絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】 (ミカ塚原)
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氷巌城突入篇
プロローグ


 私は、熱を失った。

 

 古びた体育館に響く、シューズの擦れる音。弾むボールの音。ぶつかる肩、足と汗の匂い。パスを求める南先輩の声。南先輩の揺れるショートヘア。南先輩の頬を伝って落ちる汗。

 

 全てがもう、遠い日の幻に思えた。

 

 幻なら、その方がいい。現実だというなら、私のこれまでやってきた事は何だったというのか。私はこれから、どうなるのか。

 

 それとも、私にはまだ、熱が残されているのだろうか。

 

 

絶対零度女学園

-プロローグ-

 

 

 それが起きたのは、梅雨が明けて期末考査が終わり、少女たちが起こりもしない夏休みのロマンスを思い描いている頃の事だった。

 

 先に断っておくと、その事件の被害に遭った三人には大変申し訳ない事ながら、私はその時自分の心を宥めることに全精力を注ぎ込んでおり、他の生徒と同様に同情を寄せていた、と言い切れる自信はない。ごめん。

 

 

 私の通う女子高は、私立ガドリエル女学園という。市街地から微妙に外れた山の間にあり、駅まで遠いとも近いとも言えない、バスで通うにも同様の、もう少しだけマシな場所に建てられなかったのか、という立地である。

 にもかかわらず、制服が古風なワンピースで可愛いとか、それなりに進学率、就職率が安定しているとかの理由で、一定の人気はあった。

 

 私が入学した理由?あとで話す(今は話したくない)。

 

 ともかく、それはある日の放課後に起きた。それが知れ渡った切っ掛けは、どの字を持ってくれば表記できるのか悩むような、生徒の絶叫であった。

 

「◆◆◆◆◆――――!!!!!」

 

 おそらく全国の中学・高校でおなじみの、放課後のブラバンの演奏をシャットアウトするかのように、金切り声が響き渡る。

 ブラバンや軽音楽部など一部例外を除いて、あらかたの部活動や委員会の生徒、教師、用務員たちが、その絶叫の中心地と思われる聖堂に集まってきた。一番最初に来なければならない警備員が、一番遅れて到着したのは言わないでおく。

 

  

 聖堂の前に集まったほぼ全員が、絶句していた。

 聖堂の前庭には、ささやかながらちょっとしたバラ園がある。そのバラの植え込みの通路に、園芸鋏を持った生徒が三人、倒れていた。

 すぐさま駆け寄って安否を確認すべきだと誰もが思ったものの、それを阻む光景が目の前にはあった。

 

 凍結している。

 

 芝生が、バラが、そして倒れた生徒が。傍目に見てもそうだとわかる。その異常な光景に、誰もが行動に移るのをためらった。

 しかし、さすがに絶句ばかりしてもいられない。数名の保健委員が倒れている生徒に駆け寄って、肩を揺すった。

「ちょっと、大丈夫!?」

 そうして、肩や腰に手を当てた生徒が声を出してその手を引っ込めた。

「ひっ!」

 その生徒の反応に、見守っていた全員がつられて仰け反った。

 そこで、警備員が生徒を押しのけて倒れている生徒の容態を確認した。遅れて到着しても、そこはさすがにプロである。

 警備員は即座に無線を取り出して、救急車の手配をした。そして振り向くと、

「お湯とタオルを早く!大量に!」

 と、生徒や教師に向かって叫び、自身は上着を脱いで、生徒の上半身に抱き着いた。そこだけ見れば警察を呼ぶべき光景だが、生徒の冷えた身体を温めるための行動だという事はその場の誰もが理解した。

 

 かくして突然フル稼働を強いられたガス給湯器から、保温ポットやバケツにお湯が溜められ、救急車の到着まで、凍結して倒れていた生徒三名の看護が行われた。

 

 仔細を解説しても仕方ないのでかいつまんで言うと、化学の先生いわく、倒れていた生徒たちは「突然局所的に起こった原因不明の氷結現象によって、極度の低体温にさせられた」のだそうだ。

 運ばれた病院からの連絡では、一命は取り留めたものの、あと一歩で命を落とす非常に危険な状態だったという。

 

 

 以上のあらましを私が聞いたのは、翌日登校してからだった。その様子を見ていたというクラスメイトは、興奮して私に説明した。倒れていたのは環境整備委員との事で、植え込みのバラはその「寒波」で全滅したという。

 化学の先生いわく、そんな現象がせいぜい数メートルの範囲で起こるなどあり得ないらしかった。しかも今は、もうじき夏が本番という時期である。

 

 以上の出来事を聞いて、私もそれなりには驚いた。しかし、それ以上の感情は特になかった、というのが正直な所である。

 

「反応薄くない?」

 ひとしきり説明を終えた、クラスメイトの吉沢さんは眼鏡の奥から私を見た。

「ごめんなさい。驚いて言葉が出ないの」

「そっか。そうだよね」

 咄嗟に取り繕ったが、吉沢さんは納得してくれたようである。

「でも、百合香だっていたんでしょ、体育館に―――あっ」

 そこまで言って、吉沢さんは口をつぐむ。

「ご、ごめんなさい」

 本当に申し訳なさそうに頭を下げる吉沢さんに、私は笑って答えた。

「気にしないで」

「ごめんなさい」

「大丈夫だから。気にしないで」

 私は、本当にそう思っただけの言葉を繰り返して伝えた。

 

 昼休み、自販機にコーヒーを買いに渡り廊下を歩いていると、向こうから三年生の二人組が歩いてきた。一人は、ゆるい天然のウェーブがかった髪が特徴的で、何度も会っているけれど名前を知らない先輩。そしてもう一人は。

「百合香」

 そう私を呼ぶ、ショートカットで切れ長の涼し気な目をした相変わらずの美人は、榴ヶ岡南先輩だった。

「今日は大丈夫なの」

 そう言って私の前に立ち止まると、南先輩はクラスメイトらしき人に「先に行ってて」と伝えた。その人が立ち去るのを待って私は答える。

「はい。ふつうに生活する分には、特に不自由はありませんから」

「…お医者様は何て言ってるの」

 言葉を詰まらせながらも、先輩はストレートに訊いてくる。私は答える。

「肺が良くならないうちは、激しい運動は厳禁だそうです」

「…そう」

 何とも言えない落胆の表情を、先輩は私に向けた。それは有り難くもあり、辛くもあった。

「治る見込みがないわけではないそうです。でも」

 そこまで言って、私は言葉を詰まらせながら、頑張って続ける。

「…何にしても時間はかかる、と」

 それを聞く先輩も辛いのはわかった。先輩と同じ時間を僅かでも共有できる事が私には嬉しい事でもあり、今はまた辛い事でもある。

「わかった」

 それだけ言うと、先輩は私の肩をポンと叩いた。

「百合香。無茶苦茶言うな、って怒鳴ってもいいから、これだけ言わせて」

 先輩が、グレーがかった透き通った目を私に真っ直ぐ向ける。

「たとえこの夏の大会が絶望的だとしても、私はあなたにバスケットをやめて欲しくない。必ず治して、コートに戻ってきて」

 それだけを言うと、南先輩はコンクリート打ちの床を鳴らして、足早にその場を通り過ぎて行った。

 取り残された私は、まだ先輩の手の熱さが残る肩を触って、ひとり呟いた。

「…無茶苦茶言うんだから」

 苦い笑みを浮かべて、私は再びコーヒーを買いに自販機へと向かった。

 

 その時、渡り廊下の西側の窓に、ひとつの人影が映ったように思った。私と同じくらい、髪の長い人だ。服装はよくわからない。

 振り向くと、そこには誰もいなかった。

「気のせいか」

 あるいは、自分が映ったのを他の誰かだと勘違いしたのだろう。

 

 誰もいなくなった渡り廊下に、私の足音だけが静かに響いた。

 

 私は―――江藤百合香は、再び歩き出す。

 

 



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極光

 謎の凍結事件が起きた学園の聖堂前の現場にはその後、警察や消防などの人達が呼ばれて、何日かは物々しい雰囲気だった。白衣を着た、研究員みたいな人達の姿も見えた。

 

 しかし人間というのは、どんな大事件も日常生活の中では、忘れないまでも関心は維持できないものである。

「百合香、デザインの課題終わった?」

 登校した朝、教室に入って来るなり吉沢さんは百合香の所へやって来た。

「うん。もう提出した」

 百合香は答える。

「うげー、さすが才媛だわ」

「その呼び方やめてくれる」

 眉間にシワを寄せて百合香は言った。自分より学業の成績がいい生徒は何人もいる。どうにか優秀グループに属してはいるらしいが、べつにトップではない。

 

 百合香がガドリエル女学園の普通科、キャリア・アスリートコースを選んだのは、小学校から続けてきたバスケットボールのためだった。ガドリエルは強豪の一角であり、かつてはオリンピック出場を果たした選手も輩出している。

 中学ではチーム全体がやや弱かったせいで実力に見合う結果を出せなかったが、江藤百合香という少女の実力は教育の体育系界隈ではそこそこ知られていた。

 

 入学して、予定調和のようにバスケットボール部の入部届にサインをすると、百合香はさっそくその実力を発揮した。ここ数年、地区大会で他校に遅れを取っていたガドリエルに「ガソリン」が注入された、とも評された。昨年は、1年生ながら上級生とともに県予選、ブロック大会に出場し、シューティングガード、そしてセンターを務め勝利し、相手校のコーチを驚かせた。

 

 百合香は、決して驕る人間ではないが、私はこのままバスケットボールの道を駆け上がって行くのだ、という自信と目標を確固たるものにした。

 

 今年、2年の春までは。

 

「特殊なウイルス性肺炎の後遺症によるものです」

 ある日、病院の先生は、診察室で付き添いの母親と百合香にそう言った。

 百合香は2年になってすぐの大会が終わったあと、感染症による肺炎に罹ったのだ。走ると呼吸が乱れ、すぐに息を切らして胸に激痛が走る。当然、部活には出ていない。

「普通に生活している分には、そこまで深刻な事はないでしょうが…」

 先生は、そこで気まずそうに一旦言葉を切る。

「回復するまで、激しい運動は厳禁です」

 その言葉は、百合香を奈落の底に突き落とすに十分すぎた。即座に先生に訊ねる。

「6月の大会は」

「駄目です。絶対に。そして、あなたには受け容れ難いとは思いますが、この肺炎の後遺症は、何年も続く例もあります」

 

 私は、診察室に崩れ落ちた。つまり、もう高校でのバスケットボールは事実上、終わったも同然ということだ。脈を診る看護師の声が遠く聞こえた。

 

 一生分と思える涙をその夜流し、そして朝を迎えると、それまで辿ってきた道の先が、突然崩落している事を改めて実感した。

 

 これから、何をすればいいのだろう。

 

 憧れていた南先輩が自分にかけてくれていた期待も、裏切る事になる。

 

 存在する意味とは何だろう。

 

 突然に襲ってきた虚無感に、百合香は戦慄した。

 何とかという有名なタイトルの、そこらのスーパーで大根を選んでいそうなオバサンが表紙で微笑む、スピリチュアルの本を読んでみた。あなたはありのままで幸せなのです、とある。肺炎の後遺症を抱えている自分は幸せであるらしい。

 自分に起きる出来事は全て自分自身が創造している、自分自身の責任だという人もいた。私はうっかり肺炎を創造したらしい。

 

 

 ともかく、百合香には今の所、何もなくなった。だから、吉沢さんのように楽しそうに近寄ってくる人が不思議に思えた。成績がトップなわけでもないし、バスケットという活躍の場を失った自分に、何の用があるのだろう、と百合香は本気で思っていた。

 その点、南先輩は容赦がないほど明快だ。治るかどうかわからない病気を治して、さっさとコートに戻れ、という。百合香は、南先輩の日本刀のような鋭さが好きだった。

 

「ねえ百合香さん、頼みがあるんだけど」

人が物思いにふけっている所に、吉沢さんもまた彼女なりに容赦なく踏み込んでくる。

「何かしら」

「あのね、文芸部で今度、ミステリの短編をまとめた本を作るの。それでその前に、百合香さんに全員の作品を読んで欲しいのよね」

 一見するとフワフワした印象の吉沢さんは、実のところ押しが強い。真綿を笑顔で押し付けてくるような怖さがある。

「…何作品あるの」

 一応、そう訊ねる。吉沢さんは笑顔で答えた。

「えーとね、8作品ある」

 そこそこ多い。

「トータル60万字くらいかな」

「多い!」

 つい百合香もツッコミを入れざるを得ない。周りの生徒たちが何事かと二人を見る。

「…なんで私が」

「百合香さん、読書家でしょ?いつも難しそうな本、読んでるじゃない」

 確かに、百合香は何かの合間に文庫本を開く事が多い。傍から見れば読書家なのかも知れないが、ミステリは実のところ、それほど読まないのだった。

「他にもっと適当な人がいるんじゃなくて」

 それとなく断ってみるものの、吉沢さんは譲らない。

「百合香さんは何考えてるかわからないミステリアスな所がある。ミステリの感想を求めるにはピッタリでしょ」

 その評価が正しいのかどうか、百合香にはわからない。ため息をついて、百合香は小さく笑った。

「わかったわ。原稿のデータがあるなら、私のスマホに送っておいて」

「やった!」

 ウサギのように吉沢さんは小躍りして喜んだ。その時百合香は、人はそれぞれ情熱を燃やしている事があるのだな、と改めて実感したのだった。

 どのみち、今はやる事がない。それなら、誰かの役に立つのも悪くはない、と百合香は思った。

 

 

 その日は空気が乾いて、まるで秋のような日だった。ともすれば肌寒いほどで、蒸し暑い梅雨のあいだ稼働していた校内のエアコンも、久々の休息を許された。寒がりで有名な高齢の英語教師は、ベストを着込んで授業をしていた。

 

 やがて放課後になると、百合香の机の周りにまたもクラスメイト達が、数名集まってきた。何やら、意を決したような表情である。

「江藤さん、失礼だけれど放課後、お暇?」

 進み出たミディアムヘアの生徒の手には何か、小さなチケットが握られている。百合香は申し訳なさそうに答えた。

「えっと…ごめんなさい、今日は病院に行かなければならない日なの」

 全員の顔を見渡して、百合香は答える。

「そっかー。残念」

「百合香さん、ライブハウスとか興味ないわよね」

 そう訊かれて、百合香は訊き返す。

「ライブハウス?」

「女子高の軽音部が対バンするライブがあるの。その…百合香さん、意外にも海外のロックが好きって聞いたから」

 百合香はぎくりと背筋を伸ばした。どこから洩れたのだ。特に理由はないが、吉沢さんとか、南先輩とか、ごく一部の親しい人にしか趣味の事は話していない。そういえばこの面子は、軽音楽部の人間たちだ。

「…誰に聞いたの」

「やっぱり、ホントなんだ!ねえ、何を聴くの?」

「秘密よ」

 なんで秘密にしなくてはならないのか自分でもわからないが、百合香はスマホに入っている「Rock」というflacファイルのフォルダを開いてみせた。ちなみに、256GBのメモリーカードの半分以上がメタル、プログレで埋まっている。「渋すぎる」「やべえ」「ガチの玄人だ」と、軽音楽部の面子は口々に唸った。

 

 部活を離れて、こうした予想外の方向からのコミュニケーションが起きることに百合香は軽く驚き、そして何となく居心地の良さも覚えていた。

 そして、その居心地の良さにいつか慣れきってしまい、それまでの夢が薄れてしまうのではないか、とも。

 

 そんな事を考えた時、百合香は不意に胸に痛みを覚えた。

「ごほん」

 百合香が小さく咳き込むと、面々が焦ったようにどよめいた。

「江藤さん!」

「大丈夫」

 背中を支え、擦ってくれる。しかし、この程度の事は時々あるのだ。

「ごめんなさい、ありがとう。どのみち今日は病院の日だから、そろそろ失礼するわね」

 心配をかけないように、凛とした所作で立ち上がると、百合香は鞄を取って挨拶をした。

「それでは、ごきげんよう。また来週お会いしましょう」

 才媛、で通っているらしい百合香は、その二つ名を裏切らないよう精一杯努めた。

 

 だが、一礼して顔を上げたとき、百合香は一瞬硬直した。

 

 教室の窓ガラスに、人影が映っている。自分とよく似たシルエットの少女だった。

 それはすぐに動いて消えてしまったが、渡り廊下で感じた時と同じ人影だった。細かい顔立ちまではわからないが、まるで自分を見ているような不気味さがあった。

 

 咄嗟に、その人影が見えた位置を振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。

「どうしたの?」

 軽音楽部の一人が怪訝そうに訊ねる。百合香はその場を取り繕うために、なんとか平静を保ってみせた。

「な…何でもないわ、気のせいだったみたい、ごきげんよう」

 若干顔を引きつらせながら、百合香は教室を足早に立ち去った。

 

 再びの出来事を気にしつつ昇降口を出ると、白衣を着た大学の研究チームといった風情の一団とすれ違った。よくわからない機材を抱えている人もいた。おそらく、例の凍結事件の現場を調査していたのだろう。

『マイクロバーストの一種でしょうか』

『いくら何でも局地的すぎる』

『詳しい解析はまだですが、地中深くに正体不明の低温反応が…』

『下水管か何かじゃないのか』

 何やら専門的で、女子高生にはわからない会話が聞こえた。

 そういえば、あの凍結していた生徒たちはどうなったのだろう。ひとまず命に別状はない、という話だった。ひょっとしたら、百合香が通う病院に入院しているかも知れない。

 

 すると、白衣の人達が歩き去ったあとから、教師たちが数名歩いてきた。ボリュームがある天然パーマの男性数学教師が、腕組みしてしぶい顔をしている。

「何なんですか、あの人達。生徒が倒れたっていうのに」

「興味本位って感じですよね」

 30代前半、前髪を2つにわけたミディアムショートの女性教師が同意する。顔は知っているが、接点が無いので名前を知らない。彼女の口ぶりからするとどうもあの調査チームは、調査の過程であまり感心できない態度だった、という事らしい。

 女性教師は、ため息をついて何気なくあたりを見回した。百合香と一瞬目が合うと、何か意外そうな顔をする。

 何だろう、と思っていると、すぐ顔をそむけて、何やら今後の対応を他の教師たちと話しながら歩いて行った。小さく「彼女ですよね、バスケ部の…」と聞こえる。百合香の事は、やはり教師陣の間でも話題になるらしかった。あまりいい気分ではない。

 

 そして生徒の中には、百合香がバスケットボール部のヒーローの座から病で転落した事を喜び、嘲る者さえいる。才能、実力がある者には、必ず妬み、脚を引っ張る集団が現れるものである。実際、聞こえるように「いい気味だわ」と言われた事もある。

 しかし百合香は元々、そんな器の小さな集団など歯牙にもかけない豪胆さを備えていた。身体を患ってもそれは変わらない。

 

 百合香は校門を出ると、バス停に向かって歩き出した。ブラバンの演奏が聴こえる。体育館の方を見ないように、ゆるい坂を下った。

 その時、百合香はまたも硬直して立ち止まった。

 

 誰かの声が聞こえたのだ。

 

 気のせいではない。百合香は再び周囲を見回したが、今度はガラス等は見当たらない。

 

 すると。

 

『急いで』

 

 百合香の脳裏に、女性の声が聞こえた。少し大人のような声色だ。

 

 誰だろう、と周囲を見渡す。しかし、どこにも誰もいない。

 そのとき、百合香はおかしな事に気が付いた。

 

 いくら都市部から少し離れているとはいえ、あまりにも人や車の気配がなさすぎる。いちおうは政令指定都市である。

 その時、またしても声が聞こえた。

 

『立ち止まっては駄目』

 

 同じ女性の声だ。さすがに、これは「普通の声」ではない、と百合香も感じ始めた。だが、心霊現象は生まれてこの方体験した事がない。病気をきっかけにそういう能力に目覚める事もある、という話を雑誌で読んだ事はあるが。

 言われなくても怖いので、百合香はバス停に人がいる事を信じて、その場を早足で立ち去った。

 

 

 第二体育館では、8月の2回の大会に向けて、ガドリエル学園バスケットボール部が練習に励んでいた。

「ドリブル遅い!!」

 榴ヶ岡南の甲高い声が、体育館の鉄骨に響く。

「西崎!パス迷いすぎ!」

 次の大会で三年生は引退となる事もあり、南もつい指導に熱が入ってしまう。だが、理由がそれだけでない事は部員の誰もがわかっていた。

 

 江藤百合香がいない。

 

 病気で休養していなければ、すでに南の後を継いで、満場一致で百合香が部長に任命されている筈だった。

 

 南が、百合香に並々ならない気持ちを寄せていた事は、誰の目にも明らかだった。その百合香と共に引退試合に臨めない南の心境は、誰にも推し量る事ができない。

 そして現実的な事を言うと、百合香の戦力を欠いたチームが、大会でどこまで行けるか、という不安もあった。

 

「百合香」

 つい、その名を口にする自分を叱るように、南は頭を振った。

 一人の戦力に頼らなくては勝てないようなチームでは、もし万が一にも百合香が復帰できた時に申し訳が立たない。百合香なしで、勝てる所まで勝つ。それが彼女への礼儀だと、南は思った。

 

 それはそれとして、なんて寒い日だと南は思った。梅雨が去って湿気が後退したのはわかるが、この時期にこれほど気温は下がるものだろうか。

「集合―――」

 南がコートに声をかける。汗を垂らした面々が、疲労した腕や脚を引きずって集まった。

「今日はこれで終わる。この低い気温で汗かいたら、体調を崩しかねないからね。明日明後日、大会前に最後の休養をしっかり取ること」

「は――い」

「帰る前に汗ちゃんと拭いてね。全員、万全の状態で大会に臨むこと。悔いなく――百合香のぶんまで、あたし達が戦うんだ。いいね。解散!」

 ありがとうございました、と甲高い輪唱が響いて、面々は用具の片付けを始めた。

「百合香、百合香って」

 呆れたように、黒いジャージを着た顧問の笹丘先生が南に歩み寄った。

「まあ、気持ちはわかるけど。みんな、あの子を主力だと思ってたからね」

「あたしも反省してます。一人に頼るようなチームじゃいけない」

 ボールを拾いながら言う南に、笹丘先生は諭すように言った。

「気合い入れるのはいいけど、エンジンはオーバーヒートすれば止まるんだよ。タイヤに負荷をかければパンクする」

「車は詳しくありません」

「あっそ」

 言っても無駄ね、と笹丘先生は笑ってその場を立ち去った。

「どうせ次で引退なんだ」

 最後に全力を出して何が悪い。南は、睨むように窓の外を見た。

 

 その時、南は空に異様なものを見た。

 

「!?」

 それは、テレビや写真でしか見たことのない光景だった。虹色の光が、カーテンのように空を覆っていた。科学、物理は苦手な南でも、それが何なのかは知っている。

 

「オーロラだ…」

 

 それが日本の本州で、しかも夏に現れる事はあるのだろうか。百合香は妙な雑学を知っているから、訊けばわかるだろうか。

 自分の名前と同じ、南の空に浮かぶオーロラを驚愕の目で南は見た。



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氷の城

 その異変に、百合香も気付いていた。トタン張りの待合室があるバス停に辿り着き、南の空を見ると、生まれて初めて肉眼で目にする、オーロラがあった。

 

 何かがおかしい。

 

 百合香は思った。バスケから離れて以来ずっと気落ちしていて、周りの事などどうでも良かった自分だが、さすがにこれだけ異常な現象が続くと、否が応でも関心を持たざるを得なくなる。

 

 うろ覚えだが日本でも歴史上、オーロラが観測された事例はあったらしい。それも、真冬などではない。スマホでサーチすれば今すぐわかるだろうが、さらに驚く事が起きた。

 

「…うそでしょ」

 

 白いフワフワしたものが空から無数に舞い降りて、アスファルトや百合香の髪を覆い始めた。雪だった。

 日本で夏に雪が降る事例は、北海道とか富士山の何合目以上とか特別な条件下の話であって、降雪地帯ではあっても豪雪はほとんどないこの地方で、いま雪が降る筈がない。

 

 百合香はスマホを取り出して、SNSのタイムラインを覗いてみた。この異常気象の話題が流れているはずだ。

 そう思ったが、アプリには「情報を更新できません」とあり、何分か前の状態からタイムラインは固まったままである。さっき見た、頭がおかしいレベルのキャラ弁の投稿がトップに居座ったままだった。

 

 電波が来ていない。

 

 スマホがなくなったら人間は生きて行けるのだろうか。スマホがない時代の人間はどうやって生きていたのだろう。

 いや、落ち着け。たまたま異常気象で、通信障害が起こる事くらい、レアケースではあっても有り得る話だ。待っていればバスは来る。たぶん。

 

 

 百合香が後にした校舎内では、ちょっとしたパニックが起きていた。

「繋がってないね」

 パソコン部の顧問が、部員とディスプレイを睨んでいた。インターネットの通信が全校で切れているのだ。

 

 そして、もっと根本的な問題が起きた。停電である。

「ひゃあ!」

 文芸部の部室でミステリ短編「きなこもち殺人事件」の推敲をしていた吉沢菫は、突然真っ黒になったディスプレイを前に驚き、そして修正後の保存をかけていたかどうか不安になって叫んだ。

「みんな生きてる!?」

「落ち着いてください、部長」

 後輩が、冷静に壁のスイッチをオン・オフして、停電らしい事を確認していた。

「どうやらこの館は孤立してしまったようですね」

「お前が落ち着け」

 もう一人の1年生が、背後から冷静にツッコミを入れる。

「これはアリバイ工作でしょう。ブレーカーを落としたのは犯人です」

「みんな落ち着いて!」

 菫がバンと机を叩く。冷静な人間が一人もいない文芸部は、もう今日はこれで営業終了かなと思い始めた。

 そして、小説執筆に集中していた面々は、窓の外で起きている事にやっと気付いたようだった。

「…なにこれ」

「アリバイ工作にしては大掛かりですね」

 窓の外は、真っ白な雪景色になっていた。

「さむっ」

「夏の雪。これは小説のネタにできますよ、部長」

 天変地異も文芸部員にとっては、小説の題材でしかないようだ。もう少し驚くとか何とかないのか。物書きってどこかおかしいよな、と自分を棚に上げつつ、菫はようやく落ち着いて、持ち物の整理を始めた。

「今日はこれでおしまい。各自原稿を推敲して、終わったら私の自宅パソコンにメールしてちょうだい。今日来てない面子にもLINEしとこう」

 そこでスマホを開いて、文芸部も電波が切れている事に気付いたのだった。

「やばいんじゃないの、これ。停電に通信障害とか。早いうちに帰ろう」

 パソコンからUSBメモリを抜くなど、各自後片付けをしながら、この現象について雑談を始めた。

「この雪というか寒冷化の前に、謎の凍結事件が起きたのは偶然なんでしょうか」

 ポニーテールに眼鏡の1年生がぽつりと言った。

「確かに。ちょっと偶然にしてはおかしいわね」

 菫は、先日の事件を思い起こしていた。生徒が倒れただけでなく、聖堂前のバラの植え込みが、冷気で全滅してしまったのだ。

「何か、動かしてはいけない石とかを動かしたせいで呪いが発動したのでは」

「いつの時代の伝奇もの?」

 菫は、そういえばこいつ80年代の伝奇小説とかアニメとか好きだったな、と思い起こしていた。自宅の本棚には菊地秀行コーナーがあったはずだ。

「そういえば、この学園じたい、そこそこミステリアスなんですよね」

 もう一人の、ロングストレートに眼鏡の1年生が言う。今の所、部室内は眼鏡着用率100パーセントである。

「ミステリアスって?」

「校名のガドリエルって、堕天使の名前ですよ。有名でないわりに、いちおうリーダー格です」

「そうなの?」

 そういえばこいつ、宗教色の濃いハードコアなファンタジーが好きだったなと菫は思い起こしていた。自宅の本棚にはラヴクラフトコーナーがあったはずだ。

「そうです。たしか、イヴをそそのかした蛇のとばっちりで、責任取らされた堕天使です」

「損な性分の中間管理職だな」

「その堕天使の名前がついた学校で、凍結とか雪とかの事件が起きるって、どういう事でしょう」

 その場にいる三人は、うーんと唸った。三人とも小説家志望であり、脳内でこれを題材に物語が作れやしないか、と考え始めた時だった。

 ドタバタと、廊下を走る音がする。

『残っている生徒はすぐに退校しなさい!急いで!!』

 皮下脂肪多めの中年体育教師の声だ。停電で校内放送が使えないため、教員が手分けして走り回っているのだろう。

「やばそうね」

「帰りましょう」

「そうしましょう」

 眼鏡の文芸部員たちは、頷き合ってクラブハウスを出ることにした。

 

 扉に手をかけた、その瞬間だった。視界の全てが、青紫がかった光に覆われた。

 

 

 

 雪が降り止まない。すでに2センチほど積もっているが、だいぶ軽めの雪のようだ。百合香は、あまり入りたくなかった古いトタン張りの待合室に、雪を避けられるぶんだけ身体を入れる事にした。

 相変わらずスマホのアンテナは立っていない。そして困ったことに、バスが来ない。

「参ったな」

 雪のせいだろうか。ちょっと歩く事になるが、仕方ないので駅まで行って電車で帰る事にした。バスも夏場に雪用タイヤは履いていないのかも知れない。

 そうして、待合室を出た瞬間だった。

 

 ブワッと、何か光の波のようなものが空間全体を走った。青紫っぽい光だ。

「?」

 百合香の背筋に悪寒のようなものが走る。それと同時に、大きな地鳴りが起こった。

「うわっ!」

 慌てて百合香は、頼りない細い角材の柱に掴まった。トタンに貼られた、大昔のレトルトカレー広告のおばちゃんと目が合った。

 地鳴りは、体感では3分くらい続いたように感じられた。だいぶ長く、待合室にひとり佇む女子高生には怖い時間である。百合香は無意識に、南先輩が握った肩に手を触れた。

 地鳴りが収まると、百合香はほっとして周囲を見た。

 

 さっきまで降り続いていた雪が、ぱたりと止んでいる。

「…終わったのかな」

 雪が止んだので、視界も元に戻った。降りてきた坂道が見渡せる。

 そうして坂道の上を見た時、百合香は絶句した。

 

 絶句、という言葉の意味を、百合香は身を持って体験する事になった。

 

 ちょうど、学校があるあたりだ。坂を下ると、斜面や木々に遮られて学校は見えなくなる。

 はずなのだが、今はそこに巨大な影が見える。

 

 

「なにあれ」

 

 

 ようやく出てきた一言ののち、百合香は全力で冷静さを保ち、それが何なのかを理解しようとした。

 

 城だった。

 

 それも、西洋ふうの城だ。

 

 学校の敷地があるあたりに、巨大な西洋ふうの城が鎮座している。

 いや、形は確かにそうなのだが、問題は大きさである。距離感がわからないが、どう見てもガドリエル学園の敷地より大きい。

 むろん、高さも半端ではない。隣にないので比較できないが、少なくとも東京タワーよりは高いのではないか。

 

 あまりにも思考の許容量をオーバーした現実に、百合香はこれが現実かどうか判断する方法はないかと考えた。

 しかし、次に思い至った不安が、他の全ての疑問を吹き飛ばした。

 

 あれが校舎の上にあるというなら、校舎はどうなったのか。

 さっき起こった地鳴りは、あの巨大な城と無関係なはずがない。ということは。

 

 最悪の事態を想像して、百合香は戦慄し、下ってきた道を再び校舎に向かって駆け出した。

 しかし、少し走ったところで肺が悲鳴を上げ、百合香はその場にひどく咳き込んで膝をついてしまった。

「げほっ、げほん!」

 情けない。ほんの何ヶ月か前には、私はバスケットボールを突いて、誰よりも速くコートを駆けていたのだ。胸の痛みとともに、枯れたと思っていた涙が流れてきた。

 

 校舎はどうなったのだ。南先輩は。吉沢さんは。クラスメイトのみんなは。そして、なぜ自分はその時、校舎から離れていたのか。

 

 その時、百合香は自分を急き立てた、あの謎の声を思い出した。

 確かにあの声は、私を校舎から早く遠ざかるように促していた。まるで、この事態を予測していたかのように。

 

 様々な思考が百合香の頭に渦巻いた、次の瞬間だった。それは視界の中を、こちらに向かって歩いてきた。

 百合香は、いよいよ自分の頭がおかしくなったのではないか、と思い始めた。

 

 それは、たぶんゲームか何かでしか見たことがないような存在だった。

 人の姿をしている。正確に言うと、頭と四肢、手指がある点で、人の姿をしている。しかし、どう見ても人では―――否、生物ではない。

 

 動く人間大の、透明な石の人形であった。

 

「ひっ」

 百合香は、声を失ってその場を動けずにいた。その人形は、西洋ふうの甲冑に見えなくもないが、もう少しシャープであちこちが尖ったデザインをしていた。頭は鳥のクチバシのように前方に突き出している。指は人間と同じ五本だが、大昔の映画のジョニー・デップのように爪が突き出している。刺されたらたぶん死ぬだろう。

 

 それが、百合香に向かってゆっくりと歩いてくる。どう見ても、助けにきてくれた人には見えない。恐怖で足が竦んでいるうえ、肺に無理をしたせいで呼吸がまともにできない。

 しかし、逃げないわけには行かない。百合香は、バス停から坂下に向かって、できる限りの歩速で逃げる事にした。登って逃げるのは、体力的にリスクが大きすぎる。

 

 人形の歩速は、百合香よりも少し遅かった。

「はっ、はっ」

 誰か来てくれ、砂利を満載したトラックが通りかかってこの化け物を跳ね飛ばしてくれ、と百合香は心から願った。しかし、どれほど歩いても、軽トラックの一台も走ってくる気配はない。

 人形は執拗に百合香を追ってくる。タイム差をつけられても、トップを走るマシンにトラブルが起きる事を期待して走る2番手のF1ドライバーのように。

 

「うっ」

 弱々しい声と共に、百合香はついに胸に限界がきて、コンクリートの法面に手をついて倒れ込んだ。

 人形は、確実に近付いてくる。コツリ、コツリという足音が大きくなる。これは、もうたぶん助からないだろうな、と百合香は、自分の状況を冷静に分析できる自分にむしろ驚いていた。死ぬ寸前、人間はこうも冷静になれるものらしい。

 

 その人形はゆっくりと百合香に近付くと、透明な青紫色に輝く右腕の爪を高く掲げた。

 

 それが、百合香に向かって振り降ろされようとした、その時だった。

 

 

『心の炎を絶やしては駄目、百合香』

 

 

 あの、女の人の声だった。

 

 次の瞬間、百合香はその日の何度目かの驚愕を体験していた。

 

 

『キィエエェェ!!!』

 

 鳥とも何ともつかない高い叫びを、人形は上げて仰け反った。

 その爪が、床に落としたガラスのマドラーのように、砕け散っている。断面は炎にさらされたかのように溶け始めていた。

 

 百合香は、自分の胸の前で燃え盛るそれを、まじまじと凝視していた。

 

 大きさはバスケットボールくらいある。その表面は、炎が波を打つように吹き荒れていた。まるで、太陽のようだった。

 そしてそれは確かに、百合香の胸の奥から現れたのだ。

 

「何なの…何なの、一体!?」

 その太陽を挟んで、百合香は謎の人形と対峙していた。人形は先程と様子が異なり、百合香に近寄るべきか、逃げるべきか迷い、怯えているように見えた。

 

『恐れないで、百合香。自分の、心の炎を』

 

 再び、女の人の声がした。

 

「誰!?誰なの!?」

 百合香は叫ぶ。

 

『百合香、それを手に取るのです。それは、全てを切り拓く希望』

 

 女性の声は、百合香の疑問を無視して語りかけてきた。

 

 わけがわからない。

 

 しかし、その炎を見ているうちに、百合香は自分の中に、驚くべき何かが眠っていた事を悟った。

 

 それは「勇気」だった。

 

 その炎は、自分の中にある勇気の象徴なのだ。百合香は、そう確信した。

 子供の頃、初めてバスケットボールに手を触れた、その瞬間に燃え上がった心の炎を、百合香は思い出していた。

 

『アギャアア!!!』

 

 不快な叫びを上げて、人形は破れかぶれに百合香に向かって、左腕を突き出して突進してきた。

 

 百合香は迷うことなく、目の前にある炎の塊を両手でがっしりと掴む。全身が燃え上がるように感じられた。バスケットのコートに立つ、あの感覚だ。

 

 地面を蹴ると、百合香は高く跳ね上がり、右手でその塊を、思い切り振り降ろした。

 

「でや―――っ!!!」

 

 振り降ろされた炎のボールは、人形の爪をへし折り、人形の左腕全体を、肩の根本から粉砕した。

 その衝撃で人形は弾き飛ばされ、コンクリートの壁面に身体を打ち付けてフラフラとよろめき始めた。

 

 炎のボールは、地面にめり込んだままグルグルと回転している。

 

「はあ、はあ…」

 

 一体、これは何なのか。あまりにも衝撃的な事が唐突に連続して、百合香はすっかり混乱すると同時に、得体の知れない興奮が沸き起こるのを感じていた。

 

『百合香、忘れないで。人の心にはいつでも炎が燃え盛っている事を』

 

 また、あの声だ。いい加減、百合香は冷静になり始めてもいた。

「誰なの、あなたは!?どこから話してるの!?」

『今は、声を届ける事しかできない。いずれ、私のもとへ辿り 着くでし ょ う 』

 何やら、通信が不安定な動画のように声が途切れ始めた。

『剣を手 に 取るの で s』

 そこまで言って、電源の切れたラジオのように、女性の声は聞こえなくなった。

「剣…?」

 百合香は訝しんだ。剣など、どこにあるというのか。あるのは、足元でアスファルトを溶かしてグルグル回り続ける炎のボールだ。

 

 そこへ、再びさきほどの人形がヨロヨロと歩いてきた。感情があるのかないのか、わからない。だが、何かに操られるようなその姿が、百合香にはひどく哀れに思えた。

 その時だった。

 

 炎のボールが突然、竜巻のように立ち上がった。百合香の身長くらいある。

「!?」

 百合香も、そして人形も、驚いて仰け反った。

「…まさか」

 百合香は、さきほどの声を思い出していた。剣を手に取れ、と『彼女』は言っていた。

 

 百合香は、ゆっくりとその炎の中に右手を入れる。恐れはなかった。百合香の腕は、焼けもしなければ熱くもならない。

 何かが、手のひらに触れた。百合香は、親指を下にして、それをしっかりと握ると、ゆっくりと引き抜いた。

 

 炎の柱がバーンと弾け、百合香の全身をエネルギーとなって覆い尽くす。そしてその右手には、オレンジ色の柄と、黄金の刃を備えた、ギラギラと輝く剣が握られていた。

 

「これは…」

 百合香は、目の前で起きた事に困惑と驚愕を同時に覚えていた。剣など、生まれてこの方握った事はない。こんなものを持たされて、どうすればいいのか。

 そんな事を考える暇も与えず、透き通った謎の人形が百合香に突進してきた。

「!」

 

 一瞬だった。百合香は、自分でも信じられないほど華麗な動きで、黄金の剣の切っ先を人形の心臓部に、真っ直ぐに突き入れた。

 

 剣身から、言葉にできないほど鮮烈で美しい黄金色の光が炸裂し、人形の全身をバラバラに切断した。やがて、崩れ落ちた人形の欠片は、砂粒のような輝きとなって、風に舞い消え去ってしまった。

 

「はあ、はあ、はあ…」

 百合香は、ようやく異形の怪物がいなくなった事に安堵し、その場に片足をついて座りこんだ。

 改めて、炎の中から現れた剣を見る。美しい。こんな美しい物体を見るのは初めてだった。純金のようにも見えるけれど、透明感もある。金属なのか、宝石なのかわからない。

 

 一体、この剣がなぜ現れたのか。そして、いま倒した怪物は何なのか。そこまで考えて、百合香は重要な事を思い出し、校舎の方を振り返った。

 依然として、突如出現した巨大な城は存在している。百合香は、この怪物があの城と無関係なはずがない、と考えた。

 

 そして、奇妙な事だが、町でこれほどの事が起きているというのに、パトカーの一台さえ走ってこない。一体どういう事なのか。校舎の方からも、誰も逃げてくる気配がない。

 

 百合香は、どうするべきか考えた。

 

 いま、自分は謎の怪物を倒す事ができた。保証はないが、もし次に何か現れても、何とかなるかも知れない。

 学園に何が起きたのか、自分が調べなくては。百合香は決心し、黄金の剣を強く握った。

「南先輩…吉沢さん」

 二人は無事だろうか。他のみんなは。もし、自分に助ける力があるのなら、やらなくては。そんな使命感が湧き上がり、百合香はその足を校舎に向け、ゆっくりと歩き出した。

 

 動き回っても肺が何ともない事に、その時の百合香は気付いていないのだった。



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そこに誰かがいた

 その城は巨大すぎて、近付くほどに視界を占領していき、やがて巨大さが実感できなくなるほどだった。

 校舎はまだ残っていた。ただし、校舎の上にその巨大な城が覆いかぶさっている。校舎どころか、城は学園の敷地を大きくはみ出して、地面から立ち上がった巨大な木の幹のような氷の柱に支えられて、あたかも浮かんでいるようにさえ見えた。

 というより、ひょっとして本当に浮かんでいるのではないだろうか。

 

 空には相変わらずオーロラが浮かんでいる。この地域全体が、オーロラで囲まれているように見えた。町はどうなっているのだろう。

 

 校門は、まだ残っている。しかし、門柱は地面から湧き出したように見える氷に覆われて、学校の名前がきちんと読めない。

 城が覆いかぶさっているため、その下はとても暗かった。百合香は、周囲に警戒しながら、そこかしこに立ち上がっている氷の柱に隠れつつ、校舎に近付いてみた。手には、黄金の剣がしっかりと握られている。

 

 当然、恐怖はあった。恐怖、混乱、困惑、焦燥、およそ不安の全てがある。

 しかし、それを打ち消すかのように、百合香の心の奥底からは、静かな勇気が湧き上がっていた。

「校舎は…」

 近寄りながら、小さくつぶやく。

 昇降口は、さきほどの門柱のように地面から盛り上がった氷に覆われていて、とても入れそうには見えない。

 百合香は試みに、比較的氷が薄く見える場所に、黄金の剣を突き立ててみた。しかし、まるで手応えがない。

「剣道もフェンシングもやった事ないしな」

 そういうレベルの問題でない事は百合香もわかっているが、今の状況で冗談のひとつも言わないと、精神が参ってしまいそうだった。

 

 ふと駐車場に目をやると、例の大学だかの調査チームのものらしいバンが、後部ハッチドアを開けたまま氷漬けになっている。中には、たぶん高価であろう意味不明の機材が、冷凍保存されていた。何百万円するのかわからないが、ああなっても使えるのだろうか。

 運転席や座席は、氷が厚すぎて見えない。人がいたとしたら、おそらく生きてはいまい。百合香はぞっとして蒼白になった。校舎も同じ事になっていたら、中にいる生徒や教師たちは、どうなってしまったのか。確かめなくてはならない。

 

 そう思った時、またしても百合香は、氷の壁面にあの人影を見た。自分とよく似たシルエットの人影。

「!」

 まただ。さすがに何度もチラチラと現れると、恐怖や困惑と同時に、微かな苛立ちが湧いてくる。振り返っても、例によってどこにもいない。

「誰なの!?」

 百合香は、あの声の主が彼女なのではないか、と考えた。

「さっき私に声を送っていたのは、あなた!?」

 そこまで声を張り上げて、百合香は自分の肺が何ともない事に気が付いた。

「あ…」

 何ともない。大きな声を上げたり、少し走っただけで悲鳴をあげる肺が、あの氷の怪物と戦った時以来、胸に何の苦しさも感じない。それは、肺炎にかかる前の、健康体と同じだった。

 

 否、それどころか、健康体以上の何かを百合香は感じていた。

 

 さっき、自分はあの怪物に剣を突き入れた。今は昇降口を埋め尽くす厚い氷に、1ミリも切っ先が食い込んだかどうか、という所だが、それならあの怪物の硬そうな胴体を貫く事も、出来たとは思えない。

 

 間違いなく自分に、異様な力が沸き起こったのだ。今は鳴りを潜めているが、それはまだ胸のうちに在る、と百合香は感じていた。

 わけがわからない。あまりにも、出来事の情報量が多すぎる。何が起きているのか誰か教えてくれ、と言いたかった。

 

 だが、百合香は再び、さきほど聞いた無気味な足音で我に返った。

 振り返ると、そこには再び、先程の氷の怪物がいた。

「あっ!」

 どこから現れたのか、百合香は戦慄した。さっき、あの人影に大声で呼びかけたせいで、気付かれたのかも知れない。恐怖と同時に、あの少女への苛立ちがまた湧いてきた。

 

 同じ怪物かと思ったが、少し違う。もっと無骨な、ゴツゴツしたデザインだ。甲冑というよりも、彫刻の途中で歩き出した像、といった所だ。頭も手足も、岩の塊のようだった。指は太く、短い。

 怪物は、百合香の姿を確認すると、太い声を上げて突進してきた。

「ひっ!」

 驚いて百合香は、その場を横に飛んで避けた。怪物は氷の壁面に激突し、厚い氷にヒビが入る。あの体当たりを受けたら、だいぶ悲惨な状態で死を迎える事になりそうだ。

 背中を向ける怪物から、百合香は剣を構えて後退した。竹刀さえ握った事がないので、情けないほど素人の構えになってしまう。クラスメイトの剣道部の彼女に代わって欲しい、そう思った。

 

 バスケットボールで培ったフットワークで、素人剣技をカバーする以外にない。百合香は素人なりになんとか構えの形をつけ、動きが鈍い怪物に斬りかかった。

「えやーっ!」

 剣を振り降ろしながら、素人だなと自分でも思う。それでも黄金の剣の刃は、怪物の肩を直撃した。

 しかし、今度はさきほどの細い人形のようにはいかず、剣は大きく弾かれてしまった。

「うあっ!」

 剣に引っ張られて、百合香は思わず体勢を崩してしまう。映画の剣闘士のようにはいかない。

 そこへ、怪物は体当たりを食らわせてきた。すんでの所で回避したつもりだったが、怪物の腕が背中を掠め、肩甲骨に衝撃が走った。

「あぐっ!」

 これはまずいのではないか、と妙な冷静さをもって百合香は体勢を立て直す。

 しかし自分でも驚いたが、百合香の肩や背中には何のダメージもなかった。

 

 その時気付いた事だが、百合香の身体や制服の表面には、微かな炎のようなエネルギーが波打っているように見えた。どうやら、これがあの怪物の攻撃でも、制服さえダメージを受けていない理由らしい。

 それは少しだけ百合香に希望と安堵感を与えたが、同時に相手もまた、全くダメージを負っていないのがひと目でわかる。

 

 どう考えても殺意をもって向かってきている以上、逃げるか、さっきみたいに倒すかしなくてはならない。

 

 逃げる?一体どこへ?

 

 百合香は考えた。そもそも、自分はどこへ行けばいいのか。何をすればいいのか。というより、何ができるのか。

 相手は、考える暇も逃げる隙も与えてはくれなかった。運悪く、百合香が退避した場所は氷の柱に囲まれた場所だったのだ。

 

 倒すしかない。百合香はそう決意し、勇気を振り絞って剣を構えた。

 だが、自分の未熟な剣技で、どうすればいいのか。いや、そもそも剣道の達人だって、こんな氷の塊と戦う事はないだろう。

 

 その時百合香に、小さな閃きが起きた。

 

 剣道は知らないが、バスケットボールなら熟達している。今すぐオリンピックに出ても、活躍できる自信がある。

 

 剣を、バスケットボールの要領で振るう事はできないか。

 

 そんな無茶苦茶な理屈が、百合香に根拠も保証もない自信を与えた。

 

 それ以上考える間もなく、怪物は腕を上げて再び突進してきた。

 百合香は、これがバスケットボールの試合の相手選手なら、と本能的に考える。ボールはこっちが持っている。ならば。

「はっ!」

 百合香は、相手がわずかに開けた氷柱との間のスペースを、ドリブルで突破する要領で走り抜けた。やった、と心の中で小さなガッツポーズをする。

 

 しかし目の前に、別な氷柱が現れた。このままではボールを奪われる。

 その時、右手方向から声が聞こえる気がした。南先輩の、少しだけハスキーな張りのある声だ。

『百合香!』

 パスを求める先輩の声がする。百合香は振り向いた。怪物が、背中を向けている。首がガラ空きなっていた。

 先輩を信じてパスを送るいつもの瞬間のように、百合香はしっかりと黄金の剣の柄を両手で握り、脚に力をこめ、両腕を一気に突き出した。

「えや――――っ!!」

 

 一瞬の沈黙があった。

 

 百合香が突き出した剣は、怪物の首の付け根に深々と突き立てられていた。その剣身には、太陽の輝きのようなエネルギーが満ちていた。

 百合香の口をついて、言葉が紡がれる。

 

『シャイニング・ニードル!!!』

 

 百合香の全身から立ち昇ったエネルギーが、柄から剣身を伝って、一直線に突き抜けた。

 それは怪物の首を切断して跳ね飛ばし、昇降口のガラス扉を氷ごと貫通した。

 

 ゴトリ、と重く硬い音を立てて、怪物の首が床に落ちる。怪物の首から下は、糸が切れたようにその場に崩れ落ち、ぴくりともしなくなった。

 百合香は距離を取って後ずさり、怪物が本当に動かなくなったのかどうか、恐る恐る確認した。剣先でチョンチョンと身体をつつき、押してみる。しかし、さっきまで満ちていたエネルギーのようなものが、まるっきり消え去っていた。

 

 ほっと息を吐いて、百合香はその場に膝をついた。どうやら、今度も倒せたらしい。これを一体倒すだけでこれほど苦労するようでは、もっと大量に出てきたらどうすればいいのか。考えただけでゾッとしたので、百合香はまずどこかに身を隠さなくては、と考えた。

 

 その時だった。昇降口から、ビキビキと鈍い音がした。

 

 さきほどの、最後の攻撃の余波が、昇降口を貫いた跡からの音だった。最初は全く歯が立たなかった氷塊を、ガラスごと見事に貫通して、幅10cm程度の穴が開いている。

 その穴を中心に、少しずつ亀裂が拡がって行った。

「あっ!」

 百合香が驚く間もなく、亀裂の入った部分がガラス扉ごと崩落して、なんとか女子が一人通れるくらいの穴ができたのだった。

 

 百合香は周囲を警戒しながら、身体をねじるようにして校舎に入ってみた。比較的身長はある方なのと、バストが若干つかえて苦労した。

 そこには静寂だけがあった。校内にはそれほど大量の氷は侵入していないが、やはりほとんど凍結している。昇降口にある自販機も凍結し、電源が切れていた。

 照明もついていない。停電しているのか、それとも凍結したせいでこうなったのか。

 

 とりあえず、職員室と階段がある方に歩いてみる。

 掲示板を通り過ぎて、職員室や生徒指導室などがある廊下に出たとき、百合香は息をのんだ。

「!!」

 生徒がいた。鞄を持っている。ニコニコして、帰ろうとしているようだった。

 しかし、その姿は異様だった。翻ったスカートのプリーツが、固まったまま静止している。長い髪も同様だった。

 恐る恐る近付いて良く見ると、遠目にはわからないが、全身が薄い青紫の氷の膜に覆われて、凍結していたのだった。

「ひっ」

 百合香は思わず後ずさった。生きているのだろうか。不思議と、死んだようには見えない。しかし、生きているようにもまた見えない。

 よく見ると、彼女の身体から床を伝って、何かキラキラした光が、間断なく流れ出ている。その光は壁や柱を伝って、上に上っているように見えた。

 大丈夫か、と声をかけるのはあまりにも愚かに思えた。大丈夫なわけがない。

 

 今さらだが、異常事態だと百合香は思った。こんな現象、聞いた事がない。

 精一杯冷静さを保って、職員室の開いた扉を見る。話し声ひとつしない。またしても恐る恐る、百合香は近付いて、ゆっくりと室内を覗いた。

 

 なんとか、悲鳴を上げないと心に決めた課題は乗り越えた。しかし、驚きのあまり百合香は硬直して、しばらく動く事ができなかった。

 予想していた事ではあるが、職員室の中の人間もまた廊下の生徒と同様に、普段どおりの動作そのままの状態で凍結していたのだ。提出された課題を、渋い表情で睨んでいる顎ひげの先生。カップに給湯器からお湯を注いでいる、頭頂部が寂しい先生。給湯器から流れ出ているお湯が、動画プレイヤーを一時停止したように固まっている。

 そして応接スペースでは、例の大学の調査チームとその後から歩いてきた数名の教職員が、話し込んでいるそのままの状態で凍結していた。

 

「どういうことなの…」

 かすれるような小さな声で、百合香は呟いた。どうやら、校内の人間はみな、一瞬で凍結してしまったらしい。

 だが、先ほどの生徒と同じように、やはり凍結した教職員らの表情も、まだ生気が感じられるのが逆に不気味だった。

 

 生きている。

 

 直感でそう思った。生きてはいるが、動いていない。

 百合香はその時吉沢さんから、文芸部のミステリ小説の書評を頼まれていた事を思い出した。推理小説の名探偵たちなら、この状況をどう分析するだろう。

 かろうじて読んでいるシャーロック・ホームズは、「どれほど奇妙に思えようと、あり得ない要素を排除して最後に残ったのが真実だ」と言っている。では、あり得ない事、奇妙な事だらけのこの状況は、どう理解すればいいというのか。私がホームズなら、諦めてポワロさんに仕事を丸投げするところだ。

 

 だがその時、名探偵百合香はひとつ気付いた事があった。

 

 応接スペースのソファーが一箇所、凹んでいる。

 

 つまり、そこに誰かが座っていたという事だ。

 もし、ここにいる人達と一緒に座っていたのなら、一緒に凍結していても良さそうなものだ。ソファーもまた凍結してカチコチに固まっているため、この凹みは凍結する瞬間、誰かが座っていたために出来た凹みのはずである。

 

 つまりこの状況は、謎の凍結現象のあとで、この応接間を立ち去った人間がいる事を示している。

 そして、座っている位置からして、これは学校の人間だ。さらに、凹みの大きさは小さく丸い。比較的身体が細い人間のものだ。

 

 この異常な状況下で、無事でいられる人間がいたらしい。おそらく先生の一人だ。その先生は、どこに行ったのか。昇降口も、その隣の来客・教職員玄関も、凍結していて出ることはできなかったはずだ。つまり、校内のどこかに現在もいると考えるべきだろう。この異常を、単身で調べに出た事も考えられる。

 

 百合香は、その「生き残り」を探すため校舎を捜索する事にした。ひょっとして、他にも同じように助かった生徒がいるかも知れない。

 まず、南先輩の無事を確かめる事もあり、百合香は体育館に向かった。

 



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託された者

 この、学園全体や、おそらく町そのものが凍結している異常現象のなかで、校内になぜか一人だけ動いている何者かがいる。それは一体何者なのか。

 

 そこまで考えて百合香は、間違いがあることに気付いた。動けるのはその何者か、だけではない。

 

 

 私もなぜか動けている。

 

 

 もっとも、まだ校舎や町全体を捜索したわけではないので、同じように動ける人がいるのかも知れない。

 そんなことを考えながら、ふと百合香は廊下の壁にかけてある、年代物の温度計に目が行った。

 

 目盛が振り切れている。

 マイナス方向に。

 

 その温度計の下限はマイナス30℃である。それが振り切れているということは、少なくともマイナス30℃以下の気温だということだ。小学校の頃、ちょっとした商店をやっている友達の家の冷凍庫にみんなで忍び込んで怒られた、あの時の温度が確かマイナス24℃くらいだった。それを遥かに超えている。

 

 たしか、日本の最低気温の記録がマイナス40℃強だったはずだ。どこだか知らないが、たぶん北海道だろう。その気温でも人間は生きてはいたという事だ。

 しかし、いまこの学園の中は、どうやらそれを超える恐ろしいまでの極低温にさらされているらしい。

 

 人間や物体が凍結して動かなくなる温度というのは、一体何℃以下なのか。それを説明できそうな科学の先生が、さっき凍結していた気がする。

 親戚のおじさんの家で読んだバトル系の漫画に、ピカピカの鎧を着て絶対零度がどうの、と解説するキャラがいたのをふと思い出したが、なぜ彼は戦闘中に物理の講義を始めたのだろう。そんなことは今どうでもいい。

 

「なんで私、動けるんだろう」

 

 改めて百合香は呟く。それも、ただ動けるだけではない。いま百合香は、半袖のシャツの上に袖なしの薄手のワンピース制服、という服装である。どんな服装も関係なさそうな極低温ではあるが、その状態で寒くも何ともないというのは、どういう事なのか。

 何かの動画で、マイナス10℃の湖でシジミを採って絶叫している熱苦しいおじさんを思い出したが、それを遥かに超えている。

 

「…まさか」

 そう思って百合香は、何気なく胸に手を当てた。

 すると、胸の奥からオレンジ色に輝く光がにじみ出し始めた。

「うわっ!」

 百合香は慌てて、胸を強く押さえる。なんだ、この光は。そう思った時、驚くべき事が起きた。

 右手に握っている黄金の剣が、眩い光に包まれたかと思うと、百合香の胸に吸い込まれて消えてしまったのだ。

「なに、なに!?」

 百合香は、全身を手でまさぐった。しかし、あの剣は胸から現れた光とともに、消え去ってしまったのだ。

 あの剣がなければ、また怪物が現れた時にどうすればいいのか。困る。いや、困るとかのレベルの話ではない。空手部や柔道部でも、あれと徒手空拳で戦うのは考えものだろう。

 

 その時だった。なんとなく予感がして、いつもならグラウンドが見えるはずのガラス窓に目をやる。

 そこで百合香は、心臓が止まるかと思うほどのショックを受けた。

 

 ガラスに映る自分の隣に、もう一人の自分がいる。

 

 いや、顔立ちはまるで同じで、髪も同じロングストレートだが、よく見ると髪の色が黒い。百合香は生まれつきブラウン寄りである。そして、前髪は百合香のように軽くカールしておらず、おかっぱ調に切り揃えてある。

 間違いない。さっきまで何度も現れては消えた、あの少女だ。少女は、ニコニコ笑って百合香を見ている。

 

 もう、異常な現象にいい加減耐性がついてきた百合香は、驚きよりも行動力の方が勝り始めていた。

「逃さないわよ、今度は!あなた、いったい誰なの!?ここに来なさい!姿を現して!」

 今までは振り向いた途端に姿を消されたので、今度は映っているガラスに向かって凄んでみせた。

 明らかに自分の顔なのだが、不覚にもちょっと美少女だな、と思ってしまった。

 

 バン、とガラスに手を突いて、相手の目を見る。不気味なまでに自分の顔だ。ただ、髪が違うので全体の印象は少し違う。なんというか、魔女のイメージだ。

 謎の少女は、ガラスに映る百合香自身と重なって見える。

 そのとき、少女の唇が小さく動いた。何か言っているらしい。同じ言葉を、ゆっくりと繰り返しているように見える。

 

『ゆ り か』

 

 唇の形から、そう呼びかけられているように見える。百合香は、ぞっとして後ずさった。

 すると、少女はまたしても、少し寂しそうな顔をしてすっと消えてしまったのだった。

 

 その時なんとなく、百合香は悪いことをしたような気がして、あの少女に謝りたい、という奇妙な感覚を覚えた。

 それと同時に何かの心霊漫画で、物心がつく前に死に別れた双子が現れる、という話を読んだ事も思い出した。そんな子がいる話、母からは聞いていないが。

 

 ありもしない話を脳内で展開しても仕方ないので、百合香は気持ちを落ち着けて、校内の孤独な探索に戻る事にした。

 

 

 試みにスマホを取り出してみるが、やはり先刻と同じように、電波は届いていない。無線LANを拾っている様子もない。もっとも停電しているようなので、おそらくLANルーターも何もかも稼働していないのだろう。バッテリーは少しずつ減っている。充電用予備バッテリーはカバンの中に―――

 

 そこで百合香は大変な事に気付いた。バス停の外で例の怪物と戦った際、カバンをどこかに投げ出してきてしまったらしい。今この状況で、盗難に遭う心配はないかも知れないが、紛失するのはまずい。

 バス停まで、そこまでの距離はない。取りに行くべきか。道中、またあの怪物と遭遇したらどうするか。思考が百合香の中で渦巻く。しかし、まず南先輩が心配だ。先に、彼女の安否を確かめるために、体育館へと急いだ。

 

 

 百合香が凍結した校門に辿り着く少し前、学園校舎の屋上に向かう階段のドアの、鍵を回す手があった。ドアには『許可なく生徒の立ち入りを禁ずる』と貼り紙がある。

 その人物はドアを開けると、周囲を氷に閉ざされた屋上に出た。コツリ、コツリと硬い足音が響く。

 屋上には、天に向かって延びる氷の階段があった。足をかければ即座に滑って踏み外しそうだが、その人物は恐れる事なく、何事もないかのようにその階段を上って行く。その先には巨大な氷柱が不気味に垂れ下がって連なり、階段は暗闇の入り口に向かって続いていた。

 

 

 第ニ体育館に着いた百合香を待っていたのは、予想していた事ではあるが、戦慄の光景だった。

 バスケットボール部の面々が、先刻の職員室にいた人間たちと同じように、恐怖も苦しみも見せず、後片付けをする姿勢のまま凍結していた。手に持ったバスケットボールは、そのまま一緒に凍結している。

 

 そして、不安を増大させる間もなく、百合香の視界には榴ヶ岡南の姿が入ってきた。

「先輩!!!」

 百合香は駆け寄り、南の腕や肩に手をかける。やはり、彼女もまた水晶のように凍結していた。手には準備室の鍵が握られているが、その鍵も揺れた状態で斜めになって固まっていた。

「先輩…」

 恐る恐る、その整った顔に手を当てる。まるで陶器の人形のように硬い。百合香は、恐れのあまりその場に尻をついて崩れ落ちた。

「なんてこと…なんてこと」

 どうすればいいのだろう。彼女は生きているのか。そうは思えないが、仮に生きているとして、この状態から助かる術はあるのか。

 そして、百合香は文芸部の部室にいるであろう、吉沢さんの事も思い出した。しかし、ここまで来ると行っても同じ事なのではないか、という気持ちになってきた。

 

 それまで百合香の心を支えていた根拠のない勇気が、ここにきて突然揺らぎ始めた。しょせん、16歳の少女である事を百合香は悟った。

 いや、たとえどんな頑強だったり聡明な人間であっても、この状況では何もできる事などないのではないか。

 

 しかし、百合香には恐怖している暇さえなさそうだった。床に倒れ込んで視点が低くなった事もあり、窓の外に目が行った。

 

 何かが浮いている。

 

 それは、距離感がはっきりしないものの、巨大な球体だった。大きさは乗用車くらいありそうだ。それが、ドローンのようにフワフワと、体育館のずっと向こうの校庭を動いている。

 

 直感的に百合香は危険を覚えて、それが目に入らない壁の裏に身を伏せた。

 少しだけ顔を出し、それが何なのか確かめてみる。

 

 その物体がくるりと横方向に回転したとき、百合香は気が付いた。

 

 目だ。

 

 巨大な、眼球のオブジェのようなものが浮かんでいる。まるで、周囲を警戒しているようだ。

 

 その不気味さは、言葉に喩えようのないものだった。

 唐突に、百合香の心臓が鳴る。見付かったらどうなるのか。襲いかかって来るのではないか。今は、さっきまで身を守ってくれた剣もなくなってしまった。

 

 あれは、ひょっとして侵入者を発見するための何かではないのか。もし見付かったら、さっきの怪物たちが大挙するのではないか。そうなったら、私はどうなるのか。

 

 先輩の方を見る。コートの上では誰よりも頼もしい南先輩が、今その全身を凍結させられて動かないままでいる。

 

 こんな状況で、なぜ自分だけが動いているのだろう。こんな恐怖と不安を体験するくらいなら、みんなと同じように氷の像になっている方が、良かったのではないのか。

 

 

 そんな事を考えた時、ふと百合香は、バスケットボール部に入部してさほど経っていない初夏の、ある試合を思い出していた。

 百合香たち1年生は、まだ重要な試合には出場していなかった。その試合も、県大会などには繋がらないものの、そこそこ重みのあるものだった。

 

 その試合の終わりが見えてきた段階で、ガドリエルは1点差をずっと覆せないままでいた。

「3番が限界」

 ベンチでふと、百合香はついそう口に出してしまった。慌てて口を押さえる。縦社会の運動部で、先輩にケチをつけるのはご法度だ。

 周りの1年生がぎくりとして百合香を見るが、聞かなかったフリをしてくれた。

 

 しかし3番、スモールフォワードを務める2年の先輩が、ここという場面でなかなか活路を見い出せないのが見てわかる。相手は強豪であり、むしろ1点差で抑え続けているだけでも凄い事である。相手は、リードを拡げられない事に苛立っているようにも見えた。

 

 その後、コーチと榴ヶ岡先輩が、少し真剣な顔で話し込んだあと、スモールフォワードの先輩がベンチに下がった。

 まだ上級生に控えはいる。体力がある選手と後退すれば何とかなる、とベンチの1年生達は期待を込めた。

 しかし、その1年生がいるベンチに、コーチが歩いてくる。

「江藤、出なさい。3番」

 

 その瞬間、頭の中が真っ白になった。ちょっと何言ってるかわからない、と脳内でお笑いコンビの片方がボケているのが聞こえた。

「聞こえた?江藤百合香さん、出て」

 強めの口調でコーチが言うと、百合香の背筋に緊張が走る。どうやら、冗談抜きでスモールフォワードを任されるらしい。負ける直前の1点差の試合で、まだ高校での大会には出ていない1年生に。

 何を考えているのだ。そう思いながら、百合香は周りのみんなの顔色を見ながら、恐る恐る立ち上がった。

「い…行って来ます」

 何て締まりのない、と自分でも思ったが、とにかく百合香はスモールフォワードを交代してコートに出た。榴ヶ岡先輩が駆け寄ってくる。

「いい、江藤さん」

 憧れていた先輩の顔が近付いてきて、百合香の緊張は倍化された。

 

 その後、何を話して、試合でどう戦ったのか、覚えていない。気が付いた時には3点差でこちらが勝利しており、相手校のコーチや上級生たちが、あいつは何者だ、という目で百合香を見ていた。

 榴ヶ岡先輩は、よくやった、偉い、と言って汗まみれの身体を押し付けてきて、背中を叩かれた。先輩の汗と私の汗が混じる。

 

 

 あの時、なぜ私は唐突に任されたのだろう。いや、そこはもっと単純に考えるべきなのはわかっている。しかし、それを引き受けるのは、けっこうな度胸が要る。

 

 では、今この状況で、なぜ私だけが、まるで何かを任されたように、一人だけ校内の探索をしているのか。誰かが、何かを私に託したというのか。

 

 そうであるなら、何をすればいいか、誰か教えてくれてもいいのではないか。

 

 そこまで考えて、百合香はあの謎の『声』の事を思い出した。

 考えてみれば、あの声に急かされて百合香は、学校を出る形になったのだ。やはり、学校がこういう事態になる事を、あの声の主は知っていたとしか考えられない。

 もし、百合香がまだ校舎に残っていたら、先輩たちと同じように、氷の像になっていたのかも知れないのだ。

 

 コーチと先輩は、試合に勝つために私をコートに配置した。では、あの『声』の主は、何を私に求めているのか。

 あの剣が現れたのも、声に導かれての事だった。剣は戦うための道具、武器だ。つまり、何かと戦うためにあの剣は現れた。何かに勝つ、何かを打ち倒すために。

 

 今まで起きている事を総合すれば、小学生でもわかる事かも知れない。私は学校の上空に現れた、巨大な城を何とかするように言われているのではないか。

 

 冗談もたいがいにして欲しい。百合香は心の底から思った。何とかしろって、どうすればいいのだ。解体業者が途方に暮れそうな、あの巨大な城を。

 あの城が、全ての元凶であるらしい事はなんとなくわかってきた。正体不明の怪物たちも、おそらくはあの城から出てきたのだろう。

 

 今さらだが、学校の上空に唐突に現れた、あの城は何なのだ。

 

 再び、百合香に恐怖を上回る怒りが沸き起こってきた。あれが元凶だというのなら、バラバラに解体してやらなくてはならない。

 百合香は、拳を握って立ち上がると、窓の外で不気味に浮遊する、巨大な眼球を睨んだ。

 

 その時だった。百合香の胸が再び、眩く輝き始めた。

 



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氷の階段

 百合香の胸元から、制服をすり抜けるようにして、さっきバス停付近で怪物と対峙した際に現れた、あの炎のボールが再び現れた。咄嗟に、体育館の外から見えない場所に隠れるように移動する。

 

 なんとなく、この太陽のような球体が現れるパターンがわかってきた。これはあの黄金の剣の「収納箱」みたいなものなのだ。

 そして、おそらくだが、それは百合香が身の危険を感じたり、闘争心が昂ったときに現れている。

 

 だが、現れたり現れなかったりするのは非常に不安である。これは、コントロールできるのだろうか。

 

 そう思った時、球体はゆっくりと胸元に吸い込まれるように消えて行った。

 

「これは…私の気持ちに反応しているの?」

 

 状況を整理するため、百合香は言葉にしてみる。どうやらこの「太陽」は、百合香の意思によって操作できるらしい。

 ふと、立って凍結している南先輩と目が合った。

 

「…先輩」

 

 百合香は、静寂と闇が支配する体育館で、決意したように足に力を入れる。ゆっくりと、コートの真ん中に立つと、すうっと息を吸い込んだ。

 先輩たちは生きている。学校の、凍結しているように見える人達も、全員生きている。

 

 そう、断定することにした。

 

 もし、今まで一緒にいた人達、好きな人も嫌いな人たちも、全員が一度に死んでしまったというなら、それはあまりに衝撃的な事だ。耐えられそうにない。

 だから百合香は、まだ彼女たちは生きていて、救えるのだと考える事にした。

 

 根拠は何もない。しかし、あの試合で百合香をスモールフォワードに抜擢したコーチや先輩だって、百合香が中学でエースだったというそれだけの根拠しかなかったはずだ。

 ならば、私にこの状況を覆せないという根拠も、どこにもない。

 

 静かに、胸元に心を集中させる。すると、その呼びかけに応えるように、炎の塊が、今度は迷いのない動きで眼前に現れた。

 百合香はその表面にそっと手を当てる。炎の塊、太陽は、一瞬ピンポン球のように収束し、光が弾けるように再び黄金の剣の姿になった。

 

 いや、よく見ると先程と色味やデザインが違う。先程の、見ようによっては品がないと言えなくもなかった黄金の両刃の剣身が、もっと落ち着きのある金色に変化したのだ。それはあたかも純度の低い金から、24金に精錬されたような印象だった。

 柄のデザインも、先ほどの刺々しさが見られる角ばったものから、まるで品位の高い指輪のような形状に洗練された。

 

『純度が低ければ金のアクセサリーでもいつか濁る。でも、限りなく純度が高くなれば、卑金属と勝手に私達が呼んでいる、鉄だってほとんど錆びなくなるのよ』

 

 子供の頃、母親が説明してくれた事を思い出す。

 私は純金か、それとも鉄か。どっちでもいい。目的を果たせるのなら、金でも鉄にでもなろう。百合香は、金色の剣をその手に静かに握ると、南先輩の前で胸元に掲げた。

「一人の試合は不安だけど、行ってくるね、先輩」

 

 

 

 行ってくるとは言ったものの、どこに行けばいいのか、勇んで体育館を出た百合香は早々に頭を抱えた。そもそも結局のところ、まだ事態の全容は全くわかっていないのだ。

 

 勉強の要点をルーズリーフにまとめるように、百合香は現在の状況を整理することにした。

 

・冷凍庫より寒い。

・たぶん町全体が凍結している。

・人も凍結しているが、生死不明。

・超巨大な城が現れた。

・氷か水晶みたいな怪物が現れた。

・大人の女の人の声が指示してきて助かった。

・自分の身体から太陽が出てきた。

・太陽が剣になった。

・ガラスに自分そっくりの美少女が現れる。

・どうやら職員室の、たぶん先生に無事な人がいる。

 

 他にも細かい事は色々あるが、大まかにはそんな所だろう、と百合香は頭の中で考えた。

 そこで最大の疑問は、そもそもあの城は「誰が」造ったのか、という事だ。

 

 校舎は教育のため、あるいは私立なら経営の意味もあって建てられる。病院は医療のために。本屋は本を売るために。全ての建造物は、目的があって建てられる。

 では、城は何のために建てられるものか。

 

「…支配するため」

 

 百合香は、古今東西の城に共通する、その目的を呟いた。城は、その場所を支配、統治するための拠点として造られる。

 では、何者かがこの土地を支配するために、あの城を造り上げたというのか。政令指定都市とはいえ、中心からだいぶ外れた山間の土地を支配してどうするのか。しかも、人間をカチコチに凍結させてしまっては、税の取り立ても出来なくなりはしないか。

 

 冗談はともかく、ひとつだけわかっている事がある。これは、獣の群れが力と本能に任せてナワバリを作ったのではない。明らかに、高度な知性を持った何者か、それも超常的な力を持った何者かによって、おそらく計画的に引き起こされた事態である、ということだ。

 自分の胸から炎の塊が飛び出したり、声がしたり幽霊か何かがガラスに映ったり、全てが通常の理解を超えている事はわかりきっている。もはや問題は何が起きているかというより、何者が引き起こしたか、という点についてだ、と百合香は考え始めていた。

 

 答えが見付からず、特にあてもなくもう一度職員室に戻ると、百合香は教員のデスクの電話から受話器を持ち上げてみた。有線ならひょっとして、外に通じるかも知れないという期待を持ったのだ。

 しかし、それは無駄だった。受話器は本体に凍結して張り付いている。そもそも停電していて、本体が動いていないのだ。

 

 だいいち、こんな異常事態に警察や消防、あるいは自衛隊だって、動かないわけがない。理由はわからないが、どうもこの学園あるいは一帯が、外界と隔絶しているらしかった。

 

 再び、百合香は先ほど見た、誰かが座っていたらしい応接スペースのソファーの凹みを見る。

 スリムで形のいいヒップだ。そして注意深く見ると、女性用のショーツの型が見える、ように思える。

 

 といっても、女子校なので女性教員は何人もいる。しかもヒップの形なんて、よほど太ってもいない限り、特定しようがない。ソファーの跡で女性を特定できるのは、どちらかと言うと変態ストーカーおじさんの部類だろう。

 

 しかしそこまで考えて、百合香は改めて気が付いた。さっき体育館まで移動する最中、足音も立てたし、あのガラスの少女に向かって声を張り上げもした。

 にもかかわらず、誰も百合香の存在に気付いている様子がない。これだけ静かなら、隣の棟にいたって気が付くだろう。

 

「…この人はすでに校舎にはいない」

百合香は、そう結論付けた。それ以外に説明がつかない。おそらく校舎はさっき見てきたように、周囲を氷に閉ざされて出ることはできなかった。百合香が穴を開けて侵入する前にこの女性がここを移動したと言うのなら、どこに移動したのか。

 昇降口や窓から外に出られないというのなら、校内に出られる場所はもう特定されたように思えた。

「…上か」

 それしかない。そして、教員なら屋上への鍵の場所も知っている。推測だが、その教員は屋上からの脱出を考えたのではないか。

 

 百合香は、まず今いるA棟の屋上に至る階段を上ってみた。すると床に、ドアを開けて凍結した床面を引いた跡がある。驚きながらも、その痕跡を観察した。

 しかし、百合香は奇妙なことに気付いた。今まで見てきたドアや窓は、極低温で張り付いて、動かせなくなっているものがほとんどだった。なぜ、このドアは開けられたのだろう。

 そう思ってドアノブに手をかけると、百合香はまたも驚いた。やはりドア全体が凍っているのだ。ドアノブは軸自体、凍結して回せなくなっている。鍵を差し込めたとも思えない。どうやって、「彼女」はここを通過したのだろう。

 

 そこまで考えて、百合香は背筋が凍り付くのを感じた。

「…このドアの鍵はどうやって取り出したんだろう」

 百合香は、いつも先生が準備室などの鍵を取り出す、職員室の壁掛けスチールケースを思い出していた。あの中に、屋上への鍵もあったはずである。

 しかし、あのスチールケースだっておそらく、他の物体と同様に凍結していたはずだ。南先輩の手にあった鍵は、斜めに振れた状態で硬直していたのだ。まるで時間が止まったかのように。

 

 どうやって凍結したケースを開け、鍵を取り出し、鍵を開け、ドアノブを回して外に出たのか。

 

 

 それはつまり、凍結状態をコントロールする方法を知っている、という事に他ならないだろうか。

 

 

 百合香はひとつの、空恐ろしい推理に到達した。

 

 この、異常現象を事前に知っていた人物が、学園内にいたのではないか。

 

 こういう事態になる事を知っていて、自分は何らかの知識によって、その影響から逃れ、屋上からどこかに消えた人物だ。

 

 でなければ、ここまで冷静な行動は取れない。恐怖に我を失って脱出を考える人間が、こんなふうにドアをきちんと締めて脱出するなんて事、あるわけがない。ドアを開け放したまま大声を上げて外に飛び出し、助けを求めるのが普通だろう。

 

 しかし、あの応接スペースのソファーに座っていた人物は、凍結現象に学園が見舞われた事を確認すると、慌てる事なく屋上へのドアの鍵を準備し、おそらく百合香が最初の怪物と戦っていた時間に、悠然と屋上に出たのだ。

 

 そして、外にいた百合香は校舎から誰も出てこなかった事を知っている。この状況から導かれる結論は、たった一つしかない。

 

 

 その何者かは、屋上からあの城に上ったのだ。

 

 

 つまり、ソファーに座っていた何者かは、あの「城」側の人間、ということだ。

 

「…裏切った、という事なの」

 そう呟く百合香の声は、かすかに怒りで震えていた。

 

 あの城は何の目的か知らないが、突如現れてこの学園の平穏を奪った。それを知っていながら、それを当然のこととして看過し、自分は ―おそらく安全な― あの城に移動したのだ。

 

 一体、あの城には誰がいるのか。何があるのか。

 

「――――許せない」

 

 百合香の剣を握る手に力が入る。それに呼応するかのように、剣は白金色の輝きを放ち始めた。

 

 何の目的があるのか知らないが、学園をこんな目に遭わせる者に、正義なんかある筈がない。たとえ神様がそう言ったとしても、私は認めない。

 

 百合香は、居合抜きのような姿勢で剣を構え、ドアノブめがけて一閃した。

 ドアはノブごと水平に切断され、その断面を中心にドア全体がバラバラに崩れ落ちた。屋上への出口が開いたその先には、青紫色に鈍く光る氷でできた、天に向かって延びる階段が見えていた。

 

 もはや、選択肢はない。私はこの剣を携えて、あの城に乗り込むのだ。百合香は、そう心に決めた。あの城の正体を解き明かし、可能なのかはわからないが、みんなを助ける。

 百合香は、不気味に浮かぶ城の底部に延びる階段を睨んだ。ここを上れば、あの城に入れるかも知れない。

 

 だが、どう考えても安全な場所には思えない。そもそも中には何がいるのか。さっき現れたような怪物が、何体も蠢いているのではないか。

 そして城であるなら、「長」がいるはずだ。それは一体、何者なのか。さらに、この学園の人間でありながら城に逃げ込んだ「X」の正体は。

 

 そして、入ったら生きて出られるのか。

 

 いざ階段を前にして、16歳の少女の足がすくんだ。一人の女子高生に何ができるのか。アテになりそうなのは、右手に握った金色の剣だけだ。

 こんなに緊張するのは、いつ以来だろう。百合香の脳裏に浮かんだのは、南先輩とLINE交換してから、初めてメッセージを送った時だった。どんな文面なら気を悪くされないか、二言三言のためにさんざん時間をかけて考えた挙げ句、送信ボタンを押す決断にさらに時間を要した。正直、県大会に出た時の百倍緊張した。

 

「…あの時に比べたら」

 百合香は剣を構え、かすかに震える足を踏み出す。

 

 行くぞ。

 

 そう、心で呟くと、ゆっくりと階段に近寄って、一段目に足をかけた。氷でできてはいるが、不思議と滑る様子はない。

 城の底部には入り口のようなものが見えるが、暗闇で下からは見えない。上っても入れるかどうかはわからない。

 しかし、閉じているならまたこの剣で切り開いてやる、と百合香は思い、その自分自身の勇気に驚いていた。

 

 一段、一段と上るごとに、城は近付いてきた。

 



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剣闘士

 オーロラが不気味に輝く鈍色の空が、水晶のように澄んだ氷の窓から見える。

 豪奢な青い絨毯が真っ直ぐに引かれた大広間の最奥に、黒曜石のように滑らかに輝く素材で造られた座があり、そこに暗灰色の鎧を纏った何者かが足を組んで座っていた。顔は鎧と同じ色の仮面で覆われている。座は、その体格よりも幾分大きく見えた。

 

 その何者かは、座を立つと窓の前に行き、不気味に美しく広がる空を睨んだ。

 

 

 

 江藤百合香は、氷の階段を恐る恐る上り切ると、巨大な城の底部に開いている入り口に到達した。

 入り口の奥はやや長い通路になっている。100mより少し短いくらいか。学校の廊下より少し狭い。壁も床もゴツゴツしていて、とりあえず歩くためだけ造られた、という印象だ。

 

 学校指定の紐なしローファーは、こんな床面を歩くためには出来ていない。ファンタジーやバトル系の漫画やアニメで、紐なしローファーを履いた学生が悪役相手に飛んだり跳ねたりして戦っているが、あれはウソだろう。生きて帰ったのち本棚の漫画を読んだら、だいぶイメージが変わりそうだと百合香は思った。

「体育館でバスケのシューズ拝借してくれば良かった」

 そうつぶやいて、カチコチに凍ったシューズを拝借しても履きようがない事に気付く。

 

 そんな事を考えながら通路を進むと、通路は右に折れていた。

 壁じたいが微妙に透明感のある素材で出来ており、完全な暗闇ではないので、かろうじて視認はできる。注意しながら百合香は、通路を右に曲がった。

 すると、すぐに短い階段が現れた。奥は通路よりは明るく見える。

 百合香は、剣が手にあることを確認して、階段を上った先に何があるのかを確かめるため、身を屈めてゆっくりと移動した。

 

 物音を立てず、静かに階段から顔を半分だけ出す。すると、そこは通路だった。やはり切り出しただけの雑な通路だったが、だいぶ広い。ソフトボール部員がフルスイングで素振りをしてもお釣りがくる。

 等間隔で青白く光る、石のようなものが天井に埋め込まれていた。まさか電力など入っていない事は百合香もわかっている。たぶん、魔法のような超常的な原理の照明なのだろう。ここまで来ると、もう何でも頭に受け容れてやろうという気になっていた。

 前後どっちに進めばいいのかわからず、とりあえず階段から出てきた方向に向かって歩くと、通路は左に折れていた。

 

 その時の自分が迂闊だったと言われれば、そのとおりですと認めざるを得ない。百合香は何の警戒もせず、昼休みに図書室へ本を返しにでも行くかのように、その角を曲がった。

 

 本当に心臓が止まるかと百合香は思った。そこには、またもあの、青紫色の氷でできた、人形がいたのだ。しかも、ご丁寧に今回は槍まで持っている。

「!!!」

 本当に驚くと、悲鳴さえ出ないのだと百合香は知った。喉が引きつり、肩甲骨が持ち上がる。

 槍の人形は、百合香を認識すると当然のように攻撃してきた。百合香は焦ったが、戦闘も3度目である。突き出された槍を、ドリブルで相手をパスするようにかわすと、だいぶ細身の人形の右横に出た。相手は腕を突き出しており、胴がガラ空きになっている。

「えやっ!」

 百合香は、金色の剣で相手の手首を斜め上に斬り上げた。パーンと小気味よい音がして、砕けた人形の手首もろとも、長柄の槍が宙を舞い、床に落ちる。やればできるじゃないの、と百合香は心の中で自分に喝采を送った。

「ギィエエエ!!」

 鳥か獣かわからない不快な声を上げて、人形は残った左腕を落ちた槍に伸ばした。そうはさせまいと、百合香は間髪入れず剣を両手で振り下ろす。

「めーん!!」

 明らかに狙った先は面でなく小手なのだが、剣道部でもないので問題はない。ともかく、振り下ろされた剣は人形の左手首を切断し、槍を拾いそこねた人形はバランスを崩して、壁に激突した。

 チャンスだ、と百合香は剣を大上段に振り上げる。シュートできる一瞬のタイミングを突くように、人形めがけて全力で振り下ろした。

 

『ディヴァイン・プロミネンス!!!』

 

 再び、口をついて言葉が紡がれ、剣身が真っ赤な炎に包まれた。

 振り下ろされた剣は、炎とともに人形の頭から胴体を一刀両断し、割れたその身体は蒸発するように、光となって燃え尽きて行った。

 

「ふう」

 先ほどまでと異なり、百合香の呼吸は落ち着いていた。これは、戦いに慣れてきた証だと百合香は思った。スポーツも、慣れてくると疲労のしかたが変わってくる。たった3度の戦闘だが、スピードと一瞬の判断力が要のバスケットボールで培われた、百合香の経験値のなせる業だった。

 いける、化け物相手でも私は戦える、百合香はそう確信して、少しだけ自信を持つ事ができた。

 

 しかし、その自信もさっそく揺らぐ事になった。今の戦闘に他の怪物たちが音で気付いたらしく、同じ槍を持った人形が、今度は2体もガチャガチャと走ってきたのだ。

「わあ!」

 冗談ではない。百合香は咄嗟に足元に転がる槍を奪うと、歩いて来た反対方向に取って返した。

 しかし、百合香が握った槍は、百合香の手から拡がったエネルギーによって、だんだんと溶け出してしまった。

「何よ、これ!」

 役立たず、と百合香は通路に放り投げ、改めて自分の剣を構えて振り返る。

 再び剣に力を込めると、今度は大上段ではなく、横薙ぎに炎のエネルギーを撃ち放った。

「でえやーっ!」

 炎は、手前にいた人形の胴体を真っ二つにし、後方にいた人形の槍を打ち砕く。それに怯んだ人形は、一瞬その場に立ち止まった。

「せい!!」

 チーターのように一瞬で間合を詰め、切っ先を真っ直ぐに突き入れる。

「オゴエエエ!!」

 またも不気味な声を響かせて、人形はその場に崩れ落ちると、2体とも蒸発するように消え去ってしまった。

 さすがに2体も強引に倒すと、エネルギーの消耗がある。百合香は、他に追っ手がいない事を確認すると、身を潜める場所を探すためにその場を立ち去った。

 

 とても身を隠せているとは思えないが、通路の脇に少し凹んだスペースがあったので、百合香はそこに引っ込んで呼吸を整えることにした。

 予想できた事ではあるが、やはり城内には敵がいた。そして、どうやら敵にも色々な種類がいるらしい。最初に遭った2体は武器を持っていなかったが、さっき倒したのは槍で武装していた。

 ということは、他にも様々な種類の敵がいる、と見るのが自然だろう。

 

 それは、けっこう厄介な問題なのではないか。百合香は考える。槍があるなら、百合香と同じく剣を持った敵もいるかも知れないし、全く予想外のものを携えた敵だっているだろう。あるいは、文字通りの怪物もいないと断言はできない。

 

 再び、百合香を不安が襲う。私はとんでもない場所に、一人で乗り込んでしまったのではないか。

 今ならまだ、学校に引き返せる場所にいる。あの階段を降りるのはそこそこ恐怖を伴うかも知れないが。

 

 しかし、と百合香は思った。

 

「…何を、今さら」

 戻ったところで、無事でいられる保証はない。先に進めば、何かがわかるかも知れない。恐れてもいいが、立ち止まってはいけない、と百合香は剣を握りしめた。

 この剣があれば、何とかなる。それに、まだとてつもない何かをこの剣は秘めている、という確信が百合香にはあった。

 

 そういえばこれも今さらだが、この剣は一体何なのか。これがなければ、ほぼ間違いなく百合香は今頃、死んでいただろう。自分の中から現れて、氷の怪物を打ち倒してくれる、この剣はどこから現れたのか。やはり、自分の中にあったのか。持っている感覚では、2kgくらいあるように思う。これが外にある時と中にある時とで、体重は違うのだろうか。身体検査の時に、取り出してロッカーにしまっておけば、体重をサバ読みできないか。

 この状況でよくこんなバカな事を考えられるな、と百合香は自分にツッコミを入れる。案外と豪胆なのか、恐怖でおかしくなっているのか。

 

 兎にも角にも、百合香がこの剣を扱えるのは確かである。正体不明の怪物たちへの対抗手段がある、という事実は何よりも頼もしかった。

「よし」

 呼吸を整えて、百合香は立ち上がった。

まず、この城の正体を知ることが先決だ。どこまで情報を探る事が出来るのかわからないが、知らなくてはどうしようもない。

 

 そこで思うのは、あの怪物たちの知能程度だった。遭遇した個体は全て、動物並みの知能にしか思えない。

 氷の人形である時点で、人為的に生み出されたものである事はわかる。つまり、彼らを造り上げた何者かがいるという事だ。それは、高度な知性を持っている者に違いない。

 

 ―――知性。それは、ある意味では野生の本能よりも恐ろしい、と百合香は思う。本能で向かってくる野生動物は恐いが、知能をもって悪を行う人間も恐い。

 この城を奥に進めば ―進めたとすればの話だが― 、その何者かと対峙する事になるかも知れない。その何者かは、百合香に対してどう出るだろう。話が通じるか、それとも問答無用で襲いかかってくるだろうか。

「話なんて通じるとは思えない」

 百合香は歩きながら呟いた。これだけの事をしでかす存在が、説得に応えてくれるわけがない。

 

 そんなことを考えながらさらに通路を進むと、何やら奥から金属の打音みたいなものが聞こえてきた。一定ではなく、不規則なリズムだ。

 そして、聞き覚えのある濁った声も聞こえる。間違いない、あの氷の怪物の声だ。それも、大量に聞こえる。

 

 ――まずい。

 

 百合香は思った。どうやらこの先に、あの怪物たちが大勢いて、何かしているらしい。百合香を見付けたとたん、一斉に襲いかかってくるだろう。どう考えても、切り抜けられる気がしない。

 

 命の危機を覚えた百合香は、引き返そうと振り向いた。しかし、またしても百合香の心臓は止まりかけた。

「わああ!!」

 今度は声が出た。

 振り向いた百合香の前にいたのは、百合香より頭ひとつ以上背丈がありそうな、巨大な氷の鎧の闘士だった。

 百合香は、硬直して動けなかった。しかし氷の闘士は、なぜか攻撃してくる気配がない。

「……?」

 恐怖と混乱に陥っている百合香に、氷の闘士は全くもって意外すぎる行動に出た。百合香の両肩をがっしりと掴むと、振り向かせて背中をドンと押したのである。

「いたっ!」

 何なんだと闘士を見ると、今度は通路の奥を指差して、またしても背中を押してきた。痛い。

 行け、ということか。どうやら、怪物たちの声がする方に進ませようとしているらしい。それ以外に選択肢がなさそうなので、百合香は仕方なく前に進んだ。

 

 巨体の氷の闘士と共に歩くと、開けた円形のスペースに出た。その周囲がすり鉢状になっていて、座席のような段があり、多数の氷の怪物が座っている。

 

 見ると、氷の怪物どうしがスペースの真ん中で、剣を持って闘っている。その周りで他の怪物たちが声援、あるいは罵声を挙げていた。

 

 一目瞭然である。これは、闘技場だ。

 

 百合香を急かした巨体の闘士は、どこからか長柄の戦斧を持ち出してきた。

 闘技場を見ると、片方が相手の剣でバラバラに粉砕されている。勝った方はガッツポーズを取り、どこからか現れた係員ふうの氷の人形が、負けたほうの「死体」を片付けてしまった。

 いったい、彼らは何をしているのだろう。味方どうし戦っている。それも、どう見ても相手を殺すまでだ。あの氷の人形たちに「生」や「死」があるのかどうかは知らないが。

 百合香は、とにかく剣を握って、引き続き繰り返される闘技場の闘いを見守るしかなかった。ざっと見渡しただけで、闘う控えの剣闘士が20体はいる。上の観客席らしき場所にはその3倍はいそうだ。彼らに百合香が敵だと認識されたら、そこでもうお終いである。

 

 そこまで考えて、百合香はひとつ気付いた事があった。百合香が立たされているのは、控えの剣闘士たちと同じ場所である。

 つまり、信じられない事だが、彼らは百合香も自分達と同じ剣闘士だと認識している、ということではないのか。

 

 彼らに知性はない、という百合香の推測は正しかったらしい。同じような背丈で頭と四肢があり、剣を握っているということは、自分達と同じ剣闘士だと、そう認識されているのだ。だから、闘技場を後にしようとした百合香を、あの巨体の闘士は「おい、闘技場はあっちだぞ」と「親切心」で教えてくれたのだ。今まで生きて来た中で、いちばん余計なお世話である。

 

 何とか、隙を見て抜け出そう。どうせ知能は低い連中だ、一人抜けても気付くまい。そう思っていた百合香の希望は、秒速で打ち砕かれた。

 どういう順番になっているのか知らないが、百合香が闘技場の真ん中に出されたのである。

 

「ちょっ、ちょっと!!」

 完全に同類だと思われている。冗談ではないと思ったが、すでに対戦相手も剣を手にして百合香の前に進み出て来た。もう、闘う以外にない。

 相手は、最初にバス停近くで遭った個体と大差ない体格である。この程度、あの炎の技を繰り出すまでもなく勝てるだろう、という希望的観測のもと、百合香は剣を構えた。額には脂汗が浮いている。若干、破れかぶれの感は否めない。

 

 レフェリーのような人形が、サッと腕を降ろすと歓声が湧いた。どうやら、あれが決闘開始の合図らしい。対戦相手の剣闘士が、猛然と百合香に剣を振り上げて突進してきた。

「!」

 速い。ちょっと予想外だったので百合香は一瞬怯んだが、すぐに態勢を整えて、前と同じように相手の横に俊足で飛び込んだ。そして、がら空きになった側面から、剣を持った腕をはらい上げる。

 しかし、今度は簡単には行かなかった。相手は見た目より頑丈らしく、剣を叩き落とす事もできなかった。相手はすかさず振り向いて、剣を突き出してくる。

「くっ!」

「ギァアアア!」

 百合香は必死で相手の剣を躱す。今さらだが、自分の剣技は素人である事を思い出した。ふつうに考えれば、剣技をマスターしている相手には勝てない。

 

 どうするか。

 

 その時、百合香はどうしようもなく当たり前の事に気付いた。

 

 これはバスケットボールの試合ではない。

 

 要するに相手を倒せばいいのだ。チャージングも、ブロッキングもプッシングも、やり放題である。ホイッスルを鳴らしてファウルを数える審判もいない。

 そういう事なら、話は別だと百合香は考えた。

「アギャアア!」

 相変わらず奇声を上げて突進してくる剣闘士の剣を、百合香は何とか全力ではね返した。相手の腕が浮き上がる。その隙をついて、百合香は相手の胴体にチャージングを思い切り入れた。バスケットの試合なら、即退場レベルである。

 ドカッ、と鈍い音がして、相手は態勢を大きく崩す。間髪入れず、そのフラついた脚を思い切り引っ掛けると、相手は盾を取り落して転んでしまった。

 そこで、左足で相手の右腕を押さえ、今度こそがら空きになった喉元に、一気に剣を突き立てた。

 

 ボキッ、と嫌な音がして、相手の剣闘士の首が根本からゴロリと床に落ちる。闘技場は一瞬シーンと静まり、その直後に歓声が湧き起こった。百合香をわざわざここに連れて来たお節介闘士も、拳を突き上げて喜んでいる。百合香はどう反応するべきか迷った。こっちは、ここにいる全員を一気に葬れるなら即実行したいのだが。

 

 百合香は、まさか連戦なのかと身構えていたが、どうやらトーナメント制であったらしく、先ほどと違う控えの場所に立つように指示された。背後には巨大な闘士の彫像が立っている。知性がなさそうに見えるが、儀式的な概念も理解しているという事だろうか。

 ちゃっかり、対戦相手が落とした盾を頂いた百合香だったが、またしても盾が溶け始めてしまった。どうも、彼らの武器や防具は自分には装備できないらしい。

 

 完全に氷の怪物たちの同類扱いされてしまい、どうするべきか困惑する百合香の眼前で、次々と試合が続いて行った。

 



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戦斧の闘士

 コーン、コーンという剣の打ち合いの音が、巨大な闘士の彫像に見守られた氷のコロシアムに響く。

 本物の剣闘など観た事はないが、剣の打ち合いの音にしては、響きが妙だと百合香は思った。金属どうしの音ではない。

 

 そういえば、さっき拾い上げた相手の盾は、氷のように融け始めたせいで使えなかった。

 

 ―――氷だ。この城は、城そのものも、兵士も、武器までも、全てが氷でできているのだ。

 

 百合香は、目の前で続けられる氷の人形どうしの剣闘を見ながら、そう結論づけた。

 極低温の世界。そこでは、人間も動物も植物も生存できないだろう。1万年以上前に世界を襲った猛烈な寒波は、生物を一瞬で凍りつかせた。いま発見されるマンモスの遺骸からは、当時食べたキンポウゲ等がそのまま出てくる。その肉も、食べようと思えば食べられるほどだ。

 

 この城が出現したことで、百合香たちの学園は一瞬で「氷河期」に襲われたのだ。

 

 一体、この城は何なのか。何者がこの城を支配しているのか。百合香は今現在の生命の危機そっちのけで、その疑問について考えていた。

 しかし、その思考を遮るかのように、闘技場を歓声が包んだ。闘技場の真ん中には、百合香をここに導いた体躯のいい闘士がガッツポーズを取っており、その足元には戦斧で粉微塵にされた哀れな「遺体」が散乱していた。

 

 百合香はぞっとした。もし彼と闘う事になったら、勝てるのか。今すぐ逃げ出したい所だが、逃げたらここにいる全員が襲いかかって来るだろう。そうなると無事でいられる可能性はない。

 

 不気味なのは、この人形たちのメンタリティである。敵対し合っているのか、団結しているのかわからない。共に歓声を上げていた者が目の前でスクラップにされると、やはり歓声が湧き起こるのだ。

 何かこう、「在り方」のみに本能的に従っているような印象がある。

 

 そんな事を考えていると、突然百合香の前の視界が開けた。百合香のために、全員が道を開いたのだ。その先は言わずと知れた、闘技場の中央である。

「え?」

 あたりを見回すと、またしても控えの闘士たちが、百合香にジェスチャーで「行け」と促している。

「私の出番ってこと!?」

 百合香の言葉がわかっているのかいないのか、またも騒々しい歓声が起きた。いったい、どういう対戦表になっているのだ。そんなもの、どこにも掲示されていない。

 

 百合香の恐怖と緊張は一気に跳ね上がったが、仕方なく剣を握って中央に出た。まだ対戦相手は登場していない。

 ほどなくして、百合香の前に現れたのはだいぶ長身の闘士だった。その握られた剣も、百合香の身長より長く、幅もある大剣である。人間なら片手で扱えるとは思えないが、彼は平然と右腕だけで振り回していた。盾は持っていない。

「そんなのありか」

 百合香が抗議する間もなく、レフェリーが腕を降ろして闘技がスタートした。

 

 相手はあまり考えていないらしく、特に構えもなく剣を振り上げて向かってきた。ありがたいのかどうか分からないが、予想していたより動きは鈍重で、スピード戦略で勝ちに行ける、と百合香は踏んだ。

 まず、相手の左サイドを百合香は取る。盾を持っていないなら、こちらがガラ空きの時が攻撃のチャンスだ。

「えやっ!!」

 百合香は、ジャブで様子見するボクサーのように、まず相手との間合いを剣で測る事にした。

 横薙ぎに払った切っ先が、相手の二の腕を掠める。手足は太く、胴体を狙うのに厄介だなと百合香は思った。相手はすぐに上半身をひねって、大剣を斜め上から振り下ろしてきた。

 さすがに肝が冷えた百合香は、即座に後退して大きく距離を取った。砂のような、細かい氷の粒子がギッチリと固められた床面に、相手の大剣が激しく打ち付けられる。

 態勢としては、相手が首をさらしている今はチャンスだが、剣を回避するために大きく後退したのがアダになった。百合香が距離を詰めようと踏み込んだものの、相手が態勢を立て直す時間も与える事になってしまった。バスケの試合で、ブロックを恐れてパスを回している間に、相手に壁を築かれるのに似ている。

 

 そこで再び百合香に閃きがあった。バスケットボールにも当然、ロングレンジの攻撃はある。動画サイトで取り上げられるような、土壇場の「奇跡のシュート」は極端な例として、下手にゴール下へ潜り込むよりは、ロングレンジでシュートを狙う方がいい場面もある。

 問題は、そんなロングレンジの攻撃方法が思い付かない事だった。

 

 百合香は、どうにか相手より俊敏である事が幸いして、相手の剣撃をかわす事はできた。しかし、このままでは足が疲れてしまう。

「ゴエエエ!!」

 いい加減痺れを切らしたらしい氷の剣闘士が、破れかぶれで剣を振り回して突進してきた。百合香はそれに一瞬気圧されて、足がもたついてしまう。相手は、一気に百合香との距離を詰めてきた。―――まずい。

 

 百合香が生命の危険を感じた、その時だった。

 

 手に握った金色の剣が、眩く輝き始めた。エネルギーが脈動しているのがわかる。百合香は、床を蹴って後方に飛び退りながら、剣を大きく上方に払った。

 

『スターダスト・ストライク!!』

 

 百合香が叫ぶと、剣から放たれたエネルギーが無数の火球となり、天井方向から相手の剣闘士の全身を打ち付けた。一つ一つのダメージはそれほどでもなさそうだが、5発、10発と繰り返し打たれると、バランスを崩して剣を取り落とし、膝をついてしまう。

 今だ!と、百合香はドリブルで相手ゴールに接近するように間合いを詰める。

「でええーーいっ!!!」

 両手で剣を握り、全身の力を込めて相手の首に剣を突き入れる。まだ剣身にはエネルギーが残っており、それが炸裂した。

 

 パーン、と澄んだ音とともに、黄金色のエネルギーが剣身から弾ける。剣闘士の頭と首周りが粉々に破壊され、その余波が後方の壁際に立っている、巨大な剣闘士の彫像の胴体を直撃した。

「はあ、はあ、はあ」

 これまでにないタフな戦闘を終えて、百合香は剣を立てて片足をついた。

 よもや頭を破壊されて立ち上がっては来ないだろう、とは思ったが、そういう常識が通用しない事もあり得る。ビクビクしながら、剣を構えて相手がまだ動いてこないかと、百合香は警戒した。

 

 しかし、倒された剣闘士の首から下は、文字通り人形のように、ぴくりとも動く様子がない。心から安堵のため息をつき、百合香は胸を撫で下ろした。

 

 呼吸が整ってくると、百合香は何か様子がおかしい事に気付いた。今までは戦闘が終わると、騒々しい歓声が上がっていたのに、今回はなぜか静まりかえっている。

「?」

 周囲を見ると、全ての剣闘士たちの視線が、一点に集中していた。それは、さっき百合香が放ったエネルギーの流れ弾が当たった、剣闘士の彫像であった。

 氷の人形である彼らの表情などはわからないが、どうもあの巨大な彫像に対して、突然恐れを抱いて狼狽しているように見える。一体、ただの彫像の何を恐れているのか。

 

 だがその時、百合香は一瞬で事態を悟った。

 

 よくよく考えてみれば、ここにいる百合香以外の剣闘士は全員、動く氷の彫像である。そして、細身の者もいれば、ゴリラ以上の体躯の者もいる。

 ゴリラがいるなら、象やクジラ並みの個体がいてもおかしくない。

 

 百合香に戦慄が走る間もなく、その彫像は雄叫びを上げて動き出した。

「グオオオオ!!!」

 低い声が闘技場に響く。その音波だけで吹き飛びそうだった。実際、細身の剣闘士は吹き飛んでいる。

 ワゴン車ほどもある大剣を振り回して、その巨体が闘技場を揺らす。あれは飾ってあるだけの彫像ではなく、れっきとした剣闘士の一体だったのだ。

 

 巨大な剣は、足元にいた人間サイズの剣闘士たちを、スクラップ処理される空き缶のようにまとめて砕き、押し潰した。こんな一撃を喰らったら、バスケットの練習を数ヶ月休んでいる16歳女子高校生の身体は、どういう事になるのだろう。百合香はあまり考えない事にした。

 

 どうやら、百合香のエネルギーの流れ弾が直撃したために、あの巨大剣闘士は自分への攻撃だと受け取り、怒りのスイッチが入ってしまったらしい。足元の剣闘士たちはそのとばっちりを受けて、バーのマスターが砕いた氷よろしく床に散乱する事になったのだ。

 私は悪くない。いや、そういう問題ではないが、とにかく考えようによっては、これで逃げ出すチャンスが出来たとも言える。あの巨体が暴れ回っているうちに、自分はこの場を抜け出そう、と百合香は考えて、脱出口を探し出した。出口は2つある。自分が入ってきた通路と、その反対側の―――

「何よ、これ!!」

 思わず百合香は悪態をついた。さっきまとめてスクラップにされた剣闘士たちの「残骸」が、通路を塞ぐように折り重なっていたのだ。こんな、ご丁寧な偶然があってたまるか。

 

 となれば、入ってきた通路から逃げるより他にない。百合香は踵を返し、砕かれる剣闘士たちには目もくれず駆け出した。

 しかし、床面を巨大剣闘士の足が揺らし、先程の戦闘で脚の疲労が残っている百合香は、不意にバランスを崩して倒れてしまった。

「うあっ!」

 左肘を床面に打ち、微細な氷の粒が顔面に撥ねる。まずい、と思った時にはすでに百合香に、巨大剣闘士の影が覆い被さっていた。

 剣闘士は百合香に狙いを定め、その大剣を振り下ろす。動きはそこまで俊敏ではない。転がって回避できるかと思った時、左腕に激痛が走った。

「あぐっ!」

 どうやら、戦闘か今の転倒で痛めたらしい。今度こそまずい。というより、もう駄目だと観念しかけたその瞬間だった。

 

 巨大な剣闘士と百合香の間に、大きな影が割って入ると、激しい打音とともに大剣の動きが止まった。

 そこにいたのは、百合香を闘技場に導いた、あのお節介な戦斧の剣闘士だった。驚くべきことに、自分の3倍は身長がある巨大剣闘士の大剣を、その戦斧で受け止めてみせていた。

「!?」

 百合香は呆気にとられた。これはどういう行動なのか。結果的には百合香は「助けられた」形になるが、彼らにそういう感情があるのだろうか。

 ただ、何の根拠もないが、百合香は不思議とここにいる闘士たちに「悪意」を感じなかった。究極的なまでに純粋というか、「一対一の闘い」だけのために存在している、そんなふうに見えた。城の周りや通路を護っていた、あの闘士たちと姿形は同じなのに、なぜなのか。

 

 戦斧の闘士は、チラリと百合香の方を見ると、再び巨大剣闘士に向き直って戦斧を構えた。

 百合香は、ここでこの場から脱出する機会が訪れた事を知った。あの戦斧の闘士がどれだけ持ちこたえるかわからないが、百合香が逃げ出すだけの時間はあるだろう。

 すでに、戦斧の闘士以外の剣闘士たちは全滅している。もう、今以外に逃げるチャンスはなさそうだった。

 

 痛む左腕をかばいながら立ち上がると、百合香は戦闘を繰り広げる二体を背に歩き始めた。

 しかし、3歩ばかり歩いたところで、百合香の足が止まってしまった。

 

 疲労ではない。ただ、なぜか足が歩こうとしない。それどころか、自分でも信じられないことに、百合香の足は再び、闘技場の中央を向いたのだ。

 

 ―――私は何をしているんだ。

 

 百合香は自問した。こんな氷の化け物たちが殺し合いをしたところで、自分には関係ない。むしろ、学園をあんな目に遭わせた連中の仲間だ。せいぜい殺し合っていなくなってくれれば、こちらとしては満足なくらいである。

 

 しかし、理由はわからないが、この戦斧の闘士は百合香を「助けて」くれた。意図は知らないが、結果的にはそうとしか言えない。

 どう考えても、百合香たちにとって「敵」であり「害悪」のはずの存在が、である。

 

 百合香は、痛みと疲労で考える余裕を失っていた。ただ、身体が自動的に動いていた。相手からボールを奪った直後の、あの感覚だ。

「うああああ―――っ!!!」

 まだ動く右腕で金色の剣を振り上げると、百合香は巨大な剣闘士の剣に向かって思い切り打ち付けた。

 それまで押されていた戦斧の闘士は驚いた様子を見せながら、百合香の加勢で一気に大剣を押し返すことに成功した。

「はあ、はあ」

 さすがに片腕の力には限界がある。しかし、左腕は役に立たない。この、ちょっとした車庫ぐらいある巨体の相手には、女子高生が振り回す剣など爪楊枝みたいなものである。

 だが、この戦斧の闘士との共闘であれば、闘えない事はないらしい。

 

 戦斧の闘士は百合香の意を汲み取ったのかどうか、百合香ではなく巨大な剣闘士の方を向いて戦斧を構えた。どうやら、百合香を邪魔だとは捉えていないようだ。

 しかし、二人がかりといっても相手は巨大である。どう考えても勝てる気はしない。しかも、水晶みたいに硬いのだ。

 

 戦斧の闘士は、思案する百合香を無視して一人で巨大剣闘士への間合いを詰めた。

「あっ、バカ!」

 つい悪態をつく百合香だったが、慌てて自分も加勢する。パワーではどう考えても勝てない以上、やはりこちらはスピードで勝負だ。左腕は使えないが、足はまだ動く。

 

 百合香は右側面に回ると、腰めがけて剣を突き立てた。しかし、いくらなんでもサイズ差がありすぎる。コンクリートブロックをシャベルで砕こうとするようなものだ。

 やっぱり無謀だったのではないか、と今さら考えつつ、百合香は距離を取る。しかし、戦斧の闘士は相変わらず果敢に打ち合いを続けていた。

 

 やはり、先ほどと同じように、戦斧の闘士と力を合わせる以外にない、と百合香は考える。しかし、戦斧の闘士は相手の攻撃を防ぐので精一杯のようだった。だが、明らかに百合香よりも基礎的なパワーでは大幅に上回る。

 そこで百合香に閃きが起きた。

 

「―――アンクルブレイクだ!」

 百合香は、バスケットボールで相手の足を崩すテクニック、アンクルブレイクを仕掛けられないかと考えた。そこでまず、戦斧の闘士と同時に、巨大剣闘士の剣を押し返した。

「でええーいっ!!」

 ガキン、と小気味よい音がして、ほんの少しだけ相手の大剣を打ち返す。その隙を逃さず、百合香は巨大剣闘士の左腕を剣で繰り返し打ち付けた。

「オゴオオオ!!!」

 百合香の攻撃に苛立った巨大剣闘士は、百合香を狙って剣を振り下ろそうとした。しかし百合香はそれを待っていたかのように、大きく相手の左後ろに回り込む。剣で狙うには死角となるため、相手は左足を下げて向きを変えようと試みた。

「今だ!」

 百合香は、その足首に向けて剣を打ち付けた。だが、その巨体には何の効果もなかった。それでも百合香はやめない。

 またも、苛立ったらしい巨大剣闘士は、今度は右足を出して向きを変えようと試みた。右足の首が、戦斧の剣闘士の真横に来る。

「今だよ!」

 百合香は、戦斧の闘士に向かって叫んだ。日本語が通じるかどうかはわからない。今度は、足首を指差してみせる。

 百合香のジェスチャーが通じたのかどうか、戦斧の闘士は「わかった」という風に頷いて、巨大剣闘士の足首に思い切り戦斧を打ち付けた。

 

 相手の大きさからいって、いかに戦斧の一撃といえど、ダメージらしいダメージは期待できない。だが、今は違う。

「ゴエッ!?」

 困惑するような叫びが響いたかと思うと、巨大剣闘士はその体のバランスを大きく崩して、闘技場の真ん中に倒れ込もうとしていた。

「やった!アンクル・ブレイク成功!!」

 アンクルブレイクは、ドリブルに対するディフェンスを動きで翻弄し、文字通り足首の態勢を崩して転倒させるテクニックである。百合香は、そのスピードを活かして巨大な相手を翻弄し、脚のバランスが崩れたところに、戦斧の闘士の一撃を喰らわせて転倒させる作戦に出たのだ。

 

 そこまでは良かった。だが、この巨体が倒れ込んだら、どれほどの衝撃が起きるのか。瞬間的に百合香は、その場を大きく飛び退くべきだと判断し、後方に床を蹴った。

 

 百合香が大きく飛び退いた次の瞬間、その巨体が闘技場のど真ん中に倒れ、今まで体験したどんな地震よりも強烈な振動が闘技場と百合香を襲ったのだった。

「うわわわわっ!!!」

 振動する時間はほんの数秒だったが、百合香の軽い身体ではバランスを維持できなかった。だが、ゴリラ以上の体躯を誇る戦斧の闘士は違い、揺れる中を猛然と巨大剣闘士の胴体に上り、首めがけて戦斧を振り下ろそうとした。

 

 だが、次の瞬間。

 

 巨大剣闘士の左手が戦斧の闘士を頭から握り、鈍い音が闘技場に響いた。

 



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覚醒

 巨大な氷の剣闘士の左手に掴まれた戦斧の闘士は、その手が開かれると上半身がバラバラになり、闘技場の床面に呆気なく打ち捨てられた。

 

 その光景を見て、百合香の胸にはこれまで体感したことのない感情が押し寄せてきた。

 戦斧の闘士は、時間にすれば遭遇してほんの30分も経ったかどうか、という所である。彼が百合香を闘技場に連れて来なければ、こんな事態にはなっていなかった。

 

 だが、経緯はどうあれ、彼は百合香の命をこの巨大な剣闘士から、一度だけだが「護って」くれた。そこにどんな意思、意図、または感情があったのかはわからない。

 

 その彼が、ただ左手で握られただけで、動く事のない残骸に成り果てた。

 

 

 いま、百合香の選択肢は二つある。ひとつは、巨大な剣闘士が倒れている今のうちに、あの剣闘士のサイズでは入って来られそうにない通路に引き返す。

 

 そして、もう一つの選択肢は。

 

「…何よ」

 百合香は、金色の剣を握る手がブルブルと震えているのがわかった。恐怖で震えているのか。そうではなかった。

 

 百合香のまだ動く右腕は、自分でも驚くべき事だが、「怒り」に震えているらしかった。

 一体、自分の感情はどうなっているのか?自分自身でも理解できないが、あの呆気なく握り潰された戦斧の剣闘士に、百合香は学園の生徒達に対するのと変わらない感情を有しているらしかった。

 

 私は、氷の化け物に友情を感じているのか。

 

 百合香の胸に理解不能な感情が押し寄せた時、「それ」は爆発した。

 

「うああああ――――!!!」

 百合香の絶叫に応えるように、胸から再び太陽のようなエネルギー球が現れた。その炎に煽られて、身に纏っていた学園の制服や身に付けている全てが燃えるように消え去り、替わって黄金の「何か」が全身を覆っていった。

 

 それは、鎧だった。胴体、腕、両足を、剣と同じ金色に輝く鎧が、百合香の全身を覆っていった。腰には、見たこともないような美しい素材でできた、真っ白なスカートが巻かれている。

 

 ―――天衣無縫。

 

 その言葉が百合香の心に浮かんだ。

 

 何の意図も飾りもない、心の底からの純粋な感情の爆発。それが百合香に起こった。

 それまで、極めて不安定に発現していたエネルギーの全てを、百合香は理解できると感じていた。左腕の痛みもすでに消え去り、指先はおろか、髪の一本に至るまで、エネルギーが満ちているのがわかった。

 

 目の前で、巨大な剣闘士がゆっくりと立ち上がる。その足元に、百合香をこの闘技場に導いた闘士の、戦斧が転がっていた。

 

「ウウウウ…」

 巨大な剣闘士は、百合香の全身に満ちるエネルギーに、明らかに動揺しているらしかった。その証拠かどうか、ほんの数センチだけその足が後ろに下がった。

 金色の鎧を新たに纏った百合香は、戦陣の先頭に立つ勇敢な女王のごとく、一切怯むことなく、剣を手に一歩ずつ剣闘士に迫った。

「アゴオオオ―――!!!」

 巨大剣闘士は、恐れを振り払うかのように、百合香めがけてその大剣を振り下ろす。その刃は寸分の狂いも無く、百合香の頭頂を狙っていた。

 

 一瞬だった。カキン、と甲高い音がして、剣闘士の大剣の動きが停止した。

 大剣は、百合香の金色の剣によって、百合香の眼前で受け止められていた。

「でえいっ!!」

 百合香は全身に力を込め、剣を払う。剣闘士の大剣は、上方に大きく弾かれた。

「うりゃあ――っ!!」

 間髪入れず百合香は、金色の剣を一閃する。巨大剣闘士の手首は、木の人形が折れるかのごとく、いとも容易く砕け折れてしまった。

 支えを失った大剣が宙を舞い、百合香に向かって落ちてくる。百合香が無言で剣を払うと、大剣は一瞬で粉々に打ち砕かれ、蒸発して消えて行った。

 

 巨大な剣闘士は、それまでの百合香と全く違う力に、今度こそ恐怖の色を見せ始めた。一歩、また一歩と後ずさる。

 百合香は尚も相手を追い詰めるように迫りながら、落ちていた戦斧を拾い上げた。

 戦斧は金色の光の粒子になって空中に滞留し、そのエネルギーが百合香の左腕に吸い込まれるようにして消えて行った。

 

 百合香は、たじろぐ巨大剣闘士に向かって、その左腕で宙を払った。

 すると、左腕からまるで戦斧のような形状のエネルギーが放たれ、回転し、剣闘士の肩の関節を直撃した。

「ウルオオオオ!!」

 放たれたエネルギーは剣闘士の左肩に深々と突き刺さり、その腕は力を失って垂れ下がった。剣闘士は苦悶の叫びを上げる。

 百合香は、試みにもう一度、その戦斧を放てないか試してみた。しかし、それはたった一度きりの能力らしく、2発目を放つ事はできないようだった。

「なるほど」

 百合香は、冷静に自分の能力を理解すると、金色の剣を両手でしっかりと構えた。

「仇討ちってわけじゃないけど、見てて」

 足元に散乱する、戦斧の闘士の遺骸に向かって百合香はそう呟く。握られた剣には、エネルギーが満ちていった。

「このエネルギーが何なのかはわからないけど、使い方の基本はわかった」

 百合香は、柄から切っ先までエネルギーをコントロールできる事を実感していた。今までの、剣に任せて力を放り出していた感覚とは全く違う。

 それは、光と炎のエネルギーだった。この、凍結した闇の城と対極の存在だ。

 

 巨大な氷の剣闘士は、怒りに任せて突進してきた。力任せに百合香を叩き潰してしまうつもりらしい。

 だが、今の百合香は逃げる事など考えなかった。何者が向かってこようと、負ける気など微塵もない。床を揺らして向かってくる氷の巨人に、百合香は剣を構えて真正面から対峙した。

 

 金色の刃に、今までにない鮮烈な煌めきが満ちる。それは、熱を帯びた波動となって闘技場全体を揺るがした。その強烈なエネルギーに気圧され、氷の巨人は慄いて立ち止まった。

 

 百合香は剣を大上段に構えて、床を蹴った。その跳躍は、巨人の頭にまで到達する。

 ためらう事なく、百合香はその輝く金色の剣を、全身全霊の力を込めて、真正面から氷の巨人に叩きつけた。

 

『スーパーノヴァ・エクスターミネーション!!!!』

 

 白金に輝く剣身から放たれた巨大なエネルギーの刃が、氷の巨人の頭頂部から胴体を一刀両断し、切断面から放射状に眩いエネルギーが走る。

 着地した百合香は、その輝きを直視できず顔を覆った。稲妻のごとき重く鋭い破裂音とともに、巨人の身体は光とともに爆発四散し、壁や天井にまでとてつもない衝撃が走った。

 

 衝撃が収まると、百合香は顔を上げた。相手の巨体はすでになく、光の粒子となって空間を漂っている。

 攻撃の余波は、散乱していた他の剣闘士たちの亡骸もまとめて一掃したらしく、戦斧の闘士も共に光となって消え去ったようだった。

 

 床や壁面、天井にはあちこちに深い亀裂が入っており、自ら放ったエネルギーの威力に百合香は戦慄するとともに、この力があれば、この奇怪な城を奥へと進む事も可能かも知れない、と思い始めていた。

「……」

 結果的に、あの戦斧の闘士が百合香に何らかの覚醒を促した事になる。百合香は複雑な思いだった。

 彼は本来は「敵」のはずだ。それなのに、悪意らしきものを感じる事はなかった。なぜなのか。この先も、時々あの戦斧の闘士の事を思い出しそうな気がした。

 

 その時、百合香に聞き覚えのある声が聞こえた。

『百合香。見事でした』

 その声は、何度か聞こえたあとで途切れてしまった、あの女性の声だった。

「誰!?」

『声を届ける事しかできず、ごめんなさい。ようやくあなたの姿を捉える事ができました』

「何度も私に声を届けていたのは、あなたね!?」

 百合香は、今度こそ声の主を逃すまいと叫んだ。

『落ち着いて、百合香。まず、私の言う通りにして、その場から身を隠しなさい』

 言われた事の意味が、百合香にはわからなかった。

「身を隠す?」

『そうです。さあ、聖剣アグニシオンを掲げなさい』

「アグニシオン?」

 百合香は、握っている金色の剣を見た。この剣には名前があったらしい。

「アグニって、インド神話の火の神様の名前よね」

 何か関係があるのだろうかと思いながら、百合香は騎士が王に礼を示すかのような所作で、目の前に聖剣アグニシオンを掲げた。

『唱えなさい。"汝、我に女神の間へ至る扉を開くべし"』

「長いな」

 とりあえず日本語である事に感謝しつつ、暗記が得意な百合香は復唱した。

 

「"汝、我に女神の間へ至る扉を開くべし"」

 

 百合香が唱え終わると、何秒かの間を置いて、剣身が真っ白な淡い光を帯び始めた。

『百合香、闘技場の中の、エネルギー粒子密度が最も薄い部分を見なさい』

「え!?」

 いきなりそんな事を言われても、何の事かわからない。エネルギー粒子って何のことだ。

 そう思いながら周囲を見渡すと、さっき倒した巨人の弾けたエネルギーが、まだ滞留している事に気付いた。そして、その中で一箇所だけ、粒子の密度が薄い部分を百合香は見つける事ができた。

「あそこ?」

『そのとおりです。よく見付けましたね』

 ふつうに教えてくれればいいんじゃないのか、と百合香は思いながら、何となく何をすればいいのかわかった気がした。

「あそこに、剣のエネルギーを向ければいいのね」

『そのとおりです。急ぎなさい』

「急かさないでよ」

 言いながら、百合香は剣を水平に構えた。切っ先を粒子が薄い空間に向け、エネルギーを放つ。

 細い光が渦巻くように回転しながら、空間に吸い込まれるように消えて行った。その直後、空間に扉のようなものが出現した。

「何、あれ!?」

『急いで中に入りなさい。話は後です』

「中に化け物とかいないわね!?」

 一番確認したい事を百合香は訊ねた。怪物はそろそろ食傷気味である。しかし、声の主の返答はない。

 一瞬だけ躊躇ったあと、百合香はそのドアを開け、その奥に続く光の空間に飛び込んだ。

 

 

 

「今の波動は…」

 冷たく暗い広間の奥、黒い玉座に腰掛けた、暗灰色の鎧を纏う人物が低い声で呟いた。

「確かに、この城のどこかで、強大な熱のエネルギーが発生した」

 鎧の人物は、立ち上がると窓の前に立った。眼下には、巨大な城の全容が見渡される。青紫に輝く壁面に、オーロラの光が不気味に煌めいている。

「予想外の出来事ではあるが…予想外の出来事に対処するために、この城はある」

 そう言うと、その人物は漆黒の艶やかに光るマントをなびかせて、どこへ向かうつもりなのか、足音を響かせながら広間を退出した。

 

 

 

 空間に現れたドアをくぐって、眩い光に細めた目を開いた百合香は、壮麗な広い、石造りの空間にいる事に気付いた。それまで彷徨ってきた、氷の城ではない。

 その部屋は面積にすれば、50から70畳くらいはありそうだ。六角形をしており、天井には光る石がはめ込まれ、煌々と室内を照らしていた。中央にはやはり六角形の、人口の泉がある。水は、澄んでいてキラキラと輝いていた。

「きれい…」

 それまでの重苦しい空間から、正体は不明だが美しく落ち着いた空間に移ったせいで、百合香の緊張はだいぶ和らいだ。ここに居るだけで、体の疲れが癒されるような気がする。

「一体、ここは…」

『百合香、よくここまで辿り着きました』

 突然、部屋全体に声が響いたため、百合香はまたしても心臓が止まりそうになった。

『もう、そのように驚かないでください』

「そ、そんな事言われても…」

 声の主はやはりあの女性の声である。百合香は、ようやくこの声の主と会えるのかと思っていたが、姿を見せる気配はない。

「あなたは誰なの?ここまで、本当に命懸けだったわ。何度、死ぬかと思ったかわからない」

『ごめんなさい。あなただけに辛い思いをさせて』

「…訊きたい事が多すぎて、整理がつかないけれど」

 百合香は、中央の泉の縁に腰掛けると、ようやく一息つける事に心から安堵しつつ、質問した。

「まず、あなたが誰なのかを教えて」

 百合香の問い掛けに、ほんの少しだけ間を置いて、声の主は答えた。

『私に名はありません。ですがそれでは不便ですので、あなたの学び舎から拝借して、『ガドリエル』とでも呼んでください』

「ガドリエル?名前がない?」

 百合香は面食らった。明確な知性と意思を持ちながら、名前がないとはどういう事なのか。

『以前呼ばれていた名前はありますが、それも借りた名前です。カグツチなどと呼ばれておりました』

「カグツチ…日本神話の、火の神ね」

『名前を借りただけです。本来そう呼ばれている大元の存在とは、何の関係もありません』

「あなたは神?それとも、天使かしら」

『あなた方人間の感覚で、どう区分けしていただいても構いません。女神、守護霊、天使、あるいは物の怪でも悪魔でも、ご自由に』

 悪魔とはまた穏やかではない。名前どころか、存在そのものが曖昧なようだ。ただ、人間を超越した、霊的な存在であるらしい事はさすがにわかる。

「わかったわ、ガドリエルね。それでいいわ」

『ありがとう、百合香』

「姿は見せてくれないの?」

『お察しかも知れませんが、私には姿もないのです。もちろん肉体もありません。ですが』

 ガドリエルがそう言うと、泉の中央が渦巻くように波立って、その上に浮遊する、立体映像のような人の姿が現れた。それは、燃えるような真紅のラインが走った、黒い豪奢なドレスをまとう長髪の女性だった。髪もまた炎のような橙色に金色のメッシュが入り、頭には黄金のティアラが輝いていた。顔立ちは、なぜかバスケ部のコーチに少し似ている。

『あなたの中にあるイメージをお借りして、便宜的に姿を創造してみました。これでいかがでしょう』

「日本のヴィジュアル系バンドの衣装みたい」

 小さく笑って、百合香はうなずいた。

「いいわ。色々注文をつけてしまったようね、ガドリエル」

『どういたしまして』

「ガドリエル、それじゃ私が一番聞きたい事を教えてちょうだい。学園のみんなは、生きているの?」

 百合香の問いに、また少し間を置いてガドリエルは答えた。

『生きています』

 何とも素っ気ない返答である。しかし、その一言で百合香はだいぶ救われた思いだった。心から安堵し、深く息を吐く。

「良かった」

『ですが百合香、安心してよいわけではありません。私の力が完全であれば、彼女たちを守る事はできたのですが、力を封じられているため、あなた一人を救うのが限界だったのです』

 唐突にそう説明されて、百合香の思考は混乱した。

「…どういうこと」

『順を追って説明しなければなりません。あなたが何度も問い掛けた疑問です。この城は一体何なのか、という』

 そうだ。それは現時点で最大の疑問である。ガドリエルは、どうやら知っているらしかった。

「…この城は、一体何なの」

『この城は、あなたの言語で言うなら…氷巌城、とでも表現しましょうか』

「ひがんじょう?」

『そう。氷魔と呼ばれる、極低温の精霊たちによって生み出された、全てが氷でできた魔城です』

 やはりそうなのか、と百合香は思った。何もかも、全てという全てが氷で出来ているという、百合香の実感は正しかったのだ。しかし、氷魔とは何なのか。百合香が問うより先に、ガドリエルは答えた。

『今、全てを説明しても、疲れたあなたには理解が追い付かないでしょう。いずれ順を追って説明します』

「ちょっと待って」

 百合香は、ガドリエルを遮るように言った。

「まるで、この先しばらくあなたと付き合う事になるような言い方ね」

『ええ、もちろんです』

「答えて、ガドリエル。学園や街を救う方法はあるの?」

『あります。そのために、私はあなたを導いたのです』

 またしても、あっさりとガドリエルは答えた。やはり最初から、ガドリエルには目論みがあったのだ。現在、どこまで目論み、期待どおりに運んでいるのかはわからないが。

「どうすれば?どうすればみんなを助けられるの!?」

『細かく話すとだいぶ長くなりますが』

「…かいつまんで話してくれると助かるわ」

『いいでしょう。あなたの、この城における役割は』

 やや長めの間があった。部活のコーチに似たガドリエルの唇が動く。

 

『氷巌城の城の主を封印し、城と魔物を全て消滅させる事です』



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癒しの間

 ガドリエル学園がある仙蒼区という地域では、唐突に発生した未曾有の豪雨で大混乱を来たしていた。ついこの間に梅雨明け宣言が出された後である。

 

『避難指示が発令されました 以下の地区にお住まいの方は指定の避難所に すみやかに…』

 放送で避難指示がなされ、サイレンを鳴らした消防車が走り回る。側溝は溢れ返り、運悪く河川敷に停めてしまったらしい自動車が水没していた。

 ガドリエル学園と市街地を繋ぐ、標高が下がった道路も水没しており、パトカーが陣取って迂闊な自動車が進入しないよう塞いでいた。

 また学園のある町と市街地を結ぶ線路の橋が、流木によって変形してしまうという事態も発生し、ガドリエル学園付近の一帯は完全に孤立してしまっていた。

 

 市内ではパニックが起きており、食料品の買い溜めに走る人間などが現れて、暴力沙汰にまで発展する例もあった。またある病院では、入院していた女性患者が病室から、洪水を恐れたのか連絡もなく逃げ出すといった事件まで起きている。

 

「連絡はつかないのか!?」

「駄目です!一切の通信が通じません。電話回線も、無線も、ネットもです」

 自衛隊の通信機器を備えた車両内で、上官と隊員が声を張り上げていた。ガドリエル学園のある高台の地域が、厚い雲のような現象に覆われて、自衛隊も接近できずにいるのだ。

「水陸両用車はまだか!」

「それが、とっくに出動命令は下ったのですが、応答がありません」

「なんだと!?」

 上官らしい人物は、通信車両の外に出て、雨に打たれながら不気味な空を睨んだ。

「何が起きていやがる」

 

 

 

 

 自分で、その場の勢いで何かを考えるのと、人から言われるのとでは、同じ言葉や目的でも印象が変わる、というのは誰でも経験していると思う。

 百合香は、「女神」ガドリエルから言われた事を、頭の中で繰り返した。

 

 この巨大な城の主を封印して、城と魔物を全て消滅させる。

 

 文章にすればとても簡単だ。携帯電話のSMSでも送れるレベルである。しかし、言うは易く行うは何とやら、ではないのか。

「とても簡潔だわ」

 百合香はそう返すのが精一杯だった。

「それで、この城にはああいう化け物がどれくらいいるのかしら。うちの学園は、少子化の影響でついに生徒数が500人を切ったけど」

 軽いパニックに陥ると逃避のためか、突然どうでもいい情報が飛び出る、江藤百合香とはそういう人物である。ガドリエルはそれには何の反応も見せず答えた。

『魔物の数は不明です。というのも、この城は常に「依代」となる建造物や都市、あるいは自然など、異なる条件や時代背景を、模倣して出現するためです』

「ちょっと待って」

 今度は何だ。また知らない情報が出てきた。

「依代となる建造物って、どういうこと」

『この城は、あなたの学園を依代として具現化した、ということです。本来、彼らには特定の姿がありません。そこで、この世界に干渉する際には、常に依代となるものを模倣して、自らの姿をその都度創らなくてはならないのです』

 百合香は、ガドリエルの言葉を試験勉強並みの集中力でどうにか理解しようと努めた。

「…まるで、過去にも同じ事があったような言い方ね」

『そのとおりです。最も最近のものは、あなた達の時間の区切りで言えば、飛鳥時代と呼ばれた頃に、この日本と呼ばれる国で起きました』

「はい?」

 もう、百合香は自分の理解力に自信が持てなくなってきた。飛鳥時代って、聖徳太子とか中大兄皇子とか、蘇我ブラザーズとかがスマッシュ大乱闘していた、あの飛鳥時代か。

「…飛鳥時代の、どこで」

『この地です。その時代、同じように氷巌城が現れて、時の剣士や術師たちによって封印されたのです。それ以来、代々の術師たちが常に封印を監視してきました』

「そんなの、日本史で習った覚えはないけど」

『当然です。この城は現れる時、天変地異によってその姿が隠されるからです。完成するまで』

「完成するまで?」

 また、不穏なキーワードが登場した。

「…この状態で、まだ未完成だというの」

『空を見ればわかります』

「!」

 その指摘で百合香は、町や学園の周囲を閉ざすように現れた、あのオーロラを思い出した。

「あのオーロラは何なの」

『あれ自体は副産物に過ぎません。問題は、あなたの学び舎を含む一帯が、あなた方の言う"異常気象"によって、外界から隔絶されている事にあります』

 百合香はハッとして頷いた。終業時刻のあのバス停前で、バスはおろか軽自動車の一台さえ通らなかったのは、何らかの原因で、外界からの行き来が出来なくなっていたためなのだ。

「外の世界はどうなっているの」

『私にもこの場所から、全てを見通す事は出来ません。なぜなら、あなたの知識で言うところの”結界”によって、空間が隔絶されているからです。ですが、少しだけ状況を覗いて見た時、とてつもない大雨で混乱している様子が見えました。川も氾濫していたようです』

 こちらとはだいぶ状況が違うようだが、異常事態が起きているのは同じらしい。そして、百合香たちの学園がある高台の周囲は、過去に何度か豪雨で増水し、孤立した事がある。おそらく、水で道路が遮断されているのだろう。いや、その前に結界なんてものが張られているなら、そもそも増水に関係なく、誰も入って来られないのかも知れない。

「…それも、この城の影響?」

『間違いありません』

 百合香はぞっとした。学園やその周辺のみならず、もっと広い範囲にまでその影響は及んでいる、というのだ。

「さっき、城の"完成"って言ったわよね。どういう意味?」

『文字通りの意味です。城が、目的達成のために稼働できる状態になる、ということです』

「目的?」

 

『そうです。この城は、城を拠点として世界を凍結させるために造られるのです』

 

 ガドリエルの説明は淡々としているが、けっこう洒落にならない話なんじゃないのか、と百合香は思った。

「…要するに、世界中が学園みたいに凍結するってこと」

『そのとおりです』

「何のために?」

『彼らが住み良い世界を創るためです』

 百合香は、思わず吹き出した。何の冗談なのだろう。

「その…さっき言った、氷魔とかいう連中にとって、ということね」

『そうです。彼らは極低温のエネルギー体で、熱を嫌うのです。そのため、何度も世界を凍結させようと、時の始めから試みてきたのです。実際、それが成功した時代もありました』

「成功した?」

『気候の研究者に訊いてごらんなさい。原因不明、説明がつかない氷河期が過去に地球で起きている事を、彼らは知っているでしょう。そのいくつかは、自然のサイクルによる氷河期ではなく、氷魔によって引き起こされたものなのです』

 そんな事を言われても、検証のしようがない。百合香は、腰掛けたままガドリエルを振り向いて訊ねた。

「そんな情報、知ったところで何の意味もないわ。それより、この城の魔物を一掃しろって言ったわよね」

『はい』

「私にそんなこと、できると思うの?」

『現状でそれが可能なのは、あなただけです』

 百合香は、鼻白んで問いかけた。

「なぜ、私なの!?この剣や、鎧は何!?私は、病気でリタイアした元バスケット部員よ。理由がわからない」

 一気に百合香は捲し立てる。ある意味では、それが最大の疑問だった。

『理由を言葉で説明しても、あなた自身に納得する準備が整っていなければ、混乱するだけでしょう。だから百合香、今はこれだけを覚えておきなさい。まず、その剣はあなた自身の心から生み出されたものであること。そして、もう一つ』

 ガドリエルはひと呼吸置いて言った。

『私は、あなたの味方です。今は全ての力を使う事ができませんが、可能な限り、あなたに力を与える事を約束します』

 百合香はそう言われると、暫しの間沈黙したのち、ぽつりと言った。

「…わかったわ」

 金色の剣を持ち上げ、眺める。あれだけの戦いを繰り返してきたのに、小さな刃こぼれ一つ見えない。

「あなたが導いてくれてなければ、今頃命がなかったのは確かだもの。信用してないわけじゃない」

『ありがとう、百合香』

「ところで、ひとつだけお願いできるかしら」

 百合香は立ち上がると、身なりがよく見えるよう両腕を拡げ、ガドリエルを向いて訊ねた。

「この鎧のデザイン、恥ずかしいんだけど」

 

 

 

 

 

 城の基底部よりさらに下層、つい先刻百合香が氷の剣闘士たちと激戦を繰り広げた闘技場に、深い青の外套を纏った何者かが立っていた。床や壁の亀裂を、注意深く観察しているらしい。細い体のラインは女性を思わせるが、顔はフードで隠れていた。

「……」

 右手に持った小さな指揮棒のような杖で、壁面の亀裂を細かく確認する。亀裂の断面の角が、明らかに熱で融けて丸くなっているのを、フードの何者かは見逃さない。

 亀裂を調べ終えたのち、その何者かは闘技場全体を見渡したあと、その場を歩き去った。

 

 

 

 鎧のデザインが、肌の露出が多いという百合香の訴えに、ガドリエルは素っ気なく答えた。

『申し上げにくい事ですが、その鎧をデザインしたのは百合香、あなた自身の意志です。私の力では、あなたの意志まで曲げる事はできません』

「じゃあ、私自身の意志でデザインし直すわ!どうやればいいの!?」

 百合香は下着まがいの鎧のデザインを手でなぞった。

「そもそも、こんな肌がむき出しで、防具としての役割を果たせるわけ?」

『百合香、ひとつ覚えておいてください。何度も言いますが、その鎧はあなたの意志が具現化させたものです。つまり、あなたの意志の力が大きく、強くなれば、身にまとう物もより強靭なものに成長させられます。その剣が成長したのを、あなたは目の当たりにしたはずです』

 そう言われて、百合香はハッとした。

「そ…そういえば」

 今さらだが、百合香は剣のデザインがまたしても変化している事に、今になって気付いた。何か、細かい装飾が追加されている。

『聖剣アグニシオンは、持ち主の成長に合わせてその姿を変えます。そして、その成長にふさわしい鎧もまた創造されるのです』

「じゃあ、この露出が多い鎧は…」

『まだ成長が足りないという事です』

 ずいぶんハッキリ言う女神様だな、と百合香は思った。

『ですが、心配は要らないでしょう。すでにあなたは、大きく成長する可能性を示しました』

「成長って、どういうこと?同じようにあの化け物たちを倒していけばいいって事?」

『破壊によって得られる成長はありません。成長すれば、破壊することの意味を常に考えるようになります』

 なんだか、前に読み散らかして捨てたスピリチュアル本みたいな事を言われても、納得がいかない。

『百合香、いま城はあなたの行動によって緊張状態にあります。もし今出て行けば、とたんに敵は大挙してくるでしょう。今は、この場所で心身を休めてください』

「そういえば、この空間は何なの」

 鎧の事は諦めた百合香は、天井を見渡して訊ねた。

『私が、あなたのために創った空間です。あの城からは完全に隔絶されており、少なくともここにいる限りは絶対に安全です』

 それは百合香にとっては、非常にありがたい話だった。ここに来るまで、心が休まる瞬間はなかったのだ。正直、こうして話し相手がいる事だけでも安心感がある。

「この空間にはどうやって来られるの?というか、どう行き来すればいいの」

『話せば長くなるので細かい説明は控えますが、私と繋がる事ができる”時空の裂け目”とでも言うべき場所が、この世界にはいくつか存在します。この城の中でそれがどこにあるかは、私にもわかりません。ですが、それを見付けたら、先ほどと同じように扉を開けてください。そこは、あなただけが出入りできる秘密の扉です』

「そんなの、どうやって見付けたらいいの?」

『さきほど、あの巨大な剣闘士を倒した時を思い出してください。私の持つエネルギーは、彼らのエネルギーと反発します。彼らのエネルギーが空間に散乱した時、私と繋がる”ゲート”のエネルギーがわずかに反発し、先ほどのように場所がわかるはずです』

 なんとも確実性の薄い話だな、と百合香は思った。つまり、その場所を見つけるためには敵を倒さなくてはならない、ということだ。それでも、身体を休める場所がある、という期待は百合香に大きな安心をもたらした。

「ガドリエル、私はここから、どうすればいいの」

『城の全容がわからない以上、うかつに動くのは考えものでしょう。良きにつけ悪しきにつけ、城の内外の状況はしばらくの間、変わる事はありません』

 そう言うと、ガドリエルは部屋の奥を示した。そこには、天蓋のついた寝台が据え付けてある。

『眠りなさい。私も、しばし眠りにつきます』

「あなたも?」

『実は、こうしてあなたとコンタクトを取るだけで、今の私には精一杯なのです。いずれ、もう少し自由に接する事ができるようになるでしょう』

 よくわからないが、ガドリエルも何らかの制限を受けているらしい。ということは、何気なく会話しているようでいて、けっこうエネルギーを消耗しているのか。

『この部屋にいるだけで、よほど大きく傷つかない限り、あなたの体は癒されるでしょう。食事を摂る必要もありません』

「…あっ、ちょっと」

『くれぐれも、無理はしないでくださいね』

 そう言ったきり、ガドリエルはすうっと消え去ってしまった。

「ちょっと、ガドリエル!」

 もう一度呼んでみるものの、返事はない。もう眠ってしまったようだ。

 

 百合香は困り果てた。大問題に気付いたのだ。

 

「ここ、トイレあるの!?」

 



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少女の孤独

 どれくらい眠っていたのだろう。目覚めると百合香は、真っ白な天蓋に覆われた寝台にいる事に気付いた。

 

 疲れていたのですぐ眠りについたが、目覚めてみるとどうも落ち着かないデザインだ。ガドリエルに、リフォームを頼めるだろうか。そういえばリフォームって和製英語というか用法が間違っているらしいよな、というどうでもいい考えが浮かんだところで、百合香は眠る前になかった物が、部屋に据え付けてある事に気付いた。

 椅子の形をしているが、背もたれがない。そしておなじみのフタがついていて、脇には何やら紙を巻いた器具が設置してある。

「…トイレだ」

 見たままを百合香は口に出した。近寄ってフタを開けると、水がキラキラと光っている。何か、光るタッチパネルのような物もあり、触ると水が流れた。水洗だけでなくどうやら、ウォシュレット機能もあるらしい。至れり尽くせり、である。

 

 設置場所以外は。

 

「落ち着かないな」

 ガドリエルが用意してくれたのだろうか。確かに眠る前、「トイレが欲しい」と考えていた。

 

 トイレそのものは完璧で、文句のつけようがない。しかし、少なくとも普通の家庭では、リビングのど真ん中に便器は据え付けない。

 

 とりあえず、誰も見ている心配はないはずなので、百合香は用を足した。設置場所は後でガドリエルにお願いしよう。

 トイレを流し、泉で手を洗っている時に、百合香は寝る前と、服装に違和感がある事に気付いた。

「ん?」

 そういえば、何気なくいつものように用を足したが、あの鎧をつけた状態でどうやったのだろう、と自分の姿を確認すると、なんと服装が学園の制服、それも着ていた夏服ではなく、冬用のワンピース制服になっていたのだ。そして、下着も真新しくなっている。

「そういえば私、鎧のままでベッドに入ったんだっけ」

 ということは、寝ている間になぜか服装が変わったということだ。

 

 そこで百合香はまたも問題に気付いた。

 

 剣が見当たらない。

 

「!」

 

 人間は物を探すとき、胸や尻をまさぐるのが習性であるらしい。そんなポケットに剣があるはずはないのだが、全身をまさぐったあと、寝台の周りを調べたが、どこにも剣はない。

 冷や汗がにじむ。鎧と一緒に消えてしまったらしい。あれがなければこの城において、百合香は多少成績がいいだけの、単なる女子高生である。現代国語で100点を取っても、氷の怪物は道を開けてはくれない。

 

 だが、泉に映る自分の姿を見て、百合香は「落ち着け」と自分に言い聞かせた。その時思い出したのは、あの戦斧の闘士である。彼はその体躯のとおり、落ち着いているように見えた。実際どうだったのかは知らないが。

 

 ゆっくりと胸に手を当てて、精神を集中させる。すると、胸からピンポン玉ほどの真っ白な光が現れて、一瞬で剣の形をなした。ガドリエルいわく、その名も聖剣アグニシオンだ。女子高生がサッと取り出せる、もはやスマホと同等の聖剣である。

「…なんだ」

 これでいいのか、と百合香はため息をついた。鎧を纏う方法も、同じ事だろう。すでに、自分で理解している事に百合香は自分自身ようやく気付いた。

 

 すると、泉の中央から声がした。

『目覚めたようですね、百合香』

 水が波立ち、ガドリエルの姿が泉の中央に浮かぶ。

『聖剣アグニシオンの扱いは理解できましたか』

「理解できてる事に気付いてなかったわ」

 百合香は苦笑いしてみせた。

「服装が変わったのは、なぜ?」

『おそらく、あなたの無意識がそれを望んだのでしょう』

 百合香は、わかったようなわからないような顔で、とりあえず頷いた。ただ、なんとなく「着替えたいな」と思っていたのは事実である。それが反映された、ということか。どうやら、トイレも同じ事らしい。

 

『百合香、ひとつ忠告しておきます。あの鎧を常に身につけた状態で、城内を移動するのは危険です』

 ガドリエルが唐突に言うので、それはどういう事だろうと百合香は思った。身を守るためにある筈の鎧を、纏うなとは矛盾していないか。ガドリエルは答えた。

『本当の事を言えば、剣もそうなのですが…あなたの武具は、この城の理と相反するものです。すなわち、その発せられる波動が、彼らにとっては、あなた方の言葉で言う"発信機"となる可能性があるのです』

 なるほど、つまり敵に居場所を察知される危険がある、ということだ。

「つまり、戦闘に入る段階まで、極力この姿で居ろ、ということね」

『そうです。あなたの力が高まれば、波動をコントロールして気取られる事なく移動する事もできるようになる筈ですが、今のあなたにそれは難しいでしょう』

 そう言われて、百合香はほんの少しカンに触った。昔から負けん気が強いので、無理だと言われると意地でも達成してやる、と思ってしまう。レーダーに察知されないステルス女子高生になれというなら、なってやろうと心に決めた。

「わかった。それで」

 百合香は、聖剣アグニシオンを見つめながら訊ねる。

「とりあえず体力は元に戻ったけど、ここからどう動くべきだと思う?」

 遠慮なく百合香は意見を仰いだ。あの氷の魔城に関して、知らないのはガドリエルも同じである。

『まだ全容はわかりませんが、この城は大まかに、4つの層に分かれているようです。今いるのはその最下層部でしょう』

 なんだか曖昧な情報だ。ようです、とかでしょう、とか言われると不安になる。

「ハッキリとはわからないのね」

『はい。ですが、わかる事もあります。彼らの放つ負のエネルギーは、上の層に行くほど強く、色濃くなっているようです』

「どういうこと?」

『大まかに言うと、上に行くほど敵はより強大なものになる、という事でしょう』

 相変わらずガドリエルは、こちらが不安になる事を淡々と語る。それと対峙するのは百合香である。

『まずは、下層部から慎重に進んで行く事です。どうやら、今のところ下層部の気配は落ち着いています』

「今が出ていくチャンスってこと?」

『そうです』

 

 百合香は、剣を構えて扉を向いた。唐突に不安が押し寄せる。また、あの暗く冷たい空間に戻るのだ。そして、間違いなく敵と戦うことになる。

 バスケットの試合が始まる直前を思い出す。違うのは相手がわからない事と、自分一人で戦わなくてはならない事だ。

「そうだ、ガドリエル。出ていく前に、ひとつ質問していいかしら」

 扉の前に立つ百合香が、ふいに振り向いて訊ねた。

「私に顔立ちがよく似た、黒い髪の女の子が、ときどき鏡や硝子に映るの。私に話しかけようとしてる様子もある。何かわかる?」

『私にはわかりません。ただし』

 間を置いて、ガドリエルは言った。

『それが氷巌城の出現と前後して現れたのであれば、氷魔という事も考えられます。仮にそうだとしても、あなたに語りかけようとする事の意味まではわかりません』

「もし氷魔だとすれば、倒さなければならない敵、ということね」

『現時点では、これ以上私にわかる事はありません』

 ガドリエルは素っ気無い。

「なるほど、わかった」

 やはり、自分で確かめる以外なさそうだ。あるいは、城と関係ない心霊現象という事もあり得る。ガドリエル学園にも、それなりに怪談は伝わっている。何にせよ、正体がわからない物について、いま考えても仕方がない。

 

 百合香は改めて呼吸を整えると、心の中でバスケット部員たちと円陣を組むイメージを浮かべる。

『ガドリエル―――ファイト!!』

 よし、と百合香は頷き、振り返る事なく扉を開け、剣を携えて再び冷たい暗闇の城へと向かった。

 

 

 

 降り立った闘技場は、誰の姿もなく静寂が支配していた。百合香が残した巨大な破壊の痕が、そのまま残っている。

 ガドリエルに言われたとおり、百合香は鎧を発現させずに、剣を構えてゆっくりと移動した。剣にもエネルギーは込めない。まず、闘技場の外側に続く通路に足を踏み入れる。

 

 通路はやはり、岩盤を掘っただけのような雑然としたものだった。足元は相変わらずの凹凸である。

 そういえば、と百合香は思った。この通路の高さは4mあるかどうか、というところだ。最後に倒した、あの巨大な剣闘士が通れるとは思えない。

「あの大きいの、どうやって闘技場に来たんだろう」

 そこまで呟いて、百合香は別の可能性を考えた。

 

 あの巨大な剣闘士はひょっとして、最初からあの闘技場にいたのではないか?

 

 ガドリエルは、この城が「創造された」と言っていた。つまり、魔物の配置も最初から決まっていた、という事もあり得る。あたかも、要衝を守る番人のようにも百合香には思えた。

 ということは、この先にもあの氷の巨人と同じような、「番人」がいる事も考えられる。城に主がいるのであれば、雑兵との間を管理する、幹部クラスの存在がいてもおかしくない。さっき倒したあの巨人は、そういう存在だったのではないか。

 

 そんな事を考えつつ、静まりかえった通路を進んで行くと、何かザッ、ザッという地面を擦るような音が聞こえた。とたんに身構える百合香だったが、こちらに近付いてくる気配はない。

 すると今度は、何か布が風にはためくような音も聞こえた。風が強い日の、庭に干したシーツのような。

 そして次の音で、百合香はその音源の正体が何となくわかった。

 

「コェェェ――ッ!!」

 

 暗く、鈍い青紫に光る通路に、不快な金切り声が響く。

 

 これは、鳥の声だ。それも、相当大きな。以前に図鑑で見た、比較的近代に絶滅した何とかという巨大な怪鳥を百合香は連想した。

 

 百合香は立ち止まる。たぶん戦闘になるのだろう。それはもう覚悟の上である。

 問題は、ここまで戦ってきた相手は、大小はあっても同じような人形だった事だ。しかし、この城が「何でもあり」なのであれば、鳥や動物がいたって不思議はない。

 

 どうするか。声は、通路の奥から聞こえてくる。一本道であり、他に迂回できるルートはない。

 

 戦わざるを得ない。

 

 百合香は覚悟を決め、剣をしっかりと握って通路を奥に進んだ。

 

 

 

 先刻戦った闘技場とさほど変わらない広さの空間に、百合香は出た。氷を切り出しただけの空間であり、装飾などは一切ない。

 しかし、さっき羽音や声がしたわりには、何もいないことを百合香は訝しんだ。この広間ではないということか。

 だが足元に落ちているものを見て、百合香は間違いに気付いた。

 

 鳥の羽根が落ちている。キラキラと光っていて、見たこともないほど美しい。これもまさか、氷でできているのか。

 

 とっさに、百合香は上を警戒した。床にいないということは―――

 

「コェェェ―――――!!!」

 

「!」

 百合香は、瞬間的にその場を飛び退いて、迷わず鎧を纏った。胸から吹き出した紅蓮の炎が百合香の全身を包み、黒いアンダーガードや、胴体や関節を保護するパーツを形成していく。前回なかったアンダーガードのおかげで、肌の露出は多少抑えられたらしい。

 

 空間の上方から、巨大な影がホールの真ん中にドスンと降り立った。

 百合香が想像したとおり、それは巨大な鳥だった。キジがトレーニングジムで半年鍛えたような姿をしている。問題は、その大きさだった。

 

「―――サギだ」

 

 サギ、とは鳥の名前を言ったのではなく、もはやインチキレベルの相手の大きさに対する、女子高生の不平の訴えである。

 百合香の眼前にいるのは、さっき戦ったあの巨大な剣闘士よりも大きな巨鳥だった。鳥というか、翼竜の親戚といった方が早い。

 

「こんなのと戦えっていうの」

 いや、待て。まだ敵と決まったわけではない。案外、すんなり通してくれるのではないか。そんな無謀な期待を込めて、百合香は壁伝いに移動を試みた。

 しかし、百合香の期待はせいぜい3秒で打ち砕かれた。ジムで鍛えた巨大キジは、その嘴を百合香めがけて打ち下ろしてきたのだ。

「わあ!!!」

 すんでの所で、百合香は後方に回避できた。もし鎧を纏って身体能力が上がっていなければ、今頃鳥のエサになっていただろう。

 仕方ない、と百合香は着地して、改めて剣を構える。しかし、相手が翼を広げるとさらに巨大に見えた。

 

 これまでの相手は人間の形をしていたので、動きがそれなりに予測できる。しかし、相手は鳥である。動物の動きは予測ができない。初めて対戦する学校との試合の緊張感に似ている。

 対策を考える余裕もなく、巨鳥は再び百合香を嘴で狙ってきた。スピードが違うし、首のリーチも長い。百合香は全力で回避した。

「はっ!」

 避ける百合香に、相手は何度も嘴を向けてくる。あまり考えはなさそうだ。しかし、逆にそれが怖い。

 

 巨鳥は、今度は翼をはためかせて飛び上がった。いま気付いたが、この空間は上に向かって伸びているようだ。暗闇のせいで、どこまで高いのかわからない。

 巨鳥の羽ばたきは、ホール内に暴風を巻き起こした。

「きゃああ!!!」

 衝撃波のような暴風で、床面に散乱していた氷の破片が百合香に襲いかかる。鎧の持つ不思議なエネルギー膜のおかげで直接のダメージはないが、膜を通して伝わる衝撃で、百合香は弾き飛ばされた。

「あうっ!」

 後頭部や背中をしたたかに壁面に打ち付け、百合香の身体は床に投げ出された。普通ならすでに骨折しているだろう。

「うっ…」

 痛む身体をなんとか持ち上げると、暴風に耐えながら百合香は剣を拾い上げた。

 強い。そして知能レベルとは関係なく、何をするかわからない相手に百合香は恐怖を覚えていた。

 百合香にダメージが及んだのを見て取った巨鳥は、羽を下ろして床面に降りた。首をひねるようにして、百合香に迫ってくる。素早さが今までの相手と段違いなので、迂闊に懐に飛び込む事ができない。かといって飛び上がれば、空中戦で鳥にかなうわけがない。

 

 このままでは、攻撃するスキがない。そこで百合香は、戦法を変えることにした。

「こっちよ!来なさい!」

 相手を誘うように動いて、百合香は後退した。氷の巨鳥は突っ込んでくる。脚の移動速度も速いのは、若干想定外だった。

 それでも百合香は構わず全力で後退する。なおも巨鳥は追ってくる。

 

 しかし、次の瞬間、唐突に巨鳥の動きは止まった。

「やった!」

 巨鳥の前半身は、百合香が誘い込んだ通路にガッチリとはまってしまったのだ。知能がなさそうなのを利用して成功した作戦に、百合香はガッツポーズを取った。

「江藤百合香、やればできる子!」

 意味不明のワードを叫ぶと、百合香は聖剣アグニシオンを、後ろに矢を引くように水平に構える。

「グァ―――!!!」

 巨鳥は、はまった身体を引き抜こうともがいた。通路に、咆哮の衝撃波が走る。しかし、百合香は踏ん張ってそのスキを逃さない。聖剣アグニシオンに、真紅のエネルギーが凝縮されていった。

 

『メテオライト・ペネトレーション!!!』

 

 剣身に満ちた炎のエネルギーを、百合香は剣をまっすぐに突き出し、対空ミサイルのごとく巨鳥の首めがけて打ち出した。

 隕石なのに下から打ち上げるのはネーミングとしてどうなのか、と自問する間もなく、巨鳥の首は剣のエネルギーに貫かれ、凝固したシャーベットのように根本からその場に砕け落ちた。

 

 例によって、敵がまだ動かないか不安な百合香は、聖剣の先でチョンチョンと倒れた身体を突っついた。ダンジョン攻略ゲームの主人公の大男がやったら絵的に締まらないが、こっちはただの女子高生である。

 

「ふうー」

 相手が全く動かない事を確認すると、百合香はその場にへたり込んで、安堵のため息をついた。

 背中を打ち付けたダメージが若干残っているものの、そこまで深刻なものではなさそうだ。鎧の防御力に感謝しつつ、再び百合香はその装備を解除し、もとの制服姿に戻った。

 通路をふさいだ鳥の脇をどうにかくぐり抜けると、百合香はホールの天井を仰ぐ。高い。ひょっとして、城の上層まで突き抜けているのではないか。だとしても、今の百合香にこんな高さを登る手段はない。

 

 見ると、やはり入ってきた通路の反対側には、また通路が見えた。だいぶ移動してきたので、いいかげん城の端まで来たのではと思っていたが、予想よりもさらに巨大な城らしい。

 

 突然百合香は、たった独りで戦う事の頼りなさを感じて、その場に立ち尽くした。

 今までは、バスケットのチームで戦ってきた。自分が優れていようとも、結局はチームがまとまっていたからこそ、それなりに勝利を収める事ができた。

 

 チームプレイに慣れていた少女が、とつぜん独りで巨大な城に立ち向かう事を強いられているのだ。仲間とは、本当にありがたいものなのだと百合香は実感していた。

 

 たった一人だけでもいい、仲間がいてくれたらどんなに心強いだろう、百合香はそう思った。眼の前には、冷たい闇の通路が無言で続いていた。

 



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ルミノサス

 百合香は聖剣アグニシオンを輝かせて、広い円形ホールの、いま倒した氷の巨鳥が降りてきた天井を照らしてみた。

「…高い」

 百合香は呟く。剣の輝きは大型のLEDライトより強いくらいだが、それでも空間の天辺には届かないらしい。吹き抜けにも似ているが、これだけ派手に戦っても、上からは物音ひとつ聞こえない。

「上はどこかに繋がってるわけじゃないのかな」

 調べてもそれ以上の事はわからない。螺旋階段でもついていれば上層に上がれそうだが、何もない。百合香は仕方ないので、さらに奥へ続く通路を進む事にした。

 

 

 相変わらず乱雑に切り出した通路を進む。壁面の鈍い青紫の光による視界は厳しいが、逆に敵からもこちらが見えにくいのは好都合だった。検査で毎回2.0を誇る視力に、百合香は感謝した。

 しかし、そこで百合香は妙な事に気付いた。何気なく髪を整えた時、やけに自分の髪が明るい色に見えたのだ。

「ん?」

 百合香は自分の長い髪を持ち上げて、首の手前に持ってくる。

「……なんで」

 錯覚ではない。地毛そのものが明るいブラウン気味のせいで、今まで地毛証明だとかを学校に提出したり、面倒な思いをしてきたのだが、もはやブラウン気味だとかのレベルではなく、完璧なブロンドになってしまっているのだ。

「……!」

 どういう事なのか。もともと、顔立ちが少しだけ西洋人ぽいせいで、意地の悪い人達には気持ち悪いとか陰口を言われてきたが、ついに髪まで西洋人になってしまった。

 この暗黒の氷巌城で生活指導の教師に出くわす心配もないだろうが、もし全部解決して日常生活が戻った時に、このままだったらどうなるのか。

「…まずい」

 自他の生死がかかっている魔物の城攻略の最中に、髪がブロンドになった事を心配する自分の余裕も凄い、とは百合香自身も思う。

 

 百合香は、慌てて周囲を見回した。そして、比較的平らな鏡面になっている壁面を見付けると、近付いて剣を発光させる。

「……」

 水晶のような光沢の壁面に、自分の姿が映る。深い青紫の鏡でも、見事なブロンドである事がハッキリとわかる。

 しかし百合香は、なぜかその姿が、今までよりも自然に思えた。もともとブロンドだったのではないかと思えるくらい、違和感がない。

「…あまり変な事が連続してるせいで、髪の毛までショックで変わっちゃったのかな」

 不意に百合香は笑ってしまう。

 

 その時だった。

 

 暗い鏡面に映る自分の背後に、またしても、それは姿を現した。ここまで激闘の連続で、移動中はうっかり忘れかけていた。

 

 自分によく似た、黒髪の美少女。

 校舎にいた時から、姿は見えても実体がない、幽霊のような少女。

 

「あなた…」

 百合香はその時、心臓が止まりそうな驚きと同時に、なぜか安心感のようなものを覚えていた。

 

 少女は、百合香のブロンドの髪に、指を滑らせる。まるで人形を愛おしむように。

 

『ユリカ、やっと会えた』

 

 声が聞こえた。自分によく似た声だ。同じなのかも知れない。

 驚いた百合香だったが、今度こそ、繰り返し現れる謎の少女の正体を突き止めてやろう、と考えた。

 

「あなたは、誰」

 百合香は訊ねる。もはや、様々な事が連続しており、鏡の中の人間と会話をする程度で動じる百合香ではなくなっていた。

 少女は首をかしげた。

「あなたの名前は?」

 百合香は再び訊ねる。すると、少女の口が動いた。

『名前がないの、私には』

「どういうこと」

 

『私達には姿も、声も、名前も、何もない。だから私は、あなたの姿を真似た。美しい、あなたの姿を』

 

 少女は、とつとつと語った。まるで、子供と話しているようだと百合香は思った。

「姿がない…まるで氷魔のようね」

『氷魔。私達をそう呼んでいるのね』

「あなたは氷魔なの!?この城の奴らの仲間なの!?」

 つい、百合香は激昂した。少女はびくりとして顔を背ける。

『怖い、怖い。怒らないで』

 それが本物の怯えに思えたため、百合香はとたんに妙な罪悪感を覚えた。

「…ごめんなさい」

『百合香。あなたは、友達を助けたいのね』

 突然、意外な事を少女が言ったので、百合香は目を丸くした。

「何を言っているの?」

『あなたの大切な人達。髪の短い人、眼鏡をかけた人。あの人達を、助けたいのね』

 まるで、百合香の心の内を読んだかのように少女は言う。どう答えればいいのか、百合香は迷った。

「…助けたいわ、もちろんよ。でも、あなたには関係ない」

『そんな事言わないで』

 少女は、百合香の首に両腕を回す。鏡に映る姿しか見えないが、その感触が確かにあった。

『百合香。わたしは、あなたが氷魔と呼ぶ存在。だけど、ひとつだけ違いがある』

 少女は、今までより強い調子で語り始めた。

 

『私は、人間になりたいの』

 

「え!?」

 百合香は思わず声を出した。

「いま何て言ったの?」

『私は、人間になりたい。この、形のない曖昧な存在から、形のある存在に移行したい。あなたのような美しい人達と一緒に、”人生”というものを送ってみたい』

 百合香はまたも面食らった。

「…唐突にそんな事言われても、私にはどうすればいいのか、わからないわ。何をしてあげられるのか」

 そう答えたが、少女は微笑を浮かべたままだ。百合香の次の言葉を待っている。

「怒っているわけではないけれど。あなたが、私の敵ではないと、どうやって証明するの?」

『証明。そう、人間の世界ではそういうものが必要なのね。不便だわ』

「あなた、人間になりたいんじゃないの!?」

 またしても百合香は大声を上げてしまった。

「矛盾してるわ。それとも、あなたの世界に『証明』は必要ないとでもいうのかしら」

『じゃあ聞くけれど、証明って何をすれば証明になるの?』

 いきなりそんな方向に話を持って行かれて、百合香は頭がくらくらし始めた。

「哲学の問答をしてる時間はないわ」

『哲学!知ってるわ。あなたが時々読んでる本』

「…え?」

 百合香は、ぎくりとした。

『あなたが読んでた、デカルトという哲学者の本にあったわね。”方法的懐疑”という理論。真実に到達するためには懐疑的になる必要がある、という解釈でいいのかしら。では、私が信用できる事を証明するには…』

「ちょっと待って!どうして、私が読んだ本を知っているの」

『私、あなたと学校でいつも一緒にいたのよ。最近やっと気付いてくれたみたいだけど』

「な…」

『あなたが学校で読んでた本、みんな覚えてるわ。詩、というのも好きなのよね。サッフォーの”アフロディーテ讃歌”を繰り返し読んでるけど、あそこが特に好きなのかしら。そういえば、小説っていうのを書いてた事もあるわよね。主人公は、魔女のルミ…』

 

「スト―――ップ!!!」

 

 顔を真っ赤にして百合香は、鏡の中の少女を遮った。

「プライバシーの侵害だわ!一体どこまで…」

『プライバシー!それも人間の概念ね!』

「いちいちキーワードに反応しないで!!」

 なんなんだ、この幽霊少女は、と百合香は思った。話していると気が狂いそうになる。

「学校でいつも一緒にいるって、どこからどこまで…」

『映るものがある場所なら、どこでも。トイレ、と呼ばれる場所では中まで覗けないけれど、あそこは何をする場所なの?』

「ちょっと黙って」

 百合香は、壁にもたれて座ると深呼吸をした。

「あなた、だんだん性格が変わって来てるわ」

『当然よ。こうして、あなたと会話するのは初めてだもの。私は、あなたの姿を模倣して今のイメージを創り上げたの。性格も、だんだんあなたに似てきているという事よ』

「私はあなたみたいに失礼な人間じゃないわ」

『そうかしら。それとも人間は、自分の事が自分でわかる存在なの?』

 なんて嫌な絡み方だ。自分は間違ってもこんな理屈っぽい少女ではない、と百合香は心の中で必死で否定したが、そういえば南先輩に「話がクドい」と言われてショックを受けた事はある。

「氷の化け物と戦ってる方が百倍ラクだわ」

 百合香はつい、そう悪態をついた。

「いい。わかった」

『何が?』

「あなたが、少なくとも他の氷の化け物とは違う、という事よ」

『当然だわ。彼らは根本的な矛盾を抱えた存在だもの』

 その言葉に、百合香は何か引っかかるものを感じた。

「どういう意味?根本的な矛盾、って」

『この城を奥まで進めば、嫌でも知る事になるわ。進めれば、の話だけど』

 その少女の言葉に、百合香は沈黙した。

『あなたの、目覚めたその強大な力は、確かにこの城にとって脅威だわ。けれど、上に行くごとに相手は強くなる。少なくとも今の程度の強さでは、途中で死ぬでしょうね。せめて氷の彫像になれればいいでしょうけど、二目と見られない姿で死ぬ事だってある』

 だいぶ恐怖を煽ってきているが、確かに今までそんな不安がよぎる場面は何度もあった。百合香は、自分の最期というものを想像して身震いした。

「…じゃあ、あなたは何かできるっていうの。あなたは要するに、人間になって、私たちの世界に来たい、そういう事よね」

『うん』

「それなら、私が氷漬けになってあの世に行った時点で、あなたの目論見は崩れ去るわけよね」

 

『全くその通り。だから私は、あなたに力を貸そうって言ってるの』

 

 あっけらかんと少女は言った。百合香は訊ねる。

「力を貸す?」

『そう』

「何ができるというの」

『あなたに出来ない事が私にはできる。と思う』

 最後の一言が余計なのではないか、と百合香は思った。

「なんで曖昧なのよ」

『だって、私には姿がないのだもの。実際に”現れて”みないと、何ができるかはわからない』

「現れるって…肉体がないのに、どうやって現れるつもりなの」

『その方法を考えてるんだよね。今のままじゃ、私は単なる精神体』

 もう、わけがわからない。実体がないのに、どう協力するというのか。百合香は、これ以上話しても埒が明かないと思って立ち上がった。

「とりあえず、あなたの事は心に留めておく。でも、今は私は先に進まないといけない」

『ふうん。仕方ないわね』

「…ひょっとして、この城に入ってからも、私の事見てたの?」

 一番気になっていた事を百合香は訊ねた。少女は答える。

『もちろん。私は今、まだこの城の住人だもの。けれど、今はあなたという外界との接点ができた』

「あなたとコンタクトを取るには、鏡を見ればいいのね」

『え?いやだなあ、もうそんな必要ないわよ』

 その少女の返答に、どういう意味だろうと百合香は思った。

 

『もうすでに、私の魂はあなたとリンクしている。ずっと一緒よ』

 

 百合香に悪寒が走る。

「それってどういう意味?」

『もう、あなたの心の中に私がいるって事。離れられないわよ』

「そんな契約した覚えはないわ!どんな魔法か知らないけど、出ていって!鏡でお話すれば、それでいいじゃない!」

 百合香は叫ぶ。自分と常に他の誰かが精神を共有するなんて事、あってたまるか。トイレで用を足す時でさえ、一緒だという事だ。

『魔法!すてきな言葉だわ。うん、私、人間になったら魔女になりたい』

「残念だけど魔女の仕事はないわね。私の国では」

 気を紛らすために軽口を叩く百合香だったが、その時何か、妙な音に気がついた。

 

 ズルリ、ズルリ、という何かを引きずるような音が、通路の奥から聞こえてくる。百合香は身構えて、胸に意識を集中した。炎が噴き出し、鎧となって百合香の全身を包む。

「何か来たみたい」

『大声出すから』

「誰のせいよ」

 言いながら、剣を構えて音がする方を睨む。それは、確実にこちらに近寄ってきた。

 

 10メートル。5メートル。だんだん近づいてくる。そして、やがて影が見えた。

 床面から鎌首をもたげるように立ち上がったそれは、人間型ではない。といって、鳥や動物でもない。すると、何かシュルリという音がして、百合香はものすごく嫌な予感がした。

 

 それは、百合香に気付くと、一瞬で襲いかかってきた。

 

「あっ!」

 とてつもないスピードだった。その長い影は、全長6メートル以上はある。それが、うねるように百合香に飛び掛かってきた。すんでの所でかわした百合香は、至近距離でようやく相手の正体を理解した。

 

 それは、蛇だった。やはり氷でできているらしい。氷が繊維状になっているのか、無数の鱗になっているのか、それはわからないが、とにかく氷の巨大な蛇だ。

「シャアッ!!」

 休む間もなく、蛇は百合香に飛び掛かってくる。速い。

「あぐっ!」

 強烈な体当たりを喰らって、百合香は激しく壁面に叩きつけられた。さすがに今度ばかりは、少なからず全身に衝撃が走る。剣を取り落し、百合香は床面にドサリと投げ出された。

『百合香!』

 少女の声が響く。

「これぐらい…」

 百合香は、必死で立ち上がる。だいぶ休んではいたが、だてにバスケットで鍛えてはいない。剣を拾うと、即座に斬りかかった。

「せいやーっ!」

 大蛇の首めがけて炎の剣を斬りつける。しかし、相手は蛇である。動きの予測ができない。百合香の剣は、すぐにかわされた。逆に、蛇はその全身をくねらせて百合香の全身に巻き付いてきた。

「うああっ!」

 腰と首を同時に締め付けられ、百合香はその圧力に耐えきれず叫んだ。

『百合香!しっかりして!』

 少女の声が聞こえる。しかし、百合香は動けなかった。どうにかして、この状況を打破しなくては。

 

 その時、百合香に浮かんだのは、バスケットボールのスティールだった。相手のボールを奪い取る。今の場合、自分自身がボールである。相手の手からボールを奪うには、どうすればいいのか。

「こ…の」

 百合香は、遠のきそうな意識の中で、全力で剣に力を込めた。剣は激しく発光し、剣身から炎の塊が飛び出す。炎の塊は、弧を描くように飛びあがると、ブーメランのように百合香の身体ごと大蛇を打ち付けた。

「シャアッ!!」

「あうっ!」

 蛇の出す音と百合香の悲鳴が重なり、そのまま両者は弾き飛ばされて壁面に当たった。

「いたた…バスケの試合なら、もろにファウルだわね」

『とんでもない無茶するわね』

「この程度で参ってちゃ、試合には勝てないわ」

 体育会系の美少女、百合香は心の中にいる「もう一人の自分」に不敵に笑ってみせた。

「うっ」

 相手もダメージを受けているが、さすがにこちらにもダメージがあり、背中に痛みを覚えて百合香はバランスを崩した。

「…今度こそ、仕留める」

 その時だった。

『百合香、私に代わって』

「え?」

『私に、あなたの身体を貸して。私の力なら、きっとそいつを倒せる』

 百合香は、ふらつきながら少女の言葉を聞いていた。

『あなたがそいつにダメージを与えた、いまが交代のチャンスよ!』

「どうすればいいの」

『私の名前を呼んで!』

「名前なんてないんでしょ」

『あるわ。いま決めた』

 少女は断言した。

 

『私の名は、瑠魅香』

 

 ルミカ。少女はそう名乗った。その名前は、百合香がよく知っている名前だった。

「その名前は…」

『早く!私を呼んで!』

 少女は急かす。ダメージを負った大蛇が、再び百合香に狙いを定めて動き始めた。

 

 百合香は、少女を信じてその名を―――百合香だけが知っていたはずの名前を呼んだ。

 

「きて、瑠魅香!」

 

 百合香の叫びが、暗闇の通路にこだまする。次の瞬間、百合香の全身は赤紫の炎に包まれた。

 

 その激しい炎が収束した時、中から現れたのは黒髪の少女だった。その全身は深い紫のドレスに包まれ、黒い髪の上には、広いツバの三角帽子が乗っている。その手には、銀色に光る巨大な杖が握られていた。

 

 それは、かつて百合香が頭の中で思い描いた、魔女の姿だった。



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瑠魅香

『私は魔女のルミカ。難事件は私におまかせ!』

 

 百合香がそんな他愛ない書き出しの漫画を、折ったコピー用紙に鉛筆で描いて友達と見せ合ったのが、小学3年とかその辺だった。すでにバスケットボールは始めていたが、一方でごく普通の女の子でもあった。

 

 月日が過ぎてバスケットに専念するようになり、その後しばらくルミカとは疎遠だった。

 

 中学2年くらいから、小説を書き始めた。それでわかったのは、自分に絶望的に文才がない事だった。なので、誰にも読ませた事はない。

 

 高校に入ってから、少しダーク寄りのファンタジーを書こうと思い、「瑠魅香」という同世代の魔女が地底世界を冒険する物語をこっそり書き始めた。

 やはり文才は成長していない。どうしてなのか、不思議なくらいである。無駄に諦めが悪い百合香は、それでも書くことをやめなかった。文芸部の吉沢さんあたりに読ませたら、気の毒そうな視線を向けられる事だろう。

 

 その書かれた小説を読んでいるのは、自分だけの筈だった。自分だけでなくてはならない。

 

 それが、氷の世界から現れた、自分の姿の真似をしている幽霊少女に読まれていた。どれほどの精神的拷問か、わかるだろうか。氷の化け物100体の方がまだ可愛く見える。

 

 

『いくよ、百合香』

 その、百合香の秘密の小説を勝手に読んでいた少女が、百合香の肉体を拝借して、「瑠魅香」と名乗り現れた。

 百合香は、その様子をぼんやりした視界から見ていた。音もナローレンジ気味である。ちょうど、VRゴーグルを通して見る視界に似ている。手足を動かせる感覚はない。これが、自分の肉体を通じて瑠魅香と共有している感覚らしい。

 

 

「いくよ、百合香」

 百合香の身体を一時的に借りた瑠魅香は、自分の内側に移動した百合香に語りかけた。

『大丈夫なの!?』

 百合香の声がする。自分の声はこんなふうに百合香に聞こえていたのか、と瑠魅香は思った。

「大丈夫、大丈夫」

『来るわよ!』

 二人がおしゃべりをしている間に、巨大な氷の蛇は再び襲いかかってきた。うねる前半身をぐんと上に持ち上げて、覆い被さるように体当たりしてくる、文字通りの蛇行は、人間の感覚では全く読めない。

 瑠魅香はそれをかわそうとしたが、初めて物理的な世界で肉体を動かすためか、まだその感覚が掴みきれていないらしかった。

『ちょっと!』

「うわっ!」

 すんでの所でかわしたものの、足は大きくバランスを崩して、瑠魅香はその場に盛大に転んだ。受け身を取っていないせいで、肩をもろに打ち付ける。

「あうっ!」

『ばか!受け身を取りなさいよ!』

「仕方ないでしょ、初めてなんだから」

 どうにか態勢を直した瑠魅香は、

「なるほど」

 と呟いて、腕をついて起き上がった。

「よーし」

 銀色の巨大な杖を構えると、こちらを伺う大蛇に向かって突き出す。その様子を、百合香はVRの視界から見ていた。

『その杖はなに!?』

「何って、あなたの書いた小説の主人公が持ってるじゃない」

 そう言うと、瑠魅香は杖の先端に意識を集中させた。青白い光が、ピンポン球のように収束する。その周囲では、電気のようなエネルギーがスパークしていた。

『あなた、それ…』

 百合香が何か言おうとする間もなく、大蛇は牙をむいて瑠魅香に噛み付いてきた。バーチャルの視界で見る百合香は、噛まれるのは自分の身体なのだと思うと気が気でなかった。

 もう駄目だと思った、次の瞬間。

 

 バタバタバタ、と大蛇は尻尾をはげしく打ち付けて悶えていた。見ると、何か空間にエネルギーの網のようなものが張りめぐらされ、それに引っかかって大蛇は身動きが取れなくなってしまっていた。

『な…なに?』

「これが、私の魔法」

 瑠魅香は得意げに腰に手を当てた。

『魔法!?』

「ふうん、肉体を持つってこういう感覚なのね。予備知識はあったけど」

『あなた、魔法が使えるの!?』

 百合香が、頭の中から問いかける。

「もちろん。だって、あなたが創造したのだもの。瑠魅香という魔女を」

 瑠魅香は、百合香が小説の主人公に与えた能力を知っている。向こう見ずで直情径行、魔法の実力は高いが、性格のせいでそれを十分に発揮できない。それが、百合香の書いた小説「ルミノサス・マギカ」の主人公、瑠魅香だった。

「小説の中で使ってたでしょう?雷の網で、盗賊団をまとめて捕らえるシーン、あそこ痛快で好きよ」

『戦闘中に書評はいいから!』

「それもそうね。さっさと片付けよう」

 改めて、瑠魅香は動けない大蛇に杖を向ける。瑠魅香に警戒して、逃げ出そうとしているのがわかった。

「女の子を襲っておいて、逃げようなんてムシがいいわね」

 瑠魅香が意識を集中すると、空間に紅い輪のようなエネルギーが現れた。それは大蛇の首の周りに定位すると、じわじわとその直径を縮めて行く。

『なんかそれ、エグくない?』

 あからさまにドン引きしている風である。

「何言ってるの?あなたが、連続殺人犯を処刑するのに瑠魅香に使わせた魔法よ。小説の中で」

『…忘れた』

 作者に忘れられた可哀想な魔法のリングが、さらにその直径を縮めていく。大蛇は必死にもがくが、もはや逃れる術はなさそうだった。

 

『ブラッディー・エンゲージリング!!』

 

 瑠魅香が声をかけると、血染めの指輪は一瞬で収束して、大蛇の首をギロチンのごとく切断した。

 ごとん、と嫌な低音を響かせて、大蛇の首が青紫の床に落ちると、首から下の体も崩れ落ちて、ぴくりとも動かなくなった。

「見て、百合香!どんなものかしら」

 自信満々で瑠魅香は胸を張ってみせた。

『あんなエグい魔法、書いた覚えはないわ。血染めの結婚指輪って、悪趣味にも程がある』

「じゃあ読み返してみなさいよ、自分で」

 ふふふ、と瑠魅香は笑う。

「これが、人間の身体というものなのね。熱を帯びているのがわかる…これが、生命なのね」

 感動するように、瑠魅香は百合香から拝借している身体を観察した。その様子で、百合香は服装が変わっていることに気付いたようだった。

『ねえ、今どんな格好してるの』

「え?見たい?」

『ここからじゃわからない。紫のドレスなのはわかるけど』

 そうね、と瑠魅香は頷いて、杖を壁面に向けた。

「鏡よ、現れよ!」

 杖を一振りすると、凸凹の壁面がバーンと弾け、試着室の鏡のように広い鏡面が現れた。

 そこに映るのは、黒いロングストレートを垂らした、紫のドレスに身を包む魔女の姿だった。

「どう?素敵でしょ」

『…まあまあね』

「ご謙遜。顔とスタイルはあなたのものでしょ」

 瑠魅香は、鏡の前でくるくると回り、ドレスのスカート部分を持ち上げたりしてみせた。

「それにしても、こんな重いもの下げてよく動けるわね」

 瑠魅香は、両方の胸を持ち上げてユサユサと揺すった。

『なにしてんのよ!!』

 百合香の怒声が脳内に響く。

「これ、おっぱいって言うんでしょ?」

『黙りなさい!!手を離して!!』

「けち。それにしても、下がスースーするわね、この服装」

 今度はスカートを大きくめくる。バスケットで長年鍛え上げた、白い太腿が現れた。

『そそそ、それ以上持ち上げないで!っていうか、身体を返しなさい!!』

「やーよ。もうちょっと、体験させて」

 瑠魅香は、肉体の動かし方を練習するかのように、くるくると回りながら歩き始めた。

 

 大蛇を倒し、どれくらい歩いただろうか。

「めちゃくちゃ重いと思ったけど、慣れたらこんなものかって思うわね、人間の身体って」

 瑠魅香は左腕を振り回して言った。

『人間の身体も色々と不便よ』

「そうなの?」

『今まで観察してたのなら、わかるでしょ。色々と…デリケートなものなの、特に私達女の子は』

 百合香は、そこまで言って言葉を途切れさせた。

「うん。何となくはわかるよ。あまり表立って言ったりしない方がいい事があるのよね」

『…わかってくれたなら幸いだわ』

「色々、教えてちょうだい。人間として生きるって、どういう事なのか」

 瑠魅香は、いつか一人の人間として生活を始める事を想像して、百合香に言った。百合香の返事は素っ気無い。

『あまり期待しないでね。まだ人生経験、16年だから』

 

 

 暗灰色の鎧の人物が、黒く煌めく玉座から、跪く蒼いフードの人物を見下ろしていた。

「何か掴めたか」

 低い、くぐもった声が響く。

「はい。何者かが侵入したのは間違いありません。しかし奇妙なことに、侵入者は姿をくらましたようです」

 フードの人物は、少年のような、女性のような、どちらともつかない高い声で答えた。

「この城の中でか」

「はい。そして、信じ難い事ではありますが、地下の不完全体たちを、おそらくは単身で全滅させています」

「あの、出来損ないの巨体もか」

「さようでございます」

 鎧の人物は、その報告に少しだけ身を乗り出した。

「いかがいたしますか」

「ふうむ…」

 少し思案した様子を見せたのち、鎧の人物は言った。

「兵の配置を強化せよ。だが、わかっていようが我々の目的は、一匹のネズミを捕殺する事ではない。本来の目的を見誤ってはならぬ。もし、取るに足らぬようであれば、捨て置いてよい」

「かしこまりました」

 恭しく礼をして、フードの人物は玉座の前を辞し、音もなく広間を退出した。

 

 

 

 一方、学園敷地内、つまり氷巌城の外の世界では、少しずつ状況が悪化していた。まず、学園一帯の地域への救援隊派遣は一旦保留された。見捨てられたわけではない。じわじわと寒冷化が世界各地で急速に起こり、パニックが起きているのだ。

 

『この異常気象の原因は何なのでしょうか』

『地球温暖化によって、逆にユーラシア大陸北部のジェット気流が…』

 病院の待合室のテレビでは、ワイドショーで喧々諤々の議論がなされている。首都近郊で夏を前に唐突に起きた降雪により、交通渋滞や多重事故、物流の麻痺などで、徐々に人々の生活に影響が出始めているらしかった。

 百合香の住む都市では、学園で起きたような人間の凍結事件が数件発生しており、すでに凍死も報告されていた。

 

「急激な加温は避けて。特に高齢者は」

 ベテランらしい医師が、看護士たちに指示を飛ばす。

「病室を出た患者は?」

「警察に届けていますが、まだ連絡はありません。市内もこの状況ですから…」

 

 病院の受け付けに、一人の長髪の美しい女性が、食い付くように身を乗り出していた。

「あの、ここに通院している、江藤百合香という高校生の母ですが、娘はこちらに来ているでしょうか」

「ごめんなさい、今非常に立て込んでおりまして、もう少々お待ちください!」

 強引にシャットアウトされ、百合香の母親、江藤真里亜は崩れ落ちた。スマートフォンの画面を何回叩いても、百合香には電話も、LINEも通じない。

 待合室は、突然自宅や職場を襲った寒波により、低体温や凍傷に罹ってしまった人々で溢れていた。さらに、路面凍結により事故が続発しており、重傷で運び込まれる人間も後を絶たない。

 気温は28℃くらいから唐突に10℃を下回り、さらに下がる様子もあった。これは異常気象ではなく、異常事態と呼ぶべきだと、テレビでは誰かが力説していた。

 

 

 

「今頃、外の世界でも寒冷化が起きていると思うわ」

 瑠魅香は、暗い通路を歩きながら言った。

『どういうこと?』

 百合香の声が訊ねる。瑠魅香は続けた。

「百合香、落ち着いて聞いてね。いま起きてる事は、あなたのお友達何人かの命が危ない、というレベルの話ではないの」

『え?』

「うーん。言っちゃっていいのかな」

『そこでぼかさないで!逆に不安になる』

 百合香の言う事ももっともだ、と思った瑠魅香は、意を決して言った。

 

「あのね。この城が生まれてしまった以上、放っておけばこの星が凍結してしまうの」

 

 鍋を火にかけっぱなしにするとお湯が溢れるの、と言うのとさして変わらない調子で瑠魅香が言うと、百合香は愕然とした様子で訊き返した。

『この星って、地球ってこと!?』

「そう」

『それ、ガドリエルにも言われた』

 百合香は、癒しの間で”女神”ガドリエルに説明された事を瑠魅香に伝えた。ガドリエルも、氷魔の目的は自分達のために世界を凍結させる事だ、と言っていたのだ。

「ふうん、ガドリエルね。何者だろうね、その女神様」

『瑠魅香も知らないの?』

「知らない」

 あっさりと瑠魅香は答える。

「なるほど。で、さっきの話の続きだけど。もうすでに、何らかの異常が世界各地で起きていると思うんだ。突然気温が急激に下がる、とかね」

『そんなに早く進行するの?』

「私は氷魔の中でも若い方だから、詳しい事は知らないけどね。この前の氷巌城出現の時、私は生まれていなかったの。生まれる、っていう言葉の意味は、あなた達の言う『誕生』とは違うんだけど」

 突然わけのわからない解説を挟まれて、百合香の返事が途切れた。混乱しているのだろうか。

「いずれにしても、私たちのやる事は変わらない。できるだけ早く、この城を消滅させる事よ」

『ちょっと待って』

 黙っていた百合香が口をはさんだ。

『瑠魅香、あなただって氷魔なんでしょう。そんな、自分の生まれ故郷を壊すような真似を、なぜするの』

「あー、そこが大きな勘違い。氷巌城は別に、氷魔の故郷でも何でもない」

 瑠魅香の説明で、百合香はまたしても混乱したようだった。瑠魅香は続ける。

「私たちの故郷は、平たく言えばこの星よ。この星に生きている生命の一形態、それが私達。ついでに言うなら『氷魔』なんて呼び方は、差別的ね。魔物でも何でもない。あなたが知っている言葉の中では、”精霊”と呼ぶのが一番近いかも知れない」

『精霊…』

「ま、便宜的に呼ぶのは構わないわ。どのみち、私は人間になりたいんだもの」

 その言葉で、百合香が思い出したように話題を変えた。

『瑠魅香。どうやって人間になるつもりなの』

「え?」

 当然の質問を百合香は投げかけてきた。

『私を頼ってるらしいけど、私は精霊だとかの存在を、人間にする方法なんて知らないわ。それとも、私を殺して体を乗っ取るつもり?』

 

「そんな事、絶対しない!!!」

 

 突然、激昂するように瑠魅香が叫んだので、百合香は気圧されて黙ってしまった。

「私は…私は、百合香。あなたの生きている姿を見て、人間になりたいと思ったの。人間になって、あなたと一緒にこの星に生きていたい、と。悲しい事、言わないで」

『ご…ごめんなさい』

 百合香は慌てて詫びる。瑠魅香は立ち止まって、目から涙が流れている事に気付いた。

「あれ…何これ、目から温かい水が流れてきた」

 目尻にたまった涙を手のひらににじませて、瑠魅香はそれを眺めた。

『瑠魅香。それは涙』

「なみだ?」

『私たちは、あまりにも嬉しい時や悲しい時、目から涙を流すの』

「…そっか」

 瑠魅香は、小さく笑った。

『ごめんなさい、瑠魅香。…あなたが人間になりたいというのなら、私も力を貸すわ』

「ほんとう!?」

『ええ。ガドリエルなら何か知っているかも知れないし』

「その、ガドリエルってどこにいるの?」

 百合香は、癒しの間という空間がある事を説明した。瑠魅香は子供のように機嫌を直し、百合香との語らいを楽しく、嬉しいと思った。

 

 一人でいながら、二人の精神が共にある。百合香もまた、それまで独りで戦って来た所へ、全く予想外の形で”同行者”が現れた事を、とても奇妙に、そして無意識下では、嬉しく感じているのかも知れなかった。

 

 二人の前には、まだ暗く冷たい通路が続いていた。



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ナロー・ドールズ

「疲れた」

 瑠魅香は、唐突に息を切らして、暗い通路にへたり込んだ。

『大丈夫なの!?』

 頭の中で百合香が相方への心配と、自分の肉体の酷使への抗議も兼ねて声を張り上げた。

「うん。やっぱり人間の身体って、重いものなのね」

『…瑠魅香。人間になりたいなら、ひとつ覚えておいて。女性の身体に対して、重い重いと繰り返すのは失礼になる』

「そうなの?」

 人間世界の事情に疎い瑠魅香は訊ねる。

『太い、細いとか区別するのも差別的だけど、とりあえず女性に"重い"とか"太い"とか言うのは失礼になるの、全般的に』

「じゃあ、百合香のおっぱいはカッコ悪いってこと?」

 またしても瑠魅香は、百合香の胸をユサユサと揺さぶる。

『そこはまた別な話で…というか、そこに触らないで!!特に公衆の面前では!!』

「なんで?」

『そういうのが常識なの!!』

「常識って、なに?」

 また哲学問答か。百合香は感覚の中で、頭が痛くなる気がした。

『もういい。とにかく瑠魅香、代わって。また肉体の運転方法は練習させてあげるから』

「はーい」

 あんがい素直に瑠魅香は、百合香に肉体を返すことにした。今度は黄金色の輝きとともに、瑠魅香の身体が百合香の制服姿に戻る。

 

「ふう」

 何十分かぶりに肉体に戻ってきた百合香は、腕や脚をストレッチして調子を確かめる。まだ、さっき打ち付けた背中の痛みが残っていた。

「瑠魅香、あなた背中痛くなかったの?」

『え?べつに』

「…どういう事だろう。私の肉体を借りていたのに」

『同じだけど別物ってことなんじゃないの?』

「そんな、ばかな…」

 いや待てよ、と百合香は腕を組んで考え込んだ。

「…おじさんがそういえば、多重人格者は人格ごとに症状も切り替わる例がある、って言ってたな」

『多重人格って何?』

 瑠魅香は、またも新しい単語に反応する。

「…こんど説明する」

『今して』

「ああ、もう」

 親戚の子供に手を焼く伯母か、私は。そう口にしかけたが、今度は「親戚って何」と訊かれるのは目に見えている。

「人間は、一人の肉体に複数の人格が宿ってしまう事があるの」

『あたし達みたいに?』

「これはあんたが賃貸契約押し付けて間借りしてるんでしょ!」

 つい言葉が荒れたので、百合香は咳払いしてごまかした。

『ふうん。人間って面白いわね』

「あなたの方が百倍面白いわ」

 ひと息つくと、百合香は再び剣を手に歩き始めた。

 

 少し歩くと、向こうからガチャガチャ、という音がする。また来たな、と百合香は身構えた。

「瑠魅香、また何か来たわ。とりあえず、あなたはそのままでいて」

『大丈夫なの?』

 その言い方が百合香は若干カンに触ったらしく、

「じゃあ、やれる所見せてやるわよ!」

 と改めて鎧を装着した。

『あー、怖い。煽られるとキレるタイプ?百合香って』

「なんでそういう言葉だけは知ってるのよ」

 眉間を歪ませて、百合香は大股で進んで行った。瑠魅香の言った通りである。

 

 瑠魅香に煽られて、恐怖や警戒心をどこかに置き忘れた百合香は、ガチャガチャという音が近付いてくる事をむしろ歓迎していた。この肉体の本来の主として、手本を見せてやらねばならない。

 通路は、若干ゆるいカーブに差しかかった。さらに足音は近付いてくる。そして、ついに曲がった壁面の向こうに、うごめく人間大の影が見えた。

 

「来た」

 

 百合香は、その見えた影に対して剣を構え、先手必勝とばかりに一気に襲いかかった。

「うりゃあ―――っ!!」

 金色の聖剣アグニシオンを一閃する。その細い影は、姿をたしかめる間もなく真っ二つに叩き割られて、哀れにも床面に崩れ落ちた。

「どんなものよ」

 得意げに剣を肩に載せて胸を張る百合香だったが、その得意顔はすぐに青ざめる事になった。

「え?」

 倒した相手の向こうから、さらにガチャガチャという足音が聞こえてきたのだ。

 改めて床を見ると、今しがた倒したそれは骸骨のように細い肢体を備えた、氷の人形だった。今まで戦ってきたどの人形よりも細い。手には中くらいの片手剣を持っている。それが、通路の奥から大挙してくる。

 

「な…」

『あちゃー、ナロー・ドールズだ』

 唐突に瑠魅香が言うので、百合香は訊き返した。

「なろーどーるず?」

『ナロー、つまり細い人形。まあ単体じゃ単なるザコだけど、即座に大量生産できるらしい。年寄りから聞いた話だけど。城を登るなら、こいつらと毎回戦う事を覚悟しておいて』

 百合香はゾッとした。一体がザコでも、百体になればどうなるのか。いま向こうから来るのも、ざっと20くらいはいる。

「…やば」

『さっき、できるって言ったよね?』

「言い方!」

 百合香は剣を居合抜きのように構え、エネルギーを集中させる。刃の先端部に、薄く高密度の光が収束していった。

 

『ホライゾンスラッシュ!!』

 

 水平に薙ぎ払った剣身から、まばゆい光の刃が、衝撃波のように放たれる。それはナロー・ドールズの集団を一撃で葬り、床に青紫の残骸がガラガラと散乱した。

「どうよ!」

『まだ来るよ』

「え!?」

 瑠魅香の言葉を確かめる暇もなく、またしてもガチャガチャと、奥から奥から、細い人形たちが大挙してきた。

『疲れたら言ってね』

「…ええい、もう!」

 技を繰り出すのも面前な百合香は、直に全部叩きのめす事にした。

「せいや―――っ!!!」

 砲丸投げのごとく、大振りに剣を払う。一振りで三体はいけるとふんだ百合香は、チャージング、プッシングもやりたい放題やった挙げ句、力任せに剣を振り回して、その場にいたナロー・ドールズを次々と氷の塊にしてゆく。

 だんだん、暴れる快感すら覚えはじめた頃に、ようやくナロー・ドールズの「鎮圧」が終了すると、百合香は通路の奥に耳をすませて、後続が来ない事を確かめた。

 

「はー、はー、はー」

『もう大丈夫みたいよ。今はとりあえずね』

 相方も確認してくれたようなので、さすがに一気に暴れて汗だくになった百合香は、壁面にへたり込んで休む事にした。通路に、百合香の攻撃で発生した光の粒子が漂っている。

「こ…こんなヤツらとこの先も戦うの」

『気をつけて。奴らが出てきたって事は、あなたの存在がマークされ始めたって事かも知れない』

 ぞっとする事を瑠魅香が言うので、百合香は肩を震わせる。

「脅かさないでよ」

『百合香、さっきのに圧勝したからって安心しちゃダメよ。仮にあれが千体襲いかかってきたら、勝てる自信はある?』

 百合香は、その光景を想像して黙りこくった。

『どれも同じ姿で、強さも大差ない。つまり、それだけ創り出すのが容易だという事よ。レベルが低かろうと、千体で襲って来られたら、そのうちの十体くらいはあなたの身体に剣を刺せるかも知れない』

「……なるほど」

 侮ってはならない。そう、百合香は実感した。現に今、たかが30体かそこらを相手にしただけで、息切れしているのだ。さらに第三波、四波が来たら、どうなっていたかはわからない。

 

 そういえば、最初の闘技場にいた闘士たちは、バラエティに富んでいた。例の戦斧の巨漢から、その3倍も4倍もある巨人、百合香と大差ないような体格の者など。彼らはいったい、どういう存在だったのだろう。

 

『一体でめちゃくちゃ強い幹部クラスもいるはずだけどね。会ったことないけど』

 話題を変えるように瑠魅香は言った。

「…」

 幹部クラス。今まで、単体で苦戦した敵はいた。彼らは幹部クラスではないのだろうか。百合香はその時、敵と戦う、という事が当たり前になっている感覚に身震いした。

「…相手が、こっちより強いって考えるべきなのかな」

 ぽつりと百合香が言うと、少し間を置いて瑠魅香が答えた。

『ま、純粋な強さで言えば…今までの相手だって、生身のあなたより『強かった』んじゃないの?』

「うっ」

 それはそうだ、と百合香は思った。

「私が今まで無事なのは、この剣のおかげだ」

 改めて、百合香は手にした金色の剣を見る。やはり、あれだけの戦いを経ても刃こぼれひとつ見せていない。それどころか、ますます輝きを増しているようにすら見える。

「ガドリエルは、この剣が私自身から生まれたものだって言ってた。でも、私から生まれたものなのに、アグニシオンっていう名前があるのは、何故なんだろう」

『そうだね。どうしてだろう』

 ガドリエルに訊ねてみよう、と百合香が思ったその時だった。百合香は、またしても空間に、エネルギー密度が「薄い」箇所を発見した。それは、通路の天井部分にあった。

「…あった」

『天井がどうかしたの?』

「見てて」

 百合香は剣を天井に向ける。しかし、それきり黙ってしまった。

『どしたの』

「呪文を忘れた」

『何の?』

「扉を開ける呪文」

 百合香は冷や汗がにじむのがわかった。

「なんだっけ…女神の間に至る道を開けよ、だっけ」

『あー、さっき闘技場でいきなり姿をくらました、あれか』

 どうやら、闘技場での戦いも瑠魅香に見られていたらしい。

『そんなの、何でもいいんじゃない?開けてー、って言えば』

「そんなんでいいのかな」

『試してみなさいよ』

 瑠魅香がしつこく言うので、百合香は試してみる事にした。剣を天井の、氷魔のエネルギー密度が少ない空間に向ける。

「開けて―――!!」

 

 光に包まれた次の瞬間目を開けると、百合香は泉がキラキラ光る、癒しの間に立っていた。

「これでいいの!?」

 愕然とする百合香の前で、何食わぬ顔で泉の水面上にガドリエルの「立体映像」が現れた。

『無事で何よりです、百合香』

「おかげさまで」

 百合香は、フラフラと歩くと相変わらず無駄に豪奢なカーテンをよけて、寝台に倒れ込んだ。

「ふう」

 命がけの戦闘の中で、逃げ込んで眠れる空間があるのは何よりありがたい。

 だが、同時に元々の生活にあった、様々な要素がない事に寂しさも覚えていた。過酷なバスケットの練習の後で飲み干す、冷たい128円のスポーツドリンクの美味しさは、世界中の美食家も味わった事はないだろう。

 そういえば、吉沢さんには小説の書評を頼まれていた。南先輩はオンラインゲームで協力プレイをしても、回避とか回復という言葉を知らない、としか思えない戦い方をする。夜中にヘッドホンで鳴らすプログレの良さが、誰にわかるものか。

 

 そこで、百合香の脳裏に浮かんだのは母親の顔だった。勢いでこの城に突入してしまったものの、母親の安否を確かめなかった事に後悔していた。いや、この状況だと安否を確かめられるのは自分の方かも知れない。ひとり家で私の帰りを待つ母親の心労を思うと、居たたまれない気持ちになる。

 

 しかし、自分だけではない。学園の生徒や教員、あの町に住む人達の家族も、他の家族と通信が途絶えているのだ。

 

 人はどうしてベッドに転がると、辛い現実を思い出してしまうのだろう。

 そう思ったとき、百合香の眼前に瑠魅香の顔がアップで現れた。唇がぶつかりそうな距離である。

「うわぁ!!」

『そんなに驚かなくていいじゃない、失礼ね』

 瑠魅香は、仁王立ちして腕を組んだ。その姿は、ガドリエルと同じく半透明である。

「そ、それ…」

『うん、なんでか知らないけどこの空間では、こうしていられるみたい』

 そう言ってクルクル回る瑠魅香の服装は、なぜか百合香と同じガドリエル学園の制服だった。楽しそうだ。

『あなたに触れる事はできないみたい。残念ね』

「私の声は聞こえてるの?」

『同じよ、あなたの中にいる時と。でも、こうしてあなたと向き合えるだけでも嬉しいわ』

 にこりと微笑む瑠魅香は、自分の顔だとわかってはいるが、髪が違うせいで別人に見える。もっとも、自分を外側から見たことはないのだが。

『彼女が、ガドリエルなのね』

「会ったの?」

『ええ。もう消えちゃったけど』

 立ち上がって泉の正面に回ると、ガドリエルの姿はなかった。

「マイペースなのよね、あの女神様も」

『ねえ、百合香。お話しましょう』

「はい?」

 見ると、瑠魅香はベッドに腰掛けて手招きしている。

「あのね、私だいぶ疲れてるんだけど」

『あ、そっか。じゃあ私が見てるから眠るといいわ』

「人間は見られてると落ち着かないの!」

『そうなの?』

 やはり、瑠魅香の感覚はよくわからない。今のまま仮に人間になったら、だいぶ厄介な事になりそうだ。

「あー、シャワーを浴びたい」

『知ってる!お湯とか水浴びする機械でしょ!』

「どこで覗いたのよ!」

 もはや変質者の域だ。この調子だと、更衣室の着替えも覗かれているに違いない。

『ねえ、なんで人間はシャワーを浴びるの?』

「なんでって…身体が臭くなるから」

『どうして?』

「人体のシステムを私が解説しなきゃいけないのか」

 百合香は暗澹たる思いで、嬉々として話しかけてくる相方の笑顔を見た。

「あのね、生物は活動することで、老廃物が色々出てくるの」

『老廃物?』

「ええとね…」

 仕方なくベッドで隣に腰掛けて、人間未満の半幽霊少女に、知識面で説明できる範囲で人体の代謝システムについて解説する。

 

 そのうち向こうも疲れて寝てしまうだろう、と百合香は思っていたが、先に眠ってしまったのは百合香の方だった。



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暗渠

 青紫に輝く、六角形の礼拝堂のような空間があった。

 

 その中央に、やはり六角形の寝台のような台座がしつらえてあり、その上には一人の長い髪の、白いガウンを着た妙齢の女性が寝かせられていた。

 

 蒼いフードつきのローブをまとった人物が、入口のないその部屋に、壁をすり抜けて姿を現す。その人物は、ゆっくりと寝台の女性に歩み寄った。

 少女が人形を愛おしむように、目を閉じたその頬を細い指がそっと撫でる。生きているのか、あるいは死んでいるのだろうか。

 

 フードの人物が手を胸元にかざすと、白いガウンは霧のように消え去り、代わりに縫い目が見えない、氷を編んだかのような美しいローブがその身体を包んだ。

 寝台から一歩下がると、横たわる女性の身体を護るように、透明な障壁が立ち上がる。障壁の表面には氷の結晶のベールが被さり、女性の姿を覆い隠した。

 

 フードの人物はそれを見ると、無言で青紫の壁の向こうに消えて行った。

 

 

 

 

 

 ザ――――、という水の弾ける音で百合香は目を覚ました。

『……ん』

 懐かしい、シャワーの音だ。

 目を開けると、そこは癒やしの間の寝台の上だった。

『…寝ちゃったのか』

 百合香はゆっくりと起き上がる。しかし、何か身体の感覚がおかしい。

『ん?』

 感覚がおかしいというより、希薄だと言うべきか。ベッドに触れている感触が、あると言えばあるのだが、ないと言えばない。

 

 そう思って何気なく自分の手を見ると、百合香は愕然とした。

 手足が半透明なのである。

 

『!?』

 慌てて周囲を見回す。すると、見覚えのない曇りガラスの部屋ができており、そのガラスの奥で、女性がシャワーを浴びていた。

『ま…まさか』

 百合香は立ち上がると、ガラスの部屋に向かった。ドアに手をかける。しかし、触れる事ができない。

 百合香は悟った。

 

『瑠魅香!あなた私の身体に勝手に入ったでしょ!』

 言いながら、自分でもすごいセリフだと百合香は思う。

「あー、うん。あなた眠っちゃったから、ちょっと失礼したわ」

 ガラスの向こうから声が響く。入った事はないが、ここはラブホテルか。

『な、な…』

「ちょっと待っててね」

 キュッとノブを閉める音がして、ドアが開いた。

「トイレも、シャワーの使い方も覚えたわよ。なんて事はないわね。よく見ると原始的な仕組みだわ」

『…それは良かったこと』

 百合香は、目の前で濡れたままの裸身で得意顔をする、自分の肉体に向かって言った。

「老廃物っていう言葉の意味も、わかったわ。人間の身体って、きれいなものでもないのね」

『生物学レベルで失礼な事言わないでもらえるかしら』

「あら、でもあなたの肉体は好きよ、百合香」

『いいから水を拭きなさい』

 百合香は、脱衣室らしき場所にタオルがかかっているのを指差した。脱いだ制服やら、ショーツやらが散乱している。

 

 服の脱ぎ方、着方、畳み方、などなど一通り説明した百合香は、半透明の姿で瑠魅香に向き合って言った。

『瑠魅香、私の肉体をあなたに貸している以上、扱い方をいくつか約束してほしい』

「うん」

『いつか、あなたが自分の肉体を得られるのかどうか、それはわからない。その時だって、自分の肉体の扱いは大切にして欲しい。人間、ちょっと滑って頭を打っただけで、死ぬ事もあるの。シャワールームでそれが起きないという保証もない』

「そうなの?」

 

 百合香は、人体というものがいかに弱いか、さまざまな事例を挙げて説明した。自分自身、ウイルスという目に見えない生命体のために、命を落としかけた事も含めて。

「そんなに脆い生き物なんだ」

『強さも、脆さもある。それが人間…いや、全ての生命について言える事よ』

 百合香の言葉に、瑠魅香は頷いた。

「わかった。百合香の身体だもんね。借りる時は大切にする」

『わかってくれたなら助かるわ。ついでに、これから説明する事も、よく覚えてほしい』

「え?」

『女の子のデリカシーという概念について、みっちり説明する』

 そこから長い時間をかけて、百合香は女性と身体というものの関係について、懇切丁寧もしくは周密精到に説明した。

 

 ひとしきり人間生活のアドバイスを終えた百合香は、自分の身体に戻って改めて癒しの間を見渡した。トイレが、バスルームの隣の部屋に移っている。

「…なんとなくわかってきた」

 トイレのフタを開けながら、百合香は頷いた。

「この部屋は、私の思考によって変化するんだわ。思考したものが、物理的に現れる」

『そうなの?まるで氷巌城みたいね』

「え?」

 百合香は、瑠魅香の言葉にどういう事かと訊ねた。

『氷巌城は想念の産物よ。それも、あなた達人間の世界を模倣することによってできた』

「なぜ、模倣するの?」

 百合香は、前々から気になっていた事を訊く。

「自分たちで、こうありたいと思う姿を創造すればいいのではなくて?想念があれば、何でも創り出せるんでしょう」

『そう。だから、私はあなたの姿を模倣しながらも、髪は黒髪に変えた。それが自分らしい、好ましいと思うから』

 瑠魅香は、自分の艶かな黒髪に手を滑らせながら言った。

『魔女でありたいと思ったのも、それが素敵だと思う自分がいるから。百合香みたいに、剣を振り回したいとは思わない』

 その言葉は、百合香にはいくらかの驚きを伴って聞こえた。百合香の姿を模倣したと言いながら、確かに瑠魅香には、瑠魅香としての意志と選択が見られるからだ。

 

『でもね』

 

 瑠魅香は言う。

 

『その点で氷巌城は、矛盾を抱えた存在なの。他の全てを滅ぼして自分たちの世界を築くために、氷巌城は生まれる。けれど、生まれるためにまず、滅ぼす対象の在り方を模倣しなくてはならない。対象を否定、破壊するために、否定している対象を模倣する、という自己矛盾。それが、あなたが氷魔と呼んでいる存在』

 それは、百合香にはとても複雑な矛盾に聞こえた。

「…世界を滅ぼして、支配して…その後は、どうなるの?」

『さあ。どうなるのかしらね。私は若いから、それ以上のことは知らない』

「でも、かつて何度も氷巌城はこの世に現れたんでしょう。なぜ、何度も現れなくてはならないの?一度支配したら、そのあと何千年だろうと、支配を続ければ良かったのではないの?」

 

 百合香の問いかけののち、しばしの沈黙があった。

『その答えはきっと、この城の頂点まで登った時にわかるんだと思う』

「あなたはわからないの?瑠魅香」

『さあ。ガドリエルなら、知っているのかしら』

 瑠魅香は泉を見た。ガドリエルが現れる気配はない。

 

「相手を滅ぼすために、相手の"侵略"という手段を模倣する…だったら、統治システムまで模倣して、永続的に支配を続ければ良さそうなものだけど」

『考えてもわからないよ。その前に、あなたはこの城をまず消滅させる事を考えないといけないんでしょ』

「それはそうだけど」

 百合香は、ベッドに仰向けに上半身を投げ出した。

「闘技場で戦った、あの氷の人形たち。彼らはなんていうか、人間味みたいなものが感じられた。他の怪物は、まるで機械のように、私を見付ければ襲いかかってくるけれど」

『私に近い存在だったのかも知れないわね』

 瑠魅香の言葉に、百合香はぴくりと反応した。

『私も見ていたけど、戦う事それ自体に熱狂していたでしょう、彼ら。城を守るという、おそらくは本来の目的を忘れたかのように。厳密に言えば私だってそうよ』

「え?」

『私は、あの城から見れば異端、イレギュラーなの。本来であれば、あなたの身体ではなく、氷の身体を持ってあなたに襲いかかっていたはずなの』

 

 

 瑠魅香は、百合香を見付けた時のことを語り始めた。

『私は、近いうちに氷巌城が生まれるという事を知らされていた。ひょっとしたら、前兆みたいな事が、学園内で起きていたのではなくて?』

 そう言われて、百合香はハッとした。

「そう…そうよ、城が現れる少し前に、学校の聖堂前の庭園が凍結して、生徒が凍傷にかかって命を落としかける事件が起きた」

『やはりね。氷巌城が生まれる前には、その土地の持つエネルギーが弱まったり、不安定になったりするらしいわ』

「では、前もってそれを予測する事もできるということ?」

『そこまでは私にはわからない。けれど当然、”こちら側”の存在はそれを全て知っている。私は城が生まれるという事を聞いてはいたけど、氷巌城による地球の支配なんて、はなから興味がなかった』

 さも、バカにしたような口調で瑠魅香は言った。

 

『支配したからって、それが何になるの?何か楽しい事があるの?ばかばかしい。支配すれば抵抗にあう。抵抗を抑えるために支配を強める。再び抵抗は続く。その繰り返しじゃない。私は、私を含めた他の魂たちと、斥候としてあの学園を調査していたの。でもその過程で、あなたを見付けてしまった』

 

 瑠魅香は、まっすぐに百合香の目を見た。

『美しいと思った。あのオレンジ色のボールを放り投げる、何の意味もないゲームに命をかけていた、あなたの姿が。そして私も、人間になって、無意味で美しい何かをしたいと思った』

 瑠魅香が語るのを、百合香は黙って聞いていた。

『だから、人間の世界を滅ぼすなんていう行為に、加担したくなかった。それで、あの学園に身を潜めていたの』

「そこで、鏡の中から私をストーキングしていたの?」

『人聞きが悪いわね』

 瑠魅香は笑う。

『人間になりたいからって、氷魔を裏切ったわけじゃないのよ。でも、氷巌城なんてものを周期的に出現させるなんていう、馬鹿げた試みには同調できない』

「だから、わたしに力を貸すっていうの?」

『ええ。どんな奇跡なのかわからないけど、私が最初に好きになった人間が、この城に剣を携えて乗り込んでくるなんて、今でも信じられないわ』

 確かに、それはどんな偶然なのだろうと百合香も思う。しかし、そこで百合香はひとつの疑問に行き着いた。

「瑠魅香。あなたの事、氷魔たちは裏切り者として追っているのではないの?」

『まさか』

 あり得ない、と瑠魅香は鼻で笑った。

『彼らにとって大事なのは、生命を否定して滅ぼすという支配の本能、それだけ。私たちはその駒。駒がいなくなれば、また生み出せばいいだけの話よ。もっとも、私は”上”の氷魔なんて、会ったこともないけど』

「……理解できない」

 百合香は、起き上がって肩を小さく震わせた。

「どうして、存在を否定するんだろう。みんな、ただ生きているだけなのに」

『理解なんて、する必要ないわ』

 瑠魅香は立ち上がって言った。

『向こうが滅ぼそうとしてくるのなら、逆に滅ぼしてやればいいじゃない。さあ百合香、次のエリアに向けて進みましょう』

 やけに勇ましい魔女だな、と百合香は思った。かつて自分が書いた小説の主人公の瑠魅香は、もうちょっとおとなしめの性格だったと思う。

 

 ついにガドリエルは現れなかったので、百合香は瑠魅香とともに、再び暗黒の氷巌城へ突入することにした。

「瑠魅香、あなたはあの城の構造を、大まかにでも知らないの?」

『知らないわ。お役に立てなくて申し訳ないけれど』

「ううん、わかった」

 百合香の胸から光の球が現れ、聖剣アグニシオンの形を取って主の眼前に浮かぶ。百合香は、それをしっかりと握ると、隣にいる瑠魅香に言った。

「いくよ、瑠魅香」

『ええ、百合香』

 

 

 光に包まれた百合香が目を開けると、そこは元いた通路だった。さっき倒したナロー・ドールズの細かな残骸がかすかに散らばっている。

「ねえ、瑠魅香」

『なに?』

「あなた、この城は想念で生み出されたって言ったわよね」

『ええ』

「じゃあ、敵を全滅させるなんて不可能なんじゃないの?倒されたら、また生み出せばいいんでしょ」

 百合香は、しごく当然の疑問を投げかけた。しかし、瑠魅香はあっけらかんと答える。

『あんがい頭悪いのね、百合香。だから、彼らを生み出す源を破壊すればいいんじゃない』

「頭悪いは余計よ!…源って、なに?」

『それは私にもハッキリとはわからない。ただ、この城の兵士たちは、”担当者”たちによって前もって創造されるの。強い個体ほど、その精錬には時間を要する』

「じゃあ、その”担当者”を倒せば、新たに戦力を生み出す事はできなくなる、という事か」

 口で言うのは簡単だな、と百合香は思った。

「わからない事だらけね」

『いま心配しなきゃいけないのは、兎にも角にも力が必要だっていう事実よ。その聖剣なんとかがあったからって、さっきみたいに雑魚の群れで息切れ起こしてたら、殺されるのは目に見えてる』

「…あんたって、ほんとにハッキリ言うわね」

『どういたしまして』

 その言葉遣いはいったいどこで覚えたんだ、と訊ねようとしたが、百合香はぴたりと足を止めた。

「何か聞こえる」

『足音?』

「ちがう」

 

 百合香が耳を澄ますと、何か水流のような音が聞こえてきた。

「…なんだろう」

『行ってみよう』

 瑠魅香に後押しされて、百合香は剣をいつでも払えるように構え、にじり寄るように音のする方へと向かった。

 

 通路が終わり、少し広い空間に出た。天井は高く、上が見えない。空間の中央に、何か太い柱のようなものが垂直に突き抜けている。直径は3.5~4mほどだろうか。周囲の切り出しただけの壁面や床と違って、きれいな円柱状になっていた。

 その柱は半透明なようで、内部を淡いピンク色の、液体のような、気体のような何かが、底から天井方向に間断なく汲み上げられていた。

「なんだろう、これ」

 百合香はその柱に触れる。表面は滑らかだ。中から、何か暖かいエネルギーのようなものを感じた。

「何かを、下から汲み上げている…」

 そこで百合香の背中に戦慄が走った。

「汲み上げている…?」

 百合香は、最初に凍結した校内を探索した時、廊下で凍結している女生徒を思い出していた。

「彼女の身体から、何か光のようなものが、氷を伝って上に向かっていた…」

『なるほど。これは、彼女たちの生命エネルギーを吸い上げる装置かも知れない』

「なんですって!?」

 百合香は、唐突に怒りがこみ上げるのを感じた。

『この城を維持するには、生命のエネルギーが要るらしいわね。この柱の内部を通っているのは、人間の精気よ』

「じゃ、じゃあ…」

 百合香の顔が一気に青ざめる。

「精気を全て吸われたら、あの女生徒…いや、学校のみんなは、どうなるの」

『…わかるでしょ』

 言いづらそうに瑠魅香はぼそりと言った。

「狂ってる…だってそうでしょう?この城を維持するために生命エネルギーが必要なのだとしたら、エネルギーを奪い続ければ、いずれそれは尽きてしまう」

『そうね』

「エネルギーが尽きてしまえば、この城も維持できなくなる」

『だから、彼らはその範囲を拡大するのよ。この場所のエネルギーを吸い尽くしたら、さらに外側。そこが枯れたら、さらにその外側』

「……」

 百合香の心の中に、あらゆる感情が沸き起こった。怒り、不安、衝撃、そして混乱。

「…理解できない」

 止めなくては、そう百合香は思った。

「この柱を壊せば、それは止められるということね」

『落ち着いて、百合香。この城は巨大よ。この一本だけとは限らない』

「だったら、ぜんぶ壊してやる!!」

 百合香は一瞬で鎧をまとい、聖剣アグニシオンに怒りのエネルギーをチャージした。剣は荒れ狂う炎に包まれ、壁面や床が、凄まじい熱エネルギーによって激しく振動した。

 

「でやああああ—————っ!!!」

 

 両手で構えた灼熱のアグニシオンを、斜め上から柱に叩きつける。そのエネルギーは柱を粉々に切断し、とてつもない振動を伴いながら、壁面や床にまで巨大な破壊の痕を形成した。柱の破片が床に落ち、砕け散る。

「はあ、はあ、こ、これで…」

 見ると、柱からは先ほどのエネルギーの流れが失われていた。どうやら、エネルギーの供給を止めることに成功したらしい。

 

 だが、次の瞬間。

 

「!?」

 百合香は、足元が大きく沈む事に気付いた。まずい、と思ったが、一歩遅れてしまった。床には大きな亀裂が走り、その底には何か、水面のようなものが見えた。

「あっ!」

 跳躍して脱出するチャンスを逃した百合香は、自ら開けてしまった暗渠に、吸い込まれるように落ちて行った。

 

「うわっ…あああ—————!!!」

 



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 魔法で急場しのぎに創った氷の壁面に閉ざされた狭いスペースで、瑠魅香は身を屈め、外の様子を伺っていた。

 

 水が溜まった地下空間では、翼を持った小さな氷の魔物たちが飛び交い、互いに何か報告し合っては、また散らばるという事を繰り返している。彼らは何をしているのか。

 それは考えるまでもなく明らかである。百合香がもたらした大破壊の調査だった。

 

「百合香ってさ、ものすごく頭いいけどたまにバカになるのね。今わかった」

 瑠魅香は遠慮なしに言う。頭の中にいる百合香からの反論はない。

「反省してる?」

『反省してます』

「よろしい」

 相方の素直な謝罪に、瑠魅香は頷いた。

「それじゃ、この状況をどうやり過ごすかを考えよう」

 瑠魅香は、再び外の様子を伺う。やはり、引っ切り無しに魔物が行き交っている。

「この調子じゃ、落ちて来た場所に戻っても、現場検証中の氷魔たちと鉢合わせだね。しばらく、この私が創った壁の陰に隠れているしかない」

 百合香は耳が痛かった。城が学園の人間の生命エネルギーを吸い取っている事がわかったため、怒りのスイッチが入って後先考えず、装置を破壊したのだ。瑠魅香の機転がなければ、今ごろ魔物たちに追われていたはずである。

 

『ここ、何なんだろう。城は氷だけかと思ってた』

 多少話題をずらす目論見もあって、百合香は言った。

「たぶん、普通の水じゃないよ。ただの人間なら即座に凍死してると思う」

 瑠魅香は、自分の太腿が浸かる水を見た。やはり、青紫に輝いている。

『何か知っている事はないの?』

「私は何度も言うけど、氷魔の中でも若い魂だから、伝聞でしか氷巌城については知らないんだ。しかも、現れるたびに姿は変わるからね」

『それでも、基本的なシステムは同じ筈でしょう?』

「そうかも知れないけど」

 瑠魅香は、自分より老いた魂からの情報が何かないか、記憶を辿ってみた。

 

「あ」

 

 何か思い出したように瑠魅香が言った。

「そういえば、人間とか自然界から吸い上げた生命力は、氷魔が使えるように「精錬」しないといけない、って聞いた事がある」

『精錬?』

「本来、私達とあなた達のエネルギーは相反するものだから。"位相"が違うの。吸い上げ装置の真下にこの空間があるって事は、その精錬と関係あるかも知れない」

『よくわかんないな…ん?』

 百合香は、そこでひとつ疑問に思った。

『ねえ、瑠魅香。じゃあ、本来氷魔であるあなたが、私と一緒にいたら、エネルギー的に相反するんじゃないの?』

「おお、頭いい。よくそこに気が付きました」

『めちゃくちゃバカにされてる気がする』

 憮然とした百合香の表情を思い浮かべて、瑠魅香は笑った。

「簡単な事よ。だから、私は人間の生命の位相を調べて、自分の魂の位相をそっちに切り替えたの」

『そんな、ちょっと電気工事しました、みたいなノリなわけ?』

「私は人間になりたいんだもの。そういう意味では、すでに氷魔ではなくなっている、とも言えるわね」

 百合香は、未知の情報の連続で頭が混乱しかけていた。

 

『…ん?』

 百合香が何かに気付いた様子で声を出した。

「どうしたの?」

『何か、声が聞こえない?』

「声?」

 瑠魅香は、言われて耳をすましてみた。

「何も聞こえないけど」

『聞こえるんだ…知ってる人の声』

「学校の誰か?」

『違う』

 百合香は、水面を通じて魂に直接聞こえてくる、その声の主が誰なのかを思い出そうとした。そして、なぜすぐに気付かなかったのか、と自分を責めた。

 

『…お母さん!』

「なんですって?」

『お母さんの声がする…』

 

 それは、確かに百合香の魂に響いていた。百合香、どこにいるの、百合香、と呼びかけている。

『お母さん…』

 百合香が心の内で泣いているのがわかって、瑠魅香は居た堪れない気持ちになった。人間の親子という概念は実感できないが、百合香の感覚は伝わってくるからだ。

『…ごめん、瑠魅香。頼りない相棒で』

「そんなことないよ」

 瑠魅香はそう言ったあとで、

「いま、相棒って言ってくれたね」

 と小さく笑った。

「嬉しい」

『ありがと』

「ねえ、百合香。お母さんに、声を届けてみなよ」

 突然の瑠魅香の提案に、百合香は面食らった。

『どうやって?』

「うん。理由はわからないけど、この空間はたぶん、外界と何らかの繋がりがあるんだと思う。生命エネルギーを吸い上げるシステムに関係しているのかも知れない。だとすれば、逆にこっちが利用する事も不可能じゃない」

『わかんないよ、そんな事言われても』

「百合香、肉体の扱い方を教えてくれたお返しに、私が魂の扱い方を教えてあげる。その状態で、お母さんと一緒にいる感覚を、思い出してみて」

 瑠魅香がそう言うので、百合香は母親と一緒にいる光景を思い出してみた。

 

 宝石鑑定士である母・真里亜は、よくキッチンでコーヒーを飲みながら、ノートパソコンで宝石の相場だとかに関連するWEBサイトをチェックしている。貴金属装身具製作技能士、要するに指輪だとかを製作販売できる資格もあり、プログラム上でデザインしたネックレスだとかの感想を、帰宅した百合香に求める事もあった。

 そのまま二人で夕食を作り、一緒に食べて、片づけをし、テレビを見ながら雑談をする時間が、百合香は好きだった。

 

 この世に卑金属なんてものはない、というのが母親の口ぐせだった。鉄は金より美しくない、などというのは間違っている、という熱弁をふるう事も少なくない。そんな母親が百合香は好きだった。

 

 その母親の横顔を思い起こした時、百合香は何かが”繋がる”のを感じた。

 

『!?』

 それは、初めての感覚だった。母親が、そこにいる。目の前にはいないのに、強烈に存在を感じる。母親はまだ、生きている。そして、向こうも百合香の生命を感じている。そんな感覚が、確かにあった。自分と母親の境界線が消え去ったようにも感じた。

『お母さん!』

「百合香、声をかけてあげなさい。私は無事だよ、って。必ずみんなを救って、帰るって」

 瑠魅香の言葉に、百合香は頷いた。

 

『お母さん、私、百合香だよ。ちゃんと生きてる。私が、お母さんや先輩、学校のみんなも救ってみせる。だから、どうか無事でいて。必ず帰るから』

 

 そこまで心で念じた時、ふいに限界が訪れて、”繋がり”は切れてしまった。百合香は、肉体にいないにも関わらず、とても疲労した感覚があった。

『お母さん?どこ?』

 声をかけるが、もうさっきの感覚は残っていなかった。

「百合香、大丈夫。声はきっと届いた。これ以上の繋がりを保つには、いまのあなたには無理よ」

『…そう』

「大丈夫よ。お母さんも、きっと安心してると思う」

 それは言葉だけなら気休めにも聞こえるが、瑠魅香の言う事には不思議と説得力がある、と百合香は感じた。これまで母親の事が気がかりだったため、声が届けられたという安心感が、百合香の心にひとつの安定をもたらしたようだった。

『…瑠魅香、気を遣わせちゃったね』

「どういたしまして」

『落ち着いていこう』

 突然百合香が言うので、瑠魅香はつい吹き出した。

「なに、それ」

『南先輩の口ぐせ。試合で負けそうになると必ずそう言うの』

「ふうん。それで、勝てるの?」

『半々かな』

「何よ、それ!」

 二人は、暗黒の空間の中で小さく笑い合った。

「ここに落ちて来て、正解だったんじゃない?」

『そうかもね』

「百合香、上に戻るルート、探してみよう。魔物の気配が少なくなった」

 瑠魅香は杖を出して、周囲の気配を探った。「うん」と頷いて、自ら創り上げた魔法の壁を消し去ると、ゆっくりと水から岩盤の上に移動した。

 

『瑠魅香、替わろうか。疲れたんじゃないの』

「うん、そうだね。頼むわ」

『任せて』

 瑠魅香は、百合香に身体を明け渡す心のイメージを描く。そこへ、百合香の魂が入り込んできて、手をタッチするような感覚のあとで、二人の意識は入れ替わった。

 

「ふう」

 金色の鎧姿で身体に戻った百合香は、ひと呼吸したあとで、例によって手足のストレッチをして、剣を構えた。

「だんだん、剣の扱いも慣れてきたな」

『頼もしいじゃん。じゃあ、次に何か出てきたら任せるよ』

「そこは適材適所でしょ」

 軽口を言いながら、百合香は周囲を見回す。空間の大きさはわからない。ギリギリ視界はあるが、とにかく暗い。しかし、向こうがこちらを追跡している以上、剣を光らせて視界を得るのはリスクが高かった。

 とりあえず、さきほど魔物たちが入って来た方向はわかっているので、そっちに歩いてみた。彼らがやって来たということは、城に再潜入するルートがあるという事だ。

「問題は、ルートがあっても登れるかどうかだな」

『そうね。でも、さっきの魔法の応用で足場を作る事もできると思う』

「…魔法って便利ね」

 百合香は金色の剣を見る。自分はひたすら攻撃専門である。

 

 やや傾斜する通路を登ってしばらく歩くと突然、ただでさえ暗い通路の視界が、いちだんと暗くなった。何か、巨大な岩のようなものが通路を塞いでいるのだ。

「何よこれ」

『岩でふさぐ作戦で来たか』

 瑠魅香はぼやいた。しかし、百合香はぴたりと足を止めた。

『どうしたの』

「いや…今この岩、動いたような気がしたの」

『え?』

 瑠魅香は、百合香経由の視界でその岩らしき影を見た。

『気のせいじゃないの』

「そうかな」

 百合香は、危険を承知のうえで聖剣アグニシオンをかすかに発光させ、その岩の正体を見極めようとした。

 

 次の瞬間、悲鳴を上げなかった自分は今年に入って一番偉い、と百合香は口元を押さえながら思った。絶対に偉い。これで悲鳴を上げなかった16歳女子高生は、県知事あたりから表彰されていい。

 

 目の前にいるのは岩ではなく、通路を占拠する巨大な氷のカタツムリだったのだ。

 

『おおー。すごいすごい』

「……」

『おーい、百合香。大丈夫?』

 返事がない。

『やっぱあたしの出番かな』

「…いや」

 百合香は気力を振り絞って、目の前にいる殻つきの軟体動物を見た。

「ねえ、瑠魅香…氷の魔物なのにヌルヌル動いてるってどういうことなの」

『わかんない。解剖して調べてみたら?』

「焼きエスカルゴにしてやるわよ!」

『さっき、落ち着いていこうって言ったの誰だったかな』

 瑠魅香のツッコミを無視して、百合香は例によって、とりあえず剣にエネルギーを溜めた。

『斬り付けないの?』

「触りたくない!!!」

 全国の10代女子の100%が「わかるー」と頷いてくれそうな感想を添えつつ、百合香はアグニシオンの剣身から、炎のエネルギーを巨大カタツムリに向かって放射した。火炎放射器の巨大版である。

 しかし、カタツムリはそっと首を引っ込めると、殻に閉じこもってしまった。

「あっ!」

『あちゃー』

 負けじと百合香は火炎放射を続ける。しかし、カタツムリの殻は頑丈なのか何なのか、まるでこたえる様子がない。先に戦った巨大剣闘士よりも、明らかに硬いらしかった。

「はー、はー、はー」

 疲れ切った百合香は、いったん火炎放射を停止して後ろに下がった。

「なら…これはどうだ!『シャイニング・ニードル!!!』」

 次に試したのは、校舎に入る手前で魔物に使った、細いエネルギーで相手を貫く技だった。しかし、殻は相当に頑丈らしく、渾身の一撃も空しく弾かれて不発に終わった。

「な…あの時より格段に威力は上がってるはずなのに…」

 レベルアップが通用しないほど硬いのか、と百合香は肩を落とした。

 

 その後もあれこれと試したものの、相手は殻に閉じこもったまま、全く攻撃を受け付けない。「動かない相手」がこれほど厄介なものだとは思わなかった百合香は、ついにさじを投げるのだった。

「瑠魅香」

『あいよー』

 大見得を切って何も成果のなかった百合香を責めることなく、休憩して体力を回復した瑠魅香はバトンタッチして表に出て来た。

「さて。どう料理してやろうかね」

『いっそ転がしてしまえばいいんじゃないの』

「ん?」

 何かピンときた瑠魅香は、顎に指をあてて「ふむ」と頷いた。

「やってみよう」

『え?』

「百合香、足には自信あるよね」

『なに?』

 瑠魅香の質問にものすごく嫌な予感がした百合香は、返答を控えた。

「やってみよう」

 瑠魅香は大きく後ろに下がると、杖をカタツムリの手前の地面に向けた。

『ちょっと、まさか…』

「やるよ」

『ちょっと、待って!!』

 

「『エクスカベイト!!!』」

 

 瑠魅香が一言唱えると、杖の先端から雷光が走って、カタツムリの手前の地面を大きくえぐり、楕円形のクレーターを形成した。カタツムリの丸い殻は重力に従い、こちら側に向かって大きく傾く。

 その瞬間、瑠魅香は百合香と精神をバトンタッチした。

『はい、頼んだわよ』

「ちょっと!!!」

 一瞬で元の身体に強引に戻された百合香は、こちら側に転がってくる巨大カタツムリの殻に戦慄した。

「冗談でしょ!!」

 百合香は即座に後ろを振り向いて、アグニシオンを発光させてダッシュした。次の瞬間にはもう、轟音を立てて巨大カタツムリが傾斜する通路を盛大に転がってきた。

「うわああああ!!!!」

 もう、追手から身を隠すなどという事を考える余裕はない。カタツムリの殻に轢かれて圧死するより先に、通路を出るしかないのだ。

 

 傾斜した通路を全速力で駆け、百合香はついに元いた広い水面の場所に出た。通路を抜け出た瞬間、即座に脇の空いたスペースに飛び込む。次の瞬間、巨大カタツムリは時速40km以上のスピードで、暗黒の水面にダイブしていった。盛大に撒き散らした水が百合香の頭から被さる。

「はー、はー、はー」

『お見事。さすがバスケット選手』

「ど…どういたしまして」

 ドクドク鳴る心臓を押さえながら、百合香はその場に片膝をついた。

『いやー、あたしじゃ無理だったわ』

「お、お、覚えてなさいよ瑠魅香…」

 百合香は悪態をつきながら、再びカタツムリが転がって来た傾斜通路を登って行った。第二のカタツムリがいない事を祈りながら。

 

 地底の通路は、まだ続いていた。



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レジスタンス

 巨体カタツムリを文字通り「片付けた」百合香・瑠魅香コンビは、百合香の身体のまま、謎の地底湖から再び傾斜路を登って行った。

 

「あの地底湖みたいなところ、真上に登れば元の場所に戻れたはずだよね」

 歩きながら百合香は言う。

『登る手段があれば、の話ね』

 頭の中で瑠魅香が答えた。

「戻ったところであなたが言ったとおり、現場検証中の氷魔たちと鉢合わせしてた可能性が大だけど」

『そう。だから、とりあえずこのルートで正解だと思う』

「あーあ。城の上層部に上がるどころか、さらに下に落ちちゃうなんて」

『でもね、百合香』

 瑠魅香がぽつりと言った。

『考えようによっては、良かったのかも知れないよ、ここに落ちてきて』

「…なんで?」

『上に行くほど敵は強くなる。今の状態で上に上がったら、今までと比べ物にならない強敵に出会って、死んでたかも知れないんだよ』

 あまりに淡々と語るので、百合香は背筋が寒くなる思いがした。

「…だいぶ強くなったつもりではいるけど」

『忘れないで、相手はあなた達人間の感覚を超えた化け物だってこと』

 百合香は、とりあえず相棒の忠告を素直に聞き入れることにして頷いた。

「実際、上がどうなってるのかさえ、わからないものね。むしろ、地下に潜んで準備を整えるという考え方もある」

『そういうの、うまく表現した人間の言葉なかった?喩え話っていうか』

 きた。瑠魅香はどういう状況であっても、気になった知識について訊かないと気がすまない。

「うーん。"塞翁が馬"とか?」

『サイオウさんて誰?馬なの?』

「そうではなくて」

 またしても百合香は、地下迷宮の奥で「姪っ子の質問に答える親戚のおばさん」を引き受ける羽目になったのだった。

 

 

 

「報告いたします。"魔導柱"の一本が破壊されました」

「なんだと?」

 一人の、氷の兵士からの報告を受けた暗灰色のローブの人物が、驚いたように玉座を立ち上がった。

「修復は」

「ただいま取り掛かっておりますが、だいぶ被害は大きいため、時間を要します」

「破壊とは、どのような状況なのだ」

「はい。何か、側面から叩き割られたような痕でした。その余波で、壁面や床面にまで穴が空いております」

 鎧の人物は、深く思案しているようだった。窓の前に立ち、城を見渡す。

「いかがいたしますか、ラハヴェ様」

 氷の兵士は、鎧の人物をそう呼んだ。ラハヴェと呼ばれた人物は、振り返って言った。

「侵入者の捜索強化のため、必要な兵力を割いてよい。姿を偽っている可能性もある。不審な者を発見したら、即座に始末しろ。指揮はカンドラ、お前に任せる」

「かしこまりました。失礼いたします」

 カンドラと呼ばれた兵士は、恭しく礼をすると立ち上がって、玉座の間を去った。

「ヒムロデ」

「はい」

 脇に控えるヒムロデ、と呼ばれた青いローブの人物が、ラハヴェの玉座の前に控える。

「もし、カンドラの手にすら余るようであれば、お前が直接指揮を取れ。高位の者を差し向けても構わん。そして、一体何者なのか興味が湧いてきた。可能であれば、生け捕りにしろ」

「承知いたしました」

 ヒムロデは、青いローブを翻してその場を去る。空はすでに暗く、青く冷たい灯りが城内を照らしていた。

 

 

 百合香は、迷っていた。通路の奥は、十字に分かれていたためである。

「どっち行けばいいんだろう」

『さあ』

「うーん」

 百合香は足元を照らしてみた。敵の足跡がないかと思ったのだ。しかし、ゴツゴツした氷壁の通路に、足跡など残るはずもなかった。

「参ったな」

『とりあえずカンで行ってみれば?』

 瑠魅香は無責任に言う。

「そんなんでいいのかな」

『臨機応変でしょ』

「そういう日本語はなぜか学習してるのね」

 いったい学園ストーカー時代、何を見聞きしていたのだ、と百合香は思った。文芸部でも覗いていたのだろうか。

 

 結局ふたりは、十字路をまず左方向に行ってみる事にした。

「城っていうけど、入ってからずっと、こんな岩場みたいなとこしか歩いてないわ」

 百合香は、凸凹の床面を見ながらつぶやく。

「上に行けば、きちんとした城になってるのよね?」

『そうだとは思うけどね。実を言うと、魂の波長を人間側に合わせたせいで、私は校舎から城に移動できなくなってたの』

「そうなの!?」

 百合香は呆れ半分で訊ねた。

「じゃあ、どうやって私と城内で会ったの?」

『だから、あなたの近くにいながら移動したの。あなたがあの長い氷の階段を登るときも、近くにいたのよ。気付いてくれるまで、ずーっと近くにいたの』

「ストーカーか!」

『なにそれ、カッコいい響きね!うん、私の事はストーカー瑠魅香って呼んで!』

「それはやめなさい!」

 自ら不審者ですと親切に名乗ってくれるなら、治安は多少改善されそうなものである。

 

 瑠魅香との会話に疲れた頃、百合香は視界の端に何か、動くものが見えた気がした。

「ん?」

 それは、通路の奥だった。今はアグニシオンを発光させているので、比較的奥まで見通せる。何かが、右から左に横切ったように見えた。

「敵かな」

『気のせいじゃない?』

「わたし視力はいいの」

 視力2.0を誇る百合香は、自信をもってそう言った。

「でも小さかったな。ネコか何かくらいに見えた」

『猫、知ってる!可愛いよね!あたし黒い猫好き!』

「あなたといると緊張感なくなるんだけど」

 いい事なのか悪い事なのか。百合香は、敵モンスターの可能性もあるので、いつものように剣を居合い抜きのように構えて、にじり寄るように歩いて行った。

 

 15メートルくらい歩いただろうか。そこは、またしても十字に分岐していた。しかし、さっき見た影が見間違いでなければ、この十字路を左側に移動したはずだ、と百合香は慎重に左側の通路を覗き込んだ。

 そこは、同じような通路が続いていた。しかし、その奥に百合香は何かを見付けた。

「ん?」

 目をこらすと、暗い通路の奥に光るものが二つ見えた。それこそ、猫の目のような小さい二つの光点だった。

「なんかいるよ」

『敵?』

「わからない。というか、この城に敵以外の何かがいるの?」

『うーん』

 瑠魅香がなんだか煮え切らない相槌を返す。百合香は、剣の光を抑えてその光点をゆっくり追った。すると、光点は通路の奥に向かって向きを変え、百合香からは見えなくなってしまった。

「あっ!」

『ダッシュ、バスケ部員!』

 瑠魅香はだんだん、自分の煽り方を学習してきたなと感じる百合香だった。

 

 姿を消した光点を追って辿り着いたのは、行き止まりの四角い空間だった。天井の高さが倍くらいある教室、といった感じだ。そしてこれまでの経験から、悪い予感しかしない百合香である。

「絶対なんかいる」

『またまた~』

「一見いないように見えて、実は天井とかに何か…」

 百合香はゆっくりと天井を照らす。しかし、何も見当たらない。

「いないな」

『気のせいだったって事じゃない?』

「そんなはずは…」

 と、百合香が振り向いた時だった。入り口にドスンと壁が降りて、部屋が密閉されてしまった。

「あっ!」

『バカ!』

「なんですって!」

 瞬間的に低次元の言い争いをしながら、二人に緊張が走る。今度は瑠魅香も急かしたのだから同罪である。

 

 しかし、それきり何も現れない事に百合香は不信を覚えた。

「おかしい…何か変」

『変って?』

「侵入者を閉じ込めるためのものなら、もう誰かが駆け付けてきても良さそうじゃない?」

『あ、そうか』

 その時だった。百合香は、何となく空気が薄くなったような気がした。

「あっ」

 単純な事実に百合香は気付いた。

「密閉空間ってことは、放っておけば酸素がなくなる!」

『酸素がなくなるとどうなるの?』

「私が死ぬの!!」

『なにそれ、大変じゃない!』

 いまいち瑠魅香の反応から、大変さが伝わってこないと感じる百合香だった。

『じゃあ、いつもの炎の剣であの塞いだ壁をぶち抜けばいいじゃん』

「そうはいかない」

『なんで』

「炎を燃やすと酸素が一気になくなるの」

 このピンチにおいて、物理の講義をする余裕などない。百合香は、さっきのお返しとばかりに強引に精神を交替した。

「わあ!」

 いきなり肉体の運転を交替させされた瑠魅香は、つんのめって膝をついた。

「危ないじゃん!」

『瑠魅香、聞いて。あの落ちて来た壁を、あなたの魔法でぶち抜くの。ただし、絶対に炎の魔法は使わないで』

「いたたた…ふうん、わかった」

 瑠魅香は銀色の巨大な杖を、入り口を塞いだ壁に向かって突き出す。

「ぶち抜けばいいのね」

『そう!』

「わかった」

 瑠魅香は、杖に魂のエネルギーを集中させる。青白い光が、杖の先端部に収束し、まばゆいスパークを始めた。

「いくよ、百合香!」

『行って!』

 

「『ドリリング・サンダーボルト!!!』」

 

 ドリルのような形状の雷光が、壁に向かって突進する。それは回転し、周囲に電撃を撒き散らしながら、壁を粉々に粉砕した。

 その時百合香は、壁の向こうで何か悲鳴のような声が聞こえた気がした。

「ふう」

『ねえ瑠魅香ちゃん、ちょっと』

「なに?」

『これ、さっきのカタツムリに食らわせれば良かったんじゃないの!?』

 16歳女子高生の訴えに、瑠魅香はさらりと答えた。

「いま思い付いた魔法だもの」

『あっそ』

 溜息をついた百合香は、「そういえば」と言った。

『ねえ、いま壁をぶち抜いた時、悲鳴が聞こえた気がするんだけど』

「悲鳴?」

『壁の向こうよ』

 百合香に言われるまま、瑠魅香は破壊した穴を出て、周囲の様子を伺った。しかし、誰もいる気配はない。

「気のせいじゃないの?」

『そうなのかな』

「さっきの場所に戻るよ」

 瑠魅香は、散乱する瓦礫を避けて通路を引き返そうとした。

 

 その時だった。

「待って」

 何か、少年のような声がした。

「ん?なんか言った?百合香」

『違うよ。私じゃない』

「え?」

『私も聞こえたよ。待って、って』

 瑠魅香は振り返った。しかし、誰もいない。すると。

「こっちです」

 また聞こえた。百合香は、何かに気付いたようだった。

『足元だ』

「え?」

 百合香の指摘で、瑠魅香は足元を見る。

 

 そこにいたのは、一匹の青白い猫だった。

 

「猫だ!!」

 その姿を認めるや、瑠魅香は猫を抱きかかえると、猛然とほおずりを開始した。

「んにゃあ――――!!!」

 猫の絶叫が響く。

「可愛い!ねえ百合香、この子飼ってもいいかな!?」

『嫌がってるよ』

「そんな事ないよ!ねえ!?」

「離してください!!!」

 まさかの人間語で、猫ははっきりと拒絶の意志を示した。瑠魅香はそれなりにショックだったようで、愕然と肩を落として猫を離してやった。

「しょっく」

「僕はペットじゃありません。オブラという、れっきとした精霊です」

 よく見ると精悍な顔つきの、オブラと名乗った猫は語り始めた。

「申し訳ありません。お二人の力を試す目的で、この部屋に閉じ込めてしまいました。壁の背後から様子をうかがっていたら、壁が壊されて下敷きになりかけました」

「はい?」

 

 オブラは、自分が氷魔である事を自白した。

「氷魔という括りはあまり愉快ではありませんね。精霊と呼んでいただきたい」

「そうそう、わかるー」

「まあ、瑠魅香さまの仰るとおり、便宜的に用いる分には構いませんが」

「わかるー」

 だんだん瑠魅香の知能レベルが下がっている気がする百合香だった。

『私の声、聞こえてるの?』と百合香。

「もちろんです」

 オブラは答える。

『あなた、何者なの?』

「僕は、この城にいるレジスタンスの一人です」

『レジスタンス!?』

 百合香と瑠魅香は驚いて聞いた。

 

『レジスタンスって、氷魔相手のってこと?』

「そのとおり。氷巌城に反旗を翻した、誇り高き組織『月夜のマタタビ』の一員です」

 そのネーミングはどうなのか、と一瞬思った百合香だった。

『なるほどね。瑠魅香みたいに離反する者もいれば、組織活動をしている精霊もいるってことか』

「そうです。そして、百合香さん。あなたの存在は、すでに我々『月夜のマタタビ』に知れ渡っています」

『は!?』

 瑠魅香の頭の中で、百合香は叫んだ。

「当然でしょう。どうやって戦うか算段を練っているところへ、闘技場の荒くれもの達を一掃した何者かが現れたのです。我々は、氷巌城の兵士たちよりも早く、その情報収集に動きました。あの巨鳥氷魔を、あなたは一人で倒しましたね」

『見てたの?』

「はい。きっと、ルート的にあの場所に現れると踏んで、我々の一人があのホールの隅からじっと伺っていました。案の定現れたあなたは、卑怯にも巨鳥の頭だけを通路に誘い込んで、身動きの取れない相手を容赦なく刺すという戦いぶりを見せてくれました」

『言い方!!』

 百合香は抗議したが、オブラは構わず話を続ける。

「これは称賛です。強大な相手に、まともに戦って勝てるわけがありません。まさに人を得た、と我々は確信しました。本当は、上層部において私の仲間が、あなたにコンタクトを取る予定だったのですが。まさか、私が担当している地底エリアに落ちてくるとは予想もしていませんでした」

「そう。この子が暴れたせいで穴が開いて、私達ここに落ちて来ちゃったの」

 唐突に瑠魅香が会話に割り込んでくる。百合香は憮然とした。

「百合香さま。あなたのそのお力が何なのか、我々には全くわかりません。ですが、あなたの行動目的はおおむね把握しております。この城を消滅させようとしていますね」

 どうやら、変な名前であってもその組織力は確かなもののようだった。百合香は頷く。

『ええ、そうよ。私は、私の友達や家族を助けるために、この城を滅ぼすと決めたの』

「であれば、話はもう決まったようなものです」

 

 オブラは、天井を仰ぐような姿勢で高い声でニャアと鳴いた。すると、音もなく通路に、4匹の同じような猫が現れたのだった。

「猫がたくさん!」

「このエリアにいる同志です。我々は城じゅうに分散して、情報を探っています」

『それって、つまり…』

 

「はい。百合香さま、瑠魅香さま。我々はあなた方に協力します。この城の情報は我々も探りを入れたばかりですが、手に入った情報はあなた方に提供する事を、約束しましょう」

 

 それは、百合香にはとても心強く聞こえた。

『本当?じゃあ、城内のルートも教えてもらえるのね?』

「もちろんです。各エリアの幹部氷魔の居所も、すでにいくつか判明しているようです。上層に登って、同志に必ず会うようにしてください」

『渡りに船、とはこの事だわ。ことが上手く運び過ぎて怖いくらい』

 つい、言葉にも笑みが混じる百合香である。ですが、とオブラは釘をさした。

「百合香さま。情報が手に入ったからと言って、相手を倒せるわけではありません。幹部と呼ばれる各エリアのボスは、あの巨鳥など足元にも及ばない実力を秘めている、と推測されます」

 それは、百合香たちの肝を冷やすには十分だった。

「幹部って何体いるの?」

「いま判明しているだけで、6体。おそらく、その倍はいると見ていいでしょう」

「けっこうな数じゃん!」

「そうです。そして、この城を滅ぼすには、その幹部たちを排除したのち、頂点に立つ存在を打ち倒さなくてはなりません」

 オブラは、ゆっくりと重みのある口調になって話し始めた。百合香は訊ねる。

『頂点って、この城の支配者ってこと?』

「そうです。その、氷巌城の城主についてだけは、すでに名前も判明しています。…名前だけ、ですが」

『!』

 百合香と瑠魅香は、その情報に驚きを禁じ得なかった。猫のネットワーク恐るべし。

『その…城主の名前は』

 固唾を飲む気持ちで、百合香は訊ねる。オブラは答えた。

 

「氷魔皇帝ラハヴェ。それが、あなたが倒すべき相手の名です」



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上層へ(第1章完結)

「氷魔皇帝ラハヴェ?」

 瑠魅香が、その名を告げた猫レジスタンス・オブラに訊ねた。

「そいつが、私達をけしかけてた頭目なの?」

『そうです。ただし、何者なのかは全くわかりません。なぜなら、今の氷巌城が出現するまで、その存在自体が不明瞭だったからなのです』

「よほど用心深いって事なのかしら」

 瑠魅香は、氷魔だった頃にそのような存在について聞いた事があるか、思い出してみた。

「うーん、私は初耳だな。もちろん、氷巌城は常に"トップ"がいて、それに率いられる形でこの世に現れる筈だから、そいつが今回のトップ、ボスなんだろうけど」

「ラハヴェの素性については現在も調査中です。しかし、上層ほど調べるのは困難になるので、すぐに、というわけにはいきません」

 瑠魅香は、それはもっともだと頷いた。

「地道に上を目指すより他にないって事か」

 そこで、百合香が訊ねた。

『オブラ、あなたは上の層へのルートを知ってるの?』

「もちろんです。さっき同志と話したのですが、第一層への入り口まで、僕が案内します」

『ん?』

 百合香は、オブラの説明にやや困惑した。

『今いるここが第一層ではないの?』

「違います。ここは城の基底部であって、特殊な個体を除けば、最下級の氷魔しかいません。そもそも、あなたの侵入ルート自体が、氷魔からすれば想定外だった筈です」

 百合香は、学園の屋上から延びていた氷の階段を思い出していた。

 

『あっ』

 

 そこで唐突に百合香は、ひとつの謎を思い出した。

『ねえ、オブラ。訊きたいことがあるの。この城に、私以外に誰か、侵入した人間はいない?』

「人間、ですか?」

『そう。おそらくは、女性』

 百合香は、凍結した学園で自分以外に一人だけ、何者かが動いていた痕跡があった事を説明した。

『そいつは、なぜか凍結した校内を自由に動いていた。しかも私と違って、凍結現象そのものをコントロールできるらしい。扉を開けたあとで、再び凍結させていたの』

「ふうむ」

 オブラは少し考え込んだあと、仲間と意味不明の言語で会話を始めた。頷いたり、首を傾げたりしている。

「人間語じゃないよね」

『私と会話するために、わざわざ日本語覚えたのかな』

 百合香と瑠魅香は、野良猫の会合にしか見えないレジスタンスの会話を観察していた。会話が終わると、オブラは百合香を振り向いて言った。

「百合香さま、残念ながら該当しそうな人物についての情報はありません」

『そっか』

「ですが、我々としても気になる情報ではあります。明らかに不審です。なので、今後の調査で何かわかったら報告に上がります」

『ありがとう。頼んだわよ、小さな探偵さん達』

「探偵!それはなかなか良い響きですね…マタタビ探偵社という呼称に変えるのはどうだろう…」

『マタタビは絶対に外せないのね』

 なんだか瑠魅香とノリが似ている、と百合香は思った。

 

 その後、彼らが地下でアジトにしているという空間でひと息ついたのち、オブラの手引きで再び元の層へ戻る通路を、今度は百合香の精神に切り替えて二人は進んでいた。

「ひとつの肉体に二人の魂が宿ってて、切り替えができるって凄いですね」

 歩きながらオブラが言う。

「そうか…瑠魅香さまのように、人間に波長を合わせてしまうという生き方もあるのか」

「そういう事やった氷魔は他にいないの?」

 百合香の問いに、オブラは即座に答える。

「いませんよ!そんな方法、思い付いたとしても実行するのは難しいと思いますし…瑠魅香さまって、どういう存在なんだろう」

『人を珍獣みたいに言わないでくれるかな』

 百合香の中から瑠魅香が抗議する。

 

「じゃあ、逆はどうなの?人間から氷魔に変わるっていうのは可能なの?」

 

 歩きながら何気なく言った百合香の問いに、オブラは突然ピタリと立ち止まった。

「……」

「オブラ?」

「…何でもありません」

 そう言うと、オブラは再び歩き出す。

「不可能ではないかも知れません、瑠魅香さまが逆の事を実行されたわけですから。しかし、あくまで理論上、可能性の話です。現実に可能かどうかは、わかりません」

「なるほど」

 

 そこから、まるで獣道とでも言うような複雑難解な通路を辿って、オブラと百合香は見覚えのある通路に出てきた。

「ここは…」

「そうです。あなたが最初に侵入したフロアの、最奥部に続く道です」

 オブラは、突然歩速を落として百合香の方を振り向いた。

「百合香さま。そろそろ、一旦のお別れです」

「お別れ?」

「仲間からの報告によると、最奥部では現在、兵が多数配置されて、侵入者を待ち構えているそうです。しかも、巨大な魔晶兵を動員しているとか」

「魔晶兵?」

「巨大な、氷の戦闘人形とでも言いましょうか。それは、我々には歯が立ちません。でも、あなた方二人の力であれば、突破できるかも知れない」

 オブラは、何か決意したような表情で、百合香の目をまっすぐ見る。

「百合香さま。僕が、雑兵たちを引き付ける囮になります。あなた方はその間に、魔晶兵を倒して、第一層に向かってください」

「大丈夫なの!?」

「ご心配なく。逃げるのは得意です」

 そう言って、オブラは笑う。

「ただし、僕が逃げるのは容易ですが、敵が僕の揺動に気付くのが早ければ、あなた方は魔晶兵と、戻ってくるであろう雑兵たちを同時に相手にする事になります。時間は限られている、と思ってください」

 それは百合香たちには結構なプレッシャーを伴って聞こえた。しかし、瑠魅香は笑う。

『百合香。私たち無敵のコンビなら、氷のオモチャの一体くらい何てことないわよ』

「相変わらず無責任ね」

 百合香も、頷いて笑う。

「そうね。どのみち、そんなのに敵わないようじゃ、この先も進めないって事だもの。わかった。オブラ、そっちは任せたわよ」

「お任せください」

 

 オブラの先導で進んだ先に、何か広い空間に繋がる通路の入口があった。その左右を、槍を構えた氷の兵士が守っている。

「案の定です。あの個体は、あなた方が今まで戦ってきた個体より、ずっと知能が高い。人間の大人レベルというわけではありませんが、賢い子供くらいはあります」

「強いってこと?」

「今のあなた方なら勝てます。しかし、仲間に情報を細かく伝達できる、等の行動が可能なのです。1体を倒している間に、他の1体が他の20体にあなた方の存在を伝えたら、どうなりますか」

 説明しながら、オブラはゆっくり進み出る。

「百合香さま。あの、左手の柱の陰に隠れてください。私は、右手方向から彼らを誘導します」

 オブラが指差したのは、柱というには不格好な、立ち上がった氷柱だった。

「あの空間の中に、魔晶兵がいる筈です。僕の誘導に何体引っ掛かってくるかはわかりません。雑兵が残っていたら、まずそいつらを先に片付けてください。上層に上がれたら、私達の仲間が現れるまであまり移動しないようお願いします」

「わかった」

 百合香は、オブラに向かって力強く頷く。

「百合香さま。上の層でまた会うこともあるかも知れません。それまでどうか、ご無事で」

「そっちもね、オブラ」

『頼んだわよ、探偵さん』

 百合香はオブラの手を握る。オブラはパッと手を離すと、「行って」と左手方向を指差した。百合香は、足音を立てないように、静かに柱の陰、兵士たちの死角になる位置に身をひそめる。

 

 オブラはどうするのかと百合香が見ていると、何か聞こえない呪文のようなものを唱え始めた。

 すると、オブラの姿は氷の兵士に変わってしまった。

『魔法だ。変身できるんだ』

 瑠魅香が感心する。百合香も驚きながら頷いた。少し侮っていた。

 

「◆◆◆◆◆!!!」

 なんだかよくわからない言語で、兵士に化けたオブラが叫ぶ。これが氷魔の言語なのか。

 オブラの言葉に、衛兵は驚いた様子で、入口の奥に向かって謎の言語で叫んだ。すると、中からざっと20ほどの兵士達がわらわらと出てきて、オブラに先導され、百合香たちが今きた通路に大挙して消えて行ってしまった。

『やるじゃん!』

「ようし、行くよ瑠魅香!」

『あいよ!』

 

 二人は、衛兵のいなくなった入口を通過して、魔晶兵とやらがいるらしい空間に入った。そこは、奥に巨大な閉じられた扉があり、その手前に、確認するまでもなく"それ'だとわかる巨体が鎮座している。

 

 角ばった遮光器土偶とでも言えばいいだろうか。これを人間の形と呼ぶのは難しい。4トントラックほどもあるそれは、百合香の姿を認めるなり、すぐに右腕を上げて襲いかかってきた。

『話が早いね!』

「いくぞ!」

 百合香は、聖剣アグニシオンを両手でしっかりと構え、勢いよく魔晶兵に向かって突進した。

『百合香!』

 その動きで大丈夫なのかと不安になった瑠魅香が叫ぶ。しかし百合香は、魔晶兵の手前で突然、左側に大きく逸れた。

 上げた右腕を振り下ろした魔晶兵は、その側面を百合香にさらけ出す。

「もらった!」

 百合香は即座にアグニシオンにエネルギーをチャージし、至近距離で敵の腰部に技を放つ。

「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」

 巨大な荒ぶる炎の刃が、魔晶兵の胴体を直撃する。相手は大きくバランスを崩し、左膝をついて停止した。

『やるじゃん!』

「瑠魅香!」

『まかして!』

 百合香の肉体は、一瞬で黒髪の魔女・瑠魅香にチェンジする。間髪入れず瑠魅香は、杖からエネルギーを放出した。

「『ドリリング・バーン!!!』」

 瑠魅香もまた、百合香の向こうを張って炎の魔法を撃つ。百合香と違って、青白い炎の竜巻が横方向から魔晶兵の胴体を直撃した。

「オオォォォ!!!」

 魔晶兵は苦悶の叫びを上げる。腰部を中心に小さなヒビが入った。

「どんなもんよ!私達に敵うと思ってんの!?」

『油断しないで!これだけの大技を連続して受けたのに、まだ軽いヒビしか入れられてない』

「なら、百発くらわしてやるわよ!!」

 瑠魅香が勇んで再び杖を掲げた、その時だった。

「!?」

 突然、魔晶兵の全身に発光する幾何学的な文様が浮かび上がり、その装甲が剥がれ落ちてしまった。

「なに!?」

『瑠魅香、離れて!』

「え?」

 百合香は、強引に瑠魅香とチェンジして、迷わず大きく後退した。すると、装甲が剥がれ落ちて細身になった魔晶兵は、その巨体からは信じられないような俊敏さをもって、百合香との間合いを一瞬で詰めてきた。

「あっ!」

 驚く暇もなく、魔晶兵の左腕の爪が百合香を捉え、地面を擦りながら斬り上げてくる。その予想外の斬撃に、百合香はタイミングが大きく遅れてしまった。

「ぐあっ!!」

 攻撃を受け止めきれず、敵の爪が百合香の左上腕を斬りつける。百合香の全身をめぐる防御エネルギーさえ、完全にそれを防ぐ事はできなかった。

「うっ…く」

 ポタリ、ポタリと左腕から鮮血が落ちる。だが、激痛に耐える時間さえ百合香にはなかった。

『百合香!代わるわ!』

「瑠魅香!」

 百合香の制止を無視して、瑠魅香は再び肉体をチェンジして顕現する。しかし、左腕のダメージは人格交替により多少抑えられただけで、まだ血は流れていた。

「なるほど、これは…キツイね」

 肉体が外部から傷つけられるという感覚を初めて味わった瑠魅香は、不敵に笑った。

『瑠魅香、代わりなさい!』

「いやよ」

 瑠魅香は、杖を構えて短い呪文を詠唱する。青白い光が、杖を包んだ。

「アァオオォォォ―――!!」

 不気味な咆哮を上げて、魔晶兵が再びその左腕を、今度は横薙ぎに払ってきた。百合香は、もうダメだと思うと同時に、そういえばこんな場面が前にもなかったか、と感じていた。

 

 百合香が、静寂に気付いて感覚の目を開けると、魔晶兵は何かに引っ張られるようにもがき苦しんでいた。

『!?』

「百合香の小説にあったよね。場合によっては、前から押さえるより、引っ張る力の方が強い、って」

『え?』

 百合香が魔晶兵をよく見ると、その肩や腰に、極太の雷のロープが巻き付いており、それは地面から立ち上がって、魔晶兵の動きを封じていた。

「魔法のカッコいい名前が浮かばなかった。次まで考えとく」

『……』

「どしたの?」

『瑠魅香、ナイスプレー!』

 百合香にそう言われて、突然瑠魅香の視界が大きくにじんだ。

「あれ、なんだろ、また涙が…」

『代わって!』

 百合香は、心の中で瑠魅香とバトンタッチする。

 

 その時だった。

 

 再び、百合香の胸元から、あたかも超新星の爆発のごとき輝きが現れ、魔晶兵は恐れ慄いてその動きを止めた。

 

 その輝きは百合香の全身を包み、一瞬で弾けた。光が消え去ったとき、百合香の全身を包んでいたのは、それまでと比較にならないほど高貴な輝きを放つ、金色の鎧だった。

 

「これ…」

 百合香は、全身に清澄そのものの光のエネルギーが満ちるのを感じた。この鎧は、光が固体化したものに思えた。左腕にも、もう痛みはない。

 

 聖剣アグニシオンを、百合香は眼前に掲げる。恐るべき、強烈な重みを伴った力場が剣を中心として発生した。

 百合香は大きく跳躍し、魔晶兵の脳天にエネルギーが脈動するアグニシオンを叩き込む。

 

「『ゴッデス・エンフォースメント!!!』」

 

 空間全体が一瞬大きく軋み、目に見えない一直線の衝撃が、魔晶兵の頭から足元まで突き抜ける。

 その断面から眩い輝きが走り、それはあたかも太陽のごとく内側から大きく弾け、魔晶兵を粉々に打ち砕いて消滅させた。その余波で、巨大な扉の片側が倒れ、暗い階段が姿を現した。

 

「はあ、はあ、はあ」

 全身のエネルギーを放出しきった百合香は、その場に膝をついた。

『やった!百合香かっこいい!!』

「当然よ」

 まだ心臓がバクバクいう状態で、百合香は誰にともなくサムズアップしてみせる。

『さあ、もたもたしてらんないよ。さっさと上層に上がろう』

「急かさないでよ。あー、ポカリ飲みたい」

『ポカリってなに?』

「ポカリっていうのはね…」

 ガクガクする脚を動かしながら、百合香は階段を登り始めた。その上は、いよいよ氷巌城の第一層である。これまでの敵とは比べ物にならない相手が待ち受けているらしい。

 

 百合香の脳裏に浮かんだのは、あの闘技場でほんの少しだけ共闘した、戦斧の闘士の姿だった。

 

 行ってくるね。見てて。

 

 

(氷巌城突入篇:完)



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氷騎士烈闘篇
氷騎士


 ほとんどの生物は、自然界の脅威に逆らう事ができない。

 

 あらゆる生物が、それに耐えきれずその種の歴史の幕を閉じて行った。

 

 

 

 科学文明の頂点を極めたと信じている、人間もまた例外ではない。

 

 

 

 

 絶対零度女学園

 

 第2章:氷騎士烈闘篇

 

 

 

 

 それは、世界各地の軍事基地で起こっていた。

「原因は不明だと!?それを調べるのがお前たちの仕事だ!」

 太平洋の島に、某国の海軍の軍事基地がある。その司令官が、主に軍事装備の保守点検を担当する士官たちに、怒号を発し続けていた。しかし、士官たちも上官に怯む事はない。

「繰り返し申し上げます。我々は保守点検のプロです。その我々の徹底的な調査のすえ、”原因不明”と判断した、という事です」

「では、端的に言え。当基地の軍用装備品は現在、スクランブルが起きた時に運用できるのか」

「できません。航空機から車輛に至るまで、全てが極低温によって凍結しており、エンジンに点火する事も不可能な状況です」

「では、この状況でもし、外部から航空機などによる攻撃を受けた場合、当基地はどうなる」

 司令官の質問に、士官は少し間を挟んで答えた。

「シミュレーションは担当外ですが、アサルトライフルで爆撃に対抗することはできません。全滅です」

 

 事は、遠隔地の軍事基地だけの話ではない。世界中で、遠距離ミサイルのハードウェアとシステムの両方が謎の凍結現象により、運用不可能な状態に陥るという異常事態が発生していた。いかなる最新鋭の戦略兵器であろうと、運用できなければただの鉄塊にすぎない。この状況を他国に悟られまいと、各国の政府は情報の徹底管理に動いていた。

 

 

 

 

「首尾はどうか、ヌルダ」

 氷巌城の玉座の間で、外界を見下ろしながら氷魔皇帝ラハヴェは問うた。脇に控えている、ヌルダと呼ばれた黒いローブの氷魔が答えた。

「はい。この時代の軍事力は、かつての人類のそれとは次元が異なるまでの発展を遂げております」

「ほう」

「ですが、その仕組みは解き明かせば取るに足らぬものです。原始的、単純な仕掛けを組み合わせて、高度な技術に見せかけたものにすぎません」

 ヌルダは、現代人類の軍事力を一蹴するかのように、嘲笑気味に言った。

「すでに世界の主要な軍事施設には、”処置”を施しております。もっとも、彼らの愚かな兵器がこの城に到達したところで、外壁に傷ひとつ加える事もできませぬが」

「では、試みにいつか撃たせてみるか?」

「陛下がお望みとあれば」

「ふん」

 臣下の冗談を、ラハヴェは鼻で笑った。

「これならば、数百年前の人類の方がまだ手ごわかったと言える。今の人類は、呪術のひとつもろくに扱えぬまでに退化してしまったようだな」

「御意」

「下がってよい」

「はっ」

 ヌルダは黒いローブを翻して、音もなく玉座の間を辞した。ラハヴェは、空にかかるオーロラを睨む。

「ヒムロデ」

 そう声をかけると、どこから現れたのか、青いローブをまとったヒムロデがラハヴェの下に跪いた。

「ここに」

「侵入者が第1層に到達したというのは、まことか」

「申し訳ございません。いかなる処罰も覚悟しております」

「お前の責ではない」

 ラハヴェは手を上げて、詫びるヒムロデに言った。

「ヒムロデ、正直に言おう」

「何なりと」

「私は、その侵入者がどこまで来られるのか、試してみたくなった」

「は?」

 ヒムロデは、驚きを隠さない口調で訊ねた。

「恐れながら、それは…本心でございますか」

「そうだとも。外の状況を見たか。今の人類文明は、科学力とやらは大層発展しているようだが、実のところ脆弱この上ない。彼らが用いるエネルギーのひとつ、ふたつを遮断するだけで、都市は機能停止に陥り、多数がその生命を維持できなくなる。その事に、”災害”と呼ぶ自然界のうねりが襲うまで気付かぬのだ」

 そう言ったあとで、ラハヴェは断言するように言った。

 

「わかるか、ヒムロデ。人類は進化したと思っているだろうが、実のところ”退化”しているのだ」

 

 ラハヴェの小さな嘲笑が、玉座の間に響く。

「なぜ私が、現代の発達した科学文明を参考にしなかったか、わかっただろう。粗末な練り物と鉄でできた醜い都市に住む、脆弱な生き物などに興味はない。だが、この侵入者は違う」

 ヒムロデは、ラハヴェの言葉を黙って聞いていた。

「この謎の侵入者が、もし人間だとしたら。それは、我々に対抗できる力を備えた人間ということだ。このような、退屈な状況において、唯一にして至高の気晴らしだとは思わぬか」

「私の考えなど、陛下の高邁なお考えには到底及びませぬ」

「ふん、平然と世辞を言う奴よ」

 ラハヴェは笑う。

「第1層の氷騎士たちに、侵入者を迎え討つよう通達しろ。むろん、兵士たちの各所への配置も怠るな」

「最初の氷騎士にすら及ばない事もあり得ましょうが」

「それはそれで仕方あるまい。だが、強い相手ほど存在を否定し、踏みにじる甲斐もあるというものだ。その無惨な屍を、ここにに運んで参れ。氷漬けにしてこの間に飾るとしよう」

「…は」

 どう思ったのか、ヒムロデはそれだけ答えると、礼をして静かに玉座の間を去った。

「何者かこの目で見て、直々に無惨なる屍にしてやるのも一興だが…まずはお手並み拝見といこう」

 

 

 

 

 侵入者こと江藤百合香は、焦っていた。

「はあ、はあ、はあ」

『代わろうか?おねーさん』

 頭の中で、相方の瑠魅香が言う。

「だ、大丈夫…」

『身体、だいぶ臭ってきてるんじゃない?』

「……」

 16歳女子高生にとっては、生命の危機と並んで大問題ではある。だが、今はやはり生命の維持が優先された。

 

 ここは、まるで石のような質感の整った氷でできた、四角い通路である。地底層から長い階段を登って来た百合香は、さっそく無数の氷の兵士と鉢合わせして、撃退しては身を隠し、ということを繰り返していた。

『地底層から見れば、ガラリと人工的な空間になったけど。もうちょい装飾があってもいいよね』

「装飾はどうでもいいけど、あの猫探偵のお仲間はどこなの」

 百合香は、一転して白く明るい通路を睨んだ。ここまで案内してくれたレジスタンス氷魔の探偵猫オブラが、第1層に登ったら仲間がコンタクトを取るのをあまり移動せず待て、と言っていたのだ。

「まず、癒しの間へのポイントを探る必要があると思う」

『そうだね』

「瑠魅香、あなたの魔法で”裂け目”を探す事はできないの?」

『なるほど』

 二人は、無言で精神を入れ替えた。金色の鎧姿の百合香が、紫のへそ出しドレスの魔女・瑠魅香にチェンジする。

「と言ってもな」

 試みに杖を構え、瑠魅香は適当に魔力を放ってみた。しかし、何の反応もない。

「あれ、どういう仕組みだったっけ」

『女神様の持ってる波動は氷魔の波動と打ち消し合うから、氷魔のエネルギーが散乱した時に、それが薄くなってる箇所が、癒しの間に至るゲートを作れるポイントってこと』

「あ、なるほど」

 瑠魅香は、もう一度杖を掲げた。

「そういう原理なら、これでどうだろう」

 杖の先から、真っ白なエネルギーの砂粒が空間に散乱する。美しい光景ではあるが、特にそれらしいポイントを見付けられる様子はなかった。

「ないね」

『それ、何やってるの?』

「氷魔の持ってる波動と同じものを、魔法で作って散乱させたの。これで探せるはずだよ」

『頼りになるなあ』

「ふふふ、もっと褒めて」

 瑠魅香は得意気に笑う。

 

「あー、さっき百合香が言ってた、ポカリなんとかって飲み物、飲んでみたいなあ」

『癒しの間で創れるかな。家具とかトイレ、シャワーが創造できるなら、食べ物、飲み物だって創造できると思うんだ』

「わたし、まだ食べ物っていうものを食べた事がないのよ!味覚っていうのも、百合香のツバとか、汗の味しか知らない」

『どこ舐めてんのよ!』

 百合香が相棒の変態行為に抗議したところで、何か視界の隅に動くものがあった。

『あっ』

「なに?」

『今なんか見えたよ!例のマタタビ探偵団じゃないの?』

「月夜のマタタビ、でしょ」

 相方の冷静なツッコミをよそに、百合香は再び身体を交替する。2.0を誇る視力で、今小さな影を見掛けた方向に移動しながら、何かいないか注意深く見回した。

 

 すると、かすかに「こっちです」と呼ぶ声がする。

「瑠魅香、なんか言った?」

『なにも』

 百合香はもう一度耳を澄ます。すると、やはり聞こえた。

「百合香さま、こっちです」

「あ、いた」

 百合香は、声のする方向をよく見た。通路の一部が、妙な形に歪んでいる。猫の形だ。

「光学迷彩か何かなの、それ」

 百合香は、魔法で光学迷彩を施しているのがモロバレの猫に近付いて言った。

「あなた、オブラの仲間でしょ」

 モロバレ光学迷彩猫の前にしゃがんで、その背中をなでる。

「どうして姿がわかったんですか」

「猫の形に空間が歪んでれば、だいたい察しはつくわ」

「なんと」

 やはり少年のような声がして、その光学迷彩が解かれると、白と青のマーブル模様の猫が姿を現した。

「オブラに会ったのですね。私はオブラの同志、ラーモンです。百合香さま、あなたのお噂は聞き及んでおります。たいへん残虐な手段で鳥氷魔を容赦なく葬り去った、とか」

「言い方!!」

 

 ラーモンと名乗った猫氷魔の手引きで、百合香は階段の脇にある石のドアで隠された入り口から、レジスタンス組織”月夜のマタタビ”のアジトに招かれた。

 何しろ猫用のアジトなので、非常に狭い。広さは4畳あるかないか、という所である。その中に女子高生1名と猫4匹が集合していた。基本的にどの猫も似たような氷系カラーなので、区別がつきにくい。

「あなたをここにお招きできた事、光栄に思います」

「ここ、大丈夫なんでしょうね」

「それはもう。兵士たちの盲点になっている場所です」

「ふうん」

 隠れ家、というのは何となくゾクゾクするなと百合香は思った。

「それで、このフロア…第1層ってどういう場所なの?」

 百合香は、さっそく気になる事から質問した。場所の状況がわからなければ、戦うのに不利になる。ラーモンは、小さく頷いて説明を始めた。

 

「我々が調べた限りでは、この層は戦士系の氷魔が集中的に配備されているようです」

「戦士系?」

「地下で闘技場をご覧になったでしょう。あそこにいた闘士たちは、この第1層でイレギュラーとされた者達の、いわば流刑地だったのです」

「流刑地、ですって?」

 百合香は多少の驚きと、納得をもって聞いていた。

「そうです。彼らは、城の防衛という任務に適合できない、いわば反抗的な存在でした。ひたすら戦う事に情熱を傾けるため、命令を聞き入れないのです。そのため、地下に追いやられたのです」

 なるほど、と百合香は思った。彼らは純粋過ぎるまでに、戦う事だけを存在意義としていたのだ。だから、戦って死ぬこともその一部だったのだろう。

「じゃあ、このフロアにいるのは」

「そうです。命令に従って侵略者と戦うための闘士たちです。なので、知能レベルもそれなりにあると思ってください。知能がなければ命令を理解できませんからね」

 百合香は戦慄しつつ、少なくとも情報を得た事への一定の安心感を覚えていた。今まで、その先に何がいるのかわからない戦いだったからだ。

 

 だが、とラーモンは言った。

「百合香さま、このフロアで真に恐れるべきなのは、”氷騎士”と呼ばれる城の幹部たちです」

「ひょうきし?」

「はい。彼らは、それぞれ防衛するエリアがあり、そこに常に構えています。非常に高い実力と知性を持っており、あなたのお力でも戦えるかどうか、我々にも判断がつきません」

「どれくらい強いかっていう情報はないの?」

「残念ですが、そこまでの情報はありません。ですが、参考になるかどうかわかりませんが、奇妙な報告がひとつ、同志から入っています」

「奇妙?」

 百合香は訊ねる。ラーモンは他の猫と何かを確認しあってから、百合香を向いて言った。

 

「このフロアにいる氷騎士の何体かは、剣や槍ではなく、”球”を武器にする者がいるらしいのです」



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劇空間

「球を武器にする敵?」

『氷のボールでも投げてくるっての?』

 百合香と瑠魅香は、敵の姿をあれこれと想像してみたが、砲丸投げとか、ワイヤーつきの巨大な球を振り回しているような敵しか想像できなかった。

 ラーモンは、再びほかの同志と何やら情報交換してから、百合香の方を向いた。

「一体だけ、巨大な氷の球を投げている姿が確認されています。それ以外は、あまり明確な情報はありません」

「やっぱ砲丸投げ系か」

 百合香の頭の中で、こちらに向かって氷のボールを投擲してくる戦士が連想された。

 

「いずれにしても、ハッキリしているのは、彼ら氷騎士は"強い"ということです。これまで、あなたが対峙してきた敵と比較してどれくらいなのか、それはわかりません。しかし、一番手強かった相手よりも強い、少なくとも下回る事は絶対にない、ということは覚悟しておいてください」

 ラーモンは、最大限の注意を促すように言った。百合香はその言葉に背筋をただす。

 

 百合香は、初めて"強豪"と呼ばれる他校とのバスケットの試合に出た時を思い出していた。中学校の頃とは、動きのレベルが違う。高校生にもなれば、もう年齢的にはそろそろ、五輪出場さえ視野に入ってくる。

 人間は「活動」をしていると、己よりも高いレベルの相手と相まみえる時がくるのだ、と百合香はその時、齢15にして知った。

 

 榴ヶ岡南は、百合香にとってそんな人間の一人だった。バスケットのコートに立てば、あらゆるポジションを誰よりも確かにこなす。百合香にとって南は、単なる「大好きな先輩」ではない。超えるべき目標だった。

 

 とはいえ、いま眼の前にある課題はバスケットボールではない。たぶん99.999パーセントの一般人が体験した事はないであろう、巨大な氷の城の制圧である。しかも女子高生一人で。

「勝てるのかな」

 つい、百合香の口から本音がもれる。

『まあ、ふつーに考えれば無理だよね』

 例によってサラリと瑠魅香が言ってのける。

『でも、ここまで来て、もう無理とか言ってらんないんじゃない?あたしだって、氷魔を実質的に裏切った以上、もう後戻りはできないし』

 瑠魅香のセリフを黙って聞いていた百合香は、少し驚いたふうな顔で答えた。

「あなたって結構、骨太なのね」

『そうかな。あたしは百合香の方が、百倍豪胆だと思うけど』

「ふふっ」

 だったら、二人とも骨太で豪胆という事ではないか。百合香は笑った。

「そうだね。怖いのは当たり前だけど。今までやって来れたんだから、”勝てない保証”はどこにもない」

 自分で言って、なかなかすごいセリフだと百合香は思った。

 すると、何やらポス、ポスという妙な音がする。振り向くと、レジスタンスの猫たちが百合香に向かって拍手をしていた。悲しいかな、肉球で音は出ない。

「感動いたしました。あなた方こそ、我々が待ち望んだ救世主です」

『救世主だってよ、百合香』

 半笑いで瑠魅香が言う。

「ほんと調子いいのね、あなた達」

「それほどでも」

「…褒められたと思ってるなら、それでいいわ」

 女子高生で救世主の百合香は、姿勢を正してラーモンに向き合った。

「ラーモン、あなた達にひとつ、お願いしていいかな」

「はい。出来る事でしたら。我々に実行可能な範囲内の事でしたら」

 つまりムチャブリはしないでくれ、ということだ。

 

「城を消滅させる方法の調査?」

 ラーモンは、百合香が訊ねた事を繰り返した。

「そう」

「それは、氷魔皇帝ラハヴェを倒すという事に他ならないのでは?」

 うんうん、と他の猫たちも頷く。百合香は続けた。

「本当にそうなのかが気になるの」

「どういう意味ですか?」

「だって、今まであなた達、夜中のマタタビ…」

「月夜のマタタビ」

「こほん。…月夜のマタタビから受け取った情報だと、そのラハヴェっていう奴の正体は、ハッキリわかってないんでしょう?氷魔の中でどういう存在で、どういう容姿で、どういう考え方の持ち主で、実力はどれ位で、どうやってこの城を生み出したのか、全部わかってるの?」

 疑問の機銃掃射を受けて、猫たちはたじろいだようだった。

 

「全然わかってません」

 

 返ってきたのは、正直すぎる返答である。百合香はいちおうフォローを入れた。

「別に責めてるわけじゃないわ。ただ、そういう状況で、その氷魔皇帝を倒せば城が消滅する、っていう確証はないと思うの。もし他の手段で城を消滅させられるなら、バカ正直に全ての敵を倒す必要はないでしょう?」

「ふうむ…」

 ラーモンは顎に手を当てて首をひねる。瑠魅香は、ちょっと可愛いと思ってしまった。

 

「結局のところ、氷魔のあなた達が、なぜか氷魔側の情報に乏しい。瑠魅香も含めてね。これって、何かおかしいと思わない?」

 

 百合香の指摘は、瑠魅香も含めていくらか図星のようだった。

『ま、言われてみればそうだね。私は確かに若い魂だけど、だからってこの氷巌城の事が、ここまでわからないのは確かに気になる』

「ガドリエルなら何か知っているのかも知れないけれど、彼女は私に、実際に城の奥まで行って自分で確かめるべきだ、みたいなこと言うし」

『ちゃんと問い詰めたの?教えてくれなきゃもう家に帰る、って脅してやればいいじゃない』

 なるほど、それもそうだと百合香は思った。知っているなら教えてくれてもいい。しかし、百合香は言った。

「…ガドリエルに、何か話せない”事情”があるとしたら」

『どんな事情?』

「それはわからない」

 そこで、ラーモンが訊ねる。

「あのう。ガドリエル、とは一体どなたでしょう」

「ああ」

 

 百合香は、彼女を導く謎の女神、現・ガドリエルについて説明した。

「女神…ですか」

「何か知ってる?あなた達」

「さあ…でも、明らかに氷巌城側から見れば、一番厄介な敵なのは確かですね。いま最大の脅威である百合香さまを、そのようにバックアップしているわけですから」

 そこまで言って、ラーモンは付け足した。

「何者というのなら、その女神もラハヴェ並みに謎なのではないですか」

 そう言われて、百合香は今さらながら改めて考えた。確かに、謎である。なぜ、彼女は氷巌城の出現を知っていたのか。

『意外と、そのラハヴェとかいう奴の親戚だったりして』

「あのね。真面目に話してるの」

 瑠魅香のジョークに、今は取り合う気がない百合香である。

「でも、そうね…これ以上ここで、わからない事について話してても仕方ないか」

『百合香、あなたもう疲れてるんじゃないの?ここでちょっと眠らせてもらったら?』

「うーむ」

 百合香は考え込んだ。ここは敵地である。

「お任せください。我々が周囲を見張っています。百合香さまは、ここでしばしの休息をお取りください」

 ラーモンが胸を張ると、他の猫たちもうなずいて立ち上がった。

「そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「よし、全員配置につけ!」

 ラーモンの号令で、レジスタンス「月夜のマタタビ」の面々はゆっくりと秘密のドアを開け、百合香のガードのために散らばって行った。部屋に残された百合香は、ギリギリ横になれる広さがあることを確認し、硬い床に仰向けになった。

 

 唐突に静寂が訪れる。

「…大変だったな、ここまで」

 ぽつりと百合香は呟いて、これまでの出来事を振り返った。驚くべきことに、たぶんまだ3日も経過していない。体感的には1週間ぐらい過ぎたような気もする。

 

「瑠魅香」

『なあに』

「あのさ」

 百合香は、言葉を選んでいるかのように間を挟んで言った。

「私、一人でこの城の奥まで行かなきゃいけないと思ってて、すごく心細かった。絶対ムリだと思った」

『うん』

「いま、あなたがいる事にすごく感謝してる」

 ぽつりと百合香が言うと、瑠魅香は黙りこくってしまった。

「最初は、すごく混乱したけど。今、どんな時でもあなたが一緒だって思うと、何でもできそう」

『やめて。また泣いちゃう』

「ごめん」

 百合香は、ふいに涙が流れている事に気付いた。

『ほら』

「欠伸しただけよ」

『ほんと素直じゃないよね、可愛いのに』

 ふふふ、と二人は笑った。

「眠ろう。ちょっと硬いベッドだけど」

『うん。おやすみ』

「おやすみ」

 

 

 

 

 百合香は、夢を見た。それは、知らない都市の光景だった。中世ヨーロッパのようでもあるが、何かが違う。知っている国や都市でどこが一番近いかと問われれば、わからない、と答えるだろう。

 人々が行き交い、店らしき建物が並び、行商人らしき人物が歩く、その賑やかな街を百合香は歩いていた。

 

 隣には、燃えるような赤い長髪の女性がいた。何かを、百合香に笑いながら話している。何を言っているのかはわからない。だが、百合香にとって、とても縁が深い女性であるように思えた。

 

 よく見ると、人々は百合香たちの姿を認めるや、すぐに両脇に広がって、恭しく道を開けてくれていた。夢の中の百合香は、それを申し訳ないような気持ちで眺めていた。

 

 二人が歩いていると、景色は唐突に、どこかの巨大な城の前に変わっていた。衛兵が恭しく礼をし、門を開けさせる。

 

 そして、二人が門をくぐった、その瞬間だった。

 

 世界は一瞬で、青ざめた景色に変わってしまった。草木も、水も、全てが凍り付いてしまった。

 

 隣を見ると、あの赤い髪の女性はもう、いなかった。

 

 

 

 

「…ん」

 目を開けると、そこは真っ白く輝く、無味乾燥な狭い部屋だった。

『声がエロい』

 目覚めるなり、相棒が言う。

「…そんな言葉どこで覚えたの」

『実は意味がよくわかってない』

「忘れなさい」

 欠伸をしながら、血をめぐらせるために手足を動かし、ゆっくりと上半身を起こす。

「…だいぶ眠ってたみたい」

『そうね。寝顔見たかったな』

「あなた、だんだんセリフが変態じみてきてるわ」

 よく眠ったという感覚と、寝過ぎたという感覚が同時にある。そのかわり、とりあえず体力はだいぶ取り戻せたようだった。例によって、寝ている間に金色の鎧は解除され、ガドリエル学園の制服に変わっていた。

「行くか」

 目覚めてからすぐに活動に移行するのが、百合香は得意だった。時々だが、前世は軍人だったのではないか、と思う事がある。

 

 アジトの外に出ると、見張っているラーモンに出会った。

「百合香さま。もう、よろしいのですか」

「うん、よく眠れたわ。ありがとう」

「お力になれて幸いです」

 そう言って何か、声を発するようなポーズをラーモンは取った。ほどなくして、他のメンバーが駆け付ける。百合香は、城の奥に向けて出発することを告げた。

「わかりました。どうか、ご無事で」

 ラーモンが、少し名残惜しそうに言う。

「世話になったわ、ありがとう」

『何かあったらまたよろしくね、探偵さん達』

 百合香はラーモンと握手をし、ひとまずの別れの挨拶を済ませる。そのあと、マーモンが話し始めた。

「実はこの層には、ここのメンバー以外にも一人だけ、レジスタンスがいます」

「そうなの?」

「はい。我々の中で数少ない、高い戦闘能力を持った者です。マグショットという名です」

「マグショット?」

 なんとなく強そうな気がしないでもない名前だな、と百合香たちは思った。やはり猫なのだろうが、どうやって戦うのだろう。

「彼は一匹狼です」

『猫でしょ』

「でも一匹狼です」

 瑠魅香のツッコミにもめげず、ラーモンは押し通した。

「片目がないので、すぐにわかるでしょう」

「それは…誰かと戦って傷を負ったの?」

「いえ、その方がカッコいいからと、片目でいるだけだそうです」

 どうも、この猫たちと会話していると緊張感がなくなる、と百合香は思った。

「あなた程ではないですが、それなりに実力は保証します。会ったら、必ず挨拶をしておいてください。仲間のピンチには駆け付ける猫です」

『やっぱり猫じゃん』

 瑠魅香の再びのツッコミに、ラーモンは無言だった。

「それでは、ご武運を!」

 

 

 ラーモンと別れて、しばらく真四角の通路を百合香は歩いていた。ぐっすり眠ったので、身体は快調である。

 

 しばらく歩いて、百合香は足元に妙なものが落ちている事に気が付いた。

「なんだろう、これ」

『え?』

「ほら」

 百合香は屈んで、足元に落ちている何かの破片を拾う。それは、ソフトボール大の球が割れたような破片だった。この城のものである以上、それは氷なのは間違いないのだが、何か奇妙な感じがした。

「そういえば、敵に球を使うのがいる、って言ってたよね」

『さっそくおでましって事?』

「…何か変だ」

 百合香は、通路の先を見た。しかし、これ以外に何も落ちている様子はない。

 

 だが、百合香は何か、聞こえる事に気が付いた。かすかに、カーン、カーンという打音が、不規則かつ断続的に聞こえてくる。

「通路の奥からだ」

『また闘技場かな』

「またか…」

 違って欲しい、と百合香は思った。百合香はゆっくりと移動する。

 

 通路の奥に行くと、その先は開けた空間だった。というより、あまりにも広い空間である。地方のドーム球場くらいあるのではないか。だが、さっき聞こえていた打音がパッタリ止んでいるのが、百合香は気になった。空間の中には、今のところ誰もいない。

 

 百合香は、慎重に足を踏み入れる。

『なんだろう、あれ』

 百合香の視界を通して観察している瑠魅香が、足元にある物体に気付いた。それは五角形をしており、人が乗れるくらいの板状の氷だった。

「なんか既視感が…」

 そう思って百合香は、その場所から空間の床全体を見渡した。床は、細かい土状の氷が敷き詰められている。そして、五角形の板から30mくらいの位置に、同じような大きさの、真四角の板があった。

 

 まさかな、と思って、その板からさらに左側30mくらいの所に目をやると、やはりまた同じ板がある。さらに左30mくらいの所にも、一枚。五角形の板を含めて、上から見るときれいな正方形を描いていた。

 

「これ…」

 

 百合香は、今までと違う意味で息を飲んだ。

 

 それは、およそほとんどの人間が、関心の有る無しに関わらず、知っているであろう設備に酷似している。

 

 

 氷巌城の第1層で最初に辿り着いた空間、そこは氷でできた、野球のグラウンドであった。



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9対9

 江藤百合香は混乱していた。

 

 謎の、氷でできた野球グラウンド、少なくともそうとしか呼べない空間に足を踏み入れ、ここは何なんだと考え込んでいると、左右から氷の戦士たちが現れたのだ。

 

『油断しすぎでしょ!こんな堂々とど真ん中まで来るから』

 頭の中で瑠魅香が、相棒の不用心を嘆く。

「うるさいわね!全部片づければ同じ事でしょ!」

 瑠魅香と低次元の言い争いをしながら、百合香は自分達を囲んだ戦士たちを見た。ざっと、20体くらいはいそうに見える。どれも人間サイズであり、いまの百合香ならそこそこ余裕で勝てそうには見えた。

 

 だが、数や大きさ以外の要素が、百合香を混乱させた。

 

 中世ヨーロッパ風の城に侵入して、最初に遭遇した敵たちは、古代か中世ヨーロッパ風の剣闘士といったスタイルがほとんどだった。なので、「氷騎士」なる幹部の配下も、似たような恰好をしているのだろうと思っていた。

 いや、確かに今、目の前に現れた敵と思しき集団も、それらしい姿をしてはいる。西洋の甲冑ふうの防具をまとっており、それだけを見れば今までと変わらない。だが、手に持っている武器がおかしい。

 

『あれ、何?』

 

 百合香の頭の中で、瑠魅香が訊ねた。百合香は、敵が持っている物体の呼称を知っている。知っているだけに、答えることに違和感がある。

 

 目の前に整列した氷の騎士団が手にしている武器。それは、野球のバットやボール、グローブであった。

 

 

「待っていたぞ!侵入者!!」

 

 

 その、全く予想外の大声に、百合香は二重の意味で驚いた。まず、今までこれほどハッキリと言葉を話す敵がいなかった事と、自分が侵入者、そして城から見れば侵略者である事が、見事にバレている事であった。

 声の主は、百合香よりも頭ひとつ分くらい背の高い、ライオンのたてがみのような装飾のついた兜を被った、大柄な氷の闘士であった。やはりバットを地面に突き立てている。

「あなたは、誰!?」

 百合香も驚きを隠すため、精一杯の声を張り上げる。

「うむ。いい声だ」

 相手の声は野太い。

「我が名はサーベラス。この氷巌城第1層を守護する、誉れ高き氷騎士の一人である」

 正直言って、百合香は恐怖や焦りなどよりも、困惑の方が勝っていた。これほどまでに明確に知性を持った相手は初めてだからだ。

『なんとまあ。まさか、のっけから幹部がおでましとはね』

「…何か企みがあるのかしら」

『ないんじゃない?直球バカ系だと思うよ』

 瑠魅香も瑠魅香で、なぜそんな日本語を知っているのだろう。それはともかくとして、百合香は訊ねた。

「では、あなたは氷魔皇帝ラハヴェの配下なのね」

「ほう、すでにわが主の名を知っていたか。さすがは侵入者」

「悪いけど、ここは突破させてもらうわ!」

 百合香は瞬時に金色の鎧をまとう。サーベラスと名乗った氷騎士の部下たちは、その輝きに怯んだようだったが、サーベラスは微動だにせずそれを見ていた。

「行くわよ―――!!!」

 先手必勝とばかりに、百合香は剣を両手で構えて突進する。しかし、

 

「待てぇぇぇい!!!!」

 

 その、グラウンド全体を揺るがさんばかりのサーベラスの一喝に、思わず足を止めてしまった。

「な…なに!?」

「何、ではない。まずは侵入者、きさまの名を教えてもらおう!名も知らぬ相手に戦いを挑むほど、このサーベラス、礼を知らぬ戦士ではない!」

「ななな…」

 百合香は、相手が何を言っているのか一瞬わからなかった。ただ戦って決着をつければ、それで済む話ではないのか。これではまるで、部活の他校との試合だ。

 だが、氷の化け物に無礼者扱いされているようで少々頭にきた百合香は、剣をドカッと突き立てて名乗った。

「私は百合香!みんなの命を救うため、この城に戦いを挑む!」

「ユリカ!よい名だ!」

 なんだこいつは、と百合香も瑠魅香も思った。聞いた事ぜんぶ「良い」と返すつもりなのではないか。

「さあ、挨拶は終わったわ!いざ尋常に、勝負しなさい!!」

 言いながら、なんだか自分も時代劇じみてきたなと百合香は思った。すると、サーベラスはだいぶ予想外の行動に出た。

 

「よかろう!では、貴様に8名の選手を貸してやる!」

 

「は?」

 百合香の脳内に、ざっと数えて1億個のクエスチョンマークが浮かんだ。お前は何を言っているんだ。

 

 サーベラスの命令で、百合香の両脇に4名ずつ、計8名の氷の戦士が並ぶ。百合香を入れれば9人である。そして、向こうはサーベラスを入れて、やはり9人であった。

「ま…まさか」

『何なの?』

 何となく察しがついた百合香と、人間界の情報に乏しい相方との温度差がすごい。百合香が冗談だろうと思っている所へ、サーベラスがとどめを刺した。

 

「さあ、ユリカ!貴様と私で、ソフトボールの勝負だ!!」

「なんでよ!!!!」

 百合香は、今年に入って一番のツッコミを、目の前の氷騎士に向かって投げつけた。

「あなたは騎士でしょう!?私はこの剣で戦うわ。17体1でいいわよ、かかってきなさい!」

 そう叫んで、剣を構える。こんな所で、呑気にソフトボールに興じているヒマはないのだ。しかし、サーベラスは予想外の答えを返してきた。

「ほう、なるほど。せっかく私が、貴様に生き残れるチャンスを与えようというのを、無視するのだな」

「なんですって?」

「いいだろう。剣で戦いたいというのなら、向かってくるがいい。だが、私が勝てばソフトボールで対決してもらうぞ」

「ば…バカにしないで!」

 百合香は、サーベラスに向かって聖剣アグニシオンを構える。サーベラスはバットをドスンと落とすと、素手で何の構えもなく百合香に向き合った。

「何のつもり?」

「どうした。向かって来んのか」

「くっ!」

 煽られた百合香は、これ以上話をしてもラチがあかないので、今度こそ突進した。剣にエネルギーを溜め、一気に斬りかかる。

 

「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」

 

 巨大な炎の刃が、サーベラスに襲いかかる。それを、サーベラスは真っ正面から胴体でまともに受けた。グラウンドに炎のエネルギーが飛び散り、配下の戦士たちが恐れをなして後退する。しかし。

「ほう。なかなかの強さだ」

「な…」

 まともに入った剣撃に、サーベラスは微動だにしていなかった。それどころか、傷ひとつついていない。

「お前の強さは本物だ。それは認めてやろう。ただし」

 そう言って、サーベラスはアグニシオンの刃をガッシリと握り、ひねるように下に強引に降ろした。

「あっ!」

 百合香は思わずそれに引っ張られて姿勢を崩す。がら空きになった百合香の右上腕を、サーベラスは軽く腕で横に払った。

「きゃあっ!」

 百合香はアグニシオンと一緒に、地面にあっけなく投げ出された。

「最初に私に相対したのは運が悪かったとも言えるし、良かったとも言える」

「うっ…」

 百合香は、目の前にいる氷騎士の実力を肌身で感じていた。

 

 勝てない。絶対に。その事実に、愕然とする。これまでの敵などとは、全く次元が違う。

 

「ユリカと言ったな」

 サーベラスは、地面に情けなく腕をつく百合香を見下ろして言った。

「これから先にお前が進みたいと思うのなら、お前はソフトボールで私に勝たなくてはならない」

「何を…」

「私の言っている意味がわかるか」

 何を言っているのか。百合香は、本気で疑問に思った。

「あなたは、私を排除できれば、それで任務達成の筈でしょう…なぜ、こんな周りくどい事を…?」

 言いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「まるで、私にこの先に進んで欲しいとでも思っているみたいだわ」

「そう思うか」

 またしても、百合香は困惑した。このサーベラスという戦士は、圧倒的に強い。他の戦士がこのサーベラスと同等、あるいはそれ以上の力を持っているというなら、どう考えても百合香には絶望しかなさそうだった。

「ソフトボールのルールは知っているな」

「も…もちろんよ」

「さっきの約束だ。私はいま、お前に勝負で勝った。言う事は聞いてもらう」

 そう言って、氷のバットを百合香に押し付ける。百合香は、しぶしぶそれを受け取ろうとした手を止め、次のように言った。

「打球を打てればいいんでしょ。これをバットとして使わせて。炎の技を発したりだとかの反則はしない、約束する。いざという時に武器がないのは、ごめんだわ」

 そう言って、百合香はアグニシオンの側面をサーベラスに示した。サーベラスは頷く。

「ほう。いいだろう。試合開始だ。私のチームが先攻とさせてもらう」

 

 

 ご丁寧に、グラウンドにはベンチまで用意してあった。徹底的に模倣しているらしい。そして、百合香はひとつ気付いた事があった。

「このベンチのデザイン…どこかで見覚えが…」

 そのベンチの脚は、横から見るとアルファベットの「A」が丸くなったようなデザインをしていた。どこかで見た事がある。そして百合香は、ハッと思い出した。

「学校のグラウンドのベンチだ…」

「カントク、打順はどうしますか」

 唐突に、氷の戦士の一人が百合香に訊いてきた。

「は!?カントク!?」

 何なんだ。どうして、ナインの一人が監督なのだ。そう思ったが、9人しかいないので仕方がない。それよりも問題は、他の8人の区別がつかない事だった。同じレーシングスーツで同じヘルメットのレーシングドライバーを区別しろ、と言っているのと同じである。

「……」

 百合香は本気で困っていた。自分はバスケットボール部員である。バスケのポジションを決めろというなら、やってやれない事はない。しかし、野球やソフトボールのポジショニングは完全に専門外だ。同級生の、ソフト部の里中さんならどうするだろう。

 仕方がないので、百合香は「強いバッティングに自信がある人」と訊ねた。すると、二名が手を上げる。他は自信がないのかと内心で憤りながら、「あなた4番、あなた8番ね」と指名した。

 その後も、足に自信がある人、小技が得意な人、などと訊ねて、素人なりにどうにか打順は決める事ができた。ちなみに百合香は1番である。とにかく足で出塁しようという、バスケット選手なりの考えだった。

 

 しかし問題は、何やかんやで百合香が先発投手を務める事になった点である。中継ぎ、抑えは例によって区別がつかない。

 

「……」

『ねえ、百合香』

 久しぶりに瑠魅香が声をかけてきた。

『さっきから、みんなで何を言ってるの?あたし、理解できないんだけど』

「大丈夫。わたしも理解できてない」

『今から何が始まるわけ?』

「試合」

『誰と誰の?』

「チームとチームの!」

 若干キレ気味に百合香が立ち上がる。

「やるからには勝ちにいくよ!!!」

 おー、と氷の戦士ならぬ選手たちが応える。瑠魅香はその様子を見て、素っ気なく言った。

『よくわかんないけど、頑張ってね』

 

 

 そんなこんなで、プレイボールである。百合香は、いつ以来なのかわからない、ピッチャーマウンドに立った。比較的体格のいい戦士が、キャッチャーを務めてくれている。

 

 百合香は、改めて困惑した。なぜ、氷の戦士たちがソフトボールに興じているのか。その時思い出したのは、ガドリエルから説明された、氷巌城は人間の世界を「模倣」して生まれる、という事実だった。

 そして、なぜ彼らは「野球」ではなく「ソフトボール」を選択したのか。

 

 その時、百合香に電流が走った。

 

 ガドリエル学園には、ソフトボール部はあっても野球部はない。

 つまり、この城はガドリエル学園がベースになって誕生したのではないのか?

 

 

 百合香が疑問を持つ間もなく、試合は始まった。いちおう、審判役はいるらしい。

 

 実はこの時点ですでに、百合香はひとつの大ピンチを迎えていた。

「投げ方、スリングショットしか知らないんだけど」

 ブツブツ言いながら、とりあえず様子見に第一球を投げる。バッターは中途半端にスイングし、なんとか無難に1ストライクを取った。

「こんなもんか」

 どうも、バスケットで慣れた身に、ソフトボールのリズム感は慣れない。

 

 ストライク。ストライク。三振、バッターアウト。

 

 なんだか気の抜ける出だしである。しかし、ここで「なんだ、意外に行けるじゃん」と油断する百合香ではない。種目は違えど、スポーツ選手である。油断が命取りになる事は知っていた。

 

 その予感は的中した。相手の2番打者が予想外に強打者で、レフトの上手いポイントに見事に流し打ちを決められてしまい、結局二塁への出塁を許してしまった。

「あちゃー」

 百合香は天を仰ぐ。だから私にピッチングなんて無理なんだ、と頭の中でぼやいた。ウインドミルという投法は知っているが、投げ方は知らない。

 そう思っていると、まったく意外な人物が百合香に声をかけた。

『百合香。わたし、その投げ方知ってるよ。いま、頭の中で思い浮かべたでしょ』

「は!?」

 突然の瑠魅香の申し出に、百合香はマウンドのど真ん中で一人で驚いた。

「たっ…タイム!」

 

 百合香は、瑠魅香に確認する。

「あんた、この場面で冗談言ってるんじゃないでしょうね」

『冗談なんて言ってない。あたし、学校の窓から、今やってるこのゲームの練習見てたもん。ルールとかは全然知らないけど、投げたり打ったりの動作だけは、面白くてよく見てた』

「そうなの!?」

 つまり、ガドリエル学園ソフトボール部の練習風景を、瑠魅香は見ていたということだ。

「じゃっ、じゃあ…」

『あー、待って。見てたからって、投げられるわけじゃないよ。百合香みたいに、肉体を自在に操る事は私にはできない』

 わかってはいた事だが、百合香は肩を落とす。しかし、と瑠魅香は言った。

『だからさ。私の見てた投げる動きを、あなたに伝える。感覚として。あなたは、その感覚のままに動けばいい』

「そ…そんなこと、出来るの?」

『やってみようよ』

 

 瑠魅香の何の根拠もない提案を信じて、百合香は再びマウンドに立つ。相手の3番バッターも、似たような個体だった。彼らどうしは区別がついているのだろうか。

 百合香が氷のボールを構えると、頭の中で瑠魅香が言った。

『私が、学校で観察してたピッチャーの動きのイメージを送る。それに倣って、投げて』

「…いいわ。やって」

『いくよ』

 百合香の感覚に、瑠魅香の感覚が重ねられる。二人の間に、垣根がなくなった。

 その時感じた感覚に、百合香は目を瞠った。瑠魅香の思考が、自分の手に取るように伝わってくるのだ。いま、自分はソフトボール部員の動きを、細胞のレベルで理解していた。

「これ…」

『いける?』

「やってみる!」

 

 百合香は、まるでそれを以前から知っていたかのように、しなやかに右腕を一回転させてボールを放った。さっきの素人投球とは、まるで違う。無理のない自然体なフォームから、驚くほどの速球が繰り出され、バッターのスイングを完全に制したのだった。

 

「ストラィーク!!」

 

 氷の審判の声が響く。百合香の突然変わった投球に、ベンチのサーベラスが立ち上がって驚いていた。

 

「すごいよ、瑠魅香!いける!」

『へへー、お役に立てた?』

「いけるいける!よーし、この調子で1回の表は片付けてしまおう」

 

 百合香は力強く微笑んだ。

 油断大敵、という言葉を百合香が忘れていた場面があったとすれば、この時であった。



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逆転

 瑠魅香の機転でウインドミル投法を体験した百合香は、持ち前の運動神経と学習能力で、すでに瑠魅香のサポートなしで投げられるようになってしまった。第2球も順調にストライクを取る。まだゲームは一回の表である。

 

 相手のベンチでは、サーベラスが百合香の投球を見守っていた。百合香の剣を受け止めた肩をガッシリと掴み、首をゴキゴキと鳴らす。人間の骨格には医学的に良くない行為だが、氷の戦士には関係ないのだろうか。

 

 百合香は後ろの二塁走者を気にしつつ、相手の3番バッターへの第3球のフォームを整える。これでダブルプレー、スリーアウトに持ち込みたいところだった。

 

 ピッチャー投げた。

 

 さあストライク、そして三塁に送球して、というイメージを百合香が思い描いた、次の瞬間だった。

 

 カーン、と小気味よい音がして、百合香の投げたウインドミルは容易く相手のバットにすくわれ、センター前ヒットを打たれたのだった。

 百合香は慌てて指示を飛ばす。

「三塁!!」

 味方のセンターはバウンドしたボールをかろうじて補給し、なんとかセカンドランナーはアウトにできたものの、予想外に俊足の3番バッターがその間に結局二塁まで進出してしまう。ツーアウト二塁、微妙な状況になった。

 

「こっちがミスれば点を取られる」

 もう、城攻略の使命を忘れて勝負に没頭しかけている百合香である。戦いの星座である牡羊座の百合香は、おとなしそうな外見に反して根っから勝負ごとが好きなのだ。

 

 さあ、相手の4番打者はどいつだ、と百合香が思っていると、バッターボックスに立っていたのは、なんとサーベラスだった。

「自分で4番やるかな」

 自信があるという事か。バットを構えるサーベラスは勇壮に見える。

 

 百合香は、誰ともなく頷いて腕を回転させ、第一球を投げた。

 

 すると。

 

 カ―――ン、と甲高い音がして、打球は悠々と右中間を突き抜けて行った。まずい。

 予想は当たり、捕球と送球に時間を取られる間に、俊足の二塁走者はホームイン。その後どうにかサーベラスからはアウトを取り、一点を先取されて一回オモテは終了した。ただしサーベラスは驚くほど速く、コンマ1秒遅れていれば3塁への出塁を許していた。

 

 アウトになったサーベラスは、役割は果たしたとばかりに堂々とベンチに戻る。その姿に百合香は少し気圧された。

 

 ベンチに戻った百合香はメンバーに謝罪する。

「ごめん。抑えられなかった」

「まだ、たった一点です。取り返しましょう」

 氷の戦士が百合香を励ます。

「うん」

 そう答えて、自分は今何をやっているのだろう、と百合香は本気で思った。倒すべき相手たちと、なぜかチームを組んでソフトボール対決をしている。

 

 いよいよ、百合香チームの攻撃である。相手ピッチャーもやはり、他の個体と区別がつかない。ちなみに百合香だけは、わざわざサーベラスが氷のヘルメットを用意してくれた。といっても氷の戦士たちが着用している、要するに兜である。

 

 その時百合香は、妙な事に気が付いた。

「溶けてない」

 今まで、敵の武器を奪おうとしても、手にしたとたんに溶けだして使えなかったのに、今はバットもボールもそのまま使える。

「どういう事だろう」

『さあね』

 瑠魅香の返事は素っ気ない。

『バッティングは大丈夫なの?』

「ピッチングよりは自信ある」

 バスケット仕込みの動体視力で、選球眼には長けている。体育の授業で、忙しい教師が事務処理時間の確保のために勝手にソフトボールをやらせてくれる時なども、百合香はバッティング要員と見做されていた。

 

 その宣言どおり、百合香は最初の打席で、無難にレフト前にヒットを飛ばして、とりあえず二塁まで出た。さっきやられたプレーのお返しである。

「なかなか脚は早いようだな」

 相手ベンチでサーベラスが唸る。

 

 続く2番打者は、地味にバントを決めて一塁へ。さらに百合香は三塁まで出ることができた。

「おー、順調順調」

 つい百合香も気が緩む。そこへ瑠魅香がツッコミを入れた。

『油断してると足元すくわれるよ』

「今どういう試合状況かわかってる?」

 百合香は、氷のプレートに魔法のような文字が浮き出たスコアボードを示す。下段、百合香チームは無得点で、サーベラスチームが一点である。

『うん。自慢じゃないけど全然わからない』

「簡単に言うと、負けている」

『だめじゃん?』

「だから、これから取り返す」

 百合香は打席を見る。3番は、自称・打率高めという氷の戦士を配置した。本当かどうかは、これからわかる。

 

 その、自称打率高めの戦士は、言ったとおりセカンド方向の絶妙な空間に、高速ライナーを放ってみせた。

「やった!」

 百合香はホームに向けてダッシュする。

 

 しかし、あと少しでホームインというところで、ホームにボールが戻ってきてアウトを取られたのだった。

「えっ!?」

 百合香は驚いて状況を確認する。

 なんと、高速ライナーをセカンドのサーベラスがありえないスピードで落球前にキャッチし、ありえない速球でホームに投げ、打者と百合香は瞬時にアウトにされたのだ。

「うそでしょ」

 百合香はぼやく。しかし、相手は人間ではない。メジャーリーガー以上の身体能力を持っているのだ。

 

 だが、氷巌城の幹部がそこまでの身体能力を持っているのは理解できるものの、どうしてソフトボールをやるのか、という疑問はあった。

 

 それでもなんとか一塁走者は地道に二塁へ進む事ができた。百合香はベンチから指示をとばす。

「サーベラスがいる所には打たないで!!!」

 もはやワンアウトでチェンジであり、力強いまでに後ろ向きな指示だった。

 だが、そこまで言って百合香は少し考えたあと、4番バッターに対してもう一言付け加えた。

 

「一発ホームラン出れば逆転だよ!!」

 

 そんなのはわかり切った話である。ロングシュートが決まれば、ホールインワンできれば、19台まとめてオーバーテイクできれば。それができれば苦労はない。

 だが、頼もしいと思われる、そうであってほしい百合香チームの4番バッターは、無言で百合香に頷いた。

 

 まさか、やれるとでも言うのか。

 

 全員が固唾をのんで見守る打席で、その音は真っ白なグラウンドに響きわたった。

 味方チームの歓声と、相手チームの悲鳴が交じる。名前がわからないし他と区別もつかない4番バッターは、相手から見事にホームランを奪ったのだ。

「ぅやった―――!!」

 喜びのあまり変な声が出る百合香だった。

 

 マウンドではピッチャーとサーベラスが何か話している。戻ってきた4番を、百合香はハイタッチで迎えた。得点は2点が加算され、ツーアウトでランナー無しの戦況である。できればここであと1点、リードを拡げておきたい。

 

 そこまで考えて、百合香は今、得点以上にとてつもない逆転現象が起きていることに気付いた。

 

 百合香は今、この氷の闘士たちを完全に仲間だと認識している。アウトを取られれば一緒に気落ちし、ヒットが出れば一緒に喜ぶ。そんなこと、有り得るのだろうか。彼らは、百合香たちの世界を滅茶苦茶にした氷巌城の兵士である。一瞬、百合香は自分が許せないような感覚に襲われた。

 今すぐ聖剣アグニシオンをフルパワーで振り回して、全員をスクラップにしたのち、サーベラスに改めて再戦を挑むべきなのではないのか。

 

 だが、地下の闘技場でも感じた事だが、どうしてもこの氷の戦士たちに、心の底からの敵意を感じる事ができないのだった。

 困惑する百合香に声をかけたのは、瑠魅香だった。

『なんか迷ってる?』

「…うん」

『わからないでもない』

 百合香は、まだ説明していない事について意見を言う瑠魅香に軽く驚いていた。

「わたしが言いたい事、わかるの?」

『感覚的なものだけどね。どうして、彼らと自分が仲良くできてるのか、って思ってるんでしょ』

「…うん」

 やや気弱に百合香は答える。

「瑠魅香はわかる?」

『わかんないよ』

 あっさりと、瑠魅香はそう言った。

『百合香、私の事、今でも氷魔だって思ってる?』

「え?」

『どうなの』

 瑠魅香の問いに、百合香は少し考えてから言った。

「…氷魔なんだろうとは思ってる」

『ふうん』

「でも、もう友達だと思ってる」

『それと同じ事じゃん』

「!」

 

 その、単純な結論に、百合香は雷にでも撃たれたような思いがした。

 

 そもそも、「敵」とか「味方」なんていう区別は、どこでつけるのだ。それを区別するための測定器、判定機でもあるのか。

『もし、氷魔だから倒さないといけないっていうなら、私は今すぐ百合香に刺されないといけないよね』

「それは…」

『あの探偵猫たちだってそうだよ。それから、地下で会った、あの戦斧の闘士。一括りに倒さなきゃ、殺さなきゃいけないっていうなら、もうあたし達、一緒にいられないよね』

 

 もう、百合香には返せる言葉がなかった。

 

 相手の話が終わったらしく、ゲームが再開されたため、百合香の思考はいったん保留になった。相手ピッチャーに変更はない。だが、何かが違う。ベンチから見ている百合香は、それが何なのかわからなかった。

 プレイボール。相手ピッチャーが、特に変わらないウインドミルのフォームを取る。

 

 しかし、その瞬間に百合香は気付いた。握りが違う。中指と薬指を折って、人差し指と小指で挟むような握りである。専門知識がないので名称がわからないが、それが何なのかはわかった。

 

「変化球だ!!」

 百合香が注意を促す時間はすでになかった。相手の手から離れたボールは、球速こそ若干スローになったものの、左右に奇妙にブレたあと、手前で下にグーンと落ちた。いわゆるナックルボールである。

「…うそでしょ」

 

 あっという間に百合香チームのバッターは、手も足も出ず三振を取られ、1回は終了となった。まさか、氷のソフト選手が変化球まで身につけているとは、予想もしていなかった。

「瑠魅香!あれ、今の投げ方、さっきのやつで私に送れる?」

『無理。何やってるか、さっぱり理解できない』

「あー」

 百合香はグラブで顔を覆ってうなだれた。何でもかんでもイメージ転送できるわけではないらしい。

「地道にやるしかないか」

 

 それでも百合香は、どうにかその回オモテを無得点に抑える事には成功した。やはり、相手チームで最大限警戒すべきはサーベラスらしかった。

 そして次の回が始まる前、百合香は大声でサーベラスに確認を取った。

「ねえ!!攻撃中に、手が空いてる選手の投球練習ってOKなの!?」

 サーベラスは軽く首をひねって、野太い声でごく短く返してきた。

「許可する!好きにしろ!!」

「ありがとー!!」

「ふん」

 そう言って、サーベラスは左肩のあたりをトントンと叩いていた。

 

「任せたよ!」

 という、指示としては大雑把すぎる指示を出して、百合香は投球練習に励む。

「こういう握りでいいのかな」

 見よう見まねで、百合香はナックルボールの握りを再現して投げてみる。しかし、ボールは変な方向に飛んで行ってしまった。

「うー」

 上手くいかない。初めての事であり、それも当たり前の話である。

 そこへ、中継ぎの戦士がやって来た。

「カントク、俺に投げさせてください」

「え?」

「ナックルなら俺もできます」

 そう言われて、百合香はすっかり中継ぎと抑えの存在を忘れていた。

「あ…」

「カントクは俺たちの中で、脚が一番速いでしょう。俺は脚は遅いですが、投げるのは得意です。それに、カントクは1番打者でしょう」

 そう言われて、百合香はバスケットボールのポジションにもそれぞれ役割がある事を、いまさら思い返していた。百合香は基本的にはオールラウンダーで、どのポジションでもできる。だが、最も任される事が多いのはシューティングガードと、それを兼ねる事もあるスモールフォワードだった。

 

 人にはそれぞれ役割がある。

 

 瑠魅香もそうだ。百合香が苦手とするような敵とのバトルを、これまで何度か魔法の力でサポートしてくれた。あの探偵猫たちは、戦う力はないが、百合香の道案内をしてくれた。そしてガドリエルは、身体を休める場所を提供してくれている。

 

 城に入った瞬間から「一人でやるんだ」と気負っていた百合香は、気付いたら仲間が現れていた事と、仲間がいなければ、すでにどこかで死んでいたかも知れない事を、白いグラウンドの上で実感していた。

 

「わかった」

 百合香は、戦士の肩をポンと叩く。

「次のイニングで投手交代よ」

「はい!」

 まるで人間だな、と百合香は思った。

 

 

 その間、すでに百合香のチームからはツーアウトが出ており、一塁にのみ走者という、またしても厄介な状況に追い込まれていた。そういう状況で、素人采配で強打者(自称)を配置した8番の打順である。

 だが、それを知っているのか、相手チームでは投手交代があった。サーベラスである。

「出たがりなの?あいつ!」

 百合香は、のしのしとマウンドに上がるサーベラスを睨む。サーベラスはどっしりと構えて、フォームを取った。だが、それは腕を大きく後ろに引く、意外なフォームであった。

「スリングショット?」

 なぜ、球速の出ないスリングショットを、と百合香は訝しむ。

 

 だが、その理由はすぐにわかった。

「バッターアウト!チェンジ!」

 あっけなく、8番バッターは撃沈した。あまり考えず振るタイプらしく、慣れている好球しか打てないのだ。それに対してサーベラスはスリングショット、つまり相手が慣れていない球を投げたのである。

 

 

 相手は強い。1点リードの状態で、百合香は焦っていた。ソフトボールは7回までである。残り5回、一点差を維持できるかどうかはわからない。真っ白なダイヤモンドの上で、奇妙な試合が続いていった。

 

 

 3回表は交代した中継ぎの好投で、なんとか1失点に留める事ができた。百合香は労う。

「お疲れ様!よかったわ」

「すみません、1点取られてしまいました」

「気にしない!さあ、私たちの攻撃よ!」

 百合香チームは勇んで、それぞれ調整に入る。

 

 サーベラスは3回に入ると、スリングショットから通常のウインドミルに切り替えて速球で攻撃してきた。百合香チームの9番バッターは、それをバントで片付けて出塁するという小技を見せつける。

 

 ノーアウト1塁の状況で、打席は一巡して百合香に戻ってきた。ついにサーベラス対百合香である。他の選手たちからも、どよめきが聞こえた。

 サーベラスは無言で百合香を見る。百合香もまた、無言でバットがわりの聖剣アグニシオンを構えた。

 

 緊迫する中、サーベラスの第1球が放たれる。凄まじいストレートで、百合香は捉える事ができなかった。

「ストライーク!」

 速い。打てるだろうか、と百合香は思う。

 だが、自分だってバスケットのエースだ。球速は覚えた。

 

 第二球、サーベラスは投げた。またも、一切の誤魔化しがないストレートの速球である。

 百合香は、身体で覚えたタイミングで剣を振る。すると、わずかにボールを剣がかすめた。

「ファウル!」

 ボールは大きく外れた方向に飛んでいき、ヒットにはならなかった。それでも、サーベラスの球にわずかでも「当てた」事で、またしてもどよめきが起きていた。

 

 サーベラスに人間のような瞳はない。しかし、百合香をじっと見ているのはわかった。二人の視線の間に、火花が飛び散るのがお互いに見える。百合香は、この相手は自分と同類だと悟った。戦う事に喜びを見出すタイプだ。

 百合香はすでに、スリーストライクに追い込まれている。次で決まるかも知れない。勝負だ、と二人が思った、その時だった。

 

 サーベラスの、百合香に剣で打たれた肩に、黄金の輝きとともに深い亀裂が走った。



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勝利者

 真っ白な氷のグラウンドが静まり返る。

 

 サーベラスの左肩、人間でいうと肩甲骨のど真ん中から大胸筋の中央にかけて深い亀裂が走り、その断面からは黄金のエネルギーが燃え盛っていた。

 

「ま…まさか」

 

 百合香は、手にした聖剣アグニシオンを見る。その亀裂の位置は、試合前に百合香が思い切り剣を叩き込んだ箇所だったのだ。

 

「サーベラス、まさかあなた…今まで本当は、そのダメージを隠して試合をしていたの!?」

「ふ…」

 サーベラスは不敵に笑う。

「お前の言うとおりだ」

 そう言って手を亀裂にかざすと、再び亀裂は一時的に覆い隠されてしまった。

「あのとき、お前の一撃で俺の左肩は粉砕されていたのだ。俺は魔力でそれを隠していたにすぎん」

「な…」

「よもや、ユリカ。お前の力がこれほどのものだとは、思っていなかった。しょせん地底の雑魚どもを倒した程度で、俺に敵う筈はないとな。敵を侮っていたのは、俺の方だ」

「あなたは、一体…」

 百合香は、サーベラスのその精神力に感服すると同時に、やはり不可解な気持ちを隠す事ができなかった。

 

「百合香。ソフトボールの試合は7回までだな」

「そ…そうよ」

 

「俺のこの肩では、もうゲームは続行できそうにない。この最後の一球だけ、勝負してくれ。それで、決着としよう」

 

 サーベラスは、その握ったボールに、青白い凍気のエネルギーを込めた。その余波が、周囲に一陣の風を巻き起こす。

 

 百合香は無言でうなずいて、聖剣アグニシオンに黄金の、炎のエネルギーを漲らせる。その熱風が、サーベラスのエネルギーと干渉して、グラウンド全体に熱風と寒風の渦を形成した。

 

 全ての戦士たちが息を呑んで見守る中、サーベラスの右腕が、勢いよく一回転する。蒼いレーザーのような速球が、百合香のストライクゾーンど真ん中めがけて直進した。

 

「うりゃあああああ――――――!!!!」

 

 一瞬だった。

 

 百合香はアグニシオンを天高く振り抜いた。その軌跡は不死鳥の翼のような炎の弧を描き、清澄極まる打音が響いた次の瞬間にサーベラスの背後、巨大なグラウンドの高い壁にボールが突き刺さった。

 

 さながら尾を引く彗星のようなホームランボールは、壁に突き刺さると百合香の炎のエネルギーと激しく反応し、壁に巨大な亀裂を形成した。

 

 百合香は、静まり返った氷のダイヤモンドを一人駆け抜け、サーベラスが見守る中でホームインする。

 

「ゲームセット!勝利、百合香チーム!!」

 

 真っ白な氷のグラウンドに、敵味方入り乱れた歓声が湧く。

 百合香は、こんな冷たい氷の城で、忘れていた勝利の感覚を取り戻したことに、驚き、かつ感動して涙を流していた。 

 

 サーベラスがゆっくりと歩み寄る。

「見事だった」

 そう言って、握手を求める。

「人間たちは、認めあった相手とこのような儀式を行うのだろう?」

「…ええ」

 涙を拭ったその手で、百合香はサーベラスの硬い手を握り返す。

「教えて、サーベラス。あなたは、ひょっとしてこの城の消滅を願っているの?」

「俺には答えられん」

 サーベラスにしては、歯切れの悪い返答である。

「だが、わからなくなったのだ。俺は戦士だ。戦う事に存在意義を感じる」

「……」

「だから疑問を持った。他者の存在、生きようとする意志を否定する戦いに、はたして価値があるのか、とな。そこにユリカ、お前が現れた。人間なのかは判明していなかったが、俺は人間であってほしいと願っていた」

 そのサーベラスの言葉に、百合香はつい笑みがこぼれた。

「あなたの方が人間みたいだわ」

「そう思うか」

 少し真剣な調子でサーベラスは言った。再び、肩に亀裂が走る。

「ユリカ。ひょっとしたら、これまでの戦いの中で、人類、いや地上の生命への侵略に、否定的な氷魔と出会ったのではないか」

「!」

 百合香は、驚いてサーベラスを見た。

「名前などは言わんでいい。そういう連中がいる事は知っている」

 百合香の頭の中で、まさに該当者の一人である瑠魅香はそれを無言で聞いていた。

 

「教えて、サーベラス。この城を、消滅させる方法はあるの?」

 その問いかけに、サーベラスはやや長く沈黙したのち答えた。

「通常であれば」

 そう強調したのち、話を続ける。

「この城を生み出した城主を倒すことで、城の礎となる思念の力が消え失せ、城は消滅する」

「やっぱり、ラハヴェを倒すしかないって事か」

「だが、ユリカ」

 サーベラスは百合香の目を見て言った。

「何かがおかしい」

「…おかしいって、なにが?」

「俺たちだ」

 そう言って、サーベラスは周りにいる部下の戦士たちを見回す。

「過去、幾度となくこの氷巌城は、その時代を鏡としてこの世界に出現した。それは知っているな」

 こくりと百合香は頷いた。

「だが、今の俺たちのように、これほど人間に近い意志を持った個体が出現したのは、おそらく氷巌城の歴史において、初めてのことだろう」

「そうなの?」

 百合香は驚いて訊ねた。頭の中で、瑠魅香も驚いているのがわかる。

「そうだ。基本的に俺たちは、この城の忠実な配下として生み出される。前回…おまえ達の時間の尺度で、どれくらい昔なのかは知らんが、以前の俺はこのような感情を有してはいなかった。ないわけではないが、もっと冷たい、機械的な心しかなかった。こいつらも同じだ」

「今回が特別っていうこと?」

「俺は戦士だ、そこまで細かい事はわからん。だが、何かがおかしいという事はわかる」

 

 百合香はなんとなく、サーベラスが「試合」にこだわった理由がわかったような気がした。

「ねえ、教えて。どうして、氷の戦士がこんなに、ソフトボールに熱中しているの?」

「わからない。ただ、いつものようにこの氷の城で、氷の身体を持って目覚めた時、俺たちの中に誰かの「記憶」が流れ込んできたんだ。それまで、ソフトボールなどという競技は、当たり前だが知らなかった」

「それって…」

 百合香は、自分の推測がいよいよ正しかったのではないか、と思い始めた。その記憶というのは、ガドリエル学園のソフトボール部員たちの記憶なのではないか。それが、どういう理由でかサーベラス達に強く影響を及ぼし、「氷のソフトボール部」が結成されたのだ。

「それは、ただの記憶ではなかった。球を投げて打つという行為に、全てを懸ける精神だ。それが、俺は気に入った。だが、その正体が何なのか、わからなかった」

「あなたは、その答えが知りたかったのね。だから、私にわざわざソフトボールの試合なんていう、回りくどい事を持ちかけたんだわ。人間である私と、接触するために」

「そうだ」

 苦笑しながらサーベラスは、地面にどっしりと腰を下ろした。

「だが、それだけではない。お前にも何かを感じ取って欲しかったのだ。心を持った氷魔との戦いの中でな」

「…あなたは、この先に進むには試合に勝たなくては、と言ったわ。つまり、この先も、心を持った氷魔たちとの戦いになる、と言いたいの?」

「そのとおりだ」

 だが、とサーベラスは言った。

「人間のお前に言うまでもない事だろうが、心とは複雑なものだ。自分で心を有して、それが理解できた」

「……」

「お前のように、真っ直ぐな心の持ち主もいれば、邪悪な心の持ち主もいよう。今、そんな禍々しい"気"が、この城に満ちている」

「禍々しいって…本来、氷巌城はそういう性質のものなのではないの?」

「違う」

 サーベラスはハッキリと言い切った。

 

「氷巌城は、ある意味では自然の理として誕生するのだ。世界には常に"否定の意志"とでも言うべき思念が存在している。存在するものを否定する意志だ。おまえ達、人間にもそんな奴らがいるのではないか」

 

 百合香は、まさかここで人間論じみた会話をする事になるとは考えてもみなかった。

「氷魔とは、その理に沿った存在だ。在るものを否定し、凍てつかせ、死に追いやる。それは、悪意をもって行われるというよりは、"否定の本能"に基づいて行われるという方が正しい」

「…理解できないわ」

 思ったままを百合香は言った。

「本能だろうと何だろうと、私達は、私達を絶えさせようとする存在を、そのまま受け容れるわけにはいかない。本能というなら、私達にだって生存の本能がある」

 サーベラスは、黙って聞いていた。

「冷酷な言い方に聞こえるでしょうけど、私はこの城を消さなくてはならない」

「そうだ。お前はそれでいい、ユリカ」

「でも、その時、あなた達はどうなるの」

 訊きたかったことを百合香は訊ねる。サーベラスは答えた。

「あなた達も、消えてしまう事になる。それでいいの?」

「俺たちに、厳密な意味では"死"は存在しない。それはお前達も同じ事なのだが、ここでそれについては言うまい」

「…どういう意味?」

「城が消えれば俺たちも消え去る。だが、そもそも俺たちは、お前達が言うところの"精霊"のような存在なのだ。つまり、元の姿に戻るに過ぎん」

「では、私が城を消し去っても、構わないのね」

 それを聞いたサーベラスは、大きな声で笑った。

 

「ははは!この城を落とせるつもりでいるとはな」

 

「な…なによ!最初からそう言ってるでしょ!!」

 いきなり頭から小馬鹿にされた気がして、百合香は憤りを隠さない。

「いや、すまん。最初は俺も、不可能だろうと思っていた。しかし、俺にここまでの深手を、無防備の状態であれ負わせてみせたのだ」

「見込みあり?」

「見込み"だけ"はある」

 言い含めるようにサーベラスは言った。

「俺は決して、他の氷騎士どもに引けを取るつもりはない。パワーだけならトップクラスだという自負はある」

「そうなの?」

「そうだ。だが、戦いはそう単純なものではない。俺の半分の力の奴が、三騎で一斉にかかってくれば、どうなる。俺の三分の一の力で、六倍素早く動ける奴がいたら、どうする」

「うっ」

 百合香は、どこかで誰かに言われたような話に身震いした。

「それに、上の層に行けば、けったいな技を使う不気味な奴らもいる。氷の城と言っても、そう一筋縄に行くわけではない事は、心しておけ」

 

 サーベラスの言葉は、十分すぎるほど百合香の背筋を緊張させた。このサーベラスからして、あの一撃を受けて深手を負っているにもかかわらず、あれだけ俊敏に動き回っていたのだ。もし、本気で戦っていれば、百合香は手も足も出なかったかも知れない。

 百合香が慄くさまを見て、サーベラスはまたも小さく笑った。

「いまさら恐れてもどうにもなるまい。それよりも、このサーベラスにこれだけ深手を負わせたという自信をお前は持つべきだ」

「…それは、あなたがわざと受けたから」

「ばかめ。このサーベラスの身体は、それほどヤワなものではない。俺の装甲を砕けたのなら、理屈でいえば他の奴らも砕けるということだ」

「いいの?信じるわよ」

 真顔で百合香は確認を取る。なにしろ、こちらは生命がかかっているのだ。いざ、相手にしてみたらカスリ傷ひとつ負わせられない、などという事態は困る。すると、サーベラスはまた大声で笑った。

「俺は嘘などつけるほど賢くない」

 そう言うと、立ち上がって他の戦士たちを呼び寄せる。戦士たちはサーベラスの両脇に立つと、百合香に敬礼のような姿勢を取った。

「俺は勝負に負けた。さあ、先に進むがいい」

 サーベラスは、グラウンドの奥に見える門を示す。

「いいの?裏切るような真似をして」

 やや心配ぎみに百合香は訊ねる。

「俺のことなど心配するな。俺は負けたから通過された。嘘は言っておらん」

「そういう問題じゃなくて」

「馬鹿にするなよ。俺を処罰しにくる奴がいたら、返り討ちにしてくれる」

 そう言って、氷のバットを構えてみせる。まさか、本当にあれが武器なのだろうか。傍目には暴動を起こしているようにしか見えない。

「さあ、行け。また会おう」

 今度こそお別れだ、という口調でサーベラスは言った。

 

「…わかった」

 百合香は、落ちている氷のボールを持ち上げた。

「これは、貰っていくね」

「好きにしろ」

 百合香の手の上で、氷のボールは光の粒子になり、左腕に吸い込まれるように消えて行った。

「さよなら、みんな。また会おうね」

 百合香は、氷のソフトボール選手たちと向き合う。氷のグラウンドに、全員の声が高らかに響いた。

 

「「ありがとうございました!!!」」

 

 

 

 

 再び真っ白な通路を、百合香は歩いていた。

『百合香。さっきから泣きっぱなしだよ。前が見えない』

「うるさいわね」

 手のひらで百合香は涙を拭う。

『でもまあ、楽しかったね』

「…そうね」

 百合香は、そう認めざるを得なかった。本当に楽しかったのだ。

「疲れたわ」

『代わろうか』

 百合香の答えを聞く間もなく、瑠魅香は精神を交替して表に出てきた。紫のへそ出しドレスをまとった魔女が現れる。

「おー、久しぶりの感覚。やだ、だいぶ臭ってるよ」

『女の子の身体に臭ってるとか言わないの!』

「元気そうだね」

 そう言って、瑠魅香は杖を軽く振ると、冷気の粒子を辺りに撒き散らした。

 すると、だいぶ通り過ぎた場所に、氷魔エネルギーの"裂け目"を発見したのだった。

「あぶない、通り過ぎるとこだった。百合香、あったよ。例の部屋の入口」

『!』

 だいぶ食い気味のタイミングで、再び百合香は表に出てきた。剣を構えると、空間の裂け目にエネルギーを飛ばす。

 

 

 白い光がおさまると、そこはものすごく久々に思える、癒しの間だった。

「あー、シャワー浴びて寝よう」

『ストップ。また、ガドリエルに話を聞くタイミングなくなるよ』

「あー」

 心の底から面倒くさそうな声を百合香が出したので、半透明状態の瑠魅香はため息をついて言った。

『わかった。あなた大変だったものね。いいわよ、私が訊きたいこと訊いておいてあげる』

「…頼みます」

 

 夢遊病者のように、百合香は鎧を着たまま脱衣所に入って、そのままシャワールームに入りかけて我に返った。

「…疲れてるな」

 鎧姿を解除して、制服姿になる。よく見ると、脱衣所の脇の棚にはバスローブが畳んであった。

「…やっぱりホテルだわ」

 

 

 百合香が擦りガラスのシャワールームにいる間、向こうから瑠魅香とガドリエルの話し声が聞こえてくる。どうやら、今日は現れてくれたようだ。

 この城にいると、一日という感覚がなくなる。今日、とはいったいいつの今日なのか。身体を流れ落ちる温水を見ながら、百合香は思った。

 

 フカフカのバスローブを巻いてリビングルームに戻ると、瑠魅香が何か四角い箱の前にしゃがんでいた。

「なあに?それ」

 近付くと、何か既視感のある、ドアつきの箱だった。

「…まさか」

 ゆっくりとドアを開ける。すると中から、冷気がふわっと漂ってきた。中には棚や仕切りがあり、飲み物の瓶が冷えていた。

「冷蔵庫だ!」

 百合香の目が輝いた。久しく触れていない、生活家電である。そして、中には見慣れた青いラベルのボトルがあった。

「ポカリだ!」

『あっ、この間言ってたやつ!?』

「そう!」

 単なる女子高生に戻った百合香は、喜んでそのキャップを開ける。しかしボトルはガラスであった。

 冷えたスポーツドリンクを、百合香は一気に流し込む。久しぶりの味が喉に染み渡った。その感覚に、また少し涙が出てきた。何でもないスポーツドリンクも、一度失われてみると大切なものなのだ。

「あー、美味しい」

『私も!』

「あ、そうだったね。代わるわ」

 百合香はボトルを置いて身体を交替する。今度は、バスローブのままの瑠魅香になった。だんだん、交替のしかたが自由自在になってきている。

 

 瑠魅香は、百合香がポカリと呼んでいるそのドリンクの匂いを嗅いで、少し口に含むと、一気に流し込んだ。ごくりと飲み込むと、神妙な顔をして黙りこくる。

『お味は』

「うん。百合香の手のひらの味がする」

『あっそ』

「美味しい」

 ちょっと待て。

「ふうん、これが人間の味覚なんだ」

『やや特殊な部類の味だけどね』

 そう言って何気なく、百合香はボトルのラベルを見る。馴染みのある書体で、「ポカリスピリット」と書いてあった。

『惜しいんだよなあ』



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 「ポカリスピリット」なる謎のスポーツドリンクを飲みながら、瑠魅香は百合香に女神ガドリエルから訊いた話を伝えた。

「あたし、ストレートに訊いたんだ。どうして女神様なのに、この城について知らない事が多いんだ、って。そしたら」

『うん』

 精神体、半透明の百合香が身を乗り出す。

「なんと、あの女神様自身が、自分が誰なのか完全にわかってないんですと」

『はあ!?』

 百合香は泉を見る。ガドリエルの姿はない。瑠魅香は続けた。

「うん。氷巌城とか氷魔と事実上「敵対」する存在である事とか、その対抗手段が百合香の持ってる聖剣アグニシオンである事とか、氷魔がどういう存在であるのかとか、そういう”情報”は知ってるんだけど」

『…それを知っている理由がわからないってこと?』

「ざっくり言うと、そういう事だね」

『どうしてそんな事になるんだろう』

 半透明百合香は、ベッドに身を投げ出した。だんだん、半透明生活にも慣れて来た感がある。

「それこそ、あたしらにはわかりようがない」

『そうだね』

「氷魔皇帝ラハヴェについても、何も知らないみたい」

『私達と同じじゃない』

 百合香は上半身を起こして、困惑するように下を向いた。

『…色々私に説明する過程で、”まだそれは説明できない”とか言ってたのは、知っているけど説明できないんじゃなくて』

「ひょっとしたら、彼女自身が知らない事がある、っていう事なのかも知れない」

 それは、ちょっとした絶望感を百合香にもたらした。いちばん頼りになると思っていた相手が、思っていたほど万能ではない、という事だからだ。そうなると、ここから先は百合香自身が、全てを知らなくてはならない事になる。

 

『どうしよう』

「あー、また弱気になってる」

『弱気にもなるわよ。私、16歳の女子高生なのよ、ただの』

 今まで言葉にしなかった事を、百合香は独白のように呟く。

『…ちょっと特殊な剣は振り回せるけど』

「そうね。せいぜい、小屋みたいなサイズの氷の化け物を一刀両断できるだけの、ただの女子高生でしょ」

『うっ』

 瑠魅香もだんだん、言葉が上手くなってきた。残っていたポカリスピリットを一気に飲み干す。

「ま、何か理由があるんでしょ。あの女神さまに何もかも期待するのも、可哀想かもよ」

『…うん』

「それに、このラブホテルを用意してくれてるだけでも、御の字じゃない。なかったら百合香、いまごろ死んでたと思うよ」

『うん…いや、ラブホテルじゃない!!』

「言ってたじゃん」

『ここはラブホテルか、って言ったの!入った事ないけど!』

「じゃあ、あたしが人間になったら一緒に行こうよ。よく知らないけど」

 半透明百合香は、頭を抱えて寝転んだ。

『わかった、ガドリエルの事はとりあえずいい。…もう疲れたから、まずは眠ろう』

「その姿で?」

『なんか、よくわかんないけど眠くなってきた』

 それは、不思議な感覚だった。肉体から抜け出して五感がないような状態なのだが、なんとなく「眠い」という感覚に百合香は襲われた。

『瑠魅香も、肉体を持って眠るっていう感覚を覚えておいてもいいかもね』

「じゃ、ベッドに入っていいの!?」

『どうぞ。私も隣で寝てるから』

「やった!」

 瑠魅香は、ベッドカバーを手で押してみる。

「…なんか硬くない?」

『それはベッドカバーって言って、寝る時は外すの』

「ふうん」

 丁度いい機会だと思い、百合香はベッドの使い方を瑠魅香に教える事にした。そして、そこでこの部屋のベッドが、ホテル仕様である事に気付いたのだった。

『…やっぱホテルじゃん』

 だんだん口調も瑠魅香に寄って来た百合香である。

 

 

 

 

「サーベラスめ、裏切ったか…まあ奴にそれ以上、何かを画策できるような頭もないが」

 ヒムロデは薄暗い部屋の奥で、立てかけてある鏡を見ながら低い声で呟いた。

「まさかとは思ったが…」

 その鏡には、サーベラスと戦う百合香の姿が映し出されていた。

「次に控える氷騎士は…奴か。奴ならば、しくじる事もあるまい」

 そこまで呟いて、ヒムロデは鏡を見る。静止画のようにぴたりと止まった百合香の握る、聖剣アグニシオンをヒムロデは睨んだ。

「あの娘の持つ剣…あれがもし本物であれば、厄介な事になる。なぜ、あの娘が持っているのか…あの剣を相手にするのであれば、厄介なことになる」

 しばらく無言になったあと、ヒムロデは鏡に背を向け、暗い部屋を静かに立ち去った。

 

 

 

 

 

 百合香は再び、夢を見ていた。

 

 そこは、まるで氷巌城内部のような空間だった。百合香は仰向けに倒れており、腹部には氷の剣が突き刺さっていた。大量の血が床を伝って、黄金の髪を真っ赤に染めている。血はすでに冷えて固まりかけていた。

 百合香の横に、涙を流す赤い髪の女性がいて、手を握っている。何か話しているが、聞こえない。

 

 女性は、百合香が手にしていた黄金の剣を拾い上げると、百合香の胸の上に横たえ、何か呪文のようなものを唱え始めた。

 

 すると剣は瞬く間に炎に包まれ、燃え盛る不死鳥の姿となって百合香の上で羽ばたきを始めた。

 

 不死鳥は、光となって百合香の全身に入り込んできた。暖かい。生命の根源に触れる気がした。

 

 そして、全てが真っ白になった。

 

 

 

 

 

 目覚めた時、百合香はまたしてもシャワーの音を聞いていた。

『…瑠魅香?』

 またシャワーを浴びているらしい。

『…どんだけ好きなんだ』

 瑠魅香がシャワーを浴びるというのは、要するに他人が自分の裸体をダイレクトに見て、触れているという事である。一応、女性のデリカシーというものについてはしつこく説明して、瑠魅香も理解したようではあるが、それでもやはり多少気になる。もっとも、いい加減だんだん慣れて来た感もあったが。

『……』

 その問題とは違う意味で百合香は、何か落ち着かない気分だった。

『なんか、すごく大事な夢を見たような気がするけど…思い出せない』

 夢を思い出せない、というのは非常にモヤモヤするものである。そういえば、クラスメイトで文芸部の吉沢さんいわく、夢を見るのは熟睡できてない証拠、であるらしい。本当だろうか。

 

 何の気なしに冷蔵庫を開けようとするが、いま自分は半透明の精神体である事に気付いた。

『…不便だ』

 瑠魅香がシャワールームから出てくるのを待つしかない。

 他にやる事もないので、ぐるりと部屋を見回すと、またしても見慣れない物が増えている事に気付いた。

『ん?』

 泉を挟んでベッドと反対側のあたりに、何か棚のようなものが見える。近付いてみると、それはなんと本棚だった。中にはぎっしりと本が詰め込んである。

『本だ!』

 百合香の目が輝いた。なんとなく本が読みたいとは思っていたのだ。

 しかし、本棚に近付いて並んでいる文庫本のタイトルを見ると、百合香は戦慄した。

 

 【ルミノサス・マギカ(1)/江藤百合香】

 【ルミノサス・マギカ(2)/江藤百合香】

  ~中略~

 【ルミノサス・マギカ(16)/江藤百合香】

 

 

『ぎゃああ!』

 思わず百合香は後ずさった。こそこそ書いていた小説が、文庫本になって並んでいる。

『なっ、なんで…』

 その下を見ると、ハードカバーのコーナーがあった。その中に、文芸部の吉沢さんの名前がある。

 

 【きなこもち殺人事件/吉沢菫】

 

 いったい吉沢さんは何を書いているんだ。きなこもちで殺人って、ハードル高くないか。もうちょっと効率的な殺害方法があるのではないかと、読んでもいないうちから百合香は突っ込みを入れた。ちなみにその隣には、【美人女将湯けむりダイナマイト電流爆破デスマッチ殺人事件】【ドキッ!水着美女だらけの殺人事件☆グサリもあるよ】という二冊も並んでいる。こっちはちょっと読みたい。

 

「いやー、いい湯だったわー」

 若干おっさん化が進行しているらしい瑠魅香が、バスローブの前を開けたままで歩いてきた。

『ばかー!!』

「え?」

『紐を結びなさい!!』

 

 体を交替して、百合香はバスローブの着方を教えた。

「左側を前にして、紐を結ぶ。こう」

『ふーん』

「叫んだらお腹すいた気がする」

 改めて冷蔵庫を開ける。しかし、食べ物はない。

「あー」

 百合香はうなだれた。この部屋にいる限り、食べなくても空腹にはならない。しかし、食べるという行為自体が

重要なのだ。

 

 通学路から少し外れたお店の、トマトとニンニクのスパゲティが食べたい。南先輩に連れて行ってもらったラーメン屋さんの、真っ赤なスタミナラーメンも恋しい。桃のコンポートが載ったパフェ。うな重。メロンの形の容器に入ったアイスは、本当にメロン果汁が入っている事を最近知った。78円のプロテインバーは不味かった。お母さんの焼くチーズスフレは、瑠魅香にも食べさせてあげたい。

 

「食べ物をありったけ想像しておこう。次に来る時は楽しみにしてて」

『うん』

 しかし、想像したものと微妙に異なるケースがこの部屋ではあるらしいので、多少の不安はあった。

 

 

「ここから、どうすればいいんだろう」

 コーヒーを飲みながら、百合香は呟いた。

「次の氷騎士を倒すルートなのはわかってるんだけど」

『どんな奴かもわからないけどね』

「そんなの、今までずっとそうだったわよ」

 いい加減、肝が据わってきた百合香だった。

『でも。前もって情報が得られるなら助かるよね。あの探偵猫たちも動いてくれてるとは思うけど』

「あ、そういえば」

 探偵猫、で百合香は思い出した。

「あの子たちが、この層にもう一匹、探偵猫がいるって言ってたよね」

 

 

 

 真っ白な通路の奥で、何かがぶつかり合う激しい音が響いていた。ドカッ、という打撃音とともに、剣を構えた氷の戦士が跳ね飛ばされ、壁に激突してバラバラになる。怯んだ他の戦士たちが、一歩、また一歩と後退した。後ずさる戦士たちを追い詰める、ひとつの影があった。その眼光は鋭い。

 

 戦士たちは、意を決してその影に、剣を振るって飛びかかった。

 

 影は、その剣を鮮やかにかわすと、まず一体の氷の戦士の首に攻撃をしかけた。首は一瞬で切断され、頭部がゴトリと冷たい床に落ちる。

 続けざまに、もう一体の戦士の背中に蹴りを入れる。戦士は正面から床に叩きつけられると、そのままピクリとも動かなくなってしまった。

「ふん。相手を見てから戦いを挑むべきだったな」

 低い声で言い捨てると、その影は通路の奥へと消えていった。



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マグショット

『マグショットだ』

 瑠魅香が、思い出したようにその名を言った。

「ああ、あの探偵猫の一匹狼とか言ってたの?」

 百合香は制服を着ながら答える。

『そう。けっこう強いとか言ってたけど』

「どれくらい強いのかしら」

『片目がないとか言ってたよね』

「ファッションでね」

 レジスタンスのメンバーから聞いた、一匹狼の猫の情報はそんなところである。

「どこにいるかも、当然わからないんでしょ」

『だいいち、一匹狼って何だろう。協力してもらえるのかしら』

 瑠魅香の言葉に胸元のリボンを締めた百合香は、しばし考え込んだ。

「あまりアテにしない方がいいかもね」

『淡白だな』

「スタンドプレイヤーっていうのも世の中にはいる」 

『スタンドプレイヤー、か。響きはカッコいいね』

「そこは、良し悪しでしょうね」

 バスケットボールという、チームでの戦いが主体の百合香ならではの意見である。

「さて、そろそろ出るか」

 もはや氷巌城攻略がライフワークになりつつある百合香だが、逆にそれぐらいの感覚でいないと気持ちが参ってしまいそうだった。時々忘れそうになるが、生命がかかっているのだ。

 瑠魅香は、百合香にうなずいて、顔を重ねるように百合香の中に入る。いつもの「二人で一人」の状態になった百合香は、聖剣アグニシオンを構えて、城に向かうゲートをくぐった。

 

 

 いつものように、百合香・瑠魅香コンビは静寂の氷巌城内部へと降り立った。基本的には、百合香の精神がメインである。

『ねえ、百合香。思うんだけど、癒しの間から一気に最上階とかに転移できないのかな』

「…それは考えた事がなかった」

『それができれば、一気に氷魔皇帝とかいう奴のとこに乗り込めるのにね』

 瑠魅香の言う事はその通りだが、第一にそれが不可能である公算が高いのと、乗り込んだところで今の百合香たちに、その氷魔皇帝ラハヴェとやらに勝てるのか、という疑問があった。

「とりあえず、今は地道に進む事を考えましょう」

『真面目だねー』

 瑠魅香の茶々を聞き流して、百合香は第1層の通路を慎重に進んで行った。

 

 ところが、しばらく歩いたところで異変があった。

「なに、これ!?」

 百合香は声を上げた。曲がり角があったのでそこを左に入ると、通路に氷の戦士が3体ほどバラバラにされて、散らばっていたのである。

『仲間割れでもしたのかな』

「…それは考えにくい。基本的に彼らは、命令に忠実な存在でしょ」

『でも、サーベラスみたいに独自の意志を持った個体もいるみたいよ』

「……」

 その時だった。百合香の耳に、かすかに打撃音のような音が聞こえた。掛け声みたいなものも混じっている。

「何か聞こえる」

『また変なゲームやってる熱血集団じゃないよね』

 

 音が聞こえるのは、その通路のずっと奥だった。百合香は駆け足でその音の出所を確認するために急ぐ。

『気をつけてよ。サーベラスの時みたいに、囲まれるかも知れない』

「わかってる」

 瑠魅香の忠告に耳を傾けつつ、百合香は足を速めた。すると、聞こえていた打音がパタンと止んだ。

「?」

 疑問に思いながら、またも曲がり角にぶつかったので、今度は右に折れる。

 

 そこで、百合香はまたしても、氷の戦士たちがバラバラになって、多数倒れているのを見付けたのだった。

「まただ」

『どういうこと?誰かがこいつらを倒したってこと?』

「誰かが倒したのは間違いない。さっき聞こえたのは、間違いなくこいつらと、その何者かが戦っていた音だ」

 百合香は屈んで、倒された戦士たちの残骸を観察する。首が折られた者、壁に叩きつけられて砕けた者など、様々である。だが、何か今まで自分が倒してきた残骸とは、違うものを感じていた。

「…この城の戦士たちを倒しているということは、”こっち側”の存在という事なのかな」

『そいつ、何者かはわからないけど、倒したらさっさといなくなってるね』

「探そう」

『え?』

「たぶん、こいつよ。例の一匹狼」

 百合香は、そう断定した。今までの情報と照らし合わせると、そうとしか考えられない。

 すると、再び打撃音が通路の奥から響いてきた。

「!」

『百合香、急げ!』

 瑠魅香が急かし、百合香はダッシュする。

 

 少し開けた空間に出ると、そこでは氷の戦士たちが何者かを囲んで剣を振り回していた。すると、戦士たちが群れをなす奥から、謎の掛け声が聞こえてくる。

 

「オワタァ!!!ホォーッ!!!!」

 

 どこかのカンフー映画の主人公のような、甲高い掛け声がして、真ん中あたりにいた氷の戦士が何かに弾かれ、百合香の方に飛んできた。

『わあ!!』

「なっ…」

 百合香は制服姿のまま剣を一閃し、飛んできた戦士の胴体を斬り払う。

 

「アーーータタタタタ!!!!オーー―ワッタァ!!!!」

 

 今度は2体の戦士が、まるで工事現場のハンマードリルでも喰らったように激しく何かに殴られ、バラバラに砕けながらその場に崩れ落ちた。

 戦士たちが粉微塵に砕け、もうもうと冷気の煙が立ちこめる。その向こうに、直立する小さな影が見えた。

 

 煙が晴れるとそこに立っていたのは、ジャージのような上下のスーツを着た、精悍な顔つきの片目の猫だった。

『いた!こいつだ!!』

 瑠魅香が叫ぶ。百合香も、目の前にいるのが件の”一匹狼”だろう、と思った。

「あなたがマグショットね」

 百合香は剣を下ろして訊ねる。ジャージの猫は鼻を手でこすると、首をコキコキと鳴らし、値踏みするように百合香を見た。

「お前だな。氷巌城を騒がせている張本人は」

 思いのほか低めの渋い声で、百合香も瑠魅香も面食らう。

「騒がせている…まあ、そうかもね」

「おかげで俺の仕事が面倒になった」

「むっ」

 なんだ、その言い草はと百合香は思った。

「私は百合香。あなたがマグショットなのよね」

「…そうだ。ラーモンに聞いたのか」

 

 百合香は、これまでオブラ、ラーモンと、レジスタンス組織”月夜のマタタビ”の面々に協力してもらった事を説明した。マグショットは、小さくうなずいて言った。

「なるほど。お前は人間の立場で、この城に乗り込んできたわけか」

「そう。この城を消すために」

「できるのか」

「できない、なんて言ってる余裕はないわ」

「ふん」

 マグショットは鼻で笑う。

「ラハヴェとかいうふざけた奴のせいで、精霊の姿で悠々と生きていた俺たちは、氷の肉体を持ってこの城に勝手に配置された。迷惑千万だ」

「だから、あなたは反抗しているのね」

「反抗だと?」

 ジロリとマグショットは百合香を睨む。百合香はぎょっとして硬直した。

「笑わせるな。反抗とは、被支配者が支配者に対して行う事だ。俺は、誰にも支配されているつもりはない。逆だ。氷魔皇帝などと自称する身の程知らずこそが、俺によって粛清されるのだ」

『おー、言う言う』

 突然、百合香の内側から聞こえた声に、マグショットは軽く驚いていた。

「誰だ」

『元・あんたたちのお仲間よ』

「なんだと?」

 瑠魅香は、勝手に”表”に出て来てニヤリと笑った。百合香が突然、黒髪の魔女の姿に変貌をとげた事は、さすがに驚いているらしい。

「一体、お前は何者だ」

「私は瑠魅香。もと氷魔よ」

「なに?」

 

 今度は瑠魅香が、人間になるという目的のため百合香の身体に間借りしている事、その見返りもかねて百合香の戦いをサポートしている事を説明した。

「信じられん事をする奴もいたものだ。何を考えているんだ」

「悪かったわね」

「…お前が何をしようが、俺には関係ない」

 そう言うと、マグショットは瑠魅香に背を向けて歩き始めた。

「ちょっと。どこ行くの」

「知れた事。俺は上層に向かう。皇帝気取りの愚か者を叩き潰すためにな」

「あんた一人で何ができるの?」

 瑠魅香は腕組みして、マグショットの背中に言い放つ。マグショットはピタリと止まって、瑠魅香を振り向いた。

「俺は群れるのが嫌いだ」

「ふうん」

「忠告しておく。俺の邪魔をするな。邪魔だてするなら、お前たちも敵と見做す」

 あまりに堂々と言うので、瑠魅香たちには返す言葉がなかった。

「こいつらを見ろ。お前たちが中途半端に城を引っかき回したせいで、警戒が強くなった。氷騎士どもの所に行くのに、面倒な事この上ない」

 

『共闘はできないのね?』

 

 瑠魅香の背後から、百合香が訊ねる。マグショットはまた、ジロリと瑠魅香の目を見た。

「同じ事を二度言うつもりはない」

 そう言うと、”一匹狼”マグショットは通路の奥に消えて行った。

 

「面倒くさそうな奴だったね」

『うん…』

「あれじゃ、共闘なんてしてくれそうにないよ」

『でも、強さは本物なのよね』

 百合香は、足元に散らばる氷の戦士たちの残骸を見る。さっき感じていた違和感の正体が、百合香はやっとわかった。

『見て、瑠魅香。あいつ、氷の戦士の”急所”を正確に突いている。私が感じた違和感はそこだったの。無駄なダメージを与えていないのよ』

「よくわかるね。さすが、伊達に剣で戦ってないわ」

『私は剣を使わないと勝てない。けど、あいつは徒手空拳で氷の戦士を、何体も平然と倒している。あんな小さな身体で』

 百合香は、ラーモンから聞いたマグショットの実力が、過小評価だったのではないかと疑い始めた。そして、共闘できれば絶対に頼もしい味方になる。

『瑠魅香、代わって』

「え?」

『あいつを追う』

 百合香は多少強引に表に出て、制服から鎧姿にチェンジした。黄金の煌めきが、白い通路に反射する。

 

 

 しばらく通路を走っていると開けっ放しのドアがあり、その奥はまたも広い空間になっているようだった。体育館ぐらいある。百合香は、慎重にその空間に足を踏み入れた。

 

 すると、空間の中央にマグショットが一人で立って、周囲を何やら警戒していた。

「マグショット!」

「来るな!」

 マグショットは百合香に叫んだ。

「入って来れば、やられる」

「どういうこと」

 百合香は訊ねながら、マグショットの言ったとおりその場で立ち止まって警戒した。

 

 すると、空間の周囲に、何やら細身の氷の人形が出現した。

「あれは…この間の”ナロー・ドールズ”?」

『違う。ザコじゃない、正規の闘士だ』

 それは、女性のようなラインの闘士たちだった。細い手に、何か棒状のものを持っている。両端がふくらんだそれは、百合香には馴染みのあるものだった。

「バトンだ!」

 百合香が言う間もなく、マグショットの両サイドから、バトンが投げつけられた。マグショットはその全てを見切ってかわす。両サイドの人形どうしが、反対側から飛んできたバトンをキャッチして再び返す。そのサイクルで、延々とノンストップでマグショットはバトンの攻撃にさらされていた。

「マグショット!」

「子供の遊びだ」

 もう飽きたと言わんばかりに、マグショットは瞬時に飛んでくるバトンの2本を難なくキャッチすると、両手に握って振り回した。

「アタタタタタタ!!!!!」

 マグショットは飛来する無数のバトンの全ての動きを読み切り、一本一本確実に叩き折って行った。しかも、叩き折りながら正確に人形めがけて飛ばすというおまけ付きである。人形たちは、バトンを腕で弾き飛ばした。

『変態大集合だ』

 瑠魅香の言い様にもうちょっとましな表現はないのか、と百合香は思ったが、マグショットも人形たちも、常軌を逸した実力である。あの中に百合香がいたら、確実にバトンを全身に浴びて大ダメージを負っていた。

 

 その時、ようやく百合香は気付いた。

「バトン・トワリングだ!」

『ばとんとわりんぐ?』

「学校で見た事あるでしょ。バトンを投げるパフォーマンス」

『ああ、見た見た』

 瑠魅香は、百合香の学園で観察していた中に、そういう部活がある事を思い出していた。ちなみにガドリエル学園トワリング部は、トップクラスというわけではないが、そこそこの実力である。

「こいつらはトワリング部をコピーして、武器にしてる連中なんだ」

『百合香、勝てるの?』

「……」

 正直、今の攻撃に百合香の剣で対抗するのは難しそうだった。

『あたしの出番かな。ベンチを温めてなさい』

 どこで覚えたのかわからないセリフとともに、瑠魅香が再び表に出て来た。

「さあ、久々に暴れるよー」

「来るな!お前には対抗できん!」

 マグショットは、さっきまでのニヒルさが少し剥がれた様子だった。

「ふうん。あんた、ホントはけっこう優しいのね」

「ふざけている場合か!下がれ!」

「いやよ」

 瑠魅香は杖をかざす。すると、バトンの第二波がマグショットと、中央に進み出た瑠魅香に襲いかかった。

「くっ!」

 マグショットが、瑠魅香を守るような動きに出た、その時だった。

 

 瑠魅香の周囲に瞬時に現れた氷の無数のシールドが、目で追えないほどの速度で正確にバトンの動きに対応し、空中で全てのバトンを弾き飛ばしてしまった。

 

「な…」

 マグショットは驚きの目で瑠魅香を見る。

「お前は一体!?」

「あたし、魔女の瑠魅香。改めてよろしくね」

「魔女だと!?」

 言いながら、再び飛んできたバトンをマグショットは素手で叩き落とす。瑠魅香もまた、氷のバリアで同じように対抗した。

「らちがあかないね。やっちゃうか」

 瑠魅香は、バトンの第三波が小休止したタイミングで、杖に魔力を込めた。

「あたし、こっち側をやるね。あんた、あっちを頼むわ」

「む…」

「早く!来るよ!」

 瑠魅香に急かされてマグショットはしぶしぶ承諾すると、驚くほどの俊足で人形たちの近くまで一気に飛び込んだ。

「おー、やるやる」

 瑠魅香も負けじと、杖に込めた魔力を一気に解放した。氷のバリアが今度は水平に回転するカッターとなって、人形たちに襲いかかる。

 

「『クリスタル・ヴォーテックス!!!』」

 

 無数の氷の刃は、渦を描いて人形一体一体の逃げ場を失くし、確実にその首や四肢を切断していった。その様子を見た百合香が『毎回エグいのよね』と、ボソッと呟く。これも、自分が小説で書いたのだろうか。

 

 一方、マグショットもまた大技を繰り出していた。

「オオーーーーアタタタタタタァァ!!!!!」

 竜巻のように回転しながら跳躍すると、人形の一体一体の首を確実にへし折って行く。ほとんど瑠魅香の魔法と変わらない速度で、あっという間に人形たちはその場に崩れてしまった。

「アタッ!!」

 着地すると決めポーズを取り、さあ次はどいつだ、と言わんばかりに周囲を見渡す。瑠魅香はそれに拍手で応えた。

「おー、すごいすごい」

「バカにされているようにしか思えん」

「いやいや、ホントにすごいって」

 そう言って、瑠魅香はマグショットに駆け寄る。

「うん。思ってた以上に凄いんだね、あなた」

「だから共闘してくれ、とでも言うつもりか」

「してくれると、こっちとしては助かる」

 正直なところを瑠魅香は包み隠さず言った。

「私の相棒、強いくせに時々不安そうにしてるのよ。あなたが味方になってくれれば、この子も頼もしいと思う」

 余計な事を言うな、と百合香は瑠魅香にだけ聞こえるように抗議した。マグショットは「ふん」と鼻を鳴らす。

「不安になるのは弱いからだ」

「あら。私の相棒の強さを知らないから、そんな事言えるのよ」

「だったら見せてみろ。その強さとやらを、今ここで」

「え?」

 瑠魅香は、マグショットが何を言っているのか一瞬理解しかねた。

「丁度いい稽古台のお出ましだ」

 マグショットは、空間の中央に向かって拳法らしき構えを取る。瑠魅香は、何事かと振り向いた。

「あっ!」

 瑠魅香もまた、瞬時に身構えた。

 

 空間の中央に青い光とともに現れたのは、2体の巨大な、バトンを持った人形だった。



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バーニング・フィスト

 その巨大な人形は、今しがた片付けた多数の人間大のものより、いくぶん手足のバランスがスリムに見える。2体で広いホールのスペースいっぱいに距離を取り瑠魅香とマグショットを挟んだ。

 問題は手にしたバトンで、長さはざっと2メートルはある。あんなものの直撃を受けたら、鎧を装備していない瑠魅香ではダメージが不安だった。

『瑠魅香!』

 迷う事なく、百合香は表に出て来て身体を瑠魅香と交替する。黄金の鎧の百合香が、ホールに姿を現した。

「便利な奴らめ。来るぞ!」

 マグショットが警戒を促すとほぼ同時に、2体の巨大な人形が2人に向けてバトンを投げた。バトンは恐ろしい速度で回転し、地面を這って襲いかかってきた。

「はっ!」

「うわっ!!」

 マグショットは難なくそれをかわすが、百合香はギリギリだった。

「遅いぞ!」

「そ、そんな事言ったって!」

「足手まといだ、下がっていろ!」

 そのマグショットの一言が、百合香の闘争心に火をつけた。

「ナメないでよ!!!」

 続けざまに飛んできた巨大なバトンに、百合香は思い切り聖剣アグニシオンを叩きつける。バキン、と痛快な音がして、真っ二つに折れたバトンの片割れが人形めがけて飛んで行った。

「む…」

「サーベラスとの激戦の成果よ!!」

「奴に会ったのか!」

 飛び交うバトンをかわし、弾き返しながら、マグショットは訊ねた。どうやらサーベラスとは、すでに接触していたらしい。

 

「でぇやーっ!」

 百合香は、バトンを弾くのに合わせて炎の弾丸を剣から発射した。巨大な人形はそのぶん的が大きく、動きが素早くても何発かは命中し、バランスを崩して脚をついた。

 かたやマグショットは、飛んでくるバトンをキャッチして投げ返し、そのバトンの背後に続いて人形とのリーチを一気に縮めるという、およそ常識を超えた離れ業を披露してみせる。

『あんなの反則じゃん』

 百合香の脳内で瑠魅香がぼやく。返って来たバトンを人形はキャッチするも、その直後に眼前まで接近を許したマグショットの飛び蹴りを、真っ正面から胸に喰らって背後の壁面に叩きつけられた。

「こっちも行くぞ!」

 百合香はアグニシオンを水平に構え、俊足で人形の懐に飛び込んだ。

 

「『ディヴァイン・プロミネンス!!』」

 

 たびたび用いるその剣撃を百合香は放った。巨大な炎の刃が、人形の胴体を直撃する。巨大ではあるが、その硬度はサーベラスより数段劣るらしく、ほぼ完全に切断されたのち、かろうじて残った部分がバキンと折れてそのまま崩れ落ちた。

『やった!』

「どんなものよ」

『その技、毎回使ってない?』

「うん、なんか使い勝手がいいんだ」

 家電のレビュー並みの口調で言いながら百合香が振り向くと、マグショットの足元にはすでに、人形の首が情けなく転がっていた。

「俺の方が先に倒したな」

「だんだん子供じみてきてるわよ」

 百合香は笑う。マグショットは「ふん」と腕組みして、倒れた人形の胴体に座り込んだ。

「いいだろう。それなりに力がある事は、認めてやる」

「それはどうも」

「だがしょせん、その剣の力を借りたものにすぎん」

 マグショットは、百合香自身が自覚していたポイントを突いてきた。

「俺の邪魔をせん限りは、俺も手を出さん。ただし、これだけは忠告しておく」

 トンと地面に降りると、百合香をじっと見据えて続けた。

 

「さらに上層に行こうと思うのなら、お前は自分自身の力を磨かねばならん。剣に頼るな。いや、言い方を変えよう。その剣の力を引き出すためには、まずお前自身が強くなれ」

 

 そう言って立ち去ろうとするマグショットに、百合香は「待ちなさいよ」と言った。

「共闘しないって、あなた言ったけど。もう、今ここですでに共闘の既成事実ができたんじゃないの?」

「いかにも人間らしい方便だ」

「方便なら方便でいいわよ。じゃあ今回みたいに、なし崩しで共闘しちゃうなら仕方ないって事ね」

 マグショットは、しばし黙ったのち口を開いた。

「好きにしろ」

 それだけ言うと、もう話はたくさんだとばかりに、ホールの奥にある通路に走り去ってしまった。百合香は軽く溜息をついて、肩をすくめる。

『なんなんだろ』

「さあね」

 百合香は、トワリング部の複製だった人形たちが散乱するホールを眺める。

「悲惨なものね」

『楽しくトワリングやってればいいのに』

「……」

 その残骸は百合香の胸中に、何か複雑な気持ちを呼び起こしたらしかった。それを振り払うように、百合香は瑠魅香に問いかける。

「ねえ、瑠魅香。マグショットが、自分達は精霊の姿で悠々と暮らしてた、みたいな事言ってたわよね。あれ、どういう意味なの?」

『言ったとおりの意味だよ。私は「元」だけど、氷魔と呼ばれる精霊たちは、この地球に存在する、別な空間で精霊の姿で暮らしている。今もね』

「今もって、どういうこと?」

『それも、言ったとおりの意味。人類が知らないだけで、この地球には精霊が住む、言ってみれば「別世界」が存在するっていう事よ。大昔の人間は知っていたけど、今の人間にそれを知っている人は、1億人に1人いるかどうかってとこでしょうね』

 何気ない問いかけから、想像もつかなかった回答が返ってきたせいで、百合香は軽く混乱し始めた。

 

「別世界って…どういう世界なの」

『人間に説明しても、理解できないと思うよ。私が物理的な世界を理解するよりも、ハードル高いと思う。ただ、人類の”科学”がもっと発達すれば、いずれわかるようになる』

「科学?どういうこと?」

『いまの人類の科学なんて、賢い人もいるでしょうけど、基本的には子供の遊びみたいなものよ。燃やしたエネルギーの後始末も満足にできない。そういう未発達な科学ではなく、真の意味の科学を理解したとき、私たちの存在も理解できると思う』

「……」

 なんだか人類がコケにされているようで、百合香は軽く憤った。

「じゃあ、この氷巌城はどうなのよ。城を維持するために世界をめちゃくちゃにするのが、真の科学だとでもいうわけ?」

『そこなの、百合香』

 唐突に、瑠魅香は”待ってました”とでも言うような口調で語り始めた。

『私達氷魔は、本来優れた知性を持った存在なの。あなた方の言語をこうして、難なくマスターしてる事から、それはわかるでしょ?』

 それは確かにそうだ、と百合香は思った。瑠魅香は続ける。

 

『だから、氷巌城なんてものを創造する必要が、本来そもそも氷魔にはないの。自分達の世界で、全てが完結して、満足に、平和に暮らしているのだもの。必要ない事を、みんな理解しているの』

 

「そっ…それじゃ、何のために氷巌城が必要なの」

『サーベラスが言ってたでしょ。”否定の理”っていう、あれよ』

 百合香は、サーベラスの言葉を思い出していた。

『まあ白状すると、その理っていうのが何なのか、私には説明がつかない。どうしてそんな理が存在するのか、ね。その点で、あなたにあれこれ解説できるほどの知識はない』

「…つまり」

 百合香は、それまでの話をどうにか頭の中でまとめて言った。

「この城を本当に消すには、その”否定の理”が何なのかを突き止めなきゃいけないって事?」

『うん。そういう事になるね』

「どうしてそれを、今まで話してくれなかったの」

『話しても、すぐに受け入れた?』

 その言葉に、百合香はハッとさせられた。

『ここまで幾多の戦いを経て、サーベラスみたいな相手と戦って、ようやく理解するための準備が少しだけ整った。そんな気がしない?』

「そっ…それは…」

『まあ繰り返すけど、私にもわからない事だらけなんだよ。百合香が人間の世界の事を私より知っているように、私は私のいた世界の事をあなたよりは知っている、それだけ。だから、それ以上の事を知らないのは、二人とも一緒だよ』

 そう言われて、百合香は少しだけ安堵を覚えた。

「…そっか」

『そう。だから、これから二人でここを登る過程で、少しずつわかってくるんだと思う。この城を消し去る方法を』

「二人でね」

「そう。二人で」

 百合香は、ホールの奥に続く通路を見た。

「考えても仕方ないか」

『でも、考え込んでる百合香、わたし好きよ』

「何よ、それ」

 ふふふ、と二人は笑う。

 

 その時だった。

 

 ドカン、という大きな音が、これから通ろうという通路の奥から聞こえてきた。

「!」

『なんだ!?』

「まさか、マグショット!?」

 百合香は、マグショットが何かと戦っているのだろうかと思って駆けだした。

 

 

 通路の奥に急いだ百合香は、壁か何かの破片が散乱しているのを見つけた。

「なんだ!?」

『きっと、あいつが戦ってるんだよ!』

 なおも百合香は走る。ほどなくして、もうもうと砕けた氷の粒子が立ちこめる空間に出た。扉は衝撃で壊されている。中は、それまでとうって変わって梁や柱が張りめぐらされ、壁面には細かな装飾が施され、何か中国風の木造建築のような構造になっていた。

 

 床には、多数の氷の戦士たちが例によって散乱している。その様子からして、マグショットに倒されたのは間違いなさそうである。

「マグショット!いるの!?」

 百合香は叫ぶ。しかし、返事はない。

「ここにはもう、いないのかな」

『百合香、あそこ!上!』

「え?」

 瑠魅香に言われて百合香が上を見ると、張り巡らされた梁の上に、マグショットが拳法の構えを取って立っていた。百合香が来たことは気付いているはずだが、意図的に無視しているらしい。

 百合香は、マグショットの視線の方向を見た。梁で隠れているが、誰かがいる。マグショットと同じように構えを取っているようだった。マグショットは、さきほどの戦いとは段違いの緊張感を伴っているように見えた。

 

 すると、梁の陰にいた何者かが、ふいに語り出した。

「あなたですね、侵入者とかいう輩は」

 柔らかいが、トゲのある響きを伴った、カンに障る声だった。どうやら、サーベラスと同じく高い知性を持った個体らしい。

「侵入者ですって?私たちの世界に侵入してきたのは、そっちでしょ!!」

 負けじと百合香は怒鳴り返す。

「降りてきなさい!私が粉々に砕いてやるわ!!」

「やめろ、百合香!今のお前ではこいつには勝てん!!」

 そう叫んだのはマグショットだった。

「ここは俺に任せておけ」

「ほほう。まるで私に勝てるとでも思っているような口ぶりですね」

「俺なら勝てる」

「では、やってみせて頂きましょう!」

 梁の陰に隠れていた何者かが、マグショットとの間合いを一気に詰める。高速の突きが、マグショットの胴体を狙って繰り出された。

「ふん!!」

 マグショットはわずかな動きでそれをかわし、ほんの一瞬相手の胸元が空いた隙を見逃さず、掌底を叩き込む。

「ぐほっ!」

 敵は大きくバランスを崩し、後退して距離を取る。

 そこでようやく相手の姿が見えた。ハットを被った、まるでマジシャンのような容姿である。顔も、いかにもといった風情の仮面のデザインになっていた。

「ふ…レジスタンスに拳法使いがいるとは聞いていたが、なるほど」

「百合香!お前は先へ進め!こいつは俺が倒す!」

 マグショットは相手から目をそらさず、下にいる百合香に向かって叫ぶ。

「大丈夫なの!?」

「誰に言っている!早く行け!!」

『あーあ。どんな状況でも態度でかいのね』

 瑠魅香は呆れたように言う。

 

「ははは、折角ここまでいらっしゃったのです。おもてなしもせずお通ししたとあっては、当館の品格が疑われるというもの」

 そう言って、ハットの格闘家は手をパンと鳴らした。すると、部屋の左奥からドスンドスンという振動が近付いてくる。

「なんだ!?」

『来る!』

 百合香が警戒態勢を取ったその瞬間、左側の壁の扉を突き破って、大柄な氷の戦士が現れた。その体格はプロレスラーと関取を合わせたようなシルエットで、背丈も百合香より頭ふたつ分はある化け物だった。顔は人間に近いが、野獣のようである。

「こいつは…」

 考える暇も与えず、その巨漢は百合香に向かって突進してきた。

『百合香!』

「くっ!」

 百合香はアグニシオンにエネルギーを込め、身体をかわしながら剣を叩き込もうとした。しかし、次の瞬間だった。

「ホァッ!」

 奇怪な声を上げて、巨漢はその体躯から想像もつかない素早さで百合香の方に姿勢を変え、高速の突きを繰り出してきた。

「ごはっ!!!」

 胸の鎧にまともに拳を受けた百合香は、そのまま吹き飛んで背後の柱に叩きつけられ、アグニシオンは大きく弾かれて部屋の隅に投げ出されてしまった。

『百合香!!』

「げほっ…」

『いくよ!!』

 慌てて瑠魅香が表に出ると、すかさず杖を構え、巨漢に向かって拘束魔法を放つ。

『このデカブツ、よくも百合香を!!』

 雷のロープが、四方八方から伸びて巨漢の身体を封じる。

「うっ…ごほっ!」

 瑠魅香は、百合香が受けたダメージに耐え切れず、その場で膝をついてしまう。

『瑠魅香…ありがと』

 そう言って、再び百合香は表に出て来た。手元にアグニシオンがない事に気付くと、すかさずそれを取り返しに走る。

 

 だが、巨漢の拳法使いは、瑠魅香の拘束魔法を力任せに引きちぎり、再び百合香に突進してきた。

『そんな馬鹿な!』

 瑠魅香は、渾身の魔法が力で強引に破られたことに、ショックを隠さない。

「うああっ!」

 振り下ろされた拳をすんでの所でかわした百合香だが、姿勢を崩して床に転げてしまう。

 

「百合香!」

 加勢に入ろうと、マグショットは動く。しかし、その前にハットの拳法使いが立ちはだかった。

「お客様、どうかごゆっくり観戦なさってください。ここは特等席ですよ」

「ふざけるな!」

 マグショットの突きがハットの拳法使いに襲いかかる。

「くっ…落ち着きのないお客様だ。良いでしょう、このオブシディアンが直々におもてなしして差し上げます」

 オブシディアンと名乗ったハットの拳法使いは、改めてマグショットに向かって構えを取った。

 

「ぐっ…」

『百合香!代わって!』

「瑠魅香…出て来ては駄目」

 百合香は、表に出ようとする瑠魅香を必死で抑えた。

「大丈夫…今までだって、こんなでかいのを何体も倒してきた」

 そう強がる百合香だったが、今までとは異質な相手でる事はよく理解していた。明らかに、動きの”質”が違う。このままでは負ける。百合香は、そう覚悟した。

 

 だが、その時百合香はふと、サーベラスとの対決を思い出していた。

 

 サーベラスに対抗するために、百合香は相手の実力をよく観察した。そして、強い相手に対抗するためには、それまでと全く異なる戦い方を身に着ける必要があると知った。

 

 この相手は素早い。この動きに、剣で対抗することはできない。

 

 ならば。

 

「ウシャアーーーーッ!!!」

 巨漢は、再び百合香に向かって突進し、その右腕を高速で突き出してくる。

 

「百合香!」

『百合香!!』

 マグショットと瑠魅香が叫ぶ。

 

 そのとき、百合香に異変が起きた。

「!?」

 マグショットは何事かと目を瞠った。百合香の全身が、炎に包まれ始めたのだ。

 

 そして、信じられない事が起きた。百合香が一瞬で立ち位置を変えたと思うと、次の瞬間には、巨漢が大きくバランスを崩して、激しく床に叩きつけられていたのだ。

「なんだと!?」

 オブシディアンは驚いて、つい下に視線を落とす。その隙を逃さず、マグショットの蹴りが飛んできた。

「うっ!」

「どうした。おもてなしは」

「おのれ!」

 そこから、二人の技の応酬が始まった。オブシディアンは、マグショットの拳法は互角だと感じ始めていた。

 

 百合香は、拳法らしき構えを取っていた。ただしその型は、あってないようなものである。

「わかってたつもりだけど。まだ全然わかってなかったんだ、この力の本当の使い方」

 誰にともなく、百合香は呟く。その全身に今、炎のエネルギーが満ちていた。

『百合香、どうやったの!?』

「別に」

 あっけらかんと百合香は返す。百合香は、突き出された相手の腕を逆に掴んで、引き抜くと同時に、敵の頭に回し蹴りを叩き込んだのだ。

 

「拳法なんて知らないわ。私流よ。瑠魅香、あとでこの流派の名前を考えて」



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理論と実践

 百合香は、自分の内側から湧き出すエネルギーが一体何なのかは、まだ理解していない。しかし、その”使い方”は、戦いの中で少しずつ掴んで来ていた。

 

 それは、ある時は感情の爆発で、またある時は戦いの過程で、そしてまたある時は、言葉によって理解してきた。マグショットもまた、百合香を導くヒントを与えた一人だった。

 

『力の使い方ですって?』

 瑠魅香は、突然に徒手空拳での戦い方を覚えた相方に対して、驚愕を禁じ得ないでいた。

「簡単な事だったのよ」

 百合香は起き上がってくる氷の巨漢に対して、自己流の構えを取っていた。

 

「ホアッ!!」

 巨漢は、百合香へのお返しとばかりに回し蹴りを浴びせてきた。それは凄まじい速度と風圧を伴ったもので、まともに喰らえば絶対にただでは済まない。

 しかし、百合香はその動きを一瞬で見切っていた。

「ふん!」

 百合香は攻撃をかわすと、その脚を掌底で払い、相手がバランスを崩した瞬間を狙って軸足に強烈な足払いをかけた。巨漢は再びバランスを崩して、倒れかける。すんでの所で転倒は避けたものの、百合香は浮いた左腕を脇で抱えて思い切りねじった。

「アギャァァァァ!!!!」

 痛みがあるのかどうかはわからないが、巨漢は苦しんでいる。百合香は肘鉄でその巨体を押すと、さらにそこへ肩を使って体当たりを食らわせた。巨漢は大きく弾かれて、太い柱に叩きつけられた。

 

 それを見て驚いているのは、マグショットだった。

「あいつ…さっきまでド素人だったというのに」

「よそ見をしているヒマがあるか!!」

 オブシディアンが突きを入れてくる。マグショットはそれを受け流すと、胴体に掌底を打ち付けた。

「ごはっ!」

「ふん、貴様の実力も大した事はないな」

「さて、それはどうでしょうな」

「なに?」

 オブシディアンの自信ありげな態度に何かを感じたマグショットは、警戒して距離を取った。

「行きますよ」

 そう言うと、オブシディアンは全身に何か、青紫のオーラのようなものを溜め始めた。周囲の気流がオブシディアンに集中する。

「ヒョウッ!!!」

 オブシディアンが腕を払うと、目に見えない冷気の刃がマグショットを襲った。

「ぬっ!」

 マグショットはギリギリのところで気流の変化を読み、その目に見えない刃を弾いた。しかしその隙を狙って、オブシディアンがリーチを詰めてくる。

「!」

「ホヤッ!!!」

 マグショットの腹に、思い切りオブシディアンはツキを入れた。

「がっ!!」

 マグショットは後方に弾き飛ばされ、太い梁に背中を打ち付けた。

 

「マグショット!」

 その様子を見ていた百合香は叫ぶ。しかし、マグショットは立ち上がって叫んだ。

「他人の戦いを気にしているヒマがあるか!そのデカブツは任せたぞ!」

「な…私にさんざん口出ししてきたくせに!」

「何でもいい!お前の力、今こそ見せてみろ!!」

 これだけ声を張り上げられるなら大丈夫そうだと思った百合香は、目の前にいる巨漢を倒すのに集中する事にして、改めて構えを取った。

「拳法は知らないけど、バスケの動きなら知っている!!」

 そう言って、百合香は再び突進してきた巨漢の横に素早く飛び込んだ。そう、百合香はバスケットボールの試合での動きを、拳法に応用しているのだ。

「せい!」

 鮮やかに身体を回転させ、その後頭部に上段からの回し蹴りを叩き込む。前進していた所に後方から蹴りを入れられた巨漢は、そのままの勢いで壁に向かって自ら上半身をしたたかに打ち付けた。百合香は、むき出しになった腰椎に飛び蹴りをくらわせる。嫌な音がして、巨漢はそのまま壁にもたれて呻いていた。

『今だよ、百合香!頭だ!頭部を破壊された者は失格となる!!』

 どこかで聞いたセリフを瑠魅香は言った。どこで聞いたのか思い出せない。百合香は、胸に太陽のエネルギーボールを出現させると、それをがっしりと掴んで高く飛び上がった。

 

「『バーニング・ダンクショット!!!!』」

 

 上方から、全力を込めて燃え盛るボールを巨漢の頭に打ち付ける。ボールは大爆発を起こして、壁や柱もろとも巨漢の上半身を粉砕してしまった。

「ふーっ」

 もうもうと熱風が立ち込める中、百合香は腰のあたりに両拳を構え、漲っている気を落ち着けた。

 

「くっ…まさか、そんな馬鹿な」

 オブシディアンは、差し向けた巨漢が破られた事に相当驚いているようだった。マグショットが一歩進み出る。

「どうやら、予想外だったようだな。次はきさまの番だ。ノシを付けて今のお返しをさせてもらうぞ」

「ふん」

 突然構えを解いたオブシディアンは、百合香を見下ろして言った。

「いいでしょう。改めておもてなしをさせていただきます。この先に宴の間を用意しておきますので」

「待て!」

「そう焦らず。私は逃げも隠れもいたしません」

 そう言うと、オブシディアンは青白い光に包まれ、あっという間に姿を消してしまったのだった。

「ぬっ!」

 マグショットが消えたあとを追うも、すでにオブシディアンの気配はこの部屋からは消え去っていた。

「幻術か。器用なやつめ」

 

 マグショットは構えを解くと、床に降り立って百合香に向き合った。

「見事だった」

 それは、何の飾りもない、素の言葉だった。

「しかし、にわかには信じられん。一体どうやって、あのような戦い方を一瞬のうちに体得したのだ」

「細かい事は、私もよくわからない。体捌きは、バスケットボールの応用よ」

 百合香は、弾き飛ばされたアグニシオンを拾いながら言う。

「あなたの言葉がヒントになった」

「俺の言葉?」

「うん。剣に頼るな、って言ったでしょ」

 聖剣アグニシオンを見つめながら、百合香は言う。

「私はいままで、自分の内側にあるエネルギーを、常にこの剣に叩きつけてきたの。それで勝てた戦いもあったけど、そうじゃないんだなって、今わかった。まず、私自身の身体にエネルギーを燃やさないといけなかったんだ」

 それを聞いていたマグショットは、静かに答えた。

「戦いの流儀はそれぞれだ。だが、己自身がまず強くある事は、全てに通ずる。それが剣であろうと、何であろうとだ」

「うん」

「お前が今の戦いでそれを掴んだというのなら、この先にも進めるという事かも知れん」

 その言葉は、百合香に大きな自信を与えるものだった。

「いいだろう、百合香。そして、瑠魅香。この城を攻略するため、俺はお前たちと共闘してやろう」

「ほんとう!?」

 百合香の目が突然キラキラと輝いた。マグショットほどの実力者が味方になってくれるなら、これほど心強い事はない。

「だが」

 マグショットは続ける。

「言ったとおり、俺は群れるのは嫌いだ。基本的には、俺は俺で動く。レジスタンスの奴らと連絡を密にしておけ。協力が必要な時は、駆け付ける」

「その逆でもいいのね?」

 そう言われて、マグショットは一瞬間を置いて言った。

「…好きにしろ」

『じゃあ、さっそく今から共闘しようよ。あのすかした帽子野郎、来いって言ってたよ』

 百合香ごしに瑠魅香が言う。マグショットは小さくため息をついて、苦笑いした。

「成り行き上、仕方あるまい」

『またまた、カッコつけちゃって』

「さっきから言いたかったが、お前は何なんだ、その性格は」

 若干、素の調子が出て来た様子でマグショットが言った。

「百合香からは武人の匂いがするが、お前は緊張感がなさすぎる」

『だって私、魔女だもの。武人じゃないわよ』

 そのまま、瑠魅香とマグショットの口論を聞きながら、百合香はオブシディアンが招く、さらなる奥へと足を進めるのだった。

 

 

 百合香たちが戦うその様子を、陰から観察する眼光があった。

「なるほど。江藤百合香か」

 青いローブをまとった謎の存在、ヒムロデである。ヒムロデは、百合香に特に注目しているようだった。

「裏切り者の氷魔どもも問題ではあるが、やはり最大の問題はあの小娘だ。なぜ、アグニシオンをあの小娘が手にしているのか…調べる必要がある」

 ヒムロデは、どうやら聖剣アグニシオンの名を知っているらしかった。

「だが、そうなると困った事になる。あの小娘を殺してしまっては、それ以上調べる事ができなくなる…」

 そこまで呟いたところで、ヒムロデは背後に近付く足音に気付いた。鋭利なデザインの鎧をまとった、高位らしい戦士がヒムロデのもとに膝をついて控えた。

「カンドラか」

「はっ」

「どうやら、きさまの手にも余るようだな」

 そう言われて、カンドラと呼ばれた戦士は平伏しつつも、いくらかの憤慨も隠せないようだった。

「ヒムロデ様、もし、万が一にもオブシディアンが破れた場合、私めに直接あの小娘を始末させてくださいますよう、お願いいたします」

 いくぶん焦った様子で、カンドラは具申する。しかし、ヒムロデは首を横に振った。

「ラハヴェ様は、あの小娘をいたく気に入っておいでだ。御自ら、屍にしてみたいとさえ仰っている」

「は…」

「ひとまずは、この層の氷騎士たちと戦わせるのだ。そうだな…お前が出て行くのは、万が一にもこの層があの小娘に落とされた時だ。それで良いな」

 カンドラは、まだ不服そうではあったが、ヒムロデには逆らえない様子で静かに答えた。

「…かしこまりました」

 そう言って、カンドラは静かに姿を消す。

「あるいは、カンドラでさえ敗れる事もあるやも知れん…いや、まさかな」

 ヒムロデは呟いて、自分も暗闇の中に姿を消した。

 

 

 百合香とマグショットは、ゆるい階段になっている通路を登って行った。

「ここ、何なんだろう。それに、さっきのあいつ、何者なの?」

 百合香はつぶやいた。

「さっきの、オブシディアンとかいう奴は拳法使いの氷騎士だ」

「氷騎士?あいつが?」

「間違いない」

「サーベラスみたいなパワーはなさそうだけど」

 そう百合香が言うと、マグショットは語り始めた。

「百合香。徒手空拳で戦うということは、武器を使うのとは全く異なる理論が必要になる。いかに、相手の急所を狙い、最小限のエネルギーで打撃を与えるかがカギになる」

「うん」

「剣では不利になる相手の場合、拳法が役立つ事もあるだろう。先程のお前の戦いは見事だったが、まだ感性に任せて動いている部分がある。感性は大事だが、時として理論、理屈が必要になる。お前なりに、理論を体得するのだ。そうすれば、お前は優れた拳士になれる」

 やたらと饒舌なマグショットに、百合香は少しだけ面食らっていた。

「今まであまり関心を示してこなかったのに、どういう風の吹き回し?」

 百合香は訊ねる。

「…お前はそれなりに見るべきところがある。それだけだ」

「ふうん」

 素っ気ない返しに、百合香も素っ気なく返した。

「む」

 突然、マグショットは立ち止る。

「どうしたの」

「百合香。どうやら、さっそく学んだ事を実践できる機会がありそうだ」

 マグショットが指差した先は、通路の奥にある両開きの扉だった。

 

「あの奥から、敵の気配がする」



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氷林寺三房

 百合香とマグショットが、やはり中国風の両開きのドアを開けると、そこは暗闇の部屋だった。

「……暗い」

 百合香が呟くと、ドアは突然バタンと閉じてしまった。

「あっ!」

 

 すると、空間の奥から男性的な声がした。

「ようこそいらっしゃいました。ここは我が主オブシディアンの間へ至る三房の最初の房、暗間房です」

「三房?」

 何者かの声に、百合香は問い返した。

「さよう。三つの房を越えた先に、オブシディアン様の間がございます。そこへ至るためには、この氷林寺三つの房を攻略しなくてはなりません。まず、この暗間房では暗闇の中でこの私を…」

「暗いな」

 百合香は気を高めて、全身を炎のエネルギーで包んだ。とたんに室内が黄金色に照らされ、いくつも張られた梁や柱が姿を現す。

「うん、明るい」

「こ、こ、ここでは暗闇の中で私を倒さなくてはならないのです!灯りを消しなさい!!」

 やっと姿が見えた、妙に逆立った髪のような装飾の細身の拳士が百合香に抗議した。

「そんな事言われても、わたし気を高めるとこんな風に燃えて光っちゃうのよ。ガマンしてよ」

「ふざけるな!」

「何よ!暗くないと勝てないわけ!?とんだ拳法使いね、笑っちゃうわ」

「ぬぬぬ…」

 マグショットは何の反応も示さず、ただ一言だけ百合香に言った。

「俺はここで観ている」

 手近なテーブルに脚を組んで悠然と構えるマグショットに、細身の拳士はいよいよ憤りを見せた。

「許さん!ここまで侮辱されたその罪、おまえ達の命であがなってもらう!」

 そう叫んで、細身の拳士は百合香に向かってきた。百合香は聖剣アグニシオンを胸元に収納すると、構えを取って向き合う。

「ワチャーッ!!」

「せい!!」

 百合香は相手の手首を払うと、相手が向かってきた勢いをそのまま利用して、顔面に思い切り肘鉄を食らわせた。

「おぶち!!」

 訳のわからない声を上げて、パンクロック頭の拳士は一歩後退する。顔面にはすでにヒビが入っており、最初から暗闇でよくわからなかった顔が、さらにわからなくなった。

「何よこれ、稽古台にもならないじゃない!」

 どこかの世紀末覇者みたいな事をマグショットに向かってぼやきながら、百合香は両腕に気を込めた。

「百裂ドリブル拳!!!」

 小学生男子が今考えました、といった風情の連続パンチを、百合香はパンクロック頭の拳士の頭と胴体に思い切り食らわせた。だんだん殴る快感を覚え始めた頃に、拳士は吹っ飛んで後ろの柱に激突し、そのまま床にずり落ちてピクリとも動かなくなってしまった。

「俺のせいじゃない」

 マグショットは百合香の抗議に取り合う事なく、よいしょ、と床に降りるとトコトコと歩き始めた。

「行くぞ」

「次もこんな奴だったらどうしよう」

 女子高生にボコボコにされた哀れな氷の拳士は、名前を名乗る事もなく、そのまま自分が預かる房に取り残されたのだった。

 

 さらに通路を進むと、やはり同じような扉が現れた。

「また同じようなバカだったらどうしよう」

「油断は常に武人の命取りだ」

 マグショットは真剣な表情で言うが、気のせいか声に緊張感がない。百合香は、ラーメン屋さんの戸を開けるようなノリで扉を開けた。

 

 中は、いかにも道場といった風の空間である。やはりどこか中国風だ。

 そこで百合香は、唐突に言った。

「思い出した!うちの学校に、少林寺拳法の部活があったんだ」

「なんだと?部活とは、たしかおまえ達の世界で言う、修練の場だな」

 だいたい合っているが、どうも武人の感覚から捉えられているらしい。百合香は訊ねた。

「あなたのその拳法は、何が由来なの?氷魔の世界に拳法があるの?」

「違う。以前この世界に氷巌城が現れた時、俺はすでにレジスタンスだった。その時、中国拳法…少林拳という流派がある事を知って、俺は氷巌城のシステムを利用してその技術だけを取り込んだのだ」

「ふーん。それじゃあ…」

 百合香が何か言いかけたところで、道場の奥から声がした。

「敵の領域内で世間話とは、なかなかいい度胸だ」

 マグショットと若干似た、低めのトーンの声だった。仁王立ちして道場の奥に控えるその姿は、今までの敵よりは平均的な人間の容姿に近い。見ると、やはり中国風の道着をまとっていた。

「ねえマグショット、疑問なんだけど、なんで氷なのにあんな柔らかい服とか作れるわけ?地底にはカタツムリもいたよ」

「ある種の極低温エネルギーが、粒子と粒子の間をしなやかに繋いでいるのだろうな。拡大して見れば、やはり氷の粒子である事がわかる。俺のジャージもそうだ」

「ふーん」

 百合香は、マグショットのジャージを引っ張ってみた。感触はまさにジャージである。

「おい!俺を無視するな!!!」

 低い声の拳士は、怒りを剥き出しにして叫んだ。

「あっ、ごめん。何だっけ?」

『百合香、無視したら可哀想だよ』

 しばらく声がしなかった瑠魅香が、見かねて百合香に言った。

「馬鹿にしおって!この寂空房の恐ろしさを知るがいい!」

 そう拳士が言うと、拳士の姿はフッと背景に溶けるように消えてしまった。

『ははは、どうだ。空に姿を消し去った我が身を捉える事はできまい!』

 部屋の奥から、盛大に声が響く。

 やがて足音が、百合香の右手方向にゆっくりと移動した。

「奴の姿が見えない」

「油断するな、百合香」

 マグショットは真顔で言う。緊張のためか、少し表情が引きつっていた。

 

 足音は百合香の右側に近付いてくる。そして、空気が一瞬激しく揺れた、その瞬間だった。

「おあたぁ!!!」

 百合香の爆炎を伴う蹴りが空を切ったかと思うと、見えない何かが壁に叩きつけられ、悲鳴が聞こえた。

「ぐはあっ!!」

 悲鳴がした壁に、さきほど姿を消した拳士が倒れた姿で現れた。

「ば、ばかな…なぜわかった」

「わからない方がバカでしょ!!あんだけキューキュー足音鳴らしてれば!!」

「ふ…見事だ」

 名も知らぬ拳士の胸部から亀裂が走る。

「ひでぷ!!!」

 またしても意味不明の断末魔の叫びを上げて、拳士の身体は爆裂四散した。

「恐ろしい敵だった。笑いを堪えるのに必死だった」

「ええ。笑ったら負けだったわ」

 マグショットと百合香の会話について行けない瑠魅香が、ぼそりと言った。

『ちょっと何言ってるかわかんないんだけど』

 

 三つ目の扉を前にして、百合香は言った。

「たしか、三房って言ってたわよね、あの最初の奴」

「うむ」

「これで最後ってわけか」

 百合香は、同じデザインの扉に手をかける。

「百合香、しつこいようだが油断は禁物だ。先の二体が弱かったから、三体目もそうだという保証はない」

 マグショットの言葉に、百合香は頷いて慎重に扉を開けた。

 

 

 中は、先程と同じような道場ふうの空間だった。特に変わったものは見当たらない。だが、マグショットは何かを感じ取ったようだった。

「気をつけろ。すでにいる」

「いるって、どこに?」

「ここだ」

「!」

 百合香は、突然背後から聞こえた声に戦慄して振り返った。

「あっ!」

 振り返った瞬間、相手の貫き手が百合香の首をかすめた。髪の毛が数本、その勢いで切断される。喉に受けていれば、致命傷だっただろう。

「ほう。よくかわしたな、褒めてやる」

 独特のニヒルさを持った声で、その拳士は百合香と距離を置いて言った。

 

 顔はまるで人間のそれだったが、IT企業がデモンストレーションで展示するAIロボットのような、無表情さが不気味だった。オールバックの髪型を模した頭部に、玄人ふうのチャイナスーツをまとっている。

「いつの間に背後に!?」

「違うぞ、百合香」

 マグショットは、一切慌てる事なく拳士を見据えて言った。

「俺が言ったとおりだ。こいつは扉の陰にいた。ただ、それだけだ」

「でっ、でも姿は見えなかった」

「お前が見えていなかっただけだ。こいつの気配の消し方は本物だ」

 そう言うと、またしてもマグショットは後ろに下がった。

「やってみろ。いい稽古台になるだろう」

「む」

 マグショットの言に、拳士は少し憤慨する様子を見せた。

「なめられたものだ。この虚幻房を通れる気でいるとはな」

 そう言って、拳士は道場の中央に移動した。

「来い」

 言われるまま、百合香は道場に進み出て相対する。

 

「行くぞ」

 拳士はそう言ったが、百合香は軽い混乱を感じていた。というのも、相手からまるで存在感や殺気を感じないのだ。

「(こいつは…)」

 しかし、次の瞬間に拳士は一気に百合香との間合いを詰めてきた。再び、鋭い貫き手が百合香の腹部を狙う。

「うっ!」

 危うくかわした百合香だったが、姿勢を崩した瞬間を敵は見逃さなかった。

「がっ!」

 一瞬で横に回り込むと、百合香は背中に裏拳を喰らって前のめりになる。

 まずい、と思った百合香は、機転をきかせてそのまま両腕を床に突き、相手に足払いを食らわせた。

「むっ!」

 百合香の予想外の返しに驚いた拳士は、深追いせず距離を取る。

「…やるな」

「……」

 百合香は、相手が距離を置いたその間に姿勢を整えた。一瞬の隙もない。格闘の素人と、プロの違いを肌身で感じていた。先刻戦ったあの二体が、まるで冗談に思える。

 だが百合香もまた、やはりバスケットボールの感覚が助けになっていた。自分がボールを守っている時、あるいは奪う時、そしてブロックをかいくぐってシュートを放つ一瞬の隙を狙う、あの電光石火の応酬は、下手な格闘の試合よりも凄まじいのだ。

 

 その様子を、マグショットは何か怪訝そうに観察していた。

「おかしい…あの拳士、何か既視感がある…」

 それが何なのかわからない。すると、百合香が先手を打って回し蹴りを放った。

「む!」

 マグショットは、何かその攻撃に危険を感じた。

 その不安が的中したのか、百合香の蹴りは最小限の動きでかわされ、逆に胴体に思い切り当て身を喰らった。

「あがっ!!」

 倒れこそしなかったが、百合香はバランスを大きく崩して後ずさる。なんとか態勢を整えて、間合いを詰めると今度は拳を繰り出した。

 しかし、これもまた相手は必要最小限の動きでリーチを取り、百合香が一瞬見せた隙を突いて蹴りを放ってきた。

「うっ!」

 すんでの所で直撃は避けたものの、胸部に若干のダメージがあった。

「なんだこいつ、途端に動きが良くなった…」

「(違うぞ、百合香)」

 マグショットは言葉には出さず百合香を見守った。

「(それに自分自身で気付くかどうかだ。無理ならば俺が加勢するが、果たして…)」

 

 なおも百合香は攻撃を繰り出すが、どうしても確実に当てる事ができない。なぜだろう、と百合香は思った。

 

 その時、百合香は何かがおかしいと思った。三房と言いながら、なぜ最初の二つの房は、あり得ないほどの弱い相手しかいなかったのか。最初の房にしても、百合香が気を発するまでもなく、扉を壊してしまえば暗闇は封じる事ができた。あまりにも弱い。

 

「今度はこちらから行くぞ!」

 拳士は、百合香に凄まじい速度の掌底を放った。

「ぐはっ!」

 思い切り胸に喰らった百合香は、一瞬呼吸を封じられてしまう。その隙に、さらに蹴りが飛んできた。かわし切れず、受けた左腕に強烈な衝撃が走る。

「ぐああっ!」

 強い。やはり、先ほどまでの二体とは次元が違う。次第次第に百合香の身体にダメージが蓄積されていく。

 

 これに比べて、やはり最初の二体はあまりにも、不自然なほどに弱い。

 

 まるで、意図的に弱い拳士を配置したかのようだ。

 

 

 百合香はそこで、一人のスポーツマンとしてピンときた。

 

「…なんとなく、わかった」

 そう言って、百合香は改めて構えを取る。

「むっ」

 百合香が構えを変えた事に、マグショットは気付いた。脚の引き方が先ほどより深い。

「気付いたか」

 

 百合香は、一見すると先ほどまでと同じように相手に接近した。しかし、百合香は蹴りを放つと見せかけて、そこで高く跳躍したのだった。

「なに!?」

「えやあぁぁ――――っ!!!」

 空中で身体を一回転させ、強烈な踵落としを相手に浴びせる。その予想外の動きに対応できず、相手の拳士はぎりぎりの所で腕を組んでガードしたものの、バランスを崩して床に膝をついてしまった。

 しかし百合香は、かかと落としの態勢のまま、両足で相手の首をはさんで、一気に床にひねり落すという荒技に出た。

「ぬぐう!!」

 両腕をガードに用いていた拳士は受け身を取る事ができず、顔面をもろに強打して倒れ伏す。百合香は手を突いて跳ね上がり、間髪入れず構えを取った。

「ええーいっ!!」

 今度は上段から垂直に蹴りを腰に入れる。そのダメージは大きかったらしかった。

「ぐわあぁ――!!」

 飛び退って距離を取る百合香に対し、明らかに弱った様子で拳士はヨロヨロと立ち上がる。

「な…なぜだ」

「わかったのよ」

「む!?」

 

「あなた、さっきの二つの房にいた、あの二体の拳士でしょう?」

 

 指差して百合香はズバリと言ってのけた。

 すると、拳士は小さく笑い始めた。

「ふふふ…よくわかったな。…一体どうやって見破った」

「私は拳法家ではないけど、スポーツマンよ。スポーツの世界には、伝統的に”ブラフ”が存在する。相手の力を見極めるために、意図的に弱く見せる策。あなたは弱い拳士を装って、私に攻撃させ、私の間合いを学習したのよ」

「…見事だ」

 拳士は、改めて拳を構える。それまでとは少し違う、拳を突き出した、気迫が感じられる構えだった。

「私はトンフー。きさまの名は」

「百合香」

「ユリカか。いいだろう、決着をつけよう」

 二人の間に、無言の緊迫が走る。マグショットは黙って見ていた。

 

 百合香は、右拳に炎の気を込める。拳が金色に輝いた。

「ハーッ!!」

 先手必勝、トンフーが凄まじい速度で踏み込んでくる。しかし、百合香は逃げなかった。

「必殺!」

 右手を大きく開き、力を解放する。右腕のアームガードが前面にせり出し、百合香の指をガードした。

 

「『ブレイジング・フィンガー―――――ッ!!!!』」

 

 左腕でトンフーの突きを払い、その顔面に灼熱の手を叩きつける。トンフーの頭部は激しい炎に包まれた。

 

「バーンド・アウト!!!」

 

 百合香の掛け声とともに、トンフーの頭部は一瞬で爆発し、残された身体はその場に背中からドサリと倒れた。それを見て、マグショットは力強く頷いた。

「見事だ、百合香。お前はすでに、己の技の何たるかを掴みかけているらしい」

「掴んだ、とは言ってくれないのね」

 炎のエネルギーを収め、百合香は苦笑いした。

「当然だ。拳の道を甘く見るな」

「はいはい」

『あのー。わたしさっきから出番ないんだけど』

 忘れ去られかけている瑠魅香が、もう飽きたといった口調で百合香の背後からぼやく。

「心配しなくても、そのうち嫌でも出番が来るわよ。その時は、出ずっぱりになるかもよ」

『そんな両極端なのは嫌』

「ふふふ」

 百合香は、呼吸を整えると道場の奥を見た。通路に続くらしい扉が見える。

「あの奥に、あのハットの気障な拳法使いがいるのね」

「オブシディアンといったな。はたして、さっき見せたあの実力が全てなのか、それとも…」

「ブラフだった?」

「わからん」

 マグショットは腕を組んで唸った。

「場合によっては、二対一で戦うぞ、百合香」

「それは、マグショットとしては納得できる戦いなの?」

「納得はしがたい。拳法家は一対一を旨とする」

 しかし、とマグショットは言った。

 

「時には目的が優先される」



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奥義

「俺の拳法は、おまえ達の世界の"少林拳"という流派を、俺に合うように修正したものだ」

 

 オブシディアンの間へ続く通路に進む前に、マグショットは唐突に言った。

「百合香、お前が体得できるかどうかはわからん。だが、俺のこの技を、今ここで伝授する」

「技?」

 百合香がそう問いかけたとき、通路の奥から多数の足音が聞こえてきた。

「あっ!」

 それは以前見かけた、ナロー・ドールズであった。しかし武器は持たず、よく見ると手足が若干強化されている。

「ただじゃ通さないってことか」

 構えを取る百合香だったが、マグショットが前に進み出て百合香を制した。

「お前はそこで見ていろ」

 そう言って、マグショットは全身にオーラのようなエネルギーを充満させ始めた。やや緑がかった、明るい青の輝きだ。それはまるで、ゆらめく炎のようにも見えた。

 

「まず、このように全身に気を込める」

 マグショットは、実演しながらも百合香に聞こえるように言った。ナロー・ドールズは、わらわらと接近してくる。ざっと30体はいるようだ。

「次にそれを胴体へ、そして胴体から両腕へと集束させる」

 マグショットが説明するとおり、エネルギーはその両腕に集束していき、輝きの密度が濃くなってきた。

「何をしているか、わかるか。先程のお前は、全身に気をみなぎらせていた。それは確かに身体能力を高めるが、渾身の一撃を放つ時に、それではエネルギーの空振りが起きてしまう」

 マグショットは説明を続けるが、百合香は接近するナロー・ドールズが気になって仕方なかった。しかし、マグショットはそれを無視した。

「俺の解説に集中しろ。あんな雑魚はどうにでもなる」

 そう言って、次にマグショットは両手にまでそのエネルギーを凝縮させた。

「わかるか?これが、気を"練る"ということだ。そして練った気を、一気に放出する。岩盤に開いた穴から、水が勢いよく飛び出るのをイメージしろ」

 マグショットの両手に、さらにエネルギーが凝縮され、周囲にはその余波で風が巻き起こった。

「これこそ我が、極仙白狼拳奥義」

 マグショットは両手の掌を、右腰のあたりで互い違いに空間を開けて重ねる。その空間に、凝縮されたエネルギーが銀河の渦のように回転した。

 

「『狼爪断空掌!!!』」

 

 左の掌を滑らせるように、右の掌を前方に、脚の踏み込みとともに一気に突き出す。掌の間に凝縮されていたエネルギーは、強烈な渦巻く旋風となって、群れをなすナロー・ドールズに襲いかかった。

 ナロー・ドールズは一瞬にしてその渦に巻き込まれ、文字通り狼の爪に切断されたかのようにバラバラに斬られ、ねじ切れ、暴風によって道場の壁に叩きつけられ、哀れな一山の塵芥と成り果てたのだった。

 ナロー・ドールズのみならず、壁も床も天井も、その一撃でズタズタにされ、すでに原型を留めてはいなかった。

 

「私いらないじゃん!!!」

 それが、マグショットの奥義の一部始終を見た百合香の第一声、率直な感想だった。ラーモンは、百合香ほどの実力ではないと言っていたが、とんでもない嘘ではないか。

「こんなの使えるなら、マグショット一人で全部片付きそう」

「馬鹿者」

 呼吸を整えたマグショットが、百合香に向き合う。

「こんな大技、毎回放ってみろ。腕が折れてしまうわ」

「なんでわざわざ、それを私に伝授しようっていうの?ご丁寧に解説までして」

 百合香は、マグショットの動きの真似をしながら言った。

「俺の技は、見ただけで覚えられるようなものではない。そこには理論がある」

「私に、覚えろっていうの?」

 百合香が問うと、マグショットは手近な瓦礫に腰を下ろして言った。

「俺は強制はせん。覚えたければ、真似をしてみるといい。理屈は教えた」

「無理でしょ」

「ひとつだけ言っておこう。俺のやり方を、そっくり真似できるとは思わんことだ。お前にはお前なりの、やり方というものがあるはずだ。俺は、エネルギーを凝縮させて開放する、その基礎を教えたにすぎん」

 そう言うと、マグショットは腰を上げて通路の方を向いた。いまの一撃で出口周りの壁面も崩壊しており、瓦礫が通路にまで散乱している。

「行くぞ」

 マグショットは、それ以上は奥義について何も言わなかった。百合香は頷いてその後に続く。

『百合香、見込みがあるって思われてるんじゃない?』

 瑠魅香が、百合香にだけ聞こえるように言った。百合香も、瑠魅香にだけ聞こえるように答える。

『チャイナドレスでも用意しとくか』

『なあに、それ』

『どう説明すればいいのかな。黒髪の瑠魅香には似合いそう』

 脳内で女子どうしの雑談をしながら、百合香はマグショットに続いて、いよいよオブシディアンの待つ間へと通路を登って行った。

 

 

 通路の最奥にあったのは、広い空間の中に寺院のような建物が納まっている、という光景だった。それも、手前の小さな建物の奥に、さらに大きな建物がある。

「この中にいるのかな」

「わからん。覚悟はいいか」

 マグショットは静かに言った。百合香は無言で頷く。

「行くぞ」

 マグショットの合図で、百合香は慎重に扉を開けた。

 

 

 堂内は、青白く光る燭台が並んだ、幻想的とも不気味とも言える空間だった。思ったより広い。

 中には誰もいなかった。奥には、おそらくこの建物の後ろに見えた大きな建物に続くのであろう、広い廊下が見える。

「誰もいない」

 百合香は、部屋の中を入念に観察した。何もいる気配がない。マグショットは無言だった。

「ここは奴の間ではない、という事かしら」

 百合香は、奥に続く廊下を見る。

 

 次の瞬間だった。

 

「あうっ!!」

 

 唐突に百合香は背後から、その奥に続く廊下までマグショットに突き飛ばされてしまった。受け身を取りきれず、左腕を打ち付ける。

「うっ…な、なに!?」

 百合香が、何事かと振り向いた時々だった。ガシャン、と音がして地下から格子が飛び出し、今いた室内が囲まれてしまったのだ。格子の目は細かく、マグショットの体格でも通り抜けられそうにない。

 

 そして、その後だった。天井から、背の低い道士のような姿の、不気味な3人の拳士が降り立ったのだ。

「マグショット!!」

 百合香は、室内に取り残されたマグショットを見る。

「ふん、くだらん手品だ」

 そう言うと、マグショットは百合香を見る。

「お前はそのまま奥に進め。おそらくあの手品師がいるだろう」

「でっ、でも…」

「なんだ?お前では勝てないか。よかろう、自信がないのなら、俺が行くまで待っているといい」

 この状況下において、マグショットは一切慌てる様子がないどころか、百合香を煽る余裕まで見せた。

「まったく…いいわよ、あなたが来る頃にご馳走が残ってなくても、文句言わないでね!」

「それは困る。ならば、さっさとこいつらを片付けるとしよう」

 マグショットは、いつになく本気の構えを見せた。全身に、気迫が満ちている。それを見て、百合香は自分がやるべき事のために、振り返らず廊下を奥に進んだ。

 

 

 廊下の奥の空間は広大な御殿といった風で、大仰な階段の上に、派手な装飾の座が据え付けられていた。そこに、あの手品師じみた奇怪な格好のオブシディアンが座っている。その脇に、チャイナドレスの女性の姿をした氷魔が控えていた。氷魔が百合香に警戒するように向き合うと、オブシディアンはそれを制して立ち上がる。チャイナドレス氷魔は、恭しく一歩下がった。

「ようこそいらっしゃいました」

「客を見下ろすなんて、ずいぶんな歓迎ね」

「おや、これは私とした事が失礼をいたしました」

 相変わらずの慇懃なカンに障る口調で、オブシディアンは豪華な階段をゆっくりと降りてくる。その動きはゆるやかでありながら、一切の隙を感じさせないものだった。

 

 床に降り立ったオブシディアンは、百合香に向かって一礼した。

「マグショット様がいらっしゃらないのは残念この上ありませんが、お嬢様には精一杯のおもてなしをさせて頂きましょう」

「耳障りな挑発は聞き飽きたわ。さっさとかかっていらっしゃい!!」

 百合香は、いよいよもって彼女の真っ直ぐな性格に障る、オブシディアンの態度に怒りを示した。オブシディアンは、それに反応して少しだけ真剣な態度を見せる。

「ほう。いいでしょう、真っ向勝負というなら、手加減はいたしません」

「望むところよ」

 百合香が本気で構えているのを見て取った、オブシディアンもまた独得の構えを見せる。右拳を前に突き出しながら、左は掌を上に向けて下げ気味の位置という、マグショットとも異なるものだった。

 

「(この娘の構えは素人だ。しかし、不思議と隙が見えない)」

 オブシディアンは、決して相手を軽んずる事なく、気付かない程のゆるやかな動きで右に移動した。百合香はそれを見抜き、同じように移動する。

 円を描くように移動しているため、互いの位置関係は依然として変わらない。

「(身長や手足のリーチは私の方がやや長い)」

 何でもない動きの中で、オブシディアンは百合香と自分の体格の違いを計算していた。

 

 百合香はしびれを切らしたのか、少しだけ間合いを詰める。それを見て、オブシディアンもまた前に出た。わずかに両者の間合いが狭まる。

 

 あと一歩、互いに進み出れば拳が交わる距離になる。そのタイミングで、オブシディアンが先に打って出た。

 

「ヒョウッ!!!」

 

 先に仕掛ける事のリスクを承知の上で、オブシディアンは脚を蹴り上げてきた。まだ、届くというほどのリーチではない。しかし、牽制にしては力が入っている。

 本能的に危険を察した百合香は、大きく後退した。

 

 百合香が飛び退った次の瞬間、天井の梁に亀裂が走った。

「ほう、今の蹴りを見切るとは大したものです」

「……」

 百合香は正直、肝が冷える思いだった。もしあと一瞬遅れていれば、ガードしていた腕で、見えない空気の刃を受けていたのだ。黄金の鎧のアームガードが、どれくらい耐えられたかはわからない。

 そして、オブシディアンにそれまでの道化めいた態度がなくなっている事に百合香は気が付いた。

「(こいつ、さっきまでふざけた態度だったけど、実力は本物だ…私に、どこまで対抗できるだろうか)」

 再び、両者は互いに打って出るタイミングを測るように、距離を置いて対峙していた。

 

 今の攻撃で、百合香にはオブシディアンの速さが、そしてオブシディアンには百合香のカンの鋭さがわかった。

「(驚くべき事だが、この娘の力は本物だ…拳法のセンスだとか、そういった理屈を無視した、単純な強さがこの娘にはある)」

 百合香の強さを、オブシディアンは否定しなかった。

「(純粋な拳法の実力でいえば、明らかに私の足元にも及ばない…だが)」

 

 再び、オブシディアンは百合香に接近した。今度は、幻惑するような奇妙な動きである。

「(こいつ…奇妙な動きだ)」

 それこそ奇術めいた、掴みどころのない動きだった。攻め入る隙が見えたと思った時には、すぐに封じられてしまう。

 

 そうしているうちに、百合香はあっという間に相手のリーチ内に入られていた。

「!」

 気が付いた時には、すでに遅かった。オブシディアンの左の貫き手が、斜め上に百合香の首を狙う。

「くっ!」

 すんでの所でかわしたが、胴がガラ空きになった所に、強烈なボディーブローが飛んできた。

「ぐほぁっ!!!」

 思い切り食らった百合香は、突き飛ばされて背面の壁に叩きつけられる。

 その衝撃で、それまで一度たりとも傷ついた事のなかった黄金の鎧にヒビが入った。

「げほっ」

 百合香は床に手を突いた。ポタリ、ポタリと口から赤い血が垂れる。

『百合香!!』

 瑠魅香の泣きそうな悲鳴が聞こえる。百合香は、頭を打ち付けた衝撃もあり、立ち上がる事ができなかった。

「やはり実力差は覆せないようですね」

 オブシディアンはゆっくりと百合香に近付く。

「あの猫レジスタンスは、ここまで駆け付けてくれるでしょうか。せいぜい、彼があなたの仇討ちをしてくれる事を期待して死ぬのが良いでしょう。ご心配なく、あなたの亡骸は丁重に氷の彫像として、氷巌城に飾らせていただきます」

 

 オブシディアンの声が遠い。まるで、瑠魅香の声のように聞こえる。五感が、衝撃で鈍っているらしかった。

 ここで死ぬのか。呆気ないものだ、と百合香は思った。さんざん気張って、力をつけ、登ってきたのに。私は誰一人救えないまま、この氷の城で朽ち果てるのか。

 

 朦朧とした意識の中で、ふらついた百合香の視界には、悠然と歩いてくるオブシディアンの背後に伸びる高い階段が映った。

 

 その時、百合香は何か、不自然なものを感じた。

 

 あの、チャイナドレスの女風の氷魔だ。

 

――――見下ろしている。

 

 私を、ではない。何を?その視線は、私よりもっと手前の何かを見下ろしている。手に持つ扇を、魔法の杖のように弄びながら。

 

 

 なぜ、主であるオブシディアンを、平然と見下ろしているのか。

 

 百合香は、直感で全てを悟った。それは、身体の痛みをも忘れさせるほどの、知的興奮であった。

 

「さあ、お休みの時間ですよ、お嬢様」

 オブシディアンは右腕を、貫き手の形にして百合香に迫る。次の一撃で、百合香の16年の人生は終わる。

 

 しかし、百合香は諦めなかった。

「ぐっ…」

 血の味がする喉をギュッと締めて、ふらつく脚に無理やりに力を込め、立ち上がる。だが、頭はふらついており、その瞳はオブシディアンの後ろに向けられていた。

「そのダメージで立ち上がるとは、見上げたものです。しかし、その美しい顔が苦痛に歪むのは、見るに堪えません」

 オブシディアンの口調には、若干の苛立ちが見てとれる。

 

 百合香は、その右腕に炎のエネルギーを蓄え始めた。オブシディアンは驚いた様子で立ち止まる。

「馬鹿な…まだそんな力が残っているのか」

「バスケット選手のタフネスを…侮らない事ね」

『百合香!代わって!』

 瑠魅香が叫ぶ。

「だめよ。あなたでは、こいつらに勝てない」

『でも!』

「約束したでしょ。美味しいもの食べさせてあげるって」

 百合香は、顔に滲む血を拭って不敵に笑う。

「エネルギーの撃ち方は、マグショットに習ったわ」

「ほう、それで私を撃つというのですか。よろしいでしょう、やってご覧なさい。大サービスだ、私はここで立ち止まって差し上げましょう」

「いいのかしら。その侮りが、命取りになるかも知れないわよ」

 百合香の右拳に、なおも炎のエネルギーが集中する。その影響で、床や柱の表面が溶け始めた。

 

「はあぁぁ――――!!」

 スパークプラグのような凄まじい火花が、百合香の拳に集中する。オブシディアンは立ち止まるどころか、近付けなくなっていた。

 百合香は、痛む喉を押して叫ぶ。

 

「『紅蓮燕翔拳!!!』」

 

 吐血とともに、飛翔する燕のごとき炎の矢が、オブシディアンめがけて放たれる。

 だが、それはオブシディアンの顔をかすめて飛んで行ってしまった。

 

『百合香!』

「瑠魅香、心配かけたね」

『え?』

 

 百合香が放った炎の矢は、階段をすれすれに高速で飛翔した。

 

 その先にあるものを、それは直撃した。

 

「あっ!!!」

 

 女性の悲鳴が響く。それは、チャイナドレスの女氷魔だった。

 氷魔の手から扇が落ちる。

 

 すると突然に、オブシディアンはその場に崩れ落ちて動かなくなってしまった。

 

『なに、いったい!?』

 瑠魅香が叫ぶ。

「わかったのよ。オブシディアンの本体は、別にいるって」

『どっ、どういうこと!?』

「オブシディアンは操り人形だったということよ。この間の、真の主のね」

『真の主!?』

 百合香は、階段の上に立つチャイナドレス氷魔を真っ直ぐに指さした。

 

「オブシディアンの本体…いえ、このエリアを守護する氷騎士。それは、あなたよ」

 



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紫玉

 百合香の断言に、ボブカットの女氷魔はしばし沈黙したのち、肩をふるわせて笑い始めた。

「くくく…ほほほほほ!!」

 女氷魔は口元を手で隠して、広間に響くほどの大きな笑い声をあげた。

「見事じゃ。我の仕掛けを見抜くとはの」

 そう言って、一歩前に踏み出すと百合香を見る。

「いつ見破った」

「最初から違和感はあったわ。オブシディアンは、なぜか顔面だけは絶対に攻撃してこない」

 その指摘に、女氷魔はぴくりと反応した。

「それに、さっきのオブシディアンのセリフ…美しい顔が苦痛に歪むのは見るに堪えない、なんて。戦闘中にそんなことを気にするのは、女だと思ったのよ。氷魔に性別があるようには見えないけど、"女"という概念を選択した個体だっているはず」

「……」

「そして、オブシディアンのあの異様な動き。あれは、まるで第三者が外から私の動きを見ているような動きだった。どんな方法で操っているのかはわからないけど」

 足元に転がるオブシディアンを百合香は見る。

「こうして、動かなくなったのが何よりの証拠。仮に彼が負けても、私はすでにダメージを負っていて、倒すのは造作もない。オブシディアンは、あなた自身が傷付かずに敵を倒すための傀儡だったのよ」

「ふむ」

 チャイナドレスの氷魔は、興味深げに百合香を見た。百合香は続ける。

「ここまでの実力を持った者が、ただの兵士なわけがない。氷巌城の幹部、氷騎士ね。名前を名乗りなさい」

「ほほほ、この我に向かって名を名乗れとはの。見上げた度胸じゃ。百合香、と申したか」

 そう言って、女氷魔は軽やかにその場を跳躍し、階段を飛び越えて百合香の眼前に降り立った。

 

「いかにも。我はこの場を預かる氷騎士、紫玉じゃ」

「紫玉、悪いけどここは通らせてもらうわ」

「ほっ」

 度し難いものを見るような目で、紫玉は笑った。

「たまげたの。その傷ついた身体で、我に勝つ気でいると申すかえ」

「傷つくのが怖くて、人形を代わりに戦わせるような臆病者に、私は負けないわ」

 百合香の啖呵に、紫玉はしばし無言を挟んで答えた。

「この我が癪に障る言葉を、よくも次々と吐き出す女子じゃ」

「もっと癪に障らせてあげるわよ。かかって来なさい」

 

 どこからそんな気力が湧いてくるのか、瑠魅香は不思議でならなかった。百合香の身体は、さっきの一撃で深刻なダメージを負ったはずだ。

 実体化した氷魔の身体は、特別な魔力を持った個体以外は自己修復ができない。割れたらそこで終わりである。人間の身体の強さとは一体、何なのかと瑠魅香は思っていた。

 

 しかし、百合香が気力を振り絞って戦おうと構えを取ったその時、背後でドサリと何かが投げ出される音がした。

 

「こんな不味い前菜を出す舘、主の程度も知れているな」

 その頼もしい声の主は、マグショットであった。足元には、ずたずたにされた道士ふうの氷魔の亡骸が捨てられていた。

「マグショット!!」

「無事だったか」

 言いながら、足元のオブシディアンを見る。

「それは?」

「そいつは単なる操り人形だったの。本体、真の氷騎士はこの女、紫玉」

「なるほどな」

 マグショットは紫玉を見ながら百合香に訊ねる。

「その身体でやるつもりか」

「私、こういう自分が傷つかない場所から人を攻撃するような奴が一番嫌いなの」

「ふっ、お前もお前だ」

 そう言いながら、百合香と紫玉の間に立つ。

「瑠魅香。聞こえているか」

『えっ?なに?』

「百合香の傷を癒せるか。魔女なのだろう」

『癒す!?傷を治すってこと!?』

 唐突な注文に、瑠魅香は混乱していた。そんなのは、やった事がない。

 しかし、これまで土壇場で色んな事を実現してきた百合香を見て、自分もできるかも知れない、と瑠魅香は思い始めていた。

『わっ…わかった、やってみる!』

「その間だけ、俺がこの女氷魔の相手をしておいてやる。なに、心配するな。傷ひとつ与えず、足止めだけにとどめておいてやろう」

 それは一番難しい仕事なのではないかと瑠魅香も百合香も思ったが、マグショットなら出来るんだろうなと納得するしかなかった。

「マグショット、頼んだね」

「早くせんと、この女の首が跳ね飛ばされているやも知れんぞ。俺は物覚えが悪いからな」

 マグショットは自信たっぷりに、紫玉の前に立ちはだかる。

「さあ、あいつが傷を癒すまでの間、せいぜい俺をもてなしてみせろ」

「猫ふぜいが。侮るでないわ!!」

 一切の間を置かず、紫玉は両手で抜き手を放ってきた。左右から挟むように、マグショットの首を狙う。しかし、マグショットは微動だにせず、その抜き手を正確に上方向に払った。

「ぬっ!」

「ふん。ぬるい拳だ」

 今度はマグショットが、紫玉の脚を払う。小さな身体から恐るべき重みを伴う足蹴りが繰り出され、紫玉はバランスを崩して後退した。

「おのれ!」

 お返しとばかりに、紫玉も蹴りを放つ。しかし、マグショットはそれを難なくかわして、腕を伝って紫玉の頭に登ると、その目を塞いでしまった。

「おのれ、離れろ!痴れ者が!!」

「ふん」

 完全に舐め切った様子で、マグショットは紫玉の後頭部に蹴りを入れて飛び退る。

「ぬっ!」

「どうした。猫一匹捕らえられんのか」

「おのれ!!」

 

 

『百合香、大丈夫?』

「大丈夫じゃない」

『当たり前でしょ!』

 瑠魅香が頭の中で怒っているのがわかる。

『百合香、できるかどうかわからないけど、いまあなたの傷を治してみる』

「大丈夫、できるよ。瑠魅香なら」

 百合香は断言する。

「瑠魅香、ヒントって近くに必ずあるんだよ」

『ヒント?』

「そう。思い出してみて」

 そう言われても、瑠魅香にはすぐに思い出せなかった。傷を治す魔法など、自分は知らない。何か、参考になるものがあっただろうか。

 

 その時、瑠魅香は至極単純なものを思い出した。

『…癒しの間だ』

「え?」

『癒しの間が持ってるエネルギー、あれを応用してみる』

 百合香は、その瑠魅香の言葉を信じて、片膝をついていた。

 

 やがて、全身に暖かなエネルギーが流れ込むのを百合香は感じていた。

「…感じるよ、瑠魅香。あなたの魔法」

『傷、治ってる!?』

「それはわからない」

『わからない、じゃわからないよ!』

 不安そうな瑠魅香の声に、百合香は笑って言った。

「大丈夫。胸の痛みが治まってきてる」

『本当!?』

「ありがとう、瑠魅香。私達、ほんといいコンビだよね」

 その百合香の言葉に、頭の中で瑠魅香が涙ぐんでいるのがわかった。

「ほんと泣き虫よね、あなた」

『ばか』

「治ってきたよ。それだけじゃない。気力が湧いてきた」

 百合香は、ゆっくりと立ち上がる。

「……?」

 そのとき百合香は、ひとつの異変を感じていた。今までのエネルギーの爆発とは違う、何かだ。

「これは…」

 

 

 紫玉とマグショットは、一歩も動かず対峙していた。

「恐るべき実力よ。このような者が城内に潜んでいたとはの」

「恐るべき実力だと?」

 マグショットは鼻で笑う。

「それはあいつらの事だ」

「なに?」

「俺の仕事はここで終わりだ。あとは特等席で観覧させてもらう」

 そう言うと、マグショットは階段を駆け上がり、オブシディアンが座っていた椅子の上にちょんと座った。その様子は猫そのままである。

「おのれ、降りて参れ!」

「よそ見をしていいのか」

「む!?」

 その時だった。紫玉は、背後で起こったエネルギーの爆発に驚いて振り向いた。

「なっ…何事か、これは」

 見ると、百合香がそこには立っていた。全身が燃え盛っている。

「あ…熱い!」

 たまらず、紫玉は後ずさる。百合香は、まっすぐに紫玉の目を見据えていた。

「マグショット、瑠魅香。あなたたちのおかげで、またひとつ強くなれそう」

 百合香は、踵を鳴らしてその場に立った。燃え盛る炎が、一瞬ではじけ飛ぶ。

 

 そこにあるのは、新しい鎧に身を包んだ百合香の姿だった。今までよりもさらに重厚かつ、華麗な黄金の鎧である。今までは護られていなかった腹部や、大腿部までガードが追加されていた。

「お主、その姿は…どうしたというのじゃ!」

「待たせたね」

 それだけ言うと、百合香は一瞬で紫玉への間合いを詰めた。

「なっ…!」

「せいや―っ!!!」

 百合香は、体を回転させて紫玉の鳩尾に強烈な肘鉄をくらわせる。

「おごぉっ!!」

 吹き飛ばされた紫玉は、柱にしたたかに打ち付けられた。

「が…はっ」

「遅い!!」

 再び踏み込んだ百合香は、容赦なく蹴りを放つ。腹にもろに喰らった紫玉は、柱ごと打ち抜かれて背後の壁面にめり込まされた。

「あがっ…ば、ばかな」

 紫玉は、起きている事が信じられない様子だった。よろよろと立ち上がり、どうにか構えを取る。さすがに氷騎士だけあって、まだ深刻なダメージは負っていないようだった。

「なぜ、そのような力が突然に…」

「そうじゃないよ」

「なに?」

「私は、自分の中にあるエネルギーの使い方を、学んでいる最中なんだ。これからも、少しずつ強くなっていく。あなた達との戦いを通して」

 その言葉は、紫玉を戦慄させるに十分だった。

「ま、まだ…まだ、強くなると申すか、今よりも」

「そうよ。最後には、この城を粉々に打ち砕いてみせる。私の世界を救うために」

「身の程知らずめ!!!」

 激昂した紫玉が、百合香に青紫色のエネルギーの塊を放ってきた。それはバレーボール大の球状で、冷たくも禍々しい魔力に満ちていた。

「うっ!」

 腕で弾き飛ばした百合香だったが、その弾いた腕には凍傷のような痕が残り、強烈な痛みが襲った。

「くっ…!」

「ほほほ、苦しかろう!」

 再び、紫玉はそれを二発、三発と放ってくる。避けきれず、さらに肩や脚に攻撃を受けた百合香は痛みに片膝をついてしまった。

「さきほどまでの大口はどうした!」

「ぐぐぐ…」

 百合香は、全身に気を漲らせた。そして、痛みを振り切るように叫ぶ。

「うあぁ―――っ!!」

 百合香の体内から弾けたエネルギーが、体に刻まれた凍傷を全て消し去り、さらにその余波が舘全体を揺るがした。

「なっ、なんと!?」

 紫玉は、そのエネルギーの余波をまともに受けて、全身を焼かれ苦しみ始めた。

「うぁっ…あ、熱い!」

「終わりよ」

 百合香が、拳にエネルギーを込める。ゆっくりと、一歩ずつ紫玉に近付くと、その拳を大きく後ろに引いた。

「ひっ」

「はぁぁぁぁ――――!!!」

 とどめの一撃を、百合香は突いた。

 

 しかし。

 

「えっ!?」

 予想外の出来事に、百合香はたじろいだ。繰り出した炎の拳が貫いたのは、紫玉ではなく、さっきまで倒れていたオブシディアンの胴体だったのだ。

「オブシディアン!」

 驚いた百合香は、紫玉を見る。すると、いつの間にか紫玉はあの扇を手にしていた。

「ほほほ、主のために役立てて本望じゃろうて」

 百合香が一瞬見せた隙をついて、紫玉はその懐に飛び込んできた。そして、貫き手を百合香の心臓めがけて突く。

「死ねっ!!!」

 

 

 その時だった。何かが砕ける鈍い音がした。

 

「うっ…ぐうう」

 

 紫玉は、砕け折れた自らの右腕を押さえて、苦しんでいた。貫き手は百合香の新しい鎧に完全に阻まれ、傷ひとつ与える事さえ叶わなかったのだ。

「あなたにこの鎧を貫く事なんて、できないわ」

 百合香は、全身に力を込めた。そのエネルギーは、徐々に胴体、そして両腕、両手へと凝縮されてゆく。

「むっ」

 眺めていたマグショットが、それを見て軽く驚いた。

「ひっ、よ、寄るな」

「氷騎士の紫玉。人形を操り、己は安全な場所から他者を葬ろうなど、武人の風上にも置けない卑怯者」

 百合香の重ねた掌の間に、炎のエネルギーが圧縮され、激しくスパークした。

「この私が引導を渡してあげる」

「ま、待て!ここは通してやる!我に近寄るでない!!」

 

 紫玉に一切の情けを見せることなく、百合香は両の掌を、渾身の力を込めて突き出した。

 

「『紅蓮孔雀翔!!!!』」

 

 百合香の掌から無数の炎の羽根が放たれて、紫玉の全身を打ち砕き、焼き尽くす。さらに背後の柱を砕き、壁を突き抜け、舘そのものを半壊させるに至った。

 紫玉の身体は欠片も残らず消え去り、床には主を失ったオブシディアンが哀れに横たわっていた。

「……」

 百合香は、オブシディアンとは一体何だったのかを思って、複雑な気持ちになっていた。ひょっとして、本来は自分の意志を持っていたのではないか。だとすれば、紫玉によって自我を失い、操られていたという事になる。単なる想像でしかなかったが、紫玉の冷酷さを思うと、あり得ない事ではない。

 

「よくやった」

 マグショットが、階段を降りながら言った。

「俺の奥義も見事に盗んでみせたな」

「盗んでないよ。きちんと、教えてくれたじゃない」

「覚えられない奴は、教えても永遠に覚えん。お前は力があるという事だ」

 マグショットは、倒れたオブシディアンの腕を組んでやった。

「こいつはおそらく、もともと人格を持った氷魔だ」

「!」

「実力はあったのだろう。それを、あの紫玉という氷魔に利用されたのだ」

「ひどい…」

 百合香は、オブシディアンの手を軽く握った。構造は文字通りの人形だが、百合香はそこに”人間”をどうしても感じてしまうのだった。

「氷騎士どもは本来、冷酷な存在だ。ただし今は、サーベラスのような例外も出現している」

「この先も、そういうのがいると思う?」

「わからん」

 マグショットは、百合香が開けた大穴の方に歩いて行く。

「百合香に瑠魅香。俺は行く。俺が必要な時は、レジスタンスどもに連絡を入れろ」

「行っちゃうの?」

「…俺は、群れるのが嫌いだ」

 なんとなく、名残惜しそうな雰囲気が伝わって来る気がしたが、百合香は黙っていた。

「わかった。色々ありがとうね」

「次に会う時まで、せいぜい強くなっていることだ」

「うん。またね」

 マグショットは、百合香に背を向けたまま歩いて行く。

「さらばだ」

 

 それきり、マグショットが振り返る事はなかった。

 

 

『行っちゃったね』

「うん」

『ああいうの、風来坊って言うんでしょ』

「…なんでそういう日本語は知ってるの」

 ”いつもの瑠魅香”との会話が戻ってきた気がして、百合香は笑った。

「行こっか、瑠魅香」

『うん。ねえ、久々に私出ていいかな』

「いいよ。どうぞ」

 百合香の許可を得て、瑠魅香は表に出て来た。黄金の鎧姿から、紫のドレスを来た黒髪の魔女へと姿が変貌する。

「だんだん、このやり取りにも慣れてきたなあ」

『あなたは早く自分の肉体を見付けてちょうだい』

「それ、ガドリエルにこの間訊いたんだけどさ。”不可能ではないかも知れない”みたいな、ぼんやりした回答しかなかったのよね」

 何だそれは、と百合香は思う。

 

 もし、いつか瑠魅香が自分の肉体を得た時、自分達の関係はどうなるのだろう、と百合香は思った。今こうしてひとつの肉体を共有している関係に、百合香はどこか居心地の良さを覚え始めている。しばらくは、このままでいい。そんな風に思う百合香だった。

 

 二人の行く手には、まだ冷たい氷の空間が続いていた。



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トマトとニンニクのスパゲティ

「報告いたします。破壊された魔導柱の応急修復が完了しました」

 そう氷の兵士の報告を受けたヒムロデは、青いローブのフードから覗く、不気味な白い肌をのぞかせて言った。

「うむ」

「ご指示どおり、他の魔導柱への通路も全て遮断しました」

「それでよい。あの柱そのものは至極単純な設備だ。外部から破壊されぬ限り、異常が起きる事はない」

 ヒムロデの声は、重みと鋭さと、独特の艶めかしさを備えたものだった。

「して、紫玉が倒されたとの報告はまことか」

「はい。どうやら侵入者は、例のレジスタンスの手練れとも接触したもようです」

「面倒だな」

 小さく舌打ちして、ヒムロデは窓の外の景色を見る。

「ときにヌルダの姿が見えぬが、奴は何をしておる」

「はい、ご自分の棟にこもって何やら研究を始められたようです」

「ふん…奴の悪い癖だ。数百年…いやもっと前から、全く変わらんな」

 小さな溜息が聞こえたのを、兵士は聞こえないふりをした。

「わかった。下がってよい」

「はっ、失礼いたします」

 

 兵士が去るのを待って、ヒムロデはフードを下げた。

「ラハヴェ様はあのように仰るが、あの侵入者…このままにしてはおけん」

 呟いて、テーブルの上のワイングラスを傾ける。紅いワインに、空のオーロラが不気味に映っていた。

 

 

 

 

 氷巌城第1層の通路を歩く瑠魅香は、道に迷っていた。

「どっち行けばいいんだろう」

『さっき、右の方から来たんじゃない?』

 頭の中で百合香が言う。ここは、広い通路の丁字に分かれた行き止まりである。さっきも似たような丁字の分岐で、さんざん口論したあげく左に曲がったあと、同じような丁字や、十字に交差する箇所などを何度も通って、今また似たような場所に出たのだった。

「どうしろっていうんだ」

『目印を置いたら?迷った時のために』

「それより、魔法で壁をぶち抜いた方が早くない?」

『そんな事したら、私ここにいますよ、って敵に教えるのと一緒でしょ』

 呆れたように百合香は言うが、瑠魅香は”伝家の宝刀”を持ちだした。

「それ、あの柱を破壊して敵の警戒を強めた張本人が言う?」

『ごめんなさい、ちょっと聞こえなかったわ』

「あっそ」

 いい加減歩き疲れたのか、瑠魅香はサジを投げて、癒しの間へのゲートを魔法の杖で探し始めた。白い冷気のエネルギー粒子を空間に撒きながら、見逃さないように観察する。

「今更だけど、場所が限定されるとはいえ、なんで癒しの間へのゲートがこの城にもあるんだろう」

『あれじゃない?例の、”ガドリエルでも知らない”案件』

「なるほど」

 百合香たちをサポートしてくれる”自称”女神のガドリエルは、”自分に知識がある理由がわからない”という奇妙な状況にある。

「確かに、会話してるとなんか機械的な感じはあるよね」

『うん…』

 何気なく相槌を打ったとき、百合香はふと思い出した事があった。

『あっ』

 思わせぶりに声を出すので、瑠魅香もつい何事かと立ち止る。

「どうしたの?」

『いや、ちょっとね』

 

 百合香は、奇妙な夢を連続して見た事を瑠魅香に説明した。

「ふーん。百合香はその夢で、知らない国にいたんだ」

『そう。夢の内容はどうしても思い出せなかったんだけど、今思い出した』

「赤い髪の巫女が出て来たの?」

 瑠魅香は問う。

『巫女かどうかはわかんないよ。なんか、私の知識では巫女というか、僧侶とか、そんなイメージがあっただけ。お姫様かも知れないし』

「位が高そう、ってことね」

『ざっくり言うと、そういうこと』

 百合香は、その赤い髪の女性の姿を思い出してみた。長い髪は前で分けられており、額には金色の飾りを懸けていた。服は豪華というわけではないが、足首まである長いローブに、装飾の入った紺色のカラーを被せてあった。手には何か持っていたような気がするが、思い出せない。

「二回目の夢は怖いね。百合香、夢の中で死んじゃったんでしょ」

『うん。目が覚めたとき、なんか落ち着かない気分だった』

「で、どうしてその夢を今思い出したの」

『わかんない。どうしてだろう。ガドリエルの話をしてたら、なぜか思い出した』

 うーん、と瑠魅香は考えてみたが、百合香がわからない事を瑠魅香にわかるわけもない。仕方なく、そのまま歩くのを再開した。

 

 すると、瑠魅香は何か音が聞こえる事に気が付いた。

「百合香、なにか音がする」

『音?』

「水が流れるような」

 言われて、百合香も耳を澄ます。

『あっ』

 確かに聞こえた。硬い通路に水の流れる音が反響している。

「行ってみよう」

『慎重にね』

 瑠魅香は、ゆっくりとその方向に進んでみた。音はだんだん近づいてくる。

 

 歩いた先は、通路を横切るように右から流れる広い水路だった。幅は50mくらいはありそうだ。水路を渡った先に通路が続いている。水路そのものは通路と違って暗く、奥が見えなかった。

「どうします?お嬢様」

『また変な日本語覚えて』

「百合香は泳げるの?」

 答えを待っている瑠魅香だったが、百合香は黙っていた。

「もしもーし」

『…泳ぎはあんまり得意じゃない』

「深いのかな」

 瑠魅香は、杖をゆっくり水の中に入れてみた。すると、瑠魅香の背丈ほどある杖がすっぽり入ってしまった。

「深いな」

『ここを通るのはやめた方がいいんじゃない』

「そうだね」

 満場一致で迂回が決定したところで、瑠魅香の耳に嫌な音が聞こえてきた。

「ん?」

 瑠魅香は振り返る。すると、背後からガチャガチャと、足音が聞こえてきた。

「げっ!兵士だ!」

『気付かれたか』

「おーし」

 瑠魅香は杖に魔力を込め、やって来る敵を待ち構える。やがて、おなじみナロー・ドールズが通路いっぱいに大挙してきた。

「おりゃーっ!」

 魔女としてその掛け声はどうなのか、と百合香は思ったが、瑠魅香が放った魔法のエネルギーは、ナロー・ドールズをまとめて吹き飛ばし粉々にした。

『こういう場面だと、私よりあなたの方が強いんじゃないの』

「そうかな」

『あっ、また来た!』

 百合香は、さらに足音が続いてきた事に気付いた。

「キリがない」

 唐突に瑠魅香は、水面に向けて杖を構える。

『ちょっと、何考えてんの』

 百合香は不安げに訊ねる。足音がさらに近付いてきた。しかし瑠魅香は、敵ではなく水面に魔力を放ったのだった。

『!?』

 百合香が何事かと思っている目の前で、水が凍結して不格好なボートが形成されたのだった。

「いくよ、百合香!」

『ちょちょちょ、ちょっと!』

 百合香が不安を訴える間もなく、瑠魅香は即席のボートに乗り込む。足場が大きく揺れ、百合香は生きた心地がしなかった。

『あぶない、沈む!!』

「失礼ね」

 瑠魅香は、沈んでもいない自前のボートへの悪評レビューに憤慨しつつ、魔力でボートを発進させた。背後では、駆け付けたナロー・ドールズが次々と水路に落ち、沈んだり流されたりと散々な目に遭っている。

 

 百合香の心配をよそに、ボートはゆっくりではあるが進んで行った。

『絶対沈むと思った』

「どんなもんよ」

『いいから早く渡って』

 百合香は水路の反対側に見える通路を睨む。しかし、それがどこに続くのかはわからない。

 

 その時だった。

『ん?』

 百合香は、ボートが突然強く横に逸れた事に気付いた。

『ちょっと、逸れてるわよ』

「あ、ほんとだ。ごめん」

 言われるままに、瑠魅香は魔力で進路を修正する。

 しかし、またしても進路が左に大きく逸れた。

『どうしたの?』

「水流が強くなってる!」

 瑠魅香は魔力で必死に進路を修正した。しかし、水流はさらに速さを増していく。

『ちょっと!』

「こんにゃろー!」

 瑠魅香は、渾身の魔力を込めてボートを通路に向ける。今度こそ進路を修正できたものの、速度は水流への抵抗のせいで、非常に遅くなってしまった。

「ゆっくりだけど、これで大丈夫」

『ふう』

「何なんだろうね、この水路」

 瑠魅香は水路の奥に目をこらしてみるが、やはり暗闇で奥は見えなかった。

 

 そして、ようやく水路の真ん中あたりまで到達した時だった。

 ボートを取り囲む水面に、無数の影が飛び出した。

「!?」

『なに!?』

 二人が驚いたその無数の影は、奇妙な丸い頭の氷魔だった。目はまるで眼鏡のように飛び出している。

「こいつらは…」

『瑠魅香、くる!』

 百合香は即座に瑠魅香に防御を指示した。すると、氷魔は突然丸いボールを取り出し、瑠魅香にむけて投擲してきた。

「うわっ!」

 瑠魅香は、慌てて魔法で防御する。どうにか弾き返したが、他の氷魔たちも同じようにボールを持ちだして、一斉に投げるポーズを取った。

『まずい!!』

「なんなのよ、もう!」

 瑠魅香は再び杖に魔力を込め、ボートの周りに魔法の障壁を形成した。それとほぼ同時にボールが全方位から飛んできて、障壁にぶつかって激しく砕けた。

「この!」

 瑠魅香は対抗して水面から多数の氷の塊を形成し、氷魔たちに向けて発射する。氷魔たちは頭部を砕かれ、そのまま水に沈んで行った。

『ナイス!』

「どんなものよ!…って、ちょっと」

 瑠魅香は、またしても青ざめた。同じ氷魔が、さらに何十体も現れたのだ。

「しつこいな!」

『来るよ!』

 やはり氷魔たちは同じように、ボールを一斉に投擲してきた。あまり知性があるようには思えないが、逆にそれが不気味だった。

 何十というボールを一斉に受けて、さすがに魔法の障壁も軋み始める。百合香は焦った。

『いっぺんにやっつけられないの!?』

「ああもう!」

 瑠魅香は、杖に力いっぱい魔力を込めた。巨大な電撃のスパークが起きる。

 

「砕けろ―――っ!!!」

 

 瑠魅香は、水面に思い切り電撃のボールを叩きつける。すると、水路全面にスパークが起きて、無数の氷魔は一瞬で粉々に砕け散ってしまった。

「これでどうだ!!」

『片付いたの!?』

「わかんない」

 二人は、注意深く水面を見守る。しかし、それ以上氷魔が現れる様子はなかった。

「ふいー」

 瑠魅香は胸を撫で下ろし、ボートにぐったりと座り込む。

「生きた心地がしなかった」

『あれ、ひょっとして…』

 百合香が何か考え込んだ。

「なに?」

『いや、うちの学校に水球部があるから』

「すいきゅうぶ?」

『うん。水に浮かんでボールを投げるゲーム』

 それを聞いて、瑠魅香は首を傾げた。

「人間って、わけのわからないゲームを考えるのね」

 

 

 どうにか、瑠魅香のボートは水路を渡ることに成功した。

「疲れたわ」

『そろそろ、癒しの間のゲートを探さないと』

「どこにあるかわかんないって、色々不便だなあ」

 瑠魅香は再び、魔力を放ってゲートをサーチする。しかし、そうそうすぐには見つからない。結局、ゲートを見付けたのはそこから5分くらい歩いた所だった。

 

「あー」

 いつものように、百合香は癒しの間に入るなり、鎧姿のままベッドに倒れ込んだ。

「おなかすい…」

 た、と言いかけて、百合香はまたしても、見慣れないものが出来ている事に気付いた。冷蔵庫の横に、大きな棚ができている。

「!」

 まさか、と思って百合香は棚に駆け寄る。そこにあったものを見て百合香は、嬉しさと困惑が入り混じったような、複雑な表情を見せた。

「これ…」

『なに?』

 半透明の瑠魅香も、百合香の横から棚を覗き込む。そこにあるのは、スパゲティやペンネだった。茹でる前の。

「甘かったか」

『何が』

 瑠魅香をよそに、百合香は冷蔵庫を開ける。中に入っていた缶を取り出すと、ドンと置いた。

『なにこれ。トマトソース、って書いてあるけど』

「瑠魅香」

 百合香は、戦いの時と同じくらい真剣な顔を向けた。

「あなたに料理を教える」

 

 ご丁寧に棚の隣には調理器具やコンロ、オーブンなどが据え付けてあった。どこからエネルギーを調達してるのかは不明であるが、それを言い出したら食材からして、どうやって現れるのかも謎だった。

 ともかく、「トマトとニンニクのスパゲティが食べたい」という百合香の願いは、自分で調理するというプロセス込みで叶えられる事になった。麺、ソース、その他の材料はご丁寧に全て揃っている。

『百合香は料理できるの?』

「できる」

 力強く百合香は答える。

「お母さんが家にいない事が多かったから、嫌でも覚えなきゃいけなかった」

『ふーん。料理って、しなきゃいけないの?』

 とてつもなく根源的な問いを、瑠魅香は投げかけてきた。

『動物は自然にあるものを直接食べてるよね』

「…そういう事は知ってるんだ」

『あのね。氷魔だって地球の事はそれなりに知ってるんだよ。知らないのは人間社会の情報。人工的な文明がある場所に、氷魔はあまり好んで近付かないから』

 なるほど、と百合香は頷いた。

「そういえばそうだね。人間は、生の食材をほとんど食べない」

『どうして?』

「…さすがにそこは、私の知識の範囲外だわ。けど、長い歴史の中で、人類は”加熱して食べる”っていう習慣が身についちゃったの」

 そこから、あれこれと百合香は知っている知識の範囲で「食と人間」について語りながら、瑠魅香に「トマトとニンニクのスパゲティ」の調理過程を披露したのだった。

 

「お、お、お、おいしい…なにこれ」

 百合香は瑠魅香と精神を交替して、手製のスパゲティを振舞った。フォークの使い方を何度も何度も教えたあとで。

「百合香って天才なの!?」

『ネットでレシピ覚えただけだよ』

「じ、人類はこんなおいしいもの食べてたのか…おいしい、ってこういう感覚なのか」

『ちょっと、私の分残してよ!』

 けっこうな勢いで器用にスパゲティを巻いていく瑠魅香に、百合香は焦ってストップをかける。3分の2ぐらいを食べたところで、ようやく瑠魅香は身体を返してくれた。

「…満足していただけたなら、良かったわ」

 残ったスパゲティを口に運びながら、百合香は少し残念そうに瑠魅香を見る。どっちが食べてもお腹に入るのは一緒なのだが、味わうという満足感が重要なのだと百合香は改めて知った。食べるというのは、単に栄養分だけを取り込む事ではない。

「…でも、しばらくこんな食事してなかったから、嬉しい」

 百合香の目尻には、涙が浮かんでいた。

『泣いてるの?』

「ソースがちょっと辛かっただけよ」

『百合香も泣き虫じゃん』

「うるさいわね」

 久しぶりの食事を挟んで、百合香は瑠魅香と語らいながら、それまでの疲れと痛みを癒した。この時間がこのまま続けばいいのに、と百合香は心のどこかで思っていた。



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Welcome to the Freezing Parade

「音楽が聴きたい」

 百合香は、食後のルイボスティーを飲みながらボソリと言った。

『音楽?』

「知ってるでしょ」

『なんか、夕暮れになると校舎の3階から聴こえてたやつ?』

「それはブラバン。音楽は音楽だけど」

 全国の学校でおなじみの、放課後のブラバンの音は百合香も好きだったが、いま彼女が言っているのはそうではない。

『あー、J-POPとかいうやつ』

「それとも違う。…ほんと不思議なんだけど、あなたが覚えてる単語と、そうでない単語の線引がわからないわ」

『うん、学園をあちこち覗いてて、なんでか耳に残るのと、残らないのに分かれるんだわ』

 ふうん、と言いながら百合香はテーブルに片肘をつく。溜まっていた疲れがやってきて、途端に瞼が重くなり始めた。

『寝ちゃっていいよ。あたし身体借りてシャワー浴びておくから』

「第三者が聞いたら何の話か絶対わからないと思うわ」

 そんなことを言いながら、百合香の頭がグラグラと揺れ始める。

『おっと』

 間一髪で瑠魅香が百合香の身体に入ると、百合香の精神がふわりと外に押し出された。精神体のまま眠っている。

「かわいい寝顔」

 そう呟いて、瑠魅香は冷蔵庫の中を開ける。

「これ、百合香が飲んでるけど、美味しいのかな」

 瑠魅香が興味深そうに取り出した黒いドリンクのラベルには、「匠のアイスコーヒー」と書いてあった。

 

 

「なるほど。あなたにブラックコーヒーの味はまだ早かったか」

 目覚めて身体に戻った百合香は、半笑いで瑠魅香がグラスに残したコーヒーを飲んでいた。

『人類ってそんなもの飲んでるの?頭か舌のどっちか、あるいは両方おかしいんじゃない?口直しにポカリ一本飲んじゃったわよ』

 よもや生物種のレベルで罵倒されるとは思っていなかったが、百合香は笑った。

「私だって子供の頃は無理だったわ。大人だってブラックコーヒーが飲めない人もいるわよ。でも、だんだん苦味が美味しくなってくるわ」

『信じらんない』

 瑠魅香は舌を出して顔をしかめる。百合香はそれを可愛いと思った。

「次に帰ってくる時まで、ミルクとシロップを想像しておくわ。それを入れればあなたも飲めるかも」

『なんかもう、この部屋を使いこなしてるよね、百合香』

「さて」

 いつものように、ブラウスのリボンを締めると百合香は立ち上がった。

「行くか」

『そうね』

 二人の表情が、一瞬で「ダンジョン攻略モード」に変わる。瑠魅香は百合香に重なると、身体の中にすっと入った。瑠魅香が入ってくる瞬間、独特のゾクッとする感覚が百合香にはある。最初は少し気味が悪かったが、今では少し気持ちいいと感じるようになっていた。瑠魅香には言っていない。

 

 

 癒やしの間を出てしばらく氷巌城の通路を歩いていると、瑠魅香が唐突に足を止めさせた。

『百合香、ちょっとストップ』

「なに?」

『百合香のパワー、上がってるよね』

 その問いに、百合香は何の事だろうと思って訊き返す。

「たぶん上がってると思うけど、それがどうかした?」

『パワーが上がってるってことは、相手から居場所を察知されやすくなってるって事だと思うんだ』

 その瑠魅香の指摘に、百合香は背筋が緊張した。

「…なるほど。魔女としての意見?」

『まあね。魔力を扱う者は、魔力の出どころに敏感だから。敵の中には、おそらく強力な魔法の使い手もいると思う』

「で、何か対策はあるの?」

 百合香の問いに、瑠魅香は自信ありげに答える。

『簡単なことよ。ちょっと代わって』

 言われるままに、百合香は身体を交替して瑠魅香のする事を見守る。すると瑠魅香は、杖を一振りして何かを創り出した。

 それは、小さな青いイヤリングだった。

『なあに、それ』

「簡単に言うと、ダミーの氷魔エネルギーの結晶体」

『ダミー?』

「そう」

 瑠魅香は、それを耳につけると百合香に交替を促した。もう、それくらいは無言でやり取りできるくらい、二人の精神は近くなっていた。

 

 百合香の姿に戻っても、イヤリングは装着されたままである。

「これが何か役に立つの?」

『うん。簡単に言うと、百合香の発する炎のエネルギーの拡散を中和して、外部から察知しにくくなる』

「ほんとに?」

『本気でエネルギー燃やしてる時は無理だよ。でも、こうして移動してる時くらいなら、移動を察知されずに済むはず』

 百合香は、瑠魅香が造ってくれたティアドロップ型のイヤリングを触ってみた。ひんやりと心地よい。なるほど、確かに冷たさを伴ったエネルギーの拡散を感じる。

「なるほど。ありがとう、瑠魅香」

『お役に立てて何よりですわ』

「…それは誰の真似なの」

 百合香は瑠魅香がいったい学園のどういう所を集中的に覗き見していたのか気になって、道中あれこれ問い詰めたのだった。

 

 

「む」

 ヒムロデは、鏡を前にして何かを訝しんだ。

「現れたと思ったあの娘の気配が、消えた」

 魔力を鏡に張り、城全体を探る。しかし、それまである程度把握できていた百合香のエネルギーが、まるで感知できなくなった事にヒムロデは気付いた。

「何らかの対策を取ったという事か?見た限り、力で戦うタイプのあの娘に、そこまで複雑な事をやってのける能力があるとも思えんが…」

 しばし考えたのち、ヒムロデは鏡に張った魔力を解除し、その小さな部屋を後にした。

 

 

 

 百合香が瑠魅香と話しながらしばらく歩いていると、瑠魅香は何かに気付いたようだった。

『百合香、気を付けて』

「え?」

『氷魔の気配がする』

 百合香は、瑠魅香の言葉に周囲を見回した。美しく整ってはいるが、相変わらずの無味乾燥な通路が続いているだけである。

 ところが、さらに進むとその通路の右横に、下に下がる階段が現れた。

「階段だ」

『下りの階段に用はないわ』

「ええ」

 二人の意見は一致して、その階段は多少気になるものの、無視して進む事にした。

 

 ところが。

 

「あっ!」

 百合香は声を出して驚いた。前方の通路から、大勢の氷魔が現れたのだ。それも、10や20ではない。

『百合香!』

「考えてるヒマはない。強行突破よ!」

 そう言って、久々に聖剣アグニシオンを胸元から取り出す。

 しかしその時、百合香は背後に足音が接近している事に気がついた。

「しまった!」

 振り向いた時には、すでに至近距離に多数の氷魔が大挙しており、百合香は自分のカンの鈍さを呪いつつ、剣にエネルギーを込めようとした。

 しかし、瑠魅香の言葉がそれを遮った。

『待って。何か、変』

「え!?」

『見て』

 瑠魅香の指摘にしたがって、その氷魔たちを百合香は見る。容姿は女性というより、百合香と同世代くらいのイメージの印象である。短いスカート姿、ドレス姿、あるいは学校の制服みたいな個体もいる。顔は仮面のように動かないが、女の子とわかる顔立ちをしていた。無表情な者、笑みを浮かべる者、様々である。

 

 そして、奇妙なのはその行動である。百合香を無視して、下に降りる階段に、吸い込まれるように消えて行くのだ。

「な…何なんだろう」

『さあ』

「でも、私を無視してくれるなら好都合だわ」

 そう思って、百合香はその氷魔の女の子の群衆を避け、通路を進もうとした。しかし、その時である。

「えっ!?」

 百合香は驚いた。その群衆の一人が、百合香の腕を組んで一緒に歩き始めたのだ。

「ちょっ、ちょっと!」

 慌てて振りほどこうとすると、さらにもう一人が空いている腕を掴んでくる。そして、百合香は後ろからも押し寄せる”JK氷魔”たちに押されるように、階段の下に連れて行かれたのだった。

 

 

 階段を降りた先には、ドアがあった。そこをくぐると、中は教室ぐらいのスペースが広がっていた。手前のスペースに女子氷魔たちが群がって、妙に楽しそうにしている。くすくす、という笑い声も聞こえた。

 スペースの奥は劇場のステージのように立ち上がっており、左右にはなんとなく見覚えのある、箱状のものが積み上がっている。天井からは、青紫のレーザーのような照明がスペースを照らしていた。

「ま…まさか」

『なに?』

「いや、まさかとは思うんだけど」

 百合香が何を連想したのか、瑠魅香はわからなかった。

 

 しばらくしていると、こちら側の照明がふっと消え、ステージの左側から数名の氷魔が現れた。すると、JK氷魔たちから青白い歓声が上がる。

「うわっ!!!」

 その声色は、百合香の耳には強烈だった。頭の芯に響くもので、聴いているだけで全身の神経が痺れるようだった。百合香は思わずふらついてしまう。これを連続して聴いたら、まずい事になりそうだった。

 

 ステージにスポットライトが当たり、登場した4体の氷魔が姿を現した。ドレス姿、あるいは際どいへそ出しルックの者もいる。へそが氷魔にあるかどうかは、百合香にはわからなかったが。

 そして、各々が抱えている物体は、百合香には非常に親しみのあるものだった。

「ぎ・・・ギター!?」

 百合香は、右手に立った氷魔の下げている物体を見た。どう見てもエレキギターである。ちょっとトム・アンダーソンっぽい。ピックアップは上段がシングル、下段がハムバックになっていた。青白い光の弦が張られている。百合香はちょっと格好いいと思ってしまった。

 左手の個体が持っているのは、弦が5本ある。5弦ベースということか。真ん中の個体もエレキギターを持っている。そして後ろにはドラムセットとキーボードらしきものがあるが、このグループはドラマーのみでキーボードはいないようだった。

 

 百合香は、全てを理解した。

「け…軽音部のコピー氷魔だ!」

『あー、知ってる知ってる。なんかギャーギャー騒いでる、大丈夫なのかなって感じの子たちでしょ』

 さんざんな言われようである。実はロック好きの百合香には、多少カチンとくる言葉ではあった。しかし今はそういう問題ではない。百合香には嫌な予感があった。

「る、瑠魅香。出た方がいいと思う」

『え?』

「悪い予感が…」

 その時だった。右手の”ギタリスト”が、弦を激しくかき鳴らした。F#mを完璧に押さえている。

 問題は、その音だった。

「うぁっ!」

 百合香は、こめかみを突き抜ける激痛にたまらず頭を押さえた。さらにギターソロは続く。客席からは歓声が湧き起こった。

 

「ぐあぁぁぁ――――!!!!」

 

 百合香は絶叫した。その音は、百合香の持つエネルギーを直接攻撃する音色だったのだ。

 

 さっき、JK氷魔たちの歓声で、百合香はこの場の音が自分に干渉する事を本能的に察知していたが、行動が一歩遅れてしまった。

『百合香!』

「ぐ…」

 頭を抱えたまま膝をつく。音のダメージが一瞬で全身をめぐり、立ち上がる事もすでに出来なくなっていた。

『まずい!』

 瑠魅香は、危険を察知して即座に百合香と入れ替わった。

「百合香!」

 精神体になった百合香に語りかける。演奏はなおも続き、ベース、ボーカル、ドラムスが入ってきた。ややライトなハードロックである。歌は謎の言語で、何を歌っているのか不明だった。

『ぐっ…はあ、はあ、はあ』

「百合香!」

『だめ…この状態でも…痛みが襲ってくる…!』

 瑠魅香は焦った。なぜか瑠魅香は何ともないが、百合香の苦しみは尋常ではない。それは、百合香が普通の人間よりも強いエネルギーを持っているためだと瑠魅香は結論づけた。

 

 ここを脱出しなくては、と瑠魅香は杖を振りかざす。しかし、突然オーディエンス達が手を繫いでウェーブを始め、瑠魅香はそれに強制参加させられてしまった。

「あっ!」

 瑠魅香に、百合香ほどの腕力はない。その腕をふりほどく事はできなかった。演奏はなおも続く。百合香の精神がだんだん弱っていく事に、瑠魅香は気がついた。

「どうしよう、このままじゃ百合香が…!」

 やむを得ない。この子たちには申し訳ないが、魔法で全員吹き飛ばしてしまうより他に、百合香を救う方法はない。そう思った時だった。

『る…瑠魅香…逆位相よ』

「え!?」

 気力を振り絞って語り掛ける百合香に、瑠魅香は訊ねた。

「なんですって?」

『逆位相…音波は、反対の位相の音をぶつければ消える』

「そ、それって…」

 瑠魅香は、百合香の言っている事を感覚で理解した。ウェーブで揺れる杖に、必死で魔力を込めると、自らの身体にひとつの魔法をかける。

 

 輝く波が瑠魅香の全身を覆うと、ステージからの音がふっと小さくなった。

「やった!百合香、こういう事ね!?」

『グッジョブ、瑠魅香…ノイズキャンセリング作戦、成功ね』

 瑠魅香がアクティブノイキャン魔女になったおかげで、百合香は音波によるダメージからとりあえず助かった。しかし、この空間にいる限り、この後どうなるかわからない。

『彼女たちに、私達への敵意はないらしい…出ましょう』

「わ、わかったけど、この状態じゃ」

 瑠魅香は、相変わらず両サイドからガッチリと手をホールドしてくるJK氷魔の手を見た。

『私が代わる』

 改めて、百合香は表に出てきた。そして、強引にその手をふりほどく。

「よし、逃げるよ瑠魅香」

 いくらかダメージから回復した百合香は、オーディエンスの群れをかき分けて、氷のライブハウスを出ようとした。

 

 すると、ステージの演奏がピタリと止んだ。

 

「え?」

『ゆ、百合香』

 瑠魅香は、自分達に集中するその視線に戦慄した。

 

 睨んでいる。百合香を。

 

『◆§▲Ю☆―――――!!!!」』

 

 ステージのボーカリストが、何かを絶叫した。すると、オーディエンスが一斉に百合香に襲いかかり、手足をがっちりとホールドしてきた。

「こっ…こいつら!」

『百合香!』

 JK氷魔たちは、百合香の身体をステージの前に突き出す。すると、右手のギタリストが百合香に近付いてきて、やはり意味不明の言語で何かを怒鳴ってきた。

「●Ψ∀Щд!??」

「何!?日本語で言いなさい!」

 その百合香の返しもだいぶ無茶ぶりではあったが、とにかく空間全体の氷魔が、場を乱した百合香に怒っていることはわかった。

 ギタリスト氷魔は、その氷のギターを百合香めがけて振り下ろす。

『百合香!!』

 瑠魅香の悲鳴が響いた、次の瞬間だった。

 

「アアアアアア――――――!!!!!!」

 

 突然、百合香の喉からレッド・ツェッペリンのロバート・プラントじみた絶叫が響き渡り、百合香の全身が激しい炎に包まれた。

「!??」

 突然のシャウトに、バンドやオーディエンスは怯んで一歩下がる。

 

 百合香は、飛び上がってステージの真ん中に立った。全身を炎が弾け、その全身を真新しい黄金の鎧が覆っていた。

「楽器で人を殴るなんて、ミュージシャン失格ね」

 

 だいぶ頭にきているらしい百合香の全身からは、なおも黄金のエネルギーがスパークし続ける。ボーカリストからハンドマイクを奪い取ると、オーディエンスを指差して叫んだ。

 

「そんなにライブがやりたいなら、私のソロステージに付き合ってもらうわよ!!!」



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ナ・ナ・ナ

 若干キレ気味な百合香の"ボイスパフォーマンス"に、なぜかオーディエンスのJK氷魔たちは歓声を上げて応えた。瑠魅香のキャンセリング魔法のおかげで、百合香にダメージを与える帯域はカットされているらしく、今度は何ともない。

「そうじゃないでしょ!!」

 さらにキレる百合香だったが、熱狂は収まらない。

 そうしているうちに、ステージのバンド氷魔たちが楽器を手にして百合香に迫ってきた。

『百合香!』

「ライブハウスで乱闘騒ぎなんて、もう出禁ね」

 さっきと同じように殴りかかってくるか、と百合香は剣を構える。しかし、氷魔たちは予想外の行動を取った。

 なんと、百合香に向けて再び演奏を開始したのだ。

「もうそんなもの効かないわよ!」

『待って、百合香!』

「え?」

 瑠魅香の注意で百合香は一瞬立ち止まる。すると、ステージ横のアンプらしき箱状のオブジェから、百合香めがけて波動のようなものが飛んできた。

「うっ!」

 それは、神経に作用するのではなく、物理的な圧力をもって百合香の全身を揺らした。黄金の鎧ごと、百合香は骨格をハンマーで打たれるかのような衝撃を受けた。

「ああああーっ!!」

『百合香!このーっ!!』

 咄嗟に瑠魅香が表に出て、魔法を唱える。その一瞬だけ瑠魅香もダメージを受けた。

「ぐううっ!!」

 なんとかこらえて、魔法を放つ。逆位相の波動が、その波動を打ち消して行った。

『瑠魅香!』

「まずいね、このままだと…身動きが取れない」

 杖から波動を放ちながら、瑠魅香はこの状況を切り抜ける方法を考える。音は左右から飛んでくる。

「なら…こうだ!」

 瑠魅香はステージ後方、座ったままのドラマーの背後に素早く回ると、逆位相の波動を解除した。

 すると、瑠魅香を狙っていたアンプからの波動は、ドラマーを直撃した。

「アギャアァァ―――ッ!!」

 マッシュルームカット風のドラマー氷魔は直撃した振動波に耐えきれず、関節部にダメージを受けてその場に崩れ落ちてしまった。バンドメンバーは慌てて演奏をストップする。その隙を瑠魅香は逃さない。

「今だ!!」

 お返しとばかりに、瑠魅香もまた波動の魔法をステージ全体に向けて放つ。名前も知らない氷のロックバンドは、楽器ごと弾き飛ばされてそのままぐったり動かなくなってしまった。

「どんなもんよ!」

『私がトドメ刺したかった』

「百合香ってキレると物騒だよね」

 若干引きながら、瑠魅香はマイクを片手にステージ下のオーディエンス達に向かって叫ぶ。

「道を開けなさい!同じ目に遭いたくなかったらね」

 もはやバンドマンというよりはプロレスラーだな、と頭の中の百合香は顔を引きつらせた。

すると、観客席は水を打ったように静まりかえる。

「よーし、それでいい」

 瑠魅香はゆっくりと横の階段から降りようと歩き出した。しかしその時、舞台の袖から足音がするのに気付いて、視線をそちらに向ける。

「?」

 それは、人影だった。ダラリとした長髪を模した頭部に、長いドレスを引きずっている。肩には何かを抱えているように見えた。

「まだいたのか!」

 咄嗟に瑠魅香は杖を構え、戦闘態勢に入る。だがその時、オーディエンスの視線は最初から、そのドレスの氷魔に向けられている事に気がついた。

「こいつは…」

『瑠魅香、先手必勝よ!』

「わかった」

 瑠魅香はためらう事なく、同じ波動の魔法をその氷魔に向けて放った。

 だが、その波動は、突然聴こえた張りのある謎の音波に弾き飛ばされてしまった。

 

「え!?」

 

 驚いて瑠魅香は、改めて照明に照らされたその氷魔を見る。それは、ヴァイオリンを奏でる氷魔だった。

「これは…」

『ヴァイオリンだ!』

 百合香は驚いた。軽音楽部のことは、実はあまり知らない。だが、もし軽音楽部を模倣したのがこの氷魔たちなのであれば、百合香の知らない軽音楽部員にヴァイオリニストがいるのかも知れなかった。

 

 ヴァイオリン氷魔は、優雅な手付きで青白く光る弦を弾き始めた。えもいわれぬ艷やかな音色が、空間全体を支配する。

 だが、てっきり音波で攻撃してくると思っていた瑠魅香たちは、何もダメージがない事を疑問に思った。

「!?」

 どういう事か、と瑠魅香は周囲を見渡す。

 すると、観客席のオーディエンス達の目が、青紫色に輝き始めた。

「なっ!?」

『まずい、瑠魅香!』

 百合香が警告を言う間もなく、オーディエンス達は一瞬で"少女合唱団"に変わり、ヴァイオリンに合わせて賛美歌のような、しかし不協和音を伴った、不気味なコーラスを開始した。

 それは強烈な全方位からの波動攻撃であり、瑠魅香と百合香の精神、肉体を同時に揺さぶった。

「うぐあぁーっ!」

『る…瑠魅香!!』

「ま、まずい…あたしでも、これは…」

 瑠魅香はステージに膝をつく。

 

 この氷魔は、幹部の氷騎士なのだろうか、と百合香は考えた。しかし、なぜか知性らしきものは感じない。

 そもそも、今まで出会った氷騎士は全て、その名にふさわしいスケールのエリアを守護していた。しかし、このライブハウスみたいな空間は、それらと較べるとだいぶ小さい。

 

 だが、厄介な敵である事に変わりはない。音波による遠隔攻撃は、物理的な回避方法がないのだ。

『瑠魅香、逆位相の音波よ!』

「だっ、だめ…この態勢じゃ…」

 瑠魅香は、頭を抱えて苦しんでいた。肉体的な耐久力において、瑠魅香は百合香に劣る。

『わかった。瑠魅香、交替よ。よくやったわ』

「百合香!?」

『あとは任せて。どうにかする』

「相変わらず…大雑把なんだから」

 汗をにじませて笑みを浮かべながら、瑠魅香は百合香に身体を明け渡す。紫のドレスの魔女が、一瞬で黄金の鎧の剣士に変わった。

 

 しかし、状況は変わらない。百合香は聖剣アグニシオンを振り回して、ヴァイオリン氷魔を袈裟がけに斬り伏せてやろうと思ったが、音波攻撃のせいで腕がまともに上がらないのだった。

 

 その時だった。膝をつく左の手前に、ある物が転がっているのを百合香は見つけた。

「!」

 これだ。いや、成功するか確証はない。

 

 だが、これぐらいしか思い付かない。

 

 完全に根拠のない直感だった。百合香はその物体を拾い上げると、口元に当てて、すうっと息を吸った。

 

「アアアアアアア―――――!!!」

 

 ハンドマイクを手にした百合香が、あらん限りのシャウトを響かせる。アンプから響き渡った咆哮に、ヴァイオリン氷魔も、少女合唱団も何事かと沈黙してしまった。

 

 氷魔は、百合香を抑えつけようとして、再びヴァイオリンを弾く。しかし、百合香はまたしても絶叫して、そのヴァイオリンを轟音で黙らせてしまった。バスケットボールで鍛えた肺活量はダテではない。氷のヴァイオリニストは、明らかに動揺していた。

 

 すると、驚くべき事が起きた。倒れていた氷魔バンドたちが、立ち上がり始めたのだ。

 百合香は攻撃してくるのかと身構えたが、そうではなかった。楽器を手にして、百合香の方を見ている。

 

 百合香は、なんとなく地下の闘技場での出来事を思い出していた。敵と味方という感覚が混沌としてわからなくなる、あの感覚だ。

 そこで百合香は、試みに歌を歌い始めた。

「Na Na Na…」

 それは、百合香のスマホで最も再生頻度が高い、マイ・ケミカル・ロマンスの曲だった。

 

 一節を歌い終えると、バンドメンバーたちは何と、改めてイントロの演奏を開始した。ギターソロから始まり、ドラムス、コーラス、ベースが入る。どうやら有名なナンバーだけに、軽音楽部のレパートリーにあったらしい。

 

 百合香はそのままリードボーカルを担当して、即席のパンクバンドが結成されたのだった。

「ギャアァァァ!!!」

 ヴァイオリン氷魔の悲鳴が響く。どうも、百合香の歌声は苦手らしい。名曲じゃないの、と百合香は首を傾げた。

 

 百合香の歌は、本人に言わせると「ヘタウマ」ということである。バスケ部でカラオケに行くと誰も知らないロックを絶叫するので、はたして上手いのか下手なのか、誰もわからないのだった。ただし、彼女が憧れる榴ヶ岡南先輩に言わせると「下手」らしい。

 

 百合香の歌は確実に、ヴァイオリン氷魔にダメージを与えていた。今度はオーディエンスも百合香に同調してくれている。洋楽の名曲だが、ひょっとして著作権団体がこの氷の城まで料金の請求に来るのではないか、とあらぬ事を百合香は考えた。

 一曲の演奏が終わったところで、ヴァイオリン氷魔がよろよろと弦を構え、百合香にゆっくりと向かってきた。

「ひょっとして、こいつがこの場所を支配してるボスなのかな」

『さっき、音であの子たちを操ってたしね』

「音楽で人を縛るなんて、許せないな」

 百合香は、ヴァイオリン氷魔にアグニシオンの切っ先を向ける。すると、氷魔はヴァイオリンの弦を、剣のように百合香に向けてきた。

「音楽ならともかく、剣の勝負なら、負けないわ」

 氷のライブハウスに緊張が走る。バンドも、オーディエンスも、目の前で始まろうとしているステージ・パフォーマンスを、固唾を呑んで見守っていた。

 

 百合香は、先手必勝とばかりに一気に踏み込む。そのスピードは完全に氷魔を圧倒していた。

「もらった!」

 その勢いのまま、両腕で真っ直ぐに氷魔の心臓部を狙う。

 だが、妙な手応えのあと、百合香の剣はピタリと止められてしまった。

「えっ!?」

 それは、硬いものに阻まれたのではなかった。例えるなら、発泡スチロールの摩擦のせいでカッターの刃が入らないのに似ていた。

 百合香がたじろいでいると、氷魔は弦を払って攻撃してくる。百合香は剣を引き抜いて、ギリギリでそれをかわした。

 

 後退して態勢を整えながら、百合香は瑠魅香に問いかける。

「剣が止められた」

『どういう事だろう』

「まるで、発泡スチロールみたいな感触だった」

 百合香は、氷魔の全身を観察する。しかし、ゆったりしたドレスのせいで身体は見えない。

「それなら!」

 突くのが駄目ならと、百合香は炎の剣を斜め上段から振り下ろす。

「『ディヴァイン・プロミネンス!!』」

 巨大な炎の刃が、氷魔を襲う。しかし、やはり剣は止められてしまった。

「うそでしょ」

 あのサーベラスの装甲に深い傷を負わせた技が、通じない。百合香はちょっとした自信喪失に陥りかけた。

『百合香!』

「こうなったら、ちょいと疲れるけど大技を食らわしてやる」

『落ち着いて。外しでもしたら、エネルギーを使い果たした状態で戦う事になるわ』

 瑠魅香の冷静な指摘で、百合香はひとまず踏み留まった。だが、このままではジリ貧である。

 そこで百合香は、高く跳躍した。

「でええぁ―――っ!!」

 百合香の剣は、横薙ぎに氷魔の首を狙った。これまでの経験から、首を落とされれば氷魔は動かなくなる。

 しかし。

「ルァァァァ――――!!!」

 突如、氷魔の口が開いて、強烈なハイトーンのソプラノが百合香を襲った。

「うっ、ああっ!!!」

 百合香は衝撃波で弾き飛ばされ、積んであるマーシャル風の箱に背中を激しく打ち付ける。

「ぐはっ!」

『百合香!』

「だっ…大丈夫、この間ほどじゃない…けど」

 何て厄介な敵だ、と百合香は思った。強さ自体はそれほどでもない。しかし、攻防ともに非常に対処しにくい。

 百合香は、サーベラスの「けったいな技を使う奴もいる」という言葉を思い出していた。まさにそういうタイプである。

 

 だがその時、百合香は思い出した事があった。

「…そうだ」

『え?』

「サーベラスから貰ったあれ、まだ使ってなかったんだ」

『何のこと?』

 瑠魅香は、相方の言う内容がいまいち理解できなかった。サーベラスから、何か受け取っていただろうか。

 

 再び、氷魔はヴァイオリンの演奏を始める。今度は、バンドメンバーまでもがその傀儡になろうとしていた。さすがにこの人数が合唱を始めると、洒落にならないダメージを負う事になりそうだ。

 

 しかし百合香は、その視線を高く上げていた。そして左手を、何かを掴むように突き出す。

 すると、その手の中に、ソフトボール大の炎のボールが現れた。

『あ』

 瑠魅香はようやく思い出した。サーベラスとの別れ際、記念に百合香はボールの一つを拾って左腕に封印していたのだ。

「こいつで…どうだ!!」

 百合香はボールを宙に投げると、アグニシオンで思い切りスイングした。カキン、と心地よい音がして、ボールが飛ぶ。

 

 しかしボールは、あらぬ方向に飛んで行ってしまった。

 瑠魅香が頭の中で『ばか!』と言いかけた、次の瞬間だった。

 

 ボールはヴァイオリン氷魔の背後にあった氷のマーシャルアンプに激突し、跳ね返って、氷魔の後頭部を直撃したのだ。氷魔は、その細い首にダメージを負って、よろめいていた。

『おおー』

 瑠魅香の拍手が聞こえる。さっき『ばか』と言いかけたのは、聞かなかった事にしてあげた。

「瑠魅香、あとは任せた!」

『え!?』

 百合香が強引に瑠魅香に交替させたため、瑠魅香は慌てて姿勢を整える。

「ちょっと!」

『あの首を跳ねるのよ!例の魔法で!』

「調子いいんだから。趣味悪いとか言ってたくせに」

 ぶつくさ言いながら瑠魅香は、氷魔に向けて杖を構え、呪文を詠唱する。氷魔の首の周りに、真紅に輝くリングの刃が現れた。

 

「『ブラッディー・エンゲージリング!!!』」

 

 "悪趣味な"瑠魅香の真紅のリングは、一瞬で集束して、ヴァイオリン氷魔の首をきれいに切断した。その首は床のハンドマイクにぶつかって、重く硬い音をライブハウスに響かせ、氷魔の身体はマーシャルに倒れ込むようにして、動かなくなったのだった。

 

 しばしの沈黙のあと、ライブハウスに歓声が響いた。

「何だろう、この空間」

『敵なんだか仲間なんだか、わからないわね、この子たち』

 百合香は瑠魅香にお疲れ様、と言いながら再び表に出てくる。そして、バンドメンバーたちの所に歩み寄った。

「ねえ瑠魅香、氷魔の言葉で言ってあげてよ。何もしないなら私は別に敵じゃない、って」

『いいよ』

 瑠魅香が、百合香を通じてそのようにバンドメンバーに伝えると、四人は静かに頷いた。

 そこで百合香は、思い出したように瑠魅香に言う。

「ねえ、"Welcome to the Black Parade"っていう曲は演奏できるか、訊いて」

『なにそれ』

「いいから」

 なんのこっちゃ、と思いながら、瑠魅香は言われたままを伝える。すると、バンドマンたちは何か突然楽しそうに、それぞれのポジションについた。真ん中は空いており、ボーカルが百合香にマイクを手渡す。

「ありがと」

 OKサインを出して、そのボーカルはキーボードの前に立った。弾けたのか、と思っていると、百合香にはお馴染みのイントロが流れ始めた。

 

 百合香は、マイクに向かって静かに歌い出す。

「When I was…」

 

 

 久しぶりに音楽が聴きたい、という百合香の願いは、氷のバンドつきで自分で歌う、というおまけつきで実現した。

 

 その後、7曲を歌いきって、百合香は拍手に包まれながら、氷のライブハウスをあとにした。

 

 それは、氷の城の片隅に響きわたる、不思議なライブであった。



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N.E.W.S

「何だったんだろう」

 あいも変わらず続く真っ白な氷の通路を進みながら、百合香はつぶやいた。つい先刻まで行われていた、不思議なバンドのライブについてである。

『うん。百合香の歌を聴いてたら、なんかロックっていうものの良さが、少しだけわかった気がする』

「ほんと!?」

 百合香が突然目をキラキラ輝かせたので、瑠魅香は少し笑った。

『百合香って、ほんと面白いよね。すまして座ってれば、お淑やかに見えるけど。実は熱血少女だもんね』

「そ…そうなのかな」

『ふふふ。ねえ、あなたの好きな音楽、こんど聴かせて』

「うん!癒やしの間に揃えておく」

 はたして注文どおりのものが揃うかどうかは不明だが、百合香はそう約束したのだった。

 

『なんか百合香って、氷魔と仲良くなるのが上手いよね』

「なに、それ」

 百合香は笑う。しかし、現実に今まで百合香と共闘ないし、協力関係のようなものを結んだ氷魔はいる。

『戦わないで済むなら、それが一番だろうね』

「そうも行かないのが、残念な所ではあるけどね」

 百合香は、右手に持った聖剣アグニシオンを見る。この刃で、これまで何百の氷魔を斬り伏せてきたのかわからない。

「…ねえ、氷魔って、倒されたらどうなるの」

 突然立ち止まって百合香は訊ねた。

『…気になる?』

 百合香は小さく頷く。

『私に敵意を持って向かってきてるのは確かだけど。操られてるんでしょ、彼らは』

『それはどうだろう』

 瑠魅香の返しは、百合香には意外だった。

「違うの?」

『私の雑感だから、鵜呑みにはしないでね。でも、確かに強制的に氷の肉体を与えられて、この城に縛りつけられてる個体もたくさんいるけど、中には自分から進んで氷魔になった、精霊体も多いと思う』

「なんで、そんなことを望むの?」

『そりゃあ、精霊だからって"いい人"ばかりじゃないって事よ』

 瑠魅香は、ぽつぽつと語り始めた。

『まずこれからは、氷の肉体を持つ者を氷魔、精霊体の存在は"精霊"って分ける事にしよう』

「うん。つまり、瑠魅香は元・精霊ってことね」

『そう』

 

 

 瑠魅香が知っている範囲の知識によれば、そもそも精霊の中から氷魔になる道を選んだ個体が、いつ発生したのかはハッキリわかっていないという。

 人間の時間の単位で、おそらく数万年、あるいはもっともっと過去に遡る事は確実らしい。しかし、明確に"いつ"なのか、という情報はない。

 

 精霊は確かに、人間よりは心穏やかな存在である。「基本的に」争う事はなく、マグショットのように鍛錬を欠かさない者は、あくまで己を磨くためにそれを行なっていた。

 しかし、と瑠魅香は言う。

『争いを好む個体が、いないわけじゃない』

「そうなの?」

『論より証拠。だからこそ、あなた達が"氷魔"と呼ぶ存在が誕生して、氷巌城なんてイカレたものが造られたんでしょ』

 まったくもって瑠魅香の言う通りだった。でなければ、今こうして一人の女子高生が、剣を片手に氷のダンジョンをうろついてはいない。

 

『氷の精霊は、地球の、人間や普通の動物が住めないような極寒地帯に住んでいるの。私が住んでいたのは、あなた方の地図でいう北極と呼ばれる地域』

「北極!?」

 百合香はストレートに驚いた。

「あなた北極出身だったの!?」

『そうよ』

「北極のどこらへん!?」 

 百合香は興味津々で訊ねた。いつか人間になったら、出身地は北極です、と答えるのだろうか。

『うーん。場所、っていうのが、人類の言う三次元的な概念と、微妙に異なるんだ。だから、地図で北極のどこ、って特定はできない。…強いて言うなら、"北極として知られる半次元の層"とでも言うべきかな』

「はんじげんのそう??」

 いよいよ理解が追いつかなくなってきた百合香の脳内に、クエスチョンマークが大量発生した。

『ストップ。それ以上考えても理解できないよ。ざっくり、北極って覚えておけばいい』

「わからないけどわかった」

『うん。そして氷の精霊は基本的にはそういう、極低温の世界でないと存在できない。精霊には様々な種類がいて、岩に住む精霊、大気に住む精霊、そして地球の外に出れば、あなたが"太陽"と呼ぶ星に住んでいる精霊もいる。まあ、これは本題とは関係ないから無視して』

 無視するには、ものすごい情報である。

『だから、氷の精霊にとっては、世界が寒くなってくれた方が存在しやすい。それは理解できるよね』

「うん」

『でも、地球に極寒の地域はそれほど多くはない。かといって、冷たい他の惑星に移住できる力もない。やがて氷の精霊の中から、それを地球上で、意図的に実現しようという個体が現れた』

「…それが、氷魔ということなのね」

 百合香は、いつかガドリエルから聞いた話を思い出していた。瑠魅香と彼女の語る内容は、おおむね整合性が取れる。

 

『それで、前置きが長くなったけど、さっきの質問ね。氷の肉体の状態で、あなたが言うところの"死"を迎えた氷魔が、どうなるのか』

「うん」

『実を言うと、ハッキリ"こうです"という決まったパターンはない、っていうのが回答になる』

「どういうこと?」

『例えば百合香。あなた、前世の事を覚えてる?』

「え?」

 唐突な問いになんだそれは、と百合香は思った。

「…私は覚えてないし、覚えてない人間の方が多いと思う」

『つまり、"死ぬ前"の記憶がないってことでしょ』

 百合香は、瑠魅香の言うことがだんだんとわかってきた。

「…存在が消えるわけではないけれど、それまでの人格は消滅する?」

『大雑把に言えば、そういうこと。例外を除いてね』

「例外って?」

『例えば、マグショット』

 またも意外な名前を出されたので、百合香は面食らった。

「マグショットがどうしたの?」

『ハッキリ言ってないけど、彼はおそらく、この前に氷巌城が地球に現れた時も、ここにいたんだと思う』

「え?」

 いよいよ、話が百合香の理解を超え始めた。

「だって、氷巌城は現れるたびに、新たに創られるんでしょ?兵士たちもその都度創られるんじゃないの?」

『私もそう思ってた。けど、サーベラスとかマグショットの話を聞いて、ある推測に辿り着いたの』

 まるで、小説の名探偵のように瑠魅香は語る。何となく、百合香はその先を聞くのが怖いと感じたが、瑠魅香はそのまま続けた。

 

『私の推測、それはね。この氷巌城は、その"基礎"となる情報が、常にどこかに保存されているのではないか、という事なの』

 

 百合香は、その語る内容を理解するのに必死だった。基礎となる情報って、どういう事だ。

『例えば百合香、さっきあなた、何とかっていう曲を歌ってたわよね』

「うん」

『それは、歌詞やメロディが"情報"として保存されているから、ああやって再現できるわけでしょ?』

「あっ」

 その比喩で、百合香はピンときたようだった。

「城を構成するための基本情報は、城がたとえ滅びても存在し続けるっていうこと!?」

『そう。私の推測ってことは忘れないでね』

「……ちょっと待って。じゃあ、サーベラスが言っていたような、前の時代にもこの城にいた、みたいな話って」

『そう。おそらく彼らは"基本情報"に常に取り込まれていて、たとえ死んでも城に縛られ続けている存在なんだと思う』

 

 その瑠魅香の推測が正しいのかどうか、百合香には当然、判断のしようがない。だが、百合香はそれを聞いてぞっとした。

「…そんなの、おかしいよ」

『うん』

「誰かの魂を、自分たちの目的のために常に縛り付けておくなんて」

 百合香の心の中に怒りの炎が燃え上がりかけたが、ひとつの疑問がそれをいったん収まらせた。

「待って。じゃあ、たとえこの城を消し去ったとしても、その"基本情報"がどこかに残っていたら」

『うん。後の時代に、また氷巌城は再現できるって事だね』

 その、淡々とした推測に百合香は愕然とした。今こうして命がけで消し去ろうとしている城が、消し去ったところで、また再建される可能性があるということだ。

 それでは、この戦いに何の意味があるのか。百合香は突然の虚無感に襲われ、壁に背を預けてへたり込んだ。

 

「…わたし、何のためにここまで来たんだろう」

『バカね、百合香らしくない』

「え?」

 突然の叱咤に、百合香は戸惑う。

『私が好きな百合香は、道理も何も意志の力でねじ伏せる、そういう女の子よ』

「…バスケットの試合で勝つのとはわけが違うんだよ」

『だから何よ。今まで、とても勝てそうにない相手を、倒してきたじゃない。敵としか思えない相手と、手を結んでみせたじゃない』

「……」

『百合香。あなただったら、どう考える?基本情報が残っている限り何度でも甦る、そういう城を滅ぼすには』

 瑠魅香は、何かを促すように百合香に語りかける。百合香は、少し考えたのち、ものすごくシンプルな答えに辿り着いた。

 

「…城の基本情報を消し去ればいい」

 

 百合香がぽつりと言った解答を、瑠魅香は微笑んで採点した。

『正解よ。よくできました』

「でも、そんなものどうやって探し出すの」

『探せばいいじゃない』

 またしても、瑠魅香の解答は笑ってしまうほど明快である。

「…どうやって?」

『その方法も、探ればいい。私達には、情報収集の強い味方がいるでしょ』

 百合香の脳裏に、あの探偵猫集団「月夜のマタタビ」の面々の顔が浮かんだ。

『それに、サーベラスみたいな、こっちの味方になってくれた氷魔だっている。この先も、ひょっとしたら同じように協力的な相手がいるかも知れない』

 その瑠魅香の言葉に、百合香はなんとなく、楽観的な気持ちが湧いてくるのを否定できなかった。

『あなたが思ってるほど、敵ばかりじゃないって事よ』

「…そっか」

『どこにあるかわからない?だったら、探せばいい。何ならラハヴェとかいう奴を縛り上げて、吐くまで拷問してやろうよ』

「ふふっ」

 瑠魅香の無理難題に、思わず百合香は吹き出してしまった。

「ねえ瑠魅香、そういう無茶苦茶な注文のこと、なんて言うか教えてあげる」

『なにそれ』

「そういうの、"無茶振り"っていうのよ」

『むちゃぶり?』

 少し間を置いて、百合香の頭の中に瑠魅香の爆笑が響き渡った。

『あははははは!!なにそれ!!変なの!!』

 どうやら、言葉の響きが瑠魅香のツボに入ったらしい。

『ひひひひひ!ムチャブリだって!!ひーっひっひっひ』

「そこまで面白いかな」

『ムチャブリ!!やばい、お腹痛い』

「人の頭の中で爆笑しないで!!」

 悩んでいるのがバカバカしくなってきた百合香は、立ち上がって歩き始めた。

「行くよ、瑠魅香」

 まだ脳内での爆笑は続いている。自分が笑ってたら、即座に敵が駆け付けてきただろうなと百合香は思った。

 

 

 

 ようやく瑠魅香の大爆笑が収まってきた頃、百合香は奇妙なものを拾い上げていた。それは、紙のようなシート状のものが、くしゃくしゃに丸められているものだった。

「…何だろう、これ」

 気になって、それを広げてみる。感触は再生紙、といったところである。

 

 そして、広げて百合香は驚いた。そこには、自分の顔写真がデカデカと印刷されていたからである。

「!??」

 驚きすぎて、百合香には声もなかった。

 そしてよく見ると、写真の上には横文字で、よくわからない文字が書かれている。ようやくそれが何を意味しているのか、百合香は理解した。

「…新聞だ、これ」

『しんぶん?』

「私達の世界の、情報媒体」

『あー、なんかそういえば、あったね。こんなの作ってるクラブ』

 新聞部だ。ガドリエル新聞部は、たまに飛ばし記事をやらかすのでタチが悪い。

「…まさか、新聞部のコピーまで存在するのか、この城には」

『どれどれ』

「読めるの?」

『うん』

 どうやら、氷魔には文字があるらしかった。それ自体が凄い情報ではある。

『…読み上げていいの?』

「うん。…いやちょっと待って」

 百合香は瑠魅香の態度に、何か良からぬものを感じた。人の顔写真が載っている新聞を、本人の前で読み上げていいかどうか確認するのは、どういう理由からだろう。

「…いいわ、どうぞ」

 深呼吸したあとで、百合香は許可を出した。

『読むね。まず見出しから。”氷巌城に人間社会からの侵略者現る”』

 

 見出しと、それに続く文面は次のようなものだった。

 

 

 

 【氷巌城に人間社会からの侵略者現る】

 

 氷巌城統治機構の発表によれば、我が氷巌城に対する、人類からの悪逆非道な侵略行為が確認された。侵略者(写真)は悪趣味極まる黄金の剣と鎧で武装しており、容姿は一見すると秀麗なるも、その実態は残忍、凶暴、悪逆非道の権化であり、我が善良かつ強力なる兵をもってして、すでに多数が無念にもその凶刃の餌食となったという。

 現在、軍は総力を挙げてこの邪智暴虐なる侵略者の捜索および駆逐にあたっているが、誉れ高き氷騎士がすでに卑怯極まる残忍な手段によって

 

 

「ストーーーップ!もういい!!」

 百合香の怒気をはらんだストップによって、瑠魅香は読み上げるのをやめた。

『だから言ったじゃん』

「悪逆非道ってなによ!!」

『あたし読んだだけだよ。文句なら書いた人に言ってよ』

 瑠魅香の言う事はまったくその通りなのだが、百合香は憤りを向ける矛先が見当たらず、その言われように憤慨した。

「邪智暴虐とは何よ!走れメロスじゃあるまいし!!」

『そんな怒っても仕方ないじゃん。メロスって誰だか知らないけどさ』

「許さないわ。こんな三流記事を書いた奴、ただじゃおかないから!!」

 

 百合香は激怒した。



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剣はペンよりも強し

 百合香が、自分に対する悪口雑言が書かれた新聞記事に憤慨しながら氷巌城第1層の通路を進んでいると、今度は壁に同じような新聞が張られていた。今度は瑠魅香の写真が載っている。

『あっ、あたしだ』

「またろくでもない事書かれてるんじゃないの?」

『きっと素敵な魔女って書かれてるんだよ』

 そのポジティブさはどこから来るのだろう、と百合香は相方の性格を羨ましく思った。

 氷魔の文字は百合香には読めない。とりあえず、瑠魅香が百合香の視界を通して読めるように新聞の前に立つ。

『うん、いいよ。行こう』

「なんて書いてあったの」

『読まなくていい』

 若干声色に棘がある。どうやら、百合香と同じく言いたい放題の記事だったのだろう。

「ほらね」

『人間社会の新聞もこういう事書くの!?』

 すでに怒りを露わにしている瑠魅香である。百合香は答えた。

「新聞っていうのは、それなりに言葉は丁寧だけど…まあ、それぞれの立場にとって都合がいいように書いている、とは言えるのかもね」

『真実は書かないの?』

「基本的には、真実が書かれている。…とは思う」

 百合香は慎重に言葉を選んだ。

「新聞っていうか、情報を発信する媒体は、それぞれにとって都合のいいものを取捨選択しているのが、普通かもね」

『じゃあ、どれが正しいの?みんな違う事言ってるなら、ほとんどが間違ってる事にならない?』

「うーん」

 百合香には、即座に答えが出せない問いである。

「ごめん。私には答えられないわ」

『ふーん』

「精霊の世界では、情報はどうやって共有されるの?」

『基本的には、全ての情報が瞬時に共有される。だから、みんなが真実を知っている。個人的な感情だとかは別として、コミュニティ全体にとって重要な情報を、隠す精霊はほとんどいない』

 瑠魅香の語る内容は、百合香にはなかなか理解しがたい情報だった。

「…瑠魅香。あなたが人間になりたいと思う気持ちは尊重するし、実現したいなら応援するけど、ちょっとだけ、忠告させて。友達として」

『うん』

「人間の社会っていうのは、”嘘と隠蔽”で成り立っている側面がものすごくある。それは、世の中全体のレベルだけの話ではなくて、私達のような世代どうしのコミュニケーションの中にもある」

『うん』

 

「だから、あなたがいつか、人間社会で生活するようになった時、あなたは大きな幻滅を体験するかも知れない」

 

 百合香は、重みを伴う口調でそう言った。瑠魅香は少しの沈黙をはさんで答える。

『じゃあ、いま百合香は私に隠し事、あるいは嘘をついている?』

「隠し事はある」

 百合香は、はっきりとそう言った。

「私の、プライベートな感情だとか、家族にも明かしたくない事柄はある。それは間違いない」

『私にも?』

「…そう。あなたにも。あなたは私にとって、すでに家族や他の友達と同じ存在だもの」

 そう答えられた瑠魅香は、小さく笑った。

『うん、わかった。やっぱり、百合香を信じて良かった』

「え?」

『隠し事がある、ってきちんと説明してくれるなら、それはひとつの真実よ。本当に隠す人は、隠している事じたいを隠すもの。違うかしら?』

 瑠魅香の言葉は、なんだか禅問答や哲学にも通じるものがある、と百合香は思った。今更だが、瑠魅香の知能レベルは非常に高いのではないだろうか。

『人間社会に真実は存在しないの?』

「そんな事はないわ。真実が存在しなければ、なんていうか…ひとつの種がこんなに長く存在はできないと思う。まあ、色々と至らない生き物ではあるけれど」

『なら、大丈夫だよ、きっと』

 瑠魅香は笑って言う。

『うん、たぶん色々な幻滅を感じる事はあると思う。それが、どんなものなのかは知らないけどね。でも、あなたは人間が美しいっていう、ひとつの証明。だから、あなたが人間を信じられるなら、私は信じる』

「人をアテにすると、裏切られるかもよ」

『今のところ、百合香は私を裏切ってなんかないよ。ただ、ブラックコーヒーがあんなに苦いっていう”真実”は、先に伝えておいて欲しかった』

「あははは、ごめん」

『ふふふ』

 二人は、ひとつの精神を共有して笑い合った。

「私、あなたとこうして語らうのは好きよ」

『私もよ。いつか、人間になって、互いに向かい合ってお話したい』

「いつかね」

 そう言うと、再び百合香は新聞が貼ってある壁を離れて歩き出した。言葉で語り合うという事は、どういう事なのだろう、と考えながら。

 

 

 その後数分間歩いていると、またしても壁に新聞が貼ってあった。今度は、見覚えのあるシルエットの写真が載っている。パッと見は新聞というより、手配書、人相書きの雰囲気もあった。

「ちょっと、これ…」

『え?』

 百合香は、新聞の写真を指さした。なんとそれは、第1層で最初に出会った氷騎士、サーベラスである。

「何て書いてあるの!?」

『待って。…”裏切り者のサーベラス、処刑執行される”!!』

「なんですって!?」

 百合香は少なからずショックを受けた。瑠魅香は続けて読む。

『”栄誉ある氷騎士の立場にありながら、人間の侵略者と手を結んだサーベラスに対し、偉大なるラハヴェ皇帝陛下は処刑命令を下され、捕えられたサーベラスとその配下たちは、断首刑に処せられた”』

「嘘よ!」

 百合香は、蒼白になってサーベラスの写真を見た。サーベラスは、処罰しに来る奴がいたら返り討ちにする、と言っていた。

『落ち着いて、百合香。そうよ、これが真実と決まったわけじゃない』

「……」

 しかし、と瑠魅香は思った。これが真実でない、という保証だってどこにもない。氷魔皇帝ラハヴェとやらがその気になれば、配下の一人を処刑するくらい、造作もないのではないか。瑠魅香は、少なからず百合香が動揺している事に気付いたため、それは黙っていた。

「…行こう」

 少し硬い表情で、百合香は再び歩き出す。

 

 だが、またしても新たな新聞が貼られていた。今度は、写真が貼られてはいない。文章だけである。

「…これは、何だろう」

『読めばいい?』

 百合香は少しだけ考えたあとで、小さく頷いた。瑠魅香はゆっくり読み上げる。

『”レジスタンス一斉検挙、収監される”』

「…うそ」

『”長らく氷巌城を悩ませてきたレジスタンス達だが、内部からの密告によりアジトが判明。憲兵隊によってアジトは急襲され、一部を除いてほぼ全てのレジスタンスが地下牢に収監された。全員の死刑は間違いないと見られる”』

 そこまでで、ひとまず瑠魅香は読むのをやめた。続きは細かい補足だけである。

『百合香』

「…ホントじゃないよね」

『私には、わからない』

 思ったままを瑠魅香は言った。

『これが真実であるなら、情報を城内で共有するためだと理解できる。もし嘘だというのなら、どうして嘘をわざわざ貼るのか、という疑問もある。しかも、百合香には読めない言語で』

 瑠魅香の指摘はその通りだった。氷魔の知能レベルからして、おそらく日本語の文章を書く事は容易いと思われた。

『氷魔の言語で書かれているということは、氷魔に伝えるのが目的ということ。そこに嘘を書いても何にもならないどころか、むしろ情報が錯綜して、混乱するだけかも知れない』

「じゃあ、サーベラスやレジスタンスのみんなはもう死んじゃったっていうの!?」

 百合香は声を張り上げた。

『百合香、静かに』

「…私は、信じないわ。こんな飛ばし記事」

『……』

 瑠魅香には、百合香の心の動きがよくわかった。もう、ほぼ完全に混乱しつつある。この状態で、もし戦闘に入ったら、対処できるのか。

 

 その瑠魅香の危惧はすぐに現実となった。通路の奥から、ナロー・ドールズが大挙してきたのだ。

『百合香!』

「えっ!?」

『まずい!』

 瑠魅香は、咄嗟に表に出て杖を構える。

「『サンダー・ニードル!!』」

 大きく振った杖の軌跡に無数の小さな雷光の球が発生し、それは針の雨となってナロー・ドールズ達を一斉に撃ち抜いた。通路に、氷の人形の残骸が折り重なる。

「ふー」

『…ごめん、瑠魅香』

「いいのよ。私もたまに動かないと、体がなまっちゃうわ」

 なんとか百合香の気持ちに負担をかけまいとする瑠魅香だったが、ほんの数枚の新聞記事で、百合香の精神は予想外に参っているようだった。その理由は、いつも百合香と精神を共有する瑠魅香にはよくわかった。

「百合香、たった一人でこの城に乗り込んで来たんだもんね。心細かったよね」

『…うん』

 瑠魅香に、百合香の涙声が聞こえた。

『正直ね。今でも、もう駄目だ、って思うんだ』

「……」

『わたし、ただの女の子だもの』

 それは、たびたび百合香が口にする言葉だった。

 いくらすごい力を持っていたところで、結局は一人の少女である。それが突然、命懸けでみんなの命を救うために戦わなくてはならないと言われても、まともな精神の持ち主なら、受け止めきれるわけがない。

 そんな心理状態で、たとえ真偽不明であっても動揺を誘う情報がもたらされたら、いかに強い精神を持っていたとしても、影響を受ける事は避けられなかった。

 そんな百合香に、瑠魅香は言った。

「百合香。怖がっていいよ。泣いていいよ」

『…え?』

「不安な感情に嘘をつくのは、良くない。不安なら不安だと言えばいいの」

『……』

 百合香は、その言葉に即座に救われたわけではないが、ほんの少しだけ冷静さを取り戻す事ができた。

「何を言ったところで真実が変わるわけではないし、私が今ここで、あなたの心を支えてあげられるなんて、偉そうな事は考えてないわ。むしろ、何もしてやれない自分に苛立ってる」

『そんなこと、ないよ』

 百合香は、必死で励ましてくれる相棒にそう言った。

『いつだって瑠魅香は、たった一人の私を励ましてくれる。今も、こうして』

「そう言ってくれると、私も助かる。でもね」

 瑠魅香は、間を置いて言った。

「私だって怖いんだよ」

『え?』

「考えてみてよ。私は、氷巌城を裏切って、この可愛らしい侵略者に手を貸してるんだよ。裏切りの度合いで言えば、サーベラスなんか私の足元にも及ばないわ」

 そう言われて、そういえばそうだ、と百合香は思った。

「それに、人間になれなかったら、どうなるのか。精霊である事を放棄して、百合香のおかげで存在できている私が、もし人間になれなかった場合、どこかの時点で消滅してしまうんじゃないかとか、色々考えるんだよ」

『…そうだったんだ』

「百合香の不安を理解できるなんて、偉そうな事は言わない。けど、私も私で怖いんだよ」

『…そっか』

 それは、確かに百合香の気持ちを安定させる言葉だった。無責任に元気を出せと言われるより、ずっと心に入ってくる。

『…怖いものを、怖くないと言い張るのは、真実じゃないって事か』

「うん、そうだね。そういうこと」

『怖いなら、怖いでいいのか』

「そうだよ。一緒に怖がろう」

『何それ』

 ようやく、百合香が笑った。

「それにね、百合香」

 瑠魅香は、またしても少し先の壁に貼ってあるのが見える、新聞を睨んで言った。

「その目的が何であれ、言葉は言葉でしかない。そして言葉は、心よりも誤解されやすい、不完全なもの。そうでしょう、起きている事や思っている事を、文字という形式に変換するのだもの」

『哲学的な話になってきたわね』

「うん。だからね」

 言いながら、瑠魅香は貼ってある新聞に近付く。

「私はね、百合香。この新聞は、あなたに向けて書かれたものだと思う」

『私に!?』

「そう」

『何のために?』

「もうわかるでしょ。こうやって、あなたに動揺と混乱をもたらすためよ」

 瑠魅香は、そう断言した。

「正直、あなたがこんなに言葉で動揺するとは、私も思ってなかった。でも敵は、あなたが一人の少女である事を知ったうえで、こうして精神に揺さぶりをかけてきたんだと思う」

 瑠魅香は、新たな新聞を力任せに剥がし取った。

「読むわよ。”地上の制圧の第一段階完了する”」

『!』

 それは、百合香を戦慄させるに十分すぎる見出しだった。

 内容は、次のようなものであった。

 

 

 【地上の制圧の第一段階完了する】

 

 我らが氷巌城地上部隊は、愚かなる人類文明をこの地球上から排除するための作戦を計画どおりに開始し、その第一段階は完了した。まず、氷巌城周辺地域の人類約80万人の凍結が確認された。この人間たちは氷巌城を稼働させる生命エネルギー源となる。さらなるエネルギー確保のため、この範囲は拡大され、最終的には地球全土が凍結して氷巌城を支える礎となる計画である。

 また、人類の脆弱なる軍事施設は、すでにそのほとんどが極低温によって機能停止しており、彼らが核兵器と呼ぶ非効率的な兵器も、すでに使用不可能な状況に追い込まれた。現在の人類の白兵戦用武装で我々の装甲を破る事は不可能であり、彼らが戦争を仕掛けてきても、事実上すでに勝敗は決している。我々氷巌城による地球統一はすでに達成されたも同然である

 

 

「だって」

 きっちり読み上げた瑠魅香は、百合香に感想を促した。

「書いてある事、信じる?」

『…半分は信じる』

「なあに、それ」

 瑠魅香は、百合香の回答を興味深そうに聞いた。

『私が好きなホラー系のTVドラマに、こんなセリフがあるの。”嘘は真実の上に薄く被せてこそ、その効果を発揮する”って』

「ほう。なかなか鋭いところを突いたセリフだと思うわ」

『だから、私の動揺を誘うためっていうあなたの推測が正しいなら、これまで読んで来た新聞記事の内容に、真実は含まれていると思う。その割合はわからないけど』

「ふむ」

『それを踏まえたうえで、サーベラス達が処刑されたとかいう話は、頭からは信じない事にする』

 百合香の結論に、瑠魅香も同意した。

「そうね。私もそう思う」

『でも、地上に影響が出ているという話は、おそらく真実よ』

 百合香は、ほとんど断定するような口調で言った。

「そうなの?」

『私は、すでに学園が凍結するのを目の当たりにしたわ。あの凍結現象の範囲が拡大したとしても、何の不思議もない。軍事施設うんぬん、という話は私には確認しようがないけれど』

「なるほど」

 瑠魅香は、新聞をくしゃくしゃと丸めて床に放り投げる。

「それでどうするの百合香、ここから」

『この新聞を作った氷魔を突き止める。氷騎士かどうかはわからないけど』

「突き止めてどうするの?」

 瑠魅香は訊ねる。百合香は、当然という風に答えた。

 

『剣はペンよりも強い、という事を教えてやるわ』



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ディウルナ

 奇怪な新聞の情報を気にしつつ、百合香は瑠魅香のサポートでどうにか心を落ち着けて、再び表に出て移動を開始した。

 

「またあった」

 十字に分岐する通路の右手の壁に、新たな新聞が貼ってある。そこには、雑兵ナロー・ドールズの生産工程らしき写真が掲載されていた。

『”ナロー・ドールズに不具合、一斉リコールか”だって』

 瑠魅香が、その新聞の見出しを読み上げる。

「なにそれ」

『あっちもトラブルがあるって事なのかな』

「あんなザコ人形、不具合なんてあってもなくても一緒でしょ」

 言いながら百合香は、とりあえずそれが貼ってある方向の通路を曲がる。

 

 さらに進むと、今度は丁字に分岐しており、左側に新聞が貼ってあった。

『”魔導柱の修復完了、防衛体制の強化へ”』

「まどうちゅう?」

『たぶん、この間百合香が壊した例の柱だよ』

 それは、城の基底部から情報へ突き抜ける、下界からの生命エネルギーを吸い上げる装置だった。

「また見つけたら、今度は確実に破壊しないと」

『慎重にね。警戒が強くなってるはずだよ』

「うん」

 百合香は、また新聞が貼ってある方に曲がる。

 

 その後も似たような分岐ルートがあり、そのたびにどちらか一方の壁に、同じように新聞が貼ってあった。しかも、だんだん枚数が2枚、3枚と増えている。もはや百合香も瑠魅香も、内容には興味を持っていなかった。

「どういう事だろう」

『さあ』

「それにしてもこの城、外観から想像していた以上に広いな…一体どこまで広がっているんだろう」

 そう、百合香が呟いた時だった。通路が行き止まりになっているのに百合香は気付いた。

「参ったな」

 溜息をつく百合香だった。右側の壁に、奥からドア1枚ぶんくらいのスペースを空けて、新聞が1枚だけ貼ってある。瑠魅香は見出しを読み上げた。

 

『”侵入者の気配途絶える 捜索は難航か”』

 

「瑠魅香のステルスイヤリング、効いてるって事じゃないの?」

 百合香は、瑠魅香が創ったエネルギー中和イヤリングを触った。

『あたしもやるもんだね』

「自分で言うかな」

 言いながら、百合香は行き止まりの壁を睨む。

「引き返すしかなさそうね」

『待って、百合香』

 突然、瑠魅香は百合香を引き留めた。

「なに?」

『なんかヘンじゃない』

「ヘンな事だらけだわ、この城は」

『そういう事じゃなくてね。ちょっと代わって』

 瑠魅香は、百合香とバトンタッチして表に出てきた。

「ねえ、百合香。今まで、分岐点ごとに壁に新聞が貼ってあったよね」

『うん』

「しかも、枚数がどんどん増えて行った。さっきの壁には4枚もあった。まるで、こっちだよ、って私達をおびき寄せているみたいに」

『あっ』

 百合香は、その言葉にハッとさせられた。

『罠ってこと?』

「なんとも言えない」

『でも、こうして行き止まりに来ても、誰か待ち伏せていたわけでもない』

「ねえ。このスペース、何か不自然じゃない?」

 瑠魅香は、新聞の左横に空いているスペースを見た。

「しかも、この記事内容」

『あれ?ねえ、瑠魅香。その新聞、下にもう1枚貼ってない?』

 百合香の指摘に、瑠魅香は新聞をよく観察した。

「あっ」

 確かに、左下の角がわずかに裂けており、そこにもう1枚の新聞らしき紙の角が見える。瑠魅香は、表の新聞をゆっくりとはがしていった。

 

 そして、新聞の下に貼ってあった小さな紙片に、百合香は驚愕した。

 

 

 【野球のランナーが塁を通り越してしまう行為の名称は?】

 

 

 という文面が、日本語で書いてあるのだ。

『なに、これ』

「百合香の世界の…日本語、だよね」

『どういう事?』

「うーん」

 瑠魅香は唸ったのち、百合香に訊ねた。

「それで、このクイズの答えは?」

『え?それは、「オーバーラン」っていう…』

 百合香がそう言った、その時だった。

 左側の壁のスペースがスッと消えて、その奥に通路が現れた。

「!!!」

『!!!』

 二人は、突然の無音の出来事に、心臓が停まるかと思った。

「なっ、なにこれ?」

 そう思っていると、壁に貼ってあった紙片はスッと消えてしまった。

「これ、魔法の扉だ。合言葉で開くんだ。でも、こんな所にどうして」

『…誰かが、これを仕掛けていたんだ。私を招き入れるために』

「あっ」

『日本語を読める氷魔はいるかも知れないけれど、野球の用語を知っている氷魔なんて、サーベラスみたいな例外を除いて、多分いない。現に、いま瑠魅香がそれに答えられなかった』

「なるほど」

『瑠魅香、代わって。私をご指名なら、私が出ないとね』

 

 再び瑠魅香と交代した百合香は、通路の奥を見た。階段が下に降りている。

『行くの?』と瑠魅香。

「ここまでお膳立てされて、行かないってわけには行かない」

『罠かもよ』

「なら、罠をぶち壊すだけよ」

 そう言う百合香に、瑠魅香は笑った。

『悪逆非道、当たってるんじゃない?』

「うるさいわね」

 百合香は聖剣アグニシオンを両手で構え、通路の奥へと進む。すると、とたんに再びドアが閉じられ、暗闇に包まれてしまった。

『百合香!』

「照明なら持ってる」

 そう言って、百合香はアグニシオンを発光させた。

『便利よね、その聖剣』

 

 階段を降りていくと、以前の地下ライブハウスのような、ノブつきのドアが現れた。

「開けるよ」

『気を付けて』

 瑠魅香に言われて、百合香は一呼吸置いてノブに手をかける。しかし。

「ん?」

 力を入れても、ノブは回らなかった。

「鍵がかかってる」

『留守なのかな』

 だんだん会話が町内会じみてきたところで、ドアの向こうから男性の声がした。

『誰だ』

「!」

 百合香と瑠魅香はギクリとした。こちらに気付かれていたらしい。当然ではあるが。

 男性の声は、続けて質問をしてきた。

『日本国内で、存在理由がよくわからないドアや階段などの設備を指す俗称を言え』

「は!?」

 百合香は面食らった。いきなり何を言い出すのか。

「合言葉ってこと?」

『そんなところだ』

「トマソンでしょ。学校の近くの建物にもあるわよ。高さが中途半端で、階段もついてない謎のドア」

 百合香がそう答えると、ドアノブが青緑色に一瞬光って、ガチャリという音がした。

『入りたまえ』

 男性の声はそう言った。

「なんか、ちょっと想像してたのと違う展開になってきたな」

『入るの?』

「逆に訊くけど、この状況で立ち去れる?」

 それもそうだ、と瑠魅香は言った。

 

 ドアを開けると、中はなんだかシャーロック・ホームズの下宿部屋みたいな雰囲気だった。氷巌城である以上、全てが青白いのは致し方ない。

 ホームズの部屋と明白に異なるのは、部屋の奥に、いかにも書くことを生業としています、といった風情のデスクが据えてある点である。そして、デスクにはソフト帽ふうの帽子を被った、のっぺらぼうの氷魔が座っていた。

「!」

 瞬間的に百合香は身構えた。

「おっと、物騒なものは下げてくれ」

「ふざけないで。あなたね、あんな訳のわからない新聞を貼って、私に読ませたのは」

「ほう、君はあの文字が読めるというのか」

「うっ」

 少し高めの、鼻にかかったような声で、氷魔は言った。

「それとも、他に誰か読める人がいる、という事なのかな」

 帽子の氷魔はゆっくり立ち上がると、百合香を指差して言った。

「私の推測はこうだ。侵入者くん、君には、氷魔側の何者かが常に協力している。いや、もと氷魔側、というべきなのかな。それはひょっとして、謎の黒髪の魔女なのだろうか」

 百合香は、喉を締め付けられるような思いでそれを聞いていた。この氷魔は、何かを知っている。いや、完璧に知っていないかも知れないが、真相に近い所にいる。

 氷魔はさらりと答えた。

「最初の質問に答えよう。あの新聞を書いたのは私だ。貼ったのは違うがね」

「誰だというの」

「協力者、とだけ言っておこう。どうぞ」

 そう言うと、自分は再びデスクに座り、百合香には応接用のチェアーを勧めた。

「ここでいいわ」

「君がそれでいいというなら、構わんよ。脚が疲れやしないかと思ってね。それとも、体重は一人分で済んでいるという事なのかな」

「!!」

 百合香は、今度こそ確信した。この氷魔は、瑠魅香が百合香の中に存在している事を見抜いている。

「女性の体重を訊くなんて、紳士とは言えないわね」

「おっと、これは失礼」

「回りくどい話は嫌いなの。あの新聞を書いた目的は何」

 百合香は、いつでも斬りかかるぞ、といった態勢で凄んでみせる。それに少しも動じることなく、帽子の氷魔は言った。

「もちろん、君をここに呼ぶためさ。お招きに応えていただいて、感謝しているよ」

「そのままで質問に答えなさい。あの記事の、どこからどこまでが真実なの」

「それを訊ねる君はどう思うね」

 そう問われて、百合香は答えに窮した。実際のところ、百合香には判断のしようがない。しかし、思っているところは答える事にした。

「サーベラスとレジスタンスが処刑、というのは嘘だわ」

「なぜかね?裏は取ったのかね」

「写真よ」

 百合香の指摘に、氷魔はぴくりと反応した。

「あのサーベラスの写真は、訓練の風景だった。捕らえられた者に関して報道するなら、捕えられた写真を載せなければ、信憑性に欠ける」

「……」

「レジスタンスに至っては、写真さえ載っていない。一斉検挙された組織のうち、幹部一人の写真すら用意できない理由は何か。それは、そんな事実が存在しないからよ」

 すると、氷魔はパチパチと拍手をしてみせた。

「いや、お見事。君たちについて悪口雑言を書き散らした件は、謝罪させていただく。申し訳なかった」

 氷魔はハットを脱いで深く頭を下げる。頭部は、デッサン人形のようにつるつるだった。どこから声を出しているのだろう。

「いかにも、サーベラスが処刑されたという情報は、今のところない。レジスタンスについてもね」

「つまり、他の記事についても虚偽を認めるということ?」

「いくらかはね」

 改めてハットをかぶると、氷魔は再びデスクにつく。

「まず、君が住んでいた都市については、現段階ではまだこの城の真下のような事態になってはいない」

「それは本当なの?」

 百合香は、身を乗り出して確認を取る。

「本当だ」

「良かった…」

「だが、事態が良くなっている、というわけでもないらしい。君達が言うところの、”寒波”というものが各地で発生している。都市機能が麻痺し、混乱をきたしている、という事だ」

 その報せは、百合香を動揺させた。母親は無事なのだろうか。氷魔は続ける。

「いずれ、放置しておけば事態は拡大し、私が書いた記事は現実になる」

「ちょっと待って。あなたは何者なの」

 百合香は剣を下げて訊ねた。

「私の名はディウルナ。この氷巌城で官報を書いている。…表向きはね」

「どういうこと」

「やれやれ、察しが悪いな。あの新聞の嘘を見抜いたなら、わかるだろう」

 すると、百合香の背後で瑠魅香が言った。

『百合香、この人レジスタンスだわ』

「なんですって?」

 瑠魅香の声にうっかり返事をしてしまった百合香は、慌てて口をふさいだ。ディウルナは笑う。

「ふふふ、いまの声が君の”協力者”というわけだな」

「瑠魅香、なんで声を出したのよ!」

『わかるもの。この人からは、悪意の想念を感じない』

 そう瑠魅香は言った。

「いや失礼。本当のことを言うと、君の情報は知っているんだ、瑠魅香くん」

「えっ!?」

「そして、人間界から勇敢にもこの氷巌城に挑んできた少女、百合香くんだね」

 氷魔はコツコツと百合香に近付き、握手を求めてきた。よく見ると、服装は少し古めのデザインのブレザーである。百合香もしぶしぶ警戒を解いて、握手に応えた。

 

「城の広報係がこんな事やってていいの」

 百合香は、怪訝そうに訊ねる。

「百合香くん、君は、君の世界で”ジャーナリズム”というものを最初に始めたのは誰か、知っているかな」

「クイズが好きな人ね」

「答えてみたまえ」

「…いつかしら。産業革命とか、そのあたりの誰か?あまり、その問題について考えた事はないわね」

 すると、ディウルナは笑って答えた。

「なるほど。では教えてあげよう。最初に”ジャーナル”つまり日報を用いたのは、紀元前のユリウス・カエサルだ」

 まさか氷魔から歴史学の講義を受けるとは予想していなかった百合香は、面食らって驚いた。

「そんなことを知っているの!?あなたは」

「サーベラスがソフトボールの知識を持っているのだ。新聞書きに人間の歴史の知識があって、なにか不自然かね?」

「ぬぐぐ…」

 何なんだこいつは、と百合香は思った。アグニシオンで叩き斬ってやろうと意気込んでいたのに。

「カエサルは執政官の任に就いた紀元前59年、元老院の議事録をまとめて公表する事にした。これが君達の歴史上、最初の新聞といわれる「アクタ・ディウルナ」だ。その真の目的は、何だったかわかるかね」

「政治の透明性を高めるためでしょ?」

「それは理念だ。カエサルにはその理念もあった。だがね、直接的な理由としては、元老院にとって不都合な真実を公表することで、彼らの支配力を弱める目的があったのだ」

「…なるほど」

 話を聞きながら、百合香はほんとうに人間と話しているような気がしてきた。ジッパーがついていないか、背中をあとで確認しなくてはならない。

 講師ディウルナの講義は続いた。

「いま、この氷巌城には、かつてないほどに”反乱分子”が急増している。実のところ、城側はその抑え込みに手を焼いているのだ」

「そうなの!?」

「本当だ。人間社会を混乱に陥れるやり方に、少しずつ疑問を持ち始めている個体も少なくない」

 そこまで聞いて、百合香はなんとなく、ディウルナが何をしようとしているのか、わかってきた気がした。

「…あなたは、この城の支配体制を、情報の力で揺るがしたいと思っているのね」

「はっきりと、そこまで直接的な効果が見込めるとは思っていないがね」

 デスクの上に腰掛けると、ディウルナは一枚の新聞を差し出した。日本語ではない。受け取ると、百合香は瑠魅香に読んでもらう。

 

『”生命エネルギーいずれ枯渇 矛盾抱えた氷巌城のシステム”』

 

「これは…」

 百合香がディウルナを見ると、ディウルナは小さく頷いた。

「読んだとおりだ。氷巌城を支える生命エネルギーは、それを吸い続ければいずれ地上から消滅する。この城は、誕生した瞬間から崩壊が決定しているのだ。しかも、膨大な数の他者を犠牲にしてね。私は、それを頃合いを見て全ての氷魔に公表しようと思っている」

「ちょっと待って。氷魔全てが、そのシステムを知っているのではないの?」

 すると、ディウルナは自嘲気味に笑った。

「さっきから何度も、質問に対して質問で返して申し訳ないが。君達人間の社会で、軍事やエネルギー、環境問題について、常に民衆に真実が提供されているかね、逆だろう。支配者たちは自分達のために都合のいい”真実”を語り、民衆の中の、それに付き従う事が正義だと思い込んでいる者たちが拡散する。そうではないかね」

「そっ…それは」

 百合香はまたも答えに窮した。若者である百合香も、何かおかしいと思う事はある。ディウルナは話を続けた。

「いや、それは別な問題だ。例えとして引き合いに出しただけだよ。だが、氷巌城を構成するためにこの城に束縛された精霊たちは、そのほとんどが思考までをもコントロールされているため、真実など知らない。沈む泥舟だと最初から決定しているこの城に縛りつけられて、人間や生命の世界を否定し、蹂躙するという、くだらない歪んだ欲求を満たすためだけに利用されるのだ」

「…そして、城が滅びれば」

「また城の記憶とともに眠りにつく。”次の文明”が栄華を極める、その時までね」

 百合香は、ディウルナの解説に背筋が寒くなった。それは、瑠魅香の推測と見事に合致したからだ。

 

「”ペンは剣よりも強し”というリットンの戯曲の有名な一節は、権力に立ち向かう言論の理念としてよく引用される。だが実際のセリフは”まことに偉大な統治のもとでは、ペンは剣よりも強し”となっている。これは知っているかね」

 ディウルナは、今度は文学の講義を始めたらしかった。百合香は渋い顔で答える。

「…知っているわ」

「さすがだ。では、その意味も知っているね」

「枢機卿リシュリューは、自分を狙う騎士団の反乱分子を黙らせるための文書を発行したのよ。”偉大な統治のもとでは”、つまり強大な権力者はペンの署名ひとつで、手を汚さずに武力を左右できるということ。言論の理念なんかじゃないわ。権力の横暴に対する痛烈な皮肉よ」

「ははは!」

 ディウルナは笑う。

「そのとおり。結局のところ、ペンで武力を動かせと言っているのだ。だがね」

 静かに立ち上がると、ディウルナは抽斗から、ひとつの署名らしきものが書かれた紙片を取り出した。

「何も、それは権力者の側だけが行使できる、と神が定めたわけではない。支配される側が、言葉で武力を動かす事も可能だ。実際に歴史はそれを繰り返してきた」

 そう言って、ディウルナはその紙片を百合香に手渡す。

「これは?」

 読めない署名を見て訝しむ百合香に、ディウルナは小さく笑って言った。

 

「開かない扉を、こじ開けるための剣だ」



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再会

 ディウルナの差し出した、氷魔の言語で署名がされているらしい紙片を、百合香は瑠魅香に確認してもらった。

「これ、何なの」

 百合香の視界を通して、瑠魅香はその文面を確認する。

『これ…通行許可証だ。ディウルナの署名の』

「通行許可証?」

 百合香はそれをまじまじと見る。それほどきっちりと仕様が定まっている感じはなく、急いで用意しました、といった雰囲気だ。

「どこを通るための許可証なの」

「この層から、上層へ登る階段のゲートを通るためのものだ」

 あっさりとディウルナは言った。

「知ってのとおり、誰かのおかげで今、この城の警戒態勢は強まっている。君たちをあの新聞で誘導したのは、比較的警戒が緩いルートを通ってここに来させるためだ」

「どうりで、それまで遭遇してた兵士たちに出会わなかったと思った」

 百合香は、これまでの通路の様子を思い出していた。たびたび現れていた氷の兵士たちが、ぱったり現れなくなっていたのだ。

 ディウルナは、通行許可証について説明を続ける。

「現在、幹部クラス未満の階級の兵士は、層を移動するゲートを通行するために、幹部クラス以上の階級の署名が入った通行許可証を提示しなくてはならなくなった」

「まさか、これを提示してゲートをくぐれって言うの?私が現れた時点で、兵士が大挙するわよ」

「もちろん、安全な方法は考えている。私の手下の指示に従いたまえ。あるいは私が上層から行き来しているルートで、一気に第3層まで連れて行ってやってもいいが、今の君たちでは第3層の幹部には勝てんだろう」

 それを聞いて、百合香たちは驚いた。

「あなたまさか、第3層の幹部なの!?」

「ノー。いわゆる幹部とは、ちょっと違う。サーベラスのような戦闘能力もない。まあ、階級の上下で言えば、幹部と同格ではあるだろうがね」

「でも、こうして私達を手引きするということは…」

「そう。城側から見れば、裏切り者だ。そこは、ハッキリさせておいていいだろう」

「私達の味方だと思っていいのね」

 百合香は、そこもハッキリさせろ、という視線をディウルナに送った。デッサン人形の顔面では、表情はわからない。

「イエスだ」

 中途半端な事を言っても仕方ないと思ったのだろう、ディウルナはそう断言した。

「ただし」

 百合香が予想した事ではあるが、ディウルナは腕を組んで、うつむき加減の姿勢で語った。

「私は、それなりの立場にある。そういう存在がレジスタンス活動の手引きをするには、色々と制約が多い事は、わかってもらえると思う。味方なのは間違いないが、それを実行できる場面は限られてくる」

「それは…当然でしょうね」

「なので」

 そう言ってディウルナは、また抽斗を引いて何かスティック状のものを取り出した。

「これを渡しておこう」

「なにこれ」

 百合香は受け取って、それを眺めた。水晶でできた、マレットか太めのマドラーといった雰囲気だ。

「その壁面に、それで何か書いてみたまえ」

「え?」

 百合香は、言われるままに壁面に「Yurika」と書いてみた。すると、筆跡がオーシャンブルーに光って、壁面に残された。

「これ…」

「この光は、君たちと私と、私の手下だけに見える光だ。私も同じものを持っている」

「これで、どうしろっていうの?」

 

「それはですね」

 

 突然、デスクの背後から聞こえた聞き覚えのある少年のような声に、百合香は驚いた。

「今の声…」

『あいつだよ、あの基底部にいた探偵猫!』

「オブラ!?」

 百合香がその名を言うと、デスクの後ろから小さな影が素早く飛び出して、その上にちょんと座った。今回はニッカポッカにベスト、ベレー帽という格好である。

「覚えていてくださって光栄です」

「無事だったのね!…って、まさか」

 百合香はディウルナを見る。ディウルナはまたも、あっさりと答えた。

「そうだ。私の手下とは、彼ら”月夜のマタタビ”だ」

「妙に自信満々だと思ったら、バックがいたって事か」

「彼らの名誉のために言っておこう。私が彼らの存在を知り、実力を買ってスカウトしたのだ」

 ディウルナは、オブラを手で示しながらそう言った。オブラは、スティックを指差して説明する。

「百合香さま、実際に城の通路に出てから説明しますが、要するにこれで我々とのコンタクトを取る、ということです」

「これで?」

「はい」

「…ふうん、わかった」

 百合香は、オブラが言うならそうなのだろうと思って、それを懐にしまった。

 

 ディウルナは小さく頷いたあと、オブラ達との経緯を説明してくれた。

「氷巌城が実際に顕現するまでの準備段階から、レジスタンスがいるという話は聞いていた。しかし、なかなか尻尾を表さない。物理的に具現化する前の想念の段階から、すでに存在をくらまして活動している彼らの実力に、私は注目していた。実際、彼らの工作活動のために、下界への影響がある程度抑えられているという実績があるのだ」

「そうなの!?」

『そうなの!?』

 百合香と瑠魅香はユニゾンで驚きながらオブラを見る。オブラは自信あり気に言った。

「お二人ほどではありません」

「もちろん、この事は公表しないように、と私に上から命令が下っている。レジスタンスに邪魔されたなどという汚点が明るみに出れば、反乱分子が勢いづく可能性があるためだ」

 ディウルナは、腕を後ろに組んで部屋をゆっくり歩き、百合香の方を向いた。

「百合香くん、そして瑠魅香くん。たいへん情けない話ではあるが、我々の計画には君の力が必要だ」

 正直にディウルナは言った。

「頼もしい反乱分子は確かにいる。例えば、レジスタンスの風来坊、マグショットのようにね」

「知ってるのね、彼を」

「むろんだ。彼の他にも、確かな実力を持った者はいる。マグショットなら、サシで戦えば幹部の一体や二体は倒せるだろう」

 やっぱりそうなのか、と百合香たちは思った。あの実力は並大抵ではない。

「しかしだ」

 ディウルナは言う。

「相手は一人ではない。いうなればひとつの国だ。それに立ち向かえるのは、単独で強いだけの存在ではない。強く、かつ、旗を掲げられる存在だ」

「…旗」

「そうだ。旗といっても、権力ではない。理想だ。目に見えない理想の旗を掲げ、大勢を巻き込める者だ。イエス・キリストや、ゴータマ・ブッダのようなね」

「ちょっと、待って」

 半笑いで百合香が、焦ったように言う。

「あのね。私はべつに、イエスやお釈迦様になりたいと思ってるわけじゃない。ジャンヌ・ダルクになりたいともね。私は、ただ私と、大事な人達の日常を、取り戻したいだけなの。自由な存在を」

「そうであればこそだ」

 ディウルナは、見えない空を仰ぐように言った。

「イエスやブッダは、全ての魂は自由であると知っていた。そして、君もそれを知っている。自由であるはずの魂を束縛し、在り方を強要するのは、神の心ではない」

「宗教学はいいから」

「宗教だと?魂に宗教は必要ない。宗教は神を讃える芸術ではあっても、人を縛る道具ではない。人間は後者を選択する事が多いがね。だから戦争は絶えない。皮肉なことに、今この氷巌城が世界中の軍事拠点を凍結させてしまったおかげで、各地の紛争が停止してしまった。侵略者のおかげで、”STOP THE WAR”が実現したというわけだ」

 ディウルナのその知識の深さに、百合香は改めて驚いていた。一体、どこからこれだけの情報を得たのか。どこまで人類史を知っているのか。

「いいわ、イエス様でもお釈迦様でも。けれど、私がやりたいのは、この城を粉々に叩き壊す事なの。そのために、あなたは協力してくれるのね」

「そのとおりだ」

「じゃあ、教えて。宗教学の講義を受けているヒマはないわ。第2層に上がるには、どこに向かえばいいの?」

「彼が知っている」

 そう言って、ディウルナはオブラを示した。

「彼はゲートの場所を知っている。だが、問題がひとつある」

「敵がいるのね」

「そうだ」

 もはや百合香には、説明するまでもない事だった。

「強敵だ。サーベラスと互角以上の」

「サーベラスの実力が、私にはわからないわ。だって、彼とはソフトボールで戦ったのだもの」

「知っているよ。名試合だったようだね。私も観戦したかった」

 ディウルナは、一枚の新聞を示した。そこには、打席に立つサーベラスの姿が載っている。いつ、だれが撮影したのだろう。というか、写真があるのか。

「純粋な戦士としての実力なら、サーベラスは氷巌城でもトップクラスだ」

「そうなの!?上に行くほど、幹部は強くなるって聞いたわ」

「本来、彼は第3層にいるはずだった。謀反の嫌疑をかけられ、降格されたのだよ」

「…そういう事だったのか」

 サーベラスが、パワーなら他の幹部にも負けない、と言っていたのは本当の事だったのだ。百合香は訊ねた。

「じゃあ、もし本気で彼が私と戦っていれば…」

「今頃、君はこの世にいなかっただろうね。だが、君が彼の装甲を、いかに無防備とはいえ破ったのも事実だ。つまり、君には城の最上部まで登れる可能性がある、ということだ」

 言いながら、ディウルナは丸められた紙を広げる。そこには、見取り図が示されていた。

「それは…」

「君たちが、喉から手が出るほど欲しいであろう、この第1層の平面図だよ。ここが、君がソフトボールで戦ったグラウンドだ」

 ディウルナはひとつの区画を示す。その大きさから、全体の大きさを百合香は大まかに考えてみた。ディズニーランドより広いのではないだろうか。

「ちょっと待って、これ…」

 百合香は、初めて見る城の構造に首を傾げていた。

 

 渦巻き状になっている。

 

 全体としては四角いのだが、エリアとエリアが一本道で渦巻きのように連なっているのだ。

「どういうこと?」

「どうもこうもない。これが氷巌城なのだ」

 ディウルナは素っ気ない。

「…第2層はどうなっているの?」

「同じだよ。第1層の渦の中心に、第2層へのゲート、階段がある。第2層に登ると、今度は中心から外側に向かって渦を辿っていく。第3層は、外側から中心に向かう。その上に、キープ・タワー…君の国の言葉でいう、天守閣がある」

 百合香は、それを聞いて目まいを覚えた。つまり、城を全て巡らなくてはならない、ということだ。

「…そんな、のんびりツアーをしてるヒマはないわ。私は今すぐにでも、その天守閣に上がって大将首を獲りたいのに」

「まあ、落ち着きたまえ」

 ディウルナはまた、デスクに腰掛けて言った。

「城は広大だとは言っても、全ての区画に幹部や敵がいるわけでもない」

「そうなの?」

「今は警戒態勢が強まっているから、何とも言えないがね。ただ不安は、この地図がすでに役立たずになっている可能性がある、ということだ」

「…それって」

「うむ。城は、多少時間を要するが、構造を変えようと思えば変えられる。魔導柱への通路を遮断したようにね」

「壁をぶち抜く事はできないの?」

「ははは」

 突然、ディウルナは笑った。

「この城でいちばん強いのは誰か、知っているかね。この城自身だよ」

「…どれくらい?」

「君の世界で最も強大な兵器を思い浮かべてごらん。地上にあるそれを全て使い切っても、この城は崩れない。まあ、振動でこのペン立てを倒すくらいならできるかも知れないね」

 ディウルナは、デスクにあるペンスタンドをパタンと倒してみせた。

「しかし、百合香。バカ正直にこの城のツアーに参加する必要もない。オブラ」

 ディウルナにに言われて解説役を代わったオブラが、百合香の前に進み出る。

「百合香さま、いかに城の基本構造が渦巻き状とはいえ、抜け道はあります」

「そうなの?」

「もちろんです。ただし、だいぶ限られてはいるようです」

「ちょっと待って。ようです、って」

「はい。まだ全ての場所を掴んではいません」

 百合香は肩を落とした。

「そんなことだろうとは思ったけど」

「申し訳ありません。しかし、この第1層のゲートまでの抜け道は確保しています。…多少の危険は伴いますが」

「本当!?」

「はい」

 オブラは、地図の上のある個所を示した。波打つ模様が描かれた、太いラインである。

「ねえこれ、ひょっとして…水路?」

「そうです。まさかもう通られました?」

「渡ってきたの、そこを」

 オブラは、全身の毛が逆立つほど狼狽えていた。

「あぶない…その水路がまさに、抜け道なんです」

「え!?」

『え!?』

 またも百合香・瑠魅香がユニゾンで驚く。

「そうなの!?」

「そうです。その水路をこの方向に行くと、城の中心部に近付きます」

 オブラが示したのは、水路が第1層中心部に近付いたあたりの、池のようなスペースだった。

「距離的には一足飛びに、中心部に行けます」

『やったね、百合香。ここは行くしかないじゃん』

 瑠魅香は百合香の頭の中で嬉しそうに言った。

「ですが」

 水を差すようにオブラが言う。

「この池に、とんでもない化け物がいるそうです。僕は伝聞でしか聞いていませんが、巨大な蛇だとか、亀だとか」

「どっちなのよ」

「わかりません」

 正直な探偵猫に、百合香はまたも肩を落とす。オブラは続けた。

「そして、そこを抜けると、この層最後の氷騎士、バスタードがいます」

「ん?」

 唐突に固有名詞をオブラが言うので、百合香は訊ねた。

「バスタード?」

「はい。あのサーベラスがめちゃくちゃ嫌っている奴です」

「…その情報はどうでもいい。強いのかどうか教えて」

「めちゃくちゃ強いです。実力はサーベラスと同格だと言われています。でも性格に問題がありすぎて、第3層に置いてもらえないらしいです」

 どうでもいい情報がどうしても混じってくるが、とにかくサーベラスと互角の実力を持つ氷騎士が、この第1層のラスボス、ということらしかった。

「蛇だか亀だかを倒した直後に、そのバスタードっていうのと戦わないといけないのか。そこをすり抜けるルートはないの?」

「ありません。諦めてください」

 探偵猫は容赦がない。

『百合香、ここは腹をくくるしかなさそうだよ』

 またどこで覚えたのかわからない日本語を瑠魅香が言う。

「…そうね」

 マップを見る限り、本来のルートを辿れば、とんでもない時間を要する事になりそうだった。ここは危険を冒してでも水路を進むしかなさそうである。百合香は「よし」と言って、頷いた。

「わかった。ディウルナ、あなた達の情報を活用させてもらう」

「私も、君たちの力をアテにしている身だ。お互い様ということだ」

「この際、いちいちあなたが信用できるかどうか、なんて考えないわよ。私にそんな余裕はないから」

「それでいい」

 ディウルナは笑う。

 

 ディウルナの部屋を出る前に、百合香は振り返って訊ねた。

「上の層に行ったら、あなたと会う必要ができた場合、さっきのペンみたいなのを使えってことね」

「そうだ。道々、オブラが説明してくれるだろう。上層にも私のアジトは用意している」

「城のあちこちに勝手にアジトを作って、奴らにバレないの?」

「心配ない。それには理由があるのだ。そうだな、暇な時があれば説明しよう」

「…暇な時、ね」

 そんな時があるのだろうか、と訝しみながら、百合香は足元にいる探偵猫を見た。

「じゃあ、また頼むわよ、オブラ」

「任せてください」

「ディウルナ、いちおうお礼は言っておくわ。ありがとう。よろしくね」

 百合香の礼に、ディウルナは笑って答えた。

「こちらこそ、よろしく頼む。再来した救世主くん」

「なにそれ」

 くすりと笑って、百合香はドアノブを回した。

「じゃあ、また会いましょう」

「君もな。武運を祈る」

 挨拶を済ませると、百合香はオブラに先導されて、再び階段を登って行った。



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暗転

「報告いたします」

 一人の兵士が、ヒムロデの執務室を訪れて言った。

「地上に撒くために準備していた魔氷胚が、何者かの手によって大量に消失しました」

「なんだと!?」

 珍しく、ヒムロデが狼狽えた様子で、ガタンと音を立てて椅子を立った。

「行方は?」

「目下捜索中です」

「管理していた兵士たちは何をしていたのだ」

「それが…その兵士たちは侵入者の討伐に投入され、全滅した状態で発見された、との事です」

「どういう事だ…」

 ヒムロデは、顎に指を当てて考えた。

 魔氷胚とは、それを撒く事で地上の凍結を進行させるための結晶体である。世界各地の人類の軍事拠点を凍結させたのも、これによるものだった。

「人類の軍事基地を先に凍結させる計画だったため、魔氷胚がそちらに優先して回されたのは確かだ。しかし…」

 ヒムロデは、しばし考えたのち一つの結論に辿り着いた。

「レジスタンスどもの仕業か」

「は?」

「それ以外に考えられない。例の侵入者は人間の少女だ。彼女が、魔氷胚の仕組みを知っている可能性はない」

「では、レジスタンスが何らかの手引きをして、魔氷胚をどこかに持ち去ったと?」

 兵士もまた、慌てた様子で訊ねた。

「そこまで具体的にはわからん。それに、奴らにあれだけ大量の魔氷胚を保管できる場所などあるまい…だが、レジスタンスが関わっているのは間違いない。小ネズミだと侮っていたが、まさかこんな工作を仕掛けられるとはな」

 ヒムロデは、笑みのような表情を浮かべてそう言った。

「…ひとまず、消失した魔氷胚の行方は後回しでよい」

「よろしいのですか」

「小細工に足を取られる暇があったら、失ったものを補填する方が賢明だ。ただし、今後生産される魔氷胚の管理は厳重に行うよう、きつく通達せよ」

「はっ!」

「この件はとりあえずそれで良い。それはそれとしてだ。研究棟で遊んでいるヌルダを呼べ」

 その命令に、兵士はあからさまに嫌そうな声で「はっ…」とだけ答え、そそくさと立ち去った。

「ふっ、相変わらず煙たがられているな」

 ヒムロデがパチンと指を鳴らすと、メイドのような姿の氷魔が、盆に赤と白のワインボトルと、グラスを載せて現れた。

「どちらになさいますか」

「白を」

「かしこまりました」

 ヒムロデの横で、氷のグラスに薄い浅葱色のワインが注がれる。受け取ると、ゆっくりと傾け、口の中で転がした。

「もはやワインの味もわからなくなってきたな」

 自嘲気味にヒムロデは呟き、メイドを下がらせた。

「あの少女が現れてからというもの、城の反乱分子が勢いづいている…聖剣アグニシオンを手にしている事と、無関係とは思えん」

 ゆっくりとグラスを揺らすと、ワインの表面に行方をくらます前の、戦う百合香の姿が浮かび上がった。

「しかし敵ではあるが、美しい少女よの。まるで、お前のようだ」

 

 

 再び通路に戻った百合香たちは、オブラの案内で第1層中心部への抜け道を目指して進んでいた。その途中、オブラが立ち止まる。

「百合香さま、先程の水晶ペンを取り出してください」

「これ?」

 百合香は懐から、ディウルナの抽斗に入っていた、マドラーのような透明なスティックを取り出してオブラに手渡した。

「百合香さま、我々にコンタクトを取りたい時は、このマークを記してください」

 オブラは、壁に猫の頭そのままのマークを描く。

「これを記したら、そこからあまり遠くには行かないでください。我々の仲間が現れます」

「ふうん。でも、どうやってこの印を書いたってわかるの?」

「企業秘密です」

 なんだそれは、と百合香も瑠魅香も怪しんだが、オブラがそう言うのなら納得するよりなかった。

「ディウルナ様に会われる時も、私達を呼んでください。その時々の状況で、会えるかどうかはわかりませんが」

「城の幹部クラスと、レジスタンスの兼務だものね」

「基本的には、我々が情報伝達の役を負います。あるいは負傷された場合なども、すぐご連絡ください」

 百合香は頷いたものの、猫レジスタンスたちに人間の治療ができるのだろうか、という疑問はあった。

「ちなみに、ペンの反対側の頭で壁を叩くと描いたものは消えます」

 オブラが壁をコツンと叩くと、確かに描かれた猫マークは一瞬で消えてしまった。

「なるほど」

「第2層に行くと、性質的にここよりも厄介な敵がいます。また、城内の構造そのものも特殊で、単純ではなくなってきます。何かおかしいと思ったら、我々が調査しますので呼んでください」

「わかった。頼りにしてるわ、探偵さん達」

「へへへ」

 オブラは得意気に笑う。

「では、進みましょう」

 

 そこから数分歩いたところで、オブラは突然立ち止まって首をひねった。

「おかしい」

「どうしたの?」

 百合香が訊ねるものの、オブラは無言で周囲を見回した。

「百合香さま、気をつけてください。通路が変化しています」

「なんですって」

「エリア全体を変えるのはとても時間がかかりますが、壁一枚の配置を変える程度のことは、奴らにとって造作もありません」

 オブラはそう言うものの、正直百合香には今どこを歩いているのかさえわからない。

「今、どのへんなの?」

「水路のすぐ近くです。通路2本をはさんだ程度の距離しかありません」

「方角はわかるの?」

「こっちです」

 オブラは、壁がある方を指差す。

「確かに、ここには通路があったはずなんです」

 存在したはずの通路が見当たらず、オブラは明らかに狼狽していた。すると、それまで黙っていた人物が語り始めた。

『落ち着いて、オブラ』

 それは、百合香の中にいる瑠魅香だった。

『通路が変化してるっていうのは、間違いないのね』

「は、はい」

『なら、向こうの目的はひとつだ』

 瑠魅香に、百合香も同調して頷いた。

「わ、我々を迷わせるためですか」

「逆よ、オブラ」

 百合香は、真剣な表情で言った。

「迷うことなく、目的の場所まで私達を誘導するためよ。ディウルナが貼った新聞のようにね」

「あっ!」

「つまり、この先には敵がいるということ」

『そういうこと』

 百合香と瑠魅香が口を揃えると、オブラは感心したように肉球で拍手をしたのだった。

「オブラ、こういう罠を張れるような氷魔は、この第1層にいないの?」

「うーん…基本的には、肉弾戦中心の氷魔が多いです。それに、城の構造を変えるには、おそらく上の許可が要るはずです」

「なるほど」

「もっとも、この城の構造は、どうもトップクラスの階級ですら把握できてないようですが」

「…え?」

 百合香は、まさかという顔でオブラを見る。

「そんなこと、あり得るの?」

「以前、小耳に挟んだ話なので、まだ裏は取れていません。聞き流してください」

「ちょっと待って。そういえば、ディウルナが城内にいくつかアジトを持っている、って言ってたわよね。その事も、それに何か関係があるのかしら」

「ディウルナ様は、僕達が知らない情報も知っています。いずれ説明してくれるかも知れません。それよりも」

 オブラは通路の奥を睨む。

「今、ここからどう動くかです。百合香さまが仰るとおり、この先に敵がいるというなら、戦うか、迂回ルートを探すか、という選択になりますが」

 オブラの言う事はもっともである。百合香は、少し思案して瑠魅香に相談した。

「瑠魅香、どうする?」

『どうするって、百合香はもう決めてるんじゃないの』

「うん」

『じゃあ、それでいいと思うよ』

 二人の会話が、オブラにはよくわからなかった。すでに答えはあるらしいが、具体的に言っていないのに、なんとなく二人の会話は成立しているのだ。

「あのう…どうなさるおつもりですか」

「うん。このまま進んで、その敵を片付ける」

「本気ですか!?」

 オブラは驚いて訊き返した。

「迂回ルートは、探そうと思えば探せるかも…」

「そんな面倒な事、しないわ。それより、あなたに頼みたい事がある」

「え?」

 百合香は、オブラに対してごくシンプルな指示を出した。

「わ、わかりました」

「頼んだわよ」

 そう言うと、オブラは通路の奥へと走り去って行った。

「さて、行くとするか」

『私の出番、ある?』

 瑠魅香は訊ねる。

「さあ」

 

 水路手前の少し広い空間に、大量のナロー・ドールズと、一般兵が揃って陣取っていた。一体の上級兵士が指揮を執っている。

「いいか!侵入者は間違いなく、ここを通過する。現れたら即座に一斉に攻撃し、確実に息の根を止めろ!」

 兵士たちはあまり知能が高くない個体のようで、生返事ぎみに「了解」「了解」と返事をした。

 

 しばらくしていると、一人の兵士がどこからか戻ってきた。

「隊長、大変です。我々がここにいる事が、侵入者に勘付かれているという報告があります」

「なんだと?」

「報告によれば、我々が警戒している反対の方向から奇襲をかけるつもりのようです」

「ふっ、こざかしい。向こうから来るという事か」

 隊長と呼ばれた氷魔は、本来警戒していた方向と反対側の通路を睨んだ。

「ならば、裏をかくつもりの侵入者の、さらに裏をかくだけの事。全員、こちらに向けて陣を敷け」

 隊長は剣を構え、今までと逆の方向を指示した。兵士たちは、一斉に並んで侵入者を挟撃するような陣形を取る。

 

 しかし、待っていてもその方向からは、侵入者が来る気配はなかった。

「侵入者め、さては怖気づいて正規のルートにでも向かったか。ははは、バカめ。正規ルートを行ったところで、厚い防衛ラインを突破しなくてはならない。いずれにしてもお前の敗北は決まっているのだ」

「そのセリフ、そっくりそのままお返しするわね!」

「え?」

 背後から聞こえた、凛とした声に隊長は一瞬、何事かと振り向いた。

 

 すると。

 

「『スーパーノヴァ・エクスターミネーション!!!』」

 

 侵入者の奇襲を今か今かと身構えていた兵士たちは、背後から聞こえた声に振り向いたその瞬間、空間全体を燃やし尽くすかのような強大なエネルギーの奔流に晒され、悲鳴を上げる間もなく一瞬で、隊長もろとも哀れな塵芥と成り果てたのだった。

 

「瑠魅香、出番なかったね」

『最近あたし活躍してない気がするわ』

「おーい、オブラ。生きてる?」

 百合香は、自らの攻撃でズタズタになった空間に呼びかけた。

「げほ、げほん…無事です」

 氷の粉塵の中から現れたのは、氷の粉塵を頭から被ったオブラだった。

「怖かった?」

「怖いに決まってるでしょ!!頭の上をあんな強力エネルギーが通過するんですよ!!」

 探偵猫は全身のボディランゲージをまじえて、百合香の作戦のせいで恐ろしい目に遭った事を力の限り抗議した。

「とんでもない人ですね…僕を兵士に化けさせて、兵士たちを騙して背後から必殺技で一気に片付けようなんて」

『だから新聞に書いてたじゃん。悪逆非道、邪智暴虐って』

 瑠魅香は相方の悪辣さを指摘したが、当の百合香はケロッとしたものである。

「女の子ひとりに大勢でかかってくる奴らのほうが千倍非道だわ。だからこっちが何してもいいのよ」

『百合香、もう大丈夫だわ。あんた、氷魔皇帝に勝てるわ』

 瑠魅香が、そう断言した、その時だった。

 

「それはどうかな」

 

 空間の奥から、低い男性ふうの声がした。百合香は剣を構える。

「誰!?」

「ふっ、敵を罠にかけて背後から大技で一掃するなどと、聞きしに勝る非道ぶりよ」

「一匹残ってたか」

 粉塵の向こうから、ゆっくりと足音が近付いてくる。それは、今までの兵士たちよりもはるかに洗練された鎧に身を包んだ、謎の氷の剣士だった。

「あっ!!!」

 オブラは声を上げた。

「なに?オブラ」

「ゆ、百合香さま…」

 オブラは、明らかに動揺していた。

「何だっていうの」

「百合香さま、逃げてください。あいつには勝てません!」

「え?」

 オブラの断言に、百合香は一体何者なのかと相手の姿をみた。張り出した肩のアーマーや鋭利な兜飾りが、幹部クラス以上の威厳を感じさせた。

「奴の名はカンデラ…氷巌城、最上級幹部の一人です!!!」

「なんですって!?」

 百合香は驚きを隠さなかった。幹部の上のクラスがいるなど、初耳だったからだ。

「いかにも。私は最上級幹部の一人、カンデラである」

 そう言うと、カンデラはロングソードを縦にまっすぐ構えた。

「侵入者、名を名乗れ。せめて死ぬ前に名前くらいは憶えておいてやろう」

「バカにしないで」

 百合香もまた、聖剣アグニシオンを構える。

「私の名は百合香。上級幹部だか何だか知らないけど、邪魔するなら叩き斬るわ」

「いい覇気だ」

 二人の間に、とてつもない緊張が走った。オブラはそれを見て、どこかへ走り去ってしまう。

「ふん、逃げたか。いまのがレジスタンスだな」

『百合香、やばそうだよ。逃げた方がいいわ』

 瑠魅香は、百合香にだけ聞こえるようにそう言った。しかし、百合香に退く意志はない。

「こんな奴に負けるもんですか」

「ふっ、私に勝つ気でいるとはな。しかも先ほどの大技を放ち、力を消耗した状態で」

 一切の隙が見えないカンデラに対し、百合香は技を放ったあとの乱れた呼吸を整えた。

「行くぞ」

「来い!!」

 百合香が斬りかかる姿勢で、一気に間合いを詰めようとした、その時だった。

「えっ!?」

 一瞬の出来事だった。百合香が気付いた時には、すでにカンデラはその剣のリーチまで接近していたのだ。

 

 剣と剣が噛み合う、激しい音が空間に響いた。

「くっ…!」

「ほう。俺の剣を受け止めたか。なるほど、確かに驚くべき技量ではある」

 カンデラがそう言った次の瞬間、百合香は凄まじい冷気の暴風に吹き飛ばされていた。

「うっ…うわあ――――!!!」

 百合香はその圧力で、20m以上も後方にあった壁面に全身を打ち付けた。

「がはっ!!」

 凄まじい衝撃が全身に走り、百合香は気を失って、そのまま前のめりに倒れてしまう。後頭部からは血が流れだしていた。

『百合香!!』

 瑠魅香が悲痛な叫びをあげ、自らその身体に入ろうとした。しかし、百合香が気を失っているせいか、どうしても入る事ができなかった。

『百合香!!』

 あまりにも違うその実力差に、瑠魅香は戦慄していた。格が違う、などというレベルではない。上級幹部の存在は瑠魅香も耳にはしていたが、これほどまでとは思っていなかった。そもそもこの実力の前では、仮に逃げようとしても不可能だったに違いない。百合香の敗北は、最初から決定していたのだ。

 カンデラは、ゆっくりと剣を手に近付いてきた。

「できるだけ、肉体を傷つけるなとのお達しだ。たった一人で、よくここまで我々に楯突いた。それに最大限の敬意を表し、心臓を一突きして、苦しまずにあの世に旅立たせてやる」

『百合香!!』

 なおも瑠魅香は叫ぶ。しかし、百合香の意識は完全に失われており、もはや命運は尽きたかに見えた。

 

 カンデラのアメジストのように透き通る剣の切っ先が、倒れる百合香の背中めがけて、ゆっくりと下を向いた。



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水晶騎士

 突如として現れた上級幹部カンデラの実力は、並大抵のものではなかった。

「上級幹部…水晶騎士の一角、アメジストのカンデラの剣にかかって死ぬことを誉れとするがよい」

『百合香―――――っ!!!』

 瑠魅香の叫びが轟いたその瞬間だった。

「む?」

 いま剣を突き立てようとしていた百合香の全身を、青白い輝きが満たしていった。

 

 カンデラは、まだ百合香に動く力が残っているのかと思った。しかし次の瞬間、百合香の姿は紫のローブをまとう、黒髪の魔女へと変貌した。

「なに!」

 カンデラは、その現象に驚いて一歩引いた。黒髪の魔女、瑠魅香は血の流れる首を押して、懸命に立ち上がる。

「百合香、ごめんね…ちょっと身体、無理やりだけど借りるわ」

「きっ…きさまは、黒髪の魔女!」

「ふうん、まだ私の正体までは知らなかったのね」

「一体お前は!?」

 カンデラは明らかに動揺していた。それまで、黒髪の魔女の存在は僅かに確認されていたが、それが百合香の変貌した姿だったという事は、城側も掴んでいなかった。そもそも、そんな魔女は存在しないという空気さえあったのだ。

 その魔女が目の前に現れた事に、カンデラは驚愕していた。

「よくも百合香に…私の相棒に、こんだけやってくれたわね。許さない」

 瑠魅香の全身に、かつてないほどに強力なオーラが立ち昇った。それは、百合香の真っ赤な炎ではなく、青白い、静かな炎だった。

 瑠魅香は、杖をカンデラに向けて真っ直ぐに突き出した。

「『ブラッディー・バイガミー!!!』」

 杖から無数の紅いリングが飛び出して巨大なリングとなり、カンデラの周囲を二重、三重に四方八方から取り囲んだ。カンデラが警戒する間もなく、それは一気にカンデラめがけて集束する。

「うっ!!」

 カンデラの全身に、リングが食い込んで砕け散った。その装甲には傷一つついていなかったが、いくらか衝撃は与えられたらしく、カンデラはバランスを崩して一歩後退し、姿勢を整える。

「この力は…!」

「まだよ!!」

 続けざまに瑠魅香は叫ぶ。

「『コア・クラッシャー!!!』」

 杖から螺旋状のエネルギーが横向きに広がり、空間全体を埋め尽くすほどの巨大なドリルを形成した。カンデラには逃げ場がなく、そのままエネルギーに押されて、百合香と反対側の壁面に叩きつけられてしまう。

「うおおっ…!」

 やはりカンデラの装甲には、全くダメージがない。しかし、カンデラは明らかに、瑠魅香に対して危惧の色を浮かべていた。

「こっ、こやつ…一体何者だ!?」

「でええあぁ――――っ!!!」

 もはや名状しがたい怒涛のエネルギーが、杖どころか瑠魅香の全身から、カンデラめがけて襲いかかる。

「むっ…ぶおおっ!」

 雷光を伴う暴風とでも言おうか、それはカンデラを壁面に押し付けたまま、凄まじい衝撃をその全身に与えた。

「ぐ…」

 カンデラの兜に、ごく微かに亀裂が生じた、その時だった。

「がぼっ!」

 瑠魅香は、喉から大量に血を吐いてその場に崩れ落ち、魔法はプツンと途切れてしまった。ドサリと、瑠魅香の細い身体が倒れる音が虚しく響く。

「まっ、まさか、このカンデラの装甲にヒビを入れるとは…」

 たったそれだけの事に、カンデラはとてつもないショックを受けているようだった。

 眼の前には、それを成し遂げた魔女が、もはや絶命寸前の様子で倒れている。すでに、手をかけずともその命の火は燃え尽きるように見えた。

「百合香…ごめんね…あなたと向き合って、お話したかった」

 もはや痛みさえ感じなくなっているその喉から、瑠魅香は意識のない百合香にそう呟いた。

「……」

 カンデラは迷っていた。それが彼のプライドなのか、情けなのか、それはカンデラにしかわからない事だった。

 アメジスト色の剣を振り下ろす先がわからず戸惑っている、その時だった。

 

「はああ――――っ!!!」

 

 唐突に、横の方向から青白いエネルギーの波がカンデラを襲った。

「なに!!」

 咄嗟にエネルギーの盾を張り、カンデラはそれを受け止めた。しかし、これもまた半端なエネルギーではない。

「むっ…」

 そのエネルギーが消え去った後から、ゆっくりと小さな影が歩み寄ってきた。

「俺の弟子が世話になったようだな」

「…貴様は」

 それは、レジスタンスの"一匹狼"、片目の猫拳士マグショットであった。その後ろにはオブラがいる。

「瑠魅香さま!!」

 オブラはとっさに瑠魅香に駆け寄ると、その脈を診た。まだ、ギリギリ生きてはいる。しかし出血の量が半端ではなく、どう見ても助かりそうになかった。

「どっ、どうしよう…」

 オブラが慌てふためいていると、背後から野太い声がした。

「どけ」

「えっ!?」

 オブラの背後から現れたのは、バットを構えた大柄な氷の戦士だった。

「さ、さ…」

「百合香を診ていろ」

「サーベラス!!」

 それは、百合香が以前対決した氷騎士、サーベラスであった。彼は瑠魅香の存在をまだ知らないためか、多少姿は違えど、百合香だと思っているようであった。

「裏切り者どもが、わざわざ処刑されに出てきたか。殊勝なことだ」

 カンデラは剣を斜めに構えて、右手と前方に現れたマグショットとサーベラスを交互に見た。

「ほざけ。処刑されるのは貴様やも知れんぞ、カンデラ」

「その不格好な得物でか」

「喰らってみるか」

 サーベラスの左手に、氷のボールが現れる。それを宙に放り上げると、サーベラスはカンデラめがけてノックした。甲高い打音が広い空間に響く。

 それは、ただのボールではなかった。

「ぬっ!」

 剣で難なく弾いたと思ったカンデラだったが、そのボールは異様なスピンがかかっており、カンデラの剣をかすめると、そのままカンデラの左足首を直撃した。

「くっ!」

 ダメージこそなかったが、カンデラは大きく姿勢を崩す。そこに、マグショットが横から、エネルギーを帯びた蹴りを放った。

「あたぁ!!」

「ぐおおっ!」

 剣を振った直後のガラ空きになった腰に、マグショットの背中からの蹴りが入る。さすがに腰はダメージが大きく、カンデラは前のめりに倒れ込んだ。

「どけ、猫拳士!ノックの練習の邪魔だ」

 サーベラスがバットを肩に載せて怒鳴る。

「貴様こそ、俺の稽古台にちょっかいを出さないでもらいたい」

「ふん」

「その娘を助けたいというのであれば、話は別だがな」

 マグショットに言われて、サーベラスは後で倒れている瑠魅香を見る。

「そうだな。それなら話は別だ」

「水晶騎士に対して、幹部クラスの二人がかりか。ちょうどいいだろう」

 奇妙な共闘を結んだ二人は、ヨロヨロと立ち上がるカンデラに、二方向からジリジリと歩み寄る。

「笑わせるな。裏切り者ふぜいが何人束になろうと、俺に勝てるものか」

「ごたくはあの世で言え!!」

 サーベラスは、バットを片手にカンデラめがけて猛進した。その迫力に一瞬だけ怯んだカンデラだったが、すぐに剣を構えて迎え撃つ。

 ガキン、と激しい打音がして、両者の剣とバットが交差した。

「くっ…馬鹿力め」

「どうした、水晶騎士!!きさまの力もその程度か!!」

「ほざけ!」

 カンデラは、全身の力を込めてそのバットを振り払う。しかし、またしてもその隙をついてマグショットが攻撃してきた。

「極仙白狼拳奥義!」

 マグショットの突き出した両手の手刀に、エネルギーが満ちる。

「狼爪輪斬!!」

 十字に交差するように振り払ったマグショットの両手から、リング状のエネルギーが放たれて、カンデラの首を挟撃した。

「ぐあっ!!」

 さすがに首の直撃はカンデラといえど耐え切れなかったようで、僅かだが亀裂が入った首をかばうようにカンデラは後退する。しかし、そこへサーベラスがバットを振り回して追い打ちをかけた。

「ぬりゃあああああ―――!!!」

「ぐおおおおっ!!」

 容赦ないバットの連撃がカンデラの全身を襲う。さすがにサーベラスのパワーには、カンデラもただでは済まないと思ったのか、カンデラは跳躍して大きく後ろに距離を取った。

「裏切り者どもめ。いずれ、その首ラハヴェ様の御前に晒してくれよう」

「ぬっ、待て!!」

 サーベラスは逃すまいと追撃をかけたが、カンデラは魔法のようなエネルギーの障壁を張り、サーベラスがそれを破る間にどこかへ走り去ってしまったのだった。

「卑怯者め!出てこい!!」

「おい、でかぶつ。あんな雑魚はどうでもいい」

 マグショットは、すぐさま倒れる瑠魅香の横に駆け付ける。

「瑠魅香を…いや、二人を助けなくては」

「ルミカ?…なるほど、以前百合香と対面した時、ときどき妙な女の声がしたと思っていたが、そういう事か」

 サーベラスは、ようやく百合香の中にもう一人の人格がいたという事を理解したようだった。

「だが、俺たちに人間の傷を癒す術などなかろう」

「一人だけ、アテがある」

「なに?」

 サーベラスは、マグショットを見た。オブラも、すがるような目で見る。

「ほんとですか、マグショット様!?」

「うむ。ただし、絶対に助かるという保証はない」

「ええい、情けない事を言うな!俺が担いでやる、案内しろ!!」

 サーベラスは瑠魅香を左肩に抱えると、杖をポイとオブラに投げ付けた。

「ぶっきらぼうな人ですね!」

「やかましい。行くぞ」

 サーベラスの合図で、マグショットは頷いて歩き始めた。サーベラスの巨体に較べると、瑠魅香の細い身体は、まるで紫のマフラーか何かをかけているように見えた。

 

 

「なんだと!?」

 またしてもヒムロデは、部下の報告に驚く事になった。カンデラが勝手に兵を動かし、百合香討伐に動いた事が、兵士たちの間で明るみに出たのだ。

「あの馬鹿が。実力はトップクラスのくせに、プライドが高いせいで余計な事をする。して、決着は」

「はっ。なんとか意識だけ残っていた兵士の、今際の際の報告によりますと、侵入者のユリカなる人間の剣士は、全身にカンデラ様の攻撃を受けて致命傷を負ったそうです。しかし、その後現れた黒髪の魔女や、裏切り者2名の乱入で、死体の回収はできなかったと」

「なんという事だ」

 ヒムロデは椅子にもたれるようにして、机に片肘をついた。

「ラハヴェ様のお耳には」

「先に、ヒムロデ様にご報告しようとこちらに参った次第です」

「そうか、わかった。この件、私が預かる。お前達は忘れろ。いいな」

「はっ」

「カンデラをここに呼べ。ヌルダの件は後回しでいい」

「承知いたしました。失礼します」

 兵士が立ち去るのを待って、ヒムロデは立ち上がった。

「どうしたものか」

 そう呟いたあとで、ヒムロデは傍らのメイドに向かって言った。

「いや、考えようによっては、奴の責ひとつで侵入者を始末できたのかも知れん…ラハヴェ様の不興は致し方ないが」

 ヒムロデは、メイドの顎にそっと指を当て、顔を近付けて問いかけた。

「お前はどう思う」

「ヒムロデ様のお考えのままに」

「そうか」

 ヒムロデは振り返ると、窓から空を睨んだ。

「だが、死体を回収できなかったのは厄介だな。侵入者の死を確認せねばならぬ。よいな」

「かしこまりました」

 メイドは恭しく礼をすると、部屋にかかったベールの裏に静かに消えて行った。

 

 

「噂には聞いていた」

 通路を進みながら、サーベラスは言った。

「わけのわからん拳法を使う、レジスタンスの変わり者がいるとな」

「変わり者はお互い様だ。人間の何とかという競技にうつつを抜かし、第3層から降格された奴がいる、という話は聞いていた」

「ふん」

 サーベラスは鼻息を荒くした。

「その変わり者の裏切り者どうしが、この小娘に入れ込んでいるわけだ」

「サーベラスとか言ったな。お前はこれから、どうする気だ」

 マグショットは、隣で歩く巨体の顔を見上げようとしたが、担いだ瑠魅香の脚に阻まれて顔は見えなかった。

「どうもこうもない。せいぜい、裏切り者として派手に戦ってやるわ」

「やれやれだ」

「マグショットだったか。お前とて、要は俺と似たような立場だろう」

 サーベラスは笑う。すると、オブラが会話に入ってきた。

「全員同じですよ。裏切り者です」

「そうだな。裏切り者3匹に、侵入者1人。なかなか面白い見世物ではある」

 マグショットはカラカラと笑った。

「サーベラス様、よければこのまま、レジスタンスに加わってくださいませんか」

 唐突にオブラが言うので、サーベラスは少し慌てたようだった。

「俺がレジスタンスに、だと?ははは」

「冗談で言ってるんじゃありません。あなたのような頼もしい味方は、他におりません」

「ふむ」

「正直、あなたが来てくださるとは予想外でした。ご自分の意思で百合香さまをお助けに参られたのなら、同じく百合香さまと行動を共にする我々と、手を組めない道理はないでしょう」

「お前、なかなか弁の立つ奴だな」

 感心したようにサーベラスは言う。

「まあ、ちょっと考えさせてくれや。なに、ひとまずお前達の味方をするのに依存はない。今はそれでいいだろう」

「なるほど。そういう事でしたら、それでいいです」

「俺達のことより、今はこの娘をどうにか救うことだ」

 サーベラスは左肩に担いだ瑠魅香を見る。まだかろうじて息はあるが、このまま放っておけば、確実に死が待ち受けている。

「マグショット、まだなのか」

「もうすぐだ」

 マグショットは、通路を右に入った。しばらく歩いていると、壁の前でぴたりと立ち止まる。

「おい」

「待ってろ」

 そう言うと、マグショットは何もない壁をコンコンとノックした。

「さっき見かけた薬売り、どこに行ったものか」

 聞こえよがしに壁に向かって言うと、突然壁がガシャンと開いて、通路が現れた。

「!?」

 一番驚いているのはオブラである。

「マグショット様、これは!?」

「レジスタンスのお前達にも秘密の場所だ」

 そう言うと、マグショットは先に中に入った。

「ついて来い」

 

 その中は薄暗く、天井や壁には古臭い装飾が施されていた。奥に進むと、さっき開いた壁がガシャンと、再び閉じられた。

「ディウルナ様のアジトみたいですね」

「ディウルナだと!?」

 サーベラスが驚いたようにオブラを睨む。

「あっ、しまった」

「まさかお前ら、ディウルナと通じているのか!?」

「あっ、あのですね」

 慌てるオブラに、サーベラスは呆れたように肩をすくめた。

「なんとまあ、お粗末な話だ。裏切り者だらけではないか」

「まあ、こっちとしては味方が増えるので、一向に困りません」

「いっそ、支配体制を転覆させた方が早いかも知れんな」

 サーベラスが笑えないジョークを呟くころ、通路は行き止まりになり、引き戸の入り口が現れた。

「ここか。目当ての場所は」

「うむ」

 ガラガラとマグショットは戸を開ける。中は、壁には書棚がひしめき、天井からは怪しげな物品がぶら下がる、異様な空間だった。並んだテーブルの上には三角フラスコやらビーカーやら、実験器具らしきものが並び、ガラス容器の中には得体の知れない、動物だか植物だかわからない物体が、青紫の液体に漬かっていた。

「ビードロ、いるか」

 マグショットが、煙のたなびく部屋の奥に声をかける。すると、ゴソゴソと音がして、奥から一人の、人間の女性としか思えない顔の人物が現れた。前髪は左右に分けて垂らし、残った髪は異様なスタイルで後頭部にまとめてある。よく見ると、手足は氷魔の機械的なそれであった。

「あら、また来たのね。実験台になる事に決めたの?」

「誰がだ!」

 怒鳴るマグショットの背後にいるサーベラスと、その肩に担がれた瑠魅香にビードロと呼ばれた女氷魔は気付いた。

「そっ、それはひょっとして…」

「人間の娘だ」

「解剖よ!!!」

「馬鹿やろう!!治してもらいに来たんだ!!」

 マグショットは、嬉々としてメスやハサミを取り出したビードロに叫ぶ。

「つまらないわ」

「お前がつまる、つまらないは関係ない。この娘の身体を、治せるか」

「ふうむ」

 興味深げに、ビードロは瑠魅香の太腿をさすった。

「奥の部屋に寝かせてちょうだい」

 

 奥にある部屋は、診療室というよりは墓所じみた雰囲気であった。真ん中に氷の診療台があり、サーベラスは瑠魅香の身体をそこに横たえた。瑠魅香が載っていた肩に、赤い血がべっとりと付いている。

「治せるのか」

「やってみないと、わからないわね。なにしろ人間の身体を扱う機会は滅多にない。最後に扱ったのは、人間の尺度でいう、1500年ほど前になるかしら」

「おい、マグショット。こいつ本当に信用していいのか」

 サーベラスは、瑠魅香の身体を弄りたくてウズウズしている様子のビードロを怪訝そうに見ていた。

「今、頼りにできるのはこの女だけだ」

 マグショットは、腕組みしてビードロを見る。サーベラスはビードロの脳天を指差して言った。

「もしこいつが百合香を…瑠魅香を殺したら、この首を俺がへし折るからな」

「好きにしろ」

 診療を依頼してきた相手から死刑宣告を受けたビードロは、憤慨してサーベラスにケリを入れた。

「ばかにしないでくださる。私、たしかに変人だとか狂ってるとか頭がおかしいとか殺されかけたとか言われてますけど、請け負った事はきちんとやりますわ。ほら、邪魔よ。出ていって!!」

 ますます不安が増したサーベラス達だったが、頼れる者が他にいないため、仕方なく隣の部屋に戻るのだった。



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錬金術師

「あいつは一体、何者なんだ」

 座った椅子を体重で壊したサーベラスが、床に胡座をかいてマグショットに訊ねた。

「やつは…ビードロは、錬金術師だ」

「錬金術師だと!?」

 サーベラスとオブラは顔を見合わせた。

「そうだ。上級幹部の一人、ヌルダという奴を知っているか」

「ああ、何度か顔を合わせた。いつも、笑ってるのか怒ってるのかわからん、けったいな研究に精を出す、気味が悪い野郎だ」

 さんざんな言われようである。マグショットは続けた。

「あの女は…氷魔に性別はないが、とにかくあのビードロは、そのヌルダの弟子だった女だ」

「だった?」

「ヌルダは、あれで一応城に対する忠誠心は持っているらしい。しかし、ビードロは忠誠心などに興味はない。純粋に、ただ錬金術を追求している。そのため、ヌルダのもとを去って、ここで勝手に研究を続けているのだ。ある意味では、俺やお前と同じだ」

「俺とあの女を一緒にするな」

 サーベラスは憤慨して腕を組みつつ話を続ける。

「なるほど。しかし、やつの性格はともかくとして、百合香たちを救えるのか」

「わからん。人間には医学というものがあるらしいが、錬金術というものはその医学にも通じるようだ」

「らしい、とか、ようだ、とか、不確かな話だな」

 

 サーベラスの疑念をよそに、ビードロが人体研究もとい治療を開始して、20分くらいが経過した。ガチャリと音がして、ビードロがサーベラス達のもとにやって来た。

「どうだ」

 マグショットが訊ねる。ビードロは複雑な顔をした。

「とりあえず、命を取り留める事はできそう」

「本当か」

「けれど、生きているっていうだけの話よ。まともに動けるかどうかは、わからない」

「どういう意味だ」

 ビードロは、現在瑠魅香の肉体がおかれている状態を説明した。

「傷はとりあえず塞いだ。人間の身体は、放っておいてもある程度の傷ならそれで治る。問題は血液よ」

「血液か」

 サーベラスは、肩に染み付いた瑠魅香、正確には百合香の血を見た。

「そう。人間というか、地上の肉体を持った動物の多くが、血液によって全身にエネルギーを供給している。いま、彼女の肉体からはその血液が大量に失われている。生きているのが奇跡、と言う方が早いわね」

「では、助かる術はないのか」

 サーベラスが立ち上がって詰め寄る。

「そこよ。私の錬金術で、人間の血液を造る事は不可能ではないかも知れない」

「では造れ!今すぐ!」

「ああもう、黙って聞いてちょうだい」

 ビードロはジェスチャーで全員に「座ってろ」と促した。サーベラスはおとなしく従う。

「血液を造る事はできる。けれど、それが彼女の身体に、適合するかどうかはわからない」

「適合だと?」

「人間っていうのは本当に面倒くさい生き物でね。合わない異物が身体に入ると、拒絶反応っていうのを起こすの。最悪、それで死に至る」

 サーベラスたちは、氷の身体を寒気で震わせてそれを聞いていた。

「適合するかどうかは、やってみないとわからないって事ですか」

 オブラが訊ねる。

「平たく言うとね。ただし、今回はその成功確率を高められるものがある」

「なんですか」

「それよ」

 ビードロは、サーベラスの左肩に染み付いた血液を示した。

「その血液は彼女のもの。それを用いて、私の錬金術で限りなく同じ血液の錬成に成功すれば、理論上は彼女を救えるはず」

「こんな、へばりついただけの量で役に立つのか」

 サーベラスは、左肩を怪訝そうに見る。

「やってみないとわからない。何度も言うけどね」

 ビードロがそう言った時だった。

「…やってちょうだい」

 その、弱々しい声は、診療台がある部屋から聞こえてきた。

「ま…まさか!」

 全員が慌てて駆け込む。そこには、紫のローブの魔女ではなく、黒いワンピースの制服に身を包んだ百合香の姿があった。

「こっ…これは、どういうこと!?姿が変わっているわ」

「説明している時間はない。彼女は、さっきの魔女と同一人物だ。百合香、目が覚めたのか」

 マグショットが不安そうに訊ねる。百合香は、弱々しく頷いた。目尻には、涙が浮かんでいる。

「サーベラス、マグショット…みんなが助けてくれたのね…ありがとう」

「喋るな。…今の話を、聞いていたのか」

 棚の上に上がったマグショットが訊ねる。百合香はまた小さく頷いた。

「…人間のお前なら、拒絶反応とやらの危険性は、ここにいる誰よりも知っているはずだな」

「ええ」

「それでも、やれと言うんだな」

「みんな、聞いて」

 百合香は、静かにひとつの説明を始めた。

 

「癒しの間だと?」

 サーベラスが問い返す。

「そう…そこが、私が身を潜めている場所なの」

「そうだったんですか…どうりで、いなくなったり、現れたりすると思ってました」

 オブラは驚きを隠さない。

「別に不思議じゃないわ。みんなそれぞれ、アジトを持ってるじゃない。私にもある。それだけの事よ」

「そこにさえ戻れれば、お前の身体は治るというのか」

「ええ」

 でも、と百合香は言った。

「見て。今は、腕をまともに上げる事もできない。癒しの間へ至るゲートを、まず探さないといけないのだけれど、それは私か瑠魅香でないと出来ない…見つかったとしても、私が剣を、聖剣アグニシオンを使わないと、中には入れないの」

「…なんとも不便なアジトだな」

 サーベラスが首をひねる。百合香は弱々しく笑った。

「だから、ビロードさん」

「ビードロ」

「…ビードロさん、お願い。ほんの少し動けるようになれば、それでいいの。もしできるなら、その血液の錬成っていうのを、やってみて」

「いいのね。一歩間違えば、死ぬわよ」

「黙って死ぬのは面白くないわ」

 その言葉に、マグショットとサーベラスはつい声を出して笑った。

「さすが、俺の一番弟子だ」

「大丈夫そうだな、そんな根性があるなら」

 百合香も笑う。

「嬉しい。こんなふうに、仲間ができたなんて。ずっと二人だけで戦ってきたから」

「泣くな。俺達は、ビードロに任せて待っているぞ。必ず、立ち上がってこい」

「わかった」

 そう言うと、百合香はオブラを呼び寄せた。

「オブラ、あなたにやって欲しい事がある」

「はい?」

 

 

 

 その頃、サーベラス達との戦闘でダメージを負ったカンデラは、ヒムロデに呼び出しを受けていた。

「無様だな」

 開口一番、ヒムロデはそう言い捨てた。

「私は、侵入者が第1層を突破した時に備えておれ、と命じたはずだ」

「はっ」

「張本人のお前に仔細を問うても冗長なだけだ。申し開きがあるなら申してみよ」

「…ございません」

 ヒムロデの前では、水晶騎士もまるで末端の兵士のようだった。カンデラは黙って、沙汰を受け容れる様子であった。

「聞けば、侵入者は渾身の一撃で、数十体の兵士を一瞬で薙ぎ払ったそうだな。プライドの高いお前が、その一撃を放って疲弊している相手と戦うとは、珍しい」

「…このカンデラ、功を焦りました」

 それが、カンデラの正直なところだった。

「ふむ。しかし、仮に万全な状態であったとて、お前にあの小娘が肉迫できたかどうかは、わからぬがな」

「……」

「カンデラ。幸いというか何というか、今の所この件はラハヴェ様のお耳には入っておらぬ」

「…は」

「最近知った事だが、人間の世界には”毒を食らわば皿まで”という格言があってな」

「は?」

 突然そのような話題を振られて、カンデラは困惑した。

「一度何かに背いたり、何かを破ったのなら、いっそ中途半端に反省せず、それに徹してしまえ、という意味だ。例の裏切り者どもがそれに当たる。奴らはすでに裏切った以上、どうせ命を狙われるのなら徹底して戦おう、と考えている。私は、許す許さないは別として、そういう潔さは好きだ」

「ヒムロデ様、いったい何を…仰りたいのでしょうか」

「わからぬか。お前はすでに命令を破ったのだから、このまま徹底して破ってしまえと言っているのだ」

「つ、つまり…」

「そうだ。あの娘を探し出して生死を確認し、まだ生きているのであれば、確実に止めを刺せ」

 ヒムロデのその提言に、カンデラは驚きを隠せなかったが、やがて納得した。

「毒を食らわば皿まで…」

「そうだ。正直な所を言おう。私は、あの娘を早々に始末すべきだと考えてきた。その点に限って言えば、私はむしろお前の行動が最善とさえ思っている。お前の責任ひとつでそれが達成できるのであれば、むしろ今後のためには良いと思わぬか」

 ヒムロデは、一切を包み隠さず言った。カンデラは、頷いて答える。

「仰るところ、よく理解いたしました。私は、命令違反の責を負いましょう」

「よく言った。この事はあくまでお前の一存でやったという事実を受け容れよ。もしラハヴェ様よりお前の処遇が問われたなら、私はそれとなく理由をつけて、お前に重い処分が科されぬように計らう」

「は。感謝いたします」

「私の配下の者が、すでに侵入者の捜索に動いている。彼女たちと協力して行動せよ」

「承知いたしました」

 カンデラは立ち上がると、深く礼をしてその場を立ち去った。ヒムロデは呟く。

「そうだ。いっそ、突き抜けてしまえばよいのだ」

 

 

 

 百合香は、夢を見ていた。

 それは、ガドリエル学園に通っている夢だった。朝礼の時間らしく、担任が教壇につく。

『朝礼を始める前に。今日は、みなさんに転入生を紹介します』

 教室がざわめき立つ。

『はーい、静かに。じゃあ、入ってきて』

 カラカラとドアが開いて、一人の少女が入って来た。長い、黒髪の少女だった。

『それじゃ、自己紹介をお願い』

『はい』

 少女は、自分の名前を黒板に書き記してから、みんなの方を振り向いた。

『●●◆◆香と申します。よろしくお願いします』

 

 

 

 

 目が覚めると、そこは氷の診療台の上だった。

「…ん」

 生きている。百合香が目覚めて最初に思った事は、それだった。手足を動かしてみる。

「…動く」

 試しに、腕を上げてみた。まだ何か、軽い痺れのようなものはあるが、動いてはいる。全身に力が入らないのは眠りにつく前と同じだが、どうにか動かせるらしい。

 生きているという事実に感謝して、百合香は微笑んだ。

「…うっ」

 それと同時に、首や頭、背中がひどく痛む事に気が付いた。全身の感覚が戻って来たため、痛みもまた感じるようになったのだ。生きている証とはいえ、なかなかの苦痛だった。

 そして百合香は、瑠魅香の意識が眠っている事に気が付いた。存在はしているが、眠っている。

「…無茶したのね、きっと」

 癒しの間に戻ったら、前よりもっと美味しいものを振舞ってあげよう。そんな事を考えていると、ドアを開けてビードロが入って来た。

「ユリカ!気がついたのね」

「…ビロードさん」

「ビードロ」

「ごめんなさい」

 ふふふ、と二人は笑った。

「手足の感覚はある?」

「はい」

 百合香は、右腕をゆっくりと上げてみせた。

「さっきより、ずっと良好です。ありがとう、ビードロ」

「感謝するのはこっちよ。人間の血液の錬成という、偉大な錬金術を私は成功させたのだわ」

 ビードロの言葉は照れ隠しなどではなく、完全に本心だと百合香は思った。自分は半分、実験台だったのだろう。しかし、それで動けるようになったのだ。

「あの。血液って、どうやって造ったんですか」

「説明してもわからないと思うわ」

「…そうですか」

「ひとつ言っておくわね。あなたが失ったであろう血液の全てを補うほどの量は、錬成できなかった。だから、あとはあなたが言っていた、癒しの間とかいう所で何とかしてちょうだい」

 百合香は静かに頷いた。

「ひとまずは安静にしていることね。あのむさ苦しい連中には私が伝えておくから、眠ってなさい」

「…はい」

 ビードロが出て行ったあとで、百合香はさっき見た妙な夢を思い出していた。

「何の夢だっけ…教室にいたのは覚えてるんだけど」

 

 

 

 氷巌城第1層では、ヒムロデに命じられた隠密の女氷魔たちが、侵入者・百合香の行方を追っていた。カンデラがそこにこっそり合流した、そのタイミングだった。一人の女氷魔が、若干慌てた様子で駆けてきて、普段はヒムロデのそばでメイドとして仕えている氷魔に何かを報告した。

「まことか」

「はい」

 すると、メイド氷魔はカンデラを振り向いて言った。

「カンデラ様、侵入者の死体らしきものが出たようです」

「なに!」

 カンデラは、慌てて隠密たちについて行く。

 

 そこは、水路の奥だった。そこには巨大な池があり、なぜいるのか誰もわからない、巨大な亀の怪物がいつものようにうごめいていた。

「あれを」

 一人の隠密が、格子越しにその水面を指差した。そこには黄金の鎧をまとった、首が無い死体が浮かんでいた。

「あの鎧は…」

 言っているそばから、池の怪物はその死体に食い付き、噛み砕き、飲み込んでしまった。

「あっ!」

 もはや確認する事もできなくなった事実に、カンデラは愕然とした。水面には生々しい鮮血が浮かんでいる。

「…侵入者は、怪物に食われて死亡した」

「そのように報告してよろしいのですか」

「目の前で全員が見たのだ。それとも、あの氷騎士でさえ手のつけられない怪物の腹を裂いて、悲惨な状態の死体をラハヴェ様の御前に献上するか?」

 隠密たちは、首を力強く横に振った。

「…剣で決着をつけられなかったのは不本意だが、こうなってしまったものは仕方あるまい」

 カンデラは、無念ながらもどこかホッとしている自分に、嫌悪感を覚えていた。怪物に食い殺されたのであれば、誰の責任でもなくなる。保身ができた事に安堵している自分と、一人の剣士としての自分の間で葛藤していた。

「いずれ、こうなる運命だったのであろう」

 そう呟いて立ち去るカンデラの姿は、どこか寂しそうに見えた。

 

 

 

「成功です!成功です!」

 ビードロの研究室に戻ってきて一人で興奮するオブラに、サーベラスは「静かにしろ!」と精一杯の小声で言った。

「百合香が眠っている。いちおう、輸血とかいうのは成功したらしい」

「ほんとですか!」

「それで、お前の方はどうだったんだ」

「へへへ」

 オブラは腰に手を当てて、偉そうに胸を張る。

「工作は成功しました。氷の兵士の死体を百合香さまの死体に偽装して、それを例の、水路の奥の怪物に食わせてきたんです」

「それだけじゃ成功とは言えんだろう」

「だから、百合香さまの行方を追っている奴らが来るのを見計らって、怪物に食わせたんですよ!カンデラも、百合香さまは死んだと思い込んでいます。ビードロさんが用意してくれた、リアルな血のりも役に立ちました」

「…お前、力はないけどなかなかやる奴だな」

 サーベラスは、本当に感心した様子でオブラを見た。

「力がないなら頭で戦うのが、僕らレジスタンスですよ」

「うむ。認めてやろう」

「ありがとうございます。…ときに、マグショット様はどちらへ」

 オブラは、姿が見えないマグショットが気になって訊ねた。

「あいつなら、見回りに出ている。万が一という事もあるからな」

 

 

 マグショットは一人、城内の通路を警戒にあたっていた。ビードロの隠れ家は見つかる心配もなかったが、黙って百合香の回復を祈るのは不安だった、というのもある。

 しかし、オブラの工作がそれなりに奏功したらしく、とたんに警戒が緩くなった城内は、いささか退屈気味ではあった。

「……」

 立ち止ったマグショットは、左の目の傷を撫でる。

「…百合香が元に戻ったとしても。この目のケリは、俺一人でつけねばならん」

 静かに呟くと、再びマグショットは警戒を続けた。



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あり得ない要素を排除して最後に残った真実

 百合香の意識はどうにか戻ったものの、瑠魅香の意識は眠ったままだった。その原因は、カンデラとの戦いにおいて、魂のエネルギーを消耗しすぎたためではないか、と錬金術師のビードロは、横たわる百合香に言った。

「魂のエネルギー?」

「正直、瑠魅香のやっている行為というのは、"摂理を利用して摂理に反する"行為なの。人間でいうところの、多重人格とは意味が違う」

「それで、瑠魅香の意識は戻るの」

 百合香は訊ねるも、ビードロの答えは要領を得ないものだった。

「まず、おそらく彼女の魂は、あなたの生命エネルギーに依存して存在できている。氷魔、正確には氷の精霊であることを放棄してね」

「つまり、どういうこと」

「あなたの生命が弱まれば、彼女の活動の基盤も弱まるということよ。わたしの推測だけど、あなたが回復すれば、自然に目を覚ますと思う」

 要するに、百合香の身体が治らないうちは、どうにもならないという事らしかった。

「…ねえ、ビードロ」

 百合香はぽつりと言った。

「血液を造れるなら、人間の身体を造ることはできるの?」

「夢ね」

 ビードロの回答は、予想外に素っ気ないものだった。

「あなた達、人間の"錬金術師"の歴史は、いちおう目を通したわ。けれど、おそらく人間の錬成に成功した人は、いないでしょうね。それどころか、生命そのものを生み出す事も」

「あなたはどうなの?」

 何気ない百合香の質問に、ビードロは長い沈黙を置いて答えた。

「…そうね。いつか、実現したいとは思っている」

「瑠魅香はね、人間になりたいんですって。だから、人間の肉体を得る方法を探してる」

「とんでもない事を考える子ね」

 ビードロは笑うが、目にはどこか真剣さが見え隠れしていた。

「人間の身体の錬成か。それができれば、人間になりたがる精霊も現れるかもね」

「現にここに一人いるわ」

 百合香は、胸に手を当てて笑う。

「身体はまだ痛む?」

「ええ、まだね。でも、もう少し休めば、歩くくらいはできそう」

「人間用のベッドが用意できなくて申し訳ないわ。私達はそうやって眠る習慣がないから」

 そう言われて、氷魔というのも今更だが奇妙な存在だなと百合香は思った。人間を模倣してはいるが、人間のような生活はしていない。精霊の生活がどんなものなのかは想像もつかないが、少なくとも氷魔のような、城の中で蠢いているだけの存在よりは充実していそうな気がする。

「…あなたは、精霊に戻りたいと思うの、ビードロ」

「え?」

「それとも、望んで氷魔になったタイプ?」

 すると、ビードロは小さく笑った。氷魔にしては珍しく、表情がわかるタイプだ。

「そうね。精霊の姿では、こうして錬金術の研究はできない。その点に関してだけは、氷魔でいたい、と思う事はある」

「そうなの?」

「ええ。でも、答えは出せないわね。精霊としての自由さは、あなた達人間に説明しても伝わらないから」

 精霊の世界。百合香には、ぼんやりとしか想像がつかない世界だが、瑠魅香はそこからやって来たのだ。

「逆に百合香、あなたは人間でいたいと思うの?」

「え?」

「氷魔が美しいと思った事はない?」

「……あなたのような個体ならね」

 百合香は目の前にいる、人間であれば美人で通るであろう氷魔を見て言った。

「嬉しいこと言ってくれるわね」

「人間は、そんなに美しい生き物じゃないわ。というより、生き物はそんなに美しいものじゃない」

 百合香は、心に秘めていた考えをぽつぽつと語り始めた。

「瑠魅香は人間に憧れている。だから私、言ったの。もし人間になれたとしても、人間の世界に幻滅する時が来るかも知れない、って」

「百合香は、人間の世界が嫌いなの?」

 それは、百合香の心の核心を突く問いかけだった。百合香は答えに窮して、だいぶ時間を要した。

「…わからない。でも、こんなふうに外側から、一方的に否定されるのは間違ってると思う」

「だから、この城に乗り込んできたのね」

「あの時は、そんなこと考える余裕なんてなかったわ。学園のみんなを助けなきゃ、って」

「そう。それならあなたは、やっぱり自分の世界を愛してるんだと思うわ」

 百合香の手を取って、ビードロは言った。

「瑠魅香が幻滅しないように、あなたが一緒にいてあげなさい。その時が来たなら」

「…ええ」

 その時百合香は、それまですっかり忘れていた事を思い出していた。

「そうだ…ビードロ、訊きたい事がある」

 

 百合香の問いに、ビードロは首を傾げた。

「人間を裏切って氷巌城に来た女…」

「そう。私がここに乗り込むより先に、間違いなく学園の人間が、入り込んでいるの。しかも、凍結したドアを難なく開けて、その後また閉じて凍結させていた。あなた、上層にいたんでしょう?何か知らないかしら」

 百合香は、凍結した学園で発見した、いくつかの証拠を挙げた。

「それは、女性に間違いないのね?」

 ビードロは強調して確認する。

「ええ。あのソファーに座っていたのは、間違いなく女性だわ。それも私のような少女ではない。大人よ」

「ふむ」

 しばし考えて、ビードロはひとつの謎を指摘した。

「そんなふうに凍結現象の中で平気で動けて、なおかつ凍結を解いたり、施したりなんていう事ができる人間、いると思う?」

「え?」

「あなた、なまじ賢いせいで物事を単純に考えられないタイプでしょう」

 なんだそれは、と百合香は憤慨した。ストレートに頭が悪いと言われるより癪に障る。

「シャーロック・ホームズだったかしら。どれほど信じられなくても、あり得ない事を排除していって最後に残ったのが真実だ、っていうの」

「…あなた達、けっこう人間の作品に詳しいのね」

「まあね。それでこの場合、"人間が凍結現象を操れる"などという事は"あり得ない"と言えないかしら」

 ビードロの指摘に、百合香はそれまでと違う戦慄を覚え始めた。

「…ちょっと待って」

「つまり、そんな現象を起こせる存在は、人間の中にはいない。それでは、私達の知識の中で、そんな離れ業をやってのけられる存在とは、一体何か」

 ビードロはわざとそこで言葉を途切れさせ、百合香の表情を窺う。

「ま…まさか、そんな事、あり得ない」

「ホームズなら、それが真実だと断言するでしょうね」

 ビードロは百合香が、辿り着いた答えを恐ろしくて口に出来ないのを見て取り、代わりに言った。

「そう。あなたの学園に、人間を装った氷魔が入り込んでいたのよ」

 

 

 

 氷魔皇帝ラハヴェは、ひとつの報告に落胆の色を隠せなかった。

「…わかった。よい」

 それだけ言うと、玉座を立ち上がり背を向ける。

「もとより、侵入者への関心は単なる余興にすぎぬ。それがすでに死んだというのなら、何も言うまい」

「はっ」

 ヒムロデは静かに、それだけ言った。

「お前も残念そうに思えるのは、私の気のせいか、ヒムロデ」

「…皇帝陛下の興が削がれたのであれば、臣下の私としても残念ゆえの事です」

「ふ…そうか」

 ヒムロデの胸の内を見透かしたように、ラハヴェは嗤う。

「この件はもうよい。それより、裏切り者どもへの警戒を強化しろ」

「はっ」

「ところで、例の計画はどうなっている」

「魔氷胚の消失という、想定外の障害に遭いましたが、それ以外は滞りありません」

「それでよい。どのみち、人間どもはまだこの城の存在にさえ気付いてはおるまい。多少時間がかかるのは大目に見る。確実に準備を整えるのだ。下がってよい」

「は。失礼いたします」

 ヒムロデは、深く礼をすると立ち上がって、ラハヴェの御前をゆっくりと後にした。

 

 玉座の間を出て廊下を進むと、脇にカンデラが控えていた。

「ヒムロデ様」

「なんだ。陛下がお怒りではないかと心配になったのか」

「め、滅相もない…」

「ふ、まあよい。お前としても胸のつかえが取れた気分であろう」

 図星を突かれたカンデラは、ただ黙って聞いていた。

「カンデラよ。計画が進行すれば、否が応でもお前の出番は回って来る。もし今、何か己自身に至らなさを感じているのであれば、なおの事それを己の忠義に換えて励むがよい」

「は…はっ!」

「ときにカンデラ、少々お前の手を借りたい」

 カンデラは、何の事かとヒムロデの顔を見た。

「あの、ヌルダの馬鹿者だ。呼びつけても一向に顔を出さぬ。そこで、私自ら奴の研究室まで出向く事にしたのだが、お前も同行せよ」

「な…いや、そのような事。ヒムロデ様がわざわざ出向かれる必要はございませぬ。私めにお任せください」

「そうか?ならば、あの遊び惚けている馬鹿者を、私の部屋まで引きずり出して参れ」

「はっ、かしこまりました」

 上級幹部の水晶騎士カンデラは、ただ人を呼び立てるという雑用のためだけに、きちんと敬礼してその場を後にしたのだった。

 

 

 

 ビードロのアジトを出て警戒にあたっていたマグショットが戻ると、サーベラス、オブラと3人で今後の作戦を練る事になった。

「最終的な目的は、皇帝ラハヴェの討伐としてです。現時点でどうするかが問題になってきます」

 オブラは、会議の進行役を務める体で話し始めた。

「当初の目的は、例の水路を通って第2層への最短ルートを目指す予定でした。しかし、それは百合香さまあっての計画です」

「カンデラの馬鹿が出しゃばってきたせいで、百合香がえらい目に遭っちまったからな。あいつだって例の大技を放って消耗してなけりゃ、あそこまで一方的に負けちゃいねえ」

「ですが、百合香さまのご容態は心配なものの、ひとつだけこちらに有利な状況ができたのも事実です」

「なに?」

 サーベラスは、ジロリとオブラを睨む。

「何が有利だというんだ」

「はい。百合香さまに指示されて行った工作が成功し、敵は現在、百合香さまが死亡したと信じています。すでにレジスタンスの仲間にも確認を取らせました」

「なるほど。要するに、敵の警戒が手薄になっているという事か」

「そうです。百合香さまはどのみち、回復までしばらく時間がかかるでしょう。当然その間、動く事はできません。百合香さまが現れなければ、死亡したという情報はさらに確固たるものになります」

「その隙をついて動くということか」

 サーベラスが頷くと、マグショットは「ふん」と鼻息を鳴らした。

「それで、具体的にはその敵の油断を、どう突くつもりだ」

「考えなくてはならないのは、本調子になった百合香さまを、いつ第2層に上げるかです。いずれ、どこかの時点で、百合香さまの生存は明るみに出ます。それは避けられません」

「つまり、それを少なくとも第2層に上がって以降に持ち込みたい、というわけか」

「そうです」

 オブラは、広報官であり新聞屋のディウルナから預かって来た、署名入りの通行手形を示した。

「僕の偽装魔法で兵士に化けた百合香さまを、これで第2層に上げます。それが、敵に勘付かれずに済む最善の方法です」

「その手形だって、お前の魔法で偽造できるんじゃないのか」

 サーベラスの指摘はもっともだったが、オブラは首を横に振った。

「これには、判別用の魔法が施されているんです。偽造で済むなら、僕らレジスタンスもすでに使っています」

「面倒な仕掛けを考えやがる」

「ですが逆に、これを使う事で完全に向こうを騙す事ができる、という事でもあります」

「そんなまどろっこしい事やってねえで、関所なんぞ力づくでぶち壊して進めばいいだけの話じゃねえのか」

 サーベラスの提案は、清々しいまでに彼らしかった。

「それができるならやっている。百合香と俺とお前の3人がかりでなら、関所の手前に陣取る、第1層の最後の氷騎士も敵ではない。だが、関所を破った瞬間に警戒態勢が元に戻る。オブラはそれを避けたいと言っているのだ」

 その程度の事がわからんか、という表情でマグショットはサーベラスを見た。

「じゃあ、どうすればいいってんだ」

 

「できるだけ短時間に、最後の氷騎士を打ち破るのよ」

 

 突然聞こえた声に、3人は一斉に振り向いた。

「百合香!」

 サーベラスが、壁に手を突いて立っている百合香を見て立ち上がった。

「お前、大丈夫なのか」

「大丈夫じゃない」

「あのな」

 心配を通り越して、呆れた様子でサーベラスは肩をすくめた。

「だから、多少無理をしてでも、私は急いで癒しの間へのゲートを見付ける」

「そうだな。そこにさえ辿り着けば、身体は治せるのだろう」

 マグショットも、止む無しといった様子だった。青ざめた顔で百合香は頷く。

「オブラ、あなたこの城の、エネルギー密度が低いポイントを探す事はできる?」

「エネルギー密度、ですか?」

「そう。そこなら、癒しの間へのゲートを開ける事ができるの」

「うーむ」

 オブラが悩んでいると、奥から何かを持ったビードロが現れた。

「まだ寝てなさいって言ったのに、無茶する子ね」

 そう言いながら、ビードロは手に持ったものをオブラに手渡した。それは、ストローのようなものが刺さった小さな瓶だった。

「オブラ、このシャボン玉を使って、百合香の言う”ゲート”を探すのを手伝ってあげて」

「シャボン玉、って何ですか」

「そのストローを吹いてごらんなさい」

 オブラが言われたままストローの端を吹く。すると、先端から青く輝く無数のシャボン玉が飛び出し、空間全体に広がって行った。

「わあ、きれいだ」

「これは私が調合した、氷魔エネルギーに反応して青く光るシャボン玉。エネルギー密度が低いポイントでは、光らないようになっているわ。これを利用して、ゲートを探しなさい」

「なるほど!わかりました」

 オブラは、まるで玩具を手にした子供のように研究室を飛び出して行った。

「ビードロ、ありがとう。世話になりっぱなしね」

「私は、実験の成果が活かせる事にワクワクしているわ」

「そう。ここ、変な人達が集まってるのね」

 百合香の一言で、その場の全員が笑った。

「みんな、聞いて。この層最後の氷騎士を、可能な限り素早く討ち取るの。関所の門番が気付かないほどの素早さで」

 そう語る百合香は、どこか指導者のようにその場の面々の目に映った。

「なるほど。その後で、オブラの魔法で全員氷の兵士に化けて、関所を通過するってことか」

「そう。氷騎士を倒した事が知れ渡る前に、それをしないといけない。倒すのに時間がかかればかかるほど、バレる確率は高くなる」

「スピード勝負か、面白い。腕が鳴るってもんだ」

 サーベラスの単純さは、この状況においては頼もしかった。マグショットもオブラも頷く。

 百合香は、ビードロを向いて言った。

「ビードロ、私たちに関わればあなただって命が危なくなる。いいのね」

「何をいまさら。ヌルダの下を出た時点で、こいつは立派な裏切り者だ」

 マグショットは半笑いで言う。

「ヌルダって誰?」

 その名前をまだ聞いていなかった百合香は、ビードロを向いて訊ねる。

「私に錬金術のイロハを教えた、水晶騎士の一角よ。騎士というより、奇人ね」

 

 

 

 氷巌城第3層の外縁部。ここに、錬金術師ヌルダが守護する、錬金術研究区画があった。守護とはすでに建前であり、ヌルダにとっては遊び場であった。

「ヌルダ、貴様いるのか」

 カンデラの声が、意味不明の物品がひしめき、煙たなびく研究室に響く。

「ヒムロデ様のお呼び立てを、無視し続けているそうではないか。立場が立場ゆえ大目に見てもらえるのをいい事に、無礼を続けるのも大概にせねば…聞いているのか!?」

 部屋の中央で怒鳴るカンデラは、その時ようやく部屋に誰もいない事に気が付いた。

「なんだ、おらぬではないか。全く…うおおっ!」

 振り向いたカンデラの目の前に、白衣をまとって眼鏡をかけた、ドクロの氷魔が現れた。頭の両脇からは、極太のネジの頭が飛び出している。

「なんじゃ、カンデラか」

「無言で人の背後に立つな!相変わらず気味の悪い」

「知らんわ。何しに来た」

「何しに、ではないわ。ヒムロデ様がお呼び立てだ、来い」

「ヒムロデじゃと?ああ、何やら用があると言っておったの。大した用ではあるまい」

 その言い草に、カンデラはいよいよ憤った。

「陛下の側近であるヒムロデ様を呼び捨てにするな!来い」

「うおっ、きさま、何をする!離せ」

 カンデラに引きずられるようにして、ヌルダはしぶしぶ研究室を後にした。



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斬り込み隊長

 オブラの探索で、癒しの間へのゲートは意外に早く見つかった。ただし、一筋縄では行かない場所である。

 

「百合香さま、大丈夫ですか」

 サーベラスの手を借りて通路をフラフラと歩く百合香を、オブラは心配そうに見た。

「大丈夫じゃないけど頑張る」

「正直な方ですね…もうすぐです」

 オブラが百合香に示したのは、そこから100mくらいの場所だった。

「見ててください」

 オブラが、ビードロから預かったシャボン玉をフーッと空間に吹き付ける。すると、氷巌城のエネルギーに反応してキラキラと光るシャボン玉の、全く光らないポイントが高い天井の片隅にあった。

「あれよ。よく見つけたわね、オブラ。ありがとう」

「はい。で、ですが、あんな高いところに移動できるんですか」

「入るのは問題ない。…出てくる時が心配だな」

 苦笑いして、百合香は聖剣アグニシオンを胸元から取り出す。その動作だけで、今の百合香には精一杯だった。

「しっかりしろ」

「…ありがと」

 サーベラスに掴まっていた手を離し、百合香は両手でアグニシオンを、ゲートポイントに向ける。

「みんなは、またビードロの研究室に戻ってて。悪いけど、ちょっと身体を治してくるわ」

「どうか、お大事に」

 オブラに百合香が微笑み返したその直後に、百合香の身体は真っ白な光に包まれて、ゲートに吸い込まれるように消えて行った。

「どういう仕組みなんでしょうか」

「さあな」

 サーベラスはお手上げのポーズをしてみせる。

「そもそも、百合香さまって一体何者なんでしょう。あの、金色の剣や鎧といい」

 オブラの何気ない問いは、全員が思っている事でもあった。

「氷巌城の歴史において、抵抗を見せる人間がかつて多数存在したのは事実です。氷巌城出現直後に、待ち構えていた人類によってこちらが撃退された事例もありますし」

「ああ。だが、それも人類に、強力な魔術師だとかがいた頃の話だ。今の人間は、小手先の技術は発達したようだが、それに頼って人間自身の力は弱まっちまった」

 嘆かわしい、とサーベラスは頭を振った。

「ええ。しかしそんな人類の中から、まるで待ち構えていたかのように百合香さまのような強力な剣士が現れ、示し合わせたように氷巌城の出現ポイントにいた、というのは、偶然と言えるんでしょうか」

 オブラの指摘に、サーベラスとマグショットは黙っていた。そもそも、生身の人間が氷巌城の中で歩き回れるだけで、城側からすれば異常事態である。

「…百合香さまは、普通の人間ではない、という事なのでしょうか」

「さあな。俺にはわからん」

 まるで関心がない、というふうにサーベラスは片手を振った。

「俺にとっちゃ、あいつはただの"いい奴"だ。腕の立つ、いい奴だ。それ以上の事は、俺にはどうでもいい。俺は頭が悪いからな」

 そう言って、おもむろにサーベラスはバットを取り出した。マグショットも頷く。

「そうだな。俺にとっても、あいつは単に見込みのある弟子だ」

「ちょちょちょっと、どこ行くんですか、お二人とも。そっちじゃないですよ!」

 オブラは、ビードロの隠れ家と全然違う方向に歩き出した二人に慌ててついて行く。

「オブラ、お前は百合香が戻ってくるまで待機してろ。あるいは、帰り道を忘れてるかも知れんからな」

「お二人はどこに行かれるんですか」

「なに、あんなしけた研究室にいたら、腕がなまっちまう。肩慣らしだ」

 それだけ言うと、オブラを置いてサーベラスとマグショットは、水路がある方に歩いて行ってしまった。

 

「嘘は言ってねえぞ」

「何のことだ」

 マグショットは、後ろを歩くサーベラスを振り返りもせず言った。

「とぼけるない。お前さんだって、俺と同じ事考えてんだろうが」

 二人は、水路の両脇の細い通路を歩いていた。サーベラスがギリギリ歩けるかどうか、という狭さである。左肩は完全に水面の上に出ていた。

「お弟子さんに優しい師匠だ。一匹狼ねえ」

「くだらん事を言うと、水底に叩き落とすぞ」

「へいへい」

 サーベラスはケラケラと笑う。

「だが、マグショット。皮肉は抜きにして、あの百合香って娘だが。何かあると思わねえか。さっきは話が長くなると厄介だから、オブラの話を誤魔化したが」

「……」

「単にものすごい力を持ってるとか、そういう話じゃねえ。つまるところ俺もお前さんも、気付いてみればあの娘を中心に動いている。オブラたちレジスタンスもだ。いま身を隠している、俺の手下どももいる」

 サーベラスの指摘に、マグショットは無言だった。

「あいつに取り憑いてる瑠魅香って奴もそうだし、ついにはディウルナなんて大物まで味方に引き入れやがった。単身乗り込んできて、まだ第1層を抜けてもいないうちから、これだけの味方をつけやがった」

「…確かに。言わんとするところはわかる」

「だろう。俺は頭は悪いが、見る目はあるつもりだ。あいつには、指導者の器がある」

 サーベラスは、心から感心している様子だった。

「指導者か」

 マグショットは、左の眼の傷をカリカリと擦りながら言った。

「あいつが、果たしてそんな肩書きを望むかな」

「ん?」

「指導者の器はあるかも知れん。だが、あいつはそれを好まない気がする」

「そう思うか、師匠としては」

「俺とて、師匠だの弟子だのは、半分冗談で言っているんだ。俺はしょせん、はぐれ者よ」

 自嘲気味にマグショットは笑って言った。

「そうだな、指導者というより…斬り込み隊長だ、あいつは」

「斬り込み隊長?」

「そうだ。あいつが斬り込んで行くせいで他の奴もついて行かざるを得ない。自分が真っ先に危ない所に飛び込んで行く。カンデラの件だってそうだろう」

「なるほど。指導者としては、必ずしも褒められた姿勢じゃないな」

 サーベラスは笑う。

「それで、どうする気だ?お師匠さんよ。その斬り込み隊長と一緒に、上を目指すつもりか」

「…俺は、群れるのは性に合わん」

 マグショットは、いつものセリフを呟いた。

「第2層に上がるまでは同行する。2層はちょっと野暮用があってな。上がったら、いったん俺は単独行動を取らせてもらう」

「へいへい。なら、俺はせいぜい斬り込み隊長殿の後ろをついて行くとするか」

「…おしゃべりは終わりみたいだな」

 マグショットが、立ち止まって水路の奥を睨む。そこは格子で区切られており、その背後が巨大な貯水槽のようになっていた。その水面の真ん中に、小高い山のような物体が飛び出している。サーベラスがその大きさに、呆れるように笑った。

「こいつが例の化け物か」

「うむ。レジスタンスの連中の話だと城の連中も、なぜこんな化け物がここにいるのか、わかってないらしい」

「そいつはまた妙な話だが。脇をこっそり通らしてはくれんものかな」

 サーベラスは、水路への門を音が鳴らないよう慎重に開ける。

「見ろ、あの奥にある門を。あそこを抜ければ、この層最後の氷騎士、バスタードのエリアに抜けられるそうだ」

「けっ!あの野郎のツラを見なきゃならんのか。怪物の方がまだ可愛げがあるわ」

 サーベラスは吐き捨てた。二人は、試みに貯水槽の脇の通路をゆっくりと歩く。ひょっとしたら、怪物が動かないまま通過できるかも知れない。

 しかし、二人の期待は数秒で打ち砕かれた。

 

「ガアアアアア!!!!」

 

 二人に気付いた首の長い亀の化け物が、その首を向けて吼える。サーベラスは笑ってバットを構えた。

「へへ、やっぱりこうなったか!!」

「倒すぞ、百合香が傷を治すまでの間に!!」

「おうよ!!」

 

 

 

 もう、何か月も訪れていなかった気さえする癒しの間に、百合香はようやく戻ることができた。泉には、”自称女神”ガドリエルが立体映像の姿で現れていた。

『百合香、大丈夫ですか。たいへんな傷を負ったようですね』

「ガドリエル…ひさしぶり」

 泉の前で百合香は笑う。

「色々ありすぎて、話もまとまらないわ。元気な時に、いろいろ質問する」

『ゆっくり傷を癒してください。私にしてあげられるのは、この間を提供するくらい…申し訳なく思っています』

「そんなことないよ」

 百合香は言った。

「逆だよ。この部屋がなかったら、今ごろ私、生きてないよ。ありがとう、ガドリエル」

『そう言ってくださると助かります』

「そうだ、ガドリエル。前に話した、学園から私より先にここに侵入した、謎の人物の件、覚えてる?」

 すると、ガドリエルはピクリと反応した。

『はい』

「仲間になってくれた氷魔の推測なんだけど、ひょっとしたら、人間に擬態して学園に入り込んでいた、氷魔かも知れない」

『…なるほど。それも、可能性としてはあり得ますね』

「目的は何だと思う?」

『考えられるのは、氷巌城の”基盤”となる施設の調査です。つまり、そこが城の基盤とするだけの条件を満たしているかどうか、という事です』

「…なるほど」

 百合香は、一体誰に擬態していたのかを考えてみたが、疲労が先に来てしまった。

「ごめんなさい、やっぱりお話する元気ないわ。…お休みなさい」

 百合香は、痛む身体を押してベッドに身体をドサリと投げた。制服を着たまま、目を閉じる。いつもなら半透明の状態で現れる瑠魅香も、今は百合香の中で眠っていた。

「シャワー…浴びなきゃ…」

 頑張って身体を起こそうとするものの、強烈な睡魔が襲ってきた。

 

 

 

 百合香は、不思議な夢を見ていた。そこは、日本の山間の土地のようだった。ちょうど、ガドリエル学園がある立地に似ている。そこにはボロボロの神社があり、人がたびたび、周囲を窺うようにして出入りしていた。人々の服装は、時代劇に出てくる農民のようである。実際、鍬や鋤を担いだ人も見えた。

 

 視界は、神社の中に移動した。多少荒れてはいるが、中はいちおう神社らしい様子になっている。しかし、出入りしているはずの人の姿がどこにも見えなかった。

 すると、一人の若い男性が、祭壇わきに垂れている布をめくって現れた。何やら、こちらに向かって深々とお辞儀をし、どうぞ、どうぞと手招きしている。何か急かしているようにも見えた。

 

 百合香は、招かれるまま祭壇の裏に回る。すると、そこには地下に続く階段があった。階段を降りると、中には驚くべきものがあった。木彫りの、子供を抱えた女性の像である。それは、聖母マリア像であった。

 出入りしていた農民ふうの人々は、その像に向かって、手製の粗末な十字架を掲げて祈っていたが、百合香がやってきた事に気付くと、目を輝かせてすがるように集まってきた。

 

 何を言っているのかはわからない。だが、百合香は木彫りのマリア像の背後にあるものに、目が釘付けになった。

 

 それは、黄金の剣だった。

 

 農民の一人が、一本の鞘を百合香に恭しく差し伸べる。百合香はその鞘を受け取ると、ゆっくりと剣のもとに歩み寄り、しっかりと手に取った。

 暖かい手触りだった。まるで、旧友と再会したような気持ちに包まれ、百合香はその剣を鞘に納める。

 

 農民たちは、湧き立っていた。その声が薄暗い地下室に鈍く反響し、やがて視界が光に包まれて行った。

 

 

 

 

 目が覚めた時、百合香はベッドの上にいた。制服を着たままだ。

「……」

 ふと、シャワールームの方を見る。いつもなら、瑠魅香が嬉々としてシャワーを浴びているところだ。しかし、今は何の音もしなかった。

「…瑠魅香?」

 その名を呼びかける。しかし、返事はなかった。百合香は気が付く。瑠魅香は、まだ百合香の内側で眠り続けていた。

 上半身を起こすと、百合香は自分の身体を確かめるため、バスルームに行って制服を脱いでみた。鏡に映った身体は、すでに完治している。髪の毛に染み付いた血も、きれいに消え去っていた。

 

 シャワーを浴びながら、自分で身体を洗うのは久しぶりだな、と苦笑いした。いつも百合香が寝ている間に、瑠魅香が身体を”拝借”してシャワーを浴びていたからだ。

 初めて、癒しの間に来た時は一人だった。その後、瑠魅香と一緒に過ごすようになった。すでに、瑠魅香という存在が、百合香にとっては当たり前のものになっていたのだ。百合香の身体はすでに回復しているが、瑠魅香が目覚める気配はない。

 

 テーブルにつくと、冷蔵庫から出した「ポカリスピリット」を飲む。瑠魅香は、この味をやけに気に入ったらしい。

 その時、百合香の目からぽろぽろと涙が溢れてきた。

「…瑠魅香」

 ポカリの味と、涙の味が混ざる。

「ごめんね、瑠魅香。いつも私が突っ走るから、あなたに迷惑かけちゃう」

 百合香は、いつも瑠魅香が座っている椅子を見る。

「ゆっくり休んでていいよ。今は、わたし一人で何とかする。ううん、みんなもいるから、大丈夫」

 泣きながら、誰もいない空間に向かってそう語り掛ける。

「だから、お願い。時間かかってもいいから、どうか目覚めて。あなたがいないと、寂しいよ」



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金髪の女剣士

 瑠魅香の事でひとしきり泣いたあと、百合香はどうにか気持ちを落ち着け、やるべきことを整理することにした。

 まず、目下の直接的な課題は、城側に悟られる前に氷巌城第2層へと上がる事である。

「水路の奥にいる化け物を倒したあと、バスター何とかっていう、この層最後の氷騎士を倒す」

 何気に連戦だな、と百合香は考えた。そもそも、その化け物がどのくらい強いのかもわからない。倒せる前提で考えたとしても、そのあとに最強と思われる氷騎士が控えているのだ。

 だが、今回は今までと状況が違う。サーベラスとマグショットという、頼もしすぎる味方がいるのだ。瑠魅香の魔法は今は頼れないが、戦力だけでいえば鬼に金棒である。

「…いけるよね」

 急ごしらえのホットサンドを作りながら、百合香は呟く。

 ただ、強さという問題を考えたとき、どうしてもあの水晶騎士カンデラの実力が脳裏にチラついた。

「圧倒的な強さだった…確かに、私は大技を放って消耗してはいたけれど」

 それを差し引いたとしても、恐るべき実力なのは間違いない。気絶したあとの話を聞くと、瑠魅香のフルパワーの魔法を喰らったあと、マグショットとサーベラスの猛攻を受けてなお、ごく軽いダメージのまま逃走できたらしい。耐久力も生半可ではないようだ。

 サーベラスによれば、カンデラ級の水晶騎士と呼ばれる最上級幹部が、少なくとも他にあと5体いる。その一人が、ビードロの師である錬金術師、ヌルなんとかという氷魔だという事である。

「…バスター何とかっていう奴は、カンデラと比べてどれくらいの実力なのか」

 ホットサンドプレートを開きながら、百合香は呟く。焼けたパンと、チーズとハムの香りが癒しの間に漂った。チーズは普段スーパーで買うものより上質である。

 考えても仕方ない。バスケの試合だって、要するに時間が来れば試合は始まるのだ。やってやる、と百合香はホットサンドに噛み付いた。

「瑠魅香、早く起きないと、活躍する場面なくなっちゃうぞ」

 瑠魅香が苦手なブラックコーヒーを飲みながら、百合香は苦笑いして呟いた。

 

 

 

 その頃、氷魔皇帝側近ヒムロデの執務室に水晶騎士の一角、ヌルダが嫌嫌ながら連れて来られていた。

「何用でしょうなヒムロデ様。ワシは忙しくての。手短に願いたい」

 立ったままそう言ってのけるヌルダの後頭部に、カンデラが力任せに鉄拳を喰らわせた。

「あいた!!」

「無礼者!!ヒムロデ様に向かってなんという態度だ!!」

「なんじゃとう!」

 すると、ヒムロデは床をカツンと踏み鳴らした。

「よい、カンデラ。今さらこやつの礼儀作法を問い詰めても、時間を無駄にするだけだ。ヌルダよ、単刀直入に訊く。”フォース・ディストリビューター”の研究はどこまで進んでいる」

「なんじゃ。何かと思えばその程度の事か」

「ほう。ずいぶんと余裕綽々だな。では、もう完成の目途が立っていると期待してよいのかな」

 だいぶ意地の悪い調子で、ヒムロデは訊ねた。ヌルダは悪びれる事無く答える。

「完成の目途など立っておらん。が、理論は完成した」

「つまり、いつでも敷設に取り掛かれるという事か」

「理論は、と言うたじゃろう」

 ヌルダは、もはや階級など存在しないかのような態度で、ヒムロデの執務室をうろつきながら言った。

「今、それを実証するための装置を試験的に製作しておるところじゃ。遊び惚けておるなどと言われるのは心外じゃな」

「実証するための装置?」

「さよう。今回、氷巌城を建造させるためにこの土地を選定したのは、幸運じゃった」

 ヌルダは、城の周囲に広がる山地を見ながら言った。

「この土地は、フォース・ディストリビューターの理論を実証するのに、比較的よい条件がある。したがって、試作機が完成しだい、ワシは外に出て試験を行う予定じゃ」

「それは、いつになる」

「そうじゃの。今の進捗から見て、10日…いや、試験の終了まで含めると、14日程度は見てもらうか」

「なるほど、わかった。もしその試験が成功したら、その後はどうなる」

「むろん、本番のフォース・ディストリビューターの建造に取り掛かる。じゃが、これには時間がかかるぞ」

「かまわん。皇帝陛下もそのように仰っている。時間よりも、確実性を重視せよとのお達しだ。エネルギーが尽きる前に完成すれば、それでよい」

「エネルギーが尽きる前に、の。それはワシとてわかっておる」

 話は終わったと言わんばかりに、ヌルダは勝手に執務室を出ようとしたが、ヒムロデは呼び止めた。

「もうひとつ訊きたい事がある」

「なんじゃ」

「人間を、生きたまま氷魔に変える事というのは、お前の錬金術で可能か」

「ふむ?」

 何か興味深げに、ヌルダは振り返ってヒムロデを見た。

「どういう意味かの」

「言ったままの意味だ。可能か、不可能か訊ねている。わからぬのなら、それでよい」

「現段階では、不可能じゃ。生きている人体は、そもそも氷魔の器にならん。それはお主もわかっていよう」

 その答えにヒムロデは、小さくため息をついてから言った。

「それを実現できる可能性が、今後出てくる可能性はあるか」

「何とも言えん。じゃが、可能性を追求するのが学問じゃ」

「なるほど」

「ふむ、それはワシもいくらか興味がある。何なら研究を進めてもよいが」

「まず、陛下より命じられた事を進めよ。私が今言った事は単なる戯れ言だ」

 そう言うヒムロデに、ヌルダは肩を上下させて笑った。

「お主もわからぬ奴よの」

「もうよい。研究室に戻って、作業を続けよ」

「ほっ、ならばそうさせてもらうかの。失礼するぞ」

 傍若無人そのものの様子で、ヌルダは執務室を後にした。その後を、慌てるようにカンデラが追う。

「ま、待てヌルダ!ヒムロデ様、ご無礼を。失礼いたします」

 礼もそこそこに、カンデラも執務室を出る。残されたヒムロデは、自らの手のひらをじっと見つめた。

「生きた人間は氷魔にはなれぬ、か」

 

 

 ずかずかと通路を歩くヌルダに、追いすがったカンデラが言う。

「相変わらずの態度ではあったが、俺は生きた心地がせんかったぞ。しかし、例の…フォース・ディストリビューターとは一体何なのだ」

「武官のお主に説明してもわかるまい。そうじゃの、試験の現場に立ち会わせてやってもよいが」

「なに?…まあ、侵入者の件が片付いた今、俺もしばらくヒマになるやも知れんがな」

「例の、人間の小娘か」

 いかにも興味ありげにヌルダは言った。

「実はワシも興味があった。研究に没頭しておったせいで、それを知った時にはすでに死んでいた」

「一体どれだけ閉じこもっておったのだ」

 カンデラが呆れたように言う。

「カンデラよ。普通の人間が、氷巌城の中をうろつくなど、普通の事だと思うか」

「む?」

「普通の人間がこの氷巌城に入れば…まあ現実には入る前に氷の像になるが、仮に入ったとすれば、1秒の十分の一も経たずに、凍結して死ぬであろう。それなのに、あの死んだ侵入者の娘は、自由に暴れ回って、幹部さえも倒してみせたそうだな」

「う…うむ」

 カンデラは、すでに知っている情報を繰り返す必要もないので、ただそう相槌を打った。ヌルダは続ける。

「氷巌城の歴史において、直接ここまで乗り込んできた人間は、そうそう多くはない。その大半は、古代の魔術に長けた人間だった。氷巌城の冷気から身を護る魔具などを身に着けて乗り込んできた。だが、最後にはそれも効力を失って、氷の骸と成り果てた」

「うむ」

「だが、ごく一部、そのような魔具、あるいは護符などを身に着ける事無く、皇帝の間まで到達できた者もおる」

「なに?」

 カンデラは驚いて訊ねた。

「きさまはそれを知っているのか。そんな奴がいたのか」

「ほっ、お主より歳は食っておるからの」

「いったい、どんな奴だったのだ」

「女の剣士じゃ」

 その一言に、カンデラはいくらかの衝撃を受けたようだった。

「女の…剣士だと?」

「そうじゃ。黄金の剣を携えた、な」

「なっ…!」

 カンデラの驚きはさらに強くなった。

「それは、まるであの、死んだ侵入者ではないか!」

「そうじゃ」

「それは、いつの時代の話だ!?そ、その…女の剣士は、どうなったのだ」

 いよいよ関心を抑えられなくなったカンデラは、矢継ぎ早にヌルダを問い詰める。ヌルダは立ち止まって言った。

「死んだ。皇帝の剣に、腹を貫かれてな」

「皇帝と相まみえたのか?いつの時代だ」

「人間の尺度で言えば、1万2450年くらい前じゃったかな。いまの人類文明の、前の文明が滅びた時じゃな。人類が記憶喪失に陥った時代じゃ」

「どういう事だ」

 カンデラは、いまだ驚きを隠せない様子で考え込んでいた。

「当然の疑問じゃな。あまりにも、酷似しておる。今回の侵入者も」

「その女剣士とは、何者だったのだ」

「わからん。結局は死んでしまったからの。ただ、その剣士だけではない。もう1人、女神官も共に乗り込んできたと聞く。強力な魔術を用いていたそうじゃ」

「なに!?」

 カンデラはそれを聞いて、一人の魔女を思い出していた。倒したはずの百合香が、一瞬で黒髪の魔女に変貌したのだ。

「きさま、それを見ていたのか?」

「ワシは現場にはおらなんだ。当たり前じゃ、その時代のワシは、その剣士に討ち取られたのじゃからの」

 そう言って、ヌルダは自らの頭のネジを指差す。

「これが何かわかるか。ワシはその時、その剣士にバラバラにされたのじゃ。その後しばらく転生する事はなかったが、今回こうして久しぶりに、氷巌城とともに具現化した。割れた身体のあちこちを繫ぎ止めての」

「そっ…その剣士というのは、今回の侵入者に似ているのか?」

 食い入るようにカンデラは訊ねる。

「ワシは広報官がバラまいた小さな写真でしか見ておらぬが、まあ似ておるといえば似ておるな。金髪に金の鎧、金の剣」

「似ておる、どころではなかろう!」

「ほっ、ほっ」

 ヌルダは笑う。

「ワシにはわからんよ。どのみち、もう死んでしまったのじゃろう。まあ、生身でこの氷巌城を歩き回れたというのは、確かに興味はあるがの」

「…その時代の文献などは残っているか」

「文献じゃと?まあ、図書館に行けば何がしかの記録はあるかも知れん。しかし、この城は生まれ変わるたびに、どこかが、あるいは大半が改変されるからの。出来事の記録とて、どこかがおかしくなっていても不思議はない」

「お…俺の役目はとりあえず終わった。失礼するぞ」

 カンデラはどこに向かうのか、慌ててその場を足早に立ち去ってしまった。

「なんじゃ、あいつもわけのわからぬ若造よの」

 

 廊下を歩きながら、カンデラは自問した。

「(…おれは何を考えておるのだ)」

 それは、あり得ない事を考えている自分自身への問いだった。

「(…それを調べたからと言って、何がどうなると言うのだ)」

 カンデラの胸の内には、なぜか言い知れぬ不安が増大しつつあった。

 

 あの娘はそもそも何者だったのか。

 あの黄金の剣は何だったのか。

 そして、事態は本当に全て終わったのか。あの黒髪の魔女はどこに行ったのか。

 

 あるいは、単なる好奇心だったのかも知れないが、カンデラは過去の記録を調べるために、第3層の一角にある図書館へと向かったのだった。

 

 

 

 

「サーベラスとマグショットは?」

 ようやく体が回復し、ビードロの研究室に戻った百合香は訊ねた。オブラが答える。

「えっと、それがですね。肩慣らしだか、パトロールだかで出てくるから、百合香さまをこちらにお連れして待っていろ、との事でした」

「ふうん」

「あの二人、絶対に反りが合わないだろうなと思ってたんですけど、あんがいウマが合うみたいですね」

「それは私も思った」

 百合香は笑う。どちらもマイペース同士なので、意見が衝突するのではないかと思っていたのだ。

「あの二人はともかく、百合香様はもう大丈夫なんですか」

「え?うん、もう大丈夫。傷も痛みも全快したから」

「そうですか」

 オブラは、ホッとしながらも渋い顔を百合香に向ける。

「百合香様。もう、あんな無茶苦茶な作戦を立てるのはおやめ下さい。ただでさえカンデラは強敵なのに、あの時百合香様は、フルパワーで技を放った直後だったんですよ。あれがなければ、マグショット様やサーベラス様が到着するまで、もう少しましな状態で持ちこたえられたかも知れないんです」

 遠慮なく意見を言うオブラを、百合香は感心するように見ていた。戦闘能力こそないが、状況の判断は他の誰よりも優れている。

「わかった。もう無茶はしない」

「どうか、そのように願います。生きた心地がしませんでした」

「ごめんごめん」

「…ときに、瑠魅香様は」

 聞きにくそうにオブラが言うと、百合香は簡潔に答えた。

「まだ眠ってる。でも、そのうち起きてくるよ。必ず」

「…そうですか」

 オブラは心配そうだった。

 その時、ドアの奥から聞き慣れた足音がして、ガラガラとドアが開いた。

「サーベラス様!戻られましたか」

 やっと戻ってきたか、という顔でオブラが出迎えた。

「おう。おっ、百合香!お前も戻ってたのか」

 サーベラスが百合香の前に、ドスドスと足音を立てて歩み寄る。その後を、マグショットがトコトコと歩いてきた。もう、猫が直立二足歩行するのに慣れて来た百合香だった。

「もういいのか」

 マグショットはそれだけ訊ねる。

「うん。いつでもいけるよ」

「そうか」

「ねえ、二人ともなんでそんなボロボロなの」

 百合香は、サーベラスとマグショットを交互に見る。サーベラスは装甲のあちこちに細かい傷が見えており、マグショットはトレードマークのジャージのあちこちが綻びていた。

「ん?ああ、ちょいと準備運動がな」

「パトロールも兼ねてな」

 なんだか煮え切らない返しだな、と百合香は思った。答えにも会話にもなっていない。

「その身体で、今すぐ出発ってわけにはいかないよね。氷魔は、黙っていればそれなりに回復するんでしょ?」

「ああ。この程度の傷、俺ならすぐに治る。この間お前に喰らった傷だって、もう治ってるだろ」

 そう言って、サーベラスは百合香の剣を受け止めた肩を見せた。傷跡はあるが、確かに治っている。

「だから、何てことはない」

「でも、もうちょっと休んでから出発した方がいいよね」

 百合香が、何か念を押すように言うので、サーベラスとマグショットは顔を見合わせた。

「そうだな。もう少しだけな」

「うむ。もう少しだけだ」

 やっぱり何か煮え切らないな、と百合香は思う。

 その意味は、全員で出発して間もなくわかる事になるのだった。



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三銃士

 オブラが例によって、今の作戦について説明を始めた。すでに参謀のような立ち位置が板についてきた感もある。

「まず、最初の目標はこの第1層を抜けて、上に上がることです」

 全員が頷く。

「現状、城側からは百合香さまが死亡した事になっていると思われているため、警備は手薄です」

「間違いない。俺とマグショットが確認してきた」

 サーベラスが胸を張る。オブラが続けた。

「そこで、やはり当初の予定どおり、水路の奥にある門を抜けて、最後の氷騎士バスタードの所へ向かいます。当然ですが戦闘中、僕は隠れています」

 あまりに堂々と情けない事を言うので、全員頷くしかなかった。

「質問。水路の奥の怪物っていうのは、戦わないで回避できないの?」

 百合香の質問に、オブラは腕組みして答えた。

「当然それは考えました。しかし僕もあれを間近で見ましたが、回避するのは不可能そうです。カンデラも、倒せない事はないが無闇に関わる必要もない、みたいな事を言って放置してましたし」

「なんでそんなの、配置したんだろ」

「カンデラ達も、なんでいるのかわからない、って言ってました。僕にも当然、わかりません」

 どういう事なのだろう、と百合香は思った。しかし以前、例の新聞屋ディウルナも、城側も城の全てを把握していない、といった事を言っていた。

「どうも、この城はそれほど単純ではないらしいわね」

「考えたって仕方ねえだろう。俺は頭が悪いからな。倒す敵を倒せばそれで終わるんだ、さっさと出発しようぜ」

 サーベラスの単純さは、こういう場面では頼もしかった。全員、議論は道々の暇つぶしにでもすればいい、と立ち上がる。

「斬り込み隊長どの、ここは一発、号令をかけてくれや」

「なに、それ」

 いきなり変な肩書きを与えられた百合香は、苦笑しながらも剣を突き立てて言った。

「私は人間、みんなは氷の精霊。立場は違うけど、この城を消して、もとの在り方に戻るっていう目的は同じ。いまさら迷いはないわね」

 全員が頷く。

「よし、何としてもまず、第1層を突破するわよ!」

「おう!!」

 全員が腕を上げて誓い合ったところで、ビードロが何かを持って現れた。

「みんなに、これを渡しておくわ。といっても、ごめんなさい。人間の百合香には使えないんだけど」

 それは、手のひらに収まるほどの、栓がついた小さな瓶だった。

「サーベラスには、ひとまわり大きいのを。はい」

「なんだ、こりゃ」

「氷魔用の補修材。少し深めの傷でも、すぐに埋めてくれるわ」

「ほう」

 サーベラスが、瓶を振って矯めつ眇めつした。

「マグショットみたいな体格なら、腕がちょん切れても繋げるかもね。ま、ここに来れば代わりの手足をくっつける実験もできるから、安心してバラバラにされて来てちょうだい」

 なかなか笑えないジョークを言いながら、ビードロは笑う。マグショットは「ふん」とだけ言った。

「代わりといっちゃ何だけど、百合香にはこれ」

「なにこれ」

 百合香は、手渡された一巻きのテープ状の布を眺めた。氷の包帯、といった様子だ。

「巻けばガッチリ固まる、言ってみればギプスね。腕がちょん切れても、とりあえず紛失しないようにくっつけるくらいはできるかも」

「どうしても腕をちょん切らせたくて仕方ないみたいね」

 多少白い目をビードロに向けながら、百合香はそれを腰のサイドガードの内側にしまう。

「ビードロ、あなたはどうするの」

「私はここにいるより他にないわ。でも、オブラがレジスタンスと連絡を取ってくれたから、何か必要な物があれば彼らに届けさせる」

「そう。なんだか、こっちも体制が整ってきたわね」

 百合香は笑いながら言う。

「さて、それじゃ行くか。色々ありがとうね、ビードロ」

「武運を祈っているわ」

「ようし、出撃よ!」

 全員が力強く頷くものの、勇んで引き戸をガラガラと開けても何だか緊張感がないな、と思う百合香ではあった。

 

 

 当初の予定どおり、水路わきの通路を百合香たちは進んでいた。

「サーベラス、落ちないでよ」

 背後を護るサーベラスの、水面に飛び出した左肩を見ながら百合香は言った。

「心配ねえよ、もう何度も通って…いや、ごほん」

「え?」

 また何だか煮えきらないな、と思う百合香だった。

「そういえば、思い出した事がある。私が通ってる学園のすぐそばの用水路に、たまに亀が迷い込んでくるのよね。どこの亀なのかわからないけど」

「なんだと?」

 マグショットが興味深そうに訊ねる。

「うん。氷巌城は、その基盤となる土地だとかを模倣して創造されるのよね。だとすれば、それが校舎の周囲にあった構造や生き物だとかを、模倣しても不思議はないのかも」

「つまり、何もかもが皇帝だとかの意図に沿ったもんじゃねえって事なのか」

 サーベラスも、不思議そうに首を傾げる。どうやら、氷魔たちにとっても氷巌城は謎が多いらしい。

 

 しばらく歩いていると、何やら通路や壁に、ヒビや割れが目立つようになってきた。壁や天井の破片も散乱しており、水路の水があちこちに飛び散っている。

 やがて格子で区切られた貯水槽のような場所に出ると、さらに壁面の破壊は大きくなり、槽の奥には甲羅が滅茶苦茶に割られた氷の亀が、ぐったりとなっていた。

「なにこれ?」

 百合香は驚いて立ち止まり、その状況を訝しむ。先導するオブラも首をひねったが、やがて何か納得したように振り向いた。

「なるほど、そういう事でしたか」

 呆れたようにサーベラスを見る。

「お二人は、パトロールとか何とか言って、先にここにいる亀の怪物を倒してしまったんですね。百合香さまに負担をかけないために」

「え!?」

 百合香はさらに驚いて、サーベラスとマグショットを交互に見た。二人は、何の事か知らないといったポーズを見せる。

「さあな。おおかた、城の奴らがいい加減邪魔だからって、退治したんじゃねえのか」

「そんな所だろうな。こちらとしては、楽ができるというものだ」

 マグショットは明後日の方向を見ている。オブラは肩をすくめ、溜息をつく。

「そうですか。そういう事にしておきます。楽ができて、よかったですね」

「おう。百合香は肩慣らしができなくて残念だったな」

「白々しい…」

 オブラが細い目で二人を見る。百合香は溜息をつきながら微笑んだ。

「ありがとう、二人とも。でも、瑠魅香が怒るわよ。活躍する場面が減らされた、って」

「おう、だったら眠りこけてねえでさっさと起きろってもんだ。目が覚めたらもう第2層についてるかも知れねえぞ」

 サーベラスが笑うと、全員が声を上げて笑った。この時点で「自分達がやりました」と白状しているのだが、それには突っ込まない百合香だった。

「さあ、それじゃ行きましょう。最後の氷騎士が待つ場所へ」

 オブラが真っ先に、亀の怪物が倒れている奥の狭い通路へと進むと、残りの面々もその後をついて行った。

 

 

「その、バスタードって奴の所まではすぐなの?」

 百合香が訊ねる。

「はい。この通路を進むと、扉があります。ここは非常用通路なので、普段兵士の出入りはありません。扉を出て右手に進むと、間もなくバスタードが守護するエリアに入ります」

 オブラは、待ってましたと知識を披露する。

「バスタードは、そこを庭園に改造したという話です。レジスタンスの話では、氷の生け垣が迷路のようになっているとか」

「どういう奴なの?いったい」

「サーベラス様なら、よくご存知です」

 オブラは、わざとらしくサーベラスに話を振る。サーベラスは、いかにもウンザリだという風に、力いっぱいジェスチャーした。

「いけ好かん野郎だ。離れられてせいせいしたと思っていたのに、奴までこの第1層に降ろされやがった。まあ、奴を近くに置いておきたくないという点では、皇帝と同じ意見ではある」

 そこまで言われるとは、一体どういう相手なのかと百合香は考えた。もともと第3層の守護、つまり実力そのものはサーベラスと同じく、上級幹部を除けばトップクラスの筈である。

「会えばわかる」

 サーベラスは、それだけ言うとあとは無言だった。

 

 

 

 その頃、ここ第3層の図書館では、水晶騎士・アメジストのカンデラが、過去の氷巌城の出来事を調べるために訪れていた。図書館を預かる司書であり氷騎士の一人が、物珍しそうに訪れたカンデラを眺めた。

「これはこれは、カンデラ様。珍しい事もあるものです」

 その女性ふうの氷騎士は、司書というよりは怪しげな魔術師といった風体である。ヒムロデと似たフードつきのローブをまとっているが、頭は出しており、顔の前面にまでかかった髪が不気味だった。

「相変わらず不気味な奴だ。ヌルダといい、第3層は奇人の寄り合い所だな」

「ふふふ、しかしカンデラ様がこのような所においでになるなど、初めての事ではございませぬか」

「図書館では静かにするものではないのか」

 黙っておれ、と言外に示したカンデラは、広いが薄暗い図書室をぐるりと見渡した。

「氷巌城の歴史を調べられる書物はあるか」

 すると、司書はぴくりと反応した。

「年代にもよりますが、いつ頃のものを」

「人間の暦でいう、12450年前ごろだ」

「…お待ちくださいまし」

 そう言うと、司書はいったん準備室のような所に引っ込んで、一本の鍵のようなものを手にして戻ってきた。

「申し上げておきますが、ご所望の本があるエリアの棚は、全て持ち出し厳禁です」

「うむ」

 カンデラが案内されて訪れたのは、ひとつの棚の裏側に隠されていた、扉の奥の部屋だった。そこは蔵書室というよりは、小さな博物館といった趣の部屋で、透明なケースの中には、よくわからない石の破片だとか、骨らしきもの、植物の標本などがあった。

「これは、地上の物ではないか!」

 カンデラは驚いて言った。

「これは石だ。これは、動物の骨か?これは花と、葉や茎…全て本物だ」

「その通りです」

「なぜ、こんなものが図書室にある」

「図書室”にも”、と言い換えた方が良いでしょう」

 司書は不気味に笑う。

「今お目当てのものは、そちらではございますまい」

「む…」

 カンデラは、薄気味悪い標本のエリアを通って、さらに奥の小部屋に案内された。部屋は狭いが、入り口側を除いた三面に棚があり、そこには厚い書物がぎっしりと並んでいる。部屋の中央にはテーブルと椅子が据え付けられていた。

「この部屋には、氷巌城の歴史の全てが記された書物が並んでいます」

「おお。壮観だな」

「さきほども申し上げましたとおり、持ち出しは厳禁です。もっとも、持ち出そうとしても結界に阻まれる仕組みになっておりますが。それと、もうひとつ。お手に取られても、赤い封印が施されて開けない本は、一部の者のみが閲覧を許された禁書となっております」

「禁書だと」

「はい。そのような本があった場合は、お諦めくださいますよう」

「…わかった」

 カンデラは、しぶしぶ頷いた。上級幹部である水晶騎士の地位にあっても、閲覧を許されない書物とは何なのか。気にはなるが、ひとまずは自分が知りたい情報が書かれた本を探す事にした。

 

 

 

 オブラの案内で、第1層最後の氷騎士・バスタードのいるエリアに向かう百合香たち一行は、徐々に通路の装飾が過剰になっていく事に気が付いた。

「何かしら。ここまでの第1層の雰囲気と、だいぶ違うわね。ロココ調というか」

「色もなんだか違いますね。薄いピンクとか」

 どうも、これから繰り広げられるであろう戦闘のイメージが湧かない、華やかな空間である。

 やがて、両開きのやはり装飾過多の扉を通過すると、天井がドーム状になっている、広い空間に出た。そこには氷でできた見事な庭園があり、奥には、離宮のような建物が見える。

「ここが、そのマスタードがいる…」

「バスタード」

「…バスタードがいるエリアなのね」

 百合香は空間を見渡すが、氷の生け垣が微妙な高さになっているため、全体がよく見渡せないのだった。

「くそ、なんだこの邪魔な垣根は」

 いかにも忌々しいといった様子で、サーベラスがぼやいた。

「ちっ、仕方ねえ」

 そう言うと、いつものバットを消して、サーベラスは百合香の身長ほどもある大剣を出現させた。

「すごっ」

「ま、これが俺のもともとの得物だ。大剣使いのサーベラス、上級幹部にだって引けを取る気はねえ。いくぞ」

 そう言うと、いきなり目の前の生け垣を大剣で薙ぎ始めた。丁寧に手入れされている様子の生け垣も、サーベラスにとっては単なる進軍の邪魔でしかないようである。

 

 サーベラスが率先して生け垣を薙ぎ、蹴り倒し、向こうに見える舘目指して進軍を続けている、その時だった。

 

『愚か者が!!!』

 

 何やら張りのある声が、空間に響き渡った。

 

『美を理解せぬ蛮族め!!!何をしにここへ現れた!!!』

 

 その声にサーベラスは、この世の終わりの方がまだましだ、とでも言わんばかりに首を振った。

「おいでなすった。百合香、頼みがある。あいつのトドメは俺にやらせろ」

「お好きにどうぞ」

 興味もなさそうに百合香が答える。サーベラスがブツブツ言っていると、突然生け垣が魔法のように動き出して、中央の広場に続く道が現れた。その真ん中に、一人の氷魔が細身の剣を手にして立っている。

 その姿は何やら、アレクサンドル・デュマ『三銃士』の主人公チームの誰か、といった衣装で、頭には羽根飾りのついた派手な帽子を被っている。剣はやや根元が太めだが、全体としては細身のレイピアだった。

「どかせるんなら最初からどかせ、この気障やろう」

「あいつがバスタード?」

「ああ」

 サーベラスは、名前を言うのもイヤですといった風に、百合香の問いに簡潔に答えた。

「ほう、そこにいるのは裏切り者のチビ猫どもか。そうか、裏切り者が揃って私のもとへ出頭したというわけか。ははははは、なかなかに殊勝な心掛けよ。うむ、そのような神妙なる態度であれば、この秀麗にして聡明、強く気高く、まさしく知恵と力と美の女神に愛されし私が罪を軽減されるよう取り計らってやらん事もない。それ、そこに直るがよい」

 ひとしきりバスタードが喋り尽くしたあとで、百合香がボソリと呟いた。

「やっぱり私に殺らせて」

「こればかりは譲れん。俺がやる」

 どっちが首をはねるか、という物騒な言い合いが始まったところで、バスタードは裏切り者の他に、見慣れない者が混じっている事に気が付いた。

「む!?」

 バスタードは、百合香の姿をまじまじと見る。

「ほう、美しい。まるで人間のようだが、この私の侍女として仕えようというのだな。うむ、私自身のこの人望が怖いくらいだが、よい心掛けだ」

 その言葉が、斬り込み隊長の逆鱗を少しばかり刺激してしまったようだった。

「絶対私が殺る」

「俺にやらせろ!」

 二人の言い合いをよそに、バスタードは百合香の姿にようやく何か気付いたようだった。

「…その方、もしかして本当に人間か」

「だったら何だっていうの」

「ま、まさか!?」

 バスタードは、表情が見えない仮面の奥で驚愕していた。

「そんな馬鹿な。侵入者の人間はすでに死んだとの報告だ!」

「知らないわよそんなの!悪いけど、ここで死ぬのはあなた!!」

 百合香は、間髪入れず飛び出した。

「あっ、抜け駆けだ!!!」

 ずるいぞ、と叫びながらサーベラスも大剣を片手に飛び出す。その後を、やれやれとマグショットが続いた。

「オブラ、お前は隠れていろ」

「はい!!」

 オブラは、力強く答えると、力強く身を潜めたのだった。

 

「でえぇ――――いっ!!」

 なまった身体の試運転とばかりに、百合香は全力で斬りかかる。

「ふっ、野蛮な剣だ」

 バスタードは百合香の上段からの剣撃を、ひねるようなレイピアの動きでかるくいなしてしまう。

「あっ!」

「力任せに斬り伏せるだけが剣ではない」

 バスタードは、側面に隙ができた百合香の胴体に突きを入れた。しかし、百合香は一瞬で身を低く沈め、それをかわすとレイピアを下から跳ね上げる。

「なに!?」

「甘く見ないことね!」

 今度は、横薙ぎにバスタードの胴体を狙う。しかしバスタードは一瞬早く、蹴りを放ってきた。百合香はそれをかわすため、大きく後方に飛び退る。

「ほう、なかなかの腕前だ」

「あんたたちのお陰で、嫌でも鍛えさせられたからね!」

 再び斬りかかろうと構える百合香だったが、脇からサーベラスが飛び出してきた。

「ぬりゃあぁぁ―――――っ!!!」

「こっ、この!!!」

 バスタードは、全力で振り下ろされた大剣をレイピアの根元で受け止める。

「下品な野獣め!」

「ぬかせ!!貴様のような、相手を見下す事しか頭にない輩、俺が引導を渡してくれる!!」

「ふっ!」

 バスタードはサーベラスの大剣を、やはりひねるような動きで制すると、その剣先を地面に叩き落としてしまった。

「ぬっ!」

「力任せの下品な剣で、この私は倒せぬわ!」

 バスタードは、サーベラスの首を狙ってレイピアを突き入れる。しかし、横から割り込んだ黄金の輝きがそれを跳ねのけた。

「む!?」

「悪いけど、3対1よ!」

 黄金の剣でレイピアを払った百合香の背後から、マグショットが飛び掛かってバスタードの胴体に思い切り蹴りを放つ。

「おあたぁ!!!」

「ぐはっ!!」

 バスタードは大きく後ずさる。

「3人がかりとは、なんと情けないものよのうサーベラス」

「俺一人でも十分よ。今は時間が優先だ」

「甘いな」

「なに!?」

 バスタードは、指をパチンと鳴らす。すると、サーベラス達を囲むように、両サイドに二体の氷魔剣士が現れたのだった。

「我らの華麗なる剣に葬られる事を喜ぶがいい!」

 バスタードの合図で、氷の銃士たちが一斉に百合香たちに襲いかかった。



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完璧なる円

 バスタードの合図で現れた2体の剣士は、やはり同じような銃士ふうの姿をしており、同じようなレイピアを武器としていた。さながら、バスタードを含めて氷の三銃士といった趣きである。

「裏切り者と侵入者に死の裁きを!」

 仰々しいバスタードの号令で、左右の剣士がそれぞれマグショット、サーベラスに斬りかかる。必然的に、バスタードの相手は百合香が務める事になった。

「くそっ、獲物を百合香に取られちまう」

「そのような心配は無用です。貴公は私の剣の露と消えるのですから」

 バスタード同様、慇懃な銃士がサーベラスの胸を狙ってレイピアを突いてきた。サーベラスはそれを大剣で強引に弾く。

「そのような鈍重な剣で、この突きをいつまでかわせるでしょうか」

「ぬかせ!」

 今度はサーベラスが、大振りに剣を払う。リーチは圧倒的に長く、相手の銃士はかわし切れないと思ったのか、大きく後退した。

「くっ」

「ほれほれ、どうした!!」

 サーベラスの、大剣の質量を無視したかのような連撃は、剣技のセオリーが通用しない勢いがあり、銃士は反撃の隙を見つけられずにいた。

 

 他方、マグショットの相手は長髪が特徴的な銃士だった。目だけの仮面が不気味である。

「素手だからとて容赦はせぬぞ」

 長髪の銃士は、マグショットの首めがけてレイピアを突いてくる。それを難なくかわすマグショットだったが、リーチは相手に分があるように見えた。

「はっ!」

 強烈なスピードの突きを、銃士は繰り出してきた。しかし、次の瞬間予想外の出来事が起きたのだった。

「なに!?」

 甲高い音がして、マグショットの頭上で長髪の銃士の剣は何かに止められたのだ。それは、どこからかマグショットが出現させた、2本の中国式のサイだった。

「貴様、サイを使うのか!」

「俺が武器を持っていないなどと油断した貴様が悪い」

 

 百合香とバスタードは互いに、剣を構えてジリジリと相手の隙を窺っていた。バスタードは高く水平にレイピアを正面に向け、百合香は聖剣アグニシオンを低く、相手に対して横向きに水平に構えていた。

「話によれば、カンデラの剣を受け止めたと聞く。この私とて、それほど容易い仕事ではない。にわかには信じ難いが、それが実力であれば、相手に取って不足はない」

 バスタードは、さきほどの慇懃さが少しだけ後退した様子で語った。

「ご期待に沿えるよう努力するわ」

「ふっ」

 バスタードは余裕を見せながらも、まだ先に動こうとはしなかった。先手を取るのが有利か、あるいは逆か。互いの剣が方やロングソード、方やレイピアと、特性が異なるのも不確定要素だった。

 沈黙を破ったのは百合香だった。剣を水平に構えたまま、猛ダッシュでバスタードの懐に飛び込む。

「むっ!」

 速い、とバスタードは驚いた。バスケットボール仕込みの百合香の脚は、その瞬発力において剣技をカバーしていた。

「せいっ!」

 百合香は、まずバスタードのレイピアを跳ね上げる。そのまま、高く上げた位置から胴体を袈裟がけに斬り伏せようと試みた。

 しかし、バスタードは回避でも反撃でもなく、打ち上げられた自分の剣で、逆に百合香の剣の動きを封じてきたのだった。

「あっ!」

 まるで、蝶が舞うような華麗な動きで、バスタードのレイピアは高い位置で百合香の剣を絡め取る。振り下ろす動作を封じられた百合香は、蹴りを警戒して飛び退くしかなかった。

 しかしそこに好機を見出したバスタードは、飛び退く百合香に思い切り踏み込んできた。

「それ!」

 バスタードのレイピアが、百合香の胴体の脇をかすめる。さらに続けてレイピアの突きが繰り出された。百合香はそれを避けるため、さらに後退する。しかし、そのままでは生け垣に追い詰められるのは必至だった。

 強い。百合香は思った。しかも、魔法のような離れ業は一切用いていない。純粋に、剣一本のみでバスタードは百合香を追い詰めていた。

 

 バスタードの攻撃は、一切の隙を見せなかった。百合香が打ち込めばそこをかわされ、百合香が防げばわずかな隙を突いてくる。後退すれば追い込まれ、踏み込めば逆に誘い込まれる。次第に、百合香は体力を削られて行くのがわかった。バスタードは一切無駄に動くことなく、最小限の動きで百合香を追い詰めてくる。このままの状態が続けば、百合香が消耗しきった所を突かれて、敗北するのは必至だった。

 

 だが、百合香もまたこの氷巌城に乗り込んでから、あらゆる敵と戦ってきた。その経験が、百合香の武器だった。

「でやぁ―――っ!!」

 百合香は、一瞬の隙を突いてバスタードの横に出ると、そのまま思い切り足首に踵をぶつけた。

「ぐっ!」

 予想外の攻撃にバランスを崩したバスタードの胴体に、百合香はさらにチャージングをかける。

「おわっ!!」

 たまらず、バスタードは左膝を地面についた。バスタードの胴がガラ空きになる。

「ええ―――いっ!!」

 百合香は、渾身の突きを胴体に入れた。

 

 しかし。

 

「ふっ、ブラボー!!素晴らしい才能だ!!」

 片膝をついて不格好な姿勢であるにかかわらず、バスタードは百合香に唐突な賛辞を送る余裕を見せた。

 百合香の剣の切っ先は、間違いなくバスタードの胴体を捉えた。並大抵の氷魔であれば、すでに上半身と下半身が分かれて崩れ落ちているだろう。だが、バスタードの胴体には、全くダメージがなかったのだ。

「そっ、そんな!!」

「ふん!!」

 バスタードが百合香の剣を跳ね上げる。百合香は冷静さを僅かに欠き、押されるように後退した。

 

 バスタードの体躯は、サーベラスに比べると細い。しかし、聖剣アグニシオンの切っ先が全く入らない強度を備えている。それは、細い体躯に氷魔エネルギーが高密度に凝縮されているためだった。

「こっ、こいつ…」

 百合香は戦慄した。ふざけた態度こそ取っているが、その強さは本物である。

「(こいつの装甲を破るには、大技を繰り出す以外にない…けれど)」

 再び襲ってくるバスタードのレイピアを受けながら、百合香はどうにかして技のエネルギーをチャージする時間を確保しなくては、と考えた。

 

 瑠魅香がいれば。

 

 百合香はそう思った。瑠魅香なら、相手の手足を魔法で縛ってくれる。その間に、エネルギーをアグニシオンにチャージして、相手の脳天に叩き込む。いつもなら、それが出来た。

 しかし、今は瑠魅香を頼る事ができない。百合香の力で、ここを切り抜けなくてはならないのだ。

「逆だな」

 百合香は呟く。

「一人で切り抜けられないようじゃ…起きてきた瑠魅香に…笑われる!!」

 百合香は、恐れを捨てて突進した。

「なにっ!!」

 バスタードのレイピアが、百合香の左上腕をわずかに斬りつける。しかし、百合香はそのままアグニシオンに全体重をかけ、バスタードの右肩関節に強烈な突きを入れた。

 ゴキッ、という嫌な音がして、バスタードの右肩の根本が大きく軋む。

「うっ…ぐぐぐ!!」

 やられた、という様子でバスタードは後退る。装甲が頑丈であろうと、関節はそうではない。弱い部分を最小限のパワーで狙う、マグショットの教えだった。

「あいつ…」

 横目で見ていたマグショットがニヤリと笑う。百合香の左腕には、一筋の血が流れていた。

 利き腕が氷魔にあるのかどうか、百合香にはわからない。しかし、片腕に決して軽くないダメージを負うのは、剣士として不利になると言えた。

 だが、バスタードに怯む様子はいささかも見えなかった。

「面白い。この腕は、ちょうどいいハンディキャップといえよう」

「強がらない事ね。悪いけど、時間をかけるわけにはいかない」

 百合香はすでに、アグニシオンにエネルギーを込めていた。バスタードは十分リーチの範囲内にいる。この好機を逃してたまるかと、百合香は炎の剣を振り下ろした。

 

「『ディヴァイン・プロミネンス!!!』」

 

 深紅と黄金の炎の刃が、バスタードの正中線を捉えたかに見えた、その瞬間だった。

 

「『フリージング・ツイスター!!!』」

 

 バスタードの、左腕で振り上げたレイピアから巻き起こった強烈な冷気の渦が、百合香の放った炎と、凄まじいエネルギーの衝突を巻き起こした。

「うあああっ!!」

「ぐ…くくっ!!」

 両者のエネルギーは完全に互角だった。その衝突は熱気と冷気の暴風を形成し、周囲で戦うサーベラスやマグショット達にまで影響を及ぼした。

「うわぁ―――っ!!!」

「ぐおおお!!!」

 二人のエネルギーが弾け、百合香とバスタードは互いに大きく弾かれてしまう。

 

「ぐおっ!百合香のやつ、またあの技か!」

「サーベラス!俺達もさっさとこいつらを片付けるぞ!」

 マグショットはサイを捨てると、右腕を後ろに引いて構えを取った。

「はああぁぁ――――っ!!!」

 凄まじいオーラが、マグショットの全身に満ちる。長髪の銃士氷魔は、一瞬恐れをなして後退した。

「極仙白狼拳奥義!」

 マグショットの右拳に、急速にエネルギーが凝縮される。

「狼爪星断衝!!!」

 視認できないほどの速度で横薙ぎに繰り出された拳から、圧縮された巨大な風の刃が地を這うように走り、長髪の銃士を襲う。

「ぬううっ!」

 かろうじてレイピアで受けたものの、その刃は容易く切断され、銃士は圧力に耐えきれずそのまま弾き飛ばされてしまった。

「おあが!!!」

 無惨に地に落ちる銃士の前に、マグショットがゆっくりと歩み寄る。

「この技を受けて胴体が切断されなかっただけでも褒めてやる」

「ぐぐぐ…」

 間髪入れず、マグショットは宙に舞うと、回転しながら銃士の首めがけて蹴りを放った。

「狼牙斬!!!」

 銃士の首は一瞬で切断され、その身体はそのまま動かなくなってしまった。

「なかなかの腕前であった」

 マグショットは、銃士の亡骸に向かって合掌すると、サーベラスの方を見た。サーベラスはすでに深く考えることをやめたらしく、自分の耐久性とパワーに任せて、大剣を振り回して氷の銃士に突進していった。

 銃士の剣がサーベラスの胴体を直撃する。しかし、サーベラスはそのまま突進をやめようとしない。

「なっ!!」

「ぬおおおお――――!!!!」

 勢いに押されて軸がぶれたレイピアは、そのまま明後日の方向に弾かれてしまう。サーベラスの胸には若干切っ先が突き刺さったものの、さしたるダメージはないようだった。

「デストロイ・ファング!!!!」

 サーベラスの大剣に真っ白なエネルギーが満ちると、そのまま獅子の牙のごとき軌跡を描いて刃が振り下ろされた。氷の銃士の身体は、頭から胴体まで一刀両断され、ドサリと地面に崩れ落ちた。

「手こずらせやがって。まあ、この技を使わせただけでも褒めてやる」

「ひどい戦いぶりだ。肉を切らせて骨を断つ、か」

 マグショットが呆れ顔で近寄る。

「ところで、どうする。百合香に加勢するのか」

「あん?」

 二人は、百合香とバスタードの戦う様子に視線を移した。

「冗談じゃねえ。あんな所に飛び込んだら、こっちがただじゃ済まなくなる」

「奴は俺が倒す、とか言っていたんじゃないのか」

「斬り込み隊長どのに譲るさ、仕方ねえ!」

 やばくなったらいつでも行くぞ、という態勢は取りつつも、サーベラスは百合香の戦いを見守っていた。

 

 百合香とバスタードは、互いに仕掛けるチャンスをうかがっていた。

「はあ、はあ、はあ」

「なんという…こんな相手は久しぶりだ」

 バスタードはチラリとサーベラスを見る。

「人間の剣士よ、名を聞こう…」

「…百合香」

「ユリカ、その名を覚えておこう」

 そう言うと、バスタードはレイピアを、それまでにない奇妙な位置で構えた。もはや役に立たない右腕をダラリと下げ、左腕で真っ直ぐに切っ先を突き出す。

 

「ラ・ヴェルダデーラ・シルクロ!!!」

 

 バスタードのレイピアを、真っ白なエネルギーが包みこむ。すると、その切っ先を中心として、百合香とバスタードの周囲に円形のエネルギーフィールドが形成された。

 

「むっ、あの技は」

「知っているのか、サーベラス」

 マグショットが訊ねる。

「ああ。並大抵の奴なら間違いなく死ぬ」

 サーベラスは平然とそう言い放った。

「加勢しなくていいのか、百合香に」

「あのフィールドに入ったら俺たちがやばい」

「なに?」

「見ていろ」

 サーベラスに言われるとおり、マグショットはバスタードが形成したフィールドを見た。円形のフィールドの外側の地面が、まるで彫刻刀で彫られたかのように抉られている。

「何なんだ、あれは」

「互いの逃げ場を無くす剣だ」

「なに?」

「あのフィールドの境目には、空気の刃ができている。首を突っ込んだらお陀仏だ」

 サーベラスは、首を掻き切る真似をしてみせた。

「相手はもう逃げられない。奴の間合いからな」

「それはバスタードにとっても同じ事だろう」

「そうだ。背水の陣ってやつだ。あいつに、こんな気骨があったとはな」

「百合香の真っ直ぐな気持ちが、やつの虚飾の仮面を剥ぎ取ったのだろう」

 マグショットは、百合香の戦いぶりを目に焼き付けるため、かっと目を見開いていた。

 

 もはや互いにフィールドから出られない状態で、百合香とバスタードは剣と剣のリーチを探りながら、円形のフィールドをダンスのように回っていた。

 前に出るということは、相手の剣に自分から向かう事になる。これに対処するには、剣を払いのけるしかなかったが、失敗すればガラ空きの胴を相手に差し出す事になる。

 さきほどの技の応酬で、両者ともにエネルギーを消耗していた。だが、このフィールドを形成するために、バスタードはさらにエネルギーを注ぎ込んでいる。百合香には、わずかにそのアドバンテージが残っていた。

「(――――これしかない)」

 百合香はひとつの決意を決め、全身にエネルギーをまとった。バスタードが反応を見せる。

「(エネルギーに任せて攻撃してくるつもりか)」

 百合香の持つ攻撃力は決して侮ってはならない、とバスタードは警戒した。だが、百合香の発しているエネルギーは、それまでの炎のエネルギーとは異なるものだった。何か、この円形のフィールドと反発するようなものを感じる。

 だが、すでにエネルギーを消耗しているバスタードは、先手を取って一気に踏み込んだ。

「はっ!」

 百合香の剣を旋回するような動きで封じながら、そのまま一気に百合香の喉元めがけて突き入れる。

 だが、百合香の取った行動は予想を超えたものだった。

「なに!!」

 百合香は、エネルギーフィールドの境目に向かって、自ら大きく後退したのだ。サーベラスとマグショットも目を瞠った。

 

 だが、百合香の身体に満ちていたエネルギーは、バスタードのフィールドに対する障壁となり、その身体を護り切ってみせたのだった。百合香の黄金の鎧が持つ、驚異的な防御力も手伝っての事だった。

「(あっ、あのエネルギーは最初から攻撃ではなく、防御のためだったのだ!)」

 バスタードが驚愕した瞬間、百合香はすでに攻撃に移っていた。それまで体に満ちていたエネルギーを、フィールドの外に出た瞬間、一気に剣に凝縮させる。それは、巨大な重力の剣を形成した。

 百合香は大上段に構えた剣を、高く跳躍して一気に振り下ろす。

 

「『ゴッデス・エンフォースメント!!!』」

 

 空間全体を揺るがすような波動とともに、重力の刃が円形のエネルギーフィールドを外側から粉砕し、そのままバスタードめがけて襲いかかった。



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矜持(第二章完結)

 巨大な氷の庭園を揺るがす衝撃のあと、静寂が訪れた。マグショットとサーベラスが百合香の戦いを見守る背後に、氷の銃士2体の骸が打ち捨てられている。

 

 百合香は全身の力を使い果たして、どうにか立っていた。その眼前に、全身がズタズタになったバスタードが膝をついている。

「ま、まさか…あの一撃で…まだ…」

 百合香は、バスタードの強靭さに驚愕した。すでに致命的なダメージを負っているようには見えるが、まだ指の一本さえ折れていないのだ。百合香の最大の技を受けてなお、である。

「ふ…凄まじい力だ…カンデラとて、あるいはまともに戦っていれば、ただでは済まなかったやも知れぬな」

 バスタードは、なおも立ち上がる気力を見せた。

「無様だな」

 自嘲するように、バスタードは自分の身体のダメージを見る。だが、その態度はどこか楽しげであった。

「バスタード、ひとつ聞かせて」

 百合香は、双方が動けない状態なのを知って、気になっていた事を問いかけた。

「なぜ、あなたは上の階級であるカンデラを、呼び捨てにしているの」

 その問いに、バスタードは無言だった。

「あなたは第3層から、性格が原因で降格されたと聞いたけれど、そうじゃない。もっと違う理由があったのではないの?」

「…ふ」

 バスタードは笑う。

「なるほど、戦いの最中にそんな事まで見抜いているとはな」

「あなたこそ、実は裏切り者だったのではないの?謀反の嫌疑をかけられて飛ばされた武将なんて、私の国の歴史上だって何人もいるわ」

「謀反か。ふふふふふ」

 今度こそバスタードは、声を出して笑った。サーベラスは腕を組んで「ふん」とだけ吐き捨てる。

「もし、あなたが皇帝に対して反意があるというのなら、私達は共同戦線を張れるはずだわ。そうではなくて?」

「惜しいな」

 バスタードは、再び片膝をついて言った。すでに百合香の一撃で、致命傷を負ったようだった。

「私は皇帝陛下に謀反を起こすつもりはない。だが、今こうして再び氷の身体を持って世に現れた時、私は皇帝陛下のなさり様に疑問を持った」

「疑問?」

「そうだ…そして、これまでの氷巌城という存在にもな。それまでの私は…いや私達は、氷魔皇帝という存在に対して一切の疑念を持たず、命じられたままに地上を蹂躙する、ただの人形だった」

 

 

 バスタードによれば、古代に氷巌城が出現した時、氷魔の歩兵部隊による地上への直接的な侵攻も行われてきたという。かつては人類側にも、魔術などを扱う強力な存在がいたため、放っておけば百合香のように、氷巌城に乗り込んで来られる恐れがあったのだ。

 その過程で、人類文明は氷巌城による氷河期と、直接的な武力侵攻の二重攻撃によって、衰退あるいは滅亡を余儀なくされた。

 

 そして、人類をはじめ地上の生命が凍り付き、ごく一部の熱帯地域を除いて生命が存在できなくなった時、氷巌城もまたそのエネルギー源を失って、やがて滅びの道を辿る。氷巌城とは、それを繰り返してきた存在なのだとバスタードは語った。

 

 

「私は、そのような在り方が、美しくないと思った。もっと違う在り方があるのではないかと。見ろ、この庭園を」

 バスタードは、自らが人類文明を模倣して作り上げた、氷の庭園を示しながら語った。

「全てが模倣だ。模倣しなければ、在り方ひとつ示す事ができない。それでいながら、その大元である人類文明を否定する。矛盾と混沌の複合体、それがこの氷巌城なのだ」

「なぜ…今になって、そんなふうに考えたの」

「わからん。だが、そこのサーベラスの馬鹿者のように、お前達人間の精神に影響されて、けったいな球技にうつつを抜かす輩も現れた。今回は、何かが過去の氷巌城とは違うのだ」

 そう語るバスタードの右腕が、ついに重さを支えきれず、肩からドサリと地面に落ちた。

「…ここまでのようだな。もはや語る時間もなさそうだ」

 バスタードは、最後の力で立ち上がると、切っ先が折れたレイピアを百合香に向ける。

「私は最後まで、皇帝陛下の忠臣だ。その在り様に疑問を呈したのも、臣下の務めなればこそ」

「バスタード…」

「貴様らは、貴様らの矜持を貫くがよい。サーベラス、ユリカ」

 もはや決意を決めた様子で、バスタードは百合香にゆっくりと、真っ正面から向かってきた。歩くたびに、氷の身体は崩壊を続ける。そしてその状態で、百合香の剣のリーチにまで踏み込んだ。

 バスタードは、どこにそんな力が残っていたのかという勢いで、百合香に渾身の一撃を突き出した。

 

 一瞬だった。百合香はバスタードのレイピアをかわし、その胸に聖剣アグニシオンを突き刺した。黄金の刃身が、氷の身体を容赦なく貫き、飛び散った氷の破片に黄金の光が反射した。

「見事だ」

 それだけ言い残すと、バスタードは後方に崩れ落ち、静かに事切れた。

 バスタードの胸を貫いたアグニシオンの刃を見つめながら、百合香にはそれまでにない感情が去来していた。

 

 

 百合香の願いで、バスタード達の遺骸は庭園の生け垣の中に埋葬される事になった。サーベラスは、時間が無駄になるとぼやきながら穴を掘っていたが、そのわりには丁重に3体を葬ってやったのだった。

「俺たちに、埋葬なんて感覚はわからねえが。ありがとうな、百合香」

「え?」

「いや、なんでもねえ」

「サーベラス、あなたって性格のわりに案外ハッキリしない所があるわよね」

「なんだと」

 怒ったそぶりを見せたサーベラスに、百合香は笑った。

「私にとっては、こいつらは敵に違いないけど。自分たちの在り方に疑問を持つ者もいるのね」

「ああ。だが、忠義ってのは厄介なものだな。おかしいと思っていても、背く事ができない。こいつとは反りが合わなかったのは確かだが、こいつも自分なりに、葛藤していたのかもな」

 そう言いながらサーベラスは、墓に突き立てられたレイピアの傾きを直してやった。マグショットはその様子を無言で眺めている。

「さて、問題は俺たちが、ここからどうするかだがな」

 サーベラスは、蚊帳の外になっていたオブラを見る。

「こっから第2層に上がる算段は、お前に任せてるんだからな。しっかり頼むぜ」

「お任せください!」

 ようやく活躍の場が訪れたオブラは、喜び勇んで生け垣の上で胸を張ると、空間の奥を指さした。

「この方向にあるドアを抜けると、長い通路に出ます。その先にある高い螺旋階段を登っていくと、第1層と2層の中間に位置するゲートがあり、そこに衛兵が控えています」

「その衛兵って強いの?」

 百合香は訊ねる。

「この面子の前では単なる雑魚です。が、彼らが倒された場合、交代で訪れる衛兵に侵入者の存在がバレる事になります」

 それはつまり、第2層に到達するとほぼ同時に、百合香かどうかは別として、何者かがゲートを強行突破した事が城中に伝わる事を意味する。

「だがよ、いずれ百合香が第2層を進んでいけば、結局はどこかでバレるわけだろ。それが多少早まったところで、大して変わりはねえんじゃねえのか」

 サーベラスが言う事にも、それなりに理屈は通っている、と百合香やマグショットは思った。しかし、とマグショットは言う。

「だとしても、登ってすぐに厳戒態勢が敷かれるよりは、多少なりとも拠点を作る等の余裕がある方が良いだろう。オブラ、任せたぞ」

「はい!それでは私の指示どおり動いてください!」

 

 

 

 第1層と2層の中間にあるフロアに、大きな両開きの門があった。その左右を、槍を構え帯剣した兵士が護っている。

「侵入者が死んだというのに、ここのゲートの警戒は解かないんだな」

「反乱分子どもの動きが活発化する恐れもあるからな。しばらく、このままだろう」

「聞いたか、魔氷胚が盗まれたとかいう話」

「デマだと聞いたぞ。レジスタンスどもが流した」

 衛兵どうしが世間話をしている所へ、下方向からカツカツと、複数の足音が聞こえてきて、やがて四人の氷魔兵士が上ってきた。

「ご苦労」

「ご苦労。上にか」

「うむ。ディウルナ様に現状報告だ」

 そう言って、兵士は広報官ディウルナの署名が入った手形を見せる。受け取った衛兵は、それを扉にはめ込まれたタブレットに重ねた。

 タブレットから青白い光が走って、手形を精査すると、扉の錠が外れる音がした。

「下はどんな状況だ」

 衛兵が、手形を返しながら訊ねる。

「侵入者がいなくなってからは、静かなものだ。勢いづいていた反乱分子どもの気配も、パッタリ止んだ。いずれ広報が回って来るだろう」

「そうか」

「とはいえ、反乱分子が行動を起こさない保証もない。ゲートの守衛、よろしく頼むぞ」

「了解した」

 互いに敬礼すると、四人の兵士は扉をくぐって上層へと登って行った。

 

 

 螺旋階段の下の方から、扉が閉じる重い音が響いてきたタイミングで、オブラの変装魔法が解けて、氷の兵士たちの姿が百合香、サーベラス、マグショット、オブラの姿に戻った。ちなみに、衛兵にそれらしく話を合わせていたのはオブラである。

「ふいー、緊張するな」

 サーベラスが、もうたくさんだとばかりにお手上げのポーズをする。

「こういうスパイじみた活動は慣れてねえからな。オブラでなきゃ無理だ」

「私はけっこう楽しかったわ」

 百合香が笑う。

「相手に気取られぬよう、いかに平静を保つか。精神修行の一環でもあるな」

「マグショット様はなんでも修行にしてしまいますね」

 呆れたようにオブラは横目でマグショットを見る。

「でもオブラ、こんな魔法どうやって覚えたの?」

 百合香は、前々からの疑問を訊ねた。

「これは、もともと出来たんです。特に修行とかはしてません」

「そうなんだ」

「レジスタンスでも、これができるのは僕と、他に数名しかおりません。他にも、透明になれたりするのもいますよ」

「それはもう会った」

 そんな雑談を交わしながら、一行は上層へと登っていった。

 

 何段登ったのか、そろそろ脚が疲れてきた頃に、やっと階段が終わって通路が見えてきた。

「見えました、第2層です」

 オブラが先に前に出て、通路の左右を警戒した。

「いよいよね」

「ああ」

 百合香も警戒し、神経を研ぎ澄ます。サーベラスは何か楽しそうだった。マグショットは無言である。

「みなさん、我々のアジトに案内します。警戒しながらついて来てください」

「お前の変装魔法をまた使えばいいんじゃねえのか」

 サーベラスの提案に、オブラは「正気か」みたいな顔を向けた。

「あの魔法がどれほど魔力を消費するかわからないから、外野は簡単に言うんですよ」

「ふうん、そうなのか」

 サーベラスは他人事のように言う。オブラは鼻息を荒くして、「ついて来てください」と先導した。すると、マグショットが立ち止まって言った。

「悪いが、俺はここでいったん抜けさせてもらう」

「えっ?」

 百合香が振り向いた。

「すまない。野暮用を済ませたら合流する」

「野暮用?」

「これ以上は言わん。だが、もしも俺の手が必要なら、すぐにレジスタンスどもに連絡しろ。いいな」

 それだけ言うと、マグショットはさっさと姿を消してしまう。

「また!ホントにマイペースなんだから」

 オブラは憤慨して、マグショットが走り去った通路を睨む。

「すみません。ああいう人なんです」

「そうね。でも、野暮用って何なのかしら」

 百合香はその時、ひとつのマグショットの仕草を思い出していた。

「ねえ、マグショットの左目って、ファッションだって言ってたわよね」

「え?はい、本人がそう言ってましたよ」

「…本当なのかな」

 百合香の呟きに、サーベラスとオブラは顔を見合わせた。

「たまに、あの傷をカリカリ擦りながら、何か考え込んでるふうな時、あるよね」

「百合香さまって、細かいところ見てますよね。探偵の素質あるんじゃないですか」

「そうかな」

 百合香は、頭の中で「名探偵ユリカ」という、小学一年女児が主人公の作品を何となく連想していた。

 

 一人、第2層の通路を歩くマグショットは、立ち止まって左目の傷を手で触れた。

「…我ながら感傷的だな」

 呟くと、再びゆっくりと通路を歩き出した。

 

 

 氷巌城第2層の通路は、第1層よりももう少し細かくデザインされているものだった。等間隔で立っている柱も、装飾というほどでもないが、それなりに意匠が施されている。なぜだかわからないが、百合香には馴染みのある空間だった。

「なんか見覚えがあるなあ、この廊下」

「それは、模倣した土台になっている建物があったからじゃないですか」

 さも当然のようにオブラが言ったその時、百合香は「あっ」と手を叩いた。

「学園の廊下だ!」

「学園って、お前が通ってる施設か」

「そう!その、教室がある廊下に雰囲気がすごく似てる」

 百合香は、ようやく合点が行った。

「いよいよ学園っぽくなってきたのかな。ねえオブラ、この層の氷魔ってどんな感じなの」

 すると、オブラにしては珍しく返しが遅い。

「実は、この第2層は氷巌城において一番謎が多いんです」

「どういうこと?」

「なんというか、こう…いちばん、城側の管理の目が届かない層らしいんです」

「管理の目が届かない?」

 オブラの言っている意味が、百合香にはわかりかねた。

「実を言うと、レジスタンスがこの層で数名、行方不明になっています」

「なにそれ。捕まったってこと?」

「それが謎なのです。城側がレジスタンスを捕らえたなら、人質に取って我々を引きずり出す道具にする筈なんです。仮に死亡したとしても、見せしめに晒すとか、利用されるはずです。それなのに、そんな事は起きていないんです」

 百合香は首を傾げた。

「それが、城側の管理の目が届かない、っていう意味なのね」

「実態は謎です。実は、僕にはそれを調べる目的もあるんです。早く、アジトに急ぎましょう。それに、百合香さまの”癒しの間”のゲートも見つけておく必要があります」

 来て早々ミッションだらけだな、と百合香は思った。

 

 

 第3層図書館の一室では、カンデラが城の過去の歴史についての書物を紐解いていた。最近のものでは300年ほど前の物もある。

「氷巌城といっても、常にこのような大規模なものばかりではなかったのだな…」

 カンデラが調べたところによれば、氷魔皇帝クラスの氷魔ではなく、もっと格下のクラスの氷魔が送り込まれる例もあるらしかった。その場合はとりたてて人類にとって脅威というレベルではなく、放っておいても勝手に消滅する事例さえあったという。

「今回のような大規模な氷巌城が最後に出現したのは、やはり12000年ほど前の事になるようだが」

 そう呟いて、カンデラはひとつの本を手に取り、開こうとしてみた。しかし、本は全体が赤い光のベールに覆われ、1ページたりとも開く事はできなかった。

「これが例の、”禁書”というわけか」

 カンデラは溜息をついた。自分が調べたい時代の出来事が記されているらしい本が、禁書になっているのだ。しかし、とカンデラは思った。

「逆に言えば、これを開く許可を得ているのは、どのクラス以上なのか、という話になってくる…ヒムロデ様ならば読めるのだろうか。あるいは、皇帝陛下以外は読めない事もあり得る」

 そこまで呟いて、カンデラの頭に疑問が浮かんだ。

「なぜ、氷巌城を構成する我らに、情報を隠さねばならぬのだ?」

 それは、あるいは水晶騎士カンデラという存在の、ひとつの転換点であるかも知れなかった。

 

 氷巌城はオーロラの光を受け、結界の中で不気味に存在し続けていた。



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氷晶花繚乱篇
リベルタ


 氷は溶けて水に還る。水は気化して雲になる。雲は寄り集まって、冷えて雪になり、地表を覆い尽くす。その輪廻を、太陽の光を受けた月が照らし続ける。

 

 

 絶対零度女学園/氷晶花繚乱篇

 

 

 

 氷巌城第2層に到着した百合香は、マグショットが単独行動のため一時離脱したので、サーベラスとともにオブラの手引きでレジスタンスのアジトを目指していた。

 適度にデザインが施された通廊を歩きながら、第2層はこれまでの層に比べて、何か雰囲気が違うと百合香は感じた。

「何ていうのかな、こう…城、っていう感じがしない」

 制服姿に戻った百合香が呟いた。聖剣アグニシオンは握ったままである。

「百合香さまの学園に似ているせいでしょうか」

 オブラは歩きながら、百合香の方は見ないで答える。百合香は、うーんと考え込んでいた。

「それもあるけど、もっと根本的に違う何かを感じる。第1層は、戦う兵士たちの意識を象徴しているような、無骨でピリピリした雰囲気があった」

「それはそうだろう。第1層は最初に侵入者を迎え撃つ、壁だからな」

 第1層で百合香が最初に戦った当の本人であるサーベラスの言葉には、それなりに説得力と実感が伴っていた。

「第1層の兵士は実力で上に劣ると思ってるだろうが、それは必ずしも正しい認識じゃない。そもそも、各層は実力だとかの前に、それぞれ性質が異なるんだ」

「性質?」

「ああ。例えば百合香、お前が出会ったって言ってた、音楽をやっている氷魔たちがいただろう」

 サーベラスに言われて、百合香はあのライブハウスの氷魔たちを思い出していた。

「いたわね。ちょっと第1層では特殊な感じだった」

「俺はほとんど接点もなかった連中だがな。第2層は、どっちかというとあんなタイプの奴らが多いらしい」

 そのサーベラスの言葉が、百合香には妙に引っかかった。

「サーベラス、あなたは第2層を知っているんじゃないの?」

「もちろん、大雑把には知っている。だが、全体は知らん。各エリアを守護する氷騎士も、知らない奴の方が多い」

「知ってるのは、どんな奴なの」

「マグショットのような、格闘主体の氷騎士がいる。格闘といっても、お前達が第1層で戦った紫玉のような、拳法とは違うタイプの格闘技だ。名前は忘れた」

「マグショットとどっちが強いの?」

 その問いに、サーベラスは答える事ができなかった。

「やってみなけりゃわからん、としか言えんな。俺は格闘は専門外だ。殴る蹴る、張り倒すぐらいしか知らん」

「もしそいつに遭ったら、また格闘技を使う事になるのか…」

 百合香は、できれば剣で戦える相手である事を祈っていた。

 

 しばらく歩くと、オブラが周囲を警戒しつつ、「こっちです」と百合香たちを細い通路に誘導した。そこはサーベラスの体格だと、身体を若干斜めにしないと歩けない狭さだった。

「なんなんだ、ここは」

 肩のアーマーをガリガリと壁面に擦りながら、サーベラスがぼやいた。

「がまんして下さい。アジトというのは狭い所を通るものです」

「タテガミが引っ掛かって仕方ねえ」

「ご自分のデザインはご自分で何とかしてください」

 仕切る猫探偵オブラは、サーベラスのぼやきを無視して通路を進むと、ある場所でぴたりと止まって壁をノックした。すると、壁から声が聞こえてきた。

『アルセーヌ・ルパン「空洞の針」において、ルパンを追った少年探偵の名は?』

「イジドール・ボートルレ」

 オブラが小声で答えると、壁にそれまで見えなかったドアが現れた。猫用なのか、ノブがかなり下についている。

「さ、入りましょう」

「あなた達の知識量もよくわからないわね」

 アルセーヌ・ルパンは子供の頃に数冊しか読んでいないので、問いの答えがわからなかった百合香はそれ以上特にツッコミを入れなかった。

 

 猫レジスタンス「月夜のマタタビ」の第2層のアジトは、第1層で招かれた部屋よりは広々としていた。あの狭い空間で巨体のサーベラスを連れて入ったら、身動きができたかどうか怪しい。

「ようこそいらっしゃいました、我らが英雄ユリカ様。私は第2層のレジスタンスを取り仕切る、ピエトロと申します」

 三つ揃いのスーツに鳥打帽という、レジスタンスのイメージからだいぶ遠い装いの猫レジスタンスはそう名乗った。やはり少年のような声だが、少し柔らかい、大人びた調子である。その周りに、ベストやオーバーオールを着込んだ猫スパイ達が控えていた。

「初めまして。レジスタンスのみんなには、本当に助けられているわ」

「そう言っていただけるとありがたい」

 服装のとおり、いくらか態度が大きい猫だなと百合香は思った。

「まさか、氷騎士サーベラス様がこちらについて下さるとは、願ってもいませんでした」

 両手を広げてピエトロは喜びを示す。サーベラスはいつものように「ふん」と腕を組んだ。

「俺はべつにレジスタンスじゃねえ。ただ、城のやり方が気にくわねえだけだ」

「それならそれで構いません。目的は一緒です」

「調子のいい奴らだな」

 サーベラスはオブラを横目で見た。オブラは知らん顔をしている。

 その時、百合香は壁に貼られた新聞に気が付いた。真ん中に、百合香の写真が載っている。

「ちょっと、その新聞なに!?」

「ああ、これですか。ご心配なく、あなたが死亡したというニュースです」

 ピエトロが読み上げた内容は以下の通りだった。

 

【人間の侵入者、貯水槽の怪物に食われ死亡】

 

 この氷巌城に侵入した愚かな人間の少女は、第1層を通過すること無く死亡が確認された。侵入者は水路奥の貯水槽に棲み着いていた怪物と交戦したと思われ、丁度時を同じくして第1層を視察されていた水晶騎士カンデラ閣下と、同行していた兵士によって、首が千切られた状態を捕食されている様子が目撃されている。

 なお、侵入者によるダメージが大きかったためか、貯水槽の怪物もその後死亡していた事が報告されており、侵入者とともに、由来不明の怪物もまた姿を消す事になった。

 

 この件について皇帝陛下側近のヒムロデ閣下から、侵入者がいなくなった事は城にとって良い報告ではあるが、非常態勢を解いたといえども警戒は怠らぬよう、との通達が全エリアになされた。

 

〈今日の話題〉

 第2層で猫耳ヘルム大流行

 

 現在、第2層の兵士の間で、猫耳をあしらったヘルメットを装備する事が大流行しており…

 

 

「そこはどうでもいい」

 手を上げて百合香のツッコミが入ったところで、ピエトロは読み上げるのをやめた。

「私が死んだ事になってるのね、今も」

「そうです。ちなみに、怪物が百合香さまと交戦したために死んだというのは、我々とディウルナ様による情報操作です」

「そうなの?」

「はい。ついでと言ってはなんですが、バスタードとその直属の氷魔も、怪物の調査に訪れて逆に殺されたという工作を、現在行っております」

 百合香はサーベラスと顔を見合わせたあとで、「呆れた」と溜め息をついて苦笑いした。

「全部あの怪物のせいにしたのね。さすがに可哀想かも」

「汚れ役は我々が引き受けます。百合香さまはお気を煩わす必要はありません」

 それを言われて、百合香は突然何かを思い出したように黙り込んだ。ピエトロが訝しげに顔をのぞく。

「…どうなさいました?」

「いえ…前にもこんなやり取りがあったような気がしたの」

「そんなわけないでしょう」

 ピエトロも、オブラと一緒に首を傾げる。今度はオブラが話を仕切り始めた。

「百合香さま、とにかく今は非常に重要な局面です。このように、百合香さまが第2層に侵入した事がまだバレていない状況で、どう動くかは今後を左右するでしょう」

 もはや軍師じみてきたな、と百合香もサーベラスも思った。

「それで、軍師さまはどう動くのがベストだと思う?」

「…僕の事を言ってるんですか」

「そう」

「肩書きなら、探偵…いや名探偵の方がいいですね」

 どうしてこの猫たちは肩書きだとかにこだわるのだろうか、と百合香は思った。

「じゃあ名探偵オブラさん、ここからどう動くべきだと思う?とりあえず、手近な氷騎士を見つけて叩く?」

「いやいやいや、それは単純すぎます」

「そんなこと言ったって、最終的にはそれをしないといけないんでしょ。それとも、サーベラスみたいなのを見つけて、味方に引き入れる?」

 百合香がそう言うと、オブラとピエトロは頷きあって百合香を向いた。

「百合香さま、まさにそれです」

「え?」

「この層にも、城に対して反旗を翻した勢力、あるいは個体がいるかも知れません。僕は、今のうちに一人でも二人でも、そういった氷魔を見つけて味方につけておくべきだと思います」

 百合香は、オブラの言うことを真剣に受け止めつつも、まだ懐疑的だった。

「そういう氷魔がいるのならいいけど。一人もいない可能性だってあるわよ」

「ですから、まずは調査です。ピエトロ、百合香さまにあれを」

 オブラが何か指示すると、ピエトロは奥の棚から、羽根飾りのついた品物を取り出して百合香に示した。

「百合香さま、これを」

「何これ」

 受け取った百合香は、それが羽根飾りのついたヘッドバンドである事に気付いた。

「これは?」

「つけてみて下さい。大きさを調整します」

 言われるままに、百合香はヘッドバンドを額に装着した。

「ほんの少し左右が緩いかも」

「わかりました。それはあとで調整いたします。ひとまず、その状態で、そのヘアバンドに軽く意識を集中させてみてください」

「なにそれ」

 百合香はオブラとピエトロを交互に見る。なんだかわからないので、百合香は言われた通りに意識を集中させた。

 すると、ヘッドバンド中央に埋め込まれた宝石から青紫の光が広がり、百合香の全身が、まるで氷魔のような青白い色に変わってしまった。

「うわっ!」

 いきなり両手や脚が真っ青になったので、百合香は驚いてのけ反る。

「なにこれ!?」

「変装というほどではありませんが、色を変える魔法です。百合香さまのお姿は何かと目立つので、我々の変身魔法を利用したアクセサリーを、錬金術師のビードロ様に作っていただきました」

「へえー」

 便利だな、と百合香は身体の色を変えたり、元に戻したり繰り返してみた。

「ですが百合香さま、それは単に色を変えるだけのものです。特殊な個体を除けば、氷魔は基本的に人形のような構造なので、百合香さまが普通の氷魔でない事は、簡単にバレる事もあるでしょう。使用に際しては過信されませんように」

 オブラは釘をさすと、装着感の調整のため百合香からヘッドバンドを受け取る。

「さて、ひとまずの方針は決まったわけですが」

「ねえ、そういえばレジスタンスが何人か行方不明になってるんでしょ」

 百合香が持ち出した話題に、ピエトロは反応を見せた。

「そうです。我々としても捜索を続けていますが、この層の氷魔は非常に厄介で、難航しています」

「いったい、どんな奴らなの」

 すると、ピエトロはどう表現すべきか思案する様子を見せてから言った。

「この層にいる氷魔は"女の子"なんです」

 

 

 

 第2層のあるエリアでは、ガドリエル女学園の制服そっくりの姿をした、少女のような氷魔たち6名が、何か手帳より少し大きい板状の物体を手にして廊下を移動していた。

「いないね」

「いないわ」

「いないよね」

「いない」

「どこにもいない」

「どこかしら」

 氷の板から目を離さず、少女氷魔たちはゾロゾロと歩き続けた。一人の氷魔が、板に表示された何かを隣の氷魔に見せる。

「見てこれ可愛くない?」

「あっ、可愛い」

「えーホントだ可愛い」

「うん可愛い」

「やばい可愛い」

「可愛い」

 それは、猫の姿をした氷魔の写真だった。指でスライドすると、次々と似たような写真が現れる。

 すると、板が突然白く点滅発光し、不思議な音が鳴り響いてきた。

「おっ」

 一人の氷魔がそれを耳にあてがう。

「もしもしー」

 電話に出るかのようにそう板に向かって話すと、声が返ってきた。

『こっちにいたよ』

「まじで!?」

『みんなで追い詰めよう』

「らじゃ!!」

 

 ひとつの通路を、一体の少女氷魔が走っていた。細い眼鏡をかけ、長い髪を首の後ろで結っている。

「はあ、はあ、はあ」

 エネルギーを消耗しているのか、その脚には力がない。すると、遠くから多数の足音と、声が聞こえてきた。

『こっちに行った!』

『こっちね!』

『こっちだよ!』

 大勢の足音が、だんだん遠ざかって行くのを確認すると、少女は安堵の吐息をついて、其の場にへたり込んだ。

 少女の手にも、透明な板が握られていたが、そこには何も表示されていなかった。

「魔力切れか」

 恨めしそうに、それを懐にしまう。

「みんなで同じ事言ってて、自分で薄気味悪くならないのかしら」

 溜め息をつくと、近くにあった小部屋に入り、ドアを閉じる。内側から何か呪文のようなものを唱えると、ドアはスッと消え去り、壁と見分けがつかなくなった。

 少女は室内を見渡す。雑然と、不用品のようなものが積まれたり、押し込まれている様子だった。

「あっ」

 少女氷魔は、部屋の隅にあるブックスタンドかイーゼルのような物体を見つけると、さっき懐に入れた板を取り出して立て掛けた。すると、板の右上あたりにポッと黄色いランプがつく。

「助かった」

 そうつぶやくと、少女は壁にもたれて座り込み、板に手をかざす。すると、板の表全面が光り、横長の枠が浮かび上がった。

「あっちは無事かな」

 少女は、枠の中に表示された短い文章を読む。

 

[リベルタ、私たちはなんとか逃げられたから安心して。そっちは大丈夫?]

 

 その一文に、氷魔の少女リベルタは心から安堵し、胸を撫で下ろした。

「良かった」

 リベルタは送られてきたメッセージへの返信を打つ。

 

[私もひとまず隠れてる。ここにいれば大丈夫だから安心して。念のためアイスフォンの通信は一旦切っておく。返信不要。]

 

 送信、と表示されたボタンをポンと押すと、リベルタはアイスフォンと呼ばれる魔法の通信機器をオフにして、暗い物置きの壁にもたれたまま目を閉じた。

「侵入者の女の子、会ってみたかったな…仇は討たないとね」



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新たな出会い

 オブラとピエトロの提案で、まず百合香が休息するための癒しの間を最優先で探す事になった。錬金術師ビードロからは、癒しの間に至るゲート発見のためのシャボンが百合香にも届けられた。

「それじゃ、サーベラス様はとりあえず、このアジトでじっとしてて下さい」

 オブラはそう釘を刺す。が、サーベラスは不満げだった。

「じっとしてるのは性に合わねえ」

「ある意味、百合香さまより目立つ存在なんです。黙っていても出番は回ってきますので、どうか我慢してください」

「けっ、わかったよ。俺はここで留守番しててやる」

 ぼやくサーベラスをよそに、百合香とオブラは通路に出たのだった。

 

「そういえばサーベラスって、どう見てもライオンがモチーフよね」

 通路を歩きながら百合香が言った。

「まあ、そうですね」

「それで、どうして名前がサーベラスなんだろう」

「サーベラスってどういう意味ですか」

「三つ首の地獄の番犬、ケルベロスのことよ。言語の違いで表記と発音が違うだけ」

「えっ、そうなんですか!?」

 今まで全く気にも留めていなかった事をオブラは知らされて、驚愕しているらしかった。

「深く考えてないんじゃないですか。なんか、細かいこと気にしない性格ですし」

「なるほど。語感だけで決めたのかな」

 深く考えていない、で片付けられた元氷騎士はさておき、二人は何もない空間にシャボンを吹きつつ歩探索を続けた。

「あっ、百合香さま。ありました」

 オブラは、自分が見つけましたと精一杯アピールしながら、通路のど真ん中の一点を指さした。そこだけ、シャボンの輝きが弱まっている。氷魔エネルギーの密度が薄い、癒しの間への通行が可能なゲートポイントである。

「もうちょい目立たない場所だと助かるんだけどな」

 癒しの間からこちらに戻ってきた瞬間、パトロール中の氷魔の群れと鉢合わせなんて事もあり得る。ぶつくさ言いながら、百合香は聖剣アグニシオンを向けて意識を集中させた。すると、ドアのような形のゲートが開く。

「私たちは入れないんですよね」

「氷魔と反発するエネルギーだから、触れた瞬間ヤバい事になるかもよ。試してみる?」

 オブラは、ブルブルと首を震わせて後退る。百合香は笑ってゲートに手を触れた。

「じゃ、少し失礼するわ」

「戻ってきたら、例のペンで報せてください。すぐに案内に駆けつけます」

「ありがとう」

 百合香の姿は、だんだんゲートに溶け込んで行った。

「戻るとき、瑠魅香が目覚めてる事を祈っててちょうだい」

 

 

 百合香が戻った癒しの間は相変わらず、白と金を基調とした明るい空間だった。最初は落ち着かないと思ったが、だんだん慣れてしまうものである。

 六角形の部屋の中央にある、やはり六角形の泉の前にあるゲートが、この部屋の出入り口だった。扉から向かって泉の奥側は壁が立ち上がっており、「自称女神」ガドリエルがその手前に、百合香の帰還を待っていたかのようにホログラムの姿で現れていた。

「おかえりなさい、百合香」

「ただいま」

 いつも一緒にいる瑠魅香は、まだ百合香の中で眠りについたままだった。初めてこの空間を訪れた時を、百合香は思い出していた。

「ガドリエル、瑠魅香が今どういう状態なのか、あなたならわかる?」

 百合香は、いま一番知りたいことを訊ねた。ガドリエルからの返答は、いつものように早かった。

「いま、彼女は精神を大きく消耗して、魂にまでそれが及んでいる状況です。危険な状況というわけではありませんが、回復までは時間がかかるでしょう」

「…そう」

「ですが、じき必ず目覚めます。どうか、安心してください」

「ありがとう」

 百合香は、弱々しく微笑んで頷いた。

「ねえ、ガドリエル。いま、妙な事を言ったわよね」

「妙、とは?」

「精神を消耗して、魂に影響が及んでる、って。まるで、魂と精神は別物のような言い方だわ」

 その百合香の疑問に、ガドリエルは少しだけ考える仕草を見せてから答えた。

「人間には、3つの側面があります。霊魂、精神、肉体。それが3つ揃っているのが、百合香、今のあなたです。そのうち、肉体だけが欠けているのが瑠魅香という存在です」

「…ちょっと待って」

 久々に、なんだか難しい話が飛び出した。そういう話は嫌いではない百合香だが、今はそれなりに疲労した状態である。いま言われた内容を、頭の中でいったん整理した。

「…いいわ、続けて」

「はい。瑠魅香や、あなたの用いる数々の魔法や技の源は、魂にあります。しかし、それを実際に形にするためには、精神という側面の活動が不可欠なのです。そして、肉体に限界が来ると精神まで疲労するように、精神が限界を越えた時、魂が影響を受けるのです」

 ガドリエルの説明を、百合香はなんとか頑張って理解してみた。

「つまり、瑠魅香は最後には精神を介在させず、魂から直接魔法を放っていたという事?」

「よく理解しましたね。そのとおりです。そして、それが"魂の消耗"を引き起こしたのです」

「…魂が消耗しきったら、どうなるの」

「魂は決して消滅しません。ですが、あまりにも魂への負荷が大きくなれば、魂もまた打撃を受け、その記憶を維持できなくなります」

 それを聞いて、百合香は背筋が寒くなるのを感じた。それは言ってみれば、魂の死のようなものではないのか。考え込む百合香に、ガドリエルは話を続けた。

「百合香、ちょうどいい機会です…今まで、黙っていた事をお話しします」

「え?」

「瑠魅香から聞いたかも知れませんが、私自身、じつは一部の記憶がない存在です」

 それは、以前百合香が眠っている間に瑠魅香がガドリエルから聞いたという話だった。百合香は頷く。

「ええ、聞いたわ」

「ですが記憶はなくても、氷巌城やあなたの持つ聖剣、アグニシオンなどについての知識はあります。そして、あなたに対する親愛の情も」

「……」

「混乱させるような事を言ってごめんなさい。ただ、私はいくつかの記憶がなくともあなたの味方であると、それだけは揺るがない事実として、伝えておきたいのです」

 それを聞いた百合香は、少し呆れたように笑って答えた。

「今更、そんなこと言わなくても大丈夫よ。あなたのおかげで私はこうして、あの氷の城で戦っても無事でいられる。こうして、安らげる場所もある。それ以上何を求めるというの。感謝してるわ。ありがとう、ガドリエル」

「百合香…ありがとう」

 ガドリエルは、それまで見せた事がないような柔和な笑顔で百合香を見た。しかしその笑顔を見て、百合香はひとつ思い出した事があった。

「…ねえ、ガドリエル」

 百合香は、何度か見た夢の話をガドリエルに伝えた。それは、ここではない、今ではない土地や時代に、自分がやはり同じように聖剣アグニシオンを携えている夢だった。

 

「断定はできません。しかし、それはあなたの過去生が関係している夢かも知れません」

 百合香の話を聞き終えたガドリエルはそう言った。

「過去生!?」

 まさか、と百合香は思った。それでは、自分はあの夢の中の剣士の生まれ変わりだとでも言うのか。

「百合香。夢というのは、非常に曖昧な魂の旅です。過去の出来事が、フィルムに記録された映像のように再現されるわけではありません。見た夢が、そのまま何らかの事実だとは思わない事です」

「…うん」

「ですが、時には非常に真実に近いものが投影される事もあります。あなたが見た夢が、何らかの事実に基づいていた可能性もあるでしょう」

「そうなのかな」

「私は、あなたの過去世についての知識はありませんが、アグニシオンがあなたの魂に封印されているという、その事実だけはなぜか知っていました。今は、限られた知識の中で、出来る事があります」

 その言葉に、百合香は頷く。

「…そうだね。自分が何者かなんてわからないけど」

 百合香は、今も握り続けている黄金の聖剣、アグニシオンの刃の煌めきを見つめる。これまでの激戦の中で、鎧や肉体は傷を負っても、この剣だけは、刃こぼれどころか擦り傷ひとつついていない。

「今、やらなきゃいけない事はわかる。そのための力や備えが、私達にはあるんだ」

 百合香の言葉に、ガドリエルは無言で頷いた。百合香もそれに頷く。

「ありがとう、ガドリエル。これからも、よろしくね」

 

 久しぶりに自分でシャワーを浴びた百合香は、温水が流れ落ちる自分の肌を見ながら、これを瑠魅香も自分の身体として見ていたんだな、と考えた。ひとつの身体を二人で共有するというのも、不思議な感覚である。

 バスルームを出て、冷蔵庫に入っていたよくわからないゼリーを食べる。ガラス容器に入っており、鮮やかなピンク色である。

 口に運ぶと、果物なのか何なのかよくわからないが、爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。こんなゼリーは、今まで味わった事がない。

「…これも、私の意識が生み出したんだろうか」

 不思議な美味しさのゼリーを食べたあと、瑠魅香が苦味で顔を歪めたアイスコーヒーを飲むと、歯を磨いて百合香はさっさとベッドに入った。

 

 眠りについた百合香は、また夢を見た。夢でも、場所は癒しの間である。百合香の目の前には、瑠魅香が立っていた。

『百合香、もうちょい眠らせてね。ごめん』

 瑠魅香は微笑みながらそう言った。ごめんと言いながら、悪びれる様子はない。

『それでね、私が眠っている間に、ひとつ言っておく事がある』

 なんだ、それは。百合香は思ったが、なぜか返事ができない。瑠魅香は言った。

『私が眠ってる間に、浮気したら怒るからね』

 

 

 目が覚めると、百合香は夢に出てきた瑠魅香の言葉を、脳内で繰り返した。

「…浮気って」

 そもそも百合香は、だいぶディープな間柄ではあるものの、瑠魅香と交際している覚えはないし、この氷の城で交際相手が現れるとも思えない。

 考えても仕方ないので、百合香は目覚めのミネラルウォーターを飲むと、制服ではなく黄金の鎧姿に変身した。すでに臨戦態勢である。

「いくよ、瑠魅香」

 眠っている瑠魅香にそう語りかけると、百合香は再び絶対零度の城に続くゲートをくぐった。

 

 

 その頃、同じ氷巌城第2層のあるエリアを進む、ひとつの影があった。百合香たちと別行動を取る、マグショットである。

「…やはり、城が再誕した時に構造も変わっているな。もっとも、前回はこれほど大規模ではなかった事もあるが」

 入り組んだ通路を睨みながら、マグショットは呟いた。

「奴は今回もここにいるはずだ…もっとも、変化の影響を受けて、どんな姿になっているかはわからんが」

 立ち止まり、窓の外を見る。

「これが百合香の住む国か」

 吹雪のなか、眼下にかすかに見える山並みの影をマグショットは眺めていた。

 

 

 氷巌城の通路に戻った百合香は、オブラに言われたとおり、ディウルナから手渡されたレジスタンスへの連絡用のペンで、猫のマークを壁に描いた。耳がついたわかりやすい図案が、青白く浮かび上がる。

「ほんとにこれで通じるのかな」

 オブラ達は胸を張るが、これで相手に連絡が行くなら、世界の通信機器メーカーの技術者が裸足で逃げ出しそうである。

 だが、ほどなくして通路の向こうから、トトトトという足音が聞こえてきた。

「おー、すごい」

 百合香は素直に感心したが、同時に何か違和感を覚えた。オブラ達はそもそも、足音がほとんどしないのだ。といってサーベラスなら、足音はもっとドスドス、ガチャガチャと騒々しい。

 つまり、この足音はレジスタンスでも、サーベラスでもない、他の何者かの足音である。

「ちょうどいい」

 もはや以前とは段違いに肝が座ってきた百合香は、ピエトロから預かった、色だけ氷魔に化ける髪飾りをテストしてみる事にした。

 意識を集中させると、明るい青紫の光が百合香を包み、黄金の鎧も聖剣アグニシオンも、全て青白い氷のような色味に変わってしまった。

「来るか」

 百合香は、足音が近付いてくる方向に剣を向ける。すると、その足音より先に見慣れた影が走ってきた。

「あっ、ゆ、百合香さま!助けて!!」

 その力強いまでに情けないセリフの主は、猫探偵オブラであった。

「どうしたの?」

「氷魔です!」

「下がって」

 百合香はオブラを自分の背後に隠れさせ、剣を構えると氷魔の到来を待った。すると、通路の角から百合香と似た背格好の影が飛び出してきた。

「あっ!」

 その影は、百合香を見るとピタリと立ち止まった。

「百合香さま、あいつが僕を追いかけてくるんです!」

 オブラが指さすその氷魔は、なんとガドリエル女学園の制服デザインの衣装をまとっていた。いや、よく見ると改造してある。何というか、神社の巫女服のようなシルエットに見えなくもない。左手には大きな弓を握っていた。細い眼鏡にポニーテールと、なんだか特殊な性癖の人が興奮しそうなイメージである。

「あなた、誰?」

 百合香は、自分が言おうとしたセリフをそのポニーテール氷魔に先取りされた。

「そっ…それはこっちのセリフよ」

「見ない顔ね。もっとも、このフロアの全員の顔なんて知らないけど」

 どうやら、変装は効いているらしかった。氷魔は続けて訊ねる。

「一人なの?わたしはリベルタ。あなたは?」

「ゆっ、百合香」

「えっ!?」

 リベルタと名乗った少女氷魔は、目を丸くして驚いた。

「ちょっと待って、そういえばその姿…どうして、制服を着てないの」

「あっ、いやそのこれは…」

 まずい。咄嗟の演技など、演劇部でもない百合香にできるわけがない。

「あなた、なぜこの子を追っていたの」

 話を誤魔化す目論見もあり、百合香は脚の陰に隠れているオブラを示した。リベルタは答える。

「捕まるからよ、放っておけば」

「えっ?」

「その子、レジスタンスでしょ。ふうん、あなたもレジスタンスの仲間か。だったら少なくとも、私の敵じゃないって事ね」

「あなた、いったい――――」

 百合香が訊ねようとした時、通路の奥から多数の足音が聞こえてきた。

「まずい!逃げるよ」

「えっ!?」

「早く!」

 そう言ってリベルタは、百合香の手を握る。その時、リベルタは声を出して驚いた。

「えっ!?」

 リベルタの視線は、いま握った百合香の手に集中していた。リベルタの手は氷魔らしく、人形のような指である。

「あなた、この手…いや、その身体は…」

 リベルタが驚いていると、足音がさらに近付いてきた。声も聞こえる。

『いまなんか聞こえたよ!』

『あいつだ!捕まえよう!!』

『捕まえよう!!』

 少女のような声がいくつも重なって聞こえる。どうやら、リベルタのような氷魔の群れらしい。リベルタは、ひとまずどうでもいいと割り切って、百合香の手を引いて走り出した。

「ほら、あんたも来なさい!」

「えっ!?あっ、は、はい!!」

 今まで追われていた相手について来いと言われ、オブラは慌ててその後をついて走っていった。

 

 これが、百合香と氷魔リベルタの出会いであった。



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変革を求める者、恐れる者

 百合香とオブラは、突如として現れた少女氷魔・リベルタに導かれて、背後から迫ってくる追手の一団から身を隠していた。

「なんとかまいたわね」

 リベルタと名乗った氷魔は、入り組んだ通路の奥のスペースから、外を警戒しつつ言った。

「ユリカって言ったわね」

 片膝をついて警戒態勢を取る百合香を、リベルタは振り向いた。

「まさかとは思うけど、あなたひょっとして例の、侵入者の人間の少女?」

 百合香はギクリとして背筋を伸ばしたが、いくらか話も見えてきたので、髪飾りの変色魔法を解いて本来の姿を見せる。黄金の鎧と剣に金髪という、この青白い氷の城と相反するようなその姿に、リベルタは驚いた。

「そうよ。私は百合香。この氷巌城を消し去るためにここに来た」

「死んだとニュースにはあったけど、あれは虚報だったという事ね」

 リベルタは、胸元からスマートフォンそっくりの水晶のような板を取り出し、そこに百合香の写真が載った記事のような画面を見せる。見出しは読めないが、たぶん侵入者が死亡した、といった文面だろう。

「それ、スマートフォン?」

 驚いた百合香が訊ねる。ここまで百合香に馴染みがある物品は、氷巌城に乗り込んで以来初めて見るからだ。

「スマートフォンって、なに?私達はアイスフォンと呼んでるわ」

「アイスフォン?電話なの?」

「デンワって?」

 微妙に話が通じない。瑠魅香と会話している時に似ている。

「ああ、通話のこと?話もできるわよ。こんなふうに、送られてくる記事を読むことも、写真を撮ることも」

 まるっきりスマホだ。

「記事って、いったい誰が流してるの」

「色々ね。広報官とか」

「ディウルナか」

 その百合香の言葉に、リベルタは目を丸くした。どうやら、手足はコチコチの人形だが、顔や髪、服装だけは柔軟性があるらしく、表情は豊かである。リベルタは訊ねた。

「ディウルナを知っているの!?」

「え?あ、やばい」

 百合香は慌てて口を塞ぐ。リベルタは笑った。

「ふふ、どうやら隠し事は苦手なようね」

「リベルタ、って言ったかしら。あなたは、ひょっとしてレジスタンスなの?」

 百合香の問いに、リベルタは首を小さく縦に振った。

「ええ。ただし、この子達とは別系統よ」

 そう言って、百合香の足元にいるオブラを見る。オブラもようやく話が見えたのか、警戒心を解いたようである。

「だいたい察しました。この層に侵入した僕らの仲間を、あなた方が保護している、といった所でしょうか」

 オブラの推測に、リベルタは人差し指を立てて答えた。

「半分だけ正解」

「え?」

「私の仲間が保護している猫もいる。けれど、あいつらに捕まってる猫もいるの」

「あいつら、って。ひょっとして、さっきリベルタさまを追っていた連中ですか」

「ええ」

 リベルタは、少しだけ暗い表情を見せる。

「彼女達は、このフロアの兵士なんですよね」

「そうよ。というか、私も本来はそうだった。彼女たちと同じ」

「あなたが城を裏切ったから、追われているという事ですか」

 オブラの歯に衣着せぬ問いかけに、リベルタは寂しそうに頷いた。

「そうね。私は裏切り者」

「じゃあ、あなたはこの城の消滅を願っているの?」

 百合香の問いに、リベルタは沈黙した。その表情は複雑なものを抱えているようだった。

「…わからない。今の私には、何を選択すべきなのか。でも、この城の在り方が、間違っているものだとは思う」

 リベルタの言葉に、百合香もまた即座に返せる言葉はなかった。

「あなたには迷いはないのよね、百合香」

 リベルタは真っ直ぐに百合香の目を見た。

「…迷いはない、と言いたいけれど。戸惑ってないと言えば、ウソになるかもね」

「なぜ?あなたは人間で、侵略された側にいる。私達を城ごと消滅させるのが最善のはずよ」

 まるで、自分が消え去る事さえ当然であるかのようにリベルタは言った。

「そうね。けれど、説明のつかない感情が、私の剣を押し留めるの。その気になれば、今すぐあなたを刺し殺せる状況なのに」

 百合香は、聖剣アグニシオンの切っ先をリベルタに向けながらそう言った。

「あなた達は、本来はただの精霊だったんでしょう」

「驚いた。どこまで知っているの」

「私の中にいる、いま眠っている親友が教えてくれた」

「あなたの中にいる…?」

 リベルタは、百合香の言う言葉が理解できず問いかけた。百合香は、瑠魅香という元氷魔、精霊の少女が自分の心に宿っており、身体を共有している事を説明した。

 

「信じられないことを考える精霊がいたものね」

 リベルタは素直に、眠っている瑠魅香という元精霊の少女に呆れているようだった。

「人間の肉体を得られる保証もないのに。最悪、あなた一生その子を頭の中に住ませる事になるわよ」

 リベルタの指摘に、百合香は何とも言えない気持ちだった。少なくともこの城において、瑠魅香が一緒にいるのは当たり前の事になっていたからだ。

「…先の事なんてわからないわ」

 百合香は、ひと言だけ返して話を戻した。

「事は、この城を消滅させるだけの問題ではないらしいの。ディウルナや、色んな氷魔たちの話を総合するとね」

「氷魔皇帝ラハヴェを倒しただけではダメ、ということ?」

「それ以上詳しい事は、今の私には調べようもない。ただ、ラハヴェを倒したところで、『城の記憶』がどこかに残っている限り、この城はいつか再び復活するらしいわ」

 百合香の説明に、リベルタは難しい顔をした。

「…そもそも、私達自身この城について知らなさ過ぎるのは確かだけれど」

「あなた達が知らないんだから、人間の私が知らないのは当然よ。だから、私はこの城が何なのかを調べる事も重要だと思う。ただ」

 そこで百合香は言葉を途切れさせた。

「仮にこの城を完全消滅させる方法が見つかったとして、それを実行した時に、あなた達がどうなってしまうのかが気になる」

「それは…人間のあなたには関係ない事ではなくて?」

 リベルタは、困惑とも苦笑ともつかない表情で訊ねた。

「今までの、あなたの戦績は全て読んだわ。大したものよ。私は、あなたに会いたいと思っていたの」

 そう言って、リベルタは百合香の手を取る。

「え?」

「そうよ。私達は、エリア幹部の氷騎士たちを倒す事さえできない。それを、あなたは何度もやってのけた。私達にとって、あなたは希望なの」

「自分が消滅する結果になってもいいの?」

 百合香は、少し強い口調で問いかけた。

「私達は死なない。元の精霊に戻るだけよ。この城の呪縛から解放されて」

「本当にそんな保証があるの?」

「あなたはそんな事を心配する必要はないわ」

「でも!」

 叫びかけた百合香の口を、リベルタは手で塞いだ。

「静かに。まだ奴らはいるかも知れない」

「…追手というのも、あなたと同じ姿をしているの?」

「いいえ。ふつうの制服を着て、剣を携えているわ」

「ナロー・ドールズみたいだ」

 百合香の脳裏に、大量生産されて大挙してくる氷の雑兵たちの姿が浮かぶ。リベルタは、その事にも感心しているようだった。

「参ったわね。あなたはすでに、相当な情報を掴んでいるみたい」

「掴んでるだけよ。手元にあるけど、その情報の意味がわかってない事も多い」

「百合香、よければ私の仲間たちと会ってくれる?」

 そう言うと、かがんでいたリベルタは立ち上がった。

「あなたの仲間?」

「ええ。ここじゃ、まともに話もできそうにない」

 リベルタは、複雑な通路を睨む。百合香はその時、ディウルナが言っていたフロアの大まかな構造について思い出していた。

「ディウルナは、各フロアが渦巻き構造になってるって言ってたけど、そうなの?」

「全体としてはね。でも、そんな単純ではないわ。螺旋を繋ぐ連絡通路だっていくつもある」

「あなた達のアジトがどこかにあるの?」

「案内するわ。仮のアジトだけど」

 ついてきて、とリベルタは足音を立てないように、静かに通路へ出た。よく見ると、ブーツも柔軟性のある素材になっている。柔軟な構造にできる範囲には限界があるのだろうか、と百合香は思った。

 

 リベルタの案内で、百合香とオブラは入り組んだ通路を右へ、左へと進んでいった。途中、窓がついた部屋の前も通った。

「学園の廊下みたい」

 ふと、百合香は呟く。

「学園って百合香、あなたの?」

「ええ」

「ふうん。学校って楽しい?」

 少女らしいリベルタの質問に、百合香はいったん言葉を詰まらせた。

「全体としてはね」

「部分的にはどうなのよ」

「…暗い側面もあるわ。勝ち負けとか、疎外とか。人間は妬みっぽいし、排外的な生き物でもある。しじゅう、世界のどこかで争っているし。氷巌城が出現しなくても、そのうち滅びるかも知れない」

「まるで、人間が嫌いみたいな言い方ね」

 リベルタは百合香の反応に苦笑した。

「もちろん、人間である事は嬉しいと思うわ。素敵な人達もたくさんいる。それでも、もっと違う在り方があるんじゃないか、と思う事はあるわね」

「なにそれ。私達レジスタンスと同じ事言ってるの、自分で気付いてる?」

 振り向かず、歩きながらリベルタは言った。百合香は、無意識に氷魔のレジスタンス達と同じ言葉を語ったことに、自分で驚いていた。第一層最後の氷騎士、バスタードもそう言っていたではないか。違う在り方を求めている、と。

 百合香が考えごとを始めた時、リベルタがふいに足を止めた。

「どうしたの」

 百合香とオブラも立ち止まって警戒する。

「はめられた」

「え?」

 リベルタが懐から短めの剣を抜く。百合香は即座に状況を理解し、髪飾りの魔力で念のため氷魔カラーに姿を変えて剣を構えた。

「百合香、私と同じ氷魔だからって、襲いかかってくる相手に情けをかける必要ないからね」

 リベルタは、あえて強い口調でそう言った。

「…いいのね」

 リベルタはコクリと頷く。すると、前後から多数の、ガドリエル女学園の制服を着た少女氷魔たちが剣を構えて、ガチャガチャと大挙してきた。20体くらいはいそうだ。オブラはさっさと身を隠す。

「うらぎりもの、はっけん!!」

 集団の中の一人がリベルタに剣を向ける。しかし、視線はもう一人の剣士、百合香に向けられていた。

「一人じゃないね」

「なに、こいつ。一人だけ違う鎧着てる」

「何様のつもり?自分は違うとでも思ってるの?」

「リベルタ、あんたもよ。一人だけ弓なんて背負ってちゃってさ」

 唐突に捲し立てられて、百合香は警戒よりも困惑を覚えていた。彼女らの髪型は瑠魅香に似て切り揃えているが、耳は出しておらず、両サイドを下げたストレートである。全員が同じ姿をしている事に、百合香は若干の恐怖を感じた。すると、突然リベルタが声を張り上げる。

「あんた達こそ、少しはおかしいって思わないの?偉そうにしてるけど、要するに城がバックにいるから偉そうにしてるだけじゃない。自分じゃ何も考えてないくせに」

「うわっ、意識たっか」

 リベルタに言われた氷魔少女の集団は、クスクスと全員で嘲笑を始めた。

「きもちわる。殺っちゃおうよ、こいつら」

「殺っちゃえ」

「殺っちゃえ」

「殺っちゃえ」

 全員が「殺っちゃえ」という不気味な輪唱とともに、剣を構えて百合香たちに迫ってきた。百合香は、念押しするように訊ねる。

「本当にいいのね、リベルタ」

「できれば、ひと思いにお願い」

「…わかった」

 百合香が剣を構えたそのとき、前後から一斉に氷魔少女たちが斬りかかった。態度こそ不可解ではあるが、その動きは非常に洗練されており、第一層の雑兵たちとは比べ物にならない。

 百合香は、先手必勝でアグニシオンにエネルギーをこめた。

 

「『シャイニング・ニードル・フラッシャー!!!』」

 

 百合香が高速で繰り出した突きの連撃から、無数の光の針が放射され、氷魔たちの胸を正確に撃ち抜いた。その攻撃で、一瞬にして6体の氷魔が、姿を留めたままその場に崩れ落ちる。その後ろにいた氷魔たちは、百合香の強さに明らかに怯んでいた。

「なに、こいつ」

「強いってレベルじゃない」

「やばいかも」

「やばいね」

 氷魔たちの動きが止まる。その隙をついて、リベルタは背中の弓を構えた。矢をつがえないまま弦を引くと、青白い光のエネルギーの束が矢のように現れた。

「!」

 百合香に警戒していた氷魔たちの不意をついて、リベルタは引いた弦を弾く。

 

「『フロワー・リヴォルーション!!!』」

 

 放たれた光の束は無数の矢に分離して、追尾ミサイルのように氷魔たちの胸を正確に射抜いていった。その攻撃は容赦がなく、リベルタに相対していた氷魔全員が、その場に倒れる。百合香は、その冷徹さに敬服すると同時に、胸の痛みを覚えた。

「やばい」

「やばいよ」

「逃げよう」

「逃げよう」

 残った4体の氷魔が振り返った瞬間、百合香は再び光のエネルギーを放ち、背中から胸を射抜いた。

「ごめんね」

 百合香は、悲しみの表情を浮かべながら少女たちが事切れる様を見届けた。リベルタが、その肩をポンと叩く。

「気にしないで、百合香。これで良かったのよ。ありがとう、できるだけ傷をつけないようにしてくれたのね」

 リベルタは、倒れている少女氷魔たちの手を組んでやった。百合香もそれに倣う。隠れていたオブラもいつの間にか現れて、その作業に参加した。

「すごい実力ね。本気を出していれば、この子たちは跡形もなかったんでしょう」

 リベルタは、何となく気落ちしている百合香に話題を変えるためそう言った。

「…どうかしら」

「ご謙遜」

「それより、リベルタ。あなたこそ、実力を隠していたのではなくて?さっきの一撃が本気でないとしたら、氷騎士クラスだって対抗できない事はないと思うわ」

 百合香の指摘に、リベルタは立ち上がって弓を見つめた。

「その力は、どうやって身に付けたの?まさか、あなた自身が氷騎士なんてオチはないでしょうね」

 すると、リベルタは吹き出して笑った。

「ふふ、面白いわね。作家の才能もあるんじゃないの」

「うっ」

 百合香はギクリと緊張した。彼女は隠れ素人小説家である。

「半分だけ正解よ」

 その言い回しが好きなのかな、と百合香は思った。リベルタは、長い弓を百合香たちに示しながら答える。

「私が弓の技を学んだ師は、氷騎士の一人なの」



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嚆矢

 リベルタは、自分たちの手で葬った氷魔たちの亡骸を見下ろしながら語った。

「私の師は、氷騎士の一体。名は、ストラトス」

「ストラトス…それは、この第二層にいるの?」

 百合香の問いに、リベルタは頷いた。

「おそらく、順当にあなたが進めば最初に相手にする事になる」

「つまり、そいつはあなたのように、城に弓を引いてはいないということね」

「ええ」

「あなたは、そのストラトスとも戦うつもりなの?」

 その問いに、リベルタはすぐに答える事はなかった。やがて再び歩き出すと、通路を進みながらぽつぽつと語り始めた。

「師といっても、まだ私達に感情がなかった頃、単なる戦闘技術の指導を受けただけよ。特別な感情なんてないわ」

「じゃあ、さっきの子たちのように倒しても構わないという事ね」

「倒せたら、の話よ」

 立ち止まり、振り返ってリベルタは言った。

「私の不安は、師弟関係だとかの感情的な問題じゃないわ。ストラトスの実力は桁外れよ。私一人じゃ、止める事はできない。百合香、あなたでも勝てるかどうか、わからないわね」

「二人なら?」

「…わからない」

 そう言って、再びリベルタは歩き出す。百合香は訊ねた。

「どんな奴なの」

「短い髪に、悪魔のような角を生やしてる。あなたより長身の女氷魔よ」

「女…」

「私達に、人間のような性別はないけどね。あくまで感覚的なものだけど、とにかく女よ」

 女氷魔と言われて、百合香は第一層の拳法使い、紫玉を思い出していた。

「というよりも、百合香。この第二層は、ほとんどが女氷魔だと覚えておいて。幹部の、氷騎士も含めてね」

「そうなの?」

「ええ。そして、第一層であなたが戦ってきたような相手とは、性質が異なる個体が多い。魔法を使う氷魔もいるわ」

「魔法!?」

 百合香は言われてみれば、今まで魔法を放ってくる敵が少ない事に気付いた。むしろそのほとんど全てが、瑠魅香の放ったものである。

「…強いのよね」

「私が知らない個体もいるし、今回初めて出現した氷魔だっているはずよ。そしてあなたが言ったとおり、強いという事も認識しておくべきね」

 そう言って、リベルタは突然立ち止まると、右手の壁を睨んだ。百合香には、何となく既視感のある光景である。

 リベルタが壁をカンカンとノックすると、壁の向こうから声が聞こえてきた。

『北極のアデリーペンギンも少なくなりましたね。絶滅しないか心配です』

「それは南極ではなくて?」

 リベルタがそう答えると、壁におなじみの隠されたドアが出現した。氷巌城のレジスタンス達は、魔法でドアを隠すのが好きらしい。

「僕らと同じですね」

 オブラがドアノブに手を伸ばすも、悲しいかな猫の身長では届かなかった。リベルタはクスリと笑ってノブを回す。

「さ、急いで」

 周囲を見回して、百合香とオブラを中に入れると、リベルタも素早く身を入れてドアを静かに閉じた。

 

 室内はどことなく、授業用の準備室を思わせる広さと雰囲気だった。棚や箱の類が雑然と置かれており、ガドリエル女学園の制服と同じデザインの姿をした、少女氷魔が三人控えていた。一人の、ミディアムヘアの氷魔がリベルタを出迎える。

「リベルタ、よく無事だったわね」

「みんなもね」

「そっちの子は?」

 少女たちは見覚えのない、洗練された鎧を着込んだ百合香を見る。

「聞いて驚いてちょうだい」

 そう言うと、百合香を向いて頷く。百合香も頷いて、髪飾りの変色魔法を解き、人間の姿に戻ってみせた。

「人間!?」

「まさか、その子…」

 少女たちは、百合香とリベルタを交互に見る。リベルタは腰に手を当てて、なぜか自慢げに説明した。

「その、まさかよ。彼女は侵入者にして我らの英雄、百合香」

「まさか!生きていたの!?」

「あの報道はフェイクか。つまり…」

「ディウルナ様も城を裏切っていた、ということね」

 一瞬で事態を把握したらしいレジスタンス少女たちは、真剣な表情で百合香を見る。

「ようこそ、私達レジスタンス"ジャルダン"の仮アジトへ。私はグレーヌ」

「初めまして。ラシーヌよ」

「私はティージュ。よろしく」

 百合香は、突然同じような背格好の仲間が出来た事に戸惑いながら返事をした。

「百合香よ。よろしく」

 三人を代表して、グレーヌが百合香と握手を交わす。ラシーヌはシャギーの入ったボブカット風のショートヘア、ティージュは前をふたつに分けた、流れるようなストレートヘアが印象的である。

「わあ、これが人間の女の子の髪なんだ。きれい」

「みんな、あなたのような金色の髪なの?」

 ラシーヌが百合香の髪に指を滑らせる。百合香はその時、何が原因なのか自分がブロンドになってしまった事を思い出していた。

「わっ、私の国はほとんどが黒い髪なんだけど」

「そうなの?じゃあ金色の髪は珍しいの?」

「それがね、この城に来てから金色になっちゃって…って、違う!世間話してる場合じゃないでしょ!」

 うっかり本来の目的そっちのけで女子トークに突入しかけたので、百合香は軌道修正を試みた。しかし、グレーヌは笑う。

「いいじゃない。どのみち、今は身動きが取れないもの」

「…警戒が強まってるの?」

「あなたが"生きてた"時とは違う意味でね」

 

 グレーヌの説明によると、現在この第二層は、内的な緊張状態にあるという。もともと城の支配に対して自由奔放な性質の氷魔が多いフロアではあったが、強い感情が城全体の氷魔に発現した事の影響なのか、ここに至って明確に城に対して反旗を翻した氷魔が、他の階層より多いらしかった。

「だから、城側は私達レジスタンスの炙り出しに躍起になってる。ただし、表向きにはレジスタンスの規模は過小評価されているわ」

「レジスタンスが増えるのを警戒してる、ということね」

「そう。もっとも、私達自身も存在を知らないグループもいる」

「そうなの?」

 百合香は不思議に思った。

「階層全体の氷魔を、あなた達は把握してるんじゃないの?」

「大まかな数はわかってるわ。私達のような制服氷魔は、およそ2000近くいる。城の正規の兵士も氷騎士たちの下に配置されている。ざっと、600くらいかしら。それ以外にも把握しきれていない個体は当然いるけどね」

 そこへ、ラシーヌが口をはさんだ。

「制服氷魔は、三つの階級に分かれているの。私達はその真ん中の階級、ミドルクラス。下にいるのがロークラス、最上級がハイクラス。そして基本的にクラスが違うと、上下関係はあっても日常的な関わりは希薄になる」

「つまり、他のクラスの内情はわからないという事ね」

 百合香の問いに、ラシーヌ達は頷いた。

「…クラスが違うと、実力も違う?」

「それは個体による。リベルタなんて、たぶんクラスに関係なく強いよ。私達はリベルタほどの実力はない」

 百合香はリベルタを見る。やっぱり強いんじゃないか。リベルタは手を横に振った。

「私はそんな、強い弱いだのという話は嫌いだけどね。戦わないで済むなら、そうしたい。けど、ハイクラスの連中は私を毛嫌いしている。下のクラスのくせに、強いから」

 リベルタは、自分が強い事をサラリと認めた。百合香は、複雑な顔をして全員を見渡す。

「まるで人間そのものね」

「そうなの?」

 ティージュが興味深げに反応した。

「私の…ガドリエル学園はそれほどでもないけど、それでも階級が分けられてる雰囲気はある。何の意味もないのにね。目に見えない、自分達で勝手に作った階級という幻想で、勝手に人を見下す人達がいるわ。同じ空気を吸っている、ただの人間に過ぎないのにね」

「なぜ、人間はそんな事をするの?」

「さあ。もともと好きなんじゃないの、区別したり、蔑んだりするのが。人間でいるのが、嫌になる事がないと言ったら、ウソになるかもね」

 そこまで言って、百合香は言葉を途切れされた。

「…それでも、私は人間としての暮らしを取り戻したい。だから、この城に上がってきた」

 手に握った、黄金の聖剣アグニシオンを見つめる。百合香の心が生み出した、光と炎の剣だ。

「リベルタにも訊ねた事だけど。私は、この城を消滅させるつもりでいる。それは、あなた達が消え去る結果になるかも知れない。それでも、本当にいいと思ってるの?」

 百合香の表情は真剣だった。グレーヌも、重みのある口調で答える。

「…本音を言えば、私達だってもう、この姿に愛着がないわけじゃないわ」

「それなら…」

「けど、私達の存在が、あなた達人間の存在を否定して成り立つというのなら、やっぱりそれは違うと思う」

 グレーヌの言葉に、他の三人も頷いた。

「そうね。もし、他の生物や文明を踏みにじる事なく、私達が存在し続ける方法があるのなら、それを求める気持ちもある」

「それを探る事はできないの?」

「わからないわ」

 リベルタは素っ気ない。

 そのとき、百合香は広報官ディウルナの言葉を思い出していた。ディウルナは、生命のエネルギーを吸い尽くした時にこの城が消滅するという事実を、機を見て公表すると言っていたのだ。

「ねえ、オブラ」

 唐突に名前を呼ばれて、それまで黙っていた探偵猫オブラはギクリと背筋を伸ばした。

「はいっ、何でしょう」

「ディウルナに話をつけて、彼女たちと会わせる事はできない?彼なら、リベルタや私たちが知らない情報にもアクセスできる可能性があるんじゃないかしら。城の事についても、何か知っているかも」

「そっ、それは…ディウルナ様に伺ってみないとわかりません。ディウルナ様は行動に慎重を期されています。各階層のレジスタンスと接触したいとは思われているようですが、性急に動けば城側に察知される恐れがあるからです」

「ひとまず、話だけでも伝えてもらえる?おそらく、向こうも何らかの接点を持つ用意はあると思うの」

 百合香にそう言われて、オブラは首を横に振る事はできなかった。

「わ、わかりました。ただし、会ってもらえるという保証はありませんよ」

「それは向こう次第よ。もっとも、リベルタ。あなた達がそれを望まないというなら、この話は無しにするけど」

 百合香は、リベルタの目を見据えて言った。リベルタは、力なく笑う。

「参ったわね。そんなお膳立てをされたら、こっちは乗らざるを得ない」

 そう言って、グレーヌら三人の顔をうかがう。

「百合香はそう提案してくれているけど、みんなはそれでいい?」

「ディウルナ様なんて大物と接点ができる可能性があるなら、ぜひお願いするわ」

 グレーヌに、ラシーヌとティージュも頷く。

「決まりね。オブラ、頼んだわよ」

「わかりました。では、僕はいったん失礼します。サーベラス様がしびれを切らしてないか、確認もしないといけませんので」

「ふふ、じゃあ伝えておいて。斬り込み隊長からの指令よ。もう少しだけおとなしくしてて、って」

 百合香に頷くと、オブラは立ち上がり一礼した。すると、グレーヌがオブラを呼び止めた。

「オブラ、あなたの仲間が二匹、私の仲間に保護されているわ。敵に捕まってるのは三匹いるけど、生きてはいるはずよ」

「そうなんですか!?」

「ええ。あとで説明するけど、とにかく無事なのは保証するわ。安心して行ってらっしゃい」

「あ、ありがとうございます!」

 緊張していたオブラは表情を緩めて、警戒しながらドアの外に出て行った。相変わらず足音がしない。

「百合香。いまオブラが言ってたの、どういう事」

 リベルタが、百合香を問いただした。しかし、百合香は何の事かわからない。

「言ってたの、って?」

「サーベラス様の名前を出したでしょう。しびれを切らしてる、ってどういう事。まるで、どこかで待機しているみたいだわ。まさかあなた、サーベラス様までも味方につけたの!?」

「あ」

 百合香は、サーベラスがこの第二層に一緒に上がってきた事を説明していない事に気付いた。もう百合香にとってサーベラスは「頼もしい仲間」であり、氷魔側からすれば裏切り者の氷騎士だという事を失念していたのだ。

 

 

「ええい、もう我慢ならん!俺一人で、氷騎士の一人も片付けてやる!」

 猫レジスタンスのアジトで、ついに我慢の限界を迎えたサーベラスが立ち上がった。周りの探偵猫たちが狼狽える。

「お、落ち着いてくださいサーベラス様!」

「落ち着いていられるか!俺は休憩しに来たのではない、戦うために来たのだ!」

 すると、バンとドアが開いた。

「そんな事だろうと思いました!言わんこっちゃない」

 それは、俊足で駆け付けたオブラだった。

「斬り込み隊長からの指令です!もう少しだけおとなしくしていろ、との事でした!」

 自分の膝までしか背丈がない猫に指を差して言われたサーベラスは、ワナワナと震えていた。

「てっ、てめえ、百合香の名を出すのはズルいぞ!」

「ズルいも何もありません。隊長どのの指令に逆らうおつもりですか」

「ぬぬぬ」

 歯ぎしりするサーベラスを見ながら、冗談抜きで百合香を隊長だと認識しているんだな、とオブラは思っていた。

「くそっ」

 再び狭いアジトのど真ん中にドスンと座り込むと、サーベラスは不服そうに腕を組んだ。

「サーベラス様、お退屈でしょうから氷騎士の情報だけは入れておきます。最初に相手にする事になりそうなのは、弓を使う氷騎士だそうです」

「飛び道具か。厄介だな」

「楽しそうに言わないでくださいます?」

 オブラは、戦うのが楽しみでならない、といったサーベラスの本性を見て取り、素直に呆れていた。

 

 

「信じられない」

「あり得ない」

「凄いとしか言えない」

 グレーヌたちは、百合香をまじまじと見ながら口々に言った。

「サーベラス様が裏切ったという情報はみんな知ってるけど、まさか百合香、あなたの配下についているなんて」

「やめてよ。配下なんて、単なる冗談。サーベラスは頼もしい味方よ。何度も助けられた」

「いや、もう呼び捨てにしてる時点で…」

 リベルタは、改めて百合香という存在に敬服しているらしかった。

「参ったわね。この城、本当に落ちるかも知れないわ」

 その言葉には、かすかな希望が感じられた。百合香は、自分に決して小さくない期待を向けられている事に、緊張を覚え始めていた。それは、一年生の時にバスケットボールの試合で突然、二年生と交代して出ろと言われた時の感覚に似ていた。あの時は、無我夢中でプレイして、気が付くと勝利を手にしていたのだ。

 

 この氷の城を進むのは孤独な戦いだと思っていたのに、いつの間にか多くの仲間が現れた。もう、単に自分の町を救う事以上の何かが、この戦いにはあるのだと、百合香は思い始めていたのだった。



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ストラトス

「百合香、ひとつだけ言っておくわ」

 リベルタは、釘を刺すように百合香を見た。

「下手な同情は必要ないからね。あなたの目的の妨げになる相手に、容赦するのは無意味よ」

 そのリベルタの言葉に、他の三人も同調した。

「そうね。私達の立場を気遣ってくれるのは嬉しいけど、この城を消滅させるという目的は、ハッキリさせた方がいい」

 ティージュの言葉にも迷いはない。たとえ自分たちが消滅する結果になろうと、この城を消し去るという決意は揺るがないようだった。

「…わかった」

 百合香は厳しい表情で、短く答えた。リベルタが続ける。

「そもそも、悩んでる余裕なんてないのは私達より百合香、あなたの方よ」

「え?」

「ディウルナと接触したのなら、"魔氷胚"の話は聞いた?」

「まひょうはい?」

 なんだ、それは。百合香は思った。聞いた気もするが、聞いてないかも知れない。聞いて忘れた可能性もあるが。

「まだ聞いてないか。魔氷胚っていうのは、簡単に言うと、地中に埋め込む事で地上を凍土に変えるための、人工的な結晶体らしい。私達も聞きかじった程度だけど、保護された例の猫レジスタンス達からの情報よ」

「地上を凍土に!?」

 驚愕する百合香に、リベルタはアイスフォンに記録された写真を見せた。

「ぼやけて申し訳ないけど、こういう物体らしい」

 それは本当に申し訳程度の画像だった。暗闇の中に、ピンぼけのうえ手ブレでなんだかわからない、米粒のようなものが見える。

「これを、まず城側は世界中の、あなた達人類の軍事拠点に仕掛けたらしい」

「それって、ディウルナが言っていた軍事拠点の凍結のこと?」

「そう。あなた達の兵器がどんなものなのか知らないけど、すでにその99パーセント以上が使用不能になっている、という話よ」

 百合香は改めて戦慄した。ディウルナは、たとえ地上の核兵器を全て撃ち込んでもこの城は落とせないと言っていたが、そもそもそれを発射する事すら不可能ということだ。

「この城を侮ってはならない。あなたが考える以上に、人類文明について彼らは知っている、と考えた方がいいわね」

「その、魔氷胚っていうのは今後も使われるの?」

「それはわからない。けど、話によると猫レジスタンスの工作で、大量の魔氷胚がどこかに隠されたか、破棄されたかしたらしいわね」

 それも、ディウルナの話と一致する。ディウルナは、レジスタンス達の活動で下界への影響が抑えられている、と言っていたのだ。

「…なるほど。ディウルナは嘘を言ってはいなかった、ということね」

「ディウルナ様を疑っていたの?」

「話を頭から信用するほど、お人好しじゃないわ。というよりディウルナの性格からして、むしろ物事を疑ってかかるようじゃないと、こっちを信用しないと思う」

「なるほどね」

 リベルタは頷いた。

「百合香、あなたの事を私達は信じるわ。力も、知性もある。改めて、この城を落とすために、協力しましょう」

「こちらこそお願いするわ、リベルタ」

 その時だった。リベルタの持つアイスフォンが振動を始めた。

「!」

 その画面に表示された文字を見て、リベルタは少し険しい表情で通話に出る。

「…もしもし」

『…リベルタ、わたし』

「どうしたの」

『今まで、ありがとう…あなた達と会えて良かった』

「エラ!」

『気を付けて、ストラトスの…後ろに…』

 そこで何かが砕ける音がして、通話は途切れてしまった。

 

 狭い室内に、重い沈黙が訪れた。

「…エラ」

 もう、エラの声が聞こえないアイスフォンを握り締めて、リベルタは肩を震わせた。

「待ってて。あなた達の魂は、必ず解放してあげる。たとえ私達の記憶がなくなっても、また必ず会いましょう」

 毅然と立つリベルタ達に、百合香は声をかける事ができなかった。仲間を失うという事が、どれほどの重みを伴うのか。瑠魅香の魂は、百合香の中で眠ってはいても、氷巌城に囚われたわけではない。だがリベルタ達の魂は、死ねばその記憶を失って、再び氷巌城に囚われるのだ。

 リベルタは、百合香に向き直って言った。

「百合香、これが私達の戦いよ。次は私かも知れないし、グレーヌ、ラシーヌ、ティージュかも知れない。そして、私達が勝つとしても、それはいま「敵」と呼んでいる誰かが死ぬ、ということに他ならない」

「そして、また魂はいつか、戦闘人形として誕生させられる。こんな馬鹿げたワルツ、もう終わらせなくてはならない」

 グレーヌの言葉に、リベルタたち3人が頷く。リベルタは何も表示されていないアイスフォンの画面を睨んだ。

「エラは事切れる寸前、『ストラトスの後ろに』と言いかけていた。彼女はストラトスと交戦していたのね。そして何かを掴んだ」

「ストラトスを倒すための、何かかも知れない。エラ達の死を無駄にはしない」

 ティージュの拳は震えている。

「…ストラトスっていうのは、どこにいるの」

 それまで沈黙していた百合香が、静かに口を開いた。リベルタ達が、ハッとして見る。

「私が、あなた達の刃になる。ストラトスを倒しましょう」

「百合香。ありがとう」

「提案なのだけれど、まずサーベラスと合流するべきだわ。彼の戦闘能力はやはり頼りになる。それに…」

 言葉を濁らせる百合香に、4人は怪訝そうな顔をした。百合香は答える。

「そろそろ、しびれを切らして勝手に動き出す頃だと思う」

 

 

 百合香の想像は見事に的中していた。

「さっ、サーベラス様!!」

「やっぱり限界だ!!もう我慢ならん!!氷騎士の1体や2体、俺様1人で片付けてくれる!!」

「ゆっ、百合香さまごめんなさい!!」

 ドアを開けて出て行こうとしたサーベラスの後ろで、オブラをはじめレジスタンス猫たちが合掌して詫びた。

 だがしかし、サーベラスもまたドアを開けた瞬間、背筋を引きつらせて硬直したのだった。

「そろそろ限界だろうと思ってたわ」

 開いたドアの向こうには、百合香が仁王立ちしていたのだ。

「ゆっ、ゆっ、百合香!!!」

「何?初対面でもあるまいし。はい、お待ちかねの出発よ。思う存分暴れてちょうだい。期待してるわ」

 サーベラスは無言で首を縦に振ると、借りて来た猫のようにおとなしくなった。その様子を見た、百合香に同行してきたリベルタたち4人は驚きの目で見ていた。

「さっ、サーベラス様を」

「完全に手下扱いしてる…」

 奇異の目でジロジロと見る氷魔少女たちを、サーベラスはジロリと見た。

「なんだ!見せもんじゃねえぞ!…って、百合香。そいつらは誰だ」

「新しい友達。頼りになるよ」

「第2層の女氷魔か。ふん」

 威張ってみせるサーベラスだが、たったいま百合香に家臣扱いされているのを目撃したせいで、リベルタ達にはもはや何の威厳も通用しなかった。

「ぷっ」

「ふふふふふ」

 リベルタ達に笑われ、サーベラスは憤慨して通路にノシノシと歩いて出た。

「何なんだ!くそ、やっぱり2層の奴らとは反りが合わねえ!」

 

 結局オブラもガイド役で百合香たちに同行する事になり、少女氷魔4名に人間の女子高生1人、巨漢の元氷騎士1体に猫一匹という、やたらと賑やかなパーティーが結成された。

「サーベラス様、ソフトボールっていうゲームにハマってるって本当ですか」

「前にお見かけした時と、だいぶ口調変わってません?」

「新聞の写真で持ってた、あの変な棒はお持ちでないんですね」

 氷の女子たちの質問攻めに遭い、サーベラスは困り果てていた。

「百合香、助けてくれ」

「あら、いいじゃない。女の子に囲まれて」

「お前の言うジョシコーセーってみんなこんなノリなのか?」

 サーベラスは基本的に戦い一筋の氷騎士なので、四六時中おしゃべりするのには慣れていないのだった。

「お前ら、おしゃべりはいいが戦えるんだろうな!」

 いい加減、女子トークにうんざりしたサーベラスが一喝する。もはや学校の教師じみてきているな、と百合香は思った。

「リベルタの強さは私が保証するわ」

 百合香のフォローに、リベルタは手をヒラヒラと振る。

「あんまり期待しないでね。それを言うなら、私もグレーヌたちの実力は保証するよ」

 リベルタにそう言われて、グレーヌたちは胸を張った。

「リベルタほどじゃないですけど、そこそこ戦える自負はあります」

「サーベラス様と一緒に戦えるなんて光栄だわ」

「でもサーベラス様にお任せしたら、私たち要らないんじゃない?」

 あはははは、と百合香を含めた女子5人は笑う。サーベラスとオブラは顔を見合わせた。

「この先ずっとこのノリに耐えなきゃならんのか」

「サーベラス様にとっては地獄ですね」

「千の敵軍の方がましだ」

 悪態をつきながら、まるで修学旅行の一団のようにサーベラス達は、通路を奥へと歩いて行った。

 

「オブラ、ストラトスの居場所の情報は掴んでるの?」

「居場所は難しい事はありません。この先です」

 えらくアッサリと言うので、百合香は拍子抜けした。

「なんだ」

「ですが、問題があります。そこに辿り着くまでの途中に」

「なんの問題が?」

「我々レジスタンスの仲間が行方不明になった場所が、そのエリアなんです」

 百合香は身構えた。

「グレーヌ、あなたも敵の氷魔たちに猫レジスタンスが捕まってるって言ったわね」

「ええ」

「まず、レジスタンスを助けないと…」

 とはいえ、実際どこに捕まっているのかはわからない。

「グレーヌさま、捕まっている我々の仲間は生きていると仰ってましたが、あれはどういう根拠がおありなんですか?」

「根拠っていうか、証拠写真がある」

「は?」

 グレーヌは、アイスフォンを取り出して数枚の写真をスライドさせてオブラに見せた。

「この子たち、あなたの仲間でしょ」

 それは、少女氷魔たちに色んなポーズを取らされている探偵猫たちの哀れな姿だった。

「そそそ、そのとおりです!」

「彼ら、捕まってペットにされてるのよ。あなたに見せるのは気が引けたんだけど」

「ペット!?」

 レジスタンスの誇りはどこに行ったのだ、とオブラは憤った。

「まあ、そう言いなさんな。たぶん脅されてるのよ、言う事きかないと殺すってね」

「うっ」

 オブラは肩を落とした。

「そうか、そうですよね…」

「助けるの、手伝うよ」

「ありがとうございます。けれど、これでようやく合点がいきました。なぜ、人質を取って我々への脅迫の材料にしないのか、不思議だったんです」

 オブラは、第2層の氷魔は城の管理から若干ずれている、という話を思い出していた。

「そうね。捕らえた事を報告すれば、身柄を城に取り上げられてしまう。可愛いものは自分達のものにしたい、という女子パワーのおかげで、皮肉なことに君たちレジスタンスは救われている、という事になる」

「……」

「兎にも角にも、生きているんだから。助ける事はできるわ」

 その言葉は、重みを伴って聞こえた。いったい今まで、グレーヌやリベルタ達の何人の仲間が散っていったのか、百合香やオブラ達にはわからない。ふいに訪れた沈黙の中、6人と1匹は通路を進んで行った。

 

 そこから5分も歩いただろうか。サーベラスが突然、ぴたりと足を止めた。

「どうしたの?」

 百合香も立ち止まり、周囲を警戒する。

「囲まれてるぞ」

「なんですって?」

 見た所、どこにも敵の気配はない。だが、サーベラスは大剣を構えて進行方向を向いた。

「百合香、そっち側は任せた」

「敵なんて、どこに―――」

 怪訝そうに剣を構えた百合香だったが、即座に理解した。

 誰もいないと思われた通路の視界が、ゆらりと透明な水面のように歪んだ。

「!」

「来るぞ!」

 サーベラスの合図と同時に、その歪みが迫ってくる。

「リベルタ!」

「ええ!!」

 百合香とリベルタは、その影に向かって剣を一閃した。

『きゃあっ!』

『あうっ!!』

 何かが激しく砕ける音と、少女の悲鳴が轟いた。すると、床面にバラバラにされた氷魔の残骸が現れる。

「こっ、これは…」

「次も来るよ!」

 リベルタは、グレーヌ達に指示を飛ばす。グレーヌはロングソード、ラシーヌはショートソードとナイフの二刀流、そしてティージュは優雅な外見に似合わない、大剣という武装だった。

「どりゃあーっ!」

 サーベラスが大剣を一閃すると、一瞬で床に無数の氷魔少女の首が転がった。どうやら敵は何らかの方法で、姿を透明化させているらしい。倒された瞬間、その効力が失われてしまうようだった。

「すまねえ!」

 誰にともなくサーベラスは詫びるが、リベルタは叫ぶ。

「遠慮は要らない!悼むのは後からでいい!」

「タフすぎるだろ!」

「みんな、覚悟の上なの!!」

 そう言って、リベルタは剣に魔力を込める。

「せやあ――――っ!」

 リベルタが剣を横薙ぎに払うと、雪の結晶のようなエネルギーが通路を走って、無数の氷魔少女の残骸が散らばった、いったい、何体の氷魔がこの通路に送り込まれているのかと百合香は思いながら、聖剣アグニシオンにエネルギーを込める。

「『メテオライト・ペネトレーション!!』」

 圧倒的な炎のエネルギーの塊が、通路を駆け抜ける。

『うああぁぁ――――っ!!』

『ぎゃああ!!!!』

 壮絶な悲鳴とともに、次々と氷魔の死体の山が現れた。その光景に、百合香は平静でいる事ができなかった。

「はあ、はあ」

 百合香の一撃に怯んだのか、無数の足音が走り去って行くのが聞こえた。どうやら、撤退したらしい。

 

 百合香は、学園の制服と同じ姿をした氷魔の少女たちの亡骸の山に、涙を抑える事ができなかった。

「ごめん…ごめんね」

 リベルタは百合香の気持ちを尊重し、何も言わなかった。肩を落とすグレーヌたちを抱き寄せる。

「辛いよね。私もよ」

「覚悟してるなんて強がってみても、ザマないわ」

 自嘲ぎみにグレーヌは笑う。

「ダメね。この程度の戦いで気落ちしてちゃ」

「ええ」

 精一杯の勇気を示す少女たちに、サーベラスはただ一言だけ言った。

「…行くぞ」

 その武骨な態度が、少女たちにはほんのわずかに頼もしさを感じさせた。サーベラスは、散乱する氷の少女たちの亡骸を踏まないように、その巨体を左右に揺らしながら歩いて行った。

 

 戦闘があった通路を過ぎて少し進むと、扉のある行き止まりに辿り着いた。さきほど撤退した足音がこの方向に向かっていたので、どうやらこの奥に敵がいるらしい。

「開けるぞ」

 サーベラスが何の迷いもなく扉に手をかける。ちょっと待て、と百合香は制止しようとしたが、もう扉は開けられていた。

 

 扉の奥は、広い空間になっていた。体育館ぐらいある。中に、敵の気配はなかった。

「ここは…」

「私が弓を学んだ場所」

 ぽつりと、リベルタが言った。百合香が振り向く。

「氷騎士ストラトスからね」

 リベルタがその名を言ったのに合わせて、空間の奥に突然、人影が現れた。リベルタ以外の全員が身構える。

「久しいな、リベルタ」

 蠱惑的な響きを伴う女性の声が、広い空間に響いた。人影もまた、女性の姿である。腕がむき出しの鎧を上半身にまとい、ゆったりとした腰巻きを垂らしている。氷魔にしては珍しく、ピンク寄りの明るい紫色をしたショートヘア―に、リベルタが言っていたとおりの悪魔のような角を備えていた。

「今なら許してやる。リベルタ、再び私のもとに来い」

「…私は誰にも許される必要などないわ」

「お前らしい答えだ」

 その声色には、かすかな怒気が感じられた。

「ずいぶん大勢で押しかけてきたものだ。せっかく、お前と二人で語らえると思っていたのに」

「おしゃべりに付き合っているヒマはないわ。いま私の目の前にいるのは、ただ排除するべき敵よ」

 リベルタの言葉に、氷魔はほんの一瞬悲しげな表情を浮かべた。リベルタは構わず叫ぶ。

「氷騎士ストラトス。ここは通らせてもらう!」



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雷の矢

「リベルタ。今のお前の力では、皇帝陛下に立ち向かうどころか、上層の氷騎士ひとり倒す事も叶わない」

 ストラトスは、冷徹に断言した。

「それならば、私の手でこの場でお前を葬り去る」

 すっと伸ばした左手に、巨大な弓が音もなく現れた。優雅な曲線と、華麗な装飾がほどこされている。そしてストラトスの両肩から、白い翼が広がった。それは、悪魔とも天使とも名状しがたい姿であった。

「ストラトス、ひとつだけ教えて。エラ達を殺したのは、あなたなの」

 リベルタは、一歩進み出て詰問する。ストラトスは無表情で答えた。

「そうだ」

「…わかった」

 リベルタもまた、左手に弓を持ち、迷うことなくその弦をストラトスに向けて引く。

「もう迷いはない。あなたから授かった全てを、あなたにぶつけてここを通る」

「よかろう」

 ストラトスもまた、弦を引いた弓をリベルタに向ける。言い知れぬ緊張が、その空間に張り詰めた。

 二人の弓に、同時に青白い光の矢が現れる。そして、寸分の時間差もなく、同時に弦が弾かれた。

 

「「フリージングトルネード!!!」」

 

 まるで示し合わせたかのように、二人は同じ技を同時に放つ。水平方向に放たれた氷の竜巻が、広大な空間の中央で激突した。

「うおっ!!」

「きゃああ!!」

 さしものサーベラスも、その巨体が揺らぐほどの暴風が空間全体に吹き荒れ、百合香たちは剣を突き立てて踏み止まった。

 

 暴風が収まったとき、すでにリベルタは移動していた。ストラトスと距離を置いたまま、さらに第ニの技を放つ。

「ストレート・アイシクル!!」

 リベルタの身の丈を超える巨大な氷の矢が生成され、ストラトスの心臓部めがけて飛ぶ。しかしストラトスは、それを容易く腕のひと払いで打ち砕いてしまった。

 リベルタは怯まずに、次の攻撃態勢に移る。しかし、ストラトスはその僅かな隙を突いてきた。

「ヘイル・ストラム!!」

 ストラトスの弓から放たれたエネルギーは無数の氷の弾丸となり、リベルタを打ち付けた。

「ぐあああ―――っ!!!」

 全身にダメージを負ったリベルタは、床に打ち付けられ弾け飛び、壁面に叩き付けられてそのまま倒れ込んでしまった。

「リベルタ!!」

 百合香たちは慌てて加勢に入ろうと駆け出す。しかし、ストラトスは百合香たち目掛けてエネルギーを放った。

「うああっ!!」

 強烈な波動に弾かれ、百合香たちは弾き飛ばされてしまう。サーベラスが3人をかろうじて受け止めた。

「邪魔立て無用!」

 ストラトスの声とともに、百合香たちの周囲に無数の氷魔少女たちが現れる。そしてその背後に、百合香には見覚えがある、巨大な氷の戦闘人形が2体控えていた。

「魔晶兵!」

 それは、合香が基底部から第一層に上がる際に戦った、巨体の怪物だった。それが2体も現れ、氷魔少女たちを従えるように接近してくる。

「サーベラス!」

 百合香は剣を構える。サーベラスは、待ってましたと言わんばかりに大剣を振り回した。

「肩慣らしにゃ丁度いい」

 どう見ても高さだけで倍以上ある相手に、サーベラスは意気込んだ。

 だが、百合香にとって真の脅威は、ガドリエル学園の制服を着た氷魔少女たちだった。姿が違うだけで他の氷魔たちと変わらないのは、そう言われればそのとおりである。

「くっ!」

 打ち付けてくる剣を弾き、その身をアグニシオンで刺し貫くごとに、百合香は底知れぬ虚しさを覚えていた。

 自分は本来、自分の平穏な生活を取り戻したいだけだった。そのために、この城に乗り込んできた。それなのに、気が付いてみれば、倒すべき相手と仲間になり、敵の命を断つことに苦悩している。

「わああ―――っ!!」

 そんな気持ちを振り払うように、百合香はアグニシオンを振るった。自我を操られた氷の少女たちの身体が、自分の剣から発される炎のエネルギーに焼かれ、無惨に朽ち果ててゆく。もはや、泣くことにさえ嫌気が差していた。

 もう、氷魔も人間も関係なかった。戦うということは、命を奪い合う事なのだ。そこに意味などない。ただ、その結果を受け止め、意味を決め付ける自分たちがいるだけだ。

 

 百合香たちをよそに、ストラトスとリベルタの戦いは続いていた。

「脚がふらついている。覚悟が定まっていない証拠だな。そんなことで、このストラトスを超える事はできない!」

 ストラトスの放った氷の矢が、リベルタを狙う。それを回避しながら、リベルタは矢を撃ち返した。ストラトスはそれをかわすでもなく、発散したエネルギーだけで容易く弾いてみせた。

 強い。リベルタは改めて思った。やはり格が違う。

「ここまでだな、リベルタ。引導を渡してやる」

 満身創痍で立つリベルタに、ストラトスは冷酷に弓を引いた。百合香たちは、魔晶兵と戦っていて加勢は期待できない。

 リベルタは、覚悟を決めて弓を引いた。

「まだ抗うつもりか」

「私は抗ってるんじゃない」

「なに?」

「私は、私の道をゆく。誰かが用意してくれた座に甘んじているのは、戦士じゃない。奴隷よ!!」

 リベルタの全身に満ちた気で、ひび割れた鎧や眼鏡が割れて飛んだ。

 その時だった。リベルタは、視界に何か異変が起きたのを感じた。何か、空間が歪んだように思えた。それは、既視感がある現象だった。

「よかろう。ならばその誇りに、奥義をもって応えてやる」

 ストラトスが構えた弓に、雷のようなエネルギーが弾ける。それは、リベルタも見たことがない現象だった。

 リベルタもまた、弓にエネルギーを込める。そして、リベルタが取った行動は、ストラトスの予想を超えたものだった。

「なに!?」

 なんとリベルタは、弓を構えたままストラトスに向かって、全力疾走を始めたのだ。それは、常軌を逸した戦法だった。

 ストラトスは構わずリベルタに向かって、弓に込めた雷のエネルギーを放つ。

「インドラストラ・エピュラシオン!!!」

 それは、視認不可能な速度で直進する、雷の矢だった。矢はリベルタの胸を貫くかに見えた。

 しかし、こちらに向かって疾走してくるリベルタに対しては、いかに弓の名手といえども正確に狙いを定める事は難しく、雷の矢はリベルタの顔の数ミリ横を突き抜けた。

「!!」

 ストラトスは驚愕した。雷の矢はそのまま、あろうことか魔晶兵の胴体を貫く。

「しまった!」

 矢は魔晶兵を貫通し、そのまま壁面へと到達する。

「まずい、伏せろ!!!」

 サーベラスが叫び、百合香やグレーヌたちを強引に引き寄せると、庇うように覆い被さった。

 次の瞬間、雷の矢が直撃した壁を中心として眩い閃光が走り、城を揺るがさんばかりの轟音と振動と衝撃波が空間全体を襲った。

「ぬうおおおお!!!」

 百合香たちを庇うサーベラスの周りで、氷魔の少女たちの身体はその衝撃波に耐えられず、バラバラに砕かれ、木の葉のように舞い飛んで消滅していった。身体を穿かれた魔晶兵はその構造を維持できず、塵芥となってその場に崩れ落ちる。

 壁面はおろか、床や高い天井にまで破壊は及び、崩れ落ちた氷のブロックがサーベラスの身体を容赦なく打ち付ける。

「ぐおおっ!」

「サーベラス!!」

 百合香が叫ぶ。

「出てくるな!これしきの事!」

 

 事態がようやく収まり、立ち込めていた煙が収まった時、残っていたのはストラトスとボロボロで動けない魔晶兵一騎、そして装甲がズタズタにされたサーベラスと、それに護られた百合香たちだった。もはや、氷魔の少女たちはただの塵芥と成り果て、存在していた事実さえ消え去ったかのようだった。

 百合香は、その光景に何重もの意味で戦慄した。これまで戦ってきた、どんな敵よりも凄まじい実力である。こんな攻撃を正面から受けたのなら、百合香の肉体など一瞬で消え去ってしまうだろう。

 

 その時、百合香はリベルタの姿がない事に気付いた。

「…リベルタ」

 その名を呼びかける。しかし、返事はない。

「リベルタ!!」

 グレーヌ、ラシーヌ、ティージュもまた呼びかける。だが、返ってくるのは自分たちの声だけだった。

 百合香は、がくりと膝をついた。

「…会ったばかりじゃない」

 涙がぽろぽろと落ちる。ようやく気持ちが通じたと思った矢先に、リベルタはいなくなってしまった。

 

 ストラトスは、足元に散乱する氷魔少女たちの亡骸に一瞥をくれると、百合香たちに向き直った。

「裏切り者リベルタは死んだ。さて、残りの愚か者どもを始末してくれよう」

 あれだけの技を放ってなお、ストラトスはいささかの疲労も見せなかった。もはや神にも等しい存在なのではないか、と百合香たちは思い始めていた。

 だが、百合香は涙を振り切って、聖剣アグニシオンを構える。

「サーベラス。3人をお願い」

 百合香は、武器も折れて満身創痍のグレーヌたちをサーベラスに任せ、ストラトスに向かって立ち上がる。サーベラスは、立ち上がる事もままならない身体を恨みながら言った。

「ばかやろう、一人で何ができる」

「…一人なんかじゃない」

 そう言うと、百合香は全身にその気力を漲らせる。

「ほう。まだそんな力が残っていたとはな」

 感心するようにストラトスは言った。その足元に、バラバラにされた少女たちの腕や脚や武器が、哀れに折り重なっているのが見える。

「いいだろう。リベルタもあの世で寂しかろう、お前達も共に旅立つがよい」

「何を勘違いしているの?」

「なに?」

「いま言ったのが聞こえなかった?私は一人じゃない」

 百合香の言葉を理解しかねたのか、ストラトスの意識が百合香に集中している、その瞬間だった。

 ストラトスの足元の、氷魔少女たちの亡骸が、突然ガラガラと崩れた。そしてその奥底から、ストラトスを見据える眼光と、ギリリと引かれた弓が現れる。

「!!!」

 ストラトスが驚愕したその時、すでに弓の弦は弾かれていた。放たれた矢は、ストラトスの頭部を狙うかのように飛翔する。だが、それは顔を掠めて後方に飛び去ってしまった。

 

『ギャアアア!!!』

 

 突然だった。ストラトスの背後の空間に放たれた矢が突き刺さり、あたかも空間がひび割れているかのような光景が現れた。

「えっ!?」

 ティージュが、何事かと立ち上がる。グレーヌとラシーヌ、サーベラスも呆然とその光景を見ていた。

 だが、さらに予想外の事態が起こった。

「うああああっ…!!」

 突然、ストラトスが胸を押さえて苦しみ始めたのだ。

「なっ、なに!?」

「ねえ、あれ…」

「え?」

 ラシーヌが指差した先を、グレーヌは見た。氷魔たちの残骸の中から、立ち上がる人影があった。それは、弓を携えたリベルタの姿であった。

「リベルタ!!」

 グレーヌたちは駆け寄ると、そのボロボロの身体を抱きしめた。

「良かった、生きてた…」

「ごめん、心配かけて」

「でっ、でも、これどういう事!?」

 グレーヌが見上げる空間では、ひび割れが拡大し始めていた。それにつれて、ストラトスの苦しみも増大する。

「うっ…ぐおおおお!!」

「いまだよ、止めを撃とう!」

 容赦なくラシーヌが、リベルタと百合香に叫ぶ。しかし、リベルタは首を横に振った。

「私達の知らない何かが起こっていたらしい」

「どっ…どういう事?」

「思い出して。エラの最後の言葉を」

「…あっ!」

 ラシーヌは、エラが事切れる寸前に通話で言いかけていた言葉を思い出していた。

「ストラトスの後ろに、って言ってたあれ!?」

「そう。さっき、ストラトスの背後の空間が一瞬、歪んだのに気付いたの。まるで、ここに来る前の通路で襲ってきた、あの透明氷魔たちのようにね。あの透明な氷魔たちは一体、どこに行ったのか?さっきから疑問だったのよ」

「じゃっ、じゃあ…」

「そう。この空間には、何者かは知らないけど、もう一体の氷魔がいたのよ」

 リベルタは立ち上がり、ストラトスの背後に潜む謎の敵を指差した。

「姿を現しなさい!」

『ぬぅおおおお』

 それは、ストラトスによく似た女性の声だった。

『おのれ…このイオノスの存在に気付くとは』

 イオノスと名乗ったその声の主は、空間に現れた裂け目から、ガラスが割れるような音とともに姿を現した。だが、その姿はどこかおぼろげで、実体がないようにも見える。百合香は、まるで癒しの間で見る瑠魅香のようだと思った。

 そしてその姿に、リベルタたち全員が絶句した。それはストラトスと瓜二つの、天使の翼と悪魔の角を持った氷魔だったのだ。唯一にして最大の違いは、その腰まである長い髪だった。

「今わかったわ。あの異常なまでの力は、一体のものではない。あなた達二人の力が重なったものだったのよ」

『ふ…それがわかったところで、どうなると言うのだ』

 イオノスは、ストラトスと同じく巨大な弓を手に、リベルタの前に立った。その後ろで、ストラトスが膝をついて苦しんでいる。

「あなたはストラトスに取り憑いていたの?」

『取り憑く?』

 イオノスは、リベルタの問いに突然笑い始めた。

『ははは!取り憑いてなどおらぬ。我らはもともと一体の存在なのだ』

「何ですって?」

『冥途の土産に教えてやろう。お前にこのストラトスが手取り足取り教えていた時も、この私はストラトスの影にいたのだ』

「そんな…」

 リベルタは、全く知らなかった事を知らされて愕然としていた。

『当然だ。あの頃、我らに今のような強い感情はなかったからな。だが、今こうして多くの氷魔が感情を持ったのと同じく、我らもまた感情に目覚めた。その時改めて知ったのだ。私はこのストラトスと一体であり、なおかつ個別の存在であると』

「そっ…それでは、なぜ今までストラトスの影に隠れていたの?」

『ふん。説明してやるがいい、ストラトス』

 イオノスは、やれやれといった様子で背後で苦しむストラトスに言った。ストラトスは、よろめきながら立ち上がるとリベルタに向き直る。

「…愚かな師を笑うがいい、リベルタ」

「え?」

「私はな…お前と同じように、本心では皇帝ラハヴェに反逆の意志を固めていたのだ」

「なんですって?」

 リベルタは訝しんだ。ここまで散々、仲間たちを倒して来た張本人に、今さらそんな事を言われても信用などできない。

「許せ、などと言うつもりはない…だが、今もその意志に変わりはない」

「ではなぜ、私達を!?」

「私の本質は、骸なのだ」

「…骸?」

 その響きに、リベルタは薄ら寒い何かを感じた。

「そうだ…見ろ、今の私を。力を失った、この姿を」

「でっ、ではまさか、そのイオノスは」

 リベルタはイオノスを見る。イオノスが答えた。

『さよう。私には実体がない。力だけの存在、それが私だ。だが、よもや私の魂に直接攻撃を加えられるとは思ってもいなかった。なるほど、ストラトスが目をかけるだけの事はある』

「つまり、今までのストラトスの力は…」

『そうだ。私がいなければ半分の力も出せぬ。だが、この私もまた、ストラトスの身体がなければ、全ての力を発揮することはできぬ』

 その説明で、リベルタは理解した。

「ストラトス、あなたは…イオノスを制御する方法を探していたのね」

「…そうだ。イオノスの力がなければ、私もまた全ての力で戦う事ができない…イオノスの魂を御する機会を伺っていたのだ」

「そのために、イオノスに従うふりをしていたというの」

 ストラトスは無言で頷いた。すると、イオノスが口を開く。

『馬鹿なやつよ。そんな事をしているうちに、この私に身体を乗っ取られつつあったのだからな』

「…なんですって」

『おっと、口が滑ったかな。当たり前だ、魂の世界に”ふりをする”などという誤魔化しは存在し得ない。私に従う”ふりをして”いれば、やがてそれが現実になる。機会を伺っていたのは、私の方だったという事だ。この骸を完全に乗っ取る機会をな』

 そう言うと、イオノスはゆっくりとストラトスに近付いた。

『そして今、機会は訪れた』

「えっ!?」

 驚くリベルタの前で、イオノスはストラトスの身体に向けて、その手から禍々しい波動を放った。

「うっ…ああああ!!!」

「ストラトス!」

 リベルタが駆け寄る。ストラトスの身体はのけ反り、一瞬でその意識を失った。そこへ、イオノスが入り込む。

「あっ!」

『礼を言うぞ。予期せぬ形で、機会が訪れた。こやつの魂が、その罪悪感に苛まれて力を失う瞬間をな!!』

 バーンと波動が弾け、現れたのは巨大な翼を持った、長髪の氷魔だった。

 

「今こそ、私はひとつになった。このイオノスが唯一の存在となったのだ!」



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二人

「リベルタ!!」

 百合香は咄嗟にダッシュして、リベルタの手を強引に引いて全速力で退避した。そこへ間髪入れず、ストラトスの身体を完全に乗っ取ったイオノスの魔力が炸裂する。

「もはや弓など必要ない」

 イオノスの右の掌から放たれた雷撃が、百合香とリベルタを狙って床を砕きながら走ってきた。

「うわあ―――っ!!」

 二人は弾き飛ばされ、床に叩きつけられた。百合香の、強化された鎧にまでヒビが入る。リベルタは、すでに息も絶え絶えになっていた。

「あなたはここにいて」

 百合香はリベルタをその場に残し、アグニシオンを構えてイオノスに突撃する。

「でいゃあ――――っ!!」

 高く跳躍すると、一気に全力でエネルギーを叩き込む。

「『ゴッデス・エンフォースメント!!!』」

 いま放てる最大の攻撃を、百合香はイオノスにぶつけた。空間全体が軋むほどの重力の刃が、イオノスを直撃した。

「ふん!!」

 イオノスは、左手の掌から巨大な波動を放つ。それは百合香のエネルギーとぶつかって、凄まじい衝撃波を空間全体にもたらした。床や壁はひび割れ、柱は折れ、天井のブロックが落下する。

「くっ…生意気な!」

 イオノスが全力で気を高めると、百合香の放つ波動は激しく弾かれ、その衝撃が百合香自身を襲う。

「うっ…ぐはっ!!」

 派手に壁面に叩きつけられた百合香の、両肩のアーマーが砕け散る。そのまま百合香は倒れてしまった。

「百合香!!」

 リベルタは叫ぶ。しかし、すでに彼女自身も大きくダメージを負っており、立ち上がるだけで脚が折れそうな状態であった。

 イオノスは、百合香を睨む。

「なるほど、きさま噂に聞く例の侵入者か。生きておったとはな。この私にここまでの力を使わせるとは」

 百合香の技を跳ねのけるために、大きなエネルギーを消費した事をプライドが許さないのか、イオノスは憤った。左手に、わずかにヒビ割れが入っている。

「だが、しょせんそこまでの力よ。わずかにせよ、この私に刃向かえた事をあの世で自慢するがよい」

 百合香に向けて、イオノスが止めを刺すべく右手にエネルギーを込め始めた。

「ゆ…百合香…」

 リベルタは立ち上がろうと腕をつく。しかし、力が入らない。ここまでか、と諦めかけた、その時だった。

「リベルタさま――――!!!」

 突然、甲高い声が入り口の方向から聞こえてきた。そして振り向くと、何かが猛然と駆け寄ってくる。それは、目で追えないほどの速度で駆ける、探偵猫オブラだった。

「オブラ!?」

 リベルタが驚く目の前で、オブラは急ブレーキをかけて停止すると、突然何かを懐から取り出し、リベルタに向けて振り始めた。

「ぶわっ!な、なに!?」

 それは、小瓶に入った青紫色の液体だった。

「百合香さまをお願いします!!」

 

 百合香は、目の前で自分に向けて放たれようとしている、青白いエネルギーの塊を見た。この城に来て何度か死にそうな目に遭ってきたが、ついにこれで冗談抜き、正真正銘の終わりか、と覚悟を決めかけていた。

 そんなに悪い人生ではなかったかも知れない。最後に、友達もできた。

 

 ありがとう。さよなら。来世で会えたらいいね。

 

 口元にはつい笑みさえ浮かぶ。だが、待っていたのは予想外の出来事だった。

「なにっ!?」

 その声の主は、イオノスだった。百合香に向けられていたエネルギーの塊が、横から飛んできた誰かの攻撃によって、明後日の方向へ弾き飛ばされてしまったのだ。

「えっ!?」

 驚いたのは百合香もである。痛む首を動かしてエネルギーが飛んできた方向を見ると、そこに立っているのは弓を構えた、満身創痍のはずのリベルタだった。

「リベルタ!」

「オブラ、ありがとね」

 リベルタは、とっくにどこかに姿を消したオブラにそう言った。

「オブラが持ってたよくわからない薬で、なんとか動ける程度に傷が治った。あんなもの、どこから手に入れたのかしら」

「ビロードが作ったあれ!?」

 オブラがリベルタに使用したのは、相変わらず百合香に名前を間違えられている錬金術師ビードロが作った、氷魔用の瞬間補修材である。当然ながら人間である百合香には何の効き目もない。そういえば、すっかり忘れていた。

「!」

 百合香は、思い出したようにサーベラスに叫ぶ。

「サーベラス!!ビロードからもらった、例の薬持ってるでしょ!!」

「な…なに?」

 言われるまでサーベラスも完全に忘れていたらしい。懐をまさぐると、オブラのものより大きな瓶が現れた。

「効き目なんぞまるっきり信用してなかったからな」

 ひどい言われようだが、サーベラスは蓋を開けて傾ける。しかし、そこで周りにいる、傷ついた氷魔少女たちの存在に気が付いた。自分ではなく、彼女たちに使うべきではないのか。

 だが、そんなサーベラスの気遣いを察したのかどうか、グレーヌが瓶を奪い取ると、思い切りサーベラスにぶちまけた。

「ぶわっ!何しやがる!」

「余計な気遣いは無用です!この中でいちばん強いの、サーベラス様でしょ!!」

「そうです!!」

「私たちの事はいいから、リベルタに加勢してやってください!!」

 3人の氷魔少女たちは、サーベラスの背中を押す。そうこうしているうちに、サーベラスの背中や肩の大きな損傷が、目に見えて薄くなっていくのだった。

「おお、あの胡散くさい女もなかなかやるもんだな」

 

 突然立ち直ったリベルタにイオノスは少々驚いたようだったが、すぐに余裕の笑みを見せる。

「ふん、どんな手品か知らんが、全力で私に歯が立たなかったお前たちごとき、わずかに命が長らえたところで死ぬ運命に変わりはない!!」

 イオノスは、空中に氷の矢を生成してリベルタの胸めがけて放ってきた。リベルタはギリギリの所でかわし、イオノスに矢を放つ。

「ただの矢など避ける必要もないわ!」

 その宣言どおり、イオノスの胴体を直撃したリベルタの矢は、わずかな傷も与えられず折れて床に散らばった。

「くっ!」

「どのみちお前に勝ち目はないと、何度言えばわかる―――うっ!?」

 突然の左方向からの衝撃に、イオノスは何事かと振り向いた。すると、続けざまに氷の球が、猛スピードで飛んできた。

「なっ…!」

「千本ノックの練習に付き合ってもらうぜ!!」

 サーベラスは大剣から再びバットに持ち替え、氷魔少女たちが投げるボールを連続でイオノスに打ち込んだ。カーン、という小気味よい打音が空間に響く。その威力は侮れるものではなく、イオノスは姿勢を崩さざるを得ない。

「おのれ、ふざけた真似を…!」

 たまらずイオノスは障壁を展開し、その球を防ぐ。サーベラスとて元は第3層の氷騎士であり、ダメージさえ負っていなければイオノスと戦える実力はあるのだ。

 

「百合香!」

 リベルタはボロボロの百合香に駆け寄ると、傷の様子を見た。骨折こそしていないが、とても戦えるようには見えない。すると、百合香は叫んだ。

「リベルタ、私の事はいい!サーベラスと力を合わせて、あいつを倒すのよ!!」

「でも!」

「バカ!私に覚悟を決めろって言ったのは、あなたでしょ!!」

 唐突に怒鳴られて、リベルタは面食らった。

「あなたの師匠を乗っ取った、あの偉そうな女に、一泡吹かせてきなさいよ!」

「うっ…わっ、わかった!」

 ようやくリベルタは立ち上がると、百合香を置いてイオノスに向かって行った。

「まったく…うっ」

 百合香は、唐突に頭が重くなる感覚がして、ふらついてしまった。なんとなく、幻聴が聞こえるような気がする。背筋もゾクゾクする。

「くっそ…打ち所が悪かったのかな…やばいな」

 正直、立てる気がしない。ここは、黙って見ているしかなさそうだった。

 

「ほれほれ、どうしたどうした!!」

 回復したとたん調子に乗り始めたサーベラスが、今度はノックではなくウインドミル投法でボールを直接、イオノスに投げ込む。

「ぐはっ!」

 障壁を破られたところにボールが飛んで来て、イオノスの腹部を直撃した。そのショックで、大きく後退する。

「おのれ!」

「こっちよ、イオノス!!」

「むっ…!」

 今度は右手方向からリベルタが放った、強烈な竜巻のエネルギーがイオノスを直撃した。

「うおっ!!」

 威力はそこまででもないが、不意を突かれてバランスを崩す。そこへ、サーベラスがバットを振り上げて突進してきた。

「どおおりゃあああぁぁ――――――!!!」

 めったやたらに打ち付けられるバットの連撃に、イオノスの張った障壁はいとも容易く打ち砕かれてしまう。サーベラスは好機とみて、全身に容赦なくバットの打撃を与えた。

「そりゃっ!」

「ぐっ…!」

 ついに、上半身にまとった鎧にヒビが入る。その様子を、百合香は唖然として眺めていた。

「サーベラス、こんな強かったんだ…」

 もし最初に出会った時に敵として本気で戦っていたら、ディウルナが言っていたとおり、すでに百合香はサーベラスの大剣に一刀両断されて死んでいたのだろう。そう考えるとゾッとしたが、逆にそれが今は頼もしい。というか、今回あまり活躍していないな、と思う百合香である。

「…負けてらんないな」

 アグニシオンを突き立て、ふらつく足を無理やり押して立ち上がる。もともと、無茶だと言われると俄然やる気になるタイプである。

 

「調子に乗るな!!」

 ついに限界を迎えたイオノスが、破れかぶれにサーベラス目がけて魔法を放った。バットの強烈な一撃を左肩に受けながら、お返しとばかりに巨大な氷の塊がサーベラスの胸を直撃する。

「どわあぁ――――っ!!」

 サーベラスは今度こそ深刻なダメージを負い、床を跳ねて倒れると、そのまま動かなくなった。

「サーベラス様!!」

 グレーヌ達が慌てて駆け寄る。意識はあるようだが、さすがに限界のようだった。

「めんぼくねえ…百合香、あとは頼んだぜ」

 聞こえたのかどうか、百合香はボロボロの身体でイオノスに突撃する。

「だああ―――っ!!」

「ぬっ!」

「ディヴァイン・プロミネンス!!!」

 百合香は、残った体力で唯一放てる技を繰り出す。だが、油断していたイオノスはそれを背中にまともに喰らうことになった。

「ぐああっ!!」

 イオノスの右の翼が、根本から切断されて床にドサリと落ちる。無数の羽根が炎のエネルギーに照らされて宙に舞った。

「おっ…おのれ!!」

「まだよ!!」

 今度は、リベルタが技を放つ。鋭い旋風を伴う矢が、イオノスの全身を斬り付けた。

「ぐううっ!!」

「今だよ、百合香!!」

 リベルタの合図で、百合香は残ったエネルギーを剣に込める。

 だが、怒りに震えるイオノスは、もはや関わるのも面倒とばかりに、容赦なく百合香たちに魔法を放った。

「この小娘どもが―――――!!!」

 もはや魔法なのかさえわからない、怒涛の衝撃波が百合香とリベルタを襲う。

「うああっ!!」

「きゃああ―――――!!!」

 

 百合香とリベルタは、壁面に叩きつけられて折り重なるように倒れていた。百合香の黄金の鎧は完全に破壊されており、黒いアンダーガードが裂けて血がにじんでいた。リベルタは百合香が下になっていたためか、壁の直撃は受けずに済んだものの、ビードロの薬で治った身体が早くも傷だらけになっていた。

 強い。結局、この相手を倒すのは不可能なのではないかと、百合香たちを絶望感が襲った。

「許さん…貴様らごときが、この私にここまで楯突くなど。欠片も残さず消し去ってくれる」

 イオノスの頭上に、巨大なエネルギーが渦巻いた。

「…ここまでかしら」

「よくやったわ」

 百合香とリベルタは、手を取り合って微笑み合った。もう、歩く力も残っていない。イオノスのエネルギーはさらに巨大化する。

 

 今度こそ、終わりね。そう思った、その瞬間だった。

 

 その場の誰一人、ただの一人も予期していなかった、声が空間に轟いた。

 

 

『誰よ、その女!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 あまりの大きな声に、イオノスが驚いてエネルギーを散らしてしまうほどだった。百合香もリベルタも、鼓膜を襲う超高音に耳を覆った。

 その声は、百合香がよく知る声だった。誰よりも。

 

『説明なさい、百合香!!!私の不在によその女と手を握り合うとは、いい度胸ね!!!』

「るっ…瑠魅香!??」

『どこで知り合ったの!?名前は!?関係はどこまで―――』

「うるさ――――い!!!」

 百合香の一喝に、再びその場の全員が押し黙った。

「あんたね、今私達がどういう状況かわかってるの!?」

『知らないわよ!!』

「あそこにいる滅茶苦茶強いオバサンに殺されかけてんの!!」

 百合香がキレ気味にイオノスを指差す。

『何?あのオバサン』

「滅茶苦茶強いの!油断したら――――」

『ふん、何さ。あんなオバサン』

 そう言うと、瑠魅香は勝手に表に出てきた。百合香が目の前で突然、紫のドレスの魔女に変貌したのを見て、リベルタやグレーヌたち、そしてイオノスまでが驚きを隠せなかった。

「百合香、あなた体ボロボロじゃない。こんなのでよく戦ってたわね」

『軽口叩いてられる相手じゃない!』

「憂さ晴らしの的には丁度いいってわけね」

 そう言うと瑠魅香は、巨大な銀色の杖をイオノスに向ける。

「カタがついたら説明してもらうよ!」

『説明でも何でもする!やっちゃって、瑠魅香!』

 突然の予期せぬ援軍に、百合香は正直歓喜の気持ちだった。誰よりも頼もしい魔法使いが、ようやく戻って来てくれたのだ。

「一体、お前は!?」

 イオノスは、撃ちそびれた魔法を改めて、ついさっきまで百合香だった少女に向けて放つ。それは、暴風を伴う冷気の渦だった。

「百合香!!」

 まだその魔法使いを百合香だと思っているリベルタが叫ぶ。だが、瑠魅香は一歩も動くことなく、杖から魔法を放った。

「トライデント・ドリリング・バーン!!!」

 青い炎が渦巻く三本の矢が現れ、イオノスが放った魔法の渦を3方向から直撃した。イオノスの魔法は一撃で粉砕される。

「なっ…!」

 渾身の魔法が粉砕されるのを見て、イオノスは流石に驚きを隠せないようだった。そこへ、続けざまに瑠魅香は魔法を放つ。電撃のエネルギーのネットが、イオノスの全身を絡めてその場に縛り付けた。

「ぬうううう!!」

「ボーッとしてんじゃないわよ!!」

 相変わらず口が悪いな、と百合香は思う。

「いっ…一体百合香、その姿は何なの!?ていうかあなた、魔法が使えたの?」

「おあいにく様。私は百合香じゃないの。私は瑠魅香」

「ルミカ…?」

 唖然とするリベルタに、瑠魅香は仁王立ちして迫った。

「そう。言っとくけど、百合香は私のカレシなんだからね」



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風の約束

 のちに百合香が事あるごとにぼやく、もとい述懐するところによれば、瑠魅香との再会はもう少し、劇的なものを期待していたらしい。

 しかし現実は目を覚ました瑠魅香から、全く覚えのない浮気を追求されるという、劇的もへったくれもない痴話喧嘩で再会は終わった。そもそも百合香は、瑠魅香と交際している覚えも結婚している覚えもない。

『あなた、いつ目を覚ましたの!?』

 瑠魅香の頭の中で、百合香が問いかける。この感覚も久々だな、と百合香は思った。

「これだけドタバタ騒がれたら、嫌でも目が覚めるわ」

 瑠魅香の言う事も尤もではある。言われてみれば、第二層に上がって以降、ここまで本格的な激闘はなかったのだ。

「あっ…あなた達、一体…」

「あー、話は後にしよう。あいつを倒さなきゃいけないんでしょ」

 場の空気をストップさせた張本人の瑠魅香が、杖をリベルタに向けた。

「回復魔法は苦手なんだ。あまり期待しないでね」

 そう言うと、リベルタに淡いピンク色の柔らかな波動が送られる。すると、ビードロの薬ほどではないが、細かな傷がみるみる塞がっていくのだった。

「貸しにしとく」

「あ…ありがとう」

「立てる?」

 まだ面白くなさそうな顔で、瑠魅香はリベルタに手を差し伸べる。

「きさま、何者だ」

 その背中に、瑠魅香の拘束魔法を容易く解いたイオノスが低い声で問いかけた。

「噂には聞いていた。侵入者を手助けする、謎の魔女の存在をな。しかし、その姿は金髪の侵入者よりも目撃した者が圧倒的に少ないという。そういう事か。肉体を共有していたとはな」

「ずいぶん偉そうね。気に入らないわ、あなた」

 瑠魅香は自信満々で前に出る。

「あたしのカレシが世話になったみたいね」

『カレシのつもりはないけど』

「礼はさせてもらうわよ」

 百合香のツッコミを無視して、瑠魅香はその杖をイオノスに向ける。

「面白い。謎の魔女の魔法の力、見せてもらおう」

「余裕かましてると足元すくわれるよ」

「ほざけ!!」

 それまでの張り詰めた空気が一転、イオノスと瑠魅香の魔法どうしの対決が幕を開けた。イオノスが放つ無数の氷の矢が瑠魅香を襲う。

「クリスタル・ヴォーテックス!!」

 瑠魅香もまた、無数の氷の円盤を放ってその矢を受け止めた。

 両者の放った矢と円盤が互いに砕け散ったタイミングで、間髪入れずエネルギーの応酬が始まった。イオノスは、目に見えない空気の刃を瑠魅香に向ける。それを察知した瑠魅香もまた、同じ風の魔法で迎え撃つ。

「うっ…!」

 イオノスの魔法は強力であり、ダメージを負った百合香の肉体で全力が出せない瑠魅香は、少しずつ押されて行った。

「どうした、先程までの威勢は」

「この…!」

 瑠魅香は瞬間的に気力を爆発させ、一気にイオノスの魔法を押し返す。

「なにっ!」

「でぇあ―――っ!!」

 ほとんど格闘技の掛け声とともに、両者の魔法が空中で弾け飛ぶ。

「はあ、はあ、はあ」

「ふっ。精一杯とはいえ、私の魔法と張り合えた事は褒めてやる」

「こいつ…強いな」

「今さら何を寝ぼけている!」

 瑠魅香に致命の一撃を加えようと腕を振り上げたイオノスだったが、その腕を一本の氷の矢が弾いた。

「むっ!」

「借りを作るのは好きじゃないわ」

 瑠魅香の後方で、リベルタが弓を構えていた。イオノスは呆れたように笑う。

「ふっ、ストラトス、見ているか。もはや意識などあるまいが、お前の愛弟子も往生際が悪いものよ」

 冷徹に言い放つと、再び氷の矢がリベルタを襲う。ギリギリでそれをかわすと、リベルタは渾身の一撃を弓に込め、弦を引いた。

 だが、リベルタが弦を弾いた、その時だった。弓はリベルタの込めたエネルギーに耐えきれず、バキン、と鈍い音を立てて砕け散ってしまった。

「あっ!!」

 放たれた不完全なエネルギーは、見当違いの方向に飛んで消えてしまった。

「ははははは、もはや武器も失ったか。弓という発動体を失った今、お前にはその、なけなしの力を発揮する機会さえないということだ」

「くっ…」

 リベルタは、イオノスと距離を取って左回りに後退した。

「ふふふ、お前にはもう逃げる事しかできない」

「どうかしら。さっき、この黒髪の魔女が言ったわよね。油断してると、足元すくわれるわよ」

 そう言って、瑠魅香にウインクを投げる。瑠魅香はそれまでより真剣な顔で、心配そうにリベルタを見た。

「もはや貴様らの強がりも耳障りだ。まとめて地獄に送ってくれる!!」

 いい加減痺れを切らしたイオノスが、両手で強大な冷気のエネルギーを蓄え始めた、その瞬間だった。

「なに!?」

 リベルタは突然、イオノスに向かって全力疾走を始めたのだ。その予想外の行動に、イオノスは一瞬、判断を見失った。

 すると、その隙を狙っていたかのように、瑠魅香が魔法を放つ。

「ブラッディー・エンゲージリング!!」

 真紅に輝くリングがイオノスを取り囲むように現れ、一瞬で収縮してその胴体を翼ごと締め付けた。

「うぬっ…!」

 それはイオノスにダメージを与えるほどの威力はなかったが、その動きをわずかに止めるには十分だった。

「おのれ!!」

 あっさりとリングは破られた。だが、リベルタの姿が見えない事にイオノスは気が付く。

「ぬっ!?」

 イオノスは周囲を見渡す。飛び散った魔法のエネルギーの靄が晴れた、その後ろにリベルタはいた。

 だが、そのリベルタが左手にしっかりと握っている物体に、イオノスは驚いた。

「そっ、それは…!」

「何?初めて見る物でもないわよね」

 イオノスの目を見据えながら、リベルタはそれを眼前に突きつけた。

 それは、イオノス―――否、ストラトスが持っていた、巨大な弓であった。イオノスが捨てて転がっていたのを、戦いの最中にリベルタは見付け、瑠魅香にそれを拾う隙を作らせたのだった。

「足元すくわれるって言ったわよね。よく足元を見ないとね、オバサン」

「くっ…!」

 リベルタは、真っ直ぐにイオノスに向けて弓を引くと、残された魔力を振り絞った。巨大な弓に、それまでにない輝きが満ちる。

「この距離では、いかにあなたと言えど逃げられない。今度こそ決めてやるわ」

「ふん、できるのか。この身体はお前の師、ストラトスのものなのだぞ」

 その脅しに、リベルタは無言だった。

「出来はしまい。師の身体によって葬られる事を、せいぜい喜ぶことだ」

「何を言っているの?」

 嘲笑するでもなく、真剣な表情でリベルタは返した。

「もう、覚悟は決まってるのよ。ストラトスも同じ事。彼女は、私に殺される覚悟だった」

「なぜわかる?そんな事が」

「あなたには永遠にわからない。私達の絆は!!」

 リベルタは弦を力いっぱい引く。リベルタを中心に、雷鳴と振動が起こった。

「ストラトス、あなたが最後に命懸けで伝授してくれた奥義、どうか見届けてください」

 リベルタの目は、イオノスの向こうのストラトスを見ていた。ストラトスが、微笑んでいるのが見える。後は任せたと、その目がリベルタに語りかけている。

「死ね!!!」

 イオノスのエネルギーの塊が、リベルタめがけて放たれる。だが、リベルタは逃げなかった。脚を踏ん張り、微動だにせず構えた弓の弦を弾く。

 

「『インドラストラ・エピュラシオン!!!』」

 

 

 

 天地を砕くかに思えた雷光が収まったとき、そこには何一つ残されてはいなかった。かつてストラトスと呼ばれ、イオノスに支配された氷の身体は、リベルタがストラトスから受け継いだ最後の奥義で、塵ひとつ残さず消え去ったのだった。

「…リベルタ」

 表に出てきた百合香が、その背中に声をかけた。リベルタはうなだれている。

「…私には、何が正解かなんてわからない」

 ぽつりと、リベルタは言った。

「ストラトスは、きっと罪の心に苛まれていたんだと思う。それでも、あえて汚名を被った。私を敵に回してでも…いえ、私と戦うために」

「それしか方法がなかった…イオノスに縛られた状態であなたに奥義を伝えるには、懸けるしかなかったのね。奥義を放って見せても、あなたが生き残っている事に」

 百合香に言われて、リベルタは握り締めたストラトスの弓を見つめる。このグリップを、ストラトスも握っていたのだ。

「…私は前に進むしかない。それが、ストラトスへの手向けになるかはわからないけど、この氷巌城を消し去るために」

 リベルタは振り向くと、百合香の目を見据えた。

「百合香。もう、力を貸してとは言わない。私達、全員の気持ちは同じよ。一緒に戦いましょう」

「ええ」

 二人はしっかりと握手を交わす。そこへ、もう一人が声をかけた。

『あたしもいるんだけど』

「もちろん、頼りにしてるわ。瑠魅香、だったわね」

 すでに名前を覚えてもらった事に、瑠魅香は軽く驚いていた。

『よっ、よろしくね。…リベルタ』

 瑠魅香のボソボソと答える声に、リベルタは微笑んだ。なんだ、案外ウマが合いそうじゃないかと安心する百合香である。

「この状態じゃ、進むにしてもどうにもならないわね。全員、まず身体を治して仕切り直さないと」

 百合香は、鎧が砕けてしまった自分の姿を情けなく思った。だが、同じ目に遭っても聖剣アグニシオンは相変わらず、かすり傷ひとつ見えない。どうやら、鎧とは全く別の存在であるらしい。

「グレーヌ、あなた達は大丈夫?」

 リベルタが3人を見る。傷ついてはいるが、いちおう無事ではいるようだった。

「私たちは何とかね。サーベラス様は重傷かも」

「これぐらい、何てことは…ぐっ」

 サーベラスは強がってみせるものの、もう自力で立ち上がるのも難しいようだった。

「くそっ」

「オブラ、さっきの薬はもうないの?」

 リベルタが足元に控えるオブラに訊ねた。オブラは首を横に振る。

「もう、預かってきたぶんは使ってしまいました。ビードロ様にコンタクトが取れれば良いのですが、第一層にいらっしゃるので…」

「仲間にコンタクトを取ってみるわ。アジトがあったら、そこにとりあえず匿わせてもらう」

 グレーヌ達はアイスフォンを取り出すと、他の仲間に連絡を取り始めた。その様子を見て、百合香は癒しの間に置きっぱなしの、バッテリーが切れたスマホを思い出していた。

 

「ビードロって、聞いた名前ね」

 リベルタが訊ねる。オブラが答えた。

「第三層の水晶騎士、錬金術師ヌルダの弟子だった氷魔です。クセのある方ですが、いちおう我々に協力してくれています」

「全く、あなたには驚かされるわ」

 リベルタは、呆れたのか敬服したのかわからない表情を百合香に向けた。

「あなたが歩けば、それだけ味方が増えていく。一体、どういう存在なの?あなたって」

「私はそんなご大層なものじゃないわ。ただ、精一杯進んでるだけよ」

「ふうん。けれど、そのダメージはどうするの」

 リベルタは、鎧を失ってボロボロの百合香を見る。百合香は苦笑いしながらオブラに目線を送った。

「はい、わかりました。急いで探して参ります」

「頼んだわ。もう、歩く気力もないから」

「お任せください!」

 オブラが走り去ると、百合香はガクリと膝をついてしまった。

「ちょっと、大丈夫なの」

「…慣れてる」

「馬鹿言ってるんじゃないわよ」

 リベルタは、自分も傷ついた身体で百合香の肩を支える。

「なんかアテがあるんでしょ?オブラに言いつけたのは」

「ええ」

 百合香は、癒しの間という自分が傷を癒すための空間がある事を説明する。リベルタは、それなりに驚きを持って聞いていた。

「信じられないわね、そんな空間への入り口が、この氷巌城にあるなんて」

「みんなもそこで回復できればいいんだけど、氷魔はその空間に入る事はできないみたい。エネルギーが反発するらしい」

「入った瞬間、あの世行きか」

 リベルタは肩をわざとらしく震わせてみせた。

 

 ほどなくして、オブラが全速力で戻って来た。

「百合香さま、ありました。ゲート」

「そう。ありがとう」

 弱弱しく答える百合香を、オブラは心配そうに見る。これまでになく重いダメージを負っているように見えた。

「心配しないで。いつもの事じゃない、こんなの」

「そっ…それはそうかも知れませんが」

 すると、アイスフォンで仲間に連絡を取っていたグレーヌ達が駆け寄ってきた。

「リベルタ、ちょっと戻った所にアジトがある。私たちはそこにサーベラス様を匿ってくるわ」

「そう。じゃ、百合香を送ったら私もそこに行くわ」

 わかった、と頷いてグレーヌ、ラシーヌ、ティージュの3人は、サーベラスの巨体をどうにかこうにか支えながら通路を戻って行った。リベルタはオブラを見る。

「オブラ、案内して。百合香をそのゲートとかいう所まで連れて行く」

「わかりました」

 

 ようやく辿り着いたゲートは、狭い通路を曲がった所の、うっかりすると気付かないような隙間にあった。百合香は、力の入らない腕でアグニシオンを向ける。

「ちょっと、しっかりしてよ」

 リベルタに腕を支えられて、なんとかゲートを解放する事に成功した百合香はリベルタに向き直った。

「おかげでここまで来れたわ、ありがとう。回復したら、すぐにそっちに合流する」

「ゆっくり休んでちょうだい」

 リベルタに借りていた肩を離すと、百合香はおぼつかない足でゲートに進んだ。

「百合香、瑠魅香」

 ふいにリベルタが呼び止める。

「あなた達のお陰で、ストラトスを止める事ができた。感謝しているわ。ありがとう」

 百合香は、力のない表情で微笑む。

「どういたしまして」

『どうって事ないわよ、あれくらいの事』

 強がる瑠魅香に、リベルタは笑う。

「そう。素敵なコンビね、あなた達」

 

 

 

 氷巌城第二層、百合香たちが氷騎士ストラトスと死闘を繰り広げていた頃。別なポイントでは、拳士マグショットが険しい表情で通路を進んでいた。

「この気配…やはり奴も、実体を持って現れているらしいな」

 奥まったスペースを見付けると、誰もいない事を確認して座り込み、一息をつく。

「この借りは必ず返す」

 静かに呟くと、左の目の傷に爪を立てる。カリカリと、引っ掻く音が狭い空間に微かに響いた。



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百合香と瑠魅香

 水晶騎士、アメジストのカンデラが図書館に通っているという噂が、皇帝側近・ヒムロデの耳に入るのに、そう時間はかからなかった。

 いつものように執務をこなす合間に、ヒムロデはメイド姿の秘書に訊ねる。

「小耳にはさんだ話だが、カンデラが図書館に足繁く通っているとの噂はまことか」

 回ってきた書類に「了承」のサインをして手渡しながら、ヒムロデは興味深げに訊ねた。ちなみに彼ら氷魔が用いるペンは魔法の一種で、筆跡がまるでインクのように紙面に残る仕組みになっている。

「まことのようです」

 必要最小限の言動を心がける秘書は、それだけ答えた。

「根っからの武官のあやつが、珍しい事もあるものだ。侵入者がいなくなって、いよいよ暇になってきたか」

 ヒムロデは笑う。

「地上侵攻の計画が本格化すれば、通ってもいられなくなろうがの」

 ひととおり執務を終えたヒムロデは、秘書が礼をして退出するのを見届けると、脇に従える別なメイドから、紅いワインが半分ほど注がれたグラスを受け取り、傾けた。

「もはや水と変わらぬな」

 自嘲するように呟くと、まだ残っているグラスを置き、小さな溜息をついてヒムロデは執務室の奥へ姿を消した。

 

 その噂の張本人カンデラは、自分なりに氷巌城の歴史を文書にまとめ始め、いよいよ研究者の様相を呈してきていた。

 といっても、彼の関心の中心は、かつて錬金術師ヌルダも相対したという、謎の金髪の女剣士についてである。

「うーむ」

 今日も図書館の奥で帯出禁止の歴史書を紐解くカンデラは、真っ白な氷の紙の上にペンを横たえ、何やら唸っていた。

「いくらページをめくっても、いずこにも記されておらんな」

 目当ての情報にどうしても行き当たらないカンデラは、諦めて本をパタンと閉じた。

「ヌルダの奴は前回、その金髪の女剣士にバラバラにされたと言っていたが」

 カンデラはその戦いのあとで生まれた氷魔であるため、そのような記憶は当然ない。ヌルダが金髪の女剣士と闘ったのは、彼の話と書物から大雑把に得た情報を照らし合わせると、やはり人間の暦で言う、約12500年ほど前の事になるらしかった。

「そのような過去に、人類が発達した文明を持っていたのか?文明といえるような文明は、せいぜい5000年そこらの歴史しかないと思っていたが」

 カンデラは、対決した百合香の姿から、過去にも現れた謎の黄金の女剣士を想像してみる。金色の髪に金色の鎧、そして炎を放つ金色の剣。全てが、この凍てついた城とは相反する。

 そこでカンデラは、今さらながら単純かつ最大の謎に行き着いた。

「ヌルダの奴めも指摘していた事だが…そもそもあのユリカと名乗った女剣士は、ただの人間だったのか?ただの人間が、この氷巌城をなぜ、凍て付く事なく平然と歩き回れたのだ」

 そんな事は通常ではあり得ない。過去の氷巌城にも、何らかの手段で乗り込んできた人間はいた。しかしそれはあくまで魔法などの補助があっての事で、何の対策もなしに永続的に城内を歩き回れる人間などというのは、およそ想像がつかない。

 あれこれ考えてみるものの武官であるカンデラは、それ以上考える事が自分には難しい課題である事は理解していた。

「…ヌルダの奴に相談するのは気が進まん。といって、ここの司書もあまり虫は好かん」

 研究に協力してくれそうな者は、誰かいないか。カンデラは考えたすえ、一人の氷魔を思い浮かべた。

「そうだ、奴がいた。しかし、面識はさほどないな…」

 しばし考えたすえ、カンデラはひとり頷くと立ち上がる。

「話だけはしてみるか」

 書物を棚に戻し、自分のレポートを束ねると、カンデラは静かにその場を立ち去った。

 

 

 

『おお、久々に見る愛の巣だ』

 癒しの間に戻るなり、瑠魅香が手を広げて半透明の姿で歩き回った。泉の女神ガドリエルは今はいないようである。

「意味わかってるの?」

 さっそく百合香のツッコミが入る。

『よくわかってない』

「それでいい」

 疲れた身体を引きずるように歩きながら、百合香は呟いた。イオノスとの激戦で受けたダメージは相当だったらしく、歩くたびに背筋に痛みが走る。

『百合香、私がいなくて泣いてたんじゃないの?』

「誰がよ」

『強がっちゃって』

 ふふふ、と瑠魅香は笑う。

『あのリベルタって子たちもレジスタンスなのね』

 百合香に振り向いて、瑠魅香は訊ねた。

「そう。リベルタはかなりの力を持ってるみたい。あのイオノスってのが身体を乗っ取った、ストラトスっていう氷騎士に師事してたらしいわ」

『氷騎士ジュニアか。そりゃ強いはずだ』

「まあ、サーベラスを含めた3人がかりでも勝てなかったけどね。あのイオノスって奴は」

 いつものようにベッドに仰向けになり、百合香はようやく身体を休められることに心から安堵を覚えた。

「瑠魅香、ありがとね」

 天井を見ながら、ぽつりと百合香は言った。瑠魅香はその横に腰掛けて微笑む。

『なあに、突然』

「あなたが来てくれなきゃ、やばかった」

『どうかしら。あなたって、土壇場で大逆転させるの得意じゃない』

「限度ってものがあるわよ」

 百合香は笑う。

「…もっと、強くならないとな」

『え?』

 瑠魅香は、百合香の呟きに首を傾げた。

『十分強いじゃない』

「ううん。イオノスには、私の最大の技も完全には通じなかった。…まだ、私には力が足りない」

 根っからのスポーツマンである百合香は、自分の実力がまだ及ばない事を自覚していた。

「正直に言うね。現段階では、瑠魅香の魔法の方が、私より強いと思う」

『まさか』

 そんな事あり得ない、とでも言うような口調で瑠魅香は返すものの、百合香は首を横に振った。

「ううん。本当よ」

『考えた事なかったな、どっちが強いとか』

「…どっちが強い弱いの話じゃなくてね」

 百合香は、少し間をはさんで重いトーンで言った。

「このままだと、先に進めるのかなって時々思うんだ」

『なるほど』

 それは瑠魅香も同じ思いだった。二人で同時に考え込み、癒しの間に静寂が訪れる。

「…強くなる方法、あるかな」

 そう語る百合香の声色には、いくぶん真剣な鋭さが含まれていた。

『マグショットに稽古つけてもらったら?修行オタクなんでしょ、あいつ』

「マグショットか」

『そういえば姿が見えないけど、あいつどこ行ったの?』

 言われて、そういえばと百合香も思う。マグショットは現在、どこにいるのか。

「この層で野暮用がある、って言ってたけど」

 

 

 氷巌城第二層のとあるエリアの通路で、甲高い雄叫びと、鈍い打撃の音が響いていた。

「ホアタァ!!!」

 最下級の自動人形、ナロー・ドールズの群れが、放たれた衝撃波で蹴散らされ、無数の塵芥と化して壁に叩きつけられ、床に散乱した。

「雑魚もこれだけ大挙されると面倒だな」

 倒した敵の残骸を見下ろすのは、ジャージを着た片目の猫拳士、マグショットであった。

「さきほど、強烈なエネルギーの衝突を感じたが、さては百合香とサーベラスか」

 二人の事がそれなりに心配ではあるが、もし深刻な事態であれば、オブラがマグショットを探して飛んでくるはずなので、ひとまず大丈夫だろうと考えることにした。

「奴はどこにいる」

 マグショットは、ナロー・ドールズが歩いて来た通路に入ると奥を睨んだ。

「奴が、こんな役にも立たん雑魚どもを好んで配備するとは思えんが。城に命じられて仕方なく、といった所だろうな」

 再び、ナロー・ドールズの残骸を横目にマグショットは歩き出す。

 

 少し進んで、マグショットは通路の装飾が変化している事に気付いた。それは、第一層で最後に相対した氷騎士、バスタードのエリアで見た、華やかな装飾にやや通じるものがあった。

 さらに進むと、今度は通路の両サイドに凹んだスペースが設けられ、華麗な装飾の置き台と花瓶に、氷でできた百合の花が生けてあった。

「間違いない。奴の趣味だ」

 マグショットの歩速が、にわかに速くなった。しかし、さらに奥へ進んだ所で広い空間に入ると、マグショットはピタリと足を止め、周囲の気配に神経を尖らせた。

 そこは広い四角形の空間で、周辺と中央に和泉があり、中央の泉には水瓶を肩に抱えた女神の象が据えられていた。さらに、泉に挟まれた円形の通路には、四本の柱が天井まで立っている。

「……」

 マグショットは目を閉じて、空間全体の気配を読む。そして、何かを感じ取ると、空中に両腕を一閃させた。

 左右に分かれた空気の刃が放たれると、それは女神象の背後に向けてブーメランのように弧を描いた。象の陰に空気の刃が到達すると、鈍い音とともに悲鳴が空間に轟いた。

「ギャァア!!!」

 何かが砕け散り、泉に落ちて水しぶきが起きた。マグショットはゆっくりと、女神象の背後に回る。泉には、何か既視感のある格好をした氷魔がバラバラになって沈んでいた。

「…似ているな」

 それは、第一層の氷騎士・紫玉に傀儡として操られていた、オブシディアンによく似た仮面とスーツをまとう個体だった。ただしオブシディアンと異なり、マジシャン風のハットは被っておらず、ディウルナのような丸い頭部が何となく不気味だった。

「こうも容易く気取られるあたりからして、オブシディアンよりだいぶ格下ではありそうだが」

 聞こえよがしに、マグショットは空間全体に向かってそう言った。

「全部で4体か。出て来い」

 さしたる構えも取らず、まるで隙だらけの様子でマグショットは周囲を見回した。

「さすがです、マグショット様」

「その感覚、いささかも衰えてはいないご様子」

「我が主もお喜びになりましょう」

「我々に倒されなければの話ですが」

 柱の陰にから一体ずつ、今倒した個体と同じような容姿の氷魔が、音もなく姿を現した。

「ふん、相変わらず慇懃な奴らだ。千数百年前も気障な格好をしていたが、今回もまた人間の趣味を拝借したというわけか」

「あなたもまた、相変わらず無味乾燥な出で立ちがお好きなようだ」

「それを言うならお前たちなど、オブシディアンと同じような姿をしていても、奴の足元にも及ぶまい」

 その言葉に、4体の氷魔はピクリと反応した。

「まさか、行方不明のオブシディアン様と相まみえられたと?」

「奴は最期まで強かった。紫玉に操られていなければ、俺とてただでは済まなかったであろう」

「なっ…!」

 4体の仮面氷魔は、にじり寄るようにマグショットを囲む。

「オブシディアン様の仇であれば、尚更ここで死んでもらわねばなりません」

「俺は奴に止めなど刺してはおらんが、まあ仇の代わりを務めてやってもよい」

「貴様!!」

 4体の氷魔はマグショットの言葉に激昂したのか、一斉に踊りかかってきた。寸分違わぬタイミングで、空を裂く手刀がマグショットを襲う。

 しかし、マグショットの姿は一瞬で消え、4つの手刀は空を切った。

「!」

 どこだ、と4体の氷魔は周囲を見渡す。しかし、マグショットが移動したのは別な方向だった。

「ここだ」

 女神象の水瓶の上に、マグショットは立っていた。

「きっ、貴様――――」

 氷魔が再び構えを取った時、マグショットは既に空に舞っていた。氷魔たちが驚く間も与えず、脚にエネルギーを込める。

「狼爪断空脚!!」

 マグショットが空中で水平に脚を一閃させると、鋭い旋風が巻き起こって4体の氷魔を襲った。

「うがっ!」

「ぐわあぁ―――!!」

 巻き起こった空気の刃の渦は、柱や女神象もろとも氷魔たちの全身をバラバラに切断し、その残骸は泉や床に、無慈悲に打ち捨てられたのだった。

「言葉に激昂し我を忘れるとは、愚か者どもめ」

 そう吐き捨てると、マグショットは振り返りもせずその空間を後にして、その奥へと続く通廊に足を踏み入れた。

「百合香、お前がさらなる高みへ登りたいのであれば、怒りを超えた心の境地に至らねばならんぞ」

 

 

 くしゅん、と百合香がクシャミをしたのは、瑠魅香のリクエストで再び、トマトとニンニクのスパゲティを作るための材料を切っている時だった。

『風邪ひいたんじゃない?百合香』

「…風邪って何なのかわかってる?」

『なんか時々、学園の子たちが言ってるじゃん。風邪で休んだ、とか何とか』

 どうやら瑠魅香は、学園で生徒たちがする会話から、だいぶ大雑把に単語の意味を解釈しているらしかった。百合香は刻んだニンニクやタマネギ、ベーコン等をフライパンに入れて炒めながら、風邪というものを瑠魅香に説明する。

『ふーん、病気か。人間ってホントに厄介なものね』

「あなたがなりたいって言ってるのが、その厄介な生き物なのよ。やめておく?」

『うーん』

 百合香が手慣れた様子で、ゆでたスパゲティをフライパンに投入するのを眺めながら瑠魅香は言った。

『でも、百合香がそうやって元気にいられるんでしょ』

「あのね。病気っていうのは甘く見ちゃ―――」

 そこまで言って、手が止まる。

 百合香は、肺炎にかかったせいでバスケットボールの道を断念せざるを得なくなった事を思い出していた。しかし、今なぜかこうして百合香は、肺炎にかかる以前の健康体を取り戻している。一体それはどういう事なのか。そして、仮に元の学園生活に戻れる時が来るとして、その時もこの健康状態は維持されているのか。

 良くない想像が頭を駆け巡ったその時、百合香は瑠魅香の声で我に返った。

『百合香、フライパン!』

「え?あっ、やばっ」

 百合香は慌ててフライパンを動かす。まだ焦げてはいない。ほっとして、ソースが絡められたスパゲティをお湯で温めた深皿に入れた。今回は自分が食べる分も考慮して、分量多めに作ったのだった。

「よし、できた」

『食べたい!』

「ちょっと待ってね、味見するから」

 少しだけ、出来立てのスパゲティを口に入れる。我ながら完璧だ、と百合香は一人で頷いた。

「はい、どうぞ。瑠魅香復活のお祝い」

 そう言うと、百合香は瑠魅香に身体を明け渡す。現れた黒髪の女子高生、瑠魅香は喜んでフォークにトマトソース色のスパゲティを巻いた。

「うーん、何度味わっても美味しい」

『それはどうも』

 瑠魅香が以前のように美味しそうにスパゲティを頬張る様子を、百合香は嬉しそうに眺めた。

『今度、違う味のスパゲティも作ろうか。ボロネーゼ、ペスカトーレ、ボンゴレビアンコ、カルボナーラ…』

「何それ、言葉の響きからしてもう美味しそう!」

『ふふふ。…って、ちょっと!もうそんなに食べたの!?』

 百合香が深皿をのぞくと、すでに半分が瑠魅香の胃袋に納まったあとだった。

『代わって!わたしの分!!』

「えー、あたしのお祝いなんでしょ」

『お祝い終了!!』

「なによ、それ――あっ!!!』

 百合香は強引に瑠魅香を押しのけて、自分の身体に戻る。外に出された瑠魅香は、恨めしそうに百合香が食べる様子を睨んでいた。百合香は当たり前のように瑠魅香を横目で見る。

「わたしが作ったんだから」

『じゃあ、こんど私が作る!やらして!』

「…大丈夫かな」

 はたして瑠魅香に料理はできるのか。百合香はその様子を想像しながら、また以前と同じやり取りが戻ってきてくれた事に、少しだけ涙を浮かべた。



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異変

 久しぶりに瑠魅香と癒しの間での時間を共有し、身体に負ったダメージも消え去った百合香は、少なくとも本人は気力を取り戻したつもりであった。

 ところが、いざ氷巌城攻略のため出発しようと、鎧姿に変身した時にそれは起こった。

「…なにこれ」

 鏡に映った姿を見て、百合香は若干青ざめた様子で立ち尽くした。

『どうしたの?』

 脳内で瑠魅香が訊ねる。百合香は声を少し震わせて答えた。

「…いつもの鎧が出て来ない」

『え?』

 百合香に言われて、瑠魅香も気が付いた。いつもなら、上半身を黒いアンダーガードが覆い、その上に黄金の鎧をまとっているはずの百合香が、今はガドリエル学園の制服の上に、申し訳程度に胸と肩と脛に、青銅のような色のアーマーがついているだけである。肩のアーマーも張り出しておらず、肩甲骨なら護って差し上げますよ、程度のサイズだった。

「……」

 もう一度変身を解除し、改めて鎧姿になってみる。しかし結果は同じだった。

 

 いつもの鎧がない。

 

 イオノスに完全破壊されはしたが、身体が回復すれば鎧も元に戻るだろうと、百合香はたかをくくっていた。しかし、元に戻るどころか、見るからにグレードダウンしている。昔、叔父の家で読んだ少年バトル漫画で、金、銀、青銅の鎧で戦士たちがランク分けされていたのを思い出した。

「…最下級に格下げか」

『え?』

「なんでもない」

 百合香はガドリエルの泉を見るが、マイペース女神は今、出て来る気配がない。仕方なく、百合香は深呼吸して姿勢を整えると、ゲートの前に立った。

「いくよ、瑠魅香」

『そんな装備で大丈夫?』

「…大丈夫、問題ない」

 問題あるだろう、とは自分でもわかっているが、今はどうにもならないので、百合香は意を決して氷巌城に戻るゲートをくぐった。

 

 

 

 氷巌城の通路に戻ると、百合香はかすかに足音や話し声のようなものが聞こえるのに気付いた。オブラやリベルタ達の声ではない。

「やばい、敵かな」

『どうする?』

「…オブラ達と合流するまで、騒ぎを起こすのは避けたい」

 念のため剣を構える百合香だが、視線は隠れる場所を探していた。

『私の魔法で、あいつらがいなくなるまで隠れよう』

「お願い」

 百合香に言われて、瑠魅香は表に出て来ると、通路の凹み部分に駆け込んだ。杖を握り、意識を集中させる。すると、杖の先端から放たれた光が、壁の凹みと通路を隔てる壁面を作り上げた。

「これでよし」

『大丈夫なの?』

「…たぶん」

 そこは自信を持ってくれ、と思う百合香だった。

 

 閉ざされた狭い空間で息をひそめていると、上に開けた空気穴から、足音と話し声が近付いてくるのに瑠魅香は気付いた。

『どうやら、イオノス様とストラトス様が確執のすえ、相討ちになったというのは本当のようです』

『うむ、以前から両者の確執は知られていたが…困った事になった。あれほどの力を持った方は、第三層でさえ少ない』

『上にはどのように報告しますか』

『そっくりそのまま報告する以外にないだろう』

 どうやら、ストラトスと多数の少女兵士が死亡していた件を、調査しに来た兵士達のようだった。足音は瑠魅香が潜む壁の前を通り過ぎると、だんだんと遠ざかって行った。

「ふいー、緊張するわ」

 胸を撫で下ろして、瑠魅香は壁を解除する。

「イオノスとストラトスの同士討ちか。どうも、こちらに都合良く勘違いしてくれてるみたいね」

 すると、百合香が訝しげに言った。

『都合が良すぎるわね』

「え?」

『まるで、誰かが仕組んだかのようだわ』

 そう言われて、瑠魅香は一人の人物を思い起こしていた。

「あっ、まさかディウルナ?」

『考えられる。彼が情報をそれとなく操作して、こちらの存在と行動を隠滅したのかも知れない』

「…なるほど」

 だとすれば、こちらにとっては有り難い話ではある。しかし、と百合香は言った。

『いつまでも私達の存在を隠しおおせる筈もない。次々に氷騎士がいなくなるのを、事故や仲間割れに偽装するのは無理がありすぎる。いずれ誰かが、何かおかしいと気付くのは時間の問題だわ』

「どこかの時点でバレるのは避けられないって事か」

『そう。私が生きているという事実を』 

 百合香は再び表に出て来くると、いつものように、ディウルナから貰った魔法のペンでオブラ呼び出しマークを壁面に記す。ほどなくして探偵猫オブラが駆け付けた。

「ご無事で何よりです、百合香さま」

「あなたもね」

 百合香が、周囲に警戒しつつオブラを見る。

「オブラ、ひょっとしてディウルナがまた何か工作した?」

「えっ!?どうしてご存知なんですか」

「やっぱりね」

 百合香は、呆れたように苦笑した。

「リベルタ様たちのアイスフォンにも、既に公式発表として記事が流れてきてます。イオノスとストラトスは確執のすえ、多数の兵士を巻き込んだ同士討ちに至った、と」

「なるほど。頼もしいけれど、やり方が怖いわよね、ディウルナって」

 味方でいてくれて良かった、と百合香は思う。もし敵のままであれば、既に向こうに都合良く誘導されていただろう。

「ときに百合香さま、そのディウルナさまからのご伝言があります」

「え?」

 オブラの報告に、百合香は何の事かと思った。

「伝言?私に?」

「はい。この先を進まれる百合香さまに、十分警戒されるようにと」

「警戒なんて、今さら言われるまでもないわ」

 困惑しつつ答える百合香だが、オブラは首を横に振った。

「違います。百合香さま、ご自身についてだそうです」

「…え?」

「言われたままにお伝えしますよ。"怪物と戦う者はその過程で、自らも怪物とならぬよう警戒せねばならない。深淵を覗く時、深淵もまた我々を覗いているのだ"」

 またか、と百合香は肩をすくめた。

「今度はニーチェか」

『ニーチェって誰?』

 瑠魅香が訊ねる。人名だと理解できたのは偉いと百合香は思った。

「昔の、頭が良かった有名なおじさん」

『ふーん。さっきの言葉の意味は?』

「よく引用される有名な格言よ。誰かと敵対したり、批判しているうちに、その相手と同じような存在に…」

 そこまで言って、百合香は不意に黙り込んだ。

「百合香さま?」

 オブラが怪訝そうに百合香を見る。

「…何でもない。それより、リベルタ達はどこ?」

「はい、まだアジトに隠れて回復を計っているところです。案内します」

 

 歩きながら、オブラは現状をかいつまんで説明した。

「お話しのとおり、ひとまずディウルナさまとは連絡が取れました。リベルタさま達との協力体制も、約束してくださるそうです」

「そう。みんなは大丈夫なの?」

「正直に言って、動きが取れない状況です。サーベラス様の回復は特に、時間がかかりそうです」

 オブラの口調は重い。サーベラスはストラトスの攻撃から百合香たちを庇ったのが響いていた。

「今は雌伏の時かな」

「そうですね…ときに百合香さま、いつものピカピカの鎧はどうされたんですか」

 オブラも、百合香がまとう「申し訳ブロンズアーマー」の違和感に気付いたようだった。百合香は渋い顔で答える。

「私が訊きたい」

 

 レジスタンス「ジャルダン」のアジト入り口は、例によって壁に隠されていた。中に入ると、そこはリベルタに案内されたアジトより若干広いが、殺風景な部屋だった。

「ただいま戻りました。こちらが百合香さまです」

 オブラが百合香を紹介すると、見覚えのないレジスタンス氷魔少女二人が進み出て、感激したようにその手を取った。

「わあ、本物だ!」

「ほんとにいたんだ!」

 アイドルか未確認生物か、という扱いの歓待を受け、百合香は多少困惑しつつも微笑んでみせた。

「よろしくね」

「活躍は聞いているわ。あのバスタードと対決して勝ったんでしょう!?」

 そう言われて、百合香は戸惑った。

「え、ええまあ…」

「凄いわ。私達には絶対できない」

 そうなのか、と百合香は思った。百合香自身はストラトス及びイオノス戦でだいぶ苦戦を強いられたので、実力がまだまだ足りない、と思い込んでいたのだ。しかし、レジスタンス少女たちに言わせれば、バスタードと真っ向勝負して勝ったのは「凄い事」であるらしい。

 だが、百合香は慢心してはならないと思い、静かに答えた。

「サーベラスとマグショットがサポートしてくれたおかげよ。それに、イオノスとの戦いでは勝てるかどうかわからなかった」

「謙虚だわ」

「こういう姿勢だからこその強さなのね」

 何を言っても好意的に受け止められるというのは、それはそれで多少怖いものがある。百合香は咳払いして話題を変えた。

「リベルタ達と、サーベラスは?」

 そう言って部屋を見渡すと、奥の壁にサーベラスが背をもたれさせていた。その反対側に、同じようにリベルタ、グレーヌ、ラシーヌ、ティージュが座り込んでいる。

「みんな、大丈夫なの」

 百合香が声をかけると、若干うなだれた様子で全員が百合香を見た。

「お前こそ、もういいのか」

 サーベラスが、胡座をかいて膝に手をついてみせる。ボロボロだが、まだ元気そうだった。

「私はね、と言いたい所だけど」

「ん?」

 言われて、サーベラス達は百合香の姿がいつもと違う事に気が付いた。

「どうしたの?いつもの金色の鎧は」

 グレーヌが訊ねる。百合香は、困惑した様子で青銅色の鎧に手を触れた。

「わからない。いつもの鎧姿に、どうしてもなれないの」

「どういうこと?」

「うーん」

 百合香は考え込む。あの鎧は、百合香が何らかの形で新しい力に目覚めた時、それに呼応するかのように進化してきたものだ。その理屈でいえば、百合香が確実に力を増している今、より強固な鎧に進化しても良さそうなものである。

「…ま、考えてもわからない。案外、見た目より頑丈な鎧なのかも知れないし」

「そうは見えないけど」

 そう冷徹に言うのはリベルタである。

「私達氷魔は、城に満ちたエネルギーで次第に装備も含めて元に戻る。死なない限りはね。けど、あなたはそもそもどうやって装備品を調達しているの?」

 シンプルな疑問をリベルタは投げかけてきた。言われてみれば百合香自身、聖剣アグニシオンにしろ鎧にしろ、どこからどうやって現れているのか、正確にはわかっていないのだ。

 何にせよ身動きが取れない現状であるため、それについて考える時間はありそうだった。

 

 

 その頃、第三層の中心部に近い区画の通路を、水晶騎士カンデラが歩いていた。

「…ここだな」

 奥まった所にあるドアの前で立ち止まると、少し間を置いてノックした。

『どうぞ』

 ドアの向こうから、少し高めのクセのある声が返ってくる。カンデラはドアノブに手をかけ、ゆっくりと開けた。

「失礼する。私は上級幹部カンデラだ。広報官ディウルナ殿の執務室で間違いないだろうか」

 静まり返った部屋に、カンデラは声をかけた。すると、奥にあるデスクの陰から、デッサン人形のような頭をした、古めかしいダブルブレステッドのジャケットを着込んだ、広報官ディウルナが現れた。

「いかにも、私は広報官ディウルナでございます。水晶騎士カンデラ様じきじきのお越しとは、一体何用でございましょうか」

「存外へりくだった物言いをする男だな。貴官は立場的には、我らと同格であろう」

 意外そうに言いながら、カンデラはドアを閉める。ディウルナは応接用の椅子を勧め、テーブルを挟んで両者は向き合った。

「忙しいようであれば、また改めるが」

「いえいえ。丁度いま、暇になったところです」

「そうか。良いタイミングだったな」

 カンデラはそう言うと、自分でまとめた氷巌城の歴史に関する考察の、途中のレポートをテーブルに置いた。ディウルナはいかにも興味深げにそれを手に取る。

「ほう。氷巌城の歴史に関する考察、と」

「文筆業の本職からすれば、稚拙な文章であろうがな」

「とんでもない。しかし、まさか武官のカンデラ殿がこのような分野に関心をお持ちとは」

 素早く、レポートの一行一行に目を走らせながらディウルナは言った。

「よくまとまっている。…たいへん興味深いものではありますが」

「貴官の訊きたい事はよくわかる。これを自分にどうしろと言うのだ、と思っているのだろう」

「失礼ながら。広報誌に連載でもご希望ですか」

「はは、いやこれは話を切り出すために持参したにすぎん。もっとも、広報誌のコラムは読ませて頂いているがな」

 カンデラは笑う。

「連載といえばディウルナ殿、この間までアイスフォンに流れてきていた、小説があっただろう」

「"メイズラントヤード魔法捜査課"の事ですかな」

 思い出したように、ディウルナはその題名を言った。同作は、メイズラントと呼ばれる架空の国が舞台の、魔法の犯罪を捜査する専門部署の活躍を描いたミステリ小説である。

「そうだ。…実は楽しみに読んでいたのだが、連載が中断しているので残念に思っていてな」

 すると、ディウルナは小さく肩を落とした。

「いや、あれを書いている者が、反応が芳しくないので書く気が失せた、と申しているのです」

「なんだと、あれほど面白いのにか」

 信じられない、といった様子でカンデラは腕を組んだ。その様子が可笑しいのか、ディウルナも肩をすくめて笑った。

「どんな名作も、知られなければヒットしません。カンデラ殿から推薦文を頂ければ、人気に勢いが出るかと思いますが」

「おお、そういう事であれば喜んで…」

 そう言って身を乗り出したあと、カンデラは咳払いして姿勢を正した。

「いや、それは別な話だ。今回来たのは他でもない。素人研究でひとつ、引っ掛かっている事があってな」

「ほう」

 ディウルナは、いかにも関心がありそうな様子だった。若干身を乗り出して、話の続きを促す。

「一体、どのような問題が?」

「単刀直入に訊ねる。貴官は、かつて…一万年以上前の氷巌城に乗り込んできたという、金髪の人間の女剣士について、何か知っているか」

 ディウルナの肩がピクリと動いた。

「錬金術師ヌルダから訊いた話だ。奴もその正体までは知らぬようだが、その女剣士は黄金の鎧をまとい、この氷巌城に乗り込んできて、炎を放つ黄金の剣で、氷魔皇帝にまで戦いを挑むほどの実力だったという」

「ほう」

「似ておると思わぬか」

 そう言ってカンデラは黙った。ディウルナは手を伸ばし、近くのテーブルに置いてあった、広報のバックナンバーを手に取る。そこには、黄金の鎧に身を包んだ侵入者、百合香の写真が載っていた。ディウルナは短く答える。

「確かに」

「だろう。そして、確かにあのユリカと名乗った娘は、この私の剣を受け止めた。慢心と受け取ってもらって結構だが、この私の剣を受け止めることが出来る者など、この氷巌城にも数えるほどしかおらんだろう」

「ふむ」

 カンデラの指摘を受けて、ディウルナは手を組んで考えた。カンデラは続ける。

「不意を突いた私の前に敗れこそしたが、勝負の結果は必ずしもその実力を反映するものではない。断言しても良いが、あの少女の実力は並大抵ではない。そして、あの炎の剣。何から何まで、かつて現れたという金髪の剣士と酷似している。いや、同一と言った方がよいだろう」

 長々と語るカンデラの意見に、ディウルナがようやく反応を見せた。

「しかし、すでに彼女は死んだ身。ほかならぬカンデラ殿ご自身が、怪物に喰われる様子をご覧になったのではありませんか」

「それは確かにその通りだ。あの少女剣士はすでに死んだ。だから、これは純粋に私の好奇心だと受け取ってくれて構わない。…あの、私と戦った金髪の少女剣士が、一体何者だったのか。私はそれを知りたいのだ」

「それで、図書館に足繁く通っておられたと」

 ディウルナに言われて、カンデラは笑いながら頭をかいてみせた。

「いや、武官の私があんな所に通い詰めれば、やはり噂になるか」

「知識を求めるのは素晴らしい事ですよ。武官だ何だという括りは関係ない」

 そう言うと、ディウルナはふいに立ち上がる。

「カンデラ殿。その、謎の女剣士についても確かに謎ではある。しかし、それに匹敵する謎があるとは思いませんか」

「なに?」

「その女剣士、時の皇帝と相まみえ、どうなりました?」

「そ、それは…ヌルダからの伝聞によると、皇帝に腹を突かれて死んだ、という記録が残っているそうだが」

 そこまで聞いて、ディウルナはカンデラを振り向いた。

「その後は?」

「なに?」

「その後は、どうなったのでしょうな」

 ディウルナの問いかけに、カンデラは答える事ができなかった。その後に起きた事など、ヌルダからも説明はなかったのだ。ディウルナは続ける。

「おそらく、その女剣士は時の氷巌城にとって、最大にして最後の敵だった事は想像に難くない。つまり、その時点で氷巌城は事実上、人間に対して勝利を収めたという事になるはず」

「それは、そのとおりであろうな」

 

「では、なぜその後、氷巌城は滅んだのでしょうな?」

 

 そのごく短い問いは、カンデラに対して何らかの疑念の種を植え付けるに十分だった。



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アルマンド

「人類に勝利したはずの我らが滅びた理由…?」

 カンデラは改めて考えた。しかし、即座に答えは出ない。そこへ、ディウルナが助け舟を出した。

「氷巌城のエネルギーは、凍結させた人間たちから得ている。これはもちろん、ご存知ですね」

「う…うむ」

 それくらいは知っていると、カンデラも頷いた。

「では、その人類のエネルギーを食い尽くせば、この城はどうなると思いますか」

「む!?」

 それは、呆れるほど単純な話だった。

 

 はるかな過去、人類に勝利したはずの氷巌城はなぜか滅び、それから数千年、再び人類に発達した文明が花開いた。それからさらに数千年、人類は非常に複雑な科学文明を発展させた。そして今また、氷巌城が出現した。

 

 氷巌城が存在するには、凍結させてそのエネルギー源とする人類が存在しなくてはならない。しかし、人類の生命エネルギーを食い尽くせば氷巌城は自らの存在を維持できなくなる。ほんの少し考えれば、誰でも疑問に思い至る矛盾ではあった。

 カンデラは、自分自身そうした謎について思い至らなかったという事実そのものに、軽いショックを感じていた。自分たちは何も考えず、ただ皇帝陛下に忠義を尽くせばよいのではなかったか。

 その時思い出したのは、第一層の謎の怪物を討伐しようと試みて死亡した、と報じられている、氷騎士バスタードの事だった。バスタードはかつて、あろうことか皇帝側近ヒムロデに向かって、氷巌城の在り方への疑問を唱えたのだ。

 それを訊いたカンデラは、忠誠心に篤いと思っていたバスタードが皇帝陛下に異議を唱えるなど、信じられないと感じていた。

 だが、今こうしてディウルナからシンプルな問いを投げかけられ、自分の認識に微かな揺らぎが起こるのを否定できないのも確かだった。

 

「いや、まあそれは今の話の本質とはズレていましたかな。忘れてください」

 唐突にディウルナが話題を軌道修正したので、返答に窮していたカンデラもまたハッと我に返って頷いた。

「う、うむ。そうかも知れんな」

「過去に現れた金髪の女剣士。確かに、私も聞き及んでいながら、今までその正体について、深く考えた事はありませんでした」

 ディウルナは再び椅子に座って、カンデラと向き合った。

「図書館の書物には、それについての記述はなかったのですか?」

「まあ、ある本を全て読んだわけでもないからな。まだ開いていない本に記述があるのかも知れない。それに、私では読めない禁書もだいぶ存在する」

「禁書ですか」

 その単語にも、ディウルナは興味がありそうだった。

「そうだ。封印が施されており、開く事ができん。司書の話だと、一部の者のみが閲覧を許されているそうだ」

「一部の者とは?」

「さあな。まあ、皇帝陛下であれば紐解けるのかも知れん。だが、いち臣下が好奇心のために、陛下に書物を開いてくれと頼むわけにもいかん」

 カンデラは溜息をついた。その様子を、ディウルナは可笑しそうに眺める。

「カンデラ殿は、あんがい研究者の資質がおありなのかも知れませんな」

「いやいや、それはあるまい」

「ははは。しかし、確かにその女剣士、興味があります。私の情報源から何か掴めないか、探ってみましょう」

「おお、そう言ってくれるか。ありがたい」

 カンデラは身を乗り出して喜んでみせた。

「私は引き続き、図書館の資料を当たってみよう」

「そうですか。ではカンデラ殿、ひとつ調べるうえでアドバイスを差し上げてよろしいか」

「うむ?おお、何なりと」

 立ち上がりかけていたカンデラは、再び腰を降ろして話を聞く。

「歴史書だけを調べても、求める情報が得られるとは限らないかも知れません」

「どういう事か?」

「その女剣士は、常に炎のようなオーラをまとっていたそうです。おそらく、そのために氷巌城の冷気の中でも、凍て付くことなく活動できたのでしょう。しかし、私が知っている限り、そのような人間など存在しません」

 そう言われて、カンデラは黙り込む。そこへ、ディウルナは思考を促すための問いを投げかけた。

「常に炎のエネルギーをまとう存在。それは、はたして本当に、人間だったのでしょうか?」

 

 

 

 第二層、百合香たちが待機しているアジトからだいぶ離れたエリアの通路を、マグショットはいつもの二足歩行ではなく、猫らしい四本脚で走っていた。

「おかしい。さっきの雑魚どもは何だったのか」

 オブシディアンによく似た数体の氷魔拳士を倒したあと、いよいよ目的のエリアに到達したと思っていたマグショットだが、いくら進んでも、造花で装飾された華麗な通路が続くだけである。

 何かがおかしい、と思ったマグショットは、立ち止まると周囲に神経を尖らせた。そして、左手の壁を拳の裏でコンコンと叩きながら、ゆっくりと移動する。

「むっ」

 マグショットは、一箇所の壁に何か違和感を感じて、立ち止まると拳に微かに気を込めた。

 青白い光が壁を照らす。すると、ひとつのポイントに強い反応があった。直立したマグショットの背丈より、わずかに高い位置だ。

「ここか」

 マグショットは軽くジャンプすると、そのポイントにエネルギーの塊を放った。すると、その隣にある凹んだスペースに置いてあった大きな花瓶が魔法のように消え去り、空いたスペースの壁面に、両開きの豪奢な扉が出現した。

「なるほど」

 マグショットは扉の前に立つと、再びジャンプして把手を握り、勢いよく引いた。扉は音もなくスムーズに開き、その奥には華麗なホールが広がっていた。

「……」

 注意深く足を踏み入れる。すると、上半身が中に入ったタイミングで、扉が閉じ始めた。

「!」

 マグショットはすぐにホール内に飛び込むと、構えを取って警戒する。その後ろで、扉が重い音を立てて閉じられた。

「当然か」

 低く呟くと、ホールを見回す。あたかもダンスフロアのような広さで、壁も天井も装飾は華麗だが、四隅に太い柱が立つのみで、調度品の類は一切ない。

「ダンスフロアというよりは、闘技場だな」

 聞こえよがしにマグショットの声が響く。だが、それは伊達に発したのではない。

「この響き具合からして、いるのは40人程度か。姿を現すがいい」

 言いながら、マグショットは何ら恐れる様子も見せず、ホールの中央に進み出て腕を組んだ。すると、それまで何もいなかったはずの空間に、ドレスをまとった少女氷魔たちが突如として出現した。その中の、ひときわ華麗なドレスをまとう一人がマグショットの前に進み出る。どことなく瑠魅香に似た容姿で、薔薇の髪飾りが印象的だった。

「よくぞ我々が潜んでいる事を見抜かれました。わたくしの名はアルマンド。お初にお目にかかります」

 どうやら、この一団のリーダー格がこのアルマンドという少女氷魔らしかった。マグショットは低い声で答える。

「気配を殺した者が潜む空間には、それはそれで独特の緊張があるものだ」

「さすがはマグショット様。わが主と互角に戦えるだけの事はございますわ」

「世辞を言うために雁首を並べて現れたわけでもあるまい」

 わずかに構えを取ってみせるマグショットに、アルマンドは笑った。

「ふふふ、もちろん」

 そう言うと、全員が重ねてまとっていたスカートを剥ぎ取り、太腿が露わなミニスカート姿になった。

「ここまで歩かれてお疲れでしょう。ごゆっくりとお寛ぎください。永遠に!!」

 すると、まず左右から6人ほどの氷魔が飛びかかり、一斉に蹴りを放ってきた。

「はっ!」

 マグショットは跳躍してそれをかわす。しかし、待ち構えていた別なグループがそこへ飛び蹴りを放った。

「おあたぁ!!」

 強力な回転蹴りでそれをまとめて払うと、マグショットは真下にいた氷魔の首に、縦回転の手刀をお見舞いした。

「狼爪断!」

 一撃で少女氷魔の首は刎ね飛ばされ、鈍い音を立ててホールの床に転がった。

「次はどいつだ。首を刎ねられたい奴から出て来るがいい」

 着地し、多数の氷魔をまるで恐れる様子も見せず挑発する。しかし、相手もまた怯む様子はなかった。

「えやあ―――っ!!」

 今度は、一斉にローキックを放ってくる。再びそれを跳躍してかわすマグショットに、やはり同じように蹴りの第二波が飛んできた。

 するとマグショットは、その蹴ってきた脚のひとつを踏み台として、さらに高く跳躍する。

「なにっ!」

 驚く氷魔たちに、マグショットは上空からエネルギーを込めた横回転の蹴りを放った。

「竜旋脚!!」

 高速の回転とともに唸りを上げる旋風が、床面をえぐりながら、多数の少女氷魔を巻き込んだ。ドレスは千切れ、手足や胴体が捻じ折れて、ホールに無惨に散乱する。風が収まったところに、マグショットは静かに着地して合掌した。

「まだ手向かうか」

 今の一撃で、すでに三分の一の氷魔が骸と化したのを見て、マグショットは凄んだ。

「このまま、お前達の主のもとへ黙って通すなら見逃してやる。さもなくば、死を覚悟することだ」

「とんでもない。今のはほんのご挨拶。おもてなしは、これからですわ」

 アルマンドが手を鳴らすと、先程とは違う一団が進み出た。ドレスではなく、ヴィクトリアン様式のメイドのような格好をしており、左手にはトレイを持っている。

「お客様にお茶を」

 アルマンドが命じると、メイド氷魔たちの持つトレイに、ティーセットが出現した。すると、そのティーカップやソーサーが、突如として高速回転し、マグショットめがけて飛んできた。

「むっ」

 そのスピードと、翻弄するような動きにも、マグショットは動じる事なく対応した。どこからともなくヌンチャクを取り出すと、流れるような動きで全て叩き壊してしまったのだ。

 だが、次にはそれらを載せていたトレイが、ブーメランのような軌道を描いて四方八方から飛来した。すると、マグショットは一瞬で全ての動きを見切り、まず一枚のトレイをヌンチャクで上方に跳ね上げた。

「ホァッ!」

 跳ね上げられたトレイは、もう一枚のトレイに激突し、その軌道を変える。それはさらに別なトレイに当たり、連鎖的にほぼ全てのトレイがマグショットを避けてしまった。

「ホオーッ!!」

 残りの一枚を蹴り返すと、それはアルマンド目がけて飛んでゆく。アルマンドは微動だにせず、トレイは横に控えていたドレスの少女氷魔によってキャッチされた。

 手にしていた武器を全て失ったメイド氷魔たちは、今度はスカートの内側に隠してあったテーブルナイフを一斉に投擲してきた。マグショットは避けるのも面倒になったのか、かわそうともせず気を込める。

「はあぁ――――!!!」

 マグショットが気を全方位に放つと、ナイフは逆方向に弾かれ、投げたメイド氷魔たちの喉笛を貫通した。メイドたちは声もなく、その場に崩れ落ちた。

「もう一度だけ言う。貴様らでは俺には勝てん。無益な事は諦めて、主の下へ黙って通せ」

 さすがにこれだけの実力差を見せつけられて怯んだのか、少女氷魔たちは動きを見せなかった。

「ふむ」

 アルマンドは一歩進み出ると、手で少女たちに合図をした。

「あなた達は控えていなさい。もしわたくしが敗れたのなら、マグショット様をご案内して差し上げるように」

 命じられた少女たちは、無言でホールの両脇に下がる。アルマンドは、マグショットの前にカツカツと床を鳴らして進み出た。

「ロードライト様の護衛を仰せつかっている以上、退く事はできませぬ。極仙白狼拳のマグショット様、相手にとって不足なし。いざ尋常に勝負!」

 アルマンドは、脚のリーチを前後に広げ、両掌を前方に突き出した、独特の構えを見せる。マグショットはそこにアルマンドの本気を見て取り、合掌して小さく礼をしたのち、自らも構えを取った。

「よかろう」

 マグショットの全身に気が満ちる。それに呼応するように、アルマンドもまたオーラを立ち上らせた。

 

 両者は、微動だにせず機を窺う。恐ろしいまでの緊張が、広いホールを支配した。

 その静寂を破ったのはマグショットだった。一瞬でアルマンドの懐に飛び込むと、その腹に向けて強烈な突きを繰り出す。並みの氷魔であれば、一撃で打ち抜かれてしまうほどの拳だった。

 だが、アルマンドは予想外の動きを見せた。

「はっ!!」

 アルマンドは一歩引くと、マグショットの拳をゆるやかに逸らせ、逆にその腕を掴んできたのだ。

「むっ!」

「せえぇ――――いっ!!!」

 その腕を掴んだままマグショットの身体を持ち上げ、そのままアルマンドは硬い床に向けて背負い投げを食らわせた。それはマグショットの予想を超えた速さであった。

「ぐおっ!!」

 どうにか受け身を取るマグショットだったが、バランスを崩した所にアルマンドの肘鉄が飛んでくる。避けるのは不可能とみて、マグショットは腕を交差させてそれを受け止めた。

「ぐっ…!!」

 マグショットの全身に衝撃が走る。咄嗟に、危険を感じてその場を飛び退ると、間髪入れず今度は蹴りが飛んできた。すんでの所でかわすとマグショットは瞬時に構え直し、再び両者は距離を置いて睨み合った。

「なるほど。俺はお前を甘く見ていたようだ」

「さすがはマグショット様、並みの相手であればすでに全身を打ち砕かれていたでしょうに」

 今度はマグショットも、うかつには手を出さない。

「お前の拳もまた、あの女によく似ている。しかしわずかに異なるようだ」

「むろんです。わたくしには、わたくしの戦い方がございます」

 言いながら、アルマンドは少しずつマグショットとの距離を詰め始めた。マグショットは警戒し、後退する。しかし、その瞬間を狙っていたかのようにアルマンドは、一気にリーチを詰めてきた。

「はああ――――っ!!!」

 腰を低く、這うような動きでマグショットの前面まで躍り出ると、腕を床について強烈な足払いを仕掛ける。マグショットはそれを飛び上がってかわすと、アルマンドの背中に回し蹴りを放った。

 だが、アルマンドは足払いで回転している脚を、そのままブレイクダンスのように上方に向けてきた。

「ぬっ!!」

「せやっ!!」

 両者の脚が激突し、衝撃波が走る。互いにその場から一歩後退すると、今度はそれ以上の距離を取らず、再び踏み込んで蹴りと蹴りの応酬が始まった。

 マグショットの脚は猫である以上、どう考えてもリーチが短く不利なはずである。しかし、その蹴りの重みは凄まじく、また小さいぶんスピードは明らかに上であるため、重い蹴りが連続で襲いかかってくるところに恐ろしさがあった。アルマンドはその蹴りを二発、三発と受け、危険を感じて戦法を変える。

「はっ!!」

 マグショットの蹴りを、受け止めるのではなく流すように腕で払う。マグショットの胴体がガラ空きになった隙を逃さず、アルマンドはひざ蹴りを繰り出した。

 だが、マグショットはすでにその動きを予測していた。

「なに!!」

 アルマンドが驚いたその時には、すでにマグショットは全身を回転させ、ギリギリの所でひざ蹴りをかわし、アルマンドの横に出ていた。

「おあたぁ!!!」

 滞空したまま、マグショットはアルマンドの腰椎に回し蹴りをくらわせる。

「ぐぁぁ――――っ!!」

 アルマンドは声を上げ、激しく床に叩きつけられてうずくまった。マグショットは静かに着地すると、その背中に向けて言い放つ。

「お前の拳は受け身の拳だ。こちらが仕掛けたのを狙って受け流し、隙を見出す所に極意がある。だが逆に、こちらにお前の動きを予測された時は、対応できなかったようだな」

「私があなたの攻撃を受け流す事を予測し、逆に私が隙を作る事になった…ふふふ、なるほど…」

 アルマンドは、ヨロヨロと立ち上がる。

「やめろ。腰椎に深刻なダメージを負った今、お前に勝ち目はない。お前を愚弄するつもりはない、もう動くな。命は取らないでおいてやる」

 マグショットの言葉に、偽りはなかった。しかし、アルマンドはそれを理解したうえで、なおも立ち上がる。

「私は、ロードライト様の衛士…仰せつかった役目は最期まで貫き通す!!!」

 アルマンドは、マグショットに真っ正面から勝負を挑んで接近した。マグショットはそれを受け、本気で迎え撃つ。

「極仙白狼拳奥義!!」

 マグショットの右拳に、青白いエネルギーが一瞬で集束し、それを一気に前方に突き出した。

「牙狼疾風!!」

 レイピアのような細いエネルギーの刃が、アルマンドの胸を一瞬で打ち抜く。氷魔の持つ生命の中核部分が破壊され、アルマンドは無言で背中からその場に倒れると、二度と動く事はなかった。

「見事な腕前であった。アルマンド、その名は覚えておこう」

 マグショットは氷の亡骸に深く礼をしたのち、静かに合掌した。



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ロードライト

 マグショットはアルマンドへの弔いを終えると、ホールの奥を振り向いた。

「俺が憎ければ、全員でかかってくるがいい」

 両脇で控えるアルマンド配下の少女氷魔たちに、悪びれもせず言い放つ。すると、一人の少女が静かに言った。

「アルマンド様は、もし自分が負けた場合、あなたを主のもとへ通すように言われました。その命令に従うまでです」

「そうか」

「こちらの扉をお通りください。そのまま進まれますと、大階段のある広間に出ます。階段を登って正面の扉を開けると、我らが主、ロードライト様がおわす間に到ります」

「わかった」

 マグショットは、少女が示した両開きの扉の前に進んだ。扉の前でいったん立ち止まると、振り返ることなく言った。

「アルマンドと俺が倒した者らの亡骸、丁重に葬ってやるがいい。いずれその魂も、この城の軛から解放される日が来る」

「…それは、どういう意味でございますか」

「言ったとおりの意味だ」

 それだけ言うと、マグショットは重い扉を開けて、その奥へと進んで行った。残された少女たちは、弔うという言葉の意味を何となく理解したようで、まずアルマンドの亡骸を丁寧に寝かせる事から始めたのだった。

 

 ひとり、華麗であっても物寂しい通路を歩きながら、マグショットは考え込んでいた。

「強さ、とは何であろうな」

 その時頭に浮かんだのは、ひとり氷巌城に乗り込んできた人間の少女、百合香の事だった。

「百合香は強い。だが、同時に脆さもある。事実、俺達がいなければすでに、凍て付く屍になっていただろう」

 しかし、とマグショットは思う。

「仮にあいつが現れていなかったなら、やはりこの氷巌城もここまでの事態になってはいまい。凍て付いた城を揺るがす存在…まるで、氷山を溶かす太陽のようだな」

 ひとりごちるマグショットの脳裏に、サーベラスの呟きが思い起こされた。

 

『あいつは一体、何者なんだ?』

 

 マグショットも、同じ疑問を抱いている事は否定できなかった。百合香とは一体、何者なのか。

「…考えても仕方ないか」

 ぽつりと言うと、立ち止まって気持ちを整える。目の前には、まだ長い通路が続いていた。

 

 

 第三層の図書館に、もはや常連となった水晶騎士カンデラが、今日も訪れていた。だが、いつものように氷巌城の歴史書を収めた部屋の鍵を取り出した司書の女氷魔を、カンデラは手で制した。

「まだ開けずともよい。先に、別なものを調べたいのでな」

「あら、興味がお薄れになりました?」

「いや、そうではない。調べたい事に関連する事柄なのだ。…氷魔や、精霊に関する資料というのはどこにある?」

 その問いに、司書は一瞬黙り込む様子を見せたが、すぐに答えは返ってきた。

「こちらです。ご案内いたしますわ」

「うむ。…ところでな、今さらだが貴官の名は何といったか」

 カンデラは、いいかげん「司書」と呼ぶのも面倒なので、階級的には部下になる図書館司書の名を、この機会に覚える事にした。司書は笑いながら、顔を覆い隠す前髪をよけ、名を名乗った。その顔は目元が仮面のようであり、口元だけは柔軟性を持ち、表情がわかるようになっていた。

「はい。わたくし、この図書館があるエリアの守護を仰せつかった氷騎士、トロンペと申します」

 

 トロンペに案内されたエリアの棚を、カンデラは適当にまさぐってみた。様々な本があるが、「精霊」というキーワードに引っかかるタイトルを選んでみる。

「"精霊の世界"…"生命と精霊"…"精霊大百科"…」

 タイトルだけ見てもよくわからないので、とりあえず三冊選んで机に座った。

 最初の二冊は、数ページ開いただけで素人が読めるものではないと瞬時に悟った。精霊の事を知りたいのに、知性とは何かだの、哲学じみた話から掘り下げ始められても理解が追い付かない。

 カンデラは早々にその二冊を閉じ、「精霊大百科」なるシンプルな題の厚い本を開いた。これは図解つきで、さまざまな精霊について解説している、比較的わかりやすい本だった。

「ふむ」

 ペラペラとページをめくる。世界に存在する様々な精霊、たとえば土に棲む精霊だとか、水の精霊、大気の精霊など、そして氷魔と繋がりが深い氷の精霊についても書かれている。精霊は、決まった姿を持つものもいれば、曖昧なもの、全く姿を持たないものもいるという。

「我々氷魔の大元である氷の精霊は、比較的姿が曖昧か、あるいは全くないものが大半を占める…なるほど、だから氷魔として顕現する際には、人間の姿を模倣するのだな」

 装丁の重厚さのわりには読みやすくまとまっており、カンデラは本来の目的を忘れて、興味深く読みページをめくっていった。

 だが、ある項目の大見出しに、カンデラは軽い驚きを覚えた。

「!?」

 その見出しは、それまで考えた事もないものだった。真っ白なページの真ん中に、太い書体で見出しが書かれていた。

 

 『太陽と惑星に棲む精霊』

 

「太陽と惑星に棲む精霊…?」

 カンデラは、見出しをそのまま読み上げる。なぜか、その先を開くのがカンデラには恐ろしく思えて仕方なかった。

 

 

 

 静寂に包まれた通路を、マグショットが進む。やはり猫であるため、足音もほぼ無音である。

「ここか」

 通路が終わり、その先には少女氷魔が言ったとおりの、中央に大階段が伸びたホールが広がっていた。大階段の両脇にも扉がある。しかし、マグショットの目的は大階段を登った先にいる相手である。

 ホールには何者の気配もないことを、マグショットは確認した。

「……」

 まだ先には進まず、床、壁、天井をよく観察する。そしてマグショットは、入り口の両脇に飾られている花瓶をひとつ掴むと、大階段の手前にドンと投げた。花瓶は盛大に割れ、床に散乱する。

 すると、花瓶が床に落ちた衝撃とともに、床下から長い無数の槍が飛び出した。

「ふん」

 マグショットは鼻白んだ。

「相変わらず見え透いた真似をする。見破られるとわかっていながら、ご苦労なことだ」

 槍が引っ込んだのを確認すると、マグショットは何ら警戒する様子も見せず、前に進み出た。すると、左右の壁や天井、床から、矢、槍、球の類が雨あられと襲いかかってきた。

「大層なもてなしだ」

 言いながらマグショットはその全てを見切り、ゆるやかにかわしながら大階段の最下段まで到達した。階段に足をかけた瞬間、猛然と上に向かって駆け出す。するとマグショットが走り出したと同時に、大階段は最下段から順に、上に向かって崩壊を始めた。その速度はマグショットが走るスピードに比べれば、取るに足りないものである。

 もはや悪態をつくのも面倒になったマグショットは、階段を登った先に見える両開きの扉に向かって、悠然と歩いて行った。

 

 マグショットが扉に近付くと、扉は音もなく開いた。

「……」

 扉の奥の広間は、左右に青紫の水がきらめく池があり、その手前に華美なデザインの柱が並び、柱の間には氷の百合や薔薇が生けられた花瓶が置かれていた。その間に敷かれた絨毯の先に、豪華な椅子が置かれている。だが、誰も座ってはおらず、閉じられた傘を持った、ドレスの少女の人形がその上にぽつんと座らされていた。

「以前に相まみえたのは何百年前だったか。全く変わっておらんな」

 誰もいない広間に、マグショットの低い声が響く。すると、椅子に置かれていた人形が突然動き始め、椅子を降りてトコトコと歩き出した。椅子の左右の柱の陰から、ドレスを着た少女氷魔が一体ずつ現れ、人形に付き従うように陣取る。明らかに、マグショットに対して警戒していた。

「あなた達は下がりなさい」

 ゆったりと巻いたツインテールの人形がそう言うと、氷魔たちは静かに一歩下がる。

「お久しぶりです、マグショット様。お変わりないようで、安心いたしましたわ」

「それはこっちのセリフだ。安心、という文言を除いてな」

「相変わらずですこと」

 そう言いながら、さらに前に進み出る。

「お噂は聞き及んでおりましたわ。城に楯突く謎の拳士がいると。そのような御仁、あなた以外におりません。いずれ、こちらにおいでになると楽しみにしておりました」

「貴様はどうなのだ、ロードライト。玉座まがいの椅子に座って、まるで女王だな。さては王位でも簒奪するつもりか」

 マグショットの放った冗談に、ロードライトと呼ばれた人形は一瞬黙って、小さく笑い始めた。

「ふふふ、面白いこと」

「俺はこんな城の犬になる気はない。この城は落とす」

「そのような事が可能だと?」

「答えにはなっていないが、不可能と思っている者には永遠に不可能だろうよ」

 マグショットの堂々たる態度に、ロードライトは小さく唇の端を上げた。マグショットは再び問いかける。

「もう一度訊ねる。ロードライト、貴様は氷魔皇帝の臣下の座に甘んじるつもりか」

「だとしたら?」

「この場で倒す」

 一切の迷いを見せず、マグショットはそう言い放った。

「答えを聞かせてもらおう」

「かつて、あなたが言われた事をそのままお返しいたしましょう。我ら、武に生きる者に言葉は無用。否、拳こそが我らの言葉」

 そう言うとロードライトは、傘の先端をマグショットに真っ直ぐ向けた。

「答えは我が拳にお訊きなさい」

「よかろう」

 マグショットもまた、構えを取ってロードライトの目を見据える。少女氷魔たちは、壁に下がって控えていた。

 荘厳華麗にきらめく氷の広間で、マグショットとロードライトは無言で対峙する。その静寂の中には、凄まじいまでの緊迫感が満ちていた。

 両者の対峙は、永遠に続くかと思われた。だがその静寂は、寸分の差もなく同時に振るわれた両者の拳で破られた。

「ええ――いっ!!」

「おあたぁ!!」

 二人が動いた瞬間、広間の気圧が変化し、風が巻き起こった。池の水面が揺れる。

 互いに繰り出された拳と拳が真正面から激突し、衝撃波が空間を揺るがした。

「その拳、いささかも衰えてはおらぬようだな」

「あなたこそ」

 二人はニヤリと笑い、離れていったん距離を置く。しかし、間髪入れず再び両者は接近した。

「せいや――っ!!」

「ふん!!」

 今度は、蹴りと蹴りの応酬が始まった。脚がぶつかり合うごとに、雷のようなエネルギーの衝突が起こる。その重みで、床に亀裂が入った。

 マグショットはごくわずか一瞬、時間にして0.01秒にも満たない、ロードライトが見せた隙を突いて、胴体に蹴りを入れた。しかし、ロードライトはそれを、傘の柄で絡め取るようにして防いだのだった。

「!」

 よもやかわされるとは思わなかったマグショットは、そのままロードライトの傘の柄で脚をひねられ、後方に投げ出されてしまった。

「うおっ!」

 マグショットがバランスを崩したその隙を逃さず、ロードライトは傘で突きを入れてきた。マグショットはギリギリでかわすものの、ジャージが裂ける程であった。

「うぬ!!」

 身体を反転させ着地すると、マグショットは二本のサイを取り出して傘を受け止めた。

「さすがです、マグショット。並の相手であれば、今頃この傘に貫かれて息絶えていたでしょう」

「俺の蹴りにここまで完璧に対応できる者もいない。さすが、この俺の片目を奪っただけの事はある」

「懐かしいこと」

 ロードライトはマグショットの左目の傷を見た。それはかつて、ロードライトの傘によってつけられたものである。

「あの戦いの最中、今回ほど巨大ではなく不完全だった氷巌城は、その姿を維持できないまま消滅してしまった」

「俺達の決着がつかないままな」

「しかし今、この強大にして堅固なる氷巌城が再誕した。決着をつけるのは、今をおいて他にありませんわ」

 ロードライトの目が紅く光る。

「望むところよ。俺はそのためにここに来たのだ」

 マグショットは、ロードライトの傘を跳ね上げると後退し、両腕を交差させて張り出すようにサイを構えた。サイの刃に青白いエネルギーがゆらめく。

 ロードライトもまた、突き出した傘に紅いエネルギーを満たした。それはまるで炎のようだった。

 一瞬の緊張のあと、両者は跳躍して互いの技を繰り出した。

「双爪十字斬!!」

「ガーネットクラッシュ!!」

 二本のサイと傘のエネルギーが激突し、目も眩むほどのスパークが起こる。青白い稲妻と、血のように紅い竜巻が、空間にエネルギーの嵐を巻き起こした。柱や天井にまで、わずかに亀裂が入る。

「うぬうう!!!」

「くっ…!!」

 両者の力は完全に互角だった。そのエネルギーに耐えきれず、二本のサイと傘は同時に折れ、砕け散ってしまった。

 マグショットとロードライトはエネルギーが弾けたタイミングで飛び退り、拳の構えを取る。

「強い…以前より」

 ロードライトは感嘆する様子で言った。髪飾りにヒビが入ったかと思うと、音を立てて床に落ちる。

「貴様もな。まるで何かを決意したかのような強さを感じる」

「……」

「俺も、そういう奴を一人知っている。たった一人で戦いを始め、決意するたびに強くなる。そういう戦士だ。今のお前の目は、あいつの目によく似ている」

「あなたに、そこまで言わしめる相手など、この氷巌城に他にいるとは思えません。件の、侵入者の少女ですね」

 ロードライトの唇がわずかに歪む。

「口惜しいわ。あなたにそれほど言わしめるなんて」

「会ってみたらどうだ。案外、お前と気が合うかも知れんぞ」

「戯言を!!!」

 ロードライトは一瞬でマグショットの懐に飛び込み、傘を捨てて自由になった両手で高速の突きを繰り出した。マグショットはそれをいなすように逸らし、受け止める。

「ロードライト、お前の拳は何かに唯々諾々と付き従う者の拳ではない!意志を持った者の拳だ!」

「黙りなさい!!」

「お前は、何のために強くなりたいのだ!!」

 マグショットの一喝に、ロードライトは拳を止めて一歩下がった。拳を下げ、睨むようにマグショットの目を見据える。

「…そんなこと、わたくしには解らない」

 震える声でロードライトは言った。

「かつて、あなたの戦いを見た時、私はあなたの拳に美を見出した。まるで舞のようだと思った。それまで、踊る人形として美しさを誇っていた己の何かを、打ち砕かれた思いだった」

 ロードライトの呟きを、マグショットは黙って聞いていた。

「美しさとは何なのか、私はわからなくなった。だから私は、あなたを倒さなくてはならないと思った。絶対に」

「ロードライト」

 マグショットは静かに言った。

「お前は俺と同類だ。自分の在り方に、常に疑問を抱いている。その謎を解くために、高みを目指そうとする」

「……」

「俺がここに来たのは、決着をつけるためだ。俺とお前が、互いに道を見付けるために、それぞれの決着をつけるために、ここに来た」

「それぞれの、決着?」

 その言葉は、ロードライトに理解しがたい何かをもたらしたようだった。

「そうだ。強さとは何か。何のために強くあるのか。心に迷いがあるうちは、今より強くなる事などできん」

「なればこそ、わたくし達は闘う以外にない。決着がつくまで」

「どちらか、あるいは両者がここに斃れる事になる。それでも構わんのだな」

 マグショットの問いかけに、ロードライトは真っ直ぐな瞳を向けた。

「覚悟のうえです」

「…わかった」

 そう言うとマグショットは、改めて拳を構えた。それまでの構えとは違う、両腕で三日月を描くような構えだった。

「極仙白狼拳のマグショット、奥義を尽くしてお前の覚悟に応えよう」



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 マグショットが本気の構えを見せたのに呼応して、ロードライトはあたかも舞踊家が舞う直前のように、凛とした構えを取る。

「その本気の実力は水晶騎士にすら匹敵するとさえ言われる、拳士マグショット。闘えて光栄ですわ」

 ロードライトの言葉に飾りはなかった。マグショットと拳を交える事に、心の底から誇りを抱いていた。

「参る!!」

 先に仕掛けたのはロードライトだった。信じられないほどの速度でマグショットのわずかに右側に回り込むと、見惚れるような華麗な回転蹴りをその胴体めがけて叩き込む。

 が、マグショットはその回転に対して、逆回転することで衝撃を吸収した。

「あっ!」

「ほあたぁ!!」

 勢いを削がれたところに、マグショットの強烈な裏拳が炸裂する。

「あがぁっ!!」

 ロードライトは激しく弾き飛ばされ、花瓶ごと柱に叩きつけられた。氷の百合や薔薇が散乱する。

「ぐっ…」

 ヨロヨロと立ち上がり、ロードライトは素早く構えを取る。花瓶がクッションの役割を果たしたおかげで、致命的なダメージは負わずに済んだようだった。

「さすがです…マグショット」

「…お前もな」

 マグショットは、左腕の裂けた袖を示した。マグショットが仕掛けた瞬間、ロードライトもまた見えない蹴りを放っていたのだ。

 だがロードライトは、マグショットの動きに警戒した。なぜなら、マグショットが取った動きは、ロードライトの用いる拳法によく似ていたからだ。

「マグショット、あなたはわたくしの拳法を…」

「相手から学び、盗む事も極意の一部だ」

「ふ…」

 ロードライトは、不敵に笑いながら少しずつマグショットとの距離を詰めた。

「その言葉、そっくりそのままお返しいたしますわ!」

 言ったが早いか、ロードライトは全身に込めた気を両腕に集中させ、交差させるように放ってきた。それは風の刃となり、マグショットを挟撃する。

「むっ!」

 その軌道はブーメランのような弧を描いてマグショットの頭上を飛び越え、後方斜め上から交差するように襲いかかってきた。前方に避ければロードライトからの直接攻撃が待ち構え、左右に逃げてもやはり、どちらにも風の刃がやってくる。

「はっ!」

 マグショットは唯一回避できる、上方に高く跳躍した。しかし、まさにそれがロードライトの狙いだった。

 ロードライトはマグショットに合わせて跳躍し、紅いエネルギーを込めた踵落としを放つ。

「ガーネット・クロー!!」

 かわすのは不可能とみたマグショットは、両腕でガードしつつ縦回転の蹴りに対して、エネルギーを込めた回し蹴りで対抗しようと考えた。だが、ロードライトの方がわずかに先手を取ったため、防御のみに回らざるを得なかった。

「ぐっ!」

 強烈な一撃が、マグショットの交差させた腕に加わった。マグショットはその圧力で床面に叩きつけられ、凄まじい振動とともに、直径10mはあろうかというクレーターが形成される。

 もうもうと煙が立ち込める中から、さすがにふらつく様子でマグショットが現れる。ロードライトは、容赦なくそこに衝撃波を放った。

「はっ!」

 マグショットも、気の障壁でその攻撃をガードする。そして、続けざまにロードライトに接近すると、もはや音速を超えているのではないかというスピードで、無数のパンチを繰り出した。

「うあっ!」

 不意を突かれたロードライトは防戦する。しかしマグショットのパンチは無暗やたらに繰り出されたものではなく、確実にロードライトの急所を狙っていた。一撃でも喰らえば致命傷になりかねない。

 ロードライトは、自らもオーラを高めて力業でそのパンチを防ぐ作戦に切り替えた。エネルギーの消耗は避けられないが、致命傷を受けるわけにはいかない。

「はああ―――――っ!!!」

 ロードライトの全身に紅いオーラが燃え盛る。それに応えて、マグショットもまた蒼いオーラを漲らせた。

「おおお―っ!!!」

 二人のオーラが激突し、広間に激震が走る。柱は折れ、壁や床には大きな亀裂が走りはじめた。このままでは、広間が崩れ落ちるのは時間の問題に思えた。

 まったく互角の両者の対決は、なおも続く様相を見せていた。

 

 

 

「…マグショット!?」

 突然、百合香がそう言って立ち上がったのを、座り込んでいたサーベラスやリベルタが怪訝そうに見た。

「どうした」

「いま、感じなかった?ものすごいエネルギーとエネルギーの衝突」

「なに?」

 サーベラスは、百合香の言う事が理解できず、リベルタ達の顔を見た。リベルタ達も、首を傾げている。

「何か感じたの、百合香」

「うん…今の気はマグショットのに似ていた」

「どっちの方向?」

 真面目な顔でリベルタは訊ねた。

「そこまではわからない。でも、マグショットの気と一緒に、もうひとつのエネルギーも感じた。衝突してるような」

 そう語る百合香を、面々はまじまじと見ていた。すると、百合香の中にいる瑠魅香もまた、それに同意した。

『あたしも感じたよ。マグショットかどうかはわからないけど』

 百合香の背後から聞こえた瑠魅香の言葉に、さすがに一同は納得するしかなかった。オブラが百合香の前に、慌てた様子で進み出る。

「もしそれが本当なら、マグショット様が何者かと戦っているという事ですか!?」

「あいつは、”野暮用”があると言っていた…それと関係あるのかも」

 そう言うと、百合香は立ち上がる。

「ちょっと、百合香。まさかあなた行く気?」

 不安そうな表情で、ティージュが訊ねる。他の面子も同様だった。百合香は、全員の顔を見渡して言った。

「マグショットは、邪魔だてするなって言うかも知れないけど。やっぱり放ってはおけない。それに今、この中でまともに動けるの、私だけでしょ」

「そんな鎧で戦う気?」

 グレーヌの指摘に、百合香は身にまとった青銅色の頼りない鎧を見る。以前の、金色の鎧は見る影もない。

「…不安はあるけど。でもやっぱり、放っておけない。ごめん、みんな」

「待って」

 リベルタが突然立ち上がった。

「私も行く」

「だめよ、そんな体で」

「無茶はお互い様よ。それに、あなたには師匠の事で借りがある」

 リベルタの表情に迷いはない。百合香は、グレーヌたちに助けを請うように訊ねた。

「…私はリベルタに来いとは言えない」

 すると、グレーヌは溜息をついて笑う。

「最初から感じてたわ。あなた達、似た者同士よ」

「そうだね。こうなったら、私たちが何言っても無駄」

 ラシーヌもまた、呆れたようにお手上げのポーズを取ってみせる。すると、そこにもう1人参戦する声があった。

『わかる。やめとけって言ってるのに、行っちゃうんだよね。どこの誰とは言わないけどさー』

 瑠魅香のぼやきに、百合香とリベルタ以外の全員が声を上げて笑った。

「うるさいわね」

『ほら、出た。百合香の”うるさいわね”。おとなしそうな顔して、中身は手がつけらんないの、この子』

「うるさいわね!!!」

『わかった、わかった。行きましょう。さすがにイオノスみたいな化け物は、そうそう出てこないでしょ。それに、あのマグショットの事だから、心配しなくてもあたし達が行く頃には、もう敵を片付けてるかも知れないよ』

 なんとなく瑠魅香に仕切られる形で、百合香とリベルタが出て行く事が決まったようだった。

「じゃあ、それでいいのね、みんな」

 百合香に、グレーヌ達は頷く。

「わかった。じゃあ、行くよリベルタ」

「ええ」

 二人は拳をガツンと合わせると、アジトのドアを慎重に開けて通路に出たのだった。

 

 

 

 マグショットとロードライトの戦いは、さすがに互いがエネルギーを大きく消耗したため、双方ともに動きが鈍くなってきていた。

「このままだと、共倒れになるな」

 マグショットは不敵に笑う。ロードライトも同じだった。

「腹が立つほど互角ですのね」

 それは、皮肉でも何でもなかった。両者の実力は拮抗しており、もはや勝敗を分けるのは、運だけのように思えた。マグショットは、ボロボロになったジャージの裾を恨めしそうに睨むと、ロードライトに向き直った。

「ロードライト、どちらかが倒れる前にこれだけは訊いておく。皇帝に弓を引く覚悟はあるか」

 その問いに、ロードライトは無言だった。マグショットは続ける。

「この城のエネルギーの全ては、人間を凍結させて吸い上げた生命力だ。生命力を吸い尽くされた人間はいずれ死ぬ。この城は、人間の屍のうえに成り立つものだ。説明するまでもない事だがな」

「……」

「お前は、美しさを追及していると言った。では、このような城の在り方が、美しいとお前は思うか。ただひたすら、一方的に奪うだけの在り方が」

「あなたはどうなのです」

 ロードライトの問いは卑怯でもあり、正当でもあった。人に問うなら、まず自らの意志を述べよ、と言ってみせたのだ。マグショットは少しだけ間を置いて言った。

「俺は、美しいとは思わん。姿形を真似ておきながら、その大元である人類とその文明を滅ぼして自らの生命を得るなど、そんな情けない在り方は、俺のプライドとは相容れぬ」

「ですが結局、あなたが用いる力も、突き詰めれば人間から吸い上げたもの。その矛盾にはどう答えるつもりですか」

「知れた事。動く事ができぬ人間に代わって、その力を俺が行使しているのだ」

 マグショットの答えには、呆れるほど迷いがなかった。ロードライトは、少しばかり面食らったようだった。

「そこに正義があると、あなたは思っているのですか」

「正義だと?俺はそんなもの、信じてはおらん。正義でも悪でも、レッテルは好きなように貼ればいい。俺は、この氷巌城の在り方が気に入らないから、ぶち壊してやろうと思っているだけだ」

 それを聞いたロードライトは、突然大声で笑いだした。

「あはははは!!呆れるほど単純明快ですのね」

 ひとしきり笑ったあと、ロードライトは改めて構えを取ってみせた。

「いいでしょう。わたしく、ようやく覚悟を決められそうですわ」

 そう言うと、全身にエネルギーを込める。紅いオーラが、これまでにないほど大きく、激しく燃え盛った。

「このまま戦い続ければ、互いに奥義を放つ余力さえなくなりましょう」

「そうだな」

「マグショット、あなたの最大の拳をお見せなさい。わたくしも、全身全霊でそれに応えてみせます」

「よかろう。勝負の決着は、神に任せる事としよう」

 マグショットは、ゆっくりと両腕で大きな円を描く。天地を結ぶようなその構えから、空間を揺るがすほどのオーラが弾けた。

「いくぞ!」

「来なさい!」

「極仙白狼拳最終奥義!!」

 マグショットの右目と、左目の傷が眩く輝く。その全身から、稲妻を伴う暴風が巻き起こった。

 

「千狼牙皇拳!!!!」

 

 もはや嵐なのか雷なのか、名状しがたい気の奔流が、ロードライトめがけて放たれる。それに呼応してロードライトもまた、そのエネルギーの全てを解き放った。

 

「ガーネット・スパークリング・ストーム!!!!」

 

 凝縮された無数のエネルギーの刃が、嵐となってマグショットに襲いかかる。両者のエネルギーは、真っ向から激突して、天地が砕けるかというほどの激震をもたらした。

「むおおおお!!!!」

「くっ…!」

 もはや双方ともに、一歩も動けない状態でエネルギーを放ち続けていた。わずかでも力が弱まれば、一瞬で相手のエネルギーに飲み込まれ、身体は塵と砕ける。その衝突の余波は、ついに広間の床面を完全崩壊させるに至った。床が抜け落ちてなお、両者は階下のもうひとつの広間に瓦礫とともに降り立ち、なおも奥義と奥義の衝突は続いていた。

 階下の広間もまた華麗な装飾が随所にちりばめられていたが、マグショットとロードライトの激突のため、すでに見る影もなくなっていた。唯一、広間の奥に飾られている、巨大な二体の女神像だけが両者の戦いを見守っていた。

「ぐっ…!!」

「うああっ…!!」

 ついに限界を迎えた両者の間で、エネルギーとエネルギーが弾け、大爆発が起こった。

 

 

「うわっ!」

「なっ…なに!?」

 通路を走っていた百合香とリベルタは、第二層全体が揺れているのではないかと思うほどの振動に、バランスを崩して立ち止まった。ようやく振動が収まると、百合香は緊張した面持ちで通路の奥を見る。

「異常なエネルギーの衝突を感じた」

「マグショットとかいう奴?」

「1人じゃない。おそらく、さっき感じたもうひとりの何者かと衝突したせいだと思う」

「すごいね、百合香。どうしてそこまでわかるの」

 リベルタに言われて、百合香は自分でも何故だろうと思った。今まで、こんなふうに気配だとかを察知できた事はない。何か、感覚が鋭敏になっているように思えた。だが、百合香はそれよりもマグショットの方が気になった。

「私の事はともかく、マグショットが心配。急ごう」

「うん」

「たぶん、こっちの方だと思う」

 百合香は、エネルギーを感じた方向をどうにか特定し、その方向にリベルタと共に急いだ。

 

 

 

 もうもうと煙が立ち込める広間に、床や壁、柱の残骸が重なり、散乱していた。先程までの激闘が嘘であるかのように、場は静まりかえっていた。

 ふいに、瓦礫の中から二つの小さな影が、ガラガラと音を立てて現れる。それは、マグショットとロードライトであった。二人は、互いの様子を見る。マグショットは自慢のジャージがズタズタになっており、ロードライトもまたドレスがただのボロ着に成り果てていた。もはや、どちらも力を使い果たしているように見え、構えを取る事もできず睨み合っていた。

「…相討ちか」

 マグショットは呟く。ロードライトは微かに笑った。

「…生き残った方の勝ちですわね」

「ふ…」

 二人は、瓦礫の中で笑い合った。

「この力があれば、氷魔皇帝など倒せそうなものだな」

「…本気でお思いですか」

「お前はどうなのだ、ロードライト」

 そう問われて、ロードライトはしばし思案したのち答えた。

「不可能ではないかも知れませんわね」

「答えは出たか」

「あなたはどうなのです」

 わざと、同じようにロードライトは返した。マグショットは静かに答える。

「わかっていた。答えなど最初から出ないのだ、とな」

「え?」

「答えなどない。それが、俺の辿り着いた答えだ」

「なんですか、それは」

 ロードライトは笑いながら言う。

「…なるほど。何となく、言わんとするところはわかります」

「ならば、どうする」

「…考えてみます」

「なに?」

 その意外な答えに、マグショットは興味深そうに訊ねた。ロードライトはたどたどしく答える。

「決着はつきました。わたくしは、ここで考えてみます。何をすべきか」

「そうか」

「そのうえで、もし何らかの決意ができたのなら、マグショット。あなたと共に戦う未来も、あるのかも知れません」

 はっきりしない答えだな、と思いながらも、マグショットは頷いた。

「それでいい。選択は、お前の自由だ。考えた末、再び俺と闘うべきだと思い至ったのなら、いつでも来るがいい。ただし、俺は先へ進むからな。お前は、自分の脚で登ってこなければならない」

「わかっています」

 ロードライトは頷く。二人の間に、ようやく積年のわだかまりが消え去ったという感慨があった。

 

 そこへ、バタバタと走って来るふたつの人影があった。

「マグショット!」

 その声の主は百合香だった。マグショットはぶっきらぼうに答える。

「生きていたか」

「生きていたか、じゃないわよ!何があったの!?」

「すまんが、今説明している気力がない」

 マグショットはそう言うと、瓦礫の上に座り込んだ。

「ロードライト、こいつが俺の不肖の弟子、百合香だ」

 瓦礫の上にいた人形が、くるりと振り向いて百合香を見た。

「ユリカ…あなたが噂の侵入者ね」

「あっ…あなたは?」

 すると、リベルタが驚くように言った。

「あなたは、じゃないわよ。氷騎士ロードライト、この第二層の幹部の1人」

「えっ!?」

「とんでもない実力の持ち主よ。…この様子を見ればわかるでしょうけど」

 リベルタは、散乱する瓦礫の山を見渡した。上の階まで、完全に崩れ落ちている。一体どれほどの戦いがあればこんな事になるのかと、百合香とリベルタは思った。それを引き起こしたのは、どうやら目の前にいる、小さな拳士たちらしい。

「マグショット、野暮用っていうのはこの事なの?」

「そういう事を聞くのも、野暮な話だな」

「上手い事言わなくていいから」

 百合香の返しにマグショットは笑う。

「…俺の件はひとまず片付いた。お前たちも色々あったようだな」

 言いながら、マグショットはリベルタと左手に持った巨大な弓を見る。

「弓使いか」

「あなたがマグショットね。私はリベルタ。噂は色々と聞いているわ。…まさか、ロードライトと互角の実力だなんて」

 リベルタは心から敬服しているようだった。百合香は、腕組みして訊ねた。

「まだ状況がわからないけど、とりあえず合流できるって事でいいのね」

「身体が治ったらの話だがな。今の状況ではまともに動けん」

「私もあれこれ言われてるけど、あなたもあなたね、マグショット」

 呆れたように百合香は笑う。何はともあれ、頼もしい仲間が再び戻ってきてくれる事に、百合香は安堵していた。

 

 その時だった。広間の奥で、何かが動く鈍い音が響いた。



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変容

 それは、百合香には既視感のある光景だった。調度品のように鎮座していたと思っていた2体の巨大な女神、もしくは天使の像が、音を立てて動き始めたのだ。

「あっ!?」

 その光景に声を上げたのは、ロードライトだった。

「なぜ…そんなはずは!」

 ロードライトは何か知っていると思ったマグショットは訊ねる。

「どういうことだ」

「あれは私が管理を任されていた、魂を持たない戦闘人形の魔晶天使です。私の命令がなければ動く事はあり得ません」

 ロードライトは慌てた様子で、魔晶天使と呼んだ巨像に向かって叫んだ。

「氷騎士ロードライトの名において命じる!在るべき場所に控えよ!!」

 しかし、魔晶天使は2体ともに、その命令を聞き入れる様子など見えなかった。よく見ると外装の衣服に柔軟性はないらしく、動くたびに羽衣のような外装が割れ落ちて、人形のような関節がむき出しになっていった。

「奴は強いのか」

「魂を持たぬゆえ知能はありませんが、力そのものは氷騎士に匹敵するか、それ以上です!」

 ロードライトの解説に、全員が震え上がった。ここにいる4人のうち、まともに動けるのは百合香だけである。その百合香にしても、鎧が不完全で防御が心もとない状況であった。

「逃げよう!こんなのと戦っても無意味だよ!」

 百合香の提案に、全員が頷く。全速力で瓦礫の山をかいくぐり、出口を目指して走った。

 しかし。

「あっ!!」

 戦闘を走っていたリベルタが、驚愕して立ち止まる。なんと魔晶天使の1体が、その巨体にかかわらず、一瞬でリベルタの眼前に立ち塞がったのだ。

「なんて素早さなの!?」

「やるしかなさそうね」

 百合香は聖剣アグニシオンを構え、炎のエネルギーを込めると、跳躍して一気に斬りかかった。

「ディヴァイン・プロミネンス!!」

 眩く輝く炎の斬撃が、サーベラスの倍以上の巨体を誇る氷の天使像の胴体を捉える。激しい打音とともに、魔晶天使の身体は後ろにのけ反った。

 だが、表面の装甲は砕けたものの、肝心の本体にダメージは及んでいないようだった。

「ダメか!」

「任せて!」

 リベルタが、ストラトスから受け継いだ巨大な弓を引く。放たれたエネルギーの矢は、百合香が砕いた装甲の下にある、魔晶天使の胴体を直撃した。

 だがそれは、胴体の表面がわずかに傷ついたに過ぎなかった。

「なんて硬い奴なの!?」

「マグショット!!」

 百合香は、背後のもう1体がマグショットに接近するのに気付いて叫んだ。魔晶天使は、今にもその拳をマグショットに振り下ろそうとしていた。

「面倒そうな奴だな」

 どんなピンチでも、マグショットの悪態は変わらないようだった。接近する巨像に怯む様子もなく、真っ直ぐに立ったまま相手の動きを見る。

「はっ!」

 高速で振り下ろされた巨大な拳を、マグショットは跳躍してかわす。しかし、ロードライトとの戦闘でだいぶ消耗しているため、いつものような俊敏さがやや後退していた。

「ロードライト!こいつを止める方法はないのか!」

「わたくしの声がかかれば本来は停まる筈なのです!」

「だが、お前の声などまるで聞こえていない様子だったぞ!」

 ロードライトは、相手の攻撃をかわしながら答えた。

「何かが起きたとしか考えられません!」

「何かとは何だ?」

「魔晶天使に組み込まれた作動呪文が、通常ではあり得ない何かに反応して、緊急作動した可能性もあります!」

「そんな専門的な話をされても、俺にはわからん!」

 マグショットは訊いた張本人である自分を棚上げして、必死に相手の攻撃をかわした。

「狼爪星断衝!!」

 どうにか隙を見付け、技を放つ。鋭い空気の刃が、魔晶天使の首を直撃した。しかし、その硬度は予想を超えたものであり、わずかに表面が剥離したにすぎなかった。

「ガーネットクラッシュ!!」

 マグショットが作った隙を突いて、ロードライトもまた紅いエネルギーの塊を放つ。しかし、消耗した状態での攻撃は、まるで効き目がなかった。

「まずいですわね」

「おい、何か動きがおかしくないか」

 マグショットは、魔晶天使の視線が至近距離にいる自分たちよりも、違う方向に向いている事に気が付いた。

 すぐにマグショットはそれが何なのか理解して、振り向きざまに叫んだ。

「百合香!気をつけろ、こいつらの狙いはお前だ!!」

 その突然の忠告に、他の全員が驚いた。

「なんですって!?」

 攻撃を避けながら百合香は叫ぶ。すると、確かにもう1体の魔晶天使も、百合香目指して移動を開始したのだった。

「はああ―――っ!!」

 マグショットは側面から波動を放ち、その脚を止める。さしたるダメージこそないものの、バランスを崩して魔晶天使は盛大に瓦礫の中に倒れ込んだ。

「どっ、どういうこと!?」

「思い出してみろ。この巨像どもは確かにこの広間にいたが、俺とロードライトが戦っていた間はピクリとも動かなかった」

「あっ!」

 ロードライトがハッとして百合香を見る。

「そうだ。こいつらが動き出す直前、百合香がこの間に現れた。氷魔ではない、この城にとって異質な存在である百合香がな」

 すると、それまで黙っていたもう一人の人物が会話に入ってきた。

『あたしが出る!』

 百合香の背後から凛とした声が響いて、百合香の姿は一瞬で、紫のドレスと魔女帽を身に着けた、黒髪の魔女こと瑠魅香に変貌したのだった。

「くっ…黒髪の魔女!!」

 その姿を初めて見るロードライトが驚く。

「ふうん、あたしもだんだん有名になってきたわね。悪い気分じゃないわ」

 軽口を叩きながら、銀色の杖を振るう。

「エレクトリックバインド!!」

 瑠魅香が放ったのは、おなじみの電撃のネットだった。2体の魔晶天使はその場に縛りつけられてしまう。しかし、パワーが生半可ではないらしく、早くも瑠魅香が張ったネットは軋み始めていた。

「ほら、何してんのリベルタ!今のうちにやっちゃうよ!!」

 そう言うと、杖に青い炎のエネルギーを集中させる。リベルタもまた、慌てて弓を構えて弦を引いた。

「ドリリング・バーン!!」

「ストレート・アイシクル!!」

 かたや青い炎の渦、かたや巨大な氷の矢が、それぞれ魔晶天使の頭部を直撃した。さすがにこれには耐え切れなかったようで、2体の両方の首に大きく亀裂が入る。

「マグショット!」

 瑠魅香が叫ぶ。

「いくぞ、ロードライト!」

「はい!!」

 マグショットとロードライトは、それぞれ脚にエネルギーを込めた。

「でやあ―――っ!!」

「ええ―――いっ!!」

 渾身の蹴りが、魔晶天使の首を直撃した。すると、ビキビキと嫌な音を立てて、巨大な首はドサリと瓦礫の山に落ちてしまった。その光景を見て、全員が心の底から安堵した。

 

「た…倒した…」

「危なかったな。さすがの俺も、もうあと一撃放てるかどうか、という所だ」

 マグショットが瓦礫の上に腰を下ろす。まだ対イオノス戦の疲労が残っているリベルタは、限界がきて片脚をついた。

「大丈夫?」

 瑠魅香が手を差し延べると、リベルタは笑いながらその手を取る。

「ありがと」

『何よ、仲いいんじゃない、あなた達』

 瑠魅香の中から百合香がボソリと呟くと、瑠魅香は笑った。

「なあに、どっちに嫉妬してるの?」

『ばーか。自意識過剰ね』

 百合香が笑うと、瑠魅香とリベルタも笑い出した。その様子を、ロードライトは不思議そうに見ていた。

「信じられない。人間と氷魔が手を取り合うなんて」

「百合香が…あいつらが特別なだけかも知れんがな」

「…一体、どういう存在なのでしょう。人間が、この氷巌城でなぜ、自由に振る舞えるのか」

 そこまで言って、ロードライトはハッとした。

「…ただの人間に対して魔晶天使が突然、本来の命令を無視して防衛行動を取るなどという事は、あり得ない」

「なに?」

「可能性はただひとつです。この城にとって最高レベルの危機を察知したため、魔晶天使は本来のプログラムを無視して防衛行動に出た。それ以外、考えられません」

 ロードライトは、現在は瑠魅香の姿を取っている百合香を見る。何もかもが異質であり、異様な存在だ。 

 そしてロードライトが、瑠魅香に対して何かを伝言おうとした、その時だった。

 突然、倒れていたはずの魔晶天使2体が、再び動き始めたのだ。

「えっ!?」

「なんだと!」

 今度こそ、マグショットは驚愕した。眼の前で起きている事が信じられない様子である。

「しぶといな」

 瑠魅香は再び杖を構えるが、リベルタは慌てて瑠魅香を弾き飛ばした。

「うわっ!!」

「逃げなさい!」

 そう叫んだ次の瞬間、リベルタは魔晶天使の腕に弾かれて、瓦礫の山に投げ出されてしまった。

「うああーっ!!」

「リベルタ!!」

『リベルタ!!』

 百合香と瑠魅香が同時に叫ぶ。駆け寄ると、リベルタは右の上腕が砕け、千切れてしまっていた。

「大丈夫!?」

「私の事はいい!逃げなさい!!」

「そんな事、できるわけないでしょ!!」

 一喝するように瑠魅香は叫ぶと、杖を構えて魔法を放つ。

「コア・クラッシャー!!」

 無属性のエネルギー波が、魔晶天使の上半身を直撃する。その瞬間、全身がバラバラに砕けて宙に舞った。

「どんなもんよ!」

 瑠魅香は胸を張る。しかし、次に起こったのは、予想もしていない現象だった。

「…え?」

 瑠魅香は、自分の魔法で砕け散ったと思っていた魔晶天使の破片が、そうではない事を悟った。それは、もう一体の魔晶天使の全身を、鎧のように覆い始めたのだ。

「なっ…!」

 2体の魔晶天使は、あろうことか合体して、さらに巨大な魔晶巨兵となったのだった。その威容に、瑠魅香は一瞬戦意を喪失しかけた。

「こっ、こいつは…」

『瑠魅香、代わって!!』

 危険を感じた百合香が、一瞬早く表に出て来ると、素早くその場をリベルタを抱えて飛び退いた。次の瞬間、床に強烈なパンチがめり込んで、大きく陥没する。その衝撃で弾け飛んだ瓦礫に、百合香とリベルタは全身を打たれて倒れてしまった。

「百合香!」

 マグショットは百合香とリベルタの前に立ちはだかると、魔晶巨兵に対峙した。

「逃げろ!ここは俺が食い止める!」

「マグショット…!」

「はやく行け、ばかやろう!!」

 だいぶ素が出て来たマグショットの背中を見ながら、百合香は自分の情けなさを呪っていた。

「私のせいだ…私にもっと力があれば…私が、弱いから」

『バカ、泣き言言ってる余裕なんてないでしょ!』

「もっと、もっと力があれば…力が…力が欲しい!!」

 百合香は祈るように叫ぶ。眼の前では、マグショットとロードライトが必死に魔晶巨兵を押さえるため、残された力を振り絞って戦っていた。

 

 その時だった。

 

「うっ!?」

 百合香は、自分の胸が突然、激しく振動するのを感じた。

『百合香!?』

「百合香!」

 瑠魅香とリベルタが、その異変に気付いて不安そうに叫ぶ。百合香は聖剣アグニシオンを床に落とし、胸を押さえてその場に両膝をついた。

「ううっ…!!」

『百合香、どうしたの!?』

「むっ、胸が…痛い…!!燃える…胸が燃えるみたい!!」

 苦しむ百合香に、さらなる異変が起きた。胸から突然、炎の塊が現れたのだ。

「うああっ…!」

 それは、氷巌城に登る直前に起きた異変と似ていた。何が起きているのか、百合香にはわからなかった。とてつもない重圧が身体にかかり、声を出すこともできなかった。

 やがて、炎は百合香の全身に広がり、まとっている制服は一瞬で燃え尽きてしまった。百合香の裸身を、太陽のような巨大な炎の球が頭から爪先までを覆っていった。

「うっ…!」

 リベルタはその熱に耐えきれず、這うようにして百合香から距離を置く。

「百合香!!」

 燃え盛る太陽の中の百合香に、リベルタは叫んだ。

 

「ぐわあ―――っ!!」

「きゃああ!!」

 マグショットとロードライトは、魔晶巨兵の払った腕に弾き飛ばされて、ついに瓦礫の上に倒れてしまった。

「くっ…こんな所で…」

「マグショット、逃げてください」

「どいつもこいつも同じ事を言う!」

 マグショットは精一杯の力で腕を突いた。しかし、すでに立ち上がる事ができない。

 

 その時だった。倒れている二人の前に、何体もの人影が立ちふさがった。

「あ、あなた達…!」

 ロードライトは驚いていた。それは、マグショットが戦ったアルマンドの配下の少女たちであった。少女たちは、迫りくる魔晶巨兵に向かって拳の構えを取っていた。ロードライトは叫ぶ。

「何をしているの、逃げなさい!あなた達では勝ち目などありません!」

「命令に背く事をお許しください。我々はアルマンド様の配下です。そしてその主であるロードライト様をお守りする使命があります」

「共にいられた事、光栄に思います。それでは」

「マグショット様、どうかロードライト様のお力になって差し上げてください」

 そう言って微笑むと、少女たちは魔晶巨兵に向かって行った。

「なんてこと…わたくしは、なんという情けない…」

 ロードライトは、配下の者を死にに行かせる事しかできない己の無力さに打ちひしがれ、黙って下を向いていた。マグショットもまた、何もできない自分を恥じた。

 だがその時、マグショットは完全に失念していた、ある物の存在を思い出した。

「…!」

 そういえば、とマグショットは懐をまさぐる。まさかと思ったが、あった。それは、小さな瓶だった。

「ロードライト、これを使え」

「え?」

「ええい、面倒だ!」

 マグショットは小瓶の栓を抜くと、中に入っている青紫の液体を、ロードライトの頭からかけてしまった。突然の出来事に、ロードライトは驚く。

「な、な、なんですの!?」

「胡散臭い錬金術師から預かって来た、氷魔用の回復薬だ!」

 いきなり薬剤をぶちまけられたロードライトだったが、その青紫の液体は瞬時に身体の傷に染みわたり、その傷みを瞬く間に治していった。

「これは…!」

「錬金術師に感謝するんだな」

「マグショット、なぜ自分で使わずに!?」

 ロードライトは小瓶をふんだくると、薬剤が僅かも残っていないのを見て愕然とした。マグショットは笑う。

「俺はここで見物させてもらう。せいぜい戦える所を見せてみろ」

「あなたという人は…」

 

「きゃあああ―――!!!」

 氷魔少女たちは、魔晶巨兵の腕のひと払いでその半数近くが弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。残った少女たちは覚悟を決め、一斉に構えを取る。

 だがその眼前に、わずかながら傷が癒えたロードライトが割って入った。

「ロードライト様!」

「お人よしの方が、傷を癒してくださいました。ロードライト、参る!!」

 ロードライトは構えを取ると、全身に紅いオーラをみなぎらせた。

「続きなさい、あなた達!」

 そう言って高く跳躍すると、ロードライトは魔晶巨兵の胴体に怒涛の蹴りの連撃を喰らわせる。その小さな人形の身体からは想像もできないほどの強烈な打撃の連続が、巨体を押し返した。それに勇気づけられた氷魔少女たちは、いっせいに跳躍して同時に蹴りを入れた。

「えや――――っ!!」

 ロードライトの蹴りと少女たちの蹴りが重なり、ついに魔晶巨兵の身体は後方に倒れる。

「はあ、はあ、はあ」

 完全に回復してはいない身体では、全力にほど遠いのをロードライトは痛感していた。しかし、残された力を振り絞る。

「ガーネット・スパークリング・ストーム!!!」

 赤く輝くエネルギーの刃の嵐が、魔晶巨兵の全身を直撃する。その余波で、周囲の瓦礫が吹き飛ぶほどだった。

 その場にいる誰もが、その一撃で全て終わる事を信じていた。



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白色矮星

 赤い輝きの嵐が収まったとき、ロードライトは全ての力を出し尽くしてその場に倒れた。魔晶巨兵は全身がズタズタになり、完全に沈黙したように見えた。

「ロードライト様!」

 氷魔の少女たちが慌てて駆け寄り、その身体を支える。

「ありがとう、大丈夫…でも、もうしばらくの間、戦う事はできそうにありません…」

「ロードライト様…」

 少女の一人が、ロードライトを抱えて立ち上がる。彼女を護りながら少女たちが立ち上がった、その時だった。

 魔晶巨兵の身体が、ギシギシと音を立てて、なおも立ち上がった。

「ま、まさか…」

 ロードライトは絶望するかのように呻いた。少女たちは戦慄しながらも、ロードライトの身体を守る事に全力を挙げた。

「あなたはロードライト様を安全な場所に!」

 ロードライトを抱えた少女にそう言うと、再び立ち上がる魔晶巨兵に少女たちは対峙した。だが、その巨体が足を鳴らすと、衝撃波で少女たちは吹き飛ばされた。

「きゃああ―――ーっ!!」

 少女たちが瓦礫に叩きつけられる様を、リベルタは残った左腕で必死に上半身を支えながら見ていた。

「百合香、お願い。みんなを助けて」

 震える声で、リベルタは太陽の輝きの中にいる百合香に呼びかけた。なぜ、そう思ったのか、リベルタ自身もわからなかった。

 魔晶巨兵は、ボロボロの身体を引きずるようにして、まだ立ち上がってくる。その狙いは間違いなく百合香だった。

「百合香!」

「百合香!」

 リベルタとマグショットが揃って叫ぶ。魔晶巨兵は、少しずつ百合香に迫ってきていた。もう、あと一歩で、百合香に腕を振るえる距離に到達する。

 その腕が、ついに百合香を叩き潰すため振り上げられた、その時、リベルタは叫んだ。

「百合香――――――!!!」

 その叫びに応えたのかどうか、百合香を包んでいた灼熱の太陽が、ふいに真っ赤な色に変色したかと思うと、突然あたかも星雲のような、巨大なオーラを周囲に放ち始めた。

「!?」

 全員が、その光景をまじまじと見た。そして次の瞬間、百合香を包んでいた真っ赤な太陽が収縮し、パーンとエネルギーが弾けた。

 

 星雲状のオーラが消え去った後に立っている百合香の姿に、リベルタ、サーベラス、ロードライトは驚愕した。

「ゆっ…百合香!?」

 それは、今までの百合香とは全く異質な百合香だった。肌は生気を失ったように青ざめ、その髪は鉛のような銀色に変色し、そして、全身を真っ白で重厚な鎧が覆っているのだ。

 その表情は、それまでの強い意志を感じさせる百合香のものではなく、何か悟り切ったような、あるいは絶望したような、冷たい表情だった。

「瑠魅香!瑠魅香、聞こえる!?百合香はどうしたの!?」

 リベルタは、百合香の中にいるはずの瑠魅香に呼びかける。しかし、返事はまるで違う方向から聞こえてきた。

『おーい、こっち、こっち』

「え!?」

『急いで。なんかヤバイよ』

 リベルタは、声がする方を見た。すると、そこにあるのは百合香が先ほど落とした、黄金の聖剣アグニシオンであった。そして、瑠魅香の声はアグニシオンから聞こえるのだ。

「まっ、まさかあなた…」

『うん、なんかね。百合香の中から弾き出されて、この剣に吸い込まれたみたい』

「どういうこと!?」

『あたしが知りたいよ。それより、悪いけど早く拾ってちょうだい』

 瑠魅香の言い分もだいぶ勝手ではあったが、ともかくリベルタは片腕でどうにか起き上がると、器用に弓を片手で背中にかけ、ダッシュして聖剣アグニシオンを拾い上げた。

「百合香はどうしたの!?」

『わからない。あたしが心の中で呼びかけても反応がない』

「百合香!」

 リベルタは、アグニシオンを抱えて百合香に駆け寄った。しかし、マグショットは叫んだ。

「百合香に近付くな!!」

「えっ!?」

「何かがおかしい!今の百合香は―――」

 マグショットがそう言った瞬間、百合香から何か得体の知れない力場のようなものが広がり、リベルタは弾かれてしまった。

「あうっ!」

『リベルタ!』

 リベルタは、柱の残骸に背中を打ち付けた。百合香は、無表情のままゆっくりと、魔晶巨兵に向かって歩き始めた。

「ゆっ…百合香…」

 リベルタの声は、まるで百合香には届いていない。百合香のオーラに一瞬怯んだ魔晶巨兵は、再び百合香にその右腕を振り下ろした。

「百合香―――!!」

 リベルタは叫ぶ。

 しかし、次に起きたのは想像もつかない出来事だった。

「えっ!?」

 リベルタは驚愕した。百合香は、魔晶巨兵が振り下ろした巨大な腕を、左手で難なく受け止めたのである。

「なっ…」

 驚くリベルタの眼の前で、百合香はさらに驚くべき事をやってのけた。その受け止めた魔晶巨兵の装甲に、白い鎧に包まれた百合香の指が猛獣の牙のごとく食い込んだのだ。

 もはや、驚きのあまりリベルタたちは声も出せなかった。百合香はそのまま物凄い力で魔晶巨兵の腕を引いて、その巨体を引き寄せた。

「あぶない!!」

 引き寄せた魔晶巨兵の巨体が、百合香に倒れてきた。しかし、百合香は右腕で、その胴体に思い切りパンチを喰らわせた。

 すると魔晶巨兵の胸が、まるで巨大な鎚で打たれたかのように陥没し、その衝撃で後方に大きく弾き飛ばされたのだった。

「つっ、強い…」

『でも、何か違う…あんなの、百合香じゃないよ』

 瑠魅香は冷静にそう言った。

 百合香は倒れた魔晶巨兵にゆっくりと近付くと、胸に脚をかけ、右腕を一瞬で引き千切った。その様子を、ゾッとしながらリベルタ達は見ていた。

 なおも百合香は攻撃を続ける。それは攻撃というよりは、無惨な処刑であった。関節を引き千切り、砕き、装甲を脚で打ち抜き、最後は腰椎を軽々とへし折り、魔晶巨兵はただの残骸の山と成り果てた。

 いったい、百合香に何が起きたのか。その時、瑠魅香はオブラから伝えられた、広報官ディウルナからの伝言を思い出していた。

 

『怪物と戦う者はその過程で、自らも怪物とならぬよう警戒しなくてはならない。我々が深淵を覗く時、深淵もまた我々を覗いているのだ』

 

 そう呟く瑠魅香に、リベルタは怪訝そうな顔を向けた。

「何それ」

『ディウルナから、百合香に伝えられた忠告』

「なんですって?」

 リベルタは、何か不吉なものを感じて百合香を見た。四人がかりで倒せなかった魔晶巨兵を素手で容易くバラバラに解体してみせたその力に、頼もしさよりも底知れぬ恐ろしさを覚えるのだ。

『百合香!』

 アグニシオンの中から、瑠魅香は叫ぶ。しかし、まるで百合香の反応はない。いつもの百合香なら、自分そっちのけでみんなの安否を確認しに来る筈である。

「どうしよう」

『リベルタ、頼みがある。私を、ギリギリまで百合香に近付けて』

「何する気」

『なんとか、百合香の中に入れないか、やってみる』

 瑠魅香の提案に、マグショットもリベルタも即答はできなかった。現についさっき、接近したとたん何らかの波動で弾かれてしまったのだ。

 すると、マグショットが指示を出した。

「一度だけだ。もし接近して、また同じように弾かれてしまったのなら、もう百合香には今までどおり接する事はできない、と判断する」

「…わかった」

 先輩格のマグショットによる指示は、リベルタ達が動揺しているこの場面では有り難かった。リベルタは瑠魅香が宿った聖剣アグニシオンを握り、ゆっくりと百合香の背中に近付く。

 先程までよりは接近できた。

「瑠魅香、いい?」

『うん。そのまま、剣を百合香に近付けておいて』

 リベルタは頷く。聖剣アグニシオンは、逆さまの状態で百合香の背中すれすれの位置に置かれていた。

 瑠魅香は、アグニシオンから百合香の肉体へと移動を試みる。

 

 しかし。

 

「あっ!!」

 アグニシオンは、百合香に弾かれた瑠魅香の魂と一緒に、弾き飛ばされてリベルタの手を離れてしまった。

『わーっ!!』

 瑠魅香の絶叫とともに、アグニシオンはリベルタの後方に投げ出される。瓦礫に何度も激突したあと、床をガラガラと滑ってようやく止まった。

「大丈夫!?」

『痛くはないけど、なんか感覚的には痛いような気もする』

「実際には痛くはないのね」

 リベルタはアグニシオンを拾い上げるため片膝をついて屈む。すると、そこに上腕部で折れた自分の片腕が落ちている事に気が付いた。

「あっ、わたしの腕」

『それ、元に戻せるの?』

 瑠魅香が訊ねる。

「わからない」

 腕とアグニシオンを一緒に抱えて、リベルタはマグショットを振り向く。

「マグショット、だっけ。どうする?」

「今の百合香に、迂闊に近付けない事はハッキリした」

「だからって、このままにできるわけない」

「そうだ」

 マグショットは思案したのち、再び口を開いた。

「瑠魅香、お前がさっき言ったのはどういう意味だ」

『え?』

「怪物と戦う者がどうの、という格言じみた話だ。広報官ディウルナからの忠告だと言っていたな」

『うん。オブラが、ディウルナからそう伝えろって言われたんだって。百合香に』

 マグショットは、それを聞いて腕組みして座り込んだ。幸いなのかどうか、百合香は全く動く気配がない。無表情で立ち、魔晶巨兵の残骸を見下ろしている。

「…そのディウルナという奴、百合香に関して何か知っているな」

「まさか!」

 マグショットの断言に、リベルタと瑠魅香は驚いた。マグショットは続ける。

「でなければ、そんな思わせぶりな忠告をわざわざ、オブラを使ってまで伝えると思うか?」

『そっ、それは確かに…』

「今の百合香の状態が、ディウルナの忠告と無関係ではない可能性も、あるとは思わんか」

 マグショットは探偵か刑事よろしく、得られた情報から分析を開始した。その指摘に、瑠魅香とリベルタも納得できる部分はあった。

「どうやらディウルナとやらに、直接会って確かめる必要がありそうだ」

『…ディウルナが敵かも知れないってこと?』

「敵とは限らん。だが、味方であるとしても、やり方が気に食わない事はある。話を聞くに、一筋縄ではいかん奴のようだしな」

 そう言うとマグショットは、リベルタを見た。

「お前達は兎にも角にも、まず回復を優先しろ。特にお前は…リベルタといったか。その腕では弓も引けまい」

 リベルタは頷きながらも、無言で佇む百合香を見て言った。

「百合香はどうするの?話もできない、といって近寄る事もできない。つまり、アジトに匿う事もできないのよ。だからって、ここに放っておくわけにもいかない」

『まあ、氷魔に襲われても殺される心配だけはなさそうだけどね』

 瑠魅香のジョークじみた指摘に、他の二人は頷く。魔晶巨兵を飽きた玩具のようにバラバラにできる強さがある以上、たとえ水晶騎士カンデラと戦っても瞬殺できそうである。

『私は、百合香を元に戻したい。今の百合香じゃ一緒に戦えない、とかいうんじゃなくて、友達として』

 アグニシオンから聞こえる瑠魅香の訴えに、意外な人物から返事があった。

「わたくしにお任せください」

 それは、配下の少女氷魔に連れられて退避していた、氷騎士ロードライトだった。ボロボロのドレスを着た人形が、ヨロヨロと歩いてくる。

「百合香さまのお身体、わたくしがここで見守らせていただきます。何かあればすぐに皆様に伝えます」

 その進言は、非常にありがたいものではあった。だが、リベルタは訝しげに返した。

「あなたを信用していいの?」

 その言葉に、ロードライトは強張った表情を見せる。リベルタは遠慮なく言った。

「マグショットと敵対した相手を、易々とは信用できない。もしマグショットの一件がないまま私達がここに来ていたら、間違いなく私達と戦っていたはずよね」

 するとロードライトは突然、瓦礫の山の上に膝をついた。

「わかりました。では、わたくしの首で、信用の証としてください」

 そう語るロードライトの背後に、手刀を構えた氷魔少女がいつの間にか控えていた。

「なっ…」

「あとの事は、この子たちに指示してあります。よろしくお願いいたします」

 ロードライトの言葉を受け、氷魔少女は何のためらいもなく、手刀に青白いエネルギーを込めて振り上げる。それがロードライトの首めがけて振り下ろされようとした、その時だった。

 何かが飛んで、少女の手刀を弾き、砕け散った。散乱したそれは、リベルタの落ちた片腕であった。ロードライトは驚愕の目で見る。

「なっ…何てことを」

「それはこっちのセリフよ」

 呆れとも、怒りともつかない表情をリベルタは向けた。

「信じられないくらい、不器用な人もいるものね。どこかの誰かみたい」

「どなたの事を仰られているのですか」

「ああもう、わかったわよ」

 もういい、とリベルタは手をヒラヒラさせた。

「あなたにお願いする。でも、これだけはお願い。百合香の存在を、城側に察知されないようにして」

「もちろんです。…ただし、もし仮に百合香さまが動き出された場合、我々の手で止める事はできないかも知れません」

「…もしそうなった場合は、手出ししないで。死ぬわよ」

 そう言うと、リベルタはアグニシオンを持って立ち上がる。

「マグショット、私たちのアジトに案内するわ。オブラに、ディウルナとのコンタクトを取ってもらいましょう」

「うむ。…道中、敵に出くわさないことを祈るとしよう」

 

 

 

 氷巌城第三層にある図書館から、水晶騎士カンデラが出て来たのはその日の閉館時刻だった。その手には、まとめられたレポートが握られていた。

 自分の居室に戻ろうと歩いていると、向こうから一体の、ほっそりとしたシルエットの長髪の氷魔が歩いてきた。

「おや、カンデラではないか。このところ顔を見なかったが」

「…お前か」

「ふふふ、これはご挨拶だ。そうそう、先日は何やら第一層で、例の怪物に食われた侵入者の死体を見付けたそうだな」

「うむ」

「城を騒がせた侵入者も、最後は呆気ないものだな」

 その言葉を、カンデラは複雑な気持ちで聞いていた。侵入者は水路の怪物に食われる直前、カンデラ自身と交戦して、おそらく致命傷を負っていたのだ。歩けたのが奇跡にも思えるが、怪物の前ではおそらく何ひとつ抵抗できず食われたのだろうな、とカンデラは考えた。

「話によれば、あのバスタードも怪物退治を試みて、敗れ去っていたというではないか。手柄を立てて第三層に戻るための点数を稼ぎたかったのだろうな」

「滅多な事を言うな。…まあ正直、バスタードはあまり肌に合わん奴ではあったが、城に対する忠誠心だけは持っていた奴だ」

「おっと、そうだな。俺とて、奴を悪く言うつもりはない」

 氷魔は、両手を上げて謝意を示した。

「そういえば、例の怪物だがな。研究班が派遣されて、解剖が行われているそうだ」

「なに?」

「うむ。これは、俺の筋から聞いた話だから、口外するなよ。怪物の腹の中の物は、砂のように粉々になっていたそうだ」

「一体、どういう怪物だったのだ」

 カンデラは腕組みして首を傾げた。地球上の生き物のように捕食して消化する氷魔など、聞いたこともない。

 だが、そこでひとつカンデラは気になる事があった。

「おい、その腹の中から、黄金の剣は出てきたのか」

「なに?」

「例の侵入者が持っていた、炎を放つという恐ろしい剣だ。あの剣も飲み込まれたのではないのか」

「いや、俺が聞いた話では、そんな情報はないな」

 長髪の氷魔は、伝聞の内容を思い出して確認したが、侵入者の剣についての情報などは聞いていない。怪訝そうに考え込むカンデラに、氷魔は訊ねる。

「あの剣がそんなに気になるか」

「い、いや…単に、どこに行ったのかと思っただけだ」

「そんなもの、身体や鎧とまとめて、怪物に粉々に噛み砕かれたのだろう」

 それ以外に何がある、と氷魔は笑ってカンデラの肩を叩いた。

「まあ、敵がいなくなって退屈しているのもわかるがな。じき、忙しくなるだろう。その時まで、せいぜい英気を養っていることだ」

「う…うむ」

 じゃあな、と長髪の氷魔は手を振って、その場を立ち去ってしまった。残されたカンデラは、立ち止まったまま考える。あの黄金の剣が、怪物の歯などに噛み砕かれるものだろうか。だが、水路の底にでも落ちたのでない限り、あんな目立つ物が誰の目にも気付かれないのは考えにくい。

 

 では、あの黄金の剣はどこに行ったのか。カンデラに、またも考え事の種がひとつ増えたようだった。



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アグニシオン

 白色化した百合香の保護をロードライトに任せ、リベルタ、マグショット、そして聖剣アグニシオンの中に居座る事になった瑠魅香は、ひとまずサーベラス達のいるアジトに戻った。

「リベルタ!」

 グレーヌ、ティージュ、ラシーヌの3人が、右腕のないリベルタに駆け寄ってその身を支えた。

「一体、何があったの!?」

「ちょっと、リベルタ。その剣は…」

 ラシーヌは、リベルタが左手に下げている、黄金の聖剣アグニシオンを見て青ざめた。

「…百合香はどこ」

 まるで、百合香の形見であるかのようにアグニシオンを持つリベルタと、百合香がいないのを見て、アジトにいた全員が最悪の想像をした。リベルタはグレーヌたちを安心させるため、力なく微笑んだ。

「安心していいかはわからないけど、彼女は無事よ」

 それを聞いて、心の底から安心したグレーヌたちは胸を撫で下ろした。オブラは、へたり込んで恨めしそうにリベルタを見る。

「脅かさないでください」

「なんでここにいないの?」

 そう訊ねるティージュに、リベルタはロードライトのエリアで起こった一連の出来事を、マグショットも交えて説明した。

 

「…どういうこと。白くなった、って」

 グレーヌ達は、説明されてもまだピンとこない様子である。だが、サーベラスは溜息をつきながらも、何か達観したような様子だった。

「あいつは会った時から理解を超えた奴だ。今さら何が起きようが、大して驚かんよ」

「その点は同意するがな」

 棚の上に寝転んで脚を組んでいるマグショットが、首だけを全員に向けた。

「兎にも角にも、あのままではどうにもならん。とんでもない強さなのは確かだが、動く気配もないし、話も聞こえていない。といって、力づくで連れて来ようにも、近付けばわけのわからん力で弾き飛ばされる」

 そう言うと、マグショットはサーベラスを見た。

「話で聞いていたよりは、だいぶ回復してるようだな。お前の装甲と馬鹿力なら、今の百合香でも担いでここに運んで来れるんじゃないのか」

「冗談じゃねえ。折角治った身体が、バラバラになっちまう」

 わざとらしくサーベラスは身震いしてみせた。マグショットは真面目な顔で答える。

「だがあの状態では、百合香自身が大丈夫なのかどうかもわからん。何とかして、元に戻す方法を見つけなくてはならんぞ」

「そうは言ってもね。まず、何が起きてるのかがわからないもの」

 リベルタは左腕だけで、お手上げのポーズを取る。すると、黙っていた瑠魅香がアグニシオンの中から話し始めた。

『…ガドリエルなら何か知ってるかも』

「ガドリエル?」

 全員の視線が、リベルタの横に立てかけられた瑠魅香=アグニシオンに集中した。

「なんだっけ。あなた達が休んでる、何とかの間にいるっていう女神様?」

『そう』

「その女神様なら何かわかるっての?」

『この剣の名前がアグニシオンだっていうのは、彼女から聞いたんだ。そもそも百合香の中にアグニシオンが封印されていた事も、知っていたみたい』

 それを聞いて、一体何者なのだろう、と全員が思った。リベルタは頷きながら瑠魅香を向く。

「なるほど。確かに可能性はあるかもね」

『でしょ?』

「でも瑠魅香、百合香でないと癒しの間へのゲートは開けられないんでしょ?」

 リベルタの問いは、シンプルでいながら大問題であった。確かに、今まで瑠魅香はゲートを開けた事がない。

 だが、と瑠魅香は言った。

『このアグニシオンがあれば、私でも開けられるはず』

「本当に?」

『…たぶん。きっと。いや間違いなく』

「頼りないわね」

 リベルタは頭を抱えながら、おもむろに立ち上がった。

「いいわ、試してみましょう。オブラ、あなた癒しの間へのゲートの場所、わかるのよね」

 オブラは自分に話を振られるとは思っていなかったのか、慌てて立ち上がった。

「え?は、はい!」

「案内して。瑠魅香を連れて行く」

 そう言って片腕のまま出て行こうとするリベルタの肩を、グレーヌが掴んで止めた。

「待ってよ、あなたその状態で外に出るつもり?」

「瑠魅香を持って行くぐらい、片腕あればできるわよ」

『モノ扱いしないでくれる?』

 剣の中から瑠魅香のツッコミが入ったところで、グレーヌはティージュに向かって頷いてみせた。すると、ティージュはリベルタの後ろに回り込み、ガッシリと腰を抑え込んでしまう。

「ちょっと!」

「あなたはここでおとなしくしてて」

 グレーヌは、瑠魅香入りのアグニシオンをむんずと奪い取ると、ティージュに部屋の奥へ連行するよう指示する。聞こえてくるリベルタの抗議を無視して、オブラを見下ろした。

「私が行く。案内して」

「は、はい」

 

 その頃、同じ第二層。ロードライトが受け持つエリアの隣のエリアで、先刻起きた謎の振動についての報告が、守護する氷騎士に伝えられていた。

「氷騎士ディジット様にご報告申し上げます」

 一人の制服少女氷魔が、天蓋に覆われた寝台の向こうにいる人影に向かって言った。

「氷騎士ロードライト様より、さきほどの振動は魔晶天使の暴走によってエリアや兵士に被害が生じたため、との連絡がありました。現在、同エリアの各所は崩落などの危険があるため、移動される場合は安全のため避けるよう、との事です」

 すると、カーテンの向こうに寝そべっていた影が僅かに動き、甲高い声が返ってきた。

「魔晶天使の暴走?」

「はい。ロードライト様からは、そのように。側近のアルマンド様は、ロードライト様をお庇いになり亡くなられたとの事でした」

「ふうん。ナロー・ドールズの一斉リコールがあったばかりよね。欠陥品ばかりじゃない」

 そう言うと、ディジットと呼ばれた氷騎士は面倒くさそうに、上半身だけを起こした。おもむろにアイスフォンを取り出すと、ニュースをチェックする。

「ふーん。わかった。もういいよ。アルマンドと死んだ子たちに弔文でも送っておいて、あたしの名前で」

「はい。失礼いたします」

 少女氷魔が一礼し、寝台のある間を退出しようとした、その時だった。ディジットが思い出したように声をかけた。

「ちょっと待って」

「はい?」

「ロードライトのやつは何ともなかったの」

 その問いに、連絡係の少女は報告内容を思い出しながら答える。

「報告によるとロードライト様も、だいぶ傷を負われたそうです」

「どれくらい?」

「そこまでは。ただ、アルマンド様が亡くなられる程ですから、それなりのものとは推察されます」

「ふうーん」

 しばし考え込んだのち、ディジットは少女に手をヒラヒラさせた。

「うん、わかった。行っていいよ」

「失礼いたします」

 礼もそこそこに、少女は寝室を今度こそ退出した。誰もいなくなった部屋の中で、ディジットはひとり呟くと、口の端をわずかに上げた。

「…なるほどね」

 

 

 オブラの案内で、アグニシオンを握ったグレーヌは、通路の隅にある癒しの間のゲートの前にやって来た。アグニシオンの中にいる瑠魅香に声をかける。

「どうすればいいの?」

『うーん。とりあえず、ゲートに私を向けてくれる?』

「もう完全に、自分のこと剣だって思い込んでない?」

『おっと、それはまずいな』

 瑠魅香は、この先ずっとアグニシオンとして生活する可能性を考えて、少しばかり戦慄を覚えた。

「ゲートって、あれでいいのね」

「そうです」

 グレーヌがわかりやすいよう、オブラはもう一度シャボンを空間に吹いた。無数の細かな泡がキラキラと、城の持つ氷魔エネルギーに反応して光る中で、一箇所だけ反応がない空間がある。そこが、氷巌城の中にランダムで点在する、癒しの間に至るゲートだった。

「いい?瑠魅香」

『どうぞー』

 瑠魅香の合図で、グレーヌはアグニシオンの切っ先をゲートに向けた。

 が、一向に何の変化もない。

「ダメなんじゃないの」

『うーん』

 瑠魅香は考える。百合香は、ゲートを開ける時に何をしていたか。

『…これでいいのかな』

 瑠魅香は、百合香の真似をして炎のエネルギーを発現させた。すると、突然ゲートが輝き始め、アグニシオンが炎に包まれ始めたのだった。

「あっつい!!!」

 思わずグレーヌは手を離す。しかし、アグニシオンはそのまま光の塊となって、ゲートに一瞬で吸い込まれてしまったのだった。

「るっ、瑠魅香!?」

「成功したみたいですね!」

 オブラは無邪気に喜ぶが、グレーヌはそうでもなかった。

「…次があったらサーベラス様にお願いしよう」

 グレーヌは、炎のエネルギーで毛先が溶けた髪を、ゾッとしながら指でつまんだ。

 

 

『わあ!!』

 ものすごい勢いでアグニシオンとともに癒しの間に転がり込んだ瑠魅香は、ケガをする心配はないものの、なんとなく受け身を取って床に転がった。

『やった、なんとか来れた…のはいいけど』

 いつもの癒しの間である事を確認したのち、瑠魅香は一緒に飛んできたはずのアグニシオンが見当たらず、慌てて周囲を見回した。

『どっ、どこ!?』

 あれがないと百合香が戦えなくなる。いや、最悪素手でもやれるかも知れないが。

 そう思いながら注意深く見回すと、ガドリエルが出て来る泉の脇に、アグニシオンは転がっていた。瑠魅香はほっと胸を撫でおろす。

『心臓に悪いわ』

 心臓などないが、と精神体の自分にツッコミを入れつつ、無理だよなと思いながら、剣のグリップに手をかけてみる。案の定、半透明瑠魅香の手はアグニシオンをすり抜けてしまった。

『参ったな』

 すると、泉の中心が渦巻いて、その上にやはり半透明の、自称女神・ガドリエルが姿を現した。

「瑠魅香、どうかしましたか」

『ガドリエル!』

 今までで一番頼もしく見えるなと思いながら、瑠魅香はアグニシオンを持ち上げるのを諦め、ガドリエルの前に立った。

『ガドリエル、百合香が大変なの。力を貸して』

「何があったのですか」

 

 いつもどおり落ち着いてはいるが、わずかに不安の色を浮かべるガドリエルに、瑠魅香は百合香が白色化した事など、説明できる全てを話した。

「白色化…」

『そうなの。強いのは強いんだけど、まるで取り付く島もないような状態。ガドリエルなら、何か元に戻す方法、わからない?』

「…」

 瑠魅香の真剣な問いに、ガドリエルはだいぶ考え込んでいるようだった。そんなにやばい話なのかと瑠魅香が不安になり始めたところで、ようやく口を開いた。

「おそらく、それは百合香の保護プログラムが働いた結果です」

『…なんて?』

 瑠魅香は、ガドリエルの言う意味がさっぱりわからなかった。ガドリエルは話を続けた。

「私の記憶もかなりの部分が失われていますが、知っている情報に照らし合わせると、百合香は今、何らかの覚醒段階にあると見ていいでしょう」

『覚醒段階?』

「百合香がとてつもない力に目覚めた、というのが何よりの証明です」

 ガドリエルの説明は、状況からすると筋は通っていた。しかし、と瑠魅香は訊ねる。

『じゃあなんで、あんなふうになっちゃったの?覚醒どころか、夢遊病者だよ、あれじゃ』

「瑠魅香が伝えてくれた現在の状況を聞いて、かすかに思い出した事があります。アグニシオンの持つ、本来の役割です」

『本来の役割?』

 瑠魅香は、泉の脇に転がるアグニシオンを見た。

「瑠魅香、アグニシオンが今まで、幾多の激戦を経ていながら、傷ひとつついていないのを、不思議に思った事はありませんか」

『…そういえば、そうだね』

 瑠魅香は、それまでの戦いを思い起こしてきた。基底層の怪物たち、第一層の戦士たち、そしてカンデラやイオノスといった超強敵。その戦いの中で、百合香の鎧がついに砕けたというのに、アグニシオンだけは傷つきも、欠けもしないのだ。

「答えは単純です。アグニシオンは、百合香の魂の欠片だからです」

『魂のかけら!?』

「そうです。彼女がまだ地上にいた時、氷魔に襲われたため彼女の魂が自らを分かち、アグニシオンを生み出したのです」

『ちょっと待って』

 瑠魅香は、眉間に指を当てて質問を整理した。

『なんで百合香が生み出した剣の名前を、あなたが知っているの?』

「それはわかりません」

 ガドリエルの回答は清々しいほどであったが、納得がいかない瑠魅香は食い下がった。

『じゃあ、アグニシオンについてあなたは何を知っているの』

「百合香の魂の中には生まれたその時、おそらくはその遥か以前から、アグニシオンとしての情報が封印されていました。百合香自身を含めて、氷巌城に対抗し得る唯一の手段です」

『…じゃあ、百合香がもしこの土地にいなかったら、どうなっていたの』

 瑠魅香は恐る恐る訊ねる。ガドリエルの回答は、またも簡潔だった。

「仮にどこか遠くの土地に百合香がいたとしたら、彼女がここに辿り着くまでの間に、氷巌城はその計画の第一段階を終了させていたでしょう。人類にはすでに、今よりもはるかに甚大な被害が及んでいたはずです」

『ちょっと待って』

 さっきと同じ事を言って、瑠魅香は再び訊ねる。

『なんで百合香が、そんな都合よく、氷巌城が出現する学園に通っていたの?あまりに出来過ぎた話よね』

「その通りです。私もそう思います」

『…つまり、それが何故なのかも、あなたにはわからないっていうこと?』

 そう訊ねると、ガドリエルは申し訳なさそうな表情を見せた。

「…ごめんなさい。私にも、その理由まではわからないのです。私にあるのは、私は百合香をサポートしなくてはならない、という使命です」

 ガドリエルの声色が弱々しくなるのを聞いて、瑠魅香もまた申し訳ないような気持ちだった。ガドリエルは何かを隠しているのではない。本当に知らないか、あるいは記憶を失っているらしかった。

『…わかった、もういいわ。ごめんなさい』

 そう言うと、改めてガドリエルに向き直る。

『話を逸らしてしまったみたいね。それで、今の百合香を元に戻せるの?』

 ガドリエルは、うつむき加減に思考を巡らせたのち、考えをまとめた。

「確証はありませんが、百合香の中には、力の暴走を抑えるための保護プログラムが組み込まれていた可能性があります。それを施したのが百合香自身なのか、別の誰かなのかはわかりません」

『うん、それはそれでいい。…続けて』

「はい。つまり今の百合香は、おそらく自分自身の力を解放することに、恐れを抱いているのだと思います」

『でも、百合香は強くなりたい、って何度も言ってたよ。力に目覚める事の、何が悪いの?』

 瑠魅香の質問はもっともである。ガドリエルは答えた。

「私の推測に過ぎませんが、目覚めたその力が、あまりにも強大で恐れをなしたのではないでしょうか。その力を自分自身が制御できない可能性を恐れたのです」

『…強大って、どれくらい?』

「あなたが目にした今の百合香の強さは、まだ本当の強さの一端でしかない、ということです」

 それを聞いて瑠魅香はゾッとした。あの強敵の魔晶巨兵を、飽きた人形のように千切ってバラバラにしてみせたのだ。それが力の一端でしかないというなら、全ての力を解放した場合、何が起こるというのか。

『…じゃあ、なに?百合香は、自分が暴走しないように、自分を閉ざしてしまったというの?』

「推測だということは忘れないでください。ですが、わたしに考えられる唯一の推測です」

『じゃあ、百合香を元に戻すには、どうすればいいの!?』

 叫ぶように瑠魅香は問い詰めた。

『私は、百合香の笑顔がまた見たいだけなの!力なんて知らないわよ!暴走するっていうなら、私が抑え込んでやるわ!』

 瑠魅香の声が、百合香のいない癒しの間に響き渡る。そのとき、ガドリエルに閃きが訪れた。

「瑠魅香、わかりました」

『何が?』

「あなたこそが鍵です」

 その言葉の意味は、その時の瑠魅香にはまだわからなかった。



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伝説の女剣士

「来ませんね」

 オブラが壁にもたれてボソリと呟く。オブラとグレーヌは既に40分近く、瑠魅香がゲートから戻ってくるのを待っていた。すると、そこにノシノシと歩いてくる影があった。

「ゲートには入れたのか」

 それは、だいぶ装甲の回復が進んだサーベラスであった。慌ててオブラが立ち上がる。

「サーベラス様、もういいんですか」

「じっとしてたら逆になまっちまう。リベルタのやつが、お前達だけの所に敵が現れたらヤバいってんでな」

「まあ、僕らも瑠魅香さまは、すぐ戻ってくると思ってましたからね」

 そう言われて、サーベラスはひとつ疑問を抱いた。

「なあ、話を聞く限りだと、瑠魅香はそもそも肉体を持っていないんだよな」

「…まあ、そうでしょうね。人間の魂に波長を切り替えた関係上、今さら氷魔の身体にも戻れないでしょうし」

 そうサーベラスに返したグレーヌも、何か気付いたように「ん?」と首をひねった。

「…身体がないのに、どうやってゲートから戻ってくるんだろう」

「な?」

 サーベラスがそうだろう、といった風にグレーヌを指差す。グレーヌは眉間にシワを寄せて訝しんだ。

「まさか、戻ってくる方法がわからなくて時間がかかってるとか…」

「そうなると、しばらく戻らねえ可能性も出て来るんじゃねえのか」

 それは困る。というか、まずいのではないか。そう3人が目を合わせた時であった。

 

『わ―――!!』

 

 突然ゲートが眩く光ったかと思うと、瑠魅香の絶叫とともに、炎の塊が飛び出してきた。

「うわあ!!」

 炎の真正面にいた3人は、慌てて散開する。炎の塊は鳥のような姿になり、一直線に飛んで壁面に激突した。

 激しい打音とともに、炎の鳥は一瞬で聖剣アグニシオンの姿になり、サーベラスめがけて飛んでくる。

「うおお!!」

 すんでの所でかわすと、アグニシオンはそのまま壁にグサリと突き刺さった。熱で煙を上げる壁面を見て、サーベラスはゾッとした。

『いたたた…』

「てめえ、俺を殺す気か!」

 いきり立つサーベラスに、アグニシオンの中から声がする。

『まだ慣れてないのよ!ちょっと、抜いてくれる?』

「…大丈夫なのか、触って」

 サーベラスは、ギラギラと光をたたえるアグニシオンの刃を見て身を震わせた。かつて、サーベラス自身がその肩を破壊された恐ろしい剣である。握ったら手が溶けるのではないか。

『もうたぶん大丈夫』

「お前の言う大丈夫、は何となく不安だ」

『失礼ね!』

 なりはアグニシオンだが、中身は完璧に瑠魅香であった。サーベラスは恐る恐る、指で柄をつついてみるが、指が溶ける様子はない。

「…大丈夫そうだな」

 グリップを太い手でガッシリ握ると、片手で一気に引き抜く。結構深く刺さっていたらしく、壁面の破片がバラバラと落ちた。

「それで、どうだったの?」

 グレーヌが、サーベラスに掴まれたアグニシオン=瑠魅香に事の結果をたずねる。すると、柄の赤い宝石がチカチカと点滅しながら、瑠魅香の声が返ってきた。

『保証はないけど、ひょっとしたら百合香を元に戻せるかも知れない』

「どうやって?」

 グレーヌが問いかけると、他の2人も興味津々で耳を傾けた。瑠魅香の答えは、何とも返事のしようがないものだった。

『あたしがさっきの炎の鳥になって、百合香の中に無理やり入る』

 

 

 その頃、ロードライトが守護するエリアに近付く、制服氷魔の一団があった。

「あなた達、このエリアは現在崩落の危険があるわ。近寄らないようにと、連絡は行ってなかったの?」

 通路に立つロードライト配下の少女二人が、訪れた四人の少女にそう告げた。すると、四人を代表する一人が進み出て言った。

「アルマンド様や亡くなられた方々に、氷騎士ディジット様より弔文を預かって参りました。"このたびの不幸に、ディジット以下全ての兵士は弔意を示します。また、その勇敢さに深く敬意を表するものであります。氷騎士ディジット"…以上です」

 そう告げられた門番の兵士二人は、わざわざ使者まで遣わしてきた事に多少の驚きを見せていた。なぜかというと、ディジットという氷騎士は、ことのほか他者との関わりがぞんざいな事で知られているためである。しかし、来てくれたものに非礼もできないので、門番は形式的ながらも謝意を述べることにした。

「…わざわざの訪問ありがとうございます。ロードライト様および配下一同、ご厚情に深く感謝申し上げる、とディジット様へお伝え下さい」

「確かにお伝えいたします。…ところで、そのロードライト様はご壮健でいらっしゃいますか」

 そう問われ、門番二人はぎくりと背筋を伸ばした。ロードライトはマグショットとの戦闘、さらにその後の魔晶天使との戦闘で、大きなダメージを負って今は動ける状態ではないのだ。ただ、手足が折れたりだとかの状態でない事は僅かな救いではあった。

「ロードライト様は、暴走した魔晶天使との戦闘でわずかに負傷されましたが、深刻なものではありません。どうぞご安心ください」

 とりあえず門番はそう取り繕ったが、まるきり嘘を言っているわけでもない。ディジットの使者は、頷いてみせた。

「そうでしたか。軽傷ということであれば、ディジット様もご安心されるかと思います。快癒をお祈り申し上げます。それでは」

 四人は一礼すると、振り返って通路を戻って行った。門番二人は目を合わせると、一人が報告のためにロードライトのもとへ向かった。

 

「弔問、ですか」

 報告を受けたロードライトは、傷だらけの姿で椅子に座り込んでいた。

「珍しい事もあるものです。アイスフォンで形ばかりの弔文でも届けば、上等だろうと思っていました」

 弔文を届けてくれた相手にずいぶんな言いようではある。しかし、それについて誰も諫める様子はなかった。

「わかりました。私の名前でお返事はしたのですね」

「はい」

「それで良いでしょう。私も回復しだい、直接赴いて謝意を伝えます」

 ロードライトは、下がってよいと身振りで示す。少女兵士は頷くと、ついていた片膝を上げた。

「では、私はまた門の警備に戻ります」

 そこまで言って、ふと少女はロードライトに問いかけた。

「ロードライト様、このような物言いは礼を失しているかと思うのですが」

 突然改まって言われたので、ロードライトは何の事かと思いながらも言った。

「何でしょう。続けなさい」

「はい。その…ディジット様が、なぜわざわざロードライト様のお加減を気にされているのか、と」

「あのディジットが、という事ですね」

 ロードライトは笑う。

「…出過ぎた事を申しました」

「かまいません。ディジットは、誰が死のうと意に介さない女です。そう思うのも無理はありません」

 そう言うと、ロードライトは椅子を降りて手足の調子を見た。まだ戦える状態ではないが、歩ける程度には回復している。

「また彼女は、他者との関わりを嫌う一方で、蔑んだり、罵ったりする事に積極的な御仁でもあります。おおかた、私が傷付いている事に嫌味を言ったつもりなのでしょう」

 それこそ軽蔑するように、ロードライトは溜め息混じりに言った。

「私は気にしておりません。下がってよろしい」

「はい。それでは、失礼いたします」

 深く礼をすると、少女兵士はロードライトの前を辞した。ロードライトは、脇に控えていた別の兵士に訊ねる。

「フロアの修復の状況は?」

「はい。ひとまずナロー・ドールズを使用しての、瓦礫の撤去は順調に進んでおります。床と柱は最優先で復元する予定です」

「わかりました。…それで、例の件は」

 ロードライトが、わざとぼかして言った意味を兵士は理解していた。

「急場しのぎですが、瓦礫を積み上げて隠しています。その旨、リベルタ様のアイスフォンに連絡は入れてあります」

「あの事についても書き添えましたね」

「はい。ロードライト様が言われたとおり」

「よろしい。では、修復を引き続きお願いします」

 そう言うとロードライトは、再び椅子に座って目を閉じた。

 

 

 リベルタは右腕がないのを恨めしそうに思いながら、壁にもたれてアイスフォンの画面を開いた。

「ロードライトの所の子からメールきてるよ」

 開いた画面を、リベルタはティージュ達に示した。ティージュとレジスタンス少女二人はそれを覗き込むが、マグショットは我関せず、棚の上で仰向けに脚を組んで寝ていた。氷魔の回復に睡眠は基本的に必要ないが、眠る事がないわけではない。リベルタは届いたメールを読み上げた。

「百合香はひとまず、瓦礫を周囲に積み上げて隠したって」

「力業ね」

 ティージュは若干呆れながらも、まあそれ以外ないだろうなとも思った。

「あとは瑠魅香たちね。そろそろ戻る頃じゃないかしら」

 リベルタがそう言ってドアを見た、まさにその時だった。ガチャリとノブが回って、グレーヌが現れたのだ。

「ただいまー」

「すごいタイミングね」

「なにが?」

「何でもない。それより、どうだったの」

 リベルタ達の視線が、グレーヌに続いて入ってきたサーベラスの、太い手に握られたアグニシオン=瑠魅香に集中する。

『そんな一斉に見ないでくれるかな』

「上手くいきそうなの?」

 リベルタは瑠魅香の抗議を無視して、話を進めさせた。

『上手くいくかわかんないけど、やってみる。ガドリエルから、新しい魔法を教わってきた』

「なにそれ」

『今の私なら発動できるかも知れない、って。善は急げだよ、早く百合香のところに行こう』

「よし」

 そう言うと、リベルタが立ち上がる。

「ちょっと、あなたはここにいなさいよ」

 グレーヌがリベルタを止めるものの、リベルタはアイスフォンに届いたメールの文面を示して言った。

「ロードライトが、私に渡したい物があるから来てくれ、だって」

「リベルタに?名指しで?」

「ええ。だから私が行かないと」

 それならやむを得ない、とグレーヌはしぶしぶ了解する。そこで、編成をどうするべきかという話になった。

「とりあえず、サーベラス様は来てもらいます」

 なんとなくその場を仕切る事になった、リベルタが言った。一応敬称つきではあるが、すでに単なる仲間扱いである。

「何かあった時、今この状況でまともに戦えるメンバーが他にいない。いいですか」

「いいも何もねえ」

 そう胸を張るサーベラスに頷くと、リベルタはグレーヌを見た。

「グレーヌ、あなたはここの二人と一緒に待機して、マグショットを護って。ティージュとオブラを連れて行く」

「その人数で、何かあった時大丈夫なの?」

「あまり人数が多いと悪目立ちするからね。その時のために、連絡役としてオブラを連れていく。ほら」

 そう言うと、リベルタはオブラにアイスフォンを手渡した。

「あなたにも渡しておくわ。使い方は、道々教えてあげる」

「あ、ありがとうございます!」

 アイスフォンを手にしてはしゃぐ様は、玩具を買ってもらって喜ぶ子供のそれと同じである。リベルタは笑いながら、サーベラス達を向いた。

「それじゃ、行くよ。百合香を元に戻すために」

 全員が力強く頷いて、アジトを後にした。

 

 

 第三層のさらに上に、天守閣を含む塔がある。そこに氷魔皇帝側近、ヒムロデの執務室はあった。

「お呼びでしょうか、ヒムロデ様」

 何となくヒムロデの秘書じみてきた感もある、水晶騎士カンデラがヒムロデの前に跪いていた。ヒムロデは椅子に腰掛けたまま訊ねる。

「カンデラ、ひとつ訊きたい事がある。お前はあの、死んだ侵入者の少女と戦った際に、彼女が持っていた剣を当然、目にしているな」

「はっ!?」

 カンデラの驚きように、ヒムロデが逆に反応した。

「なんだ。何をそんなに驚く」

「い、いえ…は、はい。確かに。目にしたどころか、実際に剣を打ち合いました」

「ふむ。その剣、いずこに消えたかお前はわかるまいな」

 最初から期待していないような口調で、ヒムロデは訊ねた。

「理由があって、私の手の者に行方を探させている。しかし、見つかる気配はない。お前なら何か知っているのではないかと思った次第だ」

 カンデラは一瞬、どう答えるか迷ったものの、ひとつを除いてあるがままを正直に伝える事にした。

「恐れながら、打ち倒した後は例の裏切者どもの邪魔が入り、その後は私には…」

「うむ。いや、私も報告には目を通しているからな。お前がその場を去ったのち、例の怪物に鎧ごと喰われた際に、まとめて粉にされたと見るのが妥当であろうな」

 何か残念そうにヒムロデが言うので、気になったカンデラは思い切って訊ねた。

「ヒムロデ様、あの剣は一体何だったのでございますか」

「気になるか」

「…はい」

「さては、お前が足繁く図書館に通っている事と関係ありか」

 意地悪くヒムロデは笑ってみせたが、カンデラはまたも飛び上がりかけるほどだった。

「ごっ、ご存知で」

「噂にならぬわけがなかろう。最上級幹部のお前が図書館に通い詰めておればな」

「そ、それはその通りですが…」

 カンデラは焦った。別に良からぬ事をしているわけではないが、禁書などという穏やかではない書物に手を触れている事もあり、もし全て明かせばヒムロデや皇帝の不興を買うのでは、と考えてしまうのだ。

「何を調べておる?差し障りなければ申してみよ。私も調べるのは嫌いではない」

 珍しく見せるヒムロデの愛嬌が、今はカンデラには逆にこたえる。どう答えるべきか。そこで、カンデラは「多少隠し事はするが嘘は言わない」という方法を採ることにした。

「は、はい。実はその…いまヒムロデ様より問われた内容と関連しておりまして」

「なに?」

 ヒムロデの表情が少しだけ鋭くなる。カンデラは構わず続けた。

「この際と言っては失礼ですが、ヒムロデ様にお訊ね申し上げます。ヒムロデ様は、はるか過去にこの氷巌城に乗り込んできたという、黄金の女剣士の存在について、ご存知でございますか」

 その問いに、ヒムロデはガタンと椅子を立った。

「…カンデラ、いったい何を調べておる」

 その表情には何か、焦燥のようなものが見て取れた。カンデラはまずい事を言ったかと思ったが、もとより武人の彼は、いざという時は肚を決める剣士である。

「正直に申し上げます。私は、武人としてその剣士に興味を抱きました。そして、此度この氷巌城に乗り込んで来た、あの金髪の女剣士が、その伝説の女剣士と酷似しているという事実にも」

 カンデラの言葉に偽りはないとみたヒムロデは、再び椅子に腰をおろして語った。

「ふむ、そういう事であったか」

「もし、この行為が何らかの咎につながるものであれば、私は全てを忘れます」

「いや、構わん。そのような事を思っているのではない」

 ヒムロデはしばし考えを整理したのち、再び語った。

「カンデラ。その女剣士の名、知りたいか」

「は?…ご存知なのですか!?」

 驚いてカンデラは訊ねた。ヒムロデは、先ほどとは違う笑みを浮かべて言った。

 

「かつて氷巌城に現れ、氷魔皇帝と互角の戦いを繰り広げた女剣士。その名は、本当の名かどうかは不明だが、彼女に同行していた者たちから”ドゥルギーナ”と呼ばれていた、という記録があるという」

 

 その名を、カンデラは復唱した。

「ドゥルギーナ…」

「さよう。そして、彼女が携えていた、炎を吐く黄金の魔剣。これを”アグニシオン”という」

「魔剣…アグニシオン?」

 その響きに、カンデラは何とも不吉なものを感じた。

「まさか、ヒムロデ様が侵入者の剣を探させていた理由とは…」

「うむ。よもやその伝説に聞く魔剣、アグニシオンだったのではないか、と思ったのだ。考えてもみろ。今の人類の科学力とやらで、あんな代物を造れると思うか」

 それはその通りだ、とカンデラは思った。人類の科学力では、氷魔を倒す事はできない。現に、世界中にばらまいた魔氷胚によって、あらゆる兵器は無力と化したのだ。錬金術師ヌルダの計算によると、人間が持つ”核兵器”と呼ばれる原始的な原理の爆弾は、地上にある全てを使い切っても、絶大な魔力で固められたこの氷巌城の外壁はおろか、窓を割る事さえできないという。

 ところが、侵入者の剣は今まで、城の各所を何度も破壊してみせている。すでにその時点で、人類の科学力を超越した存在である。

「その、アグニシオンとは一体、何なのですか」

「うむ。正直に言うと、我々にもわかっている事は少ない。だが、あらゆる記録を私なりに総合してみたうえ辿り着いた推論は、我々氷魔と相反するエネルギーを持った、いわば”太陽の剣”ではないか、という事だ」

「太陽の剣…?」

 いったい何なのだそれは、とカンデラは思った。太陽のエネルギーは、この氷巌城にとって最も脅威となる。そのエネルギーを持った剣を、なぜその女剣士は持っていたのか。そして、あの侵入者・百合香が振るっていた黄金の剣は、果たしてそのアグニシオンだったのか。

 

 その問いが大いなる転換点に自分自身を誘っている事など、その時のカンデラには知りようもなかった。



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右腕

 百合香さんて完璧超人よね。成績もいいし、バスケじゃヒーローだし、おまけに美人だし。羨ましいわ。

 

 何様のつもり?美人で成績も良くて運動神経もあるから、私はあなた達と違うと思ってるの?

 

 いい気になるんじゃないわよ。あなたより上の人なんか世の中にはザラにいる。いつまでも才媛で通るなんて思わないことね。

 

 うわっ、何それ。意識高い系ってやつ?

 

 偉そうにしてるから、罰があたって感染したのよ。いい気味だわ。

 

 榴ヶ岡先輩に可愛がってもらえてるから、あなたに誰も文句を言わないのよ。嫌われてるの、わかってる?

 

 

 

 百合香は、小さい頃から勉強もバスケットボールも、努力を積み重ねてきた。その努力の全てを、誰もが知っているわけではない。

 達成してきた事に、百合香は誇りを持っていた。驕る事はなかった。

 

 しかしその態度を、逆に驕りと捉える人達もいた。達成できたからそんなに余裕があるのだ、何も持っていない人間の気持ちを知っているのかと、面と向かって言われた事さえある。

 嫌がらせもたくさんあった。靴箱を開けたらナメクジが這っていた事もある。誰かは知らないが、自分に嫌がらせをするために、わざわざ湿った土からここまで連れて来たのだろう。

 

 百合香は強い女の子ではあったが、それでも思春期の、まだ未発達な少女に過ぎなかった。

 

 努力してはいけないのか。自分を磨いてはならないのか。なぜ、高みに登った挙げ句、嫌われなくてはならないのか。それならば、自分を抑えてみんなと仲良く楽しく暮らす方が、幸せなのではないか。そんな風に考えた事もあった。

 

 それが、中学2年くらいの頃の事だった。

 

 

 

 

「これで送信。わかった?」

 歩きながらリベルタは、アイスフォンの使い方をオブラに説明した。オブラは飲み込みが早く、通話、メール、ニュース閲覧など、基本的な操作を一通り覚えてしまった。

「わかりました。ありがとうございます」

 アイスフォンを楽しそうにいじるオブラの姿は、やはり子供のそれであった。

「ところで、これって一体誰が作ってるんですか?」

 オブラの質問に、リベルタもティージュも首を傾げた。

「そういえば、そうだね。考えた事もなかった」

「気が付いたらみんな持ってたよね」

「城から支給されてるってこと?」

 ティージュの言葉に、オブラは首を傾げた。

「でも、サーベラス様やディウルナ様クラスの方でも、持ってない人たくさんいますよ。何故なんでしょうか」

「まあそれはそうだが、幹部クラスになると連絡は部下が勝手に取るからな。そもそも必要ないといえば、ないかも知れん」

 元幹部のサーベラスが言う事には、それなりに説得力がある。それに、とサーベラスは言った。

「俺の指で、そのちっこいオモチャを操作できると思うか」

 サーベラスは、オブラの持つアイスフォンに手を比較させてみた。指二本を重ねるだけで、端末がすっぽり隠れてしまう。

「なるほど」

 説得力とはこういうことか、と他の三人は頷いた。

 そうこうしているうち、一行はロードライトが守護するエリアにようやく辿り着いた。あちらこちらが崩落、倒壊した現場では、ナロー・ドールズが制服氷魔の指示のもと、瓦礫の撤去や壁、床の修復作業にあたっていた。

「修復って、どうやってやるんだ」

 その辺は全く関心がないサーベラスはオブラに訊ねた。オブラは呆れたように肩を落としてみせる。

「元幹部なのに知らないんですか」

「悪かったな」

「あれですよ、ほら」

 オブラは通路の脇に積まれた、オーシャンブルーに光るキューブを指差す。四つ重ねるとリベルタの身長くらいの大きさである。

「あれは城から、各所に支給される補修または改装用の魔力キューブです。城内の壁や床は、あれで再生成したり、改造、移動できるんです」

「ああ、そういえば部下どもがグラウンド整備に使ってたな。俺は指示だけしてたから、その辺の細かい事は知らなんだ」

 完全に武人なんだな、とオブラ達は呆れ、かつ敬服してしまう。リベルタが解説を補足した。

「あれで直せるのは城の内部だけです。外壁やメインの柱や壁、基礎などは直せません」

「そうなのか」

「特に外壁と基礎は、我々には調達不可能な特別な素材で造られているようです。どれほどの強度を持つのか、までの情報はありませんが」

 リベルタがそうした情報を収集している事を、サーベラスは感心して聞いていた。基本的に武人であるため、情報収集だとか、計画を立てるといった作業は苦手である。

「ふうむ。レジスタンスってのも、なかなかバカにしたもんじゃないな」

「バカにしないでください」

 少女二人にキッと睨まれ、元幹部は両手を上げて降参した。すると、それまで黙っていた瑠魅香が、サーベラスに握られた聖剣アグニシオンの中から声を出した。

『みんな、急ごう。百合香が心配』

 瑠魅香に急かされてさらに先に進むと、巨大な防衛兵器、魔晶天使と激戦を繰り広げた広間に辿り着いた。本来はその上階がロードライトの間だったのたが、マグショットとロードライトの戦いで床は崩落してしまったのだった。

「ここか。なかなかの戦いだったようだな」

「参加したかった、みたいな口調で言わないでください、サーベラス様」

 オブラのツッコミも、サーベラスはどこ吹く風である。

 ここでも、ナロー・ドールズが瓦礫を運んでいたが、広間の奥に見慣れない壁ができている。

「ロードライトは?」

 ナロー・ドールズに指示を出していた制服氷魔に、リベルタが声をかけると氷魔は振り向いた。

「リベルタ様、お待ちしておりました」

 少女はリベルタに駆け寄ると、手で奥の真新しい壁にある扉を示す。

「あちらでロードライト様がお待ちです」

 

 制服氷魔の少女が扉を開けると、やや手狭で装飾も何もない部屋の奥に豪華な椅子が据えられており、人形サイズのロードライトが静かに座っていた。両脇には、制服の氷魔少女が控えている。

「お待ちしておりました。まあ、これはサーベラス様ではございませんか」

 椅子を降りると、ロードライトは進み出て一礼する。サーベラスは首を傾げた。

「どこかで会ったか」

「以前、上の層でお姿を拝見しました。それにしても、大した度胸でございますわね。氷魔皇帝を裏切って、堂々とこの氷巌城を歩かれるとは」

「ふん、人の事を言えた義理か。陛下、はつけなくていいのか」

「あら、これは私としたことが」

 ロードライトは口元を隠して咳払いする。

「お話は後にいたしましょう」

 ロードライトが制服氷魔に目線で合図すると、氷魔の一人がリベルタの前に進み出た。

「リベルタ様にお渡しする物がございます。こちらへどうぞ」

 そう言うと、リベルタは氷魔の後をついて行く。

「百合香は任せたよ」

 そう言うと、リベルタは氷魔とともに、さらに奥の部屋へと消えて行った。扉が閉じられたあと残された三人は、ロードライトが自ら案内役を買って出た。「百合香さまはこちらです」

 そう言って、別な部屋へ手招きをした、その時だった。

 

「見ぃちゃった!!!」

 

 広間に、後方から響く甲高い声があった。その声に、ロードライトは戦慄した。

「あっ、あなたは!」

 驚くロードライトの視線の先にいるのは、多数の制服氷魔を従えた、同じ制服氷魔だった。他の個体がシンプルなストレートヘアなのに対して、自分はまっすぐに垂らしたツインテールである。勝ち誇ったような視線が、ロードライトに向いていた。

「これはとんでもない場面に出くわしたわね。氷騎士ロードライト様が、裏切り者のサーベラスと接触しているなんて」

「ディジット!!」

 ロードライトが叫んだ名に、サーベラス達は驚いた。それは、氷騎士の名前だったからだ。

「ディジットだと。名前だけは聞いた事があるな」

 サーベラスは、一切動じる様子もなくディジットの前に進み出た。しかし、ロードライトがその横からサーベラスの前に立ちふさがる。

「ディジット、一体何の御用ですか。立ち入り禁止だと通達したはずです」

「アハハハ!!何が通達よ!もう、そっちは裏切り者確定じゃない!」

 ディジットは腕を組んでロードライトを見下ろす。その瞳は、邪悪な意志が形をなしたかのように思えた。

「もっとも、ある意味関係ないけどね。あたしは最初から、アンタを殺しに来たんだから」

「―――何ですって」

「あたしは元からアンタが嫌いだったのよ。人形の分際で、あたしと同じ氷騎士にまでなっちゃって。やれ美しさがどうの、とか。ウザいのよ!」

 ディジットは、怒気がこもった声で吐き捨てた。そこには、罵倒ではなく本物の怒りが込められているように、ティージュには思えた。

「アンタがレジスタンスとやり合って重傷を負ったと聞いて、チャンスだと思ったわ。殺すなら今しかない、ってね!」

「だから、わざわざ人を寄越して私の容態を確認させたのですね」

「そうよ。相手の状況を探るのは戦の基本!」

 両腰に下げた剣を抜くと、ディジットは切っ先をロードライトにまっすぐ向けた。

「ついでに、裏切り者のサーベラスもまとめて解体してやるわ。あたしの手柄に役立つのを、せいぜい喜ぶことね!!」

 高笑いするディジットだったが、その正面に巨大な影が立ちはだかった。

「お嬢ちゃんよ、調子に乗るのはけっこうだが、解体されるのはてめえの方かも知れねえんだぜ」

「ふん、裏切り者ふぜいの遠吠えなんか怖くもないわ」

 二本の剣を交差させて構えるディジットの両翼に、剣を構えた少女たちが展開してサーベラスたちを包囲した。サーベラスは、アグニシオンをティージュに手渡す。

「ティージュ、百合香は任せた」

「えっ!?」

「早く行け!!」

 サーベラスの一喝に、ティージュはビクリとしてアグニシオンを受け取ると、ロードライト配下の少女に声をかける。

「百合香は!?」

「こちらです!」

 ティージュはサーベラスを信じて、アグニシオンを携えその場を駆け去る。それを確認したサーベラスは、改めてディジットに向き直った。

「こちとら、まともに戦えてないもんで色々溜まってるんだ。せいぜい楽しませてみろや!!」

 サーベラスが取り出した、身の丈をはるかに超える大剣の迫力に、ディジットの配下の少女兵士たちは一瞬怯んでわずかに後退した。

「どうした。かかってこい!!」

 サーベラスの野太い声が響き渡る。ディジットはそれを恐れる風もなく、不敵に笑みを浮かべた。

「そんなに死にたいなら、逝かせてやるわ!!」

 ディジットは、サーベラスめがけて駆け出す。かと思いきや。

「死ね!!!」

 一瞬で方向転換するとディジットは、二本の剣を挟み込むように、ロードライトの首めがけて振り下ろした。最初から、狙いはロードライトだったのだ。

「はっ!」

 ロードライトは、跳躍して上方にかわす。だが、そこへ待ち構えていたかのように、制服氷魔が二体、剣を払ってきた。

「あっ!!」

 ロードライトは、回避不可能な状況に追い込まれた。万全の状態のロードライトであれば、ここから如何ようにでも反撃はできる。しかし、今はまだマグショット戦、魔晶巨兵戦のダメージが深い。ここまでか、とロードライトは思った。

 が、ロードライトの視界が突然、何かに覆われてしまった。

「!?」

 驚く間もなく、ロードライトは上半身を何かに掴まれ、後方の床に投げ出されてしまう。

「きゃあ!!」

 ロードライトの姿が消え、その首を狙っていた剣は宙を舞った。

「邪魔だ、どいてろ」

 その太い手でロードライトを文字通り、人形のように放り投げたのはサーベラスだった。

「ふん!!」

 サーベラスが大剣を横に薙ぐと、制服氷魔少女二体の首が一瞬で宙を舞った。その首から下が、哀れに崩れ落ちる。

「…やるわね」

 一瞬早く一歩下がって見ていたディジットが、舌打ちしてサーベラスを睨む。そこにサーベラスは間髪入れず、大剣を真正面から振り下ろした。

「ぐあっ!」

 二本の剣で受け止めたディジットだが、その凄まじい重圧を伴う一撃に耐えきれず、下半身のバランスを崩してしまった。サーベラスは、獅子の咆哮であるかのように一喝する。

「部下を守ろうともしないような卑怯者が、俺様に敵うとでも思ったか!!」

「なっ…なめるな!」

 ディジットは渾身の力で、大剣を弾き返す。パワーに明らかな差があると見て、大きくその場を後退した。

「ふん、何が氷騎士だ。"拍子抜け騎士"とでも改めたらどうだ」

 剣も罵倒も容赦がないサーベラスだったが、相変わらずディジットは不敵な笑みを浮かべたままだった。

 そして不意にディジットは、その双剣を腰の鞘に戻してしまう。その行動に、サーベラスは何かを感じ取って身構えた。

「さすが、百戦錬磨のサーベラス。カンがいいわね」

「ごたくはいい。何か隠してるんならとっとと仕掛けて来いや」

 戦うのが楽しくて仕方ない、というサーベラスの本性がそろそろ露わになってきたところで、ディジットがパチンと指を鳴らす。すると突然、とてつもない鳴動が広間を襲った。

「!?」

「ロードライト様!」

 ロードライト配下の氷魔が慌てて、その身を抱えて安全な場所まで後退する。鳴動は尚も続いた。ディジットは、勝利を確信したかのように笑った。

「あははは!!卑怯者、ですって!?卑怯者で結構よ!」

 ディジットの癇に障る声が響き渡ったかと思うと、その背後に眩い巨大な輝きが三つ現れた。光が収まった時そこにいたのは、三体の魔晶兵であった。

「なに!!」

 サーベラスは驚愕した。魔晶兵を、運搬する事もなく出現させるなど聞いた事もない。

 だが、サーベラスはその魔晶兵が何かおかしい事に気付いた。首がない。そして、首元には人が収まれるようなスペースが空いているのだ。

「これが私、ディジットの力。私は指ひとつで力ある存在を呼び出せる。自らの力を時間かけて磨くなんて、バカのやる事よ!!」

 そう言い捨てると、ディジットは突然高く跳躍し、魔晶兵の首元にすっぽりと収まってしまった。ディジットに続いて、他の氷魔も乗り込む。

「どっ…どういう事だ!」

「こういう事よ!!」

 ディジットが乗り込んだ魔晶兵は、驚くほどの正確さでサーベラスを狙って拳を振り下ろしてきた。慌てて回避するが、その直りかけていた床が、またも陥没させられた。

「こいつ、速い!」

「当たり前よ!魔晶兵は魂が備わっていないが故に、その行動パターンにも、正確性にも制限がある。だったら、氷魔が乗り込んで頭脳になればいい!」

 今度は、他の二体の魔晶兵がサーベラスを左右から挟撃し、腕からビームを放ってきた。

「死ね!!裏切り者!!」

 ディジットが叫ぶ。しかしサーベラスは回避が難しいとみるや、前進してディジットが搭乗する魔晶兵の正面に突進した。自殺行為に思えたが、ディジットはすぐにその意味を悟った。

「あっ!」

 サーベラスを狙っていたビームを、慌てて二体の氷魔少女は停止させる。そのままでは、ディジットが乗る魔晶兵を直撃してしまうからだ。

「おのれ!」

「年季が違うぜ、お嬢ちゃん!!」

 サーベラスは、力任せに大剣を魔晶兵の胴体に叩きつけた。

「くっ…!」

 これが本当に生身の力かと思うほどの衝撃が、魔晶兵に走る。ディジットは座席から投げ出されそうになるほどだった。しかし、その防御力は並ではなく、わずかに装甲が剥離したにすぎなかった。

「くそっ、硬え!」

「ただの魔晶兵じゃないわよ!」

 ディジットは再び、魔晶兵の拳をサーベラスめがけて振り下ろす。サーベラスはそれを左腕で受けた。

「ぐっ!」

「ふふん、魔晶兵のパンチを受け止めるなんてさすがの馬鹿力ね。でも、三体の強化された魔晶兵に、一人で勝てるかしら!?」

「こっ、この…!」

 抑え込まれている所へ、背後から二体の魔晶兵が迫った。サーベラスめがけて、胸にビームが集束し始める。

 万事休すか、と思われた、その時だった。

「なに!?」

 ディジットは突然の出来事に声を上げた。どこからか巨大な二本の氷の矢が飛んできて、二体の魔晶兵の胸部を直撃したのだ。エネルギー集束装置は正確に破壊され、ビームは直前で発射を阻止されてしまったのだった。

「だっ…誰!?」

 立ち込める煙の奥から姿を現したのは、両腕で巨大な弓を構えた、リベルタの姿だった。

「リベルタ!」

 サーベラスは驚いてその右腕を見る。失われたはずの右腕が、しっかりと元に戻っているのだ。

「おっ、お前、その右腕は!?」

「おしゃべりは、そこの偉そうなツインテールを叩きのめしてからよ。氷騎士ストラトスの一番弟子、レジスタンスのリベルタ、参る!」



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シックスマン

 南先輩が尊敬してる選手って、誰ですか。

 

 ようやく、憧れの榴ヶ岡南先輩と、試合を通じていくらかコミュニケーションが取れるようになってきた頃だった。百合香と同じようにバスケットボールに打ち込んでいる先輩なのだから、指標にしているNBA選手や、日本の女子選手くらいいるだろう。百合香はそう思った。

 

 ところが、帰ってきた答えは全く予想外のものだった。

 

 あたしが目指しているのは、ミハエル・シューマッハー。

 

 先輩は確かにそう言った。聞き間違いか、それとも過去のNBA選手にそういう人がいたのか。なぜ、伝説は伝説でも、バスケどころか球技でさえない、F1ドライバーなのだ。同じミハエル=マイケルなら、マイケル・ジョーダンでいいのではないか。

 

 そう訊ねると、先輩は笑って答えた。

 

 シューマッハーの凄さは、強さを引き受けている所だ。勝つこと、支配することに躊躇いがない。時には脆さ、弱さ、そして汚さも見せたが、それもこれも含めて競技の種目に関係ない、人間としての強さがあると先輩は言った。

 

 その言葉の意味が、百合香にはわからなかった。強さは強さで、それ以上でも以下でもないのではないのか。強さを引き受けるとは、どういう事なのか。

 

 たったひとつ年上の先輩が、まるで20年も経験を踏んだ人間に思えた。

 

 

 

 

「こちらです。急いで!」

 ロードライト配下の少女は、急場に立てられた壁の奥にある、白色化した百合香が隠匿されたスペースにティージュを呼び寄せた。

 壁の外からは、激しい戦闘音が聞こえてくる。もし、ここに百合香がいる事が知られたらまずい。ティージュは、瑠魅香が宿った聖剣アグニシオンを握りしめて走った。

「百合香!」

 厚い壁に阻まれ、暗いスペースに百合香は立ったままだった。表情は、陰鬱で意志が感じられない。いちおう、生きているのは確かなようだ。

「ティージュ様、あとはお任せいたします。私はロードライト様をお護りに參ります」

「わかった。必ず百合香を元に戻して、そっちに行く」

「お願いいたします。では」

 そう言うと、少女は剣を携えて暗いスペースを駆け足で出て行った。

「さて、任せろとは言ったけど。瑠魅香、どうすればいいの」

 ティージュは、アグニシオンの中にいる瑠魅香に呼びかけた。

『うん。ティージュ、少しばかり危険な事をお願いするけど、いい?』

「この部屋を出たって危険は同じよ。何をすればいいの」

『剣の切っ先を百合香の胸に向けて、できるだけ接近して』

「わかった」

 ティージュは迷う事なく、言われた通りに剣を構えた。黄金の剣が、その主である百合香の胸元に真っ直ぐ向けられる。

『ティージュ。今から私は炎の鳥になって、百合香の中に突入する』

「炎の鳥!?」

『そう。だから、あなたは私が百合香の身体に到達した瞬間、この場を脱出して。何が起こるかわからない』

 その説明を聞いて、ティージュは肩をわずかに震わせた。瑠魅香はさらに説明を続ける。

『私はまだ、炎の鳥の姿で自由自在に動く術を知らない。炎のエネルギーがこの場に吹き荒れるかも知れない。いいわね、私が飛び出した瞬間に、全力でここを脱出するのよ』

「わっ…わかった」

 ティージュは、気持ちを落ち着けて左腕でアグニシオンを構えた。最悪、腕が溶けても利き腕は残すためである。

「いいよ、瑠魅香」

『…わかった』

 瑠魅香が言うと、アグニシオンの全身が黄金の輝きに満たされて行った。

「うっ」

 そのエネルギーは、確実にティージュの氷魔としての身体と相反するものだった。ティージュはグレーヌやラシーヌよりも、いくらか頑丈である。自分が来て正解だ、と思った。

『いくよ!』

 アグニシオンはさらに輝きを増す。やがて、オレンジ色のオーラが剣の周囲に現れた。

「うっ…!」

 ティージュは、左腕が軋むのを感じた。しかし、そのまま真っ直ぐに百合香に剣を向ける。

『百合香――――っ!!!』

 聖剣アグニシオンは一瞬で炎の鳥に形を変え、ティージュの手元から百合香めがけて飛び立った。ティージュは瑠魅香が百合香に到達したのを見届けると、振り返って全力で出口にダッシュする。

「うわっ!!」

 背後から猛烈な火炎が、ティージュの背中を焼く。自慢の長い髪を心配しつつドアを飛び出すと、勢いよくドアを閉じた。

「はあ、はあ」

 多少身構えてはいたが炎は猛烈で、ドアを閉じる瞬間も、隙間から炎が吹き出していた。そして、そのドアは内部からの熱と圧力で変形している。あのまま中にいたら跡形もなかったのではないかと、ティージュは震え上がった。

 

 やがて、炎が吹き荒れる音が止むと、ティージュは恐る恐るドアノブに手をかけた。

「…開かない」

 ドアは変形したせいで、引っ張っても開かなかった。ティージュの力なら壊す事はできるだろうが、もし開けたせいで厄介な事になったら怖い。中の百合香はどうなったのか。相変わらず、外からはサーベラス達が戦っている音と振動が伝わってくる。

「…瑠魅香、任せたよ」

 そう言うとティージュは大剣を構え、加勢するために広間へと駆け出した。百合香は心配だが、瑠魅香を信じて今は自分にできる事をやろう、そう思った。

 

 リベルタの加勢があったものの、強化され、かつ自動制御ではなく氷魔が搭乗した魔晶兵三機との戦闘は、楽なものではなかった。

「ほらほら!!弓使いちゃんが加勢しても、そんなものかしら!?」

 ディジットは自らが乗り込んだ魔晶兵のコクピットから、盛大に煽りながらその腕をサーベラスに振り下ろす。サーベラスとリベルタは、三機の位置を把握しながら反撃の隙を見出さなくてはならなかった。

「くそっ、ラチがあかねえ!リベルタ、まず一機を黙らせるぞ!」

 いい加減痺れを切らしたサーベラスが怒鳴ると、リベルタは頷いて大きく後退し、弓を構えた。

「ライトニング・ブレイク!!」

 リベルタが弦を弾くと、巨大な弓から雷光のような矢が放たれ、サーベラスの間近にいた魔晶兵のコクピットに命中した。搭乗していた氷魔は粉々になり、魔晶兵本体にもわずかに亀裂が入った。

「なにっ!!」

 ディジットが唸る。サーベラスは間髪入れず、大剣にエネルギーを込めて一気に振り下ろした。

「フェイタル・スラッシュ!!」

 魔晶兵よりも巨大なエネルギーの刃が、搭乗者のいなくなったコクピットもろともその胴体を一刀両断する。中枢を壊された魔晶兵の、動力部が鳴動を始めた。

「あぶねえ!!」

 サーベラスはリベルタをドンと突き飛ばすと、自身も飛び退いて瓦礫の影に隠れた。次の瞬間、魔晶兵は爆発を起こしてそのままガラガラと崩れ落ち、瓦礫と見分けがつかなくなってしまった。

「よくも!!」

 戦力を失った事で怒りを顕わにしたディジットは、リベルタめがけて魔晶兵の拳を振り下ろす。

「くっ!」

 だが、それはどこからか放たれた波動エネルギーによって弾かれてしまった。

「おまたせ!」

 その波動を放った主は、大剣を構えたティージュだった。

「ティージュ!」

 リベルタは立ち上がると、ティージュと背中合わせに弓を構える。

「百合香と瑠魅香は?」

「わかんない、瑠魅香に任せてきた」

「ようし、邪魔させないようこいつらを片付けるよ!」

 二人は目線を合わせ、力強く微笑む。ティージュは、大剣を水平に構えて一気にディジットとの間合いを詰めた。

「バーカ!自分から死にに来るなんてね!」

 ディジットは魔晶兵の脚を後に引くと、ティージュめがけて強烈な蹴りを繰り出した。

 しかし、その脚に先程と同じ雷光の矢が命中する。

「あっ!!」

 魔晶兵の巨体は大きくバランスを崩す。その隙をついて、もう一本の脚にティージュは大剣を思い切り打ち付けた。

「なっ…!」

 ティージュの一撃で、ディジットの乗る魔晶兵は完全にバランスを崩し、瓦礫の山の中に倒れてしまう。そこへ、コクピットを狙ってティージュが飛び上がった。

「てや―――っ!!」

 ディジットの脳天めがけ、大剣が振り下ろされる。しかし、ティージュはもう一体の魔晶兵の腕に大きく弾かれてしまった。

「うああ――っ!!」

 ティージュの身体は壁面に叩きつけられ、全身に衝撃が走る。

「ティージュ!!」

 リベルタは、ティージュを守るため弓を魔晶兵のコクピットめがけて放つ。だが、それは巨大な腕によって容易く防がれてしまった。

「くそっ!」

「リベルタ、もう一度やるぞ!」

 サーベラスはティージュの前に立ちはだかると、再び大剣を魔晶兵に向けて構えた。リベルタは頷いて弓を構える。

 だが、魔晶兵めがけて弓を構えたその時だった。

「同じ手が通じると思ってんじゃないわよ!!」

 立ち上がったディジットの魔晶兵は、胸からビームをリベルタに向けて放つ。リベルタは慌てて、攻撃のエネルギーを防御に回さなくてはならなかった。

「くうっ…!」

  リベルタが放ったエネルギーは、傘のように展開して魔晶兵のビームを受け流すように防いだ。しかし、手負いのリベルタにはその障壁を維持するだけのスタミナが足りない。すでに、障壁には亀裂が入り始めていた。そこへ、サーベラスが割って入る。

「でえりゃあぁ―――!!」

 猛然とサーベラスは、魔晶兵に向かってタックルを喰らわせる。その衝撃でディジットの機体がバランスを崩し、隣にいた氷魔少女の機体も巻き添えでよろめいた。

「こっ、この馬鹿力め…!」

 ディジットは舌打ちした。何しろ、生身で何度も魔晶兵の巨体を揺るがし、その胴体を一刀両断してみせたのだ。さすがに、もと第三層にいた氷騎士サーベラスだけのことはある、と認めざるを得なかった。

「…イラつくわ」

 ディジットの、怒りをたたえた視線がサーベラスに向けられた。

「大したものね。私が改造した魔晶兵に、ここまで立ち向かえるなんて!!」

 その叫びとともに、最大出力のビームがサーベラスに向けて発射された。

「ぬおおっ!!」

 サーベラスは大剣を突き立て、魔力の障壁を展開してそれを防ぐ。ビームはサーベラスの眼前で弾かれて、後方の壁や床を破壊した。

「いつまで耐えられるかしら!?アハハハハ!!」

「こっ、この…!」

 サーベラスの障壁はビームを防ぎ切ってはいるものの、その状態では全く身動きが取れない。このままでは、サーベラスのエネルギーが先に尽きるのは見えていた。

「サーベラス!!」

 リベルタがディジットに弓を向ける。しかし、そこへもう一機の魔晶兵が立ち塞がった。

「あっ!」

「残念だったわね、弓使い。しょせん、あんた達が鍛錬を重ねようが、"周到に用意された力"には勝てないってことよ!!」

 ディジットの高笑いが、瓦礫の散乱する広間に響き渡った。

 

 

 瑠魅香は、それまでの氷巌城とはまるで違う世界を一人、走っていた。

「百合香――っ!!」

 瑠魅香は叫ぶ。そこは、真っ黒な焼けただれた岩が冷えて固まった大地が、暗い雲に覆われた世界だった。雲の向こうの空が、不吉な赤い色に燃えている。

「百合香、どこ!?」 

 瑠魅香は声を枯らして叫ぶ。

 

 炎の鳥になった瑠魅香=アグニシオンは、白色化した百合香の中に突入を試みた。激しい抵抗があったが、瑠魅香は気力の全てを振り絞って、百合香が張った目に見えない重圧のベールを打ち破り、その魂の中に力づくで入り込んだのだ。

 しかし、百合香の魂は、黒く、暗い世界だった。あの、いつも太陽のように前向きな百合香の心の中だとは、とても思えない。

「百合香、どこ」

 疲れ果てた瑠魅香は、立ち止まって弱々しく呟いた。

 するとその時、微かに声が聞こえた。

「…して。どうして」

 それは、百合香よりも少し幼い声色の、女の子の涙声だった。瑠魅香は、その方向に息を切らせて駆け出した。

「…百合香…?」

 瑠魅香は、ただれた岩の上に座り込んで膝に顔をうずめた、栗毛色の髪の少女を見つけた。百合香より背丈は低い。セーラー服の左袖には、「死ね」「レズビアン」等とフェルトペンで書かれており、片足だけ靴を履いていなかった。

「…百合香」

 瑠魅香は、それが百合香だと直感でわかった。近付いて声をかける。

「百合香、捜したよ。みんなの所へ帰ろう」

 その肩に手を置いて、瑠魅香は優しく言った。聞こえているのかいないのか、百合香はボソリと言った。

「…どうして私は嫌われないといけないの」

「え?」

「どうして。どうして。私はただ、頑張ってるだけなのに」

 その言葉から伝わってきた感情の波に、瑠魅香は衝撃を受けた。どんな記憶があるのかまではわからないが、百合香は今よりも少女だった頃、何かとてつもない精神的な逆境に立たされていたらしい。それは、服に書かれた悪意に満ちた落書き、片方だけない靴と関係しているらしかった。

「頑張れば、いじめられる。どうして?」

「百合香…」

「強くなりたい。けど、強くなるのが怖い」

 瑠魅香は、胸を締め付けられる思いでそれを聞いていた。百合香に、そんな心の闇があるなどとは考えた事もなかった。それに触れられるのが怖くて、瑠魅香は弾き出されたのかも知れない。

 強くなるのが怖い。それは、ガドリエルが危惧していた事と一致していた。百合香は、自分が何らかの覚醒段階にある事に気付いて、自分自身に恐怖したのだ。

 瑠魅香は、それまで見せた事のない百合香の側面に、どう接すればいいのかわからなかった。

「百合香」

 瑠魅香は、今より幼い百合香を強く抱き締めた。

「正直に言うね。今、あなたに何を言えばいいのか、私にはわからない」

 魂の中ではあるが、初めてその腕で百合香に触れながら、瑠魅香はその気持ちを素直に口にした。

「でもね、百合香。私、強い百合香、好きだよ」

 その言葉に、百合香の肩がぴくりと動いた。

「たまに、どうしてこんな大人しそうな顔してるのに、こんなワイルドなんだろう、って思う事もあるけど。それが、そのまんま百合香なんだよね」

 そう語る瑠魅香の腕の中で、いつしか百合香の背丈は元に戻り、その姿もいつものガドリエル女学園高等部の制服に変わっていた。髪も再び、輝くようなブロンドになっている。

「瑠魅香。わたし、怖いの」

 百合香は、震える唇でぽつぽつと語り始めた。

「力が欲しい、って願った時、自分の中に信じられないような力が眠っている事に気付いたの」

「信じられないような力…?」

 瑠魅香は、百合香の言う言葉の意味はわからなかった。それはどういう意味なのか。百合香は話を続ける。

「その力が湧き起こった時、これは私には制御できない、と思った。もしこの力を使えば、私は何をするかわからない。リベルタや、みんなを傷つけてしまうかも知れない。そう思った時、私の心が、私をこの世界に閉ざしてしまった」

 百合香は、自らの魂の中の世界を見渡す。

「これが私の心の奥底なのね。いつも気張っていたけど、本当は不安だらけで、見えない何かと戦っていたんだわ」

 自嘲するように、百合香は言った。その目には、言い知れない悲しさが湛えられている。

 瑠魅香は腕を離し、両肩に手を置いて百合香の目を見据えた。

「百合香。力を恐れる事なんて、ないんだよ」

「…瑠魅香」

「大丈夫。あなたなら、自分自身でその力をコントロールできる。怪物になんてならない」

 瑠魅香の言葉には何の根拠もなかったが、百合香の目からは涙が溢れていた。それにつられて、瑠魅香も泣いてしまう。

「ほんとに泣き虫よね」

「…お互い様でしょ」

 顔をくしゃくしゃにして、百合香は笑う。瑠魅香は、百合香の手を握って言った。

「百合香。私は、あなたが力を制御する手助けなんか、しないからね」

 そう、半ば突き放すように瑠魅香は言う。百合香は、少しだけ首を傾げながら聞いていた。

「私は、あなたが強い事を知っている。だから、必要ない事はしない」

「……」

「そのかわり、あなたが自分自身を信じられるように、私が隣にいる。たとえ、あなたが怪物になったって、時の終わりまで私があなたと共にいる」

「それでも、もし…みんなを傷つけてしまったら」

 そう語る百合香に、瑠魅香は顔を寄せて言った。

「その時は、私があなたを止める。力づくで。今こうして、あなたの中に入って来たように。それができるのは、私だけ。親友の私が、あなたを止める」

「瑠魅香」

 百合香は、その手を強く握り返した。

「あなたがいてくれて、良かった」

「それは私も同じ」

 二人は、額をぶつけて小さく笑う。いつしか、景色はライトに照らされたバスケットコートに変貌していた。百合香は、ガドリエル学園バスケットボール部のユニフォームを着ている。

「百合香、きっと今、リベルタ達が戦ってる。あなたのために」

「そっか。ベンチ温めてる場合じゃないね」

「そうだよ。チームのピンチに駆け付けるのが、スター選手でしょ!」

「そろそろ、シックスマンの出番ってわけか」

 百合香は、いつもの不敵な笑みを見せて言った。瑠魅香は言葉の意味がわからず訊ねる。

「シックスマン?」

「バスケットボールの、強力な控え選手のこと」

「自分で言うかな」

 瑠魅香が呆れると、百合香はクスリと笑った。つられて瑠魅香も笑う。

「迷いはない?百合香」

「…わからない」

 百合香は、まだ不安が見える表情で呟いた。

「でも、あなたが私の中にいてくれるなら、大丈夫」

「そっか。じゃあ、行くよ」

「ええ」

 二人は、コートの真ん中で円陣を組んだ。凛とした声が、コートに高らかに響く。

「ガドリエル――――ファイッ!!!」

 

 

「どわああ―――!!」

 ビームに弾かれたサーベラスが、盛大に瓦礫を跳ね飛ばしながら吹き飛んだ。しかし、その装甲はまだピンピンしている。

「ふん、さすがにしぶといわね。でも次で終わりよ!」

 ディジットが乗った魔晶兵は、改めてサーベラスの眼前に立ちはだかると、胸にエネルギーを集束し始めた。サーベラスは再び障壁を展開しようとするが、態勢が整っておらず、一歩遅れてしまう。

 そこへ、ティージュが大剣を構えて現れた。

「サーベラス様、私が防ぎます!あなたは攻撃態勢を取ってください!」

「ばかやろう!死ぬ気か!」

「みんな、最初から死ぬ気で戦ってるんです!!」

 その叫びが響いた瞬間、冷徹に輝くビームがサーベラスとティージュめがけて放たれた。

「ティージュ!!!」

 リベルタの悲痛な叫びとともに、バーンと音を立ててビームは弾けた。

「なに!?」

 ディジットは、その妙な手応えに違和感を覚えた。

 ビームが弾けるとともに瓦礫や床が吹き飛ばされ、粉塵がもうもうと立ち込める。その中に、ひとつの影があった。

「待たせたわね」

 その透き通るような声は、リベルタ達が待ち望んだ声だった。

 粉塵が晴れた時、ティージュとサーベラスの前に立っていたのは、銀色の髪をなびかせ、厚く白い鎧に身を包んだ、百合香の姿だった。

「百合香!」

 全員が声を揃えてその名を呼ぶ。百合香は、姿は違えども、いつもの力強い微笑みとともにディジットの目を睨んで叫んだ。

「誰だか知らないけど、まだ試合は終わらないわ。選手交替よ!」



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銀髪の剣士

 突如として現れた銀髪の謎の剣士に、ディジットは驚いていた。

「あんた、何者?」

 遠目にもわかるほどのシワを眉間に寄せ、ディジットは苛立ちを隠さず魔晶兵のコクピットから百合香を睨んだ。

「誰かしらね。まあ私が何者であろうと、あなた達がここで敗れ去る結果に違いはないわ」

 百合香が切った大見得に、ディジットはいよいよ怒りを顕わにした。

「貴様ごとき名も知らぬ一介の氷魔、私の敵ではないわ!!」

 ディジットは再び、魔晶兵のビームを百合香に放つ。しかし百合香は、避けるどころか防御の構えすら取らず、直立したままそのビームを防ぎ切ってみせた。

「なに…!!」

「宣戦布告したからには、覚悟してもらうわ」

 ディジットを見据える百合香の右手に、重々しい低周波の響きとともに、白銀の柄と銀色の刃を備えた剣が出現した。その姿は今まで百合香が持っていた剣によく似ているが、何か違う印象をサーベラスは受けた。

「あれはアグニシオンか…?」

「百合香…元に戻ったの?」

 リベルタは、いまだ銀髪のままの百合香を多少不安混じりに見た。外見は生気がなく、ほとんど氷魔のそれである。しかし、その瞳は燃えるように紅く、眼差しはいつもの力強い百合香のものに戻っていた。

 百合香は、ディジットとその配下の乗る二体の魔晶兵に、何ら恐れる様子も見せずゆっくりと向かって行った。

「ふん、どうやら踏み潰されたいらしいわね」

 ディジットは魔晶兵を操り、その角ばった巨大な脚の影が百合香に覆い被さった。

「百合香!」

 リベルタが弓を引き、持ち上げられた脚を狙う。

 しかし、その弓はすぐに下ろされた。なぜなら、百合香に加勢する必要がない事は一目瞭然だったからである。

「ばっ、馬鹿な!」

 ディジットは、揺れる魔晶兵を倒れないよう必死に操縦しなくてはならなかった。百合香を踏み潰そうと上げた脚は、逆に百合香が放つ正体不明の波動によって、押し返されているのだ。

「ぐぐっ…!」

「どうしたの。そのオモチャで私を踏み潰すんでしょ」

「うああっ!」

 百合香は、左手を突き出して全身に力を込めた。すると、やはり目に見えない謎のエネルギーが、ディジットの乗る魔晶兵の巨体を跳ね飛ばし、もう一体の魔晶兵に激突した。

「きゃああ!!」

「うぬっ!」

 ディジットと配下の氷魔は、コクピットから振り落とされまいと必死に耐えなくてはならなかった。

「なっ…何者だ!?これほどの力を持つ者…まさか、水晶騎士か!?」

 ディジットは瞬間的に記憶を辿ったが、思い当たる氷魔など当然いなかった。むろん、氷巌城全ての氷魔を把握しているわけではないが、ここまでの強さを見せる者が知られていない筈はない。

「ええい、どけ!」

 ディジットは、自分の機体に絡まったもう一機の腕を跳ね上げると、再び百合香に向けてビームを放つ。しかし結果は先程と同じで、百合香は微動だにせずビームを跳ね除けながら、悠然とディジットに迫った。

 百合香は、その銀色の剣を高く掲げる。すると、百合香を中心として重力波のような渦が巻き起こり、周囲の瓦礫がグラグラと揺れ始めた。

「あぶねえ、リベルタ伏せろ!!」

 サーベラスは突然叫ぶと、自身も近くにいたティージュの頭を押さえてその場に伏せた。それを見たリベルタも、何かを察して瓦礫の陰に身を低く潜める。

「なんですか!」

「頭を上げるな!」

 ティージュの抗議にサーベラスが返したのに合わせて、百合香はまるで素振りの練習かのように剣を真正面に下ろした。

「まずい」

 ディジットもまた瞬間的に危険を察知すると、突然機体を捨てて跳躍し、もう一機の上に飛び退いて身を伏せた。

 次の瞬間、ディジットが乗っていた魔晶兵の機体は、百合香の剣から放たれたエネルギーに真っ正面から音もなく両断され、その切断面を中心にして全身に亀裂が入ったかと思うと、胴体から指先に至るまで粉々になってしまったのだった。

「なんだと…!」

 ディジットは、その光景をまじまじと見ていた。同じ剣撃でもサーベラスが見せた力任せのものとは、全く異質な何かがある。

 しかし、その後に起きた出来事にディジットは、驚愕を超えて戦慄すら覚えた。

「なっ、なに、あれ…」

 リベルタは、肩を震わせながらその光景を見ていた。百合香が剣を振るった先の空間に暗黒の渦のようなものが出現し、崩れ落ちた魔晶兵の残骸が、渦に吸い込まれるように凝縮し始めたのだ。

 それだけではない。その隣に立っているディジットが退避した魔晶兵もまた、渦から発された引力に引き寄せられ始めた。

「うっ…うわっ!!」

 ディジットは、危険を感じてその場を飛び退き、地面に降り立った。すると、引力に引き寄せられた魔晶兵の左半身が渦に巻き込まれるように粉々に崩壊し始め、むき出しになったコクピットから搭乗者の氷魔少女までもが、渦に引き寄せられ始めたのだった。

「きゃああ――!!」

 少女は悲鳴を上げるも、脱出は不可能に思えた。しかし、百合香が指をパチンと鳴らすと、引力の渦は一瞬で消え去り、少女は瓦礫の上に投げ出された。

「あぐっ!」

 少女は頭から右肩をしたたかに打ち付け、その場に倒れて呻いた。すでに戦闘は不可能であるように思われる。

 すると、そこへ百合香がゆっくりと近付いて、広間の外を指さした。

「逃げなさい。命は助けてあげる」

「ひっ」

 百合香の憐れみを含んだような声色に恐怖して、少女は魔晶兵の機体を捨て、身体を引きずるようにして走り去った。

 

 その時百合香は、何か聞こえるかのように耳を済ました。そこへ、リベルタとティージュが駆け寄る。

「百合香!」

「もう大丈夫なの!?」

 まるで自分たちと同じ氷魔であるかのように真っ白な百合香に、以前と同じように触れられるのを確認し、リベルタ達は安堵の表情を浮かべた。百合香は申し訳なさそうにはにかむ。

「心配かけてごめんなさい。みんなのおかげで、なんとか元に戻れたみたい」

 すると、百合香の中から瑠魅香がぼやいた。

『この子、暴走してた時の記憶がないんだって。わたし、2回も弾き飛ばされたのに!』

「うるさいわね、何回言うのよ!」

 二人のやり取りに呆れつつ、リベルタもティージュも笑い合って安心した。

「間違いなく元の百合香ね」

「真っ白で、私達みたい」

「あら、今の色も素敵だと思うわ」

 完全にガールズトークが始まったところで、百合香は突然、広間の瓦礫の奥に向かって叫んだ。

「仲間を見捨てて隠れるなんて、最低ね。出てきなさい、ツインテール!」

 百合香が剣を向けると、瓦礫は一瞬で弾け飛び、その陰から氷騎士ディジットが、逃げ腰の情けない姿を現した。

「ひっ、こ、殺さないで」

 ディジットは、恥も外聞もなく両手を上げると、壁を背にして後ずさった。その姿に呆れたサーベラスが、大きなため息をつく。

「やれやれ。このザマで氷騎士とは、第二層も大した事はなさそうだな。どうする、百合香」

「この子、氷騎士なのね」

「そうだ。ディジットとか名乗っていたか」

「…氷騎士となれば、生かしておくわけには行かない、と言いたいところだけど」

 そう言って、剣を向けながらゆっくりと百合香はディジットに接近した。ディジットは尚も逃げようともがく。視線は左右をキョロキョロと見回し、完全に狼狽しきっているように見えた。

「お願い、助けて。わ、わかったわ。私もあなた達の仲間になる。だから、ね、いいでしょ」

「仲間?」

「そうよ!私は、魔晶兵やナロー・ドールズの改造が得意なの。きっと、あなた達の力になれるわ」

 それを聞いて、百合香は心底呆れているようだった。

「我が身可愛さだけで味方になるとか言い出す奴、悪いけど信用できないわね」

「そんな!さっき、あなたはあの子を見逃してあげたじゃない!」

「ええ。あなたに見捨てられた、可哀想な子をね」

 百合香は冷たく言い放つ。

「悪いけど、観念してもらうわ」

「まっ、待って!」

 ディジットは見苦しく後ずさるも、ついに諦めたのか、ぴたりと止まってしまった。だが、とどめを刺すため百合香がさらに一歩踏み出した、その時だった。

「観念?ふっ。アハハハハ!!」

 突然、ディジットは歪んだ笑みを浮かべ、高笑いを始めた。

「観念するのはそっちよ。あれをごらん!!」

 そう叫んで、ディジットは右手を瓦礫が散乱する広間の奥に向ける。リベルタ達は、あっと声を上げた。

 そこには、ディジットの配下たちの手で、首に剣をかけられたロードライトの姿があったのだ。その横には、ロードライトを守っていた少女の死体が転がっていた。

「ロードライト!」

 リベルタは叫ぶ。ロードライトは弱々しく答えた。

「わたくしに構わず、戦ってください。皆様の足を引っ張るくらいなら、ここで倒れる事こそ本望です」

「こっ、この…」

 リベルタは、呆れとも何ともつかない苦い表情をロードライトに向けた。ロードライトは、すでに何もかも受け容れる様子を見せている。

「呆れたわね。さっさと叩き斬れば良かったわ」

 百合香は吐き捨てた。ディジットは下卑た笑いを響かせる。

「今更遅いのよ!中途半端に情けを見せた、自分の馬鹿さ加減を呪うことね。さあ、全員武器を捨てて両手を上げなさい!」

 ディジットの命令に、百合香はアグニシオンを柱に向かって投げつけた。ヒビが入っていた柱は折れ、瓦礫の山の横に倒れてしまう。それを見てディジットは鼻白んだ。

「ふん、せめてもの威嚇のつもり?あんたには色々聞きたい事があるわ、銀髪氷魔」

 ディジットは、ゆっくりと百合香に近付くとその目を睨んだ。

「まるで人間みたいね。これが金髪なら、第一層で死んだっていう間抜けな人間の侵入者と間違えそう」

 そう言って百合香の顔をまじまじと見るディジットの表情が強張った。

「いや、違う…お前は…」

 百合香の肌や目を凝視して、ディジットはひとつの確信に至る。

「まっ、まさか、お前は!?」

 ディジットは驚愕した。しかし、その驚愕は外部からの声によって、長続きしなかった。

 

「がっ!!」

「あぐっ!!」

 

 突然、ロードライトを後ろ手に縛りあげていた氷魔と、剣を喉笛に当てがっていた少女氷魔が、続けざまに何かの衝撃を受けて、その場に倒れてしまった。

「なっ、なに!?」

 驚くディジットだったが、少女たちが倒れた背後に現れた何者かの姿を認めると、その場にいる全員があっと声を上げた。

「マグショット!!」

 そう、それは現在レジスタンスのアジトで身体を休めているはずの、拳士マグショットだったのだ。ジャージはまだボロボロであり、さして回復しているようにも見えなかった。ディジットは、目論見が崩れた事と併せて、百合香の正体の事など忘れるほど狼狽した。

「いっ、いつの間に?」

 ディジットの問いは、リベルタやサーベラスの疑問でもあった。いつ、マグショットはここにやって来たのか。というより、誰が呼んだのか。

 そこで、リベルタは一人のレジスタンスを思い出した。ここに一緒に来たのに、戦闘が始まったとたん姿を消した”あいつ”である。

「オブラ、あんたね!?」

 リベルタは、多分この瓦礫の山のどこかにいるであろうオブラに呼びかける。すると、オブラはひょっこりと柱の陰から、アイスフォンを手に現れた。

「へへへ」

「そうか、グレーヌ達にあんたが連絡したのね」

「はい。けど、まさか満身創痍のマグショット様が来るとは予想もしてませんでした」

 オブラの言葉で、全員の視線がマグショットに集中する。マグショットは、ロードライトの前に立ちはだかるとディジットの方を向いて言った。

「雑魚を片付けるくらいなら、この程度の傷は傷のうちに入らん」

 そう言うと、腕組みして百合香を見る。

「百合香、元に戻ったようだな」

「マグショットにも世話かけたみたいね」

「なに、大した事ではない。来てみたら、丁度お前が思わせぶりに柱を倒してみせたからな。俺は柱の陰を回って、この氷魔どもの背後に回れたという事だ」

 それを聞いてディジットはハッとさせられた。百合香は、無意味に柱を倒したのではない。猫であるマグショットの体格なら、柱を陰にすれば隠れて移動できると踏んだのだ。

「まあ借りができたと思っているなら、後は全部お前がカタをつけるんだな」

 そう言うと、ロードライトの前に胡坐をかいてマグショットはいつものごとく、見物人を決め込んだ。ディジットが、憎々しそうにその目を見る。

「マグショット…そうか、お前がロードライトが目の敵にしていたという拳士か」

「ふん、俺も有名になったようだな」

「お前が現れなければ、人形などが私と同格の氷騎士になどならなかったものを!」

 空間いっぱいに響くほどの声で、ディジットは叫んだ。

「何が武の道だ!私の技術の前には、鍛錬の成果など取るに足りぬ戯れ言にすぎぬ!それなのに!」

 ディジットは叫んだ。それは、おのれの技術力に絶対の自信を持つ者の叫びだった。だが、彼女が造り上げた魔晶兵は、百合香の前に敗れ去ったのだ。

 そこへ、ロードライトがゆっくりと進み出た。

「ディジット。あなたは勘違いをしている」

 その言葉に、ディジットはロードライトを睨んだ。

「…なんだと」

「まだわからないのですか。あなたが強力な魔晶兵を造り上げた事、それもまた、ひとつの”道”なのです」

「なに…?」

「己を鍛え上げる事と、何かを造り上げる事。それは形は違っても、同じ”道”なのです。あなたの魔晶兵が敗れ去ったのは、あなたが慢心してそれ以上のものを造り上げなかったため。もし、あなたが精進してさらに強力な魔晶兵を造り上げたのなら、勝敗はどうなっていたか、わからないでしょう」

 ロードライトの言葉を、横にいるマグショットは黙って聞いていた。ディジットは、唇を震わせて叫ぶ。

「黙れ!!貴様ごとき人形に!!」

「百合香!」

 ロードライトは聖剣アグニシオンを拾い上げると、百合香に向かって投げた。百合香は鮮やかにキャッチすると、ディジットに向かって構える。

「お願いします」

 ロードライトは、静かにそれだけ言った。百合香は頷くと、ディジットの目を見据える。

「抜きなさい」

「くっ…」

 ディジットの目は怒りに燃えている。百合香を睨みながら荒々しく、両腰に下げた剣を抜くと、真っ正面に向き直った。

 

 全員が、固唾を飲んで両者の対峙を見守っていた。特にロードライトは、もともとディジットが二刀流の名剣士である事を知っている。空中で十字架を形作るような独特の構えで、ディジットはゆっくりと百合香の動きを読んでいた。

 百合香は、二刀流の相手は初めてであり、どう出てくるか予測できずにいた。それを見切ったのか、ディジットが先に仕掛ける。

「せえぇ―――いっ!!」

 百合香の両サイドから、十字を描くように剣が振り下ろされた。一方を弾いても一方が襲ってくる。百合香は、後方に避ける以外になかった。だが、ディジットはそこに突きを入れてくる。

「は――っ!」

「でやぁっ!!」

 百合香はその剣を跳ねのけると、胴の右側に隙を見出して突きを入れた。しかし、ディジットはもう一本の剣でそれを弾き返す。

「くっ!」

 相手のリーチに留まることを恐れた百合香は、その場を再び後退して、両腕で構える。

「あの、謎の波動は使わないの!?」

 ディジットが、構えを直しながら叫ぶ。百合香も答えた。

「追い詰められたら使うわ。その時は、私の負けよ」

「わけのわからぬ事を!」

 再び、ディジットは両サイドから二本の剣で挟撃してきた。百合香もまた、同じように後退する。しかし、なかなか反撃の隙は見えなかった。

「二刀流はその防御力において比類がない」

 マグショットは、戦いを見守りながら呟く。ロードライトも頷いた。

「あなたも二本のサイを使いますものね」

「うむ。だが、奴の剣はサイではなく、小剣というよりは短いロングソードだ」

「百合香は反撃できますか」

「俺はすでに奴の隙を見出した。百合香がそれに気付けるかだ」

「厳しいお師匠様ですこと」

 ふん、とマグショットは黙り込んだ。

 

 百合香とディジットの戦いはなおも続く。百合香は防戦一方に見えた。

「なんで百合香はあの力を使わないの?」

 リベルタは、不満そうに百合香を睨む。しかし、剣士であるサーベラスとティージュは違った。

「ロードライトの心意気に応えたんだろう」

「そうですね」

 剣士どうしの言葉の意味が、リベルタにはわかりかねた。心意気とは何の事だ。

 そうしていると、百合香がどんどん壁際に追い詰められていった。

「ほらほら、もう後がないよ!」

 ディジットは百合香に、立て続けに斬りかかる。百合香はそれを一本の剣で見事にさばいていた。しかしあるタイミングで、百合香の剣が一歩遅れてしまう。それを好機と見たディジットは、二本の剣を天高く掲げた。

「死ね!!!」

 

 ディジットの剣が今にも百合香を捉えるかに思えた、その一瞬だった。ディジットの胸は、アグニシオンによって完璧に貫かれていた。そのあまりに一瞬の出来事に、その場にいた全員が息を飲んだ。

「がっ…な…ぜ…」

 ディジットの両手から、二本の剣が空しく落ちる。生命の中枢を貫かれたディジットは、崩れ落ちて膝をついた。

「あなたの剣は二刀流であるがゆえに、常に一本を片手で振らなくてはならない。その動作は両腕で一本の剣を握った私より、どうしても鈍くなる」

「だっ…だから、わざと…隙を見せて…」

「違うわ。あなたの剣に隙がなくて、本当は反撃のタイミングを見失ってたのよ」

 百合香の言葉に嘘はない。百合香がバランスを崩した事が、皮肉にもディジットの油断を誘う事になったのだった。

「見事だったわ」

 百合香はそう言うと、膝をついてディジットの手を握った。ディジットは、それまでの歪みが少しだけ後退した、柔らかな笑顔を見せる。

「…ありがと」

 そう言うとディジットは前のめりに倒れ、百合香にもたれるようにして静かに事切れた。



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集結

 二刀流の使い手であり、氷の巨大自動人形・魔晶兵を自ら作り変える氷騎士、ディジットは意識を取り戻した百合香の剣に敗れ去った。今の百合香の実力があまりにも強大なため、はたしてディジットの本当の実力がいかほどのものだったのかはわからない。

 百合香は、無言のディジットを寝かせて手を組んでやると、十字を切って静かに立ち上がった。カトリック校に通う身であるため、それが自然な仕草になっていた。

「本来は、真っ直ぐな心の持ち主だったのかも知れないわね、この子も」

『そうだね。…百合香、後悔してる?』

 瑠魅香が訊ねると、百合香は目を閉じて言った。

「もう、そんなこと言ってられないわ」

 それは、ディジットにとどめを刺した事にいくらか後悔の念がある事を白状するものだったが、百合香の言葉には迷いがなかった。

「この子の心は、すでに救うことができない領域まで歪んでいた。剣を交えて、わかった」

『……』

 瑠魅香は無言だった。瑠魅香自身も、そう感じていたからだ。ディジットの歪んだ心を救うには、倒す以外になかった。だからこそ、ロードライトは百合香にそれを頼んだのだ。

「百合香、辛い役目を押し付けたようで申し訳ありません。…でも、ありがとう」

 まだ回復していない身体を引きずるように、ロードライトが百合香の足元に歩み寄った。百合香は首を横に振る。

「気にしないで。…ディジットと、倒れてる子たちのこと、弔ってあげてね」

「わかりました」

「また、壊しちゃったね。せっかく修理が進んでたのに。ごめんなさい」

 百合香は、自らも広間の再破壊に加担してしまった事を詫びたが、ロードライトは笑ってみせた。

「床や柱は直せます。でも、失われた魂の記憶は戻らないかも知れない」

 その言葉は、その場にいる全員に重くのしかかった。

「百合香。ここから先の戦いは、さらに過酷になるかも知れません。あなたはそれでも、行くのですね」

「もう、覚悟はできてるわ。ここまで来たら、進む以外に私に選ぶ道はない」

 百合香が言うと、周りにいるサーベラス、リベルタ、マグショット、ティージュ、オブラの全員が頷いた。

 すると、そこへバタバタと走ってくる二つの影があった。

「リベルタ!」

 その名を呼んだのは、駆け付けたグレーヌだった。

「百合香、元に戻ったのね!」

 ラシーヌが、百合香に駆け寄ると安心したようにその目を見た。百合香は済まなそうに苦笑する。

「みんな、心配かけたわね。ごめんなさい」

「もう大丈夫なの?」

 グレーヌが問いかけた、その時だった。

「…うっ」

 百合香は、突然ふらついて額を押さえ、片膝をついた。

「百合香!」

「…大丈夫。でも、なんだろう。急に、ものすごい目まいと疲れが」

 揺れる頭を押さえる百合香の傍らに、マグショットが近付いて言った。

「百合香。お前はおそらく、突発的に現れたあの力を使いこなせていないのだ」

「…どういうこと?」

「あの力が何なのかは、俺にはわからん。しかし、お前自身も気付いているのではないか?」

 マグショットの言葉は、百合香の図星を突いていた。百合香は、自分の内側から湧き起こった強大な力を、完全には制御し切れていないのだ。

「正直に言え。ディジットとの戦いであの力を使わなかったのは、使えばどうなるかわからなかったためではないのか」

「…さすが、お師匠様ね。お見通しか」

 百合香は、諦めて座り込むと小さく笑った。

「あの力は私の力に違いないけれど、今の私はその全てを使う事はできない。さっき試しに発動させてみたけど、身体と精神の両方を大きく消耗するのがわかった」

「それじゃ、頻繁には使えないって事?」

 リベルタは、心配そうに百合香の肩と背中を支えた。

「まあ、今はそれでなくても体力なかったからね。回復すれば、ある程度は使えると思う。…限界はあるだろうけど」

「お前はまだ修行が足りんという事だ」

 マグショットは腕を組んでそう言った。

「だが、あの力を使いこなせるようになれば、カンデラのような水晶騎士たちとも戦えるだろう」

「…使いこなせるように、なれるかな」

「お前がそう思わないうちは、達成できん。ドアノブひとつ回す事でさえ、立派なひとつの決意だ。次の段階へ進むドアを開ける勇気はあるか」

「あんがい、詩人なのね」

 百合香は笑う。

「わかった。やってみる」

「それならば、俺も手を貸そう」

「その前に、マグショット達はまず身体を治すのが先でしょ」

 百合香は、連戦でボロボロになったメンバーを見た。すると、ティージュが突然「そうだ!」と声を上げた。

「リベルタ、あなたその右腕はどうしたの?」

 そこで、全員の視線がリベルタの右腕に集中する。上腕から先が折れてなくなっていたはずの右腕が、きれいに元通りになっているのだ。

「うん、ロードライトがね」

 リベルタは、足元にいる人形の氷騎士・ロードライトを示した。今度はそっちに視線が移動する。

「私のせいで右腕を失ってしまわれた以上、私が責任を持って、治させていただきました」

「でも、身体の精錬は時間がかかるはずでしょ」

 グレーヌの指摘に、百合香以外の全員が頷く。人間の百合香は「そうなの?」と言うしかなかった。

「ええ。ですから、ある氷魔の右腕をリベルタ様に移殖したのです」

「移殖!?」

 グレーヌ達は、ロードライトの説明に驚いていた。

「そんな事、できるのか?」

 サーベラスは自分の右腕をさすりながら訊ねた。ロードライトは笑う。

「あなたのような剛腕であれば、準備するだけでひと苦労でしょうけど。リベルタ様は一般的な少女氷魔と変わらないのが幸いでした」

「じゃあ、倒れた少女氷魔の誰かの右腕を?」

 ティージュの問いに、当然そうなるだろうな、と全員が思ったところで、マグショットがリベルタの右腕を見て言った。

「アルマンドか」

 マグショットの言葉に、ロードライト以外の面子は「誰だ」という表情を見せる。百合香が訊ねた。

「アルマンド?」

「この、ロードライトの腹心だった氷魔だ。俺と戦えるほどの実力を有していた」

 

 ロードライトが全員を、広間の奥にある小さな部屋に招いた。そこには、マグショットとの戦いで敗れ去ったドレスの少女氷魔、アルマンドの亡骸が、右腕のない状態で横たえられていた。

「そう。私の右腕は、このアルマンドという氷魔の右腕なの」

 リベルタは、左腕と微妙に異なる右腕を撫でた。

「本当にいいのね、ロードライト。あなたの側近だったんでしょう」

「はい。彼女は理解してくれる筈です。それに」

 ロードライトは言った。

「並の氷魔の腕では、リベルタ様ほどの力には耐えられないでしょう。これ以外に方法はありませんでした」

「…わかった」

 リベルタは、眠るアルマンドの左手を、かつての持ち主の右手で握った。

「この子のぶんまで、私が戦う」

「ありがとうございます」

 ロードライトは、深くリベルタに頭を下げる。

「それで、ロードライト。お前はこれから、どうするつもりだ。事実上お前も城を裏切った事は、遠からず知れ渡る。倒した俺に言われたくはないだろうが、お前の配下もすでに少ない数しか残ってはいるまい」

 マグショットは、ロードライトがおかれた現状を冷徹に言ってのけた。ロードライトは、近くにいた配下の兵士を呼び寄せると、二言三言やり取りをしたのち、マグショットたちを向いて言った。

「私の組織はすでに無いも同然。このうえは、この第二層に留まって、皆様方への追手を食い止める壁になる覚悟です」

「本気か」

 それはすなわち、おそらく死は免れない事を意味する。だが、すでにロードライトは心を決めたようだった。

「まだ、ディジットの配下の兵たちは彼女のエリアに多数残っています。彼女たちはすでに、私があなた方と通じている事を知っているでしょう。もはや、私にこれ以外に道はありません。あなた方は、先へ進んでください」

 ロードライトの覚悟に一同は敬服しつつも、まだ納得できかねる百合香は言った。

「私達と一緒に来るっていう選択肢はないの?」

「そうだな。それが、少なくともお前さん自身が生きて戦える、唯一の方法だと思うぜ。俺たちの盾になる必要はねえ」

 サーベラスの言葉に、ロードライトは暫し黙り込んでいたが、やがて口を開いた。

「お気持ちはありがたく受け取ります。ですが、私にはここで死んだ少女たちへの責任がある。彼女たちが死を賭して守ってくれたこのエリアで、果てるなら本望です」

 そこまで言われては、もはや百合香達には説得の術はない。百合香は、苦々しい顔でロードライトの目を見た。

「…わかった。あなたがそれを選ぶのなら、もう何も言わない」

「最後まで石頭で、申し訳ありません。私は、ここに残って使命を全うします」

 ロードライトの悲壮な覚悟を込めた言葉の続きは、背後から響いた声でかき消された。

「それには及びません」

 百合香たちが振り向くと、そこにはディジットの配下の少女たちが勢揃いしていた。ざっと見て、50から60はいる。

「あなた達…!」

 百合香とリベルタは、咄嗟にロードライトの前に立ちはだかって武器を構えた。しかし、少女たちの行動は意外なものだった。

「えっ!?」

 百合香は困惑した。ディジット配下の少女兵士たちは、百合香の前に一斉に跪いたのだ。

「な、なにを…」

「我々一同、あなた様にお仕えいたします」

「は!?」

 いよいよ百合香は混乱した。あなた様とは、どなた様だろう。

「…誰のことかな」

 百合香は、振り向いて全員に意見を求めた。リベルタが笑いながら言う。

「あなた以外にいないでしょ、百合香」

「なんで!?」

 筋がおかしくないか。百合香は、たった今彼女たちの将、ディジットを葬り去った張本人である。仇討ちで斬りかかってくるのが自然に思えた。

 すると、一団のリーダー格らしき少女が立ち上がった。

「お話は全て伺いました。我ら、百合香様を新たな主として仰ぐ事に、異存ありません」

「な…なんで?」

 主としては間の抜けた口調だったが、百合香はひとまずその理由を問うた。少女は答える。

「私達は、ディジット様にお仕えしておりました。しかし、ディジット様は次第に、心が歪まれてしまった。もはや、私達ではお支えできない程に」

 その言葉の端々に、それでもディジットを主として支えたかった、という気持ちが表れているのを百合香は感じていた。少女は続けた。

「それでもディジット様はお強い。私達では、止める事はかないませんでした。あなたが止めて下さったのです」

「私は、彼女にとどめを刺したのよ。私を恨む事こそ、筋なのではなくて?」

「いいえ。あなたは、ディジット様の手を組み、祈りまで捧げて下さった。それに、私達の兵の一人を、見逃しても下さいました。主として仰ぐべき方であると、心得たまでのことです」

 少女の言葉に嘘はなさそうだった。しかし、だとしても百合香は困惑していた。突然、数十もの少女たちが配下につくと言われても、どうしていいかわからない。そこへ追い打ちをかけるように、サーベラスが百合香の背中をバンと叩いた。

「いよいよ年貢の納め時だな、百合香よ。お前はやはり、上に立つ器の持ち主だった。俺は最初から、そう睨んでいたぜ」

「…主君がなんで年貢を納めなきゃいけないのよ」

「はっはっは!何でもいいじゃねえか」

 すると、サーベラスは百合香に代わって少女達に言った。

「お前ら、百合香のもとにつくのはいいが、城に楯突く事になるんだぞ。覚悟はできてるのか」

 すると少女たちは迷うことなく言い放った。

「我らの主は百合香様です。氷巌城にあらず」

 それは、まさに兵士がそれまでの主君を裏切る瞬間だった。明智光秀か小早川秀秋か、といった所だが、ともかく覚悟は定まっているようだった。百合香は正直、頭を抱えてしまった。

「どうしよう、瑠魅香」

『どうにもならないんじゃない?百合香に任せるよ』

「あなただって私の半分なんだから、何か意見くらい言いなさいよ!」

 百合香が突然、あらぬ方向を向いて誰かと話し始めたので、少女たちは少し困惑しているようだった。

『部下を従える方法がわからないなら、従えた事がある人に任せればいいじゃん』

「え?」

 瑠魅香の提案に一瞬首を傾げたものの、百合香は「なるほど」と頷いた。

「あっ、わかった」

 百合香はポンと手を叩くと、ロードライトを振り返って言った。

「ロードライト、この子たち、あなたに預けるわ」

「は!?」

 今度はロードライトが、目を丸くして百合香を見た。

「何を仰っているのですか!?」

「何をって、言った通りの意味よ。あなたはここで、この子たちと今までどおり、このエリアを守って」

「あっ」

 そこまで言われて、ロードライトは理解できたようだった。百合香は、跪く少女たちに訊ねた。

「ねえ、ロードライトが城を裏切った事、よそのエリアや城に、まだ洩らしてないよね」

「はい。知っているのは私達だけです」

「つまり、ロードライトはまだ城側にとっては、氷騎士の一人ということよね」

「その通りです」

 それを聞いて、再び百合香はロードライトを見る。

「そういうこと。ロードライト、あなたはここでこの子達と、来たるべき日のために備えていてちょうだい。今後も氷騎士として動けるなら、情報収集にも有利でしょ」

「来たるべき日、とは?」

「今はまだ言えない。その時が来たら、必ず伝える」

 百合香の回答は曖昧なものだったが、ロードライトは笑って頷いた。

「わかりました。あなたを信じましょう、百合香」

「ありがとう」

 再び百合香は少女たちを向いて、整列するように手で促した。少女たちは、すっくと立って敬礼する。

「うん。聞いてたと思うけど、あなた達は今から、ロードライト直属の兵士として動いて欲しい。わかった?」

「かしこまりました。百合香様のご命令であれば」

「できれば、自分たちの意志でお願いしたいな。ロードライトの事、どう思ってるの?」

 それは、まったく意外な問いかけだった。少女たちは困惑していた。

「ロードライトの事、嫌いかしら」

「とんでもございません。私達にとって、ロードライト様もまた尊敬すべき氷騎士です」

「なら、仕える事に異存はないわね」

「もちろんです」

 少女たちは力強く頷いた。それは、命令に従うだけの兵士の姿ではなかった。百合香は、ロードライトに微笑みかける。

「そういう事だから、よろしくね」

「まったく…まるで、貴女こそわたくしの主君のようですわね」

「ふふふ」

 百合香は冗談めかして笑うが、マグショットとサーベラスはその様子を、やや真剣な様子で見ていた。

「さて、そうなると問題は、ここで起きた事をどう誤魔化すかだな」

 百合香が呟いたそれは、ディジットが倒された事を意味していた。氷騎士の一角が倒されるとは、並の出来事ではない。

「また、事故ってことで工作するしかないんじゃない?」

 グレーヌは軽く言ったが、さすがに氷騎士が死ぬのを事故の線で誤魔化すのは、無理があると誰もが思った。

 そこで、それまで黙っていたオブラがおずおずと意見を述べた。

「あのう…提案なんですが」

 一斉に視線が集中し、オブラはたじろいで後ずさったが、何とか姿勢をただして話を続けた。

「ディウルナ様の協力を仰いではどうでしょうか」

 オブラが示した名前に、ロードライトは驚きの表情で訊ねた。

「あなた方、まさか本当にディウルナ様と通じているのですか?」

「え?言ってなかったかしら。まあ、私達もまだ直接は会っていないんだけどね」

 さも当然のように、リベルタは言った。記憶が正しければ、たしかロードライトがいた場面でディウルナの名前を出したはずだと思った。

「何か、そんな名前を語っていたような記憶はあるのですが、あの時わたくしはエネルギーを使い果たしていて、失礼ながら皆様の会話を端々までは聞き取れていなかったのです。…まさか、ディウルナ様ほどの方まで、味方につけられていたなんて」

「ディウルナって、そんな凄い存在なの?言っても広報官でしょ」

 百合香がぽつりと訊ねると、ロードライトは何をバカな事を、とでも言いたげな顔で言った。

「凄いどころではありません。広報官はあくまでも兼任している役職のひとつで、実際は氷巌城の情報の管理を任されている管理官です。氷魔皇帝やその側近など、城の上層部だけが知っている最重要機密以外は、ほとんど全ての情報が彼によって管理されているのです。階級的には、上級幹部の水晶騎士に匹敵するか、下手をすると上に来るほどです」

「そうなんだ。サーベラスみたいな戦闘能力はない、って言ってたけど」

「…なるほど。あの方らしい言い方ですね」

「え?」

 百合香は、それはどういう意味だろうかと考えたが、ロードライトが話を戻した。

「それで、ディウルナ様とお会いする事はできるのですか、オブラ」

「はい。この第二層にも、アジトをお持ちです。ただ、すぐ会えるかどうかはわかりません。僕の仲間に今、コンタクトを取ってもらっているのですが、アイスフォンを絶対に所持しようとしない方なので…」

 オブラは恨めしそうにアイスフォンを睨んだ。情報の管理官が、情報機器を持たないのは何故なのか。

「まあ、何にせよ次の目的が見えてきたわけだろう。こうしてこれだけの仲間も揃ったんだ。恐れるものなんか、ありはしねえ。なっ、斬り込み隊長どの」

 サーベラスは百合香に向かって腕組みしてみせた。百合香は半開きの目でサーベラスを睨む。

「この間から、その斬り込み隊長って何なの」

「いいじゃねえか、お前が俺たちの隊長だ」

「何でよ!」

 百合香の文句に、全員がどっと笑った。

「もう、何でもいいわよ。…それにしても、今まで何かとバラバラだったみんなが、奇跡的に一堂に会したわね」

 百合香は、自分を中心として集まった頼もしいメンバーを見渡した。サーベラス、マグショット、リベルタ、ティージュ、グレーヌ、ラシーヌ、ロードライト、オブラ、馳せ参じたディジットの元配下の少女たち、そして百合香の相棒の瑠魅香。

 この頼もしい仲間たちがいれば、何でもできるのでないか、と百合香は思った。たった一人でこの城に乗り込んできた、あの時の孤独な百合香はもういない。いよいよ、ここから本当の戦いが始まるのだ、という予感に百合香は不安と高揚の両方を感じていた。



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疑惑

 オブラのもとに、猫レジスタンス組織「月夜のマタタビ」のメンバーが連絡役でやって来たのは、ロードライトのエリアをひとまず彼女に任せて、いったんリベルタ達のレジスタンス組織「ジャルダン」のアジトへ百合香たちが移動しようとしていた時だった。

 野球帽とスタジャンという謎の服装の猫レジスタンスは、風のようなスピードで現れ、オブラの眼前で瓦礫に脚をひっかけて盛大に転倒した。

「あいた!!」

「何やってるんですか」

 呆れたようにオブラは手を差し伸べる。猫レジスタンスは立ち上がると、痛む額を咳払いでごまかしつつ、情報を伝えた。

「オブラ、ディウルナ様との面会、ようやく取り付けた」

「本当ですか!」

 オブラと、それを聞いていた百合香たちも驚いていた。それまで、接触を試みながらもなかなか姿を現さなかったのだ。

「それで、場所は?」

「僕が案内する。ついて来て」

「よし、行きましょう百合香さま!」

 振り向いて百合香を見上げる。百合香も、ようやくかという表情で頷いた。しかし、猫レジスタンスはそこで付け加えた。

「待って。ディウルナ様は、人数を制限して欲しいと言ってる。最大で4人程度にしてくれ、だって」

「あ…そうか」

 オブラは百合香達を見渡しながら言った。

「大勢で移動するのは、リスクが大きいためでしょう。百合香さま、メンバーを選んでください」

「私が?うーん、そうだな」

 百合香は顎に指を当てて考えた。サーベラスとのソフトボール対決で、自軍の打順を決めた時の感覚に似ている。すると、サーベラスが口をはさんだ。

「百合香、まずお前が行かなきゃ話にならん」

「…そうか」

 もう、なんとなく「百合香が大将」という空気が出来上がりつつあった。やむ無しに、百合香は手を上げる。

「まずは私と…それから」

 百合香は、振り返ってリベルタを見た。

「あなたも来て。第二層のレジスタンス代表として」

「わかった」

「それと、マグショット。あなた、ディウルナと話がしたいそうね」

 そう言われて、マグショットは若干渋い顔を見せたあと、小さく頷いた。

「うむ。色々と確認したい事がある」

「なかなか見ものの対談になりそうね、癖がある者どうし」

 百合香が意地悪く笑うと、マグショットは「ふん」とだけ返した。

「サーベラスはちょっと目立つから、悪いけどアジトでおとなしくしてて」

「へいへい。いつもこれだ」

「今更だけどあなた、最初に会った時もっと格式張った口調じゃなかった?どっちが素なのかしら」

 本題と全く関係ない事を百合香が指摘すると、全員がどっと笑い、サーベラスは「どうでもいいわ」とかぶりを振った。

「オブラを入れると、これで4人。決まりかな」

 百合香の意見に、全員異存はなさそうだった。グレーヌがリベルタの手を取る。

「私達の代表として、頼んだわよ」

「ええ」

 

 百合香たち、ディウルナとの面会組4人が整列したところで、猫レジスタンスは何かを思い出したようだった。

「やばい、肝心なことを忘れてた。この中で、アイスフォンを持ってるひと」

 言われて、オブラとリベルタが懐から取り出す。すると、猫レジスタンスは「あぶねー」と小声で言った。

「ディウルナ様からのお願いだそうです。アイスフォンはここに置いて行くか、所持するなら魔力を切った状態で、との事でした」

「なにそれ」

 リベルタが怪訝そうにレジスタンスを見る。

「わかりません。ただ、我々全員の安全確保のためだ、と言っていました。そして、できるならここに残るメンバーも、所持しているなら魔力を切っておくように、と」

 そう言われて、後ろにいたグレーヌたちから「えー」というぼやきが聞こえてくる。

「なにそれ。連載小説、ようやく再開したのに」

 ラシーヌが不服そうにアイスフォンの画面を見た。上級幹部カンデラによる、作品の推薦文がページの頭にでかでかと載っており、小説とどっちがメインなのかわからない。

「あんた、あれ読んでたの?」

 ティージュが、ラシーヌを物珍しそうな目で見る。猫レジスタンスは補足した。

「判断はお任せするそうです。ただ、最低限ディウルナ様の下に来られる場合は、さっきの話を厳守、という事でした」

 アイスフォン所持者の全員が首をかしげつつ結局、魔力、つまりスマートフォンでいう電源を切ったのだった。

「これでよし。行こう、オブラ」

「その前に、みなさんに名前くらい名乗ってくださいよ」

 オブラに言われて、野球帽のレジスタンスは「しまった」という顔で姿勢を直し、百合香を見た。

「申し遅れました。僕はオブラの仲間で、セバスチャンといいます。みんなからはセブ、と呼ばれています」

 

 セブの案内で、何やら入り組んだ狭い無機質な廊下を、計5名が進んでいた。5名といっても、うち3名は猫である。

「あのアイスフォンの件、どういう事なんだろう」

 リベルタが、魔力を切って単なる氷の板となったアイスフォンを手に呟いた。

「僕も詳しい事はわかりません。ディウルナ様から、説明があるそうです」

「安全確保のため、って言ってたわよね」

 リベルタの問いに、百合香やオブラも首を傾げた。魔力を入れた状態で所持する事に、何か不都合があるのだろうか。

「前にも聞いたかも知れないけど、そもそもアイスフォンって、氷巌城の誰が造ってるの?」

 氷魔文字が読めない以上、アイスフォンに縁がない人間の百合香は訊ねた。

「実は私達もよく知らない。ちなみに、過去に出現した氷巌城には存在しなかったらしいわ。ストラトスから聞いた話だけど」

 リベルタの話から、どうやら強敵だった氷騎士ストラトスは、過去の氷巌城の時代からすでに存在していたらしい、と百合香は理解した。いったい、どれくらい過去からいたのだろう。

「私達の世界にも、よく似てるというか、ほぼ同一の通信機器がある。スマートフォンっていうんだけど」

 百合香の説明に、他の面々は興味深げだった。

「へえ。じゃ、城の誰かがそれを模倣して造ったって事なんだろうね」

 リベルタの言葉に、全員が改めて考えた。この魔法の通信機器を、氷巌城の誰が造って、普及させたのか。

 その疑問に行き着いたところで、入り組んだ通路の途中でセブは立ち止まると、周囲を警戒した。

「周りに敵はいませんね」

「私は何も感じない。瑠魅香、気配とか感じる?」

 百合香がそれまで黙っていた瑠魅香に訊ねると、瑠魅香はボソリと言った。

『…ごめん、寝てた』

「大層なご身分だこと」

『周囲には何もいないよ。大丈夫』

 瑠魅香のお墨付きで、セブは「よし」と言うと、例によって何もない壁をノックした。すると、壁の向こうから返ってきたのは、意外にも女性の声だった。

『うるさいわね、朝から』

「警察の者ですが、102号室の方をご存知ありませんか」

『お隣さんなら先週引っ越したわよ!』

 だいぶ刺々しい返事のあと、壁がフッと消え去って、奥に続く狭い通路が現れた。この光景も百合香はだいぶ見慣れてきた感がある。百合香とリベルタは、顔を見合わせて苦笑した。

「これ、レジスタンスの標準仕様なの?」

「さあ」

 

 開いた通路に全員が入ると、再び入口は閉じられてしまった。そのままさらに奥へ進むと、何やら百合香には昭和つぽい香りがするデザインの、安っぽいドアが現れた。再びセブがノックすると、今度は聞き覚えのある男性の声が返ってきた。

『南極の氷の溶解も進んでいるようだが』

「心配いりませんよ。世界はもうすぐ凍結しますから」

 だいぶ笑えない合言葉のあと、ドアの鍵が開く音がして『どうぞ』という声がした。代表して、百合香がノブを回す。

 

 ドアの向こうは、それこそ衛星放送の再放送で見た事がある、昭和の探偵ドラマに出てくる事務所といった雰囲気だった。奥のデスクに座っていた人影が立ち上がると、デスクライトに照らされてその姿が見えた。ダブルブレステッドのスーツにハットを被ったデッサン人形、広報官ディウルナである。

「セブ、オブラ、ご苦労」

 鼻にかかったような独特の声で、ディウルナはレジスタンス達の労をねぎらった。

「久しぶりだね、百合香くん。だいぶイメージが変わったようだが」

「新聞屋さんにしては遅れてるわね。いま、こういうスタイルが流行ってるのよ」

「相変わらずだ」

 ディウルナは、以前の黄金で統一された姿から、氷魔と区別がつかない白銀の姿に変貌した百合香を見た。

「ここまで、よく戦ってきた。見事な活躍ぶりだ。手放しで賞賛するよ」

「どういたしまして。カンデラとかいう奴には完敗だったけどね」

「あれは私も予想外だった」

 すると、マグショットが一歩前に進み出て、その鋭い声を響かせた。

「お前がディウルナか」

「これはこれは。そういうあなたこそ、噂の拳法使いマグショット殿とお見受けする。お名前とご活躍のほどは存じ上げておりました」

 ディウルナの口調には、含むような所は特にないが、それが逆にマグショットの癇に障ったようだった。

「聞いたとおり、胡散臭い奴だな」

「これは手厳しい。私はお会いできて光栄ですよ。そして、そちらのお嬢さんは」

 ディウルナは、大きな弓を背負った少女、リベルタを見る。リベルタは進み出て名乗った。

「お初にお目にかかります。レジスタンス組織"ジャルダン"を代表して伺いました、リベルタと申します」

「初めまして。会う約束をしていながら、お待たせして申し訳ない」

「とんでもない。お時間を割いていただけて光栄です」

「ふむ」

 何かリベルタの態度に感心したような様子を見せると、応接用の椅子を勧め、自らはデスクについた。

 百合香とリベルタは隣り合って座り、その横にオブラとセブが座る。マグショットは椅子ではなく、テーブルのど真ん中に胡座をかいてディウルナの正面に陣取った。

「さて、私がここにいられる時間も限られている。何か急ぎの話はあるかな、百合香」

「ええ。氷騎士ロードライト、知ってるわね」

「もちろん」

「彼女が城を裏切って、私達の側についた」

「うむ。ついさっき知った。少しも驚いていないわけではないが、ほぼ予想の範囲内の事だ」

 ディウルナはあっさり言ったが、その情報収集の速さに一同は敬服し、そして呆れていた。百合香は話を続ける。

「それとロードライトの絡みで、ディジットという氷騎士を、私が倒した。これも知ってるわね」

「もちろん」

「じゃあ、ディジットの配下の兵士が全員、私の配下に収まった事は?」

 その報せは、さすがにディウルナにも驚きを持って迎えられたようだった。文字通りハットを脱ぐと、ディウルナはわざとらしく拍手してみせた。

「ブラボー。参った。さすがの私も、そこまでの予測はできなかった」

「あなたも読みを誤る事はあるのね」

「私は神ではないよ。一人の物書きが、物事の全てを見通せる慧眼など持ち得ない事くらい、ちょっと考えればわかる筈だ。人間は、誰かを神格化して思考停止の言い訳にする事が多いがね」

 すると、黙っていたマグショットが口を挟んだ。

「時間がないと言っておきながら、冗長な話をダラダラと吐くやつだ」

「ちょっと、マグショット」

「百合香、お前もお前だ。さっさと本題に入れ。俺はこいつに問い質したい事がある」

 やれやれ、と百合香は溜息をついて姿勢を正した。

「ディウルナ、あなたにお願いしたい事があるの」

「わかっている。ディジットが死亡した件を、君達の仕業ではないように工作しろ、と言うのだろう」

「…察しがよくて助かるわ」

 百合香は、リベルタと怪訝そうに目線を合わせた。

「できる?」

「工作する事は容易だが、さすがにここまで、何度も同じような手法を使いすぎている」

「それは私達も思った」

「ふむ」

 ディウルナはしばらく考え込んだのち、立ち上がって言った。

「嘘は、真実の情報に紛れ込ませてこそ真価を発揮する」

「聞いたようなセリフね」

「うむ。私の考えはこうだ。今回は下手な工作をしない。ディジットが何者かに倒された事を、そのまま報じる」

「なんですって?」

 百合香は、今度こそ疑わしい目でディウルナを見た。

「私の存在を明かせっていうの?」

「そこだよ。君の今の姿をよく見たまえ」

「え?」

 そう言われて、全員が百合香を改めて見た。リベルタが、「なるほど」と唸る。

「氷騎士ディジットは倒された。――正体不明の、謎の氷魔によって。そういう方向に話を持って行くんですね」

「ご明察だ、リベルタくん」

 ディウルナは気障ったらしく、手のひらを向けて言った。

「どうしたわけか今の百合香くんは、氷魔とあまり区分けがつかない。言われてみれば肌の色が少し人間に近いだろうか、という程度だ。実際、相対したディジットが君を氷魔だと思い込んでいたそうだね」

「…なるほど」

「これを利用しない手はない。百合香、君は今から氷魔として行動するんだ」

「え!?」

 百合香のみならず、リベルタ達もその提案には驚いた。

「そうだ。私は新聞、そしてアイスフォンの記事にも、謎の氷魔が裏切ったという情報を流す。城側にも、公式の情報として報告させるよう、上手く計らっておこう」

 その程度は造作もない、とでも言わんばかりである。百合香は訊ねた。

「瑠魅香はどうするの?黒髪の魔女に変身した瞬間、バレるわよ」

「そこはどうにか上手くやるしかないだろう」

「あんがい適当ね」

 百合香は呆れたように肩を落とす。だが、今選べる最良の選択肢である事もわかっていた。正体がわからないものの、少なくともディジットを倒したのは氷魔であるという事になると、謎の金髪の女剣士が生きていたという真実の情報に比べれば、まだいくらか城の警戒は緩い事が期待できる。

「わかったわ。情報操作の手筈はディウルナ、あなたに任せる」

「了解した。急ぎの話はこれでいいかな」

「ええ。あとは、あなたとお話したい人が待ちきれないでしょうから」

 百合香は横目でマグショットを見た。マグショットは、ジロリと百合香に視線を返したのち、ディウルナに向き合った。

「今のやり取りで、ひとまず俺の聞きたい事の半分はわかった」

「ほう」

 ディウルナは再び椅子に腰を下ろすと、後ろにもたれて話の続きを促した。マグショットは、いつものニヒルな調子で話を続ける。

「正直に言おう。俺はディウルナ、お前が実のところ城側の氷魔で、百合香を騙して始末する事を画策しているのでは、と考えていたのだ」

「それはまた。で、今の会話で私の疑惑は晴れたと?」

「お前の言葉に嘘はない。嘘をついている奴は、話をすればわかる」

 マグショットはそう断言した。どういう根拠があるのか、百合香やリベルタにはわからないが、常に感覚を研ぎ澄ましている武闘家としての判断なのだろう、と二人は思う事にした。

「お前が百合香やレジスタンスに偽りなく協力している事、それは確かなようだ」

「ご理解いただけて幸いです」

「だがな」

 マグショットは、テーブルの上に立ち上がってディウルナを見据えた。

「嘘は言っていないかも知れんが、隠している事はある」

 その追及に、一瞬部屋の空気が強張った。それは、以前にマグショットが言っていた懸念である。ディウルナは、少し間を置いて訊ねた。

「ふむ。私が何を隠していると?」

「知れた事。百合香の正体だ」

 その言葉に、聞いていた全員が息を飲んだ。ことに、本人である百合香は目を丸くしてマグショットを見た。

「なっ…何を言っているの?私の正体ですって?」

「百合香、少し待て。俺が問い詰めるのが先だ」

 そう言われると、百合香は黙るしかなかった。マグショットはさらに続ける。

「お前は、百合香に対して”怪物にならぬよう”だとかの妙な格言を伝えたな。それとほぼ平行して、百合香は謎の力に目覚めた。いくらなんでもタイミングが良すぎる。お前は、百合香が今のような状態になる事を、知っていたのではないのか」

 それを聞いた百合香は、いくらかの戦慄を覚えていた。確かに、単なる忠告にしてはタイミングが一致している。しかし、黙って二人のやり取りを今は聞く事にした。ディウルナは落ち着いた様子で訊ね返す。

「私が、百合香くんの何を知っていると?」

「俺が知るものか。知らないからこうして訊ねているのだ。知っている事を正直に言え」

「ふむ」

 ディウルナは、百合香を見て言った。

「いかにも。私は、百合香くんについて、いくらか知っている事がある」

「なるほど。いくらか、ということは、知らない事もある、という事か?」

「その通り」

「では、知っている事を全て話せ」

 マグショットは、いつの間にかサイを両手に構えていた。下手な事を言ったらいつでも斬りかかるぞ、とでも言わんばかりである。そう広くもない室内に、緊張が走った。だが、ディウルナはまったく動じる様子を見せず答えた。

「実のところ私が知っている情報は、あなたが期待するほど核心に迫るようなものではない。推測も混じっている。それでも構わなければ」

「ごたくはいい。さっさと話してもらおう」

 マグショットのサイの切っ先が、ディウルナの胸を向いた。

「いいでしょう」

 ディウルナは、立ち上がるとゆっくりデスクの前に進み出て、手を後ろに組んで語り始めた。

 

「百合香くん。君は人間ではない」



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ice-phone

 ディウルナが言い放ったごく短い一言は、その場の全員を驚愕させるに十分だった。

「…何を言ってるの」

 百合香は、唇を震わせてディウルナに問うた。

「言ったとおりの意味だ、百合香くん」

「私が、人間ではないですって」

 引きつった笑みを浮かべながら、百合香は立ち上がる。

「何を馬鹿な事を言っているの。私は人間よ。いちいち言うのも馬鹿らしいわ」

「こう言っては失礼だが、馬鹿な事を言っているのは君かも知れないのだよ」

「どういう意味」

「ごく単純な話だよ。君は今、こう言っているのだ。この、極低温の城で凍結する事なく自由に歩き回っているが、私は普通の人間である、とね」

「あっ」

 百合香は、それまでさほど気にも留めていなかったシンプルな事実に、ハッとさせられて口をつぐんだ。

「そうだ。この氷巌城で、生身の人間が歩き回る事などできない。君が城に来る前に目撃したであろう、魔力で凍結させられた人々のようにね」

「そっ、それは…」

「いや、君が言いたい事はわかっている。君は間違いなく人間の両親が結び付いた結果誕生した、人間だろう。生物学的にはね」

 百合香は、母親の顔を思い浮かべていた。父親は百合香が物心つく以前に母親と離縁しているが、写真で顔は知っている。金融関係の仕事をしていたらしい、紛れもない人間だ。

「君をいたずらに不安にさらす気はない。だが、そろそろその疑問について考えてもいい頃合いだろう」

「…あなたは、何をどこまで知っているの」

 いつしか、マグショットの質問が百合香の質問に変わっていた。マグショットはこれ以上自分が喋る必要もないと考えたのか、テーブルの端に下がって座り込んだ。

「さきほどマグショットにも言ったが、何もかも知っているわけではない。だが、君が何者であるのか、興味がある…それに、単なる興味だけの問題でもない。今後の戦いと、君自身の心の安定にも関わってくる」

「教えて。知っている事を」

 百合香は、強い調子で言った。ディウルナは、しばし思案したのち、静かに語り始めた。

「まず、人間の定義はわかるかな」

「定義?」

「簡単に言おう。人間は、魂と精神、そして肉体という三つの要素が合わさって出来たものだ。突き詰めればひとつの存在だが、明確に区別される三つの要素にも分かれるのだ」

 それは、癒しの間で自称女神・ガドリエルにも言われた事だった。

「このうち、君の肉体は紛れもなく人間のものだ。そして、肉体を直接的に制御する精神もまた、人間に準ずる」

 そこでディウルナは、勿体ぶるように言葉を途切れさせた。百合香は、その言葉の示すものを考える。

 その時百合香が思い至ったのは、自分の胸の内側から生まれる、あの太陽の輝きだった。

「あ…」

「何か気付いたようだね」

 ディウルナは、百合香自身が何かに気付くのを待っていたようだった。

「そうだ。君が持っている、謎の力。それは、疑いの余地なく君の魂から生まれたものだ」

「つっ、つまり…」

 百合香は、結論を口にするのが怖くて言葉を噛んでしまう。すると、別な声が代わってくれた。

『つまり、百合香の魂は人間のものではない、という事ね』

 それは、ずっと黙っていた瑠魅香だった。ディウルナは答える。

「その通りだ」

『じゃあ、何なの。百合香の魂っていうのは、どういう存在なの』

「白状しよう。それはわからない」

 ディウルナは、降参のポーズを取った。

「私が断言できるのは、百合香くんの魂は人間をはるかに超越した"何か"である、という事だ。それに疑いの余地はない」

「でも、私は生まれてからずっと、人間として暮らしてきたわ!」

「そうかな?これは私の想像、推測になるが、時々、どうして自分はこの人間の世界に馴染めないのだろう、と思った事はないかね?」

 それは、百合香が思っている以上に百合香自身の何かを揺るがした。思わず、目まいを覚えてふらつき、テーブルに膝裏をぶつけた。

「…それは」

「君のプライベートな記憶、感情を傷つけたのなら、申し訳ない。だが、集団というものは常に、異質な存在を排除する意思が働くものだ。あるいは、自分たちより高い意識、能力を持った存在をね。極端な例を挙げれば、イエス・キリストのように」

 百合香以外の面々は、イエス・キリストとは誰だ、という表情をしていた。そして百合香にとって、キリストを引き合いに出されたのは二度目である。

「実は今、ある氷魔にその問題について、調べさせている。というより、その氷魔が自発的に、百合香くんの謎について調べ始めたのだ」

「…誰」

「伏せておこう。だが、君と面識がある」

 すると、マグショットが「ふん」と言った。

「また隠し事か」

「隠している事を白状した、という事で勘弁してほしい。それに、得られた情報は百合香くん、君に伝えると約束する」

 ディウルナは、百合香に正面から向き合ってそう言った。

「自分が何者であるかを知らなければ、自分を真に制御する事はできない。人間と同じ意識のレベルで、人間を超越した力を使いこなす事など、不可能だろう」

 それは、今置かれた百合香の状況を的確に言い表していた。百合香は、自分になぜ強大な力があるのかを理解していない。

「百合香くん、不安になるのは無理もない。だから、今は私を疑ってくれても構わない。何にせよ、真実は自分の手で掴まなくては意味がないからだ」

 百合香は、突然突き付けられた真実の一端に、心が揺らいでいた。しかしまた一方で、それまでの自分にひとつの説明がつく可能性に、静かな興奮も覚えていたのだった。

「私に、今言えるのはここまでだ。あとは、君自身に真実と向き合う勇気があるかどうかだ」

 それは、何となくマグショットに言われた言葉にも通じるものがあった。百合香は、どう気持ちを整理していいかわからず、へたり込むように椅子に腰を下ろした。

「…わかった」

 何がわかったのか自分でもわからないが、百合香はそれだけ言うと黙り込んでしまった。

「こんな所だが、納得して頂けただろうか、マグショット殿」

 ディウルナはあえて空気を読まず、強引にマグショットに話を振った。マグショットもそれを理解したのか、座り込んだまま答えた。

「わかった。調べが進んだら教えろ。俺も、弟子が不安定なままでは稽古がつけられん」

 その言葉に、百合香は少し気が楽になったようだった。ディウルナは、再びデスクに座る。

「もちろんです。さて、これでお話はよろしいですか」

「ああ」

 マグショットが手短に話を終わらせると、ディウルナは抽斗からいくつかの板状の物を取り出し、デスクに並べた。

「さて、時間もない。もうひとつの重要な問題についてです」

 そう述べるディウルナが並べたのは、魔法の通信アイテム、アイスフォンだった。オブラが身を乗り出す。

「持ってなかったのに、今度は一気に何台も揃えたんですか」

「そうじゃない。セブに伝えさせたとおり、君達のアイスフォンの魔力は切ったね」

 リベルタとオブラは頷いて、何も表示されていないアイスフォンを取り出した。

「よろしい」

「なぜ、魔力を切るように指示されたんですか」

 リベルタは不思議そうに訊ねた。すると、ディウルナの口からまたしても、衝撃的な情報が飛び出した。

「結論から言おう。このアイスフォンは、何者かによってその位置や、通信の内容が常に把握されているのだ」

「えっ!?」

 リベルタは、文字通り飛び上がるほど驚いた。椅子に立てかけてあった弓がバタンと倒れる。

「どっ、どういう事ですか!?」

「これもまた、言ったとおりの意味だ。このアイスフォンを制御している、極めて複雑な魔法のプログラムを解読した結果、位置情報を特定の何者かに送信する呪文が組み込まれていた」

 ディウルナは、取り出した1台を示して言った。

「いっ…いったい、誰が?」

「それは調査中だ」

「その…呪文を解き明かしたのは、ディウルナ様なんですか」

「私にはそんな技術はないよ。私の依頼でこれを解き明かしたのは、君達もよく知る氷魔だ」

 ディウルナはそう言って立ち上がると、さらに奥の部屋のドアを開け、一同を招き入れた。

 

 ディウルナの部屋の奥は、ごく短い連絡通路になっており、その奥のドアを開けると、そこは非常に既視感がある一室だった。

 壁には書棚がひしめき、並んだテーブルの上には、三角フラスコやビーカーなどの器具がひしめいている。青白いスパークが小瓶の先端に光っているが、これが炎の代わりになるのだろうかと瑠魅香は思った。

 すると突然、さらに奥の部屋からドカンという破裂音が響いて、もうもうと煙が漂ってきた。

「うわっ!」

「なにこれ!?」

 オブラとリベルタは焦って身構える。すると、煙の向こうから百合香には聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「◆▲&#x!!!」

 テレビでは放送できなさそうな罵声のあと、煙の中から逃げるようにして現れたのは、長髪の錬金術師・ビードロであった。

「ああもう!上手く行くと思ったのに!」

 爆発でさながらアインシュタインのようになった髪を力づくで直しながら悪態と溜息をついたところで、ビードロは自分に集中する視線に気付いた。

「ん?あら、百合香!」

 ビードロはまだアインシュタインが混じっている状態で、百合香に駆け寄ると肩を握った。

「無事だったのね!良かったわ」

「おかげさまで。…一体どうしてここにビードロの実験室があるの?」

 全員の疑問を百合香が代表すると、ビードロは左手でディウルナを示した。

「この新聞記者さんが、私に協力するなら上の階にも実験室を用意してくれる、っていうから」

「研究が捗っているようで何よりだ」

 軽い皮肉を言ったあとで、ディウルナは全員を見た。

「リベルタくん以外は面識があるはずだね」

「ここにいないけど、サーベラスも会っているわ」と百合香。

「さっきも言ったが、アイスフォンに仕掛けられた呪文を解き明かしたのは彼女だ。ビードロ、研究も一段落したようなので説明してやってくれ」

 ディウルナに促されて、いったい何の話だ、と考える仕草を見せたあと、ビードロは素っ気なく言った。

「ああ、あの話」

 

 ビードロはテーブルに置かれたアイスフォンの1台を取り上げると、ひとつの画面を表示した。それは、氷巌城の出来事をまとめたニュースのページだった。百合香には何が書いてあるのか、全く読めない。

「いま開いているこのページ。これを、誰がいつ開いたのかという情報が、常に何者かに送信されるようになっている」

 ビードロは、先程までと変わって少し険しい表情を見せた。

「何者かって、誰ですか」

 オブラが訊ねると、ビードロはディウルナと視線を合わせてから言った。

「わからない。ただ、おそらく全てのアイスフォンに、あらゆる情報をこの氷巌城の何者かに送信するための呪文、プログラムが組み込まれている」

「あらゆる情報って…」

「閲覧した記事、誰かに送ったメール、アイスフォンを持って移動した足跡、撮影した写真、そして通話の内容。全てよ」

 それは百合香にとって、まるで現代社会のスマートフォンそのものの話に聞こえた。

「…何のために?」

「知らないわ。ただ、もしこの情報を手に入れているのが、城側の管理者だったらどうなる?」

「あっ!」

 オブラはリベルタと顔を見合わせて声を上げた。

「そう。各エリアの氷騎士の配下たちの動きから外れて、誰も気付かないような場所に潜んで活動している分子、つまりレジスタンスの行動も把握できるという事よ」

 それを聞いたリベルタは、愕然としてそれまで何気なく使ってきたアイスフォンを見つめていた。今まで身を潜めてきたアジトでも、平然とアイスフォンは使って来たのだ。

「もちろん、無数に存在するアイスフォン全ての情報をチェックできるわけもないけれど。少なくともアイスフォンを所持している限り、その何者かは使用者の居場所を特定できる、という事よ」

「だから、ディウルナ様は魔力を切っておけと…」

 蒼白になるリベルタに、ディウルナは言った。

「アイスフォンは第一層ではごくごく限られた範囲でしか使われていないが、二層より上では広く普及している。上級騎士も、そして皇帝側近のヒムロデでさえもね」

「でも、ディウルナ様はアイスフォンにニュースを掲載されてますよね。あれはどこから発信されているんですか」

 リベルタの質問に、オブラとセブも反応した。

「まとめた原稿を、第三層の執務室に置いてあるアイスフォンで配信している。実は最初から何かあるのではと疑っていたので、こうしてアジトに移動する際は持って移動していなかったのだよ」

 なるほど、とオブラは感心すると同時に、その用心深さに怖さも感じていた。オブラはアイスフォンを貰った時、そんな事まで考えなかったのだ。

「アイスフォンを造っているのは誰なのか、あなたは知らないの、ディウルナ」

 百合香の質問に、ディウルナは口を濁らせた。

「情けない話だが、私の情報網でさえはっきりとは掴めていない。だが、調査を総合すると、この第二層にいる何者かである事は、間違い無いだろう」

「でも、おかしくないですか?そんな情報を得ていながら、なぜ城はレジスタンスの一斉摘発に動かないのか。私が知る限り、レジスタンスのほぼ全員がアイスフォンを所持しているんですよ」

 リベルタの言うことも尤もだと、百合香たちは思った。グレーヌたちも、他のレジスタンス達も、みんな持っている。ひょっとしたらロードライトも持っているかも知れない。

「君の疑問はもっともだ。だが、そこから見えてくる事もひとつある」

 ディウルナは、百合香を向いてわざとらしく訊ねた。

「何か推理しているような表情だね、百合香くん」

 言われて、百合香は難しい表情を見せた。まだ、自分の正体に関するショックから抜け切れていないようだったが、物事を推理するという好奇心がそこから逃避する作用をもたらしていた。

「ひとつだけ見えてきた事がある」

 百合香は、腕を組んで頭でまとめていた考えを述べ始めた。

「私、一人でこの氷巌城に上がって来て、ここまで来たけど。その間、色んな組織に会ってきたわ。サーベラスのチーム、オブラのレジスタンス、リベルタ達。もちろん、敵の氷騎士ごとにそれぞれ様々な組織が存在した。戦闘そっちのけで、音楽に熱中してる子たちもいたわ。そして当然、この先もまだ知らない組織に出会う事になるんだと思う」

 百合香の推理ショーに、もはやビードロを含めて全員が興味津々で耳を傾けていた。激しい戦闘続きだったので、こういう頭を使った会話が新鮮な事もある。

「何が言いたい」

 それまで黙っていたマグショットが訊ねると、百合香は人差し指を立てて言った。

「うん。その中には、今までの常識とはかけ離れた価値観を持った組織、あるいは個人もいると思うの。つまり、単純に戦って勝つとかじゃなく…」

「なるほど。お前の言いたい事、ようやくわかってきたぞ」

 マグショットは頷いた。百合香は、推測した結論を述べる。

「この氷巌城内にある状況は、城側とレジスタンスという単純な対立構造だけじゃない。まだ影も見えないけど、氷魔皇帝やその配下とも、私を含めたレジスタンス側とも異なる、第三の勢力がいるのかも知れない」

 

 

 氷巌城第三層、図書館に本日もやってきた上級幹部のカンデラに、図書館の司書、女氷騎士トロンペはアイスフォンを片手に声をかけた。

「カンデラ様、例の小説の推薦文、拝見しましたわ。まさか、あんな文才をお持ちだとは思いもよりませんでした」

「その、首まである前髪の陰から、よくアイスフォンの画面を読めるものだな」

 顔が見えない女氷騎士に、カンデラは感心しているのか、呆れているのかわからない返事をした。

「推薦文に文才も何もあるまい」

「ご謙遜を。あの推薦文のおかげで、小説の閲覧数が急上昇してますのよ。きっと、作家は喜んでおりますわ」

「本当か?書き手は気分を害さないものだろうか。水晶騎士である私の名に頼った、などと考えはしないものか」

 すると、トロンぺは前髪の陰から笑い声を響かせた。

「ふふふ、考えすぎですわ。カンデラ様は武人であられるせいで、尊厳というものに厳しすぎるのでしょう」

「何を言う。文人も武人も、物事にかける誇りは同じであろう」

「ほほほ。本当に面白い方ですわ」

 トロンぺの笑い声を聞きながら、カンデラは自分自身の変化に驚いていた。それまで彼にあったのは、皇帝陛下に仕えて、戦い、人類文明を制圧するという事だけだった。それが今は、戦いとはある意味で無関係の知識を求める事に熱中し、物語を読み、文章をまとめ、さらには書き手の心を慮るという所まで来た。

「これは本当に私なのだろうか」

 その呟きを、トロンぺは聞こえないふりをして仕事に戻った。



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リリィ

「さて、アイスフォンの問題についての説明はこんなところだが」

 ディウルナは、「何か質問は」と無言で促した。リベルタが、自身の魔力を切ったアイスフォンを持ったまま訊ねる。

「つまり、アイスフォンは今後使わない方がいい、っていう事ですか」

 その質問は当然だった。リベルタたちレジスタンス少女は、連絡の多くをアイスフォンで行っている。それが何者かに傍受されているとすれば、危険極まりない。ディウルナは、ビードロと目線を合わせたのち答えた。

「正直に答えよう。対策ができるまでは使うべきではない。いや、使ってはならない、と決めるべきだな」

「対策?」

「そうだ。ビードロが現在、苦心して研究を続けてくれている」

 苦心、という表現に憤慨したのか、ビードロは咳払いして言った。

「もう完成の目処は立っています」

「それは頼もしい」

 ディウルナが皮肉なのか賛美なのかわからない返答をすると、リベルタが訊ねた。

「対策って、なんですか」

「簡単なことだ。アイスフォンからの情報漏洩を防ぐ仕組みを、いまビードロが研究してくれている」

 それを聞いてリベルタたちは、先程の爆発もひょっとしてその研究のためだったのだろうか、と考えた。ビードロは胸を張る。

「もうすぐよ。アイスフォンの呪文を書き換えるか、何かを物理的に付け加えるか、どっちの方式になるかはわからないけど、基礎はとっくにできてる」

「完成したら、伝えさせる。それまでは、申し訳ないがアイスフォンは使用しないように、リベルタ君の同志諸士らにも伝えて欲しい」

 ディウルナに言われて、リベルタは頷いた。

「そういう事であれば、了解しました」

「けっこう」

 ディウルナはハットの傾きを直しつつ、今度は百合香に向き合った。

「さて、おおかたの話は終わったが、百合香くん。特に君にとって、悪い話と、考えようによっては悪くない話がある。どちらから聞きたいかね」

 なんだその探偵小説にありそうな切り出しは、と百合香は思った。

「…つまり、地上の現状ということね」

「相変わらずの察しの良さだ。そのとおり。聞きたくなければ、それで構わない。任せるよ」

 そう言われても、いまさら聞かないというのも無いだろう、と百合香はディウルナに強張った表情を向けた。

「…悪い方の話からお願い」

「いいだろう」

 例によって、勿体ぶった様子で手を後ろに組みながら、ディウルナは語り始めた。

「百合香くん、君が主に生活していたであろう都市の範囲まで、魔力による凍結が進行している。人間や動物はもちろん、建造物、交通機関、その他都市機能すべてが凍結、停止したそうだ」

「!!」

 百合香は、一瞬心臓が止まるかと思うほどのショックで後ろに倒れかけた。リベルタが慌てて支える。

「百合香、しっかり」

「…ごめん」

 蒼白の表情で、百合香はディウルナを見た。

「どれくらいの範囲なの」

「君達のいうメートル法に換算すると、この城を中心として、半径25から30km圏内、といったところだろう」

 それは、百合香が住む県のかなりの範囲である。当然、母親もすでに学園の生徒たちと同じように、凍結してしまったはずだ。

 百合香の全身は震えていた。リベルタが、倒れないようにしっかりと支える。ディウルナは続けた。

「たぶん君も知っているだろうが、この範囲は拡大していく。どの程度の速度なのかはわからないが、君の住む列島、周辺の島、さらに周辺の国々。最終的には、この星の地上全てが凍結した世界になる」

 ディウルナの淡々とした解説は、百合香のみならず、氷の世界で生きるリベルタ達にも戦慄をともなって聞こえた。

 ビードロの研究室に、重い沈黙が訪れる。それを破ったのは、百合香の中にいる瑠魅香だった。

『そして、生命のエネルギーを吸収し、この氷巌城は安泰となる。もはや、いちいち武力で攻め入る必要さえないわ』

「そのとおりだ」

 ディウルナの声色も、さすがに重みを伴っていた。

「それを、我々は阻止しようというわけだ」

『間に合うと思うの?』

 瑠魅香の問いは、そのまま百合香の不安に直結していた。だが、ディウルナの解答は意外なものだった。

「それはさっき言った、もうひとつの『考えようによっては悪くない話』に繋がってくる」

 そう語るディウルナに、百合香は訝るような視線を向けながらも黙って聞く事にした。

「百合香くん、君はすでに、君の学園の人間たちが凍結しているのを見てきたね」

「…ええ」

「あれは、正確に言うと自然の温度変化による凍結ではない。魔力によって操作された凍結現象だ。凍土に眠るマンモスの死骸、あるいは氷河に何千年も眠っていた古代の登山家の死体との違いは、まだ『生きている』という事だ」

 その言葉に、百合香の目がほんの少しだけ輝いた。

「私の言う意味がわかるね。そう、魔力によって凍結させられた人々や生物は、まだ生きている。というより、生きていなくてはならないのだ。死体では、氷巌城はその生命エネルギーを吸い上げる事ができないからだ」

「……」

 百合香は無言だった。捉えようによっては、殺されるよりも酷い話である。意識を眠らされた状態で、生命だけを吸い取られてゆくのだ。

「それが残酷な話である事は間違いない。尊厳という観点からも、許されない事だ。だが、それでも氷巌城は、氷巌城であるがゆえに、人間を即座に殺す事ができないのだ」

「…魔力による凍結状態である限り、寒波に襲われて生命が維持できなくなる心配はない。そう言いたいのね」

「そう捉える事もできる、ということだ。これが、氷巌城のジレンマだ。つまり、人間たちが凍結して生命を吸い尽くされるまでが、我々が氷巌城から世界を救うための、タイムリミットという事になる」

 世界を救う。ディウルナがそう明言した事に、百合香は軽い驚きを覚えていた。どこか善悪の概念から離れた、超然とした存在にも思えていたディウルナも、はっきりした正義感を持っていたらしい。

「もちろん、人間を救うという目的を無視すれば、我々にタイムリミットは存在しない。だが、少なくともここに集まっている者とその同志たちは、そう考えてはいないはずだね」

 すると、リベルタが進み出て叫ぶように言った。

「当たり前です!私達はただの憤りだけで戦っているわけじゃない。氷魔も人間も、等しくこの星に生きる存在であるなら、一方が一方を滅ぼすような在り方は間違っています。私達は、正義のために戦っているんです」

 リベルタの宣言に、マグショットとオブラも頷いた。

「俺は正義なんて言葉は信じてはいないが、この城のやり方は気に食わん」

「そうです。もっと違う在り方があるはずです」

 全員が口を揃えるのを、百合香は背中で聞いていた。

『だってよ、百合香』

 瑠魅香は、わざとらしく励ますように語りかけた。百合香は、いくらか元気づけられたのか、振り向いて弱々しく微笑んだ。

「そうだね。心配は心配だけど、私達のやるべき事は変わらない」

「そのとおりだ。迷いや不安は、戦いのカンを鈍らせる。前に進む事を考えろ」

 いつものようにマグショットは、腕を組んで無責任に仁王立ちしてみせた。それが、百合香には頼もしかった。

「ありがとう、みんな」

 

 ひと通り話が終わったところで、ビードロは見覚えのある小瓶を6本ばかり持ち出してきた。

「はい、氷魔用の補修剤。使い切ったって聞いたから。今用意できたのは、ここにある分だけだから大事に使ってね」

「効き目があるとは思っていなかったが、助かった」

 マグショットの軽口まじりの礼に、ビードロはジロリと睨みをきかせた。

「なんならその首をちょん切って、この場で改めて効果を検証してもいいのよ」

「お前の冗談は冗談に聞こえん」

 そう言うと、マグショットは小瓶をひとつふんだくって懐に仕舞った。百合香以外全員分が入った箱をリベルタが受け取ると、ディウルナは改まって背筋を伸ばす。

「さて、そろそろ私も執務室に戻る。連絡は今までどおり、オブラ君の仲間たちにお願いする。頼んだよ」

「お任せください!」

「何ならこのまま第三層まで一緒に行くかね」

 それは、ディウルナの笑えない冗談であった。百合香は半笑いを浮かべて返す。

「今日あなたが言った中では一番面白いわ」

「それはどうも」

「私、ようやくわかったわ。必要なのは"組織"だと」

 それは、百合香のひとつの宣言であった。

「私一人が強くなっても、この城は落とせない。今までの戦いで痛感した。これは私の戦いだと思っていたけど、そうじゃない。みんなの戦いなの」

「それを解っているのなら、安心だ。任せたよ、"斬り込み隊長"くん」

 その肩書きに、百合香は「またか」という顔をした。ディウルナは、研究室の奥にある鏡の前に立つと、全員を振り向いた。

「それでは、また会おう。レジスタンスの諸君」

 そう言うと、ディウルナの姿は鏡の中に溶けるように、すっと消えて行った。ディウルナが消えたあとの鏡に映る、真っ白な自分の姿を百合香は見た。

「どうやって移動してるのかと思ってたけど、どういう仕組みなのかしら」

「ディウルナは曲者よ。私達に隠してる事がたくさんあるわ」

 意地悪く笑うビードロに、百合香も苦笑した。

「さて、話は終わったけれど。ここからどう動くべきかしらね」

 百合香は、残された面々の顔を見た。すると、リベルタが手を上げた。

「提案。まず、一連の戦闘のダメージが残ってる人達は、アジトで回復を優先する」

 異論をはさむ者はいなかった。ロードライト戦からのディジット戦という激戦の連続で、蓄積されたダメージは相当なものである。百合香もそれに頷いた。

「賛成よ。私は比較的動けるけど、どうする?」

 百合香は腕を振り回して、復活してピンピンしている様子を示した。何やら百合香の参謀じみてきたリベルタは、少し考えて再び提案した。

「そうね。じゃあ、まだ顔を見せてないレジスタンス仲間に挨拶しておきましょうか」

 

 

 氷巌城第二層、ロードライトやディジットのエリアから少し空間を隔てた区域に、リベルタの知己が潜むアジトがあった。いわゆる少数精鋭タイプのチームで、メンバーは4人である。ストラトスから奥義を受け継いだリベルタほどではないが、氷騎士配下の戦力を削ぐなどの実績を誇る。

「ちょっと、マジ?ディジットが謎の氷魔に倒されたって」

 アイスフォンに流れてきた速報に、おかっぱ頭の制服少女氷魔が驚いて、暗い室内を見渡した。部屋の真ん中にはビリヤードの台があり、コインやダイスが転がっている。

「謎の氷魔って何?」

 奥の椅子に座っている、ベリーショートヘアにイヤリングをした少女が、ダーツを的に放って言った。その先端が、的の中央を見事に射留める。

「裏切り者という事でしょうか」

「ディジットを倒せるような実力者、名が知られていない筈はありませんが」

 床に座ってチェスに興じていた、標準的に切り揃えたロングヘアの少女二人組が、ボードから目を離さず言った。ただしそれぞれ、左耳と右耳を出している。おかっぱ少女は速報記事を隅から隅まで読んで、アイスフォンを置いた。

「まだ詳細はわからないみたい。ただ、銀髪の謎の少女氷魔だって」

「そんな奴知らないな」

 ショートヘア少女は、自分もアイスフォンを取り出して記事をチェックした。速報記事の見出しは次のとおりである。

 

【訃報】氷騎士ディジット謎の氷魔に殺害される。銀髪の氷魔目撃情報も

 

「裏切り者なのは間違いありません」

「ここから現場はそこまで遠くないようですし、調べてみますか?フリージア」

 左耳を出したロングヘア少女にそう呼ばれたおかっぱ少女、フリージアは剣の柄を弄びながら思案した。

「うーん。裏切者なら、私達と目的は同じはずだよね」

 その言葉に、ショートヘア少女が反応した。

「どうかな。中には、一匹狼気取りの奴もいるらしいじゃない」

「あの、猫レジスタンスの変わり者とかいう奴?」

「そう。仮にスゴ腕だからって、味方になってくれるかは怪しいよ」

 アイスフォンを置くと、両手で二本のダーツを投げる。今度は的の両端に命中し、真ん中のダーツと並んで水平にきれいな一直線を描いた。

「でも、会ってみる価値はあるかも知れません」

「私もそう思います」

 ロングヘア二人組がそう言ったところで、フリージアは指を立てて「しっ」と言った。

「静かに。誰か来た」

 そう言って、ゆっくりと出入口のそばにフリージアは立ち、聞き耳を立てた。ドアの向こうから、かすかに足音が二つ近付いてくる。リズムは少女氷魔のそれと同じだ。

 足音がドアの前で止まると、不規則なリズムでノック音がした。

「ご予約は入れておいでですか」

 フリージアが訊ねると、すぐに返事があった。

『午後2時に予約を入れた、リベルタと申します』

「お待ちしておりました」

 フリージアが魔法で施錠されたドアを開けると、立っていたのは巨大な弓を背負ったリベルタと、見慣れない銀髪の、剣を握った制服氷魔だった。

「リベルタ、久しぶりね」

「あなたもね。無事で何よりだわ」

 二人は、握手をして再会を喜んだ。フリージアは、リベルタと同行してきた少女にも顔を向ける。

「見ない顔ね。リベルタのお知り合い?」

「偶然知り合ったの」

「ふうん。けど、珍しい髪の色してるわね。銀髪なんて…」

 そこまで言って、フリージアと奥にいた三人に衝撃が走った。

「銀髪…!」

「まさか、あなた!?」

 フリージアは、アイスフォンに流れてきた速報記事を思い出した。確かにその記事には、謎の銀髪氷魔が氷騎士ディジットを倒した可能性が示唆されているのだ。

「ディジットを倒した氷魔って、あなたなの!?」

「その、まさかよ」

 リベルタは、銀髪少女の背中をポンと叩いて紹介した。

「新しく、レジスタンスの仲間になってくれたリリィ。ものすごい腕前よ。頼りになるわ」

 リベルタの紹介に、リリィは謙遜するように微笑んだ。

「初めまして、リリィよ。よろしくね」



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ルテニカとプミラ

「リリィ?初めて聞く名前ね」

 部屋の奥にいたショートヘアの少女氷魔が、ダーツをつまんでクルクル回しながら、剣を携えた銀髪の少女を睨む。すると、ショートヘアの少女は突然リリィに向かってそれを投擲してきた。

「!」

 リリィは、それを難なくキャッチしてみせる。しかし、最初からダーツはリリィの首を避ける軌道を描いていたようだった。

「何するのよヒオウギ!」

 リベルタが、猛然と進み出て抗議する。ヒオウギ、と呼ばれた少女は「ふっ」と小さく笑った。

「ごめんよ。あのディジットを倒したなんていうからには、腕は立つはずだと思ってね」

「洒落が通じない性格も、ほどほどにしてよ」

 呆れたようにリベルタはビリヤード台に腰掛けると、巨大な弓をドンと置いた。

「そんな大きな弓、持ってた?」

 おかっぱ氷魔、フリージアが珍しそうに弓を見る。リベルタの表情がわずかに曇った。

「…ストラトスの弓よ」

「なんですって?」

 フリージアや他の面々が、まさかという顔をした。

「ストラトスは、イオノスとの内紛で同士討ちしたって聞いたわ。なぜ、あなたがその弓を持っているの」

「話したくなかったけど、あなた達には伝えておくか」

 

 リベルタは、幹部である氷騎士ストラトスが同じ氷騎士イオノスとの内紛で同士討ちになった、という報道がデマであり、リリィやサーベラス達との共闘でリベルタがイオノスもろとも倒した、という真相を語った。フリージアたちは、にわかには信じがたい様子だった。

「あのストラトスを…」

「本当のことよ」

「実力差の事もあるけど、リベルタ…よく、自分の師にとどめを刺せたわね」

 フリージアは、その覚悟に敬服している様子だった。リベルタは、苦い表情で首を横に振る。

「後悔がない、といえばウソになるわ。けど、ストラトスはストラトスなりの覚悟があった。そして、私は奥義と、この弓を受け継いだ」

 それきり、リベルタは黙ってしまった。フリージアたちもその心情を察して、それ以上は何も言わなかった。

「ティージュ達はどうしてるの?それと、共闘したっていうサーベラス様は」

「サーベラス様たちは、氷騎士達との連戦でダメージを受けた身体を治してる。正直言うと、私もなんだけどね。今は態勢を整えるのも兼ねて、雌伏の時ってとこ」

「ついでに私達に、その子の顔見せに来たってわけか」

 フリージアは、リリィと名乗った銀髪の少女を見る。氷魔でありながら、その瞳は燃えるように赤い。

「リリィだっけ。ヒオウギが悪いことしたわね」

「気にしてないわ」

 リリィは笑う。その様子に、チェスをしていた二人の長髪の少女がクスリと笑った。

「すごい落ち着きよう」

「百戦錬磨の風格を感じますわ」

 そう言われて、リリィの肩がかすかに動いたのを、ヒオウギは見逃さなかった。

 座っていた長髪の二人は、立ち上がると仰々しく胸元に手を当てて自己紹介を始めた。右の耳を出した方がまず名乗る。

「申し遅れました。わたくし、ルテニカと申します」

「わたくしはプミラ」

「リベルタさんほどの実力はございませんが、お見知り置きを」

 その、ともすれば慇懃にも受け取れる態度に、初対面のリリィは不思議と嫌味を感じなかった。

 

 自己紹介が終わったところで、フリージアはアイスフォンを取り出した。すると、リベルタが慌てて忘れていた話を切り出した。

「そうだ、やばい。肝心な事を伝えないと」

「ん?」

「ディウルナ様からの通達。アイスフォンは、通信内容や位置情報が、何者かにチェックされている事が判明したの。だから、対策が整うまでは使用禁止。これ、レジスタンスのみんなに口頭で連絡してほしい」

 突然そう言われて、フリージアたちは唖然とし、かつ蒼白になった。

「どういうこと!?」

「言った通りよ。アイスフォンを使っていれば、誰がどこに潜んでいるか、その何者かには筒抜けってこと。氷騎士のエリア外で、特定の場所に不自然に潜伏している集団がいたら、まずレジスタンスとみて間違いないって事よ」

 リベルタは、ディウルナがそれを危惧して移動時にアイスフォンを所持しなかったこと、そして錬金術師ビードロがその対策を研究している事を伝えた。

「先に言ってよ!」

「ごめん。失念してた。とりあえず、魔力は切っておいて」

 言われたとおり、フリージア達はアイスフォンの魔力をオフにした。ヒオウギが、落ち着かない様子で部屋を見回す。

「じゃあ、ここにあたし達が定期的にいる事も、その何者かには筒抜けって事なのね」

「でも、それなら話が変じゃない?そいつはどうして、怪しい動きをしてる私達を見付けに来ないの?」

 フリージアの疑問は、すでにリベルタ達も思い至った事だった。リベルタは、難しい顔をして腕組みした。

「私達もそれは考えた。けど、リリィはその何者かが、城側とは別の勢力なんじゃないか、と推測してるわ」

 そう語るリリィに視線が集まった。リリィは、魔力が切れたアイスフォンを持ち上げる。

「もちろん、そいつが何者なのかはわからない。けど、考えてみて。城側の氷魔でないとして、もし私達レジスタンスの味方であるなら、どうして姿を現さないの」

 なるほど、とフリージアたちは頷いた。

「そうだね。ディウルナ様でさえ私達に、間接的にせよ明確に関与しているのに、アイスフォンを大量に流通させながら存在が不明なのは、不自然だわ」

 感心したように、フリージアはリリィを見た。何か、他のレジスタンスとは違う印象を受けているようだった。

「一体、何者なのかしら」

「そもそもアイスフォンじたい、いつ行き渡ったのか曖昧だよね。気付いたらみんな持ってた」

 ヒオウギの指摘に、リリィ以外の面々が頷く。すると、リベルタがひとつの質問を全員に投げかけた。

「そもそも氷巌城が具現化する前の段階のこと、覚えてる?みんな」

 その問いは、非常に難しいものだった。フリージアもヒオウギも、首をひねって記憶を辿ってみたが、非常に曖昧である。リベルタはさらに踏み込んだ。

「氷魔の意識って、精霊体の時とは違うじゃない。確かに、今持ってるこの意識は精神体の段階で出来上がっていて、具現化するのを待っている状態だったけど、それ以前の段階を覚えてる氷魔って、どれくらいいるのかな」

「中にはいるらしいけどね。というか、ルテニカとプミラはそういうタイプじゃない?」

 フリージアが、それまで積極的に発言していない二人を会話に引き込む。ルテニカとプミラは、チェスの対局の手を止めて振り向いた。まるで鏡に映したような、左右対称の所作である。左耳を出している方、プミラが静かに語り始めた。

「私達二人は、精霊の時の記憶をある程度は持っています。ですが、その頃はまだ今のような明確な感情は持っておらず、大多数の少女氷魔と変わらない、城にその精神を縛られた存在でした。なので、ただ単に戦うこと、地上を支配するための意識しか持っていなかった、と記憶しています」

「アイスフォンについては、感情が芽生えた時にはすでに所有していたはずです」

 ルテニカの話に、リベルタが反応を見せた。

「なるほど。つまり、まだ私達が今のような感情を持ち合わせていなかった段階で、何者かから配られたということね」

「つまり、氷巌城が具現化してから、ということ?」リリィが訊ねる。

「そう。この制服だとか、兵士の武器防具類のほとんどは、具現化する前の精神体、思念体の段階で創造されていたはず。でも、具現化した後でも新たに物体を精錬する事はできる」

 つまり、アイスフォンを創り上げて広めた何者かは、城が具現化した後で、何らかの目的でそれを大量に精錬し、城中に広めたという事になる。その場の全員が、そういう結論に到達した。

「これは、調べる必要があるね。ディウルナ様だけに頼ってちゃ、真相はわからない」

 フリージアの提言にリベルタは同意したが、「でも」と付け加えた。

「まずはその事実を、レジスタンスのみんなに伝達するのが先ね」

「そうだね。…と言っても」

 やや浮かない顔で、フリージアは俯いた。

「正直、レジスタンスも一枚岩ってわけじゃない。コンタクトを取るだけでも、嫌な顔してくるチームもいるし」

「いる。特にハイクラスの連中は」

 リベルタのぼやきに、リリィは不思議そうな顔をした。ハイクラスとは、少女兵士の平均的な戦闘能力で分けられた階級の最上位である。ロークラス・ミドルクラス・ハイクラスと三階級があり、リベルタ達はミドルクラスである。

「私ハイクラスの人達って知らないんだけど、そんな感じ悪いの?」

「うーん。平均的な実力は私達ミドルクラスより確かに上なんだけど」

 リベルタが言葉を途切れさせると、ヒオウギは不満をぶつけるようにダーツを壁に向けて投擲した。硬い壁のど真ん中に、ポイントがきれいに突き刺さる。

「協力し合うっていう意識がないんだよ、あいつらは。城側からすれば私らと同じ裏切り者だってのに。くだらない上下意識、カースト感覚だけは引きずってやがる。そんな上下関係が好きなら、さっさと城の犬に戻れっていうんだ。それなら遠慮なくスクラップにしてやれるのに」

「ヒオウギ、言い過ぎよ」

 たしなめるフリージアに、ヒオウギは「ふん」と返した。フリージアは、苦笑してリリィを見る。

「ま、ヒオウギの表現は悪いけど、実際その通りなの。あなたも制服デザインからするとミドルクラスらしいけど、ご愁傷様」

「なにが」

 リリィは、訝し気に面々の顔をうかがう。何がどう、ご愁傷様なのか。すると、リベルタが笑いながら説明した。

「前に教えたでしょ、私がハイクラスの連中に嫌われてるって」

「ああ…ミドルクラスなのに、ハイクラスより強いから?」

「そう。階級が下の奴が、自分達より強いのが面白くないのよ。ここにいるフリージア達もそうだし、グレーヌやティージュ、ラシーヌもハイクラスに引けを取らないから、私たちは揃って嫌われてる」

「なにそれ、バカじゃないの」

 つい思ったままを口にしたリリィに、ヒオウギが吹き出した。

「あはは、そうよ。バカなの、あいつらは。けどリリィ、あなただって最大級の嫌われ者候補よ。氷騎士を倒した奴なんて、ハイクラスにはいないわ。今頃アイスフォンの速報を読んで、歯ぎしりしてるかもね」

 そう言われて、リリィは釈然としない様子だった。レジスタンスとしては重要な戦果を挙げたというのに。すると、フリージアが立ち上がって装備を改め始めた。

「ま、ハイクラスの人達は後回しでいい。まずロークラス、ミドルクラスのレジスタンスたちにアイスフォンの件を伝えに行こう。とりあえず、二手に分かれる」

 異論を唱える者はいなかった。リリィ達も立ち上がり、自分の装備を確認する。そこで、フリージアがひとつの提案をした。

「せっかくだから、リリィとリベルタは分かれてもらおうかしら。何かあった時、それぞれのチームに強い人がいれば心強いわ」

「えっ」

 リリィが、何となく不安そうにリベルタを見た。

 

 

 結局、リベルタとフリージアとヒオウギの三人に、リリィとルテニカとプミラの三人、という編成で二手に分かれ、各所に潜伏するレジスタンス達にアイスフォンの件を徒歩で伝えて回る事になった。リリィは初対面の口数が少なそうな二人と、少々不安げにアジトを出発した。特に装飾もない無味乾燥な四角い通路を、ルテニカ達の案内でリリィは進んで行く。

 そこでまずリリィが気になったのは、ルテニカもプミラも、揃って武器を装備していない事であった。腰に短刀のひとつも下げてはいない。

「ねえ、聞いていいかしら」

 コミュニケーションとは違う意味で不安を感じたリリィが、両隣を歩く二人に訊ねた。

「あなた達って、武器は持たないの?」

「はい」「はい」

 両サイドから、ほぼ同じ声色がほぼ同じタイミングで返ってきた。返答はそれだけである。説明なしか、とリリィは心の中でぼやいた。すると、右を歩くプミラが小さく笑った。

「ご心配とは思いますが、その時が来たら実地で説明いたしますので、ご安心を」

 まるで、こちらの心の中を見透かしたようなプミラにリリィは驚いた。すると、左を歩くルテニカも続いて口を開く。

「リリィ。あなたこそ、わたくし達に隠してる秘密、ございますでしょう?」

「えっ!?」

 リリィの背筋がびくりと反った。ルテニカは口元に握り拳を当てて笑う。

「あなたは、非常に二面性のある方のように思えます。いま見えているリリィとは、全く違うもう一人のリリィが、あなたの中にいるような」

 リリィは表情を引きつらせた。首の筋肉が緊張している。ルテニカとプミラは揃って笑った。リリィは誤魔化すように、探り探り言葉を選ぶ。

「にっ、二面性なんて誰でもそうじゃないかしら。リベルタだって、勇敢な時もあれば、落ち込む所も見てきたわ」

「なるほど」「咄嗟にそれらしい言葉で誤魔化す才もあるようですね」

 まったく褒められている気がしないリリィであった。

 

 しばらく歩いていると、リリィは何かに気付いて「あっ」と小さく声を出した。

「今の、何だろう」

 突然リリィが立ち止まる。ルテニカとプミラもそれに倣った。

「今の、とは?」

 ルテニカが訊ねる。リリィは、続く通路の奥を睨んだ。

「今、なにか…人影みたいなのが通路を横切ったように見えた。敵かな。でも、足音は聞こえなかった」

 すると、ルテニカは意外そうな目をリリィに向けた。

「今のが見えたのですか」

「え?ええ…」

 そう返した直後に、リリィはルテニカに訊ね返した。

「どういうこと。今のが見えたのですか、って」

「言ったとおりの意味です。リリィ、あなたも見えたのですね」

 その言葉に、リリィは理解した。どうやら、何かが見えたのは自分だけではなかったらしい。すると、ルテニカとプミラは頷き合ってリリィを見た。

「リリィ、いま見えたのは普通の氷魔兵士ではありません」

「どういうこと?ルテニア」

「ルテニカです」

 名前の言い間違いを冷静に正しながら、ルテニカは続けた。

「リリィ、今のが見えたという事は、あなたは少なくとも私達と同様の感覚を備えているようですね」

「同様の感覚?」

 その意味が、リリィにはわかりかねた。感覚って何のことだ。見る、聞くなど、五感の事なら持っていても特に不思議もない。

 そう思っていると、リリィは突然背筋に何かゾワゾワする感覚を覚えた。

「うっ!?」

 思わず、自分の二の腕を抱いてブルブルと震える。髪が逆立つような感触もあった。

「なに、今の」

「リリィ、気をつけてください」

 そう言って、ルテニカは懐から何かを取り出した。それは、リリィにも見覚えがある品物である。プミラもまた同じものを取り出して、それを持ったまま合掌した。

 二人の手に下げられたそれは、無数の珠が連なる輪、要するに数珠であった。

「どうやら、私達がこちらに来たのは正解だったようです」

「ちょっと何言ってるかわからないんだけど」

 何となく危険を感じて剣を構えるリリィに、二人は声を揃えて言った。

「いま見えたものは、おそらく死んだ兵士の亡霊です」



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サイレント・クリミナル

 さきほど通路を横切った影は、倒された氷魔少女の幽霊である。ルテニカとプミラはそう言ったが、リリィにはそれが本当かどうか、判断のしようがなかった。

「どうして、幽霊だとわかるの」

 リリィの当然の質問に、ルテニカは真面目な顔で答えた。

「氷魔の中には、霊能力に長けた個体が少なからず存在します。私とプミラも、それに属するタイプなのです」

「なるほど。イオノスも、確かそういうタイプだったわね。ストラトスの魂を支配しようとしていたし」

「あなたもストラトス様との戦闘の現場にいらっしゃったのですか?」

 ルテニカとプミラは、聞いてないぞ、という表情をリリィに向けた。リリィは、ギクリとして取り繕うように手振りをしてみせる。

「うっ、うん。リベルタとは、ストラトスの所に乗り込む前に合流してたから」

 リリィの様子と説明内容に、二人は怪訝そうな目を向けた。リリィの顔が引きつる。その時プミラは、どこからか微かに、ため息が聞こえたような気がした。

 

 その時だった。三人は一瞬、足元が何か大きく揺れたような感覚に見舞われた。

「うわっ」

 リリィは白銀の剣を床に突き立てて脚を踏ん張る。ルテニカとプミラは、リリィの肩にそれぞれ掴まって転倒を逃れた。

「何でしょうか」

「わかりません」

 まったく同じ声色が左右から聞こえてきて、それはそれで不気味なリリィである。

「実際は揺れてはいなかったみたい。けれど、頭を掴まれてグラグラ揺さぶられたような感覚があった」

「三人揃って、というのは目眩の類ではなさそうですね」

 プミラは、数珠を左手に握って両手を合わせた。その姿はまるで仏教の僧侶である。

「ルテニカ。危険です」

「わかりました」

 プミラの警告に、ルテニカもまた数珠を構えて、リリィを護るように背中合わせで陣取った。すると、三人を挟むように通路の前後に、ざっと見て十数体の氷魔少女の霊が、音もなくその半透明の姿を現したのだった。

「ひっ!」

 リリィは、警戒するよりも先に驚きの方が勝ってしまい、剣を構えるのが一拍遅れてしまう。少女の霊たちは、死んだ表情のまま三人に向かってきた。

「ナーマス サルヴァジュニャーヤ…」

 ルテニカとプミラは、わずかな狂いもなく同じリズムで、経のようなものを唱え始めた。すると突然、少女の霊たちは怯んでその足を止めた。

「プラジュニャーパーラミターヤーム…」

 尚も、二人は経の詠唱を続ける。すると、少女の霊たちは突然、喉を押さえて苦しみ始めた。はっきりとした声ではなく、接続不良のヘッドホンのような、方向や輪郭がぼやけた声である。

 詠唱が終わる前に、少女の霊たちは安らかな表情を取り戻して、白い光の中へ溶けるように消えていった。その一部始終を、リリィは驚嘆の眼で見た。

「こっ…これがあなた達の力なのね」

「ご覧の通りです」

 ルテニカとプミラは、数珠を構えて警戒は解かず答えた。

「私達は巫女なのです」

「巫女!?」

「あるいは僧侶でも神官でもいいでしょう。なんとなく、巫女がいちばんしっくりきます」

 何なんだその曖昧な括りは、とリリィは思った。それに二人が話していると、どっちがルテニカなのかプミラなのか、区別がつかなくなる。そう思っていると、たぶんルテニカが再び歩き出して説明を続けた。

「あなたにわかりやすく言うなら、やはり先ほども申し上げたように、霊能力者という事になるでしょうか」

「じゃあ、さっきの連中はやっぱり幽霊なの?」

「その筈なのですが」

 突然ルテニカは黙った。プミラも無言である。気になってリリィは訊ねた。

「筈、ってどういう意味」

 すると、ルテニカのアイコンタクトでプミラが説明を引き継いだ。

「私達はさきほど、単純に死んだ少女氷魔の霊だと思っていました」

「違うの?」

「死んだ氷魔少女というのは、おそらく間違いありません。しかし、まとまった数の霊体たちが、あのように統率された動きで襲いかかってくる、というのは考えにくい事なのです」

 幽霊や霊能力の知識がないリリィには、そう説明されても理解が追いつかない。難しい表情で、とりあえず頷いておくことにした。

「リリィ、おそらくあなたに私達のような霊能力はないと思います。このエリアで何が起きているのかわかりませんが、私達から離れないようにしてください」

 そこでリリィは、やや憤慨する様子を見せた。

「私の剣じゃ、さっきの奴らは倒せないってこと?」

「その通りです」

 こうも簡潔に言われると、リリィも二の句が継げない。口をへの字に結んで黙り込んだ。すると、フォローする気があるのかないのかわからないが、プミラは話を続けた。

「そのかわり、私達の物理的な戦闘能力は平凡なものです。なので、もしそういう敵が現れた時はリリィ、あなたのお手並みを拝見する事にします」

「あんがい調子がいいわね」

 

 リリィの前後をルテニカ、プミラがそれぞれガードするような陣形で、3人は狭い通路を警戒しながら進んで行った。

「他のレジスタンスのアジトはまだなの?」

 リリィが訊ねると、ルテニカは通路の前方左に見える壁を指差した。

「あそこです」

「どこ?」

 何もない壁面の前でルテニカは立ち止まると、数珠を軽く持ち上げて短い経のようなものを唱えた。すると、壁に音もなく、奥へ続く通路が開いたのだった。

「隠し通路か。レジスタンスの定番ね」

「急ぎましょう」

 3人は足音を立てないよう、素早く開いた通路に移動する。プミラが経を唱えると、再び通路の入り口は封じられてしまった。

 

 開いた通路の奥は狭く、何やら粗雑な切り出しの壁面が続いていた。それまでの、整った通路の面影はない。

「ここは城側の管理が全く届いていない、いわば廃棄エリアです」

「我々はこうした場所を探し出して、アジトに利用しているのです」

 ルテニカとプミラの説明にも、リリィは何となく納得がいかないようだった。

「基本的に城は当然、氷魔皇帝サイドに全体が管理されてるわけよね。それにしては、身を隠せる場所が多すぎない

?今まで、少なくない数のアジトに案内されてきたわ」

「なるほど。もっともな質問です」

「ディウルナは、理由があるって言ってたけど。その理由、知ってるの?」

 リリィがそう訊ねると、ルテニカは少し意地の悪い笑みを浮かべた。

「そうですね。では、説明いたしますので、あとで代わりに私の質問にも答えていただけますか」

「え?うん、いいわよ」

 この時の何気ない空返事が、あとでちょっとした窮地に陥る遠因になる事を、リリィは気付いていなかった。ルテニカは頷いて説明する。

「私達も、詳細に至るまで知っているわけではない事を、先に断っておきますが。そもそもこの城は、”自然発生”的に出来上がっている部分が、考えている以上に多いようなのです」

「自然発生?」

 リリィは聞き間違いかと思い、繰り返して訊ねる。

「どういうこと。人工の城なのに、自然発生って」

「言い方を変えましょう。人間世界の歴史について、いくらかは知っていますか」

「え?…ええまあ、大雑把な情報としては」

「それでは、ひとつの国の王が、王国全ての区画や道路網、建物ひとつひとつの内部について、何もかも把握していると思いますか?」

 その説明に、リリィは「なるほど」と手を叩いて頷いた。

「そうです。君主は国を統治していても、その全てを箱庭のように把握できるわけではありません。国が大きくなればなるほど、それは顕著になります。そして、この氷巌城は先ほども述べたとおり、創造者である皇帝の意図を大きく超えて、予測不可能な構造が随所に出来上がるらしいのです」

「らしい、っていうのは」

「レジスタンス仲間の伝聞の情報なので、私自身が裏を取っているわけではありません。が、こうして我々が身を潜める場所が確保できるという事は、ひょっとするとこの城にはまだまだ、城側が把握できていない区画が隠されている可能性さえあるのです」

 ルテニカの説明に、リリィは納得できた部分もありつつ、さらに謎が深まったようにも思えた。

「その、城の構造が自然発生するっていう…それは一体どういう原理なのかしら」

「え?」

「自然発生というならそれは文字通り、自然に近い構造のものが出来上がる筈ではないのかしら。整然とデザインされた床や壁面が”自然発生”するって…そんな事あり得ないわ、普通に考えるなら」

 顎に指を当てて真剣に考える様子を、ルテニカとプミラは興味深そうに見た。すると、今度はルテニカから質問が飛んできた。

「リリィ、では私の質問をよろしいですか」

「え?ああはい、どうぞ」

 

「では、お訊ねします。リリィ、あなたはどうして上級幹部であるディウルナ様を、呼び捨てになさっているのでしょうか」

 

 その質問の意味が、リリィは最初よくわからなかった。しかし、答えようとした途端、ルテニカの罠にはまっている事に気付いたのだった。

「えっ、よっ、呼び捨てに…してたかしら」

「はい。先程、はっきり”ディウルナ”と敬称なしに仰いました」

「うっ」

 その時、またしてもどこからか、微かに溜め息のような声が聞こえた。ルテニカは質問を続ける。

「私、アイスフォンに流れてきていた推理小説が好きだったので、つい色々詮索してしまうのですが。ディウルナ様がもし、今も城側についていて、我々の敵であったなら、呼び捨ても自然なことでしょう。しかし、すでにディウルナ様は、こちら側について下さったと理解しています。そうなると、本来は階級がはるかに上のディウルナ様を呼び捨てにするというのは、いささか不自然に思えます」

「まっ、まあね」

「呼び捨てにする理由は色々考えられます。ひとつは、リリィ。あなた自身が実は、ただのレジスタンスではなく、幹部クラスの氷魔であった可能性。これなら、あなたの戦績も理解できます」

 ルテニカの指摘に、プミラも視線をリリィに向ける。リリィの表情がますます引きつった。

「もうひとつは、単にあなたがヒオウギと同じく、比較的そういった上下関係という意識が希薄である可能性」

「そっ、そう、私つい色んな相手を呼び捨てにしちゃうのよね」

 リリィは取り繕うように言ったが、ルテニカは聞いているのかいないのか、三つ目の可能性について語った。

 

「そして、三つ目です。あるいはリリィ、あなたはそもそも本来、この氷巌城とは全く関係のない所からやって来た存在である可能性。私は、これが今までのあなたに感じていた不自然さについて、もっとも整合性の取れる説明なのではないか、と考えていますが、いかがでしょう」

 

 ルテニカは立ち止まって、リリィを振り向いた。リリィのその白い顔は、さらに蒼白になっている。ルテニカの表情からは意地悪な笑みが消え、ごく真面目な表情になっていた。

 わずかな沈黙をはさんで、リリィが何か意を決したような様子を見せた、その瞬間だった。

 

『きゃああああ――――――!!!』

 

 かすかに、通路の向こうから複数の少女の悲鳴が聞こえたかと思うと、いくつかの物音がした。何かテーブル類がずれるような音、小物が床に落ちるような音、などである。

「!」

 リリィ達は顔を見合わせた。何事かと思ったその時にはもう、物音も悲鳴も聞こえなくなっていた。

「行きましょう!」

 プミラがいち早く駆け出した。ルテニカとリリィがそれに続いて、悲鳴が聞こえた通路奥へと走る。そこには、無味乾燥なドアがあった。

「ここは?」リリィが訊ねる。

「レジスタンスの、ミドルクラスとロークラスの氷魔が潜むアジトです」

 ルテニカはドアノブに手をかけ、慎重に回す。しかし、魔法の錠がかけられているようだった。

「妙です。いつもなら、来れば中から声がかけられるのですが」

「緊急事態って事でしょ。どいて!」

 突然剣を上段に構えたリリィに驚いて、ルテニカとプミラはドアの両脇に下がる。リリィは一息に剣を、ドア目がけて一閃した。

 リリィの白銀の剣は、ドアにかけられた強固な魔法ごと、ドアノブをいとも容易く粉砕してしまった。それを、ルテニカ達は驚愕の目で見た。

「まっ、まさか…」

「あの施錠魔法を、物理的に破壊してしまうなんて」

 驚く二人を横目に、リリィが率先して破壊したドアの中に入る。中は、さきほど聞こえた音から想像したとおり、椅子や花瓶などが倒れ、割れて散乱していた。

 そしてさらに中に踏み込んだ時、三人は「あっ」と揃って声を上げた。

「エレナ!」

 ルテニカが突然そう名を叫んで、床に膝をついた。床には、制服を着た少女が三名倒れている。他の二人の様子を、プミラとリリィがそれぞれチェックし、静かに首を横に振った。

「そんな…」

 ルテニカはガクリと肩を落とした。エレナと呼ばれた少女の身体からは、氷魔のエネルギーが完全に消え去っている。何より、魂がすでにそこに存在しない事が、ルテニカとプミラには即座にわかった。この倒れている少女たちは、すでに死亡しているのだ。その遺体の傍らには、彼女たちの武器であろう剣が静かに倒れていた。

「どうして、こんな事に」

 それまでの落ち着いた様子が嘘のように、ルテニカもプミラも動揺していた。リリィは一人、室内を入念に調べる。倒れた椅子や、壁に対して斜めになっているテーブルなどの様子を見るに、これらはレジスタンスの少女たちが倒れたために押されたようだった。

 冷静に、リリィは倒れた少女の制服や身体に、乱れがない事を確認した。その顔は、何かに驚いたような表情で固まっている。つまり、死ぬ寸前に彼女たちは、何か驚くような出来事に遭遇したという事だ。だが、彼女たちは外部からの攻撃を受けた痕跡がない。それに、彼女たち自身が立てたらしい物音以外、何も聞こえてはいないのだ。

 そもそも、この部屋には入り口がひとつしかない。従って、このアジトは完全な密室だったはずである。少女たちを殺したのは一体誰なのか。

「……」

 リリィは少女の手を組んで、十字を切って祈りを捧げると、床に落ちている剣を拾い上げる。ルテニカとプミラの前に立ち、静かに言った。

「ルテニカ、プミラ。ここで何が起きたのか、まだわからないけれど」

 そう言って、拾い上げた剣を二人の前に掲げて見せた。

「この子たちの仇を討つんだ。私達で」



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ガランサス

 何となくリリィが主導する形で、三人の氷魔少女レジスタンスが殺害されていたアジトの現場検証が始まった。先に確認したとおり、外部から侵入者が現れた様子はない。ひとつしかない入口のドアが施錠されていたのは、リリィ達がその目で確認していたのだ。

「確かに、あの悲鳴は明らかに、何かを見て、追い詰められたような叫び方でした」

 いくらか冷静さを取り戻したルテニカは、倒れる三人の切迫した表情を見て言った。リリィも同意する。

「つまり、この室内に何かが現れたという事ね」

「これまでの状況から見て、それが何だったのかは明らかなようにも思えます」

 プミラは、リリィに頷きつつ立ち上がって振り向いた。

「おそらく、私達が二度も目にして、一度は交戦した、あの少女たちの霊団。あれと同一か、あるいは同じような存在が、このアジトに壁をすり抜けて現れた。現状では、そう考えるほかないように思えます」

「では、この子たちはその霊に殺されたという事?」

 リリィの問いに、ルテニカとプミラは頷き合った。ルテニカが、リリィに向き合ってひとつの問いかけをする。

「リリィ、そもそも死とはどういう事か、わかりますか」

「え?それは…生命活動が終わるっていう事じゃないの」

「では、生命活動が終わるとは、どういう事か説明ができますか」

 そう問われると、リリィは答えに窮した。何となく、漠然としか考えた事がない。死は死である、としか言えない。首を傾げるリリィに助け船を出すように、プミラが説明した。

「死とは、魂が身体を捨て去る事です。もっと正確に言うと、捨てられるのは仮の身体です」

「仮の身体?」

 リリィはますます混乱する。

「仮のって…じゃあ、この倒れてる子たちの遺体は、仮の身体だっていうの」

「その通り。そして、今こうしてこの部屋を調べている私達の身体もまた、仮の身体です」

「仮なわけないでしょう。こうして実在しているものを」

 リリィは、左腕を持ち上げて見せた。白く、なめらかな指を動かしてみせる。

「これのどこが仮だっていうの」

「私達氷魔の身体は…いえ、地上の全ての生命もそうですが、突き詰めると原子、分子の集合体に過ぎません。特に私達の場合、地上の生命とは異なり、基本的には凝固した水の分子だけで構成されています。この柔軟な制服でさえ、ミクロの視点で見れば、魔力の介在によって線維化された水、氷です」

 いきなり氷魔の物理学講義を展開され、リリィは若干面食らったものの、なんとか話を理解してプミラに問い返した。

「…言わんとする所はわかった。けど、それがさっきの『死』の話とどう繋がるわけ?」

「リリィ。私達のこの仮の身体、なぜこのような形なのか、考えた事はありませんか」

「え?」

 またしても、予想外の方向から質問が飛んできた。リリィは今度こそ答えに窮し、一言も返す事ができない。すると、今度はルテニカが解説に回った。

「単純な話です。私達氷魔のデザインは、氷巌城が顕現する前の、精神体の段階ですでに決まっている、ということです」

 その簡潔な説明で、リリィもようやく理解できたようにポンと手を打った。

「なるほど」

「そうです。私達の基本的な身体のデザインは、生まれる前にほぼ決まっているのです。その情報は、魂に記憶されています。これが、真の"身体"です。物理的な外殻としての、仮の身体の大元となる要素です」

 ルテニカの解説に、プミラの同じ声が続いた。双方向からの、同じ声による講義である。

「そして、仮の身体から魂が抜け出すと、身体からそれを構成している情報が失われ、活動も停止します。つまり、氷魔を『死なせる』には二通りの方法がある、ということです」

「そう。ひとつは単純に身体を破壊、あるいは生命力を使い果たさせて、物理的に活動不可能にする方法。そしてもうひとつは、魂に直接干渉して、身体との繋がりを断つ方法です」

 なるほど、とリリィは頷いた。

「さっき現れた幽霊は、私達をそうやって殺そうとしてたわけね」

「そうです。そして、おそらくこの状況から見て、このエレナ達も似たような霊に襲われた可能性が高い…いえ、間違いないとみていいでしょう」

 ルテニカの推理はおおむね納得できるものだった。だがそこでリリィはひとつの疑問を投げかけた。

「それは、誰の意図による攻撃だったのかしら」

 それは、当然の疑問だった。その攻撃方法が特殊なのは確かだが、どのような手段であれ、状況からみてレジスタンスを排除する目的の攻撃である事に、疑いの余地はない。

「あなた達がさっき、あの霊たちを消し去った攻撃も、要するにそういう攻撃なの?」

 リリィの問いに、プミラは数珠を取り出して解説した。

「厳密には異なる部分もありますが、霊魂への直接的な攻撃、という意味では、基本は同じですね」

「つまり、これを仕掛けてきた敵がいるとしたら、そいつもあなた達と同じような、霊能力の持ち主という事になるわよね」

 その当然の推測に、ルテニカとプミラは顔を見合わせると、突然黙り込んだ。語り口は穏やかであっても、それなりに饒舌な二人が何も言わなくなったため、リリィは怪訝そうに二人の顔を見た。

「…どうしたの」

 すると、ルテニカは真っ直ぐにリリィを見た。

「リリィ。ことによると、私達は大変な相手と戦う事になるかも知れません」

 

 

 

 時を同じくして氷巌城第二層、氷騎士ディジットが支配していたエリアからやや離れた所に、他とはだいぶ趣きが異なるエリアがあった。

 通廊を含めてほぼ全てがアーチ構造の天井で造られ、無数の柱の上には子供や女性の天使が彫られている。

 壁のそこかしこには絵が掛けられており、そこにはカンテラを手に陰鬱な森を進む隠者や、崩れ落ちた塔といったモチーフが描かれていた。

 

 その奥に、ひときわ広く高い天井の空間があった。それはまるで、キリスト教会の礼拝堂のような空間であり、現に奥側の壁には大きな十字架が掛けられていた。

 しかし、その下にあるのは聖母マリアの像でも、磔にされたイエスの像でもなかった。そこにあるのは、ただ女性であろうという事しかわからない、ゆったりとしたローブをまとう、首のない像であった。

 

 その礼拝堂には何者もおらず、ただ窓から差し込む青白い光だけが、荘厳な静寂を生み出していた。

 

 

 

「大変な相手って、いったい何者なの」

 リリィは、テーブルに行儀悪く腰掛けて足を組んだ。ルテニカは、少し考え込む様子を見せたのち語り始めた。

「ガランサス、という名を聞き及んだ事は」

「…ちょっとわからないわ」

「まあ、そうだろうとは思います」

 それはどういう意味だろう、とリリィは思った。すると、プミラが説明した。

「ガランサス。かつて、この氷巌城に存在したとされる、伝説の氷騎士です。…いえ、氷騎士という括りからも逸脱した存在だったそうです」

「存在したとされる、って曖昧ね」

「まだこの氷巌城が顕現する前の、想念、精神体の段階で、私達が古老から聞いた話です。ごく一部の間で伝わる、伝聞である事は断っておきます」

 

 ルテニカとプミラによると、はるか過去の氷巌城に、現在の人間の言葉を借りるなら「ガランサス」と呼ばれた、ひとつの不気味さをもって伝えられている氷魔がいた。その氷魔は顔を見た者がおらず、いつ、どこに現れるのかもわからなかったと言われる。

 

 だが、ひとつだけはっきりしている内容がある。ガランサスは魂を操る女氷魔だった、と伝説には語られており、氷巌城に乗り込んできた人間達の魂を、いとも容易く抜き取っては自らに従わせた、というのだ。

 

 

「魂を操る氷魔…」

 リリィが、ひととおりの話を聞いて考え込んだ、その時だった。

 

『それ、あたしも聞いた事ある』

 

 突然どこからか聞こえたその声に、三人は慄然とした。

「なっ、なに!?」

「今の声は…」

「わたくしも聞きました」

 ルテニカとプミラは、数珠を握って周囲を調べた。しかし、彼女たちの霊感にも、その声の主はキャッチできなかった。リリィは、胸を押さえて震えている。

「落ち着いて、リリィ。何もいません」

 プミラはそう言うものの、何もいないのになぜ声がしたのか、という謎は残る。リリィは、呼吸を整えて咳払いした。

「わっ、わかった。それで、そのガラガラ何とかっていうのが、今回現れたかも知れないっていうこと?かいつまんで言うと」

「ガランサスです」

 冷静にツッコミを入れるルテニカが説明を続けた。

「あくまで推測だ、という事は忘れないでください。ただし伝説といっても、実在したのは間違いない氷魔に関する伝説です」

「そんなハッキリ存在がわかってるのに、どうして伝説とか、あやふやな話になるわけ?」

「その疑問はもっともです。しかし、伝説によればガランサスは、そもそも何が目的なのかわからない存在だった、というのです」

 ルテニカの説明も、よくわからないとリリィは思う。例によって、プミラが説明を引き継いだ。

「氷騎士という扱いではありますが、そもそも明確に城に対する忠誠心を持っていたかどうかが、疑わしかったそうです。人間たちを殺していたのは、一説にはそれが単に彼女の愉しみだったのではないか、とさえ伝えられています」

「趣味で人殺ししてたってこと!?」

「人殺しどころか、時には味方であるはずの氷魔さえも、その対象となったとか」

 リリィは若干呆れたように肩をすくめた。敵味方お構いなしなど、もう一種のサイコパスではないのか。

「なるほど。でも、どうしてそいつが現れたかも知れないって思うの?例えばあなた達みたいな、単に霊能力に長けた敵がいる、っていう可能性もあるんじゃない?」

「もちろん、その可能性もあります。しかし、先ほどのように複数の霊体を、あそこまで整然と使役するような真似は、私とプミラが力を合わせても難しい仕事です」

 プミラもそれに同意した。二人によれば、そもそも霊を自在に使役する事自体、並みの霊能者にはできない事であるという。つまり、いま問題にしているのは「霊能力が使える」という程度の氷魔ではなく、はるかに格上の「霊能力のエキスパート」の可能性が高い、ということだ。

「言い方を変えましょう。それがガランサスであれ、あるいは別の何者かであれ、おそらく敵は私達以上の力を持った相手に違いないということです」

 要するに、相手は強い、ということだ。リリィは途端に不安になり、剣を強く握りしめた。

 

 それ以上調べても何もわからないので、ひとまず三人は倒れていたレジスタンスメンバーを寝かせて祈りを捧げると、ドアを封印してアジトを後にした。隠し通路を抜け出ると、ルテニカは片肘に手を当てて思案した。

「ここからどう動くべきでしょうか」

「そうですね」

 ルテニカもプミラも、やや判断に迷っているようだった。すると、リリィは立ち止まって懐をまさぐり始めた。

「ちょっと待って」

 リリィが取り出したのは、小さなペンのような物体だった。何を始めるのかと見守るルテニカ達の前で、リリィは壁面に猫のマークを描いてみせる。

「何をなさってるんですか」

「まあ見てて」

 

 リリィが猫マークを壁に描いて、3分ほど経っただろうか。突然、通路の向こうから小さな影が猛ダッシュで接近してきたので、ルテニカとプミラは咄嗟に身構えた。

「大丈夫、大丈夫」

 そう語るリリィの手前で、その影は急停止して直立した。それは、ニッカポッカにベスト、ハンチング帽という出で立ちの猫であった。

「ゆ」

 そう言って突然口を押さえると、咳払いして改めて猫は語った。心なしか、猫を見るリリィの目がきつい。

「リリィ様、何用でしょうか」

「急に呼んでごめんなさい、オブラ。ちょっと、みんなに伝えて欲しい事がある」

「はい」

 

 リリィはオブラと呼ばれた猫に、どうやら霊能力を持った敵がこの第二層に現れたらしいので、最大限警戒するように各所の仲間に伝えるよう命じた。オブラは、若干不安そうな表情で答える。

「りょっ、了解しました」

「ひょっとしてビビッてる?」

 リリィの指摘に、オブラは首を激しく横に振った。

「そそそんな事ありませんよ!」

 どこからどう見ても怖がっているオブラに、ルテニカとプミラは笑った。

「そうですか、あなたが噂の猫レジスタンスですね」

「初めて見ました。リベルタがお世話になってます」

 リリィより当たりが優しい二人にそう言われて、悪い気はしないオブラだった。とたんに表情を緩め、頭をかく。

「いえ、僕らの方こそ助けてもらう一方で」

 そこまで言って、オブラは再び緊張の面持ちで二人に訊ねた。

「あのう。お二人は霊能力者という事ですけど、僕らがその…幽霊に遭遇したら、どう対処すればいいんでしょう」

「逃げてください」

 ルテニカの回答は至って単純だった。横で聞いていたリリィが呆気に取られるほどである。

「逃げる、って…どう逃げるんですか」

「言った通りです。走るなり隠れるなりして、現れた霊から逃げることです」

「そんなんでいいんですか!?」

「姿を見せている霊は、ある程度物理的な法則にも支配される存在です。その霊が現れた場所から遠ざかるだけでも、一定の効果はあるはずです」

 リリィもオブラも半信半疑ではあったが、霊能力の専門家である二人がそう言うのだから、そうなのだろうと思う事にした。すると、ルテニカは懐から何かを取り出し、オブラに手渡した。

「何ですか」

 受け取ったオブラは、そのペラペラした物体を確認した。それは、何やら不思議な文字がうねるように書かれた、四枚の縦長の札だった。

「??」

「私たちの武器のひとつでもあるのですが、お渡ししておきます。これを、あなた達が隠れているアジトの四隅に貼りなさい。悪霊に感知される事も、侵入される事もなくなります」

「いいんですか?」

 オブラは、申し訳なさそうにルテニカ達を見る。二人は笑った。

「ご安心を。わたくし達は、そんなものに頼らずとも戦えます」

「さあ、お行きなさい、オブラ」

 その寛大さに感激したのか、オブラは深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます!それでは!」

 そう言って駆け出そうとするオブラに、リリィが念押しで声をかける。

「リベルタ達にも伝えてよ!どっかにいるはずだから」

「わかりました!お任せください」

 リリィの指示で背筋をピンと伸ばしたオブラは、来た時と同じように猛ダッシュでその場から消え去った。こうして見ると、猫のレジスタンスというのも妙に頼もしいなと思う三人であった。

「凄いですわね」

 感心するプミラに、リリィはなぜか自慢げに胸を張った。

「ええ。あの子たち、ああ見えてなかなかやるのよ」

「いえ、私が言っているのはリリィ、あなたの事です」

 その予想外の回答に、リリィは面食らった。いまのやり取りの中に、何か凄いと思わせるような要素があっただろうか。プミラは笑って答えた。

「あなたは、どうやら指導者の器があるようです。ご自分でお気付きではないかも知れませんが」

「なにそれ。サーベラスにも言われたわね」

 またしても元氷騎士を呼び捨てにするリリィに、ルテニカは吹き出した。

「ふふふ。一体どういう存在なのでしょうか」

「私、そろそろその答えがわかるような気がしてますわ」

 両サイドから、同じ顔と同じ声の笑みに挟まれて、何やら不気味に思うリリィだった。



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フリージアとヒオウギ

「気をつけろ、って言われてもな」

 超特急で駆け付けたオブラからの連絡を受けたリベルタは、フリージア、ヒオウギを見て一緒に首をかしげた。ヒオウギは釈然としない表情で唸る。

「じゃあその幽霊氷魔が現れたら、あたし達はとりあえず逃げろって事か」

「でも、一人だけ魂に攻撃できる人、ここにいるよね」

 フリージアは、わざとらしく確認するようにリベルタを見る。彼女がそういうスキルを持っている事は、仲間内では周知の事実である。リベルタは、自信なさげに答えた。

「たまたま、ちょっとそういうスキルがあるだけよ。ルテニカやプミラみたいな、本格的な霊能力があるとは思わないで」

「けど、ストラトスの背後に隠れてた精神体のイオノスにダメージを与えられたんでしょ?」

「うーん」

 リベルタは、自分のスキルがどの程度なのか自分自身でよくわからないのだった。リベルタが弓から放つエネルギーは、いわば変形版の魔法である。変幻自在の魔法ではないが、特殊な魔法のシールドなど、物理攻撃が通じない場合にもいくらか通用する事がある。しかし、件の幽霊にも通じるかどうかは不明だった。

「一体、どこのどいつだろうね。幽霊をけしかけてくる能力なんか持ってるのは」

 ヒオウギは、もしその幽霊氷魔が現れたらどう戦うべきか、頭の中でシミュレートを始めた。もしリベルタの技が通じるとしても、攻撃はリベルタに任せるしかないかも知れない。

「とにかく、伝える事は伝えました。僕はいったん、サーベラス様たちがいるアジトに戻りますよ。幽霊対策の御札を貼らないといけないので。それでは!」

 オブラは、あっという間にその場から消え去った。戦闘能力はないが、スピードだけで言うなら下手な氷騎士の攻撃もかわせそうである。

 

 オブラが去ったあと、リベルタ達三人は他にどうしようもないので、当初の予定通りレジスタンスのアジトを回る事にした。改めて歩いてみると、広い城だなと三人は思う。城というより、城塞都市ぐらいのスケールはあるかも知れない。

「こんだけ広いなら、城側がそもそも全体を把握できてないっていう話も、さもありなんって思うわね」

 フリージアはおかっぱの髪を撫でつつ、広い通廊を仰ぎ見た。

「ここから先は気味が悪くて、実を言うとあまり進みたくない」

「わかる。なんかこう、ゾワッとするような感覚」

 ヒオウギは、通廊の奥の闇を睨む。なぜそう感じるのかは、よくわからない。それは城側の氷魔も同じなのか、比較的警備も手薄なエリアであり、ロークラスのレジスタンスなどはここに身を潜める者が多かった。

「ねえ、提案なんだけど。ロークラスの子たち、分散させておくのは危険だと思うんだ。ある程度、まとめて配置できないのかな」

 リベルタの提案に、フリージアは「うーん」と首をひねった。

「ハイクラスの人達が、そのへん仕切ってくれれば助かるんだけどね」

「しっ」

 ヒオウギが、会話する二人に指を立てて黙るよう促した。咄嗟に二人も警戒する。

「なにか来る」

 ヒオウギは、両手を胸の前で交差させて身構えた。リベルタも、接近戦を想定して小剣を構える。フリージアは、右手を腰の後ろに回し、低い姿勢で通廊の奥を睨んだ。

 

 何やら、リズムが揃っていない足音が奥から近付いてくる。歩速はあまり速そうではない。

「ナロー・ドールズかな」

「わからない」

 フリージアとヒオウギは、わずかに前に出る。リベルタは、弓で後方から援護すべきか考えあぐねていた。

 しかし、やがて見えて来た足音の正体に三人は驚愕した。それは、つい今話題にしていた、ロークラスのレジスタンス少女たちだったのだ。数は12か13人、というところだ。

「あなた達、何してるの?」

 一瞬警戒を解いたフリージアに、リベルタは叫んだ。

「気をつけて!」

 リベルタの突然の警告に、何事かと二人が疑問をはさむ間もなく、少女たちは剣を構えて襲いかかってきた。

「なっ…!」

「フリージア、迷うな!」

 ヒオウギの交差させた両手それぞれに、エネルギーが凝縮して棒状の物体が出現した。ヒオウギは、両手を翼のように広げると、襲いかかってくるレジスタンス氷魔たちに一気に接近する。

「はーっ!!」

 ヒオウギが握っているそれは、戦闘用の扇だった。ヒオウギはコマのように回転しながら、展開した扇を閃かせる。

 ヒオウギの攻撃を受けた2体の氷魔の首が、無惨に通廊の床に落ちる。それを見て覚悟を決めたフリージアもまた、自らの武器を引き抜いて一気にリーチを詰め、それを一閃させた。

 フリージアが無言で振るうそれは、調理用のような優雅な曲線のナイフだった。相手の懐に飛び込むと、容赦なく心臓部に突き入れる。小さいが、恐るべき強度と貫通力を備えたナイフであり、氷魔の生命の中核を破壊された少女はその場に倒れ込む。

 だが、次に起きた出来事にフリージア達は戦慄した。

「えっ!?」

 それは信じられない光景だった。たった今、間違いなく心臓部を貫かれたはずの氷魔が、むくりと立ち上がってフリージアに襲いかかったのだ。

「うっ、嘘!」

 氷魔は、虚ろな表情でフリージアに接近すると、肩をがっしりと掴み、その首に噛みつこうとしていた。その異様な様子に、足がすくんで反撃のタイミングが遅れてしまう。

「きゃあああ!!!」

 フリージアの悲鳴が轟いたその時、煌めく細いエネルギーが走って、フリージアの首に歯をむいたその頭を粉砕した。

「下がって!態勢を立て直すのよ!!」

 いつの間にか弓を構えていたリベルタが叫ぶ。ヒオウギはフリージアの左手を掴むと、一気に後退してリベルタと並んだ。

 頭部を破壊された氷魔は、今度こそ動かなくなったようである。だが、今まで心臓部を貫かれて倒れなかった氷魔など、ただの一度も見た事がない三人は、異様な何かを感じていた。フリージアはリベルタに答えを求める。

「どういうこと!?」

「わからない…こんなの、見た事がない」

 すると、ヒオウギが冷静に指摘した。

「ねえ、この子達おかしいよ。目の焦点が合ってない。それに、この生気を感じない機械的な動き…何かに似てると思わない?」

 その指摘に、リベルタたちは即座に理解した。似ている。魂を持たない自動人形に。

「まさかナロー・ドールズ!?」

「そっ、そんな事…だって、この姿は間違いなく私達と同じレジスタンスよ!」

 だんだん近づいてくる、レジスタンス少女の姿をした不気味な敵に怯えながらも、フリージアはナイフを構えた。リベルタは冷徹に言い放つ。

「考えてるヒマはない!弱点は頭よ!私は中央を狙う、二人は両翼を叩いて!」

 リベルタの号令で、ようやく覚悟を決めた二人は左右に散開した。

「フェザーストーム!!」

 ヒオウギが扇で左右から挟み込むように空を斬ると、無数の羽根のようなエネルギーが突風の刃となって氷魔たちに襲いかかった。その鋭いエネルギーは、一瞬で3体の首を切断する。

「ヴォーパル・エッジ!!」

 フリージアもまた、恐るべき速度で相手に接近すると、首を狙ってナイフを一閃させた。まるで刈り獲られる果実のように、一瞬で三つの頭がゴトリと床に落ち、胴体も力を失ってその場に倒れる。

「離れて!」

 リベルタの合図で二人は左右に飛び退く。中央には5体の氷魔が残っていた。倒れる仲間たちには何の関心も示さず、相変わらず機械的な動きでリベルタに向かってくる。

 リベルタはその群れの中央に狙いを定め、弓を弾いた。

「フリージング・ダスト!!」

 弾かれた弦から放たれた一条の閃光が、一瞬でその場の空気を凍結させると無数の刃を形成し、強烈な気流となって氷魔たちに襲いかかった。少女氷魔たちの上半身がその威力に耐え切れず、砂のように粉々に砕かれて、輝くエネルギーとともに空間の奥に消えて行った。その様子を、苦い表情でリベルタは見届けた。

「さすがね。やっぱりあんたには敵わないわ」

 気落ちするリベルタを励ますように、ヒオウギは肩をポンと叩いた。リベルタはうなだれたまま、倒れている少女たちの亡骸を見る。

「一体、何があったんだろう」

 仲間だったはずの少女たちを葬り去った罪悪感もあるが、彼女たちがまるでナロー・ドールズのように機械的な動きをしていた事もリベルタは気にかかった。フリージアもヒオウギもそれは同じである。

「単に、また城側に寝返ったというのであれば、それらしい意志を示したはずだわ。でも、彼女たちにそんな様子はなかった。すでに意志がなかったようにさえ見えた」

「ひょっとして、あの子たちはすでに死んでいたのかも」

 そのフリージアの推測に、リベルタとヒオウギは「まさか」と声を揃えた。フリージアは続ける。

「でも、そうだとしたら彼女たちに意志が感じられなかったのも説明がつかない?つまり、魂がすでに存在しない抜け殻を、単なる素体として利用されたのだとしたら」

「…一体、誰がそんなこと」

 リベルタの声には怒気が含まれていた。フリージアの推測が正しいのだとしたら、いま襲って来た彼女たちは、その身体を戦闘人形として使われた事になる。

「許せない…命を奪った挙げ句、その亡骸を道具として使うなんて」

「でも、そんな事やってのけられるような相手って、何者?」

 ヒオウギの問いは、他の二人にとっても謎だった。レジスタンス間で共有している情報に、そのような力を持つ敵の存在は確認されていない。だが、フリージアはひとつ気が付いた事があった。

「ねえ、いま起きた事って…ルテニカ達からの伝言と関係してくると思わない?」

「どういう事?」

「だって、ルテニカ達が遭遇した敵の話を思い出してよ」

「あっ」

 リベルタとヒオウギは顔を見合わせた。

「そうだ…あっちは、幽霊と遭遇したって言ってた」

「そう。こちらはまるで魂が抜けたような、機械のような敵。かたや、向こうでは身体を持たない幽霊と戦っている。これ、どういうこと?」

 三人は黙り込んだ。もう、起きている事が理解を超えている。だが、リベルタは弓を構えたまま通廊の奥を見据えた。

「考えても仕方ない。どうやら、敵はいよいよ私達レジスタンスを本格的に狙って動いているらしいわ。一刻も早く、このふざけた敵を探し出して、叩き潰すのよ」

 そのリベルタの様子に、フリージアたちは何か敬服したような眼差しを向けた。

「リベルタ、あなた強くなったわね」

「え?」

「以前のあなたは、もっと思い詰めてるような所があった。けど、今は何か違う。全てを振り払って前に進むような強さが感じられる」

 フリージアの言葉に、リベルタは苦笑した。

「それはきっと、あの子のせいよ」

「あの子?」

「そう。あの子」

 リベルタは、その場にいない一人の仲間の顔を思い出していた。

「ズタボロになっても敵に向かって食らいついて行く、彼女の戦いに私は惹かれる。もし、私がどこか変わったように見えるのだとしたら、それは彼女がすでに私の中にもいるからだと思う」

 

 

 

 リリィは、誰かに呼ばれたような気がして不意に振り向いた。ルテニカがそれに気付いて様子をうかがう。

「どうしました?」

「いや、誰かに呼ばれた気がして」

「ふふ、それは誰かがあなたの事を思い浮かべているのかも」

 ルテニカは笑った。

「心というのは、どこかで繋がっているものです」

「そうなのかな」

 リリィは、尚も続く通路を睨む。だが、だいぶ歩いても先程のような幽霊が現れる気配はない。数珠を掲げて何かを探っていたらしいプミラが、諦めたように数珠を下ろした。

「妙ですね。先程まで感じていた気味の悪い気配が、とたんに消えています」

「気配って、あの幽霊軍団みたいな気配ってこと?」

「はい」

 リリィも二人の真似をして、気配を探ってみる。しかし、もともと霊感があるかないかも定かではない。何も感じないので、諦めて気持ちをダンジョン探索モードに切り替えた。

 その時、リリィはひとつの案件を思い出してルテニカ達にたずねた。

「ねえ、ちょっと訊きたいんだけど。行方不明の猫レジスタンスのこと、何か知らないかな」

「猫レジスタンス…あの、オブラという猫の仲間の事ですね」

「そう」

 リリィの問いに、ルテニカとプミラは少し考え込んだ。

「確かに、猫のレジスタンスが何者かに捕らわれているというのは知っています。愛玩動物のようにされている写真が、アイスフォンを通じて出回っているのを見ました」

 そう言うものの、現在アイスフォンは危険が伴う事が判明したため、使用禁止をディウルナから言い渡されている。

「何者に捕らわれているのかは不明ですが、この第二層にいるのは確かなようです。なので、このまま進めばいずれ出会う事になるかも知れませんね」

「少なくとも、殺されている心配だけはなさそうです」

 二人の言葉に少しだけリリィは安心する様子を見せた。だが、本当に生かしておいてもらえるかは不明である。それに、城側がその情報を察知して、レジスタンス摘発に利用してこないとも限らないのだ。

「第二層は城側の命令を無視して、わりと好き勝手に活動してるのが多いって聞いたけど」

「そうですね、それは確かです。それは、レジスタンスの数が最も多い事からもわかります」

「なるほど」

 確かに、レジスタンスが当たり前のように存在するなとリリィは思った。城に抵抗するのも、自由意志の帰結だと考えれば納得がいく。

「…レジスタンスを徹底的に増やして、上の階層に攻め入る」

 ぽつりと呟いたリリィの言葉に、ルテニカとプミラは驚いて振り向いた。

「今なんと仰いました」

「え?」

「上の階層に攻め入る、と」

 そう言われて、リリィは何気ない無意識のつぶやきを自覚する事になった。どうして、そんなことを考えたのだろう。焦ったリリィは手を振って取り繕った。

「あはは、冗談冗談」

 リリィは笑ってごまかそうとするが、ルテニカ達は真剣な顔をしていた。

「なるほど。最終的には、そこまで考えなければならないのですね」

「ちょっと、真に受けないでよ」

「いいえ。あなたを見ていると、なぜか大それた計画も現実味を帯びて聞こえてきます」

 プミラの言葉にリリィは、何か言い知れない高揚のような感覚を覚えた。軍勢を集めて、上の階層に攻め入る。それは、氷魔皇帝ラハヴェという存在に真っ向から勝負を挑む、ということだ。

 

 はたして、そんな時が来るのだろうか。来たとして、その勝敗の帰趨はどうなるのだろう。今のリリィには、予想さえできない。今は、この巨大な氷の城を一歩一歩、ただ進んで行くしかなかった。



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生存者

 敵の気配がなくなった空間を、リリィ、ルテニカ、プミラの3人は何となく警戒しながら進んでいた。それまで歩いていたやや雑な構造の通路から出ると、整ったデザインの元の通路が現れた。

「引き返してきた形になるけど、ここからどっちに行くの」

 さっぱり構造がわからないリリィが訊ねると、プミラはルテニカを見る。

「奥へ進むしかありませんね」

「そうですね。ただし、この奥は実の所、我々もあまり明るくないエリアになります」

 ルテニカがリリィに向き直る。リリィは肩をすくめた。

「私はこのエリア自体知らないもの。行くしかないんでしょ」

「…何とも頼もしいですわね」

 若干怪訝そうにルテニカは目を細めた。リリィは幽霊が現れてもできる事はないのであり、頼もしいのかどうかは不明であった。

 

 しばらく進むと、廊下のデザインが変わった事に三人は気付いた。今まではごく普通のデザインが施された廊下だったのが、ある境界を越えると、はっきりと「装飾」といえるデザインになったのである。柱は優美なアーチを天井に描いており、壁面もまた単なる垂直面ではなく、ゆるやかな凹面になっていた。

「雰囲気変わったわね」

 リリィはなめらかな柱の曲面を撫でた。表面は雪を固めたような手触りである。

「ここも当然、氷騎士の誰かが支配しているエリアなんでしょ?」

「そう我々も考えていたのですが」

 何か思わせぶりにルテニカが言うので、リリィは首をかしげた。

「いないの?」

「このエリアも当然、私達レジスタンスは調査の手を入れています。しかし、どうもここには誰もいる気配がないのです」

 プミラも頷いた。

「そうです。そして、ここら一帯は何か、妙な気配に包まれています。奥に進めばリリィ、あなたもそれを感じ取れるはずです」

「妙な雰囲気?」

「大雑把に言うなら、霊感のような。しかし、私たちの霊視でもそれが何なのか、はっきりとは掴み切れません。なんというか、意思がないけれど誰かの気配はするような、そんな感覚です」

 プミラの説明は、リリィには難解なものだった。そもそも、霊能者二人がわからないと言っているものを、素人のリリィがわかるわけもない。

「そのため、我々もつい調査のルートから外しがちなのです。我々のみならず、城側の巡回もここを通る事は滅多にないようです」

「ふうん。面白そうね」

 そう呟くリリィを、呆れたようにプミラ達は見た。

 

 装飾が施された優美な通路をさらに進む。すると、右に折れる箇所に到達した。

「あの先は知っているの?」とリリィ。

「あの先は実を言うと、私も知りません。見た人の話では、礼拝堂のような空間があるとか」

「礼拝堂?」

 三人は曲がり角で一瞬立ち止まり、何かいないか警戒しながら、ゆっくりと角の奥を覗いた。すると、5メートルほどの通路の奥には両開きの扉があった。

「どうする?」

「行くしかない、と先程仰ったのはリリィ、あなたです」

「なんかその皮肉、誰かに似てるな」

 ぽつりと言ったリリィの言葉に、ルテニカが反応した。

「誰か、とは?」

「え?」

「どなたの事を仰っているのですか」

 そう問われて、突然リリィは軽い焦りの色を見せた。目がルテニカとプミラを交互に見る。

「あっ、り、リベルタのこと。あの子けっこう皮肉が上手いから」

「なるほど」

 ルテニカは納得したふうな事を言いながら、その目が何かリリィに探りを入れていた。その時また、どこかで小さく笑い声のようなものが聞こえた。

「またです」

「一体何なんでしょうか」

 ルテニカ達は数珠を振るって、その声の気配を探る。しかし、二人の能力をもってしても、その気配の元を探る事は難しいようだった。

「やはりここは、何か異質な空間らしいですね」

「ルテニカ、入りましょう。いずれここは、私達が調査しなくてはならなかった場所です」

 ルテニカは頷いて、リリィに目線を送った。リリィは、扉を開ける役を買って出る。

「開けるよ」

 取っ手を握ると、リリィはその大きな扉を左右に開いた。中から、いっそう強い冷気が流れ込んでくる。

 

 扉の中は、話に聞いていたとおり礼拝堂のようだった。手前には何列もの椅子が並んでいる。奥には壇があり、その背後の壁面には大きな十字架が彫られていた。そして、その十字架の下に立っている像に、三人の視線が向けられていた。

「あれは…」

「何の像なのでしょうか」

 それは、おそらく女性と思われる彫像だった。ローブをまとい、祈るように両手を合わせている。しかし、その像は首がなかった。

「気味が悪いわね、首なしの像なんて」

「リリィ、気をつけてください。何が潜んでいるかわかりません。これを」

 プミラは、懐から一枚の護符を取り出すとリリィに手渡した。さきほどオブラに渡したものを同じである。

「持っていてください。霊の影響を、ある程度は抑えられるはずです」

「…ありがと」

「もし相手が霊体の場合、物理攻撃が主体らしいあなたでは対抗しようがありません。私とルテニカの間から、動かないでください」

 そう言われて、リリィは憮然とした。氷騎士ディジットを打ち破ったその実力も、霊体相手では何の役にも立たないらしい。だが実際その通りなので、黙って頷く以外になかった。

「この部屋、行き止まりなんだね。何かないか、調べてみよう」

 リリィを前後で挟む形で、三人は礼拝堂中央の通路をゆっくりと進んだ。

 そして、椅子が並ぶ真ん中の列くらいまで進んだ時だった。ガタン、と何かが椅子にぶつかる音が左奥から聞こえた。

「!」

 とっさに三人は警戒して身構える。

「誰?」

 リリィが左奥に声をかける。しかし、何の返事もない。

「気のせいでしょうか」

「そんなはずはありません」

 ルテニカは数珠で気配を探ると、何かピンときたようだった。

「何者かが、椅子の陰にいます」

 霊能者がそう断言したので、リリィは勇んで椅子の奥へと剣を手に回った。

 一歩、また一歩とリリィが近寄ると、それは絶叫とともに飛び出して壁側に逃げた。

「たっ、助けて!!!」

「わああ!!!」

 椅子の陰に潜んでいた何者かと、それに驚いたリリィの絶叫が礼拝堂の高い天井に響き渡る。隠れていたのは、レジスタンスの少女だった。

「助けて!助けて!」

 両腕で顔を覆い、壁の隅に逃げるその様子は只事ではなかった。ルテニカとプミラは、ゆっくりと少女に近付くと膝をついて肩に手を載せた。

「落ち着いて。私たちはレジスタンスの仲間です」

「その服装からすると、ロークラスの子のようですね」

 二人の穏やかな語り口にようやく安心したのか、少女は両腕を下ろしてその顔を見せた。少女は珍しくウェーブのかかった長い髪で、優し気な目元をしていた。椅子の脇には彼女の武器らしい、ショートソードが転がっている。

「何があったのです。あなた一人ですか」

 ルテニカは、ロークラスの氷魔が一人でいる事を不審に思い、周囲を見渡した。少女は、まだ怯えを見せながらもとつとつと語り始めた。

「わっ、私、逃げて来たんです。幽霊が襲いかかってきて、友達のみんなが、突然、気が狂ったように」

「落ち着いて。整理して話してください。お名前は?私の名はルテニカ」

「だ、ダリア、です」

 

 ダリアと名乗った少女は、冷静さを取り戻すと剣を鞘におさめ、椅子に座って説明を始めた。

「私はロークラスのレジスタンスです。他の仲間たち13人とともに、ミドルクラスの皆さんのアジトへ移動していました」

「移動?」

「はい。やはり私達の実力で、分散しているのは不利だと思ったんです。それよりなら、あなた方のようなチームと行動を共にすべきだと話し合った末の事です」

 ルテニカ達は顔を見合わせた。それは、先刻三人で話し合っていた内容に通じるからだった。

「そうして、城の巡回に警戒しつつ移動していた時の事です。私たちは、突然現れた幽霊の群れに襲われたのです」

「少女氷魔と同じ格好の幽霊ですね」

 それは、少女にとって驚きを伴う事らしかった。

「そうです。もしかして」

「ええ。私達も遭遇しました。他に、幽霊に襲われたらしい仲間の亡骸も見つけました」

「なんてこと」

「ダリア、あなたはどうにか逃げ出せたという事なのですね」

 ルテニカがそう言うと、ダリアは顔を覆って伏せてしまった。

「そう!私は、みんなを見捨てて、自分だけ…ごめんなさい、ごめんなさい…」

 見捨ててきた仲間に詫びるように、ダリアは嗚咽をもらした。ルテニカはその背中をそっと撫でた。

「逃げる事は、時には卑怯かも知れませんが、時には賢明な判断です。生き残って戦う事も、ひとつの立派な選択。それにあなたがこうして私達と巡り会えた事で、私たちは敵の情報が得られるのですから」

 ルテニカの励ましで少しだけ落ち着きを取り戻したらしいダリアは、恐る恐る顔を上げた。

「ダリア、話してください。あなた方を襲ったという幽霊について」

「は、はい…」

 

 ダリアの説明によると、その少女氷魔の霊たちは、ダリアの一行の魂に直接攻撃を加えてきたという。一切の武器の攻撃も通用せず、魂を攻撃されたダリアの仲間たちは、一切抵抗できないまま、一瞬で屍になってしまったとの事だった。

「それで、その後はどうなったのです」

「正直に言うと、私はみんなが倒れたことに恐れをなして、もうすでに逃げ出していたのです。なので、その後の事はわかりません…無我夢中で走ってその場を去り、必死で知らない通路を走っていたら…」

「この礼拝堂に辿り着いた、というわけですね」

「はい」

 ダリアはそれだけ言うと、がくりと肩を落とした。

「なるほど。ダリア、ひとつ教えてください。その霊たちは、どうやって現れたのですか」

 ルテニカの質問は、横で聞くリリィには意味不明の問いだった。ダリアはその様子を思い出すために記憶を辿った。

「ええと…確か、私達が廊下を歩いていると、突然空間にぼんやりとオーラのようなものがいくつも浮かんで、それがやがて幽霊の姿になった、と記憶しています」

「なるほど。オーラのようなものが浮かんだ、と」

「はい」

 ルテニカは、プミラと顔を見合わせて小さく頷いた。何やら納得したようだが、リリィには何の事かさっぱりわからない。

「よく話してくださいました。おかげで、貴重な情報を得る事ができました」

「どっ、どういう事ですか」

「あとの事は、我々に任せてください。あなたは私達が守ります。決して、離れないようにしてください」

「えっ」

 ダリアは、何か意外そうに訊ね返した。

「わっ、私がいたら足手まといになるのでは」

「あなたを一人では置いて行けません。ある程度調査をしたら、我々の仲間が大勢集まっているアジトに案内しますので、あなたはそこに留まるとよいでしょう」

「そっ、そうですか…それでは、ご一緒いたします」

 申し訳なさそうに、ダリアは頭を下げた。

 

 ダリアを加えた四人は、改めて礼拝堂の中を調べ始めた。ルテニカとプミラは、奥にある女性の彫像が気になっているようだった。ルテニカが、像の首の断面を睨む。

「この像、なぜ首がないのでしょう」

「わかりません。ですが、ひとつ気になる事があります」とプミラ。

「え?」

「ルテニカ、我々氷魔にとって、首がないというのはどういう事を意味しますか」

「…なるほど」

 ルテニカは、片肘に手を当てて思案した。首のない像を見たあと、リリィに視線を向ける。

「リリィ、あなたは今まで多くの敵氷魔を倒して来たはずです。その剣で、敵の首をはねた事は?」

「…あるけど。無数に」

 あまり思い出しても楽しくない光景が、リリィの脳裏に浮かんだ。首をはねるのは、一番手っ取り早い敵の倒し方だからである。ルテニカは頷いてみせた。

「首を失う事は、我々氷魔にとって死を意味します。ここに、何かあるような気がしませんか」

「何か、って?」

「我々がいま直面しているのは、死んで幽霊になったと思われる氷魔たちです。首を失ったこの像と、一連の出来事が無関係であるとは思えません」

「どういうこと?まさかこの像が氷騎士で、私達に幽霊をけしかけてる、とか?」

 リリィは、像に近寄るとその側面をガンガンと叩いた。すると、黙っていたダリアがビクッとして姿勢を崩し、椅子の背もたれに手をついた。

「どうしたの?」

「ごっ、ごめんなさい、ビックリして」

「心配いらないわよ、このお姉ちゃん達は霊能力のエキスパートだから。幽霊の百や二百、いっぺんに片付けられる」

 すると、プミラが咳払いした。

「勝手に他力本願で安請け合いしないでください。私達でも百の霊を一気に払うなど、できるはずがありません」

「そうなの?」

「私達は氷騎士ほどの実力はありません。過信なさらぬよう」

 そのやり取りを見て、ルテニカが小さく笑った。

「心配要りませんよ。霊を操る氷騎士などの情報は、我々レジスタンスにも入ってはおりません。少なくとも今回の件で、氷騎士と戦うような事にはならないと思います」

「そうだといいですが」

 プミラが不安げに像を見上げる。ロークラスで一番実力が劣ると思われるダリアは、これからの事態に恐れをなしたのか、小さく震えていた。

「やっ、やっぱりわたし、どこかに隠れていた方が」

 すると、ルテニカとプミラは安心させるように微笑んだ。

「いいえ。私達と一緒にいる方が、確実に安心ですよ」

「そうです。それに、幽霊ではない普通の氷魔が現れた場合は、千体でも二千体でもこのリリィさんが、一人で全部片づけてくれるはずです」

 すると、今度はリリィが憤慨して声を荒げた。

「私だって千もいっぺんに片付ける事、できるわけないでしょ!あなた達も手伝ってもらうからね」

「物事は分担が肝心です。適材適所、ですよ」

 いよいよ冗談を言い合うくらい馴染んで来たリリィだった。その様子を、何か不安そうにダリアが見つめていた。



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エル

 ひとまず、レジスタンスの少女氷魔ダリアが同行する事になったが、ルテニカとプミラはまだこの礼拝堂が気になるようだった。

「プミラ。やはりあの像が気になります」

「そうですね。何か得体の知れない気配というか」

 二人は、首のない女性の像を見上げると、礼拝堂の中を見渡した。天井が高いせいで広く感じるが、実際の面積はそこまで広くはないようだ。

 二人に合わせて壁や天井を見回していたリリィは、何か不自然なものがある事に気がついた。

「ねえ、あれ何だろう」

 リリィが指さしたのは、像の足元の3箇所に置かれた何かだった。それは椅子の下や柱の陰のくぼみ等、見えにくい所に意図的に置かれており、今まで誰も気付かなかったのだ。大きさはバスケットボールくらいある。

 他の三人が見守る中でそれをリリィが確認すると、全員があっと声をあげた。

「なっ、何これ!?」

 それは、少女氷魔の頭部だった。当然ながらすでに息絶えており、単なる極低温の氷塊である。

「まだ新しいね。見て、この首の断面」

 リリィが首を傾けてその断面を示すと、それはついさっき砕けたか、斬られたような断面だった。他の2つも同様である。

「ダリア、これってあなたがここに来た時からここにあったの?」

 リリィが訊ねると、ダリアは首を横に振った。

「わかりません…私は、ただ身を潜める事しか頭になくて。その像も気味が悪いので、近寄らないようにしていました」

「なるほど」

 加えてダリアは逃げ延びてきて動転していたとすれば、隠すように配置してある首など当然見えようがなかったのだろう、とリリィは考えた。

「これ、どう考えても普通じゃないよね。像の手前左右に2つ、左後ろに1つ。この室内で戦闘が行われた形跡もない以上、これは何者かが意図的に、像の周囲に首を配置したとしか思えない」

 リリィの指摘に、ルテニカとプミラは頷いた。

「問題は、誰が何のためにこんな事をしたのか、です」

「あなたは何かわからないの、ルテニカ」

 すると、ルテニカは一瞬プミラと視線を交わして、何かを確認し合うような素振りを見せた。

「わかりません。何となく儀式的なものかとは思いますが、これがなんの意味を持つのかは不明です」

「これが、幽霊氷魔と何か関係してるって事はない?」

「仮に霊体を使役する何者かがいたとしても、こんなふうに首を思わせぶりに配置する事には、何の意味もありません。つまり、魔術的な効果は何もない、ということです」

 ルテニカはそう断言した。

「つまり、これは私達が今直面している問題とは、関係ないという事?」

 リリィが確認するように訊ねると、ルテニカとプミラは同時に頷いて答えた。

「そうです」

「じゃあ、気味が悪いけどこれは無視していいってことね」

「頭部だけでは、敵の氷魔だったのか、レジスタンスの誰かだったのかもわかりません。可哀想ですが、このまま置いておく他はないでしょう」

 ルテニカは跪いて、せめてもの慰めにと髪を整えて祈りを捧げた。他の三人もそれに倣う。礼拝堂は遺体を安置する場所ではないが、無機質な通路などよりはずっと相応しい。

 

「やはり、ここにいても意味はなさそうね」

 リリィに、ルテニカ達もようやく同意して頷いた。

「そうですね。移動するとしましょう」

「そうなると、どこへ移動するべきか、ですが」

 三人が考え込んでいると、ダリアがおずおずと手を挙げた。

「あの…私と同じロークラスのレジスタンスの子たちが、まだ潜んでるエリアがあるんですけど」

「ロークラス…つまり、あなたを含めて移動していた子たちとは別のチームってこと?」

 リリィが訊ねると、ダリアは小さく「はい」と答えた。

「他のクラスの人達は知らない場所に隠れてるので、その…来ていただけますか。心配なので」

「そうね。時間を無駄にするくらいなら、少しでも仲間の安全確保に動くべきだわ」

 リリィが同意を求めると、ルテニカ達も異論はなかった。

「そうですね。アイスフォンの件もありますし」

「決まりね。行きましょう」

 リリィは白銀のロングソードを構えると、ダリアの背中を軽く押して出口に向かう。その後ろを、数珠を握って警戒しながらルテニカ達が続いた。

 

 

 他方、リベルタ達は正体不明の氷魔たちと戦った直後のこともあり、また何か現れないかと慎重に通路を進んで行った。通路は丁字路に差し掛かり、左右どちらに行くか、と三人は立ち止まった。

「こっちに行くとハイクラスの人達が潜んでるエリアだけど、どうする」

 氷扇を棒状に畳んだヒオウギが、トントンと肩を叩きながら、もう片方の手で丁字路の右方向を指す。リベルタとフリージアは、腕組みしてうーんと唸った。

「この際だ、私的感情は捨てるか」

「行きたくない、って顔に書いてるよ」

 フリージアは笑いながらリベルタの頬を指でついた。だがその時、左手方向から足音が近付いてくるのに三人は気付いた。

「!」

「この足音は…」

 それは、床を踏み鳴らすような威圧的な足音だった。リベルタは、制服を来た少女氷魔でない事をいち早く察知すると、無言で二人に合図を送り、右手方向に足音を立てないよう移動した。

 

 大きな壺が飾ってある窪みを見つけると三人はそこに身を隠し、簡易魔法で壁面の幻影を張って、何者かが通り過ぎるのを待った。

 リベルタが予想したとおり、それは城の正規の兵士たちだった。ナロー・ドールズより大きな体躯で、手にした剣や槍、装甲の強度も段違いである。何より、明確な知性を持っているのが厄介だった。それが三体、無言で通路を巡回にあたっていた。

 やがて足音が去ると、三人はほっと胸を撫で下ろした。

「危なかったわね」

 壁の幻影が見破られた時に備え構えていた小剣を、リベルタは鞘におさめた。

「戦って勝てないわけではないけど、正規兵となると簡単にはいかない。城側に通報されたら厄介だわ」

「ディジットをリリィが倒した件もあるし、警戒が強まってるかも知れないわね」

 フリージアは、前後の通路を交互に睨んだ。今の所、さきほどの兵士たち以外に敵がいる気配はない。

「ねえ、なんか変じゃない」

 ぽつりとヒオウギが呟いて、二人は振り向いた。ヒオウギは難しい表情で、跪いた姿勢で下を向いて考え込んでいる。フリージアが、少し呑気な調子で訊ねた。

「なにが?」

「さっきの、私達が倒した少女氷魔たちよ。私達を狙って攻撃してきたって事は、仮にその身体を操られていたにせよ、それを差し向けたのは城側の何者かって事でしょ」

「まあ、そうでしょうね」

 フリージアとリベルタは、ヒオウギが言わんとするところを掴み兼ねて首を傾げた。しかし、ヒオウギは不意に立ち上がると二人を見て言った。

「おかしいわよ。だとしたら、いま通り過ぎた兵士達が、私達に倒されたあの少女たちを探している素振りも見せないのは、なぜ?」

「あっ」

 今度はリベルタ達も、なるほどと考え込んだ。

「そういえばそうだね」

「ただ普通に巡回してます、って感じだった」

 リベルタとフリージアは、ヒオウギのカンの鋭さに尊敬の眼差しを向けたが、当のヒオウギは小さく頷くだけだった。

「でしょ。そうなると、一体あのゾンビのような少女氷魔たちを差し向けたのは何者なのか、という話になる」

「そうね。私達レジスタンスを狙っているのは間違いないにせよ、城の巡回兵士とまるで無関係に行動している、というのは理解できないわ」

 では、一体何が起きているのか。それを考える余裕は、次の瞬間になくなってしまった。

『うおおっ!!』

『なっ、何者だ貴様ら!!』

 巡回兵士たちが去った方向の奥から、反響でぼやけているが、はっきりとそう叫ぶ声がしたあと、ガシャンと何かが倒れる音がした。

「なに!?」

「まさか、さっきの…」

「行ってみよう!」

 リベルタが率先して、小剣を手に駆け出した。慌ててフリージア達も続く。

 

 それは、奇妙な光景だった。ついさっき、リベルタ達の前を通り過ぎた城の正規兵たちが、何かと戦った形跡もなく、糸の切れた人形のように通路に倒れているのだ。

「どういうこと」

「ねえ、似てない?さっきの猫レジスタンスが伝えてくれた話と」

「あっ」

 リベルタは、即座に合点がいった。オブラが伝えた所によると、リリィ達もこの兵士たちと同様に、争った形跡もなくアジト内で倒れていた、レジスタンスを発見したのだ。その直前に悲鳴を聞いているのも同じである。

「いよいよ私達も、幽霊とやらと戦う羽目になるってことか」

「そうなると危険だね。リベルタ、あなたは多少対抗できるかも知れないけど、私達は幽霊相手じゃ分が悪い」

 ヒオウギは、フリージアの肩をポンと叩いて渋い顔をした。リベルタは顎に指を当てて思案した末、「よし」と頷く。

「この付近のハイクラスチームに、まずアイスフォンの件と、幽霊の件を報告する。そのあと、速やかにルテニカ達と合流する」

 ヒオウギも同意したが、フリージアはまだ不安があるようだった。

「合流するのはいいけど、六人中の三人だけでしょ、幽霊に対抗できるのは」

 すると、リベルタがだいぶ悩んだ末に、ぽつりと呟いた。

「やむを得ないか」

「え?」

 何がやむを得ないのか、フリージアには解りかねた。

「やむを得ないって、何の話」

「…合流したら説明する。いずれ明かすつもりではいたんだけど」

 だから、何の話だ、と訊ねるも、リベルタはそれ以上説明してくれないのだった。

 

 ハイクラスの少女兵士達は、基本的に下のクラスとの関わりを持たない。稀に例外もあるが、全体としては交流じたいが希薄であり、それはレジスタンスでも同じだった。

 その中で比較的物わかりがいいというか、少なくとも階級の違いで、交流じたいを突っぱねるような事はしないチームがいた。リベルタやフリージアも顔見知りで、実力も当然それなりに高い。

「いるかな」

 極端に細い通路の真ん中あたりで、三人は立ち止まる。リベルタの大きな弓は、携帯用に縮めた状態でも動くのに邪魔になるほどだった。

 一見何もない壁の、ある一点をフリージアはノックした。おなじみの、魔法で隠したアジト入口である。

 しかし、中からは何の反応もなかった。

「留守かな」

「あの慎重な人達が、完全にアジトを空ける事はないと思う」

「そうだね」

 リベルタの意見にフリージアはもう一度、壁をノックしてみる。しかし、やはり反応はなかった。これは何かおかしい、と思い始めた、その時だった。壁の奥から微かに、何かがドサリと倒れる音がした。

「!」

 瞬間的に何かを察知した三人は、頷き合って行動を決めた。

「フリージア、やれる?」

「…やってみる」

 フリージアは、ヒオウギに自信なさげに答えながら、戦闘用ナイフを構えて見えないドアの前に立った。

 普段なんとなく温和そうに見えるフリージアの目つきが、狙撃手のように研ぎ澄まされた。壁面を無言で睨むと、ある一点に視点を定め、ナイフを視認不可能な速度で突き出した。

 フリージアの長く鋭いナイフの切っ先が、楔のように壁面に穿たれる。すると、その一点を中心に、一瞬で壁面全体に、放射状に亀裂が走った。

「やばっ」

 フリージアが焦った次の瞬間、魔法で形成されていたドアが姿を現し、ガシャーンと盛大な音を響かせて粉々に割れてしまった。これはフリージアの特技で、魔法で施錠、隠匿されたドアなどを破壊できるのだ。ただし、破壊したら二度と元には戻せない。また、フリージアの力を超える強固な魔法には歯が立たない、という弱点はあった。

 加えて静かに開ける事が不可能な点も問題で、もし、近くに城の巡回兵士でもいたら、即座に飛んでくるに違いない。三人は床に散乱したドアの残骸を見つめながら、足音が近付いてこない事を確認すると、胸に手を当てて安堵した。

 

 三人は慎重に、ハイクラスのレジスタンスが潜むはずのアジトに足を踏み入れた。そもそも今の騒音でも誰も出て来ない時点で、何か起きているらしい事は明白である。

 リベルタが、ゆっくりと室内の様子を確認する。だが、そこには観察するまでもない光景があった。

「あっ!」

 三人は一様に驚いた。またしても、先程の巡回兵士たちのように、レジスタンスの少女たちが三人、倒れていたのである。一人はテーブルに突っ伏すように、あとの二人は床と壁に、投げ出されるように倒れていた。すでに死んでいる事は、一目見ただけで確認できた。

「これは…」

 リベルタは、床に倒れている少女を確認した。武器は持っていない。よく見ると、長大な剣が壁に立てかけてある。そもそも戦闘などは行われていなかったらしい。

 他の二名も同様で、装備品が乱れた様子もなく、ただ単にその場で倒れてしまった、という様相である。オブラからの情報と照らし合わせると、やはり件の幽霊による魂への攻撃、という可能性が高そうだと全員が同時に考えた。

「リベルタ、もう猶予はない。やっぱり、一刻も早くルテニカ達と合流しよう。あたし達も、この人達と同じ目に遭う事になる」

 ヒオウギは冷徹に言い放つ。リベルタもフリージアも、やむなしという顔をしていた。

 そうして三人が、哀れに倒れているハイクラスの少女達を置いて立ち去ろうとした、その時だった。

「ん?」

 リベルタが、何かに気付いて立ち止まった。

「どうしたの」

 ヒオウギが振り返ると、リベルタはテーブルに伏せる少女の手元をじっと見ていた。

「何かあるの?」

「見て、これ」

 リベルタが指し示したのは、倒れた少女の指先にあるテーブルの面だった。そこには、引っかき傷で「L」という文字が書かれていた。

「これは…文字?」

「人間の、アルファベットだね。"エル"」

 氷魔は基本的にあまり文字を必要としないが、情報伝達など必要な時には、アルファベットを基にした氷魔文字を用いる。時にはアルファベットをそのまま用いる事もあった。

「どういうこと?」

 ヒオウギは怪訝そうにその文字を睨んだ。倒れている少女は、どうやら今際の際に自分の指で、テーブルに引っかき傷で文字を書き残したらしい。

「どうやら、何か死に際に伝えたかったらしいわね」

「見て。エル、の続きを書こうとしてたみたい」

 アルファベットのLの右にも、続く文字を記そうとしていた形跡はあった。しかし、そこで力尽きたのか、二文字目は微かにテーブルを傷つけただけで終わっていた。

「どういう意味かしら。エル、って」

 リベルタは首を傾げた。

「ま、単純に考えるなら犯人の名前よね」

「単純すぎない?」

 フリージアがヒオウギの説に異を唱えるも、リベルタは「なるほど」と答えた。

「死に際に、あれこれ複雑に考える余裕なんてないはずよ。だからこれは敵の名前とか、ごくシンプルな意味だと思う」

「じゃあ何?敵の名前は、イニシャルが"L"の何者かって事?」

 ヒオウギの問いに、リベルタは「うーん」と首をひねった。そんな名前はいくらでもありそうだ。

「リベルタ、あんたの名前のイニシャルだってLだよ」

「あっ」

 人間のアルファベットだと、リベルタの綴りは"Liberta"となる。だからといって、自分が犯人です、などという馬鹿な話があるはずもない。

「リリィもLでしょ。"Lily"」

 フリージアのツッコミも早かった。今度はリベルタも言い返す。

「だったらルテニカは?」

「残念。"Ruthenica"でした」

 緊迫しているはずの場面で、どうにも低次元なやり取りが始まったところで、三人は何やらどっと疲れがきて、とにかくそのルテニカ達と合流しよう、という事になったのだった。



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第三勢力

 リベルタは、通路を歩きながら先刻の出来事について考えていた。

「これは以前、誰かが言ってた事なんだけど」

 前置きしつつ、リベルタは過去の会話の内容を思い出す。それは、氷巌城内の勢力図について、今ここにいないメンバーと話し合っていた時の事だった。

「この氷巌城には、氷魔皇帝サイドと私達、あるいはオブラ達レジスタンス以外にも、複数の勢力が存在する可能性がある」

「例の、アイスフォンをバラまいてる誰かのこと?」

 フリージアは周囲を警戒しつつも、武器のナイフをいったん鞘におさめた。

「それも含めての話。推測でしかないけど、例えばさっき、巡回していた城の正規兵が殺されてた件を考えてみて。あれをやったのはレジスタンスだというなら話はわかるけど」

「…なるほど。あれはどう見ても、今の幽霊騒ぎの主犯格の仕業よね」

「そう。レジスタンスに、あれだけの霊的な攻撃ができる氷魔は、私達が知る限りではルテニカとプミラ以外にいない」

 そして、そのルテニカは今、別行動を取っている。つまり、今の幽霊騒ぎを起こしている何者かは、氷魔皇帝サイドとレジスタンスの両方を相手にしている"第3勢力"だという事だ。そこへ、黙っていたヒオウギが口をはさんだ。

「レジスタンスの中の誰かの仕業、って可能性はあると思う」

「まさか」

 リベルタは、さすがにそれはあり得ないと思った。しかし、フリージアの意見は違った。

「ゼロではないと思うよ。ハイクラス氷魔の中には、霊能力を持った人もいるかも知れない。あまり関わりがないから、知らないだけで」

「でも、それだとレジスタンスがレジスタンスを霊能力で攻撃したり、魂を抜き取って操ったりしてる事になる。いくらハイクラスと下のクラスの仲が悪いからって、完全に敵対してるわけじゃないでしょ。そこはどう説明するの」

「それこそ、さっきリベルタ自身が言った事だよ。レジスタンスの中にだって裏切って第3勢力として動く奴が、出て来ないとは言えない」

 なるほど、とリベルタは頷く。そもそもレジスタンス自体が城を裏切った勢力だ。そこから、城もレジスタンスも裏切る者が現れても、何の不思議もない。

「もちろんこれは、状況証拠に基づく推論だけどね。けど問題は相手の正体じゃない。つまり、リベルタが言う"第3勢力"が複数いるとしたら、それら全てが私達の敵になり得るっていう事だよ」

 フリージアの冷静な指摘に、わかっていた事ではあるが、リベルタもヒオウギもゾッとした。もちろん、最初からレジスタンス以外の全てが敵、という前提で動いてはいたので、厳密には敵の総数が変わるわけではない。だが、状況が複雑になれば、対処もそれだけ厄介になる。

「考え方じゃない?中には、こっち側と手を結べる奴らもいるかも知れない」

「アイスフォンの通信を傍受したり、幽霊を猟犬みたいに放つ奴らと、手を結ぶの?」

 リベルタの指摘に、フリージアもヒオウギもうーんと唸った。そこで、兎にも角にもリベルタは決断した。

「いったん、リリィ達と合流して、例の御札を貼ってるっていうアジトで対策を練ろう。とりあえず状況はいくらかわかったし、やみくもに分散してると不利になる」

「そうね。それに、現状だとルテニカ、プミラ以外に、幽霊にきちんと対抗できそうな人もいないし」

 ヒオウギが頷いたところへ、リベルタは補足した。

「それなんだけどね。実はもう一人だけ、ひょっとしたら幽霊に対抗できるかも知れない人に、心当たりがある」

「なんですって?」

 ヒオウギの声が、広い空間に響いた。3人はいつの間にか、通路を連結する広い円形のスペースに到達していたのだ。

 するとその時、突然聞こえた野太い声に3人は、氷魔には無いはずの心臓が停まるかと思った。

「レジスタンス共だな!部下より、何者かがウロついているとの報告があって来てみれば!」

 それは、ざっと見て20体の兵士を従えた、3メートルはあろうかという巨体の戦斧の騎士だった。兵士達はロングソードや槍で武装している。

「正規兵か!」

「くそっ、幽霊にばかり気を取られていたら!」

 ヒオウギとフリージアが武器を構える後ろで、リベルタが素早く弓に魔力の矢をつがえた。

「敵の両端に散開して!」

 リベルタの指示に、ふたりは素早く左右に散った。両端の兵士達が、それぞれヒオウギ、フリージアに向かう。その瞬間を狙って、リベルタは中央の巨体の指揮官を中心にエネルギーを放った。

「サンダーストリーム!」

 電撃を伴った冷気の真っ直ぐな突風が、戦斧の騎士とその周囲にいた兵士達を襲う。電撃で分子構造に打撃を加えられたところへ、風の圧力が襲いかかると、兵士達は一瞬で全身をバラバラに砕かれ、スクラップになって壁面に叩きつけられた。

 だが、それが通じたのは雑兵だけだった。

「うっ、嘘!」

「むう、この実力…さては噂の、氷騎士に楯突くという謎のレジスタンスか!」

 戦斧の騎士は、鎧の細かな装飾などにダメージがあっただけで、ほとんど無傷で立っていた。

「丁度いい!ここでその首、もらってゆくぞ!」

 騎士が振り回す戦斧は、この円形の微妙な広さの空間では脅威だった。まるで、この空間に合わせたかのような、絶妙なリーチである。遠ざかろうとすると壁が邪魔をし、近寄れば弓は不利になる。

「リベルタ!」

「待ってて!」

 フリージアとヒオウギは、雑兵達を一体、また一体と片付けて行った。だが、倒せる相手ではあっても、5体6体となれば時間はかかる。戦斧の騎士は、リベルタに狙いを定めて突進してきた。

「死ねえ!」

「うわわっ!」

 巨体ゆえに歩速こそ遅いが、それを戦斧のリーチと腕力が十二分にカバーした。リベルタは持ち前の瞬発力で飛び退いたが、それは一度だけで、すぐに壁面が背中に迫っていた。

「ふふふ、もう終わりだな!その首、ヒムロデ様に献上してくれる!」

 戦斧の分厚い刃がリベルタの左から、横薙ぎに襲いかかった。完璧に首の高さを狙っている。リベルタは咄嗟に弓で防いだが、弓ごと弾き飛ばされてしまった。

「うああーっ!」

「リベルタ!」

 強引に雑兵を薙ぎ払ったヒオウギが、急いでリベルタの援護に向かう。だが、リベルタは咄嗟に通路に逃げ込んだ。狭い空間なら、長い斧は不利になるはずだ。

 だが、戦斧の騎士は何ひとつ怯むでもなく、通路にリベルタを追って進入してきた。

「くらえ!」

 リベルタは一歩早く、急速にチャージしたエネルギーの照準を、通路を塞ぐ形の騎士の頭部に定めた。だが、敵は予想外の戦法に出た。

「どりゃああ!」

 なんと、長い戦斧を槍投げの要領で投擲してきたのだ。逆にリベルタが、狭い通路で回避困難になってしまう。

「こっ、この…!」

 慌てて、攻撃のエネルギーを障壁に転換し、通路いっぱいに張り巡らせる。飛来した戦斧が激突すると、戦斧はバラバラに砕け折れた。どうにか防いだものの、すでに障壁にも亀裂が入っていた。そこへ、騎士が力と重量任せにタックルを食らわせると、障壁はいとも容易く砕かれてしまう。

「おれの全力の一撃を、一度防いだだけでも褒めてやる!」

 今度はリベルタの全身を粉砕すべく、巨体の騎士が床面を蹴った、そのときだった。

「ヒオウギ、下がって!」

 リベルタの声がすると同時に、障壁が砕かれた後の粉塵の奥から、ひとすじの電光が走った。

「ストレート・ライトニング!」

 それは、拡散していたエネルギーを一点に集束した、高密度の魔力の矢だった。リベルタは障壁が砕かれる事を予期しており、その間にエネルギーをチャージしていたのだ。

「ぬううっ!」

 魔力の矢は、首を防ぐために交差された騎士の両腕の装甲を撃ち抜いて、喉笛に深々と突き刺さった。喉は氷魔の生命と魂をつなぐ経絡である。

「ぐっ…つ、強い…」

「今よ、フリージア!」

 リベルタの指示が飛んだが早いか、フリージアはナイフを両手で逆手に握り締め、恐るべき速度で騎士の背後に接近する。

「ヴォーパル・スピアーヘッド!」

 僅かに跳躍して一瞬、身体を回転させると、その勢いのままフリージアは、騎士の首の中心に、真っ白に輝くナイフの尖端を深々と突き入れた。前後から首を貫かれた騎士は、尚も動こうと藻掻いたが、すぐにそのまま背面に倒れ込んだ。

「うわわわっ!」

 危うく巨体の下敷きになりかけたフリージアは、ヒオウギに脇から引き寄せられて回避する。生命を失った巨体は、重々しい音を立てて倒れ、ぴくりとも動かなかった。

 

「なっ、なんて奴なの…氷騎士、とまでは言わないけど。今の戦闘で、だいぶエネルギーを消耗してしまったわ」

 油断していた事もあるが、リベルタは死してなお通路を塞がんとする、その巨体を見てぞっとした。倒そうと思えばこの通り倒せる相手だが、少し油断をすればこちらが倒されるだけの力も間違いなくある。

「これほどの戦士、第二層でもそうそういない。というより、このタイプの戦士自体、あまり見かけないわ。どういうこと」

「ねえリベルタ、さっきこいつ、"ヒムロデ様に首を献上する"みたいな事、言ってなかった?」

「…なんですって」

 ヒムロデ。フリージアが言ったその名に、リベルタは戦慄した。

「ヒムロデ直属の戦士ってこと?」

「それなら、この強さも納得できると思わない?」

「強さに関してなら納得できるわ。氷巌城ナンバー2、皇帝側近の魔女ヒムロデ。むしろ直属としてなら、弱い位かも知れない。けど、そんな奴が、この第二層をうろつくと思う?」

 ヒムロデ直属の兵士となれば、第三層および天守閣を護る役割のはずだ。それが、なぜ第二層に降りてきているのか。

「それはわからないよ。けど、レジスタンスの間では、ヒムロデ直属の兵士や隠密が、ちょくちょく最下層にも降りてるって話じゃない?」

 それは、以前から言われている事ではあった。皇帝側近ヒムロデは、どうやら階層の上下を問わず自分で仕切る事を好むらしく、第一層で例の侵入者を調査していたのがヒムロデ直属の調査団だった、というのもそれを裏付けていた。

 その時、ヒオウギが言ったひと言に、リベルタはギクリとして黙り込んだ。

「ひょっとしてだけど、あのリリィって子を捜してるって事はないわよね」

「あー、なるほど。あの子強いみたいだもんね」

 フリージアも納得する。確かに、リリィが氷騎士ディジット等を倒したとなれば、その報告はすでに上層部、むろんヒムロデの耳にも入っているに違いない。幹部である氷騎士と渡り合える、無名の氷魔少女。そんな厄介な存在を、城側が放置しておくはずもなかった。

「一体あの子、何者なんだろうね。レジスタンスにそんな強い子がいたら、ずっと前から知られていてもいいと思うんだ。リベルタみたいに」

 フリージアが視線を送ると、リベルタは取り繕うように微笑んだ。

「いっ、いやあ、私なんて師匠の名前のおかげで知られてただけだと思うし」

「でもあなた、そのストラトスを倒したんでしょ。いちおう城側には、ストラトスとイオノスが内紛の末に同士討ちになった、って事で誤魔化したらしいけど」

「リリィとかサーベラス様、グレーヌ達と一緒に戦って、全員ズタボロになってやっと勝てたんだよ。もう、全員ここで死ぬって思ったもの。例の錬金術師からもらった回復アイテムも、全部使い切ってね」

 ストラトス=イオノスの強さを迫真の様子で説明され、フリージアもヒオウギも小さく身震いした。そんな相手と対峙したら生き残れるのか、と誰でも考えるだろう。

「まあ話がそれたけど、リベルタ。あなたも、リリィが何者なのかは知らないのね」

「それについて、ちょっと伏せていた事がある」

 リベルタは観念して、周囲を入念に見渡した。誰か聞いている者はいないか。

「…さっきの話と関連するんだけど、レジスタンスの中の裏切り者、っていうのは、実は私達も想定していたんだ。そのために、あなた達に伏せていた事実がある」

「リリィに関して、ってこと?」

 ヒオウギが訊ねると、リベルタは無言で頷いた。ヒオウギは、何か納得がいったように肩の力を抜いた。

「うん。なんか隠してるな、とは思ってた。リリィ、あの子は普通じゃない。ちょっと変わってる、とかいう以前のレベルでね」

「全員合流したら説明する。それまでは、ちょっとガマンして」

「わりとビックリする内容?」

 訊ねられ、リベルタは真顔で答えた。

「そうね。アイスフォンが使えなくて、新鮮なニュースに飢えているというなら、これ以上ないニュースかも知れない」

 

 

 礼拝堂で隠れていた氷魔少女、ダリアを保護したルテニカ、プミラ、リリィは、歩いて来たルートを戻っていた。リリィにはまったく通路の構造がわからない。

「よくこんな、ややこしいルートがわかるわね」

「だからこそ、私達レジスタンスがアジトを作るのに好適というわけです。そもそも第二層は、ご存知でしょうけど城側の管理が他の層に比べ、緩い傾向にあります」

 ルテニカの解説に、リリィはなるほどと納得した。

「それで、リベルタ達と合流したら、その後どうするかですね」

「そうです。合流するのはいいとして、そこから何をどうするのかを決めなくては、意味がありません。リリィ、あなたの意見は?」

 プミラから問われ、リリィは焦った。いきなりその後の作戦をと言われても、即座には答えられない。だが、結局は考えて決めなくてはならない事でもある。歩きながら、少なくとも作戦会議の叩き台は準備しておくべきだった。

「まず、私達の最終目的をハッキリさせよう。要するに、今の幽霊騒動があろうとなかろうと、最終的な目的は変わらない」

「えっと…リリィ、あなたが言っているのは」

 ルテニカは、プミラと顔を見合わせつつ訊ねた。リリィは、頷いて答える。

「もちろん。私達の目的は、氷魔皇帝を倒して、この氷巌城を消滅させること」

 その宣言を聞いて、後ろを歩いていたダリアが突然、びくりとして「えっ」と声を出した。

「ん?」

 リリィ達は、何事かとダリアを振り向く。ダリアは、3人の顔を交互に見た。

「いっ、いえ、その…そんな大それたこと、できるって思えるのが、凄いなって。私みたいなロークラス氷魔じゃ、とても…」

 気弱なダリアに、リリィは微笑んだ。

「あのね、私達だって簡単にできるとは思ってないよ。だからこうして、仲間を集めてるの。10人じゃ心もとなくても、100人いればどう?ダリア、あなただってその一員になれるんだよ」

 リリィは、ごく真剣にダリアにそう言った。無駄なメンバーなどいない。敵は強大で、膨大だ。仲間は一人でも多ければ心強い。

 だがそこへ、ルテニカが口をはさんだ。

「リリィ。いま言われた事、全くその通りです。それを今から身をもって実証する事になりそうです」

「え?」

「剣を抜いてください。どうやら前方から、”物理的な”お客様がおいでのようです」

 ルテニカに言われ、全員が立ち止まって、通路の前方に神経を集中させた。すると、奥からレジスタンスなどとは違う、重々しく規則正しい多数の足音が近付いてくるのがリリィ達にもわかった。



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フォース・ディストリビューター

 氷巌城皇帝ラハヴェの側近ヒムロデのもとに、第二層を調査に向かった兵士達から、遠隔音声による不審な報告らしきものが届けられた。

『ぎっ、銀髪の…うわあああ―――!』

 メイド姿をしたヒムロデの侍従が、盆に載せたオベリスク状の結晶体から、第二層の報告役の兵士の、おそらくは断末魔であろう絶叫が執務室に響いた。

「それで終わりか」

「はい」

 メイドは相変わらず、必要な事だけを答える。ヒムロデは立ち上がると、結晶体を指でコンと弾いた。

『ぎっ、銀髪の…うわあああ―――!』

 さきほどの音声が再び流れる。ヒムロデは眉をひそめた。

「断末魔の前に言いかけた"銀髪"の何者かの攻撃で死んだのだろうが…金髪の侵入者が死んだ次は、銀髪の謎の氷魔か」

 ヒムロデは乾いた笑いを浮かべた。メイドは黙って聞いている。

「こやつが居たのは第二層のどのエリアだ」

「厳密には特定できませんが、西側エリアに向かった一団である事は間違いありません」

「西側というと、くだんの幽霊騒ぎが報告されているエリアか?」

 ヒムロデの問いに、メイドは今度は答えもせず、ただ頷いた。

「あのエリアにはレジスタンスどもが潜んでいるという報告もあるが、一方では奇怪な現象のため、我が軍もレジスタンスもうかつには近寄らぬとの報告もある。いずれが真実に近いか」

「私の手の者の報告を総合する限りでは、後者です。レジスタンス数名が、何者とも交戦した様子がないのに、魂を抜かれたように行き倒れていたという報告も過去にはあります。レジスタンスも近寄らないとなれば、そもそも兵を送る理由もありません」

「なるほど」

 椅子に腰掛けると、ヒムロデは十数秒思案したのち、メイドにむかってひとつ訊ねた。

「お前は、かつてこの氷巌城に存在したとされる、今の人間どもの言葉にするなら"ガランサス"と呼ばれた氷魔の事を知っているか」

「伝説としてであれば」

「うむ。私でさえ伝聞でしか知らぬ存在だ。だが、ひとつだけ確かな事はある。そやつは実在した。これは間違いがない」

「なぜ、そのように断言できると?」

 メイドは、まるで皇帝側近を畏れるふうもなく、少しばかり興味深そうに訊ねた。ヒムロデは唇の端をわずかに浮かせて答える。

「ガランサスを第二層に、かつて封印した氷魔が、今も陛下に仕えているからだ」

「今もでございますか?」

 メイド氷魔は、さすがに驚いた様子で訊ねる。

「さよう。ついでに言うなら、そやつはあの伝説の、金髪の女剣士とも戦っている。最終的に頭を粉砕され、そのダメージを引きずっているせいで、いまだ頭が完全には再生できずにおるがな。それが原因か性格も若干おかしくなり、過去の記憶もいささか曖昧になっているらしい。歳もゆうに6万歳を超えている」

「まさか、その氷魔とは…」

 

「そこではない、たわけ!もちっと左じゃ!」

 周囲を小高い丘に囲まれた平地に、甲高い声が響く。氷魔兵士達は、指示に従って地面に氷の楔を打ち込んだ。周囲には、かつて草だったであろう凍結した細かな破片が散乱していた。遠くには、四角や三角さまざまな形状の屋根の建物が見える。

「人間どもの巣箱か。数千年前に比べると、何やら小賢しい仕掛けは発達したようだが、千年前、五千年前の方がまだ見栄えがした。見ろ、この空中に張り巡らされた醜いエネルギー伝送ケーブルを!」

 上級幹部の水晶騎士にして錬金術師ヌルダは、さも嘆かわしそうに、道路に沿って等間隔で立てられた柱に下がる、黒いケーブルを見た。あいにくドクロそのものの頭では、表情はわからない。

「お前の美的感覚はともかく」

 ヌルダの横には、鋭利なデザインの鎧を着込んだ水晶騎士、アメジストのカンデラが腕を組んで立っている。

「その、何とかという装置の試験機なのだな、このけったいな代物は」

「けったいとは何じゃ!この美しさがわからぬか!まこと武官とは…」

 ヌルダは、兵士達によって地球の大地に立てられた、現在の人間の尺度にして16メートルになろうかという、巨大なオベリスク状の輝く柱を自慢げに見上げた。

「さよう。わしが開発した、"フォース・ディストリビューター"よ」

「名前も素っ気ないな」

「ふん。何ならカンデラ、貴様が詩的センス溢るる名を考えてくれてもよいぞ。足繁く図書館に通っては、詩をしたためておるそうではないか」

「詩だと!?」

 カンデラは、憤慨して反論した。

「誰がそのような軟弱なまねをするか!おれが調べているのは――」

「例の黄金の女剣士についてじゃろう」

「むっ」

「部下どもの見当はずれなウワサ話なぞ、初めからまともに聞いてはおらぬわ。お主がわしにあの女剣士の事を訊ねた事と合わせれば、それ以外に武闘派の貴様が、図書館などに籠もる理由はあり得ん」

 そう言いながら、ヌルダは少しずつ組み上がってゆく、フォース・ディストリビューター試験機の様子を眺めた。地中深く埋め込まれた、地表に出た分も含めると40メートルを超える巨大な氷柱の尖頭から、周囲に打たれた楔状の6つの小さな氷柱に、6本の細い糸のようなエネルギーの線が張られた。

「ふむ。ひとまず設置は完了というところかの」

「まだ稼働せんのか」

「慌てるでない。まだ、試験のための器が到着しておらんし、ディストリビューターにもエネルギーの充填の試験が要る」

「器?」

 何の事か、とカンデラは訝しんだ。

「物が揃ってからの方が、説明はしやすいじゃろう。それでカンデラ、お主どこまで調べた?例の女剣士に関して」

 調べたデータより、むしろカンデラ本人を面白がる様子でヌルダは訊ねる。カンデラは、少し考えて答えた。

「正直に言おう。俺には理解が追い付かん」

「ほっほっほ!」

 ヌルダは、さも面映ゆいといった風に肩を揺らした。

「それはどういう意味でじゃ?文字通り理解できぬという意味か、それとも、知った知識を受け容れがたい、という意味でか」

「…後者だ。どちらかと言うとな」

 カンデラは首をひねると、ヌルダに向き直った。

「ヌルダ、きさま氷魔がどうやって誕生したか、知っているか」

「これはまた、えらく根源的な質問をしてきたの」

 そう言いながらも、ヌルダはどこかそれを予期していたかのようでもあった。

「ふむ。氷魔というか、その大元の氷の精霊が、この地球に生まれた時期はわかっておらん。少なくとも、人類より早いという事以外はな。もっとも厳密には、精霊に"時間"という概念は存在しないが」

「そこまでの話になると、俺にはもうついて行けんが…俺が理解しがたいのは、過去の研究データによる結論では、地球にはそもそも、氷魔などが生まれるはずがなかった、という事になっている点だ。そんな馬鹿な話があるのか」

 カンデラの言葉に、ヌルダの首がわずかに動いた。カンデラは続ける。

「氷の精霊も、そこから派生した我ら氷魔も、この地球にこうして存在している。ところが、過去の研究では、それが地球に生まれ出ずる筈がない、というのだ。ヌルダ、貴様は錬金術師だろう。これに関しては、どう思う」

「それを言うなら、地球に人類がいる事も、本来ならばあり得ないのじゃがな」

「なに?」

 カンデラは、訝しげにヌルダを見た。

「どういう意味だ。人類とて、今はこのとおり我らによって滅びんとしているが、少なくとも何万年かは存在してきただろう」

「この先は、わしにも扱いが難しいレベルの話になるからの。うかつな断定はできんが…」

「教えろ。貴様が知っている事を、俺にわかる範囲で」

 カンデラが凄むと、ヌルダはケタケタと笑った。

「この地面を見ろ」

「な、なに?」

「何が生えておる?」

 ヌルダに言われるまま、カンデラは自分達が踏んでいる、氷巌城の下に広がる地面を見た。ここは人類の居住区域の中にある、何らかの理由で利用されていないらしい土地で、下にはやや長い雑草が生い茂り、氷巌城からの冷気によって凍結し、踏まれ、砕け散っていた。

「ただの草だ。これがどうした」

「その、ただの草さえも、この地球にはそもそも、1本たりとも生える筈はなかった、と言われたら、お主は信じるか?」

「なんだと!?」

 さすがに、その意見にはカンデラも面食らった。雑草ていど、星が生まれれば放っておいても生えてくるものではないのか。だが、ヌルダは氷巌城でも最古参の錬金術師である。広範な知識の持ち主が言う事であり、カンデラも信じ難いとは思いながら、耳を傾けた。

「仮にそれが真実だとしたら、この地球上の生物のおおもとは、どこから来たと言うのだ」

「生物、という言い方は適当ではないな。"生命"と言っておこう。地球上の生命の根源は…」

「…いや、まっ、待て!」

 カンデラは、離れた所にいる兵士達が振り向くくらいの声で、ヌルダを遮った。

「その先は言わんでいい!自分で調べる!」

「ほう?」

 それまでの、やや冗談めかした口調ではなく、真剣さを帯びた様子でヌルダはカンデラを見た。

「面白い。わしに聞けば答えが得られるかも知れんというのに、自分で調べると言うのか」

「…そうだ」

「ふむ。お主、意外だが研究者の性質があったらしいの」

「な、なに?」

 カンデラは、以前誰かにも指摘された事をヌルダに言われ、驚いて後ずさった。

「ま、わしもさっき、ここからは自分もうかつに結論など断定できん、と言ったばかりじゃからの。よかろう、気の済むまであの図書館に籠もっておるがよい。その前に、お主にひと仕事してもらうぞ。せっかく、腕の立つ水晶騎士が立ち会ってくれているのだ」

「なっ、なんだ」

 ちょうど、氷巌城が浮かんでいる方向から、黒い車輪がついた人類の乗り物を踏み潰しつつ、一体の魔晶兵が兵士たちに先導されて進んできた。全高7メートル以上ある大型だ。

「魔晶兵か?」

「さよう。造ったはいいが、巨大すぎて始末に負えんやつを、第三層から引き取ってきた。あれが、このフォース・ディストリビューター実証試験の"器"じゃ。さすがに、生きておる氷魔を器にするわけにもゆかんしの」

「俺に何をしろと言うのだ?」

「まあ、もしもの時の保険じゃ」

 保険。そう言われて、カンデラには嫌な予感がした。そもそも保険というのは、良くない事態のために使われる言葉である。 

 不審に思うカンデラの眼前で、兵士の一人がヌルダに向かって敬礼した。

「水晶騎士ヌルダ様に、試験準備完了の報告を申し上げます!」

「うむ」

 ヌルダは力強く頷くと、巨大な氷の六角柱と、柱の前に立たされた人型の巨大兵器・魔晶兵を交互に見た。

「前置きは抜きだ、始めよ!」

「了解!」

 六角柱、フォース・ディストリビューターの下で氷のタブレットを手にしている兵士が、その光る板面に何事かの文字を指で書き込んだ。すると六角柱の内部に、何層にもわたって複雑で広大な、紫に光るパターンが走った。

 それに伴い、六角柱は美しくも不気味な通奏低音を大地に響かせる。兵士達の間にどよめきが起きた。

「いっ、今は何が起きているのだ」

 カンデラは訊ねる。ヌルダは、真下の地面を指差した。

「吸い取っているのだ。地球のエネルギーをな」

「地球のエネルギー!?」

「さよう。そしてそのエネルギーを、このフォース・ディストリビューターは我ら氷魔のエネルギーに変換できるというわけだ」

「そっ、そんな事が…」

 カンデラが訝しむ眼の前で、フォース・ディストリビューターの全体が発光し始めた。冷気の靄で薄暗い一帯が、柱によって照らされる。先程より、わずかに黄色がかった輝きだった。

「よし、送れ!」

「了解!」

 ヌルダの指示で、タブレットを手にした兵士がさらに何かを書き加える。すると、六角柱の下に等間隔に置かれた6つの楔から垂直にエネルギーの柱が立ちのぼり、六角柱の上空に同心円状のエネルギーの波紋のようなものが浮かび上がった。

「ふむ。おおよそ、計算どおりじゃな」

「なっ、何なんだ、あれは?」

「見ておれ」

 ヌルダもカンデラも、兵士達もその波紋をじっと見つめていた。すると、波紋の中心からひとすじの光が、直立した魔晶兵の心臓部に向かって延びた。

 魔晶兵の全身に、六角柱と同じような光のパターンが走る。すると、魔晶兵の全身が、突然にブルブルと振動を始めた。何やら、今にもバッタリと倒れそうである。カンデラはボソリと訊ねた。

「おい、大丈夫なのか、あれは」

「さあの、試験じゃしな」

「いい加減なものだ」

 しかし、やや呆れ気味のカンデラの眼前で、唐突にそれは起きた。予想外の出来事に、カンデラは思わず後ずさる。

「なっ、なに!?」

 ブルブルと揺れていた魔晶兵の全身が、謎のエネルギーによってその形状を変化させたのだ。鈍重で見栄えのしなかった鎧は、まるでカンデラがまとっているような、尖鋭的なデザインに変化した。そして、全身に力がみなぎっているように見える。兵士達も驚嘆の声をあげた。

「ふむ。ひとまず、最初の段階の試験は成功のようじゃの」

「…どういう意味だ。最初の段階、とは」

「いま起きた事を教えてやろう。フォース・ディストリビューターによって吸い上げられた、地球の持つエネルギーは、ディストリビューターの内部に仕掛けられた魔法のプログラムによって氷魔エネルギーに変換された。ここまではわかるか」

 別に、そこまで難しい話でもない。カンデラは頷いた。

「それくらいなら俺にもわかる」

「うむ。そして、その変換されたエネルギーは、やはりディストリビューターの機能によって、魔晶兵にに注入された」

「注入?」

「さよう。エネルギーを得た魔晶兵は、それによって自己進化を遂げた。まだデータを取っていないので何とも言えんが、おそらく破壊力、機動力、耐久力の全てが向上しているだろう」

「まさか、フォース・ディストリビューターとは氷魔を強化するためのものなのか?」

「そう限定した話ではない。要するに、氷巌城を創り上げるために人間から吸い上げたエネルギーを、地球という巨大なエネルギー源から直接吸い上げているだけの話じゃ。人間どもをちまちま凍らせるより、この方が手っ取り早い」

 あっけらかんとしたヌルダの説明に、カンデラは二の句が継げなかった。ヌルダは実証試験の初歩が上手く行った事に満足したようで、饒舌になっていた。

「これは試験機じゃからの。もっと大型のフォース・ディストリビューターを、地球の地脈エネルギーが強い地点に次々と設置し、地脈から吸い上げたエネルギーを氷魔エネルギーに変換する。要するに、地球自身のエネルギーで地球全土を凍結させられる、という事じゃ。少しずつ凍結範囲を拡大して、少しずつ人類から生命エネルギーを吸い上げる、そんな非効率的な手順は必要なくなる」

 人類も地上の生物も、母なる地球のエネルギーで全て滅び、氷魔だけが支配する星になる。顕現するたびに滅んで来た氷巌城は、今度こそ永久不変の支配者として地上に君臨できるのだ。

 だが、なぜかカンデラはその可能性に、心躍るものを感じないのだった。それが何なのかはわからない。皇帝陛下に仕える身として、氷巌城が地球の支配者になるのは喜ばしい事のはずだ。なぜ、それを受け容れがたい自分がいるのだろうか、とカンデラは自問した。

 

 しかし、カンデラの自分自身への問い掛けは、兵士たちの絶叫で中断させられた。

「ぐわあああ――——!」

「ぎゃああ!」

 何事か、とカンデラは声がする方を見た。すると、そこには驚がくの光景があった。たった今、地球から吸い上げたエネルギーで強化された魔晶兵が、突如暴走して足元の兵士たちを攻撃し始めたのだ。

「なに!」

 驚くカンデラの眼前で、部下たちの身体が魔晶兵に踏み潰され、殴り砕かれ、氷の破片となって地面に散乱した。ヌルダは慌てるでもなく、その様子をじっと観察していた。

「いっ、いったい何が起きた!?」

 カンデラは言葉で疑問を投げかけつつも、剣を抜いて魔晶兵を止めるため駆け出した。



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巫女と魔女

 突如、命令も受けぬまま動き出した魔晶兵は、手当たり次第に周囲への破壊活動を展開した。フォース・ディストリビューターの周囲に立てられた6本の小さな氷柱、エネルギー流安定化装置もその対象となり、腕のひと払いで粉々に砕け、破片が兵士たちを直撃する。

「うげっ!」

 胸部を破片で貫通された兵士は、そのまま無言で仰向けに倒れ、二度と動かなかった。

「いったん下がれ!態勢を立て直せ!」

 カンデラは兵士たちに指示を飛ばしつつ、剣を構えて暴れ狂う魔晶兵に接近する。その巨体は、近付くほどに威圧感が増した。とはいえ、水晶騎士カンデラにとって、鈍重な魔導兵器など、本来は恐れるものでもなかった。

(通常の魔晶兵であれば、俺の敵ではないが…)

 カンデラは跳躍して、魔晶兵の首めがけて剣を一閃した。だが、魔晶兵の全身から吹き出した謎のエネルギー流が、空中で足場のないカンデラを外側に押し出してしまう。

「うおおっ!」

 どうにか水平に一回転して姿勢を保ち、地面に片膝をついて着地する。そこへ、魔晶兵がその腕を恐るべき速度で降り下ろしてきた。

「ぐっ!」

 カンデラは剣の背で受け止める。だが、水晶騎士カンデラでさえも、全身を砕かれるかと思うほどの衝撃が走り、凍てついた地面に亀裂が入った。

「こっ、この力は…!」

 カンデラは、氷騎士サーベラスのバットの連打を思い出した。水晶騎士と互角に渡り合えるのではないかと思えるほどのパワーだった。だが、今のこの魔晶兵の力は、最上級幹部である水晶騎士を完全に上回っていた。

「ヌルダ!こいつを止める方法はないのか!」

 強烈なパワーを受け止めながら、カンデラはヌルダに叫んだ。だが、ヌルダは何ひとつ動揺するそぶりも見せず、甲高い声で言った。

「わからん!止むを得ん、破壊してしまうしかなかろう!そのためにもお主を連れて来ておいたのじゃ!」

「こっ…この、デタラメ錬金術師め!」

 我ながら、この状況でよく悪態をつく余裕があるものだ、とカンデラは思いながら、剣にエネルギーを込めた。刃が青紫の輝きを帯びる。

「でええーいっ!」

 カンデラが剣から放ったエネルギー波が、魔晶兵の巨体を大きく後方に弾いた。よろめいて後ずさると、バランスを崩してさらに片足が大きく後ろに下がる。その隙を、カンデラは見逃さなかった。

「スペクトラム・パルス!」

 エネルギーを込めて剣を突き出すと、青紫のエネルギーの波動が、魔晶兵の上半身目がけて襲いかかった。以前、氷巌城第一層で、金髪の侵入者の不意をついて繰り出した技である。

 魔晶兵は、カンデラの放ったエネルギーを右の掌で受け止めた。だが、装甲は耐えられても、関節部の耐久力はすぐに限界をむかえ、ビキビキと嫌な音を立てて軋み始めた。カンデラは、その隙を逃さない。

「うりゃあ!」

 跳躍し、魔晶兵の右肩の根本にアメジスト色に輝く剣を一閃する。巨大な腕は落下すると、人間達が棲む大地を揺るがして横たわった。間髪入れず、そのままカンデラは改めて、魔晶兵の首を狙って横薙ぎに一閃した。

「プリズム・エッジ!」

 虹色に輝く光の刃が、一瞬で魔晶兵の首を切断する。首は凍てついた草をバリバリと砕きながら、十数メートルを転がって止まり、胴体は力無くその場に背中から、轟音を立てて倒れ込んだ。カンデラは、魔晶兵が完全に沈黙した事を確認すると、まだ剣は握ったまま、ようやく肩の力を抜いた。

「どっ、どういう事なんだ」

 まだ魔晶兵を向いたまま、カンデラは視線の向こうにいるヌルダに訊ねる。ヌルダは腕を組み、首を傾げたままだった。

「何とか言え。こいつのせいで、正規の兵士が何人もバラバラにされたんだぞ!いや、もとを正せばお前の実験の失敗ではないのか!」

「騒ぐでないわ。わしが責任を感じておらぬとでも思うたか」

「ぬっ…」

 カンデラは、いつもの素っ頓狂さがわずかに後退したヌルダを意外に思いつつ、剣を収めた。ヌルダはマイペースな自由人と思われがちで、実際その通りの側面もあるが、反面ヌルダなりに氷魔皇帝への忠誠心らしいものも垣間見える、奇妙な二面性の持ち主でもあった。

「…まあ、この計画自体はヒムロデ様より命ぜられた事。ことさら貴様を咎め立てしても仕方ない。だが、いま起きた事は何だ。命令してもおらぬ魔晶兵が勝手に動き出すなど、あり得るのか」

 カンデラは、まだ体内にフォース・ディストリビューターからのエネルギーが残留しているのを警戒しつつ、慎重に魔晶兵を観察した。その黄金にも近い輝きを、カンデラは以前にどこかで目にしたような気がした。

 すると、驚くべき事が起こった。一瞬、魔晶兵の身体に満ちていたエネルギーが収縮したように見えた次の瞬間、それは内部から弾け、その巨体を粉々に砕いてしまったのだ。

「うおおっ!」

 これにはカンデラも驚き、隣のヌルダもまた想定外のエネルギーの挙動に、無言で立ち尽くすのだった。

「…まだ、貴様の理論とやらも未完成ということらしいな」

 それがカンデラの皮肉ではなく純粋な観察だとヌルダもわかっているらしく、ヌルダはそのボルトやナットで固定された頭で小さく頷いた。

「ふむ。どうやら、人間どもから吸い上げたエネルギーと、地球から直接吸い上げたエネルギーは、同列に扱ってはならぬ代物らしいの。やり直しじゃ」

「ヒムロデ様にはどう報告するつもりだ」

「見たまま報告するしかなかろう。嘘を言っても何の役にも立たん」

「計画に遅れが生じるのではないのか」

 腰にアメジスト色の剣を収めつつ、カンデラは屹立するフォース・ディストリビューターを見上げた。ヌルダは無言だった。

 

 

 他方、リベルタ達と合流をはかるリリィ達は、突如現れた城側の討伐隊との交戦を終えていた。リリィが悠然と白銀の剣を下向きに構える眼前には、ゆうに百は下らない、頑強そうな氷魔正規兵の亡骸が折り重なっていた。

「ふう」

 リリィは、まだ物足りないといった様子で肩を回した。その後ろでルテニカ、プミラ、ダリアの3人が、啞然として棒立ちしていた。

「…口だけでない事はよくわかりました」

 プミラは、若干引きつつ小さく拍手した。ルテニカとダリアは無言である。

 リリィは、通路の向こうからやって来たのが城の正規兵だと理解した瞬間、先頭に躍り出るや、まず手前の兵士6体を斬る、殴る、蹴るなどして氷の骸にした。そして、驚いて一斉に向かって来た兵士達に、横薙ぎに剣から強烈な重力波のエネルギーを放つと、兵士達は反撃する暇も与えてもらえず、文字通り一瞬で全滅したのだった。かろうじて言葉を発せたのは最後列にいた兵士で、『ぎっ、銀髪の…うわあぁあ―――!!』という断末魔を残し、上半身をバラバラに砕かれて黄泉の国へと旅立ったのだった。

「なるほど、あのリベルタが信頼を置くはずです」

 全く出番がなかったプミラ以下3名は、どこか安心したような表情で再び歩き出した。リリィも剣を構えたまま先頭を進む。ルテニカが、恐る恐る訊ねた。

「魔晶兵も敵ではないという事ですか」

「うーん。まあ、最初は苦戦したけど、今なら普通の魔晶兵だったら、1分あれば倒せる自信あるよ」

「1分!?」

 ルテニカ以下、3人の驚きの声が重なる。当然だ。魔晶兵は氷魔のように知性こそ持たないが、単純なパワーだけなら氷騎士にも匹敵するのだ。だが、今の戦いぶりを見ては、誰も否定できない。

「リリィ、あなた一体何者なのですか、今さらですが」

「うん。そうだね、リベルタと合流したら話すよ」

「…それ、何か今まで隠していたという自白ですよね」

 もう、ルテニカもプミラも疑惑を隠そうともしない。リリィは普通の氷魔ではない、という確信に辿り着いているようだった。

 そこで、リリィはダリアが膝をついてしゃがみ込んでいる事に気付いた。

「ダリア、大丈夫!?」

 慌てて駆け寄ると、肩に手をかけて様子を見る。すると、ダリアは床についていた手を上げて、ゆっくりと立ち上がった。

「だっ、大丈夫です、さっきの兵士達を目の当たりにして、脚がすくんでしまって」

「安心して。また現れても、私がいるから平気よ」

 そのリリィの言葉に、ダリアは一瞬肩をふるわせて顔を背けた。

「はっ、はい…足を引っ張ってすみません」

「そんな事ないよ。さあ、リベルタとの合流地点に急ごう」

 

 ダリアを護るような形で、どれだけの距離を歩いただろうか。ようやく、無造作に切り出したような通路を抜け、今までよりは少し広めの、見覚えがある通路に戻ってきた。

「どっちだったっけ」

 丁字路に差し掛かってリリィが振り向くと、ルテニカが右方向を指さした。

「こっちです。この先に少し広いスペースがあって、そこを左に曲がります」

「よく知ってるなあ」

「入り組んだ通路を把握していなくては、レジスタンスは務まりません。逆にリリィ、あなたこそそれだけ強いのに、あまりにも知らない事が多過ぎます。それも、あなたの”隠し事”に関係するという事ですか」

 ルテニカのツッコミに、もはやリリィも多少開き直っていた。

「まあ、そうなるかな」

「リリィ、私だんだんあなたが何者なのか、わかってきたような気がします。おそらく、間違いありません」

「ふうん。いいよ、当ててみて」

 悪戯っぽくリリィが笑うと、ルテニカもわざとらしく意地悪っぽい笑みを浮かべた。そしてルテニカが推理を披露しかけた、その時だった。

「ん?」

 突然、通路の奥から聞こえた重い振動音に、全員がギクリとした。何か、巨大なものが床に落ちたような音だ。

「何だろう」

「この奥は、さっき言った広間です。そこから聞こえました」

「でも、何かいたっけ?」

 リリィは、通過した時には何もいなかったと記憶していた。そこでダリアを覗く全員が、まさかリベルタ達に何かあったのではないかと危惧を覚え、無言で頷くと駆け足で音がした方に向かった。

 

 円形の広間に出ると、そこはやはり前に見たままの、だだっ広い空間だった。だが、確かにここから、何か重い音が響いたのだ。リリィ達は周囲を警戒しながら、慎重に広間の隅を移動した。

 だが、その時だった。

「きゃあっ!」

 突然ダリアが悲鳴を上げたため、リリィ達は何事かと振り向いた。ダリアはリリィ達がいる反対側の壁を凝視している。

「どうしたの!?」

「いっ、今、そこに巨大な影が!」

「なんですって?」

 3人はダリアが指す空間を見る。だが、そこは壁面があるだけで、何も見えなかった。リリィは、怪訝そうにダリアを見る。

「気のせいじゃないの?」

「いっ、いま確かに…」

 ダリアが壁面に向かって歩き出したため、リリィは慌てて声をかけた。

「私達から離れないほうがいいわ。何もなかったなら、それでいい」

「はっ、はい…」

 ダリアが立ち止まると、3人は安堵した。そして、どうやら何もなさそうだと思い始めた、その時だった。

『百合香、うしろ!!』

 突然どこからか聞こえた凛とした声に、その場の全員が驚がくした次の瞬間、リリィ達の背後から何か強大なエネルギーが襲いかかった。それは、姿があるようでない、名状しがたい”虹色の影”だった。

「あっ!」

「危ない!」

 とっさに、ルテニカとプミラは同時に数珠を突き出し、エネルギーの障壁を張って全員をガードした。リリィ達を覆う巨大なドーム状のバリアを、巨大な影の掌が打ち付けた。

「ぐっ…!」

「ルテニカ!」

 不安そうに、プミラが叫ぶ。不意をつかれ、エネルギーを十分に張る事ができなかったのだ。

「こいつ!」

 リリィは、剣を抜き放つとバリアの外に出て、突き出した切っ先からエネルギーの刃を虹色の影に放つ。だが、それは影に少しもダメージを与える事なく、素通りして天井を直撃した。

「なんで!?」

 リリィは驚愕したが、すぐに事態をさとった。この相手はおそらく、霊体のように実体を持たないエネルギー体なのだ。ルテニカは前を向いたまま、リリィに叫んだ。

「リリィ!あなたはダリアを連れて逃げてください!こいつが何なのかはわかりませんが、あなたの剣では太刀打ちできません!」

 言っているそばから、障壁は嫌な音を立てて軋み始めた。

「リリィ!何をしているのです!」

「私の剣じゃ太刀打ちできないのね」

「は!?」

 あまりに冷静なリリィに、思わずルテニカもプミラも振り返る。リリィは、悠然と剣を収めた。その行動に、二人は一瞬奇妙な安心感を覚えてしまった。

「止むを得ない。あんたの出番らしいわね」

『あーあ、カッコつけても最後はあたしに頼るんだから』

「うるさいわね、早く出て来なさいよ!」

 いったい、リリィは誰と話をしているのか?という様子で怪訝そうに見守るルテニカ達の目の前で、驚がくの出来事が起きた。白銀の鎧をまとったリリィの姿が、紫のローブをまとった、黒髪の魔女に変ぼうしてしまったのだ!

「なっ…」

「黒髪の魔女!?」

 バリアが破られそうになっている事も忘れるほどの、それは衝撃だった。レジスタンスの間でも噂になっていた、謎の黒髪の魔女が、いま目の前に現れたのだ。

「ほら、ボーッとしてないの!」

 黒髪の魔女は、身の丈ほどもある杖を突き出してみせた。杖の先端から、青紫に光るエネルギーが弾ける。

「アメジストウォール!」

 それはルテニカ達二人がかりのバリアにも匹敵する硬度をほこる、魔力の障壁だった。ルテニカ達のバリアと重なるように展開すると、謎の影の巨大な手は弾かれてしまった。

『ルオオオオ!』

 気味の悪い声を上げ、謎の影はわずかに後退する。だが、間髪入れず黒髪の魔女はさらに魔法を放った。

「フレームツイスター!」

 それは、この氷の城にあってはならない光景だった。真っ赤な炎の竜巻が、自ら張ったバリアを打ち砕いて、謎の影に襲いかかる。

『ギャアアアア!!』

 その熱波に、謎の影は耳に障る悲鳴を上げて大きく退いた。わずかにダメージは与えたらしいが、決定的なものではない。

「惜しい。一瞬早く避けられたか」

 黒髪の魔女は、なおも杖を構えて臨戦態勢を見せる。ルテニカとプミラは、謎の敵を前にして、疑問をぶつけずにいられなかった。

「リリィ、いったいあなたは!?」

「ブー。残念でした、私はリリィじゃありませーん」

「え?」

 訝るルテニカとプミラに、黒髪の魔女はリリィと瓜二つの美しい顔を向けて名乗った。

「私は瑠魅香。よろしくね、ルテニカにプミラ」



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適材適所

 呆気に取られるルテニカ、プミラを横目に、瑠魅香と名乗る黒髪の魔女は言った。

「話はこいつを倒してからだよ!」

 その一言で、ルテニカ達はすぐに気持ちを切り替えた。そうだ、まずはこの突如現れた、実体を持たない謎の影を片付けなくてはならない。

 だが、いったん冷静になってみると、それは見るからに異様な姿だった。なんとなく人型である事はわかるが、頭と胴体と腕が判別できる以外は、煙あるいはモヤのお化けとでもいうほかない、おぼろげな姿である。

「ルアアアアア!」

 またも気味の悪い声を上げながら、影は瑠魅香めがけて襲いかかった。瑠魅香は、待ってましたとばかりに杖に魔力を込める。

「ドリリング・バーン!」

 瑠魅香の杖から、渦巻く青白い炎の槍が、影めがけて放たれた。しかし、影は文字通り霧散してしまう。瑠魅香の魔法をかわしたのち、霧は集合して再び影の形を取った。

「あっ!」

 影は、壁際に退避していたダリアを狙う。ルテニカとプミラは一瞬判断が遅れ、ダリアを護るために張った障壁は不完全なものとなってしまった。

「きゃあああ!」

 影の放った不気味な輝きの波動は、障壁をいとも容易く打ち砕き、ダリアはその余波を受けて壁面に叩きつけられてしまう。

「ダリア!」

 二人は床に崩れ落ちたダリアの前に立ちはだかる。ダリアの生命エネルギーは消えてはいないが、気を失っているようだった。プミラが叫ぶ。

「防戦一方ではラチがあきません、攻撃に出ないと!」

「そうしたいのはヤマヤマですが!」

 影の攻撃を再びかわしながら、ルテニカは舌打ちした。影は変幻自在に姿を変えてしまうのだ。すると突然、全員の頭の中に声が響いた。

『瑠魅香、あなたがこいつの動きを封じて!その隙にルテニカとプミラがとどめを撃つの!』

 それは、ふいに姿を消したリリィの声だった。ルテニカは一瞬驚いたものの、ようやく状況を大雑把に理解して、瑠魅香に叫ぶ。

「ルミカ!任せていいのですね!」

 名前を認識してもらえたのが嬉しいのか、瑠魅香は影の攻撃をかわしながら、ニヤリと不敵に笑ってみせた。

「あたしがトドメまでやってもいいけど、ふたりに華持たせてあげるね!」

「なっ…」

 この状況で軽口を叩いている場合か、とルテニカは一瞬本気で苛立ちを覚えたが、次の瞬間に瑠魅香が放った魔法で絶句した。

「エレクトリカル・バインド!」

 あたかも蜘蛛の巣のような電撃のエネルギーの網が、空間いっぱいに広がって影を全方位から取り囲む。網の目は細かく、しかもエネルギーを放射しており、霧になって逃げようとした影をぎっちりと縛り上げてしまった。

「早く!どれだけ持つかわからない!」

 瑠魅香が言うそばから、影は対抗してエネルギーを内部から発散し始めた。電撃の網が大きく軋み、瑠魅香は全力で抑え込む。だが、ルテニカとプミラはすでに、数珠をかまえて長い呪文を詠唱し終えようとしていた。二人は同時に数珠を突き出し、渾身のエネルギーを放つ。

「プラーナ・サブリメーション!」

 ルテニカ、プミラの双方から放たれたふたつのエネルギー球は、左右から挟み込むように電撃のネットを突き抜けて、影の魔物の内部で衝突し、瑠魅香の張ったネットもろとも弾け飛んだ。

「ギャアアアア!」

 不快な叫びとともに、影は炸裂したエネルギーとまるで化学反応を起こしたかのように、激しい破裂音を立て続けに響かせながら消滅していった。煙のように立ち込めたエネルギーの余波が消え去った時、そこには何も残されていなかった。

「…やったの?」

 瑠魅香は、まだ警戒して杖を構えている。しかし、ルテニカはようやく肩の力を抜いて瑠魅香を向いた。

「敵の気配は完全に消滅しました。私達の勝利です」

「やったね!」

「あなたが敵を押さえつけてくれたおかげです」

 そう言いながらもまだ怪訝そうな様子で、ルテニカもプミラも瑠魅香の前に立った。

「瑠魅香、とおっしゃいましたね。あなたはひょっとして、ずっとリリィの中にいたのですか」

 ルテニカは、瑠魅香の全身を観察した。そして、改めて驚きを隠さない。なぜなら瑠魅香の顔や手足は、氷魔少女の雪のような青白い手足ではなく、文字通りの人間の肌の色だったからだ。

「リリィと行動している時から、ひとつの仮説を立てていたのですが、どうやら事実は私の仮説以上だったようです」

「ええ。まことに信じがたい事ではありますが、現実に目の当たりにすると…」

 同時に頷き合うと、ルテニカが訊ねた。

「瑠魅香、いえ、リリィ。あなたは人間だったのですね。そしてその正体は、死んだと言われていた金髪の侵入者。そして、どうやらあなたの中には、瑠魅香というもうひとつの人格が存在していた。違いますか」

 すると、黒髪の魔女・瑠魅香が小さく笑った。

「百合香、バレちゃったみたいね」

『仕方ない』

 また、リリィの声がしたかと思うと、瑠魅香の姿を真っ白な輝きが包んだ。眩しさに顔を覆ったルテニカ達が目を開けると、そこには再び、銀髪の剣士・リリィが立っていた。

「ご覧のとおり。あなたの推測どおりよ、ルテニカ。そう、私はあなた達が言うところの、侵入者」

「やはり…しかし、その姿はどういう事なのですか。以前、アイスフォンの記事で見た侵入者は、鮮やかな金髪だったはずです。それが、今は私達氷魔と区別がつかない、真っ白な姿ではありませんか」

 

 

 リリィは、自らの本当の名を「百合香」だと明かした。ルテニカ達のレジスタンス仲間であるリベルタと共闘してきた事、猫レジスタンス達の協力もあって、死亡を偽装して氷魔として動いている事も説明すると、さすがにルテニカ達は驚きを隠せないようだった。

「まさか、私達に流れてきていた情報が、レジスタンス達の偽装工作だったと?」

 プミラの様子から、どうやら偽装工作は予想以上に効果を発揮しているらしかった。ただし、ルテニカとプミラはリリィ=百合香と行動しているうち、明らかに百合香の手足が氷魔のものではない事に気付いてはいたようである。

「通常、私達は顔や衣服以外は柔軟性を持たない、氷の身体です。しかしリリィ…いえ、百合香。あなたは動くたびに胸が揺れる。そんな氷魔は私が知る限りいません」

「どこ見てるのよ!」

 人間の少女の羞恥心は、氷魔少女にはいまいち伝わらないらしい。しかし確かに、リベルタや他のレジスタンス少女たちは、デッサン人形というか動くマネキンのような身体である。だが、猫レジスタンスのように全身が柔軟な個体もいるし、身体も装備もコチコチのサーベラスのような氷魔もいる。百合香が考えをめぐらせていると、プミラが訊ねた。

「今のところ、私達にとって一番の謎は、さきほど姿を現した瑠魅香と名乗る黒髪の魔女です。彼女の存在はウワサで知っていましたが、まさか百合香、あなたと同一人物だとは考えも及びませんでした」

「それはそうでしょうね。私もこの城に来るまで、こんな事になるとは考えもしなかった」

 どういう意味だろう、と首を傾げるルテニカとプミラに、百合香は説明した。瑠魅香はもともと氷魔だった事。氷巌城が物理的に顕現する前から、独立した特殊な精霊体として活動していたこと。そして、魂の波長を人間に合わせ、百合香の肉体に”間借り”していること。いずれ、瑠魅香という一人の”人間”として生まれ変わりたい、と考えていること。ひととおり聞き終えた二人は、唖然として数秒間絶句したままだった。

「…信じられない」

「そんな事が可能だとは…魂の法則を大胆に解釈して無理やり整合させている、ほとんどアクロバットに近い方法論です」

 それは以前、錬金術師のビードロから受けた説明と符号していた。ビードロは確か、瑠魅香の行いは”摂理を利用して摂理に反した行動”だと言っていたはずだ。

「ま、そのへんは人間の私にはわからない。ちなみに瑠魅香、あなたは自分の姿や名前を、私の意識から借りて創り上げたのよね」

『そうよ。けど、髪の色は百合香の学校のお友達みたいな、黒髪がいいと思ったの。魔法使いになったのも、百合香が書いてた小説の…』

「ストップ!その話はしなくていい」

 百合香は、一人でこそこそ書いていた小説の中身を知らせるわけにはいかないと、瑠魅香の説明をシャットアウトした。瑠魅香という名は、百合香が書いた小説の主人公の魔女から取った名である。学校の友達にも見せていないものを、この巨大な城中に拡散されては困る。

「とにかく、さっきみたいに瑠魅香は私の力になってくれてる。今の私には強大な力があるけど、それでもさっきみたいに、剣が通じない敵もいる」

「なるほど。侵入者の信じ難い活躍の陰には、あなたがいたという事ですね、瑠魅香」

『そーいうこと』

 なんとなく声色から、胸を張っている瑠魅香の姿が想像できた。

「どうりで、リリィ…もとい百合香と行動している時、微かに気配を感じたはずです。しかし、私やプミラからあそこまで憑依している気配を隠せるというのは、驚くほかありません」

「そうですね。正直、いま戦ったあの影よりも、あなた達の方が我々には不可解です」

 そこまで言われると、自分達がいかにこの氷巌城において特殊な存在と認識されているのか、百合香は実感した。だが、人間として生活してきた百合香からすれば、この氷巌城の全てが異常な存在である。

「まあ私達の事はともかく」

 百合香はひざまずいて、気を失っているダリアの様子を見た。すると、ダリアはようやくその意識を取り戻したようだった。

「うっ…り、リリィさん?」

「大丈夫みたいね」

 ダリアは上半身を起き上がらせると、ハッと思い出したように周囲を見回した。

「あっ、あの悪霊は!?」

「落ち着いて。もう大丈夫よ、倒したから」

 百合香に背中を支えられ、ダリアはようやく落ち着きを取り戻したものの、すぐに重い表情になってうなだれた。

「申し訳ありません、みなさんの足を引っ張ってばかりで」

「気にする事はないわ。それどころか、さっきあなたは誰よりも先に、あの影の存在に気がついた。あなたがいなければ、誰かがやられていたかも知れないのよ」

 そう言われて、初めてダリアはわずかに晴れやかな表情をのぞかせた。ここまでは、常に後ろに下がってオドオドしていただけだった。そこへ、プミラがひとつの指摘をした。

「ダリア、今のリリィ…じゃない百合香の話に関連して、あなたの不可解な点について訊ねたいのですが」

 ダリアは、何の事かと座り込んだまま首を傾げる。プミラは、横のルテニカに目配せで確認を取ると話を続けた。

「あなたは、仲間達と行動していて霊体に襲われた時、霊体が出現する瞬間に"オーラ"が視えた、と言っていましたね」

「はっ、はい」

「あなたは、以前からそんな能力を持っていたのですか?」

「えっ、ええと…はい、なんとなくカンがいいとは時々思う事はありました。けど、私は戦闘能力がいちばん低くて」

 すると、ルテニカもプミラも小さく笑った。ルテニカは、片膝をつくとダリアの肩に手をかけた。

「ダリア。戦闘能力がないのは当然です。ようやくわかりました。あなたは私達と同じ、霊能者タイプだったようです」

「えっ!?」

 ダリアは、まるで考えもしなかった指摘に、目を丸くして驚いていた。

「オーラというのは、基本的に優れた霊能力がなくては知覚することができません。それが視えた事、そして先刻、私達よりも早くあの悪霊のような敵に気付いた事を併せると、少なくとも"視る"能力に関しては、私達よりも優れているやも知れません」

「そっ、そんなこと…」

「チームの中で、仲間と同じ事が出来なくてはならない、なんて決まりはありません。自分ができる事を見付ければいいんです。あなたは、その霊能力を伸ばす努力をすべきです」

 ルテニカの進言に、百合香も頷いた。

「私だって、さっきみたいな敵はさっさと瑠魅香に任せてるもの。出来る事をやっていれば、それでいいのよ。逆に瑠魅香だって、武器を持たせても何の役にも立たないし」

『言い方ぁ!』

 どこからともなく聞こえた瑠魅香の抗議に、百合香たち三人が笑った。ダリアはなんとなく肩の力が抜けたようで、笑いこそしない代わりに、それまでの硬く重い表情が少しだけ柔らかいものになっていた。

「さあ、邪魔が入ったけど先を急ごう。リベルタ達がさっきみたいな奴に遭ったらまずいよ」

 百合香が腰に剣を収めて姿勢をただすと、ダリアも立ち上がった。全員で、改めて通路の先を目指す。その時ダリアは一瞬、何か声のようなものを聞いた気がして振り向いたが、きっと瑠魅香が笑うか何かしたのだろう、と思った。



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合流

 リベルタ、ヒオウギ、フリージアの3人は、再び城側の追手が現れないか、ヒヤヒヤしながら来たルートを引き返していた。

「さっきの正規兵たち倒しちゃったの、当然城側には察知される事になるね」

 フリージアはナイフを握り締め、後方を警戒しながらしんがりを務めていた。ヒオウギはそんな不安どこ吹く風、といった様子である。

「今さらでしょ。これまで、どれだけ城の兵士を倒してきたのよ。むしろ、それぐらいでなきゃレジスタンスなんて、恥ずかしくて名乗れないわ」

 レジスタンス。その肩書きというか括りに、リベルタは何となく、以前から違和感を覚えていた。

「マグショットって奴の話はしたっけ」

 唐突にリベルタがその名を出したので、ヒオウギは首を傾げた。

「ああ。猫レジスタンス達のはぐれ者だっけか。めちゃくちゃ強いんでしょ」

「強いなんてレベルじゃない。あのロードライトと互角だからね。もし戦ったなら、私達3人でかかってもたぶん勝てない」

 リベルタは、直立しても自分達の腰まで届くか、という小さな猫拳士の強さを思い出していた。

「そのマグショットがね。自分はレジスタンスじゃない、こっちが皇帝を裁くのだ、みたいな事言ってたんだ」

「なるほど。レジスタンスは受け身の発想、ということか」

 ヒオウギは、なるほどと頷いた。抵抗者、と自身を認識した時点で、すでにひとつ負けを認めている事に他ならない、というわけだ。

「ふうん。面白いわね。じゃあ何か考える?レジスタンス、以外の括りというか、呼称というか」

「うーん」

 そう改めて問われると、リベルタもすぐには思い浮かばない。すると、フリージアが呆れたように言った。

「呼称は呼称でしょ。要は中身。ごたいそうな名前を名乗ってるのに手も足も出ないよりは、レジスタンスを名乗ってそれなりに文字通り抵抗できてる方がマシだと思うよ」

 なるほど、とリベルタ達はなんとなく納得させられてしまった。名前なんかどうでもいい。それもそうかも知れない。

 そんな会話をしていると、リベルタは何かに気付いて、ふと足を止めた。

「どうしたの?」

 フリージアに、リベルタは指を立てて周囲を警戒した。

「静かに。いま、何か気配を感じた」

「気配?」

 とっさに、フリージア達も武器を構えて警戒する。ヒオウギはいつもの氷扇ではなく、予備のショートソードを抜き放った。

「気のせいじゃないの?」

「だといいけど」

 リベルタもまた、やや狭い通路での弓は不利とみて、ショートソードを構える。そのとき、リベルタはまたも気配を感じた。

「間違いない。何かがいる」

「私達、何も感じないけど」

 フリージアは、周囲をぐるりと見回しながら後方を向いた。すると、突然何か得体の知れない感覚がして、フリージアは全身の力が抜け、ナイフを取り落として片膝をついてしまった。

「フリージア!」

 慌ててヒオウギは駆け寄ると、両脇を抱えてフリージアを支えた。しかし、リベルタは叫んだ。

「ヒオウギ!壁から離れて!」

「えっ!?」

 ヒオウギは一体何のことかと一瞬考えた次の瞬間、とっさにフリージアを引っ張って壁から離れる。だが、一瞬判断が遅かったこと、フリージアを抱えていた事が災いした。そして、ヒオウギもようやくリベルタの言う意味がわかった。壁から謎のエネルギー体が、にじみ出るようにヒオウギに覆いかぶさる。

 だが、ヒオウギは予想外の方法でその謎の現象から身を守る事ができた。リベルタが、ヒオウギに向けて迷うことなく弓を引いている。

「エアロ・プレッシャー!」

 突然、強烈な空気圧がヒオウギとフリージアを襲い、通路の奥まで二人を吹き飛ばしてしまった。どちらも受け身を取る余裕はなく、氷の床を転げて壁に激突する。

「ぐあっ!」

 ヒオウギはフリージアもろとも衝撃を受け、左肩を打ち付けてしまう。リベルタはすでに弓にエネルギーを込めて、敵と思われる何者かに備えた。

「ヒオウギ、大丈夫!?」

「吹き飛ばした張本人が言わないでよ!」

 ヒオウギもヨロヨロと立ち上がる。フリージアは意識はあるものの、声さえも出せず、戦うだけのエネルギーは残っていないようだった。

「助かった、ありがと!」

「気をつけて、何かがこの通路にいる!壁を通過できるみたい!」

「そんな幽霊みたいな奴…ぐっ!」

 ヒオウギは、左肩の関節にダメージを受けている事に気付いた。だが、もし回避が遅れていれば、フリージアのようになっていただろう。痛む肩を無視して、ヒオウギはフリージアを守る態勢で周囲に神経を研ぎ澄ました。

「まさか、これが噂の第2層の幽霊?」

 吹き飛ばされたショートソードは無視して、ヒオウギは氷扇を出現させると、閉じた状態で左右に構える。リベルタは弓の発射態勢を維持したまま、ゆっくりとヒオウギの近くまで移動した。

「だとしたら厄介ね。ルテニカ達と分かれたツケが回ってきたか」

「おねーさん、余裕かましてるヒマあるの?」

「ないから余裕あるフリしてんのよ」

 二人は一瞬視線を合わせると、ニヤリと微笑んだ。だが次の瞬間、二人はすでに敵の術中にはまっている事に気付いた。

「あっ!」

 ヒオウギが気付いたときには、もう遅かった。紫色に光る謎のエネルギー体が、通路の全面を壁のように接近していたのだ。視界全体に広がっていたせいで、二人はそれに気づかなかった。

「下がって!」

 リベルタは弓に蓄えたエネルギーを一気に放つ。

「プラズマストーム!」

 弾けるようなエネルギーの渦が、一直線に謎のエネルギー体めがけて放たれる。エネルギー体はリベルタの技を受けて飛散し、消え去ってしまったように見えた。そのとき、通路の奥から何やら、悲鳴のような声が聞こえたような気がした。

「敵の断末魔かな」

「倒したとは限らない。フリージアは?」

 リベルタは警戒を解かず、再び弓にエネルギーをチャージする。

「まずいね。意識はあるけど、エネルギーを極度に消耗しているらしい。アジトに連れ帰らないと」

 すると、フリージアが弱々しく唇を動かすのが見えた。ヒオウギは耳を近づける。

「…て…行って、私…足手まといだから…」

「なに?」

 ヒオウギは、フリージアの襟首を掴んで、顔を真正面に向けて行った。

「馬鹿やろう、置いて行け?そんな面白くないジョーク、また一度でも言ってみろよ。ぶっとばすからな」

 そう言い捨てると、ヒオウギはフリージアを背負って歩き出した。リベルタが意地悪く笑う。

「相変わらずね」

「うるさい」

 二人は、まだ敵がいるかも知れない通路を、仲間が待っている方に向かってゆっくりと歩いて行った。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同じ頃、リリィ改め百合香とルテニカ・プミラのコンビ、そしてダリアの4人は、リベルタ達と落ち合えるはずのエリアに向けて通路を進んでいた。そして、敵の気配がないな、と思い始めた、まさにその時だった。

「わああああああ!」

 百合香が叫ぶ。なぜかというと、鈍く輝く壁面だけの暗い通路の奥から、突然プラズマ状の渦がこちらに向けて直進してきたからだ。瞬間的に、百合香は身体を瑠魅香にバトンタッチする。瑠魅香は杖を突き出し、無言で壁一面に障壁を展開した。

「ん?」

 これくらい余裕で防げる、と思った瑠魅香だったが、すぐに見通しが甘い事を悟った。障壁は一撃で打ち砕かれ、威力こそ打ち消したものの、その余波で全員が吹き飛ばされたのだった。

「ぎゃーーー!」

 ダメージこそ負わなかったものの、4人はそれぞれ情けない姿で壁や床に打ち付けられる事になった。しかも、プラズマの影響で起きた静電気で、髪がすごい事になっている。

「いたたたっ、いたい!なにこれ!」

 瑠魅香は、身体を動かした瞬間に静電気がはじけ、激痛に身をよじらせた。頭の中で百合香が冷徹に言い放つ。

『それ、あんたが人間になったら年に何度も経験するからね。ドアを開ける時とか、コインランドリーの洗濯物を取り出す時とか』

「なに言ってるかわかんない!交替!」

 瑠魅香は、強引に百合香と身体をチェンジする。百合香になっても静電気は残ったままだった。

「ぎゃー!」

『いい気味だわ』

「せっ、静電気はいいから、みんな敵に警戒してよ!」

 百合香は痛む身体を押して、聖剣アグニシオンを構える。百合香に続いて、他の3人もプラズマが飛んできた方向を見た。すると、確かに足音が近づいてくる。

「これだけの力を持った敵、只者じゃない。気をつけて」

 百合香は、アグニシオンに精神を集中した。剣を中心として、重圧を伴った力場が形成される。後方のルテニカ達も、数珠を構えて前方の通路を睨むものの、百合香よりは少しばかり緊張感が薄かった。

 やがて、敵の足音が一歩、一歩と接近してきた。それと同時に、百合香は相手が強大なエネルギーをチャージしているらしい事に気付く。

「気を付けて。来るわよ!」

 先手必勝とばかりに、百合香は剣を構えて前方に突進した。そして、相手の姿を視界に捉える。それは、どうやら弓を構える敵のようだった。そのとき、ルテニカが「ちょっと待ってください、百合香」と声をかけたのも、百合香には聞こえていない。

「(弓使いか!)」

 そこで相手の武器に気付いたのが、幸運といえば幸運だった。そういえば今まで、敵が弓を使ってきたのは、氷騎士ストラトス=イオノス以外にいない。では、この弓使いは何者なのか。そう考えた瞬間、相手の特徴的なポニーテールが目に入った。

「あっ!」

 気付いたときには、もうお互いが技を放つ態勢に入っていた。まずい。百合香は、ぎりぎりの所で自ら放った技の進行方向を変える事に成功した。聖剣アグニシオンから放たれたレーザーのような衝撃波は、前方に現れた一団のすぐ横をかすめ、通路の壁面に激突する。

 かたや、相手が放ってきたエネルギー波もまた、百合香のすぐ横わずか数センチのところを突き抜けて、壁面を直撃した。結果、誰でもわかる事だが、狭い通路の二箇所の壁面が強大なエネルギーによって粉砕されてしまった。

 

「どちらも警戒心があるのは良いことですが」

 ルテニカは、通路をふさぐ瓦礫のひとつをどかしながら言った。

「そもそも私達は落ち合うために互いに移動していたのです。そろそろ合流してもいい頃だと考えるべきだったのでは?」

「だって、奥からいきなりあんなエネルギー波が来るんだもの!」

「いきなり剣振り上げて襲いかかってくるんだもの!」

 百合香とリベルタは互いを指さしたあと、口をへの字に結んで睨み合った。それを見てヒオウギも、弱り果てているフリージアも笑う。

「あれ、もし互いに避けられなかったら、私達どうなってたのかな」

「全滅していたのではありませんか」

 ルテニカがボソリと言うと、百合香とリベルタを除く全員が爆笑で応えた。フリージアも、少しだけ気力を取り戻したようである。

「まあ、結果オーライという事です」

「プミラ、ちょっと優しすぎます。全員死にかけたんですよ」

 ルテニカのツッコミに、百合香とリベルタは声を揃えた。

「もういいでしょ!」

「もういいじゃない!」

 いくぶん落ち着いたところで、リベルタは見慣れない顔がいる事に気づいて訊ねた。

「その子は?」

「ああ、この子はダリア。ロークラスの子で、一人だけ生き残ってたのを連れてきた」

 百合香に紹介され、ダリアは初めて会うリベルタに、緊張の面持ちで頭を下げた。

「あっ、あの、初めまして。リベルタさん、ですね…お噂は聞き及んでおります」

「そんな、畏まらなくていいよ」

 困ったようにリベルタは笑う。

「さっきのザマ、見たでしょ。あんなものよ。よろしくね、ダリア」

 そう言って差し出された手を、ダリアはしっかりと握った。

「私の事はどうでもいいけど、フリージア、あなた大丈夫なの」

「大丈夫じゃない、って言ってる」

 フリージアを背負ったままのヒオウギが、冗談めかしつつも不安げにその目を見た。すると、唐突に百合香の中から瑠魅香が言った。

『私、ひょっとしたら何とかできるかもよ』

 その聞いたことのない声に、瑠魅香の存在を知らないヒオウギ、フリージアが怪訝そうに周囲を見渡した。

「だっ、誰!?」

「ああ、忘れてた。さっき説明するって言ったんだっけ。瑠魅香、ちょうどいいや。出てきて」

『りょーかい』

 とぼけたような声とともに、百合香=リリィの姿が突然、紫のローブをまとった黒髪の魔女に変ぼうすると、ヒオウギはむろん、弱っているフリージアまでもが目を瞠った。

「なっ、なに?どういうこと!?」

「この子が、さっき私が説明するって言ってた事」

 リベルタは、リリィの本当の名が百合香で、実は生きていた金髪の少女剣士であること、もと氷魔の瑠魅香の魂がその身体に”間借り”していて、身体を百合香と交替できる事などを、かいつまんで説明した。

「わかった?」

「…言葉では理解できても頭の理解が追いつかない」

 ヒオウギは、目の前に現れた人間そのものの瑠魅香をまじまじと見た。

「ちょっと待って。リリィはどう見ても私達氷魔と区別できない、青白いというか、ほとんど真っ白な姿だったじゃない。金髪の剣士はどうしたのよ」

「あー、それはあとで説明する。今はフリージアを助けるのが先でしょ」

 瑠魅香は、背丈ほどもある巨大な杖を振るうと、ヒオウギの背にいるフリージアに向けた。ヒオウギが焦る。

「ちょっと、何する気」

「私のエネルギーをフリージアに分ける。どこまで回復できるかはわかんないけど。ヒオウギ、そのまま動かないで」

 まだ名乗ってもいない名前を呼ばれて、ヒオウギは黙って従う事にした。すると、杖の先端から紫色の柔らかなエネルギーの波が、フリージアに向けて注がれた。エネルギーはフリージアの全身にゆっくりと満ちていき、やがてぐったりとなっていた腕がぴくりと動いた。

「フリージア!」

 驚くヒオウギの背で、フリージアの首が持ち上がる。その目には力が戻っていた。

「ヒオウギ、降ろして」

「だっ、大丈夫なの」

 恐る恐るヒオウギがフリージアを降ろすと、やや危なっかしいが、フリージアはきちんと立っていた。少なくとも、それまでのぐったりした状態からは目に見えて回復している。

「おおー、やればできるもんね」

「ちょっと待って。今までやった事なかったみたいな言い方ね」

 怪訝そうにヒオウギは、瑠魅香と名乗った魔女を見た。瑠魅香は平然と答える。

「うん、リベルタの負傷を治した事はあるけど、エネルギーの回復っていうのはやった事がない。まあ、私も元は氷魔だしね。必要なエネルギーはわかってるし、どうにかなるだろうって思った」

「思った、って」

 呆れるようにヒオウギは、突然現れて無茶苦茶な回復魔法を使ってみせた瑠魅香を見た。

「…まあ、悪い奴ではなさそうね。礼は言っておく。ありがとう」

「ありがとう、瑠魅香。私、フリージア。改めて、よろしくね」

 差し出されたヒオウギとフリージアの手を、瑠魅香もしっかりと握り返す。本来であれば、自分も同じように氷の身体をもって、この城に存在していたはずだ。百合香の身体を借りて、半分だけ人間として接するのは、とても不思議な気がした。

「こちらこそ、よろしくね。ヒオウギに、フリージア」



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鳴動

 その後百合香たちは結局、安全最優先で二手に分かれる事をやめ、いくつかの場所にいたレジスタンス達にアイスフォンの使用禁止を伝えて回った。ついでに、謎の幽霊に遭遇した者はいないかも訊ねてみたが、結果はなんとも曖昧なものだった。

「うーん、私達はそんなのには遭遇してないな」

 入り組んだ通路の奥に潜んでいた5人の制服少女氷魔のひとりは、首を傾げてそう言った。他の4人も同様である。リベルタは訊ねた。

「そういう噂は聞いてるでしょ?」

「噂だけはね。幽霊が出るエリア、っていう。あなた達は見たのね」

 そこで百合香やリベルタ達は、それぞれ遭遇した正体不明の幽霊や謎の影、あるいは何者かに操られているゾンビのような少女氷魔達の情報を伝えた。その結果わかったのは、どうやら幽霊だとかの異様な存在を、直接目にした者は極めて少ないらしい、という事だった。

 

 ◇

 

 ふたたび通路に出て全員で歩きながら、百合香たちは今起きている謎について考えた。

「どういう事なんだろう」

百合香は腕組みして首をかしげる。リベルタ達も同様である。だがそこで、おずおずとダリアが意見をのべた。

「あっ、あの、ちょっと気になるっていうか」

「なにが?」

 ヒオウギに目を向けられ、ダリアは一瞬ぎくりとしつつも話を続けた。

「いえ、その、気のせいかも知れないんですけど。幽霊が現れている、明らかなエリアがあるような」

「エリア?」

「はっ、はい」

 ダリアは片膝をつくと、右腰につけていたナイフで床に地図を描きはじめた。それはだいぶ大雑把な、今いるエリアの地図だった。

「私がいた、礼拝堂みたいな所がこのあたりだと思います」

 ダリアから見て左奥の一点に、小さく印が刻まれる。ダリアはそこから、全員の証言を確認しつつ、幽霊が現れたポイントを地図に記していった。

「なるほど」

 ルテニカとプミラは、地図を見ながら揃ってうなずいた。

「確かに、幽霊が現れたエリアは偏っていますね。そして、いま私達がいるこのエリアにいたレジスタンス達は、少なくとも自分達のエリアでは見ていない」

「つまりこのエリアに、幽霊が存在する原因となる何かが存在する。そういう事ですね」

 プミラが、幽霊の現れた一帯を指でぐるりと囲った。フリージアはうなずきながらも、疑問をのべる。

「けど、原因っていったい、なに?氷騎士でもいるってこと?」

「それは考えにくい。氷騎士なら、最初から城の命令で、もっとわかりやすく私達を攻撃しに来るはずだもの」

 リベルタの意見はもっともだった。だが、そこでルテニカは、ある可能性について言及した。

「氷騎士の中にもサーベラスやロードライトのような裏切り者が現れている以上、独自に行動する者がいる可能性はあります。例えば、伝説の氷騎士”ガランサス”のような」

「ちょっと待ってよ。あれは、文字通り伝説でしょ」

 ヒオウギは困惑しつつ苦笑したが、ルテニカもプミラも至って真顔だったので、全員が押し黙ってしまう。

「ガランサスは確かに伝説の存在です。しかし、いま起きている事は、その伝説の内容に合致する点がいくつもあるのです」

「ひとつに、正体が見えないこの謎の相手は、敵味方関係なく危害を加えていること。そして、明らかに高度な霊能力を持っていること。この二点だけでガランサスか、あるいはそれに匹敵する何者かである可能性が高いのです」

 霊能力の使い手であるルテニカとプミラに続けざまに説明されると、他の面々も黙って納得せざるを得ない。そこに、百合香の中にいる瑠魅香が意見した。

『敵がガランサスであれ何であれ、問題はそいつと戦う必要があるのかどうか、だと思うんだけど』

「どういう意味?」

 百合香が訊ねる。

『理由はわからないけど、仮にそのエリアの中だけでしか幽霊は現れないっていうのなら、それが何者なのであれ、戦わなければ戦わないで済むんじゃない?要するに私達は、第3層を目指してるわけでしょ』

「都合よく避けられれば、の話でしょ」

 百合香は地図を睨む。だがとうぜん、百合香に氷巌城の内部などわからない。

「ここから第3層へのルートは、みんな知っているの?」

 百合香の問いに、リベルタは小さくうなずいた。

「本当に大雑把にはね。うん、確かに瑠魅香が言うように、謎の幽霊氷魔を避けて行くルートはあると思う。ただし」

 リベルタは、全員の目を見て言った。

「そうなれば当然ほかの幹部、氷騎士達と戦う事になる。そもそも私達は城に戦いを挑んでいるのだから、どのルートを辿ろうと、敵がいるのに変わりはないわ」

 リベルタの言葉は、今更ながら全員の胸に響いた。どのみち、城には基本的に敵しかいないのだ。

「あるいは、その謎の霊能氷魔とやらを今のうちに叩いておかなければ、あとあと厄介な事にもなる、という考え方もある。イオノス戦、ロードライト戦での連戦を思い出して。あんなボロボロになったあとで、強大な敵の攻撃を受けたら」

 そこでリベルタは言葉を切った。その先は考えるまでもない。ここで、全員の視線が百合香に集中していた。百合香は困惑して全員を見る。

「なによ」

「百合香、あなたが決めて。どう動くか」

「なんで!?」

 百合香はリベルタに抗議の視線を向けた。だが、リベルタは真剣だった。

「あなたの決定なら、私は信頼できる。ここまで、私達はあなたに導かれてきたんだもの」

「私はそんな役目、引き受けた覚えはない。私は実質、レジスタンスの一員でしょ」

「レジスタンスにだって、リーダーは必要よ。わたしは百合香、あなたにレジスタンスのリーダーを任せてもいいと思ってる。みんなはどう?」

 いきなり多数決のような流れになり、百合香はうろたえる。リーダーを百合香が引き受けたから、どうなるというのだ。

 だがそこで、ほとんど百合香と会話していない人物が意見した。

「それを任せるってんなら、実力を示してもらわなくちゃ納得いかないな」

 そう言い放ったのはヒオウギだった。ヒオウギは畳んだ氷の扇を、百合香の眉間に向ける。リベルタはわずかに声を荒げた。

「ヒオウギ!」

「ああ、リベルタの言いたい事はわかってる。リリィ…じゃない、百合香の実力は圧倒的だって言いたいんだろ。けど、あたしはまだ納得できてない」

 ヒオウギは百合香に正面から歩み寄ると、扇を胸元に向けて言った。

「あたしと勝負しろ。負けたら何でも言う事を聞いてやる」

 そのヒオウギの態度に、ダリアをのぞく全員が呆れたように肩をすくめた。フリージアは、もう仕方がないといった様子である。

「ほんとに、あなたって変わらないわね」

「うるさい。こっちにだって沽券ってものがある。白黒つけないでリーダーづらされてたまるか」

 そこで、百合香はつい吹き出してしまった。口元を押さえて肩を震わせる。ヒオウギの切れ長の目が百合香を睨んだ。

「何がおかしい」

「ごめんなさい。ただ、自分を見てるみたいで」

「なにい?」

 百合香の言葉の意味がわからないのか、ヒオウギは肩をいからせて百合香に迫った。

「いいか、この先に少し開けた空間がある。そこであたしと手合わせしろ」

「勝利の条件は?」

「どっちかが武器を落とすか、降参したら決着だ。話に聞く、あんたのわけのわからない力を使っても構わない」

 そこで思わずリベルタは叫んだ。

「ばか!死ぬわよ!」

「さあな、わかんねえぞ。あたしだって、ハイクラスの連中も黙らせた”風のヒオウギ”だ。やってみなくちゃな」

 ヒオウギは、百合香の目をまっすぐに見据えた。それは、一点の曇りもない、水晶のような眼差しだった。

 

 ◇

 

 ヒオウギが言ったとおり、少し進んだ先には、二人が手合わせするには十分な広さの空間があった。百合香とヒオウギは、中央に立つリベルタをはさんで向かい合っていた。

 百合香は、かつては黄金だったが、なぜかロードライト戦以降は白銀に輝いている聖剣、アグニシオンを手にしている。ヒオウギは、両手に閉じた氷扇を構えていた。

「勝負の判定は私がやる。双方、文句ないわね」

 リベルタは確認をもとめた。百合香もヒオウギも無言でうなずく。その様子を、通路の出口近くでフリージアたちは固唾をのんで見守っていた。

「ヒオウギ、どういうつもりなのかしら」

 フリージアは、頭の固い仲間に呆れつつぼやいた。ルテニカが笑う。

「城が物理的に顕現する前の、思念世界の段階で、もうこんな調子でしたね」

「そういえばそうだった」

「始まるようです」

 リベルタが壁際に下がり、百合香とヒオウギは臨戦態勢を取って、互いに意識を集中させた。リベルタの腕が勢いよく下げられる。

「はじめ!」

 合図が降りた瞬間、まさしく間髪入れずヒオウギは即座に百合香めがけて踏み込んだ。その素早さに、百合香は驚愕する。速い、誰よりも。

 ヒオウギは、アグニシオンのリーチの中に恐れることなく突進する。ルテニカとプミラ、ダリアはなぜそんなリスクを冒すのかと思ったが、フリージアだけは理解していた。

「でえあーっ!」

 掛け声とともに、氷の扇が百合香の首を捉える。だが百合香の剣は、すでに懐に接近された以上、その長さが仇になっていた。

「くっ!」

 そこで百合香は、剣を逆手に握って眼前に振り上げ、扇を受け止める。だが、ヒオウギはガラ空きになった百合香の左腹部に、片方の扇を突き出した。そのあまりのスピードに、百合香は対応しきる事ができず、やむなく蹴りを放って防ぐしかなかった。

「うっ!」

 予想外に切れの鋭い蹴りに、ヒオウギは飛びすさる。一瞬の攻防だったが、二人は距離を取ってそれぞれ態勢をととのえた。ルテニカが感嘆の声をあげる。

「ヒオウギも然(さ)る者ですね、あんな短い扇で」

「至近距離まで接近すれば、百合香のロングソードはむしろ不利になる。この勝負、わからないわ」

 それは、同じくリーチが短いナイフ使いである、フリージアならではの見立てだった。百合香とヒオウギは、じりじりと相手の出方をうかがっていた。

 だが、またしても先に仕掛けたのはヒオウギだった。ヒオウギは閉じていた扇を開くと、羽根のように左右に広げ、青白い魔力を全身にみなぎらせた。

「これは…!」

 百合香は瞬間的に身構えたが、ヒオウギが一手、早かった。

「フェザー・ミストラル!」

 前面に交差するように突き出された扇から、猛烈なエネルギーの突風が百合香めがけて放たれた。百合香は障壁を展開するのが間に合わず、もろにそれを食らうことになった。

「うああーっ!」

 百合香は強靭な鎧に護られてダメージこそ軽度で済んだが、その圧力に身体そのものを吹き飛ばされ、壁に叩きつけられてしまった。

「ぐあっ!」

 かろうじてアグニシオンは握ったまま、咄嗟に百合香は崩れた体勢を立て直す。だが、ヒオウギはまたしても速かった。一瞬で百合香の間合に入ると、再び閉じた扇をで、百合香の全身に強烈な連撃を浴びせた。

「くっ…!」

「ほらほら、そんなもの!?噂の侵入者さんは!」

 挑発するヒオウギに、百合香は再び蹴りを放とうとしたが、こんどはヒオウギも脚を出し、その脚をも封じてくる。

 強い。百合香は思った。少なくとも物理的な競り合いでは、百合香より速い。だが同時に百合香は、自分自身にも何か違和感を覚えていた。

「(おかしい…私、もっと速く動けたはず…)」

 ヒオウギの連撃に耐えながら、百合香は思った。かつて、拳法使いの氷魔と戦った時は、もっと素早くうごけたはずだ。

 だがそこでもうひとつ、百合香は気付いた。それは、ヒオウギの言葉によってだった。

「呆れたしぶとさね!いつまで耐えていられるかしら!」

 その言葉に、百合香は一瞬あ然とした。いったい、どれだけヒオウギの攻撃を受けているというのか。もちろん、それなりに身体には衝撃を受けてはいる。だが、決定的なダメージは負っていないのだ。

 見たところ、ヒオウギの強さはマグショットやロードライトには及ばないが、おそらく氷騎士に肉迫できる程度には強い。

 だが、百合香にそんな事をそれ以上考える余裕はなかった。ヒオウギは閉じた扇に魔力を漲らせ、片方を前面に、片方を大きく後方に引く。リベルタが、つい口をはさんだ。

「ヒオウギ!」

 それは、間違いなく本気になったヒオウギへの、なかば抗議だった。だが、かまわずヒオウギは、至近距離から百合香の胴体めがけて、渾身の一撃を放つ。

「ハンマリング・インパクト!」

 それは、前方で放つエネルギーに後方からの衝撃を加える、二段構えの恐るべき一撃だった。百合香は危険を感じ、とっさにアグニシオンを突き立てて防御した。

 だが、その威力に百合香は、ヒオウギをまだどこかで侮っていた事を思い知らされた。

「うっ…ぐあっ!」

 その、巨大な鉄槌を受けたかのような衝撃に、百合香は危うくアグニシオンを弾き飛ばされかける。そして、再度ガラ空きになった胴に、ヒオウギはとどめを刺さんとばかりに扇を突き出してきた。

 だが、百合香はその瞬間、ほとんど無意識に左手を動かしていた。次の瞬間、全員があっと声を上げた。

「うわぁーっ!」

 その空間に響いたのは、百合香ではなくヒオウギの絶叫だった。ヒオウギは何か見えない力に弾き飛ばされ、床を転げて壁にその身を打ち付けた。

「ぐはっ!」

 ヒオウギは受け身を取る余裕もなく、扇はすでにその手を離れて床に転がっていた。リベルタがすかさず手を上げる。

「そこまで!勝者、百合香!」

 

 ◇

 

 ボロボロになったヒオウギの上半身を、フリージアが抱えて起こしてやった。

「大丈夫!?」

「ふん、こんなもの。大した事ねーよ」

 ヒオウギはフリージアの腕を払うと、アグニシオンを構えて立つ百合香を向いた。

「約束は約束だ。百合香、お前をリーダーとすることに異存はない。無茶苦茶な指示でない限りは、話を聞いてやる。場合によっちゃ聞かないけどな」

 そう吐き捨てるヒオウギに、フリージア達は笑いで応えた。

「本当に、そこまで我を通せるのは大したものです」

「けれど、意外に善戦したのでは?」

 ルテニカとプミラを、ヒオウギは睨む。だが、そんな中で、勝者である百合香はなぜか、釈然としない表情で立ち尽くしていた。

「百合香?」

 リベルタは怪訝そうに百合香を覗き込む。以前、百合香が自我を失った時を思い出して悪寒が走ったが、そうではなかった。

「リベルタ。私の動き、鈍くなってるように見えなかった?」

 百合香から突然そんなことを訊かれ、リベルタは面食らった。

「鈍い?」

「…私の身体が、以前より重く感じる。いえ、ひょっとしたら、もっと前からそうなっていたのかも知れない」

「けど、ヒオウギの素早さは私達の中でもトップクラスよ。比較対象が間違ってるんじゃないの」

「……」

 まだ、百合香は釈然としない様子だった。

「瑠魅香、あなたから見てどうなの?」

 百合香の中にいる瑠魅香にリベルタは訊ねてみた。常に百合香の行動をともに観ている瑠魅香なら、わかるかも知れない。だが、回答は要領を得ないものだった。

『わかんないな。現状でも、じゅうぶん素早い部類だと思うけど。少なくとも私よりは百倍ね』

 瑠魅香が百合香の肉体を借りていても、不思議と百合香のようには動けない。強大な魔法と引き換えに、俊敏さや耐久力は失われるのだ。

『けど、もし百合香の言うことが本当なら、たぶん今の真っ白な姿になっちゃったのが原因じゃない?』

「あっ」

 その単純な可能性に、百合香は今まで思い至らなかった事が自分で不思議だった。そもそも、どうしてこんな氷魔とほとんど区別がつかない姿になってしまったのか。

 だが、それ以上の考察をする余裕はなかった。それを最初に感じ取ったのは、黙っていたダリアだった。

「…百合香さん!何かが!」

 突然のダリアの大声に、全員がびくりとして振り向く。

「なっ、なに!?」

「何か強大な…波動みたいなものを感じます!」

「なんですって?瑠魅香、何か感じる?」

『うん、ダリアの言うとおりだ。微かだけど、何か得体の知れないエネルギーを感じる。ルテニカ、あんた達は?』

 瑠魅香の問いに、ルテニカとプミラも数珠を手にして頷き合った。

「ダリアに言われて気付きましたが、何かが起きています。それも、尋常ではありません」

「みなさん、一箇所に集まってください。瑠魅香、障壁を張る準備をお願いします」

 突然そんな指示を飛ばされ、面々は慌てて空間の真ん中に集まった。百合香は瑠魅香に身体を交替し、紫の魔女が姿を現した。

「くるよ!」

 瑠魅香の合図でルテニカ、プミラも同時に障壁を展開する。三重の障壁である。それとほぼ同時に視界が暗闇に包まれ、床や壁面が突然鳴動を始めた。

「なっ、なに!?」

「リベルタ、動かないで!みんなも!」

 瑠魅香が叫ぶ。突然の異変に、全員は互いをしっかりと支え合いながら、床に膝をついて振動が収まるのを待った。

 だが振動に続いて瑠魅香たちを襲ったのは、まるでインクが水を黒く染めてゆくように迫りくる、漆黒の闇だった。心を内側から抉られるような不快感とともに、瑠魅香たちの意識は闇に飲まれていった。



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風のヒオウギ

「何事か」

 執務室にいた皇帝側近ヒムロデは、かすかに氷巌城に走った振動に気付いて椅子を立った。

「エレクトラ」

「はい」

「何か、城に異変が起きた」

 執務室の窓から眼下に見える、氷巌城上部をにらむ。一見する限りでは、特に何も異変が起きたようには見えない。だが、ヒムロデには広大な城のどこかで起きた、正体不明の波動のようなものが感じ取れた。この冴えがあるからこその、氷魔皇帝ラハヴェ側近ヒムロデである。

「レジスタンスどもが何かしでかしたやも知れぬ」

 ヒムロデは、エレクトラと呼ばれた長髪のメイド姿の氷魔に命じた。

「任せたぞ」

「かしこまりました」

 そのごく簡潔なやり取りでエレクトラは命令を全て理解し、恭しくお辞儀をすると、一瞬でタイトスーツのような装束に姿を変えた。両腰にはわずかに湾曲した、特殊な形状のショートソードが提げられている。

 エレクトラは無言で、音も立てず執務室をあとにした。

「美しくも不気味なやつよ」

 ヒムロデは苦笑しながらワインのボトルを持ち上げたが、栓を抜こうとして、すぐにボトルをテーブルに戻した。

「必要もない、味もわからぬ物を、飲んでももはや意味もないか」

 そうつぶやくヒムロデは、かすかに寂しさのような表情を、瞬きにも満たない一瞬浮かべてまた机に戻った。

 

 ◇

 

 瑠魅香は、とてつもない長いまどろみの中にいるような、夢の中にいた。そこは百合香が通うような学校の教室で、人間の女子生徒達と瑠魅香は談笑していた。しかし、それが夢の中の光景なのが自分でわかる。これは正しい意識ではない。そう思ったとき、教室の奥からよく知った金髪の少女が近づいてきて、瑠魅香に叫んだ。

『瑠魅香!』

 

 内側から聴こえる声に、ようやく瑠魅香は意識を取り戻した。瑠魅香は覚醒した時、そこがそれまでリベルタ達と居た空間とは、異なる場所である事に気付いた。

「うっ」

 瑠魅香は左肩が痛むことに気付いた。どうやら、倒れた時に打ったらしい。

「…百合香?」

『良かった、やっと起きてくれた。私が表に出ようとしても、あなたの意識が身体をロックしてるせいで出られないしさ』

「それはごめん」

『この仕様どうにかなんないのかな』

 百合香はそうぼやくが、どんな仕様なのかは百合香に憑依している瑠魅香もよくわかっていない。起き上がりながら、瑠魅香は周囲を見渡した。暗い空間だ。それまでの壁面じたいの輝きや、埋め込まれた光る晶石で視界が確保された空間とは違う。

 杖に灯りをともすと、空間の様子がハッキリした。そこは、よく整えられた礼拝堂のような広間だった。壁面は華美ではないがそれなりに意匠が施され、天井はアーチ状になっている。壁には、真っ白な羽根をもつ、美しい天使の少年の絵がかけられていた。

「他のみんなは!?」

 瑠魅香は、自分以外だれもいない事に気付いて叫んだ。周囲には長椅子や教壇があるだけだ。

『わからない。いないみたいね』

「捜さないと…けれど、どうして私達こんな所にいるんだろう」

『うん…あっ!』

 百合香が叫んだ。

「なに?」

『瑠魅香、ここ…あの礼拝堂だよ!』

「えっ!?」

 瑠魅香はまさかと思い、うしろを振り向いた。するとそこには、見覚えのある首なしの天使か聖母の像が立っていた。足元に意味ありげに置かれた、3つの少女の首も同様である。つまりここは、ダリアと出会ったあの礼拝堂ということだ。

「どっ、どういうこと?」

『わからない…とにかく、異常なことが起きたのは確かよ』

「とにかく、みんなを捜そう!」

 そう言って走り出そうとした瑠魅香を、百合香は止めた。

『待って、瑠魅香。状況をよく確認するべきよ』

「そんな悠長に構えてらんないでしょ」

『落ち着いて。あの聖母像をよく見るの』

 何のことだ、と瑠魅香は訝りつつも、百合香に言われたとおり、礼拝堂の奥に鎮座する首なしの聖母像を見上げた。

『何か違和感がある。どこかわからないけど』

「違和感?」

 瑠魅香は、百合香の指摘にしたがって聖母像を見た。ゆったりしたローブと、なめらかな手、細い首、不気味に微笑む口もと。

「ん?」

 瑠魅香は聖母像に近付こうとしたが、百合香が忠告した。

『気を付けて』

「うっ、うん。でも百合香、この聖母像、前に見たとき、口もとなんてあったっけ?」

『あっ!』

 違和感を感じた百合香も、ようやくその理由に気付いた。そう、以前見た時にあったのは喉の部分だけで、そこから上の頭部はなかったのだ。

『そうだ、そこは覚えてる。この聖母像に、顎から上はなかったんだよ』

「再生してるってこと?」

 ごく単純に瑠魅香はそう考えたが、それも不気味な話だった。見たところ、これは本当にただの彫像であり、ロードライトの所にあった魔晶兵の上位版、魔晶天使などとは違う。それが逆に不気味だった。

「気味が悪いな。壊しておこうか」

『あんたってわりかし物騒よね』

「人のこと言えるの?」

 瑠魅香は身の丈ほどもある杖を取り出し、不気味な聖母像に真っ直ぐに向けた。全身に満ちた魔力が杖の先端に収束すると、紫色の輝きが礼拝堂を照らす。

「いくわよ」

『任せる』

「いい加減だね!」

 聖母像の胴体ど真ん中めがけて魔法を放とうとした、その時だった。瑠魅香の杖から、いっこうに魔法が放たれない事に百合香は疑問を呈した。

『どうしたの?さっさと撃てば』

「ゆっ、百合香、なんかこれ、まずい」

『えっ?』

「まっ、魔力が…」

 つぎの瞬間、瑠魅香はがくりと膝をついてしまった。だが、杖は聖母像を向いたままである。そして、発動するはずの魔法はいっこうに発動せず、紫に光る魔力が杖から聖母像に向かって移動するのが見えた。

『瑠魅香!?』

「まずいよ…魔力が吸い取られてる!」

『なんですって!?』

「うああっ…!」

 杖を握った瑠魅香の腕は、まるで磁石に吸い付けられたスプーンのように聖母像を向いたまま、動かす事ができなかった。そして杖を通して、瑠魅香の身体からは魔力が間断なく、聖母像に吸収され続けている。

「ぐっ…あっ」

 次第に、瑠魅香から力が失われていく。しかし、意識が朦朧とし始めているにもかかわらず、腕は聖母像に吸い付けられたままだった。

『瑠魅香!』

「ゆ…り…」

『瑠魅香ーっ!』

 瞬間、百合香は強引に瑠魅香と精神を交替した。だが魔法を発動している最中だった事が影響したのか、精神が入れ替わった直後、百合香は魔力に弾かれてしまう。

「あぐっ!」

 顕現した百合香は魔力との反発で後方に大きく弾き飛ばされ、長椅子に叩きつけられた。

「うっ…」

 打ち砕かれた長椅子の破片に手をついて立ち上がると、百合香は全身の力が弱まっているのがわかった。どうやら、瑠魅香だけでなく百合香のエネルギーも、同時に吸い取られてしまったらしい。

『ゆっ、百合香…』

「あの彫像がやばいのね。なら、私の剣で破壊する」

 百合香の胸に虹色の光球が現れ、その中から一本の白銀の剣、聖剣アグニシオンが出現した。百合香はしっかりと両手で構えると、エネルギーは込めずに聖母像に突進した。

「うりゃあああーっ!」

 だが、3歩ほど踏み出したところで、驚くべきことが起きた。百合香の身体は、見えない力に阻まれて停止してしまったのだ。いくら脚を踏み込んでも、力が入らない。

「なっ、なに!?」

『さっきと同じだよ!』

「こんなもの!」

 百合香は、全身に力を漲らせた。礼拝堂が、巨大な引力の力に大きく揺れる。

「うおおおーっ!」

 百合香は叫ぶ。だがそのとき礼拝堂に、いや百合香たちの精神に直接、何者かの声が響いた。

『だめだなあ、そんな事されちゃ』

 それは、美しい少年の声だった。

『お姉さん、あなたの力はもう僕のものだ。まったく、信じられないよ。あなたのような存在が、まるで示し合わせたように僕のもとに来てくれるなんて』

 突然聴こえはじめたその声の主が何者なのか、百合香にはわからなかった。だが、その正体は即座に判明した。

『お姉さんの身体は美しい氷の彫像にして、僕のもとに永久に飾ってあげる。人間のように醜く老いる事もない』

「いっ、いったい…何者なの…姿を見せなさい!」

『姿?いやだなあ。最初から見せていたじゃないか』

 どういうことだ、と百合香は訝しんだ。この礼拝堂には、自分たち以外いなかった。一体どこに誰がいたというのか。だが、それに気付いたのは瑠魅香だった。

『百合香、あれ!あの絵だ!』

「なっ…」

 瑠魅香に言われて、百合香は壁に目をやった。聖母像に向かって右手に、たしかに絵がかけられている。そしてそのとき気付いた。笑っている。絵の中の天使が。そう、この敵は絵の中にいる存在だったのだ。

『ようやく気付いてくれた?僕は最初から見ていたんだよ。あなたが入ってきた時からね』

「いったい、あなたは何者なの!?」

『さあね。考えてごらんよ。うん、その苦しむ表情も美しい。死なせる前に、ぞんぶんに愉しませてもらおう』

「ふざけるな!」

 激昂した百合香は、強引に力を爆発させた。アグニシオンから発された衝撃波が、百合香を縛っていたエネルギーを打ち破る。

『おっと。まさかこの束縛を破るとはね』

「出来損ないの絵ふぜいが、偉そうにしないで!」

 百合香はアグニシオンを振りかざし、絵に接近した。だが、接近しようとした瞬間、ふたたび目に見えない束縛が、百合香の全身を縛り上げる。

「うああっ!」

『おとなしくしていてくれるかな。そんなエネルギーで騒がれると、あいつが目覚めてしまうじゃないか』

「なっ…」

 いったい何の話だ、と考える余裕は百合香にはなかった。いったい、この絵の中で不気味にほほ笑む天使は何者なのか。そう思う間もなく、ふたたび百合香の身体から、エネルギーが吸い取られて聖母像に流れ始めた。

「ぐっ…あっ」

『百合香!』

 瑠魅香が叫ぶ。しかし、瑠魅香もまた再び顕現するだけの力は残されていなかった。このままではまずい。

『百合香!アグニシオンを戻して!』

「えっ!?」

『ガドリエルに教わった魔法、あれを使ってみる!』

「なっ、なんのこと?」

『いいから!早く!』

 瑠魅香に急かされ、百合香は慌ててアグニシオンを再び自分自身の中に戻した。アグニシオンは光となって、胸に吸い込まれて消える。

『いくよーっ!』

 次の瞬間、百合香の胸から炎の鳥が飛び出して、壁の天使の絵に向かって一直線に飛翔した。それは、百合香が意識を失った際に瑠魅香が用いた、アグニシオンと一体化する魔法だった。

 炎の鳥が壁面に到達すると、激しい爆発音がして、次に剣に戻った瑠魅香が弾かれて飛んできた。百合香は一瞬肝を冷やしたが、すぐに鮮やかな手つきで剣の柄を掴む。

『ナイスキャッチ!』

 瑠魅香の声はアグニシオンから聞こえた。百合香はリベルタ達から聞いてはいたものの、その光景を見るのは初めてである。

「あなた今、アグニシオンの中にいるの!?」

『そう!』

 喋るたびに、柄の赤い宝石が光る。なんだか微妙に安っぽいな、と百合香は思った。

「それで、あいつは倒したの!?」

『わからない!』

 瑠魅香が壁面に激突したことで、もうもうと粉塵がたちこめた。この様子では、あの薄い絵は額縁ごと破壊されてしまっただろう、と百合香は思った。だが、粉塵が晴れて現れたのは、まったく予想もしていない光景だった。

「えっ!?」

 百合香は叫ぶ。天使の絵の前面には、それまで聖母像の足もとに置かれていた、氷魔少女の三つの首が浮かんでいたのだ。しかも、その前面には魔法の障壁が張られており、絵は無傷だった。

「そっ、そんな!」

『驚いたよ、まさかあんな技を隠し持っていたとはね。ふうん、君はその人の中に間借りしている氷魔というわけか』

 絵の中の天使は、瑠魅香が何者であるかを一瞬で見抜いたようだった。ここまで容易くそれを見抜いた相手はほとんどいない。いったい何者なのか。

『けれど、僕に力を吸収されたいま、もう抵抗する術はないだろう。ほかの、バカな氷魔どもに切り刻まれる前に、僕が氷の彫像にしてあげるよ』

「こっ、こいつ…」

 絵の前に浮かぶ三つの首の目に、青白い光が満ち始めた。何が起きるのかわからないが、このままではまずい、という事はわかる。百合香が、力の失われた脚で必死に後退を始めた。

『きれいな顔で、往生際の悪い人だね!』

 三つの首の目から、今にも百合香向けてエネルギーが放たれる。その瞬間だった。背後でドアが開く音がしたかと思うと、なにかが三つの首に向かって飛来した。

「えっ!?」

 それは、とっさに張られた障壁によって弾かれてしまう。だが、それによって百合香は間一髪のところを救われるかたちになった。

「リリィ!じゃなかった、百合香!」

 その声の主は、氷の扇を持ったショートヘアの氷魔少女、ヒオウギだった。さらにその後ろには、及び腰でショートソードを構えるダリアの姿もある。ヒオウギは、閉じた扇で肩をトントン叩いてニヤリと笑った。

「ひょっとして危ないところだった?」

「何言ってるのかしら。これから反撃しようと思ってた所なのに」

「ふうん。それはお邪魔したわね。じゃ、頑張ってね」

 そう言って立ち去ろうとするヒオウギに、百合香と瑠魅香は叫んだ。

「大ピンチ!助けて!」

『いいとこに来た!』

 身もふたもない懇願に、ヒオウギは吹き出しながらズカズカと礼拝堂に踏み込んできた。

「最初からそう言やいいんだ、カッコつけてんじゃないよ。で?その気味の悪い生首か、敵は」

『おや、君はだいぶ遠くに飛ばしたはずだったけどね。まだ僕のコントロールが不完全だったのかな』

 絵の中の天使は、やや不満げな様子でそう言った。ヒオウギが額縁の中を睨む。

「なんだ?てめえは。絵の中に隠れていやがるのか」

『さあね。そんなの知る必要はないだろう。だって君はここで死ぬんだから』

 すると、三つの首がヒオウギを取り囲むように、素早く回転を始めた。百合香が叫ぶ。

「気をつけて!こいつは得体の知れない力を持ってる!」

「ああ?」

 ヒオウギは一切怯む様子を見せず、回転する首を睨んだ。

「面白い。仕掛けて来い」

 言い終わるか終わらないかのうちに、三つの首からヒオウギめがけて光線のようなものが放たれた。百合香があっと声をあげる。だが、驚くべきことが起きた。光線はヒオウギを通過して、床を直撃したのだ。

「えっ!?」

 ヒオウギの姿は、すでにそこになかった。百合香が驚いていると、なんとヒオウギは弾かれて飛んだ扇の所に、いつの間にか移動していたのだった。

『なんだと』

 初めて、絵の中の天使が苛立ちのような声を聞かせた。ヒオウギは間髪入れず、二本の扇を開いて三つの首に向ける。

「フェザー・ミストラル!」

 百合香との対戦で用いた突風が、三つの首を直撃する。首は破壊こそされなかったものの、その風圧で激しく壁面に叩きつけられた。ヒオウギは不敵に笑う。

「あたしは風のヒオウギ。甘く見るなよ、天使の坊や」

 空を裂くかのような鋭い視線が、絵の中の天使を真っすぐに見据えた。



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マントラ

「あたしが名乗ったんだ。そっちも名乗っちゃどうなんだ」

 ヒオウギはまるで臆する様子を見せず、それどころか一歩踏み出して、絵の中の不気味な天使の少年に扇を向けた。

『ふうん。今から殺されるわりには偉そうなのが気に食わないけど、まあいいや』

 いつの間にか再び、絵を護るように3つの首が宙を漂っている。額縁のなかで少年の口が動いた。

『僕の名はアルタネイト。死んだら、黄泉の国の仲間に伝えるといい。最後に戦ったのはこういう名前の相手だった、とね』「薄っぺらいくせに、よくしゃべる奴だ!」

 ヒオウギは、驚くべき速度の踏み込みで、百合香と戦った時のようにアルタネイトとの距離を詰めた。百合香が叫ぶ。

「気を付けて!そいつは私達の力を―――」

 百合香が言い終わる前に、ヒオウギは百合香に食らわせた、二段構えの突きをくらわせた。あまりにも速く、アルタネイトも百合香の時のようにはいかない。

 だがヒオウギの突きは、3つの首の瞳から放たれた衝撃波によって、身体ごと弾かれてしまった。

「ぐあっ!」

 弾き飛ばされたヒオウギは、長椅子とともに壁に叩きつけられる。折れた椅子の脚が、バラバラと床に散乱した。

「ヒオウギさん!」

 ダリアが慌てて駆け寄るも、ヒオウギは腕でそれを制した。

「お前は百合香をたのむ。それと、ルテニカやリベルタを捜して、この薄っぺらい額縁野郎のことを伝えるんだ」

「でっ、でも」

「レジスタンスなら覚悟決めろ!」

 それだけ言い捨てると、ヒオウギは再びアルタネイトに向かって突撃した。

『見苦しいな!さっさと負けを認めたらどうなんだい』

 再び、3つの首から衝撃波が放たれ、ヒオウギを直撃したかに見えた。しかし、ヒオウギの姿はまたしても、一瞬で消えてしまった。

 そして次の瞬間、ヒオウギが取った行動は、その場にいた全員の予想を超えたものだった。

「えっ!?」

 ふいを突かれた百合香が間の抜けた声を上げるひまもなく、アルタネイトの攻撃をかわしたヒオウギは百合香の傍らに一瞬で移動し、その身体を支えた。

「走れるか?逃げるぞ!」

「ちょっ、ちょっと!」

「お前けっこう重いな!ほら、立て!」

「なんですってー!」

 それは分厚い鎧のせいだ、と百合香は抗議したかったが、考えてみたら今の状況では、逃げる事が最善である。百合香もエネルギーこそ奪われたが、動けないというわけでもない。

「ダリア、いくぞ!」

「えっ!?はっ、はい!」

 百合香同様にヒオウギの行動に驚いたダリアだったが、逃げるという選択に迷いはない。ヒオウギとともに百合香の背中を支えると、出口めがけて全力で走った。このまま脱出して、他のメンバーと合流するのだ。

 だが、ヒオウギの意表をついた戦術に感心する余裕は与えてもらえなかった。

「あっ!」

 逃げようとする3人の前で、ドアは容赦なく音を立てて閉じられてしまう。だが、ヒオウギは予想していたように扇を突き出した。

「でやぁーっ!」

 一直線の衝撃波がドアのど真ん中を直撃すると、ドアは一撃でバラバラに粉砕されてしまった。迷うことなく、3人は破片を踏みつけつつ礼拝堂の外に出た。

 

 ◇

 

 百合香が全力で走れない事もあり、決して速いとはいえないペースで3人は、暗い通路を移動していた。

「なんなんだ、あいつは」

 走りながらヒオウギは後ろを警戒した。今のところ、追ってくる様子はない。

「いったい、何が起きた?あの額縁野郎もそうだが、あたしと百合香が手合わせした、あの場所で何が起きたんだ」

「わからない。一瞬、周囲が暗闇に包まれたと思ったら、気を失ったみたい」

 ある程度走ったところで、3人はさすがに疲労がきて、いったん立ち止まった。ダリアが気配を探り、不安を浮かべた様子で今逃げてきた通路をにらむ。

「そういや、最初にあの気配に気付いたのもダリア、お前だったな」

 少し感心したように、ヒオウギは壁に背を預けて腕組みした。ダリアはビクビクしながら、まだ周囲を警戒している。

「きっ、気付いただけです…そのあとは皆さんにお任せっきりで」

「お任せしようが何だろうが、お前が気付いたのは事実だ。自分に何ができるのか、きっちり認識するのは重要だろう。そこで訊くけど、今はどうだ。あの薄っぺらい野郎が、追ってくる気配はあるか」

 ヒオウギは、ダリアの左肩を叩いて促した。相変わらずオドオドしているが、今何をすべきかは心得たようである。

「いっ、今はさっき礼拝堂にいたような気配は感じません…追って来てはいないかと」

「そうか。なら、とにかく他の奴らを捜しに行くぞ」

 臨戦態勢のまま、ヒオウギが歩き出そうとした時だった。わずかだが調子を取り戻した百合香が、ヒオウギの手を引いた。

「待って」

「なに?」

「何かおかしい」

 神妙に百合香が通路の奥を睨みつけると、ヒオウギは怪訝そうに訊ねた。

「おかしいって、何が」

「なぜ、あいつは私達を追って来ないの?」

「そんなの、トロいからに決まってるだろ。あいつはあの壁に張り付いてるのが精一杯って事だよ」

 ヒオウギは額縁におさまったアルタネイトの姿を思い起こし、皮肉っぽく笑う。だが百合香は真剣だった。

「そうじゃない。あいつは追って来れないのでも、追って来ないのでもない、としたら」

 百合香は、アグニシオンをしっかりと握って臨戦態勢を取った。その様子に、ダリアがビクリと背筋を伸ばす。

「じゃあ、なんだってんだ」

 問いかけるヒオウギに、百合香は静かに答えた。

「もし、追ってくる必要がない、としたら?」

 

 ◇

 

 ここは、どこだ。リベルタは、誰もいない通路を忌々しげに睨んだ。

「くそっ」

 弓は背負っているのを確認したものの、ショートソードを紛失したらしい。氷魔個人の武器や装備は時間をかければ生成できるが、5分や10分で出来る事でもない。リベルタは右手で拳を握って、もし接近戦になったら徒手空拳で戦うか、手早く武器を奪うしかない、と覚悟を決めた。

「ここ、どこなんだろ」

 わずかな間の事だったようだが、自分が意識を失ってどこかに飛ばされたらしい、という事はリベルタもようやく理解した。通路はやや雑然とした造りで、氷巌城第2層で見られる、適度に装飾が施され、整った空間ではない。そこで、リベルタは考えたくない結論に思い至った。

「ひょっとして、百合香たちが最初に向かった”例のエリア”かな」

 例のエリアとは、要するに幽霊が出る、とレジスタンスの間でも言われているエリアだ。リベルタはあまり奥まで入り込んだことがないので知らないが、通路の造りが雑だという話は聞いている。そうなると、なぜ自分はここに飛ばされたのか、という話になる。

「確か、真っ黒な影が私たちを覆って…」

 そこで改めて、他のメンバーがいない事を考えた。

「みんなはどこだろう」

 大声で呼びかけてみるか、と思ったが、もしそのせいで敵が大挙してきたら厄介だ。そうなったら、接近される前に通路いっぱいに遠慮なく必殺技を放って、敵をまとめて粉砕する以外ない。リベルタは背負った弓を展開すると、いつでも技を放てる態勢を取りつつ、足音を立てないようにゆっくりと通路を進んだ。

 

 ◇

 

 氷巌城皇帝ラハヴェ側近ヒムロデ直属の隠密、エレクトラは4名の部下を従えて氷巌城第2層へと降りていた。だが、第3層からの階段を降り切ったところで、エレクトラは突然立ち止まると、長い通路の奥を睨んだ。

「どうかされましたか」

 エレクトラの後ろにいた、同じようなタイトスーツ風の装束をまとった女氷魔が訊ねた。エレクトラは振り向かずに答える。

「何かおかしい」

「おかしい、とは」

 エレクトラに対してへりくだる様子を一切見せない女氷魔は、警戒して湾曲した刀を構え、周囲に気を配った。だが、エレクトラは落ち着くよう手で示した。

「危険という意味ではない。だが、気のせいかもしれないが、わずかに第2層の雰囲気が変わったような気がするのだ」

「雰囲気、ですか」

「さきほど、ヒムロデ様が何かの気配を感じたと仰っていた。それに関する何かが起きた、という事なのかも知れぬ」

 エレクトラは、横顔だけを向けて4人に言った。

「以前、ヒムロデ様が雑談で言われた事だ。氷巌城には”未知の要素”がある、と」

「未知の要素?」

「そうだ。何が起きるかわからない。レジスタンスどもと交戦する事より、そちらを警戒する必要があるかも知れん」

 それだけ言うと、エレクトラは再び無言で歩き出し、4人もそれに続いた。

 

 ◇

 

「追ってくる必要がない?」

 ヒオウギは、百合香の目を見てたずねた。

「どういう意味だ」

 その問いに百合香が答える前に、黙っていたダリアが意見した。

「…一連の幽霊騒動は、あのアルタネイトによるものだった。そういうことですか」

「なんだと?」

 そうなのか、という視線をヒオウギが送ると、百合香はこくりと頷いた。

「それ以外考えられない。奴はあの礼拝堂にいながらにして、奴の能力で様々な霊現象を起こしていたのよ。多数の霊を使役していれば、自分で動く必要なんてない」

 なるほど、とヒオウギもダリアも頷く。起きている出来事を合わせると、おのずと導かれる結論ではある。

「じゃあ、奴を倒せば薄気味悪い幽霊どもも黙らせられる、って事か」

 ヒオウギの結論もいささか短絡的にすぎると思えたが、百合香もそれに同意した。

「今はそう考えるほかない」

「じゃあどうする、隊長さん。やっぱり引き返して、あの額縁野郎を粉々の粗大ゴミにしてやるか」

 どうも今まで会ってきたレジスタンスとはノリが違うなと眉にシワを寄せつつ、百合香は声をひそめた。

「瑠魅香、さっきから黙ってるけど、なんか作戦はないの」

『そこまでカッコつけといて、最後私に振る?』

 百合香の背後から、小さくため息が聞こえた。

『うん。百合香の言うとおりあいつが追って来ないということは、何らかの手段であいつは、私達の動向を把握している可能性がある。私は、それに対処するのが先決だと思う』

「具体的には?」

 もう完全に瑠魅香に丸投げである。ヒオウギも呆れ、ダリアは困惑している。こんどは瑠魅香の咳払いが聞こえた。

『対策はないかも知れない。もし私達の行動が、あいつに筒抜けだっていうのなら』

「諦めが早すぎる」

 自分で丸投げしておいてその返しもどうか、と百合香も自分で思うものの、確かに得体の知れない能力に対して、取れる対策があるかどうかは不明だった。そこで、瑠魅香はひとつ提案した。

『百合香。試しに、オブラを呼んでみて。あいつに、ルテニカ達を捜してもらえるか』

「え?あっ、そうだ!」

 百合香は、こんなときの頼もしい猫レジスタンスの存在を、すっかり忘れていた自分に呆れつつ、オブラ呼び出し用のペンを取り出した。凹凸のある壁面に猫のマークを描く。ヒオウギが怪訝そうな顔をした。

「なんだ、そりゃあ」

「まだヒオウギには見せてなかったか。これが、猫レジスタンスを呼び出すサインなの」

 百合香は胸を張る。しかし、待てど暮らせどオブラが駆けつける気配はなかった。通路に気まずい沈黙が流れる。

「いつ来るんだ」

「おっかしいな、そろそろ来ても…」

 すると、瑠魅香がぽつりと言った。

『やっぱりか』

「何それ。知ってました、みたいな」

『ダリア、あなたもわかるんじゃない?今、このエリア一帯が、得体の知れない霊気に覆われていること』

 突然自分に話を振られ、ダリアは自信なさげに小さくうなずいた。

「…なんとなく、ですけど」

『うん』

「私たちを襲った、あの黒い霧のような何か。あれと同じにおいが、エリア一帯に広がっているように感じます」

 少しずつ、ダリアにも自信らしきものが見えてきた。ヒオウギはそれを認め、なるほど、と頷く。

「つまり、その霊気のせいで、いつもなら飛んでくるはずの猫レジスタンスとやらに連絡がつかない。そういうことか、瑠魅香」

『たぶんね。そして、それはあのアルタネイトっていう、いけすかない額縁の天使の坊やのしわざに違いない』

 苦々しげに瑠魅香がぼやく。百合香も不満そうに、壁に書いた猫マークを消去した。

「やっぱり、あの坊やを片づける以外にないか」

『作戦あり?』

「そんなものはない」

 百合香は、アグニシオンを両手で構えた。

「あの礼拝堂に、全員で技を放ちながら突進する。礼拝堂にあるもの全部、壁も床も天井も、額縁ごと力任せにぶち壊してしまおう」

『そんなんで倒せるわけ!?さっき勢いまかせに突進して、こてんぱんにやられたじゃない!』

 あんたはバカか、とでも言わんばかりに瑠魅香がまくし立てる。だが、ヒオウギはケラケラと笑い出した。

「百合香お前、思ったより気が合いそうだな。賢そうに見えて意外と馬鹿じゃねえか」

「なんですって!」

「いいぜ、もう面倒くさいのは考えないことにした。どうせやつの居場所はわかってるんだ。取って返して、一気呵成に叩きのめす。それでいいな」

 ヒオウギが突き出した拳に、百合香もニヤリと笑って拳を返した。瑠魅香とダリアがため息をつく。だがそこへ、空間全体にカンに障るような笑いが響いた。

『どこまで逃げたかと思ったら、そんなところでバカな作戦を立てていたようだね』

 それは紛れもなく、礼拝堂で戦った額縁の中の天使、アルタネイトの声だった。

「てめえ!」

「お姉さん達の話を盗み聞きなんて、ちょっとしつけが出来てないみたいね」

 ヒオウギと百合香は、見えないアルタネイトを何処ともなく睨みつける。

『できればウロチョロしないでもらえると助かるな。こっちだって、お姉さん達が思っているほど態勢が整っているわけじゃないんだ。正直に言ってしまうけどね』

「なら、今すぐそっちに向かってあげるわよ!手間を省いてあげるから、感謝しなさい!」

 百合香はヒオウギに合図すると、二人で剣を構えて来たルートを逆方向に走り出した。そのあとに慌ててダリアが続く。だが、3人は再び、背筋を震わせるような悪寒に立ち止まってしまう。

「こっ…これは!」

「くそっ、またあの霧だ!」

 3人の視界を、またしてもあの黒い霧が覆い始めた。どうするべきか百合香は一瞬悩んだが、ヒオウギは違った。

「ダッシュして突き抜けるぞ!さっきだって一瞬ってわけじゃなかっただろ!」

 そう叫ぶと、ヒオウギが霧に構わず通路の奥にダッシュした。百合香とダリアもそれに倣う。アルタネイトの舌打ちがかすかに響いた。

『甘いよ!』

 今度は、ものすごい勢いで黒い霧が凝縮を始めた。しかも、百合香たちを追うような動きで。このままでは、また先刻と同じように、また全員どこかに飛ばされてしまう。

 だがその時、まったく意外な人物が、意外な行動に出た。ダリアは立ち止まり、握っていたショートソードを投げ捨てると、まるで人が変わったような表情で、両手で印のようなものを結び始めた。

「ダリア!」

「何してる!」

 百合香たちは慌てて振り返る。だが、もう凝縮して闇そのものとなった霧が、3人を呑み込み始めていた。もうだめだ、と二人が思った、その時だった。

『オン・アロリキヤ・ソワカ!』

 ダリアの声は、それまでのオドオドしていたダリアのものではなかった。地面に根をおろした大樹のような重みと真のある呪文が詠唱されると、3人を一瞬、真っ白な光が包み、ガラスが割れるような音とともに弾けた。



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礼拝堂の秘密

 ダリアが両手で結んだ印は、呪文とともに目も眩むような閃光を放った。通路に充満していた黒い霧は、一瞬で晴れてしまう。百合香とヒオウギは、その様子に息をのんで立ち尽くした。

『なんだと?』

 明らかにアルタネイトの声は苛立ちを含んでいた。それほどまでに予想外の出来事だったのだろう。

 まさか、ダリアにこれほどの力があるとは、百合香とヒオウギもまったく考えておらず呆気にとられたが、ダリアの身体が糸が切れたように崩れ落ちたのに気付くと、慌てて駆け寄った。

「ダリア!」

「大丈夫か、おい!」

 ヒオウギが上半身を起こす。意識はあるようだが、力がまるで入っていない。ダリアは、弱々しいがハッキリとした声で言った。

「私を、置いて行ってください。足手まといになるだけです」

「フリージアと同じこと言ってんじゃねえよ!そういう時は助けてくれって言えばいいんだ!」

 ヒオウギはその身を抱え、立たせようとした。だが、百合香はヒオウギの肩を叩いて、冷徹に言い放った。

「ヒオウギ。奴を叩こう。ダリアを助けに来るのは、そのあと」

「…なんだと」

 ヒオウギは、怒りをたたえた目で百合香の襟首をつかんだ。

「見捨てて行くってのか」

「ダリアが作ってくれたチャンスを無駄にはできない。そう言ってるのよ!みんな、命がけでやってるんでしょ!」

 百合香の叫びに、ヒオウギはハッと我に返る。背中を壁にもたれさせたダリアを振り返ると、その手をしっかりと握った。

「必ず戻る。待ってろ」

 ダリアは、ヒオウギの目を見据えて弱々しく頷いた。百合香とヒオウギは、それまでの澱みのような気配が少し晴れた通路を再び、礼拝堂に向けて駆け出した。

 

 礼拝堂に飛び込むなり、ヒオウギと百合香は遠慮なく、額縁めがけてそれぞれの技をお見舞いした。

「タンデム・クラッシャー!」

「ゴッデス・エンフォースメント!」

 恐るべき重圧の波動が、礼拝堂のあらゆるものを打ち砕いた。並べられていた長椅子は一瞬でスクラップと化し、美しいアーチの天井も、壁も床も無惨な塵芥と成り果て、無造作に砕かれた壁面の凹凸だけが残された。

「どうだ!」

「ヒオウギ、見て!」

 百合香が指さした先に、もうもうと立ち込める粉塵の背後から、額縁の絵の中で不機嫌そうな表情を浮かべるアルタネイトと、額縁を護るように浮遊する3つの首が現れた。

「くそっ、外したか!」

「いいえ、見て。あの生首」

 浮遊する3つの首は、髪がほころび、ところどころがヒビ割れ始めているのがわかった。ふたりの大技を同時に受け、ただでは済まなかったのだ。このまま押し切れる。百合香とヒオウギは互いの目を見て頷いた。

『不愉快だな!邪魔をしてくれたあの娘を今すぐあの世に送ってやりたい所だけど、目障りな2匹の羽虫を先に叩かないといけないらしい』

「羽虫はそっちだろうが!今すぐ細切れにして、氷魔皇帝に粗大ゴミで送り付けてやる!」

 昂るヒオウギの肩を、百合香が止める。

「待って!…まだ、一筋縄ではいかないみたいよ」

「なにい?」

「ぶち壊したと思ってたけど、どうやらあれは普通の代物ではなかったらしい」

 百合香が剣を向けた先には、礼拝堂に鎮座していた聖母像が、ほとんど完全な形で立っていた。もう、顔面はすでに復元されており、穏やかなほほ笑みが尚のこと不気味に見えた。

「二の轍は踏まない。どうやら、あの聖母像がこのアルタネイトにとって、重要な意味を持っていたらしいわね」

「どういう意味だ」

「アルタネイト、あいつの力はあの聖母像を通じて得られているということよ」

 百合香は、聖剣アグニシオンの切っ先を絵の中のアルタネイトに真っ直ぐに向けた。すると、アルタネイトは邪悪さをたたえた笑みを浮かべた。

『ご明察、と言いたいところだけどね。半分だけ正解だ。僕自身の力でも、君達を倒すくらいは造作もない』

「その聖母像はなに?なぜ、私の力を吸収したの?そのたびに姿が復元されているようだけど。完全に復元されたら、何が起こるのかしら」

『それをお姉さんに説明する義務はないね。だいいち、今から死ぬのにそんな事を知ったって仕方ないだろう!』

 3つの首から、真っ白な光線が百合香めがけて放たれた。百合香はそれをアグニシオンの背で受け止め、逆にアルタネイトめがけて弾き返す。アルタネイトはそれを障壁でかわし、背後の壁が大きく穿たれた。

『呆れたね。あれだけ吸い取られて、まだそれほどの力が残っているなんて。きれいな顔をして、その実は化け物のようだ』

 アルタネイトはゆっくりと移動し、聖母像の前に立ちはだかるように陣取った。百合香は、その行動を睨むように観察していた。

『おしゃべりはおしまいだ。こっちもさすがに飽きてきたよ』

「それはこっちのセリフよ」

 百合香は、横目にヒオウギを見た。

「ヒオウギ、あの首を落としてしまうわよ」

「ああ。あの首さえいなくなれば、あの額縁坊やは丸裸だ」

「私が首を落とす。あとはあなたに任せる」

 百合香は、自らの首を斬るジェスチャーをしてみせた。ヒオウギは頷く。

『やれやれ、どうせ君達に、僕を倒せる作戦なんてありはしない。これで終わりだよ!』

 3つの首が、百合香達を取り囲むように回転を始めた。不気味な鳴動がふたりの周囲に響く。

『さようなら!』

 百合香たちの周囲から、禍々しい瘴気の波が襲いかかる、その時だった。百合香は、アグニシオンを水平に構え叫ぶ。

「ラ・ヴェルダデーラ・シルクロ!」

 聖剣アグニシオンの切っ先から、まばゆい光の渦が巻き起こり、百合香とヒオウギの周囲に猛烈な風の障壁として展開した。アルタネイトが放った瘴気は、障壁にかき乱されて散り散りに消えてしまう。これはかつて百合香と闘った第1層最後の氷騎士、バスタードから盗み取った技である。ヒオウギは、百合香が隠し持っていた技に驚嘆した。

「なんだ、こりゃあ」

「あの風の壁に当たらないでね。死ぬわよ」

「あたし達も出られないのかよ!」

 本来は、自らを風の闘技場に留めて相手もろとも退路を断つ、背水の奥義である。だが、百合香の狙いはそれではなかった。

『くだらない真似を!』

 アルタネイトは、なおも浮遊する首から、今度は風を消し去るための波動を放った。だが、百合香はこの障壁に全力を込めており、アルタネイトの攻撃さえもいっさい通用しなかった。

『いったい、何者だ!?これほどの力を持つ者、氷騎士であってもざらには存在しない!』

 いよいよ、アルタネイトの口調にも焦りのようなものが見え始める。百合香は不敵に笑ったが、その実、障壁の展開に全力を傾けているため、一歩も動けずエネルギーを消費し続けているのだった。

「百合香、お前大丈夫なのか!」

 ヒオウギは両手に閉じた扇を構えて臨戦態勢を取りつつ、百合香に叫んだ。身を案じるというより、本当に相手に勝てるのか、という不安である。

 だがそのとき、ヒオウギは気付いた。床面をえぐるほどの暴風の障壁は、じわじわとその半径を拡大しつつあるのだ。

「おい、百合香、これは…」

「話しかけないで。余裕ないから」

 そう悪態をつく百合香の額には、汗がにじんでいた。その様子を、アルタネイトは見逃さなかった。

『お前、まさか人間なのか!?人間…ま、まさか!?』

 その驚愕は長くは続かなかった。なぜなら、風の障壁はさらに半径を拡げ、アルタネイトをも追い詰め始めたからだ。

『まっ、まさか…』

 聖母像をよけて大きく後退したアルタネイトだったが、障壁は容赦なく拡大を続ける。アルタネイトは光線、衝撃波とあらゆる攻撃を試みたが、百合香の全力の障壁には敵わなかった。だが、アルタネイトはそこで、大きく天井に向けて、3つの首とともに上昇した。

『どうやらこの障壁は、上空までは届いていないようだな!上はがら空きだ!』

 百合香めがけ、3つの首の目が輝く。

「まずいぞ、百合香!」

 ヒオウギは扇を展開し、天井方向からのアルタネイトの攻撃を迎え撃つ態勢を取る。だが、次の瞬間、アルタネイトが予想しなかった事が起きた。

『なに!?』

 それまで拡大し続けていた暴風の障壁は一瞬で消え去り、拡散していたエネルギーは一瞬で百合香に向けて収束してゆく。そして、百合香は即座に叫んだ。

「瑠魅香!」

『あいよー!』

 百合香の姿は一瞬で、紫のドレスをまとった黒髪の魔女に変ぼうする。瑠魅香は間髪入れず杖を振るった。

『まっ…まさか!』

 アルタネイトの声が震える。瑠魅香の狙いはアルタネイトではない。無言でたたずむ聖母像だった。

「トライデント・ドリリング・サンダー!」

 3本の渦巻く雷の槍が、杖から聖母像めがけて放たれた。アルタネイトは叫ぶ。

『やめろー!』

 アルタネイトは3つの首とともに、ものすごい勢いで聖母像の前に立ちはだかり、全力の障壁を展開して瑠魅香の攻撃に対抗した。だがエネルギーを温存していた瑠魅香の魔力には対抗し切れず、3つの首は障壁もろとも、雷の槍によって打ち砕かれてしまった。

「きゃああ!」

 自ら放った魔法と障壁の激突の余波に、瑠魅香自身があやうく吹き飛ばされかける。その背を支えたのはヒオウギだった。

「おっと!」

「サンキュー!」

「お前は百合香より軽いな」

 瑠魅香の背後から、百合香の抗議の叫びが聞こえたが、それはどうでもよかった。目の前には、3つの首を失ったアルタネイトが頼りなげに浮遊しており、その背後には聖母像が無傷で立っていた。

『やっぱりね』

 百合香が瑠魅香の中から、してやったり、という風情で呟いた。ヒオウギが訊ねる。

「どういうことだよ」

『あいつにとって、この聖母像が何らかの目的のために必要だったのよ。だから、ヒオウギへの攻撃を止めてまで、守らなきゃいけなかったんでしょ』

「どういうことだ。おい、額縁野郎。その気味の悪い像に、何かあるってのか」

 ヒオウギは一歩踏み出すと、もはや防衛手段を失ったアルタネイトに凄んだ。アルタネイトはどこか投げやりなふうに笑う。

『ふん…バカな奴らだ、何も知らないくせに』

「なにい?」

『まあいい。僕を倒せたとしても、この像には手を出さない事だね。いちおう忠告だけはしておこう』

 アルタネイトの言うことの意味がわかりかねたヒオウギは、面倒くさそうに扇を眼前に交差させた。

「額縁とおしゃべりする趣味はない。さっさと消えてもらうぜ」

『勘違いしないことだね。僕にもう、君たちを倒せる力はないとでも思ってるのかい』

 アルタネイトが絵の中で不敵に笑うと、青白いオーラがその姿を覆いはじめた。すると、見えない重圧がヒオウギと瑠魅香を襲った。

「うっ!」

「なっ、なにこれ!」

 内側からえぐられるような不快な波動が、ふたりの全身を震わせる。防御力で劣る瑠魅香は、その激痛に耐えられなかった。

「うあああーっ!」

『瑠魅香!』

 慌てて百合香がバトンタッチして表に出てくる。だが百合香もまたエネルギーを消耗したままであり、まったく動けずその場に膝をついた。

「くっ…!」

『はははは!僕には勝てないってことさ!』

 アルタネイトは勝ち誇った。防衛手段を失ってなお、その強さは氷騎士クラスといえた。だがそこで、まだ抵抗する者がいた。

「額縁ふぜいが、なめるなよ」

 波動に耐えながらアルタネイトににじり寄るのは、ヒオウギだった。あきれたようにアルタネイトは笑う。

『見上げたものだね。もう、全身がバラバラに砕けそうだよ』

「ちがうね。砕けるのはお前さ」

 重圧の中、ヒオウギは鳥の翼のように扇を広げる。全身にオーラが満ちていった。

「さあ、聖母像の前でお祈りをするんだな」

『なめるな!』

 さらに重圧が強まる。だが、ヒオウギは怯まなかった。

「フェザー・ミストラル!」

 勢いよく眼前に交差させた扇から、猛烈な突風がアルタネイトめがけて放たれた。

『ぐああああー!』

 もはや防御手段を持たないアルタネイトは、背後の壁面に叩きつけられ、額縁はバラバラに砕け散り、カンバスごとズタズタにされて聖母像のわきに崩れ落ちた。

『がはっ!』

 折れ曲がり、裂けたカンバスの中から、アルタネイトは苦痛にうめいた。重圧から解放されたヒオウギだったが、自ら放ったエネルギーの反動に耐え切れず、左腕が砕け散ってしまう。

「ぐっ…!」

「ヒオウギ!」

 百合香が駆け寄る。だが、ヒオウギは強がって笑ってみせた。

「なんてことねえよ」

「あるでしょ!」

 百合香の突っ込みに笑いながら、ヒオウギは床に情けなく転がるアルタネイトを指した。

「まだ息があるらしい。百合香、残念だがとどめを刺すのはお前にゆずってやる」

「気が進まないわね」

 そう言いながら、百合香はアグニシオンを逆手に構え、ゆっくりとアルタネイトに近寄った。

「悪いけど、あんたのせいで大勢のレジスタンスが道具にされて、殺された。同情はしないよ」

 動けない相手にとどめを刺す事に、百合香はいささかためらいはあったが、無数のレジスタンスの亡骸を思い浮かべた時にそれは消え去った。力をこめ、アグニシオンを振り下ろす。

 だがその瞬間、思いもよらないことが起きた。

「えっ!?」

 百合香の手が止まる。なぜなら、聖母像が突然、鳴動を始めたからだ。

「こっ、これは…」

 すると、アルタネイトが突然、大声で笑い始めた。

『はははは!』

「な…」

『ただじゃ死なない…ここまで僕を追い詰めた、あなた達が悪いんだ!』

 笑うアルタネイトに残された最後のエネルギーが、百合香の目の前で、聖母像に吸い取られていった。アルタネイトのカンバスは、全ての力を失うと、砂粒となって崩れ去ってしまった。

「いっ、いったい何が…」

「百合香!」

 ボロボロのヒオウギが、百合香を残った右腕で支えた。驚く百合香の視界で、聖母像のわずかに欠けていた頭頂部が完全に復元されてゆく。禍々しい重圧が、崩壊した礼拝堂に満ちていった。

「百合香、何かまずい」

「ええ」

「逃げるぞ」

 それ以外に選択肢はない。ふたりはダメージを負った足で、ふたたび礼拝堂から脱出するために歩き出した。 

 

 ◇

 

 ダリアは、礼拝堂から響いてくる振動に不安を覚えながら、必死で耐えていた。もし、百合香とヒオウギが戻ってこなかったら、という不安がよぎったとき、右手方向から聞き覚えのある足音がふたつ近寄ってきた。

「ダリア!」

「ダリア!」

 その頼もしいユニゾンは、ルテニカとプミラだった。ルテニカはダリアに駆け寄ると、その身を起こしてやった。

「大丈夫ですか」

「はっ、はい…」

「じっとしていてください」

 プミラが数珠を手に何か呪文を唱えると、ダリアの全身が淡いピンクのオーラに包まれた。すると、わずかではあるが力が戻ってくることに、ダリアは気付いた。

「応急処置なので、全快とはいきませんが、立てますか」

 ダリアは、手をついて膝に力をこめる。どうにか、立って歩く程度にはエネルギーが回復したようだった。

「あっ、ありがとうございます」

「どういたしまして。あなた一人ですか」

 すると、ダリアはハッとしてふたりを見た。

「百合香さんとヒオウギさんが、礼拝堂に!敵です!」

 その報せにルテニカたちは頷き合って、ダリアが指さした方を見た。

「ダリア、申し訳ありませんが、あなたはここにいてください。私たちがヒオウギたちに加勢してきます」

「ルテニカ、その必要はなさそうですよ」

 プミラが、ルテニカの肩をたたく。

「え?」

 すると、振動が聞こえる通路の奥から、よく知った長髪とショートヘアの二人が、肩をくんで歩いてきた。

「ルテニカ!」

「プミラ!無事だったか」

 百合香とヒオウギが、ボロボロの状態で歩いてくる。ルテニカ達は慌てて駆け寄った。

「大丈夫ですか、二人とも」

「ヒオウギ、あなた腕が…」

 プミラがヒオウギのダメージに深刻な顔を見せたが、ヒオウギはそれどころではない、と言った。

「やばい事が起きているらしい。敵は倒したんだが、どうも奴さん、何か企んでたみたいでな」

「それが、今のこの不気味な振動ということですか」

 すると、百合香が言った。

「あの礼拝堂には、何か秘密が隠されていたらしい。敵が死ぬ間際に、それを発動させた」

「秘密?」

「説明はあと。とにかく逃げよう、今はやばい。他のみんなと再び合流するのが先」

 やばい、と連呼されて只ならぬ事態と悟ったルテニカ達は、頷き合うとそれぞれが百合香、ヒオウギの肩を支えた。

「わかりました。とにかく、ここから遠ざかりますよ」

 満身創痍の百合香とヒオウギをガードしつつ、5人は振動が響く通路をゆっくりと移動した。振動はなおも続き、まるで止む気配を見せなかった。



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エレクトラ

 氷巌城第2層、外周部の南東エリアを、ヒムロデの隠密エレクトラとその部下4人が進んでいる時だった。エレクトラだけでなく全員が、かすかに異様な気配を感じ取り、立ち止まった。

「エレクトラ様」

「わかっている」

 エレクトラは、どこからともなく間断なく響いてくる、怨念のような低い唸りに眉をひそめた。

「これは、物理的な振動ではない。といって魔力によるものでもない。思念のような何かだ」

 エレクトラはそう結論づけた。

「第2層は我々も把握し切れないエリアだ。何が起きるかわからない。気をゆるめるな」

「はっ」

 後ろの4人は頷くと、ふたたびエレクトラに従って第2層の通路を進み始めた。窓の外には、人間たちが生活していた幾何学的な建物の影が見える。エレクトラは、奇妙な突起物や柱状の何かが突き出したその建造物群を見て、とても醜いと思った。

 

 ◇

 

 突然、エリア全体を覆っていた薄暗いモヤのようなものが晴れたと思ったとたん、今度はさらに得体の知れない鳴動のようなものが響いてきて、リベルタは困惑しつつも、百合香たちを捜して歩き続けた。

「この通路…よく見たら」

 リベルタは壁の腰の高さあたりに走る装飾を見て、それに見覚えがあると思った。そして改めて、百合香とヒオウギが手合わせした広間から、さほど離れていない場所だと気付いたのだった。

「それでも、飛ばされたのは間違いなさそうだな」

 何者かの手で、リベルタは離れた場所に飛ばされた。ということは、他の面々も同じようにどこかに飛ばされたのだろうか。敵のしわざには違いないだろうが、何のためにそんな事をしたのか。

 そこでふと、リベルタはひとつの案を思いついた。ここがもし思っているとおりの通路なら、決して近いとも言えないが、行こうと思えばサーベラスやマグショット達が身を潜めているアジトに戻れる位置にいる。

「どれくらい回復したかな、あのふたり」

 サーベラスとマグショットの戦闘力は頼もしい。だが逆にそのせいで、矢面に立つため毎回ダメージを負っている。ビードロという錬金術師から預かった回復薬も、すぐに使い果たしてしまう。

 そんなことを考えながら歩いていると、やはり思ったとおり、すぐに百合香とヒオウギが戦った空間に出た。

「やっぱりか」

 ふたりが戦ってできた床面の跡も残っている。リベルタは、ここからどうするべきか考えた。

 どうやら敵は、相当に得体の知れない相手らしい。いま響いてくる不気味な鳴動も、おそらくその敵が関わっているに違いない。そうなると、たとえ全員が合流したとしても、また同じ事になる可能性はないか。

「…敵は間違いなく、こちらの動向を把握している」

 リベルタはそう確信した。しかも、敵はどこにいるのかもわからない。ただ、さっきまでと異なる点が、ひとつだけあった。

「どうして、敵の兵士が現れなくなったんだろう」

 リベルタ達も目撃した、城の正規の兵士。百合香によると、彼女達もまた遭遇したらしい。それは件の、何者かに操られた抜け殻ではなく、明らかに城の上層部から派遣されたレジスタンス討伐部隊だった。それがまったく現れなくなった、その理由は何か。

 そこでリベルタは、百合香の説を思い出した。この氷巌城には城とレジスタンスだけではない、第3、第4の勢力が存在する可能性だ。現にリベルタは、何者かによって正規兵が倒されているのを見た。つまり、いまリベルタ達が対峙しているのは、レジスタンスと城側の双方を”敵”とする何者かなのだ。

 ふとその時、リベルタは自分の右腕を見た。この右腕は本来のリベルタ自身の腕ではない。戦闘で失われ、氷騎士ロードライト直属の格闘家、アルマンドの腕を移殖されたものだ。ひょっとしたら戦っていたかも知れない相手の右腕が、いま自分の右肩から伸びているのは、奇妙な気分である。

「そういえば、まだお礼は言ってなかったわね」

 複雑な笑みをリベルタは浮かべ、右手の甲にキスをした。

「迷惑かも知れないけど、あなたの腕を借りるわね。そのかわり、ロードライトを護りたい時は、私の身体を使ってちょうだい」

 もう、自分の腕としか思えない右手を、リベルタは強く握った。

「ここからどうすればいいか、あんたも考えてよ」

 応えない相手にリベルタは訊ねた。百合香の中には常に瑠魅香がいる。それはどんな感覚なのだろう。

 リベルタは、いま戦っている得体の知れない敵に対処するには、どうすればいいか考えた。そして考えるのが面倒になると、たたんで背負っていた巨大な弓を展開した。

 

 ◇

 

 同じ頃フリージアは、ナイフを手にしてひとり、どことも知らない通路を進んでいた。どういう理屈か知らないが、とにかく飛ばされたという事はわかった。

 通路に、いくらか見覚えがある気はする。おそらく外周部に近いエリアだろう、とフリージアは考えた。だがそうなると、レジスタンスのアジトが少なく、城の兵士と遭遇する危険があった。万が一、多数の敵兵士と戦う事になったら、フリージア一人で戦う事は難しい。

「…リベルタ」

 つい、仲間を求めてしまう自分をフリージアは情けなく思った。リベルタは一人でも戦える。自分もそうありたい。

 そんなことを思っていると、突然どこかで何かが爆発するような音がした。

「ひっ」

 思わず足がすくむ。爆発音のあと、かすかにガラガラと壁面か天井が崩れるような音も聞こえた。

 これは、仲間の誰かが戦っているのではないか。フリージアは加勢するのと、一人でいる状況から脱する事も合わせて、音の出どころを探った。

「派手な大技を放つとしたら、リリィ…じゃない、百合香かリベルタかな」

 リリィの方が可愛いのに、などと考えながら、通路の門を曲がった時だった。

「あっ!」

 フリージアは声をあげた。その声に、通路を曲がった先に群がっていた6つの影が、一斉にフリージアを振り向いた。それは比較的下級ではあるが、剣や槍で武装した、城の兵士達だった。

「まっ…まずい」

 どうする。フリージアは一瞬だが、判断に迷った。それが仇となり、兵士たちはガチャガチャと音を立ててフリージアに迫ってきた。そのとき思い浮かんだのは、対決するヒオウギと百合香の姿だった。

 ―――負けていられない。フリージアは意を決してナイフを構え、向かってくる兵士の群れの中に飛び込んだ。

 その自殺行為にも思える行動に、多少なりとも知能がある氷の兵士達は驚いたようだった。フリージアはその隙を逃さず、渾身の魔力をナイフにこめて、身体を一回転させた。

「ヴォーパル・エッジ!」

 圧倒的な硬度をほこるナイフの刃が、一瞬で兵士たち5体の首をはねる。残った1体が、フリージアめがけて剣を振り上げた。

「ヴォーパル・スティンガー!」

 突き出したナイフは、兵士の装甲を突き破り、胸を背中まで一撃で貫通する。力を失った手から剣が落ち、兵士の身体はその場に崩れ落ちた。

「ふうー」

 フリージアは胸をなで下ろした。もし判断が遅れていれば、今頃フリージアの身体はスクラップにされていたかも知れないのだ。最悪の光景を想像し、フリージアは身を震わせた。

 だが、その安心は一瞬で戦慄に変わった。

「レジスタンスか」

 その、研ぎ澄まされたまでに冷たい声色が、フリージアの神経を強張らせた。恐る恐る顔を上げると、そこにいるのは見覚えがない、フードとボディスーツに前垂れのようなものをかけた、黒ずくめの女氷魔5人だった。フリージアは目にするのは初めてだったが、すぐに理解した。おそらく、皇帝側近ヒムロデの配下の隠密部隊だ。中央に立つリーダー格らしき長髪の女は、湾曲した剣を無造作に握ったまま、硬直したフリージアを静かに威圧した。

「下級とはいえこの兵士どもを一瞬で斬り伏せるとは、なまなかのレジスタンスではなさそうだ」

 自らの手でフリージアに剣を向ける、その冷ややかな眼光にフリージアは戦慄した。おそらくここにいる全員が、並みの相手ではない。フリージアは、勝ち目がない事も、そして残酷な事実として逃げる事も不可能である事も、自分で嫌になるほど冷静に理解した。

「ということは、お前の仲間もそれなりの手練れである事は想像に難くない。よし、生き長らえる機会をやろう。お前達のアジトまで連れて行け。わずかだが、希望は見えるのではないか」

 皮肉をこめているものの、全く笑みを浮かべていない。冷酷という言葉をそのまま体現しているような女だった。そして、たとえフリージア達が束になってかかろうとも、返り討ちなど造作もないという自信があるのだろう。フリージアは腹を据え、毅然と言い放った。

「後悔しないことね。あなた達が倒される事になっても」

 そう言うと、フリージアはナイフを鞘に収め、丸腰で隠密のリーダーの前に進み出た。

「いい度胸だ」

 かすかに、笑みかどうか判然としない表情を浮かべると、隠密のリーダーは剣の切っ先をフリージアに突き付けて、進むよう促した。

「ついて来なさい」

 精一杯の勇気を振り絞って、フリージアは歩き出した。その後ろに隠密の5人が続く。隠密の気が変われば、フリージアの首が一瞬で宙に舞う事になる。だが、それでも構わない、とフリージアは覚悟を決めた。

 

 フリージアが背中に剣を突き付けられたまま、張り詰めた空気の中の行進がどれだけ続いただろうか。謎の鳴動が少しずつ大きくなってゆく。そのとき、隠密のリーダーが言った。

「止まれ」

 その冷たい声に、フリージアはぴたりと足を止める。隠密のリーダーは、フリージアの首に刃をかけて訊ねた。

「我々をどこに連れてゆく気だ」

「決まってるでしょう。アジトよ」

「嘘もそこまで白々しいと、いっそ楽しいくらいだな」

 はたしてそんな感情があるのか、フリージアには判断しかねたが、振り向かずに答える。

「どうしてそう思うの」

「この得体の知れない鳴動。お前は明らかに、その音の方向に向かって進んでいる。おおかた、我々を罠にかけようというのだろう」

「鳴動の正体がわからないのに?私にとっても危険かも知れないのよ」

 フリージアはゆっくりと振り向くと、隠密の目を見据えて言った。隠密はここで初めて、微かだがはっきりと笑みを浮かべた。

「当然だ。お前は危険を承知のうえで、自分もろとも得体の知れない鳴動の出どころに、我々を誘い込んでいる。その覚悟には敬意を払おう」

「つまり、この音の正体はあなた達にもわからないということね」

「その様子では、お前達レジスタンスも何も掴んでおらぬようだな」

 フリージアはこの緊迫した状況下で、ひとつ確認を取った事に満足した。つまり、百合香の言った”第3の勢力”が存在する事が、これではっきりしたのだ。

「どうやら、私の運命もここまでのようね」

 フリージアはゆっくりとナイフを抜き放つと、隠密のリーダーに向けて構えを取った。

「レジスタンスのフリージア、せめて城の隠密の首ひとつでも取って死んでやるわ」

「よい覚悟だ。お前のような覚悟ある者は好きだ」

 リーダーは、うしろの4人に下がるよう手で示すと、水平に剣を構えた。百合香の気迫に満ちた構えとはまるで違う、明鏡止水そのものの構えだ。

「我が名はヒムロデ様直属の剣士エレクトラ。その覚悟に敬意を表し、死に出の土産に覚えておくがいい」

 言ったが早いか、エレクトラと名乗った女は、どれほど速いのか測ることもできないほどの速度で、無音の剣をフリージアの首めがけて振るった。激しい打音とともに、フリージアのナイフと剣が噛み合う。その様子に、後ろに控えていた隠密達が、わずかに驚いたような表情を見せた。

「私の剣を受け止められる者が、レジスタンスにいたとはな」

 次の瞬間には、フリージアのナイフはいとも容易く弾き飛ばされてしまった。床に落ちる音が無情に響く。

 終わった。フリージアは覚悟を決めて微笑んだ。さよならヒオウギ、ルテニカ、プミラ、リベルタ。百合香に瑠魅香、みんなをよろしくね。あと、リリィっていう名前のほうが可愛いと思うよ。

 ゆっくりと、エレクトラの剣が振り上げられる。皇帝側近の直属の剣士と最後に戦えたのなら、まあ箔がつくかな。そんな事を考えた、その時だった。

「むっ」

 突然、エレクトラがその剣を止めた。フリージアが思ったのは、わずかに生き長らえたという安堵ではなく、純粋な疑問だった。だが、突然エレクトラは振り向いて叫んだ。

「伏せろ!」

 そう叫ぶと、自身もフリージアはお構いなしに身をかがめる。何が何だかわからず、フリージアもエレクトラと一緒になって身を低くした。

 その時だった。

「うあああーっ!」

「きゃあああ!」

 突然、壁面が何かの強大なエネルギーによって撃ち抜かれ、その正面にいた隠密の4人は飛散してきた瓦礫と、エネルギーの余波をもろに喰らうことになった。

 4人のうち2人はその場で息絶え、残りの2人も腕や脚を失うほどの大ダメージを負って動けなくなってしまった。

「何事だ」

 エレクトラはゆっくりと立ち上がり、壁面に突然開いた大穴に警戒しつつ歩み寄った。壁の厚みはゆうに2メートルはある。フリージアがナイフをこっそり拾い上げた事も、知った上でエレクトラは大穴に剣を向けた。

 足音が近付いてくる。どうやら何者かの仕業だったらしい。もうもうと舞う粉塵の奥から、足音の主が独りごとを言った。

「なんだ、これ?敵か」

 その、文字通り他人事のようにつぶやく声に、フリージアは心の底から安堵を覚えた。立ち込める粉塵の奥から現れたのは、頼もしいポニーテールの氷魔だった。

「リベルタ!」

 フリージアは歓喜し、大弓を構えるリベルタに叫んだ。リベルタはビクリとして振り向く。

「えっ?フリージア!?」

 全く状況が飲み込めていないらしいリベルタは、フリージアの姿を認めると、もう一人の剣を構えた氷魔を見据えた。

「ひょっとしてヤバイ状況だった?」

「…レジスタンスか。何者だ、きさま」

 エレクトラが、明らかに警戒する目をリベルタに向けた。リベルタもまた、相手が只者ではない事を瞬時に見抜く。

「いまフリージアが言っちゃったけど、名前も名乗らない奴に、教えてやる名前の持ち合わせはないわね」

 何ら臆することなく、リベルタは倒れた隠密の女氷魔の湾曲した剣をひとつ、足で跳ね上げると右手でキャッチした。倒れている隠密達を横目に見ると、切っ先をエレクトラに向ける。

「ふうん。ちょうどあんたのお仲間を直撃できたわけだ」

「どういうつもりで壁など撃ち抜いていたのか知らぬが、一歩間違えれば、お前の仲間のフリージアとやらを直撃していたぞ」

「その子は運がいいのよ」

「ふっ」

 微かに笑うと、エレクトラは突然、信じがたい行動に出た。一瞬、リベルタに向けて振り上げられたかに見えた剣が宙を斬ると、倒れていた自らの配下2名の首が瞬時に落ちたのだ。

「なっ…自分の仲間を!」

 リベルタが怒りの目を向ける。エレクトラは悪びれもせず答えた。

「この、壁を撃ち抜いたお前の実力はわかった。私の部下は手練れだが、負傷した状態でお前に勝つことはできまい。生き恥をさらしてから死ぬ前に、わたしの手で死なせてやった。それだけだ、リベルタ」

 挑発するかのようにその名を呼ばれ、リベルタにいよいよ怒りの色が浮かぶ。

「いいわ。攻撃した立場で言えた義理じゃないけど、いまあんたが首をはねた、そいつらの分まで私がきっちり返してやる。名乗りなさい!」

「ふっ、揃いも揃って面白い連中のようだな」

 エレクトラは、改めてその刃をリベルタに向けた。

「我が名はエレクトラ。レジスタンスのリベルタ、その首もらいうける」

 



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 エレクトラの剣は、いささかも震えることなく、獲物を射程に捉えた蛇の牙のようにリベルタに向けられていた。リベルタは、エレクトラの向こうに立つフリージアに呼びかけた。

「フリージア、あなたは他の連中を捜して」

「でっ、でもリベルタ!」

「私がこいつを抑える。その間にみんなを呼んでくれば、数で圧倒できる」

 まるで身も蓋もない指示に、エレクトラは思わず吹き出した。

「存外、プライドはないようだな。ふたりがかりなら、この私を今ここで仕留められるやも知れんぞ」

「いいえ。あなたは只者じゃない。私達ふたりでは、勝つことはできない」

 リベルタはそう断言した。エレクトラの表情に真剣さが戻る。

「なるほど。ならば望み通りにしてやろう」

「フリージア、行きなさい!」

 リベルタの一喝に、フリージアは背筋を強張らせながらも、決意した顔で頷くと、背を向けてその場を走り去った。フリージアの姿が見えなくなるのを合図に、エレクトラはすかさずリベルタに踊りかかった。刃の噛み合う音が、氷の通路に響きわたる。

「ほう。使えるのは弓だけではなさそうだな」

「くっ…!」

 リベルタは、この剣撃がエレクトラの様子見のである事を理解していた。リベルタの剣技の程度を知るために、手を抜いているのだ。対してリベルタは、その手抜きの一閃を受け止めるので精一杯だった。

 エレクトラは容赦なく、さらに畳み掛けてきた。そのたびに、リベルタは押されてゆく。エレクトラの剣は、少しずつ速くなっていった。やがて、リベルタは壁際にまで追い詰められてしまう。

 実のところ、リベルタはエレクトラを抑えられるとは思っていなかった。それを見抜いたのか、エレクトラは鍔の根本でリベルタの剣を押さえつけると、唇が触れそうなほど接近して言った。

「リベルタ、きさま初めから私を抑えられるなどとは思っていまい」

 さらに剣を押し込む。力の差は歴然としていた。エレクトラの剣の刃が、リベルタの首筋に近付く。

「きさまは初めから、あのフリージアという娘を逃がす事しか考えていなかった。私との力量差を、戦わずして見抜いていたのだろう」

「さあね。まだ、奥の手を隠しているかも知れないわよ」

「ほう。ぜひ見たいものだ」

 エレクトラは笑う。冷徹そうな外見に反して、その性格は好戦的であり、饒舌でもあった。そのときエレクトラは、交わる剣の手もとに視線を落とした。

「きさま、リベルタ。左右で腕が異なるのはなぜだ?」

 それは、圧倒的な力の差を持つがゆえの余裕か、あるいは純粋な興味だったのだろうか。エレクトラはリベルタの右手の指が、関節の部分でわずかに左手より堅固な造りをしている事に気付いたようだった。

 それが、直接相対して話をした事もない氷魔、アルマンドのものである事をリベルタは再び思い起こした。アルマンドはマグショットに敗れ、主であるロードライトが、彼女の腕をリベルタに移殖してくれたのだ。

 リベルタは思った。ここでたやすく負けては、右腕の本来の主、アルマンドはどう思うか。だが、エレクトラは思いに耽る暇など与えてはくれなかった。

「よもや、それがきさまの苦し紛れに言った、文字通りの奥の手とやらか」

 押し込んでいた剣をあえて離すと、エレクトラは凄まじい速度でリベルタに斬りつけてきた。後ろ髪を結い上げていたシュシュが切断され、長い髪が風に舞う。

「この方が美しいな」

 さらに一閃、また一閃をエレクトラが加えると、リベルタの両袖が切り裂かれ、エレクトラが見抜いたとおり、左右でわずかにデザインが異なる両腕が露わになった。リベルタはその圧倒的な実力差に、接近戦では勝つことは不可能だと悟った。さすがに、皇帝側近ヒムロデの直属の配下と納得せざるを得ない。

 一か八か、このたった一本の剣のみで恐るべき強さを見せる敵に肉迫するには、リベルタの弓で対抗する以外にない。だがこの通路内で、この俊足の相手に弓を引くだけのリーチを確保するのは、至難の業だった。

「やはり造りが異なるな。右腕のその造りは、格闘型の氷魔によく見られるものだ。格闘の心得があるということか?」

 エレクトラは再びリベルタに迫り、剣を交差させたまま壁に押し込む。リベルタの首筋に、白刃の輝きが反射した。

 ここまでか。リベルタが死を覚悟した、そのときだった。

「!」

 リベルタは確かに見た。いまにも自分の首を刎ねようとする、エレクトラの背後に、ドレスをまとった長髪の女が、確かに立っているのを。リベルタはそれが、アルマンドだとわかった。

 アルマンドはその真剣な眼差しを、リベルタに向けた。鋭く、心を射抜くかのような瞳だ。その眼差しで、リベルタはその全てを理解した。

「ありがとう、アルマンド」

 ふいに口をついて出たその名に、エレクトラが怪訝そうな目を向けた。リベルタは追い詰められた態勢のまま。不敵に微笑む。

「残念ね、エレクトラ。いまここにいるのは、ひとりじゃない」

「なに?」

 エレクトラがほんの一瞬のそのまた一瞬見せた、ごくわずかな隙をリベルタは見逃さなかった。次の瞬間、エレクトラはリベルタの行動に、まさしく目を瞠った。

「なにっ!」

 リベルタの首が、わずかに左に逸れた。すると、リベルタは押されていたその剣を、あえて後方に引いたのだ。前方に向けて剣を押し込んでいたエレクトラは、自らの力によって前方にバランスを崩してしまう。

 エレクトラの剣は、リベルタの首を落とすかというほどのギリギリの位置で、壁に阻まれて止まってしまう。その間隙をついて、リベルタは横に回避すると同時に剣を引き抜き、エレクトラの喉元めがけてその切っ先を突き出した。

 エレクトラは間一髪、これもまた見事な動きでその剣を受け止めながらも、姿勢を低くして回避する。両者は互いに危険と見るや、素早く距離を取って対峙した。

「リベルタ、きさま」

「言ったでしょ、奥の手があるかも知れないって」

 そう言い放つと、リベルタの背負っていた弓がエネルギーの粒子となり、左手に吸い込まれて格納されてしまった。

「あんたと戦うには、大きな弓はちょっと邪魔になりそうなものでね」

「誤魔化すな。いまのきさまの動きは、さきほどまでの動きではない」

「だったら?」

 リベルタは左手に剣を持ち替えると、右手でエレクトラを挑発してみせた。エレクトラは笑みを浮かべると、あらためて剣を水平に構える。

「いいだろう。その剣に訊いてやる」

 エレクトラは、今度は恐ろしいまでの突きを繰り出した。それは湾曲した剣に沿ってわずかに弧を描いており、獣の牙のようにリベルタの喉を狙ってきた。

 だが、リベルタはほんのわずかに身をそらすと、またしても驚くべき行動に出た。エレクトラの突き出した剣を避けると、その腕を掴んで引き寄せたのだ。エレクトラは自らの勢いでそのまま前方に押し出され、リベルタはその腰に強烈な肘鉄を喰らわせた。

「ぐああっ!」

 エレクトラはそのまま壁面に激突し、姿勢を崩す。そこへ間髪入れず、リベルタは剣を突き出した。

「うっ!」

 今度は先程と逆に、エレクトラが壁に追い詰められる構図となって、両者の剣が交差した。

「…どういうことだ」

 エレクトラの目には、信じられないというよりは、納得しがたいという色が浮かんでいた。

「初めの打ち合いで、私はリベルタ、きさまの剣の技量を見抜いたと思った。少なくとも接近戦について言うなら、フリージアとやらの方が強かったとさえ思える。だが、突然別人のように、きさまの動きが洗練された」

「当然よ。この右腕には、武術の達人の魂が宿っているのだから」

「なに?」

「人の力を借りなきゃいけないのは、ひとりの武人としては少しばかり情けないけどね!」

 今度はリベルタが剣を繰り出した。エレクトラはその剣を、容易くとはいかないまでも受け止める。だが、そこからの動きがエレクトラの予想を超えていた。

 リベルタは交差する剣を軸にして身体をひねるように回転すると、エレクトラの剣を押さえる形で、その横に出た。エレクトラはその動きの秘訣を即座に理解したが、対応することはできなかった。

「せええーいっ!」

 リベルタは剣を離すと、間髪入れずエレクトラの腰に、強烈な膝蹴りを繰り出した。

「ぐはっ!」

 エレクトラは再び弾き飛ばされ、どうにか受け身は取りつつも、床に肘をついてしまう。そこへ、リベルタは剣を突き出した。

「くっ!」

 間一髪、首を刎ねられるかという所で、エレクトラはその剣を受け止めた。

「きさまの、この剣は…これは剣士のものではない。格闘家どもが用いる剣だ」

 追い詰められた態勢のなか、エレクトラは気味が悪いほど冷静にリベルタの剣さばきを分析した。

「もしやその右腕、本来はリベルタ、きさまの物ではないということか」

「そうよ。これは、私が受け継いだもの。私に力を貸してくれた。その子の分まで私が戦う」

「ふっ」

 エレクトラはリベルタの剣を弾くと、即座に壁を蹴って跳ね返り、態勢を整えた。

「死んだ者が力を貸すなどと、あり得ない事だが…よかろう。二人がかりで私に肉迫できるかどうか、やってみるといい」

 

 ◇

 

 同じ頃、フリージアはようやく百合香達と合流を果たしていた。

「リベルタが!大変なの!只者じゃない!みんな、リベルタを助けて!」

「落ち着いて、フリージア。リベルタはどこ」

 興奮するフリージアの肩をつかんで、百合香はどうにか落ち着かせる事に成功した。

「こっ、皇帝側近の部下とかいう奴が現れて、リベルタがみんなを呼んで来い、って」

「皇帝側近の部下?」

 百合香はルテニカ達を見た。人間の百合香は、そもそも氷魔皇帝やその配下について、いまだ何も知らないのだ。

「氷魔皇帝ラハヴェの側近、情報ではヒムロデという名のみが知られています」

「その直属の配下の隠密、暗殺集団に違いありません。だとすれば、相当な手練れ。急がないと」

 ルテニカとプミラに諭され、百合香はフリージアの目を見た。

「フリージア、リベルタの所に行きましょう」

「うん!」

 フリージアが頷いた、その時だった。突然、全員が立っている床が、ぐらりと揺れた。

「うわっ!」

 右腕を失っているヒオウギがバランスを崩して、壁に左手をつく。

「なっ、なんだ?」

「鳴動が強くなっているようです!それに、これは…何か、正体不明の思念のようなものも…」

 ダリアが、不安そうにルテニカ達に確認を取った。ルテニカとプミラも同意する。

「どうやら、例の礼拝堂に関連する謎の、正体が原因とみて良さそうです」

「ここにいて安全だとは思えません。我々の退避という意味でも、すぐにここを移動しなくては」

 ルテニカとプミラに頷くと、百合香はフリージアに言った。

「先導して!」

「はい!」

 フリージアを先頭に百合香たち一行は、謎の鳴動がいよいよ物理的な振動に変わった中を、脚を取られながらもリベルタのもとに急いだ。

 

 ◇

 

 エレクトラは、それまでとは変わって慎重に、リベルタの動きを観察しながら、一定の距離を保って対峙していた。剣はつねにリベルタを捉え、攻めるにも守るにもギリギリのリーチを崩さない。

「どうした。攻めて来ぬのか」

 あまり挑発的とも言えない声色で、エレクトラはリベルタに、僅かに剣を突き出す仕草を見せた。リベルタは剣を後ろ上段に水平に構え、エレクトラの動きに集中する。

 そのとき、床が大きく揺らいだ、その瞬間だった。リベルタは一気に踏み込むと、エレクトラの剣を絡め取るように突き出した。

 だがエレクトラは、こんどは冷静に突きをかわしてみせた。リベルタの剣は大きく上に弾かれる。その隙をついてエレクトラはリベルタの首を狙って突きを繰り出したが、それを予期したリベルタは素早くそれを下方にいなした。

「なるほど」

 再び距離を取ったエレクトラが、今度は突きの態勢でリベルタに向かい合った。

「私に弓を放つ隙を作らせたい、そう思っているだろう、リベルタ」

 エレクトラは、気付かないほど僅かにリベルタに接近した。

「なぜあのような真似をした?無作為に壁を撃ち抜いて、何がどうなる。レジスタンスがここにいると、我々に教えるのに等しいのではないか」

「あなたには関係ないわ」

「この、正体不明の振動とは関係ありか」

 エレクトラの推測に、リベルタの眉が僅かに動いた。

「図星か」

「予想外の事態が起きたものでね」

「さては、得体の知れない相手に我々城側の兵力をぶつけさせよう、などと考えていたのではあるまいな」

 今度こそ図星を突かれた様子で、リベルタは眉間にしわを寄せた。エレクトラが笑う。

「ふふふ、あんがい策士のようだな。現にこの私が今、こうしてここにいるからな。私と、何者かわからぬ相手が戦っておれば、その相手の正体を見極められたかも知れんな」

「今からでも向かって欲しいけどね。この、気味が悪い振動のする方に」

「もとより、我々はそれを調べるために来た。だが、きさまのような手練れのレジスタンスを、行き掛けの駄賃に始末できるなら一石二鳥だ」

 それは本音かどうか、リベルタには測りかねた。なぜなら、エレクトラの表情には微かに笑みが浮かんでいるからだ。まるで、この闘いを愉しんでいるように。

 床や壁面の振動はさらに大きくなった。エレクトラはリベルタに神経を研ぎ澄ましつつ、振動にも注意を払っているようだった。

「残念だが、仕事が優先だ。貴様とは早々に決着をつけねばならんようだな!」

 まさしく目にも留まらぬほどの速度で、エレクトラはリベルタの胸を狙ってきた。リベルタはそれを、絡め取るように剣でいなしつつ、エレクトラの横に出る。

 だがそこで、エレクトラが反応した。リベルタが裏拳を打つと、それを予期していたかのように姿勢を下げて、それをかわしたのだ。

「あっ!」

 リベルタが驚く間もなく、エレクトラはリベルタの剣を弾き飛ばすと、さきほどのお返しとばかりに腹部に掌底をお見舞いした。

「げうっ!」

 リベルタはその場に膝をつく。その隙ををエレクトラは逃さない。無言で、リベルタの脳天めがけて白刃が閃いた。

 だが、今度はエレクトラが驚きの声をあげる事になった。

「なっ…なに!」

 エレクトラは、渾身の力で振り下ろした剣が、リベルタの脳天に届く前に、何かの力に止められたのだ。エレクトラの剣を止めたもの、それは刃を両側から挟むリベルタの両手だった。

「でええーいっ!」

 リベルタが気合いとともに、エレクトラの剣を根本からへし折る。剣を失ったエレクトラは、リベルタの足払いをかろうじて避けるものの、丸腰で後退することになった。心底驚嘆した表情で、エレクトラは訊ねた。

「まさか、わたしの剣を取るとは…私の動きを見抜いていたのか」

「あなたは私の動きが、受け身の動きだと見抜いていた。当然、それに対応した動きを見せるはず。であれば、そこに隙を見出だせると賭けたのよ」

「ふ…見事だ。と、言いたいがな」

 エレクトラは、何か含むような笑みを浮かべた。

「私を単なる剣士だと思っているのなら、それは間違いだ」

「なんですって」

 リベルタがエレクトラに間髪入れず蹴りを放とうとした、そのときだった。

「うっ!?」

 リベルタは、自身の身体がまるで動かない事に気付いた。まるで何かに縛りつけられたように、立ったまま指輪一本動かす事ができない。

「こっ、これは…」

「さきほどの掌底の一撃で、私はお前の全身をマヒさせたのだ。よもや蹴りを放つ余裕を与えるほど、時間がかかるとは思わなかったがな」

「ぐっ…!」

 リベルタは必死で動こうとした。だが、身体は動いてはくれなかった。エレクトラが、琥珀色の瞳を冷たく光らせて、リベルタに歩み寄る。

「残念だよ、リベルタ。もう少しお前と愉しみたかったがな」

 リベルタが持っていた剣を拾い上げると、エレクトラは容赦なくその喉元めがけて、切っ先を突き出した。

 だが、エレクトラはそれ以上剣を突き入れる事はできなかった。

「むっ!」

 リベルタの首が落ちようとしたその刹那、エレクトラは通路の奥から一直線に飛来したエネルギー波を避けなくてはならなかった。

「何者だ」

 驚きはしつつも態勢は一切崩す事なく、エレクトラは近付いてくる足音に眉をひそめた。

「リベルタ!」

 先頭を切って走ってきたのは、右腕を失い、左手に扇を構えたヒオウギだった。

「お前が城の忍者だか何だかだな!」

「残念だけど、ここまでよ!」

 ヒオウギと剣を構えた百合香が、リベルタの前に立つ。遅れてフリージア、ルテニカ、プミラ、ダリアが駆けつけた。エレクトラは不敵に笑う。

「ふっ、レジスタンスどもがわざわざ殺されに、雁首を揃えて現れたか」

「この面子を前にして、ずいぶんな度胸ね」

 百合香が一歩進み出る。その姿を、エレクトラは興味深げに眺めた。

「ほう。さてはきさまが、噂に聞く謎の銀髪の剣士か。どれほどのものか興味はあるが、残念ながらきさま達を相手にしている時間はない」

「逃げる口実なら、もうちょっとサマになるセリフを言うことね!」

 百合香が斬りかかる。しかし、その剣は容易く受け止められてしまった。

「ふっ、こんな鈍い動きで私を捉える事はできんな―――なに?」

 エレクトラは、受け止めた自分の剣が押されているのに気付いた。

「なっ、この力は…」

「なめるんじゃないわよ!」

「ぐっ!」

 リベルタを上回るその腕力に、エレクトラは警戒して飛びすさる。百合香が畳み掛けようと踏み出した時、動けないリベルタが叫んだ。

「リリィ!そいつは只者じゃない!まだ実力を隠してる!」

「えっ?」

 リベルタの忠告に一寸立ち止まった百合香=リリィに、エレクトラは不敵に笑った。

「ふっ、隠しているのかいないのか、どっちだろうな」

「どっちでもいいわ。倒してしまえば関係ない!」

 百合香は、聖剣アグニシオンを構えると、自らのエナジーを瞬間的に高めた。それは周囲に太陽風のような波動となって拡がる。エレクトラは、その圧力に驚いて身構えた。

「うっ!」

「受けてみなさい!」

 百合香は、剣を右後ろに大きく両手で引き、青白く輝く剣をエレクトラめがけて振り下ろそうとした。

 

 その時。

 

 まるで百合香の剣が引き金となったかのように、床を震わす振動が一瞬、ぴたりと止んだ。エレクトラ含め全員が、その変化に気付いて息をのむ。だがそれは、本当の変化の前触れでしかなかった。

「なっ、なに!?」

 先に百合香たちを飲み込んだ、あの黒い霧にも似ている闇が、一瞬で視界いっぱいに拡がった。だが今のそれは霧というより、闇の海とでもいうべき無重力感をともなう、不気味な思念の洪水だった。

 洪水はその場にいる全員を飲み込み、闇の渦の奥底へと吸い込んだ。



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亜空間

 そこは、百合香にとってなぜか既視感のある空間だった。

 

 地面があるのかないのか、紫色の煙のようなものに覆われた茫漠たる大地が広がり、空は同じように紫色のオーロラが、どこまでも広がっていた。

 

 侵入する前に見上げた氷巌城は、まるで町ひとつを覆わんばかりの大きさに見えたが、それにしてもここまでの広大な空間を内包できるとは思えない。あの、謎の闇に飲み込まれたあと、いったい自分はどうなったのか。

 見渡しても仲間の姿は見えない。そして、さらに深刻な事態に百合香は気付いた。

「…瑠魅香?」

 百合香は、背筋に戦慄が走るのを感じた。いつも共にあり、身体を共有している瑠魅香の存在が、百合香の中から消え去っているのだ。

「瑠魅香!」

 蒼白になって、百合香は虚空に叫ぶ。今までずっと一緒にいて、文字通り一心同体だった瑠魅香が、いなくなってしまった。それは、リベルタ達の姿が見当たらない事も忘れるほどの恐怖だった。

 だが、零れそうになった涙が、背後からの声の驚きで引っ込んだ。

「落ち着け」

 その冷たい声色に、百合香は一瞬で警戒し、自分でも驚くほどの反射神経で剣を抜き放ち振り返った。

 百合香の剣は、やんわりともう一本の湾曲した剣で受け止められた。その剣を握るのは、つい先刻まで戦っていた長髪の隠密、エレクトラだった。

「あっ…あなたは!」

「リリィとか呼ばれていたな」

 百合香の剣を必死に抑えつつ、エレクトラは言った。

「これは、あなたの仕業!?みんなはどこ!」

「落ち着けと言っている。剣を下ろせ」

 刃を放して一歩下がると、エレクトラは自分から剣を鞘に納めてみせた。百合香は面食らい、剣を向けたまま訊ねる。

「…どういうつもり」

「どうもこうもない。今、お前と剣を交えたところでどうにもならない、ということだ。それとも、お前はこの空間の正体を知っているとでもいうのか?」

 エレクトラは、わざとらしく両手を広げて背後の空間を示してみせた。相変わらず、どこまでも同じ空間が続いている。

「あの闇の渦に巻き込まれたあと、気付いたらこの空間にいて、お前が倒れていた。かれこれ2時間は経つ」

「…どうして、その間に私の首を刎ねなかったの」

「ふっ、綺麗な顔で物騒な言葉を吐くやつだ。もちろん、考えたとも。お前のような厄介そうなレジスタンスは、この機会にさっさと始末すべきだとな。だが」

 エレクトラは諦めたように座り込むと、片膝を立てた。

「こんな奇怪な空間は、私も知らぬ。たとえお前が敵であろうと、この状況で一人になるのは得策ではない、と判断したまで」

「一時休戦、手を組もうということ?」

「ばかを言え。私はお前を利用するだけだ。何かあった時の保険としてな。お前も私を利用するといい。だがこの空間から抜け出したら、即座にその首は貰う」

 エレクトラは人差し指で、百合香の首をかき切る真似をしてみせた。百合香は面白くなさそうに、自らも剣を納める。

「わかったわ。気は進まないけど」

「それでいい」

 エレクトラは立ち上がると、腕組みして周囲を睨んだ。

「それはそれとしてだ。お前と束の間手を結んだところで、このわけのわからぬ空間から出られる手立てが見つかったわけではない」

「あなたはほんとうに知らないのね?ええと…」

「エレクトラだ」

 百合香を見るでもなく、エレクトラは名乗りながら再び剣を抜いた。一瞬警戒した百合香だったが、エレクトラは剣で地面を打ち鳴らしていた。

「妙な霧に覆われているが、下はどうやら堅固な岩場…いや氷のようだな」

「つまり、ここはやはり氷巌城の中?」

「それはあり得まい。この広い空間を見ろ。いかに氷巌城が広大とはいえ、こんな空間を収められる筈がないのは自明の理だ」

 百合香がさきほど考えた事を、エレクトラは述べた。百合香も自らの剣を逆手に握り、地面に突き立ててみる。だが、アグニシオンをもってしても、砕くのは容易ではなさそうだった。

「エレクトラ、聞いて。実は私達、何時間か前に、これと全く同じではないけれど、似たような目に遭ったの」

「なに?」

 

 あてもなく歩きながら百合香は、アルタネイトと名乗った額縁の姿の氷魔と、奇怪な聖母像が立つ礼拝堂の事をエレクトラに説明した。敵であるエレクトラに、こちらが得た情報を話すのは気が引けたが、百合香としてもこの空間から脱出する事が最優先に思えた。瑠魅香もそうだし、姿が見えないリベルタ達も気にかかる。

「聖母像だと?」

 怪訝そうにエレクトラは訊ねた。

「それが、先刻のあの奇妙な鳴動と関わっているというのか?」

「間違いない。あの聖母像は、アルタネイトが集めた氷魔エネルギーで再生を続けていた。けれど、アルタネイトはなぜか、完全な再生は意図的に止めていたみたい」

「つまりリリィ、お前達の観察が正しければ、その聖母像が完全に再生したことで、この奇怪な現象が起きた事になるな」

 エレクトラはそう断言した。百合香も頷く。

「ええ。そしてあのアルタネイトという氷魔が、聖母像を完全に再生させなかったのは、この事態を避けるためだった。そう考える以外にない」

 もう隠しても仕方ないと、百合香はエレクトラの目を見て言った。琥珀色の視線が、百合香の紅い瞳と交差する。

「なるほど。推測するに、そのアルタネイトとかいう氷魔は、聖母像の持つ魔力を自分のために利用していた、ということだな」

「けれど、私達に敗北した悔し紛れに、あいつは死ぬ前に聖母像を完全再生させてしまった」

「その結果が、このざまというわけか」

 やや自嘲ぎみにエレクトラは苦笑した。百合香はふと気になって、ひとつ質問した。

「あなたは本当に知らないの?これだけの力を持った氷魔の存在について」

 すると、エレクトラはふいに立ち止まり、再び剣を鞘におさめて腕組みした。

「私は主の命によって、正体不明の鳴動について調査に訪れただけだ。主すら知らぬ事を、私が知るはずもない」

「主って誰?氷魔皇帝ラハヴェのこと?」

 百合香がそこまで言うと、エレクトラはきっぱりと言い返した。

「リベルタという奴にすでに話した。敵であるお前に、ことさら私の立場を説明して何になる」

「あんた、隠密っていうわりに口数多いよね」

 その一言がエレクトラの何かを刺激したのか、エレクトラは眉間にシワをよせて百合香の眼前に一歩迫った。

「わたしにそれ以上、馴れ馴れしくするな。さっきも言ったとおり、ここを脱出した瞬間に、きさまの首をもらう」

「脱出する手立てはあるの?」

「ないからこうして、お前なんぞと並んで不毛な空間を歩き回っているんだ!」

 突然憤りをみせたエレクトラの様子が可笑しくて、百合香は思わず吹き出してしまう。エレクトラはさらに声を上げた。

「何がおかしい!」

「ううん、なんだかあなた、私の相棒と似てるなと思って」

「お前の相棒など私が知るか!」

 まるで何を言っているのか理解できない様子で、エレクトラは百合香に迫った。だが百合香は、瑠魅香がいなくなった事を思い出し、ふいに立ち止まってかがみ込んだ。エレクトラは仁王立ちして百合香を見下ろす。

「おい」

「…何でもない」

「何でもないなら立てばいいだろう」

 敵にデリカシーなど期待するのも無駄だが、そのエレクトラの傍若無人な言い草も、百合香の不安を鎮めることはできなかった。

 瑠魅香はいったい、どうして消え去ってしまったのか。それとも、この空間のどこかにいるのか。

「さっきお前が叫んでいた名前か。ルミカ、とか言っていたが」

 エレクトラは立ったまま訊ねた。百合香は小さく頷く。

「さっき、リベルタのもとに駆け付けた連中の中にいたのか?お前の相棒というからには、そいつもそれなりに腕が立つのか」

 エレクトラの口振りは、隠密というよりはむしろ、好戦的な戦士のそれを思わせた。

「ならば、そいつも見付けしだい、早急に首を刎ねてやらねばならんな。あのリベルタといい、厄介なレジスタンスは一人でも、減らしておくに越したことはない。瑠魅香だな、覚えたぞ」

 そのエレクトラの挑発するような態度に、百合香はわずかに苛立ちを覚えた。首を刎ねる、首を刎ねると、いま一時的にでも手を組んだ相手に向かって言うことか。そう思うと、知らず知らずに百合香は立ち上がっていた。

「…あんたごときに、瑠魅香が負けるはずないでしょ。あいつは強いわ。私なんかよりもね」

「ほう。ますます手合わせしてみたくなった。お前では私の相手になど、なりそうもないからな」

「バカにしないで!」

 次の瞬間、剣の噛み合う音が不毛な暗闇に響きわたった。聖剣アグニシオンと、湾曲した剣がぶつかり合う。

 剣の速さではわずかに、エレクトラが勝っていた。だが、一撃の重さでは百合香に分があった。両者の剣は、ほぼ互角と言えた。

「そうだリリィ、お前の本当の力を見せてみろ!」

「のぞむところよ!」

 両者は大きく後退し、百合香は大上段に、エレクトラは居合いのように低く水平に、互いにタイミングをはかった。わずかの時間差もなく、同時に両者の技が放たれる。

「ゴッデス・エンフォースメント!」

「シャドウ・パルサー!」

 聖剣アグニシオンから放たれた重力の刃と、エレクトラが放った電撃の刃が、真っ向から激突した。その瞬間、互いの身体は恐るべき衝撃にさらされた。

「うっ!」

「ぐああっ!」

 互いに吹き飛ばされるか、さもなければ身体が砕けるかというほどの衝撃だった。互角。そう、いま百合香とエレクトラの力は、完全に互角だった。

 両者の激突は、広大無辺に思われる闇の大地をも、揺るがさんばかりに思えた。否、事実それはこの大地を揺るがしていた。エレクトラは百合香に向かって言い放つ。

「それがお前の最大の力か!あの、リベルタの弓ほどではないようだな!」

「なめるなーっ!」

 百合香は何もかもを吐き出すかのように、アグニシオンのエネルギーを振り絞った。

 

 その時。

 

 突然の出来事に、ふたりは放っていたエネルギーを解き、距離を取ってその場を離れた。

「なっ、なに!?」

「慌てるな!」

 エレクトラは、百合香に動かないよう合図した。そこで百合香はようやく、エレクトラの目論見に気がついた。

 百合香とエレクトラは、互いが放ったエネルギーの余波が、空間全体に散るように消えて行くのを見た。その光景に、百合香は既視感があった。

「これは…あの時の!」

 百合香は、アルタネイトとの戦闘中に、聖母像にエネルギーが吸収されてゆく現象を思い出していた。いま起きているのはまさに、その様子に酷似しているのだ。

「聖母像だと?」

 エレクトラが確認すると、百合香は頷く。

「似ている…私達のエネルギーは、まるで避雷針に雷が吸い寄せられるように消え去ってしまったの」

「やはりな」

 エレクトラは得心がいった様子で、消えてゆくエネルギーを見つめていた。百合香が訊ねる。

「わざと私を挑発して、技を撃たせたのね。これを確かめるために」

「それだけでもない。お前の力のほどを、確かめておきたかったからな」

 剣をおさめると、エレクトラは地面や空の様子を確かめた。全ては再び、もとの空虚な闇の空間に戻ったようだった。

「リリィ。お前からの情報と、いま起きている事を総合する限り、やはりこの異空間は、お前の言う聖母像とやらに関係があるらしいな」

「いったい、あの像は何なの?氷魔なの?何か知っているなら教えて」

 百合香も、エレクトラにはめられた事への苛立ちを多少見せつつ、剣を納めて歩み寄った。エレクトラはかすかに笑みを浮かべる。

「さっきも言ったとおり、私には何もわからん。だが、ここは想像を飛躍させる必要がありそうだ」

「飛躍?」

「そうだ。この広大な空間が、氷巌城の中に現れるはずがない。だとすればここは、何らかの魔法のような力で創られた、一種の亜空間とでも理解すべきなのではないか」

 亜空間。その言葉で百合香は、以前瑠魅香から言われたことを思い出した。

「精霊の住む世界みたいな?」

 その問いに、エレクトラはハッとして百合香を見た。何か思い至ったような表情だ。わずかに目を見開いた様子を見せたのち、黙り込んでしまう。気になって、百合香は問い詰めた。

「なに?何か思い当たる事でもあったの?」

「敵のお前に、話す必要はない」

「けち」

「お前―――」

 いよいよ素の感情らしきものを見せたエレクトラが、ふいに冷静な表情に戻ると、静かに剣に手をかけた。百合香はまたも警戒するが、すぐにエレクトラの視線が百合香以外に向けられている事を理解した。

「リリィ、剣を抜け」

 エレクトラに言われるまでもなく、百合香もまた聖剣アグニシオンを抜き放つ。ゆっくりと振り返り、エレクトラの視線の先にあるものを百合香は見た。

「なに…!?」

 驚愕する百合香の視界に入った、剣を携えたふたつの影。それは全身が漆黒に彩られた、百合香とエレクトラだった。



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