絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】 (ミカ塚原)
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氷巌城突入篇
プロローグ


 私は、熱を失った。

 

 古びた体育館に響く、シューズの擦れる音。弾むボールの音。ぶつかる肩、足と汗の匂い。パスを求める南先輩の声。南先輩の揺れるショートヘア。南先輩の頬を伝って落ちる汗。

 

 全てがもう、遠い日の幻に思えた。

 

 幻なら、その方がいい。現実だというなら、私のこれまでやってきた事は何だったというのか。私はこれから、どうなるのか。

 

 それとも、私にはまだ、熱が残されているのだろうか。

 

 

絶対零度女学園

-プロローグ-

 

 

 それが起きたのは、梅雨が明けて期末考査が終わり、少女たちが起こりもしない夏休みのロマンスを思い描いている頃の事だった。

 

 先に断っておくと、その事件の被害に遭った三人には大変申し訳ない事ながら、私はその時自分の心を宥めることに全精力を注ぎ込んでおり、他の生徒と同様に同情を寄せていた、と言い切れる自信はない。ごめん。

 

 

 私の通う女子高は、私立ガドリエル女学園という。市街地から微妙に外れた山の間にあり、駅まで遠いとも近いとも言えない、バスで通うにも同様の、もう少しだけマシな場所に建てられなかったのか、という立地である。

 にもかかわらず、制服が古風なワンピースで可愛いとか、それなりに進学率、就職率が安定しているとかの理由で、一定の人気はあった。

 

 私が入学した理由?あとで話す(今は話したくない)。

 

 ともかく、それはある日の放課後に起きた。それが知れ渡った切っ掛けは、どの字を持ってくれば表記できるのか悩むような、生徒の絶叫であった。

 

「◆◆◆◆◆――――!!!!!」

 

 おそらく全国の中学・高校でおなじみの、放課後のブラバンの演奏をシャットアウトするかのように、金切り声が響き渡る。

 ブラバンや軽音楽部など一部例外を除いて、あらかたの部活動や委員会の生徒、教師、用務員たちが、その絶叫の中心地と思われる聖堂に集まってきた。一番最初に来なければならない警備員が、一番遅れて到着したのは言わないでおく。

 

  

 聖堂の前に集まったほぼ全員が、絶句していた。

 聖堂の前庭には、ささやかながらちょっとしたバラ園がある。そのバラの植え込みの通路に、園芸鋏を持った生徒が三人、倒れていた。

 すぐさま駆け寄って安否を確認すべきだと誰もが思ったものの、それを阻む光景が目の前にはあった。

 

 凍結している。

 

 芝生が、バラが、そして倒れた生徒が。傍目に見てもそうだとわかる。その異常な光景に、誰もが行動に移るのをためらった。

 しかし、さすがに絶句ばかりしてもいられない。数名の保健委員が倒れている生徒に駆け寄って、肩を揺すった。

「ちょっと、大丈夫!?」

 そうして、肩や腰に手を当てた生徒が声を出してその手を引っ込めた。

「ひっ!」

 その生徒の反応に、見守っていた全員がつられて仰け反った。

 そこで、警備員が生徒を押しのけて倒れている生徒の容態を確認した。遅れて到着しても、そこはさすがにプロである。

 警備員は即座に無線を取り出して、救急車の手配をした。そして振り向くと、

「お湯とタオルを早く!大量に!」

 と、生徒や教師に向かって叫び、自身は上着を脱いで、生徒の上半身に抱き着いた。そこだけ見れば警察を呼ぶべき光景だが、生徒の冷えた身体を温めるための行動だという事はその場の誰もが理解した。

 

 かくして突然フル稼働を強いられたガス給湯器から、保温ポットやバケツにお湯が溜められ、救急車の到着まで、凍結して倒れていた生徒三名の看護が行われた。

 

 仔細を解説しても仕方ないのでかいつまんで言うと、化学の先生いわく、倒れていた生徒たちは「突然局所的に起こった原因不明の氷結現象によって、極度の低体温にさせられた」のだそうだ。

 運ばれた病院からの連絡では、一命は取り留めたものの、あと一歩で命を落とす非常に危険な状態だったという。

 

 

 以上のあらましを私が聞いたのは、翌日登校してからだった。その様子を見ていたというクラスメイトは、興奮して私に説明した。倒れていたのは環境整備委員との事で、植え込みのバラはその「寒波」で全滅したという。

 化学の先生いわく、そんな現象がせいぜい数メートルの範囲で起こるなどあり得ないらしかった。しかも今は、もうじき夏が本番という時期である。

 

 以上の出来事を聞いて、私もそれなりには驚いた。しかし、それ以上の感情は特になかった、というのが正直な所である。

 

「反応薄くない?」

 ひとしきり説明を終えた、クラスメイトの吉沢さんは眼鏡の奥から私を見た。

「ごめんなさい。驚いて言葉が出ないの」

「そっか。そうだよね」

 咄嗟に取り繕ったが、吉沢さんは納得してくれたようである。

「でも、百合香だっていたんでしょ、体育館に―――あっ」

 そこまで言って、吉沢さんは口をつぐむ。

「ご、ごめんなさい」

 本当に申し訳なさそうに頭を下げる吉沢さんに、私は笑って答えた。

「気にしないで」

「ごめんなさい」

「大丈夫だから。気にしないで」

 私は、本当にそう思っただけの言葉を繰り返して伝えた。

 

 昼休み、自販機にコーヒーを買いに渡り廊下を歩いていると、向こうから三年生の二人組が歩いてきた。一人は、ゆるい天然のウェーブがかった髪が特徴的で、何度も会っているけれど名前を知らない先輩。そしてもう一人は。

「百合香」

 そう私を呼ぶ、ショートカットで切れ長の涼し気な目をした相変わらずの美人は、榴ヶ岡南先輩だった。

「今日は大丈夫なの」

 そう言って私の前に立ち止まると、南先輩はクラスメイトらしき人に「先に行ってて」と伝えた。その人が立ち去るのを待って私は答える。

「はい。ふつうに生活する分には、特に不自由はありませんから」

「…お医者様は何て言ってるの」

 言葉を詰まらせながらも、先輩はストレートに訊いてくる。私は答える。

「肺が良くならないうちは、激しい運動は厳禁だそうです」

「…そう」

 何とも言えない落胆の表情を、先輩は私に向けた。それは有り難くもあり、辛くもあった。

「治る見込みがないわけではないそうです。でも」

 そこまで言って、私は言葉を詰まらせながら、頑張って続ける。

「…何にしても時間はかかる、と」

 それを聞く先輩も辛いのはわかった。先輩と同じ時間を僅かでも共有できる事が私には嬉しい事でもあり、今はまた辛い事でもある。

「わかった」

 それだけ言うと、先輩は私の肩をポンと叩いた。

「百合香。無茶苦茶言うな、って怒鳴ってもいいから、これだけ言わせて」

 先輩が、グレーがかった透き通った目を私に真っ直ぐ向ける。

「たとえこの夏の大会が絶望的だとしても、私はあなたにバスケットをやめて欲しくない。必ず治して、コートに戻ってきて」

 それだけを言うと、南先輩はコンクリート打ちの床を鳴らして、足早にその場を通り過ぎて行った。

 取り残された私は、まだ先輩の手の熱さが残る肩を触って、ひとり呟いた。

「…無茶苦茶言うんだから」

 苦い笑みを浮かべて、私は再びコーヒーを買いに自販機へと向かった。

 

 その時、渡り廊下の西側の窓に、ひとつの人影が映ったように思った。私と同じくらい、髪の長い人だ。服装はよくわからない。

 振り向くと、そこには誰もいなかった。

「気のせいか」

 あるいは、自分が映ったのを他の誰かだと勘違いしたのだろう。

 

 誰もいなくなった渡り廊下に、私の足音だけが静かに響いた。

 

 私は―――江藤百合香は、再び歩き出す。

 

 



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極光

 謎の凍結事件が起きた学園の聖堂前の現場にはその後、警察や消防などの人達が呼ばれて、何日かは物々しい雰囲気だった。白衣を着た、研究員みたいな人達の姿も見えた。

 

 しかし人間というのは、どんな大事件も日常生活の中では、忘れないまでも関心は維持できないものである。

「百合香、デザインの課題終わった?」

 登校した朝、教室に入って来るなり吉沢さんは百合香の所へやって来た。

「うん。もう提出した」

 百合香は答える。

「うげー、さすが才媛だわ」

「その呼び方やめてくれる」

 眉間にシワを寄せて百合香は言った。自分より学業の成績がいい生徒は何人もいる。どうにか優秀グループに属してはいるらしいが、べつにトップではない。

 

 百合香がガドリエル女学園の普通科、キャリア・アスリートコースを選んだのは、小学校から続けてきたバスケットボールのためだった。ガドリエルは強豪の一角であり、かつてはオリンピック出場を果たした選手も輩出している。

 中学ではチーム全体がやや弱かったせいで実力に見合う結果を出せなかったが、江藤百合香という少女の実力は教育の体育系界隈ではそこそこ知られていた。

 

 入学して、予定調和のようにバスケットボール部の入部届にサインをすると、百合香はさっそくその実力を発揮した。ここ数年、地区大会で他校に遅れを取っていたガドリエルに「ガソリン」が注入された、とも評された。昨年は、1年生ながら上級生とともに県予選、ブロック大会に出場し、シューティングガード、そしてセンターを務め勝利し、相手校のコーチを驚かせた。

 

 百合香は、決して驕る人間ではないが、私はこのままバスケットボールの道を駆け上がって行くのだ、という自信と目標を確固たるものにした。

 

 今年、2年の春までは。

 

「特殊なウイルス性肺炎の後遺症によるものです」

 ある日、病院の先生は、診察室で付き添いの母親と百合香にそう言った。

 百合香は2年になってすぐの大会が終わったあと、感染症による肺炎に罹ったのだ。走ると呼吸が乱れ、すぐに息を切らして胸に激痛が走る。当然、部活には出ていない。

「普通に生活している分には、そこまで深刻な事はないでしょうが…」

 先生は、そこで気まずそうに一旦言葉を切る。

「回復するまで、激しい運動は厳禁です」

 その言葉は、百合香を奈落の底に突き落とすに十分すぎた。即座に先生に訊ねる。

「6月の大会は」

「駄目です。絶対に。そして、あなたには受け容れ難いとは思いますが、この肺炎の後遺症は、何年も続く例もあります」

 

 私は、診察室に崩れ落ちた。つまり、もう高校でのバスケットボールは事実上、終わったも同然ということだ。脈を診る看護師の声が遠く聞こえた。

 

 一生分と思える涙をその夜流し、そして朝を迎えると、それまで辿ってきた道の先が、突然崩落している事を改めて実感した。

 

 これから、何をすればいいのだろう。

 

 憧れていた南先輩が自分にかけてくれていた期待も、裏切る事になる。

 

 存在する意味とは何だろう。

 

 突然に襲ってきた虚無感に、百合香は戦慄した。

 何とかという有名なタイトルの、そこらのスーパーで大根を選んでいそうなオバサンが表紙で微笑む、スピリチュアルの本を読んでみた。あなたはありのままで幸せなのです、とある。肺炎の後遺症を抱えている自分は幸せであるらしい。

 自分に起きる出来事は全て自分自身が創造している、自分自身の責任だという人もいた。私はうっかり肺炎を創造したらしい。

 

 

 ともかく、百合香には今の所、何もなくなった。だから、吉沢さんのように楽しそうに近寄ってくる人が不思議に思えた。成績がトップなわけでもないし、バスケットという活躍の場を失った自分に、何の用があるのだろう、と百合香は本気で思っていた。

 その点、南先輩は容赦がないほど明快だ。治るかどうかわからない病気を治して、さっさとコートに戻れ、という。百合香は、南先輩の日本刀のような鋭さが好きだった。

 

「ねえ百合香さん、頼みがあるんだけど」

人が物思いにふけっている所に、吉沢さんもまた彼女なりに容赦なく踏み込んでくる。

「何かしら」

「あのね、文芸部で今度、ミステリの短編をまとめた本を作るの。それでその前に、百合香さんに全員の作品を読んで欲しいのよね」

 一見するとフワフワした印象の吉沢さんは、実のところ押しが強い。真綿を笑顔で押し付けてくるような怖さがある。

「…何作品あるの」

 一応、そう訊ねる。吉沢さんは笑顔で答えた。

「えーとね、8作品ある」

 そこそこ多い。

「トータル60万字くらいかな」

「多い!」

 つい百合香もツッコミを入れざるを得ない。周りの生徒たちが何事かと二人を見る。

「…なんで私が」

「百合香さん、読書家でしょ?いつも難しそうな本、読んでるじゃない」

 確かに、百合香は何かの合間に文庫本を開く事が多い。傍から見れば読書家なのかも知れないが、ミステリは実のところ、それほど読まないのだった。

「他にもっと適当な人がいるんじゃなくて」

 それとなく断ってみるものの、吉沢さんは譲らない。

「百合香さんは何考えてるかわからないミステリアスな所がある。ミステリの感想を求めるにはピッタリでしょ」

 その評価が正しいのかどうか、百合香にはわからない。ため息をついて、百合香は小さく笑った。

「わかったわ。原稿のデータがあるなら、私のスマホに送っておいて」

「やった!」

 ウサギのように吉沢さんは小躍りして喜んだ。その時百合香は、人はそれぞれ情熱を燃やしている事があるのだな、と改めて実感したのだった。

 どのみち、今はやる事がない。それなら、誰かの役に立つのも悪くはない、と百合香は思った。

 

 

 その日は空気が乾いて、まるで秋のような日だった。ともすれば肌寒いほどで、蒸し暑い梅雨のあいだ稼働していた校内のエアコンも、久々の休息を許された。寒がりで有名な高齢の英語教師は、ベストを着込んで授業をしていた。

 

 やがて放課後になると、百合香の机の周りにまたもクラスメイト達が、数名集まってきた。何やら、意を決したような表情である。

「江藤さん、失礼だけれど放課後、お暇?」

 進み出たミディアムヘアの生徒の手には何か、小さなチケットが握られている。百合香は申し訳なさそうに答えた。

「えっと…ごめんなさい、今日は病院に行かなければならない日なの」

 全員の顔を見渡して、百合香は答える。

「そっかー。残念」

「百合香さん、ライブハウスとか興味ないわよね」

 そう訊かれて、百合香は訊き返す。

「ライブハウス?」

「女子高の軽音部が対バンするライブがあるの。その…百合香さん、意外にも海外のロックが好きって聞いたから」

 百合香はぎくりと背筋を伸ばした。どこから洩れたのだ。特に理由はないが、吉沢さんとか、南先輩とか、ごく一部の親しい人にしか趣味の事は話していない。そういえばこの面子は、軽音楽部の人間たちだ。

「…誰に聞いたの」

「やっぱり、ホントなんだ!ねえ、何を聴くの?」

「秘密よ」

 なんで秘密にしなくてはならないのか自分でもわからないが、百合香はスマホに入っている「Rock」というflacファイルのフォルダを開いてみせた。ちなみに、256GBのメモリーカードの半分以上がメタル、プログレで埋まっている。「渋すぎる」「やべえ」「ガチの玄人だ」と、軽音楽部の面子は口々に唸った。

 

 部活を離れて、こうした予想外の方向からのコミュニケーションが起きることに百合香は軽く驚き、そして何となく居心地の良さも覚えていた。

 そして、その居心地の良さにいつか慣れきってしまい、それまでの夢が薄れてしまうのではないか、とも。

 

 そんな事を考えた時、百合香は不意に胸に痛みを覚えた。

「ごほん」

 百合香が小さく咳き込むと、面々が焦ったようにどよめいた。

「江藤さん!」

「大丈夫」

 背中を支え、擦ってくれる。しかし、この程度の事は時々あるのだ。

「ごめんなさい、ありがとう。どのみち今日は病院の日だから、そろそろ失礼するわね」

 心配をかけないように、凛とした所作で立ち上がると、百合香は鞄を取って挨拶をした。

「それでは、ごきげんよう。また来週お会いしましょう」

 才媛、で通っているらしい百合香は、その二つ名を裏切らないよう精一杯努めた。

 

 だが、一礼して顔を上げたとき、百合香は一瞬硬直した。

 

 教室の窓ガラスに、人影が映っている。自分とよく似たシルエットの少女だった。

 それはすぐに動いて消えてしまったが、渡り廊下で感じた時と同じ人影だった。細かい顔立ちまではわからないが、まるで自分を見ているような不気味さがあった。

 

 咄嗟に、その人影が見えた位置を振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。

「どうしたの?」

 軽音楽部の一人が怪訝そうに訊ねる。百合香はその場を取り繕うために、なんとか平静を保ってみせた。

「な…何でもないわ、気のせいだったみたい、ごきげんよう」

 若干顔を引きつらせながら、百合香は教室を足早に立ち去った。

 

 再びの出来事を気にしつつ昇降口を出ると、白衣を着た大学の研究チームといった風情の一団とすれ違った。よくわからない機材を抱えている人もいた。おそらく、例の凍結事件の現場を調査していたのだろう。

『マイクロバーストの一種でしょうか』

『いくら何でも局地的すぎる』

『詳しい解析はまだですが、地中深くに正体不明の低温反応が…』

『下水管か何かじゃないのか』

 何やら専門的で、女子高生にはわからない会話が聞こえた。

 そういえば、あの凍結していた生徒たちはどうなったのだろう。ひとまず命に別状はない、という話だった。ひょっとしたら、百合香が通う病院に入院しているかも知れない。

 

 すると、白衣の人達が歩き去ったあとから、教師たちが数名歩いてきた。ボリュームがある天然パーマの男性数学教師が、腕組みしてしぶい顔をしている。

「何なんですか、あの人達。生徒が倒れたっていうのに」

「興味本位って感じですよね」

 30代前半、前髪を2つにわけたミディアムショートの女性教師が同意する。顔は知っているが、接点が無いので名前を知らない。彼女の口ぶりからするとどうもあの調査チームは、調査の過程であまり感心できない態度だった、という事らしい。

 女性教師は、ため息をついて何気なくあたりを見回した。百合香と一瞬目が合うと、何か意外そうな顔をする。

 何だろう、と思っていると、すぐ顔をそむけて、何やら今後の対応を他の教師たちと話しながら歩いて行った。小さく「彼女ですよね、バスケ部の…」と聞こえる。百合香の事は、やはり教師陣の間でも話題になるらしかった。あまりいい気分ではない。

 

 そして生徒の中には、百合香がバスケットボール部のヒーローの座から病で転落した事を喜び、嘲る者さえいる。才能、実力がある者には、必ず妬み、脚を引っ張る集団が現れるものである。実際、聞こえるように「いい気味だわ」と言われた事もある。

 しかし百合香は元々、そんな器の小さな集団など歯牙にもかけない豪胆さを備えていた。身体を患ってもそれは変わらない。

 

 百合香は校門を出ると、バス停に向かって歩き出した。ブラバンの演奏が聴こえる。体育館の方を見ないように、ゆるい坂を下った。

 その時、百合香はまたも硬直して立ち止まった。

 

 誰かの声が聞こえたのだ。

 

 気のせいではない。百合香は再び周囲を見回したが、今度はガラス等は見当たらない。

 

 すると。

 

『急いで』

 

 百合香の脳裏に、女性の声が聞こえた。少し大人のような声色だ。

 

 誰だろう、と周囲を見渡す。しかし、どこにも誰もいない。

 そのとき、百合香はおかしな事に気が付いた。

 

 いくら都市部から少し離れているとはいえ、あまりにも人や車の気配がなさすぎる。いちおうは政令指定都市である。

 その時、またしても声が聞こえた。

 

『立ち止まっては駄目』

 

 同じ女性の声だ。さすがに、これは「普通の声」ではない、と百合香も感じ始めた。だが、心霊現象は生まれてこの方体験した事がない。病気をきっかけにそういう能力に目覚める事もある、という話を雑誌で読んだ事はあるが。

 言われなくても怖いので、百合香はバス停に人がいる事を信じて、その場を早足で立ち去った。

 

 

 第二体育館では、8月の2回の大会に向けて、ガドリエル学園バスケットボール部が練習に励んでいた。

「ドリブル遅い!!」

 榴ヶ岡南の甲高い声が、体育館の鉄骨に響く。

「西崎!パス迷いすぎ!」

 次の大会で三年生は引退となる事もあり、南もつい指導に熱が入ってしまう。だが、理由がそれだけでない事は部員の誰もがわかっていた。

 

 江藤百合香がいない。

 

 病気で休養していなければ、すでに南の後を継いで、満場一致で百合香が部長に任命されている筈だった。

 

 南が、百合香に並々ならない気持ちを寄せていた事は、誰の目にも明らかだった。その百合香と共に引退試合に臨めない南の心境は、誰にも推し量る事ができない。

 そして現実的な事を言うと、百合香の戦力を欠いたチームが、大会でどこまで行けるか、という不安もあった。

 

「百合香」

 つい、その名を口にする自分を叱るように、南は頭を振った。

 一人の戦力に頼らなくては勝てないようなチームでは、もし万が一にも百合香が復帰できた時に申し訳が立たない。百合香なしで、勝てる所まで勝つ。それが彼女への礼儀だと、南は思った。

 

 それはそれとして、なんて寒い日だと南は思った。梅雨が去って湿気が後退したのはわかるが、この時期にこれほど気温は下がるものだろうか。

「集合―――」

 南がコートに声をかける。汗を垂らした面々が、疲労した腕や脚を引きずって集まった。

「今日はこれで終わる。この低い気温で汗かいたら、体調を崩しかねないからね。明日明後日、大会前に最後の休養をしっかり取ること」

「は――い」

「帰る前に汗ちゃんと拭いてね。全員、万全の状態で大会に臨むこと。悔いなく――百合香のぶんまで、あたし達が戦うんだ。いいね。解散!」

 ありがとうございました、と甲高い輪唱が響いて、面々は用具の片付けを始めた。

「百合香、百合香って」

 呆れたように、黒いジャージを着た顧問の笹丘先生が南に歩み寄った。

「まあ、気持ちはわかるけど。みんな、あの子を主力だと思ってたからね」

「あたしも反省してます。一人に頼るようなチームじゃいけない」

 ボールを拾いながら言う南に、笹丘先生は諭すように言った。

「気合い入れるのはいいけど、エンジンはオーバーヒートすれば止まるんだよ。タイヤに負荷をかければパンクする」

「車は詳しくありません」

「あっそ」

 言っても無駄ね、と笹丘先生は笑ってその場を立ち去った。

「どうせ次で引退なんだ」

 最後に全力を出して何が悪い。南は、睨むように窓の外を見た。

 

 その時、南は空に異様なものを見た。

 

「!?」

 それは、テレビや写真でしか見たことのない光景だった。虹色の光が、カーテンのように空を覆っていた。科学、物理は苦手な南でも、それが何なのかは知っている。

 

「オーロラだ…」

 

 それが日本の本州で、しかも夏に現れる事はあるのだろうか。百合香は妙な雑学を知っているから、訊けばわかるだろうか。

 自分の名前と同じ、南の空に浮かぶオーロラを驚愕の目で南は見た。



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氷の城

 その異変に、百合香も気付いていた。トタン張りの待合室があるバス停に辿り着き、南の空を見ると、生まれて初めて肉眼で目にする、オーロラがあった。

 

 何かがおかしい。

 

 百合香は思った。バスケから離れて以来ずっと気落ちしていて、周りの事などどうでも良かった自分だが、さすがにこれだけ異常な現象が続くと、否が応でも関心を持たざるを得なくなる。

 

 うろ覚えだが日本でも歴史上、オーロラが観測された事例はあったらしい。それも、真冬などではない。スマホでサーチすれば今すぐわかるだろうが、さらに驚く事が起きた。

 

「…うそでしょ」

 

 白いフワフワしたものが空から無数に舞い降りて、アスファルトや百合香の髪を覆い始めた。雪だった。

 日本で夏に雪が降る事例は、北海道とか富士山の何合目以上とか特別な条件下の話であって、降雪地帯ではあっても豪雪はほとんどないこの地方で、いま雪が降る筈がない。

 

 百合香はスマホを取り出して、SNSのタイムラインを覗いてみた。この異常気象の話題が流れているはずだ。

 そう思ったが、アプリには「情報を更新できません」とあり、何分か前の状態からタイムラインは固まったままである。さっき見た、頭がおかしいレベルのキャラ弁の投稿がトップに居座ったままだった。

 

 電波が来ていない。

 

 スマホがなくなったら人間は生きて行けるのだろうか。スマホがない時代の人間はどうやって生きていたのだろう。

 いや、落ち着け。たまたま異常気象で、通信障害が起こる事くらい、レアケースではあっても有り得る話だ。待っていればバスは来る。たぶん。

 

 

 百合香が後にした校舎内では、ちょっとしたパニックが起きていた。

「繋がってないね」

 パソコン部の顧問が、部員とディスプレイを睨んでいた。インターネットの通信が全校で切れているのだ。

 

 そして、もっと根本的な問題が起きた。停電である。

「ひゃあ!」

 文芸部の部室でミステリ短編「きなこもち殺人事件」の推敲をしていた吉沢菫は、突然真っ黒になったディスプレイを前に驚き、そして修正後の保存をかけていたかどうか不安になって叫んだ。

「みんな生きてる!?」

「落ち着いてください、部長」

 後輩が、冷静に壁のスイッチをオン・オフして、停電らしい事を確認していた。

「どうやらこの館は孤立してしまったようですね」

「お前が落ち着け」

 もう一人の1年生が、背後から冷静にツッコミを入れる。

「これはアリバイ工作でしょう。ブレーカーを落としたのは犯人です」

「みんな落ち着いて!」

 菫がバンと机を叩く。冷静な人間が一人もいない文芸部は、もう今日はこれで営業終了かなと思い始めた。

 そして、小説執筆に集中していた面々は、窓の外で起きている事にやっと気付いたようだった。

「…なにこれ」

「アリバイ工作にしては大掛かりですね」

 窓の外は、真っ白な雪景色になっていた。

「さむっ」

「夏の雪。これは小説のネタにできますよ、部長」

 天変地異も文芸部員にとっては、小説の題材でしかないようだ。もう少し驚くとか何とかないのか。物書きってどこかおかしいよな、と自分を棚に上げつつ、菫はようやく落ち着いて、持ち物の整理を始めた。

「今日はこれでおしまい。各自原稿を推敲して、終わったら私の自宅パソコンにメールしてちょうだい。今日来てない面子にもLINEしとこう」

 そこでスマホを開いて、文芸部も電波が切れている事に気付いたのだった。

「やばいんじゃないの、これ。停電に通信障害とか。早いうちに帰ろう」

 パソコンからUSBメモリを抜くなど、各自後片付けをしながら、この現象について雑談を始めた。

「この雪というか寒冷化の前に、謎の凍結事件が起きたのは偶然なんでしょうか」

 ポニーテールに眼鏡の1年生がぽつりと言った。

「確かに。ちょっと偶然にしてはおかしいわね」

 菫は、先日の事件を思い起こしていた。生徒が倒れただけでなく、聖堂前のバラの植え込みが、冷気で全滅してしまったのだ。

「何か、動かしてはいけない石とかを動かしたせいで呪いが発動したのでは」

「いつの時代の伝奇もの?」

 菫は、そういえばこいつ80年代の伝奇小説とかアニメとか好きだったな、と思い起こしていた。自宅の本棚には菊地秀行コーナーがあったはずだ。

「そういえば、この学園じたい、そこそこミステリアスなんですよね」

 もう一人の、ロングストレートに眼鏡の1年生が言う。今の所、部室内は眼鏡着用率100パーセントである。

「ミステリアスって?」

「校名のガドリエルって、堕天使の名前ですよ。有名でないわりに、いちおうリーダー格です」

「そうなの?」

 そういえばこいつ、宗教色の濃いハードコアなファンタジーが好きだったなと菫は思い起こしていた。自宅の本棚にはラヴクラフトコーナーがあったはずだ。

「そうです。たしか、イヴをそそのかした蛇のとばっちりで、責任取らされた堕天使です」

「損な性分の中間管理職だな」

「その堕天使の名前がついた学校で、凍結とか雪とかの事件が起きるって、どういう事でしょう」

 その場にいる三人は、うーんと唸った。三人とも小説家志望であり、脳内でこれを題材に物語が作れやしないか、と考え始めた時だった。

 ドタバタと、廊下を走る音がする。

『残っている生徒はすぐに退校しなさい!急いで!!』

 皮下脂肪多めの中年体育教師の声だ。停電で校内放送が使えないため、教員が手分けして走り回っているのだろう。

「やばそうね」

「帰りましょう」

「そうしましょう」

 眼鏡の文芸部員たちは、頷き合ってクラブハウスを出ることにした。

 

 扉に手をかけた、その瞬間だった。視界の全てが、青紫がかった光に覆われた。

 

 

 

 雪が降り止まない。すでに2センチほど積もっているが、だいぶ軽めの雪のようだ。百合香は、あまり入りたくなかった古いトタン張りの待合室に、雪を避けられるぶんだけ身体を入れる事にした。

 相変わらずスマホのアンテナは立っていない。そして困ったことに、バスが来ない。

「参ったな」

 雪のせいだろうか。ちょっと歩く事になるが、仕方ないので駅まで行って電車で帰る事にした。バスも夏場に雪用タイヤは履いていないのかも知れない。

 そうして、待合室を出た瞬間だった。

 

 ブワッと、何か光の波のようなものが空間全体を走った。青紫っぽい光だ。

「?」

 百合香の背筋に悪寒のようなものが走る。それと同時に、大きな地鳴りが起こった。

「うわっ!」

 慌てて百合香は、頼りない細い角材の柱に掴まった。トタンに貼られた、大昔のレトルトカレー広告のおばちゃんと目が合った。

 地鳴りは、体感では3分くらい続いたように感じられた。だいぶ長く、待合室にひとり佇む女子高生には怖い時間である。百合香は無意識に、南先輩が握った肩に手を触れた。

 地鳴りが収まると、百合香はほっとして周囲を見た。

 

 さっきまで降り続いていた雪が、ぱたりと止んでいる。

「…終わったのかな」

 雪が止んだので、視界も元に戻った。降りてきた坂道が見渡せる。

 そうして坂道の上を見た時、百合香は絶句した。

 

 絶句、という言葉の意味を、百合香は身を持って体験する事になった。

 

 ちょうど、学校があるあたりだ。坂を下ると、斜面や木々に遮られて学校は見えなくなる。

 はずなのだが、今はそこに巨大な影が見える。

 

 

「なにあれ」

 

 

 ようやく出てきた一言ののち、百合香は全力で冷静さを保ち、それが何なのかを理解しようとした。

 

 城だった。

 

 それも、西洋ふうの城だ。

 

 学校の敷地があるあたりに、巨大な西洋ふうの城が鎮座している。

 いや、形は確かにそうなのだが、問題は大きさである。距離感がわからないが、どう見てもガドリエル学園の敷地より大きい。

 むろん、高さも半端ではない。隣にないので比較できないが、少なくとも東京タワーよりは高いのではないか。

 

 あまりにも思考の許容量をオーバーした現実に、百合香はこれが現実かどうか判断する方法はないかと考えた。

 しかし、次に思い至った不安が、他の全ての疑問を吹き飛ばした。

 

 あれが校舎の上にあるというなら、校舎はどうなったのか。

 さっき起こった地鳴りは、あの巨大な城と無関係なはずがない。ということは。

 

 最悪の事態を想像して、百合香は戦慄し、下ってきた道を再び校舎に向かって駆け出した。

 しかし、少し走ったところで肺が悲鳴を上げ、百合香はその場にひどく咳き込んで膝をついてしまった。

「げほっ、げほん!」

 情けない。ほんの何ヶ月か前には、私はバスケットボールを突いて、誰よりも速くコートを駆けていたのだ。胸の痛みとともに、枯れたと思っていた涙が流れてきた。

 

 校舎はどうなったのだ。南先輩は。吉沢さんは。クラスメイトのみんなは。そして、なぜ自分はその時、校舎から離れていたのか。

 

 その時、百合香は自分を急き立てた、あの謎の声を思い出した。

 確かにあの声は、私を校舎から早く遠ざかるように促していた。まるで、この事態を予測していたかのように。

 

 様々な思考が百合香の頭に渦巻いた、次の瞬間だった。それは視界の中を、こちらに向かって歩いてきた。

 百合香は、いよいよ自分の頭がおかしくなったのではないか、と思い始めた。

 

 それは、たぶんゲームか何かでしか見たことがないような存在だった。

 人の姿をしている。正確に言うと、頭と四肢、手指がある点で、人の姿をしている。しかし、どう見ても人では―――否、生物ではない。

 

 動く人間大の、透明な石の人形であった。

 

「ひっ」

 百合香は、声を失ってその場を動けずにいた。その人形は、西洋ふうの甲冑に見えなくもないが、もう少しシャープであちこちが尖ったデザインをしていた。頭は鳥のクチバシのように前方に突き出している。指は人間と同じ五本だが、大昔の映画のジョニー・デップのように爪が突き出している。刺されたらたぶん死ぬだろう。

 

 それが、百合香に向かってゆっくりと歩いてくる。どう見ても、助けにきてくれた人には見えない。恐怖で足が竦んでいるうえ、肺に無理をしたせいで呼吸がまともにできない。

 しかし、逃げないわけには行かない。百合香は、バス停から坂下に向かって、できる限りの歩速で逃げる事にした。登って逃げるのは、体力的にリスクが大きすぎる。

 

 人形の歩速は、百合香よりも少し遅かった。

「はっ、はっ」

 誰か来てくれ、砂利を満載したトラックが通りかかってこの化け物を跳ね飛ばしてくれ、と百合香は心から願った。しかし、どれほど歩いても、軽トラックの一台も走ってくる気配はない。

 人形は執拗に百合香を追ってくる。タイム差をつけられても、トップを走るマシンにトラブルが起きる事を期待して走る2番手のF1ドライバーのように。

 

「うっ」

 弱々しい声と共に、百合香はついに胸に限界がきて、コンクリートの法面に手をついて倒れ込んだ。

 人形は、確実に近付いてくる。コツリ、コツリという足音が大きくなる。これは、もうたぶん助からないだろうな、と百合香は、自分の状況を冷静に分析できる自分にむしろ驚いていた。死ぬ寸前、人間はこうも冷静になれるものらしい。

 

 その人形はゆっくりと百合香に近付くと、透明な青紫色に輝く右腕の爪を高く掲げた。

 

 それが、百合香に向かって振り降ろされようとした、その時だった。

 

 

『心の炎を絶やしては駄目、百合香』

 

 

 あの、女の人の声だった。

 

 次の瞬間、百合香はその日の何度目かの驚愕を体験していた。

 

 

『キィエエェェ!!!』

 

 鳥とも何ともつかない高い叫びを、人形は上げて仰け反った。

 その爪が、床に落としたガラスのマドラーのように、砕け散っている。断面は炎にさらされたかのように溶け始めていた。

 

 百合香は、自分の胸の前で燃え盛るそれを、まじまじと凝視していた。

 

 大きさはバスケットボールくらいある。その表面は、炎が波を打つように吹き荒れていた。まるで、太陽のようだった。

 そしてそれは確かに、百合香の胸の奥から現れたのだ。

 

「何なの…何なの、一体!?」

 その太陽を挟んで、百合香は謎の人形と対峙していた。人形は先程と様子が異なり、百合香に近寄るべきか、逃げるべきか迷い、怯えているように見えた。

 

『恐れないで、百合香。自分の、心の炎を』

 

 再び、女の人の声がした。

 

「誰!?誰なの!?」

 百合香は叫ぶ。

 

『百合香、それを手に取るのです。それは、全てを切り拓く希望』

 

 女性の声は、百合香の疑問を無視して語りかけてきた。

 

 わけがわからない。

 

 しかし、その炎を見ているうちに、百合香は自分の中に、驚くべき何かが眠っていた事を悟った。

 

 それは「勇気」だった。

 

 その炎は、自分の中にある勇気の象徴なのだ。百合香は、そう確信した。

 子供の頃、初めてバスケットボールに手を触れた、その瞬間に燃え上がった心の炎を、百合香は思い出していた。

 

『アギャアア!!!』

 

 不快な叫びを上げて、人形は破れかぶれに百合香に向かって、左腕を突き出して突進してきた。

 

 百合香は迷うことなく、目の前にある炎の塊を両手でがっしりと掴む。全身が燃え上がるように感じられた。バスケットのコートに立つ、あの感覚だ。

 

 地面を蹴ると、百合香は高く跳ね上がり、右手でその塊を、思い切り振り降ろした。

 

「でや―――っ!!!」

 

 振り降ろされた炎のボールは、人形の爪をへし折り、人形の左腕全体を、肩の根本から粉砕した。

 その衝撃で人形は弾き飛ばされ、コンクリートの壁面に身体を打ち付けてフラフラとよろめき始めた。

 

 炎のボールは、地面にめり込んだままグルグルと回転している。

 

「はあ、はあ…」

 

 一体、これは何なのか。あまりにも衝撃的な事が唐突に連続して、百合香はすっかり混乱すると同時に、得体の知れない興奮が沸き起こるのを感じていた。

 

『百合香、忘れないで。人の心にはいつでも炎が燃え盛っている事を』

 

 また、あの声だ。いい加減、百合香は冷静になり始めてもいた。

「誰なの、あなたは!?どこから話してるの!?」

『今は、声を届ける事しかできない。いずれ、私のもとへ辿り 着くでし ょ う 』

 何やら、通信が不安定な動画のように声が途切れ始めた。

『剣を手 に 取るの で s』

 そこまで言って、電源の切れたラジオのように、女性の声は聞こえなくなった。

「剣…?」

 百合香は訝しんだ。剣など、どこにあるというのか。あるのは、足元でアスファルトを溶かしてグルグル回り続ける炎のボールだ。

 

 そこへ、再びさきほどの人形がヨロヨロと歩いてきた。感情があるのかないのか、わからない。だが、何かに操られるようなその姿が、百合香にはひどく哀れに思えた。

 その時だった。

 

 炎のボールが突然、竜巻のように立ち上がった。百合香の身長くらいある。

「!?」

 百合香も、そして人形も、驚いて仰け反った。

「…まさか」

 百合香は、さきほどの声を思い出していた。剣を手に取れ、と『彼女』は言っていた。

 

 百合香は、ゆっくりとその炎の中に右手を入れる。恐れはなかった。百合香の腕は、焼けもしなければ熱くもならない。

 何かが、手のひらに触れた。百合香は、親指を下にして、それをしっかりと握ると、ゆっくりと引き抜いた。

 

 炎の柱がバーンと弾け、百合香の全身をエネルギーとなって覆い尽くす。そしてその右手には、オレンジ色の柄と、黄金の刃を備えた、ギラギラと輝く剣が握られていた。

 

「これは…」

 百合香は、目の前で起きた事に困惑と驚愕を同時に覚えていた。剣など、生まれてこの方握った事はない。こんなものを持たされて、どうすればいいのか。

 そんな事を考える暇も与えず、透き通った謎の人形が百合香に突進してきた。

「!」

 

 一瞬だった。百合香は、自分でも信じられないほど華麗な動きで、黄金の剣の切っ先を人形の心臓部に、真っ直ぐに突き入れた。

 

 剣身から、言葉にできないほど鮮烈で美しい黄金色の光が炸裂し、人形の全身をバラバラに切断した。やがて、崩れ落ちた人形の欠片は、砂粒のような輝きとなって、風に舞い消え去ってしまった。

 

「はあ、はあ、はあ…」

 百合香は、ようやく異形の怪物がいなくなった事に安堵し、その場に片足をついて座りこんだ。

 改めて、炎の中から現れた剣を見る。美しい。こんな美しい物体を見るのは初めてだった。純金のようにも見えるけれど、透明感もある。金属なのか、宝石なのかわからない。

 

 一体、この剣がなぜ現れたのか。そして、いま倒した怪物は何なのか。そこまで考えて、百合香は重要な事を思い出し、校舎の方を振り返った。

 依然として、突如出現した巨大な城は存在している。百合香は、この怪物があの城と無関係なはずがない、と考えた。

 

 そして、奇妙な事だが、町でこれほどの事が起きているというのに、パトカーの一台さえ走ってこない。一体どういう事なのか。校舎の方からも、誰も逃げてくる気配がない。

 

 百合香は、どうするべきか考えた。

 

 いま、自分は謎の怪物を倒す事ができた。保証はないが、もし次に何か現れても、何とかなるかも知れない。

 学園に何が起きたのか、自分が調べなくては。百合香は決心し、黄金の剣を強く握った。

「南先輩…吉沢さん」

 二人は無事だろうか。他のみんなは。もし、自分に助ける力があるのなら、やらなくては。そんな使命感が湧き上がり、百合香はその足を校舎に向け、ゆっくりと歩き出した。

 

 動き回っても肺が何ともない事に、その時の百合香は気付いていないのだった。



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そこに誰かがいた

 その城は巨大すぎて、近付くほどに視界を占領していき、やがて巨大さが実感できなくなるほどだった。

 校舎はまだ残っていた。ただし、校舎の上にその巨大な城が覆いかぶさっている。校舎どころか、城は学園の敷地を大きくはみ出して、地面から立ち上がった巨大な木の幹のような氷の柱に支えられて、あたかも浮かんでいるようにさえ見えた。

 というより、ひょっとして本当に浮かんでいるのではないだろうか。

 

 空には相変わらずオーロラが浮かんでいる。この地域全体が、オーロラで囲まれているように見えた。町はどうなっているのだろう。

 

 校門は、まだ残っている。しかし、門柱は地面から湧き出したように見える氷に覆われて、学校の名前がきちんと読めない。

 城が覆いかぶさっているため、その下はとても暗かった。百合香は、周囲に警戒しながら、そこかしこに立ち上がっている氷の柱に隠れつつ、校舎に近付いてみた。手には、黄金の剣がしっかりと握られている。

 

 当然、恐怖はあった。恐怖、混乱、困惑、焦燥、およそ不安の全てがある。

 しかし、それを打ち消すかのように、百合香の心の奥底からは、静かな勇気が湧き上がっていた。

「校舎は…」

 近寄りながら、小さくつぶやく。

 昇降口は、さきほどの門柱のように地面から盛り上がった氷に覆われていて、とても入れそうには見えない。

 百合香は試みに、比較的氷が薄く見える場所に、黄金の剣を突き立ててみた。しかし、まるで手応えがない。

「剣道もフェンシングもやった事ないしな」

 そういうレベルの問題でない事は百合香もわかっているが、今の状況で冗談のひとつも言わないと、精神が参ってしまいそうだった。

 

 ふと駐車場に目をやると、例の大学だかの調査チームのものらしいバンが、後部ハッチドアを開けたまま氷漬けになっている。中には、たぶん高価であろう意味不明の機材が、冷凍保存されていた。何百万円するのかわからないが、ああなっても使えるのだろうか。

 運転席や座席は、氷が厚すぎて見えない。人がいたとしたら、おそらく生きてはいまい。百合香はぞっとして蒼白になった。校舎も同じ事になっていたら、中にいる生徒や教師たちは、どうなってしまったのか。確かめなくてはならない。

 

 そう思った時、またしても百合香は、氷の壁面にあの人影を見た。自分とよく似たシルエットの人影。

「!」

 まただ。さすがに何度もチラチラと現れると、恐怖や困惑と同時に、微かな苛立ちが湧いてくる。振り返っても、例によってどこにもいない。

「誰なの!?」

 百合香は、あの声の主が彼女なのではないか、と考えた。

「さっき私に声を送っていたのは、あなた!?」

 そこまで声を張り上げて、百合香は自分の肺が何ともない事に気が付いた。

「あ…」

 何ともない。大きな声を上げたり、少し走っただけで悲鳴をあげる肺が、あの氷の怪物と戦った時以来、胸に何の苦しさも感じない。それは、肺炎にかかる前の、健康体と同じだった。

 

 否、それどころか、健康体以上の何かを百合香は感じていた。

 

 さっき、自分はあの怪物に剣を突き入れた。今は昇降口を埋め尽くす厚い氷に、1ミリも切っ先が食い込んだかどうか、という所だが、それならあの怪物の硬そうな胴体を貫く事も、出来たとは思えない。

 

 間違いなく自分に、異様な力が沸き起こったのだ。今は鳴りを潜めているが、それはまだ胸のうちに在る、と百合香は感じていた。

 わけがわからない。あまりにも、出来事の情報量が多すぎる。何が起きているのか誰か教えてくれ、と言いたかった。

 

 だが、百合香は再び、さきほど聞いた無気味な足音で我に返った。

 振り返ると、そこには再び、先程の氷の怪物がいた。

「あっ!」

 どこから現れたのか、百合香は戦慄した。さっき、あの人影に大声で呼びかけたせいで、気付かれたのかも知れない。恐怖と同時に、あの少女への苛立ちがまた湧いてきた。

 

 同じ怪物かと思ったが、少し違う。もっと無骨な、ゴツゴツしたデザインだ。甲冑というよりも、彫刻の途中で歩き出した像、といった所だ。頭も手足も、岩の塊のようだった。指は太く、短い。

 怪物は、百合香の姿を確認すると、太い声を上げて突進してきた。

「ひっ!」

 驚いて百合香は、その場を横に飛んで避けた。怪物は氷の壁面に激突し、厚い氷にヒビが入る。あの体当たりを受けたら、だいぶ悲惨な状態で死を迎える事になりそうだ。

 背中を向ける怪物から、百合香は剣を構えて後退した。竹刀さえ握った事がないので、情けないほど素人の構えになってしまう。クラスメイトの剣道部の彼女に代わって欲しい、そう思った。

 

 バスケットボールで培ったフットワークで、素人剣技をカバーする以外にない。百合香は素人なりになんとか構えの形をつけ、動きが鈍い怪物に斬りかかった。

「えやーっ!」

 剣を振り降ろしながら、素人だなと自分でも思う。それでも黄金の剣の刃は、怪物の肩を直撃した。

 しかし、今度はさきほどの細い人形のようにはいかず、剣は大きく弾かれてしまった。

「うあっ!」

 剣に引っ張られて、百合香は思わず体勢を崩してしまう。映画の剣闘士のようにはいかない。

 そこへ、怪物は体当たりを食らわせてきた。すんでの所で回避したつもりだったが、怪物の腕が背中を掠め、肩甲骨に衝撃が走った。

「あぐっ!」

 これはまずいのではないか、と妙な冷静さをもって百合香は体勢を立て直す。

 しかし自分でも驚いたが、百合香の肩や背中には何のダメージもなかった。

 

 その時気付いた事だが、百合香の身体や制服の表面には、微かな炎のようなエネルギーが波打っているように見えた。どうやら、これがあの怪物の攻撃でも、制服さえダメージを受けていない理由らしい。

 それは少しだけ百合香に希望と安堵感を与えたが、同時に相手もまた、全くダメージを負っていないのがひと目でわかる。

 

 どう考えても殺意をもって向かってきている以上、逃げるか、さっきみたいに倒すかしなくてはならない。

 

 逃げる?一体どこへ?

 

 百合香は考えた。そもそも、自分はどこへ行けばいいのか。何をすればいいのか。というより、何ができるのか。

 相手は、考える暇も逃げる隙も与えてはくれなかった。運悪く、百合香が退避した場所は氷の柱に囲まれた場所だったのだ。

 

 倒すしかない。百合香はそう決意し、勇気を振り絞って剣を構えた。

 だが、自分の未熟な剣技で、どうすればいいのか。いや、そもそも剣道の達人だって、こんな氷の塊と戦う事はないだろう。

 

 その時百合香に、小さな閃きが起きた。

 

 剣道は知らないが、バスケットボールなら熟達している。今すぐオリンピックに出ても、活躍できる自信がある。

 

 剣を、バスケットボールの要領で振るう事はできないか。

 

 そんな無茶苦茶な理屈が、百合香に根拠も保証もない自信を与えた。

 

 それ以上考える間もなく、怪物は腕を上げて再び突進してきた。

 百合香は、これがバスケットボールの試合の相手選手なら、と本能的に考える。ボールはこっちが持っている。ならば。

「はっ!」

 百合香は、相手がわずかに開けた氷柱との間のスペースを、ドリブルで突破する要領で走り抜けた。やった、と心の中で小さなガッツポーズをする。

 

 しかし目の前に、別な氷柱が現れた。このままではボールを奪われる。

 その時、右手方向から声が聞こえる気がした。南先輩の、少しだけハスキーな張りのある声だ。

『百合香!』

 パスを求める先輩の声がする。百合香は振り向いた。怪物が、背中を向けている。首がガラ空きなっていた。

 先輩を信じてパスを送るいつもの瞬間のように、百合香はしっかりと黄金の剣の柄を両手で握り、脚に力をこめ、両腕を一気に突き出した。

「えや――――っ!!」

 

 一瞬の沈黙があった。

 

 百合香が突き出した剣は、怪物の首の付け根に深々と突き立てられていた。その剣身には、太陽の輝きのようなエネルギーが満ちていた。

 百合香の口をついて、言葉が紡がれる。

 

『シャイニング・ニードル!!!』

 

 百合香の全身から立ち昇ったエネルギーが、柄から剣身を伝って、一直線に突き抜けた。

 それは怪物の首を切断して跳ね飛ばし、昇降口のガラス扉を氷ごと貫通した。

 

 ゴトリ、と重く硬い音を立てて、怪物の首が床に落ちる。怪物の首から下は、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、ぴくりともしなくなった。

 百合香は距離を取って後ずさり、怪物が本当に動かなくなったのかどうか、恐る恐る確認した。剣先でチョンチョンと身体をつつき、押してみる。しかし、さっきまで満ちていたエネルギーのようなものが、まるっきり消え去っていた。

 

 ほっと息を吐いて、百合香はその場に膝をついた。どうやら、今度も倒せたらしい。これを一体倒すだけでこれほど苦労するようでは、もっと大量に出てきたらどうすればいいのか。考えただけでゾッとしたので、百合香はまずどこかに身を隠さなくては、と考えた。

 

 その時だった。昇降口から、ビキビキと鈍い音がした。

 

 さきほどの、最後の攻撃の余波が、昇降口を貫いた跡からの音だった。最初は全く歯が立たなかった氷塊を、ガラスごと見事に貫通して、幅10cm程度の穴が開いている。

 その穴を中心に、少しずつ亀裂が拡がって行った。

「あっ!」

 百合香が驚く間もなく、亀裂の入った部分がガラス扉ごと崩落して、なんとか女子が一人通れるくらいの穴ができたのだった。

 

 百合香は周囲を警戒しながら、身体をねじるようにして校舎に入ってみた。比較的身長はある方なのと、バストが若干つかえて苦労した。

 そこには静寂だけがあった。校内にはそれほど大量の氷は侵入していないが、やはりほとんど凍結している。昇降口にある自販機も凍結し、電源が切れていた。

 照明もついていない。停電しているのか、それとも凍結したせいでこうなったのか。

 

 とりあえず、職員室と階段がある方に歩いてみる。

 掲示板を通り過ぎて、職員室や生徒指導室などがある廊下に出たとき、百合香は息をのんだ。

「!!」

 生徒がいた。鞄を持っている。ニコニコして、帰ろうとしているようだった。

 しかし、その姿は異様だった。翻ったスカートのプリーツが、固まったまま静止している。長い髪も同様だった。

 恐る恐る近付いて良く見ると、遠目にはわからないが、全身が薄い青紫の氷の膜に覆われて、凍結していたのだった。

「ひっ」

 百合香は思わず後ずさった。生きているのだろうか。不思議と、死んだようには見えない。しかし、生きているようにもまた見えない。

 よく見ると、彼女の身体から床を伝って、何かキラキラした光が、間断なく流れ出ている。その光は壁や柱を伝って、上に上っているように見えた。

 大丈夫か、と声をかけるのはあまりにも愚かに思えた。大丈夫なわけがない。

 

 今さらだが、異常事態だと百合香は思った。こんな現象、聞いた事がない。

 精一杯冷静さを保って、職員室の開いた扉を見る。話し声ひとつしない。またしても恐る恐る、百合香は近付いて、ゆっくりと室内を覗いた。

 

 なんとか、悲鳴を上げないと心に決めた課題は乗り越えた。しかし、驚きのあまり百合香は硬直して、しばらく動く事ができなかった。

 予想していた事ではあるが、職員室の中の人間もまた廊下の生徒と同様に、普段どおりの動作そのままの状態で凍結していたのだ。提出された課題を、渋い表情で睨んでいる顎ひげの先生。カップに給湯器からお湯を注いでいる、頭頂部が寂しい先生。給湯器から流れ出ているお湯が、動画プレイヤーを一時停止したように固まっている。

 そして応接スペースでは、例の大学の調査チームとその後から歩いてきた数名の教職員が、話し込んでいるそのままの状態で凍結していた。

 

「どういうことなの…」

 かすれるような小さな声で、百合香は呟いた。どうやら、校内の人間はみな、一瞬で凍結してしまったらしい。

 だが、先ほどの生徒と同じように、やはり凍結した教職員らの表情も、まだ生気が感じられるのが逆に不気味だった。

 

 生きている。

 

 直感でそう思った。生きてはいるが、動いていない。

 百合香はその時吉沢さんから、文芸部のミステリ小説の書評を頼まれていた事を思い出した。推理小説の名探偵たちなら、この状況をどう分析するだろう。

 かろうじて読んでいるシャーロック・ホームズは、「どれほど奇妙に思えようと、あり得ない要素を排除して最後に残ったのが真実だ」と言っている。では、あり得ない事、奇妙な事だらけのこの状況は、どう理解すればいいというのか。私がホームズなら、諦めてポワロさんに仕事を丸投げするところだ。

 

 だがその時、名探偵百合香はひとつ気付いた事があった。

 

 応接スペースのソファーが一箇所、凹んでいる。

 

 つまり、そこに誰かが座っていたという事だ。

 もし、ここにいる人達と一緒に座っていたのなら、一緒に凍結していても良さそうなものだ。ソファーもまた凍結してカチコチに固まっているため、この凹みは凍結する瞬間、誰かが座っていたために出来た凹みのはずである。

 

 つまりこの状況は、謎の凍結現象のあとで、この応接間を立ち去った人間がいる事を示している。

 そして、座っている位置からして、これは学校の人間だ。さらに、凹みの大きさは小さく丸い。比較的身体が細い人間のものだ。

 

 この異常な状況下で、無事でいられる人間がいたらしい。おそらく先生の一人だ。その先生は、どこに行ったのか。昇降口も、その隣の来客・教職員玄関も、凍結していて出ることはできなかったはずだ。つまり、校内のどこかに現在もいると考えるべきだろう。この異常を、単身で調べに出た事も考えられる。

 

 百合香は、その「生き残り」を探すため校舎を捜索する事にした。ひょっとして、他にも同じように助かった生徒がいるかも知れない。

 まず、南先輩の無事を確かめる事もあり、百合香は体育館に向かった。

 



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託された者

 この、学園全体や、おそらく町そのものが凍結している異常現象のなかで、校内になぜか一人だけ動いている何者かがいる。それは一体何者なのか。

 

 そこまで考えて百合香は、間違いがあることに気付いた。動けるのはその何者か、だけではない。

 

 

 私もなぜか動けている。

 

 

 もっとも、まだ校舎や町全体を捜索したわけではないので、同じように動ける人がいるのかも知れない。

 そんなことを考えながら、ふと百合香は廊下の壁にかけてある、年代物の温度計に目が行った。

 

 目盛が振り切れている。

 マイナス方向に。

 

 その温度計の下限はマイナス30℃である。それが振り切れているということは、少なくともマイナス30℃以下の気温だということだ。小学校の頃、ちょっとした商店をやっている友達の家の冷凍庫にみんなで忍び込んで怒られた、あの時の温度が確かマイナス24℃くらいだった。それを遥かに超えている。

 

 たしか、日本の最低気温の記録がマイナス40℃強だったはずだ。どこだか知らないが、たぶん北海道だろう。その気温でも人間は生きてはいたという事だ。

 しかし、いまこの学園の中は、どうやらそれを超える恐ろしいまでの極低温にさらされているらしい。

 

 人間や物体が凍結して動かなくなる温度というのは、一体何℃以下なのか。それを説明できそうな科学の先生が、さっき凍結していた気がする。

 親戚のおじさんの家で読んだバトル系の漫画に、ピカピカの鎧を着て絶対零度がどうの、と解説するキャラがいたのをふと思い出したが、なぜ彼は戦闘中に物理の講義を始めたのだろう。そんなことは今どうでもいい。

 

「なんで私、動けるんだろう」

 

 改めて百合香は呟く。それも、ただ動けるだけではない。いま百合香は、半袖のシャツの上に袖なしの薄手のワンピース制服、という服装である。どんな服装も関係なさそうな極低温ではあるが、その状態で寒くも何ともないというのは、どういう事なのか。

 何かの動画で、マイナス10℃の湖でシジミを採って絶叫している熱苦しいおじさんを思い出したが、それを遥かに超えている。

 

「…まさか」

 そう思って百合香は、何気なく胸に手を当てた。

 すると、胸の奥からオレンジ色に輝く光がにじみ出し始めた。

「うわっ!」

 百合香は慌てて、胸を強く押さえる。なんだ、この光は。そう思った時、驚くべき事が起きた。

 右手に握っている黄金の剣が、眩い光に包まれたかと思うと、百合香の胸に吸い込まれて消えてしまったのだ。

「なに、なに!?」

 百合香は、全身を手でまさぐった。しかし、あの剣は胸から現れた光とともに、消え去ってしまったのだ。

 あの剣がなければ、また怪物が現れた時にどうすればいいのか。困る。いや、困るとかのレベルの話ではない。空手部や柔道部でも、あれと徒手空拳で戦うのは考えものだろう。

 

 その時だった。なんとなく予感がして、いつもならグラウンドが見えるはずのガラス窓に目をやる。

 そこで百合香は、心臓が止まるかと思うほどのショックを受けた。

 

 ガラスに映る自分の隣に、もう一人の自分がいる。

 

 いや、顔立ちはまるで同じで、髪も同じロングストレートだが、よく見ると髪の色が黒い。百合香は生まれつきブラウン寄りである。そして、前髪は百合香のように軽くカールしておらず、おかっぱ調に切り揃えてある。

 間違いない。さっきまで何度も現れては消えた、あの少女だ。少女は、ニコニコ笑って百合香を見ている。

 

 もう、異常な現象にいい加減耐性がついてきた百合香は、驚きよりも行動力の方が勝り始めていた。

「逃さないわよ、今度は!あなた、いったい誰なの!?ここに来なさい!姿を現して!」

 今までは振り向いた途端に姿を消されたので、今度は映っているガラスに向かって凄んでみせた。

 明らかに自分の顔なのだが、不覚にもちょっと美少女だな、と思ってしまった。

 

 バン、とガラスに手を突いて、相手の目を見る。不気味なまでに自分の顔だ。ただ、髪が違うので全体の印象は少し違う。なんというか、魔女のイメージだ。

 謎の少女は、ガラスに映る百合香自身と重なって見える。

 そのとき、少女の唇が小さく動いた。何か言っているらしい。同じ言葉を、ゆっくりと繰り返しているように見える。

 

『ゆ り か』

 

 唇の形から、そう呼びかけられているように見える。百合香は、ぞっとして後ずさった。

 すると、少女はまたしても、少し寂しそうな顔をしてすっと消えてしまったのだった。

 

 その時なんとなく、百合香は悪いことをしたような気がして、あの少女に謝りたい、という奇妙な感覚を覚えた。

 それと同時に何かの心霊漫画で、物心がつく前に死に別れた双子が現れる、という話を読んだ事も思い出した。そんな子がいる話、母からは聞いていないが。

 

 ありもしない話を脳内で展開しても仕方ないので、百合香は気持ちを落ち着けて、校内の孤独な探索に戻る事にした。

 

 

 試みにスマホを取り出してみるが、やはり先刻と同じように、電波は届いていない。無線LANを拾っている様子もない。もっとも停電しているようなので、おそらくLANルーターも何もかも稼働していないのだろう。バッテリーは少しずつ減っている。充電用予備バッテリーはカバンの中に―――

 

 そこで百合香は大変な事に気付いた。バス停の外で例の怪物と戦った際、カバンをどこかに投げ出してきてしまったらしい。今この状況で、盗難に遭う心配はないかも知れないが、紛失するのはまずい。

 バス停まで、そこまでの距離はない。取りに行くべきか。道中、またあの怪物と遭遇したらどうするか。思考が百合香の中で渦巻く。しかし、まず南先輩が心配だ。先に、彼女の安否を確かめるために、体育館へと急いだ。

 

 

 百合香が凍結した校門に辿り着く少し前、学園校舎の屋上に向かう階段のドアの、鍵を回す手があった。ドアには『許可なく生徒の立ち入りを禁ずる』と貼り紙がある。

 その人物はドアを開けると、周囲を氷に閉ざされた屋上に出た。コツリ、コツリと硬い足音が響く。

 屋上には、天に向かって延びる氷の階段があった。足をかければ即座に滑って踏み外しそうだが、その人物は恐れる事なく、何事もないかのようにその階段を上って行く。その先には巨大な氷柱が不気味に垂れ下がって連なり、階段は暗闇の入り口に向かって続いていた。

 

 

 第ニ体育館に着いた百合香を待っていたのは、予想していた事ではあるが、戦慄の光景だった。

 バスケットボール部の面々が、先刻の職員室にいた人間たちと同じように、恐怖も苦しみも見せず、後片付けをする姿勢のまま凍結していた。手に持ったバスケットボールは、そのまま一緒に凍結している。

 

 そして、不安を増大させる間もなく、百合香の視界には榴ヶ岡南の姿が入ってきた。

「先輩!!!」

 百合香は駆け寄り、南の腕や肩に手をかける。やはり、彼女もまた水晶のように凍結していた。手には準備室の鍵が握られているが、その鍵も揺れた状態で斜めになって固まっていた。

「先輩…」

 恐る恐る、その整った顔に手を当てる。まるで陶器の人形のように硬い。百合香は、恐れのあまりその場に尻をついて崩れ落ちた。

「なんてこと…なんてこと」

 どうすればいいのだろう。彼女は生きているのか。そうは思えないが、仮に生きているとして、この状態から助かる術はあるのか。

 そして、百合香は文芸部の部室にいるであろう、吉沢さんの事も思い出した。しかし、ここまで来ると行っても同じ事なのではないか、という気持ちになってきた。

 

 それまで百合香の心を支えていた根拠のない勇気が、ここにきて突然揺らぎ始めた。しょせん、16歳の少女である事を百合香は悟った。

 いや、たとえどんな頑強だったり聡明な人間であっても、この状況では何もできる事などないのではないか。

 

 しかし、百合香には恐怖している暇さえなさそうだった。床に倒れ込んで視点が低くなった事もあり、窓の外に目が行った。

 

 何かが浮いている。

 

 それは、距離感がはっきりしないものの、巨大な球体だった。大きさは乗用車くらいありそうだ。それが、ドローンのようにフワフワと、体育館のずっと向こうの校庭を動いている。

 

 直感的に百合香は危険を覚えて、それが目に入らない壁の裏に身を伏せた。

 少しだけ顔を出し、それが何なのか確かめてみる。

 

 その物体がくるりと横方向に回転したとき、百合香は気が付いた。

 

 目だ。

 

 巨大な、眼球のオブジェのようなものが浮かんでいる。まるで、周囲を警戒しているようだ。

 

 その不気味さは、言葉に喩えようのないものだった。

 唐突に、百合香の心臓が鳴る。見付かったらどうなるのか。襲いかかって来るのではないか。今は、さっきまで身を守ってくれた剣もなくなってしまった。

 

 あれは、ひょっとして侵入者を発見するための何かではないのか。もし見付かったら、さっきの怪物たちが大挙するのではないか。そうなったら、私はどうなるのか。

 

 先輩の方を見る。コートの上では誰よりも頼もしい南先輩が、今その全身を凍結させられて動かないままでいる。

 

 こんな状況で、なぜ自分だけが動いているのだろう。こんな恐怖と不安を体験するくらいなら、みんなと同じように氷の像になっている方が、良かったのではないのか。

 

 

 そんな事を考えた時、ふと百合香は、バスケットボール部に入部してさほど経っていない初夏の、ある試合を思い出していた。

 百合香たち1年生は、まだ重要な試合には出場していなかった。その試合も、県大会などには繋がらないものの、そこそこ重みのあるものだった。

 

 その試合の終わりが見えてきた段階で、ガドリエルは1点差をずっと覆せないままでいた。

「3番が限界」

 ベンチでふと、百合香はついそう口に出してしまった。慌てて口を押さえる。縦社会の運動部で、先輩にケチをつけるのはご法度だ。

 周りの1年生がぎくりとして百合香を見るが、聞かなかったフリをしてくれた。

 

 しかし3番、スモールフォワードを務める2年の先輩が、ここという場面でなかなか活路を見い出せないのが見てわかる。相手は強豪であり、むしろ1点差で抑え続けているだけでも凄い事である。相手は、リードを拡げられない事に苛立っているようにも見えた。

 

 その後、コーチと榴ヶ岡先輩が、少し真剣な顔で話し込んだあと、スモールフォワードの先輩がベンチに下がった。

 まだ上級生に控えはいる。体力がある選手と後退すれば何とかなる、とベンチの1年生達は期待を込めた。

 しかし、その1年生がいるベンチに、コーチが歩いてくる。

「江藤、出なさい。3番」

 

 その瞬間、頭の中が真っ白になった。ちょっと何言ってるかわからない、と脳内でお笑いコンビの片方がボケているのが聞こえた。

「聞こえた?江藤百合香さん、出て」

 強めの口調でコーチが言うと、百合香の背筋に緊張が走る。どうやら、冗談抜きでスモールフォワードを任されるらしい。負ける直前の1点差の試合で、まだ高校での大会には出ていない1年生に。

 何を考えているのだ。そう思いながら、百合香は周りのみんなの顔色を見ながら、恐る恐る立ち上がった。

「い…行って来ます」

 何て締まりのない、と自分でも思ったが、とにかく百合香はスモールフォワードを交代してコートに出た。榴ヶ岡先輩が駆け寄ってくる。

「いい、江藤さん」

 憧れていた先輩の顔が近付いてきて、百合香の緊張は倍化された。

 

 その後、何を話して、試合でどう戦ったのか、覚えていない。気が付いた時には3点差でこちらが勝利しており、相手校のコーチや上級生たちが、あいつは何者だ、という目で百合香を見ていた。

 榴ヶ岡先輩は、よくやった、偉い、と言って汗まみれの身体を押し付けてきて、背中を叩かれた。先輩の汗と私の汗が混じる。

 

 

 あの時、なぜ私は唐突に任されたのだろう。いや、そこはもっと単純に考えるべきなのはわかっている。しかし、それを引き受けるのは、けっこうな度胸が要る。

 

 では、今この状況で、なぜ私だけが、まるで何かを任されたように、一人だけ校内の探索をしているのか。誰かが、何かを私に託したというのか。

 

 そうであるなら、何をすればいいか、誰か教えてくれてもいいのではないか。

 

 そこまで考えて、百合香はあの謎の『声』の事を思い出した。

 考えてみれば、あの声に急かされて百合香は、学校を出る形になったのだ。やはり、学校がこういう事態になる事を、あの声の主は知っていたとしか考えられない。

 もし、百合香がまだ校舎に残っていたら、先輩たちと同じように、氷の像になっていたのかも知れないのだ。

 

 コーチと先輩は、試合に勝つために私をコートに配置した。では、あの『声』の主は、何を私に求めているのか。

 あの剣が現れたのも、声に導かれての事だった。剣は戦うための道具、武器だ。つまり、何かと戦うためにあの剣は現れた。何かに勝つ、何かを打ち倒すために。

 

 今まで起きている事を総合すれば、小学生でもわかる事かも知れない。私は学校の上空に現れた、巨大な城を何とかするように言われているのではないか。

 

 冗談もたいがいにして欲しい。百合香は心の底から思った。何とかしろって、どうすればいいのだ。解体業者が途方に暮れそうな、あの巨大な城を。

 あの城が、全ての元凶であるらしい事はなんとなくわかってきた。正体不明の怪物たちも、おそらくはあの城から出てきたのだろう。

 

 今さらだが、学校の上空に唐突に現れた、あの城は何なのだ。

 

 再び、百合香に恐怖を上回る怒りが沸き起こってきた。あれが元凶だというのなら、バラバラに解体してやらなくてはならない。

 百合香は、拳を握って立ち上がると、窓の外で不気味に浮遊する、巨大な眼球を睨んだ。

 

 その時だった。百合香の胸が再び、眩く輝き始めた。

 



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氷の階段

 百合香の胸元から、制服をすり抜けるようにして、さっきバス停付近で怪物と対峙した際に現れた、あの炎のボールが再び現れた。咄嗟に、体育館の外から見えない場所に隠れるように移動する。

 

 なんとなく、この太陽のような球体が現れるパターンがわかってきた。これはあの黄金の剣の「収納箱」みたいなものなのだ。

 そして、おそらくだが、それは百合香が身の危険を感じたり、闘争心が昂ったときに現れている。

 

 だが、現れたり現れなかったりするのは非常に不安である。これは、コントロールできるのだろうか。

 

 そう思った時、球体はゆっくりと胸元に吸い込まれるように消えて行った。

 

「これは…私の気持ちに反応しているの?」

 

 状況を整理するため、百合香は言葉にしてみる。どうやらこの「太陽」は、百合香の意思によって操作できるらしい。

 ふと、立って凍結している南先輩と目が合った。

 

「…先輩」

 

 百合香は、静寂と闇が支配する体育館で、決意したように足に力を入れる。ゆっくりと、コートの真ん中に立つと、すうっと息を吸い込んだ。

 先輩たちは生きている。学校の、凍結しているように見える人達も、全員生きている。

 

 そう、断定することにした。

 

 もし、今まで一緒にいた人達、好きな人も嫌いな人たちも、全員が一度に死んでしまったというなら、それはあまりに衝撃的な事だ。耐えられそうにない。

 だから百合香は、まだ彼女たちは生きていて、救えるのだと考える事にした。

 

 根拠は何もない。しかし、あの試合で百合香をスモールフォワードに抜擢したコーチや先輩だって、百合香が中学でエースだったというそれだけの根拠しかなかったはずだ。

 ならば、私にこの状況を覆せないという根拠も、どこにもない。

 

 静かに、胸元に心を集中させる。すると、その呼びかけに応えるように、炎の塊が、今度は迷いのない動きで眼前に現れた。

 百合香はその表面にそっと手を当てる。炎の塊、太陽は、一瞬ピンポン球のように収束し、光が弾けるように再び黄金の剣の姿になった。

 

 いや、よく見ると先程と色味やデザインが違う。先程の、見ようによっては品がないと言えなくもなかった黄金の両刃の剣身が、もっと落ち着きのある金色に変化したのだ。それはあたかも純度の低い金から、24金に精錬されたような印象だった。

 柄のデザインも、先ほどの刺々しさが見られる角ばったものから、まるで品位の高い指輪のような形状に洗練された。

 

『純度が低ければ金のアクセサリーでもいつか濁る。でも、限りなく純度が高くなれば、卑金属と勝手に私達が呼んでいる、鉄だってほとんど錆びなくなるのよ』

 

 子供の頃、母親が説明してくれた事を思い出す。

 私は純金か、それとも鉄か。どっちでもいい。目的を果たせるのなら、金でも鉄にでもなろう。百合香は、金色の剣をその手に静かに握ると、南先輩の前で胸元に掲げた。

「一人の試合は不安だけど、行ってくるね、先輩」

 

 

 

 行ってくるとは言ったものの、どこに行けばいいのか、勇んで体育館を出た百合香は早々に頭を抱えた。そもそも結局のところ、まだ事態の全容は全くわかっていないのだ。

 

 勉強の要点をルーズリーフにまとめるように、百合香は現在の状況を整理することにした。

 

・冷凍庫より寒い。

・たぶん町全体が凍結している。

・人も凍結しているが、生死不明。

・超巨大な城が現れた。

・氷か水晶みたいな怪物が現れた。

・大人の女の人の声が指示してきて助かった。

・自分の身体から太陽が出てきた。

・太陽が剣になった。

・ガラスに自分そっくりの美少女が現れる。

・どうやら職員室の、たぶん先生に無事な人がいる。

 

 他にも細かい事は色々あるが、大まかにはそんな所だろう、と百合香は頭の中で考えた。

 そこで最大の疑問は、そもそもあの城は「誰が」造ったのか、という事だ。

 

 校舎は教育のため、あるいは私立なら経営の意味もあって建てられる。病院は医療のために。本屋は本を売るために。全ての建造物は、目的があって建てられる。

 では、城は何のために建てられるものか。

 

「…支配するため」

 

 百合香は、古今東西の城に共通する、その目的を呟いた。城は、その場所を支配、統治するための拠点として造られる。

 では、何者かがこの土地を支配するために、あの城を造り上げたというのか。政令指定都市とはいえ、中心からだいぶ外れた山間の土地を支配してどうするのか。しかも、人間をカチコチに凍結させてしまっては、税の取り立ても出来なくなりはしないか。

 

 冗談はともかく、ひとつだけわかっている事がある。これは、獣の群れが力と本能に任せてナワバリを作ったのではない。明らかに、高度な知性を持った何者か、それも超常的な力を持った何者かによって、おそらく計画的に引き起こされた事態である、ということだ。

 自分の胸から炎の塊が飛び出したり、声がしたり幽霊か何かがガラスに映ったり、全てが通常の理解を超えている事はわかりきっている。もはや問題は何が起きているかというより、何者が引き起こしたか、という点についてだ、と百合香は考え始めていた。

 

 答えが見付からず、特にあてもなくもう一度職員室に戻ると、百合香は教員のデスクの電話から受話器を持ち上げてみた。有線ならひょっとして、外に通じるかも知れないという期待を持ったのだ。

 しかし、それは無駄だった。受話器は本体に凍結して張り付いている。そもそも停電していて、本体が動いていないのだ。

 

 だいいち、こんな異常事態に警察や消防、あるいは自衛隊だって、動かないわけがない。理由はわからないが、どうもこの学園あるいは一帯が、外界と隔絶しているらしかった。

 

 再び、百合香は先ほど見た、誰かが座っていたらしい応接スペースのソファーの凹みを見る。

 スリムで形のいいヒップだ。そして注意深く見ると、女性用のショーツの型が見える、ように思える。

 

 といっても、女子校なので女性教員は何人もいる。しかもヒップの形なんて、よほど太ってもいない限り、特定しようがない。ソファーの跡で女性を特定できるのは、どちらかと言うと変態ストーカーおじさんの部類だろう。

 

 しかしそこまで考えて、百合香は改めて気が付いた。さっき体育館まで移動する最中、足音も立てたし、あのガラスの少女に向かって声を張り上げもした。

 にもかかわらず、誰も百合香の存在に気付いている様子がない。これだけ静かなら、隣の棟にいたって気が付くだろう。

 

「…この人はすでに校舎にはいない」

百合香は、そう結論付けた。それ以外に説明がつかない。おそらく校舎はさっき見てきたように、周囲を氷に閉ざされて出ることはできなかった。百合香が穴を開けて侵入する前にこの女性がここを移動したと言うのなら、どこに移動したのか。

 昇降口や窓から外に出られないというのなら、校内に出られる場所はもう特定されたように思えた。

「…上か」

 それしかない。そして、教員なら屋上への鍵の場所も知っている。推測だが、その教員は屋上からの脱出を考えたのではないか。

 

 百合香は、まず今いるA棟の屋上に至る階段を上ってみた。すると床に、ドアを開けて凍結した床面を引いた跡がある。驚きながらも、その痕跡を観察した。

 しかし、百合香は奇妙なことに気付いた。今まで見てきたドアや窓は、極低温で張り付いて、動かせなくなっているものがほとんどだった。なぜ、このドアは開けられたのだろう。

 そう思ってドアノブに手をかけると、百合香はまたも驚いた。やはりドア全体が凍っているのだ。ドアノブは軸自体、凍結して回せなくなっている。鍵を差し込めたとも思えない。どうやって、「彼女」はここを通過したのだろう。

 

 そこまで考えて、百合香は背筋が凍り付くのを感じた。

「…このドアの鍵はどうやって取り出したんだろう」

 百合香は、いつも先生が準備室などの鍵を取り出す、職員室の壁掛けスチールケースを思い出していた。あの中に、屋上への鍵もあったはずである。

 しかし、あのスチールケースだっておそらく、他の物体と同様に凍結していたはずだ。南先輩の手にあった鍵は、斜めに振れた状態で硬直していたのだ。まるで時間が止まったかのように。

 

 どうやって凍結したケースを開け、鍵を取り出し、鍵を開け、ドアノブを回して外に出たのか。

 

 

 それはつまり、凍結状態をコントロールする方法を知っている、という事に他ならないだろうか。

 

 

 百合香はひとつの、空恐ろしい推理に到達した。

 

 この、異常現象を事前に知っていた人物が、学園内にいたのではないか。

 

 こういう事態になる事を知っていて、自分は何らかの知識によって、その影響から逃れ、屋上からどこかに消えた人物だ。

 

 でなければ、ここまで冷静な行動は取れない。恐怖に我を失って脱出を考える人間が、こんなふうにドアをきちんと締めて脱出するなんて事、あるわけがない。ドアを開け放したまま大声を上げて外に飛び出し、助けを求めるのが普通だろう。

 

 しかし、あの応接スペースのソファーに座っていた人物は、凍結現象に学園が見舞われた事を確認すると、慌てる事なく屋上へのドアの鍵を準備し、おそらく百合香が最初の怪物と戦っていた時間に、悠然と屋上に出たのだ。

 

 そして、外にいた百合香は校舎から誰も出てこなかった事を知っている。この状況から導かれる結論は、たった一つしかない。

 

 

 その何者かは、屋上からあの城に上ったのだ。

 

 

 つまり、ソファーに座っていた何者かは、あの「城」側の人間、ということだ。

 

「…裏切った、という事なの」

 そう呟く百合香の声は、かすかに怒りで震えていた。

 

 あの城は何の目的か知らないが、突如現れてこの学園の平穏を奪った。それを知っていながら、それを当然のこととして看過し、自分は ―おそらく安全な― あの城に移動したのだ。

 

 一体、あの城には誰がいるのか。何があるのか。

 

「――――許せない」

 

 百合香の剣を握る手に力が入る。それに呼応するかのように、剣は白金色の輝きを放ち始めた。

 

 何の目的があるのか知らないが、学園をこんな目に遭わせる者に、正義なんかある筈がない。たとえ神様がそう言ったとしても、私は認めない。

 

 百合香は、居合抜きのような姿勢で剣を構え、ドアノブめがけて一閃した。

 ドアはノブごと水平に切断され、その断面を中心にドア全体がバラバラに崩れ落ちた。屋上への出口が開いたその先には、青紫色に鈍く光る氷でできた、天に向かって延びる階段が見えていた。

 

 もはや、選択肢はない。私はこの剣を携えて、あの城に乗り込むのだ。百合香は、そう心に決めた。あの城の正体を解き明かし、可能なのかはわからないが、みんなを助ける。

 百合香は、不気味に浮かぶ城の底部に延びる階段を睨んだ。ここを上れば、あの城に入れるかも知れない。

 

 だが、どう考えても安全な場所には思えない。そもそも中には何がいるのか。さっき現れたような怪物が、何体も蠢いているのではないか。

 そして城であるなら、「長」がいるはずだ。それは一体、何者なのか。さらに、この学園の人間でありながら城に逃げ込んだ「X」の正体は。

 

 そして、入ったら生きて出られるのか。

 

 いざ階段を前にして、16歳の少女の足がすくんだ。一人の女子高生に何ができるのか。アテになりそうなのは、右手に握った金色の剣だけだ。

 こんなに緊張するのは、いつ以来だろう。百合香の脳裏に浮かんだのは、南先輩とLINE交換してから、初めてメッセージを送った時だった。どんな文面なら気を悪くされないか、二言三言のためにさんざん時間をかけて考えた挙げ句、送信ボタンを押す決断にさらに時間を要した。正直、県大会に出た時の百倍緊張した。

 

「…あの時に比べたら」

 百合香は剣を構え、かすかに震える足を踏み出す。

 

 行くぞ。

 

 そう、心で呟くと、ゆっくりと階段に近寄って、一段目に足をかけた。氷でできてはいるが、不思議と滑る様子はない。

 城の底部には入り口のようなものが見えるが、暗闇で下からは見えない。上っても入れるかどうかはわからない。

 しかし、閉じているならまたこの剣で切り開いてやる、と百合香は思い、その自分自身の勇気に驚いていた。

 

 一段、一段と上るごとに、城は近付いてきた。

 



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剣闘士

 オーロラが不気味に輝く鈍色の空が、水晶のように澄んだ氷の窓から見える。

 豪奢な青い絨毯が真っ直ぐに引かれた大広間の最奥に、黒曜石のように滑らかに輝く素材で造られた座があり、そこに暗灰色の鎧を纏った何者かが足を組んで座っていた。顔は鎧と同じ色の仮面で覆われている。座は、その体格よりも幾分大きく見えた。

 

 その何者かは、座を立つと窓の前に行き、不気味に美しく広がる空を睨んだ。

 

 

 

 江藤百合香は、氷の階段を恐る恐る上り切ると、巨大な城の底部に開いている入り口に到達した。

 入り口の奥はやや長い通路になっている。100mより少し短いくらいか。学校の廊下より少し狭い。壁も床もゴツゴツしていて、とりあえず歩くためだけ造られた、という印象だ。

 

 学校指定の紐なしローファーは、こんな床面を歩くためには出来ていない。ファンタジーやバトル系の漫画やアニメで、紐なしローファーを履いた学生が悪役相手に飛んだり跳ねたりして戦っているが、あれはウソだろう。生きて帰ったのち本棚の漫画を読んだら、だいぶイメージが変わりそうだと百合香は思った。

「体育館でバスケのシューズ拝借してくれば良かった」

 そうつぶやいて、カチコチに凍ったシューズを拝借しても履きようがない事に気付く。

 

 そんな事を考えながら通路を進むと、通路は右に折れていた。

 壁じたいが微妙に透明感のある素材で出来ており、完全な暗闇ではないので、かろうじて視認はできる。注意しながら百合香は、通路を右に曲がった。

 すると、すぐに短い階段が現れた。奥は通路よりは明るく見える。

 百合香は、剣が手にあることを確認して、階段を上った先に何があるのかを確かめるため、身を屈めてゆっくりと移動した。

 

 物音を立てず、静かに階段から顔を半分だけ出す。すると、そこは通路だった。やはり切り出しただけの雑な通路だったが、だいぶ広い。ソフトボール部員がフルスイングで素振りをしてもお釣りがくる。

 等間隔で青白く光る、石のようなものが天井に埋め込まれていた。まさか電力など入っていない事は百合香もわかっている。たぶん、魔法のような超常的な原理の照明なのだろう。ここまで来ると、もう何でも頭に受け容れてやろうという気になっていた。

 前後どっちに進めばいいのかわからず、とりあえず階段から出てきた方向に向かって歩くと、通路は左に折れていた。

 

 その時の自分が迂闊だったと言われれば、そのとおりですと認めざるを得ない。百合香は何の警戒もせず、昼休みに図書室へ本を返しにでも行くかのように、その角を曲がった。

 

 本当に心臓が止まるかと百合香は思った。そこには、またもあの、青紫色の氷でできた、人形がいたのだ。しかも、ご丁寧に今回は槍まで持っている。

「!!!」

 本当に驚くと、悲鳴さえ出ないのだと百合香は知った。喉が引きつり、肩甲骨が持ち上がる。

 槍の人形は、百合香を認識すると当然のように攻撃してきた。百合香は焦ったが、戦闘も3度目である。突き出された槍を、ドリブルで相手をパスするようにかわすと、だいぶ細身の人形の右横に出た。相手は腕を突き出しており、胴がガラ空きになっている。

「えやっ!」

 百合香は、金色の剣で相手の手首を斜め上に斬り上げた。パーンと小気味よい音がして、砕けた人形の手首もろとも、長柄の槍が宙を舞い、床に落ちる。やればできるじゃないの、と百合香は心の中で自分に喝采を送った。

「ギィエエエ!!」

 鳥か獣かわからない不快な声を上げて、人形は残った左腕を落ちた槍に伸ばした。そうはさせまいと、百合香は間髪入れず剣を両手で振り下ろす。

「めーん!!」

 明らかに狙った先は面でなく小手なのだが、剣道部でもないので問題はない。ともかく、振り下ろされた剣は人形の左手首を切断し、槍を拾いそこねた人形はバランスを崩して、壁に激突した。

 チャンスだ、と百合香は剣を大上段に振り上げる。シュートできる一瞬のタイミングを突くように、人形めがけて全力で振り下ろした。

 

『ディヴァイン・プロミネンス!!!』

 

 再び、口をついて言葉が紡がれ、剣身が真っ赤な炎に包まれた。

 振り下ろされた剣は、炎とともに人形の頭から胴体を一刀両断し、割れたその身体は蒸発するように、光となって燃え尽きて行った。

 

「ふう」

 先ほどまでと異なり、百合香の呼吸は落ち着いていた。これは、戦いに慣れてきた証だと百合香は思った。スポーツも、慣れてくると疲労のしかたが変わってくる。たった3度の戦闘だが、スピードと一瞬の判断力が要のバスケットボールで培われた、百合香の経験値のなせる業だった。

 いける、化け物相手でも私は戦える、百合香はそう確信して、少しだけ自信を持つ事ができた。

 

 しかし、その自信もさっそく揺らぐ事になった。今の戦闘に他の怪物たちが音で気付いたらしく、同じ槍を持った人形が、今度は2体もガチャガチャと走ってきたのだ。

「わあ!」

 冗談ではない。百合香は咄嗟に足元に転がる槍を奪うと、歩いて来た反対方向に取って返した。

 しかし、百合香が握った槍は、百合香の手から拡がったエネルギーによって、だんだんと溶け出してしまった。

「何よ、これ!」

 役立たず、と百合香は通路に放り投げ、改めて自分の剣を構えて振り返る。

 再び剣に力を込めると、今度は大上段ではなく、横薙ぎに炎のエネルギーを撃ち放った。

「でえやーっ!」

 炎は、手前にいた人形の胴体を真っ二つにし、後方にいた人形の槍を打ち砕く。それに怯んだ人形は、一瞬その場に立ち止まった。

「せい!!」

 チーターのように一瞬で間合を詰め、切っ先を真っ直ぐに突き入れる。

「オゴエエエ!!」

 またも不気味な声を響かせて、人形はその場に崩れ落ちると、2体とも蒸発するように消え去ってしまった。

 さすがに2体も強引に倒すと、エネルギーの消耗がある。百合香は、他に追っ手がいない事を確認すると、身を潜める場所を探すためにその場を立ち去った。

 

 とても身を隠せているとは思えないが、通路の脇に少し凹んだスペースがあったので、百合香はそこに引っ込んで呼吸を整えることにした。

 予想できた事ではあるが、やはり城内には敵がいた。そして、どうやら敵にも色々な種類がいるらしい。最初に遭った2体は武器を持っていなかったが、さっき倒したのは槍で武装していた。

 ということは、他にも様々な種類の敵がいる、と見るのが自然だろう。

 

 それは、けっこう厄介な問題なのではないか。百合香は考える。槍があるなら、百合香と同じく剣を持った敵もいるかも知れないし、全く予想外のものを携えた敵だっているだろう。あるいは、文字通りの怪物もいないと断言はできない。

 

 再び、百合香を不安が襲う。私はとんでもない場所に、一人で乗り込んでしまったのではないか。

 今ならまだ、学校に引き返せる場所にいる。あの階段を降りるのはそこそこ恐怖を伴うかも知れないが。

 

 しかし、と百合香は思った。

 

「…何を、今さら」

 戻ったところで、無事でいられる保証はない。先に進めば、何かがわかるかも知れない。恐れてもいいが、立ち止まってはいけない、と百合香は剣を握りしめた。

 この剣があれば、何とかなる。それに、まだとてつもない何かをこの剣は秘めている、という確信が百合香にはあった。

 

 そういえばこれも今さらだが、この剣は一体何なのか。これがなければ、ほぼ間違いなく百合香は今頃、死んでいただろう。自分の中から現れて、氷の怪物を打ち倒してくれる、この剣はどこから現れたのか。やはり、自分の中にあったのか。持っている感覚では、2kgくらいあるように思う。これが外にある時と中にある時とで、体重は違うのだろうか。身体検査の時に、取り出してロッカーにしまっておけば、体重をサバ読みできないか。

 この状況でよくこんなバカな事を考えられるな、と百合香は自分にツッコミを入れる。案外と豪胆なのか、恐怖でおかしくなっているのか。

 

 兎にも角にも、百合香がこの剣を扱えるのは確かである。正体不明の怪物たちへの対抗手段がある、という事実は何よりも頼もしかった。

「よし」

 呼吸を整えて、百合香は立ち上がった。

まず、この城の正体を知ることが先決だ。どこまで情報を探る事が出来るのかわからないが、知らなくてはどうしようもない。

 

 そこで思うのは、あの怪物たちの知能程度だった。遭遇した個体は全て、動物並みの知能にしか思えない。

 氷の人形である時点で、人為的に生み出されたものである事はわかる。つまり、彼らを造り上げた何者かがいるという事だ。それは、高度な知性を持っている者に違いない。

 

 ―――知性。それは、ある意味では野生の本能よりも恐ろしい、と百合香は思う。本能で向かってくる野生動物は恐いが、知能をもって悪を行う人間も恐い。

 この城を奥に進めば ―進めたとすればの話だが― 、その何者かと対峙する事になるかも知れない。その何者かは、百合香に対してどう出るだろう。話が通じるか、それとも問答無用で襲いかかってくるだろうか。

「話なんて通じるとは思えない」

 百合香は歩きながら呟いた。これだけの事をしでかす存在が、説得に応えてくれるわけがない。

 

 そんなことを考えながらさらに通路を進むと、何やら奥から金属の打音みたいなものが聞こえてきた。一定ではなく、不規則なリズムだ。

 そして、聞き覚えのある濁った声も聞こえる。間違いない、あの氷の怪物の声だ。それも、大量に聞こえる。

 

 ――まずい。

 

 百合香は思った。どうやらこの先に、あの怪物たちが大勢いて、何かしているらしい。百合香を見付けたとたん、一斉に襲いかかってくるだろう。どう考えても、切り抜けられる気がしない。

 

 命の危機を覚えた百合香は、引き返そうと振り向いた。しかし、またしても百合香の心臓は止まりかけた。

「わああ!!」

 今度は声が出た。

 振り向いた百合香の前にいたのは、百合香より頭ひとつ以上背丈がありそうな、巨大な氷の鎧の闘士だった。

 百合香は、硬直して動けなかった。しかし氷の闘士は、なぜか攻撃してくる気配がない。

「……?」

 恐怖と混乱に陥っている百合香に、氷の闘士は全くもって意外すぎる行動に出た。百合香の両肩をがっしりと掴むと、振り向かせて背中をドンと押したのである。

「いたっ!」

 何なんだと闘士を見ると、今度は通路の奥を指差して、またしても背中を押してきた。痛い。

 行け、ということか。どうやら、怪物たちの声がする方に進ませようとしているらしい。それ以外に選択肢がなさそうなので、百合香は仕方なく前に進んだ。

 

 巨体の氷の闘士と共に歩くと、開けた円形のスペースに出た。その周囲がすり鉢状になっていて、座席のような段があり、多数の氷の怪物が座っている。

 

 見ると、氷の怪物どうしがスペースの真ん中で、剣を持って闘っている。その周りで他の怪物たちが声援、あるいは罵声を挙げていた。

 

 一目瞭然である。これは、闘技場だ。

 

 百合香を急かした巨体の闘士は、どこからか長柄の戦斧を持ち出してきた。

 闘技場を見ると、片方が相手の剣でバラバラに粉砕されている。勝った方はガッツポーズを取り、どこからか現れた係員ふうの氷の人形が、負けたほうの「死体」を片付けてしまった。

 いったい、彼らは何をしているのだろう。味方どうし戦っている。それも、どう見ても相手を殺すまでだ。あの氷の人形たちに「生」や「死」があるのかどうかは知らないが。

 百合香は、とにかく剣を握って、引き続き繰り返される闘技場の闘いを見守るしかなかった。ざっと見渡しただけで、闘う控えの剣闘士が20体はいる。上の観客席らしき場所にはその3倍はいそうだ。彼らに百合香が敵だと認識されたら、そこでもうお終いである。

 

 そこまで考えて、百合香はひとつ気付いた事があった。百合香が立たされているのは、控えの剣闘士たちと同じ場所である。

 つまり、信じられない事だが、彼らは百合香も自分達と同じ剣闘士だと認識している、ということではないのか。

 

 彼らに知性はない、という百合香の推測は正しかったらしい。同じような背丈で頭と四肢があり、剣を握っているということは、自分達と同じ剣闘士だと、そう認識されているのだ。だから、闘技場を後にしようとした百合香を、あの巨体の闘士は「おい、闘技場はあっちだぞ」と「親切心」で教えてくれたのだ。今まで生きて来た中で、いちばん余計なお世話である。

 

 何とか、隙を見て抜け出そう。どうせ知能は低い連中だ、一人抜けても気付くまい。そう思っていた百合香の希望は、秒速で打ち砕かれた。

 どういう順番になっているのか知らないが、百合香が闘技場の真ん中に出されたのである。

 

「ちょっ、ちょっと!!」

 完全に同類だと思われている。冗談ではないと思ったが、すでに対戦相手も剣を手にして百合香の前に進み出て来た。もう、闘う以外にない。

 相手は、最初にバス停近くで遭った個体と大差ない体格である。この程度、あの炎の技を繰り出すまでもなく勝てるだろう、という希望的観測のもと、百合香は剣を構えた。額には脂汗が浮いている。若干、破れかぶれの感は否めない。

 

 レフェリーのような人形が、サッと腕を降ろすと歓声が湧いた。どうやら、あれが決闘開始の合図らしい。対戦相手の剣闘士が、猛然と百合香に剣を振り上げて突進してきた。

「!」

 速い。ちょっと予想外だったので百合香は一瞬怯んだが、すぐに態勢を整えて、前と同じように相手の横に俊足で飛び込んだ。そして、がら空きになった側面から、剣を持った腕をはらい上げる。

 しかし、今度は簡単には行かなかった。相手は見た目より頑丈らしく、剣を叩き落とす事もできなかった。相手はすかさず振り向いて、剣を突き出してくる。

「くっ!」

「ギァアアア!」

 百合香は必死で相手の剣を躱す。今さらだが、自分の剣技は素人である事を思い出した。ふつうに考えれば、剣技をマスターしている相手には勝てない。

 

 どうするか。

 

 その時、百合香はどうしようもなく当たり前の事に気付いた。

 

 これはバスケットボールの試合ではない。

 

 要するに相手を倒せばいいのだ。チャージングも、ブロッキングもプッシングも、やり放題である。ホイッスルを鳴らしてファウルを数える審判もいない。

 そういう事なら、話は別だと百合香は考えた。

「アギャアア!」

 相変わらず奇声を上げて突進してくる剣闘士の剣を、百合香は何とか全力ではね返した。相手の腕が浮き上がる。その隙をついて、百合香は相手の胴体にチャージングを思い切り入れた。バスケットの試合なら、即退場レベルである。

 ドカッ、と鈍い音がして、相手は態勢を大きく崩す。間髪入れず、そのフラついた脚を思い切り引っ掛けると、相手は盾を取り落して転んでしまった。

 そこで、左足で相手の右腕を押さえ、今度こそがら空きになった喉元に、一気に剣を突き立てた。

 

 ボキッ、と嫌な音がして、相手の剣闘士の首が根本からゴロリと床に落ちる。闘技場は一瞬シーンと静まり、その直後に歓声が湧き起こった。百合香をわざわざここに連れて来たお節介闘士も、拳を突き上げて喜んでいる。百合香はどう反応するべきか迷った。こっちは、ここにいる全員を一気に葬れるなら即実行したいのだが。

 

 百合香は、まさか連戦なのかと身構えていたが、どうやらトーナメント制であったらしく、先ほどと違う控えの場所に立つように指示された。背後には巨大な闘士の彫像が立っている。知性がなさそうに見えるが、儀式的な概念も理解しているという事だろうか。

 ちゃっかり、対戦相手が落とした盾を頂いた百合香だったが、またしても盾が溶け始めてしまった。どうも、彼らの武器や防具は自分には装備できないらしい。

 

 完全に氷の怪物たちの同類扱いされてしまい、どうするべきか困惑する百合香の眼前で、次々と試合が続いて行った。

 



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戦斧の闘士

 コーン、コーンという剣の打ち合いの音が、巨大な闘士の彫像に見守られた氷のコロシアムに響く。

 本物の剣闘など観た事はないが、剣の打ち合いの音にしては、響きが妙だと百合香は思った。金属どうしの音ではない。

 

 そういえば、さっき拾い上げた相手の盾は、氷のように融け始めたせいで使えなかった。

 

 ―――氷だ。この城は、城そのものも、兵士も、武器までも、全てが氷でできているのだ。

 

 百合香は、目の前で続けられる氷の人形どうしの剣闘を見ながら、そう結論づけた。

 極低温の世界。そこでは、人間も動物も植物も生存できないだろう。1万年以上前に世界を襲った猛烈な寒波は、生物を一瞬で凍りつかせた。いま発見されるマンモスの遺骸からは、当時食べたキンポウゲ等がそのまま出てくる。その肉も、食べようと思えば食べられるほどだ。

 

 この城が出現したことで、百合香たちの学園は一瞬で「氷河期」に襲われたのだ。

 

 一体、この城は何なのか。何者がこの城を支配しているのか。百合香は今現在の生命の危機そっちのけで、その疑問について考えていた。

 しかし、その思考を遮るかのように、闘技場を歓声が包んだ。闘技場の真ん中には、百合香をここに導いた体躯のいい闘士がガッツポーズを取っており、その足元には戦斧で粉微塵にされた哀れな「遺体」が散乱していた。

 

 百合香はぞっとした。もし彼と闘う事になったら、勝てるのか。今すぐ逃げ出したい所だが、逃げたらここにいる全員が襲いかかって来るだろう。そうなると無事でいられる可能性はない。

 

 不気味なのは、この人形たちのメンタリティである。敵対し合っているのか、団結しているのかわからない。共に歓声を上げていた者が目の前でスクラップにされると、やはり歓声が湧き起こるのだ。

 何かこう、「在り方」のみに本能的に従っているような印象がある。

 

 そんな事を考えていると、突然百合香の前の視界が開けた。百合香のために、全員が道を開いたのだ。その先は言わずと知れた、闘技場の中央である。

「え?」

 あたりを見回すと、またしても控えの闘士たちが、百合香にジェスチャーで「行け」と促している。

「私の出番ってこと!?」

 百合香の言葉がわかっているのかいないのか、またも騒々しい歓声が起きた。いったい、どういう対戦表になっているのだ。そんなもの、どこにも掲示されていない。

 

 百合香の恐怖と緊張は一気に跳ね上がったが、仕方なく剣を握って中央に出た。まだ対戦相手は登場していない。

 ほどなくして、百合香の前に現れたのはだいぶ長身の闘士だった。その握られた剣も、百合香の身長より長く、幅もある大剣である。人間なら片手で扱えるとは思えないが、彼は平然と右腕だけで振り回していた。盾は持っていない。

「そんなのありか」

 百合香が抗議する間もなく、レフェリーが腕を降ろして闘技がスタートした。

 

 相手はあまり考えていないらしく、特に構えもなく剣を振り上げて向かってきた。ありがたいのかどうか分からないが、予想していたより動きは鈍重で、スピード戦略で勝ちに行ける、と百合香は踏んだ。

 まず、相手の左サイドを百合香は取る。盾を持っていないなら、こちらがガラ空きの時が攻撃のチャンスだ。

「えやっ!!」

 百合香は、ジャブで様子見するボクサーのように、まず相手との間合いを剣で測る事にした。

 横薙ぎに払った切っ先が、相手の二の腕を掠める。手足は太く、胴体を狙うのに厄介だなと百合香は思った。相手はすぐに上半身をひねって、大剣を斜め上から振り下ろしてきた。

 さすがに肝が冷えた百合香は、即座に後退して大きく距離を取った。砂のような、細かい氷の粒子がギッチリと固められた床面に、相手の大剣が激しく打ち付けられる。

 態勢としては、相手が首をさらしている今はチャンスだが、剣を回避するために大きく後退したのがアダになった。百合香が距離を詰めようと踏み込んだものの、相手が態勢を立て直す時間も与える事になってしまった。バスケの試合で、ブロックを恐れてパスを回している間に、相手に壁を築かれるのに似ている。

 

 そこで再び百合香に閃きがあった。バスケットボールにも当然、ロングレンジの攻撃はある。動画サイトで取り上げられるような、土壇場の「奇跡のシュート」は極端な例として、下手にゴール下へ潜り込むよりは、ロングレンジでシュートを狙う方がいい場面もある。

 問題は、そんなロングレンジの攻撃方法が思い付かない事だった。

 

 百合香は、どうにか相手より俊敏である事が幸いして、相手の剣撃をかわす事はできた。しかし、このままでは足が疲れてしまう。

「ゴエエエ!!」

 いい加減痺れを切らしたらしい氷の剣闘士が、破れかぶれで剣を振り回して突進してきた。百合香はそれに一瞬気圧されて、足がもたついてしまう。相手は、一気に百合香との距離を詰めてきた。―――まずい。

 

 百合香が生命の危険を感じた、その時だった。

 

 手に握った金色の剣が、眩く輝き始めた。エネルギーが脈動しているのがわかる。百合香は、床を蹴って後方に飛び退りながら、剣を大きく上方に払った。

 

『スターダスト・ストライク!!』

 

 百合香が叫ぶと、剣から放たれたエネルギーが無数の火球となり、天井方向から相手の剣闘士の全身を打ち付けた。一つ一つのダメージはそれほどでもなさそうだが、5発、10発と繰り返し打たれると、バランスを崩して剣を取り落とし、膝をついてしまう。

 今だ!と、百合香はドリブルで相手ゴールに接近するように間合いを詰める。

「でええーーいっ!!!」

 両手で剣を握り、全身の力を込めて相手の首に剣を突き入れる。まだ剣身にはエネルギーが残っており、それが炸裂した。

 

 パーン、と澄んだ音とともに、黄金色のエネルギーが剣身から弾ける。剣闘士の頭と首周りが粉々に破壊され、その余波が後方の壁際に立っている、巨大な剣闘士の彫像の胴体を直撃した。

「はあ、はあ、はあ」

 これまでにないタフな戦闘を終えて、百合香は剣を立てて片足をついた。

 よもや頭を破壊されて立ち上がっては来ないだろう、とは思ったが、そういう常識が通用しない事もあり得る。ビクビクしながら、剣を構えて相手がまだ動いてこないかと、百合香は警戒した。

 

 しかし、倒された剣闘士の首から下は、文字通り人形のように、ぴくりとも動く様子がない。心から安堵のため息をつき、百合香は胸を撫で下ろした。

 

 呼吸が整ってくると、百合香は何か様子がおかしい事に気付いた。今までは戦闘が終わると、騒々しい歓声が上がっていたのに、今回はなぜか静まりかえっている。

「?」

 周囲を見ると、全ての剣闘士たちの視線が、一点に集中していた。それは、さっき百合香が放ったエネルギーの流れ弾が当たった、剣闘士の彫像であった。

 氷の人形である彼らの表情などはわからないが、どうもあの巨大な彫像に対して、突然恐れを抱いて狼狽しているように見える。一体、ただの彫像の何を恐れているのか。

 

 だがその時、百合香は一瞬で事態を悟った。

 

 よくよく考えてみれば、ここにいる百合香以外の剣闘士は全員、動く氷の彫像である。そして、細身の者もいれば、ゴリラ以上の体躯の者もいる。

 ゴリラがいるなら、象やクジラ並みの個体がいてもおかしくない。

 

 百合香に戦慄が走る間もなく、その彫像は雄叫びを上げて動き出した。

「グオオオオ!!!」

 低い声が闘技場に響く。その音波だけで吹き飛びそうだった。実際、細身の剣闘士は吹き飛んでいる。

 ワゴン車ほどもある大剣を振り回して、その巨体が闘技場を揺らす。あれは飾ってあるだけの彫像ではなく、れっきとした剣闘士の一体だったのだ。

 

 巨大な剣は、足元にいた人間サイズの剣闘士たちを、スクラップ処理される空き缶のようにまとめて砕き、押し潰した。こんな一撃を喰らったら、バスケットの練習を数ヶ月休んでいる16歳女子高校生の身体は、どういう事になるのだろう。百合香はあまり考えない事にした。

 

 どうやら、百合香のエネルギーの流れ弾が直撃したために、あの巨大剣闘士は自分への攻撃だと受け取り、怒りのスイッチが入ってしまったらしい。足元の剣闘士たちはそのとばっちりを受けて、バーのマスターが砕いた氷よろしく床に散乱する事になったのだ。

 私は悪くない。いや、そういう問題ではないが、とにかく考えようによっては、これで逃げ出すチャンスが出来たとも言える。あの巨体が暴れ回っているうちに、自分はこの場を抜け出そう、と百合香は考えて、脱出口を探し出した。出口は2つある。自分が入ってきた通路と、その反対側の―――

「何よ、これ!!」

 思わず百合香は悪態をついた。さっきまとめてスクラップにされた剣闘士たちの「残骸」が、通路を塞ぐように折り重なっていたのだ。こんな、ご丁寧な偶然があってたまるか。

 

 となれば、入ってきた通路から逃げるより他にない。百合香は踵を返し、砕かれる剣闘士たちには目もくれず駆け出した。

 しかし、床面を巨大剣闘士の足が揺らし、先程の戦闘で脚の疲労が残っている百合香は、不意にバランスを崩して倒れてしまった。

「うあっ!」

 左肘を床面に打ち、微細な氷の粒が顔面に撥ねる。まずい、と思った時にはすでに百合香に、巨大剣闘士の影が覆い被さっていた。

 剣闘士は百合香に狙いを定め、その大剣を振り下ろす。動きはそこまで俊敏ではない。転がって回避できるかと思った時、左腕に激痛が走った。

「あぐっ!」

 どうやら、戦闘か今の転倒で痛めたらしい。今度こそまずい。というより、もう駄目だと観念しかけたその瞬間だった。

 

 巨大な剣闘士と百合香の間に、大きな影が割って入ると、激しい打音とともに大剣の動きが止まった。

 そこにいたのは、百合香を闘技場に導いた、あのお節介な戦斧の剣闘士だった。驚くべきことに、自分の3倍は身長がある巨大剣闘士の大剣を、その戦斧で受け止めてみせていた。

「!?」

 百合香は呆気にとられた。これはどういう行動なのか。結果的には百合香は「助けられた」形になるが、彼らにそういう感情があるのだろうか。

 ただ、何の根拠もないが、百合香は不思議とここにいる闘士たちに「悪意」を感じなかった。究極的なまでに純粋というか、「一対一の闘い」だけのために存在している、そんなふうに見えた。城の周りや通路を護っていた、あの闘士たちと姿形は同じなのに、なぜなのか。

 

 戦斧の闘士は、チラリと百合香の方を見ると、再び巨大剣闘士に向き直って戦斧を構えた。

 百合香は、ここでこの場から脱出する機会が訪れた事を知った。あの戦斧の闘士がどれだけ持ちこたえるかわからないが、百合香が逃げ出すだけの時間はあるだろう。

 すでに、戦斧の闘士以外の剣闘士たちは全滅している。もう、今以外に逃げるチャンスはなさそうだった。

 

 痛む左腕をかばいながら立ち上がると、百合香は戦闘を繰り広げる二体を背に歩き始めた。

 しかし、3歩ばかり歩いたところで、百合香の足が止まってしまった。

 

 疲労ではない。ただ、なぜか足が歩こうとしない。それどころか、自分でも信じられないことに、百合香の足は再び、闘技場の中央を向いたのだ。

 

 ―――私は何をしているんだ。

 

 百合香は自問した。こんな氷の化け物たちが殺し合いをしたところで、自分には関係ない。むしろ、学園をあんな目に遭わせた連中の仲間だ。せいぜい殺し合っていなくなってくれれば、こちらとしては満足なくらいである。

 

 しかし、理由はわからないが、この戦斧の闘士は百合香を「助けて」くれた。意図は知らないが、結果的にはそうとしか言えない。

 どう考えても、百合香たちにとって「敵」であり「害悪」のはずの存在が、である。

 

 百合香は、痛みと疲労で考える余裕を失っていた。ただ、身体が自動的に動いていた。相手からボールを奪った直後の、あの感覚だ。

「うああああ―――っ!!!」

 まだ動く右腕で金色の剣を振り上げると、百合香は巨大な剣闘士の剣に向かって思い切り打ち付けた。

 それまで押されていた戦斧の闘士は驚いた様子を見せながら、百合香の加勢で一気に大剣を押し返すことに成功した。

「はあ、はあ」

 さすがに片腕の力には限界がある。しかし、左腕は役に立たない。この、ちょっとした車庫ぐらいある巨体の相手には、女子高生が振り回す剣など爪楊枝みたいなものである。

 だが、この戦斧の闘士との共闘であれば、闘えない事はないらしい。

 

 戦斧の闘士は百合香の意を汲み取ったのかどうか、百合香ではなく巨大な剣闘士の方を向いて戦斧を構えた。どうやら、百合香を邪魔だとは捉えていないようだ。

 しかし、二人がかりといっても相手は巨大である。どう考えても勝てる気はしない。しかも、水晶みたいに硬いのだ。

 

 戦斧の闘士は、思案する百合香を無視して一人で巨大剣闘士への間合いを詰めた。

「あっ、バカ!」

 つい悪態をつく百合香だったが、慌てて自分も加勢する。パワーではどう考えても勝てない以上、やはりこちらはスピードで勝負だ。左腕は使えないが、足はまだ動く。

 

 百合香は右側面に回ると、腰めがけて剣を突き立てた。しかし、いくらなんでもサイズ差がありすぎる。コンクリートブロックをシャベルで砕こうとするようなものだ。

 やっぱり無謀だったのではないか、と今さら考えつつ、百合香は距離を取る。しかし、戦斧の闘士は相変わらず果敢に打ち合いを続けていた。

 

 やはり、先ほどと同じように、戦斧の闘士と力を合わせる以外にない、と百合香は考える。しかし、戦斧の闘士は相手の攻撃を防ぐので精一杯のようだった。だが、明らかに百合香よりも基礎的なパワーでは大幅に上回る。

 そこで百合香に閃きが起きた。

 

「―――アンクルブレイクだ!」

 百合香は、バスケットボールで相手の足を崩すテクニック、アンクルブレイクを仕掛けられないかと考えた。そこでまず、戦斧の闘士と同時に、巨大剣闘士の剣を押し返した。

「でええーいっ!!」

 ガキン、と小気味よい音がして、ほんの少しだけ相手の大剣を打ち返す。その隙を逃さず、百合香は巨大剣闘士の左腕を剣で繰り返し打ち付けた。

「オゴオオオ!!!」

 百合香の攻撃に苛立った巨大剣闘士は、百合香を狙って剣を振り下ろそうとした。しかし百合香はそれを待っていたかのように、大きく相手の左後ろに回り込む。剣で狙うには死角となるため、相手は左足を下げて向きを変えようと試みた。

「今だ!」

 百合香は、その足首に向けて剣を打ち付けた。だが、その巨体には何の効果もなかった。それでも百合香はやめない。

 またも、苛立ったらしい巨大剣闘士は、今度は右足を出して向きを変えようと試みた。右足の首が、戦斧の剣闘士の真横に来る。

「今だよ!」

 百合香は、戦斧の闘士に向かって叫んだ。日本語が通じるかどうかはわからない。今度は、足首を指差してみせる。

 百合香のジェスチャーが通じたのかどうか、戦斧の闘士は「わかった」という風に頷いて、巨大剣闘士の足首に思い切り戦斧を打ち付けた。

 

 相手の大きさからいって、いかに戦斧の一撃といえど、ダメージらしいダメージは期待できない。だが、今は違う。

「ゴエッ!?」

 困惑するような叫びが響いたかと思うと、巨大剣闘士はその体のバランスを大きく崩して、闘技場の真ん中に倒れ込もうとしていた。

「やった!アンクル・ブレイク成功!!」

 アンクルブレイクは、ドリブルに対するディフェンスを動きで翻弄し、文字通り足首の態勢を崩して転倒させるテクニックである。百合香は、そのスピードを活かして巨大な相手を翻弄し、脚のバランスが崩れたところに、戦斧の闘士の一撃を喰らわせて転倒させる作戦に出たのだ。

 

 そこまでは良かった。だが、この巨体が倒れ込んだら、どれほどの衝撃が起きるのか。瞬間的に百合香は、その場を大きく飛び退くべきだと判断し、後方に床を蹴った。

 

 百合香が大きく飛び退いた次の瞬間、その巨体が闘技場のど真ん中に倒れ、今まで体験したどんな地震よりも強烈な振動が闘技場と百合香を襲ったのだった。

「うわわわわっ!!!」

 振動する時間はほんの数秒だったが、百合香の軽い身体ではバランスを維持できなかった。だが、ゴリラ以上の体躯を誇る戦斧の闘士は違い、揺れる中を猛然と巨大剣闘士の胴体に上り、首めがけて戦斧を振り下ろそうとした。

 

 だが、次の瞬間。

 

 巨大剣闘士の左手が戦斧の闘士を頭から握り、鈍い音が闘技場に響いた。

 



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覚醒

 巨大な氷の剣闘士の左手に掴まれた戦斧の闘士は、その手が開かれると上半身がバラバラになり、闘技場の床面に呆気なく打ち捨てられた。

 

 その光景を見て、百合香の胸にはこれまで体感したことのない感情が押し寄せてきた。

 戦斧の闘士は、時間にすれば遭遇してほんの30分も経ったかどうか、という所である。彼が百合香を闘技場に連れて来なければ、こんな事態にはなっていなかった。

 

 だが、経緯はどうあれ、彼は百合香の命をこの巨大な剣闘士から、一度だけだが「護って」くれた。そこにどんな意思、意図、または感情があったのかはわからない。

 

 その彼が、ただ左手で握られただけで、動く事のない残骸に成り果てた。

 

 

 いま、百合香の選択肢は二つある。ひとつは、巨大な剣闘士が倒れている今のうちに、あの剣闘士のサイズでは入って来られそうにない通路に引き返す。

 

 そして、もう一つの選択肢は。

 

「…何よ」

 百合香は、金色の剣を握る手がブルブルと震えているのがわかった。恐怖で震えているのか。そうではなかった。

 

 百合香のまだ動く右腕は、自分でも驚くべき事だが、「怒り」に震えているらしかった。

 一体、自分の感情はどうなっているのか?自分自身でも理解できないが、あの呆気なく握り潰された戦斧の剣闘士に、百合香は学園の生徒達に対するのと変わらない感情を有しているらしかった。

 

 私は、氷の化け物に友情を感じているのか。

 

 百合香の胸に理解不能な感情が押し寄せた時、「それ」は爆発した。

 

「うああああ――――!!!」

 百合香の絶叫に応えるように、胸から再び太陽のようなエネルギー球が現れた。その炎に煽られて、身に纏っていた学園の制服や身に付けている全てが燃えるように消え去り、替わって黄金の「何か」が全身を覆っていった。

 

 それは、鎧だった。胴体、腕、両足を、剣と同じ金色に輝く鎧が、百合香の全身を覆っていった。腰には、見たこともないような美しい素材でできた、真っ白なスカートが巻かれている。

 

 ―――天衣無縫。

 

 その言葉が百合香の心に浮かんだ。

 

 何の意図も飾りもない、心の底からの純粋な感情の爆発。それが百合香に起こった。

 それまで、極めて不安定に発現していたエネルギーの全てを、百合香は理解できると感じていた。左腕の痛みもすでに消え去り、指先はおろか、髪の一本に至るまで、エネルギーが満ちているのがわかった。

 

 目の前で、巨大な剣闘士がゆっくりと立ち上がる。その足元に、百合香をこの闘技場に導いた闘士の、戦斧が転がっていた。

 

「ウウウウ…」

 巨大な剣闘士は、百合香の全身に満ちるエネルギーに、明らかに動揺しているらしかった。その証拠かどうか、ほんの数センチだけその足が後ろに下がった。

 金色の鎧を新たに纏った百合香は、戦陣の先頭に立つ勇敢な女王のごとく、一切怯むことなく、剣を手に一歩ずつ剣闘士に迫った。

「アゴオオオ―――!!!」

 巨大剣闘士は、恐れを振り払うかのように、百合香めがけてその大剣を振り下ろす。その刃は寸分の狂いも無く、百合香の頭頂を狙っていた。

 

 一瞬だった。カキン、と甲高い音がして、剣闘士の大剣の動きが停止した。

 大剣は、百合香の金色の剣によって、百合香の眼前で受け止められていた。

「でえいっ!!」

 百合香は全身に力を込め、剣を払う。剣闘士の大剣は、上方に大きく弾かれた。

「うりゃあ――っ!!」

 間髪入れず百合香は、金色の剣を一閃する。巨大剣闘士の手首は、木の人形が折れるかのごとく、いとも容易く砕け折れてしまった。

 支えを失った大剣が宙を舞い、百合香に向かって落ちてくる。百合香が無言で剣を払うと、大剣は一瞬で粉々に打ち砕かれ、蒸発して消えて行った。

 

 巨大な剣闘士は、それまでの百合香と全く違う力に、今度こそ恐怖の色を見せ始めた。一歩、また一歩と後ずさる。

 百合香は尚も相手を追い詰めるように迫りながら、落ちていた戦斧を拾い上げた。

 戦斧は金色の光の粒子になって空中に滞留し、そのエネルギーが百合香の左腕に吸い込まれるようにして消えて行った。

 

 百合香は、たじろぐ巨大剣闘士に向かって、その左腕で宙を払った。

 すると、左腕からまるで戦斧のような形状のエネルギーが放たれ、回転し、剣闘士の肩の関節を直撃した。

「ウルオオオオ!!」

 放たれたエネルギーは剣闘士の左肩に深々と突き刺さり、その腕は力を失って垂れ下がった。剣闘士は苦悶の叫びを上げる。

 百合香は、試みにもう一度、その戦斧を放てないか試してみた。しかし、それはたった一度きりの能力らしく、2発目を放つ事はできないようだった。

「なるほど」

 百合香は、冷静に自分の能力を理解すると、金色の剣を両手でしっかりと構えた。

「仇討ちってわけじゃないけど、見てて」

 足元に散乱する、戦斧の闘士の遺骸に向かって百合香はそう呟く。握られた剣には、エネルギーが満ちていった。

「このエネルギーが何なのかはわからないけど、使い方の基本はわかった」

 百合香は、柄から切っ先までエネルギーをコントロールできる事を実感していた。今までの、剣に任せて力を放り出していた感覚とは全く違う。

 それは、光と炎のエネルギーだった。この、凍結した闇の城と対極の存在だ。

 

 巨大な氷の剣闘士は、怒りに任せて突進してきた。力任せに百合香を叩き潰してしまうつもりらしい。

 だが、今の百合香は逃げる事など考えなかった。何者が向かってこようと、負ける気など微塵もない。床を揺らして向かってくる氷の巨人に、百合香は剣を構えて真正面から対峙した。

 

 金色の刃に、今までにない鮮烈な煌めきが満ちる。それは、熱を帯びた波動となって闘技場全体を揺るがした。その強烈なエネルギーに気圧され、氷の巨人は慄いて立ち止まった。

 

 百合香は剣を大上段に構えて、床を蹴った。その跳躍は、巨人の頭にまで到達する。

 ためらう事なく、百合香はその輝く金色の剣を、全身全霊の力を込めて、真正面から氷の巨人に叩きつけた。

 

『スーパーノヴァ・エクスターミネーション!!!!』

 

 白金に輝く剣身から放たれた巨大なエネルギーの刃が、氷の巨人の頭頂部から胴体を一刀両断し、切断面から放射状に眩いエネルギーが走る。

 着地した百合香は、その輝きを直視できず顔を覆った。稲妻のごとき重く鋭い破裂音とともに、巨人の身体は光とともに爆発四散し、壁や天井にまでとてつもない衝撃が走った。

 

 衝撃が収まると、百合香は顔を上げた。相手の巨体はすでになく、光の粒子となって空間を漂っている。

 攻撃の余波は、散乱していた他の剣闘士たちの亡骸もまとめて一掃したらしく、戦斧の闘士も共に光となって消え去ったようだった。

 

 床や壁面、天井にはあちこちに深い亀裂が入っており、自ら放ったエネルギーの威力に百合香は戦慄するとともに、この力があれば、この奇怪な城を奥へと進む事も可能かも知れない、と思い始めていた。

「……」

 結果的に、あの戦斧の闘士が百合香に何らかの覚醒を促した事になる。百合香は複雑な思いだった。

 彼は本来は「敵」のはずだ。それなのに、悪意らしきものを感じる事はなかった。なぜなのか。この先も、時々あの戦斧の闘士の事を思い出しそうな気がした。

 

 その時、百合香に聞き覚えのある声が聞こえた。

『百合香。見事でした』

 その声は、何度か聞こえたあとで途切れてしまった、あの女性の声だった。

「誰!?」

『声を届ける事しかできず、ごめんなさい。ようやくあなたの姿を捉える事ができました』

「何度も私に声を届けていたのは、あなたね!?」

 百合香は、今度こそ声の主を逃すまいと叫んだ。

『落ち着いて、百合香。まず、私の言う通りにして、その場から身を隠しなさい』

 言われた事の意味が、百合香にはわからなかった。

「身を隠す?」

『そうです。さあ、聖剣アグニシオンを掲げなさい』

「アグニシオン?」

 百合香は、握っている金色の剣を見た。この剣には名前があったらしい。

「アグニって、インド神話の火の神様の名前よね」

 何か関係があるのだろうかと思いながら、百合香は騎士が王に礼を示すかのような所作で、目の前に聖剣アグニシオンを掲げた。

『唱えなさい。"汝、我に女神の間へ至る扉を開くべし"』

「長いな」

 とりあえず日本語である事に感謝しつつ、暗記が得意な百合香は復唱した。

 

「"汝、我に女神の間へ至る扉を開くべし"」

 

 百合香が唱え終わると、何秒かの間を置いて、剣身が真っ白な淡い光を帯び始めた。

『百合香、闘技場の中の、エネルギー粒子密度が最も薄い部分を見なさい』

「え!?」

 いきなりそんな事を言われても、何の事かわからない。エネルギー粒子って何のことだ。

 そう思いながら周囲を見渡すと、さっき倒した巨人の弾けたエネルギーが、まだ滞留している事に気付いた。そして、その中で一箇所だけ、粒子の密度が薄い部分を百合香は見つける事ができた。

「あそこ?」

『そのとおりです。よく見付けましたね』

 ふつうに教えてくれればいいんじゃないのか、と百合香は思いながら、何となく何をすればいいのかわかった気がした。

「あそこに、剣のエネルギーを向ければいいのね」

『そのとおりです。急ぎなさい』

「急かさないでよ」

 言いながら、百合香は剣を水平に構えた。切っ先を粒子が薄い空間に向け、エネルギーを放つ。

 細い光が渦巻くように回転しながら、空間に吸い込まれるように消えて行った。その直後、空間に扉のようなものが出現した。

「何、あれ!?」

『急いで中に入りなさい。話は後です』

「中に化け物とかいないわね!?」

 一番確認したい事を百合香は訊ねた。怪物はそろそろ食傷気味である。しかし、声の主の返答はない。

 一瞬だけ躊躇ったあと、百合香はそのドアを開け、その奥に続く光の空間に飛び込んだ。

 

 

 

「今の波動は…」

 冷たく暗い広間の奥、黒い玉座に腰掛けた、暗灰色の鎧を纏う人物が低い声で呟いた。

「確かに、この城のどこかで、強大な熱のエネルギーが発生した」

 鎧の人物は、立ち上がると窓の前に立った。眼下には、巨大な城の全容が見渡される。青紫に輝く壁面に、オーロラの光が不気味に煌めいている。

「予想外の出来事ではあるが…予想外の出来事に対処するために、この城はある」

 そう言うと、その人物は漆黒の艶やかに光るマントをなびかせて、どこへ向かうつもりなのか、足音を響かせながら広間を退出した。

 

 

 

 空間に現れたドアをくぐって、眩い光に細めた目を開いた百合香は、壮麗な広い、石造りの空間にいる事に気付いた。それまで彷徨ってきた、氷の城ではない。

 その部屋は面積にすれば、50から70畳くらいはありそうだ。六角形をしており、天井には光る石がはめ込まれ、煌々と室内を照らしていた。中央にはやはり六角形の、人口の泉がある。水は、澄んでいてキラキラと輝いていた。

「きれい…」

 それまでの重苦しい空間から、正体は不明だが美しく落ち着いた空間に移ったせいで、百合香の緊張はだいぶ和らいだ。ここに居るだけで、体の疲れが癒されるような気がする。

「一体、ここは…」

『百合香、よくここまで辿り着きました』

 突然、部屋全体に声が響いたため、百合香はまたしても心臓が止まりそうになった。

『もう、そのように驚かないでください』

「そ、そんな事言われても…」

 声の主はやはりあの女性の声である。百合香は、ようやくこの声の主と会えるのかと思っていたが、姿を見せる気配はない。

「あなたは誰なの?ここまで、本当に命懸けだったわ。何度、死ぬかと思ったかわからない」

『ごめんなさい。あなただけに辛い思いをさせて』

「…訊きたい事が多すぎて、整理がつかないけれど」

 百合香は、中央の泉の縁に腰掛けると、ようやく一息つける事に心から安堵しつつ、質問した。

「まず、あなたが誰なのかを教えて」

 百合香の問い掛けに、ほんの少しだけ間を置いて、声の主は答えた。

『私に名はありません。ですがそれでは不便ですので、あなたの学び舎から拝借して、『ガドリエル』とでも呼んでください』

「ガドリエル?名前がない?」

 百合香は面食らった。明確な知性と意思を持ちながら、名前がないとはどういう事なのか。

『以前呼ばれていた名前はありますが、それも借りた名前です。カグツチなどと呼ばれておりました』

「カグツチ…日本神話の、火の神ね」

『名前を借りただけです。本来そう呼ばれている大元の存在とは、何の関係もありません』

「あなたは神?それとも、天使かしら」

『あなた方人間の感覚で、どう区分けしていただいても構いません。女神、守護霊、天使、あるいは物の怪でも悪魔でも、ご自由に』

 悪魔とはまた穏やかではない。名前どころか、存在そのものが曖昧なようだ。ただ、人間を超越した、霊的な存在であるらしい事はさすがにわかる。

「わかったわ、ガドリエルね。それでいいわ」

『ありがとう、百合香』

「姿は見せてくれないの?」

『お察しかも知れませんが、私には姿もないのです。もちろん肉体もありません。ですが』

 ガドリエルがそう言うと、泉の中央が渦巻くように波立って、その上に浮遊する、立体映像のような人の姿が現れた。それは、燃えるような真紅のラインが走った、黒い豪奢なドレスをまとう長髪の女性だった。髪もまた炎のような橙色に金色のメッシュが入り、頭には黄金のティアラが輝いていた。顔立ちは、なぜかバスケ部のコーチに少し似ている。

『あなたの中にあるイメージをお借りして、便宜的に姿を創造してみました。これでいかがでしょう』

「日本のヴィジュアル系バンドの衣装みたい」

 小さく笑って、百合香はうなずいた。

「いいわ。色々注文をつけてしまったようね、ガドリエル」

『どういたしまして』

「ガドリエル、それじゃ私が一番聞きたい事を教えてちょうだい。学園のみんなは、生きているの?」

 百合香の問いに、また少し間を置いてガドリエルは答えた。

『生きています』

 何とも素っ気ない返答である。しかし、その一言で百合香はだいぶ救われた思いだった。心から安堵し、深く息を吐く。

「良かった」

『ですが百合香、安心してよいわけではありません。私の力が完全であれば、彼女たちを守る事はできたのですが、力を封じられているため、あなた一人を救うのが限界だったのです』

 唐突にそう説明されて、百合香の思考は混乱した。

「…どういうこと」

『順を追って説明しなければなりません。あなたが何度も問い掛けた疑問です。この城は一体何なのか、という』

 そうだ。それは現時点で最大の疑問である。ガドリエルは、どうやら知っているらしかった。

「…この城は、一体何なの」

『この城は、あなたの言語で言うなら…氷巌城、とでも表現しましょうか』

「ひがんじょう?」

『そう。氷魔と呼ばれる、極低温の精霊たちによって生み出された、全てが氷でできた魔城です』

 やはりそうなのか、と百合香は思った。何もかも、全てという全てが氷で出来ているという、百合香の実感は正しかったのだ。しかし、氷魔とは何なのか。百合香が問うより先に、ガドリエルは答えた。

『今、全てを説明しても、疲れたあなたには理解が追い付かないでしょう。いずれ順を追って説明します』

「ちょっと待って」

 百合香は、ガドリエルを遮るように言った。

「まるで、この先しばらくあなたと付き合う事になるような言い方ね」

『ええ、もちろんです』

「答えて、ガドリエル。学園や街を救う方法はあるの?」

『あります。そのために、私はあなたを導いたのです』

 またしても、あっさりとガドリエルは答えた。やはり最初から、ガドリエルには目論みがあったのだ。現在、どこまで目論み、期待どおりに運んでいるのかはわからないが。

「どうすれば?どうすればみんなを助けられるの!?」

『細かく話すとだいぶ長くなりますが』

「…かいつまんで話してくれると助かるわ」

『いいでしょう。あなたの、この城における役割は』

 やや長めの間があった。部活のコーチに似たガドリエルの唇が動く。

 

『氷巌城の城の主を封印し、城と魔物を全て消滅させる事です』



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癒しの間

 ガドリエル学園がある仙蒼区という地域では、唐突に発生した未曾有の豪雨で大混乱を来たしていた。ついこの間に梅雨明け宣言が出された後である。

 

『避難指示が発令されました 以下の地区にお住まいの方は指定の避難所に すみやかに…』

 放送で避難指示がなされ、サイレンを鳴らした消防車が走り回る。側溝は溢れ返り、運悪く河川敷に停めてしまったらしい自動車が水没していた。

 ガドリエル学園と市街地を繋ぐ、標高が下がった道路も水没しており、パトカーが陣取って迂闊な自動車が進入しないよう塞いでいた。

 また学園のある町と市街地を結ぶ線路の橋が、流木によって変形してしまうという事態も発生し、ガドリエル学園付近の一帯は完全に孤立してしまっていた。

 

 市内ではパニックが起きており、食料品の買い溜めに走る人間などが現れて、暴力沙汰にまで発展する例もあった。またある病院では、入院していた女性患者が病室から、洪水を恐れたのか連絡もなく逃げ出すといった事件まで起きている。

 

「連絡はつかないのか!?」

「駄目です!一切の通信が通じません。電話回線も、無線も、ネットもです」

 自衛隊の通信機器を備えた車両内で、上官と隊員が声を張り上げていた。ガドリエル学園のある高台の地域が、厚い雲のような現象に覆われて、自衛隊も接近できずにいるのだ。

「水陸両用車はまだか!」

「それが、とっくに出動命令は下ったのですが、応答がありません」

「なんだと!?」

 上官らしい人物は、通信車両の外に出て、雨に打たれながら不気味な空を睨んだ。

「何が起きていやがる」

 

 

 

 

 自分で、その場の勢いで何かを考えるのと、人から言われるのとでは、同じ言葉や目的でも印象が変わる、というのは誰でも経験していると思う。

 百合香は、「女神」ガドリエルから言われた事を、頭の中で繰り返した。

 

 この巨大な城の主を封印して、城と魔物を全て消滅させる。

 

 文章にすればとても簡単だ。携帯電話のSMSでも送れるレベルである。しかし、言うは易く行うは何とやら、ではないのか。

「とても簡潔だわ」

 百合香はそう返すのが精一杯だった。

「それで、この城にはああいう化け物がどれくらいいるのかしら。うちの学園は、少子化の影響でついに生徒数が500人を切ったけど」

 軽いパニックに陥ると逃避のためか、突然どうでもいい情報が飛び出る、江藤百合香とはそういう人物である。ガドリエルはそれには何の反応も見せず答えた。

『魔物の数は不明です。というのも、この城は常に「依代」となる建造物や都市、あるいは自然など、異なる条件や時代背景を、模倣して出現するためです』

「ちょっと待って」

 今度は何だ。また知らない情報が出てきた。

「依代となる建造物って、どういうこと」

『この城は、あなたの学園を依代として具現化した、ということです。本来、彼らには特定の姿がありません。そこで、この世界に干渉する際には、常に依代となるものを模倣して、自らの姿をその都度創らなくてはならないのです』

 百合香は、ガドリエルの言葉を試験勉強並みの集中力でどうにか理解しようと努めた。

「…まるで、過去にも同じ事があったような言い方ね」

『そのとおりです。最も最近のものは、あなた達の時間の区切りで言えば、飛鳥時代と呼ばれた頃に、この日本と呼ばれる国で起きました』

「はい?」

 もう、百合香は自分の理解力に自信が持てなくなってきた。飛鳥時代って、聖徳太子とか中大兄皇子とか、蘇我ブラザーズとかがスマッシュ大乱闘していた、あの飛鳥時代か。

「…飛鳥時代の、どこで」

『この地です。その時代、同じように氷巌城が現れて、時の剣士や術師たちによって封印されたのです。それ以来、代々の術師たちが常に封印を監視してきました』

「そんなの、日本史で習った覚えはないけど」

『当然です。この城は現れる時、天変地異によってその姿が隠されるからです。完成するまで』

「完成するまで?」

 また、不穏なキーワードが登場した。

「…この状態で、まだ未完成だというの」

『空を見ればわかります』

「!」

 その指摘で百合香は、町や学園の周囲を閉ざすように現れた、あのオーロラを思い出した。

「あのオーロラは何なの」

『あれ自体は副産物に過ぎません。問題は、あなたの学び舎を含む一帯が、あなた方の言う"異常気象"によって、外界から隔絶されている事にあります』

 百合香はハッとして頷いた。終業時刻のあのバス停前で、バスはおろか軽自動車の一台さえ通らなかったのは、何らかの原因で、外界からの行き来が出来なくなっていたためなのだ。

「外の世界はどうなっているの」

『私にもこの場所から、全てを見通す事は出来ません。なぜなら、あなたの知識で言うところの”結界”によって、空間が隔絶されているからです。ですが、少しだけ状況を覗いて見た時、とてつもない大雨で混乱している様子が見えました。川も氾濫していたようです』

 こちらとはだいぶ状況が違うようだが、異常事態が起きているのは同じらしい。そして、百合香たちの学園がある高台の周囲は、過去に何度か豪雨で増水し、孤立した事がある。おそらく、水で道路が遮断されているのだろう。いや、その前に結界なんてものが張られているなら、そもそも増水に関係なく、誰も入って来られないのかも知れない。

「…それも、この城の影響?」

『間違いありません』

 百合香はぞっとした。学園やその周辺のみならず、もっと広い範囲にまでその影響は及んでいる、というのだ。

「さっき、城の"完成"って言ったわよね。どういう意味?」

『文字通りの意味です。城が、目的達成のために稼働できる状態になる、ということです』

「目的?」

 

『そうです。この城は、城を拠点として世界を凍結させるために造られるのです』

 

 ガドリエルの説明は淡々としているが、けっこう洒落にならない話なんじゃないのか、と百合香は思った。

「…要するに、世界中が学園みたいに凍結するってこと」

『そのとおりです』

「何のために?」

『彼らが住み良い世界を創るためです』

 百合香は、思わず吹き出した。何の冗談なのだろう。

「その…さっき言った、氷魔とかいう連中にとって、ということね」

『そうです。彼らは極低温のエネルギー体で、熱を嫌うのです。そのため、何度も世界を凍結させようと、時の始めから試みてきたのです。実際、それが成功した時代もありました』

「成功した?」

『気候の研究者に訊いてごらんなさい。原因不明、説明がつかない氷河期が過去に地球で起きている事を、彼らは知っているでしょう。そのいくつかは、自然のサイクルによる氷河期ではなく、氷魔によって引き起こされたものなのです』

 そんな事を言われても、検証のしようがない。百合香は、腰掛けたままガドリエルを振り向いて訊ねた。

「そんな情報、知ったところで何の意味もないわ。それより、この城の魔物を一掃しろって言ったわよね」

『はい』

「私にそんなこと、できると思うの?」

『現状でそれが可能なのは、あなただけです』

 百合香は、鼻白んで問いかけた。

「なぜ、私なの!?この剣や、鎧は何!?私は、病気でリタイアした元バスケット部員よ。理由がわからない」

 一気に百合香は捲し立てる。ある意味では、それが最大の疑問だった。

『理由を言葉で説明しても、あなた自身に納得する準備が整っていなければ、混乱するだけでしょう。だから百合香、今はこれだけを覚えておきなさい。まず、その剣はあなた自身の心から生み出されたものであること。そして、もう一つ』

 ガドリエルはひと呼吸置いて言った。

『私は、あなたの味方です。今は全ての力を使う事ができませんが、可能な限り、あなたに力を与える事を約束します』

 百合香はそう言われると、暫しの間沈黙したのち、ぽつりと言った。

「…わかったわ」

 金色の剣を持ち上げ、眺める。あれだけの戦いを繰り返してきたのに、小さな刃こぼれ一つ見えない。

「あなたが導いてくれてなければ、今頃命がなかったのは確かだもの。信用してないわけじゃない」

『ありがとう、百合香』

「ところで、ひとつだけお願いできるかしら」

 百合香は立ち上がると、身なりがよく見えるよう両腕を拡げ、ガドリエルを向いて訊ねた。

「この鎧のデザイン、恥ずかしいんだけど」

 

 

 

 

 

 城の基底部よりさらに下層、つい先刻百合香が氷の剣闘士たちと激戦を繰り広げた闘技場に、深い青の外套を纏った何者かが立っていた。床や壁の亀裂を、注意深く観察しているらしい。細い体のラインは女性を思わせるが、顔はフードで隠れていた。

「……」

 右手に持った小さな指揮棒のような杖で、壁面の亀裂を細かく確認する。亀裂の断面の角が、明らかに熱で融けて丸くなっているのを、フードの何者かは見逃さない。

 亀裂を調べ終えたのち、その何者かは闘技場全体を見渡したあと、その場を歩き去った。

 

 

 

 鎧のデザインが、肌の露出が多いという百合香の訴えに、ガドリエルは素っ気なく答えた。

『申し上げにくい事ですが、その鎧をデザインしたのは百合香、あなた自身の意志です。私の力では、あなたの意志まで曲げる事はできません』

「じゃあ、私自身の意志でデザインし直すわ!どうやればいいの!?」

 百合香は下着まがいの鎧のデザインを手でなぞった。

「そもそも、こんな肌がむき出しで、防具としての役割を果たせるわけ?」

『百合香、ひとつ覚えておいてください。何度も言いますが、その鎧はあなたの意志が具現化させたものです。つまり、あなたの意志の力が大きく、強くなれば、身にまとう物もより強靭なものに成長させられます。その剣が成長したのを、あなたは目の当たりにしたはずです』

 そう言われて、百合香はハッとした。

「そ…そういえば」

 今さらだが、百合香は剣のデザインがまたしても変化している事に、今になって気付いた。何か、細かい装飾が追加されている。

『聖剣アグニシオンは、持ち主の成長に合わせてその姿を変えます。そして、その成長にふさわしい鎧もまた創造されるのです』

「じゃあ、この露出が多い鎧は…」

『まだ成長が足りないという事です』

 ずいぶんハッキリ言う女神様だな、と百合香は思った。

『ですが、心配は要らないでしょう。すでにあなたは、大きく成長する可能性を示しました』

「成長って、どういうこと?同じようにあの化け物たちを倒していけばいいって事?」

『破壊によって得られる成長はありません。成長すれば、破壊することの意味を常に考えるようになります』

 なんだか、前に読み散らかして捨てたスピリチュアル本みたいな事を言われても、納得がいかない。

『百合香、いま城はあなたの行動によって緊張状態にあります。もし今出て行けば、とたんに敵は大挙してくるでしょう。今は、この場所で心身を休めてください』

「そういえば、この空間は何なの」

 鎧の事は諦めた百合香は、天井を見渡して訊ねた。

『私が、あなたのために創った空間です。あの城からは完全に隔絶されており、少なくともここにいる限りは絶対に安全です』

 それは百合香にとっては、非常にありがたい話だった。ここに来るまで、心が休まる瞬間はなかったのだ。正直、こうして話し相手がいる事だけでも安心感がある。

「この空間にはどうやって来られるの?というか、どう行き来すればいいの」

『話せば長くなるので細かい説明は控えますが、私と繋がる事ができる”時空の裂け目”とでも言うべき場所が、この世界にはいくつか存在します。この城の中でそれがどこにあるかは、私にもわかりません。ですが、それを見付けたら、先ほどと同じように扉を開けてください。そこは、あなただけが出入りできる秘密の扉です』

「そんなの、どうやって見付けたらいいの?」

『さきほど、あの巨大な剣闘士を倒した時を思い出してください。私の持つエネルギーは、彼らのエネルギーと反発します。彼らのエネルギーが空間に散乱した時、私と繋がる”ゲート”のエネルギーがわずかに反発し、先ほどのように場所がわかるはずです』

 なんとも確実性の薄い話だな、と百合香は思った。つまり、その場所を見つけるためには敵を倒さなくてはならない、ということだ。それでも、身体を休める場所がある、という期待は百合香に大きな安心をもたらした。

「ガドリエル、私はここから、どうすればいいの」

『城の全容がわからない以上、うかつに動くのは考えものでしょう。良きにつけ悪しきにつけ、城の内外の状況はしばらくの間、変わる事はありません』

 そう言うと、ガドリエルは部屋の奥を示した。そこには、天蓋のついた寝台が据え付けてある。

『眠りなさい。私も、しばし眠りにつきます』

「あなたも?」

『実は、こうしてあなたとコンタクトを取るだけで、今の私には精一杯なのです。いずれ、もう少し自由に接する事ができるようになるでしょう』

 よくわからないが、ガドリエルも何らかの制限を受けているらしい。ということは、何気なく会話しているようでいて、けっこうエネルギーを消耗しているのか。

『この部屋にいるだけで、よほど大きく傷つかない限り、あなたの体は癒されるでしょう。食事を摂る必要もありません』

「…あっ、ちょっと」

『くれぐれも、無理はしないでくださいね』

 そう言ったきり、ガドリエルはすうっと消え去ってしまった。

「ちょっと、ガドリエル!」

 もう一度呼んでみるものの、返事はない。もう眠ってしまったようだ。

 

 百合香は困り果てた。大問題に気付いたのだ。

 

「ここ、トイレあるの!?」

 



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少女の孤独

 どれくらい眠っていたのだろう。目覚めると百合香は、真っ白な天蓋に覆われた寝台にいる事に気付いた。

 

 疲れていたのですぐ眠りについたが、目覚めてみるとどうも落ち着かないデザインだ。ガドリエルに、リフォームを頼めるだろうか。そういえばリフォームって和製英語というか用法が間違っているらしいよな、というどうでもいい考えが浮かんだところで、百合香は眠る前になかった物が、部屋に据え付けてある事に気付いた。

 椅子の形をしているが、背もたれがない。そしておなじみのフタがついていて、脇には何やら紙を巻いた器具が設置してある。

「…トイレだ」

 見たままを百合香は口に出した。近寄ってフタを開けると、水がキラキラと光っている。何か、光るタッチパネルのような物もあり、触ると水が流れた。水洗だけでなくどうやら、ウォシュレット機能もあるらしい。至れり尽くせり、である。

 

 設置場所以外は。

 

「落ち着かないな」

 ガドリエルが用意してくれたのだろうか。確かに眠る前、「トイレが欲しい」と考えていた。

 

 トイレそのものは完璧で、文句のつけようがない。しかし、少なくとも普通の家庭では、リビングのど真ん中に便器は据え付けない。

 

 とりあえず、誰も見ている心配はないはずなので、百合香は用を足した。設置場所は後でガドリエルにお願いしよう。

 トイレを流し、泉で手を洗っている時に、百合香は寝る前と、服装に違和感がある事に気付いた。

「ん?」

 そういえば、何気なくいつものように用を足したが、あの鎧をつけた状態でどうやったのだろう、と自分の姿を確認すると、なんと服装が学園の制服、それも着ていた夏服ではなく、冬用のワンピース制服になっていたのだ。そして、下着も真新しくなっている。

「そういえば私、鎧のままでベッドに入ったんだっけ」

 ということは、寝ている間になぜか服装が変わったということだ。

 

 そこで百合香はまたも問題に気付いた。

 

 剣が見当たらない。

 

「!」

 

 人間は物を探すとき、胸や尻をまさぐるのが習性であるらしい。そんなポケットに剣があるはずはないのだが、全身をまさぐったあと、寝台の周りを調べたが、どこにも剣はない。

 冷や汗がにじむ。鎧と一緒に消えてしまったらしい。あれがなければこの城において、百合香は多少成績がいいだけの、単なる女子高生である。現代国語で100点を取っても、氷の怪物は道を開けてはくれない。

 

 だが、泉に映る自分の姿を見て、百合香は「落ち着け」と自分に言い聞かせた。その時思い出したのは、あの戦斧の闘士である。彼はその体躯のとおり、落ち着いているように見えた。実際どうだったのかは知らないが。

 

 ゆっくりと胸に手を当てて、精神を集中させる。すると、胸からピンポン玉ほどの真っ白な光が現れて、一瞬で剣の形をなした。ガドリエルいわく、その名も聖剣アグニシオンだ。女子高生がサッと取り出せる、もはやスマホと同等の聖剣である。

「…なんだ」

 これでいいのか、と百合香はため息をついた。鎧を纏う方法も、同じ事だろう。すでに、自分で理解している事に百合香は自分自身ようやく気付いた。

 

 すると、泉の中央から声がした。

『目覚めたようですね、百合香』

 水が波立ち、ガドリエルの姿が泉の中央に浮かぶ。

『聖剣アグニシオンの扱いは理解できましたか』

「理解できてる事に気付いてなかったわ」

 百合香は苦笑いしてみせた。

「服装が変わったのは、なぜ?」

『おそらく、あなたの無意識がそれを望んだのでしょう』

 百合香は、わかったようなわからないような顔で、とりあえず頷いた。ただ、なんとなく「着替えたいな」と思っていたのは事実である。それが反映された、ということか。どうやら、トイレも同じ事らしい。

 

『百合香、ひとつ忠告しておきます。あの鎧を常に身につけた状態で、城内を移動するのは危険です』

 ガドリエルが唐突に言うので、それはどういう事だろうと百合香は思った。身を守るためにある筈の鎧を、纏うなとは矛盾していないか。ガドリエルは答えた。

『本当の事を言えば、剣もそうなのですが…あなたの武具は、この城の理と相反するものです。すなわち、その発せられる波動が、彼らにとっては、あなた方の言葉で言う"発信機"となる可能性があるのです』

 なるほど、つまり敵に居場所を察知される危険がある、ということだ。

「つまり、戦闘に入る段階まで、極力この姿で居ろ、ということね」

『そうです。あなたの力が高まれば、波動をコントロールして気取られる事なく移動する事もできるようになる筈ですが、今のあなたにそれは難しいでしょう』

 そう言われて、百合香はほんの少しカンに触った。昔から負けん気が強いので、無理だと言われると意地でも達成してやる、と思ってしまう。レーダーに察知されないステルス女子高生になれというなら、なってやろうと心に決めた。

「わかった。それで」

 百合香は、聖剣アグニシオンを見つめながら訊ねる。

「とりあえず体力は元に戻ったけど、ここからどう動くべきだと思う?」

 遠慮なく百合香は意見を仰いだ。あの氷の魔城に関して、知らないのはガドリエルも同じである。

『まだ全容はわかりませんが、この城は大まかに、4つの層に分かれているようです。今いるのはその最下層部でしょう』

 なんだか曖昧な情報だ。ようです、とかでしょう、とか言われると不安になる。

「ハッキリとはわからないのね」

『はい。ですが、わかる事もあります。彼らの放つ負のエネルギーは、上の層に行くほど強く、色濃くなっているようです』

「どういうこと?」

『大まかに言うと、上に行くほど敵はより強大なものになる、という事でしょう』

 相変わらずガドリエルは、こちらが不安になる事を淡々と語る。それと対峙するのは百合香である。

『まずは、下層部から慎重に進んで行く事です。どうやら、今のところ下層部の気配は落ち着いています』

「今が出ていくチャンスってこと?」

『そうです』

 

 百合香は、剣を構えて扉を向いた。唐突に不安が押し寄せる。また、あの暗く冷たい空間に戻るのだ。そして、間違いなく敵と戦うことになる。

 バスケットの試合が始まる直前を思い出す。違うのは相手がわからない事と、自分一人で戦わなくてはならない事だ。

「そうだ、ガドリエル。出ていく前に、ひとつ質問していいかしら」

 扉の前に立つ百合香が、ふいに振り向いて訊ねた。

「私に顔立ちがよく似た、黒い髪の女の子が、ときどき鏡や硝子に映るの。私に話しかけようとしてる様子もある。何かわかる?」

『私にはわかりません。ただし』

 間を置いて、ガドリエルは言った。

『それが氷巌城の出現と前後して現れたのであれば、氷魔という事も考えられます。仮にそうだとしても、あなたに語りかけようとする事の意味まではわかりません』

「もし氷魔だとすれば、倒さなければならない敵、ということね」

『現時点では、これ以上私にわかる事はありません』

 ガドリエルは素っ気無い。

「なるほど、わかった」

 やはり、自分で確かめる以外なさそうだ。あるいは、城と関係ない心霊現象という事もあり得る。ガドリエル学園にも、それなりに怪談は伝わっている。何にせよ、正体がわからない物について、いま考えても仕方がない。

 

 百合香は改めて呼吸を整えると、心の中でバスケット部員たちと円陣を組むイメージを浮かべる。

『ガドリエル―――ファイト!!』

 よし、と百合香は頷き、振り返る事なく扉を開け、剣を携えて再び冷たい暗闇の城へと向かった。

 

 

 

 降り立った闘技場は、誰の姿もなく静寂が支配していた。百合香が残した巨大な破壊の痕が、そのまま残っている。

 ガドリエルに言われたとおり、百合香は鎧を発現させずに、剣を構えてゆっくりと移動した。剣にもエネルギーは込めない。まず、闘技場の外側に続く通路に足を踏み入れる。

 

 通路はやはり、岩盤を掘っただけのような雑然としたものだった。足元は相変わらずの凹凸である。

 そういえば、と百合香は思った。この通路の高さは4mあるかどうか、というところだ。最後に倒した、あの巨大な剣闘士が通れるとは思えない。

「あの大きいの、どうやって闘技場に来たんだろう」

 そこまで呟いて、百合香は別の可能性を考えた。

 

 あの巨大な剣闘士はひょっとして、最初からあの闘技場にいたのではないか?

 

 ガドリエルは、この城が「創造された」と言っていた。つまり、魔物の配置も最初から決まっていた、という事もあり得る。あたかも、要衝を守る番人のようにも百合香には思えた。

 ということは、この先にもあの氷の巨人と同じような、「番人」がいる事も考えられる。城に主がいるのであれば、雑兵との間を管理する、幹部クラスの存在がいてもおかしくない。さっき倒したあの巨人は、そういう存在だったのではないか。

 

 そんな事を考えつつ、静まりかえった通路を進んで行くと、何かザッ、ザッという地面を擦るような音が聞こえた。とたんに身構える百合香だったが、こちらに近付いてくる気配はない。

 すると今度は、何か布が風にはためくような音も聞こえた。風が強い日の、庭に干したシーツのような。

 そして次の音で、百合香はその音源の正体が何となくわかった。

 

「コェェェ――ッ!!」

 

 暗く、鈍い青紫に光る通路に、不快な金切り声が響く。

 

 これは、鳥の声だ。それも、相当大きな。以前に図鑑で見た、比較的近代に絶滅した何とかという巨大な怪鳥を百合香は連想した。

 

 百合香は立ち止まる。たぶん戦闘になるのだろう。それはもう覚悟の上である。

 問題は、ここまで戦ってきた相手は、大小はあっても同じような人形だった事だ。しかし、この城が「何でもあり」なのであれば、鳥や動物がいたって不思議はない。

 

 どうするか。声は、通路の奥から聞こえてくる。一本道であり、他に迂回できるルートはない。

 

 戦わざるを得ない。

 

 百合香は覚悟を決め、剣をしっかりと握って通路を奥に進んだ。

 

 

 

 先刻戦った闘技場とさほど変わらない広さの空間に、百合香は出た。氷を切り出しただけの空間であり、装飾などは一切ない。

 しかし、さっき羽音や声がしたわりには、何もいないことを百合香は訝しんだ。この広間ではないということか。

 だが足元に落ちているものを見て、百合香は間違いに気付いた。

 

 鳥の羽根が落ちている。キラキラと光っていて、見たこともないほど美しい。これもまさか、氷でできているのか。

 

 とっさに、百合香は上を警戒した。床にいないということは―――

 

「コェェェ―――――!!!」

 

「!」

 百合香は、瞬間的にその場を飛び退いて、迷わず鎧を纏った。胸から吹き出した紅蓮の炎が百合香の全身を包み、黒いアンダーガードや、胴体や関節を保護するパーツを形成していく。前回なかったアンダーガードのおかげで、肌の露出は多少抑えられたらしい。

 

 空間の上方から、巨大な影がホールの真ん中にドスンと降り立った。

 百合香が想像したとおり、それは巨大な鳥だった。キジがトレーニングジムで半年鍛えたような姿をしている。問題は、その大きさだった。

 

「―――サギだ」

 

 サギ、とは鳥の名前を言ったのではなく、もはやインチキレベルの相手の大きさに対する、女子高生の不平の訴えである。

 百合香の眼前にいるのは、さっき戦ったあの巨大な剣闘士よりも大きな巨鳥だった。鳥というか、翼竜の親戚といった方が早い。

 

「こんなのと戦えっていうの」

 いや、待て。まだ敵と決まったわけではない。案外、すんなり通してくれるのではないか。そんな無謀な期待を込めて、百合香は壁伝いに移動を試みた。

 しかし、百合香の期待はせいぜい3秒で打ち砕かれた。ジムで鍛えた巨大キジは、その嘴を百合香めがけて打ち下ろしてきたのだ。

「わあ!!!」

 すんでの所で、百合香は後方に回避できた。もし鎧を纏って身体能力が上がっていなければ、今頃鳥のエサになっていただろう。

 仕方ない、と百合香は着地して、改めて剣を構える。しかし、相手が翼を広げるとさらに巨大に見えた。

 

 これまでの相手は人間の形をしていたので、動きがそれなりに予測できる。しかし、相手は鳥である。動物の動きは予測ができない。初めて対戦する学校との試合の緊張感に似ている。

 対策を考える余裕もなく、巨鳥は再び百合香を嘴で狙ってきた。スピードが違うし、首のリーチも長い。百合香は全力で回避した。

「はっ!」

 避ける百合香に、相手は何度も嘴を向けてくる。あまり考えはなさそうだ。しかし、逆にそれが怖い。

 

 巨鳥は、今度は翼をはためかせて飛び上がった。いま気付いたが、この空間は上に向かって伸びているようだ。暗闇のせいで、どこまで高いのかわからない。

 巨鳥の羽ばたきは、ホール内に暴風を巻き起こした。

「きゃああ!!!」

 衝撃波のような暴風で、床面に散乱していた氷の破片が百合香に襲いかかる。鎧の持つ不思議なエネルギー膜のおかげで直接のダメージはないが、膜を通して伝わる衝撃で、百合香は弾き飛ばされた。

「あうっ!」

 後頭部や背中をしたたかに壁面に打ち付け、百合香の身体は床に投げ出された。普通ならすでに骨折しているだろう。

「うっ…」

 痛む身体をなんとか持ち上げると、暴風に耐えながら百合香は剣を拾い上げた。

 強い。そして知能レベルとは関係なく、何をするかわからない相手に百合香は恐怖を覚えていた。

 百合香にダメージが及んだのを見て取った巨鳥は、羽を下ろして床面に降りた。首をひねるようにして、百合香に迫ってくる。素早さが今までの相手と段違いなので、迂闊に懐に飛び込む事ができない。かといって飛び上がれば、空中戦で鳥にかなうわけがない。

 

 このままでは、攻撃するスキがない。そこで百合香は、戦法を変えることにした。

「こっちよ!来なさい!」

 相手を誘うように動いて、百合香は後退した。氷の巨鳥は突っ込んでくる。脚の移動速度も速いのは、若干想定外だった。

 それでも百合香は構わず全力で後退する。なおも巨鳥は追ってくる。

 

 しかし、次の瞬間、唐突に巨鳥の動きは止まった。

「やった!」

 巨鳥の前半身は、百合香が誘い込んだ通路にガッチリとはまってしまったのだ。知能がなさそうなのを利用して成功した作戦に、百合香はガッツポーズを取った。

「江藤百合香、やればできる子!」

 意味不明のワードを叫ぶと、百合香は聖剣アグニシオンを、後ろに矢を引くように水平に構える。

「グァ―――!!!」

 巨鳥は、はまった身体を引き抜こうともがいた。通路に、咆哮の衝撃波が走る。しかし、百合香は踏ん張ってそのスキを逃さない。聖剣アグニシオンに、真紅のエネルギーが凝縮されていった。

 

『メテオライト・ペネトレーション!!!』

 

 剣身に満ちた炎のエネルギーを、百合香は剣をまっすぐに突き出し、対空ミサイルのごとく巨鳥の首めがけて打ち出した。

 隕石なのに下から打ち上げるのはネーミングとしてどうなのか、と自問する間もなく、巨鳥の首は剣のエネルギーに貫かれ、凝固したシャーベットのように根本からその場に砕け落ちた。

 

 例によって、敵がまだ動かないか不安な百合香は、聖剣の先でチョンチョンと倒れた身体を突っついた。ダンジョン攻略ゲームの主人公の大男がやったら絵的に締まらないが、こっちはただの女子高生である。

 

「ふうー」

 相手が全く動かない事を確認すると、百合香はその場にへたり込んで、安堵のため息をついた。

 背中を打ち付けたダメージが若干残っているものの、そこまで深刻なものではなさそうだ。鎧の防御力に感謝しつつ、再び百合香はその装備を解除し、もとの制服姿に戻った。

 通路をふさいだ鳥の脇をどうにかくぐり抜けると、百合香はホールの天井を仰ぐ。高い。ひょっとして、城の上層まで突き抜けているのではないか。だとしても、今の百合香にこんな高さを登る手段はない。

 

 見ると、やはり入ってきた通路の反対側には、また通路が見えた。だいぶ移動してきたので、いいかげん城の端まで来たのではと思っていたが、予想よりもさらに巨大な城らしい。

 

 突然百合香は、たった独りで戦う事の頼りなさを感じて、その場に立ち尽くした。

 今までは、バスケットのチームで戦ってきた。自分が優れていようとも、結局はチームがまとまっていたからこそ、それなりに勝利を収める事ができた。

 

 チームプレイに慣れていた少女が、とつぜん独りで巨大な城に立ち向かう事を強いられているのだ。仲間とは、本当にありがたいものなのだと百合香は実感していた。

 

 たった一人だけでもいい、仲間がいてくれたらどんなに心強いだろう、百合香はそう思った。眼の前には、冷たい闇の通路が無言で続いていた。

 



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ルミノサス

 百合香は聖剣アグニシオンを輝かせて、広い円形ホールの、いま倒した氷の巨鳥が降りてきた天井を照らしてみた。

「…高い」

 百合香は呟く。剣の輝きは大型のLEDライトより強いくらいだが、それでも空間の天辺には届かないらしい。吹き抜けにも似ているが、これだけ派手に戦っても、上からは物音ひとつ聞こえない。

「上はどこかに繋がってるわけじゃないのかな」

 調べてもそれ以上の事はわからない。螺旋階段でもついていれば上層に上がれそうだが、何もない。百合香は仕方ないので、さらに奥へ続く通路を進む事にした。

 

 

 相変わらず乱雑に切り出した通路を進む。壁面の鈍い青紫の光による視界は厳しいが、逆に敵からもこちらが見えにくいのは好都合だった。検査で毎回2.0を誇る視力に、百合香は感謝した。

 しかし、そこで百合香は妙な事に気付いた。何気なく髪を整えた時、やけに自分の髪が明るい色に見えたのだ。

「ん?」

 百合香は自分の長い髪を持ち上げて、首の手前に持ってくる。

「……なんで」

 錯覚ではない。地毛そのものが明るいブラウン気味のせいで、今まで地毛証明だとかを学校に提出したり、面倒な思いをしてきたのだが、もはやブラウン気味だとかのレベルではなく、完璧なブロンドになってしまっているのだ。

「……!」

 どういう事なのか。もともと、顔立ちが少しだけ西洋人ぽいせいで、意地の悪い人達には気持ち悪いとか陰口を言われてきたが、ついに髪まで西洋人になってしまった。

 この暗黒の氷巌城で生活指導の教師に出くわす心配もないだろうが、もし全部解決して日常生活が戻った時に、このままだったらどうなるのか。

「…まずい」

 自他の生死がかかっている魔物の城攻略の最中に、髪がブロンドになった事を心配する自分の余裕も凄い、とは百合香自身も思う。

 

 百合香は、慌てて周囲を見回した。そして、比較的平らな鏡面になっている壁面を見付けると、近付いて剣を発光させる。

「……」

 水晶のような光沢の壁面に、自分の姿が映る。深い青紫の鏡でも、見事なブロンドである事がハッキリとわかる。

 しかし百合香は、なぜかその姿が、今までよりも自然に思えた。もともとブロンドだったのではないかと思えるくらい、違和感がない。

「…あまり変な事が連続してるせいで、髪の毛までショックで変わっちゃったのかな」

 不意に百合香は笑ってしまう。

 

 その時だった。

 

 暗い鏡面に映る自分の背後に、またしても、それは姿を現した。ここまで激闘の連続で、移動中はうっかり忘れかけていた。

 

 自分によく似た、黒髪の美少女。

 校舎にいた時から、姿は見えても実体がない、幽霊のような少女。

 

「あなた…」

 百合香はその時、心臓が止まりそうな驚きと同時に、なぜか安心感のようなものを覚えていた。

 

 少女は、百合香のブロンドの髪に、指を滑らせる。まるで人形を愛おしむように。

 

『ユリカ、やっと会えた』

 

 声が聞こえた。自分によく似た声だ。同じなのかも知れない。

 驚いた百合香だったが、今度こそ、繰り返し現れる謎の少女の正体を突き止めてやろう、と考えた。

 

「あなたは、誰」

 百合香は訊ねる。もはや、様々な事が連続しており、鏡の中の人間と会話をする程度で動じる百合香ではなくなっていた。

 少女は首をかしげた。

「あなたの名前は?」

 百合香は再び訊ねる。すると、少女の口が動いた。

『名前がないの、私には』

「どういうこと」

 

『私達には姿も、声も、名前も、何もない。だから私は、あなたの姿を真似た。美しい、あなたの姿を』

 

 少女は、とつとつと語った。まるで、子供と話しているようだと百合香は思った。

「姿がない…まるで氷魔のようね」

『氷魔。私達をそう呼んでいるのね』

「あなたは氷魔なの!?この城の奴らの仲間なの!?」

 つい、百合香は激昂した。少女はびくりとして顔を背ける。

『怖い、怖い。怒らないで』

 それが本物の怯えに思えたため、百合香はとたんに妙な罪悪感を覚えた。

「…ごめんなさい」

『百合香。あなたは、友達を助けたいのね』

 突然、意外な事を少女が言ったので、百合香は目を丸くした。

「何を言っているの?」

『あなたの大切な人達。髪の短い人、眼鏡をかけた人。あの人達を、助けたいのね』

 まるで、百合香の心の内を読んだかのように少女は言う。どう答えればいいのか、百合香は迷った。

「…助けたいわ、もちろんよ。でも、あなたには関係ない」

『そんな事言わないで』

 少女は、百合香の首に両腕を回す。鏡に映る姿しか見えないが、その感触が確かにあった。

『百合香。わたしは、あなたが氷魔と呼ぶ存在。だけど、ひとつだけ違いがある』

 少女は、今までより強い調子で語り始めた。

 

『私は、人間になりたいの』

 

「え!?」

 百合香は思わず声を出した。

「いま何て言ったの?」

『私は、人間になりたい。この、形のない曖昧な存在から、形のある存在に移行したい。あなたのような美しい人達と一緒に、”人生”というものを送ってみたい』

 百合香はまたも面食らった。

「…唐突にそんな事言われても、私にはどうすればいいのか、わからないわ。何をしてあげられるのか」

 そう答えたが、少女は微笑を浮かべたままだ。百合香の次の言葉を待っている。

「怒っているわけではないけれど。あなたが、私の敵ではないと、どうやって証明するの?」

『証明。そう、人間の世界ではそういうものが必要なのね。不便だわ』

「あなた、人間になりたいんじゃないの!?」

 またしても百合香は大声を上げてしまった。

「矛盾してるわ。それとも、あなたの世界に『証明』は必要ないとでもいうのかしら」

『じゃあ聞くけれど、証明って何をすれば証明になるの?』

 いきなりそんな方向に話を持って行かれて、百合香は頭がくらくらし始めた。

「哲学の問答をしてる時間はないわ」

『哲学!知ってるわ。あなたが時々読んでる本』

「…え?」

 百合香は、ぎくりとした。

『あなたが読んでた、デカルトという哲学者の本にあったわね。”方法的懐疑”という理論。真実に到達するためには懐疑的になる必要がある、という解釈でいいのかしら。では、私が信用できる事を証明するには…』

「ちょっと待って!どうして、私が読んだ本を知っているの」

『私、あなたと学校でいつも一緒にいたのよ。最近やっと気付いてくれたみたいだけど』

「な…」

『あなたが学校で読んでた本、みんな覚えてるわ。詩、というのも好きなのよね。サッフォーの”アフロディーテ讃歌”を繰り返し読んでるけど、あそこが特に好きなのかしら。そういえば、小説っていうのを書いてた事もあるわよね。主人公は、魔女のルミ…』

 

「スト―――ップ!!!」

 

 顔を真っ赤にして百合香は、鏡の中の少女を遮った。

「プライバシーの侵害だわ!一体どこまで…」

『プライバシー!それも人間の概念ね!』

「いちいちキーワードに反応しないで!!」

 なんなんだ、この幽霊少女は、と百合香は思った。話していると気が狂いそうになる。

「学校でいつも一緒にいるって、どこからどこまで…」

『映るものがある場所なら、どこでも。トイレ、と呼ばれる場所では中まで覗けないけれど、あそこは何をする場所なの?』

「ちょっと黙って」

 百合香は、壁にもたれて座ると深呼吸をした。

「あなた、だんだん性格が変わって来てるわ」

『当然よ。こうして、あなたと会話するのは初めてだもの。私は、あなたの姿を模倣して今のイメージを創り上げたの。性格も、だんだんあなたに似てきているという事よ』

「私はあなたみたいに失礼な人間じゃないわ」

『そうかしら。それとも人間は、自分の事が自分でわかる存在なの?』

 なんて嫌な絡み方だ。自分は間違ってもこんな理屈っぽい少女ではない、と百合香は心の中で必死で否定したが、そういえば南先輩に「話がクドい」と言われてショックを受けた事はある。

「氷の化け物と戦ってる方が百倍ラクだわ」

 百合香はつい、そう悪態をついた。

「いい。わかった」

『何が?』

「あなたが、少なくとも他の氷の化け物とは違う、という事よ」

『当然だわ。彼らは根本的な矛盾を抱えた存在だもの』

 その言葉に、百合香は何か引っかかるものを感じた。

「どういう意味?根本的な矛盾、って」

『この城を奥まで進めば、嫌でも知る事になるわ。進めれば、の話だけど』

 その少女の言葉に、百合香は沈黙した。

『あなたの、目覚めたその強大な力は、確かにこの城にとって脅威だわ。けれど、上に行くごとに相手は強くなる。少なくとも今の程度の強さでは、途中で死ぬでしょうね。せめて氷の彫像になれればいいでしょうけど、二目と見られない姿で死ぬ事だってある』

 だいぶ恐怖を煽ってきているが、確かに今までそんな不安がよぎる場面は何度もあった。百合香は、自分の最期というものを想像して身震いした。

「…じゃあ、あなたは何かできるっていうの。あなたは要するに、人間になって、私たちの世界に来たい、そういう事よね」

『うん』

「それなら、私が氷漬けになってあの世に行った時点で、あなたの目論見は崩れ去るわけよね」

 

『全くその通り。だから私は、あなたに力を貸そうって言ってるの』

 

 あっけらかんと少女は言った。百合香は訊ねる。

「力を貸す?」

『そう』

「何ができるというの」

『あなたに出来ない事が私にはできる。と思う』

 最後の一言が余計なのではないか、と百合香は思った。

「なんで曖昧なのよ」

『だって、私には姿がないのだもの。実際に”現れて”みないと、何ができるかはわからない』

「現れるって…肉体がないのに、どうやって現れるつもりなの」

『その方法を考えてるんだよね。今のままじゃ、私は単なる精神体』

 もう、わけがわからない。実体がないのに、どう協力するというのか。百合香は、これ以上話しても埒が明かないと思って立ち上がった。

「とりあえず、あなたの事は心に留めておく。でも、今は私は先に進まないといけない」

『ふうん。仕方ないわね』

「…ひょっとして、この城に入ってからも、私の事見てたの?」

 一番気になっていた事を百合香は訊ねた。少女は答える。

『もちろん。私は今、まだこの城の住人だもの。けれど、今はあなたという外界との接点ができた』

「あなたとコンタクトを取るには、鏡を見ればいいのね」

『え?いやだなあ、もうそんな必要ないわよ』

 その少女の返答に、どういう意味だろうと百合香は思った。

 

『もうすでに、私の魂はあなたとリンクしている。ずっと一緒よ』

 

 百合香に悪寒が走る。

「それってどういう意味?」

『もう、あなたの心の中に私がいるって事。離れられないわよ』

「そんな契約した覚えはないわ!どんな魔法か知らないけど、出ていって!鏡でお話すれば、それでいいじゃない!」

 百合香は叫ぶ。自分と常に他の誰かが精神を共有するなんて事、あってたまるか。トイレで用を足す時でさえ、一緒だという事だ。

『魔法!すてきな言葉だわ。うん、私、人間になったら魔女になりたい』

「残念だけど魔女の仕事はないわね。私の国では」

 気を紛らすために軽口を叩く百合香だったが、その時何か、妙な音に気がついた。

 

 ズルリ、ズルリ、という何かを引きずるような音が、通路の奥から聞こえてくる。百合香は身構えて、胸に意識を集中した。炎が噴き出し、鎧となって百合香の全身を包む。

「何か来たみたい」

『大声出すから』

「誰のせいよ」

 言いながら、剣を構えて音がする方を睨む。それは、確実にこちらに近寄ってきた。

 

 10メートル。5メートル。だんだん近づいてくる。そして、やがて影が見えた。

 床面から鎌首をもたげるように立ち上がったそれは、人間型ではない。といって、鳥や動物でもない。すると、何かシュルリという音がして、百合香はものすごく嫌な予感がした。

 

 それは、百合香に気付くと、一瞬で襲いかかってきた。

 

「あっ!」

 とてつもないスピードだった。その長い影は、全長6メートル以上はある。それが、うねるように百合香に飛び掛かってきた。すんでの所でかわした百合香は、至近距離でようやく相手の正体を理解した。

 

 それは、蛇だった。やはり氷でできているらしい。氷が繊維状になっているのか、無数の鱗になっているのか、それはわからないが、とにかく氷の巨大な蛇だ。

「シャアッ!!」

 休む間もなく、蛇は百合香に飛び掛かってくる。速い。

「あぐっ!」

 強烈な体当たりを喰らって、百合香は激しく壁面に叩きつけられた。さすがに今度ばかりは、少なからず全身に衝撃が走る。剣を取り落し、百合香は床面にドサリと投げ出された。

『百合香!』

 少女の声が響く。

「これぐらい…」

 百合香は、必死で立ち上がる。だいぶ休んではいたが、だてにバスケットで鍛えてはいない。剣を拾うと、即座に斬りかかった。

「せいやーっ!」

 大蛇の首めがけて炎の剣を斬りつける。しかし、相手は蛇である。動きの予測ができない。百合香の剣は、すぐにかわされた。逆に、蛇はその全身をくねらせて百合香の全身に巻き付いてきた。

「うああっ!」

 腰と首を同時に締め付けられ、百合香はその圧力に耐えきれず叫んだ。

『百合香!しっかりして!』

 少女の声が聞こえる。しかし、百合香は動けなかった。どうにかして、この状況を打破しなくては。

 

 その時、百合香に浮かんだのは、バスケットボールのスティールだった。相手のボールを奪い取る。今の場合、自分自身がボールである。相手の手からボールを奪うには、どうすればいいのか。

「こ…の」

 百合香は、遠のきそうな意識の中で、全力で剣に力を込めた。剣は激しく発光し、剣身から炎の塊が飛び出す。炎の塊は、弧を描くように飛びあがると、ブーメランのように百合香の身体ごと大蛇を打ち付けた。

「シャアッ!!」

「あうっ!」

 蛇の出す音と百合香の悲鳴が重なり、そのまま両者は弾き飛ばされて壁面に当たった。

「いたた…バスケの試合なら、もろにファウルだわね」

『とんでもない無茶するわね』

「この程度で参ってちゃ、試合には勝てないわ」

 体育会系の美少女、百合香は心の中にいる「もう一人の自分」に不敵に笑ってみせた。

「うっ」

 相手もダメージを受けているが、さすがにこちらにもダメージがあり、背中に痛みを覚えて百合香はバランスを崩した。

「…今度こそ、仕留める」

 その時だった。

『百合香、私に代わって』

「え?」

『私に、あなたの身体を貸して。私の力なら、きっとそいつを倒せる』

 百合香は、ふらつきながら少女の言葉を聞いていた。

『あなたがそいつにダメージを与えた、いまが交代のチャンスよ!』

「どうすればいいの」

『私の名前を呼んで!』

「名前なんてないんでしょ」

『あるわ。いま決めた』

 少女は断言した。

 

『私の名は、瑠魅香』

 

 ルミカ。少女はそう名乗った。その名前は、百合香がよく知っている名前だった。

「その名前は…」

『早く!私を呼んで!』

 少女は急かす。ダメージを負った大蛇が、再び百合香に狙いを定めて動き始めた。

 

 百合香は、少女を信じてその名を―――百合香だけが知っていたはずの名前を呼んだ。

 

「きて、瑠魅香!」

 

 百合香の叫びが、暗闇の通路にこだまする。次の瞬間、百合香の全身は赤紫の炎に包まれた。

 

 その激しい炎が収束した時、中から現れたのは黒髪の少女だった。その全身は深い紫のドレスに包まれ、黒い髪の上には、広いツバの三角帽子が乗っている。その手には、銀色に光る巨大な杖が握られていた。

 

 それは、かつて百合香が頭の中で思い描いた、魔女の姿だった。



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瑠魅香

『私は魔女のルミカ。難事件は私におまかせ!』

 

 百合香がそんな他愛ない書き出しの漫画を、折ったコピー用紙に鉛筆で描いて友達と見せ合ったのが、小学3年とかその辺だった。すでにバスケットボールは始めていたが、一方でごく普通の女の子でもあった。

 

 月日が過ぎてバスケットに専念するようになり、その後しばらくルミカとは疎遠だった。

 

 中学2年くらいから、小説を書き始めた。それでわかったのは、自分に絶望的に文才がない事だった。なので、誰にも読ませた事はない。

 

 高校に入ってから、少しダーク寄りのファンタジーを書こうと思い、「瑠魅香」という同世代の魔女が地底世界を冒険する物語をこっそり書き始めた。

 やはり文才は成長していない。どうしてなのか、不思議なくらいである。無駄に諦めが悪い百合香は、それでも書くことをやめなかった。文芸部の吉沢さんあたりに読ませたら、気の毒そうな視線を向けられる事だろう。

 

 その書かれた小説を読んでいるのは、自分だけの筈だった。自分だけでなくてはならない。

 

 それが、氷の世界から現れた、自分の姿の真似をしている幽霊少女に読まれていた。どれほどの精神的拷問か、わかるだろうか。氷の化け物100体の方がまだ可愛く見える。

 

 

『いくよ、百合香』

 その、百合香の秘密の小説を勝手に読んでいた少女が、百合香の肉体を拝借して、「瑠魅香」と名乗り現れた。

 百合香は、その様子をぼんやりした視界から見ていた。音もナローレンジ気味である。ちょうど、VRゴーグルを通して見る視界に似ている。手足を動かせる感覚はない。これが、自分の肉体を通じて瑠魅香と共有している感覚らしい。

 

 

「いくよ、百合香」

 百合香の身体を一時的に借りた瑠魅香は、自分の内側に移動した百合香に語りかけた。

『大丈夫なの!?』

 百合香の声がする。自分の声はこんなふうに百合香に聞こえていたのか、と瑠魅香は思った。

「大丈夫、大丈夫」

『来るわよ!』

 二人がおしゃべりをしている間に、巨大な氷の蛇は再び襲いかかってきた。うねる前半身をぐんと上に持ち上げて、覆い被さるように体当たりしてくる、文字通りの蛇行は、人間の感覚では全く読めない。

 瑠魅香はそれをかわそうとしたが、初めて物理的な世界で肉体を動かすためか、まだその感覚が掴みきれていないらしかった。

『ちょっと!』

「うわっ!」

 すんでの所でかわしたものの、足は大きくバランスを崩して、瑠魅香はその場に盛大に転んだ。受け身を取っていないせいで、肩をもろに打ち付ける。

「あうっ!」

『ばか!受け身を取りなさいよ!』

「仕方ないでしょ、初めてなんだから」

 どうにか態勢を直した瑠魅香は、

「なるほど」

 と呟いて、腕をついて起き上がった。

「よーし」

 銀色の巨大な杖を構えると、こちらを伺う大蛇に向かって突き出す。その様子を、百合香はVRの視界から見ていた。

『その杖はなに!?』

「何って、あなたの書いた小説の主人公が持ってるじゃない」

 そう言うと、瑠魅香は杖の先端に意識を集中させた。青白い光が、ピンポン球のように収束する。その周囲では、電気のようなエネルギーがスパークしていた。

『あなた、それ…』

 百合香が何か言おうとする間もなく、大蛇は牙をむいて瑠魅香に噛み付いてきた。バーチャルの視界で見る百合香は、噛まれるのは自分の身体なのだと思うと気が気でなかった。

 もう駄目だと思った、次の瞬間。

 

 バタバタバタ、と大蛇は尻尾をはげしく打ち付けて悶えていた。見ると、何か空間にエネルギーの網のようなものが張りめぐらされ、それに引っかかって大蛇は身動きが取れなくなってしまっていた。

『な…なに?』

「これが、私の魔法」

 瑠魅香は得意げに腰に手を当てた。

『魔法!?』

「ふうん、肉体を持つってこういう感覚なのね。予備知識はあったけど」

『あなた、魔法が使えるの!?』

 百合香が、頭の中から問いかける。

「もちろん。だって、あなたが創造したのだもの。瑠魅香という魔女を」

 瑠魅香は、百合香が小説の主人公に与えた能力を知っている。向こう見ずで直情径行、魔法の実力は高いが、性格のせいでそれを十分に発揮できない。それが、百合香の書いた小説「ルミノサス・マギカ」の主人公、瑠魅香だった。

「小説の中で使ってたでしょう?雷の網で、盗賊団をまとめて捕らえるシーン、あそこ痛快で好きよ」

『戦闘中に書評はいいから!』

「それもそうね。さっさと片付けよう」

 改めて、瑠魅香は動けない大蛇に杖を向ける。瑠魅香に警戒して、逃げ出そうとしているのがわかった。

「女の子を襲っておいて、逃げようなんてムシがいいわね」

 瑠魅香が意識を集中すると、空間に紅い輪のようなエネルギーが現れた。それは大蛇の首の周りに定位すると、じわじわとその直径を縮めて行く。

『なんかそれ、エグくない?』

 あからさまにドン引きしている風である。

「何言ってるの?あなたが、連続殺人犯を処刑するのに瑠魅香に使わせた魔法よ。小説の中で」

『…忘れた』

 作者に忘れられた可哀想な魔法のリングが、さらにその直径を縮めていく。大蛇は必死にもがくが、もはや逃れる術はなさそうだった。

 

『ブラッディー・エンゲージリング!!』

 

 瑠魅香が声をかけると、血染めの指輪は一瞬で収束して、大蛇の首をギロチンのごとく切断した。

 ごとん、と嫌な低音を響かせて、大蛇の首が青紫の床に落ちると、首から下の体も崩れ落ちて、ぴくりとも動かなくなった。

「見て、百合香!どんなものかしら」

 自信満々で瑠魅香は胸を張ってみせた。

『あんなエグい魔法、書いた覚えはないわ。血染めの結婚指輪って、悪趣味にも程がある』

「じゃあ読み返してみなさいよ、自分で」

 ふふふ、と瑠魅香は笑う。

「これが、人間の身体というものなのね。熱を帯びているのがわかる…これが、生命なのね」

 感動するように、瑠魅香は百合香から拝借している身体を観察した。その様子で、百合香は服装が変わっていることに気付いたようだった。

『ねえ、今どんな格好してるの』

「え?見たい?」

『ここからじゃわからない。紫のドレスなのはわかるけど』

 そうね、と瑠魅香は頷いて、杖を壁面に向けた。

「鏡よ、現れよ!」

 杖を一振りすると、凸凹の壁面がバーンと弾け、試着室の鏡のように広い鏡面が現れた。

 そこに映るのは、黒いロングストレートを垂らした、紫のドレスに身を包む魔女の姿だった。

「どう?素敵でしょ」

『…まあまあね』

「ご謙遜。顔とスタイルはあなたのものでしょ」

 瑠魅香は、鏡の前でくるくると回り、ドレスのスカート部分を持ち上げたりしてみせた。

「それにしても、こんな重いもの下げてよく動けるわね」

 瑠魅香は、両方の胸を持ち上げてユサユサと揺すった。

『なにしてんのよ!!』

 百合香の怒声が脳内に響く。

「これ、おっぱいって言うんでしょ?」

『黙りなさい!!手を離して!!』

「けち。それにしても、下がスースーするわね、この服装」

 今度はスカートを大きくめくる。バスケットで長年鍛え上げた、白い太腿が現れた。

『そそそ、それ以上持ち上げないで!っていうか、身体を返しなさい!!』

「やーよ。もうちょっと、体験させて」

 瑠魅香は、肉体の動かし方を練習するかのように、くるくると回りながら歩き始めた。

 

 大蛇を倒し、どれくらい歩いただろうか。

「めちゃくちゃ重いと思ったけど、慣れたらこんなものかって思うわね、人間の身体って」

 瑠魅香は左腕を振り回して言った。

『人間の身体も色々と不便よ』

「そうなの?」

『今まで観察してたのなら、わかるでしょ。色々と…デリケートなものなの、特に私達女の子は』

 百合香は、そこまで言って言葉を途切れさせた。

「うん。何となくはわかるよ。あまり表立って言ったりしない方がいい事があるのよね」

『…わかってくれたなら幸いだわ』

「色々、教えてちょうだい。人間として生きるって、どういう事なのか」

 瑠魅香は、いつか一人の人間として生活を始める事を想像して、百合香に言った。百合香の返事は素っ気無い。

『あまり期待しないでね。まだ人生経験、16年だから』

 

 

 暗灰色の鎧の人物が、黒く煌めく玉座から、跪く蒼いフードの人物を見下ろしていた。

「何か掴めたか」

 低い、くぐもった声が響く。

「はい。何者かが侵入したのは間違いありません。しかし奇妙なことに、侵入者は姿をくらましたようです」

 フードの人物は、少年のような、女性のような、どちらともつかない高い声で答えた。

「この城の中でか」

「はい。そして、信じ難い事ではありますが、地下の不完全体たちを、おそらくは単身で全滅させています」

「あの、出来損ないの巨体もか」

「さようでございます」

 鎧の人物は、その報告に少しだけ身を乗り出した。

「いかがいたしますか」

「ふうむ…」

 少し思案した様子を見せたのち、鎧の人物は言った。

「兵の配置を強化せよ。だが、わかっていようが我々の目的は、一匹のネズミを捕殺する事ではない。本来の目的を見誤ってはならぬ。もし、取るに足らぬようであれば、捨て置いてよい」

「かしこまりました」

 恭しく礼をして、フードの人物は玉座の前を辞し、音もなく広間を退出した。

 

 

 

 一方、学園敷地内、つまり氷巌城の外の世界では、少しずつ状況が悪化していた。まず、学園一帯の地域への救援隊派遣は一旦保留された。見捨てられたわけではない。じわじわと寒冷化が世界各地で急速に起こり、パニックが起きているのだ。

 

『この異常気象の原因は何なのでしょうか』

『地球温暖化によって、逆にユーラシア大陸北部のジェット気流が…』

 病院の待合室のテレビでは、ワイドショーで喧々諤々の議論がなされている。首都近郊で夏を前に唐突に起きた降雪により、交通渋滞や多重事故、物流の麻痺などで、徐々に人々の生活に影響が出始めているらしかった。

 百合香の住む都市では、学園で起きたような人間の凍結事件が数件発生しており、すでに凍死も報告されていた。

 

「急激な加温は避けて。特に高齢者は」

 ベテランらしい医師が、看護士たちに指示を飛ばす。

「病室を出た患者は?」

「警察に届けていますが、まだ連絡はありません。市内もこの状況ですから…」

 

 病院の受け付けに、一人の長髪の美しい女性が、食い付くように身を乗り出していた。

「あの、ここに通院している、江藤百合香という高校生の母ですが、娘はこちらに来ているでしょうか」

「ごめんなさい、今非常に立て込んでおりまして、もう少々お待ちください!」

 強引にシャットアウトされ、百合香の母親、江藤真里亜は崩れ落ちた。スマートフォンの画面を何回叩いても、百合香には電話も、LINEも通じない。

 待合室は、突然自宅や職場を襲った寒波により、低体温や凍傷に罹ってしまった人々で溢れていた。さらに、路面凍結により事故が続発しており、重傷で運び込まれる人間も後を絶たない。

 気温は28℃くらいから唐突に10℃を下回り、さらに下がる様子もあった。これは異常気象ではなく、異常事態と呼ぶべきだと、テレビでは誰かが力説していた。

 

 

 

「今頃、外の世界でも寒冷化が起きていると思うわ」

 瑠魅香は、暗い通路を歩きながら言った。

『どういうこと?』

 百合香の声が訊ねる。瑠魅香は続けた。

「百合香、落ち着いて聞いてね。いま起きてる事は、あなたのお友達何人かの命が危ない、というレベルの話ではないの」

『え?』

「うーん。言っちゃっていいのかな」

『そこでぼかさないで!逆に不安になる』

 百合香の言う事ももっともだ、と思った瑠魅香は、意を決して言った。

 

「あのね。この城が生まれてしまった以上、放っておけばこの星が凍結してしまうの」

 

 鍋を火にかけっぱなしにするとお湯が溢れるの、と言うのとさして変わらない調子で瑠魅香が言うと、百合香は愕然とした様子で訊き返した。

『この星って、地球ってこと!?』

「そう」

『それ、ガドリエルにも言われた』

 百合香は、癒しの間で”女神”ガドリエルに説明された事を瑠魅香に伝えた。ガドリエルも、氷魔の目的は自分達のために世界を凍結させる事だ、と言っていたのだ。

「ふうん、ガドリエルね。何者だろうね、その女神様」

『瑠魅香も知らないの?』

「知らない」

 あっさりと瑠魅香は答える。

「なるほど。で、さっきの話の続きだけど。もうすでに、何らかの異常が世界各地で起きていると思うんだ。突然気温が急激に下がる、とかね」

『そんなに早く進行するの?』

「私は氷魔の中でも若い方だから、詳しい事は知らないけどね。この前の氷巌城出現の時、私は生まれていなかったの。生まれる、っていう言葉の意味は、あなた達の言う『誕生』とは違うんだけど」

 突然わけのわからない解説を挟まれて、百合香の返事が途切れた。混乱しているのだろうか。

「いずれにしても、私たちのやる事は変わらない。できるだけ早く、この城を消滅させる事よ」

『ちょっと待って』

 黙っていた百合香が口をはさんだ。

『瑠魅香、あなただって氷魔なんでしょう。そんな、自分の生まれ故郷を壊すような真似を、なぜするの』

「あー、そこが大きな勘違い。氷巌城は別に、氷魔の故郷でも何でもない」

 瑠魅香の説明で、百合香はまたしても混乱したようだった。瑠魅香は続ける。

「私たちの故郷は、平たく言えばこの星よ。この星に生きている生命の一形態、それが私達。ついでに言うなら『氷魔』なんて呼び方は、差別的ね。魔物でも何でもない。あなたが知っている言葉の中では、”精霊”と呼ぶのが一番近いかも知れない」

『精霊…』

「ま、便宜的に呼ぶのは構わないわ。どのみち、私は人間になりたいんだもの」

 その言葉で、百合香が思い出したように話題を変えた。

『瑠魅香。どうやって人間になるつもりなの』

「え?」

 当然の質問を百合香は投げかけてきた。

『私を頼ってるらしいけど、私は精霊だとかの存在を、人間にする方法なんて知らないわ。それとも、私を殺して体を乗っ取るつもり?』

 

「そんな事、絶対しない!!!」

 

 突然、激昂するように瑠魅香が叫んだので、百合香は気圧されて黙ってしまった。

「私は…私は、百合香。あなたの生きている姿を見て、人間になりたいと思ったの。人間になって、あなたと一緒にこの星に生きていたい、と。悲しい事、言わないで」

『ご…ごめんなさい』

 百合香は慌てて詫びる。瑠魅香は立ち止まって、目から涙が流れている事に気付いた。

「あれ…何これ、目から温かい水が流れてきた」

 目尻にたまった涙を手のひらににじませて、瑠魅香はそれを眺めた。

『瑠魅香。それは涙』

「なみだ?」

『私たちは、あまりにも嬉しい時や悲しい時、目から涙を流すの』

「…そっか」

 瑠魅香は、小さく笑った。

『ごめんなさい、瑠魅香。…あなたが人間になりたいというのなら、私も力を貸すわ』

「ほんとう!?」

『ええ。ガドリエルなら何か知っているかも知れないし』

「その、ガドリエルってどこにいるの?」

 百合香は、癒しの間という空間がある事を説明した。瑠魅香は子供のように機嫌を直し、百合香との語らいを楽しく、嬉しいと思った。

 

 一人でいながら、二人の精神が共にある。百合香もまた、それまで独りで戦って来た所へ、全く予想外の形で”同行者”が現れた事を、とても奇妙に、そして無意識下では、嬉しく感じているのかも知れなかった。

 

 二人の前には、まだ暗く冷たい通路が続いていた。



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ナロー・ドールズ

「疲れた」

 瑠魅香は、唐突に息を切らして、暗い通路にへたり込んだ。

『大丈夫なの!?』

 頭の中で百合香が相方への心配と、自分の肉体の酷使への抗議も兼ねて声を張り上げた。

「うん。やっぱり人間の身体って、重いものなのね」

『…瑠魅香。人間になりたいなら、ひとつ覚えておいて。女性の身体に対して、重い重いと繰り返すのは失礼になる』

「そうなの?」

 人間世界の事情に疎い瑠魅香は訊ねる。

『太い、細いとか区別するのも差別的だけど、とりあえず女性に"重い"とか"太い"とか言うのは失礼になるの、全般的に』

「じゃあ、百合香のおっぱいはカッコ悪いってこと?」

 またしても瑠魅香は、百合香の胸をユサユサと揺さぶる。

『そこはまた別な話で…というか、そこに触らないで!!特に公衆の面前では!!』

「なんで?」

『そういうのが常識なの!!』

「常識って、なに?」

 また哲学問答か。百合香は感覚の中で、頭が痛くなる気がした。

『もういい。とにかく瑠魅香、代わって。また肉体の運転方法は練習させてあげるから』

「はーい」

 あんがい素直に瑠魅香は、百合香に肉体を返すことにした。今度は黄金色の輝きとともに、瑠魅香の身体が百合香の制服姿に戻る。

 

「ふう」

 何十分かぶりに肉体に戻ってきた百合香は、腕や脚をストレッチして調子を確かめる。まだ、さっき打ち付けた背中の痛みが残っていた。

「瑠魅香、あなた背中痛くなかったの?」

『え?べつに』

「…どういう事だろう。私の肉体を借りていたのに」

『同じだけど別物ってことなんじゃないの?』

「そんな、ばかな…」

 いや待てよ、と百合香は腕を組んで考え込んだ。

「…おじさんがそういえば、多重人格者は人格ごとに症状も切り替わる例がある、って言ってたな」

『多重人格って何?』

 瑠魅香は、またも新しい単語に反応する。

「…こんど説明する」

『今して』

「ああ、もう」

 親戚の子供に手を焼く伯母か、私は。そう口にしかけたが、今度は「親戚って何」と訊かれるのは目に見えている。

「人間は、一人の肉体に複数の人格が宿ってしまう事があるの」

『あたし達みたいに?』

「これはあんたが賃貸契約押し付けて間借りしてるんでしょ!」

 つい言葉が荒れたので、百合香は咳払いしてごまかした。

『ふうん。人間って面白いわね』

「あなたの方が百倍面白いわ」

 ひと息つくと、百合香は再び剣を手に歩き始めた。

 

 少し歩くと、向こうからガチャガチャ、という音がする。また来たな、と百合香は身構えた。

「瑠魅香、また何か来たわ。とりあえず、あなたはそのままでいて」

『大丈夫なの?』

 その言い方が百合香は若干カンに触ったらしく、

「じゃあ、やれる所見せてやるわよ!」

 と改めて鎧を装着した。

『あー、怖い。煽られるとキレるタイプ?百合香って』

「なんでそういう言葉だけは知ってるのよ」

 眉間を歪ませて、百合香は大股で進んで行った。瑠魅香の言った通りである。

 

 瑠魅香に煽られて、恐怖や警戒心をどこかに置き忘れた百合香は、ガチャガチャという音が近付いてくる事をむしろ歓迎していた。この肉体の本来の主として、手本を見せてやらねばならない。

 通路は、若干ゆるいカーブに差しかかった。さらに足音は近付いてくる。そして、ついに曲がった壁面の向こうに、うごめく人間大の影が見えた。

 

「来た」

 

 百合香は、その見えた影に対して剣を構え、先手必勝とばかりに一気に襲いかかった。

「うりゃあ―――っ!!」

 金色の聖剣アグニシオンを一閃する。その細い影は、姿をたしかめる間もなく真っ二つに叩き割られて、哀れにも床面に崩れ落ちた。

「どんなものよ」

 得意げに剣を肩に載せて胸を張る百合香だったが、その得意顔はすぐに青ざめる事になった。

「え?」

 倒した相手の向こうから、さらにガチャガチャという足音が聞こえてきたのだ。

 改めて床を見ると、今しがた倒したそれは骸骨のように細い肢体を備えた、氷の人形だった。今まで戦ってきたどの人形よりも細い。手には中くらいの片手剣を持っている。それが、通路の奥から大挙してくる。

 

「な…」

『あちゃー、ナロー・ドールズだ』

 唐突に瑠魅香が言うので、百合香は訊き返した。

「なろーどーるず?」

『ナロー、つまり細い人形。まあ単体じゃ単なるザコだけど、即座に大量生産できるらしい。年寄りから聞いた話だけど。城を登るなら、こいつらと毎回戦う事を覚悟しておいて』

 百合香はゾッとした。一体がザコでも、百体になればどうなるのか。いま向こうから来るのも、ざっと20くらいはいる。

「…やば」

『さっき、できるって言ったよね?』

「言い方!」

 百合香は剣を居合抜きのように構え、エネルギーを集中させる。刃の先端部に、薄く高密度の光が収束していった。

 

『ホライゾンスラッシュ!!』

 

 水平に薙ぎ払った剣身から、まばゆい光の刃が、衝撃波のように放たれる。それはナロー・ドールズの集団を一撃で葬り、床に青紫の残骸がガラガラと散乱した。

「どうよ!」

『まだ来るよ』

「え!?」

 瑠魅香の言葉を確かめる暇もなく、またしてもガチャガチャと、奥から奥から、細い人形たちが大挙してきた。

『疲れたら言ってね』

「…ええい、もう!」

 技を繰り出すのも面前な百合香は、直に全部叩きのめす事にした。

「せいや―――っ!!!」

 砲丸投げのごとく、大振りに剣を払う。一振りで三体はいけるとふんだ百合香は、チャージング、プッシングもやりたい放題やった挙げ句、力任せに剣を振り回して、その場にいたナロー・ドールズを次々と氷の塊にしてゆく。

 だんだん、暴れる快感すら覚えはじめた頃に、ようやくナロー・ドールズの「鎮圧」が終了すると、百合香は通路の奥に耳をすませて、後続が来ない事を確かめた。

 

「はー、はー、はー」

『もう大丈夫みたいよ。今はとりあえずね』

 相方も確認してくれたようなので、さすがに一気に暴れて汗だくになった百合香は、壁面にへたり込んで休む事にした。通路に、百合香の攻撃で発生した光の粒子が漂っている。

「こ…こんなヤツらとこの先も戦うの」

『気をつけて。奴らが出てきたって事は、あなたの存在がマークされ始めたって事かも知れない』

 ぞっとする事を瑠魅香が言うので、百合香は肩を震わせる。

「脅かさないでよ」

『百合香、さっきのに圧勝したからって安心しちゃダメよ。仮にあれが千体襲いかかってきたら、勝てる自信はある?』

 百合香は、その光景を想像して黙りこくった。

『どれも同じ姿で、強さも大差ない。つまり、それだけ創り出すのが容易だという事よ。レベルが低かろうと、千体で襲って来られたら、そのうちの十体くらいはあなたの身体に剣を刺せるかも知れない』

「……なるほど」

 侮ってはならない。そう、百合香は実感した。現に今、たかが30体かそこらを相手にしただけで、息切れしているのだ。さらに第三波、四波が来たら、どうなっていたかはわからない。

 

 そういえば、最初の闘技場にいた闘士たちは、バラエティに富んでいた。例の戦斧の巨漢から、その3倍も4倍もある巨人、百合香と大差ないような体格の者など。彼らはいったい、どういう存在だったのだろう。

 

『一体でめちゃくちゃ強い幹部クラスもいるはずだけどね。会ったことないけど』

 話題を変えるように瑠魅香は言った。

「…」

 幹部クラス。今まで、単体で苦戦した敵はいた。彼らは幹部クラスではないのだろうか。百合香はその時、敵と戦う、という事が当たり前になっている感覚に身震いした。

「…相手が、こっちより強いって考えるべきなのかな」

 ぽつりと百合香が言うと、少し間を置いて瑠魅香が答えた。

『ま、純粋な強さで言えば…今までの相手だって、生身のあなたより『強かった』んじゃないの?』

「うっ」

 それはそうだ、と百合香は思った。

「私が今まで無事なのは、この剣のおかげだ」

 改めて、百合香は手にした金色の剣を見る。やはり、あれだけの戦いを経ても刃こぼれひとつ見せていない。それどころか、ますます輝きを増しているようにすら見える。

「ガドリエルは、この剣が私自身から生まれたものだって言ってた。でも、私から生まれたものなのに、アグニシオンっていう名前があるのは、何故なんだろう」

『そうだね。どうしてだろう』

 ガドリエルに訊ねてみよう、と百合香が思ったその時だった。百合香は、またしても空間に、エネルギー密度が「薄い」箇所を発見した。それは、通路の天井部分にあった。

「…あった」

『天井がどうかしたの?』

「見てて」

 百合香は剣を天井に向ける。しかし、それきり黙ってしまった。

『どしたの』

「呪文を忘れた」

『何の?』

「扉を開ける呪文」

 百合香は冷や汗がにじむのがわかった。

「なんだっけ…女神の間に至る道を開けよ、だっけ」

『あー、さっき闘技場でいきなり姿をくらました、あれか』

 どうやら、闘技場での戦いも瑠魅香に見られていたらしい。

『そんなの、何でもいいんじゃない?開けてー、って言えば』

「そんなんでいいのかな」

『試してみなさいよ』

 瑠魅香がしつこく言うので、百合香は試してみる事にした。剣を天井の、氷魔のエネルギー密度が少ない空間に向ける。

「開けて―――!!」

 

 光に包まれた次の瞬間目を開けると、百合香は泉がキラキラ光る、癒しの間に立っていた。

「これでいいの!?」

 愕然とする百合香の前で、何食わぬ顔で泉の水面上にガドリエルの「立体映像」が現れた。

『無事で何よりです、百合香』

「おかげさまで」

 百合香は、フラフラと歩くと相変わらず無駄に豪奢なカーテンをよけて、寝台に倒れ込んだ。

「ふう」

 命がけの戦闘の中で、逃げ込んで眠れる空間があるのは何よりありがたい。

 だが、同時に元々の生活にあった、様々な要素がない事に寂しさも覚えていた。過酷なバスケットの練習の後で飲み干す、冷たい128円のスポーツドリンクの美味しさは、世界中の美食家も味わった事はないだろう。

 そういえば、吉沢さんには小説の書評を頼まれていた。南先輩はオンラインゲームで協力プレイをしても、回避とか回復という言葉を知らない、としか思えない戦い方をする。夜中にヘッドホンで鳴らすプログレの良さが、誰にわかるものか。

 

 そこで、百合香の脳裏に浮かんだのは母親の顔だった。勢いでこの城に突入してしまったものの、母親の安否を確かめなかった事に後悔していた。いや、この状況だと安否を確かめられるのは自分の方かも知れない。ひとり家で私の帰りを待つ母親の心労を思うと、居たたまれない気持ちになる。

 

 しかし、自分だけではない。学園の生徒や教員、あの町に住む人達の家族も、他の家族と通信が途絶えているのだ。

 

 人はどうしてベッドに転がると、辛い現実を思い出してしまうのだろう。

 そう思ったとき、百合香の眼前に瑠魅香の顔がアップで現れた。唇がぶつかりそうな距離である。

「うわぁ!!」

『そんなに驚かなくていいじゃない、失礼ね』

 瑠魅香は、仁王立ちして腕を組んだ。その姿は、ガドリエルと同じく半透明である。

「そ、それ…」

『うん、なんでか知らないけどこの空間では、こうしていられるみたい』

 そう言ってクルクル回る瑠魅香の服装は、なぜか百合香と同じガドリエル学園の制服だった。楽しそうだ。

『あなたに触れる事はできないみたい。残念ね』

「私の声は聞こえてるの?」

『同じよ、あなたの中にいる時と。でも、こうしてあなたと向き合えるだけでも嬉しいわ』

 にこりと微笑む瑠魅香は、自分の顔だとわかってはいるが、髪が違うせいで別人に見える。もっとも、自分を外側から見たことはないのだが。

『彼女が、ガドリエルなのね』

「会ったの?」

『ええ。もう消えちゃったけど』

 立ち上がって泉の正面に回ると、ガドリエルの姿はなかった。

「マイペースなのよね、あの女神様も」

『ねえ、百合香。お話しましょう』

「はい?」

 見ると、瑠魅香はベッドに腰掛けて手招きしている。

「あのね、私だいぶ疲れてるんだけど」

『あ、そっか。じゃあ私が見てるから眠るといいわ』

「人間は見られてると落ち着かないの!」

『そうなの?』

 やはり、瑠魅香の感覚はよくわからない。今のまま仮に人間になったら、だいぶ厄介な事になりそうだ。

「あー、シャワーを浴びたい」

『知ってる!お湯とか水浴びする機械でしょ!』

「どこで覗いたのよ!」

 もはや変質者の域だ。この調子だと、更衣室の着替えも覗かれているに違いない。

『ねえ、なんで人間はシャワーを浴びるの?』

「なんでって…身体が臭くなるから」

『どうして?』

「人体のシステムを私が解説しなきゃいけないのか」

 百合香は暗澹たる思いで、嬉々として話しかけてくる相方の笑顔を見た。

「あのね、生物は活動することで、老廃物が色々出てくるの」

『老廃物?』

「ええとね…」

 仕方なくベッドで隣に腰掛けて、人間未満の半幽霊少女に、知識面で説明できる範囲で人体の代謝システムについて解説する。

 

 そのうち向こうも疲れて寝てしまうだろう、と百合香は思っていたが、先に眠ってしまったのは百合香の方だった。



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暗渠

 青紫に輝く、六角形の礼拝堂のような空間があった。

 

 その中央に、やはり六角形の寝台のような台座がしつらえてあり、その上には一人の長い髪の、白いガウンを着た妙齢の女性が寝かせられていた。

 

 蒼いフードつきのローブをまとった人物が、入口のないその部屋に、壁をすり抜けて姿を現す。その人物は、ゆっくりと寝台の女性に歩み寄った。

 少女が人形を愛おしむように、目を閉じたその頬を細い指がそっと撫でる。生きているのか、あるいは死んでいるのだろうか。

 

 フードの人物が手を胸元にかざすと、白いガウンは霧のように消え去り、代わりに縫い目が見えない、氷を編んだかのような美しいローブがその身体を包んだ。

 寝台から一歩下がると、横たわる女性の身体を護るように、透明な障壁が立ち上がる。障壁の表面には氷の結晶のベールが被さり、女性の姿を覆い隠した。

 

 フードの人物はそれを見ると、無言で青紫の壁の向こうに消えて行った。

 

 

 

 

 

 ザ――――、という水の弾ける音で百合香は目を覚ました。

『……ん』

 懐かしい、シャワーの音だ。

 目を開けると、そこは癒やしの間の寝台の上だった。

『…寝ちゃったのか』

 百合香はゆっくりと起き上がる。しかし、何か身体の感覚がおかしい。

『ん?』

 感覚がおかしいというより、希薄だと言うべきか。ベッドに触れている感触が、あると言えばあるのだが、ないと言えばない。

 

 そう思って何気なく自分の手を見ると、百合香は愕然とした。

 手足が半透明なのである。

 

『!?』

 慌てて周囲を見回す。すると、見覚えのない曇りガラスの部屋ができており、そのガラスの奥で、女性がシャワーを浴びていた。

『ま…まさか』

 百合香は立ち上がると、ガラスの部屋に向かった。ドアに手をかける。しかし、触れる事ができない。

 百合香は悟った。

 

『瑠魅香!あなた私の身体に勝手に入ったでしょ!』

 言いながら、自分でもすごいセリフだと百合香は思う。

「あー、うん。あなた眠っちゃったから、ちょっと失礼したわ」

 ガラスの向こうから声が響く。入った事はないが、ここはラブホテルか。

『な、な…』

「ちょっと待っててね」

 キュッとノブを閉める音がして、ドアが開いた。

「トイレも、シャワーの使い方も覚えたわよ。なんて事はないわね。よく見ると原始的な仕組みだわ」

『…それは良かったこと』

 百合香は、目の前で濡れたままの裸身で得意顔をする、自分の肉体に向かって言った。

「老廃物っていう言葉の意味も、わかったわ。人間の身体って、きれいなものでもないのね」

『生物学レベルで失礼な事言わないでもらえるかしら』

「あら、でもあなたの肉体は好きよ、百合香」

『いいから水を拭きなさい』

 百合香は、脱衣室らしき場所にタオルがかかっているのを指差した。脱いだ制服やら、ショーツやらが散乱している。

 

 服の脱ぎ方、着方、畳み方、などなど一通り説明した百合香は、半透明の姿で瑠魅香に向き合って言った。

『瑠魅香、私の肉体をあなたに貸している以上、扱い方をいくつか約束してほしい』

「うん」

『いつか、あなたが自分の肉体を得られるのかどうか、それはわからない。その時だって、自分の肉体の扱いは大切にして欲しい。人間、ちょっと滑って頭を打っただけで、死ぬ事もあるの。シャワールームでそれが起きないという保証もない』

「そうなの?」

 

 百合香は、人体というものがいかに弱いか、さまざまな事例を挙げて説明した。自分自身、ウイルスという目に見えない生命体のために、命を落としかけた事も含めて。

「そんなに脆い生き物なんだ」

『強さも、脆さもある。それが人間…いや、全ての生命について言える事よ』

 百合香の言葉に、瑠魅香は頷いた。

「わかった。百合香の身体だもんね。借りる時は大切にする」

『わかってくれたなら助かるわ。ついでに、これから説明する事も、よく覚えてほしい』

「え?」

『女の子のデリカシーという概念について、みっちり説明する』

 そこから長い時間をかけて、百合香は女性と身体というものの関係について、懇切丁寧もしくは周密精到に説明した。

 

 ひとしきり人間生活のアドバイスを終えた百合香は、自分の身体に戻って改めて癒しの間を見渡した。トイレが、バスルームの隣の部屋に移っている。

「…なんとなくわかってきた」

 トイレのフタを開けながら、百合香は頷いた。

「この部屋は、私の思考によって変化するんだわ。思考したものが、物理的に現れる」

『そうなの?まるで氷巌城みたいね』

「え?」

 百合香は、瑠魅香の言葉にどういう事かと訊ねた。

『氷巌城は想念の産物よ。それも、あなた達人間の世界を模倣することによってできた』

「なぜ、模倣するの?」

 百合香は、前々から気になっていた事を訊く。

「自分たちで、こうありたいと思う姿を創造すればいいのではなくて?想念があれば、何でも創り出せるんでしょう」

『そう。だから、私はあなたの姿を模倣しながらも、髪は黒髪に変えた。それが自分らしい、好ましいと思うから』

 瑠魅香は、自分の艶かな黒髪に手を滑らせながら言った。

『魔女でありたいと思ったのも、それが素敵だと思う自分がいるから。百合香みたいに、剣を振り回したいとは思わない』

 その言葉は、百合香にはいくらかの驚きを伴って聞こえた。百合香の姿を模倣したと言いながら、確かに瑠魅香には、瑠魅香としての意志と選択が見られるからだ。

 

『でもね』

 

 瑠魅香は言う。

 

『その点で氷巌城は、矛盾を抱えた存在なの。他の全てを滅ぼして自分たちの世界を築くために、氷巌城は生まれる。けれど、生まれるためにまず、滅ぼす対象の在り方を模倣しなくてはならない。対象を否定、破壊するために、否定している対象を模倣する、という自己矛盾。それが、あなたが氷魔と呼んでいる存在』

 それは、百合香にはとても複雑な矛盾に聞こえた。

「…世界を滅ぼして、支配して…その後は、どうなるの?」

『さあ。どうなるのかしらね。私は若いから、それ以上のことは知らない』

「でも、かつて何度も氷巌城はこの世に現れたんでしょう。なぜ、何度も現れなくてはならないの?一度支配したら、そのあと何千年だろうと、支配を続ければ良かったのではないの?」

 

 百合香の問いかけののち、しばしの沈黙があった。

『その答えはきっと、この城の頂点まで登った時にわかるんだと思う』

「あなたはわからないの?瑠魅香」

『さあ。ガドリエルなら、知っているのかしら』

 瑠魅香は泉を見た。ガドリエルが現れる気配はない。

 

「相手を滅ぼすために、相手の"侵略"という手段を模倣する…だったら、統治システムまで模倣して、永続的に支配を続ければ良さそうなものだけど」

『考えてもわからないよ。その前に、あなたはこの城をまず消滅させる事を考えないといけないんでしょ』

「それはそうだけど」

 百合香は、ベッドに仰向けに上半身を投げ出した。

「闘技場で戦った、あの氷の人形たち。彼らはなんていうか、人間味みたいなものが感じられた。他の怪物は、まるで機械のように、私を見付ければ襲いかかってくるけれど」

『私に近い存在だったのかも知れないわね』

 瑠魅香の言葉に、百合香はぴくりと反応した。

『私も見ていたけど、戦う事それ自体に熱狂していたでしょう、彼ら。城を守るという、おそらくは本来の目的を忘れたかのように。厳密に言えば私だってそうよ』

「え?」

『私は、あの城から見れば異端、イレギュラーなの。本来であれば、あなたの身体ではなく、氷の身体を持ってあなたに襲いかかっていたはずなの』

 

 

 瑠魅香は、百合香を見付けた時のことを語り始めた。

『私は、近いうちに氷巌城が生まれるという事を知らされていた。ひょっとしたら、前兆みたいな事が、学園内で起きていたのではなくて?』

 そう言われて、百合香はハッとした。

「そう…そうよ、城が現れる少し前に、学校の聖堂前の庭園が凍結して、生徒が凍傷にかかって命を落としかける事件が起きた」

『やはりね。氷巌城が生まれる前には、その土地の持つエネルギーが弱まったり、不安定になったりするらしいわ』

「では、前もってそれを予測する事もできるということ?」

『そこまでは私にはわからない。けれど当然、”こちら側”の存在はそれを全て知っている。私は城が生まれるという事を聞いてはいたけど、氷巌城による地球の支配なんて、はなから興味がなかった』

 さも、バカにしたような口調で瑠魅香は言った。

 

『支配したからって、それが何になるの?何か楽しい事があるの?ばかばかしい。支配すれば抵抗にあう。抵抗を抑えるために支配を強める。再び抵抗は続く。その繰り返しじゃない。私は、私を含めた他の魂たちと、斥候としてあの学園を調査していたの。でもその過程で、あなたを見付けてしまった』

 

 瑠魅香は、まっすぐに百合香の目を見た。

『美しいと思った。あのオレンジ色のボールを放り投げる、何の意味もないゲームに命をかけていた、あなたの姿が。そして私も、人間になって、無意味で美しい何かをしたいと思った』

 瑠魅香が語るのを、百合香は黙って聞いていた。

『だから、人間の世界を滅ぼすなんていう行為に、加担したくなかった。それで、あの学園に身を潜めていたの』

「そこで、鏡の中から私をストーキングしていたの?」

『人聞きが悪いわね』

 瑠魅香は笑う。

『人間になりたいからって、氷魔を裏切ったわけじゃないのよ。でも、氷巌城なんてものを周期的に出現させるなんていう、馬鹿げた試みには同調できない』

「だから、わたしに力を貸すっていうの?」

『ええ。どんな奇跡なのかわからないけど、私が最初に好きになった人間が、この城に剣を携えて乗り込んでくるなんて、今でも信じられないわ』

 確かに、それはどんな偶然なのだろうと百合香も思う。しかし、そこで百合香はひとつの疑問に行き着いた。

「瑠魅香。あなたの事、氷魔たちは裏切り者として追っているのではないの?」

『まさか』

 あり得ない、と瑠魅香は鼻で笑った。

『彼らにとって大事なのは、生命を否定して滅ぼすという支配の本能、それだけ。私たちはその駒。駒がいなくなれば、また生み出せばいいだけの話よ。もっとも、私は”上”の氷魔なんて、会ったこともないけど』

「……理解できない」

 百合香は、起き上がって肩を小さく震わせた。

「どうして、存在を否定するんだろう。みんな、ただ生きているだけなのに」

『理解なんて、する必要ないわ』

 瑠魅香は立ち上がって言った。

『向こうが滅ぼそうとしてくるのなら、逆に滅ぼしてやればいいじゃない。さあ百合香、次のエリアに向けて進みましょう』

 やけに勇ましい魔女だな、と百合香は思った。かつて自分が書いた小説の主人公の瑠魅香は、もうちょっとおとなしめの性格だったと思う。

 

 ついにガドリエルは現れなかったので、百合香は瑠魅香とともに、再び暗黒の氷巌城へ突入することにした。

「瑠魅香、あなたはあの城の構造を、大まかにでも知らないの?」

『知らないわ。お役に立てなくて申し訳ないけれど』

「ううん、わかった」

 百合香の胸から光の球が現れ、聖剣アグニシオンの形を取って主の眼前に浮かぶ。百合香は、それをしっかりと握ると、隣にいる瑠魅香に言った。

「いくよ、瑠魅香」

『ええ、百合香』

 

 

 光に包まれた百合香が目を開けると、そこは元いた通路だった。さっき倒したナロー・ドールズの細かな残骸がかすかに散らばっている。

「ねえ、瑠魅香」

『なに?』

「あなた、この城は想念で生み出されたって言ったわよね」

『ええ』

「じゃあ、敵を全滅させるなんて不可能なんじゃないの?倒されたら、また生み出せばいいんでしょ」

 百合香は、しごく当然の疑問を投げかけた。しかし、瑠魅香はあっけらかんと答える。

『あんがい頭悪いのね、百合香。だから、彼らを生み出す源を破壊すればいいんじゃない』

「頭悪いは余計よ!…源って、なに?」

『それは私にもハッキリとはわからない。ただ、この城の兵士たちは、”担当者”たちによって前もって創造されるの。強い個体ほど、その精錬には時間を要する』

「じゃあ、その”担当者”を倒せば、新たに戦力を生み出す事はできなくなる、という事か」

 口で言うのは簡単だな、と百合香は思った。

「わからない事だらけね」

『いま心配しなきゃいけないのは、兎にも角にも力が必要だっていう事実よ。その聖剣なんとかがあったからって、さっきみたいに雑魚の群れで息切れ起こしてたら、殺されるのは目に見えてる』

「…あんたって、ほんとにハッキリ言うわね」

『どういたしまして』

 その言葉遣いはいったいどこで覚えたんだ、と訊ねようとしたが、百合香はぴたりと足を止めた。

「何か聞こえる」

『足音?』

「ちがう」

 

 百合香が耳を澄ますと、何か水流のような音が聞こえてきた。

「…なんだろう」

『行ってみよう』

 瑠魅香に後押しされて、百合香は剣をいつでも払えるように構え、にじり寄るように音のする方へと向かった。

 

 通路が終わり、少し広い空間に出た。天井は高く、上が見えない。空間の中央に、何か太い柱のようなものが垂直に突き抜けている。直径は3.5~4mほどだろうか。周囲の切り出しただけの壁面や床と違って、きれいな円柱状になっていた。

 その柱は半透明なようで、内部を淡いピンク色の、液体のような、気体のような何かが、底から天井方向に間断なく汲み上げられていた。

「なんだろう、これ」

 百合香はその柱に触れる。表面は滑らかだ。中から、何か暖かいエネルギーのようなものを感じた。

「何かを、下から汲み上げている…」

 そこで百合香の背中に戦慄が走った。

「汲み上げている…?」

 百合香は、最初に凍結した校内を探索した時、廊下で凍結している女生徒を思い出していた。

「彼女の身体から、何か光のようなものが、氷を伝って上に向かっていた…」

『なるほど。これは、彼女たちの生命エネルギーを吸い上げる装置かも知れない』

「なんですって!?」

 百合香は、唐突に怒りがこみ上げるのを感じた。

『この城を維持するには、生命のエネルギーが要るらしいわね。この柱の内部を通っているのは、人間の精気よ』

「じゃ、じゃあ…」

 百合香の顔が一気に青ざめる。

「精気を全て吸われたら、あの女生徒…いや、学校のみんなは、どうなるの」

『…わかるでしょ』

 言いづらそうに瑠魅香はぼそりと言った。

「狂ってる…だってそうでしょう?この城を維持するために生命エネルギーが必要なのだとしたら、エネルギーを奪い続ければ、いずれそれは尽きてしまう」

『そうね』

「エネルギーが尽きてしまえば、この城も維持できなくなる」

『だから、彼らはその範囲を拡大するのよ。この場所のエネルギーを吸い尽くしたら、さらに外側。そこが枯れたら、さらにその外側』

「……」

 百合香の心の中に、あらゆる感情が沸き起こった。怒り、不安、衝撃、そして混乱。

「…理解できない」

 止めなくては、そう百合香は思った。

「この柱を壊せば、それは止められるということね」

『落ち着いて、百合香。この城は巨大よ。この一本だけとは限らない』

「だったら、ぜんぶ壊してやる!!」

 百合香は一瞬で鎧をまとい、聖剣アグニシオンに怒りのエネルギーをチャージした。剣は荒れ狂う炎に包まれ、壁面や床が、凄まじい熱エネルギーによって激しく振動した。

 

「でやああああ—————っ!!!」

 

 両手で構えた灼熱のアグニシオンを、斜め上から柱に叩きつける。そのエネルギーは柱を粉々に切断し、とてつもない振動を伴いながら、壁面や床にまで巨大な破壊の痕を形成した。柱の破片が床に落ち、砕け散る。

「はあ、はあ、こ、これで…」

 見ると、柱からは先ほどのエネルギーの流れが失われていた。どうやら、エネルギーの供給を止めることに成功したらしい。

 

 だが、次の瞬間。

 

「!?」

 百合香は、足元が大きく沈む事に気付いた。まずい、と思ったが、一歩遅れてしまった。床には大きな亀裂が走り、その底には何か、水面のようなものが見えた。

「あっ!」

 跳躍して脱出するチャンスを逃した百合香は、自ら開けてしまった暗渠に、吸い込まれるように落ちて行った。

 

「うわっ…あああ—————!!!」

 



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 魔法で急場しのぎに創った氷の壁面に閉ざされた狭いスペースで、瑠魅香は身を屈め、外の様子を伺っていた。

 

 水が溜まった地下空間では、翼を持った小さな氷の魔物たちが飛び交い、互いに何か報告し合っては、また散らばるという事を繰り返している。彼らは何をしているのか。

 それは考えるまでもなく明らかである。百合香がもたらした大破壊の調査だった。

 

「百合香ってさ、ものすごく頭いいけどたまにバカになるのね。今わかった」

 瑠魅香は遠慮なしに言う。頭の中にいる百合香からの反論はない。

「反省してる?」

『反省してます』

「よろしい」

 相方の素直な謝罪に、瑠魅香は頷いた。

「それじゃ、この状況をどうやり過ごすかを考えよう」

 瑠魅香は、再び外の様子を伺う。やはり、引っ切り無しに魔物が行き交っている。

「この調子じゃ、落ちて来た場所に戻っても、現場検証中の氷魔たちと鉢合わせだね。しばらく、この私が創った壁の陰に隠れているしかない」

 百合香は耳が痛かった。城が学園の人間の生命エネルギーを吸い取っている事がわかったため、怒りのスイッチが入って後先考えず、装置を破壊したのだ。瑠魅香の機転がなければ、今ごろ魔物たちに追われていたはずである。

 

『ここ、何なんだろう。城は氷だけかと思ってた』

 多少話題をずらす目論見もあって、百合香は言った。

「たぶん、普通の水じゃないよ。ただの人間なら即座に凍死してると思う」

 瑠魅香は、自分の太腿が浸かる水を見た。やはり、青紫に輝いている。

『何か知っている事はないの?』

「私は何度も言うけど、氷魔の中でも若い魂だから、伝聞でしか氷巌城については知らないんだ。しかも、現れるたびに姿は変わるからね」

『それでも、基本的なシステムは同じ筈でしょう?』

「そうかも知れないけど」

 瑠魅香は、自分より老いた魂からの情報が何かないか、記憶を辿ってみた。

 

「あ」

 

 何か思い出したように瑠魅香が言った。

「そういえば、人間とか自然界から吸い上げた生命力は、氷魔が使えるように「精錬」しないといけない、って聞いた事がある」

『精錬?』

「本来、私達とあなた達のエネルギーは相反するものだから。"位相"が違うの。吸い上げ装置の真下にこの空間があるって事は、その精錬と関係あるかも知れない」

『よくわかんないな…ん?』

 百合香は、そこでひとつ疑問に思った。

『ねえ、瑠魅香。じゃあ、本来氷魔であるあなたが、私と一緒にいたら、エネルギー的に相反するんじゃないの?』

「おお、頭いい。よくそこに気が付きました」

『めちゃくちゃバカにされてる気がする』

 憮然とした百合香の表情を思い浮かべて、瑠魅香は笑った。

「簡単な事よ。だから、私は人間の生命の位相を調べて、自分の魂の位相をそっちに切り替えたの」

『そんな、ちょっと電気工事しました、みたいなノリなわけ?』

「私は人間になりたいんだもの。そういう意味では、すでに氷魔ではなくなっている、とも言えるわね」

 百合香は、未知の情報の連続で頭が混乱しかけていた。

 

『…ん?』

 百合香が何かに気付いた様子で声を出した。

「どうしたの?」

『何か、声が聞こえない?』

「声?」

 瑠魅香は、言われて耳をすましてみた。

「何も聞こえないけど」

『聞こえるんだ…知ってる人の声』

「学校の誰か?」

『違う』

 百合香は、水面を通じて魂に直接聞こえてくる、その声の主が誰なのかを思い出そうとした。そして、なぜすぐに気付かなかったのか、と自分を責めた。

 

『…お母さん!』

「なんですって?」

『お母さんの声がする…』

 

 それは、確かに百合香の魂に響いていた。百合香、どこにいるの、百合香、と呼びかけている。

『お母さん…』

 百合香が心の内で泣いているのがわかって、瑠魅香は居た堪れない気持ちになった。人間の親子という概念は実感できないが、百合香の感覚は伝わってくるからだ。

『…ごめん、瑠魅香。頼りない相棒で』

「そんなことないよ」

 瑠魅香はそう言ったあとで、

「いま、相棒って言ってくれたね」

 と小さく笑った。

「嬉しい」

『ありがと』

「ねえ、百合香。お母さんに、声を届けてみなよ」

 突然の瑠魅香の提案に、百合香は面食らった。

『どうやって?』

「うん。理由はわからないけど、この空間はたぶん、外界と何らかの繋がりがあるんだと思う。生命エネルギーを吸い上げるシステムに関係しているのかも知れない。だとすれば、逆にこっちが利用する事も不可能じゃない」

『わかんないよ、そんな事言われても』

「百合香、肉体の扱い方を教えてくれたお返しに、私が魂の扱い方を教えてあげる。その状態で、お母さんと一緒にいる感覚を、思い出してみて」

 瑠魅香がそう言うので、百合香は母親と一緒にいる光景を思い出してみた。

 

 宝石鑑定士である母・真里亜は、よくキッチンでコーヒーを飲みながら、ノートパソコンで宝石の相場だとかに関連するWEBサイトをチェックしている。貴金属装身具製作技能士、要するに指輪だとかを製作販売できる資格もあり、プログラム上でデザインしたネックレスだとかの感想を、帰宅した百合香に求める事もあった。

 そのまま二人で夕食を作り、一緒に食べて、片づけをし、テレビを見ながら雑談をする時間が、百合香は好きだった。

 

 この世に卑金属なんてものはない、というのが母親の口ぐせだった。鉄は金より美しくない、などというのは間違っている、という熱弁をふるう事も少なくない。そんな母親が百合香は好きだった。

 

 その母親の横顔を思い起こした時、百合香は何かが”繋がる”のを感じた。

 

『!?』

 それは、初めての感覚だった。母親が、そこにいる。目の前にはいないのに、強烈に存在を感じる。母親はまだ、生きている。そして、向こうも百合香の生命を感じている。そんな感覚が、確かにあった。自分と母親の境界線が消え去ったようにも感じた。

『お母さん!』

「百合香、声をかけてあげなさい。私は無事だよ、って。必ずみんなを救って、帰るって」

 瑠魅香の言葉に、百合香は頷いた。

 

『お母さん、私、百合香だよ。ちゃんと生きてる。私が、お母さんや先輩、学校のみんなも救ってみせる。だから、どうか無事でいて。必ず帰るから』

 

 そこまで心で念じた時、ふいに限界が訪れて、”繋がり”は切れてしまった。百合香は、肉体にいないにも関わらず、とても疲労した感覚があった。

『お母さん?どこ?』

 声をかけるが、もうさっきの感覚は残っていなかった。

「百合香、大丈夫。声はきっと届いた。これ以上の繋がりを保つには、いまのあなたには無理よ」

『…そう』

「大丈夫よ。お母さんも、きっと安心してると思う」

 それは言葉だけなら気休めにも聞こえるが、瑠魅香の言う事には不思議と説得力がある、と百合香は感じた。これまで母親の事が気がかりだったため、声が届けられたという安心感が、百合香の心にひとつの安定をもたらしたようだった。

『…瑠魅香、気を遣わせちゃったね』

「どういたしまして」

『落ち着いていこう』

 突然百合香が言うので、瑠魅香はつい吹き出した。

「なに、それ」

『南先輩の口ぐせ。試合で負けそうになると必ずそう言うの』

「ふうん。それで、勝てるの?」

『半々かな』

「何よ、それ!」

 二人は、暗黒の空間の中で小さく笑い合った。

「ここに落ちて来て、正解だったんじゃない?」

『そうかもね』

「百合香、上に戻るルート、探してみよう。魔物の気配が少なくなった」

 瑠魅香は杖を出して、周囲の気配を探った。「うん」と頷いて、自ら創り上げた魔法の壁を消し去ると、ゆっくりと水から岩盤の上に移動した。

 

『瑠魅香、替わろうか。疲れたんじゃないの』

「うん、そうだね。頼むわ」

『任せて』

 瑠魅香は、百合香に身体を明け渡す心のイメージを描く。そこへ、百合香の魂が入り込んできて、手をタッチするような感覚のあとで、二人の意識は入れ替わった。

 

「ふう」

 金色の鎧姿で身体に戻った百合香は、ひと呼吸したあとで、例によって手足のストレッチをして、剣を構えた。

「だんだん、剣の扱いも慣れてきたな」

『頼もしいじゃん。じゃあ、次に何か出てきたら任せるよ』

「そこは適材適所でしょ」

 軽口を言いながら、百合香は周囲を見回す。空間の大きさはわからない。ギリギリ視界はあるが、とにかく暗い。しかし、向こうがこちらを追跡している以上、剣を光らせて視界を得るのはリスクが高かった。

 とりあえず、さきほど魔物たちが入って来た方向はわかっているので、そっちに歩いてみた。彼らがやって来たということは、城に再潜入するルートがあるという事だ。

「問題は、ルートがあっても登れるかどうかだな」

『そうね。でも、さっきの魔法の応用で足場を作る事もできると思う』

「…魔法って便利ね」

 百合香は金色の剣を見る。自分はひたすら攻撃専門である。

 

 やや傾斜する通路を登ってしばらく歩くと突然、ただでさえ暗い通路の視界が、いちだんと暗くなった。何か、巨大な岩のようなものが通路を塞いでいるのだ。

「何よこれ」

『岩でふさぐ作戦で来たか』

 瑠魅香はぼやいた。しかし、百合香はぴたりと足を止めた。

『どうしたの』

「いや…今この岩、動いたような気がしたの」

『え?』

 瑠魅香は、百合香経由の視界でその岩らしき影を見た。

『気のせいじゃないの』

「そうかな」

 百合香は、危険を承知のうえで聖剣アグニシオンをかすかに発光させ、その岩の正体を見極めようとした。

 

 次の瞬間、悲鳴を上げなかった自分は今年に入って一番偉い、と百合香は口元を押さえながら思った。絶対に偉い。これで悲鳴を上げなかった16歳女子高生は、県知事あたりから表彰されていい。

 

 目の前にいるのは岩ではなく、通路を占拠する巨大な氷のカタツムリだったのだ。

 

『おおー。すごいすごい』

「……」

『おーい、百合香。大丈夫?』

 返事がない。

『やっぱあたしの出番かな』

「…いや」

 百合香は気力を振り絞って、目の前にいる殻つきの軟体動物を見た。

「ねえ、瑠魅香…氷の魔物なのにヌルヌル動いてるってどういうことなの」

『わかんない。解剖して調べてみたら?』

「焼きエスカルゴにしてやるわよ!」

『さっき、落ち着いていこうって言ったの誰だったかな』

 瑠魅香のツッコミを無視して、百合香は例によって、とりあえず剣にエネルギーを溜めた。

『斬り付けないの?』

「触りたくない!!!」

 全国の10代女子の100%が「わかるー」と頷いてくれそうな感想を添えつつ、百合香はアグニシオンの剣身から、炎のエネルギーを巨大カタツムリに向かって放射した。火炎放射器の巨大版である。

 しかし、カタツムリはそっと首を引っ込めると、殻に閉じこもってしまった。

「あっ!」

『あちゃー』

 負けじと百合香は火炎放射を続ける。しかし、カタツムリの殻は頑丈なのか何なのか、まるでこたえる様子がない。先に戦った巨大剣闘士よりも、明らかに硬いらしかった。

「はー、はー、はー」

 疲れ切った百合香は、いったん火炎放射を停止して後ろに下がった。

「なら…これはどうだ!『シャイニング・ニードル!!!』」

 次に試したのは、校舎に入る手前で魔物に使った、細いエネルギーで相手を貫く技だった。しかし、殻は相当に頑丈らしく、渾身の一撃も空しく弾かれて不発に終わった。

「な…あの時より格段に威力は上がってるはずなのに…」

 レベルアップが通用しないほど硬いのか、と百合香は肩を落とした。

 

 その後もあれこれと試したものの、相手は殻に閉じこもったまま、全く攻撃を受け付けない。「動かない相手」がこれほど厄介なものだとは思わなかった百合香は、ついにさじを投げるのだった。

「瑠魅香」

『あいよー』

 大見得を切って何も成果のなかった百合香を責めることなく、休憩して体力を回復した瑠魅香はバトンタッチして表に出て来た。

「さて。どう料理してやろうかね」

『いっそ転がしてしまえばいいんじゃないの』

「ん?」

 何かピンときた瑠魅香は、顎に指をあてて「ふむ」と頷いた。

「やってみよう」

『え?』

「百合香、足には自信あるよね」

『なに?』

 瑠魅香の質問にものすごく嫌な予感がした百合香は、返答を控えた。

「やってみよう」

 瑠魅香は大きく後ろに下がると、杖をカタツムリの手前の地面に向けた。

『ちょっと、まさか…』

「やるよ」

『ちょっと、待って!!』

 

「『エクスカベイト!!!』」

 

 瑠魅香が一言唱えると、杖の先端から雷光が走って、カタツムリの手前の地面を大きくえぐり、楕円形のクレーターを形成した。カタツムリの丸い殻は重力に従い、こちら側に向かって大きく傾く。

 その瞬間、瑠魅香は百合香と精神をバトンタッチした。

『はい、頼んだわよ』

「ちょっと!!!」

 一瞬で元の身体に強引に戻された百合香は、こちら側に転がってくる巨大カタツムリの殻に戦慄した。

「冗談でしょ!!」

 百合香は即座に後ろを振り向いて、アグニシオンを発光させてダッシュした。次の瞬間にはもう、轟音を立てて巨大カタツムリが傾斜する通路を盛大に転がってきた。

「うわああああ!!!!」

 もう、追手から身を隠すなどという事を考える余裕はない。カタツムリの殻に轢かれて圧死するより先に、通路を出るしかないのだ。

 

 傾斜した通路を全速力で駆け、百合香はついに元いた広い水面の場所に出た。通路を抜け出た瞬間、即座に脇の空いたスペースに飛び込む。次の瞬間、巨大カタツムリは時速40km以上のスピードで、暗黒の水面にダイブしていった。盛大に撒き散らした水が百合香の頭から被さる。

「はー、はー、はー」

『お見事。さすがバスケット選手』

「ど…どういたしまして」

 ドクドク鳴る心臓を押さえながら、百合香はその場に片膝をついた。

『いやー、あたしじゃ無理だったわ』

「お、お、覚えてなさいよ瑠魅香…」

 百合香は悪態をつきながら、再びカタツムリが転がって来た傾斜通路を登って行った。第二のカタツムリがいない事を祈りながら。

 

 地底の通路は、まだ続いていた。



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レジスタンス

 巨体カタツムリを文字通り「片付けた」百合香・瑠魅香コンビは、百合香の身体のまま、謎の地底湖から再び傾斜路を登って行った。

 

「あの地底湖みたいなところ、真上に登れば元の場所に戻れたはずだよね」

 歩きながら百合香は言う。

『登る手段があれば、の話ね』

 頭の中で瑠魅香が答えた。

「戻ったところであなたが言ったとおり、現場検証中の氷魔たちと鉢合わせしてた可能性が大だけど」

『そう。だから、とりあえずこのルートで正解だと思う』

「あーあ。城の上層部に上がるどころか、さらに下に落ちちゃうなんて」

『でもね、百合香』

 瑠魅香がぽつりと言った。

『考えようによっては、良かったのかも知れないよ、ここに落ちてきて』

「…なんで?」

『上に行くほど敵は強くなる。今の状態で上に上がったら、今までと比べ物にならない強敵に出会って、死んでたかも知れないんだよ』

 あまりに淡々と語るので、百合香は背筋が寒くなる思いがした。

「…だいぶ強くなったつもりではいるけど」

『忘れないで、相手はあなた達人間の感覚を超えた化け物だってこと』

 百合香は、とりあえず相棒の忠告を素直に聞き入れることにして頷いた。

「実際、上がどうなってるのかさえ、わからないものね。むしろ、地下に潜んで準備を整えるという考え方もある」

『そういうの、うまく表現した人間の言葉なかった?喩え話っていうか』

 きた。瑠魅香はどういう状況であっても、気になった知識について訊かないと気がすまない。

「うーん。"塞翁が馬"とか?」

『サイオウさんて誰?馬なの?』

「そうではなくて」

 またしても百合香は、地下迷宮の奥で「姪っ子の質問に答える親戚のおばさん」を引き受ける羽目になったのだった。

 

 

 

「報告いたします。"魔導柱"の一本が破壊されました」

「なんだと?」

 一人の、氷の兵士からの報告を受けた暗灰色のローブの人物が、驚いたように玉座を立ち上がった。

「修復は」

「ただいま取り掛かっておりますが、だいぶ被害は大きいため、時間を要します」

「破壊とは、どのような状況なのだ」

「はい。何か、側面から叩き割られたような痕でした。その余波で、壁面や床面にまで穴が空いております」

 鎧の人物は、深く思案しているようだった。窓の前に立ち、城を見渡す。

「いかがいたしますか、ラハヴェ様」

 氷の兵士は、鎧の人物をそう呼んだ。ラハヴェと呼ばれた人物は、振り返って言った。

「侵入者の捜索強化のため、必要な兵力を割いてよい。姿を偽っている可能性もある。不審な者を発見したら、即座に始末しろ。指揮はカンドラ、お前に任せる」

「かしこまりました。失礼いたします」

 カンドラと呼ばれた兵士は、恭しく礼をすると立ち上がって、玉座の間を去った。

「ヒムロデ」

「はい」

 脇に控えるヒムロデ、と呼ばれた青いローブの人物が、ラハヴェの玉座の前に控える。

「もし、カンドラの手にすら余るようであれば、お前が直接指揮を取れ。高位の者を差し向けても構わん。そして、一体何者なのか興味が湧いてきた。可能であれば、生け捕りにしろ」

「承知いたしました」

 ヒムロデは、青いローブを翻してその場を去る。空はすでに暗く、青く冷たい灯りが城内を照らしていた。

 

 

 百合香は、迷っていた。通路の奥は、十字に分かれていたためである。

「どっち行けばいいんだろう」

『さあ』

「うーん」

 百合香は足元を照らしてみた。敵の足跡がないかと思ったのだ。しかし、ゴツゴツした氷壁の通路に、足跡など残るはずもなかった。

「参ったな」

『とりあえずカンで行ってみれば?』

 瑠魅香は無責任に言う。

「そんなんでいいのかな」

『臨機応変でしょ』

「そういう日本語はなぜか学習してるのね」

 いったい学園ストーカー時代、何を見聞きしていたのだ、と百合香は思った。文芸部でも覗いていたのだろうか。

 

 結局ふたりは、十字路をまず左方向に行ってみる事にした。

「城っていうけど、入ってからずっと、こんな岩場みたいなとこしか歩いてないわ」

 百合香は、凸凹の床面を見ながらつぶやく。

「上に行けば、きちんとした城になってるのよね?」

『そうだとは思うけどね。実を言うと、魂の波長を人間側に合わせたせいで、私は校舎から城に移動できなくなってたの』

「そうなの!?」

 百合香は呆れ半分で訊ねた。

「じゃあ、どうやって私と城内で会ったの?」

『だから、あなたの近くにいながら移動したの。あなたがあの長い氷の階段を登るときも、近くにいたのよ。気付いてくれるまで、ずーっと近くにいたの』

「ストーカーか!」

『なにそれ、カッコいい響きね!うん、私の事はストーカー瑠魅香って呼んで!』

「それはやめなさい!」

 自ら不審者ですと親切に名乗ってくれるなら、治安は多少改善されそうなものである。

 

 瑠魅香との会話に疲れた頃、百合香は視界の端に何か、動くものが見えた気がした。

「ん?」

 それは、通路の奥だった。今はアグニシオンを発光させているので、比較的奥まで見通せる。何かが、右から左に横切ったように見えた。

「敵かな」

『気のせいじゃない?』

「わたし視力はいいの」

 視力2.0を誇る百合香は、自信をもってそう言った。

「でも小さかったな。ネコか何かくらいに見えた」

『猫、知ってる!可愛いよね!あたし黒い猫好き!』

「あなたといると緊張感なくなるんだけど」

 いい事なのか悪い事なのか。百合香は、敵モンスターの可能性もあるので、いつものように剣を居合い抜きのように構えて、にじり寄るように歩いて行った。

 

 15メートルくらい歩いただろうか。そこは、またしても十字に分岐していた。しかし、さっき見た影が見間違いでなければ、この十字路を左側に移動したはずだ、と百合香は慎重に左側の通路を覗き込んだ。

 そこは、同じような通路が続いていた。しかし、その奥に百合香は何かを見付けた。

「ん?」

 目をこらすと、暗い通路の奥に光るものが二つ見えた。それこそ、猫の目のような小さい二つの光点だった。

「なんかいるよ」

『敵?』

「わからない。というか、この城に敵以外の何かがいるの?」

『うーん』

 瑠魅香がなんだか煮え切らない相槌を返す。百合香は、剣の光を抑えてその光点をゆっくり追った。すると、光点は通路の奥に向かって向きを変え、百合香からは見えなくなってしまった。

「あっ!」

『ダッシュ、バスケ部員!』

 瑠魅香はだんだん、自分の煽り方を学習してきたなと感じる百合香だった。

 

 姿を消した光点を追って辿り着いたのは、行き止まりの四角い空間だった。天井の高さが倍くらいある教室、といった感じだ。そしてこれまでの経験から、悪い予感しかしない百合香である。

「絶対なんかいる」

『またまた~』

「一見いないように見えて、実は天井とかに何か…」

 百合香はゆっくりと天井を照らす。しかし、何も見当たらない。

「いないな」

『気のせいだったって事じゃない?』

「そんなはずは…」

 と、百合香が振り向いた時だった。入り口にドスンと壁が降りて、部屋が密閉されてしまった。

「あっ!」

『バカ!』

「なんですって!」

 瞬間的に低次元の言い争いをしながら、二人に緊張が走る。今度は瑠魅香も急かしたのだから同罪である。

 

 しかし、それきり何も現れない事に百合香は不信を覚えた。

「おかしい…何か変」

『変って?』

「侵入者を閉じ込めるためのものなら、もう誰かが駆け付けてきても良さそうじゃない?」

『あ、そうか』

 その時だった。百合香は、何となく空気が薄くなったような気がした。

「あっ」

 単純な事実に百合香は気付いた。

「密閉空間ってことは、放っておけば酸素がなくなる!」

『酸素がなくなるとどうなるの?』

「私が死ぬの!!」

『なにそれ、大変じゃない!』

 いまいち瑠魅香の反応から、大変さが伝わってこないと感じる百合香だった。

『じゃあ、いつもの炎の剣であの塞いだ壁をぶち抜けばいいじゃん』

「そうはいかない」

『なんで』

「炎を燃やすと酸素が一気になくなるの」

 このピンチにおいて、物理の講義をする余裕などない。百合香は、さっきのお返しとばかりに強引に精神を交替した。

「わあ!」

 いきなり肉体の運転を交替させされた瑠魅香は、つんのめって膝をついた。

「危ないじゃん!」

『瑠魅香、聞いて。あの落ちて来た壁を、あなたの魔法でぶち抜くの。ただし、絶対に炎の魔法は使わないで』

「いたたた…ふうん、わかった」

 瑠魅香は銀色の巨大な杖を、入り口を塞いだ壁に向かって突き出す。

「ぶち抜けばいいのね」

『そう!』

「わかった」

 瑠魅香は、杖に魂のエネルギーを集中させる。青白い光が、杖の先端部に収束し、まばゆいスパークを始めた。

「いくよ、百合香!」

『行って!』

 

「『ドリリング・サンダーボルト!!!』」

 

 ドリルのような形状の雷光が、壁に向かって突進する。それは回転し、周囲に電撃を撒き散らしながら、壁を粉々に粉砕した。

 その時百合香は、壁の向こうで何か悲鳴のような声が聞こえた気がした。

「ふう」

『ねえ瑠魅香ちゃん、ちょっと』

「なに?」

『これ、さっきのカタツムリに食らわせれば良かったんじゃないの!?』

 16歳女子高生の訴えに、瑠魅香はさらりと答えた。

「いま思い付いた魔法だもの」

『あっそ』

 溜息をついた百合香は、「そういえば」と言った。

『ねえ、いま壁をぶち抜いた時、悲鳴が聞こえた気がするんだけど』

「悲鳴?」

『壁の向こうよ』

 百合香に言われるまま、瑠魅香は破壊した穴を出て、周囲の様子を伺った。しかし、誰もいる気配はない。

「気のせいじゃないの?」

『そうなのかな』

「さっきの場所に戻るよ」

 瑠魅香は、散乱する瓦礫を避けて通路を引き返そうとした。

 

 その時だった。

「待って」

 何か、少年のような声がした。

「ん?なんか言った?百合香」

『違うよ。私じゃない』

「え?」

『私も聞こえたよ。待って、って』

 瑠魅香は振り返った。しかし、誰もいない。すると。

「こっちです」

 また聞こえた。百合香は、何かに気付いたようだった。

『足元だ』

「え?」

 百合香の指摘で、瑠魅香は足元を見る。

 

 そこにいたのは、一匹の青白い猫だった。

 

「猫だ!!」

 その姿を認めるや、瑠魅香は猫を抱きかかえると、猛然とほおずりを開始した。

「んにゃあ――――!!!」

 猫の絶叫が響く。

「可愛い!ねえ百合香、この子飼ってもいいかな!?」

『嫌がってるよ』

「そんな事ないよ!ねえ!?」

「離してください!!!」

 まさかの人間語で、猫ははっきりと拒絶の意志を示した。瑠魅香はそれなりにショックだったようで、愕然と肩を落として猫を離してやった。

「しょっく」

「僕はペットじゃありません。オブラという、れっきとした精霊です」

 よく見ると精悍な顔つきの、オブラと名乗った猫は語り始めた。

「申し訳ありません。お二人の力を試す目的で、この部屋に閉じ込めてしまいました。壁の背後から様子をうかがっていたら、壁が壊されて下敷きになりかけました」

「はい?」

 

 オブラは、自分が氷魔である事を自白した。

「氷魔という括りはあまり愉快ではありませんね。精霊と呼んでいただきたい」

「そうそう、わかるー」

「まあ、瑠魅香さまの仰るとおり、便宜的に用いる分には構いませんが」

「わかるー」

 だんだん瑠魅香の知能レベルが下がっている気がする百合香だった。

『私の声、聞こえてるの?』と百合香。

「もちろんです」

 オブラは答える。

『あなた、何者なの?』

「僕は、この城にいるレジスタンスの一人です」

『レジスタンス!?』

 百合香と瑠魅香は驚いて聞いた。

 

『レジスタンスって、氷魔相手のってこと?』

「そのとおり。氷巌城に反旗を翻した、誇り高き組織『月夜のマタタビ』の一員です」

 そのネーミングはどうなのか、と一瞬思った百合香だった。

『なるほどね。瑠魅香みたいに離反する者もいれば、組織活動をしている精霊もいるってことか』

「そうです。そして、百合香さん。あなたの存在は、すでに我々『月夜のマタタビ』に知れ渡っています」

『は!?』

 瑠魅香の頭の中で、百合香は叫んだ。

「当然でしょう。どうやって戦うか算段を練っているところへ、闘技場の荒くれもの達を一掃した何者かが現れたのです。我々は、氷巌城の兵士たちよりも早く、その情報収集に動きました。あの巨鳥氷魔を、あなたは一人で倒しましたね」

『見てたの?』

「はい。きっと、ルート的にあの場所に現れると踏んで、我々の一人があのホールの隅からじっと伺っていました。案の定現れたあなたは、卑怯にも巨鳥の頭だけを通路に誘い込んで、身動きの取れない相手を容赦なく刺すという戦いぶりを見せてくれました」

『言い方!!』

 百合香は抗議したが、オブラは構わず話を続ける。

「これは称賛です。強大な相手に、まともに戦って勝てるわけがありません。まさに人を得た、と我々は確信しました。本当は、上層部において私の仲間が、あなたにコンタクトを取る予定だったのですが。まさか、私が担当している地底エリアに落ちてくるとは予想もしていませんでした」

「そう。この子が暴れたせいで穴が開いて、私達ここに落ちて来ちゃったの」

 唐突に瑠魅香が会話に割り込んでくる。百合香は憮然とした。

「百合香さま。あなたのそのお力が何なのか、我々には全くわかりません。ですが、あなたの行動目的はおおむね把握しております。この城を消滅させようとしていますね」

 どうやら、変な名前であってもその組織力は確かなもののようだった。百合香は頷く。

『ええ、そうよ。私は、私の友達や家族を助けるために、この城を滅ぼすと決めたの』

「であれば、話はもう決まったようなものです」

 

 オブラは、天井を仰ぐような姿勢で高い声でニャアと鳴いた。すると、音もなく通路に、4匹の同じような猫が現れたのだった。

「猫がたくさん!」

「このエリアにいる同志です。我々は城じゅうに分散して、情報を探っています」

『それって、つまり…』

 

「はい。百合香さま、瑠魅香さま。我々はあなた方に協力します。この城の情報は我々も探りを入れたばかりですが、手に入った情報はあなた方に提供する事を、約束しましょう」

 

 それは、百合香にはとても心強く聞こえた。

『本当?じゃあ、城内のルートも教えてもらえるのね?』

「もちろんです。各エリアの幹部氷魔の居所も、すでにいくつか判明しているようです。上層に登って、同志に必ず会うようにしてください」

『渡りに船、とはこの事だわ。ことが上手く運び過ぎて怖いくらい』

 つい、言葉にも笑みが混じる百合香である。ですが、とオブラは釘をさした。

「百合香さま。情報が手に入ったからと言って、相手を倒せるわけではありません。幹部と呼ばれる各エリアのボスは、あの巨鳥など足元にも及ばない実力を秘めている、と推測されます」

 それは、百合香たちの肝を冷やすには十分だった。

「幹部って何体いるの?」

「いま判明しているだけで、6体。おそらく、その倍はいると見ていいでしょう」

「けっこうな数じゃん!」

「そうです。そして、この城を滅ぼすには、その幹部たちを排除したのち、頂点に立つ存在を打ち倒さなくてはなりません」

 オブラは、ゆっくりと重みのある口調になって話し始めた。百合香は訊ねる。

『頂点って、この城の支配者ってこと?』

「そうです。その、氷巌城の城主についてだけは、すでに名前も判明しています。…名前だけ、ですが」

『!』

 百合香と瑠魅香は、その情報に驚きを禁じ得なかった。猫のネットワーク恐るべし。

『その…城主の名前は』

 固唾を飲む気持ちで、百合香は訊ねる。オブラは答えた。

 

「氷魔皇帝ラハヴェ。それが、あなたが倒すべき相手の名です」



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上層へ(第1章完結)

「氷魔皇帝ラハヴェ?」

 瑠魅香が、その名を告げた猫レジスタンス・オブラに訊ねた。

「そいつが、私達をけしかけてた頭目なの?」

『そうです。ただし、何者なのかは全くわかりません。なぜなら、今の氷巌城が出現するまで、その存在自体が不明瞭だったからなのです』

「よほど用心深いって事なのかしら」

 瑠魅香は、氷魔だった頃にそのような存在について聞いた事があるか、思い出してみた。

「うーん、私は初耳だな。もちろん、氷巌城は常に"トップ"がいて、それに率いられる形でこの世に現れる筈だから、そいつが今回のトップ、ボスなんだろうけど」

「ラハヴェの素性については現在も調査中です。しかし、上層ほど調べるのは困難になるので、すぐに、というわけにはいきません」

 瑠魅香は、それはもっともだと頷いた。

「地道に上を目指すより他にないって事か」

 そこで、百合香が訊ねた。

『オブラ、あなたは上の層へのルートを知ってるの?』

「もちろんです。さっき同志と話したのですが、第一層への入り口まで、僕が案内します」

『ん?』

 百合香は、オブラの説明にやや困惑した。

『今いるここが第一層ではないの?』

「違います。ここは城の基底部であって、特殊な個体を除けば、最下級の氷魔しかいません。そもそも、あなたの侵入ルート自体が、氷魔からすれば想定外だった筈です」

 百合香は、学園の屋上から延びていた氷の階段を思い出していた。

 

『あっ』

 

 そこで唐突に百合香は、ひとつの謎を思い出した。

『ねえ、オブラ。訊きたいことがあるの。この城に、私以外に誰か、侵入した人間はいない?』

「人間、ですか?」

『そう。おそらくは、女性』

 百合香は、凍結した学園で自分以外に一人だけ、何者かが動いていた痕跡があった事を説明した。

『そいつは、なぜか凍結した校内を自由に動いていた。しかも私と違って、凍結現象そのものをコントロールできるらしい。扉を開けたあとで、再び凍結させていたの』

「ふうむ」

 オブラは少し考え込んだあと、仲間と意味不明の言語で会話を始めた。頷いたり、首を傾げたりしている。

「人間語じゃないよね」

『私と会話するために、わざわざ日本語覚えたのかな』

 百合香と瑠魅香は、野良猫の会合にしか見えないレジスタンスの会話を観察していた。会話が終わると、オブラは百合香を振り向いて言った。

「百合香さま、残念ながら該当しそうな人物についての情報はありません」

『そっか』

「ですが、我々としても気になる情報ではあります。明らかに不審です。なので、今後の調査で何かわかったら報告に上がります」

『ありがとう。頼んだわよ、小さな探偵さん達』

「探偵!それはなかなか良い響きですね…マタタビ探偵社という呼称に変えるのはどうだろう…」

『マタタビは絶対に外せないのね』

 なんだか瑠魅香とノリが似ている、と百合香は思った。

 

 その後、彼らが地下でアジトにしているという空間でひと息ついたのち、オブラの手引きで再び元の層へ戻る通路を、今度は百合香の精神に切り替えて二人は進んでいた。

「ひとつの肉体に二人の魂が宿ってて、切り替えができるって凄いですね」

 歩きながらオブラが言う。

「そうか…瑠魅香さまのように、人間に波長を合わせてしまうという生き方もあるのか」

「そういう事やった氷魔は他にいないの?」

 百合香の問いに、オブラは即座に答える。

「いませんよ!そんな方法、思い付いたとしても実行するのは難しいと思いますし…瑠魅香さまって、どういう存在なんだろう」

『人を珍獣みたいに言わないでくれるかな』

 百合香の中から瑠魅香が抗議する。

 

「じゃあ、逆はどうなの?人間から氷魔に変わるっていうのは可能なの?」

 

 歩きながら何気なく言った百合香の問いに、オブラは突然ピタリと立ち止まった。

「……」

「オブラ?」

「…何でもありません」

 そう言うと、オブラは再び歩き出す。

「不可能ではないかも知れません、瑠魅香さまが逆の事を実行されたわけですから。しかし、あくまで理論上、可能性の話です。現実に可能かどうかは、わかりません」

「なるほど」

 

 そこから、まるで獣道とでも言うような複雑難解な通路を辿って、オブラと百合香は見覚えのある通路に出てきた。

「ここは…」

「そうです。あなたが最初に侵入したフロアの、最奥部に続く道です」

 オブラは、突然歩速を落として百合香の方を振り向いた。

「百合香さま。そろそろ、一旦のお別れです」

「お別れ?」

「仲間からの報告によると、最奥部では現在、兵が多数配置されて、侵入者を待ち構えているそうです。しかも、巨大な魔晶兵を動員しているとか」

「魔晶兵?」

「巨大な、氷の戦闘人形とでも言いましょうか。それは、我々には歯が立ちません。でも、あなた方二人の力であれば、突破できるかも知れない」

 オブラは、何か決意したような表情で、百合香の目をまっすぐ見る。

「百合香さま。僕が、雑兵たちを引き付ける囮になります。あなた方はその間に、魔晶兵を倒して、第一層に向かってください」

「大丈夫なの!?」

「ご心配なく。逃げるのは得意です」

 そう言って、オブラは笑う。

「ただし、僕が逃げるのは容易ですが、敵が僕の揺動に気付くのが早ければ、あなた方は魔晶兵と、戻ってくるであろう雑兵たちを同時に相手にする事になります。時間は限られている、と思ってください」

 それは百合香たちには結構なプレッシャーを伴って聞こえた。しかし、瑠魅香は笑う。

『百合香。私たち無敵のコンビなら、氷のオモチャの一体くらい何てことないわよ』

「相変わらず無責任ね」

 百合香も、頷いて笑う。

「そうね。どのみち、そんなのに敵わないようじゃ、この先も進めないって事だもの。わかった。オブラ、そっちは任せたわよ」

「お任せください」

 

 オブラの先導で進んだ先に、何か広い空間に繋がる通路の入口があった。その左右を、槍を構えた氷の兵士が守っている。

「案の定です。あの個体は、あなた方が今まで戦ってきた個体より、ずっと知能が高い。人間の大人レベルというわけではありませんが、賢い子供くらいはあります」

「強いってこと?」

「今のあなた方なら勝てます。しかし、仲間に情報を細かく伝達できる、等の行動が可能なのです。1体を倒している間に、他の1体が他の20体にあなた方の存在を伝えたら、どうなりますか」

 説明しながら、オブラはゆっくり進み出る。

「百合香さま。あの、左手の柱の陰に隠れてください。私は、右手方向から彼らを誘導します」

 オブラが指差したのは、柱というには不格好な、立ち上がった氷柱だった。

「あの空間の中に、魔晶兵がいる筈です。僕の誘導に何体引っ掛かってくるかはわかりません。雑兵が残っていたら、まずそいつらを先に片付けてください。上層に上がれたら、私達の仲間が現れるまであまり移動しないようお願いします」

「わかった」

 百合香は、オブラに向かって力強く頷く。

「百合香さま。上の層でまた会うこともあるかも知れません。それまでどうか、ご無事で」

「そっちもね、オブラ」

『頼んだわよ、探偵さん』

 百合香はオブラの手を握る。オブラはパッと手を離すと、「行って」と左手方向を指差した。百合香は、足音を立てないように、静かに柱の陰、兵士たちの死角になる位置に身をひそめる。

 

 オブラはどうするのかと百合香が見ていると、何か聞こえない呪文のようなものを唱え始めた。

 すると、オブラの姿は氷の兵士に変わってしまった。

『魔法だ。変身できるんだ』

 瑠魅香が感心する。百合香も驚きながら頷いた。少し侮っていた。

 

「◆◆◆◆◆!!!」

 なんだかよくわからない言語で、兵士に化けたオブラが叫ぶ。これが氷魔の言語なのか。

 オブラの言葉に、衛兵は驚いた様子で、入口の奥に向かって謎の言語で叫んだ。すると、中からざっと20ほどの兵士達がわらわらと出てきて、オブラに先導され、百合香たちが今きた通路に大挙して消えて行ってしまった。

『やるじゃん!』

「ようし、行くよ瑠魅香!」

『あいよ!』

 

 二人は、衛兵のいなくなった入口を通過して、魔晶兵とやらがいるらしい空間に入った。そこは、奥に巨大な閉じられた扉があり、その手前に、確認するまでもなく"それ'だとわかる巨体が鎮座している。

 

 角ばった遮光器土偶とでも言えばいいだろうか。これを人間の形と呼ぶのは難しい。4トントラックほどもあるそれは、百合香の姿を認めるなり、すぐに右腕を上げて襲いかかってきた。

『話が早いね!』

「いくぞ!」

 百合香は、聖剣アグニシオンを両手でしっかりと構え、勢いよく魔晶兵に向かって突進した。

『百合香!』

 その動きで大丈夫なのかと不安になった瑠魅香が叫ぶ。しかし百合香は、魔晶兵の手前で突然、左側に大きく逸れた。

 上げた右腕を振り下ろした魔晶兵は、その側面を百合香にさらけ出す。

「もらった!」

 百合香は即座にアグニシオンにエネルギーをチャージし、至近距離で敵の腰部に技を放つ。

「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」

 巨大な荒ぶる炎の刃が、魔晶兵の胴体を直撃する。相手は大きくバランスを崩し、左膝をついて停止した。

『やるじゃん!』

「瑠魅香!」

『まかして!』

 百合香の肉体は、一瞬で黒髪の魔女・瑠魅香にチェンジする。間髪入れず瑠魅香は、杖からエネルギーを放出した。

「『ドリリング・バーン!!!』」

 瑠魅香もまた、百合香の向こうを張って炎の魔法を撃つ。百合香と違って、青白い炎の竜巻が横方向から魔晶兵の胴体を直撃した。

「オオォォォ!!!」

 魔晶兵は苦悶の叫びを上げる。腰部を中心に小さなヒビが入った。

「どんなもんよ!私達に敵うと思ってんの!?」

『油断しないで!これだけの大技を連続して受けたのに、まだ軽いヒビしか入れられてない』

「なら、百発くらわしてやるわよ!!」

 瑠魅香が勇んで再び杖を掲げた、その時だった。

「!?」

 突然、魔晶兵の全身に発光する幾何学的な文様が浮かび上がり、その装甲が剥がれ落ちてしまった。

「なに!?」

『瑠魅香、離れて!』

「え?」

 百合香は、強引に瑠魅香とチェンジして、迷わず大きく後退した。すると、装甲が剥がれ落ちて細身になった魔晶兵は、その巨体からは信じられないような俊敏さをもって、百合香との間合いを一瞬で詰めてきた。

「あっ!」

 驚く暇もなく、魔晶兵の左腕の爪が百合香を捉え、地面を擦りながら斬り上げてくる。その予想外の斬撃に、百合香はタイミングが大きく遅れてしまった。

「ぐあっ!!」

 攻撃を受け止めきれず、敵の爪が百合香の左上腕を斬りつける。百合香の全身をめぐる防御エネルギーさえ、完全にそれを防ぐ事はできなかった。

「うっ…く」

 ポタリ、ポタリと左腕から鮮血が落ちる。だが、激痛に耐える時間さえ百合香にはなかった。

『百合香!代わるわ!』

「瑠魅香!」

 百合香の制止を無視して、瑠魅香は再び肉体をチェンジして顕現する。しかし、左腕のダメージは人格交替により多少抑えられただけで、まだ血は流れていた。

「なるほど、これは…キツイね」

 肉体が外部から傷つけられるという感覚を初めて味わった瑠魅香は、不敵に笑った。

『瑠魅香、代わりなさい!』

「いやよ」

 瑠魅香は、杖を構えて短い呪文を詠唱する。青白い光が、杖を包んだ。

「アァオオォォォ―――!!」

 不気味な咆哮を上げて、魔晶兵が再びその左腕を、今度は横薙ぎに払ってきた。百合香は、もうダメだと思うと同時に、そういえばこんな場面が前にもなかったか、と感じていた。

 

 百合香が、静寂に気付いて感覚の目を開けると、魔晶兵は何かに引っ張られるようにもがき苦しんでいた。

『!?』

「百合香の小説にあったよね。場合によっては、前から押さえるより、引っ張る力の方が強い、って」

『え?』

 百合香が魔晶兵をよく見ると、その肩や腰に、極太の雷のロープが巻き付いており、それは地面から立ち上がって、魔晶兵の動きを封じていた。

「魔法のカッコいい名前が浮かばなかった。次まで考えとく」

『……』

「どしたの?」

『瑠魅香、ナイスプレー!』

 百合香にそう言われて、突然瑠魅香の視界が大きくにじんだ。

「あれ、なんだろ、また涙が…」

『代わって!』

 百合香は、心の中で瑠魅香とバトンタッチする。

 

 その時だった。

 

 再び、百合香の胸元から、あたかも超新星の爆発のごとき輝きが現れ、魔晶兵は恐れ慄いてその動きを止めた。

 

 その輝きは百合香の全身を包み、一瞬で弾けた。光が消え去ったとき、百合香の全身を包んでいたのは、それまでと比較にならないほど高貴な輝きを放つ、金色の鎧だった。

 

「これ…」

 百合香は、全身に清澄そのものの光のエネルギーが満ちるのを感じた。この鎧は、光が固体化したものに思えた。左腕にも、もう痛みはない。

 

 聖剣アグニシオンを、百合香は眼前に掲げる。恐るべき、強烈な重みを伴った力場が剣を中心として発生した。

 百合香は大きく跳躍し、魔晶兵の脳天にエネルギーが脈動するアグニシオンを叩き込む。

 

「『ゴッデス・エンフォースメント!!!』」

 

 空間全体が一瞬大きく軋み、目に見えない一直線の衝撃が、魔晶兵の頭から足元まで突き抜ける。

 その断面から眩い輝きが走り、それはあたかも太陽のごとく内側から大きく弾け、魔晶兵を粉々に打ち砕いて消滅させた。その余波で、巨大な扉の片側が倒れ、暗い階段が姿を現した。

 

「はあ、はあ、はあ」

 全身のエネルギーを放出しきった百合香は、その場に膝をついた。

『やった!百合香かっこいい!!』

「当然よ」

 まだ心臓がバクバクいう状態で、百合香は誰にともなくサムズアップしてみせる。

『さあ、もたもたしてらんないよ。さっさと上層に上がろう』

「急かさないでよ。あー、ポカリ飲みたい」

『ポカリってなに?』

「ポカリっていうのはね…」

 ガクガクする脚を動かしながら、百合香は階段を登り始めた。その上は、いよいよ氷巌城の第一層である。これまでの敵とは比べ物にならない相手が待ち受けているらしい。

 

 百合香の脳裏に浮かんだのは、あの闘技場でほんの少しだけ共闘した、戦斧の闘士の姿だった。

 

 行ってくるね。見てて。

 

 

(氷巌城突入篇:完)



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氷騎士烈闘篇
氷騎士


 ほとんどの生物は、自然界の脅威に逆らう事ができない。

 

 あらゆる生物が、それに耐えきれずその種の歴史の幕を閉じて行った。

 

 

 

 科学文明の頂点を極めたと信じている、人間もまた例外ではない。

 

 

 

 

 絶対零度女学園

 

 第2章:氷騎士烈闘篇

 

 

 

 

 それは、世界各地の軍事基地で起こっていた。

「原因は不明だと!?それを調べるのがお前たちの仕事だ!」

 太平洋の島に、某国の海軍の軍事基地がある。その司令官が、主に軍事装備の保守点検を担当する士官たちに、怒号を発し続けていた。しかし、士官たちも上官に怯む事はない。

「繰り返し申し上げます。我々は保守点検のプロです。その我々の徹底的な調査のすえ、”原因不明”と判断した、という事です」

「では、端的に言え。当基地の軍用装備品は現在、スクランブルが起きた時に運用できるのか」

「できません。航空機から車輛に至るまで、全てが極低温によって凍結しており、エンジンに点火する事も不可能な状況です」

「では、この状況でもし、外部から航空機などによる攻撃を受けた場合、当基地はどうなる」

 司令官の質問に、士官は少し間を挟んで答えた。

「シミュレーションは担当外ですが、アサルトライフルで爆撃に対抗することはできません。全滅です」

 

 事は、遠隔地の軍事基地だけの話ではない。世界中で、遠距離ミサイルのハードウェアとシステムの両方が謎の凍結現象により、運用不可能な状態に陥るという異常事態が発生していた。いかなる最新鋭の戦略兵器であろうと、運用できなければただの鉄塊にすぎない。この状況を他国に悟られまいと、各国の政府は情報の徹底管理に動いていた。

 

 

 

 

「首尾はどうか、ヌルダ」

 氷巌城の玉座の間で、外界を見下ろしながら氷魔皇帝ラハヴェは問うた。脇に控えている、ヌルダと呼ばれた黒いローブの氷魔が答えた。

「はい。この時代の軍事力は、かつての人類のそれとは次元が異なるまでの発展を遂げております」

「ほう」

「ですが、その仕組みは解き明かせば取るに足らぬものです。原始的、単純な仕掛けを組み合わせて、高度な技術に見せかけたものにすぎません」

 ヌルダは、現代人類の軍事力を一蹴するかのように、嘲笑気味に言った。

「すでに世界の主要な軍事施設には、”処置”を施しております。もっとも、彼らの愚かな兵器がこの城に到達したところで、外壁に傷ひとつ加える事もできませぬが」

「では、試みにいつか撃たせてみるか?」

「陛下がお望みとあれば」

「ふん」

 臣下の冗談を、ラハヴェは鼻で笑った。

「これならば、数百年前の人類の方がまだ手ごわかったと言える。今の人類は、呪術のひとつもろくに扱えぬまでに退化してしまったようだな」

「御意」

「下がってよい」

「はっ」

 ヌルダは黒いローブを翻して、音もなく玉座の間を辞した。ラハヴェは、空にかかるオーロラを睨む。

「ヒムロデ」

 そう声をかけると、どこから現れたのか、青いローブをまとったヒムロデがラハヴェの下に跪いた。

「ここに」

「侵入者が第1層に到達したというのは、まことか」

「申し訳ございません。いかなる処罰も覚悟しております」

「お前の責ではない」

 ラハヴェは手を上げて、詫びるヒムロデに言った。

「ヒムロデ、正直に言おう」

「何なりと」

「私は、その侵入者がどこまで来られるのか、試してみたくなった」

「は?」

 ヒムロデは、驚きを隠さない口調で訊ねた。

「恐れながら、それは…本心でございますか」

「そうだとも。外の状況を見たか。今の人類文明は、科学力とやらは大層発展しているようだが、実のところ脆弱この上ない。彼らが用いるエネルギーのひとつ、ふたつを遮断するだけで、都市は機能停止に陥り、多数がその生命を維持できなくなる。その事に、”災害”と呼ぶ自然界のうねりが襲うまで気付かぬのだ」

 そう言ったあとで、ラハヴェは断言するように言った。

 

「わかるか、ヒムロデ。人類は進化したと思っているだろうが、実のところ”退化”しているのだ」

 

 ラハヴェの小さな嘲笑が、玉座の間に響く。

「なぜ私が、現代の発達した科学文明を参考にしなかったか、わかっただろう。粗末な練り物と鉄でできた醜い都市に住む、脆弱な生き物などに興味はない。だが、この侵入者は違う」

 ヒムロデは、ラハヴェの言葉を黙って聞いていた。

「この謎の侵入者が、もし人間だとしたら。それは、我々に対抗できる力を備えた人間ということだ。このような、退屈な状況において、唯一にして至高の気晴らしだとは思わぬか」

「私の考えなど、陛下の高邁なお考えには到底及びませぬ」

「ふん、平然と世辞を言う奴よ」

 ラハヴェは笑う。

「第1層の氷騎士たちに、侵入者を迎え討つよう通達しろ。むろん、兵士たちの各所への配置も怠るな」

「最初の氷騎士にすら及ばない事もあり得ましょうが」

「それはそれで仕方あるまい。だが、強い相手ほど存在を否定し、踏みにじる甲斐もあるというものだ。その無惨な屍を、ここにに運んで参れ。氷漬けにしてこの間に飾るとしよう」

「…は」

 どう思ったのか、ヒムロデはそれだけ答えると、礼をして静かに玉座の間を去った。

「何者かこの目で見て、直々に無惨なる屍にしてやるのも一興だが…まずはお手並み拝見といこう」

 

 

 

 

 侵入者こと江藤百合香は、焦っていた。

「はあ、はあ、はあ」

『代わろうか?おねーさん』

 頭の中で、相方の瑠魅香が言う。

「だ、大丈夫…」

『身体、だいぶ臭ってきてるんじゃない?』

「……」

 16歳女子高生にとっては、生命の危機と並んで大問題ではある。だが、今はやはり生命の維持が優先された。

 

 ここは、まるで石のような質感の整った氷でできた、四角い通路である。地底層から長い階段を登って来た百合香は、さっそく無数の氷の兵士と鉢合わせして、撃退しては身を隠し、ということを繰り返していた。

『地底層から見れば、ガラリと人工的な空間になったけど。もうちょい装飾があってもいいよね』

「装飾はどうでもいいけど、あの猫探偵のお仲間はどこなの」

 百合香は、一転して白く明るい通路を睨んだ。ここまで案内してくれたレジスタンス氷魔の探偵猫オブラが、第1層に登ったら仲間がコンタクトを取るのをあまり移動せず待て、と言っていたのだ。

「まず、癒しの間へのポイントを探る必要があると思う」

『そうだね』

「瑠魅香、あなたの魔法で”裂け目”を探す事はできないの?」

『なるほど』

 二人は、無言で精神を入れ替えた。金色の鎧姿の百合香が、紫のへそ出しドレスの魔女・瑠魅香にチェンジする。

「と言ってもな」

 試みに杖を構え、瑠魅香は適当に魔力を放ってみた。しかし、何の反応もない。

「あれ、どういう仕組みだったっけ」

『女神様の持ってる波動は氷魔の波動と打ち消し合うから、氷魔のエネルギーが散乱した時に、それが薄くなってる箇所が、癒しの間に至るゲートを作れるポイントってこと』

「あ、なるほど」

 瑠魅香は、もう一度杖を掲げた。

「そういう原理なら、これでどうだろう」

 杖の先から、真っ白なエネルギーの砂粒が空間に散乱する。美しい光景ではあるが、特にそれらしいポイントを見付けられる様子はなかった。

「ないね」

『それ、何やってるの?』

「氷魔の持ってる波動と同じものを、魔法で作って散乱させたの。これで探せるはずだよ」

『頼りになるなあ』

「ふふふ、もっと褒めて」

 瑠魅香は得意気に笑う。

 

「あー、さっき百合香が言ってた、ポカリなんとかって飲み物、飲んでみたいなあ」

『癒しの間で創れるかな。家具とかトイレ、シャワーが創造できるなら、食べ物、飲み物だって創造できると思うんだ』

「わたし、まだ食べ物っていうものを食べた事がないのよ!味覚っていうのも、百合香のツバとか、汗の味しか知らない」

『どこ舐めてんのよ!』

 百合香が相棒の変態行為に抗議したところで、何か視界の隅に動くものがあった。

『あっ』

「なに?」

『今なんか見えたよ!例のマタタビ探偵団じゃないの?』

「月夜のマタタビ、でしょ」

 相方の冷静なツッコミをよそに、百合香は再び身体を交替する。2.0を誇る視力で、今小さな影を見掛けた方向に移動しながら、何かいないか注意深く見回した。

 

 すると、かすかに「こっちです」と呼ぶ声がする。

「瑠魅香、なんか言った?」

『なにも』

 百合香はもう一度耳を澄ます。すると、やはり聞こえた。

「百合香さま、こっちです」

「あ、いた」

 百合香は、声のする方向をよく見た。通路の一部が、妙な形に歪んでいる。猫の形だ。

「光学迷彩か何かなの、それ」

 百合香は、魔法で光学迷彩を施しているのがモロバレの猫に近付いて言った。

「あなた、オブラの仲間でしょ」

 モロバレ光学迷彩猫の前にしゃがんで、その背中をなでる。

「どうして姿がわかったんですか」

「猫の形に空間が歪んでれば、だいたい察しはつくわ」

「なんと」

 やはり少年のような声がして、その光学迷彩が解かれると、白と青のマーブル模様の猫が姿を現した。

「オブラに会ったのですね。私はオブラの同志、ラーモンです。百合香さま、あなたのお噂は聞き及んでおります。たいへん残虐な手段で鳥氷魔を容赦なく葬り去った、とか」

「言い方!!」

 

 ラーモンと名乗った猫氷魔の手引きで、百合香は階段の脇にある石のドアで隠された入り口から、レジスタンス組織”月夜のマタタビ”のアジトに招かれた。

 何しろ猫用のアジトなので、非常に狭い。広さは4畳あるかないか、という所である。その中に女子高生1名と猫4匹が集合していた。基本的にどの猫も似たような氷系カラーなので、区別がつきにくい。

「あなたをここにお招きできた事、光栄に思います」

「ここ、大丈夫なんでしょうね」

「それはもう。兵士たちの盲点になっている場所です」

「ふうん」

 隠れ家、というのは何となくゾクゾクするなと百合香は思った。

「それで、このフロア…第1層ってどういう場所なの?」

 百合香は、さっそく気になる事から質問した。場所の状況がわからなければ、戦うのに不利になる。ラーモンは、小さく頷いて説明を始めた。

 

「我々が調べた限りでは、この層は戦士系の氷魔が集中的に配備されているようです」

「戦士系?」

「地下で闘技場をご覧になったでしょう。あそこにいた闘士たちは、この第1層でイレギュラーとされた者達の、いわば流刑地だったのです」

「流刑地、ですって?」

 百合香は多少の驚きと、納得をもって聞いていた。

「そうです。彼らは、城の防衛という任務に適合できない、いわば反抗的な存在でした。ひたすら戦う事に情熱を傾けるため、命令を聞き入れないのです。そのため、地下に追いやられたのです」

 なるほど、と百合香は思った。彼らは純粋過ぎるまでに、戦う事だけを存在意義としていたのだ。だから、戦って死ぬこともその一部だったのだろう。

「じゃあ、このフロアにいるのは」

「そうです。命令に従って侵略者と戦うための闘士たちです。なので、知能レベルもそれなりにあると思ってください。知能がなければ命令を理解できませんからね」

 百合香は戦慄しつつ、少なくとも情報を得た事への一定の安心感を覚えていた。今まで、その先に何がいるのかわからない戦いだったからだ。

 

 だが、とラーモンは言った。

「百合香さま、このフロアで真に恐れるべきなのは、”氷騎士”と呼ばれる城の幹部たちです」

「ひょうきし?」

「はい。彼らは、それぞれ防衛するエリアがあり、そこに常に構えています。非常に高い実力と知性を持っており、あなたのお力でも戦えるかどうか、我々にも判断がつきません」

「どれくらい強いかっていう情報はないの?」

「残念ですが、そこまでの情報はありません。ですが、参考になるかどうかわかりませんが、奇妙な報告がひとつ、同志から入っています」

「奇妙?」

 百合香は訊ねる。ラーモンは他の猫と何かを確認しあってから、百合香を向いて言った。

 

「このフロアにいる氷騎士の何体かは、剣や槍ではなく、”球”を武器にする者がいるらしいのです」



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劇空間

「球を武器にする敵?」

『氷のボールでも投げてくるっての?』

 百合香と瑠魅香は、敵の姿をあれこれと想像してみたが、砲丸投げとか、ワイヤーつきの巨大な球を振り回しているような敵しか想像できなかった。

 ラーモンは、再びほかの同志と何やら情報交換してから、百合香の方を向いた。

「一体だけ、巨大な氷の球を投げている姿が確認されています。それ以外は、あまり明確な情報はありません」

「やっぱ砲丸投げ系か」

 百合香の頭の中で、こちらに向かって氷のボールを投擲してくる戦士が連想された。

 

「いずれにしても、ハッキリしているのは、彼ら氷騎士は"強い"ということです。これまで、あなたが対峙してきた敵と比較してどれくらいなのか、それはわかりません。しかし、一番手強かった相手よりも強い、少なくとも下回る事は絶対にない、ということは覚悟しておいてください」

 ラーモンは、最大限の注意を促すように言った。百合香はその言葉に背筋をただす。

 

 百合香は、初めて"強豪"と呼ばれる他校とのバスケットの試合に出た時を思い出していた。中学校の頃とは、動きのレベルが違う。高校生にもなれば、もう年齢的にはそろそろ、五輪出場さえ視野に入ってくる。

 人間は「活動」をしていると、己よりも高いレベルの相手と相まみえる時がくるのだ、と百合香はその時、齢15にして知った。

 

 榴ヶ岡南は、百合香にとってそんな人間の一人だった。バスケットのコートに立てば、あらゆるポジションを誰よりも確かにこなす。百合香にとって南は、単なる「大好きな先輩」ではない。超えるべき目標だった。

 

 とはいえ、いま眼の前にある課題はバスケットボールではない。たぶん99.999パーセントの一般人が体験した事はないであろう、巨大な氷の城の制圧である。しかも女子高生一人で。

「勝てるのかな」

 つい、百合香の口から本音がもれる。

『まあ、ふつーに考えれば無理だよね』

 例によってサラリと瑠魅香が言ってのける。

『でも、ここまで来て、もう無理とか言ってらんないんじゃない?あたしだって、氷魔を実質的に裏切った以上、もう後戻りはできないし』

 瑠魅香のセリフを黙って聞いていた百合香は、少し驚いたふうな顔で答えた。

「あなたって結構、骨太なのね」

『そうかな。あたしは百合香の方が、百倍豪胆だと思うけど』

「ふふっ」

 だったら、二人とも骨太で豪胆という事ではないか。百合香は笑った。

「そうだね。怖いのは当たり前だけど。今までやって来れたんだから、”勝てない保証”はどこにもない」

 自分で言って、なかなかすごいセリフだと百合香は思った。

 すると、何やらポス、ポスという妙な音がする。振り向くと、レジスタンスの猫たちが百合香に向かって拍手をしていた。悲しいかな、肉球で音は出ない。

「感動いたしました。あなた方こそ、我々が待ち望んだ救世主です」

『救世主だってよ、百合香』

 半笑いで瑠魅香が言う。

「ほんと調子いいのね、あなた達」

「それほどでも」

「…褒められたと思ってるなら、それでいいわ」

 女子高生で救世主の百合香は、姿勢を正してラーモンに向き合った。

「ラーモン、あなた達にひとつ、お願いしていいかな」

「はい。出来る事でしたら。我々に実行可能な範囲内の事でしたら」

 つまりムチャブリはしないでくれ、ということだ。

 

「城を消滅させる方法の調査?」

 ラーモンは、百合香が訊ねた事を繰り返した。

「そう」

「それは、氷魔皇帝ラハヴェを倒すという事に他ならないのでは?」

 うんうん、と他の猫たちも頷く。百合香は続けた。

「本当にそうなのかが気になるの」

「どういう意味ですか?」

「だって、今まであなた達、夜中のマタタビ…」

「月夜のマタタビ」

「こほん。…月夜のマタタビから受け取った情報だと、そのラハヴェっていう奴の正体は、ハッキリわかってないんでしょう?氷魔の中でどういう存在で、どういう容姿で、どういう考え方の持ち主で、実力はどれ位で、どうやってこの城を生み出したのか、全部わかってるの?」

 疑問の機銃掃射を受けて、猫たちはたじろいだようだった。

 

「全然わかってません」

 

 返ってきたのは、正直すぎる返答である。百合香はいちおうフォローを入れた。

「別に責めてるわけじゃないわ。ただ、そういう状況で、その氷魔皇帝を倒せば城が消滅する、っていう確証はないと思うの。もし他の手段で城を消滅させられるなら、バカ正直に全ての敵を倒す必要はないでしょう?」

「ふうむ…」

 ラーモンは顎に手を当てて首をひねる。瑠魅香は、ちょっと可愛いと思ってしまった。

 

「結局のところ、氷魔のあなた達が、なぜか氷魔側の情報に乏しい。瑠魅香も含めてね。これって、何かおかしいと思わない?」

 

 百合香の指摘は、瑠魅香も含めていくらか図星のようだった。

『ま、言われてみればそうだね。私は確かに若い魂だけど、だからってこの氷巌城の事が、ここまでわからないのは確かに気になる』

「ガドリエルなら何か知っているのかも知れないけれど、彼女は私に、実際に城の奥まで行って自分で確かめるべきだ、みたいなこと言うし」

『ちゃんと問い詰めたの?教えてくれなきゃもう家に帰る、って脅してやればいいじゃない』

 なるほど、それもそうだと百合香は思った。知っているなら教えてくれてもいい。しかし、百合香は言った。

「…ガドリエルに、何か話せない”事情”があるとしたら」

『どんな事情?』

「それはわからない」

 そこで、ラーモンが訊ねる。

「あのう。ガドリエル、とは一体どなたでしょう」

「ああ」

 

 百合香は、彼女を導く謎の女神、現・ガドリエルについて説明した。

「女神…ですか」

「何か知ってる?あなた達」

「さあ…でも、明らかに氷巌城側から見れば、一番厄介な敵なのは確かですね。いま最大の脅威である百合香さまを、そのようにバックアップしているわけですから」

 そこまで言って、ラーモンは付け足した。

「何者というのなら、その女神もラハヴェ並みに謎なのではないですか」

 そう言われて、百合香は今さらながら改めて考えた。確かに、謎である。なぜ、彼女は氷巌城の出現を知っていたのか。

『意外と、そのラハヴェとかいう奴の親戚だったりして』

「あのね。真面目に話してるの」

 瑠魅香のジョークに、今は取り合う気がない百合香である。

「でも、そうね…これ以上ここで、わからない事について話してても仕方ないか」

『百合香、あなたもう疲れてるんじゃないの?ここでちょっと眠らせてもらったら?』

「うーむ」

 百合香は考え込んだ。ここは敵地である。

「お任せください。我々が周囲を見張っています。百合香さまは、ここでしばしの休息をお取りください」

 ラーモンが胸を張ると、他の猫たちもうなずいて立ち上がった。

「そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「よし、全員配置につけ!」

 ラーモンの号令で、レジスタンス「月夜のマタタビ」の面々はゆっくりと秘密のドアを開け、百合香のガードのために散らばって行った。部屋に残された百合香は、ギリギリ横になれる広さがあることを確認し、硬い床に仰向けになった。

 

 唐突に静寂が訪れる。

「…大変だったな、ここまで」

 ぽつりと百合香は呟いて、これまでの出来事を振り返った。驚くべきことに、たぶんまだ3日も経過していない。体感的には1週間ぐらい過ぎたような気もする。

 

「瑠魅香」

『なあに』

「あのさ」

 百合香は、言葉を選んでいるかのように間を挟んで言った。

「私、一人でこの城の奥まで行かなきゃいけないと思ってて、すごく心細かった。絶対ムリだと思った」

『うん』

「いま、あなたがいる事にすごく感謝してる」

 ぽつりと百合香が言うと、瑠魅香は黙りこくってしまった。

「最初は、すごく混乱したけど。今、どんな時でもあなたが一緒だって思うと、何でもできそう」

『やめて。また泣いちゃう』

「ごめん」

 百合香は、ふいに涙が流れている事に気付いた。

『ほら』

「欠伸しただけよ」

『ほんと素直じゃないよね、可愛いのに』

 ふふふ、と二人は笑った。

「眠ろう。ちょっと硬いベッドだけど」

『うん。おやすみ』

「おやすみ」

 

 

 

 

 百合香は、夢を見た。それは、知らない都市の光景だった。中世ヨーロッパのようでもあるが、何かが違う。知っている国や都市でどこが一番近いかと問われれば、わからない、と答えるだろう。

 人々が行き交い、店らしき建物が並び、行商人らしき人物が歩く、その賑やかな街を百合香は歩いていた。

 

 隣には、燃えるような赤い長髪の女性がいた。何かを、百合香に笑いながら話している。何を言っているのかはわからない。だが、百合香にとって、とても縁が深い女性であるように思えた。

 

 よく見ると、人々は百合香たちの姿を認めるや、すぐに両脇に広がって、恭しく道を開けてくれていた。夢の中の百合香は、それを申し訳ないような気持ちで眺めていた。

 

 二人が歩いていると、景色は唐突に、どこかの巨大な城の前に変わっていた。衛兵が恭しく礼をし、門を開けさせる。

 

 そして、二人が門をくぐった、その瞬間だった。

 

 世界は一瞬で、青ざめた景色に変わってしまった。草木も、水も、全てが凍り付いてしまった。

 

 隣を見ると、あの赤い髪の女性はもう、いなかった。

 

 

 

 

「…ん」

 目を開けると、そこは真っ白く輝く、無味乾燥な狭い部屋だった。

『声がエロい』

 目覚めるなり、相棒が言う。

「…そんな言葉どこで覚えたの」

『実は意味がよくわかってない』

「忘れなさい」

 欠伸をしながら、血をめぐらせるために手足を動かし、ゆっくりと上半身を起こす。

「…だいぶ眠ってたみたい」

『そうね。寝顔見たかったな』

「あなた、だんだんセリフが変態じみてきてるわ」

 よく眠ったという感覚と、寝過ぎたという感覚が同時にある。そのかわり、とりあえず体力はだいぶ取り戻せたようだった。例によって、寝ている間に金色の鎧は解除され、ガドリエル学園の制服に変わっていた。

「行くか」

 目覚めてからすぐに活動に移行するのが、百合香は得意だった。時々だが、前世は軍人だったのではないか、と思う事がある。

 

 アジトの外に出ると、見張っているラーモンに出会った。

「百合香さま。もう、よろしいのですか」

「うん、よく眠れたわ。ありがとう」

「お力になれて幸いです」

 そう言って何か、声を発するようなポーズをラーモンは取った。ほどなくして、他のメンバーが駆け付ける。百合香は、城の奥に向けて出発することを告げた。

「わかりました。どうか、ご無事で」

 ラーモンが、少し名残惜しそうに言う。

「世話になったわ、ありがとう」

『何かあったらまたよろしくね、探偵さん達』

 百合香はラーモンと握手をし、ひとまずの別れの挨拶を済ませる。そのあと、マーモンが話し始めた。

「実はこの層には、ここのメンバー以外にも一人だけ、レジスタンスがいます」

「そうなの?」

「はい。我々の中で数少ない、高い戦闘能力を持った者です。マグショットという名です」

「マグショット?」

 なんとなく強そうな気がしないでもない名前だな、と百合香たちは思った。やはり猫なのだろうが、どうやって戦うのだろう。

「彼は一匹狼です」

『猫でしょ』

「でも一匹狼です」

 瑠魅香のツッコミにもめげず、ラーモンは押し通した。

「片目がないので、すぐにわかるでしょう」

「それは…誰かと戦って傷を負ったの?」

「いえ、その方がカッコいいからと、片目でいるだけだそうです」

 どうも、この猫たちと会話していると緊張感がなくなる、と百合香は思った。

「あなた程ではないですが、それなりに実力は保証します。会ったら、必ず挨拶をしておいてください。仲間のピンチには駆け付ける猫です」

『やっぱり猫じゃん』

 瑠魅香の再びのツッコミに、ラーモンは無言だった。

「それでは、ご武運を!」

 

 

 ラーモンと別れて、しばらく真四角の通路を百合香は歩いていた。ぐっすり眠ったので、身体は快調である。

 

 しばらく歩いて、百合香は足元に妙なものが落ちている事に気が付いた。

「なんだろう、これ」

『え?』

「ほら」

 百合香は屈んで、足元に落ちている何かの破片を拾う。それは、ソフトボール大の球が割れたような破片だった。この城のものである以上、それは氷なのは間違いないのだが、何か奇妙な感じがした。

「そういえば、敵に球を使うのがいる、って言ってたよね」

『さっそくおでましって事?』

「…何か変だ」

 百合香は、通路の先を見た。しかし、これ以外に何も落ちている様子はない。

 

 だが、百合香は何か、聞こえる事に気が付いた。かすかに、カーン、カーンという打音が、不規則かつ断続的に聞こえてくる。

「通路の奥からだ」

『また闘技場かな』

「またか…」

 違って欲しい、と百合香は思った。百合香はゆっくりと移動する。

 

 通路の奥に行くと、その先は開けた空間だった。というより、あまりにも広い空間である。地方のドーム球場くらいあるのではないか。だが、さっき聞こえていた打音がパッタリ止んでいるのが、百合香は気になった。空間の中には、今のところ誰もいない。

 

 百合香は、慎重に足を踏み入れる。

『なんだろう、あれ』

 百合香の視界を通して観察している瑠魅香が、足元にある物体に気付いた。それは五角形をしており、人が乗れるくらいの板状の氷だった。

「なんか既視感が…」

 そう思って百合香は、その場所から空間の床全体を見渡した。床は、細かい土状の氷が敷き詰められている。そして、五角形の板から30mくらいの位置に、同じような大きさの、真四角の板があった。

 

 まさかな、と思って、その板からさらに左側30mくらいの所に目をやると、やはりまた同じ板がある。さらに左30mくらいの所にも、一枚。五角形の板を含めて、上から見るときれいな正方形を描いていた。

 

「これ…」

 

 百合香は、今までと違う意味で息を飲んだ。

 

 それは、およそほとんどの人間が、関心の有る無しに関わらず、知っているであろう設備に酷似している。

 

 

 氷巌城の第1層で最初に辿り着いた空間、そこは氷でできた、野球のグラウンドであった。



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9対9

 江藤百合香は混乱していた。

 

 謎の、氷でできた野球グラウンド、少なくともそうとしか呼べない空間に足を踏み入れ、ここは何なんだと考え込んでいると、左右から氷の戦士たちが現れたのだ。

 

『油断しすぎでしょ!こんな堂々とど真ん中まで来るから』

 頭の中で瑠魅香が、相棒の不用心を嘆く。

「うるさいわね!全部片づければ同じ事でしょ!」

 瑠魅香と低次元の言い争いをしながら、百合香は自分達を囲んだ戦士たちを見た。ざっと、20体くらいはいそうに見える。どれも人間サイズであり、いまの百合香ならそこそこ余裕で勝てそうには見えた。

 

 だが、数や大きさ以外の要素が、百合香を混乱させた。

 

 中世ヨーロッパ風の城に侵入して、最初に遭遇した敵たちは、古代か中世ヨーロッパ風の剣闘士といったスタイルがほとんどだった。なので、「氷騎士」なる幹部の配下も、似たような恰好をしているのだろうと思っていた。

 いや、確かに今、目の前に現れた敵と思しき集団も、それらしい姿をしてはいる。西洋の甲冑ふうの防具をまとっており、それだけを見れば今までと変わらない。だが、手に持っている武器がおかしい。

 

『あれ、何?』

 

 百合香の頭の中で、瑠魅香が訊ねた。百合香は、敵が持っている物体の呼称を知っている。知っているだけに、答えることに違和感がある。

 

 目の前に整列した氷の騎士団が手にしている武器。それは、野球のバットやボール、グローブであった。

 

 

「待っていたぞ!侵入者!!」

 

 

 その、全く予想外の大声に、百合香は二重の意味で驚いた。まず、今までこれほどハッキリと言葉を話す敵がいなかった事と、自分が侵入者、そして城から見れば侵略者である事が、見事にバレている事であった。

 声の主は、百合香よりも頭ひとつ分くらい背の高い、ライオンのたてがみのような装飾のついた兜を被った、大柄な氷の闘士であった。やはりバットを地面に突き立てている。

「あなたは、誰!?」

 百合香も驚きを隠すため、精一杯の声を張り上げる。

「うむ。いい声だ」

 相手の声は野太い。

「我が名はサーベラス。この氷巌城第1層を守護する、誉れ高き氷騎士の一人である」

 正直言って、百合香は恐怖や焦りなどよりも、困惑の方が勝っていた。これほどまでに明確に知性を持った相手は初めてだからだ。

『なんとまあ。まさか、のっけから幹部がおでましとはね』

「…何か企みがあるのかしら」

『ないんじゃない?直球バカ系だと思うよ』

 瑠魅香も瑠魅香で、なぜそんな日本語を知っているのだろう。それはともかくとして、百合香は訊ねた。

「では、あなたは氷魔皇帝ラハヴェの配下なのね」

「ほう、すでにわが主の名を知っていたか。さすがは侵入者」

「悪いけど、ここは突破させてもらうわ!」

 百合香は瞬時に金色の鎧をまとう。サーベラスと名乗った氷騎士の部下たちは、その輝きに怯んだようだったが、サーベラスは微動だにせずそれを見ていた。

「行くわよ―――!!!」

 先手必勝とばかりに、百合香は剣を両手で構えて突進する。しかし、

 

「待てぇぇぇい!!!!」

 

 その、グラウンド全体を揺るがさんばかりのサーベラスの一喝に、思わず足を止めてしまった。

「な…なに!?」

「何、ではない。まずは侵入者、きさまの名を教えてもらおう!名も知らぬ相手に戦いを挑むほど、このサーベラス、礼を知らぬ戦士ではない!」

「ななな…」

 百合香は、相手が何を言っているのか一瞬わからなかった。ただ戦って決着をつければ、それで済む話ではないのか。これではまるで、部活の他校との試合だ。

 だが、氷の化け物に無礼者扱いされているようで少々頭にきた百合香は、剣をドカッと突き立てて名乗った。

「私は百合香!みんなの命を救うため、この城に戦いを挑む!」

「ユリカ!よい名だ!」

 なんだこいつは、と百合香も瑠魅香も思った。聞いた事ぜんぶ「良い」と返すつもりなのではないか。

「さあ、挨拶は終わったわ!いざ尋常に、勝負しなさい!!」

 言いながら、なんだか自分も時代劇じみてきたなと百合香は思った。すると、サーベラスはだいぶ予想外の行動に出た。

 

「よかろう!では、貴様に8名の選手を貸してやる!」

 

「は?」

 百合香の脳内に、ざっと数えて1億個のクエスチョンマークが浮かんだ。お前は何を言っているんだ。

 

 サーベラスの命令で、百合香の両脇に4名ずつ、計8名の氷の戦士が並ぶ。百合香を入れれば9人である。そして、向こうはサーベラスを入れて、やはり9人であった。

「ま…まさか」

『何なの?』

 何となく察しがついた百合香と、人間界の情報に乏しい相方との温度差がすごい。百合香が冗談だろうと思っている所へ、サーベラスがとどめを刺した。

 

「さあ、ユリカ!貴様と私で、ソフトボールの勝負だ!!」

「なんでよ!!!!」

 百合香は、今年に入って一番のツッコミを、目の前の氷騎士に向かって投げつけた。

「あなたは騎士でしょう!?私はこの剣で戦うわ。17体1でいいわよ、かかってきなさい!」

 そう叫んで、剣を構える。こんな所で、呑気にソフトボールに興じているヒマはないのだ。しかし、サーベラスは予想外の答えを返してきた。

「ほう、なるほど。せっかく私が、貴様に生き残れるチャンスを与えようというのを、無視するのだな」

「なんですって?」

「いいだろう。剣で戦いたいというのなら、向かってくるがいい。だが、私が勝てばソフトボールで対決してもらうぞ」

「ば…バカにしないで!」

 百合香は、サーベラスに向かって聖剣アグニシオンを構える。サーベラスはバットをドスンと落とすと、素手で何の構えもなく百合香に向き合った。

「何のつもり?」

「どうした。向かって来んのか」

「くっ!」

 煽られた百合香は、これ以上話をしてもラチがあかないので、今度こそ突進した。剣にエネルギーを溜め、一気に斬りかかる。

 

「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」

 

 巨大な炎の刃が、サーベラスに襲いかかる。それを、サーベラスは真っ正面から胴体でまともに受けた。グラウンドに炎のエネルギーが飛び散り、配下の戦士たちが恐れをなして後退する。しかし。

「ほう。なかなかの強さだ」

「な…」

 まともに入った剣撃に、サーベラスは微動だにしていなかった。それどころか、傷ひとつついていない。

「お前の強さは本物だ。それは認めてやろう。ただし」

 そう言って、サーベラスはアグニシオンの刃をガッシリと握り、ひねるように下に強引に降ろした。

「あっ!」

 百合香は思わずそれに引っ張られて姿勢を崩す。がら空きになった百合香の右上腕を、サーベラスは軽く腕で横に払った。

「きゃあっ!」

 百合香はアグニシオンと一緒に、地面にあっけなく投げ出された。

「最初に私に相対したのは運が悪かったとも言えるし、良かったとも言える」

「うっ…」

 百合香は、目の前にいる氷騎士の実力を肌身で感じていた。

 

 勝てない。絶対に。その事実に、愕然とする。これまでの敵などとは、全く次元が違う。

 

「ユリカと言ったな」

 サーベラスは、地面に情けなく腕をつく百合香を見下ろして言った。

「これから先にお前が進みたいと思うのなら、お前はソフトボールで私に勝たなくてはならない」

「何を…」

「私の言っている意味がわかるか」

 何を言っているのか。百合香は、本気で疑問に思った。

「あなたは、私を排除できれば、それで任務達成の筈でしょう…なぜ、こんな周りくどい事を…?」

 言いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「まるで、私にこの先に進んで欲しいとでも思っているみたいだわ」

「そう思うか」

 またしても、百合香は困惑した。このサーベラスという戦士は、圧倒的に強い。他の戦士がこのサーベラスと同等、あるいはそれ以上の力を持っているというなら、どう考えても百合香には絶望しかなさそうだった。

「ソフトボールのルールは知っているな」

「も…もちろんよ」

「さっきの約束だ。私はいま、お前に勝負で勝った。言う事は聞いてもらう」

 そう言って、氷のバットを百合香に押し付ける。百合香は、しぶしぶそれを受け取ろうとした手を止め、次のように言った。

「打球を打てればいいんでしょ。これをバットとして使わせて。炎の技を発したりだとかの反則はしない、約束する。いざという時に武器がないのは、ごめんだわ」

 そう言って、百合香はアグニシオンの側面をサーベラスに示した。サーベラスは頷く。

「ほう。いいだろう。試合開始だ。私のチームが先攻とさせてもらう」

 

 

 ご丁寧に、グラウンドにはベンチまで用意してあった。徹底的に模倣しているらしい。そして、百合香はひとつ気付いた事があった。

「このベンチのデザイン…どこかで見覚えが…」

 そのベンチの脚は、横から見るとアルファベットの「A」が丸くなったようなデザインをしていた。どこかで見た事がある。そして百合香は、ハッと思い出した。

「学校のグラウンドのベンチだ…」

「カントク、打順はどうしますか」

 唐突に、氷の戦士の一人が百合香に訊いてきた。

「は!?カントク!?」

 何なんだ。どうして、ナインの一人が監督なのだ。そう思ったが、9人しかいないので仕方がない。それよりも問題は、他の8人の区別がつかない事だった。同じレーシングスーツで同じヘルメットのレーシングドライバーを区別しろ、と言っているのと同じである。

「……」

 百合香は本気で困っていた。自分はバスケットボール部員である。バスケのポジションを決めろというなら、やってやれない事はない。しかし、野球やソフトボールのポジショニングは完全に専門外だ。同級生の、ソフト部の里中さんならどうするだろう。

 仕方がないので、百合香は「強いバッティングに自信がある人」と訊ねた。すると、二名が手を上げる。他は自信がないのかと内心で憤りながら、「あなた4番、あなた8番ね」と指名した。

 その後も、足に自信がある人、小技が得意な人、などと訊ねて、素人なりにどうにか打順は決める事ができた。ちなみに百合香は1番である。とにかく足で出塁しようという、バスケット選手なりの考えだった。

 

 しかし問題は、何やかんやで百合香が先発投手を務める事になった点である。中継ぎ、抑えは例によって区別がつかない。

 

「……」

『ねえ、百合香』

 久しぶりに瑠魅香が声をかけてきた。

『さっきから、みんなで何を言ってるの?あたし、理解できないんだけど』

「大丈夫。わたしも理解できてない」

『今から何が始まるわけ?』

「試合」

『誰と誰の?』

「チームとチームの!」

 若干キレ気味に百合香が立ち上がる。

「やるからには勝ちにいくよ!!!」

 おー、と氷の戦士ならぬ選手たちが応える。瑠魅香はその様子を見て、素っ気なく言った。

『よくわかんないけど、頑張ってね』

 

 

 そんなこんなで、プレイボールである。百合香は、いつ以来なのかわからない、ピッチャーマウンドに立った。比較的体格のいい戦士が、キャッチャーを務めてくれている。

 

 百合香は、改めて困惑した。なぜ、氷の戦士たちがソフトボールに興じているのか。その時思い出したのは、ガドリエルから説明された、氷巌城は人間の世界を「模倣」して生まれる、という事実だった。

 そして、なぜ彼らは「野球」ではなく「ソフトボール」を選択したのか。

 

 その時、百合香に電流が走った。

 

 ガドリエル学園には、ソフトボール部はあっても野球部はない。

 つまり、この城はガドリエル学園がベースになって誕生したのではないのか?

 

 

 百合香が疑問を持つ間もなく、試合は始まった。いちおう、審判役はいるらしい。

 

 実はこの時点ですでに、百合香はひとつの大ピンチを迎えていた。

「投げ方、スリングショットしか知らないんだけど」

 ブツブツ言いながら、とりあえず様子見に第一球を投げる。バッターは中途半端にスイングし、なんとか無難に1ストライクを取った。

「こんなもんか」

 どうも、バスケットで慣れた身に、ソフトボールのリズム感は慣れない。

 

 ストライク。ストライク。三振、バッターアウト。

 

 なんだか気の抜ける出だしである。しかし、ここで「なんだ、意外に行けるじゃん」と油断する百合香ではない。種目は違えど、スポーツ選手である。油断が命取りになる事は知っていた。

 

 その予感は的中した。相手の2番打者が予想外に強打者で、レフトの上手いポイントに見事に流し打ちを決められてしまい、結局二塁への出塁を許してしまった。

「あちゃー」

 百合香は天を仰ぐ。だから私にピッチングなんて無理なんだ、と頭の中でぼやいた。ウインドミルという投法は知っているが、投げ方は知らない。

 そう思っていると、まったく意外な人物が百合香に声をかけた。

『百合香。わたし、その投げ方知ってるよ。いま、頭の中で思い浮かべたでしょ』

「は!?」

 突然の瑠魅香の申し出に、百合香はマウンドのど真ん中で一人で驚いた。

「たっ…タイム!」

 

 百合香は、瑠魅香に確認する。

「あんた、この場面で冗談言ってるんじゃないでしょうね」

『冗談なんて言ってない。あたし、学校の窓から、今やってるこのゲームの練習見てたもん。ルールとかは全然知らないけど、投げたり打ったりの動作だけは、面白くてよく見てた』

「そうなの!?」

 つまり、ガドリエル学園ソフトボール部の練習風景を、瑠魅香は見ていたということだ。

「じゃっ、じゃあ…」

『あー、待って。見てたからって、投げられるわけじゃないよ。百合香みたいに、肉体を自在に操る事は私にはできない』

 わかってはいた事だが、百合香は肩を落とす。しかし、と瑠魅香は言った。

『だからさ。私の見てた投げる動きを、あなたに伝える。感覚として。あなたは、その感覚のままに動けばいい』

「そ…そんなこと、出来るの?」

『やってみようよ』

 

 瑠魅香の何の根拠もない提案を信じて、百合香は再びマウンドに立つ。相手の3番バッターも、似たような個体だった。彼らどうしは区別がついているのだろうか。

 百合香が氷のボールを構えると、頭の中で瑠魅香が言った。

『私が、学校で観察してたピッチャーの動きのイメージを送る。それに倣って、投げて』

「…いいわ。やって」

『いくよ』

 百合香の感覚に、瑠魅香の感覚が重ねられる。二人の間に、垣根がなくなった。

 その時感じた感覚に、百合香は目を瞠った。瑠魅香の思考が、自分の手に取るように伝わってくるのだ。いま、自分はソフトボール部員の動きを、細胞のレベルで理解していた。

「これ…」

『いける?』

「やってみる!」

 

 百合香は、まるでそれを以前から知っていたかのように、しなやかに右腕を一回転させてボールを放った。さっきの素人投球とは、まるで違う。無理のない自然体なフォームから、驚くほどの速球が繰り出され、バッターのスイングを完全に制したのだった。

 

「ストラィーク!!」

 

 氷の審判の声が響く。百合香の突然変わった投球に、ベンチのサーベラスが立ち上がって驚いていた。

 

「すごいよ、瑠魅香!いける!」

『へへー、お役に立てた?』

「いけるいける!よーし、この調子で1回の表は片付けてしまおう」

 

 百合香は力強く微笑んだ。

 油断大敵、という言葉を百合香が忘れていた場面があったとすれば、この時であった。



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逆転

 瑠魅香の機転でウインドミル投法を体験した百合香は、持ち前の運動神経と学習能力で、すでに瑠魅香のサポートなしで投げられるようになってしまった。第2球も順調にストライクを取る。まだゲームは一回の表である。

 

 相手のベンチでは、サーベラスが百合香の投球を見守っていた。百合香の剣を受け止めた肩をガッシリと掴み、首をゴキゴキと鳴らす。人間の骨格には医学的に良くない行為だが、氷の戦士には関係ないのだろうか。

 

 百合香は後ろの二塁走者を気にしつつ、相手の3番バッターへの第3球のフォームを整える。これでダブルプレー、スリーアウトに持ち込みたいところだった。

 

 ピッチャー投げた。

 

 さあストライク、そして三塁に送球して、というイメージを百合香が思い描いた、次の瞬間だった。

 

 カーン、と小気味よい音がして、百合香の投げたウインドミルは容易く相手のバットにすくわれ、センター前ヒットを打たれたのだった。

 百合香は慌てて指示を飛ばす。

「三塁!!」

 味方のセンターはバウンドしたボールをかろうじて補給し、なんとかセカンドランナーはアウトにできたものの、予想外に俊足の3番バッターがその間に結局二塁まで進出してしまう。ツーアウト二塁、微妙な状況になった。

 

「こっちがミスれば点を取られる」

 もう、城攻略の使命を忘れて勝負に没頭しかけている百合香である。戦いの星座である牡羊座の百合香は、おとなしそうな外見に反して根っから勝負ごとが好きなのだ。

 

 さあ、相手の4番打者はどいつだ、と百合香が思っていると、バッターボックスに立っていたのは、なんとサーベラスだった。

「自分で4番やるかな」

 自信があるという事か。バットを構えるサーベラスは勇壮に見える。

 

 百合香は、誰ともなく頷いて腕を回転させ、第一球を投げた。

 

 すると。

 

 カ―――ン、と甲高い音がして、打球は悠々と右中間を突き抜けて行った。まずい。

 予想は当たり、捕球と送球に時間を取られる間に、俊足の二塁走者はホームイン。その後どうにかサーベラスからはアウトを取り、一点を先取されて一回オモテは終了した。ただしサーベラスは驚くほど速く、コンマ1秒遅れていれば3塁への出塁を許していた。

 

 アウトになったサーベラスは、役割は果たしたとばかりに堂々とベンチに戻る。その姿に百合香は少し気圧された。

 

 ベンチに戻った百合香はメンバーに謝罪する。

「ごめん。抑えられなかった」

「まだ、たった一点です。取り返しましょう」

 氷の戦士が百合香を励ます。

「うん」

 そう答えて、自分は今何をやっているのだろう、と百合香は本気で思った。倒すべき相手たちと、なぜかチームを組んでソフトボール対決をしている。

 

 いよいよ、百合香チームの攻撃である。相手ピッチャーもやはり、他の個体と区別がつかない。ちなみに百合香だけは、わざわざサーベラスが氷のヘルメットを用意してくれた。といっても氷の戦士たちが着用している、要するに兜である。

 

 その時百合香は、妙な事に気が付いた。

「溶けてない」

 今まで、敵の武器を奪おうとしても、手にしたとたんに溶けだして使えなかったのに、今はバットもボールもそのまま使える。

「どういう事だろう」

『さあね』

 瑠魅香の返事は素っ気ない。

『バッティングは大丈夫なの?』

「ピッチングよりは自信ある」

 バスケット仕込みの動体視力で、選球眼には長けている。体育の授業で、忙しい教師が事務処理時間の確保のために勝手にソフトボールをやらせてくれる時なども、百合香はバッティング要員と見做されていた。

 

 その宣言どおり、百合香は最初の打席で、無難にレフト前にヒットを飛ばして、とりあえず二塁まで出た。さっきやられたプレーのお返しである。

「なかなか脚は早いようだな」

 相手ベンチでサーベラスが唸る。

 

 続く2番打者は、地味にバントを決めて一塁へ。さらに百合香は三塁まで出ることができた。

「おー、順調順調」

 つい百合香も気が緩む。そこへ瑠魅香がツッコミを入れた。

『油断してると足元すくわれるよ』

「今どういう試合状況かわかってる?」

 百合香は、氷のプレートに魔法のような文字が浮き出たスコアボードを示す。下段、百合香チームは無得点で、サーベラスチームが一点である。

『うん。自慢じゃないけど全然わからない』

「簡単に言うと、負けている」

『だめじゃん?』

「だから、これから取り返す」

 百合香は打席を見る。3番は、自称・打率高めという氷の戦士を配置した。本当かどうかは、これからわかる。

 

 その、自称打率高めの戦士は、言ったとおりセカンド方向の絶妙な空間に、高速ライナーを放ってみせた。

「やった!」

 百合香はホームに向けてダッシュする。

 

 しかし、あと少しでホームインというところで、ホームにボールが戻ってきてアウトを取られたのだった。

「えっ!?」

 百合香は驚いて状況を確認する。

 なんと、高速ライナーをセカンドのサーベラスがありえないスピードで落球前にキャッチし、ありえない速球でホームに投げ、打者と百合香は瞬時にアウトにされたのだ。

「うそでしょ」

 百合香はぼやく。しかし、相手は人間ではない。メジャーリーガー以上の身体能力を持っているのだ。

 

 だが、氷巌城の幹部がそこまでの身体能力を持っているのは理解できるものの、どうしてソフトボールをやるのか、という疑問はあった。

 

 それでもなんとか一塁走者は地道に二塁へ進む事ができた。百合香はベンチから指示をとばす。

「サーベラスがいる所には打たないで!!!」

 もはやワンアウトでチェンジであり、力強いまでに後ろ向きな指示だった。

 だが、そこまで言って百合香は少し考えたあと、4番バッターに対してもう一言付け加えた。

 

「一発ホームラン出れば逆転だよ!!」

 

 そんなのはわかり切った話である。ロングシュートが決まれば、ホールインワンできれば、19台まとめてオーバーテイクできれば。それができれば苦労はない。

 だが、頼もしいと思われる、そうであってほしい百合香チームの4番バッターは、無言で百合香に頷いた。

 

 まさか、やれるとでも言うのか。

 

 全員が固唾をのんで見守る打席で、その音は真っ白なグラウンドに響きわたった。

 味方チームの歓声と、相手チームの悲鳴が交じる。名前がわからないし他と区別もつかない4番バッターは、相手から見事にホームランを奪ったのだ。

「ぅやった―――!!」

 喜びのあまり変な声が出る百合香だった。

 

 マウンドではピッチャーとサーベラスが何か話している。戻ってきた4番を、百合香はハイタッチで迎えた。得点は2点が加算され、ツーアウトでランナー無しの戦況である。できればここであと1点、リードを拡げておきたい。

 

 そこまで考えて、百合香は今、得点以上にとてつもない逆転現象が起きていることに気付いた。

 

 百合香は今、この氷の闘士たちを完全に仲間だと認識している。アウトを取られれば一緒に気落ちし、ヒットが出れば一緒に喜ぶ。そんなこと、有り得るのだろうか。彼らは、百合香たちの世界を滅茶苦茶にした氷巌城の兵士である。一瞬、百合香は自分が許せないような感覚に襲われた。

 今すぐ聖剣アグニシオンをフルパワーで振り回して、全員をスクラップにしたのち、サーベラスに改めて再戦を挑むべきなのではないのか。

 

 だが、地下の闘技場でも感じた事だが、どうしてもこの氷の戦士たちに、心の底からの敵意を感じる事ができないのだった。

 困惑する百合香に声をかけたのは、瑠魅香だった。

『なんか迷ってる?』

「…うん」

『わからないでもない』

 百合香は、まだ説明していない事について意見を言う瑠魅香に軽く驚いていた。

「わたしが言いたい事、わかるの?」

『感覚的なものだけどね。どうして、彼らと自分が仲良くできてるのか、って思ってるんでしょ』

「…うん」

 やや気弱に百合香は答える。

「瑠魅香はわかる?」

『わかんないよ』

 あっさりと、瑠魅香はそう言った。

『百合香、私の事、今でも氷魔だって思ってる?』

「え?」

『どうなの』

 瑠魅香の問いに、百合香は少し考えてから言った。

「…氷魔なんだろうとは思ってる」

『ふうん』

「でも、もう友達だと思ってる」

『それと同じ事じゃん』

「!」

 

 その、単純な結論に、百合香は雷にでも撃たれたような思いがした。

 

 そもそも、「敵」とか「味方」なんていう区別は、どこでつけるのだ。それを区別するための測定器、判定機でもあるのか。

『もし、氷魔だから倒さないといけないっていうなら、私は今すぐ百合香に刺されないといけないよね』

「それは…」

『あの探偵猫たちだってそうだよ。それから、地下で会った、あの戦斧の闘士。一括りに倒さなきゃ、殺さなきゃいけないっていうなら、もうあたし達、一緒にいられないよね』

 

 もう、百合香には返せる言葉がなかった。

 

 相手の話が終わったらしく、ゲームが再開されたため、百合香の思考はいったん保留になった。相手ピッチャーに変更はない。だが、何かが違う。ベンチから見ている百合香は、それが何なのかわからなかった。

 プレイボール。相手ピッチャーが、特に変わらないウインドミルのフォームを取る。

 

 しかし、その瞬間に百合香は気付いた。握りが違う。中指と薬指を折って、人差し指と小指で挟むような握りである。専門知識がないので名称がわからないが、それが何なのかはわかった。

 

「変化球だ!!」

 百合香が注意を促す時間はすでになかった。相手の手から離れたボールは、球速こそ若干スローになったものの、左右に奇妙にブレたあと、手前で下にグーンと落ちた。いわゆるナックルボールである。

「…うそでしょ」

 

 あっという間に百合香チームのバッターは、手も足も出ず三振を取られ、1回は終了となった。まさか、氷のソフト選手が変化球まで身につけているとは、予想もしていなかった。

「瑠魅香!あれ、今の投げ方、さっきのやつで私に送れる?」

『無理。何やってるか、さっぱり理解できない』

「あー」

 百合香はグラブで顔を覆ってうなだれた。何でもかんでもイメージ転送できるわけではないらしい。

「地道にやるしかないか」

 

 それでも百合香は、どうにかその回オモテを無得点に抑える事には成功した。やはり、相手チームで最大限警戒すべきはサーベラスらしかった。

 そして次の回が始まる前、百合香は大声でサーベラスに確認を取った。

「ねえ!!攻撃中に、手が空いてる選手の投球練習ってOKなの!?」

 サーベラスは軽く首をひねって、野太い声でごく短く返してきた。

「許可する!好きにしろ!!」

「ありがとー!!」

「ふん」

 そう言って、サーベラスは左肩のあたりをトントンと叩いていた。

 

「任せたよ!」

 という、指示としては大雑把すぎる指示を出して、百合香は投球練習に励む。

「こういう握りでいいのかな」

 見よう見まねで、百合香はナックルボールの握りを再現して投げてみる。しかし、ボールは変な方向に飛んで行ってしまった。

「うー」

 上手くいかない。初めての事であり、それも当たり前の話である。

 そこへ、中継ぎの戦士がやって来た。

「カントク、俺に投げさせてください」

「え?」

「ナックルなら俺もできます」

 そう言われて、百合香はすっかり中継ぎと抑えの存在を忘れていた。

「あ…」

「カントクは俺たちの中で、脚が一番速いでしょう。俺は脚は遅いですが、投げるのは得意です。それに、カントクは1番打者でしょう」

 そう言われて、百合香はバスケットボールのポジションにもそれぞれ役割がある事を、いまさら思い返していた。百合香は基本的にはオールラウンダーで、どのポジションでもできる。だが、最も任される事が多いのはシューティングガードと、それを兼ねる事もあるスモールフォワードだった。

 

 人にはそれぞれ役割がある。

 

 瑠魅香もそうだ。百合香が苦手とするような敵とのバトルを、これまで何度か魔法の力でサポートしてくれた。あの探偵猫たちは、戦う力はないが、百合香の道案内をしてくれた。そしてガドリエルは、身体を休める場所を提供してくれている。

 

 城に入った瞬間から「一人でやるんだ」と気負っていた百合香は、気付いたら仲間が現れていた事と、仲間がいなければ、すでにどこかで死んでいたかも知れない事を、白いグラウンドの上で実感していた。

 

「わかった」

 百合香は、戦士の肩をポンと叩く。

「次のイニングで投手交代よ」

「はい!」

 まるで人間だな、と百合香は思った。

 

 

 その間、すでに百合香のチームからはツーアウトが出ており、一塁にのみ走者という、またしても厄介な状況に追い込まれていた。そういう状況で、素人采配で強打者(自称)を配置した8番の打順である。

 だが、それを知っているのか、相手チームでは投手交代があった。サーベラスである。

「出たがりなの?あいつ!」

 百合香は、のしのしとマウンドに上がるサーベラスを睨む。サーベラスはどっしりと構えて、フォームを取った。だが、それは腕を大きく後ろに引く、意外なフォームであった。

「スリングショット?」

 なぜ、球速の出ないスリングショットを、と百合香は訝しむ。

 

 だが、その理由はすぐにわかった。

「バッターアウト!チェンジ!」

 あっけなく、8番バッターは撃沈した。あまり考えず振るタイプらしく、慣れている好球しか打てないのだ。それに対してサーベラスはスリングショット、つまり相手が慣れていない球を投げたのである。

 

 

 相手は強い。1点リードの状態で、百合香は焦っていた。ソフトボールは7回までである。残り5回、一点差を維持できるかどうかはわからない。真っ白なダイヤモンドの上で、奇妙な試合が続いていった。

 

 

 3回表は交代した中継ぎの好投で、なんとか1失点に留める事ができた。百合香は労う。

「お疲れ様!よかったわ」

「すみません、1点取られてしまいました」

「気にしない!さあ、私たちの攻撃よ!」

 百合香チームは勇んで、それぞれ調整に入る。

 

 サーベラスは3回に入ると、スリングショットから通常のウインドミルに切り替えて速球で攻撃してきた。百合香チームの9番バッターは、それをバントで片付けて出塁するという小技を見せつける。

 

 ノーアウト1塁の状況で、打席は一巡して百合香に戻ってきた。ついにサーベラス対百合香である。他の選手たちからも、どよめきが聞こえた。

 サーベラスは無言で百合香を見る。百合香もまた、無言でバットがわりの聖剣アグニシオンを構えた。

 

 緊迫する中、サーベラスの第1球が放たれる。凄まじいストレートで、百合香は捉える事ができなかった。

「ストライーク!」

 速い。打てるだろうか、と百合香は思う。

 だが、自分だってバスケットのエースだ。球速は覚えた。

 

 第二球、サーベラスは投げた。またも、一切の誤魔化しがないストレートの速球である。

 百合香は、身体で覚えたタイミングで剣を振る。すると、わずかにボールを剣がかすめた。

「ファウル!」

 ボールは大きく外れた方向に飛んでいき、ヒットにはならなかった。それでも、サーベラスの球にわずかでも「当てた」事で、またしてもどよめきが起きていた。

 

 サーベラスに人間のような瞳はない。しかし、百合香をじっと見ているのはわかった。二人の視線の間に、火花が飛び散るのがお互いに見える。百合香は、この相手は自分と同類だと悟った。戦う事に喜びを見出すタイプだ。

 百合香はすでに、スリーストライクに追い込まれている。次で決まるかも知れない。勝負だ、と二人が思った、その時だった。

 

 サーベラスの、百合香に剣で打たれた肩に、黄金の輝きとともに深い亀裂が走った。



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勝利者

 真っ白な氷のグラウンドが静まり返る。

 

 サーベラスの左肩、人間でいうと肩甲骨のど真ん中から大胸筋の中央にかけて深い亀裂が走り、その断面からは黄金のエネルギーが燃え盛っていた。

 

「ま…まさか」

 

 百合香は、手にした聖剣アグニシオンを見る。その亀裂の位置は、試合前に百合香が思い切り剣を叩き込んだ箇所だったのだ。

 

「サーベラス、まさかあなた…今まで本当は、そのダメージを隠して試合をしていたの!?」

「ふ…」

 サーベラスは不敵に笑う。

「お前の言うとおりだ」

 そう言って手を亀裂にかざすと、再び亀裂は一時的に覆い隠されてしまった。

「あのとき、お前の一撃で俺の左肩は粉砕されていたのだ。俺は魔力でそれを隠していたにすぎん」

「な…」

「よもや、ユリカ。お前の力がこれほどのものだとは、思っていなかった。しょせん地底の雑魚どもを倒した程度で、俺に敵う筈はないとな。敵を侮っていたのは、俺の方だ」

「あなたは、一体…」

 百合香は、サーベラスのその精神力に感服すると同時に、やはり不可解な気持ちを隠す事ができなかった。

 

「百合香。ソフトボールの試合は7回までだな」

「そ…そうよ」

 

「俺のこの肩では、もうゲームは続行できそうにない。この最後の一球だけ、勝負してくれ。それで、決着としよう」

 

 サーベラスは、その握ったボールに、青白い凍気のエネルギーを込めた。その余波が、周囲に一陣の風を巻き起こす。

 

 百合香は無言でうなずいて、聖剣アグニシオンに黄金の、炎のエネルギーを漲らせる。その熱風が、サーベラスのエネルギーと干渉して、グラウンド全体に熱風と寒風の渦を形成した。

 

 全ての戦士たちが息を呑んで見守る中、サーベラスの右腕が、勢いよく一回転する。蒼いレーザーのような速球が、百合香のストライクゾーンど真ん中めがけて直進した。

 

「うりゃあああああ――――――!!!!」

 

 一瞬だった。

 

 百合香はアグニシオンを天高く振り抜いた。その軌跡は不死鳥の翼のような炎の弧を描き、清澄極まる打音が響いた次の瞬間にサーベラスの背後、巨大なグラウンドの高い壁にボールが突き刺さった。

 

 さながら尾を引く彗星のようなホームランボールは、壁に突き刺さると百合香の炎のエネルギーと激しく反応し、壁に巨大な亀裂を形成した。

 

 百合香は、静まり返った氷のダイヤモンドを一人駆け抜け、サーベラスが見守る中でホームインする。

 

「ゲームセット!勝利、百合香チーム!!」

 

 真っ白な氷のグラウンドに、敵味方入り乱れた歓声が湧く。

 百合香は、こんな冷たい氷の城で、忘れていた勝利の感覚を取り戻したことに、驚き、かつ感動して涙を流していた。 

 

 サーベラスがゆっくりと歩み寄る。

「見事だった」

 そう言って、握手を求める。

「人間たちは、認めあった相手とこのような儀式を行うのだろう?」

「…ええ」

 涙を拭ったその手で、百合香はサーベラスの硬い手を握り返す。

「教えて、サーベラス。あなたは、ひょっとしてこの城の消滅を願っているの?」

「俺には答えられん」

 サーベラスにしては、歯切れの悪い返答である。

「だが、わからなくなったのだ。俺は戦士だ。戦う事に存在意義を感じる」

「……」

「だから疑問を持った。他者の存在、生きようとする意志を否定する戦いに、はたして価値があるのか、とな。そこにユリカ、お前が現れた。人間なのかは判明していなかったが、俺は人間であってほしいと願っていた」

 そのサーベラスの言葉に、百合香はつい笑みがこぼれた。

「あなたの方が人間みたいだわ」

「そう思うか」

 少し真剣な調子でサーベラスは言った。再び、肩に亀裂が走る。

「ユリカ。ひょっとしたら、これまでの戦いの中で、人類、いや地上の生命への侵略に、否定的な氷魔と出会ったのではないか」

「!」

 百合香は、驚いてサーベラスを見た。

「名前などは言わんでいい。そういう連中がいる事は知っている」

 百合香の頭の中で、まさに該当者の一人である瑠魅香はそれを無言で聞いていた。

 

「教えて、サーベラス。この城を、消滅させる方法はあるの?」

 その問いかけに、サーベラスはやや長く沈黙したのち答えた。

「通常であれば」

 そう強調したのち、話を続ける。

「この城を生み出した城主を倒すことで、城の礎となる思念の力が消え失せ、城は消滅する」

「やっぱり、ラハヴェを倒すしかないって事か」

「だが、ユリカ」

 サーベラスは百合香の目を見て言った。

「何かがおかしい」

「…おかしいって、なにが?」

「俺たちだ」

 そう言って、サーベラスは周りにいる部下の戦士たちを見回す。

「過去、幾度となくこの氷巌城は、その時代を鏡としてこの世界に出現した。それは知っているな」

 こくりと百合香は頷いた。

「だが、今の俺たちのように、これほど人間に近い意志を持った個体が出現したのは、おそらく氷巌城の歴史において、初めてのことだろう」

「そうなの?」

 百合香は驚いて訊ねた。頭の中で、瑠魅香も驚いているのがわかる。

「そうだ。基本的に俺たちは、この城の忠実な配下として生み出される。前回…おまえ達の時間の尺度で、どれくらい昔なのかは知らんが、以前の俺はこのような感情を有してはいなかった。ないわけではないが、もっと冷たい、機械的な心しかなかった。こいつらも同じだ」

「今回が特別っていうこと?」

「俺は戦士だ、そこまで細かい事はわからん。だが、何かがおかしいという事はわかる」

 

 百合香はなんとなく、サーベラスが「試合」にこだわった理由がわかったような気がした。

「ねえ、教えて。どうして、氷の戦士がこんなに、ソフトボールに熱中しているの?」

「わからない。ただ、いつものようにこの氷の城で、氷の身体を持って目覚めた時、俺たちの中に誰かの「記憶」が流れ込んできたんだ。それまで、ソフトボールなどという競技は、当たり前だが知らなかった」

「それって…」

 百合香は、自分の推測がいよいよ正しかったのではないか、と思い始めた。その記憶というのは、ガドリエル学園のソフトボール部員たちの記憶なのではないか。それが、どういう理由でかサーベラス達に強く影響を及ぼし、「氷のソフトボール部」が結成されたのだ。

「それは、ただの記憶ではなかった。球を投げて打つという行為に、全てを懸ける精神だ。それが、俺は気に入った。だが、その正体が何なのか、わからなかった」

「あなたは、その答えが知りたかったのね。だから、私にわざわざソフトボールの試合なんていう、回りくどい事を持ちかけたんだわ。人間である私と、接触するために」

「そうだ」

 苦笑しながらサーベラスは、地面にどっしりと腰を下ろした。

「だが、それだけではない。お前にも何かを感じ取って欲しかったのだ。心を持った氷魔との戦いの中でな」

「…あなたは、この先に進むには試合に勝たなくては、と言ったわ。つまり、この先も、心を持った氷魔たちとの戦いになる、と言いたいの?」

「そのとおりだ」

 だが、とサーベラスは言った。

「人間のお前に言うまでもない事だろうが、心とは複雑なものだ。自分で心を有して、それが理解できた」

「……」

「お前のように、真っ直ぐな心の持ち主もいれば、邪悪な心の持ち主もいよう。今、そんな禍々しい"気"が、この城に満ちている」

「禍々しいって…本来、氷巌城はそういう性質のものなのではないの?」

「違う」

 サーベラスはハッキリと言い切った。

 

「氷巌城は、ある意味では自然の理として誕生するのだ。世界には常に"否定の意志"とでも言うべき思念が存在している。存在するものを否定する意志だ。おまえ達、人間にもそんな奴らがいるのではないか」

 

 百合香は、まさかここで人間論じみた会話をする事になるとは考えてもみなかった。

「氷魔とは、その理に沿った存在だ。在るものを否定し、凍てつかせ、死に追いやる。それは、悪意をもって行われるというよりは、"否定の本能"に基づいて行われるという方が正しい」

「…理解できないわ」

 思ったままを百合香は言った。

「本能だろうと何だろうと、私達は、私達を絶えさせようとする存在を、そのまま受け容れるわけにはいかない。本能というなら、私達にだって生存の本能がある」

 サーベラスは、黙って聞いていた。

「冷酷な言い方に聞こえるでしょうけど、私はこの城を消さなくてはならない」

「そうだ。お前はそれでいい、ユリカ」

「でも、その時、あなた達はどうなるの」

 訊きたかったことを百合香は訊ねる。サーベラスは答えた。

「あなた達も、消えてしまう事になる。それでいいの?」

「俺たちに、厳密な意味では"死"は存在しない。それはお前達も同じ事なのだが、ここでそれについては言うまい」

「…どういう意味?」

「城が消えれば俺たちも消え去る。だが、そもそも俺たちは、お前達が言うところの"精霊"のような存在なのだ。つまり、元の姿に戻るに過ぎん」

「では、私が城を消し去っても、構わないのね」

 それを聞いたサーベラスは、大きな声で笑った。

 

「ははは!この城を落とせるつもりでいるとはな」

 

「な…なによ!最初からそう言ってるでしょ!!」

 いきなり頭から小馬鹿にされた気がして、百合香は憤りを隠さない。

「いや、すまん。最初は俺も、不可能だろうと思っていた。しかし、俺にここまでの深手を、無防備の状態であれ負わせてみせたのだ」

「見込みあり?」

「見込み"だけ"はある」

 言い含めるようにサーベラスは言った。

「俺は決して、他の氷騎士どもに引けを取るつもりはない。パワーだけならトップクラスだという自負はある」

「そうなの?」

「そうだ。だが、戦いはそう単純なものではない。俺の半分の力の奴が、三騎で一斉にかかってくれば、どうなる。俺の三分の一の力で、六倍素早く動ける奴がいたら、どうする」

「うっ」

 百合香は、どこかで誰かに言われたような話に身震いした。

「それに、上の層に行けば、けったいな技を使う不気味な奴らもいる。氷の城と言っても、そう一筋縄に行くわけではない事は、心しておけ」

 

 サーベラスの言葉は、十分すぎるほど百合香の背筋を緊張させた。このサーベラスからして、あの一撃を受けて深手を負っているにもかかわらず、あれだけ俊敏に動き回っていたのだ。もし、本気で戦っていれば、百合香は手も足も出なかったかも知れない。

 百合香が慄くさまを見て、サーベラスはまたも小さく笑った。

「いまさら恐れてもどうにもなるまい。それよりも、このサーベラスにこれだけ深手を負わせたという自信をお前は持つべきだ」

「…それは、あなたがわざと受けたから」

「ばかめ。このサーベラスの身体は、それほどヤワなものではない。俺の装甲を砕けたのなら、理屈でいえば他の奴らも砕けるということだ」

「いいの?信じるわよ」

 真顔で百合香は確認を取る。なにしろ、こちらは生命がかかっているのだ。いざ、相手にしてみたらカスリ傷ひとつ負わせられない、などという事態は困る。すると、サーベラスはまた大声で笑った。

「俺は嘘などつけるほど賢くない」

 そう言うと、立ち上がって他の戦士たちを呼び寄せる。戦士たちはサーベラスの両脇に立つと、百合香に敬礼のような姿勢を取った。

「俺は勝負に負けた。さあ、先に進むがいい」

 サーベラスは、グラウンドの奥に見える門を示す。

「いいの?裏切るような真似をして」

 やや心配ぎみに百合香は訊ねる。

「俺のことなど心配するな。俺は負けたから通過された。嘘は言っておらん」

「そういう問題じゃなくて」

「馬鹿にするなよ。俺を処罰しにくる奴がいたら、返り討ちにしてくれる」

 そう言って、氷のバットを構えてみせる。まさか、本当にあれが武器なのだろうか。傍目には暴動を起こしているようにしか見えない。

「さあ、行け。また会おう」

 今度こそお別れだ、という口調でサーベラスは言った。

 

「…わかった」

 百合香は、落ちている氷のボールを持ち上げた。

「これは、貰っていくね」

「好きにしろ」

 百合香の手の上で、氷のボールは光の粒子になり、左腕に吸い込まれるように消えて行った。

「さよなら、みんな。また会おうね」

 百合香は、氷のソフトボール選手たちと向き合う。氷のグラウンドに、全員の声が高らかに響いた。

 

「「ありがとうございました!!!」」

 

 

 

 

 再び真っ白な通路を、百合香は歩いていた。

『百合香。さっきから泣きっぱなしだよ。前が見えない』

「うるさいわね」

 手のひらで百合香は涙を拭う。

『でもまあ、楽しかったね』

「…そうね」

 百合香は、そう認めざるを得なかった。本当に楽しかったのだ。

「疲れたわ」

『代わろうか』

 百合香の答えを聞く間もなく、瑠魅香は精神を交替して表に出てきた。紫のへそ出しドレスをまとった魔女が現れる。

「おー、久しぶりの感覚。やだ、だいぶ臭ってるよ」

『女の子の身体に臭ってるとか言わないの!』

「元気そうだね」

 そう言って、瑠魅香は杖を軽く振ると、冷気の粒子を辺りに撒き散らした。

 すると、だいぶ通り過ぎた場所に、氷魔エネルギーの"裂け目"を発見したのだった。

「あぶない、通り過ぎるとこだった。百合香、あったよ。例の部屋の入口」

『!』

 だいぶ食い気味のタイミングで、再び百合香は表に出てきた。剣を構えると、空間の裂け目にエネルギーを飛ばす。

 

 

 白い光がおさまると、そこはものすごく久々に思える、癒しの間だった。

「あー、シャワー浴びて寝よう」

『ストップ。また、ガドリエルに話を聞くタイミングなくなるよ』

「あー」

 心の底から面倒くさそうな声を百合香が出したので、半透明状態の瑠魅香はため息をついて言った。

『わかった。あなた大変だったものね。いいわよ、私が訊きたいこと訊いておいてあげる』

「…頼みます」

 

 夢遊病者のように、百合香は鎧を着たまま脱衣所に入って、そのままシャワールームに入りかけて我に返った。

「…疲れてるな」

 鎧姿を解除して、制服姿になる。よく見ると、脱衣所の脇の棚にはバスローブが畳んであった。

「…やっぱりホテルだわ」

 

 

 百合香が擦りガラスのシャワールームにいる間、向こうから瑠魅香とガドリエルの話し声が聞こえてくる。どうやら、今日は現れてくれたようだ。

 この城にいると、一日という感覚がなくなる。今日、とはいったいいつの今日なのか。身体を流れ落ちる温水を見ながら、百合香は思った。

 

 フカフカのバスローブを巻いてリビングルームに戻ると、瑠魅香が何か四角い箱の前にしゃがんでいた。

「なあに?それ」

 近付くと、何か既視感のある、ドアつきの箱だった。

「…まさか」

 ゆっくりとドアを開ける。すると中から、冷気がふわっと漂ってきた。中には棚や仕切りがあり、飲み物の瓶が冷えていた。

「冷蔵庫だ!」

 百合香の目が輝いた。久しく触れていない、生活家電である。そして、中には見慣れた青いラベルのボトルがあった。

「ポカリだ!」

『あっ、この間言ってたやつ!?』

「そう!」

 単なる女子高生に戻った百合香は、喜んでそのキャップを開ける。しかしボトルはガラスであった。

 冷えたスポーツドリンクを、百合香は一気に流し込む。久しぶりの味が喉に染み渡った。その感覚に、また少し涙が出てきた。何でもないスポーツドリンクも、一度失われてみると大切なものなのだ。

「あー、美味しい」

『私も!』

「あ、そうだったね。代わるわ」

 百合香はボトルを置いて身体を交替する。今度は、バスローブのままの瑠魅香になった。だんだん、交替のしかたが自由自在になってきている。

 

 瑠魅香は、百合香がポカリと呼んでいるそのドリンクの匂いを嗅いで、少し口に含むと、一気に流し込んだ。ごくりと飲み込むと、神妙な顔をして黙りこくる。

『お味は』

「うん。百合香の手のひらの味がする」

『あっそ』

「美味しい」

 ちょっと待て。

「ふうん、これが人間の味覚なんだ」

『やや特殊な部類の味だけどね』

 そう言って何気なく、百合香はボトルのラベルを見る。馴染みのある書体で、「ポカリスピリット」と書いてあった。

『惜しいんだよなあ』



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 「ポカリスピリット」なる謎のスポーツドリンクを飲みながら、瑠魅香は百合香に女神ガドリエルから訊いた話を伝えた。

「あたし、ストレートに訊いたんだ。どうして女神様なのに、この城について知らない事が多いんだ、って。そしたら」

『うん』

 精神体、半透明の百合香が身を乗り出す。

「なんと、あの女神様自身が、自分が誰なのか完全にわかってないんですと」

『はあ!?』

 百合香は泉を見る。ガドリエルの姿はない。瑠魅香は続けた。

「うん。氷巌城とか氷魔と事実上「敵対」する存在である事とか、その対抗手段が百合香の持ってる聖剣アグニシオンである事とか、氷魔がどういう存在であるのかとか、そういう”情報”は知ってるんだけど」

『…それを知っている理由がわからないってこと?』

「ざっくり言うと、そういう事だね」

『どうしてそんな事になるんだろう』

 半透明百合香は、ベッドに身を投げ出した。だんだん、半透明生活にも慣れて来た感がある。

「それこそ、あたしらにはわかりようがない」

『そうだね』

「氷魔皇帝ラハヴェについても、何も知らないみたい」

『私達と同じじゃない』

 百合香は上半身を起こして、困惑するように下を向いた。

『…色々私に説明する過程で、”まだそれは説明できない”とか言ってたのは、知っているけど説明できないんじゃなくて』

「ひょっとしたら、彼女自身が知らない事がある、っていう事なのかも知れない」

 それは、ちょっとした絶望感を百合香にもたらした。いちばん頼りになると思っていた相手が、思っていたほど万能ではない、という事だからだ。そうなると、ここから先は百合香自身が、全てを知らなくてはならない事になる。

 

『どうしよう』

「あー、また弱気になってる」

『弱気にもなるわよ。私、16歳の女子高生なのよ、ただの』

 今まで言葉にしなかった事を、百合香は独白のように呟く。

『…ちょっと特殊な剣は振り回せるけど』

「そうね。せいぜい、小屋みたいなサイズの氷の化け物を一刀両断できるだけの、ただの女子高生でしょ」

『うっ』

 瑠魅香もだんだん、言葉が上手くなってきた。残っていたポカリスピリットを一気に飲み干す。

「ま、何か理由があるんでしょ。あの女神さまに何もかも期待するのも、可哀想かもよ」

『…うん』

「それに、このラブホテルを用意してくれてるだけでも、御の字じゃない。なかったら百合香、いまごろ死んでたと思うよ」

『うん…いや、ラブホテルじゃない!!』

「言ってたじゃん」

『ここはラブホテルか、って言ったの!入った事ないけど!』

「じゃあ、あたしが人間になったら一緒に行こうよ。よく知らないけど」

 半透明百合香は、頭を抱えて寝転んだ。

『わかった、ガドリエルの事はとりあえずいい。…もう疲れたから、まずは眠ろう』

「その姿で?」

『なんか、よくわかんないけど眠くなってきた』

 それは、不思議な感覚だった。肉体から抜け出して五感がないような状態なのだが、なんとなく「眠い」という感覚に百合香は襲われた。

『瑠魅香も、肉体を持って眠るっていう感覚を覚えておいてもいいかもね』

「じゃ、ベッドに入っていいの!?」

『どうぞ。私も隣で寝てるから』

「やった!」

 瑠魅香は、ベッドカバーを手で押してみる。

「…なんか硬くない?」

『それはベッドカバーって言って、寝る時は外すの』

「ふうん」

 丁度いい機会だと思い、百合香はベッドの使い方を瑠魅香に教える事にした。そして、そこでこの部屋のベッドが、ホテル仕様である事に気付いたのだった。

『…やっぱホテルじゃん』

 だんだん口調も瑠魅香に寄って来た百合香である。

 

 

 

 

「サーベラスめ、裏切ったか…まあ奴にそれ以上、何かを画策できるような頭もないが」

 ヒムロデは薄暗い部屋の奥で、立てかけてある鏡を見ながら低い声で呟いた。

「まさかとは思ったが…」

 その鏡には、サーベラスと戦う百合香の姿が映し出されていた。

「次に控える氷騎士は…奴か。奴ならば、しくじる事もあるまい」

 そこまで呟いて、ヒムロデは鏡を見る。静止画のようにぴたりと止まった百合香の握る、聖剣アグニシオンをヒムロデは睨んだ。

「あの娘の持つ剣…あれがもし本物であれば、厄介な事になる。なぜ、あの娘が持っているのか…あの剣を相手にするのであれば、厄介なことになる」

 しばらく無言になったあと、ヒムロデは鏡に背を向け、暗い部屋を静かに立ち去った。

 

 

 

 

 

 百合香は再び、夢を見ていた。

 

 そこは、まるで氷巌城内部のような空間だった。百合香は仰向けに倒れており、腹部には氷の剣が突き刺さっていた。大量の血が床を伝って、黄金の髪を真っ赤に染めている。血はすでに冷えて固まりかけていた。

 百合香の横に、涙を流す赤い髪の女性がいて、手を握っている。何か話しているが、聞こえない。

 

 女性は、百合香が手にしていた黄金の剣を拾い上げると、百合香の胸の上に横たえ、何か呪文のようなものを唱え始めた。

 

 すると剣は瞬く間に炎に包まれ、燃え盛る不死鳥の姿となって百合香の上で羽ばたきを始めた。

 

 不死鳥は、光となって百合香の全身に入り込んできた。暖かい。生命の根源に触れる気がした。

 

 そして、全てが真っ白になった。

 

 

 

 

 

 目覚めた時、百合香はまたしてもシャワーの音を聞いていた。

『…瑠魅香?』

 またシャワーを浴びているらしい。

『…どんだけ好きなんだ』

 瑠魅香がシャワーを浴びるというのは、要するに他人が自分の裸体をダイレクトに見て、触れているという事である。一応、女性のデリカシーというものについてはしつこく説明して、瑠魅香も理解したようではあるが、それでもやはり多少気になる。もっとも、いい加減だんだん慣れて来た感もあったが。

『……』

 その問題とは違う意味で百合香は、何か落ち着かない気分だった。

『なんか、すごく大事な夢を見たような気がするけど…思い出せない』

 夢を思い出せない、というのは非常にモヤモヤするものである。そういえば、クラスメイトで文芸部の吉沢さんいわく、夢を見るのは熟睡できてない証拠、であるらしい。本当だろうか。

 

 何の気なしに冷蔵庫を開けようとするが、いま自分は半透明の精神体である事に気付いた。

『…不便だ』

 瑠魅香がシャワールームから出てくるのを待つしかない。

 他にやる事もないので、ぐるりと部屋を見回すと、またしても見慣れない物が増えている事に気付いた。

『ん?』

 泉を挟んでベッドと反対側のあたりに、何か棚のようなものが見える。近付いてみると、それはなんと本棚だった。中にはぎっしりと本が詰め込んである。

『本だ!』

 百合香の目が輝いた。なんとなく本が読みたいとは思っていたのだ。

 しかし、本棚に近付いて並んでいる文庫本のタイトルを見ると、百合香は戦慄した。

 

 【ルミノサス・マギカ(1)/江藤百合香】

 【ルミノサス・マギカ(2)/江藤百合香】

  ~中略~

 【ルミノサス・マギカ(16)/江藤百合香】

 

 

『ぎゃああ!』

 思わず百合香は後ずさった。こそこそ書いていた小説が、文庫本になって並んでいる。

『なっ、なんで…』

 その下を見ると、ハードカバーのコーナーがあった。その中に、文芸部の吉沢さんの名前がある。

 

 【きなこもち殺人事件/吉沢菫】

 

 いったい吉沢さんは何を書いているんだ。きなこもちで殺人って、ハードル高くないか。もうちょっと効率的な殺害方法があるのではないかと、読んでもいないうちから百合香は突っ込みを入れた。ちなみにその隣には、【美人女将湯けむりダイナマイト電流爆破デスマッチ殺人事件】【ドキッ!水着美女だらけの殺人事件☆グサリもあるよ】という二冊も並んでいる。こっちはちょっと読みたい。

 

「いやー、いい湯だったわー」

 若干おっさん化が進行しているらしい瑠魅香が、バスローブの前を開けたままで歩いてきた。

『ばかー!!』

「え?」

『紐を結びなさい!!』

 

 体を交替して、百合香はバスローブの着方を教えた。

「左側を前にして、紐を結ぶ。こう」

『ふーん』

「叫んだらお腹すいた気がする」

 改めて冷蔵庫を開ける。しかし、食べ物はない。

「あー」

 百合香はうなだれた。この部屋にいる限り、食べなくても空腹にはならない。しかし、食べるという行為自体が

重要なのだ。

 

 通学路から少し外れたお店の、トマトとニンニクのスパゲティが食べたい。南先輩に連れて行ってもらったラーメン屋さんの、真っ赤なスタミナラーメンも恋しい。桃のコンポートが載ったパフェ。うな重。メロンの形の容器に入ったアイスは、本当にメロン果汁が入っている事を最近知った。78円のプロテインバーは不味かった。お母さんの焼くチーズスフレは、瑠魅香にも食べさせてあげたい。

 

「食べ物をありったけ想像しておこう。次に来る時は楽しみにしてて」

『うん』

 しかし、想像したものと微妙に異なるケースがこの部屋ではあるらしいので、多少の不安はあった。

 

 

「ここから、どうすればいいんだろう」

 コーヒーを飲みながら、百合香は呟いた。

「次の氷騎士を倒すルートなのはわかってるんだけど」

『どんな奴かもわからないけどね』

「そんなの、今までずっとそうだったわよ」

 いい加減、肝が据わってきた百合香だった。

『でも。前もって情報が得られるなら助かるよね。あの探偵猫たちも動いてくれてるとは思うけど』

「あ、そういえば」

 探偵猫、で百合香は思い出した。

「あの子たちが、この層にもう一匹、探偵猫がいるって言ってたよね」

 

 

 

 真っ白な通路の奥で、何かがぶつかり合う激しい音が響いていた。ドカッ、という打撃音とともに、剣を構えた氷の戦士が跳ね飛ばされ、壁に激突してバラバラになる。怯んだ他の戦士たちが、一歩、また一歩と後退した。後ずさる戦士たちを追い詰める、ひとつの影があった。その眼光は鋭い。

 

 戦士たちは、意を決してその影に、剣を振るって飛びかかった。

 

 影は、その剣を鮮やかにかわすと、まず一体の氷の戦士の首に攻撃をしかけた。首は一瞬で切断され、頭部がゴトリと冷たい床に落ちる。

 続けざまに、もう一体の戦士の背中に蹴りを入れる。戦士は正面から床に叩きつけられると、そのままピクリとも動かなくなってしまった。

「ふん。相手を見てから戦いを挑むべきだったな」

 低い声で言い捨てると、その影は通路の奥へと消えていった。



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マグショット

『マグショットだ』

 瑠魅香が、思い出したようにその名を言った。

「ああ、あの探偵猫の一匹狼とか言ってたの?」

 百合香は制服を着ながら答える。

『そう。けっこう強いとか言ってたけど』

「どれくらい強いのかしら」

『片目がないとか言ってたよね』

「ファッションでね」

 レジスタンスのメンバーから聞いた、一匹狼の猫の情報はそんなところである。

「どこにいるかも、当然わからないんでしょ」

『だいいち、一匹狼って何だろう。協力してもらえるのかしら』

 瑠魅香の言葉に胸元のリボンを締めた百合香は、しばし考え込んだ。

「あまりアテにしない方がいいかもね」

『淡白だな』

「スタンドプレイヤーっていうのも世の中にはいる」 

『スタンドプレイヤー、か。響きはカッコいいね』

「そこは、良し悪しでしょうね」

 バスケットボールという、チームでの戦いが主体の百合香ならではの意見である。

「さて、そろそろ出るか」

 もはや氷巌城攻略がライフワークになりつつある百合香だが、逆にそれぐらいの感覚でいないと気持ちが参ってしまいそうだった。時々忘れそうになるが、生命がかかっているのだ。

 瑠魅香は、百合香にうなずいて、顔を重ねるように百合香の中に入る。いつもの「二人で一人」の状態になった百合香は、聖剣アグニシオンを構えて、城に向かうゲートをくぐった。

 

 

 いつものように、百合香・瑠魅香コンビは静寂の氷巌城内部へと降り立った。基本的には、百合香の精神がメインである。

『ねえ、百合香。思うんだけど、癒しの間から一気に最上階とかに転移できないのかな』

「…それは考えた事がなかった」

『それができれば、一気に氷魔皇帝とかいう奴のとこに乗り込めるのにね』

 瑠魅香の言う事はその通りだが、第一にそれが不可能である公算が高いのと、乗り込んだところで今の百合香たちに、その氷魔皇帝ラハヴェとやらに勝てるのか、という疑問があった。

「とりあえず、今は地道に進む事を考えましょう」

『真面目だねー』

 瑠魅香の茶々を聞き流して、百合香は第1層の通路を慎重に進んで行った。

 

 ところが、しばらく歩いたところで異変があった。

「なに、これ!?」

 百合香は声を上げた。曲がり角があったのでそこを左に入ると、通路に氷の戦士が3体ほどバラバラにされて、散らばっていたのである。

『仲間割れでもしたのかな』

「…それは考えにくい。基本的に彼らは、命令に忠実な存在でしょ」

『でも、サーベラスみたいに独自の意志を持った個体もいるみたいよ』

「……」

 その時だった。百合香の耳に、かすかに打撃音のような音が聞こえた。掛け声みたいなものも混じっている。

「何か聞こえる」

『また変なゲームやってる熱血集団じゃないよね』

 

 音が聞こえるのは、その通路のずっと奥だった。百合香は駆け足でその音の出所を確認するために急ぐ。

『気をつけてよ。サーベラスの時みたいに、囲まれるかも知れない』

「わかってる」

 瑠魅香の忠告に耳を傾けつつ、百合香は足を速めた。すると、聞こえていた打音がパタンと止んだ。

「?」

 疑問に思いながら、またも曲がり角にぶつかったので、今度は右に折れる。

 

 そこで、百合香はまたしても、氷の戦士たちがバラバラになって、多数倒れているのを見付けたのだった。

「まただ」

『どういうこと?誰かがこいつらを倒したってこと?』

「誰かが倒したのは間違いない。さっき聞こえたのは、間違いなくこいつらと、その何者かが戦っていた音だ」

 百合香は屈んで、倒された戦士たちの残骸を観察する。首が折られた者、壁に叩きつけられて砕けた者など、様々である。だが、何か今まで自分が倒してきた残骸とは、違うものを感じていた。

「…この城の戦士たちを倒しているということは、”こっち側”の存在という事なのかな」

『そいつ、何者かはわからないけど、倒したらさっさといなくなってるね』

「探そう」

『え?』

「たぶん、こいつよ。例の一匹狼」

 百合香は、そう断定した。今までの情報と照らし合わせると、そうとしか考えられない。

 すると、再び打撃音が通路の奥から響いてきた。

「!」

『百合香、急げ!』

 瑠魅香が急かし、百合香はダッシュする。

 

 少し開けた空間に出ると、そこでは氷の戦士たちが何者かを囲んで剣を振り回していた。すると、戦士たちが群れをなす奥から、謎の掛け声が聞こえてくる。

 

「オワタァ!!!ホォーッ!!!!」

 

 どこかのカンフー映画の主人公のような、甲高い掛け声がして、真ん中あたりにいた氷の戦士が何かに弾かれ、百合香の方に飛んできた。

『わあ!!』

「なっ…」

 百合香は制服姿のまま剣を一閃し、飛んできた戦士の胴体を斬り払う。

 

「アーーータタタタタ!!!!オーー―ワッタァ!!!!」

 

 今度は2体の戦士が、まるで工事現場のハンマードリルでも喰らったように激しく何かに殴られ、バラバラに砕けながらその場に崩れ落ちた。

 戦士たちが粉微塵に砕け、もうもうと冷気の煙が立ちこめる。その向こうに、直立する小さな影が見えた。

 

 煙が晴れるとそこに立っていたのは、ジャージのような上下のスーツを着た、精悍な顔つきの片目の猫だった。

『いた!こいつだ!!』

 瑠魅香が叫ぶ。百合香も、目の前にいるのが件の”一匹狼”だろう、と思った。

「あなたがマグショットね」

 百合香は剣を下ろして訊ねる。ジャージの猫は鼻を手でこすると、首をコキコキと鳴らし、値踏みするように百合香を見た。

「お前だな。氷巌城を騒がせている張本人は」

 思いのほか低めの渋い声で、百合香も瑠魅香も面食らう。

「騒がせている…まあ、そうかもね」

「おかげで俺の仕事が面倒になった」

「むっ」

 なんだ、その言い草はと百合香は思った。

「私は百合香。あなたがマグショットなのよね」

「…そうだ。ラーモンに聞いたのか」

 

 百合香は、これまでオブラ、ラーモンと、レジスタンス組織”月夜のマタタビ”の面々に協力してもらった事を説明した。マグショットは、小さくうなずいて言った。

「なるほど。お前は人間の立場で、この城に乗り込んできたわけか」

「そう。この城を消すために」

「できるのか」

「できない、なんて言ってる余裕はないわ」

「ふん」

 マグショットは鼻で笑う。

「ラハヴェとかいうふざけた奴のせいで、精霊の姿で悠々と生きていた俺たちは、氷の肉体を持ってこの城に勝手に配置された。迷惑千万だ」

「だから、あなたは反抗しているのね」

「反抗だと?」

 ジロリとマグショットは百合香を睨む。百合香はぎょっとして硬直した。

「笑わせるな。反抗とは、被支配者が支配者に対して行う事だ。俺は、誰にも支配されているつもりはない。逆だ。氷魔皇帝などと自称する身の程知らずこそが、俺によって粛清されるのだ」

『おー、言う言う』

 突然、百合香の内側から聞こえた声に、マグショットは軽く驚いていた。

「誰だ」

『元・あんたたちのお仲間よ』

「なんだと?」

 瑠魅香は、勝手に”表”に出て来てニヤリと笑った。百合香が突然、黒髪の魔女の姿に変貌をとげた事は、さすがに驚いているらしい。

「一体、お前は何者だ」

「私は瑠魅香。もと氷魔よ」

「なに?」

 

 今度は瑠魅香が、人間になるという目的のため百合香の身体に間借りしている事、その見返りもかねて百合香の戦いをサポートしている事を説明した。

「信じられん事をする奴もいたものだ。何を考えているんだ」

「悪かったわね」

「…お前が何をしようが、俺には関係ない」

 そう言うと、マグショットは瑠魅香に背を向けて歩き始めた。

「ちょっと。どこ行くの」

「知れた事。俺は上層に向かう。皇帝気取りの愚か者を叩き潰すためにな」

「あんた一人で何ができるの?」

 瑠魅香は腕組みして、マグショットの背中に言い放つ。マグショットはピタリと止まって、瑠魅香を振り向いた。

「俺は群れるのが嫌いだ」

「ふうん」

「忠告しておく。俺の邪魔をするな。邪魔だてするなら、お前たちも敵と見做す」

 あまりに堂々と言うので、瑠魅香たちには返す言葉がなかった。

「こいつらを見ろ。お前たちが中途半端に城を引っかき回したせいで、警戒が強くなった。氷騎士どもの所に行くのに、面倒な事この上ない」

 

『共闘はできないのね?』

 

 瑠魅香の背後から、百合香が訊ねる。マグショットはまた、ジロリと瑠魅香の目を見た。

「同じ事を二度言うつもりはない」

 そう言うと、”一匹狼”マグショットは通路の奥に消えて行った。

 

「面倒くさそうな奴だったね」

『うん…』

「あれじゃ、共闘なんてしてくれそうにないよ」

『でも、強さは本物なのよね』

 百合香は、足元に散らばる氷の戦士たちの残骸を見る。さっき感じていた違和感の正体が、百合香はやっとわかった。

『見て、瑠魅香。あいつ、氷の戦士の”急所”を正確に突いている。私が感じた違和感はそこだったの。無駄なダメージを与えていないのよ』

「よくわかるね。さすが、伊達に剣で戦ってないわ」

『私は剣を使わないと勝てない。けど、あいつは徒手空拳で氷の戦士を、何体も平然と倒している。あんな小さな身体で』

 百合香は、ラーモンから聞いたマグショットの実力が、過小評価だったのではないかと疑い始めた。そして、共闘できれば絶対に頼もしい味方になる。

『瑠魅香、代わって』

「え?」

『あいつを追う』

 百合香は多少強引に表に出て、制服から鎧姿にチェンジした。黄金の煌めきが、白い通路に反射する。

 

 

 しばらく通路を走っていると開けっ放しのドアがあり、その奥はまたも広い空間になっているようだった。体育館ぐらいある。百合香は、慎重にその空間に足を踏み入れた。

 

 すると、空間の中央にマグショットが一人で立って、周囲を何やら警戒していた。

「マグショット!」

「来るな!」

 マグショットは百合香に叫んだ。

「入って来れば、やられる」

「どういうこと」

 百合香は訊ねながら、マグショットの言ったとおりその場で立ち止まって警戒した。

 

 すると、空間の周囲に、何やら細身の氷の人形が出現した。

「あれは…この間の”ナロー・ドールズ”?」

『違う。ザコじゃない、正規の闘士だ』

 それは、女性のようなラインの闘士たちだった。細い手に、何か棒状のものを持っている。両端がふくらんだそれは、百合香には馴染みのあるものだった。

「バトンだ!」

 百合香が言う間もなく、マグショットの両サイドから、バトンが投げつけられた。マグショットはその全てを見切ってかわす。両サイドの人形どうしが、反対側から飛んできたバトンをキャッチして再び返す。そのサイクルで、延々とノンストップでマグショットはバトンの攻撃にさらされていた。

「マグショット!」

「子供の遊びだ」

 もう飽きたと言わんばかりに、マグショットは瞬時に飛んでくるバトンの2本を難なくキャッチすると、両手に握って振り回した。

「アタタタタタタ!!!!!」

 マグショットは飛来する無数のバトンの全ての動きを読み切り、一本一本確実に叩き折って行った。しかも、叩き折りながら正確に人形めがけて飛ばすというおまけ付きである。人形たちは、バトンを腕で弾き飛ばした。

『変態大集合だ』

 瑠魅香の言い様にもうちょっとましな表現はないのか、と百合香は思ったが、マグショットも人形たちも、常軌を逸した実力である。あの中に百合香がいたら、確実にバトンを全身に浴びて大ダメージを負っていた。

 

 その時、ようやく百合香は気付いた。

「バトン・トワリングだ!」

『ばとんとわりんぐ?』

「学校で見た事あるでしょ。バトンを投げるパフォーマンス」

『ああ、見た見た』

 瑠魅香は、百合香の学園で観察していた中に、そういう部活がある事を思い出していた。ちなみにガドリエル学園トワリング部は、トップクラスというわけではないが、そこそこの実力である。

「こいつらはトワリング部をコピーして、武器にしてる連中なんだ」

『百合香、勝てるの?』

「……」

 正直、今の攻撃に百合香の剣で対抗するのは難しそうだった。

『あたしの出番かな。ベンチを温めてなさい』

 どこで覚えたのかわからないセリフとともに、瑠魅香が再び表に出て来た。

「さあ、久々に暴れるよー」

「来るな!お前には対抗できん!」

 マグショットは、さっきまでのニヒルさが少し剥がれた様子だった。

「ふうん。あんた、ホントはけっこう優しいのね」

「ふざけている場合か!下がれ!」

「いやよ」

 瑠魅香は杖をかざす。すると、バトンの第二波がマグショットと、中央に進み出た瑠魅香に襲いかかった。

「くっ!」

 マグショットが、瑠魅香を守るような動きに出た、その時だった。

 

 瑠魅香の周囲に瞬時に現れた氷の無数のシールドが、目で追えないほどの速度で正確にバトンの動きに対応し、空中で全てのバトンを弾き飛ばしてしまった。

 

「な…」

 マグショットは驚きの目で瑠魅香を見る。

「お前は一体!?」

「あたし、魔女の瑠魅香。改めてよろしくね」

「魔女だと!?」

 言いながら、再び飛んできたバトンをマグショットは素手で叩き落とす。瑠魅香もまた、氷のバリアで同じように対抗した。

「らちがあかないね。やっちゃうか」

 瑠魅香は、バトンの第三波が小休止したタイミングで、杖に魔力を込めた。

「あたし、こっち側をやるね。あんた、あっちを頼むわ」

「む…」

「早く!来るよ!」

 瑠魅香に急かされてマグショットはしぶしぶ承諾すると、驚くほどの俊足で人形たちの近くまで一気に飛び込んだ。

「おー、やるやる」

 瑠魅香も負けじと、杖に込めた魔力を一気に解放した。氷のバリアが今度は水平に回転するカッターとなって、人形たちに襲いかかる。

 

「『クリスタル・ヴォーテックス!!!』」

 

 無数の氷の刃は、渦を描いて人形一体一体の逃げ場を失くし、確実にその首や四肢を切断していった。その様子を見た百合香が『毎回エグいのよね』と、ボソッと呟く。これも、自分が小説で書いたのだろうか。

 

 一方、マグショットもまた大技を繰り出していた。

「オオーーーーアタタタタタタァァ!!!!!」

 竜巻のように回転しながら跳躍すると、人形の一体一体の首を確実にへし折って行く。ほとんど瑠魅香の魔法と変わらない速度で、あっという間に人形たちはその場に崩れてしまった。

「アタッ!!」

 着地すると決めポーズを取り、さあ次はどいつだ、と言わんばかりに周囲を見渡す。瑠魅香はそれに拍手で応えた。

「おー、すごいすごい」

「バカにされているようにしか思えん」

「いやいや、ホントにすごいって」

 そう言って、瑠魅香はマグショットに駆け寄る。

「うん。思ってた以上に凄いんだね、あなた」

「だから共闘してくれ、とでも言うつもりか」

「してくれると、こっちとしては助かる」

 正直なところを瑠魅香は包み隠さず言った。

「私の相棒、強いくせに時々不安そうにしてるのよ。あなたが味方になってくれれば、この子も頼もしいと思う」

 余計な事を言うな、と百合香は瑠魅香にだけ聞こえるように抗議した。マグショットは「ふん」と鼻を鳴らす。

「不安になるのは弱いからだ」

「あら。私の相棒の強さを知らないから、そんな事言えるのよ」

「だったら見せてみろ。その強さとやらを、今ここで」

「え?」

 瑠魅香は、マグショットが何を言っているのか一瞬理解しかねた。

「丁度いい稽古台のお出ましだ」

 マグショットは、空間の中央に向かって拳法らしき構えを取る。瑠魅香は、何事かと振り向いた。

「あっ!」

 瑠魅香もまた、瞬時に身構えた。

 

 空間の中央に青い光とともに現れたのは、2体の巨大な、バトンを持った人形だった。



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バーニング・フィスト

 その巨大な人形は、今しがた片付けた多数の人間大のものより、いくぶん手足のバランスがスリムに見える。2体で広いホールのスペースいっぱいに距離を取り瑠魅香とマグショットを挟んだ。

 問題は手にしたバトンで、長さはざっと2メートルはある。あんなものの直撃を受けたら、鎧を装備していない瑠魅香ではダメージが不安だった。

『瑠魅香!』

 迷う事なく、百合香は表に出て来て身体を瑠魅香と交替する。黄金の鎧の百合香が、ホールに姿を現した。

「便利な奴らめ。来るぞ!」

 マグショットが警戒を促すとほぼ同時に、2体の巨大な人形が2人に向けてバトンを投げた。バトンは恐ろしい速度で回転し、地面を這って襲いかかってきた。

「はっ!」

「うわっ!!」

 マグショットは難なくそれをかわすが、百合香はギリギリだった。

「遅いぞ!」

「そ、そんな事言ったって!」

「足手まといだ、下がっていろ!」

 そのマグショットの一言が、百合香の闘争心に火をつけた。

「ナメないでよ!!!」

 続けざまに飛んできた巨大なバトンに、百合香は思い切り聖剣アグニシオンを叩きつける。バキン、と痛快な音がして、真っ二つに折れたバトンの片割れが人形めがけて飛んで行った。

「む…」

「サーベラスとの激戦の成果よ!!」

「奴に会ったのか!」

 飛び交うバトンをかわし、弾き返しながら、マグショットは訊ねた。どうやらサーベラスとは、すでに接触していたらしい。

 

「でぇやーっ!」

 百合香は、バトンを弾くのに合わせて炎の弾丸を剣から発射した。巨大な人形はそのぶん的が大きく、動きが素早くても何発かは命中し、バランスを崩して脚をついた。

 かたやマグショットは、飛んでくるバトンをキャッチして投げ返し、そのバトンの背後に続いて人形とのリーチを一気に縮めるという、およそ常識を超えた離れ業を披露してみせる。

『あんなの反則じゃん』

 百合香の脳内で瑠魅香がぼやく。返って来たバトンを人形はキャッチするも、その直後に眼前まで接近を許したマグショットの飛び蹴りを、真っ正面から胸に喰らって背後の壁面に叩きつけられた。

「こっちも行くぞ!」

 百合香はアグニシオンを水平に構え、俊足で人形の懐に飛び込んだ。

 

「『ディヴァイン・プロミネンス!!』」

 

 たびたび用いるその剣撃を百合香は放った。巨大な炎の刃が、人形の胴体を直撃する。巨大ではあるが、その硬度はサーベラスより数段劣るらしく、ほぼ完全に切断されたのち、かろうじて残った部分がバキンと折れてそのまま崩れ落ちた。

『やった!』

「どんなものよ」

『その技、毎回使ってない?』

「うん、なんか使い勝手がいいんだ」

 家電のレビュー並みの口調で言いながら百合香が振り向くと、マグショットの足元にはすでに、人形の首が情けなく転がっていた。

「俺の方が先に倒したな」

「だんだん子供じみてきてるわよ」

 百合香は笑う。マグショットは「ふん」と腕組みして、倒れた人形の胴体に座り込んだ。

「いいだろう。それなりに力がある事は、認めてやる」

「それはどうも」

「だがしょせん、その剣の力を借りたものにすぎん」

 マグショットは、百合香自身が自覚していたポイントを突いてきた。

「俺の邪魔をせん限りは、俺も手を出さん。ただし、これだけは忠告しておく」

 トンと地面に降りると、百合香をじっと見据えて続けた。

 

「さらに上層に行こうと思うのなら、お前は自分自身の力を磨かねばならん。剣に頼るな。いや、言い方を変えよう。その剣の力を引き出すためには、まずお前自身が強くなれ」

 

 そう言って立ち去ろうとするマグショットに、百合香は「待ちなさいよ」と言った。

「共闘しないって、あなた言ったけど。もう、今ここですでに共闘の既成事実ができたんじゃないの?」

「いかにも人間らしい方便だ」

「方便なら方便でいいわよ。じゃあ今回みたいに、なし崩しで共闘しちゃうなら仕方ないって事ね」

 マグショットは、しばし黙ったのち口を開いた。

「好きにしろ」

 それだけ言うと、もう話はたくさんだとばかりに、ホールの奥にある通路に走り去ってしまった。百合香は軽く溜息をついて、肩をすくめる。

『なんなんだろ』

「さあね」

 百合香は、トワリング部の複製だった人形たちが散乱するホールを眺める。

「悲惨なものね」

『楽しくトワリングやってればいいのに』

「……」

 その残骸は百合香の胸中に、何か複雑な気持ちを呼び起こしたらしかった。それを振り払うように、百合香は瑠魅香に問いかける。

「ねえ、瑠魅香。マグショットが、自分達は精霊の姿で悠々と暮らしてた、みたいな事言ってたわよね。あれ、どういう意味なの?」

『言ったとおりの意味だよ。私は「元」だけど、氷魔と呼ばれる精霊たちは、この地球に存在する、別な空間で精霊の姿で暮らしている。今もね』

「今もって、どういうこと?」

『それも、言ったとおりの意味。人類が知らないだけで、この地球には精霊が住む、言ってみれば「別世界」が存在するっていう事よ。大昔の人間は知っていたけど、今の人間にそれを知っている人は、1億人に1人いるかどうかってとこでしょうね』

 何気ない問いかけから、想像もつかなかった回答が返ってきたせいで、百合香は軽く混乱し始めた。

 

「別世界って…どういう世界なの」

『人間に説明しても、理解できないと思うよ。私が物理的な世界を理解するよりも、ハードル高いと思う。ただ、人類の”科学”がもっと発達すれば、いずれわかるようになる』

「科学?どういうこと?」

『いまの人類の科学なんて、賢い人もいるでしょうけど、基本的には子供の遊びみたいなものよ。燃やしたエネルギーの後始末も満足にできない。そういう未発達な科学ではなく、真の意味の科学を理解したとき、私たちの存在も理解できると思う』

「……」

 なんだか人類がコケにされているようで、百合香は軽く憤った。

「じゃあ、この氷巌城はどうなのよ。城を維持するために世界をめちゃくちゃにするのが、真の科学だとでもいうわけ?」

『そこなの、百合香』

 唐突に、瑠魅香は”待ってました”とでも言うような口調で語り始めた。

『私達氷魔は、本来優れた知性を持った存在なの。あなた方の言語をこうして、難なくマスターしてる事から、それはわかるでしょ?』

 それは確かにそうだ、と百合香は思った。瑠魅香は続ける。

 

『だから、氷巌城なんてものを創造する必要が、本来そもそも氷魔にはないの。自分達の世界で、全てが完結して、満足に、平和に暮らしているのだもの。必要ない事を、みんな理解しているの』

 

「そっ…それじゃ、何のために氷巌城が必要なの」

『サーベラスが言ってたでしょ。”否定の理”っていう、あれよ』

 百合香は、サーベラスの言葉を思い出していた。

『まあ白状すると、その理っていうのが何なのか、私には説明がつかない。どうしてそんな理が存在するのか、ね。その点で、あなたにあれこれ解説できるほどの知識はない』

「…つまり」

 百合香は、それまでの話をどうにか頭の中でまとめて言った。

「この城を本当に消すには、その”否定の理”が何なのかを突き止めなきゃいけないって事?」

『うん。そういう事になるね』

「どうしてそれを、今まで話してくれなかったの」

『話しても、すぐに受け入れた?』

 その言葉に、百合香はハッとさせられた。

『ここまで幾多の戦いを経て、サーベラスみたいな相手と戦って、ようやく理解するための準備が少しだけ整った。そんな気がしない?』

「そっ…それは…」

『まあ繰り返すけど、私にもわからない事だらけなんだよ。百合香が人間の世界の事を私より知っているように、私は私のいた世界の事をあなたよりは知っている、それだけ。だから、それ以上の事を知らないのは、二人とも一緒だよ』

 そう言われて、百合香は少しだけ安堵を覚えた。

「…そっか」

『そう。だから、これから二人でここを登る過程で、少しずつわかってくるんだと思う。この城を消し去る方法を』

「二人でね」

「そう。二人で」

 百合香は、ホールの奥に続く通路を見た。

「考えても仕方ないか」

『でも、考え込んでる百合香、わたし好きよ』

「何よ、それ」

 ふふふ、と二人は笑う。

 

 その時だった。

 

 ドカン、という大きな音が、これから通ろうという通路の奥から聞こえてきた。

「!」

『なんだ!?』

「まさか、マグショット!?」

 百合香は、マグショットが何かと戦っているのだろうかと思って駆けだした。

 

 

 通路の奥に急いだ百合香は、壁か何かの破片が散乱しているのを見つけた。

「なんだ!?」

『きっと、あいつが戦ってるんだよ!』

 なおも百合香は走る。ほどなくして、もうもうと砕けた氷の粒子が立ちこめる空間に出た。扉は衝撃で壊されている。中は、それまでとうって変わって梁や柱が張りめぐらされ、壁面には細かな装飾が施され、何か中国風の木造建築のような構造になっていた。

 

 床には、多数の氷の戦士たちが例によって散乱している。その様子からして、マグショットに倒されたのは間違いなさそうである。

「マグショット!いるの!?」

 百合香は叫ぶ。しかし、返事はない。

「ここにはもう、いないのかな」

『百合香、あそこ!上!』

「え?」

 瑠魅香に言われて百合香が上を見ると、張り巡らされた梁の上に、マグショットが拳法の構えを取って立っていた。百合香が来たことは気付いているはずだが、意図的に無視しているらしい。

 百合香は、マグショットの視線の方向を見た。梁で隠れているが、誰かがいる。マグショットと同じように構えを取っているようだった。マグショットは、さきほどの戦いとは段違いの緊張感を伴っているように見えた。

 

 すると、梁の陰にいた何者かが、ふいに語り出した。

「あなたですね、侵入者とかいう輩は」

 柔らかいが、トゲのある響きを伴った、カンに障る声だった。どうやら、サーベラスと同じく高い知性を持った個体らしい。

「侵入者ですって?私たちの世界に侵入してきたのは、そっちでしょ!!」

 負けじと百合香は怒鳴り返す。

「降りてきなさい!私が粉々に砕いてやるわ!!」

「やめろ、百合香!今のお前ではこいつには勝てん!!」

 そう叫んだのはマグショットだった。

「ここは俺に任せておけ」

「ほほう。まるで私に勝てるとでも思っているような口ぶりですね」

「俺なら勝てる」

「では、やってみせて頂きましょう!」

 梁の陰に隠れていた何者かが、マグショットとの間合いを一気に詰める。高速の突きが、マグショットの胴体を狙って繰り出された。

「ふん!!」

 マグショットはわずかな動きでそれをかわし、ほんの一瞬相手の胸元が空いた隙を見逃さず、掌底を叩き込む。

「ぐほっ!」

 敵は大きくバランスを崩し、後退して距離を取る。

 そこでようやく相手の姿が見えた。ハットを被った、まるでマジシャンのような容姿である。顔も、いかにもといった風情の仮面のデザインになっていた。

「ふ…レジスタンスに拳法使いがいるとは聞いていたが、なるほど」

「百合香!お前は先へ進め!こいつは俺が倒す!」

 マグショットは相手から目をそらさず、下にいる百合香に向かって叫ぶ。

「大丈夫なの!?」

「誰に言っている!早く行け!!」

『あーあ。どんな状況でも態度でかいのね』

 瑠魅香は呆れたように言う。

 

「ははは、折角ここまでいらっしゃったのです。おもてなしもせずお通ししたとあっては、当館の品格が疑われるというもの」

 そう言って、ハットの格闘家は手をパンと鳴らした。すると、部屋の左奥からドスンドスンという振動が近付いてくる。

「なんだ!?」

『来る!』

 百合香が警戒態勢を取ったその瞬間、左側の壁の扉を突き破って、大柄な氷の戦士が現れた。その体格はプロレスラーと関取を合わせたようなシルエットで、背丈も百合香より頭ふたつ分はある化け物だった。顔は人間に近いが、野獣のようである。

「こいつは…」

 考える暇も与えず、その巨漢は百合香に向かって突進してきた。

『百合香!』

「くっ!」

 百合香はアグニシオンにエネルギーを込め、身体をかわしながら剣を叩き込もうとした。しかし、次の瞬間だった。

「ホァッ!」

 奇怪な声を上げて、巨漢はその体躯から想像もつかない素早さで百合香の方に姿勢を変え、高速の突きを繰り出してきた。

「ごはっ!!!」

 胸の鎧にまともに拳を受けた百合香は、そのまま吹き飛んで背後の柱に叩きつけられ、アグニシオンは大きく弾かれて部屋の隅に投げ出されてしまった。

『百合香!!』

「げほっ…」

『いくよ!!』

 慌てて瑠魅香が表に出ると、すかさず杖を構え、巨漢に向かって拘束魔法を放つ。

『このデカブツ、よくも百合香を!!』

 雷のロープが、四方八方から伸びて巨漢の身体を封じる。

「うっ…ごほっ!」

 瑠魅香は、百合香が受けたダメージに耐え切れず、その場で膝をついてしまう。

『瑠魅香…ありがと』

 そう言って、再び百合香は表に出て来た。手元にアグニシオンがない事に気付くと、すかさずそれを取り返しに走る。

 

 だが、巨漢の拳法使いは、瑠魅香の拘束魔法を力任せに引きちぎり、再び百合香に突進してきた。

『そんな馬鹿な!』

 瑠魅香は、渾身の魔法が力で強引に破られたことに、ショックを隠さない。

「うああっ!」

 振り下ろされた拳をすんでの所でかわした百合香だが、姿勢を崩して床に転げてしまう。

 

「百合香!」

 加勢に入ろうと、マグショットは動く。しかし、その前にハットの拳法使いが立ちはだかった。

「お客様、どうかごゆっくり観戦なさってください。ここは特等席ですよ」

「ふざけるな!」

 マグショットの突きがハットの拳法使いに襲いかかる。

「くっ…落ち着きのないお客様だ。良いでしょう、このオブシディアンが直々におもてなしして差し上げます」

 オブシディアンと名乗ったハットの拳法使いは、改めてマグショットに向かって構えを取った。

 

「ぐっ…」

『百合香!代わって!』

「瑠魅香…出て来ては駄目」

 百合香は、表に出ようとする瑠魅香を必死で抑えた。

「大丈夫…今までだって、こんなでかいのを何体も倒してきた」

 そう強がる百合香だったが、今までとは異質な相手でる事はよく理解していた。明らかに、動きの”質”が違う。このままでは負ける。百合香は、そう覚悟した。

 

 だが、その時百合香はふと、サーベラスとの対決を思い出していた。

 

 サーベラスに対抗するために、百合香は相手の実力をよく観察した。そして、強い相手に対抗するためには、それまでと全く異なる戦い方を身に着ける必要があると知った。

 

 この相手は素早い。この動きに、剣で対抗することはできない。

 

 ならば。

 

「ウシャアーーーーッ!!!」

 巨漢は、再び百合香に向かって突進し、その右腕を高速で突き出してくる。

 

「百合香!」

『百合香!!』

 マグショットと瑠魅香が叫ぶ。

 

 そのとき、百合香に異変が起きた。

「!?」

 マグショットは何事かと目を瞠った。百合香の全身が、炎に包まれ始めたのだ。

 

 そして、信じられない事が起きた。百合香が一瞬で立ち位置を変えたと思うと、次の瞬間には、巨漢が大きくバランスを崩して、激しく床に叩きつけられていたのだ。

「なんだと!?」

 オブシディアンは驚いて、つい下に視線を落とす。その隙を逃さず、マグショットの蹴りが飛んできた。

「うっ!」

「どうした。おもてなしは」

「おのれ!」

 そこから、二人の技の応酬が始まった。オブシディアンは、マグショットの拳法は互角だと感じ始めていた。

 

 百合香は、拳法らしき構えを取っていた。ただしその型は、あってないようなものである。

「わかってたつもりだけど。まだ全然わかってなかったんだ、この力の本当の使い方」

 誰にともなく、百合香は呟く。その全身に今、炎のエネルギーが満ちていた。

『百合香、どうやったの!?』

「別に」

 あっけらかんと百合香は返す。百合香は、突き出された相手の腕を逆に掴んで、引き抜くと同時に、敵の頭に回し蹴りを叩き込んだのだ。

 

「拳法なんて知らないわ。私流よ。瑠魅香、あとでこの流派の名前を考えて」



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理論と実践

 百合香は、自分の内側から湧き出すエネルギーが一体何なのかは、まだ理解していない。しかし、その”使い方”は、戦いの中で少しずつ掴んで来ていた。

 

 それは、ある時は感情の爆発で、またある時は戦いの過程で、そしてまたある時は、言葉によって理解してきた。マグショットもまた、百合香を導くヒントを与えた一人だった。

 

『力の使い方ですって?』

 瑠魅香は、突然に徒手空拳での戦い方を覚えた相方に対して、驚愕を禁じ得ないでいた。

「簡単な事だったのよ」

 百合香は起き上がってくる氷の巨漢に対して、自己流の構えを取っていた。

 

「ホアッ!!」

 巨漢は、百合香へのお返しとばかりに回し蹴りを浴びせてきた。それは凄まじい速度と風圧を伴ったもので、まともに喰らえば絶対にただでは済まない。

 しかし、百合香はその動きを一瞬で見切っていた。

「ふん!」

 百合香は攻撃をかわすと、その脚を掌底で払い、相手がバランスを崩した瞬間を狙って軸足に強烈な足払いをかけた。巨漢は再びバランスを崩して、倒れかける。すんでの所で転倒は避けたものの、百合香は浮いた左腕を脇で抱えて思い切りねじった。

「アギャァァァァ!!!!」

 痛みがあるのかどうかはわからないが、巨漢は苦しんでいる。百合香は肘鉄でその巨体を押すと、さらにそこへ肩を使って体当たりを食らわせた。巨漢は大きく弾かれて、太い柱に叩きつけられた。

 

 それを見て驚いているのは、マグショットだった。

「あいつ…さっきまでド素人だったというのに」

「よそ見をしているヒマがあるか!!」

 オブシディアンが突きを入れてくる。マグショットはそれを受け流すと、胴体に掌底を打ち付けた。

「ごはっ!」

「ふん、貴様の実力も大した事はないな」

「さて、それはどうでしょうな」

「なに?」

 オブシディアンの自信ありげな態度に何かを感じたマグショットは、警戒して距離を取った。

「行きますよ」

 そう言うと、オブシディアンは全身に何か、青紫のオーラのようなものを溜め始めた。周囲の気流がオブシディアンに集中する。

「ヒョウッ!!!」

 オブシディアンが腕を払うと、目に見えない冷気の刃がマグショットを襲った。

「ぬっ!」

 マグショットはギリギリのところで気流の変化を読み、その目に見えない刃を弾いた。しかしその隙を狙って、オブシディアンがリーチを詰めてくる。

「!」

「ホヤッ!!!」

 マグショットの腹に、思い切りオブシディアンはツキを入れた。

「がっ!!」

 マグショットは後方に弾き飛ばされ、太い梁に背中を打ち付けた。

 

「マグショット!」

 その様子を見ていた百合香は叫ぶ。しかし、マグショットは立ち上がって叫んだ。

「他人の戦いを気にしているヒマがあるか!そのデカブツは任せたぞ!」

「な…私にさんざん口出ししてきたくせに!」

「何でもいい!お前の力、今こそ見せてみろ!!」

 これだけ声を張り上げられるなら大丈夫そうだと思った百合香は、目の前にいる巨漢を倒すのに集中する事にして、改めて構えを取った。

「拳法は知らないけど、バスケの動きなら知っている!!」

 そう言って、百合香は再び突進してきた巨漢の横に素早く飛び込んだ。そう、百合香はバスケットボールの試合での動きを、拳法に応用しているのだ。

「せい!」

 鮮やかに身体を回転させ、その後頭部に上段からの回し蹴りを叩き込む。前進していた所に後方から蹴りを入れられた巨漢は、そのままの勢いで壁に向かって自ら上半身をしたたかに打ち付けた。百合香は、むき出しになった腰椎に飛び蹴りをくらわせる。嫌な音がして、巨漢はそのまま壁にもたれて呻いていた。

『今だよ、百合香!頭だ!頭部を破壊された者は失格となる!!』

 どこかで聞いたセリフを瑠魅香は言った。どこで聞いたのか思い出せない。百合香は、胸に太陽のエネルギーボールを出現させると、それをがっしりと掴んで高く飛び上がった。

 

「『バーニング・ダンクショット!!!!』」

 

 上方から、全力を込めて燃え盛るボールを巨漢の頭に打ち付ける。ボールは大爆発を起こして、壁や柱もろとも巨漢の上半身を粉砕してしまった。

「ふーっ」

 もうもうと熱風が立ち込める中、百合香は腰のあたりに両拳を構え、漲っている気を落ち着けた。

 

「くっ…まさか、そんな馬鹿な」

 オブシディアンは、差し向けた巨漢が破られた事に相当驚いているようだった。マグショットが一歩進み出る。

「どうやら、予想外だったようだな。次はきさまの番だ。ノシを付けて今のお返しをさせてもらうぞ」

「ふん」

 突然構えを解いたオブシディアンは、百合香を見下ろして言った。

「いいでしょう。改めておもてなしをさせていただきます。この先に宴の間を用意しておきますので」

「待て!」

「そう焦らず。私は逃げも隠れもいたしません」

 そう言うと、オブシディアンは青白い光に包まれ、あっという間に姿を消してしまったのだった。

「ぬっ!」

 マグショットが消えたあとを追うも、すでにオブシディアンの気配はこの部屋からは消え去っていた。

「幻術か。器用なやつめ」

 

 マグショットは構えを解くと、床に降り立って百合香に向き合った。

「見事だった」

 それは、何の飾りもない、素の言葉だった。

「しかし、にわかには信じられん。一体どうやって、あのような戦い方を一瞬のうちに体得したのだ」

「細かい事は、私もよくわからない。体捌きは、バスケットボールの応用よ」

 百合香は、弾き飛ばされたアグニシオンを拾いながら言う。

「あなたの言葉がヒントになった」

「俺の言葉?」

「うん。剣に頼るな、って言ったでしょ」

 聖剣アグニシオンを見つめながら、百合香は言う。

「私はいままで、自分の内側にあるエネルギーを、常にこの剣に叩きつけてきたの。それで勝てた戦いもあったけど、そうじゃないんだなって、今わかった。まず、私自身の身体にエネルギーを燃やさないといけなかったんだ」

 それを聞いていたマグショットは、静かに答えた。

「戦いの流儀はそれぞれだ。だが、己自身がまず強くある事は、全てに通ずる。それが剣であろうと、何であろうとだ」

「うん」

「お前が今の戦いでそれを掴んだというのなら、この先にも進めるという事かも知れん」

 その言葉は、百合香に大きな自信を与えるものだった。

「いいだろう、百合香。そして、瑠魅香。この城を攻略するため、俺はお前たちと共闘してやろう」

「ほんとう!?」

 百合香の目が突然キラキラと輝いた。マグショットほどの実力者が味方になってくれるなら、これほど心強い事はない。

「だが」

 マグショットは続ける。

「言ったとおり、俺は群れるのは嫌いだ。基本的には、俺は俺で動く。レジスタンスの奴らと連絡を密にしておけ。協力が必要な時は、駆け付ける」

「その逆でもいいのね?」

 そう言われて、マグショットは一瞬間を置いて言った。

「…好きにしろ」

『じゃあ、さっそく今から共闘しようよ。あのすかした帽子野郎、来いって言ってたよ』

 百合香ごしに瑠魅香が言う。マグショットは小さくため息をついて、苦笑いした。

「成り行き上、仕方あるまい」

『またまた、カッコつけちゃって』

「さっきから言いたかったが、お前は何なんだ、その性格は」

 若干、素の調子が出て来た様子でマグショットが言った。

「百合香からは武人の匂いがするが、お前は緊張感がなさすぎる」

『だって私、魔女だもの。武人じゃないわよ』

 そのまま、瑠魅香とマグショットの口論を聞きながら、百合香はオブシディアンが招く、さらなる奥へと足を進めるのだった。

 

 

 百合香たちが戦うその様子を、陰から観察する眼光があった。

「なるほど。江藤百合香か」

 青いローブをまとった謎の存在、ヒムロデである。ヒムロデは、百合香に特に注目しているようだった。

「裏切り者の氷魔どもも問題ではあるが、やはり最大の問題はあの小娘だ。なぜ、アグニシオンをあの小娘が手にしているのか…調べる必要がある」

 ヒムロデは、どうやら聖剣アグニシオンの名を知っているらしかった。

「だが、そうなると困った事になる。あの小娘を殺してしまっては、それ以上調べる事ができなくなる…」

 そこまで呟いたところで、ヒムロデは背後に近付く足音に気付いた。鋭利なデザインの鎧をまとった、高位らしい戦士がヒムロデのもとに膝をついて控えた。

「カンドラか」

「はっ」

「どうやら、きさまの手にも余るようだな」

 そう言われて、カンドラと呼ばれた戦士は平伏しつつも、いくらかの憤慨も隠せないようだった。

「ヒムロデ様、もし、万が一にもオブシディアンが破れた場合、私めに直接あの小娘を始末させてくださいますよう、お願いいたします」

 いくぶん焦った様子で、カンドラは具申する。しかし、ヒムロデは首を横に振った。

「ラハヴェ様は、あの小娘をいたく気に入っておいでだ。御自ら、屍にしてみたいとさえ仰っている」

「は…」

「ひとまずは、この層の氷騎士たちと戦わせるのだ。そうだな…お前が出て行くのは、万が一にもこの層があの小娘に落とされた時だ。それで良いな」

 カンドラは、まだ不服そうではあったが、ヒムロデには逆らえない様子で静かに答えた。

「…かしこまりました」

 そう言って、カンドラは静かに姿を消す。

「あるいは、カンドラでさえ敗れる事もあるやも知れん…いや、まさかな」

 ヒムロデは呟いて、自分も暗闇の中に姿を消した。

 

 

 百合香とマグショットは、ゆるい階段になっている通路を登って行った。

「ここ、何なんだろう。それに、さっきのあいつ、何者なの?」

 百合香はつぶやいた。

「さっきの、オブシディアンとかいう奴は拳法使いの氷騎士だ」

「氷騎士?あいつが?」

「間違いない」

「サーベラスみたいなパワーはなさそうだけど」

 そう百合香が言うと、マグショットは語り始めた。

「百合香。徒手空拳で戦うということは、武器を使うのとは全く異なる理論が必要になる。いかに、相手の急所を狙い、最小限のエネルギーで打撃を与えるかがカギになる」

「うん」

「剣では不利になる相手の場合、拳法が役立つ事もあるだろう。先程のお前の戦いは見事だったが、まだ感性に任せて動いている部分がある。感性は大事だが、時として理論、理屈が必要になる。お前なりに、理論を体得するのだ。そうすれば、お前は優れた拳士になれる」

 やたらと饒舌なマグショットに、百合香は少しだけ面食らっていた。

「今まであまり関心を示してこなかったのに、どういう風の吹き回し?」

 百合香は訊ねる。

「…お前はそれなりに見るべきところがある。それだけだ」

「ふうん」

 素っ気ない返しに、百合香も素っ気なく返した。

「む」

 突然、マグショットは立ち止る。

「どうしたの」

「百合香。どうやら、さっそく学んだ事を実践できる機会がありそうだ」

 マグショットが指差した先は、通路の奥にある両開きの扉だった。

 

「あの奥から、敵の気配がする」



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氷林寺三房

 百合香とマグショットが、やはり中国風の両開きのドアを開けると、そこは暗闇の部屋だった。

「……暗い」

 百合香が呟くと、ドアは突然バタンと閉じてしまった。

「あっ!」

 

 すると、空間の奥から男性的な声がした。

「ようこそいらっしゃいました。ここは我が主オブシディアンの間へ至る三房の最初の房、暗間房です」

「三房?」

 何者かの声に、百合香は問い返した。

「さよう。三つの房を越えた先に、オブシディアン様の間がございます。そこへ至るためには、この氷林寺三つの房を攻略しなくてはなりません。まず、この暗間房では暗闇の中でこの私を…」

「暗いな」

 百合香は気を高めて、全身を炎のエネルギーで包んだ。とたんに室内が黄金色に照らされ、いくつも張られた梁や柱が姿を現す。

「うん、明るい」

「こ、こ、ここでは暗闇の中で私を倒さなくてはならないのです!灯りを消しなさい!!」

 やっと姿が見えた、妙に逆立った髪のような装飾の細身の拳士が百合香に抗議した。

「そんな事言われても、わたし気を高めるとこんな風に燃えて光っちゃうのよ。ガマンしてよ」

「ふざけるな!」

「何よ!暗くないと勝てないわけ!?とんだ拳法使いね、笑っちゃうわ」

「ぬぬぬ…」

 マグショットは何の反応も示さず、ただ一言だけ百合香に言った。

「俺はここで観ている」

 手近なテーブルに脚を組んで悠然と構えるマグショットに、細身の拳士はいよいよ憤りを見せた。

「許さん!ここまで侮辱されたその罪、おまえ達の命であがなってもらう!」

 そう叫んで、細身の拳士は百合香に向かってきた。百合香は聖剣アグニシオンを胸元に収納すると、構えを取って向き合う。

「ワチャーッ!!」

「せい!!」

 百合香は相手の手首を払うと、相手が向かってきた勢いをそのまま利用して、顔面に思い切り肘鉄を食らわせた。

「おぶち!!」

 訳のわからない声を上げて、パンクロック頭の拳士は一歩後退する。顔面にはすでにヒビが入っており、最初から暗闇でよくわからなかった顔が、さらにわからなくなった。

「何よこれ、稽古台にもならないじゃない!」

 どこかの世紀末覇者みたいな事をマグショットに向かってぼやきながら、百合香は両腕に気を込めた。

「百裂ドリブル拳!!!」

 小学生男子が今考えました、といった風情の連続パンチを、百合香はパンクロック頭の拳士の頭と胴体に思い切り食らわせた。だんだん殴る快感を覚え始めた頃に、拳士は吹っ飛んで後ろの柱に激突し、そのまま床にずり落ちてピクリとも動かなくなってしまった。

「俺のせいじゃない」

 マグショットは百合香の抗議に取り合う事なく、よいしょ、と床に降りるとトコトコと歩き始めた。

「行くぞ」

「次もこんな奴だったらどうしよう」

 女子高生にボコボコにされた哀れな氷の拳士は、名前を名乗る事もなく、そのまま自分が預かる房に取り残されたのだった。

 

 さらに通路を進むと、やはり同じような扉が現れた。

「また同じようなバカだったらどうしよう」

「油断は常に武人の命取りだ」

 マグショットは真剣な表情で言うが、気のせいか声に緊張感がない。百合香は、ラーメン屋さんの戸を開けるようなノリで扉を開けた。

 

 中は、いかにも道場といった風の空間である。やはりどこか中国風だ。

 そこで百合香は、唐突に言った。

「思い出した!うちの学校に、少林寺拳法の部活があったんだ」

「なんだと?部活とは、たしかおまえ達の世界で言う、修練の場だな」

 だいたい合っているが、どうも武人の感覚から捉えられているらしい。百合香は訊ねた。

「あなたのその拳法は、何が由来なの?氷魔の世界に拳法があるの?」

「違う。以前この世界に氷巌城が現れた時、俺はすでにレジスタンスだった。その時、中国拳法…少林拳という流派がある事を知って、俺は氷巌城のシステムを利用してその技術だけを取り込んだのだ」

「ふーん。それじゃあ…」

 百合香が何か言いかけたところで、道場の奥から声がした。

「敵の領域内で世間話とは、なかなかいい度胸だ」

 マグショットと若干似た、低めのトーンの声だった。仁王立ちして道場の奥に控えるその姿は、今までの敵よりは平均的な人間の容姿に近い。見ると、やはり中国風の道着をまとっていた。

「ねえマグショット、疑問なんだけど、なんで氷なのにあんな柔らかい服とか作れるわけ?地底にはカタツムリもいたよ」

「ある種の極低温エネルギーが、粒子と粒子の間をしなやかに繋いでいるのだろうな。拡大して見れば、やはり氷の粒子である事がわかる。俺のジャージもそうだ」

「ふーん」

 百合香は、マグショットのジャージを引っ張ってみた。感触はまさにジャージである。

「おい!俺を無視するな!!!」

 低い声の拳士は、怒りを剥き出しにして叫んだ。

「あっ、ごめん。何だっけ?」

『百合香、無視したら可哀想だよ』

 しばらく声がしなかった瑠魅香が、見かねて百合香に言った。

「馬鹿にしおって!この寂空房の恐ろしさを知るがいい!」

 そう拳士が言うと、拳士の姿はフッと背景に溶けるように消えてしまった。

『ははは、どうだ。空に姿を消し去った我が身を捉える事はできまい!』

 部屋の奥から、盛大に声が響く。

 やがて足音が、百合香の右手方向にゆっくりと移動した。

「奴の姿が見えない」

「油断するな、百合香」

 マグショットは真顔で言う。緊張のためか、少し表情が引きつっていた。

 

 足音は百合香の右側に近付いてくる。そして、空気が一瞬激しく揺れた、その瞬間だった。

「おあたぁ!!!」

 百合香の爆炎を伴う蹴りが空を切ったかと思うと、見えない何かが壁に叩きつけられ、悲鳴が聞こえた。

「ぐはあっ!!」

 悲鳴がした壁に、さきほど姿を消した拳士が倒れた姿で現れた。

「ば、ばかな…なぜわかった」

「わからない方がバカでしょ!!あんだけキューキュー足音鳴らしてれば!!」

「ふ…見事だ」

 名も知らぬ拳士の胸部から亀裂が走る。

「ひでぷ!!!」

 またしても意味不明の断末魔の叫びを上げて、拳士の身体は爆裂四散した。

「恐ろしい敵だった。笑いを堪えるのに必死だった」

「ええ。笑ったら負けだったわ」

 マグショットと百合香の会話について行けない瑠魅香が、ぼそりと言った。

『ちょっと何言ってるかわかんないんだけど』

 

 三つ目の扉を前にして、百合香は言った。

「たしか、三房って言ってたわよね、あの最初の奴」

「うむ」

「これで最後ってわけか」

 百合香は、同じデザインの扉に手をかける。

「百合香、しつこいようだが油断は禁物だ。先の二体が弱かったから、三体目もそうだという保証はない」

 マグショットの言葉に、百合香は頷いて慎重に扉を開けた。

 

 

 中は、先程と同じような道場ふうの空間だった。特に変わったものは見当たらない。だが、マグショットは何かを感じ取ったようだった。

「気をつけろ。すでにいる」

「いるって、どこに?」

「ここだ」

「!」

 百合香は、突然背後から聞こえた声に戦慄して振り返った。

「あっ!」

 振り返った瞬間、相手の貫き手が百合香の首をかすめた。髪の毛が数本、その勢いで切断される。喉に受けていれば、致命傷だっただろう。

「ほう。よくかわしたな、褒めてやる」

 独特のニヒルさを持った声で、その拳士は百合香と距離を置いて言った。

 

 顔はまるで人間のそれだったが、IT企業がデモンストレーションで展示するAIロボットのような、無表情さが不気味だった。オールバックの髪型を模した頭部に、玄人ふうのチャイナスーツをまとっている。

「いつの間に背後に!?」

「違うぞ、百合香」

 マグショットは、一切慌てる事なく拳士を見据えて言った。

「俺が言ったとおりだ。こいつは扉の陰にいた。ただ、それだけだ」

「でっ、でも姿は見えなかった」

「お前が見えていなかっただけだ。こいつの気配の消し方は本物だ」

 そう言うと、またしてもマグショットは後ろに下がった。

「やってみろ。いい稽古台になるだろう」

「む」

 マグショットの言に、拳士は少し憤慨する様子を見せた。

「なめられたものだ。この虚幻房を通れる気でいるとはな」

 そう言って、拳士は道場の中央に移動した。

「来い」

 言われるまま、百合香は道場に進み出て相対する。

 

「行くぞ」

 拳士はそう言ったが、百合香は軽い混乱を感じていた。というのも、相手からまるで存在感や殺気を感じないのだ。

「(こいつは…)」

 しかし、次の瞬間に拳士は一気に百合香との間合いを詰めてきた。再び、鋭い貫き手が百合香の腹部を狙う。

「うっ!」

 危うくかわした百合香だったが、姿勢を崩した瞬間を敵は見逃さなかった。

「がっ!」

 一瞬で横に回り込むと、百合香は背中に裏拳を喰らって前のめりになる。

 まずい、と思った百合香は、機転をきかせてそのまま両腕を床に突き、相手に足払いを食らわせた。

「むっ!」

 百合香の予想外の返しに驚いた拳士は、深追いせず距離を取る。

「…やるな」

「……」

 百合香は、相手が距離を置いたその間に姿勢を整えた。一瞬の隙もない。格闘の素人と、プロの違いを肌身で感じていた。先刻戦ったあの二体が、まるで冗談に思える。

 だが百合香もまた、やはりバスケットボールの感覚が助けになっていた。自分がボールを守っている時、あるいは奪う時、そしてブロックをかいくぐってシュートを放つ一瞬の隙を狙う、あの電光石火の応酬は、下手な格闘の試合よりも凄まじいのだ。

 

 その様子を、マグショットは何か怪訝そうに観察していた。

「おかしい…あの拳士、何か既視感がある…」

 それが何なのかわからない。すると、百合香が先手を打って回し蹴りを放った。

「む!」

 マグショットは、何かその攻撃に危険を感じた。

 その不安が的中したのか、百合香の蹴りは最小限の動きでかわされ、逆に胴体に思い切り当て身を喰らった。

「あがっ!!」

 倒れこそしなかったが、百合香はバランスを大きく崩して後ずさる。なんとか態勢を整えて、間合いを詰めると今度は拳を繰り出した。

 しかし、これもまた相手は必要最小限の動きでリーチを取り、百合香が一瞬見せた隙を突いて蹴りを放ってきた。

「うっ!」

 すんでの所で直撃は避けたものの、胸部に若干のダメージがあった。

「なんだこいつ、途端に動きが良くなった…」

「(違うぞ、百合香)」

 マグショットは言葉には出さず百合香を見守った。

「(それに自分自身で気付くかどうかだ。無理ならば俺が加勢するが、果たして…)」

 

 なおも百合香は攻撃を繰り出すが、どうしても確実に当てる事ができない。なぜだろう、と百合香は思った。

 

 その時、百合香は何かがおかしいと思った。三房と言いながら、なぜ最初の二つの房は、あり得ないほどの弱い相手しかいなかったのか。最初の房にしても、百合香が気を発するまでもなく、扉を壊してしまえば暗闇は封じる事ができた。あまりにも弱い。

 

「今度はこちらから行くぞ!」

 拳士は、百合香に凄まじい速度の掌底を放った。

「ぐはっ!」

 思い切り胸に喰らった百合香は、一瞬呼吸を封じられてしまう。その隙に、さらに蹴りが飛んできた。かわし切れず、受けた左腕に強烈な衝撃が走る。

「ぐああっ!」

 強い。やはり、先ほどまでの二体とは次元が違う。次第次第に百合香の身体にダメージが蓄積されていく。

 

 これに比べて、やはり最初の二体はあまりにも、不自然なほどに弱い。

 

 まるで、意図的に弱い拳士を配置したかのようだ。

 

 

 百合香はそこで、一人のスポーツマンとしてピンときた。

 

「…なんとなく、わかった」

 そう言って、百合香は改めて構えを取る。

「むっ」

 百合香が構えを変えた事に、マグショットは気付いた。脚の引き方が先ほどより深い。

「気付いたか」

 

 百合香は、一見すると先ほどまでと同じように相手に接近した。しかし、百合香は蹴りを放つと見せかけて、そこで高く跳躍したのだった。

「なに!?」

「えやあぁぁ――――っ!!!」

 空中で身体を一回転させ、強烈な踵落としを相手に浴びせる。その予想外の動きに対応できず、相手の拳士はぎりぎりの所で腕を組んでガードしたものの、バランスを崩して床に膝をついてしまった。

 しかし百合香は、かかと落としの態勢のまま、両足で相手の首をはさんで、一気に床にひねり落すという荒技に出た。

「ぬぐう!!」

 両腕をガードに用いていた拳士は受け身を取る事ができず、顔面をもろに強打して倒れ伏す。百合香は手を突いて跳ね上がり、間髪入れず構えを取った。

「ええーいっ!!」

 今度は上段から垂直に蹴りを腰に入れる。そのダメージは大きかったらしかった。

「ぐわあぁ――!!」

 飛び退って距離を取る百合香に対し、明らかに弱った様子で拳士はヨロヨロと立ち上がる。

「な…なぜだ」

「わかったのよ」

「む!?」

 

「あなた、さっきの二つの房にいた、あの二体の拳士でしょう?」

 

 指差して百合香はズバリと言ってのけた。

 すると、拳士は小さく笑い始めた。

「ふふふ…よくわかったな。…一体どうやって見破った」

「私は拳法家ではないけど、スポーツマンよ。スポーツの世界には、伝統的に”ブラフ”が存在する。相手の力を見極めるために、意図的に弱く見せる策。あなたは弱い拳士を装って、私に攻撃させ、私の間合いを学習したのよ」

「…見事だ」

 拳士は、改めて拳を構える。それまでとは少し違う、拳を突き出した、気迫が感じられる構えだった。

「私はトンフー。きさまの名は」

「百合香」

「ユリカか。いいだろう、決着をつけよう」

 二人の間に、無言の緊迫が走る。マグショットは黙って見ていた。

 

 百合香は、右拳に炎の気を込める。拳が金色に輝いた。

「ハーッ!!」

 先手必勝、トンフーが凄まじい速度で踏み込んでくる。しかし、百合香は逃げなかった。

「必殺!」

 右手を大きく開き、力を解放する。右腕のアームガードが前面にせり出し、百合香の指をガードした。

 

「『ブレイジング・フィンガー―――――ッ!!!!』」

 

 左腕でトンフーの突きを払い、その顔面に灼熱の手を叩きつける。トンフーの頭部は激しい炎に包まれた。

 

「バーンド・アウト!!!」

 

 百合香の掛け声とともに、トンフーの頭部は一瞬で爆発し、残された身体はその場に背中からドサリと倒れた。それを見て、マグショットは力強く頷いた。

「見事だ、百合香。お前はすでに、己の技の何たるかを掴みかけているらしい」

「掴んだ、とは言ってくれないのね」

 炎のエネルギーを収め、百合香は苦笑いした。

「当然だ。拳の道を甘く見るな」

「はいはい」

『あのー。わたしさっきから出番ないんだけど』

 忘れ去られかけている瑠魅香が、もう飽きたといった口調で百合香の背後からぼやく。

「心配しなくても、そのうち嫌でも出番が来るわよ。その時は、出ずっぱりになるかもよ」

『そんな両極端なのは嫌』

「ふふふ」

 百合香は、呼吸を整えると道場の奥を見た。通路に続くらしい扉が見える。

「あの奥に、あのハットの気障な拳法使いがいるのね」

「オブシディアンといったな。はたして、さっき見せたあの実力が全てなのか、それとも…」

「ブラフだった?」

「わからん」

 マグショットは腕を組んで唸った。

「場合によっては、二対一で戦うぞ、百合香」

「それは、マグショットとしては納得できる戦いなの?」

「納得はしがたい。拳法家は一対一を旨とする」

 しかし、とマグショットは言った。

 

「時には目的が優先される」



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奥義

「俺の拳法は、おまえ達の世界の"少林拳"という流派を、俺に合うように修正したものだ」

 

 オブシディアンの間へ続く通路に進む前に、マグショットは唐突に言った。

「百合香、お前が体得できるかどうかはわからん。だが、俺のこの技を、今ここで伝授する」

「技?」

 百合香がそう問いかけたとき、通路の奥から多数の足音が聞こえてきた。

「あっ!」

 それは以前見かけた、ナロー・ドールズであった。しかし武器は持たず、よく見ると手足が若干強化されている。

「ただじゃ通さないってことか」

 構えを取る百合香だったが、マグショットが前に進み出て百合香を制した。

「お前はそこで見ていろ」

 そう言って、マグショットは全身にオーラのようなエネルギーを充満させ始めた。やや緑がかった、明るい青の輝きだ。それはまるで、ゆらめく炎のようにも見えた。

 

「まず、このように全身に気を込める」

 マグショットは、実演しながらも百合香に聞こえるように言った。ナロー・ドールズは、わらわらと接近してくる。ざっと30体はいるようだ。

「次にそれを胴体へ、そして胴体から両腕へと集束させる」

 マグショットが説明するとおり、エネルギーはその両腕に集束していき、輝きの密度が濃くなってきた。

「何をしているか、わかるか。先程のお前は、全身に気をみなぎらせていた。それは確かに身体能力を高めるが、渾身の一撃を放つ時に、それではエネルギーの空振りが起きてしまう」

 マグショットは説明を続けるが、百合香は接近するナロー・ドールズが気になって仕方なかった。しかし、マグショットはそれを無視した。

「俺の解説に集中しろ。あんな雑魚はどうにでもなる」

 そう言って、次にマグショットは両手にまでそのエネルギーを凝縮させた。

「わかるか?これが、気を"練る"ということだ。そして練った気を、一気に放出する。岩盤に開いた穴から、水が勢いよく飛び出るのをイメージしろ」

 マグショットの両手に、さらにエネルギーが凝縮され、周囲にはその余波で風が巻き起こった。

「これこそ我が、極仙白狼拳奥義」

 マグショットは両手の掌を、右腰のあたりで互い違いに空間を開けて重ねる。その空間に、凝縮されたエネルギーが銀河の渦のように回転した。

 

「『狼爪断空掌!!!』」

 

 左の掌を滑らせるように、右の掌を前方に、脚の踏み込みとともに一気に突き出す。掌の間に凝縮されていたエネルギーは、強烈な渦巻く旋風となって、群れをなすナロー・ドールズに襲いかかった。

 ナロー・ドールズは一瞬にしてその渦に巻き込まれ、文字通り狼の爪に切断されたかのようにバラバラに斬られ、ねじ切れ、暴風によって道場の壁に叩きつけられ、哀れな一山の塵芥と成り果てたのだった。

 ナロー・ドールズのみならず、壁も床も天井も、その一撃でズタズタにされ、すでに原型を留めてはいなかった。

 

「私いらないじゃん!!!」

 それが、マグショットの奥義の一部始終を見た百合香の第一声、率直な感想だった。ラーモンは、百合香ほどの実力ではないと言っていたが、とんでもない嘘ではないか。

「こんなの使えるなら、マグショット一人で全部片付きそう」

「馬鹿者」

 呼吸を整えたマグショットが、百合香に向き合う。

「こんな大技、毎回放ってみろ。腕が折れてしまうわ」

「なんでわざわざ、それを私に伝授しようっていうの?ご丁寧に解説までして」

 百合香は、マグショットの動きの真似をしながら言った。

「俺の技は、見ただけで覚えられるようなものではない。そこには理論がある」

「私に、覚えろっていうの?」

 百合香が問うと、マグショットは手近な瓦礫に腰を下ろして言った。

「俺は強制はせん。覚えたければ、真似をしてみるといい。理屈は教えた」

「無理でしょ」

「ひとつだけ言っておこう。俺のやり方を、そっくり真似できるとは思わんことだ。お前にはお前なりの、やり方というものがあるはずだ。俺は、エネルギーを凝縮させて開放する、その基礎を教えたにすぎん」

 そう言うと、マグショットは腰を上げて通路の方を向いた。いまの一撃で出口周りの壁面も崩壊しており、瓦礫が通路にまで散乱している。

「行くぞ」

 マグショットは、それ以上は奥義について何も言わなかった。百合香は頷いてその後に続く。

『百合香、見込みがあるって思われてるんじゃない?』

 瑠魅香が、百合香にだけ聞こえるように言った。百合香も、瑠魅香にだけ聞こえるように答える。

『チャイナドレスでも用意しとくか』

『なあに、それ』

『どう説明すればいいのかな。黒髪の瑠魅香には似合いそう』

 脳内で女子どうしの雑談をしながら、百合香はマグショットに続いて、いよいよオブシディアンの待つ間へと通路を登って行った。

 

 

 通路の最奥にあったのは、広い空間の中に寺院のような建物が納まっている、という光景だった。それも、手前の小さな建物の奥に、さらに大きな建物がある。

「この中にいるのかな」

「わからん。覚悟はいいか」

 マグショットは静かに言った。百合香は無言で頷く。

「行くぞ」

 マグショットの合図で、百合香は慎重に扉を開けた。

 

 

 堂内は、青白く光る燭台が並んだ、幻想的とも不気味とも言える空間だった。思ったより広い。

 中には誰もいなかった。奥には、おそらくこの建物の後ろに見えた大きな建物に続くのであろう、広い廊下が見える。

「誰もいない」

 百合香は、部屋の中を入念に観察した。何もいる気配がない。マグショットは無言だった。

「ここは奴の間ではない、という事かしら」

 百合香は、奥に続く廊下を見る。

 

 次の瞬間だった。

 

「あうっ!!」

 

 唐突に百合香は背後から、その奥に続く廊下までマグショットに突き飛ばされてしまった。受け身を取りきれず、左腕を打ち付ける。

「うっ…な、なに!?」

 百合香が、何事かと振り向いた時々だった。ガシャン、と音がして地下から格子が飛び出し、今いた室内が囲まれてしまったのだ。格子の目は細かく、マグショットの体格でも通り抜けられそうにない。

 

 そして、その後だった。天井から、背の低い道士のような姿の、不気味な3人の拳士が降り立ったのだ。

「マグショット!!」

 百合香は、室内に取り残されたマグショットを見る。

「ふん、くだらん手品だ」

 そう言うと、マグショットは百合香を見る。

「お前はそのまま奥に進め。おそらくあの手品師がいるだろう」

「でっ、でも…」

「なんだ?お前では勝てないか。よかろう、自信がないのなら、俺が行くまで待っているといい」

 この状況下において、マグショットは一切慌てる様子がないどころか、百合香を煽る余裕まで見せた。

「まったく…いいわよ、あなたが来る頃にご馳走が残ってなくても、文句言わないでね!」

「それは困る。ならば、さっさとこいつらを片付けるとしよう」

 マグショットは、いつになく本気の構えを見せた。全身に、気迫が満ちている。それを見て、百合香は自分がやるべき事のために、振り返らず廊下を奥に進んだ。

 

 

 廊下の奥の空間は広大な御殿といった風で、大仰な階段の上に、派手な装飾の座が据え付けられていた。そこに、あの手品師じみた奇怪な格好のオブシディアンが座っている。その脇に、チャイナドレスの女性の姿をした氷魔が控えていた。氷魔が百合香に警戒するように向き合うと、オブシディアンはそれを制して立ち上がる。チャイナドレス氷魔は、恭しく一歩下がった。

「ようこそいらっしゃいました」

「客を見下ろすなんて、ずいぶんな歓迎ね」

「おや、これは私とした事が失礼をいたしました」

 相変わらずの慇懃なカンに障る口調で、オブシディアンは豪華な階段をゆっくりと降りてくる。その動きはゆるやかでありながら、一切の隙を感じさせないものだった。

 

 床に降り立ったオブシディアンは、百合香に向かって一礼した。

「マグショット様がいらっしゃらないのは残念この上ありませんが、お嬢様には精一杯のおもてなしをさせて頂きましょう」

「耳障りな挑発は聞き飽きたわ。さっさとかかっていらっしゃい!!」

 百合香は、いよいよもって彼女の真っ直ぐな性格に障る、オブシディアンの態度に怒りを示した。オブシディアンは、それに反応して少しだけ真剣な態度を見せる。

「ほう。いいでしょう、真っ向勝負というなら、手加減はいたしません」

「望むところよ」

 百合香が本気で構えているのを見て取った、オブシディアンもまた独得の構えを見せる。右拳を前に突き出しながら、左は掌を上に向けて下げ気味の位置という、マグショットとも異なるものだった。

 

「(この娘の構えは素人だ。しかし、不思議と隙が見えない)」

 オブシディアンは、決して相手を軽んずる事なく、気付かない程のゆるやかな動きで右に移動した。百合香はそれを見抜き、同じように移動する。

 円を描くように移動しているため、互いの位置関係は依然として変わらない。

「(身長や手足のリーチは私の方がやや長い)」

 何でもない動きの中で、オブシディアンは百合香と自分の体格の違いを計算していた。

 

 百合香はしびれを切らしたのか、少しだけ間合いを詰める。それを見て、オブシディアンもまた前に出た。わずかに両者の間合いが狭まる。

 

 あと一歩、互いに進み出れば拳が交わる距離になる。そのタイミングで、オブシディアンが先に打って出た。

 

「ヒョウッ!!!」

 

 先に仕掛ける事のリスクを承知の上で、オブシディアンは脚を蹴り上げてきた。まだ、届くというほどのリーチではない。しかし、牽制にしては力が入っている。

 本能的に危険を察した百合香は、大きく後退した。

 

 百合香が飛び退った次の瞬間、天井の梁に亀裂が走った。

「ほう、今の蹴りを見切るとは大したものです」

「……」

 百合香は正直、肝が冷える思いだった。もしあと一瞬遅れていれば、ガードしていた腕で、見えない空気の刃を受けていたのだ。黄金の鎧のアームガードが、どれくらい耐えられたかはわからない。

 そして、オブシディアンにそれまでの道化めいた態度がなくなっている事に百合香は気が付いた。

「(こいつ、さっきまでふざけた態度だったけど、実力は本物だ…私に、どこまで対抗できるだろうか)」

 再び、両者は互いに打って出るタイミングを測るように、距離を置いて対峙していた。

 

 今の攻撃で、百合香にはオブシディアンの速さが、そしてオブシディアンには百合香のカンの鋭さがわかった。

「(驚くべき事だが、この娘の力は本物だ…拳法のセンスだとか、そういった理屈を無視した、単純な強さがこの娘にはある)」

 百合香の強さを、オブシディアンは否定しなかった。

「(純粋な拳法の実力でいえば、明らかに私の足元にも及ばない…だが)」

 

 再び、オブシディアンは百合香に接近した。今度は、幻惑するような奇妙な動きである。

「(こいつ…奇妙な動きだ)」

 それこそ奇術めいた、掴みどころのない動きだった。攻め入る隙が見えたと思った時には、すぐに封じられてしまう。

 

 そうしているうちに、百合香はあっという間に相手のリーチ内に入られていた。

「!」

 気が付いた時には、すでに遅かった。オブシディアンの左の貫き手が、斜め上に百合香の首を狙う。

「くっ!」

 すんでの所でかわしたが、胴がガラ空きになった所に、強烈なボディーブローが飛んできた。

「ぐほぁっ!!!」

 思い切り食らった百合香は、突き飛ばされて背面の壁に叩きつけられる。

 その衝撃で、それまで一度たりとも傷ついた事のなかった黄金の鎧にヒビが入った。

「げほっ」

 百合香は床に手を突いた。ポタリ、ポタリと口から赤い血が垂れる。

『百合香!!』

 瑠魅香の泣きそうな悲鳴が聞こえる。百合香は、頭を打ち付けた衝撃もあり、立ち上がる事ができなかった。

「やはり実力差は覆せないようですね」

 オブシディアンはゆっくりと百合香に近付く。

「あの猫レジスタンスは、ここまで駆け付けてくれるでしょうか。せいぜい、彼があなたの仇討ちをしてくれる事を期待して死ぬのが良いでしょう。ご心配なく、あなたの亡骸は丁重に氷の彫像として、氷巌城に飾らせていただきます」

 

 オブシディアンの声が遠い。まるで、瑠魅香の声のように聞こえる。五感が、衝撃で鈍っているらしかった。

 ここで死ぬのか。呆気ないものだ、と百合香は思った。さんざん気張って、力をつけ、登ってきたのに。私は誰一人救えないまま、この氷の城で朽ち果てるのか。

 

 朦朧とした意識の中で、ふらついた百合香の視界には、悠然と歩いてくるオブシディアンの背後に伸びる高い階段が映った。

 

 その時、百合香は何か、不自然なものを感じた。

 

 あの、チャイナドレスの女風の氷魔だ。

 

――――見下ろしている。

 

 私を、ではない。何を?その視線は、私よりもっと手前の何かを見下ろしている。手に持つ扇を、魔法の杖のように弄びながら。

 

 

 なぜ、主であるオブシディアンを、平然と見下ろしているのか。

 

 百合香は、直感で全てを悟った。それは、身体の痛みをも忘れさせるほどの、知的興奮であった。

 

「さあ、お休みの時間ですよ、お嬢様」

 オブシディアンは右腕を、貫き手の形にして百合香に迫る。次の一撃で、百合香の16年の人生は終わる。

 

 しかし、百合香は諦めなかった。

「ぐっ…」

 血の味がする喉をギュッと締めて、ふらつく脚に無理やりに力を込め、立ち上がる。だが、頭はふらついており、その瞳はオブシディアンの後ろに向けられていた。

「そのダメージで立ち上がるとは、見上げたものです。しかし、その美しい顔が苦痛に歪むのは、見るに堪えません」

 オブシディアンの口調には、若干の苛立ちが見てとれる。

 

 百合香は、その右腕に炎のエネルギーを蓄え始めた。オブシディアンは驚いた様子で立ち止まる。

「馬鹿な…まだそんな力が残っているのか」

「バスケット選手のタフネスを…侮らない事ね」

『百合香!代わって!』

 瑠魅香が叫ぶ。

「だめよ。あなたでは、こいつらに勝てない」

『でも!』

「約束したでしょ。美味しいもの食べさせてあげるって」

 百合香は、顔に滲む血を拭って不敵に笑う。

「エネルギーの撃ち方は、マグショットに習ったわ」

「ほう、それで私を撃つというのですか。よろしいでしょう、やってご覧なさい。大サービスだ、私はここで立ち止まって差し上げましょう」

「いいのかしら。その侮りが、命取りになるかも知れないわよ」

 百合香の右拳に、なおも炎のエネルギーが集中する。その影響で、床や柱の表面が溶け始めた。

 

「はあぁぁ――――!!」

 スパークプラグのような凄まじい火花が、百合香の拳に集中する。オブシディアンは立ち止まるどころか、近付けなくなっていた。

 百合香は、痛む喉を押して叫ぶ。

 

「『紅蓮燕翔拳!!!』」

 

 吐血とともに、飛翔する燕のごとき炎の矢が、オブシディアンめがけて放たれる。

 だが、それはオブシディアンの顔をかすめて飛んで行ってしまった。

 

『百合香!』

「瑠魅香、心配かけたね」

『え?』

 

 百合香が放った炎の矢は、階段をすれすれに高速で飛翔した。

 

 その先にあるものを、それは直撃した。

 

「あっ!!!」

 

 女性の悲鳴が響く。それは、チャイナドレスの女氷魔だった。

 氷魔の手から扇が落ちる。

 

 すると突然に、オブシディアンはその場に崩れ落ちて動かなくなってしまった。

 

『なに、いったい!?』

 瑠魅香が叫ぶ。

「わかったのよ。オブシディアンの本体は、別にいるって」

『どっ、どういうこと!?』

「オブシディアンは操り人形だったということよ。この間の、真の主のね」

『真の主!?』

 百合香は、階段の上に立つチャイナドレス氷魔を真っ直ぐに指さした。

 

「オブシディアンの本体…いえ、このエリアを守護する氷騎士。それは、あなたよ」

 



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紫玉

 百合香の断言に、ボブカットの女氷魔はしばし沈黙したのち、肩をふるわせて笑い始めた。

「くくく…ほほほほほ!!」

 女氷魔は口元を手で隠して、広間に響くほどの大きな笑い声をあげた。

「見事じゃ。我の仕掛けを見抜くとはの」

 そう言って、一歩前に踏み出すと百合香を見る。

「いつ見破った」

「最初から違和感はあったわ。オブシディアンは、なぜか顔面だけは絶対に攻撃してこない」

 その指摘に、女氷魔はぴくりと反応した。

「それに、さっきのオブシディアンのセリフ…美しい顔が苦痛に歪むのは見るに堪えない、なんて。戦闘中にそんなことを気にするのは、女だと思ったのよ。氷魔に性別があるようには見えないけど、"女"という概念を選択した個体だっているはず」

「……」

「そして、オブシディアンのあの異様な動き。あれは、まるで第三者が外から私の動きを見ているような動きだった。どんな方法で操っているのかはわからないけど」

 足元に転がるオブシディアンを百合香は見る。

「こうして、動かなくなったのが何よりの証拠。仮に彼が負けても、私はすでにダメージを負っていて、倒すのは造作もない。オブシディアンは、あなた自身が傷付かずに敵を倒すための傀儡だったのよ」

「ふむ」

 チャイナドレスの氷魔は、興味深げに百合香を見た。百合香は続ける。

「ここまでの実力を持った者が、ただの兵士なわけがない。氷巌城の幹部、氷騎士ね。名前を名乗りなさい」

「ほほほ、この我に向かって名を名乗れとはの。見上げた度胸じゃ。百合香、と申したか」

 そう言って、女氷魔は軽やかにその場を跳躍し、階段を飛び越えて百合香の眼前に降り立った。

 

「いかにも。我はこの場を預かる氷騎士、紫玉じゃ」

「紫玉、悪いけどここは通らせてもらうわ」

「ほっ」

 度し難いものを見るような目で、紫玉は笑った。

「たまげたの。その傷ついた身体で、我に勝つ気でいると申すかえ」

「傷つくのが怖くて、人形を代わりに戦わせるような臆病者に、私は負けないわ」

 百合香の啖呵に、紫玉はしばし無言を挟んで答えた。

「この我が癪に障る言葉を、よくも次々と吐き出す女子じゃ」

「もっと癪に障らせてあげるわよ。かかって来なさい」

 

 どこからそんな気力が湧いてくるのか、瑠魅香は不思議でならなかった。百合香の身体は、さっきの一撃で深刻なダメージを負ったはずだ。

 実体化した氷魔の身体は、特別な魔力を持った個体以外は自己修復ができない。割れたらそこで終わりである。人間の身体の強さとは一体、何なのかと瑠魅香は思っていた。

 

 しかし、百合香が気力を振り絞って戦おうと構えを取ったその時、背後でドサリと何かが投げ出される音がした。

 

「こんな不味い前菜を出す舘、主の程度も知れているな」

 その頼もしい声の主は、マグショットであった。足元には、ずたずたにされた道士ふうの氷魔の亡骸が捨てられていた。

「マグショット!!」

「無事だったか」

 言いながら、足元のオブシディアンを見る。

「それは?」

「そいつは単なる操り人形だったの。本体、真の氷騎士はこの女、紫玉」

「なるほどな」

 マグショットは紫玉を見ながら百合香に訊ねる。

「その身体でやるつもりか」

「私、こういう自分が傷つかない場所から人を攻撃するような奴が一番嫌いなの」

「ふっ、お前もお前だ」

 そう言いながら、百合香と紫玉の間に立つ。

「瑠魅香。聞こえているか」

『えっ?なに?』

「百合香の傷を癒せるか。魔女なのだろう」

『癒す!?傷を治すってこと!?』

 唐突な注文に、瑠魅香は混乱していた。そんなのは、やった事がない。

 しかし、これまで土壇場で色んな事を実現してきた百合香を見て、自分もできるかも知れない、と瑠魅香は思い始めていた。

『わっ…わかった、やってみる!』

「その間だけ、俺がこの女氷魔の相手をしておいてやる。なに、心配するな。傷ひとつ与えず、足止めだけにとどめておいてやろう」

 それは一番難しい仕事なのではないかと瑠魅香も百合香も思ったが、マグショットなら出来るんだろうなと納得するしかなかった。

「マグショット、頼んだね」

「早くせんと、この女の首が跳ね飛ばされているやも知れんぞ。俺は物覚えが悪いからな」

 マグショットは自信たっぷりに、紫玉の前に立ちはだかる。

「さあ、あいつが傷を癒すまでの間、せいぜい俺をもてなしてみせろ」

「猫ふぜいが。侮るでないわ!!」

 一切の間を置かず、紫玉は両手で抜き手を放ってきた。左右から挟むように、マグショットの首を狙う。しかし、マグショットは微動だにせず、その抜き手を正確に上方向に払った。

「ぬっ!」

「ふん。ぬるい拳だ」

 今度はマグショットが、紫玉の脚を払う。小さな身体から恐るべき重みを伴う足蹴りが繰り出され、紫玉はバランスを崩して後退した。

「おのれ!」

 お返しとばかりに、紫玉も蹴りを放つ。しかし、マグショットはそれを難なくかわして、腕を伝って紫玉の頭に登ると、その目を塞いでしまった。

「おのれ、離れろ!痴れ者が!!」

「ふん」

 完全に舐め切った様子で、マグショットは紫玉の後頭部に蹴りを入れて飛び退る。

「ぬっ!」

「どうした。猫一匹捕らえられんのか」

「おのれ!!」

 

 

『百合香、大丈夫?』

「大丈夫じゃない」

『当たり前でしょ!』

 瑠魅香が頭の中で怒っているのがわかる。

『百合香、できるかどうかわからないけど、いまあなたの傷を治してみる』

「大丈夫、できるよ。瑠魅香なら」

 百合香は断言する。

「瑠魅香、ヒントって近くに必ずあるんだよ」

『ヒント?』

「そう。思い出してみて」

 そう言われても、瑠魅香にはすぐに思い出せなかった。傷を治す魔法など、自分は知らない。何か、参考になるものがあっただろうか。

 

 その時、瑠魅香は至極単純なものを思い出した。

『…癒しの間だ』

「え?」

『癒しの間が持ってるエネルギー、あれを応用してみる』

 百合香は、その瑠魅香の言葉を信じて、片膝をついていた。

 

 やがて、全身に暖かなエネルギーが流れ込むのを百合香は感じていた。

「…感じるよ、瑠魅香。あなたの魔法」

『傷、治ってる!?』

「それはわからない」

『わからない、じゃわからないよ!』

 不安そうな瑠魅香の声に、百合香は笑って言った。

「大丈夫。胸の痛みが治まってきてる」

『本当!?』

「ありがとう、瑠魅香。私達、ほんといいコンビだよね」

 その百合香の言葉に、頭の中で瑠魅香が涙ぐんでいるのがわかった。

「ほんと泣き虫よね、あなた」

『ばか』

「治ってきたよ。それだけじゃない。気力が湧いてきた」

 百合香は、ゆっくりと立ち上がる。

「……?」

 そのとき百合香は、ひとつの異変を感じていた。今までのエネルギーの爆発とは違う、何かだ。

「これは…」

 

 

 紫玉とマグショットは、一歩も動かず対峙していた。

「恐るべき実力よ。このような者が城内に潜んでいたとはの」

「恐るべき実力だと?」

 マグショットは鼻で笑う。

「それはあいつらの事だ」

「なに?」

「俺の仕事はここで終わりだ。あとは特等席で観覧させてもらう」

 そう言うと、マグショットは階段を駆け上がり、オブシディアンが座っていた椅子の上にちょんと座った。その様子は猫そのままである。

「おのれ、降りて参れ!」

「よそ見をしていいのか」

「む!?」

 その時だった。紫玉は、背後で起こったエネルギーの爆発に驚いて振り向いた。

「なっ…何事か、これは」

 見ると、百合香がそこには立っていた。全身が燃え盛っている。

「あ…熱い!」

 たまらず、紫玉は後ずさる。百合香は、まっすぐに紫玉の目を見据えていた。

「マグショット、瑠魅香。あなたたちのおかげで、またひとつ強くなれそう」

 百合香は、踵を鳴らしてその場に立った。燃え盛る炎が、一瞬ではじけ飛ぶ。

 

 そこにあるのは、新しい鎧に身を包んだ百合香の姿だった。今までよりもさらに重厚かつ、華麗な黄金の鎧である。今までは護られていなかった腹部や、大腿部までガードが追加されていた。

「お主、その姿は…どうしたというのじゃ!」

「待たせたね」

 それだけ言うと、百合香は一瞬で紫玉への間合いを詰めた。

「なっ…!」

「せいや―っ!!!」

 百合香は、体を回転させて紫玉の鳩尾に強烈な肘鉄をくらわせる。

「おごぉっ!!」

 吹き飛ばされた紫玉は、柱にしたたかに打ち付けられた。

「が…はっ」

「遅い!!」

 再び踏み込んだ百合香は、容赦なく蹴りを放つ。腹にもろに喰らった紫玉は、柱ごと打ち抜かれて背後の壁面にめり込まされた。

「あがっ…ば、ばかな」

 紫玉は、起きている事が信じられない様子だった。よろよろと立ち上がり、どうにか構えを取る。さすがに氷騎士だけあって、まだ深刻なダメージは負っていないようだった。

「なぜ、そのような力が突然に…」

「そうじゃないよ」

「なに?」

「私は、自分の中にあるエネルギーの使い方を、学んでいる最中なんだ。これからも、少しずつ強くなっていく。あなた達との戦いを通して」

 その言葉は、紫玉を戦慄させるに十分だった。

「ま、まだ…まだ、強くなると申すか、今よりも」

「そうよ。最後には、この城を粉々に打ち砕いてみせる。私の世界を救うために」

「身の程知らずめ!!!」

 激昂した紫玉が、百合香に青紫色のエネルギーの塊を放ってきた。それはバレーボール大の球状で、冷たくも禍々しい魔力に満ちていた。

「うっ!」

 腕で弾き飛ばした百合香だったが、その弾いた腕には凍傷のような痕が残り、強烈な痛みが襲った。

「くっ…!」

「ほほほ、苦しかろう!」

 再び、紫玉はそれを二発、三発と放ってくる。避けきれず、さらに肩や脚に攻撃を受けた百合香は痛みに片膝をついてしまった。

「さきほどまでの大口はどうした!」

「ぐぐぐ…」

 百合香は、全身に気を漲らせた。そして、痛みを振り切るように叫ぶ。

「うあぁ―――っ!!」

 百合香の体内から弾けたエネルギーが、体に刻まれた凍傷を全て消し去り、さらにその余波が舘全体を揺るがした。

「なっ、なんと!?」

 紫玉は、そのエネルギーの余波をまともに受けて、全身を焼かれ苦しみ始めた。

「うぁっ…あ、熱い!」

「終わりよ」

 百合香が、拳にエネルギーを込める。ゆっくりと、一歩ずつ紫玉に近付くと、その拳を大きく後ろに引いた。

「ひっ」

「はぁぁぁぁ――――!!!」

 とどめの一撃を、百合香は突いた。

 

 しかし。

 

「えっ!?」

 予想外の出来事に、百合香はたじろいだ。繰り出した炎の拳が貫いたのは、紫玉ではなく、さっきまで倒れていたオブシディアンの胴体だったのだ。

「オブシディアン!」

 驚いた百合香は、紫玉を見る。すると、いつの間にか紫玉はあの扇を手にしていた。

「ほほほ、主のために役立てて本望じゃろうて」

 百合香が一瞬見せた隙をついて、紫玉はその懐に飛び込んできた。そして、貫き手を百合香の心臓めがけて突く。

「死ねっ!!!」

 

 

 その時だった。何かが砕ける鈍い音がした。

 

「うっ…ぐうう」

 

 紫玉は、砕け折れた自らの右腕を押さえて、苦しんでいた。貫き手は百合香の新しい鎧に完全に阻まれ、傷ひとつ与える事さえ叶わなかったのだ。

「あなたにこの鎧を貫く事なんて、できないわ」

 百合香は、全身に力を込めた。そのエネルギーは、徐々に胴体、そして両腕、両手へと凝縮されてゆく。

「むっ」

 眺めていたマグショットが、それを見て軽く驚いた。

「ひっ、よ、寄るな」

「氷騎士の紫玉。人形を操り、己は安全な場所から他者を葬ろうなど、武人の風上にも置けない卑怯者」

 百合香の重ねた掌の間に、炎のエネルギーが圧縮され、激しくスパークした。

「この私が引導を渡してあげる」

「ま、待て!ここは通してやる!我に近寄るでない!!」

 

 紫玉に一切の情けを見せることなく、百合香は両の掌を、渾身の力を込めて突き出した。

 

「『紅蓮孔雀翔!!!!』」

 

 百合香の掌から無数の炎の羽根が放たれて、紫玉の全身を打ち砕き、焼き尽くす。さらに背後の柱を砕き、壁を突き抜け、舘そのものを半壊させるに至った。

 紫玉の身体は欠片も残らず消え去り、床には主を失ったオブシディアンが哀れに横たわっていた。

「……」

 百合香は、オブシディアンとは一体何だったのかを思って、複雑な気持ちになっていた。ひょっとして、本来は自分の意志を持っていたのではないか。だとすれば、紫玉によって自我を失い、操られていたという事になる。単なる想像でしかなかったが、紫玉の冷酷さを思うと、あり得ない事ではない。

 

「よくやった」

 マグショットが、階段を降りながら言った。

「俺の奥義も見事に盗んでみせたな」

「盗んでないよ。きちんと、教えてくれたじゃない」

「覚えられない奴は、教えても永遠に覚えん。お前は力があるという事だ」

 マグショットは、倒れたオブシディアンの腕を組んでやった。

「こいつはおそらく、もともと人格を持った氷魔だ」

「!」

「実力はあったのだろう。それを、あの紫玉という氷魔に利用されたのだ」

「ひどい…」

 百合香は、オブシディアンの手を軽く握った。構造は文字通りの人形だが、百合香はそこに”人間”をどうしても感じてしまうのだった。

「氷騎士どもは本来、冷酷な存在だ。ただし今は、サーベラスのような例外も出現している」

「この先も、そういうのがいると思う?」

「わからん」

 マグショットは、百合香が開けた大穴の方に歩いて行く。

「百合香に瑠魅香。俺は行く。俺が必要な時は、レジスタンスどもに連絡を入れろ」

「行っちゃうの?」

「…俺は、群れるのが嫌いだ」

 なんとなく、名残惜しそうな雰囲気が伝わって来る気がしたが、百合香は黙っていた。

「わかった。色々ありがとうね」

「次に会う時まで、せいぜい強くなっていることだ」

「うん。またね」

 マグショットは、百合香に背を向けたまま歩いて行く。

「さらばだ」

 

 それきり、マグショットが振り返る事はなかった。

 

 

『行っちゃったね』

「うん」

『ああいうの、風来坊って言うんでしょ』

「…なんでそういう日本語は知ってるの」

 ”いつもの瑠魅香”との会話が戻ってきた気がして、百合香は笑った。

「行こっか、瑠魅香」

『うん。ねえ、久々に私出ていいかな』

「いいよ。どうぞ」

 百合香の許可を得て、瑠魅香は表に出て来た。黄金の鎧姿から、紫のドレスを来た黒髪の魔女へと姿が変貌する。

「だんだん、このやり取りにも慣れてきたなあ」

『あなたは早く自分の肉体を見付けてちょうだい』

「それ、ガドリエルにこの間訊いたんだけどさ。”不可能ではないかも知れない”みたいな、ぼんやりした回答しかなかったのよね」

 何だそれは、と百合香は思う。

 

 もし、いつか瑠魅香が自分の肉体を得た時、自分達の関係はどうなるのだろう、と百合香は思った。今こうしてひとつの肉体を共有している関係に、百合香はどこか居心地の良さを覚え始めている。しばらくは、このままでいい。そんな風に思う百合香だった。

 

 二人の行く手には、まだ冷たい氷の空間が続いていた。



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トマトとニンニクのスパゲティ

「報告いたします。破壊された魔導柱の応急修復が完了しました」

 そう氷の兵士の報告を受けたヒムロデは、青いローブのフードから覗く、不気味な白い肌をのぞかせて言った。

「うむ」

「ご指示どおり、他の魔導柱への通路も全て遮断しました」

「それでよい。あの柱そのものは至極単純な設備だ。外部から破壊されぬ限り、異常が起きる事はない」

 ヒムロデの声は、重みと鋭さと、独特の艶めかしさを備えたものだった。

「して、紫玉が倒されたとの報告はまことか」

「はい。どうやら侵入者は、例のレジスタンスの手練れとも接触したもようです」

「面倒だな」

 小さく舌打ちして、ヒムロデは窓の外の景色を見る。

「ときにヌルダの姿が見えぬが、奴は何をしておる」

「はい、ご自分の棟にこもって何やら研究を始められたようです」

「ふん…奴の悪い癖だ。数百年…いやもっと前から、全く変わらんな」

 小さな溜息が聞こえたのを、兵士は聞こえないふりをした。

「わかった。下がってよい」

「はっ、失礼いたします」

 

 兵士が去るのを待って、ヒムロデはフードを下げた。

「ラハヴェ様はあのように仰るが、あの侵入者…このままにしてはおけん」

 呟いて、テーブルの上のワイングラスを傾ける。紅いワインに、空のオーロラが不気味に映っていた。

 

 

 

 

 氷巌城第1層の通路を歩く瑠魅香は、道に迷っていた。

「どっち行けばいいんだろう」

『さっき、右の方から来たんじゃない?』

 頭の中で百合香が言う。ここは、広い通路の丁字に分かれた行き止まりである。さっきも似たような丁字の分岐で、さんざん口論したあげく左に曲がったあと、同じような丁字や、十字に交差する箇所などを何度も通って、今また似たような場所に出たのだった。

「どうしろっていうんだ」

『目印を置いたら?迷った時のために』

「それより、魔法で壁をぶち抜いた方が早くない?」

『そんな事したら、私ここにいますよ、って敵に教えるのと一緒でしょ』

 呆れたように百合香は言うが、瑠魅香は”伝家の宝刀”を持ちだした。

「それ、あの柱を破壊して敵の警戒を強めた張本人が言う?」

『ごめんなさい、ちょっと聞こえなかったわ』

「あっそ」

 いい加減歩き疲れたのか、瑠魅香はサジを投げて、癒しの間へのゲートを魔法の杖で探し始めた。白い冷気のエネルギー粒子を空間に撒きながら、見逃さないように観察する。

「今更だけど、場所が限定されるとはいえ、なんで癒しの間へのゲートがこの城にもあるんだろう」

『あれじゃない?例の、”ガドリエルでも知らない”案件』

「なるほど」

 百合香たちをサポートしてくれる”自称”女神のガドリエルは、”自分に知識がある理由がわからない”という奇妙な状況にある。

「確かに、会話してるとなんか機械的な感じはあるよね」

『うん…』

 何気なく相槌を打ったとき、百合香はふと思い出した事があった。

『あっ』

 思わせぶりに声を出すので、瑠魅香もつい何事かと立ち止る。

「どうしたの?」

『いや、ちょっとね』

 

 百合香は、奇妙な夢を連続して見た事を瑠魅香に説明した。

「ふーん。百合香はその夢で、知らない国にいたんだ」

『そう。夢の内容はどうしても思い出せなかったんだけど、今思い出した』

「赤い髪の巫女が出て来たの?」

 瑠魅香は問う。

『巫女かどうかはわかんないよ。なんか、私の知識では巫女というか、僧侶とか、そんなイメージがあっただけ。お姫様かも知れないし』

「位が高そう、ってことね」

『ざっくり言うと、そういうこと』

 百合香は、その赤い髪の女性の姿を思い出してみた。長い髪は前で分けられており、額には金色の飾りを懸けていた。服は豪華というわけではないが、足首まである長いローブに、装飾の入った紺色のカラーを被せてあった。手には何か持っていたような気がするが、思い出せない。

「二回目の夢は怖いね。百合香、夢の中で死んじゃったんでしょ」

『うん。目が覚めたとき、なんか落ち着かない気分だった』

「で、どうしてその夢を今思い出したの」

『わかんない。どうしてだろう。ガドリエルの話をしてたら、なぜか思い出した』

 うーん、と瑠魅香は考えてみたが、百合香がわからない事を瑠魅香にわかるわけもない。仕方なく、そのまま歩くのを再開した。

 

 すると、瑠魅香は何か音が聞こえる事に気が付いた。

「百合香、なにか音がする」

『音?』

「水が流れるような」

 言われて、百合香も耳を澄ます。

『あっ』

 確かに聞こえた。硬い通路に水の流れる音が反響している。

「行ってみよう」

『慎重にね』

 瑠魅香は、ゆっくりとその方向に進んでみた。音はだんだん近づいてくる。

 

 歩いた先は、通路を横切るように右から流れる広い水路だった。幅は50mくらいはありそうだ。水路を渡った先に通路が続いている。水路そのものは通路と違って暗く、奥が見えなかった。

「どうします?お嬢様」

『また変な日本語覚えて』

「百合香は泳げるの?」

 答えを待っている瑠魅香だったが、百合香は黙っていた。

「もしもーし」

『…泳ぎはあんまり得意じゃない』

「深いのかな」

 瑠魅香は、杖をゆっくり水の中に入れてみた。すると、瑠魅香の背丈ほどある杖がすっぽり入ってしまった。

「深いな」

『ここを通るのはやめた方がいいんじゃない』

「そうだね」

 満場一致で迂回が決定したところで、瑠魅香の耳に嫌な音が聞こえてきた。

「ん?」

 瑠魅香は振り返る。すると、背後からガチャガチャと、足音が聞こえてきた。

「げっ!兵士だ!」

『気付かれたか』

「おーし」

 瑠魅香は杖に魔力を込め、やって来る敵を待ち構える。やがて、おなじみナロー・ドールズが通路いっぱいに大挙してきた。

「おりゃーっ!」

 魔女としてその掛け声はどうなのか、と百合香は思ったが、瑠魅香が放った魔法のエネルギーは、ナロー・ドールズをまとめて吹き飛ばし粉々にした。

『こういう場面だと、私よりあなたの方が強いんじゃないの』

「そうかな」

『あっ、また来た!』

 百合香は、さらに足音が続いてきた事に気付いた。

「キリがない」

 唐突に瑠魅香は、水面に向けて杖を構える。

『ちょっと、何考えてんの』

 百合香は不安げに訊ねる。足音がさらに近付いてきた。しかし瑠魅香は、敵ではなく水面に魔力を放ったのだった。

『!?』

 百合香が何事かと思っている目の前で、水が凍結して不格好なボートが形成されたのだった。

「いくよ、百合香!」

『ちょちょちょ、ちょっと!』

 百合香が不安を訴える間もなく、瑠魅香は即席のボートに乗り込む。足場が大きく揺れ、百合香は生きた心地がしなかった。

『あぶない、沈む!!』

「失礼ね」

 瑠魅香は、沈んでもいない自前のボートへの悪評レビューに憤慨しつつ、魔力でボートを発進させた。背後では、駆け付けたナロー・ドールズが次々と水路に落ち、沈んだり流されたりと散々な目に遭っている。

 

 百合香の心配をよそに、ボートはゆっくりではあるが進んで行った。

『絶対沈むと思った』

「どんなもんよ」

『いいから早く渡って』

 百合香は水路の反対側に見える通路を睨む。しかし、それがどこに続くのかはわからない。

 

 その時だった。

『ん?』

 百合香は、ボートが突然強く横に逸れた事に気付いた。

『ちょっと、逸れてるわよ』

「あ、ほんとだ。ごめん」

 言われるままに、瑠魅香は魔力で進路を修正する。

 しかし、またしても進路が左に大きく逸れた。

『どうしたの?』

「水流が強くなってる!」

 瑠魅香は魔力で必死に進路を修正した。しかし、水流はさらに速さを増していく。

『ちょっと!』

「こんにゃろー!」

 瑠魅香は、渾身の魔力を込めてボートを通路に向ける。今度こそ進路を修正できたものの、速度は水流への抵抗のせいで、非常に遅くなってしまった。

「ゆっくりだけど、これで大丈夫」

『ふう』

「何なんだろうね、この水路」

 瑠魅香は水路の奥に目をこらしてみるが、やはり暗闇で奥は見えなかった。

 

 そして、ようやく水路の真ん中あたりまで到達した時だった。

 ボートを取り囲む水面に、無数の影が飛び出した。

「!?」

『なに!?』

 二人が驚いたその無数の影は、奇妙な丸い頭の氷魔だった。目はまるで眼鏡のように飛び出している。

「こいつらは…」

『瑠魅香、くる!』

 百合香は即座に瑠魅香に防御を指示した。すると、氷魔は突然丸いボールを取り出し、瑠魅香にむけて投擲してきた。

「うわっ!」

 瑠魅香は、慌てて魔法で防御する。どうにか弾き返したが、他の氷魔たちも同じようにボールを持ちだして、一斉に投げるポーズを取った。

『まずい!!』

「なんなのよ、もう!」

 瑠魅香は再び杖に魔力を込め、ボートの周りに魔法の障壁を形成した。それとほぼ同時にボールが全方位から飛んできて、障壁にぶつかって激しく砕けた。

「この!」

 瑠魅香は対抗して水面から多数の氷の塊を形成し、氷魔たちに向けて発射する。氷魔たちは頭部を砕かれ、そのまま水に沈んで行った。

『ナイス!』

「どんなものよ!…って、ちょっと」

 瑠魅香は、またしても青ざめた。同じ氷魔が、さらに何十体も現れたのだ。

「しつこいな!」

『来るよ!』

 やはり氷魔たちは同じように、ボールを一斉に投擲してきた。あまり知性があるようには思えないが、逆にそれが不気味だった。

 何十というボールを一斉に受けて、さすがに魔法の障壁も軋み始める。百合香は焦った。

『いっぺんにやっつけられないの!?』

「ああもう!」

 瑠魅香は、杖に力いっぱい魔力を込めた。巨大な電撃のスパークが起きる。

 

「砕けろ―――っ!!!」

 

 瑠魅香は、水面に思い切り電撃のボールを叩きつける。すると、水路全面にスパークが起きて、無数の氷魔は一瞬で粉々に砕け散ってしまった。

「これでどうだ!!」

『片付いたの!?』

「わかんない」

 二人は、注意深く水面を見守る。しかし、それ以上氷魔が現れる様子はなかった。

「ふいー」

 瑠魅香は胸を撫で下ろし、ボートにぐったりと座り込む。

「生きた心地がしなかった」

『あれ、ひょっとして…』

 百合香が何か考え込んだ。

「なに?」

『いや、うちの学校に水球部があるから』

「すいきゅうぶ?」

『うん。水に浮かんでボールを投げるゲーム』

 それを聞いて、瑠魅香は首を傾げた。

「人間って、わけのわからないゲームを考えるのね」

 

 

 どうにか、瑠魅香のボートは水路を渡ることに成功した。

「疲れたわ」

『そろそろ、癒しの間のゲートを探さないと』

「どこにあるかわかんないって、色々不便だなあ」

 瑠魅香は再び、魔力を放ってゲートをサーチする。しかし、そうそうすぐには見つからない。結局、ゲートを見付けたのはそこから5分くらい歩いた所だった。

 

「あー」

 いつものように、百合香は癒しの間に入るなり、鎧姿のままベッドに倒れ込んだ。

「おなかすい…」

 た、と言いかけて、百合香はまたしても、見慣れないものが出来ている事に気付いた。冷蔵庫の横に、大きな棚ができている。

「!」

 まさか、と思って百合香は棚に駆け寄る。そこにあったものを見て百合香は、嬉しさと困惑が入り混じったような、複雑な表情を見せた。

「これ…」

『なに?』

 半透明の瑠魅香も、百合香の横から棚を覗き込む。そこにあるのは、スパゲティやペンネだった。茹でる前の。

「甘かったか」

『何が』

 瑠魅香をよそに、百合香は冷蔵庫を開ける。中に入っていた缶を取り出すと、ドンと置いた。

『なにこれ。トマトソース、って書いてあるけど』

「瑠魅香」

 百合香は、戦いの時と同じくらい真剣な顔を向けた。

「あなたに料理を教える」

 

 ご丁寧に棚の隣には調理器具やコンロ、オーブンなどが据え付けてあった。どこからエネルギーを調達してるのかは不明であるが、それを言い出したら食材からして、どうやって現れるのかも謎だった。

 ともかく、「トマトとニンニクのスパゲティが食べたい」という百合香の願いは、自分で調理するというプロセス込みで叶えられる事になった。麺、ソース、その他の材料はご丁寧に全て揃っている。

『百合香は料理できるの?』

「できる」

 力強く百合香は答える。

「お母さんが家にいない事が多かったから、嫌でも覚えなきゃいけなかった」

『ふーん。料理って、しなきゃいけないの?』

 とてつもなく根源的な問いを、瑠魅香は投げかけてきた。

『動物は自然にあるものを直接食べてるよね』

「…そういう事は知ってるんだ」

『あのね。氷魔だって地球の事はそれなりに知ってるんだよ。知らないのは人間社会の情報。人工的な文明がある場所に、氷魔はあまり好んで近付かないから』

 なるほど、と百合香は頷いた。

「そういえばそうだね。人間は、生の食材をほとんど食べない」

『どうして?』

「…さすがにそこは、私の知識の範囲外だわ。けど、長い歴史の中で、人類は”加熱して食べる”っていう習慣が身についちゃったの」

 そこから、あれこれと百合香は知っている知識の範囲で「食と人間」について語りながら、瑠魅香に「トマトとニンニクのスパゲティ」の調理過程を披露したのだった。

 

「お、お、お、おいしい…なにこれ」

 百合香は瑠魅香と精神を交替して、手製のスパゲティを振舞った。フォークの使い方を何度も何度も教えたあとで。

「百合香って天才なの!?」

『ネットでレシピ覚えただけだよ』

「じ、人類はこんなおいしいもの食べてたのか…おいしい、ってこういう感覚なのか」

『ちょっと、私の分残してよ!』

 けっこうな勢いで器用にスパゲティを巻いていく瑠魅香に、百合香は焦ってストップをかける。3分の2ぐらいを食べたところで、ようやく瑠魅香は身体を返してくれた。

「…満足していただけたなら、良かったわ」

 残ったスパゲティを口に運びながら、百合香は少し残念そうに瑠魅香を見る。どっちが食べてもお腹に入るのは一緒なのだが、味わうという満足感が重要なのだと百合香は改めて知った。食べるというのは、単に栄養分だけを取り込む事ではない。

「…でも、しばらくこんな食事してなかったから、嬉しい」

 百合香の目尻には、涙が浮かんでいた。

『泣いてるの?』

「ソースがちょっと辛かっただけよ」

『百合香も泣き虫じゃん』

「うるさいわね」

 久しぶりの食事を挟んで、百合香は瑠魅香と語らいながら、それまでの疲れと痛みを癒した。この時間がこのまま続けばいいのに、と百合香は心のどこかで思っていた。



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Welcome to the Freezing Parade

「音楽が聴きたい」

 百合香は、食後のルイボスティーを飲みながらボソリと言った。

『音楽?』

「知ってるでしょ」

『なんか、夕暮れになると校舎の3階から聴こえてたやつ?』

「それはブラバン。音楽は音楽だけど」

 全国の学校でおなじみの、放課後のブラバンの音は百合香も好きだったが、いま彼女が言っているのはそうではない。

『あー、J-POPとかいうやつ』

「それとも違う。…ほんと不思議なんだけど、あなたが覚えてる単語と、そうでない単語の線引がわからないわ」

『うん、学園をあちこち覗いてて、なんでか耳に残るのと、残らないのに分かれるんだわ』

 ふうん、と言いながら百合香はテーブルに片肘をつく。溜まっていた疲れがやってきて、途端に瞼が重くなり始めた。

『寝ちゃっていいよ。あたし身体借りてシャワー浴びておくから』

「第三者が聞いたら何の話か絶対わからないと思うわ」

 そんなことを言いながら、百合香の頭がグラグラと揺れ始める。

『おっと』

 間一髪で瑠魅香が百合香の身体に入ると、百合香の精神がふわりと外に押し出された。精神体のまま眠っている。

「かわいい寝顔」

 そう呟いて、瑠魅香は冷蔵庫の中を開ける。

「これ、百合香が飲んでるけど、美味しいのかな」

 瑠魅香が興味深そうに取り出した黒いドリンクのラベルには、「匠のアイスコーヒー」と書いてあった。

 

 

「なるほど。あなたにブラックコーヒーの味はまだ早かったか」

 目覚めて身体に戻った百合香は、半笑いで瑠魅香がグラスに残したコーヒーを飲んでいた。

『人類ってそんなもの飲んでるの?頭か舌のどっちか、あるいは両方おかしいんじゃない?口直しにポカリ一本飲んじゃったわよ』

 よもや生物種のレベルで罵倒されるとは思っていなかったが、百合香は笑った。

「私だって子供の頃は無理だったわ。大人だってブラックコーヒーが飲めない人もいるわよ。でも、だんだん苦味が美味しくなってくるわ」

『信じらんない』

 瑠魅香は舌を出して顔をしかめる。百合香はそれを可愛いと思った。

「次に帰ってくる時まで、ミルクとシロップを想像しておくわ。それを入れればあなたも飲めるかも」

『なんかもう、この部屋を使いこなしてるよね、百合香』

「さて」

 いつものように、ブラウスのリボンを締めると百合香は立ち上がった。

「行くか」

『そうね』

 二人の表情が、一瞬で「ダンジョン攻略モード」に変わる。瑠魅香は百合香に重なると、身体の中にすっと入った。瑠魅香が入ってくる瞬間、独特のゾクッとする感覚が百合香にはある。最初は少し気味が悪かったが、今では少し気持ちいいと感じるようになっていた。瑠魅香には言っていない。

 

 

 癒やしの間を出てしばらく氷巌城の通路を歩いていると、瑠魅香が唐突に足を止めさせた。

『百合香、ちょっとストップ』

「なに?」

『百合香のパワー、上がってるよね』

 その問いに、百合香は何の事だろうと思って訊き返す。

「たぶん上がってると思うけど、それがどうかした?」

『パワーが上がってるってことは、相手から居場所を察知されやすくなってるって事だと思うんだ』

 その瑠魅香の指摘に、百合香は背筋が緊張した。

「…なるほど。魔女としての意見?」

『まあね。魔力を扱う者は、魔力の出どころに敏感だから。敵の中には、おそらく強力な魔法の使い手もいると思う』

「で、何か対策はあるの?」

 百合香の問いに、瑠魅香は自信ありげに答える。

『簡単なことよ。ちょっと代わって』

 言われるままに、百合香は身体を交替して瑠魅香のする事を見守る。すると瑠魅香は、杖を一振りして何かを創り出した。

 それは、小さな青いイヤリングだった。

『なあに、それ』

「簡単に言うと、ダミーの氷魔エネルギーの結晶体」

『ダミー?』

「そう」

 瑠魅香は、それを耳につけると百合香に交替を促した。もう、それくらいは無言でやり取りできるくらい、二人の精神は近くなっていた。

 

 百合香の姿に戻っても、イヤリングは装着されたままである。

「これが何か役に立つの?」

『うん。簡単に言うと、百合香の発する炎のエネルギーの拡散を中和して、外部から察知しにくくなる』

「ほんとに?」

『本気でエネルギー燃やしてる時は無理だよ。でも、こうして移動してる時くらいなら、移動を察知されずに済むはず』

 百合香は、瑠魅香が造ってくれたティアドロップ型のイヤリングを触ってみた。ひんやりと心地よい。なるほど、確かに冷たさを伴ったエネルギーの拡散を感じる。

「なるほど。ありがとう、瑠魅香」

『お役に立てて何よりですわ』

「…それは誰の真似なの」

 百合香は瑠魅香がいったい学園のどういう所を集中的に覗き見していたのか気になって、道中あれこれ問い詰めたのだった。

 

 

「む」

 ヒムロデは、鏡を前にして何かを訝しんだ。

「現れたと思ったあの娘の気配が、消えた」

 魔力を鏡に張り、城全体を探る。しかし、それまである程度把握できていた百合香のエネルギーが、まるで感知できなくなった事にヒムロデは気付いた。

「何らかの対策を取ったという事か?見た限り、力で戦うタイプのあの娘に、そこまで複雑な事をやってのける能力があるとも思えんが…」

 しばし考えたのち、ヒムロデは鏡に張った魔力を解除し、その小さな部屋を後にした。

 

 

 

 百合香が瑠魅香と話しながらしばらく歩いていると、瑠魅香は何かに気付いたようだった。

『百合香、気を付けて』

「え?」

『氷魔の気配がする』

 百合香は、瑠魅香の言葉に周囲を見回した。美しく整ってはいるが、相変わらずの無味乾燥な通路が続いているだけである。

 ところが、さらに進むとその通路の右横に、下に下がる階段が現れた。

「階段だ」

『下りの階段に用はないわ』

「ええ」

 二人の意見は一致して、その階段は多少気になるものの、無視して進む事にした。

 

 ところが。

 

「あっ!」

 百合香は声を出して驚いた。前方の通路から、大勢の氷魔が現れたのだ。それも、10や20ではない。

『百合香!』

「考えてるヒマはない。強行突破よ!」

 そう言って、久々に聖剣アグニシオンを胸元から取り出す。

 しかしその時、百合香は背後に足音が接近している事に気がついた。

「しまった!」

 振り向いた時には、すでに至近距離に多数の氷魔が大挙しており、百合香は自分のカンの鈍さを呪いつつ、剣にエネルギーを込めようとした。

 しかし、瑠魅香の言葉がそれを遮った。

『待って。何か、変』

「え!?」

『見て』

 瑠魅香の指摘にしたがって、その氷魔たちを百合香は見る。容姿は女性というより、百合香と同世代くらいのイメージの印象である。短いスカート姿、ドレス姿、あるいは学校の制服みたいな個体もいる。顔は仮面のように動かないが、女の子とわかる顔立ちをしていた。無表情な者、笑みを浮かべる者、様々である。

 

 そして、奇妙なのはその行動である。百合香を無視して、下に降りる階段に、吸い込まれるように消えて行くのだ。

「な…何なんだろう」

『さあ』

「でも、私を無視してくれるなら好都合だわ」

 そう思って、百合香はその氷魔の女の子の群衆を避け、通路を進もうとした。しかし、その時である。

「えっ!?」

 百合香は驚いた。その群衆の一人が、百合香の腕を組んで一緒に歩き始めたのだ。

「ちょっ、ちょっと!」

 慌てて振りほどこうとすると、さらにもう一人が空いている腕を掴んでくる。そして、百合香は後ろからも押し寄せる”JK氷魔”たちに押されるように、階段の下に連れて行かれたのだった。

 

 

 階段を降りた先には、ドアがあった。そこをくぐると、中は教室ぐらいのスペースが広がっていた。手前のスペースに女子氷魔たちが群がって、妙に楽しそうにしている。くすくす、という笑い声も聞こえた。

 スペースの奥は劇場のステージのように立ち上がっており、左右にはなんとなく見覚えのある、箱状のものが積み上がっている。天井からは、青紫のレーザーのような照明がスペースを照らしていた。

「ま…まさか」

『なに?』

「いや、まさかとは思うんだけど」

 百合香が何を連想したのか、瑠魅香はわからなかった。

 

 しばらくしていると、こちら側の照明がふっと消え、ステージの左側から数名の氷魔が現れた。すると、JK氷魔たちから青白い歓声が上がる。

「うわっ!!!」

 その声色は、百合香の耳には強烈だった。頭の芯に響くもので、聴いているだけで全身の神経が痺れるようだった。百合香は思わずふらついてしまう。これを連続して聴いたら、まずい事になりそうだった。

 

 ステージにスポットライトが当たり、登場した4体の氷魔が姿を現した。ドレス姿、あるいは際どいへそ出しルックの者もいる。へそが氷魔にあるかどうかは、百合香にはわからなかったが。

 そして、各々が抱えている物体は、百合香には非常に親しみのあるものだった。

「ぎ・・・ギター!?」

 百合香は、右手に立った氷魔の下げている物体を見た。どう見てもエレキギターである。ちょっとトム・アンダーソンっぽい。ピックアップは上段がシングル、下段がハムバックになっていた。青白い光の弦が張られている。百合香はちょっと格好いいと思ってしまった。

 左手の個体が持っているのは、弦が5本ある。5弦ベースということか。真ん中の個体もエレキギターを持っている。そして後ろにはドラムセットとキーボードらしきものがあるが、このグループはドラマーのみでキーボードはいないようだった。

 

 百合香は、全てを理解した。

「け…軽音部のコピー氷魔だ!」

『あー、知ってる知ってる。なんかギャーギャー騒いでる、大丈夫なのかなって感じの子たちでしょ』

 さんざんな言われようである。実はロック好きの百合香には、多少カチンとくる言葉ではあった。しかし今はそういう問題ではない。百合香には嫌な予感があった。

「る、瑠魅香。出た方がいいと思う」

『え?』

「悪い予感が…」

 その時だった。右手の”ギタリスト”が、弦を激しくかき鳴らした。F#mを完璧に押さえている。

 問題は、その音だった。

「うぁっ!」

 百合香は、こめかみを突き抜ける激痛にたまらず頭を押さえた。さらにギターソロは続く。客席からは歓声が湧き起こった。

 

「ぐあぁぁぁ――――!!!!」

 

 百合香は絶叫した。その音は、百合香の持つエネルギーを直接攻撃する音色だったのだ。

 

 さっき、JK氷魔たちの歓声で、百合香はこの場の音が自分に干渉する事を本能的に察知していたが、行動が一歩遅れてしまった。

『百合香!』

「ぐ…」

 頭を抱えたまま膝をつく。音のダメージが一瞬で全身をめぐり、立ち上がる事もすでに出来なくなっていた。

『まずい!』

 瑠魅香は、危険を察知して即座に百合香と入れ替わった。

「百合香!」

 精神体になった百合香に語りかける。演奏はなおも続き、ベース、ボーカル、ドラムスが入ってきた。ややライトなハードロックである。歌は謎の言語で、何を歌っているのか不明だった。

『ぐっ…はあ、はあ、はあ』

「百合香!」

『だめ…この状態でも…痛みが襲ってくる…!』

 瑠魅香は焦った。なぜか瑠魅香は何ともないが、百合香の苦しみは尋常ではない。それは、百合香が普通の人間よりも強いエネルギーを持っているためだと瑠魅香は結論づけた。

 

 ここを脱出しなくては、と瑠魅香は杖を振りかざす。しかし、突然オーディエンス達が手を繫いでウェーブを始め、瑠魅香はそれに強制参加させられてしまった。

「あっ!」

 瑠魅香に、百合香ほどの腕力はない。その腕をふりほどく事はできなかった。演奏はなおも続く。百合香の精神がだんだん弱っていく事に、瑠魅香は気がついた。

「どうしよう、このままじゃ百合香が…!」

 やむを得ない。この子たちには申し訳ないが、魔法で全員吹き飛ばしてしまうより他に、百合香を救う方法はない。そう思った時だった。

『る…瑠魅香…逆位相よ』

「え!?」

 気力を振り絞って語り掛ける百合香に、瑠魅香は訊ねた。

「なんですって?」

『逆位相…音波は、反対の位相の音をぶつければ消える』

「そ、それって…」

 瑠魅香は、百合香の言っている事を感覚で理解した。ウェーブで揺れる杖に、必死で魔力を込めると、自らの身体にひとつの魔法をかける。

 

 輝く波が瑠魅香の全身を覆うと、ステージからの音がふっと小さくなった。

「やった!百合香、こういう事ね!?」

『グッジョブ、瑠魅香…ノイズキャンセリング作戦、成功ね』

 瑠魅香がアクティブノイキャン魔女になったおかげで、百合香は音波によるダメージからとりあえず助かった。しかし、この空間にいる限り、この後どうなるかわからない。

『彼女たちに、私達への敵意はないらしい…出ましょう』

「わ、わかったけど、この状態じゃ」

 瑠魅香は、相変わらず両サイドからガッチリと手をホールドしてくるJK氷魔の手を見た。

『私が代わる』

 改めて、百合香は表に出てきた。そして、強引にその手をふりほどく。

「よし、逃げるよ瑠魅香」

 いくらかダメージから回復した百合香は、オーディエンスの群れをかき分けて、氷のライブハウスを出ようとした。

 

 すると、ステージの演奏がピタリと止んだ。

 

「え?」

『ゆ、百合香』

 瑠魅香は、自分達に集中するその視線に戦慄した。

 

 睨んでいる。百合香を。

 

『◆§▲Ю☆―――――!!!!」』

 

 ステージのボーカリストが、何かを絶叫した。すると、オーディエンスが一斉に百合香に襲いかかり、手足をがっちりとホールドしてきた。

「こっ…こいつら!」

『百合香!』

 JK氷魔たちは、百合香の身体をステージの前に突き出す。すると、右手のギタリストが百合香に近付いてきて、やはり意味不明の言語で何かを怒鳴ってきた。

「●Ψ∀Щд!??」

「何!?日本語で言いなさい!」

 その百合香の返しもだいぶ無茶ぶりではあったが、とにかく空間全体の氷魔が、場を乱した百合香に怒っていることはわかった。

 ギタリスト氷魔は、その氷のギターを百合香めがけて振り下ろす。

『百合香!!』

 瑠魅香の悲鳴が響いた、次の瞬間だった。

 

「アアアアアア――――――!!!!!!」

 

 突然、百合香の喉からレッド・ツェッペリンのロバート・プラントじみた絶叫が響き渡り、百合香の全身が激しい炎に包まれた。

「!??」

 突然のシャウトに、バンドやオーディエンスは怯んで一歩下がる。

 

 百合香は、飛び上がってステージの真ん中に立った。全身を炎が弾け、その全身を真新しい黄金の鎧が覆っていた。

「楽器で人を殴るなんて、ミュージシャン失格ね」

 

 だいぶ頭にきているらしい百合香の全身からは、なおも黄金のエネルギーがスパークし続ける。ボーカリストからハンドマイクを奪い取ると、オーディエンスを指差して叫んだ。

 

「そんなにライブがやりたいなら、私のソロステージに付き合ってもらうわよ!!!」



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ナ・ナ・ナ

 若干キレ気味な百合香の"ボイスパフォーマンス"に、なぜかオーディエンスのJK氷魔たちは歓声を上げて応えた。瑠魅香のキャンセリング魔法のおかげで、百合香にダメージを与える帯域はカットされているらしく、今度は何ともない。

「そうじゃないでしょ!!」

 さらにキレる百合香だったが、熱狂は収まらない。

 そうしているうちに、ステージのバンド氷魔たちが楽器を手にして百合香に迫ってきた。

『百合香!』

「ライブハウスで乱闘騒ぎなんて、もう出禁ね」

 さっきと同じように殴りかかってくるか、と百合香は剣を構える。しかし、氷魔たちは予想外の行動を取った。

 なんと、百合香に向けて再び演奏を開始したのだ。

「もうそんなもの効かないわよ!」

『待って、百合香!』

「え?」

 瑠魅香の注意で百合香は一瞬立ち止まる。すると、ステージ横のアンプらしき箱状のオブジェから、百合香めがけて波動のようなものが飛んできた。

「うっ!」

 それは、神経に作用するのではなく、物理的な圧力をもって百合香の全身を揺らした。黄金の鎧ごと、百合香は骨格をハンマーで打たれるかのような衝撃を受けた。

「ああああーっ!!」

『百合香!このーっ!!』

 咄嗟に瑠魅香が表に出て、魔法を唱える。その一瞬だけ瑠魅香もダメージを受けた。

「ぐううっ!!」

 なんとかこらえて、魔法を放つ。逆位相の波動が、その波動を打ち消して行った。

『瑠魅香!』

「まずいね、このままだと…身動きが取れない」

 杖から波動を放ちながら、瑠魅香はこの状況を切り抜ける方法を考える。音は左右から飛んでくる。

「なら…こうだ!」

 瑠魅香はステージ後方、座ったままのドラマーの背後に素早く回ると、逆位相の波動を解除した。

 すると、瑠魅香を狙っていたアンプからの波動は、ドラマーを直撃した。

「アギャアァァ―――ッ!!」

 マッシュルームカット風のドラマー氷魔は直撃した振動波に耐えきれず、関節部にダメージを受けてその場に崩れ落ちてしまった。バンドメンバーは慌てて演奏をストップする。その隙を瑠魅香は逃さない。

「今だ!!」

 お返しとばかりに、瑠魅香もまた波動の魔法をステージ全体に向けて放つ。名前も知らない氷のロックバンドは、楽器ごと弾き飛ばされてそのままぐったり動かなくなってしまった。

「どんなもんよ!」

『私がトドメ刺したかった』

「百合香ってキレると物騒だよね」

 若干引きながら、瑠魅香はマイクを片手にステージ下のオーディエンス達に向かって叫ぶ。

「道を開けなさい!同じ目に遭いたくなかったらね」

 もはやバンドマンというよりはプロレスラーだな、と頭の中の百合香は顔を引きつらせた。

すると、観客席は水を打ったように静まりかえる。

「よーし、それでいい」

 瑠魅香はゆっくりと横の階段から降りようと歩き出した。しかしその時、舞台の袖から足音がするのに気付いて、視線をそちらに向ける。

「?」

 それは、人影だった。ダラリとした長髪を模した頭部に、長いドレスを引きずっている。肩には何かを抱えているように見えた。

「まだいたのか!」

 咄嗟に瑠魅香は杖を構え、戦闘態勢に入る。だがその時、オーディエンスの視線は最初から、そのドレスの氷魔に向けられている事に気がついた。

「こいつは…」

『瑠魅香、先手必勝よ!』

「わかった」

 瑠魅香はためらう事なく、同じ波動の魔法をその氷魔に向けて放った。

 だが、その波動は、突然聴こえた張りのある謎の音波に弾き飛ばされてしまった。

 

「え!?」

 

 驚いて瑠魅香は、改めて照明に照らされたその氷魔を見る。それは、ヴァイオリンを奏でる氷魔だった。

「これは…」

『ヴァイオリンだ!』

 百合香は驚いた。軽音楽部のことは、実はあまり知らない。だが、もし軽音楽部を模倣したのがこの氷魔たちなのであれば、百合香の知らない軽音楽部員にヴァイオリニストがいるのかも知れなかった。

 

 ヴァイオリン氷魔は、優雅な手付きで青白く光る弦を弾き始めた。えもいわれぬ艷やかな音色が、空間全体を支配する。

 だが、てっきり音波で攻撃してくると思っていた瑠魅香たちは、何もダメージがない事を疑問に思った。

「!?」

 どういう事か、と瑠魅香は周囲を見渡す。

 すると、観客席のオーディエンス達の目が、青紫色に輝き始めた。

「なっ!?」

『まずい、瑠魅香!』

 百合香が警告を言う間もなく、オーディエンス達は一瞬で"少女合唱団"に変わり、ヴァイオリンに合わせて賛美歌のような、しかし不協和音を伴った、不気味なコーラスを開始した。

 それは強烈な全方位からの波動攻撃であり、瑠魅香と百合香の精神、肉体を同時に揺さぶった。

「うぐあぁーっ!」

『る…瑠魅香!!』

「ま、まずい…あたしでも、これは…」

 瑠魅香はステージに膝をつく。

 

 この氷魔は、幹部の氷騎士なのだろうか、と百合香は考えた。しかし、なぜか知性らしきものは感じない。

 そもそも、今まで出会った氷騎士は全て、その名にふさわしいスケールのエリアを守護していた。しかし、このライブハウスみたいな空間は、それらと較べるとだいぶ小さい。

 

 だが、厄介な敵である事に変わりはない。音波による遠隔攻撃は、物理的な回避方法がないのだ。

『瑠魅香、逆位相の音波よ!』

「だっ、だめ…この態勢じゃ…」

 瑠魅香は、頭を抱えて苦しんでいた。肉体的な耐久力において、瑠魅香は百合香に劣る。

『わかった。瑠魅香、交替よ。よくやったわ』

「百合香!?」

『あとは任せて。どうにかする』

「相変わらず…大雑把なんだから」

 汗をにじませて笑みを浮かべながら、瑠魅香は百合香に身体を明け渡す。紫のドレスの魔女が、一瞬で黄金の鎧の剣士に変わった。

 

 しかし、状況は変わらない。百合香は聖剣アグニシオンを振り回して、ヴァイオリン氷魔を袈裟がけに斬り伏せてやろうと思ったが、音波攻撃のせいで腕がまともに上がらないのだった。

 

 その時だった。膝をつく左の手前に、ある物が転がっているのを百合香は見つけた。

「!」

 これだ。いや、成功するか確証はない。

 

 だが、これぐらいしか思い付かない。

 

 完全に根拠のない直感だった。百合香はその物体を拾い上げると、口元に当てて、すうっと息を吸った。

 

「アアアアアアア―――――!!!」

 

 ハンドマイクを手にした百合香が、あらん限りのシャウトを響かせる。アンプから響き渡った咆哮に、ヴァイオリン氷魔も、少女合唱団も何事かと沈黙してしまった。

 

 氷魔は、百合香を抑えつけようとして、再びヴァイオリンを弾く。しかし、百合香はまたしても絶叫して、そのヴァイオリンを轟音で黙らせてしまった。バスケットボールで鍛えた肺活量はダテではない。氷のヴァイオリニストは、明らかに動揺していた。

 

 すると、驚くべき事が起きた。倒れていた氷魔バンドたちが、立ち上がり始めたのだ。

 百合香は攻撃してくるのかと身構えたが、そうではなかった。楽器を手にして、百合香の方を見ている。

 

 百合香は、なんとなく地下の闘技場での出来事を思い出していた。敵と味方という感覚が混沌としてわからなくなる、あの感覚だ。

 そこで百合香は、試みに歌を歌い始めた。

「Na Na Na…」

 それは、百合香のスマホで最も再生頻度が高い、マイ・ケミカル・ロマンスの曲だった。

 

 一節を歌い終えると、バンドメンバーたちは何と、改めてイントロの演奏を開始した。ギターソロから始まり、ドラムス、コーラス、ベースが入る。どうやら有名なナンバーだけに、軽音楽部のレパートリーにあったらしい。

 

 百合香はそのままリードボーカルを担当して、即席のパンクバンドが結成されたのだった。

「ギャアァァァ!!!」

 ヴァイオリン氷魔の悲鳴が響く。どうも、百合香の歌声は苦手らしい。名曲じゃないの、と百合香は首を傾げた。

 

 百合香の歌は、本人に言わせると「ヘタウマ」ということである。バスケ部でカラオケに行くと誰も知らないロックを絶叫するので、はたして上手いのか下手なのか、誰もわからないのだった。ただし、彼女が憧れる榴ヶ岡南先輩に言わせると「下手」らしい。

 

 百合香の歌は確実に、ヴァイオリン氷魔にダメージを与えていた。今度はオーディエンスも百合香に同調してくれている。洋楽の名曲だが、ひょっとして著作権団体がこの氷の城まで料金の請求に来るのではないか、とあらぬ事を百合香は考えた。

 一曲の演奏が終わったところで、ヴァイオリン氷魔がよろよろと弦を構え、百合香にゆっくりと向かってきた。

「ひょっとして、こいつがこの場所を支配してるボスなのかな」

『さっき、音であの子たちを操ってたしね』

「音楽で人を縛るなんて、許せないな」

 百合香は、ヴァイオリン氷魔にアグニシオンの切っ先を向ける。すると、氷魔はヴァイオリンの弦を、剣のように百合香に向けてきた。

「音楽ならともかく、剣の勝負なら、負けないわ」

 氷のライブハウスに緊張が走る。バンドも、オーディエンスも、目の前で始まろうとしているステージ・パフォーマンスを、固唾を呑んで見守っていた。

 

 百合香は、先手必勝とばかりに一気に踏み込む。そのスピードは完全に氷魔を圧倒していた。

「もらった!」

 その勢いのまま、両腕で真っ直ぐに氷魔の心臓部を狙う。

 だが、妙な手応えのあと、百合香の剣はピタリと止められてしまった。

「えっ!?」

 それは、硬いものに阻まれたのではなかった。例えるなら、発泡スチロールの摩擦のせいでカッターの刃が入らないのに似ていた。

 百合香がたじろいでいると、氷魔は弦を払って攻撃してくる。百合香は剣を引き抜いて、ギリギリでそれをかわした。

 

 後退して態勢を整えながら、百合香は瑠魅香に問いかける。

「剣が止められた」

『どういう事だろう』

「まるで、発泡スチロールみたいな感触だった」

 百合香は、氷魔の全身を観察する。しかし、ゆったりしたドレスのせいで身体は見えない。

「それなら!」

 突くのが駄目ならと、百合香は炎の剣を斜め上段から振り下ろす。

「『ディヴァイン・プロミネンス!!』」

 巨大な炎の刃が、氷魔を襲う。しかし、やはり剣は止められてしまった。

「うそでしょ」

 あのサーベラスの装甲に深い傷を負わせた技が、通じない。百合香はちょっとした自信喪失に陥りかけた。

『百合香!』

「こうなったら、ちょいと疲れるけど大技を食らわしてやる」

『落ち着いて。外しでもしたら、エネルギーを使い果たした状態で戦う事になるわ』

 瑠魅香の冷静な指摘で、百合香はひとまず踏み留まった。だが、このままではジリ貧である。

 そこで百合香は、高く跳躍した。

「でええぁ―――っ!!」

 百合香の剣は、横薙ぎに氷魔の首を狙った。これまでの経験から、首を落とされれば氷魔は動かなくなる。

 しかし。

「ルァァァァ――――!!!」

 突如、氷魔の口が開いて、強烈なハイトーンのソプラノが百合香を襲った。

「うっ、ああっ!!!」

 百合香は衝撃波で弾き飛ばされ、積んであるマーシャル風の箱に背中を激しく打ち付ける。

「ぐはっ!」

『百合香!』

「だっ…大丈夫、この間ほどじゃない…けど」

 何て厄介な敵だ、と百合香は思った。強さ自体はそれほどでもない。しかし、攻防ともに非常に対処しにくい。

 百合香は、サーベラスの「けったいな技を使う奴もいる」という言葉を思い出していた。まさにそういうタイプである。

 

 だがその時、百合香は思い出した事があった。

「…そうだ」

『え?』

「サーベラスから貰ったあれ、まだ使ってなかったんだ」

『何のこと?』

 瑠魅香は、相方の言う内容がいまいち理解できなかった。サーベラスから、何か受け取っていただろうか。

 

 再び、氷魔はヴァイオリンの演奏を始める。今度は、バンドメンバーまでもがその傀儡になろうとしていた。さすがにこの人数が合唱を始めると、洒落にならないダメージを負う事になりそうだ。

 

 しかし百合香は、その視線を高く上げていた。そして左手を、何かを掴むように突き出す。

 すると、その手の中に、ソフトボール大の炎のボールが現れた。

『あ』

 瑠魅香はようやく思い出した。サーベラスとの別れ際、記念に百合香はボールの一つを拾って左腕に封印していたのだ。

「こいつで…どうだ!!」

 百合香はボールを宙に投げると、アグニシオンで思い切りスイングした。カキン、と心地よい音がして、ボールが飛ぶ。

 

 しかしボールは、あらぬ方向に飛んで行ってしまった。

 瑠魅香が頭の中で『ばか!』と言いかけた、次の瞬間だった。

 

 ボールはヴァイオリン氷魔の背後にあった氷のマーシャルアンプに激突し、跳ね返って、氷魔の後頭部を直撃したのだ。氷魔は、その細い首にダメージを負って、よろめいていた。

『おおー』

 瑠魅香の拍手が聞こえる。さっき『ばか』と言いかけたのは、聞かなかった事にしてあげた。

「瑠魅香、あとは任せた!」

『え!?』

 百合香が強引に瑠魅香に交替させたため、瑠魅香は慌てて姿勢を整える。

「ちょっと!」

『あの首を跳ねるのよ!例の魔法で!』

「調子いいんだから。趣味悪いとか言ってたくせに」

 ぶつくさ言いながら瑠魅香は、氷魔に向けて杖を構え、呪文を詠唱する。氷魔の首の周りに、真紅に輝くリングの刃が現れた。

 

「『ブラッディー・エンゲージリング!!!』」

 

 "悪趣味な"瑠魅香の真紅のリングは、一瞬で集束して、ヴァイオリン氷魔の首をきれいに切断した。その首は床のハンドマイクにぶつかって、重く硬い音をライブハウスに響かせ、氷魔の身体はマーシャルに倒れ込むようにして、動かなくなったのだった。

 

 しばしの沈黙のあと、ライブハウスに歓声が響いた。

「何だろう、この空間」

『敵なんだか仲間なんだか、わからないわね、この子たち』

 百合香は瑠魅香にお疲れ様、と言いながら再び表に出てくる。そして、バンドメンバーたちの所に歩み寄った。

「ねえ瑠魅香、氷魔の言葉で言ってあげてよ。何もしないなら私は別に敵じゃない、って」

『いいよ』

 瑠魅香が、百合香を通じてそのようにバンドメンバーに伝えると、四人は静かに頷いた。

 そこで百合香は、思い出したように瑠魅香に言う。

「ねえ、"Welcome to the Black Parade"っていう曲は演奏できるか、訊いて」

『なにそれ』

「いいから」

 なんのこっちゃ、と思いながら、瑠魅香は言われたままを伝える。すると、バンドマンたちは何か突然楽しそうに、それぞれのポジションについた。真ん中は空いており、ボーカルが百合香にマイクを手渡す。

「ありがと」

 OKサインを出して、そのボーカルはキーボードの前に立った。弾けたのか、と思っていると、百合香にはお馴染みのイントロが流れ始めた。

 

 百合香は、マイクに向かって静かに歌い出す。

「When I was…」

 

 

 久しぶりに音楽が聴きたい、という百合香の願いは、氷のバンドつきで自分で歌う、というおまけつきで実現した。

 

 その後、7曲を歌いきって、百合香は拍手に包まれながら、氷のライブハウスをあとにした。

 

 それは、氷の城の片隅に響きわたる、不思議なライブであった。



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N.E.W.S

「何だったんだろう」

 あいも変わらず続く真っ白な氷の通路を進みながら、百合香はつぶやいた。つい先刻まで行われていた、不思議なバンドのライブについてである。

『うん。百合香の歌を聴いてたら、なんかロックっていうものの良さが、少しだけわかった気がする』

「ほんと!?」

 百合香が突然目をキラキラ輝かせたので、瑠魅香は少し笑った。

『百合香って、ほんと面白いよね。すまして座ってれば、お淑やかに見えるけど。実は熱血少女だもんね』

「そ…そうなのかな」

『ふふふ。ねえ、あなたの好きな音楽、こんど聴かせて』

「うん!癒やしの間に揃えておく」

 はたして注文どおりのものが揃うかどうかは不明だが、百合香はそう約束したのだった。

 

『なんか百合香って、氷魔と仲良くなるのが上手いよね』

「なに、それ」

 百合香は笑う。しかし、現実に今まで百合香と共闘ないし、協力関係のようなものを結んだ氷魔はいる。

『戦わないで済むなら、それが一番だろうね』

「そうも行かないのが、残念な所ではあるけどね」

 百合香は、右手に持った聖剣アグニシオンを見る。この刃で、これまで何百の氷魔を斬り伏せてきたのかわからない。

「…ねえ、氷魔って、倒されたらどうなるの」

 突然立ち止まって百合香は訊ねた。

『…気になる?』

 百合香は小さく頷く。

『私に敵意を持って向かってきてるのは確かだけど。操られてるんでしょ、彼らは』

『それはどうだろう』

 瑠魅香の返しは、百合香には意外だった。

「違うの?」

『私の雑感だから、鵜呑みにはしないでね。でも、確かに強制的に氷の肉体を与えられて、この城に縛りつけられてる個体もたくさんいるけど、中には自分から進んで氷魔になった、精霊体も多いと思う』

「なんで、そんなことを望むの?」

『そりゃあ、精霊だからって"いい人"ばかりじゃないって事よ』

 瑠魅香は、ぽつぽつと語り始めた。

『まずこれからは、氷の肉体を持つ者を氷魔、精霊体の存在は"精霊"って分ける事にしよう』

「うん。つまり、瑠魅香は元・精霊ってことね」

『そう』

 

 

 瑠魅香が知っている範囲の知識によれば、そもそも精霊の中から氷魔になる道を選んだ個体が、いつ発生したのかはハッキリわかっていないという。

 人間の時間の単位で、おそらく数万年、あるいはもっともっと過去に遡る事は確実らしい。しかし、明確に"いつ"なのか、という情報はない。

 

 精霊は確かに、人間よりは心穏やかな存在である。「基本的に」争う事はなく、マグショットのように鍛錬を欠かさない者は、あくまで己を磨くためにそれを行なっていた。

 しかし、と瑠魅香は言う。

『争いを好む個体が、いないわけじゃない』

「そうなの?」

『論より証拠。だからこそ、あなた達が"氷魔"と呼ぶ存在が誕生して、氷巌城なんてイカレたものが造られたんでしょ』

 まったくもって瑠魅香の言う通りだった。でなければ、今こうして一人の女子高生が、剣を片手に氷のダンジョンをうろついてはいない。

 

『氷の精霊は、地球の、人間や普通の動物が住めないような極寒地帯に住んでいるの。私が住んでいたのは、あなた方の地図でいう北極と呼ばれる地域』

「北極!?」

 百合香はストレートに驚いた。

「あなた北極出身だったの!?」

『そうよ』

「北極のどこらへん!?」 

 百合香は興味津々で訊ねた。いつか人間になったら、出身地は北極です、と答えるのだろうか。

『うーん。場所、っていうのが、人類の言う三次元的な概念と、微妙に異なるんだ。だから、地図で北極のどこ、って特定はできない。…強いて言うなら、"北極として知られる半次元の層"とでも言うべきかな』

「はんじげんのそう??」

 いよいよ理解が追いつかなくなってきた百合香の脳内に、クエスチョンマークが大量発生した。

『ストップ。それ以上考えても理解できないよ。ざっくり、北極って覚えておけばいい』

「わからないけどわかった」

『うん。そして氷の精霊は基本的にはそういう、極低温の世界でないと存在できない。精霊には様々な種類がいて、岩に住む精霊、大気に住む精霊、そして地球の外に出れば、あなたが"太陽"と呼ぶ星に住んでいる精霊もいる。まあ、これは本題とは関係ないから無視して』

 無視するには、ものすごい情報である。

『だから、氷の精霊にとっては、世界が寒くなってくれた方が存在しやすい。それは理解できるよね』

「うん」

『でも、地球に極寒の地域はそれほど多くはない。かといって、冷たい他の惑星に移住できる力もない。やがて氷の精霊の中から、それを地球上で、意図的に実現しようという個体が現れた』

「…それが、氷魔ということなのね」

 百合香は、いつかガドリエルから聞いた話を思い出していた。瑠魅香と彼女の語る内容は、おおむね整合性が取れる。

 

『それで、前置きが長くなったけど、さっきの質問ね。氷の肉体の状態で、あなたが言うところの"死"を迎えた氷魔が、どうなるのか』

「うん」

『実を言うと、ハッキリ"こうです"という決まったパターンはない、っていうのが回答になる』

「どういうこと?」

『例えば百合香。あなた、前世の事を覚えてる?』

「え?」

 唐突な問いになんだそれは、と百合香は思った。

「…私は覚えてないし、覚えてない人間の方が多いと思う」

『つまり、"死ぬ前"の記憶がないってことでしょ』

 百合香は、瑠魅香の言うことがだんだんとわかってきた。

「…存在が消えるわけではないけれど、それまでの人格は消滅する?」

『大雑把に言えば、そういうこと。例外を除いてね』

「例外って?」

『例えば、マグショット』

 またも意外な名前を出されたので、百合香は面食らった。

「マグショットがどうしたの?」

『ハッキリ言ってないけど、彼はおそらく、この前に氷巌城が地球に現れた時も、ここにいたんだと思う』

「え?」

 いよいよ、話が百合香の理解を超え始めた。

「だって、氷巌城は現れるたびに、新たに創られるんでしょ?兵士たちもその都度創られるんじゃないの?」

『私もそう思ってた。けど、サーベラスとかマグショットの話を聞いて、ある推測に辿り着いたの』

 まるで、小説の名探偵のように瑠魅香は語る。何となく、百合香はその先を聞くのが怖いと感じたが、瑠魅香はそのまま続けた。

 

『私の推測、それはね。この氷巌城は、その"基礎"となる情報が、常にどこかに保存されているのではないか、という事なの』

 

 百合香は、その語る内容を理解するのに必死だった。基礎となる情報って、どういう事だ。

『例えば百合香、さっきあなた、何とかっていう曲を歌ってたわよね』

「うん」

『それは、歌詞やメロディが"情報"として保存されているから、ああやって再現できるわけでしょ?』

「あっ」

 その比喩で、百合香はピンときたようだった。

「城を構成するための基本情報は、城がたとえ滅びても存在し続けるっていうこと!?」

『そう。私の推測ってことは忘れないでね』

「……ちょっと待って。じゃあ、サーベラスが言っていたような、前の時代にもこの城にいた、みたいな話って」

『そう。おそらく彼らは"基本情報"に常に取り込まれていて、たとえ死んでも城に縛られ続けている存在なんだと思う』

 

 その瑠魅香の推測が正しいのかどうか、百合香には当然、判断のしようがない。だが、百合香はそれを聞いてぞっとした。

「…そんなの、おかしいよ」

『うん』

「誰かの魂を、自分たちの目的のために常に縛り付けておくなんて」

 百合香の心の中に怒りの炎が燃え上がりかけたが、ひとつの疑問がそれをいったん収まらせた。

「待って。じゃあ、たとえこの城を消し去ったとしても、その"基本情報"がどこかに残っていたら」

『うん。後の時代に、また氷巌城は再現できるって事だね』

 その、淡々とした推測に百合香は愕然とした。今こうして命がけで消し去ろうとしている城が、消し去ったところで、また再建される可能性があるということだ。

 それでは、この戦いに何の意味があるのか。百合香は突然の虚無感に襲われ、壁に背を預けてへたり込んだ。

 

「…わたし、何のためにここまで来たんだろう」

『バカね、百合香らしくない』

「え?」

 突然の叱咤に、百合香は戸惑う。

『私が好きな百合香は、道理も何も意志の力でねじ伏せる、そういう女の子よ』

「…バスケットの試合で勝つのとはわけが違うんだよ」

『だから何よ。今まで、とても勝てそうにない相手を、倒してきたじゃない。敵としか思えない相手と、手を結んでみせたじゃない』

「……」

『百合香。あなただったら、どう考える?基本情報が残っている限り何度でも甦る、そういう城を滅ぼすには』

 瑠魅香は、何かを促すように百合香に語りかける。百合香は、少し考えたのち、ものすごくシンプルな答えに辿り着いた。

 

「…城の基本情報を消し去ればいい」

 

 百合香がぽつりと言った解答を、瑠魅香は微笑んで採点した。

『正解よ。よくできました』

「でも、そんなものどうやって探し出すの」

『探せばいいじゃない』

 またしても、瑠魅香の解答は笑ってしまうほど明快である。

「…どうやって?」

『その方法も、探ればいい。私達には、情報収集の強い味方がいるでしょ』

 百合香の脳裏に、あの探偵猫集団「月夜のマタタビ」の面々の顔が浮かんだ。

『それに、サーベラスみたいな、こっちの味方になってくれた氷魔だっている。この先も、ひょっとしたら同じように協力的な相手がいるかも知れない』

 その瑠魅香の言葉に、百合香はなんとなく、楽観的な気持ちが湧いてくるのを否定できなかった。

『あなたが思ってるほど、敵ばかりじゃないって事よ』

「…そっか」

『どこにあるかわからない?だったら、探せばいい。何ならラハヴェとかいう奴を縛り上げて、吐くまで拷問してやろうよ』

「ふふっ」

 瑠魅香の無理難題に、思わず百合香は吹き出してしまった。

「ねえ瑠魅香、そういう無茶苦茶な注文のこと、なんて言うか教えてあげる」

『なにそれ』

「そういうの、"無茶振り"っていうのよ」

『むちゃぶり?』

 少し間を置いて、百合香の頭の中に瑠魅香の爆笑が響き渡った。

『あははははは!!なにそれ!!変なの!!』

 どうやら、言葉の響きが瑠魅香のツボに入ったらしい。

『ひひひひひ!ムチャブリだって!!ひーっひっひっひ』

「そこまで面白いかな」

『ムチャブリ!!やばい、お腹痛い』

「人の頭の中で爆笑しないで!!」

 悩んでいるのがバカバカしくなってきた百合香は、立ち上がって歩き始めた。

「行くよ、瑠魅香」

 まだ脳内での爆笑は続いている。自分が笑ってたら、即座に敵が駆け付けてきただろうなと百合香は思った。

 

 

 

 ようやく瑠魅香の大爆笑が収まってきた頃、百合香は奇妙なものを拾い上げていた。それは、紙のようなシート状のものが、くしゃくしゃに丸められているものだった。

「…何だろう、これ」

 気になって、それを広げてみる。感触は再生紙、といったところである。

 

 そして、広げて百合香は驚いた。そこには、自分の顔写真がデカデカと印刷されていたからである。

「!??」

 驚きすぎて、百合香には声もなかった。

 そしてよく見ると、写真の上には横文字で、よくわからない文字が書かれている。ようやくそれが何を意味しているのか、百合香は理解した。

「…新聞だ、これ」

『しんぶん?』

「私達の世界の、情報媒体」

『あー、なんかそういえば、あったね。こんなの作ってるクラブ』

 新聞部だ。ガドリエル新聞部は、たまに飛ばし記事をやらかすのでタチが悪い。

「…まさか、新聞部のコピーまで存在するのか、この城には」

『どれどれ』

「読めるの?」

『うん』

 どうやら、氷魔には文字があるらしかった。それ自体が凄い情報ではある。

『…読み上げていいの?』

「うん。…いやちょっと待って」

 百合香は瑠魅香の態度に、何か良からぬものを感じた。人の顔写真が載っている新聞を、本人の前で読み上げていいかどうか確認するのは、どういう理由からだろう。

「…いいわ、どうぞ」

 深呼吸したあとで、百合香は許可を出した。

『読むね。まず見出しから。”氷巌城に人間社会からの侵略者現る”』

 

 見出しと、それに続く文面は次のようなものだった。

 

 

 

 【氷巌城に人間社会からの侵略者現る】

 

 氷巌城統治機構の発表によれば、我が氷巌城に対する、人類からの悪逆非道な侵略行為が確認された。侵略者(写真)は悪趣味極まる黄金の剣と鎧で武装しており、容姿は一見すると秀麗なるも、その実態は残忍、凶暴、悪逆非道の権化であり、我が善良かつ強力なる兵をもってして、すでに多数が無念にもその凶刃の餌食となったという。

 現在、軍は総力を挙げてこの邪智暴虐なる侵略者の捜索および駆逐にあたっているが、誉れ高き氷騎士がすでに卑怯極まる残忍な手段によって

 

 

「ストーーーップ!もういい!!」

 百合香の怒気をはらんだストップによって、瑠魅香は読み上げるのをやめた。

『だから言ったじゃん』

「悪逆非道ってなによ!!」

『あたし読んだだけだよ。文句なら書いた人に言ってよ』

 瑠魅香の言う事はまったくその通りなのだが、百合香は憤りを向ける矛先が見当たらず、その言われように憤慨した。

「邪智暴虐とは何よ!走れメロスじゃあるまいし!!」

『そんな怒っても仕方ないじゃん。メロスって誰だか知らないけどさ』

「許さないわ。こんな三流記事を書いた奴、ただじゃおかないから!!」

 

 百合香は激怒した。



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剣はペンよりも強し

 百合香が、自分に対する悪口雑言が書かれた新聞記事に憤慨しながら氷巌城第1層の通路を進んでいると、今度は壁に同じような新聞が張られていた。今度は瑠魅香の写真が載っている。

『あっ、あたしだ』

「またろくでもない事書かれてるんじゃないの?」

『きっと素敵な魔女って書かれてるんだよ』

 そのポジティブさはどこから来るのだろう、と百合香は相方の性格を羨ましく思った。

 氷魔の文字は百合香には読めない。とりあえず、瑠魅香が百合香の視界を通して読めるように新聞の前に立つ。

『うん、いいよ。行こう』

「なんて書いてあったの」

『読まなくていい』

 若干声色に棘がある。どうやら、百合香と同じく言いたい放題の記事だったのだろう。

「ほらね」

『人間社会の新聞もこういう事書くの!?』

 すでに怒りを露わにしている瑠魅香である。百合香は答えた。

「新聞っていうのは、それなりに言葉は丁寧だけど…まあ、それぞれの立場にとって都合がいいように書いている、とは言えるのかもね」

『真実は書かないの?』

「基本的には、真実が書かれている。…とは思う」

 百合香は慎重に言葉を選んだ。

「新聞っていうか、情報を発信する媒体は、それぞれにとって都合のいいものを取捨選択しているのが、普通かもね」

『じゃあ、どれが正しいの?みんな違う事言ってるなら、ほとんどが間違ってる事にならない?』

「うーん」

 百合香には、即座に答えが出せない問いである。

「ごめん。私には答えられないわ」

『ふーん』

「精霊の世界では、情報はどうやって共有されるの?」

『基本的には、全ての情報が瞬時に共有される。だから、みんなが真実を知っている。個人的な感情だとかは別として、コミュニティ全体にとって重要な情報を、隠す精霊はほとんどいない』

 瑠魅香の語る内容は、百合香にはなかなか理解しがたい情報だった。

「…瑠魅香。あなたが人間になりたいと思う気持ちは尊重するし、実現したいなら応援するけど、ちょっとだけ、忠告させて。友達として」

『うん』

「人間の社会っていうのは、”嘘と隠蔽”で成り立っている側面がものすごくある。それは、世の中全体のレベルだけの話ではなくて、私達のような世代どうしのコミュニケーションの中にもある」

『うん』

 

「だから、あなたがいつか、人間社会で生活するようになった時、あなたは大きな幻滅を体験するかも知れない」

 

 百合香は、重みを伴う口調でそう言った。瑠魅香は少しの沈黙をはさんで答える。

『じゃあ、いま百合香は私に隠し事、あるいは嘘をついている?』

「隠し事はある」

 百合香は、はっきりとそう言った。

「私の、プライベートな感情だとか、家族にも明かしたくない事柄はある。それは間違いない」

『私にも?』

「…そう。あなたにも。あなたは私にとって、すでに家族や他の友達と同じ存在だもの」

 そう答えられた瑠魅香は、小さく笑った。

『うん、わかった。やっぱり、百合香を信じて良かった』

「え?」

『隠し事がある、ってきちんと説明してくれるなら、それはひとつの真実よ。本当に隠す人は、隠している事じたいを隠すもの。違うかしら?』

 瑠魅香の言葉は、なんだか禅問答や哲学にも通じるものがある、と百合香は思った。今更だが、瑠魅香の知能レベルは非常に高いのではないだろうか。

『人間社会に真実は存在しないの?』

「そんな事はないわ。真実が存在しなければ、なんていうか…ひとつの種がこんなに長く存在はできないと思う。まあ、色々と至らない生き物ではあるけれど」

『なら、大丈夫だよ、きっと』

 瑠魅香は笑って言う。

『うん、たぶん色々な幻滅を感じる事はあると思う。それが、どんなものなのかは知らないけどね。でも、あなたは人間が美しいっていう、ひとつの証明。だから、あなたが人間を信じられるなら、私は信じる』

「人をアテにすると、裏切られるかもよ」

『今のところ、百合香は私を裏切ってなんかないよ。ただ、ブラックコーヒーがあんなに苦いっていう”真実”は、先に伝えておいて欲しかった』

「あははは、ごめん」

『ふふふ』

 二人は、ひとつの精神を共有して笑い合った。

「私、あなたとこうして語らうのは好きよ」

『私もよ。いつか、人間になって、互いに向かい合ってお話したい』

「いつかね」

 そう言うと、再び百合香は新聞が貼ってある壁を離れて歩き出した。言葉で語り合うという事は、どういう事なのだろう、と考えながら。

 

 

 その後数分間歩いていると、またしても壁に新聞が貼ってあった。今度は、見覚えのあるシルエットの写真が載っている。パッと見は新聞というより、手配書、人相書きの雰囲気もあった。

「ちょっと、これ…」

『え?』

 百合香は、新聞の写真を指さした。なんとそれは、第1層で最初に出会った氷騎士、サーベラスである。

「何て書いてあるの!?」

『待って。…”裏切り者のサーベラス、処刑執行される”!!』

「なんですって!?」

 百合香は少なからずショックを受けた。瑠魅香は続けて読む。

『”栄誉ある氷騎士の立場にありながら、人間の侵略者と手を結んだサーベラスに対し、偉大なるラハヴェ皇帝陛下は処刑命令を下され、捕えられたサーベラスとその配下たちは、断首刑に処せられた”』

「嘘よ!」

 百合香は、蒼白になってサーベラスの写真を見た。サーベラスは、処罰しに来る奴がいたら返り討ちにする、と言っていた。

『落ち着いて、百合香。そうよ、これが真実と決まったわけじゃない』

「……」

 しかし、と瑠魅香は思った。これが真実でない、という保証だってどこにもない。氷魔皇帝ラハヴェとやらがその気になれば、配下の一人を処刑するくらい、造作もないのではないか。瑠魅香は、少なからず百合香が動揺している事に気付いたため、それは黙っていた。

「…行こう」

 少し硬い表情で、百合香は再び歩き出す。

 

 だが、またしても新たな新聞が貼られていた。今度は、写真が貼られてはいない。文章だけである。

「…これは、何だろう」

『読めばいい?』

 百合香は少しだけ考えたあとで、小さく頷いた。瑠魅香はゆっくり読み上げる。

『”レジスタンス一斉検挙、収監される”』

「…うそ」

『”長らく氷巌城を悩ませてきたレジスタンス達だが、内部からの密告によりアジトが判明。憲兵隊によってアジトは急襲され、一部を除いてほぼ全てのレジスタンスが地下牢に収監された。全員の死刑は間違いないと見られる”』

 そこまでで、ひとまず瑠魅香は読むのをやめた。続きは細かい補足だけである。

『百合香』

「…ホントじゃないよね」

『私には、わからない』

 思ったままを瑠魅香は言った。

『これが真実であるなら、情報を城内で共有するためだと理解できる。もし嘘だというのなら、どうして嘘をわざわざ貼るのか、という疑問もある。しかも、百合香には読めない言語で』

 瑠魅香の指摘はその通りだった。氷魔の知能レベルからして、おそらく日本語の文章を書く事は容易いと思われた。

『氷魔の言語で書かれているということは、氷魔に伝えるのが目的ということ。そこに嘘を書いても何にもならないどころか、むしろ情報が錯綜して、混乱するだけかも知れない』

「じゃあ、サーベラスやレジスタンスのみんなはもう死んじゃったっていうの!?」

 百合香は声を張り上げた。

『百合香、静かに』

「…私は、信じないわ。こんな飛ばし記事」

『……』

 瑠魅香には、百合香の心の動きがよくわかった。もう、ほぼ完全に混乱しつつある。この状態で、もし戦闘に入ったら、対処できるのか。

 

 その瑠魅香の危惧はすぐに現実となった。通路の奥から、ナロー・ドールズが大挙してきたのだ。

『百合香!』

「えっ!?」

『まずい!』

 瑠魅香は、咄嗟に表に出て杖を構える。

「『サンダー・ニードル!!』」

 大きく振った杖の軌跡に無数の小さな雷光の球が発生し、それは針の雨となってナロー・ドールズ達を一斉に撃ち抜いた。通路に、氷の人形の残骸が折り重なる。

「ふー」

『…ごめん、瑠魅香』

「いいのよ。私もたまに動かないと、体がなまっちゃうわ」

 なんとか百合香の気持ちに負担をかけまいとする瑠魅香だったが、ほんの数枚の新聞記事で、百合香の精神は予想外に参っているようだった。その理由は、いつも百合香と精神を共有する瑠魅香にはよくわかった。

「百合香、たった一人でこの城に乗り込んで来たんだもんね。心細かったよね」

『…うん』

 瑠魅香に、百合香の涙声が聞こえた。

『正直ね。今でも、もう駄目だ、って思うんだ』

「……」

『わたし、ただの女の子だもの』

 それは、たびたび百合香が口にする言葉だった。

 いくらすごい力を持っていたところで、結局は一人の少女である。それが突然、命懸けでみんなの命を救うために戦わなくてはならないと言われても、まともな精神の持ち主なら、受け止めきれるわけがない。

 そんな心理状態で、たとえ真偽不明であっても動揺を誘う情報がもたらされたら、いかに強い精神を持っていたとしても、影響を受ける事は避けられなかった。

 そんな百合香に、瑠魅香は言った。

「百合香。怖がっていいよ。泣いていいよ」

『…え?』

「不安な感情に嘘をつくのは、良くない。不安なら不安だと言えばいいの」

『……』

 百合香は、その言葉に即座に救われたわけではないが、ほんの少しだけ冷静さを取り戻す事ができた。

「何を言ったところで真実が変わるわけではないし、私が今ここで、あなたの心を支えてあげられるなんて、偉そうな事は考えてないわ。むしろ、何もしてやれない自分に苛立ってる」

『そんなこと、ないよ』

 百合香は、必死で励ましてくれる相棒にそう言った。

『いつだって瑠魅香は、たった一人の私を励ましてくれる。今も、こうして』

「そう言ってくれると、私も助かる。でもね」

 瑠魅香は、間を置いて言った。

「私だって怖いんだよ」

『え?』

「考えてみてよ。私は、氷巌城を裏切って、この可愛らしい侵略者に手を貸してるんだよ。裏切りの度合いで言えば、サーベラスなんか私の足元にも及ばないわ」

 そう言われて、そういえばそうだ、と百合香は思った。

「それに、人間になれなかったら、どうなるのか。精霊である事を放棄して、百合香のおかげで存在できている私が、もし人間になれなかった場合、どこかの時点で消滅してしまうんじゃないかとか、色々考えるんだよ」

『…そうだったんだ』

「百合香の不安を理解できるなんて、偉そうな事は言わない。けど、私も私で怖いんだよ」

『…そっか』

 それは、確かに百合香の気持ちを安定させる言葉だった。無責任に元気を出せと言われるより、ずっと心に入ってくる。

『…怖いものを、怖くないと言い張るのは、真実じゃないって事か』

「うん、そうだね。そういうこと」

『怖いなら、怖いでいいのか』

「そうだよ。一緒に怖がろう」

『何それ』

 ようやく、百合香が笑った。

「それにね、百合香」

 瑠魅香は、またしても少し先の壁に貼ってあるのが見える、新聞を睨んで言った。

「その目的が何であれ、言葉は言葉でしかない。そして言葉は、心よりも誤解されやすい、不完全なもの。そうでしょう、起きている事や思っている事を、文字という形式に変換するのだもの」

『哲学的な話になってきたわね』

「うん。だからね」

 言いながら、瑠魅香は貼ってある新聞に近付く。

「私はね、百合香。この新聞は、あなたに向けて書かれたものだと思う」

『私に!?』

「そう」

『何のために?』

「もうわかるでしょ。こうやって、あなたに動揺と混乱をもたらすためよ」

 瑠魅香は、そう断言した。

「正直、あなたがこんなに言葉で動揺するとは、私も思ってなかった。でも敵は、あなたが一人の少女である事を知ったうえで、こうして精神に揺さぶりをかけてきたんだと思う」

 瑠魅香は、新たな新聞を力任せに剥がし取った。

「読むわよ。”地上の制圧の第一段階完了する”」

『!』

 それは、百合香を戦慄させるに十分すぎる見出しだった。

 内容は、次のようなものであった。

 

 

 【地上の制圧の第一段階完了する】

 

 我らが氷巌城地上部隊は、愚かなる人類文明をこの地球上から排除するための作戦を計画どおりに開始し、その第一段階は完了した。まず、氷巌城周辺地域の人類約80万人の凍結が確認された。この人間たちは氷巌城を稼働させる生命エネルギー源となる。さらなるエネルギー確保のため、この範囲は拡大され、最終的には地球全土が凍結して氷巌城を支える礎となる計画である。

 また、人類の脆弱なる軍事施設は、すでにそのほとんどが極低温によって機能停止しており、彼らが核兵器と呼ぶ非効率的な兵器も、すでに使用不可能な状況に追い込まれた。現在の人類の白兵戦用武装で我々の装甲を破る事は不可能であり、彼らが戦争を仕掛けてきても、事実上すでに勝敗は決している。我々氷巌城による地球統一はすでに達成されたも同然である

 

 

「だって」

 きっちり読み上げた瑠魅香は、百合香に感想を促した。

「書いてある事、信じる?」

『…半分は信じる』

「なあに、それ」

 瑠魅香は、百合香の回答を興味深そうに聞いた。

『私が好きなホラー系のTVドラマに、こんなセリフがあるの。”嘘は真実の上に薄く被せてこそ、その効果を発揮する”って』

「ほう。なかなか鋭いところを突いたセリフだと思うわ」

『だから、私の動揺を誘うためっていうあなたの推測が正しいなら、これまで読んで来た新聞記事の内容に、真実は含まれていると思う。その割合はわからないけど』

「ふむ」

『それを踏まえたうえで、サーベラス達が処刑されたとかいう話は、頭からは信じない事にする』

 百合香の結論に、瑠魅香も同意した。

「そうね。私もそう思う」

『でも、地上に影響が出ているという話は、おそらく真実よ』

 百合香は、ほとんど断定するような口調で言った。

「そうなの?」

『私は、すでに学園が凍結するのを目の当たりにしたわ。あの凍結現象の範囲が拡大したとしても、何の不思議もない。軍事施設うんぬん、という話は私には確認しようがないけれど』

「なるほど」

 瑠魅香は、新聞をくしゃくしゃと丸めて床に放り投げる。

「それでどうするの百合香、ここから」

『この新聞を作った氷魔を突き止める。氷騎士かどうかはわからないけど』

「突き止めてどうするの?」

 瑠魅香は訊ねる。百合香は、当然という風に答えた。

 

『剣はペンよりも強い、という事を教えてやるわ』



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ディウルナ

 奇怪な新聞の情報を気にしつつ、百合香は瑠魅香のサポートでどうにか心を落ち着けて、再び表に出て移動を開始した。

 

「またあった」

 十字に分岐する通路の右手の壁に、新たな新聞が貼ってある。そこには、雑兵ナロー・ドールズの生産工程らしき写真が掲載されていた。

『”ナロー・ドールズに不具合、一斉リコールか”だって』

 瑠魅香が、その新聞の見出しを読み上げる。

「なにそれ」

『あっちもトラブルがあるって事なのかな』

「あんなザコ人形、不具合なんてあってもなくても一緒でしょ」

 言いながら百合香は、とりあえずそれが貼ってある方向の通路を曲がる。

 

 さらに進むと、今度は丁字に分岐しており、左側に新聞が貼ってあった。

『”魔導柱の修復完了、防衛体制の強化へ”』

「まどうちゅう?」

『たぶん、この間百合香が壊した例の柱だよ』

 それは、城の基底部から情報へ突き抜ける、下界からの生命エネルギーを吸い上げる装置だった。

「また見つけたら、今度は確実に破壊しないと」

『慎重にね。警戒が強くなってるはずだよ』

「うん」

 百合香は、また新聞が貼ってある方に曲がる。

 

 その後も似たような分岐ルートがあり、そのたびにどちらか一方の壁に、同じように新聞が貼ってあった。しかも、だんだん枚数が2枚、3枚と増えている。もはや百合香も瑠魅香も、内容には興味を持っていなかった。

「どういう事だろう」

『さあ』

「それにしてもこの城、外観から想像していた以上に広いな…一体どこまで広がっているんだろう」

 そう、百合香が呟いた時だった。通路が行き止まりになっているのに百合香は気付いた。

「参ったな」

 溜息をつく百合香だった。右側の壁に、奥からドア1枚ぶんくらいのスペースを空けて、新聞が1枚だけ貼ってある。瑠魅香は見出しを読み上げた。

 

『”侵入者の気配途絶える 捜索は難航か”』

 

「瑠魅香のステルスイヤリング、効いてるって事じゃないの?」

 百合香は、瑠魅香が創ったエネルギー中和イヤリングを触った。

『あたしもやるもんだね』

「自分で言うかな」

 言いながら、百合香は行き止まりの壁を睨む。

「引き返すしかなさそうね」

『待って、百合香』

 突然、瑠魅香は百合香を引き留めた。

「なに?」

『なんかヘンじゃない』

「ヘンな事だらけだわ、この城は」

『そういう事じゃなくてね。ちょっと代わって』

 瑠魅香は、百合香とバトンタッチして表に出てきた。

「ねえ、百合香。今まで、分岐点ごとに壁に新聞が貼ってあったよね」

『うん』

「しかも、枚数がどんどん増えて行った。さっきの壁には4枚もあった。まるで、こっちだよ、って私達をおびき寄せているみたいに」

『あっ』

 百合香は、その言葉にハッとさせられた。

『罠ってこと?』

「なんとも言えない」

『でも、こうして行き止まりに来ても、誰か待ち伏せていたわけでもない』

「ねえ。このスペース、何か不自然じゃない?」

 瑠魅香は、新聞の左横に空いているスペースを見た。

「しかも、この記事内容」

『あれ?ねえ、瑠魅香。その新聞、下にもう1枚貼ってない?』

 百合香の指摘に、瑠魅香は新聞をよく観察した。

「あっ」

 確かに、左下の角がわずかに裂けており、そこにもう1枚の新聞らしき紙の角が見える。瑠魅香は、表の新聞をゆっくりとはがしていった。

 

 そして、新聞の下に貼ってあった小さな紙片に、百合香は驚愕した。

 

 

 【野球のランナーが塁を通り越してしまう行為の名称は?】

 

 

 という文面が、日本語で書いてあるのだ。

『なに、これ』

「百合香の世界の…日本語、だよね」

『どういう事?』

「うーん」

 瑠魅香は唸ったのち、百合香に訊ねた。

「それで、このクイズの答えは?」

『え?それは、「オーバーラン」っていう…』

 百合香がそう言った、その時だった。

 左側の壁のスペースがスッと消えて、その奥に通路が現れた。

「!!!」

『!!!』

 二人は、突然の無音の出来事に、心臓が停まるかと思った。

「なっ、なにこれ?」

 そう思っていると、壁に貼ってあった紙片はスッと消えてしまった。

「これ、魔法の扉だ。合言葉で開くんだ。でも、こんな所にどうして」

『…誰かが、これを仕掛けていたんだ。私を招き入れるために』

「あっ」

『日本語を読める氷魔はいるかも知れないけれど、野球の用語を知っている氷魔なんて、サーベラスみたいな例外を除いて、多分いない。現に、いま瑠魅香がそれに答えられなかった』

「なるほど」

『瑠魅香、代わって。私をご指名なら、私が出ないとね』

 

 再び瑠魅香と交代した百合香は、通路の奥を見た。階段が下に降りている。

『行くの?』と瑠魅香。

「ここまでお膳立てされて、行かないってわけには行かない」

『罠かもよ』

「なら、罠をぶち壊すだけよ」

 そう言う百合香に、瑠魅香は笑った。

『悪逆非道、当たってるんじゃない?』

「うるさいわね」

 百合香は聖剣アグニシオンを両手で構え、通路の奥へと進む。すると、とたんに再びドアが閉じられ、暗闇に包まれてしまった。

『百合香!』

「照明なら持ってる」

 そう言って、百合香はアグニシオンを発光させた。

『便利よね、その聖剣』

 

 階段を降りていくと、以前の地下ライブハウスのような、ノブつきのドアが現れた。

「開けるよ」

『気を付けて』

 瑠魅香に言われて、百合香は一呼吸置いてノブに手をかける。しかし。

「ん?」

 力を入れても、ノブは回らなかった。

「鍵がかかってる」

『留守なのかな』

 だんだん会話が町内会じみてきたところで、ドアの向こうから男性の声がした。

『誰だ』

「!」

 百合香と瑠魅香はギクリとした。こちらに気付かれていたらしい。当然ではあるが。

 男性の声は、続けて質問をしてきた。

『日本国内で、存在理由がよくわからないドアや階段などの設備を指す俗称を言え』

「は!?」

 百合香は面食らった。いきなり何を言い出すのか。

「合言葉ってこと?」

『そんなところだ』

「トマソンでしょ。学校の近くの建物にもあるわよ。高さが中途半端で、階段もついてない謎のドア」

 百合香がそう答えると、ドアノブが青緑色に一瞬光って、ガチャリという音がした。

『入りたまえ』

 男性の声はそう言った。

「なんか、ちょっと想像してたのと違う展開になってきたな」

『入るの?』

「逆に訊くけど、この状況で立ち去れる?」

 それもそうだ、と瑠魅香は言った。

 

 ドアを開けると、中はなんだかシャーロック・ホームズの下宿部屋みたいな雰囲気だった。氷巌城である以上、全てが青白いのは致し方ない。

 ホームズの部屋と明白に異なるのは、部屋の奥に、いかにも書くことを生業としています、といった風情のデスクが据えてある点である。そして、デスクにはソフト帽ふうの帽子を被った、のっぺらぼうの氷魔が座っていた。

「!」

 瞬間的に百合香は身構えた。

「おっと、物騒なものは下げてくれ」

「ふざけないで。あなたね、あんな訳のわからない新聞を貼って、私に読ませたのは」

「ほう、君はあの文字が読めるというのか」

「うっ」

 少し高めの、鼻にかかったような声で、氷魔は言った。

「それとも、他に誰か読める人がいる、という事なのかな」

 帽子の氷魔はゆっくり立ち上がると、百合香を指差して言った。

「私の推測はこうだ。侵入者くん、君には、氷魔側の何者かが常に協力している。いや、もと氷魔側、というべきなのかな。それはひょっとして、謎の黒髪の魔女なのだろうか」

 百合香は、喉を締め付けられるような思いでそれを聞いていた。この氷魔は、何かを知っている。いや、完璧に知っていないかも知れないが、真相に近い所にいる。

 氷魔はさらりと答えた。

「最初の質問に答えよう。あの新聞を書いたのは私だ。貼ったのは違うがね」

「誰だというの」

「協力者、とだけ言っておこう。どうぞ」

 そう言うと、自分は再びデスクに座り、百合香には応接用のチェアーを勧めた。

「ここでいいわ」

「君がそれでいいというなら、構わんよ。脚が疲れやしないかと思ってね。それとも、体重は一人分で済んでいるという事なのかな」

「!!」

 百合香は、今度こそ確信した。この氷魔は、瑠魅香が百合香の中に存在している事を見抜いている。

「女性の体重を訊くなんて、紳士とは言えないわね」

「おっと、これは失礼」

「回りくどい話は嫌いなの。あの新聞を書いた目的は何」

 百合香は、いつでも斬りかかるぞ、といった態勢で凄んでみせる。それに少しも動じることなく、帽子の氷魔は言った。

「もちろん、君をここに呼ぶためさ。お招きに応えていただいて、感謝しているよ」

「そのままで質問に答えなさい。あの記事の、どこからどこまでが真実なの」

「それを訊ねる君はどう思うね」

 そう問われて、百合香は答えに窮した。実際のところ、百合香には判断のしようがない。しかし、思っているところは答える事にした。

「サーベラスとレジスタンスが処刑、というのは嘘だわ」

「なぜかね?裏は取ったのかね」

「写真よ」

 百合香の指摘に、氷魔はぴくりと反応した。

「あのサーベラスの写真は、訓練の風景だった。捕らえられた者に関して報道するなら、捕えられた写真を載せなければ、信憑性に欠ける」

「……」

「レジスタンスに至っては、写真さえ載っていない。一斉検挙された組織のうち、幹部一人の写真すら用意できない理由は何か。それは、そんな事実が存在しないからよ」

 すると、氷魔はパチパチと拍手をしてみせた。

「いや、お見事。君たちについて悪口雑言を書き散らした件は、謝罪させていただく。申し訳なかった」

 氷魔はハットを脱いで深く頭を下げる。頭部は、デッサン人形のようにつるつるだった。どこから声を出しているのだろう。

「いかにも、サーベラスが処刑されたという情報は、今のところない。レジスタンスについてもね」

「つまり、他の記事についても虚偽を認めるということ?」

「いくらかはね」

 改めてハットをかぶると、氷魔は再びデスクにつく。

「まず、君が住んでいた都市については、現段階ではまだこの城の真下のような事態になってはいない」

「それは本当なの?」

 百合香は、身を乗り出して確認を取る。

「本当だ」

「良かった…」

「だが、事態が良くなっている、というわけでもないらしい。君達が言うところの、”寒波”というものが各地で発生している。都市機能が麻痺し、混乱をきたしている、という事だ」

 その報せは、百合香を動揺させた。母親は無事なのだろうか。氷魔は続ける。

「いずれ、放置しておけば事態は拡大し、私が書いた記事は現実になる」

「ちょっと待って。あなたは何者なの」

 百合香は剣を下げて訊ねた。

「私の名はディウルナ。この氷巌城で官報を書いている。…表向きはね」

「どういうこと」

「やれやれ、察しが悪いな。あの新聞の嘘を見抜いたなら、わかるだろう」

 すると、百合香の背後で瑠魅香が言った。

『百合香、この人レジスタンスだわ』

「なんですって?」

 瑠魅香の声にうっかり返事をしてしまった百合香は、慌てて口をふさいだ。ディウルナは笑う。

「ふふふ、いまの声が君の”協力者”というわけだな」

「瑠魅香、なんで声を出したのよ!」

『わかるもの。この人からは、悪意の想念を感じない』

 そう瑠魅香は言った。

「いや失礼。本当のことを言うと、君の情報は知っているんだ、瑠魅香くん」

「えっ!?」

「そして、人間界から勇敢にもこの氷巌城に挑んできた少女、百合香くんだね」

 氷魔はコツコツと百合香に近付き、握手を求めてきた。よく見ると、服装は少し古めのデザインのブレザーである。百合香もしぶしぶ警戒を解いて、握手に応えた。

 

「城の広報係がこんな事やってていいの」

 百合香は、怪訝そうに訊ねる。

「百合香くん、君は、君の世界で”ジャーナリズム”というものを最初に始めたのは誰か、知っているかな」

「クイズが好きな人ね」

「答えてみたまえ」

「…いつかしら。産業革命とか、そのあたりの誰か?あまり、その問題について考えた事はないわね」

 すると、ディウルナは笑って答えた。

「なるほど。では教えてあげよう。最初に”ジャーナル”つまり日報を用いたのは、紀元前のユリウス・カエサルだ」

 まさか氷魔から歴史学の講義を受けるとは予想していなかった百合香は、面食らって驚いた。

「そんなことを知っているの!?あなたは」

「サーベラスがソフトボールの知識を持っているのだ。新聞書きに人間の歴史の知識があって、なにか不自然かね?」

「ぬぐぐ…」

 何なんだこいつは、と百合香は思った。アグニシオンで叩き斬ってやろうと意気込んでいたのに。

「カエサルは執政官の任に就いた紀元前59年、元老院の議事録をまとめて公表する事にした。これが君達の歴史上、最初の新聞といわれる「アクタ・ディウルナ」だ。その真の目的は、何だったかわかるかね」

「政治の透明性を高めるためでしょ?」

「それは理念だ。カエサルにはその理念もあった。だがね、直接的な理由としては、元老院にとって不都合な真実を公表することで、彼らの支配力を弱める目的があったのだ」

「…なるほど」

 話を聞きながら、百合香はほんとうに人間と話しているような気がしてきた。ジッパーがついていないか、背中をあとで確認しなくてはならない。

 講師ディウルナの講義は続いた。

「いま、この氷巌城には、かつてないほどに”反乱分子”が急増している。実のところ、城側はその抑え込みに手を焼いているのだ」

「そうなの!?」

「本当だ。人間社会を混乱に陥れるやり方に、少しずつ疑問を持ち始めている個体も少なくない」

 そこまで聞いて、百合香はなんとなく、ディウルナが何をしようとしているのか、わかってきた気がした。

「…あなたは、この城の支配体制を、情報の力で揺るがしたいと思っているのね」

「はっきりと、そこまで直接的な効果が見込めるとは思っていないがね」

 デスクの上に腰掛けると、ディウルナは一枚の新聞を差し出した。日本語ではない。受け取ると、百合香は瑠魅香に読んでもらう。

 

『”生命エネルギーいずれ枯渇 矛盾抱えた氷巌城のシステム”』

 

「これは…」

 百合香がディウルナを見ると、ディウルナは小さく頷いた。

「読んだとおりだ。氷巌城を支える生命エネルギーは、それを吸い続ければいずれ地上から消滅する。この城は、誕生した瞬間から崩壊が決定しているのだ。しかも、膨大な数の他者を犠牲にしてね。私は、それを頃合いを見て全ての氷魔に公表しようと思っている」

「ちょっと待って。氷魔全てが、そのシステムを知っているのではないの?」

 すると、ディウルナは自嘲気味に笑った。

「さっきから何度も、質問に対して質問で返して申し訳ないが。君達人間の社会で、軍事やエネルギー、環境問題について、常に民衆に真実が提供されているかね、逆だろう。支配者たちは自分達のために都合のいい”真実”を語り、民衆の中の、それに付き従う事が正義だと思い込んでいる者たちが拡散する。そうではないかね」

「そっ…それは」

 百合香はまたも答えに窮した。若者である百合香も、何かおかしいと思う事はある。ディウルナは話を続けた。

「いや、それは別な問題だ。例えとして引き合いに出しただけだよ。だが、氷巌城を構成するためにこの城に束縛された精霊たちは、そのほとんどが思考までをもコントロールされているため、真実など知らない。沈む泥舟だと最初から決定しているこの城に縛りつけられて、人間や生命の世界を否定し、蹂躙するという、くだらない歪んだ欲求を満たすためだけに利用されるのだ」

「…そして、城が滅びれば」

「また城の記憶とともに眠りにつく。”次の文明”が栄華を極める、その時までね」

 百合香は、ディウルナの解説に背筋が寒くなった。それは、瑠魅香の推測と見事に合致したからだ。

 

「”ペンは剣よりも強し”というリットンの戯曲の有名な一節は、権力に立ち向かう言論の理念としてよく引用される。だが実際のセリフは”まことに偉大な統治のもとでは、ペンは剣よりも強し”となっている。これは知っているかね」

 ディウルナは、今度は文学の講義を始めたらしかった。百合香は渋い顔で答える。

「…知っているわ」

「さすがだ。では、その意味も知っているね」

「枢機卿リシュリューは、自分を狙う騎士団の反乱分子を黙らせるための文書を発行したのよ。”偉大な統治のもとでは”、つまり強大な権力者はペンの署名ひとつで、手を汚さずに武力を左右できるということ。言論の理念なんかじゃないわ。権力の横暴に対する痛烈な皮肉よ」

「ははは!」

 ディウルナは笑う。

「そのとおり。結局のところ、ペンで武力を動かせと言っているのだ。だがね」

 静かに立ち上がると、ディウルナは抽斗から、ひとつの署名らしきものが書かれた紙片を取り出した。

「何も、それは権力者の側だけが行使できる、と神が定めたわけではない。支配される側が、言葉で武力を動かす事も可能だ。実際に歴史はそれを繰り返してきた」

 そう言って、ディウルナはその紙片を百合香に手渡す。

「これは?」

 読めない署名を見て訝しむ百合香に、ディウルナは小さく笑って言った。

 

「開かない扉を、こじ開けるための剣だ」



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再会

 ディウルナの差し出した、氷魔の言語で署名がされているらしい紙片を、百合香は瑠魅香に確認してもらった。

「これ、何なの」

 百合香の視界を通して、瑠魅香はその文面を確認する。

『これ…通行許可証だ。ディウルナの署名の』

「通行許可証?」

 百合香はそれをまじまじと見る。それほどきっちりと仕様が定まっている感じはなく、急いで用意しました、といった雰囲気だ。

「どこを通るための許可証なの」

「この層から、上層へ登る階段のゲートを通るためのものだ」

 あっさりとディウルナは言った。

「知ってのとおり、誰かのおかげで今、この城の警戒態勢は強まっている。君たちをあの新聞で誘導したのは、比較的警戒が緩いルートを通ってここに来させるためだ」

「どうりで、それまで遭遇してた兵士たちに出会わなかったと思った」

 百合香は、これまでの通路の様子を思い出していた。たびたび現れていた氷の兵士たちが、ぱったり現れなくなっていたのだ。

 ディウルナは、通行許可証について説明を続ける。

「現在、幹部クラス未満の階級の兵士は、層を移動するゲートを通行するために、幹部クラス以上の階級の署名が入った通行許可証を提示しなくてはならなくなった」

「まさか、これを提示してゲートをくぐれって言うの?私が現れた時点で、兵士が大挙するわよ」

「もちろん、安全な方法は考えている。私の手下の指示に従いたまえ。あるいは私が上層から行き来しているルートで、一気に第3層まで連れて行ってやってもいいが、今の君たちでは第3層の幹部には勝てんだろう」

 それを聞いて、百合香たちは驚いた。

「あなたまさか、第3層の幹部なの!?」

「ノー。いわゆる幹部とは、ちょっと違う。サーベラスのような戦闘能力もない。まあ、階級の上下で言えば、幹部と同格ではあるだろうがね」

「でも、こうして私達を手引きするということは…」

「そう。城側から見れば、裏切り者だ。そこは、ハッキリさせておいていいだろう」

「私達の味方だと思っていいのね」

 百合香は、そこもハッキリさせろ、という視線をディウルナに送った。デッサン人形の顔面では、表情はわからない。

「イエスだ」

 中途半端な事を言っても仕方ないと思ったのだろう、ディウルナはそう断言した。

「ただし」

 百合香が予想した事ではあるが、ディウルナは腕を組んで、うつむき加減の姿勢で語った。

「私は、それなりの立場にある。そういう存在がレジスタンス活動の手引きをするには、色々と制約が多い事は、わかってもらえると思う。味方なのは間違いないが、それを実行できる場面は限られてくる」

「それは…当然でしょうね」

「なので」

 そう言ってディウルナは、また抽斗を引いて何かスティック状のものを取り出した。

「これを渡しておこう」

「なにこれ」

 百合香は受け取って、それを眺めた。水晶でできた、マレットか太めのマドラーといった雰囲気だ。

「その壁面に、それで何か書いてみたまえ」

「え?」

 百合香は、言われるままに壁面に「Yurika」と書いてみた。すると、筆跡がオーシャンブルーに光って、壁面に残された。

「これ…」

「この光は、君たちと私と、私の手下だけに見える光だ。私も同じものを持っている」

「これで、どうしろっていうの?」

 

「それはですね」

 

 突然、デスクの背後から聞こえた聞き覚えのある少年のような声に、百合香は驚いた。

「今の声…」

『あいつだよ、あの基底部にいた探偵猫!』

「オブラ!?」

 百合香がその名を言うと、デスクの後ろから小さな影が素早く飛び出して、その上にちょんと座った。今回はニッカポッカにベスト、ベレー帽という格好である。

「覚えていてくださって光栄です」

「無事だったのね!…って、まさか」

 百合香はディウルナを見る。ディウルナはまたも、あっさりと答えた。

「そうだ。私の手下とは、彼ら”月夜のマタタビ”だ」

「妙に自信満々だと思ったら、バックがいたって事か」

「彼らの名誉のために言っておこう。私が彼らの存在を知り、実力を買ってスカウトしたのだ」

 ディウルナは、オブラを手で示しながらそう言った。オブラは、スティックを指差して説明する。

「百合香さま、実際に城の通路に出てから説明しますが、要するにこれで我々とのコンタクトを取る、ということです」

「これで?」

「はい」

「…ふうん、わかった」

 百合香は、オブラが言うならそうなのだろうと思って、それを懐にしまった。

 

 ディウルナは小さく頷いたあと、オブラ達との経緯を説明してくれた。

「氷巌城が実際に顕現するまでの準備段階から、レジスタンスがいるという話は聞いていた。しかし、なかなか尻尾を表さない。物理的に具現化する前の想念の段階から、すでに存在をくらまして活動している彼らの実力に、私は注目していた。実際、彼らの工作活動のために、下界への影響がある程度抑えられているという実績があるのだ」

「そうなの!?」

『そうなの!?』

 百合香と瑠魅香はユニゾンで驚きながらオブラを見る。オブラは自信あり気に言った。

「お二人ほどではありません」

「もちろん、この事は公表しないように、と私に上から命令が下っている。レジスタンスに邪魔されたなどという汚点が明るみに出れば、反乱分子が勢いづく可能性があるためだ」

 ディウルナは、腕を後ろに組んで部屋をゆっくり歩き、百合香の方を向いた。

「百合香くん、そして瑠魅香くん。たいへん情けない話ではあるが、我々の計画には君の力が必要だ」

 正直にディウルナは言った。

「頼もしい反乱分子は確かにいる。例えば、レジスタンスの風来坊、マグショットのようにね」

「知ってるのね、彼を」

「むろんだ。彼の他にも、確かな実力を持った者はいる。マグショットなら、サシで戦えば幹部の一体や二体は倒せるだろう」

 やっぱりそうなのか、と百合香たちは思った。あの実力は並大抵ではない。

「しかしだ」

 ディウルナは言う。

「相手は一人ではない。いうなればひとつの国だ。それに立ち向かえるのは、単独で強いだけの存在ではない。強く、かつ、旗を掲げられる存在だ」

「…旗」

「そうだ。旗といっても、権力ではない。理想だ。目に見えない理想の旗を掲げ、大勢を巻き込める者だ。イエス・キリストや、ゴータマ・ブッダのようなね」

「ちょっと、待って」

 半笑いで百合香が、焦ったように言う。

「あのね。私はべつに、イエスやお釈迦様になりたいと思ってるわけじゃない。ジャンヌ・ダルクになりたいともね。私は、ただ私と、大事な人達の日常を、取り戻したいだけなの。自由な存在を」

「そうであればこそだ」

 ディウルナは、見えない空を仰ぐように言った。

「イエスやブッダは、全ての魂は自由であると知っていた。そして、君もそれを知っている。自由であるはずの魂を束縛し、在り方を強要するのは、神の心ではない」

「宗教学はいいから」

「宗教だと?魂に宗教は必要ない。宗教は神を讃える芸術ではあっても、人を縛る道具ではない。人間は後者を選択する事が多いがね。だから戦争は絶えない。皮肉なことに、今この氷巌城が世界中の軍事拠点を凍結させてしまったおかげで、各地の紛争が停止してしまった。侵略者のおかげで、”STOP THE WAR”が実現したというわけだ」

 ディウルナのその知識の深さに、百合香は改めて驚いていた。一体、どこからこれだけの情報を得たのか。どこまで人類史を知っているのか。

「いいわ、イエス様でもお釈迦様でも。けれど、私がやりたいのは、この城を粉々に叩き壊す事なの。そのために、あなたは協力してくれるのね」

「そのとおりだ」

「じゃあ、教えて。宗教学の講義を受けているヒマはないわ。第2層に上がるには、どこに向かえばいいの?」

「彼が知っている」

 そう言って、ディウルナはオブラを示した。

「彼はゲートの場所を知っている。だが、問題がひとつある」

「敵がいるのね」

「そうだ」

 もはや百合香には、説明するまでもない事だった。

「強敵だ。サーベラスと互角以上の」

「サーベラスの実力が、私にはわからないわ。だって、彼とはソフトボールで戦ったのだもの」

「知っているよ。名試合だったようだね。私も観戦したかった」

 ディウルナは、一枚の新聞を示した。そこには、打席に立つサーベラスの姿が載っている。いつ、だれが撮影したのだろう。というか、写真があるのか。

「純粋な戦士としての実力なら、サーベラスは氷巌城でもトップクラスだ」

「そうなの!?上に行くほど、幹部は強くなるって聞いたわ」

「本来、彼は第3層にいるはずだった。謀反の嫌疑をかけられ、降格されたのだよ」

「…そういう事だったのか」

 サーベラスが、パワーなら他の幹部にも負けない、と言っていたのは本当の事だったのだ。百合香は訊ねた。

「じゃあ、もし本気で彼が私と戦っていれば…」

「今頃、君はこの世にいなかっただろうね。だが、君が彼の装甲を、いかに無防備とはいえ破ったのも事実だ。つまり、君には城の最上部まで登れる可能性がある、ということだ」

 言いながら、ディウルナは丸められた紙を広げる。そこには、見取り図が示されていた。

「それは…」

「君たちが、喉から手が出るほど欲しいであろう、この第1層の平面図だよ。ここが、君がソフトボールで戦ったグラウンドだ」

 ディウルナはひとつの区画を示す。その大きさから、全体の大きさを百合香は大まかに考えてみた。ディズニーランドより広いのではないだろうか。

「ちょっと待って、これ…」

 百合香は、初めて見る城の構造に首を傾げていた。

 

 渦巻き状になっている。

 

 全体としては四角いのだが、エリアとエリアが一本道で渦巻きのように連なっているのだ。

「どういうこと?」

「どうもこうもない。これが氷巌城なのだ」

 ディウルナは素っ気ない。

「…第2層はどうなっているの?」

「同じだよ。第1層の渦の中心に、第2層へのゲート、階段がある。第2層に登ると、今度は中心から外側に向かって渦を辿っていく。第3層は、外側から中心に向かう。その上に、キープ・タワー…君の国の言葉でいう、天守閣がある」

 百合香は、それを聞いて目まいを覚えた。つまり、城を全て巡らなくてはならない、ということだ。

「…そんな、のんびりツアーをしてるヒマはないわ。私は今すぐにでも、その天守閣に上がって大将首を獲りたいのに」

「まあ、落ち着きたまえ」

 ディウルナはまた、デスクに腰掛けて言った。

「城は広大だとは言っても、全ての区画に幹部や敵がいるわけでもない」

「そうなの?」

「今は警戒態勢が強まっているから、何とも言えないがね。ただ不安は、この地図がすでに役立たずになっている可能性がある、ということだ」

「…それって」

「うむ。城は、多少時間を要するが、構造を変えようと思えば変えられる。魔導柱への通路を遮断したようにね」

「壁をぶち抜く事はできないの?」

「ははは」

 突然、ディウルナは笑った。

「この城でいちばん強いのは誰か、知っているかね。この城自身だよ」

「…どれくらい?」

「君の世界で最も強大な兵器を思い浮かべてごらん。地上にあるそれを全て使い切っても、この城は崩れない。まあ、振動でこのペン立てを倒すくらいならできるかも知れないね」

 ディウルナは、デスクにあるペンスタンドをパタンと倒してみせた。

「しかし、百合香。バカ正直にこの城のツアーに参加する必要もない。オブラ」

 ディウルナにに言われて解説役を代わったオブラが、百合香の前に進み出る。

「百合香さま、いかに城の基本構造が渦巻き状とはいえ、抜け道はあります」

「そうなの?」

「もちろんです。ただし、だいぶ限られてはいるようです」

「ちょっと待って。ようです、って」

「はい。まだ全ての場所を掴んではいません」

 百合香は肩を落とした。

「そんなことだろうとは思ったけど」

「申し訳ありません。しかし、この第1層のゲートまでの抜け道は確保しています。…多少の危険は伴いますが」

「本当!?」

「はい」

 オブラは、地図の上のある個所を示した。波打つ模様が描かれた、太いラインである。

「ねえこれ、ひょっとして…水路?」

「そうです。まさかもう通られました?」

「渡ってきたの、そこを」

 オブラは、全身の毛が逆立つほど狼狽えていた。

「あぶない…その水路がまさに、抜け道なんです」

「え!?」

『え!?』

 またも百合香・瑠魅香がユニゾンで驚く。

「そうなの!?」

「そうです。その水路をこの方向に行くと、城の中心部に近付きます」

 オブラが示したのは、水路が第1層中心部に近付いたあたりの、池のようなスペースだった。

「距離的には一足飛びに、中心部に行けます」

『やったね、百合香。ここは行くしかないじゃん』

 瑠魅香は百合香の頭の中で嬉しそうに言った。

「ですが」

 水を差すようにオブラが言う。

「この池に、とんでもない化け物がいるそうです。僕は伝聞でしか聞いていませんが、巨大な蛇だとか、亀だとか」

「どっちなのよ」

「わかりません」

 正直な探偵猫に、百合香はまたも肩を落とす。オブラは続けた。

「そして、そこを抜けると、この層最後の氷騎士、バスタードがいます」

「ん?」

 唐突に固有名詞をオブラが言うので、百合香は訊ねた。

「バスタード?」

「はい。あのサーベラスがめちゃくちゃ嫌っている奴です」

「…その情報はどうでもいい。強いのかどうか教えて」

「めちゃくちゃ強いです。実力はサーベラスと同格だと言われています。でも性格に問題がありすぎて、第3層に置いてもらえないらしいです」

 どうでもいい情報がどうしても混じってくるが、とにかくサーベラスと互角の実力を持つ氷騎士が、この第1層のラスボス、ということらしかった。

「蛇だか亀だかを倒した直後に、そのバスタードっていうのと戦わないといけないのか。そこをすり抜けるルートはないの?」

「ありません。諦めてください」

 探偵猫は容赦がない。

『百合香、ここは腹をくくるしかなさそうだよ』

 またどこで覚えたのかわからない日本語を瑠魅香が言う。

「…そうね」

 マップを見る限り、本来のルートを辿れば、とんでもない時間を要する事になりそうだった。ここは危険を冒してでも水路を進むしかなさそうである。百合香は「よし」と言って、頷いた。

「わかった。ディウルナ、あなた達の情報を活用させてもらう」

「私も、君たちの力をアテにしている身だ。お互い様ということだ」

「この際、いちいちあなたが信用できるかどうか、なんて考えないわよ。私にそんな余裕はないから」

「それでいい」

 ディウルナは笑う。

 

 ディウルナの部屋を出る前に、百合香は振り返って訊ねた。

「上の層に行ったら、あなたと会う必要ができた場合、さっきのペンみたいなのを使えってことね」

「そうだ。道々、オブラが説明してくれるだろう。上層にも私のアジトは用意している」

「城のあちこちに勝手にアジトを作って、奴らにバレないの?」

「心配ない。それには理由があるのだ。そうだな、暇な時があれば説明しよう」

「…暇な時、ね」

 そんな時があるのだろうか、と訝しみながら、百合香は足元にいる探偵猫を見た。

「じゃあ、また頼むわよ、オブラ」

「任せてください」

「ディウルナ、いちおうお礼は言っておくわ。ありがとう。よろしくね」

 百合香の礼に、ディウルナは笑って答えた。

「こちらこそ、よろしく頼む。再来した救世主くん」

「なにそれ」

 くすりと笑って、百合香はドアノブを回した。

「じゃあ、また会いましょう」

「君もな。武運を祈る」

 挨拶を済ませると、百合香はオブラに先導されて、再び階段を登って行った。



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暗転

「報告いたします」

 一人の兵士が、ヒムロデの執務室を訪れて言った。

「地上に撒くために準備していた魔氷胚が、何者かの手によって大量に消失しました」

「なんだと!?」

 珍しく、ヒムロデが狼狽えた様子で、ガタンと音を立てて椅子を立った。

「行方は?」

「目下捜索中です」

「管理していた兵士たちは何をしていたのだ」

「それが…その兵士たちは侵入者の討伐に投入され、全滅した状態で発見された、との事です」

「どういう事だ…」

 ヒムロデは、顎に指を当てて考えた。

 魔氷胚とは、それを撒く事で地上の凍結を進行させるための結晶体である。世界各地の人類の軍事拠点を凍結させたのも、これによるものだった。

「人類の軍事基地を先に凍結させる計画だったため、魔氷胚がそちらに優先して回されたのは確かだ。しかし…」

 ヒムロデは、しばし考えたのち一つの結論に辿り着いた。

「レジスタンスどもの仕業か」

「は?」

「それ以外に考えられない。例の侵入者は人間の少女だ。彼女が、魔氷胚の仕組みを知っている可能性はない」

「では、レジスタンスが何らかの手引きをして、魔氷胚をどこかに持ち去ったと?」

 兵士もまた、慌てた様子で訊ねた。

「そこまで具体的にはわからん。それに、奴らにあれだけ大量の魔氷胚を保管できる場所などあるまい…だが、レジスタンスが関わっているのは間違いない。小ネズミだと侮っていたが、まさかこんな工作を仕掛けられるとはな」

 ヒムロデは、笑みのような表情を浮かべてそう言った。

「…ひとまず、消失した魔氷胚の行方は後回しでよい」

「よろしいのですか」

「小細工に足を取られる暇があったら、失ったものを補填する方が賢明だ。ただし、今後生産される魔氷胚の管理は厳重に行うよう、きつく通達せよ」

「はっ!」

「この件はとりあえずそれで良い。それはそれとしてだ。研究棟で遊んでいるヌルダを呼べ」

 その命令に、兵士はあからさまに嫌そうな声で「はっ…」とだけ答え、そそくさと立ち去った。

「ふっ、相変わらず煙たがられているな」

 ヒムロデがパチンと指を鳴らすと、メイドのような姿の氷魔が、盆に赤と白のワインボトルと、グラスを載せて現れた。

「どちらになさいますか」

「白を」

「かしこまりました」

 ヒムロデの横で、氷のグラスに薄い浅葱色のワインが注がれる。受け取ると、ゆっくりと傾け、口の中で転がした。

「もはやワインの味もわからなくなってきたな」

 自嘲気味にヒムロデは呟き、メイドを下がらせた。

「あの少女が現れてからというもの、城の反乱分子が勢いづいている…聖剣アグニシオンを手にしている事と、無関係とは思えん」

 ゆっくりとグラスを揺らすと、ワインの表面に行方をくらます前の、戦う百合香の姿が浮かび上がった。

「しかし敵ではあるが、美しい少女よの。まるで、お前のようだ」

 

 

 再び通路に戻った百合香たちは、オブラの案内で第1層中心部への抜け道を目指して進んでいた。その途中、オブラが立ち止まる。

「百合香さま、先程の水晶ペンを取り出してください」

「これ?」

 百合香は懐から、ディウルナの抽斗に入っていた、マドラーのような透明なスティックを取り出してオブラに手渡した。

「百合香さま、我々にコンタクトを取りたい時は、このマークを記してください」

 オブラは、壁に猫の頭そのままのマークを描く。

「これを記したら、そこからあまり遠くには行かないでください。我々の仲間が現れます」

「ふうん。でも、どうやってこの印を書いたってわかるの?」

「企業秘密です」

 なんだそれは、と百合香も瑠魅香も怪しんだが、オブラがそう言うのなら納得するよりなかった。

「ディウルナ様に会われる時も、私達を呼んでください。その時々の状況で、会えるかどうかはわかりませんが」

「城の幹部クラスと、レジスタンスの兼務だものね」

「基本的には、我々が情報伝達の役を負います。あるいは負傷された場合なども、すぐご連絡ください」

 百合香は頷いたものの、猫レジスタンスたちに人間の治療ができるのだろうか、という疑問はあった。

「ちなみに、ペンの反対側の頭で壁を叩くと描いたものは消えます」

 オブラが壁をコツンと叩くと、確かに描かれた猫マークは一瞬で消えてしまった。

「なるほど」

「第2層に行くと、性質的にここよりも厄介な敵がいます。また、城内の構造そのものも特殊で、単純ではなくなってきます。何かおかしいと思ったら、我々が調査しますので呼んでください」

「わかった。頼りにしてるわ、探偵さん達」

「へへへ」

 オブラは得意気に笑う。

「では、進みましょう」

 

 そこから数分歩いたところで、オブラは突然立ち止まって首をひねった。

「おかしい」

「どうしたの?」

 百合香が訊ねるものの、オブラは無言で周囲を見回した。

「百合香さま、気をつけてください。通路が変化しています」

「なんですって」

「エリア全体を変えるのはとても時間がかかりますが、壁一枚の配置を変える程度のことは、奴らにとって造作もありません」

 オブラはそう言うものの、正直百合香には今どこを歩いているのかさえわからない。

「今、どのへんなの?」

「水路のすぐ近くです。通路2本をはさんだ程度の距離しかありません」

「方角はわかるの?」

「こっちです」

 オブラは、壁がある方を指差す。

「確かに、ここには通路があったはずなんです」

 存在したはずの通路が見当たらず、オブラは明らかに狼狽していた。すると、それまで黙っていた人物が語り始めた。

『落ち着いて、オブラ』

 それは、百合香の中にいる瑠魅香だった。

『通路が変化してるっていうのは、間違いないのね』

「は、はい」

『なら、向こうの目的はひとつだ』

 瑠魅香に、百合香も同調して頷いた。

「わ、我々を迷わせるためですか」

「逆よ、オブラ」

 百合香は、真剣な表情で言った。

「迷うことなく、目的の場所まで私達を誘導するためよ。ディウルナが貼った新聞のようにね」

「あっ!」

「つまり、この先には敵がいるということ」

『そういうこと』

 百合香と瑠魅香が口を揃えると、オブラは感心したように肉球で拍手をしたのだった。

「オブラ、こういう罠を張れるような氷魔は、この第1層にいないの?」

「うーん…基本的には、肉弾戦中心の氷魔が多いです。それに、城の構造を変えるには、おそらく上の許可が要るはずです」

「なるほど」

「もっとも、この城の構造は、どうもトップクラスの階級ですら把握できてないようですが」

「…え?」

 百合香は、まさかという顔でオブラを見る。

「そんなこと、あり得るの?」

「以前、小耳に挟んだ話なので、まだ裏は取れていません。聞き流してください」

「ちょっと待って。そういえば、ディウルナが城内にいくつかアジトを持っている、って言ってたわよね。その事も、それに何か関係があるのかしら」

「ディウルナ様は、僕達が知らない情報も知っています。いずれ説明してくれるかも知れません。それよりも」

 オブラは通路の奥を睨む。

「今、ここからどう動くかです。百合香さまが仰るとおり、この先に敵がいるというなら、戦うか、迂回ルートを探すか、という選択になりますが」

 オブラの言う事はもっともである。百合香は、少し思案して瑠魅香に相談した。

「瑠魅香、どうする?」

『どうするって、百合香はもう決めてるんじゃないの』

「うん」

『じゃあ、それでいいと思うよ』

 二人の会話が、オブラにはよくわからなかった。すでに答えはあるらしいが、具体的に言っていないのに、なんとなく二人の会話は成立しているのだ。

「あのう…どうなさるおつもりですか」

「うん。このまま進んで、その敵を片付ける」

「本気ですか!?」

 オブラは驚いて訊き返した。

「迂回ルートは、探そうと思えば探せるかも…」

「そんな面倒な事、しないわ。それより、あなたに頼みたい事がある」

「え?」

 百合香は、オブラに対してごくシンプルな指示を出した。

「わ、わかりました」

「頼んだわよ」

 そう言うと、オブラは通路の奥へと走り去って行った。

「さて、行くとするか」

『私の出番、ある?』

 瑠魅香は訊ねる。

「さあ」

 

 水路手前の少し広い空間に、大量のナロー・ドールズと、一般兵が揃って陣取っていた。一体の上級兵士が指揮を執っている。

「いいか!侵入者は間違いなく、ここを通過する。現れたら即座に一斉に攻撃し、確実に息の根を止めろ!」

 兵士たちはあまり知能が高くない個体のようで、生返事ぎみに「了解」「了解」と返事をした。

 

 しばらくしていると、一人の兵士がどこからか戻ってきた。

「隊長、大変です。我々がここにいる事が、侵入者に勘付かれているという報告があります」

「なんだと?」

「報告によれば、我々が警戒している反対の方向から奇襲をかけるつもりのようです」

「ふっ、こざかしい。向こうから来るという事か」

 隊長と呼ばれた氷魔は、本来警戒していた方向と反対側の通路を睨んだ。

「ならば、裏をかくつもりの侵入者の、さらに裏をかくだけの事。全員、こちらに向けて陣を敷け」

 隊長は剣を構え、今までと逆の方向を指示した。兵士たちは、一斉に並んで侵入者を挟撃するような陣形を取る。

 

 しかし、待っていてもその方向からは、侵入者が来る気配はなかった。

「侵入者め、さては怖気づいて正規のルートにでも向かったか。ははは、バカめ。正規ルートを行ったところで、厚い防衛ラインを突破しなくてはならない。いずれにしてもお前の敗北は決まっているのだ」

「そのセリフ、そっくりそのままお返しするわね!」

「え?」

 背後から聞こえた、凛とした声に隊長は一瞬、何事かと振り向いた。

 

 すると。

 

「『スーパーノヴァ・エクスターミネーション!!!』」

 

 侵入者の奇襲を今か今かと身構えていた兵士たちは、背後から聞こえた声に振り向いたその瞬間、空間全体を燃やし尽くすかのような強大なエネルギーの奔流に晒され、悲鳴を上げる間もなく一瞬で、隊長もろとも哀れな塵芥と成り果てたのだった。

 

「瑠魅香、出番なかったね」

『最近あたし活躍してない気がするわ』

「おーい、オブラ。生きてる?」

 百合香は、自らの攻撃でズタズタになった空間に呼びかけた。

「げほ、げほん…無事です」

 氷の粉塵の中から現れたのは、氷の粉塵を頭から被ったオブラだった。

「怖かった?」

「怖いに決まってるでしょ!!頭の上をあんな強力エネルギーが通過するんですよ!!」

 探偵猫は全身のボディランゲージをまじえて、百合香の作戦のせいで恐ろしい目に遭った事を力の限り抗議した。

「とんでもない人ですね…僕を兵士に化けさせて、兵士たちを騙して背後から必殺技で一気に片付けようなんて」

『だから新聞に書いてたじゃん。悪逆非道、邪智暴虐って』

 瑠魅香は相方の悪辣さを指摘したが、当の百合香はケロッとしたものである。

「女の子ひとりに大勢でかかってくる奴らのほうが千倍非道だわ。だからこっちが何してもいいのよ」

『百合香、もう大丈夫だわ。あんた、氷魔皇帝に勝てるわ』

 瑠魅香が、そう断言した、その時だった。

 

「それはどうかな」

 

 空間の奥から、低い男性ふうの声がした。百合香は剣を構える。

「誰!?」

「ふっ、敵を罠にかけて背後から大技で一掃するなどと、聞きしに勝る非道ぶりよ」

「一匹残ってたか」

 粉塵の向こうから、ゆっくりと足音が近付いてくる。それは、今までの兵士たちよりもはるかに洗練された鎧に身を包んだ、謎の氷の剣士だった。

「あっ!!!」

 オブラは声を上げた。

「なに?オブラ」

「ゆ、百合香さま…」

 オブラは、明らかに動揺していた。

「何だっていうの」

「百合香さま、逃げてください。あいつには勝てません!」

「え?」

 オブラの断言に、百合香は一体何者なのかと相手の姿をみた。張り出した肩のアーマーや鋭利な兜飾りが、幹部クラス以上の威厳を感じさせた。

「奴の名はカンデラ…氷巌城、最上級幹部の一人です!!!」

「なんですって!?」

 百合香は驚きを隠さなかった。幹部の上のクラスがいるなど、初耳だったからだ。

「いかにも。私は最上級幹部の一人、カンデラである」

 そう言うと、カンデラはロングソードを縦にまっすぐ構えた。

「侵入者、名を名乗れ。せめて死ぬ前に名前くらいは憶えておいてやろう」

「バカにしないで」

 百合香もまた、聖剣アグニシオンを構える。

「私の名は百合香。上級幹部だか何だか知らないけど、邪魔するなら叩き斬るわ」

「いい覇気だ」

 二人の間に、とてつもない緊張が走った。オブラはそれを見て、どこかへ走り去ってしまう。

「ふん、逃げたか。いまのがレジスタンスだな」

『百合香、やばそうだよ。逃げた方がいいわ』

 瑠魅香は、百合香にだけ聞こえるようにそう言った。しかし、百合香に退く意志はない。

「こんな奴に負けるもんですか」

「ふっ、私に勝つ気でいるとはな。しかも先ほどの大技を放ち、力を消耗した状態で」

 一切の隙が見えないカンデラに対し、百合香は技を放ったあとの乱れた呼吸を整えた。

「行くぞ」

「来い!!」

 百合香が斬りかかる姿勢で、一気に間合いを詰めようとした、その時だった。

「えっ!?」

 一瞬の出来事だった。百合香が気付いた時には、すでにカンデラはその剣のリーチまで接近していたのだ。

 

 剣と剣が噛み合う、激しい音が空間に響いた。

「くっ…!」

「ほう。俺の剣を受け止めたか。なるほど、確かに驚くべき技量ではある」

 カンデラがそう言った次の瞬間、百合香は凄まじい冷気の暴風に吹き飛ばされていた。

「うっ…うわあ――――!!!」

 百合香はその圧力で、20m以上も後方にあった壁面に全身を打ち付けた。

「がはっ!!」

 凄まじい衝撃が全身に走り、百合香は気を失って、そのまま前のめりに倒れてしまう。後頭部からは血が流れだしていた。

『百合香!!』

 瑠魅香が悲痛な叫びをあげ、自らその身体に入ろうとした。しかし、百合香が気を失っているせいか、どうしても入る事ができなかった。

『百合香!!』

 あまりにも違うその実力差に、瑠魅香は戦慄していた。格が違う、などというレベルではない。上級幹部の存在は瑠魅香も耳にはしていたが、これほどまでとは思っていなかった。そもそもこの実力の前では、仮に逃げようとしても不可能だったに違いない。百合香の敗北は、最初から決定していたのだ。

 カンデラは、ゆっくりと剣を手に近付いてきた。

「できるだけ、肉体を傷つけるなとのお達しだ。たった一人で、よくここまで我々に楯突いた。それに最大限の敬意を表し、心臓を一突きして、苦しまずにあの世に旅立たせてやる」

『百合香!!』

 なおも瑠魅香は叫ぶ。しかし、百合香の意識は完全に失われており、もはや命運は尽きたかに見えた。

 

 カンデラのアメジストのように透き通る剣の切っ先が、倒れる百合香の背中めがけて、ゆっくりと下を向いた。



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水晶騎士

 突如として現れた上級幹部カンデラの実力は、並大抵のものではなかった。

「上級幹部…水晶騎士の一角、アメジストのカンデラの剣にかかって死ぬことを誉れとするがよい」

『百合香―――――っ!!!』

 瑠魅香の叫びが轟いたその瞬間だった。

「む?」

 いま剣を突き立てようとしていた百合香の全身を、青白い輝きが満たしていった。

 

 カンデラは、まだ百合香に動く力が残っているのかと思った。しかし次の瞬間、百合香の姿は紫のローブをまとう、黒髪の魔女へと変貌した。

「なに!」

 カンデラは、その現象に驚いて一歩引いた。黒髪の魔女、瑠魅香は血の流れる首を押して、懸命に立ち上がる。

「百合香、ごめんね…ちょっと身体、無理やりだけど借りるわ」

「きっ…きさまは、黒髪の魔女!」

「ふうん、まだ私の正体までは知らなかったのね」

「一体お前は!?」

 カンデラは明らかに動揺していた。それまで、黒髪の魔女の存在は僅かに確認されていたが、それが百合香の変貌した姿だったという事は、城側も掴んでいなかった。そもそも、そんな魔女は存在しないという空気さえあったのだ。

 その魔女が目の前に現れた事に、カンデラは驚愕していた。

「よくも百合香に…私の相棒に、こんだけやってくれたわね。許さない」

 瑠魅香の全身に、かつてないほどに強力なオーラが立ち昇った。それは、百合香の真っ赤な炎ではなく、青白い、静かな炎だった。

 瑠魅香は、杖をカンデラに向けて真っ直ぐに突き出した。

「『ブラッディー・バイガミー!!!』」

 杖から無数の紅いリングが飛び出して巨大なリングとなり、カンデラの周囲を二重、三重に四方八方から取り囲んだ。カンデラが警戒する間もなく、それは一気にカンデラめがけて集束する。

「うっ!!」

 カンデラの全身に、リングが食い込んで砕け散った。その装甲には傷一つついていなかったが、いくらか衝撃は与えられたらしく、カンデラはバランスを崩して一歩後退し、姿勢を整える。

「この力は…!」

「まだよ!!」

 続けざまに瑠魅香は叫ぶ。

「『コア・クラッシャー!!!』」

 杖から螺旋状のエネルギーが横向きに広がり、空間全体を埋め尽くすほどの巨大なドリルを形成した。カンデラには逃げ場がなく、そのままエネルギーに押されて、百合香と反対側の壁面に叩きつけられてしまう。

「うおおっ…!」

 やはりカンデラの装甲には、全くダメージがない。しかし、カンデラは明らかに、瑠魅香に対して危惧の色を浮かべていた。

「こっ、こやつ…一体何者だ!?」

「でええあぁ――――っ!!!」

 もはや名状しがたい怒涛のエネルギーが、杖どころか瑠魅香の全身から、カンデラめがけて襲いかかる。

「むっ…ぶおおっ!」

 雷光を伴う暴風とでも言おうか、それはカンデラを壁面に押し付けたまま、凄まじい衝撃をその全身に与えた。

「ぐ…」

 カンデラの兜に、ごく微かに亀裂が生じた、その時だった。

「がぼっ!」

 瑠魅香は、喉から大量に血を吐いてその場に崩れ落ち、魔法はプツンと途切れてしまった。ドサリと、瑠魅香の細い身体が倒れる音が虚しく響く。

「まっ、まさか、このカンデラの装甲にヒビを入れるとは…」

 たったそれだけの事に、カンデラはとてつもないショックを受けているようだった。

 眼の前には、それを成し遂げた魔女が、もはや絶命寸前の様子で倒れている。すでに、手をかけずともその命の火は燃え尽きるように見えた。

「百合香…ごめんね…あなたと向き合って、お話したかった」

 もはや痛みさえ感じなくなっているその喉から、瑠魅香は意識のない百合香にそう呟いた。

「……」

 カンデラは迷っていた。それが彼のプライドなのか、情けなのか、それはカンデラにしかわからない事だった。

 アメジスト色の剣を振り下ろす先がわからず戸惑っている、その時だった。

 

「はああ――――っ!!!」

 

 唐突に、横の方向から青白いエネルギーの波がカンデラを襲った。

「なに!!」

 咄嗟にエネルギーの盾を張り、カンデラはそれを受け止めた。しかし、これもまた半端なエネルギーではない。

「むっ…」

 そのエネルギーが消え去った後から、ゆっくりと小さな影が歩み寄ってきた。

「俺の弟子が世話になったようだな」

「…貴様は」

 それは、レジスタンスの"一匹狼"、片目の猫拳士マグショットであった。その後ろにはオブラがいる。

「瑠魅香さま!!」

 オブラはとっさに瑠魅香に駆け寄ると、その脈を診た。まだ、ギリギリ生きてはいる。しかし出血の量が半端ではなく、どう見ても助かりそうになかった。

「どっ、どうしよう…」

 オブラが慌てふためいていると、背後から野太い声がした。

「どけ」

「えっ!?」

 オブラの背後から現れたのは、バットを構えた大柄な氷の戦士だった。

「さ、さ…」

「百合香を診ていろ」

「サーベラス!!」

 それは、百合香が以前対決した氷騎士、サーベラスであった。彼は瑠魅香の存在をまだ知らないためか、多少姿は違えど、百合香だと思っているようであった。

「裏切り者どもが、わざわざ処刑されに出てきたか。殊勝なことだ」

 カンデラは剣を斜めに構えて、右手と前方に現れたマグショットとサーベラスを交互に見た。

「ほざけ。処刑されるのは貴様やも知れんぞ、カンデラ」

「その不格好な得物でか」

「喰らってみるか」

 サーベラスの左手に、氷のボールが現れる。それを宙に放り上げると、サーベラスはカンデラめがけてノックした。甲高い打音が広い空間に響く。

 それは、ただのボールではなかった。

「ぬっ!」

 剣で難なく弾いたと思ったカンデラだったが、そのボールは異様なスピンがかかっており、カンデラの剣をかすめると、そのままカンデラの左足首を直撃した。

「くっ!」

 ダメージこそなかったが、カンデラは大きく姿勢を崩す。そこに、マグショットが横から、エネルギーを帯びた蹴りを放った。

「あたぁ!!」

「ぐおおっ!」

 剣を振った直後のガラ空きになった腰に、マグショットの背中からの蹴りが入る。さすがに腰はダメージが大きく、カンデラは前のめりに倒れ込んだ。

「どけ、猫拳士!ノックの練習の邪魔だ」

 サーベラスがバットを肩に載せて怒鳴る。

「貴様こそ、俺の稽古台にちょっかいを出さないでもらいたい」

「ふん」

「その娘を助けたいというのであれば、話は別だがな」

 マグショットに言われて、サーベラスは後で倒れている瑠魅香を見る。

「そうだな。それなら話は別だ」

「水晶騎士に対して、幹部クラスの二人がかりか。ちょうどいいだろう」

 奇妙な共闘を結んだ二人は、ヨロヨロと立ち上がるカンデラに、二方向からジリジリと歩み寄る。

「笑わせるな。裏切り者ふぜいが何人束になろうと、俺に勝てるものか」

「ごたくはあの世で言え!!」

 サーベラスは、バットを片手にカンデラめがけて猛進した。その迫力に一瞬だけ怯んだカンデラだったが、すぐに剣を構えて迎え撃つ。

 ガキン、と激しい打音がして、両者の剣とバットが交差した。

「くっ…馬鹿力め」

「どうした、水晶騎士!!きさまの力もその程度か!!」

「ほざけ!」

 カンデラは、全身の力を込めてそのバットを振り払う。しかし、またしてもその隙をついてマグショットが攻撃してきた。

「極仙白狼拳奥義!」

 マグショットの突き出した両手の手刀に、エネルギーが満ちる。

「狼爪輪斬!!」

 十字に交差するように振り払ったマグショットの両手から、リング状のエネルギーが放たれて、カンデラの首を挟撃した。

「ぐあっ!!」

 さすがに首の直撃はカンデラといえど耐え切れなかったようで、僅かだが亀裂が入った首をかばうようにカンデラは後退する。しかし、そこへサーベラスがバットを振り回して追い打ちをかけた。

「ぬりゃあああああ―――!!!」

「ぐおおおおっ!!」

 容赦ないバットの連撃がカンデラの全身を襲う。さすがにサーベラスのパワーには、カンデラもただでは済まないと思ったのか、カンデラは跳躍して大きく後ろに距離を取った。

「裏切り者どもめ。いずれ、その首ラハヴェ様の御前に晒してくれよう」

「ぬっ、待て!!」

 サーベラスは逃すまいと追撃をかけたが、カンデラは魔法のようなエネルギーの障壁を張り、サーベラスがそれを破る間にどこかへ走り去ってしまったのだった。

「卑怯者め!出てこい!!」

「おい、でかぶつ。あんな雑魚はどうでもいい」

 マグショットは、すぐさま倒れる瑠魅香の横に駆け付ける。

「瑠魅香を…いや、二人を助けなくては」

「ルミカ?…なるほど、以前百合香と対面した時、ときどき妙な女の声がしたと思っていたが、そういう事か」

 サーベラスは、ようやく百合香の中にもう一人の人格がいたという事を理解したようだった。

「だが、俺たちに人間の傷を癒す術などなかろう」

「一人だけ、アテがある」

「なに?」

 サーベラスは、マグショットを見た。オブラも、すがるような目で見る。

「ほんとですか、マグショット様!?」

「うむ。ただし、絶対に助かるという保証はない」

「ええい、情けない事を言うな!俺が担いでやる、案内しろ!!」

 サーベラスは瑠魅香を左肩に抱えると、杖をポイとオブラに投げ付けた。

「ぶっきらぼうな人ですね!」

「やかましい。行くぞ」

 サーベラスの合図で、マグショットは頷いて歩き始めた。サーベラスの巨体に較べると、瑠魅香の細い身体は、まるで紫のマフラーか何かをかけているように見えた。

 

 

「なんだと!?」

 またしてもヒムロデは、部下の報告に驚く事になった。カンデラが勝手に兵を動かし、百合香討伐に動いた事が、兵士たちの間で明るみに出たのだ。

「あの馬鹿が。実力はトップクラスのくせに、プライドが高いせいで余計な事をする。して、決着は」

「はっ。なんとか意識だけ残っていた兵士の、今際の際の報告によりますと、侵入者のユリカなる人間の剣士は、全身にカンデラ様の攻撃を受けて致命傷を負ったそうです。しかし、その後現れた黒髪の魔女や、裏切り者2名の乱入で、死体の回収はできなかったと」

「なんという事だ」

 ヒムロデは椅子にもたれるようにして、机に片肘をついた。

「ラハヴェ様のお耳には」

「先に、ヒムロデ様にご報告しようとこちらに参った次第です」

「そうか、わかった。この件、私が預かる。お前達は忘れろ。いいな」

「はっ」

「カンデラをここに呼べ。ヌルダの件は後回しでいい」

「承知いたしました。失礼します」

 兵士が立ち去るのを待って、ヒムロデは立ち上がった。

「どうしたものか」

 そう呟いたあとで、ヒムロデは傍らのメイドに向かって言った。

「いや、考えようによっては、奴の責ひとつで侵入者を始末できたのかも知れん…ラハヴェ様の不興は致し方ないが」

 ヒムロデは、メイドの顎にそっと指を当て、顔を近付けて問いかけた。

「お前はどう思う」

「ヒムロデ様のお考えのままに」

「そうか」

 ヒムロデは振り返ると、窓から空を睨んだ。

「だが、死体を回収できなかったのは厄介だな。侵入者の死を確認せねばならぬ。よいな」

「かしこまりました」

 メイドは恭しく礼をすると、部屋にかかったベールの裏に静かに消えて行った。

 

 

「噂には聞いていた」

 通路を進みながら、サーベラスは言った。

「わけのわからん拳法を使う、レジスタンスの変わり者がいるとな」

「変わり者はお互い様だ。人間の何とかという競技にうつつを抜かし、第3層から降格された奴がいる、という話は聞いていた」

「ふん」

 サーベラスは鼻息を荒くした。

「その変わり者の裏切り者どうしが、この小娘に入れ込んでいるわけだ」

「サーベラスとか言ったな。お前はこれから、どうする気だ」

 マグショットは、隣で歩く巨体の顔を見上げようとしたが、担いだ瑠魅香の脚に阻まれて顔は見えなかった。

「どうもこうもない。せいぜい、裏切り者として派手に戦ってやるわ」

「やれやれだ」

「マグショットだったか。お前とて、要は俺と似たような立場だろう」

 サーベラスは笑う。すると、オブラが会話に入ってきた。

「全員同じですよ。裏切り者です」

「そうだな。裏切り者3匹に、侵入者1人。なかなか面白い見世物ではある」

 マグショットはカラカラと笑った。

「サーベラス様、よければこのまま、レジスタンスに加わってくださいませんか」

 唐突にオブラが言うので、サーベラスは少し慌てたようだった。

「俺がレジスタンスに、だと?ははは」

「冗談で言ってるんじゃありません。あなたのような頼もしい味方は、他におりません」

「ふむ」

「正直、あなたが来てくださるとは予想外でした。ご自分の意思で百合香さまをお助けに参られたのなら、同じく百合香さまと行動を共にする我々と、手を組めない道理はないでしょう」

「お前、なかなか弁の立つ奴だな」

 感心したようにサーベラスは言う。

「まあ、ちょっと考えさせてくれや。なに、ひとまずお前達の味方をするのに依存はない。今はそれでいいだろう」

「なるほど。そういう事でしたら、それでいいです」

「俺達のことより、今はこの娘をどうにか救うことだ」

 サーベラスは左肩に担いだ瑠魅香を見る。まだかろうじて息はあるが、このまま放っておけば、確実に死が待ち受けている。

「マグショット、まだなのか」

「もうすぐだ」

 マグショットは、通路を右に入った。しばらく歩いていると、壁の前でぴたりと立ち止まる。

「おい」

「待ってろ」

 そう言うと、マグショットは何もない壁をコンコンとノックした。

「さっき見かけた薬売り、どこに行ったものか」

 聞こえよがしに壁に向かって言うと、突然壁がガシャンと開いて、通路が現れた。

「!?」

 一番驚いているのはオブラである。

「マグショット様、これは!?」

「レジスタンスのお前達にも秘密の場所だ」

 そう言うと、マグショットは先に中に入った。

「ついて来い」

 

 その中は薄暗く、天井や壁には古臭い装飾が施されていた。奥に進むと、さっき開いた壁がガシャンと、再び閉じられた。

「ディウルナ様のアジトみたいですね」

「ディウルナだと!?」

 サーベラスが驚いたようにオブラを睨む。

「あっ、しまった」

「まさかお前ら、ディウルナと通じているのか!?」

「あっ、あのですね」

 慌てるオブラに、サーベラスは呆れたように肩をすくめた。

「なんとまあ、お粗末な話だ。裏切り者だらけではないか」

「まあ、こっちとしては味方が増えるので、一向に困りません」

「いっそ、支配体制を転覆させた方が早いかも知れんな」

 サーベラスが笑えないジョークを呟くころ、通路は行き止まりになり、引き戸の入り口が現れた。

「ここか。目当ての場所は」

「うむ」

 ガラガラとマグショットは戸を開ける。中は、壁には書棚がひしめき、天井からは怪しげな物品がぶら下がる、異様な空間だった。並んだテーブルの上には三角フラスコやらビーカーやら、実験器具らしきものが並び、ガラス容器の中には得体の知れない、動物だか植物だかわからない物体が、青紫の液体に漬かっていた。

「ビードロ、いるか」

 マグショットが、煙のたなびく部屋の奥に声をかける。すると、ゴソゴソと音がして、奥から一人の、人間の女性としか思えない顔の人物が現れた。前髪は左右に分けて垂らし、残った髪は異様なスタイルで後頭部にまとめてある。よく見ると、手足は氷魔の機械的なそれであった。

「あら、また来たのね。実験台になる事に決めたの?」

「誰がだ!」

 怒鳴るマグショットの背後にいるサーベラスと、その肩に担がれた瑠魅香にビードロと呼ばれた女氷魔は気付いた。

「そっ、それはひょっとして…」

「人間の娘だ」

「解剖よ!!!」

「馬鹿やろう!!治してもらいに来たんだ!!」

 マグショットは、嬉々としてメスやハサミを取り出したビードロに叫ぶ。

「つまらないわ」

「お前がつまる、つまらないは関係ない。この娘の身体を、治せるか」

「ふうむ」

 興味深げに、ビードロは瑠魅香の太腿をさすった。

「奥の部屋に寝かせてちょうだい」

 

 奥にある部屋は、診療室というよりは墓所じみた雰囲気であった。真ん中に氷の診療台があり、サーベラスは瑠魅香の身体をそこに横たえた。瑠魅香が載っていた肩に、赤い血がべっとりと付いている。

「治せるのか」

「やってみないと、わからないわね。なにしろ人間の身体を扱う機会は滅多にない。最後に扱ったのは、人間の尺度でいう、1500年ほど前になるかしら」

「おい、マグショット。こいつ本当に信用していいのか」

 サーベラスは、瑠魅香の身体を弄りたくてウズウズしている様子のビードロを怪訝そうに見ていた。

「今、頼りにできるのはこの女だけだ」

 マグショットは、腕組みしてビードロを見る。サーベラスはビードロの脳天を指差して言った。

「もしこいつが百合香を…瑠魅香を殺したら、この首を俺がへし折るからな」

「好きにしろ」

 診療を依頼してきた相手から死刑宣告を受けたビードロは、憤慨してサーベラスにケリを入れた。

「ばかにしないでくださる。私、たしかに変人だとか狂ってるとか頭がおかしいとか殺されかけたとか言われてますけど、請け負った事はきちんとやりますわ。ほら、邪魔よ。出ていって!!」

 ますます不安が増したサーベラス達だったが、頼れる者が他にいないため、仕方なく隣の部屋に戻るのだった。



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錬金術師

「あいつは一体、何者なんだ」

 座った椅子を体重で壊したサーベラスが、床に胡座をかいてマグショットに訊ねた。

「やつは…ビードロは、錬金術師だ」

「錬金術師だと!?」

 サーベラスとオブラは顔を見合わせた。

「そうだ。上級幹部の一人、ヌルダという奴を知っているか」

「ああ、何度か顔を合わせた。いつも、笑ってるのか怒ってるのかわからん、けったいな研究に精を出す、気味が悪い野郎だ」

 さんざんな言われようである。マグショットは続けた。

「あの女は…氷魔に性別はないが、とにかくあのビードロは、そのヌルダの弟子だった女だ」

「だった?」

「ヌルダは、あれで一応城に対する忠誠心は持っているらしい。しかし、ビードロは忠誠心などに興味はない。純粋に、ただ錬金術を追求している。そのため、ヌルダのもとを去って、ここで勝手に研究を続けているのだ。ある意味では、俺やお前と同じだ」

「俺とあの女を一緒にするな」

 サーベラスは憤慨して腕を組みつつ話を続ける。

「なるほど。しかし、やつの性格はともかくとして、百合香たちを救えるのか」

「わからん。人間には医学というものがあるらしいが、錬金術というものはその医学にも通じるようだ」

「らしい、とか、ようだ、とか、不確かな話だな」

 

 サーベラスの疑念をよそに、ビードロが人体研究もとい治療を開始して、20分くらいが経過した。ガチャリと音がして、ビードロがサーベラス達のもとにやって来た。

「どうだ」

 マグショットが訊ねる。ビードロは複雑な顔をした。

「とりあえず、命を取り留める事はできそう」

「本当か」

「けれど、生きているっていうだけの話よ。まともに動けるかどうかは、わからない」

「どういう意味だ」

 ビードロは、現在瑠魅香の肉体がおかれている状態を説明した。

「傷はとりあえず塞いだ。人間の身体は、放っておいてもある程度の傷ならそれで治る。問題は血液よ」

「血液か」

 サーベラスは、肩に染み付いた瑠魅香、正確には百合香の血を見た。

「そう。人間というか、地上の肉体を持った動物の多くが、血液によって全身にエネルギーを供給している。いま、彼女の肉体からはその血液が大量に失われている。生きているのが奇跡、と言う方が早いわね」

「では、助かる術はないのか」

 サーベラスが立ち上がって詰め寄る。

「そこよ。私の錬金術で、人間の血液を造る事は不可能ではないかも知れない」

「では造れ!今すぐ!」

「ああもう、黙って聞いてちょうだい」

 ビードロはジェスチャーで全員に「座ってろ」と促した。サーベラスはおとなしく従う。

「血液を造る事はできる。けれど、それが彼女の身体に、適合するかどうかはわからない」

「適合だと?」

「人間っていうのは本当に面倒くさい生き物でね。合わない異物が身体に入ると、拒絶反応っていうのを起こすの。最悪、それで死に至る」

 サーベラスたちは、氷の身体を寒気で震わせてそれを聞いていた。

「適合するかどうかは、やってみないとわからないって事ですか」

 オブラが訊ねる。

「平たく言うとね。ただし、今回はその成功確率を高められるものがある」

「なんですか」

「それよ」

 ビードロは、サーベラスの左肩に染み付いた血液を示した。

「その血液は彼女のもの。それを用いて、私の錬金術で限りなく同じ血液の錬成に成功すれば、理論上は彼女を救えるはず」

「こんな、へばりついただけの量で役に立つのか」

 サーベラスは、左肩を怪訝そうに見る。

「やってみないとわからない。何度も言うけどね」

 ビードロがそう言った時だった。

「…やってちょうだい」

 その、弱々しい声は、診療台がある部屋から聞こえてきた。

「ま…まさか!」

 全員が慌てて駆け込む。そこには、紫のローブの魔女ではなく、黒いワンピースの制服に身を包んだ百合香の姿があった。

「こっ…これは、どういうこと!?姿が変わっているわ」

「説明している時間はない。彼女は、さっきの魔女と同一人物だ。百合香、目が覚めたのか」

 マグショットが不安そうに訊ねる。百合香は、弱々しく頷いた。目尻には、涙が浮かんでいる。

「サーベラス、マグショット…みんなが助けてくれたのね…ありがとう」

「喋るな。…今の話を、聞いていたのか」

 棚の上に上がったマグショットが訊ねる。百合香はまた小さく頷いた。

「…人間のお前なら、拒絶反応とやらの危険性は、ここにいる誰よりも知っているはずだな」

「ええ」

「それでも、やれと言うんだな」

「みんな、聞いて」

 百合香は、静かにひとつの説明を始めた。

 

「癒しの間だと?」

 サーベラスが問い返す。

「そう…そこが、私が身を潜めている場所なの」

「そうだったんですか…どうりで、いなくなったり、現れたりすると思ってました」

 オブラは驚きを隠さない。

「別に不思議じゃないわ。みんなそれぞれ、アジトを持ってるじゃない。私にもある。それだけの事よ」

「そこにさえ戻れれば、お前の身体は治るというのか」

「ええ」

 でも、と百合香は言った。

「見て。今は、腕をまともに上げる事もできない。癒しの間へ至るゲートを、まず探さないといけないのだけれど、それは私か瑠魅香でないと出来ない…見つかったとしても、私が剣を、聖剣アグニシオンを使わないと、中には入れないの」

「…なんとも不便なアジトだな」

 サーベラスが首をひねる。百合香は弱々しく笑った。

「だから、ビロードさん」

「ビードロ」

「…ビードロさん、お願い。ほんの少し動けるようになれば、それでいいの。もしできるなら、その血液の錬成っていうのを、やってみて」

「いいのね。一歩間違えば、死ぬわよ」

「黙って死ぬのは面白くないわ」

 その言葉に、マグショットとサーベラスはつい声を出して笑った。

「さすが、俺の一番弟子だ」

「大丈夫そうだな、そんな根性があるなら」

 百合香も笑う。

「嬉しい。こんなふうに、仲間ができたなんて。ずっと二人だけで戦ってきたから」

「泣くな。俺達は、ビードロに任せて待っているぞ。必ず、立ち上がってこい」

「わかった」

 そう言うと、百合香はオブラを呼び寄せた。

「オブラ、あなたにやって欲しい事がある」

「はい?」

 

 

 

 その頃、サーベラス達との戦闘でダメージを負ったカンデラは、ヒムロデに呼び出しを受けていた。

「無様だな」

 開口一番、ヒムロデはそう言い捨てた。

「私は、侵入者が第1層を突破した時に備えておれ、と命じたはずだ」

「はっ」

「張本人のお前に仔細を問うても冗長なだけだ。申し開きがあるなら申してみよ」

「…ございません」

 ヒムロデの前では、水晶騎士もまるで末端の兵士のようだった。カンデラは黙って、沙汰を受け容れる様子であった。

「聞けば、侵入者は渾身の一撃で、数十体の兵士を一瞬で薙ぎ払ったそうだな。プライドの高いお前が、その一撃を放って疲弊している相手と戦うとは、珍しい」

「…このカンデラ、功を焦りました」

 それが、カンデラの正直なところだった。

「ふむ。しかし、仮に万全な状態であったとて、お前にあの小娘が肉迫できたかどうかは、わからぬがな」

「……」

「カンデラ。幸いというか何というか、今の所この件はラハヴェ様のお耳には入っておらぬ」

「…は」

「最近知った事だが、人間の世界には”毒を食らわば皿まで”という格言があってな」

「は?」

 突然そのような話題を振られて、カンデラは困惑した。

「一度何かに背いたり、何かを破ったのなら、いっそ中途半端に反省せず、それに徹してしまえ、という意味だ。例の裏切り者どもがそれに当たる。奴らはすでに裏切った以上、どうせ命を狙われるのなら徹底して戦おう、と考えている。私は、許す許さないは別として、そういう潔さは好きだ」

「ヒムロデ様、いったい何を…仰りたいのでしょうか」

「わからぬか。お前はすでに命令を破ったのだから、このまま徹底して破ってしまえと言っているのだ」

「つ、つまり…」

「そうだ。あの娘を探し出して生死を確認し、まだ生きているのであれば、確実に止めを刺せ」

 ヒムロデのその提言に、カンデラは驚きを隠せなかったが、やがて納得した。

「毒を食らわば皿まで…」

「そうだ。正直な所を言おう。私は、あの娘を早々に始末すべきだと考えてきた。その点に限って言えば、私はむしろお前の行動が最善とさえ思っている。お前の責任ひとつでそれが達成できるのであれば、むしろ今後のためには良いと思わぬか」

 ヒムロデは、一切を包み隠さず言った。カンデラは、頷いて答える。

「仰るところ、よく理解いたしました。私は、命令違反の責を負いましょう」

「よく言った。この事はあくまでお前の一存でやったという事実を受け容れよ。もしラハヴェ様よりお前の処遇が問われたなら、私はそれとなく理由をつけて、お前に重い処分が科されぬように計らう」

「は。感謝いたします」

「私の配下の者が、すでに侵入者の捜索に動いている。彼女たちと協力して行動せよ」

「承知いたしました」

 カンデラは立ち上がると、深く礼をしてその場を立ち去った。ヒムロデは呟く。

「そうだ。いっそ、突き抜けてしまえばよいのだ」

 

 

 

 百合香は、夢を見ていた。

 それは、ガドリエル学園に通っている夢だった。朝礼の時間らしく、担任が教壇につく。

『朝礼を始める前に。今日は、みなさんに転入生を紹介します』

 教室がざわめき立つ。

『はーい、静かに。じゃあ、入ってきて』

 カラカラとドアが開いて、一人の少女が入って来た。長い、黒髪の少女だった。

『それじゃ、自己紹介をお願い』

『はい』

 少女は、自分の名前を黒板に書き記してから、みんなの方を振り向いた。

『●●◆◆香と申します。よろしくお願いします』

 

 

 

 

 目が覚めると、そこは氷の診療台の上だった。

「…ん」

 生きている。百合香が目覚めて最初に思った事は、それだった。手足を動かしてみる。

「…動く」

 試しに、腕を上げてみた。まだ何か、軽い痺れのようなものはあるが、動いてはいる。全身に力が入らないのは眠りにつく前と同じだが、どうにか動かせるらしい。

 生きているという事実に感謝して、百合香は微笑んだ。

「…うっ」

 それと同時に、首や頭、背中がひどく痛む事に気が付いた。全身の感覚が戻って来たため、痛みもまた感じるようになったのだ。生きている証とはいえ、なかなかの苦痛だった。

 そして百合香は、瑠魅香の意識が眠っている事に気が付いた。存在はしているが、眠っている。

「…無茶したのね、きっと」

 癒しの間に戻ったら、前よりもっと美味しいものを振舞ってあげよう。そんな事を考えていると、ドアを開けてビードロが入って来た。

「ユリカ!気がついたのね」

「…ビロードさん」

「ビードロ」

「ごめんなさい」

 ふふふ、と二人は笑った。

「手足の感覚はある?」

「はい」

 百合香は、右腕をゆっくりと上げてみせた。

「さっきより、ずっと良好です。ありがとう、ビードロ」

「感謝するのはこっちよ。人間の血液の錬成という、偉大な錬金術を私は成功させたのだわ」

 ビードロの言葉は照れ隠しなどではなく、完全に本心だと百合香は思った。自分は半分、実験台だったのだろう。しかし、それで動けるようになったのだ。

「あの。血液って、どうやって造ったんですか」

「説明してもわからないと思うわ」

「…そうですか」

「ひとつ言っておくわね。あなたが失ったであろう血液の全てを補うほどの量は、錬成できなかった。だから、あとはあなたが言っていた、癒しの間とかいう所で何とかしてちょうだい」

 百合香は静かに頷いた。

「ひとまずは安静にしていることね。あのむさ苦しい連中には私が伝えておくから、眠ってなさい」

「…はい」

 ビードロが出て行ったあとで、百合香はさっき見た妙な夢を思い出していた。

「何の夢だっけ…教室にいたのは覚えてるんだけど」

 

 

 

 氷巌城第1層では、ヒムロデに命じられた隠密の女氷魔たちが、侵入者・百合香の行方を追っていた。カンデラがそこにこっそり合流した、そのタイミングだった。一人の女氷魔が、若干慌てた様子で駆けてきて、普段はヒムロデのそばでメイドとして仕えている氷魔に何かを報告した。

「まことか」

「はい」

 すると、メイド氷魔はカンデラを振り向いて言った。

「カンデラ様、侵入者の死体らしきものが出たようです」

「なに!」

 カンデラは、慌てて隠密たちについて行く。

 

 そこは、水路の奥だった。そこには巨大な池があり、なぜいるのか誰もわからない、巨大な亀の怪物がいつものようにうごめいていた。

「あれを」

 一人の隠密が、格子越しにその水面を指差した。そこには黄金の鎧をまとった、首が無い死体が浮かんでいた。

「あの鎧は…」

 言っているそばから、池の怪物はその死体に食い付き、噛み砕き、飲み込んでしまった。

「あっ!」

 もはや確認する事もできなくなった事実に、カンデラは愕然とした。水面には生々しい鮮血が浮かんでいる。

「…侵入者は、怪物に食われて死亡した」

「そのように報告してよろしいのですか」

「目の前で全員が見たのだ。それとも、あの氷騎士でさえ手のつけられない怪物の腹を裂いて、悲惨な状態の死体をラハヴェ様の御前に献上するか?」

 隠密たちは、首を力強く横に振った。

「…剣で決着をつけられなかったのは不本意だが、こうなってしまったものは仕方あるまい」

 カンデラは、無念ながらもどこかホッとしている自分に、嫌悪感を覚えていた。怪物に食い殺されたのであれば、誰の責任でもなくなる。保身ができた事に安堵している自分と、一人の剣士としての自分の間で葛藤していた。

「いずれ、こうなる運命だったのであろう」

 そう呟いて立ち去るカンデラの姿は、どこか寂しそうに見えた。

 

 

 

「成功です!成功です!」

 ビードロの研究室に戻ってきて一人で興奮するオブラに、サーベラスは「静かにしろ!」と精一杯の小声で言った。

「百合香が眠っている。いちおう、輸血とかいうのは成功したらしい」

「ほんとですか!」

「それで、お前の方はどうだったんだ」

「へへへ」

 オブラは腰に手を当てて、偉そうに胸を張る。

「工作は成功しました。氷の兵士の死体を百合香さまの死体に偽装して、それを例の、水路の奥の怪物に食わせてきたんです」

「それだけじゃ成功とは言えんだろう」

「だから、百合香さまの行方を追っている奴らが来るのを見計らって、怪物に食わせたんですよ!カンデラも、百合香さまは死んだと思い込んでいます。ビードロさんが用意してくれた、リアルな血のりも役に立ちました」

「…お前、力はないけどなかなかやる奴だな」

 サーベラスは、本当に感心した様子でオブラを見た。

「力がないなら頭で戦うのが、僕らレジスタンスですよ」

「うむ。認めてやろう」

「ありがとうございます。…ときに、マグショット様はどちらへ」

 オブラは、姿が見えないマグショットが気になって訊ねた。

「あいつなら、見回りに出ている。万が一という事もあるからな」

 

 

 マグショットは一人、城内の通路を警戒にあたっていた。ビードロの隠れ家は見つかる心配もなかったが、黙って百合香の回復を祈るのは不安だった、というのもある。

 しかし、オブラの工作がそれなりに奏功したらしく、とたんに警戒が緩くなった城内は、いささか退屈気味ではあった。

「……」

 立ち止ったマグショットは、左の目の傷を撫でる。

「…百合香が元に戻ったとしても。この目のケリは、俺一人でつけねばならん」

 静かに呟くと、再びマグショットは警戒を続けた。



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あり得ない要素を排除して最後に残った真実

 百合香の意識はどうにか戻ったものの、瑠魅香の意識は眠ったままだった。その原因は、カンデラとの戦いにおいて、魂のエネルギーを消耗しすぎたためではないか、と錬金術師のビードロは、横たわる百合香に言った。

「魂のエネルギー?」

「正直、瑠魅香のやっている行為というのは、"摂理を利用して摂理に反する"行為なの。人間でいうところの、多重人格とは意味が違う」

「それで、瑠魅香の意識は戻るの」

 百合香は訊ねるも、ビードロの答えは要領を得ないものだった。

「まず、おそらく彼女の魂は、あなたの生命エネルギーに依存して存在できている。氷魔、正確には氷の精霊であることを放棄してね」

「つまり、どういうこと」

「あなたの生命が弱まれば、彼女の活動の基盤も弱まるということよ。わたしの推測だけど、あなたが回復すれば、自然に目を覚ますと思う」

 要するに、百合香の身体が治らないうちは、どうにもならないという事らしかった。

「…ねえ、ビードロ」

 百合香はぽつりと言った。

「血液を造れるなら、人間の身体を造ることはできるの?」

「夢ね」

 ビードロの回答は、予想外に素っ気ないものだった。

「あなた達、人間の"錬金術師"の歴史は、いちおう目を通したわ。けれど、おそらく人間の錬成に成功した人は、いないでしょうね。それどころか、生命そのものを生み出す事も」

「あなたはどうなの?」

 何気ない百合香の質問に、ビードロは長い沈黙を置いて答えた。

「…そうね。いつか、実現したいとは思っている」

「瑠魅香はね、人間になりたいんですって。だから、人間の肉体を得る方法を探してる」

「とんでもない事を考える子ね」

 ビードロは笑うが、目にはどこか真剣さが見え隠れしていた。

「人間の身体の錬成か。それができれば、人間になりたがる精霊も現れるかもね」

「現にここに一人いるわ」

 百合香は、胸に手を当てて笑う。

「身体はまだ痛む?」

「ええ、まだね。でも、もう少し休めば、歩くくらいはできそう」

「人間用のベッドが用意できなくて申し訳ないわ。私達はそうやって眠る習慣がないから」

 そう言われて、氷魔というのも今更だが奇妙な存在だなと百合香は思った。人間を模倣してはいるが、人間のような生活はしていない。精霊の生活がどんなものなのかは想像もつかないが、少なくとも氷魔のような、城の中で蠢いているだけの存在よりは充実していそうな気がする。

「…あなたは、精霊に戻りたいと思うの、ビードロ」

「え?」

「それとも、望んで氷魔になったタイプ?」

 すると、ビードロは小さく笑った。氷魔にしては珍しく、表情がわかるタイプだ。

「そうね。精霊の姿では、こうして錬金術の研究はできない。その点に関してだけは、氷魔でいたい、と思う事はある」

「そうなの?」

「ええ。でも、答えは出せないわね。精霊としての自由さは、あなた達人間に説明しても伝わらないから」

 精霊の世界。百合香には、ぼんやりとしか想像がつかない世界だが、瑠魅香はそこからやって来たのだ。

「逆に百合香、あなたは人間でいたいと思うの?」

「え?」

「氷魔が美しいと思った事はない?」

「……あなたのような個体ならね」

 百合香は目の前にいる、人間であれば美人で通るであろう氷魔を見て言った。

「嬉しいこと言ってくれるわね」

「人間は、そんなに美しい生き物じゃないわ。というより、生き物はそんなに美しいものじゃない」

 百合香は、心に秘めていた考えをぽつぽつと語り始めた。

「瑠魅香は人間に憧れている。だから私、言ったの。もし人間になれたとしても、人間の世界に幻滅する時が来るかも知れない、って」

「百合香は、人間の世界が嫌いなの?」

 それは、百合香の心の核心を突く問いかけだった。百合香は答えに窮して、だいぶ時間を要した。

「…わからない。でも、こんなふうに外側から、一方的に否定されるのは間違ってると思う」

「だから、この城に乗り込んできたのね」

「あの時は、そんなこと考える余裕なんてなかったわ。学園のみんなを助けなきゃ、って」

「そう。それならあなたは、やっぱり自分の世界を愛してるんだと思うわ」

 百合香の手を取って、ビードロは言った。

「瑠魅香が幻滅しないように、あなたが一緒にいてあげなさい。その時が来たなら」

「…ええ」

 その時百合香は、それまですっかり忘れていた事を思い出していた。

「そうだ…ビードロ、訊きたい事がある」

 

 百合香の問いに、ビードロは首を傾げた。

「人間を裏切って氷巌城に来た女…」

「そう。私がここに乗り込むより先に、間違いなく学園の人間が、入り込んでいるの。しかも、凍結したドアを難なく開けて、その後また閉じて凍結させていた。あなた、上層にいたんでしょう?何か知らないかしら」

 百合香は、凍結した学園で発見した、いくつかの証拠を挙げた。

「それは、女性に間違いないのね?」

 ビードロは強調して確認する。

「ええ。あのソファーに座っていたのは、間違いなく女性だわ。それも私のような少女ではない。大人よ」

「ふむ」

 しばし考えて、ビードロはひとつの謎を指摘した。

「そんなふうに凍結現象の中で平気で動けて、なおかつ凍結を解いたり、施したりなんていう事ができる人間、いると思う?」

「え?」

「あなた、なまじ賢いせいで物事を単純に考えられないタイプでしょう」

 なんだそれは、と百合香は憤慨した。ストレートに頭が悪いと言われるより癪に障る。

「シャーロック・ホームズだったかしら。どれほど信じられなくても、あり得ない事を排除していって最後に残ったのが真実だ、っていうの」

「…あなた達、けっこう人間の作品に詳しいのね」

「まあね。それでこの場合、"人間が凍結現象を操れる"などという事は"あり得ない"と言えないかしら」

 ビードロの指摘に、百合香はそれまでと違う戦慄を覚え始めた。

「…ちょっと待って」

「つまり、そんな現象を起こせる存在は、人間の中にはいない。それでは、私達の知識の中で、そんな離れ業をやってのけられる存在とは、一体何か」

 ビードロはわざとそこで言葉を途切れさせ、百合香の表情を窺う。

「ま…まさか、そんな事、あり得ない」

「ホームズなら、それが真実だと断言するでしょうね」

 ビードロは百合香が、辿り着いた答えを恐ろしくて口に出来ないのを見て取り、代わりに言った。

「そう。あなたの学園に、人間を装った氷魔が入り込んでいたのよ」

 

 

 

 氷魔皇帝ラハヴェは、ひとつの報告に落胆の色を隠せなかった。

「…わかった。よい」

 それだけ言うと、玉座を立ち上がり背を向ける。

「もとより、侵入者への関心は単なる余興にすぎぬ。それがすでに死んだというのなら、何も言うまい」

「はっ」

 ヒムロデは静かに、それだけ言った。

「お前も残念そうに思えるのは、私の気のせいか、ヒムロデ」

「…皇帝陛下の興が削がれたのであれば、臣下の私としても残念ゆえの事です」

「ふ…そうか」

 ヒムロデの胸の内を見透かしたように、ラハヴェは嗤う。

「この件はもうよい。それより、裏切り者どもへの警戒を強化しろ」

「はっ」

「ところで、例の計画はどうなっている」

「魔氷胚の消失という、想定外の障害に遭いましたが、それ以外は滞りありません」

「それでよい。どのみち、人間どもはまだこの城の存在にさえ気付いてはおるまい。多少時間がかかるのは大目に見る。確実に準備を整えるのだ。下がってよい」

「は。失礼いたします」

 ヒムロデは、深く礼をすると立ち上がって、ラハヴェの御前をゆっくりと後にした。

 

 玉座の間を出て廊下を進むと、脇にカンデラが控えていた。

「ヒムロデ様」

「なんだ。陛下がお怒りではないかと心配になったのか」

「め、滅相もない…」

「ふ、まあよい。お前としても胸のつかえが取れた気分であろう」

 図星を突かれたカンデラは、ただ黙って聞いていた。

「カンデラよ。計画が進行すれば、否が応でもお前の出番は回って来る。もし今、何か己自身に至らなさを感じているのであれば、なおの事それを己の忠義に換えて励むがよい」

「は…はっ!」

「ときにカンデラ、少々お前の手を借りたい」

 カンデラは、何の事かとヒムロデの顔を見た。

「あの、ヌルダの馬鹿者だ。呼びつけても一向に顔を出さぬ。そこで、私自ら奴の研究室まで出向く事にしたのだが、お前も同行せよ」

「な…いや、そのような事。ヒムロデ様がわざわざ出向かれる必要はございませぬ。私めにお任せください」

「そうか?ならば、あの遊び惚けている馬鹿者を、私の部屋まで引きずり出して参れ」

「はっ、かしこまりました」

 上級幹部の水晶騎士カンデラは、ただ人を呼び立てるという雑用のためだけに、きちんと敬礼してその場を後にしたのだった。

 

 

 

 ビードロのアジトを出て警戒にあたっていたマグショットが戻ると、サーベラス、オブラと3人で今後の作戦を練る事になった。

「最終的な目的は、皇帝ラハヴェの討伐としてです。現時点でどうするかが問題になってきます」

 オブラは、会議の進行役を務める体で話し始めた。

「当初の目的は、例の水路を通って第2層への最短ルートを目指す予定でした。しかし、それは百合香さまあっての計画です」

「カンデラの馬鹿が出しゃばってきたせいで、百合香がえらい目に遭っちまったからな。あいつだって例の大技を放って消耗してなけりゃ、あそこまで一方的に負けちゃいねえ」

「ですが、百合香さまのご容態は心配なものの、ひとつだけこちらに有利な状況ができたのも事実です」

「なに?」

 サーベラスは、ジロリとオブラを睨む。

「何が有利だというんだ」

「はい。百合香さまに指示されて行った工作が成功し、敵は現在、百合香さまが死亡したと信じています。すでにレジスタンスの仲間にも確認を取らせました」

「なるほど。要するに、敵の警戒が手薄になっているという事か」

「そうです。百合香さまはどのみち、回復までしばらく時間がかかるでしょう。当然その間、動く事はできません。百合香さまが現れなければ、死亡したという情報はさらに確固たるものになります」

「その隙をついて動くということか」

 サーベラスが頷くと、マグショットは「ふん」と鼻息を鳴らした。

「それで、具体的にはその敵の油断を、どう突くつもりだ」

「考えなくてはならないのは、本調子になった百合香さまを、いつ第2層に上げるかです。いずれ、どこかの時点で、百合香さまの生存は明るみに出ます。それは避けられません」

「つまり、それを少なくとも第2層に上がって以降に持ち込みたい、というわけか」

「そうです」

 オブラは、広報官であり新聞屋のディウルナから預かって来た、署名入りの通行手形を示した。

「僕の偽装魔法で兵士に化けた百合香さまを、これで第2層に上げます。それが、敵に勘付かれずに済む最善の方法です」

「その手形だって、お前の魔法で偽造できるんじゃないのか」

 サーベラスの指摘はもっともだったが、オブラは首を横に振った。

「これには、判別用の魔法が施されているんです。偽造で済むなら、僕らレジスタンスもすでに使っています」

「面倒な仕掛けを考えやがる」

「ですが逆に、これを使う事で完全に向こうを騙す事ができる、という事でもあります」

「そんなまどろっこしい事やってねえで、関所なんぞ力づくでぶち壊して進めばいいだけの話じゃねえのか」

 サーベラスの提案は、清々しいまでに彼らしかった。

「それができるならやっている。百合香と俺とお前の3人がかりでなら、関所の手前に陣取る、第1層の最後の氷騎士も敵ではない。だが、関所を破った瞬間に警戒態勢が元に戻る。オブラはそれを避けたいと言っているのだ」

 その程度の事がわからんか、という表情でマグショットはサーベラスを見た。

「じゃあ、どうすればいいってんだ」

 

「できるだけ短時間に、最後の氷騎士を打ち破るのよ」

 

 突然聞こえた声に、3人は一斉に振り向いた。

「百合香!」

 サーベラスが、壁に手を突いて立っている百合香を見て立ち上がった。

「お前、大丈夫なのか」

「大丈夫じゃない」

「あのな」

 心配を通り越して、呆れた様子でサーベラスは肩をすくめた。

「だから、多少無理をしてでも、私は急いで癒しの間へのゲートを見付ける」

「そうだな。そこにさえ辿り着けば、身体は治せるのだろう」

 マグショットも、止む無しといった様子だった。青ざめた顔で百合香は頷く。

「オブラ、あなたこの城の、エネルギー密度が低いポイントを探す事はできる?」

「エネルギー密度、ですか?」

「そう。そこなら、癒しの間へのゲートを開ける事ができるの」

「うーむ」

 オブラが悩んでいると、奥から何かを持ったビードロが現れた。

「まだ寝てなさいって言ったのに、無茶する子ね」

 そう言いながら、ビードロは手に持ったものをオブラに手渡した。それは、ストローのようなものが刺さった小さな瓶だった。

「オブラ、このシャボン玉を使って、百合香の言う”ゲート”を探すのを手伝ってあげて」

「シャボン玉、って何ですか」

「そのストローを吹いてごらんなさい」

 オブラが言われたままストローの端を吹く。すると、先端から青く輝く無数のシャボン玉が飛び出し、空間全体に広がって行った。

「わあ、きれいだ」

「これは私が調合した、氷魔エネルギーに反応して青く光るシャボン玉。エネルギー密度が低いポイントでは、光らないようになっているわ。これを利用して、ゲートを探しなさい」

「なるほど!わかりました」

 オブラは、まるで玩具を手にした子供のように研究室を飛び出して行った。

「ビードロ、ありがとう。世話になりっぱなしね」

「私は、実験の成果が活かせる事にワクワクしているわ」

「そう。ここ、変な人達が集まってるのね」

 百合香の一言で、その場の全員が笑った。

「みんな、聞いて。この層最後の氷騎士を、可能な限り素早く討ち取るの。関所の門番が気付かないほどの素早さで」

 そう語る百合香は、どこか指導者のようにその場の面々の目に映った。

「なるほど。その後で、オブラの魔法で全員氷の兵士に化けて、関所を通過するってことか」

「そう。氷騎士を倒した事が知れ渡る前に、それをしないといけない。倒すのに時間がかかればかかるほど、バレる確率は高くなる」

「スピード勝負か、面白い。腕が鳴るってもんだ」

 サーベラスの単純さは、この状況においては頼もしかった。マグショットもオブラも頷く。

 百合香は、ビードロを向いて言った。

「ビードロ、私たちに関わればあなただって命が危なくなる。いいのね」

「何をいまさら。ヌルダの下を出た時点で、こいつは立派な裏切り者だ」

 マグショットは半笑いで言う。

「ヌルダって誰?」

 その名前をまだ聞いていなかった百合香は、ビードロを向いて訊ねる。

「私に錬金術のイロハを教えた、水晶騎士の一角よ。騎士というより、奇人ね」

 

 

 

 氷巌城第3層の外縁部。ここに、錬金術師ヌルダが守護する、錬金術研究区画があった。守護とはすでに建前であり、ヌルダにとっては遊び場であった。

「ヌルダ、貴様いるのか」

 カンデラの声が、意味不明の物品がひしめき、煙たなびく研究室に響く。

「ヒムロデ様のお呼び立てを、無視し続けているそうではないか。立場が立場ゆえ大目に見てもらえるのをいい事に、無礼を続けるのも大概にせねば…聞いているのか!?」

 部屋の中央で怒鳴るカンデラは、その時ようやく部屋に誰もいない事に気が付いた。

「なんだ、おらぬではないか。全く…うおおっ!」

 振り向いたカンデラの目の前に、白衣をまとって眼鏡をかけた、ドクロの氷魔が現れた。頭の両脇からは、極太のネジの頭が飛び出している。

「なんじゃ、カンデラか」

「無言で人の背後に立つな!相変わらず気味の悪い」

「知らんわ。何しに来た」

「何しに、ではないわ。ヒムロデ様がお呼び立てだ、来い」

「ヒムロデじゃと?ああ、何やら用があると言っておったの。大した用ではあるまい」

 その言い草に、カンデラはいよいよ憤った。

「陛下の側近であるヒムロデ様を呼び捨てにするな!来い」

「うおっ、きさま、何をする!離せ」

 カンデラに引きずられるようにして、ヌルダはしぶしぶ研究室を後にした。



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斬り込み隊長

 オブラの探索で、癒しの間へのゲートは意外に早く見つかった。ただし、一筋縄では行かない場所である。

 

「百合香さま、大丈夫ですか」

 サーベラスの手を借りて通路をフラフラと歩く百合香を、オブラは心配そうに見た。

「大丈夫じゃないけど頑張る」

「正直な方ですね…もうすぐです」

 オブラが百合香に示したのは、そこから100mくらいの場所だった。

「見ててください」

 オブラが、ビードロから預かったシャボン玉をフーッと空間に吹き付ける。すると、氷巌城のエネルギーに反応してキラキラと光るシャボン玉の、全く光らないポイントが高い天井の片隅にあった。

「あれよ。よく見つけたわね、オブラ。ありがとう」

「はい。で、ですが、あんな高いところに移動できるんですか」

「入るのは問題ない。…出てくる時が心配だな」

 苦笑いして、百合香は聖剣アグニシオンを胸元から取り出す。その動作だけで、今の百合香には精一杯だった。

「しっかりしろ」

「…ありがと」

 サーベラスに掴まっていた手を離し、百合香は両手でアグニシオンを、ゲートポイントに向ける。

「みんなは、またビードロの研究室に戻ってて。悪いけど、ちょっと身体を治してくるわ」

「どうか、お大事に」

 オブラに百合香が微笑み返したその直後に、百合香の身体は真っ白な光に包まれて、ゲートに吸い込まれるように消えて行った。

「どういう仕組みなんでしょうか」

「さあな」

 サーベラスはお手上げのポーズをしてみせる。

「そもそも、百合香さまって一体何者なんでしょう。あの、金色の剣や鎧といい」

 オブラの何気ない問いは、全員が思っている事でもあった。

「氷巌城の歴史において、抵抗を見せる人間がかつて多数存在したのは事実です。氷巌城出現直後に、待ち構えていた人類によってこちらが撃退された事例もありますし」

「ああ。だが、それも人類に、強力な魔術師だとかがいた頃の話だ。今の人間は、小手先の技術は発達したようだが、それに頼って人間自身の力は弱まっちまった」

 嘆かわしい、とサーベラスは頭を振った。

「ええ。しかしそんな人類の中から、まるで待ち構えていたかのように百合香さまのような強力な剣士が現れ、示し合わせたように氷巌城の出現ポイントにいた、というのは、偶然と言えるんでしょうか」

 オブラの指摘に、サーベラスとマグショットは黙っていた。そもそも、生身の人間が氷巌城の中で歩き回れるだけで、城側からすれば異常事態である。

「…百合香さまは、普通の人間ではない、という事なのでしょうか」

「さあな。俺にはわからん」

 まるで関心がない、というふうにサーベラスは片手を振った。

「俺にとっちゃ、あいつはただの"いい奴"だ。腕の立つ、いい奴だ。それ以上の事は、俺にはどうでもいい。俺は頭が悪いからな」

 そう言って、おもむろにサーベラスはバットを取り出した。マグショットも頷く。

「そうだな。俺にとっても、あいつは単に見込みのある弟子だ」

「ちょちょちょっと、どこ行くんですか、お二人とも。そっちじゃないですよ!」

 オブラは、ビードロの隠れ家と全然違う方向に歩き出した二人に慌ててついて行く。

「オブラ、お前は百合香が戻ってくるまで待機してろ。あるいは、帰り道を忘れてるかも知れんからな」

「お二人はどこに行かれるんですか」

「なに、あんなしけた研究室にいたら、腕がなまっちまう。肩慣らしだ」

 それだけ言うと、オブラを置いてサーベラスとマグショットは、水路がある方に歩いて行ってしまった。

 

「嘘は言ってねえぞ」

「何のことだ」

 マグショットは、後ろを歩くサーベラスを振り返りもせず言った。

「とぼけるない。お前さんだって、俺と同じ事考えてんだろうが」

 二人は、水路の両脇の細い通路を歩いていた。サーベラスがギリギリ歩けるかどうか、という狭さである。左肩は完全に水面の上に出ていた。

「お弟子さんに優しい師匠だ。一匹狼ねえ」

「くだらん事を言うと、水底に叩き落とすぞ」

「へいへい」

 サーベラスはケラケラと笑う。

「だが、マグショット。皮肉は抜きにして、あの百合香って娘だが。何かあると思わねえか。さっきは話が長くなると厄介だから、オブラの話を誤魔化したが」

「……」

「単にものすごい力を持ってるとか、そういう話じゃねえ。つまるところ俺もお前さんも、気付いてみればあの娘を中心に動いている。オブラたちレジスタンスもだ。いま身を隠している、俺の手下どももいる」

 サーベラスの指摘に、マグショットは無言だった。

「あいつに取り憑いてる瑠魅香って奴もそうだし、ついにはディウルナなんて大物まで味方に引き入れやがった。単身乗り込んできて、まだ第1層を抜けてもいないうちから、これだけの味方をつけやがった」

「…確かに。言わんとするところはわかる」

「だろう。俺は頭は悪いが、見る目はあるつもりだ。あいつには、指導者の器がある」

 サーベラスは、心から感心している様子だった。

「指導者か」

 マグショットは、左の眼の傷をカリカリと擦りながら言った。

「あいつが、果たしてそんな肩書きを望むかな」

「ん?」

「指導者の器はあるかも知れん。だが、あいつはそれを好まない気がする」

「そう思うか、師匠としては」

「俺とて、師匠だの弟子だのは、半分冗談で言っているんだ。俺はしょせん、はぐれ者よ」

 自嘲気味にマグショットは笑って言った。

「そうだな、指導者というより…斬り込み隊長だ、あいつは」

「斬り込み隊長?」

「そうだ。あいつが斬り込んで行くせいで他の奴もついて行かざるを得ない。自分が真っ先に危ない所に飛び込んで行く。カンデラの件だってそうだろう」

「なるほど。指導者としては、必ずしも褒められた姿勢じゃないな」

 サーベラスは笑う。

「それで、どうする気だ?お師匠さんよ。その斬り込み隊長と一緒に、上を目指すつもりか」

「…俺は、群れるのは性に合わん」

 マグショットは、いつものセリフを呟いた。

「第2層に上がるまでは同行する。2層はちょっと野暮用があってな。上がったら、いったん俺は単独行動を取らせてもらう」

「へいへい。なら、俺はせいぜい斬り込み隊長殿の後ろをついて行くとするか」

「…おしゃべりは終わりみたいだな」

 マグショットが、立ち止まって水路の奥を睨む。そこは格子で区切られており、その背後が巨大な貯水槽のようになっていた。その水面の真ん中に、小高い山のような物体が飛び出している。サーベラスがその大きさに、呆れるように笑った。

「こいつが例の化け物か」

「うむ。レジスタンスの連中の話だと城の連中も、なぜこんな化け物がここにいるのか、わかってないらしい」

「そいつはまた妙な話だが。脇をこっそり通らしてはくれんものかな」

 サーベラスは、水路への門を音が鳴らないよう慎重に開ける。

「見ろ、あの奥にある門を。あそこを抜ければ、この層最後の氷騎士、バスタードのエリアに抜けられるそうだ」

「けっ!あの野郎のツラを見なきゃならんのか。怪物の方がまだ可愛げがあるわ」

 サーベラスは吐き捨てた。二人は、試みに貯水槽の脇の通路をゆっくりと歩く。ひょっとしたら、怪物が動かないまま通過できるかも知れない。

 しかし、二人の期待は数秒で打ち砕かれた。

 

「ガアアアアア!!!!」

 

 二人に気付いた首の長い亀の化け物が、その首を向けて吼える。サーベラスは笑ってバットを構えた。

「へへ、やっぱりこうなったか!!」

「倒すぞ、百合香が傷を治すまでの間に!!」

「おうよ!!」

 

 

 

 もう、何か月も訪れていなかった気さえする癒しの間に、百合香はようやく戻ることができた。泉には、”自称女神”ガドリエルが立体映像の姿で現れていた。

『百合香、大丈夫ですか。たいへんな傷を負ったようですね』

「ガドリエル…ひさしぶり」

 泉の前で百合香は笑う。

「色々ありすぎて、話もまとまらないわ。元気な時に、いろいろ質問する」

『ゆっくり傷を癒してください。私にしてあげられるのは、この間を提供するくらい…申し訳なく思っています』

「そんなことないよ」

 百合香は言った。

「逆だよ。この部屋がなかったら、今ごろ私、生きてないよ。ありがとう、ガドリエル」

『そう言ってくださると助かります』

「そうだ、ガドリエル。前に話した、学園から私より先にここに侵入した、謎の人物の件、覚えてる?」

 すると、ガドリエルはピクリと反応した。

『はい』

「仲間になってくれた氷魔の推測なんだけど、ひょっとしたら、人間に擬態して学園に入り込んでいた、氷魔かも知れない」

『…なるほど。それも、可能性としてはあり得ますね』

「目的は何だと思う?」

『考えられるのは、氷巌城の”基盤”となる施設の調査です。つまり、そこが城の基盤とするだけの条件を満たしているかどうか、という事です』

「…なるほど」

 百合香は、一体誰に擬態していたのかを考えてみたが、疲労が先に来てしまった。

「ごめんなさい、やっぱりお話する元気ないわ。…お休みなさい」

 百合香は、痛む身体を押してベッドに身体をドサリと投げた。制服を着たまま、目を閉じる。いつもなら半透明の状態で現れる瑠魅香も、今は百合香の中で眠っていた。

「シャワー…浴びなきゃ…」

 頑張って身体を起こそうとするものの、強烈な睡魔が襲ってきた。

 

 

 

 百合香は、不思議な夢を見ていた。そこは、日本の山間の土地のようだった。ちょうど、ガドリエル学園がある立地に似ている。そこにはボロボロの神社があり、人がたびたび、周囲を窺うようにして出入りしていた。人々の服装は、時代劇に出てくる農民のようである。実際、鍬や鋤を担いだ人も見えた。

 

 視界は、神社の中に移動した。多少荒れてはいるが、中はいちおう神社らしい様子になっている。しかし、出入りしているはずの人の姿がどこにも見えなかった。

 すると、一人の若い男性が、祭壇わきに垂れている布をめくって現れた。何やら、こちらに向かって深々とお辞儀をし、どうぞ、どうぞと手招きしている。何か急かしているようにも見えた。

 

 百合香は、招かれるまま祭壇の裏に回る。すると、そこには地下に続く階段があった。階段を降りると、中には驚くべきものがあった。木彫りの、子供を抱えた女性の像である。それは、聖母マリア像であった。

 出入りしていた農民ふうの人々は、その像に向かって、手製の粗末な十字架を掲げて祈っていたが、百合香がやってきた事に気付くと、目を輝かせてすがるように集まってきた。

 

 何を言っているのかはわからない。だが、百合香は木彫りのマリア像の背後にあるものに、目が釘付けになった。

 

 それは、黄金の剣だった。

 

 農民の一人が、一本の鞘を百合香に恭しく差し伸べる。百合香はその鞘を受け取ると、ゆっくりと剣のもとに歩み寄り、しっかりと手に取った。

 暖かい手触りだった。まるで、旧友と再会したような気持ちに包まれ、百合香はその剣を鞘に納める。

 

 農民たちは、湧き立っていた。その声が薄暗い地下室に鈍く反響し、やがて視界が光に包まれて行った。

 

 

 

 

 目が覚めた時、百合香はベッドの上にいた。制服を着たままだ。

「……」

 ふと、シャワールームの方を見る。いつもなら、瑠魅香が嬉々としてシャワーを浴びているところだ。しかし、今は何の音もしなかった。

「…瑠魅香?」

 その名を呼びかける。しかし、返事はなかった。百合香は気が付く。瑠魅香は、まだ百合香の内側で眠り続けていた。

 上半身を起こすと、百合香は自分の身体を確かめるため、バスルームに行って制服を脱いでみた。鏡に映った身体は、すでに完治している。髪の毛に染み付いた血も、きれいに消え去っていた。

 

 シャワーを浴びながら、自分で身体を洗うのは久しぶりだな、と苦笑いした。いつも百合香が寝ている間に、瑠魅香が身体を”拝借”してシャワーを浴びていたからだ。

 初めて、癒しの間に来た時は一人だった。その後、瑠魅香と一緒に過ごすようになった。すでに、瑠魅香という存在が、百合香にとっては当たり前のものになっていたのだ。百合香の身体はすでに回復しているが、瑠魅香が目覚める気配はない。

 

 テーブルにつくと、冷蔵庫から出した「ポカリスピリット」を飲む。瑠魅香は、この味をやけに気に入ったらしい。

 その時、百合香の目からぽろぽろと涙が溢れてきた。

「…瑠魅香」

 ポカリの味と、涙の味が混ざる。

「ごめんね、瑠魅香。いつも私が突っ走るから、あなたに迷惑かけちゃう」

 百合香は、いつも瑠魅香が座っている椅子を見る。

「ゆっくり休んでていいよ。今は、わたし一人で何とかする。ううん、みんなもいるから、大丈夫」

 泣きながら、誰もいない空間に向かってそう語り掛ける。

「だから、お願い。時間かかってもいいから、どうか目覚めて。あなたがいないと、寂しいよ」



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金髪の女剣士

 瑠魅香の事でひとしきり泣いたあと、百合香はどうにか気持ちを落ち着け、やるべきことを整理することにした。

 まず、目下の直接的な課題は、城側に悟られる前に氷巌城第2層へと上がる事である。

「水路の奥にいる化け物を倒したあと、バスター何とかっていう、この層最後の氷騎士を倒す」

 何気に連戦だな、と百合香は考えた。そもそも、その化け物がどのくらい強いのかもわからない。倒せる前提で考えたとしても、そのあとに最強と思われる氷騎士が控えているのだ。

 だが、今回は今までと状況が違う。サーベラスとマグショットという、頼もしすぎる味方がいるのだ。瑠魅香の魔法は今は頼れないが、戦力だけでいえば鬼に金棒である。

「…いけるよね」

 急ごしらえのホットサンドを作りながら、百合香は呟く。

 ただ、強さという問題を考えたとき、どうしてもあの水晶騎士カンデラの実力が脳裏にチラついた。

「圧倒的な強さだった…確かに、私は大技を放って消耗してはいたけれど」

 それを差し引いたとしても、恐るべき実力なのは間違いない。気絶したあとの話を聞くと、瑠魅香のフルパワーの魔法を喰らったあと、マグショットとサーベラスの猛攻を受けてなお、ごく軽いダメージのまま逃走できたらしい。耐久力も生半可ではないようだ。

 サーベラスによれば、カンデラ級の水晶騎士と呼ばれる最上級幹部が、少なくとも他にあと5体いる。その一人が、ビードロの師である錬金術師、ヌルなんとかという氷魔だという事である。

「…バスター何とかっていう奴は、カンデラと比べてどれくらいの実力なのか」

 ホットサンドプレートを開きながら、百合香は呟く。焼けたパンと、チーズとハムの香りが癒しの間に漂った。チーズは普段スーパーで買うものより上質である。

 考えても仕方ない。バスケの試合だって、要するに時間が来れば試合は始まるのだ。やってやる、と百合香はホットサンドに噛み付いた。

「瑠魅香、早く起きないと、活躍する場面なくなっちゃうぞ」

 瑠魅香が苦手なブラックコーヒーを飲みながら、百合香は苦笑いして呟いた。

 

 

 

 その頃、氷魔皇帝側近ヒムロデの執務室に水晶騎士の一角、ヌルダが嫌嫌ながら連れて来られていた。

「何用でしょうなヒムロデ様。ワシは忙しくての。手短に願いたい」

 立ったままそう言ってのけるヌルダの後頭部に、カンデラが力任せに鉄拳を喰らわせた。

「あいた!!」

「無礼者!!ヒムロデ様に向かってなんという態度だ!!」

「なんじゃとう!」

 すると、ヒムロデは床をカツンと踏み鳴らした。

「よい、カンデラ。今さらこやつの礼儀作法を問い詰めても、時間を無駄にするだけだ。ヌルダよ、単刀直入に訊く。”フォース・ディストリビューター”の研究はどこまで進んでいる」

「なんじゃ。何かと思えばその程度の事か」

「ほう。ずいぶんと余裕綽々だな。では、もう完成の目途が立っていると期待してよいのかな」

 だいぶ意地の悪い調子で、ヒムロデは訊ねた。ヌルダは悪びれる事無く答える。

「完成の目途など立っておらん。が、理論は完成した」

「つまり、いつでも敷設に取り掛かれるという事か」

「理論は、と言うたじゃろう」

 ヌルダは、もはや階級など存在しないかのような態度で、ヒムロデの執務室をうろつきながら言った。

「今、それを実証するための装置を試験的に製作しておるところじゃ。遊び惚けておるなどと言われるのは心外じゃな」

「実証するための装置?」

「さよう。今回、氷巌城を建造させるためにこの土地を選定したのは、幸運じゃった」

 ヌルダは、城の周囲に広がる山地を見ながら言った。

「この土地は、フォース・ディストリビューターの理論を実証するのに、比較的よい条件がある。したがって、試作機が完成しだい、ワシは外に出て試験を行う予定じゃ」

「それは、いつになる」

「そうじゃの。今の進捗から見て、10日…いや、試験の終了まで含めると、14日程度は見てもらうか」

「なるほど、わかった。もしその試験が成功したら、その後はどうなる」

「むろん、本番のフォース・ディストリビューターの建造に取り掛かる。じゃが、これには時間がかかるぞ」

「かまわん。皇帝陛下もそのように仰っている。時間よりも、確実性を重視せよとのお達しだ。エネルギーが尽きる前に完成すれば、それでよい」

「エネルギーが尽きる前に、の。それはワシとてわかっておる」

 話は終わったと言わんばかりに、ヌルダは勝手に執務室を出ようとしたが、ヒムロデは呼び止めた。

「もうひとつ訊きたい事がある」

「なんじゃ」

「人間を、生きたまま氷魔に変える事というのは、お前の錬金術で可能か」

「ふむ?」

 何か興味深げに、ヌルダは振り返ってヒムロデを見た。

「どういう意味かの」

「言ったままの意味だ。可能か、不可能か訊ねている。わからぬのなら、それでよい」

「現段階では、不可能じゃ。生きている人体は、そもそも氷魔の器にならん。それはお主もわかっていよう」

 その答えにヒムロデは、小さくため息をついてから言った。

「それを実現できる可能性が、今後出てくる可能性はあるか」

「何とも言えん。じゃが、可能性を追求するのが学問じゃ」

「なるほど」

「ふむ、それはワシもいくらか興味がある。何なら研究を進めてもよいが」

「まず、陛下より命じられた事を進めよ。私が今言った事は単なる戯れ言だ」

 そう言うヒムロデに、ヌルダは肩を上下させて笑った。

「お主もわからぬ奴よの」

「もうよい。研究室に戻って、作業を続けよ」

「ほっ、ならばそうさせてもらうかの。失礼するぞ」

 傍若無人そのものの様子で、ヌルダは執務室を後にした。その後を、慌てるようにカンデラが追う。

「ま、待てヌルダ!ヒムロデ様、ご無礼を。失礼いたします」

 礼もそこそこに、カンデラも執務室を出る。残されたヒムロデは、自らの手のひらをじっと見つめた。

「生きた人間は氷魔にはなれぬ、か」

 

 

 ずかずかと通路を歩くヌルダに、追いすがったカンデラが言う。

「相変わらずの態度ではあったが、俺は生きた心地がせんかったぞ。しかし、例の…フォース・ディストリビューターとは一体何なのだ」

「武官のお主に説明してもわかるまい。そうじゃの、試験の現場に立ち会わせてやってもよいが」

「なに?…まあ、侵入者の件が片付いた今、俺もしばらくヒマになるやも知れんがな」

「例の、人間の小娘か」

 いかにも興味ありげにヌルダは言った。

「実はワシも興味があった。研究に没頭しておったせいで、それを知った時にはすでに死んでいた」

「一体どれだけ閉じこもっておったのだ」

 カンデラが呆れたように言う。

「カンデラよ。普通の人間が、氷巌城の中をうろつくなど、普通の事だと思うか」

「む?」

「普通の人間がこの氷巌城に入れば…まあ現実には入る前に氷の像になるが、仮に入ったとすれば、1秒の十分の一も経たずに、凍結して死ぬであろう。それなのに、あの死んだ侵入者の娘は、自由に暴れ回って、幹部さえも倒してみせたそうだな」

「う…うむ」

 カンデラは、すでに知っている情報を繰り返す必要もないので、ただそう相槌を打った。ヌルダは続ける。

「氷巌城の歴史において、直接ここまで乗り込んできた人間は、そうそう多くはない。その大半は、古代の魔術に長けた人間だった。氷巌城の冷気から身を護る魔具などを身に着けて乗り込んできた。だが、最後にはそれも効力を失って、氷の骸と成り果てた」

「うむ」

「だが、ごく一部、そのような魔具、あるいは護符などを身に着ける事無く、皇帝の間まで到達できた者もおる」

「なに?」

 カンデラは驚いて訊ねた。

「きさまはそれを知っているのか。そんな奴がいたのか」

「ほっ、お主より歳は食っておるからの」

「いったい、どんな奴だったのだ」

「女の剣士じゃ」

 その一言に、カンデラはいくらかの衝撃を受けたようだった。

「女の…剣士だと?」

「そうじゃ。黄金の剣を携えた、な」

「なっ…!」

 カンデラの驚きはさらに強くなった。

「それは、まるであの、死んだ侵入者ではないか!」

「そうじゃ」

「それは、いつの時代の話だ!?そ、その…女の剣士は、どうなったのだ」

 いよいよ関心を抑えられなくなったカンデラは、矢継ぎ早にヌルダを問い詰める。ヌルダは立ち止まって言った。

「死んだ。皇帝の剣に、腹を貫かれてな」

「皇帝と相まみえたのか?いつの時代だ」

「人間の尺度で言えば、1万2450年くらい前じゃったかな。いまの人類文明の、前の文明が滅びた時じゃな。人類が記憶喪失に陥った時代じゃ」

「どういう事だ」

 カンデラは、いまだ驚きを隠せない様子で考え込んでいた。

「当然の疑問じゃな。あまりにも、酷似しておる。今回の侵入者も」

「その女剣士とは、何者だったのだ」

「わからん。結局は死んでしまったからの。ただ、その剣士だけではない。もう1人、女神官も共に乗り込んできたと聞く。強力な魔術を用いていたそうじゃ」

「なに!?」

 カンデラはそれを聞いて、一人の魔女を思い出していた。倒したはずの百合香が、一瞬で黒髪の魔女に変貌したのだ。

「きさま、それを見ていたのか?」

「ワシは現場にはおらなんだ。当たり前じゃ、その時代のワシは、その剣士に討ち取られたのじゃからの」

 そう言って、ヌルダは自らの頭のネジを指差す。

「これが何かわかるか。ワシはその時、その剣士にバラバラにされたのじゃ。その後しばらく転生する事はなかったが、今回こうして久しぶりに、氷巌城とともに具現化した。割れた身体のあちこちを繫ぎ止めての」

「そっ…その剣士というのは、今回の侵入者に似ているのか?」

 食い入るようにカンデラは訊ねる。

「ワシは広報官がバラまいた小さな写真でしか見ておらぬが、まあ似ておるといえば似ておるな。金髪に金の鎧、金の剣」

「似ておる、どころではなかろう!」

「ほっ、ほっ」

 ヌルダは笑う。

「ワシにはわからんよ。どのみち、もう死んでしまったのじゃろう。まあ、生身でこの氷巌城を歩き回れたというのは、確かに興味はあるがの」

「…その時代の文献などは残っているか」

「文献じゃと?まあ、図書館に行けば何がしかの記録はあるかも知れん。しかし、この城は生まれ変わるたびに、どこかが、あるいは大半が改変されるからの。出来事の記録とて、どこかがおかしくなっていても不思議はない」

「お…俺の役目はとりあえず終わった。失礼するぞ」

 カンデラはどこに向かうのか、慌ててその場を足早に立ち去ってしまった。

「なんじゃ、あいつもわけのわからぬ若造よの」

 

 廊下を歩きながら、カンデラは自問した。

「(…おれは何を考えておるのだ)」

 それは、あり得ない事を考えている自分自身への問いだった。

「(…それを調べたからと言って、何がどうなると言うのだ)」

 カンデラの胸の内には、なぜか言い知れぬ不安が増大しつつあった。

 

 あの娘はそもそも何者だったのか。

 あの黄金の剣は何だったのか。

 そして、事態は本当に全て終わったのか。あの黒髪の魔女はどこに行ったのか。

 

 あるいは、単なる好奇心だったのかも知れないが、カンデラは過去の記録を調べるために、第3層の一角にある図書館へと向かったのだった。

 

 

 

 

「サーベラスとマグショットは?」

 ようやく体が回復し、ビードロの研究室に戻った百合香は訊ねた。オブラが答える。

「えっと、それがですね。肩慣らしだか、パトロールだかで出てくるから、百合香さまをこちらにお連れして待っていろ、との事でした」

「ふうん」

「あの二人、絶対に反りが合わないだろうなと思ってたんですけど、あんがいウマが合うみたいですね」

「それは私も思った」

 百合香は笑う。どちらもマイペース同士なので、意見が衝突するのではないかと思っていたのだ。

「あの二人はともかく、百合香様はもう大丈夫なんですか」

「え?うん、もう大丈夫。傷も痛みも全快したから」

「そうですか」

 オブラは、ホッとしながらも渋い顔を百合香に向ける。

「百合香様。もう、あんな無茶苦茶な作戦を立てるのはおやめ下さい。ただでさえカンデラは強敵なのに、あの時百合香様は、フルパワーで技を放った直後だったんですよ。あれがなければ、マグショット様やサーベラス様が到着するまで、もう少しましな状態で持ちこたえられたかも知れないんです」

 遠慮なく意見を言うオブラを、百合香は感心するように見ていた。戦闘能力こそないが、状況の判断は他の誰よりも優れている。

「わかった。もう無茶はしない」

「どうか、そのように願います。生きた心地がしませんでした」

「ごめんごめん」

「…ときに、瑠魅香様は」

 聞きにくそうにオブラが言うと、百合香は簡潔に答えた。

「まだ眠ってる。でも、そのうち起きてくるよ。必ず」

「…そうですか」

 オブラは心配そうだった。

 その時、ドアの奥から聞き慣れた足音がして、ガラガラとドアが開いた。

「サーベラス様!戻られましたか」

 やっと戻ってきたか、という顔でオブラが出迎えた。

「おう。おっ、百合香!お前も戻ってたのか」

 サーベラスが百合香の前に、ドスドスと足音を立てて歩み寄る。その後を、マグショットがトコトコと歩いてきた。もう、猫が直立二足歩行するのに慣れて来た百合香だった。

「もういいのか」

 マグショットはそれだけ訊ねる。

「うん。いつでもいけるよ」

「そうか」

「ねえ、二人ともなんでそんなボロボロなの」

 百合香は、サーベラスとマグショットを交互に見る。サーベラスは装甲のあちこちに細かい傷が見えており、マグショットはトレードマークのジャージのあちこちが綻びていた。

「ん?ああ、ちょいと準備運動がな」

「パトロールも兼ねてな」

 なんだか煮え切らない返しだな、と百合香は思った。答えにも会話にもなっていない。

「その身体で、今すぐ出発ってわけにはいかないよね。氷魔は、黙っていればそれなりに回復するんでしょ?」

「ああ。この程度の傷、俺ならすぐに治る。この間お前に喰らった傷だって、もう治ってるだろ」

 そう言って、サーベラスは百合香の剣を受け止めた肩を見せた。傷跡はあるが、確かに治っている。

「だから、何てことはない」

「でも、もうちょっと休んでから出発した方がいいよね」

 百合香が、何か念を押すように言うので、サーベラスとマグショットは顔を見合わせた。

「そうだな。もう少しだけな」

「うむ。もう少しだけだ」

 やっぱり何か煮え切らないな、と百合香は思う。

 その意味は、全員で出発して間もなくわかる事になるのだった。



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三銃士

 オブラが例によって、今の作戦について説明を始めた。すでに参謀のような立ち位置が板についてきた感もある。

「まず、最初の目標はこの第1層を抜けて、上に上がることです」

 全員が頷く。

「現状、城側からは百合香さまが死亡した事になっていると思われているため、警備は手薄です」

「間違いない。俺とマグショットが確認してきた」

 サーベラスが胸を張る。オブラが続けた。

「そこで、やはり当初の予定どおり、水路の奥にある門を抜けて、最後の氷騎士バスタードの所へ向かいます。当然ですが戦闘中、僕は隠れています」

 あまりに堂々と情けない事を言うので、全員頷くしかなかった。

「質問。水路の奥の怪物っていうのは、戦わないで回避できないの?」

 百合香の質問に、オブラは腕組みして答えた。

「当然それは考えました。しかし僕もあれを間近で見ましたが、回避するのは不可能そうです。カンデラも、倒せない事はないが無闇に関わる必要もない、みたいな事を言って放置してましたし」

「なんでそんなの、配置したんだろ」

「カンデラ達も、なんでいるのかわからない、って言ってました。僕にも当然、わかりません」

 どういう事なのだろう、と百合香は思った。しかし以前、例の新聞屋ディウルナも、城側も城の全てを把握していない、といった事を言っていた。

「どうも、この城はそれほど単純ではないらしいわね」

「考えたって仕方ねえだろう。俺は頭が悪いからな。倒す敵を倒せばそれで終わるんだ、さっさと出発しようぜ」

 サーベラスの単純さは、こういう場面では頼もしかった。全員、議論は道々の暇つぶしにでもすればいい、と立ち上がる。

「斬り込み隊長どの、ここは一発、号令をかけてくれや」

「なに、それ」

 いきなり変な肩書きを与えられた百合香は、苦笑しながらも剣を突き立てて言った。

「私は人間、みんなは氷の精霊。立場は違うけど、この城を消して、もとの在り方に戻るっていう目的は同じ。いまさら迷いはないわね」

 全員が頷く。

「よし、何としてもまず、第1層を突破するわよ!」

「おう!!」

 全員が腕を上げて誓い合ったところで、ビードロが何かを持って現れた。

「みんなに、これを渡しておくわ。といっても、ごめんなさい。人間の百合香には使えないんだけど」

 それは、手のひらに収まるほどの、栓がついた小さな瓶だった。

「サーベラスには、ひとまわり大きいのを。はい」

「なんだ、こりゃ」

「氷魔用の補修材。少し深めの傷でも、すぐに埋めてくれるわ」

「ほう」

 サーベラスが、瓶を振って矯めつ眇めつした。

「マグショットみたいな体格なら、腕がちょん切れても繋げるかもね。ま、ここに来れば代わりの手足をくっつける実験もできるから、安心してバラバラにされて来てちょうだい」

 なかなか笑えないジョークを言いながら、ビードロは笑う。マグショットは「ふん」とだけ言った。

「代わりといっちゃ何だけど、百合香にはこれ」

「なにこれ」

 百合香は、手渡された一巻きのテープ状の布を眺めた。氷の包帯、といった様子だ。

「巻けばガッチリ固まる、言ってみればギプスね。腕がちょん切れても、とりあえず紛失しないようにくっつけるくらいはできるかも」

「どうしても腕をちょん切らせたくて仕方ないみたいね」

 多少白い目をビードロに向けながら、百合香はそれを腰のサイドガードの内側にしまう。

「ビードロ、あなたはどうするの」

「私はここにいるより他にないわ。でも、オブラがレジスタンスと連絡を取ってくれたから、何か必要な物があれば彼らに届けさせる」

「そう。なんだか、こっちも体制が整ってきたわね」

 百合香は笑いながら言う。

「さて、それじゃ行くか。色々ありがとうね、ビードロ」

「武運を祈っているわ」

「ようし、出撃よ!」

 全員が力強く頷くものの、勇んで引き戸をガラガラと開けても何だか緊張感がないな、と思う百合香ではあった。

 

 

 当初の予定どおり、水路わきの通路を百合香たちは進んでいた。

「サーベラス、落ちないでよ」

 背後を護るサーベラスの、水面に飛び出した左肩を見ながら百合香は言った。

「心配ねえよ、もう何度も通って…いや、ごほん」

「え?」

 また何だか煮えきらないな、と思う百合香だった。

「そういえば、思い出した事がある。私が通ってる学園のすぐそばの用水路に、たまに亀が迷い込んでくるのよね。どこの亀なのかわからないけど」

「なんだと?」

 マグショットが興味深そうに訊ねる。

「うん。氷巌城は、その基盤となる土地だとかを模倣して創造されるのよね。だとすれば、それが校舎の周囲にあった構造や生き物だとかを、模倣しても不思議はないのかも」

「つまり、何もかもが皇帝だとかの意図に沿ったもんじゃねえって事なのか」

 サーベラスも、不思議そうに首を傾げる。どうやら、氷魔たちにとっても氷巌城は謎が多いらしい。

 

 しばらく歩いていると、何やら通路や壁に、ヒビや割れが目立つようになってきた。壁や天井の破片も散乱しており、水路の水があちこちに飛び散っている。

 やがて格子で区切られた貯水槽のような場所に出ると、さらに壁面の破壊は大きくなり、槽の奥には甲羅が滅茶苦茶に割られた氷の亀が、ぐったりとなっていた。

「なにこれ?」

 百合香は驚いて立ち止まり、その状況を訝しむ。先導するオブラも首をひねったが、やがて何か納得したように振り向いた。

「なるほど、そういう事でしたか」

 呆れたようにサーベラスを見る。

「お二人は、パトロールとか何とか言って、先にここにいる亀の怪物を倒してしまったんですね。百合香さまに負担をかけないために」

「え!?」

 百合香はさらに驚いて、サーベラスとマグショットを交互に見た。二人は、何の事か知らないといったポーズを見せる。

「さあな。おおかた、城の奴らがいい加減邪魔だからって、退治したんじゃねえのか」

「そんな所だろうな。こちらとしては、楽ができるというものだ」

 マグショットは明後日の方向を見ている。オブラは肩をすくめ、溜息をつく。

「そうですか。そういう事にしておきます。楽ができて、よかったですね」

「おう。百合香は肩慣らしができなくて残念だったな」

「白々しい…」

 オブラが細い目で二人を見る。百合香は溜息をつきながら微笑んだ。

「ありがとう、二人とも。でも、瑠魅香が怒るわよ。活躍する場面が減らされた、って」

「おう、だったら眠りこけてねえでさっさと起きろってもんだ。目が覚めたらもう第2層についてるかも知れねえぞ」

 サーベラスが笑うと、全員が声を上げて笑った。この時点で「自分達がやりました」と白状しているのだが、それには突っ込まない百合香だった。

「さあ、それじゃ行きましょう。最後の氷騎士が待つ場所へ」

 オブラが真っ先に、亀の怪物が倒れている奥の狭い通路へと進むと、残りの面々もその後をついて行った。

 

 

「その、バスタードって奴の所まではすぐなの?」

 百合香が訊ねる。

「はい。この通路を進むと、扉があります。ここは非常用通路なので、普段兵士の出入りはありません。扉を出て右手に進むと、間もなくバスタードが守護するエリアに入ります」

 オブラは、待ってましたと知識を披露する。

「バスタードは、そこを庭園に改造したという話です。レジスタンスの話では、氷の生け垣が迷路のようになっているとか」

「どういう奴なの?いったい」

「サーベラス様なら、よくご存知です」

 オブラは、わざとらしくサーベラスに話を振る。サーベラスは、いかにもウンザリだという風に、力いっぱいジェスチャーした。

「いけ好かん野郎だ。離れられてせいせいしたと思っていたのに、奴までこの第1層に降ろされやがった。まあ、奴を近くに置いておきたくないという点では、皇帝と同じ意見ではある」

 そこまで言われるとは、一体どういう相手なのかと百合香は考えた。もともと第3層の守護、つまり実力そのものはサーベラスと同じく、上級幹部を除けばトップクラスの筈である。

「会えばわかる」

 サーベラスは、それだけ言うとあとは無言だった。

 

 

 

 その頃、ここ第3層の図書館では、水晶騎士・アメジストのカンデラが、過去の氷巌城の出来事を調べるために訪れていた。図書館を預かる司書であり氷騎士の一人が、物珍しそうに訪れたカンデラを眺めた。

「これはこれは、カンデラ様。珍しい事もあるものです」

 その女性ふうの氷騎士は、司書というよりは怪しげな魔術師といった風体である。ヒムロデと似たフードつきのローブをまとっているが、頭は出しており、顔の前面にまでかかった髪が不気味だった。

「相変わらず不気味な奴だ。ヌルダといい、第3層は奇人の寄り合い所だな」

「ふふふ、しかしカンデラ様がこのような所においでになるなど、初めての事ではございませぬか」

「図書館では静かにするものではないのか」

 黙っておれ、と言外に示したカンデラは、広いが薄暗い図書室をぐるりと見渡した。

「氷巌城の歴史を調べられる書物はあるか」

 すると、司書はぴくりと反応した。

「年代にもよりますが、いつ頃のものを」

「人間の暦でいう、12450年前ごろだ」

「…お待ちくださいまし」

 そう言うと、司書はいったん準備室のような所に引っ込んで、一本の鍵のようなものを手にして戻ってきた。

「申し上げておきますが、ご所望の本があるエリアの棚は、全て持ち出し厳禁です」

「うむ」

 カンデラが案内されて訪れたのは、ひとつの棚の裏側に隠されていた、扉の奥の部屋だった。そこは蔵書室というよりは、小さな博物館といった趣の部屋で、透明なケースの中には、よくわからない石の破片だとか、骨らしきもの、植物の標本などがあった。

「これは、地上の物ではないか!」

 カンデラは驚いて言った。

「これは石だ。これは、動物の骨か?これは花と、葉や茎…全て本物だ」

「その通りです」

「なぜ、こんなものが図書室にある」

「図書室”にも”、と言い換えた方が良いでしょう」

 司書は不気味に笑う。

「今お目当てのものは、そちらではございますまい」

「む…」

 カンデラは、薄気味悪い標本のエリアを通って、さらに奥の小部屋に案内された。部屋は狭いが、入り口側を除いた三面に棚があり、そこには厚い書物がぎっしりと並んでいる。部屋の中央にはテーブルと椅子が据え付けられていた。

「この部屋には、氷巌城の歴史の全てが記された書物が並んでいます」

「おお。壮観だな」

「さきほども申し上げましたとおり、持ち出しは厳禁です。もっとも、持ち出そうとしても結界に阻まれる仕組みになっておりますが。それと、もうひとつ。お手に取られても、赤い封印が施されて開けない本は、一部の者のみが閲覧を許された禁書となっております」

「禁書だと」

「はい。そのような本があった場合は、お諦めくださいますよう」

「…わかった」

 カンデラは、しぶしぶ頷いた。上級幹部である水晶騎士の地位にあっても、閲覧を許されない書物とは何なのか。気にはなるが、ひとまずは自分が知りたい情報が書かれた本を探す事にした。

 

 

 

 オブラの案内で、第1層最後の氷騎士・バスタードのいるエリアに向かう百合香たち一行は、徐々に通路の装飾が過剰になっていく事に気が付いた。

「何かしら。ここまでの第1層の雰囲気と、だいぶ違うわね。ロココ調というか」

「色もなんだか違いますね。薄いピンクとか」

 どうも、これから繰り広げられるであろう戦闘のイメージが湧かない、華やかな空間である。

 やがて、両開きのやはり装飾過多の扉を通過すると、天井がドーム状になっている、広い空間に出た。そこには氷でできた見事な庭園があり、奥には、離宮のような建物が見える。

「ここが、そのマスタードがいる…」

「バスタード」

「…バスタードがいるエリアなのね」

 百合香は空間を見渡すが、氷の生け垣が微妙な高さになっているため、全体がよく見渡せないのだった。

「くそ、なんだこの邪魔な垣根は」

 いかにも忌々しいといった様子で、サーベラスがぼやいた。

「ちっ、仕方ねえ」

 そう言うと、いつものバットを消して、サーベラスは百合香の身長ほどもある大剣を出現させた。

「すごっ」

「ま、これが俺のもともとの得物だ。大剣使いのサーベラス、上級幹部にだって引けを取る気はねえ。いくぞ」

 そう言うと、いきなり目の前の生け垣を大剣で薙ぎ始めた。丁寧に手入れされている様子の生け垣も、サーベラスにとっては単なる進軍の邪魔でしかないようである。

 

 サーベラスが率先して生け垣を薙ぎ、蹴り倒し、向こうに見える舘目指して進軍を続けている、その時だった。

 

『愚か者が!!!』

 

 何やら張りのある声が、空間に響き渡った。

 

『美を理解せぬ蛮族め!!!何をしにここへ現れた!!!』

 

 その声にサーベラスは、この世の終わりの方がまだましだ、とでも言わんばかりに首を振った。

「おいでなすった。百合香、頼みがある。あいつのトドメは俺にやらせろ」

「お好きにどうぞ」

 興味もなさそうに百合香が答える。サーベラスがブツブツ言っていると、突然生け垣が魔法のように動き出して、中央の広場に続く道が現れた。その真ん中に、一人の氷魔が細身の剣を手にして立っている。

 その姿は何やら、アレクサンドル・デュマ『三銃士』の主人公チームの誰か、といった衣装で、頭には羽根飾りのついた派手な帽子を被っている。剣はやや根元が太めだが、全体としては細身のレイピアだった。

「どかせるんなら最初からどかせ、この気障やろう」

「あいつがバスタード?」

「ああ」

 サーベラスは、名前を言うのもイヤですといった風に、百合香の問いに簡潔に答えた。

「ほう、そこにいるのは裏切り者のチビ猫どもか。そうか、裏切り者が揃って私のもとへ出頭したというわけか。ははははは、なかなかに殊勝な心掛けよ。うむ、そのような神妙なる態度であれば、この秀麗にして聡明、強く気高く、まさしく知恵と力と美の女神に愛されし私が罪を軽減されるよう取り計らってやらん事もない。それ、そこに直るがよい」

 ひとしきりバスタードが喋り尽くしたあとで、百合香がボソリと呟いた。

「やっぱり私に殺らせて」

「こればかりは譲れん。俺がやる」

 どっちが首をはねるか、という物騒な言い合いが始まったところで、バスタードは裏切り者の他に、見慣れない者が混じっている事に気が付いた。

「む!?」

 バスタードは、百合香の姿をまじまじと見る。

「ほう、美しい。まるで人間のようだが、この私の侍女として仕えようというのだな。うむ、私自身のこの人望が怖いくらいだが、よい心掛けだ」

 その言葉が、斬り込み隊長の逆鱗を少しばかり刺激してしまったようだった。

「絶対私が殺る」

「俺にやらせろ!」

 二人の言い合いをよそに、バスタードは百合香の姿にようやく何か気付いたようだった。

「…その方、もしかして本当に人間か」

「だったら何だっていうの」

「ま、まさか!?」

 バスタードは、表情が見えない仮面の奥で驚愕していた。

「そんな馬鹿な。侵入者の人間はすでに死んだとの報告だ!」

「知らないわよそんなの!悪いけど、ここで死ぬのはあなた!!」

 百合香は、間髪入れず飛び出した。

「あっ、抜け駆けだ!!!」

 ずるいぞ、と叫びながらサーベラスも大剣を片手に飛び出す。その後を、やれやれとマグショットが続いた。

「オブラ、お前は隠れていろ」

「はい!!」

 オブラは、力強く答えると、力強く身を潜めたのだった。

 

「でえぇ――――いっ!!」

 なまった身体の試運転とばかりに、百合香は全力で斬りかかる。

「ふっ、野蛮な剣だ」

 バスタードは百合香の上段からの剣撃を、ひねるようなレイピアの動きでかるくいなしてしまう。

「あっ!」

「力任せに斬り伏せるだけが剣ではない」

 バスタードは、側面に隙ができた百合香の胴体に突きを入れた。しかし、百合香は一瞬で身を低く沈め、それをかわすとレイピアを下から跳ね上げる。

「なに!?」

「甘く見ないことね!」

 今度は、横薙ぎにバスタードの胴体を狙う。しかしバスタードは一瞬早く、蹴りを放ってきた。百合香はそれをかわすため、大きく後方に飛び退る。

「ほう、なかなかの腕前だ」

「あんたたちのお陰で、嫌でも鍛えさせられたからね!」

 再び斬りかかろうと構える百合香だったが、脇からサーベラスが飛び出してきた。

「ぬりゃあぁぁ―――――っ!!!」

「こっ、この!!!」

 バスタードは、全力で振り下ろされた大剣をレイピアの根元で受け止める。

「下品な野獣め!」

「ぬかせ!!貴様のような、相手を見下す事しか頭にない輩、俺が引導を渡してくれる!!」

「ふっ!」

 バスタードはサーベラスの大剣を、やはりひねるような動きで制すると、その剣先を地面に叩き落としてしまった。

「ぬっ!」

「力任せの下品な剣で、この私は倒せぬわ!」

 バスタードは、サーベラスの首を狙ってレイピアを突き入れる。しかし、横から割り込んだ黄金の輝きがそれを跳ねのけた。

「む!?」

「悪いけど、3対1よ!」

 黄金の剣でレイピアを払った百合香の背後から、マグショットが飛び掛かってバスタードの胴体に思い切り蹴りを放つ。

「おあたぁ!!!」

「ぐはっ!!」

 バスタードは大きく後ずさる。

「3人がかりとは、なんと情けないものよのうサーベラス」

「俺一人でも十分よ。今は時間が優先だ」

「甘いな」

「なに!?」

 バスタードは、指をパチンと鳴らす。すると、サーベラス達を囲むように、両サイドに二体の氷魔剣士が現れたのだった。

「我らの華麗なる剣に葬られる事を喜ぶがいい!」

 バスタードの合図で、氷の銃士たちが一斉に百合香たちに襲いかかった。



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完璧なる円

 バスタードの合図で現れた2体の剣士は、やはり同じような銃士ふうの姿をしており、同じようなレイピアを武器としていた。さながら、バスタードを含めて氷の三銃士といった趣きである。

「裏切り者と侵入者に死の裁きを!」

 仰々しいバスタードの号令で、左右の剣士がそれぞれマグショット、サーベラスに斬りかかる。必然的に、バスタードの相手は百合香が務める事になった。

「くそっ、獲物を百合香に取られちまう」

「そのような心配は無用です。貴公は私の剣の露と消えるのですから」

 バスタード同様、慇懃な銃士がサーベラスの胸を狙ってレイピアを突いてきた。サーベラスはそれを大剣で強引に弾く。

「そのような鈍重な剣で、この突きをいつまでかわせるでしょうか」

「ぬかせ!」

 今度はサーベラスが、大振りに剣を払う。リーチは圧倒的に長く、相手の銃士はかわし切れないと思ったのか、大きく後退した。

「くっ」

「ほれほれ、どうした!!」

 サーベラスの、大剣の質量を無視したかのような連撃は、剣技のセオリーが通用しない勢いがあり、銃士は反撃の隙を見つけられずにいた。

 

 他方、マグショットの相手は長髪が特徴的な銃士だった。目だけの仮面が不気味である。

「素手だからとて容赦はせぬぞ」

 長髪の銃士は、マグショットの首めがけてレイピアを突いてくる。それを難なくかわすマグショットだったが、リーチは相手に分があるように見えた。

「はっ!」

 強烈なスピードの突きを、銃士は繰り出してきた。しかし、次の瞬間予想外の出来事が起きたのだった。

「なに!?」

 甲高い音がして、マグショットの頭上で長髪の銃士の剣は何かに止められたのだ。それは、どこからかマグショットが出現させた、2本の中国式のサイだった。

「貴様、サイを使うのか!」

「俺が武器を持っていないなどと油断した貴様が悪い」

 

 百合香とバスタードは互いに、剣を構えてジリジリと相手の隙を窺っていた。バスタードは高く水平にレイピアを正面に向け、百合香は聖剣アグニシオンを低く、相手に対して横向きに水平に構えていた。

「話によれば、カンデラの剣を受け止めたと聞く。この私とて、それほど容易い仕事ではない。にわかには信じ難いが、それが実力であれば、相手に取って不足はない」

 バスタードは、さきほどの慇懃さが少しだけ後退した様子で語った。

「ご期待に沿えるよう努力するわ」

「ふっ」

 バスタードは余裕を見せながらも、まだ先に動こうとはしなかった。先手を取るのが有利か、あるいは逆か。互いの剣が方やロングソード、方やレイピアと、特性が異なるのも不確定要素だった。

 沈黙を破ったのは百合香だった。剣を水平に構えたまま、猛ダッシュでバスタードの懐に飛び込む。

「むっ!」

 速い、とバスタードは驚いた。バスケットボール仕込みの百合香の脚は、その瞬発力において剣技をカバーしていた。

「せいっ!」

 百合香は、まずバスタードのレイピアを跳ね上げる。そのまま、高く上げた位置から胴体を袈裟がけに斬り伏せようと試みた。

 しかし、バスタードは回避でも反撃でもなく、打ち上げられた自分の剣で、逆に百合香の剣の動きを封じてきたのだった。

「あっ!」

 まるで、蝶が舞うような華麗な動きで、バスタードのレイピアは高い位置で百合香の剣を絡め取る。振り下ろす動作を封じられた百合香は、蹴りを警戒して飛び退くしかなかった。

 しかしそこに好機を見出したバスタードは、飛び退く百合香に思い切り踏み込んできた。

「それ!」

 バスタードのレイピアが、百合香の胴体の脇をかすめる。さらに続けてレイピアの突きが繰り出された。百合香はそれを避けるため、さらに後退する。しかし、そのままでは生け垣に追い詰められるのは必至だった。

 強い。百合香は思った。しかも、魔法のような離れ業は一切用いていない。純粋に、剣一本のみでバスタードは百合香を追い詰めていた。

 

 バスタードの攻撃は、一切の隙を見せなかった。百合香が打ち込めばそこをかわされ、百合香が防げばわずかな隙を突いてくる。後退すれば追い込まれ、踏み込めば逆に誘い込まれる。次第に、百合香は体力を削られて行くのがわかった。バスタードは一切無駄に動くことなく、最小限の動きで百合香を追い詰めてくる。このままの状態が続けば、百合香が消耗しきった所を突かれて、敗北するのは必至だった。

 

 だが、百合香もまたこの氷巌城に乗り込んでから、あらゆる敵と戦ってきた。その経験が、百合香の武器だった。

「でやぁ―――っ!!」

 百合香は、一瞬の隙を突いてバスタードの横に出ると、そのまま思い切り足首に踵をぶつけた。

「ぐっ!」

 予想外の攻撃にバランスを崩したバスタードの胴体に、百合香はさらにチャージングをかける。

「おわっ!!」

 たまらず、バスタードは左膝を地面についた。バスタードの胴がガラ空きになる。

「ええ―――いっ!!」

 百合香は、渾身の突きを胴体に入れた。

 

 しかし。

 

「ふっ、ブラボー!!素晴らしい才能だ!!」

 片膝をついて不格好な姿勢であるにかかわらず、バスタードは百合香に唐突な賛辞を送る余裕を見せた。

 百合香の剣の切っ先は、間違いなくバスタードの胴体を捉えた。並大抵の氷魔であれば、すでに上半身と下半身が分かれて崩れ落ちているだろう。だが、バスタードの胴体には、全くダメージがなかったのだ。

「そっ、そんな!!」

「ふん!!」

 バスタードが百合香の剣を跳ね上げる。百合香は冷静さを僅かに欠き、押されるように後退した。

 

 バスタードの体躯は、サーベラスに比べると細い。しかし、聖剣アグニシオンの切っ先が全く入らない強度を備えている。それは、細い体躯に氷魔エネルギーが高密度に凝縮されているためだった。

「こっ、こいつ…」

 百合香は戦慄した。ふざけた態度こそ取っているが、その強さは本物である。

「(こいつの装甲を破るには、大技を繰り出す以外にない…けれど)」

 再び襲ってくるバスタードのレイピアを受けながら、百合香はどうにかして技のエネルギーをチャージする時間を確保しなくては、と考えた。

 

 瑠魅香がいれば。

 

 百合香はそう思った。瑠魅香なら、相手の手足を魔法で縛ってくれる。その間に、エネルギーをアグニシオンにチャージして、相手の脳天に叩き込む。いつもなら、それが出来た。

 しかし、今は瑠魅香を頼る事ができない。百合香の力で、ここを切り抜けなくてはならないのだ。

「逆だな」

 百合香は呟く。

「一人で切り抜けられないようじゃ…起きてきた瑠魅香に…笑われる!!」

 百合香は、恐れを捨てて突進した。

「なにっ!!」

 バスタードのレイピアが、百合香の左上腕をわずかに斬りつける。しかし、百合香はそのままアグニシオンに全体重をかけ、バスタードの右肩関節に強烈な突きを入れた。

 ゴキッ、という嫌な音がして、バスタードの右肩の根本が大きく軋む。

「うっ…ぐぐぐ!!」

 やられた、という様子でバスタードは後退る。装甲が頑丈であろうと、関節はそうではない。弱い部分を最小限のパワーで狙う、マグショットの教えだった。

「あいつ…」

 横目で見ていたマグショットがニヤリと笑う。百合香の左腕には、一筋の血が流れていた。

 利き腕が氷魔にあるのかどうか、百合香にはわからない。しかし、片腕に決して軽くないダメージを負うのは、剣士として不利になると言えた。

 だが、バスタードに怯む様子はいささかも見えなかった。

「面白い。この腕は、ちょうどいいハンディキャップといえよう」

「強がらない事ね。悪いけど、時間をかけるわけにはいかない」

 百合香はすでに、アグニシオンにエネルギーを込めていた。バスタードは十分リーチの範囲内にいる。この好機を逃してたまるかと、百合香は炎の剣を振り下ろした。

 

「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」

 

 深紅と黄金の炎の刃が、バスタードの正中線を捉えたかに見えた、その瞬間だった。

 

「『フリージング・ツイスター!!!』」

 

 バスタードの、左腕で振り上げたレイピアから巻き起こった強烈な冷気の渦が、百合香の放った炎と、凄まじいエネルギーの衝突を巻き起こした。

「うあああっ!!」

「ぐ…くくっ!!」

 両者のエネルギーは完全に互角だった。その衝突は熱気と冷気の暴風を形成し、周囲で戦うサーベラスやマグショット達にまで影響を及ぼした。

「うわぁ―――っ!!!」

「ぐおおお!!!」

 二人のエネルギーが弾け、百合香とバスタードは互いに大きく弾かれてしまう。

 

「ぐおっ!百合香のやつ、またあの技か!」

「サーベラス!俺達もさっさとこいつらを片付けるぞ!」

 マグショットはサイを捨てると、右腕を後ろに引いて構えを取った。

「はああぁぁ――――っ!!!」

 凄まじいオーラが、マグショットの全身に満ちる。長髪の銃士氷魔は、一瞬恐れをなして後退した。

「極仙白狼拳奥義!」

 マグショットの右拳に、急速にエネルギーが凝縮される。

「狼爪星断衝!!!」

 視認できないほどの速度で横薙ぎに繰り出された拳から、圧縮された巨大な風の刃が地を這うように走り、長髪の銃士を襲う。

「ぬううっ!」

 かろうじてレイピアで受けたものの、その刃は容易く切断され、銃士は圧力に耐えきれずそのまま弾き飛ばされてしまった。

「おあが!!!」

 無惨に地に落ちる銃士の前に、マグショットがゆっくりと歩み寄る。

「この技を受けて胴体が切断されなかっただけでも褒めてやる」

「ぐぐぐ…」

 間髪入れず、マグショットは宙に舞うと、回転しながら銃士の首めがけて蹴りを放った。

「狼牙斬!!!」

 銃士の首は一瞬で切断され、その身体はそのまま動かなくなってしまった。

「なかなかの腕前であった」

 マグショットは、銃士の亡骸に向かって合掌すると、サーベラスの方を見た。サーベラスはすでに深く考えることをやめたらしく、自分の耐久性とパワーに任せて、大剣を振り回して氷の銃士に突進していった。

 銃士の剣がサーベラスの胴体を直撃する。しかし、サーベラスはそのまま突進をやめようとしない。

「なっ!!」

「ぬおおおお――――!!!!」

 勢いに押されて軸がぶれたレイピアは、そのまま明後日の方向に弾かれてしまう。サーベラスの胸には若干切っ先が突き刺さったものの、さしたるダメージはないようだった。

「デストロイ・ファング!!!!」

 サーベラスの大剣に真っ白なエネルギーが満ちると、そのまま獅子の牙のごとき軌跡を描いて刃が振り下ろされた。氷の銃士の身体は、頭から胴体まで一刀両断され、ドサリと地面に崩れ落ちた。

「手こずらせやがって。まあ、この技を使わせただけでも褒めてやる」

「ひどい戦いぶりだ。肉を切らせて骨を断つ、か」

 マグショットが呆れ顔で近寄る。

「ところで、どうする。百合香に加勢するのか」

「あん?」

 二人は、百合香とバスタードの戦う様子に視線を移した。

「冗談じゃねえ。あんな所に飛び込んだら、こっちがただじゃ済まなくなる」

「奴は俺が倒す、とか言っていたんじゃないのか」

「斬り込み隊長どのに譲るさ、仕方ねえ!」

 やばくなったらいつでも行くぞ、という態勢は取りつつも、サーベラスは百合香の戦いを見守っていた。

 

 百合香とバスタードは、互いに仕掛けるチャンスをうかがっていた。

「はあ、はあ、はあ」

「なんという…こんな相手は久しぶりだ」

 バスタードはチラリとサーベラスを見る。

「人間の剣士よ、名を聞こう…」

「…百合香」

「ユリカ、その名を覚えておこう」

 そう言うと、バスタードはレイピアを、それまでにない奇妙な位置で構えた。もはや役に立たない右腕をダラリと下げ、左腕で真っ直ぐに切っ先を突き出す。

 

「ラ・ヴェルダデーラ・シルクロ!!!」

 

 バスタードのレイピアを、真っ白なエネルギーが包みこむ。すると、その切っ先を中心として、百合香とバスタードの周囲に円形のエネルギーフィールドが形成された。

 

「むっ、あの技は」

「知っているのか、サーベラス」

 マグショットが訊ねる。

「ああ。並大抵の奴なら間違いなく死ぬ」

 サーベラスは平然とそう言い放った。

「加勢しなくていいのか、百合香に」

「あのフィールドに入ったら俺たちがやばい」

「なに?」

「見ていろ」

 サーベラスに言われるとおり、マグショットはバスタードが形成したフィールドを見た。円形のフィールドの外側の地面が、まるで彫刻刀で彫られたかのように抉られている。

「何なんだ、あれは」

「互いの逃げ場を無くす剣だ」

「なに?」

「あのフィールドの境目には、空気の刃ができている。首を突っ込んだらお陀仏だ」

 サーベラスは、首を掻き切る真似をしてみせた。

「相手はもう逃げられない。奴の間合いからな」

「それはバスタードにとっても同じ事だろう」

「そうだ。背水の陣ってやつだ。あいつに、こんな気骨があったとはな」

「百合香の真っ直ぐな気持ちが、やつの虚飾の仮面を剥ぎ取ったのだろう」

 マグショットは、百合香の戦いぶりを目に焼き付けるため、かっと目を見開いていた。

 

 もはや互いにフィールドから出られない状態で、百合香とバスタードは剣と剣のリーチを探りながら、円形のフィールドをダンスのように回っていた。

 前に出るということは、相手の剣に自分から向かう事になる。これに対処するには、剣を払いのけるしかなかったが、失敗すればガラ空きの胴を相手に差し出す事になる。

 さきほどの技の応酬で、両者ともにエネルギーを消耗していた。だが、このフィールドを形成するために、バスタードはさらにエネルギーを注ぎ込んでいる。百合香には、わずかにそのアドバンテージが残っていた。

「(――――これしかない)」

 百合香はひとつの決意を決め、全身にエネルギーをまとった。バスタードが反応を見せる。

「(エネルギーに任せて攻撃してくるつもりか)」

 百合香の持つ攻撃力は決して侮ってはならない、とバスタードは警戒した。だが、百合香の発しているエネルギーは、それまでの炎のエネルギーとは異なるものだった。何か、この円形のフィールドと反発するようなものを感じる。

 だが、すでにエネルギーを消耗しているバスタードは、先手を取って一気に踏み込んだ。

「はっ!」

 百合香の剣を旋回するような動きで封じながら、そのまま一気に百合香の喉元めがけて突き入れる。

 だが、百合香の取った行動は予想を超えたものだった。

「なに!!」

 百合香は、エネルギーフィールドの境目に向かって、自ら大きく後退したのだ。サーベラスとマグショットも目を瞠った。

 

 だが、百合香の身体に満ちていたエネルギーは、バスタードのフィールドに対する障壁となり、その身体を護り切ってみせたのだった。百合香の黄金の鎧が持つ、驚異的な防御力も手伝っての事だった。

「(あっ、あのエネルギーは最初から攻撃ではなく、防御のためだったのだ!)」

 バスタードが驚愕した瞬間、百合香はすでに攻撃に移っていた。それまで体に満ちていたエネルギーを、フィールドの外に出た瞬間、一気に剣に凝縮させる。それは、巨大な重力の剣を形成した。

 百合香は大上段に構えた剣を、高く跳躍して一気に振り下ろす。

 

「『ゴッデス・エンフォースメント!!!』」

 

 空間全体を揺るがすような波動とともに、重力の刃が円形のエネルギーフィールドを外側から粉砕し、そのままバスタードめがけて襲いかかった。



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矜持(第二章完結)

 巨大な氷の庭園を揺るがす衝撃のあと、静寂が訪れた。マグショットとサーベラスが百合香の戦いを見守る背後に、氷の銃士2体の骸が打ち捨てられている。

 

 百合香は全身の力を使い果たして、どうにか立っていた。その眼前に、全身がズタズタになったバスタードが膝をついている。

「ま、まさか…あの一撃で…まだ…」

 百合香は、バスタードの強靭さに驚愕した。すでに致命的なダメージを負っているようには見えるが、まだ指の一本さえ折れていないのだ。百合香の最大の技を受けてなお、である。

「ふ…凄まじい力だ…カンデラとて、あるいはまともに戦っていれば、ただでは済まなかったやも知れぬな」

 バスタードは、なおも立ち上がる気力を見せた。

「無様だな」

 自嘲するように、バスタードは自分の身体のダメージを見る。だが、その態度はどこか楽しげであった。

「バスタード、ひとつ聞かせて」

 百合香は、双方が動けない状態なのを知って、気になっていた事を問いかけた。

「なぜ、あなたは上の階級であるカンデラを、呼び捨てにしているの」

 その問いに、バスタードは無言だった。

「あなたは第3層から、性格が原因で降格されたと聞いたけれど、そうじゃない。もっと違う理由があったのではないの?」

「…ふ」

 バスタードは笑う。

「なるほど、戦いの最中にそんな事まで見抜いているとはな」

「あなたこそ、実は裏切り者だったのではないの?謀反の嫌疑をかけられて飛ばされた武将なんて、私の国の歴史上だって何人もいるわ」

「謀反か。ふふふふふ」

 今度こそバスタードは、声を出して笑った。サーベラスは腕を組んで「ふん」とだけ吐き捨てる。

「もし、あなたが皇帝に対して反意があるというのなら、私達は共同戦線を張れるはずだわ。そうではなくて?」

「惜しいな」

 バスタードは、再び片膝をついて言った。すでに百合香の一撃で、致命傷を負ったようだった。

「私は皇帝陛下に謀反を起こすつもりはない。だが、今こうして再び氷の身体を持って世に現れた時、私は皇帝陛下のなさり様に疑問を持った」

「疑問?」

「そうだ…そして、これまでの氷巌城という存在にもな。それまでの私は…いや私達は、氷魔皇帝という存在に対して一切の疑念を持たず、命じられたままに地上を蹂躙する、ただの人形だった」

 

 

 バスタードによれば、古代に氷巌城が出現した時、氷魔の歩兵部隊による地上への直接的な侵攻も行われてきたという。かつては人類側にも、魔術などを扱う強力な存在がいたため、放っておけば百合香のように、氷巌城に乗り込んで来られる恐れがあったのだ。

 その過程で、人類文明は氷巌城による氷河期と、直接的な武力侵攻の二重攻撃によって、衰退あるいは滅亡を余儀なくされた。

 

 そして、人類をはじめ地上の生命が凍り付き、ごく一部の熱帯地域を除いて生命が存在できなくなった時、氷巌城もまたそのエネルギー源を失って、やがて滅びの道を辿る。氷巌城とは、それを繰り返してきた存在なのだとバスタードは語った。

 

 

「私は、そのような在り方が、美しくないと思った。もっと違う在り方があるのではないかと。見ろ、この庭園を」

 バスタードは、自らが人類文明を模倣して作り上げた、氷の庭園を示しながら語った。

「全てが模倣だ。模倣しなければ、在り方ひとつ示す事ができない。それでいながら、その大元である人類文明を否定する。矛盾と混沌の複合体、それがこの氷巌城なのだ」

「なぜ…今になって、そんなふうに考えたの」

「わからん。だが、そこのサーベラスの馬鹿者のように、お前達人間の精神に影響されて、けったいな球技にうつつを抜かす輩も現れた。今回は、何かが過去の氷巌城とは違うのだ」

 そう語るバスタードの右腕が、ついに重さを支えきれず、肩からドサリと地面に落ちた。

「…ここまでのようだな。もはや語る時間もなさそうだ」

 バスタードは、最後の力で立ち上がると、切っ先が折れたレイピアを百合香に向ける。

「私は最後まで、皇帝陛下の忠臣だ。その在り様に疑問を呈したのも、臣下の務めなればこそ」

「バスタード…」

「貴様らは、貴様らの矜持を貫くがよい。サーベラス、ユリカ」

 もはや決意を決めた様子で、バスタードは百合香にゆっくりと、真っ正面から向かってきた。歩くたびに、氷の身体は崩壊を続ける。そしてその状態で、百合香の剣のリーチにまで踏み込んだ。

 バスタードは、どこにそんな力が残っていたのかという勢いで、百合香に渾身の一撃を突き出した。

 

 一瞬だった。百合香はバスタードのレイピアをかわし、その胸に聖剣アグニシオンを突き刺した。黄金の刃身が、氷の身体を容赦なく貫き、飛び散った氷の破片に黄金の光が反射した。

「見事だ」

 それだけ言い残すと、バスタードは後方に崩れ落ち、静かに事切れた。

 バスタードの胸を貫いたアグニシオンの刃を見つめながら、百合香にはそれまでにない感情が去来していた。

 

 

 百合香の願いで、バスタード達の遺骸は庭園の生け垣の中に埋葬される事になった。サーベラスは、時間が無駄になるとぼやきながら穴を掘っていたが、そのわりには丁重に3体を葬ってやったのだった。

「俺たちに、埋葬なんて感覚はわからねえが。ありがとうな、百合香」

「え?」

「いや、なんでもねえ」

「サーベラス、あなたって性格のわりに案外ハッキリしない所があるわよね」

「なんだと」

 怒ったそぶりを見せたサーベラスに、百合香は笑った。

「私にとっては、こいつらは敵に違いないけど。自分たちの在り方に疑問を持つ者もいるのね」

「ああ。だが、忠義ってのは厄介なものだな。おかしいと思っていても、背く事ができない。こいつとは反りが合わなかったのは確かだが、こいつも自分なりに、葛藤していたのかもな」

 そう言いながらサーベラスは、墓に突き立てられたレイピアの傾きを直してやった。マグショットはその様子を無言で眺めている。

「さて、問題は俺たちが、ここからどうするかだがな」

 サーベラスは、蚊帳の外になっていたオブラを見る。

「こっから第2層に上がる算段は、お前に任せてるんだからな。しっかり頼むぜ」

「お任せください!」

 ようやく活躍の場が訪れたオブラは、喜び勇んで生け垣の上で胸を張ると、空間の奥を指さした。

「この方向にあるドアを抜けると、長い通路に出ます。その先にある高い螺旋階段を登っていくと、第1層と2層の中間に位置するゲートがあり、そこに衛兵が控えています」

「その衛兵って強いの?」

 百合香は訊ねる。

「この面子の前では単なる雑魚です。が、彼らが倒された場合、交代で訪れる衛兵に侵入者の存在がバレる事になります」

 それはつまり、第2層に到達するとほぼ同時に、百合香かどうかは別として、何者かがゲートを強行突破した事が城中に伝わる事を意味する。

「だがよ、いずれ百合香が第2層を進んでいけば、結局はどこかでバレるわけだろ。それが多少早まったところで、大して変わりはねえんじゃねえのか」

 サーベラスが言う事にも、それなりに理屈は通っている、と百合香やマグショットは思った。しかし、とマグショットは言う。

「だとしても、登ってすぐに厳戒態勢が敷かれるよりは、多少なりとも拠点を作る等の余裕がある方が良いだろう。オブラ、任せたぞ」

「はい!それでは私の指示どおり動いてください!」

 

 

 

 第1層と2層の中間にあるフロアに、大きな両開きの門があった。その左右を、槍を構え帯剣した兵士が護っている。

「侵入者が死んだというのに、ここのゲートの警戒は解かないんだな」

「反乱分子どもの動きが活発化する恐れもあるからな。しばらく、このままだろう」

「聞いたか、魔氷胚が盗まれたとかいう話」

「デマだと聞いたぞ。レジスタンスどもが流した」

 衛兵どうしが世間話をしている所へ、下方向からカツカツと、複数の足音が聞こえてきて、やがて四人の氷魔兵士が上ってきた。

「ご苦労」

「ご苦労。上にか」

「うむ。ディウルナ様に現状報告だ」

 そう言って、兵士は広報官ディウルナの署名が入った手形を見せる。受け取った衛兵は、それを扉にはめ込まれたタブレットに重ねた。

 タブレットから青白い光が走って、手形を精査すると、扉の錠が外れる音がした。

「下はどんな状況だ」

 衛兵が、手形を返しながら訊ねる。

「侵入者がいなくなってからは、静かなものだ。勢いづいていた反乱分子どもの気配も、パッタリ止んだ。いずれ広報が回って来るだろう」

「そうか」

「とはいえ、反乱分子が行動を起こさない保証もない。ゲートの守衛、よろしく頼むぞ」

「了解した」

 互いに敬礼すると、四人の兵士は扉をくぐって上層へと登って行った。

 

 

 螺旋階段の下の方から、扉が閉じる重い音が響いてきたタイミングで、オブラの変装魔法が解けて、氷の兵士たちの姿が百合香、サーベラス、マグショット、オブラの姿に戻った。ちなみに、衛兵にそれらしく話を合わせていたのはオブラである。

「ふいー、緊張するな」

 サーベラスが、もうたくさんだとばかりにお手上げのポーズをする。

「こういうスパイじみた活動は慣れてねえからな。オブラでなきゃ無理だ」

「私はけっこう楽しかったわ」

 百合香が笑う。

「相手に気取られぬよう、いかに平静を保つか。精神修行の一環でもあるな」

「マグショット様はなんでも修行にしてしまいますね」

 呆れたようにオブラは横目でマグショットを見る。

「でもオブラ、こんな魔法どうやって覚えたの?」

 百合香は、前々からの疑問を訊ねた。

「これは、もともと出来たんです。特に修行とかはしてません」

「そうなんだ」

「レジスタンスでも、これができるのは僕と、他に数名しかおりません。他にも、透明になれたりするのもいますよ」

「それはもう会った」

 そんな雑談を交わしながら、一行は上層へと登っていった。

 

 何段登ったのか、そろそろ脚が疲れてきた頃に、やっと階段が終わって通路が見えてきた。

「見えました、第2層です」

 オブラが先に前に出て、通路の左右を警戒した。

「いよいよね」

「ああ」

 百合香も警戒し、神経を研ぎ澄ます。サーベラスは何か楽しそうだった。マグショットは無言である。

「みなさん、我々のアジトに案内します。警戒しながらついて来てください」

「お前の変装魔法をまた使えばいいんじゃねえのか」

 サーベラスの提案に、オブラは「正気か」みたいな顔を向けた。

「あの魔法がどれほど魔力を消費するかわからないから、外野は簡単に言うんですよ」

「ふうん、そうなのか」

 サーベラスは他人事のように言う。オブラは鼻息を荒くして、「ついて来てください」と先導した。すると、マグショットが立ち止まって言った。

「悪いが、俺はここでいったん抜けさせてもらう」

「えっ?」

 百合香が振り向いた。

「すまない。野暮用を済ませたら合流する」

「野暮用?」

「これ以上は言わん。だが、もしも俺の手が必要なら、すぐにレジスタンスどもに連絡しろ。いいな」

 それだけ言うと、マグショットはさっさと姿を消してしまう。

「また!ホントにマイペースなんだから」

 オブラは憤慨して、マグショットが走り去った通路を睨む。

「すみません。ああいう人なんです」

「そうね。でも、野暮用って何なのかしら」

 百合香はその時、ひとつのマグショットの仕草を思い出していた。

「ねえ、マグショットの左目って、ファッションだって言ってたわよね」

「え?はい、本人がそう言ってましたよ」

「…本当なのかな」

 百合香の呟きに、サーベラスとオブラは顔を見合わせた。

「たまに、あの傷をカリカリ擦りながら、何か考え込んでるふうな時、あるよね」

「百合香さまって、細かいところ見てますよね。探偵の素質あるんじゃないですか」

「そうかな」

 百合香は、頭の中で「名探偵ユリカ」という、小学一年女児が主人公の作品を何となく連想していた。

 

 一人、第2層の通路を歩くマグショットは、立ち止まって左目の傷を手で触れた。

「…我ながら感傷的だな」

 呟くと、再びゆっくりと通路を歩き出した。

 

 

 氷巌城第2層の通路は、第1層よりももう少し細かくデザインされているものだった。等間隔で立っている柱も、装飾というほどでもないが、それなりに意匠が施されている。なぜだかわからないが、百合香には馴染みのある空間だった。

「なんか見覚えがあるなあ、この廊下」

「それは、模倣した土台になっている建物があったからじゃないですか」

 さも当然のようにオブラが言ったその時、百合香は「あっ」と手を叩いた。

「学園の廊下だ!」

「学園って、お前が通ってる施設か」

「そう!その、教室がある廊下に雰囲気がすごく似てる」

 百合香は、ようやく合点が行った。

「いよいよ学園っぽくなってきたのかな。ねえオブラ、この層の氷魔ってどんな感じなの」

 すると、オブラにしては珍しく返しが遅い。

「実は、この第2層は氷巌城において一番謎が多いんです」

「どういうこと?」

「なんというか、こう…いちばん、城側の管理の目が届かない層らしいんです」

「管理の目が届かない?」

 オブラの言っている意味が、百合香にはわかりかねた。

「実を言うと、レジスタンスがこの層で数名、行方不明になっています」

「なにそれ。捕まったってこと?」

「それが謎なのです。城側がレジスタンスを捕らえたなら、人質に取って我々を引きずり出す道具にする筈なんです。仮に死亡したとしても、見せしめに晒すとか、利用されるはずです。それなのに、そんな事は起きていないんです」

 百合香は首を傾げた。

「それが、城側の管理の目が届かない、っていう意味なのね」

「実態は謎です。実は、僕にはそれを調べる目的もあるんです。早く、アジトに急ぎましょう。それに、百合香さまの”癒しの間”のゲートも見つけておく必要があります」

 来て早々ミッションだらけだな、と百合香は思った。

 

 

 第3層図書館の一室では、カンデラが城の過去の歴史についての書物を紐解いていた。最近のものでは300年ほど前の物もある。

「氷巌城といっても、常にこのような大規模なものばかりではなかったのだな…」

 カンデラが調べたところによれば、氷魔皇帝クラスの氷魔ではなく、もっと格下のクラスの氷魔が送り込まれる例もあるらしかった。その場合はとりたてて人類にとって脅威というレベルではなく、放っておいても勝手に消滅する事例さえあったという。

「今回のような大規模な氷巌城が最後に出現したのは、やはり12000年ほど前の事になるようだが」

 そう呟いて、カンデラはひとつの本を手に取り、開こうとしてみた。しかし、本は全体が赤い光のベールに覆われ、1ページたりとも開く事はできなかった。

「これが例の、”禁書”というわけか」

 カンデラは溜息をついた。自分が調べたい時代の出来事が記されているらしい本が、禁書になっているのだ。しかし、とカンデラは思った。

「逆に言えば、これを開く許可を得ているのは、どのクラス以上なのか、という話になってくる…ヒムロデ様ならば読めるのだろうか。あるいは、皇帝陛下以外は読めない事もあり得る」

 そこまで呟いて、カンデラの頭に疑問が浮かんだ。

「なぜ、氷巌城を構成する我らに、情報を隠さねばならぬのだ?」

 それは、あるいは水晶騎士カンデラという存在の、ひとつの転換点であるかも知れなかった。

 

 氷巌城はオーロラの光を受け、結界の中で不気味に存在し続けていた。



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氷晶花繚乱篇
リベルタ


 氷は溶けて水に還る。水は気化して雲になる。雲は寄り集まって、冷えて雪になり、地表を覆い尽くす。その輪廻を、太陽の光を受けた月が照らし続ける。

 

 

 絶対零度女学園/氷晶花繚乱篇

 

 

 

 氷巌城第2層に到着した百合香は、マグショットが単独行動のため一時離脱したので、サーベラスとともにオブラの手引きでレジスタンスのアジトを目指していた。

 適度にデザインが施された通廊を歩きながら、第2層はこれまでの層に比べて、何か雰囲気が違うと百合香は感じた。

「何ていうのかな、こう…城、っていう感じがしない」

 制服姿に戻った百合香が呟いた。聖剣アグニシオンは握ったままである。

「百合香さまの学園に似ているせいでしょうか」

 オブラは歩きながら、百合香の方は見ないで答える。百合香は、うーんと考え込んでいた。

「それもあるけど、もっと根本的に違う何かを感じる。第1層は、戦う兵士たちの意識を象徴しているような、無骨でピリピリした雰囲気があった」

「それはそうだろう。第1層は最初に侵入者を迎え撃つ、壁だからな」

 第1層で百合香が最初に戦った当の本人であるサーベラスの言葉には、それなりに説得力と実感が伴っていた。

「第1層の兵士は実力で上に劣ると思ってるだろうが、それは必ずしも正しい認識じゃない。そもそも、各層は実力だとかの前に、それぞれ性質が異なるんだ」

「性質?」

「ああ。例えば百合香、お前が出会ったって言ってた、音楽をやっている氷魔たちがいただろう」

 サーベラスに言われて、百合香はあのライブハウスの氷魔たちを思い出していた。

「いたわね。ちょっと第1層では特殊な感じだった」

「俺はほとんど接点もなかった連中だがな。第2層は、どっちかというとあんなタイプの奴らが多いらしい」

 そのサーベラスの言葉が、百合香には妙に引っかかった。

「サーベラス、あなたは第2層を知っているんじゃないの?」

「もちろん、大雑把には知っている。だが、全体は知らん。各エリアを守護する氷騎士も、知らない奴の方が多い」

「知ってるのは、どんな奴なの」

「マグショットのような、格闘主体の氷騎士がいる。格闘といっても、お前達が第1層で戦った紫玉のような、拳法とは違うタイプの格闘技だ。名前は忘れた」

「マグショットとどっちが強いの?」

 その問いに、サーベラスは答える事ができなかった。

「やってみなけりゃわからん、としか言えんな。俺は格闘は専門外だ。殴る蹴る、張り倒すぐらいしか知らん」

「もしそいつに遭ったら、また格闘技を使う事になるのか…」

 百合香は、できれば剣で戦える相手である事を祈っていた。

 

 しばらく歩くと、オブラが周囲を警戒しつつ、「こっちです」と百合香たちを細い通路に誘導した。そこはサーベラスの体格だと、身体を若干斜めにしないと歩けない狭さだった。

「なんなんだ、ここは」

 肩のアーマーをガリガリと壁面に擦りながら、サーベラスがぼやいた。

「がまんして下さい。アジトというのは狭い所を通るものです」

「タテガミが引っ掛かって仕方ねえ」

「ご自分のデザインはご自分で何とかしてください」

 仕切る猫探偵オブラは、サーベラスのぼやきを無視して通路を進むと、ある場所でぴたりと止まって壁をノックした。すると、壁から声が聞こえてきた。

『アルセーヌ・ルパン「空洞の針」において、ルパンを追った少年探偵の名は?』

「イジドール・ボートルレ」

 オブラが小声で答えると、壁にそれまで見えなかったドアが現れた。猫用なのか、ノブがかなり下についている。

「さ、入りましょう」

「あなた達の知識量もよくわからないわね」

 アルセーヌ・ルパンは子供の頃に数冊しか読んでいないので、問いの答えがわからなかった百合香はそれ以上特にツッコミを入れなかった。

 

 猫レジスタンス「月夜のマタタビ」の第2層のアジトは、第1層で招かれた部屋よりは広々としていた。あの狭い空間で巨体のサーベラスを連れて入ったら、身動きができたかどうか怪しい。

「ようこそいらっしゃいました、我らが英雄ユリカ様。私は第2層のレジスタンスを取り仕切る、ピエトロと申します」

 三つ揃いのスーツに鳥打帽という、レジスタンスのイメージからだいぶ遠い装いの猫レジスタンスはそう名乗った。やはり少年のような声だが、少し柔らかい、大人びた調子である。その周りに、ベストやオーバーオールを着込んだ猫スパイ達が控えていた。

「初めまして。レジスタンスのみんなには、本当に助けられているわ」

「そう言っていただけるとありがたい」

 服装のとおり、いくらか態度が大きい猫だなと百合香は思った。

「まさか、氷騎士サーベラス様がこちらについて下さるとは、願ってもいませんでした」

 両手を広げてピエトロは喜びを示す。サーベラスはいつものように「ふん」と腕を組んだ。

「俺はべつにレジスタンスじゃねえ。ただ、城のやり方が気にくわねえだけだ」

「それならそれで構いません。目的は一緒です」

「調子のいい奴らだな」

 サーベラスはオブラを横目で見た。オブラは知らん顔をしている。

 その時、百合香は壁に貼られた新聞に気が付いた。真ん中に、百合香の写真が載っている。

「ちょっと、その新聞なに!?」

「ああ、これですか。ご心配なく、あなたが死亡したというニュースです」

 ピエトロが読み上げた内容は以下の通りだった。

 

【人間の侵入者、貯水槽の怪物に食われ死亡】

 

 この氷巌城に侵入した愚かな人間の少女は、第1層を通過すること無く死亡が確認された。侵入者は水路奥の貯水槽に棲み着いていた怪物と交戦したと思われ、丁度時を同じくして第1層を視察されていた水晶騎士カンデラ閣下と、同行していた兵士によって、首が千切られた状態を捕食されている様子が目撃されている。

 なお、侵入者によるダメージが大きかったためか、貯水槽の怪物もその後死亡していた事が報告されており、侵入者とともに、由来不明の怪物もまた姿を消す事になった。

 

 この件について皇帝陛下側近のヒムロデ閣下から、侵入者がいなくなった事は城にとって良い報告ではあるが、非常態勢を解いたといえども警戒は怠らぬよう、との通達が全エリアになされた。

 

〈今日の話題〉

 第2層で猫耳ヘルム大流行

 

 現在、第2層の兵士の間で、猫耳をあしらったヘルメットを装備する事が大流行しており…

 

 

「そこはどうでもいい」

 手を上げて百合香のツッコミが入ったところで、ピエトロは読み上げるのをやめた。

「私が死んだ事になってるのね、今も」

「そうです。ちなみに、怪物が百合香さまと交戦したために死んだというのは、我々とディウルナ様による情報操作です」

「そうなの?」

「はい。ついでと言ってはなんですが、バスタードとその直属の氷魔も、怪物の調査に訪れて逆に殺されたという工作を、現在行っております」

 百合香はサーベラスと顔を見合わせたあとで、「呆れた」と溜め息をついて苦笑いした。

「全部あの怪物のせいにしたのね。さすがに可哀想かも」

「汚れ役は我々が引き受けます。百合香さまはお気を煩わす必要はありません」

 それを言われて、百合香は突然何かを思い出したように黙り込んだ。ピエトロが訝しげに顔をのぞく。

「…どうなさいました?」

「いえ…前にもこんなやり取りがあったような気がしたの」

「そんなわけないでしょう」

 ピエトロも、オブラと一緒に首を傾げる。今度はオブラが話を仕切り始めた。

「百合香さま、とにかく今は非常に重要な局面です。このように、百合香さまが第2層に侵入した事がまだバレていない状況で、どう動くかは今後を左右するでしょう」

 もはや軍師じみてきたな、と百合香もサーベラスも思った。

「それで、軍師さまはどう動くのがベストだと思う?」

「…僕の事を言ってるんですか」

「そう」

「肩書きなら、探偵…いや名探偵の方がいいですね」

 どうしてこの猫たちは肩書きだとかにこだわるのだろうか、と百合香は思った。

「じゃあ名探偵オブラさん、ここからどう動くべきだと思う?とりあえず、手近な氷騎士を見つけて叩く?」

「いやいやいや、それは単純すぎます」

「そんなこと言ったって、最終的にはそれをしないといけないんでしょ。それとも、サーベラスみたいなのを見つけて、味方に引き入れる?」

 百合香がそう言うと、オブラとピエトロは頷きあって百合香を向いた。

「百合香さま、まさにそれです」

「え?」

「この層にも、城に対して反旗を翻した勢力、あるいは個体がいるかも知れません。僕は、今のうちに一人でも二人でも、そういった氷魔を見つけて味方につけておくべきだと思います」

 百合香は、オブラの言うことを真剣に受け止めつつも、まだ懐疑的だった。

「そういう氷魔がいるのならいいけど。一人もいない可能性だってあるわよ」

「ですから、まずは調査です。ピエトロ、百合香さまにあれを」

 オブラが何か指示すると、ピエトロは奥の棚から、羽根飾りのついた品物を取り出して百合香に示した。

「百合香さま、これを」

「何これ」

 受け取った百合香は、それが羽根飾りのついたヘッドバンドである事に気付いた。

「これは?」

「つけてみて下さい。大きさを調整します」

 言われるままに、百合香はヘッドバンドを額に装着した。

「ほんの少し左右が緩いかも」

「わかりました。それはあとで調整いたします。ひとまず、その状態で、そのヘアバンドに軽く意識を集中させてみてください」

「なにそれ」

 百合香はオブラとピエトロを交互に見る。なんだかわからないので、百合香は言われた通りに意識を集中させた。

 すると、ヘッドバンド中央に埋め込まれた宝石から青紫の光が広がり、百合香の全身が、まるで氷魔のような青白い色に変わってしまった。

「うわっ!」

 いきなり両手や脚が真っ青になったので、百合香は驚いてのけ反る。

「なにこれ!?」

「変装というほどではありませんが、色を変える魔法です。百合香さまのお姿は何かと目立つので、我々の変身魔法を利用したアクセサリーを、錬金術師のビードロ様に作っていただきました」

「へえー」

 便利だな、と百合香は身体の色を変えたり、元に戻したり繰り返してみた。

「ですが百合香さま、それは単に色を変えるだけのものです。特殊な個体を除けば、氷魔は基本的に人形のような構造なので、百合香さまが普通の氷魔でない事は、簡単にバレる事もあるでしょう。使用に際しては過信されませんように」

 オブラは釘をさすと、装着感の調整のため百合香からヘッドバンドを受け取る。

「さて、ひとまずの方針は決まったわけですが」

「ねえ、そういえばレジスタンスが何人か行方不明になってるんでしょ」

 百合香が持ち出した話題に、ピエトロは反応を見せた。

「そうです。我々としても捜索を続けていますが、この層の氷魔は非常に厄介で、難航しています」

「いったい、どんな奴らなの」

 すると、ピエトロはどう表現すべきか思案する様子を見せてから言った。

「この層にいる氷魔は"女の子"なんです」

 

 

 

 第2層のあるエリアでは、ガドリエル女学園の制服そっくりの姿をした、少女のような氷魔たち6名が、何か手帳より少し大きい板状の物体を手にして廊下を移動していた。

「いないね」

「いないわ」

「いないよね」

「いない」

「どこにもいない」

「どこかしら」

 氷の板から目を離さず、少女氷魔たちはゾロゾロと歩き続けた。一人の氷魔が、板に表示された何かを隣の氷魔に見せる。

「見てこれ可愛くない?」

「あっ、可愛い」

「えーホントだ可愛い」

「うん可愛い」

「やばい可愛い」

「可愛い」

 それは、猫の姿をした氷魔の写真だった。指でスライドすると、次々と似たような写真が現れる。

 すると、板が突然白く点滅発光し、不思議な音が鳴り響いてきた。

「おっ」

 一人の氷魔がそれを耳にあてがう。

「もしもしー」

 電話に出るかのようにそう板に向かって話すと、声が返ってきた。

『こっちにいたよ』

「まじで!?」

『みんなで追い詰めよう』

「らじゃ!!」

 

 ひとつの通路を、一体の少女氷魔が走っていた。細い眼鏡をかけ、長い髪を首の後ろで結っている。

「はあ、はあ、はあ」

 エネルギーを消耗しているのか、その脚には力がない。すると、遠くから多数の足音と、声が聞こえてきた。

『こっちに行った!』

『こっちね!』

『こっちだよ!』

 大勢の足音が、だんだん遠ざかって行くのを確認すると、少女は安堵の吐息をついて、其の場にへたり込んだ。

 少女の手にも、透明な板が握られていたが、そこには何も表示されていなかった。

「魔力切れか」

 恨めしそうに、それを懐にしまう。

「みんなで同じ事言ってて、自分で薄気味悪くならないのかしら」

 溜め息をつくと、近くにあった小部屋に入り、ドアを閉じる。内側から何か呪文のようなものを唱えると、ドアはスッと消え去り、壁と見分けがつかなくなった。

 少女は室内を見渡す。雑然と、不用品のようなものが積まれたり、押し込まれている様子だった。

「あっ」

 少女氷魔は、部屋の隅にあるブックスタンドかイーゼルのような物体を見つけると、さっき懐に入れた板を取り出して立て掛けた。すると、板の右上あたりにポッと黄色いランプがつく。

「助かった」

 そうつぶやくと、少女は壁にもたれて座り込み、板に手をかざす。すると、板の表全面が光り、横長の枠が浮かび上がった。

「あっちは無事かな」

 少女は、枠の中に表示された短い文章を読む。

 

[リベルタ、私たちはなんとか逃げられたから安心して。そっちは大丈夫?]

 

 その一文に、氷魔の少女リベルタは心から安堵し、胸を撫で下ろした。

「良かった」

 リベルタは送られてきたメッセージへの返信を打つ。

 

[私もひとまず隠れてる。ここにいれば大丈夫だから安心して。念のためアイスフォンの通信は一旦切っておく。返信不要。]

 

 送信、と表示されたボタンをポンと押すと、リベルタはアイスフォンと呼ばれる魔法の通信機器をオフにして、暗い物置きの壁にもたれたまま目を閉じた。

「侵入者の女の子、会ってみたかったな…仇は討たないとね」



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新たな出会い

 オブラとピエトロの提案で、まず百合香が休息するための癒しの間を最優先で探す事になった。錬金術師ビードロからは、癒しの間に至るゲート発見のためのシャボンが百合香にも届けられた。

「それじゃ、サーベラス様はとりあえず、このアジトでじっとしてて下さい」

 オブラはそう釘を刺す。が、サーベラスは不満げだった。

「じっとしてるのは性に合わねえ」

「ある意味、百合香さまより目立つ存在なんです。黙っていても出番は回ってきますので、どうか我慢してください」

「けっ、わかったよ。俺はここで留守番しててやる」

 ぼやくサーベラスをよそに、百合香とオブラは通路に出たのだった。

 

「そういえばサーベラスって、どう見てもライオンがモチーフよね」

 通路を歩きながら百合香が言った。

「まあ、そうですね」

「それで、どうして名前がサーベラスなんだろう」

「サーベラスってどういう意味ですか」

「三つ首の地獄の番犬、ケルベロスのことよ。言語の違いで表記と発音が違うだけ」

「えっ、そうなんですか!?」

 今まで全く気にも留めていなかった事をオブラは知らされて、驚愕しているらしかった。

「深く考えてないんじゃないですか。なんか、細かいこと気にしない性格ですし」

「なるほど。語感だけで決めたのかな」

 深く考えていない、で片付けられた元氷騎士はさておき、二人は何もない空間にシャボンを吹きつつ歩探索を続けた。

「あっ、百合香さま。ありました」

 オブラは、自分が見つけましたと精一杯アピールしながら、通路のど真ん中の一点を指さした。そこだけ、シャボンの輝きが弱まっている。氷魔エネルギーの密度が薄い、癒しの間への通行が可能なゲートポイントである。

「もうちょい目立たない場所だと助かるんだけどな」

 癒しの間からこちらに戻ってきた瞬間、パトロール中の氷魔の群れと鉢合わせなんて事もあり得る。ぶつくさ言いながら、百合香は聖剣アグニシオンを向けて意識を集中させた。すると、ドアのような形のゲートが開く。

「私たちは入れないんですよね」

「氷魔と反発するエネルギーだから、触れた瞬間ヤバい事になるかもよ。試してみる?」

 オブラは、ブルブルと首を震わせて後退る。百合香は笑ってゲートに手を触れた。

「じゃ、少し失礼するわ」

「戻ってきたら、例のペンで報せてください。すぐに案内に駆けつけます」

「ありがとう」

 百合香の姿は、だんだんゲートに溶け込んで行った。

「戻るとき、瑠魅香が目覚めてる事を祈っててちょうだい」

 

 

 百合香が戻った癒しの間は相変わらず、白と金を基調とした明るい空間だった。最初は落ち着かないと思ったが、だんだん慣れてしまうものである。

 六角形の部屋の中央にある、やはり六角形の泉の前にあるゲートが、この部屋の出入り口だった。扉から向かって泉の奥側は壁が立ち上がっており、「自称女神」ガドリエルがその手前に、百合香の帰還を待っていたかのようにホログラムの姿で現れていた。

「おかえりなさい、百合香」

「ただいま」

 いつも一緒にいる瑠魅香は、まだ百合香の中で眠りについたままだった。初めてこの空間を訪れた時を、百合香は思い出していた。

「ガドリエル、瑠魅香が今どういう状態なのか、あなたならわかる?」

 百合香は、いま一番知りたいことを訊ねた。ガドリエルからの返答は、いつものように早かった。

「いま、彼女は精神を大きく消耗して、魂にまでそれが及んでいる状況です。危険な状況というわけではありませんが、回復までは時間がかかるでしょう」

「…そう」

「ですが、じき必ず目覚めます。どうか、安心してください」

「ありがとう」

 百合香は、弱々しく微笑んで頷いた。

「ねえ、ガドリエル。いま、妙な事を言ったわよね」

「妙、とは?」

「精神を消耗して、魂に影響が及んでる、って。まるで、魂と精神は別物のような言い方だわ」

 その百合香の疑問に、ガドリエルは少しだけ考える仕草を見せてから答えた。

「人間には、3つの側面があります。霊魂、精神、肉体。それが3つ揃っているのが、百合香、今のあなたです。そのうち、肉体だけが欠けているのが瑠魅香という存在です」

「…ちょっと待って」

 久々に、なんだか難しい話が飛び出した。そういう話は嫌いではない百合香だが、今はそれなりに疲労した状態である。いま言われた内容を、頭の中でいったん整理した。

「…いいわ、続けて」

「はい。瑠魅香や、あなたの用いる数々の魔法や技の源は、魂にあります。しかし、それを実際に形にするためには、精神という側面の活動が不可欠なのです。そして、肉体に限界が来ると精神まで疲労するように、精神が限界を越えた時、魂が影響を受けるのです」

 ガドリエルの説明を、百合香はなんとか頑張って理解してみた。

「つまり、瑠魅香は最後には精神を介在させず、魂から直接魔法を放っていたという事?」

「よく理解しましたね。そのとおりです。そして、それが"魂の消耗"を引き起こしたのです」

「…魂が消耗しきったら、どうなるの」

「魂は決して消滅しません。ですが、あまりにも魂への負荷が大きくなれば、魂もまた打撃を受け、その記憶を維持できなくなります」

 それを聞いて、百合香は背筋が寒くなるのを感じた。それは言ってみれば、魂の死のようなものではないのか。考え込む百合香に、ガドリエルは話を続けた。

「百合香、ちょうどいい機会です…今まで、黙っていた事をお話しします」

「え?」

「瑠魅香から聞いたかも知れませんが、私自身、じつは一部の記憶がない存在です」

 それは、以前百合香が眠っている間に瑠魅香がガドリエルから聞いたという話だった。百合香は頷く。

「ええ、聞いたわ」

「ですが記憶はなくても、氷巌城やあなたの持つ聖剣、アグニシオンなどについての知識はあります。そして、あなたに対する親愛の情も」

「……」

「混乱させるような事を言ってごめんなさい。ただ、私はいくつかの記憶がなくともあなたの味方であると、それだけは揺るがない事実として、伝えておきたいのです」

 それを聞いた百合香は、少し呆れたように笑って答えた。

「今更、そんなこと言わなくても大丈夫よ。あなたのおかげで私はこうして、あの氷の城で戦っても無事でいられる。こうして、安らげる場所もある。それ以上何を求めるというの。感謝してるわ。ありがとう、ガドリエル」

「百合香…ありがとう」

 ガドリエルは、それまで見せた事がないような柔和な笑顔で百合香を見た。しかしその笑顔を見て、百合香はひとつ思い出した事があった。

「…ねえ、ガドリエル」

 百合香は、何度か見た夢の話をガドリエルに伝えた。それは、ここではない、今ではない土地や時代に、自分がやはり同じように聖剣アグニシオンを携えている夢だった。

 

「断定はできません。しかし、それはあなたの過去生が関係している夢かも知れません」

 百合香の話を聞き終えたガドリエルはそう言った。

「過去生!?」

 まさか、と百合香は思った。それでは、自分はあの夢の中の剣士の生まれ変わりだとでも言うのか。

「百合香。夢というのは、非常に曖昧な魂の旅です。過去の出来事が、フィルムに記録された映像のように再現されるわけではありません。見た夢が、そのまま何らかの事実だとは思わない事です」

「…うん」

「ですが、時には非常に真実に近いものが投影される事もあります。あなたが見た夢が、何らかの事実に基づいていた可能性もあるでしょう」

「そうなのかな」

「私は、あなたの過去世についての知識はありませんが、アグニシオンがあなたの魂に封印されているという、その事実だけはなぜか知っていました。今は、限られた知識の中で、出来る事があります」

 その言葉に、百合香は頷く。

「…そうだね。自分が何者かなんてわからないけど」

 百合香は、今も握り続けている黄金の聖剣、アグニシオンの刃の煌めきを見つめる。これまでの激戦の中で、鎧や肉体は傷を負っても、この剣だけは、刃こぼれどころか擦り傷ひとつついていない。

「今、やらなきゃいけない事はわかる。そのための力や備えが、私達にはあるんだ」

 百合香の言葉に、ガドリエルは無言で頷いた。百合香もそれに頷く。

「ありがとう、ガドリエル。これからも、よろしくね」

 

 久しぶりに自分でシャワーを浴びた百合香は、温水が流れ落ちる自分の肌を見ながら、これを瑠魅香も自分の身体として見ていたんだな、と考えた。ひとつの身体を二人で共有するというのも、不思議な感覚である。

 バスルームを出て、冷蔵庫に入っていたよくわからないゼリーを食べる。ガラス容器に入っており、鮮やかなピンク色である。

 口に運ぶと、果物なのか何なのかよくわからないが、爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。こんなゼリーは、今まで味わった事がない。

「…これも、私の意識が生み出したんだろうか」

 不思議な美味しさのゼリーを食べたあと、瑠魅香が苦味で顔を歪めたアイスコーヒーを飲むと、歯を磨いて百合香はさっさとベッドに入った。

 

 眠りについた百合香は、また夢を見た。夢でも、場所は癒しの間である。百合香の目の前には、瑠魅香が立っていた。

『百合香、もうちょい眠らせてね。ごめん』

 瑠魅香は微笑みながらそう言った。ごめんと言いながら、悪びれる様子はない。

『それでね、私が眠っている間に、ひとつ言っておく事がある』

 なんだ、それは。百合香は思ったが、なぜか返事ができない。瑠魅香は言った。

『私が眠ってる間に、浮気したら怒るからね』

 

 

 目が覚めると、百合香は夢に出てきた瑠魅香の言葉を、脳内で繰り返した。

「…浮気って」

 そもそも百合香は、だいぶディープな間柄ではあるものの、瑠魅香と交際している覚えはないし、この氷の城で交際相手が現れるとも思えない。

 考えても仕方ないので、百合香は目覚めのミネラルウォーターを飲むと、制服ではなく黄金の鎧姿に変身した。すでに臨戦態勢である。

「いくよ、瑠魅香」

 眠っている瑠魅香にそう語りかけると、百合香は再び絶対零度の城に続くゲートをくぐった。

 

 

 その頃、同じ氷巌城第2層のあるエリアを進む、ひとつの影があった。百合香たちと別行動を取る、マグショットである。

「…やはり、城が再誕した時に構造も変わっているな。もっとも、前回はこれほど大規模ではなかった事もあるが」

 入り組んだ通路を睨みながら、マグショットは呟いた。

「奴は今回もここにいるはずだ…もっとも、変化の影響を受けて、どんな姿になっているかはわからんが」

 立ち止まり、窓の外を見る。

「これが百合香の住む国か」

 吹雪のなか、眼下にかすかに見える山並みの影をマグショットは眺めていた。

 

 

 氷巌城の通路に戻った百合香は、オブラに言われたとおり、ディウルナから手渡されたレジスタンスへの連絡用のペンで、猫のマークを壁に描いた。耳がついたわかりやすい図案が、青白く浮かび上がる。

「ほんとにこれで通じるのかな」

 オブラ達は胸を張るが、これで相手に連絡が行くなら、世界の通信機器メーカーの技術者が裸足で逃げ出しそうである。

 だが、ほどなくして通路の向こうから、トトトトという足音が聞こえてきた。

「おー、すごい」

 百合香は素直に感心したが、同時に何か違和感を覚えた。オブラ達はそもそも、足音がほとんどしないのだ。といってサーベラスなら、足音はもっとドスドス、ガチャガチャと騒々しい。

 つまり、この足音はレジスタンスでも、サーベラスでもない、他の何者かの足音である。

「ちょうどいい」

 もはや以前とは段違いに肝が座ってきた百合香は、ピエトロから預かった、色だけ氷魔に化ける髪飾りをテストしてみる事にした。

 意識を集中させると、明るい青紫の光が百合香を包み、黄金の鎧も聖剣アグニシオンも、全て青白い氷のような色味に変わってしまった。

「来るか」

 百合香は、足音が近付いてくる方向に剣を向ける。すると、その足音より先に見慣れた影が走ってきた。

「あっ、ゆ、百合香さま!助けて!!」

 その力強いまでに情けないセリフの主は、猫探偵オブラであった。

「どうしたの?」

「氷魔です!」

「下がって」

 百合香はオブラを自分の背後に隠れさせ、剣を構えると氷魔の到来を待った。すると、通路の角から百合香と似た背格好の影が飛び出してきた。

「あっ!」

 その影は、百合香を見るとピタリと立ち止まった。

「百合香さま、あいつが僕を追いかけてくるんです!」

 オブラが指さすその氷魔は、なんとガドリエル女学園の制服デザインの衣装をまとっていた。いや、よく見ると改造してある。何というか、神社の巫女服のようなシルエットに見えなくもない。左手には大きな弓を握っていた。細い眼鏡にポニーテールと、なんだか特殊な性癖の人が興奮しそうなイメージである。

「あなた、誰?」

 百合香は、自分が言おうとしたセリフをそのポニーテール氷魔に先取りされた。

「そっ…それはこっちのセリフよ」

「見ない顔ね。もっとも、このフロアの全員の顔なんて知らないけど」

 どうやら、変装は効いているらしかった。氷魔は続けて訊ねる。

「一人なの?わたしはリベルタ。あなたは?」

「ゆっ、百合香」

「えっ!?」

 リベルタと名乗った少女氷魔は、目を丸くして驚いた。

「ちょっと待って、そういえばその姿…どうして、制服を着てないの」

「あっ、いやそのこれは…」

 まずい。咄嗟の演技など、演劇部でもない百合香にできるわけがない。

「あなた、なぜこの子を追っていたの」

 話を誤魔化す目論見もあり、百合香は脚の陰に隠れているオブラを示した。リベルタは答える。

「捕まるからよ、放っておけば」

「えっ?」

「その子、レジスタンスでしょ。ふうん、あなたもレジスタンスの仲間か。だったら少なくとも、私の敵じゃないって事ね」

「あなた、いったい――――」

 百合香が訊ねようとした時、通路の奥から多数の足音が聞こえてきた。

「まずい!逃げるよ」

「えっ!?」

「早く!」

 そう言ってリ