてもお金は無くなるもの。八十神高校はアルバイトを禁止している訳では無い為、零はアルバイトをする事にした。選んだのは……封筒貼りの仕事。家で出来る物が良いのだろう。どうやら何処かに連絡する必要も無い様で、仕事を熟して送るだけで給料が入る仕組みの様である。

 

 メモを取り出して送る場所等を書き写すと、零は神社へと戻っていった。そして神社で行動する時の決まりなのか、巫女服に着替えてから神社の前を掃除し始める。これは雨の日以外は必ず行う零の仕事である。そして約1時間程掃除を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 同日。夜。零は本を読んでいた。既に時間は22時を過ぎ、神社の中は静まり返っていた。実はこの家、テレビが無いのだ。元々零自身テレビを見る習慣が無いのか、家にはテレビが置かれていない。その代わり部屋の隅には本棚が置かれており、そこには大量の本が入っている。種類は特に決まっていない様で、若者向けのノベル作品から歴史物の様な硬い内容まで様々である。

 

 突然何かの唸り声の様な音が聞こえ、零は本から目を離す。その唸り声は徐々に近づいており、最後にはすぐ側にまで聞こえる様になった。どうやら場所は神社の外の様だ。

 

 零は唸り声の元凶を確かめるつもりで神社の外へ出る。最初に外に出た時に見えたのは何かの明かり。その明かりは物凄い数ある様で、移動しているのが見て取れた。そして零が神社の鳥居辺りに到着した時、若者の笑い声が聞こえる。その声で零は元凶が何なのかに気づいた。

 

 うなり声の正体はバイク。そして若者は暴走族だ。どうやらこんな真夜中でも彼らには関係ない様で、好きな様に大きな音を出して近所をお構い無しに我が物顔で通り過ぎようとする。零はそれを静かに見続けていた。そして居なくなったのを見て神社に帰ろうとした時、金髪の青年が1人で神社の目の前を怖い顔で通り過ぎて行く。零は少しの間その青年を黙って見送った後、一度神社の中に戻ると箱を持ってその青年の後を追い掛けた。

 

 青年を追って到着したのは河川敷。そこで先程の暴走族と青年は喧嘩をしていた。よく見れば影に隠れる様にしてカメラを持った人が何人かでその映像を取っている。そしてしばらく喧嘩をした後、青年がカメラに向かって何かを叫ぶと再び喧嘩を始めた。1対多でありながらも、青年は喧嘩が強いのか周りを次々に倒していく。だがやはり人数と言うのは大きなハンデであり、稀に青年も殴られたりしていた。

 

 零は追い掛けて来たものの、目の前の喧嘩に飛び込む事はしない。遠くから見ているだけだ。そしてしばらく続いた喧嘩はやがて青年の強さに恐れをなした暴走族が逃げて行く事で決着が付いた。カメラを持った者達は逃げていった暴走族を追って行き、青年だけがその場に残る。青年は流石に疲れたのか近くにあった休憩所に腰を下ろした。そしてそれを見た零は青年へ近づき始める。

 

「んぁ? 何だよテメェ?」

 

 青年は零に気づくと威圧する様に話し掛ける。だが零は一切怯える事無く、青年に近づいて持っていた箱から道具を取り出した。それは怪我を消毒する薬とティッシュ。そして絆創膏である。零が持ってきたのは救急箱だ。

 

 零は何も言わずに突然青年の腕を取ると、怪我を確認。そこには切り傷の様なものがあった。恐らく先程の喧嘩で怪我をしたのだろう。顔にも殴られたせいか口元に少し痣が出来ており、血が出ている。そして零は切り傷と顔をかなりの手際で消毒し、絆創膏を張る。それは青年がハッとした頃には全て終わっていた。

 

「お、おま!? 何やってんだよ!」

 

「?」

 

 青年はすぐに立ち上がって吼える様に言うも、零は首を傾げるだけであった。それを見て青年はため息をついた後、顔を赤くして下を向きながら「あ、ありがとよ」とお礼を言う。どうやらお礼を言う事には慣れていない様で、異性と話すのも慣れていない様だ。零はその言葉に静かに頷くと、救急箱を片手にその場を離れる。青年は未だに下を向いているせいで離れていた事に気づかず、ふと前を見た時には目の前に誰も居なくなっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 5月12日。放課後。教室の中は解放感に包まれていた。中間テストが終わったのだ。零の目の前では千枝が雪子と共に答え合わせをしており、陽介は悠にテストが終わった事を嬉しそうに話していた。

 

「鳴上君、辰姫さん、太陽系で最も高い山って何にした?」

 

 帰る支度をしていた零は突然の質問に手を止める。当たり前の様に零に話し掛ける千枝に悠は内心で驚きと共に感心しながら、答えだと思った事を千枝に告げる。彼の答えは『オリンポス山』だ。そして悠の言葉を聞いて零は同意する様に頷いた。千枝はそんな2人の答えに「違うのにしちゃったよ!」と頭を抱え、雪子は零に「私と同じ答えだね」と笑って続けた。

 

「えっ、天城も!? 3人それじゃあ確実に正解っぽいじゃん……あぁ~あ、廊下に貼り出されんのが楽しみだよ、ったく」

 

 陽介は3人が同じ答えと聞いて確実にオリンポス山が正解だと確信し、ため息をついた。余り良い手応えは感じていない様だ。中間テストの結果は廊下に張り出されるため、悪い結果なら簡単に自分が馬鹿だと晒されてしまう。反対に良い結果なら、信頼されやすくもなるだろう。

 

 教室の端で男子生徒達が話しているのが全員の耳に聞こえる。内容は『テレビ局が来ており、暴走族の取材をしている』との事であった。その会話で自分に族の友達が居ると、本当かどうか分からない事を話す男子生徒。そんな彼の話は気にせず、悠達は暴走族について話し始める。陽介の話では『伝説を作った1年生が八十神高校に居る』との事であり、雪子がその言葉に目を輝かせる。伝説の意味を勘違いしている様で、そこは千枝が冷静に突っ込んだ。

 

 何はともあれ、テストは終了した。零が席を立つと雪子が「もう帰るの?」と質問をするが、零は首を横に振ると教室を出て行った。その行動に全員が首を傾げる。

 

「帰らない? じゃあ何処に行くんだろ?」

 

「あんまり寄り道しそうなイメージは無いよな。いや、意外にも悪かったりして」

 

「姫ちゃんに限ってそれは無いから」

 

「じょ、冗談だって天城」

 

 千枝の言葉に陽介が思った事を言うも、少し威圧感を出した雪子の言葉によって否定される。何故か普段と雰囲気が違うのは、零を冗談とはいえ悪く言ったからなのだろうか……余りの怖さに陽介は冷や汗を流しながら雪子に答えた。

 

「行く場所……屋上、かもな」

 

≪そこだ!≫

 

 悠の言葉に全員の言葉が一斉に重なるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 屋上の扉の前で悠達4人は固まっていた。何かを決意した様な表情を浮かべる千枝とソワソワしている陽介。深呼吸している雪子に何時も通りの悠。4人はこれから大きな事を始めようとしていた。題して、

 

「第2回、辰姫さんと仲良くなろう大作戦。やるよ!」

 

「第2回って。1回はいつやったんだよ?」

 

「奈々子ちゃんと一緒にジュネスに行った時に決まってるっしょ」

 

「あぁ、あれな。……絶対失敗だったよな、あれ」

 

「2人とも途中で逃げたもんね」

 

 雪子の言葉に悠は黙って頷いた。菜々子を含めた6人で行動した時、途中で確かに陽介と千枝は菜々子を理由に逃げたのだ。最後の最後には雪子がほぼ一方的な会話で零と話しており、悠は菜々子の相手もあったため、もしもあれが作戦ならば完全に失敗である。

 

 陽介と千枝は雪子の言葉と悠の行動に苦虫を潰した様な表情になる。そして陽介が「仕方ないだろ、あれは」と答えた。どうやら千枝も思っているらしく、頷きながら「鳴上君の質問も悪かったしね」と悠に罪を分ける様に告げた。その言葉に悠も苦虫を潰した様な表情になる。

 

「一筋縄ではいかないって事だよな。なぁ天城、昔はどうやって仲良くなったんだよ?」

 

「え? うーん。姫ちゃんは昔も静かだったけど、今みたいに筆談じゃなかったよ。途切れ途切れだけど話してたし、一応それで会話は出来てたからその頃に比べると難しいかも」

 

「そこなんだよね。やっぱ会話が出来ないとさ、仲良くなろうにも難しいじゃん」

 

「会話無しで仲良くなるなんてどんな無理ゲーだっつの」

 

「とにかく行こう」

 

 陽介の言葉を聞いた悠は屋上の扉を開ける。ドアノブに手を触れた時に陽介が「ま、待て! 心の準備が!」と大き目の声で言ったが、悠は止まらずにドアを開いた。屋上の扉は非常に大きな音を立てる。そして屋上は人が少ないため、扉が開けば嫌でも目立つ。

 

 悠はドアで見えない左側を見るためにドアよりも少し前に歩く。すると案の定、屋上にある石の段差に座って本を読む零の姿があった。そしてそれに気付いた悠は臆する事無く、零へ近づき始めた。余りにも堂々とした悠の行動に陽介は「相棒、スゲェよ」と呟いて彼に続く。ポカンとしていた千枝は雪子に「行こ?」と言われ、彼らに続いた。そして零の前に立った3人。しばらく沈黙が続いた後、陽介が話し掛けた。

 

「た、辰姫さん。あー、何読んでるんだ?」

 

 零は話し掛けられると、読んでいた本に栞を挟んで閉じる。その時に片手で音を立てて閉じたため、陽介は不味いかも知れないと心の中で思った。しかし零は立ち上がると、陽介の前に立って本を差し出す。予想外の行動に一瞬固まるも、すぐに我に返ると陽介はぎこちなくお礼を言って本を受け取った。本の題名は……狐の気持ち。

 

「くっ、ぷぷ、あ、あははは! 姫ちゃん! 読んでるの昔とあ、あんまり変わらない! つ、ツボ、ツボに入った!」

 

「お、俺が思ってたのと違う……」

 

「あたし、てっきり難しい本とか読んでると思った」

 

 本の題名を見た瞬間、雪子が物凄い勢いで笑い始める。陽介は受け取った本を見て非常に複雑そうな顔をしており、千枝は少し安心したのか笑顔になっている。そして悠は。

 

「……可愛いな」

 

「いっ!」

 

「な、鳴上君!?」

 

「あ、あははは! あはは、く、苦しい!」

 

 思った事を素直に呟く。が、その言葉に陽介は凄いものを見る様に。千枝はかなり驚いた様な表情で悠を見る。雪子は笑いで聞こえていない様だ。

 

 悠としては『静かで難しいのを読んでいそうなのに、意外にも可愛らしい本を読んでいる事』に「可愛い」と言ったのだが、普通の人はそうは思わない。当たり前の様に異性に可愛いと言うのは中々出来ない事だ。悠は驚く2人の意味が分からない様に不思議そうな顔をする。そして言われた本人は……相変わらずの無表情だった。

 

 陽介は悠に近づくと、先程とまったく同じ様に「相棒、スゲェよ」と告げる。だが先程と違ってその視線はまるで憧れの人物を見る様子であった。先程の様に自然な感じで人を褒めた悠に感心しているのだろう。モテる秘訣の1つだとも感じている様だ。非常に微妙な空気が屋上に漂ってしまい、全員が黙ってしまう。

 

「だ、誰か止めて! あ、あははは!」

 

 1人を除いて。



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辰姫 零 気付かず過ごす

 5月16日。放課後。零は屋上で何時も通り本を読んだ後、帰宅する為に神社へ向かって歩いていた。学校が終わってから少し時間が経っているため、チラホラと学生の姿も見える。そして

 

『何見てんだぁゴラァァ!!』

 

 突然男の怒鳴り声が商店街に木霊する。現在零は本を読みながら豆腐屋の前を歩いており、怒鳴り声に顔を上げる。すると商店街の北側から悠達4人がまるで何かから逃げる姿が見えた。そして歩いていた零の真横を通り過ぎる。その時ふと見えた彼らの横顔は何かに恐怖しているかの様であった。

 

 零は4人から視線を外すと、真っ直ぐに北側へ入る。そして神社の鳥居の前で足を止めた。零の視線の先には1人の青年。その青年は悠達の逃げ去った南側を何故か睨み付けている。そして零の姿に気付くと驚いた様子で歩み寄った。

 

「あの時の奴だよな。お前」

 

 青年の言う『あの時』とは、恐らく暴走族と喧嘩をしていた5月9日の夜の事だろう。零は青年の問いに頷くと、神社の中へ入ろうとする。そんな零に青年は「あ、おい! 待てよ!」と声を掛けた。

 

「なぁ? 何でその……手当てしてくれたんだ?」

 

「?」

 

 少し顔を赤くしながら聞いた青年。しかし零はまるで意味が分かっていない様に首を傾げた。青年はそんな零を見て少し黙った後、「まさか、理由なんてねぇのか?」と質問をする。零は静かに首を縦に振ってそれを肯定すると、メモを取り出して文字を書いてから見せる。

 

「何だよ、怪我は治療すれば早く治る? ……いや、そうだけどよ。ってかお前、喋れないんだな。……あのよ。今更だけど、俺の事怖くないのかよ?」

 

 紙に書いてあった内容を読み上げた後、零が喋らない事に理解した青年はずっと気になっていた質問をする。確かに青年の見た目は少し怖めだ。そして何よりも青年は暴走族と喧嘩をしていた瞬間を零が見ていた事に気づいている。怪我の治療をされた時に、見られていたのだと悟ったのだ。そんな事があったのに、今現在目の前の零は青年に臆する事無く無表情で接している。実は我慢しているのではないか? と、零の本心が知りたかったのだ。

 

 零は青年の言葉に首を横に振る。そして再び紙に書いてそれを渡した。紙を受け取った青年はその紙を読む為に下を向く。今度はかなり字数があり、青年は少し読むのに時間が掛かった。が、それを読み終えた時。青年の顔は驚きに染まっていた。

 

「何でテメェが知って……って居ねぇのかよ!」

 

 読むのに時間を掛け過ぎたのかも知れない。既に青年が顔を上げた時、零の姿はそこに無かった。神社の中へ入ってしまっただけなのだが、未だに町の住人は一部を除いて神社の中が無人だと思っている者も多く、青年もその1人であったために何処へ行ったのか分からない。

 

 青年は受け取った紙を再び見る。そこには2度出会っただけでは絶対に知りえない自分の趣味や得意な事が書かれており、最後にはこう書かれていた。

 

『完二は優しい。変わらない』

 

 それを見て青年……巽 完二は黙って考え始めるのだった。

 

 

 

 

 

 5月17日。放課後。今日、零は屋上へは行かずに真っ直ぐ家に帰宅する。どうやら何か用事があるらしい。そして校門を通ろうとした時、何故か隠れている悠達4人の姿を見つけた。何故隠れているのか分からない零は首を傾げるが、零の存在に気づいた雪子は「姫ちゃん!?」と小さめな声で驚く。そして慌てた様に千枝が「と、とにかく隠れて!」と言ってかなりの速さで零の腕を引っ張って強引に隠れさせた。

 

「今日は屋上に行かなかったんだね?」

 

 雪子の言葉に頷く零。すると千枝が「来たよ!」と突然声を上げる。それを合図に全員が身を潜め、彼らは一斉にある光景を監視し始めた。

 

「ごめん、待たせちゃったかな?」

 

「オ、オレも今、来たトコだから……」

 

 そこには帽子を被った小柄な少年らしき人物と一緒にその場を去る完二の姿があった。2人はまるで恋人が待ち合わせをしていたかの様な会話をするとその場から離れて行く。そしてその光景を見て陽介が引き攣った顔で「何だあれ?」と言った。他人から見れば完全に付き合っている2人だろう。だが、どう見ても2人は同性。付き合っているとするならば、引いてしまうのは当然である。

 

「と、とにかく追っ掛けようよ! 見失っちゃうって!」

 

「お、おう。じゃあ2手に分かれよう。完二を尾行するのと、店の張り込みな」

 

 陽介の言葉に千枝が相手を見つけるために周りを見る。そして零に視線を止めると「あ」と少し間抜けな声を出した。現在、今の状況の意味が分からない零は静かに本を読んでいた。が、本を持つのは片手。器用に親指で頁を捲っている。何故そんな読み方をしているかといえば……千枝が片腕を掴んでいたからだ。千枝はすぐに離して「辰姫さん、ごめんね?」と謝る。零は解放された腕を本に戻すと、無言でその場から歩き出した。

 

「あたし、怒らせちゃった?」

 

「昔からああだから大丈夫だよ。姫ちゃんが怒ったの、見たこと無いし」

 

 去って行く零を見ながら千枝が不安そうに聞くも、雪子の言葉に「そっか」と安心してから本来の目的に思考を戻す。そして気が付いた。もう完二の姿がかなり遠くにある事に。

 

 千枝はそれに気づいて陽介に「行くよ!」と言って走り始める。そして陽介が気づかれない様に恋人の振りをすると千枝に走りながら提案するも、バッサリと却下されてしまった。

 

 校門に取り残された雪子と悠。離れていく2人を見ながら雪子は「私達は染物屋さんだね」と悠に言う。悠はそれに頷くと、2人で染物屋へ向かう事にした。すると雪子が何かに気づいた様子で「少し急がない?」と悠に提案。理由の分からない悠は取り敢えず雪子の言葉に頷いて軽く走り始める。やがて数分すると……零の後姿が見えた。それを見て悠は納得する。

 

「姫ちゃん。私達、染物屋さんに用があるんだ。途中まで一緒に行かない?」

 

 突然聞こえた雪子の声に振り返った零。雪子が内容を言うと、零は静かに頷いて歩き始めた。そして悠と雪子で零を挟む様にして並ぶ。

 

 悠は非常に迷っていた。一緒に帰るまでは良い。だが一切会話が無い(・・・・・・・)のは非常に居心地が悪い。何でも良い、何か話を振らなくては。どんな内容の話を振るべきなのだろう? と。そしてすぐに思い浮かんだ選択肢は4つ。

 

『本の内容を聞く』

『目の色について聞く』

『今現在彼氏が居るのかを聞く』

『屋上に行かなかった理由を聞く』

 

 

「今日は真っ直ぐ帰るんだね?」

 

 だが選択する前に、悠は雪子に先を越されてしまう。零は雪子の言葉に頷くだけで本を読むのは止めない。やはり零と上手く話すには、否定と肯定では答えられない様な質問をするしか無い様だと悠は考える。そして雪子も同じ考えに至ったらしく、今度は形を変えて「どうして今日は屋上には行かなかったの?」と質問をした。すると零は本に栞を挟んで閉じ、メモに書き始める。器用に持っている本を下敷き代わりにしたため、字は何時もどおりの達筆だ。そうして記された答えは……『買い物』。

 

「買い物ってジュネスとかに行くの?」

 

『ジュネス。丸久豆腐店。四目内堂書店』

 

「辰姫らしいな。買い物の時は毎回行くのか?」

 

 雪子の質問に行く場所を箇条書きで示した零。悠はその最後に書かれていた四目内堂書店を見て何となく想像がつき、質問をした。零はその質問に頷くと前を見る。既に場所は商店街となっており、今現在3人が立っているのは神社の前だ。雪子はそれに気づくと、「それじゃあね?」と零に言う。それに頷いて返した零は鳥居を潜って中に入って行った。それを2人で見送り、雪子は飲み物を買いに行くと言ってその場を後にする。染物屋を見張るなら鳥居の近くが一番良いだろうと悠は考え、その場を動かない事にした。

 

 染物屋を稀に視界の端に入れながら、悠はその場に立ち続ける。そして何となく体と共に視界を一周させようとして……半周で止まった。真後ろに零が立っていたからだ。悠は先程零が『買い物』と書いていたのを思い出した。買い物に行くならば、入った後に出て来るのは当然である。

 

 零は鳥居の目の前でジッと立ち続ける悠をしばらく見続けた後、何も言わずにその場を後にする。悠は何となく零の頭に自分が『変な人』と認識された気がして肩を落とすのだった。

 

 

 

 

 

 5月19日。昼休み。1人の女子生徒の言葉で教室内に緊張が走る。この日、遂に試験の結果が貼り出されたのだ。自信のある者は優々と、無い者は結果に恐怖しながら試験結果を見るために教室の外へ出る。

 

 陽介も「嫌な時間が来ちまった」と言って教室を出て行き、悠はその後を追って教室の外へ。零は見る気が無いのか座ったままだが、千枝が「辰姫さんも見に行こ!」と言って零の目の前に立った。その横には微笑む雪子の姿。断っても諦めなさそうな勢いだ。零はそんな2人の様子に諦めてその場を立つと、廊下へ歩き始める。そしてその横を2人が一緒について行った。

 

 陽介は結果が見たくないのか物凄い鈍足で向かっていた。そのため悠も陽介の歩調に合わせている。故に2人の横を通過した零は掲示板を見る。そこには名前と順位が沢山書かれていた。

 

「雪子、やっぱ頭良いよね。一番上見ればすぐだもん。で、辰姫さんは……すぐ下にあった。しかも同じ1番!?」

 

 千枝は最初に一番上を見る。そこには【1 天城 雪子】と書かれており、点数は出ていない。だが『1』と言うのが1番を示すのは誰でも分かる事だ。千枝は分かっていたかの様にそれを見た後、零の名前を探そうと1つ下に視線を動かす。そこには【1 辰姫 零】と書かれている部分が存在した。つまり零と雪子は同じ点数で1位だったという事になる。

 

「あ、あはは、何か物凄い差を感じるんだけど。あたし」

 

「姫ちゃん。頭良いね」

 

『そっちも』

 

 千枝が2人の凄さにへこむ中、雪子は零に笑顔で話し掛ける。零はその言葉に紙で答え、その場を後にした。その時、悠が7位だった事に陽介がまるで自分の事の様に嬉しがる光景が零の目に映る。が、特に気にはならない様だ。

 

「にしても雪子と辰姫さんは一緒に1位か。ってか1位が2人なんて前代未聞なんじゃない?」

 

「でも同じ点数だったらこうなるよ。名前順で早い方が1位は可愛そうだもん」

 

「どっちかの脳みそ、マジで少し分けて欲しいぜ」

 

「無理言うな」

 

 普通テストで同位になる事などそうそう起こらないだろう。だが現に起こってしまった今の状況に4人だけでなく、他の生徒達も驚いていた。稀に同位の場合は出席番号の早い方が1位になる学校もあるが、ここでは同じ順位となる様だ。雪子の言う通り、生まれ持った苗字で決められるのは可愛そうだという事だろう。

 

 陽介は雪子を見ながら思わず呟き、悠が冷静で冷酷に言い放つ。彼の言葉に「だよな」と肩を落とした陽介は両腕をブランと下げて力が出ない様な姿勢を取った。

 

「ふぅ。取り敢えず今日の放課後、あの完二と一緒に居た少年を探すぞ。準備しとけよ」

 

 突然陽介は顔を上げると3人へ言い放つ。実は零の知らない場所で今、事件は起きていた。零と話したあの青年……完二が『行方不明』となっているのだ。不良少年で知られている完二は稀に家へ帰らない事もある様で、周りは行方不明と見ていない。が、悠達4人は行方不明だとはっきり分かっていた。居なくなった大体の場所も特定済みである。

 

 彼らは放課後の行動についてを確認して、完二を助ける為に今日も動き出す。

 

「……」

 

 一方、何も知らない零は平和に何事も無い時間を過ごすのだった。



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辰姫 零 皆で食事をする

 6月5日。昼間。神社で子供が零に笑顔で「ありがとう!」と言って物を受け取ると、走り始める。子供の手には虫取り網があり、子供はそれで虫を捕まえようと走り出したのだ。そしてそんな少年の後姿を見送り、零は箒を横に動かして地面を掃き始める。

 

 少年の持っている虫取り網。それは零の渡した物であった。実は先程まで、少年は虫取り網が無くなって困っていたのだ。どうして無くしたかは分らないが、零はそれを見て虫取り網を神社の中から取り出して少年にあげたのだ。何故持っていたかは分らない。が、かなり奥にそれはしまいこまれていた。恐らく昔使っていた物なのだろう。

 

 子供は場所を変えようと思ったのか、神社を去る。結果神社に残ったのは零のみ。すると、それを見計らった様に零の後ろへ何かが着地する。……キツネだ。

 

『コン!』

 

 キツネは零の周りを少し歩いた後、賽銭箱の近くに移動して座り込む。零以外に人が居なくなった神社には頻繁に出没するキツネ。零はキツネが自分の周囲を回っていた間は箒を履く手は止めていたものの、賽銭箱の傍へ移動した後は何事も無い様に掃除を再開する。

 

 突然キツネが賽銭箱の場所から移動して神社の入り口へ走り出した。零の真横をかなりのスピードで通過したため、零は無意識に目でキツネを追う。するとキツネの目の前に誰かが立った。キツネが向かって行った事から、零にはそれが誰だかすぐに分かる。悠だ。

 

「おはよう、辰姫」

 

 零に向かって挨拶をする悠。そして彼はキツネに願い事を上手く叶えて来た事を報告した。この神社に住んでいる零は既に普段入らない賽銭箱に賽銭が入ると言う形で彼がしている事が分かっていた。キツネも同様の様で、喜ぶ様な仕草をすると悠の周りを走り回る。

 

 キツネは当然喋れない。零は普段から喋らない。神社の中は零の箒の音のみが聞こえていた。やはり神社に来たのだから報告だけではと思う悠だが、零を相手に何を話して良いか分からない。神社は非常に居心地の悪い雰囲気に包まれてしまう。

 

「ん? おう、相棒! なにやって……辰姫さん? え、なにこれ? ってか何で巫女服? いや似合ってるけど」

 

 そんな雰囲気は突然現れた陽介によって破壊される。陽介は最初に悠が居たのを見て声を掛けるが、近づいた事で悠の向こう側に居た零にも気付いた。余りに突然の出来事に固まった後、雰囲気や零の服装を見て彼は困惑しながらも質問する。

 

 悠は心の中で少し助かったと感じて陽介に挨拶する。陽介は「お、おう」とぎこちなく返事をすると、零へ視線を向けた。やはり本物の『巫女』が居るというのは異常な事なのだろう。巫女の存在はお話ぐらいでしか聞かない。見るとしても恐らくはコスプレぐらいだ。現実で出会うなんてそうそう無い事である。陽介は最初コスプレだと思うが、零がその様な事をする人物じゃ無い事はすぐに分かった。そしてふと、零が箒を持っている事に気がつく。……流石の陽介も、すぐに答えが出た。

 

「辰姫さんって、まさかここに住んでんのか!?」

 

 陽介の言葉に零は頷く。それを見て「本物の巫女……初めて見たぜっ!」と少し嬉しそうに言う。悠も男だ。陽介の考えている事は何となく分かる。千枝や雪子もそうだが、零も容姿のレベルは非常に高い女子だ。無表情だが整った顔立ちに、綺麗な水色の長い髪。そして制服でも若者の様な私服でもなく、巫女服を着ている。側にキツネが居る事もあり、中々見れない光景だ。

 

「俺てっきりここは無人だと思ってたんだが……そっか、じゃあここが辰姫さんが前に住んでた場所なのか」

 

 雪子から前にこの町に零が住んで居た事を聞いていた陽介は、神社と零を交互に見て頷きながら納得する。陽介のお陰でいつの間にか居心地の悪さは無くなり、心底悠は安心した。

 

 ふと零が時計を見た。悠と陽介も釣られて携帯で時間を確認。現在の時刻は11時50分。もう昼時だ。すると、微かに何かの音が鳴り響いた。悠が陽介に視線を向けると、陽介も聞こえた様子で「俺じゃないぜ?」と答える。となれば残るは1人。

 

 陽介と悠は零に視線を向ける。零は無表情のまま箒で何も無い足元を再び掃き始めていた。そして彼女の周りをキツネは走り回る。それを見て陽介は悠に視線を送り、少し笑うと零に近づいた。

 

「昼時だしよ、この際だから他の奴らも誘って愛家でも行かね?」

 

 笑顔で話し掛ける陽介。零は手を止めて陽介を見た後、その後ろに居る悠にも視線を送る。悠は何も言わずに頷き、彼は千枝と雪子に電話を掛ける事にした。

 

 

 

 

 

「いやぁ、いきなり誘われたから吃驚したよ。あ、あたし肉丼1つ! にしても雪子、手伝いは大丈夫なの?」

 

「うん。丁度作る前だったし、姫ちゃんの事を話したら行って良いって言われたから。姫ちゃん、肉丼頼んで分けない?」

 

 愛家。稲羽中央通り商店街の北側に位置する、結構な人気のある店だ。神社から徒歩で2分も掛からない場所にあり、現在ここには先程の3人に千枝と雪子の2人が加わっていた。悠が電話をした時、2人とも上手く時間が取れた様だ。

 

 4人様の四角いテーブルの一番奥で椅子を1つ通路側に用意して、5人は座っている。一番奥のため邪魔にはならない様にしっかりと気をつけているので、店の店主やお客に一切迷惑は掛かっていなかった。が、視線は集中している。

 

 奥の壁の方に右から雪子・零と言う順で並び、雪子の前には千枝。その横に陽介が座っている。悠は通路側に用意した席だ。そしてそれぞれに食べたい物を注文する。この店は日替わりでメニューが変わり、月・火は麻婆豆腐定食。水・木はパーコー麺。金・日は肉丼となっている。そしてこの日は学校の無い日曜日。メニューには肉丼が入っており、千枝は迷わずそれを注文する。そして雪子は少し考えた後に零と1つを分ける話をした。色々と気になるお年頃なのだ。零は元から小食のため、雪子の言葉に頷いて了承した。

 

「でさ、何で辰姫さんは巫女服な訳? 周りの視線、メッチャ集中してるんだけど」

 

「着替える時間、私達を呼んでから多分あったよね?」

 

「すぐに愛家へ辰姫は向かったからな。かなり速かった」

 

 千枝は注文をした後、斜め前に居る零の服装を見て流石に黙っていられなかったのか聞いた。そう、零は神社の時から着替えずにそのまま愛家に入ったのだ。そのため、巫女服を着た珍しい零は非常に目立っていた。どうやら愛家の主人は零が既に神社の巫女である事を知っている様で、特に何も言わない。が、お客は違う。

 

 悠は思い出す様に答える。あの時2人に電話をして集まる事が出来ると分かった悠は、当然陽介と零に報告する。すると零は箒を神社の中にしまって外に出ると、そのまま愛家に向かって直行したのだ。悠達も後を追って入れば既に今の位置に座っており、静かに何処からか取り出した本を読んで待っていた。余りの速さに悠と陽介は驚かずには居られなかったのと同時に、食べる事にはかなり素直な性格なのだと少し零の事を理解した。

 

「まぁ、お腹が鳴るくらい腹減ってたら仕方ないよな。っい!」

 

「あんたデリカシー無さ過ぎ。普通女子にお腹鳴ったなんて言う?」

 

「でも何か安心したよ。姫ちゃん。昔も何か食べる時とかは早かったから。あんまり変わって無いって少し嬉しい」

 

 陽介は言い切ると同時に机の下で千枝に蹴られる。そして話を聞いた雪子は零を見て微笑みながら言った。どうやら昔から食べ物には素直な様だ。

 

 少し時間が経つと、5人の目の前には注文した食べ物が置かれる。雪子と零の目の前には肉丼という名の通り、肉がご飯の上に盛られたどんぶりが。千枝の前にも同じのが置かれており、陽介と悠の目の前には肉丼とは違う定食が置かれていた。そして全員で手を合わせると、食事を始める。

 

 雪子は肉丼を上手く半分に分けると、2人の中心に引き寄せる。そして同じ丼に2人で箸を入れた。普通どんぶりへ一緒に箸を入れるなど行わない行為のため、陽介と千枝は目の前の光景に驚いてしまう。そして何よりも

 

「姫ちゃん。あーん」

 

 目の前で雪子が零に食べさせている光景に陽介と千枝は箸を食べ物と口の間で止め、口を開けたまま固まってしまう。雪子のやっている行為は2人の中でカップルがやるイメージで定着していた。だが目の前で雪子が零にやっているため、想像と違う事に驚かずにはいられない。他にも零が食べた後の顔を見て雪子が微笑む姿が何処か母親の様に見える事や、餌付けに見えなくも無い事などから2人の頭は更に混乱してしまう。

 

「あ、天城、何やってんだ?」

 

「? 姫ちゃんに食べさせてるんだよ? 昔良くやってたんだぁ。ほら、噛んでる時の姫ちゃん、リスみたいで可愛くない?」

 

 陽介は我に返ると雪子に質問する。が、雪子は一切可笑しいとは思っていないのか当たり前の様な顔で答えると、昔を思い出しながら告げる。言われて視線を移せば、口の中の食べ物を噛む零の姿。だが非常に動きは小さく、小動物の様と言われれば納得出来てしまう光景であった。

 

「いやでも普通、あーんはしないって」

 

「でも姫ちゃんって昔はちゃんとした食事しないで簡単な物ばっかり……姫ちゃん、今日の朝は何食べたの?」

 

 千枝の言葉に雪子は言うも、途中で何かを思い出した様に零へ質問した。聞かれた零は雪子の質問に何時も通り、紙に書いて答える。『カロリーメイト』と。そしてその紙を見た瞬間、雪子の顔が笑顔から一転して怒った様な表情に変わる。

 

「そんなんじゃ体壊しちゃうって昔言ったよね? ちゃんとした物食べなきゃ駄目だって、言ったよね?」

 

「お、おい。何か急に変わったぞ?」

 

「あぁ、オカンになったな」

 

 突然変わった雪子に陽介は小さな声で悠に話し掛ける。悠はそれに頷いて今の雪子を『オカン』と呼んだ。千枝と陽介は悠の言葉に今の雪子を見て、確かに零を叱る姿がオカンの様に見えてしまった。

 

「定期的に確認した方が良いのかな? でも旅館もあるし……」

 

 雪子は考え始める。だが零はそんな雪子を放置して、肉丼に箸を向けた。雪子はそれを見て取り敢えず今は食べさせると考えたのか、自分の食べる分だった場所の一部を零に食べる様に言う。雪子の零に対する母親の様な対応に3人は少し驚きつつ、食事を続ける。そして

 

「ふぅ! 食った食った! 雪子はまた旅館?」

 

「え? あ、うん。夜の仕込みしなくちゃ」

 

「俺もこの後バイトだしな。お前はどうなんだ?」

 

「特に無い。菜々子は家で1人だから帰るだろうな」

 

 愛家の目の前で5人は並んでこの後について話す。雪子は旅館の手伝い。陽介はジュネスでのバイト。千枝と悠は予定が無い様だが、悠は家に居る菜々子が心配の様で帰る様だ。そして悠の言葉を聞いて「私も帰ろっかな」と千枝も言う。零も帰って掃除等をする気の様だ。

 

 最初に雪子、次に陽介が時間が近いと言う事で急ぎ足で去る。そして千枝も「また明日ね!」と言って笑顔で去って行った。残ったのは悠と零の2人。

 

「楽しかったか?」

 

 悠は零に聞いた。すると零は少し黙った後。静かに頷いて答える。殆ど食事中も喋らなかった零だが、悠は零が食事に素直なところや食生活を余り考えていない事を知る事が出来た。つまり今日1日で零の事がまた少し分かった気がしたのだ。そしてそれは零の知らないところで、悠の力となる。

 

 千枝と同じ様に悠は「また明日な」と零に告げる。それに零は頷いて、神社の方へと帰って行く。鳥居を潜り、見えなくなったのを確認した悠は残りの時間を大事な従妹(菜々子)と過ごす為に帰宅するのだった。



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辰姫 零 林間学校の準備をする

 6月6日。放課後。零は素早く学校を後にした。実は前日の悠達と食事をした日、零は買い物に行く予定をしていたのだ。だが完全に忘れてしまっていた零はその日の夜、冷蔵庫の中が殆ど無いのに気づいた。そのため、この日は屋上には行かないで真っ直ぐにジュネスに行く事にしたのだ。

 

 ジュネスに付いた零は真っ直ぐにカロリーメイト等の食べ物が置かれている場所に向かう。そして結構な数を籠に入れると、今度はしっかりとした物を購入するために肉や魚と言った食品が並べられている場所に向かった。

 

 零は料理が出来る。が、非常に面倒と感じるのか出来ている物を買う癖があった。そのため持って3.4日の物ばかりであり、1週間に2回は買い物に来るのが零の決まりとなっていた。しかし昨日の食事の後、雪子に言われてしまったのだ。

 

『毎日は無理だけど、偶に見に行くからしっかりした物食べてね?』

 

 それは冗談ではなく、本気だと零は分かった。そのため出来ている物ではなく、カロリーメイトの様な物でも無い。調理する食材を買わなくてはいけなくなってしまったのだ。もしも見に来た時に食材が無ければ何時も怒らず静かな雪子も怒るかも知れない。零は仕方無くといった様子で食べ物を買う事にする。

 

 レジでお金を払った後、腐らない様にドライアイスや氷等を入れてもらって袋に閉じる。そうすれば食事をしている間も腐る事は無いだろう。零は買った物を持ってエレベーターに乗る。目指す場所は……フードコート。

 

 零はそこで前に来た時には無かったビフテキを頼む。そして屋根のある席で1人静かに食事を始める。荷物は脇に置いてあり、余りにも静かに食べるため周りは零に気づかない者も居た。そして

 

「完二、お前の出た例の特番は!?」

 

 聞き覚えのある声を聞いて零は前を見る。そこには悠達に零と何度か会っている完二を含めた5人が集まっており、何かを話し合っていた。陽介の顔は何か必死な様子で、話が逸れそうになると「いいから!」と少し声を上げて質問の問いを待つ。

 

 距離はそこそこあるため、先程の様に大き目の声で話さなければ零の耳には届かない。完二が陽介の質問に答えるが、零には何を言っているのか聞き取れなかった。が、どうやら向こうの話が非常に大事なのは見て取れる。そのため静かに邪魔をせず、その場で食事を続ける事にした。

 

 零が食べ終えた時、5人は立ち上がる。零はふと同じ様な事があったのを思い出す。そして食事が丁度終わっているのも同じだと考えた零は、前と同じ様に食器を返して荷物を持ち、悠達の後を追う。向かう場所も前回と同じテレビ売り場。前回消えてしまった事を覚えていた零は彼らが曲がった後に今度は早めに見える場所に移動する。が、やはり悠達の姿はそこに無かった。

 

 テレビ売り場の中に入り、隠れられそうな場所を探す零。テレビに触れた所で何も起きず、零はしばらく探した後にその場を去る。それから1分も経たない内に零の触ったテレビに波紋が広がり、そこから悠達は出て来るのだった。

 

 

 

 

 

 

 6月7日。昼休み。零の斜め前では悠達4人が話をしている。零は昼ご飯を食べる時に屋上へ行くため、この日も屋上に向かおうとした。が、それは雪子によって阻止されてしまう。話をしていた筈の雪子は零が立ち上がった瞬間に話し掛けたのだ。

 

「姫ちゃんも林間学校は始めてだよね?」

 

 どうやら悠達は来週の林間学校の話をしていた様で、雪子は零にもその話を振る。零は頷くと再び歩き出そうとして「一緒に食べようよ」と言われてしまう。雪子は勿論千枝も笑顔で頷いており、陽介も悠も嫌な顔はしていない。雰囲気では完全に断れなさそうである。だが零もとある理由で引けない様で首を横に振ると去ろうとした。が、それによって雪子は不審に思う。そしてすぐに答えに行き着いた。

 

「姫ちゃん。お昼ご飯、何食べるの?」

 

 雪子の言葉に千枝達も一昨日の話を聞いていたため、分かった様で零を見た。雪子の言葉に移動出来なくなってしまった零。仕方なく再び座ると、鞄からカロリーメイトを取り出す。そしてそれを見て雪子は「やっぱり」と言うと、隣の席に座り込んだ。そこは陽介の席だが、現在彼は悠の席の傍で立っているため、空いていたのだ。そして零の隣に座った雪子は「今度はちゃんとしたのを持ってきてね?」と言う。やはり悠達にはその姿が娘を心配する母親の様に見えた。

 

「あ、あたし達5人。一緒の斑でしょ?」

 

「一緒……まさか夜も一緒!?」

 

「んな訳あるか! 男女別! 行っとくけど夜にテント出たら一発で停学だからね」

 

 千枝が話を変えるために再び林間学校の話をする。実は1つの班は4人で構成される筈なのだが、悠と零が来た事で生徒の人数は29人となってしまった。つまり1人余ってしまうのだ。そして余ったのは誰とも話さない零。しかし零に何度も話し掛けたりしている雪子たちを見て、クラスが総意で彼らの班に零を足すと言う結論になった。そのため、悠達に零を足した5人の班が出来上がった。

 

 同じ班だと聞いた陽介の顔色が一気に変わる。が、千枝はすぐに陽介の考えた事が分かり、否定した。林間学校をどうやら楽しみにしていた陽介。しかし千枝と雪子の話ではゴミ拾い等をするだけの非常に詰まらない一泊二日になるとの事。陽介はそれを聞いてかなり考えと違った様で、肩を落とした。

 

「そう言えば去年は河原で遊んで帰ったね」

 

「? あそこって泳げんの?」

 

「入ってる奴居るよ、毎年」

 

 千枝は思い出した様に言う。どうやら林間学校で楽しみなのはそれぐらいの様だ。そしてそれを聞いた陽介は「そっか、泳げんのか」と呟きながら何かを考え始める。やがて林間学校の話は終わったのだが、終わった後に始まったのは再び零の食生活について話す雪子の姿。悠達はこの日、零の生活に色々と言う雪子をそのまま『母雪子』と名づけるのだった。

 

 

 

 

 

 6月8日。朝。雨のため零は片手には傘を、片手では本を持って読みながら歩いていた。本の世界に入ってしまっているため、周りの声は一切聞こえていない。そしてそんな零の後ろにここ最近、悠達と話す様になった完二が姿を現す。元々完二の家は染物屋。零の神社のすぐ横にあるため、通学路で会うのは何も可笑しい事ではなかった。

 

 零の姿を見て完二は目を見開く。水色の髪をした人は殆ど見ないため、見れば一瞬で分かるのだろう。完二は少し考えた後、零の真横に並ぶ様に移動する。流石に声は聞こえなくても周りの気配には敏感な零は、横に立った完二に本から視線を移す。完二は背が高いため、零は見上げる形となった。

 

「同じ学校だったんすね。……あの、天城先輩に聞いたんすけど……姫、なんすか?」

 

 視線を向けられた完二は少し顔を背けると、意を決した様に零へ話し掛ける。どうやら完二は1年生の様で、零から見ると1つ後輩に当たる様だ。完二もそれに気づいた様で、敬語で話し掛ける。そして零の事を雪子と同じ様に『姫』と呼んだ。零はしばらく黙った後、静かに頷く。そしてそれを見て完二は「マジなんすね」と静かに呟いた。

 

「突然居なくなったんで正直もう会うことは無いって思ってたんすけど……戻ってきたんすね。そういや、その目の色…………まだ気になるんすか?」

 

 乾いた笑みを浮かべながら零に言う完二。何時もの彼なら怒鳴りそうな気がするのだが、どうやら怒る感情よりも違う感情が今現在彼の心を支配している様であった。

 

 完二は一度落ち着く様に息を吐いた後、零に質問する。そして完二の問いに零は顔を逸らすと黙り、その後は紙に書いて完二に渡すと早足でその場を後にした。完二は受け取った紙を見る。そこにはたった一文、『誰にも言わないで』。それを見て完二は離れて行く零の後ろ姿を見る。

 

 その日も瞬く間に時間は過ぎて行き、放課後になると零は即座に立ち上がる。この日は生憎の雨だったため、真っ直ぐに帰るしかない。後ろの扉から出ようとする零。扉に手を掛けた時、零以外の力で扉は開かれた。開けたのは完二だ。

 

 零の姿を見て完二は一瞬驚く。が、その横を零は何も言わずに通り過ぎて行った。完二は去ってしまう零を見た後、目的であった悠達の場所へ移動。現在悠は陽介と何かを話していた様で、席に座っていた。

 

「お前も辰姫さんの知り合いだったよな。あんまり上手くいってないみたいだけどよ」

 

「うるせぇっすよ。姫……先輩には色々あるんすよ」

 

 先程の光景を陽介は見ていた様で、近づいてきた完二に話し掛ける。が、完二はそれを聞いて少し不機嫌になりながら返した。最初あだ名の『姫』で呼ぼうとしたが、流石に同じ学校の先輩になるため、少し間を置いてから付け足しながら。

 

「何があるんだ?」

 

「あー……姫先輩に言うなって言われちまったんで、それは勘弁して欲しいっす。それで先輩達は何か取り込み中っすか?」

 

「あぁ、バイクの話をな」

 

 悠の質問に完二は少し悩んだ後に答えず、話を変える。陽介は特にそれ以上話を掘り出す事はせず、悠と話していた内容を説明した。その間、悠は完二の言った零の『色々』について考え始めるのだった。

 

 

 

 

 

 6月16日。昼休み。零は雪子と千枝の3人で昼ご飯を食べていた。前回の1件から零は学校にしっかりとお弁当を持ってきている。実は惣菜から箱に分けただけだったりするのだが、それでも今までに比べればしっかりとした食事になるだろう。雪子は満足げに頷いていた。

 

「明日林間学校じゃん? 皆で買出しに行くんだけど、辰姫さんも行かない? やっぱり皆で行かないと好みとか分んないしさ」

 

 千枝はカップ麺を啜りながら零に言う。そう、明日は林間学校。各自食材などを持って行くため、明日の夕飯の準備が必要なのだ。雪子は零に「行こ?」と言い、零はそれに静かに頷いた。そしてそれからは何を作るかと言う話になる。千枝と雪子はカレーかラーメンのどちらかにしようと言う話をしており、結果的にカレーに決まった。

 

 放課後。悠と陽介も交えて5人で零はジュネスのスーパーに到着する。陽介は上に用があるとその場を離れ、食材売り場には陽介を抜いた4人が立っていた。

 

 悠はカレーを作ると知らされ、女性陣が買い物をするのを見ている事にした。恐らく荷物持ちが仕事になるだろうと思っていたからだ。が、悠は目の前で繰り広げられる千枝と雪子の会話に恐怖を感じてしまう。薄力粉と強力粉では男子が居るので強力粉。辛くなければいけないと、唐辛子にキムチや胡椒。隠し味にヨーグルトやコーラを入れる等、非常に何を作るのかもわからなくなる様な会話が繰り広げられていた。

 

「不味いな……?」

 

 悠はどうにかしないといけないと思っていたが、ふと2人の側に零が居ない事に気づいた。零の姿を探せば全然違うところに彼女は立っており、片手には籠がある。そしてその中には色々な食材が入っていた。パッと見て分かるのは、ジャガイモ・玉ねぎ・人参・肉・カレールー。悠は思った。あれこそがカレーの食材だと。

 

 「魚介も混ぜる? 良いダシが出るよ?」と言う雪子。彼女達の会話を聞いて林間学校の食事に絶望していた悠は、静かに1人で買い物をしている零の姿に一筋の希望を感じるのだった。



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辰姫 零 林間学校に行く

 6月17日。午後。林間学校に来た零はゴミを拾っていた。零自身は楽しみにしていた訳では無い様で、当たり前の様に落ちている物を拾う。が、陽介は思っていた以上に楽しくない作業で完全に気落ちしていた。学校行事では楽しみとも言える外泊。しかしその内容がゴミ拾いでは、嬉しくなれる筈も無いのだ。

 

 自然の中には沢山のゴミが紛れており、全員で集めるとそれはかなりの量となる。零は現時点で半分程入ったゴミ袋を持っているが、実は2袋目である。拾っても拾っても、探せば落ちているのだ。だが流石に1年生だけでも合計8,90人程の人数。それでいて1,2年合同のため、その倍とかなりの人数が行っていれば、綺麗になるのも時間の問題。やがて数時間程でゴミ拾いは終了した。

 

 ゴミ拾いが終われば、今度は夕ご飯の準備となる。零と悠達5人の班では料理担当を女子と決め、準備に取り掛かった。悠と陽介の男子2人は拾い残した物が無いかの確認と、もしもあった場合の回収で再びゴミ拾いに行かされる。料理には時間が掛かるため、良い暇つぶしにはなるだろう。これぞ『働かざる物食うべからず』である。

 

 それから更に数時間。空は暗くなりかけており、悠と陽介は2回目のゴミ拾いを終わらせて戻って来ていた。そして夕食を食べる為、座って食事が来るのを待つ。陽介は旅館の娘である雪子の料理に大きな期待をしている様で、それでいて『女子の手料理』と言う言葉に惹かれている様である。だが悠は素直に喜べない。食材を買っている時、千枝と雪子の会話を聞いている彼には嫌な予感しかしないのだ。

 

「これ、味見する?」

 

 離れた場所では鍋に入っている完成したカレーを見ながら雪子が千枝に聞いていた。見た目は普通のカレー。しかしレードルで混ぜると、ただのカレーでは無い事が分かる。いくら混ぜても上手く混ざらないのだ。

 

 千枝は雪子の質問に表情を引き攣らせながら、「雪子がしないなら、しない」と答える。そして2人は向き合って頷いた後、陽介と悠の元にそのカレーを盛って運ぶ。結果は……最悪であった。陽介は意気揚々と迷いなく一口を食べ、即座にその一口を噴出して横に倒れてしまった。が、素早く起き上がると怒りながら感想を言う。辛いや甘いと感じる筈のカレーが臭く、食感はジャリジャリにドロドロ、そしてブヨブヨがあるとの事。千枝は何とか言い訳をしようとするが、陽介が不味いと言うと開き直った様に怒って悠へ視線を送る。

 

 悠は背中に冷や汗を流しながら、目の前のカレー? を見る。陽介は「遊びで勧めるのも躊躇う」と悠を何とか止めようとするが、千枝と雪子の目は『食べろ』と言っていた。やがて覚悟を決めて口に入れた悠。彼は陽介と同じ様にカレーを噴出し、倒れてしまう。

 

「どうすんだよ! 俺らの班、飯無しじゃん! こんな物体X、食えねぇよ!」

 

「……すみませんでした」

 

 悠の光景を見て、流石の千枝も素直に陽介の言葉に謝る。そこで悠は昨日の事を思い出した。今ここには1人、居ない人物がいる。その人物は今も千枝と雪子の傍には居ない。ならば何処に居るのか?

 

「辰姫はどこに?」

 

「ん? そう言えば姿が見えねぇよな」

 

 悠の言葉に陽介が思い出した様に周りを見る。認識すればかなりの存在感があるものの、認識しなければ完全に忘れてしまう。そんな影の濃い様で薄い零。ずっとゴミ拾いや料理等で忙しかった4人はすっかり彼女の存在を忘れてしまっていたのだ。この中では恐らく一番仲の良い雪子でさえ、料理に集中していた事で気づいていなかった。

 

「あれ? ゴミ拾いの時は居たよね? それで確か……そう! もう1つの鍋を使ってた!」

 

 千枝は思い出した様に言う。林間学校で使う鍋は最初から1班に2つまで用意されていた。火を炊く場所も一応は2箇所あり、もしも片方が使えなかった場合の予備として存在していた。そこで千枝は記憶を遡ると、自分達が料理を作っていた時に少し離れた場所で1人静かに本を読んでいる零の姿を思い出す。そしてそんな零の目の前には鍋が置かれていた事、その鍋には火が掛けられていた事を千枝は思い出した。思い出した場所を見れば……案の定、零が本を読んでいた。が、片手に本を持ち、もう片方の手ではレードルで鍋を混ぜている。

 

「陽介、助かるかも知れない」

 

「大丈夫か? こいつらの後だから凄ぇ怖いんだけど」

 

 どうやら先程のは陽介の中で一種のトラウマになってしまった様で、混ぜている零を見て喜びよりも不安を感じている様であった。

 

 先程の事から代表として千枝と雪子が行く事となり、陽介と悠はその場で待つ事にする。雪子が混ぜている零に話し掛けると零は顔を上げ、首を傾げる。それを悠達は見ていた。

 

「多分、大丈夫だ」

 

「何でだよ?」

 

「すぐに分かる」

 

 買い物の時に感じた安心感から陽介に大丈夫だと告げる悠。しかし陽介はその時の事を知らないため、当然聞き返す。しかし詳細を言う前にどうやら貰う事が出来た様で、悠はそれだけ答えて近づいてくる3人を見た。千枝と雪子は両手に、零は片手にカレーの盛られたお皿を持ち、2人の近くに到着。千枝は持っていたカレーを悠と陽介の目の前に置いた。

 

「別で辰姫さん、作ってたんだって」

 

 千枝はそう言うと零を見る。既に零は悠の隣に人2人分程の距離を置いて座っていた。そして手を合わせてお辞儀をすると、カレーを食べ始める。

 

「い、行くぜ! んむっ……」

 

 スプーンでカレーを掬った陽介は悠を見た後、震える手でそのカレーを口に含む。その光景を3人は静かに見守っていた。口の中にカレーが入った陽介はスプーンを入れたまま固まる。その姿に全員が不味いと思った。が、陽介は突然スプーンを口から抜くと噛み始める。そして飲み込み、

 

「う、うめぇ! これだよ、これがカレーだよ! ジャリジャリでもドロドロでもブヨブヨでもねぇ、正真正銘のカレーだ! ここまで上手いの食ったの始めてかもしんねぇ!」

 

 そう言うや否や、猛スピードで掻き込み始めた。それを見て千枝と雪子も座ると、カレーを食べ始める。悠も恐れる事無くカレーを食べた。

 

「お、おいしい!」

 

「姫ちゃん、料理上手だったんだね! だったらもう少し体の事も考えて……」

 

 千枝は陽介と同じ様に。雪子は食べた後、零へ話し掛けて母雪子となって。悠も周りの様に大きく反応はしないが、目の前のカレーを美味しいと感じていた。先程のカレーを食べたせいで、尚更そう感じるのかもしれない。食べた時はカレーの甘みを感じ、食べ続けると口の中が徐々に辛くなる。カレーとはこれだと悠は再認識するのだった。

 

「お代わり!」

 

「あ! あたしも!」

 

 陽介と千枝が皿を上に掲げて言う。それに反応したのは零だった。作った本人が盛るべきだと考えたのだろう。ジュネスでは数個で何円という形で食材を売っている為、多めに作っていた零。しかしそれは瞬く間に無くなるのだった。

 

 

 

 

 

 同日。夜。男女で分かれた零達はテントの中に入っていた。

 

 普通なら2人程で一杯のテント。しかし何故か零・千枝・雪子の3人が居るテントは普通の2倍程の広さがあった。それは人数が多いからという理由もあるが、何よりも原因となる存在が居た。

 

「ぐごがぁぁぁぁ!」

 

 1人の女子生徒の鼾がテントの中に響いていた。女子生徒の名前は大谷 花子。大きな巨体に直視していると恐怖すら感じる顔をした女子である。千枝と雪子は完全に押し付けられたと気づいてため息をつき、出来る限り花子から距離を取るために右端に移動。零は耳栓をしており、真ん中に近い場所で本の世界に入っていた。

 

「にしても辰姫さんって料理上手かったんだね。って聞こえて無いか。……はぁ~」

 

「眠れないね。私達のカレーがあれば気絶出来たかも。……鼻と口を塞いだら鼾って止まる?」

 

「いや、死ぬからそれ。……あぁ~、もうやだ!」

 

 余りに静まらない鼾に千枝は我慢の限界に達した様で、逃げようと雪子に提案する。だがテントから出れば1発で停学。当然、山を降りるなど真っ暗な今の時間では危険過ぎる。雪子はそれを千枝に言うと、彼女は力無く座り込んだ。すると突然、外で何かの物音がする。千枝はその音に反応して立ち上がり、少し後ろに下がった。そして零が千枝の妙な動きに気づき、耳栓を外した。

 

 再び音がする。今度は千枝以外の2人も立ち上がり、出口を警戒した。そして突然、布がずれて1人の『男子』が入り込んで来る。その男子は物凄い勢いで中に入って来ると、真っ直ぐに真ん中に居た零へ突撃した。

 

「女なんて怖くねぶはぁ!」

 

≪……≫

 

 突っ込んで来た男子に零は迷わず右足を大きく振り上げ、その男子の右顔面を蹴り飛ばした。その威力はかなりの物で、蹴られた男子は大きく左に飛ばされると、テントの布に頭から突っ込んだ。余りの光景に千枝も雪子も口を開けて黙ってしまう。

 

 正気に戻った2人は入って来た男子を見る。……それは完二であった。雪子は先程完二が遮られた言葉を思い出し、納得する。実はつい最近、完二が女性を苦手と感じていた事を千枝と雪子は知る機会があった。零の知らない場所、テレビの中でだ。入って来た理由が分かった2人はため息をついた。

 

「どうする? もう寝れないじゃん」

 

 千枝は目の前の光景を見て困った様に言う。左上の端では大谷 花子が騒音を出しながら眠り、その足元には完全に伸びてしまった完二の姿。最早ここで寝るなど不可能だろう。千枝と雪子はお互いを見合って頷くと、何事も無い様に本を再び読み始めた零の手を2人で片手ずつ引っ張ってテントから出る。

 

 外は夜のため真っ暗だが、偶に明かりが動いている。恐らく見回りの先生だろう。千枝と雪子は何とか気付かれない様に移動する。零は引っ張られたまま本を読んでおり、2人がしゃがんでも続かない零を千枝は強制的にしゃがませる。千枝も流石に零の事が少し分かってきたのか、既に注意すると言う考えは捨てていた。

 

 しばらく移動すると、目的のテントの目の前に辿り着いた。しかしそこに近づこうとした時、懐中電灯の光がすぐそこに迫る。その懐中電灯の持ち主は自分達の担任、諸岡 金四郎である事に気づいた2人。見つかれば即停学のルールだが、諸岡は非常に厳しい先生のため、最悪は退学すらありえる話だ。千枝は焦った様にテントの中へ声を掛けた。中から返事をしたのは……陽介。戻れという陽介。しかし今現在戻れそうに無い事を千枝が言うと、諸岡が喋り始める。どうやらかなり酔っている様だ。その声を聞いて察した陽介は仕方無く中へ引き込んだ。中には悠も居た。

 

「何なんだよ一体!?」

 

「その、完二君……伸びちゃってるから」

 

 陽介の言葉に雪子が答える。当然訳が分らない陽介は「はぁ?」と聞き返すも、千枝は強引に『入ってきて突然気絶した』と説明する。当然説明の意味が可笑しいため、陽介はそれを突っ込む。だが諸岡が近づいて来た事に気付き、素早く明かりを消した。

 

 諸岡は中を確認せず、声だけで陽介と悠を確認する。悠は「居ます」と、陽介は「もう寝てます!」と答えた。当然寝てたら答えられないため、諸岡は一瞬怒る。しかし酔っているせいか、そのまま立ち去って行った。

 

 安心する陽介と千枝。陽介はどうにか出て行ってもらおうとするが、流石に難しい事は千枝も分かっている。そのため「明日の朝早くに出て行くから!」と軽い逆切れをして、陽介に「妙な事はしないでよね!」と釘を刺してから荷物でバリケードを作り始めた。

 

 元々テントは悠と陽介の2人用のため、非常に狭い。5人が入り、荷物でバリケードを作れば窮屈だろう。もう夜遅いために零が端で横になると、同じ様に千枝と雪子も横になった。しかし狭すぎるためか、非常に顔が近くなる。

 

「あ、あはは……まさか男子と一緒に寝る事になるなんてね」

 

「鼾が無いだけ良いよ。きっと」

 

 雪子の言葉に零は頷いた。その後、千枝は「おやすみ」と言って荷物を枕に目を閉じる。雪子も同じ様にして目を瞑り、零は読んでいた本を枕にして目を閉じた。林間学校1日目はこうして終了するのだった。



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辰姫 零 林間学校を終える

 6月18日。早朝。狭く寝苦しいテントの中で千枝は寝返りを打つ。だがもう朝であり、狭い事もあって意識が起きてしまう。そしてゆっくりと目を開けて、

 

「っ!」

 

 目の前に逆さの顔が存在した事で驚いてしまう。普段自分の部屋で何時も寝ている千枝にとって、誰かと寝るのは久々な事。しかも普段とは違って狭苦しいテントの中では目の前に顔があっても不思議では無いため、千枝は突然の事で声を上げそうになる。が、咄嗟に口を押さえてそれは止めた。

 

 千枝は目の前に居る人物を見る。何時もは見れない寝顔。それは当然珍しい物であり、その相手が零だった事で千枝は貴重な物を見れているのだと実感する。普段は無表情な零の顔が眠っている時は安心しているのか、少し柔らかくなっている。滅多に見れない表情のため、千枝はしっかりと見ておく事にした。

 

「雪子もそうだけど、辰姫さんも可愛いんだよね。……はぁ~」

 

 千枝は目の前の顔を見ながらため息をついた。雪子はその容姿もあって非常に学校で人気があり、告白も多い。それでも雪子は常に断るため、告白の成功を男子達の間では『天城越え』と呼んでいた。そしてそんな雪子と非常に仲が良い千枝は雪子と自分に大きな差を感じていた。最近の事件で例え乗り越えたとしても、忘れる事は出来ない思いだ。

 

 目の前に居る零の顔は非常に穏やかだ。何時も無表情とは思えない程に。もしもこんな彼女が笑ったら、千枝は想像する。そして思い浮かべた顔に千枝は思わず赤面してしまった。普段から笑っているのならまた違うのだが、笑っている姿を1度も見た事が無い零が笑った光景は言ってしまえばギャップが凄かった。が、見てみたいとも思ってしまう。

 

「何であたしの周りはこんなレベルが高いのかな~……うわっ、モッチモチ。気持ち良いかも」

 

 千枝は徐に寝ている零の頬を突く。するとその感触に一瞬手を引っ込めて少し考えた後、再びその頬を突き始めた。突く度に柔らかな頬の感触を感じながら指が沈み、微かな弾力に跳ね返される。それは癖になってしまいそうな感覚であり、千枝は無意識に何度も同じ行為を繰り返していた。

 

「……ん」

 

「え……今」

 

 しばらく続けていると流石に鬱陶しいと感じたのか、零は僅かに『声を出して』顔を動かした。千枝はその光景に2つの意味で固まってしまう。起こしてしまったのかという焦りと、零が声を出したという事実についてだ。普段筆談で喋る零に千枝は声が出せないとずっと思い込んでいた。だが確かに今、零は声を出したのだ。その事に千枝は悩み固まってしまう。

 

「姫ちゃんは、喋れるよ」

 

「! 雪子、起きてたの? ……何時から?」

 

「『うわっ、モッチモチ。気持ち良いかも』って所から」

 

 考えていた千枝は突然掛けられた声に再度驚いた。実は零の顔の向こう側に雪子が横になっており、千枝の位置からでは逆さであった。そしてその瞳は既に開かれており、千枝は何時から起きていたのかを質問。出来れば言葉や行動が見られていない事を願って。しかし帰ってきた言葉に千枝は半分安心し、半分焦る。零の頬を突いていたところは全部見られていたのだろう。雪子は少し焦っている千枝の表情に「ふふ」っと笑う。

 

「別に千枝は可笑しく無いよ。私も同じ事した事あるから」

 

「雪子もやった事あるんだ……ところで雪子、なんで辰姫さんに抱きついてるの?」

 

 雪子の言葉に千枝は少し安心する。そして同時に雪子を認識した時から気になっていた事を聞いた。千枝から見ると雪子と零の顔は逆さだ。それはつまり横たわる体の方向も逆。そして零の後ろには雪子がおり、今現在零の顔は千枝に向いている。テントはかなり狭いが、細い2人では縦に真っ直ぐ寝れば一応場所はある。なのに現在、雪子は後ろに空間を少し残して零に背後から抱き着いていた。零の二の腕辺りを上から覆う様にして。

 

 千枝の質問に雪子は首を傾げた後、「安心するから、かな」と答える。昔に居なくなった友達が帰って来て嬉しいと思い、同時にまた居なくなるんじゃないか? と不安に思う雪子の気持ちは千枝にも分からなくはない。だが、それで抱きしめる行為までする雪子の思考はどうにも分からなかった。他人から見れば確実にそっちの毛がある人に見えてしまう。そして千枝は完全に零の喋れる事実について、目の前の光景に気を取られてしまったせいで忘れてしまった。

 

 親友の新たな一面に困惑しながらも、千枝は時間を確認する。1時間もすれば、先生達も起きるであろう時間。千枝は雪子に「そろそろ戻ろう」と言い、静かに立ち上がる。今現在千枝達のテントには完二も寝ているため、戻って彼も運び出さなくてはいけないのだ。どうせ戻って来るのだからと、眠る零はそのままにして千枝と雪子はテントから出ようとする。その時、悠も2人の気配に目が覚めたのか、声を掛けて立ち上がる。そして3人で完二と花子の眠るテントへ行くと、花子の足で顔面を蹴られている完二を見つけてテントまで運ぶ。

 

「さて、そろそろ私達も戻ろっか? 流石にここに居たら不味いしね」

 

「そうだね。……姫ちゃん、起きて」

 

 千枝の言葉に雪子はしゃがみ込んで零の肩を揺する。数回揺れたところで零は眠そうに目を開けた。そして起き上がると、猫の様に目を擦って立っていた雪子と千枝を見上げる。……現在、2人は零から顔を背けていた。

 

「やばい、今キュンって来た私」

 

「姫ちゃん、無意識にああいう事するから。油断しちゃ駄目だよ?」

 

 小声で話をする2人。何とか落ち着いて零の顔を見れば、寝起きの零は再び船を漕ぎ始めていた。このままでは不味いと思った2人は零を何とか起こし、悠に完二を運ぶのに手伝ってくれたお礼を告げて男子のテントから自分達のテントへと戻るのだった。

 

 

 

 

 同日。午前。林間学校は早くに現地解散となった。そのため暇になった6人は河原へと足を運んでいた。去年遊んだという千枝の話を聞いた陽介の提案だ。

 

 河原には現在、誰も居なかった。陽介はそれを確認すると、横で様子のおかしい完二に話し掛ける。完二はどうやら昨日の夜の記憶が曖昧になっている様で、テントから飛び出した後……つまり千枝達のテントに入った事などの記憶が曖昧になっていたのだ。その事に疑問を抱いていた完二だが、千枝は急いで「夢だって、うん。夢夢」と言って夢だと思い込ませる事にした。

 

 完二は納得していないが、取り敢えず考える事を止める。すると陽介は大きく「泳ぐぞ!」と言った。しかし完二は気乗りしない様で、パスするとの事。陽介は横に居た千枝と雪子、そして後ろの木に背中を預けて本を読んでいた零の3人を見る。見られている事に気づいた千枝は陽介に「あんたらだけで入ればいいじゃん」と言うが、陽介は突然「貸しがあったよな」と言い出した。嫌な予感を感じた千枝は急いで『水着が無い』と言う理由で泳ぐのをパスしようとする。雪子もそれに同意した。だが、それを聞いた陽介はニヤリと笑った。

 

 突然陽介は何処からともなく3着の水着を取り出す。そんな陽介に千枝と雪子は冷たい視線を送るが、陽介は先程の『水着が無い』と言う言葉を狙っていたのか、理由が解消された事で2人が断れない状況を作り出す。終いには「昨日、酷いの食わされたよな~」等と言い始める。それでも渋る千枝も夜にテントへ逃げ込んだ話まで出されてしまい、結果的に折れてしまった。

 

「って訳で辰姫さんも『嫌』……でもほら、昨日の夜『夕飯、作った。皆、食べた。貸し借り、無し』ぐっ!」

 

 陽介は千枝と雪子に水着を渡すと、離れていた零にも話し掛ける。だが途中で拒否の意を書いた紙を出されてしまった。それでも諦めずに千枝達と同じ様にしようとする陽介だが、予想していたかの様に別のメモを見せる。千枝と雪子の場合、昨晩の夕食とテントの件で借りが2つあった。しかし零は例えテントに匿われて借りが1つ出来たとしても、夕食の時に自分の作ったカレーを皆が食べた事で貸しも1つ出来ていた。陽介も食べた者の1人であるため、言い返せなくなってしまう。

 

「でも水着もあるし『言ったのは2人。私は何も言ってない』……く、くそっ! 勝てねぇ!」

 

 それでも粘る陽介に、これまた予想していたのか零は書かずに違う紙を見せた。その光景に陽介は完全に勝てないと悟り、地面に四つん這いの体勢となってしまう。そんな彼を見て完二は「どんだけ姫先輩に着せたいんすか」と呆れ、悠は黙って見ていた。

 

 その後、木の向こうで千枝と雪子は水着に着替えて出てくる。その間に陽介と悠も着替えており、完二は零の前に立つ事で壁となった。だが零は興味無さげに本を読み続けていた。

 

 やがて出て来た千枝と雪子の水着姿に陽介は驚いた。同級生の女子の水着姿。陽介が思っていたよりも可愛かった様だ。悠は2人に『可愛い』と率直な感想を告げ、陽介も見立てが良かったと話すが、その後が良くなかった。『ガキっぽい』と言ったのだ。まさかの悠もそれに少し同意してしまい、2人の怒りを買って河原の水の中に落とされてしまう。そして水着姿の2人を見て鼻血を出していた完二も落とされた。非常に行動が過激で、一歩間違えれば怪我をするだろう。だが奇跡的に落とされた3人は無傷であった。

 

「あれ、何か聞こえない?」

 

 雪子は下で陽介が文句を言っているのを無視して千枝に言う。そして千枝もそれが聞こえたのか、上を見上げた。そこには昨晩酔っていた担任の諸岡。彼は現在、河原の上で吐いていた。恐らく朝になって気持ち悪くなってしまったのだろう。そして上から流れた水は当然、下に流れる。そして今そこには悠達3人。彼らは今の状況を知った。知ってしまった。

 

「だからあたしらしか居なかったんだ」

 

 千枝は上の光景を見て納得する。下では現在の状況が理解し、先程まで騒いでいた陽介達が完全に黙っていた。それを見て雪子は「少し可哀想かも」と同情するが、「自業自得でしょ」と千枝はバッサリだった。そして雪子と共に元の服に戻るため、再び着替えようと森の方へ。しかしその途中、雪子が突然足を止めると零の前に立った。

 

「その、似合う……かな?」

 

「ゆ、雪子?」

 

 突然雪子は自分の姿を零に見せて質問する。千枝はその光景に驚きながら声を掛けた。今の雪子の行動や表情は、どう見ても好いた相手に聞いている様にしか千枝には見えなかったからだ。それが男ならおかしくないのだが、相手は同性の零。朝から少し疑ってしまっていた千枝の中で、雪子のあっち系疑惑が再び濃くなってしまった。

 

 零は本から目を離すと、雪子を見て静かに頷いてから本に視線を戻す。そんなある意味一瞬の出来事でも、雪子は「そっか」と少し嬉しそうに納得してから千枝に「着替えよっか」と言って森の中に入って行った。そんな姿を千枝は見続けた後、零に視線を向けた。

 

 静かに本を読む零の姿は普段、学校で非常に浮いている。だが今、零の背後には沢山の木々が。そんな光景は学校での浮いている零とは違い、自然の中に静かに佇む美少女であった。無表情だが儚げな印象もあるため、何処となく守るべき存在の様に見える。今現在この町で起きている事を考えると、余計にそう思えてしまう千枝。自然と『彼女は私が守らなければ』と千枝は思った。

 

「……って何考えてんだあたし!」

 

 そこで我に返った千枝は首を強く横に振る。かなり大きな仕草のため、零は本から視線を外して千枝へ視線を向けた。少し気恥しくなった千枝は「何でもないから!」とだけ答え、雪子が入った森の中へ。そして着替えてから再び出て来た。その頃には陽介達も既に河原から上がっており、彼らは何か大事な物でも失った様な表情で隠れて着替えをすると、全員は帰る事に。こうして一泊二日の林間学校は終了したのだった。



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辰姫 零 アイドルを泊める

 6月20日。午前。今現在零の居ない神社の前に、1人の少女が立っていた。サングラスを掛け、大きなバッグを持って神社を眺めるその姿はどう見ても疲れており、その瞳はとても悲しげであった。

 

 少女は賽銭箱まで近づいて中を覗いた後、何か驚いた様な顔をして走り出す。向かったのは神社の裏手、境内へ続く扉。そこをしっかり閉まっているが、誰もが見れば分かる。今ここに誰かが住んでいる、と。

 

「嘘……っ! 確かめなきゃ!」

 

 それを見た後、少女は神社を飛び出してその場を走り去った。

 

 

 同時刻。

 

「花村君! 話を聞いてる!? 日本で始めてボーナスが出たのは何時代?」

 

 八十神高校の教室では、先生に名指しで指された陽介が「げっ!」と見るからに焦っていた。慌てて答えを知るために悠へ話し掛けるも、どうやら彼も上の空だった様で首を横に振る。それを見て陽介はどうする事も出来ず、更に焦ってしまった。

 

 答えない陽介に苛々し始めている先生。クラスの視線も集中してしまい、陽介はかなりのピンチとなっていた。そんな時、陽介の机に突然1枚の紙が置かれる。そこには綺麗な字で『明治時代』と書かれており、陽介は咄嗟にそれを口に出した。

 

「め、明治時代です!」

 

「あら、ちゃんと聞いてたのね」

 

 陽介の言葉に先生は嬉しそうに言うと、授業を再開する。それを見て安堵のため息をついた陽介は紙を置いたであろう張本人へ視線を向ける。隣に座る、ノートへペンを走らせている零へ。

 

「ありがとな、助かったぜ」

 

 お礼を言われた零は手を止めて静かに頷くだけで、顔を向けたりはしない。だが悠も今の光景を見ていた様で、零から陽介に視線を移すと彼らの目は合った。そして2人は自然と笑い合う。お互いに感じたのだ。最初に出会った頃と比べ、2ヶ月の間に仲は確実に良くなっていると。

 

 最初は殆ど意思の伝達すらなかった零が、今では答えが分からない時に教えてくれるまでになったのだ。もしかしたらそれは気まぐれかも知れないが、それでも行ってくれるだけで最初に比べれば仲良くなれているのだと実感出来た。

 

 長い授業はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 同日。放課後。零は屋上で本を読んでいた。しかし何時もとは違い、今現在零の両脇には雪子と千枝の姿があった。静かに本を読む零の右では千枝が蕎麦をズルズルと音を立てて啜る。隣では雪子が出来る限り静かに食べており、食べ方もお上品という言葉が非常に似合っていた。

 

 零は特に何も食べずに本を読んでいるが、食べていた雪子が「少し食べる?」と聞けば、零は本から目を離して目の前で用意されている割り箸に挟まれたうどんを見る。それは徐々に近づき、零は口を開ける。そしてうどんは零の口に……入らなかった。

 

「ぶっ! 2人とも何やってんの!?」

 

 千枝は啜っていた麺が噴出しそうになるのをギリギリで抑える。目の前では口を開けてうどんを待っている零と、うどんを用意したまま零の口には入れずに寸止めしている雪子の姿があった。どう見ても餌を前にお預けを食らっている様にしか見えない。

 

 目の前の光景は数秒続く。雪子は笑いを頑張って堪えており、零は無表情をそのままだ。だがやがて雪子は零の口の中へうどんを入れると笑い始めた。それを見て千枝は色々な意味で引いてしまう。が、突然顔を赤くした彼女は蕎麦を箸で挟んで零の前に出した。雪子の真似をしたのだ。

 

「え、えっと……あーん」

 

 千枝の行動に零は特に何も気にせず、その蕎麦を口に含む。対する千枝は今の行動で顔が真っ赤になってしまっていた。そして箸を蕎麦の汁に戻すと、下を向いて黙ってしまう。そんな千枝を見て先程まで笑っていた雪子は何を考えたのか、割り箸でうどんを挟んで今度は千枝に食べさせ様とする。慌てて拒否した千枝だが、笑ったまま止める気配の無い雪子に観念してそれを食べる。

 

「ふふ。ねぇ、今度3人で何か一緒に食べない? こんな感じで」

 

「ゆ、雪子? 言葉の裏に何故か変な目的を感じるんだけど……」

 

 雪子の提案は別におかしなものでは無い。だが先程の行動を見て、その行動の被害者となった千枝は言葉の奥に何か別の目的を感じてしまった。仲良く食べるだけではなく、『食べさせ合う』といった目的を感じてしまったのだ。それ故に若干考えてしまう千枝だが、横で本に思考を戻している零を見て「ま、いっか」と笑って答えた。

 

 数分すると学校のチャイムが鳴り響く。それを聞いて千枝は立ち上がると、「今日も修行するぞー!」と大きな声で言ってガッツポーズを取った。零の知らない『テレビの中』では危険が付き物であり、それを乗り越えるために千枝は開いている日の殆どで『修行』をしていた。雪子はそれを知っているため何も言わずに見ているが、零は分からなかった様で首を傾げる。そしてそれに気づいた雪子が零に誤魔化しながら説明すれば、零は千枝に紙で『頑張れ』とエールを送った。

 

「ありがと。じゃああたし行くね? また明日!」

 

「あ、私もそろそろ手伝いしなくちゃいけないから。また明日ね」

 

 最初に千枝が去り、それについて行く様に雪子が屋上から去る。残された零はその場で少し本を読んだ後、やがて帰る事にしてその場を後にした。

 

 すれ違う人たちは皆、一様に同じ会話をしていた。アイドルの『久慈川 りせ』が一時休業して故郷であるこの町に帰って来るとの事。零は特に気にした様子も無く、やがて商店街へ到着した。

 

 零は買い物をする時に寄っている店の1つ、丸久豆腐店の目の前で足を止める。そこには人だかりが出来ており、入ろうにも入れそうに無い程であった。何を隠そう、この店こそが久慈川 りせの実家なのだ。そのためファン等が一目見ようと集まってしまい、この状況が出来てしまっていた。この日零は買い物をする予定では無かったため、特に問題は無い。だがもしこれが毎日続いてしまえば非常に迷惑だろう。どうやら目的の人物は居ない様で帰っていく者も居るが、中には店の前で待とうとする者も。どうやら周りの迷惑を考えて居ない者の様だ。

 

 目の前を通り過ぎ、鳥居を潜る。もう夕暮れのため、神社に人の姿は殆ど無い。零は神社の裏手に回ると、境内へ入る為に玄関の鍵を開けて扉を開いた。そして中に入ろうとして、突然声を掛けられる。

 

「待って!」

 

 零が振り返ると、そこにはⅠ人の少女が立っていた。

 

 お互いの視線が合う。零は無表情で少女を見続けるが、少女の方は違った。零の姿を捉えた瞬間、ゆっくりと一歩ずつ足を踏み出す。そしてサングラスに隠れた目から1粒の雫が落ち、それが地面に落ちた瞬間、一気に迫った少女に勢いよく抱きつかれて零は尻餅をついてしまう。

 

「また、会えた! ヒグッ、もう会えないって思って……良かったぁ!」

 

 尻餅をついた零に涙を流しながら喋る少女。零はそんな少女をしばらく見つめていたが、泣き続けるその姿を見て静かに頭へ手を置いて撫で始める。それからしばらくの間、少女が落ち着くまで玄関でその状態は続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『落ち着いた?』

 

「う、うん。ごめんね? ……どうして紙なの?」

 

 泣き止んだ少女を中へ入れた零は、紙で見せてから首を傾げる。それを見て聞かれているのだと分かった少女は目を少し擦って恥ずかしそうに下を向いた。だがすぐに筆談である事に気付き、零に質問する。しかし零は答えなかった。そして思い出した様に少女は顔を上げると、零をしばらく見つめてから「何で急に居なくなったの!」と怒った様に質問。零はその質問に先程と同じ様に答えず、黙っているだけだった。いくら待っても答えが返ってこない事に少女は少し悲しそうな顔をするが、言わないのでは無く言えないと自分の中で完結させて、その質問は止めにする。

 

「今日、泊まって良い? 家の店、人で一杯だから多分帰ると騒ぎになっちゃって」

 

『裏口、駄目?』

 

「裏で待ってる人も居て、正直難しいと思う。……駄目?」

 

 少女の言葉に零は店の前を思い出す。目の前に居る彼女こそが、アイドルの久慈川 りせなのだ。もしも彼女をあの人だかりへ入れてしまえば、大騒ぎになるのは確実。実は丸久豆腐店の裏側には普通の玄関も存在するのだが、どうやらそこにもファンは居る様で、本格的に群衆が無くならなければ帰るのは難しいのだろう。

 

『連絡、出来る?』

 

「あ、うん。大丈夫」

 

 零の質問にりせは頷くと、携帯を取り出した。そして何処かに電話を掛け始めた。りせの会話に稀に「お婆ちゃん」と出る事から、丸久豆腐店だろう。買い物の時には毎回寄っている零。既にりせの祖母には存在を認識されており、りせが説明すれば驚く事もなく了承した様だ。明日の早朝ならば人も減るだろうと考えたりせはその時間に帰る事を伝えて電話を切る。そして「ね?」と可愛らしく零に言った。

 

「明日の学校に行く時間まで……あ、私。後輩だ」

 

 りせは零に話そうとするが、途中で固まるとその事実に気付いた。りせは近々八十神高校に通う予定なのだが、入る学年は1年生。現在零は2年生のため、りせは後輩となるのだ。学校においての交流を考えたりせは零が自分よりも1つ年上である事に今気付いたため、これから敬語で話さなければいけない事にも気付いた。

 

『気にしない』

 

「でも流石に学校では先輩で呼ぶね? ……じゃ、今から練習って事で! よろしくね、姫先輩!」

 

 りせの言葉に零は頷くと、冷蔵庫へ向かう。そして開けば中には数種類の食材。冷蔵庫は見た感じ中が少なく、近い内に買い物へ行かなくては行けないと零は考える。今日は2人分作るので尚更だろう。

 

 零は食材を持って料理を始める。そしてそれを手伝おうとりせも立ち上がり、2人で料理をする事に。だがりせは料理が余り出来ない様で、途中で普通は入れない物を入れそうになる場面も。何度か注意をされた末、りせは到頭待つ様に指示を出されてしまった。仕方なく零の後姿を見ながら家の中を見回したりせ。やがて彼女は本棚に注目した。

 

「何が置いて……あんまり変わらないな~」

 

 りせは本棚に置かれている本を見て呟いた。目の前には綺麗に整頓され、種類毎に本が立て掛けられている。全部で本棚は4段あり、一番上の部分には難しそうな本が。だがそれはその部分のみで、2段目には右から猫・犬・狐・鳥の4種類の生き物に関する本が並べられていた。そしてその1段下にも同じく動物に関する本が置かれている。

 

「……何だろう。これ」

 

 だが1番下は少し違った。りせはそこに置かれていた本を手に取る。表紙には題名も何も書かれておらず、最初の頁を開くとそこに書かれていたのは長い文。それはアイドルをしているりせだからこそ、分かった。文では無い、『歌詞』だ。次の頁を捲れば違うのが、その次にはまた違うのが書かれている。そして一気に頁を捲っていけば、殆どのページに書かれているのが分かった。やがて最後のページに入る時、りせの足元に何かが落ちる。それは1枚の写真。映っているのは……無表情の子供と笑顔の女性。

 

「この眼、姫先輩? 隣に居るのは……」

 

 りせは子供を見て呟き、女性について考えようとする。だがその時、少し大きな音が鳴ってりせは咄嗟に写真を戻して零を見た。キッチンに立っていた零は左手を見つめており、りせはそれに釣られて零の左手を見る。そして驚いた様子で本を棚に戻し、駆け寄った。どうやら零は包丁で左手の人差し指を切ってしまった様だ。それを確認したりせは焦った様子で治療をする為に行動を開始した。

 

「姫先輩!? ば、絆創膏! 救急箱は何処!」

 

 大慌てするりせの傍で零がまるで動物の様にペロッと舐めると、一度水で洗ってから再び料理を再開する。だがりせはそれで終わらせる気は無いらしく、「勝手に探すよ!」と言って部屋中を物色し始めた。そして救急箱が見つかると、料理を作っていた零の手を強引に止めて治療の後に絆創膏を無理矢理貼り付ける。

 

「もう少し自分を大切にしなきゃ駄目だよ、姫先輩」

 

 りせの言葉に零は黙った後、少し頷いて答える。そしてちょうど出来上がった料理を運び始めた。見ているだけでは不味いとりせも手伝いを始める。……りせは気付かなかった。本を見ていた時、零はその手を止めていた事を。りせが写真を見つけて考え始めた時、零は彼女の気を逸らすために『自分で指に傷をつけた事を』。その目的は果たされ、りせは完全に本と写真について考えるのを止めてしまった。

 

 その後、零の料理が美味しかった様で沢山食べたりせ。しばらくすれば流石にこの町へ戻って来る事やファンの事などで疲れていたのか、りせは眠気に襲われてしまう。そこで零は風呂を沸かし、りせに入る様に促して布団を敷いた。だが零はこの神社に1人で暮らしている。誰かが来た時用の布団は用意していなかったため、出てきたりせには布団を使う様に紙で書いて伝える。

 

「でも姫先輩、明日学校でしょ? ちゃんと休まなくちゃ。……だから、一緒に寝よ?」

 

 りせは風呂上りだからか、それとも別の理由だからか、顔を真っ赤にしながら言う。零はその言葉に少し黙った後、頷いて風呂へ入るためにその場から去って行った。誰も居なくなった部屋で、りせは恥ずかしさを誤魔化す様に顔を枕へ埋める。

 

「あ、姫の匂い……ふふ」

 

 枕も1つしか無かったため、顔を埋めるとその枕に篭っていた零の香りをりせは感じた。甘い様で、それでいて爽やかな匂い。それに安心したかの様に、りせは眠りについてしまう。その後、零は風呂から上がるとりせの入っている布団に自分も体を入れて電気を消す。そして小型の電気スタンドの明かりを付けて本を読み始め、しばらくするとその電気も消して零は眠ろうとする。

 

「ん、姫ぇ~」

 

 だがその瞬間、眠ったままのりせが零の体へ抱きつき始めた。りせとは逆の方向に身体を向けていたため、後ろから抱きしめられる形となった零。そしてりせは背中に顔を擦り付けてもう放さないとばかりに零を抱きしめる。そんな状況でも零は無表情のままため息をつくと、今度こそ眠る為に目を閉じるのだった。



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辰姫 零 本の恨みを晴らす

 6月21日。朝。りせは目を覚ました。最初はぼんやりしていた思考も徐々に正常に戻り、昨晩は零と再会した事や零の家に泊まった事を思い出す。そして布団で一緒に眠る約束をしていた事も思い出したりせは隣を見た。そこには既に零の姿は無いものの、本が頭上付近に置かれている。それは彼女がそこで寝ていた痕跡であり、りせは少し残念そうな顔をした。

 

「多分一緒に寝たんだろうけど……実感も無く終わっちゃったな~」

 

 りせが眠った後に布団へ入り、起きる前に出てしまった零。結局りせが『一緒に寝た』と感じる事は出来ぬまま、朝を迎えてしまう。小さくため息をついたりせは立ち上がる。そして食事をした部屋に入れば、既にテーブルの上にはサラダが置かれていた。キッチンの場所には零の姿があり、彼女はりせを見てから今度はテーブルへ視線を向ける。恐らく座る様に言っているのだろう。それを理解したりせは「おはよう、姫先輩」と挨拶をしてからそこへ座った。すると目の前に焼けたパン1枚と、卵1個分の目玉焼きが盛られた皿が置かれた。

 

 りせと向かい合うようにして零も座り、手を合わせて何も言わずにお辞儀をしてから彼女は食事を始めた。りせもその光景に少し慌てて同じ様にして、食べ始める。

 

「姫先輩が学校に行く時、私も戻るね? あ、姫先輩って家の店に来てる?」

 

 食べ初めて少しした頃、りせはこの後についての話を始める。そして思い出した様に零へ質問すれば、彼女は頷いて肯定した。それを見て「どのくらい来るの?」とりせが再び質問すると、紙に『明日行く。週、2回程度』と書いて答える。りせはその紙の最初の部分、『明日』に食いついた。

 

「明日来るの!? じゃあしっかり準備しなきゃ。えっと……何時も何買うか決まってる?」

 

 零は頷き、買う物を紙に書いてりせへ渡す。そこでちょうど食事を終えた零は、先程と同じ様に無言で手を合わせてお辞儀。使っていた食器を洗うため、再びキッチンの方に行ってしまった。殆ど会話と言える会話が出来ていないりせは先程の様にため息をつくと、早々に食べて手伝いをする事にした。

 

 そして数十分後。外は生憎の雨が降っていた。零は制服を着て鞄を持ち、傘を差す。りせは私服サングラスの姿で大きな荷物を持ちながら一緒にその傘の中へ入り、神社の前に立っていた。神社の鳥居まで行くと、少し遠いが肉眼でりせの家である丸久豆腐店が見える。店の前に現在、人だかりは無かった。天候が雨という事もあり、退散したのだろう。2人はその光景に見合うと、静かに頷いてから急ぎ足で移動を始めた。店の前に着いても人影は無い。りせはそれを確認してから、零の傘を抜けて屋根の下へ移動する。

 

「昨日はありがとう。明日、待ってるからね!」

 

 りせは笑顔でお礼を言ってから店の中へ。零はそれを見送った後、学校に向かって歩き始めた。

 

 今の時間は7時。通学路に余り学生の姿は無い。実はりせが帰る時に学生が通っていては不味いと思い、しかし零が居ない時間を勝手に神社の中で残っているのも気が引けたりせ。その結果、零の提案で少し早めに神社を出る事になったのだ。最初は学校に早くついてもやる事が無いのでは? と思ったりせだが、零は本を見せるだけで『大丈夫』と伝えた。そして外へ出れば生憎の雨。りせは傘を持っておらず、距離も近い事から結果的にりせは零に甘える事にしたのだ。

 

 零はかなり早く学校へ到着した。例え早くても先生達は早めに来ているためか、校門は開いている。だが零が最初の様で、教室へ入ってもクラスメイトの姿は誰1人見当たらない。しかし零は気にせず、真っ直ぐに席へ座ると本を読み始めた。

 

「あ、おはよう。姫ちゃん、今日は早いんだね」

 

 少し時間が経った後、後ろ側の扉が開いた。そしてそこから雪子が姿を見せる。雪子は零の姿を見つけると、驚いた後に笑顔で零の傍へ近づいて声を掛ける。そして「何かあったの?」と零に聞くが、『アイドルを送るために早く登校した』とは流石に教えられない。故に零は首を横に振ると、『早く起きた』と紙に書いて見せる。雪子はそれを信じて「そっか」と納得した。

 

「私も今日は朝の手伝いが早く終わっちゃって。家に居てもする事が無かったから。でも、早く来て正解だったみたい」

 

 雪子の言葉に零は首を傾げる。しかし雪子は口元を隠す様に小さく笑うと、「なんでもないよ」と言って自分の席に荷物を下ろした。そして零の隣、陽介の席に座る。まだ時間は早い。生徒達はしばらく来ないだろう。雪子は零に話し掛け、零はそれに頷く等して対応。そんな時間が数十分間、続くのだった。

 

 

 

 

 6月22日。放課後。零は学校が終わると同時に素早く神社へ帰り、買い物に行く準備を始める。何時も丸久豆腐店へは最後に行くため、南側の商店街へは向かわずに北側のジュネスに向かう。そこで数十分買い物をした後、荷物を肩に掛けて本を読みながら今度は南側の商店街へ。ぐるっと一周回る形の順路で買い物をするのだ。

 

 最初に四目内堂書店にて本を確認し、気になった物を購入。その時に明日発売の本があるのに気づいた零は明日も来る事を決める。そして最後となる丸久豆腐店に向かった。しかし先日と同様に人だかりが出来ていた。アイドルのりせを見たいがために沢山の人が集まっているのだ。あの日、朝早くに帰ったのは正解とだったのだろう。だがその人だかりは何故か突然捌けて行く。その際に『婆さんだけしか居ない』と呟く声が聞こえた事から、りせは見つからなかったのだろう。

 

 人が居なくなると、その人だかりの中に悠・陽介・完二の男子3人の姿があるのに零は気付いた。どうやら悠達も零の存在に気づいた様で、零に近づき始める。

 

「え、何? 辰姫さんも『りせちー』を確かめに来たのか?」

 

「んな訳ねぇっすよ。姫先輩、そう言うの興味無さそうっすから」

 

「……買い物か?」

 

 陽介の質問に零では無く完二が答える。完二の答えは最もであり、前回完二を見張る時に話をしていた悠は答えが分かった様に質問する。零はそれに頷き、店の中へ。陽介達もそれぞれ顔を見合わせると、零について行く形で中へ入る事にした。

 

 中に入ってまず最初に誰かの後姿が見える。顔は見えないものの腰は低く、三角巾を被っているその姿はお婆ちゃんにしか見えない。そして他に人の姿は無く、陽介はその光景に少し残念そうな表情で「マジで婆さんしか居ねぇ」と呟いた。だが零は彼の言葉を聞いて首を横に振りながら否定。当然訳の分からない3人は零を見る。すると零は先程から姿勢を低くしている誰かを指差した。

 

「は? どう見ても婆さんじゃん」

 

「おや、お客さんかい?」

 

「!?」

 

 陽介は零を見て呆れた様子で顔の前で手を振る。だが突然横から本物のお婆ちゃんが出て来て4人へ話しかけた事で、陽介は固まった。そして顔の見えない誰かとお婆ちゃんを交互に見比べる。そこで顔の見えなかった誰かは遂に顔を上げて振り返った。……その顔は紛れも無くりせ。何処か疲れた様子だが、間違いようが無かった。

 

「あ~りせってお前?」

 

「何で呼び捨て? あ、姫先輩! 用意は出来てるよ!」

 

 完二の質問に心底不機嫌そうな様子で答えたりせ。しかしその横に居る零を見た瞬間、まるで別人の様な笑顔になった彼女は用意していたであろうがんもどきと豆腐を渡す。その時に陽介が「え!? 辰姫さんとりせちーって知り合い!?」と驚いていたが、零は気にせずにお金を渡して3人へ視線を移した。りせもそれに釣られて3人に視線を向ける。

 

「……で、何の用?」

 

「辰姫さんと俺達の対応、全然違くね!? 俺ら客! 客だから!」

 

 先程の笑顔と違い、まるで面倒とでも言うかの様な表情で話し掛けたりせ。それを見て陽介は余りの違いに突っ込みを入れると、客であると伝えた。しかし買う物は決まっていなかったのか、焦りながら完二へ何かを頼めと指示を出す。完二はそれを見て「さっき決めたでしょうが」と呆れながら言い、がんもどきを3つ頼んだ。

 

 陽介がテレビで見るアイドル、久慈川 りせとの違いに少しばかり驚いていると、「本題がまだじゃん!」と言って話し掛けようとする。だが悠はそれを止めた。彼の視線の先には零がおり、それを見て陽介は今の状況を改めて理解して「どうすっかな」と悩み始める。零はそんな2人に首を傾げるも、完二が意を決したように零へ近づいて声を掛けた。

 

「姫先輩。悪いんですけど外してもらえないっすか?」

 

 完二の行動に陽介は「お前、勇気あんな」と呟くが、完二はそれに「姫先輩なら分かってくれるっすよ」と答える。そして零へ視線を戻した。零は既に買い物を終わらせており、後は帰るだけ。ここに長居する理由は既に無かった。

 

 りせに振り向き、軽くお辞儀をしてから零は店を出る。りせは去っていく零に「またね!」と笑顔で手を振るも、見えなくなって即座にその顔から笑顔が消えた。そして零を追い出したとも言える3人へ向ける視線は明らかに先程よりも不機嫌で敵意が籠っており、「で、何の用?」と棘のある言い方で再び質問。3人はそんな彼女に恐怖を感じながらも、話を始めるのだった。

 

 

 

 

 6月23日。放課後。屋上で本を読んだ後、零は神社ではなく真っ直ぐに四目内堂書店へと向かった。そこには今日発売の本があり、零はその本を購入して店の外へ。しかし出た瞬間、誰かが猛スピードで零に突撃した。突然の衝撃で零は後ろに転倒。買ったばかり本は横へ飛んでいってしまう。そして地面に落ちたと同時にぶつかった相手がその本を踏んで走り去ってしまい、そんな相手を追う様に悠達が走り去って行く。立ち上がって踏まれた本を確認すれば、大きな靴跡がついていた。原型は留めているものの、へこんでしまった表紙。土も付いており、非常に汚くなってしまっている。……これを読むのは恐らく止めた方が良いだろう。

 

 零は店の前で後方に向けて転倒したため、店の中に戻ってしまっていた。その結果、追い掛ける悠達の誰にも気付かれる事は無かった。零は駄目になった本を手に、ゆっくりと立ち上がる。そして店から出ると、彼らが走り去った方向へ視線を向けた。その先にはガソリンスタンドがあり、車の通りも激しい場所。そんな場所の前で、1人の男が明らかに車道へ飛び込もうとしていた。どうやらその男が本を踏んだ者の様だ。何があったのかは分からないが、悠達はどうにかして彼を捕まえようとしている様子で、だからと言って大怪我をさせる訳にも行かないために困惑していた。

 

 零は駄目になった本を手に、走り出した。その速度は余りにも速く、瞬く間に彼らとの距離が縮まる。

 

「お、おい、どうするって……は?」

 

 陽介は隣に居た悠に話し掛けるが、その向こう側に何かが走ったのを目撃した。そして全員は絶句する。何も居なかった男の背後に、いつの間にか零が立っていたのだ。陽介は辛うじて何かが走ったのは見えたものの、他の全員からすれば突然現れた様にしか見えなかった。

 

 汚くなった本を片手に無表情で背後に立つ零の存在を男は気付かないまま、ひたすらに自分の命を人質にして悠達へ「飛び込むぞ!」と叫んでいた。だがこの場に居た全員、そんな言葉などもう耳に入らない。

 

 零は静かに汚くなった本を持つ手を上へ。その光景に全員が『終わった』と悟る。そして零が迷い無く本を振り下ろすと、本の角が男の頭に直撃した。その威力は相当だった様で、男は訳も分からないままに気絶した。余りの出来事に全員が固まっていたが、やがて1人の男性が我に返ると「ご、ご協力感謝します」と言って男を引きずる様にして移動させる。男性の体は非常に細いため、男の重さを我慢する様に持ち上げて、悠達に苦しそうな表情で何かを言ってからその場を去って行った。

 

 陽介はそれを見て「これで終わったのか?」と呟き、零に視線を移した。全員も零を見る。彼女はボロボロになった本をジッと見つめていた。それを見て全員は彼女の行動に納得する。普段から本を読んでいる零にとって、本とは大事な物。それをボロボロにされたなら、怒りもするだろう。無表情だが怒っているのだと全員は感じたのだ。……本が駄目になった原因が自分達があの男を追い掛けたせいかも知れない事を、全員は絶対に言わないと心に決める。

 

 零は汚くなった本をしまい、再び四目内堂書店の中に入って行った。どうやらもう1冊、同じ本を買う様だ。

 

「辰姫さん、絶対に怒らせちゃ駄目だね」

 

「ああ。……にしても凄かったな。さっきの。な、完二?」

 

「いや、何で俺に聞くんすか?」

 

「だってお前、辰姫さんの事が「だぁ~! 何言ってんすか花村先輩!」別に隠さなくたってテレビの中で……あ、天城?」

 

「完二君は男の子が好きなんだよね?」

 

「はぁ? んなわけ「好・き・な・ん・だ・よ・ね」は、はい!」

 

 居なくなった零を見て、それぞれが話し始める。だがその顔は非常に安心している様であった。途中で完二が雪子に物凄い声音で言われてしまい、敬礼をして答える光景には流石に他の3人は苦笑いを通り越して引いてしまったが。

 

 歩いていた5人は丸久豆腐店の前で足を止める。陽介は『りせに一声掛けよう』と提案。全員が頷いて中へ入れば、そこにはお婆ちゃんの姿のみ。その後、話を聞けばりせは『黙って出て行った』との事。全員が嫌な予感を感じて辺りを探し始めるも、何処にもりせの姿は見当たらなかった。

 

 そしてこの日、りせは『行方不明』となった。



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辰姫 零 謎の少年に聞かれる

 6月28日。放課後。雪子は授業が終わると、真っ先に零の席へ向かった。完二が救出されて以降、雪子は必ず放課後になる度に零へ話し掛ける様になったのだ。だが普段、雪子は家の旅館を手伝わなくてはいけないという大事な用事があるため、そこまで長い時間を話せる訳ではない。それでも少しでも、と話し掛けるのが雪子の習慣になっていた。

 

 零は本を取り出しており、今にも立ち上がりそうな状態だ。雪子が話し掛けると、零は立ち上がるのを止めて首を傾げる。そしていざ話をしようとする雪子だが、何を話して良いのか分からなくなってしまう。話が上手い悠でさえ、会話が中々出来ない零を相手に雪子が話で盛り上がるのは非常に難しい事であった。

 

「えっと……?」

 

 何を話そうか迷う雪子。しかし零はそんな彼女の様子を見て何かを書くと、雪子に見せた。その書いてある内容に雪子は更に何を言えば良いのか分からなくなってしまう。零が書いたのは『豆腐屋。りせ。最近見ない。何か知ってる?』という内容。そして雪子はりせが居なくなってしまった理由を知っている。しかしそれを説明するのは非常に難しい事であった。『テレビの中に居る』なんて説明は当然出来ず、話しても信用される可能性は低い。だが迷ってしまった事で『知らない』と答えれば、嘘を言っている事が簡単にばれてしまう。雪子はどう答えようか迷い、助けを求めるべく千枝に視線を向けた。

 

 千枝は突然の視線に驚いた後、どうにか話を逸らそうとする。だが良い案が一切浮かばない。そこで今度は陽介に目で『どうにかして』と助けを求めた。それを感じた陽介は「俺かよ」と驚いた後、一歩前へ。その距離約1cm。進んでいるとは到底言えない。そんな陽介を見て千枝は今度は悠に視線を送るが、悠は黙って見守るのみでなにも言わない。本当にどうするかと焦り始めた千枝。すると思わぬ人物が彼女達の危機を救った。

 

「ちぃーす。ちょっと聞きたいことがあるんすけど……って、何すかこの空気?」

 

 突然、1年生の完二が教室へ来訪したのだ。全員が心の中で『よく来た!』と歓迎し、陽介は少し大きな声で完二と話を始める。その時に「天城辺りに聞けば何でも知ってると思うぜ!」と答える事で、雪子を会話に入れられる様にする。零は突然入って来た完二に視線を向けていたため、雪子はここぞとばかりに完二へ「何を聞きたいの?」と質問。思わぬ歓迎をされ、何時もと明らかに違う対応の優しさに完二は何処か気持ち悪さを感じながら質問を始めた。

 

 都合良く完二が質問する途中で零は屋上に向かった。そんな零を見て、完二以外の全員が一斉に安堵のため息をつく。完二は安心し切った4人に「一体どうしたんすか?」と質問した。

 

「辰姫さん。りせちーと知り合いだからな。居なくなってるのを不審に思ってるみたいなんだ」

 

「あ~。確かに店でのあの会話は仲良かったっすからね」

 

「不味くない? 早く助けないと、今のであたし達の事を少し疑ったんじゃない?」

 

「かもしれない。迷った時点で何か知ってるとは思ってるだろうからな」

 

「ごめんね、上手く答えられなくて」

 

 雪子の謝罪に全員は仕方ないといった様子で返すと、本当にどうするかを話し始める。そして今回の久慈川 りせ救出はとにかく急いで行うべきと話が決着し、善は急げと今からテレビの中へ向かう事にした。

 

「……」

 

 零は変わらず、屋上で本を読む。彼女の何気ない質問が悠達の尻に火を付けた事等、彼女は知る由も無いままに残りの一日を過ごすのだった。

 

 

 

 

 7月5日。放課後。零は買い物をし続け、最後に丸久豆腐店へ入る。中にはやはりお婆ちゃんのみ。りせの姿は前回話して以降、見ていないのだ。そして今回も居ないと感じ、普段買っている物をお婆ちゃんに頼む。するとお婆ちゃんが品物を渡す時、笑顔で告げた。

 

「心配させてごめんなさいね。りせなら一昨日、帰ってきたのよ。でも少し疲れてるみたいでね。少し寝込んでるから、今日は無理だけど近い内にまた来てくれるとりせも喜ぶだろうね。がんもどき2個、おまけしとくよ。お礼だと思って受け取って頂戴」

 

 そう言ってお婆ちゃんは普段よりも多めにがんもどきの入った袋を零へ渡す。零はその言葉に一度、お婆ちゃん背後に見える開いていた襖へ視線を向けた。恐らくはその奥に寝込むりせの姿があるのだろう。その話を聞けただけでも安心出来たのか、零はお辞儀をして店の外へ出ようと振り返った。……そこに、1人の少年が立っていた。帽子を被っている少年。零はその姿に見覚えがある。以前、完二が学校の前で待ち合わせをしていた相手だ。

 

 少年は零に気付くと、何かを考える様な表情で零を見る。少年の姿に気付いたおばあちゃんはお客さんだと思ったのか、何が欲しいのかを質問。

 

「出来れば久慈川 りせさんと話をしたいのですが」

 

「ごめんなさいね。今りせは寝込んでいてね」

 

「そうですか……」

 

 しかし少年は買い物ではなく、りせと話をしたいと言い出す。りせはアイドルのため、この様に会いたがる人物は決して少なくない。だが零はこの少年がファンとしてりせに会いたいと言った訳では無いと感じる。しかし少年の目的を知ったところで意味は無いため、零はもう一度お婆ちゃんへお辞儀をしてから少年の横を通って店の外に出た。

 

 零は真っ直ぐに神社へと帰る。買った荷物を降ろして冷蔵庫に買った物をしまった後、零は一息をつくためにお茶を淹れようとする。その時、インターホンが家の中に響いた。例え神社でも、しっかり玄関の部分には取り付けられているのだ。

 

 零は入れていたお茶を置き、玄関へ向かう。そして戸を開けば、そこには先程会った少年の姿があった。

 

「突然申し訳ありません。少々お話を宜しいでしょうか?」

 

 少年は出て来た零に話し掛ける。零はそれに最初首を傾げるが、やがて首を了承して境内の中へ入って行った。それを見て少年は一瞬戸惑うも、零の後を追う様に「お邪魔します」と言って中へ入る。

 

 零はお茶を淹れようとしていたため、もう1つ湯飲みを取り出してそこにお茶を淹れてから少年の前へ差し出した。少年は無難に「ありがとうございます」と言い、一口。そして零も自分の分を淹れてから、少年の前に座る。

 

「僕は白鐘 直斗と言います。失礼ですが、名前を伺っても宜しいでしょうか?」

 

 自己紹介をした少年……直斗は続けて、零の名前を聞いた。零は頷き、紙に自分の名前を書いて直斗に見せる。その行為に直斗は一度驚くが、特に何も言わずに表情を元に戻してから「先程のお店には頻繁に行かれるのですか?」と質問。零は頷いて肯定した。

 

「お婆さんとの話を少し聞いていたのですが、久慈川 りせさんとは仲が宜しい様ですね? どのような関係ですか?」

 

 更に直斗は質問をする。その表情は『何も見逃さない』とでも言う様に零をジッと見続けていた。だが零は特に気にした様子も見せずに『昔馴染み』と紙に書いて見せる。直斗はその昔馴染みがどういったものかを詳しく質問。零は昔ここに住んでいた事、子供の頃に遊んだ事がある事を紙で答えてからお茶を飲んだ。

 

 直斗は質問が終わると、今居る部屋を見回した始める。どうやら何かを探している様で、首を傾げる零に直斗は「失礼しました」と言って同じ様にお茶を飲んだ。

 

「この家にテレビは置いていないのですか?」

 

 何の意図があるのかは分からないその質問に零は頷いて答えた。すると今までで一番直斗は難しそうな表情を浮かべながら、「そうですか」と言って何かを考え始めてしまう。

 

「どうやら貴女は事件と無関係の様ですね」

 

『事件?』

 

「いえ、こちらの話です。突然お邪魔してすみませんでした。失礼させていただきます」

 

 突然直斗はそう言って立ち上がると、玄関の方へ向かう。零も見送るために玄関までついて行く事に。そして直斗が玄関から出ると、中で見送る零に振り返って「色々とありがとうございました」とお礼を告げてから去って行った。

 

 直斗が見えなくなると、零は時間を確認する。普段通りならば掃除をするのだが、今の会話でその時間を使ってしまった様だ。そのため、零は戻って夕飯の準備を始める事にするのだった。

 

 

 

 

 

 7月10日。昼間。昨晩雨が降った事で町中に霧が出ていたこの日、大変な騒ぎが起こっていた。4月に殺人事件が起きてから何も起こっていなかったこの町で、また殺人事件が起こったのだ。殺されたのは零や悠達の担任である諸岡 金四郎。2件目の被害者が同じ八十神高校の生徒であった事もあり、騒ぎは非常に大きかった。そしてその騒ぎは神社で掃除をしている零の耳にも入る。

 

 丸久豆腐店の前では、悠達がりせと話をしていた。霧のせいか、町は普段に比べて人通りも少ない。最初は聞かれたら不味い会話のため、移動しようと考える悠達。だが思いつく場所と言えば、用事が無ければ人が入って来る事の無い辰姫神社のみ。しかし悠達は零がこの時間、掃除をしているであろうと考えて行くのは止めた。そして結果的に邪魔にならない様、そこで会話をする事になったのだ。

 

 話が終わり、解散する事になった悠達。陽介はとある事情のため、真っ直ぐ帰宅。残った悠はこの後どうしようかと考える。すると、突然雪子が「そうだ」と何かを思いついた様に声を上げた。

 

「姫ちゃん。怖がってないかな?」

 

「姫先輩の事っすから、何時も通りじゃないっすか? ……やべ、腹痛くなってきやがった。俺、トイレ行くっすわ」

 

「ホームランバー、6本も食べっからそうなんのよ。ってあれ? りせちゃんは?」

 

 雪子の言葉に完二が言い、同時に彼のお腹が凄い音を鳴らす。そしてお腹を抱えて苦しそうに走り去る完二を見て、千枝は呆れた表情で突っ込んでから1人足りない事に気付いた。一緒に話をしていたりせが何処にも居なかったのだ。千枝の言葉に雪子と悠は周りを見渡す。しかし周囲にも居らず、Ⅲ人は顔を見合わせた。

 

 何処に行ったのだろうかと話す3人。だがその答えを予想するのは簡単だった。それが分かった途端、雪子は急いでその場所に向かう。向かった先は……辰姫神社だ。

 

「姫先輩、巫女服似合う! もう最高! 結婚して!」

 

 鳥居の向こうには箒を持て地面を掃いている零と、そんな彼女の服装を見て目を輝かせながら褒めるりせの姿があった。恐らく雪子が零の話を出した瞬間、りせはここへ飛んで来たのだろう。笑顔で元気なりせと、無表情で静かな零。間逆の2人が並んでいる様に悠は見えた。

 

 雪子は即座に2人の元へ近寄ると、りせに「勝手に居なくなっちゃ駄目だよ。心配しちゃうから」と注意する。だが何故かその顔は心配と言うよりも怒気に包まれていた。しかしりせはそんな雪子に「大丈夫!」と笑顔で返す、零を見ながら「もう二度と離れないから!」と答えて零の腕に自分の腕を組み始めた。雪子はそれを見て驚いた後、「掃除の邪魔になるから離れたほうが良いよ?」と笑わぬ目をした笑顔で言う。

 

「鳴上君。あれって世間で言う……修羅場?」

 

「ああ。修羅場だ」

 

 そんな光景を少し遠くで見ながら、悠と千枝の言葉に頷いた。同性を取り合う異常な光景。しかしあの中に入る程の勇気を流石に2人は持ち合わせておらず、始終見ているだけであった。その結果、零は掃除の邪魔をされる一方である。

 

「姫先輩、大丈夫? 今日、私泊まろっか?」

 

「何でりせちゃんが姫ちゃんの家に泊まるの?」

 

「だって殺人事件なんて怖い事が起きたんだもん。だから私が姫先輩と一緒に居てあげようかな~って。っね? それなら1人じゃないし安心でしょ?」

 

 りせの言葉を聞いて蟀谷辺りに青筋が1つ出来る雪子。遠くで見ていた悠と千枝には分かる。完全に怒っているのだ。だが雪子は怒ったとしても非常に冷静なタイプだ。青筋を浮かべながらも「りせちゃんが泊まる必要は無いと思うよ?」と告げる。しかしりせは「家もすぐそこだから問題ないし、それに『また』泊まりたいもん」と答えた。その時、言葉に入っていた『また』を雪子は聞き逃さない。

 

「また? どう言う事?」

 

「私、帰って来て最初の日は姫先輩の家に泊まったの。一緒の布団で寝て、家まで相合傘で帰って……」

 

「い、一緒の布団……相合傘……!?」

 

 りせの言葉を聞いて雪子は怒りから一転、余りの内容に放心に近い状態になってしまう。そんな雪子を見て『勝った』とでも言わんばかりの笑顔になったりせは、零に先程の泊まりについてどうするかを聞く。だが零は首を横に振って断った。りせがその理由を聞けば、零が紙に答えを書いて見せる。

 

『もう家に帰れる。問題無い』

 

 零は事件を聞いても特に怖いとは感じていない様で、りせも正論を言われてしまった事で何も言い返せなかった。そして同時に一切見向きもされていないと知り、肩を落とす。その時に零の腕を組んでいた手の力も抜けたため、零は自分の腕を開放してから静かになった2人を放置したまま掃除を再開した。普段と変わらぬ零の側に、放心に近い状態となった2人の姿。悠と千枝は苦笑いした後、零に挨拶をしてから2人を家へ送るのだった。



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辰姫 零 勉強会に参加する

 7月13日。朝。天候は生憎の雨であり、零はやはり片手には本を持って読みながら通学路を歩いていた。周りには生徒も多く、1人で歩く零の姿は非常に浮いている。と、

 

「あ、姫ちゃん! 入れて!」

 

 突然零の背後から雪子の声が聞こえ、その後零の真横に雪子が並ぶようにして歩いき始めた。どうやら雪子は傘を持っていなかった様で、少し肩等が濡れている。零は視線を移さずにそれに気づくと雪子が濡れない様にと少し傘を雪子側に移動させた。その行動に雪子は笑顔でお礼を言う。

 

「折り畳み傘、無くしちゃって。ごめんね? 勝手に入って。帰りまでには止むと良いんだけど……」

 

 雪子は傘を持っていない説明をすると傘の中から空を見上げて呟く。行きは同じ場所のためこうして一緒に登校できるも、帰りとなれば途中で分かれるしかない。そうなれば雨が降っていた場合、雪子は濡れてしまうことになるのだ。零は持っていた傘を突然雪子に渡す。理由も分からず受け取る雪子。と、零は突然その場で立ち止まって鞄に手を入れ始めた。突然停止したために一瞬傘から零が外に出てしまい、雪子は驚くと急いで戻る。と、零は鞄から一本の小さな丸めた様な何かを取り出した。そしてそれを開けば、

 

「もう1本あったんだ」

 

 小さめな傘となる。実は零が使っていた傘は少し大きめの物。その理由は本を読んでいるからだ。だが今開いた傘は小さめのため、残念ながら本を読んで歩くのは難しかった。

 

 鞄に手を入れた時に本はしまっていたため、零は珍しくこの日本を読まずに通学路を歩くことになる。零は傘の中に入ると雪子を一度見る。雪子は既に零の使っていた傘を持っているため、濡れることは無いだろう。それを確認すると零は歩き始めた。雪子も急いでその後を追う。その後、2人は濡れる事無く無事に並んで登校する事が出来た。が、何故か雪子は少し残念そうな表情だったのに零が気づくことは無い。そして

 

「姫ちゃん、朝はありがとう。でも雨は上がったみたいだから帰りは傘、無くても大丈夫だよ」

 

 昼休みになると既に雨は上がっており、それを見て雪子は零に言う。もしも雨が降っていたのであれば、先程使った傘を借してくれるのだろうと話をしなくても分かっていた雪子。が、雨は無事に上がったので借りる必要はなくなったのだ。雪子は『帰る時は貸してくれた傘を持って帰ってね』と言う意味を込めて言うと零は頷いた。と、背後の扉が開く。そして入ってきた2人の人物にクラスは半分恐怖し、半分感激していた。

 

「ちぃーす。ちょっと良いっすか?」

 

「実はお願いがあって……」

 

 恐怖の対象は完二。感激の対象はりせである。りせは今月の11日から八十神高校の1年生として入った。そのため零や悠達の後輩であり、完二とは同じ学年のために入ってくるときなどは一緒に居ることが多いのだ。稀に『もしかしたら2人は』みたいな話が出てくるかも知れないと普通は思う。が、その疑問は初日の昼休みにりせが教室に入ってきた時。とある出来事が起こり、それは無いと全員は分かっていた。

 

 りせはアイドル。学校にアイドルが居るだけでも学生達には凄い事だ。そしてりせは男子達に取ってある意味憧れの存在と言っても間違いではないため、雪子同様に非常にモテている。そして最初2-2の教室に入ってきた時、りせに話しかけたのは非常に緊張している様子の男子。『な、何の用でございましょう』とりせに聞いた男子。そしてりせの答えは『姫先輩は居る?』であった。そしてその一言で一斉にクラスの全員が零に視線を向けた。雪子が零のことを姫と呼んでいるのは既にクラスの中では当たり前になっている。が、まさかりせまでそう呼ぶとは誰も思って居なかったのだろう。

 

 一斉に視線が向いたことでりせは零の存在を確認できた。零は本を静かに読んでおり、今の騒ぎには一切見向きもしていない。そしてそんな零の横にある陽介の席には雪子が座っている。雪子は今の現状に当然気づいていた。席の主である陽介は悠の席の横に立っており、悠の横には千枝が座っている。そして3人は今の様子を静かに伺っていた。

 

 静まった教室を入るりせ。そして零の真横。雪子とは反対の場所に立つと零に笑顔で『私、今日からここの生徒だからよろしくね! 姫先輩!』と言った。そしてその声に零はやっと顔を上げるとりせを見て静かに頷き、再び本に視線を戻してしまう。零はりせが泊まった時にこの学校に入ると話を聞いていたため、言われたことが現実になったとしか思って居なかったのだ。が、それを余りりせは良く思わなかった様で『もう少し何か反応してくれても良いのにな~』と口を尖らせて呟いた。そして何を思ったのか、

 

『姫先輩! お祝いに1つ、【キス】して!』

 

 一瞬クラスに居る全ての人間が固まる。その中には当然悠達も含まれていた。静寂が包む2-2の教室。しかし少し立つとまるで合わせているかの様に全員が一斉に叫び、その声は上下の階にまで聞こえてしまう。そして結果、先生が来てお叱りを受けることとなった。

 

 結局りせの言った【キス】は無かった事になった物の、りせは【同性愛者】と言う噂が流れる様になる。が、りせのファンである女子がアタックをしてもりせはまったく見向きもしなかったことでその噂はすぐに無くなった。しかし1人にだけは普通と違う対応のため、【久慈川 りせには既に好きな人が居る】と言う噂だけが学校に広まることとなった。

 

 時を戻し、りせと完二は何か思いつめた表情で雪子と零を見る。悠達も2人に気づくと集まり、結果1箇所に7人と言う大人数が集まることになった。

 

「来週。テストッすよね。その……勉強教えて欲しいっす!」

 

 完二は手を合わせて頭を下げながら言う。そしてその言葉の中に含まれていた【テスト】と言う言葉に陽介と千枝は非常に嫌そうな顔をした。

 

 そう。完二の言うとおり、来週は期末テストがある。中間テスト同様、学生には地獄の日々が始まるのだ。頭が良いとは決して言えない陽介・千枝・完二の3人はそのことに頭を悩ませていた。だが残念ながら逃げることは出来ないため、諦めて勉強をするしかないのだ。幸い学年でトップの雪子と零。そして上位の悠がこの場に入る。りせはどれ程頭が良いのか分からないが、頭の良い人物が3人も居るのは凄い事だ。そしてそれに気づいた陽介はため息をつくと提案する。

 

「1人だと違うことしちまうからな。なぁ、ここに居る全員で勉強会やらねぇか?」

 

「あ、良いかも。雪子とか教えるの上手いし」

 

 その提案に千枝も賛成し、全員で今日の放課後。図書室にて【勉強会】をすることが決定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。放課後。零と悠達は図書室に集まっていた。一番端の席に椅子を増やすことで7人が全員座れる様にする。教えるのは悠が陽介と完二の2人を教え、零と雪子が千枝とりせを教える事にした。男女で分けたのだ。

 

 男子側は非常にスムーズに進んでいる。が、女子側はその真逆で非常に空気が重かった。男子の方は3人で1人が教えるために何も問題は無い。だが女子側は教えるのが2人で教わるのも2人。だったら当然1対1が丁度良いのだ。そしてそうなった時、ペアを当然決める事になる。

 

「はい! 私、姫先輩に教わるね!」

 

 決めることになった瞬間、りせはそう言って零の腕に自分の腕を組んだ。千枝は苦笑いしながら教えてくれる親友に視線を向ける。そして恐怖した。雪子の表情は何時もと変わらず、それどころか微笑んでいる。だが親友であるが故に千枝はすぐに分かる。目が笑っておらず、全然納得していないのだと。

 

 雪子の笑わぬ笑顔に恐怖しながら勉強が始まる。りせは笑顔で零に分からないところを質問し、零はそれに紙で答える。そしてそんな光景を睨む様に雪子は見ながら千枝に勉強を教える。千枝は教えられているが、雪子が余りにも零とりせの2人に気を取られ続けているために勉強どころではなかった。それどころか雪子のその変化に頭に内容なんて一切入らない。と、突然千枝に頭の上に豆電球が付く程の閃きが起きた。

 

「雪子、辰姫さんと交代すれば?」

 

「え? あ、ごめん千枝。……」

 

「ほら雪子、向こうが気になって勉強になってないんだって。2人の仲が気になるならさ、雪子が交代すれば良いんじゃない? それなら心配無いでしょ?」

 

 千枝の言葉に最初雪子は教えることに集中しようとする。が、再び視線が2人に向かったのを見て千枝は行動に出る。零とりせの場所に行き、『雪子が集中出来てないから交代して』と説明をする。【交代】と言う単語にりせは「え~」と嫌そうな声を出した。が、千枝はそれを既に予想していたため、零に視線を向ける。そして目が合うと、零は頷いた。

 

 零は今座っていた席を立つと雪子の場所に向かう。千枝は雪子に手招きをしてりせに教える様に言うと自分の席に戻った。先程雪子が座っていた席には零が静かに座っている。向こうも零の相手が千枝ならば平気だと考えているのか、微妙な顔で勉強を始めている。

 

「えっと……『まずは勉強。分からなければ質問』あ、うん」

 

 どうしようかと話そうとした瞬間、零に紙を見せられて千枝は黙る。恐らくりせの時にも使っていたのか書いている仕草は一切無かった。

 

 千枝は取り合えず勉強を始める。前回のテストから今までの勉強を復習する形で勉強していき、分からない場所があれば零に質問をする。と、零は紙で答えではなくヒントを書いて千枝に見せる。分からなければ違うヒントを、それでも分からなければまた違うのを、と。答えを教えるのではなく、思い出すことが大事なのだ。結果的に分からなかった場合、少ししてから同じ物をもう1度やる様に紙で指示を出し、千枝はその通りにやる。会話こそ無い物の、千枝はかなり勉強できているのではと実感していた。

 

 ふと千枝のペンが止まる。そして顔を上げれば零が静かに本を読んでいる姿。千枝の知っている零の姿の殆どは今の様に本を読んでいる時だ。巫女服の時なども会ったが、やはりほぼ毎日本を読んでいる今の姿が一番印象に残る。そしてどうして2人が目の前の少女を好きになっているのかを考え始めた。

 

 青い綺麗な髪。可愛いが無表情な顔。細い腕に細い足。本を読んでいる姿は非常に似合っており、目の前の少女は世間で言う【美少女】なのだと千枝は思う。が、それだけで2人が彼女を好きになる訳が無い。きっと何か大きな理由がある。そう何となく確信する千枝。と、千枝がずっと見ているのに気づいた零が顔を上げる。そして首を傾げた。無表情で首を傾げるその姿は人によっては気持ち悪いと思うかも知れない。だが少しでも交流を持てばそんな感情は一切抱かない。それどころか可愛らしい、守りたいとすら感じるかも知れない。雪子やりせの様に非常に可愛い零が余り騒がれないのは無表情故に怖がり、周りが交流を持たずに遠ざかってしまうことが大きな原因なのだろう。

 

『何?』

 

「ねぇ、辰姫さん。雪子とりせちゃんの事。どう思ってるの?」

 

 千枝の質問に零は首を傾げる。どうして彼女はアイドルに。そして自分の親友にあんなにも好かれているのか。その理由は確実に見た目ではなく中身なのだろう。親友があそこまで惹かれる程の中身。少しでも良いから零の心を知ってみたいと千枝は思ったのだ。

 

 零はしばらく黙った後、『昔馴染み』と答える。千枝としては『友人』等と言う単語が書かれると思っていたため、少し驚いてしまった。そして一瞬まさかと思うと、確かめるべく千枝は質問をする。

 

「2人は昔からああなの?」

 

「?」

 

 千枝の【ああ】と言う意味は普通の人ならすぐに分かる事だろう。零を取り合っている2人。どう見ても【ああ】と言うのは取り合いの事だ。雪子は既にばれている物の頑張って隠しながらと言った感じだが、りせに関しては教室の真ん中で零に【キスして】と言った時点で丸分かりであり、本人も隠す気は一切無い様である。そしてその取り合いの相手である零はその現状を理解しているのか? そう言った確認を千枝はしたのだ。そしてその結果、零は質問に首を傾げる。つまり理解していないのだ。

 

 目の前で首を傾げる零に千枝は頭を抱えて「マジでか……」と呟く。と、学校のチャイムが図書室内に大きく響いた。それは放課後になる最終下校のチャイムであり、それが鳴った場合は全ての生徒が帰らなければ行けないのだ。つまり『残っている奴は帰れ』と言う意味のチャイムである。そしてそのチャイムを聞いた7人は勉強会を終了し、解散することになったのだった。



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辰姫 零 夏のテストを終える

 7月23日。放課後。教室内はテストが終わったことによる開放感に包まれていた。

 

 前回同様に陽介は悠の席に近づくと終わった事に安心して欠伸をする。千枝は雪子と共に問題の答えを確認中だ。どうやら勉強会の成果はそこそこ出た様だが、それでも間違っている部分はかなりある様で千枝は肩を落とす。今の見直しは英語の様だ。そしてそれに陽介が「一生日本暮らしだな」と笑顔で茶々を入れる。

 

 と、背後の扉が開いてそこから完二とりせが入室する。りせの表情は暗く、まるで周りに黒いオーラがどんよりと出ているかの様に全員は感じる。そしてそれを見て真っ先に陽介が「ここにも負け組が居やがった」と呟くとりせは顔を上げて抗議した。アイドルのため、『いざとなれば通訳をつけるから英語を勉強する必要は無い』との事だ。

 

「姫先輩はどうだった?」

 

「仲間探しなら無理だぜ? 辰姫さんは天城と並んでクラスでトップだからな」

 

「何で花村が自慢げに話すのよ」

 

 りせの質問に零ではなく陽介が答え、その時に少し自慢するような態度だったので千枝が突っ込みを入れる。そしてそれを聞いてりせは「さっすが姫先輩!」と言うと今度は悠に質問した。悠は「ペンが止まらなかった」と答え、りせは零同様に「先輩も違うなぁ」と呟いく。

 

「ま、やっぱ勉強会をしたのは良かったかもな。俺も前回よりは自身あるし」

 

「ねぇ、まだ10月・11月・2月って3回テストがあるんでしょ? だったらテスト前にまた皆で勉強会やろうよ」

 

「『やろうよ』って……私達教えられる側で教えてくれる側が良いって言わなきゃ駄目だって普通」

 

 陽介は数日前に行った勉強会を思い出した様に言うと、りせが提案する。千枝は言い方が可笑しい事に注意すると教える側である雪子、悠、零の3人を見る。視線に気づいた雪子は「別に構わないよ」と答え、悠も「俺も構わない」と同意する様に答える。

 

「辰姫さんは良い?」

 

 千枝の言葉に零は否定も肯定もせずに黙り続ける。が、しばらくした後に『出来る時だけ』と紙で書いて答える。と同時に立ち上がった。どうやら帰る様で、千枝がお礼を言うと雪子がそれに続いて「明日、見に行くからね」と零に言う。零はそれに静かに頷くと教室は退出した。

 

 去っていった零を見送る6人。が、途中でりせが「見に行くって何の話?」と雪子に質問した。雪子は少し笑うだけで答えを言わず、りせがそれに関して不審に思う。そしてその状態が不味いと感じた完二は話を逸らすために今起きている事件についての話を切り出し、6人はフードコートへと向かう事にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月25日。昼休み。テストの結果が張り出され、様々な生徒が確認に向かう。零も雪子と千枝に連れられて確認に向かった。そして張り出されている結果を見る。

 

「え!? 一番上が雪子じゃない!?」

 

 最初に千枝がその紙を見て驚いたように声を上げる。それもその筈。何時もなら一番上にあるはずの雪子の名前があるべき場所に無かったのだ。一番上に書かれていたのは【1 辰姫 零】。その時点で今回雪子は1番では無いことがすぐに分かる。そしてその零の下には何と【1 鳴上 悠】と言う名前。その光景に陽介が自分の事の様に喜んで悠に話かける。雪子の名前は悠の1つ下。2番目であった。その光景に千枝は絶句する。

 

「何処か間違えちゃったのかも。にしても姫ちゃんはまた1位だね」

 

 絶句する千枝を横に雪子は特に気にしない様子で紙を見た後、零に笑顔で話かける。誰にでも稀に間違いがあることはあり、今回雪子にそれが起きてしまったのだ。だが雪子は悔しがることも何もせずに零を褒める。千枝は「雪子も間違えるんだ」と親友の中々見ない出来事に驚きながらも呟いた。

 

「あ! 先輩達早~い!」

 

 しばらくするとりせが現れる。その背後には完二も居るが、何故か完二は目を瞑っていた。りせはそんな完二を見た後、1年生の結果を見て

 

「完二は64番目だよ」

 

「何勝手に人前で暴露してんだゴラァ!」

 

 完二が何番目かを周りに居る人物が普通に聞こえるほどの音量で言う。自分の順位を暴露されれば怒るのは当然。叫んだ完二にりせは特に怖がった様子を見せずに棒読みで「完二こわぁい!」と言いながら零の後ろに回り、零の背後に隠れる形で完二を見る。完二はりせが零の後ろに回ったことで叫べば零に言ってる様な状況になってしまうと感じたのか、「テメェ後で覚えてろよ!」と言うとその場を去っていった。そしてりせは完二が居なくなると零の後ろから離れて自分の順位を確認する。余りにもマイペースなりせに悠達は苦笑いした。

 

「にしても流石だぜ相棒! まさか別の意味で天城越えするとはな」

 

「鳴上君って凄い頭良いよね。前回から一気に1位ってかなり凄いんじゃない?」

 

「いや。今回は偶々かもしれない」

 

「偶々だとしても1位なのは本当なんだからやっぱり凄いよ」

 

 陽介が切り出した話に千枝が言うと悠は謙遜する。恐らく本当にそう思っているのだろう。飾らない態度に全員が悠の事を【良い人物】だと改めて認識する。

 

 雪子の言葉に千枝が「偶々で1位にはなれないでしょう普通」と苦笑いしながら答え、ふと騒がしかったりせが紙を見てからずっと静かなことに気づいた。そして全員がりせを見れば、

 

「か、完二よりも下……嘘」

 

 まるで燃え尽きた様に真っ白になっていた。1年生の紙を確認すれば完二の7名下に【71 久慈川 りせ」と書かれているのが全員の目に止まる。りせはかなりそれがショックだった様だ。今度は全員が再び苦笑いしてしまう。と、りせが「こんな屈辱を受けるなんて!」と泣いた顔で零に抱きつく。零は無表情だが仕方なくと言った感じでりせの頭を撫でる。相当ショックだったのだろうと全員が少し可愛そうに感じるが、それは一瞬で無くなった。

 

「うぅ。グスッ!……ふふ」

 

 りせは泣く様な声を出した後に零の見えない位置で笑ったのだ。零はりせの頭を撫でるだけでりせの顔は見ていないため、それには気づかない。が、零の背後やりせの顔が見える位置に居た全員はりせの笑顔を見逃さなかった。流石アイドルだと思う悠達。だが1人だけそれを良しとしないものが居た。

 

「そろそろ戻らないと昼休み終わっちゃうよ。ほらりせちゃんも」

 

 雪子はその笑顔に気づいた瞬間にすばらしい笑顔で2人に近づいてりせと零を引き離す。あの雪子には想像の付かない少し無理矢理な剥がし方で。りせは雪子を恨めしそうに見るも、雪子の言うことは本当で昼休みはもうそろそろ終わってしまう。渋々と言った感じで教室に戻るりせ。雪子も零に「戻ろっか」と言って後ろに居る悠達に視線を移す。そして悠達は頷くと全員で教室に戻り、午後の授業を受けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。放課後。陽介は完全に開放されたことに喜び、悠に夏休みについての話を始める。そう。もうすぐ学生には嬉しい夏休みの時期なのだ。悠と陽介は原付の免許を持っているため、バイクに乗ることが出来る。なので遠出も可能なのだ。

 

 会話をしていると何時もどおりにりせと完二が教室に入室してくる。どうやら陽介のバイクはテントの時に一緒になった女子、大谷 花子によって破壊された様で、それが直ったということに完二は驚いていた。そして何があったのかを聞いた千枝に完二が『ナンパに失敗した』と答え、誤解する千枝と雪子。陽介は必死に否定すると夏に何処かに行こうという話しに戻した。候補はやはり【海】の様だ。

 

 海と言う言葉に雪子はずっと行っていなかった様で、行きたそうな表情を浮かべる。千枝は思い浮かぶことを言うが全て食べ物に関してであり、陽介はそれに「お前はマジで食うことにしか興味無いよな」と呆れてしまう。

 

 この場に居るのは完二以外全員が16歳以上らしく、免許は取れる年に達していることが会話の中で判明する。雪子は旅館の仕事用の。りせは事務所の貰い物。千枝はバイク好きの親戚が居る。と言う理由から免許を取ればバイクを手に入れる伝があるらしいことも分かる。完二は自転車で駅まで行けたと言う実績があることから大丈夫だろうと納得。そして

 

「辰姫さんはバイク、あるか?」

 

「無かったら事務所に頼んで分けてもらっても良いよ!」

 

「うわ、アイドルの力って凄いね」

 

 この場で1人解決していない人物。零に陽介が確認を取る。そしてりせがバイクについては問題ないとでも言う様に零に言うと千枝が引き気味に呟いた。そして全員が零の答えを待つ。ペンを取り出し、メモに書き始めた零の姿に少し緊張する6人。そして

 

『無い。いらない。行かない』

 

≪……≫

 

 零の答えに全員が黙ってしまう。今の話の雰囲気から行けると思っていた全員。しかし零の行けないという予想外の答えに楽しい雰囲気から一転、重い雰囲気に変わってしまった。

 

「め、免許なら簡単に取れるよ! きっと!」

 

「事務所も持て余してるくらいだからバイクの事は遠慮しなくても良いよ!」

 

 何とか説得しようとする千枝とりせ。やはり仲間外れにはしたくないのだろう。先程の答えの時、『行かない』と零は答えた。【行けない】では無く【行かない】である。つまり何か用事があるという訳ではないのだとすぐに分かったのだ。他の4人も来る様に説得しようとするが、零はどうやら行く気が一切無いらしく首を横に振るだけだ。どう説得しても首を縦に振ることの無い零に雪子とりせが一番気落ちしていた。

 

「……何か問題があるのか?」

 

「! そっか、目……」

 

「目? 目が何かあんのか?」

 

「え、あ、ううん! なんでもない!」

 

 悠が少し心配しながら質問するとその質問にりせが呟く。そしてその呟きを陽介はしっかりと聞いており、りせに質問をした。りせはすぐに笑顔になると答えを言わずに首を振る。と同時に零が席を立った。そして静かにりせを少し見た後、教室を出て行ってしまう。残ってしまった6人。無言が続くが、陽介によって何とか話が戻る。残念ながら海に関して零は不参加となる事が決定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。夜。零は家の目の前の掃除を終わらせた後、中に入って夕飯の支度をする。ここ最近、零は自分で作った料理を食べる様になっていた。雪子の行動の影響もあり、習慣になりつつあるのだ。

 

 キッチンに立ち、簡単な料理を作る零。そして1人前の料理が出来た後、零はまったく違う食べ物を作り始めた。それは自分が食べる分では無く、

 

『コン!』

 

 居間に居るキツネが食べる分である。夕飯時になると現れるキツネ。キツネは色々なものを食べるため、ふと1度餌を上げてからと言う物毎回上げる様になったのだ。しかし零以外に人が家の中に居た場合は来ない様で、零はどうして自分の時だけ出てくるのか疑問に思ったりもする。

 

 食べ物を用意して静かに手を合わせてお辞儀をするとキツネにも作った食事を少し渡し、零自身も食事を開始する。神社の中は静寂に包まれている物の、1人ではないと言う現状は非常に今の雰囲気を良くしていた。

 

 食事を終わらせ、食器を洗った後はお風呂に入る。そして何時もなら本を読む零だが、この日は本では無くテーブルに向かっていた。テーブルには沢山の封筒。かなり前から始めているアルバイトの封筒貼りだ。夜に何時間かひたすらやり続けるだけでかなりの金額を稼げるため、零は1週間に5,6回行っている。因みに悠も同じ仕事をしており、悠は3時間で5千円稼いでいるのに対して零は3時間で3千円程度である。が、1人暮らしで出費が少なめの零にはそれでも余るほどの給料だ。

 

 ふと封筒が大きく動く。そこを見てみればキツネが器用に封筒を貼ろうと努力していた。1つ貼るのに零は10秒~20秒で終わるが、キツネの場合1つ貼るのに40秒ほど掛かっている。が、貼れるだけでも凄い事だろう。零はキツネの頭を撫でると少しだけ封筒を分けてキツネの触れる位置に置いておく。そして封筒貼りに集中することにした。1人と1匹が頑張った結果、この日は3時間で4千5百円程のお金を稼ぐことが出来た。そしてその日以降、キツネも手伝える日には手伝うようになるのだった。



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辰姫 零 打ち上げに参加する

 8月1日。昼間。既に八十神高校は夏休みに入っており、雨の日以外この時間は神社の目の前を掃除することで零は毎日を過ごしていた。例え熱くても服装は変わらず、巫女服である。

 

 現在神社に人気は一切無い。そのためキツネが居り、箒を動かす零の横で静かに丸まって座り込んでた。と、鳥居の向こう側。商店街の方から足音が聞こえる。音だけでその足音の主は走っていることが分かり、その音は徐々にこの辰姫神社に近づいていた。そしてその音に気づいたのだろう。丸まっていたキツネが耳を立てて顔を上げると起き上がった。

 

「ぜぇ……ぜぇ……た、辰姫さん。助けてくれ! この通り!」

 

 鳥居の向こうから走ってきたのは陽介。その顔は何処か必死であり、夏の暑さと走った事による過度な運動によって額から汗を滝の様に流していた。そして零の目の前に立つと膝に手を置いて苦しそうに息を吐きながら言う。余りに必死な様子の陽介の姿に零は箒の手を止めて神社の中に1度入る。その時陽介は見捨てられたとでも思ったのか、膝を突いてしまう。が、零はすぐに出てくると陽介に何かを渡す。それは1本のペットボトルだった。

 

 陽介はそれを見た瞬間、すぐにお礼を言ってそのペットボトルの中身を飲み干す。汗の分だけ水分を失っていたため、かなり喉が渇いていたのだろう。すぐにその中身は無くなってしまう。

 

「ふぅ……突然悪いな。って、落ち着いてる暇はねぇんだ! マジでこの通り! 俺を、俺達を助けてくれ!」

 

 全てを飲み干して少し冷静になった陽介。しかし用事を思い出した瞬間、再び焦り始める。そして零に詰め寄る様に近づこうとした時、キツネが間に入って陽介の行動を止めた。それを見て零はしゃがみ込んでキツネの頭を撫でると巫女服の胸の辺りにある服の重なる部分に手を入れる。そしてそこから紙とペンを取り出した。その行動の最中。しゃがんでいることもあって服が捲れ、陽介から見て中が見えそうになっていた。だがギリギリの所で見ることが出来ず、陽介は少し残念がると同時に巫女服の裏に内ポケットが付いているのかと疑問に思う。

 

『説明。して』

 

「あ、ああ。実はな……」

 

 零が紙に書いて質問をしたため、陽介はすぐに冷静になる様に自分に言い聞かせると内容を説明し始める。陽介の焦っていた理由。それは悠の家でこれから【料理対決】が行われ、その参加者は千枝・雪子・りせ・悠の4人。悠に関してはよく作っているので安心しており、りせに関しては期待をしている物の千枝と雪子による料理は非常に危険極まりない物。しかも食べるのは男達+悠の従妹の菜々子との事。子供に食べさせるのは非常に危ないとの事。

 

 そこで前回の林間学校の時に陽介に取って最高のカレーを作った零を呼べば少なくとも美味しい料理は確実に1品出来る。もしかしたら味を掻き消してくれるかも知れない。【料理対決の救いの1人として零に参加して欲しい】。それが陽介のお願いであった。

 

 「頼む!」と手を合わせ、頭を下げる陽介。零はしばらく黙った後、陽介が顔を上げたのを見て頷いた。そしてその行動に陽介は助かったと心の底から感じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。昼間。ジュネス食品売り場に零は陽介によって連れてこられた。その場には既に悠・千枝・雪子・りせの4人が集まっており、完二もここに来ているとの事であった。そして零の知らないもう1人も居る様で、今現在はこの場に居ないため後で紹介すると零は悠に言われる。

 

 そして料理対決に最も重要なお題を決めるため、悠は自宅に居る菜々子に電話を掛ける。何か好きな物は無いかと質問をし、最初は何でも良いと言う菜々子。しかし深く聞けば『オムライスが食べたい』との事。この時お題は【オムライス】に決定した。

 

 陽介はそのお題に「オムライスなら大丈夫だな」と言い、何故か全員は黙る。零は元からのため特に気にしない物の、千枝達も黙っているため陽介は「どうした?」と質問をする。が、その質問に千枝は何か焦った様に「何でも無い!」と言うと食材を取りに行くと言ってその場を去った。そしてその言葉に雪子とりせも去っていく。それぞれがまったく別の方向に。

 

「何でオムライスで全員取りに行く方向が違うんだ? こりゃ、2人に全力で協力しないとな。欲しい食材、取って来てやるから言ってみ?」

 

「分かった……そうだな、ハーブを入れてプロヴァンス風にしよう。陽介」

 

 そんな女子達3人の後姿を見ながら陽介は呟くと悠と零に協力するため、食材を取ってくると言い出す。陽介はこのスーパーの何処に何があるのかを完全に知り尽くしているのだろう。悠は少し考えた後、作る内容を言って食材を陽介に言う。陽介はそれを必死に覚えると今度は零に視線を移した。既に零は紙に必要な食材を書いており、陽介にそれを手渡した。

 

 受け取った陽介は悠と零、2人分の食材を集めに向かう。そして残ったのは悠と零の2人だけ。無言による居心地の悪い空間がこの場に出来上がっていた。

 

「その、悪かったな。突然」

 

『別に良い』

 

 悠は何とか話そうと考え、かなり強引に呼んでしまったことを謝る。零はそれに紙を見せながら首を横に振るだけで答える。悠は焦った。一切会話にならないと。

 

 その後陽介達が食材をそろえて戻ってくるまでの間、悠と零は一言も喋る事無くその場で待っていた。そして全員が揃えば陽介は恐る恐る籠の中に入っている食材を見る。そしてりせの籠に入っているのを見て驚いた。何と中には『フォアグラ』が入っていたのだ。そしてそれを見たりせは「ふふん」と勝ち誇った様な表情を見せる。

 

「スペシャルなオムライスって言ったらこれでしょ。ちゃんと先輩達にも食べさせてあげる。姫先輩は私があーんしてあげるからね!」

 

「……」

 

「む、無言は寂しいよ姫先輩……」

 

 りせの言葉に陽介は嬉しそうな表情を浮かべる。やはりアイドルと言う事からりせの料理には大きく期待しているのだろう。りせは悠と陽介に言った後、零に近づいてウィンクをする。が、された零は何も言わずに無言だったためかなり滑ったかの様にりせは感じた。テレビに出ているため、人一倍その辺りは感じ易いようだ。

 

「まぁまぁ。とにかくこれなら林間学校みたいにはならなくて済むか?」

 

「酷い物を食べさせられたって聞いたよ? 一体誰がそんな酷い物を……」

 

 陽介の言葉にりせは業とらしく千枝と雪子を見ながら言う。それを聞いて千枝は咳払いをすると「調子に乗るのも今のうちですことよ」と似合わないお嬢様の様な台詞を言う。そしてそれに続いて雪子が「一撃で仕留める」と答える。この場に居る全員が口には出さないが『何を』と感じた。

 

 話をしていると完二が現れる。完二は何となく暗い雰囲気なのに気づき、その中に零がいるのにも気づいた。そのため、持っていた物を上に上げて「姫先輩!?」と驚く。そしてその行動で持っていたものが全員の目に止まった。

 

「ちょっと! それお酒じゃん!」

 

「へ? あ、やべ! あ、ははは。姫先輩、違うんすよこれは」

 

 千枝の言葉で完二は自分が学生が持っていては可笑しいものを持っていたのに気づく。そしてすぐに誤魔化そうとする。主に零に対して。零は唯黙って完二を見ているだけであり、完二は逃げる様にお酒を戻しに行く。と、突然千枝が思い出した様に「クマ君は?」と呟いた。そしてその言葉に全員は周りを見渡し、零は誰だかわからずに首を傾げる。

 

 零以外の視線が一箇所に止まり、零はその視線を追う様にその方角を見た。底には美少年と言っても過言では無い少年が試食コーナーに居る女の人と喋っており、褒めることで沢山食べようとしていた。恐らくその少年が【クマ君】なのだろう。陽介はその姿に怒りをあらわにするとクマを連れ戻しに向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。夜。悠の住む堂島家に全員は足を運んでいた。家の中は広くも狭くも無いため、さすがに大人数だと少し狭いと感じる。が、それぞれが楽しんでいるため一切苦にはなっていなかった。

 

 キッチンは一箇所のみ。そこに4人は集まってオムライスを作っている。陽介は悠の手伝いをしており、クマと菜々子はテーブルとテレビのある場所でその姿を見守っていた。

 

 千枝と雪子はお互いで別の物を作りながらも協力し合い、りせは鼻歌を歌いながら、悠と陽介は稀に菜々子やクマと話をしながら作っていた。零は相変わらずの無言である。そして数十分後。テーブルの上には5つのオムライスが置かれる。そして菜々子を真ん中に全員でテーブルを囲むように座り込んだ。

 

「さ、食べて食べて!」

 

「ま、待て! いきなり菜々子ちゃんに食べてもらうのは……な?」

 

 りせが笑顔で言う物の陽介は以前の事から非常に慎重となっており、千枝に視線を向ける。向けられた千枝は「こっち見んな!」と抗議し、完二が「毒見役っすね」と納得するように頷いた。

 

「毒見ってひっどぉーい! じゃ、私のは花村先輩。食べてみて!」

 

 りせは完二の言葉に業とらしく言った後、陽介に自分の作ったオムライスを勧める。陽介はアイドルと言うことから安心しきっており、一口オムライスを口に含んだ。と同時に何かを我慢する仕草をし、口の中の物を飲み込むと「これは奈々子ちゃんには食べさせられないな」と呟く。が、それを聞いてりせは【独り占めをしたいほど美味しい】と勘違いする。そしてその間に悠も1口食べ、その後に来た味に顔の変化は出さないようにして飲み込んだ。そして悠は思う。これを零が食べたらどうなるのだろう? と。

 

「なぁ、これ辰姫さんが食べたら表情変わるんじゃね?」

 

「……かもしれないな」

 

 何とか食べ終えた2人は小声で話をする。陽介も確実に次に食べるのは零だろうと感じていた様で、考えることは一緒だった様だ。その証拠に現在りせは零にあーんをしようとしている。そして零はそれを躊躇無く口に含んだ。

 

≪……≫

 

 零の食べる姿に全員が黙る。陽介と零は自分の感じた味覚から必ず表情に変化を起こすと感じていた物の、零は普通に食べているように口を動かしていた。そして誰もが分かる様に飲み込み、感想を紙に書く。感想は『凄く辛い』の一言。悠と陽介は変化が無い事に少し残念がるのと同時に何事も無く食べた零に驚いていた。そしてそれを合図に次に移る。次は……雪子だ。

 

 完二は雪子の番になると躊躇無くオムライスを口に含む。そして無言でもう1口。もう1口と繰り返した。感想も言わずに無言で食べる完二に雪子は少し焦る様に「か、感想は?」と質問した。答えは、

 

「なんつんだ? 不毛な味?」

 

「ふ、不毛な味!? 味に不毛なんて使わないでしょ!? 美味しいの、美味しくないの!?」

 

 余りにも料理の感想にふさわしくない感想。雪子は完二に詰め寄り、悠はオムライスに手を伸ばす。同様に零も手を伸ばしており、2人で同時に口に含んだ。普通なら広がるオムライスの味は勿論、具の味も何もしない。唯何かを噛んでいるだけにしか感じないと悠は思った。零も同じ様に思ったのだろう。完二に続いて同じ様に紙で『味が無い』と答える。

 

「ひ、姫ちゃんまで……そんな」

 

 完二が最初に味が無いと言った時には「繊細な味が分からないだけよ!」と答えていた雪子。しかし零が完二とほぼ同じ様な感想をした事で流石にダメージが着たのか背中にどんよりとしたオーラが出る。しかしそこで菜々子が雪子の作ったオムライスを食べ、「美味しいよ」と感想を言う。そしてその感想と同時に雪子は菜々子を救世主とでも言わんばかりに見つめ始める。なので全員はそっとしておく事にし、次に千枝に視線を移した。

 

「つ、次はあたしか。き、緊張するけど絶対旨いと思う!」

 

「クマがいただきまーす」

 

 視線を向けられた千枝は驚いた後、作った時の手ごたえらしきことを言う。そしてそれを合図にクマが迷い無く口に含み、千枝が「どう?」と質問をすれば

 

「うん。不味い。ほら、ヨースケ達も食べるクマよ」

 

 何も包まず素直に感想を言う。陽介はクマの感想に若干引きながらそれを口に含み、何かを納得する。悠もそれを口に含んだ。出た答えは「普通に不味い」だ。クマ同様に直球で感想を言ったため千枝は落ち込み、陽介は林間学校に比べたらと言い出す。が、慰めが更に追い討ちを掛ける事になった。しかしここでも菜々子は千枝のオムライスを食べ、同じ様に美味しいと感想を言う。雪子同様に菜々子を見つめる千枝。その横で雪子が千枝のオムライスを食べ、余りにも『普通に不味い』と言う感想がそのままだったのか笑い始めた。

 

「りせちゃんの食べて見なよ!」

 

 雪子の笑いが癇に障ったのか千枝はりせのオムライスを見ながら「絶対にあたしの方が旨いから」と言う。そして雪子はりせのオムライスを食べ、

 

「う……」

 

「一撃だ……」

 

「まぁ、天城や里中のもあれだけど倒れはしないかな、ハハ」

 

 即倒れる。それを見て完二は呟き、陽介は完全に呆れながら乾いた笑いをする。その光景にりせは『子供には分からない味で先輩達が子供』と言うと泣き始める。そして零の場所に擦り寄ったため、零は静かにりせの頭を撫でた。現在雪子は倒れているため、誰も止める物は居ない。

 

「か、辛いけど美味しいよ。ね?」

 

 2人同様に菜々子はりせのを口に含むと辛さを我慢して飲み込み、感想を言うと抱きついていた零に同意を求める。零はそんな菜々子の問いに頷き、それを見たりせは泣き顔から一変笑顔になると「姫先輩と奈々子ちゃんが一番大人!」と言う。完全に嘘泣きだったようで、余りの変わりように千枝は引いていた。

 

「そう言えば姫先輩と鳴上先輩も作ったっすよね?」

 

「お兄ちゃんのどれ!」

 

 完二が聞くと菜々子が悠が作ったと言う言葉に反応する様に聞いた。悠は自分の作ったオムライスを指差すと菜々子はそれを食べた。

 

「菜々子、どうだ?」

 

「うん! おいしいよ!」

 

 悠の質問に菜々子は笑顔で答える。その笑顔は心からの物と全員が感じることが出来る反面、やはり確実に先程のは無茶をしていたのだとも感じた。と、陽介が零のオムライスを探す。現在1口を手をつけられていないのは既に1品のみ。陽介は「辰姫のいただくぜ」と言うとそれを食べた。

 

「うぉ! カレーでもそうだけど辰姫さんって料理美味いよな! 奈々子ちゃん、これ食べてみ?」

 

「? うん。……凄い! こんなオムライス初めて食べた! お兄ちゃんのと同じくらい美味しい!」

 

 陽介は食べてすぐに感想を言うと菜々子に進める。菜々子は言われたとおりに食べると再び笑顔になって元気良く感想を言った。そしてその感想に悠が零を、零が悠を見る。お互いに見つめ合う形だ。そして悠が笑うと零は静かに視線を外した。

 

 その後、菜々子によって悠と零のは半分ほど食べられた。流石に全部を食べることは小学生には無理だ。なので残ったのを起きている全員で食べる。そして数分後、全員は一息をついていた。

 

「奈々子ちゃん、お腹一杯になった?」

 

 千枝の質問に菜々子は頷く。と、座っていた陽介が全員に提案をする。それは『8月20日にある商店街のお祭りに皆で行かないか?』と言う物だ。そしてその提案にりせは大きな声で賛成し、クマは「浴衣クマか!」と何故か楽しみと言った表情を浮かべる。ふとその光景を見ていた零は菜々子が【お祭り】と言う言葉に下を向いたのに気づいた。

 

『奈々子ちゃん。皆と行ける』

 

「いーの?」

 

「ああ、もちろん」

 

 零は紙で菜々子に質問すると零を見た後、悠に確かめる様に聞く。そして悠はその質問に笑顔で答えた。と同時に菜々子は「わーい!」と元気良く喜び、その微笑ましい光景を見ながら陽介は「決まりだな」と答える。ふと悠は思った。零が菜々子の後押しをした時、文的に何かが可笑しい事に。

 

「出店で買うと色々と美味いんすよね。神社辺りは出店が……神社?」

 

「あ! 辰姫さん、もしかして参加できないんじゃないの?」

 

「姫先輩、そうなの?」

 

 完二が祭りに付いて想像していた時、出店が並ぶ姿を想像した。そしてそこが神社である事に気づくと固まり、それを見て千枝が気づいた様に言う。そして恐る恐るりせがしつもんすれば、零は首を縦に振った。つまりその日、零は全員と行動を共にすることは出来ないと言う事だ。そしてそれを聞いてりせが「そんな~!」とショックを受ける。

 

「おまつり、来れないの?」

 

『神社に居る。楽しんで来て』

 

 自分を後押しした零が来れないのかと心配になり、菜々子が聞けば零は首を横に振る。そう。例え祭りに出られなくとも祭りをやっている場所に住んでいるため、会おうと思えば簡単に会うことが出来るのだ。零はそれを伝える様に言うと菜々子の頭を少し撫でて立ち上がる。そしてそれを合図に他の全員も立ち上がった。もう学生には遅い時間なのだ。

 

 零が帰ろうとすれば、りせが一緒に帰ろうとする。そして完二もそれについていこうとする。住んでいる場所はほぼすぐ側のため、一緒に帰るのが一番良いのだろう。雪子はまだりせのオムライスによるダメージを受けており、千枝が介護しながら一緒に帰る。そして陽介はクマと共に帰った。

 

 一気に静かになった堂島家。悠は残った洗物を片付け始める。それを見ていた菜々子も手伝いを始める。しばらく洗物をした後、もう寝る時間となった時。

 

「今日はにぎやかだった! 楽しかったね!」

 

「! ああ」

 

 菜々子は悠に向かって笑顔で言い、悠はその笑顔に衝撃を受けながらも返す。菜々子にとって久しぶりの賑やかな1日。喜んでくれたと感じた悠は満足し、それと同時に事件が終わったのだと考えると眠りに付く。その日の眠りは悠に取って非常に心地良い物になるのであった。



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辰姫 零 予選クイズに参加する

色々ありまして遅れました。僕の状況について気になる方は【小説家になろう】の【活動報告】でご確認ください。まぁ、居ないと思いますが……。学校が再び始まったため、投稿速度は大きく減速すると思われます。

※今回のお話は本編と一切関係がございません。ご了承ください


 ○月×日。テレビの中。真っ暗な場所に何か丸い物が存在している。そして行き成り天井から明かりが出現し、それを照らした。照らされたのは大きなクマの着ぐるみ。中には人が入っているようで、明かりに照らされると突然話し始める。

 

「レディース、エンド、ジョエントルメン。安息が訪れた今宵今晩。皆様どのようにお過ごしでしょうか? 今回はスペシャルな企画を用意したクマ。司会は私、【ジャスミークマ沢】でございます。どうぞよろしくお願いしますクマ。それでは参りましょう。気力能力クマの気分。【マヨナカ横断ミラクルクイズ!】始まりクマ!」

 

 クマが題名を言った瞬間、大きな音と共にその場が大きく照らされる。そこはスタジオの様な場所であり、題名の通りクイズ番組なのだろう。しっかりと回答者席も用意されている。そしてその回答者席には左から順に陽介、悠、空席、千枝、雪子と並んで立っていた。

 

 どうやら彼らはほぼ強制的に呼ばれたのだろう。明かりがつくと陽介がクマに「なんなんだこれ?」と質問する。そしてその質問にクマは立っていた場所から降りると陽介の前に移動した。

 

「稲羽市からお越しの花村陽介さん。早速質問クマ? いや~事件も無事解決したクマ。だから、それを記念してクマが面白企画を用意したクマよ。このセットはどう見ても……」

 

 クマの言葉に陽介は「どう見ても?」と返す。が、突然間違いの時になるであろうブザーが鳴る。そしてクマが「残念。正解はクイズ番組でした」と言うと陽介の立っていた回答者席の前側にある画面に出ていた【0】と言う数字が【-1】となる。それはつまり減点という意味だ。それに気づいた陽介は抗議するが、クマは聞かずに次に移る。悠を飛ばし、空席を飛ばし、千枝に移動した。

 

「続いても稲羽市からお越しの里中 千枝さんです!」

 

 その言葉と同時に今度は周りからまるで歓声の様な声が響く。突然自分に振られた千枝は驚くが、次に聞こえた歓声に気づく。事件の時、歓声が聞こえた時が稀にある。そしてその声がテレビの【外】。つまり普通にテレビ番組として放映されており、見ている人達なのだと言うことが分かったのだ。今ここで歓声が聞こえると言うことはこの場面を見られている可能性もあると言う事になる。千枝はクマに誰かが今自分達を見ているのかと質問する。が、

 

「大丈夫クマよ。これはクマが用意した効果音クマ」

 

「紛らわしいっての!」

 

 どうやら千枝の心配は無意味だった様である。心配をしていた千枝は安心と共にクマに言うが、クマは何処吹く風。千枝をスルーして今度はその隣を見る。

 

「稲羽市からお越しの天城 雪子さんです!」

 

「早押しで良いんだよね?」

 

 振られた雪子は目の前の回答席についていたボタンを両手で連打しながらクマに質問する。そしてその光景に他の3人は引いてしまった。どうやら雪子は完全に乗り気の様だ。そしてそれを見た後、

 

「視聴者の皆さん。お待たせしました! 今大会の本命中の本命! センセイの登場です!」

 

 クマは3人とはまったく違う紹介の仕方で悠にスポットライトを照らす。余りにも扱いに差があるため、陽介は悠に少し哀れみの視線を送った。どう考えても一番面倒くさい事になるのは悠なのだろうと感じたのだ。そして紹介の仕方が違うことに何故か雪子は「ずるい」と悠を見る。好きでなった訳では無い為、悠は必死に否定した。

 

「ねぇクマ君。ずっと気になってんだけどさ、私と鳴上君の間。何で空席なの?」

 

「ふっふっふ。気づいたクマね」

 

「いや、誰でも分かるだろ普通」

 

 千枝は少し静かになったのを見て気になったことをクマに質問する。そしてその質問にクマは待ってましたと言わんばかりに言い、陽介がそれに1人呟く。と、クマが突然最初に立っていた場所とは真逆の場所に向かう。そこにはカーテンの引かれ居る何かがあり、突然証明が落ちるとそのカーテンの向こうに何者かのシルエットが浮かび上がる。

 

「今日はスペシャル企画。だから、クマが超スペシャルなゲストをお呼びしたクマよ。それではスペシャルゲストの入場クマ!」

 

 クマの言葉と同時にそのカーテンの前にいつの間にか置かれていたセットから白い煙が出る。その煙はカーテンの部分を隠し、しかしシルエットがあるためカーテンから出てきているのは悠達にも判断出来た。

 

 徐々に煙が晴れていく。そしてその姿を確認できるようになった時、全員が一様に驚いてしまった。それもその筈。出てきたのはこの場に居ては非常に不味い者。

 

「稲羽市からお越しの辰姫 零さんです!」

 

 零であった。現在零の格好は巫女服であり、読んで居たのか手には本がある。恐らく急にこの場に来たのだろう。本を持ったまま顔だけ上げて首をかしげ、周りを見回し始めた。

 

「おいクマ! 不味いだろどう考えても!」

 

「そ、そうだよ! 辰姫さんは何も知らないんだよ!? どうすんのさ!」

 

「むふふ、それなら心配要らないクマ。この番組にはとあるスポンサーが居るクマ。で、そのスポンサーの力でヒメちゃんの記憶を消去するクマ。だから、帰ったらヒメちゃんはなーんも覚えてないクマ!」

 

「記憶を飛ばす? 一体どんな奴が後ろに居るんだ」

 

「それはセンセイにも内緒クマ。ササ、ヒメちゃんはあいている回答席に座るクマ。そこにメガネが置いてあるからちゃんとつけるクマよ? 若干、巻き入ってるクマ」

 

 クマの言葉に零は頷くと千枝と悠の間にある回答席に座る。零の隣となった2人はこの後に記憶が消されるという話を聞き、どうして良いのか分からなくなってしまう。が、零は席に着くとそこに置いてあったメガネを掛けて本を読み始める。その光景に『変わらないな』と2人は思うととりあえずはこの大会をどうにかしようと考え始めた。

 

 陽介はこのクイズ番組を本当にやるのかクマに質問する。雪子以外誰も乗り気では無いのだ。しかしクマは陽介に「怖いクマか?」と聞けば陽介の態度は一変。自分が怖がって居ないと見せるために「やってやろうじゃねぇか」と大会に参加する意を示し始めた。それを見て千枝は「結局乗せられてるじゃん」と言うが陽介は「事件が終わったんだし、こう言うの少しやりたかった」と本心を言う。千枝もそれには納得の様で、大会に参加することを決意した。悠は元からどちらでも良かったらしく、零は特に気にして居ない様だ。つまり全員が大会に参加することに異議を言わなくなった。

 

「それじゃあ始めるクマよ! マヨナカ横断ミラクルクイズ! スタートクマ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クマが大会のルールの説明を始める。問題は早押し。制限時間内に手元にあるボタンを押すことで、正解すれば1ポイント。不正解なら-1ポイントで最後の問題の後に一番ポイントの高い人が優勝との事だ。そしてそれを言い終わるとクマが問題を言い始める。

 

「第1問、ジュネスの歌は何クマ? 『!』」

 

「へっこれっきゃねぇぜ!」

 

 クマが問題を言い切ると同時に陽介が手元のボタンを押す。そして『エブリディ・ヤングライフ』と答えれば正解の効果音が周りに響いた。ジュネスの社長の息子で常にそこでアルバイトをしている陽介には簡単な問題だった様だ。

 

「第2問、商店街にあるじ『!』」

 

「はやっ!」

 

 今度は問題の途中でボタンが押される。押したのは零だ。そしてかなりの早さだったため、隣に居た千枝が驚いてしまう。

 

 零は喋らず、押してから答えるまでの短い制限時間の中で紙に回答を書いて答える。書いたのは『辰姫神社』。と同時に正解の音が響いた。問題は『商店街にある神社の名前は?』であり、住んでいる零が一番答えなければいけない問題と言って良いだろう。

 

「第3問、稲羽市を通る稲羽線の終着駅、八十稲羽駅の隣駅は何処クマ?」

 

「『!』 東稲羽」

 

 次に答えたのは雪子。両手で何度も回答ボタンを押し、問題に答える。そして正解だったため音が響き、雪子は「良かった」と安心した表情を浮かべる。

 

「第4問、2年2組の新しい担任となった柏木の下の名前は何クマ?」

 

「あ~『!』 柏木 智子?」

 

「陽介残念! 違うクマ。正解は柏木 典子クマ」

 

「柏木の名前なんか覚えてねぇよ! ってかまた俺マイナスか畜生!」

 

 少し迷った末に答えた陽介だが、間違いのブザーと共に陽介のポイントが下がる。最初ー1で先程1つ正解し、また間違えたため陽介は最初に戻ったも同じ状態となってしまう。陽介はそれに頭を抱え、悠が静かに慰める。

 

「第5問、時価ネットたなかの社長の口癖『!』」

 

「ワンダホー!」

 

「正解クマ! さっすがセンセイ!」

 

「良く知ってたなお前」

 

「一応常に見てるからな」

 

 悠は時価ネットたなかの番組を見ているため、簡単に答えを出すことが出来た。クマは他と違い、悠の正解の時だけ褒める。そしてすぐに答えられた悠に陽介は感心していた。

 

「第6問、千枝ちゃんの席は前『!』

 

「はいはい! 3番目!」

 

 正解の音が鳴る。そしてその音を聞いて千枝が「ま、あたしの席についてだからね」と答えた。そう、問題は『千恵ちゃんの席は前から何番目?』と言う問題であった。恐らく自分の名前と席と言う言葉からすぐにそれに千枝は行き着いたのだろう。

 

「ここで問題が半分終わったクマ! 今の順位は……陽介が『-1』ポイントで先生達は『1』ポイントクマ。これは凄い接戦クマよ!」

 

「っつかこれで半分って全部で12問か? 半端じゃね?」

 

「し、仕方ないクマよ。問題を作るのは非常に大変クマ」

 

「え、これクマ君が作ってんの?」

 

 クマが作っていると言う事実に千枝は驚き、雪子がそれに付け加えて「ちょっと意外」と呟く。が、それが地味にクマの心に刺さったのか「クマだってかなり頭は良いクマよ!」と言うと強引に後半戦を始めた。

 

「第7問、2年2組の中にある椅子の数『!』」

 

『30』

 

「姫ちゃん、何でそんなすぐに分かるの?」

 

 問題の最中に素早くボタンを押す零。そしてすぐに数字の書いた紙を前に出すと正解の音が響いた。全員にも今の問題は分かった物の、非常に難しいものであった。内容は『2年2組の中にある椅子の数は全部で何個か』と言う物。今の速さでは覚えていなければ難しいだろう。と、ここで千枝が「29じゃないの?」と疑問に思った様に零に言う。が、零は首を横に振ると『先生』と紙で見せた。そう、生徒数は千枝の言うとおり29人。だがクラスには生徒以外にも先生が存在するのだ。椅子はクラスの人数+1となる。

 

「そんな早解きよく出来んな」

 

「流石だな」

 

 陽介と悠も分かった様ですぐに答えた零をほめる。零は首を横に振って否定するとクマを見た。

 

「じゃ、次行くクマ。第8問、菜々子ちゃんはし「『!』1年生だ!」せ、センセイ早いクマ!」

 

「菜々子の事なら負ける気はしない」

 

 メガネを押し上げながら呟く悠の妹への強大な愛に全員は引いてしまう。良いお兄ちゃんなのは確かなのだがかなりシスコンに近いだろう。いや、シスコンと言っても良いかも知れない。余りの速さに出題者であるクマ自身も驚いてしまっている。因みに問題は『菜々子ちゃんは小学何年生か?』と言う物だ。

 

「第9問、イザナギの弱点『!』」

 

「てやぁ!……何!?」

 

 問題が出てすぐに悠はボタンを押す。が、悠に回答権は入らなかった。回答権を得たのは隣に居る零。零は『疾風』と答えると正解の音が響いた。

 

「間に合わなかったか」

 

「いや、その前に何で相棒のペルソナについて辰姫さんが知ってるかに疑問を感じろよ!」

 

「流石姫ちゃん、博識だね」

 

「それで済む問題じゃないから!」

 

 自分のペルソナについて答えられなかったことにショックを受ける悠。しかしその隣で陽介が悠に突っ込みを入れた。陽介の言うことは最もでテレビの中についてすら知らないはずの零が悠のペルソナについて答えられる筈が無い。が、現実に答えてしまったのだ。可笑しいと感じるべきことだろう。雪子が零に笑顔で言うが千枝は疑問に思っていない雪子に突っ込みを入れる。零は本に視線を戻しているため、一切話を聞いていなかった。

 

「次行くクマよ? 私語は止めるクマ。第10問、シャガールの店長の名前は?」

 

「シャガール? 確か沖奈市にある喫茶店だよな?」

 

「店長さんの名前なんて知るわけないじゃん」

 

「うーん。私も聞いたこと無いかな。姫ちゃんも無さそうだし」

 

 問題に誰も答えない。既に殆どの人物が諦めているが、悠のみ考え続けていた。普通この場合、マイナスを恐れてうろ覚えや分からない問題などはスルーするのが常識。悠はこの問題をスルーする事にきめる。結果、誰も答えることは無かった。因みに答えは『無門』だ。と、ここで突然クマが全員に背を向ける。

 

「ま、不味いクマ。このままじゃセンセイが優勝しないクマ」

 

「? どうかしたのか、クマ?」

 

「こ、ここでダブルジャスミーのお時間です!」

 

「何それ?」

 

「次の問題に正解すると、ななな何と! 2ポイント貰えまっす!」

 

 突然のチャンスタイム。しかし現在マイナスの陽介には既にそれを取ったところで何の意味も無いため、陽介は完全に諦めた様に「あっそ」と答える。が、千枝と雪子は違った。現在1ポイントである2人はここで正解し、次で正解すれば優勝出来るのだ。

 

「第11問、2年2組の先生で、いつも赤いジャージを着ている人は?」

 

≪……≫

 

「え? 誰も答えねぇの?」

 

 問題が出るも、誰もボタンを押さない。千枝も雪子もボタンに手を添えたまま一向に押す気配が無く、零は諦めた様に本に視線を戻す。そして悠は……完全にど忘れしてしまっているようだ。しばらく経つが答えが出ず、陽介が「仕方ねぇな」と行ってボタンを押す。

 

「『!』近藤だろ?」

 

「せ、正解クマ……」

 

「俺の時だけテンション違い過ぎるだろ!」

 

 正解の効果音が響くも、クマは物凄い落ち込んでいた。この時点で悠のみの優勝は無いことが確定したのだ。しかしそんな事を当然知りえない陽介は自分と他の人への対応の違いを抗議する。が、落ち込んでいるクマは何も言わずにスルーした。

 

「最後の問題クマ。第12問、完二が初めて仲間になった時に持っていた武器は何クマ『!』」

 

「パイプ椅子だ」

 

「正解クマ。そして今の問題で終了クマ、結果発表に行くクマよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の優勝者は!」

 

 上の電気が真っ暗になり、それと同時に5人の頭上にスポットライトが転倒する。そしてそれは移動しながら5人の上を移動し、やがて1人を照らし……出さなかった。

 

「同点クマ?」

 

「は? そりゃそう言う事もあるだろ?」

 

「……まさか同点の時を考えて無かったんじゃないでしょうね?」

 

 誰も照らさずに通常通りスタジオを明かりが照らし始めた。クマはまるで惚けるように結果を言い、それに陽介が答える。とそこで千枝がクマの今の状況に気づいた様に質問すると、クマは着ぐるみをつけているのに汗をだらだらとたらし始めた。

 

「同点? じゃあ同点決勝ある? あ、でも私負けてるから……鳴上君と姫ちゃんの同点決勝? 姫ちゃん頑張れ!」

 

『面倒』

 

「いや、ありません。さっき言ってたじゃん。問題は12問しか無いんでしょ? どうすんの? 結局グダグダじゃん」

 

 今の状況を見て雪子が少し興奮する様に言った後、零にエールを送る。が、零は乗り気では無い様で首を横に振りながら紙で答える。そしてそんな光景を見ながら千枝が現状を言い、クマに質問した。その質問で5人の視線が一気にクマに集中する。そしてクマが出した結論は……

 

「さ、さよならクマ!」

 

「んなっ! そんなクイズ番組があるかよ!?」

 

「皆がちゃんとやらないから悪いクマよ! 陽介があそこで答えなければ誰かが優勝してたクマ!」

 

「誰も分かってなかったから答えたんだろうが! 人のせいにすんなよ!」

 

「そんなに文句言うならもう一回やるクマよ!」

 

 無理矢理終わらせることであった。クマの行動に陽介は抗議するも、今度はクマが逆切れして陽介に起こる。が、陽介がそのことにしっかりと反論すればクマはもう1回と言った。陽介とクマは口論で気付いて居ない様だが、もう1回やると言う事は『同じ問題をやることになる』と言う事実に他の全員は気付いた。

 

『帰りたい』

 

「ああ、俺もだよ」

 

 零の意思に悠は同意し、その光景をただ見続けるのだった。



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辰姫 零 夏休みの後半を過ごす

お待たせしました。今回で序盤は終了、と考えています。


 8月20日。夜。零は神社の中で巫女服を着たまま静かに縁側に座り、本を読んで居た。そしてその横にはキツネが静かに零の横で座っていた。

 

 何時もならば非常に静かな空間。聞こえるとしても鈴虫程度の音しか聞こえないはずの空間。しかしこの日は違う。静かとは程遠い音が神社の目の前で発生しており、零は本を閉じると立ち上がる。そして腕時計を見る。時間は20時丁度だ。

 

 零は読んで居た本を巫女服の懐にしまう。そして一度中に入ると、座っていたために少し乱れてしまった巫女服を直す。その後、零は前々から用意していたとある物を持って神社から外に出た。零が賽銭箱のある神社の目の前に行けば……屋台が並び、人が沢山そこには存在していた。巫女服を着た零の姿も、越して来てから4ヶ月経てば流石に見慣れた者もおり、何も言わない。が、初めて見る者からすれば驚きの光景だろう。

 

 零は少し視線を受けながらも賽銭箱の目の前に立つ。そして階段には上らずにその斜め前の土を数回足で払うとそれを振りかぶり、勢い良く【突き刺した】。その行動に一部の人間は驚くも、すぐにその刺した物がどんな物なのかに気づくと今度は零に少し優しい視線を送り始めた。

 

「あ! 居た!」

 

「ん? ……お前は」

 

 零は手を少し払って本を取り出そうと服の中に手を入れた時、突然掛けられた声に振り返った。そこには悠の従妹……菜々子が浴衣を着て片手に綿菓子を持った状態で居り、その後ろに無償髭を生やした凛々しい男性。零は最初2人の姿に首を傾げるが、菜々子が近寄ってきたために気にする事を止める。

 

 『神社に居る』と料理対決の時に零は菜々子に教えていたため、菜々子は零の存在を確認しに来た様だ。そして菜々子は笑顔で「お兄ちゃん達も来てるよ!」と言う。零はその言葉に頷くと後ろに居る男性に視線を向けた。そしてそれに気づいた菜々子は「お父さんだよ!」と零に言う。菜々子の会話を邪魔しない様にしていた様で、自分の話になると同時に男性は1歩前に出た。

 

「父の堂島 遼太郎だ。どうやら菜々子と仲良くして貰っている様だな」

 

 男性……遼太郎の言葉に零は首を縦に振る。何故か喋らない零に少し疑問を持つ遼太郎。だが菜々子が耳を貸してと言う仕草をした為、耳を近づけると小さめな声で「いつも紙で書いてるの。しゃべれないんだって」と零について説明した。そしてそれを聞いた遼太郎は顔を上げると菜々子に頷いた。

 

「お前、4月に歩きながら本を読んでたよな? まさかと思うが、またやったりしてないだろうな?」

 

 零は遼太郎の質問に首を傾げる。実は零と遼太郎は四月の零が八十神高校に転入した日に会っており、その時に立ち読みしていたのを遼太郎によって注意されている。だが残念ながら零は一切そのことを忘れており、遼太郎はその行動に何となく答えが分かったのかため息を付く。が、菜々子が「ケンカ?」と質問した為遼太郎は話をやめる事にした。

 

 菜々子は他にも行きたい所があるらしく、遼太郎に「金魚すくいやりたい!」と笑顔で言うと遼太郎は零に「読みながらは危険だからな、やるなよ」と言って菜々子と共にその場を去って行く。その後姿を見つめる零。しかししばらくすると今度こそ本を取り出して看板の少し後ろ、賽銭箱の横に座り込むと本を読み始めのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姫先輩発見!」

 

 本を読み始めて数分すれば突然聞きなれた声が零の耳に聞こえる。顔を上げれば少し離れた場所に浴衣姿のりせが立っており、その後ろには同じく浴衣姿の千枝と雪子。そして何時も通りのクマが立っていた。そしてそのかなり向こう側に悠・陽介・完二の3人が居る。何故か悔しがっている様だ。

 

 4人が零に近づく。零は読んで居た本を懐にしまい、立ち上がると4人に近づいた。その時にクマが零の服装を見て「浴衣じゃ無いけど何か良いクマ!」と呟き、その瞬間寒気を感じたかの様に背筋をピンとさせる。実はクマの台詞に殺気を放った者がこの場に2人居たのだ。当然分かる筈の無いクマは何も言わずに顔を青くする。が、誰も心配をしない。放った2人は勿論、零は気づいて居らず、1人はクマの状態に苦笑いするだけであった。

 

 千枝がふと何時もは無い筈のものが賽銭箱の前にあるのに気がつく。それは看板であり、その看板には達筆で『←縁結び・200円 多分効果あり』と書かれていた。そしてそれを見て千枝は少し呆れると同時に微笑ましくも感じる。雪子とりせもそれに気づいた様で、看板を見た。と同時に何も言わずに縁結びの方角に歩き始める。零はその行動に首を傾げるが、千枝は分かったためにため息を付いた。

 

「チエチャン、ため息をつくと幸せが逃げるクマよ? ヒメちゃんはこの後何かするクマか? 良ければ皆で回るクマ!」

 

 そんな千枝にクマは言うと零を誘い始める。千枝もクマの言葉に零を見るが、零は首を横に振ると紙で答えた。『今日、神社。離れる気、無い』と。一瞬何故だか気になる千枝。しかしすぐに答えは出た。

 

 祭りに来ている中には子供も多数居る。少し前まではずっと誰も住んでいなかった神社のため、もしかしたら遊びで入り込む可能性もあるのだ。零はそれを考えて見張りをしていたいのだろう。外に出ているのは左右どちらからも回りこめるため、今の位置が一番全てを見回せるからだろう。本を読んでいる物の、何となく零には可能な様に千枝は感じた。

 

 クマは零の答えに少し残念そうな顔をして諦める。と、離れていた雪子とりせが戻ってきた。そしてりせはふと思い出した様に零に「姫先輩、どう?」とその場で一周する。その行動は誰が見ても『浴衣が似合っているか?』と言う質問であり、零は静かに頷くだけで答える。が、それだけでもりせは「やった!」と喜んだ。そしてその横に居る雪子は唯静かに黙っていたが、我慢できなかったのか「私はどうかな?」と質問をする。

 

『雪子。やっぱり浴衣。似合ってる』

 

 と零が意思を伝えると「そうかな?」と非常に嬉しそうな顔で照れる様に顔を下げた。やはり旅館の娘と言う事もあり、それで居て大和撫子の様だと学校でも言われている雪子だ。浴衣は非常に似合っていた。そして零はその事を唯普通に伝えただけである。

 

 その後りせがクマと同じ様に零を誘うも、零はクマに見せた紙をそのままりせに見せた。そしてりせも千枝と同じ答えに至ったのか、肩を落として諦める。

 

『祭り。楽しんで』

 

「姫先輩が居ないと楽しさ半減~」

 

「あんま無理言わないの。雪子も無言でショック受けてないで、ほら行こ? それじゃあね、辰姫さん」

 

 零の意思にりせは再び肩を落として呟く。が、流石にこれ以上は迷惑と感じたのか千枝がりせに言うと、同じく隣で無言のまま肩を落としている雪子にも言い、クマに関してはほぼ引きずる形でその場から離れる。その際に零に別れの一言を言うと零は静かに頷いて本に視線を戻した。が、すぐに本を読むのは中断することとなる。

 

 千枝たちが去っていってすぐに今度は入れ替わる形で悠達が零に近づいてきたのだ。陽介が「よう、辰姫」と言って零に話しかけたため、零は1ページも進む事無く再び本を閉じる事になった。顔を上げれば真ん中に悠。右に陽介。そして左に完二……の後ろの姿が零の視界に移る。

 

「? 完二、どうしたんだよ……ってあ~。なるほど」

 

 完二が後ろを向いているのに気づいた陽介が話しかけるが、完二の顔を見たのだろう。その瞬間何かに納得した様に頷き始める。零は分からず首を傾げるが、陽介は元の位置に戻ると「ま、気にすんな」と零に言う。しかしそれだけで終われば良かったのだが、

 

「ああ、恥ずかしいだけだ」

 

「な、何言ってんすか鳴上先輩!」

 

 悠の余計とも言える一言で完二が怒る様に振り返る。そして零の姿を見た。実は完二、零の巫女服姿を見たのは今回が始めてである。遠目で零の姿を確認していた完二は最初から気づいていたため、ああやって視線を逸らしていたのだ。が、残念ながら隠していたい気持ちは完全に悠によって暴露されてしまう。勿論悠に悪気は一切無い。

 

 完二は振り返ったまま零の姿を見る。かなり見続けているため、見つめられている零は首を傾げた。そしてその仕草がある意味攻撃となり、完二の鼻から赤い液体が流れ始める。そしてその事に驚き焦り始める陽介。どうやら3人ともティッシュなどは持っていない様で、零が巫女服の中に手を入れるとポケットティッシュを取り出す。そしてそれを完二に渡した。

 

「ひ、姫先輩のティッシュ……」

 

「完二。お前マジで変態っぽいからその表現は止めろ。つうか早くその鼻血を止めろ! ちょっとこいつの顔洗わせて来るわ」

 

 完二は受け取ったティッシュを見ながら呟き、その言葉に陽介は若干引きながら言うと水場に向かって完二と共に歩き始めた。結果周りに沢山人は居るものの、空間的には2人きりになってしまう。そして最早恒例に近い会話の無さに悠はどうしようかと迷ってしまう。と

 

『縁結び。やる?』

 

 悠は突然来た零の質問に少し驚いてしまう。と同時に自分が切り出さなくても会話の様なことが出来る事に少し嬉しさを感じ、悠は零の質問に「そうだな」と言うと縁結びをする場所に向かう。そして相手を選び、お金を入れる場所に入れて戻る。零は悠がしっかりとお金を入れたのを確認していた様で、『毎度あり』と神社のお御籤とは思えないことを悠に伝える。無表情なのは最初と変わらない物の、初めて出会った頃に比べると少し変わっている様に悠はこの時大きく感じた。そして悠は何となく零を支えた様な気がし、信頼を感じる。そしてそれは悠の力をまた1つ強くした。

 

 そんな事をしていると陽介と完二が戻ってくる。そして少しその場で会話をした後、悠達は屋台を回るためにその場を離れる事にした。その時に陽介が海への話がやはり無理かを零に質問するが、零は参加しない意を伝える。流石に強制は出来ないため、陽介は仕方なく諦めた。

 

 悠達が去った後、零に話かける者は誰も居なかった。そのため夏祭りが終わるまでの間、誰も神社の裏に行こうともしなかった事で零は本を読み続けるだけで終わる。人が少なくなってくると流石に大丈夫と感じたのか零は神社の中に戻る。そして縁側で本を読み始めた。そしてその隣には何時の間にかキツネ。外に出る前とまったく同じ状態だ。そしてこの日、無事に夏祭りは終わるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 8月30日。夜。この日花火大会が行われる予定で、零は雪子とりせによって一緒に皆で見に行こうと誘われた。元々人混みが苦手な零に人が沢山居るであろう場所への誘い。【穴場】と雪子たちは零に説明していた物の、穴場と言うのは結局見つかっていることが多かったりするのが現実なのだ。零はこの日、その誘いを断った。現在縁側で何時もの様に零は本を読み、キツネがその横でこれまた何時もの様に座っている。

 

 突然何かが上がる音がする。キツネがそれに耳を立て、零も顔を上げる。と同時に空に大きな光が花の様に1つ弾ける。そしてその1つを合図に沢山の光……花火が空へと舞い上がり、その光が縁側に座る零とキツネを照らしていた。

 

 零は本から目を離してしばらくその花火を見続ける。何度も弾ける大きなその花に何かを感じているのか、零は一切目を離すことは無い。と、突然キツネが『コン!』と吼える。そして零の横から更に近づいて常に触れている様な位置にまで移動すると、その場で静かに座り込んだ。零はキツネその行動で我に返った様に頬を触る。その頬は濡れており、その時初めて自分が【泣いている】事に気づいた。そしてすぐにそれを【全力で否定】する様に顔を大きく振る。

 

「…………やっぱり……駄目」

 

『!』

 

 突然小さく呟いた零。キツネは零の喋っている姿を見た事など一度も無いため、驚きからか耳を立てて顔を上げる。零は再び花火に視線を戻しており、瞳からは涙が溢れる様に出ていた。だが零はそのことを嫌がっている様で目から出る涙を必死に堪え様としており、頬を何度も何度も袖で拭き続ける。

 

「…………私は……戻れない」

 

 その言葉と同時に最後の大きな花火が撃ちあがる。そしてそれが消え、光が収まった時。零の顔は無表情に戻っていた。しかしそれは夏祭りの時に悠が感じた少しずつ良くなっていた顔ではない。悠達と初めて出会い、雪子と再会した時の【誰とも関わりを持っていなかった頃】の無表情であった。キツネはその零を見続けるだけで何も行動を起こさない。いや、起こせなかった。

 

 悠達が笑顔で花火や夏祭りの時の話をしている今この時、1人の少女が【歪んだ決意】をする。




次回より中盤。内容的に悠中心の【自称特別捜査隊】のみが出るお話もあるとおもいますので、ご了承ください。


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中盤
辰姫 零 修学旅行に行く


 9月1日。朝。零は約1ヶ月ぶりに本を読みながら通学路を歩いていた。この日から八十神高校は2学期が始まるのだ。周りに居る生徒達はその殆どが学校が再び始まったことに肩を落とし、かと言ってどうすることも出来ないために諦めていた。中には友との再会に喜ぶ者も居る様で、他にも夏休みに何処かに行った等の話をしている者も居る。

 

 校門の付近に近づくとそこには悠達が揃っていた。と言っても完二とりせは居ない様で、2年生組だけの様だ。陽介と千枝は夏休みが終わってしまった事にショックを受けており、雪子はそんな2人を見て微笑んでいる。悠は特に学校が嫌でも無い様で、何も言わずにその話を聞いていた。

 

「あ、姫ちゃん。おはよう。昨日は何かあっ……姫ちゃん?」

 

 近づいていた零の存在に1番最初に気づいたのは雪子。朝の挨拶をするととある質問をしようとする。が、何故か零は雪子の挨拶に頭を下げるとそのまま何もせずにその横を通り過ぎたのだ。その零の他人行儀な行動に雪子は驚いてしまう。

 

 雪子が質問しようとしたのは【昨日】について。実は悠達は全員、昨日集まっていたのだ。場所は悠の住む堂島家であり、そこで皆でスイカを食べると言う今年の夏休み最後の締め括りに近いことをしたのだ。だがその皆の中に零は含まれなかった。別に悠達が呼ばなかった訳では無い。雪子は誘われた後、りせと共に零を誘いに辰姫神社へと行ったのだ。が、残念ながら零と出会うことは無かった。そしてその結果零はその集まりに参加出来なかったのだ。そのため、どうして居なかったのかを質問しようとした。が、結果は答えを聞く以前の問題であった。

 

「辰姫さん、今日は何時にもまして静かって感じだな」

 

「でも、今のはちょっと可笑しくない?」

 

 目の前で起きた出来事に陽介と千枝は話す。雪子は去っていく零の後姿を見ており、悠も同じ様に零の姿を見ていた。雪子は相手にされなかったことにショックを受けていると言った所だろう。しかし悠は違った。去っていく零の姿がここ最近見ていた零の姿と異なっている様に見えたのだ。

 

「おはようございます」

 

「お前、あ~チビッ子探偵!」

 

 突然零の去っていた方向から声を掛けられ、全員の思考が一気に其方に移る。目の前には帽子を被った生徒。りせが行方不明になって戻ってきた時に零とも話した少年。白鐘 直斗だ。直斗は陽介の思いつきで言ったあだ名に文句を言うと何とこの学校に1年生として入ったと説明し始める。この町で起きた殺人事件についてまだ納得が言っていないとの事だ。

 

 この町で起きていた殺人事件。その犯人は高校生の少年であり、悠達の活躍によってその少年は結果的に逮捕することが出来た。8月1日に陽介が零に助けを求めた料理対決はその時の打ち上げである。零自身はどうやら余り料理対決を始める理由について興味は無かった様で、聞かれるのではないかと考えて答えを用意していた悠達が結局聞かれなかった事に安心したのは余談である。

 

 直斗は最後に悠達に向かって「よろしくお願いします、先輩方」と言うと学校の中へと入っていく。直斗が後輩になったと言う事実に陽介は「あいつが後輩?」と呟いており、全員も驚いていた。しかし少し固まっていると予鈴が響き、全員は急いで学校の中に入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月3日。昼休み。零は屋上にて1人で食事を取っていた。と、突然屋上の扉が開く。昼休みのため、屋上には零以外にも人が数人居る。だが零はかなり端の方で1人食事を取っており、零の位置からは扉が見える物の扉からは零が見難い状況となっていた。

 

 知らない誰かが来たのだろうと考えて特に気にも留めない零。しかし静かに食事をしていると誰かが零に近づいてくる。そしてすぐ側にまで来ると「お久しぶりです」と声を掛けられる。零に取っては聞きなれない声だったため、零は顔を上げた。零に話しかけたのは帽子を被った少年、白鐘 直斗だった。が、零は直斗を見て首を傾げる。

 

「覚えて居ませんか? 白鐘 直斗です。久慈川さんについて7月にお聞きしました」

 

 直斗の言葉に零は思い出したのか、頷く。直斗はそれをみて「一昨日から1年生です。よろしくお願いします」と挨拶をする。恐らく知っている人物にはこうして挨拶をしているのだろう。零はその言葉に先程の様に頷くと再びお昼ご飯を食べ始めた。

 

 目の前で特に興味関心を一切示さずに食事を再開する零を見て直斗は少し新鮮さを感じる。クラスの生徒達には【転校生】と言う事もあって非常に話しかけられたりなどをした。他のクラスの生徒からもやはり視線を感じたりと、少し落ち着かない雰囲気のまま学校生活を過ごしていた直斗。だが今現在零の側に居るとそんな視線も話かけられる雰囲気も何も感じない。その事に直斗は零が周りには興味や関心を持たない者なのだとすぐに理解する。と同時に彼女が学校の中で浮いている存在であることにすぐに予想が出来た。

 

「同席、宜しいですか?」

 

 直斗の言葉に零は再び顔を上げる。そして何も言わずに食事を再開した。同席を求められて【駄目】と答える人は中々居ないだろう。特に誰か一緒に居る相手が居ない零ならば尚更だ。無言で食事を再開する零に「無言は肯定と受け取りますよ」と答えると直斗はその隣に座り込んだ。どうやら彼もお弁当をしっかり用意している様だ。

 

 お互いに無言で食事をする。会話などは一切無く、非常に重い雰囲気が2人の周りには漂っていた。屋上に居た違う生徒達は何となくその場所に恐怖を感じ、屋上から去っていく者も居る。

 

「久慈川さんとの仲は前に聞きましたが、鳴上先輩方との仲は宜しいんですか?」

 

 直斗が零に質問をする。零はその質問にしばらく黙った後、メモに書いて答えた。『分からない』と。頭の良い直斗ならそれだけで分かる。零は誰かと関係を持たずに孤立しているが故に仲の良い悪いに関して区別をつけられないのだと。しかしりせと昔馴染みなのは既に知っている直斗。そんなりせと仲良くしている悠達が零と関わらないわけが無いと思っている様で、悠達について質問を始める。が、零は殆ど答えることが出来なかった。

 

『私から、良い?』

 

「? 何でしょうか?」

 

 質問をし続けていた直斗。と、突然零から逆に質問していいかと聞かれて直斗は驚いた。自分が質問するのは普通だと思っていた物の、零から何かを聞いてくるとは思って居なかったようだ。少し貴重なことを体験した気がしながらも直斗は来るであろう質問を待つ。しかし零から来た質問は直斗に取って思っても居なかった質問であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月5日。放課後。学校が始まって数日たった頃。1,2年生は今現在8日に行う【修学旅行】についての話題で持ちきりとなっていた。教室に残る生徒達は持っていく物やどんなことをするのかを話している。だが残念ながら今年から修学旅行は勉強がメインとなるらしく、それについてショックを受けている者も多かった。

 

「あ、姫ちゃ……ん」

 

 授業が終わると同時に零は立ち上がる。何時もならば授業が終わってから荷物を片付けて教室を去って居た零。しかしここ数日の間、零は既に準備を終わらせて教室を去ることが多くなっている。そして去ろうとする零を雪子が呼び止めようとするが、何時もなら【姫】と言う言葉で止まる零が何も聞こえて居ないかの様に止まらずに教室を出て行ってしまう。そしてその事に雪子はため息を付いた。

 

「何か、辰姫さん。最近何時もと違くね?」

 

「あたし、やっぱりちょっと可笑しいと思うんだけど。特に雪子、辰姫さんとしばらく話せて無いよね?」

 

 そんな姿を見て陽介が悠に聞くと千枝が雪子に質問する。そして雪子はその質問に悲しそうに頷いた。この場に居る全員がそれだけで今の零が【何時もと違う】と感じる。

 

 雪子は学校の日、1日に1回は零と話しをしていた。例え話になっていなくてもだ。だが学校が再開してから既に5日。雪子は会話は愚か、一方的な話さえ出来ていなかったのだ。そしてそれが普段とは違い、【おかしい】と言う事がこの全員にはすぐに理解出来た。

 

「屋上に辰姫は居ないのか?」

 

「うん。ここ最近残って本は読んでないみたい」

 

「辰姫さんって一人暮らし何だよな? じゃあ家の用事って可能性は低いよな」

 

「【避けられてる】……とか?」

 

≪!≫

 

 千枝の何気ない一言に3人の視線が一気に集中する。行き成り全員から注目された為、千枝は驚いてしまう。どうやら何となくで呟いた一言が的を得ていた様で、千枝の言葉を聞いて悠が「可能性はある」と答える。そしてその言葉に陽介が頷いた。

 

「で、でも何で避けるのさ?」

 

「んなの分かんねぇよ。けど可能性はそれが一番高けぇんだ」

 

 千枝は自分で言った事について質問するも、その答えを持っているものはここには誰1人居ない。しかし陽介の言う通り可能性としては一番高いと言って良いため、4人は自分達が零に避けられていると言う可能性を考えて話を始めることにする。

 

 同時刻。零は真っ直ぐに帰宅していた。そして神社の目の前の鳥居を潜ろうとした時、零は突然声を掛けられる。その声は今まで聞いたことの無い声のため、零が振り向くとそこには肩にカメラらしき機械を掛けた男性とマイクの様な物を持った女性が立っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月8日。午後。修学旅行先である辰巳ポートアイランドと言う場所にある学校、月光館学園の目の前で悠達と零は並んでいた。目の前には非常に大きな学校。八十神高校の数倍はあるだろう大きさだ。そして現在、月光館学園の校長による非常に長いお話が行われていた。

 

 八十神高校の校長の話も長いものであったが、ここの校長はそれ以上に長い。そのせいで非常に聞いている全員が眠気を感じていた。そしてその聞いている内の1人、零は現在目を瞑って頭が倒れそうになれば戻り、倒れそうになれば戻りと完全に船を漕いでいた。その光景に雪子は鼻を咄嗟に抑えると何とかして零を起こそうとする。しかし残念ながら効果は無く、結果として零は立ったまま寝ると言う非常に凄い技をやり遂げてしまう。

 

 零が目を覚ました時、既に移動の時間となっていた。どうやらこれから月光館学園にて【特別授業】を行うとのことだ。修学旅行に来てまでの授業に殆どの生徒が絶望し、しかし嫌々でも行うしかなかった。悠達と零のクラスは江戸川と言うメガネを掛け、少し気味の悪い笑い方をする先生による授業。内容は先生の話をほぼ聞くのみで特に何かを書いたりする必要は一切無かった。

 

 そんな修学旅行だと言うのに地獄に近い時間が終わり、夜になると今度は全員が泊まるホテルに向かう事になった。諸岡 金四郎亡き後、2-2組の担任は柏木 典子先生へと変わっていた。が、この先生。諸岡とは別の意味で非常に嫌われている先生である。と言うのも自分のことを綺麗だと思っている節や、他にも女子への扱いが酷かったりと色々あるのだ。そしてそんな柏木によって決められたホテル。そこはシーサイド・シティホテル【はまぐり】と言う看板が置かれている非常に疑問に思ってしまうホテルであった。

 

 目の前のホテルを見て生徒達が一様にこのホテルが普通のホテルでは無く、ホテルの上にカタカナ二文字が付く子供が来てはいけないホテルの様に感じる。一言で言ってしまえば『怪しい』ホテルである。

 

 柏木によって中に入る様に指示を出される生徒達。その最後尾に悠達もおり、零は悠達よりも少し後ろを本を読みながら歩いていた。と、突然陽介が「殺気! 上か!」とまるで頭の痛い人の様な言葉を言う。だがそれは本当に感じた物であり、悠達の目の前に突然丸い何かが現れる。それはクマの様なぬいぐるみ……クマであった。残念ながら零はクマの中身しか知らないため、全員の横を素通りしようとする。が、どうやら彼らの中で勝手に話は進んでいた様で

 

「ヒメちゃんもデートしてくれるクマか?」

 

 クマの横を通ろうとした時、突然零は話しかけられる。見たことも無いぬいぐるみにいきなりデートをしてくれるのかと質問されれば誰であろうと立ち止まってしまう物。流石の零もその1人であり、突然の質問に首を傾げてしまう。と、何を思ったのか突然クマに手を伸ばし始めた。そしてクマに。いや、クマの毛皮に触り始める。

 

「むふふ、美少女に触られるなんてクマ、し・あ・わ・せ♪」

 

「皆で一緒にね? クマ君それで良い? 良いよね?」

 

「ヒッ! わ、分かったクマからユキちゃんその目は止めて欲しいクマ!」

 

 零に触られて嬉しそうな顔をするクマ。しかし雪子の言葉で突然怯えだしたため、零からクマの毛皮が離れる。そこで零は初めて自分が悠達と一緒に行動する事になっているのに気づき、メモに何かを書き始める。が、書き終わる前に柏木が現れて部屋割りで揉めているのかと質問されてしまう。その時にクマの存在に気づいた柏木に悠が「お土産です」と答えると一緒に入る様に言って柏木は戻る。そして全員はそれを見て中に入り始めた。その結果、零はメモに書いた【私、行かない】と言う内容を見せることが出来なくなってしまうのだった。



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辰姫 零 修学旅行を終える

 9月9日。夜。自由行動となっていたこの日、半ば強制的に悠達のグループに着いて行く事になってしまった零。最初出掛ける時に自分の意思を伝えようとしていた零。だが修学旅行と言う行事に全員は少し浮かれている様で、昨日同様に見せる暇も無く零は着いていく事になってしまったのだ。

 

 辰巳ポートアイランドを見て周る間、雪子とりせは久しぶりに零と一緒に行動出来たことが嬉しかったのだろう。非常に近い距離で行動をしていた。主に5,6cmほどの距離で。今回の修学旅行は1年生も一緒のため、りせと完二もこの場には居るのだ。そして雪子とりせは同じ様に零の近くに居るお互いを見て火花を散らし合っていたのを悠達は見ていたため、楽しい筈の修学旅行をこの日心のそこから楽しめた者は恐らく誰1人居ない。

 

 そんなこんなで夜になり、一同は【クラブ】へと足を運んでいた。稲羽市は田舎のため、都会にしかない場所に行きたいと一同は感じたのだ。中に入ればそこは非常に賑やかな場所。完二は感動し、千枝はどうやらテンションが上がっている様だ。

 

「こんな所に高校生が来て良いんですか?」

 

 突然の声に全員が振り向けばそこには直斗が立っていた。修学旅行は1年生も一緒。それはつまり転入してきた直斗も同じ様にこの場に来ていると言う事になる。全員はそれに気づくと直斗を見て「お前の方が先に居ただろ」と陽介が返した。

 

 直斗は周りを見て客層を観察する。おかしな人間などは居ない様で、それを見て「問題は起きなさそうですね」と言うとその場を去ろうとする。が、そこで雪子が一緒にどうかと直斗を誘った。『一緒』と言う言葉に直斗は驚き、「良いんですか?」と質問すれば雪子が頷いた。零以外の全員も同じ様に頷いた。因みに朝から今現在まで、零は本にずっと集中している。なので今日一緒に居た悠達でさえも一切紙での意思さえ伝えられていなかった。雪子もりせも会話は無しで零を見て微笑みながらお互いを見て睨み合っていたのだ。

 

 結果的に直斗も参加することとなった。そして乾杯をする場所に関してはりせのアイドルの力で2階を『貸切る』と言う高校生では到底ありえない事をやったため、全員が2階の1つのテーブルを囲んで飲むことになった。因みに御代に関してもりせのアイドルの時にあったとある事情によってまさかの『無料』である。りせがアイドルと言う凄さを全員は改めて認識し、少し呆れもしてしまう。そして

 

「王様ゲーム!」

 

 非常に大変な事態となってしまう。最初はクマの言動が可笑しいことから始まった。それを完二が指摘し、クマが非常に寒いギャグを言えば何時もよりツボが緩くなった雪子が笑い始める。そしてその可笑しさに陽介が気づいたときには既に手遅れ。りせはちゃんとノンアルコールを頼んだと言った後に誰に責められた訳でも無いのに子供の様に泣き始める。それを見て全員が酔っているのだと確信する。

 

 完二は匂いを嗅いで確認しようとするが、そこで先程のりせに寄る突然のゲーム開始を言う。そしてぶつぶつと自分が子供扱いされていることをカミングアウトし始めた。どうやらりせ、番組などの打ち入りや打ち上げでは居なくなった後の方が盛り上がっていると言う事実を知っている様で、それについての文句を言い始める。そして

 

「いっくらアタックしても姫は見てくんないし、こうなったら王様ゲームで既成事実でも作ってやるんだから! カァーンジ! 割り箸用意!」

 

「既成事実……姫ちゃんと、ふ、ふふ、ふふふ、ふふふふ、ふふふふふ」

 

 りせが大声で言うと感じに命令をする。当然された完二は文句を言うも、りせは「王様の言うことは絶対!」と大声で言うと無理矢理完二を行動させる。そしてりせの話を聞いていた雪子は何を思ったのか、突然笑い始めた。ツボに入ったときの笑いではない。まるで何か悪巧みをしている時や想像が現実になった時に出てしまう笑いの様に。その姿を見てまともな悠・陽介・千枝・直斗が一斉に零の身に危険が迫っている事を感じるとどうにかして零を逃がそうと考える。が、当の本人は本に夢中で特に気にしては居ない様だ。

 

 しばらくすると完二が8本の割り箸を持って戻ってくる。恐らく店の人にでももらったのだろう。りせはそれを受け取ると持っていた筆記用具で1本の先を赤く塗り、他の7本にそれぞれ数字を書く。それを隠す様にして手の平全部を一斉に握る。そしてグルグルと両手で場所を混ぜ合わせ、何処に赤く塗られた割り箸があるのか分からなくする。千枝がどうにかしようとでも思ったのか王様ゲームのルールを知らない感じに言えば、雪子が何処で知ったのかルールを説明する。千枝はそれに「何で知ってんだ!?」と驚いてしまった。

 

 そして始まる王様ゲーム。零は一切関心が無い様で、最後に引く事になった。悠は3本の割り箸のうち1本を取り、りせが一本を取って残ったのを零の場所に置く。番号は見えない様に机側に向けてだ。最初の王様は……クマ。自分にキスをすると言う命令の内容。

 

「女子を、女子を、3番!」

 

「うげぇ!」

 

「やっぱ2番」

 

 クマが番号を言うと嫌そうに悲鳴に近い声を上げたのは完二。それを見てクマはすぐに番号を変えるが当然そんな物は無効である。陽介が「番号を変えんな!」とクマに言い、クマは完二を見ながら目を輝かせる。そして「純情あげちゃうクマ!」と言って完二に勢い良く飛び掛った。完二は抵抗し、そしてこの場から2人は退場することとなった。

 

「1回戦で早くも脱落者2人よ!」

 

 りせの言葉に千枝と陽介が初めて新しいルールを知り、「そういうゲームかよ!」と突っ込みを入れる。悠は今の状況に首を選ぶという行為が今後さえも左右するのだと感じると気の抜けない選択だと心に言い聞かせて2回戦目のくじを引く。次に王様になったのは……。

 

「来ました! 姫にあんなことやこんなことをする時がついに来ました!」

 

 りせである。その事実にまともな4人は零に心のそこから逃げる様に願うが、零はやはり本を読んだまま動かない。りせは絶対に零に命令をしたい様で、すぐには内容を言わずに零の割り箸を見つめ続ける。そしてしばらくの沈黙の後、りせの目がきらりと光った。

 

「王様が2番を好きに出来る!」

 

「ちょ! お前そんな危ない命令するか普通!?」

 

「2、2番って誰!?」

 

 命令の内容に陽介は驚き、千枝は心のそこから零では無い事祈りながら番号の持ち主を探す。悠は首を横に振り、直斗も首を横に振る。クマと完二は退場し、陽介と千枝は既に違うことを自分で確認している。となると残るは雪子と零。千枝は恐る恐る雪子に番号を聞いた。と、完全に酔っているため伸びる口調で雪子は「私は~4番~」と答える。場が一気に凍りついた。りせが笑顔で零の割り箸を確認すればそこには『2番』と言う数字。りせはすぐに零に近づこうとする。が、

 

『反則、無効』

 

 行動を起こそうとした瞬間、零によってその行動は遮られる。りせは逃げるための言い訳だとでも思ったのか零に手を伸ばすが、その手は零の読んで居た本によって遮られる。そして手を遮ると再びメモに書いてりせに見せた。

 

『私、最後。りせ、番号見た』

 

 書いてある内容をりせが読んだ瞬間、まるで『図星です』とでも言う様に固まった。全員はそれを見てすぐに納得する。りせは最後まで割り箸を持ち、参加する気が無いため引かない零に最後の1本を置いていた。そしてその時にりせは零の割り箸の番号を見ていたのだ。先程の考える仕草も恐らく演技だろう。零には見抜かれていた様だが。

 

 突然零が自分の荷物を持って立ち上がる。そして『先、帰る』と書いたメモを机に残してクラブから外に出て行ってしまう。最高のチャンスを逃してしまったりせは『零が帰った』と言う現実を受け入れられずに固まっていた。が、突然座り込むと「姫~!」と行って泣き始めてしまう。そんな光景を見て悠達はある意味自業自得だとも考え、同情はしなかった。が、勝手に帰ってしまった零は大丈夫なのかと心配にはなる。

 

「もう夜中です。ここは都会ですから彼女だけでは危ないかも知れません」

 

「陽介、ここは頼む」

 

「了解。さて、どうすっかなこれ」

 

 直斗の言葉に悠は立ち上がると陽介にこの場を任せる。陽介はすぐに悠がしようとしていることが分かり、了承すると酔っ払っている雪子と泣いているりせを見て頭を抱えた。悠はそれを見て零を追いかけるためにクラブを出る。そこはまだ暗い場所。片方は運が良い事に現在通行止めとなっていたため、もう片方の道を少し走って進む。そして少しすれば見慣れた後姿が悠の目に止まった。本を読みながら歩くその姿はやはり分かり易く、悠は急いで近づく。

 

「辰姫。1人は危ない」

 

 近づいて話しかければ零が少し顔を上げて悠の姿を見る。そしてすぐに本にまた視線を向けてしまった。どうやら話す気は一切無いらしい。悠もそれを感じると黙って零の横を歩くことにする。

 

 周りには夜とは言えかなりの人がおり、非常に色々な音が響いていた。だが悠と零の間には非常に静かな空間が出来ており、悠は自分が無音の中に居る様な雰囲気を感じる。

 

「何かあったのか?」

 

 悠の質問に零は答えない。しかしそれさえも悠には少しおかしく思えた。普段の零ならば確実に止まって首を横に振るか縦に振るかの行動をするだろう。しかし今現在目の前に居る零は悠の質問に答えない。まるで誰かと対話するのを拒否している様にだ。

 

 結局はまぐりに辿りつくまでの間、悠と零が対話をすることは1度も無かった。だが今回の出来事により、悠は夏祭りの日から2学期の始まった日の間に零に何かがあった事。そしてそれによって自分達との対話を拒否しており、自分達を避けても居ることを確信したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月10日。午後。悠達はりせがアイドルの仕事をしていた時に好きだったと言うラーメン屋に足を運んでいた。どうやら雪子とりせは昨日の出来事を覚えていないらしく、頭を悩ませている。が、全員は思い出させない様に話を変えることにする。

 

「辰姫さんは何処行ったんだ?」

 

「分かんない。あぁ~姫先輩も連れてきたかったな~」

 

「朝起きたら居なかったもんね。何処に行っちゃったんだろ?」

 

 陽介の質問にりせは答えると上を見上げながら呟く。そしてその言葉に雪子が朝の出来事を言い、陽介と同じ様に何処に行ったのかと呟いた。2年生の部屋割りは林間学校の時とほぼ同じ組となっていた。はまぐりと言うホテル、どうやら余りお客さんが来ていなかった様で部屋がガラガラだったのだ。

 

 部屋割りの男子は陽介・悠・完二の3人+クマで直斗はその場に居なかった。恐らく違う部屋だったのだろう。そして女子は千枝・雪子・りせ・零の4人であった。因みに零の布団に2人程入り込むと言う出来事があったのだが、その2人は朝起きた時にお互いで抱き合っていた。そしてその場に寝ていた本人は既に全員が起きた頃には部屋の何処にも居なかったのだ。

 

 零の存在が余り感じられなかった修学旅行。雪子とりせはその事に非常に落ち込んでいた。その間にクマが雪子のどんぶりの中身を食べるという事件があったりしたが、その辺は良いだろう。

 

 しばらくその場で話しながら食べていると集合時間が近づいてきていることに直斗が気づき、話かける。全員は雪子の分のラーメンまで食べた為に食べ過ぎで動けなくなっているクマを置いてお会計を済ませると駅に向かい、お土産を買うことにする。悠も菜々子用に『巌戸台ちょうちん』を買う。そして集合場所に着いた全員は他のクラスメイトが揃うまで話すことにする。現在この場に零の姿は無い。

 

「姫ちゃんは戻ってきてないね?」

 

「あんま姫先輩が行きそうなところって想像つかねぇんすけど……」

 

 雪子の言葉に完二が頭を掻きながら答える。全員が零の行きそうな場所を考え始める。しばらく考えていると悠は思い当たる場所を思いつく。【本屋】だ。都会にしかない本などはきっと今回を機に買う可能性もある。零の場合、1人暮らしで家族にお土産を買うことも無いため自分の物を買う可能性は高いだろう。悠が思った場所を言うと全員が一様に納得した。

 

「実は1つ、気になることがあるのですが聞いて宜しいですか?」

 

「? 何だよ?」

 

「僕は一度、辰姫さんに会っています。そして学校でも。その時は特に違和感を感じなかったのですが、昨日のクラブでの事。どうも彼女は皆さんを避けていませんか? 少なくとも僕にはそう感じました」

 

 直斗の質問。その内容に全員がそれぞれ視線を合わせながら黙ると、静かに直斗に向かって頷いた。そしてここ最近の零について、全員は話し始める。避けられている可能性があること。夏祭りの時には何時も通りだった事。最初に感じたのは2学期の始まった日の事。それぞれ考えを出しながら零について考える。だが結論が出る前に大体の生徒が揃ったため、柏木が話し始める。雪子達は零の姿を探す。と、かなり遠くから袋を持った零の姿が全員の視界に移った。どうやら悠の考えどおり本を買いに行った様だ。

 

 全員の名前と居ることを確認すると稲羽市に向かって1,2年生の全員は移動を始める。零の居る場所で零の話をするわけにも行かない為、悠達は違う話をしながら時間を潰す。零は買ったばかりの本を静かに読み続けていた。そして数時間を掛け、全員は稲羽市へと帰るのだった。



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辰姫 零 誘拐される

 9月12日。夜。悠は堂島家で菜々子と共にテレビを見ていた。何とテレビ画面には直斗の姿。稲羽市で起きた事件が解決したため、呼ばれている様だ。アナウンサーに質問をされる直斗。しかし直斗は『違和感がある』とコメントし、まだ終わっていないと言った考えを伝える。警察の会見とは違うらしく、アナウンサーは戸惑うもすぐに元に戻ると事件では無く、『探偵王子の素顔』と言う名目の質問を始める。

 

「違和感……か」

 

「お兄ちゃんの学校、たんていさん居るんだ! 凄い!」

 

 悠はテレビの中で言った直斗の『違和感』について考える。犯人を捕まえたのは紛れも無く自分達であり、自分達は違和感を感じては居ない。が、直斗は感じていると言う事に悠は何となく落ち着けずに居た。

 

 そんな悠の目の前で菜々子は純粋に悠の通う学校に探偵が居ると言う事に驚く。悠はそんな菜々子を見て考えを止めるとチャンネルを変える事を菜々子に言ってリモコンを取った。何時もなら天気予報があり、その後ちょっとしたドキュメンタリーの様なことをやって終わる番組があるのだ。毎日悠はその天気予報を見ていた。確認すれば明日は晴れだが、明後日は1日中雨の様である。

 

『今日のドキュメンタリーは【稲羽市に住む謎の巫女】。最近稲羽市では人が吊るされると言う殺人事件が起こっていました。犯人は逮捕されましたが、始まる数日前。誰も住んでいなかった神社に少女が住み込むという謎の出来事が起こっていました。そこでスタッフはその少女に取材しに向かいました』

 

「……ここは、辰姫神社か」

 

 天気予報を確認し、菜々子の見たい番組に変えてあげようとリモコンを取った悠。しかし突然テレビに見慣れた場所の光景が映り、悠はリモコンを持ったまま驚いてしまう。画面には辰姫神社が映っており、中を撮影している。そしてしばらく張り込むと言うテロップの後、制服姿の零が本を読みながら神社に入る姿が映った。そしてスタッフが話しかける。

 

「あ、お兄ちゃんのお友達だ!」

 

 菜々子は零を見て言う。どうやら菜々子も零が出ていることでこの番組で良いと思ったのか、「変えなくていいよ?」と悠に言う。悠はそれに頷いてリモコンを置いた。

 

 テレビでは質問をするスタッフに首を横に振るか頷くだけで答える零の姿。それで答えられない質問は何時もどおりにメモで答えているため、スタッフは零が喋れないのだと認識したのだろう。出来る限り質問を首だけで答えられる物に変更した。

 

 質問の内容は『どうして稲羽市に来たのか?』・『巫女服は着るのか?』・『何故この神社に住んでいるのか?』・『最近起きた事件についてどう思っているのか?』と言った内容。零は順に『叔母、死んだから』・頷く・『昔、ここ、住んでた』・『興味、無い』と答える。テレビでも何時も通りである事に悠は少し苦笑しつつも、その番組を見ることにした。と言っても零は特にスタッフを相手にしては居ない様で、巫女服を見せて欲しいといった内容等には一切首を縦に振ったりはしなかった。見世物では無いのだろう。

 

 どうやら撮影日は5日だった様で6日は雨。零は巫女服で外を掃除している事も無く、7日はスタッフ達の都合で。8、9は零自身が神社に居なかったため、それでスタッフ達も諦めた様だ。つまりテレビでは零の巫女服が公開されることは無かった。人によっては非常に気になるだろう。しかし悠も菜々子も既に見たことがあるため、そこまで気にせずチャンネルを変える。約1ヶ月前の悠ならば警戒をしているだろう。しかしもう事件は無い筈なのだと考える悠は特に気にすること無く1日を終わらせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月13日。朝。零は通学路を本を読みながら歩いていた。が、今日は何時もと違う。昨日のテレビせいで見ていた生徒が零を見ているのだ。しかし零は特に気にする事無く歩き続ける。と、少し先で悠達が集まっている事に零は気づく。そしてそれを認識すると同時に本を読むよりも顔を下にして早歩きになる。

 

 悠達のグループに近づくと直斗が学校とは間逆。つまり零に向かって逆走してくる。そして直斗は零に気づくと歩くのを止める。徐々に近づいてくる零。そして真横を通り過ぎようとした時、話かける。

 

「気をつけてください。貴女は今、危険な立場にある」

 

 直斗の突然の言葉に早歩きで通り過ぎようとしていた零は立ち止まる。直斗の言った言葉の意味が零には分からず、首を傾げる。しかし直斗は詳しくは説明せずに「それでは」と言うとその場を去っていった。

 

「あ、姫ちゃん。おはよう」

 

「姫先輩! おはよう! 昨日テレビに出たから吃驚したよ!」

 

 悠達も零に気づき、その中で雪子とりせがかなりの大声で零に話かける。が、かなりの大声。2人は張り合っている様でその場に居た悠・陽介・千枝は零に話かけてもその声によって掻き消されてしまう。しかし零は再び顔を伏せると早歩きで話かける2人の間を通り過ぎる。紙で答えることも、何か仕草をすることも無く。

 

 避けられていることには既に全員気づいているため、無理に行動を起こすことは無い。しかし雪子とりせが無視されると言う現状に分かっていてもショックを受けており、例えるならば2人とも挨拶をした体制のまま真っ白に燃え尽きた後の様になっていた。

 

「何て言うか……哀れだよな」

 

「言ってないで連れてくよ! 遅刻しちゃうって!」

 

 陽介の言葉に千枝が時間を見ながら言う。そして雪子とりせの片手を掴んで歩き始める。何故か2人は歩いていないにも関わらず、銅像の様に立ったまま移動していた。そんな光景に悠と陽介は苦笑いしながら学校に向かう。そして1階でりせを我に返して自分の教室に行く様に言うと悠達は自分の教室に入る。そしてすぐに何時もより賑わっている事に全員は気づく。1箇所の席に生徒が集まっているのだ。そしてそこは陽介の隣、零の席であった。

 

 やはりテレビの力と言うのは凄い物であり、何時もは話しかけられない零がクラスメイトに話しかけられているのだ。零は余りにも静かなので気味が悪いといった理由で避けられていた。が、テレビの効果かそんな零に何度も話かけるクラスメイト達。話せないと言う事はテレビを見た効果で知っているようだが、少しでも何か話の様な物をしたいと思って居るのか無視をされても話しかけ続けていた。

 

「うわっ、すっごいね」

 

「俺、席につけねぇじゃん」

 

 千枝は目の前の光景に純粋に驚き、陽介は自分の席にもクラスメイトが居るせいで座ることが出来なかった。千枝も零の前に席があるために座れず、結果的に悠の周りに集まる事になる。そして目の前にある群れに若干顔を引き攣らせながらも零と会う前に話していた直斗との会話について話し出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月14日。夜。悠は自分の部屋のテレビの前で0時になるのを待っていた。【マヨナカテレビ】。この稲羽市に広まっていた噂であり、雨の降る深夜0時に1人でテレビを覗けばそこに運命の人が映ると言う内容であった。しかしそこに映るのは連続殺人の被害者になる人物であり、雪子・完二・りせの3人もそれに1度映っている。無事に生きているのは悠達が助け出したからだ。

 

 事件は終わった。悠はそう思いながらも流石に不安は残るため、確認をしようとしていたのだ。部屋のカーテンから外を見れば雨が降り続いている。そして0時になり、悠はテレビを見る。と、突然そのテレビ画面が光り始めた。もしもそこに人影が映ってしまえば事件はまだ終わっていないことになってしまう。そして結果は

 

「! 終わって、居ないのか!」

 

 映ってしまった。映像は荒いため、誰だかは認識する事が出来ない。が、映ってしまったと言うことは次にこの人物が死んでしまうかも知れないと言うことであった。悠から見て何となく分かるのは帽子を被り、小柄だと言う事のみ。テレビが消え、それと同時に携帯が鳴る。相手は……陽介だ。それが分かると悠はテレビに背を向けて電話に出る。

 

『見たか!? 誰か映ったよな? 犯人は捕まったんだし心配は無い……んだよな? 誰だと思う?』

 

「分からない。ただ何となく直斗に似ている気が『相棒! テレビ見ろ!』!?」

 

 直斗に似ている。そんな考えを伝えようとしていた悠の耳に陽介の驚いた様な声が聞こえる。そして悠はすぐに振り返った。何時もならば1度だけしか映らないマヨナカテレビ。が、目の前では『2回目』が放送されていた。そこに映るのは自分たちの着る制服に似た服を着た誰か。女子用の制服のため、性別はすぐに認識出来る。しかしその映像も荒く、誰かは分からない。そして少し流れると消えてしまった。

 

『ど、どう言う事だよ!? 2人目ってことか?』

 

「取り合えず明日、学校で話そう」

 

 陽介の疑問に答えることが出来ない悠。突然の事なのだ。当然だろう。2人で考えるよりも全員で考えたほうが良いと思った悠は陽介に言う。陽介も『ああ、そうだな』と言うと電話を切った。

 

 静まる部屋。悠はテレビに映った人物が何となく【零】なのでは無いかと思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月15日。早朝。零は朝早くに起きて本を読んで居た。夜と違い、現在横にキツネの姿は無い。

 

 稲羽市に帰ってきた日の翌日。朝早く起きた零は空を見上げていた。が、今現在その空は真っ暗であり、雨が降っている。昨日から続いている雨だ。何時もなら朝早くに起きて縁側に座る零も雨が降っていれば当然濡れてしまう為、こう言う日には家の中で静かに本を読んで居た。現在読んでいるのは動物の本では無い様だ。

 

 雨の音だけが響く神社の中。しかし突然そんな中に響くインターホンが鳴る。早朝のため、普通人が来る時間ではない。零は少し行動せずに何もしないで居たが、インターホンは2回ばかり繰り返して鳴ったため零は本を持ったまま立ち上がる。そして玄関の方へと向かっていき、扉を開ける音が神社の中に響いた。そして次に響いたのは何かがぶつかった様な音。続けて扉の閉まる音が響く。

 

 何秒。何分。何時間経っても零は戻って来ない。それもその筈。既に零の姿は神社には無く、玄関には何か争った様な跡。そしてまるで踏まれたかの様に所々破れ、ボロボロになった無残な1冊の本が落ちているだけだったのだから……。




次話より数話に渡って主役を【自称特別捜査隊】に移し、物語を進行致します。


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自称特別捜査隊 情報を集める

 9月16日。午前0時。悠の見ていた画面がゆっくりと暗闇に戻っていく。解決したはずの事件。しかしテレビにはしっかりと【次の被害者】が映ってしまった。しかもそれは自分達と何度か会話をしたことがある【白鐘 直斗】。前回と違い、非常に鮮明に映ったその映像は既に直人が【テレビの中に居る】事を示していた。

 

 悠は事件が終わっていなかった事に衝撃を受けながらも画面を見続ける。恐らく彼以外の全員も同じ行動を取っているだろう。何故ならば今回は今までと違い、2人の姿がテレビに映ったのだ。その1人が直斗であることは今、確定した。ならばもう1人は誰なのか? そう考えた時、全員の頭に1人の存在が浮かんだ。そしてその予感は現実となる。

 

 真っ暗になった筈のテレビが再び光り始める。そして映るのは荒い映像では無く、鮮明な映像。画面の中央には1人の女子生徒が立っており、大きなスケッチブックの様な物を両手で抱えながら此方を見ていた。そして徐に女子生徒はそのスケッチブックを捲る。

 

『こんばんわ。私は辰姫神社の巫女、辰姫 零』

 

「やはり辰姫か……!」

 

 女子生徒……零の手元にあったスケッチブックには自己紹介の文が書かれており、テレビの中でも喋ることがないことは直ぐに分かる。だがそれよりも悠の。いや、悠をリーダーとする自称特別捜査隊のメンバー達の心には何時も一緒に居た存在が誘拐されてしまったという現実のショックが大きかった。恐らく数人は今、取り乱していても可笑しく無いだろう。

 

『これから送るのは人や生き物に必ず来る【死】について』

 

『人は事故や病気、自殺や他殺等で【死】を迎える』

 

『動物も同じで人の手や別の生き物の手によって【死】を迎える』

 

『もしも自分の死を選べるとすれば、皆はどんな死に方を望み、どんな最後を迎える?』

 

『人の死は自分で決められる物では無い。』

 

『それでも望み、それを自分から引き寄せる事が出来るならば皆はどうする?』

 

『私の答えは既に決まってる。だから今回、私の【死】についてを送る予定』

 

『考えて欲しい。【死】と言う事がどう言う意味を持つのか。感じて欲しい。【死】によって【救われる】事を』

 

 テレビが消え、悠の部屋は真っ暗になってしまう。外から聞こえる雨音だけが響き、悠はテレビを見たまま固まっていた。しかし当然何時までも固まっていられる訳では無い。悠の携帯が鳴り始め、悠はそれに気づくと我に帰って携帯を取る。相手は……完二だ。携帯に出て最初、完二は非常に取り乱していた。しかし何とか悠は完二を落ち着かせると明日。つまり今日の放課後、全員で集まることを言って話を終える。悠は携帯をしまい、不安な気持ちを持ちながらも眠りに付くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。放課後。学校では今日1日、何時もなら居る筈の零の席は空席になっていた。陽介の隣と言う事もあり、居ないことを実感してしまっていた陽介。クマにテレビの中に誰か居るのかと質問すれば気配を感じると肯定する。その言葉に全員は今までと変わらず、事件が続いていることにショックを隠すことが出来なかった。

 

 【今までと同じ】。その話題が出た時、雪子は直斗が言っていた言葉を思い出す。『違和感がある』・『納得出来ない』・『誘拐されるのはテレビに出た人』。そしてそれを聞いて初めて全員は気づく。直斗は自分自身を囮にしたのだと。それに気づいたと同時に全員が一斉に下を向き、責任を感じるりせや直斗の行動に怒る完二。悠達が事件を解決したと思っていたのは間違いだったのか? 千枝がそれを聞けば既に答えが出ていたのか、悠が言う。

 

「俺達が捕まえた久保が殺したのはモロキンだけだ」

 

 悠の言葉に雪子が再び今までとの違いについてを気づき、それと同時に再び謎も出てしまう。が、そんな謎は完二が怒鳴る様に「そんなことはどうでも良いっすよ!」と言って有耶無耶になる。そして話題は今回誘拐された直斗ともう1人、零の話になった。その話になったと同時に雪子が何かを取り出す。

 

「今日、りせちゃんと姫ちゃんの家に行ったの。でも……誰も居なかった。それで……玄関にこれが」

 

 雪子はそう行って悠達の前に1冊のボロボロになった本を差し出す。その本が何の本かはともかく、零が読んで居た本であることはすぐに察しが着いた。と、千枝が気づいた様に「玄関って、鍵は?」と質問する。が、りせが何も言わずに首を横に振るだけ。零の様な人物が鍵を掛けていない可能性は……意外にあるかも知れないが、それでも今回のことから【何かがあった】と考えるのが普通だろう。

 

「姫先輩もドキュメンタリー番組でテレビに出てんすよね」

 

「今まで2人なんて無かった。だけど今回それが起きちまった」

 

「もし姫先輩が直斗君と別々の場所に居たら今回、2人を霧が出る前に助けなきゃいけないんだよね。きっと」

 

 今まで1人を助け出すだけでもかなり大変だった救出。しかし今回助け出さなければいけないのは2人であり、もし片方を助け出せたとしても霧が出る前にもう1人を助けなければ死人は確実に出てしまう。かと言って2手に分かれるのも非常に危険である。今までも全員で挑んで何とかなった箇所があるのだ。分かれて行動すれば危険度は格段に上がる。助けるられる側は勿論、助ける側もしっかりしていなければ元も子もない。

 

 全員は一度見合った後、テレビの中に入ることにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり誰か居る……そんな、何で!?」

 

 テレビの中でりせは直斗と零の場所を探す。そして何かに気づいたと同時に突然驚き、座り込んでしまう。全員は直ぐにりせに近づき、何があったのかを質問する。と、りせは弱弱しく答えた。

 

「前と同じ。居るのは分かるのに場所が分からないの。それも直斗君だけじゃ無くて姫先輩も」

 

「ど、どういう事だよ! 何で姫先輩の場所もわかんねぇんだ!」

 

「こっちが聞きたいよ! 姫先輩の事、私確かに色々知ってるもん! なのに全然場所が分からない!」

 

 りせの言葉に今日何度目かも分からないが、全員固まってしまう。テレビの中で誘拐された者の場所を探るにはその相手の事について何か情報が必要なのだ。完二が誘拐されてしまった時、実は『趣味を馬鹿にされたりするせいで女性が苦手』と言う情報を知るまで何処に居るかは分からなかった。りせも同様に『アイドルのキャラでは無く、本来の自分を見て欲しい』と言う心を知るまで居場所を掴むことは一切出来なかった。

 

 今回、直斗の事もやはり全員が知らない何かがあるのだろう。しかし零の場合は少し違う。何故なら今この場に子供の頃に零と付き合い、今でも零と親しくしている者が3人も居るのだ。零のことは3人に聞けば大抵のことは分かってしまうと思っていた。だが現実はまったく違い、3人の情報を持ってしても零の居場所を掴むことは出来なかった。悠は考えた末、全員に言う。

 

「3人も俺達もここに居る誰もが知らない辰姫が居る。そう言う事だろう」

 

「俺達の」

 

「知らない」

 

「姫先輩」

 

 完二・雪子・りせの順で悠の言葉を繰り返す。そして悠達は直斗と零の情報を手に入れるため、聞き込みを開始することにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悠達はテレビから出ると直ぐに聞き込みを開始し始めた。直斗の情報と零の情報。それを求めて唯只管色々な人に話を聞く。途中で合流すればお互いに情報を交換し、再び情報を得るために話を聞く。そんな事を繰り返していくうち、悠はとある生徒と話す。その生徒は辰姫神社に偶にお参りに行くらしく、その目的はお参りでは無く零本人との事。そして

 

「確か辰姫さん、神社でお爺さんと何時もみたいにメモでやりとりしてたよ。あの日は確か……月曜日だったかな? あんまり誰かとやり取りしてるの見たこと無いから印象に残ってるんだ。あぁ~俺もやり取り出来ないかな~」

 

 零がお爺さんとやり取りをしていたと言う情報を悠は手に入れる。元々零は誰かと意思を交わす事は避けている。自分達が零の中で極少数のやり取りをする人物であることは当然全員気づいていた。そしてそんな自分達以外に意思を交わす存在が居るとなれば、零のことで自分達が知らない何かを知っている可能性も無くは無い。悠は話をしていた生徒にお礼を言うと今度は稲羽中央通り商店街に向かう。と、そこにはりせと雪子の姿があった。悠は2人と合流すると、先程手に入れた情報を伝える。

 

「あ、多分そのお爺さん。姫ちゃんが帰ってくる前まで偶に掃除をしていた人じゃないかな?」

 

「それにしても先輩、情報集めるの上手過ぎ」

 

 悠の情報を聞いた雪子は思い当たる人物が居る様で、りせはそれを聞いた後に悠を見ながら言う。そして零についてはそのお爺さんと話すことに決め、直斗の情報も探すために再び分かれる事になる。悠に情報を貰った雪子とりせは2人で並びながら聞き込みを再開するが、その後姿は非常に重そうであった。

 

「私達、姫ちゃんの事で知らない事。あったんだね」

 

「仕方ないよ。姫先輩、昔から余り喋らないし……でもやっぱりショックだよね」

 

「何暗くなってんすか2人とも」

 

 2人が会話をしているとその背後から完二が話しかける。何処の誰が見ても暗い雰囲気を出している2人に気づいたのだろう。もしもそのまま放置すれば誰かに移るのではないか? と思うほどの雰囲気に我慢できずに完二は話しかけたのだ。2人は声に振り向き、完二だと分かると「完二(君)か~」と言って再び肩を落とす。自分だと分かった瞬間に再び気落ちする2人に完二は苛立ちを隠せなかった。が、それ以上に2人の暗さに引き気味だ。

 

「俺で悪かったっすね! 天城先輩もりせも、そんな感じになってたら得られるもんも得られ無いっすよ」

 

「でもさ、やっぱり姫先輩について知らない事があるって分かるとショックでさ……」

 

「うん。隠してたのかは分からないけど、私は姫ちゃんのこと。知ってるつもりで居たから……」

 

「だぁ~! 人には隠し事何て沢山あるもんで、知らなかったならこれから知ってけば良いじゃないっすか! くよくよしてる暇があんならとっとと姫先輩を助けて、それから色々聞けば良いだけっすよ」

 

 何とか気を取り直させようとする完二だが、2人の暗さに流石に我慢が限界に達する。そして怒鳴る様に言うと、2人は突然顔を上げて完二を見る。突然見つめられることに完二は驚きながらも「違うっすか?」と続ければ2人は再び顔を上げた後、今度は暗い雰囲気から一変して明るい雰囲気に変化した。

 

「そうだね。そうだよね。これから知ってけば良いんだよね。完二君に教えられちゃった」

 

「まさか完二に教えられるなんてね~。あんた、本当に完二? 実は別人だったりしない?」

 

「随分な言いようだなオイっ!」

 

 急に元気になった2人。雪子は悪意を見せず、りせは何時もどおりに完二に言い、言われた完二は拳を握って一歩踏み出しながら怒るもその顔は怒りと言うよりも安心と言った表情であった。そして元気を取り戻した2人は再び情報を集めるために行動を開始する。

 

「絶対助けるからね。姫ちゃん」

 

「助けたらご褒美とか貰えるかも! キャ~!」

 

「……あんたら直斗のこと忘れてねぇよな? 何か不味ったか、俺?」

 

 少し不安を残す様な言葉を言いながら去っていく2人の後姿を見て完二は少し顔を引き攣らせながら呟く。そして2人とは真逆の方向に歩き始め、彼もまた情報を求めて動き始めるのだった。



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自称特別捜査隊 場所を掴む

今回はいつもの半分くらい……申し訳ないです。


 9月19日。放課後。この日、敬老の日で学校は休み。その為朝から悠達は零の情報を仕入れるために集まっていた。悠たちは既に直斗の情報については仕入れている。今回の事件にかなり執着し、警察と共に捜査していたにも関わらずその熱意とは裏腹に警察では子供扱いされていたとの事。その情報だけでもかなり直斗について理解が出来る悠たち。残るは零の情報のみなのだが、学校で零のことを知っているのは恐らく悠たちのみ。唯一の手がかりは今日辰姫神社に来る可能性がある零と意思を交わしていたと言うお爺さん。

 

 零の昔を知っている雪子・完二・りせとリーダーの悠の計4人にお爺さんの方を任せて陽介と千枝はそれぞれ再び彼方此方に聞き込みを開始する事を決定し、悠たちは辰姫神社に。陽介・千枝は別の場所に向かって行動を開始する。

 

 悠達が辰姫神社に辿り着けばすぐに何時もとは違う違和感を感じる。辰姫神社は無人だった時が長かったせいか、それとも零の存在が余りにも静か過ぎたせいで気づかれていなかったのか分からないが、非常に何時もと変わらない雰囲気であった。子供が遊んでおり、それを1人の老人が見ている。しかしその【何時通り】に悠達は少し違和感を感じてならなかった。

 

 子供を見ているお爺さん。恐らく目的の相手はあのお爺さんなのでは? と悠達は集まって話し合いを始める。と、お爺さんが小さく呟いたのが全員の耳に入った。「今日は居ないようじゃな」と言うお爺さんの呟きが。その呟きを聞き、その居ない相手が零のことであると4人はすぐに確信する。そして話しかけることにした。

 

「あの、すいません」

 

「? やや! 天城屋旅館の娘さんじゃな。零ちゃんとは再会出来たかの?」

 

「あ、はい」

 

 雪子が話しかければお爺さんは顔を上げた後、雪子の顔を少し見た後に質問する。雪子はその通りのため、答えると悠達を見た。やはり昔から一緒に居た存在ならば好印象。もしも悠・陽介・千枝の3人だった場合、零のことを聴いたとしても怪しまれる可能性がある。が、仲が良かったことを知っているならば変に怪しまれる可能性はほぼ0だろう。

 

「あの、姫ちゃんに付いて聞きたいんです。何か抱えてるとか、何か隠してるとか。何でも良いんです」

 

「むむ? それならば昔からの付き合いである主等の方が詳しそうじゃが……むぅ」

 

 お爺さんの言うことも尤も。昔遊んでいた雪子達の方が零については詳しいだろう。しかし現に零のことで分からないことがあるせいでこうやって情報を集めているのだ。悠たちの誰もが知らない零が居るのは確実。しかしお爺さんは悩み続けており、中々思いつかない様であった。そして全員が諦め掛けたとき、お爺さんが顔を上げる。

 

「零ちゃんのことでは無いのだがの、零ちゃんが引っ越した理由は主らも知らぬじゃろう。友ならば支えてやってくれると安心できるわい」

 

「姫先輩が引っ越した理由」

 

「姫先輩、俺達に何も言わずに居なくなっちまったっすもんね」

 

「何も言わなかったのではない。【言えなかったのじゃ】」

 

 お爺さんの言葉に悠以外の3人は首を傾げる。悠は3人に気を利かせて少し離れた場所で話を聞いていた。

 

「零ちゃんが引っ越したのは彼女の親父さんが亡くなっての。母親1人では生活が厳しいと感じたのじゃろう。叔母の住む実家の方に帰ったのじゃよ。じゃがの……母親のお姉さん。つまり零の叔母さんじゃの。は零ちゃんのことを嫌って居ったのじゃ。【災いの子】と呼んでの」

 

「! それってもしかして……」

 

「お嬢ちゃんの考えてる通りじゃよ。幼い頃から何度も言われて居たのじゃろうな。泣いている所を見たこともあったが主らと関わる頃には彼女は笑わなくなってしまったのじゃ。もしも彼女が叔母の場所にずっと住んでいたとすれば想像するだけでも怖いことが起こっていたじゃろうな。とうとう喋らなくなってしもうたのにはわしも驚いた。声が出ない……のかの?」

 

「そうでは無いみたいなんですが、姫ちゃん自身が喋ろうとしないんです」

 

 雪子の言葉を聴いてお爺さんは考えた後、「恐らく彼女にもう親族は居ない。支えてやってくれ」と言うと子供に声を掛けて辰姫神社を去って行ってしまう。黙り込んでしまう3人。悠はそんな3人を静かに見守りながらも近づき、いつでも話しに参加できる位置に移動する。

 

「私、気になってた。テレビの中に映るのはもう1人の自分で心にあるもう1つの思い何でしょ?」

 

「急にどうしたんだよ? そんなの今更……お、おい待てよ! それだと」

 

「そんな訳無い! だって姫ちゃんは……」

 

「でも姫先輩テレビで言ってた。【私の【死】についてを送る予定】って。【【死】によって【救われる】事を】って。思いたくないけどあの言葉の意味ってそうとしか思えないよ!」

 

「死ぬことで辰姫は何かをしたいのか?」

 

「ふ、ふざけんな! 死んだら何も出来ないじゃねぇか! 絶対、絶対に姫先輩は死なせねぇ!」

 

 誰も居なくなった辰姫神社で話し合い、出た結論に完二が怒りを爆発させて言う。そしてその言葉にその場に居る全員が頷くと、手に入れた情報を伝える為に陽介と千枝に連絡を取って集まることにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビの中に入り、再びりせに2人の場所を確認して貰う。と、りせは集中していた顔を笑顔にして「見つけたよ!」と大きな声で言う。が、その次に何かに驚いた様に「なに……これ」と続けた。そしてりせの作業が終わると全員はすぐにりせに駆け寄る。

 

「見つけたんだな!」

 

「う、うん。直斗君も姫先輩も。だけど……1箇所だけかなり遠くて、それで居て物凄く怖いの。何か、近寄っていい場所じゃないみたいな。入ったら無事では帰ってこられない見たいな。そんな雰囲気が」

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

 

「大丈夫でも大丈夫じゃなくても行かなきゃ助けられないよ」

 

「うん。でもあそこは後の方が絶対に良いよ。準備しても今の私達じゃ危険すぎると思うから」

 

「なら毎日入って特訓するっすよ! 良いっすね、鳴上先輩!」

 

「あぁ、来れる日は出来る限り来よう」

 

「ま、毎日クマか!? むぅ、これもヒメちゃんを助けるためクマ! 頑張るクマよ!」

 

 りせの忠告に完二は悠に言い、悠はそれに答えるとクマは驚いた後にその場で腹筋を始めながら言う。そして全員は頷き会うと悠に視線を向ける。悠はしばらく考えた後、「行こう!」と言ってりせに先ほど言っていた場所では無いもう1箇所の場所を目指して行動を開始するのだった。



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自称特別捜査隊 救助を開始する

 9月24日。午前。悠達は学生のため、どんなに焦っている状況であっても授業を受けざるを得なかった。授業を受けている悠達だが、その誰1人として集中できている者は居ない。それもその筈。今この時にも自分達の友である零がテレビの中に居るのだ。許されるのならばきっと授業を放棄してでも助けに行きたいだろう。

 

 だが、現実的にその行動を行うのは不可能だった。零が何の連絡もなしに無断で休んでいる事になっている学校で、今現在『零がテレビの中に入っている』と伝えて信じる者など誰も居ないのだから。テレビの中と言う存在を知っている悠達のみがそれを知り、悠達のみが零を救えるのだ。

 

 先生の話が普段よりも遠く感じる中、雪子は深めの溜息をつく。千枝はそんな雪子の後ろ姿を心配し、小さな声で「きっと大丈夫だよ」と雪子に伝える。少なからずその行動は雪子に元気を与えたようだ。そんな横での会話を横目に見ながら悠は片手でノートを取り、頭の中ではどうやって助けるべきかと考える。悠の背後に座っている陽介は隣の空席を見ながら考え事をしているようで、授業など一切耳に入っていない。

 

 零と直斗の救出を開始したその日、りせの言った通りに危険と思われる場所を後回しにして先に今までどおりに感じた場所に向かった悠達。そこは研究所の様な場所であり、悠達は現れる障害を排除しながら3日をかけて最奥にたどり着くことに成功した。そこに居たのは探偵王子こと【白鐘 直斗】だった。そこで悠達は直斗に関する【衝撃の事実】を知った後に救出に成功し、昨日は救出後と言う事もあってテレビの中には行かなかった。

 

 直斗の救出に成功した。それはかなり喜ばしいことである。が、同時に分かってしまったことが1つ。りせによって言われた危険な場所に居るのは間違い無く零であると言う事だ。悠達は今日の放課後、全員で行動を開始する約束をしている。だが今は授業中。焦る気持ちを抑えながら全員は放課後になるのを今か今かと待つのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備は良いか?」

 

 ジュネスのフードコートにて、悠達は集合していた。直斗は事件に巻き込まれたこともあって今現在は大事を取って学校を休んでおり、悠達のメンバーにも参加はしていない。が、最後に分かれた雰囲気などから今起きているこの事件を解決する者として仲間になる可能性は非常に高いだろう。

 

 学生が6人と着ぐるみ1体で集まっている光景は珍しい物の筈だが、何度も来ている+陽介が店長の息子と言うこともあって幸い不審に思われることはまず無い。そのため、周りに居る人々で常連さんなどは『またか』と感じるだけである。

 

 そんな中、自称特別捜査隊のリーダーである悠の言葉に全員が頷く。そしてそれを聞いたと同時に悠は座っていた席から立ち上がり、それと同時に全員も立ち上がる。向かう先は勿論テレビの置かれている売り場。周りに人が居ないことを確認した後、全員はテレビの中に入る。最初に見えたのは霧だらけの光景。それぞれがクマが作ったメガネを掛けてりせを見る。と、何を言われた訳でも無くりせは頷いて行動を開始した。

 

「……やっぱり凄く怖い。私は私と直斗君のしか見てないけど、こんな場所は多分……他に無いよ」

 

「抱えている物が大きければその分この世界で出来る場所は反映されて、危険になるんだったよね? じゃあ辰姫さんが抱えているのは」

 

 千枝の言葉に全員の中に浮かんだ言葉は【大きい】の1言。だがその事実を知っても尚、助けることを止めると言う選択肢は悠達には一切無かった。悠がりせに「教えてくれ」と言えばりせは頷いた後に歩き始める。場所の位置が特定できるりせのみが全員を案内出来るのだ。

 

 不気味な世界を歩き続ける悠達。最初にりせが言っていた通りに零の居るであろう場所は距離があり、数分歩き続けた末に徐々に景色が変わりだした事に気づく。先ほどまでのテレビスタジオの様な場所から一変、石が転がり、草が生い茂る野原のような場所に変わっていたのだ。そんな場所を更に歩き続けること数分、りせが立ち止まる。

 

「……こ、ここに……姫先輩が」

 

「おい、ここってどう見ても……あそこだよな?」

 

「【墓地】……だね」

 

 悠達の目の前に広がるのは何処からどう見ても死んだ者たちが眠る場所、墓地であった。

 

 墓地と言う場所は死者の眠る場所。夜などに入ればかなり怖い場所である。そしてここはテレビの中であり、その場所に周りの景色は反映される。結果、目の前に広がる墓地は非常に恐怖を感じさせる場所であった。が、全員はそれ以外にも違う物を感じる。

 

「何、これ」

 

「身体が重ぇ。! 何だよこれ、何で俺……震えてんだよ?」

 

 目の前の光景からは恐怖以外の何かが溢れ出ていた。それは決して目に見えるものでは無い物の、確実に悠達の心を震わせて居る。現に最初に言葉を発したりせは今現在、膝から座り込んでいた。彼女は最初にこの場所を見つけた時もこの感じを受け、座ってしまったのだ。それを直に受けてしまえば当然と言えるだろう。だが今回は前と違い、誰1人として彼女に駆け寄らない。いや、駆け寄れなかった。

 

 りせに続いて雪子がその場に座りこんでしまう。そしてそれを境にクマ、千枝、完二、陽介の順で座り込んでしまう。意識が飛んでいる訳では無い。が、その場から動くことの出来なくなってしまった仲間達の前には悠が1人立っていた。そんな彼も表情は非常に苦しそうだ。

 

「ま、不味いクマ……動けないクマ」

 

「姫ちゃんが……中に居るのに。こんな所で座ってるなんて駄目なのに!」

 

 背後から聞こえるクマと雪子の声を聞き、悠は座りかけていた身体に鞭を入れるように真剣な顔になると後ろに振り返る。横にはりせが。そして前方には座ってしまった仲間達。

 

「俺達が行かなければ、俺達がここで座っていれば辰姫は死ぬんだ。怖くても例えプレッシャーを感じても、俺達はここで止まる訳にはいかない。俺達の手で辰姫を救うぞ!」

 

 悠の言葉に座り込んでいた全員が顔を上げる。そして驚愕した。何故なら先ほどまで辛そうだった悠の表情が変わり、何時もの頼もしいリーダーの顔になっていたからだ。全員がそれを見て驚く中、陽介が突然笑う。

 

「言われなくても、わかってるっての! おい完二! こんな所で座ってたら大好きな辰姫さんが居なくなっちまうぜ?」

 

「な、何言ってんだゴラァ! 別に俺は姫先輩の事、す、すす、好きな訳じゃねぇ!」

 

「こんっの! ちょっと完二! その話、後で聞かせて貰う、からね!」

 

「クマの、ヒメちゃんは、誰にも、渡さないクマ!」

 

「姫ちゃん、は、クマ君の、じゃないよ? 誰の者でも無い、からね?」

 

「……あんた達、この状況で、よくそんな話が出来る、わね!」

 

 陽介が立ち上がりながら言った言葉に完二とりせが反応して立ち上がり、完二の言葉に反応したクマが立ち上がり、クマの言葉に反応した雪子が立ち上がる。そしてそんな光景を見ながら千枝が心のうちを大きく言いながら立ち上がり、全員はその場で再び立つことが出来た。それを見て悠は笑う。

 

「辰姫のことは本人が居る時に話せば言い。俺たちはその時を今日、作らなければいけないんだ。行こう、助けに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【死者の魂が誘う墓地】

 

 それぞれが立ち上がり、零を救出する決意を改めて深くした悠達。そんな彼らに襲い掛かるプレッシャーは既に意味を成していなかった。それ以上の思いがそれぞれにあるからだ。

 

 自分たちの武器などを手に進み続ける悠達。そんな彼らの目の前に突然異形が出現する。そしてその存在に逸早く気づいたりせが全員に敵の接近を警告。それぞれが応戦を始める。

 

「気をつけるクマ! ここの【シャドウ】はかなり強い筈クマ!」

 

「どんな奴が相手でもぶっ飛ばすだけだ!」

 

 目の前に現れる異形……シャドウを前に悠達は臆する事無く慣れた感じで戦闘を開始する。それもその筈。今までテレビの中に入ってしまった人を助ける度に何度もシャドウと戦闘を重ねてきたのだ。りせがサポートする中で敵の行動を考え、殲滅していくその様は既に高校生とは思えない。しかしシャドウの数は中々に多かった。

 

 と、突然雪子が全員に向かって「離れて!」と言う。と同時に雪子の目の前には1枚のカード。全員が離れた時、少し距離がある物の雪子の前方にはシャドウの群れ。それに怯える事無く雪子は目の前のカードを見た後、目を閉じる。

 

「おいで……コノハナサクヤ!」

 

 そして目を開けたと同時に言い、持っていた扇子でカードを叩いた。目の前にあったカードは割れた様な音と共に消え、代わりに雪子の背後に現れたのは人の姿に近いものの、明らかに人では無い異形……コノハナサクヤが現れる。コノハナサクヤは両手について繋がっている羽の様な物を使って舞うように動く。と、目の前に突然炎が出現。それは徐々に前方に移動し、目の前に居たシャドウ達を焼き払っていく。不思議な事に周囲は焼けず、焼けたのはシャドウのみ。

 

 コノハナサクヤは炎が消えると同時にその姿を消し、シャドウは既に1体も残っていなかった。それを見て雪子は息を吐くと後ろを見る。そこには呆然としている仲間たちの姿。その中で代表するかのように千枝が前に出る。

 

「ゆ、雪子? 何か威力強くなってない?」

 

「そうかな? 何時もどおりにやったんだけど」

 

 千枝の質問。それは先ほどの光景が今までと余りにも懸け離れていたからである。何時もは冷静な悠も先ほどの光景には驚いたのだろう。静かに「凄いな」と感想を漏らしていた。が、当の本人である雪子に自覚は無いようだ。それどころか「早く姫ちゃんを助けよう!」と言って歩き出す。そんな雪子を見て誰かが呟いた。『あれが愛の力?』と。

 

 そんな出来事がありながらも悠達は奥に進んでいく。最初止まってしまっていた時とは違い、走り始めた彼らは止まることを知らない。現れる敵を本当に蹴散らし、進み続けていく悠達の目の前に大きな墓石が現れる。この墓石は開くことの出来る扉となっていた。そしてりせがその墓石の向こうを探り、顔色を変えた。

 

「先輩! この先に居るみたい!」

 

「分かった。……行くぞ」

 

 悠はりせの言葉に頷き、後ろに立つ仲間達に言う。悠の言葉に全員は頷き、ゆっくりと開かれる墓石の向こうに視線を向けた。墓石の向こう。そこには少し広い円形の何も無い所に1人の少女の後姿があった。長く青い髪をした制服姿の少女は入ってきた悠達に気づくと振り返る。その顔は、その身体は紛れも無く【零】であった。だが違うことが1つ。目の前に居る零の身体から黒い何かが浮いているのだ。

 

「辰姫のシャドウ……か」

 

「……」

 

 悠の言葉に何も言わない零。と、何処からとも無く零はスケッチブックを取り出す。そして同じく何処からともかく取り出したペンで何かを書き始めるとそれを悠達に向けた。書かれていたのは『ようこそ』と言う言葉。そしてそこからは書かずにスケッチブックを捲り始める。

 

『ここは死者が眠る場所。死人はここで永遠の眠りにつく』

 

『死者が眠るここでの死はそのままあの世へ直結する』

 

『最奥にある死の台座。そこで私は生を終える』

 

「『生を終える』って、やっぱり姫先輩は死ぬ気なのかよ!?」

 

「駄目! 姫先輩が死んじゃうなんて、そんなの絶対に駄目!」

 

 捲られていくスケッチブック。そこに書かれていた言葉はこの場に居る全員を驚かせた。今まではテレビでの零が見せた字だけで予想していた内容だが、今。目の前でそれは確定してしまったのだ。思わず完二とりせが叫ぶ中、零のスケッチブックは止まる事無く捲られる。

 

『存在する事が罪ならば、死で全ては救われる』

 

『私の死は救いであり、皆にも知ってもらいたい』

 

『世の中には死による救いが存在し、それを求める者も居ることを』

 

 零は持っていたスケッチブックを下ろす。と同時に零の背後に静かに文字が現れた。それは零が行っている『番組』の題名であり、全員はそれを見て再度驚く。

 

【体験 罪となる存在に送られる死と言う永遠】

 

 字を読んで驚く悠達を尻目に零は背を向けると先に進んでいってしまう。雪子が零の名前を読んで行かせない様にしようとするが、そんな雪子と零の間にシャドウが割り込む。全員が武器を取り、戦いを始める中で零はその姿を消してしまった。

 

 シャドウを何とか倒した悠達は零が去っていってしまった方向を見る。先ほどの零が書いた言葉をそのまま考えるならば、この墓場の最奥に零は居る可能性が高いのだろう。全員それは分かっていたため、何も言わずに歩き出した悠に続く形で全員は歩き始める。まだ最奥までの距離は長い。




予定では零の救出編を次話で終了。色々な方が原作の悠達の行動に賛否両論な事から、もしかすると終わり方がお気に召さない方も居るかもです。が、とりあえずは決定して居ますのでご了承ください。

また、今まで零のペルソナの意見等。ありがとうございました。こちらも決定いたしましたので、次回をお楽しみに! です。


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自称特別捜査隊 救助に成功する

お待たせしました、今回で零の救出兼過去の話は【一旦】終了。今回の話で零に関する事とペルソナが明かされる訳ですが……正直な話、この話で読んでくださって居る人が離れて行くのではと怯えて居たりします。ですが零の特徴は書き始めた最初からこうする予定だったので、この先変える気が無い事をお伝えいたします。

ペルソナに関しては調べて考えて決まった結論ですので、何卒優しい目で見て貰える事を祈ります。では、どうぞ。


『全てあんたのせいだ! あんたが生まれたから……』

 

「今の……! もしかして姫先輩の記憶?」

 

 走っていた悠達の耳に突然聞こえた女性の声。その声に全員は足を止める。そしてその声の中に含まれていた言葉、【災いの子】と言う単語を聞いてりせが声を上げる。今この場でその言葉を知っているのはお爺さんと話をした悠・雪子・完二・りせの4人だけである。

 

 この場所は零の思いが形となった場所。今までにも雪子・完二・りせ。そして前回の直斗と言う順番で同じ様な場所に入っている悠達はここで稀に聞こえる声がこの場所を作った者本人の過去や思い出あることを既に理解していた。つまり今聞こえた声は零の過去又は思いなのだろう。内容からして前者だ。

 

『あんたが生まれてから家は不幸続きだ、その忌まわしい目を持ってきたせいで! っ! 泣くんじゃないよ!』

 

 再び聞こえる女性の声。その後に聞こえたのは何かを叩いたような甲高い音。映像が流れている訳では無い。が、聞こえた内容だけで悠達は何が起きたのか理解が出来た。しかしその内容に付いて疑問を持ってしまう。

 

「辰姫さんの目って、おかしかったか?」

 

「う~ん。普通に黒かったし、何にも……あ」

 

 陽介の言葉に千枝が考え始め、やがて何かを思い出したように悠を見る。思い出した内容は悠がと零が八十神高校に転校して来た日のこと。その日、零を誘おうとして誘うことの出来なかった千枝は雪子と共に悠を誘って帰る事になった。その時に悠は言っていたのだ。

 

『目の色が違う。横顔で見た時かなり印象に残ってるから間違いない。俺が見たのは【赤】だった』

 

『? でも私達が見た時両方とも普通に【黒】かったよ? 見間違いじゃない?』

 

 その時は黒かったこともあって見間違いで流した千枝。しかしここまで来て目の話となれば見間違いと言う可能性は限りなく低いだろう。悠もそのときのことを思い出した様子であり、陽介とクマだけが「何の話だよ[クマ]?」と聞いていた。が、悠と千枝は答える事無く知っているであろう雪子達を見る。その顔は……非常に暗かった。

 

「ねぇ、雪子達は知ってるんだよね?」

 

「……うん。姫ちゃんは」

 

 雪子が喋ろうとした時、突然耳鳴りの様な音が響き始めて全員は咄嗟に耳を塞ぐ。その音は少し続き、ゆっくりと耳から手を離してもう音が鳴っていないかを確認する。と、再び声が響いた。

 

『あんたが喜べば、怒れば、哀しめば、楽しめば、喜怒哀楽のどれかを見せれば誰かが不幸になるのが分からないのかい! あんたのせいで私は、私達は不幸続きだ! 早く、早く【死んでしまえ】!』

 

 その言葉が聞こえた瞬間、悠達の目の前に突然大きな扉が現れる。それは前回零が居た扉と同じであり、全員は顔を見合わせる。そしてクマが「この先に気配がするクマ!」と言えば、全員は再び大きな扉を見た。

 

「鳴上先輩、早く姫先輩を助けるッスよ!」

 

 完二の言葉に頷き、悠は目の前の扉を開ける。と、目の前に広がっていたのは前回と殆ど同じ様な場所。その中心にまた同じ様に後姿で巫女服姿の零は立っていた。

 

 悠達は駆け出し、零の背後に着くとほぼ同時に零を呼ぶ。そしてその声にゆっくりと振り返った零は……今までと違った。髪や顔は一切変わらない。身長などが変わった訳でもない。唯1つ違うのは……【目の色】であった。

 

 悠達から見て左目。零からして右目の瞳は透き通る様に綺麗な色をした赤い角膜に濃く真っ赤な瞳をして居た。しかし良く見ればその目の中の周辺。球結膜と呼ばれる場所に巴を描く様に薄く柄が映っている。悠が見たのはこの瞳であり、勾玉の様な絵柄は色のみを見たために気づかなかったのだろう。だがそれよりも驚くのは逆の目だ。

 

 悠達から見て右目、零からして左目の瞳は普通の人の反対である黒い角膜に白い瞳孔であった。それも普通の瞳とは違い、まるで猫の様に角膜が非常に小さく鋭い印象を受ける。そして左目と同様、球結膜には巴を描く様に薄く柄が。誰でも思ってしまうだろう。【気味が悪い】と。【怖い】と。

 

「私は、災いの子。辰姫に伝わる悪しき瞳を持つ者」

 

≪っ!≫

 

 突然【喋った】零に悠達は驚く。陽介は「こんな声なのか!?」と驚くが、その他全員は唯々驚いていた。今まで喋ったところを見たことも無い人物が喋る。その光景は驚愕以外の何者でも無いだろう。

 

「私は心を持つことを許されない」

 

「そ、そんな事無い! 姫ちゃんは感じて良いんだよ!」

 

 零の言葉に雪子が否定をする。と突然零の背後に現れる黒いオーラ。それは徐々に大きくなり、全員を威圧し始める。そんな中でその光景を見てクマが驚きの声を上げた。

 

「っ! ど、どういうことクマ!? このヒメちゃんも【シャドウ】クマ!?」

 

「なっ! じゃあこの姫先輩はさっきの奴と同じ奴なのか!?」

 

「ど、どう考えても違くない?」

 

「辰姫のシャドウが……2人?」

 

 クマの言葉に驚く中、悠の言葉を最後に零がゆっくりと自分の手を前に出した。と同時に大きな突風が全員を吹き飛ばす。背後の扉は閉めたわけでも無いのに閉まっており、全員は背を打つようにして墓石や扉に飛ばされる。そして突風を出した零は無表情のまま真っ暗な空を見上げて小さく何かを呟いた後にその背後にある今までの中で一番大きな扉に向かい、あける事無く透けるように消えてしまった。

 

「だ、大丈夫! 皆?」

 

「な、何とか生きてるけどよ……」

 

「何だったか訳がわからないクマ……」

 

 痛みを堪えつつ、全員は立ち上がる。そしてお互いがお互いを労わりながら零の消えた扉の目の前に立つ。大きな扉を見て悠達が何かを感じることは無い。が、りせとクマは別であった。

 

「前回の比じゃ無いくらいの圧力クマ」

 

「多分一番奥。この先に、きっと姫先輩が居る」

 

 その言葉に悠は前に出ると振り返って全員を見る。何も言わなくてもその内容が分かる仲間たちは静かに頷き、悠はそれに頷き返すと目の前の大きな扉に手を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

≪辰姫[さん]!≫

 

≪姫[ヒメ]ちゃん[先輩]!≫

 

 扉の開けて入った悠達の視界に飛び込んだのは【2人の零の前に立つ私服姿の零】と言う驚愕の光景だった。2人の零の背後には黒影が立ち上り、1人の零の背後には何も無い。つまりその零こそが正真正銘、本物の零であった。

 

 零は突然呼ばれた事に驚いたのか、無表情ながらも後ろを振り返る。今までの零は何の反応も無かったのに対して本物は少しとは言えやはり反応がある。そのことが悠達を少しだけ安心させた。

 

『やっぱり来てしまった』

 

「拒絶した筈の存在」

 

『呼ばれて驚いた』

 

「殺しきれない感情」

 

 突然本物の零の前に居た2人の零が交互に話し始める。片方はスケッチブックを捲り、片方は零の姿に似合わず流暢に言葉を話す。そして悠達はその光景を見続け、言われている零は……無表情に自分の姿をした2人を見続けていた。

 

『生きて居たくない私は』

 

「心を持つ事を許されない私は」

 

『死ぬことを望み』

 

「感じない事を選んだ」

 

 交互に喋り続ける2人の零。それを聞いて本物の零は変わらず無表情を貫いていた。が、その肩が少し震えだした事に気づく。

 

『私は死にたい。だけど唯で死ぬのは違う』

 

「私は感じたい。だけどそれは許されない』

 

『あの人は言った、誰かの【犠牲】になれと』

 

「あの人は言った、何も無い【人形】になれと」

 

「……ぃ……ゃ」

 

『犠牲になれない私は死に場所を探し』

 

「人形になれない私は他者を拒絶し』

 

「……ぃや……」

 

 徐々に震えを大きくし。首を横に振りだした零に雪子とりせが助けに入ろうとするが、それを完二が手を2人の前に出して止める。それは前回の直斗の時と同じ行動であり、今度は言わなくても雪子とりせは止まる。ここでとめてしまう訳には行かないのだ。

 

『それでも死ねない私はやがて』

 

「それでも感じる私はやがて」

 

≪私自身に蓋をした≫

 

「……いゃ……そうじゃ……そんなんじゃ……無い。……私は……私は」

 

≪否定するの? でも無駄。貴女のことは何でも分かる≫

 

「……私は……」

 

≪だって【私は貴女】だから≫

 

「! 嫌……違う……違う! 私は……私は! 嫌ぁぁ!」

 

 2人の零の言葉に普段の零からは想像の付かない取り乱し方をして頭を抑えて蹲ってしまう本物の零。そしてその言葉を聞いて2人の零の背後にあった黒い影が大きくなる。

 

『そう、私は私。こんな弱虫なんかじゃない』

 

「自分の事すらまともに分からない私なんか私じゃない! そんな私は!」

 

≪消えれば良いんだ!≫

 

 黒い霧は瞬く間に膨張し、2つの影は一つに交わっていく。そして片方が心臓の様になるともう片方が鎌を持った何かになり、2つが1つになる。その姿を一言で表すなら【死神】だろう。だがその心と思われる者が徐々に変色し始め、最後には青紫色になってしまう。鼓動は一切せず、その身体はどこからとも無く鎌を出現させた。つまり【心無き死神】と言った所だろう。

 

≪我は影……真なる我……≫

 

「りせ、辰姫を頼む!」

 

 その姿を見たと同時に悠は非戦闘員であり、サポートを常にこなしているりせに指示を出す。りせはその指示に直ぐに「了解!」と返事をすると、気絶してしまっている零を抱き上げた。まさか出来るとは思わなかったのか、「姫先輩、軽すぎ」と若干元気をなくしたりせだが直ぐにその場から離れる。そして去っていった零を追おうとした心無き死神基零の影の目の前に悠達が割って入る。

 

≪死にたい。心が欲しい、私の邪魔……しないで!≫

 

 間に入った悠達に向けて鎌を振り上げる零の影。それを合図に悠達の戦いは始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 零の影は鎌を大きく振りかぶると横に一閃する。と同時に衝撃波の様な物が振るった場所から発生し、悠達に襲い掛かる。それは悠達に直に当たったわけでは無いが、その目の前を大きく抉った。見ただけで恐怖する光景だ。

 

「あ、あんなのに当たったら一溜まりも無いぜ!?」

 

「だったらもう1度来る前に速攻で叩き潰せば良いって話っスよ! 来い! タケミカズチ!」

 

 光景に陽介が驚く中、完二は怯む事無く目の前に手を突き出すとカードを出現させる。そしてそれを握る形が破壊すると同時に現れたのは巨大な身体に骨の絵柄をつけた巨人。その手には黄色い雷を描いたような物を持ち、完二が殴る様に手を前に出すと零の影に向かって全身。その巨体に似合う豪腕を振るう。が、その攻撃は当たったと同時に完二に【跳ね返った】。

 

「な、何今の!?」

 

「りせちゃん! そこからで良いから解析を!」

 

「了解!」

 

 千枝が驚く横で見ながらも雪子は冷静にりせに声を掛ける。現在りせは零を守るようにその部屋の端に立っており、戦闘に参加はせずに守りに専念している。もしも襲い掛かられた場合、この場に居る全員が零を死守するだろう。そんな状況でもサポートは可能なのか、りせも完二と同じ様にカードを出現させて破壊すればその背後に現れたのは女性だった。しかしその女性に顔は無く、代わりに大きなアンテナの様になっている。

 

「ヒミコ、お願い!」

 

 女性……ヒミコはりせの目の前に自分の手を翳す。その手は何かの画面になっており、りせはそれを視界に入れながら言えばアンテナから何かを受信するような光景が悠達には見えた。と、「嘘!」と驚く声をりせは上げる。

 

「物理、火、風、雷、氷、光、闇。全部……反射」

 

≪はぁ!?≫

 

 りせの言葉に全員が声を上げる。りせの言葉を簡単に説明するならば、攻撃手段の全てが反射されてしまう。と言う事である。唯一【万能】と言う属性があるのだが、今この場でそれを使える者は居ない。それはつまり悠達に【攻撃の手段が無い】と言う事である。何も出来ないのだ。

 

「せ、センセイ! 危ないクマ!」

 

 クマの声に悠が零の影を見れば鎌を振り上げている最中。急いでその場を動くと今度は確実に悠の居た場所に衝撃波が着弾した。クマの言葉が無ければ命は無かっただろう。

 

≪どうして死なせてくれないの! 何で感じちゃいけないの! 私は拒絶するしかないの? 分からない、分からないよ≫

 

「全てを拒絶していると言う訳か」

 

「冷静に分析してる場合じゃないでしょ!」

 

 零の影の言葉に理解する悠。だが千枝が言ったとおり攻撃手段が無い現状で零の影を悠達が倒すのは難しいだろう。と、突然零の影が新たな動作を見せる。青紫色となった心臓の様なそれを身体から抜き出し、目の前で翳し始めたのだ。するとその心臓の周りに紫色の光が生じ始める。それを見て何をするかは分からない物の、全員は何となく嫌な予感を感じた。そしてそれは現実になる。

 

「っ! 皆伏せろ!」

 

 紫色の光が大きく輝くと同時にその心臓を中心として大きな波紋が一度広がる。と今度はそれに連なるように衝撃波が発生、それはその部屋全てに広がったために悠達に逃げ場は無かった。咄嗟に悠が判断したものの、その衝撃波は全員の身体を吹き飛ばす。言葉通りに伏せたものは転がり、伏せることが出来なかったものは背中を壁に撃つなどしてダメージを受けてしまう。

 

「な、何だよ今の!?」

 

「姫ちゃんは!?」

 

 完二がぶつけた背中を押さえながら立ち上がる一方、咄嗟に伏せて転がる事になった雪子は零を見る。そこでは苦しそうな表情を浮かべるりせの姿。恐らく身を挺して守ったのだろう。だが今にも倒れそうであり、実際に肩膝を突いてしまう。が、苦しそうな顔を浮かべながらりせは声を上げた。

 

「先輩! さっきの技をもう1度使ってきた時が勝負みたい! あの心臓、全部の攻撃に弱いよ!」

 

「じゃああれが弱点って事!?」

 

「へっ! 希望が見えてきたってか?」

 

「次の攻撃まで頑張って耐えるクマ!」

 

 りせの言葉を聞いて勝てる可能性が出てきたため、再び立ち上がる全員。そしてその光景を見たと同時にりせはやり切った様にゆっくりとその場に倒れてしまう。それを見て悠が直ぐに向かおうとするが、完二が「俺が行くッス!」と言って2人を守るために移動する。よって実質零の影と戦う人数は悠・陽介・千枝・雪子・クマの5人。

 

 それぞれは次の攻撃が来るまで必死に攻撃を避け続け、そのときが来るのを待ち続けた。そしてしばらくした時、待っていた時がやって来る。

 

「っ! 今だ! 全力で叩き込むぞ!」

 

「おうっ!」

 

「任せて!」

 

「この一撃に全てを賭けて!」

 

「決めるクマ!」

 

≪ペルソナ!≫

 

 悠の言葉に答えた4人。そして全員が一斉に目の前にカードを出現させてそれを壊す。と、それぞれの背後に様々な異形が姿を現した。零の影は自分の心臓の様な物にまた紫色の光を溜め始めている。それを止め、終わらせるために5人は動いた。

 

「行くぜ、ジライヤ!」

 

 陽介の背後に現れたのは細い手足を持ったまるで忍者の様な姿をした異形……ジライヤ。陽介の言葉と同時にジライヤは一気に心臓の目の前に行くと風を起こし、その中に乗るようにして連続で斬りつける。素早い身のこなしでの攻撃は心臓に小さな傷を作った。

 

「トモエ、お願い!」

 

 ジライヤが攻撃を終えると同時に今度は千枝の背後に現れた女性の姿をし、両剣の様な物を持った異形……トモエが入れ替わるように攻撃を加える。蹴りや両剣を使った連撃で小さな傷が少し大きくなる。

 

「行って、コノハナサクヤ!」

 

 ジライヤ同様にトモエが後ろに下がると同時に雪子とコノハナサクヤの目の前には非常に大きな火の玉が浮いていた。そしてトモエが下がったのを確認したと同時に持っていた扇子を前に突き出す。コノハナサクヤも同じ様な動作をし、それを合図に火の玉はその心臓に着弾。燃やし始める。

 

「ゴー! キントキドウジ!」

 

 傷つき燃える心臓を見ながら今度はクマの背後に居たクマの様に丸く大きな異形……キントキドウジがその頭上にロケットの様な物を出現させる。そしてクマが思いっきり心臓に向かって指を指せばロケットを持ったキントキドウジは大きく上に上がり、そのロケットを思いっきり投降。大爆発を起こす。流石にその攻撃は大きかったのだろう。今までのも合わさって心臓に大きな亀裂が入り、零の影が大きくよろめく。

 

≪死にたいだけ! 感じたいだけ! 邪魔な貴方達を消したいのだけなのに! どうして……≫

 

 燃え盛る火の中で吼えるように言う零の影。傷ついた心臓を仕舞おうと動き出した時、燃える火が大きく揺らめく。そして爆発の煙の中から突然悠と男の姿をし、鉢巻の様な物をつけて薙刀を持った異形が姿を見せる。その異形は心臓が仕舞われる前にその薙刀の刀身を深く、深く突き刺した。

 

「これで……終わりだ! イザナギ!」

 

 悠の言葉と同時に異形……イザナギは薙刀を刺したまま大きく上に切り上げ、流れる様に横一線に心臓を切り裂いた。ゆっくりと切り裂かれた心臓から紫色の光が出現する。それは衝撃波を放つ前と同じ光景。だが衝撃波が放たれることは無く、心臓がガラスが割れる様に破壊される。と同時に零の影はゆっくりと元の姿に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「唯、感じたいだけなのに。なんで」

 

 倒れ付す2人の零の片方が呟き続ける中、何とか倒すことが出来たことで安心した悠達はこの後に何時もある出来事を思い出して気絶していたはずの零を見る。零は既に起きており、同じく起きていたりせに手を伸ばされて立ち上がっているところであった。

 

「っと。大丈夫っすか、姫先輩」

 

「ちょっと完二! 何ドサクサに紛れて姫先輩に抱きついてんのさ!」

 

「はぁ? どう考えてもこれは、って叩くんじゃねぇよゴラァ!」

 

 かなりふらついて居る様子で零は前に倒れかける。それを咄嗟に完二が支え、その光景が完二が零を抱きしめている様に見えなくなかったりせは完二の背中を叩き始めた。当然怒る完二だが、零は再びしっかりと自分の足で立つと歩き始める。自分と同じ姿をした2人の元に。

 

「……」

 

「人形であれと言われた通りのことも出来ない! なら、私はどうすれば良いの?」

 

「辰姫。過去に何があったか俺たちには分からない。だけど俺たちは、辰姫の笑顔が見たいんだ」

 

 未だに呟き続けるもう1人の自分を見ながら零は黙っていた。そしてそれを見て悠が喋ると背後に居た全員が同意するように頷く。それを見て零は小さく頷き返す。そして倒れて呟き続けている自分の目の前に立つとしゃがみ込み、その手を掴む。と同時に無理矢理起こして自分の身体でその身体を抱きとめた。

 

「……私は……感じたい……笑いたい……楽しみたい……喜怒哀楽が……欲しい」

 

 綺麗な声で零が小さく囁く様に言ったその言葉は静かなこの場ではこの場に居る全員に聞こえた。そしてその言葉の内容を聞いて零の過去などを知っている雪子とりせは思わず泣き出し始め、完二は小さくガッツポーズを取った。悠の様な零の過去を知らない者達もその言葉に思わず小さな笑みを零していた。が、次の行動に全員は驚く。

 

 零は突然同じ様にスケッチブックを無くして意思を伝えられなくなってしまったもう1人の自分も起き上がらせて同じ様に抱きとめる。そして先程よりも小さな声でそのもう1人に何かを呟くと深く抱きしめた。今度は何を言ったのか悠達の誰も認識出来ない。

 

 言葉を聞いた2人の零は突然光り始めると同時に消えてしまう。そして零の目の前に2つの顔を持つ蛇の様な姿をした異形が現れた後、ゆっくりと1枚のカードが舞い降りてくる。そのカードは赤黒い背景にカンテラの様な物と大きな目が描かれた少々気味の悪い絵柄のカード。番号はⅨと描かれている。

 

「……アンフィス……バエナ」

 

 そのカードを手に取った零は無意識にその名を呟く。そして2人の自分が消えたことで立ち上がり、振り向いた零の視界に映ったのは笑顔で迎える仲間たちと……怖い顔をした悠の姿。それを見てゆっくりと1歩踏み出した零は突如浮遊感に襲われる。零には訳も分からず、微かに聞こえた自分を呼ぶ声を最後にその意識を手放すのだった。




次回からは再び零を中心に進める予定です。


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辰姫 零 平和な日常に戻る 【前編】

気付いたらお気に入りが1000を超えて居た件。書いて居る作品の中では群を抜いてこの作品が人気な様で……頑張りたいとは思う物の、話は浮かぶのに文に出来ないもどかしさ……苦しい物です。とりあえず早く出来る様、努力致します。


 9月26日。午前。零の救出を成功させた悠達は昨日、学校が休みなこともあって個別にそれぞれが楽しい休日を過ごした。そして学校がある今日は何時もと変わらない日常を送るために学校に登校していた。

 

 一昨日の授業中では零がテレビの中に居ると言う現状があったために一切集中が出来なかった悠達。だが今ではその問題も解消され、もう安心といえる状況になった今ではしっかりと授業を受け続けることが出来た。そして

 

「私、お昼休みになるのが今日は少し何時もより早い気がする」

 

「直斗君も姫ちゃんも助けられたから授業に集中出来るんだよ、きっと」

 

「かもね。……? 鳴上君、どうしたの?」

 

 お昼休み。千枝が大きく伸びをして言えば雪子が微笑みながらそれに返す。その表情は安心したからか、非常に優しかった。元々人気が大きかった事もあり、周囲で雪子を見ていた数人が溜息を付くほどに。が、そんな事は雪子に取って一切関係も無く、気づく様子も無い。

 

 千枝はそんな光景に若干苦笑いしながらふと隣に居る悠に視線を送った。そこに居たのは難しい顔をした悠の姿。無事に助けることが出来たのは喜ばしいことであり、決して難しい顔をする必要がないと思っていた千枝は質問をする。しかし悠は「少しな」と返すだけで内容を説明しない。すると背後に座っていた陽介が立ち上がる。

 

「何だよ相棒、無事に助けられたんだしよ。万事解決だろ?」

 

「……本当にそうなのか?」

 

 陽介の言葉にしばらく黙った後に言う悠。その一言で3人は思わず固まってしまった。と言うのも悠がふざけて【助けたのに実はまだ何かある】と思わせることを言うとは思えなかったからだ。そして彼の考えていった言葉は中々に当たっていたりする。結果、『本当にそうなのか?』と言った彼の言葉を流すことなど当然出来ないのだ。

 

「な、何だよ? どう言う意味だ?」

 

「確かに直斗は助けられた。自分の心に秘めた思いを受け入れて。辰姫も同様に思いを受け入れた訳だ」

 

「うん。でも、今までと変わらないし。何もおかしくなんか」

 

「……嘘。まさか、嘘だよね!?」

 

 悠の言葉に千枝が困惑する中、突然悠に詰め寄るように黙っていた雪子が声を上げて言う。余りに突然の事に陽介と千枝は更に困惑する中、悠は唯冷静に言い放った。

 

「辰姫には2つ、思いがあった。物事を感じたい、感情が欲しいこと。そして……【犠牲と言う形で死ぬ事だ】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。午後。まだ時間は学校で授業がある時刻。辰姫神社の縁側には1人と1匹の姿があった。そして1匹は1人の横に座り、丸まったまま何も動く気配を見せない。同じ様に1人も外に足を出して座ったまま、顔を下げて何かを読み続けている。

 

 突然本を読んで居た1人……零がその本を閉じると手を伸ばした。その先は1匹……キツネだ。突然撫でられた事に驚くように耳を立てて身体を起こすキツネ。しかし零は無表情でそのキツネの身体に触れると優しく動かして撫で始める。

 

 キツネは抵抗する素振りを見せない。零の瞳は何時もの黒と違い、今まで隠されていた本来の瞳がキツネを見つめていた。そしてキツネも零を見つめ続けそんな状況が数分続いた後、零は再び本を読み始めてしまう。キツネはやはり何かをするわけでも無く、零を見続けた後に丸まって再び同じ体制になる。

 

 零がここに居る理由。それは今現在、零が休学しているからであった。テレビの中から戻ってきてまだ2日。常人では危険な場所で危険な事に巻き込まれていたのだ。直ぐに授業などに出ては身体が持たないだろう。そのため、零は数日間学校を休む事にしたのだ。因みに直斗も同じ様に現在学校を休学している。

 

 唯静かに本を読みながら時間を過ごす零。気づけば数分。数十分。数時間と経過し、学校の終わる放課後となっていた。そしてそれが意味することがある。

 

 突然インターホンの音が響く。その音に零は一瞬肩を上げ、直ぐに静かに立ち上がると玄関に向かって歩き始める。と同時にキツネは静かにその場から居なくなり、外の何処かへと行ってしまった。

 

「姫セ~ンパイ! 遊びに来たよ!」

 

 玄関の扉の向こうから聞こえるのはりせの声。零はその扉に手を掛けてスライドさせる様に扉を開ければそこには制服姿のりせ。恐らく学校から真っ直ぐここに来たのだろう。鞄も持っている。

 

「良かった! ちゃんと居てくれて。もう何処かに言っちゃわないでね?」

 

『気をつける』

 

「……声は、出さないの?」

 

 一度居なくなったこともあり、零の姿を見て喜ぶりせ。それに零が紙に書いて答えるとりせは質問をする。事件のこともあって声をこれから出すと思っていたのだろう。だがりせの質問に零は静かに頷いた。声を出す気は無さそうだ。

 

「え~。私、姫先輩の声大好きなのに」

 

 残念そうに言うりせを気にする様子も無く、零はりせに紙で『中に入る?』と聞くとそれを見て笑顔でりせは「お邪魔します!」と答えた。零はりせに背を向けて神社の中に再び入っていき、りせは開いている扉を閉めて同じ様に中に入る。零が居なくなった後も家具などが変わっている訳では無い為、りせが八十稲羽に戻ってきたときに泊まった風景そのままである。

 

 声を発さない零と2人っきりである以上、会話が成立することを最初から期待してはいけない。それをしっかり分かっているりせは今日あった学校での出来事などを話し始める。零は無表情ながらも何か他の事をすることも無く、りせの話を聞き続けた。と、りせが思い出した様に「授業は大丈夫なの?」と質問する。が、それに零は静かに頷き返すと『完璧』とだけ書いて答えた。

 

「何か姫先輩、頭良さそうだし本当に大丈夫かも。……あっ! じゃあ姫先輩! 私に勉強教えて!」

 

 それだけで納得したりせは突然そんな提案を始める。その後に小さな声で「個人授業……ふふふ」と笑っている事に零は気づかず、少し黙った後に『平気』と答えた。それはつまり了承されたと言うこと。

 

「やった! じゃあ、今日の宿題を『教えるだけ。自分でやる』……は~い」

 

 喜んで鞄を開けてノートを取り出したりせに突き出すように紙を見せることでその紙の中身を強調する。りせはその内容に少し残念そうな顔をした後に勉強をするためにテーブルの上にノートを広げ、宿題の部分と思われる内容を始めた。そしてそれを見て零は立ち上がるとりせの横に座り、ノートを横から見るような体制になる。が、零が横に移動したタイミングでりせの字を書く手の動きは停止していた。

 

「?」

 

「ひ、姫先輩って結構大胆……いや、そんな思いが無いのはわかるけど……やっぱり、あ、うぅ」

 

 ぶつぶつ呟き続けるりせ。その内容が分からずに零はもう1度首を傾げるが、りせは気が気では無かった。まず自分の横に零が座り、同じノートを見るために顔を近づけたのだ。同じノートを見るという事はつまりかなり接近する訳でもあり、2人で共有する様に見るのでは無くあくまでりせの勉強を覗き込む様に見ようとした事もあって零の顔はりせのほぼ直ぐ側に迫っていた。それこそ顔を回せば何処かが当たるのでは無いかと思える程の近さ。

 

 普段は自分から色々なことを言っているりせだが無意識とは言え零から接近して来た事には対処仕切れなかったのだろう。顔を真っ赤にして下を向いてしまう。と、今度は零が何を思ったのかりせの顔を上げるとその額に自分の額を接触させた。

 

「ひ、ひひ姫先輩!? な、ななな何を!?」

 

「……熱……無い」

 

「あ、声……し、幸せ」

 

 驚くりせに声を出した零。今の位置では紙を書けない事や書けても見せられないことからこの時だけ声を出したのだ。だがそれはりせに取って止めの一撃の様に襲い掛かり、処理する事が出来なくなったりせはそのまま所謂オーバーヒートを起こして気絶してしまう。勉強を教えようとしたのに倒れてしまったりせに零は無表情ながらも1人で首を傾げるとしばらく何もせずにその場に居た後、りせをそのまま寝かしてタオルを掛けた。

 

 零は立ち上がるとキッチンのあるであろう場所に移動する。そして零はりせを寝かせたまま夕飯の準備をするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もし誰かが危ない目にあった時。今の辰姫なら何をするか分からない。最悪自分の身を挺してでも庇う』

 

 放課後になって雪子は一度自分の家である天城旅館に帰った後に仕事をお願いをして休ませて貰い、零の住んでいる辰姫神社に向かって急いでいた。運が悪い事に旅館のスクーターは全て出払った後。そのためバスを使って稲羽中央通り商店街の南側に着いた雪子はその足で走って辰姫神社に向かっていた。

 

 曇り空で今にも雨が降りそうな天気の中、辰姫神社の鳥居に辿りついた雪子は迷わずにその神社の中に続く玄関の元に行くために裏側に回る。そしてインターホンを鳴らした。

 

「……出ない。まさかもう!」

 

 しばらく待っても誰も来る気配すら無い神社の中。それになんとも言えない恐怖を感じた雪子はその扉に手を掛けて横に動かす。と、鍵が閉まっていなかった様でその扉は普通に開いた。今零は休学中であり、外に出ているならば鍵を掛けるのが普通。中に居るならばインターホンを押した時点で出てくるのが普通である。

 

「姫ちゃん!」

 

 雪子はその開いた扉から焦りながら神社の中に入ると部屋の1つ1つ見ていく。リビングまでは4部屋ほどの部屋があり、その全てに誰の姿も無かった雪子はやがてリビングの扉の前にたどり着く。そしてその扉を急いであければテーブルや本棚の置いてある場所。キッチンからは笛の様な大きな音が響き、部屋の中は非常に煩かった。そして雪子は部屋を見ている最中、見てしまった。【テーブルの向こうに倒れている人影】を。

 

「ひ、姫ちゃん!?」

 

 雪子は急いでその場に向かう。と、そこには人が倒れていた。タオルが顔全体に掛かっており、出ているのは細い足のみ。それを見て雪子は膝から崩れ落ちてしまう。そして手を震えさせながらそのタオルに手を伸ばしてゆっくりと、ゆっくりとそのタオルを捲る。最初に見えたのは【茶髪】。

 

「え?」

 

 雪子がタオルを全部捲ればそこには眠っている【りせ】の姿。雪子は訳も分からず放心状態となってしまい、しばらくその場で呆けていた。と、煩かった笛の様な音が止まる。そしてキッチンから何事も無い様に左胸辺りに花のアップリケを付けたピンクのエプロンしている零が出てくる。最初零は何故か何時の間にかに入っていた雪子を見て無表情ながら驚く。そして寝ているりせを見てしばらく考えた後、雪子の近くに立った。

 

 零の姿を見て雪子が驚く中、零は静かに紙に書いて出す。そこには『寝襲?』と言う言葉。世の中にそんな言葉は無い物の、雪子には何が言いたいのか直ぐに分かった。と同時に立ち上がると零の方を両手で掴む。

 

「違うからね! 姫ちゃんが思ってるようなことは絶対に無いから!」

 

『でも雪子、りせが余り好きじゃない』

 

「そんな事……ってあれ?」

 

 全力で否定する雪子に揺らされながらも執筆で速筆に書いたその内容に雪子は少し困惑する。雪子の頭の中では【寝襲】と言う言葉と【りせが好きじゃない】と言う言葉。それを考えて雪子は理解する。零の言った寝襲とはそう言う行為では無く、言わば命を狙う行為の方なのである。

 

 雪子が翌々思い返せば零の目の前でりせと言い争うような時や張り合うときが何度かあった。その殆どが零絡みだが、零が気づいて居ない以上。2人の仲が悪いと感じてしまってもおかしくないのだ。それに気づいた時、雪子は少し恥ずかしくなってしまう。が、冷静に対処するために口を開いた。

 

「インターホン鳴らしても出なくて、扉が開いてたから中に入ったの。そしたら部屋に人が倒れててタオルで顔は見えなかったから姫ちゃんだと思って……でもりせちゃんだったんだね。? 何でりせちゃんはここに?」

 

『遊びに来た』

 

 悠の言葉を聞いて急いできた雪子と違い、その事実に気づいて居ないりせだがそれでも自然に零のところに足を運んだのだろう。雪子には何となく分かる気がし、「そっか」と返す。と、突然轟音と共に部屋が揺れる。空を見れば既に雲りを通り越して大雨。雷もなっていた。

 

『夕飯食べてく』

 

「え? あ、うん。ちょっと電話して良いかな? 伝えなきゃ」

 

 雪子の言葉に零は頷くと再びキッチンに戻っていった。雪子は零に言ったとおりに天城旅館に電話を掛け、その後に零の手伝いをするために行動を開始した。そんな中、雪子の頭の中には悠の言葉が繰り返されていた。

 

『俺たちに出来ることは辰姫が受け入れた思いを前の辰姫の様に否定することじゃない』

 

「受け入れた姫ちゃんを変えていけば良いんだ。私達が」

 

 大事な友であり、大事な人である零を守るため。雪子は誰も答えないことを分かっていて尚、自分に言い聞かせる様に静かに呟くのだった。



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辰姫 零 平和な日常に戻る 【後編】

 10月3日。朝。まだ学校に復帰していない零は神社の外を誘拐される前同様、何時もの格好で何時もの様に掃除していた。目はしっかりとコンタクトをして本来の姿を隠している。八十稲羽に住む一般市民にとって、この目こそが零の普通と言う認識なのだ。故に零は1人の時や知っている人物以外に目を見せる気は無い。そして何よりも、普通に人に目を見せる事に零は不安を感じてしまうのだ。

 

 既に木々には紅葉が存在し、まれに落ちてきてはその紅葉を箒で一カ所に集める。そんな事を繰り返すうちに零の目の前には紅葉の山が出来上がってしまう。葉っぱなどが沢山落ちるこの時期は掃除をし続けても終わりが見えないのだろう。かと言って他にやることも無いのか、静かに箒で掃き続ける零。普通の生徒や子供は幼稚園や学校に行っている時間帯のため、商店街などに居るのは大人のみ。時間もまだ朝な事もあって人気は少なく、偶に吹く風の音しか零の耳には聞こえない……筈だった。

 

「おはようございます」

 

 突然の声に零が視線を向ければそこには小柄な帽子をかぶった少年……白鐘 直斗が立っていた。直斗もまた、誘拐された人物の1人であるために学校にはまだ復帰していなかったのだろう。零は直斗が自分と同じように誘拐されていたことを既に悠達によって教えられていた。故に零が最初に直斗に見せた紙に書かれていたのは『体は平気?』と言う心配する内容。直斗はそれを見て少し笑う。

 

「えぇ、僕は大丈夫です。辰姫さんこそ僕と同じ様に誘拐され、救出された時期は僕よりも後。体は大丈夫なのですか?」

 

 直斗の質問に零は静かに頷いて答えると止めていた箒を再び動かし始める。既に箒で掃いた場所の数カ所にまた紅葉が落ちており、動かすたびにそれは山の中へと移動していく。それを見て直斗は心の中で『幾らやっても今は無駄なのでは?』と考えてしまうも、それを口に出すことは無かった。

 

「今日お伺いしたのは僕たちが誘拐された事件について、少しでも聞いておきたかったからです。お邪魔をするつもりはありませんので、よろしければ誘拐される直前の事で何か覚えていることなどはありませんか?」

 

 零は直人の質問に動かしていた箒を再び止めてそれを脇に挟むと服の内側から紙とペンを取り出して書き始める。何かがあるのかと直斗は真剣だった顔をより深くし、その動作が終わるのを待つ。そして見せられた紙に書かれていたのは一言。

 

「【チャイムが鳴った】……ですか。他には何かありませんか?」

 

 書いてあった内容を見た直斗は少し黙った後に聞くが、零自身も覚えていることはそれだけの様で首を横に振った。当然のことながら零が嘘をつく理由も無いため、これ以上聞いても無理なことはすぐに分かる。故に直斗は「そうですか……」と静かに呟く。そして出来るのは……零が居る事で1度は発生する静寂の時間。直斗も事件の話が終わってしまった今、話せる内容が思いつかない……のでは無く、事件について考え始めてしまったために神社は静寂が何時までも続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っと、いつの間にかこんな時間に」

 

 深く考え出すと止まらないのか、直斗が気付いた時には既に1時間ほど時間が経っていた。零は未だに終わらない掃除をしており、1時間経ったぐらいでは人気が増える事も無い。

 

 直斗は掃除をしている零を少し見た後に溜息をつくと「また学校でお会いしましょう」と一言行ってその場を立ち去ろうとする。しかし直斗の言葉と同時に零の動かしていた筈の箒の掃く音が止み、それに気付いた直斗が振り返ればそこには紙に何かを書いている仕草をしている零の姿。直斗はそれを見て少し待つことにした。

 

『あなたは自分を認めた。だからここに居る』

 

「……はい、そうですね」

 

『でも周りは傍に変化があれば興味を持つ。それが相手に嫌な思いをさせても』

 

「……」

 

『負けないで』

 

「!」

 

 最後の紙に書かれた言葉に驚く直斗を尻目に零は再び掃除を再開し始める。雰囲気からもう何かを伝えようとする気は一切なく、直斗はそんな零の後姿を見続けた後に小さく「ありがとうございます」とお礼を言うとその場を立ち去る。商店街を歩き、バスに乗るためにバス停の前で直斗は止まると空を見上げる。雨雲など一切ない快晴。それを見上げながら何も無いにも関わらず、直斗は静かに微笑んだ。

 

「……辰姫さん……不思議な方ですね…………自分は自分」

 

 その言葉を呟くと同時にバスが到着し、直斗はそのバスに乗車する。悠達の活躍によって今まで無意識に伏せていた心を知り、彼……いや、【彼女】と言う存在はまた1人救われ、仲間に加わるのだった。

 

 一方その頃、学校では未だに空席になっている席を見て静かに溜息をつく存在が居た。

 

「どうしたら姫ちゃんの思いを変えてあげられるんだろう?」

 

「内容が内容だからな……全然思いつかないよ! なんてな!」

 

「……寒い」

 

 休み時間になっている教室では悠達2年生組が集まって話をしていた。昼休みの様な長い時間ではないため完二達1年生組は教室には来ていない。次の授業の準備も特に移動と言った類でなければ教科書などを用意するのみ。故に悠達は話を始める。

 

 雪子の一言から始まった話に自信満々に返す陽介だが、そんな彼の言葉が雪子のツボにはまることは無く静かに返される。余程自身があったのか、陽介の背中は誰が見ても沈んでいた。悠はそんな陽介の背中を優しく叩いて慰める。

 

「誰かの為になる死に方……そんなの本当にあるの?」

 

「例えば事故が起きる時に誰かを庇って、とかそう言った感じじゃねぇの?」

 

 千枝の質問に沈んていた陽介が答える。が、それを聞いて雪子は「そんなの救いでもなんでも無いよ」と言えば全員の間に静寂が支配した。陽介の言った例え。想像だけでは勇気のある行動なのかも知れないが、実質その【後】を考えれば辛い物が待って居る。もしも誰かが誰かを庇って死ぬようなことがあれば、死んだ周り。そしてその庇われた本人が『自分のせいで』と思っても不思議ではない。一見美しい物も、中には何があるかわからないのだ。

 

「とにかく辰姫に関しては気に掛けるべきだろう」

 

「だな。別に仲が悪いって訳じゃ無いし……何とかなるだろ」

 

「うん、何とかする。……最悪どんな手を使ってでも……ね」

 

 雪子の言葉に悠達3人は固まる。しかしそれに気付くことなく雪子はぶつぶつと何かを呟き始めてしまい、その内容に全員は冷や汗をかかずには居られないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。放課後。既に八十神高校の生徒も帰宅を始める中、零は朝と変わらず神社を掃除していた。そしてそんな零の近くにはキツネも居り、せっせと落ちている紅葉を一カ所に集めている。利口過ぎる気もするが、零が気にする様子は無かった。

 

「姫先輩! 遊びに来たよ!」

 

 箒を動かしていると、零に向かって声が掛かる。振り返らなくてもそれがりせだと分かるのは顔見知りである以上にその声を聴きなれているからである。故に振り返らずに紙に何かを書くとそれを見せた。そこには『何も無い』の言葉。つまり『ここに遊びに来たところで、何もありません』と言いたいのだろう。が、りせはそれを見て「甘いよ!」と言うと零の前に仁王立ちする。そして大きく天を指さした。

 

「姫先輩がそこに居る! それだけで私がここに来る理由に値するんだよ!」

 

 元アイドルだからか、行動の力強さは誰よりもある。天を指して言い放ったその言葉の強さに知らない人でも『なるほど』と思ってしまうくらいだ。だが、残念なことに零には伝わらなかったのか首を傾げるのみ。りせの言葉はそのまま【零に会いに来ている】と言っているのと同義。それが伝わらなかったため、りせは大きく脱力した。

 

「姫先輩ってラノベの主人公並に鈍いんだった……」

 

 静かに呟いて零を見れば、再び箒を動かし始めていた。笑顔などでは無い物の、無表情に箒で地面を掃く巫女服姿の零。その光景はりせの中で神々しく、それでいて素晴らしい物であった。そして無表情なところを見て思い出す。テレビの中であった出来事で零が言った言葉を。

 

『……私は……感じたい……笑いたい……楽しみたい……喜怒哀楽が……欲しい』

 

「……そっか、鈍いとかじゃ無いんだ……」

 

 沢山の事を知っているようで知らなかったりせ。しかし今回の出来事で確実に零との距離が近くなったことを感じていた。そして今出た答えにまた1つ、近づけた気をりせは感じた。

 

 零は元々感情と言う物を押し殺していたのだ。だがそれは今回の件で一種の解放を迎え、零は零なりに感情を殺すことを止めた。それでも中々笑えないのは今まで笑っていなかった事もあるが、大きい理由としては2つ。1つは表情を変えずに何年も何年も過ごしてきたせいで、顔の筋肉が固まってしまっていると言う身体的理由。もう1つは今まで殺し、無視してきたせいで感情事態に慣れていないと言う精神的理由である。

 

 前者も後者も治すのには大きな時間が掛かるだろう。だがその現状を理解した時、りせの心の中に浮かんだのは逃げる事では無い。受け入れ、これから何があっても零を笑わせよう。そしていつか笑い合おうと言う思いであった。

 

「あわよくば一生……きゃ!」

 

 少し下心が混じっているが、とにもかくにもりせの心は更に燃え上がる事となった。そしてまずは今まで以上にスキンシップを取る事を決めると、零が動かしている箒を掴んで「姫先輩!」と大声で零の顔を見る。何故か掃除を中断されたことに零は怒るような表情は勿論、素振りすら見せずに首を傾げた。

 

「今夜、一緒にご飯食べに行こ!」

 

 りせの言葉に零は少し止まる。固まっているのではなく、考えているのだろう。そしてしばらくした後、静かに頷いた。それは了承の意を示している訳であり、りせはそれを理解すると箒から手を離して零に背を向けて少し猫背になる。結果、零からは見えない位置でりせは力強くガッツポーズを取る事が出来た。

 

 夕食の約束を取り付ける事に成功したりせは零に「私も手伝うからね!」と言って、箒を神社の中から取って来る。何故ある場所を知っているかと聞かれれば、昔から内装の変わらない神社の中は既にりせの頭の中で完全に把握されているからである。故に掃除道具が置かれている場所など目を瞑っても辿り着けるのだ。

 

 始める前に電話で家に夕食を外で食べる事を伝えるりせ。その後、零と同じように制服姿で掃除を始める。りせの頭の中では現在、零と一緒に掃除が出来る喜びと何処で食べようかと言う事で一杯であった。掃除自体はそこまで好きな部類では無い物の、【零と一緒】と言う部分が付くだけで心境は大きく変化する。それほどにりせの中で零は大きな存在なのである。

 

「ジュネスは花村先輩が居るかもだし……う~ん」

 

『愛屋』

 

 箒を動かしながら考えるりせに零は紙を見せる。まさかのリクエストにりせは驚くが、零自身が行きたいと思ったのならりせの中で断る理由など皆無。笑顔で「決定だね!」と頷いて掃除を再開した。

 

 現在の時刻は16時40分。まだ夕食には早い。故にりせはこの後、しばらくの間零と共に掃除をすることとなった。夕食の時間は早くてもやはり18時以降がベストだろう。1時間ほど掃除をし続け、手などを洗う。そして準備が出来た零は行こうとする。が、その恰好は巫女服のまま。りせは「その恰好で行くの?」と聞いた。

 

『何時もこのまま』

 

「え!? 姫先輩って1人で食べに行ったりするの!?」

 

 零はりせの言葉に静かに頷いた。実は零。初めて悠達と行った時以前や以降にも愛屋には何度も行っているのだ。零の姿を始めてみる人に取っては巫女さんが居る光景に驚く事だろう。だが既に【稀に巫女服の少女が居る】と言う事は愛屋の中では可笑しく無い事と化していた。それは零がここに戻ってきてしばらく立っているために、辰姫神社に住んでいることが既に普通の認識となっているからでもある。最初は新鮮でも、慣れればそれが普通となるのだ。因みにリアルに巫女を見たいと言う理由でお客が偶に来るため、愛屋事態は迷惑どころか感謝しているのだが、当然零が知ることは無い。

 

「それじゃあ、レッツゴー!」

 

「……ごー」

 

「ぶはっ!」

 

 思わずりせは元気よく振り上げた手を下げてむせてしまう。それもその筈。殆ど喋らない零があの事件以降、2人だけの時などに極稀に声を出すようになった。それだけでも当然大きい事であり、今は2人しか居ない為にそれ自体は何の問題も無い。嬉しい限りである。が、無表情&棒読み&スローで【りせと同じように拳を上げる】その動作にりせは不意打ちを受けたも同然。思わずその可愛らしい光景にダメージを受けてしまったのである。

 

「ひ、姫先輩……それは……反則、だよ」

 

 息も絶え絶えになりながら口では無く鼻を抑えて真っ赤な顔で言うりせ。しかし理由が分からない零はやはり首を傾げるしかないのであった。



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辰姫 零 事件を知る

 10月6日、昼休み。零は久しぶりの今日、学校に登校していた。しばらく休んでいたために普段よりも浮いた存在となっていた零。唯でさえ喋らず、無表情の零は当然の事乍ら人付き合いが殆ど無かった。あるとすれば悠達との関係のみだろう。

 

 現在は昼食の時間。屋上で1人、食事を取る零はやはり隅っこに座っていた。唯静かにお弁当を開ける零。が、そんな彼女の横に誰かが座る。と同時に反対側にも誰かが座った。その人物を確認するためにゆっくりと顔を上げれば、そこには花の咲いたような笑顔を浮かべる雪子の姿。反対には苦笑いを浮かべる千枝が座っていた。お互いに両手でカップうどんとそばを持っていた。

 

「あはは、何時も1人でしょ? 偶には一緒に食べようって雪子がね。私も話したかったしさ」

 

「姫ちゃん、何時も居なくなっちゃってるから。あ、それ姫ちゃんの手作り?」

 

 千枝がここに来た理由を説明すれば、雪子が一瞬で表情を変えて悲しそうに言う。と同時にまた表情を変え、零の開いていたお弁当に気付いた。中に入っているのは定番の品ばかり。しかし出来ている物を入れている様には見えず、千枝もその中身が手作りなのだと考えるのに時間は掛からなかった。

 

 本来簡易食品で済ませる筈の食事も、雪子が家に来て確認などをする様になって早数か月。既に零の中で食事を作る事は毎日の行動に入る様になっていた。それは身体に取って素晴らしい事であり、雪子は言わずとも自分で食事を用意している姿に満足そうに嬉しそうに頷く。もうその行動はどう見ても母親だろう。

 

「1つ食べて良い?」

 

 雪子の言葉に零は頷いてお弁当を差し出す。その姿にお礼を言い、中身を1つ食べる雪子。と、ここで零は聞かれていないにも関わらず千枝にもお弁当を差し出した。「あたしも!?」と当然驚く千枝。しかし零はお弁当を下げることは無く、雪子はそんな姿に更に微笑み始める。どう考えても断れる雰囲気では無い。まぁ、現状。千枝に断る理由も無いので特に問題は無いのだが。

 

「えっと、じゃあ1つ……う、美味い……」

 

 少し戸惑いながらもお弁当の中身を1つ取り、口の中に居れれば千枝はダメージを受け乍ら言う。美味しく無かった訳では無い。唯単に、想像以上の味を受けて見えない大きな壁を感じてしまったのである。が、当然そんな感情を知る由も無い零は自分の食事を開始する。その頃には2人のカップ麺も出来上がっていた。

 

 美味しい物を食べたせいもあり、お腹を更に空かせた千枝は待ってましたと言わんばかりに食事を始める。そんな最中、千枝は何となく前回も同じ様な事があった事を思い出す。そう、食事の最中に雪子が零に食べさせていたあの出来事を。まさか、まさかと思いながら口に麺を含んで箸で押さえたまま首を横に向ける。そこには想像通り、雪子が食べさせようと行動する光景があった。

 

「はい、お返し」

 

「?」

 

 目の前に箸で挟まれたうどんを見せられて首を傾げる零。が、すぐに理解したのか特に気にする様子も無くそれを口に居れた。先ほどから笑い続けている雪子。その笑顔に千枝は眩しさすら感じてしまう。しかしそんな見ているだけの存在で居たかった千枝は雪子と目が合ってしまう。その目に宿る意思は言わずもがなである

 

「(駄目?)」

 

「(駄目)」

 

 目で質問し、目で即答される千枝。零は我関せずと食事を進めるが、そんな零の前方で向かい合う視線での会話。どうにかして逃げたい千枝を雪子は逃がすつもりは無いらしい。何時もの雪子ならば優しくやって欲しい等と言う願望形で言うだろう。だがこの時の2人の中だけでの会話では命令形である。どうやら決定事項の様だ。

 

 深く溜息をつく千枝。その様子は諦めた者であり、雪子は興味津々と言った表情で麺に手も付けずに2人を見守っている。そんな雪子に見守ら(監視され)れながら千枝は溜息とは違う大きな息をはくと、麺を箸につまんで「辰姫さん」と一声。零は顔を上げた。

 

「あ、あーん」

 

「?」

 

 雪子同様に首を傾げる零。だがまた同じように理解するとそれを口に入れた。そしてそれを噛み始める零。前回同様、まるで餌付けをしているかのようなこの状況に千枝は落ち着かない。故にそばを思いっきり啜り、気付く。今口の中に入っている箸は先程零の中に入っていた物。前回は気付かずに使っていたが、今回はそれに気付いた。いや、【気付いてしまった】。

 

 思わず咳き込む千枝に雪子は「大丈夫!?」と驚く。と、零が何も言わずに千枝の背中をさすり始めた。徐々に収まる咳と苦しさに千枝は零にお礼を言うと落ち着くために大きく息を吐く。そして雪子を見れば……何の問題も無い様にその箸でうどんを啜っていた。その光景に千枝は何となく想像がついていたために、そこまで驚くことは無い。が、その行動の勇気には若干引いて居た。

 

『伸びる』

 

「へ? あ、だね。ありがと」

 

 思考を飛ばしてボケっとしていた千枝は目の前に見せられた紙に驚いた後、持っていたそばを見る。結構な時間が経っているため、そろそろ伸び過ぎてしまうかも知れない。意を決して千枝はその箸でそばを食べ始める。その味が僅かにいつもより美味しい気がしたのは千枝の気のせいなのだろう。気のせいであって欲しいと千枝は願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、零はジュネスのフードコートの席に座っていた。理由は1つ。零も巻き込まれた今回の事件について話をするためである。故にこの場に居るのは零だけでは無く、零を救った悠達自称特別捜査隊のメンバーと零同様に救われた直斗の計9人の大所帯である。

 

 まず最初に直斗が話し始める。最初にチャイムが鳴り、急に後ろから掴まれて薬の様な物を嗅がされたと言う。後者については分からない物の、零も殆ど同様の手口であろう。しかし直斗は最初から攫われる気で居たために、心の準備が出来ていた。その結果、薬の効果は薄く意識があったと言う。その事にクマが褒めるも、最初から自分を囮にしていたことに完二は良い顔をしない。自分を顧みない行動は決して良いとは思えないからである。

 

 犯人は体格的に【男】であり、【テレビに落とされる間が短かった】。この手がかりは今現在無い物であり、それ自体は収穫だろう。そして今回、零と直斗がテレビに落とされたと言う事実から悠達が前回捕まえた犯人と思われる高校生。【久保 美津雄】は今回の事件の犯人では無いと言う事が明らかとなった。

 

 ここまで話をしていた時、静かに零が手を上げる。突然の行動に全員の視線が集まる中、零は紙に書いて見せた。そこに書いてあったのは今まで思って居た事だろう。

 

『説明して』

 

 その文を見て全員がハッとする。今この場に居る中で今回、事件に巻き込まれたのは直斗と零の2人。当然知っていた者達は事件の内容を知り、直斗もまた同じように追っていた人間。だが零は違う。今まで何事も無いかの様に事件が起きたとしても平和に過ごしてきていたのだ。説明が無ければ【真犯人】だの久保だの言われたところで当然分かる筈がない。故に零には必要なのだ。事件の始まりからこれまでの出来事に関する【説明】が。

 

 悠達は今までの出来事の説明を始める。その中にはりせが居なくなった時のも含まれており、一時居なくなった事に僅かながら心配した経緯を零は思い出す。突然帰ってきていたが、今回の説明でその理由も理解。やがて全容について分かる様になり、『もう平気』と言う紙を見せたところで説明が止まる。頭が良い事が幸いし、理解するのに時間はそう掛からなかった。

 

「では話を戻しましょう」

 

 直斗の言葉で全員は話を戻す。今までに計3人の人間が死亡し、その全員が高い所でぶら下げられると言う状態で発見。3人目であるモロキンは久保の模倣犯である事から残りの2人は別の犯人がおり、その犯人はまたこれからも誘拐していくことは明白であった。そして次に浮かぶ疑問は、久保が犯人でなければどうやってテレビの中の世界を知ったのか? と言う物。直斗がその疑問に「直接聞ければいいのですが、僕は既に警察から外れた身」と帽子の鍔を抑え乍ら言う。【警察】と言う言葉に、全員は難しい顔を浮かべる。

 

 テレビの中での出来事を話したところで、それを経験している者でなければ当然信用してくれないだろう。そして現状、久保はモロキンだけでなく他の2人も殺した犯人として世間に知れている。警察の信用として、【真犯人が居ました】などと軽々しく言える物では無いのだ。組織故の短所。直斗が外れた、いや、外されたのもその事を訴えたからだと言う。そしてその言葉に千枝は驚き、完二は怒りを露わにした。

 

 ここまで話をしていた時、陽介が直斗の冷静な姿と捕まってしまった事実を考えて疑問を抱く。それだけ冷静ならば、捕まえる事は無理でも後ろから簡単に捕まる様な事は可笑しいんじゃないかと? 探偵王子と言われる程の名探偵なのだ。思うのも無理は無い。そして直斗はその質問に顔を伏せながら言う。

 

「あ、あの……正直言うと……結構怖くて」

 

 予想外の返答だったのだろう。何時もの冷静な直斗と違い、今の直斗は純粋に怖がる乙女の様。その姿に雪子は自分達も捕まった事や、直斗が下級生の女の子であることを理由に仕方が無いと言う。陽介はその言葉にハッとした表情を浮かべる。今まで纏める様に凄まじい頭脳で会話をしていた存在が、年下の女子だと言うには僅かながら違和感があるのだろう。今まで男と思って居ただけにそれは大きい。故に言いにくそうに「忘れちまうんだよな」と言いながら直斗を見る。見られた直斗は何を言われるのかと思いながら陽介を見返した。

 

「な、なんですか?」

 

「……とんでる【お嬢さん】だな」

 

 言われた言葉に直斗は咳払いをすると無理矢理話を戻す。直斗自身、今回の事件の本当の姿を見えたところで一切引く気は無いのだろう。故にリーダーである悠を見て「僕にも協力させてください」と志願。

 

「もちろんだ。よろしく、直斗」

 

「……はい!」

 

 固い握手をしながら悠の言葉に元気よく返事をする。これで事件の内容についての纏めに関しては大きく終了。直斗も仲間となり、一先ずは一件落着……では当然無い。今の今まで会話をせずに静かに眺めていた零に当然全員の視線が言った。今まで見ているだけだったため、突然中心になった事に零は首を傾げる。分かって居ない様だ。

 

「ヒメちゃんは、一緒に犯人探すクマ?」

 

 クマの質問に零は何も言わずに黙り込む。先ほども同様、直斗の様に事件に大きく関心を持って過ごして居たわけでもなんでもない零はいきなり巻き込まれたも同然。悠と陽介は最初から。千枝は雪子を助けるために始め、雪子は自分が恨まれる理由を知るために。完二も同じく自分を入れた犯人を捕まえるため、りせは皆を助けるために。クマはテレビの中に住んでいたため、最初は中の平穏を取り戻すために。現在は皆と一緒に過ごすためにとそれぞれがそれぞれの理由で集まったのがこの自称特別捜査隊である。

 

 雪子は零を見ながら「無理しなくて良いんだよ?」と声を掛ける。事件の内容を聞いている時点でテレビに映った人が攫われると言う内容も聞いていた零。それはつまり恨みでは無いと言う事も分かる。誰かを助けるためと言う理由で悠達の様にすぐさま行動を起こせる訳でも無く、正義感と言う物をまだよくわかっている訳でも無いために今分かる事は危険な事に首を突っ込むか? と言う事ぐらい。零はしばらく考え込んだ末に答えを書く。その答えに誰かが何かを言うことは無い。唯単純に、零と言う存在の安全を考えるならばそれが一番であるから……。



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辰姫 零 精密検査を受ける

 10月7日。放課後。既に荷物を鞄に入れ、後は帰宅するだけの状態にしていた零はHRを終了すると同時に今まで以上のスピードで帰宅しようとする。が、そんな零の目の前に予想したように雪子が立ち塞がった。道の塞がれた零は固まり、目の前で微笑んでいる雪子を見る。当然訳が分からない悠達は目の前の光景に驚いた。

 

 零はまず確認する。雪子が目の前の道を塞いでいて、その先には教室の出入り口が1つ。場所は現在教室の後方であり、前方側にある出入り口に人の姿は無い。それに気づくのと零が行動を起こすのはほぼ同時のことであった。が、雪子は既に予測して居た様に追うこともなく向かった先の扉に視線を向ける。そして

 

「りせちゃん!」

 

「ふふ、姫先輩捕まえた!」

 

「!」

 

 雪子の声と同時に登場したのはりせ。彼女は扉から出てきた零を待ち伏せしており、目の前に零の姿を捉えるやすぐにその身体に迷い無く飛び込んだ。勢いをそのままに飛び込んだため、その威力は非常に高い。故に零は大きく尻餅をついてりせの身体をその身で受け止めることになった。

 

 地面に強打したために非常に痛かった筈だが、零は普段どおり表情1つ変える事は無い。それどころかすぐに目の前にいるりせに意思を伝えようとするが、取り出したメモを持った手はりせに掴まれた。零が止めたりせの顔を見れば、「書かなくても姫先輩のことは分かるから!」と笑顔で答えた。

 

「な、何さ? 今の」

 

「あ~。昔から姫先輩には嫌いな物があるんすよ」

 

「……病院か」

 

 目の前で行われている光景に驚きながら言った千枝の言葉に、いつの間にか来ていた完二が答える。そしてすぐに悠は完二の言った言葉の意味を理解することが出来た。それもその筈。これから零も含め、悠達全員は病院に行くことになっている。それは直斗の提案であり、テレビの中に入ることが出来ている全員の身体に何か異常が無いかを調べると言う物。当たり前の様に入っていた場所だが、未知の場所であることは間違い無いのだ。

 

 悠の答えは少し外れており、その実。零が嫌いなのは病院ではなく【検査】。それを理解していたことで、雪子はりせと協力して零の捕獲を行ったのだ。結果、無事に零は捕まった。

 

 嫌だと首を振って意思を示す零だが、りせはそんな姿の零を見て「嫌がる姫先輩も可愛い!」と少し危ない発言をする。と、雪子がすぐに零に近づいてりせを離すとその腕を掴んで逃げられない様にする。りせも一時離されたが、すぐに反対の腕を掴み、2人は視線で火花を散らしながら零の腕を組んで歩き始める。喧嘩をしていても病院に連れて行く目的はしっかり果たそうとしている様だ。

 

 零は2人が連れて行く。そう判断した悠達も準備をした後に、追うようにして直斗が予約したと言う病院に向かう事にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院に着いた零は強引に部屋へと連れて行かれることになった。順番が来るまで離しては貰えず、強制的に検査を受けることとなった。内容は唯単に問診や身体測定等の良くある事をするだけの簡単な検査。終った後は当然ながら抵抗も何もなくなったが、今の今までの零の姿からよっぽど嫌いなのだと悠達は理解することが出来た。そしてそれと同時に思うことが1つ。

 

「何か、本当の辰姫さんを見てるって気がするよな」

 

 陽介の言葉に思わず全員が頷く。逃げ出し、嫌がる。今の今まで見ることの出来なかった零のその姿は新鮮であり、その上で見れたことに喜びを感じた事は不思議なことでは無い。今現在も掴まれた腕を完全に放置して本を読み始めて居る零の姿に思わず微笑を浮かべてしまう悠達。と、診察室の中から直斗とクマが出て来たことで全員の視線がその2人に集まる事になった。

 

 クマの正体はクマ自身は分かっておらず、今回の検査で何かが分かるかもと期待をしていた悠達。が、結果として分かったことは【何も分からない】ことであった。レントゲンを取る等の事もしたが、出来た写真に写ったのは何も映っていない写真だったとの事。つまりいくら検査をしたところで無意味と言う事である。

 

 クマの正体が分からないと言う事実を理解したとき、完二は徐に自分達の力……ペルソナについての疑問も持ってしまう。直斗の理解しているペルソナは心理学用語にある言葉だが、非現実的なことが起きている現象の説明にはなり得なかった。故にペルソナもまた、分からないものである。

 

 理解できない、得体の知れないものを扱うと言うのは非常に怖い物である。だがその力で人を救い出せているのもまた事実であり、悠達は怖くともそれを使って行くしかない。その事に少しばかり暗い雰囲気を出していた時、クマが徐に紙を取り出す。そして楽しそうに言い放った。

 

「みんなの検査結果、ドキドキの大発表クマ!」

 

 その言葉に男子勢は少々、女子勢は大きく反応した。それもその筈。検査の中には身体を調べるものもあり、結果として自分の身体についての数値も出来ているのだろう。それを発表されるのは女性である限り嫌に決まっているものである。

 

 最初に発表されそうになったのは一番足の短い人。陽介は自信が無いのか発表されることに焦り、どうせなら女子のスリーサイズをと希望する。それは女子勢にとって一番発表されたくない内容。アイドルだった故に公表しているりせは別とし、千枝と雪子はそれを阻止しようとする。

 

「? 姫先輩は嫌じゃないの?」

 

『興味ない』

 

「そっか……だったら見ても問題ないよね!」

 

 発表される。そんな状況でも座ったまま本を読んでいた零にりせは質問するが、零は知られたところで特に気にしないのか書いて見せる。そしてそれを読んだりせは少し考えるような表情をした後、嬉しそうにクマの持っている紙を覗き込もうとする。が、その前にクマの手にあった紙を雪子は掴み取るとその場で一瞬にして粉々に破り捨てる。思わず雪子を見た全員は固まってしまう。

 

「ふふふ、流石に限度があるかな? かな?」

 

「ひっ! とうとう雪子が壊れた!?」

 

「あ~あ、分かると思ったのに……今度私が直に測れば良っか」

 

 恐ろしいほどのオーラを放つ雪子に千枝は叫ぶ。目は虚ろになり、紙を持っていたクマは一瞬にしてその威圧感だけで沈められる。が、そんな雪子を相手に普段どおりの雰囲気で当たり前の様に言うりせにその場に居る全員がある意味で凄いと感心してしまう。しかしそんなりせの言葉に雪子は反応すると2人は端で取っ組み合いを開始する事になった。

 

「……破いてしまって大丈夫だったのか?」

 

「もう必要は無かったので問題はありません」

 

「おい悠、直斗。あれは放置か!?」

 

「触らぬ神に祟り無しっすよ、花村先輩」

 

 バラバラになってしまった紙を拾い集めながら悠は直斗に質問する。同じ様に拾い集めていた直斗はそれに冷静に返答し、2人は掃除をして行く。何事も無い様に行動する2人に思わず陽介が言うが、そんな陽介の言葉に完二が答えると悠たちに混ざって掃除を始める。この後、病院の人に煩いと注意されるまで喧嘩は続くのだった。そしてりせと雪子が離れた零は病院でのやることも終えていたために、知らぬうちに帰宅しているのだった。



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辰姫 零 ライブの練習をする

 10月8日。放課後の屋上に全員は集まって居た。何時もの如くまっすぐ帰ろうとした零だが、そんな零も含めて全員を陽介が切羽詰まった様子で大事な話があるから屋上に来て欲しいとお願いし、今に至る。

 

 既に冬の寒さを感じる様になってきた現状、非常に冷たい風が吹くために屋上に居る全員は寒さを堪えながら陽介が来るのを待つ。しばらくした後に陽介は姿を現した。そして陽介は大きく息を吸うとこの場に居る全員に手を合わせて言う。今週末を開けて欲しいと。そしてその言葉に直斗は「中止になった稲羽署のイベントが関連しているのですか?」質問すれば、陽介はその体勢のまま頷く。

 

 直斗の言った稲羽署のイベントと言う物が分からなかったため、千枝が質問をすれば直斗は答え始めた。その内容は明後日である日曜日に【真下 かなみ】と言う女性アイドルが一日署長をすると言うイベントが計画されていたと言う物。しかし先程の会話から、その計画は潰れてしまったのだろう。りせはその名前を聞いて少し暗い表情になり、同じ事務所のアイドル故に何か思うところがあるのだと全員が理解する。

 

 陽介の父親が店長をやって居るジュネスではそのイベントに便乗したセールを開催する予定であった。が、そのイベント自体が中止になってしまったためにこのままでは準備なども無駄になってしまい、非常に不味い状況だと説明。警察事態も直斗の失踪などがあって忙しく、報告が遅れたのだと直斗は説明した。少し責任を感じている様子の直斗だが、それを陽介は否定して全員にお願いをする。『準備などを一緒に手伝ってほしい、そして元アイドルのりせに何かをしてほしい』。と。

 

 りせはかなみの代役をやらされると言う事に一瞬不満そうな顔をする。しかし陽介の状況は非常に悪く、父親の雰囲気からクビの可能性と転校の可能性を呟けばりせは少し考えた末に高校生での肩書で出来ない事以外ならと了承。しかし条件としてこの場に居る全員が一緒にそのイベントに出る事を提案した。

 

「……一緒に出るって」

 

「スカウトとか来たら困る」

 

「ジュネスと専属契約してるから困る」

 

『巫女の仕事があるから困る』

 

「いや、困り方が可笑しいだろ。ってか何か普通に姫先輩馴染んで来たっすね」

 

「良い事だ。で、俺達はどうすれば良い?」

 

 千枝がりせの言葉に困惑すると、雪子・クマ・零の順番でコメント。思わず完二はツッコミを入れ、悠がそれに付け足しながらりせに自分達の役割について質問した。歌を歌うりせが分かったところで、男子勢は何をするべきなのか。本職を経験しているりせが決めるのが一番だと思ったのだろう。りせはすぐに「バックバンドだよ!」と答える。

 

 バンドと言う言葉に陽介が無理だと主張。練習どころか楽器を普段から触ってすら居ない人間に、2日でバンドを出来る程の能力を付けるのはかなり大変だろう。しかし直斗はピアノの経験があるらしく、キーボードをやると主張。自分も中止報告が遅れた原因の1つ故に責任を感じて居る直斗のその言動に陽介も腹を括る。

 

 乗り気になった陽介に、これまた乗り気になった雪子も宴会用の何かがある筈だと言う。徐々に希望が見えて来たイベントの内容にりせはバンドの雰囲気がある曲を探しに、その他のメンバーは楽器と演奏を練習する場所を探すことにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。音楽室にて吹奏楽部の楽器で余った物をかき集めた悠達。目の前にある楽器の山を見てどうするべきかを考え始める。楽器があったところで経験が無ければ難しいだろう。それぞれが徐に楽器などを手に取ったりして出来るかどうかを判断したりする。そしてやがてそれぞれがそれぞれの楽器を手に取る事になった。

 

 【悠・ベース】。【陽介・ギター】。【千枝・トランペット】。【雪子・サックス】。【完二・ドラム】。【クマ・ドラム】。【直斗・キーボード】。と、殆どのメンバーが楽器を取る中。零だけは未だに何も取らずに居た。人数がそこそこ居る結果既に必要そうな楽器などは揃って居る為、これ以上何かを付ける必要性も無い。が、それでも参加しないと言う事をこの場に居る全員は絶対に許す気は無かった。

 

「はい、ヒメちゃんはこれクマね」

 

 クマは片手に2本のマラカスを持ち、それを零に渡す。それは最初に陽介に渡されてすぐに没になったマラカスであり、零がそれを受け取ればクマは喜びながら「一緒に鳴らすクマ!」と言って太鼓を軽く鳴らし始める。そしてそんな姿を見て零も静かにマラカスを揺らし始めた。

 

「何か……良い」

 

 無表情乍ら手首を動かしてマラカスを鳴らす零。軽く揺れる髪とスカートなども相まって、千枝は思わず呟いてしまう。今彼女の目に映って居るのは林間学校の時にも見えた光景に近い物。雪子はすぐに零に近寄って立ち位置を決め、いざ練習を開始! ……とは行かなかった。

 

 雰囲気だけならしっかりとしたバンドメンバーとその構図。だが千枝と雪子は必死に楽器を鳴らそうとするも、音が一切出ずに四苦八苦。楽譜を渡されたクマは音符の意味が分からず、千枝も読めない事を伝える。余りにもお先真っ暗な現状に思わず陽介は未来で自分が引っ越している姿を想像してしまった。そんな状況でそれぞれが練習を開始。千枝とクマはまず音符の意味を覚える事から始め、雪子は必死に音を鳴らそうと息を入れる。

 

「……出来なくは無さそうだ」

 

「頼むぜ、相棒!」

 

 悠と陽介も練習を始め、クマは好き勝手に音を鳴らし始める。直斗は楽譜の通りにキーボードを弾き始め、完二もまずはドラムの何処に何があるかなどをしっかりと理解するところからスタート。りせは歌詞を黙読して覚え始めている。結果、完全にやる事を失った零は楽譜を手に取ってそれを見始めるが……ゆっくりとそれを降ろした。

 

「? 姫ちゃん、どうしたの?」

 

「……『何でも無い』」

 

 雪子がそんな零に気付き、話しかける。が、零は少しの間を置いて答えると持っていたマラカスを適当に振り始めた。雪子は首を傾げ乍らも再び顔を真っ赤にして息を入れ始め、そのまま個人練習は続く事に。そして夜の最終下校の時間になるまでそれぞれが個別で練習をし続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月9日。昼。学校が無いにも関わらず、この日悠達は集まって昨日に引き続き練習をする約束をして居た。しっかりと全員が揃ったところで練習を開始。昨日は個別で練習していたが、今日は合わせる事となった。

 

 りせは歌わずに全員を指揮する。1、2、3の合図で一斉に音を鳴らし始めると、個別で練習していたのが成果となって居るのかしっかりと歌詞が入れられる程の完成度で曲を演奏することに成功する。が、途中でどう考えても可笑しな外れた音が発生。当然曲は止まり、千枝は自分では無いと主張する。そしてそれに続いて雪子が自分の楽器に音は出て居ないから自分でも無いと主張。別の意味で少し暗くなった事に誰も何も言う事は無い。

 

 音を外した原因はクマ。自分が外したと言うのではなく、「観客は意外性を求めて居るクマ!」等と答えるクマに全員は大きく脱力し、直斗が休憩を申し出る。既に練習を始めてから数時間立って居たため、それぞれが非常に疲れているのだろう。その言葉に同意して休憩を始める。と、零は雪子の元に近づき始めた。現在雪子は未だに音の出ないサックスを鳴らそうとしている。そしてそんな雪子を見かねて、零は雪子の前に立つと渡して欲しいとでも言う様に手を差し出した。すぐに分かり、雪子はサックスを渡す。と、

 

『~♪』

 

「ひ、姫ちゃん!?」

 

 零の持っているサックスから音が出始める。それは壊れて居ない証拠であり、またどの様に吹くのかを雪子に教えるための物でもあった。が、今雪子の頭の中にあるのは音が鳴った事では無く、先程まで自分が口を付けて居た場所に当たり前の様に零が口を付けて居る事である。その事実に顔を真っ赤にする雪子だが、零は気付かずに雪子の楽譜を見ながら演奏を始める。そしてその音を聞いてりせが近づくと吹いて居る事に気にして、雪子と間接キスして居る事には気付かずに話しかけた。

 

「やっぱり姫先輩……楽譜とか簡単に読めるんだね」

 

 りせの言う言葉の意味を雪子は『頭が良いんだね』と捉える。しかしりせの言った言葉の意味はそう言う事では無かった。彼女は見て居るのだ。零の家にあった本棚に並べられた一冊で写真と共に書かれていた歌詞を。そこに楽譜が書かれていた訳では無い。が、歌があるならば音楽が存在しているだろうと思って居たりせとしてはそれが分かって居る故に楽譜が存在しているのだろうと予想したのだ。そしてそれを理解したのかは分からないが、零はサックスから口を離して頷き返した。と、雪子にサックスを手渡す。

 

『力は抜いて』

 

「え……あ、うん。ありがとう、姫ちゃん」

 

 雪子は零のアドバイスにお礼を言ってサックスに口を付けようとする。零のつけて居た場所。故に少し緊張しながら。だが今現在吹いて居た姿を見て居たりせはすぐにそれを阻止すると何処からともなくサックス用のリードを取り出す。そして雪子に「新しいのにした方が良いよ!」と極々自然に入れ替える事を提案。答えを聞かずに目にも止まらぬ速さでリードの入れ替えを終わらせる。ついでにしっかりと吹き口を吹くのも忘れずに。

 

「はい、どうぞ」

 

「あ、ありがとうりせちゃん」

 

 笑顔でサックスを返すりせと微かに青筋を浮かべながらも顔では笑ってお礼を言う雪子。そんな2人を尻目に零は離れると1人で適当にマラカスを鳴らし始める。が、すぐに立ち上がると今度は音を只管鳴らして練習をして居るが上手く行かない様子のクマの元へ近づいた。そして近くにあったタンバリンを手に取る。

 

『これにする』

 

「小さな太鼓クマ? でもクマはこれが良いクマよ」

 

 タンバリンを渡されて身体ごと首を傾げるとクマは目の前にあるドラムを叩き始める。しかしそんなクマの答えは想定済みだったのか、零は『完二がやって居る』と書けば「クマとカンジでは実力と威力と思いが違うクマよ」と反論。が、その答えに零はメモを捲る。既に次の言葉は用意してあったのだ。そしてそこに書かれていたのは

 

『クマにしか出来ない事』

 

「むむむ、そう言われるとやりたくなって来るクマね……」

 

 クマの扱いが上手いのか、その内容に考え始めるクマ。と、零は無表情乍らそのタンバリンを仕草だけで楽しそうに叩き始める。そして途中でそれを空中に投げてその場で一回転してキャッチする等のパフォーマンスも披露。それが終わった時、全員が零に視線を向けて居た。

 

 目の前で行われたタンバリンを使ったパフォーマンス。それはクマの中の何かを刺激した様で、ドラムの椅子から降りるとそのタンバリンを渡して欲しいと要求する。零がそれに頷いて渡せば、クマは喜んで先程の真似をし始めた。これによって練習の時に起きた様な失敗の心配は無くなっただろう。が、クマが先程の真似をしてタンバリンを投げた時。それは天井にぶつかって真っ直ぐクマの頭に落下。クマは目を回してその場に倒れてしまい、全員は思わず頭を抱える事になる。

 

 と、突然大きな音が部屋の中に響き渡った。全員が発生源に視線を向ければ、そこでは自分の手元にあったサックスから音が鳴った事に驚く雪子の姿。どうやら無事に音を出すことに成功した様子で、陽介は零の行動によって2つの問題が解決しかけて居る事に喜びながら「希望が見えて来たぜ!」と勢いを付ける。そしてその勢いのまま休憩は終了し、再び全員で練習を再開することに。最初は困って居た千枝も今では辞める事の方が悔しいと豪語し、りせも本気を出す様な言動を。思いを1つに部屋の中では先程まで出来なかった部分も含め、しっかりと演奏が出来る様に徐々に上達していく全員。

 

 しばらく鳴らし続けた後、りせは到頭歌も合わせて練習する事を提案。まだ完璧とは言えない状況で歌がつく事はもっと難しくなる事でもあり、思わずもう少し練習したいと言う陽介。だがりせは歌を歌う立場として、練習に参加出来ない現状にも不満を持っていた様子で強制的に歌付きで練習が開始される。そしてその練習は……殆どミス無しで終わりまで演奏することに成功。思わず近くに居た者とそれぞれがハイタッチする。

 

 一度成功すればそれだけで余裕と言う物が生まれる物。出来たと言う事実が心を勇気づけるのだ。それぞれが大きく抱えていた重い物を一部降ろし、出来る事が分かった事でやる気も出て来たのであろう。りせは「もう1回行くよ!」と言って初めの音頭を取り、再び全員は音を鳴らす。そうして練習を重ね、明日の本番に備えるのであった。



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辰姫 零 ライブを無事に終える

 10月10日。昼間。この日、体育の日で学校は休日となって居た。故に学校に行かなくても問題の無い零だが、今現在彼女はジュネスのフードコートに設置されたステージの裏側に立って居た。手にはマラカスを持ち、ステージの隙間から外を覗きこんでいる陽介の姿を見る。そんな彼の向こうからは沢山の声が聞こえてきており、その声の主達は今現在裏に居る零達を待ち侘びて居た。

 

 外を覗いて居た陽介は沢山のお客さんが来ている事実に緊張の余り震え、お客さんが沢山来ていると言う陽介の言葉によって千枝は更に震える。陽介のピンチを救うために行う事になったライブだが、りせ以外にこの様な舞台に慣れて居る物など誰1人として居ない。緊張するのは当然の事である。完二は今の服装(冬の制服)に付いて不安を持つが、彼らにライブ用の衣装などは無い。元々高校生のライブ。制服である事には何の問題も無い事ではあるが、それでも小さい事を気にしてしまうのは仕方の無い事だろう。普段インタビューなどに出て居る直斗もこういう事は初めての様子。自分の失敗が周りに影響すると言う状況に、顔が強張って居た。

 

「お前、緊張しないのかよ?」

 

「特には。辰姫は……平気そうだな」

 

「流石姫先輩! うん、皆! 集まって!」

 

 この場で平然としているのはテレビに出慣れて居るりせ。緊張の面持ちを見せない悠。そして余り感じて居ない零の3人。悠の場合、顔に出て居ないと言う可能性はある物の陽介の質問に返す声音は普段通り。恐らく本当に緊張して居ないのだろう。零はずっとマラカスを手にボーっとしており、普段と変わらないその姿にりせは褒める様に声を上げた後に全員に集まってもらうために手招きをし乍ら告げた。一番慣れて居るのは確実に彼女の為、全員は成功させるためにもその集合にすぐ集まる。

 

「心臓バクバクでしょ? 私も。でもね? ライブにはパワーがある。だから【完璧】って思い過ぎちゃ駄目だよ。お客さんは楽しくなりたいんだから! その為にはまず私達が楽しまなきゃ!」

 

 例えアイドルと言えど、彼女も同じ人。緊張して居ると言う事実に驚きながらも同じである事に、そしてりせのアドバイスに全員の心が一度引き締まる。それは表情が変わらずとも零も同じであり、そのまま全員はりせの言葉の続きを待った。

 

「私が『せーの』って言ったら『おー!』って返してね? 姫先輩も。オッケー?」

 

 掛け声をするために言ったりせの言葉。最後に零に確認する様に視線を向けて聞けば、零はしばらく黙った後に静かに頷いた。その仕草を確認した後、りせはこの場の全員を元気づける様に最大級に笑顔を見せて声を上げた。

 

「ファンと! 仲間と! 自分に感謝! 完全燃焼! 一本勝負! せーの!」

 

≪おー!≫

 

「……おー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 練習の通りに、間違える事無く無事に演奏を終わらせた全員。だが、そんな全員に向けられる言葉があった。

 

≪アンコール! アンコール!≫

 

 アンコール。つまりもう1回。しかし残念ながら、全員で必死に練習をして出来上がった曲はたった1曲だけ。アンコールの場合、大体別の曲をする物だが他に無い全員にはどうすれば良いのか分からなくなってしまう。りせも忘れて居た様で、どうすれば良いのか困惑。彼女が対応できない物を対応する事等出来ず、他の全員も困惑してしまう。クマは「ダイブするクマ!」と提案し、それに雪子が楽しそうに「ダイブ……!」と呟く物の流石に人数が多いために迷惑となってしまう。今出来る事は、無視して下がるか同じ曲を演奏するか。

 

「……」

 

「姫先輩? ! それ!」

 

 そんなどうすれば良いか分からなくなってしまった状況の中、零が突然りせの傍へと近づいて行く。その手に握られて居たのは一枚の楽譜。りせにはそれに見覚えがあり、零に驚いた様に視線を向ける。零は何も言わず、それをりせに向けて差し出して静かに一度頷く。そして渡した後に今度は直斗の元へとそれを運び始める。何をしようとしているのか、千枝達は分からずにそれを見つめて居た。

 

「これは何かの曲……ですか?」

 

 渡された直斗はその楽譜を読みながら質問。それに零は頷いた後、悠と完二にもそれを手渡す。そして陽介に持って居たマラカスを手渡し、千枝と雪子に無言で楽器を降ろす様に催促する。零の行動は今現在、殆ど分かって居ない。だが彼女が無駄な事をする事は無いだろうと考え、直斗と悠は楽譜を読み始める。完二も必死にどのようにすれば良いのかを把握し始め、千枝と雪子は零の催促通りに楽器を手放した。そうして出来上がった持ち場は【悠・ベース】。【陽介・マラカス】。【千枝・無し】。【雪子・無し】。【完二・ドラム】。【クマ・タンバリン】。【直斗・キーボード】と言う形。すると零は千枝が置いたトランペットを手に取る。

 

「もしかしてあたし達が歌うの!? 聞いてないんだけど!」

 

「い、行き成りは流石に出来ないと思う……」

 

「先輩たち! そんな余裕無いよ! ほら、頑張って! (あのトランペットってさっきまで先輩が使ってた気が……)」

 

 楽器が無い。それはつまり、楽器を使わない。使わなくても良い立ち位置に居ると言う事。それに2人が気付いた時には既に遅く、りせは零の持つトランペットを見ながらも2人の背中を後押しした。そうしてかなりハードなぶっつけ本番となる物の2曲目がスタートした。昔からやって居た腕は中々の物で、直斗は問題なく弾く事に成功。悠も問題なく弾く事が出来、完二も不安そうな顔で自分が行う位置を的確に慎重に行っていく。元々器用な彼は、この様な事も上手い様子。零は曲を唯一知って居る物であり、当然演奏することが出来る。陽介はその光景に覚悟を決めると、普段戦う時の様に。クマは音楽に合わせて自分の思う様に手持ちの楽器を鳴らし始めた。

 

 流れ始める曲はゆっくりとした曲調。バラードと呼ばれる形式であり、初めて歌うリセ・千枝・雪子の3人は楽譜を見ながら歌を歌い始める。そしてその歌を歌って居る最中、悠達はその歌詞に驚いてしまった。歌詞の内容。それは1人の少女が生まれた時から意図せず背負った物を最初は優しき家族が包み様に接し、後に厳しい家族が迫害する。そして最後にはその2つを失い、1人生きて行くことを決意する。と言った物。その内容と曲調は聞いて居た者達の心を捉えさせるには十分な物であった。

 

 無事に歌い切った後、りせは「ありがとうございました!」と大声で言う。それに合わせて他の全員も言い、零は静かに頭を下げた後にステージを後にした。無事に何とか終わる事が出来た物の、全員の胸には歌の中に居た少女と零の存在が重なる。そんな全員の姿を見た後、零は一枚の紙を見せた。そしてそこに書かれていた内容に、りせは思わず零の身体に飛びつく様に抱き着く。そんな姿を見て何時もは引きはがす雪子だが、今回はその瞳から徐々に溢れ始める涙を拭く事で精一杯であった。そんな光景の中、ヒラヒラと落ちる一枚の紙にはたった一文だけ。

 

【もう私は1人じゃない】

 

 彼女は悠達のお蔭で徐々に変わって居る証明であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月11日。放課後。零は何時もの通りに授業を終え、帰ろうとして居た。前日にライブをしたとは思えない程普通の日常に陽介などは気落ちしていたが、何時もの日常に戻っただけの事。そもそも零に取って、煩かろうと静かであろうとそんなに関係は無いのである。

 

 荷物を持ち、帰ろうと席を立った零。そんな彼女の前に雪子が立つ。そして「これから皆で一緒に試験勉強しない?」と誘いを掛けた。が、零はそれを首を横に振って拒否した後に『今日は掃除する』と紙で答える。実は零、普段掃除をして居る明るい時間をここ数日はライブの練習に使って居たため、明るい時間の掃除はしばらくして居なかったのだ。授業が終わった午後とは言え、まだ空は明るい。故に零は今日、神社の掃除をする予定であった。その事に雪子は「そっか」とだけ返し、諦め去って行く。そもそも強制するつもりは無かったため、雪子の諦めは早かった。

 

 零は荷物を持ち、本を片手に神社へ向けて足を進め始める。やがて神社にたどり着いた時、零はその前方に誰かが立って居るのに気が付いた。青い帽子に白いYシャツ。赤と黒のチェック柄のスカートを履き、青い鞄を肩から掛けて居る1人の少女。その少女は静かに目の前に存在する辰姫神社を見つめ続け、零の存在には気付いて居なかった。零はここに帰ってきて既に約半年。しかし彼女の様な姿を見た覚えは無く、何処か別の街の人間なのだろうと結論付けると真っ直ぐ神社へ足を再び進めた。当然、神社を見て居た少女は零の存在に気付いた。そして神社へと入って行く零を見続ける。が、零はそんな視線を意も介さずに中へと入って行った。

 

 荷物を置き、準備をして巫女服に着替える。そして箒を片手に外へと出れば、まだ少女は神社の目の前に居た。そして外に出て来た零の姿に驚いた様な表情をしながらも、何も言わずにやはり見つめるのみ。零もまた、何も言わなければ何も用は無いのだろうと考えて少女の視線を気にする事は無い。そうしてかなりの時間、神社の中は箒を掃く音だけが響いて居た。……が、余りの長さに流石に我慢できなくなったのか、少女が小さく声を出した。

 

「……ねぇ」

 

「……?」

 

 たった一言。その少女の声に零は手を止めて顔を上げる。そうして零と少女は初めてお互いに目が会う事となった。が、掛けられた声に零は顔を上げるのみで次の言葉を待つだけ。対する少女は声を掛けはした物の何を言えば良いのか分からず、困り始めてしまった。必死に言葉を繋げようと頭の中で考えるが、最善の答えは出てこない。

 

「えっと……その……」

 

「……」

 

「……ってか何で私、こんな状況にならなきゃいけない訳……」

 

 言葉を待ち続ける零の姿を見ながら思わず小さな声で呟いた少女。と、そんな少女の横を何かがかなりの速さで通過した。それはこの神社の常連であり、零の顔見知り……キツネ。キツネは零の傍まで近づくとその頭を下げる。零もその場でしゃがみ、その頭に手を置いて撫で始めた。その行為を本来ならば鋭い瞳を閉じて受け入れるキツネ。少女はそんな1人と1匹の姿を見つめて居た。すると

 

『撫でる?』

 

「え? あ、……うん。じゃあ」

 

 零がキツネから手を離し、紙に書いて少女に聞いた。少女はどうして紙でなのかを心の中で疑問に思いながら、キツネに近づく。突然近づいて来た少女に警戒する様に数歩下がるキツネだが、再び零が撫で始めるとまるで安心したようにそれを受け入れて逃げる事も止めた。そうして少女は無事にキツネの身体に触れ、その毛並みを撫でる。思わず少女は呟いてしまった。「……もふもふ」と。それもその筈。キツネの毛並みは非常に心地よく、その通りにもふもふとして居たのだから。

 

 キツネを撫でて居た零は立ち上がり、再び掃除を始める。少女もまた零が撫でるのを止めた事で自分もキツネから手を離し、再びこの場を静寂が支配する。が、先程の静寂に比べればキツネのお蔭で少しばかり話しやすい事だろう。

 

「……この子、何時もここに来る、の?」

 

 少女の質問に零は頷いて返す。キツネは人が居なければ大概、零の傍に居る事が多い。そう言う意味ではこの様に零以外に人が居るこの状況で現れたのはかなり珍しい事であろう。少女は零の答えに「そう」とだけ返した後、しばらく黙った後に零に視線を向けた。

 

「貴女は本当の自分と向き合ったの?」

 

「!」

 

 静かに紡がれた少女の言葉に零はピタリと動かして居た手を止めて少女に視線を向ける。【本当の自分】。その言葉で思いつくのは誘拐された事件での出来事のみ。そしてその内容を知って居るのは零が知る限り、悠達のみであった。故に目の前の少女がその事に付いて知って居る事実に驚いてしまったのだ。それでも余り表情に出ないのは何時もの事。

 

『何で知ってるの?』

 

「彼と……悠とともだち、なんでしょ?」

 

 零は思わず首を傾げる。今までそこそこの付き合いをして居たが、『友達なのか?』と聞かれた場合、零としては何とも言えなかったのである。良い所、『知り合い』と言った所だろう。それを考えた後、零は『悠』と言う名前が出た事で目の前の少女が彼の知り合いなのだと理解する。そして少なくとも、悪い人間では無いと。

 

「違うの? わかんないや、ともだちの定義ってなんだろう?」

 

『わからない』

 

 首を傾げた零の姿に不思議な顔で呟く少女。その言葉の答えを零もまた分からず、紙に書いてそう答える。友達と言う物の意味や定義。それを理解出来ない2人。何処かお互いが似た様な、それでも決定的に違う様な、そんな違和感を2人は感じるのだった。そしてそれからしばらくの間、2人は会話と言う会話は無い物のお互いに何も言わずに時間を過ごす。少女の帰る時間は決まって居なかったのか、零の掃除が終わるその時まで……。



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辰姫 零 再び勉強会に参加する

 10月13日。朝。通学路を本を片手に歩いて居た零は、突然掛けられた声にその行為を止めて振り返る。そこに立っていたのは悠であり、悠は本をしまって居るその姿を見て何時もの零だと感じると共に危なくも感じる。自分の世話をしてくれている叔父、堂島遼太郎と少し似て居る部分があるのかも知れない。しかし彼程怒るのではなく、「気を付けろ」と注意をするだけだ。

 

「はぁ~。あれ? 鳴上君に辰姫さん。おはよう。……ねぇ、2人は勉強……した?」

 

「あぁ。勿論」

 

『程々に』

 

 2人の存在に気付き声を掛けたのは何処か元気の無い千枝。それもその筈。明日からは2学期の中間テストが始まるのだ。陽介同様、勉強に関して余り得意では無い千枝はその事に少しばかり元気を無くしていた。聞いたのは仲間が居ればと言う小さな望みだったのだろう。しかしそれは空しくも崩れ去り、そこでようやく理解する。今目の前に居る2人は前回のテストで同位1位を取った頭の良い2人だったと。その事に乾いた笑みを浮かべ乍ら再び溜息をつく千枝と共に登校する零と悠。やがて校門までくれば雪子の姿がそこにはあった。既に手元に荷物は無い事から、一度中に入った後に出て来たのだろう。

 

「姫ちゃん! あ、千枝と鳴上君も。おはよう」

 

 3人の姿に気付き朝の挨拶をする雪子。しかし悠と千枝は確実に気付いて居た。最初に零を呼んだ時、その声と自分の名前を呼ぶ時の声音が僅かだが違う事。外に居たのは零を待っており、自分達はいわばついでの様な形である事に。しかし色々とあって既に慣れた物。雪子は恐らく無意識に行って居る事ゆえに何も言う事は無いが、地味に気になるのは仕方の無い事だろう。零は気付かずに小さく頷き、悠は何も動作せず、千枝は少しだけ顔を引きつらせてその挨拶に返す。

 

 4人となり、そこそこの人数となったところで無事に教室へと到着すればそこには半分以上の生徒達が既に登校して会話を楽しんでいた。零と悠達も自分の席へと移動し、荷物を机の中へと詰め始める。既にそれを終えていたであろう雪子は零と千枝の間に立って会話を始めていた。と言っても千枝と雪子が話し、それを零が聞いて稀に頷くのが殆どだが。

 

「おっす、鳴上。……勉強したか?」

 

 そんな光景を見ていた悠は登校して来た陽介に話しかけられる。その内容は先程千枝からされた内容とほぼ一緒の物であり、悠は何処かデジャヴを感じ乍らそれに返す。そうして時間は過ぎて行き、クラスの担任である柏木 典子先生が入って来るその時まで5人は会話を楽しむ。

 

 HR後、行われる授業のそのどれもが明日のテストの復習など。中には自習とする先生もおり、家での勉強が無くとも十分な勉強時間は確保できた。が、勉強自体が苦手な千枝は例え時間を貰った所でそう簡単に知識を詰め込める訳ではない。前に座る雪子に聞こうとするが、残念ながら雪子もしっかりと自習に取り組んでいて話しかける事は憚れる。と、そんな困っていた千枝の肩が2回叩かれた。

 

「? 辰姫さん、どうしたの?」

 

『勉強、する』

 

 千枝の後ろの席に座っていたのは他ならぬ零であり、質問に帰って来た文を読んで千枝は注意されたと思ってしまう。『悩む時間があるのなら、勉強した方が良い』と。それに千枝は「そうなんだけど」と返せば、零が紙を机に置いて何かを取り出した。それは1冊のノートであり、零はそれを千枝に手渡しする。不思議に思いながらもそれを受け取り、中を徐に開けばそこには現在自習となって居る教科のテスト範囲が事細かに書かれている内容が目に映る。恐らくそれは、零が今まで取っていたノートなのだろう。所々授業では行わなかった部分があり、それがテレビの中に居た最中の範囲と予測で勉強した違う場所である事も千枝は理解出来た。

 

「えっと……良いの?」

 

『雪子と。頑張って』

 

「ありがとう! 辰姫さん!」

 

 千枝は零の言いたいことをすぐに理解出来た。雪子は今現在、自分で勉強をして居る。それを邪魔する様に一緒に勉強するのは当然気が引けるが、今手元にあるノートがあれば千枝も話しかけ易いのだ。そうして一緒に勉強出来る様に気を利かせたのだろうと。千枝は零に感謝しながら雪子に話しかけ様とする。だがその時、零の隣に座っていた陽介とその前に座っていた悠がその光景を見て居た様で口を開いた。

 

「辰姫さん。里中を助けるのは良い事だけどさ、自分の事も考えろって」

 

「あぁ、そうだな。それじゃあ辰姫自身が勉強出来ない」

 

「あ……そっか。そうだよね」

 

 2人の言葉で千枝はすぐに思い出す。零はどんな事にでも手を伸ばす代わりに、『自分を犠牲にする事も多い』のだ。今回もその例に漏れず、千枝としては大助かりだが貸した本人である零は勉強道具を失う事になる。それに気付いた後、千枝はどうしようか悩む事数秒。零の机にそのノートを置き、座っていた椅子を逆向きに変える。零を行為を無下にする訳には行かないが、自分だけが助かるのは以ての外。そう考えて出した千枝の結論。それは

 

「7月にやった勉強会みたいに教えてくれない……かな?」

 

 教えると言う行為は勉強に繋がる、教えられる事もまた勉強となる。7月の勉強会で途中から零に教えて貰って居た千枝はそれを確信していた。その結果として、零に教えて貰った後のテスト。前回行われたテストでは、可もなく不可も無くと言う点数であった。結果だけを見れば微妙だが、千枝としては驚きである。可は無く不可は有るが普段だったからだ。それはつまり、零の教えが上手い事を意味していた。教え方と言うよりも、勉強のさせ方と言った所だろう。

 

「私も混ぜて欲しいな」

 

「なら、俺達も混ぜてくれよ。認めたくねぇけど、分からないところが多すぎて相棒だけじゃ対処しきれねぇ」

 

「ね? どうかな?」

 

 千枝の言葉を聞いて居たのか、勉強に集中して居た筈の雪子が椅子を手に近づいて来る。自習の時間、移動して居る生徒も少なく無いため怒られる事では無いのだ。机の横に椅子を置き、零の机を使える位置に座った雪子。そんな姿に陽介も手を合わせて悠を含めお願いをする。悠を覗く3人から一緒に勉強しようと誘われている現状、零の答えを待つだけとなった事で千枝は零に答えを聞くために言う。零はその言葉にしばらく考え込むように黙った後、静かに頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月16日。昼。中間テストは間に日曜日を挟むため、この日一時の解放感に包まれていた悠達。陽介の提案もあり、ジュネスのフードコートに集まる事になった悠達はそこで勉強をしようとしていた。学年は違えども、同じテストを受ける身として完二・りせ・直斗の3人も集合して居る。席に座り、勉強を開始しようとした陽介。まず、いの1番に両手を合わせて零にお願いをする。

 

「3日前同様、ノート貸してください」

 

「最初からそれが狙い? 少しは頑張りなよ」

 

「既に借りてる里中にだけは言われたくねぇ」

 

 陽介の行動にペンを走らせながら千枝が言う物の、陽介はそれに呆れた様子で答える。陽介の言う通り、今現在勉強して居る千枝の目の前には零のノートが置かれていた。陽介がお願いをする前に、既に抑えていたのだ。と言っても陽介がしようとして居る教科とは別物の為、陽介自身に焦った様子は無い。しかし言われたくないと言う感情は仕方の無い事であろう。そんな2人の会話を見て直斗は微笑む。

 

「花村さんと里中さん。仲が良いですね」

 

「付き合っちゃえば? 先輩たち」

 

「無理!」

 

「早っ!?」

 

 仲が良いと感じた直斗の言葉にどこか茶化す様に言うりせ。しかし千枝は考える素振りすら見せずにそれを否定し、陽介はそれに驚いて居た。期待をして居た訳では無いだろう。だが余りの速さにショックを受けざる負えなかったのだ。肩を落とす陽介を尻目に、りせは今度直斗に「直斗も完二と付き合っちゃえば?」と口を開く。まさか自分に来るとは思って居なかったのか、直斗は驚きながら止める様にりせに抗議した。突然名前の出た完二は「何言ってんだよ」と呟くだけで特に反応は無い。

 

「え~。だって、先輩2人が付き合って、直斗と完二が付き合えっちゃえば後は鳴上先輩と雪子先輩だけでしょ? そしたら私と姫先輩でカップル成立だね! やった!」

 

「どうしてそう言う事になるのかな、りせちゃん? もしかしたら鳴上君はりせちゃんが好きかも知れないよ?」

 

「雪子先輩の方が近しいし、可能性は高いと思うけどな~。ね、先輩?」

 

 りせの言葉に最初に反応したのは雪子であり、そこから始まるのは何も悪い事をして居ないにも関わらず悠を押し付け合う内容の口論。陽介は悠の肩に手を置いて慰め、悠は押し付け合われる会話を聞きながら何とも言えない気持ちになる。嫌われている訳では無い、と理解は出来ても押し付け合われる自分が惨めに感じて仕方が無いのだ。やがてりせが悠に話を振るが、それに答える事無く悠は勉強を始める。

 

「くぅ~! 炭酸が染みるね~!」

 

「一問終わっただけで満足してたら終わんねぇぞ、里中」

 

「時間はたっぷりあるし、平気っしょ! あたし、昨日も一昨日もペン止まらなかったし。あ、無くなった。花村、お代わり!」

 

「そう言う奴ほど気付いた時には遅かったりするんじゃね? 止まらなかったのは俺もだけどよ。自分で買って来い」

 

 1つの問題を終え、紙コップに入った飲み物を飲んで飲み屋に居る親父の如く言う千枝に少し引きながら陽介は注意する。そして2人が会話する中、雪子とりせの言い合いは続いて居た。直斗は完二と共に勉強を続け、残ったのは悠と零。2人はこの中で一番頭が良いため、そこまで詰めて勉強をする事は無い。だが、やって置く事は無駄になる訳では無いだろう。

 

「勉強するか」

 

「……」

 

 騒ぐ声をBGMに悠は零に聞く。零はそれに頷き、2人は一緒に勉強を開始した。お互いに教えるのが上手く、分からない箇所も少ないためにこの場に居る誰よりも早く勉強は進んで行く。共にペンを動かし、勉強を続ける零の姿に悠は何処か微笑ましく思いながらも勉強を再開した。無事に助ける事が出来た結果、目の前に居る少女。その姿と、こうして交流できる今の状況は悠に力を与えるには十分な物であった。



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辰姫 零 秋のテストを終える

 10月20日。放課後。テストを終え、大きな行事と使命から解放された生徒達は一斉に動き始める。千枝はすぐに前の席に座って居た雪子に話しかけて答え合わせを開始し、悠と陽介もまたお互いに解放された事に安心した様子で話を始める。と、席に座って居た零は鞄を手に立ち上がり、真っ直ぐに教室の出入り口に移動し始めた。雪子は千枝と話すために教室の後ろ側を向いて居たため、零が帰ろうとするその姿をすぐに視界に捉える。

 

「あ、姫ちゃん。また明日ね?」

 

「……」

 

 千枝との会話を一時中断し、雪子は零に告げる。そしてその一言で千枝・悠・陽介の3人も零が帰る事に気付くとそれぞれ『また明日』と零に声を掛ける。零はその言葉に頷いて返すとそのまま教室を出て行き、残った4人はそれぞれ集まって再び会話を始める。

 

 教室から出た零は真っ直ぐに下駄箱へ。すると同じく帰ろうとして居たのか完二の姿があり、完二は零の存在に気付くと「帰りっすか?」と質問。その問いに頷いて返した後、零は靴を履き替えて校舎の中から外へと出る。空は今にも降り出しそうな程に薄暗く、見上げた後に再び歩き始めた。と、そんな彼女の横に少し小走りで完二は並ぶようにして近づく。

 

「姫先輩のお蔭で何とかテスト、問題は無さそうっす」

 

 完二は並んだものの会話の内容が思いつかずにしばらく沈黙を続けた。が、すぐに今日終わったテストの事を思い出すとそれを話題に出す。普段の零なら本を取り出しているが、完二が横に並び話しかけてきたことでそれを止めて代わりに取り出したのは何時もの紙とペン。そこに『良かった』と一言書いて見せれば、完二は改めて零にお礼を言った。

 

 辰姫 零とは意思疎通をするだけでも大変な存在だ。故に会話は先程の物で終わってしまったが、それでも普通の人に比べれば完二は話せている人間と言える。今の様な小さな会話も、なんだかんだで零にとっては大きな行動の1つ。それは帰り際に悠達に掛けられた言葉も例外では無く、小さいかも知れないそれは総合的に零の周りを変え始めて居た。

 

 しばらく歩き続けて居た零と完二はやがて辰姫神社に入る目前に存在する鳥居の目の前に到着する。すぐ傍には完二の家である染物屋も存在し、完二は目の前に到着すると同時に「また明日っす」と言って去って行く。そして再び1人となり、鳥居をくぐって神社の目の前にたどり着いた零の目の前には再び見知った顔が存在して居た。

 

「あ! 姫先輩遅い!」

 

 賽銭箱の存在する目の前の階段に座り、両膝に肘をついて待って居たりせ。零の存在に気付くや否や立ち上がり、猛スピードで零に近づき始めた。だが何時もなら目の前で止まるりせは何故か止まらずに零の身体へとそのまま突撃。零は咄嗟に横に避け、それを回避する。どうやらハグがしたかったらしく、避けられた事に不満げに「避けなくても良いじゃん!」とりせは文句を言った。が、零は何も答えずに神社の裏へ。りせはそれについて行き、零が家に入ると自分も入って良いか質問する。特に問題は無かった様で、零は許可を出した。

 

「お邪魔しま~す!」

 

 零と再会して以降、りせが零の家の中に入るのは彼是3回目となる。1回目は再会した時。2回目は誘拐された事を確認した時。この様に落ち着いて零の家の中に入るのは久々な為、りせは少しだけ嬉しそうに中へと足を進める。そして零は着替えを始めるために一度りせの傍を離れ、りせは止まった時同様に零の家の中にある本棚を見る。そして迷うことなく一番下の本棚に視線を向けた。

 

「あれ? 無くなってる」

 

 しかしそこにあった筈の本は存在せず、りせは周りを探して見る。と、本棚の横に置いてあった食器棚の上に写真立てが1つ置かれている事に気付く。見て見ればそれは以前りせが見つけた写真であり、りせはそこでようやくその写真に写る女性が零の母親なのだと理解することが出来た。無表情で映る少女が零とするならば、既に笑顔を失った後に撮った物なのだろう。そしてそれが今までしまってあったにも関わらず飾ってあると言う事は、少なくとも零は蓋をして居た感情を解放し始めているのだと改めてりせは実感する。

 

 襖のずれる音が聞こえ、りせが振り向いた先に居たのは巫女服の零の姿。りせは写真立てから離れて零に近づくと「今日も掃除?」と質問した。そしてその質問に零は箒を片手に持つと頷いて歩き出し、りせはその言葉に笑顔を浮かべると「私も手伝うよ!」と行ってその後を追うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月22日。午前。零や悠達の教室では現在、クラス委員の生徒が男女1人ずつ黒板の前に立って話をして居た。その内容は数日後に行われる【文化祭】の出し物を決める物であり、黒板には既に候補として『休憩所』・『ビデオ上映室』・『自習室』の3つが掛かれている。基本的に何もしない物ばかりであり、その事実にクラスの数人が呆れる中でクラス委員の女子生徒が次の候補を見つける。それは『合コン喫茶』であった。余りに聞きなれない内容に少しざわつく教室内、それは陽介たちも例外では無い。千枝はその内容に呆れ、雪子は内容が分からずに首を傾げる。そして陽介は……どうやら遊び半分で入れた張本人であった。

 

 黒板に追加された合コン喫茶で全てが出尽くした様で、今度は投票となった教室内。それぞれが思い思いに書いた内容の紙をクラス委員に回して行き、集計が始まる。そしてその結果、このクラスの出し物は何と合コン喫茶に決まってしまう。これには流石に遊び半分で入れた陽介も焦り、千枝はクラスの大半が入れた事に呆れかえって居た。……合コン喫茶の内容が深く理解出来て居なかった雪子はどうやら入れた人間の1人らしく、非難の目で見て来る千枝の姿にクラスの決定である事を盾に陽介は開き直る。

 

 合コン等、本来しっかりとしか学校なら余り許される内容では無い。だがこのクラスの担任である柏木はどうやら文化祭と並行して行われるコンテストに出るらしく、出し物に関して完全に生徒の自由。つまり丸投げにしてしまって居た。故に決まった内容を取りやめる者も居らず、決まってしまった合コン喫茶と言う出し物にクラス中が不安と心配の声を上げ乍ら内容について考え始める事となる。

 

 そして時間は経ち、ジュネスのフードコートに再び何時ものメンバーは集合して居た。普段は事件の話をして居る悠達だが、この日は文化祭の内容について。零も来ており、椅子に座って本を読み続けた居た。

 

 陽介は決まってしまった事に後悔した様な雰囲気を出すが、既に変わらない現実に千枝は陽介を非難する。投票で決めた事とは言え、クラスの殆どはやる気等皆無。「総論賛成、各自反対ですね」と直斗は難しい言葉を使い、最初意味が分からずに頭の上に『?』を浮かべた千枝。そんな千枝を見て零は『皆人任せ』と言う文字を書いて見せる。先程の言葉よりも一気に分かりやすくなったその内容に千枝は零にお礼を言うと、溜息をついた。そして直斗は続けざまに「警察にも言っていることです」と言えば、一瞬で警察に対する不信感が全員の中で大きくなる。と、気を取り直す様にりせは合コン喫茶に対して賛成の色を示した。が、その理由は当然

 

「楽しそうだし、何より姫先輩と合コンしたかったな~。私も出たかった!」

 

「いや、合コンって男女で対等だからな?」

 

 最近慣れ始めて来たりせの言葉に陽介は軽くツッコミを入れる。零たちのクラスが出し物をする様に、当然乍らりせ達も出し物を行う。つまりお互いがお互いの場所に行くのはそう簡単な話では無いのだ。それを理解して居るからこそ、りせは大きく声を上げて悔しがる。

 

 その後、事件の事とは無関係な平和な話を行い続けた悠達。最初とは違い、零の事を理解出来る様になったが故に逃げる事無く自然と会話の中に零を混ぜる事が出来る様になった陽介たちはしばらく会話し続けた後にそれぞれ解散するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月24日。昼休み。とある女子生徒の一言によって教室の空気は一瞬にして変化する。それは所々では重く、所々では悠々とした物で、陽介は前者の空気を見せる。と言うのも、試験の結果が張り出されたのだ。前者は自信が無く、後者は自信のある者達なのだろう。

 

 陽介は肩を落としながらも逃れられぬ運命に悠と共に確認へと教室から外へ足を進める。本を読んで時間を潰して居た零は、千枝と雪子に誘われる事で張られている掲示板に向かう事になった。そして順位を確認するため、それぞれが名前を探し始める。この中で確実に上から見た方が速いと思われる存在は3人。最初に見えたのは前回同様、悠の名前……では無く、前回惜しくも1位を取れなかった雪子が無事に復活して居る光景であった。その事に千枝は自分の事の様に喜び、雪子は安心したように胸を撫で下ろす。

 

「おぉ! 2連続で1位何てやっぱ凄いぜ、相棒!」

 

「鳴上君、凄いって! もう偶々、何て言わないでよ? おめでとう!」

 

「ありがとう」

 

 次に見えたのは同じく1位を取って居る悠の名前。雪子と同じ様に1位を取って居る事に陽介もまた、千枝同様大喜びする。前回悠は謙遜していたが、2回連続となればそれはもう確定である。千枝は悠が答えるよりも先に逃げ道を塞いだ後、悠を称賛した。雪子も同じ様に笑みを浮かべ、悠も今回はその称賛を素直に受け取る。

 

 悠の下に次に見えたのは零の名前。しかし順位の場所には2位と書かれて居り、どうやら雪子と悠に並んでトップと言う訳には行かなかった様子。特に落ち込んだ様子は見せないが、今まで当たり前の様に取って居た事もあって雪子は「姫ちゃん」と心配そうに声を掛ける。が、零はその言葉に顔を向けると紙で書いて答えた。

 

『平気』

 

「まぁ、つい最近まで色々あったしさ。仕方ないよ」

 

「だな。……にしても俺達のクラス、天城に鳴上に辰姫さんと成績優秀者が多いよな」

 

「でもそのおかげで結構私達、勉強出来てんじゃん。ほら」

 

 数日前までテレビの中に居たと言う事もあり、仕方が無いと千枝が続ければ陽介は書かれている順位を見てしみじみと言う。1つのクラスから上位3名が出ると言う事はかなり凄い事なのだ。そしてそれに気付いた陽介に千枝は自分達の順位を見る。千枝の順位は20位。陽介の順位は27位と、千枝の言う様になんだかんだで上から数えた方が速い順位を獲得して居た。陽介は千枝に言われて自分の順位を発見し、その事実に喜ぶ。

 

「皆さん、順位の確認ですか?」

 

 突然掛けられた声に振り返ればそこには直斗・りせ・完二の1年生メンバーが集合しており、3人はそれぞれ挨拶をすると自分の順位を確認する。最初に見つけたのは直斗で、それもその筈。直斗は一番上にその名前が書かれていたのだ。

 

「流石だな」

 

「いえ。僕も学生ですから、学業を疎かにしない様気を付けて居るつもりです」

 

「あった! よしっ! 今回は完二よりも上!」

 

「俺よりもって、2つしか差ねぇよ!」

 

 続けて自分の名前を見つけたのはりせ。すぐ下に完二の名前を確認したりせは胸を張って笑みを浮かべる。前回のテストで完二よりも下だったことが余程悔しかったのだろう。が、差は完二の言う通り2位しか無い故にほぼ同位と言っても間違いでは無い位置である。しかし2人とも前回のテストから今回まででかなり勉強した様で、前回はりせが【71】。完二が【64】だった時と比べ、今回はりせが【39位】。完二が【41位】とかなり上昇して居る事が見受けられた。

 

 りせは自分の順位を確認し終えると、今度は悠達2年生の成績を確認。その際に「今回も姫先輩は1位かな?」と言いながら見たため、いざ確認した時にりせは固まってしまう。そしてゆっくりとその視線を零に向けた。普段通りの無表情で自分を見て居る零の姿。別に零自身、特に何も感じては居ない物のタイミングよく目が会ってしまっただけであった。が、りせは自分の言葉と見られて居た事に一瞬で思考を巡らせる。このままでは気まずくなってしまう、と。そして打開策を考え、すぐに行動に移した。

 

「姫先輩だって人間だから間違える時位あるしそれに完璧過ぎるより偶に失敗する位の方が可愛いと私は思うよでも普段の姫先輩も可愛いよ大好き!」

 

「うわっ、一息で言ったよ。しかも最後に何か告白してるし」

 

「必死だな」

 

 一切行きつく間も無く言ったりせの言葉に見て居た千枝は若干引き気味に、悠はそんな光景に少し苦笑いしながら呟く。その後場の空気を有耶無耶にして普段通りに変えようとし、零に飛びつこうとしたりせを雪子が止めると言う最早何時もの光景を見つつ、昼休みも残り僅かだと気付くと解散する。こうして今年3回目のテストは無事に幕を閉じるのであった。



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辰姫 零 合コンを行う

 10月27日。昼休み。零は本を片手に屋上で座っていた。現在、零の傍には千枝。雪子。りせ。直斗の4人が存在し、千枝は非常に不機嫌な様子を浮かべ続けていた。雪子とりせは零を挟む様にして座りながら何かを待ち続け、直斗は特に何をするでもなく時間を潰している。……と、やがて屋上と廊下を繋げる扉が開かれる。そこから現れたのは悠。陽介。完二の男3人。その姿を捉えるや否や、千枝は陽介に詰め寄り始めた。

 

「どう言う事か説明して欲しいんだけど!?」

 

「な、何がだよ?」

 

 突然の言葉に驚きながら、聞き返す陽介。それに千枝が答えた言葉の中には、「ミスコン」と言う言葉が存在していた。八十神高校の文化祭では、『ミス八高・コンテスト』と呼ばれる行事が存在する。それは名前の通り八十神高校の中で一番の女性を決める内容であり、何と千枝の話ではそれに自分達が【参加】する事になっているとの事であった。この場に居る女子たち全員、その様な行事に積極的に参加する者は居ない。となれば、男子たちを疑うのは当然の事。陽介は「辞めればいいだろ!」と言うも、自分達の担任である柏木が主催している事から推薦でも断る事が出来ないと千枝は語った。

 

「え、マジ? そう言う細かいのは見逃したかも……」

 

「やっぱりお前か!」

 

「やっべ!」

 

 千枝の言葉に失敗したとでも言う様に呟いた陽介。それは『自分が推薦しました』と自白したのとほぼ同義であり、千枝はその言葉に更に怒りを露わにして陽介へと詰め寄り始める。……一方。今この場で文句を言い続けている千枝は当然とし、一切の反応を示していない零達はその会話を聞きながら黙っていた。雪子は零の姿を見ながら考え込み、同じ様にりせも考え込んでいる。直斗もまた、零を見ずとも思考を続けていた。

 

「姫ちゃんがミスコン」

 

「あんまり姫先輩は目立つタイプじゃないけど、でもミスコン何かに出たら人気が上がっちゃったりするかも……」

 

 2人が考えているのは零がステージの上、様々な人の前で立って居る姿。そもそも自分達以外とは殆どの接点を持っていない零が、生徒達の前に立つと言う姿は余りにも現実味の無い物。しかしそれが成功に終わった時、もしも零に寄りつき始める人が現れてしまっては困る……2人は同時にその答えに辿り着いてしまう。零が学校の中に溶け込めると言う意味では嬉しい事ではあるが、余計な結果が出てしまっては嫌。それが2人の悩む理由であった。

 

 考えている間にも千枝と陽介の口論は続いていた。しかし口論と言うよりも既に説得に近い物となっており、陽介は完二も巻き込んで出る様に訴え始めていた。出る事に猛反対している千枝に『出来れば出たく無い』と言った表情を浮かべている直斗。そして無関心な零と自分達よりも零が出る事に悩んでいる雪子とりせ。少し考えた後、悠はゆっくりと零の目の前に立つ。

 

「辰姫はどうするつもりだ?」

 

『興味無い』

 

「いや、興味ないって言っても色んな人の前に出る事になるんだよ? 嫌じゃない?」

 

 悠の質問を受け、本を閉じた後に普段通りの筆談で答え始める零。それを見て、千枝が聞いた。もしも彼女が参加反対側に回ってくれれば、千枝としては心強い存在なのである。それは零を勿論とし、零の意思を尊重する2人もついて来る筈故に。しかし零は少し考えた後、紙を見せる。そこには一言、『無駄』と書かれていた。

 

「あ、そっか。色々話してるけど、結局私達。辞退出来ないんだよね?」

 

「う~ん。辞めるのは無理って事だよね……だったらこの際、本気で姫先輩の可愛さを皆に伝えちゃおっかな~!」

 

「あれ、何かやる気出させちゃったんだけど!?」

 

 既に参加することが確定してしまっている現在、例え千枝が文句を言った所でこの場に居る5人がミスコンの参加を取り止める方法は存在していないのだ。零は本を読みながらも千枝と陽介の会話を聞いていた様で、結果だけを告げて本を読み始めてしまう。所謂『無駄な抵抗』をする気は無いようである。そして、その字を見て雪子も納得。りせに至っては「やるなら本気で!」と言ってやる気すら見せ始めていた。自分と同じ反対側に回ってくれると思っていた千枝は、目の前の結果に唯ショックを受けるのみ。悠は零の答えを聞き、陽介を見る。と、「ナイスだ相棒!」と言って親指を立て乍らその視線に返す姿があった。

 

「確実に僕は場違いな気がしたんですが……辰姫さんが覚悟を決めた様に、僕も覚悟するべきなのかも知れませんね」

 

「直斗くんまで!? あぁ、もう! あんたら覚えてなよ、何時か必ず仕返ししてやる!」

 

「……一気に決まったっスね」

 

「だな」

 

 零の答えを聞いてやる気を見せ始めた雪子とりせの姿に直斗もまた覚悟を決めながら答える。こうなってしまえば千枝以外は参加することを決めてしまったと言う事であり、どう考えてももう無理だと悟って千枝もまた陽介を睨みつけ乍ら言う。その表情は正しく鬼の様であり、その姿を見て怯え乍ら「怖いって!」と言う陽介を横目に呟いた完二。悠はそれに頷くと、再び本を読みだして居る零の姿を見る。数回意思を疎通しただけでその場に居たほぼ全員の考えを決定させてしまった零。その凄さに悠は内心、感心するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月28日。放課後。零は再び屋上に連れて来られていた。昨日のミスコンの件を受け、参加することが決定した5人。その後、千枝はすぐに報復行ったのだ。それは自分達を推薦した男子たちを同じ文化祭の最中に行われる、『ミス八高・女装コンテスト』へ推薦すると言う物。どうやらりせが最初に見つけたらしく、純粋に楽しむために千枝にそれを提案した様子。今度は男子に寄って呼び出され、口論を始めた千枝と陽介。しかし女子の方と同じく推薦されればもう断る事は不可能。流石に男子の行事な為、主催である柏木に言えば何とかなると思った完二。だが、雪子が静かに告げる。「出席日数は大丈夫?」と。それは一種の脅迫であった。

 

「俺も出るのか……?」

 

『連帯責任』

 

「……分かった。頑張らせて貰おう」

 

「マジかよ!?」

 

 完全に巻き込まれる形で自分も推薦されてしまった悠は、目の前の会話を見ながら静かに昨日と同じく本を読んでいた零の傍で言う。そしてそれに答えたのは、口論中の千枝では無く読書中であった零。完二は既に断る事が出来ず、悠もその文字を見て腹を括る。結果、残ったのは陽介だけであった。その光景は、昨日の千枝と全く同じ状況。しかしそれでも絶対に断ろうと引かない陽介に、千枝は「来年は完二くんと勉強かもね?」と言えばすぐにそれを想像して顔を青くし始める。

 

「何でこんなことに……俺ら全員イベントに参加って、どんな集団だよ!」

 

「元はと言えばあんたが「どうせやるなら楽しもうぜ! は、はは!」」

 

 ミスコンと女装コンテスト。この場に居る全員がそのどちらかに出る事となった事実に嘆く陽介だが、千枝の言葉に遮りながら空元気を見せ始める。正しく陽介に降りかかった物は自業自得と言える物であり、こうして男子3人も行事に参加することが決定するのであった。……明日は文化祭1日目である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 10月29日。午後。2年生の使っている教室は文化祭の準備を行った結果、装飾などが施されていた。……が、現在その部屋の中に居るのは数人の生徒のみ。零は片手に本を、片手に『合コン喫茶』と書かれたボードを持って廊下に立っていた。反対側の扉側には雪子が立っており、恥ずかしそうにしながらも呼び込みを行おうとしている。しかし、人通りも少ない廊下では何も変わらなかった。

 

 教室で陽介が何やらクラスの男子と会話をし始める中、零は目の前に人の気配を感じて顔を上げる。そこに立っていたのは完二であり、「様子見に来たっスけど……人居ないっスね?」と呟く。零はそれに頷き、一度教室へ視線を向ける。すると何かを話していた陽介たちが完二の存在に気付いた様で、突然2人の元に近づいて来た。そして告げられたのは、客を呼ぶための『サクラ』を行うとの事。

 

 現在クラスの男子が1人と悠、陽介、千枝、雪子、零、完二の6人がこの場には居た。数は男子の方が多い為に1人が抜け、3・3でしている様に見せるとの事。そして誰よりも早く、男子生徒は「俺が受付をやってるから任せた!」と言って逃げて行ってしまう。結果、零は悠達と合コンを行わなければならなくなってしまった。クラスの為に、零も強制参加なのである。

 

「ほら、姫ちゃん。今ぐらいは、ね?」

 

 教室の中心に存在する6つの机を前にし、3人ずつ横並びで座り込んだ悠達。零はボードが無くなった事で片手が開き、本を読むことに集中し始めていたが、雪子がその本を丁寧に栞を挟んだ上で取り上げてしまう。当然取り上げた雪子を見た零だが、その言葉に周りを見れば5人全員が零を見ていた事で仕方無く零は本を読むことを止める。……そして沈黙が訪れた。

 

「いや、何なんスかこれ?」

 

「合コンの真似。つっても俺ら、合コン何てした事ねぇよな?」

 

「だよね。とりあえず何か質問でもすれば良いんじゃね?」

 

「じゃあ、ご、ご趣味は?」

 

「乗って来るな、お前!」

 

 余りにも喋らない静寂にサクラの意味を成していない中、完二が質問することで会話が何だかんだで始まる。この場に居る全員が合コンの経験など無い為、何となく想像で質問することを提案した千枝。それを聞き、完二が聞き始めた事で陽介は頑張る完二の姿に言いながらも目の前に並ぶ3人を見る。が、帰って来た答えは

 

「しゅ、趣味は格闘技全般。あ、見る方ね? 意外に恥ずかしいな、これ」

 

「シャドウを倒したり、かな?」

 

『本を読む事』

 

 と言う物。雪子の答えに思わず「それは趣味じゃねぇだろ!」とツッコミを入れた陽介は、その後に紙で答えた零の姿に声を発さない事を思いだした。話を盛り上げようとして行った質問だが、真面に出来ているのは千枝だけである。

 

「好きな女の子のタイプは?」

 

「おぉ、直球……」

 

 何とかして盛り上げる為、質問した雪子。それに陽介が少しばかり怯みながらも、合コンにはよくある質問だと思いながらその答えを悠に振り始める。少し考える様子を見せた悠。やがて決まった様で、その口を開く。

 

「優しい子だな」

 

「おぉ、だよな! 俺も俺も。守って上げたくなるって言うの?」

 

「乗って流したっスね……お、俺は「お前は良いだろ」って、は? 何でっスか?」

 

「だって……なぁ?」

 

「そうだね。何となく分かるって言うか、間接的に聞いちゃってるし?」

 

「私は知りたいかな、完二君が【今】好きな子」

 

 悠の言葉に乗る様にして答えた陽介。便乗したことで答えを簡単に終わらせた陽介に完二が言いながらも答えようとするが、それは陽介によって遮られてしまう。何故か自分は省かれた事に不思議がるも、陽介が視線を向ければ何とも言えない表情で答える千枝。しかし雪子は何処か怖さを感じさせる笑みを浮かべながら完二に視線を向け、一部分を強調して言う。その光景に完二は内心で怯えずにはいられなかった。

 

「辰姫は好きな相手、居ないのか?」

 

「!? 姫ちゃんの気になる相手……!」

 

「……相棒、やっぱお前すげぇよ」

 

 自分達が答えたと言う事で、質問した悠。雪子が好きな相手に付いては完二同様明白であり、この中で一番話に参加出来ていない零を参加させようと思い質問したのだろう。悠の質問を聞き、完二への威圧を止めて零へ視線を向け始めた雪子。千枝も何となく興味がある様で、完二も同じ様に雪子同様気になる様子。陽介は唯単純に零へ質問をすると言う行為を行った悠に感心していた。

 

 悠の質問を受け、紙に何かを書き始めた零。何時もなら早いその書いている仕草が少しばかり遅く感じる中、雪子は零の書く長さに動じずにはいられなかった。【居ない】や【興味ない】と言う言葉ならすぐに終わる筈なのに、何と零の書く文字は確実にそれよりも長い物。もしも名前等が書かれていたらと考え、徐々に震え始めてすらいた。……が、やがて零はそれを書き終わり、全員に見せる。書かれていたのは、珍しく長い文であった。

 

『誰が好きで、誰が嫌いか。よく分からない。でも皆と居るのは楽しい。だから、皆の事は好き』

 

≪……≫

 

 零の答えを見て、その場に居た全員が言葉を失ってしまう。雪子も気付けば震えていた身体が元に戻っており、代わりに生まれるのは暖かい感情。静かにその身体に手を回し、「私も大好きだよ」と言い始めた雪子の姿を見て他の全員もそれぞれに嬉しい気分になる。……その後りせが完二同様に様子を見に来るまで、教室の中は優しい雰囲気に包まれ続けた。が、結局のところ合コン喫茶は失敗である。



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辰姫 零 ミス八高・コンテストに出る

 10月30日。昼間。『ミス八高・女装コンテスト』・『ミス八高・コンテスト』が行われるこの日、最初に行われる前者の準備をする為に教室に集まって居た悠達。自分達に化粧が施されると言う現実に目に見えて嫌な顔をする陽介だが、千枝はそんな姿に自業自得と言わんばかりに席へと座る様に促す。千枝は陽介に。雪子は悠に。りせは完二に化粧を施そうとする中、教室にはまだ1人。目を引く男子が残って居た。綺麗な金髪に美少年とも呼べる美しい容姿をした男子。

 

「クマはどうするクマ?」

 

「?」

 

 その正体は普段大きな着ぐるみの様な姿をして居たクマの中身であり、零はそのクマと初対面であった……にも関わらず特に驚いた様子も無くクマの質問に他のメンバーを見る。どうやらクマは陽介によって道連れにされた様だが、当の本人は優勝する気満々であった。

 

「辰姫さん、メイク出来る?」

 

 クマの質問にメイク道具を持ったまま傍に居た零へと聞いた千枝。だが零にその技術は無い様で、首を横に振って答えれば再び考え始める。今現在他に手が空いて居るのは、直斗だけであった。

 

「う~ん、じゃあ直斗君と一緒にお願い出来る?」

 

「ぼ、僕もですか?」

 

『分かった』

 

 直斗も余り化粧関係に詳しそうには見えないが、2人でなら何とかなると思ったのだろう。自分がクマをメイクアップすると言う事に直斗が戸惑う中、零は紙で了承の意を伝えると直斗の近くに近づいて首を傾げる。文字を見せ無くとも、どうすれば良いのかと指示を待って居る事がすぐに理解出来た直斗。一度クマに視線を向けて、最初にするべきことを考え始める。

 

「クマ・ヒメちゃん・直斗組で優勝を狙うクマね! まずは素敵にメイクアップクマ!」

 

「そうだね。ならメイク道具を借りて来ます」

 

「むむっ! 勝負は道具選びから始まるクマ!」

 

『3人で』

 

「……分かりました。行きましょう」

 

 自分をメイクする相手が零と直斗であると分かったクマが楽しそうに言えば、するべき事として必要な道具を思いだした直斗。しかしどうやらクマは何事にもやるからには本気な様子であり、零は取りに行く直斗と選びたいクマの意思を酌んで全員で行くことを提案する。直斗はすぐにそれを了承し、そのまま教室を後にする3人。そんな姿を見て居た千枝は大丈夫そうだと安心すると、自分と同じ様に男性陣に化粧をして居る2人を見て……顔を引き攣らせた。

 

「専属のプロメイクさんが居た時はほぼ毎日それを見てたんだから、雪子先輩より私の方が絶対にメイクは上手いよ!」

 

「見て居れば自分が良くなるとは限らないよ? それに私だって旅館でお客さんにお化粧をする場面も偶にあるからね?」

 

「……何であの2人、揉めてんだ?」

 

「さぁ? 何となく想像付くけどさ」

 

 明らかに何方がメイクが上手いかを競い合って居る2人と、それに巻き込まれて化粧される完二と悠。そんな光景を見て陽介が巻き込まれている2人に同情しながらもその原因について疑問に思えば、最近雪子の事に関して新しい理解を持ち始めて居た千枝はその答えをすぐに察し呆れながら答える。そして小さく溜息をついた時、2人は視線の間で火花を散らしながら声を重ねる。

 

≪姫ちゃん(先輩)にメイクするのは私!≫

 

「いや、あたしらは別にメイクする必要ないから」

 

 その後、無事に何とか男性陣のメイクを終えた千枝たちは『ミス八高・女装コンテスト』を鑑賞することになった。結果として、酷い女装を披露することになった悠・陽介・完二。そんな中、熊田として登場したクマがその美少年の様な姿と女の子の衣装を来たことによって満場一致で優勝を手にする事となる。が、その賞品は何と午後に行われる『ミス八高・コンテスト』の審査員の座であった。そしてそこで調子に乗ったクマは爆弾発言を行ってしまう。

 

『午後の審査は、水着審査にするべがなー!』

 

 当然受け入れられないと思った全員。だが主催者である柏木は余程の自信があるのか、それを了承してしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ミス八高・女装コンテスト』が終わった後、そのまま『ミス八高・コンテスト』が行われる為に準備をする事になった零達。そんな5人の傍には主催者である柏木を始め、以前林間学校で千枝たちに悪夢の様な鼾を聞かせた女子生徒、大谷 花子もその準備に入って居た。

 

「ねぇりせちゃん、今度あのクマ。始末しない?」

 

「珍しく意見があったね、雪子先輩」

 

「いや、あんたら怖いって」

 

「でもどうしますか? 僕達、水着何て持って居ませんよ?」

 

 控室で雪子とりせが珍しく同調するも、その内容に思わずツッコミを入れながら引いてしまう千枝。そんな傍らで直斗は現状の問題について考えて居た。クマによって強制的に水着審査にされてしまった物の、当然水着等用意して居ないのだ。直斗の言葉に千枝が一瞬、「無ければ参加しないで済むんじゃね?」と期待するが、その期待を裏切る様に袋を持った零が近づいて来る。

 

『クマから。中身は、水着』

 

「受け取っちゃったの!?」

 

 見せられたメモを見て目に見えて落胆する千枝。逃げられる可能性を失ったと分かった時、それを見て居た柏木と大谷が嘲笑う様に話しかけ始める。自分の身体に余程の自信があるらしい2人は千枝が出場したく無い理由に関して『惨めに負けるのが分かって怖気づいて居る』と思って居る様子であり、最初は相手にして居なかった千枝も言われる言葉に徐々にイラつき始めて居た。

 

「アイドルなんて言ってもやっぱり餓鬼よねぇ。心も度胸も……体も」

 

「はぁ?」

 

「どうせミス八高に選ばれ様も無い人達だし、辞退で良いんじゃないですかぁ?」

 

「そうねぇ。どうせ負けるんだから、逃げた方が良いんじゃ無いかしら?」

 

「逃げるですって? 誰がアンタら何かから逃げるかっての!」

 

 売り言葉に買い言葉。柏木の言葉に目に見えてイラついたりせとその後に続けられた言葉にキレてしまった千枝。雪子は何とか千枝を抑えようとするが、怒りが頂点に達して居た彼女を止める事は出来ない様であった。

 

「ここまで喧嘩売られて黙ってられないでしょ! ね? 直斗君も辰姫さんも、逃げる何て出来ないでしょ!?」

 

「?」

 

「僕もですか!? そ、そんな簡単に挑発に乗って……み、水着何て絶対に無理です!」

 

 突然振られた言葉にどうして逃げられないのかが理解出来て居ない様で首を傾げる零と、目に見えて動揺する直斗。するとまだ冷静で居られた雪子が千枝の元に近づいて話しかける。……が、

 

「そうだよ千枝。それに私も姫ちゃんの肌を晒すのは流石に……」

 

「良いのよ~? どうせ私達よりも醜い肌を晒すぐらいなら、無理しない方が良いわぁ」

 

「……ふ、ふふふ、今のはちょっと私もカチンと来たかも」

 

 雪子の言葉を遮る様に言った大谷の言葉が雪子の怒りの導火線に火を付けてしまう。結果、直斗と零以外の3人は見返すと言うモチベーションから参加する気を示し始め、逃げ場所の無い現状に直斗は思わず零に視線を向ける。だが零もまた、自分と同じ様に流されて巻き込まれた者。お互いに視線が合い、零が静かに首を横に振れば直斗は思わず肩を落として憂鬱になってしまう。

 

 『ミス八高・コンテスト』は水着審査の前に出場者の発表として一度壇上に上がると言うプログラムになって居た。紹介される順番は立候補した順番であり、柏木と大谷が最初に出て行く中、今度は千枝たちの番になってしまう。

 

『里中 千枝さん! どうぞ!』

 

「うわ、急に逃げたくなって来た」

 

「先輩頑張って! 私達であの2人をぎゃふんと言わせてやるんだから!」

 

 呼ばれた事で急に勢いを目に見えて衰えさせた千枝。その姿に同じ様に柏木と大谷にイラついて居たりせが応援すると、千枝は意を決して壇上へと足を進め始める。途端に聞こえて来る歓声にあがり乍らも自己紹介を行った千枝。まだ顔見せの為にそこまで深く1人1人に時間を割く訳では無く、すぐに次の人として雪子が呼ばれ始める。

 

「じゃあ、行ってくるね?」

 

『頑張って』

 

 千枝と同じくあがり乍ら言った雪子に零が励ます様に紙で見せれば、それだけで強く頷いて進み始めた雪子。そして姿が生徒達に見える様になった時、千枝よりも高い歓声が会場に響き始める。それは雪子が学校内で人気である事の証明であり、その歓声に更に緊張しながらも雪子は自己紹介を行う。その中に自分の家が旅館である事なども伝えて宣伝をする辺り。まだ何処か余裕があるのかも知れない。

 

『久慈川 りせさんです!』

 

「よーし、行っくよ~!」

 

 次に呼ばれたりせはやはり人前に慣れて居るからか、緊張した雰囲気など一切見せずに元気よく壇上に姿を見せる。千枝よりも雪子よりも響く歓声は流石アイドルだと他の者に思い知らせ、りせは慣れた様に自己紹介を行った。……知らぬ者が殆ど居ない為、形だけだが。

 

『白鐘 直斗さんです!』

 

「や、やっぱり僕は場違いな気が……」

 

 直斗は呼ばれると同時に帽子を深く被り乍ら呟いて壇上へと足を進め始める。直斗もりせとは違うベクトルではあるが、テレビに出たり等して居た人物。それでいて最近までは男子と思われて居たために、その恥ずかしがる姿も混ざってギャップを感じる者が多かった。故に歓声が同様に会場内に木魂する。

 

『最後はこの方、辰姫 零さんです!』

 

「……」

 

 袖に隠れて居たのは既に零だけであり、呼ばれた零は緊張した面持ちも何も見せずに全員が並ぶそこに立つ。零も一時ではあるがテレビに出た人物であり、喋らないと言う事から少しだけ八十神高校の中では有名になって居た。故にこうしてこの様な行事に出る事自体が予想外な存在であり、どの様な自己紹介を行うのかと待つ生徒達。そんな彼らを相手に零は……首を傾げた。

 

「辰姫さん、自己紹介ですよ」

 

 今までの流れで理解出来そうな内容だが、当たり前の様に何もしなかった零の姿に思わず隣に居た直斗が助け船を出す。すると思いだした様に零はメモ帳を取り出すと何も書かずに、司会者の元へと歩き始めた。突然自分の場所に来たことに困惑した司会者だが、『予め用意されて居たメモ』を渡されると辰姫 零がどんな人間であったかを思い出して喋り始める。

 

「え~、どうやら代読の様ですので読ませて頂きます。『辰姫 零。家は神社。お賽銭は何時でも歓迎。ご利益があるかは人に寄る』だそうです」

 

 自己紹介の文を自分では無く司会者に読ませると言う行為に生徒の大人数が驚き、それと同時に聞いた事の無い零の声を期待して居た者達が肩を落とす中。その生徒達に混ざって居た悠達や、隣で並んで見て居た雪子たちは普段通りの零に思わず笑みを浮かべてしまう。

 

 今回の『ミス八高・コンテスト』出場者は7名。その全員が壇上に上がった事で、司会者は先程まで行われていた女装コンテストで優勝して審査員の席を勝ち取ったクマに質問をして貰うべく話を振る。するとクマは「自分を怒らせれば不利になる」と軽い脅しを掛けた上で、質問を始めた。

 

「えー、千枝さん。彼氏は居ますか?」

 

「なっ! ば、馬鹿!」

 

「雪子さん。チッスの経験は?」

 

「クマ君、後で絶対に始末するからね?」

 

「じょ、冗談クマよ! な、直斗さん。身体のくすぐったい部分は?」

 

「……は?」

 

「今度、りせちゃんの家に遊びに行っても良い?」

 

「質問じゃないじゃん。クマ、後で覚えときなさい!」

 

「な、何で怒ってるクマ? ヒメちゃん、あの夏祭りに着てたのまた見せて?」

 

「……」

 

 尽く行われるクマの質問は意味を成さなかった。千枝は顔を赤くし、雪子は目から光を消して。直斗はされた質問に呆けてしまい、りせは呆れながら睨みつける。そして零に関しては反応すらせず、クマから放たれた無意味な質問に司会者は呆れながらも次のプログラムへと進める。それはクマによって急遽決められた、水着審査である。

 

 一度控室へと戻った全員は用意された水着を着用する事になった。用意された水着は数種類あり、千枝と雪子は以前林間学校で着た水着を見つけると過去に着たことがある事からそれを選択。りせも自分で選び取り、直斗も出来る限り露出の少ない目立たない物として水着を選ぶ。そして零は……選ぶことすら出来なかった。

 

「はい、これが姫ちゃんの水着だよ」

 

「……」

 

 水着姿の雪子に渡されたのは、上も下も柄の無い真っ白なビキニであった。唯一特徴的なのは、胸の双丘を隠す布と布の間に白いリボンが付いて居る事だろう。他の人が選ぶ中、選ぶ猶予も無く渡されたそれを受け取った零は一度首を傾げる。だが微笑みを見せ乍ら「それが一番似合うと思うの」と雪子が言えば、零は一度それを見た後に何も言わずにその場で脱ぎ始める。そしてすぐに生まれたままの姿になると、まずは下を履いた後に胸部分を付けようとし始める。が、普段水着など付ける機会の無かった零は上手く後ろで縛る事が出来なかった。

 

「姫ちゃ「姫先輩! 私がやってあげる!」……」

 

 苦戦して居る零に手助けをしようとした雪子だが、それを遮る様に零の後ろに立ったりせがそれを行ってしまう。そうして出来上がった零の水着姿に雪子とりせが思わず見惚れる中、零は普段着ない水着に少し興味を持つ様に上下の紐の部分を引っ張ったりなどし始める。男子が居ない為に何の問題も無いが、それでも千枝は零の姿に何処か危機感を感じた。

 

「辰姫さん、あんまりそう言う事はしない方が良いよ?」

 

「?」

 

 感情を上手く理解出来て居ない零は恐らくまだ羞恥心が余り無いのだろう。傍から見れば出場だけでも恥ずかしいこの大会も、何事も無く居られるのは恥ずかしさを余り感じて居ないからである。ある意味今回は救われていると言えるが、もしも壇上の上で同じ様な行為を行ってしまえばそれはもう他人事では無い。故に千枝はしっかりと気を付ける事等を説明し始める。そしてそれを黙って聞き、最後に頷く零。そんな姿に千枝はふと思う。

 

「何か妹とか居たら、こんな感じなのかも……?」

 

「そろそろお願いします!」

 

「あ、はい! ……よし、辰姫さん。行こ!」

 

 何処か自分に比べて頭が良いのに抜けて居る零の姿にそう思った千枝。その呟きに誰かが答える訳でも無く、突然現れたミスコン実行委員の女子生徒が呼びに来たことで千枝は返事をすると覚悟を決める。そして零の手を引き、壇上へと上がるためにその脇へと移動し始めた。当然雪子やりせも着いて行き、直斗もソワソワしながらその後を着いて行く。

 

 その後水着審査は男子生徒の興奮と、恥ずかしがって一瞬姿を見せた後に逃げてしまった直斗の可愛らしさに胸キュンする女子生徒を作り上げる事となった。零は基本的に黙って立って居ただけであり、投票の結果逃げだしてしまった直斗が優勝と言う形で『ミス八高・コンテスト』は幕を閉じるのであった。



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