ゾンビと一緒にダンジョン攻略 〜ゾンビと仲良くなる度にクエスト報酬がもらえちゃいます〜 (フーツラ)
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目覚め

 俺がコールドスリープから覚めた後に初めて出会した人間は、残念ながらまともではなかった。

 

 生気のない灰色の肌に血走った瞳。口元からは涎を垂らし、うぅーと唸っている。一言で言うとゾンビ。

 

 襲われはしないが、仲良くなれる気もしない。

 

 俺はゾンビをそっと躱し、壁にかけてあった服と靴を拝借して目覚めた部屋から出る。

 

「……螺旋階段」

 

 なんとなく思い出してきた。俺は地下室で眠っていたのだ。

 

 地上を目指して鉄製のステップを踏みしめると、カンカンカンと音が響く。騒がしくするとさっきのゾンビが追いかけてくるのでは? と心配になるが、どうやら大丈夫らしい。気配はない。

 

 階段を登り終え、錆びついた鉄の扉を押して外に出ると、空は意外な程に真っ青だった。

 

 記憶が確かなら、ここは上野駅近くの繁華街だ。俺はその一角にある雑居ビルの地下で長い眠りについていた筈。

 

 今が西暦何年かは分からない。ただ、俺の知る21世紀とそれほど街中の様子は変わっていなかった。塗装が剥がれて赤錆た看板が目立つぐらいだ。

 

「さて、俺の方は大丈夫だろうか?」

 

 何年寝たのか分からない。自分の顔を確認したい。俺はガラス張りのビルを探して歩き始めた。

 

 

 程なく、カラオケ屋のガラス張りのフロントが俺の姿を映し出した。

 

 三間健一、17歳。髪型まで記憶の通り。肌は萎れていないし色もまともだ。今の日本に高校があるかは知らないが、眠る前は高校二年生だった。

 

 さて、声は出るのだろうか? 湿気を含んだ空気を肺いっぱいに吸い込む。

 

「すみません! 誰かいますかぁぁー!!」

 

 ビルの合間に声が響き、鳩が飛び立った。あの鳩はまともなのだろうか? それともゾンビ化している? 気になってしまうが、確かめようのない疑問だ。胸に仕舞って耳を澄ます。

 

 何処からともなく物音がする。いや、あらゆる方向からだ。

 

 道路の真ん中に立って周囲を見渡していると、最初に出会ったのと同じように灰色の肌をしたゾンビがその辺のビルからゾロゾロと出てきた。

 

 男のゾンビに女のゾンビ。子供や赤ん坊もいる。中には下半身がなく腕だけで這うものや、頭に棒の刺さった奴まで……。実にバラエティー豊か。

 

 彼、彼女達は俺の方をチラリ見ると、興味無さそうに元々いた場所に戻っていく。「なんだ、人騒がせな奴だ」と言うように……。

 

 これは俺のゾンビ観だが、彼等は人を襲うべきだし、襲われて噛まれでもしたら感染してゾンビになるべきだ。

 

 しかし──、彼等は全くそのような素振りを見せない。俺を見てもつまらなそうにするだけだ。

 

 別に襲われたいわけではないが、何か寂しいものを感じる。一人ぐらい俺に飛びかかってくるような奴がいてもいいのではないか? そんなことを考えながら飲食店が並ぶ商店街を行く。

 

「オデ……ン。オ……デン」

 

 ……うん? 人の声。これは人間か? それとも喋るゾンビ?

 

 くぐもった男の声がする方へ歩いていくと、そこは立ち飲み屋だった。看板に大きく『おでんの村田』と書かれてある。

 

 カウンターの向こうには灰色の肌をしたスキンヘッドのゾンビがいて、何やら忙しそうにしている。

 

 他のゾンビとは違った様子に興味を引かれ、近寄ってカウンターの向こうを覗くと、彼は何かを皿によそっていた。

 

「た、たまご……。ウィンナー……」

 

 おでんの村田は動物の目玉をたまご、臓物をウィンナーに見立ててママゴトのようなことをしていた。まだ人間だった頃の記憶があるのだろうか?

 

「い、いらっ……。いらっしゃい」

 

「大根はありますか?」

 

「だ、大根……」

 

 村田は鍋の中を一緒懸命に掻き回す。そしてスキンヘッドをポリポリとかいた。

 

「……ない。大根ない。とってくる……」

 

 カウンターから出てきた村田はナタのようなモノを持って歩いていく。こんなところに畑なんてない。一体、何処へ行くつもりだ?

 

 興味を持った俺は村田の後をつけていった。

 

 

#

 

 

 上野動物園の近く。村田は不忍池の畔に立つ弁天堂に向かって歩いているようだった。

 

 途中、何体ものゾンビとすれ違ったが村田のように喋る個体はおらず、うぅーと唸ってばかりだった。どうやら、村田は特殊なゾンビのようだ。

 

 村田はズカズカと弁天堂に上がり込み、扉を開け放つ。

 

「穴?」

 

 俺の声に反応した村田が振り返る。

 

「おっ、お客さん……。少々お待ち、ください。大根」

 

 ちゃんと俺のことを覚えているらしい。大根のことも。しかし、ここに大根があるのか? そもそも、弁天堂の床に空いた大穴はなんだ?

 

 俺の疑問をよそに、村田は穴に飛び降りる。慌てて覗き込むとそんなに深くない。さて、どうする? コールドスリープに入る前の俺なら躊躇っていた筈だ。しかし、俺の心は若干おかしくなってしまったらしい。

 

 全く恐怖を感じない。あるのは好奇心だけだ。

 

「よしっ!」

 

 俺は村田の後を追って穴に飛び降りた。

 

 

#

 

 

 穴の中はほんのりと明るい。硬い岩で出来た壁全体が薄らぼんやりと光っている。

 

「これ、弁天堂の地下じゃないよね? どうなってるの?」

 

「だ、大根……。だい、こん」

 

 村田は大根探しに必死だ。こちらの疑問には答えず、どんどん進んでいく。

 

 穴は延々と横に伸びていて、終わりが見えない。直径も徐々に大きくなっている。

 

 ──ドスッ! ドスッ! と重たそうな足音が前方から聞こえてきた。

 

 村田が立ち止まり、ナタを構える。なんだ? 何かくるのか? 大根?

 

「ブモォォォ!!」

 

 現れたのは太った体に豚の顔を持ったモンスターだった。体長は二メートル近くありそうだ。棍棒のようなもので村田に殴りかかる。

 

「ふん」

 

 ガチン! と棍棒とナタがぶつかり、激しい音がする。村田はそのまま棍棒を流し、豚のモンスターは体勢を崩した。村田は意外な身軽さでモンスターに向き直り、頭から体当たりを──。

 

 ──ドンッ! と吹っ飛ばされた豚顔は壁に後頭部をぶつけてふらついた。そこにナタが襲い掛かる。

 

「ブヒィィィィ!!」

 

 穴のなかに響く豚顔の悲鳴、そして飛び散る血飛沫。村田の手は止まらず、何度もナタが振るわれる。やがて、モンスターは身じろぎすらしなくなった……。

 

「いそがないと……。大根だぁ……」

 

 村田は地面に倒れたモンスターの膝下にナタを叩きつけ、体から切り離す。

 

「お、お客さん。大根……」

 

「ありがとう。村田」

 

 村田が一瞬、驚いたような顔をした。血走った瞳の奥に微かに光ったのは知性なのか……? 名前を呼ばれたことを反応したように見えた。

 

 ──バフン! と突然、モンスターの体から煙が上がる。そして……体が消えた。何も残りはしない。村田が急いだのはこのせいか……。

 

 そして突然脳内に声が響く。

 

『クエスト【ゾンビと一緒にダンジョンでオークを倒す!】をクリアしました!! 報酬として経験値1000獲得!!』

 

 なんだ? このゲームじみた設定は。俺がコールドスリープしている間に、この世はどうなってしまったんだ?

 

「す、ステータス。オプン」

 

 村田が突然、ボソリと呟いた。ゾンビがステータスオープン? そんな、馬鹿な!?

 

 中空を見つめる村田。何かを読んでいるようで、仕切りに頷いている。

 

「何かあったのか? 村田」

 

「レベル、あがた」

 

 そう言って少しだけ満足そうにする。

 

「レベル? そんなものがあるのか? 村田は今、レベルいくつなんだ?」

 

「に、23」

 

 ……レベル23。それが高いのか低いのかは分からない。先程の戦いっぷりを見ている限り、なかなかのものに思えたが……。

 

 俺が考え込んでいると、村田はオークの膝下を持ちダンジョンの入り口へと歩いて行く。オークの膝下を大根という体で調理するのだろう。

 

 あまりの出来事の連続に少しぼんやりしていると、ダンジョンの奥から物音がした。またモンスターが出てくる? 一人では戦える気がしない。

 

 俺は慌てて村田に続いて、ダンジョンの入り口に戻り、何とか穴をよじ登った。



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大根

 村田はオークの膝下を持って自分の店へと戻っていく。その道中で何体ものゾンビが村田に襲い掛かってきたが、そこはレベル23だ。何なく撃退していた。

 

 弁天堂への往路ではゾンビに襲われることはなかった。しかし復路では襲われた。その違いは……? 思い当たるのは村田が左手に持つもの。まだ血が滴るオークの膝下だ。

 

 ゾンビはオークの肉を狙っている? ゾンビにとってはモンスターが食糧ってことなのか? そう考えると、『おでんの村田』で出されるおでんは全てモンスターの体なのかもしれない……。

 

 村田は大根──オークの膝下──のおでんを作り始める。驚いたことに、『おでんの村田』にはガスが通っているし、よく見ると電気もついている。水道だって健在で、俺は村田からもらったお冷を飲んでいる。

 

 この状況が意味するもの……。それはこの人間のゾンビ化が局所的な事象だということだ。範囲は分からないが、少なくとも上野駅周辺に対してライフラインを提供出来るぐらいには日本は保たれていることになる。

 

 日本は完全に壊れているわけではない。俺は誰かに助けを求めることが出来るかもしれない。ゾンビではない誰かに。

 

「まぁ、今はいいか」

 

 だってそうだろ? 目が覚めたら、辺りはゾンビだらけでおまけにダンジョンまである。クエストなんてふざけたシステムまで実装されていて、俺は経験値を1000手に入れたんだ。

 

「そうだ。ステータスオープン」

 

 俺は遂にその単語を口にした。少し恥ずかしくて躊躇っていたが、ここには村田しかいない。何を聞かれたっていいだろう。

 

 少し間があってから目の前の空間に文字が浮かんだ。まるでゲームのウィンドウのようだ。そこには──。

 

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 名前 :三間健一

 レベル:1

 スキル:なし

---------------------------

 

 弱い。弱すぎる。ステータスの表記がシンプルな分、弱さがダイレクトに伝わってくる。村田のレベル23が憎い。

 

 何とかクエストをこなして経験値を稼がないといけない。レベルを上げてどうするの? なんて疑問は棚上げだ。レベルがあったら上げたくなるのが、生き物。それは本能に刻まれた習性。

 

「だ、大根。できらぁ!」

 

 急に村田が大声を上げた。どうやら大根のおでんが出来たらしい。カウンターから差し出された皿と箸受け取ると、なるほど形は輪切にされた大根に多少似ている。かなり細工はしているのだろうけど、大根だと強く言われればこちらとしては飲み込まざるを得ない。

 

「意外といい匂い」

 

 村田のおでん……。よい出汁の香がする。思わず腹が鳴った。

 

 カウンターの向こうから期待に満ちた視線を感じる。

 

「わかったよ! 食べればいいんだろ?」

 

 俺は覚悟を決めてオーク大根に箸をいれ、一口サイズに整形した。そして箸で摘んで口へ──。

 

「うまい! いや、なんで? うまいんだけど!!」

 

 俺の感想を聞いて満足したのか、止まっていた村田が動きだした。そして脳内に響くあの声。

 

『クエスト【ゾンビの手料理を食べる】をクリアしました!! 報酬として経験値2000獲得!!』

 

 このクエストシステム、ダンジョンの外でも機能するようだ。

 

 村田もなんらかのクエストをクリアしたようで、ステータスオープンをしてレベルを確認している。残念ながら上がっていなかったようだが……。俺も村田を真似てステータスオープンを唱える。

 

「よし! レベル2だ!」

 

 何が変わったのかは分からないがレベルが上がったのは素直に嬉しい。とても良い気分だ。

 

 調子にのった俺はその後、たまごとウィンナーも注文した。たまごの方はゼラチン質で濃厚。ウィンナーはちょっと臭みがきつかったが気合いで乗り切った。残念ながらクエスト達成はなかったが……。

 

「じゃぁ、村田。ありがとう」

 

 俺が立ち去ろうとすると、村田は慌てる。

 

「おっ、お客さん。おだ、おだ。お代……」

 

 えっ、お金払うの? ゾンビお金いる? いや、確かに無銭飲食は良くない。俺は祈るような気持ちでズボンのポケットを漁る。そして奇跡的に硬貨を探し当てた。

 

「ご馳走様」

 

 俺はカウンターに五百円をパチリと置いて、踵を返す。おでんの匂いに釣られたのか、ふらふらと三体のゾンビが寄ってきていた。

 

 このゾンビ達、お金払えるのかな? 払えないと村田のナタの餌食になるかもしれない。

 

 そんな事を考えながら、俺は『おでんの村田』を後にして上野の商店街の探索を開始した。



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武器

 俺が探しているのは、武器になるものだ。ダンジョンとモンスターの存在が明らかになった今、丸腰で歩き回るのは避けたい。

 

 今のところ、上野の街ですれ違うのはうぅーと唸るだけでほぼ無害なゾンビだけだ。敵意を向けてくるモンスターの姿はない。

 

 しかしいつ、ダンジョンにいたような好戦的な奴が現れるとも限らない。武器の調達は急務なのだ。

 

 路面店をあれこれ覗いてみたが、コレ! というものはない。飲食店の厨房に入れば包丁ぐらいはあるけれど、もう少しリーチのある武器が望ましい。

 

 何せ俺はまだレベル2のノースキルだからな。モンスターと接触=死の可能性がある。

 

「金だけもらっていくか」

 

 気まぐれで入った時計屋の壊れたレジの中から一万円札を抜き取る。村田のおでんを食べるにはお金が必要だからな。それに、他のゾンビもお金を欲しがる可能性がある。

 

「他の金目のものも、頂こう」

 

 俺は高級腕時計を左右の手首にはめ、金のネックレスを三本首にかけた。鏡を見ると、頭の悪い成金に見えるがまぁいい。どうせ周りにいるのはゾンビだ。見た目を気にするのは愚かだ。

 

 俺は高校二年生とは思えない風体で、街の探索を続ける。

 

 

#

 

 

 JRの高架下にある小さな店舗が所狭しと並んでいる中に、「二階堂スポーツ」という店があった。店頭のハンガーには掛けっぱなしでダルダルに伸びてしまったジャージがあり、ワゴンの中は埃とカビがびっしりのスニーカーがぎゅうぎゅう詰めだ。

 

 それだけ見ると何も期待出来ない店。

 

 しかしその奥の壁に飾られてあるものに、俺の視線は釘付けだ。

 

「短剣だ……」

 

 ナイフ呼ぶには刃渡りが長い。七十センチぐらいある。なんでこんなものがスポーツ用品店に……。もらっていくか……?

 

 そんな逡巡を察してか、店の奥から一体のゾンビが現れた。若い女のゾンビで、チェックのミニスカートに網タイツとやけにパンクな格好をしている。店主だろうか?

 

「……い、いら。いら」

 

 怒ってないよな? 

 

「いらっしゃいませ? って言いたいの?」

 

「……そ、そう。い、いら。いらっしゃ……せ」

 

 久しぶりの接客なのか? 言葉が出てこないようだ。とはいえ、うぅーしか言わないゾンビとは違う。村田と同じように知性が残っているタイプだ。

 

「武器と防具が欲しいんだけど」

 

「ど、ど、ど……ぶ、ぶ、ぶ」

 

「どんな武器が欲しい? って言いたいの?」

 

「……そ、そう。どな、武器。ほ?」

 

 ほ? のところで首がガクンと90度折れた。すぐに元に戻ったけれど、結構怖い。

 

「……えーと、そうだな。なるべくリーチの長いやつがいいかな。俺の身長ぐらいの槍とか」

 

 1.8メートルぐらいの槍であれば外でもダンジョンの中でも扱える気がする。モンスターと充分距離も取れるだろうし。

 

「……や、槍。やりやり」

 

 ぶつぶつ言いながら、女ゾンビは店内を歩き回る。そしてそのままバックヤードに入ってなかなか出てこない。どうやら在庫を漁っているらしい。

 

 ようやく表に出てきた女ゾンビ──二階堂──の顔色は優れない。ゾンビだから当たり前か?

 

「……ナッシング」

 

 急な英語に戸惑うが、意味は伝わった。槍の在庫はないようだ。

 

「そうか。残念だね。ちょっと他の店を……」

 

「……ま、ま、ま」

 

 二階堂は急に慌て始める。

 

「どうしたの?」

 

「……お客。ま、ま、ま、待って」

 

 壁掛けの短剣を手に取り、二階堂は店頭まで出てきた。急な展開に逃げ出そうとすると、素早い動きで俺の手を掴む。手のひらからは全く熱を感じさせず、冷たい。そして脳内に響くのはあの声。

 

『クエスト【女ゾンビにタッチされる】をクリアしました!! 報酬として経験値3000獲得!!』

 

 こんなやり取りでクエストを達成してしまった……。なんだか罪悪感を感じるぞ……。

 

「や、やりやり。探す」

 

 二階堂は俺の手を握ったまま店の外に出て歩きだす。そしてまたもや向かうのは不忍池方面だ。まさか、またダンジョン?

 

 俺のことはお構いなしに二階堂はズンズン進んでいく。

 

 そしてそのまま「おでんの村田」の前を通り過ぎる。

 

 村田に見られるのは何となく気まずい気がして、手を振り解こうとするが、二階堂の力は強い。全然外れない。

 

 ちらり村田に視線をやると、カウンターの向こうで少しだけニヤついているように見えた。

 

「おい! 笑うな!」

 

 しかし村田はニヤニヤをやめない。ちっ、村田の野郎! 後で覚えていろよ!!

 

 

 俺の気持ちは蔑ろにされ、二階堂は歩き続けた。そしてとうとう、俺は弁天堂の前にいる。たった数時間のうちに、二度目のダンジョンだ。



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女ゾンビ、二階堂

 村田がパワー型なら、二階堂はスピード型だった。

 

 ダンジョンに入ってオークが現れると、二階堂はやっと俺の手を離した。握られていた部分を触ると、ひんやりしている。流石はゾンビ。

 

 そんなことを感心している間に戦端は開かれる。

 

「ブモォォォ!!」とオークが雄叫びを上げながら、棍棒を振り回すが──。

 

「遅」

 

 もうそこに二階堂の姿はない。オークの死角に回って短剣で斬りつける。ただし、傷は浅い。村田と比べると、大分腕力が弱いようだ。

 

 とはいえ、危なげなく戦いは続く。オークは体中に裂傷を作り、動きはどんどん鈍くなっている。

 

 よーし、この辺で俺も戦いに参加してみるか。

 

 ゆっくりと屈み、地面の石を拾う。そして……。

 

 ヒュン! と投石が空気を斬った。自分の想像よりも遥かに力強く投げられた石がオークの顔に当たる。オークは反射的に左手で顔を覆った。……二階堂の目が鋭くなる。

 

 ──斬ッ! と振るわれた鋭い短剣はオークの首を掠め、面白いように鮮血が噴き出した。残心をする二階堂の顔にもオークの血がかかるが、本人は気にならないようだ。無視している。

 

 やがて、オークは地面に倒れ伏し動かなくなった。

 

 ──バフン! とオークの体が煙になると、村田の時とは違ってキラキラと光る石が地面に残った。二階堂は無表情のままそれを拾い上げ、口に入れた。そしてガリガリと噛み砕いている。

 

 うーん……。飴玉ってこと? オーク飴? 喉にいい?

 

「美味しいの?」

 

「う」

 

 二階堂が頷いて同意の意思を示すと、首がまた90度折れた。びっくりする。

 

「あっ、顔にかかった血が固まっちゃいそう。ちょっと動かないで」

 

 俺はズボンの後ろポケットに入っていたハンカチを取り出し、二階堂の顔を拭う。流石にオークの血塗れなのは忍びない。

 

『クエスト【女ゾンビの顔に優しく触れる】をクリアしました!! 報酬として経験値3000獲得!!』

 

 ちょ、別に優しく触れたわけじゃないけど!! このクエストシステム、なんかおかしくないか?

 

「二階堂もクエストクリアしたのか?」

 

「う」

 

 首がガクンとなったあと、二階堂はステータスオープンを唱えて宙を眺めている。

 

「レベル上がったの?」

 

「あ」

 

 上がったようだ。

 

「二階堂はレベルいくつなの?」

 

「じ、じゅ、じゅーろく」

 

 16かぁ。なかなかの数字。

 

 一方の俺もレベルが一つ上がって3になった。少しだけ、身体が軽くなったようか気がする。もう少しレベルが上がれば、本格的にダンジョンでモンスターと戦えるようになるかもしれない。

 

 しかし、肝心の武器がない。そもそもダンジョンには武器を探しに来たのだ。一体、何処に武器があるのか?

 

 そんな俺の考えを察したのか、ぼうっと宙を眺めていた二階堂が急に起動し、ダンジョンの先へと進み始めた。

 

 ミニスカートに網タイツ。くるぶし丈のブーツはとても戦う格好には思えないが、多分人間だった頃の趣味なのだろう。

 

 そんなことを思いながら、二階堂の後姿を追いかける。

 

「二階堂ってスタイルいいよな」

 

 ピタリ。二階堂の足が止まった。そして首が180度グルリと回る。

 

 ──ニヤリ。

 

「ひえっ!」

 

 迂闊に二階堂を褒めるのはやめておこう。そう心に誓いながら、俺はダンジョン探索を続けた。



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宝箱

 十回目のオークとの戦闘を終えた後だった。

 

 二階堂はオークの死体が煙になるのも待たずに小走りになり、脇道へと入っていく。まさか──トイレ? ゾンビも排泄をするのか? ちょっと気を遣うなぁ……。

 

 流石に気が引けるので脇道には入らずにじっと待つ。

 

「……暇だ」

 

 こんな時はステータスの確認に限る。自分の成長が数字になるのは気持ちがいい。

 

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 名前 :三間健一

 レベル:3

 スキル:なし

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 はい。レベルは3のままです。ゾンビ達を見ていると多分戦闘によっても経験値はたまるのだろうけれど、クエスト報酬に比べると効率が悪そうだ。

 

 クエストの基準は分からないが、ちょっとしたことで簡単にクリア扱いになるし、報酬で経験値もドンと入る。早期のレベルアップを目指すならやはりクエストクリアを狙うのが正しい。

 

 クエストの内容が不明なのが痛いところだが、これまでの経験でなんとなく流れが掴めている。

 

「……ゾンビと仲良くすれば、クエストクリアに繋がる」

 

 今までの四回のクエストクリアは全て、ゾンビが関係している。それも、ゾンビとの親密度を高めるような内容ばかりだ。

 

 どうやら、この世界のクエストシステムは俺とゾンビ達の仲を取り持ちたいらしい。

 

「しかし、遅い……」

 

 もうかれこれ十五分は待っている。両腕の高級腕時計の針は止まっているけれど、体感ではそれぐらいだ。流石に心配になってくる。

 

 俺は忍び足で脇道まで進み、壁に背を当てる。そして呼吸を整え、ゆっくりゆっくりと首を伸ばすと──。

 

「あ、あい、あいた」

 

 二階堂が宝箱の前に座り、鍵穴をグリグリ弄っていた。「開いた」と言っているから、解錠に成功したのかもしれない。

 

「あ、あい」

 

 こちらに振り返り、手招きをしている。俺が近寄ると、二階堂は宝箱の蓋に手をかけた。そしてゆっくり開くと……。

 

 ──バフン! と宝箱自体が煙になり、それが晴れると地面に一冊の本が残った。

 

「槍は出なかったな」

 

「ご、ごめ」

 

「別に二階堂が悪いわけじゃないだろ。気にするなよ」

 

 項垂れる二階堂を見ていると、なんだか居た堪れない気持ちになる。

 

「この本は俺が買い取るよ。一万円でいいか?」

 

「……ノーサンキュ。ただ、ど、どぞ」

 

 たまに出る英語で断られた。客のオーダーに応えられなかったプライドがそうさせるのだろうか?

 

「分かったよ。この本が何かは知らないけれど、もらっておく」

 

 俺がそう言うと二階堂は首をガクンとさせて頷き、ダンジョンの入り口へ向けて歩き始めた。もう今日のダンジョン探索は終了ということだろう。

 

 流石に俺も疲れたし、今晩寝るところも探さなくてはいけない。

 

 ひとまずダンジョンを出たら「おでんの村田」で晩飯でも食べよう。随分と腹が減ってしまった。

 

 そういえば村田の野郎。俺が二階堂に腕を引っ張られているのを見て笑っていやがったな。あのハゲゾンビめ。一度説教だ。通じるかは分からないけれども。

 

 だが、その前に……。

 

「二階堂。今日はありがとう」

 

 俺の言葉に二階堂は足を止め、首を180度回してニヤリとする。絵的にはホラーだけれども、流石に二回目なので心臓が止まるようなことはなかった。そして──。

 

『クエスト【女ゾンビと少しだけいい雰囲気になる】をクリアしました!! 報酬として経験値3000獲得!!』

 

 というアナウンスが脳内に流れるのだった。



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 ダンジョンから出た頃はちょうどマジックアワーで、空は茜色のグラデーションで彩られていた。

 

 突然目の前に広がった光景に心奪われていると、いつの間にか二階堂はいなくなっている。

 

 やはりそのあたりはゾンビ。スタスタと自分の店に戻ってしまったのだろう。

 

 俺は『おでんの村田』で夕食──またオーク大根──を食べ、寝床を探すことにした。街灯は煌々としていて、上野駅周辺は夜中でも灯りの心配はなさそうだったけれど、やはり屋根のあるところで寝たい。

 

 

 ぐるぐると街を歩き回り、俺が寝床と定めたのはネットカフェだった。

 

 フロントには唸るだけのゾンビが立っていて、ほとんど動かない。他の店員ゾンビは店内をぐるぐる回っているだけで、それ以外は何もしない。

 

 俺はそんなネットカフェの一室に陣取って住居とすることにした。うろつくゾンビが少々気になるが、漫画にシャワー完備の環境は捨てられない。個室は鍵が掛かるし、問題ないだろう。

 

 フラットタイプの個室に寝転がり、今日の出来事を思い出す。

 

「色々あったなぁ……」

 

 コールドスリープから目覚めたのが随分と昔に感じてしまう。それほどまでに濃厚な一日だった。

 

「で、この本は何だろ?」

 

 路面店から拝借したリュックから、例の本を取り出す。

 

 仰向けになりながら本を読もうと試みるが、どうにも開かない。

 

「まぁ、色々と試すのは明日だな」

 

 俺はダンジョンで手に入れた本を枕代わりにし、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

#

 

 

 ……ガチャ。ガチャ。

 

 個室のドアレバーの音で目が覚めた。どうやら外でゾンビが触っているらしい。

 

「入ってますよー」

 

 ドアの近くまで顔を寄せてそう言うと、ゾンビが遠ざかっていく気配があった。

 

 今、何時だろう?

 

 PCは壊れて起動しないし、テレビをつけても砂嵐だ。正確な時間は分からない。ただ、しっかり眠れたようでとても体調がよい。もしかするとレベルアップの恩恵もあるのかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、グウウゥゥゥと地の底から響くような音がする。俺から。

 

「……腹減ったぁ」

 

 さて、朝食はパン派なのだがこの街でパンは食べられそうにない。

 

「……結局、おでんしかないかなぁ」

 

 俺は諦めて立ち上がり、鍵を開けて個室の外に出た。

 

 

#

 

 

 早朝にもかかわらず『おでんの村田』は営業していた。村田は働き者である。

 

「おはよう。村田」

 

「……お、おはらっしゃい」

 

「おはようと、いらっしゃいが混ざってるぞ」

 

 村田は灰色の肌を少しだけ赤く染め、スキンヘッドの頭をポリポリとかく。そしてもう一度挑戦する。

 

「お、おはよ。しゃい」

 

「うーん。合格!」

 

 そういうと村田は嬉しそうにしてから鍋を弄る。

 

「……ご、ごちゅ。もんは?」

 

「お任せで」

 

 下手に注文するとダンジョンまで食材を採りに行きかねない。ここは村田チョイスに任せよう。

 

「……だ、大根。……たまご。……ウィンナー」

 

 昨日と全く同じメニューだ。しかし、文句は言うまい。食べられるだけで幸せなのだ。このゾンビだらけの世界で。

 

 カウンター越しに差し出された皿と箸を受け取り、立ったまま朝食──おでん──を食す。空腹は最高のスパイス。

 

「うっま」

 

「……へへ」

 

 頭をポリポリ掻きながら、村田は俺の首元をじっと見ている。

 

「ネックレスが気になるのか?」

 

 時計屋から拝借した金のネックレスのことだ。

 

「……」

 

 村田は物欲しそうな視線をやめない。

 

「ほら、やるよ」

 

 ネックレスを外してカウンターに置くと、村田は恐る恐るそれを手に取る。

 

『クエスト【ゾンビに贈り物をする】をクリアしました!! 報酬として経験値4000獲得!!』

 

 ……クエストをクリアしてしまった。村田の心を利用したような気がしてなんだか申し訳ない。しかし、ステータスは気になる。レベルは上がったか?

 

「ステータスオープン!」

 

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 名前 :三間健一

 レベル:3

 スキル:無属性魔法

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 ……スキルが生えていた。



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無属性魔法

 状況を整理しよう。ゾンビの村田に金のネックレスを贈ったら、スキルが生えた……? いや、違うな。クエストのクリア報酬は経験値だったし、レベルも上がっていない。となると──。

 

「本かぁ……」

 

「ほ、ほん……?」

 

 村田が注文されたと勘違いして鍋をかき混ぜる始める。

 

「ごめんごめん。こっちの話だ。それにおでんの具に本はないだろ?」

 

「……」

 

「ないよな?」

 

「……いま、ない」

 

 過去はあったのか……!? まぁいい。今はそれより無属性魔法だ。

 

 中空に表示されたステータスの【無属性魔法】を指で触れる。そうすると新しいウィンドウが開いた。

 

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【無属性魔法】レベル1

 魔力板:5回

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 ……地味だ。地味過ぎる。魔力板ってただの板が出るだけだろ? もしかして、外れスキルなのか! しかし、使い続けてレベルが上がればもしかすると、別の魔法を覚えるかもしれない。

 

「魔法ってどうやって使うか知ってるか?」

 

「ま、まほう?」

 

「そう。魔法だ。村田は使えるか?」

 

「……」

 

 下を向いて黙り込んでしまった。なんだか申し訳ない気分だ。

 

「すまん。俺が悪かった」

 

「……う、うん」

 

 悲しそうな顔をして鍋を混ぜている。気まずいな。

 

「じゃ、行くから」

 

 俺はポケットから千円札を出してカウンターに置き、おでんの村田を後にした。

 

 

#

 

 

「魔力板!」

 

 ……何も起きない。本域で声を出したのに……。

 

 俺は御徒町駅近くの誰もいない広場で魔法の練習をしていた。何度も「魔力板」と唱えているが、一向に魔法が発動する様子はない。

 

 これはやり方自体が間違っているのか? それとも俺の中に魔力がないから発動しないのか? しかし、ステータスの中には「魔力板:5回」と書かれてあった。

 

 もし、魔力が足りないなら回数は「0」となるのでは? となるとやはり、やり方が間違っている? それとも、実は見えていないだけで魔法は成功していて、魔力板はこの辺に転がっているのか?

 

「……うーん。ステータスオープン」

 

 何かヒントはないかとステータスを開く。

 

---------------------------

【無属性魔法】レベル1

 魔力板:5回

---------------------------

 

 魔力板の回数は5のままだ。やはり発動していない。一体、どうすれば魔法を使えるんだ? 焦りを感じながら、「魔力板:5回」の文字を指で強く擦る。

 

 ──シュ! と目の前に現れたのは透明な板だった。サイズはアイロン台ぐらい。光を反射しているので、かろうじて認識することができる。

 

「……まさか。コマンド選択肢だったとは……」

 

---------------------------

【無属性魔法】レベル1

 魔力板:4回

---------------------------

 

 しっかりと魔力板の回数は減っている。毎回ステータス画面から発動するのは少々面倒くさいが、呪文を唱えなくて済むのはありがたい。

 

 一度発動した魔力板はなかなか消えない。そして意識すると自在に動かすことが出来る。使い方によっては盾にも矛にもなりそうだ。

 

「いけっ!」

 

 魔力板は五メートル先まで飛んでいき、ピタリと止まった。最大リーチは半径五メートルか。十分だな。

 

「後は強度次第か」

 

 現在の魔力板は厚さ二センチほどだ。この状態でどれくらいの強度があるのか。一発で壊れるようでは盾としては使えない。

 

「ダンジョンで試してみるか」

 

 とはいえ、一人でダンジョンはまだ無理だ。俺はパーティーメンバーを得るため、二階堂スポーツを目指した。



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魔力板

 店頭にいた二階堂は俺の足音に反応し、ぼんやりとした顔をこちらに向けた。ギリギリ、俺のことを憶えていそうだ。

 

「……いら、いら、いら」

 

「いらっしゃい?」

 

「……そう。いらっしゃい」

 

 二階堂が「いらっしゃい」と言った瞬間、なんとも言えない感情に支配された。

 

 それは庇護欲かもしれないし、他の何かかもしれない。詳しくは分からない。

 

「槍はある?」

 

 当然、店内にもバックヤードにも槍はない。しかし、二階堂はいちいち探して回る。何故なら、ゾンビだから……。

 

「……ななな」

 

「無いでしょ。昨日もなかったし」

 

 二階堂はコクリと頷き、首が取れそうな程に曲がる。何故ならゾンビだから……。

 

「ダンジョンに探しに行こうか?」

 

「……いく」

 

 急にスイッチの入った二階堂は壁に掛けられた短剣を手に取る。そして側にやってきて俺の手首をぎゅっと握った。相変わらず冷たい手だ。

 

 二階堂はこちらを顧みることなくグングン進み始めた。

 

 

#

 

 

 ダンジョンは相変わらずぼんやりと明るい。その中をミニスカートの二階堂がズンズン進んでいく。うーん、やはりスタイルいいなぁ。

 

 俺はステータスを開いたまま、その後に続く。昨日の経験からいうと、そろそろオークが一体現れる筈だ。

 

 

「ブモォォォ!」と雄叫びが響いた。

 

 ダンジョンの先から姿を現したのは想定通り一体のオーク。

 

 二階堂は短剣を構える。その背中に怯えはない。

 

「よし! 俺も」

 

 ステータスの「魔力板:5回」の部分をタップする。俺の目の前にはアイロン台程の透明な板が顕在化した。

 

 棍棒を振り上げ、オークは巨体を揺らしながら迫ってくる。あと数秒で二階堂とぶつかる──。

 

「いけ!」

 

 ヒュン! と音を立てて魔力板が空間を滑り、オークの鼻頭にぶつかり──。

 

 ──バリンッ! と砕けちった。

 

 不意打ちにオークは棍棒を取り落とし、顔を押さえている。

 

「死」

 

 二階堂が身体ごとオークに飛び込むと、短剣が深々と腹部に刺さった。それに満足せず、二階堂はグリグリと短剣を捻る。

 

「ブヒィィィィ……!」

 

 まさに断末魔の叫び。

 

 オークは膝から崩れ落ち、程なく煙になってキラキラと光る石だけを残した。オーク飴だ。

 

 二階堂はオーク飴を口に入れて嬉しそうにしている。一方の俺は少々複雑な気分だ。

 

「思ったより脆いな。魔力板」

 

「……も、もろ? いい?」

 

「そう。脆い。まさか一発で砕けてしまうとは」

 

 不意打ちには使えるけれど、盾にはならない。魔法なんだから、イメージでなんとかならないものか……。

 

 

 さくさく進んでいく二階堂のあとをアレコレ考えながら歩いていると、またオークに出会した。

 

 ステータスの「魔力板:4回」の部分をタップする。しかし、ただタップするのではない。分厚く硬い魔力板をイメージしながらだ。すると──。

 

「出来た!」

 

 さっきの倍ぐらいの厚みがある!

 

「ブモォォォ!」

 

 棍棒を振り上げ、走り出すオーク。何度も見たお決まりの動作だ。棍棒が二階堂に向かって振り下ろされ──。

 

 ガチン! と魔力板が弾き返す。大丈夫。今度は砕けない。

 

 棍棒は何度も振り下ろされるが、魔力板を小刻みに動かして全て防ぐ。

 

「ブモォ、ブモォ、ブモォォォ!!」

 

 怒り狂ったオークが両手で棍棒を握って、バットの様に振り回した。

 

「馬鹿だなぁ」

 

 スッと魔力板を引くと、棍棒は空振りしてそのまま一回転。オークの体が流れたところを二階堂の短剣が狙う。

 

 脇腹からに短剣の生えたオークは間もなく生き絶えた。

 

「……な、なに?」

 

 戦闘のあと、二階堂が寄ってきて不思議そうな顔をしている。魔力板のことを聞いているのだろう。

 

「魔法。昨日、二階堂にもらった本を枕にして寝たら使えるようになったんだ」

 

「……ほ、本」

 

「そう。覚えてないかな? 二階堂のおかげだよ」

 

 よく分からないという顔で、魔力板をつつく二階堂。少しだけ表情が豊かになった気がする。

 

「さあ、魔力板が消えない内にどんどん行こう!」

 

「……う、うん」

 

 ダンジョン探索は続く。



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攻撃

 厚さと硬さを意識して顕在化させた魔力板「盾」は30分程で消えてしまった。その間にオークとの戦闘は二回。砕けることなく、盾としての役割を全うした。

 

 二階堂も「盾」の存在をちゃんと意識出来ているようで、防御よりも攻撃に重点を置いた立ち回りになっている。

 

 そして三度目の戦闘を前に俺はある実験を行おうとしていた。

 

 魔力板はイメージ次第で分厚くすることが出来た。ならば──薄く鋭くすることも出来るのではないか……!?

 

 俺はステータスウィンドウを開き、「魔力板:3回」の表示を睨みつける。残り回数は少ない。集中して魔力板「刃」を顕在化するんだ。

 

 薄く薄く。鋭く鋭く。

 

 俺は透明なカミソリをイメージしながら、「魔力板:3回」の文字をグッとタップした。

 

「よしっ!」

 

 現れた魔力板は髪の毛一本分もないような薄さだ。エッジの部分を指の爪で触れると、なんの抵抗もなく簡単に切れてしまった。これは想像以上の鋭さだ。

 

「……な?」

 

「触るな!」

 

 無造作に「刃」に触れようとする二階堂を止める。何故か興味深々なようで宙に浮く「刃」に手を伸ばしている。

 

「駄目だよ。下手に触ると指が取れちゃうから。指が取れたら商品整理が出来なくなるぞ?」

 

「……わ、かた」

 

 渋々といった様子で二階堂は了承する。

 

「次、オークが出て来たら俺がやってみる。二階堂は後ろで見ていてくれ」

 

「……うん」

 

 初めて先頭に立ってダンジョンを歩く。急に心拍数が上がった。

 

 慌てるな。落ち着け。まだ何も始まっていない。

 

 慎重に、ゆっくりだ。

 

 そう自分に言い聞かせながら、未だ一本道のダンジョンを進む。そして、十分が経過した頃だ。

 

 ドスドスと地面を踏み締める音。それは近寄ってくる。

 

 俺は「刃」を地面と水平にして構えた。

 

「ブモォォォ!」

 

 オークが姿を現した。棍棒を振り上げ、こちらに向かって走り出す。

 

 怖い! 敵意が全て俺に向けられている。身体が急に強張って上手く動かない……。しかし、俺には「刃」がある。

 

「いけぇぇぇ!!」

 

 ──斬ッ!

 

 オークの体は止まらずこちらに向かってくる。しかし、首から上は置いてけぼりだ。魔力板「刃」は見事に首元に決まり、驚きの表情を浮かべたオークの生首がクルクルと宙を舞っている。

 

 コントロールの効かなくなった体は足を絡ませて地面に転がった。そして生首も落ちてくる。

 

「やった……」

 

 安堵の息を吐くと、オークの体は煙になって飴玉を残した。それを拾い上げて振り返ると、二階堂がすぐ側まで来ていた。

 

「どうだった?」

 

 返事の代わりに、ポンと肩を叩かれた。

 

『クエスト【女ゾンビの前で格好をつける】をクリアしました!! 報酬として経験値4000を獲得!!』

 

 ちょっと待ってくれ! 別に俺は格好をつけたわけじゃないぞ!!

 

「……あ、あめ」

 

 脳内の声に突っ込みを入れていると、二階堂が俺の手にあるオーク飴を物欲しそうに見ていた。なんなら、少し手が伸びている。

 

「欲しいの?」

 

「……ほ!」

 

 欲しいらしい。

 

「なら、あげるよ」

 

 オーク飴を摘んで二階堂の前に差し出すと、パクリと俺の指ごと口に含んで嬉しそうにする。

 

『クエスト【女ゾンビに指を舐めさせる】をクリアしました!! 報酬として経験値4000を獲得!!』

 

 いやいやいや! 舐めさせてない!! これは不可抗力だから!! いきなり口で迎えにくるなんて思わないでしょ!!

 

 どんだけ俺が抗議したところで、クエストシステムは応えない。絶対にわざとやってるだろ、このクソシステムめ!!

 

 

 すっかり脱力してステータスを確認すると、レベルが一つ上がって4になっていた。



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 弁天堂ダンジョンの宝箱があるところまでで、ちょうど魔力板の残り回数がゼロになった。魔力板の検証は充分だし、流石に疲れたので二階堂に相談すると、すんなり帰ることになった。

 

 まだ夜というわけではないが、陽は落ち始めている。

 

 二階堂は何も言わず自分の店へと帰っていく。一言ぐらいあってもいいのでは? なんて思うのは、俺が勝手に親近感を抱いているからだろう。二階堂はゾンビ。感情がないとは言わないが、薄いのは確かだ。生前の習慣に従うことを優先するのだ。

 

 一人ぽつんと残された俺は会話を求めて上野の街を歩き回った。そして結局行き着いた先は、『おでんの村田』である。

 

「……い、いらっしゃい」

 

「どうだい? 調子は」

 

「……きょ、今日は暇」

 

 うん。いつも暇そうだぞ。村田。そもそも人間の客なんて俺しかいないだろ?

 

「あっ、そうだ。俺、レベルが4になったんだよ」

 

「……お、おめでとう」

 

 そう言って村田はカウンターの向こうにあるクーラーケースから日本酒の一升瓶を出してきた。

 

 トンッ! と置かれたグラスに日本酒を注ごうとする。

 

「おい、村田! 俺はまだ未成年だぞ?」

 

「……あ、あぶね。罰金」

 

 慌てて日本酒をしまう。こうして話していると、村田は二階堂よりも大分言葉が達者だ。これはレベルの差なのか? それともゾンビ度の差か?

 

「そうだ。これ、村田にやるよ。ダンジョンの宝箱から出てきたんだ」

 

 ドンッ! と置いたのは立派な装飾のされた酒瓶だ。二階堂はいらないと言うのでもらってきたが、俺だって飲むわけではない。

 

「……う、ウィスキー?」

 

「さぁな? 村田は酒、好きだろ?」

 

「……ウィスキーならママに……」

 

 ママ? 村田に母親がいるのか? いるとすれば相当な高齢だろう。

 

 村田はカウンターから出てきてウィスキー? の酒瓶を右手に握って何処かへと歩き始める。

 

「おい、村田。何処へ行くんだよ?」

 

「……ママ。ママのとこ」

 

 うわ言のように繰り返しながら、村田はどんどん進んでいく。一瞬ダンジョンか? とも思ったが方角が違う。

 

「待てよ! 俺も連れて行ってくれ」

 

 まだまだ夜は長い。俺は村田の後を追った。

 

 

#

 

 

 湯島駅へと降りる地下鉄の入り口を通り過ぎ、賑やかな看板がある方へと村田は歩いていく。スナックやガールズバー、風俗店等がある地域だ。

 

 通りではセクシーな格好をしたゾンビが「うぅ」と涎を垂らしながら客引きをしている。残念ながら、話が通じる相手ではない。

 

 

 村田が足を止めたのは、大通りから一本裏に入ったある店の前だった。店の名前は『スナック聖子』。村田は年季の入った重そうな木の扉を開けて入っていく。

 

「今晩は〜」

 

 村田に続いて恐る恐る中に入ると、そこはカウンターしかないこじんまりとしたスナックだった。カウンターの奥には綺麗だが、少し年の言った女ゾンビが立っている。

 

「……い、いらっしゃい。そちらは……?」

 

 女ゾンビが村田に俺のことを聞いている。

 

「……う、うちのお客」

 

「……あ、あら。嬉しい。おままえは?」

 

「健一です」

 

「……ケンイチ」

「……ケンイチ」

 

 そういえば村田にも名乗ってなかったな。二階堂にもだ。

 

 スツールに腰掛けた村田はカリカリとスキンヘッドを掻いたあと、酒瓶をカウンターに置いた。

 

「……ママ。ウィスキー」

 

「……あ、あら。嬉しい」

 

 なんだか中年同士の恋愛を見ているようだ。少々居心地が悪い。

 

 スナック聖子のママ──聖子──はショットグラスを三つ並べる。

 

「あっ! 俺は未成年なんで!」

 

「……あら。ごめんなさい」

 

 ダンジョン産の酒瓶を開けると、甘いアルコールの香が漂った。聖子はその琥珀色の液体を丁寧にグラスに注ぐ。

 

「……ママ」

 

「……村ちゃん」

 

 そう言いながら、中年ゾンビ共が軽く乾杯をして酒を飲み始めた。村田お前、村ちゃんて呼ばれているのか……。

 

「……ケンイチ、何か食べる?」

 

 これがスナックママの気遣い……。手持ち無沙汰でスツールに座る俺に声を掛ける。しかし、食べ物か。一体、何があるというのか……?

 

「ミックスナッツとか?」

 

 聖子はしゃがんでカウンターの下を漁る。いや、いいよ……。そんなに探さなくても……。あったとしても、賞味期限切れのカビだらけのミックスナッツだろ?

 

「……ない。ミックスナッツない」

 

「……ママ。探しに行こう」

 

 やばい! この流れはやばい!! またダンジョンに連れて行かれる!!

 

 ガシッと村田に肩を掴まれる。聖子は立派な酒瓶を両手に持ってカウンターから出て来た。

 

「……ケンイチ」

「……行こう」

 

 俺は村田に引き摺られるようにして、また夜の湯島に繰り出した。



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ナイトダンジョン

「離せ! 今日はもうダンジョンに行きたくない!」

 

「……うん」

「……うんうん」

 

「昼間にダンジョン行ったの! もう帰って寝るから!!」

 

「……うん」

「……うんうん」

 

 ふざけるな! と叫んでも俺の身体は美魔女ゾンビ──聖子──にホールドされたままだ。

 

 ずるずると引き摺られ、ぼろぼろになったアスファルトに線が出来る。聖子と村田はウィスキーの瓶をラッパ飲みしながら、ダンジョンに向かって歩く。

 

 ただでさえ呂律が怪しいのに、コイツら酒を飲んで大丈夫か? モンスターと戦えるのか!?

 

 問い続けるが、俺の声は届かない。

 

「む、むむむむむむ、村ちゃん」

「ままままままままま、ママ」

 

 ……駄目だ。ゾンビの癖に酔っ払ってやがる……。いざとなったら二人を囮にしてでも逃げよう。

 

 丸々と太ったドブネズミが俺達の様子を不思議そうに見ている。ネズミの方が聖子と村田よりよほど賢そうだ。

 

 

 無情にも、ライトアップされた弁天堂が近づいてくる。

 

「つ、つついたわよ。ダンジョンに」

「まままままままま、ママ!」

 

「なぁ、何の為にダンジョンに来たか覚えてる?」

 

 聖子と村田が顔を見合わせる。

 

「……みみみ……」

「……耳?」

 

「ミックスナッツだよ!」

 

 そういえば、オークの耳もミミガーというのか? なんてことを考えていると、細腕からは考えられない聖子の怪力で、弁天堂ダンジョンに向かって放り込まれた。

 

 辛うじて受け身をとって背中をさすっていると、聖子と村田もダンジョンに飛び降りてくる。

 

 ただでさえ血走っている目が更に赤い二人が、酒瓶を右手に構えて歩きだす。

 

「大丈夫なのか?」

 

「むむむむむ!」

「ままままま!」

 

 駄目だ! 付き合い切れない! 逃げよう!! 

 

 俺は二人に気付かれないようにゆっくり後退りをするが、早くもモンスターの気配──。

 

「ギャギャギャ!」

 

 オークじゃないだと!? ダンジョンの奥から現れたのは緑の肌をした小鬼、ゴブリンだった。錆びついた短剣を振り上げ、先頭を歩く聖子に迫る。

 

「ヤマザキ!」

 

 聖子がウィスキーの銘柄を叫びながら酒瓶でゴブリンに殴りかかると、ドバンッ! と緑の頭が弾け飛んだ……。

 

 頭を失い、崩れ落ちるゴブリンの体。村田が慌てて近寄り、吹き飛んだ頭の残骸から何かを拾っている。

 

「……あ、あった? 村ちゃん」

「……あ、あったよ。ミックスナッツ」

 

 ねえよ!! ゴブリンの頭からミックスナッツが採れるわけないだろ!!

 

 しかし当然、二人は聞きやしない。次々と現れるゴブリンと、その頭を吹き飛ばす聖子。そして何かを拾う村田。

 

 酔っ払ってはいるものの、聖子の膂力は恐るべきもので、村田よりも確実に上だ。機嫌を損ねないようにしないと……。しかし、もう帰りたい……。

 

「なぁ、村田。もう十分集まったんじゃないか? ミックスナッツ」

 

 村田のズボンのポケットはパンパンになっている。

 

「……ミックスナッツ?」

「……な、何のこと?」

 

「はぁ!?」

 

 貴様らが言い出したことだろ! この糞ゾンビ共!!

 

「もう帰る! 死ね馬鹿ゾンビ!!」

 

 くるり踵を返して入り口に向かって走る。背後から俺を追う気配はない。最初からこうすればよかった。

 

 

#

 

 

 ダンジョンの入り口から這い出し、弁天堂の外に躍り出る。いつの間にか弁天堂のライトアップは消えていて、周囲は真っ暗だ。遠くの街灯が唯一の頼り。

 

 そんな中、砂利を踏む音がした。ゾンビだろうか? しかし……変だ。ゾンビならもっと無遠慮に歩き回る筈。

 

 さっきの音は一度きりで、辺りにはしじまが広がっている。

 

 何かに見られているような感覚……。俺は急に不安になり、ステータスを開く。大丈夫だ。魔力板の回数は回復している。

 

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【無属性魔法】レベル1

 魔力板:2回

---------------------------

 

 念の為、魔力板「盾」を顕在化して身体の前に配置した。

 

 弁天堂の石段をゆっくり慎重に降りる。

 

 ジャリ。

 

 まただ。間違いなく何かいる。音のした方に「盾」を回し、気取られないように歩く。

 

 視界の端で、黒いものが動いた。ドブネズミ? タタタタタっと俺の目の前を横切り、走っていく。

 

 ──パシュ! という音がして、ドブネズミが地面に転がった。赤い光が微に見える。赤外線照準器? 銃器で撃ったのか? となると、人間がいる……?

 

 ──パシュ! という音と同時に「盾」が何かを弾いた。赤い光が「盾」に当たっている……。やばい! 撃たれる!

 

 慌てて魔力板「盾」をもう一枚顕在化し、守りを堅くして一気に走り抜ける。

 

 人間だろうとなんだろうと、攻撃してきたからには敵だ。

 

 カン! カン! と乾いた音が何度もして「盾」震わせる。やはり狙われている!

 

 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!

 

 撃たれたらお終いだ。絶対に治療なんて受けられない。

 

 アスファルトを蹴り、少しでも明るいところを目指す。

 

 

 全速力で脚を回し、不忍池から離れ上野の商店街に飛び込むと、そこに変わった様子はなかった。「うぅ」としか言わないゾンビが飲食店の店頭に立っているだけ。

 

「助かったのか……?」

 

 ゾンビに囲まれて安心するのも変な話だが、少なくともコイツらは俺を襲ったりしない。

 

 さっきの奴は一体……?

 

 俺は未だ収まらない動悸に息を深くしつつ、寝床と定めたネットカフェに向かうのだった。



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ゾンビにあらず

 依頼主の正体は分からないものの、その資金力や提供される装備から日本の一流企業で間違いない。というのが私の考えだ。

 

 依頼の内容は単純明確。『上野不忍池の弁天堂にあるダンジョンからあらゆるモノを持ち帰れ』というもの。

 

 約二十年前に突然現れた弁天堂ダンジョン……。

 

 そこから漏れ出した瘴気と呼ばれる物質は人間を活性死者──ゾンビ──へと変えた。

 

 不忍池を中心とした台東区と文京区の大半は立ち入り禁止となり、分厚い壁で外界と隔てられている。

 

 世界で唯一のゾンビランドの出来上がり。

 

「人間として死ぬか、ゾンビになるか。……面白いわね」

 

 孤児院で育ち、身寄りのない私の人生観はとても薄っぺらくて軽い。あえて危険に飛込み、そこから帰還した瞬間にしか生を感じることは出来なくなっていた。

 

 そんな私にとって、ダンジョンに入った者に適用されるという『ステータス制』と『クエストシステム』はとても魅力的なものに思える。

 

 モンスターと戦って勝利したり、クエストをクリアすれば経験値がたまってレベルが上がる。レベルが上がれば様々な恩恵があるという。

 

 まさに死と隣り合わせのゲーム。想像しただけで身体の芯が熱くなる。

 

 しかしダンジョンには瘴気が満ちている。対策を講じなければ、ただ動く屍になって終わり。

 

「これを打てばゾンビにはならない……。本当かしら?」

 

 依頼主から提供された『抵抗剤』と呼ばれる液体。これを体内に注入すれば、少なくとも八時間はダンジョンの瘴気に耐え、ゾンビ化しないという。

 

「考えたって仕方ないわね。どうせ私はダンジョンに行くのだもの」

 

 空の注射器の針を抵抗剤の入ったパックに挿し込む。シリンジが緑色の毒々しい液体で満たされた。

 

「……うっ」

 

 左腕の血管に抵抗剤を押し込むと、感電したような痛みが全身を駆け巡る。

 

「……はぁはぁ」

 

 十五分程でようやく痺れがおさまり、行動出来るようになった。

 

「まさかゾンビになってないでしょうね?」

 

 洗面台に明かりをつけて、観察するけど大丈夫。肌の色は白く、顔は冷たく無表情。いつも通りの七倉舞だ。ゾンビになれば、少しは女性らしい愛嬌がでるかもしれない。

 

「さて、行くとしましょう」

 

 私はボディースーツに身を包んだ。

 

 

#

 

 

 二十メートルもの壁を乗り越えた先に広がるのは物静かな街だった。上野駅近くの繁華街には夜でも多くのゾンビが歩き回っているらしいが、日暮里方面には殆ど人影がない。

 

 ゾンビは人間だった頃の習慣に沿って行動する。住宅街のゾンビは当然、夜は家の中にいるのだ。

 

 窓から漏れる光が日常を思わせるが、家族団欒の声は聞こえてこない。「うぅ」という唸り声だけだ。

 

 やはりここはゾンビランドなのだ。

 

 

 二十分ほど歩くと上野公園に入る。噴水近くのベンチではカップルのゾンビが熱心に抱き合っていた。まだこちらに気が付いていないようだ。

 

「先制攻撃……」

 

 腰のガンホルスターから拳銃を抜き、素早くサプレッサーと照準器を取り付ける。

 

「いつまでいちゃついているのかしらねぇ」

 

 パシュ。という音と共に、一体のゾンビの頭が弾けた。もう一体がこちらに気付き、唸り声を上げて走ってくる。

 

「さよなら」

 

 もう一度、気の抜けた音が鳴り、ゾンビは崩れ落ちた。実に呆気ない。次の戦闘はもう少し刺激的だといいのだけれど……。

 

 

 上野公園の階段を降りると、いよいよ不忍池が見えてくる。

 

「あれね……」

 

 街灯の淡い光が暗闇の中にある弁天堂を薄らと浮かび上がらせていた。あの中にダンジョンが……。

 

 湧き出るアドレナリンに脳を痺れさせながら、慎重に近づく。いつモンスターが現れてもおかしくない。身を守るものは拳銃にダンジョン産の短剣のみ。

 

 夜に身を溶け込ませながらゆっくりと──。

 

 ──バン! と突然、弁天堂の扉が開く。

 

 慌てて近くの石碑に身を隠すが、少し音を立ててしまった。砂利道が憎らしい。

 

 弁天堂から出てきたゾンビが何やら宙に向かって指を動かしている。一体なに?

 

 それを合図にするように、鼠のゾンビがこちらに向かって走ってくる。鼠とはいえゾンビ。生者を襲う筈……。仕方ない。

 

 拳銃を構え、静かに打ち抜く。鼠は頭を飛ばして砂利道に転がった。一方、人間のゾンビは──。

 

 こちらを見ている。バレたようね。頭部に狙いを定めて引き金をひく。

 

 カンッ! と高い音がして弾丸が弾かれた。あのゾンビ、何かで守られている?

 

 急に走り出したゾンビに向けて追い討ちをかけるも、全て弾き返される。ゾンビが特殊能力?

 

「……面白いじゃない」

 

 繁華街の方へ駆けて行くゾンビの背後はやけに必死で、人間臭い。少しだけ追い掛けたところで本来の目的を思いだし、私は踵を返した。

 



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