忌み子の狩人 (24代目イエヤス)
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Chapter1 黒き影を追って
一『忌み子』
〈竜巣族〉と言うそうだ。
モンスターと、人間。決して相容れない存在同士が交わり、本来産まれてはならない子を作る。
そういう特殊な竜人族の事を、正式にはそう言うらしい。
しかし、その名で呼ばれる事は限りなく少ない。
皆、存在を知る人間は口を揃えて〈狂人族〉と言う。
自分の親を示す名称についてなど、どうでも良い。
――狩りの最中に、余計な事を考えてしまうのは、悪い癖であった。
「ゴガァァァァァッ!!」
轟、と空気が唸る。空間が粉々に割れてもおかしくないくらいの咆哮が、辺り一帯を震え上がらせた。
轟竜――ティガレックス。翼脚と呼ばれる発達した前脚と、強靭な顎が特徴的な凶暴かつ強力な飛竜種のモンスター。
得意とする攻撃は、突進である。
蒼みがかった赤髪の女性ハンターが、華奢な剣 太刀の矛先を轟竜に向ける。ピンと尖った耳で、辺りの音を的確に聞き分けた。
激突する寸前で、側転を用いて華麗に回避。そうすると同時に切り払い、頭部の肉を斬り裂いた。
彼女の防具は、一般流通していない特殊な代物。銀火竜の鱗が胸や腰回りを覆い、後は民族の衣装かのような、ひらひらとした銀白の布を靡かせる、狩りには少々危険ではないかとも思える防具であった。
構える太刀は、蒼火竜を討伐した証である飛竜刀【藍染】。灼熱の蒼き炎のように輝く刃が、再度ティガレックスの頭部を斬りつけた。
反撃しようとする轟竜の攻撃を華麗に避けて、首筋へ気刃斬りを叩き込む。
バックステップしながら相手の攻撃を見切り、滑るようにして斬りつけ、周囲の空気諸共薙ぎ払った。
強靭なる翼脚により抉り取られ、飛んでくる岩石を紙のように切り砕いて、猛スピードで接近。
鎌鼬でも通ったかのような連撃がティガレックスを襲う。頭部の至る所から血が吹き出て、鱗も剥がれて白くなってしまった。
翼脚、目元の血管がみるみるうちに浮かび上がって、目に見える程に荒い息が口元から溢れ出す。
怒り狂った轟竜の咆哮が、朽ち果てた大地を再び震え上がらせる。
「ゴガァァァァァァァ!!」
ティガレックスは彼女を眼に捉え、釘付けになったまま無我夢中で攻撃を仕掛けた。
しかし、どんな攻撃も彼女には当たらない。
まるで
しかし、高く飛んで着地をし、そこに生まれた僅かな隙を、轟竜は逃さなかった。
飛んでくる岩が、寸前まで迫る。もう、回避も間に合わない。
咄嗟に剣で防ごうとするも、眼の前で岩が砕けた反動は凄まじく、彼女の華奢な身体は、軽々吹き飛ばされてしまった。
「がっ……!!」
打ち付けられた彼女は、血反吐を吐きながら地面に蹲る。
のそり、のそりと迫りくる轟竜の気配を感じ取り、痛みに悶えながらも身体を起こした。
奴の生温い息が、頭上にまで迫る。
吐き気を催す臭いが、鼻の中に入ってきた。
――血の臭い。数多もの命を、直々に喰らってきた証――
突然――、カッと彼女の瞳孔がみるみるうちに細くなる。
歯を剥き出しにし、飛竜刀の刃をガキン、と音を立てながら咥えて、横へスライドさせた。
摩擦により、剣の属性が滲み出し、次第に炎が溢れ出てくる。
咥えた刀が口から離れた瞬間――
紅き閃光が、轟竜の喉元を焼き切った。
それはほんの一瞬の出来事であった。
焼き切られたティガレックスの喉から、みるみるうちに炎が広がり、肉を皮膚を焼き尽くしていく。
悶え苦しむティガレックス。喉の傷口から大量の血を垂れ流し、のたうち回るその姿を、彼女は肩で荒く息をしながらじっと見つめていた。
やがて轟竜は失血により力尽きる。息の根が止まったことを確認すると、彼女はその死体に近づいていった。
喉元の傷口を見て、ごくり、と生唾を飲む。
肉の中へ手を突っ込み、欠片を掌に取る。
血が滴るそれを、彼女は一心不乱に貪り食った。口周りが血塗れになろうとお構いなしである。
掌に取った肉の欠片を食べきった頃、彼女の瞳孔は元通りになり、その場に崩れ落ちて空を見上げた。
歯が痛い。少し欠けた気がするのに、もう抜け落ちてきそうだ。刃をスライドさせる時に切ったであろう唇の傷も、塞がりつつあった。
――モンスター。それは、野生に生き、野性に従って生きる者。
そして人間。知能を持ち、人同士で手を取り合いながら、活路を地道に切り開き進化していく者。
そのどちらにも当てはまらないのなら、自分は何なのだろう。
そう思った時に、いつも心に浮かび上がってくる答えは一つである。
〈忌み子〉。
モンスターの子を宿す、竜巣族から産まれてきてしまった
◇
調査拠点エルガド。多くの人々で賑わうここは、とある王国の管理下にある。
王国の華やかな雰囲気の人が度々通るために、いちいち避けて移動しなければならないのが面倒である。
今現在、ここら一帯では傀異化モンスターと呼ばれる存在が猛威を振るっているらしく、エルガドのハンター達は日夜対処に追われているのだという。
傀異化の脅威だとか、王国の危機だとかは彼女には関係ない。彼女がハンター業を営む理由は、最低限の生活を送るため。死なない程度、他人に迷惑が掛からない程度の本当に最低限の生活さえ送ることができれば本望であった。
もう時期、ここを訪れてから数週間が経つ頃か。そろそろ引きどきであった。
次なる活動拠点は何処にしようかと、悩みながら彼女は余所余所しい態度で歩いていた。
時折、歩いてくるアイルーにジト目で見つめられる。一応モンスターという種族に値する彼らには、彼女が少なからず
ふ、と昨日狩り場で貪った生肉の味が、舌の上に蘇る。
途端に吐き気が込み上げてきて、その場に蹲ってしまう。
普通は生肉を喰えば、腹の一つや二つ壊してもおかしくはないのに、全く身体に異常がない。
それどころか、
その事実が堪らなく恐ろしくて、全身が震えた。目立ってしまうが、それよりも恐怖が上回る。
「ね、ねぇ。君、大丈夫?」
爽やかな声が聞こえて、彼女は上を見上げる。今にも吐きそうだったが、霞む視界を何とか保つ。
心配げにこちらを見つめるのは、ハンターの青年。
澄み渡る青空のような短く整えられた青髪と碧眼、身に纏っているのは岩のようにゴツゴツとしたバサルX防具。いまいち全貌が掴めない青年であった。
「……あっ! りゅ、竜人族の方でしたか! し、失礼しました! だ、大丈夫ですか?」
彼女の耳と指を見て、真っ先に態度を変えた青年。竜人族は人とは成長する速度が段違いに遅い。同い年くらいの見た目でも、実際には数十年歳が離れている事もしばしばある。かくいう彼女も、実年齢は八十歳程であった。
「えーーーーー…………と。その、あの……」
長らくろくな会話をしていない為に、出す言葉に戸惑った。どう声を掛けていいものか、どう返すものか、悩みに悩んでいた。
「だ、大丈夫です……よ」
彼女はぎこちない笑みを浮かべる。
どきん、としたように青年の表情が少し強ばった。笑顔が不気味だっただろうか。
気まずくなり、すぐにその場を去ろうとした、その時だった。
「あの、お名前! お名前お聞きしてもよろしいですか?」
彼に呼び止められ、彼女は足を止めた。
「俺はツバタです! 貴女のお名前は?」
名乗ることすら億劫だった自分の名。忌み子の名前は、母親に宿った時から既に決まっている。
「……ディノ。ディノ・バルラルード」
ディノは、少しだけ嬉しそうに、そう名乗った。
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二『モンスターの子』
キシャー!! \‘()’/
すいません。
「うへへへ……」
エルガドにある資料がたくさん置かれた研究者専用の部屋にて、椅子に座り、笑顔を綻ばすツバタ。
竜人族の研究者 バハリは、そんな彼を全力で気持ち悪がっていた。
「聞いてくださいよバハリさん。凄く綺麗な竜人族の人がいたんですよぉ」
「はぁ」
バハリは物凄く興味が無さそうだった。
「赤に青が混ざった長い髪で、斬竜の鱗みたいに逞しくもありながら、とても美しくて……何より笑った時の八重歯が可愛らしくて……」
「ふぅん」
バハリは本に夢中で、彼の話など右から左へ流していた。
「で? オチは」
「オチ? あるわけ無いですよ。単に綺麗な竜人さんだったなぁ、ってだけで」
「惚れたんだろう」
「なっ……!」
しれっとそう言われたが、ツバタにはかなり刺さったようで、一気に顔が紅潮した。
「ほほほ、惚れたなんてそんな! ただ綺麗だなって思っただけで、惚れた訳じゃ……!」
「惚れてるね」
「違います!」
「だいたい、竜人族なんて早々出会える物じゃないんだぞ。俺みたいなのは凄く珍しい。人里に来るような種族じゃあないからさ。
君、夢でも見てたんだろ? 夢に出た女に惚れるなんて浅はかな奴だねぇ!」
バハリは大声で、他の研究員にも聞こえるような声で彼を小馬鹿にする。
カンカンに怒ったツバタは、机を叩きつけて、勢い余ってこう言い放つ。
「じゃあ連れてきますよ! 嘘じゃないって証明するために!」
◇
「ほ、本当にいたのか……」
バハリ、と言ったか。その研究員は口をポカンと開けて、こちらがまるで幽霊かのような目で見つめてくる。
息を切らしたツバタに強引に此処へ連れてこられたディノ。泣き叫びたくなるくらいに、人の視線が怖かった。
「わ、悪かったよツバタ……少し君をバカにし過ぎた……」
「分かればいいんです」
謝った矢先、バハリは何かを思いついたようにハッとし、とんでもない事を口走った。
「ディノさんって言いましたっけ? こいつ、貴女様に惚れてるらしいですよー!」
「……ほ」
そう伝えられると、ツバタが建物が震える程の絶叫を轟かせた。先日狩ったティガレックスといい勝負ができそうな咆哮である。
「ちちち違うんだディノさん! バ、バハリさんが勘違いしてるだけで!」
「惚れてるって……私に?」
「そうなんですよ! 一目惚れ、ってやつです!」
バハリの野次が、彼の顔を更に真っ赤にした。
「あ、あはは……」
どうすればいいか分からず、ディノは笑う。
ぎこちない笑みで、鋭い八重歯をちらつかせながら。
「ん……?」
突然バハリが近づいてきて、怖がるディノの口をお構いなしにこじ開けて、歯を凝視した。
「人間の八重歯が、こんな形状になるはずがない……まるでこれは……」
彼女を突き放したバハリは本棚へ飛んでいき、一冊の太い本を恐ろしいスピードで捲った。
あるページで手を止め、首を振ってそのページに一通り目を通した。
「やはり……僅かだが斬竜“ディノバルド”の牙に酷似している……」
ディノの肩がぴくり、と震えた。研究者の観察眼というのは、こうも恐ろしいものなのかと関心すると同時に、己の正体が明かされようとしている状況に恐怖していた。
「え……?」
「人の姿をしながら、モンスターの形質を持つ……聞いたことがある……。
何処かの村に、モンスターとの子を作る事ができる竜人族がいて、その竜人から産まれてしまった人の子は
彼女の顔が、血が抜けていくように青ざめる。
やめて、それ以上言わないで。
そう言いたくても、声が出ない。否定しても無駄だという心が、僅かなながらに残っていたから。
「それが〈忌み子〉……!」
バハリが再び近づいてきて、彼女の胸ぐらを掴んだ。
「何が目的でこのエルガドに来た? 人を喰うためか? 答えるんだ!」
「や、やめてくださいバハリさん! な、何が何だか、分かりませんけど……ディノさんはそんな事をする人じゃあないですって!」
血眼になりながら声を荒げるバハリを引っ剥がし、ツバタは彼へ必死に訴えた。あの事実を知っても尚、なぜ彼はここまで必死に庇おうとしてくれるのか、ディノには分からなかった。
「何かあってからでは遅いぞ! 君の勝手な考えで、王国の皆を危険に晒す気なのか!?」
「まずは落ち着きましょうって!! 王国の危険とか、そんなの、この人と関係ある訳ないじゃないですか!」
ツバタの声が響いた時、静かな静寂が訪れた。
二人の男の、荒々しい吐息の音だけが、虚しく木霊していた。
「そうだね……まずは落ち着こうか」
「何なんですか? その……〈忌み子〉って」
バハリは本へ目を通し、彼へ情報を伝えてやる。
「モンスターと子を作れる竜人、〈竜巣族〉は本来、“モンスターの子”を身に宿し、産んで生涯に幕を下ろす。
しかし稀に、“人間の子”を宿す者もいる。そうして産まれたのが、モンスターと、人間、二つの遺伝子を併せ持った者……それが〈忌み子〉さ」
彼女は耐えられなくなり、彼らへ背を向けた。――まるで、彼らを騙していた気分になったから。
「それは……理解できました。でも、それと王国の危機に、どういう関係が?」
「〈忌み子〉は人間の姿をしていれど、“モンスターの遺伝子”を確かに持っている。それは身体にも現れている、彼女の場合は斬竜の牙だ」
バハリは椅子に座り、むき出しにした自分の歯をコンコンと指で叩いた。
「君もハンターなら分かるだろう。モンスターは
その“本能”とやらが、彼女には眠っている。ねぇ? 君、無性に
ディノは口元を手で覆い隠し、込み上げてくる吐き気を必死に堪えた。食べたくなったも何も、先日、無我夢中で貪り食ったばかりだ。
あの時の血の味が、再び舌に蘇って、吐き気を促進させた。
「〈忌み子〉が“モンスターの本能”を完全に顕にした時、それはもう“モンスター”と変わりはない。街にモンスターが侵入したのと、同じ事なんだよ」
バハリが冷たくそう言い放つ。
信じたくない。信じたくないのに、それが事実であるという事が、堪らなく怖かった。恐ろしかった。
「……そんなの、分からない。本に書いてある情報だ」
「実例があるから本に書かれるのさ」
「この人がそうなる確証は、どこにもない」
必死に弁明してくれるツバタに、冷たく反論するバハリ。まるで、裁判にでもかけられた気分であった。
「……わかり……ました」
耐えきれなくなったディノは、扉の前まで移動し、首だけ動かし振り向いた。
「私が……この街から出ていきます……そしてこの武器も防具も道具も、今まで貯めたもの全て投げ捨てて……密かに飢え死にます……」
自分でも、こんなにも言葉がスラスラと出てくる事に驚いた。それと同時に、やりたくもないことをすると断言してしまったのを、酷く後悔した。
本当は死にたくなんかない。もっと、もっと普通に生きたかった。
なのに、この身体はその思いを軽々蝕んでくる。
「ディノさん……」
「あぁ、そうしてくれ。エルガドの皆を傷つけるような真似をする前に」
彼女がノブに手を掛けた瞬間、ツバタが腕を引いて、部屋から出ていくのを阻止した。
「死ぬなんて駄目だ! 貴女には……貴女の、貴女の人生があるはずでしょう!?」
「じゃあどうすればいいの?! 私は!!」
感情が高ぶり、思わず大声を上げた。久々に声を張り上げたためか、喉がビリビリと痺れた。
「私の人生が、普通の人生が分からないの!! あなたには分からないわ……! 時折、どうしようもなく屍肉を喰らいたくなるの……あんなに血生臭くて、食べられた物じゃないのに……美味しいって……思ってしまう」
きっと、普通の人間には分からない。
理解できる筈がない。
「……俺にその気持ちは分かりません。けれど、貴女が歩むべき道を歩むことを、手助けすることくらいは……できると思います」
「私が……歩むべき道?」
サバタはバハリの方を振り向き、真剣な顔つきでそう呟いた。
「バハリさん。この人の事、しばらく他のみんなには黙ってて頂けますか」
その真剣な瞳に宿る、燃え滾る炎のような決意。
バハリはそれを見て、何を思ったのか、静かに本を閉じた。
「好きにしなよ」
彼女はこの日、初めて人に救われた。
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三『 証明』
あの一連の騒動があった後、ディノは潮風がよく当たる、エルガドの港に佇み、ひたすらに海を眺めていた。
「……いいの?」
「何がですか?」
「私みたいな、モンスターの事を、ハンターであるあなたが庇って」
隣に佇むサバタに、思わずそう尋ねた。
彼はハンターであり、人間だ。半分はモンスターである自分を庇うなど、掟破りにも程がある。
「多分、いけないんでしょうけど。貴女みたいな人が、エルガドの皆を傷つけるなんて到底思えなかった。なのに、人知れず死ぬなんて。そんなの、あんまりじゃないですか」
「……優しいのね」
風が生温く感じられた。気持ち悪いくらいに心地良い。それは表情に出て、微かな微笑みとなって浮かび上がる。
「ほら、その笑顔。なんだか、それを見てるとあったかくなる」
サバタはそう言うと、しばらくこちらの顔を見つめた後、顔を僅かに赤らめて、それを誤魔化すためにずっと持っていた兜を被った。
「あはは。変な人」
笑えてくる。
あったかい、ってこんなにも笑えてくるものなのか。
「よく言われます。変な人の元で修行してたもので」
「お師匠様がいるの?」
「はい。俺のお師匠様と言うよりか、皆の英雄ですよ」
皆の英雄。そう言う彼は、どこか誇らしげであった。
「さ。本題に入りましょう。バハリさんに認めてもらうためには、それ相応の何かを達成しないといけませんからね」
「……そこまでしてくれるのね」
「まぁ、もう言っちゃいましたから」
ツバタは苦く笑いながらそう言った。勢いでああ言えるのなら、中々肝が座っている。その割には、恥辱の事実を暴露された時、随分と焦っていたが。
兜を被ると、彼は一気に狩人らしい風貌に早変わりした。青々と輝く鉱石で作られたその兜からは、見ただけで、装着者が勇猛なるハンターであると分からせる不思議な魅力があった。
他のハンターとやらを、まじまじと見たことが無い彼女にとっては、初めての感覚であった。
「エルガドでは今、傀異化モンスターの騒動に悩まされているんです」
――傀異化モンスター。独立した噛生虫キュリアにより、暴走状態となったモンスターの事。王域のみならず、現在は各地で問題となっているらしい。
エルガドに滞在して数週間だが、そうする理由もないため一度も対峙した事がなかった。どれほどの脅威なのか、彼女は知らない。
「みんな頭を悩ませる調査依頼が届いていてですね……」
そう言いつつツバタはポーチを漁る。小さなメモを取り出し、こう続けた。
「あ。あった――傀異化したセルレギオスと、エスピナスの狩猟依頼なんですが……」
千刃竜に棘竜。いずれも強力なモンスターではあるが、皆が皆頭を悩ませるような組み合わせではない。腕利きのハンターたちがすぐに受注し、あっさり無くなりそうな依頼ではあるが。
「一体、未確認のモンスターが目撃されているとの情報があって……不気味がって誰も受注しないです」
「未確認?」
「はい。正体不明のモンスター……らしいです」
何十年と生きてきたが、まだ聞いたこともないモンスターがいたとは。早くも生きてて良かったと、ほんの少しだけ思える瞬間が訪れた。
「ね、一緒にこれを達成しましょう! そうしたら、バハリさんも認めてくれますよ!」
「それだけで……本当に?」
「大丈夫! バハリさんは、ああは言っているけど、そこまで酷い人じゃありませんから」
あまり信憑性が無いが、彼の言うことだ。信じないのは、申し訳なかった。
二人は受付を行う為に、受付嬢のいるクエストカウンターへと向かった。
ここの受付嬢は元々は王国の姫君であるのだが、皆の役に立ちたいという一心で猛勉強し受付嬢になったらしい。
可愛らしい格好をした、小さな受付嬢 チッチェ姫が一礼して出迎えてくれた。
「ツバタさん、何なりとお申し付けを! ……おや? そちらの方は確か……ティガレックスのクエストを受注された……」
「訳あって一緒に行くことになって。このクエストを受注できるかな?」
「いいのですか? 未確認のモンスターが目撃されているとの情報がありますが……」
「構いませんよ。姫様」
「では、いってらっしゃいませ」
二人はクエストを受注した。
この瞬間は、毎回心が緊迫する。
多分、色々な感情が渦巻いているからだと思う。
◇
ぴゅー、とひんやりとした冷気を含む風が頬を撫でる。瞬く間に鳥肌が立ち、身体を芯から凍えさせた。
城塞高地は様々な地形が入り混じる個性豊かな大地。それに応じた多種多様なモンスターが生息する、危険な狩り場でもある。実に、ディノがここに訪れるのは初めてであった。
「棘竜は近場にいると思います。案内しますね」
「お願いするわ」
ツバタが背負っているのは、大砲と槍が合わさったような武器――ガンランス。巨大な盾とセットになった王牙銃槍【火雷】。あんなにも大きな物を持てるのは、鍛えた成果によるものだろう。
彼に案内され、城塞高地の森林地帯へ足を踏み入れた。
湿気が凄く、しっとりとした空気が鼻の中に入り込み、喉奥を僅かに潤してくる。
「気をつけてください。そこに足を取られたら厄介ですよ」
「わっ……」
どろり、とした液体がたっぷり張られた泥沼。彼が言うには、破裂するカエルが潜んでいるため危険なのだとか。
多彩な顔がある城塞高地。美しくもありながら、油断すればあっという間に命を奪われてしまいそうな、残酷さもあった。
毒々しい液体が滴る木が聳え立つエリアに、それはいた。
荒い寝息を立てながら、優雅に眠る飛竜。真紅の棘が伸びる緑の甲殻に身を包み、その安らかな表情からは、確かなる凶暴性を感じさせていた。
棘竜――エスピナス。今回の標的の一体だ。
寝息を立てる竜に忍び寄る二人は、少し手を伸ばせば、奴に触れる事ができそうな距離まで接近した。
奴はこれだけ近づいても悠々と眠っていられるくらいには強い。目覚めて、激昂する事があれば、手に負えない程に。
「ディノさん、しーっ……今起こすと厄介な事になりますから。今のうちに準備をしましょう」
寝ているモンスターを前にして、ハンターが準備するもの――ディノはすぐに予想がついて、若干苦く笑う。
けむり玉の白煙を散布して、ツバタは翔蟲でキャンプの方へ飛んでいった。
眠り惚けるエスピナスを見ながら待ちぼうけでいると、サバタが大きな荷台を引っ張りながら再びやってきた。
その荷台には、大タル爆弾がしこたま詰め込まれていた。
「静かにですよ。静かに」
「ば、爆発させないようにね」
「そんなヘマしませんよ」
二人は荷台に積まれたタル爆弾を、せっせと運んで、エスピナスの側へセットしていく。
全てのタル爆弾を置き終えて、爆風に巻き込まれない遥かに離れた場所にポジションを移す。
「俺が起爆してきます」
「き、気をつけて……ね」
「平気ですよ」
起爆前の小タル爆弾を抱えた彼は、爆弾に囲われたエスピナスの元へ小走りで駆けていった。
勇敢な彼の背中を、細い双眸で見つめる。
あれが“ハンター”。弱い身体を持ちながらも、勇敢に、逞しくモンスターへ挑む、まさしく“英雄”。
その証を手に入れた者は、皆、あのような自分がちっぽけに感じられる背中を持っているのだろうか。
彼がエスピナスに近づいたその時――。
唸り声を上げながら、エスピナスが首をぬるりと起き上がらせ、ツバタを瞬時に血走る眼で捉えた。
「おっと……」
棘竜が吠え、その首をぶるん、と振るった――。
「ツバタッ!!!!」
徐ろに駆け出したディノは、彼目掛けて飛び込んで、両腕を伸ばす――。
振るわれた棘の大木が、大タル爆弾を根こそぎ薙ぎ払う。
耳を劈く、絶叫のような爆発音が轟いて、大地が震える衝撃と、空気を焼き焦がす熱風が辺り一帯を覆い尽くした。
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四『棘と刃』
全身に凄まじい激痛が、覆い被さるかのように降り掛かってくる。
ツバタを庇う形で地面に転がったディノは、絶えず燃え広がってゆく灼熱の中から脱出したものの、薄っぺらい防具であった為か一部に焔が燃え移っており、危機を脱してもなお苦痛は続いた。
「ディノさん!!」
身体を蝕む焔を彼に消火してもらい、荒んだ心が次第に落ち着いてきた。
致命傷レベルの火傷を負った。しかし、これほどの負傷を持ってしても、忌み子を殺すことはできないのだ。
「平気……すぐに治るから。それより、エスピナスを」
「何言ってるんですか……!! 大怪我ですよ!! 一旦キャンプに――」
「そんな暇があればいいけどね……」
爆炎と黒煙から垣間見える刺々しい巨体。
広げた両翼をぶん、と振るって焔と煙を搔き消し、怒り狂ったその姿を自ら曝け出した。
咆哮と同時に、エスピナスの甲殻の隙間から真っ赤な血管が浮き出てくる。息を瞬く間に荒くなり、目は血走り、正気を感じられなくなる。さっきまでの安らかな寝顔が夢のようだ。
軋む身体を無理矢理動かして、ポーチから秘薬を取り出す。
一口で頬張って嚥下すると、溶け出した成分がみるみる内に全身に染み渡り、不思議と痛みを忘れさせる。
ふらつきながら立ち上がった彼女は背中の太刀を引き抜き、エスピナスに矛先を向ける。
「じっとしててください!! これは……これは俺の責任です!!」
「そう……なら私の言う事聞いてくれる?」
ツバタは頷く。兜越しの表情は、きっと凛々しいだろう。
「私と一緒に戦って」
焼け爛れの跡が、じわじわと塞がってくる彼女の顔は、笑っていた。
それを見た彼は、兜越しにどんな表情を浮かべたのだろう。
「グオァァァァァァァァァ!!!!」
エスピナスのけたたましい咆哮が草木を揺るがし、大地を震わせる。
大きく開かれた悍ましい口内で、灼熱の焔が煮え滾り、やがて球体となりて放たれた。
凄まじいスピードの灼熱の豪速球を回避し、二人は各々反対方向に散開する。
エスピナスの炎には毒がある。吸い込めば、たとえモンスターの血を引くディノであれど命が危ない。
飛竜刀【藍染】の矛先で地面に軌跡を描き、耳に障る金属の音でエスピナスの注意を引きつつ奴との間合いを詰める。
こちらに向いたエスピナスの顔面に、強烈な一撃を叩き込む。
弾ける血飛沫と鱗を切り払い、また一撃。
一気に温度の上がった生温い空気を斬り裂いて、また一撃。
彼女の絶え間無く放たれる連撃に、エスピナスは対応しきれず押されっぱなし。反撃の猶予すら与えられなかった。
未だ立ち昇る黒煙の中から、王牙銃槍【火雷】の先端が覗き、真っ赤に爆ぜて黒煙をも焼き焦がした。
放たれた爆撃はエスピナスの左目に直撃。
眼球内が焼けて、堪らず絶叫する。
すかさず、悶える棘竜の首筋へ雷狼竜の銃槍が突き刺さり、血が溢れんばかりに噴出した。
一撃、二撃、三撃――と繰り返すたびに、銃槍の先端が赤くなって焔が爆ぜ、エスピナスの鱗を肉ごと粉々に吹き飛ばしていく。
ツバタがバックステップで後退した瞬間、空高く舞い上がったディノが放つ、空気を真っ二つに切断する凄まじい斬撃がエスピナスの身体から頭部にかけて炸裂する。
エスピナスはディノを頭から齧り取ろうとするも、王牙銃槍【火雷】の攻撃により制されて、逆にダメージを貰ってしまう。
並ぶ二人の狩人が、怒りで我を忘れ、滅びゆく我が身をも案じない棘竜の前に立ち塞がった。
まだまだ戦えるように見えるが、あれだけの傷と出血量では、明らかに瀕死状態だ。
最後の一押し――武器を握る拳へ最大限の力を入れ直して、深く息を吐き、エスピナスの方へ一歩踏み出した、その時だった。
「キィァァァァァァァァッッ!!!!」
風が吹き荒れたかと思えば、無数の“刃”がおびただしい軌道を描きながら地上に降り注いできて、その全てが、虫の息であったエスピナスの身体へ深々と突き刺さる。
エスピナスは倒れ、息絶えた。
その亡骸の上に降り立つ、禍々しい影。
――千刃竜 セルレギオス。その周りには、噛生虫が飛び回っていた。傀異化しているのが、見ただけで分かる。
二人を前にして、狂気に染まった千刃竜がけたたましい咆哮を轟かせた。その音でさえ、刃のように鋭い。
「まだ……やれる?」
「当たり前ですよ……!」
武器を構え、二人の狩人は千刃竜の元へ駆けていく。
奴が目をつけたのは、疾走するディノであったが、放った千刃を軽々避けられ、当たると思われた物も刃に打ち砕かれてしまった。
死にものぐるいで追いかけてくる噛生虫。八に噛まれると全身に毒が回る。何としても避けなければ。この依頼を終えるまでは、死ねないのだから。
噛生虫を刃で叩き落し、翔蟲を放つ。
伸びる鉄蟲糸を握りしめ、空へと駆ける。
セルレギオスを赤々と光る巨体を踏みつけ、夜空に浮かぶ円月を描くようにして身体を捻って刃を振るう。
こちらを向いた千刃竜の兜を、渾身の力で叩き割った。
パシュ、と僅かな音が鳴ったのを皮切りに、辺りの音が一気に静まる。
――刹那、セルレギオスの頭部を凄まじい衝撃が襲い、無数の斬撃が遅れて叩き込まれた。吹き出る血飛沫が、雨のように降り注ぎ、大地を鮮やかに彩った。
悶え苦しむセルレギオスの背後で、銃槍の弾丸を装填し終えるツバタ。
翔蟲を前方に放ち、先端を地面で擦って、摩擦で真っ赤に染め上げながら前進し、渾身の斬撃を喰らわせる。
熱々の金属が首筋を切り裂き、セルレギオスは更に悶えた。
飛び上がり、怒りに身を任せたまま翼をぶんと一振りし、その身に生え並ぶ千刃を地上へ放出する。
一手遅れたディノは、その千刃が間近に迫ってもまだ回避の体勢を取り始めたばかりであった。
しばらく動けなくなるな――と悟った瞬間、前方に立ったツバタが、ガンランスのシールドでこちらに降り注ぐ千刃を全て防いだ。
礼を言う間も惜しく、彼を追い抜いて、セルレギオスの斜め下に位置を移す。
傀異化の影響により、我を失い、本来の美しさすら失った千刃竜の顔は、どこか悲しそうに見えたのだ。ほんの、刹那の間だけであったが、確かにそう思えた。
セルレギオスは吠える。枯れた声で、絶え間無くその身を蝕み続ける噛生虫を解き放ちながら。
キュリアが、宿主を守る本能が働いたのかこちら目掛けて一目散に降り注いできて、思わず怖気づく。
太刀をぶん、と振るって追い払おうとするも圧倒的な数からか、全てをそうすることは不可能であり、やがてその体に纏わりつかれてしまった。
「不味い……!!」
劫血やられ。噛生虫に生命を吸われ続ける状態異常の一種。明確な治癒法はたった一つ――戦い続けることだ。
ディノは歯を食いしばり、太刀を今まで以上に強く握りしめた。
そして、地に降り立つセルレギオスと睨み合う。
両者は同時に攻撃を仕掛ける。
セルレギオスは前方に千刃を放つも、凄まじい勢いで疾走してくるディノには一つたりとも当たりはしなかった。
ディノの飛竜刀が、地面に擦り付けられて炎を放出する。その僅かな猶予を有効活用し、炎纏いし刃でセルレギオスの頭を存分に叩きつける。
一匹、また一匹とキュリアが離れていく。
戦いの最中で脈が急激に速くなれば、生命を吸うのに支障が出るのだとか。
だから、この高ぶる気持ちを抑え込んではならなかった。
ぐいっ、と身体を捻りつつ大回転斬りを叩き込み、振るわれた尻尾をバックステップで回避して、力強く踏み込みながら気刃無双斬りをお見舞する。
血管が焼き切れだった。こんなにも興奮したのは、生まれてから初めてかもしれない。
二回の大回転斬りと無双斬りを叩き込んだ後、再びバックステップで攻撃を回避してポジションを整える。
ふーーー、っと深く息を吐く。
その瞬間、周りの景色はスローモーションになり、集中が極限状態まで高まった。
前に掲げた刀身を鞘の中へ、そっと、そっと、滑り込ませてゆく。
キン、と納めた音がした直後、スローモーションの景色は元へ戻り、脇に抱えた太刀へ凄まじい力を送り込んでいく。
孤立し、棒立ち状態の彼女を見たセルレギオスは首を真っ二つにしてやろうと爪を剥き出しにし、飛び上がろうとするが、王牙銃槍【火雷】から解き放たれる竜杭砲が首に突き刺さり、その行動を制されてしまう。
一、二、三歩。刀を納めたまま前進する。
セルレギオスが動き出そうとした瞬間――刀を抜いた。
全身を駆け巡る血液が沸騰しそうな程熱くなり、刀を振るう腕の力を臨海まで高めた。
一撃は軽く、二撃目は軽やかに力強く奴の頭部へ叩き入れる。
そして三撃目。後ろへ少し下がり、僅かに飛び上がりながら、全ての力を腕へ結集させた強烈な斬撃を叩き入れ、太刀使いの究極奥義“気刃解放斬り”は完成する――。
傷が脳まで達したセルレギオスは、三撃目を食らわした時点で息絶えた。
力無く横たわる千刃竜の身体から、キュリア達が群れを成して空へ飛び立っていく。
一縷の光目指して、遥か彼方へと。
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