長篇ドラゴンクエストⅢ ASTEL・SAGA (ちこちろん)
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序章

はじめまして。ちこちろんと申します。ハーメルンでは初めての投稿です。
何かと至らぬ点があるかと思いますが、私の小説が皆様のお暇潰しになれたら幸いです。





 

 アリアハン帝国。

 かつてこの世界の全ての領土を支配していた最強の国だった。

 

 しかし皇帝の独裁制を良しとしなかった部族達が手を取り合い、反旗を翻す。

 

 皇帝に加勢する部族はないに等しく、やがて疲弊し劣勢に追い込まれたアリアハン皇帝軍は、大陸から大陸へと渡る転移魔法装置〈旅の扉〉にて、広大で豊かな西の大陸から海を越え、遥か遠く南の孤島へと撤退する。

 

 転移後、皇帝は直ぐ様〈旅の扉〉を封印し、領土を放棄した事によって皇家は滅亡から免れた。

 

 アリアハンは帝国から王国へと名を変え、鎖国の時代を迎える。

 

 アリアハンが手放した領土には新たな六つの国が誕生した。

 

 時は流れ、アリアハンを含む七つの国の国主が、全能神を奉る中立地帯ダーマ神殿に集い、停戦協定を結んだ。

 

 こうして長く続いた戦争は終息し、世界はついに安息の日々を迎えた。

 

 

 戦争の過去はやがて歴史となり、人々の記憶から薄らいだ頃。

 

 世界の平穏は突如として破られる。

 

 

 魔王バラモス。

 

 大地神ガイアを崇めるグランディーノ王国の領地に大穴を開け、彼の者は配下の魔族を率いて現れ、王国を強襲した。

 王国を守る兵団も神官、魔法使いもバラモスの牙と爪に引き裂かれ、または吐き出す炎の塵となった。強き聖力を秘めた王族はバラモス自らが、か弱き民草は魔族や魔物が屠り、喰らった。

 聖なる王国は一夜にして滅び、美しき城は異形な魔王の居城に成り代わった。

 清らかなる湖は腐臭漂う毒の沼地と化し、草花は枯れ、魔物達が徘徊した。自らの領域を汚された事に大地神が怒ったかの如く、ギアガ山は噴火し続けた。

 

 後に人々はこの大陸を、死を司る大地〈ネクロゴンド〉と呼ぶようになる。

 

 

 魔王出現により、世界各地に元来生息していた魔物達にも異変が起こる。

 息を潜めるように暮らし、夜間に行動する魔物達が、凶暴化し昼夜問わず人里に降りて来て人々を襲いかかるようになり、一つまた一つと村集落が地図上から姿を消した。

 

 魔王の進行を食い止めんと数多くの勇敢な強者達が立ち上がったが、その全てが凶暴化する魔物達の餌食となるか、または魔族の奸計にはまり苦汁を飲まされた上、悲惨な末路を辿った。

 魔王の足元、ネクロゴンドの地に辿り着くことすら叶わない現状に、やがて人々は魔王に立ち向かう事を諦め始める。

 

 魔王バラモスの地上侵略は着々と進んでいった。

 

 

 アリアハン王国。

 小さな島国のこの地より、愛する祖国、愛する家族の為、魔王を討たんと一人旅立つ男がいた。

 

 男の名はオルテガ=ウィラント。

 

 国一番強く、そして勇猛果敢な男だった。アリアハン王はその勇気を讃え、彼に〈勇者〉の称号とその証を与えた。

 行く先々で人々を襲う魔物を駆逐し、自らの命を狙う魔王の刺客をも退け、今まで誰も成し遂げられなかったネクロゴンドの地についに降り立ったが、ギアガ山の荒ぶる火口付近でその消息を絶つ。

 

 彼をネクロゴンドまで送り届けた船乗りは、船上から空を覆わんばかりの魔物達が火口目指して飛び立つのを目撃したという。

 




《グランディーノ》という国はゲーム内にはありません。公式ドラクエ3小説のように《ネクロゴンド》を国名にするには、ちょっと抵抗がありまして(汗)
ネクロって響きがね。ネクロマンサーとかの不吉な響きなので。

これからよろしくお願いいたします!


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一章 アリアハン
謁見


 

 

 「よくぞ参った! 勇者オルテガの息子よ!」

 「怒りますよ。王さま」

 

 玉座の間に響き渡るアリアハン国王ステファンの朗々とした声に、その御前に膝まずき、顔を伏せた旅装束姿の少女は可愛らしくも凛とした声で突っ込んだ。

 

 「冗談じゃ。……しかしのぅ、アステルよ。いくら勇者オルテガの子だからとはいえ、そなたは娘。魔王討伐の旅になど……」

 「女扱いは無用です」

 「矛盾しとるぞ。アステル」

 

 これまた即座に突っ込むアステルに、壮年の王は立派な顎髭を撫でながらこれ見よがしに溜め息を吐いた。

 少女の父を親友だと言うこの王は、父亡き後、彼女を実の娘と等しく想い今日まで見守ってきた。おちゃらけたその態度も、どこか不貞腐れて寂しげに感じて、顔を伏せたアステルは眉を下げて困ったように頬笑むも平坦な口調で言った。

 

 「真面目にしてください」

 「うむ。では真面目にしようかのう。

 ……よくぞ参った! 勇者オルテガの娘アステルよ!!」

 

 そこからですかと、アステルは脳内で突っ込む。

 本当に困った王様だ。

 

 「(おもて)を上げよ」

 

 その言葉にアステルは顔を上げる。

 少女はその声と同じく、可愛らしくまだ幼さが残る顔立ちだった。

 特に印象的なのは大きな瞳。

 瑠璃色のそれは、角度や光り加減によっては晴れた日の海、夏の空、花のと多彩な青を秘めている。

 魔族との戦の末、ギアガ火山にて志半ばに散った勇者オルテガも、これと同じ目をしていた。

 少女を見下ろす王の眼差しに憂愁の色が帯びる。

 

 「……父の後を継ぎ、旅に出たいというその決意に変わりはないか?」

 「はい。王さま。どうか旅立ちの許可をお与えください」

 

 長い年月を越え、同じ場所、同じ出立ち、同じ姿勢で再び揺るぎなき青を向けられた王は(かぶり)をふり、嘆息する。「蛙の子は蛙か」ぽつりとそう漏らしながら。

 

 「……アステルも十六歳の成人(おとな)となった今、これ以上は口出しすまい。そなたの願い、しかと聞き届けたぞ」

 「ありがとうございます」

 

 礼を述べるアステルに王は表情を固く引き締めた。

 

 「そなたが倒すべき敵は魔王バラモスじゃ」

 「……バラモス」

 

 その名を低く呟き、アステルは床に着いた拳に力を込める。

 

 「世界のほとんどの人々は今だ魔王の名前すら知らぬ。だが、このままではやがて世界はバラモスの手に……。それだけはなんとしても食い止めねばならぬ。アステルよ、魔王バラモスを倒してまいれ!」

 「はいっ!」

 

 「……〈勇者の証〉をここに」

 

 王の言葉にずっと側に控えていた大臣が、額環(サークレット)の乗ったベルベット張りの台座を恭しく差し出す。王は立ち上り、額環を手にすると壇上を降り、アステルの前に立つ。屈んで彼女にそれを見せた。

 瑠璃の玉を中心に彫り柄装飾が施された銀の環。

 

  ────〈勇者の証〉。

 

 だが、自宅の暖炉の上に飾られている肖像画の父がしているそれとは、違う色をしている。

 

 「オルテガは太陽のような陽気な男じゃったからな。それに見立てて、金環に紅玉(ルビー)をあしらえたのじゃが、そなたには暗黒の世に終わりを告げる暁の明星であって欲しいと願いを込めて銀環に、(ぎょく)はそなたの瞳に近い色を選んだのじゃが……どうかのう?」

 「凄く……綺麗です。私には勿体ないくらいです」

 

 頬を僅かに染め、額環に見蕩れるアステルに王は目を細めた。

 先程の決意と宣言に嘘偽りはないだろう。

 だが、彼女はやはり娘なのだ。

 剣を携え、男のように飾り気のない装束で身を包もうとも、美しいもの、可愛らしいものに憧れ、反応する年頃の娘なのだ。

 

 (────旅立たせたくない)

 

 揺らぐ己に喝を入れるように王は声に力を込めた。

 

 「世界の平和、亡き父の宿願。魔王討伐を志す勇敢なる娘アステルに〈勇者の証〉を授ける!」

 「慎んでお受けいたします」

 

 王の手により、アステルの額に〈勇者の証〉が乗せられた。

 額環に金属の冷たさは不思議と感じず、すぐに肌になじんだ。

 

 

 「………魔王討伐にあたり、勇者アステルに別命を下す」

 

 王が玉座に腰かけるのを待って、今まで沈黙を守っていた大臣が口を開いた。

 

 「アリアハン大陸、東の果てにある誘いの洞窟の〈旅の扉〉の封印を解放せよ」

 「〈旅の扉〉……? 歴史の授業に出でてくる、あの?」

 

 首を捻るアステルに、王が続ける。

 

 「そうじゃ。〈旅の扉〉は今も作動しておる。昨今は船旅も命懸けになってきたからのう。あれは遠く離れた西大陸のロマリア王国近辺と繋がっておる。この国はもう鎖国はしておらんし、陸路からの唯一の移動手段である〈旅の扉〉の封印を解いて欲しいのじゃ」

 「封印を解く手掛かりは……?」

 「うむ。それが城のどこにも記述や文献が残っておらぬのじゃ。恐らくご先祖は封印を解く気はなかったんじゃろうなぁ」

 

 王の言葉にアステルはちょっと落胆する。

 

 「アリアハンを過去の大戦の戦火から守ったその封印は、とても強固なもの。並みの衝撃ではびくともすまい。封印を解く方法を、なんとか見付け出して欲しい」

 

 大臣の言葉にアステルは頷いた。

 

 「では 行け。勇者アステルよ!」

 「はい!」

 

 王の号令にアステルは立ち上り紫紺の外套(マント)を翻し、玉座の間を後にした。



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仲間

 

 「勇者誕生だってよ!」

 「勇者オルテガの子は娘じゃなかったっけか?」

 「十六になったばかりだろう? もう旅立つのか?」

 「勇者になりたい娘なんだろ? 筋肉ムキムキの女なんじゃないのか?」

 「俺知ってるぜ! この酒場の向かいのでっかい家が勇者の家だ。勇者の妻がえれぇ美人なんだが、娘もこれまた美少女なんだよなぁ」

 

 ルイーダの酒場は真っ昼間だというのに賑わっていた。この酒場を利用するのはもっぱら旅人や流れ戦士達。

 何故ならここは旅人に仕事を斡旋したり、通行手形を発行する旅人〈ギルド〉でもあるからだ。

 そして今注目の話題は勇者オルテガの子が、女だてらにその後を継いだ事だった。

 勇者となり、旅人となったその娘は必ずこのルイーダの酒場に立ち寄り、ギルドの加盟と手形の発行の手続きをする筈。

 もしかしたら旅の同行者も募るかもしれない。

 世界にその名を轟かせた勇者オルテガの娘を一目見たいとわざわざ船の便を一日遅らせて待つ旅人もいた。

 

 (今夜宿屋は盛況するだろうな)

 

 タイガは思った。

 この男、年齢(とし)は二十歳半ばくらい。背は高く、短く刈上げた黒髪はアリアハンでは珍しくないのだが、塗物のような光沢のある漆黒は彼が異国の者だとわかるものだった。

 筋骨逞しい体に緑の武闘着を纏い、白いズボンに、動物の革で出来たしなやかな黒の靴にリストバンドと、その風貌は己の体躯を武器とする武闘家そのものだが、腰帯にはその武闘家が使う事は滅多にない剣が下がっていた。

 半年前からこのアリアハンに滞在し、ここルイーダの酒場で路銀稼ぎの為、配膳係兼用心棒に勤しんでいる。

 隻眼なのか、右目には眼帯をしているが、漆黒の左目は穏やかで、その笑顔は人慣っこい。

 

 カランっとドアベルが鳴る度、店内は静まりかえり、皆が一斉に店の出入り口に注目する様が面白かった。

 お目当ての人物ではないと知ると、再び店内は賑わう。

 首を傾げた来店者は事情を知ると、我も……と椅子に腰掛け、本日誕生したばかりの勇者の登場を待つ。

 そんな連中で店はぎゅうぎゅうとごった返していた。

 (そろそろ椅子が足りなくなるな……)

 空の酒樽でも持って来て代用しようかとタイガが思案していた、その時。

 

 「へえ~! そんな可愛こちゃんなら是非お兄様が旅の手解きしてやらないとなぁ!!」

 「手取り足取り腰取り……ってかぁ?」

 

 中年の戦士風情の男二人組の下品な笑い声が店内に響き渡る。

 いかん と、タイガが思った時既に遅く。

 

 「アステルにぃえっちぃ事ぉ言わないでぇ!」

 

 猫なで声と共に酔っ払い二人組の頭に強烈なお盆攻撃が見舞われる。

 お盆は四角く、そして角で打ったと見た。

 タイガは片手で顔を隠してあちゃーと唸る。

 頭を抱え痛みに悶える、二人組の前に仁王立ちするのは金髪巻き毛の見目麗しい娘。

 ミルクの様に白い肌、減り張りのある魅惑的な肢体を、スパンコールを散りばめた柔らかい桃色薄絹のローブが包み隠し、動きやすそうなしなやかな赤い靴を履いている。

 紅髄玉(カーネリアン)の瞳を猫のように釣り上げ怒っているが、なんとも愛らしい。

 

 「マァム……」

 

 踊り子の彼女は、勇者騒動で今は誰もステージを見てくれないので、配膳係を手伝ってくれていたのだが。

 

 「いってェ……! 血ぃ出てやがる……このアマ!! 何しやがるっ!!!」

 「天誅ぅ~!」

 

 なおもお盆を振りかざす娘。

 戦士は娘のその胸ぐらを掴もうと手を伸ばすが、いつの間にかその側に移動していたタイガのさらに大きい手に手首を捕まれ阻止される。

 念の為マァムのお盆を掴む手首も掴んでおく。

 

 「マァム。腹が立ったからって手を出しちゃいかん。この人達に謝るんだ」

 「むううぅ! でもぅ! その人達がぁっ!!」

 

 タイガの言葉にマァムは子供のように地団駄を踏む。

 

 「マァムがアステルの為に人を傷つけたって知ったら、優しいアステルは悲しむんじゃないのかなぁ?」

 「うっ!?」

 「だからちゃんと謝って。傷も治してあげるんだ」

 「ううう~!」

 

 タイガは大きな背を屈めマァムの顔を覗き見る。マァムは不服そうな表情のままお盆を近くのテーブルに置き、戦士の頭に手を翳した。

 

 「……ホ~イミ~」

 

 マァムの手から暖かな癒しの光りが放たれ、戦士の頭の裂傷がみるみると消える。

 流れた血は戻らないので、タイガがおしぼりを差し出した。そうしてる間にもマァムはもう一人の男にもホイミをかけ傷を癒した。

 

 「……ごめんなさいぃ」

 

 渋々といった感じで謝罪するマァムにタイガがやれやれと眉尻を下げ、彼女を援護する。

 

 「こうして謝って、怪我も治した事だし許してやってくれないか?」

 「そいつ全然悪いと思ってねぇだろ!! 怪我だってそいつがやった事だろうが!! 治したからって、恩着せがましく言ってんじゃねぇ!!!」

 「いや……そんなつもりはないんだが、そう聞こえたのなら すまなかった」

 「んな……っ「あたしからも謝るよ。娘が失礼したね」

 

 声がした方を向くと、店のカウンターテーブルで頬杖をつく中年女性が見ていた。

 紺に近い黒く長い髪を結い上げ、金の簪で飾っている。露出の多い真っ赤なドレスを上品に着こなしている、威圧感のある美女。

 

 「マダムの……娘?」

 

 戦士は苦々しくマァムを見下ろした。

 アリアハンの旅人ギルドマスター マダム・ルイーダ。その娘。

 そうとわかれば最早手は出せない。

 ギルドマスターに喧嘩を売ってもなんの得にもならない。

 下手な騒動を起こせば手形没収。ギルドからの除名処分になりかねない。

 ルイーダは酒棚から一本の葡萄酒(ワイン)を取り、タイガへ放り投げる。タイガはそれを難なく受け取ると男達のテーブルに置いた。

 

 「そいつは詫びだ。あと今まで飲んでた麦酒(ビール)と飯の代金は無しにするからさ。許してはくれないかい?」

 「まっ……まあ、マダムがそこまで言うんなら……」

 

 舌打ちをし、戦士は椅子に腰かけた。

 ルイーダは一つ息を吐き、そしてにっと笑うと声を張り上げた。

 

 「今日は希望の勇者の誕生日だ! 皆、大いに盛り上がってくんな!!」

 

 

* * * * * * *

 

 

 先程の悪い空気が払拭し、酒場が賑わい取り戻した頃、再びドアベルが鳴り、来店客に一斉に視線が集まる。

 しかし、今までと違いその沈黙が長かった。

 来店客の方も、酒場に所狭しと(ひし)めく酒場の客の人数と、その全員に見詰められて思わず固まる。

 その男は美しかった。女と見間違える程に容姿端麗だった。

 まず目を惹くのは、世にも珍しい銀色の髪。次に肌。透き通るような青白く女性的な肌。切れ長なその瞳は、火酒(ウィスキー)の様な琥珀色が妖しく煌めいていた。

 銀髪の男は視線を振り切るように颯爽とカウンターへ進む。

 

 「手形の更新依頼なんだが、窓口はここでいいか?」

 「ああ……いやっ、登録と更新は二階の窓口でやってんだよ。あんた名は? 所属ギルドはあるかい?」

 「スレイ=ヴァーリス。所属は盗賊ギルドだ」

 

 喋るうちにルイーダは落ち着きを取り戻す。男は華奢に見えるが、無駄な筋肉が一切付いていない、鍛え抜かれた体躯をしている。なにより使い込んだであろう黒装束に、革の鎧、手袋(グローブ)長 靴(ロングブーツ)が熟練の旅人である事を物語っていた。

 

 「しっかし あんた珍しい毛色だねえ。悪いけど人間かどうか疑っちまったよ」

 「うんうん。童話に出てくるエルフみたいですよね!」

 「そうそう! 妖精まで噂の勇者を見に現れたかと思ったわ!」

 「大抵どこでも珍しがられているが、そんな事を面と向かって言われるのは子供の頃以来だ……」

 

 半ば呆れたように言う彼に、ルイーダは腰に手を当てハハハッと笑う。

 

 「この子は意外とロマンチストな所があるからねぇ」

 「意外とって、どういう意味ですか!」

 「ところで勇者とは?」

 「今日新しく誕生した勇者。勇者オルテガの娘 アステルさ」

 「あっ、それ私の事です。アステル=ウィラントっていいます」

 「そうそう! この子がアステル……って、え?」

 

 『え?』

 

 皆の視線が一斉に銀髪の男の隣に立つ少女に注がれる。

 襟元がたっぷりした紫紺の外套(マント)を羽織り、その下は白の綿のブラウスに、丈夫そうな生地で出来た青のチュニック。白いズボンに革の長 靴(ロングブーツ)を履き、二の腕まである長手袋(ロンググローブ)をしている。背には真新しい鋼の剣を背負い、短い黒髪に額を飾るのは。

 彼女の瞳の色と同じ瑠璃の宝玉が填まった額環(サークレット)───〈勇者の証〉。

 

 『勇者 いつの間に~~っ!!?』

 「「一緒に入ってきたよ(ぞ)」」

 

 皆の叫びに二人は平然と答えた。

 

 「……って、いうわけで スレイさん」

 

 皆が二の口を告げられぬ中、アステルはスレイを見上げる。

 

 「宜しければ私と魔王討伐の旅に出ませんか?」

 

 (((軽いっ!!)))

 

 皆が皆、心の中で叫んだ。

 

 「いいけど」

 

 (((即答っ!!?)))

 

 アステルの無謀にしか思えない誘いに、考える間も見せずあっさりと承諾したスレイに、またもや皆が心の中で叫んだ。

 

 「マァム、タイガ!! 二人ともいいでしょ?」

 「アステルが決めたのなら俺は構わんぞ」

 「あたしも~!」

 

 アステルの登場と行動にマァムもタイガも特に驚かない。アステルに目敏い所があるのも、決めたら即実行な性格なのも二人は知っている。

 

 「二人は?」

 「私の旅に一緒に来てくれる仲間です。タイガ、マァム。私達二階で手続きしてくるね」

 「ああ。こっちも休憩に入ったら二階に行く」

 「じゃあ、二階の休憩所でね。ルイーダさん二階に上がってもいい?」

 「あっ……ああ。どうぞ」

 

 どこまでもマイペースなアステルはスレイを連れて二階へと階段を昇る。

 途中、別に普通に喋って良いぞ。オレの事も呼び捨てで良い。と、じゃあ、そうさせてもらうね スレイ。という二人の会話を聞きながら二人が二階へ姿を消すまで、人々はただ、ただ黙って見送った。

 

 

* * * * * *

 

 

 「入り辛いなぁ……」

 

 アステルはルイーダの酒場、入り口手前で口に拳を当て途方に暮れていた。酒場の中はいつも以上に人が入り、賑わっているのが外からでもわかる。繁盛している原因は恐らく〈自分〉だろう。

 物珍しく見られ騒がれるのも、冷やかされるのも、酔っ払いに絡まれるのも出来れば避けたい所だった。

 

 「入らないのか?」

 

 背後から声が掛けられ、アステルは振り返り見上げた。そして、大きな瑠璃の瞳を更に大きく見開いた。太陽に透けてさらさらと白銀の光を溢す髪に、此方を見下ろし煌めくその瞳は宝石(アンバー)

 

 (────妖精がいる)

 

 アステルはそう思った。

 水際だった容姿とはこのような若者の事をいうのだろう。とも思った。

 

 (……顔だけ見たら女の人と間違えるよ)

 

 だが、細いながらも精悍な体つきは明らかに男性のそれで、先程掛けられた声は低く耳当たりがとても良かった。ならば役者かと思う所だが、ただの役者が全く隙のない佇まいをするわけがなく。

 若者の観察を続けるアステルは、彼の頑丈そうな革の腰ベルトに携えた武器の数に驚く。まず鋼の刃の付いたブーメラン。

 

 (あれ、私が使ったら間違いなく怪我する……)

 

 それに竜を模した鞭に、針の様な武器、ダガー……と。武器は近接戦、遠隔戦両方に対応出来る種類だった。

 

 (これ全部扱って、旅をしてきたのならこの人は物凄く強い)

 

 アステルは彼がどのようにこれらの武器を扱うのか、どんな風に戦うのか見てみたかった。

 

 「……い、……おい! 大丈夫か?」

 

 黙りこくっていたアステルに、若者は身を屈めて訝しげにその顔を覗き込んだ。

 

 「っ、……すみません! 大丈夫です。ちょっと緊張してて……」

 

 ややあって我に返ったアステルは、慌てて手を振り、頭を下げる。初対面の相手を、不躾にじろじろと見てしまった事を恥じた。

 

 「今日初めて、旅ギルドに加盟手続きするんで」

 「……もしかして、酒場に来るのは初めてか?」

 「いえ、実家がこの近くなんで。ここにお酒買いによく来るし。なにより友達の家なんで」

 「と、いう事は 武者震いか?」

 「そんなとこです。邪魔してごめんなさい」

 

 照れ臭そうに頬を掻くアステルに、彼はふっと表情を和らげる。

 

 「だったら一緒に入るか?」

 「いいんですか!?」

 

 ぱっと顔を上げるアステルに若者は首を傾げた。

 

 「大袈裟な……一緒に店に入るだけだろう」

 「いいえ。……すっごく助かります」

 

 アステルはにーっこりと笑った。

 

 

* * * * * *

 

 

 「……狙っただろ?」

 

 二階に上がり、開口一番若者……スレイは。アステルに言った。

 

 「ごめんなさい」

 

 そう。アステルは狙っていた。

 スレイの人を惹く容貌で。オルテガの娘見たさに(たむろ)っている、酒場全員の視線を全て彼に向けさせられるかもと。

 謝るアステルだったが、スレイは特に根に持ってないらしい。むしろ面白がっている。

 

 「なかなかずる賢いな。勇者どの?」

 

 アステルは頬を指で掻きながら苦笑いし、もう一度ごめんなさいと謝った。

 

 「で、だ。同行のお誘いもその場凌ぎのデマカセか?」

 「違うっ! それは本気のお誘いっ!! スカウトってやつ!!!」

 

 両手に握りこぶしを作り、懇願するよう言うアステルにスレイは、ハッ!と笑って彼女の頭にぽんっと手を置いた。

 

 「それを聞いて安心した」

 

 言ってスレイは手形更新をしに、窓口へと足を運ぶ。アステルもその後を慌てて追いかけた。

 

 

 手続きを終えると、二人は二階の休憩所に向かった。休憩所には既にタイガとマァム、そしてもう一人。

 背の高い娘だった。健康的な小麦色の肌に、珊瑚色の長い髪を、金の髪止めで結い上げている。青く染められた麻のベストを羽織り、白のチューブトップとサルエルパンツを纏っている。足元は革のショートブーツを履き、首元と両手首と二の腕に金のチョーカーとバングルを身に付け、耳には瞳の色と同じ翡翠のイヤリングが揺れていた。

 

 「シェリル。お仕事終わったの?」

 「おーう、アステル! なんとか店の引継ぎ済んだで。……おや、新入りさんか? えらい別嬪さんやないか」

 「そう! つい今さっき、仲間になったの。じゃあ、皆揃ったとこで改めて自己紹介をしましょう!」

 

 アステルはぽんっと両手を合わせ、席に着く。スレイは無難に同性のタイガの隣に座った。

 

 「一人ずつ名前、年齢、職業、戦い方……えっと、使える呪文や特技。あと、旅の目的があれば教えて欲しいかな」

 「旅の目的はバラモス打倒だろ?」

 「うん。確かにそれは私の目的だけど。けど、皆にそれ以外の目的があるのなら、私も力になりたいと思ってるから。」

 

 じゃあまず私からと、アステル。

 

 「アステル=ウィラント。十六歳。勇者。特技は剣術。使える呪文はメラとホイミ。呪文はまだ二つしか使えないけど、頑張って修行します!」

 

 次あたしぃとマァム。

 

 「マァム=ヴェルゼムだよぉ。歳はぁ多分じゅぅはちぃ。職業はぁ遊びにーん! 特技はぁ鞭でびしばしぃ!! ホイミとぉキアリーがぁ使えるよぉ! 目的はぁ、アステルのぉ力にぃなる事ぉ! ヨロシクぅ!!」

 

 スレイにウィンクを贈るマァム。何故、遊び人が回復呪文が使えるのか、何故歳が多分なのか。問いたい事が咽の手前まで持ち上がったが、なんとか飲み込んだ。

 

 ほな、次ウチな とシェリル。

 

 「シェリル=マクバーン。十九歳。商人や。呪文は使えへんけど、武器は大抵の物は扱えんで。戦い以外じゃ、武具、道具の鑑定能力は呪われとるかどうかまで見極められるレベルや。パーティーの財産管理も任せとき! 旅の目的は幼馴染のアステルの手助けってのもあるけど、いつか自分の商会立ち上げる為にも、世界中の市場見て廻って見識を深めたいってのもあるな。宜しゅうな!」

 

 そう言ってシェリルは手を差し出す。スレイは求められるまま、握手を交わした。

 

 「……成る程な」

 

 ニヤリと笑うシェリルにスレイは首を傾げ、手を離した。

 

 「因みに私とシェリル、マァムは幼馴染同士です」

 

 ねーっと、顔を合わせ笑い合う女子三人組。

 

 じゃあ、スレイは最後に、とタイガ。

 

 「タイガ=ヤクモ。二十五歳。武闘家だ。呪文は使えん。武器は爪とこの体だな。旅の目的は武道を極める事か。皆ほどなにか出来るわけじゃないが、宜しく頼む。因みにこの剣は御守りみたいなものだ。あまり気にせんでくれ」

 

 そう言って、タイガは自分の腰帯に下がる剣の柄に触れた。

 

 皆の視線を受け、スレイが口を開く。

 

 「スレイ=ヴァーリス。二十一歳。盗賊。だが、盗みはしない。オレは発掘調査や宝探し専門だ。武器は投擲(とうてき)・鞭・短剣・長剣が扱える。あと盗賊ギルドに入る為のスキルは全て身に付けている。使える呪文はレミラーマとフローミ。……物探しと迷宮探索の呪文だ。オレの旅の目的はガイアの剣という伝説の剣を探している。一人での探索に限界を感じ始めていたから、アステルの誘いに乗った。

 こんな理由だが仲間に入れて貰えるか?」

 

 アステルは瞳をきらきらとさせ、突然スレイの両手をがしっと掴み、ぶんぶんと上下に振った。

 

 「全然! むしろ大歓迎!! このタイミングで発掘のプロが仲間になるなんて、なんて幸運なんだろう!! 宜しくお願いします!!!」

 「? ……あっ、ああ。こちらこそ」

 

 アステルの尋常じゃない喜び方に、スレイを始め皆たじろぐ。

 

 「なんや、アステル。なに、そんな興奮してんねん。」

 

 「実はね……」

 

 アステルは城で受けた、王の依頼を皆に話した。




誤字報告ありがとうございます!


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旅立ち

 

 アステルは重そうな金貨袋をテーブルの上に置いた。

 

 「一万ゴールド入ってるの」

 「うっひゃぁ!!」

 

 もろ手を上げ大袈裟に驚くマァム。

 

 「なんや? 国王様からの激励金か? 随分太っ腹やなぁ」と、シェリル。 

 

 「それもあるけど。これは前払いされた依頼の報酬」

 「やっとアリアハンは〈旅の扉〉を開放する気になったか。旅人には吉報だな」 

 

 王の英断に感心するように言うスレイ。

 

 「開放するのは私達なんだけどね」

 

 アステルは苦笑を浮かべた。

 

 「だが、近頃海の魔物が手強くなってきてるからな。特にアリアハン近海は命懸けだ。船賃もそれに見合った額になる。ロマリアまで五人となると、その一万でも足りないくらいだ」

 

 スレイの言葉にシェリルも「うんうん」と頷く。

 

 「(おか)の魔物はスライムやら一角兎(いっかくうさぎ)やら大鴉(おおがらす)やら、可愛いもんなんやけどなぁ。西大陸やポルトガ行ったら、厄介な呪文使う魔物がわんさかやで?」

 

 アリアハンに生息する魔物の強さは、諸外国のものと比べれば取るに足らないものだという話は、大陸を出た事のないアステルでも小耳に挟んでいた。

 それでも。戦いと無縁の人間にとっては、どんな魔物でも脅威である事にかわりはないが。

 

 「……それで。その〈旅の扉〉の封印を解く手掛かりはなにもないのか?」

 

 尋ねるスレイに、アステルは首を力なく横に振る。

 

 「王様が、その方法を探すのも含めての依頼だって」

 「まぁる投げ~~~!!!」

 

 マァムがぷぅと頬を膨らました。

 

 「俺が世話になってる宿屋での話なんだが」と、タイガが手を挙げた。

 

 「隣の部屋の奴がやたらうーうー唸って、煩かったから事情を聞いたんだ。そしたら、海を越えて大陸へ渡る為に〈旅の扉〉の封印を開くという〈魔法の玉〉ってやつを手に入れたそうなんだ」

 「えっ!?」

 

 アステルは思わず立ち上がる。しかしタイガは肩をすくめ、

 

 「けど、不注意で落として、爆発して大怪我をしたって」

 「えっ……」

 

 アステル、スレイ、シェリルはそのオチに思わず目が点にになる。

 

 「キャハハハハ! ドォ~ジィ~~~!!!」

 「こら。マァム」

 

 うん。ドジだ。

 でも他人の不幸事を笑っちゃいけない。タイガはマァムを嗜めた。

 

 「魔法いうより、爆薬やな。それ。ちょっと興味あるわ」

 

 未知のアイテムにシェリルはウキウキする。

 

 「けど、ただ物理的な爆発だけをする物じゃないだろ。並みの衝撃じゃ、どうにもならない封印らしいからな」

 

 スレイの言葉に、さらにワクワクしだすシェリル。

 

 「タイガ。どこで手に入れたか聞いてる? まさか、それ一個きりなんて事は……」

 

 不安気に聞くアステルに、タイガが力強く頷く。

 

 「確かレーベって名の村で作って貰ったって聞いたから大丈夫だと思うぞ?」

 

 シェリルはアリアハン大陸の地図を鞄から取り出し、テーブルに拡げた。

 

 「ここがアリアハン城下町。んで、レーベはここ。こっから西北にある村。……ここや」

 「地図で見る限りでは、徒歩で二、三日ってとこか。魔物に襲われなければの話だが」

 

 シェリルの指先を覗きこんでスレイは言う。

 

 「じゃあ、最初の目的地はレーベね。……って言っても、今日はもうお昼過ぎちゃったし、出発は明日の朝にしようか」

 「そういえば昼飯食い逸れてしまったな……」

 「お腹ぁ空いたぁ~」

 「ウチもや。ギリギリまで仕事してたさかい」

 「もしかしてスレイも?」

 

 アステルの問いかけにスレイは頷く。

 

 「昼前にアリアハンに到着して、すぐルイーダの酒場に来たからな。ここで済ませるつもりだったし」

 

 「なら、皆うちに来て」

 

 アステルはニッコリと笑い、席を立った。

 

 

* * * * * * *

 

 

 まだまだ多くの客で賑わっている酒場から、マァムの案内で裏口よりこっそり外へ出る。

 アステルの生家はルイーダの酒場を出て、通りを挟んだ向かいにある、煉瓦造り二階建ての家だった。

 

 「あらあらまあまあ。みんないらっしゃい。アステルはおかえりなさい」

 

 母エリーゼは若く美しく、アステルと並ぶとまるで姉妹のよう。アステルは顔立ちは母親似、髪の質や瞳の色は父親譲りなのだろう。娘の瞳は瑠璃色だが、彼女の瞳は海松色(モスグリーン)だった。

 茶色(ブラウン)がかった艶やかな長い黒髪は一つに束ね肩に流し、青いワンピースに白いエプロンが良く似合っている。

 

 「エリーゼさん、いつ見ても若いなぁ。成人の娘がいるやなんて思えへんわ」

 「お肌つやつやぁ~髪綺麗ぃ~! うらましいぃ~!」

 

 シェリルとマァムは感嘆の溜め息を漏らす。エリーゼはフフフッと笑い、

 

 「アステルは私が十六の時に出来た子ですからね」

 「母さんが成人したらすぐ結婚したんだよね」

 「でないと、安心して旅が出来ないって父さんがね……」

 

 玄関先で惚気だす母親をアステルは慌てて止める。

 

 「母さん、皆お昼食べてなくてお腹ペコペコなの。良いにおいしてるけど、ご飯出来てる?」

 

 そういえば香ばしいスパイスと肉の焼いた薫りが家の奥から漂っている。

 タイガの腹が 盛大に鳴り、続けてマァムのお腹が可愛いらしく鳴る。タイガは照れくさそうに頭を掻き、マァムはお腹を抱えた。

 

 「すまない……」

 「お腹ぁ~空いた~……」

 「あらあらまあまあ」

 

 エリーゼは口に手を当て、それからふわりと微笑んだ。

 

 「ごめんなさいね。勿論準備出来てるわよ」

 

 

 「───お爺ちゃん、ただいま」

 「うむ」

 

 リビングキッチンにある六人掛けのテーブルの家長席には、すでにアステルの祖父オルガが座っていた。

 

 「こんちわ~~お邪魔します大旦那」

 「おじいちゃ~~ん! こぉんにちわんっ!」

 「お邪魔します。旦那」

 「うむ、よう来たな。マァム。シェリルにタイガよ。……む? そちらさんは初めてじゃな?」

 「……はじめまして。スレイ=ヴァーリスです。お邪魔します」

 

 スレイはオルガに向かって頭を下げた。

 

 「今日知り合ったの。旅の仲間だよ」

 「ふむ。わしはアステルの祖父のオルガじゃ。これから孫を宜しく頼む」

 「さあさあ、皆さん。空いてる席に座ってくださいな」

 

 テーブルには所狭しと料理が並んでいた。

 鶏丸々一羽使ったローストチキンと大きなチーズケーキを中心に、ミートローフ、サラダ、コーンスープに、鱒の香草焼き、ガーリックの薫りが香ばしい焼きたてのバケットとふわふわのパン。ジュース、ワインも並んでいる。

 

 「ふわわわぁ~~~!」

 

 マァムは頬に手を当てて、目をキラキラ輝かす。

 

 「うひゃあ~~! エリーゼはん随分張り切らはったな! 今日はアステルの誕生日やからなぁ」

 

 「今日が誕生日?」と、スレイ。

 

 「うん。成人になったその日に、勇者になるって決めてたんだ」

 

 はにかんで頬を薄紅に染めるアステル。

 

 「ほれ、皆ちゃっちゃとグラス持って! 大旦那とタイガとエリーゼはんはワインで良いな。スレイもイケる口か?」

 「ああ。もらう」

 「マァムはジュースぅ!!!」

 「はいはい。ちゃんと用意してありますよ」

 「アステルも大人になったんだ。一杯試してみるか?」

 

 タイガがワインを差し出す。

 

 「えーと……それじゃあ、一杯だけ」

 

 「皆、準備いいな? ……ほんじゃ、アステル十六歳の誕生日おめっとうさん!!」

 「お~めでとうぅ!!! アステルぅ!!!」

 

 シェリルとマァムの音頭に皆高くグラスを掲げた。

 

 

 

 

 「───う?」

 

 幼い頃、父から貰ったシロクマのぬいぐるみと目が合った。アステルは自室のベッドの中にいた。添い寝するようにころりと横になってたシロクマを抱き上げ、枕脇の定位置に座らせて辺りを見回す。

 すっかり日は落ち、窓の外の三日月がこちらを覗き込んでいた。

 首を傾げ自分を見やる。マントとチュニックは脱いで洋服かけにきちんと掛けられ、今は寝巻姿だ。咽の乾きを強く感じ、ベッドから降りると机の上にはちゃんと水差しとグラスが用意されていた。咽が潤ったら、頭がはっきりしてきた。

 アステルは二階にある自室から出ると、丁度ベランダから鍵のかかった窓を音をたてずに開け、家に侵入しようとする影が見えた。泥棒かと思いきや、それはスレイだった。

 スレイの方も、すぐアステルの視線に気づく。

 

 「目が覚めたのか? アステル」

 「何してるの? スレイ」

 

 不審な行動をしてるスレイに、アステルは思わず半眼で問い返す。

 

 「ちょっと用事があったから出掛けてた」

 「玄関から出たら良いのに。泥棒みたいだったよ」

 「盗賊だからな。……ところでなにがあったかちゃんと覚えてるか?」

 「え」

 

 含笑いを浮かべるスレイにたじろぎつつ、アステルは記憶が曖昧になる前までを思い起こした。

 

 

 皆が祝ってくれた。暖かく会話も弾んだ。

 母エリーゼが腕を振るったアステルの好物ばかりの御馳走と、初めて飲んだお酒は堪らなく美味しく、一杯だけのつもりが、あの後、何杯もおかわりをしてしまった。

 気がつけばすっかり日は暮れ、エリーゼはタイガとスレイに今夜は泊まるよう勧めたが、タイガは宿でも送別会を開いてくれるらしいから戻ると言い、そしてスレイにおそらく宿は満室だから、ここで世話になると良いと勧めたのだ。

 そうして彼は、お腹いっぱいになって眠ってしまったマァムを、ついでに酒場まで送ると背負い宿に戻った。

 シェリルもここに泊まりたいと懇願したが、エリーゼに「今夜は家族の元に帰りなさい」とにっこり笑顔で言われて、しぶしぶ帰っていった。

 

 

 (そうだ。スレイと皆が帰るのを見送った後、急に目が回って、力抜けて……)

 

 その後の記憶が全くなく、アステルは両頬を手で押さえた。

 

 「酔っても顔にでないんだな。いきなりぶっ倒れるから流石にびびった」

 「……私、倒れたの?」

 「いや、ちゃんと支えた。痛い所はないだろ? で、潰れたお前を部屋まで運んだ。着替えさせたのはお袋さんだ」

 

 彼を見上げていたアステルの青ざめた顔が、羞恥でみるみる赤く染まる。その様が面白かったのかスレイはくつくつと笑った。

 

 「ご、御迷惑おかけしました」

 「いいや? 旅立ちの前にいい勉強になったんじゃないか?」

 「もうお酒飲まない」

 

 ぽつりと漏らした少女の決意に、スレイは吹き出し、肩を震わせた。

 

 「……で! スレイはこんな時間にどこに出掛けてたの?」

 

 いつまで笑ってるんだと言わんばかりに眦を上げるアステルに、スレイは軽く咳払いをする。

 

 「ああ。盗賊ギルドで買い物してた。この時間にしか開いてないんだ。アステル、手を出せ」

 

 言われたまま差し出すと、スレイは白いふわふわした毛玉の飾りを置いた。

 

 「〈うさぎのしっぽ〉……って、待て待て。本当に兎からもぎ取った尻尾じゃないから捨てるな」

 

 思わず放り投げようとしたアステルの手を、スレイははしっと掴む。

 

 「そうなんだ。紛らわしい名前」

 

 アステルは改めてもふもふと握りながらそれを眺める。

 

 「幸運の御守って西大陸の娘達の間で、流行ってるって聞いたんだが。アリアハンではないのか?」

 

 アステルは頷き、雪のように白く、そして柔らかい手触りを熱心に楽しんでいる。

 

 「私は初めて見るけど……」

 

 頬を染めふわりと微笑むアステルに、スレイはぼそりと呟く。

 

 「そういう所も変わらないな」

 「? なんか言った?」

 

 アステルの質問には答えず、スレイは柔らかく笑った。

 

 「……やる。誕生日プレゼントだ。ソイツに護って貰え」

 「え?」

 「じゃあ、オレも休ませてもらう。おやすみ」 

 

 思わぬ贈り物に呆気に取られるアステルをベランダに残し、用意された部屋にスレイは戻る。

 

 「えっ? ちょっ、ありがとう!」

 

 片手を振って応え、彼は用意された部屋に消えた。

 アステルは手の中にある〈うさぎのしっぽ〉に付いてるリングを持ち上げて、掲げ見る。夜空を背景にゆらゆらと左右に揺れる、白いふわふわ。

 

 「幸運の御守り……か。可愛い」

 

 どこにつけようかなと、アステルは微笑んだ。

 

 

* * * * * * *

 

 

 薄暗く、夜が明けきらぬ時分にアリアハン一の豪邸から出かける娘の姿があった。

 

 「ほな、行ってくるでぇ~~」

 「待たんかい! シェリル! 話はまだ終わっとらん!」

 

 足早に歩く娘シェリルを、父エルトン=マクバーンはその恰幅の良い体と後ろ髪の三つ編みを揺らしながら、追いかけた。

 

 「お前と勇者殿の為にわざわざバハラタ行きの商船の出航を、今日に延ばしたんやで! なのに、急に乗らんって……!」

 

 シェリルはぶすっとエルトンに振り返る。

 

 「だぁかぁらぁ! 昨日から言ぅとるやん。王様から〈旅の扉〉復活の命令承けたから予定変更になったって。親父は王様に歯向かえゆうんか?」

 「せやけどなぁ! こんなに早よう別れるやなんて! わしはお前が心配なんや! わしが目離した隙に、お前の姉リシェルみたいにお前がなるんやないかと心配で、心配で!! 名前か!? 似た名前つけたんがあかんかったんか!? あの頃は可愛いらし思うて、付けたんや~~っ!!!」

 「いや、姉貴みたくはならんから。ウチ堅実に生きたいし」

 「魔王退治に行くんの何処が堅実やぁ~!」

 

 半眼できっぱりとそれを否定するシェリルに、エルトンは泣き叫ぶ。

 

 「ま、ま、ま……とりあえずはこのアリアハンとロマリア周辺うろうろするだけなんやから。船旅より全然安全やん」

 「そやけど……そやけどなぁ~!」

 「ちゃんとポルトガの実家にも寄るから。───……多分」

 「多分やない! 絶対や!! 死んだおっかさんにも約束しぃや!!!」

 「わぁったから! もおっ! 遅刻するさかい行くで!!」

 

 「絶対やで~~~っ! 」と、叫ぶ父の声を背にシェリルは溜め息を吐きながら、歩いた。

 

 (……近所の皆さん朝っぱらからうるさぁしてすんません……)

 

 心の中で近隣住民に謝罪するシェリルの耳に、咽の奥で笑う声が入ってきた。

 

 「タイガ……」

 「くくっ……おはよう。すまんな。立ち聞きするつもりはなかったんだが」

 「おはよーさん。……えーよ。別にもう」

 

 街路樹の影から現れた旅の同行者の男に、シェリルは溜め息交りで挨拶を交わす。

 彼に近寄ると、強い酒の匂いがした。

 

 「なんや? めっちゃ酒の匂い残っとるやんか。あの後もまた飲んだんか?」

 「宿の連中が壮行会を開いてくれたんだ。タダ酒は呑める時に、呑んでおかんと損だろう?」

 

 大満足な笑顔のタイガに、シェリルは肩を落とし恨めしげに彼を見上げた。

 

 「ええなぁ。ウチは昨日からあの調子や。しまいにゃアリアハンの武具店任せんと、さっさと嫁に出しゃ良かったとか言いおるし」

 「親父さんの心配も仕方ないだろう。それだけ娘のシェリルが可愛いんだ」

 

 タイガの言葉に「いや」と、首を振りシェリルは大きな溜め息を吐く。

 

 「……そやないねん。ウチ姉貴がおってん。五年前に家の船一(そう)ちょろまかして、ウチと同じように見聞の旅に出て───……そして」

 

 目を伏せるシェリルにタイガは笑顔を潜め、気遣うような視線をやる。

 

 

 「海賊になってもうた」

 「───……って、は? 海賊?」

 

 「だから姉貴の皺寄せが全部ウチに来たんや。姉貴と比べたら見聞のついでに魔王退治の旅、んでゆくゆくはウチ自身の商会持ちたいなんて夢、可愛らしいもんや」

 

 ぷりぷりと怒って歩くシェリル。

 別にシェリルが悪いわけではない。彼女の人生なんだから。……しかし。

 可愛い娘の一人は海賊になり、もう一人は魔王退治に旅立つ。

 事情は違えどアステルとマァムの家族も同じなんだが。先程みっともなく泣き叫んで、失いたくないと旅立つなと懇願していた父親が、タイガは少しだけ憐れに感じた。

 

 「シェリルには姉さんの他に兄弟はいるのか?」

 「なんや? 急に。兄貴ならおんで。出来が良くてな。親父の後継も兄貴や」

 

 兄貴おらへんかったら、ウチもこんな勝手出来へんかったやろうなぁ。兄貴には感謝してるわぁ。

 そんな親の心子知らずなシェリルの発言を聞き流しながら、せめて兄さんは親父さんの味方であって欲しいなとか勝手な事を願うタイガだった。

 

 

 「けど、〈旅の扉〉使えそうで良かったわ。親父の力には極力頼りたぁなかったし。ウチの旅の目的に反する事やからな。

 それに旅慣れしてるタイガとスレイがサポートする言うても、アリアハンから出た事ない、アステルやマァムをいきなり船旅や西大陸へ旅させんのは、気が引けてたし……」

 「もしかしたら、王様も同じ事を考えてたかもしれんな。〈魔法の玉〉の情報も案外あっさり見つかったし」

 「いや、〈魔法の玉〉に関しては、タイガの人付合いの良さが功を奏したんやと思うけど。……ウチもそう思う。

 オルテガはんと王様は君主、臣下の間柄やけど親友同然の付き合いやったらしいし。その娘のアステルまで同じ末路、辿らせるわけにはいかん思うたんやろ。

 ……まあ。ウチがそうさせへんけどな!!」

 

 言ってシェリルは背中に携えた鉄の槍を、勇ましく振り翳した。

 

 

* * * * * *

 

 

 待ち合わせ場所の街門に辿り着くと、自宅がここから近いアステル、スレイ、マァムはすでにそこにいた。見送りにはエリーゼ、オルガ、ルイーダがいた。

 

 「おはよう、シェリル、タイガ」

 「おっはぁ~~っ!」

 「おはよう」

 「おはよう!」

 「おはよーさん」

 

 皆が揃った。それは出発の時を意味する。

 

 「マァム」

 

 ルイーダが両手を広げる。マァムがその腕の中に飛び込むと、力一杯抱き締めた。

 

 「ママぁ~~……」

 「なんて声出してんだい。お前は元気と明るさと面白さが取り柄の遊び人だろ? アステルや仲間が落ち込む事があれば、お前が元気づけてやるんだよ?」

 「はぁ~~いっ!」

 

 先程の涙声はどこにやったやら。

 切り替え早く手を上げて返事するマァムにルイーダは苦笑し、愛娘のその額にキスをした。

 

 「アステルとマァムは旅に慣れとらん。お主達、しばし二人を教え導いてくれ。宜しく頼む」

 

 オルガはタイガ、スレイ、シェリルの前に立ち頭を下げた。

 

 「大船に乗ったつもりで任しといて!」

 

 胸を張るシェリル。タイガとスレイも力強く頷いた。

 

 

 「アステル。これを。遅くなっちゃったけど誕生日プレゼントよ」

 

 エリーゼの差し出された手の上にあるのは、薄紅色の宝石の填まった銀の指輪。それに鎖を通したものだった。それを見てアステルは驚く。

 

 「これ……! 父さんとの結婚指輪じゃない!」

 「ただの指輪じゃないわ。〈命の指輪〉といって、癒しの奇跡を秘めてるの。母さんが若さを保ってられるのは実はこれのお陰なの。……なんてね?」

 

 ぺろっと舌を出しおどけて見せるエリーゼ。しかしアステルには笑えなかった。父に貰ったこの指輪を母がどれだけ大切にしてたか、幼い頃から見ていて知っていた。

 今にも泣き出しそうな娘にエリーゼは強く微笑む。

 

 「受け取りなさい。母さんと父さんの想いが必ずアステルを守るから」

 「母さん……!」

 

 熱くなった目頭をぐいっと拭い、アステルは指輪を受け取るとそれを首に掛け、襟の中へと大切にしまう。そして母を抱き締めた。母は娘の背中をぽんぽんと、優しく叩く。

 

 「いってきます……!」

 「はい。いってらっしゃい」

 

 

 アステルはエリーゼを離し、祖父オルガを見た。祖父はもうなにも語らず、ただ真っ直ぐにアステルを見つめ、頷いた。

 外套(マント)を翻し、黙ってずっと見守ってくれた門兵に、一礼する。

 門兵は心得顔で街門を開く合図のトランペットを高らかに吹く。

 それに合わせもう一人の門兵が門を開く大きなレバーを引いた。

 大きな音をたて開いた門の外は、どこまでも広がる大草原。

 背後から朝日が昇り、辺りは明るく鮮明になる。

 アステルが歩み出す。続けてマァム、シェリル、タイガ。最後にスレイ。

 

 しかし。スレイはアステル達に気付かれぬよう、背後を振り返りエリーゼとオルガに向かって深く頭を下げた。

 突然の彼の行動に驚く二人だが、スレイは頭を上げると、さっと四人の後を追った。

 

 「あの子と知り合いなのかい? なんか意味ありげだったけど……」

 

 ルイーダが二人に尋ねる。しかしオルガは思い当たらなくて首を横に振る。

 

 「エリーゼ、お主は覚えがあるか?」

 「いえ……でも。今の感じ……初めて見た気がしませんわ」

 

 

 王城のバルコニーから王はトランペットの音を聞いた。オルテガが旅立った時の背中が脳裏に浮かぶ。それとだぶるように、昨日見た小さな少女の後ろ姿が浮かんだ。

 

 「アステルよ。お前は必ず戻って来るのじゃぞ……」



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魔法の玉

 

 「────てりゃあああっ!」

 

 アステルの鋼の剣が突進してきた額に角がある兎〈一角兎(いっかくうさぎ)〉を切り裂く。返す刃でこちらに鋭い嘴を突き出そうとしていた人の丈程の〈大鴉(おおがらす)〉の首を切り落とした。

 息をつくアステルの隙をついて、青いジェル状の雫型の魔物〈スライム〉達が群れをなして彼女の顔目掛け一斉に飛び掛かる。

 しかし、スレイの投げた刃のブーメランが、スライム達を全て真っ二つにし、弧を描いて彼の手元に戻って来る。

 スレイはアステルの傍に駆け寄り、彼女の背後に回った。

 

 「油断するな」

 「あ、ありがとう」

 

 左手のブーメランの刃で飛び掛かってきた一角兎の喉を掻き破り、右手にある竜を模した鞭ドラゴンテイルで背後から襲ってきた〈大蟻食(おおありくい)〉の群れを一気に凪ぎ払う。

 

 「うおおおおっ!」

 

 タイガはこちらを捕らえようとして伸ばした大蟻食の長い舌を逆に掴み取り、その巨体を鉄球のように振り回して、魔物の群れ目掛けてぶん投げる。すぐ横に飛び、狼狽えたスライム達を手に嵌めた鉄の爪で素早く切り裂いていく。

 

 「はあっ!」

 

 飛んで来た仲間に怯み、目を回す大蟻食達をシェリルの鉄の槍が繰り出す鋭い突きがすかさず止めを刺した。

 

 「みぃんなぁ~がぁんばぁ~~」

 

 襲って来る魔物の攻撃を踊りながら躱し、ひたすらエールを贈るマァム。極たまに、棘の鞭をさながら小道具のリボンの様に魔物に振るう。

 倒れた魔物はどんな原理か塵となり風に浚われる。地面に残るのは様々な色をした宝石の原石の様な物。

 

 

 周囲に魔物の気配がなくなったのを確認して、アステルは剣を鞘に納めた。

 

 「魔物って不思議だね。死んじゃうと石になっちゃうし」

 「……これは仮説だが」

 

 アステルの呟きにスレイはブーメランと鞭を手早く仕舞いながら答えた。

 

 「魔王バラモスの魔力を浴びて凶暴化した魔物達は、死んだ時その魔力が結晶化すると言われてる。結晶が大きければ大きいほどバラモスの恩恵を受けた魔物だって話だ」

 「魔王が現れる前は死体が残ってたって話だから、凶暴化にも魔物の体を作り替える絡繰りがあるんだろうなぁ」

 

 タイガが懐から革の袋を取り出しながら言う。

 

 「シェリルぅ~~なにしてんのぉ?」

 「なにって、石拾おてんに決まってんやろ。これ売ったら旅費の足しになるしな」

 

 言いながらシェリルは、せっせと地面に転がる原石を、革で出来た袋に詰め込む。

 

 「えっ?! バラモスの魔力の結晶だよ? 大丈夫かな?」

 

 慌てるアステルにスレイが淡々と答える。

 

 「バラモスが現れてそれなりに経つが、今のところ実害はない。それにこいつは研磨したら、値の張る宝石として取り扱われる」

 

 そして彼も地面の石を拾い始めた。

 

 「旅人や流れ戦士は、こうやって魔物を倒して、石に変えて、大きな国で換金して生計を立てるのが基本だ」

 

 タイガがアステルとマァムにも革の袋を手渡す。

 

 「でも、油断しちゃ駄目だぞ。こうしてる所を狙う魔物もいるからな。迅速に回収。これも基本だぞ」

 「はあ……」

 「はぁい!」

 

 (まだまだ知らなかった事がいっぱいだ)

 

 アリアハンを出て太陽が真上に差し掛かる頃、アステル達は魔物の群れに、初めて襲われた。しかし旅人として熟練された三人の前では、敵ではなかった。アステルが魔物二匹を倒してる間に、彼らはその倍以上の魔物を倒している。

 

 (私も早く追い付かなきゃ……)

 

 アステルが無意識に唇を噛み締めると、マァムが横から顔を覗き込んだ。

 

 「まぁだまだ、こぉれからぁ……だよ?」

 

 ニッコリ頬笑むマァムに、アステルは一瞬だけ眉を下げ、次には笑って頷く。

 

 「うん」

 

 (……そうだ。始まったばかりなんだ)

 

 アステルは気を取り直し、石を拾う。

 

 

 その日、団体で魔物が襲い掛かってきたのはこれ一度だけだった。後は小数や単体での奇襲。アリアハンは元々魔物による被害は少ない。

 しかし油断していると、先の様に大群に襲われ、命を落とす事にも繋がる。

 

 

* * * * * * 

 

 

 「───そうだな。例えばスライムなんかは、魔物の中では一番弱小だが、団体で顔を狙われた時なんかは怖いぞ」

 

 アリアハン大陸で唯一海で隔てられた陸地を繋ぐ橋、ナジミ大橋に辿り着けた所で、一行は夜営の準備を始めた。

 スレイは掘り竃を作りながら言う。

 

 「私も顔狙われた」

 「奴らの手だからな。スライムが顔に貼り付いたら最期。取ろうと藻掻いてるうちに窒息死だ。奴らはそうして人を喰らうんだ」

 

 アステルはさっと血が引いた。

 

 「一匹、一匹が弱くても徒党を組めば脅威になる。動きを攪乱(かくらん)させるか、一気に掃討できる武器か呪文で倒す……」

 

 と、そこでスレイは少し考え、作業の手を止める。傍らの自分の荷袋を探り出し、アステルにブーメランを差し出した。スレイが使っている刃が付いてるのと違い、動物の骨で出来たよく見掛ける形の物だった。

 

 「これ?」

 「オレのお古だが、ちゃんと手入れはしてる。これをやる」

 「私に使えるかな……?」

 

 アステルは持ち上げて掲げてみる。案外軽い。

 

 「使えるように練習すればいい」

 

 再び作業を始めるスレイ。

 

 「練習ぐらい付き合う」

 

 「薪」と手を差し出され、アステルは慌てて薪をスレイに手渡した。

 

 「なんか、この間からもらってばっかりでゴメン」

 「べつに謝ることじゃない。旅の仲間は一蓮托生だ。仲間内での武具の譲り合いは当然の事だろ?」

 「そっか。でもありがとう!」

 

 アステルがブーメランを抱き締め頬笑むと、スレイは顔を反らした。

 

 「そやで~~! 旅の仲間は一蓮托生や~~!!」

 「イチゴ蓮根たくあん生姜やぁ~~!!」

 「ハハハ! 上手いぞ。マァム」

 

 沢まで水を汲みに行っていたシェリル、マァム、タイガが戻って来た。

 

 「スレイ自分、珍しい武器めっちゃ持ったはるけど、どこのルートなん? そのドラゴンテイルも刃のブーメランも、アサシンダガーも、毒針もみーんな非売品やん!独り占め反対っ!」

 「はぁんたぁーい!」

 

 拳を空へ突き出し、声高に叫ぶシェリル。その真似をするマァム。

 

 「非売品なのに名前を知ってるのは流石だな。けど、これらをオレ以外で扱える奴がいるか?」

 「うっっっ!」

 

 ズザッと後退るシェリル。

 

 「あと、マァム。その棘の鞭は誰から貰ったかもう忘れたのか?」

 「うっっっ!」

 

 ズザッと後退るマァム。

 

 「『うっっっ! 』……って、マァムあんたっ! まさか!!」

 「うん。マァムの鞭、出発前にスレイがくれたの」

 

 アステルが言うと、口笛を吹いて誤魔化すマァム。シェリルはばっとタイガを見た。タイガはへらっとし、

 

 「俺の鉄の爪は自前だ。シェリルはのけ者になんかされてないぞぉ」

 「これはあるコレクターから、物々交換したものだ。金では買えない」

 

 スレイは溜め息混じりに言う。

 

 「こげな貴重なもんと、何を交換するんや?」

 

 すると、スレイはまた荷袋の中から小袋を取り直し、中身を見せた。

 

 「なんや、これ? ゴールド貨幣じゃない……メダル……?」

 「名前はない。強いて言うなら〈小さなメダル〉だな。世界に百十枚あると云われていて、それを全部集めようとしている人物がいるんだ」

 「こんなん、偽造されたら……」

 「コレクターの目を甘く見るな。偽物なんか掴ませたらとんでもない目に合うぞ。こいつは遺跡や洞窟に落ちてるかと思ったら、宝箱の中に大切に仕舞われてたりもする。街中でも時々見掛ける時がある」

 

 『へえ~~!』

 

 一同が声をあげる。

 

 「俺もこれからは、注意して探してみるから、またメダルが集まったら、俺に合いそうな武器調達してくれないか? 武闘家の武器って少ないんだよ」

 「わかった」

 「タイガ、抜け駆けせこっ! ウチもっ! ウチも頼んますっっ! スレイは~~ん!!」

 「わかった、わかった」

 

 夕食は干し肉とチーズを炙り、パンを焼いた。汲んできた水を沸かし、アステルの母エリーゼ特製の疲れに効く茶葉で、茶を淹れほっこりとする。交代で睡眠を取り、そして夜が明けたと同時に竃を片付け出発した。

 昨日と違い魔物との遭遇は少なく、順調に距離を稼げ、日が暮れる前に一行は目的地レーベに辿り着けた。

 

 

* * * * * *

 

 

 そう遠い昔の話ではない。アリアハン大陸には集落があちこちに点在していた。しかしバラモスの出現、魔物の凶暴化に伴い、魔物に襲われ壊滅する集落が相次ぐ。

 王は城下以外に暮らす民を一ヶ所に固め、王国兵士を駐在させる事で民を守った。それがここレーベである。

 

 アステル達は先に宿の部屋を取ると、〈魔法の玉〉を求めて村を回った。途中、大きな岩を前に、うんうん唸る若者と出会う。

 

 「どうしましたか?」

 

 声をかけるアステルに、若者は汗を拭いながら、振り返った。

 

 「ハアハア……旅人さんかい? いやぁね。ちょっとここに畑を作ろうと土地を耕してたんだがね。この大きな岩が……ん~~っ!!!」

 

 若者は真っ赤な顔をして岩を押すが、びくともしない。

 

 「駄目だ~……」

 「どこまで動かせばいいんだ?」

 

 タイガが肩を大きく回しながら、進み出た。

 

 「え……? えっと、そこの木の側まで」

 「よしっ!!」

 

 タイガは岩に両手を付くと、一気に指定された木の側まで押しやる。

 

 『おお~~っ!!!』

 

 若者とアステル達は歓声をあげ、拍手する。

 

 「凄い! なんて力だ!!」

 「うん。凄いよ! タイガ!」

 「お安い御用さ」

 

 タイガはけろりとして笑った。

 

 「いや、その素晴しい力、必ず役に立つ日が来ますよ」

 

 「あ~~っ!」と、急にマァムが叫んだ。

 

 「な、なんや! マァム、ビビるやんか!」

 

 シェリルの非難もどこ吹く風、マァムはしゃがみこみ岩があった地面を石で掘り出す。

 

 「ちぃさなぁメダルみ~っけ!」

 「へっ!?」

 

 マァムは泥のこびり付いたメダルをスレイに手渡す。スレイは手拭いで泥を拭き取り眺め、目を丸くした。

 

 「ああ……間違いない。〈小さなメダル〉だ」

 「よく見つけたなぁ。マァム」

 「えっへん!」

 

 褒めるタイガに、マァムは得意気に胸を仰け反らせた。

 

 「いや、タイガの手柄やろ」

 

 呆れるシェリルに、タイガは首を横に振る。

 

 「いや? 俺じゃ見つけられなかった。マァムの手柄だよ」

 「やぁっぱり、えっへん!」

 

 「早速良い事があったようですね」

 「あのこれ、貰ってもいいですか?」

 

 躊躇いがちに伺うアステルに、若者は笑いかける。

 

 「構いませんよ。持って行って下さい。ぼくには必要ない物のようですから。あの岩を壊す為に、〈魔法の玉〉を使う事考えたら……あれ、便利なんだけど恐いんだよ」

 「〈魔法の玉〉!?」

 

 アステルは思わず叫ぶ。

 

 「ああ、旅人さんも〈魔法の玉〉を求めて、ここへ来たんですね」

 

 若者は心得顔で頷くと、大きな池の(ほとり)に建つ二階建ての赤い屋根の家を指差す。

 

 「あそこに住む爺さんが〈魔法の玉〉を作ってますよ」

 

 若者に礼を言い、アステル達は教えてもらった家に向かった。

 

 

 「御免くださーい」

 

 アステルは扉の前に立ち、ノッカーを叩く。応答がない。再度ノッカーを叩いた。しかし、扉が開く気配はなかった。

 

 「留守かな……?」

 

 アステルが仲間達に振り返る。すると「うちになにかようかのう?」と、家の裏手から、老婆が現れた。

 

 「あの……こちらで〈魔法の玉〉が頂けると聞いて来たんですが……私達、〈旅の扉〉の封印を解く為にそれが必要なんです」

 

 アステルの言葉を聞いて、老婆は頭を振り溜め息混じりに呟く。

 

 「またかい。どうして若者は外の世界に出たがるのかね……」

 「おばあちゃん。これはアリアハン王の命令でもあるんや。〈魔法の玉〉ウチらに譲ってくれへんか?」

 

 シェリルの言葉に老婆はまた頭を横に振る。

 

 「〈魔法の玉〉を作ったのはうちの爺さんじゃ。でも、今はこの通り閉じ籠って研究に没頭しておる。ワシを追い出してな。家の中にある食料が無くなるまで出てくるつもりはないじゃろう。……お陰でワシは息子夫婦の家に居候じゃ」

 

 「研究?」と、スレイ。

 

 「人伝で〈旅の扉〉の封印を解きに行った若者が大怪我を負ったと聞いてな。もっと安全に作動出来るようにならないか研究しておる」

 

 (───あ~~……)

 

 一同はタイガ以外、顔も見た事ないドジな旅人を思い出した。

 

 「旦那さんにお話だけでもさせてもらえませんか?」

 「すまんのう。この家の鍵と鍵穴は爺さん特製のモノでの。ただ一つの鍵は中にいる爺さんが持っとる」

 「スレイ、盗賊やろ? なんとかならへんのか?」

 

 スレイは鍵穴を覗きこみ、腰ポケットから針金を出し、鍵穴に差し込み少しいじってみる。が、眉間に皺を寄せ、すぐやめた。

 

 「悪いが、これはオレの技術じゃ無理だ。婆さんの言う通り一般的な鍵穴じゃない」

 「諦め早っ!! もっと気張らんかい!」

 「無理なもんは無理。恐らくオレより高い技術を持つ盗賊……バコタぐらいの腕前がないとこの鍵穴を開けるのは無理だと思う。……いっそ扉壊したほうが早い」

 「なに物騒な事言ってんだい。この兄ちゃんは。うちの家の扉壊さんどくれよ」

 

 真顔で声低く呟くスレイに、老婆が顰めっ面で突っ込む。

 

 「え~と……ちなみに家の中の食料は……?」

 「全部保存の効くものじゃから、あと一週間、いや、二週間はもつかのう」

 

 老婆の返事にアステルは項垂れた。

 

 「〈盗賊の鍵〉……」

 

 スレイがぽつりと呟く。「スレイ?」と、アステル。

 

 「さっき言った盗賊バコタが作った鍵だ。そいつはどんな鍵穴にも対応出来るように出来てるらしい。それなら或いは……壊す以外の方法なら開けてもいいんだな?」

 

 老婆はこくりと頷いた。

 

 「それはどこにあるんや?」

 「盗賊ギルドで聞いた話では、バコタはナジミの塔に住む賢者の宝を狙って、塔に侵入したものの、返り討ちに遭い王城に投獄されたと。その時、賢者はアリアハン国王から、〈盗賊の鍵〉を管理するよう頼まれたとか……」

 

 シェリルは地図を広げた。皆がそれを覗く。

 

 「ナジミの塔……ああ、ナジミ大橋から見えた小島に建つ見張り塔の事やな。けど、陸繋がりやないで。船借りて行くしかないやん」

 「じゃあ、一旦アリアハンに戻るしかないね」

 

 溜め息混じりのアステルの言葉に、老婆は「いんや」と口を挟んだ。

 

 「このレーベから南に下りたら……ほれ、この地図のここの洞窟印じゃな。ここ岬の洞窟はナジミの塔と繋がっておるぞ。あの塔は昔も今も、アリアハン王国の兵の修練場として使われとるからの」

 

 老婆は地図を覗きこみ、そこを指差した。

 

 

 アステル達は老婆に礼を言って別れると、宿屋に戻って一晩過ごし、翌日には岬の洞窟へと向かった。 




作中で出てくる宝石モンスターネタは、アニメDQ《アベル伝説》のアレです。今でも大好きな作品です。モンスターからお金を稼げる理由はこれが一番しっくりくるので、いつもDQ3をプレイする時はこんな感じで想像してます。




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賢者は眠る

 

 

 岬の洞窟は自然に出来たものに、人の手が加えられたものだった。

 そして暗くて湿気の多いこの場所は、魔物にとっても好条件なのだろう。地上で遭遇する時よりも活発で厄介だった。魔物達を蹴散らし地下へ地下へと暫く歩く。

 

 「ホ~イミ~~!」

 

 マァムの癒しの呪文の光が、腰を下ろしてたアステルに降り注ぎ、傷を癒す。

 

 「ありがと、マァム。マァムは怪我してない? 呪文使って疲れてない?」

 「へぇ~きだよぅ! まだまだイケるっす」

 

 「雄忍(オス)っ! 」と、拳を突き出すマァムにアステルは笑って自分の拳を当てた。

 「今俺達はどこを歩いてるんだろうな」

 ストレッチして筋肉を解しながら、タイガは呟く。

 

 「おそらく海の真下だな」

 

 と、自生していた薬草を見つけ、回収しているスレイが答えた。

 

 「……あかん。今、ここで地震なんか起きたらとか、考えてもうた」

 

 崩落を想像し、ぶるるっと身震いするシェリル。

 

 「アリアハンに地震は滅多にこないよ。こないけど……さっさと出たいね」

 

 アステルも顔を若干引き釣らせて、立ち上がった。

 

 その願いが通じたかのように、この階で昇り階段を見つけた。長い階段を昇り続けると、今度は大きな水路の遺跡に出た。

 ここは完全に人の手で造られた空間だった。高い壁から絶え間なく膨大な海水が滝のように流れ落ちているが、底は一定の水量を保っていた。おそらくどこかで再び海へと排水されているのだろう。

 その風景に一行は、ほうっと感嘆の息を吐いた。

 

 「大昔の人って明らかに私達より文明が進んでるよね……」

 「古代大戦でこういった機能している遺跡は、ダーマやイシスを除いて、ほぼなくなったと聞いていたが、戦火を逃れたこの大陸にはまだ残ってたんだな」

 

 スレイも興味深げに辺りを見回した。

 階段を見つけ、更に昇って行くと、青煉瓦の壁の建物内へと辿り着く。一階は出入口が吹き抜け仕様で、潮っ辛い風が入り込んでくる。辺りはもう暗く遠くが見通せない。洞窟に入っている間に、日は暮れてしまったようだ。

 アステルは一旦外に出てみた。そこは断崖絶壁。回りは夜の黒い海。

 そして背後には───ナジミの塔。

 仰ぎ見過ぎてふらつくアステルの手を、スレイが素早く掴んだ。

 

 「何してる。危ないぞ」

 「あ、ごめん」

 「アステルーーっ! この塔、宿屋があんでーーっ!!」

 「泊まれるってぇ~~っ!」

 

 シェリルとマァムが両手をブンブン振って嬉しそうに叫んだ。

 

 

 宿屋といっても、塔の小さな地下室に流し台と竃を設置し、雑魚寝出来るよう床に分厚いラグが敷かれた簡素なものだった。しかし、魔除けの結界かなにか張られているのか、魔物が入ってくる気配が全くない。

 

 「いや~っ! 嬉しいなぁ。久しぶりのお客様だ」

 

 宿屋主人の中年男性は笑顔でアステル達を接待した。海で釣った白身魚や海老を、炒めた玉葱とニンニクと一緒にトマトスープで煮込んだ魚介のスープ。それにパン、暖めたワインをアステル達に振る舞った。

 

 「これぇ! このすーぷ、ぅおいしいィ~~!!」

 「うん。いい味だしてるな」

 

 マァムとタイガは盛んな食欲をみせた。

 

 「こんな塔の地下に宿屋なんかやってて儲かるんか?」

 

 シェリルはワインを傾けながら主人に聞く。

 

 「ここは元々アリアハン王国兵団の鍛練場なのは知ってるかい?」

 「聞いとるけど……」

 「この下の水路の階に鍵が掛かった扉が幾つかあったろう? あの中の一つにアリアハン城内に通じてる扉があるんだよ。そこから訓練に来る兵士がたまに来て利用してくのさ」

 「へえ~っ!」

 「ここアリアハン城とも繋がってるんだ……」

 

 シェリルとアステルは驚いた。ずっとアリアハンに住んでいたが初耳だ。

 

 「有事に、城の中から外へと脱出する非常口のような役目を担ってるんだよ。この塔と洞窟は。……あれ、そこの銀髪の兄さん。遠慮しなくてもまだまだおかわりあるぞ?」

 

 主人の言葉に皆がスレイを見た。スレイはスープを一杯だけ頂き、あとはパンで腹を膨らませているようだった。

 

 「いや、もう充分だ」

 「もぅしかしてぇ~、スレイお魚さん食べれないのぉ?」

 「……食べただろう」

 

 マァムがスープをすすりながらニヨニヨと指摘すると、スレイはあからさまに眉間に皺を寄せて、ムッとする。

 

 「……それより、あんたはここに住んでいる賢者の事知ってるか?」

 「話ぃ反ぉらしぃたぁ~。スレイはお魚さん食べれないのぉ? おっ子ちゃまぁ~~」

 「黙れ」

 

 スレイがギッと睨むと、マァムはきゃ~っとわざとらしく叫んでタイガの背中に隠れた。

 「まあまあ……」主人がスレイを宥める。

 

 「でも賢者というより、あの爺さんは仙人だね。四階の最上階にいるよ。たまに、うちの料理食べに来るんだ。なんだ、会いに行くのかい?」

 

 「はい」と、アステル。

 

 「そうかい。機嫌良く起きるといいね」

 「え?」

 「あの爺さん常は寝てるんだ。下手すりゃ食わずに一週間以上眠り続けた事もあった。前にガリガリボロボロの姿で、ここに現れた時には幽霊かと思ってそりゃびびったよ」

 「え……」

 「修練に来てた兵士が興味本位で最上階の爺さんに会ったんだが、どんなに大声だしても、揺すっても起きなかったらしい。たまに起こすのに成功した奴がいたが、爺さんの機嫌損なわせて、燃やされてた」

 「燃やす……?」

 「勿論生きてるがね。頭チリヂリにして、黒焦げ姿で。まっ、いくらなんでも可愛い娘さんを燃やすなんて事しないだろうから、頑張って最上階目指してね」

 「はあ……」

 

 

* * * * * * * 

 

 

 夜が明け、宿屋の主人に見送られたアステル達はナジミの塔二階へと上がる。二階までは洞窟内にいた魔物と変わりなく、撃退しながら進んで行く。

 しかし三階に辿り着くと住み着いてる魔物達に変化が現れた。

 

 「きゃ~~んっ!!」

 「マァム!!」

 

 逃げ回るマァムにアステルが叫ぶ。人の丈より大きい蛙の魔物、〈フロッガー〉が非力な人間をうまく狙う。三匹が三匹とも長い舌を伸ばしマァムを執拗に狙う。

 

 「こなくそっ!!」

 

 シェリルが蛙の腹部を貫く。蛙は塵となって消える。その影から人の顔を持った不気味な蝶が奇声をあげ発光しながら、シェリルのまわりを飛び回った。

 

 「しまっ……た!!」

 

 シェリルは槍を突き出す。なにもない空間に向かって。彼女は何故か、あさっての方向にむかって我武者羅に槍を繰り出し続けていた。

 

 「シェリル!? ……もう邪魔っ!!」

 

 アステルはフロッガーを切り伏せた。

 〈人面蝶(じんめんちょう)〉がニヤリとし、彼女の背後にそっと回りこみ、喰らわんと口を大きく開ける。それをスレイのドラゴンテイルが弾き飛ばした。

 

 「幻惑呪文マヌーサだ。アステルも気をつけろ。シェリル、呪文の効力が切れるまで下がれ」

 

 スレイがそこらを飛び回る人面蝶二匹に、刃のブーメランを投げて始末する。

 

 「くそっ! すまん」

 「シェリルぅ! こっちぃ!!」

 

 マァムがシェリルの手を取る。その前に黒いローブを纏った人の形をしているが、人ならぬもの……〈魔法使い〉が二匹立ちはだかる。その手が印を結ぶ。

 

 金切声で呪文発動の〈力ある言葉〉が発せられた。火球が二人目掛けて飛んでくるのを、タイガが阻止せんと躍り出る。

 

 「ぅおりゃっ!!」

 

 初等火球呪文(メラ)を二発まともに受けた彼は、火傷した両手を物ともせず魔法使い達を殴り飛ばした。二匹の魔法使いは壁に叩き付けられ短い悲鳴をあげ塵と化す。

 

 「タイガぁ!! ホォイミ~~!!!」

 

 マァムの初等治癒呪文(ホイミ)が火傷を瞬時に癒す。

 

 「ありがとう マァム。」

 

 アステルはスライムが緑色になってドロドロになったような魔物〈バブルスライム〉三匹と対峙する。

 

 (あれを……!)

 

 剣を左手に持ち替え、右手で腰に差したブーメランを投げ放つ。貰ったその日から、空いた時間を利用してスレイにコツを教わり練習した。戦闘で初めて使用したブーメランは、一匹には躱されたものの、二匹は捉えて霧散する。

 

 「よしっ!」

 

 帰ってきたブーメランを上手に掴み取り、喜々とするアステル。しかし無事だったバブルスライムが素早く床を這い進む。

 

 「えっ……きゃあっ!!」

 

 彼女の足元で大きく弾けたバブルスライムの体が、とっさに顔を庇った腕に付着し、嫌な臭いと煙をたてた。アステルは慌ててそれらを払い落とす。バブルスライムは弾けた体を元に戻し素早くアステルの背後に回る。アステルは剣を右手に持ち替えようとしたが取り落とした。

 

 「なっ……!?」

 

 強烈な目眩と吐き気が襲う。腕を見ると袖が小さく切り裂かれ、肌に出来た小さな傷口が青黒く腫れあがっている。

 

 「くっ! ……メラっ!!」

 

 アステルは迫ってくるバブルスライムを指差し火球呪文を唱える。放たれた火の玉によってバブルスライムはじゅっと蒸発して消えた。

 スレイは、しつこく仲間を呼び続ける〈蠍蜂(さそりばち)〉を撃退すると、膝をつくアステルに駆け寄った。

 

 「はは……ごめんなさい、ドジった」

 「喋るな。毒が回る。……マァム!」

 「ん~~っ! キィアリィィィ!!!」

 

 マァムの手から暖かな治癒呪文ホイミの光と違う、清浄な青の光が放たれる。解毒呪文キアリーの光がアステルの傷や服に付着した毒を消し去った。

 

 「んでもってぇ、ホォイミィ~~!」

 

 受けた傷が癒え、毒で消耗した体力が回復する。アステルはふ~~っと息を吐くと、笑った。

 

 「ありがとう、マァム」

 「アリアハンにも呪文使う魔物がおったんやなぁ。あ~~やっと視界が元に戻ってきたわ」

 「もぅアタシが三人に見えないぃ?」

 「うん。ちゃんと一人や」

 「さあ、あまり長くここに留まってるとまた魔物が寄ってくるぞ。移動しよう」

 

 タイガの言葉に皆が頷いた。

  

 

 塔の三階は内部が多少複雑になっており、魔物も呪文や特殊攻撃を使うもの、ひたすら仲間を呼ぶものなど、と厄介だった。探索に長けてるスレイを先頭に、魔物の気配に聡いタイガを殿に、アステル、シェリル、マァムは二人に挟まれる形で、塔の上に昇る階段を探しながら進む。途中、宝箱なども見つけた。

 

 「小ぃさなぁメダルぅ~~っ!」

 

 マァムが得意気にメダルを掲げ、はいっとスレイに手渡す。

 

 「宝箱にメダル一枚って。しょぼって思うとこなんやけどなぁ~。これが稀少アイテムに変わるんやしなぁ」

 

 腕を組んで溜め息をつくシェリル。

 

 「それより勝手に持っていっても良いのかな? 一応ここお城が管理してる場所なんじゃ……」

 

 と、心配気に呟くアステル。

 

 「多分、城はこの塔の内部をすでに把握してる。その上で放っている宝だ。取られても痛くないんだろう。気にするな」

 

 平然とスレイはメダルを袋にしまった。

 

 

 そうして四階に続く階段を登る。赤色の扉がある部屋へ入った途端、魔物の殺伐とした気配が遮断され、空気が凪いだ。

 そこは真っ赤な絨毯が敷かれ、大量の本とそれを納める本棚が部屋を囲っていた。ベッドはなくテーブル一つと揺れるハンモックチェア、その中で安らかに眠る老人。小柄な老人は尨犬(むくいぬ)のように真っ白な長い髪と眉毛と髭で顔を隠している。老人に近寄るとちゃんと胸が上下に動いているのを見てほっとした。アステルはそっと手を伸ばし老人を揺する。

 

 「あの……賢者さん、起きて下さい」

 

 暫く揺すっていると、老人が「ん~~っ」唸って動いた。

 

 「なんじゃ。誰がわしの眠りを妨げる……んっ!?」

 

 アステルははっとした。

 

「焼かれて真っ黒焦げにされる」という宿屋の主人の言葉を思い出した。

 

 「あっ、あの! 待って下さい! 私たち貴方にお願いしたい事があって……!」

 

 ───むにっ

 

 「……へっ?」

 

 アステルは思わず固まった。賢者は両手でやわやわとアステルの胸を揉んでいる。

 

 「ほほう? 思ってた以上にあるわい。お主、着痩せするタイプじゃのう」

 「ひっ、やっ……!」

 

 ───ドカッ! バシッ! ゴスッ!

 

 スレイが頭を殴り、シェリルが頬をひっぱたき、倒れた所をマァムが踏みつけた。タイガは涙目で硬直するアステルを持ち上げ、賢者から遠ざける。笑顔だがこめかみにうっすら青筋が浮いていた。

 

 「おぬしら、寄ってたかっていたいけな老人に容赦ないのう」

 「「黙れ。エロジジイ」」

 「ぐぅ~り、ぐぅ~り」

 

 地面に伏したまま宣う賢者に、絶対零度の眼差しを向けるスレイと拳を鳴らすシェリル。マァムはなおも踏みにじる。

 

 「夢に出てきた勇者が、まさか《おなご》じゃとは思わんかったからのう。確かめたかっただけじゃい」

 「むあっ?」

 

 マァムが踏みつけていた筈の賢者がふっと消え、よろけた彼女をシェリルが慌てて支えた。

 

 「おぬしが求めてるのはこいつじゃろう?」

 「え?」

 

 いつの間にかアステルの前に立ち、一つの赤銅色の鍵を突き付ける。アステルはタイガに抱えられたまま、それを受け取った。

 

 「これ……〈盗賊の……って、あれ?」

 鍵から目を上げると、すでに賢者がいなかった。

 「ぬわっ!!」

 

 シェリルの驚く声に視線をやれば、賢者はシェリルの前に移動していた。

 

 「動きが全く見えん……」

 

 タイガの呟きにアステルも頷く。

 

 「ぬしにはこいつじゃ」

 「なっ……ぶふぉ!!」

 

 賢者はどこから取り出したのか、手提げ袋を殴るようにシェリルの顔に押し付けた。

 

 「わしが作ったなんでも、いくらでも入る〈大きな袋〉じゃ。試しにお主の槍でも入れてみい」

 「はあ!? いくらデカイかて、槍なんか入るかい! これ折り畳み式ちゃうで!!」

 「突き破れるもんなら、破ってみい」

 

 シェリルはそこまでいうなら、と槍を袋に入れる。槍は袋にどんどん吸い込まれ……入ってしまった。

 

 「って、ゆうか!! なくなってもうたやん!!!」

 

 シェリルは袋を逆さにして振るが、なにも出てこない。

 

 「むおぅ!! いりゅ~~じょんんっ!!」

 

 マァムが目を大きくさせる。

 

 「やのうて!! こぉんのジジイ!! ウチの槍返せっ!!」

 

 袋をポイッと側にいたスレイに放り投げ、シェリルは賢者の胸倉を掴み上げる。

 

 「慌てるでないわ。先程の槍を思い浮かべながら手を袋に突っ込んでみい」

 

 スレイはシェリルの槍を思い出して、袋に手を入れる。すると、手に何かの柄を握った感触がした。

 そのまま手を引き上げると……。

 

 「ウチの槍!!」

 

 シェリルはスレイの手から槍を引っ手繰り、異常がないか確認する。

 

 「物の形、大きさ、重さ関係なくいくらでも入る袋じゃ。食材の鮮度も保ったまま貯蔵も可能じゃ。何を入れたかは持ち手に付いとる飾りの水晶板に品名が表示される。……入れ忘れ防止対策じゃ」

 

 マァムがスレイの持つ〈大きな袋〉を貸して貸してぇとせがむ。

 

 「んで、ぬしにはこいつを託そう」

 

 賢者は赤い表紙の何かをスレイに押し付けた。袋をマァムに渡し、それを開く。それは各地の地名が記入された世界地図だった。すると、挟んであったピンク色の羽ペンが自力で立ち上り、アリアハン大陸の一部を素早く色づけ、丁度ナジミの塔のある位置で羽が立ったまま止まる。

 

 「その地図は〈妖精の地図〉。今いる場所を表示し、行った事のある大陸は色づく。世界を探求するのに役に立つじゃろうて。

 ……あと、そこの娘。袋の中に入るのはやめといたほうがええぞ。人間が入って五体満足で出てこれる保障はない」

 「むおう?」

 「マァム!!!」

 

 袋の口を大きく広げ、片足を突っ込んだマァムをシェリルが慌てて引き上げる。

 

 「ではな、勇者アステルよ。わしは夢の続きを見るとしよう」

 

 押し付けるだけ押し付けて、賢者は音もなくハンモックチェアへと戻った。

 

 「あ、ありがとうございました……って、」

 「もうぅ寝てるぅ~~」

 

 マァムが賢者を指でつんつんとつつく。

 

 「一体なんやったんや。このジジイ……」

 「アステルを夢に見たとか、言ってたが……」

 

 シェリルとスレイはそれぞれ渡された〈大きな袋〉と〈妖精の地図〉を見詰めた。

 

 「夢見か、先見か……」

 

 タイガはアステルを下ろし、頭を掻く。アステルは手にある〈盗賊の鍵〉を握りしめた。

 

 「このお爺さん……賢者さん。父さんやバラモスの事とか、なにか知ってたのかな」

 「いや、多分知ってても、教えなかったと思うぞ。この手の神憑り的なのは。お役目以外の事は絶対に行わない」

 

 「詳しいな。タイガ」とスレイ。

 

 「知りあいに似たようなのがいるんでな」

 「アステルぅ~~お爺ちゃん起きなぁ~~い」

 

 言いながらマァムは賢者の頬を引っ張ったり、眉毛や髭を引っ張ったりしている。

 

 「こら、マァム。やめなさ……」

 

 アステルが嗜めた、その時。

 

 「こんの悪ガキどもがぁ!! 用が済んだならサッサッと出て行かんかぁ!!!」

 

 なんと賢者はかっと目を見開き、火球呪文(メラ)をこちらに向かって連発してきた。

 

 「あっ、ありがとうございましたぁ!!!」

 

 アステル達は一目散で部屋を出る。扉もしっかり閉める。

 

 

 残された賢者は、こてんとハンモックチェアにもたれ、再び眠りについた。




次回更新は10月18日です。ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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解かれた封印

 

 

 地上に戻る前に宝探しも兼ねて、行きの時は探索しなかった、塔の水路の階を調べようというスレイの提案に、アステル達は乗った。 

 鍵が掛かってる扉を片っ端から開け、宝箱の中身を手に入れ、宿屋の主人から教わったアリアハンに通じている階段は取り合えず無視し、それ以外の通路を通ると地上へ上がる階段を見つけた。

 昇ってみると草木が生い茂る場所に出た。スレイが周囲を見渡し、そして固まった。

 

 「スレイ?」

 

 スレイのすぐ隣にいるアステルが訝しげに彼を見上げると、

 

 「……レーベの村がすぐそこだ……」

 

 スレイが疲れた声で言った。

 

 「「うそ(やん)っ!!」」

 

 アステルとシェリルが叫ぶ。

 彼の指差す先、木々の間のその先。微かだが、確かに、レーベの村が見えた。

 つまり。わざわざ岬の洞窟まで足を運ばなくても良かったのだ。

 

 

* * * * * *

 

 

 「おや、戻って来たんだね」

 

 老婆は初めて出会った時と同じように、家の裏手の花壇に水やりしていた。

 

 「はい。あの、扉を開ける手段を手にいれたので開けてもいいですか?」

 

 岬の洞窟の事を教えてくれた老婆が悪くないのはわかってはいるのだが、顔が引き釣らずにはいられなかった。

 

 この家の扉も無事〈盗賊の鍵〉で開ける事が出来た。二階に上がると頭がつるりと眩しい老人が、ブツブツと呟きながら熱心に机に向かっていた。

 

 「あの~~……」

 「ぬあっ!!!」

 

 アステルが控えめに声をかけると、老人は大層驚き、胸に手を当て(うずくま)る。アステルは慌てて老人の背中を擦った。

 

 「すみませんっ! 大丈夫ですか!!」

 「しっ……心臓止まるかと思った……! なんじゃい、お前ら! どうやって入ってきたっ!!」

 「ドアからだよぅ~~」

 

 マァムが至極真っ当に答えた。

 

 

 

 

 

 「───……成る程。それは苦労かけたな。勇者オルテガの娘よ」

 

 〈魔法の玉〉作りの老人に今までの経緯を説明し終えると、老人は椅子を深く座り直し、改めてアステル達を見回した。

 

 「いえ。あの塔で得られた事も大きかったので。あの、それで〈魔法の玉〉は……」

 「む。完成しとるぞ。今度は落としても大丈夫じゃからな」

 

 アステルは老人から〈魔法の玉〉を受け取った。手の平サイズで暗紫色に輝く玉。シェリルは興味深げにそれを眺めている。

 

 「今は日常でも手軽に使えるのを考えておったんじゃ。ところで、この中にメラが使えるものはおるか?」

 「あ、私が使えます」

 

 手を上げるアステルに老人は頷く。

 

 「ならば問題はない。誘いの洞窟の封印はな。分厚い石壁の上に呪術反射呪文マホカンタと、防禦強化呪文スカラが複雑に張られておるのじゃ。

 〈魔法の玉〉はまず、それらの呪文の解除の小規模な爆発を起こす。その後、石壁を壊すための強力な爆発を起こす。

 じゃからな? 出来るだけ遠く離れた場所から〈魔法の玉〉目掛けてメラを放て。その後は脇目も振らずに逃げろ。良いな?」

 「はい……」

 

 アステルはちょっと泣きたくなった。そんな彼女の肩をタイガが気の毒げに叩く。

 

 「もう少し、安全な着火方法はないのか?」

 

 スレイは眉を顰めた。

 

 「うむ。初めはの、誰でも使えるように元から発火の魔法術式を玉にこめて、一定の衝撃を与えたら爆発する仕組みにしてたんじゃ。

 しかし落としてしまうドジな者がおってのぉ。簡単に爆発せず、出来るかぎり安全な方法をと考えておったらやはり、発火の魔法術式を取り外すしかなかった」

 「……以前のやつはないのか? オレならぶつけた後、素早く退避できる。なにより、落としたりしない」

 「ない。そんな一朝一夕で何個でも作れるもんじゃないわい」

 

 ふんぞり返る老人にスレイの眉間の皺が更に深くなる。そんな彼の袖を引っ張り、アステルは笑う。

 

 「スレイ、大丈夫だから。ありがとうございます。お爺さん」

 

 アステルは老人に頭を下げた。

 

 「うむ。アリアハン大陸東端、誘いの洞窟付近の魔物は手強いぞ。気をつけて行きなされ」

 

 

* * * * * * 

 

 

 アステル達は宿で一泊し、道具屋で塔で拾った不要品を売り、薬草、毒消し草、あと夜営の為の食糧や燃料、聖水の補充を済ますとレーベを発った。

 塔での戦闘経験が生かされ、平原の魔物はもはやアステルとマァムの敵じゃなくなっていた。そして東端の魔物も塔で戦った経験のある魔物達がほとんどだった。塔の魔物達は人という餌を求めて、ここからやって来て住み着いたのだろう。

 ここまで辿り着くまでに、十日間の野営を必要とした。まだ開かぬ鬱蒼とした森の中、そろそろ今夜の野営場所をと考える一行。

 ふいに先頭を歩くスレイが立ち止まり小さく呪文を唱え、目を眇めた。〈鷹の目〉と呼ばれる盗賊の技法。魔法とはまた違う、魔力を使わずに遠隔地を感知出来る能力……それを駆使する。

 

 「……祠が見える。今夜は屋根のある場所で横になれそうだ」

 

 スレイの言葉に、一同はわっと喜びに沸く。

 

 祠に近づくと窓から光と湯気が漏れており、誰かが住んでいるのがわかった。一行は顔を見回し、タイガが先頭に立って扉をノックした。扉が用心深く開かれると杖を構えた老人が現れた。

 タイガ達……〈勇者の証〉を額に飾るアステルの姿を捉えると目を細め「よう、参った」と招き入れた。

 老人は体が暖まる薬湯をアステル達に振る舞った。

 

 「よう、ここまで来なさった。勇者アステルよ。わしはアリアハン宮廷魔術師だった者だ。今はここで誘いの洞窟の監視をしながら暮らしておる」

 「お一人でですか? こんなに魔物がいる場所で」

 「人の世に(わずら)う事もなく、快適なものよ」

 

 驚くアステルにホッホッホッと笑う魔術師。マァムまで一緒にホッホッホッと笑う。

 

 ホーッホッホッホッ。

 

 笑い続ける魔術師とマァムを眺めながら、シェリルは薬湯片手に溜め息。

 

 「アステルの爺様といい、レーベといい、ナジミの塔といい、アリアハンのお年寄りはほんま元気ええなぁ」

 「良い事じゃないか」

 

 タイガは笑って薬湯を一気に呷った。

 

 

 魔術師は快くアステル達を祠に泊めた。若い娘達が泥や埃で汚れてるのを気の毒に思い、体を拭う為のお湯を氷刃呪文(ヒャド)火球呪文(メラ)を駆使して大量に沸かした。茸と山菜、山で獲れた鳥の肉で作った鍋はとても美味しく、アステル達は全て平らげた。

 

 体も心も温かく満たされた頃、再び魔術師と旅の話となった。

 

 「ふむ。〈旅の扉〉を開放したら、一旦王に伝えに戻るとな。……勇者よ。そなた瞬間移動呪文ルーラは使えるのか?」

 「いえ……それを扱えるだけの精神力と理力がまだ足りないみたいで……」

 

 アステルはしょんぼりと俯く。しかし、魔術師はホッホッと笑い彼女の頭を撫でた。

 

 「なに、恥じる事はない。経験値は実戦で培われるものだ。そなたは旅立ったばかりじゃからのう。……しかし、ここまで来て再び戻るのも骨が折れよう。

 わしが洞窟まで同行し、封印解除を見届けてアリアハン王に報せようか? アリアハンまでなら瞬間転移呪文(ルーラ)でひとっ飛びじゃ」

 「いいんか!? せやったらめっちゃ助かるやん! なあ、アステル?」

 「うん……だけど、これは任務だし、私たちが報告しなくていいのかな……」

 

 シェリルは手を叩いて喜んだが、アステルはあまり乗り気でない。

 

 「なら、爺さんのルーラで俺達全員をアリアハンに連れて行ってもらうとか?」

 

 タイガの何気無い言葉にアステルが慌てて頭を振る。

 

 「そっ……それの方がご迷惑だから!」

 「なんでだ?」

 「……ルーラは、連れて行く人数分だけ術者に負担をかけると聞いた事がある。そのせいだろう」

 

 理解出来ず首を傾げるタイガに、スレイが説明する。

 

 「なら、折角だから甘えたらどうだ? それともアリアハン王は、勇者自身の報告に拘る心の狭い王なのか?」

 「そんな事ないけど……」

 

 スレイの言葉に少したじろくアステル。魔術師はまたホッホッホッと笑う。

 

 「責任感が強い事は良い事だが……言ったであろう? そなたの旅は始まったばかりだと。先は長い。頼れるものには頼っとけ。でないと、疲れてしまうぞ?」

 「はい……」

 

 また俯いてしまうアステル。

 

 「……ルイーダの酒場で、オレを利用した時のアステルとは思えない殊勝さだな」

 「なっ!!」

 

 ぼそりと呟くスレイに、アステルがばっと顔を上げた。

 

 「あー……あれな」

 「あ~~あれなぁ~~」

 

 タイガは思い当たり顎に手を当て含み笑いする。マァムもタイガの真似して笑う。

 

 「おっ! なんや、なんや。初耳やで? なにしでかしたんや? アステル」

 

 スレイに詰め寄るシェリル。スレイもいじわるな笑みを浮かべ、

 

 「誕生日の日。酒場での勇者のお披露目で自分が注目されるのを避ける為にオレをスケープ・ゴートにした」

 「あ~~アステルならやりそ。この子意外と子利口なとこあるさかい」

 

 腕を組み、うんうんと頷くシェリル。

 

 「あれは! そのっ! だって!!」

 

 顔を真っ赤にして両手をバタバタさせるアステル。

 

 「良いんじゃないか?子利口で」

 「え」

 

 穏やかな声音のスレイに、アステルは動きを止めた。

 

 「なんでもかんでも、馬鹿正直に型通りやってたら、爺さんの言う通りいつかは爆発するぞ。手が抜ける所は抜いとけ」

 「抜ぅいとけぇ~~」

 

 マァムが背後からアステルに抱きつく。アステルはぽかんとした。

 

 「焦らなくていい。なんの為にオレ達がいる」

 「そうや。アステルがなんでも出来てもうたら、うちら用無しやん」

 「俺なんかもっと用無しだぞ? 戦うぐらいしか能がないしな!」 

 「でもぅ魔法の玉はぁアステルにしかぁ使えないんだけどねぇ~~」

 

 マァムの言葉に三人は固まる。

 

 「なんであんたはここで水差すような事ぬかすかなぁ~~!」

 「きゃあ~~っ!!」

 

 シェリルはマァムを追っかけまわす。

 

 「まあ、マァムは間違った事は言ってないしな」

 

 ハハハと笑うタイガ。スレイは黙って米神を押さえる。

 

 「……良い仲間だな?」

 

 魔術師はホッホッホッと笑う。

 

 「……はい。あの! 王様への報告、宜しくお願いします!」

 

 頭を下げるアステルに魔術師はうんうんと頷いた。

 

 

* * * * * *

 

 

 翌日。一行は魔術師を加え、祠を発つ。魔術師の案内で、誘いの洞窟へは、日が真上に昇る前に到着した。

 アリアハン山脈と森に囲まれた、大きな泉。その奥地咲き乱れる花畑に隠れるように、洞窟へ降りる階段があった。

 スレイが先頭、タイガが殿(しんがり)は、もはや基本隊列となりつつあった。階段を降り、路なりに進むと、天井の高い広い空間に出た。二体の巨人像が、大きな壁を挟むように建っている。

 

 「え~……と、どの辺に〈魔法の玉〉を置いたらいいかな……?」

 

 アステルは〈魔法の玉〉を握り、空間を見渡す。アステル達は魔物が出てこないこの空間で、手分けして壁に触れたり耳を当てたりして探る。魔術師はただそれを眺めていた。

 

 「アステル~~ぅ。ここぉなんかぁおかしいよぅ?」

 「え?」

 

 誰よりも早くマァムが周りと特に大差ない壁を指差す。

 

 「ほう?」

 

 魔術師が唸る。

 

 「ビリビリするぅ~~」

 

 スレイがその壁を触る。ビリビリ……は、しないが確かに周りの壁と違う異質な感触がした。

 

 「確かに、おかしいな」

 「でしょぉう?」

 

 スレイとマァムが顔を見合わせる。アステルが触ると少しくすぐったい感触がした。

 

 「本当だ。ピリピリする」

 「でしょでしょぉう?」

 

 アステルとマァムが顔を見合わせた。

 

 「ウチにはわからんわ」

 

 シェリルは壁を触り首を傾げる。

 

 「俺はなにか、スライムを触った感じがするな……気持ち悪いかな」

 

 岩なのになとタイガは苦笑する。

 

 「ホッホッホッ! 違和感を感じた者達に共通する事はなんだ?」

 

 魔術師が五人に近づき、問いを投げた。

 

 「えっ……と、魔力がある……?」

 

 アステルが答えた。

 

 「正解じゃ。そなたらは壁に施された封印魔法に反応したんじゃな」

 「せやけどタイガは魔法は使えへんで?」

 

 シェリルがタイガを見た。彼も使えないと首を縦に振る。

 

 「ふむ。興味深いな。そなたはおそらく血統で感じたんだろう。身に覚えはないか?」

 「ん~~……、まあ、な。多分」

 

 タイガは答えを濁した。

 

 「しかし、マァムとやら。そなたの魔力感知能力は目を見張るものがあるな」

 「へっへっへ~~!」

 

 マァムは胸を張った。

 

 

 

 アステルは壁の前に〈魔法の玉〉を置いて、メラが届く距離まで下がる。

 他の面々は部屋の入口手前の通路で待機。一番素早く動けるスレイが手前ギリギリまで出て、不測の事態に備える。

 アステルは仲間達を見た。仲間達は頷く。腰を低くし、飛び出しが出来るよう構える。

 

 「───……メラ」

 

 手から火の玉が放たれ、〈魔法の玉〉に当たる手前で通路にむかいアステルは走り出す。絶対振り返らない。ボンッと爆発音が後ろからした。

 

 次の瞬間。

 

 ────────ドンッ!!!

 

 閃光と共に大きな爆発音と振動と爆風。

 

 「きゃ……っ!」

 

 走っていたアステルも背後からの爆風に煽られる。吹き飛ばされる彼女の手首をスレイが掴み、引き寄せ、その体に覆い被さった。頭を低くし、体を縮め、振動が収まるのをひたすら待つ。

 

 

 どれくらい経っただろうか。

 

 マァムとシェリルを庇っていたタイガが体を起こす。続けてマァム、シェリル、魔術師が立ち上がる。

 

 「────っ、アステル! スレイ!」

 

 爆心に一番近かったスレイとアステルがまだ起き上がらない。皆が走り寄ると同時に二人はなんとか体を起こしたが、二人とも耳に異状を感じているのか、そこを押さえている。

 

 「ホぉイミぃ~、ホぉイミぃ~~」

 

 直ぐ様マァムが治癒呪文を二人にかけた。爆音で傷ついた鼓膜と、火傷が一瞬で癒された。

 

 「……どこが安全な方法だっ……あのジジイっ……!」

 

 スレイの暴言にアステルは何も言えない。

 

 「ふむ……。爆裂呪文イオラ以上イオナズン未満の破壊力といったとこか。念の為防禦強化呪文スクルトの重ねがけをしてて、正解じゃったわい」

 

 魔術師はほうっと息を吐く。

 

 「私たちに魔法使いがいないので、本当に助かりました」

 「爺ちゃん、ほんまおおきに」

 「おじぃちゃん、あんがとねぇ~~」

 

 三人娘に魔術師は頷いた。

 六人が広間に戻ると壁は粉砕され、その奥の部屋には下へと降る階段が一つあった。

 

 「ふむ。勇者アステルよ。〈旅の扉〉の封印が解かれたさま、確かに見届けたぞ。必ずアリアハン王に伝えるから、安心して旅を続けるといい」

 「ご助力、本当にありがとうございました」

 

 アステルはもう一度頭を下げた。

 

 「ではな。アステルとその仲間達よ。旅の成功を祈っておるぞ。……リレミト!」

 

 魔術師は密封空間から脱出する離脱呪文リレミトを唱えた。

 

 「おじぃちゃ~~ん、バイバぁ~~イ」

 

マァムは魔術師の姿が消えるまで手を振り続けた。




次回は10月19日です。ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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旅の扉

 

 

 「うわっと!!」

 

 シェリルは落ちた地面に危うく足を取られる所だった。マァムは不安定な足場で踊って遊んでいる。

 

 「ボロボロやなぁ。あっちこっち陥落しとるで」

 「ここも古代大戦以前からある遺跡だからな。イシスの遺跡が確か幾千年も前のもののはずだから、同じくらい経ってるんじゃないのか?」

 

 スレイは洞窟の壁に手をやり、呟く。

 

 「そう思うと、さっきのあの爆発でよくこの洞窟が崩れなかったな。……こらマァム。危ないぞ」

 「ひゃんっ!」

 

 と、遊ぶマァムを引き寄せるタイガ。

 

 「……王様ここを使うつもりでいたし、まずは修繕しなきゃね」

 

 アステルは足を踏み外さないよう慎重に歩く。

 

 「それと……」

 

 タイガがマァムを離し、鉄の爪の手首のベルトを締める。アステル、シェリル、スレイもそれぞれ武器を抜き放ち、構える。

 

 「魔物退治もかな」

 

 アリアハン平地にいた大蟻食(オオアリクイ)より、一回り大きい体格のおどろおどろしい蟻食四匹が、アステル達を囲む。灰色の体毛、緑の顔、赤い目、青色の長い舌が待ちに待った獲物を捕らえんとチロチロ動かしていた。

 

 「こいつら今までどうやって生きてたんや」

 「食糧ならあるよ……だってこいつら蟻食だもん」

 「そやったな。でも、蟻だけ食ってたわりに、でかくなったんちゃう?」

 「ずっと闇の中にいたせいで、魔性が強くなって進化したのかもな……!」

 

 〈お化け蟻食(おばけアリクイ)〉がそれぞれに襲いかかる。

 まず、スレイの投げたアサシンダガーが的確にお化け蟻食の急所を捉えた。魔物は悲鳴をあげて塵となる。

 

 「デカイだけで急所は大蟻食と変わらないぞ」

 

 スレイの言葉にアステルは鋼の剣をシェリルは鉄の槍を深々とそこに刺す。タイガも長い舌を掻い潜り懐に入り込むと急所を一突きした。

 進化したというスレイの言葉はあながち間違っていないのかもしれない。

 次に現れたのは体毛が紫色になった一角兎(いっかくうさぎ)達だった。

 一角兎ならとアステルはブーメランで一掃しようと構えた。一角兎がキキィーー!と甲高く鳴いた。するとどうだろう。

 戦闘中だというのに堪えがたい眠気が襲う。タイガとシェリルが倒れこんでしまう。アステルとマァムには呪文の効きが悪かったらしい。しかし思わず呆気に取られる。

 

 「ラリホー……か!」

 

 スレイは鞭本体の棘棘しい部分を握り締め、痛みでなんとか眠気を堪えた。

 

 「一角兎が呪文!?」

 

 シェリルを狙う紫兎の角をアステルは剣でへし折って倒す。睡気誘発呪文ラリホーを連発する一角兎の進化型〈アルミラージ〉三匹が、眠るタイガとそれを起こそうとするマァムを狙って額の角を突き出し突進する。スレイはドラゴンテイルでアルミラージを弾き飛ばし、陥没し底が見えない穴へと落とす。

 

 「マァム! 棘の鞭を使ってタイガを起こせ! アステルもシェリルを叩き起こせ!」

 「ふえええ!? そんなぁ怒られるぅぅ!!」

 「オレが怒られるから! いいからやれ!」

 

 騒ぎを聞きつけたか、蠍蜂(さそりばち)人面蝶(じんめんちょう)の群れが羽音をたてて、こちらにやってこようとしていた。

 

 「ごめぇぇん!! タイガぁ~~!」

 

 ビシンッ!

 

 「いてっ!!!」

 

 マァムの棘の鞭がタイガの背中を打つ。タイガが目覚めた。

 

 「ごめんね! 後でホイミするから!!」

 

 アステルもシェリルの頬を結構な力でひっぱたく。

 

 「ったぁぁ!?」

 

 シェリルが目覚めた。

 

 「ごめんねっ! ごめんねっ! ごめんねぇ!!!」

 

 ビシッ! バシッ! ビシッ! バシッ!

 

 マァムは尚もタイガを鞭で打つ。

 

 「ちょっ! 待っ! 痛てっ! 起きた! 起きたから!! こらっ! わかっててやってるだろう! マァム!!」

 「スレイがぁ! 怒られるからぁ! いくらでもぅ殴れってぇ! だからぁ許してぇ!!」

 「待て! マァム! どさくさに紛れて悪戯する奴がいるかっ!!」

 

 スレイも怒りで完全に眠気が醒める。

 

 「なにやってんのや……」

 「シェリル! 後ろ! 後ろっ!!!」

 

 三人のコントをジト目で眺めるシェリルにアステルが叫ぶ。

 

 「なんや。アステルまで……ひゃあぁぁぁっ!!!」

 

 シェリルの後ろには人の丈をはるかに越える大きい芋虫。〈キャタピラー〉。キャタピラーは団子虫のように丸まって、転がりながらシェリルとアステルに突進してくる。

 二人は慌てて横に跳んでかわすと、キャタピラーは団子のまま壁に激突し、めり込む。ぼこんっと壁から出てきた所をシェリルは鉄の槍で貫かんと突き出す。が。

 

 「いっ!!」

 

 キャタピラーの表皮は硬く槍を弾いた。アステルも跳躍し、剣を振り下ろすが手が痺れるだけであまり手応えがない。

 

 「かっ……たあ……!」

 

 キャタピラーは丸くなった体を元に戻すと、尻を高く反り上げる。そのまま尻を左右にふりふりしだした。すると、体がオレンジ色に発光しだした。

 

 「────なんだ?」

 

 鞭で傷だらけになったタイガが目を見張る。戦っていた目の前の蠍蜂や人面蝶の群れが一斉にオレンジ色に発光しだしたのだ。

 スレイはそれを見て血の気が引く。これは先程、魔術師にかけて貰った呪文の光と同じ。アステルもそれに気づく。

 ───個々の防禦力を強化する呪文。

 

 「魔物にスクルトがかかってる!!」

 

 マァムな棘の鞭を振るうが、蠍蜂達は平気な顔をしている。

 

 「はええ?」

 

 そして、蠍蜂皆が皆、針のついた尻尾を振りかざしマァムを射さんと襲い掛かってきた。

 

 「はええええええええっ!!!」

 

 蠍蜂はマァムを追い回す。防禦力が上がった蠍蜂にとって、たたでさえ非力なマァムの振るう鞭はもはや体を掻かれる程度の刺激でしかなかった。

 そんなマァムを庇いながら蠍蜂を撃破するタイガ。スレイの攻撃もまだ効いていた。人面蝶を全て倒し、今もなお呪文を唱え続けている発生元に走る。

 キャタピラーはシェリルを弾き飛ばし、アステルにのし掛かっていた。キャタピラーの牙を剣で抑えている。

 

 「くぅ……!」

 

 カチカチとアステルの顔にキャタピラーの牙が迫る。そこへスレイが渾身の力をこめ、ドラゴンテイルでキャタピラー打つ。ドラゴンテイルの攻撃力がキャタピラーの表皮の防禦力に勝った。傷を受けたキャタピラーが、慌ててアステルから離れ、今度はスレイに攻撃を定める。

 

 「アステル! 剣でかなわないなら呪文だろう!」

 

 スレイが叫び、アステルははっとし、手を翳す。

 

 「メラっ! メラっ!! メラっ!!!」

 

 アステルの手のひらから放たれた三つの火球がスレイが傷つけた箇所に上手く直撃する。キャタピラーは声をあげ、燃え尽くされる。

 そして地面に少し大きめの原石が落ちた。

 キャタピラーの消滅を確認した途端、魔物達が撤退していく。

 どうやら、この洞窟の主たる魔物だったらしい。

 

 辺りが静まると皆、その場に腰を下ろして大きく息を吐いた。

 

 

* * * * * * *

 

 

 マァムの回復呪文で傷を癒し、(もちろんその後マァムはタイガとスレイにしっかりお説教された)アステル達は洞窟の探索を続ける。

 洞窟は所々で道が陥没しており、その度に遠回りを余儀無くされる。途切れてない道を探し、慎重に足を進め、そうして下へと降る階段に辿り着く。

 下に降りると三股の回廊にでた。

 それぞれに鍵のかかった大きな扉が行く手を阻む。アステルが〈盗賊の鍵〉を使うと、呆気なく開いた。ここでも全部の扉を開き、中を確認する。二つは行き止まり。残りの一つが〈旅の扉〉の部屋だった。

 

 「これが〈旅の扉〉……?」

 

 部屋の中は青の光に包まれていた。光っているのは小さな泉。水面は渦巻いていて、まるで底にある栓かなにかを抜いたよう。しかし水はいつまでも無くなる事はなかった。

 アステルは膝をついてそれに触れた。……濡れない。

 

 「えっと……これからどうするの?」

 「じゃぁぁぁんぷ!!!」

 

 バッシャーーーーーーン!!!

 

 マァムが泉に沈んだ。アステルの目が点になり、そして顔が青ざめる。

 

 「マァム!? どうしよう!! 上がってこな……」

 「じゃぁぁぁぁんっ!!」

 「きゃあっ!!!」

 

 バッシャーーーーーーン!!!

 

 「遊び人マァム、参、上っ!!!」

 

 飛び出た勢いのまま空中で一回転して着地し、びしっとポーズをキメるマァムの頭をシェリルがはたく。

 

 「遊ぶな」

 「やぁん! シェリルが打ったあ! ママにもぉ打たれた事ないのにぃ~~」

 

 「……まあ、見ての通り飛び込むんだ。それと、これは本物の水じゃないから息は止めなくていいぞ?」と、苦笑のタイガ。

 

 「飛び込んだ先はロマリア大陸だ」

 

 スレイが腰を抜かすアステルの手を取り立たせた。

 

 「タイガとスレイはやっぱり使った事あるんだね」

 「ああ。修行地の中にこれがあった」

 「随分昔になるが旅の移動でな」

 「なあなあ、アステル。ウチらも早く入ろう?」

 

 さっきから出たり入ったりを繰り返すマァムをシェリルはチラチラ見ている。

 

 「そうだね!行こうか!」

 「やほう!」

 

 アステルの返事にシェリルが〈旅の扉〉に駆け出す。

 

 「シェリル! 転移先で撥ね飛ばされる感覚があるから、足元気を付けるんだぞーー!」

 

 タイガは叫んだが、シェリルはすでに飛び込んでいた。

 

 「聞こえたかな……」

 

 タイガも後を追って〈旅の扉〉に飛び込んだ。

 

 「じゃあ、先に行かせてもらうな」

 「あ、うん。どうぞ」

 

 スレイが〈旅の扉〉に飛び込む。

 残されたアステルは〈旅の扉〉に入ろうとして、踏みとどまった。

 顔を上げ、背後を振り返る。

 

 「……いってきます」

 

 服の中にある指輪に手を当てアステルは〈旅の扉〉へと飛び込んだ。




まだまだ連携攻撃が下手な一行。
今回登場したキャタピラーは洞窟の主(ボス)ですので普通のキャタピラーより遥かに強いのです。
ですのでアサシンダガーやドラゴンテイルなら一発で倒せるだろうっていう、突っ込みはなしでお願いいたします(笑)

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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キャラクター紹介①



メインキャラクターとアリアハンまでのキャラクタープロフィールです
※2023年10月追記
キャラの出身地によっては季節がバラバラで筆者が混乱し始めた為(笑)、主要キャラクターの誕生季節を誕生月に変更記載しました。
当物語の世界は1年12ヶ月365日、現実世界と同じです。星座はゲーム内の性格診断にちなんで追加しました。


 

 

勇者

アステル=ウィラント

16歳 :9月生(アリアハンでの春)・乙女座

髪:ショート・癖があり硬めの黒髪

瞳:瑠璃色・垂れ目がちな円らな瞳

肌:きめの細かい象牙色

身長:154cm

体重:42kg

体型:ほっそりだが出るとこはそれなりに出てる。筋肉はあまりついてない感じ。

性格:ロマンチスト

一人称:私

本人は自覚してないが美少女。「勇者」より「オルテガの娘」と呼ばれる事が多い。

可愛い物が大好きで心優しく思いやりのある女の子。けれど必要に応じて豪胆にもなれるし、行動力もある。ロマンチストゆえに想像力は豊かで、洞察力も鋭い。

力はないが、魔力がまあまあ高く、素早く動ける。剣術が得意で、後にブーメランも使いこなせるようになる。

 

 

盗賊

スレイ=ヴァーリス

21歳:12月生・射手座

髪:ショート・癖のないさらさらの銀髪

瞳:琥珀色・涼しげな切れ長

肌:女性的で青白い

身長:177cm

体重:61kg

体型:華奢にみえるけど綺麗な筋肉がついた、引き締まった体

性格:きれもの

一人称:オレ

なんでも器用にこなす物識りな青年。

かなりの美形。でも本人はそれが不服。クールに見えるが、意外と短気。不機嫌になると口調が荒くなり顔に出やすい。頭の回転が早く、察しがいい。

戦闘では指揮役に回る事も。素早く動き回り、両利きを生かして様々な武器を状況に応じて使い分ける。

 

遊び人

マァム=ヴェルゼム

18歳:8月生・獅子座

髪:腰までの長さ・巻き毛の金髪

瞳:紅玉髄色・円らで猫目

肌:乳白色

身長:160cm

体重:46kg

体型:童顔でグラマラスな姿態。ふわふわ柔らかい感じ。胸は三人娘の中で一番大きい。

性格:あまえんぼう&セクシーギャル

一人称:あたし

踊りと悪戯と人マネが大好きな娘。わざとなのか、本気なのかよくわからないボケとひらめきをする。

小さなメダルを見つけるのが得意。

性格と口調で実年齢より幼く見えがち。

遊び人なのに回復系の呪文が使える。

鞭が扱えるが、力が弱く、魔物を倒すより翻弄する役割が多い。そしてたまにふざける。

 

商人

シェリル=マクバーン

19歳:6月生・蟹座

髪:腰までの長さポニーテール・柔らかな髪質で珊瑚色

瞳:翡翠色・やや三白眼

肌:艶やかな小麦色

身長:170cm

体重:56kg

体型:細く引き締まっていて、脚がすらっと長いモデル体型

性格:まけずぎらい

一人称:ウチ(関西弁)

快活で竹を割ったような性格。三人娘の中の姉貴分。豪商の末娘だが、それを鼻にかけない。マァムの突っこみ役の他、パーティのアイテムと財産管理を担う。得意な槍術で魔物を倒す。商人にしては戦闘力が高い。

 

武闘家

タイガ=ヤクモ

25歳:10月生・天秤座

髪:逆立った短い髪・漆黒で硬い髪質

瞳:左目黒曜石色・垂れ目ではないが優しげな瞳

右目灰褐色(失明・眼帯で隠している)

肌:日に焼けた褐色

身長:198cm

体重:85kg

体型:筋骨隆々で皮下脂肪10%未満のマッスル体型

性格:ごうけつ

一人称:俺

明朗闊達で人付き合いがうまい青年。場の空気を支配できるパーティの最年長。

武闘家なのにいつも腰に一振りの剣を下げている。素早いうえに怪力で戦闘で頼りになると思いきや、魔物の特殊攻撃にとてつもなく弱く、状態異常にかかりやすい。

 

 

 

《アリアハン》

 

アリアハン国王(42歳)

(ステファン=ナゴル=アリアハン20世)

黒髪、翠の瞳。中背中肉、立派な顎髭あり。オルテガとは君主、臣下を越えた友情で結ばれている。民の声にちゃんと耳を傾ける国王。お茶目だが抜け目がない性格。若い頃、オルテガと剣術の訓練を共にしてただけあって実は強い。妻(妃)は病で死去。娘(王女)が一人いる。

 

 

エリーゼ=ウィラント(33歳)

アステルの母。海松色(モスグリーン)の瞳。長い黒髪を1つみつあみし、肩から流してる。基本ワンピースにお気に入りのエプロン姿。アステルの顔立ちは彼女譲り。年齢より若く見られる事はしばしば。性格はおっとり優しい人。でも芯の強い人。孤児で教会の世話になっていた過去を持つ。オルテガには幼い頃から妹のように可愛いがられてた。成人(16)になった日にオルテガにプロポーズされ、次の日に結婚した。その翌年にはアステルが生まれる。元僧侶。アステルとマァムに回復呪文を教えたのもこの人。

 

 

オルガ=ウィラント(62歳)

アステルの祖父。オルテガの父親。白髪に青の瞳。ダンディなお爺さん。杖をついてるが実は仕込み刀。性格は豪傑で寡黙。元はアリアハン王国近衛隊隊長。息子のオルテガ、孫のアステルその友達のシェリルの戦術の師匠。

 

 

ルイーダ=ヴェルゼム(35歳)

ルイーダの酒場の店主、旅人ギルドアリアハン支部のギルドマスター。マァムの母。紺色に近い黒髪に紫紺の瞳。派手な色のドレスを上品に着こなす迫力のある美女。セクシーギャルではなく、セクシーマダム。結婚はしていないが、酒場二階の手続き窓口の男とは恋人関係。元魔法使い。アステルは彼女に攻撃呪文を教わる。マァムにも攻撃呪文の使い手としての素質があるのに気づいてはいるのだが、無理強いはしてない。

 



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二章 ロマリア~カザーブ~ノアニール
新天地


 

 

 始めは潜って行く感じ、暫くしたら態勢を変えられ、今度は登って行く感じ。青い渦に飲まれ回され所在なくふわふわと漂う。

 

 ふわふわ ふわふわ。

 

 

 ───バッシャーーンッ!!

 

 

 「えっ!?」

 

 弾き飛ばされ体が前のめりになる。

 

 「うわわっ!!」

 

 態勢を立て直せず、アステルは地面に激突する覚悟をきめ、目をぎゅっとつむる。

 しかし。顔に感じたのは冷たい地面の感触ではなく、暖かく包み込まれてる感覚。

 

 「大丈夫か?」

 

 その声に目を開けると、目の前には黒い服の上に装備している革の鎧の胸部分。そして、これを着ているのは一人だけ。アステルはそろっと顔を上げると、琥珀の瞳が彼女を見下ろしていた。

 

 「だっ、大丈夫。ごめん、ありがとう」

 

 アステルは慌ててスレイから離れた。

 

 「予想してたからな。けど、シェリルは油断もあって重症だ」

 「え? ……シェリル?!」

 

 アステルがシェリルに駆け寄る。彼女は額に傷を作って寝転がっていた。

 

 「ホぉイミぃ~!」

 

 マァムが額の傷を治したが、シェリルはまだ起き上がれない。タイガがスレイに借りた〈妖精の地図〉をうちわがわりに(そんな風に使っていいのだろうかとアステルは一瞬だけ思う)シェリルを扇ぎながら、タイガは言う。

 

 「〈旅の扉〉酔いだな」

 「〈旅の扉〉酔い?」

 

 アステルが首を傾げた。そんな彼女にスレイは説明する。

 

 「正確には魔力酔いだ。濃密な魔力の空間に入った事で中毒症状を起こす。症状には個人差があるが、基本魔力に慣れていない、理力を持たない人間が起こしやすい」

 

 スレイが〈大きな袋〉から水筒を取り出し、シェリルに差し出す。

 

 「飲めるか?」

 「う~~……おおきにぃ」

 

 シェリルは水筒を受け取るとこくこくと飲んだ。

 

 「すまんなぁ。俺が先に入っておけば、せめて転ばせずに済んだのになぁ」

 

 眉尻を下げ、謝るタイガにシェリルは苦笑する。

 

 「はは……あんなにぐるぐる回された後に吹っ飛ばされたら、着地なんかでけへんわ」

 「アタシはぁ平気だったよ~ぅ? 泳げたよ~ぅ?」

 「あの流れの中を?」

 

 マァムは頷く。シェリルほど酷くは回されてないと思うが、あの流れの中で自由に体を動かす事はアステルにも出来なかった。

 

 「あの魔術師の爺さんも言ってたが、マァムはこの中で一番、魔力と理力が高いって事だな」

 「……言われてみれば。マァムの理力が底に突いた所、見た事ないかも」

 

 (あれだけ治癒呪文を使っているのに……)

 

 アステルがマァムを見るとマァムはにへらと笑う。

 

 「あと酔わないタイガもそれなりに魔力と理力があると」

 「俺は今まで慣れだと思ってたなぁ」

 

 スレイの言葉にタイガは頬を指で掻く。

 

 「慣れるほど〈旅の扉〉を頻繁に使ってたのか?」

 「言ったろう? 修行地にこいつがあったって。俺の修行地はダーマのガルナの塔だ」

 「ダーマのガルナ……なるほど」

 

 アステルには全然話の内容がわからないが、スレイは納得したようだった。

 

 「皆、おおきに。もう大丈夫や」

 

 シェリルが起き上がる。

 

 「本当に大丈夫? 無理してない?」

 「ここは魔物がいないようだから、もっと休んだらどうだ?」

 

 アステルとタイガの言葉にシェリルは照れ笑いを浮かべる。

 

 「ほんまに大丈夫。これからは気ぃつけるわ」

 「しんどくなったらぁホイミかけたげるからぁ言ってねぇ?」

 「おおきにな。マァム」

 

 眉を下げて心配げな顔のマァム頭を、シェリルは優しく撫でた。

 

 扉を開けると、そこは森だった。

 後ろを振り返ると、今までいた場所は緑に囲まれた小さな祠だった事に気づく。

 スレイが遠隔感知能力〈鷹の目〉で周囲を確認すると、然程大きくない森らしい。魔物に遭遇する事なく森を抜けると、ロマリアの王都が見えた。

  

 

* * * * * * *

 

 

 広大な西大陸は地理及び、気候も極めて多彩であり、多種多様な生物が存在する。───魔物も含め。

 近年増え続ける魔物の被害が絶えない中、それに対抗出来うる軍事力を持ち、豊富な天然資源と労働者の生産性により支えられ、繁栄し続ける国家。それがロマリアである。

 

 「よくぞ来た! 勇者オルテガの噂は我らも聞き及んでおるぞよ。そこでじゃ! 勇者の娘アステルよ。そち、ちょっと王になってみんか?」

 

 故国アリアハンとは比べようのない、豪華絢爛な玉座の間。玉座から小太りなその身を乗り出すように、若きロマリア国王レオナルド十三世はにっこりとアステルに問う。

 

 「───は?」

 

 アステルは訝しげな表情でただその一言しか返せなかった。

 王の隣に座る后は特になにも語る事なく、静かに溜め息を漏らした。

 

 

 

 

 アステルは今、王城にいる。

 

 ロマリアに着いたのは昼過ぎだった。入国手続きをした時、アリアハンの勇者一行だとわかった途端、城から呼び出しが掛かったのだ。

 まだ具合がよろしくないシェリルを早く休ませたいというアステルが、自分だけで行ってくると言い張るので、残る面々は宿屋で待機となった。

 タイガとマァムがシェリルを看ているので、スレイは〈大きな袋〉を持って、買い出しに街へ出ていた。

 

 町並みは整然として美しい。町中心部にある大きな噴水と季節の花が咲き誇る公園はこの国の憩いの場である。そこも通りすぎると商店街に出る。店はどこも賑わい繁盛していた。

 ここロマリアは土地が肥えているので、果実や野菜がよく実る。気候も良く餌もたんまり与えられ、のびのびと育てられる家畜は質のいい食肉となる。

 あと、ロマリアは紡績、織物産業にも力を入れており、ここで作られる麻、綿、絹の糸や織物は高級品として有名である。

 それらを隣国、貿易国家ポルトガが世界に広め、ロマリアのますますの隆盛に繋がる。

 この国は平和そのものだった。

 

 この〈大きな袋〉は買い出しの時、大変役立つ物だった。いくらでも入り、重さも感じない。おかげでこうして一人で五人分の旅の買い物が出来る。 

 

 (……盗賊バコタが狙うだけの価値があの賢者にはあったわけだ)

 

 スレイは思う。

 確かに、この袋があればいくらでも盗品が入るし、逃走する時も身軽だ。ふいに、賢者がアステルの胸を揉んだ事も思いだし、スレイは渋面を作る。

 

 「そんな恐い顔されても、もうこれ以上はまけませんよ?」

 

 道具屋の店主がビクつきながら、スレイに言う。

 道具屋で買い物を済ませ、宝石店で魔物が落した原石を買い取ってもらい、武具屋で前衛で戦うアステル用に鎖帷子(くさりかたびら)を買った。軽いこれなら力の弱い彼女でも服の上から着込めるだろう。

 

 後は盗賊ギルドに寄って西大陸の情報でも仕入れるかと、盗賊ギルド本部が隠れ蓑にしているロマリア名物のモンスター闘技場……金を賭けて魔物を戦わせる賭博場へとスレイは向かう。

 闘技場に隣接する酒場で酔払い達が早速、勇者来訪の話を酒の肴に盛り上がっているのが聞こえた。

 

 「おい! 聞いたか?アリアハンの〈旅の扉〉の封印を解いて勇者がロマリアにきたそうだぞ」

 「勇者~~?」

 「知らないのかよ。アリアハンの勇者オルテガ。その子供が魔王退治の旅にでたって」

 「魔王ぅ? そんなの辺境国の絵空事だろぉ?」

 

 わはははと嘲り笑う声。

 この国の民は自国の軍事力を過信しているきらいがある。

 

 (取り返しのつかない事態にならなきゃいいけどな……)

 

 スレイは目を伏せ溜め息を吐く。

 ふと、目を上げるとこんな怪しい場所に場違いなお嬢様風の娘が一人でうろうろしていた。お付きの者は見当たらない。

 

 ……無用心だろ。と、スレイは呆れた。

 柔らかい空色の絹ドレスに、薄紫のモスリンのマントと袖飾りがふわふわと靡なびいている。胸元には大きな菫青石(アイオライト)のブローチが煌めき、連ねた真珠のサークレット、ネックレスに耳飾りを身につけ、黒い髪には白い花飾りが映えてよく似合っていた。

 振り向いた美しい娘の瞳は瑠璃色。

 

 「あっ!スレイ!」

 

 ───……アステルだった。

 

 

* * * * * *

 

 

 アステルはスレイを見つけ、心底安心した面持ちで、ドレスの長い裾に苦戦しながらこちらにやって来る。

 

 「……なにやってんだ? その格好は」

 「女王様にされた。いきなり」

 

 アステルはジト目で答えた。

 

 〈誰でも一日王様体験〉というロマリア王には困った遊びがあるという。

 アステルは話す。

 この国の大臣も五回ほど王様になった事があるらしい事と、后から貴女のような人が王になってくれたら……と割と本気で嘆かれた事。

 そして、服と剣を返してくれと言うと、王様を連れ戻し、王位を返上しないと返さない……と、これも割と本気で言われた事。

 

 「……一国の主がする事か」

 

 もはや溜め息しかでない。

 王がこうでは、国民がバラモスに対してなにも危機感がないのも仕方がないのかもしれない。

 

 「それで、誰かに王様を押し付けたら必ずここに遊びに来るって聞いたから、さっさとお城に連れて帰ってこんな馬鹿馬鹿しい事、終らせようと思って」

 

 アステルは膨れっ面で腕を組む。

 

 「早く仲間の元に戻りたいって言ってるのに、無理矢理メイドさん達に連れて行かれたのよ! 勝手に体洗われて、化粧されて、着替えさせられて!!」

 「……」

 「王様探してたらお城の人も町の人も私を女王樣だって騒ぐし、税金の事や仕事の事とか相談持ち掛けてくるし!」

 「……」

 「あと、税金の事も王様が遊ぶ為とか、とんでもない事私にバラすし! ……って、スレイ聞いてる?」

 

 アステルはどこかぼうっとしているスレイの顔を覗きこむ。

 

 「……その王ってもしかしてあれか?」

 

 スレイが指差す先をアステルは見た。

 中太りのその身に羽織る、豪奢な刺繍がびっしりしてある真っ赤なガウン。掛札を握る両手の指全てに色取り取りの大きな宝石の指輪。整った立派な口髭に赤毛のおかっぱ頭。戦う魔物に声を荒らげる壮年の男性。

 

 「お~う~さ~まぁ~っ!!!」

 

 アステルはドレスの裾を捲し上げ、肩を怒らせて男性に向かっていった。スレイはその後ろ姿を眺め、そして口元を手で覆う。

 

 「………化けるもんだな」

 

 呟く色白の彼の頬がはっきりと赤かった。

 

 






勇者が王様(女王様)になるタイミングが事件解決前という。ゲームでは解決後。
アステルは自分が着る前提の綺麗なドレスやかわいい服は好きではないようです。
ドラクエの時代背景は中世がイメージらしいので、ドレスはコルセットでめちゃくちゃウエスト絞って着るんでしょうね。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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幾つもの顔を持つ大盗賊

 

 

 「───アハハハッ! そりゃ災難やったなぁ! アステル!」

 

 その日の夜。宿屋の食堂で葡萄酒(ワイン)片手にシェリルが高らかに笑う。

 

 「笑い事じゃないわよ。シェリル」

 

 膨れて地鶏のテリーヌを口に放りこむアステル。しかし昼間より顔色が良くなり、食欲もあるシェリルに内心ほっとした。

 

 「しっかし。噂はほんまやったんやな。〈誰でも一日王様体験〉。アステルの女王様姿、ウチも見たかったわぁ」

 「あたしもぅ~~!」

 「俺も」

 

 タイガとマァムはロマリア名物料理、地鶏ももの炭火焼きを食べながらアステルを見た。

 

 「なかなか似合ってたぞ」

 「スレイは黙ってて」

 

 しれっと言うスレイ。それに噛みつくアステル。

 

 「……その話は取り合えず置いといて。戻ってきた王様から私たちに依頼があるの」

 「またこのパターンかい。んで、今回は?」

 「シャンパーニの搭を根城にしている大盗賊カンダタが盗み出した国宝〈金の冠〉を取り戻してきてくれって。もし取り返してくれたら、ロマリアも私を勇者と認め、ポルトガへの関所の通行を許可する……って」

 

 アステルの言葉にスレイは琥珀の目を細めた。

 

 「無理してポルトガに行かんでもいいんちゃう?」

 

 ブスくれた顔でシェリルは葡萄酒を飲み干した。それにアステルは困ったように笑う。

 

 「シェリルたらっ。家に帰りたくないだけでしょ。もう」

 「う~~~っ……」

 「これから先、自分達の船が必要になるんだから。ポルトガ行きは避けられないよ」

 

 「船が手に入る宛はあるのか?」と、タイガ。

 

 「うん。前もって王様がポルトガの王様と連絡を取り合って、造船依頼を出してくれてたみたいなの。ここに紹介状も、ほら」

 

 アステルは〈うさぎのしっぽ〉が付いた腰のポーチから書簡を取り出して見せた。

 

 「にしても、カンダタ……か。幾つもの顔を持ってるって、有名な奴やで」

 

 シェリルは地鶏をひょいと口に入れる。

 

 「幾つもの顔?」

 「お顔がいっぱぁ~~い?」

 

 アステルとマァムが首を傾げる。ちゃうちゃうと、シェリルは笑いながら手元のグラスに酒を注ぐ。

 

 「大まかには三つ。

 ある時は悪徳業者や、あくどい事して稼いどる富豪からしか金盗まんと、盗んだ金は貧しい人にばら蒔く、人は決して傷付けない義賊の顔。

 また、ある時は盗みに入ったうちのもん全員殺ってもうて、盗みを働く凶悪な顔。

 また、ある時は人を騙したり、人をおかしくする薬や誘拐した人を奴隷として売り捌く卑劣な顔。

 ……けど、どれも同一人物がやったと思えへんくらい、やり方がばらばらやねん」

 

 酒をぐいっと飲み干し、ぷはぁっと息を吐く。

 

 「……そこらへんの事情は、ウチより盗賊ギルドに入ってるスレイの方が詳しいんちゃう?」

 

 一同、スレイに注目する。

 

 「……まあ、ほぼシェリルの言う通りだ。そして実際に、カンダタ本人が起こしたわけじゃない盗みや騒動も幾つかある。奴は有名だからな。自分の犯罪に箔を付けようとカンダタの名を騙る下っぱな奴もいるし、計画的にカンダタに大罪を被せようとする輩もいる」

 

 「カンダタは自分の名前騙られて、平気なの?」

 「基本は放置だな。……ただし。目に余る行為をやり過ぎたら、カンダタ本人がそいつを潰しにかかる。カンダタの仲間の盗賊も一緒になって……徹底的にな」

 

 その時のスレイの目つきは今まで見た中でも、一番冷たく鋭かった。

 

 (……もしかして、スレイは)

 

 アステルは気付いた事は口に出さず、かわりの質問をスレイにぶつけた。

 

 「スレイは今回の盗みはカンダタ本人の仕業だと思う?」

 

 アステルの問いに、スレイの表情が少し和らいだ。

 

 「ここまで豊かで、国民の税金を賭け事に使う王の所に盗みに入るのなんて、奴はなんとも思わないだろうが……ただ」

 「ただ?」

 「盗んだ物に違和感がある。黄金で出来た冠とはいえ、足のつきやすい国宝なんかを盗んだのが腑に落ちない」

 「黄金は溶かして形変えられるやん?」

 「そんな手間選ぶくらいならただの金貨か、宝飾品を狙う奴だ」

 「じゃあ、本人じゃない可能性も拭えないわけだ」

 

 タイガがパンを頬張る。

 

 「ああ……だが、もし、カンダタ本人ならオレが説得してみる」

 「大丈夫?」

 

 心配げに伺うアステルにスレイは笑う。

 

 「オレは裏切ったりしないぞ?いや、こんな事言う方が怪しいか?」

 「せやで~~」

 「あ~や~し~ぃ」

 

シェリルとマァムが茶化す様にジト目でスレイを見る。

 

 「まあ、なるようになるさ」

 

 タイガがまだ不安げな顔をしているアステルの背中を叩いた。

 

 「それに……あいつがわざわざ居場所を教えてるのも……まるで……」

 

 スレイはそっと呟いた。

 

 

* * * * * *

 

 

 明朝、アステル達はロマリアを発つ。目指すのはまず、山を越えた先にある村カザーブ。

 カンダタが根城にしているシャンパーニの搭はそのカザーブから更に西に旅をした先にあるという。

 山道の険しさにアステルとマァム、シェリルは音を上げそうになる。加えて襲ってくるロマリア地方の魔物達はアリアハン大陸とは比較にならない程の強さ、厄介さだった。

 大蛙の見た目に強い毒性を持つ進化系〈ポイズントード〉は、隙あらば毒の泡を吹きかけて来る。

 蠍蜂(さそりばち)を真っ青にした〈キラービー〉は、集団行動の習性はそのままに、こちらも人を痺れて動けなくさせる毒をその尾の針に宿していた。

 死んだ野生動物の生への執念がバラモスの魔力に反応し蘇った〈アニマルゾンビ〉は、腐った体で人の動きを鈍らせる遅緩呪文ボミオスを唱え隙が出来た所をおそいかかる。

 大の大人を真っ二つに出来る程の大きなハサミを持ち、仲間を引き連れて現れる〈軍隊蟹(ぐんたいがに)〉はとにかく甲羅が固く、攻撃がなかなか通じない。しかも蟹の癖に横歩きではなく前歩きをして来る。蟹の癖に。

 極めつけが決まって野営中を狙って奇襲をかけてくる、人の血を……特に若い娘の血を狙う〈蝙蝠男(こうもりおとこ)〉。只でさえ少ない睡眠時間を削られて相当参った。しかもこいつは、呪術封印呪文マホトーンを唱え、アステルの攻撃呪文、マァムの治癒呪文の封印をしにかかる。戦闘を終えても暫く呪文が使えず、戦闘後皆の傷を癒せないマァムはいじけてしまう。

 

 幾日もの夜を山で過ごし、一行はやっとの思いでカザーブの村についた。山間の小村カザーブは取り立ててなにかあるわけでもない、長閑(のどか)な村だった。

 昼頃に到着した一行は、脇目も振らず宿屋に向かい、昼食も取らずにベッドで一眠りにつく。次に目を覚ました時には、部屋の窓の外は夜の帳が下りていた。

 

 宿の浴場で汗と汚れを落とし、さっぱりとなると、アステル達は情報収集がてら酒場で少し遅めの晩御飯を取りに出掛けた。

 酒場はカザーブではここだけのようで、店主の男とその妻の二人で切り盛りしているようだ。客が込み合う時間帯は過ぎたのか、それとも普段からこんなものなのか。客は(まば)らだった。

 

 「あ~……まだ眠い」

 シェリルは目をしばたたかせて、出されたおしぼりで顔を拭く。

 「シェリルぅ~オヤジくさぁ~」

 「ほっといてんか~」

 

 キャハハと笑うマァム。アステルは出された水を一口……のつもりが美味しくて全部飲み干してしまう。自覚してた以上に喉が乾いていたようだ。

 

 「お代わりいるかい?」

 

 女将が水差しを片手にアステルに尋ねた。

 

 「いただきます」

 「しっかし、ロマリアからなにしにここへ?」

 「と「特にあてはないさ。修行の旅の途中なんだ。バラモス退治の為のね」

 

 「盗賊カンダタに会いに」というアステルの言葉を被せるように、タイガは笑顔でそう言う。

 

 「え……?」

 「タイガに合わせろ」

 

 狼狽(うろた)えるアステルに、隣に腰掛けるスレイが言葉短に囁く。

 

 「バラモス……? なんだい? そいつは。魔物か何かかい?」

 

 魔王の名前は一般的には広まってはいない。眉を顰め、首を傾げる女将。

 

 「そっ……そうなんです。でも、そいつはとんでもなく強くて。だからもっと腕を磨きたくて」

 

 引き攣った笑みを浮かべて、アステルはおかわりの水を受け取った。

 

 「へぇ。あんたらみたいな可愛い綺麗な女の子達が魔物退治を生業としてるのかい? 凄いねぇ!」

 

 アステルは肩を縮こまらせて自重し、シェリルは苦笑し、マァムはへへ~っと笑う。

 

 「しっかし。ここらの魔物は本当に強いなぁ。あんたらは大丈夫なのか?アリアハンのように王国兵が駐在して村を守ってるのか?」

 

 そんなものいないのは、村についた時から気づいてたが、敢えてタイガは訪ねる。タイガの言葉に女将は露骨に顔をしかめた。

 

 「あのろくでなしの王さまはこんな田舎の事なんか気にも留めていないよ。その、アリアハンって国の王さまの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいさ」

 「……だろうな。なんてったって国民の税金で豪遊するような王だからな」

 

 スレイが(本当の事だが)、王を貶めるような事を言う。アステルはロマリアの民にロマリア王の悪口を言っても大丈夫なのかとヒヤヒヤするが、女将は気にするどころか、頭を振って溜め息を吐く。

 

 「他の国の人にまでそれがバレるなんて……嘆かわしいったらないよ」

 「だったら、村の人たちだけで魔物から村を守ってるんですか? それに盗みを働く盗賊団もここら辺で出るって聞きました」

 

 アステルの言葉に女将はにかっと笑う。

 

 「ああ、カンダタの一味かい? 奴らはここら辺では悪さはしないさ。買い物はちゃんと金払うし、時々この村の自警団に魔物との戦いの稽古なんかつけてくれたりするしね」

 「おい。料理出来てんぞ」

 

 今まで黙っていた旦那が口を開いた。

 

 「あいよ」

 

 女将が香ばしい湯気の立ち昇る料理を次々テーブルに運んでくる。久々のまともな料理に皆目を輝かせる。

 

 「きゃあんっ!」

 

 マァムは大きく口を開き、一口でハーブ入りソーセージを食べた。

 

 「んぅおいしぃ~~!」

 

 リスのように口に入るだけ詰め込む。

 

 「本当! それにいい香り」

 「このトマトリゾットもいけんで! ゆっくり食べれるまともなご飯~~!」

 

 おいしい、おいしいと若い娘に褒められ旦那も満更ではなかったらしい。素っ気ない態度が若干薄れた。

 

 「……娘さんよ。修行か腕試しかなんか知らんが、ここから西の搭には近づくなよ。いくら大人しいからって、奴らの縄張りに入っては無傷ではすまんだろうからな」

 「そうだね。どうせ修行で行く先決まってないなら、そっちよりこの村から更に北に行った所にあるノアニールって村に行ってくれよ」

 

 「ノアニール?」と、シェリル。

 

 「妹夫婦が暮らしてんだけどね、ここ十年近く音信が途切れてんだよ。魔物もここら辺の奴より強いから、気軽に立ち寄れなくてね」

 

 女将の頬に悩ましい影が差す。

 

 「今は予定にないが、ノアニールに行く事があれば女将さんらの事、伝えておこうか?」

 

 タイガの言葉にぱっと女将の顔が明るくなった。

 

 「そうしてくれると助かるよ。こっちは元気にやってるからって伝えておくれよ」

 

 女将が頼んでいない麦酒(ビール)をタイガの前に差し出した。

 

 「ああ。(うけたまわ)った」

 「あっ! ずるい! ウチも!!」

 「はいはい!」

 

 ごねるシェリルに女将は苦笑して、彼女の前にも麦酒(ビール)ジョッキを差し出した。

 

 

* * * * * *

 

 

 「カンダタはここら辺の地域では、軽く英雄扱いだな」

 

 宿に戻る道すがら、タイガが口を開いた。スレイも考え込んでいる。

 

 「話を聞いてスレイはどう思った?」

 「……正直、本人の可能性が濃くなった。だが、よけいにカンダタが〈金の冠〉を盗んだ理由もわからなくなった」

 「どういう事?」

 

 アステルがスレイに尋ねる。

 

 「お節介なあいつが村の自警団に戦いを指導するのはわかる。そして、今やこの村は自力で魔物に対抗出来るようになっている。ならもう、ここの地方には特に留まる理由がないはずだ」

 「ん~確かに。普通やったらお宝持って、さっさと国外逃亡するとこやな」

 

 酒で頬が少し赤く染まっているシェリルが腕を組んで唸る。

 

 「……まるで誰かが捕まえにやってくるのを待ってるみたい……」

 

 アステルの言葉に皆が一斉に彼女を見た。アステルはわたわたと慌てる。

 

 「ごめん。変な事言ってるよね」

 「いや、オレもそう思った」

 

 スレイは顎に手を当てる。

 

 「その方がしっくりくる。〈金の冠〉はただの誘き寄せる為の餌だ」

 「誘き寄せるって、ロマリア王国をか? 何の為に?」

 

 シェリルの問いにスレイは頭を振った。

 

 「それはわからない」

 「まあ、結局は会わないとなにもわからないって事だな」

 

 タイガは片手に作った拳を、もう片手の平に打ち込むように合わせる。

 

 「────明日、準備出来たらすぐ出発。シャンパーニの搭に向かおう」

 

 

 アステルの言葉に皆頷いた。

 

 






次回はカンダタ登場です。
本作のカンダタはゲームのカンダタとは全くの別人です。この辺りからゲームシナリオに準ずるオリジナル展開が始まりますのでご了承ください。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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カンダタ

 

 

 「ニフラム!」

 

 手を合わせ祈るアステルが閉じた瞼を上げる。〈力ある言葉〉が広野に響き渡ると、四匹のアニマルゾンビの頭上に眩い光の渦が現れアニマルゾンビ達を次々と吸い込んで消えた。

 浄化呪文ニフラム。さ迷える魂や屍人を昇天させる祈祷に近い呪文。アステルが新しく覚えた呪文である。アステルは剣を抜き放ち、軍隊蟹(ぐんたいがに)の群れに向き直ると手を翳した。

 

 「初等火球呪文(メラ)っ!!」

 

 すぐ隣で燃える軍隊蟹を後目に、スレイは武器をドラゴンテイルから毒針に持ち替え、素早く軍隊蟹の腹の下に滑りこみ、殻と殻の継目に毒針を刺し込み急所を突くと蟹は塵と化す。腹筋を使って起き上がると毒針からアサシンダガーに持ち替え、蟹の目を切り裂く。

 蟹が怯んだ所をアステルのメラが再び炸裂した。

 

 「ぐっ!」

 

 キラービーの群れと対峙していたタイガの腕に、蠍の尾のような針が掠める。傷口からじわじわと感覚がなくなり、体が動かなくなる。

 

 「タイガ!」

 

 同じくキラービーを相手にしていたシェリルが叫ぶ。

 

 「むぅぅ!? キっアっリっクぅ~~!!」

 

 マァムの手から放たれる黄色の光がタイガの体を包み込み、パシンっと電気が走る。

 

 (体が動く……!)

 

 タイガは自分の間近まで迫っていたキラービーを叩き落とし、急に動いたタイガに動揺している残りのキラービー達にも回し蹴りをお見舞いする。キラービーの軍団は塵に消えた。

 敵はこれで最後だったようだ。

 

 「……ふぅ。助かったぞ。マァム」

 

 タイガがマァムの頭を撫でる。

 

 「ほんまや。いつの間に新しい呪文覚えたんや?」

 

 シェリルは原石を拾いながら聞く。

 

 「へっへっへぇ~~! 今っ! ピぃーンって浮かんだの」

 

 ピースするマァム。

 緩和呪文キアリク。火傷や凍傷、毒による麻痺を解毒緩和させる。

 

 「アステルも理力が上がってきてるんじゃないか? 新しい呪文やメラを連発してもあまり疲れてないだろ」

 「言われてみればそうかも……!」

 

 スレイの指摘にアステルは手の力を確かめるように握り拳を作る。アステル達は確実に力を付けていきながら、旅を続ける。

 カザーブを西へと進み、橋を渡ると広い平原に出た。

 

 そこからシャンパーニの塔がはっきりと望めた。

 

 

* * * * * * * 

 

 

 「ほあ~っ! たっかぁ~~いっ!!」

 

 マァムは額に手を翳し塔を見上げた。

 

 「マァム! 声でかい!」

 

 シェリルが慌ててマァムの口を塞ぐ。

 

 「……大丈夫。入口に見張りはいなさそうだな」

 

 タイガが辺りを見回した。

 

 「シェリル。聖水を出してくれ」

 「はいよ」

 

 シェリルは〈大きな袋〉から聖水を取り出すとスレイに手渡す。スレイはそれを四人にぶっかけた。

 

 「ぷひゃ!」

 「きゃ!」

 「なにすんねん!」

 「シェリル 声、声」

 

 叫ぶシェリルにタイガが突っ込む。スレイも頭から聖水を被った。

 

 「魔物避けだ。ここからはなるべく戦闘を避けたいからな」

 「聖水は野営の時ぐらいしか使わなかったのに……」

 「魔物との戦闘を避け続けてたら、力が付かないだろ。けど、ここでの戦闘は得策じゃない。相手にこちらの動きが丸わかりになる」

 「でも、話しして、〈金の冠〉返してもらうだけでしょう?」

 

 首を傾げるアステルにスレイは目を細めた。

 

 「カンダタがオレの知るカンダタじゃなかった場合の事も考えとかないとな」

 「あっ、そっか」

 

 

 塔に進入すると、そこはとても広い空間で、いくつもの行き当たりにぶつかる。

 スレイはいつものような宝探しの探索はせず、罠に警戒し、素早く上へと続く階段を見つける。魔物達は聖水の効力が効いているのか、アステル達に近寄る事なく、遠目からこちらを窺っていた。

 

 「ひゃあっ!!」

 「マァム!」

 

 煽られ飛ばされそうになるマァムの薄い腹にタイガの腕が回される。そのままマァムを持ち上げた。

 

 「ここ……壁がない……」

 

 塔二階から外壁が全くない造りだった。時々突風が吹き、体が煽られる。今いる場所の高さにアステルは一瞬眩暈がした。スレイに手を掴まれ、アステルははっとする。

 

 「しっかりしろ」

 「ごっ……ごめんなさい」

 

 シェリルは内壁に手を当てながら慎重に進む……と。

 

 「なんや? あれ」

 

 目の前には子供の背丈程の茸が六個ほど自生していた。赤地に緑の水玉模様の笠と毒々しい。

 

 「きのこのこのこぉ~~」

 「茸だな」

 

 マァムとタイガが言う。

 

 「いかにもよね」

 「どうみてもだな」

 

 アステルは剣を、スレイは鞭を抜く。

 茸達が一斉に動き出す。幹に短い手足が生え、黄色い目に、だらしなく出された長い舌が現れる。〈お化けきのこ〉達がよちよちと歩いてやってくる。

 

 よちよちよちよち……グサッ。

 

 シェリルが槍でお化けきのこ一匹をこちらに辿り着く前に突き刺した。お化けきのこはそのまま塵となる。

 

 「え?」

 

 あまりの呆気なさにアステルは間の抜けた声をあげる。

 

 「なにしに来たんや。こいつら」

 

 シェリルが半眼でぼやくと、お化けきのこはいきなりピンク色の甘い霧の息を吐き出した。

 

 「うわっ!!」

 「シェリル!!」

 

 ピンク色の霧がシェリルを包み……込まなかった。

 アステル達の背後から吹く追い風が、お化けきのこ達にぶつかる。ピンク色の甘い霧と共に。お化けきのこ達は再び地につき、静かになる。

 

 ……眠ったようだ。

 

 スレイは無言で前に出てドラゴンテイルを振るう。鞭で弾かれた眠るお化けきのこ達は塔の外へと落ちていった。

 

 「さあ、先を急ぐぞ……と、その前に」

 

 スレイは再び聖水をアステル達にぶっかけ、自分も被った。

 

 その後も聖水の効果がきれ、襲ってくる魔物を倒しては、聖水を被るを繰り返しアステル達は塔五階の部屋らしき場所に辿り着く。そこには黄金色に輝く鎧を纏った男達が寛いでいた。

 アステル達に気付くと慌てて立ち上る。

 

 「あの……」

 

 アステルがなるべく刺激せぬよう笑顔で男達に声を掛ける。しかし。

 

 「なんだ!? おまえらっ!!」

 「ロマリアの手の奴等かっ!!」

 

 そう言って男達は聞く耳持たずと言った感で襲いかかって来たので、アステルは慌てて剣を抜く。

 しかし、スレイとタイガが素早く前に出て男達に当身を食らわせ次々と昏倒させていった。

 

 「タイガ、殺すなよ」

 「わかった」

 「………くそっ!!」

 

 大勢いた盗賊が残り三人になった時、一人が壁のレバーを引く。ガコンッという音と共に足下の床が抜けた。

 

 「───なっ!!」

 「───きゃあっ!!」

 

 穴はすぐ下の階に繋がっていた。あまり高さがなかったのが不幸中の幸いか。

 タイガ、マァム、スレイは難なくひらりと着地するが、シェリルとアステルそして昏倒していた盗賊達も一緒に、強かに体を床に打ち付けた。

 

 「あいつらぁ~~っ!」

 

 痛むお尻を擦ってシェリルが槍を手に憤怒の表情で立ち上がる。アステル達は再び上の階に駆け上がる。いない。更に上の階に昇るとそこも誰の姿もない屋上だった。

 

 「逃げられた!?」

 「いや、まだ追いつく」

 

 スレイが屋上から下を見下ろす。すると盗賊達がこの真下の内壁ギリギリの場所に立っていた。

 

 「飛び降りるぞ」

 「えっ!?」

 「ほっほぉ~~いっ!」

 

 聞き返す間もなくスレイは飛び降りる。続けてマァムも飛び出す。

 

 「んな、軽業師(かるわざし)みたいな事出来っかい!!」

 「出来る出来る。シェリルはやれば出来る子だ」

 

 タイガがシェリルの腕を引っ張り一緒に飛び降りる。ひえ~っとシェリルの悲鳴が木霊した。

 

 「えっえっ!!?」

 

 アステルは完全に出遅れおろおろする。

 

 「アステル飛べ! 受け止める!!」

 

 スレイが階下で手を伸ばす。それを見てアステルは意を決して目を閉じて飛び降りる。

 

 「バカっ……!」

 

 スレイは青ざめ、塔の外へと落ちそうになるアステルの腕を掴み引き上げた。

 

 「目を閉じて飛び降りる奴があるかっ!!」

 「ごっごっごめっごめっ……!」

 

 怒鳴るスレイも怖いが、落ちるかもしれなかった恐怖の方が強く、涙ぐんだアステルは彼にしがみついたままだった。

 

 「こんなとこまで追って来やがって……!」

 「どうする! お頭今いないぞ……!」

 

 三人の盗賊があたふたする。……と。

 

 

 「───なぁにやってんだ? お前ら」

 

 「お頭っ!!!」

 

 盗賊達が歓喜の声をあげた。

 シェリル達は凍り付いた。

 声の感じから想像してたより(とし)若い。背と体格はタイガと同じくらいの男。

 しかし問題はその格好だった。

 筋肉粒々の裸に緑色のビキニパンツ一丁。革のブーツに手袋。そしてパンツと同色の、頭から被った覆面の役割りもはたしているマント。手には巨大な戦 斧(バトルアクス)

 

 「変態や」

 「変態さんだおぅ……」

 「これは……なんて言ったらいいものやら」

 

 シェリル、マァム、タイガそれしか言えず、スレイは額に手を当て項垂(うなだ)れる。覆面マントの目出しの奥の緑色の目玉がギョロリと動き、アステルを支えるスレイの姿を捉える。

 

 「ん? ……おおう! 我が愛すべき義弟(おとうと)スレイじゃねーか!」

 「え!? お頭の弟さんだったんですかい!! じゃあ、あなた様が《白銀の疾風スレイ》!!?」

 

 盗賊達が驚き、ははーっとひれ伏す。

 

 「カンダタ。その格好で義弟言うな。お前らその呼び名はやめろ。……そこ。ひそひそするな」

 

 マァムとシェリルが隅の方で「やだー」とか「恥ずかしー」とか「如何わしー」とかヒソヒソやっている。

 

 「なんだ。スレイの兄貴だったのか?」

 「……正しくは同じ師を持つ兄弟子だ」

 

 肩を叩くタイガの同情の眼差しがスレイを余計に苛立たせた。

 

 「なんだぁ? パーティ組んでんのか? 一匹狼のおまえが珍しい」

 

 カンダタがのしのしとスレイに近付き、そしてアステルの存在に気付く。

 

 「なんだスレイ! 女までできたのか? ……にしても少々ガキ臭くねえか? お前、幼女趣味なんかあったけ?」

 「そんなんじゃないっ……どうした? アステル」

 

 アステルは先程から黙ってカンダタを見詰めている。スレイは訝しげにもう一度彼女に声をかけようとした。

 

 その時。

 

 

 「───ポカパマズ……?」

 

 アステルがそう言った。

 

 「は……?」

 

 ヒソヒソしてた、マァムとシェリルも顔を上げ、タイガは「ポカ……なんて?」と首を傾げた。

 

 

 ────ドガッ!!

 

 

 カンダタが落とした戦斧が床に突き刺さる。

 

 「嬢ちゃん……どこでその名を!!」

 「父さんが……私の父が話してくれたお話に出てくる英雄の名前で、小さい頃父さんもよくそんな格好して遊んでくれたから……」

 

 『マジか』

 

 スレイ、マァム、タイガ、シェリルだけでなくカンダタの子分も声を合わせる。

 カンダタは体をぶるぶると震えさせ、アステルに顔を寄せた。スレイは思わずアステルを隠すように彼から遠ざける。

 

 「ポカパマズを知ってる親父……まさか嬢ちゃん、オルテガさんの娘さんかっ!?」

 「カンダタさん、父さんを知ってるの!?」

 

 アステルの目が輝く。カンダタはうんうんと首肯き、

 

 「知ってるもなにも、俺にとっちゃあオルテガさんとサイモンさん、そしてポカパマズは英雄の中の英雄! 俺の目指す(おとこ)だっ!!

 ああ……確かに。顔は似てねぇが、その綺麗で(あった)かな青色の目はそっくりだぜ」

 

 カンダタはスレイの方を見向く。

 

 「どうりで……だからか」

 

 カンダタの言っている意味がわからず、アステルはスレイを見上げるが、彼は何故かアステルから目を逸らした。

 

 「ところでカンダタ。あんたなんでロマリアの国宝なんて盗んだんだ?」

 

 気を取り直し発したスレイの言葉に、カンダタは目を見開く。

 

 「もしかして……オルテガさんの嬢ちゃん」

 「あっ! 私アステルっていいます」

 「そうか。アステル嬢ちゃんはロマリア王に頼まれてここに来たってのか?」

 

 アステルは頷き、カンダタは長い溜め息を吐いた。

 

 「全く……あの王は悪知恵だけは働く。自国のゴタゴタぐらい自力でなんとかしろってんだ」

 「いや、王冠盗んだあんたがそれ言うか?」

 

 シェリルは思わずカンダタに突っ込む。カンダタがシェリルをじっと見た。

 

 「……? なっ……なんや」

 

 シェリルはカンダタの視線におののく。

 

 「………まあ、いいや。おい! あれを出せ!」

 「へい!」

 

 カンダタ子分が背負っていた袋から大小の金剛石(ダイヤモンド)を散りばめた純金の冠を取り出し、カンダタに渡す。それをアステルに差し出した。

 

 「え?」

 「〈金の冠〉は返す。そのかわりに頼みがある」

 

 アステルは〈金の冠〉を受け取り、頭を傾げた。

 

 「カザーブの村を更に北上すると、ノアニールって村がある。その村の呪いを解いて欲しい」

 「……ノアニールか。昨日酒場の女将が話してた十年近く音信不通だって言ってた村の名前だな」

 

 タイガの言葉にカンダタは首肯く。

 

 「どんな呪いかは行ってみりゃわかる」

 

 「おまえロマリアをノアニールに誘導させる為に、〈金の冠〉を盗んだのか?」と、スレイ。

 

 「王国に下手に動かれて事態が悪化する危険もあったが、呪いを受けてからもう十年が経とうとしてる。このまま放置するのは忍びなくてなぁ」

 

 溜め息交りにカンダタは答えた。

 

 「せやったら、あんたがなんとかすりゃええやん」

 「したくても、俺にはどうする事もできん。嫌われてるからな」

 

 カンダタは拳を握りしめ悔しそうに呟いた。

 

 「誰に嫌われとるんか知らんけど、その格好が一番の原因やと思うで」

 

 ジト目で言うシェリル。

 

 「ああ。それはあるかもしれない」

 

 同じくジト目で同意するスレイ。

 

 「へぇ~ん~たぁ~いぃ~」

 

 タイガの背中に隠れるマァム。

 

 「俺達もやめといた方がいいって言ってるんすっけどねぇ」

 「お頭、頑として聞いてくれなくて……」

 「まともな格好すりゃ男前なんっすよ? お頭は。……もったいない」

 「ほぉ? そうなのか」

 

 三人のカンダタ子分といつの間にか意気投合と会話しているタイガ。

 

 「なんだとぉ! てめぇらこの格好を馬鹿にするって事はだなぁ! ポカパマズを……ひいてはオルテガさんを侮辱するも同然なんだぞっ! それと、そんな理由で嫌われてんじゃねぇやっ!!」

 「カンダタさん」

 「ん?」

 

 アステルがカンダタのマントをくいくいと引っ張り、にっこり笑う。

 

 「私はカッコいいと思います」

 「じょ……嬢ちゃぁぁぁんっ!!」

 

 感極まってアステルに抱きつこうとするカンダタを、スレイが素早くどついた。

 

 

* * * * * *

 

 

 「取り合えずシェリル。これ〈大きな袋〉に入れといて。……持ってるのなんだか怖い」

 

 アステルがシェリルに〈金の冠〉を差し出し、シェリルは受けとって袋に入れる。

 

 「せやな。壊したら一大事や……って、あんたさっきからなんなん!? 人の顔ジロジロ観くさって!!」

 「その珊瑚の髪にシェリルって名……お前、やっぱりマクバーンの令嬢か」

 

 シェリルの眉尻がピクッと動く。

 

 「だからなんや……」

 

 カンダタが覆面の下で笑った気配がした。

 

 「お嬢様が勇者の旅についていけるのかねぇ? ポルトガのお屋敷に帰って見合いでもしてる方がお似合いじゃねぇのか?」

 

 

 ────閃光が疾走るが如く。

 

 素早く突き出された槍が、カンダタの覆面の頬を切り裂く。

 

 「見くびんな」

 

 裂かれた部分から口の端が覗く。

 そこは楽しそうに釣り上がっていた。カンダタは槍を構えるシェリルから離れ、スレイとアステルの横を通り過ぎる。

 

 「カンダタ。シェリルと会った事があるのか?」

 

 すれ違いざまに尋ねたスレイに、カンダタはただ肩を竦めただけだった。

 

 「じゃあな、よろしく頼むぜ。スレイ、アステル嬢ちゃん、……お・じょ・う・さ・ま?」

 

 後ろ手に手を振り、立ち去るカンダタ。子分はアステル達にへこへこと頭を下げつつ、その後を慌てて追いかけて行った。

 

 

 「なんやねんっ! なんやねんっ!! なんやねんっ!! 変態のくせにムカつく奴~~~っ!!!」

 

 シェリルはその場で地団駄を踏む。

 

 「マァム達ぃ無視されたぁ~~」

 

 ぷうっと頬を脹らますマァムの頭を、宥めるようにタイガが軽く叩く。

 

 「スレイ?」

 

 アステルはスレイを見上げたが、彼は首を横に振る。

 

 「奴の行動と服のセンスは付合いの長いオレでも理解しきれない。……悪い奴ではないんだけどな」

 

 スレイの言葉にアステルも頷いた。

 

 「……ねえぇ~~アステルぅ~~~?」

 「なに? マァム」

 

 マァムが指をくわえ、トコトコとアステルに近付いた。

 

 「ポカポカ? の御話ってどんなのなのぅ?」

 「あっ! それウチも気になる」

 

 シェリルも地団駄を止め、アステルの方を見た。タイガも、スレイも。

 

 「ポカポカじゃなくて、ポカパマズね。……それが私もよく覚えてないの」

 

 『へ?』

 

 ウーンと唸るアステル。

 

 「凄くいい話だった気がするんだけどね。あの格好で追っかけられた事ばっかりが印象に残ってて……」

 

 タイガ、スレイ、シェリルは思った。

 それはいい思い出というより、むしろ心的外傷(トラウマ)になるのでは……と。

 

 まだ唸っているアステルの頭をマァムが気遣わしげに撫でた。

 

 






ゲームのカンダタさんのように、勇者一行と戦う事はありませんでした。これからも共闘はあっても敵になる事はありません。
このカンダタさんは見た目と中身は、ゲームイラストのようなムキムキマッチョ親父ではなくて、格好良いと思える感じのマッチョな青年さんです。
だからこそ余計にあの覆面マント&ビキニパンツスタイルは変態くさくなるという……(苦笑)
あと《ポカパマズ》のオリジナル設定が登場しました。オルテガが()()()()をした事を、なかった事にしたくないという謎の使命感(笑)
今後、カンダタ登場時や《ある村》でもこの設定が出ます。出します!

《お知らせ》
次回から更新時間を夜10時に変更いたします!
本日夜10時も更新致しますので、続きを読んで頂けたら幸いです!


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呪われた村

 

 

 スレイは〈妖精の地図〉を開いた。

 

 羽ペンが立ち上り、ロマリア、カザーブ地方を色づけていく。そして、カザーブとノアニールの中間を指してペンは止まった。

 

 「便利だな」

 

 スレイはぽつりと呟く。現在位置を表示してくれるのは、非常に有難い。

 

 「このままいけば、日が暮れるまでにはノアニールに着けるな」

 

 スレイは地図を腰の鞄にしまうと、かわりに水筒を取り出し水を含んだ。

 

 「カザーブからノアニールまでってそんなに距離はないのに、魔物達がまた一気に強くなったね……」

 

 アステルはタオルで額の汗を拭いながらぼやいた。

 一行はカンダタと別れた後、一旦カザーブへと戻り、道具や食料品を補充しに一泊し、今度はノアニールに向けて出発した。カザーブ北の山を越えた途端、出現する魔物達の種類や行動が変わる。

 鎧甲冑にバラモスの魔力が宿り、手にしている鋼の剣で人を襲う〈さまよう鎧〉は攻撃力防御力ともに高く、一匹でも苦戦するというのに群れをなして襲いかかってくるようになった。

 そしてこのさまよう鎧がよく引き連れて行動しているのが、〈ホイミスライム〉。スライムがクラゲのように足を生やし、常に宙を浮かんでいる。名前の通り回復呪文ホイミが得意で、戦うより仲間の魔物の傷を治す事に専念するからこれまた厄介。

 他にも素早く鋭い攻撃を仕掛けてくる大鴉の進化系、緑の大鴉〈デスフラッター〉や、毒の息を吐き散らすキャタピラーの進化〈毒芋虫(どくいもむし)〉。

 そして、こちらの攻撃が当たりづらい、雲型の魔物〈ギズモ〉は、複数で現れ火球呪文メラを容赦なく乱発して来た。

 

 「やっとこさ、カザーブの魔物に慣れたちゅうのになぁ」

 

 槍を杖代りに体を支えるシェリル。

 

 「まぁ、これも西大陸の特徴の一つだからなぁ。気候や地形のちょっとした違いで、そこに住み着く魔物も変わってくる」

 

 岩に腰掛けたタイガが言う。マァムは最近タップダンスにはまっているらしく一人楽しく練習していた。

 

 「マァム。あまり一人で遠くに行くんじゃないぞ。本当に稀だが、とんでもなく強い魔物が隠れてたりするからな」

 「とんでもなく?」

 「とぉんでぇもぉなくぅ~~?」

 

 アステルと彼女の真似をしたマァムが同じタイミングで首を傾げた。

 

 「俺が一人でここらを旅してた時、二匹の〈魔女〉って魔物に出くわした」

 「……よく無事だったな」

 

 スレイが若干引きぎみでタイガを見た。

 

 「こっちが動くより早くベギラマって呪文をひたすら唱えるわ、あと一歩ってところまで追い詰めてもベホイミって回復呪文唱えるわ。……でも結局バシルーラって呪文で吹っ飛ばされた。まあ、そのお陰で助かったようなもんだが……」

 

 知能の高い魔物は、人間と同様に〈力ある言葉〉を口にして呪文を行使するが、魔法に明るくないタイガが記憶するほど、その呪文を連発されたのか。すらすらと出てくるそれに、アステルも真っ青になった。

 

 中等閃光呪文ベギラマ。アステルはこの初等のギラさえもまだ使い熟せていない。

 中等治癒呪文ベホイミ。マァムが使うホイミの一つ上の階級。

 強制転移呪文バシルーラ。瞬間移動呪文ルーラの原理を応用して出来た呪文。対象者を空の彼方へ吹っ飛ばす。

 

 「あれ?……ちゅう事は、タイガはここら辺来んのは初めてやないんやな?」

 

 シェリルの言葉にタイガはばつが悪そうに頭を掻く。

 

 「実はな。ロマリアで伝説の武闘家の出身地がカザーブだって聞いて、観光しに行く途中で道を外れて迷ったんだよ。で、バシルーラで飛ばされた先がアリアハンだった」

 

 「「えっ」」

 

 アステルとシェリルが驚く。

 

 「なんだ? アステル達も知らなかったのか?」

 

 意外そうに尋ねるスレイに二人は頷く。

 

 「普通に船で来たと思い込んでたから」と、アステル。

 

 「でも、よくよく考えてみたら西大陸からアリアハンまでの船賃、貧乏なタイガが持っとるわけなかったわ」

 「ははは。悲しいが否定できんなぁ」

 

 うんうん頷くシェリルに、笑うタイガ。

 

 「お喋りはこれくらいにして、そろそろ出発にしないか。あまりゆっくりしてたら、また野宿するはめになる」

 「ああ」

 「そやな」

 「うん」

 

 スレイの声に皆が立ち上がる。……マァムを除いて。

 

 「マァム?」

 

 「……魔…女……バシ、ルーラ……」

 

 アステルはブツブツと囁くマァムの顔を覗きこむ。

 

 「マァム!!」

 「……うえっ!!!」

 

 マァムは体をびくりとさせ、大きな眼を瞬かせ、アステルを見、自分を心配げに見下ろす仲間を見回した。

 

 「あ~~~……はは? ハハハハハハっ! あたしぃ目ぇ開けながらぁ寝てたぁ! すごぉ~~い!! は~~つ体っ験っ!!!」

 

 マァムはにへらと笑い、立ち上がった。

 

 「大丈夫か? 疲れてんのちゃうか?」

 「ちゃうちゃ~~う。マァムの遊び人のレベルがあがったんやぁ~~今なら戦闘中でも寝れるでぇ~~~ぐぇっ!」

 「喋り方真似すな。あと戦ってる時は寝るな」

 「ろぉーぷ、ろぉーぷぅぅぅ」

 

 マァムはぺしぺしと、背後から首を締め上げるシェリルの腕を叩いた。

 

 「マァム。本当に大丈夫?」

 「もぅまぁんたぁ~~~い!!」

 

 マァムをまじまじと見詰めるアステルに、マァムはいつもと変わらない笑顔で答えた。アステルはまだ少し納得していなかったが、それ以上は言わなかった。

 タイガはマァムに近寄ると何も言わず、その大きな手で金の巻き毛をわしゃわしゃと掻き撫でた。

 

 

* * * * * *

 

 

 時刻は刻々と進み、なだらかな坂道を北へ北へと歩くにつれ、気温がどんどん下がっていく。吐く息は白くなり、日が完全に暮れる前にノアニールの村の影が見えてきた。

 遠目から村の入り口の篝火(かがりび)を焚こうとする若者の姿の見える。アステルは駆け寄り若者に話しかけようと手を伸ばそうとし、固まった。

 

 「うそ。……寝て……る?」

 

 寝ている。篝籠(かがりかご)に点火しようと火のついていない松明を翳した格好のまま、若者は寝息をたてているのだ。アステルは戸惑い仲間を振り返る。スレイが前に進み、若者に触ろうとしたが、手がなにか不思議な力によって弾かれた。

 

 「触れられない……?」

 

 スレイとアステルが目を見合わせる。

 

 「……とにかく村に入ってみよう」

 

 タイガがいつもより少し固い声で、皆を促した。

 

 暮れなずむ村内の摩訶不思議な光景を目の当たりにして、アステル達は息を飲む。

 皆寝ている。

 思い思いに伸びた雑草の中、長らく修繕していなかったせいで、ぼろぼろになった家屋の中外で。ある者は立ったまま。ある者はどこかへ行こうと足を踏み出した格好のまま。

 店仕舞いをしようとした格好のまま眠る店員。家の庭先で椅子に腰掛け手にあるカップを傾けた格好のまま眠る中年男性。

 片手を上げ向かい合って寝ている買い物籠を持った主婦達は、おそらく挨拶を交わしていたのであろう。

 草刈りをし終えた風の老人は、鎌を片手に腰をほぐすように叩く姿のまま眠り、辺りの背の延びた雑草に埋もれている。 

 子供、大人、男性、女性。人間だけでなく犬や家畜といった動物まで皆寝ている。

 

 皆、みんな眠っている。

 

 「なんなんや……コレ……」

 

 シェリルがやっとの思いで声を発した。マァムがタタッと走り、どこかに走ろうとした格好で眠る子供の前にしゃがみこみその頭に触れようとしたが、先程同様手を弾かれてしまう。

 

 「うひゃんっ!!?」

 

 尻もちをつき、目をぱちぱち瞬くマァム。

 

 「もしかして、これがカンダタさんが言ってた……呪い?」

 

 アステルが呟いた、その時。

 

 「………誰かおるのか?」

 

 雑草を踏み分け、こちらにやって来るのは一人の老人。起きている人間を見てアステル達は思わず息をつく。

 

 「………もしかして、カンダタの知り合いの方かい?」

 

 

* * * * * * *

  

 

 老人はノアニールの村長だった。

 アステル達は村長に村外れの自宅まで案内される。

 

 「この通り儂の家は村から一番離れとってな。そのお陰か呪いの力はここまで届かなかったのじゃ。

 どうぞ、暖炉の側で腰を掛けとくれ。今、茶を入れるでな」

 

 アステルは暖炉の前の絨毯に座り、家の中を見渡した。ここは村の中と違い手入れが行き届いているようだ。

 

 「……お一人で暮らしてらっしゃるのですか?」

 「ふむ。あと一人呪いから免れた者がおるんじゃが、今はおらぬ」

 

 老人はアステル達に茶を配り終えるとゆっくり椅子に腰かけた。

 

 

 「………あれは今のような夕暮れどきに起こった。

 女は夕食の準備を始め、子供は遊び終え、男は仕事を終えようとした……その時分に起こったんじゃ。  

 村の方角に大きな雷が落ちた。落雷の音がしなかった事を不思議に思ったがあの光の量。火事になってるかもしれぬと儂は慌てて家を飛び出した。

 しかし、村にはなにも起こっておらなんだ。ホッとしたのも束の間。

 誰一人動かない。喋らない。触れようとすれば見えないなにかに弾き飛ばされる。

よくよく観察すれば皆、安らかな寝息をたてて眠っておる。

 一夜明け、儂は家に戻らんと皆を見ておったが昨夜と何一つ変わらない。誰も目覚めない。途方に暮れていた時、店の仕入れにロマリアへ行っていた村の商人が戻ってきた。

 儂はそやつに事の次第を話した。男はどんどん青ざめていき、自分の家内のいる自宅に戻ったが、無論その者も深き眠りの中じゃった。 

 男は言った。『もしかしたら自分の息子のせいかもしれない』……と」

 

 ふぅと息をつき、村長は茶を啜った。

 

 「……かつて。このノアニール周辺はエルフの住み処じゃった。この土地に住む人々はエルフの領域を侵さぬようひっそりと暮らしていた。

 その代わりエルフは人々に大地の恵みをもたらしてくれておった。エルフと人は共存しておったのじゃ。

 ……じゃが、過去の大戦で余所の大陸からやって来た人間によってその均衡が崩された。珍しく美しいエルフ達を売り物にしようと捕らえ始めたんじゃ。

 森を燃やされ住む場所を追われたエルフ達は、人間を恨みながらここから西にある森に結界を張り隠れ住むようになった。

 ある日、商人の息子は興味本位でその西の森に入ってしまったらしい。そして、出逢ってしまったのじゃ。エルフの娘に。二人は一目で恋に落ちたそうじゃ。息子は娘を村に連れ帰った。

 しかし、そのエルフの娘はエルフを統べる女王の娘じゃった。女王に知れたらどんな(わざわい)が起こるやもしれぬ。父親の商人は二人の結婚を許さず、すぐに娘を森に返すよう言った。しかし息子は二人で村を出た後、戻る事はなかったそうじゃ。

 ────そして、それから一年が経ち、事は起こった」 

 「それじゃ、呪いはエルフの……?」

 「おそらくは」

 

 アステルの問いに村長は首肯く。

 

 「……そ、そんでその商人はどうしたんや?今どこにおるんや」

 「商人は女王に許しを乞いに西の森に旅立ったきり、戻ってこん」

 

 シェリルは言葉を詰まらせる。

 

 「儂は助けを求めにカザーブ、王都ロマリアにも足を運んだ。何度も、何度も、何度も、何度も。

 ……しかし、誰も儂の話を信じてくれなんだ。エルフなどおるわけがないと嘘つき呼ばわりされ、ロマリア王とも取り次いでもらえなんだ。

 そうしてなにも出来ぬまま時は流れ、出没する魔物達も強くなり、人々の足はますますノアニールから遠ざかっていった」

 

 アステル達はあまりの気の毒さに言葉をなくす。

 

 「眠り続ける村の者達は雨晒しになっても汚れる事もなく歳もとらぬ。この村を覆っているのがエルフの聖なる力のお陰か魔物が浸入する事もなかった。しかし儂の時は留まる事はない。

 もう、ここで寿命が尽きるまで皆を見守る事しか出来ん……そう、思っとった時、カンダタがこの村にやって来た」

 

 カンダタの名に、スレイが思わず顔を上げる。

 

 「カンダタはこちらが語る前に、エルフの力が村を覆ってる事に気付いていた。儂は彼ならもしかしたら、この事態をなんとかしてくれるのではと思った。しかし彼は申し訳なさそうに、自分にはどうする事も出来ないと儂に謝った。

 じゃが、必ずこの事態をどうにか出来る方法を見つけ出すからと儂を勇気づけ気遣ってくれた。食糧や衣服、薪燃料を運んでくれたり、ボロ屋だったこの家を修繕してくれたりしてくれた。

 そして今日あんた方を、このノアニールに導いたのじゃ」

 

 村長は椅子から立ち上り、その場に膝まずきアステル達に頭を垂れた。

 

 「村長さん!」

 

 アステルが慌てて村長を起こそうとするが、村長は頑として動かなかった。

 

 「どうか……! どうか! 西の森のエルフの女王に会ってくだされ! どうか、この呪いを解いてくださるよう頼んでくだされ! この通りじゃ……!」

 

 泣き出した村長の頭をマァムが「イイコイイコ」と撫で続けた。

 

 






作中のタイガの経験談は自分のゲームプレイ中本当に起こった事でもあります。
レベル上げで調子にのって道をすこしばかり外れたら《まじょ》に出くわし、こてんぱんにされました(苦笑)

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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エルフの女王

 

 

 「よいしょ!! よいしょ!!」

 

 マァムは石を拾ってデスフラッターに投げつけた。石は見事命中し緑鴉は持ってた髑髏(しゃれこうべ)を落として塵となり、原石となる。

 

 「……って、マァム! せっかく新しい武器買うたんやからそれ使わんかい!」

 

 シェリルはホイミを唱え続けるホイミスライムを槍で串刺しながら、マァムの腰に差したチェーンクロスを指差し叫ぶ。

 

 「え~っ! だぁってぇ、ピッカピカのぉキッラキラだもん。もったいなぁ~~い」

 

 言いながらマァムは石を魔物達に投げ続ける。的確に当て続ける様にアステルは笑う。

 「私も!」と、ブーメランをキズモの軍団に投げつけた。

 

 

 アステル達は、エルフの住むという西の森を目指して旅をしている。エルフの女王が素直に会ってくれるかはわからない。しかし、だからといって何もせず見過ごすことなど最早出来はしなかった。

 世界各地で人助けをしたオルテガの娘だからとか、勇者だからとか、カンダタから頼まれたからとか。そんなのは関係なく、アステル自身がなんとかしたいと思ったからである。

 それを仲間達に伝えると、仲間達もアステルに同意する。

 

 「まあ、麦酒(ビール)代分はきっちり働かんとな。シェリル?」

 「せやな~~。もう飲んでしもうたさかいな。ちゃんと伝言伝えなな」

 

 シェリルとタイガが頷き合う。

 

 「このまんまじゃぁおじぃちゃん、かわいそうだもんねぇ!」

 

 むんっと両手に握りこぶしを作るマァム。スレイは黙って地図を開き、ノアニールから西の森の方角と距離と掛かる時間と日数を確かめていた。

 

 

 西の森に近付くにつれ霧がかり、辺りの空気がひんやりとする。それはノアニールの村に近づいた時の空気と酷似していた。

 

 「ちゃぶい……へぶっくしゅ!!」

 

 マァムは震えながら自分の肩を抱き、くしゃみをする。

 

 「ほんまや……ちょいまち。外套(マント)出すさかい」

 

 シェリルが慌てて〈大きな袋〉から外套を取り出し、マァムを(くる)んだ。

 

 「エルフが邪魔してるのかな……」

 

 外套の襟を首に引き寄せ、アステルは呟く。

 

 「かもな」

 

 スレイは〈鷹の目〉を使って辺りを見回すが、白い溜め息を吐いた。

 

 「……盗賊の技法の効果があまりない」

 

 アステルはスレイの前に出て、辺りを見回した。

 

 すると一瞬。

 

 ほんの一瞬だけ大木があるその場所に蜉蝣(かげろう)のようにぼんやりと道が現れたのだ。アステルは目をこすりもう一度その場所を注意深く見た。

 

 やはり道は消えては現れる。

 

 「……スレイ。この先に道が見える」

 「? ……オレには木と繁みで覆われてるようにしか見えないぞ?」

 「ううん。……やっぱり見える」

 

 アステルはその場所に手を伸ばすと、鈴のような音が辺りに響き渡り、次の瞬間目の前の景色が硝子のように割れ、真実(まこと)の風景が現れた。

 

 『結界が破られた! 破られた!』

 『人間よ! 人間が森に入ったわ!』

 『私達を拐いにきたわ!』

 『怖い! 怖い! 怖い!』

 『女王様に報告! 報告!』

 

 風もないのに森がざわめく。多数の幼い少女のような声が辺りに木霊し、そして消えた。

 

 「な……なんや、今のっ!!」

 「ふわわわん?」

 

 青ざめたシェリルはすぐそばにいたマァムに抱き付く。

 

 「今の声がエルフ達の声か?」と、タイガ。

 

 「無限回廊だったのか……」

 「無限回廊?」

 

 スレイの言葉にアステルは首を傾げた。

 

 「オレも文献でしか知らないが、強い魔力で空間をねじ曲げて、浸入者を閉じ込めてしまうものだと。入った者は時の流れを感じず、永遠に同じ場所をぐるぐると回り続けるらしい。……よく気づいたな。アス……」

 

 「おお……やっと人に出会えた………」

 

 スレイの言葉を男の感極まった声が遮った。

 振り返ると一行の背後にいつの間にか、一人の壮年男性が立っていた。大きな紅い宝玉を竜の手が鷲づかんだ造形の杖を持ち、背中に大きなリュックを背負い、頭にターバンを巻き、体には旅の商人がよく愛用するという鉄の前掛けをしている。

 目の下には隈、頬はこけて草臥(くたび)れ果てた表情で、しかしアステル達に出会えた事に心底安心した様子だった。崩折(くずお)れる男をタイガがいち早く駆けつけ支えた。

 

 「大丈夫か!?」

 「ホぉイミぃ~~!」

 

 マァムが治癒呪文をかけると、男の顔色が少しだけ良くなった。

 

 「シェリル、水」

 

 スレイの声にシェリルは慌てて〈大きな袋〉から水筒を取り出し、タイガに差し出した。受け取ったタイガは、男の口元に水筒を傾け水を流し込む。男は一含み二含みしている内にかっと眼を開いた。

 体を起こし水筒を自ら掴み水を飲み干し、そして咳き込んだ。タイガが男の背中を優しくたたく。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 膝をついたアステルが男の顔を覗きこんだ。男は彼女に涙ながらに頷く。

 

 「あ……ありがとう。助かった……」

 

 スレイは改めて男の風貌を見て眉間に皺を寄せる。

 

 「あんた……もしかしてノアニールの呪いから免れた商人か?」

 

 スレイの言葉にアステル達は目を見張る。

 

 「あんた……何故それを……?」

 

 その返事にスレイは痛ましげに目を伏せた。

 

 「ちょっ……ちょお、待ち!! それって十年も前の話やろ!? このおっちゃんはどう見ても……」

 

 衰弱してはいたが、服や体の汚れを見てもそんなに長い時間を放浪していた風には見えなかった。何より村長と同じくらいこの男も歳をとってなければおかしい。

 

 「おそらく無限回廊の効果だ。この人は時の流れに気付かず、十年間エルフの隠里を探し回っていたんだろう」

 「じゃあ、俺達が来なければこの人は……」

 

 タイガの言葉にスレイは頷く。

 

 「永遠にこの森をさ迷い続けて、いつかは狂ってただろうな」

 「酷い………!」

 

 アステルは拳を握りしめた。

 

 「あの……あんた達なにを言ってるんだ?わたしにもわかるよう説明してくれ」

 

 アステル達は顔を見合わせた。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「何てことだ……!それではわたしは十年もの間、無意味な時間を費やしたというのか……!」

 

 商人の男は頭を抱え込んだ。

 

 「それほどまでに女王はわたしら……いや、息子を恨んでいるのか……」

 「それでも! 人の話もろくに聞かず、一方的にこんな仕打ちをするなんて許すわけにはいかない!」

 

 アステルの瑠璃の瞳が、冷たく暗い青に燃え上がる。

 

 「女王様に会いに行きましょう」

 「アステル……怒ってるぅ……」

 

 マァムがシェリルの腕にしがみつく。

 

 「久々に見たわ。……まぁ、しゃーないけどな。これは」

 「大人しい子ほど怒らせると怖いもんだよ」

 「……タイガ。言葉に重みがあるな」

 

 スレイがタイガを見ると、

 

 「故郷にいた妹みたいなのが、そうだったからな」

 

 タイガは肩をすくめて言った。

 

 

 一行は商人を連れ、森を進む。先頭はいつの間にかアステルで、彼女は迷いなく突き進む。やがてやわらかな光が差す広場にたどり着いた。

 広場中心にある泉はどこまでも透き通っており、空の青を映し出している。その中を色取り取りの小魚が悠々と泳ぐ。見たことない花が咲き乱れ、様々な模様の蝶が飛び交い、陽の光を浴びてその羽根はきらきら耀く。そして花畑に、木々の影に隠れるようにこちらを窺うのは薄絹を纏う少女乙女達。 

 皆が皆、美しい見目をしている。

 深緑の髪に瞳。肌は透き通るように白い。そしてその耳は人のそれとは違う巻き貝のような形をしていた。

 アステルはあまりの美しさに思わず惚けてしまうが、頭をプルプルと振り、エルフに声高に問う。

 

 「女王様に会いに来ました! 案内して頂けませんか!」

 

 『…………騒々しい人間ですね』

 

 「え……?」

 

 その声はアステル達の頭に直接語りかけてきた。

すると広場奥にある大樹の幹が自ら開かれた。幹の空洞には、水晶で出来た玉座に悠然と腰かける一人のエルフの姿。

 アステル達は顔を見合わせると、大樹の玉座の間に声が届く場所まで近付き、膝まずき頭を垂れた。

 地に着くほどの長く美しい深緑の髪に水晶で出来た冠をかぶり、薔薇の花のような真っ赤なドレスを纏い、百合の花の錫杖を手にしている。

 その姿は気高く美しく威厳に満ち溢れていたが、大地の様々な緑を宿した瞳は今は冷たく、アステル達を忌まわしげに見下ろしていた。

 

 「我が結界を誰が解いたかと思えば、まさか〈天の愛し子〉とは……」

 「え……?」

 

 アステルは訝しげに女王を見上げる。

 

 「人に味方せし〈天の愛し子〉よ。その力を以て、我らエルフ族を滅ぼしに参ったか?」

 「ちょ……待ってください! その〈天の愛し子〉? ってなんですか? それに私達はただ、ノアニールの村の呪いを解いて頂たきたくてお願いに参っただけです!」

 

 女王はその美しい眉を顰めた。

 

 「ノアニールの村の……そう。そんなこともありましたね」

 「女王様……?」

 「わたくしの分身。わたくしの娘。可愛い娘。そして哀れな娘……アン。人間の男を愛してしまったゆえにあの子は愚かな罪を犯してしまった」

 

 「罪?」アステルは首を傾げる。

 

 「アンは男と添い遂げる許しを乞おうと、二人でわたくしの前に申し出ました。しかし、人とエルフは相容れぬ存在。わたくしは反対し男を捕らえました。男のアンに関する記憶を消し去り、村に帰すつもりでしたが、アンは男を逃がし共にこの地を去ったのです。

 あろうことかエルフの宝〈夢見るルビー〉を持ち去って……!」

 

 女王の錫杖を持つ手に力が篭る。

 

 「……アンは騙されたのです! 所詮欲深い人間のする事! エルフの宝を手に入れる為に男はアンに近付いたのでしょう!おそらくルビーは奪われ、この里にも帰れず今も辛い思いをしてるに違いありません!」

 

 女王は(かぶり)を振る。流れた涙は水晶となり、辺りに散らばった。

 

 「お待ち下さい! 女王様!!」

 

 商人の男が進み出て女王のすぐ足元に土下座した。

 

 「わたしの息子は商人には向かない、人が良いしか取り得のない男だったんです! わたしの息子はお姫さまを本当に愛していたんです! 騙して宝を奪うなど絶対にあり得ません!!」

 「お黙りなさい!! 再び迷宮の森に放り込まれたいのですか!!!」

 

 女王の凄絶な剣幕に商人は言葉をなくす。

 

 「ああっ! 人間など見たくもありません! 立ち去りなさいっ!!!」

 「女王様!?」

 

 アステルは立ちあがり叫ぶ。しかし、女王は手にある錫杖を掲げた。

 

 アステル達は頭上に突如現れた光の渦に飲み込まれた。

 

  

* * * * * * * *

 

  

 旅の扉に潜った時と感覚が似ている。

 

 先程のは転移魔法かなにかだったのだろう。

 

 アステルは思いだす。

 

 娘愛しさゆえに、頑なになってしまった女王の流した涙を。息子を信じる商人の叫びを。

 

 どうしたらいい? どうすれば……。

 

 ふいに誰かが体をひっぱり、アステルは顔を上げた。

 

 

 ───………ドササササッ!!!

 

 「いったたた……」

 

 アステルが体を起こすと皆が地面に這いつくばっていた。こういう時、いつも軽やかに着地するタイガやマァム、スレイまでも。

 

 「ふにゃううう~~」

 「ったああぁ!」

 「ここは……」

 「森の中か。里を追い出されたみたいだな」

 

 皆体を起こし、付いた泥や草を払う。

 

 「シェリル。旅の扉みたいな感覚だったけど、体は大丈夫?」

 「んん。なんでかわからんけど、平気みたいやわ」

 

 心配顔のアステルにシェリルは笑った。

 

 「すみません……」

 

 商人はへたりこんだまま、項垂れていた。

 

 「わたしが動揺して、女王様に口答えしてしまったばかりに……」

 「気にしないでください。きっと誰が発言してもこうなっていたと思うもの」

 

 アステルは商人を立ち上がらせる。

 

 「せやなぁ。聞く耳もたん感じやったもんなぁ」

 「プンプンプ~ンのぉ……しくしくだったねぇ」

 「女王の前に娘さんを連れて来ない限り、話を聞いてくれないんじゃないのか?」

 

 タイガがマァムの巻き毛に絡まった草を取りながら言った。

 

 「でも、二人を探そうにも、どこにいるのか全く手懸りないし……」

 

 アステルに商人は肩を落とし頷いた。

 

 「……おい。洞窟があるぞ」

 

 周囲を探索していたスレイが皆に声をかけた。

 木の根に入り口を隠されていた洞窟は、自然に出来たものらしく、深そうだった。

 

 「地図で見る限りでは、ここはまだ西の森の中みたいだな」

 

 スレイが開いた〈妖精の地図〉の羽根ペンは西の森を指し示している。

 

 「もしかしてお二人さん、この中に住んではったりして……」

 

 洞窟を覗きこみながら言うシェリル。

 

 「まさか!」と、アステル。

 

 「でもなにか手懸りがあるかもしれんぞ」と、タイガ。

 

 「逃げるにしても、一時的にここに身を潜めた可能性はあるかもな……」

 

 スレイは地図を鞄に仕舞いアステルを見た。

 

 「入るか?」

 「うん……あっ!」

 

 アステルは商人に見向く。商人は眉尻を下げ申し訳なさげに笑う。

 

 「わたしも……と言いたい所ですが、わたしがご一緒してもおそらく足を引っ張るだけでしょう。ここでお待ちしてます。……ああ、そうだ! これを持って行ってください」

 

 商人は持っていた杖をマァムに差し出した。受け取ったマァムは杖を持ち上げたり、填まっている赤い宝玉を覗きこむ。

 

 「う?」

 「〈魔道士の杖〉といいます。振り翳せば火球呪文メラのように火の玉が出せる代物ですよ」

 「よぉ~~いしょっ!」

 

 マァムはスレイとタイガに向かって杖を振りかざした。巨大な火の玉が二人を襲う。

 

 「「うあっ!!!」」

 

 二人はすれすれの所でそれを避けた。

 

 「スレイ! タイガ!!」

 

 アステルが真っ青になって叫んだ。

 

 「おお~~~ぅ!!」

 

 マァムは目をキラキラさせて火の玉を撃ちまくる。二人に向かって。

 

 「なあ、あれメラ以上の威力ちゃう?」

 「アレ……おかしいな」

 

 シェリルの指摘に商人は首を傾げる。

 

 「「どうでもいいから早くマァムから杖を取り上げろ!!」」

 

 スレイとタイガが叫んだ。

 

 魔道士の杖はやはり護身用に商人が持っておくべきだと、丁重に断った。

 

 






アンとその恋人のお話は昔《知られざる伝説》を持ってて読んだのに内容覚えてない(泣)今になって凄く読みたい本の一つです。
オリジナル展開が続きますが、よろしくお願いいたします。


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紅玉の記憶

 

 

 洞窟の入り口で待機する商人に、シェリルは念の為聖水をありったけ渡しておく。彼に見送られ、アステル達は滑りやすい足元に気を付けながら、洞窟に入った。

 ひんやりとした空気が全身を包み込む、そこは鍾乳洞だった。天井から垂れ下がるつらら状の鍾乳石は、絶え間無く冷たい雫を滴らせる。発達した石筍(せきじゅん)達や、地下水によって少しずつ削られた岩肌は様々な動物や人物の彫刻にも見え、鮮やかな苔の緑と混じりあった乳華はそれらを彩るように輝く。

 ここは幾星霜の時をかけ大自然が作り上げた、今もなお成長し続ける美術館。

 しかし。そんな神秘的な世界にも、魔王の影は確実に伸びていた。

 

 野犬のゾンビ〈バリィドドッグ〉の群れが涎と腐った臓物を垂れ下げながら、一行に襲いかかる。

 

 「きしょっ!!!」

 

 顔を歪めたシェリルは、槍でそれらを凪ぎ払った。更にアステルもブーメランを投げ放ち追撃する。

 石筍の影から新たに紫色のキノコがひょこひょこ現れた。見覚えのあるそのフォルムに、シェリルとアステルは油断してしまった。この紫色のお化けキノコ達も、よちよち歩いて襲いかかってくるのだろうと。

 

 「「いっ!?」」

 

 だが、紫色の茸魔物〈マタンゴ〉達は彼女達の予想を裏切り、とんでもない跳躍力を見せて、あっという間に距離を縮めた。たじろぐ二人を取り囲み、その顔目掛けて一斉に桃色がかった息を、大きく長く吐き出す。

 

 「え!」

 「うっ!」

 

 息を止める間も無く、甘い香りをまともに吸ってしまった二人は武器を落とし、その場に倒れる。

 

 「アステル! シェリル!」

 

 眠る二人に長い舌を伸ばそうとしたマタンゴ達に向けて、スレイは刃のブーメランを投げた。蒼白く輝く刃は彼等の笠を綺麗に刈り取る。それが致命傷だったのか。マタンゴ達は、ぼしゅ! ぼしゅ! と、胞子を撒き散らすように消滅していく。

 ほっとしたのも束の間。今度は闇に紛れて現れた吸血鬼〈バンパイア〉二匹が、それぞれアステルとシェリルを持ち上げ連れ拐おうとした。

 駆け寄ろうとするスレイとタイガに吸血鬼達はしつこく氷刃呪文ヒャドを放ち、行く手を阻む。スレイは舌打ちし、タイガも氷の刃を受ける覚悟で一歩踏み込んだ。が、

 

 「むうっ!? ザぁメっハ~~!!」

 

 洞窟内にマァムの〈力ある言葉〉が響いた。その声は振動を持って空間に響き渡る。

 途端、アステルとシェリルはぱちりと目を覚ました。 

 

 「きゃあっ!!」

 「変なとこさわんな! 離さんかい!!」

 

 アステルとシェリルは、寝ていると油断していた吸血鬼の横っ面を拳で殴り飛ばす。二人が放された所でスレイがドラゴンテイルを吸血鬼達に振るい止めを刺した。

 

 

 「───二人とも」

 

 武器を収めたスレイは腕を組み、険しい目つきで項垂れる二人を見下ろした。

 

 「ごめんなさい……」

 「油断した。すんません」

 

 「まあまあ」と、タイガ。

 

 「今度からは()()()()気を付けような。……それとマァムはまた新しい呪文を覚えたな」

 

 その言葉にアステルとシェリルも顔を上げ、マァムに微笑む。

 

 「さっきのは覚醒呪文ザメハね。ありがとうマァム」

 「助かったわ。おおきになマァム」

 「えっへっへ~~!」

 

 胸を張るマァムの肩に、タイガは笑顔のまま、ぽんっと手を置く。

 

 「……でだ。マァム。これからは俺が眠った時も、その呪文を使ってもらいたいんだがな? ……っていうか。いつその呪文覚えたんだ?」

 

 そう訴える彼の顔体には鞭で打たれた痕が。

 

 「む? ……ホぉイミぃ~~」

 「違うぞ? 治せばいいって問題じゃないぞ?」

 

 マァムの治癒呪文を受けながら、タイガは恨めしげに突っ込んだ。

 実は。タイガの突然の昏倒が、今回の戦闘開始の合図となってしまったのだ。恐らくは距離をおき、姿を隠したマタンゴ達が吐いた〈甘い息〉によって眠らされたのだろう。

 

 「タイガも何気に魔物の特殊攻撃喰らいやすいやんな」

 

 シェリルの呟きにアステルは頷き、スレイは米神を押さえていた。

 

 

 「───旅の方ですかな?」

 

 突然聞こえた人の声に全員竦み上がる。特にスレイとタイガの動揺は激しかった。収めた武器を、解いた型をとっさに構える程に。

 

 いつからそこにいたのか。

 

 大きな鍾乳石の影から、柔和な笑みを浮かべた黒の修道服姿の男が現れた。

 背は高く細身で、修道服と同色の円柱型の帽子(カミラフカ)を被っている。首には白の(ストラ)、手には白の手袋をはめ、端正なその顔立ちの肌色もまた白い。

 

 「あの……貴方は?」

 

 おずおずと尋ねるアステルに神父はにっこりとし、

 

 「ご覧の通り神父です……と言いたい所ですがまだまだ見習いの身でして。修行の旅の途中なのですが、あまりに楽しそうでしたのでつい声をかけてしまいました。驚かせて申し訳ありません」

 

 彼に近寄ろうとするアステルの手をスレイは引いて、後ろに下がらせる。

 

 「スレイ?」

 「……このエルフが支配する森の中をたった一人でか?」

 「はい。むしろエルフの聖域なので安心していたのですが……何故かここは魔物達の棲み家に成り果てたようですね。でもまあ……」

 

 そう語った直後。神父の背後から五匹のバリィドドッグが現れ、一斉に神父に襲いかかる。

 

 「危な……っ!!」

 「───バギマ」

 

 アステルは剣を抜き放つ前に、神父が涼やかに〈力ある言葉〉を発する。

 彼を中心に風が巻き上がり、放たれた不可視の刃がバリィドドッグを容赦なく切り裂いた。

 真空呪文バギ。僧侶や神官が得意とする風と空気を操る呪文。神父が唱えたのは中等位のバギマだったのだが、その威力の鋭さ的確さに一行は息を呑む。塵と化した魔物達に向けて十字を切り、胸に手を当て冥福の祈りを捧げ、神父はゆっくりと顔上げた。

 

 「……この通り一人でも大丈夫なんで」

 「………凄い」

 

 アステルは剣の柄を握ったまま呟く。

 

 「私を守ろうとしてくださってありがとうございます。お嬢さん」

 

 綺麗な笑みを向けられアステルは思わず頬を染めた。

 

 「ここには体力や気力を回復してくれる聖なる泉がありますよ。私はそこで身を清めた帰りだったんです」

 

 「へえ! それが本当ならそりゃ助かるなあ」とタイガ。

 

 「しかし……どうしてこんな所にそんな泉が湧いたのか……いや、エルフの聖域だからこそか。この聖域自身があるべき姿へ戻ろうとしているのやもしれませんね」

 

 「───アステル」

 

 アステルをふいに呼んだのは、シェリルの手を掴むマァムだった。

 

 「マァム?」

 「行こう」

 

 あの底抜けに明るいはずのマァムが見せる暗い瞳に、アステルはびくりとする。

 

 「どうしたの? マァム……」

 「早く! 皆も!!」

 「えっ!? ちょっ……!!」

 「おーい? どうしたんやぁマァム?」

 

 マァムはアステルとシェリルを引っ張っり、洞窟の奥へと走り出す。タイガは「じゃあ」と神父に軽く頭を下げると、彼女達の元へ走り出す。

 

 「マァム! 一人で突っ走っちゃ駄目だぞ」

 

 重い空気を払拭するように、殊更明るい声を出した。

 

 

 「……どうやら私は、彼女に嫌われてしまったようですね」

 

 神父は眉尻を下げスレイに微笑んだ。

 

 「そして貴方にも」

 「嫌うまでもない。あんたとの縁はこれ一回切りだろうからな」

 「それは淋しい事です」

 

 胸に手を当て目を伏せる。演技がかったその仕草に、スレイの眉間の皺はより一層深くなる。スレイもアステル達の後を追おうと歩きだす。

 

 「私にはこの奥から悲しげな呼び声が聞こえてきます。……引き込まれませんようどうかお気をつけて」

 

 スレイは視線だけ後ろに向ける。

 

 神父はまだこちらを見て微笑んでいた。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「マァム! マァム! どうしたの!!」

 「聞こえとるんか! マァム!!」

 

 二人の声が届いたのかマァムは肩をビクリっとさせ、二人に振り返った。

 

 「……ふえん?」

 

 紅髄玉(カーネリアン)の瞳が生き生きと輝いた、いつものマァムだった。

 

 「アステルぅ、シェリルぅ。どぉ~~したのぅ?」

 「どうしたの……って、こっちが聞きたいわ!!」

 「マァムがあんな態度とるなんて……そんなに嫌な人だったの?」

 「誰の事ぉ、言ってるのぉ~~?」

 マァムは瞳をぱちくりとし首を傾げる。

 「誰って……」

 「誰かいたのぅ~~?」

 

 長年の付き合いでわかる。惚けてる風ではないマァムに、アステルとシェリルは絶句した。

 

 「まあ、いいんじゃないか? マァムが知らないって言ってるんだ」

 

 三人の後ろからやって来たタイガが言う。続けてスレイも四人に追い付いた。

 

 「出来ればもう会いたくもないからな」

 

 スレイははっとしてタイガを見た。彼もスレイに苦笑を浮かべ、肩を竦めた。

 

 「どういう事や?」

 

 シェリルは納得出来ず、腰に手を当てタイガに詰め寄る。

 

 「つまり……深く考えるなって事だ!」

 

 タイガは彼女と、ついでにマァムの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 

 「ひゃううう~~!!」

 「ちょおっ! やめっ! 髪が乱れたやん!!」

 

 アステルはちらっとスレイを見た。スレイは溜め息を一つ吐くと、タイガのように彼女の頭をわしわしと撫でた。

 

 「ちっ、違うから! 羨ましかったんじゃないんだから!」

 「はいはい」

 

 

 アステル達は気を改めて、洞窟の探索に努める。途中、神父が言っていた回復の泉も見つけた。

 しかし、それは泉といっていいものか。

 十字をかたどるように建つ、四本の水晶で出来た柱。その真ん中にどういう原理か、大きな水球が浮かんでいる。その水球に触れると手が中に入ってしまい、濡れた。途端に体の渇きが一気に潤い、負っていた傷も疲れも癒され理力が回復した。

 邪魔をする魔物達を倒しながら、更に奥へ更に地下へと進む。こんなに危険な場所に二人は本当に入ったのだろうかという疑問が頭をもたげたが、なにしろ十年前の出来事だ。

 その当時はここまで酷くなかったのかもしれない。アステル達はそう思い、歩みを止めなかった。

 そうして最下層の地底湖にたどり着いのだ。

 

 

 陽の光が届かない場所だというのに、湖は青く輝いている。まるで湖の水自体が発光しているかのようだ。辺りは霧に覆われ気温は格段に低い。エルフの造り出す空間で毎回こんなにも凍えるのは、やはり彼女らが人間を許していない証拠なのかもしれない。 

 湖の中央には小島がぽっかりと浮かんでおり、そこに渡る為の石造りの橋が架かっていた。アステル達は用心深く渡る。

 小島には上の階の回復の泉のように八本の水晶の柱が円を描くように建っており、そこはまるで祭壇の上か結界の中のように思えた。その中心部には、金色に輝く小さな宝石箱が置いてあった。アステルが宝石箱を拾い上げると、カチンという音と共に蓋が勝手に開いた。

 

 その中には、書置きが二通入っていた。

 

 「読めない……」

 

 眉を八の字にしたアステル。スレイは彼女から書置きを受け取ると、

 

 「エルフ文字だな。……これくらいの短い文ならなんとか……」

 「わかるの?」

 「遺跡で時々見かけるからな」

 

 アステルは顔をぱっと輝かせたが、手紙に目を通すスレイの表情はどんどん険しくなり、最後は瞼を伏せ大きな溜め息を吐いた。

 

 「スレイ……?」

 

 心配げに彼を見上げるアステル。そんな彼女を見下ろし、その後ろに立つ首を傾げるマァムと、既に不穏な空気を感じ取ったのだろう思案顔のシェリルとタイガに向き直り、スレイは手紙を読み上げた。

 

 「『───お母様 先立つ不孝をお許しください。わたしたちはエルフと人間。この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります。───アン』……だ、そうだ」

 

 もう一通は差出人が男の名前で、おそらくは今洞窟の外で待つ商人に宛てた息子の遺書だろう。

 

 

* * * * * * * *

 

 

 生きてて欲しかった。

 

 苦渋の選択だったんだろう。どうしようもなかったのかもしれない。それでも。それでも生きて、エルフと人間は共存出来るのだと二人に証明して欲しかった

 幸せではないのかもしれない。それでも、生きているだろうと信じて疑わない二人の親の気持ちを考えると、アステルの胸は締めつけられた。涙で濡れた頬を拭い、手紙を優しくたたみ宝石箱にしまう。

 

 「これを女王様と商人さんに渡さなきゃね」

 

 「きっついな……」とシェリル。

 

 「………でも、終らせなきゃ」

 

 アステル達が踵を返し、祭壇の外に一歩踏み出した次の瞬間。地面を走る黒い影が、アステルの持つ宝石箱目掛け、手を伸ばしてきた。

 

 「なっ!!」

 

 アステルは宝石箱を抱き締め守ったが、黒い手はかわりに彼女の左腕を掻き抉る。

 

 「あぅ……っ!」

 「アステル!!」

 

 「────終らせぬ……」

 

 地面からひょろりと黒い影が立ち上がる。

 

 「エルフの女王ほどの嘆き怒り憎しみは魔王様の最高の贄となる。邪魔はさせぬぞ……その手紙と共に湖の底に沈むがいい!!」

 

 まるで羽根の生えた悪魔の影のような魔物〈妖しい影〉は、口を開き氷の(つぶて)を含んだ冷たく凍える息を吐き出す。アステル達は慌てて身を伏せ、または転がって避けた。

 

 「…っ……こいつっ!!」

 

 シェリルは槍を、タイガは爪を構え妖しい影に攻撃を仕掛ける。影は薄っぺらく細くなって、のらりくらりとシェリルの突きをかわす。かと思えば、突然巨大化して怪力のタイガの攻撃を真っ正面から受け弾くほど強硬にも変じた。

 タイガは目を細め、シェリルは苦々しく舌打ちする。

 

 「……シェリル! 油断するな!」

 「わぁっとるっ!!」

 「アステル! 大丈夫か!?」

 「大丈夫……鎖帷子(くさりかたびら)着てたから……」

 

 切り裂かれた袖口から、流れる血と鎖帷子が見える。吹雪からアステルを身を挺して守ったスレイは彼女を起こすと、マァムが駆け寄った。

 

 「ベ~ぇホぉイミぃ~~!!」

 

 いつの間に覚えたのか。

 マァムは初等治癒呪文ホイミより上の、中等治癒呪文ベホイミでアステルの傷を跡も残さず完治させた。

 

 「……ありがとう、マァム。これをお願い」

 「んっ!!」

 

 マァムは宝石箱を受取り、力強く頷く。アステルは立ち上がると鋼の剣を鞘から引き抜き、敵に向かって走り出す。スレイも左手にドラゴンテイル、右手に刃のブーメランを構えた。

 

 「はああああ!!」

 

 アステルが斬りかかる。それを避けた妖しい影に、スレイの投げた刃のブーメランが迫る。ブーメランを払うその隙をついてタイガが影の懐に、シェリルが影の背後に回っていた。三人が攻撃を繰り出そうとした、その時。

 妖しい影の腕のみが巨大化し、轟音をたてて大きく円を描くように振るわれる。タイガ、シェリル、アステルを打っ飛ばし、距離のあるスレイには氷の息を吹きかける。スレイはそれを横に飛んで避け、落ちていたブーメランを拾うと直ぐ様投げつける。   

 そして間を置かず、素早く距離を詰めアサシンダガーを影の胸辺りに突き立てる。

 だが手応えがない。

 スレイは舌打ちし、影は嗤った。スレイはダガーを影から引き抜くと、その場にしゃがみこむ。

 背後から跳躍したアステルが上段切り、影の左脇にタイガが蹴りを繰り出し、右脇からシェリルが槍を突き下ろす。しかしあまりの固さに攻撃が通じない。再び影は腕を巨大化させスイングする。

 アステル達は叩き落とされ、殴り飛ばされ、凪ぎ払われる。ならばと、アステルは火球呪文メラを放つ。顔部分に命中すると影は少したじろいだ。効いたと思ったのも一瞬間。影は再び吹雪を吹き散らす。

 

 「ホぉイミい~~ホイミぃ~~ベぇホイミぃ~~ベっホぉイミ~~!! ……ぜぇぜぇ……!」

 

 仲間四人に対し、一人で治癒呪文を唱え続けるマァムは次第に息を切らし始める。

 

 「───小賢しいわっ!」

 「ひゃんっ!!?」

 

 遠く離れたマァムにまで伸びた黒い影の魔手は、彼女の体を乱暴にわし掴み、湖に叩き落とした。

 

 「マァム! ……きゃあっ!!!」

 

 湖に落ちたマァムに駆け寄ろうとして隙ができたアステルを、妖しい影は見逃さなかった。

 

 

* * * * * * *

 

 

 湖の底にマァムは為す術もなく沈んでいく。

 水面に叩き付けられた衝撃は、体がバラバラになってしまうかと錯覚してしまう程。更に水は刺さるように冷たく、直ぐ様凍えてしまった。息が続かない。それでもマァムは宝石箱をぎゅうっと抱き締めた。

 

 (守らなきゃ。あたしが守るの。アステルがあたしに頼んだの。守らなきゃ!)

 

 そんな彼女の意思に反し、肺の中の空気は底尽き、意識は霞始めた。

 

 ────紅い光を感じた。

 

 マァムは閉じた瞼をなんとか上げる。

 水底で宝石箱に呼応するように紅く輝く、それは四枚羽の小さな妖精が閉じ込められた六角柱の紅玉(ルビー)

 体がそれに引き寄せられ、感覚のない筈の手が紅玉へと伸びる。宝石は周りの青に抗うように紅く、更に大きく、暖かく輝きだした。

 紅玉の中の妖精とマァムの視線が交わる。

 あの日の妖精の記憶がマァムの脳裏で甦る。

 

 

 アンは宝石箱から自分を取り出し、宝石箱だけを持って宝物庫から出ていった。

 その後、誰かが自分を持ち出したのだ。

 目を覆うように持ち出されたので、何者かはわからない。次に視界が広がり、見えた光景はこの地底湖と遠巻きに見えた祭壇に立つアンと人間の青年の姿。

 二人は宝石箱に遺書を入れると、抱き合い、重なったまま湖に身を投げた。

 

 二人は上がってくる事はなかった。

 

 自分を持つその手は二人の結末を見届けると、アン達が眠るこの湖に自分を投げ捨てたのだ。

 

 ───その刹那に見えた楽しげに嗤う口元を、妖精は。マァムは。見た。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「うアアアア………っ!」

 

 妖しい影がアステルの体を両手で掴み、握り潰そうとする。アステルは(かぶり)を振り、自分の骨が軋む音をただただ聞くしか出来なかった。

 

 「「「アステル!!」」」

 

 スレイがドラゴンテイルを振るい、シェリルが槍を突き出し、タイガが拳を繰り出す。しかし妖しい影はびくともせず、羽虫を払うが如く彼等を片手で凪ぎ払った。

 

 「そう慌てるな。一人ずつ確実に仕留めて湖に沈める。……先程の娘のようにな」

 

 その言葉にカッとなったシェリルは吼え、槍を構えて突進する。

 

 「シェリルっ! ……待てっ! スレイ!」

 

 タイガが叫ぶすぐ隣で、スレイもアサシンダガーと刃のブーメランを手に既に走り出していた。体当たりにも近い二人の同時攻撃を妖しい影は、地面に伸びる《ただの影》へと変化する事で回避した。

 

 「んなっ!……がっ!」

 

 即座に地面から起き上がった妖しい影は、勢いのあまり体勢を崩したシェリルの鳩尾に拳を突き入れ、そのまま壁まで吹っ飛ばす。

 一方スレイは、投げ出されたアステルに、反射的に手を伸ばしてしまう。妖しい影はそれを見逃さず、鋭く伸びた鉤爪で彼の背中を深く切り裂いた。くずおれるスレイに再度、振り上げられた爪をタイガの飛び蹴りが弾いた。着地と共に飛び後ろ回し蹴りを繰り出す。

 しかし。

 その足は容易く捕らえられる。影は足を掴んだまま彼の体躯を持ち上げ、ぶんっ!と、振り下ろし地面に叩き付けた。タイガの口から鮮血が溢れ出る。

 動く者がいなくなった状景に、妖しい影は満足気に目を細めると、再びアステルを拾い上げ締め上げる手に力を込めた。

 

 

 「アステルをおぉ放せえええぇ!!」

 

 煩わしそうに妖しい影はそちらに視線をやる。タイガ、スレイ、シェリルも頭を上げると、そこには眦を吊り上げた、ずぶ濡れのマァムが立っていた。

 

 「マァム……っ!」

 

 友の生還に思わず涙ぐむシェリル。マァムは白い息を吐き、がちがちと震えながらも、左手で宝石箱を抱き、右手で赤い宝石を掲げた。

 

 「その宝石は〈夢見るルビー〉!?」

 

 妖しい影が驚愕の声を上げ、名を呼ばれた宝石の中の妖精は瞳を開き、紅い光を発した。光は青の空間を紅く染め上げ、妖しい影に向かって濃縮される。

 光が止み、気がつけばアステルは放されて地面に伏し、妖しい影は紅く輝く鎖に縛られていた。

 

 「………っ、みんなぁああぁ!! 今だよううぅぅ!!!」

 

 膝を着き、声を限りに叫ぶマァムに、全員の士気が一気に高まる。腕や足膝を叱咤し、歯を食い縛り、手にある武器を杖に、立ち上がった。

 

 「………うおりゃあああああっ!!」

 

 ルビーの力で弱体化した妖しい影に、タイガは腰を落とし、掛け声と共に殴打を何度も繰り出し、最後は渾身の力を持って蹴り上げた。

 続け様に飛び出したスレイが、仰け反る影の額にアサシンダガーを突き立てる。着地と共にドラゴンテイルを腰から素早く抜き放つと、影と地面の接地部分を鋭く打ち払った。

 光の鎖の効果か。影は地面から切り離されて転倒する。

 己は物体のない影。地面とは切って離れられぬ筈の闇。───だのに殴られ、刺され、転がされるという、有り得ない事態に混乱する妖しい影に更なる追撃ちが迫る。

 

 「ハアアアアアっ!!」

 

 助走をつけて、めいいっぱい跳躍したシェリルが槍を横たわる影の胴目掛けて突き下ろす。重力と体重と力、全てをかけて深く深く槍を突き刺し、地面に縫い付けるとその場から離れた。

 

 「ぐくっ! くぅっ!?」

 

 完全に動きを封じ込まれ悶える妖しい影。

 自分の姿を掻き消すような光にはっとし、視線をそちらに向けた。

 体を極限まで締め上げられ、息も絶え絶えだった筈の人間の娘が、眩い白光をその身に纏って立ち上がる。苦悶の表情を浮かべながらも、こちらを見据えるその瞳は熾烈な青に燃えていた。

 ゆっくりとその手を掲げ己に定める。

 (おのの)く妖しい影に向かってアステルは〈力ある言葉〉を叫んだ。

 

 「───ベギラマぁぁあっ!!」

 

 全身の光が掌に集約され、放たれた眩い閃光は、影に触れると大きな炎と化す。

 その中で影はのたうち回りながら、やがて萎み、炎と共に消えた。

 

 

 ………鈍く輝く原石のみ残して。

 

 

 






今回作中の《あやしいかげ》は自分がゲームプレイ中に出くわし、思いがけず全滅した印象深いモンスターです。
SFC版プレイ当時、あやしいかげが色んなモンスターのパラメーターを持ってるとは知らず、なんかアッと言うまに全滅させられてポカーンとしました。

《夢見るルビー》が凄い事出来るアイテムになってます。このアイテムって使用するとマヒるんですよね。
そうとも知らず洞窟で二人に使用して、マヒを治す《まんげつそう》を持ってなかったから、歩き回ってたらモンスターに遭遇するというおバカをやらかしたのはいい思い出です(笑)
今作では()()()()()()出来た芸当……という事で、突っ込みは無しでお願いします。
実は前回の《まどうしのつえ》がフラグだったりします(効果以上の力を引き出す)。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます!


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泣き顔

 

 

 アステル達は暫く動けなかった。

 

 おそらくは結界であろう、水晶の柱の中心部に火を起こし、疲労困憊のアステルとずぶ濡れになったマァムを当たらせ、各々薬草で傷の手当てをする。 

 本来アステルは中等閃光呪文ベギラマはまだ扱えないのだ。おそらくは〈火事場の馬鹿力〉というものだろう。お陰で理力だけでなく体力も根こそぎ奪われ起き上がる事はおろか、指一本動かす事も出来ない。

 

 「回復の泉を利用すれば少しはましになるだろうが……」

 

 スレイが寝込むアステルの体を支え起こし、暖めた薬湯の入ったカップを彼女の口元に運んだ。

 

 「アステルもマァムも堪忍な……うちらもさすがに動かれへんわ」

 「ごめぇん……あたしぃがぁ……理力ぅ使い果たしちゃったからぁ~~……」

 

 しょんぼり項垂れるマァムの肩をシェリルが抱いた。

 

 「なに言ってんねん。今回大活躍やったんは間違いなくマァムや」

 「……そだよ。マァム。ありがと……」

 

 再び横たえられたアステルは白い顔でマァムに笑った。うりゅ~っと涙を堪えるマァムの鼻をタイガが摘まんで笑う。

 

 「ここの結界のお陰で魔物は襲って来ないんだ。暫く体を休めような」

 「ふんにゅ」

 

 マァムはこっくりと頷いた。

 

 「ところで……マァム。そのルビーはどこで手に入れたんだ?」

 

 スレイは今もマァムが大事に抱えている宝石箱とルビーを見た。

 

 「ん~~とねぇ。水の中に落ちてた」 

 「あの影の化けもん、〈夢見るルビー〉ゆうっとったな。それってエルフのお宝ゆうてたやつやろ?……しっかし、なんでこんなもん二人は持ち出したんや?」

 

 シェリルは腕を組んでうーんと唸る。

 

 「……死を、選んだ二人には無用の長物だな」

 

 少し躊躇いつつもスレイは言葉にする。

 

 「これのせいでノアニールが呪いを受けたようなものだからなぁ」

 

 タイガも顎に手をやり首を捻る。

 アステルは喋るのも辛いので、耳だけ参加している。

 

 「違ぁ~~うの。アンはこの箱しか持ってかなかったんだってぇ~~~」

 

 「「「はっ?」」」

 

 スレイ、シェリル、タイガがマァムを見た。マァムは手にあるルビーを眺めながら続けて話す。

 

 「けどぉ、誰かがぁルビーを持ってってぇ、ここにぃ捨てたんだってぇ、ルビーのぉ妖精がぁ教えてくれたのぉ」 

 「どういう事や……?」

 

 シェリルが首を傾げるのに合わせて、マァムも首を傾げた。

 

 「そういえば、あの影が言ってたな……エルフの女王の嘆き怒り憎しみは魔王の最高の贄になる……と」

 「つまりだ。女王の娘の心中を魔物……いや、魔王が利用したってことか?」

 

 タイガの言葉にスレイは首肯く。

 

 「娘が何故、宝石箱を遺言を入れるのに利用したのかはわからないが、おそらくそちらの方に娘の真意が隠されているんだろうな」

 

 アステルは皆の会話を聞きながら眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 『────私はアン。

 エルフの女王の娘であり、分身。

 私は女王がその昔捨てた人間への慕情。

 故に私は捨てられなかった。

 この人を愛する想いを。

 それぐらいなら死を選ぶ。

 

 そして選んだ。

 

 

 ───だけど、その選択は誤りでした』

 

 

 アンは自らの下腹部に手を当て瞳を閉じた。頬を水晶の涙が滑り落ちる。

 

 

 『────ママとパパを許して………』

 

 

 新緑の髪の娘と人間の青年。

 

 そしてその腕の中に眠る娘と同じ色の髪の小さな小さな赤ん坊。

 

 赤ん坊を優しく優しく抱きしめ娘は笑う。青年も笑う。

 

 とても幸せそうに 笑う。

 

 

 それはもう叶う事のない

 

 

 ささやかな……本当にささやかな夢。

 

 

 

 

 

 「───……ステル、……アステル?」

 

 滲んだ視界に心配げに自分を見下ろす皆の顔が映る。

 

 「……わかるか? アステル。ここは回復の泉だ。さっきその水をお前に飲ませた……大丈夫か?」

 

 体に障らないように気を遣っているのか、スレイは静かに話し掛ける。

 

 大丈夫。体は軽い。もう辛くない。

 

 でも、胸が痛い。痛くて苦しくて。

 

 「うん。もう……大丈お……っ、…」

 

 涙が止まらなかった。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「皆さんご無事でしたか!」

 

 洞窟を出ると商人が笑顔で出迎えてくれた。しかし、それが今は辛い。

 

 「それでなにか、なにか手懸りは見つかりましたか!?」

 

 その言葉にアステルは悲痛な面持ちで、マァムが持つ宝石箱を見る。気付いたマァムはエルフ文字でない方の手紙を取り出し、商人に「はい! どうぞ」と手渡した。

 商人は手紙を受け取りながら、戸惑った様子でアステル達を見回す。 

 意を決して封を開き中の手紙に目を通し終えると、商人は地面に膝を着き手紙を抱き締め、

 

 

 肩を震わせた。

 

 

 

 

 「────エルフの女王! エルフの宝〈夢見るルビー〉を届けに参りました!」

 

 アステルは宝石箱を持ち、マァムが〈夢見るルビー〉を両手で頭上高く掲げた。ルビーは同胞に帰りを知らせるかのように紅い光を発する。

 すると、森の中に鈴の音が鳴り響き、偽りの風景が粉砕し、隠里が姿を現した。 

 大樹の玉座の間は既に開かれており、女王がアステル達を待っていた。

 

 「その手にあるのはまさしく〈夢見るルビー〉そして〈箱〉まで……なぜ、あなたがそれを持っているのです! アンは……! アンはどうしたのです!!」 

 「宝石箱は地底湖の祭壇に。宝石は湖の底にありました。宝石箱にはアン様の貴女に宛てた書置きが入っていました」

 

 アステルは進み出て女王に二つを手渡した。女王は錫杖とルビーを側に控えるエルフに持たせ、宝石箱から手紙を取り出し目を通した。手紙を持つ手がわななく。

 

 「……嘘です。こんなの嘘……嘘にきまっています! 白状なさいっ!! アンをどこにやったのですかっ!!!」 

 

 「嘘かどうかは!」

 

 取り乱す女王にアステルが声を張り上げた。

 

 「そのルビーが教えてくれるはずです。私の仲間はルビーの妖精から、事の真相を聞いたのですから」

 

 女王が目配せすると、エルフは慌ててルビーを差し出す。女王はルビーの中の妖精と暫し見つめ合った後、肩を落とし項垂れた。

 

 「地底湖でその書置きが入った宝石箱を運び出そうとした時、魔物が阻止せんと襲いかかってきました。

 女王様の嘆き怒り憎しみは魔王の最高の贄となると……邪魔をするなと。

 ルビーを持ち出したのはアン様ではなく、おそらくバラモスの手の者です。貴女の人間に対する憎しみを煽るために」

 

 女王は顔を上げない。

 

 「お聞きしたい事があります。何故アン様はルビーの箱だけを持ち去ったのですか? ルビーと箱にどんな繋りがあるのですか?」 

 「ルビーと箱は……二つで一つ。どちらか片方があれば、例え離れ離れになろうと場所を知らせ、引き寄せあう……」

 

 女王の言葉にアステルは瞼を閉じ、細く長く息を吐き出した。

 

「何故……箱だけを持ち出しそこに書置きを入れたのか………わかりました」

 

 女王はばっとアステルを見上げた。

 

 「貴女に自分達の魂を見つけてほしかった……。共に命を絶つ事で、人間とエルフは真実繋がれる事を証明したかった。

 そして、貴女が捨てアン様が受け継いだ人への慕情を再び貴女に返したかった。

 ───でも」

 

 女王がアステルの瞳を覗きこむ。

 

 「でも。そうする事でアン様は貴女と同じ過ちを……それ以上の過ちを犯してしまった」

 「わたくしと同じ過ち? それ以上の過ち……?」

 「貴女が自分の思う通りにアン様を縛りつけようとしたように……アン様も知らなかったとはいえ、自分達の身勝手でお腹の赤ちゃんを道連れに命を絶ってしまった……」 

 「戯れ言を! アンに人間との子など……!!」

 「地底湖の回復の泉……あれはアン様の悔恨の涙。亡くした赤ん坊の魂をいたわる心が生み出した癒しの泉」

 「何故、そんな事がわかるのです!」

 「その泉の水を飲んだせいかもしれません。───アン様の泣き顔は今の貴女にとても似ています」

 

 アステルの言葉に女王は水晶の涙を溢した。

 

 

* * * * * *

 

 

 「────目覚めの粉です。これで眠りの檻から解放されます。村に着いたら開けるのですよ」

 

 「ありがとうごさいます」

 

 アステルは粉の入った袋を受け取り、女王の泣き晴らした目を見た。

 

 「貴女方にはお礼を言わねばなりませんね。……けれど。わたくしは人間を好きになるつもりはありません」

 「女王様…………」

 

 「さあ、行きなさい」

 

 女王は錫杖を翳す。

 

 アステルは転移するほんの一瞬、寂しげではあるが女王の頬笑みを見た気がした。

 

 

 

 アステル達は森の入り口に立っていた。商人はノアニールの村長に事情を説明すると、一足早くキメラの翼で村に戻った。

 おそらく一人になって気持ちの整理をつけたいのだろう。

 

 「いつか……わかってくれるかな」

 

 アステルは粉の入った袋を抱き締める。

 

 「時間はかかるだろうが、いつかはわかってくれるさ」

 

 タイガがアステルの背中を叩く。

 

 「人間にも色々いるみたいに、アン以外にも人間が好きなエルフはきっとおるやろうしな」

 

 シェリルはにかっとアステルに笑いかける。

 

 「この世には人間とエルフの混血はちゃんと存在してる。……そういう事だ」

 

 空を見上げてスレイは呟いた。

 

 「その口ぶりだと……」

 「スレイは会った事あるのか?」

 「あのエルフと混血やからな。男でも女でも相当な美形なんちゃうん!!?」

 

 アステル、タイガ、シェリルが興味津々でスレイに詰め寄る。

 

 「お前達みんな既に会ってるぞ?」

 「「「え?」」」

 「カンダタがそのハーフエルフだ」

 

 ────カ・ン・ダ・タ。

 

 「変態さぁ~~~ん?」とマァム。

 

 

 「「「え、……ええええええっ!!」」」

 

 草原にアステル達の声が響き渡った。

 

 

* * * * * * *

 

 

 所変わってここはシャンパーニの搭。その屋上で深緑の髪が風に靡く。

 

 「おっ……」

 

 青年がふいに顔を上げた。口の端がにやりと持ち上がる。

 

 「やるじゃねーか。あいつら……」

 

 ヒュンと風が彼の耳を擽った。

 

 「……もう逝けるよな?」

 

 緑の瞳に子供の影が映って消えた。

 

 「良い来世を……同胞」

 

 「お頭~~! 出発の準備出来やしたぜ」

 「おう! 今行く!!」

 

 カンダタは覆面マントを被り、子分の元へと搭の屋上を後にした。

 

 

* * * * * * * 

 

 

 そこは魔族により滅ぼされ廃墟となった村。

 

 魔王の息吹き近き森───テドン。

 

 一人の神父が祈りを捧げていた。

 その背後にフォークの形をした槍を持った小柄な悪魔〈ミニデーモン〉が舞い降りる。しかし悪魔は神父を襲うことなく、膝を着き頭を垂れた。

 

 「───デビルウィザード様。ノアニールが解放されたようです」

 「ええ。知ってますよ」

 

 神父は立ち上り小悪魔に振り返ると、柔和な笑みを浮かべる。

 

 「宜しいのですか?」

 「構いません。この世界にはまだまだ魔王様の贄となりうる存在がありますからね。……それに。面白いモノも発見できましたから」

 「面白いもの……ですか?」

 

 首を傾げる小悪魔に、神父は楽しげに首肯き、どこからともなく取り出した紅蓮のローブを修道服の上から羽織る。

 

 「ええ。沢山見つけましたよ。なかなか見つからなかったものまで。有意義な時間でした。たまには人となるのも……悪くない」

 

 切れ長の金色の瞳が陰鬱な光を放った。

 

 






物語で語られる《理力》とはMPの事です。《生命力》はHP。今回アステルは無茶をして、MPと足りない分はHPで補ってベギラマを唱えました。もちろんこれは危険行為です。効果は違いますが自爆呪文メガンテを使ったに近い行為ですね。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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新たな指針

 

 

 アステル達はエルフの女王から貰った〈目覚めの粉〉の袋を、村長と商人が見守る中、ノアニールの村の中心部で開いた。

 すると、金色に輝く粉は袋から飛び出すように空高く舞い上がり、村中に降り注いだ。やがて金色の粉は消え、暫くすると人々の(まなこ)がぱちりと開いた。

 

 「ん?」

 「あら?」

 「なんで?」

 「今、夕方じゃなかったか?」

 「太陽が昇ってる?」

 「うわあっ! 家がボロボロ!?」

 「屋根に穴がっ!?」

 「二階の床が腐って抜け落ちてお客様が落ちてきたあ!!」

 「きゃーっ! 買い物籠の食材が! 石みたいに腐ってるぅ!?」

 「なんじゃこりゃ! せっかく刈り終えた雑草が延び放題じゃーっ!!」

 「池が腐って毒沼にーーっ!!?」

 「店の品物がーーーっ!!!」

  

 

 「ほあ~。ぱにぃーくっ……」

 

 マァムの言葉にアステル達、村長、商人は苦笑うしかない。

 

 「まあ。修繕に必要な物資や食糧はカンダタが十二分に用意してくれたでな。なんとかなるじゃろう」

 

 村長が溜め息交りに言う。

 

 「カンダタさん凄いねぇ」

 

 両手を組み感動するアステル。

 

 「多分、ロマリア城で盗んだ金品で用意したんだろうな」

 

 スレイがぼそりと漏らす。

 

 「え、」

 「まあ、自国民の為に使われたんやから問題ないやろ」

 

  頭の後ろで手を組んでシェリルは言う。

 

 「……いいのかな?」

 「問題ないなぁ~~~い!!」

 「案外〈金の冠〉に気を取られて、他に盗まれた物には気づいてないかもしれんぞ?」

 

 マァムはもちろん、タイガも特に気にしない。

 

 「皆さん」

 「あ、はい?」

 

 アステル達は商人とその隣りに立つ村長を見た。

 

 「皆さんが戻られる前に村長と話し合ったのですが、今回の事は今暫く伏せておこうと思うのです。……ですから、皆さん。どうかこの件は黙ってて頂けないでしょうか」

 「え?」

 「十年はやはり重すぎます。村の外に出れば気づくでしょうが、それまでは……。それと、今頃うちの家内も目覚めているでしょうが……息子の件を告げるのは……。今はまだ、駆け落ちしたままにしておきたいのです」

 「本来なら村を挙げてお礼させて頂きたい所なんじゃが、不義理な真似になるが……本当に申し訳ない」

 

 頭を下げる二人にアステルは首を振った。

 

 「そんなの気にしないでください」

 「むしろ今からが大変やろ? 村を立て直さなあかん」

 「俺達はカザーブの酒場の女将の伝言を、その妹さんに伝えられたらそれで充分だ」

 「……しかし、誤魔化せるのか?」

 

 村を眺めながらスレイは言う。

 

 「村が荒れとるのは魔物の奇妙な術のせいって事にして、あとは適当に惚けとくわい」

 「わたしも歳を取っとりませんので、村長の話にうまく合わせます」

 

 村長と商人は苦笑いを浮かべて答えた。

 

 「それと、お礼のかわりと言っちゃなんですが。シェリルさん、良かったらこいつを貰ってくれませんか?」

 

 そう言って商人はシェリルに先端部にそろばんがついた杖のような物を差し出した。薄紫の光沢がある杖を見てシェリルの目が輝く。

 

 「これって! 〈魔法のそろばん〉やん! ええんか!?」 

 「ええ。わたしは接近戦はどうも苦手で、魔道士の杖ばかり使ってますから。御守として持っていたのですが、シェリルさんなら使いこなせるはず」 

 「そんなので戦えるのか?」

 

 スレイの言葉に、シェリルはにぃんまりと笑い振り返る。

 

 「こいつは鉄の槍よりも高い威力をもつ商人専用の武器なんや! けど、作り手が少ないからあんま流通しとらんねん! 丁度鉄の槍無くしたとこやったから助かるわぁ!」

 

 魔法のそろばんに頬ずりするシェリル。

 

 「……そうか」

 「う……っ。ごめんね、シェリル」

 

 興奮するシェリルにたじろぐスレイに、謝るアステル。

 地底湖での戦いで、アステルの中等閃光呪文(ベギラマ)は妖しい影と共にスレイのアサシンダガーとシェリルの鉄の槍を燃やした。素材が特殊なアサシンダガーの方は無事だったが、鉄の槍は溶けて使い物にならなくなってしまったのだ。

 

 「おおきに~っ! 大事に使わせてもらいます~~っ!!」

 

 ぺこぺこお辞儀するシェリルに、商人は嬉しそうに頷いた。

 

 「それから、そのカザーブの酒場の女将さんの妹ってのは、多分宿屋んとこの若夫婦だと思います」

 「若、夫婦……?」

 

 アステル達は首を捻る。

 ……カザーブの酒場の女将はそれなりに歳を取っていたような。

 アステル達の様子に村長はふふっと笑い、

 

 「皆さん、村の者は十年時間が止まっておるぞい」

 「おお、そうか!」

 

 タイガがぽんっと手を打ち合わせた。

 

 

 アステル達は商人に宿屋の若夫婦を紹介してもらい、酒場の女将の伝言を伝える。そして今度は妹から姉へ手紙を渡して欲しいと頼まれてしまった。

 村中が修繕や後片付けでてんやわんやしているので、邪魔にならぬようアステル達は早々に出発する事に決めた。

 村の入り口で村長と商人はアステル達に深々と頭を下げる。

 

 「本当にありがとうございました」

 「このご恩は決して忘れませぬ。皆さんの旅のご無事を祈っとりますじゃ」 

 「それじゃ、お二人ともお元気で 」

 「さいなら~~」

 「ばぁいばぁ~~~い!!」

 

 村長と商人はアステル達の姿が見えなくなるまで見送り続けた。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「わざわざ手紙までありがとうね」

 

 カザーブに到着したアステル達は、早速酒場の女将に妹の手紙を届けた。

 

 「いえ、妹さんもその旦那さんも元気でしたよ」

 「ぴっちぴちの二十代~~もごっ」

 

 マァムの口をシェリルの手が塞ぐ。

 

 「二十代……? 妹はアタシと二つしか違わないよ?」

 「きっ……気にしないで下さい!」

 

 アステルは口元を引き釣らせながら、両手を左右にパタパタ振る。女将は手紙の封を開け、目を通す。そして首を傾げた。

 

 「どうかしたんですか?」

 

 女将の様子にアステルが問いかける。

 

 「いや、ね? 十年近くご無沙汰だったってのに、この子ったら連絡をとるのは一ヶ月ぶりですねって、書いてんのよ?」

 「書き間違えたんじゃないのか?」

 

 あわあわしているアステルの頭に手を置き、スレイがしれっと言った。

 

 

 

 これで残るは〈金の冠〉をロマリア王に届けるのみだ。

 カザーブの村の入り口でアステルは、緊張した面持ちで仲間に振り返る。

 

 「みんな。私そろそろルーラを試してみたいんだけど……協力してもらっていい?」

 

 たちどころに目的地に移動する瞬間移動呪文ルーラ。

 

 「おっ! ついにやな?」

 

 シェリルにアステルは頷く。

 

 「うん。海を越えた移動はまだ無理でも、同じ大陸の移動ぐらいは出来ると思うの」

 

 「やってみるといい。成功すれば今後の移動に役に立つ事間違いないからな」と、スレイ。

 

 「俺、実はルーラって呪文は初めてなんだ」

 「バシルーラと大して変わらないぞ? 地面に叩きつけられないだけで」

 「あ~っ……あれ、地味に痛かったなぁ」

 

 スレイの言葉にタイガはその時の事を思い出し顔を顰めた。 

 

 「じゃ、皆手を繋いでね?」

 

 アステルはすぐそばのスレイの手を掴み、もう片方の手は駆け寄ったマァムが掴む。そしてそのマァムの手をタイガが掴んだ。

 

 「………」

 「スレイ? どうかした? 」

 

 繋ぐ手をスレイが無言で見下ろす。アステルは首を傾げた。

 

 「……いや、別に」

 「素直に喜んだらえ~~んちゃうのぉ? これが本当の両手に花や」

 

 シェリルはスレイの手を掴み、くぷぷぷと笑った。

 

 「……自分で言うな」

 「? じゃあ、いくよ! ───ルーラ!」

 

 アステルは脳裏にロマリア王都を思い浮かべ、〈力ある言葉〉を言い放つ。アステル達の足元に風が巻き起こり、一行は空高く舞い上がった。

 もの凄い速さで空を駆ける。アステルを中心に発している光の膜のお陰か空気抵抗もなにも感じない。苦労して越えた山々もひとっ飛び。ロマリア王都を見下ろしながらゆっくりと下降し、着地した。

 

 「せっ……成功!」

 

 アステルは、はあ~~っと長く息を吐く。シェリルが「お疲れさん!」と彼女の肩を叩いて(ねぎら)った。

 

 「はあ~~……凄いもんだな。何日もかかった道程があっという間だ」

 

 タイガはロマリア王都の街門を見上げた。

 

 

* * * * * * 

 

 

 「───よくぞ〈金の冠〉を取り戻してくれた! 余はそちを誠の勇者と認めようぞ!! アステルよ!!!」

 

 ロマリア王城、玉座の間にて〈金の冠〉を手にほくほくとするロマリア王。

 

 「ありがとうございます」

 

 アステル達は御前に膝まずき、頭を垂れている。

 

 「しかし、そなたには勇者だけでなく王としても素質もあるようじゃな。余は見ておらなんだが、アステルの女王としての働き見事だったらしいのぅ。皆褒めておったぞ。どうじゃ? もう一度王になって……「その御言葉だけで充分でございます」

 

 アステルはにっこりと王に最後まで言わせなかった。

 

 「ふむ……では勇者の仲間達よ。そちらの中で王には「「「我らはその様な器ではございません」」」

 

 打ち合わせしたかのようにスレイ、シェリル、タイガの声が綺麗に重なった。

 

 「だったらあたしがなモゴっ」

 

 シェリルの手がぱんっとマァムの口を塞ぐ。

 

 「ふむ。欲のない者達よのう。……つまらん」

 

 王は玉座から乗り出した体を戻し、臣下に〈金の冠〉を預けた。

 

 「王様。それでは我々にポルトガへの関所の通行を許して下さいますか?」

 「うむ。良いぞ。……通れるようにしてくれればな」

 

 「「「「は?」」」」

 

 王の言った言葉が理解出来ず、アステル達は揃えて間の抜けた声をあげてしまう。しかし王はそれを特に気にせず、話を続ける。

 

 「関所といえど、それは太古の昔の事じゃ。アリアハンの〈旅の扉〉と同様、無用な争いを防ぐ為に特殊な魔法がかかった扉で閉鎖されておる。その扉を開ける唯一の鍵はイシス王家が保管しとるのじゃが……。船があるからポルトガに行くのに困りはしとらんが、出来たら陸路も解放したい所なんじゃが……のう?」

 

 含みのある言葉と視線に、アステルは睨み付けたい気持ちと文句を言いたい気持ちをぐっと堪える。

 

 「……わかりました。それでは私達がイシスに赴き、鍵を受け取って参ります」

 「おお! 行ってくれるか! さすがは勇者アステル。頼もしいのう!! ……ところで本当に王になるつもりは「それでは早速イシスへと向かいます」

 「だからぁ、あたしがなるモガっ」

 

 シェリルが再びマァムの口を手でぱんっと塞いだ。

 

 「───ああ。そう言えば」

 

 王が思い出したように言う。

 

 「イシスにはあの勇者オルテガが魔王の元へ辿り着く手懸りを求めに行ったと聞いておるぞ?」

 

 アステルは目を見開いた。

 

 「父さっ! ……失礼しました。父がですか?」

 

 ロマリア王は首肯く。

 

 「余が王位に就く前の話じゃが、先代イシス王に助言を賜ったそうじゃ。あそこはアリアハンに次ぐ歴史ある国じゃからのう。……どうじゃ? 少しはやる気が出たじゃろう?」

 

 ロマリア王はにやりと笑った。

 

 「……なるほど。カンダタが言ってた悪知恵が働くってのはこういう事か」

 

 顔を付したまま、ぼそりと呟くタイガ。

 

 「……遊び人だが、馬鹿ではない、と」

 同じく、スレイ。

 「なんでこの王様で国が傾かんのか、少しだけわかった気ぃするわ」

 

 じたばたするマァムの口を押さえながら、シェリルは呟いた。

 

 






ロマリア王に新たな依頼を寄越されましたが、これにてロマリア編は終了です。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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キャラクター紹介②


ロマリア~ノアニール(エルフの村)までのキャラクタープロフィールです


 

 

《ロマリア》

 

カンダタ(26歳)

捨て子だった事と養父に家名がなかった事により、彼も家名はなし。初登場はマッスルボディにビキニパンツ一丁、革の手袋、ブーツに頭から目出しマントを被った出立ちで現れ、アステルを除くメンバーを大いに退かせる。(ちなみに自分の部下にも不評)

スレイとは同じ師を仰ぐ兄弟弟子。

世界にその名を轟かせる大盗賊だが、性格は正義感溢れる熱血漢。空想の英雄に憧れる少年のような一面もある。

*ロマリアの王の王冠を盗んだのは、自分達を追う事でノアニールの現状を知らせたかった為。王が動かない事に呆れ、和解したアステルに王冠を返し、ノアニールの村を助けて欲しいと頼む。(エルフの禁忌である人間とのハーフエルフである自分ではエルフの里どころか入り口の森にすら入れてもらえなかった)

 

ロマリア国王(32歳)

(レオナルド=リゲン=ロマリア13世)

おかっぱの赤毛に赤に近い明るい茶色の目。小太りの体格。即位して間もない為、王の自覚があるかどうか微妙。根っからの遊び人でことある事に城から抜け出し、モンスター闘技場に遊びに出かける。抜け目がなく、悪知恵はよく働き、自分が損するような事はけしてしない。アステル達は彼に振り回される。妻はいるが、子供はまだいない。

 

《ノアニール》

 

村長(50代半ばくらい)

名前はない(考えなかった)。自宅が村から離れていた事で、眠りの呪いから免れた。ある意味ラッキーマン……?でも、後の事を考えると苦労人か。

 

商人(40代半ばくらい)

村長と同じく名前はない。見た目はドラクエ3男商人そのまんまのイメージ。無限回廊でさ迷ったせいで、ノアニールの呪いのように歳を取らなかった。アンと駆け落ちした男の父親。この人もラッキーマンで苦労人。

 

エルフの女王 (見た目年齢20代半ば)

名前はない。地面に着くほどの深緑の長い髪、角度によって色んな緑に見える瞳を持つ。水晶の冠に純潔の象徴白百合の錫杖を持たせて、紅いドレスはゲーム画面に合わせた。お嬢様ではなく、女王様。そしてさみしがりや。全てのエルフ達を統べる存在。アンは女王が昔抱いていた人への慕情を切り離した際に誕生した娘というより分身。

ちなみにエルフに男性はいない。このお話のエルフは=妖精(ニンフ) であり、親はと聞かれたら大自然。アンと女王だけ例外。

 

アン(見た目年齢17~18歳)

女王の人への慕情が形を成した存在。見た目はエルフの女王を少し若くした感じ。お嬢様でおてんば。好奇心旺盛で隠れ里を出て森の中をうろうろしてたら、商人の息子と出会い恋に落ちた。商人の息子と出会わなくても、いつか森の外へ家出してたかもしれない。

 

ハーフエルフ……人間とエルフの混血。エルフは人を愛し、通じると限りなく人に近い存在へと変化し、子を孕む事もある。生まれた子供は純血のエルフとは程遠いものの強い聖力を持ち、母親の容姿に近い事が多い。

 

 






カンダタのハーフエルフ設定はある理由から決定したのですが(物語の後半で明かす予定)、自分の中ではしっくりきてます。
ハーフエルフである彼の覆面の下は後のお楽しみという事で。
ドラクエシリーズの中に、作中カンダタの見た目モデルがいますが、ファンから怒られそうなので明かしません(汗)

勿論自分はゲームのマッチョオヤジで《いいえ》を絶対に受け入れない彼も大好きですよ。


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三章 アッサラーム~イシス
踊り子


 

 

 ロマリア城を出た後、アステル達は今後の計画を立てる為に、近くの食堂で早めのお昼を取ることにした。

 早めとあって食堂は客が少なかった。出された料理を脇にやってスレイは〈妖精の地図〉をテーブルの中心に置く。

 

 「地図上ではイシスはロマリアから海を越えて南にある砂漠の王国だ。だが、定期船は出ていない。だから大陸の東側をぐるりと大廻りしなければならない」

 

 スレイは地図上のロマリアからすうっと東に指を滑らせ橋印を渡り、ロマリアとイシスの中間地点の街印で指を止めた。

 

 「……アッサラーム?」

 

 アステルは地鶏の生姜焼サンドイッチ片手に、地図に記されている街の名を読み上げた。

 

 「海路を使った貿易が盛んなのがポルトガなら、陸路を使った交易が盛んなのがアッサラームや。アッサラームはロマリア、イシス、あと更に東側にある香辛料の名産地バハラタのほぼ中間地点にある街やからな」

 

 はむっとサンドイッチを頬張るシェリル。

 

 「バハラタなら俺も行った事あるぞ。あそこの〈黒胡椒〉を使った肉料理が、また絶品なんだ」

 

 ロマリアの地鶏も格別だけどな。とタイガもその地鶏がたっぷり挟まっているサンドイッチを口に入れた。

 

 「アッサラームでまず、砂漠を越える為の準備と馬車か駱駝を手配する必要がある。あの砂漠は歩いて越えられるような、生易しいものじゃないからな」

 

 そこまで語って、スレイは大皿に盛られたサンドイッチに手を伸ばした。

 マァムは先程から無心でサンドイッチをリスのように素早く食べている。

 

 「イシスに向かう隊商(キャラバン)、うまくつかまえられたらいーんやけどなぁ。護衛として乗れたら金使わんで済むし……って、マァム! 一人五切れまでや!!」

 「いやんっ!!」

 

 六切れめに手を伸ばそうとしたマァムの手を、ぺちんっとシェリルが叩いた。

 

 「……そや。マァム、アッサラームはあんたの大好きな躍りで有名な街なんやで」

 「躍りぃ!? どんな? どんな?」

 

 いじけたのも束の間、マァムは身を乗り出し、嬉々としてシェリルに詰め寄る。

 

 「ベリーダンスや」

 

 

* * * * * *

 

 

 アステル達はその日のうちにアッサラームに向けて出発した。

 山々が続いたカザーブやノアニールと違い、かの地への道のりは行商が頻繁に利用しているお陰か、藪を掻き分けて進むような事もなく歩きやすい。平坦で見通しも良く、わざわざ脇道の森に入りさえしなければ迷う事もない。

 しかし人の行き来が多いその分、血に飢えた獰猛な魔物の強襲は後を絶たない。

 地面に突いていた前肢を持ち上げ、凶悪な顔つきの巨大な猿型魔物……〈暴れ猿〉は両手で胸を叩き高らかに鳴り響かせて、此方を威嚇し掴みかからんと突進してきた。

 タイガはそれを高く真上に飛んでかわし、落ちる重力のまま大猿の脳天を踏みつけ、拳を突き下ろす。仕留めた猿が消える前にその体を土台に倒立し、開脚蹴りを迫ってきた二匹の暴れ猿達にお見舞いした。

 

 「うわっ!!」

 

 長い前肢と背中をつなぐ飛膜でムササビのように滑空しながら、オレンジ色の猫の魔物〈キャットフライ〉がその鋭い爪でシェリルの腕を切り裂く。

 

 「シェリルぅ~~! ベホぉ……」

 「フシャオッ!!!」

 

 マァムが治癒呪文を唱えようとしたそれより早く、キャットフライはおかしな鳴き声をあげ尻尾を左右に激しく動かす。

 

 「イミぃ~~……って、またぁ~~!!!」

 

 呪文が発動せず、マァムは地団駄を踏む。呪術封印呪文マホトーン。この猫の魔物はこの呪文を得意としていた。

 

 「シェリル! ……ホイミ!」

 

 マホトーンが効かなかったアステルが代わりにシェリルの傷を癒す。しかし次の瞬間、別のキャットフライがマホトーンを唱え、今度はアステルの呪文が封じられた。

 

 「ごめん! 私も呪文封じられ……」

 

 叫ぶアステルの背後からヒュンッと刃のブーメランが飛び、キャットフライ達を切り裂く。戻ってきたブーメランを難なく掴み取り腰に差すと、今度はドラゴンテイルとアサシンダガーを手に暴れ猿相手に戦うタイガの元へ援護に向かうスレイ。

 その速さ、手際の良さに、呆然とするシェリルとアステル。

 

 「相っ変わらず鮮やかやなぁ~~」

 「うん……って、私達も援護!」

 「ぅお~~うっ!」

 

 マァムがチェーンクロスを手に掲げた。

 強暴で小賢しい魔物達に初めは苦戦していた彼女らだったが、何度か戦っているうちに対処法に気づく。

 

 そうなれば勝利は此方のもの。

 

 旅立って二週間近く経ち、アッサラームに着く頃には、タイガ、スレイに頼らなくとも自分達の力で魔物達を打ち負かせるようになっていた。

 

 

* * * * * * *

 

 

 ───商業都市アッサラーム。イシス寄りのこの街の建築様式は、ロマリアのそれとは違い、日干し煉瓦と呼ばれる肌色の煉瓦で建てられた屋根のない四角い家が殆どだった。緑は少なく、街の地面は乾燥した砂地が占めている。

 砂漠地帯で貴重とされる水はアッサラームでは売買が禁止されている為、街中央にある地下から汲み上げられている水は誰でも自由に汲み取る事ができる。

 そして交易拠点だけあり店は多く、食料品から武具衣類、宝飾品、工芸品や嗜好品までありとあらゆる様々な物が売り買いされていた。

 ここはどこの国家にも属さない、独自の法が支配する独立した都市である。

 その法さえ犯さなければ、大抵の商売取引は許される。そんな街である。

 

 「……だからってね? こんなにぼったくりや、あくどい客引きが横行するのもね」

 

 スレイの買い出しについて行ったアステルは、繁華街を歩きながら、ぶつぶつと文句を言う。

 先程店主に「アナタトモダチ!」とおかしな片言で店に引っ張られたと思ったら、薬草一個をなんと百二十八ゴールド(適正価格八ゴールド)で売りつけられそうになったのだ。買うまで店から出さない勢いだったが、助けに入ったスレイの一睨みで事なきを得た。

 立ち去ろうとする二人に店員は粘り強く「ならば!!」と、取り出したのは体を隠す布地が殆どない紫色の女性水着。

 

 「〈あぶない水着〉ね!! きっとそのお嬢さんに似合う事間違いないよ! お兄さん! 彼女に買って着せてあげるね! 今なら七万八千ゴールド……」

 

 スレイは凍り付くような眼差しで店員を黙らせ、真っ赤な顔でぱくぱくと口を閉口させてるアステルの手を引いて店を出た。

 

 「……だから離れるなと言ったんだ。宿屋で待ってても良かったんだぞ」

 

 半分呆れ顔で言うスレイに、アステルはうっと呻く。

 

 「だって、みんな馬車の手配とか色々動いてるのに私だけ宿屋にいるのも……」

 

 シェリルはイシス行のキャラバンがないか、商人ギルドの詰め所に向かった。

 その詰め所がベリーダンスが見られるという劇場に近い事からマァムも付いて行き、タイガも二人の護衛という事で付いて行った。

 

 「だったら、アステルもシェリル達に付いて行けば良かっただろ? あちらは表通りでまだ比較的に安全だし、何よりタイガがいるからな。余計なのも簡単には近寄らないだろ」

 

 自分も男だが、彼のような虫除けにはなれないとスレイは自覚している。

 『春』も売り物にしているここでは、可愛らしく騙しやすそうな娘のアステルは勿論の事、認めたくはないが自分もこの女顔のせいで、その手の奴等の売り物になると斡旋業者にターゲットにされやすいのだ。

 常に笑顔のタイガだが、その笑顔に余裕と底知れない迫力を感じる。その上あの筋骨隆々で立っ端もある体格。カンダタもそうだ。あの格好はともかくとして……羨ましいと、スレイは思う。

 

 「でも、それじゃスレイが一人になっちゃうから……それってなんかやだなって思ったんだもん」

 

 呟きが耳に入り、隣を見下ろすと地面を見るふくれっ面のアステルがいた。その表情、子供っぽい発想に触れた途端笑いが込み上げてきた。

 

 「……なにがおかしいの? スレイ」

 

 ジト目で見上げるアステルにますます笑いが込み上げてくるものだから、スレイは咳払いをして目線を空に遣った。

  

 「そこの素敵なお兄さんと、可愛らしいお嬢さん」

 

 アステルとスレイは声のした方に目線をやると、そこには豊満な胸をごく矮小な赤い胸当てで隠し、際どいスリットの入った赤のドレープスカートを纏った艶かしい美女が立っていた。胸当てとへその際を飾る天然石が太陽の光を浴びて煌めく。

 綺麗だが裸のようなその姿にアステルは頬を染めた。妖艶な笑みを浮かべアステルとスレイに近付き、手に持つチラシの一枚をスレイに手渡す。

 

 「旅人さんね? 今夜あたし達のステージがあるから、良かったら見に来てね。そちらのお嬢さんもご一緒に是非」

 

 女性は芳しい薔薇の香を残して立ち去って行った。スレイとアステルはチラシを見、目を合わせた。

 

 

* * * * * *

 

 

 「───あっ、やっぱり」

 

 買い出しを終え宿屋に戻ると、ベッドに突っ伏すマァムと椅子に腰掛けテーブルに突っ伏すシェリルがいた。

 

 「おかえり」

 

 もうひとつのベッドに腰掛けたタイガが困った笑みを浮かべていた。

 

 「マァム。今夜は劇場でダンス見ながら晩ごはんにしようね?」

 

 食事も出来るらしいから、とベッドのマァムの頭を撫でるとがばっと起きあがった彼女の目は輝いていた。

 

 「で、シェリルの方は……」とアステル。

 

 「キャラバンが捕まらなかったか?」

 

 スレイの言葉にシェリルはぐりんっと顔を二人に向ける。

 

 「一日違いやったぁ! 次イシス行きのキャラバンは二週間後やってぇ~~っ!!」

 「だったら、馬車を借りるしかないな……いくらかかる?」

 「保証金含めて三千ゴールド……!」

 「………痛いな」

 

 スレイがそうぽつりと漏らすと、シェリルはわ~んっと嘆いた。

 しかも行きだけで良いのだ。帰りは瞬間移動呪文ルーラか、同じ効果のあるキメラの翼がある。

しかし借りたとなると、ちゃんと返しに行かなければならない。

 馬車を連れてキメラの翼は使えないし、ルーラでも今のアステルの技量ではさすがに無理だ。金も手間もかかる。

 

 しかし。

 

 「二週間も待ってられないし……こればっかりは仕方ないよ」

 「うう~~っ! 悔しい~~~っ!!」

 

 机に額を擦りつけるシェリルの頭を、アステルはポンポンと叩いて宥めた。

 

 

 

 日が暮れ商店が多く並ぶ繁華街が静かになる代わりに、劇場や酒場などの歓楽街が賑やかになり始める。

 アステル達は宿を出て、劇場へと足を運んだ。アッサラーム名物ベリーダンスは人気が高く、劇場は込み合っていた。アステル達はなんとかテーブル席を確保し、料理を頼む。

 食べるの大好きなマァムが運ばれた料理そっちのけで、色んな劇団のベリーダンスをテーブルの下でタップを踏み、体を揺らしながら眺めていた。

 

 「皆さま長らくお待たせしました!! 当劇場のスター、モッカーナ劇団ビビアンとレナの踊りをどうぞ御堪能あれ!!」

 

 アナウンスに劇場内が熱く沸き上がる。

 

 「あっ……!」

 

 アステルが食事の手を止め、思わず声を上げた。

 昼間チラシを渡してきた女性と彼女の色違いの青のドレスを纏ったマァムぐらいの年頃の踊り子が、ステージに立った。

 伴奏が始りステップを踏み出すと、ステージを見ていたマァムの様子が変わった。体を動かすのを止め、食い入るように彼女達の踊りを見詰める。

 踊りは力強く情熱的で艶やか。衣装の裾を巧みに揺らし、回る。足の爪先から手の指先、全身を使った微妙で多彩な表現は観客を圧倒した。

 赤と青の乱舞。飛び散る汗も飾りのように彼女達をきらきらと輝かせる。

 

 「凄い……綺麗」

 

 頬に手を当てうっとりとするアステル。

 

 「あの二人の踊りは別格やな……」

 

 ついさっきまで暗かったシェリルも笑みを浮かべて、ワイングラスを傾けた。

 

 

 「───つまんねえもん見せてんじゃねぇよ!」

 「もっと腰振れよっ! 腰ぃぃっ!!」

 「脱げぇ~~っ!!」

 

 いきなり罵声が飛び、シェリルは飲んでいたワインを吹き出す。

 アステル達観客はぎょっとして声のした方を見ると、前列のテーブルに腰掛けた五人のゴロツキ達が下卑た声で笑っていた。

 

 「なんやあいつら……」

 

 口を拭いつつシェリルは顔を顰めた。

 青の衣装を纏った踊り子は僅かに躊躇いをみせるが、赤の踊り子は気にする素振りも見せず踊りを続ける。

 そんな彼女らを男達は揶揄し続ける。

 しかし、それでも演奏を続ける楽団と舞い続ける踊り子達。

 それに歯噛みした男の一人が立ち上ると、赤の踊り子の手首を乱暴に掴み、無理矢理ステージから引摺り下ろそうとした。楽団は思わず演奏を止めて腰を浮かし、青の踊り子は悲鳴を上げた。

 赤の踊り子は鋭く男を睨み付けたが、男の方はニヤリとして更に彼女を顔間近に引き寄せる。

 

 「こっち来て酌しろや」

 「なにしてんだ!? あんた達! あんたらの仕事は熱狂的なファンや酔っ払いから踊り子を守る事だろう!!」

 

 アフロヘアにタキシード姿の中年男性が慌てて飛び出したが、ゴロツキの一人にはね除けられた。

 

 「団長!!」

 

 青の踊り子が叫ぶ。

 

 「わりぃな。これも仕事なんでな」

 

 ニヤリと笑う男に団長と呼ばれた中年男性は青ざめる。

 

 「まさか、あんたら既に他の劇団の嫌がらせの依頼を受けて……!?」

 「おら! モッカーナ劇団の踊りはこれで終いだ!!」

 「次の劇団呼んでこいや!!」

 

 ゴロツキが嬉々と叫んだ……その時。

 

 「───イッテエエエエエ!?」

 

 マァムがテーブル席から跳躍し、空中で体を捻りながら舞い降り、チェーンクロスで赤の踊り子を捕らえたゴロツキを打った。

 

 「マァム!?」

 

 アステルが叫ぶ。

 

 「このアマ! なにしやがる!!」

 

 ゴロツキがマァムに叫んだが、マァムは澄まし顔でステージに立ち、観客に一礼する。楽団達に手を差し伸ばし、音楽を乞う。

 マァムがタップを踏み、手を打ち鳴らす。楽団は慌てて音楽を奏で始めた。躍動感のある、心沸き立つそんな音楽を。

 そして舞い始めた。

 それは先程、踊り子達が舞っていたベリーダンス。ゴロツキは呆気に取られたが、やがて顔を真っ赤にし、「このやろう!!」とマァムに掴みかかる。が、それは華麗に避けられた。音楽に合わせ、さながら闘牛相手にするマタドールのように。

 挑発するような笑みを浮かべ、手にあるチェーンクロスを打ち鳴らす。ゴロツキ達は一斉にマァムに襲いかかった。マァムはターンしながら鋭くチェーンクロスをしならせた。

 円を描くように綺麗に吹っ飛ぶゴロツキ達。(チェーン)が篝火に照らされきらきら輝く。

 

 観客達は興奮し歓声を上げた。

 

 マァムは赤と青の踊り子を見た。二人は頷き、三人で踊り始める。ステージに赤と桃と青の華が舞う。

 

 「もう勘弁ならねぇ!!」

 

 ゴロツキが刃物を持ち出す。その手首を大きな手が掴み捻った。振り返ると図体のいい男が背後にいつの間にか立っていて、ニッコリと笑う。

 タイガはゴロツキの体を片手で持ち上げ、ピザ職人が生地を広げるように、放り投げては回すを繰り返す。情けない悲鳴を上げるゴロツキに観客がどっと沸く。

 シェリルは魔法のそろばんを音楽に合わせて打ち鳴らし、演武を披露するようにゴロツキ達を伸していく。

 

 「この……うおっ!!?」

 

 めげず立ち上がるゴロツキ二人を、スレイは椅子に腰掛けたまま、テーブルにあるフォークとナイフを素早く投げ、彼等を壁に貼り付けた。

 

 「おっ……おまえらっ何モン……」

 「………睡眠誘発呪文(ラリホー)

 

 演奏の締めのジャンっという音に合わせて、ゴロツキのボスらしき男がバタンッと突っ伏す。

 暫くして男は盛大な(いびき)を掻き始めた。

 

 「……アステル?」

 

 スレイは彼女に振り返る。

 

 「あはは……戦い以外で新しい呪文が試せるなんて、思ってもみなかった」

 

 アステルは頬を指で掻きながら笑った。

 

 

 お辞儀をする手を繋いだ踊り子三人と楽団、そしてタイガとシェリル。劇場内の割れんばかりの拍手喝采は何時までも止む事はなかった。

 ゴロツキ達はやって来た街の自警団に連れて行かれ、その後は何事もなかったかのように、次の劇団の催し物が始まった。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「いや~! キミ達、本当にありがとう!」

 

 劇場裏にてモッカーナ劇団の団長、モッカーナ=ドトスはアステル達に頭を下げる。

 

 「あたしもぉ楽しかったぁ~~!!」

 

 マァムは大満足のいい笑顔。

 

 「そういや、舞台で踊んのはアリアハン出て以来やからなぁ」

 

 シェリルがマァムの頭をポンポン軽く叩く。

 

 「あなた凄いわ! いきなりあたしやビビアン姉に合わせて踊れちゃうなんて!」

 

 青の踊り子レナはマァムの両手を握った。

 

 「ええ、本当に。お陰でステージを踊り通す事が出来たわ。ありがとう」

 

 赤の踊り子ビビアンもマァムに握手を求める。

 

 「でも、酷いお客さんでしたね」

 

 アステルの言葉にモッカーナは頷き、溜め息を漏らす。

 

 「ありゃあ実は、わたしらが雇った用心棒だったんですよ」

 「え?」

 「わたしら流れの劇団でしてね。この劇場で踊りを披露してたんですが、名誉な事にイシスの女王様の即位一周年記念の宴にビビアンとレナの踊りを御所望されたんですよ。けど、昔っからこの地でやってきた他の劇団の奴等にやっかまれちゃって、嫌がらせをされるようになって……。

 それで用心棒を雇ったんですが、まさか買収されてたとは………」

 「でも、団長どうするんです?明日からのイシス巡業。あいつらは旅の護衛としても雇ったってのに……」

 

 楽器を箱にしまう楽団の一人に、モッカーナは肩を落として答える。

 

 「……ふむ。旅人ギルドでもう一度、戦士を雇い直すしかあるまい……」

 

 「ウチらが護衛する!!!」

 

 シェリルが声を張り上げた。

 

 「報酬はいらん! そん代わりにウチらをイシスまで馬車に乗せてもらえへんか!?」

 「……報酬なしで引き受けてくれるってのかい?」

 

 団長はシェリルとアステルを交互に見る。

 

 「はい! 私達はイシスに行けさえすれば充分です。雇って貰えませんか?」

 

 アステルも慌てて頭を下げた。マァムも一緒になって下げる。

 

 「団長~! あたしもこの子達と行きた~い!」

 

 レナはマァムに抱き付く。

 

 「団長。いいんじゃないのかい? 今からまた護衛を探すのも手間だし、さっきみたいなのはもう御免だよ」と、ビビアン。

 

 売れっ子二人の言葉に、モッカーナは口髭を弄ってうーんと暫し考え、口を開いた。

 

 「……あんた達なら実力もさっき見たばかりだし、信用も出来そうだ。やってくれるかい?」

 「「はいっ!!」」

 「はぁ~~いっ!」

 

 三人娘は踊り子二人と手を叩き喜び合った。

 

 眠らない街アッサラームの夜は更けていく。

 

 






新キャラ登場です。ビビアンもレナもゲーム内にいますが、こちらもカンダタと同じく名前のみ同一のオリジナルキャラです。モッカーナと楽団さんはオリジナルキャラとなっております。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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砂漠の華

 

 

 

 ────暑い。

 

 暑くて息苦しい。誰か助けて。

 

 そう思った時、冷たい感触を右手に感じた。

 

 ほっと息を吐き、うっすら目蓋を上げると、小さな少女が額や頬に触れていた。

 

 心配そうに此方を見つめていた。

 

 こちらが目覚めたのに気が付くと、少女の張り詰めた表情が花開くようにほころんだ。

 

 大きな青い瞳を柔らかく細めて

 

 

 笑う。

 

 

* * * * * *

 

 

 スレイはゆっくりと目蓋を上げる。

  

 幌が目に入り、ああ、と納得した。

 ここは砂漠のど真ん中で、昼間の今は交替で休憩中だったのだ、と。

 熱く重い体を起こすと濡れたタオルが額から落ちた。手に取ると、タオルに見覚えがある。アステルの物だ。

 薄暗い荷台の中は彼一人だった。 

 服の襟の中を探り、首に下げていた革で出来た守り袋を引っ張り出した。掌に袋の中身を乗せる。

 それは優しく発光する透明な青い石。

 目蓋を閉じ両手で握りこむと、石の冷たさが両手を通じて身体中に伝わる。 

 長く息を吐き、再び目蓋を上げる時には体は軽くなっていた。

 スレイは掌を広げ、煌々と輝く青い石に口づけた。

 

 

 

 「おっ! 目が覚めたか?」

 

 荷台から顔を出したスレイにタイガが声をかける。

 タイガは三台の荷台のすぐ傍に設置した日除けの簡易テントの下にいた。他に五人いる楽団の男連中やモッカーナ、ビビアンもいる。馬達も荷台から外され、岩影で休んでいた。

 スレイは荷台から降り、素早くテントに入る。 

 砂漠地帯に入ってからは、気温が高く日射しが強い昼間に休憩や交替で仮眠を取り、日が暮れかけた頃から夜が明ける頃まで、夜目の利くスレイの先導の元、空の星の位置と月明かりを頼りに移動するようにしていた。 

 夜になると魔物や野生動物の行動も活発になるが、昼間の移動は暑さで激しく体力を消耗する上に、魔物と遭遇、戦闘となれば更に消耗してしまうので仕方ない。 

 砂漠地帯で最も有名で最も危険な魔物が、赤い表皮を持ち火の息を吐く〈火炎百足(かえんムカデ)〉と、群れをなして現れる〈地獄の(はさみ)〉と呼ばれる蟹型魔物である。

 カザーブで出現する〈軍隊蟹(ぐんたいがに)〉の進化系であろうそいつらは、固い緑色の甲羅で覆われているというのに、防禦強化呪文スクルトを唱える。そうなると怪力のタイガの攻撃、スレイの武器による急所突きも通らなくなり、頼りはアステルの攻撃呪文のみとなる。

 更に厄介なのが、アッサラーム地方でも見かけた猫型魔物〈キャットフライ〉が、ここでも現れるという事。一度、呪術封印呪文マホトーンを唱えられ、アステルの呪文を封じられた上、地獄の鋏にスクルトを唱えられた時には本当に肝を冷やした。

 それ以来キャットフライが現れた時は、スレイとタイガ、シェリルが速攻で倒すようにしている。

  

 今は砂漠の旅も四日目を迎え、イシスまでの行程を半分消化した昼休憩である。

 

 「悪い。寝過ぎたか?」

 「いや? 昼飯が出来たから声を掛けようと思ってただけだ」

 

 タイガは笑う。

 

 「スレイにもちゃんと弱点があったんだなぁ」

 

 スレイが暑さにめっぽう弱い事を、この地で一行は初めて知った。汗をあまりかかない体質の彼は、熱が発散されず体内に籠りやすいらしい。

 しかし。誰もが凍える砂漠の夜は誰よりも平然としているのだが。夜間の移動も、先導役の彼の体調を考慮したものだった。 

 スレイはタイガの隣に腰掛け、溜め息交りに尋ねる。

 

 「……タイガはこの暑さは平気なのか?」

 「このくらいならな。俺はどちらかといえば、夜の寒さの方が堪えるよ」

 「どうぞ。水分補給には椰子の実のジュースが一番だよ」

 

 今は日除けの外套を羽織るビビアンが椰子の実のジュースと、干した肉や野菜を串に刺して焼いたケバブと呼ばれる料理をスレイに差し出した。

 スレイは独特の味のする椰子の実のジュースに顔を顰めつつも、薬と思って喉に流し込んだ。

 

 「………アステル達は?」

 「とっくに食事を済ましてレナと遊んでるわ」

 

 ケバブを口にしながら辺りを見回し尋ねる彼に、ビビアンは彼女達がそこに居るのであろう荷台を指差して答えた。

 

 「歳の近い友達が出来たって、あの子はしゃいじゃってね」

 「時々、こうして護衛の旅人が加わる事があるが、あの子ぐらいの歳の娘の護衛は流石に初めてだからねぇ」

 

 食事を終え、ペーパーナプキンで口元を拭くモッカーナ。

 

 「ねえ! みんなぁ! 見て見て~!」

 レナが外套(マント)を羽織わず、舞台衣装のままぴょんと荷台から飛び出して来た。ビビアンはそんな彼女に眉を顰め、嗜める。

 

 「レナ。日焼けするわよ」

 「ちょっとくらいなら大丈~夫! それよりも……ほらっ!!」

 

 レナが荷台の入り口を手で差すと同時にマァムが飛び出した。

 

 「じゃじゃぁ~~んっ!!」

 

 その姿はいつもの桃色絹のローブではなく、レナ達が着ているような舞台衣装だっだ。あどけない笑みと対照的な豊満な胸を、ガラス飾りが煌めく茜色の胸当てが支えている。可愛らしいおへそを露にし、同色のシフォンのスカートに入った深いスリットからは、真っ白い太股が大胆に見えた。

 続けて出て来たシェリルも同じような格好で、スレンダーな肢体を引き立たせる翠緑の衣装を着ている。小麦色の肌が太陽に照らされ艶やかに輝く。ガラス飾りの付いた髪飾りで結い上げた珊瑚色の髪を、ふわりと払って嫣然(えんぜん)と笑う。

 

 『おお~~!!!』

 

 モッカーナと楽団の男達が色めき立つ。

 

 「へえ。似合ってるぞ二人とも。なあ? スレイ?」

 

 タイガは何気無くスレイにも振るが、彼は答えない。

 

 「あれ? アステルは?」

 

 レナは頭を傾げる。

 

 「アステルぅ~~~?」

 

 マァムが荷台の幌から中を覗く。

 

 「無理……無理無理。みんなみたいに似合ってないから。胸ないから。綺麗じゃないから」

 

 荷台から震えるようなアステルの声が聞こえた。

 

 「そぉんな事ぉないよぅ~~~!」

 「こら! 着替えんな! アステル!」

 「そんなに綺麗な肌してるのに出さなきゃ罰が当たるわよっと!!」

 「ややや~~っ!!!」

 

 シェリル、マァムとレナ三人がかりでアステルを荷台から引っ張り出した。

 

 「あら……!」

 

 ビビアンも思わず声をあげた。

 アステルは鮮やかなターコイズブルーの衣装を纏っていた。それが肌理の細かい象牙色の肌によく似合う。本人は胸がないと卑下していたがそんな事もなく、程よい膨らみを胸当てが包んでいる。括れた腰で履くスカートのスリットからは、すらりとした素足が覗く。

 シェリルやマァムと比べ、普段から着込んでるアステルがこういう格好をすると意外性があって男達の目線を惹いた。頬を染め、手首に付いているベールで体を必死に隠そうとする姿も、可憐でいじらしく男心を擽る。

 ………と。スレイがいつの間にかアステルの傍らに立ち、彼女に自分の外套を被せた。

 

 『ああ~~~~~~っ!!!』

 

 楽団の男達から非難の声が上がる。が、スレイに鋭く睨まれ黙りこむ。

 

 「普段からあまり肌を出してないんだ。なのにこんな場所で肌を晒したら、日焼けどころか火傷(やけど)する」

 「うっ……。ごめんなさい」

 「早く着替えろ」

 「うん……?」

 

 視線をあわせようとしないスレイに、アステルは頭を傾げた。

 

 「あっ! それよりスレイ。体の調子どう?」

 「問題ない。タオルありがとう」

 

 スレイの言葉にアステルは嬉しそうに笑った。

 

 「……ねえねえ? あの二人って付き合ってるの?」

 

 レナがこそっとシェリルに耳打ちする。

 

 「いんや? でも初めて会うた時から、スレイはなにかとアステルの事気ぃかけとるな」

 「それって、それって!! 彼の方がアステルに気があるって事!? いいな、いいな~!」

 

 興奮したレナが両拳を作りぶんぶんと上下に振る。

 

 「そっかなぁ? ウチには妹をほっとけへん兄ちゃんって感じの方がしっくりくるけど」

 「なにそれ! それもイイっ!! それがいつしか恋に発展するのよっ!!」

 

 シェリルの発言にレナの瞳は更に輝き、熱く語る。

 

 「……お前達もいい加減戻って着替えないと、本当に火傷するぞ」

 

 こそこそ会話しているつもりの二人(実際は会話だだ漏れ)に、スレイは呆れ顔で言った。

 

 ビビアンは長い黒髪を耳にかけながら、くすりと笑う。

 

 「どうした?」

 

 タイガは隣に座るビビアンを見た。

 

 「可愛いなと思っただけ。勇者さまっていっても、年頃の娘にかわりないのよね」

 「知ってたのか?」

 「あの額飾り(サークレット)を見ればわかるわよ。アリアハンの勇者が旅立ったって噂は、あんた達が思ってる以上に世界に広まってるのよ。……でもまあ、あんなに可愛い女のコとは、流石に思わなかったけどね」

 

 踊り子のビビアンが、アステルのしている額飾りの意味を知ってる事にタイガは密かに驚く。

 ふいにビビアンは漆黒の瞳を細め、酷く痛ましげな表情を浮かべた。

 「父親の(しがらみ)がなけりゃ、普通の娘として生きていけたろうにね」

 

 タイガは片眉をあげる。

 なぜ彼女がそこまで悲しげな顔をするのかが、わからない。アステルへの同情だとしても、強い違和感をタイガは覚えた。

 

 「アステルは、血の柵や義務だけで勇者になったわけじゃないと、俺は思ってるぞ」

 

 タイガの言葉にビビアンははっとしたように、目を見開き、頭を振り、そして彼に微笑んだ。

 

 「ごめん。今のは忘れて」

 

 タイガが口を開こうとしたその時、腕を強く引かれた。見下ろすと、眉根を寄せて自分の腕を抱き締めている……

 

 「マァム?」

 「むううううううっ」

 

 マァムは威嚇するように唸り声をあげてビビアンを睨み、タイガの腕を抱き締める手に力を入れ続けている。

 ビビアンは始めきょとんとしたが、その後、赤い唇に指を当ててふふっと笑い、

 

 「じゃあ、あたしもそろそろ仮眠を取らせて貰うわ」

 

 そう言って立ち上り、荷台に向かう。タイガはその後ろ姿に慌てて声をかける。

 

 「ああ。おやすみ」

 

 ビビアンと入れ違いでテントに戻ってきたスレイは、明らかに不貞腐れているマァムを見てタイガに尋ねる。

 

 「? マァムはどうしたんだ?」

 「……さあ? マァム。流石に暑いんだが」

 

 タイガは苦笑い、宥めるようにぽむぽむとマァムの頭を軽く叩くが、彼女はむくれたまま、腕に引っ付いて暫く離れなかった。

  

 

 

 やがて太陽が沈み始めた頃、一行は再びイシスに向けて出発する。日が完全に暮れ、アステルは火球呪文(メラ)で馬車の角灯(ランタン)に灯を点す。

 

 「あれ?」

 

 ふと、遠く前方に人影を見た。しかもそれはひとつまたひとつと増えていく。

 

 「スレイ……あれ」

 

 アステルは御者台に座り手綱を握るスレイに声をかけると、彼も既に気付いていたのだろう、ひとつ頷いた。

 

 「人じゃない。あれは魔物だ」

 「〈ミイラ男〉だね」

 

 並走する隣の馬車の御者台に座るビビアンが言う。

 

 「イシスに近づくと夜間に現れて動き回っては人を襲う死体の化け物だよ。ピラミッドっていう、古代の王の墓からやって来るんだ」

 「人の死体……? 魔王の魔力の影響ですか?」

 

 アステルは今まで遭遇したゾンビ系の動物魔物を思い出したが、人間のその類いは初めてだった。

 

 「それもあるだろうけど……あそこは元からそういう幽霊とか、呪いとか噂された場所だからね」

 

 ビビアンは人影を見つめながら静かに語る。

 

 「大昔、イシスを創った初めの(ファラオ)が死んだ時に建てられた墓が、ピラミッドなんだけどね。

 いろんな曰くがあるんだよ。

 そのピラミッドを建てるために、多くの奴隷が無理矢理働かされて苛酷な労働の末命を落としたとか。

 ピラミッド完成後、死んだ王の死出の旅にお供する為に、何百といった家来が生埋めにされたとか。

 あの場所にはファラオへの恨み辛みや執着やらが、今だに色濃く残ってる。だから地元民でも滅多にピラミッドには近寄らないわ。呪いを怖れてね。

 あの中に入るとしたら、王の財宝目当ての命知らずな盗賊や冒険者くらいのもんよ」

 

 ビビアンの話にアステルは背筋が冷たくなり、思わず二の腕を擦る。

 そしてはっとなり、スレイを見た。

 

 「残念だがオレは入った事ない。一人で探索出来るほど、ここの気候との相性は良くないからな」

 「………だよね」

 

 アステルはホッとした。

 

 「けど、ビビアンは詳しいな」と、スレイ。

 

 「だってビビアン姉は、元々イシス生まれだからね」

 

 馬車の幌からレナがひょこんと顔を出して答えた。

 

 「じゃあ、今回は里帰りでもあるんですね」

 

 アステルの言葉に、ビビアンは肩をすくめて頬笑むだけだった。

 

 「……で。どうするの? このままじゃあいつらとぶつかるけど」

 

 「勿論迂回する。わざわざ亡霊を刺激する事はないだろ」と、スレイは手綱を引く。

 

 「わかった」モッカーナも手綱を引いた。

 

 三台の馬車は大きく迂回する。アステルは遠ざかる人影を見えなくなるまで眺めていた。

 

  

 

 それから更に四日後の明け方。

 小高い砂丘から昇る太陽の光を浴びて、きらきら輝く水面と椰子の木や緑繁る大きなオアシスが見えてきた。その傍に聳えるは宮殿。それを取り囲むように街並みが見える。

 

 一行はついに砂漠の都に辿り着いた。

 

 

* * * * * *

 

 

 ────砂漠の国イシス。太陽神ラーと、イシス初代王(ファラオ)を尊び、文化や歴史を重んじるこの国は街並みの中にも歴史的建造物が多く存在する。

 以前は観光地として賑わっていたが、この時代、物見遊山で恐ろしい魔物が横行闊歩する苛酷な砂漠の旅をする者などいない。

 ……しかし。今のイシスの都はかつての姿を彷彿とさせるほど賑わっていた。

 そこらじゅうで太鼓や笛の音が鳴り響き、露店も出ており城下は活気づいていた。女王即位記念祭に合わせて、多くの観光客や商人が既にイシスにやって来ているのだ。こうなると宿はどこも満室状態である。アステル達はモッカーナの厚意に甘えて、馬車で一眠りし、昼過ぎに目覚めて、劇団の皆と共に街の公衆浴場へと赴いていた。女王との謁見の前に長旅の汚れを落とし、身なりを整える為に。

 石を敷き詰めた浴場は広く清潔で、地下より汲み上げられた水は清く冷たく、火照る身体を涼やかに癒してくれた。

 

 「女王との謁見を望むんなら、ぎりぎり間に合ったね」

 

 女湯の脱衣場で、風呂から上がったビビアンはその悩ましげな肢体をタオルで包み、濡れた髪を拭きながら、アステルに言う。

 

 「どういう事ですか?」

 

 アステルは下着を身に付け、ブラウスに袖を通しながら、ビビアンを見た。

 

 「四日後の女王即位記念祭は誕生祭でもあるんだ。女王は成人したその日に即位したからね。

 イシス宮殿は平民も自由に出入りできるから、誕生祭が始まると、お祝いを言いに謁見する人々でごったがえすよ」

 「あとあと! その女王さまがものスッゴい美人なんだって! なんでも魔王だって膝まづく程とかなんとか噂なんだよ~?

 せっかくイシスに来たんだから、会えるなら一度は会ってみたいよね~っ」

 

 レナが下着姿のまま設置されているベンチに腰掛け、椰子の実のジュースを啜る。その隣でマァムもジュースを飲んで涼んでいた。

 

 「魔王も膝まづくって……それは言い過ぎなんちゃう?」

 

 下ろしていた髪を結い上げながら苦笑し、「……っていうか、魔物に人の美醜の見分けなんてつくんやろか」と、シェリルは真面目に考えこんだ。

 

 湯場から出たアステル達は、同じくさっぱりとなった男衆と合流し、モッカーナ達と暫し別れを告げ、イシス宮殿へと足を運んだ。

 

 






ビビアンとレナが纏っているドレスは、実際にあるベリーダンスの衣装を見て描いています。ベリーダンスの衣装って凄く綺麗ですよね。文字での表現はとても難しいですが(汗)
見た事ない方は是非検索してみてください!

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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砂漠の都

 

 

 

 「イシス宮殿へようこそ。砂漠を旅して、さぞお疲れでしょう。どうぞごゆるりと」

 

 宮殿入り口を守る門兵は物腰柔らかに、アステル達旅人を歓迎し招き入れた。顔は人、体は獣の不思議な対の像に挟まれた直路(たたじ)を通り抜け、城内に一歩入ると、そこには───

 

 「にゃんこぉ~~~~~!!!」

 

 

 ─────猫がいた。

 

 

 「ってゆうか、いすぎやろっ!?」

 

 言ってるそばから、猫がシェリルの頭に乗っかる。

 入り口の広間一面、猫、猫、猫。

 まるで猫の間だった。

 アステルは頬を染めて、寄って来た子猫をそっと抱き上げると、子猫は一鳴きし彼女の頬に顔を擦り寄せる。

 

 「かわいい……っ!」

 

 マァムは「にゃんこ、にゃんこぉ~」と猫を追っかけ回し、そのマァムから逃れる為に、複数の猫に体をよじ登られるタイガとスレイ。

 

 「ようこそ。旅の方。イシスでは猫は、天災や疫病から人々を守る神の使いといわれ、大切にされているのですわ」

 

 マァムから逃げてきた猫を抱えて、宮殿仕えの侍女がアステル達に声をかけてきた。

 

 「ですから、あまり猫達を怯えさせないでね? お嬢さん?」

 「一緒にぃ遊んでただけだよぅ」

 

 マァムは眉間を寄せて、頬を膨らませた。が、ふいにばっと後ろを振り返った。

 

 「どうかしたか?」

 

 頭に子猫を乗っけたまま、タイガがマァムに近付く。しかし、マァムも首を傾げ、「なんでもなぁい」と返事した。

 

 「マァム、タイガ行くでぇ」

 「はぁ~~い」

 

 マァムそしてタイガは先に進もうとするアステル達の元に駆けていく。

 

 その後ろ姿を柱の影でじっと見詰める、赤い目の黒猫の姿があった。

 

 

* * * * * * 

 

 

 宮殿の中はひんやりと涼しい。床はむきだしの石。けれど丹念に掃き清められている。

 内部の通路の壁一面には、太陽神ラーのイシス降臨と初代ファラオ王の誕生、国の成り立ちを綴った沈み彫のレリーフが細やかに刻まれていた。

 女王が治める国だからだろうか、宮殿内は男性や兵士より、美しい薄絹を纏った侍女の姿の方が多く見られ、外国人である一行に警戒する事なく頬笑み会釈する。

 玉座の間へと続く階段手前には、守衛が立っており、そこでも丁寧に会釈された。 

 玉座の間に豪華な装飾品やシャンデリア、絨毯などはない。しかし、四方の切り出し窓から、眩しすぎず暗すぎず微妙に調節された自然光が入り、美事な彫刻の成された壁や柱を照らしている。

 アステル達は今は誰も掛けていない玉座の前に膝まづき、頭を垂れた。

 やがて此方へやって来る衣擦れの音が、耳に入ってきた。

 

 「面をあげなさい」

 

 アステルは顔を上げ、そして目を見開いた。

 

 ───綺麗。

 

 その一言に尽きる。

 先のエルフの女王の幻想的な美しさとは違い、目の前にいる彼女は生命力を感じる人として完成された美しさだった。話で聞く限りでは女王は、三日後の誕生祭で十七になるはず。

 しかし、その孔雀石(マラカイト)の瞳は歳にそぐわないほど、静かで大人びている。

 イシスの民は男女共に、褐色の肌の者が殆どだが、女王の肌は透き通るように白い。艶やかで真っ直ぐな黒髪を顎のラインで切り揃え、蛇を模した黄金の冠を被っている。首から胸元まで黄金の飾りが施された白い絹のドレスを纏い、耳、手足首も黄金で出来た輪で飾っていた。

 

 (あれ?)

 

 でも、女王様誰かに似ているような……。

 アステルは心の中で頭を傾げた。女王の方もアステルを見て、しばし目を見張っていたがやがて、口許が綻んだ。 

 

 「よくぞ参られました。勇者アステル。貴女の父、勇者オルテガの話は先代王から聞き及んでおります」

 

 そう言って女王は玉座から立ちあがり、二段の段差を降り、アステルの前に立つと、膝まづき、(こうべ)を垂れた。

 その行動に周りの侍女や守衛、宰相から悲鳴と戸惑いと非難の声が上がる。

 アステルも仲間達も、驚き、言葉をなくした。

 

 「女王陛下っ!!!」

 「女王様! なんて事を!!」

 「どうかお立ち上がり下さい! 女王様っ!!」

 

 驚きのあまり呆然としたアステルだったが、家臣達の声にはっと気を取り戻し、慌てて女王を立ち上がらせようと手を伸ばすが、その高貴な身に触れる事に躊躇い、わたわたと手をさ迷わす。 

 女王は伏せていた瞼をゆっくり上げると、間近にある少女の狼狽した顔に頬笑みかける。

 

 「これは亡き祖父からの遺言なのです。いつか、オルテガかサイモンの血族がこの地を訪ねた際は自分にかわり、謝罪してくれ……と」

 「……え? あ、と、とりあえず、お立ち上がり頂けますか? お願いします」

 

 アステルの懇願に、女王は頷き、アステルに手を差し出す。彼女は慌ててその手を取り、玉座まで付き添う。玉座に腰掛け、女王はアステルを傍に立たせたまま、話始める。

 

 「先代は嘆いておられました。自分が与えた知識が、世界の希望を死に追いやったと。

 アリアハンの勇者オルテガ。そして、サマンオサの勇者サイモン。

 二人は魔王の島へ辿り着く手懸かりを求め、このイシスの地に、我が祖父、先代王を訪ねにやって来ました。 

 このイシスの南の大陸、荒ぶる火山、険しき山々に囲まれたかの地ネクロゴンドは、魔王の邪悪なる本拠地と成り果ててしまいましたが、その昔は大地の女神ガイアの加護を受けし聖なる地であり、グランディーノ王国の領地でもあり、そして、彼の国と太陽の女神ラーの加護を受ける我が国とは姉妹国でもありました」 

 

 「グラン、ディーノ……」

 

 今はなき王国の名をアステルは呟き、女王は頷く。

 

 「故にグランディーノ王国の古き伝説は我が国にも伝わっていたのです。

 王国の宝、神剣〈ガイアの剣〉は荒ぶる大地の神の怒りを鎮め、路を切り開く剣と。

 大地神の怒り……それは恐らくネクロゴンドへの上陸を阻み、今も噴火し続けているギアガ火山を指しているのだろうと、祖父は言っていました」

 

 シェリルとタイガはスレイを目で追う。

 〈ガイアの剣〉……それは、彼の旅の目的。彼が探し求めている剣。

 スレイは目を細めて、話す女王とそれを聞くアステルを見詰めた。

 

 「そして、どういう経緯でそれを手にしたかはわかりませんが、サイモンは既に〈ガイアの剣〉に選ばれた勇者だったのです。勇者達はネクロゴンドの地に踏みいる決意をし、……そして」 

 

 女王は瞼を伏せ、アステルも視線を床に反らした。

 

 「……よろしいでしょうか?」

 

 シェリルが躊躇いがちに声を上げる。女王は頷き、発言を促す。

 

 「勇者オルテガは火山にて亡くなったと聞いております。なら、その〈ガイアの剣〉を持った勇者サイモンはどうしたのでしょうか?」

 

 シェリルの質問に女王は首を横に振る。

 

 「……わかりません。人伝で聞いた話では、勇者サイモンは勇者オルテガと交わした約束の地に現れなかったと。彼もまた、行方知らずになっていると聞いています」

 

 スレイは僅かに頭を伏せる。床に着けた拳に力が籠るのを、タイガは見た。

 女王はアステルの手を労るように撫でる。アステルはどきどきと胸を鳴らせて、その美しい手指を眺めていた。

 

 「祖父はオルテガの子が娘である事を知っていました。そして、申し訳ないと……こういう事だったのですね」

 

 女王の表情が翳る。

 

 「オルテガが生きていたなら……この手は剣を握る事などなかったでしょうに」 

 「いいえ。女王様」

 

 明るい声でアステルはそれを否定した。

 

 「私、剣術も好きなんです。父の事がなくても私は剣は握っていたでしょう」

 

 アステルははにかむ。

 

 「あの……ネクロゴンドに旅立つのを決めたのは父自身。そして私が〈勇者の証〉を受け、旅に出たのも自分の意志です。誰のせいでもございません……だから」 

 

 「……ありがとう」

 

 女王は勇者と呼ばれる少女の手に口づけし、微笑んだ。

 

 

* * * * * *

 

 

 「……アステル。わたくしは先代の遺志を継ぎ、勇者である貴女への援助を惜しみません。貴女が今望む物は〈魔法の鍵〉ですね?」

 「どうしてそれを?」

 

 女王様には驚かされっぱなしだ。そんな事を思いながら、アステルは訊ねる。

 

 「ひと月前に、ロマリア王から文書が届きました。魔王討伐を志すアリアハンの勇者に、ポルトガへの関所の扉を開く〈魔法の鍵〉を託して欲しいと」

 

 アステル達の脳裏に、得意気に笑うロマリア王の姿が浮かんだ。

 

 「ひと月前って……あんの王様、ウチらが依頼断らへんの見越して手回ししとったんやな」

 

 女王に見えぬよう聞こえぬように、俯いてぼそりっと呟くシェリル。

 

 「〈魔法の鍵〉は王墓ピラミッドにあると、伝え聞いております。今から城のピラミッドに詳しい者を手配して……」

 

 「───なりませぬぞっ!」

 

 女王が控える宰相に指示しようと手を上げた、その時。玉座の間に一人の男の声が響いた。

 アステルは驚き肩をすくめ、声のした入り口を見、女王は眉をひそめた。

 「御待ちください」「陛下は謁見の最中です」そう言う守衛を押し退けて、玉座の間に入った人物は、黒髪に白い肌、孔雀色の瞳と、女王と血の繋りを感じさせる壮年の男性だった。

 踝までも隠す高級感のある白い生地に金糸で美麗な刺繍を施された長衣を纏い、女王と同じように首もと、手足首に黄金で出来た幾重にも重なった輪が飾っている。

 

 「カリス様」

 「〈魔法の鍵〉は王家の宝! そして初代ファラオの王墓は、私達王族でも無闇に立ち入る事を許されない場所。そこに奉納された宝を余所者の為に持ち出すなど! イシスにどのような(わざわい)が降りかかるか……!

 それにポルトガの関所が閉ざされた、そもそもの理由をお忘れか!?

 古代大戦時代、ポルトガはイシスから国宝であり、太陽神の象徴である〈ラーの鏡〉を持ち去り、あまつさえそれをどこかに売り払い紛失した!

 怒った初代が国境を封じた事が始まりなんですぞ!」

 「忘れてなどおりません。ですが、勇者の手助けをする。これは先代の、御自分の父上の御遺志ではありませんか」

 

 女王の毅然とした態度に、カリスと呼ばれた貴族の男は唇を噛む。

 

 「それに、古代大戦終結の折りに、彼の国は我らに侘び、そして我らはその罪を赦しました。

 過去の歴史が原因で諍い、壁を作る事。

 それになんの意味があるのでしょうか。

 海の魔物の凶暴化を鑑みれば、民草の安全な移動の為にも、国境は開放した方が良いに決まっています」

 

 自分より歳かさのある男を、女王は落ち着いた声音で諭す。

 

 「……くっ!」

 

 カリスと呼ばれた貴族の男は、忌々しげに女王を見、そして女王の傍らに立つアステルを睨み、ニヤリと笑った。

 

 「……ならば。ならば、この者達が自らピラミッドに赴いて〈魔法の鍵〉を取りに行かせれば良いのでは?」

 「なっ……!」

 「我ら王族が守るべきイシスの民を危険な目になど、ましてや初代ファラオの逆鱗になど触れさせたくなどありません。

 勇者なるこの娘に初代王の赦しと先代の加護あらば、無事〈魔法の鍵〉を手にする事が出来ましょうぞ」

 「ですが、ピラミッドには盗賊避けの数々の罠が施されています。それだけではなく、魔王の力の影響で魔物まで現れるようになったというのに……!」

 

 冷静さを欠き始めた女王の態度に、カリスはしてやったりと、ほくそ笑む。

 

 「なら、なおの事。愛すべきイシスの民を向かわせるなど出来ませぬなぁ。それに魔王討伐を志す者達が、人の施した罠になど、魔王の手下の魔物などに後れを取りますまい」

 「カリス様!」

 

 「────わかりました」

 

 アステルがカリスに見向く。

 

 「それで〈魔法の鍵〉を持ち出す事をお許し頂けるのなら。私達のみでピラミッドへ参ります」

 

 女王を守るように脇に立つ、凛々しい勇者の力強い宣言に、イシス王国の家臣の一人が「オルテガの再誕だ」と呟く。

 そして玉座の間に歓声と拍手が湧いた。

 

 悔しそうに、申し訳なさそうに見上げる若き女王に、アステルは力付けるように精一杯、微笑んだ。

 

 






主人公と少しでも親近感を持たせる為、女王様は敢えてアステルとあまり歳が変わらない少女にしました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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鍵を求めて《童歌》

 

 

 

 「なんや! イヤミったらしいおっさんやったなぁ!!」

  

 玉座の間を出て開口一番、シェリルは言った。

 

 「シェリルってば……っ」

 

 アステルは慌てて玉座の間の入り口に立つ守衛を見たが、守衛は知らん顔をしてくれていた。どうやら、聞き逃してくれるようだ。

 あの男は女王の血族にあたるらしいが、女王ほど人徳があるわけではないらしい。

 

 「別にだ・れ・がっ! とは、ゆーてへんのやから大丈夫や」

 

 アステルの宣言の後、カリスという貴族は〈魔法の鍵〉を手に入れたら宮殿に戻るようにと更に条件を付けてきた。

 アステルがピラミッドから〈魔法の鍵〉を持ち帰れなければ、彼女を勇者と認めた女王の面目を潰せると踏んだのだろう。

 

 「でも、みんなに相談せずに勝手に決めちゃって、ごめんなさい」

 

 「アステルは後悔しているのか?」と、タイガ。

 

 「してない。だからごめん」

 

 アステルはキッパリと答えた。それを聞いたタイガとシェリルは、にかっと笑う。

 

 「まあ、国の宝とやらを預かるんだ。それ相応の力量を俺達が示して黙らせればいい」

 「そぉや。あんの偉そうなおっちゃんに一泡吹かせたろ! それに心配せんでも、ウチらにはちゃーんと発掘のプロがおるんやしな! ……なあ? スレイ?」

 

 シェリルが隣に立つスレイを見た。

 しかし、返事が返ってこない。

 スレイは固い表情のまま足元をじっと見詰めていた。

 

 「スレイ?」

 

 アステルがスレイの腕に触れ呼び掛けると、はっと顔を上げ、そして仲間達を見た。

 

 「………ああ。すまない。なんだ?」

 

 スレイは心配そうに見上げるアステルの頭をわしわしと掻き撫でる。

 

 「もしかして〈ガイアの剣〉の事考えとったんか?」と、シェリル。

 

 「……ああ。まさかこんな所で情報が入ってくるとは思わなかった……からな」

 

 スレイの言葉にシェリルが腕を組む。

 

 「サマンオサの勇者サイモンか……。オルテガさん一人で旅しとったんやなかったんやな。アステルはこの事知っとったんか?」

 

 アステルは首を横に振った。

 

 「父さん……知り合いは多かったみたいだけど、一緒に旅してた人の話は初めて聞いた……。母さんかお爺ちゃんなら、なにか知ってるかも「いや、すまない。今はそれよりもピラミッドだ」

 

 と、スレイは二人の会話に割って入った。

 

 「えっ? でも、気にしてたんでしょ?」

 「そうや。折角手懸り掴めたんやろ?」

 「それはそうだが……」

 

 二人に詰め寄られて、スレイは言葉を詰まらせた。その時。

 

 「……なあっ!!!」

 

 と、タイガがいきなり大きな声を上げ、三人(と、玉座の間の守衛)は竦み上がった。

 

 「なんや! いきなり!!」

 

 シェリルがぐわっとタイガに見向く。タイガは苦笑を浮かべて、

 

 「いやぁ、な? やけに静かだと思ったら、マァムがさっきからいないんだが」

 

 「「「えっ」」」

 

 「あの……」と、玉座の間の守衛が四人に声をかける。「ご一緒にいた金髪の娘さんなら、あちらに走って行かれましたよ」

 

 守衛はマァムが走って行ったという通路を指差した。

 

 「マァムったら!!」

 「一人にしたら、なにしでかすかわからへんで!!」

 

 アステルとシェリルは真っ青になって、マァムを追いかける。小さくなる二人の背中を眺めて、スレイは溜め息交りにタイガに言う。

 

 「……助かった」

 「なんの事だ? それよりも早く三人を追いかけんとな」

 

 タイガは変わらぬ笑顔で、スレイの背中を前に押し出すように叩いて、三人を追って歩き出す。結構な力で叩かれてスレイはよろけた。

 

 『オルテガが生きていたなら………この手は剣を握る事などなかったでしょうに』

 

 女王の言葉が脳裏に蘇る。それを打ち払うように頭を振ると、スレイは前を向き四人の後を追った。

 

 

 

 『まんまるボタンは不思議なボタン~~

 まんまるボタンで扉が開くぅ~~♪

 東の西から西の東へ

 西の西から東の東ぃ~~~♪♪』

 

 「この声……」とアステル。

 

 「マァムの声や。こっから聞こえるで」

 

 扉の開いた部屋の中を二人はそっと覗いた。部屋には絨毯が一枚敷かれており、積み木や木馬の揺り椅子などの玩具やクッションが散らばっている。

 床に座って子供二人と楽しそうに歌うマァムとそれを見守る年老いた侍女がいた。

 二人の視線に気付いたマァムは、

 

 「あっ、みんなぁ~~!」と手を振った。

 

 「『あっ、みんなぁ!』ちゃうわ! 一人でうろちょろすなっ!」

 「ひゃんっ!!」

 

 シェリルは部屋に入って、すかさずマァムの頭をぺしっとはたいた。

 

 「だってぇ~~! つまんなかったんだもん!」

 「マァムが迷子になってないかって、心配したのよ?」

 「むうぅぅ……ごめんなさぁいぃ」

 

 優しく諭すアステルに、マァムははたかれた頭に手をやりながら素直に謝った。

 

 「すみません。お邪魔してしまったみたいで……」

 

 謝るアステルに侍女は首を横に振る。

 

 「いいえ。御子様がたも楽しんでおられましたから」

 

 そう言って二人の子供に視線をやった。

 

 子供達は双子の男の子で、女王やカリスと同じ、黒髪に孔雀色の瞳、白い肌をしていた。

 

 「この方々はもしかして王家の……?」

 「ええ。カリス様の御子様がたですわ」

 

 双子はキョトンとアステルとシェリルを見、それからマァムにすがりつき「鬼ごっこしよう?」と二人で手をひいた。

 マァムが鬼になって、「待て待てぇ~~!」と二人を追いかけ回す。子供達はきゃっきゃっと部屋をはしゃぎ回った。

 

 「貴女は……アリアハンの勇者様ですね?」

 「どうしてそれを?」

 「アリアハンの勇者、オルテガ様と同じいでたちをされていますからね。ひと目ですが、そのお姿を見た事がございます」

 

 驚くアステルに、侍女は懐かしそうに語った。

 

 「おお。ここにいたか」

 「あっ! タイガぁ~~!」

 

 追い付いて部屋に入ってきたタイガに、マァムが飛び付いた。

 

 マァムやタイガが双子の遊び相手をしている間、アステル、シェリル、スレイは玉座の間で起こった事を年老いた侍女に話した。

 

 

 「───そうですか。そんな事が」

 

 侍女は深く溜め息を吐いた。

 

 「あの、カリス様は女王様を……その、目の敵……に、されているように私には思えました。何故なんですか?」

 

 躊躇いがちに問うアステルに、侍女は頷いた。

 

 「カリス様にはカロル様という兄君がおられたのです。ところが、王位に就く前にカロル様は流行り病でお亡くなりになられました。カロル様は生前、妻を娶る事を頑なに拒み、御子様はおられなかった。

 次の王はカリス様だろうと誰もが思っていました。カリス様御自身でもそう思ってらっしゃったでしょうね………ですが。

 先代はある日突然、カロル様の御子だと幼かったティーダ様……女王様を宮殿に連れてこられ、自分の後継ぎとして育て始めたのです」

 

 「え……?」

 「不義の子ってやつやな」

 

 戸惑うアステルに、シェリルが耳元でそっと囁く。 

 カリスにとっては憎らしい事この上ないだろう。

 父王はわざわざ外で生まれ育った、上の子の娘を探し出し、女王として教育してまで、自分を認めず後を譲らなかった。

 おまえは(ファラオ)に相応しくないと言われたも同然だ。

 

 「そりゃ、カリス様も女王様を嫌うわけやな。」

 

 女王にはなにも罪はないが。

 

 シェリルの言葉に侍女は頷いた。

 

 

 『まんまるボタンは不思議なボタン~~

 まんまるボタンで扉が開くぅ~~♪

 東の西から西の東へ

 西の西から東の東ぃ~~~♪♪』

 

 暗い空気がマァムと双子達の明るい歌声で取り払われた。

 

 「……変わった歌ですね」アステルは苦笑した。

 

 「王族に伝わる童歌(わらべうた)ですわ。なんでもピラミッドの秘密が隠されているとか……でも、なんの事やらわたくしにはさっぱり」

 

 

 侍女は頬に手を当てて、首を傾げた。

 

 

* * * * * *

 

 

 アステル達が宮殿を出ると、太陽が西へと傾きつつあった。

 ピラミッド探索に向けての消耗品の買い出しを手分けして素早く済ませ、ついでに夕食も屋台で済ませて、モッカーナ劇団の馬車に戻った頃には、すっかり日も暮れていた。

 

 「それは、大変な事になりましたなぁ。よかったら我々の馬車を一台お貸ししましょうか?」

 

 馬車の中でピラミッドに行く事になった経緯を聞き、モッカーナはそう申し出てくれた。

 

 「ありがとうございます。でも、ここからピラミッドまでは、徒歩でも一日もかからないそうなので歩いて行きます。帰りは瞬間移動呪文(ルーラ)かキメラの翼で帰りたいので……」と、アステル。

 

 「ふむ……確かに。帰りの事を考えたらその方が楽か」

 

 顎を撫でながらモッカーナは言った。

 

 「また戻って来るんでしょ?」と、レナが胡座をかいて体を左右に揺らしながら聞く。

 

 「〈魔法の鍵〉を宮殿に持って行かなあかんからな」と、シェリル。

 

 「あたし達も宴に合わせて明日から宮殿でお世話になるから、あちらで会えるかもね」

 

 ビビアンの言葉にレナが「やった!」と、マァムの手を取って踊り出した。

 

 「ねえねえ! 女王様ってどんな感じのひと!? 噂通りの魔王も膝まづく美人!?」

 

 レナはマァムの手を掴んだまま、意気込んでアステル達に尋ねた。

 

 「魔王が膝まづくかどぉかはわからんけど、めちゃくちゃ綺麗なお方やったで。なぁ? アステル?」

 「うん。凄く綺麗に笑う方で、優しくて素敵だった……」

 

 そこまで答えて、アステルははっと気付いた。

 

 (女王様……明後日、十七になるけど、今は私と同じ歳……!)

 

 大人っぽい体形やら、雰囲気やら、振舞いやら。比べるのもおこがましいが、アステルはがくりと項垂れた。

 

 「おおうっ!?」

 「どないしたー? アステル」

 「アステルぅ?」

 「大丈夫?アステル」

 

 レナ、シェリル、マァム、最後にビビアンがアステルを囲み声をかける。

 

 「な……なんでもないです」

 

 ふと、顔を上げると心配げにのぞきこむ、ビビアンと目が合った。

 

 (………あ、)

 

 「……本当に大丈夫? アステル」

 

 ビビアンが訝しげに見るので、アステルは慌てて首を縦に振る。

 ビビアンの肌は褐色。瞳は漆黒。髪は同じ漆黒だが、彼女にはうねりがみられる。

 

 けれどその面立ちは。

 

 さっきの自分を労るあの表情は。

 

 女王様……ビビアンさんと似てるんだ。

 

 

 「………でも、どうして?」

 

 彼女の呟きに答える者は誰もいない。

 

 

* * * * * *

 

 

 夜半過ぎ。アステル達はイシスを出発した。聖水をかぶり、魔物の出現を少しでも減らす。月の光のもと、砂の大海に足跡を残しながらアステル達は歩を進める。太陽が昇る前にピラミッドに少しでも近付けるように。

 その甲斐あって、太陽が昇り本格的に気温が上がる前に巨大な四角錐状の建造物《ピラミッド》と呼ばれる王墓に到着した。

 

 その大きさ、高さに一行は圧倒された。近くで見るとピラミッドは、切り出した大小の石を積み上げて出来ているらしい。

 

 「これは凄いな。何千年も前にこれを人が造り上げたのか……こんなに巨大な遺跡が今も機能しているのか……」

 

 興味深げにブロックに触れ、眺めるスレイの様子にアステルは内心ほっとしていた。

 イシスでの謁見から何故かはわからないが、彼がどこか落ち込んでいるようにアステルには感じられた。しかし今のスレイはいつものスレイだ。

 

 一行は中へと入る。入り口は暗かったが中に進むにつれて、視界が困らない程度に仄かに明るくなる。どうやら内部の石材は、暗闇で光を放つ素材らしい。

 

 「……涼しい」アステルが呟く。

 

 ピラミッド内は太陽の光が完全に遮断され、涼しい。それに一番ホッとしているのは、やはりスレイだった。

 

 「なんかウチ、涼しい通り越して寒いんやけど……」

 

 シェリルはぶるりと震え二の腕を擦った。

 

 「あ~~! もぉしかしてぇ~~シェリルぅ怖いんだぁ~~」

 「そっ……そんな事あらへん!」

 

 ニヤニヤ笑うマァムに、シェリルは腕を組んでふんっと鼻で笑う。顔は真っ青だが。小刻みに体が震えているが。

 

 「シェリルはぁお化けがぁ怖いんだぁ~~!」

 「マァ~~ム~~っ!!」

 

 追い掛けるシェリルの手を、マァムは踊るステップに合わせながら避ける。

 

 「やめ……っ!」

 

 スレイが叫ぶも、既に遅く。

 

 かちりっと嫌な予感のする音を耳にした途端

 

 

 ───足元の床が抜けた。

 

  

 

 








ピラミッドの仕掛けヒントの歌。DS版(スマホ版?)にリメイクされたら短くなってますよね。びっくりした。
呪文に『おぼえる』がなくなったせい?時短の為?(笑)さほど難しくもない仕掛けが更に簡単になってる(泣)

ちなみに作中ではSFC版を起用してます。小説のネタ再回収の為、手早く遊べるDSで再プレイしてますが、ダンジョンの広さ、グラフィック(ロット画LOVE)、モンスターの動き、音楽、すごろくと私はSFC版が好きです。

最新リメイク版はどんなのかなぁ。
リメイクが発売するのが先か。この小説が完結するのが先か。

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鍵を求めて《ピラミッド》

 

 

 

 ────ドシャッ!! グシャッ!!

 

 「いたたたっ……」

 

 アステルは体を起こす。随分長い事落ちた気がしたが、何かがクッションがわりになったお陰で怪我はしていない。ぱきっと小枝を折った時の音と感触に、アステルは手元を見やる。

 

 そこには折り重なる白骨化した残骸があった。

 

 「きぃっ……!」

 「ひぎゃああああっ!!」

 

 シェリルの絶叫が空間に轟いた。

 

 悲鳴を思わず呑込み、アステルが横に目をやると、そこにいたのは頭に髑髏を乗せて腰を抜かした真っ青なシェリル。

 ……と。スレイがアステルの両脇に手を入れて立たせた。

 

 「離すぞ。立てるか?」

 「うっ……うん。なんとか」

 

 それを聞いてスレイはそっとアステルから手を離した。

 

 「マァム、シェリル! ここではふざけるな!」 

 「はぁ~~い」

 

 マァムがむすぅっと、返事する。どうやら今回は上手く着地が出来なかったようで、服が泥と蜘蛛の巣だらけだ。シェリルは「う~う~っ」と半泣き状態でタイガにすがり、タイガは苦笑して彼女の頭に乗っかっている髑髏を取ってやる。

 

 「ここは建物の一番下か?」

 「今、確かめる……フローミ」

 

 スレイは手を翳し呪文を唱えた。探知呪文フローミ。盗賊による創作呪文で、風を起こし空気の流れを感知する事によって、建物内の構造を調べられる呪文である。 

 しかし。その風が起きない。スレイは眉を寄せ、もう一度フローミを唱えた。

 

 ───やはり、風は起きない。

 

 

 「呪文が発動しない……?」

 

 スレイはアステルを見た。アステルは頷き、手を翳す。

 

 「……初等火球呪文(メラ)っ!」

 

 火の玉は現れずアステルの声が空間に響くだけだった。

 

 「ホぉイミぃ~~」

 

 マァムも軽く擦りむいた自分の手の甲に治癒呪文をかけてみるが、なにも起こらなかった。

 

 「むうううぅっ!」

 

 アステルはマァムに近付き、彼女の擦りむいた手に水筒の水を傷口にかけて綺麗にし、薬草を当て包帯で巻いてやる。

 

 「ここは魔法が使えない空間……?」

 「そうらしいな。とりあえず上に上がる階段を見つけよう」

 

 スレイの言葉に皆が頷き、腰を下ろしていた者は立ち上がった。……が。

 

 側にあった骸も次々に起き上がった。何処からともなく現れた白と紫の包帯が、骸の体に巻き付く。

 

 「ひああああっっっ!!」

 「むおうっ!!」

 

 シェリルはとっさにマァムを抱き締めた。白い包帯で包まれた死体〈ミイラ男〉と、不気味な紋様が施された紫色の包帯で包まれた死体〈マミー〉。それらが両手をさ迷わせながらこちらに近付く。

 

 「数が多い。連係で倒すぞ。アステル、剣じゃなくブーメランで戦え。マァムは鞭で奴等の足元を狙って転ばせろ。タイガとシェリルは止めを頼む」

 「わかった!」

 「はぁ~い!」

 「おう!」

 「りょ、りょ、りょ、了解」

 

 シェリルは完全に怯えていた。青ざめて震え上がってしまっている。

 

 「シェリル。あれは亡霊なんかじゃなくて、バラモスが操る魔物だ。アニマルゾンビやバリィドドッグと同じ奴等だ。必要以上に恐れるな」

 「第一、皆そばにいるから大丈夫だよ。シェリル」

 

 スレイの言葉とアステルの笑顔にシェリルは唾を飲み込んでから頷き、眉尻を上げて魔法のそろばんを強く握った。

 

 「………意外だな」

 「え?」

 

 スレイがぽつりと呟き、アステルが視線は魔物に向けたまま、疑問の声を漏らした。

 

 「アステルもこういう類いは苦手かと思ってた」

 「苦手だよ。でも、私以上に怖がってるシェリル見てたら、なんか冷静になっちゃった」

 

 「「「はっ!!」」」

 

 アステルの言葉にスレイ、タイガ、マァムは思わず声を上げて笑う。

 

 「アステルぅ~~!?」

 

 シェリルが非難の声を上げた。

 

 「くっくっ……上等だ!」

 

 スレイがニヤリとする。

 

 襲いかかってきた魔物に、スレイが刃のブーメランを投げつけ、ドラゴンテイルを振るう。アステルもすかさずブーメランで追撃する。マァムは体当たりしてくるミイラ男の攻撃を軽やかにかわし、横一列に並ぶ魔物達の足元をチェーンクロスで凪ぎ払い、転ばす。マァムが転ばした、アステルやスレイが討ち漏らした輩をタイガの鉄の爪が切り裂き、シェリルの魔法のそろばんが打ち倒していった。

 倒された魔物が石に変化するのを見て、シェリルも襲ってくるものが、魔物だと確信する。そうなると、彼女の中の恐怖が吹っ切れ、動きにいつものキレが戻った。

 

 陣形を崩さず、少しずつ移動し、たまに聖水を振りかけ魔物達を遠ざけながら、骸だらけの空間を探索する。

 

 「うっ?」

 「どうしたの? マァム?」

 

 アステルに答えず、マァムは陣形を離れ、盛り上がった骸骨の山をいきなり掘り起こし始めた。ぽんぽんぽーんっと無造作に骨を撒き散らす。

 

 「なっなにしてるんや! マァム!!」

 

 こちらにまで降ってくる骨を慌てて避けながら、シェリルが叫ぶ。

 

 「階だ~んっ、み~~っけ!!」

 「「「「えっ」」」」

 

 マァムの楽しそうな声に、アステル達は彼女に近付く。そこには地下へと続く階段があった。

 

 「いや、ウチら上に〈昇る〉階段探してるんやけど」

 「う?」

 

 シェリルはマァムに突っこみを入れる。

 

 「でも、怪しいよね」とアステル。

 

 「大事な物は建物の一番上か、下に隠してるもんだからなぁ」と、タイガ。

 

 「降りてみるか?」スレイの問いに皆頷いた。

 

 階段を降りたどり着いた空間は、上の階より空気が更に重く冷たく感じた。人一人がやっと通り抜けられる程の細い通路を抜けると、大きな広間にでた。

 そこには一つの棺が安置されていた。

 スレイは後方にいるアステル達に振り返り、「開けるぞ?」と、確認する。

 アステル達は頷き、シェリルはマァムの後ろに隠れた。

 スレイが蓋をずらすと、一体のミイラがあり、その手にはタイガが装備している鉄の爪と形のよく似た、豪奢な黄金に輝く爪をしていた。更に棺の中を調べたが、鍵らしき物は見当たらなかった。

 

 「タイガ。武闘家の武器みたいなのがあるが、貰ってくか?」

 

 スレイの言葉にタイガは棺の中を覗くが、その爪の装飾である黄金の顔と目が合うと顔を顰めた。

 

 「……確かに。鉄の爪より威力はありそうだな………別の意味でも」

 

 「ちょっと、ゴテゴテ過ぎて悪趣味よね……」と、アステル。

 

 「タイガにぃ似合わなぁ~~い」と、マァム。

 

 ────その時。

 

 『我が……宝に……触れ……馬鹿にする者に……呪』バタンッ!!!

 

 不気味な声が言い終える前に棺の蓋を三人で素早く締めた。

 

 「………なにもなかった」

 「うん。なにも聞こえなかった」

 「ハズレだな。うん」

 

 スレイ、アステル、タイガは頷き合い、不気味な声に固まるシェリルとぽけっとするマァムを抱えて地下の玄室を走り去った。

 

 ようやっと昇り階段を見つけ、上がると地上に出た。

 

 

 ────……振り出しに戻った。

 

 

* * * * *

 

 

 「今度は勝手に動き回るんじゃないぞ?」

 「はぁ~~い!」

 

 再びピラミッド内部で、スレイが半眼で念を押す。マァムは元気よく返事する。

 

 ………が、当てにならない。

 

 スレイは溜め息を吐きつつ、探索呪文フローミを唱えてみた。風が巻き起こり、ピラミッド内部の構造が手から脳へと伝わる。

 

 「ここでは呪文が発動するな」

 「じゃあ、呪文が発動しないのは地下だけ?」

 「多分な」

 

 問いかけるアステルにスレイは頷いた。スレイを先頭にピラミッド一階を探索する。先程の落し穴に気を付け先に進む。途中襲いかかる魔物はミイラ男やマミーだけでなかった。

 

 所狭ましと群れて現れる橙色の体に緑色の長い舌を持つ巨大な蛙魔物〈大王ガマ〉はタイガの苦手な眠りの呪文ラリホーを唱えてくる。眠らされる度、マァムは覚醒呪文ザメハを唱える……のではなく、鞭で文字の如く叩き起こしては、タイガを泣かせる。

 

 「マァム………」

 「スレイ。あのおふざけは叱らんでええんか?」

 「愛の鞭、らしいからな。嫌なら少しは眠りの耐性をつけるしかないな」

 「スレイ……」

 「鬼や……」

 

 厭らしい目つき、人を小馬鹿にしたように笑って舌を出す〈笑い袋〉は幻惑呪文マヌーサや呪術封印呪文マホトーン、防禦強化呪文スクルト、遅緩呪文ボミオス、極めつけが治癒呪文ホイミまで唱える。とっとと倒そうにも、アステルの攻撃呪文が全く効かない上、物理攻撃もすばしっこく動き回り回避しする。こちらを見て高らかに笑い声を上げる様は、アステル達を大いに苛立たせた。

 

 「───……ギラッ!!」

 

 アステルの掌から閃光が発せられ、ミイラ男が呼び出した〈腐った死体〉達……名の通り、目玉が飛び出し、皮膚がどろどろに溶け腐り、腐臭漂わせる屍人の魔物を炎が焼き尽くした。地底湖の洞窟で妖しい影を倒した呪文、ベギラマの一階級下の下等閃光呪文である。

 腐った死体達を倒し終え、アステルは額の汗を拭う。

 

 「アステル。まだここは一階だ。理力の配分に気を付けろ」

 「うん」

 

 アステルはスレイに頷く。

 

 「おっ! 宝箱があんで!!」

 「小ぃさなメダルかなぁ~~?」

 

 宝箱に向かってシェリルとマァムが駆けてく。スレイはその宝箱を見、サアッと青ざめた。

 

 「待て! 触るな! そいつは〈人喰い箱〉だっ!!」

 「え?」

 

 シェリルが宝箱に触れたその瞬間。宝箱はかぱぁっと大きく口を開ける。獲物を定める目玉、鋭い牙が現れ、箱の中から長い舌が二人の体を絡めようと伸びた。

 しかし、間一髪。タイガが二人の体に覆い被さり伏せる。人喰い箱は舌のみを収納し、がちんっと空気を()んだ。

 今度はアステルに狙いを定め、足のない箱のくせに、信じられない跳躍力を見せて飛び掛かる。アステルは立ち向かわんと剣を構えるが、スレイに強く腕を引かれる。

 

 「えっ!?」

 

 その拍子に手放してしまった鋼の剣を、人喰い箱は舌に捕え、なんと噛み砕いてしまった。

 

 「ああ~~っ!!」

 

 思わず人喰い箱に、捕まれてない方の手を伸ばすアステル。そんなアステルの腰に素早く手を伸ばし、スレイは小脇に挟むように持ち上げた。

 

 「きゃあっ!!」

 「タイガ!!」

 

 羞恥で赤くなるアステルを無視して、スレイはタイガに叫ぶ。彼もシェリルとマァム二人を両脇に挟んで持ち上げた。

 

 「ひゃあっ!?」

 「むおっ?」

 

 二人も短い悲鳴を上げる。

 

 「逃げるぞっっ!!」

 

 スレイとタイガは脇目もふらず逃げ出した。しかし人喰い箱はがちんがちんと歯を鳴らして、執拗に追いかけてくる。背後から容赦なく襲いかかる人喰い箱を娘達を抱えたまま、器用にかわしながら逃げるスレイとタイガ。

 

 「うっ……酔うっ」

 「キャハハハハ!!」

 

 タイガに担がれながら、シェリルは口元を手で押え青くなり、マァムは楽しげに笑い声を上げる。

 

 「スッ……スレイ! 自分で走れるっ!」

 「黙れっ! 舌を噛むぞっ!」

 

 スレイはアステルの頭を空いてる手で押さえつけ、しゃがみこんだ。人喰い箱はスレイの頭上をすり抜け、壁に食らい付く。

 

 ガリィッ!! と、壁は抉られた。

 

 「ひゃっ!」

 

 スレイはアステルを今度は肩に担ぎ、立ち上り走る。人喰い箱は地面に着地し、プッと食んだ石くずを吐き出し、再び追い掛けてくる。

 

 「奴の牙と舌に捕らえられたら、一発即死だっ! 剣みたいになりたくないなら黙ってろ!!」

 「………っ!」

 

 アステルは彼の背の衣をわし掴んで押し黙る。これほど切羽詰まった彼を見るのは、妖しい影以来だった。

 

 「……っ!」

 

 スレイは短く唸って止まった。この先はあの落し穴だった。タイガが振り返ると、退路を絶った人喰い箱の血走った目が笑った気がした。

 

 スレイはちらりと落し穴を見た。

 

 (……わざと落ちるか? )

 

 だが、床が閉まる前に人喰い箱も追いかけてきたら?

 

 (あの空間で、治癒呪文なしでこいつと戦うなんて自殺行為だ)

 

 人喰い箱は彼に結論を出す時間など与えない。大きく跳躍し、襲いかかってきた。

 

 

 「───ふんっ!」

 「!?」

 

 突然、アステルは背筋を使って上半身をぐんっと起こす。慌てたスレイは咄嗟に彼女の膝裏に回していた腕に力を込めてしまう。

 

 「えっ!? ……わわわっ!」

 「なっ!? ……うぷっ!?」

 

 降りるつもりだったのに、足を固定されて降りられなかったアステルの上半身は、ぐらりと傾ぐ。両手をばたつかせた彼女は慌てて彼の頭にしがみついた。服と鎖帷子(くさりかたびら)越しではあるものの、確かな()()()()を顔に押し付けられ、そんな場合ではないのにスレイはびしりっと固まってしまう。

 彼の動揺など露知らず、アステルは前を向くと目前に迫った人喰い箱を指差し、

 

 「睡気誘発呪文(ラリホー)っ!!」

 

 〈力ある言葉〉を言い放った。

 

 

 ────ガタッガタンッ!!

 

 人喰い箱は、ダラリと伸びた舌を挟んだ状態で口を閉めて動かなくなった。よく見ると箱は上下に静かに動いている。

 

 「……眠ってる……のか?」

 

 タイガの言葉にアステルに頭を抱き付かれたままのスレイははっと我に返り、彼女を顔から引き剥がし、有無を言わさず、その細い胴体を再び肩に担ぐ。腰にあるドラゴンテイルを取り出し、振るう。鞭はまるで生きているように人喰い箱に巻きつく。それを片腕の力のみで持ち上げ、

 

 「───りゃぁっ!!!」

 

 滅多に発する事のない掛け声と共に、落し穴のある床に叩き付けた。

 

 かちりっとあの音がなる。

 

 スレイは直ぐ様ドラゴンテイルを(たわ)ませて、手元に戻す。それと同時に床が抜け、人喰い箱は暗闇に吸い込まれ、暫くすると穴は閉じ床は元に戻った。

 

 タイガはふぅ~~……と息を吐き、シェリルとマァムを地面に下ろす。

 

 「ちょぉっと、やばかったなぁぁ……」

 

 ははは……っと、タイガが乾いた声で笑う。

 スレイはアステルを抱えたまま、その場に座り込んだ。銀色の前髪をくしゃりと掴んで顔を伏せる。どくどくと忙しなく鳴る鼓動は危機的状況だったせい……だけではきっと、ない。

 

 (まずい)

 

 顔の熱がなかなか冷めてくれない。

 

 「ス……スレイ? あの……離……」

 「疲れた。……少し黙ってくれ」

 

 

 思っていた以上に低く冷たく出てしまった己の声に、アステルがびくりっと体を竦ませたのが伝わった。

 

 申し訳なく思いつつも、今はまだ。

 

 彼女を離してこの顔を見られるわけにはいかなかった。

 

 

* * * * *

 

 

 《宝箱に無闇に触らない》

 

 禁止事項にあらたに含められた。

 ピラミッド二階は人一人しか通れない通路が続いた。そんな狭い通路でも魔物達は綺麗に縦一列になって襲いかかってくるものだから、溜め息しかでない。いつも笑顔のタイガも、なんだかその笑顔がいつも以上に怖い。こんなに狭く天井も低かったら、鞭やブーメランは振るえない。シェリルの魔法のそろばんも突き攻撃のみだ。

 先頭のスレイはアサシンダガーに武器を持ち換え、後方はタイガが守る。その間でアステルが呪文攻撃、シェリルとマァムは聖水を振り撒き、魔物がこれ以上寄ってこないよう撤した。

 

 「聖水、大活躍やな……」

 

 シェリルがぼやくように呟いた。

 

 

 そして、ピラミッド三階に辿り着く。

 

 一行の前に巨大な石の扉が立ちはだかる。怪力のタイガが押してみるが、びくともしない。

 

 「ははは。やっぱり無理だな」

 「なにか仕掛けを解かないと開かないか……」

 

 スレイが扉に触れる。

 

 「スレイ。こっちにボタンが四つある」

 

 スレイとタイガが振り返ると、アステル、シェリル、マァムが四つの丸いボタンの前に立っていた。

 

 「無造作に押しても駄目だろうな。……マァム、絶対に押すんじゃないぞ?」

 「わかってまぁすっ! ……ぽちっとな」

 

 「「「「あっ」」」」

 

 ガコンッと足元が開き、五人は穴の中に吸い込まれた。

 

 

 

 「「押すな言うてん(と言ってる)のに、なんで押すん()っ!?」」

 

 シェリルとスレイがマァムに怒鳴る。

 

 「だぁってぇ~~っ! 押すな押すなって言われたら押すのがぁ、遊び人なんだもぉ~んっ!!」

 

 「「屁理屈を言うなっっっ!!」」

 

 きゃあっと、マァムはアステルの背中に隠れた。

 

 「まっ……真下の階に落ちただけで済んで、良かったね……ね?」

 

 再び、ピラミッド三階へ。

 

 「私思ったんだけど、この丸いボタンってイシス王家に伝わる童歌の事なんじゃないかな?」

 「ああ! まんまるボタンとかゆうやつか! マァム、なんやったっけ? 覚えとるやろ?」

 

 アステルの言葉にシェリルは手を叩き、マァムに問いかける。

 

 「つ~ん」

 「……って、マァム?」

 

 シェリルがマァムの顔を覗きこむ。しかし拗ねたマァムはアステルの背中に隠れてシェリルから顔を背ける。

 

 「ふ~ん!」

 「マァム~~っ!!!」

 「マァム、機嫌直して教えて? ね?」

 

 三人娘のやりとりにスレイは額に手を当てて溜め息を吐く。

 

 「まんまるボタンは不思議なボタン~~

 まんまるボタンで扉が開く~~~♪

 東の西から西の東へ

 西の西から東の東~~~♪♪」

 

 低くて良く通る声が空間に響き渡る。アステル達は目を丸くして、声の主を凝視した。

 

 「………だったよな? マァム」

 

 タイガがにかっと笑う。マァムは目をキラキラさせてタイガに抱きついた。

 

 「タイガ、お歌じょうずぅ~~!!」

 「マァムほどじゃないけどな」

 

 「本当に……吃驚した……」

 「ほんまや。めっちゃ歌うまい………意外」

 

 スレイも思わずこくりと頷いた。

 

 アステル達が歌詞の通り、東西に配置するボタンを押すと重い音をたてて、石の扉が天井へと引き上がり、窪みへと全て収納された。

 扉の先は玄室だったが、棺の台の窪みに石で出来た小さな箱が収まっていた。スレイ一人で前へ進み、アステル達はなにか起きた時の為に玄室の外に控え、彼を見守る。小箱を開くと小さな空色の石が一つ填まった銀色の鍵が入っていた。鍵を手にアステル達の元に注意深く戻る。玄室から出たスレイは、安堵の息を漏らすアステルに鍵を手渡した。

 

 「これが……魔法の鍵?」

 「きれぇ~~い!」

 「ウチにも見せて。……こりゃ、純銀ちゃうな。魔法の鉱物ミスリル銀で出来とる。填まってる石もただの飾り石じゃなさそうや」

 「この先にも扉があるぞ。早速使ってみたらどうだ?」

 

 タイガが大きな鉄製の扉を指差した。

 

 アステルは鍵穴に魔法の鍵を差し込み回した。ガシャンと鍵が開く音が響く。タイガが扉を押すと更に上に昇る階段があった。階段を上がり進むと更に扉。それも魔法の鍵で開いた。

 扉の先はまた玄室。いくつもの棺が並ぶ部屋中央には、金色のファラオ像が立っていた。その周囲には宝箱がこれ見よがしに並ぶ。

 

 開けたら間違いなくなにかが出てきそうだ。

 

 アステル達はそれを見てげんなりとし、宝箱をスルーした。

 

 階段を昇り、扉が開け、階段を昇り……。

 

 そしてついに最終地点のピラミッド頂上に辿り着いた。

 

 

 「わあ……!」

 

 空は紺、紫、茜色のグラデーション。今まさに金色の夕陽が砂丘の更に向こうの山々に沈もうとしていた。

 

 「綺麗………」

 

 アステル達は感嘆の声を上げる。頂上は外へと繋がっていた。

 

 「空気がうまいぃ~~風が気持ちいいわぁ~~……」

 「生き返るなぁ……」

 

 皆腰を下ろし、暫く夕陽を眺めていた。

 

 「あ~~~っ!!!」

 

 と、いきなりマァムが叫んだ。

 

 「なっなんやっ!!」

 「魔物っ!?」

 

 アステル達は慌てて立ち上り武器を構える。

 

 

 「小さなメダルみぃ~~っけ!」

 

 

 マァムが誇らしげにメダルを掲げ、アステル達はこけそうになる。

 

 

 メダルは夕陽の光を浴びて金色に輝いていた。

 

 

 







黄金の爪ゲットならず(汗)
ゲームプレイ中はもちろんゲットしているのですが、作中のタイガは曰く付きの物に触れる事を基本嫌悪しております。体質的に受け付けられない。後々その理由もお話の中で語る予定です。
あと作中の黄金の爪のデザインは旧作デザイン(ツタンカーメンの顔が大きいやつ)です。怖いです。

スレイのラッキースケベはここから始まる(苦笑)アステルの方は鎖かたびらのお陰で当てた気がしてません。暑さに弱いのも相まって、この辺りからスレイの『地』が露見してきます。クールな盗賊をお好みの方には申し訳ないです。実は冷静の仮面を被ってるってのが彼です。

ミミックのラッキーラリホーはゲームプレイ中の実話です。ごく稀にですが効くんですよ?ラリホー。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!






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宴の始まり

 

 

 イシス宮殿の一室。

 

 先王の次男であり、現女王の叔父であるカリスは、銀の杯に自ら注いだ葡萄酒を飲み干すとその杯を床に苛立ちのまま力一杯叩き付けた。

 

 「小娘がっ!!!」

 

 静かに諭すあの目、あの口調。

 

 あれは亡き兄上を彷彿させる。

 

 出来のいい兄。心優しき兄。

 民と家臣に愛され、敬われ、父の愛情と信頼と期待を一身に受けた兄。

 

 死した後も嘆かれ、惜しまれ、

 

 いつまでもその影は付きまとう。

 

 けれど、いなくなってしまえば。

 

 そう思っていたのに……っ!!!

 

 「……下賎な女の血を引く分際で、私に偉そうに楯突きおってっ! 私がっ! 私こそがファラオに相応しいというのにっ! なのに! それなのにっ………!!」

 

 次に思い出すのは兄の娘が庇った勇者の娘。

 

 兄も二人の勇者を慕っていた。

 

 血は争えぬという訳か。

 

 

 ─────ニャーン。

 

 カリスは窓辺に目をやると、いつからいたのか、黒猫が赤い目で見つめていた。

 

 暫くそれと見つめ合い、そして嗤った。

 

 

 「……そうか。邪魔なら消してしまえばいいではないか」

 

 

 

 ───……ニャーン。

 

 

 

 赤い目を三日月の様に細め、猫は鳴く。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 キメラの翼。行き先を念じながら空へ放り投げると、その場所へとたちどころに移動出来る。特に魔力を必要としないので一般人にでも扱える魔法具である。

 

 しかし、その効果には制限がある。

 

 ・訪れた事のない場所へは行けない。

 ・行き先を念じられる最低限の意志、知識が必要な事。

 ・故に赤ん坊や年端のいかない子供、動物には作動しない。

 ・大きな荷物は運べない。

 

 

 「じゃあ、みんな行くよ?」

 

 ピラミッドの頂上からアステルは空に向かって、キメラの翼を放り投げた。

 

 念じる先はイシスの都。

 

 

 

 

 

 「お待ちを。もしや、アリアハンのアステル殿とそのお連れの方々でしょうか?」

 

 「え?」

 

 イシスの都に入ってすぐ、アステル達は複数人のイシスの兵士に呼び止められた。

 

 「そうですが、なにか?」

 

 首を傾げるアステルに、兵士達は胸に手を当て会釈する。

 

 「我らはカリス様の命で、貴女を宮殿にお連れするよう仰せつかった者です。……その御様子ですと、ピラミッドへはもう?」

 「ええ。今、その用事を済ませ戻ったところです。

 報告は明日にでも……「それは! 大変お疲れ様でございました。さあ、宮殿へお越し下さい」

 

 「でも……」と、アステルは仲間達を見る。

 

 アステル達は泥まみれ汗まみれの状態。それに何より皆疲れきっているのだ。マァムもさっきから欠伸ばかりしている。

 

 しかし。

 

 「カリス様の御配慮です。今この街は祭りの前で、宿を確保するのも困難でしょうと。宮殿にて疲れを癒すようにとの事ですので、御遠慮なさらずに」

 

 兵は笑顔で物腰柔らかだが、押しが強くこちらの意見に聞く耳持たぬといった感だった。

 

 アステル達は顔を見合わせる。

 

 今夜はすんなり休ませてはくれなさそうだ。

 

* * * * *

 

 

 案内されたのはイシス宮殿の離れにある来賓用宿舎。中には既に先客の姿があった。

 

 「あっ! アステル達だ~~~っ!」

 

 レナが座っていたソファーから立ち上り、アステルに抱き付く。

 

 「レナ! ビビアンさんにモッカーナさん達も!!」

 「おお。おかえりなさい……も、おかしいかな? 皆さん御無事でなにより!」

 

 モッカーナが。ビビアンが。楽団の男達が。皆笑顔でアステル達を迎え入れた。

 

 「お知り合いでしたか。丁度良かった」  

 

 案内の女中が頬笑む。

 

 「一刻(いっとき)(約二時間後)しましたら、ささやかながら勇者様の為の宴を行うと、カリス様が申しておられましたので、それまではどうぞおくつろぎを。

 モッカーナ殿。褒美は上乗せするので、その宴でも是非踊りを披露して欲しいとの御達しなのですが……」

 「え? ああ、はい! うちは構いませんよ!」

 「それでは打ち合わせを」

 「はいはい!」

 

 女中とほくほく笑顔のモッカーナが退室すると、アステル達は深く大きく溜め息を吐いた。

 

 「……厄介事はまだ終わってないようだね」

 

 アステル達を見回して気の毒そうにビビアンが言う。

 

 「むしろこれからかもなぁ。……とにかく、風呂入って準備せなな。遅刻したらなに言われるか、わかったもんやあらへん」

 「そうだね。行こ? マァム」

 「ふみゅう」

 

 シェリルの言葉にアステルも頷いて、眠たげ目を擦るマァムの手を引く。

 

 「待て。アステル」と、スレイ。

 

 「魔法の鍵はオレに預けてくれないか?」

 「え?」

 

 頭を傾げるアステルに、スレイは眉をひそめた。

 

 「無いに越したことはないが……念の為な」

 「うん?」

 

 アステルは腰ポーチから鍵を取り出し、スレイに手渡した。

 

 

 

 

 「────やっぱり、か」 

 「どうした? スレイ」

 

 男湯の脱衣所で風呂上がりのスレイがぼそっと呟き、頭を拭うタイガが反応した。 

 

 「荷物を探られてる」

 

 常人なら気づかない本当に些細な違いをスレイは見逃さなかった。

 

 「取られた物が無いところを見ると、狙いは〈魔法の鍵〉か」

 「シェリルの持つ〈大きな袋〉は大丈夫かな? 金目の物は全部あれに入っているだろう?」

 「大丈夫だろ。使い方を知らない奴らにとっては、あれはただの〈空袋〉だ」

 「ああ、そうだったな」

 「仮にも王族がこんな姑息な手段を使うなんてなぁ」

 

 タイガはスレイの首に下がる守り袋。その中に入っている〈魔法の鍵〉を見た。

 

 「……王族だからだと思うが」

 

 スレイは吐き捨てるように言った。

 

 「……ところで。この間の公衆浴場でもそうだったが、まさかいつも剣を持って風呂に入るのか?」

 

 呆れ顔でスレイは、タイガのタオルの巻いた腰に下げている剣を見た。武闘家のタイガが肌身離さず、いつも腰に下げている剣。けれど、鞘から抜いたところはいまだ見たこと無い。

 

 まさか、風呂にまで持ち込むとは思わなかった。

 

 「スレイだってアサシンダガーを持ち込んでいたじゃないか」

 「オレは護身用だ。タイガは武器なんて必要ないだろ?」

 「ん~~……まあ、な。この剣は俺のではなく、大切な預り物なんだよ」

 

 そう言って笑い、剣の柄を撫でるタイガの眼差しは、どこか寂しげにスレイには映った。

 

 

* * * * * *

 

 

 「マァム。行くよ? マァムったら」

 

 宴の時刻が迫り、アステルはソファーで寝入るマァムの肩を揺する。

 

 「駄目。起きない」

 

 アステルが困った顔で、背後にいる面々に向かって頭を振った。

 

 「仕方あらへん。ピラミッドで悪戯もぎょうさんしたけど、それ以上にウチらの怪我の治療も頑張ってくれたからな」

 

 マァムの頭を撫でながら、シェリルが言った。

 

 「別に皆で来いって言われてないんだろ? 寝かせてやったら?」

 

 舞台衣裳姿のビビアンが寝室から持ってきた毛布をマァムにかけてやりながら言う。

 

 「俺がマァムを見てる。三人は行ってきてくれ」

 

 タイガがマァムの隣に座り、アステルに笑った。

 

 「タイガ……うん。マァムをお願いね」

 

 アステルは眠るマァムの頭をひと撫でし、部屋を後にした。

 

 

 イシスでの食事風景に、テーブルや椅子はない。基本食事は絨毯やクッションの上に直座りで取るものらしい。見た事のない色鮮やかな料理の数々も、床に敷かれたマットの上にところ狭しと並んでいる。アステル達の席は女王とカリスの近くに設けられていた。

 

 「アステル。仲間の方が全員揃っていないようですが……」

 

 気遣わしげに尋ねる女王に、アステルは首を横に振った。

 

 「申し訳ありません。一人が理力を使い過ぎて起き上がれなくて……もう一人はその看病で付いているので、今回は辞退させて頂きました。怪我などはないので御安心下さい」

 「そうでしたか。では、お部屋にいる方々の分の食事も、すぐ用意してお持ちしましょう」

 

 女王はほっと微笑み、それから目配せすると、側にいた女中は心得顔で離れる。

 

 「アステルも、皆さんもお疲れ様でした。今宵はゆっくり体を休めて下さいね」

 「ありがとうございます」

 

 礼を述べるアステル。スレイ、シェリルも頭を下げた。

 

 「……ところで勇者殿。ピラミッドでの目的は果たされたと部下から聞きましたが、〈魔法の鍵〉……手に入れられたのですかな?」

 

 カリスが嫌な目つきでアステルにたずねる。

 

 「はい」

 

 アステルはスレイを見た。彼は懐から〈魔法の鍵〉を取り出し、アステルに手渡すと、女王とカリスに見えるように差し出した。

 

 「ふむ。古文書の記述通りの色、形。女王様、カリス様。これはまさしくイシス王家の宝の一つ〈魔法の鍵〉ですぞ!」

 

 女王の傍らに立つ宰相はにっこりと笑い、部屋にいる者全てに聞こえるように言い放つ。

 

 「古代遺跡にして、最古の王の墓から宝を無事持ち帰ってこられた! これはファラオが勇者アステルを認めた何よりもの(あかし)ですぞ!」

 

 宴に呼ばれた貴族達や、家臣、女中から拍手と歓声が沸き上がる。スレイはちらりとアステルに視線をやると、ひきつりながらも笑顔を浮かべていた。

 

 「くくくく……っ! ハーーーーハッハッハ!!」

 

 突然あげたカリスの大きな笑い声に、アステル達や女王、招かれた貴族達は驚き、戸惑い、静まり返る。

 しかし彼は厳めしい表情から一転、笑顔で席を立ちアステルに歩み寄り、彼女の手を両手で握った。

 

 「よくぞ! よくぞ、ファラオの試練を乗り越えられた! そなたなら必ず魔王を打ち倒してくれよう! さあ、酒を、料理をどんどん運べ! 舞踏団は楽団はどうした! 早く舞い奏でよ!

 さあ、皆の者! 今宵はファラオが認めし勇者の誕生を存分に祝おうぞ!!」

 

 カリスの言葉に招待客らはほっと笑顔になり、そして豪勢な祝宴が始まる。

 

 カリスの豹変に戸惑う、アステル達と女王を置き去りにしたまま。

 

 

* * * * * * 

 

 

 「……ふう」

 

 タイガは女中が持ってきた豪華な夕餉を平らげ、ソファーの背凭れにもたれた。マァムは寝室に運び、ベッドの上に眠っている。

 

 (このままだと、朝まで起きないかな?)

 

 タイガがそう考えてたまさにその時、ペタペタと裸足で床を歩いてるような音が耳に入った。

 タイガは立ちあがり、部屋の外を覗く。廊下の間接照明に照らされて、金色の巻毛がきらきらと光をこぼす。

 裸足のまま、どこかへ向かおうとする、マァムの後ろ姿がそこにあった。

 

 「起きたか、マァム。アステル達は今いない……」

 

 言いかけて、やめる。

 

 ゆっくりと振り返るマァムの常は明るい朱色の紅玉髄(カーネリアン)の瞳が、今は深紅に染まっている。

 はじめ目を見開き驚いたタイガだったが、次の瞬間にはいつもの笑顔を浮かべた。

 

 「地底湖以来か。久しぶりだな? ───……マァム=()()()()

 

 タイガの言葉にマァムはこくりと頷く。彼女に近寄り、タイガはその頭を優しく撫でて、問いかける。

 

 「どうしたんだ?」

 

 マァムは暫くタイガを見詰めていたが、ふいに目を反らし囁くように言う。

 

 「……呼ばれたから、行く」

 

 『誰に?』とは、聞かない。

 

 「俺も付いて行ってもいいか?」

 

 マァムは暫く考え、こくりと頷き、再び歩き出す。

 「よし!」とマァムに付いて行こうとして、タイガははっとし、先を行くマァムの手を取って引き留めた。

 

 「……けど、その前に靴を履こうな?」

 

 

 

 






ゲームにはない《宴》が始まりました。

忘れている方もいらっしゃるかもですが、作中の〈大きな袋〉は手順(中に入っている品物を思い浮かべながら手を突っ込む)を踏まなければ入ってる品物は出てきません。そして賢者は必要ないとして彼女らに語ってませんが、勇者(アステル)が認めた者にしか扱えないという魔法も〈大きな袋〉にかけています。

キメラの翼に捏造設定があります。これはドラクエ5のように後々のルーラという呪文の重要度を高めたかった為です。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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黒猫は嗤う

 

 

 

 あれはあたしが十五の時だった。

 あれは母の誕生日だった。

 大切な人をまた亡くしてしまった母。

 元気付けようと妹と二人で考え、練習した舞。

 母の前で踊る……そのはずだった舞。

 

 それは果たされないまま、あたし達は

 

 あたし達家族は

 

 

 引き裂かれた。

 

 

 

 

 「───ねぇ、レナ」

 「なぁーに? ビビアン姉」

 

 楽団の演奏の流れる中、食事や談笑を楽しむ王侯貴族達を壇上袖から眺めながら、ビビアンは妹分のレナに声をかけた。

 

 「明後日踊る予定だった舞……今からでも踊れる?」

 

 

 

 「おっ! ビビアンとレナの登場やで」

 

 酒を楽しむ事に専念していたシェリルが、顔を上げた。

 

 「アステル達はあの踊り子達をご存知なのですか?」

 

 それが聞こえた女王はアステルに尋ねる。

 

 「はい。流れの劇団でアッサラームからイシスまで一緒に旅をしていたんです。凄く素敵な踊りなんですよ」

 

 アステルの笑顔に女王も微笑む。

 

 「そうですか。それは楽しみです」

 

 新しい曲が始り、ビビアンとレナは舞う。衣裳は二人とも全く同じデザインで、肩を隠すレースが銀のスパンコール煌めく白の胸当てに繋がっている、脚の露出の少ない清楚な白のレーススカートが華のようにひらめく衣裳。

 いつもの激しいステップ、力強いターンなどはない。繊細に手先を動かし、レースを翻す。苛烈な、情熱的な舞ではなく、初々しく、まるで花畑を妖精が楽しそうに舞う……可愛いらしく、柔らかく、甘い、そんな踊り。

 

 「この踊りも素敵……なんだけど」

 

 アステルは首を傾げた。

 

 「綺麗……なんやけど、なんか場違いな感じのする踊りやな………」

 

 シェリルも訝しげに壇上を眺める。

 

 可愛いらしすぎる。まるでお遊戯を見ているような。華やかなこの場を更に盛りあげるには、不釣り合いな舞。

 シャン、と曲の終わりを告げる鈴が鳴る。

 踊り子達は躍り終え、壇上で一礼をする。この場にいる者達の感想も、綺麗、見事だと誉める者と、物足りなさを感じる者とで二分しているようだった。

 どよめく広間にレナや楽団、モッカーナの表情に焦りの色が浮かんだ。

 ……まっすぐに女王を見つめ頬笑むビビアンを除いて。

 

 「ビビアンさん……?」

 

 アステルは彼女の視線の先を追った。

 

 「女王様!?」

 

 女王は泣いていた。孔雀色の瞳から止めどなく溢れる涙に彼女自身も動揺していた。女王の涙に広間のどよめきは更に大きくなる。

 

 「女王様! いかがなされました?!」

 

 宰相が、女中がオロオロと彼女を窺う。それらを女王が手を伸ばして押し止めた。

 

 「大丈夫……大丈夫です。あまりに素晴らしい舞で……っ」

 

 「気に入って頂けたようで」

 

 カリスが面白そうに笑みを浮かべる。

 

 「彼女達はビビアンとレナという、アッサラーム(いち)の踊り手だそうですぞ。確かに見事な踊りであった! 女王は(いた)く感動されておいでだ! 誉めてつかわそう!!」

 

 カリス自身が拍手をした。躊躇いつつも、貴族達もそれに倣う。安堵するレナと楽団達。袖で見守っていたモッカーナも胸に手を当てて、ほっと息を吐いた。

 ビビアンは静かにもう一度、頭を垂れた。

 

 

* * * * * *

 

  

 「あれ? マァムにタイガ。どしたの~~?」

 

 いわゆる《お花摘みに》行っていたレナは、二人の姿を見つけて駆け寄った。

 

 「レナ?」

 

 タイガが声を上げる。

 

 「宴は?」

 「続いてるよ~~。あたし達の出番は終わったけどね。ちょっと緊張しちゃったよ~~……あっ! マァム、起きたんだぁ。アステル達のいる宴の間なら逆方向だよ?」

 「ああ、いやな?」

 

 ぎこちない笑みを浮かべるタイガ。無言のマァム。その様子にレナは胡乱げな顔をして二人を交互に見た。

 

 「んん~~? あっやしいなぁ! 二人でなにしてんの? ……はっ! もしや今からナニをするつもりなんじゃ……!」

 「いや、それこそなにを言ってるんだ」

 

 タイガは珍しく半眼になる。そんな二人を無視してマァムは歩きだす。

 

 「マァム~~? どしたの? ノリが悪いっ……」

 

 レナはマァムの肩に手を置き、次の瞬間息を飲んだ。振り向いた彼女の表情の冷たさに。マァムはレナの手を払いのけて、歩き出した。

 

 「ねぇタイガ! あれはマァムなの?」

 

 不安げに尋ねるレナにタイガは頷き、

 

 「……マァムだよ。あれもマァムなんだ」

 

 マァムの小さくなるうしろ姿を眺めながら、静かな声で答えた。

 

 「じゃ、俺も行くから。もしアステルになにか聞かれたら心配するなと「あたしも行く」

 「レナ?」

 「マァムは友達だもん! あんなマァムほっとけない!」

 

 レナの真剣な眼差しにタイガは溜め息を吐きつつも、口の端は持ち上がっていた。

 

 「わかった……けど、この事はアステル達には内緒にしておいてほしいんだ」

 「アステル達は知らないの?」

 「まだな。でもいつか知る時が必ず来る。それまではマァムの為にも黙っててやってくれ」

 「……わかった」

 

 二人は先を歩くマァムを追った。

 

 

 宮殿の出入口、猫の間を抜けて三人は外に出た。

 外は砂漠地帯特有の冷気に包まれている。宮殿から門まである石が敷き詰められた直路(たたじ)を降り、ただ砂ばかりの宮殿前をざくざくざくと踏みしめて突き進むマァム。その後をタイガとレナもついて行く。

 宮殿の外周、侵入者避けの高く積み上げられた日干し煉瓦の壁の手前には、魔除けの呪文が彫刻された柱が整然と並んで結界を張っている。その一角に何故か不自然に柱が一本ない箇所があった。昼間通った時には全く気が付かなかったそこに、マァムはするりと入る。壁と柱に挟まれた細い道を歩くと、宮殿地下に繋がる階段へと辿り着く。

 灯りはなく真っ暗な地下への階段を、マァムは平然と降りていった。

 

 「わわっ……!」

 「レナ!」

 

 階段を踏み外し、転げそうになったレナの腕をタイガが掴む。

 

 「気をつけるんだ」

 「う~~ごめん。でも、こんなに暗いと……」

 

 「……下等火球呪文(メラ)

 

 マァムの掌で留まる火の玉が、辺りを明るく照らした。

 

 「あっ……明るい」

 

 レナはほっと、息を吐く。そして目線を灯りの元にやると、先へ先へと歩いていたマァムが、二人の足元を照らしながら階段の下で自分達を待っている。

 

 「ありがとうな。マァム」

 「あっ……ありがとうっ!!」

 

 タイガに続けて、レナも慌てて礼を言う。深紅の目をしたマァムは一瞬目を見開き、そしてそっぽを向く。それでもその場は動かなかった。

 今のは無視をしたんじゃなくて。

 

 「……照れてる?」

 

 レナがぽそっと呟く。タイガが人さし指を口に立てて、シーッとする。

 

 「……照れ屋なんだ。けど、あまりそれを指摘すると拗ねるぞ」

 

 その言葉に、レナはぷっと吹き出す。

 途端、光は遠退いていった。

 

 「ごめんっ! 笑ってごめんっ! だから、置いてかないで~~っ!!」

 

 狭い通路をひたすら進む。すると、十字架の上に丸がついた形の石碑と更に下へと降りる階段があった。近くにある篝籠にマァムは掌にあるメラの火を移す。

 

 「なんかコレ……墓標みたい……ホントにここ降りるの?」

 

 レナはタイガの後ろに隠れながら、マァムに尋ねるが、彼女はなにも言わず階段を降りていく。

 

 「降りるみたいだな」

 「うえ~~っ! なんでタイガ達平気なのよぉ~~~!!?」

 「なんでって……今日似たような所に行ってきたばかりだからなぁ」

 

 しかし、下に降りた空間には想像していたような棺などが置いてあるわけでもなく、宝箱がただ一つ置かれているだけだった。マァムはその宝箱を躊躇なく開け、中身を取り出し、後ろにいるタイガに手渡した。

 それは金の縁取りに輪の部分には緑の(うわぐすり)が焼き付けられている、蒼い輝石が四つ填まった腕輪だった。

 

 「きれ~~い」と、レナ。

 

 「……つけて」

 「俺がつけるのか?」

 

 自分を指差し頭を傾げるタイガに、マァムはこくりと頷く。

 

 「入るかなぁ」

 

 タイガは腕輪を左手首に通そうとすると、腕輪の大きさがタイガの腕の太さに合わせて大きく広がった。

 

 「おお!」

 

 腕輪は手首を通り抜け、二の腕の所で吸い付くようにぴたりと装着される。不思議ときつくは感じなかった。

 と、その時。宝箱の上にぼんやりと半透明の老人の姿が浮かび上がった。

 

 「おばっおばっおばっ!!」

 

 レナはマァムにしがみついて隠れた。

 半透明の老人は真っ白い長衣を纏い、首には幾重もの金と宝石で出来た首飾りを下げ、蛇の飾りのついた額から後頭部までを覆う奇妙な形の王冠を被っていた。

 三人を孔雀色の目で静かに見下ろす。

 

 『私の眠りを醒ましたのはお前達か?』

 

 レナにしがみつかれたまま、マァムがこっくりと頷く。

 

 『では、その宝箱の中身を取ったのもお前達か?』

 

 「まあ、そうなるかな」とタイガ。

 

 『お前達は正直者だな。……よろしい。どうせもう私には用のない物。私の望みを聞いてくれるのなら、それはお前達にくれてやろう』

 

 「……じゃあ、返す」

 

 マァムがぽつりと言い、タイガは腕輪を外そうとする。それに半透明の老人は慌てて手を振る。

 

 『待て待て待て待て待て。それはイシスの宝じゃぞ? すっごい宝じゃ。〈星降る腕輪〉といって、身に付けた者の素早さをぐぅ~~んと上げ、疾風の如く動けるようになる代物なんじゃぞ!』

 

 「別にいい……」と、マァム。

 

 「うちには〈白銀の疾風〉がいるからなぁ」と、笑いながら言うタイガ。

 

 この場にスレイがいたなら、間違いなく彼を睨んでいたであろう。

 

 『なんじゃそれは。ええい、悪かった! まどろっこしい言い方をしたワシが悪かった! ……そういえば、おぬしらは御先祖の〈黄金の爪〉に目を輝かすどころか、けなすような者達じゃったのぅ。あの後、宥めるのにワシがどれだけ苦労したか……』

 

 ぶつぶつと文句を言い出した老人に、レナは眉を顰める。

 

 「なに、このじいさん……」

 

 半透明の老人は一つ咳払いをし、真剣な顔つきで語り始めた。

 

 『ワシは先代のイシスの(ファラオ)。ティーダ……現女王の祖父の魂じゃ。気掛りがあって、この星降る腕輪の魔力を借りてこの地に留まっておった。どうか、頼みを聞いてほしい。

 

 このままではイシスは魔の者の手に堕ちてしまう』

 

 

* * * * * *

 

 

 「レナ~~っ!」

 

 ビビアンは用を足しに行ったっきり、なかなか戻って来ないレナを探して、一人、宮殿内を歩く。 

 ここに通ってたのはもう十年以上も昔になるし、数える程度しか来た事はない。それでも結構覚えているものだ、とビビアンは思う。中庭に差し掛かり、彼女は足を止めた。

 陽の光を浴びて池のほとりで水遊びをする小さな女の子と、その相手をする黒髪で白い肌の男。その二人を暖かい眼差しで見守る一組の若い夫婦の姿。きらきら眩しいその風景は、やがて闇に溶け、ビビアンを現実へと引き戻す。 

 夜の闇に包まれた中庭の池。その水面に冷たく煌めく満天が映し出されている。

 

 「父さん、母さん───おじさん」

 

 ビビアンはそっと呟いた。

 

 「ビビアン殿?」

 

 ふいに呼び掛けられ、ビビアンは振り返った。

 

 

 

 

 「───女王様」

 

 宴が続く中、一人の女中が女王にそっと耳打ちをする。すると女王は目を見開き直ぐ様立ち上がった。

 

 「……女王様?」

 

 窺うアステルに女王は微笑むが、その笑顔はどこか固い。

 

 「わたくしは少し席を外させて頂きますが、アステル達はこのまま宴をお楽しみ下さいね」

 

 そう言って広間から焦りを隠しきれずに立ち去る女王と、それに付き添う女中。ただならぬ様子にアステルは心配げに彼女らを見送るが、ふいに女中から黒い(もや)が立ち昇るのを見た気がした。

 

 はっとして、アステルは周りを見渡す。

 

 皆楽しげに、飲み食いし、談笑している。女王の側にいるべき宰相まで。女王が退席したというのに何故みんなこんなに無関心で騒いでいられる?

 誰か一人でも彼女の方を見向いたか?

 この感じはエルフの森の時と似ていた。なにか大きな力で辺りが支配されている。それに気付いているのは自分ただ一人。

 

 (みんな異変に気づいていない!)

 

 「アステル、どないした~~?」

 

 シェリルは中腰の状態で固まってるアステルを見た。

 

 「アステル?」と、スレイ。

 

 「行かなきゃ……女王様が危ない!」

 

 アステルは二人の手を引き、立ちあがった。

 

 広間から出ると既に女王の姿はなく、擦れ違う女中や兵士に訊ねてみるが、誰一人彼女の姿を見ていない。

 ここまで来ると不自然だった。

 

 「アステルに言われて気が付いたが、広間には女王の叔父の姿もなかった」

 

 異変に気付けなかった事に苛立ち、スレイは舌打ちする。

 

 「なんや? 何が起こってるんや」

 

 王の御前だからと〈大きな袋〉にしまっていた各々の武器をシェリルは取り出し手渡す。

 

 「わからない。でも、良くない事が起ころうとしている……嫌な予感が治まらないの」

 

 アステルはブーメランを握りしめた。

 

 「アステルーーーっ!」

 

 「タイ…ガ……?」

 

 アステルはタイガの声に振り向いたが、彼は物凄い速さでこちらへと近づき、あっという間に駆け抜けてしまった。彼が巻き起こした風が、三人の髪や服をはためかす。

 遠くでキキキィーーーッ! と、靴底を磨り減らすような音を立てて止まり、小走りで戻ってきた。……それでも速い。

 

 「どうにも勝手が違うなぁ」

 

 頭を掻きながら苦笑するタイガにアステル達は目を丸くする。

 

 「どっ……どうしたの? タイガ」

 

 「なんか足めちゃ速いし……」とシェリル。

 

 「アステル達もこんな所で何をしていたんだ?」

 「いや、うちらもよくわからんのやけど、宮殿の連中の様子がおかしいんや。それに女王様が危ないってアステルが……」

 

 シェリルは風で乱れた前髪を整えながら言う。

 

 「アステルが……そうか。女王は今、自室にいるらしい。玉座の間から行けるらしいぞ」

 「なんでそんな事知ってるんだ?」

 「移動しながら説明する。今は急ごう」

 

 スレイの問いにタイガはそう答えると、玉座の間に向かって走り出した。

 

 「ところでマァムは? 今一人なの?」

 「いや、レナが来てくれたから見てもらってる」

 「そっか……」

 

 それを聞いてアステルはほっと息を吐く。隠し事をしている後ろめたさを胸の奥に押しやって、タイガは先代王から聞いた話をアステル達に話始めた。

 

 

* * * * *

 

 

 「───あなたはここに」

 

 ついて来た女中を自室の階段の前で待機させた。女中の目がなくなると、女王はドレスのスカートをまくし上げ、長い階段を駆け上がる。

 

 (走ったのなんて何年ぶりだろう)

 

 なにも知らず、知らされず。姉と母とイシスの街の片隅で暮らしていた、十歳の少女の時以来かもしれない。

 あの踊り。あれは幼い頃、母に捧げる為に姉と二人で考えた、けれど披露する事が叶わなかった、自分と姉を繋ぐ唯一無二の舞。

 なによりあの顔。あの表情。

 あの時、女中が囁いた。

 

 『カリス様からの言伝です。ビビアン様が……姉上様が御待ちです』

 

 

 「───姉さんっ!」

 

 「来ては駄目っ! ティーっ!!」

 

 「待っていたぞ? ……ティーダよ」

 

 カリスは後ろ手に縛られたビビアンの首もとに剣を突きつけ、女王ににぃと笑った。

  

 

* * * * *

 

 

 アステル達は玉座の間への階段を駆け上がる。

 

 「じゃあ、その星降る腕輪をくれたイシス先王の霊が、カリスが女王の命を狙ってるから、助けてほしいと言ってきたわけか」

 

 スレイの言葉にタイガは頷く。

 

 

 ────先代王は語った。

 

 『あれは(ファラオ)には向かん性質じゃった。傲慢で脆弱。追い詰められ、窮地に立たされれば混乱し、暴走し、自棄になる。なにより、民を思いやる心を持たぬ王など誰が王と仰ぐ?

 カリスに王とは何か、どうあるべきか。それを諭し続けたがついには目覚めんかった。

 故に、ワシは下町で暮らすカロルの娘を女王にする事にしたのだ。

 ティーダはやはりカロルの娘じゃった。繊細で利発な、考え深い娘じゃった。下町で育ったゆえ民の気持ちも理解出来た。この子になら安心して国を任せられる。その頃ワシも病に犯され、いつ天から迎えが来るかわからん身じゃった。

 ワシは残り僅かな生命の時間を、ティーダを王として育て上げるのに費やした。

 じゃが、カリスとの距離は広まる一方じゃった』

 

 

 「───臨終の間際に女王の叔父から、邪悪な魔族の気配を感じ取ったんだそうだ。恐らくはその叔父の女王に対する劣等感やら、嫉妬心やら……まあ、複雑な感情を魔族に付け込まれたんじゃないかって。このままでは女王やカリスだけでなく、イシスの国そのものが、魔族の手に堕ちてしまう。

それだけはなんとしても阻止して欲しいと頼んできた」

 「シェリル……大丈夫?」

 

 幽霊からの頼まれ事と聞いて青くなるシェリルを、アステルが心配する。

 

 「へっ……平気や。いっ……今はビビってる場合やあらへんからなっ! ………深く考えんようにする」

 「うん。そうして」

 

 玉座の間にたどり着く。玉座脇に通路があり、通り抜けるとそこは重厚な扉が一つある空間だった。そして今まさにその扉に鍵を掛けた人物は、女王を呼び出した女中。

 

 「そこに女王様がいるんですか!?」

 

 アステルの声に女中は振り、直ぐ様その鍵を窓の外に放りやった。

 

 「なっ!」

 

 アステルは窓の外を覗いたが、宮殿二階から夜の闇に落とされた小さな鍵は、もはや見つけられるわけがなく。

 

 「きゃっ!?」

 

 窓を覗きこんでるアステルの背中を女中が突き飛ばした。危うく落ちそうになるが、星降る腕輪で素早くなったタイガが駆け寄り、アステルの外套を掴み引っ張りあげた。

 

 「なにすんねんっ! ……わっ!?」

 

 怒りのままに女中の腕をシェリルが掴むが、突然女中は身震いしだし、その体から黒い靄が飛び出した。

 女中はそのまま気を失い、シェリルにもたれ掛かる。

 靄は猫の形を成す。

 猫はニャーンと一つだけ鳴くと、再び黒い靄へと変化し、扉の隙間に滑り入って、消えた。

 

 「なんや? 今のは………!」

 

 シェリルが女中を床に横たわらせて呟く。

 アステルは扉のノブをまわした。が、鍵はしっかり掛かっていた。タイガが殴り付けるが、王の自室を守る扉は頑丈でびくともしない。

 

 「どうしたら……!」

 「アステル、〈魔法の鍵〉を使ってみろ」

 

 スレイがアステルに駆け寄る。

 

 「この宮殿もイシスの古代遺跡の一つだ。もしかしたら魔法の鍵が反応するかもしれない」

 

 アステルは頷き、腰ポーチから魔法の鍵を取り出して鍵穴に入れた。

 

 カチリッと鍵は回った。

 

 

* * * * * * 

 

 

 カリスは剣をビビアンに突き付けたまま、腰に携えた短剣を引き抜き、女王の足元に放り投げた。

 

 「それで自らの首を突け」

 「え?」

 「そうすればこの女は解放してやろう」

 

 女王はカリスを睨み付けた。

 

 「……嘘ですね。貴方は姉を無事に解放するつもりはないでしょう?」

 「かもしれぬ。そうじゃないかもしれぬ」

 

 カリスは嘲笑うかのような声で嘯く。

 

 「だがぁ? このままでは間違いなくこの女はお前の目の前で死ぬ。そして、その後お前も送ってやるよ。民には侵入者が女王の命を奪い、私がその侵入者を仕留めた……そう伝えておくとしよう」

 「ティー! こいつはどちらにしてもあたしを殺すつもりなんだ! いいから逃げるんだ!」

 

 ビビアンが叫ぶ。その拍子に突き付けた剣が首の皮膚を軽く裂く。流れ出た血を見て、女王は肩をすくめた。

 

 「そうだな、女。お前が言う事に違いはない。だが女王よ? 幼い頃に引き離され、今やっと再会できた姉をお前は見捨てられるかな?」

 

 女王はカリスを見つめたまま、ゆっくりと腰をおろし、床にある短剣を手に取った。

 

 「ティー!?」

 「そうだ! それでいい! さっさと首を突けっ!!」

 「やめて! やめてよっ! あたしはあんたを追い詰める為に、会いに来た訳じゃないっ!!」

 

 ビビアンは必死に身をよじって叫び、そんな彼女を押さえ込んでカリスは狂ったように笑った。女王は目を閉じ、歯を食い縛り、短剣を喉元へと……。

 

 

 「ぐうっ!!?」

 

 

 カリスが強い力で手首を捻られ剣を落とす。

 

 「タイガ!?」

 

 ビビアンは目を見開き、彼は笑って頷く。

 

 「……アステル!」

 

 女王の短剣を持つ手は、アステルがその刃を握りしめる事によって止めた。

 

 「こんな事しちゃ駄目ですよ」

 

 アステルは短剣を女王から奪い、床に落とすと、手の痛みに顔を顰めつつも笑う。

 

 「くそっ! 離せ! 下賎な者が私に触れるなあっ!!」

 

 暴れるカリスの首の後ろにタイガが手刀を落とすと、「うっ!」と短く呻き、くずおれる。その体から黒い靄が現れた。 

 靄はやがて猫の形となる。そして、どこからともなく現れたもう一匹の猫と一つになり、

 輪郭のはっきりした赤い目を持つ黒猫となった。

 

 「ケケケケ……」

 

 猫の突然発した金切声に、アステル達は竦み上がる。

 

 「あと、少しでイシスがオレ様の手に堕ちる所だったというのに……よくも邪魔してくれたな!」

 

 アステルは猫を見据えて、低い声で問う。

 

 「お前は魔王の……?」

 「ケケケ……いかにも。いかにも。オレ様は魔王様の使い魔よ。そういうお前はアリアハンの勇者か」

 

 猫の赤い目が笑うように細まった。

 

 「魔王様に楯突こうなどと大それた考えは改め、アリアハンに帰るがよい。でないと、お前らは無残な最後を遂げるであろうよ。ケケケケ……」

 

 スレイが投げた刃のブーメランが、黒猫を切り裂いた。

 

 猫はばしゅんっと霧散し、

 

 「………つっ!?」

 

 それがスレイの体に入り込み、すり抜けた。

 

 「スレイ!?」

 

 アステルが叫び、彼の元に駆け寄る。スレイは入り込まれた胸辺りに手をやるが、特に異常は感じなかった。

 

 「……大丈夫だ。なんともない」

 

 

 ───……ケーーケケケケッ……

 

 

 使い魔の不気味な笑い声がいつまでも部屋の中を谺していた。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 「───……魔物の気配、消えた」

 

 

 宮殿地下で天井を見上げ、マァムがぽつりと呟く。

 

 「え? それってなんかヤバイ事が解決したって事?」

 

 レナの問いにマァムは頷いた。

 

 

 『ありがとう……勇者達よ……』

 

 

 先代王の声に二人は振り返ったが、既にその姿はなかった。

 

 

 








ラスボスというには呆気なかったですが、この黒猫はゲーム内で夜のイシスの城に現れる猫に化けた《つかいま》です。
特に何かする事なく消えましたが、あいつは不気味で印象深かったです。
消えた後パーティーのパロメーターに何かしてないか気になって確認したりしてました。

イシス編もう少しだけ続きます。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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姉妹

 

 

 「ここでね? ターンを入れたらどうかなぁ?」

 

 

 妹は地面に描きながらあたしに笑顔で問う。

 

 「いいわね。その後にステップも入れよう。手の動きはこんな感じにして……出来る?」

 

 あたしがやって見せると、妹はウンウンと笑顔で頷いた。

 

 

 部屋で妹にとっておきのレース生地を見せたら、彼女は目を輝かせた。

 

 「綺麗……! どうしたの? これ?」

 

 「この間、仕立て屋のモノゾフさんからレース生地の切れ端もらったんだ」

 

 「姉さん。姉さん。これ、丈が短くなって着れなくなった舞台衣装に縫い付けたらどうかな?」

 

 「おっ! ナイスアイデア! 流石はティー!」

 

 「母さんの誕生日、もうすぐだねぇ……」

 

 「よろこんでくれるかな?」

 

 「よろこんでくれるといいね」

 

 あたしの言葉に妹は……ティーは。

 

 

 お日様のような笑顔で頷いた。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 「───大丈夫だ。魔物の気配は消えた」

 

 タイガの言葉に一同はほっと息を吐く。

 途端、下の階からバタバタバタと複数の足音が聞こえた。

 

 「女王陛下! 御無事ですか!? ……なっ!? これは一体……!!」

 

 兵士を引き連れて現れた宰相は部屋の様相に、唖然とする。女王に勇者一行、縛られた踊り子。

 そして床に伏すカリスに───剣。

 

 「わたくしもカリス様も無事です」

 

 女王は宰相に近づく。

 

 「女王様……一体なにがあったのですか?」

 「……魔族が現れました」

 「なんと!」

 

 宰相を始め兵士達がざわめく。

 

 「しかし、勇者達が異変にいち早く気付き、魔族を撃退してくれたお陰で事なきを得ました」

 

 その言葉に兵士達がおおっ! と、感嘆の声を上げる。

 

 「宰相」

 「はっ」

 

 女王の凛とした声に宰相は背筋を伸ばす。

 

 「今は祭りの前です。民にいらぬ不安や混乱を招かぬよう、この件に関しては箝口令を敷きます。皆さんもそのように。よろしいですね?」

 『はっ!!』

 

 宰相は手を胸に頷き、兵士らは敬礼した。

 

 「それと、怪我人の治療を。カリス様と……こちらの女性とアステルの手当てをお願いします」

 「はっ!」

 

 兵士が気を失っているカリスを部屋から運び出す。女王はそれを見送ると、ちらりとビビアンを見た。

 しかしなにも語らず瞳を前に向けると、宰相と共に部屋をあとにする。ビビアンは去っていく女王の後ろ姿を、ずっと見詰めていた。

 アステルがそんな二人を眺めていたら、ふいに血が流れ続けていた右手を強く持ち上げられ、悲鳴をあげた。

 

 「痛い痛いっ! ……スレイ!?」

 「───この莫迦(ばか)がっ!!」

 

 スレイの剣幕にアステルは竦み上がった。

 

 「戦う前から利き手を傷付ける奴があるかっ!!」

 

 シェリルもビビアンも兵士達もぎょっとして二人を見る。タイガだけは苦笑していた。

 救われた女王の手前、怒鳴りたかったのをずっと我慢していたのだろう。あの時、女王を止めたのがスレイではなくアステルだった事に彼も内心驚いたのだ。

 

 「あのまま、戦闘になっていたらどうする! この手でブーメランが扱えるのか!?」

 「でっ……でもっ……」

 「こんな真似しなくても、オレなら鞭で短剣のみを弾くなり対処できた」

 

 実際そうしようとしたのだが、先にアステルが躍り出てしまった。つまり一瞬とはいえ、自分より早く彼女は反応できたのだ。

 アステルの成長は嬉しい。だが、こんな風に無謀な行動をとるのなら、話は別だ。

 

 「ごっ……ごめんなさい……」

 

 しゅんと項垂れるアステルにスレイは舌打ちし、彼女を座らせて鞄から包帯と薬草を取り出し、手当てをする。

 

 「後で治癒呪文(ホイミ)する………」

 

 スレイに鋭く睨まれ、言葉を呑み込む。

 

 「嘘をつくな。だったらなんですぐ治さない? なんでピラミッドで瞬間移動呪文(ルーラ)を使わなかった? ……理力がもう殆んど残ってないんだろ」

 

 それも怒っている理由のひとつ。そんな状態で自ら怪我を負ったのだ。

 

 アステルは肩を落とし、今度こそ黙りこんだ。

 

 

 「………あとは宮殿付きの医術士に治癒呪文をかけてもらえ。絶対だ。いいな?」

 「……はい」

 

 スレイは立ち上り、アステルを見下ろす。

 叱られた子犬のようにしょげかえる姿に、叱ったこちらの方が胸が痛む。彼はひとつ息をつくと、おもむろに彼女の頭をわしわしと掻き撫でた。

 

 「わっわっ!」

 「痕を残すな……女だろ。自分から体に傷を付けたりするな………頼むから」

 

 頭を押さえつけられて。スレイが今どんな顔をしているかアステルにはわからなかったが、最後の懇願するような声音に目頭が熱くなり、自然と「ごめんなさい」と言葉がでた。

 

 「素直じゃないわね」

 

 ビビアンは困ったように笑う。

 

 「ほんまや……って、あれ? タイガは? タイガはどこ行ったんや?」

 

 はたっと気が付き、シェリルは部屋を見回したが、彼の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

 「───おっそ~~いっ!!!」

 

 宮殿地下でレナが半泣きで叫ぶ。タイガは頭を掻きながら「すまんすまん」と謝りながら、レナとマァムに近づいた。

 

 「……マァムは寝てしまったか」

 

 言いながらタイガは二人を見下ろす。腰をおろしたレナの膝を枕に、マァムは健やかに寝息をたてていた。

 

 「『眠い』って言っていきなりこてんだもん。あたし一人でホントに怖かったんだからね!」

 

 ぷりぷりと怒るレナに、タイガは苦笑を浮かべる。

 

 「悪かった。……ところで王様は?」

 

 マァムを背中に担ぎながら、レナに尋ねる。

 

 「お礼言って消えちゃったよ」

 「……そうか」

 

 タイガは王の霊が浮かんでいた宝箱を暫し見詰めた。

 

 「タイガぁ~用が済んだならもうここから出ようよぉ~~」

 

 レナのぼやきにタイガは振り向き、笑い、「そうだな」と、答えた。

 

 

* * * * *  

 

 

 アステル達は、宮廷医術士に治癒呪文をかけてもらい、怪我の治療を終えると、ビビアンと共に宮殿離れの宿泊所に戻った。

 

 「アステル。疲れてるところ悪いんだけど……あたしの話を聞いてもらえるかしら」

 

 部屋の前でそう言うビビアンに、アステル達は目を合わせつつ了承する。

 

 「おう。おかえり」

 

 部屋の中には既にタイガが戻っていて、椅子に腰掛けていた。ベッドの中には眠るマァムがいる。

 

 「黙っていなくなったかと思ったら、部屋に戻っとったんかい」

 

 シェリルがジト目で彼を睨む。

 

 「悪い悪い。マァムとレナが気になったんでな」

 

 頭を掻きながら言うタイガ。それを聞いたビビアンは、目くじらをたてる。

 

 「レナったら! ここにいたのっ!?」

 「ああ。でも、叱らんでやってくれ。レナがマァムを見てくれてたから、俺はここを離れられたんだし」

 「そう……で、あの子は?」

 

 こめかみに手を当てて、ビビアンは溜め息まじりに聞く。

 

 「部屋に戻ったよ」

 

 タイガは苦笑して答えた。

 

 

 スレイは扉のそばの壁にもたれ、アステルとシェリルは同じベッドに並んで腰を下ろす。

 そして、ビビアンは余っているイスに腰掛け、皆を見回して言った。

 

 「みんな、今日はありがとう。おかげであたしもティーも無事だった」

 「ティー……?」

 

 首を傾げるアステルにビビアンは微笑む。

 

 「あたしや母さんはそう呼んでいた。ティーはイシス女王ティーダの幼名。彼女とあたしは父親違いの姉妹なのさ」

 

 アステル達は目を見開いた。

 

 「病気で亡くなった先王の先の子供、カロル王子の事は知ってるかい?」

 

 ビビアンの問いにアステルは頷く。

 

 ビビアンは思い出すように語り始めた。

 

 「あたしの父と母、そしてカロル王子は身分は違えど、幼馴染みといえる関係だったんだ。

 父と母が結婚してあたしが生まれて。……王子はあたしの事を可愛がってくれたよ。宮殿を抜け出しては、あたしに会いに来てくれてね。街で『王子様』なんて呼んだら大騒ぎになるから、あたしは彼を『おじさん』って呼んでいた。

 父さんと母さん、おじさんに守られ愛されて、なに不自由なく幸せな日々を送っていた。でもそれは突然終わった」

 

 ビビアンはゆっくり目蓋を閉じた。

 

 「───父がね。死んだの。

 父は考古学者でね。遺跡調査中に魔物に襲われて……遺体すら残らなかった。 

 あたしはあの頃まだ五歳で、大人達が父が死んだといっても理解できなかった。名前だけが刻まれた墓石を見ても、なんの感慨も湧かなかった」

 

 悲しげに笑うビビアン。

 

 アステルは、視線を自分の膝にやり、両手を握りこんだ。彼女の脳裏に浮かぶのは、父オルテガの葬儀風景。父の生前着ていた服だけが入った棺の上に花を供え、埋葬される様を涙を流す事なく、ただぼんやりと眺めていた。 

 あの時のあの行為を。当時八歳の彼女もいつまでも理解する事が出来なかった。 

 

 「……父がいなくなった事を受け入れられず、抜殻みたいになったあたし達母子を支えてくれたのは、おじさんだった」

 

 再び語り始めたビビアンに、アステルははっとし顔を上げた。

 

 「政務の合間を縫ってしょっちゅうあたし達に顔出しに来てくれた。お菓子や食べ物を持ってきて、辛抱強く話しかけてくれた。その日に起こった出来事や、父さんに教わった歴史の話を、面白おかしく話して笑わしてくれて。力付けてくれて。 

 おじさんのおかげで、少しずつ日常を取り戻し始めた頃、母さんが身籠ってる事がわかった」

 

 ビビアンはふっと笑う。

 

 「子供だったからね。単純に妹か弟が出来るってあたしははしゃいでたよ。でも、生まれた子供の肌は白く、瞳は孔雀色……おじさんとまるっきり一緒だった。

 その事で母さん達を責める気持ちは、今でも湧かない。きっと父さんだって、相手がおじさんなら許してくれる。そう信じてる。

 でも何故かおじさんはこの子は……ティーダは、父さんの忘れ形見だと。自分が父親だと名乗る事はなかった。

 本当の事を話してくれても、あたしはおじさんを責めたりしないのにってずっと思ってた……」

 

 そこまで話すと、ふいにビビアンはタイガに視線を向け、それからアステルを見た。

 

 「あたしがそのサークレットの意味を知っていたのは、おじさんから勇者オルテガの話を聞いていたからだよ」 

 「え!?」

 

 アステルがサークレットに手をやり、驚きの声を上げた。タイガは、いつかの驚きと違和感の〈答え〉はこれだったのかと、心うちで一人納得する。

 

 「おじさんは二人の勇者の謁見の場に立ち会った事を、楽しそうにあたし達に話してくれた。黒髪に青い瞳の勇者オルテガは陽気で気さくな男で、一方茶髪に翠の瞳の勇者サイモンは真面目でちょっと頭の固い感じの男。

 オルテガにはティーと同じ年頃の、サイモンにはあたしと同じ年頃の子供がいて話が弾んだって。その時に勇者達は力強く笑って言ったそうだよ。

 『子供達の自由な未来の為にも、魔王を一日も早く倒さなきゃ』ってね」

 

 アステルは目を伏せ、服の上から父と母を結ぶ指輪をぎゅっと握りしめた。彼女の隣に座るシェリルがアステルの肩を抱く。

 

 「話終えたおじさんは、あたし達を優しく見下ろして、ぽつりと言ったんだ。

 『私もお前達には自由であってほしい』って……それで、わかったんだ。

 あたしもその頃には十四になってたからね。王族のいざこざってのが、なんとなく理解できた。

 おじさんはティーを、それに巻き込みたくなかったんだって。今のこの生活を壊さないように守ってくれてるんだって。 

 けど、ある日を境におじさんはパタリとあたし達に会いに来なくなった。おかしく思いつつも、仕事が忙しいんだろうと納得させていた。

 

 ……数日後、カロル王子の国葬が行われるって御触れがあるまで、ずっと。

 

 それから一年後、あたし達の家に先代の王様が訪れた。ティーダを王族に迎え入れ、次期イシス女王として育てたいって。そしてティーは、宮殿へと連れていかれたんだ」

 

 ビビアンはひとつ息をつき、窓の外に視線をやった。

 

 

* * * * * * 

 

 

 「邪魔したね」

 

 部屋の扉の前で、アステルは首を振る。

 

 「いえ。私も父さんとサイモンさんの事が、少しわかって嬉しかったから……」

 

 その言葉にビビアンは柔らかく微笑む。

 

 「明日、ここを発つのかい?」

 「ええ。女王様との謁見が済み次第、出発しようと思ってます」

 「出発前に声をかけておくれね。皆……特にレナは。あんた達の事を見送りたいだろうしね」

 「はい!」

 

 アステルは笑顔で返事した。

 

 

 

 ビビアンはアステル達と別れた後、自室に戻らず、宮殿の中庭へと足を運んだ。

 床に座り、立てた膝に頬杖をついて、星々が映りこむ池の水面をぼんやりと眺めていた。

 

 

 

 「───姉さん?」

 

 

 どれだけの時間そうしてたであろう。

 

 その声に顔をあげ、隣に視線をやると、イシス女王ティーダが微笑んでいた。ビビアンははじめ瞳を見開いて驚いたが、その後ニヤリと笑う。

 

 「こんな時間にこんな所で女王様が一人で出歩いていいのかい?」

 「ええ。怒られます。だからこっそり抜け出して来ました」

 

 女王もいたずらっぽく笑い、ドレスのまま床に腰をおろした。ビビアンはふふっと笑い、そして空を見上げた。

 

 「そういう所、おじさんと似てるわ」

 「……はい」 

 「今までね。あんたは流れる血のせいで家族から引き裂かれて、女王なんかさせられてる……なんて、思ってたんだ。……アステルに、出会うまでは」

 

 女王は静かな口調のビビアンを見た。

 

 「けど、言われたんだよ。あの子は義務や血の(しがらみ)に縛られて勇者をやってるんじゃないって。……ティーも、そうなのかい?」

 

 まっすぐ見つめ問いかけるビビアンに、女王は。

 

 ───ティーダは。

 

 姉の目を見つめたまま、しっかりと頷く。

 

 「わたくしはわたくし達を生み育んだこの国を愛してます。わたくし達を愛してくれた父さん達、母さん、お祖父様が眠るこの地を守りたい。女王として。……それは紛れもない、わたくしの意志です」

 

 二人は暫く見つめあう。

 

 先に視線を反らしたのはビビアンだった。目を伏せ、しかしその口元は笑みを深くしていた。

 

 立ちあがり、のびをして。そして、言った。

 

 「ここはね。この中庭はおじさんのお気に入りだったの。ここの池でよく遊んでもらったわ。父さんと母さんに見守られて。……あと、こっそり覗いてた先王様にもね?」

 

 ティーダはきょとんとし、それから口元に手をやり、くすくすと笑う。

 

 「お祖父様らしい」

 

 踊り子ビビアンは妹に手を差し出す。

 

 「踊ろっか? ここでならきっと、みんな見てくれる」

 

 女王ティーダは目元に涙を浮かべながらも、姉の手を取り立ち上がる。

 

 「あの舞。覚えてる?」

 

 「忘れるわけ……ありません。あの舞いはわたくしと姉さんを繋ぐ絆ですから。だから、少しだけ怒ってます。他の人と踊ったりして」

 

 ふくれっ面を見せる妹に、姉は苦笑いする。

 

 「ごめんごめん。でも、あんたの誕生祭にはとびっきりの踊りを披露するよ。今のあたしが踊れる最高の舞をね!」

 

 

 姉妹は満天の下、舞う。

 

 

 月が静かにそれを見下ろしていた。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 

 「───昨晩はありがとう。アステル」 

 

 玉座の間でイシス女王ティーダは笑顔でアステル達を迎え入れた。アステル達は女王の手前で膝をついた。

 

 「女王様。カリス様は……?」

 「カリス様は今朝がた目覚めました。……ですが、なにも覚えていないようなのです」

 「え?」

 

 アステル達は驚き、目を見開く。

 

 「記憶だけでなく、気力や感情の起伏もなくしてしまわれているようです。宮廷魔術師の話では恐らく憑かれた魔物が抜けた際に、魔族の糧という負の感情を根こそぎ奪われた影響ではないかと。

 ……しかし、時間はかかりますが、回復しないものではないとも言っていました」

 「そうですか……」

 

 それを聞きアステルはほっと息をつく。女王はおだやかな表情で頷いた。

 

 「ところで……アステルは今日にでもイシスを発つと聞きましたが……」

 「はい。瞬間移動呪文(ルーラ)でロマリアへと戻り、ポルトガに向けて旅を続けます」

 

 それを聞き、女王は一瞬だけ寂しげな顔をしたが、すぐ毅然とした表情に戻った。

 

 「そうですか……寂しくなりますが、引き留めるわけにもいきませんからね。……宰相、あれをアステルへ」

 「はっ」

 

 宰相は一振りの美しい剣を、アステルの前に差し出した。

 それは聖なる十字を象った剣だった。銀に輝く刀身(ブレード)(フラー)にも十字を象った金の飾りが施されている。青い宝石の填まった黄金の(ガード)に、鮮やかな青の握り(グリップ)柄頭(ポメル)にも黄金の十字架。

 

 「こいつはゾンビキラーや……!」

 

 シェリルが思わず声に出す。

 

 「そうです。悪霊や屍人を祓う力を宿した聖剣といわれています。アステル。お礼のしるしに受け取ってください」

 

 アステルは恭しく剣を受け取る。刀身は今まで使っていた鋼の剣より長く幅広だが、見た目よりずっと軽い。

 

 「その剣が貴女を守り、勝利に導く事を祈っています」

 「ありがとうございます。大切に使います……あの」

 「どうしました?」

 「あの……ビビアン……」

 

 アステルが躊躇いつつも、言いかけたその時。女王は笑みを湛えたまま、口元に人差し指を立てる。

 

 「わたくし達は離れていても、ここで繋がっています。だから、大丈夫」

 

 女王は手を胸に当ててにっこりと、今まで見た中で一番美しく、微笑んだ。それがなぜかとても嬉しくて、アステルも笑顔になる。

 

 「目的を全うした暁には、またイシスにいらしてくださいね。今度は勇者としてでなく、わたくしの友として。その日が来るのをいつまでも待っています」

 「はい!」

 

 勇者と女王と呼ばれる少女達は笑い合った。

 

 

* * * * * * *

 

 

 宮殿離れの宿泊所前の庭で、アステル達はモッカーナ劇団の皆と別れの挨拶を交わしていた。

 

 「やだ~~っ!! もうっ!! なんで、 祭りが終わるまでここにいないのぉ~~!?」

 「レナ。我が儘言わないの」

 

 泣き叫ぶレナの頭をビビアンが小突く。

 

 「だって、だって~~! せっかく友達になれたのにぃ~~~!」

 「むおっ!」

 「うおっ!」

 「きゃっ!」

 

 レナは両手いっぱい広げて、三人娘を抱き締める。三人はそれぞれレナに頬擦りし、頭を撫で、背中をポンポンとたたいた。

 

 「我々とは目的そのものが違うんだ。仕方無い」

 

 モッカーナがレナの肩に手をかける。

 

 「……だが、同じ旅の身の上だ。縁があればまた逢えるさ」

 

 そう言って、アステルに手を差し出す。

 

 「短い間でしたが、お世話になりました。ありがとう……勇者さん」

 「モッカーナさん。こちらこそ色々ありがとうございました」

 

 アステルはその手をとり、固く握手を交わす。

 

 「旅の無事と成功を祈っています」

 「お互いにな」

 

 モッカーナはにっこりと笑った。

 

 レナが我慢ならず、最後にもう一度マァムの首っ玉にかじりつき、そっと呟く。

 

 「マァム。……どっちのマァムもあたしの友達だからね?」

 

 マァムは目を二、三度瞬きし、それから満面の笑みを浮かべた。

 レナが離れ、後ろに下がったのを確認し、アステル達は手を繋ぐ。 

 

 「モッカーナさん!ビビアンさん!レナ! 楽団の皆さん!お元気でっ!! ───瞬間移動呪文(ルーラ)!!」

 

 

 視界が上昇する。

 

 

 見下ろすと、地上でレナがいつまでも手を振っていた。

 

 

 








これにてイシス編終了となります。

女王とビビアンのモデルはドラクエ4のミネアとマーニャだったりします。
見た目とか性格ではなく、ゲームプレイ中に私が感じ取った彼女達の雰囲気だけですけどね。

聖剣と書いてゾンビキラー。ゲームではもちろん貰えません(苦笑)
デザインといい、性能といい、ゾンビキラーはイシスの国にこそぴったりな武器だと思います。序盤には強すぎますが。
その序盤に鋼の剣以上の剣がないので、今回はここで登場しました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!





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キャラクター紹介③

アッサラームからイシスまでのキャラクタープロフィールです。


 

 

《アッサラーム》

 

ビビアン=ロッド(23歳)

踊り子。モッカーナ劇団の花形スター。波打つ長い黒髪に褐色の肌、漆黒の瞳。赤い踊り子衣装が良く似合う、頭がきれる姉御肌の妖艶(セクシー)な美女(ギャル?)。イシス出身で、幼い頃亡くした考古学者の父の影響かイシスの歴史に詳しい。踊りは元踊り子の母に教わる。しかし17の時にその母も亡くし、それからはイシスを出てアッサラームで踊りの修行をし、その1年後に流れの劇団モッカーナ劇団にスカウトされる。 

 

レナ=カティス(17歳)

モッカーナ劇団の踊り子。美人というより可愛い系。亜麻色の肩にかかる程度の長さの髪に、青の瞳。よく青色の踊り子衣装を身に付けている。元気でお調子者なモッカーナ劇団のムードメーカー。両親もモッカーナ劇団員だったが、レナが3歳の頃、旅の途中魔物に襲われ命を落とす。それからはモッカーナが親代わりとなる。そんな境遇でも明るさを失わない娘。踊り手としても女としてもビビアンを尊敬し慕っている。

 

モッカーナ=ドトス(40歳)

流れの劇団モッカーナ劇団団長。背は低く、モジャモジャの黒髪アフロヘアに、お腹の出っ張りが気になる体型にタキシードを纏っている。立派な口髭が自慢。その表情は人の良さが滲み出ている。東の大陸で公演を目標に日々船賃を稼ぐがんばりや。女王の宴の報酬で目標額達成のもよう。

 

 

《イシス》

 

イシス女王 (まもなく17歳)

(ティーダ)

黒髪に白い肌、孔雀色の瞳。成人(16)したと同時に即位した若く心優しき女王。頭脳明晰だが、それ以上に努力家のがんばりやさん。その美貌は世界に轟かせるほど。しかし本人は歯牙にも掛けない。先代ファラオの長子カロルの不義の子で市井で母親と父親違いの姉と暮らしていた。しかし10歳の頃、その父が亡くなり、王位後継者として宮殿に連れて行かれた。祖父には大変可愛がられていた。

 

カリス (38歳)

先代ファラオの次男で、現女王の叔父。 黒髪に白い肌、孔雀色の瞳の見た目優男。性格は見栄っぱりでわがままでひねくれもの。まわりの評価が高く誰からも慕われる兄カロルを疎んでいた。その娘の女王と自分に王位を譲らなかった父王を憎み歪んでいく。妻と息子が二人いる。

 

先代イシス王 (見た目年齢65前後)

カロル、カリスの父で、ティーダの祖父。白い肌に、肩まである白髪に孔雀色の瞳。亡霊として現れた姿は亡くなり、埋葬された時の年齢と格好。死ぬ直前まで国を想い、王を務めあげ、ティーダが十五の時に持病の悪化で亡くなった。死んだ後も魔物に憑かれた我が子と命を狙われた孫の事を心配する苦労人。作中では語られなかったが、国の未来の為に、実の母親と姉から引き離してしまったティーダを、その分深い愛情を注いで育てた。(←これがカリスが更にひねくれさせ、魔族が付け入る原因になってしまうのだが)堅苦しい風に見えるが、意外とお茶目。

 

ファラオ………イシス王国では王を意味する。女王には用いられない。

 

使い魔………魔王の配下の魔族。世界各国で密かに暗躍し、悪さを行っている。配置される魔族の強さはばらばらで、目的はおもに魔王の糧となる人々の恐怖や不安、憎しみといった負の感情を時間をかけてじわじわと引き出す事。

 

 






女王とビビアンはドラクエ4のミネアとマーニャがモデルですが、モッカーナはドラクエキャラクターデザイン先生原作の別漫画に出てくるキャラが私の中のイメージキャラとなっております(笑) 
モッカーナ劇団はまた再登場する予定です。


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四章 ポルトガ~バハラタ
忍び寄る暗影


 

 

 ロマリアとポルトガを結ぶ関所は、ロマリア城下町から一日がかりで到着した。流れの早い大河のほとりに、石造りの四角い小さな建物が見える。

 

 「あれ? 橋がない?」

 

 アステルが首を傾げる。そんな彼女に、実家がポルトガにあるシェリルが説明した。

 

 「河を挟んだあっち側にも、同じような建物見えるやろ?」

 

 シェリルが指差す。

 

 「この関所の中には、古代人が造ったちゅう地底通路があって、あっちと繋ごうとるらしいわ。扉が開かへんから本当かどうかは知らんけどな」

 

 関所の中にはそこを護るロマリア兵が一人、槍を構えて立っていた。

 

 「その〈勇者の証〉……貴女が勇者アステル殿ですな? 魔法の鍵はお持ちですかな?」

 

 顰めっ面の兵士はアステルの姿……額のサークレットを認めると、開口一番訊ねる。

 

 「はい」

 

 イシスでのやり取りとどこか似ている。アステル達は兵士が次になにを言い出すのかと、思わず警戒した。

 

 「それでは扉を開けて頂けますかな?」

 

 アステルは頷き、腰ポーチから鍵を取り出して、巨大な鉄の扉の鍵穴に差し込み、回す。かちりと錠が開く音がした。分厚い扉をタイガが押し開けると、数百年ぶりに開いた扉の奥には下へと下りる階段がひとつあるだけだった。

 

 「関所を開門して頂き、ありがとうございます。どうぞこれをお受け取りください」

 「え?」

 

 そう言って兵士は一つの盾をアステルに差し出した。目をぱちくりとさせる一行に、兵士は続けて説明する。

 

 「ロマリア国王陛下が魔法の鍵を手に入れ、関所を開いてくれた勇者への礼だと、御用意された品です。〈風神の盾〉という、ロマリア王家の家宝との事です」

 「はあ……ありがとうございます」

 

 アステルは躊躇いつつも受け取るが、あの王様の事だ。

 

 なにか裏がありそうで、怖い。

 

 大きさの割りに羽のように軽い、丸い盾の外周部分は緑の金属で、風を象徴するような縞模様が刻まれ金色の縁取りがされている。

 特徴的なのが、中心にある歯を食い縛って正面を睨む金色の鬼神の顔の飾り。その回りには八枚の雲形の飾り羽が付いていて、これで打ちかかって攻撃したらダメージを与えられそうだ。

 

 「これ、タイガが装備したらどうや?」

 

 盾を検分し終えたシェリルが、タイガにそれを手渡した。

 

 「俺?」

 「スレイやアステルの腕にはちと大きすぎるし、武器の持ち替えちゅう二人の特性を殺してまう。ウチの武器は両手持ちやし戦いの邪魔になるやろ?

 その点タイガやったら腕が大きいし、そいつは打撃攻撃にも生かせそうや。それにその星降る腕輪の色とも()うとるしな」

 

 シェリルの言葉にタイガは頷く。

 

 「……まあ。せっかく貰ったんだしな。使ってみるよ」

 

 そう言って左腕に盾を装着し、拳を繰り出してみた。軽いし特段邪魔にもならなそうだ。

 

 「タイガぁ、カぁッコいいよぉ~~!」

 「うん。似合ってる」

 

 マァムが手を叩いて褒め、アステルも笑顔で頷いた。

 

 「しかし……あの王が家宝をやるなんて、どう考えても裏がありそうだな」

 「それやねんなぁ~~……」

 

 腕を組み目を細めて呟くスレイに、シェリルも顎に手を当てジト目になって頷いた。

 

 「王が仰っておられました。勇者達には更なる活躍を期待している! ……との事です」

 

 兵士は笑顔でアステル達に敬礼した。

 

 「「「「………」」」」

 

 「更なる活躍を」の所を強調した言葉に、アステル達は一抹の不安を感じながら、地底通路に続く階段を降りた。

 

 長い階段をひたすら下へと降りると、真っ直ぐ延びる通路へと辿り着く。魔物はどうやらいなさそうだ。

 

 「アリアハンのナジミの塔に続く洞窟と造りが似てるね……」

 

 アステルは歩きながら辺りを見回す。

 

 「ここがその昔、アリアハン帝国の領土だった事を証明するような遺跡だな」

 

 彼女の呟きにスレイも頷いた。何事もなく上り階段に辿り着き、今度はひたすら上がると、ロマリアの関所と全く同じ造りの部屋に着く。

 

 外に出れば、そこはポルトガ王国領だった。

 

 

 ポルトガの領地はロマリアやイシスと比べ格段に小さい。関所を出ると、西の森を避けるように東の平原へと進む。大陸中央に(そび)える山脈を迂回するように南下しながら旅をする。

 晴天に恵まれ、気候は穏やか。砂に足をとられる事もない。過酷な砂漠での旅を経た一行にとって、ポルトガまでの旅路は快適そのものだった。途中、短い手で樫の杖を振るい、鎌鼬(かまいたち)を起こす下等真空呪文バギをしつこく唱え、こちらに切り傷を負わせてくる魔物……人の形をしているが、人とは程遠い、体がほぼ頭部のみの〈ドルイド〉が現れたりしたが、その他はデスフラッターやマタンゴ、彷徨う鎧などなど……どれも見覚えのある魔物達ばかり。難なく倒して五人は突き進む。

 

 ロマリアを出発して一週間ほどで、一行は次の目的地に辿り着いた。

 

 

* * * * * *

 

 

 ポルトガは海洋貿易と、自国のみならず他国の物資の運搬、旅客の輸送の従事、そして造船業で成り立っている海運王国である。

 特に造船技術に関しては、並ぶ国はないといわれるほど抜きん出ており、嵐に耐えられる、長距離移動の出来る軍船(いくさぶね)や商船、大型船は、ほぼこの国で造られたものだ。

 

 「ついに帰ってきてもうたぁ~~」

 

 潮風香る街並みの入り口で、シェリルは肩をがっくり落とし、悲嘆の声をあげた。

 歩行者が彼女を訝しげに、または面白げに眺めては通りすぎる。ポルトガ国民は総じて背が高く、小麦色の肌、珊瑚色の髪の者が多い。他国では珍しいシェリルの毛並みも、この地では当たり前のようにいる。

 

 「まだ言ってる」

 

 アステルは苦笑した。

 

 「……なぁ、さっさとお城行って、貰えるもんもろて、出ていかへん?」

 

 ちろりと目線をやるシェリルに、アステルは首を振る。

 

 「だ~めっ! 造船依頼にシェリルのお父さんのお力添えもあったんだから。シェリルに顔を出させるって約束を守ってお礼するの」

 

 アステルの言葉にシェリルは更に肩を落とし、項垂れた。そんな彼女の背中をタイガとマァムが叩いて励ました。

 

 「……けど、思ってたより静かだな。これならロマリアの港や商店の方が、賑やかだった気がする」

 

 街道からすぐ見える港を眺め、スレイが呟く。出航する船はなく、港に停泊している船の数が多い。  

 すぐ近くにある商店も開いている店が疎らで、客足も少ない。スレイの言葉にシェリルは顔をあげ、辺りを見渡した。

 

 「……ほんまや。普段はこんなんやあらへんのに」

 

 シェリルの実家に向う途中、海岸沿いにベンチがひとつ置かれた休憩所に、一人の神父が立っていた。鮮やかな碧の海を背景に、漆黒の修道服が際立つ。

 

 「あっ……! 貴方は」

 

 アステルが声をあげ、その声に振りかえる人物は。

 

 「おや? お久しぶりですね。お嬢さんがた」

 

 エルフの森、地底湖の洞窟で出会った神父見習いの男だった。

 スレイはあからさまに顔を顰め、マァムはタイガの背に隠れて神父を睨む。そんな二人にシェリルは頭を傾げた。

 

 「どうしてここに……修行の旅の途中でしたよね?」

 「ええ。覚えてて頂けて嬉しいです」

 

 神父はアステルに柔和に微笑む。

 

 「呪いを受けたので祓って欲しいという願いを受けて、ロマリアから、ここポルトガまでやって来たのですが……」

 「呪い……?」

 

 不穏な響きにアステルは眉を顰める。神父は頷き、白いベンチに視線をやった。

 

 「この場所はかつて、勇敢なる剣士と愛し合う美しい女性の憩いの場だったとか。二人はいつもそのベンチに座り、海を眺めて平和な世界を夢見てたそうです。

 ……しかし。恐ろしい事に魔王の配下の魔族がその二人に呪いをかけた。……可哀想な話です」

 

 

 「……ちょお待ち! 勇敢な剣士って……それってカルロスの事やないやろうな!」

 

 シェリルが神父に食い付き気味で問いかける。

 

 「お知り合いなのですか?」

 「シェリルの知ってる人?」

 

 神父とアステルが彼女を見る。

 

 「……カルロスとその彼女のサブリナはウチのポルトガでの幼馴染みや。十二の時にアリアハンに移り住むようなって、滅多に会わんようになったけどな。 

 カルロスは〈ポルトガの勇者〉呼ばれるくらい、強くて正義感溢れる奴なんやけど……ほんまにあの二人が!? どんな呪いかけられたんや!」

 

 神父は気の毒げにシェリルを見つめ、首を振った。

 

 「私の口から他者に、彼らの呪いの内容を話すのは(はばか)れるのでどうかお許しください」

 

 言い募ろうとしたシェリルだったが、思い止まり、ぐっと言葉を飲む。

 

 「魔力の高い魔族の所業だったようで、私も何日もかけて解呪に努めたのですが、力及ばず……本当に申し訳ありません」

 

 頭を下げる神父にシェリルは首を振る。

 

 「いや……あんた責めても仕方あらへんし」

 「私に出来る事は、一日も早く彼らが呪いから解き放たれるのを神に祈るだけ。……それでは私はこれで」

 

 神父は胸の上で十字をきる。アステルとシェリルの前を通り過ぎ、スレイにすれ違い様に囁く。

 

 「貴方の内にも闇の炎の残燭(ざんしょく)が見えます」

 

 神父の言葉にスレイは目を眇める。

 

 「ご無理をなさらないように、御自愛ください」

 「余計なお世話だ」

 

 素っ気なくあしらわれ、神父は眉を下げて、困ったように微笑む。そしてちらっとタイガの背中に隠れるマァムを見た。マァムはビクンっとすくみ、タイガの服を強く握りしめる。

 

 神父はにっこり微笑み、キメラの翼を放り投げて、空に溶けて消えた。

 

 「スレイ。神父さんになに言われたの?」

 

 アステルは彼の隣に近寄り、見上げた。

 

 「別に。いらんお告げをしていっただけだ」

 

 依然として不機嫌な顔に、アステルとシェリルは顔を見合わした。

 

 「………マァム?」

 

 タイガが背後をそっと窺う。触れられている背中から、彼女の震えが伝わってくる。

 

 「あの人……に、気を許さないで」

 「わかった」

 

 タイガの返事を聞いて、背後のマァムの緊張がふっと解かれ……

 

 「ふやっ?」

 

 頭を傾げ、タイガから離れたマァムはいつものマァムだった。

 

 

* * * * *

 

 

街外れにあるお城とひけを取らない豪壮な構えの邸宅が、シェリルの生家だった。

 木々は剪定され、花壇は花が咲き誇り、広大で美しい芝庭を小走りに横切ってシェリルは大きな扉を勢いよく開けた。

 

 「ただいまっ!!!」 

 「シェリルお嬢様っ!?」

 

 広いエントランスホールの掃き掃除をしていたメイドが声をあげた。それを聞き付けて、屋敷じゅうの召し使い達が彼女らの前に集まり、執事を先頭に綺麗に整列し「おかえりなさいませ」と頭を下げる。

 

 「アリアハンのシェリルの家も凄かったが、こっちは桁違いだなぁ」

 

 豪華この上ない屋敷内をキョロキョロ見渡しながら、タイガは詠嘆の声を上げた。

 

 汚れなき真っ白な空間、高い天井。垂れ下がる水晶がきらきらと美しいシャンデリア。細長い窓はどれも磨きあげられ、曇りひとつなく透明に輝き、一つ一つが高価であろう絵画、壺や彫刻、大きな宝石の原石、甲冑や宝剣が通路の柱の位置に合わせて飾られている。玄関から各部屋へと伸びる厚い絨毯は、塵ひとつ落ちてない白い大理石の床に映える青藍。

 

 「こうして目の当たりにすると、シェリルがエルトン=マクバーンの娘だって事を改めて実感するな」

 

 自分の後ろに立つスレイの呟きにアステルは反応し、彼を見上げた。

 

 「え? スレイ、知ってたの?」

 「豪商マクバーン。初代は武具商として自ら海を跨ぎ、世界を回って、そこがどんなに危険な洞窟だろうが、戦場(いくさば)だろうが、必要な場所に必要な武具を届け、各国の騎士や王侯貴族の信頼を得た。そうして世界中に店舗を増やし、成功した。その現当主がエルトン=マクバーン」

 

 スレイは執事やメイドと話をするシェリルに聞こえぬよう、背を屈め、アステルに耳打ちする。

 

 「あと、その令嬢が度重なる誘拐事件から、その身を守るために島国アリアハンに避難した……盗賊ギルドでは有名な話だ」

 「ああ……やっぱりそうだったんだ」

 

 アステルが心得顔で頷くので、スレイは小さく首を傾げた。

 

 「シェリルが私とマァムの友達になったきっかけも、誘拐事件だったし。シェリルと一緒に私達も捕まっちゃったの」

 

 懐かしそうに話すアステルに、スレイは眉を上げる。

 

 「……それで、どうしたんだ?」

 「三人で力を合わせて誘拐犯をやっつけたよ? 子供だと思って油断してた隙を突いてね」

 

 アステルが得意気に笑って答えた。

 

 「なんや騒がしい思うとったら、戻っとったんか。シェリル」

 

 溜め息混じりのその声に、使用人達は頭を下げ、アステル達は視線をそちらに向ける。二十代後半くらいの男性が帳簿片手に二階の回り廊下の手すりに肘をついて、玄関(エントランス)に立つ一行を見下ろしていた。

 

 「兄貴!」

 

 シェリルが叫んだ。兄と呼ばれた男性は、雫型の翡翠の首飾りをし、白の麻シャツにズボンという気楽な格好をしている。シェリルと同じ珊瑚色の髪は長く、後ろで一つに縛っており、瞳の色も彼女と同じ翡翠色で、三白眼ぎみの目元も良く似ている。一般女性に比べ、背の高いシェリルだが、兄も長身で細身だった。

 階段を下りて、シェリルに近付くと、帳簿でばしっと彼女の頭を強くはたく。

 

 「たっ!」

 「女らしくせめて『兄さん』と呼べや」

 

 頭を両手で押え、恨みがましい視線を向ける妹を無視し、アステル達に見向く。

 

 「アステルちゃんにマァムちゃん。久しぶり。きれぃなったな。そっちの二人ははじめましてやな。俺はジェイド=マクバーン。うちの愚妹が迷惑かけとらへんか?」

 「かけとらんわ!」

 

 シェリルがすかさず突っ込みをいれた。ジェイドはタイガとスレイに手を差し伸べ、握手を求める。そういえば。シェリルも自己紹介の時に握手を求めてきたな。と、スレイは思い出す。これはこの兄妹の共通のスタンスなんだろうか。

 

 「スレイ=ヴァーリスだ」

 「俺はタイガ=ヤクモ。妹さんには色々助けてもらってるよ」

 

 二人と握手をかわし、ジェイドは片眉を上げて「ほ~お!」と感嘆の声をあげる。

 

 「二人とも、なかなかの手練れのようやな」

 「おにぃちゃん、さっすがぁ~~!」

 

 マァムにジェイドはニヤリと笑う。

 

 「本物の武器商人は手を見て握るだけで、相手の実力が大体測れる。客の力量に合った武器防具を薦めんのが、俺ら武具商の使命やからな」

 

 (……なるほど)

 

 挨拶の意味も含まれているだろうが、あの時の握手は自分の力量を測るためのものだったのか。

 

 「あの、エルトンさんはいらっしゃらないのですか?」

 

 ふと思い当たり、アステルはジェイドに訪ねた。

 

 「あれ? 親父おらへんの知ってて、帰ってきたんちゃうんか? まだ、王への謁見は済んでへんのか?」

 「……その謁見の前に汚れ落としとこう思うて、先にうちに寄ったんや」

 「なんや。おまえの事やから、実家素通りするかと思うたわ」

 「……したいんは山々やったんやけどな。アステルが許してくれるわけないやろ」

 

 シェリルが溜め息混じりに話す隣で、アステルはニッコリと笑う。

 

 「で、親父はどうしたんや? ポルトガで待っとるゆうとったのに……」

 

 シェリルのその言葉にジェイドは溜め息をついた。

 

 「親父はアリアハンからバハラタに行ったっきり、戻ってこん。……いや、戻ってこれへんって言った方がええか」

 

 アステル達は目を合わせあう。彼女らがアリアハンを出発して半年を越えている。エルトンは船旅だが、アリアハンからバハラタを経由しても、ポルトガには既に戻ってこれている筈だ。

 

 「なんや。交渉事がうまくいっとらんのか? ……それとも、まさか〈大王イカ〉に遭遇して船をやられてもうたか?!」

 

 不安げな表情のシェリルを宥めるように、ジェイドが彼女の頭を軽くたたく。

 

 「ちゃうちゃう。……ロマリアで大盗賊カンダタの噂は聞かへんかったんか?」

 「〈金の冠〉の事か? それならウチらで解決したで。それがどうかしたんか?」

 

 その言葉にジェイドは驚いたように目を見開き、そして顎に手を当てて「ああ、それで……」と、納得したように呟いた。

 

 「ポルトガ王からお前達がここポルトガに着いたら、至急城に来るようにと伝えろと言われとったが、……それが理由か」

 「どうゆう事や?」

 

 首を傾げるシェリル。ジェイドは細く、凛々しい眉を曇らせて話す。

 

 「今バハラタ、ダーマ地方で盗賊と海賊が手を組んだ拉致事件が多発しとる。その首謀者が大盗賊カンダタやって話や」

 

 思わずアステルはスレイを見上げた。彼は目を細めて、ジェイドの話を聞いている。

 

 「海賊の寄港や出港を防ぐ為に、西大陸の港は今すべて封鎖中や。詳しくは王に話を聞いた方がええ。どうせ、船を手に入れても事件が解決するまで出港でけへんからな」

 

 そう言ってジェイドは、メイドにすぐに風呂の準備をするよう手配した。風呂が沸くまでお茶をと、アステル達は執事に案内されて客間へと向う。シェリルはふいに足を止め、背後にいる兄に振り返った。

 

 「……なあ、兄貴」

 

 〈兄貴〉に突っ込もうとしたジェイドだったが、いつも元気な妹の深刻な表情に気づき、口を閉ざした。

 

 「街でカルロスとサブリナが魔族に呪われたって話聞いたんやけど……あれ、ほんまなん?」

 

 メイド達がざわつく。その表情は痛々しく憐れむようだった。ジェイドも苦い表情を浮かべ、シェリルの肩に手を置く。

 

 「いっぺんに色々聞いたら混乱するやろ。まずは王の話を聞け。それから、カルロス達に会いに行け。海辺にあるうちの別荘におるさかい。あそこは人目につかんからな。あいつらに貸しとるんや」

 「……わかった」

 

 項垂(うなだ)れるシェリルの肩を、ジェイドは力付けるようにもう一度強く叩いた。

 

 

* * * * * *

 

 

 ポルトガ王城は海に面した場所に建っていた。他国に比べ華やかさはなく、こじんまりとしているが、その分塩害や天災に負けないよう堅固な造りになっていた。

 強面の門兵にアステルは名を名乗り、王への謁見を申し込むと兵士は相互を崩し『待ってました!』と言わんばかりに、ばたばたと玉座の間に案内された。

 

 「アリアハンの勇者アステル。そなたの活躍はロマリア王から聞いてはいたが、こんなに若く可憐な娘だとは思わんかったぞ」

 

 黄金の玉座に腰掛け、アリアハン王の紹介状に目を通し終えると、ポルトガ王は顔をあげた。ポルトガ国王バルドの空色の瞳は子供のように輝き、アステルを見下ろす。

 歳はロマリア王と同じくらいだろうが、雰囲気は正反対だった。王は長身のがっしりとした体躯をしていて、一見戦士のようにも見えた。獅子のたてがみのように豊かな珊瑚色の髪に、額を黄金のサークレットが横切っている。 

 陽に灼けた肌は褐色で、深緑の衣に朱色のマントを右肩にたくしあげるようにして纏っている。

 

 「船は用意してある。……しかし、出港を許すわけにはいかんのだ」

 「盗賊と海賊による、バハラタやダーマでの人攫いが原因だと兄から聞きましたが……」

 

 シェリルが顔を上げると、王は親戚の子供を目にしたかのように、にんまりと微笑んだ。

 

 「おお、シェリルか。そなたの成人の儀以来だな。事情を知っているなら話は早い。盗賊団に(かどわ)かされた者達は、海上にて海賊に引き渡されていたらしい。その為、船の出港を制限している。……が、元凶を叩かねば事は解決せん。

 そこでだ。勇者アステルよ。東の地に赴き、主犯である大盗賊カンダタを捕らえてもらいたいのだ」

 

 船も必要だが、人攫いを放っておくなんて出来ない。それに、あのカンダタがそれに関わっているとはアステルには思えなかった。

 

 (……だとしたら)

 

 今度こそは誰かが、彼の名を騙って悪さをしているのだろう。

 

 「……わかりました。微力ながら尽力させて頂きます」

 

 アステルはちらっとスレイを盗み見たが、彼は特に表情を変えていない。彼女の判断に異論はないようだ。

 

 しかし、シェリルが疑問の声を上げた。

 

 「……陛下。なぜ国をあげて人攫いを成敗なさらないのですか?」

 「これ! 王に意見するとは! エルトン=マクバーンの娘とはいえ無礼であるぞ!それに元はといえば、そなたらがカンダタを取り逃がしたから、こうなったのであろう!」

 「やめろ。大臣」

 

 (いきどお)る大臣を王が片手を上げ、制する。玉座の手すりに肘をおき、頬杖をつくと、溜め息混じりに言う。

 

 「……そうしたいのは山々なんだがな。今回に限っては事を荒立てずに、解決せねばならんのだ」

 「……なにかあるのですか?」

 

 アステルは問いかけた。

 

 「海上での引き渡しを目撃した者の話では、双頭の鷲の紋章のついた軍船が護衛についていたらしい。奴等の裏には、東大陸の軍事国家サマンオサの影がちらついておるようだ」

 「サマンオサ? 勇者サイモンの出身国の……?」

 

 思わぬところでサマンオサの名が出た事にアステルは驚き、ポルトガ王は頷く。

 

 「サマンオサは八年前から鎖国状態で、国交が断裂されている。かの国は今、色々ときな臭い噂が立ち込めていてな。なにを企んで西大陸の人間を拉致し、自国に連れ込んでいるのかわからんが、我が国が表立って動いて、彼の国を刺激するような真似は避けたい。……あくまで個人がたまたま立ち寄った先で悪党を捕まえたという体裁にしたいのだ。

 アステルよ。そなたらはカンダタを打ち負かし、ロマリアの国宝〈金の冠〉を取り返したとレオナルド王から聞いた。これ以上被害を増やさない為にも力を貸してほしい」

 

 「はい」

 

 アステルの返事を聞き、ポルトガ王は深く頷いた。

 ……打ち負かしたなんて一言も言ってないけど。と、アステルは思う。そこらはロマリア王が色々脚色してポルトガ王に伝えたのだろう。

 『更なる活躍を期待する』とはこの事だったのだろうか。

 

 「それと、シェリル。バハラタにお前の父エルトンがいるはずだから、事が解決し次第至急ロマリアに〈黒胡椒〉他調味料を運ぶように伝えてほしい。備蓄がきれそうらしいのでな」

 

 (……こっちが狙いかっっ!!!)

 

 どこまでも食えない王様である。

 

 複雑な表情を隠しきれていないアステル達を見て、ポルトガ王はにやりとする。

 

 「なんだ。お前達もロマリア王の手の平で転がされている(くち)か」

 「いえ、そういうわけでは……」

 

 口ごもるアステルにポルトガ王は、はははっと豪快に笑う。

 

 「……だがな。〈胡椒一粒は黄金の一粒〉と云われるくらい黒胡椒は価値ある品だ。それを王宮に仕入れるだけで、港をひと月封鎖したせいで被った我が国の不利益は補える。ロマリア王なりの我々ポルトガへの励ましなのだ」

 

 王の柔らかく和んだ眼差しと笑みに、アステル達は毒気を抜かれる。

 

 「わかりました。父に伝えておきます。……ですが、海賊の方はどうされるのですか?」

 

 シェリルはしぶしぶと言った体で応え、そして尋ねた。

 

 「そちらの方は手配済みだ。カンダタを捕らえたその時に、動く予定だ。……我々もそなたらが来るまで、手をこまねいていたわけではないのだ。我が国の勇者を含む、精鋭部隊で内密に事態を収拾しようとしていた。その矢先、勇者があんな事になるとは……」

 

 「ポルトガの勇者……」

 

 アステルがそう呟くと、そこで初めて王の表情に影が落ちた。

 

 「……カルロスとサブリナの呪いの事ですか?」と、シェリル。王は頷く。

 

 「なぜ彼らが選ばれたのか、それは呪いをかけた張本人にしかわからん。だが、呪いを見た魔術士の話では、魔王は特に気高い魂の持ち主の負の感情を好むという。故に勇者カルロスと恋人のサブリナが狙われたのであろう……と。

 そして、生死に関わる呪いでないのは、我々への見せしめだろうとも言っていた。英雄が呪いに屈した様を民に見せしめ、恐怖を与える為だと。

 ……あれはある意味、死よりも残酷な呪いであろうよ」

 

 

 結局、ポルトガ王も彼らの呪いの内容を教えてはくれなかった。

 

 






ポルトガといえば、船に黒胡椒に呪われた恋人達です!

SFC版ゲーム初プレイ中、ここにいる恋人達の事情を知る神父さん見つけるの大変でした。……厳密に言うと神父さんというよりそこにある小さなメダルを見つけるのが、ですが(笑)

シェリルの兄ちゃん登場。
長身痩躯で長髪ピンク頭三白眼関西弁と自分の趣味盛りだくさんな彼はお気に入りキャラだったりします。
ポルトガ王も趣味が迸っております(笑)
ポルトガのキャラクター達はとてもお気に入りです。イラスト描けたらなぁ(汗)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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呪われた勇者

 

 

 アステル達は一通の書簡をポルトガ王から預かり、城を出た。

 それはアステル達を東の地へと導いてほしいという旨の、ポルトガ王から親友のドワーフ族のノルドに宛てた手紙だった。ノルドはアッサラーム東にある険しい山脈の麓にある洞窟に住んでいて、そこには東の地へと繋る抜け道があるらしい。

 洞窟の詳しい場所はアッサラームに住む王の子供の頃の躾係であり、今は既に隠居しているという老人が知っているという。

 

 「ドワーフ族と王様ってどうやって知り合ったんだ?」と、タイガ。

 

 「確か……」と、シェリル。

 

 「王がまだ王子やった頃、ロマリアに滞在してた時期があったんやと。ある日、ベリーダンス見たさにこっちもまだ王子やったロマリア王と二人で、城を抜け出して、こっそりアッサラームに向かう途中、間違って森に入ってもうて魔物に襲われたんやて。

 それを助けたのがそのノルドっちゅうドワーフやったんや」

 

 アステル達は顔をひきつらせて笑う。ロマリア王(とポルトガ王)の若い頃は、今より更にはっちゃけていたらしい。

 

 「キメラの翼を使えば良かったのにな?」と、笑いながら言うタイガ。

 

 「そういう問題じゃないだろ……」スレイが半眼で突っ込む。

 

 「冒険は男のロマン……らしいわ」

 

 恐らくタイガと同じ事を言って、そう返されたのだろうシェリルが呆れ口調で答えた。

 

 「でも、シェリルはポルトガ王とずいぶん親しいのね」

 「親父と一緒によく謁見の場に立ち合ったからなぁ。世界各地まわる親父の報告聞くの、王様楽しみにしてたさかい。

 ……そや。ウチにアリアハンへの移住勧めたんも王様なんやで?」

 

 それを聞いてアステルは目を丸くし、それからほころぶように笑った。

 

 「そうなんだ。じゃあ私達は王様に感謝しなきゃだね?」

 「ねぇ~っ!」

 

 アステルとマァムは向き合って声を合わせる。そんな二人をシェリルは擽ったそうに微笑んで眺めた。

 ふいに。故郷の潮騒が仕舞っていた苦い記憶を呼び起こした。

 

 (……あの頃はマクバーンの娘ってだけで、誘拐されるわ、命狙われるわ、散々やったからなぁ)

 

 ここポルトガじゃ、そんなのに巻き込まれるのはごめんだと、ろくに友達ができなかった。たまに『友達になろう』と近寄ってくる子供には、大抵よからぬ事を企む、(ろく)でもない大人が後ろについていた。

 

 (……けど、そんな中で唯一、あの二人はウチの友達でいてくれたんや)

 

 「じゃあ、次はカルロスさんとサブリナさんの所だね? シェリル」

 「へっ!?」

 

 丁度その二人に思いを馳せていたシェリルは、アステルの言葉にばっと彼女の方を向く。

 

 「だって会ってみたいもん。シェリルのアリアハンの幼馴染みとして、ポルトガの幼馴染みに。ね? マァム?」

 「ねぇ~~! アステルぅ!」

 「~~~っ!!!」

 

 シェリルは口をへの字にし、アステルとマァム二人まとめて、ぎゅううっと力の限り抱き締めた。

 

 「ちょっ……シェリっ……苦し」

 「きゅうううぅ……」

 

 そんな三人娘を見て、タイガは笑い、スレイは溜め息をついた。

 

 

 太陽が真上からいくぶんか傾いた時分。

 街から大分離れた堤防脇を歩くと、海に面して建つ一軒の白壁が眩しい邸宅が見えた。

 マクバーン家が所有する別宅で美しい海岸線が望めるこの場所を、他国の客人が訪れた時などに宿泊場所として提供する事もある。その庭で赤毛の馬の手入れを丹念にする、女性の後ろ姿があった。

 

 「サブリナ!」

 

 シェリルの声に、女性は腰まで長い珊瑚色の髪を飾る、大きな黄色のリボンを揺らして、ゆっくり振り返った。

 

 「え? シェリル……? シェリルなの?」

 

 シェリルは柵を軽やかに飛び越え、サブリナに嬉々として抱きついた。

 

 「成人の儀に帰ってきたっきりやから、三年……いや、四年ぶりか!」

 「……そうね。なんだか、もう何十年も前の話に思えるわ……会えて嬉しい」

 

 そう言うが、サブリナの声も表情も暗く、余所余所しい。抱きついたシェリルの肩を押し、体から離す。首を傾げるシェリルに、彼女は寂しげな笑みを浮かべた。

 

 「ここに来るって事は、話を聞いているでしょ? あまり近寄らない方がいいわ。呪いが伝染しないとは限らないから……」

 

 その言葉に、シェリルは顔をかっと赤くし、それからサブリナを引き寄せて強く抱き締め、叫んだ。

 

 「んなの、怖かあらへん! ウチは魔王を倒しに旅する、勇者一行の一人やで!!」

 

 「えっ? 勇者……?」

 

 サブリナが目をあげた先には、アステル達が立っていた。と。突然サブリナのそばにいた赤毛の馬が鼻を鳴らし、シェリルの肩に顔を押し付けた。

 

 「おっ!? なんや? 珍しい赤毛やな? ……って、髪噛むなって! ハハッ! 人懐っこい奴やな! カルロスの馬か?」

 

 シェリルが馬の鼻面をぽんぽんと叩き撫でた。馬の碧の目と目が合う。

 

 「目の色まで珍しいやんか! ポルトガの海とおんなじ色や。まるでカルロス……」

 

 そこまで言って、シェリルは撫でる手を止めた。

 

 目を限界まで見開く。

 

 「───サブリナ。……カルロスはどこにおるんや?」

 

 喉が乾く。言葉が震えた。

 そんな彼女に、サブリナは悲しげに告げた。

 

 「そこにいるわ。……彼がカルロスよ」

 

 打ち寄せる波の音が一瞬すべての音を掻き消した。

 

 

* * * * * 

 

 

 アステル達は庭の白いガーデンチェアやベンチに腰掛けていた。シェリルは庭に佇む赤毛の馬……カルロスをぼんやりと眺めていた。

 誰も口を開かない。いや、開けない。

 マァムも居心地悪そうに、きょろきょろと皆を見回すが、結局黙りこみ、足元でソワソワとステップを踏む。

 やがて、サブリナがポットとカップ、焼き菓子を載せたお盆を手に、家から出てきた。ガーデンテーブルにそれらを置き、ティーカップに茶を注ぐ。目の前にカモミール茶が差し出され、アステルははっとする。目を上げると、サブリナが微笑んでいた。

 

 「冷めないうちにどうぞ」

 「あっ……はい。いただきます」

 

 アステルはティーカップを持ち上げ、

 

 「……美味しい!」

 

 思わず漏れた感想にアステルはばつが悪そうに口元に手をやるが、しかしサブリナは嬉しそうににっこりとした。

 

 「さあ、皆さんも」

 

 促され、アステルの隣に腰かけていたスレイ、ベンチに腰かけていたタイガとマァムがテーブルに近づき、口々に礼を言い、茶や焼き菓子に手を伸ばした。

 

 「ほらシェリルも……好きでしょ? カモミール茶」

 「ああ、うん」

 

 シェリルはこくりっとひと口飲む。カモミールの香りが、凝り固まった心と体を解きほぐし、わずかながら気を落ち着かせた。

 

 「……やっぱ、サブリナの淹れてくれるカモミール茶は格別やなぁ」

 

 もうひと口、喉に流し込み、カップをテーブルに置くと、ひとつ息を吐き、シェリルはそばに立つサブリナを見上げる。

 

 「サブリナ。呪いの話、聞いていいか?」

 

 アステル達も彼女をみた。サブリナは頷き、椅子に腰掛けた。

 

 「……ひと月ほど前。あの日、私達はいつも待ち合わせる場所……海が眺められるベンチにいたの。

 人を拐い、海賊に売るという盗賊を捕まえる為に、東へ向かうよう王様の命令を受けたって話を彼から聞いていた時だった。

 突然カルロスが激しい体の痛みを訴えだしたの。座ってもいられず、地面にうずくまって。

 動かなくなったと思ったら、みるみるうちに彼の体が……。気が付けば、そこにカルロスの姿はもうなくて……」

 

 サブリナはカルロスを見た。アステル達もそちらに視線を向ける。こちらの会話がわかるのだろうか。カルロスは馬の瞳で、静かにこちらを見つめていた。

 

 「私はすぐに街の皆に助けを求めました。教会にも駆け込み、神父様に助けを求めました。

 けれど……冗談だろうと。誰も私の話に取り合ってはくれず、私は途方に暮れました」

 「ノアニールの長老の話と似ているな……」

 

 スレイがぽつりと呟き、タイガが頷いた。 

 

 「そうしているうちに、やがて陽が暮れて。……そしたら、彼は人に戻ったのです」

 「え?」

 

 話の展開に、アステルは思わず声をあげた。他の面々も首を傾げたり、眉間にシワを寄せてサブリナに見、

 そして彼女の様子に瞠目する。

 サブリナはなにかに恐れるように、その恐れを振り払うように頭をぶんぶんと振っていたのだ。落ち着きをなんとか取り戻そうと、自分で自分の肩を強く抱き締め、絞り出すように話す。

 

 「夜になった途端、彼は、人の姿を、取り戻したのです……ですが、喜ぶのも束の間、今度は、私の体が、おかしくなった!

 焼けつくような、全身の痛みに、叫び、うずくまり、しばっ、らくして、いっ、痛みが、ひっ、ひいたと、思ったら……そしたら、そしっ……たらっ……!」

 「サブリナ!?」

 

 シェリルは椅子を倒して立ち上り、激しく震え出したサブリナの肩を支える。サブリナはシェリルを見あげ、次の言葉を紡ごうと口をぱくぱくと開ける。

 しかし、それは言葉にならなかった。小麦色の肌が真っ青になり、ハッハッハッと息を短く吐き出し、瞳には涙が溢れ出す。

 その様に、たまらずシェリルは叫んだ。

 

 「いいっ! もう、話さんでいいから! 落ち着き!」

 

 

 アステルとシェリルに支えられて、サブリナは家の中に入っていく。その後をマァムも追いかけるように入っていった。

 庭に残されたタイガとスレイ、そしてカルロス。

 

 「あれ以上、聞き出すのは酷だな」

 

 タイガは家の扉の方を向きながら言う。

 

 「魔物による呪いなら、教会の神父の祈りか、魔法使いの破邪呪文シャナクで大抵は解けるものだけどな……ん?」

 

 背中を軽く押されて振り向くと、カルロスが頭でスレイの背中を押していた。

 

 「どうした?」

 

 スレイはその鼻面に触れようとし……だが、元が人間の男である事を思い出し、やめた。カルロスは家に隣接している馬小屋の入り口に進み、扉の前で小さく嘶く。

 

 「……開けてほしいのか?」

 

 訪ねると、カルロスは頷いた。スレイは小屋の扉を開けると、カルロスは自分から入り、柵に掛かっていた毛布をくわえると、今度は自分の背中に掛けてくれという仕草をみせる。スレイは馬の体を覆うように毛布を掛けてやると、カルロスは彼に礼を言うように深く頭を垂れ、そして目を静かに閉じた。

 それらを眺めていたタイガは溜め息交りに言った。

 

 「人間……なんだなぁ」

 

 スレイも頷く。

 

 「陽が暮れて夜になると人間に戻るって、言ってたな」

 「で、今度は彼女になにかが起こる……と」

 

 タイガとスレイは馬小屋を出て、庭から見える海を眺めた。

 気が付けば空は青から橙へと変化しつつあった。

 

 

 サブリナはベッドから体を起こし、窓の外を眺めた。

 橙に染まる空、黄金に輝く海。

 一ヶ月前までは美しいと思えた風景が、今はこんなにも恐ろしく哀しく、そして憎らしい。

 

 「おっ。目ぇ覚めたか」

 「シェリル」

 

 水差しとグラスをのせたお盆を持って部屋に入ってきたシェリルは、ほっと笑った。ベッド脇にある小机にお盆を置き、彼女の顔色を窺う。

 

 「ん。顔色もましになったな。さっきは〈しびれくらげ〉みたいにまっ白やったで~」

 「魔物を比較に持ち込まないでよ……」

 

 膨れるサブリナに、シェリルは「ゴメンゴメン」と子供っぽい笑顔で、グラスに注いだ水を手渡す。  

 サブリナは膨れた頬を元に戻し、礼を言ってグラスを受けとる。水を含み、乾いてカサカサになっていた唇を湿らせた。

 

 「……勇者さん達は?」

 「さっきまでここにおったんやけどな。今は台所で夕飯作っとる」

 「迷惑かけちゃったわね……」

 

 サブリナは苦い笑みを浮かべて、両手で握っているグラスに視線を落とす。

 

 「んな事で怒るような連中ちゃう。気にせんとき」

 「うまくやってるみたいね? 今のシェリル見てると、子供の頃大人しくて、泣き虫で、怖がりで、人見知りが激しい引っ込み思案だった子だとは思えないわ。私達の後ろにくっついて、私達がちょっと目を離したら、悪ガキどもにその口調をからかわれて、苛められて、わんわん泣いて「やめやめやめやめ!」

 

 饒舌(じょうぜつ)になってきたサブリナの口を、シェリルは顔を赤らめ、片手で塞ぐ。

 

 「いつの話してんねん……」

 

 (皆が……特にマァムがいなくて良かった)

 

 「って、そうそう!」

 

 マァムで思い出したシェリルは、ばつの悪そうな顔から一転、笑顔になる。

 

 「さっきちゃんと説明でけへんかったけどな、勇者の女の子ともう一人の女の子が、アリアハンでの幼馴染みやねん」

 「……じゃあ、あの二人がシェリルが変わるきっかけをくれた子達なのね」

 

 シェリルは頷く。

 

 「やられっぱなしやったウチに、抵抗する(すべ)と勇気を教えてくれた子達や」

 

 自分に巻き込まれて、自分のせいで一緒に誘拐されたのに。

 年下の彼女達はシェリルを責めもせず、泣き喚きもせず、力強く笑い、励まし、勇気づけて。初めて誰かと知恵を絞りあい、協力して、初めて武器を手に戦って。そして、初めて自分を狙う悪党を自分の手でやっつけた。

 運が良かったといえば、そうだろう。

 悪党どもは彼女らがなにもできない子供だと侮っていた。子供とはいえ、アステルは火球呪文(メラ)が扱え、戦闘訓練を受けていた女の子で、マァムも治癒呪文(ホイミ)と鞭が扱えた。

 

 けれど、あの勝利がきっかけで、シェリルは自分が戦える事を知ったのだ。

 

 自分の努力次第でもっと強くなれる事を知ったのだ。

 

 「成人の儀の為にシェリルがここポルトガに戻って来た時は、本当に吃驚したわ。昔の面影がひとつも残ってないんだもん」

 「……それは褒めとるんか?」

 「もちろんよ」

 

 ジト目でサブリナの手に持ったままのグラスを奪うシェリルに、彼女は苦笑する。

 

 「綺麗になって、強くなってた。私にはわからない戦術や武器の話を、楽しそうに話していた時のあなたとカルロスに焦りや嫉妬だって覚えたくらい」

 「はあ~~~っ?」

 

 うげぇと顔を顰めるシェリルに、サブリナはむっとする。

 

 「満更でもなかったでしょ? あの時〈ポルトガの勇者〉と〈マクバーンの姫君〉の縁談が持ち上がったって話、知ってるわよ」

 「んなの、カルロスと二人で速攻蹴り飛ばしたったわ。カルロスはあんたにぞっこんやし、ウチかて親友の彼氏奪うような真似ごめんやわ……それに」

 

 そこまで語ってシェリルは急にまごつく。

 

 「それに……ウチには、ちゃんと……心に決めたお方が、おるし……まだ、な」

 

 「もしかして(みどり)の王子様?」

 

 頬をほんのり染めて、シェリルはこっくりと頷く。

 あれはシェリルが八歳の頃にあった誘拐事件。使用人が悪党と手を組んで、自宅で睡眠中に事は起きた。海に連れ出される一歩手前のところを、一人の若者に救われたのだ。 

 泣き腫らした目蓋(まぶた)を必死に上げて目を凝らしたが、一晩中目隠しをされてたのと、太陽の逆光で顔ははっきりと見えなかった。逞しい腕で優しく抱き上げられ「もう大丈夫だ」という優しい声に安堵して。

 気を失う直前にやっと見えた彼の髪が鮮やかな翠緑だった事だけは、今でもはっきりと覚えている。

 

 「ドラマチックな出会いだったから、仕方がないとは思うけど……。子供の時に出逢った王子様ばっかり追いかけてたら、本当に行き遅れるわよ」

 「ほっといてんかっ!!」

 

 呆れ半分心配半分の眼差しのサブリナに、シェリルは真っ赤な顔で噛みつく。

 

 「そっ……それに今は打倒バラモスの旅の真っ最中や。んな、浮かれた事ゆうとる場合やあらへん!」

 「そっか……そうよね」

 

 サブリナは窓の外に視線をやる。空はいつの間にか、橙と紫と紺のグラデーションで彩られ、黄金に輝いていた海も次第に夜の黒へと近づく。

 

 「でも、私以外の誰かがカルロスと結ばれるのなら……その時はシェリルが、いいな」

 「サブリナ?」

 

 シェリルは訝しげに眉を寄せた、その時。

 

 太陽は海へと完全に沈み、姿を消した。

 

 

* * * * * *

 

 

 アステルは台所を拝借して晩御飯を作っていた。ミトンをはめて(かまど)から陶磁器の大皿を取り出すのを、マァムはワクワクと眺めていた。チーズの香ばしい香りに、彼女はうう~ん! と、うっとりする。

 

 「アステルのぉグぅ~ラタぁ~ン~!」

 「海の近くだけあって、保存庫には魚介類が沢山あったからね」

 

 そう言ってアステルは微笑む。料理は得意な方だ。(もっと)も得意なのはお菓子作りの方なのだが。

 

 (そういえば、来月はシェリルの誕生日なんだよね)

 

 アステルは旅立ち前の自分の誕生日を思いだした。

 

 (旅先の宿で台所が借りれたら、ケーキでも作ってお祝いしたいな……)

 

 こんな時だからこそ力付けたい。

 

 「アステルぅ~~まだぁ~~?」

 

 よだれを飲みこみ、お腹をぐぅぐぅならしてマァムはじぃっと、グラタンを見つめている。それに苦笑しながら、

 

 「おまたせ。マァムはスレイとタイガを呼んできて。私はシェリルとサブリナさんを呼んでくるから」

 「らぁ~じゃっ! タイガぁ~~! スぅレイ~~!」

 

 パタパタとマァムは庭へ駆けていった。

 客間のテーブルに出来上がったグラタンとサラダ、パンの入った籠を運ぶ。食器のセッティングは、マァムとシェリルがしていてくれていた。ふぅっと息をつくと、アステルはエプロンを外す。

 

 「サブリナさん、大丈夫かな……」

 

 二階に上がる螺旋階段を上り、サブリナを運んだ部屋に辿り着くと、控えめにノックする。

 しかし返事が返ってこない。

 アステルは小首を傾げた。サブリナは寝ていたとしても、シェリルが中にいるはず。アステルはそっと扉を開いた。

 

 「シェリル? 晩御飯の準備できたけど、サブリナさんは大丈夫?」

 

 アステルの声にシェリルの肩は大きくすくみ、振り返った瞳はなにかに驚愕したかのように見開かれたままだった。

 

 「……サブリナが、猫になってもうた」

 「え? なんて?」

 

 シェリルの言葉にアステルは思わず聞き返し、ベッドにいるはずのサブリナを見た。

 

 「え?」

 

 そこには美しい珊瑚色の毛並みの猫が、こちらを見詰めていた。

 

 「その猫がサブリナだよ」

 「え?」

 

 いつの間にそこにいたのか。

 

 アステルのすぐ近くに、毛布で体を包んだ赤髪の背の高い男性が立っていた。その後ろには困惑顔のスレイ、タイガ、マァムの姿も。

 

 「あなたは……?」

 「カルロスっ!!」

 

 シェリルが叫ぶ。

 

 「え、えっ? ……ええっ?!」

 

 アステルは混乱し、猫と彼を交互に見て、驚きの声しかあげれない。

 ポルトガの勇者カルロスは馬のカルロスと同じ鮮やかな碧の瞳を細めて、幼馴染みとアリアハンの勇者に微笑んだ。

 

 

 

 







ゲームではノルドはホビット族となっていますが、ここではドワーフ族になっております。ノルドを初めて見た時にドワーフにしか思えなかったので。今更ホビットの姿のノルドは想像出来ない(苦笑)

カルロスとサブリナはゲーム内に出てくるキャラですが、名前のみ同一のオリジナル設定となっております。
ポルトガ国民は基本珊瑚色(ピンク系)の髪ですが、カルロスは赤毛となっております。

町の神父の話でカルロスが剣士である事を知った時に『こいつ勇者にしよう』と決まりました。ゲームグラフィックからは全然剣士にみえませんがね(笑)
そういう設定があるなら、剣士グラフィックにしてもいいのにとか思っちゃったり。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!



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奸詐と侵食

 

 

 

 皆、彼女の言葉を偽りだと思っていたわけではない。

 

 ただ、ちゃんと受け入れきれていなかったのだろう。

 

 

 この目で見るまでは。

 

 

 

 

 

 ────人が動物になるなんて。

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 ───グルルルゥ……

 

 重い沈黙をやぶったのは、馬から元の人間の姿へと戻ったカルロスの腹の音だった。

 

 「……カルロス」

 

 なんとも言えない空気に、シェリルがジト目で彼を見た。サブリナも猫の姿だが、どことなく目が据わっているような気がする。

  

 「ご、ごめん。さっきからいい匂いがしてるから」

 

 カルロスは整った顔を緩め、頬を染めて照れ臭そうに笑う。

 

 「あたしもぅ! おなかぁペコペコだよぅ~~!!」

 

 マァムもお腹を押さえて情けない顔をして、アステルに訴える。

 

 「えっ……え~あ、今ちょうど食事の準備が出来たところなんです。良かったらご一緒にいかがですか?」

 

 「えっ!? いいのかい?」

 

 アステルの誘いにカルロスは、ぱあっと笑い、早速匂いの元へと向かおうとする。その肩をスレイが掴んで引き止めた。

 

 「あんた、その前になにか着ろ。その為にここに来たんだろ」

 

 呆れたように言う彼に、「ああ、そうだった」と毛布を羽織った姿のカルロスは頭を掻きながら朗らかに笑った。

 

 服を着たカルロスは、タイガとマァムに負けないくらい盛んな食欲を見せた。熱々のグラタンを火傷も恐れない勢いで口に入れ、サラダも口に突っ込み、更に鷲づかんだこぶし大のパンを、二個いっぺんに口に押し込んだ。

 

 「あ、あの、食事はしてなかったんですか?」

 「む?」

 

 思わずアステルがカルロスに尋ねると、リスのように頬を膨らませた顔を向けられ、若干引く。

 

 「ムグッ…ひゅまの、しゅはたのモグッひょきには、みひゅはのん……ングッ!」

 

 喉を詰まらせ、目をむき必死に胸を叩く彼にシェリルは溜め息を吐きながら、水の入ったグラスを差し出した。

 

 「口に入ってるモンちゃんと飲み込んでから喋りーな。行儀悪い」

 「……ぷはっ! ……ゴメンゴメン! 馬の姿の時は水は飲むけど、食事はしないようにしているんだ。馬の食べ物が食べれない訳ではないけど、人に戻った時自己嫌悪してしまうからさ」

 

 そう言って再び料理を掻き込んだ。

 

 「負けてられんぞ! マァム!」

 「むぉうっ!!」

 

 料理を奪われまいと、対抗意識を燃やすタイガとそれに応えたマァムはスプーンを手に掲げた。

 

  

 「はあ~~っ! ごちそうさまでした!」

 

 少し多めに用意したはずの料理は、三人によってあっという間になくなってしまった。苦笑しながらアステルは空になった食器を手慣れた様子で、てきぱきとまとめはじめる。

 そんな彼女にカルロスは爽やかな笑顔を浮かべた。

 

 「……アステルだっけ? 料理上手だねぇ! 手際もいいし、そのうえ可愛いし。これならお嫁の貰い手には困らないだろうねぇ」

 「へっ?」

 

 年頃の娘なら頬を染める所だろう。

 容貌端正な男性に見上げ様に微笑みを向けられ、「嫁」というワードの入った誉め言葉を投げ掛けられれば。しかしアステルは間の抜けた声を上げ、困惑の表情のままピタリと動きを止める。女とはいえ、名実ともに勇者となるべく修行中の身としては、この誉め言葉にどう返していいのかわからない。

 ……と。隣に座るシェリルが立ち上り、片手でサブリナを抱き、もう片方の手でカルロスの頭にげんこつを落とした。

 

 「てっ! なんで叩く「黙り。この天然たらし」

 

 冷たく見下ろし吐いたドスの効いた声に、顰めっ面のままカルロスは口を噤む。

 

 「……アステル」と、スレイ。

 

 「片付けは後でいい。話が始まらない」

 「え、あ、うん?」

 

 スレイは自身の隣、空いている席の椅子を引き、そこに座るようアステルを促した。彼の隣は末席で、カルロスの席から離れている。

 これから話を聞くというのに(わざわざそこ?)と、アステルは頭を傾げるが素直に従う。

 

 「え~と……僕、なんかやらかした?」

 

 警戒心を露にするスレイに、カルロスは尋ねるが、勿論答えない。かわりにシェリルが「その気がないから余計質が悪いねん」と、こめかみに手を当ててぼやいた。

 

 「……そんなんやから、サブリナが変な心配するんや。なにが『私以外の誰かがカルロスと結ばれるなら』や」

 

 半眼で言うシェリルに、猫のサブリナがシェリルに向かってしきりにニャーニャーと鳴く。

 

 「それ、どういう事?」

 

 カルロスから笑顔が消えた。

 

 

 空気が張り詰める音が聞こえた気がした。

 

  

* * * * *

 

 

 「……ってなわけで。カルロスが自分以外の誰かとくっつくんならウチがいいとか、バカ言っとったわ」 

 

 「サブリナ……」

 

 観念したように鳴き止んだサブリナは、シェリルの腹に頭をつけて顔を隠した。そんな彼女の背中に手をやり、シェリルはカルロスを睨んだ。

 

 「なんでサブリナはんな事言うんや? 呪いがかかったんは二人とも一緒やろ?」

 

 カルロスは目を合わせないサブリナを見詰めていたが、やがて重々しく口を開いた。

 

 「この呪いをかけた者が言ったんだよ。

 『愛を捨てよ。さすればそなたらは呪いから解放されるであろう』……ってね。

 初めて馬の姿になった時、痛みで朦朧とした頭の中ではっきりと聞こえたんだ。

 その時は意味がわからなかったけど、サブリナまで呪いにかかったとわかった時に『ああ、そういう事か』って理解したよ」

 

 彼はシェリルの膝の上で項垂れたままのサブリナを見下ろす。

 

 「あの声は僕だけが聞いたかと思ってたけど……奴は君にもそう告げたのか」

 

 「どういう事?」とアステルは顔をこわばらせた。

 

 「呪いをかけた魔族は、二人に恋愛感情をなくせとでも言ってるの?」

 「多分、そうだろうね」

 

 彼女の呟きに、吐き捨てるように答えるカルロス。

 

 「にしても、なにを(もっ)てしてだ? 『別れました』って、大々的に宣言でもしろって事か?」

 

 意味がわからんと、タイガは腕を組み頭を傾げる。

 

 「奴等が求めてるのは、もっと悪趣味な要求だろ。不貞、保身の為の裏切り……確かに、魔族が好みそうな感情ではあるけどな」

 

 スレイは声低く呟いた。それにシェリルはドンッ! と、テーブルを拳で叩き、怒りを露にする。

 

 「なんやねん! それ! カップルを妬むモテへん輩が考えそうな姑息な嫌がらせはっ!」

 「ねえ? 出来るなら張本人の事、蹴り飛ばしてやりたいよ」

 「馬だけにぃ~?」

 「こら! マァム!」

 

 溜め息交りのカルロスの発言にマァムが茶々を入れ、アステルが叱る。しかしカルロスは面白げに瞳を丸くした。

 

 「お、うま(馬)いね」

 「バカ言っとる場合かっ!!」

 

 がなるシェリルにカルロスは苦笑し、そして収める。

 

 「……じゃあ、真面目な話。元に戻る為に魔族の言葉に屈して、心を偽り、別の誰かと共に生きる道を選ぶも。このまま元の姿に戻れず、人として触れ合う事も、言葉を交わし合う事も叶わず生きるも。

 どっちに転んだとしても、魔族にとっては美味しく頂けるってわけだよ。負の感情ってやつをね」

 

 でも……と、カルロスは瞳を伏せた。

 

 「サブリナが今のこの現状に耐えられないなら。僕と別れる事を望むのなら。………僕は君の望むようにするよ?」

 

 「カルロス!?」

 

 眉根を寄せシェリルが叫んだ。サブリナは顔をあげ、カルロスを震える瞳で見つめる。

 

 「けれど僕は君以外の誰かの隣に立つつもりはないから。そこだけは諦めて、君は君で特別な人を見つけて欲しい。僕はそれを決して責めたりしないから」

 

 声はあくまで飄々としている。

 

 しかし、その笑顔はどこまでも痛々しかった。

 

 シェリルが口を開く、その前に。サブリナは彼女の膝からカルロスの膝へと飛び移った。彼の腹に爪を立ててしがみつき、頭を擦り付け、ひたすら鳴き続ける。まるで謝っているように鳴くサブリナに、カルロスは微笑み、彼女を抱き上げ、その顔に頬を擦り寄せた。

 

 「……アホらし。結局はこうなるんやないか。心配して損したわ」

 

 不貞腐れたように言うシェリルだったが、その顔には安堵の色が浮かんでいた。

 

 

 

 「───あのな」と。

 

 結論が出て、二人が落ち着いた頃を見計らってスレイが口を開いた。

 

 「そんな呪いをかける陰険で狡猾な魔族なら、たとえ条件を呑んだ所で呪いを解く気は更々ないだろ。……嘲笑われるのがオチだ。仕出かした後悔や罪悪感、元に戻れなかった時の絶望を美味しく頂くつもりだぞ」

 

 歯に衣着せない物言いだが、間違ってはいないだろうとタイガは思う。魔族の甘言に傾きそうになった以上、二人にはハッキリと伝えた方が良い。

 

 「君……やけに魔族に詳しいね」

 

 首をこてんと傾けるカルロスに、スレイは軽く息を吐く。

 

 「オレだけじゃない。ここにいる皆だ。旅の道中、奴等の手口を見てきた。恋人達の悲劇を利用し、子を思う親心を弄び、陥れ、罪のない人々の時間の流れを止めた。ある国では王族の一人が魔族の術中に嵌まり、一歩間違えれば国が堕ちるところだった」

 「悲哀、憎悪。不安や猜疑心。劣等感、羨望や欲望……暗く傾いてしまった感情に付け込み利用するんです」

 

 アステルは胸に手を当て、これまでの旅を思い出す。

 

 「だからどんなに辛くても、奴等の言葉に絶対に耳を傾けないでください。私達も、あなた達の呪いを解くお手伝いをさせてください」

 「おんなじぃシェリルのぉ幼馴染みだもんねぇ~~」

 「アステル、マァム……!」

 

 シェリルは感極まり瞳を潤ませる。

 

 「……ありがとう」

 

 カルロスに続き、サブリナもンナァ~と鳴いた。

 

 「……となると、だ。一番の打開策は呪いをかけた魔族を見つける事だろうな。心当たりはないのか?」と、タイガ。

 

 「あんたが呪いで動けんのなら、ウチらが倒したる!! どんなやつなんや?」

 

 意気揚々と尋ねるシェリル。しかし、カルロスは首を横に振り、サブリナを抱え直した。彼女を膝の上に座らせ、その頭を撫でる。

 

 「残念だけど、魔族の仕業だという事しかわからないんだ」

 

 それを聞いたスレイは訝しげに尋ねた。

 

 「だったら、なぜ魔族の仕業だと判断できた。姿は見ていないんだろ?」

 「僕達を診てくれた宮廷魔術師や旅の神父様がそう言っていた。……なにより、あの声から感じた底知れない冷たさ、禍々しさ……人ならざる者だって、魔力を持たない僕でもはっきりとわかった」

 

 思い出し語るカルロスの顔色は青ざめており、サブリナが心配げに彼を見上げている。

 

 「旅の神父……」

 

 スレイはぽつりと呟き、眉間に触れて考え込んだ。敵を見据えるように琥珀の瞳が鋭く細くなる。 

 旅の神父とは昼間再会した、修行中だという黒の修道服を纏った神父の事だろう。だけど……と、アステルは首を傾げる。

 

 (なんで、スレイはそんなにあの人の事を敵視するんだろう………)

 

 「スレイ?」

 

 窺うようにアステルに呼ばれ、スレイははっと顔を上げた。

 

 「……ああ、悪い。じゃあ、呪いをかけられた理由はわからないのか? 〈勇者〉だからは理由にはならないだろう?」

 

 スレイの言葉にタイガも頷く。

 

 「そうだなぁ。それが理由ならアステルはとっくにやられてる筈だからなぁ」

 「私?」

 

 自分を指差しきょとんとしているアステルに、タイガは苦笑う。

 

 「魔王の島に唯一辿り着いた勇者オルテガの子供。勇者になる事を約束された娘。狙うには十分な理由だろう?」

 「けど、結局アステルは手出しされていない……魔王にとって脅威的存在だと思われていないからだ」

 

 タイガの言葉を継ぐようにスレイも言う。

 

 「……じゃあ、カルロスさんは魔王にとって脅威だと思うような事をしたから、呪いをかけられた……って事?」

 

 一同は答えを求めるように、カルロスに注目する。

 

 「……確かに。魔族に疎まれる事を、僕は過去にしている」

 「もしかして三年前のアレの事か?」

 「アレぇ~?」

 

 大袈裟に首を大きく傾げるマァムに、訳知り顔のシェリルが説明した。

 

 「三年前〈マーマン〉や〈マーマンダイン〉ちゅう半魚人の魔物の群れが、ポルトガの港を強襲したんや。そん時に怯む事なく先陣を切って見せたんが、ここにいるカルロスや。しかもカルロスは魔法は使えへんからな。剣の腕のみで、五十は超えるマーマンの軍団をほぼ一人で全滅させおった。

 カルロスが〈ポルトガの勇者〉呼ばれるようになった所以の戦いやな」

 「ほぉあ~~!」

 「ほお……!」

 「す、凄い………!」

 

 上がる感嘆の声に、カルロスは首を振る。

 

 「一人で、は言い過ぎだよ。それに後方の守りがあったからこそ、僕は安心して前に出ておもいっきり戦えた。……けど、あの強襲が魔王や配下魔族の命令によるものなら、目をつけられてもおかしくないかもだけど………ただ」

 「その報復にしては、時間が開き過ぎてる気がするなぁ」

 

 タイガの言葉にカルロスも頷く。

 

 「その報復を今する事に奴等が価値を見いだしたとしたら?」と、スレイ。

 

 「………拉致騒動!」

 

 アステルが答え、スレイは頷く。

 

 「騒動が解決せず、今西大陸の港は封鎖され物流も人の流れも滞っている。騒動を治めて自分達を救ってくれるはずの〈勇者〉は魔族に呪いをかけられて。……多くの人々の恐怖や不安、不満や苛立ちを魔王は搾取できるはずだ」

 「なあなあ。人攫い自体も実は人に化けた魔族の仕業やったりせえへんのかな?」

 

 シェリルは身を乗り出すが、スレイは首を横に振る。

 

 「そこまではなんとも言えない。人の悪巧みに魔族が乗っかっただけかもしれないからな。……だが、無関係ではないはずだ」

 「なら、もしかしたらカルロスさん達に呪いをかけた魔族も東にいる可能性があるかも……?」

 

 「ああーーーーっ!!」

 

 いきなり叫びだしたタイガに皆が大きく肩を竦めた。

 

 「タイガ、うるさぁ~~いっ!!」

 「あっ、すまん。つい……」

 

 両耳を手で塞ぎ、目をつり上げるマァムに、タイガは謝りながらぽんぽんと彼女の頭を軽く叩いて宥めた。

 

 「なっ……なんや?」

 「どっ、どうしたの? タイガ」

 「すまん。すまん。東で〈ダーマの神殿〉の事を思い出してつい、な」

 「それがどうかしたのか? ……いや、そういう事か」

 

 皆まで言わずとも理解したスレイに「流石だなぁ」とタイガは感心しつつ、説明を続ける。

 

 「あそこには膨大な数の古文書が収められた大図書館に、高名な神官や僧侶も多くいる。そこでなら呪いを解く手懸りが見つかるかもしれんぞ」

 

 

* * * * *

 

 

 「───んで。もう発つんか?」

 

 マクバーン家の屋敷でジェイドが半ば呆れ顔で一行を見渡した。

 

 「もう日も暮れたんやで? 出発は明日にして、今夜はここで休んだらええのに」

 

 その言葉にアステルは苦笑を浮かべる。

 

 「ありがとうございます。でも、アッサラームまでならルーラでひとっ飛びだし、まだそんなに遅い時間でもないから王様の教育係だった人に会って話を聞いてきます」

 「あっちで宿を取って、明朝出発した方が少しでも早うバハラタに着けるからな」

 

 言いながらシェリルは、ジェイドが事前に用意してくれた大量の食糧や野営の為の消耗品、薬草などを口を大きく広げた〈大きな袋〉にマァムと二人がかりでどんどん突っ込んでいく。

それを見ながらジェイドはヒュウッと口笛を吹く。

 

 「ええなぁ。その袋。製法がわかれば商品化したいわ」

 「……そりゃ無理やと思うで。あのナジミの爺さんが教えてくれるとは思わん。魔法で黒焦げにされんのがオチや」

 「そうか。そりゃ残念」

 「それよか、兄貴。カルロスとサブリナの事頼むで………」

 

 

* * * * *

 

 

 「───すまない。みんな。勇者アステル」

 

 

 別荘を出る時、カルロスはアステル達に頭を下げた。

 

 「僕達の事だけじゃない。僕が向かうはずだった案件まで、君達に任せる事になってしまって……けど、どうかよろしく頼む」

 「はい」

 

 アステルは返事をし、タイガとスレイは頷く。

 

 「カルロスの代わりにぃアタシがぁ悪い奴らぁ蹴っ飛ばしておくからねぇ~!」

 

 びしっと親指を立てるマァムに、「ああ、頼むよ」とカルロスは笑った。 

 サブリナはカルロスの腕から飛び降り、シェリルに近づき、見上げた。シェリルは彼女を抱き上げ、その小さな額に自分の額をくっ付け囁いた。

 

 「もう、弱気になったあかんで? 呪いの事は必ずウチらがなんとかするさかい、ウチら信じて待っときや?」

 

 返事をするように、サブリナはニャーンとひとつ鳴いた。

 

  

* * * * * 

 

 

 「………おまえに言われんでもわかっとる。あいつらは俺の幼馴染みでもあるんやからな」

 「せやったな」

 

 にかっとシェリルは笑った。

 

 

 準備の整ったアステル達は、見送りを申し出てくれたジェイドと共に屋敷を出る。外はすっかり闇夜に包まれていた。

 

 「じゃあ、ジェイドさん。いってきます」

 「お兄ちゃん、ってきまぁ~すっ!」

 「皆気ぃつけてな。バハラタの事頼むで。あとついでに親父の事もな」

 

 「あっ……忘れとったわ」

 

 冗談ではなく、素で忘れてたシェリルに、ジェイドは溜め息を吐いた。

 

 「……まさに親の苦労子知らずやな。あんま親父泣かせんなや? 鬱陶しいさかい」

 「はいはい……行こアステル!」

 

 「うん。───瞬間移動呪文(ルーラ)!」

 

  

 夜空に昇る魔法の流星の軌跡をジェイドは、

 

 

 そして海岸でサブリナを抱いたカルロスが見上げていた。

 

 

* * * * * *  

 

 

 相変わらず賑やかなアッサラームの夜。

 

 繁華街の喧騒から遠く離れた、住宅街。イシス風の肌色煉瓦の四角い家が建ち並ぶ中に、ロマリア様式の石造りの背の高い家。……いや、家というより細長く塔のような建物だ。最上階にはバルコニーらしきものが見える。

 ここに、ポルトガ王とロマリア王の王子時代の元教育係であり、この大陸の東側に通じる抜け道を守るドワーフ族のノルドの住み処の場所を知っているという老人が住んでいる……はずなのである。

 

 「ごっめっんっくっだっさっいっ!!」

 「すぅいぃまぁせぇぇぇぇんっ!!!」

 

 アステルとマァムが何度も声を張り上げる。

 

 なぜならこの家、ノッカーがないのだ。一階の玄関は開放されてはいたが、中に入ると重厚な扉が訪問者を拒んでいた。

 

 「ゼィゼィ…もぅ…声ぇ…でない~……」

 

 きゅうっと、マァムはタイガの体にのし掛かる。

 

 「はぁ……る、留守なのかな~~……」

 「ここはアッサラームやからなぁ。遊びに行っとるんやろか」

 

 息を切らし頭を傾げるアステルに、溜め息混じりに呟くシェリル。

 

 「こんな時間に御老体がか?」

 「まさか……寝ちゃってるのかな」

 

 タイガの言葉に、アステルはアリアハンにいる祖父を思い出し、眉を寄せた。

 

 (お爺ちゃんなら確かにこの時間には寝てるかも………)

 

 スレイは扉の鍵穴を覗き込み、扉に耳をつけ叩く。それを数回繰り返し、納得したように一つ頷いて振り返った。

 

 「アステル〈魔法の鍵〉を使え」

 「え、」

 

 アステルは一瞬たじろぐが、彼は気にしない。

 

 「この鍵穴は一般のものとは違う。どういう経緯か知らないが、イシス王家の扉の形式と似てる。あと、扉の近くに人の気配もしない」

 「じゃあ、ここでいくら叫んでも……」

 「聞こえちゃいないな。建物の外側からバルコニーに向かって叫んでも、この高さじゃ声は届かない」

 「でも……」

 

 許可なく家に入り込む為に、王家の鍵を使うのは……と、うしろめたい気持ちになる。

 

 「せっかくここまで来たんだ。入って留守なら出直すしかないが、寝てるだけなら起きてもらえばいい。ポルトガ王の名と書簡を見せれば納得するはずだ」

 「うぅ………」

 

 眉を寄せ情けなく呻くが、確かにここで引き返したら早々にアッサラームに来た意味がなくなってしまう。アステルは意を決し、腰ポーチから〈魔法の鍵〉を取り出す。心の中で家主に謝ると鍵を鍵穴に差し込んだ。

 

 扉の先は住居空間かと思いきや、縦長の空間に支柱に沿って天井まで続く長い螺旋階段があるだけだった。

 

 「こりゃ、返事が返ってこないわけだな」

 

 タイガがそう呟く。

 

 「お年寄りが住むにはキッツイちゃうんか………これ」

 

 シェリルは辟易しながら階段を一歩踏み出した。螺旋階段を上りきった最上階にはアッサラームの街並が一望出来るバルコニーと、水面を見て楽しむ為の屋内池があり、その奥に住居空間へ続くであろう扉が見えた。そこへ向かおうとしたその時。

 

 「んん~~~?」 

 「どうしたの?マァム」

 

 立ち止まり頭を傾げるマァムに、アステルが声をかけた。

 

 「あれぇ~~~」

 

 そう言って彼女が指差す先を皆注目する。

 バルコニーと住居空間の境い目にある柱の奥で蠢いているモノと目が合った。

 

 「なっ……!」

 

 小悪魔〈ベビーサタン〉。体つきは人の子供のそれだが、多様の呪文を操るれっきとした魔族である。顔を除いた皮膚の色は濃いピンク。二本の角を頭に尻には尾を生やしている。どんぐり眼に舌をひょうきんに出しているそれが、「……ニャーン……」と、四つん這いであざとく可愛らしく鳴いて近寄ってきたのだ。

 呆気に取られ硬直するアステル達に、小悪魔は首を傾げ、また「ニャーン」と鳴く。

 

 「………」 

 「ニャーン………??」 

 「…………」

 「ニャー「えいやっ!」ヒギャアアア!!?」

 

 マァムがポルトガを出る前にジェイドから貰った〈鋼の鞭〉をベビーサタンに振るった。

 

 「おおぅ!」

 

 新しい鞭の威力に瞳を輝かすマァムに、タイガは青ざめ及び腰になる。

 

 「マァム……敵に眠らされたからって、間違っても俺にはそれを振るわんでくれ……頼むから」 

 「ニャンッ! ニャンダ、オマエラッ! カ弱キ子猫ヲ鞭デ打ツトハッ!! 人間ノ癖ニ、ヤル事ハ魔族顔負ケダニャッ!!」

 

 打たれた顔を手で押さえながら、涙目で金切声を上げた。

 

 「子猫~~っ?」

 

 魔法のそろばんの柄で肩を叩きながら、シェリルがはんっと鼻で笑う。

 

 「あなた……自分が今どんな姿かわかって言ってるの?」

 

 剣の柄に手をやりつつも、複雑そうに眉尻を下げて、アステルは一応教えてやる。

 

 「ニャンダト……?」

 

 猫が喋ったというのに、驚愕するどころか、白け顔の人間達にベビーサタンは焦り、すごすごと池に近寄り水面に自らの姿を映した。

 

 「ウゲッ! 化ケソコナッタカッ!」

 「阿呆か」

 「ドジな奴だな~~っ」

 

 呆れかえるスレイに、タイガは笑う。ベビーサタンはキッと眦を上げて、タイガとスレイを見比べると、何処からともなく取り出した三つ又の槍をスレイに突き付けた。

 

 「スレイ!」

 

 アステルは剣を引き抜こうとし……

 

 「……細身ノ人間ノ男。サテハ貴様ガ〈ぽるとがノ勇者〉ダナッ!」

 

 「へっ?」

 

 小悪魔の言葉に目を丸くした。

 

 「違う」

 

 即座に否定するスレイだが、小悪魔には聞こえていないのか、喋り続ける。

 

 「ケケケッ!! 大人シクぽるとがデ馬トシテ余生ヲ過ゴシテイレバヨイモノノ! 全ク〈勇者〉ト名ガツク輩ハ、憐レデ愚カデ難儀ナ生キ物ヨナ!

 イヤ、人間ドモガ魔王様ニ捧ゲル為ノ生贄カッ!」

 

 

 ────ドクリと。

 

 大きく波打つ自身の心臓の音を、

 

 スレイは聞いた。

 

 

 「コレ以上苦シマヌヨウ、ココデコノ俺様ガ息ノ根ヲ止メテヤロウ!!」

 「スレッ……え?」

 

 アステルが叫ぶが、その瞬間が見えなかった。

 目にも止まらぬ早さで腰から抜いたアサシンダガーは、小悪魔の槍を払い飛ばした。凪ぎ払われた衝撃で吹っ飛んだベビーサタンにゆっくりと近寄り、彼は尋ねる。

 

 「………〈勇者〉に呪いをかけたのは誰だ?」

 「ケッ……ケケケッ! 教エルワケナイダロ! バーカ……」

 

 スレイは小悪魔の頭を鷲掴み、目線の高さまで持ち上げる。

 

 「ハッ……放セッ! ヒッ!!」

 

 持っているアサシンダガーを持ち返し、短い足をバタつかせる小悪魔の首もとで、ピタリと止めた。凍り付くような冷たい眼差しを正面で受け、ベビーサタンは竦み上がる。

  

 「ケッ…ケケ……品性高潔ナ勇者様ガコンナ事スルトハ……ッ。オ前ヲ慕ウ連中ガ、ゲ、幻滅スルゾ……」

 「〈勇者〉を陥れたのは誰だ?」

 

 ダガーはそのままに、更に声を低くして再度問う。

 

 「シッ……知ラネェ!!」

 

 ベビーサタンの首の皮にダガーの刃を沿わせた。

 

 「〈勇者〉を追い詰めたのは誰だ?」 

 「ホッ……本当ニ知ラネェ!!俺達下ッ端使イ魔ハ、魔王様や配下様ノ命令ヲ直接会ッテ受ケルワケジャネェ!頭ン中デ聞コエテクルンダ!

 詮索モデキネェ! ソノ声ニハ絶対ニ逆ラエネェンダ!!!」

 

 スレイは無表情のまま、ゆっくりとダガーを肌に食い込ませた。小悪魔の首から青い血が流れ出す。顔中脂汗をかき、ブルブルと体と声を震わせながら小悪魔は悲鳴を上げた。

 

 「────〈勇者〉を……」

 「本当ニ本当ダッ! ダカラ助ケテッ!!」

 

 ダガーを動かす手はとまらない。

 

 

 

 「スレイやめてーーーッ!!」

 

 アステルの悲鳴に近い叫びに反応したほんの一瞬を見逃さず、ベビーサタンは先程手放した槍を念力で浮かしてスレイの背後目掛けて飛ばした。

 スレイはそれを振り向き様にダガーで弾くが、その隙をついてベビーサタンは口をかぱっと開き氷の礫を含んだ冷たい息を吹きかけた。スレイはとっさに腕で顔を覆う。ベビーサタンは怯んだ彼にニヤリと笑い、

 

 「ケケ……死ネッ!」

 

 手に戻った槍を突き出して止めをさそうとした。

 

 が。タイガがベビーサタンの手にある槍を蹴り上げた。

 

 「()うは問屋が……てなっ!!」

 「はあっ!!!」

 

 ベビーサタンの背後に回っていたシェリルの振り下ろした魔法のそろばんが、脳天に直撃し、小悪魔は「キィッ!!」と短い悲鳴をあげて塵と消えた。

 

 

 「ホぉイミぃ~~!」

 

 マァムの呪文の光が凍傷(やけど)した腕を照らす。スレイは治してもらった腕の具合を確かめるように、上下に動かし掌を握ったり開いたりする。

 

 「悪いな」

 

 マァムはスレイにニッと笑う。

 

 「どぉういたましてぇ~~!」

 「ごめんなさい……」

 「アステル?」

 「アステルぅ? なんであやまんのぉ~~?」

 

 腰を下ろしているスレイの隣に膝をつき、項垂れた。

 

 「魔物と対峙してる時に、私がいきなり声をかけたから……。シェリルもごめん。あのままスレイに任せていれば、呪いをかけた相手を聞き出せてたかもしれなかったのに」

 

 自分の甘さにアステルは唇を噛み締めたその時、頭を軽く小突かれた。

 

 「……スレイ?」

 

 顔を上げるとスレイは困ったような顔をしていた。

 

 「魔族はカルロスの東への移動を阻止する為の刺客を放った。それがわかった。あれ以上は多分聞き出せなかったはずだから、気にするな」

 「そやな。知らんゆうのは嘘ちゃうと思うで」

 

 シェリルはベビーサタンが落とした桃色の原石を拾い上げ眇め見る。

 

 「こいつスレイの気迫に本気でビビっとったからなぁ。相手はずる賢い悪魔やさかい、あんくらい脅さんとほんまの事なんて聞き出せへんやろ。けど、正直ウチもビビったわ」

 

 「あんまやり過ぎるとアステルに嫌われんでぇ」と、スレイに悪戯っぽく笑う。

 

 (────そう。怖かった)

 

 あの時見せた表情を無くしたあの顔が。

 温もりを無くした琥珀のあの瞳が。

 

 (───凄く……怖かったの)

 

 止めなくてはと思った。止めないと。

 

(………スレイが、消えちゃうような気がした)

 

 そう思い至った途端、身体中の血の気が引いた。

 

 「アステル?」

 

 はっとして顔を上げると、彼はいつもの彼の顔でアステルを心配げに見つめていた。

 

 「……そういう事だ。怖がらせてしまったな」

 

 そう言ってスレイはアステルの頭をわしわしと掻き撫でる。いつもと同じ不器用な手つきで。

 

 「すまない」

 

 手が離れると、アステルはブンブンと頭を振り、彼ににっこりと笑った。

 

 ……と。扉の開く音が聞こえ皆一斉にそちらを向くと、寝間着姿の老人が目を丸くしてこちらを見ていた。

 

 「なんじゃ、騒がしいと思ったら……! どうやって入ってきた???」

 「あっ……あの! 私達は……」

 

 警戒する老人に説明すべく立ち上がるアステル。シェリル、マァムもそれに続く。

 

 「大丈夫か?」

 「問題ない」

 

 タイガが手を差し出すが、スレイは首を横に振って辞退し、自力で立ち上がる。タイガはやれやれといった感で「無理はするなよ」と、彼の肩を叩いてアステル達の元に向かった。

 

 スレイは自分の掌を眺め、ひとつ息を吐くと皆の元へと歩き出した。

 

 

 







夜のアッサラームに現れるネコに化け損なった《ベビーサタン》。
ゲーム中では勇者が話し掛けた状態が透明(後々そういう効果のある道具や呪文がでます)であろうと、モンスターに変身してようと(後々s…)その正体を見破ります。
自分は変身失敗してるのにね。ドジな癖して何気に凄いヤツです(笑)

突然のスレイの異変。彼に一体なにが起ったのか。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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抜け路

 

 

 アッサラーム東には、山岳地帯が広がっている。それを越えた先には黄金に価するという〈黒胡椒〉の産地バハラタがある。

 そのバハラタから山沿いに北上すると辿り着く岬にはその昔、大きな港街があった。以前はここから黒胡椒は海を渡って世界各地の王公貴族へと広まり、街は富を得ていたのだ。

 しかしそこにはもう、その影も形もない。海の魔物の凶暴化により、廃れたわけではない。

 

 一人の女性の怨念により、街は滅びたのだ。

  

 今は聖地ダーマの神官達が建立した名ばかりの慰霊碑があるのみ。

 

 「こんなもので彼女の憎悪を祓えなど出来ないというのに……」

 

 黒の修道服の神父が微笑みを湛え、慰霊碑に触れる。

 

 「人とはなんと可愛らしく───……そして愚かなんでしょうね」

 

 潮騒に紛れて、女性の声が聞こえる。魂を凍てつかせるような、怨み辛みを乗せたその歌声は、彼にとっては甘く安らぐまるで子守唄のよう。

 

 視線を海峡を超えた遥か西へとやる。

 

 金色の瞳が捕らえたのは大きな湖に浮かぶ、小島。そこにある牢獄は、七年前を最後に今は使われていない。

 

 いや、使えないといった方が正しいか。

 

 「貴方にも聴こえますか? この甘美なる歌声が……勇者よ」

  

 

* * * * * *

 

 

 

 ───日の光も届かない黴臭い地下牢で。

 

 『この名を貴方から頂いたその時から心に誓っていました。この命、貴方の為に使おうと』

  

 銀髪の少年は向かい合う黒髪の少年に頬笑む。

 

 『そんなの駄目だっ!』

 

 覚悟を決めたかのように目蓋を閉じる銀髪の少年のその肩を掴もうとした、その時。

 

 黒髪の少年の手は背後から伸びた大きな手に掴まれ、引っ張り上げられる。

 

 『……もう行かないと。時間がありません』

 

 焦る声と同時に、黒髪の少年は男の大きな背に担がれた。

 

 『離せっ! くそっ! 離せよっ!!』

 

 少年は男の腕の拘束から逃れようともがくが、びくともしない。

 

 『お願いします。……どうか御無事で』

  

 銀髪の少年は男に切なる願いを託す。

 

 ギリ……と。

 

 歯を食い縛る音を少年達が耳にした途端、背後を振り切るように男は黒髪の少年を連れ、牢から出る。 

 

 そして来た時と同じ様に、牢の鍵を閉めた。

 

 『待て! 待てよっ!!』

  

 牢に取り残された銀髪の少年の姿がどんどん遠のく。

 

 『なあ! 頼むから……っ!!』

 

 男は立ち止まる。

 

 思い直したかと、少年がホッとしたのも束の間。

 

 男は黒髪の少年の口に布を当てた。

 

 甘い香りを吸い込んだ体は、少年の意思とは正反対に力が抜けていく。

 

 『────ス…レ……イ』

  

 名を呼ばれた銀髪の少年は、鉄格子越しに琥珀の瞳を細め、穏やかに微笑んだ。

 

 

 届かない。

 

 

 意識が闇に落ちるその間際まで、黒髪の少年は彼へ手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 「───レイ、……スレイ!」

  

 体を揺すられ、意識が浮上する。

 目蓋を上げると、白む空を背景に心配げに揺れる深い青の瞳が覗きこんでいた。

 

 「……アステル? ……朝か?」

 

 意識が覚醒して感じるのは朝露で湿った緑の空気。木にもたれて眠っていたスレイに、アステルは「良かった、起きた」と、ほぅっと息を吐いた。

 

 「……大袈裟な」

 「だって、スレイ。珍しく深く眠り込んでたから」

 

 呆れた様子の彼に、アステルはむくれる……が、眉を下げ再度彼の顔を覗きこんだ。

 

 「顔色悪いよ。どこか具合でも悪いの?」

 「普段からこんなものだろ?」

 

 野宿で凝り固まった首や肩を鳴らす。

 

 「いつもより白い気がする。……羨ましいくらい」

 「なんだそれ」

 

 冗談か本気か。真顔で言うアステルに、スレイは吹き出した。

 

 「……そういえば、皆は?」

 「沢で水汲むついでに顔洗いに行ってる。皆が戻ってきたら私達も行こう?」

 

 そう言ってアステルは暖かい湯気のたつお茶をスレイに差し出した。

 スレイは朝食の準備に勤しむアステルをぼんやりと眺める。アッサラームでの使い魔の一件は一昨日の事。しかしそれ以来、アステルはなにかと自分の事を気にしていると、スレイは思う。

 

 (───怖がらせたのは自覚しているが……)

 

 心配される覚えはないんだが。と、朝日を浴びつつ受け取ったお茶を口に含んだ。

 

 

* * * * * * *

 

 

 小悪魔との一騒動の後。

 

 王の元教育係の老人に、了解も得ず自宅に踏み入った謝罪とその理由を王の書簡を見せつつ説明をした。

 

 「……ふむ。そういう事情なら致し方ないとしよう。お主ら地図はもっておるかの?」

 

 スレイは自分の鞄から〈妖精の地図〉を取り出しテーブルの上に広げた。ピョコンと立ち上がる羽ペンに、老人は目を丸くして驚く。

 

 「これは変わった地図じゃな。……む? なんじゃ。この地図ちゃんと場所を記載しとるぞ」

 

 「「「「え?」」」」

 

 アステル達は驚きの声を上げ、皆地図を覗き混む。老人はアッサラームから北の森、山脈の麓に位置する所を指差した。そこは立ち入ったことがない為、色づいてはいないが確かに洞窟印がある。

 

 「ここがノルドの住み処で〈バーンの抜け道〉の場所でもある」

 「〈バーンの抜け道〉?」

 

 アステルに老人は頷く。

 

 「〈バーンの抜け道〉は太古の昔、大地の女神ガイアの眷族、ドワーフ族が堀った抜け道でな。西部と東部を彼らが行き来する為に掘ったものを、人があやかって利用してたんじゃ。

 以前は聖地ダーマ巡礼の旅路として大地の神に感謝しながら静かに使われていたものじゃが、東部で香辛料の栽培や持ち運びが盛んになった事で、人の往来も激しくなった。

 大地神を敬うことも忘れ、我が物顔で利用する者達に子孫のドワーフは腹をたて、眷族の力を以て道を閉ざしてしもうたんじゃ」

 「それが、ノルドさん?」

 

 老人はこくりと頷く。

 

 「じゃが、ポルトガ王の頼みならばノルドは動くじゃろうて」

 

 

* * * * * * *

 

 

 「おっ、目が覚めたか」

 「おっはぁよぅ~」

 「おはようさん」

 

 恐らく水を汲んだ水筒が入っているであろう〈大きな袋〉を担いだタイガ、それに首にタオルを引っ掛けたシェリルとマァムが戻ってきた。

 

 「珍しくお寝坊さんやったなぁ~」

 「おっ寝坊さぁ~ん」

 

 スレイの隣に腰掛けるシェリルとその隣に腰掛けるマァムは、同じ様なニンマリ顔。

 

 「なんでそう得意気なんだ」

 

 少々ムッとするスレイ。

 

 「いつもドヤ顔でウチらより早う起きとるスレイに、やっと勝てたわぁ」

 「ゆぅ~えつかぁ~んっ!」

 

 きゃっきゃとはしゃぐ娘二人に無視を決め込み、スレイは鞄からタオルを抜き取り立ち上がる。

 

 「顔洗ってくる。……アステル行くぞ」

 「あ、うん」

 

 返事をしてアステルは丸パンにナイフで切れ込みをいれ、野菜や炙った肉を挟んだサンドイッチをタイガ達に差し出した。

 

 「ポットにお茶が入ってるから。先食べてていいからね」

 「ああ。ありがとう」

 

 タイガが笑顔でサンドイッチを受け取ると、アステルはタオルを持ってスレイに駆け寄った。二人の後姿が森へと消えると、シェリルは笑みを引っ込めた。

 

 「……普通やな。スレイ」

 「やっぱり気にしてたのか」

 

 優しいなシェリルは。と、タイガが頭をわしわし掻き撫でる。

 

 「だから、髪が乱れるからやめいっ!」

 

 シェリルはタイガの手を払いのけ、乱れた前髪を整える。

 

 「あん時は情報を聞き出す為の芝居みたいな事言っとったけど……ウチもそれに話し合わせたけど」

 

 マァムは会話そっちのけで、サンドイッチに手を伸ばした。

 

 「スレイ、ガチでキレとった。……アステルが止めへんかったら、えげつないもん見せられてたような気ぃするわ」

 「ああ。魔物の言葉で確かにスレイは豹変した」

 

 と、タイガもサンドイッチを頬張る。スレイは怒ると暖かみのある琥珀の瞳が、すとんっと温度をなくし、あからさまに表情に出すのでわかりやすくかわいいもんだ。

 

 (……だが、あの時のはそんなものとはかけ離れていた)

 

 「……ウチも腹立ったけど、スレイの比やなかったな」

 「……勇者……か」

 

 ぽつりと呟くタイガ。シェリルは〈勇者〉が作ってくれたサンドイッチをはむっと噛み締めた。

 

 

 戻ってきたアステル達が食事を終えると、一行は出発する。アッサラーム北の深い森に入って二日と半日。平原を歩くより魔物の出現は多かったが、ここら一帯の魔物達はもはや見慣れ、戦い慣れた。油断はしないが、軽くあしらいつつ先を急ぐ。

 辿り着いた洞窟の入り口は、木々に隠されるようにあった。

 でこぼこした入り口に更にそれを塞ぐように置かれている岩々。どかせられる岩はタイガとスレイでどかす。頭を低くし、体を屈めたりしてやっとの思いで入ると、そこは広く、路は整えられ、辺りを照らす為の蝋燭(ろうそく)には火が点っていた。

 進んでいくと、鍵の掛かった大きな扉が現れた。

 

 「凄い……これもノルドさんが一人で作ったの……?」

 

 腐りにくい木材を使用した扉は大きいだけでなく、大地の女神と花々の見事な飾り彫りも施されてある。見蕩れるアステルの隣で、スレイは扉の鍵穴を覗く。

 

 「ドワーフ族は怪力な上に手先が器用なんだ。鍵は……〈盗賊の鍵〉で開きそうだな」

 

 「「「…………」」」

 

 相変わらず悪びれもせず言うスレイに、

 

 (((うん。いつものスレイだ(や)))

 

 アステル、タイガ、シェリルの心がひとつになる。マァムは笑っていた。またしても闖入しなければならない事に、アステルは良心の呵責に苛まれながらも、彼の言う通り〈盗賊の鍵〉を腰ポーチから取り出した。

 扉を開け、道なりに進むと天井の高い広い空間に出た。

 

 「行き止りか?」と、シェリルは辺りを見回す。

 

 「いや。こっちに道がある」とスレイ。

 

 壁を堀抜いて造ったであろう隧道(トンネル)は、幅は広く天井が低い。アステルとマァムの背丈で屈まずに済むギリギリの高さ。スレイ、シェリル、タイガは常にしゃがんでなければ頭をぶつける。

 

 「こんなに低い天井でここの住人は頭ぶつけんのか?」

 

 一番立端があるタイガが、中腰で歩きながら苦笑う。

 

 「……ドワーフ族は屈強な体つきだが、背丈はあまりない」

 

 同じく屈みながら進むスレイが説明を付け足した。

 

 「詳しいね、スレイ」と、こちらはきょときょと辺りを見回すマァムと並んで歩くアステル。

 

 「……ドワーフ族の知り合いがいる」

 「ハーフエルフといい、スレイは変わった知り合い多いなぁ。……たっ!!」

 

 油断したシェリルは天井に頭をぶつけた。

 

 隧道を抜けると、天井の高さはそのままに、住居空間らしき場に出た。地下水を汲み上げる為の井戸に、小さな釜戸。背の低い箪笥にベッド、テーブル、一対の椅子。その椅子の一つに座る目付きの悪い男が、こちらに睨みをきかせていた。

 背丈はアステルの肩に届くくらい。しかし肩幅は極端に広く、胸板はがっしりと厚い。肌は濃い褐色。短い首や四肢には筋肉がもりもりと付いている。

 豊かな髪と口髭は暗褐色。フンと荒い息を漏らす鼻は丸くて赤い。

 

 「ちっちゃぁいおっちゃぁん!」

 「マァム、待った……あだっ!!」

 

 かぁいい~と、男に駆け寄ろうとするマァムを、シェリルが慌てて捕まえようとしてまた天井に頭をぶつける。頭を押えて唸るシェリルのかわりに、タイガがマァムを確保した。

 

 「……なんだね。お前さんらは」

 

 男は不機嫌を露に、傍らにある棍棒を手に腰を浮かす。

 

 「まっ、待ってください! ドワーフのノルドさんですよね!? 黙って入ったりしてごめんなさい! 私達はポルトガ王の使いの者です!!」

 

 畳み掛けるように話すアステルの姿を視界に捕らえると、男……ドワーフのノルドは慄くように呟いた。

 

 「〈天の愛し子〉……!」

 「え?」

 

 アステルは瞳をぱちぱちと瞬く。

 

 (それ、どこかで聞いたような……)

 

 「ああ……いや、なんでもないわい」

 

 何故かノルドは慌てた様子で椅子に座り、棍棒を置いた。

 

 「で、ポルトガ王がどうかなされたか?」

 「あっ、はい。実は……───」

 

 アステルは腰ポーチから王の書簡を取り出し、ノルドに手渡した。

 

 

 「───……ふむ。悪事を働く海賊のせいで船を出せない故に、この〈バーンの抜け道〉で東側へ渡りたい、と」

 

 読み終えた王の手紙をテーブルに置き、ノルドはアステル達を見渡し、重々しく確認するように言う。

 

 「諸悪の根元を叩くために」

 

 それに、アステル達は大きく頷いた。ノルドは物思いに更けるように瞼を閉じ呟く。

 

 「……大地への畏敬を忘れた人間共を通さぬよう抜け道を塞いで、はや数十年。されど悪を滅する為、他ならぬポルトガ王の頼みとあらば……」

 

 閉じた瞼を上げ、彼は椅子からのそりと立ち上がった。居住空間から外に出ようとするノルドに一行は慌てて体を後ろに引き、その道を譲る。ノルドは一旦立ち止まり、彼女らに振り返った。

 

 「……ついてきなされ」

 

 

 案内された場所は先程の天井の高い空間だった。

 

 「そこで見ておれ」

 

 それ以上アステル達を近寄らせず、立ち止まったノルドの目の前にあるのは、なんの変哲もない壁。アステル達が不思議そうに顔を見合わした。

 

 その時。

 

 「うおおおおおおおおおっ!!」

 

 低い唸り声と共に、洞窟が大きく揺らいだ。

 

 「ふっおっおっおっおっおっ♪」

 「「じっ……地震っ!?」」

 「静かに」

 

 揺れるのに合わせて声を上げて楽しむマァム、慌てるアステルとシェリルに、スレイが短く叱声し、タイガがマァムの口に手をやって塞いだ。

 

 「ふんっ!!!」

 

 ノルドが気合いと共に両手を壁に叩きつけると、壁がボロボロと崩れ落ち始めた。

 やがて地鳴りが治まり、ノルドが額の汗を拭いながらふうっと息を吐き、アステル達に振り返った。

 

 「これが〈バーンの抜け道〉だ」

 

 壁には人一人が通れるくらいの穴が開き、その先には通路が続いていた。

 

 「今のは魔法ですか?」

 

 アステルの問いに、ノルドは首を横に振る。

 

 「……似て非なるものだ。大地に頼んで今しばらく結合を解いてもろた。お前さんらが入ったら再び閉ざすから、そのつもりでな」

 

 「出口は?」と、スレイ。

 

 「東側の出口に仕掛けは施しておらん。ちゃんと開いとるから安心せい」

 

 スレイは頷き、穴の中へと歩み出す。続いてアステル、マァム、タイガと。

 しかしシェリルは立ち止まり、ノルドの方へ見向く。仲間達も何事かと足を止めた。

 

 「……ちょいとお訊ねしても?」

 

 彼女の問いかけにノルドは目で先を促した。

 

 「なんでポルトガ王の事は、んな信用してはるんです?」

 

 それは皆気になっていたので、一緒になって答えを待つ。

 久しく純粋な若者達の視線を受け、ノルドは暫し沈黙するが、やがてぼそりと言った。

 

 「儂は人間は好きではないが、ポルトガ王は気に入っとる。あやつは自然界への……海への畏敬と感謝の念をしっかり持っとる。それにあれほど純粋な心を持つ人間は珍しいからの」

 

 「純粋な?」と、タイガ。

 

 「初めて会ったあの時。あやつは魔物に襲われながらも、アッサラームへ向かおうとしていた。ベリーダンスを見る為だとか熱心に言っておったな」

 

 「はあ……」と、アステル。

 

 「儂は呆れながらも、こう言った。『王族なら、踊り子を国に呼び寄せれば良かろう』と。そうすると奴は穢れのない瞳と笑顔でこう言ったんじゃ。

 『ベリーダンスはアッサラームの空気があってこそ、楽しめるものだ。それに自分達の力で苦労して得た喜びにこそ意味がある』と、力強くな」

 

 「穢れのない瞳と笑顔」と、シェリル。

 

 「あそこまで己を包み隠さない、嘘偽りのない気持ちを吐露する人間はそうそういない」

 

 ノルドは腕を組み、うんうんと感心するように頷くが、こちらは理由が理由だけに、どう返していいやらわからない。

 

 「………いくぞ」

 

 半眼のスレイが疲れた声で先を促し、歩み始めた。

 

 「……えっ、あっ、ありがとうございました!」

 「うむ」

 

 アステルはノルドにお辞儀をして彼の後を追う。シェリルは「……どうも」と米神に手を当てて溜め息を吐き、タイガは「それじゃあ」と喉の奥でくくくっと笑い、マァムは笑顔で「ばぁ~いばぁ~~い」と手を振ってノルドの前を通り過ぎ、穴の奥へと消えた。

 

 人の気配が完全になくなると、彼は無意識に詰めていた息を大きく吐いた。

 

 「〈天の愛し子〉が、今生では勇者の道をゆく者とは……。これも運命か」

 

 ノルドは穴の前に両手を翳す。

 

 崩れ落ちた壁の欠片は時間を巻き戻すように、積み上がり、合わさり、一瞬で穴は塞がった。

 

 

 

 〈バーンの抜け道〉は不思議と魔物は住みついていなかった。暗闇の中、松明を翳して一本道をただひたすら歩く。恐らくは二~三時間程度歩いたのだろうが、変わらない風景にそれ以上歩いた気分になる。出てきた場所は西側と同じ様に山脈の麓……ではなく、山の中腹。急勾配な山道を降りきった頃にはとっぷりと日は暮れていた。

 森の手前で一行は野営の準備を始める。竈を組み、火を起こし、干し肉や野菜を煮込んだスープを作り、固パンと一緒に食す。

 アステルは竃の火の明かりを頼りに、スレイから借りた〈妖精の地図〉を、隣に座るシェリルと共に覗きこんだ。〈バーンの抜け道〉東側出口から、目的地バハラタまでは、南下するだけなのだが、道程が険しい。今目の前にある光も通さないような鬱蒼とした大きな森の中を、何日もかけて歩かなければならない。

 

 「確かに……船があるんなら利用しようとは思わんルートやな」

 

 シェリルがげっそりとぼやきながら、スープを啜った。

 

 「ここから北に行ったら、何かあるみたい。……なんだろう」

 「んん?」

 

 アステルが頭を傾げ、シェリルが再び地図を覗きこむ。

 

 「祠の印やな。なんでんなとこに?」

 「オリビア岬だ」

 「「オリビア岬?」」

 「対岸の海峡も含めてその地形一帯はオリビアと呼ばれている」

 

 二人は声を揃える。スープを飲み終えたカップを地に置いて、スレイは答えた。

 

 「………今から五十年程前か。その岬の近くにはバハラタの香辛料を世界に広めて賑わっていた大きな港町があった。その町長の娘の名がオリビア。

 オリビアにはエリックという恋人がいた。だが、オリビアの父親は身分の低いエリックとの結婚を認めなかった。

 ある日、町長の館で窃盗騒ぎが起きた。その犯人にエリックの名が挙げられた。彼は無実を訴えたが、聞く耳持たない町長によって引っ捕らえられ、その賠償の為に奴隷船へと乗せられたんだ」

 「え?」

 「それ親父にとったら好都合やないか」

 

 二人は胡乱な表情を浮かべ、スレイは頷く。

 

 「ああ。その窃盗騒ぎはオリビアとエリックを別れさせる為に起こした町長の自作自演だったと、のちに当時の関係者は証言したそうだ」

 

 「そんなの酷い……!」アステルは眉を寄せる。

 

 「……オリビアはエリックが戻ってくるのを待ち続けた。父親が執拗に持ってくる縁談に見向きもせず、いつ帰るとも知れない恋人を、日が昇る前から暮れるまで、港に入ってくる船を岬から眺めて待ち続けた。

 だが数年後。彼女の元に届いた報せは、エリックの乗っていた船が嵐によって沈没したというものだった。そして、その報せを受けたその日の内にオリビアは岬から身を投げたそうだ。───それからだ」 

 

 スレイの声が一段低くなった。

 

 「北の海峡に船が近付くと、悪天候になり、海が荒れ狂い、沈没が相次いだ。町では夜な夜な聞こえてくる女性の啜り泣く声、悲しげな歌声に発狂する者が現れた。船乗りや住民はそれがオリビアの呪いだと恐れ、町から離れ始めた。

 町長は己の行いを悔い、ダーマに助けを求めた。幾人もの聖職者が祈りを捧げたが結局治まらず、やがて港町は機能しなくなり、廃れ、滅んだ」

 

 誰かが息を呑む。

 

 「今でも海峡や岬に近付くと、彼女の歌や泣き声が聞こえてくるらしい」

 

 森の木々のざわめきがやけに耳に響く。

 

 「それがオリビアの名の由縁だ」

  

 竃の炎がバチンッと爆ぜた。

 

 「───……だっ、」

 

 「シェリル?」

 

 ハッとして、アステルが隣を見やる。

 

 「誰が怪談せいゆうたぁぁぁ!!!」

 

 シェリルは青い顔で、スレイの胸倉を掴み激しく揺すった。

 

 「お、落ち着いて! シェリル!!」

 「怪談じゃない。説明だ」

 

 揺すられ頭をかっくんかっくんさせながらも、しれっと言うスレイ。だが、顔には底意地悪い笑みがハッキリと浮かんでいる。

 

 「シェリルぅ。今の話ぃ怖かったんだぁ~~?」

 

 マァムはニヨニヨしながら、シェリルににじり寄る。シェリルはぱっとスレイを離し、腕を組み、はんっ! と鼻で笑った。

 

 「こっ、怖かあらへんわ!! こんくらいどうって事……「あぁ~~シェリルの後ろぉ~~」

 

 ひぎゃぁぁぁ!!! と叫び声を挙げてシェリルはマァムに抱きついた。

 

 「スレイ………」

 

 アステルがジト目で睨むと、彼は引っ張られて依れた服を整えながら肩を竦めた。

 

 「嘘は言ってない。あの岬にあるのは慰霊碑と〈旅の扉〉のある祠だけだ」

 「〈旅の扉〉……?」

 「今は封印されていて使えない」

 「どこと繋がってるの?」

 「さあな」

 

 話は終いと、スレイは近くの木に凭れ瞼を閉じた。アステルは溜め息を吐き〈妖精の地図〉を閉じた時、ずっと黙っていたタイガと視線が合う。恐らく彼もスレイを見ていたのだろう。困ったような笑顔を彼女に向けた。

 

 スレイはうっすらと瞼を上げて、再び閉じた。

 

 それ以降、北の岬の事は話題にあがる事はなかった。

 

 

 






オリビア岬の話も《知られざる伝説》で語られてるのですが、あまり覚えてないのでオリジナルな部分が入ってます。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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大盗賊 再び

 

 

 海に面した洞穴に、一艘の船が隠れるように浮かぶ。船の旗印は片目に深紅の薔薇を指した髑髏。

 

 「……あたいらだって暇じゃないんだ。いつまでも一ヶ所に留まってられない」

 

 そう言ったのは、日に焼けた屈強な体つきの護衛の男二人に挟まれ、細く長い脚を組んで椅子に腰掛ける黒髪の女。絨毯やカーテンなど赤を基調とした豪華な船内客室で、丸テーブルに頬杖を突き、目の前に置かれたゴブレットの飲み口をなぞるように指先を滑らせる。

 

 「奴等の動きも気になる。さっさと終わらせたいんだ。……あんただって全然無関係ってわけじゃないんだろう?」

 

 その言葉にテーブルを挟んで向かいに座る男は腕を組み、溜め息を漏らす。

 

 「海でのけじめはあたいらが。(おか)でのけじめはあんたらが付けるべきなんじゃないのかい?」

 

 女は銀のゴブレットを煽り、空になったそれを男の前に置く。女の側に控えていた護衛が、そのゴブレットに麦酒を注ぐ。

 

 「なあ?」

 

 男は思案するように閉じていた瞼をあげて、目の前に置かれたゴブレットを掴み覆面を口元まであげて、一気に煽る。

 

 それが返事だった。

  

 部屋を立ち去るその背中に、女の赤い唇が挑戦的ににぃっと持ち上がった。

 

 

* * * * * * *

 

 

 西大陸東部地方へ渡ってから二週間と二日。やっとの思いで深い森を抜けたと思ったら、これだ。

 以前、タイガが「西大陸は気候や地形のちょっとした違いでそこに住み着く魔物も変わってくる」と言ってはいたが、ひとつの大陸でこんなにもいろんな魔物がいるとは。

 と、シェリルは敵の軍団を前に魔法のそろばんを構えながら、我知らず溜め息を吐く。

 ずずいっと前に出たのはマタンゴより深い紫色の茸魔物〈マージマタンゴ〉達。名前の通り魔法を使うマタンゴだった。そんなマージマタンゴの群れの前にマァムは仁王立ちし、不敵な笑みを浮かべる。

 その手に握るのは、先端の飾りが朱の法衣を纏った骸骨と、見るも不気味な造形の杖。

 

 「……ふっふっふっふっ! 日頃のぉ~恨みぃ~晴らさでおくべきかぁ~~!」

 

 そう言って、杖をマージマタンゴに向かって振るう。すると、骸骨の口から妖しい霧が吹き出し、マージマタンゴの群れを包んだ。マージマタンゴは一瞬怯む。しかし、体に異常がないのに気づくとニヤリと笑い、マァムに向かって氷刃呪文ヒャドを唱えた。

 

 しかし、氷の刃は現れなかった。

 

 マージマタンゴ達はぱちくりとし、再び呪文を唱える。しかし、やはり、なにも起こらない。

 そうしてる間にマァムは杖から鋼の鞭に持ち変え、茸魔物を凪ぎ払った。

 

 「快っ感っ……!」

 

 悦に入っているマァムに皆が若干引く。

 マァムが使った杖は〈魔封じの杖〉。魔界に住む邪悪な神官の魂が封じ込まれているという曰く付きの品だが、かといって使用者に危険はなく、対峙した者の呪文を封じ込める……呪術封印呪文マホトーンの効果を持つ杖。

 魔物や盗賊との戦いに役立つだろうとポルトガ王から受け賜った品だ。マホトーンのせいで毎回泣きをみている彼女にとって、この呪文を自分が扱えるのは相当嬉しいらしい。

 まだくふくふ笑っているマァムに、火の玉が襲いかかるのをタイガが左手の風神の盾で弾いた。橙の黄昏時に浮かぶ雲のような魔物〈ヒートギズモ〉。三匹が無差別に火の玉を吐き出す。それを避けてアステルがブーメラン、スレイが刃のブーメランを投げ放ち、ヒートギズモを手早く掃討する。

 タイガが相対するのはアリアハン大陸でお馴染みの魔物……大蟻食。しかしこちらの大陸の蟻食は熊に匹敵するほど大きく、体毛は青い。〈アントベア〉と呼ばれる魔物は長く丈夫な舌を、こちらを貫く勢いで突き出してくる。タイガはそれを風神の盾で防ぎ、右手から繰り出した突きでアントベアを一撃で沈めた。

 遂にこいつまで呪文を使うのか、と思わずにはいられない……閃光呪文ギラを唱える蠍蜂の最終進化〈ハンターフライ〉の群れに、マァムは嬉々として再び魔封じの杖を振るう。呪文を封じられたハンターフライ達はそれに動揺する事なく、すぐに直接攻撃に頭を切り替え、マァムに襲いかかってきた。

 

 「ハアアアアっ!」

 

 シェリルが魔法のそろばんでハンターフライを蠅叩きよろしく次々にはたき倒していく。と。

 

 ────……アゥオオオオォン

 

 突如、狼の遠吠えが辺りに響き渡る。それをシェリルが耳にした直後、最後の一匹のハンターフライの姿が二重三重になる。

 

 (しもうた……!)

 

 振りかぶった魔法のそろばんは虚しく空を切り、彼女は舌打ちする。気がつけば一匹だったはずのハンターフライが増殖しシェリルを取り囲む。

 

 「幻……! 魔法かっ!」

 

 ハンターフライ達は一斉にシェリルを襲う。シェリルはひとつ息を吐くと、魔法のそろばんを持ち直してまなじりをあげた。

 

 「……だったら、全部叩き落としたるっ!」

 

 全てのハンターフライを、円を描くようにそろばんで凪ぎ払った。ぽんぽんぽんぽんっと消える中に確かな手応えを捉えたシェリルは、ニッと笑い、それに向かって更に叩き潰すように振りかぶった。

 彼女の足元に紫の宝石の原石が転がる。

 

 ………アゥオ「はぁい! そぉこまでぇ~~!!」

 

 マァムが杖を振るうと、遠吠えは不自然に途切れる。杖が発した紫色の霧の中から浮かぶのは獣の影。赤い狼の死獣〈デスジャッカル〉。幻惑呪文マヌーサ発動の邪魔をしたマァムに対して苛立たしげにうなり声をあげて飛び掛かるが、アステルのゾンビキラーの銀色の刃が閃く。

 有り得ない生を得た獣は、聖剣によって再び黄泉の世界へと還った。

 

 「ふう……」

 

 アステルは鞘に納める前に血振りをする。魔王の影響を受けた魔物は流れた血や肉はこの世に残らず消滅するが、剣を扱う者の癖だ。

 手にある剣を改めて見た。ゾンビキラーの刃は不浄なものを浄化する力でもあるのか、汚れや曇りひとつ付いていない。

 

 「ええ剣やな」

 「うん」

 

 アステルはシェリルに返事をして、この剣をくれたイシスの女王を思い出しにっこり笑った。

 

 スレイは東へと視線を移す。遥か遠方を見渡す能力、盗賊の技法〈鷹の目〉は必要ない。

 

 しっかりと街が確認出来た。

 

 

 

 

 世界屈指の香辛料の産地 バハラタ。しかしバハラタの名物は〈黒胡椒〉とそれらを使った郷土料理だけではない。上流にある聖地ダーマから流れる冷たく澄んだ聖なる川も有名である。川の水は飲み水になるだけでなく、魔除けの力も持っていると伝えられ、聖地に赴く前に身を清める巡礼者や、厄払いまたは健康や安産祈願に川の水を求める旅人も多い。

 ポルトガの援助の元、街の入り口そばにあった小さな教会はステンドグラスの窓が美しい立派な教会堂に建て直され、大きな宿屋もでき、石造りの家が建ち並ぶ街並みは整えられ、道脇には花壇が設けられた。

 川の下流に船着き場を設け、定期船が運航した事で街は観光地として賑わっていた……のだが。

 

 「……しずかや。ポルトガと同じやな」

 

 シェリルが呟く。

 

 「いや、ポルトガよりも深刻なようだ」

 

 タイガは眉を寄せた。昼間だというのにどの家も戸締まりをしっかりとしている。息を潜め、どこか怯えているような空気すら感じる。

 

 「取り合えず、そこの教会で話を聞こう?」

 

 アステル達は教会に向かう。しかし、教会の扉は閉まっており、ノックをしたが返事はない。

 

 「教会は今誰もいないよ」

 

 その声に振り返ると、茶髪に純朴そうな顔立ちの若い男が立っていた。買い物帰りなんだろうか、紙袋を両手に抱えている。

 

 「あの……」

 「あんた達、旅人かい? 船も出てないないのにどうやってこの街にやって来た?」

 

 アステルの声を遮って、若者は訝しげに尋ねる。

 

 「あれ? グプタじゃないのか?」

 「なんで、僕の名前……って……タイガ!?」

 

 若者が思わず手放した荷物を、タイガがキャッチする。

 

 「お知り合い?」

 「おしりあい~~?」

 

 アステルとマァムが同時に頭を傾げた。

 

 「ああ、元雇い主さ。船賃稼ぎの為に胡椒の実の収穫を手伝ってた」

 「そやった。タイガはバハラタは初めてやなかったな」

 「ああ」

 

 シェリルがぽんっと両手を打ち、タイガが頷いて若者グプタに荷物を手渡した。

 

 「ど、どうやってここに戻ってきた?それに暫くはロマリア地方で修行するんじゃなかったのか?」

 「いや、色々あってアリアハンにいた」

 「はあ!?」

 

 驚きの声を上げるグプタに、タイガは後ろ頭を掻きながら笑う。

 

 「で、彼女はアリアハンの勇者だ。俺達はポルトガ王から盗賊討伐の命を受けてここにいるんだ」

 「は、はじめまして」

 「はじめましてぇ~~」

 

 アステルとマァムはグプタにぺこりと頭を下げた。

 

 「ちょっ……ちょっと待って。順番に説明してくれ」

 

 

 教会入り口の階段にそれぞれ腰掛け、タイガから事情を聞いたグプタは信じられないと頭を振る。

 

 「手強い魔物に遭遇して、遥か遠くアリアハンまで飛ばされて、九死に一生を得たって……おまえ。運が良いのか悪いのか」

 

 照れ笑うタイガにグプタは呆れ顔を浮かべ、そして改めてアステルを見た。

 

 「じゃあ、本当に君が盗賊討伐を任じられたアリアハンの勇者?」

 「はい……」

 「だから、そうやって言ってんやろ」

 「いってんやろぉ~~」

 

 肩をすぼめるアステルに、シェリルとマァムが半眼でグプタを睨む。

 

 「ごっ、ごめん」

 「いいんです。まだ駆け出しですから」

 

 謝るグプタに、アステルは慌てて手を振った。

 

 「それより、この街の状況を説明してくれませんか? やけに人通りが少ないみたいですけど……」

 

 その問いにグプタは表情を曇らせた。

 

 「人攫いに出くわさないよう、皆不要な外出は極力避けているんだ。特に女子供はね」

 

 アステル達は顔を見合わせた。

 

 「……盗賊ははじめ、巡礼者や旅人を頻繁に狙っていたんだけど、事の深刻さに気づいたダーマは信者の安全を守る為に神殿への参拝を制限したんだ。

 で、それから間もなくポルトガ、ロマリア両国の港の閉鎖が始まって、旅人も信者もめっきり減った。

 そうすると今度はこの街の住民を拐い始めたんだ」

 

 ふいにグプタは教会の大扉の上で、両手を広げ来訪者を優しく見守り歓迎する大地の女神像を見上げた。

 

 「ここの教会の主のシスターも拐われた。それ以来ここは閉まっている」

 「そんな………」

 「シスターまでもか……見境ないな」

 

 アステルとタイガの表情が険しくなる。

 

 「奴等のアジトの目星はついてないのか?」と、スレイ。

 

 その質問にグプタは悔しそうに首を横に振る。

 

 「奴等の手口は鮮やか過ぎて、影すら掴めてないんだ」

 

 スレイは口に手を当てて考え込む。

 

 「スレイ、なにかわかる?」

 「……情報がもっと欲しいが、ここら辺に盗賊ギルドはないからな」

 「そう………」

 

 アステルは溜め息を吐いた。だが盗賊の狙いは女子供である事はわかった。

 

 (……なら、いっその事……)

 

 ふいに視線を感じてアステルがそちらに目をやると、スレイが睨んでいた。

 

 「なっ……なに?」

 「今、自分が囮にでもなって奴等に拐われようかとか、馬鹿な事を考えていただろ」

 

 アステルの肩がわかりやすく竦み上がり、スレイの眉間の皺はさらに深くなる。

 

 「却下だ」

 「じゃあ、スレイ達には隠れて見張ってもらって、アジトを突き止めるとか」

 「駄目だ。敵の数も手口も実力もわからないのに。万が一オレ達がおまえを見失ってしまったらどうする」

 「その時は私一人でなんとかしてみる」

 「無謀な事を言うな」

 「わっ、私だってそれなりに強くなったよ!?」

 

 断固反対のスレイに、今回はアステルも折れない。珍しい光景に三人は目を丸くした。

 

 「そうだ! 服装とかでもっとか弱くみせれば盗賊も油断するかもしれない! スカートにブーメランを隠し持つとか……!」

 

 名案だとばかりにアステルは表情を輝かせるが、その発言がスレイを激昂させた。

 

 「お前はっ! 自分が女だって事をもっと自覚しろっ!!」

 「なっ!!」

 

 アステルは気色ばんで立ち上がる。似たような言葉をぶつけられたのはこれでニ度めだ。しかし、あの時のように胸が痛かったり、切ないながらも暖かくなる事はなかった。女だからと自分が出した最善の策を頭ごなしに否定された事が、アステルにはただただ悔しかったし、悲しかった。

 

 「アステル。俺もスレイの意見の方が正しいと思うぞ」

 

 タイガの朗らかな声が、割って入った。

 

 「タイガ! でもっ!!」

 

 食って掛かろうとするアステルに、彼は笑いかけて押し止めた。

 

 「落ち着けアステル。別にスレイはアステルに実力がないからとか、ましてや女だからって見下してるわけじゃないぞ。俺だってたとえマァムとシェリルが一緒だったとしても、了承しかねるな」

 「どういう事……?」

 「男が与える恐怖に、女は必ずしも咄嗟に反応できるとは限らないからだ。あとそれは時に重い傷痕になる」

 

 言っている意味がわからず、アステルは頭を傾げ、タイガは苦笑する。

 

 「アステルはちゃんと経験してるはずだぞ?」

 「え?」

 「タイガっ!!!」

 

 キョトンとするアステルに、スレイが焦るように声をあげた。

 

 (……自分の心配をわかって欲しいが、そういう事をまだわかって欲しくない……ってとこか)

 

 スレイの複雑な兄心に、タイガは眉を下げて微笑む。

 

 「ナジミの塔で」

 

 はじめタイガの言葉の深意がわからず、訝しげな顔をするアステルだったが、記憶を辿り〈ナジミの塔で反応できなかった出来事〉に思い当たると、胸を両手でばっと押さえた。

 

 みるみる間に顔が赤くなる。

 

 「スレイはそういう事態を心配しているんだ」

 

 アステルはその場に座り、膝頭に顔を押し隠して「わかった」と絞り出すような声で言った。

 

 「………こう言っちゃなんだが、奴等にとって誘拐した人間は商品だ。価値が下がるような真似はしないと思う。とにかく情報を集めるぞ。

 集団のアジトになりそうな場所が必ずこの近くにあるはずだ」

 

 スレイの言葉にアステルは顔を上げないまま、頷いた。

 

 

 「あの~……ところでグプタさん?」

 

 と、シェリルは空気を変えようと殊更( ことさら)明るく声をあげた。

 

 「な、なに?」びくりとするグプタ。

 

 「つかぬ事伺いますんやけど、エルトン=マクバーンはご存じでない? ウチの父で今この街に滞在中のはずなんやけど……」

 「え、君がエルトンさんの娘さん?」

 「知っとるん?」

 

 先程のやり取りに戸惑っていたグプタだが、破顔一笑する。

 

 「知ってるもなにも、いま店でお祖父さんと商談中さ」

 

 シェリルはほうっと安堵の表情を浮かべた。なんだかんだ言ってちゃんと父親の事を心配していたのだろう。

 

 「この事態も必ずポルトガ王がなんとか治めてくれるだろうから、今回被った不利益をどうにかする事を考えようってさ」

 

 その言葉にシェリルは思わず苦笑を漏らす。

 

 「さすが親父。ただでは転ばんわ」

 

 グプタは立ち上り、アステル達に振り返った。

 

 「店に案内するよ。タニアとお祖父さんもタイガの顔を見たらきっと喜ぶ」

 「ああ。ところでその《お祖父さん》って呼び方……前までは《親方》だったよな? お前達ついに結婚したのか?」

 

 タイガはニヤっとしながらグプタに肘をウリウリと突くと、彼は照れ笑い頬を掻いた。

 

 「いや……けど、お許しはもらった。この騒ぎが治まったら式をあげる予定なんだ」

 「やったじゃないか」

 「わおぅ!新婚さぁ~ん!いらっしゃぁ~~い!!」

 「おめでとうございます」

 

 タイガ、マァム、そして立ち直り顔を上げたアステルが口々に祝いの言葉を贈る。

 その後ろでシェリルとスレイがなにやら複雑そうな表情を浮かべていた。

 

 「なあ……なんやウチ、今凄ぉくヤな予感してんねんけど?」

 「………」

 

 隣のシェリルの呟きに、スレイは無言で返した。

 

 

 グプタのいう〈店〉は、教会の向かいの路地を入った所にあった。婚約者タニアの祖父が経営する胡椒専門店は胡椒の木の栽培から収穫、製造、販売まで一貫して自前で行っている。

 〈黒胡椒〉だけでなく、白や赤、緑といった色々な風味の胡椒を開発していて、従業員も多くバハラタでは中々大きな老舗らしい。

 タニアの両親は彼女が幼い頃、流行り病により亡くなっており、兄弟はいない。故に彼女の婿が老舗の後継者となる。グプタがタニアの祖父に認めてもらうまでに相当な労力と気概が必要だった。

 そうしてやっと婚約までこぎつけたというのに、この騒ぎのせいで式は流れたそうだ。

 

 「……仕方ないよ。店の従業員の女の子も何人か拐われてしまってるからね。それどころじゃない」

 

 そう言いつつも、彼の表情からは落胆の色が見えた。

 

 「ここだ………ん?」

 

 石造りの店の前で、グプタは不審げに眉を寄せた。入り口の立て掛け看板が倒れ、綺麗に並べられていたであろう植木鉢が割れて花が踏み潰されていた。

 

 「これ……は、まさかっ!?」

 

 グプタは手にある荷物は放り出して店内へと駆け入る。アステル達もその後を追った。

 

 「わっ……!」

 「ぐちゃぐちゃぁ~~」

 

 大勢で押し入ったのだろうか。商品の陳列棚は倒され、胡椒やその説明書きのチラシは散乱している。

 

 「タニアっ! お祖父さんっ! 誰かいないのかっ!!」

 

 「……グプタ、………ここだ」

 

 か細いその声に、グプタは店内奥へと駆け出す。    

 そこは商談をする為の部屋なんだろうが、ここも酷く荒らされている。テーブルや椅子の脚は折れ、壁に掛けられた絵画は落ち、花瓶や窓が割られ、硝子の散らばるその床に一人の老人が倒れていた。

 

 「お祖父さんっ!」

 

 グプタが抱き起こそうとするが、老人は背中に傷を負っているのか、痛みで顔をしかめた。

 

 「グプタ、動かすな。マァム、頼む」

 「ホォイミィ~~」

 

 タイガが彼を制し、マァムはしゃがみこんで直ぐ様老人の背中に手を当てて、治癒呪文を唱えた。そうされながらも、老人は必死に状況を伝えようとする。

 

 「ひっ……人攫いが…、タニアとエルトン殿を……」

 「タニアがっ!?」

 「拐われたんか!? 親父はなにしてんねんっ!!」

 「親父……? お前さんは?」

 「この人はエルトンさんの娘さんです」

 

 それを聞いた老人は眼を見開き、「違う、違うんじゃ」と首を振った。

 

 「エルトン殿は盗賊相手に立派に戦っておられた。じゃが、タニアを人質に取られて……! その隙を突かれて背後から頭を殴られて……タニアと一緒に連れていかれてしもうた」

 

 シェリルは思わず舌打ちする。

 

 「そんな……っ!」とグプタ。

 

 「おじぃちゃん、動いちゃ駄目ぇ~~! むぅ~~……ベぇホぉイミぃ~~!!」

 

 マァムが更に一段階上の治癒呪文を唱える。背中の怪我は見た目以上に重傷のようだ。

 

 「────キャアアアアア!!!!」

 

 つんざくような女性の悲鳴に、アステルとシェリルは顔を上げた。

 

 「なに!?」

 「今度はなんや!」

 「う…裏には製造場が……! 従業員が、」

 

 老人は体を起こそうとして、呻き、再びうつ伏せる。人攫いの盗賊はまだここにいるという事だ。スレイは無言で割れた窓から外へ飛び出す。

 

 「グプタ、マァム。ここは頼むぞ」

 「え」

 「おうっ!」

 

 マァムの力強い返事に三人は頷き、スレイを追った。

 

 スレイが胡椒の製造場の入り口に踏み入ったと同時に「くそがっ!」という悪態と、ボムッという音と共に辺り一面煙で覆われた。

 

 「きゃっ!」

 「アステル!?」

 

 彼を追ってきたアステルは視界が全く利かない煙幕の中、足音もたてずに近寄ってきた何者かに思いっきり突き飛ばされ棚に背中を強かに打ち付けた。 

 スレイはくずおれる彼女に近寄る。

 

 「大丈夫か?」

 「へ、平気! それよりも人攫いが……!」 

 「いや、まだ中におるっ!」

 「待て! シェリルっ!!」

 

 タイガの制止の声は届かず、シェリルは煙越しに微かに見えた大きな人影に向かって、魔法のそろばんを思いっきり振り下ろした。ガアアアアンッ! と製造場の中に金属音が鳴り響く。

 腕から全身に伝わる痺れにシェリルは顔を顰めた。

 

 「まったく………危ない嬢ちゃんだな」

 

 煙が次第に晴れる。

 その男は地に膝をつき、左手は目をつぶり身を縮める娘を抱きかかえるように庇い、右手は戦斧の柄で魔法のそろばんを受け止めていた。

 鮮やかに燃える翠緑の髪に、シェリルは心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。

 

 「お前………カンダタ!?」

 「え?」

 「は?」

 

 スレイの口にした名前に、アステルとタイガは驚愕する。

 

 「カン……ダタ……?!」

 

 信じられないものを見るような目で見下ろすシェリルを、男はまるで悪戯が成功して喜ぶ悪ガキのように、笑った。

 

 

 






カンダタさんの再登場です。アステルが「さん」付けで呼ぶのでつい()()()のカンダタはさん付けしてしまいがち(^_^;)彼は誘拐騒動とは一体どんな関係があるのか。

そして最初に現れた女性は一体何者なのか。ゲームとは違った展開となっております。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!











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追躡

 

 

 

 「あの……本当に、カンダタさん?」

 

 予想外の人物の登場にアステルは戸惑いを隠せない。

 それに、なによりも。

 

 「なんだぁ? アステル嬢ちゃん、もう俺の事忘れちまったのか? 薄情もんだなぁ」

 

 不貞腐れるように言うカンダタに、タイガが「いやいや」と手を振る。

 

 「スレイは別として。俺達があんたの素顔を見るのは、今が初めてだから」

 

 そう。彼は今、素顔を曝しているのだ。

 以前覆面で隠されていた髪は襟足まで届く長さ。そしてその色は瞳と同じ鮮やかな翠玉(エメラルド)。エルフとの混血児だと聞いてはいたが、やはり整った顔立ちをしている。細身のスレイとは種類の違う美形、いや、美丈夫、という言葉が彼には合っていた。初めて出会った時のような奇抜な格好はしておらず、鍛え抜かれたその躰に纏うのは淡茶(カーキ)色の麻の上下と、革グローブ、脛部分と靴底に鉄板の貼った丈夫そうな革のブーツ。そして左肩にショルダーガードの付いた鉄の胸当てをしている。

 

 「ああ。そういや、そうか」

 

 そう言って、カンダタがふと目の前の人物を見上げると、目を見開いたシェリルが魔法のそろばんを振り下ろし斧と交差させた格好のまま、微動だにせず固まっている。

 彼が手にある戦斧でコンコンと魔法のそろばんを叩けば、シェリルははっと我に返る。彼の腕の中にいる娘の姿を認めると、ギッと睨み、そろばんをカンダタに突き付けた。

 

 「その娘どうするつもりやっ! お前やっぱり人攫いやったんかっ!!」

 「違いますっ!!」

 「へ?」

 

 娘は慌ててカンダタを庇うように立ち上がり、シェリルは思わず一歩下がる。

 

 「この人は製造場(ここ)に入ってきた盗賊に連れていかれそうになったあたしを、助けてくれたんです!」

 

 そして彼に振り返り頭を下げた。

 

 「本当にありがとうございました……!」

 「いや。間に合ってよかった」

 

 そう返して優しく微笑むと、娘の頬がほんのりと紅く染まる。

 

 「……って、わけだ。お嬢様?」

 「お嬢様言うなっ!!!」

 

 カンダタは腰を上げ、戦斧を肩に担ぎ、人を小馬鹿にしたような笑みで彼女を見下ろす。シェリルはシェリルで今まさにカンダタをそろばんで殴りかからんと息巻く。

 

 「シェリル、シェリル」

 「落ち着け。シェリル」

 

 タイガはシェリルを羽交い締めし、アステルは「どうどう」と、シェリルの肩を宥めるように叩く。

 ギリギリと歯噛みするシェリルを二人に任せ、深い溜め息を吐いてスレイが前に出た。

 

 「遊ぶな。カンダタ」

 「よう、スレイ。元気か?」

 「……ぼちぼちだ。で、あんたはなんでここにいる?」

 「ああ……」

 

 カンダタが口を開こうとした、その時。

 

 「ぐう……っ!」

 「旦那様!?」

 

 製造場に胡椒屋の店主であり、グプタの祖父が倒れ込んできた。従業員の娘とアステル達は駆け寄る。

 

 「どうして……!マァムとグプタさんは「さ、拐われた」

 「「はっ?」」

 

 店主はアステルの言葉に被せるように答え、彼女達は思わず間の抜けた声をあげる。

 

 「あ、あっという間じゃった。娘さんを気絶させて、担いで行ってしまった。グ、グプタもそれを追って行ってしもうた……」

 「そんな……っ!」

 

 アステルとシェリルは驚愕する。遊び人とはいえ、マァムの身のこなしは常人を越える。身軽さに関しては、アステルやシェリルよりも上だ。そんなマァムを盗賊達は拐ったのだ。 

 そしてここの店に来る前に話をしていた内容を思い出してしまい、怖気立つ。

 

 「アステル嬢ちゃんにお嬢様よ」

 

 カンダタの声にアステルとシェリルは青褪めた顔を上げた。

 

 「安心しろ。みすみす逃がした訳じゃねぇ。俺の部下が張り付いてる。アジトを突き止める為にな。すぐ追うぞ」

 

 

* * * * * * *

 

 

 「お頭っ! ……と、義弟(おとうと)さんと、勇者さんがた!?」

 

 店主の老人を従業員の娘に任せ、街の外に出ると、馬に乗った複数の男達がアステル達に駆け寄ってきた。

 

 「えっと………?」

 

 どこかで会っただろうか。と、アステルは頭を傾げると、男達は苦笑する。

 

 「シャンパーニの塔であんたらに追い詰められたもんですよ」

 「……ああ!」

 

 あの時は金ピカの甲冑を纏っていたカンダタ子分達だが、今は頭のカンダタ同様、顔は隠さず、傍から見れば旅の傭兵のような軽装をしている。

 

 「話は移動しながらだ。お前ら詰めろ。こいつらにも馬をまわせ!」

 「へいっ!」

 

 子分から譲ってもらった馬二頭に、アステルとスレイ、シェリルとタイガが股がる。

 

 「お頭。奴等、東の橋を渡って行きました! 先行隊が引き続き後を追ってます!」

 「よし。行くぞ! お前らっ!!」

 『へいっ!』

 

 子分達の綺麗に揃った威勢のいい声と共に馬は地を蹴った。

 

 

 ─── 一方その頃。

 

 子分の言う先行隊は一台の幌馬車に、付かず離れず後を付けていた。

 が、いきなり馬車は停車し、男が二人降りてきた。

 こちらに気付いたかと内心焦りつつ、彼らは身を低くし、息を殺し、(やっこ)の動きを観察する。しばらくすると男達は一人の若者の両脇を持ち、引き摺るようにしながら戻ってきた。痛めつけられ、血を流し気を失う若者をぞんざいに幌の中に放り込み、男達も乗り込むと、再び馬車は動き出した。

 

 

 カンダタ一味とアステル達は猛然と馬を走らせ、橋を越え、草原を駆ける。途中小柄な魔物を何回か蹴り飛ばした気がする。先行隊は一定間隔で連絡案内係として人を残していた。

 

 そして今、連絡係の二人目を回収した所だった。

 

 「しかし、あんた達。足で追っていてよく見失わないな」と、タイガ。

 

 「先行隊には敏速強化呪文(ピオリム)が使える奴がいんすよ。それに俺らにゃ遠くを見渡せる〈鷹の目〉もあるんで。そう簡単に逃がしゃしませんぜ」

 

 カンダタ子分の一人が胸を張って言う。

 

 「成る程……ところであんた達、なんで今回は普通の格好してるんだ?」

 「ほんまや。そっちの方がよっぽど盗賊らしいんちゃうか?」

 

 タイガの後ろに乗るシェリルも突っ込む。彼らは苦笑し、カンダタにバレないように密やかに嘆息する。二人の問いに答えたのは憤るカンダタだった。

 

 「奴等名前だけでなく、俺達の格好まで真似て動き回っているらしい。おかげでこっちは表から裏まであちこちで散々いらん因縁を吹っ掛けられたっ!!」

 「それで、ポカパマズ止めちゃったんですか?」

 「言わんでくれっ! 嬢ちゃん! 俺だって辛いんだっ!!」

 

 スレイの前、彼の腕に囲われるように馬に乗るアステルの言葉に、カンダタは「くうっ!」と嘆いた。

 

 「「あの格好をねぇ」」と、タイガは困ったような笑みを浮かべ、シェリルは呆れ顔で声を揃える。

 

 〈カンダタ〉は表社会では名前のみ有名だが、裏社会では名前だけでなく、あの格好も知れ渡っている。名前を騙るのはよくある話だが、あの格好まで真似する輩は今の所スレイは見たことない。

 

 「………大もとは大した完璧主義者だな」

 

 彼は溜め息混じりでぼそっと呟いた。

 

 カンダタは歯を食い縛り、怒りの炎を眼の中に燃やして、顔をクワッと上げた。

 

 「奴等は神聖なるポカパマズをっ! そして彼の仲間を! 熱き魂を表す黄金の鎧騎士を汚したっ!! 許せんっ! 絶対に許せんっ!!」

 

 と、草むらから運悪く飛び出してきたマージマタンゴは、猛進するカンダタと彼を乗せた馬によってあえなく蹴り飛ばされた。すっ飛んでいく紫の茸を、アステルは見送る。

 

 「……って、お頭はああ言ってるんっすけど」

 「俺らは正直、あの格好せずに済んでほっとしてるんっすよ」

 「重いし、暑いし、キンキラキンで恥ずかしいし……」

 「それにお頭にも。折角男前なんだからまともな格好でいて欲しいに決まってるじゃないっすか……」

 

 後方ではカンダタには決して聞こえぬよう、子分達がボソボソとタイガとシェリルに泣き言を漏らす。

 

 「苦労してるんだなぁ」

 「わかってくれます!?」

 

 半泣きの子分達に、タイガは優しい笑みを浮かべてうんうんと頷いた。

 

 そんな子分達の嘆きに気付かず、少し落ち着きを取り戻したカンダタは、再び語り始める。

 

 「〈ポルトガの勇者〉が討伐に乗り出したって聞いたから、なら任せとこうと思ってたのによ。あちらさん、それどころじゃなくなったらしくてな。

 ………それによくよく聞けば人攫いの奴等、あの巨悪国家とつるんでるらしいじゃねぇか」

 

 カンダタの持つ手綱がギシッと鳴った。

 

 「俺の名を騙ってあの国とだと? ……胸くそ悪い」

 

 舌打ち混じりの呟きに、スレイは目を眇める。

 

 「巨悪国家って、……サマンオサの事ですか?」

 

 アステルは問うがカンダタはそれには答えず、「そんな事より」と、逆に尋ね返してきた。

 

 「お前さんらは? あの店には偶然居合わせちまったのか?」

 

 「偶然と言えば偶然だが……」と、スレイ。

 

 「その〈ポルトガの勇者〉の代わりにアステルが盗賊討伐を依頼された」

 

 それを聞いたカンダタは複雑そうに顔を歪める。

 

 「おいおい。アステル嬢ちゃんは魔王退治の旅の途中だろ……。王族ってのは〈勇者〉を便利屋かなんかと勘違いしてんじゃねぇのか?」

 

 スレイもこれには同感だとばかりに深く溜め息を吐いた。

 

 「でも。知ってしまった以上、放っておくなんて出来ません」

 

 そう力強く言うアステルに、カンダタは楽しげに口の端を持ち上げた。

 

 「そういう所は親父さんそっくりなんだなぁ。あの人も『後悔するのは嫌だ』って、よく人助けをしてたわ」

 

 (そういえば)

 

 カンダタはオルテガとサイモンを知っているのだ。こんな事態でなければもっと彼らの話を聞けたのに。

 アステルは思わず唇を噛んだ。

 

 「しっかし。じゃあ、〈ポルトガの勇者〉が魔物の呪いにやられちまったって噂は本当だったか」

 「魔物やない! 魔族にやっ!!」

 

 激しくいきり立ったシェリルに、カンダタは怪訝な目で後方にいる彼女に振り返る。そんな彼にアステルは眉を下げた。

 

 「〈ポルトガの勇者〉はシェリルの幼馴染みなんです。……だから」

 

 「……そうか」と、カンダタは慮るような眼差しをシェリルに向けた。

 

 「無神経な事言って悪かったな」

 「へっ?」

 

 素直に謝るカンダタが予想外だったのか、シェリルは目を丸くする。それから慌ててフンッとそっぽを向いた。

 

 「私達〈ポルトガの勇者〉カルロスさんの呪いを受けたタイミングと、今回の騒動のタイミングが重なってるのが、気になってるんです。もしかしたら、エルフの里の時みたいに魔王の手先が関与してるんじゃないかって」

 「成る程な。まあ、それに関しちゃ奴等を縛り上げればわかる話だな」

 

 カンダタの言葉にアステルも頷いた。

 

 

 森の手前で三人目の連絡係がこちらに手を振っていた。馬を走らせたまま擦れ違い様に、子分の一人が連絡係の伸ばした手を掴む。馬上へと引き上げられた連絡係は素早く馬に股がった。カンダタは目線は前のまま、追い上げ、並走する連絡係に尋ねる。

 

 「奴等の動きは?」

 「へい。こちらの動きには気づいてません。ただ、途中で堅気っぽい男を捕まえて、連れて行きやした。そいつ、恐らく奴等の後を付けていたんだろうと……」

 「グプタだ!」

 

 タイガが叫ぶ。

 

 「拐われた仲間の嬢ちゃんを追っかけて行った奴か」

 

 カンダタにタイガは頷く。

 

 「あと、彼の婚約者も奴等に拐われている。その時にシェリルの親父さんも一緒にな」

 

 腹に回されたシェリルの手に力が籠ったのを、タイガは感じた。

 

 

 

* * * * * * *

 

 

 

 「ふんにゅ……」

 

 頬に当たる冷たく固い感触に、顔をしかめ、マァムはゆっくりと瞼を上げた。

 

 「……んにゅ? にゅわっ!!」

 

 起き上がろうとして、後ろ手に両手足を縄で固く縛られている事に気付く。しかも腰帯に差した魔封じの杖が背中でつっかえて体が起こせない。鋼の鞭はどうやら取り上げられたようだ。

 

 「おお……目ぇ覚めたか? マァムちゃん」

 「む……?」

 

 寝転んだまま、目線を声のした方に遣ると、壮年の男がほっとした表情でマァムを見ている。恰幅の良い体型に、額はつるりとしているが、後ろ髪は長く三つ編みしている特徴ある髪型。優しげに細める瞳は茶色(ブラウン)。彼も同じように拘束されている。

 マァムは彼を知っていた。何故なら。

 

 「シェリルのぉパパァ~~っ!」

 

 ぱっと瞳を輝かせ、マァムはうごうごと体を捩らせる。起き上がりたい、が、出来ない。はっと気がつき、マァムは寝転んだままコロコロとシェリルのパパ……エルトン=マクバーンの傍まで転がっていった。

 

 「大丈夫か?」

 「うんっ! でもぅ、パパのが血が出てるぅ……」

 

 エルトンの米神から顎に沿った血の痕に、マァムは「むぅ」と、顔を顰める。

 

 「ああ、大丈夫や。もう止まっとるからな。それよかマァムちゃんがここにおるっちゅう事は、うちのシェリルも近くにおるんか?」

 

 「うんっ! ……って、あれ?ここぉどこぉ?」

 

 マァムはきょときょとと目玉を動かす。

 一本の蝋燭の明りが辺りを照らす、そこは牢獄だった。マァムとエルトンの他に十人前後の娘達と、そして。

 

 「あぁ~~っ! グプタ~~っ!」

 

 傷だらけのグプタが縛られ寝転がされていた。気を失っていて、マァムの声に反応しない。

 

 「……あなた、彼を知ってるの?」

 「ふえ?」

 

 グプタのすぐそばに座る淡い栗色の髪の女性が、泣き腫らしたのであろう赤い目でマァムを見ていた。

 彼女は……他の女性達も。後ろ手に縛られてはいるものの、マァム、エルトン、グプタのように足までは拘束されていない。

 

 「うん。タイガのぉおしりあいぃ」

 「タイガ……? え? もしかして、あの、タイガ?!」

 

 驚き瞠目する女性に、「うん。たぁぶん、そのタイガぁ」と、マァムは寝転んだまま頷く。

 

 「あたしはぁ遊び人マァムだよぅ。あなたどなたぁ?」

 「あ、あたしはタニア。彼……グプタの婚約者なの」

 

 そう言ってタニアは殴られて腫れ上がり、血が乾きこびりつき始めたグプタの顔を、切なげに見詰める。

 

 「こんな……酷いっ、グプタ……!」

 

 触れたくても触れられない。そのもどかしさにタニアは泣き出してしまった。

 

 「むぅ~~……」

 

 寝転がったまま、眉根を寄せ唸るマァム。

 鉄格子の先にあるたった一つの扉が開いた。娘達は悲鳴をあげて身を寄せ合う。

 

 「おうおう。こりゃ意外と粒揃いじゃねぇか」

 

 現れた黄金の甲冑姿の盗賊達は、兜から覗く目元を厭らしくにやにやさせながらながら、牢獄の中にいる娘達を吟味するように眺める。その中に男二人が紛れ込んでいるのに、彼等の中で一際体が大きく、熊のような男が首を傾げた。

 

 「なんで野郎なんて浚ってきてやがる?」

 「へい。このおっさん、あのマクバーンでしたので……別口で金蔓になるかと……」

 「ほぉう……?」

 

 大男の覆面の二つ穴から覗く目玉が、大きく見開かれた。

 

 「ええ加減この縄ほどかんかいっ!」

 「いいや、駄目だ。あんたは油断ならねぇ。

 ただの金持ちデブかと思いきや、まさか武闘家崩れとはな。あんたが仲間を次々にのしてくれたお陰で、予定の半分も娘を拐えなかったんだからな」

 「世界を股に掛けるマクバーン商会の商人は戦えるんが必須条件や! その会長のワシが戦えへんわけなかろうが!」

 「そうだ、おっさん。その肩書きのおかげで命拾いしてる事を自覚しな。……五体満足で帰されたけりゃな」

 

 エルトンが悔しげにぎりりっと歯を食い縛るのを見て、盗賊達はせせら笑う。

 

 「ポルトガ王や副会長の息子から、身代金をたんまりせびってやらぁ」

 

 「むぅ? 変態さぁん?」

 

 首を傾げ、躊躇うようにたどたどしく問うマァムに、盗賊達の笑い声がピタリと止んだ。

 彼女の目の前にいる盗賊達は、以前出会った盗賊カンダタとその子分達と全く同じ格好をしている。

 しかし、このカンダタはあの時より体が一回り大きく、剥き出しの肌は何故か染料かなにかで真っ青に染めている。そして覆面やビキニパンツの色はどぎついピンク色。

 

 マァムは「ふむ」と、納得したように大きく頷く。

 

 「変態さぁんを上回る、スッゴォい変態さぁんキタァ~~っ!!」

 「こっ、このアマっ! 天下の大盗賊カンダタ様に向かって、なんて口ききやがるっ!!」

 

 甲冑姿の盗賊……偽カンダタ子分が慌てて怒鳴るが、それに怯む事なくマァムは目を釣り上げた。

 

 「あなた達はぁ、アステルとぉスレイにぃ優しいぃ変態さぁんとぉそのお仲間さんじゃぁないよぅ!

 本物の変態さぁん達はぁ、こぉんな悪い事しないもぉん!あなた達はぁただのぉすっごくカッコ悪い、スッゴォい変態さぁんだよぅ!!」

 

 〈変態〉を連呼するマァムに、偽カンダタ子分達は兜の下で口の端をひきつらせる。

 

 「このアマ、自分の立場わかってんのか?」

 「頭足りてないのか?」

 「……なら。調教が必要だろうなぁ」

 

 マァムを見る子分達の目が卑猥に歪みだした。

 

 「頭。これだけ娘を取っ捕まえたんだ。この失礼な女は俺らでやっちまって、別口の娼館にでも売りましょうや」

 

 偽カンダタの返事を待たずに、子分の一人が鉄格子の扉を開けて中に入った。鼻口から吐き出される息は荒く、マァムは「おえっ」と嫌悪感を露にして見せる。

 

 「いつまでその強がりが続くか、楽しみだぜ……」

 

 マァムのしなやかな肢体にいかがわしい手が触れられる直前、エルトンは身体を拘束されながらも、その間に倒れこんで割って入った。

 

 「邪魔だ、どけっ!!」

 「がっっ!」

 「パパぁっ!!」

 「キャアアッ!!」

 

 盗賊がエルトンの顎を蹴りあげ、マァムと娘達が悲鳴をあげた。

 

 「お前ら、待て」

 

 偽カンダタの轟くような低い声が部屋に響き渡り、子分達はびくりっと肩を大きく竦めた。前に進み出て、鉄格子越しにマァムを見下ろす。

 

 「……嬢ちゃんよ。今、スレイって言ったか? そいつぁまさか、銀髪の盗賊か?」

 

 マァムは頭を傾げる。

 

 「スレイ、知ってんのぉ?」

 

 偽カンダタは、にたりと嗤った。

 

 「ああ。とぉ~てもよく知ってるぜ。そいつはお前のなんなんだ?」

 「旅のぉ仲間だよぅ!」

 「ほぉ? で、そいつはお前を助けにここにやって来るか?」

 「むぅ? スレイだけじゃないよぅ。アステルもぉ、きっとあたしの事助けに来てくれるもん!」

 「……アステル? さっきも言ってたな。誰だ? そいつは」

 「聞いて驚けぇ! アステルはねぇ、アリアハンの勇者なんだよぅ!」

 

 縛られ転がされた状態で、自慢げにえっへんと胸を張るマァム。

 

 「マっ……マァムちゃん! あかんっ!」

 

 これ以上彼女を喋らせてはいけない。顎の痛みに顔を顰めながらも、エルトンは叫んだ。それにマァムは頭を傾げつつも、大人しく口をつぐんだ。

 

 しかし、偽カンダタは殊更優しい声音で「そうかい。そいつはすげぇな」と言い、立ち上がると牢に背を向けた。

 

 「……おい」

 「へっ……へいっ!?」

 

 擦れ違い様に放たれた強圧的な声に、彼の一番近くにいた子分は慌てて返事する。

 

 「アイツらを洞窟内に解き放て」

 「へ……? あ、アイツらをですかい?!」

 

 偽カンダタの命令にぎょっとする。

 

 「……そろそろ血肉を求めて騒ぎ出す頃合いだ。 

 〈白銀の疾風〉様と、〈アリアハンの勇者〉様とやらが相手なら充分満足するだろうさ。

 それとお前ら。あちらさんは一人でも多くの生娘を御所望だ。死にたくなけりゃ女には手は出すなよ」

 

 子分達に念押し、偽カンダタは一人、牢の空間から出た。

 

 その眼は好戦的にぎらぎらと燃え、覆面で隠れた口元は不敵に弧を描いていた。

 

 

 






カンダタさん普通の格好をするの巻。
親父なカンダタさんがお好みの方、申し訳ございません。このお話のカンダタさんは美形です(笑)

これを書いていた当時ドラクエ11プレイ中で、馬に乗ってモンスターを蹴飛ばしまくっていました。楽しかったのでつい作中でもやってしまいました(笑)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!




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殺人鬼

 

 

 

 北上して森を抜けたアステル達は、古く小さな橋に辿り着く。橋を渡った先はまたしても森。その手前には最後の連絡係が待機していた。

 

 「ここからは徒歩で。奴等に気づかれますんで」

 

 皆頷き、馬番に子分を数名残してアステル、カンダタらは森に入った。暫く歩くと、先頭の連絡係が振り返り、「静かに」と、手振りでこちらに伝える。木々や岩影に身を隠しつつ、体を低くして進むと、蔦や苔で覆われた小さな石造りの建造物が見えた。手前には幌馬車と見張りが二人立っている。

 カンダタが顎を上げると、子分達が頷き、二手に分散する。ガサッと鳴る草むらに、見張りの二人が反応する。その隙を突いて音もなくその背後に移動したカンダタ子分が、二人の首の後ろに手刀を落とす。気を失った見張りに素早く猿轡(さるぐつわ)を噛ませ、手足を縄で縛ると、繁みに隠すように転がした。カンダタは用心深く建物の中の気配を探り、危険がないのを確信すると、後方にいるアステル達に手招きをする。

 近づき中を覗くと、暗い地下へと伸びる階段があった。

 

 「馬車は空です」

 

 馬車から顔を出した子分に「だろうな」とカンダタは短く返事する。

 

 「いくぞ」

 

 向かい合うカンダタに、アステルは頷いた。

 

 

 そこは迷宮だった。アリアハンとロマリア、イシス地方。最近ではバーンの抜け道と、これまでにいくつかの洞窟や塔を攻略してきたアステル達だが、ここはどこにも当てはまらない、独特な洞窟だった。 

 飾り気も異なる部分も全くない、同じ造りの空間が連なり続くそんな洞窟だった。扉を見つければ、その隣の空間にも全く同じ扉ある。その隣も、その隣も。

 素人が不用意に歩けば、あっという間に迷ってしまうだろう。

 

 (……自分も含めて)

 

 アステルはぶるっと震え、見失わないように前を歩くスレイの背中に目をやった。

 

 「……こりゃあ。ここは牢獄か」

 「……だろうな」

 「え?」

 

 呟くカンダタに応えるスレイ。それにアステルが首を傾げた。アステルを振り返り、カンダタが扉の鍵を指差す。

 

 「似通った数多くの小部屋に、扉の鍵が全部外側だ」

 「……言われてみれば……!」

 「……あと、ここの造り。単純に見えて、一度入ったら簡単には出られないよう工夫を凝らしてある」

 

 スレイは空間を見渡しながら言う。

 

 「バハラタとダーマの中間にある事を考えると、どちらかの牢獄だった可能性があるな」

 

 ああ、そういえば……と、殿《しんがり》を歩くタイガが思い出したように話す。

 

 「昔、黒胡椒やその売り上げを狙った盗っ人を罰する為の牢獄が街の外のどこかにあったって聞いた事あるな。ここかもしれん」

 「へ? せやけど、この洞窟は全然話題に上がらへんかったで。こんなんアジトにぴったりやんか」

 

 魔法のそろばんを肩に担ぎ、シェリルは辺りを見回した。

 

 「今のバハラタには定期船乗り場近くに、牢獄がちゃんとある。盗っ人達は捕えられたらそこに放り込まれて、ポルトガ王国の役人に引き渡されるようになっているんだ。使われなくなって忘れられてたか……あるいは」

 

 タイガは背後から飛び掛かってきた複数の緑の影に、回し蹴りを放つ。

 

 ドサドサドサッと落ちたのは三匹の猫。その背中には蝙蝠の羽を生やしている。アッサラーム近辺で現れるキャットフライによく似ているが、その毛並みの色は鮮やかなオレンジではなく、暗緑色(ダークグリーン)だ。

 

 「魔物の住み処と成り果てたこの場所を、アジトにするとは思いもしなかったか、だ」

 

 洞窟奥から、新手の猫蝙蝠〈キャットバット〉の群れが現れた。襲ってくるかとおもいきや、猫蝙蝠達は甘えるような鳴き声を発し、身体をくねらせ、尻尾を揺らす。赤い目を爛々と輝かせ、その不思議な舞をアステル達に見せつけるように洞窟内を飛び交う。

 

 「う……あっ!?」

 

 体の力が一瞬抜け、剣を取り落としそうになってアステルは慌てる。キャットバットの一匹が隙の出来た彼女に向かって滑空し、その鋭い爪を降り下ろした。しかしアステルの前に躍り出たシェリルが、頭上に両手で翳した魔法のそろばんでそれを受け止めて、払う。

 

 「なにぼうっとしてるんや?!」

 「ごめん、急に力が抜けて……!」

 「〈不思議な躍り〉だ」

 

 刃のブーメランを投げ放ちながらスレイは鬱陶しげに言った。

 

 「おかしな動きでこちらの理力を奪い取る、魔物の特殊攻撃の一つだ」

 「見ないようにしてても、効果がある厄介なヤツだ! さっさと倒して躍りをやめさねぇと、理力があっという間に底突くぞ!」

 

 カンダタも戦斧をブーメランのように投げ放つ。轟音と共にキャットバットが次々に切り裂かれ、塵となる。

 

 「なっ、なにをすんだ!」

 「おい、やめろ!!」

 

 カンダタ子分達から悲鳴が上がる。アステルがそちらに目線をやると、なんと、仲間に対して武器を振り回す者達が。それもどんどん増えていくではないか。

 

 ((この状態は……!))

 

 なにかを察したスレイとシェリルの顔がサッと青くなる。〈星降る腕輪〉の力を借りたタイガが疾風のごとく駆け抜け、錯乱した者達に軽く衝撃を与えて、我に返らせた。

 

 「魔法でおかしくなったのか?」

 「混乱呪文メダパニだ! タイガ、お前は絶対にかかるなよ!」

 「後生やから死んでも混乱はなしやでっ!!」

 

 スレイとシェリル両方の脅しに近い懇願に、タイガは口元をひきつらせて笑う。

 アステルは慌てて辺りを見回す。際限なく現れるキャットバット。闇の中を瞬く禍々しい赤の星々のその中に、怪しげに浮かぶ黄の星。

 

 「そこっ!!」

 

 アステルがその一角にブーメランを投げた。

 キャットバットと共に倒れるのは、黄色の眼に黄緑(ライムグリーン)の肌、一頭身の魔物〈幻術士〉。低く呻き、手にある樫の杖にすがり立ち上がろうとする幻術士にスレイはすかさずアサシンダガーを投げる。

 ダガーは見事幻術士の眉間に刺さり、魔物は叫び声をあげる間も無く、塵と化した。

 

 「ギラっ!」

 

 ブーメランで卒倒していたキャットバットが気が付き、再び宙を舞おうとするのを、アステルの初等閃光呪文が焼き尽くす。

 魔物の群れを一掃し、ほっとしたのも束の間。また新たな魔物がこちらに向かってやってくる。はじめは魔物の煩わしい特殊攻撃や呪文に遅れをとったものの、今の一行はカンダタ一味も加えた大所帯。

 

 警戒を怠らなければ、そう何度も苦戦を強いられる事はなかった。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「……ったくよぉ~~。こんなに女達がいるってのに、一人も手ぇ出しちゃならないなんてよぉ」

 

 そう言って見張りの偽カンダタ子分は、だらしなく椅子の背凭れに体をもたせかけて、牢の中の拐ってきた娘達を物欲しげな目で見遣る。

 

 「生娘かどうかなんて、ヤらなきゃバレないだろうになぁ」

 

 その発言に残りの三人は目を丸くし、それからその内の一人がああ、と声をあげた。

 

 「お前、最近入ってきたばっかでしらんだろうが、取り引き先の奴等はわかるらしいんだよ……においでな」

 「はぁ? におい~~?」

 

 訝るような声に、「本当だって」と、別の子分が言う。

 

 「まあ、頭に殺されたくなけりゃ諦める事だな」

 「へいへい……」

 

 古株の忠告に、新入りはぶすくれる……と。

 

 「ねえねえぇ~~!」

 

 場にそぐわない、緊張感の全くない間延びした声に盗賊達は揃って顔を顰めた。

 

 「ねえったらぁ~~!!」

 「……それにしてもよぉ。アイツらを解放しに行った奴ら遅くねえか?」

 「ねえねえねえぇ~~!!!」

 「あれは普通じゃねぇからなぁ。

 この間なんか、餌をやりにいったら指を食いちぎられそうになったわ」

 「ねえねえねえねえねえねえぇ~~!」

 「アレも、その取り引き先から譲られたモンだろう? 頭はなんだってあんな」

 「ねえねえねえねえねえアホねえねえねえねえねえね「「「「だぁっ!! 喧しいわっ!!!」」」」

 

 盗賊達は立ちあがり、牢屋の中のマァムに怒鳴り付けた。

 

 「しかも、然り気無く〈アホ〉言いやがったなっ!!」

 「無視ぃするからぁ、耳がぁ遠いのかとぉ思ってぇ」

 

 牢屋の中のにいてもなお、不遜な態度のマァムに、歯噛みする子分達。

 

 「くっ……! このアマぁ、調子に乗りやがって」

 「そんな事よりもぉ! いい加減縄を解いてよぅ!!」

 「ああっ?! 『転がったままじゃ髪が汚れる、頬が傷つく、背中が痛いっ』って散々喚くから、ちゃんと座らせてやったじゃねぇか!」

 

 上半身を縛られたままでありながらも、壁に背を預けるように座るマァムは拘束を解かれた足をばたつかせ、叫んだ。

 

 「違ぁ~うぅ!! これぇ解いてくれないとぉ、パパやグプタの怪我ぁ治せないでしょぉがぁ!!!」

 「ああんっ? なにほざいてやがる。そんなん許すわけねぇだろうが」

 「むうううううぅっ!!!」

 

 ゲラゲラ嗤う盗賊に、マァムは顔を真っ赤にして膨れる。

 

 「マァムちゃん。ワシらは大丈夫やから……「いいえ」

 

 エルトンの言葉を涼やかな声が遮る。

 その声の主は、怯え固まる娘達を支えるように中心に座る紺の修道服姿の女性だった。

 

 「あぁ~? なんだ? 尼さんよぉ。まぁた説教かぁ?」

 

 嘲るように言う盗賊に動じず、シスターはエルトンを見た。

 

 「先程から気になっていたのですが、頭を怪我されてますよね。頭の怪我は見えない所で出血している可能性があります。……それに、彼も」

 

 そう言って、グプタに視線を移す。

 

 「あれから大分経つというのに、一向に目覚めない」

 

 そして、再び盗賊達を静かに見据えた。

 

 「あなた方はこの方に今、死なれては困るのでは? それにこちらの彼も、確か近々大きな老舗に婿入りされる方。御身内からもお金を要求できる筈です。……生きていればの話ですが」

 「く……っ」

 「ほらほらぁ! だからぁ! さっさとぉこの縄解いてよぅ!!」

 「うるせぇっ! てめえは駄目だ! てめえさっき足の縄を解いてやった時、俺の顔に蹴り入れやがったの忘れたとは言わせねぇぞっ!!」

 「忘れたっ!!」

 「てめえっ!!」

 

 「……おい、落ち着け」

 

 鉄格子をガンっと蹴る血気盛んな新入り盗賊を、古株盗賊が宥める。

 

 「ならば、わたくしが」

 

 シスターは立ち上り、鉄格子に近付く。それに古株盗賊は眉を顰める。

 

 「あんたは僧侶呪文が扱えるんだ。その手の攻撃呪文も当然会得してんだろうが」

 「はい。ですがこれまで人に向けた事は神に誓って一度もございません。そしてこれからも」

 

 古株盗賊は威嚇するようにシスターを凝視する。彼女は怯えもせず、真っ直ぐにその視線を受け止めた。

 

 「………後ろを向け」

 

 折れたのは盗賊の方であった。

 

 「いいんっすかぁ!?」

 

 新入り盗賊が非難の声を上げる。

 

 「死なれちゃ意味ねぇからな」

 

 そう言って腰から抜き放ったナイフで彼女の両手首を戒める縄を切った。

 

 「おかしな真似をしたらどうなるか……わかってるな?」

 

 彼女は縄の跡がついた両手首を擦り、盗賊に向き直るとひとつ頷く。

 そしてグプタに近付き、彼の前に膝まずくと自由になった両手を翳した。

 

 「………中等治癒呪文(ベホイミ)

 

 手から放たれた白き光がグプタの体を包み込み、傷を癒していく。意識はまだ戻らないものの、顔色は幾分かましになった。グプタの傍で瞳に涙を堪え「ありがとうございます」と何度も頭を下げるタニアに、シスターは「大丈夫ですよ」と穏やかに微笑んだ。

 

 「では、次は貴方です。頭の怪我ですから念入りに診ないと」

 

 そう言ってシスターはエルトンに近寄りその頭に触れると、彼にそっと耳打ちした。

 

 「……治癒呪文をおかけしますが、善くなっても暫くは具合いが悪そうに装おっていてください」

 

 エルトンは盗賊達に気付かれぬよう、治療を受けるそぶりで頷いた。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 「───ホイミ」

 

 アステルが唱えた初等治癒呪文の光が、カンダタ子分の傷を癒した。

 

 「ありがとよ。助かった」

 「どういたしまして」

 「次、俺もお願いしていいか?」

 「あ、はい」

 「あ、俺も」

 

 俺も、俺も、と次々に挙手する子分達。カンダタ一味の中にも、治癒呪文を扱える者がちゃんといるのだが、どうせ治してもらうのなら可愛い女の子がいいらしい。

 

 「おまえらぁ、大概にしろよ。嬢ちゃんの理力が尽きちまったら、洒落にならんぞ」

 「あ、スンマセ……」

 

 呆れたように言うカンダタに顔を向けた子分達は、その隣にいるスレイの冷淡な視線に貫かれ竦み上がった。

 

 『調子にのってスンマセンっした!!』

 

 彼に向かって一斉に起立し深々と頭を下げる子分達に、アステルは「はて?」と、首を傾げる。

 

 「ここを出る頃には、カンダタ子分改め勇者アステルファンクラブにでもなってそうだなぁ」

 

 薬草を使って手当ての手伝いをするアステルに、嬉しそうにする子分達を眺め、にやにや笑うカンダタをスレイは無視する。

 

 「……それより。おかしくないか?」

 「魔物の事か?」

 

 苦笑しつつも真面目に答えるタイガに、スレイは眉を顰めつつも頷く。

 

 「これだけ魔物がいる洞窟をアジトにするのもだが、非力な人間を大勢連れてまわれるなんて、いくらなんでもおかしい」

 

 「なんか絡繰(からく)りがあるって事か?」と、シェリル。

 

 「と、すればだ。その絡繰りってのは、魔物を自分達の都合のいいように操れるものになるなぁ」

 「そんな事、人の出来る事じゃ……」

 

 言いかけて、アステルははっとする。そんな彼女を見てカンダタは頷いた。

 

 「この先出てくるのは人より、魔物より。おっかねえモンかもしれねぇな」

 

 

 治療を終えたアステル達は再び、洞窟内の奥を目指して探索する。引っ切り無しに襲いかかる魔物達を撃退し、ひとつひとつ確認する小部屋の中には、宝箱などもあったが、スレイとカンダタは一瞬だけ見て、それからそっぽ向く。

 彼らの後方を歩く子分達は見向きもしない。そんな場合ではないのだけど、盗賊らしからぬ行動ではとアステルとシェリルが頭を傾げると、殿を歩くタイガが「流石だなぁ」と呟いた。

 

 「どういう事や?」

 「今まで無視した宝箱は全部魔物だよ」

 「え……?」

 

 人を喰らう宝箱……それはピラミッドで遭遇した人食い箱(アレ)の事か。

 

 三人は知らない。

 

 ここにいる盗賊達は盗賊であるがゆえに、宝箱に擬態する魔物と数多く遭遇し、その度に死物狂いで戦うか、逃げるかを経験しているという事を。

 だからこそ魔法使いが扱える危険探知呪文インパスに頼らなくとも、彼らはその経験から奴らを感知できるのだ。そしてその大体は正解なので、頭のカンダタや自分達より格上のスレイが無視したものを、子分達はわざわざ確認しようとは思わない。

 

 「それにしても。タイガはなんでハズレなヤツがわかるんや?」

 「俺の場合は〈氣〉を感じ取ってるから。普通宝箱にそんなものは感じないしな」

 「きぃ?」

 「気配の事?」

 

 タイガは眉を下げて困ったように笑う。

 

 「う~ん。ちょっとだけ違うかな。〈気配〉ってのは生物の視線、動きや呼吸、心拍といったものから発するもので、〈氣〉ってのは生物が内から発するエネルギー、生命力っていったらいいかな。俺はそれを色や熱で感じ取っている」

 「生命力……?」

 「アステル達がよく魔力を感じるとか、理力がどうのとか、言ってるだろう? それに種類は違うが似てるかな」

 「わかったような……」

 「わからんような。まぁ、元々ウチには魔力は感じひんし、理力もないからなぁ」

 「けど、そういう武術や体術に秀でてる人間の方が〈氣〉の流れを読む事に長けるって、俺の師匠が言ってたぞ」

 「そうなん? じゃあ、やり方がわかればウチも……」

 

 ふいに、先を歩く盗賊達が立ち止まり、スレイが振り返る。

 

 「タイガ」

 

 喋り過ぎたか。説教が来るかとアステルとシェリルは身構えた。

 

 「その〈氣〉とやらで、今の異常さがわかるか?」

 

 「「え?」」と、予想外の言葉に娘達は間の抜けた声を上げる。タイガは顎に手を当てて、辺りを見回す。

 

 「そうだなぁ。あれだけ蠢いて近寄っていた氣が遠ざかって鳴りを潜めてる。……まるで何かに怯えてるみたいだ」

 「どういう事や?」

 「魔物が現れねぇ」

 

 訝しむシェリルに、カンダタが簡潔に答えた。

 

 「どうして……?」

 「理由はわからないが……道は間違ってはいなさそうだな」

 

 呟くアステルに、スレイが前方を見つめたまま答えた。その先に広がる空間にぽつんとあるのは、下へ降りる階段。アステルが前に出ようとしたその時、スレイに手を引っ張られ引き戻された。

 

 「スレ……」

 

 彼の顔を見上げかけてアステルも()()に気付き、慌てて正面を見据える。

 

 (………誰かがこちらに来る)

 

 皆、武器を手にいつでも動けるよう構えて様子を窺う。

 やがて地下への階段から、巨大な斧を持ち覆面を被った巨漢が、重たい靴音を響かせ、ぬっと姿を現した。

 その数は三人。

 

 「……ポカパマズ?」

 「ちっ! 偉大なるポカパマズの姿でよくも俺の前に現れやがったな」

 

 アステルがきょとんと呟き、カンダタは怒りに顔を歪ませ盛大に舌打ちをし、残りの連中はげんなりとする。子分の一人がハッとして、カンダタに叫んだ。 

 

 「頭! もしかしてこいつらが頭の格好で殺戮(さつりく)を繰り返してきた奴らなんじゃっ!」

 「………かもな」

 

 「え……!?」と、アステル。

 

 そんなのは初耳だ。スレイも目付き鋭くカンダタに問う。

 

 「どういう事だ。カンダタ」 

 「俺の名を騙った騒動がもう一つあんだよ。ロマリア地方の名もない集落の幾つかがそいつらに襲われた。〈殺人鬼カンダタ〉とその手下は娘子供を拐い、男や老人はすべて皆殺しにしたそうだ。

 ……同じ人攫いとはいえ、やり方が違うんで別件かと思っていたが」

 

 「本当は俺らそっちを追っかけてたんっすよ」と、子分。

 

 「けど、途中でバハラタの人攫いの話も出てきて、そいつらも頭や俺達と同じ格好をしてるってんだから……」と、別の子分が溜め息混じりに言う。

 

 覆面ビキニマッチョが三人。血走ったその目玉がこちらを捉えるとにたりと笑う。そのおぞましさ不気味さに総毛立った。これ以上向き合いたくない。出来る事なら逃げだしたい。

 

 「だから、なんでその格好……」

 

 米神に手を当ててシェリルは頭を振る。

 

 「……危ない」

 「そりゃ危険やろ。こんな格好の奴」

 「違う」

 

 呆れ口調で突っ込むシェリルに、アステルは巨漢に視線を逸らさずに否定した。

 

 「……アステル?」

 「違うの。格好とかそういう事じゃなくて、この人達……!」

 「来るぞ!」

 

 スレイの警告と同時に巨漢……〈殺人鬼〉の一人が動いた。

 その早さは尋常じゃなく、あっと言う間に彼女達の間合いを詰め、その巨大な斧を振り下ろす。アステル達はその場を跳んで攻撃をかわし、分散した。

 殺人鬼の振るった斧は床を割る。その威力にアステルは息を呑んだ。殺人鬼は割れた床を不思議そうに眺め、頭を捻らせ、そして再びこちらを見た。目がにやあっと笑う。

 床に深く突き刺さった斧を、そのまま抉るように掬い上げ、破損した床の破片をアステル達にぶつけるように放った。

 

 「くっ!」

 

 思わず腕で顔を庇うシェリル。ハッと目を見開けば先程とは別の殺人鬼の顔がそこにあった。覆面越しに腐臭まじりの熱い息が、彼女の前髪を揺らす。

 

 頭が真っ白になり、固まった。

 

 「うらあああっ!!!!」

 

 横からカンダタの斧が巨漢向かって振り下ろされた。殺人鬼はそれを自らの斧で受け止め、弾き、彼らから間合いを取る。

 

 「なぁにぼやっとしてんだぁ? お嬢様。びびっちまったか?」

 「だっ、誰がっ!!」

 

 シェリルは慌てて魔法のそろばんを構え直す。

 

 「余計な事すんなっ!」

 「へいへい……とっ!」

 

 二人纏めてその首を刈らんと殺人鬼が薙いだ斧を、シェリルとカンダタはしゃがんでかわした。

 

 アステルに振り下ろされた斧を、タイガが風神の盾で受け止め、押し戻した。よろける殺人鬼の懐に素早く入り、とんぼ返りの要領で顎を蹴り上げた。星降る腕輪に念じると途端に体が羽のように軽くなる。

 

 「ハアアアアアッ!!!」

 

 タイガは目にも止まらぬ速さで殴打を繰り返し、最後は掌底打ちで殺人鬼を壁まで突き飛ばした。

 

 「ありがとう、タイガ」

 

 駆け寄るアステルに頷くが、珍しく彼の顔に笑みが浮かばない。

 

 「アステル。さっき奴らが危険だと言っていたな?」

 「…え、うん」

 「どんな風に? なにを感じたんだ?」

 「え?」

 

 アステルは頭を傾げる。

 

 「アステルの直感は無視出来ないからな。それに俺もあいつらからは異様な〈氣〉を感じる」

 「異様?」

 

 聞き返したその時、壁まで吹っ飛ばされた殺人鬼が首を鳴らしながら、けろりとした様子で立ち上がる。それにタイガは眉間に皺を寄せた。

 

 「人の顔をした魔物……みたいな。はっきりしない〈氣〉だ」

  

 その剛腕から繰り出される斧の一撃はいちいち重く、風圧は凄まじい。スレイはそれを冷静にいなしながら、ドラゴンテイルを振るう。

 鞭は殺人鬼の足を捉え、踵骨(アキレス)腱を深く裂いた。バランスを崩し膝をついた隙を突いて、殺人鬼との距離を一気に詰める。アサシンダガーを抜き放ち今度は手首目掛けて一閃させる。

 

 しかし、その刃は殺人鬼に握り止められた。

 

 スレイは舌打ちし、ダガーを退こうとする。が、刃を握りこむ力は固く、むしろどんどん強くなる。大きな手から血が滴り落ちる。地面に触れると、シュワッと蒸気を立てて消えるのにスレイは目を見開く。斧を掴んでいる手が、彼の背後でゆっくり振り上げられる。

 スレイはダガーから手を離し、殺人鬼から離れた。

 間合いを取り、敵の様子を窺う。

 殺人鬼は立ち上がろうとするものの、再び腰をつく。アサシンダガーの刃をいつまでも強く握り締めていたが、やがてそれは手から滑り落ちた。鋭い刃によって、切り裂かれ赤黒く染まった手指は辛うじて繋がっている状態。

 しかし殺人鬼は他人事のように、不思議そうに動かない手や足を眺めている。

 そのしぐさは、さながら赤ン坊のようだった。

 

 「ぐぎっ……がああああああっ!」

 

 それはいきなり洞窟全体に響き渡るような咆哮を上げた。釣られるように残り二人も絶叫する。

 

 「今度はなんや……うわっ!!」

 

 シェリルの目と鼻の先で斧が薙いだ。殺人鬼の目が充血を通り越し、真っ赤に染まる。いきり立った二人の殺人鬼達は、近くにいるもの手当たり次第に斧を振りまわし始めた。アステル達は斧の餌食にならぬよう慌てて距離を取る。そうすると殺人鬼の一人の視線が、手足を負傷し、動けずぼんやりとしている己の仲間に移った。

 

 まさかと思ったのも一瞬。

 

 殺人鬼は仲間の脳天に斧を振り下ろした。

 

 「「ひっ…!」」

 

 戦闘中ゆえ、瞳を閉じるような愚行はしなかったが、アステルとシェリルは思わず短い悲鳴をあげる。

 

 しかし。想像するような凄惨な光景を目にする事はなかった。

 

 

 斬られた殺人鬼の体は直ぐさま塵と化して消えたのだ。

 

 

 そして残されたのは黒い石。

 

 

 それは魔物が絶命する時のそれと、全く同じだった。

 

 

 「やっぱりか……」と、スレイ。

 

 拾い上げたアサシンダガーにも血の汚れは一つもなかった。

 

 「こいつらは人じゃない……魔物だ」

 「人型の?」

 

 尋ねるアステルにスレイは頷く。

 

 「恐らくは。血が消え、遺体が消えた。それがなによりもの証拠だ」

 

 「こんだけしっかりした人型やったら、〈魔法使い〉や〈ベビーサタン〉みたいな魔族なんちゃうんか?」と、シェリル。

 

 「いや。魔族にしては知能が低すぎるからな。人型の魔物だろ」

 「そういうもんなんか」 

 「魔物の氣を感じたのはそういう事か……?」

 

 そう呟くタイガだったが、まだどこかなにかが納得できないのか、歯に物が詰まったような難しい顔をしている。

 

 「……しかし。そうとわかれば、手加減の必要はねぇわけだな」

 

 カンダタはギラリとした笑みを浮かべ、戦斧を構えて一人、斧を振り回す殺人鬼の前に進み出た。

 

 「おいっ! お前っ!!」

 

 無謀だと、シェリルが焦って声を上げた。が。

 カンダタは殺人鬼の振り下ろした巨斧を、斧片手で受け止めた上に、軽く払い飛ばした。轟音を伴い自分達の方へ飛んでくる殺人鬼の斧をカンダタ子分達は慌てて避ける。その斧は壁に深くめり込んだ。

 

 「目障りだ。失せろ」

 

 武器をなくし呆然とする殺人鬼に低く囁き、カンダタの戦斧が閃いた。黒い石が転がるのを見て、「やるな」とタイガが感嘆の声を、子分達は歓声を上げる。ぼんやりとこちらを見るシェリルに気づき、カンダタが首を傾げる。

 

 「どうしたよ?」

 「べっ、別に!!」

 

 ハッとしてシェリルは慌ててそっぽを向く。カンダタはキョトンとし、それから意地悪い笑みを浮かべた。

 

 「もしかして見惚れたか?」

 「なっ、んなわけないやろぉお!!!」

 

 声を荒らげるシェリルに、カンダタが高らかに笑った。

 

 皆が〈人〉との戦いから〈魔物〉へと意識を切り替える中、アステルだけが転がった黒い石から目が離せなかった。この目で見てなお、彼らがただの魔物には思えなかった。人型の魔物と戦った事はあるが、それは全て死人だった。

 

 ここまで人に近い存在は初めてで。

 

 (だから、こんなに怖いの?)

 

 なにが?

 

 彼らの力が?

 

 彼らの存在が?

 

 人に手を掛けてるような、この気持ちが?

 

 それとも………

 

 

 「────アステルっ!!」

 

 スレイの声に我に返ると、最後の一人の殺人鬼がこちらに向かって来ていた。

 

 「メラっ!」

 

 アステルの初等火球呪文が、振り上げられた斧に炸裂する。斧は持ち手まで恐らく鉄製。溶かす事は出来なくとも、熱さで持てなくする事が出来るだろうと踏んでいた彼女だったが。

 殺人鬼は赤々と輝く斧を平然と持っていた。

 

 「……ギラっ!!」

 

 掌から放たれる閃光を、殺人鬼はまともに浴びる。人の肉が焼ける匂いとそれでも消えぬ殺気にアステルは顔を顰めた。皮膚を焼かれ、煙を立ててもなお、こちらに向かってくる殺人鬼。

 覆面が黒くポロポロと焦げ落ち、火傷を負った顔が現れる。大きく見開かれた眼は澱んでおり、口は笑みを浮かべ、人の血肉を求める様はもはや魔物そのものだった。

 スレイのドラゴンテイルが、彼女に迫る殺人鬼の足を絡め捕った。

 

 「アステルっ! 躊躇うなっ!!」

 

 スレイの声に、彼女はゾンビキラーを素早く抜き放ち、掛け声と共に袈裟掛けに振り下ろした。

 三人目の殺人鬼が塵と消える。その一瞬にアステルが見た彼の最期の笑みは不気味なそれではなく。

 

 安堵しているかのように映った。

 

 足元に転がった黒い石を見下ろし、それを震える手で拾い上げた。

 

 「怪我はないか……アステル?」

 

 近寄るスレイに、アステルは驚愕の表情のまま彼を見上げた。

 

 「どういう事……? あれは魔物じゃなかったの?」

 「なんだと?」

 

 スレイが眉を顰める。

 

 

 「───いいや? あれは正真正銘魔物だぜ」

 

 

 

 彼女のその問いに答えたのは、つい先程塵と消えた殺人鬼と、同じ格好をした男だった。

 

 

 






《補足》アステル達と行動を共にするカンダタ一味は大体20名前後の精鋭部隊です。
読み返したら、ここら辺の説明がありませんでした(汗)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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荒ぶる魔力 千早振る聖力①

 

 

 ───時は一旦、アステル達が殺人鬼と遭遇する少し前まで遡る。

 薄暗い牢獄の中で、治癒の呪文の白い光が辺りを照らす。マァムはエルトンの治療を続けるシスターの手を、胡乱な目で見つめていた。

 

 「どうかしましたか?」

 

 首を傾げるシスターに、マァムも首を傾げて尋ねる。

 

 「なんでぇ、ずぅっとホイミかけてるのかなぁって。もうとっくにぃ治っ……」

 

 てるのに』と続くはずの言葉を、シスターの細く長い人差指がマァムの桃色の唇を軽く押さえて止めた。エルトンは慌てて目玉だけ動かし盗賊達を盗み見る。しかし彼等は酒に酔いしれ、雑談に夢中で今のは聞こえていなかったようだ。

 ほっと息を吐くエルトンに、微笑むシスター。マァムは先程とは逆の方向に頭を傾げた。

 

 「これはここを出る為の作戦です」

 「ここを出る為の作戦」

 

 密やかに言うシスターに、マァムも声を潜めおうむ返しする。

 

 「ですから、秘密です」

 「秘密」

 

 瞳がきらんと輝くマァムに、シスターはくすりっと笑う。……と、彼女はマァムの背中に差さる不気味な杖の存在に気付いた。

 

 「あなた……」

 「マァムだよぅ」

 「マァムさん。あなたの背中にある杖は、もしや……」

 「ぬ? ……ポルトガのぉ王さまから貰ったぁ、魔封じの杖だよぅ。鋼の鞭は取られちゃったけどぉ、なんでかこれだけは取られなかったのぉ」

 

 シスターに負けじとマァムもひそひそと話す。

 

 修行の地ダーマ神殿にある歴史書にて、この杖の存在とその効果を知っている。この杖は使用者に危害は加えない。しかし、その見た目の悍ましさからか、盗賊達は触れる事に臆したのだろう。

 臆病なくせにふんぞり反っている彼等を見て彼女は薄く笑った。

 

 「……ですが、これもまた神のお導き」

 「ふえ?」

 「突破口が見えました」

 

 マァムとエルトンは顔を見合わせた。

 

 

 「うっ……」

 

 「グプタっ!? しっかりして! グプタっ!!」

 

 身動ぎしだしたグプタに、タニアは慌てて呼び掛ける。やがてその瞼はゆっくりと開かれ、涙を浮かべながらも安堵して微笑む恋人の顔が映りこむと、彼はカッと目を見開いた。

 

 「タニア……っ?」

 

 起き上がり、彼女に手を伸ばそうとするも、できない。改めて自身を見下ろすと、手足が縄で固く縛られている事に漸く気づいた。

 

 「これは……!」

 「あ~~っ! グプタが起きたぁ~っ!」

 

 明るいその声に目線を遣ると、同じく拘束されたマァム。その姿を見て途切れる前の記憶が覚醒する。

 

 「……そうだ。僕は君を追って……途中で奴らに見つかって……」

 「……気ぃついたか? グプタ君」

 「エルトンさん! 御無事で……」

 

 グプタが叫ぼうとした その時。 

 頭上からドスンっ! という、音と衝撃がこの地下空間に響き渡る。囚われた娘達は悲鳴を上げて身を寄せ合い、残る者達は眉根を寄せ、落ちてくる砂ぼこりを気にも止めず、天井を見詰める。

 やがて揺れは治まり、その後に聞こえたのは獣のような、雄叫び。

 

 「アイツら、この洞窟壊しちまわねぇだろうな……」

 

 見張りの盗賊達も酒を呑む手を止めて、おっかなびっくり天井を見上げている。

 

 「……始まったようですね」

 

 静かにそう呟くシスターに、エルトンは頷く。

 

 「では、こちらも始めましょうか」

 

 シスターの頭に被るベールが風に揺れた。

 

 「───バギ」

 

 ぼそりと呟いた初等真空呪文は、牢屋の中に小さな風を巻き起こす。微妙に調整された鎌鼬(かまいたち)は、囚われた者達を縛る縄だけを切り落とした。

 

 「てめぇ! なにしてやがる!」

 

 盗賊達が牢屋の異変に気づき、慌てて立ち上がる。

 

 「落ち着け。牢の中なら問題ない。あの鉄格子は、あらゆる呪文を跳ね返す呪術反射呪文(マホカンタ)の魔力が込められた特注品らしいからな」

 

 古株の盗賊が言う。この牢獄の洞窟の最下層の牢屋は恐らく、そういった呪文を扱える厄介な罪人の為に造られたのだろう。

 

 「こちらや鉄格子に呪文を唱えようものなら、そのまま奴らに跳ね返るだけだ」

 

 それを聞いた若い新入り盗賊はひゅうっと息を吐き、冷や汗をぬぐうと鉄格子に近付いた。

 

 「びびらせやがって。無駄な足掻きだったようだ………なぁああああっ!?」

 

 鉄格子越しにぬっと現れた小さな骸骨と目が合い、新入りは情けない悲鳴を上げ、尻餅をついた。

 骸骨の飾りの付いた杖を持つ娘は、悪戯が成功したとばかりに満面の笑みを浮かべる。先端の骸骨も馬鹿にするようにカッカッカッと顎を鳴らして嗤っていた。

 

 「てっ、てめえっ!!!」

 「いっくよぅ~~~っ!!」

 

 ───マァムは大きく杖を振りかざし

 

 「そぉぉぉれっ!!!」

 

 ───下ろした。

 

 骸骨は妖しい霧を吐き出す。呪文を無効化する霧は空間を充満し、そして消える。

 間をおいて甲高い金属音が地下空間に響き渡った。

 

 「なっ、なんだっ! この音はっ!? お前一体なにしやがった!??」

 

 にっこりと微笑んだマァムは盗賊達の問いには答えず、すっと横にずれる。その後ろには手を交差させ、瞼を閉じたシスターの姿。彼女は瞼を上げると、ばっと(かいな)を広げると共に、高らかに叫んだ。

 

 

 「───中等真空呪文(バギマ)っ!!!」

 

 

 先程とは比べようのない大きな鎌鼬が、鉄格子をバラバラに切り裂く。

 

 「なっ、なにぃっ!?」

 

 カラ、カランと、音をたてて落ちる鉄格子の破片。大きく空いた隙間から、二つの影が飛び出す。  

 マァムが杖で殴り、エルトンが体当たりをかます。見張りの盗賊四人のうち、二人はあっという間に失神させられた。

 

 「おいっ! なんであの娘は杖を持ってるんだ!? なんで武器を全部取り上げてない!?」

 「いや、その、あの杖、気味が悪くて……まさか、あんな力があるなんて……」

 

 流石に動揺する古株盗賊に、新入り盗賊もしどろもどろ答える。

 

 「賭けでした」

 

 二人の言い合いを凛とした声が遮る。

 

 「唱える呪文が効かない。ならば、道具の呪文効果でなら看破できるのでは、と」

 

 シスターはゆっくりと鉄格子をくぐり、震え上がる二人の盗賊の前に立つ。

 

 「安心してください。わたくしは人に攻撃呪文を向けた事は一度もございません」

 

 彼女は穏やかに微笑んで、手を翳す。

 

 「睡眠誘発呪文(ラリホー)

 

 抗いがたい眠気が二人を襲う。

 

 「使……ってんじゃ、ねーか……」

 

 古株盗賊が悔しげに言い残し、先に眠りに落ちた新入り盗賊の上に被さって鼾をかきだす。

 それを見てシスターはくすりと笑った。

 

 「使ってはいませんよ? 人に攻撃呪文は。……戦闘補助呪文は別ですけどね」

 

 

 「じゃああたしぃ、ちょっくらアステルんとこ行ってくるぅ~~!」

 「ちょっ、待ち! マァムちゃんっ!!」

 

 グプタと共にその場にあった縄で気絶する盗賊達を縛るエルトンは慌てて止めたが、ぴょんぴょん跳ねて立ち去るマァム。

 その後ろ姿をシスターは見送る。

 

 (……そう、賭けでした)

 

 呪文効果のある魔道具。その魔力を最大限引き出せるのは、やはり強い魔力を備えた持ち手あってこそ。ここは偉大なるダーマ、その出身の魔術士の力を借りて造られたと云われる洞窟。

 百年以上経った今も衰える事なく宿した鉄格子の魔力を、いとも容易く打ち破るあの魔力。

 

 (……いいえ、彼女のあれは)

 

 

 「……聖力」

 

 

* * * * * *

 

  

 「アイツらをこんな短時間で倒しちまうたぁ、大したもんだぜ」

 

 地下へと続くであろう階段から、黄金の甲冑を纏う手下を十人程率いて現れた偽者のカンダタは、芝居がかった態度で一行を称賛する。殺人鬼と同じ格好をし、手には斧をもった大男。

 違う箇所をあげるとすれば、彼らより奇抜な色を纏い、そして彼らにはなかった〈理性〉が見えるところか。

 

 「その格好で好き放題してやがるのは、てめぇか」

 

 カンダタの低く轟くような声に、大男はくくくっと押し嗤う。

 

 「……拐った娘の話では、〈白銀の疾風〉と〈アリアハンの勇者〉が助けに来るとか言ってたが、まさか〈本物のカンダタ〉まで現れるとはなぁ」

 

 〈本物のカンダタ〉

 

 素顔の彼を見てそう言った大男に、カンダタとスレイは眉をひそめた。拐った娘という言葉にアステルはゾンビキラーを、シェリルは魔法のそろばんを大男に向けて構える。

 

 「マァムは、拐った人達はどこですか?」

 「無事なんやろうなっ! 傷ひとつでも付けてたら容赦せぇへんでっ!!」

 「勇ましい嬢ちゃん達だな。安心しな、娘達は無事だ。大事な商品だからな。あとついでに拐った野郎共は多少は傷ついちゃいるが、死んでねぇよ」

 

 シェリルの武器(そろばん)を持つ手が怒りに震え、そろばんの珠がカチカチと鳴る。

 

 「……ところで、アステルってのはどいつだ?」

 

 「私です」

 

 凛然たる態度で返事をしたアステルに、大男は覆面の二つ穴から覗く榛色の目を丸くし、それからハハハハッ! と大声で笑いだした。

 

 「名前だけじゃ男か女かわからんかったが、まさかこんな小娘が勇者とはなぁ」

 「……私も質問があります」

 「どうぞ?」

 「あの人型の魔物達は一体なに? どうしてあなた達は彼らを操れるの?」

 「奴らはお得意先から押し付けられた、()る大陸で(いくさ)用に調教された人型の魔物だ。俺も詳しくは知らんが、自分より弱い魔物なら従わせる事が出来るってんで番犬代わりに引き受けた。基本飼い主に牙は向けねぇよう仕付けられてんだが、定期的にエサや娯楽を与えんと暴走する。

 そろそろその時期だと思ってた所にあんた達が来た……ってわけだ」

 

 (あの狂気を治める為のエサと娯楽)

 

 惨殺されたという集落の話を思い出し、胸苦しさと表現し難い怒りが込み上げる。アステルはまなじりを上げ、目の前の大男を睨んだ。

 

 「そのお得意先は人だけじゃなく、魔物まで売り買いしてるって言うの?」

 「そう珍しい話じゃないだろう? ロマリアじゃあ、魔物達を飼い慣らせて賭け事に使ってる。そんなにあの魔物と俺達の取引先の事が知りたいなら、拐った娘達と一緒にあんたも連れてってやってもいいぜ? ……勇者さんよ」

 

 そう言いながら偽カンダタは、アステルを爪先から顔まで、ゆっくりと舐めまわすような目で眺める。

 

 「幼いが見目は好い。男をまだ知らんのなら尚の事いい。きっとあちらさんにも喜ばれるだろうよ」

 

 向けられ慣れない色情を帯びた視線が気持ち悪く、アステルは顔を顰める。ふいに彼女の目の前に見慣れた黒い背中が現れ、その露骨な視線を遮った。

 アステルを守るように前に立つスレイに、大男は「おっ?」と、面白げに声を漏らす。

 

 「まさかてめぇが〈アリアハンの勇者〉の旅の供をしてるたぁなぁ。一番有り得ねえ組み合わせだろう? ……スレイ=ヴァーリス」

 

 (有り得ないってどういう意味?)

 

 単純に勇者と盗賊が旅を共にしているのがおかしいと言いたいのか。

 アステルは心うちで首を傾げると、

 

 「っ……!?」

 

 ピリッ、と頬を切るような冷気を感じた。

 アステルは思わず頬に手を当てすぐ目の前の背中を見た。しかし彼からは特段変わった様子は見られず、その一瞬の出来事は自分以外は誰も、気配に聡いタイガですら気付いていないようだった。

 

 (気のせい………?)

 

 「……通り名はともかく」と、スレイ。

 

 「オレやカンダタの素性や素顔を知っている奴は仲間を除いてほぼいない。……それを知っているお前は何者だ」

 

 苛立ち常時より一段低いその声で問いつめられるも、大男は余裕綽々、両手をあげて大袈裟に溜め息を吐く素振りをしてみせる。

 

 「まあ確かに。……本物を目の前にして、こんな格好を何時までもしてちゃ滑稽だよなぁ」

 

 そう言って大男は自ら覆面マントをむしり取り、床に落とした。スレイが琥珀の瞳を見開き、息を呑む。

 現れたのは頭部の左右を丸刈りにし、中央部分だけ髪を残してる独特な髪型。眉を剃り落とした厳ついその顔の肌も青く染められ、不健康な紫色の唇が弧を描いた。

 

 「……てめぇ、シュウか?」

 

 カンダタが訝しげに眉を寄せてそう呟き、その名を聞いたカンダタ子分達はざわつく。

 

 「あんたに一番に気付いてもらえるだなんて、感激だぜ。お頭」

 

 シュウと呼ばれた男は、感情の籠っていない声で言った。

 

 「シュウ?」

 

 タイガがその名を呟くと、彼の傍にいた少し年嵩のいったカンダタ子分が渋い顔で説明する。

 

 「カンダタ盗賊団の一員だった男でやす。

 ……けんど、五年前に仲間を売って飛び出したっきり、行方知れずになってたんでやすが、まさかお頭の名を騙って暗躍してるたぁ……」

 

 「仲間を……?」とアステル。

 

 年嵩のいった盗賊は目線だけちらりと彼女の傍に立つ銀髪の青年に向け、再び前にいる大男に戻す。

 

 「……それより。あの変わりよう尋常じゃねぇですぜ」

 「というと?」

 「シュウはもっと穏やかな顔付きで、背丈はあったがモヤシみたいにヒョロヒョロで戦う力もありゃしない。うちにいた時はもっぱら裏方の雑用ばっかやってやした」

 「嘘やんっ!」

 

 シェリルが思わず突っ込む。それもそのはず。彼女が指差す筋骨粒々の厳つい大男は、どこからどう見ても穏やか・モヤシなどという表現からはかけ離れている。

 

 「……だから、みな驚いとるんですよ」

 

 溜め息交りに子分は言った。

 

 「シュウ」

 

 カンダタが大男に声をかける。

 

 「お前、その姿は一体どうした?」

 「あんたから切り捨てられた事で得られた姿ですよ」

 

 そう言いながら、巨大な斧を片手で軽く振り回して、その怪力をカンダタや元仲間達に誇示して見せる。

 

 「この姿で動けばいつかあんたがやって来ると思ってた。あんなに尽くした俺をあっさり切り捨てたあんたを見返してやる為に……そして」

 

 くるくると回していた斧の柄をがしっと掴み、視線を横にずらしてスレイを睨む。

 

 「切り捨てる原因となったてめえに復讐する為になぁ!」

 

 手にある斧をスレイ目掛けて真っ直ぐに投げ放った。スレイは後ろにいるアステルをタイガの方へ突き飛ばし、自らも横へ飛んで避ける。

 放物線を描いて再び襲ってくる斧を今度はしゃがんで避ける。ぱしっと斧を受け止めたのは、スレイとの間合いを一気に詰めたシュウだった。シュウが斧を振り翳す。

 スレイは腰ベルトに納まるドラゴンテイルを抜き出して、シュウの足首目掛けて凪ぎ払うと、シュウはそれを跳躍してかわした。

 その間にスレイは体勢を立て直し鞭を二撃、三撃と振るう。シュウはそれを全て斧で弾く。その背後に回るのはカンダタ。

 肩目掛けて振り下ろした戦斧を、シュウは振り向き様に受け止める。

 ガンッと交差する重い金属音が広い空間に鳴り響いた。

 

 一方、シュウの後ろに控えていた黄金達も動き出し、頭領の因縁の対決を邪魔させまいと、アステルや子分達に襲い掛かる。

 剣が、鞭が、投擲が、交差し火花を散らす。

 

 「───防禦衰退呪文(ルカナン)!」

 

 青の光がアステル達にまとわりつく。黄金甲冑の一人が唱えたそれは、集団の守りの力を著しく低下させる呪文。

 この呪文を受けた者はちょっとした軽傷も重傷へと転じてしまう。

 

 「こいつっ!」

 

 シェリルは術者の腹に、魔法のそろばんを打ちすえ黙らせた。が。

 

 「───中等治癒呪文(ベホイミ)!!」

 

 別の黄金甲冑が唱えた治癒呪文の白い光が、動かなくなった黄金甲冑を包み込む。光が止むと負傷した甲冑はなにもなかったかのようにむくりと起き上がった。

 

 「ベホイミまで!?」と、アステル。

 

 更に別の方向からもルカナン、ベホイミの呪文を発する声と光。

 

 「まさか、こいつら全員呪文が使えるんかいなっ!?」

 「アステル、シェリル、この呪文は厄介だ。敵の頭はスレイとカンダタに任せて、俺達は盗賊達と協力して甲冑達を先に倒そう」

 

 タイガの言葉にアステルとシェリルは頷いた。

 

 カンダタとシュウの戦斧での拮抗した戦いは続く。度重なる打ち合いで、カンダタはニヤリと笑った。

 

 「俺の攻撃を避けずに真っ向から受け止めるたぁ、そこは誉めてやらぁ」

 「そりゃ光栄ですぜ。……お頭」

 

 ────〈お頭〉。その言葉にカンダタは渋面を浮かべる。

 シュウはカンダタの腹目掛けて蹴りをはなつ。彼はそれを後ろに跳んで避けると、入れ替わってスレイが飛び出す。左手にアサシンダガー、右手の刃のブーメランも短剣のように扱う。両手の武器を素早く巧みに繰り出し、斧を振り上げる隙を与えない。

 

 「相変わらず、器用な奴だなぁ。スレイ」

 

 気安く呼ばれ、スレイは怪訝な面持ちで榛色の目を見た。

 

 「そういえば、さっきのツラは傑作だったなぁ。そんなに大事か? 〈アリアハンの勇者〉の娘が。なぁ? スレイ?」

 「……黙れ」

 

 低く短い声の中に、明らかな苛立ちを見つけると、シュウは嗤う。

 

 「健気だよなぁ。父の遺志を継ぎ、女の身で魔王討伐の旅たぁ。泣かせるよなぁ? あんなに可愛い顔してんのによぉ」

 「黙れと言ってる!」

 

 スレイはアサシンダガーを、シュウの斧を持つ手首目掛けて閃かせる。

 

 「偉そうに指図してんじゃねぇよ。誰のせいで今あの娘が〈勇者〉やってんだよ?

 ……世界と勇者を裏切った大罪人の……」

 

 最後に低く、周りが聞き取れぬ程低く囁いたその言葉に、スレイの切れ長の瞳はこれでもかという程大きく張り、完全に動きを止めた。

 シュウはほくそ笑み、斧で棒立ちしている彼の持つアサシンダガーと刃のブーメランを弾いた。

 

 「スレイっ!? 何してやがるっ!!」

 

 カンダタが叫び、走る。その声のただならぬ雰囲気にアステルも、シェリルも、タイガも、子分達もそちらを見た。

 

 「……良い事思い付いたぜ? 安心しな。あの娘の魔王討伐の旅はここで終わりだ。てめえを殺った後は、あの娘は俺がよぉく可愛がってやるよ。

 手元に置いて死ぬまでな」

 

 シュウは硬直する銀色の頭に斧を振りおろす。

 

 「スレイッ!!!」

 

 

 アステルの悲鳴が洞窟内に響き渡った。

 

 

 

 







マァムに特殊能力のある道具を持たせれば、まさしく鬼に金棒状態。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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荒ぶる魔力 千早振る聖力②



注意:残酷表現、欠損描写があります。


 

 

 

 ───洞窟内の気温が一気に下がった。

 

 

 「さっ、寒っ!! なんやっ!?」

 

 シェリルは、思わず二の腕を擦る。吐く息が白くなるほどの冷気の原因を慌てて探し、結局はその前に見ていた場所へと視線を戻す。

 そこには両手をだらりと下げ、うつむき様に立つスレイと、その前で彼に斧を振り下ろさんとするシュウの姿。

 しかしその腕は斧ごと氷で覆われ、凍てついていた。

 

 「……これってまさかスレイの仕業か?」

 

 あまりに異様な事態に困惑し、敵味方ともに戦闘を中断してその原因に注目する。

 

 「アステル」

 

 タイガはこの場で最も魔法に詳しい彼女に説明を求めた。しかし、彼女も戸惑い首を横に振る。

 

 「……わからない。氷刃呪文(ヒャド)系だと思うけど、こんな(あらわ)れ方見た事ない。それにスレイがなんで?」

 

 彼は攻撃呪文は扱えない筈だ。

 

 「くっ、くそっ! どうなってやがる!」

 

 シュウは感覚のない氷結した腕を無理矢理動かそうとし、それにカンダタが声を張り上げた。

 

 「よせっ! 腕が落ちるぞっ!!」

 「ぎゃあああああっ!!!!」

 

 警告も虚しく、完全に凍てついていた右腕は動いた衝撃で根元からぽきりと折れ、床に落ち、巨大な斧共々粉々に割れた。

 シュウは絶叫を上げ、無くなった右腕を押え踞る。傷口が氷結しているせいか、出血は見られなかった。

 

 パキリと。

 

 目の前の砕け落ちた己の腕の一部を踏み潰した音に、シュウは恐々と顔を上げる。見上げた先には白く整った美麗な顔が、一切の表情を無くして彼を見下ろしていた。

 

 琥珀の瞳は冷たく、もはや金色に近い。

 

 屈み緩やかに差し出されたグローブを嵌めた手は、シュウの口を塞ぐようにがしりと掴み、そのまま立ち上り高く持ち上げた。細身の男が片手で巨漢をすんなりと持ち上げるその光景に、カンダタ子分達は息を呑み、そして敵である甲冑達は、恐怖で動けずにいた。

 スレイの細腕を引き剥がさんともがき、暴れるシュウ。

 

 「……だっ、駄目っ!!」

 「アステルっ!?」

 

 ハッとして、アステルは彼等の元へ駆け出した。同時にスレイの手から再び強い冷気が漏れだす。

 

 「スレイがあの人を殺してしまうっ!!」

 

 (この感じ、アッサラームの時と同じ……!)

 

 「スレイ駄目! ……つぅっ!?」

 

 触れた腕のあり得ない程の冷たさに、アステルは痛みを覚え、思わず手を離す。霜の付いた手袋を外すと、掌はみるみる間に赤く腫れ上がる。それは……凍傷。

 

 「……これってまさか、魔力の暴走?」

 

 魔力を持つ者が稀に起こす〈暴走〉。主に心因的なものが原因で、箍が外れ溢れだした魔力が周囲を破壊する。

 

 (だったらこれは呪文による冷気じゃない……)

 

 魔力を持つ者には得意とする属性というものを持っている。風・火・氷・光・闇……アステルの場合なら火や光だが、おそらく呪文を知らないスレイは魔力を冷気として顕現(けんげん)しているのだ。

 しかし、このままではシュウは、スレイの魔力によって全身を氷漬けにされてしまう。

 

 (それにこんな冷気をひたすら放出し続ければ、スレイの体だってもたない!)

 

 「スレイ! 意識をしっかり持って! ねぇ! スレイっ!!」

 

 手が、体が凍てつくのも構わずアステルはスレイの体を揺らし、叫ぶ。しかし彼はそんな彼女に全く反応を示さず、自分の掴んだ敵だけを見据えている。

 

 (なんでこんな事に……! どうしたら……どうしたらっ!!)

 

 焦るアステルの脳裏に新しい〈力ある言葉〉がハッキリと思い浮かんだ。

 今この時に必要な呪文。

 アステルは一瞬だけ、ぱっと表情を明るくさせたが、次の瞬間には引き締めて声高らかにそれを唱えた。

 

 「呪術封印呪文(マホトーン)ッ!!」

 

 紫の光の帯が発生しスレイを包み込む。続けてヴォンッという、低い耳鳴りのような音が辺りに響き渡った。

 

 

 ───しかし、それだけだった。

 

 「え……!?」

 

 スレイの凍結は収まらない。アステルはもう一度マホトーンを唱える。呪文は発動しているものの、全く効果がない。スレイの瞳も冷たく虚ろなままだった。

 

 「どないしたんや! アステルっ!!」

 

 (たま)らずシェリルが叫ぶ。

 

 「……マホトーンッ! ……駄目、止まらない! スレイの魔力を封じ込めないっ!!」

 「落ち着くんだアステル。心が乱れてちゃ成功するものも成功しない」

 

 狼狽(ろうばい)するアステルに、タイガは出来る限り平静な声で諭す。呪術封印呪文(マホトーン)を必死に唱え続ける少女を、カンダタは険しい表情で見詰めた。

 半分といえどエルフの血で視る双方の魔力の輝き、大きさ、質。そしてその違いを。

 アステルの魔力が低いわけでも、その呪文を扱うには実力不足なわけでもない。

 スレイの魔力が桁外れなのだ。

 そして今もまだ高まり続ける魔力が、彼女の呪文を(ことごと)く弾いているのだ。

 

 「あーーーっ!! だったらもう、いっそ気絶させてしもうたらどうや?! タイガなら上手い事出来るやろ!?」

 「無駄だ」

 

 シェリルの提案に、カンダタは首を横に振った。

 

 「やりもせんと否定すんなや!!」

 「気絶で済む話なら、とっくの昔に俺がどついてやってるっ!!!」

 

 (わめ)くシェリルに、苛立たしげに声を張り上げるカンダタ。

 

 「どういう事だ?」

 

 問い掛けるタイガの冷静な声音に、カンダタは肩を怒らせながらも声低く説明する。

 

 「……今のスレイは既に我を失ってる。体が動いた状態で気絶してるようなもんだ。急所を突いて体の自由を奪ったとして。スレイから引き離されたシュウは助かるだろうが、スレイのあの魔力はあいつが息してる限り垂れ流れた状態のままだ。

 それじゃなんの解決にもならん」

 

 「? ちょっと待ってくれ。今放出してるのが魔力として、理力? はどうなる? 呪文使う時の源は理力だろう?」

 

 理解が追い付かず、タイガが手を上げる。

 

 「あ~~っ! 取り合えず今は魔力と理力は別物だと思っておけ」

 

 カンダタはがしがしと頭を掻く。

 

 「魔力の放出には別に理力だけを必要とするわけじゃねぇ。それが無くなったら別のもので補えばいい」

 

 「……別のもの?」とシェリル。

 

 「生命(いのち)だよ。だが普通は意識下で行えるもんじゃねぇ。そんな芸当が出来るとしたら賢者って呼ばれる奴等か、頭が真っ白になるくらい追い詰められた時ぐらいだろうよ」

 

 タイガとシェリルは瞠目する。

 

 (────そういや……)

 

 と、シェリルはエルフの里での一件を思い出した。地底湖の洞窟でアステルが限界以上の魔力を発揮した末、起き上がれない程疲弊した事を。

 

 「それだけじゃねぇ。これだけの冷気だ。スレイの体に負担がかかってねえ訳がねえ。なんとかしてスレイを止めねぇと。頼りは嬢ちゃんのあの呪文なんだが……」

 

 恐らくは止められない。奇跡でも起こらない限り。

 

 (その奇跡に頼るしかねぇ!)

 

 カンダタはギリッと歯を食い縛った。

 

 ───だが。

   

 「マホトー……」

 

 何度目かのマホトーンでアステルは顔を上げ、青ざめた。

 

 理力が、底突いた。

 

 「そんな……っ!」

 

 相変わらずスレイの表情は凍ったまま、こちらを見ない。彼が掴んでいるシュウも低体温に陥り、抵抗する力も無くしたのか、ぴくぴくと体を痙攣させている。

 

 「やだ……もう止めて。殺しちゃうよ」

 

 凍傷を確かめた後、手袋をはめ直さなかった手は先程以上に腫れ上がり、皮膚が裂けて血が滲んでいる。その手でアステルは必死にスレイの凍えた体を揺する。

 

 「このままじゃ死んじゃうよ!! スレイも死んじゃうよっ!!!」

 

 大きな青い瞳から溢れる涙は、赤い頬を滑り落ちる前に凍てつき、氷った。

 

 

 「こっち見てよ!! スレイっ!!」

 

 

 

 

 ───万事休す。そう思われた。その時。

 

 軽い足音。

 

 それはどんどん大きくなり、こちらに近付く。

  

 階下への階段から桃色の影が飛び出し、

  

 黄金の巻き毛を靡かせて、手にある杖を振りかざした。

  

 

 「アステルをぉ~~っ! 泣っかせるなぁ~~っ!!!」

 

 張り詰めた空気を切り裂くような、力強く明るい声とスレイの頭を杖の先端で打った音が空間に高く響き渡った。

 

 同時に杖の骸骨が吐き出した怪しい霧が辺りに充満する。

 

 「なんだ!? この霧はっ! 今度はなんだ!?」

 

 視界を遮られ当惑するカンダタ。

 

 「この紫の霧は……!」

 

 シェリルは霧を取り払おうと手うちわで扇ぐ。

 

 やがて霧が晴れ見えたのは、床に倒れているシュウ。崩折れてきたスレイを抱き止めて膝をつくアステル。

 そしてその彼女の近くにいるのは。

 手にある魔封じの杖で床を突き、もう片方の手は腰に当てて仁王立ちをし、紅玉髄(カーネリアン)の瞳を煌々とさせて小さな鼻の穴からふんっと息を漏らした……

 

 「「マァムっ!」」

 

 シェリルとタイガの声が綺麗に揃う。

 

 「……マァム?」

 

 しゃくりあげながらアステルは目の前に立つマァムを見上げた。

 

 「スレイでもぉぅ! アステルをぉ泣かせる奴はぁ許さないだからねぇ!!」

 

 その言葉にアステルはくしゃりと顔を歪ませて、彼女の首っ玉にしがみついた。

 

 「マァムぅ~~~っ!!!」

 

 ぼてっとスレイを床に落として。

 

 「アステルぅ~~! べぇホぉイミぃ~~!」

 

 抱き合いながら、マァムはアステルに中等治癒呪文をかける。暖かい白い光がアステルの凍え傷ついた体を癒した。

 

 「ありがとう、マァム」

 「へへへぇ~~~」

 

 はにかむマァムから離れて、足元に転がるスレイに気付き、アステルは再び青ざめた。

 

 「ご、ごめんスレイっ!!」

 

 アステルが慌ててしゃがみこみ、彼の銀色の頭に触れると大きなタンコブが出来ていた。失神しているものの魔力の暴走は治まり、ちゃんと体温を感じる。

 もう冷たくない。

 彼のぬくもりにアステルは安堵の涙を溢した。シェリルも近付き、魔法のそろばんでつんつんとスレイの体をつつく。……本当に異常は治まったようだ。

 

 (マァムの使(つこ)うたんは呪術封印呪文(マホトーン)の効果のある魔封じの杖。そいつで思いっきり殴られて気絶。ついでに魔封じの霧で魔力の暴走も治まった……と)

 

 ふむ。とひとつ首肯き、スレイの扱いに顔を引きつらせる男二人に振り返り尋ねた。

 

 「これって杖の魔法効果のお陰や思う? それとも物理効果?」

 「……両方じゃないのか?」

 

 カンダタは深く深く溜め息を吐き、タイガが苦笑って答えた ───と。

 

 

 「ぐうっ……」

 

 その呻き声に、緩んだ空気が再び張り詰めた。

 あれだけの怪我を負ってもなお、片手を伸ばし、立ち上がろうと足掻くシュウの姿に誰もが息を呑んだ。

 

 「また、まただ……」

 

 ぼそぼそと呟く声は小さくか細い。

 

 「お前はまた俺を追い詰める……お前はまた! ……聞けっ! 勇者アステルっ!」

 

 いきなり名指しされ、アステルはびくんっと肩を竦めた。

 

 「そいつはお前の仇も同然だ! なぜならそいつは……ぐっ!!」

 

 と、話の途中でシュウは胸を押え、頭を掻きむしり苦しみだす。

 

 「な、なんや!?」

 「近付くなっ!」

 

 呻く男の様子を覗こうと一歩前に出たシェリルの手を、カンダタが掴んで引き戻した。

 

 「グハアアアアっ!!!」

 

 絶叫と共に目から口から耳からと、体の穴という穴から大量の黒い靄が溢れだす。そしてその体は風船が空気を漏らすように急速に縮んでいく。その場にいる者達は驚愕のあまり、ただただその様子を見ている事しか出来なかった。 

 やがて全ての靄が体から出ていき、残ったのは。片腕を無くしたひょろりとしたノッポの男が一人。

 

 男は力なく再び地に伏せた。

 

 「……シュウだ」

 

 カンダタ子分のひとりが気の抜けた声でぽつりと呟く。

 恐らくこの姿が本来の彼なんだろう。

 黒い靄は人間達の頭上でぐるぐるぐるぐると渦巻き、一瞬で背中に巨大な蝙蝠の羽を生やした獅子の形へと変じた。

 

 「ガアアアアアア………っ!!!!」

 

 黒獅子の咆哮は洞窟全体に轟き、そこに立っている者達全てを震撼させた。

 人間同士の戦いを遠くから覗き見していたこの洞窟に住み着く魔物達は、慌ててその場を離れ、身を潜める。カンダタ子分や人攫いの甲冑盗賊は巨大な魔物を前に戦意を失い、武器を落とし、腰を抜かす。

 シェリル達もまた、背の翼をはためかす黒獅子の圧倒的な力と邪気をその身に受け、武器を取り落とさずに立っているのがやっとだった。

 しかし黒獅子は、彼女達には見向きもせず、(くれない)に輝く目は気を失っているスレイを捉えた。咆哮をあげて彼に飛び掛かる。獅子の狙いに逸早く気付いたアステルは、咄嗟に横たわるスレイを覆い被さるように抱き締めた。

 彼の服を掴み、胸の上でアステルは来るであろう衝撃を覚悟し、固く目を閉じる。

 

 「「「アステル!! スレイっ!!!」」」

 

 シェリルは、タイガは、カンダタは。

 武器を、拳を握りしめ床を蹴って……踏みとどまった。三人の目に飛び込んできた光景に驚愕し言葉を失う。 

 彼女達に触れる一歩手前で、黒獅子が何かに大きく弾かれたのだ。

 黒獅子は空中で一回転し、唸り声を上げ再び二人を襲う。が、まるで二人の周りに透明で堅固な壁でもあるかのように黒獅子の侵入を防いでいる。

 体当たりを何度か繰り返して、突然黒獅子はなにもない天井を見上げた。

 その格好のまま暫く低く唸っていたが、やがてグルゥ……と不満げな声を漏らし、姿を黒い靄に戻した。

 

 靄は人の頭上を走り抜けて、そして、去った。

  

 

 

 押し潰されそうな空気が完全に消えた。

 

 金縛りが解けたように、シェリルはよろけ、詰めていた息を思いっきり吐いた。そして肺一杯に空気を吸い込む。それを繰り返してなんとか平静を取り戻した。魔法のそろばんを握っていた手は汗で濡れ、今もかすかに震えている。

 密かに手を服で拭いながら周囲を見渡して危険がないか確認する。敵だった大男は萎んでしまい、その手下だった甲冑達は完全に戦意を失っている。

 今更ながら気付いたのだろう。

 自分達がついていた存在の巨大さ、邪悪さ、恐ろしさを。 

 シェリルは軽く息を吐き二人に近付く。今だスレイの上で固まっているアステルの頭に手を伸ばした。

 

 「アステル~~。黒い化けもんはもうおらへんで」

 「え?」

 

 ポンポンと頭を軽く叩かれ、アステルは瞳を開いて、がばっと体を起こす。アステルは辺りを見回し、しゃがんでこちらを見ている彼女と目が合う。

 シェリルは白い歯をみせて、にかっと笑った。

 

 「まさか本当に魔物……いや、魔族も一枚噛んでたとはな」

 「ああ」

 

 カンダタが疲れた声でぼやき、タイガがそれに答えた。カンダタは頭を掻きなら、溜め息を吐く。

 

 「……まあ、いつまでもここにいても仕方ない。

取り敢えずは撤収とするか。

 おいっ! てめえらいつまで腑抜けてやがる! それでもカンダタ盗賊団員かっ!!」

 

 『へっ、へいっ!!』

 

 カンダタの一喝で、へたり込んでいた子分達は慌てて立ち上がる。

 

 「人攫いどもを縛り上げろ! あと地下には拐われた娘達がいるはずだ! 救助に向かうぞ! 分担して取り掛かれ!!」

 

 『へいっ!』

 

 綺麗に揃って返事をし、子分達は素早く作業に取り掛かった。

 

 「あ、ウチも地下に行く」

 

 地下へ向かおうとするカンダタと子分数名の元へシェリルが駆け寄ると、カンダタが目を丸くした。

 

 「あ、あんたらだけやったら、人攫いと勘違いされかねへんからな。親父もおるやろうし、仕方なくや!」

 

 そう言ってそっぽ向くシェリルに、カンダタは数回瞬きをし、それから声を上げて笑った。

 

 「笑うなっ!!!」

 

 シェリルとカンダタのやり取りを目を細めて見ていたタイガの腕に、ポスンっという軽く柔らかい感じ馴れた感触が伝わる。ずるりと前に倒れそうなその細い肩を支えてやると、彼女はそのままタイガの方へもたれ掛かる。

 体重の掛け方に彼女が疲れきっている事が伝わり、タイガは眉を顰めた。

 

 「やっぱり、さっきアステルとスレイを助けたのは君か。マァム=ノーラン」

 

 タイガの言葉に、深紅の瞳のマァムはこくりと頷いた。あの時急に姿を消したのは、見えない所でもう一人のマァムと入れ替わり、その力を行使する為だったのだろう。

 

 「その前のスレイを元に戻したのも?」

 

 こくんと頷く。

 

 「あと、牢屋、から、出る、時、も〈あたし〉に、気付かれ、ないよう、に。最後のは、交代、しないと、流石に、無理」

 「頑張ってくれたんだな。ありがとう」

 

 うとうとと、今にも眠りそうな少女に微笑むと、彼女は肩にかかるタイガの手を握る。

 

 「理力、使い過ぎた。それに、聖力は、元々〈あたし〉の、担当。〈わたし〉苦手。だから、〈わたし〉は、魔力を、担当、してる」

 

 片言でゆっくりと話す暗い瞳のマァムは、溜め息を吐く。元々喋るのは苦手そうだったが、これは相当消耗しているからだろう。

 

 「……大丈夫か?」

 「眠、れば、治る。……大丈夫」

 

 表情を曇らせて尋ねるタイガにマァムは瞳を見開き、それからうつむいて首肯く。

 

 「……けど。この、ままじゃ、いけない。〈あたし〉は、今の、ままじゃ、守れない。笑顔、守れても、生命、守れない」

 

 かくんと膝を折れる。タイガは素早くその膝裏に腕を通してマァムを持ち上げた。

 

 「ダーマ……悟りの……書」

 

 目蓋がゆっくりと閉じられ、静かな寝息が聞こえ始めた。

 

 

 「あれ? マァムも寝ちゃった?」

 

 眠るスレイに自らの外套をかけるアステルの元に、マァムを横抱きしたタイガが歩み寄る。

 

 「元気に振る舞ってたけど、本当は疲れてたんだろう。俺達の知らない所で呪文とか使ってただろうしな」

 

 そう言って、マァムを抱いたままアステルの隣に胡座をかく。

 

 「うん。色々あったしね」

 

 アステルは頷き、スレイへと視線を移す。

 

 (本当に、色々あった)

 

 人攫いを捕縛し、拐われたマァムを、エルトンを、バハラタの人々を救出する。カルロスとサブリナの呪いの真相を調べる。

 

 (それが当初の目的だった……のに)

 

 まさかのカンダタとの再会。父オルテガの仲間、勇者サイモンの祖国サマンオサの黒い噂。人攫いの主謀はカンダタとスレイの元仲間で、彼らに強い怨みを抱く者だった。

 

 人間が操る人型の魔物。

 

 人間を強化させるだけじゃなく、見た目も変えてしまう黒い靄。……黒獅子。

 

 そして……スレイの魔力暴走。

 

 『聞けっ! 勇者アステルっ!!』

 

 『そいつはお前の仇も同然だ! なぜならそいつは……』

 

 (あれは一体どういう意味なんだろう……)

  

 アステルはそっと、スレイの頭を撫でる。 

 

 怨讐の籠った男の叫びがまるで呪いのように、いつまでも耳から離れなかった。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 アステル達の前から飛び去った黒い靄は、洞窟から飛び出し、空高く昇ると、夕日を背景に再び背中に蝙蝠羽の生えた黒獅子の姿に具現化する。

 ぶるるっと体を振るわすと黒い靄が硬質化して、獅子の体を覆う黒い殻となり、パリパリと剥がれ落ちた。

 そこから現れたのは灰色の毛皮。

 鬣と尾の先は真紅。脇腹から左右に更に二本、足が生え合計六本に。一際大きくなった翼を羽ばたかせ、体に残る黒い殻を払い飛ばした。

 開いた眼は紅から紫色を帯びた暗い青へと変化する。

 

 「───ラゴンヌ」

 

 そう名を呼ばれた獅子が振り返ると、そこには空中に浮かぶ一人の男。フードから覗く整った顔。常に微笑んでいるような糸目は金色。

 紅蓮のローブを風にはためかせて、男は獅子に近寄った。

 

 「デビルウィザード」

 

 獅子の口は言葉を紡ぐ。

 

 「……なぜ、止めた。我の闇を与えれば間違いなくあの者は堕ちていた。我を拒む聖なる幕も、あと数回の衝撃で破れた」

 

 不機嫌な獅子……ラゴンヌに、デビルウィザードは眉を下げ困ったように微笑んだ。

 

 「まだ、その時期ではないのですよ。それに我々が必要以上に目立つ動きをすれば、あの者の管理を任じられている彼も気分が悪いでしょう?」

 「……あやつは、みすみすあの者を取り逃がして行方を未だ掴めておらぬぞ」

 「それを言いますか。あの者の関係者に取り憑いておきながら……貴方も人が悪い。いや、獅子が悪い?」

 

 クックックッと笑うデビルウィザードに、ラゴンヌはふいっと顔を背ける。

 

 「……たまたまだ。そもそも、あやつが宛がったのだ。強い羨望と怨みの籠った魂だと。だがその矛先の相手がまさか《器》だったとは」

 

 ───《器》。

 

 その言葉にデビルウィザードの目が鈍く輝く。

 

 「兎に角。ラゴンヌ、今暫くはこの事は彼にも内密に」

 

 「何故だ?」

 

 ラゴンヌは目を眇める。

 

 「ついさっき貴方もぼやいたではありませんか。彼の職務怠慢さを。そんなに捕まえたくば、自ら見つけ出せばいい。………それに」

 

 デビルウィザードはニッコリと微笑む。

 

 「貴方が心配せずとも時期がくれば、あの者自身が《深淵》へとやって来ますよ。

 ……《器》はその《持ち主》の手から逃れられない。その繋がりを断ち切る事など、決して出来ないのですから」

 

 それを羨むように恍惚と言うデビルウィザードに、「グルゥ……」とラゴンヌは溜め息が入り交じった声で唸った。

  

 「……それよりも。どうです? ここはあちらと違って豊富な種類の負の感情があるでしょう?」

 

 「……うむ」と、頷くラゴンヌ。

 

 「あちらでは最早、絶望か怠惰ぐらいしか味わえぬからな。不味くはないが飽きが来る。先程喰らったのもなかなかの美味だったぞ。憎悪に隠れた憧憬と嫉妬。……流石は《光在る世界》だな。そこから出づる影も様々だ」

 

 満足げに語るラゴンヌに、デビルウィザードはフフッと笑う。

 

 「では我はあちらに戻るとしよう」

 「もう?」

 「充分満喫できた。それに長い時間あれから目を離すのは、気が気でない。……忌々しい事にな」

 

 「………御苦労様です」

 

 労いの言葉に獅子はフンッと失笑する。翼を悠然と羽ばたかせ、上昇するラゴンヌを見上げるデビルウィザード。

 方向を定めると、獅子はあっという間に黄昏の空に消えた。

 

 やがて山岳を茜に染めていた夕陽が海へと沈む。世界は紫、紺青そして、黒に覆われる。

 

 

 

 ………魔の者達の時間が訪れる。

 

 

 






前々回の『殺人鬼』もそうでしたが、全年齢対応小説を目指している上で、残酷欠損描写をどこまで表現出来るか、どこまでがセーフ範囲かを考えさせられる回でした。
筆者もあまり平気な方ではない為、持っている公式ドラクエ小説を参考にしながら書きました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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夢①

 

 

 

 ───走れ。止まるな。振り返るな。

 

 そう、自分に強く言い聞かせながら子供は足を動かす。

 

 頬に小枝が当り、闇の森を飛び交う羽虫が当たる。

 

 涙で濡れた頬に虫はへばりつきもがく。それを乱暴に拭って、走る。

 

 泥に足を取られ、転びそうになりながらも、持ちこたえ、再び走り出す。

 

 

 先の見えない闇をひたすら走る。

 

 走る。

 

 走る。

 

 何処まで? 何処まで逃げればいい?

  

 何時まで? 何時まで逃げ続ければいい? 

 

 どうして? 何故逃げなければならない? 

 

 自分は何一つ悪い事などしていないのに。 

 

 自分は、なにも。

 

 

 ……そう、なにも、出来なかった。

 

 

 そうして、生き延びた事。

 

 それこそが罪なのか。

 

 

 『世界と勇者を裏切った大罪人』

 

 

 ───子供は大人になっていた。

 

 その場に跪き、耳を強く塞ぎ、固く瞼を閉じた。

 

 

 暫くそうしていると、ふいに頭を優しく撫でる手の感触に気付く。

 

 慌てて瞼を上げ、体を起こす。辺りを見渡すが誰もいない。

 

 しかし、その見えない手はいたわるように頭を撫で続けていた。

 

 不思議と不快や恐怖は感じない。

 

 強張っていた体の力を抜き、零れそうになる涙を堪えるように再び瞼を閉じ、

 

 

 その手がもたらす安らぎに身を委ねた。

 

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 「───あ、気が付いた? スレイ」

 

 自分を見下ろす位置にあるサークレットをしていないアステルの顔に、スレイは思わず固まった。

 そして、自分の頭を撫でてる手が彼女のもので、枕にしているのが彼女の太股だとわかると、バッと体を起こす。

 

 「くっ………!?」

 

 途端、頭に鈍い痛みが襲う。それに加え酷い倦怠感。ついでに自身の姿も確認すると身に付けていたはずの革の鎧や黒装束、グローブ、ブーツ、武器が収納されている革ベルトも全て外され、黒のインナーとズボン姿だった。

 

 「こ、こは……?」

 

 なんとか頭を上げ、スレイは辺りを見回す。

 どこかの邸宅の一室のようだ。置かれている家具は飾り気はないがどれも質が良く、そんなテーブルの上に飾られている花が少し萎れているのが不自然だった。

 なにがどうなってこの場所にいて、あろうことかアステルに膝枕などされる状況に至ったのか全くわからない。経験した事のない事態に、スレイは混乱していた。

 答えを求め同じソファーに腰掛けているアステルを見た。彼女も旅装ではなく、今は白のブラウスにズボン姿だ。

 アステルはきょとんとし、それから「ぷふーーっ!」と盛大に吹き出した。

 

 「あ、アステル……っ?」

 「スレイ……今の顔、情けなっ、おかし、……ぷふっ! ……だ、だめ、アハハハハッ!」

 

 しまいには腹を抱えて笑い出してしまった。そんな彼女にスレイは額に青筋をたてて、口許をひくつかせる。

 説明をろくにせず、人の顔見て笑い出す奴があるか。

 

 「アステ……っ!」

 

 怒鳴ろうとするも、再び襲った頭痛にスレイは頭を押さえた。

 

 「ごめん。マァムも近くで寝てるのに私ったら……」

 

 アステルは笑いを収め、そんな彼の頭に触れる。

 

 「………いつものスレイだ」

 

 静かにそう言ってスレイの頭を優しく撫でた。彼が目を上げると、先程まであんなにバカ笑いしていたのに、今は泣き出しそうな微笑をこちらに向けている。やめろとその手を払いたいのに、何故だかそれが出来ない。………してはいけない気する。

 騒ぎ出す己の胸に戸惑い、スレイは瑠璃色の瞳から視線を逸らした。

 

 「ここはタニアさんの家だよ。ちゃんと説明するから、取り合えず横になって。座ってるのも辛いんでしょ?」

 

 アステルはソファーから立ち上がると、スレイの体を横に倒し、備え付けのクッションを彼の頭の下に手早く敷いた。

 そして自分は、少し離れた位置にある椅子をソファーの近くまで持って来て、そこに腰かけた。

 

 「頭痛いでしょ? マァムが杖で打った所は、シスターが治癒呪文でちゃんと治してくれたから、その痛みの原因は魔力暴走の影響だと思う」

 「……マァムが打った? 魔力暴走?」

 「スレイ。どこまで覚えてる?」

 「どこまでって、……洞窟で人攫いと戦闘になって、それから……」

 

 『……世界と勇者を裏切った大罪人……』

 

 思い出した言葉にスレイは肩をビクンッとすくませた。しかし、そこから先がぽっかりと抜け落ちている。

 次に思い出すのはさっきのやり取りだ。

 額に手を当て黙りこむスレイの様子を、窺うように眺めたアステルは口を開く。

 

 「そこから先は覚えてない……?」

 

 スレイは黙って頷いた。

 

 「その後、スレイは魔力暴走を起こしたの」

 

 スレイは眉間に皺を寄せる。

 

 「オレは魔力を持ってるが、暴走させる程のものなんか持ってないぞ?」

 

 疑いの目を向けるスレイに、アステルは首を横に振った。

 

 「スレイが気付いてないだけ。けど、スレイは呪文を知らないから、その魔力を冷気として顕現させて放出したの」

 

 信じられず再び否定の言葉が出そうになるが、やめた。彼女の眼差しが事実である事を物語っている。

 

 「……じゃあ、人攫いは? 直前まで戦ってた首領の男はどうしたんだ?」

 

 尋ねられて、アステルは思わず口ごもる。言い辛そうなその様子を察して、スレイが口を開く。

 

 「オレが、殺したのか?」

 

 それを聞いたアステルは、首がもげそうな勢いで頭を横に振った。

 

 「しっ、死んでない! ………酷い怪我してるけど、大丈夫とは言えないけど、それでも生きてるから!」

 

 それを聞いたスレイは、我知らず息を吐く。

 

 「そうじゃなくて。スレイが倒したって、言っていいのかどうか……」

 

 アステルは語った。

 

 暴走したスレイは人攫いの首領シュウの右腕を奪い、殺してしまう一歩手前で、マァムと彼女が持つ魔封じの杖によって食い止められた事。その後に起きた異変。シュウから飛び出した黒い靄。

 倒れるシュウ。その靄が巨大な獅子の魔物になり、スレイに襲いかかるも、結局なにもせず消えてしまった事。

 

 「……シェリルの話では、黒い魔物は私達を襲ったんだけど、なにか壁みたいなものに防がれて手が出せなかった……とか」

 

 「……私達……?」

 

 スレイの剣呑な目付きにアステルはギクリとする。あの時、思わず武器を放り出してスレイを庇った。スレイがこの事を知れば絶対に。

 

 (………間違いなく叱られる)

 

 「で、その後は拐われた人を見つけて合流したの!」

 

 内心汗だらたらで、アステルは話の方向を元に戻した。スレイの訝しげな目は無視する。

 

 「その中に教会のシスターもいて、怪我人は全員シスターの治癒呪文で治してもらったの。……人攫いの首領も。だから、大丈夫」

 「……そうか」

 「洞窟の魔物達はあの巨大な魔物に怯えたせいか、全然出てこなくて無事に脱出出来たんだけど、

 

 今度はそこから街までがね………

 

 

*  *  *  *  *  *

 

 

 「アステル嬢ちゃんはスレイを連れて瞬間移動呪文(ルーラ)で先に町に戻ってくんねぇか?」

 

 カンダタは言った。

 

 洞窟を出た頃には、外はとっぷりと暮れていた。誘拐された上に、慣れない洞窟の移動に疲れ果てた町娘達の為に、しばし休息を取ることにした。少し広まった場所で火を起こして、今後の計画をたてる一行。

 娘達とグプタ、エルトンはアステル達とカンダタ達が持つキメラの翼で町に戻ってもらうとして、捕まえた盗賊団はそうはいかない。

 キメラの翼を使ったとしても、彼らは素直に同じ行き先のイメージなどしないだろう。そしてその首領も未だ目覚めていない。そうなると徒歩と馬を使って町に戻るしかないのだ。その道中魔物が襲って来ないわけがない。アステルはその護送に付き合うつもりでいたのだが、突然のカンダタの言葉に彼女は首を傾げる。

 カンダタは彼女の傍らで眠るスレイの頭を軽く小突いた。

 

 「……もうないとは思うが。暴走のきっかけがシュウなら、こいつが目覚めた時、奴は近くにいない方がいい」

 

 「あ………」

 

 シュウは馬車の中にいて、シスターが治療を続けている。もちろん見張り付きでだ。

 カンダタはおもむろに懐を探って取り出した物を、アステルに手渡した。

 

 「これ……指輪……?」

 

 金の土台に丸い青玉が填まった簡素な指輪。エルトンとシェリル商人父娘が興味津々でアステルの手を覗きこむ。

 

 「祈りの指輪やな……! こいつの製法はエルフ族にしか伝わっとらん。指にはめて祈ると失われた理力が回復すると云われとる」

 「ごっつ珍しいで! それ!」

 「説明ありがとよ。お二人さん」

 

 カンダタは薄く笑い、そしてアステルを見た。

 

 「あの洞窟で理力が底突いたんだろ? そいつを使え。運が悪けりゃ一回で壊れちまうが、良けりゃ何回でも使える。………で、どうだ? やれそうか?」

 

 アステルは拳を口に当てて考え込み、そして顔を上げた。

 

 「意識を失ってる人を運んだ事はないけど………人数を制限したらいけると思う」

 「マァムも一緒にいけるか?」

 

 タイガの問いにアステルは頷く。

 

 「なら、俺はカンダタ達と一緒に護送に回るとしよう」

 

 「ほんならウチも」

 

 シェリルも護送組に立候補し、それにエルトンが慌てふためいた。

 

 「シェリル! なに言うとんのやっ!!」

 「なにって。護送やねんから戦える人間は多い方がええやろ? 親父はキメラの翼で先に町に戻ったらええで」

 「アホかッ! こんな狼がうじゃうじゃおる中に娘を放り出せる父親がどこにおるっ!! 絶対にあかんっ!! 許さへんでっ!!!」

 

 (((((狼………)))))

 

 それを聞いてシェリルは半眼になり、アステルは目をぱちくりとし、タイガは苦笑し、カンダタは溜め息を吐く。

 

 「……お嬢様。あんた親父さんと先にキメラの翼で町に戻れや」

 

 見るからに迷惑そうなカンダタの態度に、シェリルはカチンときた。

 

 「なんでお前の言う通りにせなあかんねん。ウチは仲間のタイガを一人にするんが嫌なんや。あとお嬢様言うなっ!」

 

 「俺は別に大丈ぉ……──」

 

 タイガの口をぱしぃぃんっと音をたててシェリルの手が塞ぐ。(……痛そう)と、アステルは思った。

 

 「それに今更やろ。ここに来るまで、アステルもウチもずーっとこいつらと一緒におったんやで」

 「せやかてこれからも無事やとは限らんやろっ! 兎に角許さんっ!! どうしてもゆうんやったら、ワシも一緒に残るっ!!」

 

 その発言にシェリルは「えーーーっ」と不平の声を上げる。彼女の手が離れ、タイガが赤く手形のくっきりついた口元を開く。

 

 「だけど、親父さん……」

 「心配御無用や。ワシも戦える。それともなんや? ワシがおったらなんや都合悪いんか?」

 「……いや。それなら心強い……です」

 

 ずずいっと前に出て顎を上げてねめつけるエルトンに、タイガは両手を前に苦笑を浮かべて背中を反らす。カンダタは米神に手を当ててもう一度長い溜め息を吐いた。

 

 「いちいち溜め息吐くなやっ!!」

 「吐かずにいられるかっ!!」 

 

 四人のやり取りにタニア、グプタをはじめ、拐われた恐怖と緊張で固まっていた娘達の表情も綻んだ。

 

 「楽しそうですね」

 「シスター」

 

 いつの間にか馬車から降りてきたシスターは、アステルの隣に座る。

 

 「わたくしも護送される方と一緒に町に戻ります。怪我人の回復役が必要でしょうから」

 

 そう言ってにっこりと微笑んだ。

 

 

* * * * * *

 

 

 ……で。私達は一足先にバハラタに戻ってこれたの。

 

 宿屋に行こうとしたんだけど、タニアさんが『うちに来ればいい』って言ってくれてお言葉に甘えたの。シェリルやカンダタさん達は洞窟の入り口の前で一晩明かしてバハラタに向かうって言ってたから、到着するのは早くて明日の昼過ぎかな」

 

 「マァムは?」

 

 「そこの衝立の向こう側にあるベッドで寝てる」

 

 そういってアステルは部屋の奥に立つ木製の衝立に視線を向けた。

 

 「……タニアさん、家が目茶苦茶にされてた事忘れてたらしくて。二階の無事だった部屋を使わせてもらってるの。狭くてごめんなさいって謝られたけど、私からしたら広くて綺麗だし。けど、ベッドが一つしかなくて。

 結構大きいからマァムと一緒にスレイを……」

 

 「やめろ」

 

 スレイは思わず低い声が出てしまう。アステルはぴっとすくんだ。

 

 「う、うん。タニアさんとグプタさんにも止められた……けど、そうなるとソファーしかなくて……」

 「それで充分だ」

 

 呆れとも安堵ともいえない溜め息をこぼすと、ふと思い当たる。

 

 「まさか、それであんな事したのか?」

 「あんな?」

 「…………………膝枕」

 

 頭を傾げるアステルに、スレイは酷く言いにくそうにぼそりと口にする。

 

 「あ、うん。寝苦しそうだったから、枕が低いのかなぁ……って」

 「………枕に拘るような体質じゃない。そんな奴が野宿なんて出来るか」

 「でも、その後眉間のシワが取れて、寝息が穏やかになったよ?」

 「……………………」

 

 (…………やめよう)

 

 これ以上話を掘り下げたら墓穴を掘る事になる気がする。黙る事で話を打ち切ったスレイは、飾棚の上に置かれている重厚な時計に目をやった。

 

 針は夜半を指している。

 

 「アステル。オレはもう大丈夫だから、マァムの所で横になれ」

 「え? でも……」

 「気づいてないだろうが、おまえ顔色が悪いぞ。少しでも休んだ方がいい」

 

 「え、」とアステルは自らの頬に手を当てる。話を聞く限り、彼女は理力を使い果たしたようだし、祈りの指輪を使って少しは回復してたとしても、初めて気を失った人間を二人も連れてルーラを行使した。

 いつも以上に神経を使って疲れているはずだ。

 

 (なのに、オレの看病なんかして……)

 

 アステルがなにか言う前に「おやすみ」とスレイは彼女に背を向ける。後ろで戸惑うアステルの気配を感じ取るも、無視を決め込む。

 やがて彼女は溜め息混じりに「なにかあったら声かけてね」と言い置き、椅子から立ち上がった。

 部屋の明かりが落とされ、彼女の気配が遠退く。暫く経ってから、スレイは仰向けになり、額に右腕を乗せてうっすらと瞳を開いた。

 

 (……そう。アステルは理力を使い果たしていたんだ)

 

 自分が意識があった時にはまだまだ余裕があったというのに。彼女はまたなにか無茶をしたのだろう。そして、そうさせたのはおそらく暴走したという……自分。

 己に対して舌打ちしたくなるのを、スレイはぐっと堪えた。アステルに聞こえてしまう。

 

 (……それに……)

 

 あいつは。………シュウは。オレが意識を飛ばしている間に、彼女や他の皆になにか言ったのだろうか。

 気にはなるが、聞くのは躊躇われた。余計な事を聞いて、逆に問い質されるような事態を招くのは避けたかった。

 

 (……たとえ話せなくとも、嘘だけは吐きたくはない)

 

 ガイアの剣を求めて彼女達と旅をしている以上、いずれは明かさなければならない時が来るだろう。

 

 (………けど、それまでは。今はまだ……)

 

 

 スレイは固く瞼を閉じた。

 

 

 



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夢②

 

 

 ────少女が走る。

 

 訓練の時は常に結い上げて飾り気のない革紐で結んでいる髪は、今は下ろされ風に靡く。背中まで伸びた少々癖のある黒髪は父譲りだ。

 正直言うと髪は母のような真っ直ぐで柔らかな髪が良かったのだが、そう言うと大好きな父が『すまん~っ!』と泣き出したので、それ以来言っていない。

 その父がこの世からいなくなった、その後も。

 髪のサイドの一房を三つ編みにし、飾る真珠色のリボンもまた、父が旅先で買ってきてくれたお気に入りのもの。久し振りにスカートを履いて、心も息も弾ませて駆ける。

 会いたいのは小さい頃からの友達の女の子。

 名はアニーといった。 

 アリアハンでは珍しい赤毛を三つ編みにしていた。色白の肌は陽の光に弱く、唾の広い帽子を深々と被り、鼻の頭に散らばるそばかすをいつも気にしていた。

 アニーの父親と、少女の父は王国兵団時代の同期で、親友で。その子供であるアニーと少女もまた親友となるのも自然の流れだった。

 アニーはとても気が弱く大人しい、けれどとても優しい子で、少女ととても仲が良かった。少女の父の訃報に、泣けない少女の分まで泣いて、瞼を腫らしてくれたそんな子だった。

 少女はアニーが大好きだった。

 けれど。

 父が死に、その父の後を継ぎ、少女が勇者になると決めてから、剣術の稽古やら、呪文の勉強やらでアニーと遊ぶ機会はめっきり減ってしまった。

 そんなある日。剣術の師である祖父が用事で出掛け、その日の稽古は休みとなった。

 

 『久し振りに羽を伸ばしたら?』

 

 そう言う母に、少女は大きく頷いた。

 アニーの家を訪ねると彼女の母親が、公園にいると少女に告げた。

 

 『あの子、あなたに会いたがってたの!きっと喜ぶわ』

 

 頬笑む母親に少女は礼を言い、ペコリと頭を下げると、再び住み慣れた街並を駆け出す。

 少女が公園に辿り着くと、アニーは公園の花壇の前で別の女の子達とお喋りに興じていた。少女は一瞬躊躇うも、友の周りにいる女の子達も知らぬ顔ではない。

 声を掛けようと口を開いた、その時。

 

 『あの子も薄情だよねぇ~!』

 

 アニーを囲む女の子の一人がおもむろに声高にそう言い、少女は足を止めた。

 

 『だって、そうでしょ?』

 『次期勇者だとか言われて、大人達にちやほやされて、あんたの事は放ったらかし。あたし達がいなかったら、あんたずぅ~と一人っきりだったのよ? 酷いよねぇ』

 『でもさぁ。皆あの子のお父さんの事、勇者だ、英雄だって騒ぐけど結局なぁんにもしてないじゃない?』

 『だよね~~』

 『知ってる? そういうのって犬死にっていうんだって! お父様が言ってたわ!』

 

 ───犬死に。意味のない死。

 

 少女はその言葉を知っていた。父の葬儀中、数々の功績を褒め称え、早すぎる死を惜しむ人々の一方、影でそう囁く大人達がいる事を、少女は知っていた。

 甲高い笑い声が、公園の遊具で遊ぶ他の子供達のはしゃぎ声を掻き消すほど、少女の耳にはっきりと響く。

 

 『あんたもそう思うでしょ?』

 『え?』

 『ねえ?』

 

 表情を覗きこむように再度尋ねられて、アニーは肩をすぼめる。俯き、目深に被られた帽子で少女からはアニーの表情はわからない。

 少女は固唾をのんで見守る。

 お願い。否定して。そう、祈りながら。

 

 『……う、……うん』

 

 あの日泣いてくれた友は、か細い声でそれを肯定し、頷いた。

 ふっ、と。眩暈に襲われた少女の体がふらりと傾ぐ。しかし持ち前の反射神経でなんとか踏ん張ると、ザッと靴底が鳴った。

 その音にアニーは、女の子達は一斉に視線を少女に向けた。

 

 アニーの顔がさあっと青ざめた。

 

 『ア、アステル………!?』

 

 皮肉な笑みを浮かべる女の子を押し退けて、アニーは少女の元へ駆け寄り『ち、違う! 違うの!』と、涙を浮かべてアニーは彼女にすがる。

 しかし、彼女の謝罪の声は、まるで耳に水が入ったかのように、遠く、聞こえ辛い。

 なのに、女の子達のけらけらと嗤う声だけはハッキリと聞こえる。

 ついには泣き出した友に、少女は大丈夫だからと、気にしてないからと、

 

 私の方こそごめんね、と。

 

 そう言おうと口を開くが声が出ない。

 なぜ私があやまらなくてはいけないの? 

 ならば、せめて笑おうと………

 

 (あれ………?)

 

 

 笑うって、

 

 

 

 どうやるんだっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………つんと焼き焦げた匂いが鼻につく。

 

 

 その異臭を放っているのは彼女自身で。 

 見下ろすと服は所々焦げていて、

 頬に触れる髪はちりぢりの感触。

 身体中がひりひりと熱く痛む。

 手を上げて見ると、火炎呪文を失敗した時のような火傷があり、赤く腫れ上がっていた。

 いつの間にか三つ編みはほどけ、父がくれた真珠色のリボンは何処かにいってしまい、 

 少女が立つ鋪装された地面は黒く焼き焦げ、煙が燻っている。 

 公園は親と子供達の悲鳴と泣き声で騒然としており、少女に向けられる視線には恐れと憤りが籠っている。 

 少し離れた位置で少女の母が必死に治癒呪文を唱えている。

 そのすぐ傍には友の母親。 

 しかしその表情は、先程見送ってくれたような笑顔とはかけ離れていて。 

 悲痛な声でひたすら友の名を叫び続けている。 

 膝をつく母のスカートの裾から見えるのは。 

 

 火傷で爛れた

 

 

 ぴくりとも動かない小さな手。

 

 

 

 

 

 「…………………っ!!!」

 

 

 眼前にマァムの涎を垂らした安らかな寝顔が飛び込んできた。

 ベッドの中で彼女と向かい合うアステルは、硬直し、瞳を見開き、早鐘のように打ち鳴らす心臓の音をただ、ただ聞いていた。

 

 (……落ち着いて……落ち着いて……)

 

 そう自らに言い聞かせて、息を整える。

 やがて心音は緩やかなものとなり、体も緊張から解放される。アステルはゆっくりと起き上がり、ベッドから抜け出す。マァムのはだけた掛け布を整えると、彼女はむぐむぐと口元を動かして、にまぁっと笑った。

 ごちそうでも食べている夢でも見ているのだろうか。

 アステルは頬笑むと、ナイトテーブルの上に置かれている明かりの消えている灯火(ランプ)を見詰めた。

 唇を舐めて湿らせて。

 緊張した面持ちで《力ある言葉》を呟く。

 

 「メラ」

 

 指先に現れた小さな小さな火の玉。それをそっと火心に移すと、静かに燃える。硝子のほやを下ろしアステルはほぅっと安堵の息を漏らした。

 日頃気軽に行っている事も、あの夢をみた後は流石に緊張してしまう。近頃は夢にみる事のなかったあの日の出来事。それをみたその理由はわかりきってる。

 

 (魔力暴走、か………)

 

 自分を(さげす)み、父の死を(けな)し、それを友に強要したあの女の子。名前は忘れた。あれ以来会っていないし覚えてる必要もないと思ってる。 

 あの子は貴族の出で、少し傲慢な性格で。だからなにかと目立つ自分の事が気に食わなかったらしく、自分に対して常に対抗意識を燃やしていた。

 そしてとても優しい、けれど、とても気の弱かったアニーは私への嫌がらせの出しに彼女に使われたのだ。 

 頭でわかっていても、それをいなすにはあの頃の自分は幼すぎた。友への失望と哀しみ、私達を嘲る声への怒りを抑えきれないまま溢れた魔力は、炎に顕現されてアニーを襲った。

 あの時。

 母が久しぶりに遊ぶ娘の姿を見ようと思い立たなければ。

 母が元僧侶でなかったら。

 暴走する娘に呪術封印呪文マホトーンを唱えていなければ。

 治癒呪文の最高位ベホマの使い手でなかったら。

 おそらくアニーは助からなかっただろう。

 けど。

 体の傷は癒せても、心の傷までは癒せない。

 

 ───友に殺されかけた心の傷は。

  

 軽く頭を振り、アステルは衝立の向こう側に視線をやった。ランプを手にアステルは足音を殺してソファーに近付き、眠る彼の顔をそっと覗きこんだ。

 

 (あ、また)

 

 眉間に皺。最初と違い魘されてはいないが、難しそうな顔をして眠っている。

 

 (まだ頭が痛むのかな……)

 

 テーブルにランプを置き、アステルは暫し考えるとそっとスレイの上半身を起こして、空いたスペースに座る。そして彼を再び横たわらせ、自らの太股の上にゆっくりと頭を乗せる。

 

 (こんな事してても全然起きないんだもん)

 

 大丈夫と言っていたが、あれだけの魔力を放出した疲労はそう簡単には回復しないだろう。熱がないか確かめる為に彼の額に触れ、右手の指に嵌めたままにしていた祈りの指輪の存在に気付く。

 

 (成功するかわからないけど……)

 

 少しでも理力が回復すれば、体の不調も和らぐかもしれない。そう思ったアステルは、指輪を外しそれをスレイの指に嵌め、その手を両手で握りこんで祈る。

 

 (……どうか。スレイの痛みが。苦しみが。消えてなくなりますように)

 

 祈りの指輪は淡い光を発し、それから音もなく崩れ去った。

 

 「あ、え?」

 

 思わず狼狽えるも、カンダタが《運が悪ければ壊れる》と言っていた事を思い出す。

 

 (でも、少しは効いたかな?)

 

 真っ直ぐでさらさらの銀色の髪を()くように何度も撫でてると、強張っていた彼の体の力が抜けていく。眉間の皺が取れるとアステルはほっと息をついた。

 

  

 『泣いてもいいんだよ?』

 

 鏡の中の鋏を持ったルイーダさんは困ったような笑みを浮かべて、そう言ってくれた。

 

 『でないと、今回みたいに爆発しちまう。

 あの炎はあんたの心の叫びだ。

 オルテガの死。

 周囲の期待の重圧と緊張。

 勇者としての孤独。

 それらに対してずっと我慢して抱えてた感情なんだよ』

 

 ショキ、ショキ、ショキ、と。

 

 焼き焦げてチリチリとなってしまった髪は、軽い音をたてて切り落とされていく。鋏がいれられる度、この髪を撫でてくれた父との思い出も奪われてくようで苦しくて、悔しくて、悲しくて。

 けれど、これは罰なんだって。

 人を傷付けた罰なんだって。

 だから、泣かない。

 

 刈布(カットクロス)で隠れた拳を膝の上でぐっと握りしめて。

 

 鏡に映る唇を固く結ぶ自分を睨み続けてた。

 

 

 

 

 「……あの氷もスレイの心の叫びなのかな」

 

 その冷気で近付く人を傷付け遠ざけて。自分さえも凍てつかせる堅く鋭い透明な氷。

 彼は今までずっと一人で抱き続けてきたんだろうか。

 これからも抱き続けていくんだろうか。

 

 「………ううん。そんな事させない」

 

 だって私達はもう出逢ったんだ。 

 大切な仲間。 

 離れるつもりなんてないから。 

 またあの氷が彼を覆ったその時には。

 

 「今度こそ。……私が、助ける」

 

 その為にももっと強くなりたい。 

 ならなきゃいけない。

 決意を新たに彼女は右手を握り締める。と。 

 

 「ん……っ」

 

 呻くスレイにアステルがハッとした次の瞬間。

 寝返りを打ったスレイがアステルのその右手を掴んで引き寄せた。

 

 「……つっ!」

 

 上げそうになった悲鳴をアステルはなんとか飲み込む。スレイは掴んだアステルの手を握ったまま、彼女の腹に頭をぐりぐりと押し付け、くっ付けて寝姿勢が定まると再び安らかな寝息をたて始めた。

 まるで大きな猫のようだ。

 何故だか顔が熱くなり、汗も吹き出る。何故かとてつもなく恥ずかしくなり、助けを求めるようにアステルはわてわてと頭を左右に振った。

 

 (なにこれ? なにこれっ!? さっきまでどうもなかったのにっ!??)

 

 取り合えず落ち着けと深呼吸して、空いている左手で彼の頭を撫でる。その髪の手触りの良さにちょっとだけ落ち着きを取り戻して、恐る恐る目線を下に遣った。

 いつも率先して行動し自分を守ってくれる彼が、今はこうして自分に身を委ねてあどけなく眠っている。

 それがくすぐったいような。困るような。

 

 ………嬉しいような。

 

 なんとも言い難い感情に、アステルは顔を真っ赤に染めて眉を下げた。

 

 

 

* * * * * * *

 

 

 

 ────この手の感触、は。

 

 

 ああ、そうか。これは夢だ。 

 いつもの夢だとわかる。 

 何故なら。いつもどうしようもなく沈んだ時、必ずと言っていい程この夢をみるから。 

 

 その度にオレは救われたから。

 

 

 執拗な追っ手を巻く為に乗り込んだ船の行き先は、世界の中心と云われる聖地ランシールから海を渡って東。ロマリアからは遥か南に位置する島国だった。

 深夜。

 人目を盗んで船を降り、港に積まれた木箱の影にその身を隠す。夜が明けたら道具屋でキメラの翼を買って師匠の元に帰ろう。

 どんなに離れていようが、《神木》を着地点にすれば、キメラの翼の力は増幅され、本来なら越えられない海も越えられる。

 

 きっとカンダタもそこにいるはずだ。

 

 (………暑い)

 

 夜が明けると、一気に気温が上がる。

 西大陸ロマリアでは今は真冬だが、ここらじゃ真夏に当たるらしく、その暑さは半端じゃない。

 よりにもよって一番苦手な気候。

 しかも、船に乗り込んでからというもの、ろくに飲み食いしていない。

 密航は大罪だ。

 海の上で見つかれば、船から落とされかねないし、そのまま奴隷として捕らえられ売られる可能性も大いにある。

 これ以上の面倒事は御免だと船での盗み食いを諦め、船底に身を潜めながら、時々漂う香ばしい料理の香りに耐え、手元にある僅かな水と携帯食で一週間食い繋げた。

 渇きと空腹と照りつける強烈な太陽の光に眩暈がする。ふらふらと大通りを歩く自分は悪目立ちしているだろう。

 

 『兄ちゃん、大丈夫かい? ほら』

 

 庭先で水を撒いていた婆さんが見かねて、水の入った柄杓を手にこちらに声を掛けてきた。オレはそれを引ったくるように奪い、一気に飲み干す。

 

 『ぷはっ! ……あ、ありがとうございます………』

 『大丈夫かい? えらい白い肌しとるのう。旅人さんかの?』

 『はぁ、まあ。……あの、この町の道具屋はどこにありますか?』

 『道具屋かい? それならこの通りをまっすぐ行って、酒場の……って、兄ちゃん?』

 

 最後まで聞けなかった。

 

 婆さんに柄杓を押し付けて走り出す。

 途端、背後の素人のそれとは違う気配もこちらに向かって動き出した。 

 

 (追っ手か! 先回りされてた……!?)

 

 ()うに限界を越えた足を叱咤し、走る。

 狭い路地に入り、曲がり角を曲がった所で大きな民家の庭に飛び込んだ。(まま)よと薪小屋に駆け込み、扉を閉める。棚に収まる薪を一本抜き取り、(かんぬき)がわりに取っ手に差しこむ。

 肩で息をし、扉にもたれ、ずるずるとくずおれた。

 

 『……だ、誰……?』

 

 その声にばっと顔を上げると、小屋の奥にいた声の主もびくりと肩を竦み上がらせた。

 一瞬、男子(おとこ)かと見間違えるほど髪が短く刈られているが、どうやら女子(むすめ)のようだ。

 つぶらな瞳は暗い場所にいるにも関わらずはっきりとわかる鮮烈な青。そして濡れていた。子供特有のふっくらした薔薇色の頬にも涙の線の跡。

 と、こちらの視線に気付いた娘は慌ててそれを拭い始める。

 どうやら隠れてこっそり泣いていた所にオレは乱入したようだ。ばつが悪そうに睨む娘に『悪い』と、取り合えず謝る。

 

 『頼む。少しの間でいい。ここに……』

 

 『いさせてくれ』と、最後まで言い切れずに意識が暗転する。

 

 傾ぐ風景。

 

 こちらに駆け寄る娘の足が見えた。

 

 頬をぺちぺちっと軽く叩く小さな手の感触。

 

  

 ────この子との出会いこそが、始まり。

 

 

  

 







ドラクエ3の勇者って友達がいない、もしくは少なそうな気がするのは自分だけでしょうか?

アステルとスレイの過去に少しだけ触れたお話でした。夢なので断片的ですが。
今回のお話は今後のお話にも関わってきますので、頭の片隅にでも置いといて頂けたら……。

アステル母は本当に優秀な僧侶でした。オルテガと結婚し主婦業に専念すると決めた時は、彼女の才能を惜しみ結婚を思い止まらせようと、オルテガと教会関係者との間で多少ごたついたとかついてないとか(笑)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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鈍色の羨望

 

 

 

 瞼の裏まで光が射し込む。それから逃れるようにスレイはクッションに顔を埋める。微睡みの中で、柔らかく暖かい、安らぐ香りを堪能する。

 

 「んん…っ……」

 

 聞き慣れた少女の、けれど、普段より甘く耳を擽るような声にスレイの頭は一気に覚醒し目をかっと開いた。クッションだと思って顔を埋めたのは、ズボン越しに感じる柔らかな太もも。手は自分のより一回り小さな手を握っていて。

 サアっと血の気が引く音を聞きながら目線を上げると、腰掛けた状態で眠るアステルがそこにいた。

 途端、下がっていた血が一気に昇った。

 その手をばっと離し、がばっと起き上がる。いろんな意味で目眩がして、額を押さえて呻く。

 

 「う、うん……朝?」

 

 その振動でアステルが目を覚ました。

 

 「ふぁ、ス、レイ?」

 

 甘えるような舌ったらずな声、寝惚け眼のとろりとした瞳で頭を傾げて微笑む。彼女の寝起きの顔など野宿の時に何度も見ているというのに、いつもと違って見えるのは何故か。

 

 「あ、あ、アステルっ! おま、え、なんっ!?」

 

 動揺し、彼女から距離を置こうとしたスレイはソファーから落っこちる。ドスンッ!という落下音にアステルの眠気は吹っ飛んだ。

 

 「す、スレイっ!? 大丈夫っ!?」

 「……つぅ…アステル、お前っ!!」

 

 怒鳴りかけて、スレイは背中に感じる刺さるような視線に肩を竦めた。

 恐る恐るそちらを振り向くと。

 いつからいたのか。どこまで見てたのか。

 しゃがんだ膝の上で頬杖をつく、ジト目のマァムと目が合った。

 

 「ちっ、違うっ!!」

 

 あらぬ疑いをかけられそうで慌てて否定するスレイだが、悲しい(かな)。真っ赤なその顔では説得力が全くない。

 彼女は表情を一変させ、にーっこりと、素敵な笑みを浮かべてこう言った。

 

 

 「ゆうべはおたのしみでしたね」

 

 

*  *  *  *  *  *

 

 

 別行動のシェリルとタイガは夜が明けたと同時に、シェリルの父エルトン、バハラタの教会のシスター、カンダタとその子分達と共にアステル達が待つバハラタを目指し出発していた。

 カンダタの名を騙った人攫い達の使用していた幌馬車に、皮肉にも拘束した彼等が詰め込まれている。入りきらなかった者達はカンダタ達の持っていた馬に乗せて移動する。

 途中、魔物にも襲われもしたがここで活躍を見せたのはシェリルの父、豪商エルトンその人だった。ふくよかな見た目に関わらず軽やかな動きを見せて、草原を駆け回り青い毛皮の大蟻食(アントベア)の群れを攪乱させ翻弄する。隙を突いて素早く懐に入り、的確に急所を突く。「アチョー!」「ホワチャッ!!」と奇妙な掛け声と共に繰り出される拳や蹴りは、(はや)く鋭い。攻撃を受けた魔物達はもんどりを打ちながら消滅していく。

 

 「親父ーっ! あんまはしゃぎ過ぎたら後で筋肉痛で泣くでーー!」

 

 シェリルが呆れ顔で忠告するも、獅子奮迅の勢いのエルトンには届いてないらしい。溜め息をつく彼女にタイガは笑う。

 

 「武器なしで大したもんだな。親父さん」

 

 羽音五月蝿(うるさ)く襲い掛かる蜂型魔物(ハンターフライ)をいなしながら感心するタイガに、

 

 「あー見えて、元は武闘家やってん」

 

 牙を向けた屍獣(デスジャッカル)の顔面に魔法のそろばんを叩き込み、シェリルは答えた。

 

 「母さんと結婚してから商人の勉強始めてんけど、そっちの才能もあったらしくてな。そのせいって訳やないやろうけど、今じゃ風来坊やった頃の面影すっかりなくなってもうたな」

 「風来坊?」

 

 シェリルはニッと笑う。

 

 「タイガと一緒や。強さ求めて世界中を旅しとったんやて。で、立ち寄ったポルトガで母さんに出会(でお)うたってわけや」

 

 ハンターフライの閃光呪文(ギラ)をタイガは風神の盾で弾き、そのまま盾の填まった左腕で蜂共を凪ぎ払う。

 

 「ウチらが生まれる前は、もっとスマートで長い黒髪を三つ編みにした男前やったらしいわ」

 

 ダメージを受けて、ふよふよと宙を浮く蜂型魔物にシェリルが止めを刺す。

 

 「へぇ」

 

 相槌を打ちつつ、エルトンをちらりと横目に見るタイガだったが、今の彼の姿からは想像がつかなかった。

 

 「……なら、シェリルの槍術は誰に教わったんだ?」

 「初めは護身術にって、母さんにな。親父にも体術教わったけど、こっちの方がしっくりしてな。兄貴も体術よか槍術やったな。けどその母さんが死んで、アリアハンに渡ってからはアステルの祖父(おおだんな)に本格的に鍛えてもろた」

 

 でも……と、シェリルは懐かしげに目を細めて呟いた。

 

 「姉貴は両方が得意やったなぁ」

 「姉貴……? 家出して海賊になったっていう?」

 「よう覚えとったな。ウチも兄貴も姉貴との手合わせには一度も勝てんかったわ。それだけやのうて頭も良くて、度胸もあって。交渉事にも長けとった。……案外、親父の才能を強く受け継いどるんは、姉貴なんかも」

 

 泣き虫と心配性以外は。と、シェリルはげんなりしながら付け加えた。そんな話をしているうちに戦闘は終了し、辺りには魔物達の色とりどりの宝石が地面に転がっていた。商人と盗賊の一行は勿論それらを回収する事を忘れない。

 バハラタに向かって再び進みだす。人数分馬が行き渡らず徒歩の者もいた為、帰りは行きよりもゆっくりの移動となったが、昼前には肉眼で町並を望む事が出来た。

 

 「おっ!」

 

 それに逸早く気付いたタイガが声を上げ、その彼の隣を歩くシェリルも目を凝らすと、町の入り口でぴょんぴょんと跳ねて盛んに手を振る人影が見えた。

 

 「マァムや! それにアステルも!」

 「スレイもいるな」

 

 

 悪漢共を捕らえ、娘達を救った英雄一行の帰還を町の者は総出で迎え入れた。

 笑顔と涙ながらに感謝を述べられるカンダタ子分達。ある者は照れ笑いを浮かべ、ある者は恥ずかしげに頬や頭を掻き、ある者は自重する。

 

 「おっかえりぃ~~!!」

 「おっと」

 

 勢いよく飛び付いたマァムを、タイガは危なげなく抱き止めた。

 

 「ただいま。元気だな? マァム」

 「んーー! げぇんきだよぉ!!」

 

 「そうか」と、タイガは柔らかい笑みを浮かべ、じゃれつく彼女の頭をくしゃりと撫でた。

 

 「おかえりなさい。ご苦労様でした」

 「なに他人事みたいに言ってんだ。嬢ちゃんだって今回の立役者の一人だろう。いや、勇者アステル」

 

 労いの言葉をかけるアステルに、苦笑するカンダタは、少女の隣に立つ弟分に視線を向ける。

 

 「スレイ。もう調子は戻ったか?」

 「ああ。……すまない。迷惑かけた」

 

 頷き、そして俯き様にそう言う彼の頭をカンダタが小突く。

 

 「理由がどうあれ、敵の頭を倒したのはお前のようなもんだ。気にすんな。それに詫びと礼なら俺らより、アステル嬢ちゃんとそこの嬢ちゃんに言いな」

 

 カンダタはタイガの首根っこにかじりつき、ぶら下がっているマァムを親指で指差した。

 

 「わかってる。アステルから話は聞いている」

 「本当にもう大丈夫なのか?」

 

 マァムを首にぶら下げたままタイガはスレイに近寄り、彼の表情を窺う。

 

 「ああ。心配かけ……」

 「だぁ~いじょぉぶだよぅ! スレイったらぁアステルのぉ膝枕でぇ朝までぐぅっすりだったからぁ」

 「「はぁ?」」

 

 突然のマァムの爆弾投下に、シェリルとカンダタがすっとんきょうな声を上げ、タイガは「ほう?」と眉を上げた。

 賑やかだった周囲がしんっと静まり返り、その場の視線が一斉に勇者の少女とその仲間の青年に注がれる。アステルは顔を赤らめ口をパクパクとさせ、スレイも一瞬頭が真っ白になって固まる。が、すぐ我に返った。

 

 「マァ、むっ!!!」

 

 スレイの口をシェリルの手がパンッと勢い良く塞ぎ、更にカンダタが背後から彼を羽交締めた。

 

 「むーーっ! むむーーーっ!!」

 「「マァム(嬢ちゃん)。そこんとこ詳しく」」

 「え~とねぇ~スレイったらぁねぇ~~アステルの手をぉぎゅう~~! って握って離さなくてぇ~、アステルのぉ太股やぁお腹にぃ顔押し付けてぇそれはそれはぐぅっすり幸せそぉ~にぃ寝てたのぉ~~!!」

 

 マァムは身振り手振り大袈裟にその時の状況を事細かに説明した。

 

 「「ほほぉーーうっ」」

 

 顔を赤くしてカンダタの腕を振り解こうと暴れるスレイを、ジト目で見るシェリルとニヤリと笑うカンダタ。そして猫のような目をして、含笑いを浮かべるマァム。

 

 「……むっつりやな」

 「スレイはむっつりスケベになったぁ~~!」

 「そう言ってやるな。膝枕は男のロマンだぜ……」

 「むーーーっ!!」

 「ち、違うからっ! あれはただの看病で! 私が勝手にした事でっ! スレイの意思じゃないから!!!」

 

 やっと声が出たアステルが慌てて叫んだ。

 

 

* * * * * *

 

 

 「いつまでブスくれてんねん。膝枕されたんは事実なんやし、しゃあないやろ」

 「しゃぁないやろぉ~~♪」

 

 シェリルとマァムが手を口に当ててくぷぷっと笑う。明らかに不機嫌な表情でスタスタと先行くスレイを、アステルがおろおろと小走りで追っかけた。

 

 「あれだけしっかりと歩けてたら大丈夫だな」

 「ああ」

 

 彼等の後ろを悠悠と歩くタイガは朗らかな笑みを浮かべ、カンダタも苦笑して頷く。

 賑やかな空気のまま、町の者達や胡椒屋の主人と話があるというエルトンと一旦別れたアステル達が向かうのは町外れ、聖なる川の下流にある船着場。

 その近くにある石造りの牢屋。

 捕らえた人攫い達を閉じ込めておく為だ。

 そこにはポルトガ兵が二人駐在しており、彼等に事の次第を話すと、事件解決を報せるべく、兵の一人が読んで字の如くキメラの翼でポルトガ王城に向かって飛んで行った。

 

 

 「───もういいぞ」

 

 カンダタは牢屋の外に待機していたスレイにそう声をかける。頷き、中へと入る彼の傍らにはアステルと魔封じの杖を握りしめるマァム。

 再び彼が暴走を起こした時の対応策だ。

 鉄格子の向う側、壁に凭れて座り込むシュウは、子分達とは別の牢に一人入っていた。大柄で筋骨粒々だった筈の体は痩せ細り、青く染められていた筈の肌も、髪の色も生気と共に抜け落ちている。

 自分が奪ったという片手を失ったその姿に、スレイは眉を顰める。

 だが。あれほど憎み恨んでいた彼を前にしても、シュウの榛色の目は虚ろで、なにも映さない。

 

 「あの………?」

 

 変わり果てた状態に困惑したアステルは、彼を診ていたシスターに説明を求める。彼女は瞼を閉じ、首を横に振った。

 

 「意識はあります。ですが反応を示さない。恐らくは取り憑いたという魔族に精神を貪り尽くされたのでしょう」

 「それって、カリス様の時と同じ……」

 「カリス様?」

 「あ、いえ! 以前魔族に取り憑かれた人の話を聞いた事があって。それと同じだと思って」

 

 アステルの言葉にシスターは納得し、頷いた。

 

 「そうですね。彼も同じです。ですが、彼は取り憑かれていた期間が長かったのか、あるいは強力な魔族に取り憑かれたせいなのか。元に戻る事は難しいでしょう」

 

 シュウは口を開いたまま涎を垂らし、体や頭を揺らす。

 

 「スレイ見たらもしかしたら……思うてんけど。やっぱこのまんまか」

 

 落胆と安堵がない交ぜな心中でシェリルは溜め息を吐く。スレイが再び暴走するような事態にならない事は喜ばしいが、シュウがこんな状態ではあの黒い獅子の魔物の事を問い質せない。

 

 「この人の部下にはなにか話が聞けた?」

 

 アステルの問いにシェリルは首を横に振る。

 

 「うんにゃ。手下は金で雇われて娘を拐っとっただけで、内情は特に聞かされとらんようや。結局魔族と黒幕との関係と、カルロス達の呪いの真相には辿り着けへんかったな」

 

 そう言って先程よりも長い溜め息をついた。

 

 「……ところで、スレイ。あんた、こいつにえらい恨まれとったけどなにがあったんや?」

 「スレイがなにかしたわけじゃねぇ。むしろこいつは被害者だ」

 

 シェリルの質問に答えたのは表情を曇らせた彼ではなく、カンダタだった。

 

 「スレイが……被害者?」

 

 アステルはスレイを見上げたが、彼はそれに答えず目も合わせなかった。

 カンダタは重い口を開くように語り始めた。

 

 「……シュウはな。元は行商隊(キャラバン)の息子だったんだが、旅の途中魔物に襲われてな。それを俺が助けた。けど、駆け付けた時にはこいつを残して家族仲間はみんな殺られちまってな。

 それ以来、俺を慕って付いてきたんだ。

 あの頃のシュウは戦う事や盗みに関してはからきしだったが、気も良く、頭も回るし、面倒な雑用も嫌な顔せず進んで引き受ける働き者だった。

 ………五年前だ。

 シュウと同い歳のスレイが俺の元にやってきた。

 師匠であり、俺の養父である男の言いつけで、俺の元で一年間無事に過ごせたら独り立ちを認めるって条件でな。始めは俺の弟分ってので謙遜して近寄らなかったようだが、共にいる時間が増えてくうちにこいつらは打ち解けてきたように見えたが……違った」

 

 「こいつは」と、スレイ。

 

 「始めはカ、……この人の事ばかりよく尋ねてきた」

 

 大盗賊の名を言いかけた所で、スレイはシスターの存在を思い出し『この人』と言い直す。

 

 「本当に尊敬して憧れてる事が伝わった。だから、話せる事は話してやった。

 ……けど、いつからかこいつは歪み始めた。

 常に同い歳のオレと自分をやたら比較してオレを羨み始めた。『俺にもお前のような力があればもっとあの人の傍にいられるのに。もっと役立てるのに』ってな。確かにこいつには盗賊としての技術力や戦闘力はないが、それ以外の事で団に貢献しているし、仲間達だってそんなこいつを認めていて、蔑ろにされてる所なんて見た事がなかった。

 だから奴がそう溢す度、オレは『お前はちゃんとあの人の役に立ってる』『あの人はお前に一目置いてる』と言ってきたが、聞く耳を持たなかった」

 

 『お前のような力が』

 『手先の器用さが』

 『素早く駆ける足が』

 『頭の回転が』

 『魔力が』

 『人目を惹く容姿が』

 

 欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。

 

 (───違う)

 

 オレはお前が羨むような大層な人間じゃない。

 この力だってお前のように誰かの為に望み伸ばした訳じゃない。

 宿業に捕まらないように、

 抗う為に、

 ただ静かに隠れて孤独に生きていく為に。

 

 ───ふいに腕を引っ張られた。

 

 スレイがハッとすると、大きな青い瞳がじっと見上げている。まるで行かせまいとするかのように、こちらの袖をぎゅっと掴むアステルのその手に、思わず頬が緩んだ。

 

 (……そう、あの頃は思っていたのにな)

 

 無意識に固く握り締めていた拳の力を抜き、スレイは吐息をついた。

 

 「口を開けば出てくる嘆きや卑屈に正直嫌気が差してきたオレは、奴から距離を置く事を決めた。オレ以外の仲間と接していれば奴もほとぼりが冷めて以前のように戻るだろうと思った。 

 ……だが、そう簡単にはいかなかった」 

 「船旅の途中、立ち寄ったランシールって村でこいつは事を起こした」

 

 語りが再びカンダタへと戻った。

 

 「シュウは俺達を狙う組織に情報を流し、町でスレイが単身でいる時を見計らって、罠をかけこいつだけを敵に捕まえさせようと企んだ」

 「組織って。もしかしてサマ「組織は組織だ」

 

 シェリルの言葉を掻き消すように、カンダタは語気を強めた。

 

 「俺の存在ややり方に納得出来ずに目障りだと思う奴等は山程いる。厄介事に関わりたくないなら余り詮索するな」

 

 カンダタの咎めるような眼差しに、シェリルは憮然とするも大人しく口をつぐんだ。

 

 「それでスレイはその後どうなったの?」

 

 袖を引っ張り、先を急かすアステルの頭を「落ち着け」とスレイはぽんぽんと軽く叩いた。

 

 「大丈夫だったから今ここにオレがいる。あの時港に逃げ込んだオレは、たまたま停泊していた船に乗り込んで身を潜めた。

 船はそのまま出航してしまったが、お陰で難を逃れた」

 

 それを聞いたアステルは胸に手を当て、ほうっと息を吐いた。

 

 「シュウの狙いは盗賊団を潰す事じゃなく、あくまでスレイを排除する事だった。スレイがいなくなった後、こいつは何食わぬ顔をして戻って来た。だがこいつがスレイを連れ出すのをたまたま見ていた奴がいてな。問い質したらすぐにボロを出した。

 泣きながら俺に詫び縋ったが敵に情報を流し仲間を売ったんだ。絶対に許されねぇ。命乞いが無駄だと知ると、狂ったようにスレイへの訳のわからん恨み言を喚きやがった。

 重罪を犯したこいつをすぐにでも断罪すべきだったが、スレイを見つけ出し、その無事を確認するまではと見張りをつけて閉じ込めていた」

 

 そこでカンダタは苦々しく顔を歪めた。

 

 「……そいつが間違いだった。無事だったスレイと合流して子分達の元に戻ると、アジトは襲撃された後でシュウは既にいなくなっていた。

 恐らくはシュウを手引きした組織の仕業だろう。あん時に俺がきっちり始末をつけときゃぁ、アジトを守っていた奴らも命を落とさず、今回の騒動も起こらんかった」

 

 部下達の犠牲、皆殺しにされた集落、既に拐われ国外で売られてしまった娘達を思い、カンダタはぎりっと歯を食い縛った。

 「しかし」と、顎に手を当てて呟くタイガ。

 

 「わざわざ取り返しにくるなんて、その組織とやらはなんでシュウ(こいつ)をそこまで目にかけてたんだろうな?」

 「……利用価値があったんだろうよ。こいつは俺の素顔を知っていて、俺を恨んでいる」

 

 カンダタは冷ややかな目でシュウを見下ろした。

 

 (なにより)

 

 シュウは、スレイの素性を知り、成長したその素顔を知っている。だが。こんな状態になってしまっては利用価値(それ)はもう皆無だろう。

 

 (その点では取り憑いた黒獅子(まもの)に感謝すべきか……)

 

 神妙な面持ちで黙りこんだカンダタに、タイガは僅かに目を眇める。

 

 「そういや。こいつアステルに意味わからん事、叫んどったな?」

 「………意味のわからん事?」

 

 訝しむスレイにシェリルが頷いた。

 

 「なんやスレイの事、アステルにとっては仇も同然やとか、なんとか。どういう事なん?」

 

 その言葉にスレイは息をのみ、顔を強張らせた。  

 皆が黙って彼に注目し、カンダタが眉を顰め口を開こうとした、その時。

 

 「待ってシェリル。それは別にもういいから」

 

 追及を止めたのは、その質問の当事者であるアステルだった。

 

 「もうええって……」

 「それでいいのか? アステル」

 

 シェリルとタイガにアステルは「うん」と頷き、そしてシュウに視線を向ける。

 

 「だってこの人はスレイの事、善く思ってないでしょ? そんな人の言う事を鵜呑みにするのもどうかなって、思ったの」

 

 アステルの脳裏に浮かぶのは、昨夜の夢に現れた自分とアニーを陥れた女の子。

 苦い、苦い記憶。

 シュウも彼女と同じ様に自分とスレイを仲違いさせるつもりでああ言ったのなら。

 

 (……思惑には乗ってやらない)

 

 だから。

 

 「……だから。この人の言う事は信じない。気にしない」

 

 そう言って隣に立つスレイを見上げて、驚き呆けてる彼に微笑んだ。

 

 「仲間を……スレイを信じる」

 

 ───スレイが話す時を待ってる。

 

 あえてそれは言葉にはしなかったが。

 けれど不思議と彼には伝わったらしい。大きく開いた琥珀の瞳が落ち着きを取り戻すように、徐々に細まる。

 

 「………《ガイアの剣》」

 「え?」

 

 長い間を置いてぽつりと呟いた彼の言葉に、アステルは小首を傾げる。

 

 「イシスの女王が言ってだろ? 魔王の元に辿り着く為には必要な剣だと」

 「あ、うん」

 

 (そういえば)

 

 と、アステルは今更ながらに思い出す。

 しかし《ガイアの剣》はスレイの旅の目的だ。その時が来たら貸してもらえるだろうか? そんな事を考え、目を上げると彼の真摯な眼差しとぶつかった。

 

 「ガイアの剣が見つかったその時、全てを話す。必ずだ。約束する。……それまで待っててくれないか?」

 「うん。わかった」

 

 迷いなく頷くアステルに、彼の強張っていた顔が僅かに綻ぶ。

 「お前達も」と、スレイはシェリル達に向き直る。

 

 「悪いが今はそれで納得してくれないか?」

 「……まあ。アステルがそんでいいんならウチからは文句ない。これまでの旅であんたの為人(ひととなり)は知ったつもりでおるしな」

 

 腰に手を当てて溜め息交りに言うシェリル。

 

 「右に同じくだ」朗らかな笑顔で頷くタイガ。

 

 「同じくだぁ~っ! でもぅ、またアステル泣かしたらぁ、許さないんだからねぇ~~っ!」

 

 と、マァムは魔封じの杖の先端の骸骨をぐりぐりぃ~~っとスレイの頬に突き付ける。

 それを見てタイガは困った顔で笑う。

 今といい、さっきの爆弾発言といい。マァムはスレイに、密かに(くだん)の仕返しをしているようだ。からかってるように見せるが、アステル大好きな彼女は、もしかしたら膝枕の件だって業腹なのかもしれない。

 迷惑をかけた自覚のあるスレイは、やんわりと骸骨を押し退け(本当は叩き落としたいであろう)、「……肝に銘じとく」と目を据わらせた笑顔で声低く呟いた。

 

 その光景を眺めていたシスターは胸の前で手を組んで微笑み、カンダタはやれやれと言わんばかりに溜め息を吐くも、口の端は持ち上がっていた。

 

 「───勇者アステル殿」

 

 そう呼ばれ、アステルが、そしてその場にいる者達が振り返ると、三人の兵士が牢屋入り口に立っていた。

 一人は先程飛び立ったこの牢屋の駐在兵。残る二人は紺碧の制服と銀の鎧兜を纏っている。胸の紋章は海神(ワダツミ)の神器と云われる三つ又の矛……ポルトガ王家の紋章が輝いていた。

 彼等はアステル達に向かって胸に右拳を当て敬礼する。

 

 「盗賊討伐任務の完遂、御苦労様でした。つきましてはその詳細の説明と今後の彼等の取扱いについて御相談が……」

 

 今度はなんだろうと、アステル達は互いに顔を見合わせた。

 

 

 

 








『ゆうべはおたのしみでしたね』(笑)

ドラクエ小説を書くなら使わずにはいられないネタセリフを使えて満足な回。
その後のお話の内容がやや暗めな分、前半ではっちゃけました!

しかしアステルはよく足が痺れなかったなぁ(汗)
筆者は成人男性を一晩膝枕をした経験皆無なので、どうなるのか想像できません。
正確には一晩でなくて夜中の3時くらいから朝7時くらいまでですが。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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蒼海からの使者①

 

 

 

 相談とは人攫いの移送についての話だった。 

 エルトンも関係する話という事なので、牢屋を出て町へと戻る。途中、カンダタとその子分達は酒場で一杯やると言って別れ、それではわたくしも教会へ戻りますと言ったシスターとも別れて。

 アステル達とポルトガ兵二人はエルトンのいる胡椒屋へ向かった。

 

 「おっ!」

 「ふぬっ!?」

 

 タイガとマァムが犬のように鼻をひくつかせる。二人だけでなくアステルもその薫りに反応してしまった。肉を焼く薫りだが、普段嗅ぎ慣れたものとはどこか違う。

 なにか、こう、口に涎が溜まるような。

 食欲を掻き立てるような独特な香ばしい薫り。店に入るとその薫りは一段と強くなった。

 

 「あら、おかえりなさい! ちょうど良かったわ。お昼ご飯の準備が終わったところよ」

 

 エプロン姿のタニアが出迎え、それからポルトガ兵に気づき「あら」と声を上げた。

 

 「……そういえば昼時でしたね。失念していました。それではまた後程に「お待ちくださいな」

 

 そう言って立ち去ろうとする兵士を、タニアは笑顔で引き留めた。

 

 「お勤め御苦労様です。勇者様とお話があるのでしょう? 料理は沢山用意しましたから良かったら御一緒にどうぞ」

 

 この薫りを前にニッコリとそう言われたら、断る事は出来ないだろう。照れ笑いを浮かべた兵達はアステル達と共に御相伴に与った。

 

 

 胡椒屋の食堂は大きく、広く、十人掛けの長テーブルが二つ並んで設置されていた。普段は従業員も使っているのだろう。時には胡椒を買い求めに来た客にも地元料理を振る舞っているのかもしれない。

 そのテーブルの上に並ぶのは地元特産黒胡椒で味付けされた豪勢な牛肉料理と聖なる河で獲れた魚料理。鍋にはオニオンスープが暖かな湯気をあげ、籠にはライ麦パン。大きな漆塗りの木製ボウルには新鮮なレタスやトマトにコーン、胡瓜を盛ったサラダ。置かれているワインは勿論、赤。

 よくよく考えれば一行は、誘拐事件解決の為にアッサラームを出発してからというもの、三週間近くまともな暖かい食事にありつけていない。バハラタの町に到着するもすぐ騒動に巻き込まれたのだ。

 それを思い出したらもう止まらない。

 今回はタイガとマァムだけでなく、アステルとシェリル、スレイまで話そっちのけで盛んに食べ、盛んに飲んだ。タニアは甲斐甲斐しく空になった器を下げてはおかわりを用意し、飲み物を注ぐ。

 そんな彼女等にポルトガ兵や一緒にいたタニアの祖父とグプタ、エルトンは目を丸くさせ、口を引き釣らせながらも邪魔はしなかった。

 

 食後のお茶が振る舞われ、ほっと人心地つくとはっと我に返るアステル。

 

 「すっ、すみませんっ!」

 

 苦笑するポルトガ兵にアステルは慌てて頭を下げると兵士達は「いやいや」と手を振って笑った。

 

 

* * * * * *

 

 

 「───なんと! それでは今回の騒動はあの大盗賊カンダタが起こした訳ではない……と?」

 

 驚嘆の声を上げる兵士に、アステルは頷いた。

 

 「今、牢屋にいる男はカンダタ……に、恨みを抱き、彼に成り済まして悪事を働いていたんです」

 

 名前の後ろに「さん」を付けかけて、なんとか飲み込む。

 

 「では、本物の大盗賊は……」

 「はい。今回の件には関与していません」

 

 むしろ本物のカンダタ盗賊団は事件解決の為に動いていたのだが。しかし、今その事を彼等に言っても混乱するか、あらぬ疑いがかかるだけだろう。

 

 「ふむ……成る程。それで誘拐団の頭目のあの異様な状態は魔物の仕業であると……その魔物とは一体?」

 

 尋ねる彼等だったが、アステルは首を横に振った。

 

 「それに関しては結局わからずじまいです。ポルトガの勇者の呪いとの関係も……」

 

 その言葉に兵士達は落胆し、肩を落とす。アステルは目を伏せて頭を下げた。

 

 「すみません……」

 「いやいや! 頭を上げて頂きたい! 盗賊達を捕らえてくれた勇者殿に感謝こそすれ、責める気など毛頭ない!」

 

 アステルが頭を上げたのを待って、「ところで」と、兵士は言葉を紡ぐ。

 

 「勇者殿は今後どのように? ポルトガへ戻られるのですか?」

 「いいえ。ダーマの神殿に向かおうと思っています」

 「ダーマへ?」

 

 アステルは頷いた。

 

 「仲間と前もって決めていたんです。もし今回の事件で呪いを解く手掛りが得られなければ、ダーマで情報を集めようと」

 「なぜそこまで我が国の勇者の為に……?」

 

 尋ねる兵士にアステルは微笑む。

 

 「彼等は私の仲間の大切な人達ですから」

 

 そう言ってアステルはシェリルと頷き合った。

 

 「……ずっと気になっとったんやけど」と、今度はシェリルが兵士達に尋ねる。

 

 「人攫い達の移送って、本国から船が来るんですか?」

 「いいや。人攫い(やつら)の身柄は本国ではなく、ロマリアが引き受ける事となった」

 「ロマリアが?」

 

 驚くシェリルに兵士は頷く。

 

 「ロマリア本土で起きた集落の強襲、民の不審死に、今回捕らえた盗賊達が関与している事が判明したのでな」

 

 それを聞いたアステル達(マァムを除いて)は思わず微妙な表情になった。

 ロマリア王の得意気に笑う顔が脳裏に浮かぶ。 

 もしかしたらロマリア側は既にカンダタ(偽者ではあるが)の仕業だとある程度突き止めた上で、ポルトガにアステルを紹介したのでは……と、思うのは考え過ぎだろうか。

 

 「頭目はあんな状態だが、子分達からはその話が聞けそうなのでな。奴等の沙汰は事件が解明してから両国で話し合う事となった。と、いうわけでエルトン殿。貴方の船で注文の胡椒と共に、奴等をロマリアまで移送せよと陛下からお達しが出ている。

 途中、ロマリアの護送船と合流する都合上、出来れば明日の昼には出航してもらいたいのだが、香辛料の積み込みは間に合うだろうか」

 

 胡椒屋の主人とグプタ、そしてエルトンは揚々と頷く。

 

 「大丈夫や。明日の朝には積み込み終える予定やさかい。けど海賊の件はどないなっとる?」

 「抜かりなく。明日には全てが解決する手筈です。つきましてはアステル殿。万全を期す為に貴女にはエルトン殿の船が出航するまでの間、バハラタに留まって頂きたいのだが……」

 「そのくらいなら御安い御用ですが……一体どうやって海賊達を?」

 

 「それは明日になればわかります」

 

 ポルトガ兵は意味ありげな笑みを浮かべた。

 

 

* * * * * *

 

 

 ───明朝。エルトンは一足早く船着き場へ、アステル達は再び船着き場近くにある牢屋に向かった。すると、そこには既にカンダタ一味がおり、捕縛された人攫いの一団を馬車に乗せる手伝いをしているようだった。その最中、一人が苦し紛れにカンダタの正体を叫ぼうとしたが、彼の剛腕に殴られあえなく気を失う。そして子分によってその男は馬車に放り込まれた。 

 カンダタは近付くアステル達に気づき、「よう」と、片手を上げる。

 

 「おはようございます」

 「ああ。こいつら今日にも移送されるんだってな。移送先はポルトガか?」

 「いいえ、ロマリアです」

 「ロマリア? 何でまた」

 

 怪訝な顔のカンダタに昨日の話をすると、更に眉間の皺が深く刻まれる。

 

 「……あんの、タヌキ親父。こうなる事を見越してたんじゃねぇのか?」

 

 昨日アステル達が思った事をカンダタもぼやき、一行は溜め息混じりに苦笑う。

 手下が全員乗り込み終えると、最後に両脇を兵士によって抱えられたその頭目のシュウが牢屋から出てきた。廃人と化した元仲間の姿を目にしたカンダタ子分達の眼差しからは、怒りだけでなく、どこかやるせなさも感じさせた。

 以前の彼はカンダタを崇拝し、気さくで働き者で仲間からも認められていたという。けれど。スレイに対する強い憧れが歪みを起こしてしまった。

 

 それにしても。と、アステルは口に拳を当てる。

 

 (───いつから。彼はいつから魔族に目を付けられてしまったんだろう……)

 

 そして。生きた人間にあまりに近い魔物の謎もまだ残ってる。シュウは取引先から譲り受けたと言っていたが、ポルトガ王やカンダタの話を聞く限り、思い当たるその取引先は。

 勇者サイモンの故郷であり、今は鎖国状態だという軍事国家───サマンオサ。

 あの人型の魔物は取引先が(いくさ)で使う為に調教した、とも言っていた。

 

 (確かにロマリアでは魔物を商売として扱ってるけど……)

 

 しかし、あの殺人鬼達はどう考えても人の手には余るのではないか。

 

 (それに………)

 

 殺人鬼が消えるその間際に見せたあの安堵の笑み。

 まるで救われたかのような。

 アステルは胸を押さえた。あれを思い出すとどうしようもなく苦しくなる。

 

 (……そういえば)

 

 今思えば。自我があるかないかの違いだけで、シュウとあの殺人鬼(まもの)は似ていない事もないかもしれない。

 

 (……けど、それってどういう事?)

 

 『───かの国は今、色々ときな臭い噂が立ち込めていてな』

 

 険しい表情でそう語ったポルトガ王を思い出し、背筋がぞくりと冷たくなった。

 

 「アステルぅ? どうしたのぉ?」

 

 暗い思考に落ちかけたアステルを、マァムの明るい声が引っ張りあげた。

 考え耽っていつの間にか俯いていたアステルの顔を、マァムは屈み様に覗きこむ。暫く無言で見詰め合う二人だったが、ふっとアステルは眉を下げて微笑んだ。

 

 「……いくらなんでも考え過ぎよね」

 「う?」

 

 頭を傾げるマァムに「なんでもない」とその金髪巻き毛を整えるように撫でた。

 

 ───生きた人を魔物に造り変えるなんて。

 

 (そんな恐ろしい事、ある筈がない)

 

 

 

 人攫いの頭目も馬車に乗り込むと、兵士はカンダタ達に向かって笑顔で敬礼する。

 

 「旅の傭兵の方々。協力ありがとう」

 「いや? いいってことよ」

 

 そう、しれっと返すカンダタと笑顔で手を振る子分達。それをなんとも言えない表情で眺めるアステルとシェリル。

 ……彼こそが、彼等こそが。本物の大盗賊とその一味だと知れば仰天どころの話ではすまないだろう。

 船着き場までの道すがら、カンダタは一行の今後の予定を尋ねてきた。

 

 「ダーマ? ポルトガに戻るんじゃねぇのか?」

 「はい。カルロスさんとサブリナさんの呪いを解く手掛りを探しに」

 

 「そうか」と、顎に手を当てて何故か思案顔になるカンダタに、アステルは小首を傾げる。

 

 「そう言うあんたらは、これからどないするんや?」

 

 尋ねるシェリルにカンダタは片眉を上げた。

 

 「ああ? 親父さんから聞いてねぇのか? 俺達はこれからあんたの親父さんの船の護衛だ」

 「はぁーーーっ!?」

 「うるせぇ」

 

 大きな声を上げるシェリルに、うんざりと耳を塞ぐカンダタ。スレイも少し驚いたような声で「そうなのか?」と、彼に問う。

 

 「なに企ろんどるんやっ!」

 

 シェリルはカンダタに魔法のそろばんを突き付けた。そろばんの玉がじゃらんっ!と鳴る。

 

 「何にも企んじゃいねぇよ。親父さんはポルトガまでの用心棒が欲しい。俺達はポルトガに向かいたい。目的が一致した。それだけだ」

 

 カンダタはそろばんを押し戻しながら言う。

 

 「そういえば」と、タイガ。

 

 「あんた達、船も出てないのにどうやってこっち側に来たんだ?」

 

 その質問にカンダタは米神に手を当てて、深く深く溜め息を吐いた。

 

 「来たくてきたんじゃねぇや。半ば強制的にこっちに来る羽目になったんだ。どっかの誰かさんのせいでな」

 「って、なんでウチを見んねんっ!」

 

 魔法のそろばんを振り下ろすシェリル。それを容易く避けるカンダタ。

 

 「避けんなやっ!!」

 「バーカ。避けるに決まってんじゃねぇか」

 「きぃーーーっ!!!」 

 「……カンダタさんの言う誰かさんって誰の事なんだろうね?」

 

 二人の攻防を眺めながら呟くアステルに、その答えがわからないスレイも首を傾げた。

 

 

 

 



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蒼海からの使者②

 

 

 聖なる河の下流にある船着き場には、沖合いにあるエルトンの大型船へと向かう(はしけ)が並んで三艘、碇泊していた。

 ロマリア王国へと運ばれる香辛料は既に積み終えたらしく、それを手伝っていた町の者や暫く動いてなかった船のメンテナンスを終えた船乗り達は思い思いに過ごして、出港の時を待っている。

 そこに罪人を乗せた馬車が到着したので騒然となるも、目立った混乱はなく彼等は艀へと乗せられて行った。

 

 「ほんまに、ほんまぁーーにっ! ワシとポルトガに戻る気はあらへんのか!?」

 

 「あらへん」

 

 父エルトンは娘シェリルの手を掴み滂沱の涙を流し懇願するも、娘は容赦なく斬って捨てた。がくりっと項垂れたかと思ったら、今度は勢いよくアステルの方を振り返る。

 うるうると訴えるようにこちらを見詰めるエルトンに彼女は思わずたじろいだ。

 言いたい事は痛い程伝わる。伝わるが。

 

 「エルトンさん……ごめんなさい!!」

 

 アステルは深々と頭を下げた。

 

 「私からはなにも言えません。私にはシェリルの力が必要なんです」

 

 その言葉にがっくしと地に両手、両膝を付くエルトンに、おろおろと手をさ迷わすアステルの肩を、気にするなと言わんばかりにシェリルが掴む。

 暫くしてから鼻を啜りながらエルトンは立ち上がった。眉尻を下げつつも笑顔を浮かべて。

 

 「アステルちゃん……勇者殿にうちの娘の力が必要だなんて言われてもうたら、折れるしかないんやろうな」

 「エルトンさん……」

 「親父……」

 「せやけどっ! ポルトガに戻ったらちゃんと顔を見せに帰って来るんやでっ!」

 「わーた、わーた」

 

 再びガバッと詰め寄るエルトンに、シェリルは半眼で適当に返事した。

 

 

* * * * * * *

 

 

 「……? ん?」

 

 「なんだ? どうかしたか?」

 

 艀の(へり)に腰かけていた船乗りは立ち上り、手で庇を作り目を眇める。隣にいた同僚が声をかけるも船乗りは無視し、目を凝らし、そして徐々に驚愕に見開かれた。

 

 「ありゃぁ……!!」

  

 ────ドドーーーンッ!!!

 

 大きな爆音。立ち上る水柱。水面に激しく揺れる艀。辺り一面に沸き上がる悲鳴、降り注ぐ水飛沫。

 

 「な、なに!?」

 「大砲や! 砲撃されとるっ!!」

 

 アステルが叫び、エルトンが答えた。しかもそれは一発では収まらない。続け様に二発、三発、四発。

 だが、威嚇狙いか。全て河岸の水面に着弾するばかりで、陸地や艀は狙ってこない。砲撃は止み、視界を遮っていた水柱や水煙が収まり、姿を現したのは。

 狭い水路を進む大型船。掲げる旗印は交差した三日月刀(シミター)髑髏(ドクロ)

 

 「海賊船だぁーーーっ!!」

 

 誰かがそう叫び、バハラタの町民は逃げ惑う。船乗り達は顔を青褪めさせるも、艀と岸を繋ぐ縄がほどけぬよう奔走する。

 揺れる艀の中にいる誘拐団達は慌てふためく事なく、むしろほくそ笑んでいた。

 海賊船は座礁しない位置まで進み、そして停まった。船首にある大砲の狙いの先は、その場を動かないアステル達を定めている。船の甲板にはそれぞれ武器を手にした海賊達。

 その群れを割って現れたのは。恐らくは海賊の頭目であろう、日に焼けた裸胸に革チョッキを羽織った屈強な躰の禿男。その男がアステル達に向かって声を張る。

 

 「その艀を大人しくこちらに寄越せ! さもなくば今度は町に向かって砲撃する!」

 

 大砲の狙いをアステル達から、町の方角へと移す。

 

 「ついでに町の見目のいい若い娘達も十人ばかりその艀に乗せて貰おうか!」

 

 そう言って海賊達は下卑た笑い声を上げた。

 

 「この距離じゃ呪文も届かない……!」

 

 悔しげに唇を噛み締めるアステル。しかし、ポルトガ兵達は慌てる事なく「御安心を」と不敵な笑みを浮かべた。

 

 「え?」

 「……我々の思惑通りです。これでもう奴等は逃げられない」

 「みんな! あれを見ろ!!」

 

 タイガが指差した。海賊船の真後ろへと迫るのは、こちらも大型船。旗印も同じ髑髏マークではあったが、趣向が異なっている。あちらは黒地に対しこちらは暗い赤。骸骨の虚ろな片目には深紅の薔薇が刺っていた。

 突如現れた赤の旗の海賊船は、勢いよく船首をぶつけた。その衝撃で黒の旗の海賊船の乗組員達はよろけ、尻をつく。頭目は船の縁に掴まりなんとか堪えると、顔を上げ、その赤い髑髏の旗を見て青ざめた。

 赤い旗の海賊船から次々と武器を手にした海賊達が、接触部分から黒い旗の海賊船に飛び移る。不意を突かれた黒い旗の海賊船の海賊達はあっという間に、伸され、拘束され、そして船は制圧された。

 その光景を目にした艀に乗る人攫い達は、がっくりと項垂れた。

 

 「うぉうっ!!!」

 「な、なにが起こってるの……?」

 

 そのあまりの早さ、手際の良さにアステル達は呆然とし、マァムだけが手を叩いて歓声を上げる。

 

 「あいつら同じ海賊やろ? なんで……」

 「黒旗の海賊達は祖の定めた《滄海の掟》を破ったならず者の集まりです。そして、赤旗の海賊達はポルトガ建国時代から王国と繋がりのある由緒ある海賊団です」

 「由緒ある海賊……って、」

 

 呟くシェリルに、ポルトガ兵士は語る。

 

 「貴女もポルトガ国民なら聞いた事があるでしょう? アリアハンが全大陸を征服した時代。我々の祖先は全世界の海を支配した大海賊だったと」

 「うんなん、御伽噺やろ?」

 

 しかし、ポルトガ兵はにっこりと微笑んでいて。しかもその微笑みは何処か黒い。

 

 「……マジか」

 「外国との体面もありますので、他言無用でお願いしますよ」

 

 頬を引き釣らせるシェリル、そしてアステル達に向かって兵士は口元に人差し指を立てた。

 

 紅い旗の海賊船から一つの人影が黒い旗の海賊船へと軽やかに跳躍して飛び移る。敵船に降り立ったその人は、颯爽と歩を進める。拘束した黒旗の海賊達とその頭目を素通りし、船首楼へと立ち、河岸にいるアステル達を見下ろす。

 その姿を目にしてエルトンとシェリルは何故か固まった。

 

 「女の……人?」

 

 アステルは目を凝らした。背の高い女性だ。胸の部分だけを包む深紅のチューブトップを纏い、引き締まった腹筋を露にさせている。黒のショートパンツから伸びるしなやかな長い脚に革のブーツサンダル。

 太陽に照らされた素肌は小麦色、風に靡く一つに纏められた艶やかな黒髪を、背中に払うその左手首には、くりぬき翡翠のバングルが鮮やかに輝く。

 

 「あ、あ、あ、あ、あ、」

 「り、り、り、り、り、」

 「ど、どうしたの!?」

 

 いきなり吃りだした商人父娘に、アステルが吃驚し尋ねるも、二人はぶるぶると震える指を差した格好のまま、驚愕の表情で二の句が告げられないでいる。

 黒髪の女の珊瑚の唇が弧を描いた。

 

 「姉貴ーーーっ!!」

 「リシェルゥーーーっ!!」

 「「「……え、姉? リシェル?」」」

 

 アステル達が間の抜けた声を揃え、船にいる女性と父娘を交互に見比べた。

 確かに。確かに似ている。

 背が高くそして細身なその姿。肌の色。三白眼気味の綺麗な翠色の目。シェリルを幾分大人っぽくしたかのような面立ち。黒髪は恐らく父親であるエルトン譲りなのだろう。

 カンダタは物言いたげに船の上の彼女を半眼で睨む。それに目敏く気付いたスレイは彼に尋ねた。

 

 「もしかして、あんた達をこっちに連れてきたのって……」

 「……あの女海賊だよ。ついでに言うとあの女は海賊達の頭だ」

 

 「「「「ええぇーーっ!?」」」」

 

 その言葉にアステル達は更に声を張り上げ驚く。父親のエルトンなんかは失神しそうなくらい顔面蒼白だ。

 アリアハンを出発する日の朝。海賊になったという姉の話を持ち出し、泣き喚いてシェリルの旅立ちを阻止せんとしたエルトンを思い出して、タイガは憐憫の籠った眼差しで彼を見た。

 

 (まさか海賊になっただけでなく、その頂点に立ってるとは夢にも思わなかっただろうに)

 

 「勇者オルテガの娘、アステル!」

 「は、はい!?」

 

 女海賊の麗しくも凛凛しいその声に、思わず背筋を伸ばして返事をしてしまうアステル。

 

 「《聖なる旋律》が《義を司る赤》を導く時、海の上で再び会おう!」

 「聖なる旋律……義……赤?」

 

 呟くアステルに女海賊リシェルは妖艶に微笑んで頷き、片手を上げる。

 

 「───引き上げるよっ!!」

 

 その声に海賊達が『へいっ!』と声を揃えた。しかし、河の幅と船の大きさからして旋回などできないだろう。どうするのかと眺めていたら、赤旗の海賊達は黒旗の海賊船の船尾に縄をくくりつけ、自分達の海賊船の船頭と結び繋げ始めた。

 それを終えると二人の若い海賊が黒旗の海賊船の船首へと走り、女海賊を挟むようにして立つ。

 

 「では、息災で! シェリル! そして親父様!」

 「姉貴っ!!」

 「ちょっ、ちょお待たんかいっ! リシェルッッ!!」

 

 シェリルが叫び、エルトンが我に返り、手を伸ばしたと同時に、若い海賊二人が呪文を唱えた。

 

 『───中等真空呪文(バギマ)!』

 

 攻撃を目的としない微妙に調整されて放たれた風の呪文は、周りを傷付ける事なく、船の推進力に変える。飛び出すような勢いで動き出した二隻の船はあっという間に、姿を消した。

 

 「……呪文にも色んな使い方があるんだなぁ」

 

 顎に手を当てて感心したように呟くタイガに、アステルとスレイも思わず頷く。

 

 「リシェル……」

 「親父……」

 

 膝をついた父親に、シェリルは手を伸ばそうとしたが、その前にガバッと起き上がり側にいるポルトガ兵士に詰め寄った。

 

 「ポルトガ(バルド)王は知っとったんやな? うちの娘が海賊の頭やて!!」

 「い、いえ、我々もそこまでは……」

 

エルトンの気迫に兵士は頬を引き釣らせる。

 

 「わぁーった! ワシが直接王に聞くっ! 出航やっ! ちゃっちゃと仕事片付けてポルトガ戻んでっ!」

 

 そう言ってエルトンは肩を怒らせながらずんずんと艀に向かって歩き出す。ポルトガ兵士がその後を慌てて追いかけた。

 

 「雇い主もああ言ってるし、俺らも行くわ」

 「あ、ああ……」

 

 疲れた様な声音でそう言うカンダタに、スレイは戸惑いつつ頷く。

 

 「あっ!」

 

 慌てたように声を上げたシェリルに、歩みだそうとしたカンダタが振り返った。

 

 「なんか用か? お嬢様」

 「お嬢様言うなっ! ……いや、そうやのうて……」

 

 モジモジするシェリルに、カンダタは眉を顰めた。

 

 「なんだぁ? 早くしてくれ。船が行っちまう」

 「あ、あんた、十年くらい前に、その、ポルトガで……その、」

 

 何故か肩をすぼめ、どんどん小声になっていく。彼女らしからぬその態度にアステル達の顔に奇妙な表情が浮かぶ。

 カンダタは彼女に近付き、その顔を窺うように身を屈める。

 

 「なに言ってんのか聞こえねぇ」

 「……つっ!」

 

 ボンッと顔を赤くしたシェリルは咄嗟に、近くにある顔に張り手を御見舞いした。

 

 「ッテエエエ! 何しやがるっ!!」

 「近いんじゃぁ! ボケぇっ!!」

 「てめぇがボソボソ話すからじゃねぇかっ!!」

 「……っ! もう、いいっ!! なんもあらへんっ!! さっさと行けっ!!」

 

 腕を組み、ふんっ! とそっぽを向くシェリルに、ひっぱたかれた頬を擦りブチブチと文句を言いながら歩みだしたカンダタは思い出したように振り返り、

 

 「スレイ。ダーマに行くんなら婆さんにちゃんと挨拶しとけよ」

 

 するとスレイはあからさまに顔を歪めた。

 

 「ついでに魔力暴走の件も婆さんに相談しとけ。ありゃぁ異常だったからな。放っとくなよ」

 

 じゃあな。と、今度こそ艀に向かって歩き出す。続けてカンダタ子分達も手を振り、頭を下げながらアステル達の前を通り過ぎ、頭である彼を追う。

 やがて船に乗る者達全てが揃うと、艀がゆっくりと進み出した。

 

 「スレイ。ダーマにお知り合いがいるの?」

 

 そんな事、一言も言っていなかったのに。

 去っていく者達に手を振りながら、アステルは隣にいる彼に問いかけた。

 

 「知り合いってほどのもんじゃない」

 

 と、眉間に皺を寄せて曖昧に答えるスレイ。その姿がなんとなく、ポルトガに行くのを嫌がっていた頃のシェリルを彷彿とさせた。

 

 「……そういえばシェリルはカンダタさんに何が聞きたかったの……って、どうしたの!?」

 

 シェリルはどんよりと膝を抱え込み、顔を隠して座り込んでいた。

 

 「……大丈夫。大丈夫やから。今はそれに突っ込まんといて」

 「う、うん……」

 

 「……んなわけない。絶対あいつが……なわけない。ない。うん」と、誰に聞かせるでもなく、ブツブツと呟くシェリルの項垂れた頭を、笑顔のマァムが楽しげにぽむぽむ叩いた。

 

 「シェリル、どうしちゃったんだろ……?」

 

 眉を下げて囁くアステルに、タイガは頭を傾げ、スレイは肩をすくめた。

 

 

 







ゲームの中でも出てくる女海賊。こちらではシェリルの姉として登場です。
彼女はシェリルと一緒に生まれたキャラです。まだ多くは語れませんが、お気に入りキャラです。

カンダタがシェリルの《翠の王子さま》なのかどうか。判明は持ち越しとなりました(笑)

この後、閑話を時間差投稿しております!


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閑話 余燼

 

 

 

 ここはアステル一行がいる場所から、海を越え、遥か、遥か。東の大陸。

 険しき山脈と深き森に囲まれた難攻不落の軍事大国。その国の名は───サマンオサ。

 

 「失敗だと?」

 

 サマンオサ王は顔を顰めた。銀の玉座に深く腰掛ける老王は、痩せ細ったその身を、銀糸で縫い込まれた豪奢な刺繍の施されている深藍の長衣に包み、白貂(しろテン)の毛皮の外套を纏っている。肩までかかる白髪の頭が戴くのは白銀の冠。

 皺深く面長の顔は頬が痩けて病人のように血色が悪い。されど、その眼光は弱々しい見た目とは不釣り合いなほどに鋭く、ぎらぎらとしていた。

 

 日の光を好まぬという王の玉座の間は、常に紫の分厚い緞帳を張りめぐらせており、昼間でも燭台の明かりが必要な程に暗かった。

 

 「……はっ。なにやら邪魔が入ったようです」

 

 王の足許にひざまずき、報告する伝令兵。その体は震え、額には汗が滲んでいた。

 

 王の傍に立つ大臣が眉根を寄せる。

 

 「……邪魔とな? ポルトガの仕業か?」

 「恐らくは。約束の海域にいくら待てど海賊達の来る気配なく、捕らえられたのではないかと……」

 

 「もうよい」

 

 王のしゃがれた声が玉座の間に響く。王は肘掛けにのせていた骨筋張った手を払う。大臣は心得顔で頷き、平坦な声で申し渡した。

 

 「───派遣隊は全て極刑に処す」 

 「そっ、それは……っ!!!」

 「当然であろう。王命を果たせなんだ罪は重い。それともなにか? 不服か?」

 

 思わず顔を上げた伝令兵を大臣はギョロリと見下ろす。兵は唇を噛み締め再び頭を下げた。

 

 「……いいえっ……申し訳ございません」

 「下がれ」

 「……はっ」

 

 

 

 「───あの者に〈魔の種〉を植えつけよ」

 

 

 退室する兵の背中に視線をやったまま、大臣が声低くそう告げると、背後の重い緞帳がふわりと揺れた。

 

 王は肘宛に頬杖をつくと、つまらなそうに溜め息を漏らした。

 

 

* * * * * *

 

 

 灰色の曇天の下、王国広場にて執り行われるのは罪人……元王国兵士達の処刑。

 そしてこの見せしめの処刑に参加することをサマンオサの国民は義務付けられている。偉大なる王に逆らえばどうなるか。それを思い知らせる為に。

 張り付けにされた罪人に近寄れぬよう張り巡らされた高く頑丈な木製の囲いには、その家族が恋人が悲痛な表情で懇願の声を張り上げ、柵の隙間から精一杯手を伸ばしている。

 

 「ああっ!」

 「あんたぁっ!!」

 「父ちゃーんっ!」

 「お願いです! どうか御慈悲をっ!」

 「何故ですかっ! うちの息子は寝る暇惜しんで国の為に尽くしてきたのにっ!!」

 

 しかし願い虚しく、刑は執行される。

 辺りは嘆きと悲鳴で満たされた。

 

 その一部始終を拳を握り締めて目を逸らさず見詰める男の姿があった。

 

 「……ブレナン」

 

 そう呼ばれて振り返ると、表情を隠すように帽子を目深にかぶる男が立っていた。

 

 「……ハンス。今日の刑の罪状は一体なんなんだ?」

 「王命を果たせなかった罪だとよ」

 

 ハンスは俯き様に答え、ブレナンは眉を顰めた。

 

 「……王命。あの悪行が、王命か」

 

 ブレナンは皮肉な笑みを浮かべ、吐き捨てるように言う。鎖国状態の上、厳戒体制であるこの国に外国の者が足を踏み入れる事は、全くといってない。そのはずである。

 

 しかし、何時からか。

 

 異国の者……特に若い娘達が馬車に乗せられ王宮に入っていく光景を毎月のように見かけるようになったのだ。拘束された娘達は(やつ)れ、虚ろな表情で城の中へと入っていく。

 恐らくは……いや、間違いなく。

 正当な方法で連れて来られたのではないのだろう。月によっては二十人ほど連れて行かれるのも目撃した事もある。

 だが、その後、彼女達がどうなったか、誰も知らない。

 城勤めの者達に彼女らの話を聞いても、怯え青ざめた顔で知らぬ存ぜぬの一点張り。

 

 「口には気を付けろ。誰が聞いていて、告げ口するかわからんのだからな」

 

 ハンスは声を低くして咎めた。

 

 「……そういえば、国外から戻ってきた奴等から聞いたんだが、ついにアリアハンの若き勇者が旅立ったらしいぞ」

 

 その言葉にブレナンは眼を見開く。

 

 「アリアハンの勇者……オルテガの子供か」

 

 頷くハンスに「そうか……」とブレナンが空を仰ぐ。

 

 「────あいつが。あいつら親子がいたら……どうしてただろうな」

 

 頬が濡れた。

 ついに空が泣き出した。

 どんどん強くなる雨脚にその場を離れ、肩を落としながら家路に向かう者がいる一方、その場を動けずに雨に打たれて泣き崩れる者達もいた。

 

 地面に拡がる赤い染みは、この激しい雨の中にあっても、

 

 いつまでも、いつまでも消える事はなかった。

 

 

 







最後に出てきたブレナンというキャラはゲーム内に登場するキャラです。彼もここではゲームとは違うオリジナル設定キャラとなっております。

なにやら不穏になりましたが、長かったバハラタ誘拐事件編はこれにて終了。次回新章です!

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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キャラクター紹介④


ポルトガ~バハラタまでのキャラクタープロフィールです。


 

 

 

《ポルトガ》

 

ジェイド=マクバーン(23歳)

エルトン=マクバーンの長男で、シェリルの兄。マクバーン家の跡取り。真面目なお兄ちゃんだが、商売に関しては辣腕家。三白眼気味の翡翠の瞳に、珊瑚の背中までの髪を一つに纏めてくくっている。長身痩躯で、見た目はシェリルを男にしたらってイメージ。因みに身長は190㎝。正式な場以外では、常にラフな服装をしている。シェリルの翡翠の耳飾り、ジェイドの翡翠の首飾り、あとジェイドの妹(シェリルの姉)の翡翠の腕輪は母親の形見の品。作中にはないが、兄もなかなかの槍の使い手である。

 

ポルトガ国王(30歳)

(バルド=ケデル=ポルトガ)

ライオンのたて髪のような珊瑚の髪に、空色の瞳。王冠のかわりに、黄金の額輪をしている。声も体も大きい。(身長200㎝超)顔立ちや立ち振舞いも獅子のようなイメージ。斧系の武器が似合いそう。性格は豪傑で、頭もきれる。ドワーフのノルドからは人間であれほど純粋な心を持つ者は珍しいといわれている。ロマリア王とは王子時代からの悪友同志。

 

カルロス=ディンガ(20歳)

赤髪ショートで、碧の瞳。中肉中背の優男。真面目な話の時は目が開くが、基本はニコニコ(糸目とは違う)。正義感溢れる勇敢な剣士で、度重なる海の魔物の襲撃から国を守り、国民からは〈ポルトガの勇者〉と慕われている。しかし魔族の呪いに、恋人サブリナと共にかかってしまう。性格は真面目で頼りになるが、通常はほわほわ呑気者。あと天然たらし。シェリルの幼馴染みで、幼い頃から剣の腕前も大人顔負けでシェリルを狙う悪党からよく彼女を守っていた。

 

サブリナ=ハース(19歳)

腰までの長さの珊瑚色の髪をハーフアップにして黄色の大きなリボンをしている。瞳は緑。美しい女性。ハーブ栽培が得意で彼女の淹れるハーブティーは絶品。カルロスの恋人で、仲睦まじい彼らはポルトガ若人の羨望の的。しかし、魔王の呪いで二人は………。シェリルのもう一人の幼馴染み。本当の性格はお節介やきのお転婆娘。しかし、呪いのせいで少し気弱になっている。

 

エルトン=マクバーン(49歳)

マクバーン商会、会長。ブラウンの瞳に白髪混じりの黒髪を後ろで三つ編みしている。恰幅の良い体型。泣き虫だけど商売と取引に関しては抜け目がない。娘に弱いのは奥さんを自分を狙った計画的な事故で亡くしたのが原因。実は元武闘家で、若い頃のビジュアルはキャラクターデザイン先生のイラストのまんまのイメージ。ちなみにエルトンはポルトガ生まれではない。亡くなった奥さんがポルトガ国民でマクバーンの跡取り娘。エルトンはその婿養子。子供達は母親似。奥さんの性格は負けず嫌いの男勝り。

 

ポルトガ国民………長身で小麦色の肌、珊瑚色の髪が特徴。

 

マクバーン商会………武具商として海を跨いで店舗を増やし成功した豪商マクバーン家は世界で有名。マクバーン商会に加盟する商人は商品鑑定、販売能力の他、戦闘技術も求められる。

 

 

《バハラタ》

 

グプタ(23歳)

家名は考えてない。赤い上衣砂色のズボン、茶色の髪に瞳とSFCのグラフィックまんまのイメージ。胡椒屋のタニアの恋人で婚約者。彼女とは子供の頃からの付き合いで、彼女の祖父に認めて貰う為に店の下働きから始めて十年近く勤めた。性格は勿論へこたれないがんばりや。タイガがバハラタ滞在中住み込みで胡椒屋に雇ってもらった際、なにかと彼の面倒をみていた(……ように見せかけて、その実タニアに必要以上近寄らせないように見張っていたのだった)。

 

タニア(23歳)

家名は考えてない。栗色の髪の小柄な美人さん。町一番の老舗胡椒屋の孫娘。故に競争率が高く、グプタは相当苦労した模様。両親は幼い頃に流行り病で亡くしている。性格はお高くとまらない庶民派のおじょうさま。町で買い物中、軟派に絡まれて困っていた所をタイガが助けたのがきっかけで二人は知り合い、彼に実家の仕事を紹介した。ちょっとカッコいい人だなと思ったのはグプタには秘密。

 

胡椒屋の店主(60歳前後)

名前すら考えてない(笑)タニアの祖父。ゲームでは小さなお店の店主だったけど、この物語では大きな老舗の店主になっちゃいました。お話の中ではそんな風でもなかったけど、性格は職人気質のがんこもの。

 

バハラタ教会のシスター(30歳前後)

名前すら考えてないのに、結構活躍した。なかなかのきれもので、肝が据わっている女性。ダーマで修行した後、バハラタの教会を任された。

 

シュウ(21歳)

誘拐団の頭目。カンダタの名を騙り、彼の格好で悪事を働いていた。元カンダタ盗賊団の一員。榛色の目と髪。髪型はいわゆるモヒカン。染めたような青い肌や筋骨粒々の体と怪力は全て魔族に取り憑かれていた影響。本来の姿はノッポのもやし体型。性格は至ってふつうだった。

隊商の息子で旅の途中魔物に襲われる。からくもカンダタに救われるも、家族も仲間も彼を残して全滅してしまった。彼がカンダタに妄信的になったのも、憧れの人の隣に立てる戦う力のある同い年のスレイに強い憧憬と嫉妬を抱いたのも根底はここにある。盗賊としての才はなかったが、商人としての能力は実は高く、盗んだ品の鑑定や団の金銭管理を任されるなど、スレイの言う通りカンダタや仲間達からその能力をちゃんと認められていた。

 

殺人鬼………人に限り無く近い魔物。アリアハンやロマリアに出現する〈ベビーサタン〉や〈まほうつかい〉のような魔族ではない。どのようにして誕生したのかは謎。

 

 

 



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五章 ダーマの神殿
神殿①


 

 

 

 「───スレイ=ヴァーリス。良い名じゃないか」

 

 少年は俯いていた顔を上げた。その瞳は新月の夜のような漆黒。

 

 「闇を背負いし者。安心おし。

 おまえさんはその名に愛されておる。

 その名は必ずお前さんを守ってくれる。

 

 そして、導いてくれるだろうよ。

 

 天に愛され、星の輝きを抱く者の元へと。

 その者は冥き途をゆくお前さんを照らす一条の光。

 

 ……大丈夫。出逢えば、わかる」

 

 老婆は皺だらけの手を少年の黒髪の頭に翳し祝福の印を与え、身に纏うローブを飾る空色のリボンのひとつを外して彼の手首に巻き結ぶと、にっこりと微笑んだ。

 

 

 「名前の守りがあらん事を……」

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 体を起こしたスレイは立て膝をつき、少し伸びた銀色の前髪をくしゃりと掻き上げた。

 

 (………体がだるい)

 

 眠りは深かった。なのに、疲れがあまり取れていない。昨日は海賊の強襲があったものの、第三者の介入のお陰でアステル達が手を出すまでもなく解決した。町へ戻ると船着場から逃げた町民達に、どうなったかのと質問攻め。事件の完全終結がわかると、町を挙げての宴へとトントン拍子で事が運び、是非参加して欲しいと乞われ、結局その日のうちにバハラタを出発出来なかった。

 

 そう。特に疲れが溜まるような事はしていないのだ。

 

 窓に視線をやる。レースカーテン越しに見る外の風景は薄暗い、日の出前。今度は自分の隣、タイガが使っているベッドを見た。しかしそこには彼の姿はない。日課の早朝鍛練に既に出掛けたのだろう。

 

 首に下げている革の守り袋から青い石を取り出して、祈るように両手に包み込んだ。暫くそうしていると、少し体が軽くなった。掌を開く。

 息づく様に仄かに輝くそれは、気遣うようにこちらを見上げて揺れる彼女の青の瞳を彷彿とさせた。手にある石を見詰めたまま、スレイは眉間に皺を作って固まる。

 それに気付いてしまったら、いつも当たり前のように行っていた感謝の口づけが何故か出来ない。

 「ありがとう」と囁くだけにして、守り袋に石をしまう。

 

 身支度を整えると世話になっている胡椒屋の階下、食堂へ向かった。

 

 

 食堂の隣り合わせにある厨房からは暖かな湯気と香りが立ち込めている。何気なく覗くとそこにはアステルとタニアが楽しげに朝食の準備をしていた。  

 予め陶器のバットに流し込み、発酵させたパン生地の上に、ボウルに混ぜ合わせた調味料、刻んだチーズ、そして黒胡椒をたっぷり満遍なく広げて乗せた。

 それを見てアステルは目を丸くする。

 

 「うわぁ。パンにも黒胡椒使うんですね……朝から贅沢」

 「ふふっ。このパン料理、生地を捏ねたり、伸ばしたりしなくていいから、とっても楽なの」

 

 そう笑って、タニアはそれを窯の中に入れた。

 

 「はい! これで三十分位したら出来上がり」

 「時間もそんなにかからないみたいだし、上手くしたら野営でも作れそう」

 

 言ってから、思い当たりアステルはむぅっと眉を寄せる。

 

 「……でも匂いに釣られて魔物が寄ってくるから、やっぱり無理か」

 「あら。この先、船で旅する予定なんでしょ? だったら船旅中に作ればいいじゃない」

 「あ、そうか!」

 

 ころころと表情を変えるその愛らしさに釣られて、タニアも微笑んだ。

 朝食の準備を手伝うと言ってきた彼女に、タニアは気を遣ってるのかと思ったが、

 

 (……ううん。それもあるんでしょうけど)

 

 その手際の良さや表情から、この少女が本当に料理をするのが好きなのだという事が伝わる。

 

 「スープも、サラダの準備も出来たし。もしよかったらパンが焼ける間に他の胡椒レシピ教えましょうか?」

 「いいんですか!?」

 「ええ。お土産の胡椒だって奮発しちゃうから。どんどん料理で使ってね」

 「ありがとうございます!!」

 

 そうしてテーブルに向かって振り返ったところで、アステルとタニアは戸口に立つスレイに気づいた。

 

 「あ、スレイ! おはよう」

 「おはようございます。よく眠れましたか?」

 「おはよう。悪いがコーヒーを貰えるか?」

 「はい。ちょっと待っててくださいね」

 

 そう返事してタニアは食器棚から豆挽き器を取り出す。

 

 「楽しそうだな」

 「うん!」

 

 厨房の暖かな空気に充てられてか、それとも楽しくてか。頬をほんのりと桃色に染めたアステルは元気良く返事した。

 思わずスレイは目を張る。

 

 「あ、」

 

 彼のその様子に、はしゃぎ過ぎて引かれたかとアステルはばつが悪そうに目を逸らした。スレイの方も何故かしゅんとなってしまった彼女に、顔には出さないが内心慌てる。

 どうしたものか。スレイは取り合えず彼女の頭に手を置くと、アステルは目を上げた。

 

 「色々教えてもらえ」

 「スレイ?」

 「お前の料理旨いからな。旅の楽しみが増えてオレ達も助かる」

 

 アステルは目をぱちぱちと瞬き、それからまた満面の笑みで「うん!」と頷いた。

 椅子に腰かけて料理の話に盛り上がるアステルとタニアを眺めながら、スレイはコーヒーを傾ける。

 そうしてるうちに、タイガが朝の鍛練を終えて食堂に。

 続けて昨日の宴で調子に乗って呑んでいたシェリルが頭を押えながら渋面(しぶづら)で現れ、逆に朝から元気一杯なマァムは「おっはよぅ~~っ! お腹空いたぁ~っ!」と食堂に飛び込むから「マァム……後生やから、声、抑えて」とシェリルがテーブルに突っ伏す。

 店の仕込みを終えたグプタと店主である祖父が最後にやって来ると、

 

 賑やかな旅立ちの日の朝食が始まった。

 

 

 

 

 

 

 晴れ渡る青空の下。勇者一行の出立に救われた娘家族は勿論の事、町民達は声を掛け合わせ、こぞってその見送りに町一番の胡椒屋に集まった。

 

 「はい。今朝言ってたお土産の胡椒。それでおいしい料理を作って、しっかり食べて。これからも元気に旅を続けてくださいね」

 「わぁ、ありがとうございます!」

 

 タニアから黒胡椒がたっぷり入った袋をアステルは受け取って頭を下げた。

 

 「今は()()()()()それだけね」

 「取りあえず?」

 

 意味深なその言葉にアステル達は頭を傾げるが、タニア、グプタ、店主、バハラタ町民達はにんまりと笑ってそれ以上は答えなかった。

 

 「勇者殿がたのお陰で娘達も町も救われました。本当にありがとう」

 「今はこんなですが、事件解決が知れ渡り港が解放されれば、町は再び観光地として活気付くでしょう。ありがとうございました」

 

 町長と救われた娘の家族を代表してタニアの祖父が頭を下げる。

 

 「いいえ。……カン、じゃない。《旅の傭兵さん達》のお力添えもあったお陰ですから」

 

 アステルがそう言うと、頭を上げた町長はうんうんと頷く。

 

 「あの方達も殊勝で気持ちのいい方達でしたなぁ。御礼をと何度も申し上げたのですが、『なら一晩の酒代で充分だ』と仰られて、気持ちの沈んでいた我々までも巻き込んで大いに盛り上げてくださって……」

 

 目を細める年老いた町長に、アステルは眉を下げて頬笑む。それが本来のカンダタ一味の姿であり、やり方なのだろう。

 カザーブの村では義賊として知られた彼等だが、しかしここバハラタでは《カンダタ》の名はもはや、大悪党以外の何者でもない。

 

 《幾つもの顔を持つ大盗賊》

 

 彼の二つ名はこうした事が重なって、出来上がったに違いない。

 ふいに肩を叩かれアステルが振り返る。

 

 ───余計な事は言うな。 

 

 目でそう言うスレイに、彼女は溜め息交じりに頷いた。ふと気が付くと魔法のそろばんと大きな袋を肩に担いだシェリルが、ムッスリと不機嫌顔になっている。

 真っ直ぐな性格の彼女だから。いくら仲が悪くとも、カンダタがやってもいない悪事で誤解されたままにしておくのは納得いかないのだろう。と、アステルはそう思った。気を取り直し、笑顔でバハラタの町民達を見回す。

 

 「……それじゃあ、皆さん。私達はこれで失礼します」

 「達者でな。親方にタニア、グプタ」

 

 タイガが手を上げると、胡椒屋の三人は頷いた。

 

 「うむ」

 「ありがとう。タイガ、勇者さん達」

 「知ってるだろうが、ダーマの神殿は北の山奥だ。気を付けてな!」

 

 

 町の入り口近くに建つ教会を通りがかると、教会の門の前にシスターが立っていた。会釈をすると、シスターは小瓶を手に彼女達の前に進み出る。

 一行は心得顔で頭を垂れ、瞼を閉じると、シスターは小瓶の蓋を開けて聖水を彼女等にパラパラと振り掛け、十字を切って旅の無事と成功を祈った。

 

 「ありがとうございます」

 

 頭を上げたアステル達に、シスターは微笑む。

 

 「勇者様。ダーマの神殿に辿り着かれたら、是非大神官ナディル様をお訪ねください」

 「大神官ナディル様?」

 

 シスターは胸の前で手を組み、頷いた。

 

 「ダーマ神殿の頂点に立つ御方。勇者様が知りたい事にも、そして、知るべき事にもお答えくださるでしょう。……それと」

 

 シスターはマァムの方を見向く。

 

 「マァムさんが宿す聖なる力は類い稀なもの。かの御方ならその力をよき方向へと導いてくださるはず」

 「「マァムが?」」

 

 アステルとシェリルは声を揃えた。当の本人は話を聞かず、自身の金髪の巻き毛に指をくるくると絡ませて弄んでいる。

 

 皆の視線に気付くと、へらぁ~っと笑った。

 

 

* * * * * * *

 

  

 

 巡礼の最終地とも云われる聖地ダーマの神殿への道程は、容易いものではなかった。

 バハラタの町を出た一行は橋を渡り、東に向って草原を歩き続ける。人攫いのアジトの洞窟がある森を脇目に更に東へ。幾つものなだらかな丘を越え、徐々に北上すると森に辿り着く。ここら一帯の木々には精霊が宿るとされ、伐採を固く禁じられている。故に整備された道などはなく、文字の掠れた案内板が点在するのみ。

 それらを頼りにでこぼこした地面や木の根に足をとられぬよう、また足元に気を配りすぎて逸れたり、魔物達の不意打ちに遭わぬよう、注意深く進む。

 野営を繰り返し、何日もかけて抜けた森の向こう側には、高く険しい山々が待ち構えていた。

 緑の少ない剥き出しの赤褐色の岩肌の山道を今度はひたすら登っては、下る。今いる場所は斜面ではあるものの、森と比べれば拓けていて足場も然程悪くはない。が、その分、身を隠すような場所も少ない。

 それはすなわち魔物達の格好の的となるという事だった。

 

 「まあ、こっちも襲って来るんが丸わかりなんやけどなっ!」

 「うん!」 

 

 人の丈を遥かに越える紫色の毛皮を持つ大猿……アッサラーム付近に生息する〈暴れ猿〉の進化系〈キラーエイプ〉が振り下ろした剛腕を、アステルは横に跳んで避ける。腕が地面にめり込んでいる隙を狙って大きく跳躍し、掛け声と共に剣を振り下ろす。ゾンビキラーの聖なる刃は、易々と大猿の固い毛皮共々皮膚を斬り裂く。先ずは一匹。

 シェリルに対し二匹の大猿が挟み撃ちにせんと同時に襲い掛かるも、彼女は手を地に置いて姿勢を低くしてそれをかわす。大猿達はがちんっと互いの額をぶつけ合った。

 

 「お熱いことで」

 

 そう嘲ると、体を起こして二匹の大猿に魔法のそろばんを打ち据える。二匹。三匹。

 武器を構え背中合わせになった彼女等を凶悪な形相の大猿の群れが囲む。息を整え、アステルが剣の束を握り直す。迫る魔獣達を威圧するように、シェリルが魔法のそろばんを勢いよく振り下ろす。

 じゃらんっ! と、打ち鳴らされた算盤玉の音を合図に二人は地を蹴った。 

 

 その大猿達の向こう側にいるのは。

 ヒツジのような外見を持ち、闘牛のような体格と気性の荒らさを併せ持つ〈マッドオックス〉の群れ。それと相対するのはスレイとタイガ。側頭部に生えた立派な渦巻き状の二本の角を振りかざし、突進してくる。

 

 「ふんっ!」

 

 迎え撃つタイガは両手でその角を掴み、その場に踏ん張る。双方押し合いの力比べとなるも、ふいにタイガは顔の近くに熱を感じた。マッドオックスの二本の角の間に、高温度のエネルギーが丸く圧縮して光を放っている。

 

 「うわっと!!」

 

 タイガは角をぐんっと下に押しやり、マッドオックスの顔を地面に向き合わせた。それと同時に放たれた初等閃光呪文(ギラ)は岩肌を焼く。顔面直撃は避けられたものの、角を握っていたおかげで火傷を負い「あちちっ!」とその両手を振る。

 一方、マッドオックスの方は顔が煤だらけになるも、ダメージを受けた様子はみられなかった。鼻息荒く固い地面を削るように前掻きし、頭を振りかざす。

 角と角の間に再び生まれるのはギラの光球。

 

 「せっえぇのぉぉぉっ!!」

 

 マァムの気合いと共に発生した紫色の霧がマッドオックスを包むと、ギラの光球が音もなく儚く消えた。

 

 「ホぉイミぃ~~っ!」

 

 マァムは右手に魔封じの杖を掲げたまま、左手を翳して治癒呪文を唱える。火傷の癒えた拳を握り締めたタイガが、マッドオックスの横っ面に強烈な裏拳を放つ。吹っ飛ばされた魔物は崖下に敢えなく落ちていった。

 

 「……すまんな! マァム」

 「いいって事よっ!」

 

 雄々しく答えて突き出したマァムの左拳に、笑って拳を合わせるタイガ。

 その二人に忍び寄る小さな影。なにもない所に突如現れた二つの黄色い目は、ニヤリと細まり、不可視の杖を振るおうとした……ところで、油断している筈の人間達は笑顔のまま、ぐりんっと彼の者に振り返った。

 

 影はびくりっとない肩を竦める。

 

 「甘い」

 「ちょろあまぁ~~♪」

 

 マァムは魔封じの杖を振り翳す。近付いていた影は魔力を封じ込まれ、なにかの術で風景と同化していたのだろう姿が露となる。タイガはそれをボールのように天高く蹴り飛ばした。

 空に軌跡を描くのは緑色の肌をした一頭身の魔物。〈幻術士〉である。

 

 次々に襲いかかるマッドオックス達の体当たりをスレイは軽やかに避け、擦れ違い様に左手のアサシンダガーと右手の毒針で的確に急所目掛けて翻しては突く。魔物の群れをひとりで難なく倒していく。楽勝かに見えた。が。

 

 突然、彼の体が傾いだ。

 

 「………っ!?」

 

 警戒して距離を取っていた頭のいいマッドオックス達が、好機とばかりにスレイ目掛けてギラを合唱する。

 

 「呪術封印呪文(マホトーン)っ!!」

 

 ヴォンっ!!という、耳鳴りのような音が辺りに響き渡り、紫の光の帯に包まれたマッドオックス達の呪文攻撃が不自然な形で止まった。すかさずスレイは腰から刃のブーメランを取り出し、膝を着いたまま投げ放つ。刃は魔物達を次々と捕らえるが、最後の一匹がそれを角で弾く。そしてまだ立ち上がれないスレイに向かって角を突き出して突進してきた。

 しかし。素早くその前に躍り出たタイガの風神の盾が、敵の頭突きを弾く。衝突のダメージで蹌踉(よろ)めく魔物に、鉄の爪を填めた右拳を抉るように突き上げる。喉笛を掻き切られたマッドオックスは、悲鳴を上げる事なく、茶色の宝石となって地面に転がった。

 

 「大丈夫か?」

 

 タイガは振り返り、座り込むスレイの前に跪く。「ああ。すまない」と頷く彼だったが、顔色がいつもより一段と青白く感じられた。彼の体内の《氣》を確認したタイガの表情が険しくなる。

 

 「スレイ!!」

 

 一帯に敵の気配が無くなったのを確認して、剣を収めたアステルは血相を変えてスレイに駆け寄る。 

 その後をシェリルとマァムも追った。タイガは場所をアステルに譲って立ち上がり、彼女はスレイの体を注意深く診る。

 咄嗟(とっさ)のマホトーンはちゃんと間に合ったようで、彼の体には閃光呪文による火傷も焦げ跡もひとつもない。

 

 「怪我は無さそうだけど……」

 

 取りあえず初等治癒呪文(ホイミ)を唱える。手から放たれた癒しの光が、彼の体を包み込む。

 光が消えるとスレイは細く息を吐き、顔を上げた。

 

 「……さっきは助かった。新しい呪文覚えてたんだな」

 「うん。それよりも大丈夫? マァムに中等治癒呪文(ベホイミ)もかけてもらう?」

 

 アステルの後ろでマァムが魔物の〈まほうつかい〉のマネをしてるのか、両手を怪しげに動かしている。

 

 「………いや。いい。大丈夫だ」

 

 出番をなくしたマァムはぴたっと動きを止め、「ぶーっ」とふくれっ面になった。

 スレイはまだ不安げに眉を寄せるアステルにちゃんと立って見せ、更にしゃがんだままの彼女の手を掴んで引っ張り上げて立たせた。

 

 「ほらな」

 

 しかしアステルは曇った表情のまま、スレイを見上げ続けている。

 

 「なんや珍しい。魔物の術でも受けたんか?」

 

 拾った刃のブーメランを差し出しながら尋ねるシェリル。スレイは短く礼を述べて、それを受け取り腰ベルトに収めた。

 

 「違う。……情けない話だが多分山酔いだ。さっきの治癒呪文(ホイミ)で楽になったから、本当にもう気にするな」

 「でも……「せやったら」

 

 シェリルの明るい声が割って入る。

 

 「ちょいと早いけど、今日はここらで(しま)いにせえへん? ちょうど野営に良さそうな場所あるし」

 

 そう言って、斜面を登りきった少し先に見える風避けになりそうな岩影を指差した。空は茜差すものの、まだ辺りは明るく普段ならもう少し距離を稼げそうだが。

 

 「魔物達も追っ払った事やし。日の出前から歩きづめでウチも流石に疲れたわぁ」

 「そうだな。山酔いなら水分をしっかり取って、一晩体を休めれば症状も落ち着くだろう」

 

 タイガも彼女の提案に頷き同調する。

 

 「……うん、そうだね。そうしよう! じゃあ、私達は準備するからスレイは今日はもう何もしないで。夜中の見張りもいいから、しっかり休む事! マァム、スレイの事見張っててね」

 「いえっすっ! まむっ!!」

 

 軍人さながらにびしっ! と、アステルに敬礼するマァム。

 スレイは顰めっ面でそっと息を吐いた。

 

 (………見張るってなんだ)

 

 「……なんや。スレイの心配症がアステルにも、うつってもうたようやなぁ」

 「だなぁ」

 

 溜め息混じりに皮肉るシェリルに、面白そうに頷くタイガ。

 そんな二人をスレイは睨んだ。

 

 ここら一帯は岩ばかりで薪となるような木は一本も生えておらず、水源も勿論ない。普通ならばこの場所に至るまでにそれらを確保し、背負い持ち歩く所だろう。

 だが、アステル達にはなんでもいくらでも入り、重さも感じない〈大きな袋〉がある。予め森で拾い乾燥させた大量の枝木や、沢で汲んだ水袋の一つを袋から取り出す。

 

 「〈大きな袋〉様様やな」

 「だねぇ」

 

 有り難や~~と、袋に手を合わすシェリルとアステル。袋に拝む二人の姿に、石を組み上げ竈を作るタイガは吹き出した。

 タイガが火を起し、アステルはバハラタの特産品干し牛肉の塊と黒胡椒を表面に軽くまぶしたパンを焼く。更にきのこのコンソメスープも作った。料理の香りに魔物達が寄って来ぬよう、シェリルは炎を中心に円を描くように聖水を撒く。

 アステルの言う通り、大人しく鞄を枕にして横になるスレイ。そんな彼を片時も目を離さず、凝視し見張るマァム。

 目蓋を閉じても感じるその視線に堪えきれず「休めるかっ!」と、スレイは起き上がって突っ込んだ。

 

 やがて夕陽が沈み、辺りが闇夜に包まれ気温がぐんっと下がる。夕食を終えた一同は、焚き火を囲むように身を寄せ合う。

 「熱いから気を付けてね」とアステルが配るのは、暖かな甘さが疲れた体にじんわり染み渡るはちみつ生姜湯。ふぅふぅと息を吹きかけ、同じタイミングで口に含んだシェリルとマァムは「「はあ~~っ」」と、ほっこり緩んだ顔で長い息を吐いた。

 

 「しっかし。ダーマへの道程がこんな険しいもんやなんてなぁ。観光地や思うて甘くみとったわ」

 「観光や参拝目的ならロマリア、バハラタ経由で海路を使うのが一般的だからな」

 

 シェリルのぼやきにそう答えるのは、今は起きて会話に参加しているスレイ。

 

 「そうなんだ?」

 

 湯気の立つカップを両手に握りこんだアステルが顔を上げた。「ああ」と、彼は手にしたカップを地面に置き、鞄から〈妖精の地図〉を取り出し皆に見えるように開く。

 羽ペンが元気よく立ち上り、ちょこちょこと本日分の足跡を色付けていく様をマァムが楽しげに眺める。ペンが止まるのを待ってスレイが指差したのは〈ダーマの神殿〉。

 そしてそこから南東に離れた位置にある祠印だった。

 

 「ここに定期船乗り場と宿泊施設がある。こちら側から伸びるダーマの神殿への山道の方が緩やかでちゃんと整備されてるし、辻馬車も出てる。

 わざわざ未開の陸路を選ぶのは大地神の洗礼を受けたい信心深い巡礼者か、修行目的の〈物好き〉くらいだろ」

 「〈物好き〉ねぇ……」

 

 と、シェリルは半眼でちらりとその物好きを見やる。

 

 「若いうちの苦労は買ってでもしろってな。高山地帯での旅や戦闘は経験しておいて損はないぞぉ」

 

 ダーマまでの先導役を買って出たタイガはニッと笑い、彼女の頭をわしわしと掻き撫でる。

 

 「だぁかぁらぁっ! 髪が乱れるから撫でるのやめいっ!」

 

 すかさずシェリルはその大きな手をはたいた。

 

 「まぁ、タイガの言葉にも一理ある」

 「でぇ~、それにぃ一番にぃ音を上げたのはぁ誰だっけぇ~?」

 

 意地悪い笑みを浮かべるマァムに、スレイは額に青筋を立てる。

 

 「………言いたい事があるなら、はっきりと言え」

 「きゃぁ~ん!」

 「お、落ち着いて。体に良くないから。ね? スレイ」

 

 なだめるアステルの背後に隠れてほくそ笑むマァム。

 スレイは盛大に舌打ちをし、彼女達に背を向けて横になった。アステルは眉を下げ、それから後ろのマァムをちらりと見ると、不貞寝するその背中に向かって「あっかんべー」をしている。

 

 「……マァム。具合が悪いのをからかっちゃ駄目」

 

 頭を軽く小突いて嗜めるとマァムは舌を仕舞って、アステルの腕に抱き付くように腕を絡めてふくれっ面になる。

 

 「だってぇ~~スレイったらぁ、まぁたアステルに心配かけるんだもぉん」

 

 彼女のぷっくり膨らんだマシマロ頬っぺを指先で押すと、可愛らしく尖らせた口からぷしゅっと空気が漏れた。先日から何故かシェリルよりもスレイをからかう頻度が増したマァムに、どうしたものかとアステルはそっと嘆息を漏らす。

 

 見上げた夜空にはくすくすと此方を笑うように数多の星が瞬いていた。

 

 

 ───翌日。昨日の不調を感じさせない足取りのスレイに、アステルは意固地になっているのではないかとはらはらするも、以降、特に問題は起こらなかった。

 そして。一行がバハラタの町を発っておよそふた月が経過した頃。岩肌の露出した山の風景が次第に緑に色付けられる。やがて森に辿り着き足を踏み入れると、そこは清浄な空気に包まれており、気が付けば魔物達の気配は遠退いていた。

 ここには魔王の息のかかった邪悪な輩は立ち入れない。

 

 なぜなら。ここはもう聖域の内にあるからだ。

 

 

 

 






ダーマ編突入です。
実はストックがまもなく切れます(汗)ストックがなくなりましたら、不定期投稿となります。
年内にはダーマ編を終わらせたいと仕事の合間にスマホで執筆しておりますが、どうかご了承ください_(..)_
ストックがなくなるまでは今までとかわらず投稿致します。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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神殿②

 

 

 ───ダーマの神殿。四方を高い山に囲まれた山上盆地、杉や松檜が密生する森林地帯の中央に建てられた荘厳華麗な聖殿の歴史は、創世記まで遡ると謂われている。神官僧侶の総本山であり、心身を鍛え《悟り》へと到達する事を目的とした修行場である一方、世俗にもその門戸は開かれていた。

 参拝者は勿論の事、ここには古代大戦の戦火から免れた膨大な数の貴重な古文書が収められた大図書館があり、それ目当てにこの地を訪れ、そのまま留まり日夜研鑽を積む学者や研究家、魔法使い達も多く見受けられた。

 故にダーマは《叡知・英知》が集結する地とも呼ばれている。

 宗教都市と言っても過言ではないだろう。外門を潜った先、広大な神殿敷地内には幾つもの祈り場や修練場が設けられ、様々な職種の人間が目当ての場所へと向う。

 中には僧侶や魔法使いといった知的な職種だけでなく、信仰や学問とは無縁そうな武闘家や戦士風の者の姿も見られた。

 

 「そんな事もないぞ」

 

 彼女の感想に隣を歩くタイガは朗らかに笑う。

 

 「本物の(つわもの)とは心技体を兼ね備えた者の事を言う。厳しい戒律の中に身を置く事で精神力と肉体を鍛える事も、古の先達が残した指南書や口伝で技や戦術を学ぶ事も、ここでは出来るからな」

 「なるほど」

 

 アステルは納得して頷く。

 

 「……それに、なにより……」

 

 ふいにタイガの顔から笑み消える。真顔の彼が何を語るのかと、アステル達は固唾を呑んだ。

 

 「ダーマの宿は飯は味気無くて量は少ないが、風呂付きで代金がすこぶる安い!長期滞在にはもってこいの修行場なんだ!」

 

 一同、がくっと力が抜けて体が傾ぐ。マァムだけは笑っていた。

 

 「? どうしたんだ?」

 「う、ううん。だったら早めに宿は取っといた方がいいね」

 

 いきなり立ち止まった仲間達にキョトンとするタイガ。アステルはそんな彼に苦笑を浮かべ、再び行き交う人々に視線を移す。

 

 「それにしても……参拝の人、多いね」

 

 「いいや。これでも少ない方だ。人攫い騒動と港閉鎖のせいだな」と、スレイ。

 

 「だろうなぁ」と、タイガも同意する。

 

 「これで!?」

 

 驚愕の声をあげるアステルに、二人は頷いた。

 

 「はぁ。このご時世にそんなに多くの人が、海を渡ってまで遥々やって来るなんて。……それほど御利益があるの?」

 

 「そうらしいで」と、シェリル。

 

 「転職とか人生の岐路に立った時とか。一念発起する前にお参りすると効果覿面やって聞いた事あるわ」

 「転職?」

 「てぇんしょぉくぅ?」

 

 首を傾げるアステルとそのマネをするマァム。「眉唾な話やけどな」と、シェリルは肩を竦めた。

 

 「親父も武闘家から商人に鞍替えした時に、母方の祖父(じっ)様の言い付けでダーマでお参りしとんねん。そのお陰ってわけやないけど……まあ、成功した部類に入るからな。国営貨客船の〈船旅で行くダーマ参拝〉の誘い文句にされとるわ。もちろん、ちゃーんと広告料はもろとるけどな」

 「あはは。さすがだね」

 

 ダーマの中心部へと向かうその前に、一行はタイガが絶賛した宿屋に立ち寄る。神聖な景色と調和した外観の二階建ての宿は、一個人が経営しているのではなく、ダーマが管理している大規模なものだった。大広間には旅の神を祀る立派な祭壇があり、ここを訪れた者、旅立つ者が入れ替り立ち替り祈りを捧げている。

 アステル達は男女に分かれて部屋を二つ取り、大浴場に向かう。日はまだ高いが、参拝の前に身を浄める者が多い為か、湯槽には常に暖かな湯が張っており、利用する事ができた。汗や埃を落し、清潔な服に着替え、宿の者に参拝に出る事を伝えて再び外へと出た。

 本殿へと続く石畳の参道の両脇に並び立つのは、神秘的雰囲気を感じさせる石の塔。

 前を歩く修行僧が立ち止まってはその塔に向かって拝する。その様子を不思議そうに眺めるアステルに気付いたスレイが口を開いた。

 

 「あの石塔の中には〈元始の賢者ガルナ〉が書き遺した聖典が納まっていて、ここら一帯に結界を張っている」

 「ガルナ……確か、人の身で神の声を聞き、五大属性全てを操る力を得て、ありとあらゆる魔法を会得行使できた、此の世で最初の賢者……だよね?」

 

 幼い頃、元僧侶の母に教わった歴史の授業を思い出すアステルに、スレイは頷く。

 

 「あれに祈り、大賢者の遺志に触れる事で、過去の罪が消除されて功徳を積む事ができるそうだ。他にも寿命が延びるとか、死後は迷わず天へと導かれるとか謂われてる」

 「へぇ」

 

 本殿を目指す一行は祈る修行僧を追い越す。ある程度距離を取ってから、アステルは背後を振り返る。まだまだ終わりの見えない石塔のひとつひとつに、丁寧に頭を下げるその姿に思わず溜め息が漏れた。

 かなりの忍耐が必要なのではないだろうか。

 

 (……それにしても)

 

 「スレイ、詳しいね?」

 「ここに滞在してた時に教わった」

 「そういえばスレイはどうしてダーマへ? やっぱり《ガイアの剣》の手掛かりを求めて?」

 「……まぁな」

 

 渋い顔をして答えを濁すスレイに、アステルは首を傾げた。

 

 

 アリアハンの水路の遺跡、旅の扉、砂漠の国とその王墓を初めて目にした時もそうだったが、古代人の技術力にはただただ驚くばかりである。

 陽光を浴びて青白い輝きを放つ、美しく巨大な本殿を見上げ、口を開けたまま惚けるアステルとシェリルを、後ろにいるスレイが軽く小突いて我に返らせる。

 出入り口を護るかのように、参道を挟んで建つのは、神殿と同じ石材で出来た天を衝くような対の石塔。シェリルは石塔に近付き、顎に手を当てまじまじとそれを見詰めた。

 

 (見た感じ材質は御影石(グラニット)みたいやけど、劣化の影が全くみられへんのはどういう事や? それにこの艶やかさ。宝石みたいや。一体どんな技術で、ここまで磨き上げることができるんや?)

 

 「シェリル~?」

 「……ん。ああ! すまん!」

 

 呼ばれて我に返った彼女は、仲間の元へ駆け出した。

 

 神殿の巨大な黒鉄の扉は固く閉ざされ、その前に立っていたのは門兵ではなく、赤紫の法衣を纏った一人の壮年の男性神官だった。神官はアステルの額のサークレットを認めると、天を仰ぎ祈るように両手を高く掲げた。 

 

 「ダーマの神殿によくぞ来た!」

 

 神官はポーズをとったまま静止した。

 風に揺れる木々のざわめき、天高く飛ぶ鳥の鳴き声だけが長閑に響き渡る。

 

 

 

 ────長い、長い、間を置いて。

  

 やっと動き出した神官は、すっと両手を下ろし。

 

 ……何故か、がっくりと項垂れた。

 

 「「「「「?」」」」」

 

 一行は頭に疑問符を浮かべて互いに顔を見合わせる。埒が明かないので、先頭に立つアステルが神官の下がった肩に、手を伸ばして声をかけようとした……次の瞬間。

 

 「と、言いたいところだがっ! 今のそなたらを通す訳にはいかぬっ!」

 「きゃあっ!!」

 

 突然、ぐわっと顔を上げた神官をかわすように、大きく仰け反るアステル。バランスを失い、後ろに倒れる彼女の体をスレイが受け止めた。

 

 「ご、ごめん。ありがと」

 「気にするな。あっちが悪い」

 「どういう事や? ダーマの神殿は万人に開かれとるんやろ?」

 

 手を腰に訝しげな目で神官に詰め寄るシェリルに、彼はゴホンッとひとつ咳払いをする。

 

 「然り。だが、物事には順序というものがある」

 「順序~っ?」

 「ダーマの神殿の扉は命名神(めいめいしん)マリナンの御力によって護られておる」

 

 「命名神、マリナン?」と、タイガ。

 

 「さよう。主神の従属神で、名前と宿運を司る神。マリナンに認められねばここを通り抜ける事は叶わぬ。……こんな事、私が説明せずともそなたなら知っておった事だろう。───スレイ=ヴァーリスよっ!」

 「え?」

 「威風堂々と扉が開き、新たな勇者が神域へと導かれる筈だったものをっ! とんだ赤っ恥をかいたわっ!!」

 

 アステルは背後を見上げると、ぶつくさ文句を垂れる神官に対して、スレイは何食わぬ顔でそっぽを向いていた。

 

 「まったく。たとえ彼女が天に選ばれし〈勇者〉であろうとも、古からの慣習は避けられんわい。往生際が悪い事をせず、さっさと《命名神の巫女姫》の元へ行かんか」

 「……姫なんて歳か」

 

 半眼でぼそりとそう呟く。

 

 「ほほぉう? ……ならばその減らず口、巫女姫本人の前で叩くがいい。叩けるものならな」

 

 ニヤリと笑う神官に、スレイは苦々しく舌打ちをして、踵を返す。アステルは足早に立ち去るスレイと、やれやれと言わんばかりに溜め息を吐く神官を交互に見る。

 

 「ん? なにをしておる勇者よ。彼について行くがよい」

 「え? あ、……はい! 失礼します!」

 「うむ。また後程な」

 

 ぺこっとお辞儀をしたあどけなさが残る勇者の少女は、紫紺の外套を翻し慌ててスレイの後を追う。  

 続けて、背の高い珊瑚色の長い髪の娘、頑強な体格の隻眼の武人が。

 そして。

 最後に男の大きな体に隠れるようにいた細身の娘が、軽い足音を立てて皆の後を追った。

 

 「………っ!」

 

 ふわりと翻る豊かな金髪巻き毛、こちらをちらりと窺った燃えるような紅玉髄(カーネリアン)の瞳に、神官は瞠目する。

 

 走り去る娘の姿に、過去の幻影を見た神官はその名を呟いた。

 

 

 

 ────セファーナ=ノーラン……と。

 

 

 






《補足》
本文で伝われば嬉しいのですが、ダーマの神殿に使われている石材はただの切り出し岩ではなく、現代ビル建築並みにつるつるに磨かれた石材(御影石)で建てられてるイメージです。

ドラクエ3のダーマの神殿にドラクエ4のゴッドサイドを足して出来上がったのがこの物語の《ダーマの神殿》です。
ダーマというのは地名で崇める主神は竜神。ダーマの神域内には主神に遣える従属神……色んな神様の小神殿があります。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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命名神の審判

 

 

 

 掃除と整頓が行き届いた部屋は持ち主の少女の性格を表していた。

 ただ、娘の部屋にしては質素で飾り気がない。ベッドの枕元にちょこんと鎮座している、首に空色のリボンを巻いた小さなシロクマのぬいぐるみだけが唯一の娘らしさか。シロクマのその黒い(つぶら)な瞳が映すのは、机に向かって真剣な表情で訓練用の銅の剣の手入れに取り組む少女の姿だった。

 

 軽いノックの音に少女がハッとして振り返ると、元々開いていた扉の前に立つのは少女の母親だった。

 

 『なに?』

 

 少女が剣を机の上に置くと、母親はすまなそうに微笑を浮かべる。

 

 『邪魔してごめんなさいね。ルイーダの所におつかい頼まれてくれる?』

 『いいよ。何買ってくるの?』

 『料理酒切らしちゃって。あとお義父さんのいつものワインも頼める?』

 『わかった』

 

 椅子から立ち上がり、洋服掛けからコートを手に取る。ちらりとシロクマに向かって少女は心の中で『行ってくるね』と話しかけた。

 少女は背を向け部屋を出る。

 クマの首に巻かれていたリボンがほのかに虹色に輝いていたのは誰もしらない。

 

 家を出た途端襲いかかってくる冷たい空気に少女はぶるりと震え、肩を竦めた。吐き出された息は白く、見上げた空の色は灰白色。髪を短くしてから初めて迎えた冬の寒気は、晒らされた耳と首筋を容赦なく襲った。

 少女は母が編んでくれた耳当て付きの毛糸の帽子を深く被り直し、肩に掛けてた買い物かごの取っ手を手に握ると、自宅向かいにある馴染みの酒場へと小走りで向った。

 

  (この空……もしかして今夜辺り雪でも降るかも?)

 

 少女がもう一度空を見上げたその時、キラリとなにかが光った。

 思わず足を止めて、少女は瞳を凝らす。

 

 『……星?』

 

 今は昼だ。一番星が見える時刻でもない。しかし輝きは大きくなる一方で。

 

 (しかもどんどんこちらに近付いて来ているような……)

 

 『ようなじゃなくて、ホントに近付いてるーっ!?』

 

 少女の叫び声に他の歩行者もなんだなんだと空を見上げ、落ちてくる光を目にすると驚愕の声と悲鳴が上がる。

 

 そのまま激突……と、思いきや。

 

 光は地面に近付くにつれ、その速さを落とし、少女の目の前にふわりと着地する。

 

 輝きは徐々に弱まり、やがて、消えた。 

 

 

 『うちの店の前でなに騒いでんだ! ……って、なにしてんだい? アステル』

 

 バンっと店のドアを開いて怒り顔で現れた酒場の女店主が、眼前の状況に目をぱちくりとさせた。

 

 『る、ルイーダさん! 空から女の子! 空から女の子がっ!!』

 『へ? 空から?』

 

 常連客の孫娘が真っ青な顔で慌てふためいて抱えているのは。

 

 血塗れ泥塗れの、けれど、とても愛らしい顔立ちをした金髪の女の子だった。

 

 

 

* * * * * * *

 

 

 

 神殿の入り口から足早に立ち去るスレイを慌てて追ったアステル達だったが、神官の姿が見えない位置までくると彼は立ち止まり、仲間達が追い付くのを待っていた。

 

 「スレイはさっきの神官さんや命名神の巫女姫様の事、知ってたんだね?」

 「……ああ。子供の頃、師匠とカンダタに連れられてな」

 

 尋ねるアステルに、スレイは不承不承答えると再び歩きだした。

 

 「そんな昔からの付き合いだったんだ」

 

 嘆息を漏らすスレイに「そんなに会いたくないの?」と、アステルは眉を下げた。

 

 「……タイガ? どないしたん?」

 「どないしたん~?」

 

 その声にアステルが後ろに目を向けると、顎に手を当てて考え込むタイガを中心に、挟んで歩くシェリルとマァムが彼の顔を覗き込んでいた。

 

 「いやぁ、な? 俺も以前ここの本殿にいる大神官に祝福を受けた事があるんだが、その時は普通に入れたのになぁ……って」

 「はぁっ?」

 「扉の守護とか、命名神の事も今日初めて知った」

 「どういうこと?」

 

 シェリルが訝しげな声を上げ、アステルも小首を傾げた。

 

 「当然だ」と、スレイが億劫そうに口を開く。

 

 「本来ダーマの神殿は誰でも入る事ができる。むしろ資格が必要なのはマリナンの神殿のほうだ。

 ……オレが立ち寄らないのを見越して、ババアが神殿の扉を閉ざしたんだ」

 「でも神官様は物事には順序が……って、」

 

 言いかけて、スレイの拗ねたような表情にアステルはハッとする。

 あれは私達にじゃなくて、スレイだけを指して言ってたんだ、と。

 

 「あのおっさん、(たばか)ったんかっ!?」

 

 「それは違うな」と、苦笑を浮かべるタイガ。

 

 「己の巫女の願いとはいえ、神殿の扉を守護する神が俺達が通る事を認めなかったのは確かだからな」

 

 どうやら彼も神官の言わんとする事を察したらしい。前を歩く白銀の頭に視線を向ける。

 

 「そんな事をしてまで、巫女姫はスレイに会いたかったって事だ」

 

 彼の声は聞こえていただろうに、当の本人は反応ひとつ返さない。アステルがそろっと隣のスレイの顔を窺うと、眉間の皺が更に深く刻まれていた。

 

 「……つまり。スレイがその巫女姫から逃げてたせいで、ウチらまでとばっちり受けたって訳やな」

 「とばっちりぃ~~」

 

 納得したように頷くシェリルと、下唇を突き出すマァム。スレイはそれらを無視した。

 

 木々と本殿の外壁に挟まれた細道をスレイは黙々と歩き、アステル達はその後を付いて行く。本殿前と違って人の声や気配はなく、鳥のさえずりと木々のざわめきだけが辺りを支配する。

 ……と。こちらに向かってやってくる者が現れた。長いローブを纏い、顔をフードで隠すようにしている。

 

 「あまりジロジロ見るな」

 

 そう言って、スレイは道を譲るように端に寄る。アステル達もそれに倣う。近付いたフードの人物は、こちらに軽く頭を下げて謝意を示し、素早く通り過ぎ去った。

 

 「今のは?」

 「マリナンの洗礼を受けた奴だろ」

 

 囁くように尋ねたアステルに、スレイが答える。

 

 「えらいこそこそしとったなぁ」

 

 シェリルも声を潜めて呟く。

 

 「ダーマが人生の転機を迎える者に祝福を与える地ってのは、わかってるよな? マリナンは人生の再生を望む者に祝福を与える。命名神の前で過去の名を捨て、新たな名を名乗り、それを赦された者は過去の名の柵に捕らわれる事なく、真っ当に生きていけるらしい」

 

 「人生の再生、か」

 

 右目の眼帯に触れてタイガが独りごちた。じっとこちらを見上げてくるマァムに気付き、曖昧に笑う。

 

 「わけあって過去の自分と決別したいと強く願う者が、マリナンの神殿に導かれ訪れるんだ。その必要のない者に神殿は見つけられないし、立ち入れない。普通の参拝者がマリナンの神殿の存在を知らないのはそれが理由だ」

 「でもスレイ達は知っとるんやな」

 

 何気無く発したシェリルの一言だったが、スレイは僅かに眉を顰める。

 

 「……師匠は色々と規格外なんだよ。それに盗賊ギルドでは有名な話だ。盗賊には俺のような発掘や調査専門の奴もいれば、表沙汰には出来ない仕事を請け負う奴も多くいる。そういった奴等が足を洗う時に世話になるんだそうだ」

 「ちょい待ちっ! それって罪を重ねた悪人にも御加護があるんかっ!?」

 「言っただろ。強く願い、導かれ、命名神に赦された者って。誰にでもって訳じゃない。

 ……万が一。これを悪用しようものならそれこそ天罰が下るだろうな」

 

 スレイは口の端を持ち上げるも、その目は笑っていない。

 

 一行は本殿裏手にある森に足を踏み入れた。

 

 

* * * * * *

  

 

 「───魔物の気配はない、な」

 

 タイガは歩みを止めず、気配を窺う。森に入ってから随分と経つが、まだここはダーマの聖域の内にあるらしい。

 

 「不思議な感じ……なんだかエルフの森を思い出すね」

 「ほんまや」

 

 アステルの呟きにシェリルはぶるりと体を震わせ、隣を歩くマァムの手を握る。

 

 「シェリルぅ~。怖いのぉ~?」

 「こ、怖かあらへんっ! マァムが迷子にならんようにやっ!」

 

 前を歩くスレイの足に迷いはない。

 

 暫くして聞こえてきたのは微かなせせらぎの音とふわりと水の匂い。樹木で遮られていた視界が開け、みえた光景は。真っ青な空と周囲の山々や森を鏡のように映す大きな湖。

 その中央に浮かぶ真っ白な円形神殿だった。

 

 「こっちだ」 

 

 絶景に惚ける仲間達にスレイが声を掛ける。神殿から延びる白い石橋を、興味深くまたは楽しげにまたは夢見心地で歩く。途中、マァムが湖を覗きこむ。湖の水は何処までも透明で水底がはっきりと窺えた。

 神殿内へと入るも、通路はなおも続く。奥の間まで、窓一つない真っ直ぐ延びる通路の両脇には、清流がさらさらと外へ向かって流れ落ちる。水路の底に等間隔で埋め込まれた光を放つ夜光石が、薄暗い足元を淡く照らしていた。終着地点であろう小さな光を目指し、歩を進める。

 辿り着いたその場所の眩さに、アステルは咄嗟に片手で庇を作った。

 そこは聖堂だった。

 天井は高く、丸い天窓は丁度真上にあるのだろう陽光を受け入れ、広く白いドーム状の空間を照らす。一番奥の小高い位置に御神体の女神像が片膝を立てて座し、その背後には清水が滝のように流れ落ち、像の足元で左右に分かれ壁に添うように通路に向かって流れていく。

 女神は左掌に歯車を乗せ、右手に羽ペンを握る。此方を見下ろすその面差しは母親のように優しく暖かった。

 

 『ようやく来たね』

 

 アステルは目を(みは)る。女神像が話したかと錯覚した。そんな馬鹿な、と、辺りを見回すも聖堂内に声の主の姿は見当たらない。

 

 「しょうもない小細工すんな。招いたんならさっさと姿現せ。クソババア」

 

 柳眉を釣り上げ、不躾な物言いをするスレイ。だが《声》の方は少しも動じる事なく『はんっ』と、鼻で笑った。

 

 『小童(こわっぱ)が粋がるんじゃないよ。こっちはわざわざお前達の手間を省いてやったてのにさ』

 

 アステル達は訳が分からず顔を見合わせた。

 

 『どうせ『嫌がらせされた〜!』……とか思ったんだろう? こちとらそんなに暇じゃないんだよ。まぁったく。相変わらずの自意識過剰な構ってちゃんだねぇ』

 

 ヒーヒヒヒッと童話に出てくる年老いた魔女の様な嘲笑が聖堂内に響き渡る。

 

 「なっ!!」

 「ぷぷっ! じいしきかじょぉだってぇ! はっずかしぃ〜っ!!」

 

 《声》の尻馬に乗り、からかうマァムをスレイはギッと睨んだ。

 

 「あ、あの! もしかしてあなたが命名神の巫女姫様ですか?」と、アステル。

 

 《声》の主が女神像ではないのはわかっているが、なんとなくそちらに話してしまう。

 

 『……こっちに来たら教えてやるよ。自己紹介ってのは互いに顔を見てするもんだからね』

 

 《声》が笑いを収めてそう言うと、女神像の御前にある祭壇が音をたてて横へとずれた。現れたのは下へと続く階段。

 

 『ここは名前の神の神殿。真名を偽る者に道は開かれない。……さあ、命名神の許しを得てこっちにおいで。お前達が探している、お前達に会いたがっている《奴》はここにいるよ』

 

 ぶつりと会話が絶たれた。聖堂は静寂に包まれる。

 

 「……えーと? つまり、どういう事……」 

 

 苛立ちを隠す事なく冷たく見下されたアステルは思わず竦み上がる。スレイは大きく溜め息を吐くと、突然彼女の頭を腹いせとばかりに両手で乱暴に掻き回した。

 

 「やーめーてーっ!」

 「この下に巫女姫と一緒にダーマの大神官もいるって事だ」

 「な、なんで?」

 「知るか」

 

 素気無く答えたスレイは彼女の頭を離し、階段を指差す。

 

 「アステル、そこの階段下りてみろ」

 「? ……うん」

 

 アステルはぼさぼさの頭を傾げ、階段の一段目を降りようとした。

 

 「わっ!? なにこれ!?」

 「なっ!?」

 「ふぉ〜っ! アステル浮いてるぅ〜!」

 

 シェリルは驚きの声を上げ、マァムは不可思議な現象に手を叩いてはしゃいだ。

 アステルは階段の真上で浮いていた。

 ……いや、浮いているのとはちょっと違う。階段の上を歩き回る。(はた)から見れば宙を歩いてるように見えるが。

 

 「……これ、階段の上を透明な蓋が覆ってる?」

 

 アステルはその場を足踏みしては、軽く地を蹴ってみる。その感覚はやはり硬質ななにかの上に乗っている、それ。

 

 「へえ〜面白いな。どうなってるんだ?」

 

 タイガも階段に近付く。やはり彼も階段を下りる事はできず、宙を立っているような状態。

 

 「もしかして階段は幻か?」

 「いや。ちゃんと階段はある」

 

 首を捻るタイガの隣を今度はスレイが進む。彼は階段の一段目を普通に下りて見せて仲間に振り返った。

 

 「これは命名神の結界だ。ここから下は自分の巫女姫の寝起きする居住空間でもあるからな。巫女姫が招いたとしても、命名神の許しがなければ進めない」

 「どうしたらいいの?」

 「女神像に真名、自分の名前を告げればいい」

 「それだけで入れるの?」

 

 どんな難題を突き付けられるのかと身構えていたが、拍子抜けだった。

 

 「マリナンは名前を知るだけで、その者の《全て》を見通す力がある。名を偽ったり、命名神や巫女姫に害を成す意思がなければ問題ないだろ……って、待「アステル=ウィラント」

 

 ハッとして慌てて止めたスレイだったが、名前に反応して女神像の眉間に嵌った水晶がキラリと光った。

 

 「────きゃっ!」

 

 透明な蓋が突然消え、バランスをとる暇なく、アステルは階下へと吸い込まれる。が、スレイが素早い動きで彼女の腕を取り、引き寄せた。

 

 「あ、ありがと」

 「ちょっと考えればこうなるってわかるだろ。たまに考えなしになるよな。お前は」

 

 呆れたように言うスレイに『自分だってさっきは大人気なく八つ当たりしてきた癖に』……とは怖くて言えず、アステルは半眼で見上げるに留めた。

 

 

 「───シェリル=マクバーン」

 

 固い声で名乗ったシェリルに、女神像は先程と同じく眉間の水晶をキラリと光らせて応える。

 恐る恐る足を階段へと伸ばした。

 

 「お。下りれた」

 

 緊張を解いて、トントントンと軽い足取りで階段の踊り場で待つアステルとスレイの元へ向かう。

 次にタイガが階段の前に立ち、女神像を見上げる。

 

 「タイガ=ヤクモ」

 

 女神像になんの変化も現れ無かった事にタイガは「ん?」と、片眉を上げた。階段に一歩足を踏み出したが、やはり透明な蓋に阻まれた。

 

 「タイガぁ! まさかの偽名かぁ?」

 「いやいや。俺に名前を偽る理由なんかないぞ」

 

 シェリルの冗談混じりの言葉に、タイガは困り顔で頭を掻く。

 

 「でも。だったらどうして?」

 

 アステルがスレイを見上げる。彼は顎に手を当てて少し考えてから、視線を上げた。

 

 「タイガ! もしかして洗礼名や秘匿とされた名前とかあったりするか? あとは本来は名と姓が逆だとか。発音とか。故郷に合わせて名乗ればいい」

 「ああ、成程」

 

 タイガは一つ頷いてから、再び女神像を見上げた。

 

 「八雲大河(やくものたいが)

 

 女神像の眉間がキラリと光ったのを認めると、階段へと踏み出す。

 透明な蓋はちゃんとなくなっていた。

 

 「タイガって本当は名前が後にくるんだね」と、アステル。 

 

 「名と家名が逆さになるだけで、発音もなんか違うて聞こえるんやな。……にしても。別に嘘ついてた訳でもないのに融通きかんなぁ」

 

 シェリルはジト目でぼやいた。

 

 「《名前の神》だからな。そこの所は妥協しないらしい」

 「まあまあ。名前を答えるだけで入れるのな……」

 

 不自然に言葉を途切れさせたアステルを、スレイは訝しげに見る。彼女は神妙な面持ちで固まっていた。

 

 「アステル?」

 

 階段の途中で足を止め、タイガも真顔で階段上にひとりいる彼女を見上げた。

 

 「………マァム」

 

 彼女は彼と階下にいる心配げな眼差しをこちらに向けるアステルにへらりと笑った。

 

 「マァム=ヴェルゼムぅ」

 

 女神像に向かって名を告げたマァムだったが、女神像はなんの反応も示さなかった。試しに階段を下りようとするも、透明な蓋が彼女を拒んだ。

 

 「やっぱりぃ〜、だめかぁ〜」

 

 「ケチぃ〜」と、マァムは女神像に向かってあっかんべーをして、それから下にいるアステル達になんでもないように、にぱっと笑った。

 

 「アステルぅ〜! あたしぃ、ここでお留守番してるねぇ〜!」

 「何言ってるんや? 多分発音でひっかかったんやろ。その間延びした言い方やめて、もう一回試してみいや」

 

 苦笑を浮かべるシェリルに、けれどマァムは首を横に振った。

 

 「多分〜何回やっても駄目ぇ! 時間のムダムダ〜! あたしのぉ名前はぁマァム=ヴェルゼムだけどぉ、ホントのぉ名前はぁわかんないからぁ!」

 

 軽く告げられた重大な事実にシェリルとスレイは息をのんだ。

 

 「私もマァムと上で待ってる!」

 「え、ちょおっ、アステルっ!」

 

 伸ばしたシェリルの腕を躱して、アステルは階段を駆け上がる。

 しかし、途中でタイガに腕を捕まれ止められた。

 

 「アステルが行かないわけにはいかんだろう」

 「でもっ!」

 「俺がマァムと待ってる。アステルは下の二人に説明してやるといい」

 

 焦燥に揺れていた瑠璃色の瞳が大きく見開き、朗らかな笑みを浮かべるタイガの顔を映した。

 

 「タイガ……知ってたの?」

 「ルイーダ(マダム)から聞いた。俺も()()だからな」

 

 タイガは彼女の腕を離してその肩にポンッと手を置く。

 アステルは目線を上に遣ると、マァムはいつもと変わりない笑顔を二人に向けていた。 

 

 

* * * * * * *

 

 

 ちらちらとこちらを気にしては振り返るアステルに、マァムは見えなくなるまで笑顔で手を振り続けた。

 彼女達の姿が消えるとマァムはふっと無表情になる。

 瞳は暗い紅へと変わっていた。

 

 

 「───空から、落ちてきた?」

 

 怪訝な顔するスレイにアステルは頷く。

 暗闇の中で延びる螺旋階段は、下へ下へと進む程仄かに光を放ち始める。夜光石の階段を下りる道すがらアステルは重い口を開いた。

 

 「六年前の冬にね。マァムは突然、空から落っこちてアリアハンにやってきたの。ルイーダさんの見立てでは恐らく、強制転移呪文バシルーラで飛ばされてきたんじゃないかって」

 

 「バシルーラ……って。タイガがアリアハンに飛ばされたあの呪文か?」と、シェリル。

 

 「うん。あの酒場には強制転移呪文(バシルーラ)で飛ばされた人を保護する魔法陣を展開してるってルイーダさんが言ってた」

 「マダム・ルイーダがか?」

 

 目を丸くするスレイに、アステルは少しだけ頬を緩ませた。

 

 「ルイーダさんは元宮廷魔術師だったの。しかもとびっきり高位な、ね。それと私の魔法のお師匠でもあるんだから」

 「……人は見かけによらないな」

 

 だが。さすがは旅人ギルドマスターに選ばれるだけある。

 スレイは感嘆の息をもらした。

 バシルーラで飛ばされるのはなにも人だけではない。魔物だって飛ばされる事があるのだ。それを選別し、保護する魔法陣を編み出し、展開し続けるなんて。

 そんな事を可能にする魔術師は世界でも数える程度しか存在しないだろう。

 

 「……ただ。その時のバシルーラは奇妙な点が多かった。強い光を纏ってた事とか、落ちる時の被害の少なさとか。ルイーダさん首を捻ねってた。魔法陣で緩和されるとはいえ、それでもそれなりに衝撃があるらしいから」

 

 それに関してはスレイも頷く。経験者であるタイガも地面に叩き付けられたと顔を歪めて語っていた。

 

 「マァムの怪我は全部かすり傷程度で、服も大量の血で染まってたけど、多分……誰かの返り血だろうって。意識が戻るのを待って話を聞こうって事になったのだけど。

 三日後、やっと目覚めたマァムは名前以外の事はなにも覚えていなかった。マァムを診た神父さんの話では心の問題なんじゃないかって。なにか悲惨な事件か事故に遭遇したショックで記憶喪失になったんじゃないかって言ってた。

 もしかしたらアリアハンに身内がいるかもしれないって念の為捜索はされたんだけど、結局見つからなくて。

 本来なら孤児院に預けられる所を、保護したルイーダさんがそのまま引き取って、養子にしたの」

 

 話し終えたアステルは長く息を吐き出す。息を詰めていた事に今更自覚した。

 

 「それがアステルとマァムの出会いやったんやな」

 

 「聞いた事なかったのか?」と、スレイ。

 

 「家が近くて、親同士が仲良いなら普通に幼馴染みやと思うやん」

 

 ムッとして答えるシェリルにアステルは視線を足元に落とした。 

 

 「……今まで黙っててごめんね」

 「何言ってんねん。ウチが聞いた事ないんやから、わざわざする話でもないやろ」

 

 「でも」と、項垂れるアステルの頭をシェリルはこつんと小突く。

 

 「友達やからって、なんでもかんでも秘密明かさなあかんもんちゃうやろ?

 そりゃ、マァムやアステルがそん事で悩んでて、聞いて欲しいってんなら喜んで聞くけど、そやないなら無理して話す必要ない」

 「シェリル」

 「あーもう! いつまでも湿気た顔しんときっ!」

 「……っとぇ!? いひゃいっいひゃいっ!」

 「おー相変わらずいい肌触り。よぅ伸びるわ」

 

 アステルの頬をシェリルはぐいぐいと引っ張っる。

 

 「もうっ! スレイは髪グシャグシャにするし、シェリルはほっぺたつねるし、さっきから私の扱い酷くないっ!?」

 

 抓る手を振り払い、赤くなった頬を守るように手を当てるアステル。シェリルはニシシッと笑い、スレイは「そういえば」と、しれっと話を変えた。

 

 「上に残ったタイガはマァムの事情を予め知ってたようだが?」

 「あ、それウチも気になってた」

 

 便乗するようにその流れに乗るシェリルだったが、気になってるのは本当だ。アステルも話を本筋に戻された以上、文句をぐっと堪えるしかない。

 

 「……ルイーダさんから聞いたって。それと自分とマァムは同じって言ってた」

 「同じ?」

 「多分バシルーラで飛ばされた者同士って事じゃないかな」

 「ああ、そういう事な」

 

 納得してシェリルも頷く。

 

 「ルイーダさん、マァムの事情を知ってるのが私だけじゃ不安だったんだと思う」

 「んな事ないやろ」

 

 そう言うシェリルに、けれどアステルは寂しげな笑みを浮かべて首を横に振った。

 

 「現に今、マァムの傍に私はいられないから」

 

  

* * * * * *

 

 

 女神像の足元、階段の手前に立つマァムの後ろ姿に、もう一つの小さな小さな背中をタイガは重ね見る。 

 姿形、髪の色、歳も十以上違う。

 けれど纏う空気は。

 孤独のにおいは。

 眼帯で秘された右目が鈍く疼くのを無視して、その背中に声を掛けた。

 

 「大丈夫か?」

 「………」

 

 正面に回り込み、膝を着いたタイガはマァムの顔を覗き込んだ。

 

 「……大丈夫じゃないか」

 「…………」

 

 ぽすんっと。マァムはタイガの肩口に額を当てた。

 

 「……〈あたし〉は悪くない。〈あたし〉にとって、ヴェルゼムは大切な家族の名前。……悪いのは〈わたし〉。〈あたし〉は知らない……〈わたし〉の……もう一つの大切な家族の名前を……告げられない……〈わたし〉の心を……マリナン様に見抜かれた〈わたし〉が「マァム=ノーラン」

 

 いつもより強めの声で名を呼ばれ、マァムはびくりと肩を竦ませた。タイガはマァムが喋っている時に遮った事はない。いつもならゆっくりと待ってくれる筈なのに。

 

 「俺は怒ってる」

 

 その一言に更に小さな体は強ばる。

 

 「シェリルの言う通り、名前の神はもうちょっと寛大になってくれてもいいんじゃないか……ってな」

 「………?」

 「勇者アステルの為に。もうひとりのマァムの為に。君が影に徹し()()()を護っているその意志を汲んでくれてもいいのにな、って」

 「………だめ」

 「ああ、そうか。名前の神ってのは真名がわからないとなにも出来」

 

 「ないんだな」と続く所を、マァムが慌ててその口を両手で塞いだ。

 

 「タイガ。駄目。不敬。神罰下る」

 

 珍しく焦り、目を釣り上げたマァムだったが、タイガの片方だけの瞳は何故だか楽しそうに細められていた。それに気付いたマァムは再び表情をなくす。顔を逸すその様はどこか不貞腐れているように感じられた。

 

 「……冗談じゃない……から」

 「わかってる。悪かった」

 「謝るのは……マリナン様に」

 「だな」

 

 タイガは背後にある女神像に振り返ると床に坐り、両拳を床に着けて、深く低頭した。

 その背中を見詰めるマァムの表情はやはり乏しいものだったが、

 

 

 その眼差しは先程と違って柔らかく、孤独に彩られてはいなかった。

 

 

 

 







マァムの過去が少しだけ明かされました。

自分の中で命名神の神殿とそこに辿り着くまでのBGMはドラクエ3『まどろみの中で』です。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!





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巫女姫と大神官

 

 

 

 螺旋階段を下り、四つある扉のうちの一つをスレイは開く。彼に続いて中に入ったアステル、そしてシェリルは飛び込んで来た光景の美しさに目を奪われた。

 空間一面に広がるのは幻想的な湖底世界。目にも鮮やかな青と、苔で覆われた緑の石群(いわむら)。揺れる水草の中に見え隠れする白く可憐な小花。  

 水中の崖から飛び出して来た小魚の群れは、透明な天井越しに彼女達の頭上を泳ぐ。水面から射し込む光のカーテンを浴びて魚達は虹色銀色にきらきらと輝く。

 

 「わぁ………」

 

 感嘆の声にスレイが振り返ると、アステルは夢見るように光景に見入っていた。

 あどけない笑みを浮かべて見上げる大きな瑠璃の瞳は、水越しの柔らかな光を受けてまさに今見ている景色の色、水晶の青(クリスタルブルー)へと変化し、煌めいていた。

 

 「………どうなってんのや。これ」

 

 シェリルはというと、この美しい景観を可能としたこの空間の造りに興味を移していた。白い床を除き、壁も天井も硝子(ガラス)で覆われた円形の部屋。好奇心に突き動かされるままに部屋の端へと進む。通り抜けられそうなくらい透明な壁に触れ、コンコンと叩いた。

 

 「水晶? ……いや。やっぱ硝子やな? けどこの形に大きさ透明度はなんなんや?」

 

 しかもこうして触れているのに何故か指紋が付かない。外側も苔などが一切付着していないようだ。  

 「ダーマ神殿といい、どんな技術でこんな加工を……」一人ブツブツと呟く。と。

 

 「この部屋を気に入ってもらえたようだね」

 「もっとも、一人は部屋とは別のものに見惚れとったようだがな」

 

 それぞれがはっと我に返り、声のした方に視線を遣った。部屋の正面奥に声の主は腰掛けていた。一人は小柄な老婆だった。虹色に輝く空色のリボンが幾重にも重なり飾る薄紫のフード付きローブを纏い、手には命名神の持つ神器、羽根ペンと歯車を融合したような意匠の杖をもっている。

 大理石で出来た丸テーブルを挟んで、老婆と向かい合って座っているもう一人はひょろりと背の高い老翁(ろうおう)。高貴な紫紺の法衣を纏い、つるんとした坊主頭に黄金に輝く額冠を被り、手には全能神の象徴である十字の黄金杖を持っていた。長く白い眉毛と髭で目元口元は隠れて表情が窺えない。

 恐らく老婆が《命名神マリナンの巫女姫》で、老翁が《ダーマの神殿の大神官》なのだろう。

 

 二人の存在に今初めて気付いた事に恥じ、膝を突こうとしたアステルだったが、それをスレイが腕を取る事で止めた。

 

 「スレイ!?」

 「必要ない」

 

 (必要ない事はないでしょう!?)

 

 見上げるとスレイは何故か苦虫を噛み潰したような顔をしていて、アステルは目を瞬く。

 なんだか。とアステルは思う。

 この数時間で初めて見るスレイの顔をたくさん見てる気がすると。

 

 (……ほとんどが不機嫌な顔だけど)

 

 「よいよい。そう固くなるな。ここを出会いの場とした意味がなくなる」

 「こっちはほんとに迷惑な話さ」

 

 のほほんと言う大神官に対して、巫女姫は迷惑そうにふんっと鼻を鳴らす。

 

 「だが、おかげでいいもんが見れただろう?」

 「まあねぇ。あの惚け顔は見てるこっちが恥ずかしくなったわ」

 

 老翁がほっほっほっと笑い、老婆もヒッヒッヒッと笑う。アステルが頭を傾げると頭上から低く少し震えた声が響いた。

 

 「ジジイとババアの与太話を聞く為にここに来たわけじゃないんだが」

 

 スレイの声の変化にアステルは顔を上げようとしたが、彼の手が彼女の頭を押さえつけ、それを許さなかった。

 

 「相変わらず口の聞き方がなってない小僧だね。久し振りに顔を出したってのに、まともな挨拶も出来やしないのかい」

 

 目元に手をやり、よよよっと嘆く老婆。

 

 「小さい頃は素直で優しくて妖精のように可愛かったってのに。おむつを替えてやった恩も忘れて」

 「過去を捏造するなクソババア。オレがダーマに初めて来たのは十二の頃だ」

 「え? 嘘なの?」

 「お前も本気にするなっ!」

 

 聞き返すアステルにスレイはがなる。二人の老人は肩を揺らしほっほっほっ、ヒッヒッヒッと楽しげに笑う。

 

 「……まあ、小僧で遊ぶのはこれくらいにしておいて」

 

 老人達は座ったまま体を正面にして、改めてアステル達に見向いた。

 

 「私は命名神マリナンに仕える巫女ナンナだよ」 

 「わしが全能神奉るダーマの神殿の総括を担う大神官ナディル=ウル=ノーランだ」

 

 アステルとシェリルが名を告げると、ナンナは口に含む様に二人の名前を繰り返し呟いた。

 

 「……シェリルは先に生まれた娘に因んで父親が名付けたようだね。姉妹共に可愛らしく健やかであれと願いを込めて」

 「そんな事までわかるんか?」

 

 シェリルはうへぇ〜と、感心して呻る。

 

 「……アステルは古代語で〈星〉という意味だねぇ?」

 

 そこでナンナは何故かスレイに目を向け、含みを帯びた笑みを浮かべる。それに気付いた彼はばつが悪そうに顔を逸した。

 

 「名付けは確かオルテガだったか。髪や目の色は父親(じぶん)ゆずりで顔立ちは母親(つま)に似て可愛い子だって自慢しとったな」

 

 そう答えたのはナンナではなく、大神官ナディルだった。

 

 「大神官様は父と会った事があるのですか?」

 「うむ」

 

 胸元まで伸びる顎髭を捻ってナディルは思い出すように目を細めた。

 

 「なんせオルテガは旅する上で必要な呪文の習得の為に、ここダーマの神殿に来たのだからな」

 

 「オルテガはその修行中にこの神殿にもやって来た」と、ナンナ。

 

 「え、なんで?」

 

 アステルは素で聞き返してから、しまったと口を押さえる。しかしナンナは特に気分を害する事なく、逆に楽しげにこちらを見た。

 

 「そう。『なんで?』だ。ここは知っての通り、不要な者、資格なき者は立ち入れない。初めて奴が現れた時には、有名に成り過ぎた勇者の名に嫌気が差して、名を捨てる為に訪れたのかと思ったよ」

 

 あの父に限ってそれは有り得ない。そう思いつつも黙って話を聞く。

 

 「……なにを願ったと思う?」

 

 にやりと笑うナンナに、アステルは首を横に振った。

 

 「あいつは……自分の靴やら兜やら荷物袋やらに名前を付けに来たんだと! 『大事な仲間だから』って大真面目に私の前に武器、防具、旅道具一式を綺麗に並べて差し出してね!

 生まれてからずっと巫女をやって来たが、あんな面白い出来事はなかったねぇ! お前さんの父親は本当に愉快で面白い男だよ!」

 

 ヒーヒヒヒッとナンナは腹を抱えて笑う。

 

 「アステル?」

 

 硬直してしまったアステルの表情を窺うようにスレイが声をかけると「思い出した!」と、ポンッと手を合わせた。

 

 「父さんの愛用の道具には全部名前がついてたの!」

 「そう、なのか?」

 「父さん、お手入れしながらよく話しかけてたなぁ。一人旅が寂しいのかなって一時期母さんとお爺ちゃんが本気で心配してたっけ」

 「……そうか」

 

 明るい笑顔でそう明かすアステルにナンナは更に吹き出し、スレイは頬を引き攣らせる。

 

 知りたくなかった。英雄のそんな裏話。

 

 「……それで勇者オルテガの道具達は名前の祝福を授かったのか?」

 「もちろん」

 「それでいいのか命名神」

 

 胸を張って答えるナンナに、スレイはジト目で突っ込む。

 

 「あ! もしかして!」 

 

 閃いたとばかりにシェリルは目を瞠った。

 

 「その祝福っちゅうのには威力や防御力が上がったりとか、特別な性能が備わるとか効果があったりするんちゃうんか!? オルテガさんはきっとそれを見越して……」

 

 両拳を握り締め、したり顔で力説するが。

 

 「そんなのありゃせんし、あいつはただ単に道具に名前を付けたかっただけだよ」

 

 「……あ、そう」

 

 武器防具のパワーアップの期待が外れ、シェリルはがくっと肩を落とした。

 

 「この神殿を訪れる者は大なり小なり辛い過去を背負い、救いを求めやって来る。あんなに前向きな気持ちで神殿を訪れ、迎えられたのは奴が初めてだったよ」

 

 楽しげに語り、細められた月長石(ムーンストーン)の瞳には、はっきりと哀惜の色が滲んでいた。

 

 

 「……さて。上で待ってる連中の事も気になるだろう。さっさと本題に入るとするかね」

 

 その言葉に目を丸くするアステルに、ナンナがニッと笑う。

 

 「真名が答えられなかったからと言ってそれが罪なわけではない。私が言うのもなんだが、気にする事はないよ」

 

 「……はい」

 

 その言葉に胸の内にあった(わだかま)りが少し解ける。アステルは深く頷いた。小柄なナンナは椅子から飛び降りるようにして立ち上がる。座ってた時よりも低くなった目線を上に上げ問うた。

 

 「シェリルよ。おまえさん……いや、おまえさん達はポルトガの勇者とその恋人の呪いの謎を解く為、ここダーマを訪れた。そうだね?」

 「へ?! なんで知って……」

 「命名神マリナンの御力だ」

 

 狼狽えるシェリルに、椅子から立ち上がったナディルが答える。

 

 「マリナンが司るは名前と宿運。生を受け、名前の加護を受けたその時から、今この時まで全てを見通せると謂われている。これまでの行動。降りかかる幸運厄運全て……な」

 「つまり。オレがここにいる時点でババアとジジイに目的が筒抜けっだって事だ」

 

 ナンナに名前を知られているスレイは憮然として言葉を続けた。

 

 「……面倒くさい事を」

 

 不貞腐れる彼の隣に移動してきたナディルがホッホッホッと笑う。

 

 「そう苛々するな。呪いだぞ? 解くにしても、掛けた相手を探るにしても、それなりに危険が伴う。安全にそれを行うには、ここマリナンの聖域の中心部が最も適しておる」

 「だから私達はここに来る必要があったのですね」

 「うむ。……理由はそれだけではないがな」

 

 後ろの言葉をスレイに聞こえぬように囁かれ、アステルは頭を傾げた。

 

 「───さあ。シェリル=マクバーンよ。呪われし者達の真名を答えよ」

 

 フードから覗く銀灰色の瞳から発せられる気迫に飲み込まれそうになるも、ぐっと堪え、生来の負けん気を奮い立たせてシェリルは答えた。

 

 「ポルトガの勇者カルロス=ディンガとその恋人サブリナ=ハースや!」

 

 杖を両手で握り締め床を突く。瞼を閉じ、祈りを捧げる命名神の巫女姫。シェリルはアステル達の所まで後退し、見守った。と。

 

 水面の光が陰り始める。先程まで部屋を包んでいた澄んだ青が、紫に、群青に、そして最後には黒闇へと染まった。 

 

 

* * * * * * *

 

 

 「──ん?」

 

 階段の前でマァムと並んで腰を下ろしていたタイガは、天窓から降り注ぐ光が突然途絶えたのを不審げに見上げた。

 ただ単に太陽が雲に覆われただけ……ではない。突然夜の帳が落ちたかのような暗さ。気が付けば女神像の背後を湧き出ていた清水の流れは止まり、空気がひんやりと冷たくなる。漂い始めた不穏な雰囲気に、マァムが胸の上でぎゅっと拳を握り締め、そしてハッとして立ち上がった。

 

 「────いけないっ!」

 

 

 

 真っ赤な閃光が天窓を突き破って落ちた。

 

 

 

 辺り一面、

 

 

 

 なにもかもが、

 

 

 

 

 紅に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────……え?」

 

 

 タイガはしきりに片目をしばたたかせる。

 

 なにが起こったのか、理解が追い付かない。

 

 

 なにも。

 

 なにも、起こっていないのだ。

 

 聖堂は穢なく白く、天窓からは暖かな陽光が降り注ぎ、女神像から涌き出る水の流れは清らかなまま。

 

 (幻、か?)

 

 ─────違った。

 

 真白な聖堂の高みから此方を見下ろし穏やか笑みを浮かべる女神像。その美しい貌に、額から右頬かけて一筋の大きな傷が刻まれていた。呆然とするタイガの隣で、マァムは眦を吊り上げて女神像を見上げる。

 

 「マァム=ノーラン!」

 

 マァムの悲鳴に近い名乗りに女神像の傷付いた水晶はか細い光を零して応えた。その様子にマァムは痛ましげに顔を歪めたが、すぐさま階段を飛び降り、跳躍しながら下へ下へと降りる。

 

 「待て! マァム!!」

 

 (一体なにが起こった?)

 

 

 混乱する頭を苛立ちのままガシガシと掻き、タイガは彼女の後を追った。

 

 

  








命名神マリナンの巫女とダーマの大神官の登場。毎度お馴染み捏造設定です。
本作では命名神に仕えるお婆ちゃんは『巫女姫』としましたが、ゲームでは『神官』という肩書きです。命名神の神殿などはなくダーマの神殿の外でひっそりスタンバってます。なぜに屋外。

今回の舞台、命名神の神殿中心部の部屋は水族館がイメージです。水深はやや深めですが、透明度が高い為日の光が届きます。

スレイがどんどん粗野でガキっぽくなりますが、それだけナディルとナンナに甘えてるという事です。自分を可愛がるじいちゃんばあちゃんへの愛情の裏返し。
またアステル達にそんな自分をみせる程、仲間に心を許し始めているのもあります。

《持ち物に名前を付けるオルテガ》は、ふくろに名前が付けれるネタからです。
道具に名前を付け、話し掛け可愛がるオルテガを妻と祖父が心配げにする図を想像して一人ほくそ笑む筆者も、大してオルテガと変わらないという(苦笑)
※あくまでこの物語のオルテガの話です!ゲームのオルテガの性格は《ごうけつ》に違いない。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!





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魔王の戯れ

 

 

 

 黒闇に包まれたと思ったら、辺りが真っ赤な光に包まれた。攻撃的な赤に目を開けていられず閉じてしまった、次の瞬間。

 ピシリという不吉な音がアステルの耳に入った。

 目蓋を上げると部屋の透明な壁や天井は粉々に砕け散り、押し寄せてきた闇と水にあっという間に飲まれた。真っ暗な中で空気を求め、必死に藻掻くも、浮上しているのか、沈んでいるのかすらわからない。

 肺の中の酸素はすぐ底づき、開けた口からは更に水が入ってくる。

 

 

 (苦しい! 苦しい! 苦しい!)

 

 

 

 

 ────コォォォォンッ!!!

 

 

 

 澄んだ甲高い音が混濁した意識を払拭した。

 

 「───っはぁぁぁっ!!」

 

 がくりと膝を突き、咳込みつつ息を整える。酸欠で朦朧としていた視界が初めに捉えたのは、床に両手で杖を突いているナンナの姿だった。

 顔は伏せていてその表情は窺い知れない。

 アステルは目だけでゆっくりと周囲を見渡し、驚愕した。

 

 「……うそ」

 

 なにも、変わってない。

 

 透明な壁と天井はこの空間と青く美しい水底の世界を遮り、境界の役割りをちゃんと果たしていた。 

 水が入った気配などなく、どこもかしこも、己の身体も。全く濡れていなかった。

 

 「まぼ……ろし?」

 

 しかし。それはアステルだけに見えた幻ではなかったようだ。

 

 「な、なんや? 今の」

 

 床にへたり込んだシェリルが息を切らし、震えた声でそう呟く。

 

 「壁が、天井が、水が……?」

 

 青ざめたシェリルが答えを求めてアステルに振り返る。

 

 「うん。私にも見えた。スレイは……スレイ!?」

 

 彼はまだ床に額と膝を着き、自身を抱き締めるようにして踞っていた。

 幻覚からまだ覚醒めていないのだろうか? アステルは慌てて彼の背中に触れた。

 

 「冷た……っ! えっ!? 魔力暴走っ!? なんでっ!?」

 「ア、ステル……! 離れ、ろ!」

 「スレイっ!」

 

 姿勢を低くして彼の顔を覗き見た。

 琥珀の瞳はあの時と同じ様に金色に煌めいていたが、その意識は手離していない。低く呻き、内で暴れる魔力を抑えようと必死に耐えている。

 

 「ぐっ! うっ、あぁぁっ……!」

 

 遠ざけようとするスレイの手を逆に掴み取り、アステルはぎゅっと握り締めた。

 彼女の革の手袋が凍てつき、霜が張り付く様を見たスレイは慌てて振り払おうとする。

 

 「 は……離せっ! アステル!」

 「やだっ!」

 

 間髪入れずに上げた拒否の声にスレイは目を見開く。一か八か。呪術封印呪文マホトーンを試みようとアステルは口を開いた。

 

 「ふむ。アステルよ、そのままそやつを抑えておれ」

 「え?」 

 

 アステルが顔を上げるとナディルがすぐ傍にいて、顎に手をやりスレイを冷静に観察していた。

 

 「……これは……呪詛が魔力に定着してしまっておるな。破邪呪文シャナクはもう意味を成さんか」

 

 (シャナク……? 呪術封印呪文じゃなくて破邪呪文?) 

 

 だが疑問は言葉になって出て来ない。ただ、ただ、縋る想いでアステルはナディルを見ていた。それに気付いたナディルはにっこりと笑ってアステルの頭に手を置き、その手を今度はスレイの顔の前に翳した。

 

 「こんなに心配させおって。本当にしょうのない奴だ。ほれ、マホトーン」

 

 溜め息混じりに放たれた呪術封印呪文は、紫の光の帯となってスレイの体を縛り、低い音を立てて消えた。

 暴走しかけていた魔力は封じられた事で落ち着きを取り戻したものの、溢れ出た理力は消費したままだ。

 理力欠乏を起こして体はガタガタと震えている。 

 

 「───むんっ!」

 

 すると、今度はナンナが気合いと共に杖を振るった。杖の先端に《水》が踊る様に現れ、傍にいたアステルもろともスレイに降りかかる。

 アステルは思わず悲鳴を上げる。しかし浴びた水は甘く、暖かく、すぐに蒸発して乾いた。それだけではない。

 

 「理力が……回復した?」

 

 まるでエルフの聖域、地底湖にあった回復の泉と同じだ。隣で一緒に浴びていたナディルも「くぅ〜効っくぅ」と気持ち良さげにしていた。

 

 「───かはっ! ゲホゲホっ!!」

 「スレイっ? スレイっ!!」

 

 詰めていた息を吐き出し、咳き込み、忙しなく呼吸を繰り返すスレイの背中をアステルが懸命に擦る。

 時間をかけて息を整える。最後に長く息を吐くと、擦る手を制してスレイはゆっくりと顔を上げた。

 

 「……もう、大丈夫だ」

 

 彼女を安心させようと頬笑むが、ぎこちなく、その肌の色は抜け落ちて白く痛々しい。

 アステルは顔をくしゃりと歪めて、彼の冷たい手を暖めるように握り締めた。

 

 「さっきのはなんやったんや?」 

 「《魔王の戯れ》だ」

 

 誰ともなしに問うたシェリルの声を拾ったのはナンナだった。アステルとスレイもそちらを見た。

 ナンナは床に杖をコォンッと一突きし、やれやれと息を吐いた。あの時、幻覚を解いた《音》は彼女が発したものだと気付く。

 しかし不穏な言葉にアステルは眉を顰めた。

 

 「魔王……?」 

 「ポルトガの勇者達を呪ったのは魔王バラモスだ」

 

 アステルとシェリルはヒュッと息を呑んだ。

 

 「さっきのは呪いを探っていた私達に奴が呪詛を放ってきたんだよ。それをマリナンが護って下さった」

 

 「読み違えたね」と、ナンナは盛大に舌打ちをした。

 

 「……その、《魔王の戯れ》とは、なんなのですか?」

 「そのまんまの意味だ。たまにあるのさ。目障りな存在を魔王自らが手を下す事が。奴にとってはほんの気まぐれ。暇潰しの遊びのようなもの」

 「ふ、ふざけんなっ! お遊びでカルロスとサブリナをあんな目に合わせとるっちゅうんかっ!?」

 「そうだ。魔王とはそういう存在。命ある者の《負》の感情を贄とし、喜びとする。希望の勇者の魂が墜ちれば、多くの人間の絶望を得られる」

 

 いきり立つシェリルを諭すナディルの声は静かなものだが、その視線には圧があり、口を噤まざる得ない。

 

 (ポルトガ王も同じ事を言っていた。……でも、まさか)

 

 アステルは唇を噛んだ。

 魔王討伐。それは一行の最大であり、最終目的だ。しかしそれがいつ果たされるかなど検討もつかない。旅立って半年は超えたが、距離も力も魔王に近付いているとは到底思えない。

 

 現時点でどうする事も出来ない悔しさにシェリルは歯を食いしばり、拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 ────バンッ!!!

 

 重い静寂に包まれる中、壊さんばかりの勢いで開いた部屋の扉の音にアステル達は肩を大きく跳ね上がらせた。

 飛び込んで来たのはマァム、そしてタイガだった。

 

 「ふ、二人とも、どうして……」

 

 タイガは部屋の風景に驚きを隠せず入口で固まっていたが、マァムは見向きもせず一直線にアステルの元へと駆け寄り、その腕を掴んだ。

 

 「アステル! 大丈夫?!」

 

 張り詰めた表情で尋ねるマァムに、アステルは思わずたじろぐ。

 

 「う、うん」

 

 頷くアステルにマァムはやっとその表情を緩めた。

 

 (マァム……?)

 

 いつもと明らかに違った雰囲気にアステルは戸惑った。そんな視線に気付いたマァムは、掴んでいた彼女の腕をさっと離して俯く。

 

 「───セファーナ」

 「え?」

 

 絞り出すような声にアステルが目を向けると、ナディルがマァムを食い入るように見詰めていた。

 

 「セファーナ、なのか?」

 

 今度は強めの声で、はっきりと尋ねた。彼女へと伸ばされた手は小刻みに震えている。

 

 (セファーナ……って、誰?)

 

 声に反応したのか、俯いていたマァムがゆっくりと顔を上げた。

 

 「……おじーちゃん、だぁれ? マァムはぁ、マァム=ヴェルゼムだよぅ?」

 

 にぱっと笑うマァムにナディルの手が止まった。

 

 「…………まぁ、む?」

 

 「マァム」とアステルが呼びかけると、彼女は輝くような笑みを浮かべ「アステルだぁ〜っ!」と首っ玉にかじりついた。アステルの傍らにいたスレイを突き飛ばす事も忘れない。

 

 「……おい」

 「あれぇ? ここどこぉ? でもぉきれぇ〜いっ!」

 

 低く上がった非難の声を綺麗に無視し、美しい湖底風景に今気付いたようにマァムははしゃぐ。

 

 「ナディル様……?」

 

 ぼんやりとマァムを見ていたナディルは我に返ったようにアステルを見た。

 

 「この者は……?」

 「私達の仲間のです。命名神の審判に通らず、もう一人の仲間と上に残ってたのですが……マァムの事、もしかしてなにか御存知なのですか?」

 

 尋ねられたナディルは再度マァムに視線を移す。暫くそうしていたが、やがてゆるりと首を横に振った。

 

 「……いいや。人違いだ」

 

 淋しげなその表情にアステルが口を開こうとしたが、次いで現れた人物にナディルのそれは霧散された。

 

 「ナディル大神官。御無沙汰しております」

 「おお、タイガではないか。息災であったか?」

 「はい。今はアステル達と旅をしております」

 

 朗らかに笑うタイガにナディルも「そうか、そうか」と目元を緩めた。気安げに言葉を交わす二人に、タイガはダーマの神殿の本殿で祝福を受けたと言っていた事をアステルは思い出した。

 

 「その者達が上で待ってた残りの仲間だね」

 

 杖を突き、ナンナがこちらに近付く。小柄で腰の曲がったナンナが背の高いタイガの前に立つと、その体は更に小さく見えた。

 

 「はい。二人とも、こちらが命名神の姫巫女ナンナ様。そしてマァム、こちらは大神官ナディル様よ」

 「ふぇ〜〜?」

 

 アステルはマァムを優しく引き剥がして、二人に向かい合わせた。

 

 「お初にお目にかかる。自分は八雲大河と申します」

 「マァム=ヴェルゼムだよぉ〜! よっろしくぅ〜!」

 

 タイガは床に膝を突き、少しでもナンナより目線が下になるようにする。先刻の命名神の審判の件を踏まえてだろうか。いつもとは違う名乗りで慇懃に頭を下げた。マァムはいつも通りの元気のいい自己紹介だ。ナンナはアステル達の時と同様、二人の名をもごもごと繰り返し呟く。

 そして片眉をぴくりと上げて、タイガとマァムを交互に見て、「なるほどねぇ」と一人納得したように目を細めた。

 

 「なにか?」

 「言って欲しいのかい?」

 

 じろりと見据えられ、質問を質問で返されたタイガは言葉を詰まらせる。やがて降参とばかりにタイガは首を横に振った。

 

 「さっさと立ちな。わたしゃ固っ苦しいのは嫌いだよ」

 

 くいくいと掌を上に上げて促すナンナに、タイガは苦笑して立ち上がった。

 

 「なあなあ。ところで二人とも、どうやってここまできたんや?」

 「そういえば審判はっ?」

 「いやぁ。俺にもなにがなんだか。変な幻が現れた後、気がつけばマァムが階段下りてたんだ」

 

 タイガは首根を擦りつつ曖昧に答える。マァムは話に加わらず、透明な壁に張り付いて外の景色に魅入っていた。

 

 「……変な幻?」

 「神殿に赤い雷槌が落ちて……けど次に気が付いた時にはなにも起こってなかった。……女神像の額に傷が入ってた以外はな」 

 「女神像に傷……」

 

 (命名神様が身代わりに?)

 

 アステルはナンナをちらりと見る。彼女はこちらの心内を読んだかのように首肯いた。タイガとマァムに一通り説明すると(マァムは聞いてるかどうか怪しいが)、シェリルは腕を組んで唸った。

 

 「まさか上の階まで似たような幻見せられとったとはな……」

 「スレイはどうしたんだ? 俺達と同じ幻術を受けたようにはとても見えんが……」

 

 タイガは未だ一人、床に腰を下ろすスレイを気遣わしげに見下ろす。皆の視線を受けたスレイは立ち上がろうとするが、結局ふらついてしまいアステルに体を支えられた。

 

 「ほんま、どないしたんや? スレイは」

 

 「魔王の巨大な魔力にあてられて、宿していた呪詛が暴れだしたんだろう。不調にもなるさ」

 

 「「「「は?」」」」

 

 とんでもない事をあっさりと言われ、思わず間の抜けた声が揃って出た。

 

 「まったく。呪われていたというに、察する事も出来んとは。ほんっとうに鈍い奴だよ」

 

 呆れたと言わんばかりにナンナは大きな溜め息を吐いた。

 

 「まさかスレイも魔王の……!?」

 

 青くなったアステルに「いいや」とナディルは即座に否定する。

 

 「魔王の放った波動に触発されてはいたが彼奴(きゃつ)の呪詛ではない。覚えはないのか? 魔族と密に接触した覚えは」

 

 アステルは記憶を掘り起こす。

 

 スレイが魔族に直接呪いを受けるような状況、瞬間。エルフの集落の地底湖で遭遇した《妖しい影》、イシス支配を企て王族に取り憑いた《黒猫の影》、アッサラームの間抜けな《ベビーサタン》、そしてつい最近では誘拐事件で人攫いの頭領に取り憑いた《黒獅子の影》……。

 

 「呪いの定着具合からして、そんな最近の事では無い筈だ。それになにかしら変化や不調があった筈だぞ」

 

 「……なら」と、アステルは顔を上げた。

 

 「イシスの……黒猫の影の魔族」

 

 ───あの時。スレイの体を擦り抜けて消えた影。残していった不気味な予言と嗤い声。

 

 「……ああ。確かにあの頃らへんから、スレイの様子がおかしくなったな」と、タイガ。

 

 「アッサラームの事やな」得心して頷くシェリル。

 

 「それに《魔力暴走》……スレイにかけられた呪いって一体なんなのですか?」

 

 「恐らくは精神の汚染だな。心の闇を苗床とし、負の感情を増大させ、我を御する事も出来なくなり、狂気へと走らせるもの。《魔力暴走》はこれに依るものだな」と、ナディル。

 

 「……《魔力暴走》を除けば、イシスの女王の叔父もそうだったな」

 

 顎に手を当て、タイガは思い出すようにぼそりと漏らした。

 

 (───そうだ)

 

 自身でも思い当たってスレイは息を吐く。あの時期からやけに疲れやすくなって、怒りや苛立ちを抑えきれない事も多くあった気がする。

 

 (あの時はイシスの過酷な気候のせいと、その疲れだと思ってやり過ごしていた)

 

 そしてなにより。

 

 (ここ最近、昔の事をやたら思い出していた)

 

 それは痛みを伴う記憶。

 

 神経を逆撫で、憂鬱の底へと誘う記憶。

 

 スレイは首に下げた守り袋を服の上から握り締めた。

 

 

 「でも」と己の体を支えるアステルの手に力が微かに籠もるのを感じて、スレイは我に返る。

 

 「不安定な精神が魔力暴走を引き起こすきっかけとなるのはわかるけど……それにしたってスレイの暴走の仕方は異常よ」

 「うむ。よく気付いたな。結論から言うと、スレイに取り憑いていた魔族も呪いそれ自体も既に消滅しておる」

 「え!?」

 「スレイには元々、魔法使いの素養である闇の魔力が高く備わっとる。取り憑いた実体を持たぬ魔族は、取り込むはずだったスレイの闇の魔力に力負けして消滅したのだろう。だが、その際に置き土産を遺していきおったようだ」

 「置き土産……?」

 「呪詛の残滓とも言うべきか。命を守る為の魔力を抑制する機能を狂わされている。

 体を桶、理力を桶に溜まっている水と例えるなら、今のスレイは桶の箍が緩んで出来た隙間から水が漏れ出ているのと同様、常に理力を放出、消費している状態だという事だ。

 《魔力暴走》など起こせば、消費される理力の量も通常の比ではない」

 「それって……!」

 

 悲鳴に近い声を上げるアステル。

 

 「このまま理力の枯渇が進めばやがて生命力にまで影響が出る。理力の代わりに流れ落ちる生命力が尽きれば待つのは《死》のみ」

 

 『貴方の内にも闇の炎の残燭が見えます』

 

 そう言われたが遠い昔の事のように感じる。ポルトガの碧い海に浮かび上がる漆黒の修道服。

 

 『ご無理をなさらないように、御自愛ください』

  

 「スレイ」

 

 ふいに脳裏を過ったあの神父の笑顔を振り払うように、スレイは頭を振った。呼びかけてくる青い瞳に映る自分の顔が見たくなくて目を逸らすと、ついと手を取られた。

 

 「……ジジイ?」

 

 ナディルはスレイの温度のなかなか戻らない冷たい手を己の胸に押し当てた。

 

 「日々の休息や睡眠で多少なりとも回復しておるだろうが、イシスからダーマまでの長き旅の道程、よく保ったもんだ」

 

 それは呆れとも労りとも取れる声音だった。

 ナディルの体から虹色の光が溢れ出す。「むんっ!」と気合いを込めると、手を伝った光はスレイの体を覆い、染み込むようにして消えた。 

 支えていた体が突然軽くなった。

 手を借りずに立っているスレイをアステルが見上げると、その顔色は見違える程良くなっていた。スレイは離された自身の手を不思議そうに眺め、力の入り具合を確かめるように握り締めた。

 

 「理力吸収呪文マホトラの応用だ。儂の理力を分け与えた。楽になっただろう?」

 「あ、ああ」

 「ナンナがおまえをここに導いたのは《魔法の聖水》の源泉たるこの湖で理力の回復を(うなが)す為。そして儂がここにいるのは、それでもどうにもならん時の控えだ」 

 「……は?」

 「あのままではいつ倒れてもおかしくなかっただろう……いや、もう既に一度倒れておったか。それを知った時のナンナときたら……ほほっ」

 「有る事無い事言い触らすんじゃないよっ! このクソジジイっ!」

 「照れるな。照れるな」

 

 ナンナの振り回す杖を嗤いながらのらりくらりと躱す。そして、啞然としているスレイに再び向き直った。

 

 「……今のは、あくまで一時凌ぎだ。これは呪いの後遺症のようなもの。シャナクによる浄化効果は期待できん。……かと言って、このまま黙って死を受け入れるつもりもなかろう?」

 

 白く長い眉から覗く、悟りの石とも呼ばれる紅玉髄(カーネリアン)の瞳がスレイを見定める。

 

 「()()()とは違うのだろう?」

 

 スレイの瞳が大きく見開かれる。

 

 「───……当然だ」

 

 

 袖をそっと引かれた。傍らにいる少女が今どんな顔をしているか、スレイには容易に想像出来た。

 

 「オレにはまだやらなければならない事がある」

 

 その言葉にナディルは満足気に肯き、言った。

 

 

 「ならばスレイよ。───《賢者》になれ」

 

 

 

 







賢者フラグ立ちました。

と、ここで補足を失礼します。
スレイにかかった呪い(憑依っぽいの)の影響が現れ始めたのはイシスを出てすぐ。彼にとって辛い過去夢をみたり、怒りっぽくなったり、基本アステル関連で苛立ちや我慢を抑えられなかったりがそれです。通常ならある程度冷静に対応していたはず…多分(笑)
わかりやすかったのは勿論ミニデーモンとの戦闘。キーワードは『勇者』。
スレイ自身の魔力によって呪い(憑依したの)が消滅したのは《魔力暴走》の時。
その日を境に呪いの後遺症で体調が悪くなりました(バハラタ旅立ちの朝参照)。
《氣》に聡いタイガがはっきりとおかしいと感じたのは彼が倒れた時。
しかしだからといってそこで旅を中断させる訳にはいかなかったので、彼はギリギリまではと黙っていました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!



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小さな星

 

 

 

 ────あれは真夏の日の別離と

 

 

 ────そして出逢い。

 

 

 

 

 

 肌をジリジリと焼かんばかりの炎天下から逃れるように、小走りで自宅の薪小屋に駆け込む。少女は暗く冷たい地面に腰を下ろした。家に帰ってくるまでに晒された人々の畏怖と奇異の目を思い出し、自身の極端に短くなった髪にそっと手をやる。

 そして、視線を傍らに置いてあるバスケットに向けた。

 

 間に合わなかった。

 

 迷い悩んで、()(おそ)れて。

 

 そうやって時間を費やしているうちに、手遅れとなってしまった。もはや無駄となってしまったそれを眺めているうちに、視界がぼやけ始める。

 

 (───泣いてしまおうか)

 

 夕餉(ゆうげ)や風呂の準備にはまだ早い。

 母もここに近寄る事はないだろう。

 

 そう思い至った途端、堰を切ったように雫が溢れだす。声を上げられたらもっとすっきりできるのだろうが、流石にそれは出来ない。肩を震わせ、ひたすら嗚咽を噛み殺す。

 

 ────突然、勢いよく扉が開かれた。

 

 少女は飛び上がる程驚いたが、悲鳴はなんとか呑み込んだ。

 開かれた扉は素早く閉ざされる。飛び込むように入って来たその人は、取っ手に(かんぬき)代りの細い薪を差し込むと、扉に背を預けるようにずるずるとへたりこんだ。少女は涙を拭うのも忘れて、肩でせわしく息をする侵入者に見入る。

 一瞬見えた容貌はあどけなく、十六の成人の儀を迎えたか否かの黒髪の少年だった。

 襟詰め長袖の黒の上衣はしなやかな細身の身体をぴったりと覆い、その上に丈夫そうな生地の黄褐色の胴衣(ベスト)を羽織っている。細く長い手指には擦れた革の手袋。腰には武器と小さな鞄を下げた太い革のベルト。膝下辺りまでの白の短袴の下に黒の脚絆(レギンス)を穿き、革の短靴(ショートブーツ)を履いていた。

 少年は活動的かつ身の守りも忘れない恰好をしていた。

 

 『……だ、誰? ……』

 

 恐る恐る声をかけると、弾かれたように顔を上げ、見開かれた黒水晶(モリオン)の瞳に少女の泣き顔が映った。

 じっと見詰められ、少女は思わずすくんでしまったが、泣き腫らした顔に気付くと慌ててそれを拭った。そして泣き顔と同じくらい、このみっともない頭も見られたくなくて、少女は堪らず少年を睨む。 

 するとこちらの心情を察したのか、少年は視線を反らして『悪い』と謝った。それに少女は目をぱちくりとさせた。

 

 (……悪い人じゃないかもしれない)

 

 『頼む、少しの間でいい。ここに………』

 

 言いかけて少年の身体が突然傾いだ。

 異変に気付き、少女は慌てて駆け寄ったが間に合わず、どさりと少年はその場に倒れ込んだ。

 

 『ちょっ! 大丈夫!? しっかりして! お兄さんっ!!』

 

 少年の頬を軽く叩くと、その肌は熱く、けれどさらりとしていた。全く汗をかいていない。これは。

 

 『………脱水症状?』

 

 ならば水をと腰を浮かすも、行かすまいと少年に手首を捕まれた。

 

 『……駄目だ。みつ……かる』

 『みつかる? 誰に?』

 『…………』

 『でも、このままじゃどんどん悪くなるよ! ………大丈夫! ここに水を持ってくるだけだから!』

 

 少女は掴む手を剥がそうとするも、剥がれない。ぶんぶんと手を振る。

 

 『~~~ッ! 大丈夫だから! あなたの事、家族には黙ってるから!』

 

 しかし。そうじゃないんだと少年は渾身の力で頭を横に振った。

 

 『今は、まず、いんだっ!……巻き込みたくない……!』

 

 なにかに警戒し、頑なに離そうとしない少年に少女は困り果て辺りを見回す。そして置かれていたバスケットが視界に入った。

 

 『………お兄さんっ!ほんと、ちょっとだけ離して! そこに飲み物あるのっ! 嘘じゃないからっ! 絶対にここを出ないって約束するからっ!』

 『……………』

 

 信じてくれたのか、それとも体力の限界だったのか。ふと少女の手を掴む力が弱まった。駆け出し置いてあったバスケットを掴み再び少年の元に跪く。

 先程無駄になったと嘆いたバスケットの中身は思わぬ所で役立った。蓋を開ける。そこには、蜂蜜漬けをしたレモンスライスを飾ったパウンドケーキと、玉蜀黍茶(コーンティー)の入った水筒があった。

 

 少女は少年の上半身を壁に凭れさせる形で起こし、横に倒れぬように体で支えた。

 コップにお茶を少しだけ入れて、ペーパータオルに含ませ、少年の乾いた唇に持っていく。それを何度か繰り返すとうっすらと瞼を上げた。

 

 『お兄さん! お茶……飲み物だよ!』

 

 今度は水筒を少年の口許に持っていきゆっくりと傾ける。少年は水筒に震える手を伸ばすが、少女はそれを良しとしなかった。

 

 『駄目。今飲み物はこれしかないんだから。溢さないように私が持ってる』

 

 少年は抵抗せず噎せぬよう水分を喉に流し込む事に専念した。

 ある程度、水分補給を終えると少年は再び気を失った。心拍や呼吸は穏やかになりつつあるが、身体はまだ酷く熱く、汗をかかないままなので油断はできない。

 少女はズボンのポケットに手を突っ込んだ。取り出したのは青い宝石。それを少年の手にしっかり握らせた。

 

 『……お願い。このお兄さんを元気にして』

 

 少女がそう願うと、宝石は淡く青い輝きを放つ。少年の身体を優しく包みこみ、染み渡るようにして消えた。

 それを確認して。少女は今の今まで詰めていた息をようやっと吐き出した。

 

 ………一体これはどういう状況なのか。

 

 複雑な心境で眠る少年の額、そして頬や首に少女は手を当てた。熱は先程より少し下がっている。

 

 『……う、』

 

 少年の瞼が上がった。ホッとして少女は微笑む。

 

 『気がついた? お茶飲める?』

 『……っ、あ、ああ。介抱してくれたのか』

 

 少年は一瞬間狼狽するも、すぐ置かれた状況を理解したようだ。差し出された水筒を受け取ろうとして、握らされていた石に気付き、視線を落とした。

 

 『……これは?』

 『それ、父さんが旅先でみつけたおみやげ。具合が悪い時に握ると不思議と良くなるの』

 『……ああ。嘘みたいに身体が楽になった』

 

 少年は石を軽く掲げて眇め見る。青い宝石は中心部に淡い光を宿し耀いている。『これはもしかして』と呟くので、少女は頭を傾げる。

 

 『………ありがとう。本当に助かったけど、これからはこれを無闇に他人に見せたり、渡したりしない方が良い』

 『え?』 

 『これな。《命の石》っていって、とても貴重な宝石だ。飢えや渇き、病からも持ち主を護るといわれてる。(たち)の悪い奴らに狙われたり、奪われたくないなら大事にしまっとけ』

 

 返す為に差し出した石をいつまでも受け取らない少女に少年は怪訝な顔をする。少女は目を見開いて宝石を見つめ、そしてくしゃりと顔を歪めた。

 

 『おい?』

 『……そんな凄い力があるなら。私じゃなくて父さんに持っていて欲しかった……』

 『え?』

 『………そしたら、父さん、死んだりしなかったかも。父さんがいたら、こんな事にならなかった! 私は魔法なんて習わなかったっ!

 勇者を目指す必要なんてなければ……っ!』

 

 『……は?』

 

 少女はハッとして、その口を両手で押さえ立ち上がった。その表情は、瞳は。今発した己自身の言葉にショックを受けたかのように少年には見えた。

 

 『……勇者って。お前は……?』

 『ち、違う! 今の違うっ! 違うっ!!』

 『ばっ、!』

 

 少年は慌てて少女を己の胸に引き寄せた。少年の胸に顔を押さえつけられ、抱き込まれた少女は吃驚して固まってしまう。

 

 『……追われているんだ。声を落としてくれ』

 

 耳元に吐息混じりに囁かれ、少女は自分の体温が高まるのを感じた。ぶんぶんと縦に首をふった。と。

 

 ────グギュルルル……。

 

 静かになった薪小屋で少年の腹の虫の鳴き声はしっかりと少女の耳に届いた。顔を上げると、少年はきまり悪げな顔をしている。

 

 『……今の』

 『…………』

 『お腹、空いてるの?』

 『………一週間ろくに食べてない』

 

 そんな体調で今日のような炎天下に走れば誰だって熱中症で倒れる。 

 抱き込まれた格好のまま少女は手を伸ばし、バスケットを引き摺り寄せた。少年に中を開けて見せる。

 

 『食べる……?』

 

 今度は少年が中のケーキに目を離さぬまま、言葉なく首を縦に振った。

 

 

 

 

 レモン汁と(ピール)を加え、バターを控えめにしたので、さっぱりと食べれると思うが喉に通るだろうか。と少女は心配するもそれは無駄だった。

 事前に切り分けてあったそれを、一切れ、また一切れと、合間にお茶を挟みつつどんどんと消化していく。

 

 (………本当にお腹空いてたんだなぁ)

 

 ケーキを全て少年によって平らげられ、無駄にならなかった事にホッとしつつも、本来それを食べて欲しかった人の姿が脳裏を過り少女は俯く。

 満足げに指を嘗め、目を上げると浮かない顔の少女に気付き、ぎくりとした。

 

 『……悪い。お前も食いたかったのか?』

 『……ううん。それ私が作ったやつだから。美味しかったか気になっただけ』

 『これをお前がか!?』

 『う、うん?』

 

 大袈裟な程驚く少年に、少女は頷く。

 

 『凄いな。めちゃくちゃ美味かった。売り物に出来るんじゃないか?』

 

 ───アステルのケーキは本当に美味いな! 父さんいくらでも食べれるぞ!

 

 目を細める少年に、生前の父の暖かな笑顔がだぶり、少女の瞳から涙が溢れた。

 

 『どうした!?』

 『ご、めんなさい……なんで、変。こんなの、なんでっ……』

 

 少女にもわからなかった。

 なぜこんなにも容易く涙が溢れ出すのか。人前でだけは滅多に泣かないのに。今日はおかしい。

 顔を伏せて声を殺して泣き出した少女に少年は困り果て、結局これしか思い浮かばず、服の裾で手を拭いてから少女の頭の上に伸ばす。

 不器用に撫でるその手は、父と全く違うものなのに。泣く事を赦されたようで、いつまでも涙は止まらなかった。

 

 

 少女の短い髪の頭を撫でながら、少年はその出で立ちを再確認する。

 飾り気のない男子のような軽装に、腰には銅の剣を下げている。見える肌には新しいものから治りかけのと、擦り傷や青アザが多くあった。

 しかしその振る舞いは出来たお嬢さんそのものだ。

  

  (───勇者と、確かに言った)

 

 ここはアリアハン。アリアハンの勇者といえば(ただ)一人。

 

 (───オルテガ=ウィラント。なら、この子はオルテガの子供……?)

 

 

 すんっと鼻をすすって、少女はゆっくりと顔を上げた。拭い過ぎて目も鼻も真っ赤になっている。

 

 『……ごめんなさい。急に泣き出して。

 あの、さっき言った事忘れてください。私は勇者にならなきゃいけないの。

 じゃなきゃ父さんのやって来た事が、父さんの旅が、無駄になっちゃう。犬死にって言われちゃう。 

 それだけは絶対に嫌なの! だからっ! 誰にも言わないで……お願い……!』

 

 そう言って頭を下げる少女に、震える体に。少年は胸を衝かれる。そして次には口走っていた。

 

 

 『……オレはこの街の住人じゃないし、留まるつもりもない旅人だ。聞いてやる事しかできないが……今、この時間だけ弱音の捌け口になっていい』

 『え?』

 

 少女はまん丸な目でこちらを見ていた。

 少年は今だ持ったままだった《命の石》を少女の目元の近くに当てて、少しでも腫れと赤みが引くよう願う。

 

 『ケーキの礼をさせてくれないか?』

   

 

* * * * * * 

  

 

 少女は迷いつつ、戸惑いつつも、ぽつりぽつりと語った。

 予想通り、少女は()の勇者の子供だった。

 父が死にその後を継ぐ事を決めたが、王や家族に止められているらしい。

 だが少女の意志は固く、ならばと成人を迎える日まで、休まず鍛錬をこなし、旅に必要な技術と知識を身に付けたらという条件を与えられた。

 しかし。

 修行の日々の中、唯一の友人を置き去りにしてしまった。ある日、少女を嫌う子供達の嫌がらせで、友人は少女の目の前で彼女の父を貶める裏切りを犯してしまった。

 それにショックを受けて少女は魔力暴走を起こしてしまい、友人に大怪我を負わせたという。

 

 『母さんの魔法のおかげでアニーは火傷の跡も残らず助かったけど……家に閉じ籠ったきりになってしまって……。

 謝らなくちゃって、謝らなきゃってわかってるのに、私、怖くて、今日まで行けなくて』

 

 そして。今日。勇気を振り絞り友人の家へと向かった。友人が好きだったというパウンドケーキを焼いて。

 

 『でも………アニーはもういなかった。家族で海の向こうの大陸に引っ越したって。

 もう、戻ってくる事はないって……』

 

 傷心の娘を癒す為、海向こうに住む祖父母の元へと旅立ったそうだ。費用は王国が出したらしい。

 ……恐らくは友人の娘だけでなく、この子自身も守る為の処置であったのだろうが。

 

 『私、アニーに謝れなかった。あんな酷い事をしたのに……! 大事な友達だったのに……!』

 

 昇華できぬまま、抱え続けるしかない悔恨。

 

 

 《───この名を貴方から頂いたその時から心に誓っていました。この命、貴方の為に使おうと》

 

 

 

 『………スレイ』

 『え?』

 

 囁く声に少女は顔を上げた。少年も声に出したつもりはなかったのだろう。口を押さえている。

 

 『もしかして、それがあなたの名前……?』

 

 少女の問いに少年は一瞬躊躇うも、やがてゆっくりと首を横に振った。

 

 『……違う。オレの友の名だ。お前と同じようにもう二度と会えない友のな』

 

 『会えない』という言葉に少女の瞳にまた涙が盛り上がる。少年は懐を探り一本の空色のリボンを取り出した。少女の手を取り、その手首に巻き付け結ぶ。

 

 『これ……?』

 『幸運の御守り。運命の神様の力が宿ったリボンだ』

 『運命の神様……?』

 

 頭を傾げる少女に少年は頷く。

 

 『もう二度と悲しい別離が訪れないように。素晴らしい出逢いが訪れるように』

 

 少女は手首のリボンを見た。ちょうど窓の隙間から陽光が差し込み、リボンを照らす。

 リボンは虹色に輝き、少女は瞳を大きく見開いた。

 

 『……きれい……ありがとう』

 

 頬を染め、にっこりと嬉しそうに笑う少女に、少年も微笑んだ。と。

 

 

 ──────ドンっ!!!

 

 突然、薪小屋の扉が叩かれた。二人はびくりとして扉を見る。

 ドン! ドン! ドン! と、繰り返し叩かれる扉。扉の取っ手に差し込んだ薪がギシギシと悲鳴を上げる。

 

 『か、母さん? それともおじいちゃん?』

 

 少女が扉の向こうの人物に尋ねるも、返答はなく、ただひたすら扉を叩き続けている。

 少年は腰から短剣(ダガー)を抜き取り、少女を庇うように前に出る。そしてちらりと少女を見てハッとした。

 少女の目付きは戦士のそれへと変化していた。銅の剣の束を握り、腰を低くし、抜刀体勢を取っている。

 

 (この子は…………!)

 

 

 ────バキバキバキっ!!

 

 閂代わりの薪は音をたてて折れ、続け様に蹴破る勢いで扉が開いた。三人の男が入ってきた。町民風情の男達だったが、その手に持っている暗器は素人が扱うものではなかった。

 

 『………男は殺すな。生け捕りにせよとのご命令だ』

 『子供はどうする?』

 『構わん。───殺……』

 

 突如、入り口近くに立っていた男がどうっと床に伏した。

 

 『なっ……!』

 『なにっ……!』

 『……ここをアリアハン近衛騎士団長の家宅と知っての狼藉か? それとも勇者の娘であるアステルの命が狙いか?』

 『おじいちゃん!』

 

 現れた白髪の老人に少女は喜々として声を上げた。老人は手にある白銀の刃が仕込まれた杖で抜刀の構えを取る。侵入者二人はジリジリと後退り、結局は倒れた仲間を担ぎ上げ、撤退を選択した。  

 少女は駆け出し老人に抱き着く。老人も優しく抱き止め、それから胡乱げに見知らぬ少年を見た。

 

 『誰じゃお主は。人の敷地内で何をしておる』

 

 返答次第では斬る。そんな威圧感をビリビリと感じながら、少年は一歩前に出た。

 

 『オレは………』

 『おじいちゃん! このお兄さんは悪い人じゃないよ!』

 

 少女は少年の前に立ち、両手を広げた。

 

 『む……?』

 『お義父様、アステルはそこにいるのですか?!』

 

 と、今度は鎚矛(メイス)を手にしたうら若き女性が顔を出した。

 

 『母さん!』

 『アステル! 無事で良かった……!』

 

 駆け寄り少女を抱き締める女性は、とてもそんな風には見えないが少女の母親のようだった。

 少年は手にしていた短剣(ダガー)を収めて、二人に深く頭を下げた。

 

 『……申し訳ありません。御迷惑をお掛けしました』

 『このお兄さんはここに逃げ込んできたの。私はたまたまここにいただけ。お兄さん、あいつらから逃げてたの?』

 

 少女の問いに少年は素直に頷いた。

 

 『体調を崩し、奴らを撒ききる事が出来ず、咄嗟にこちらで身を隠していました』

 『何故あ奴らはお主を狙っておった?』

 『それはお答えできません』

 『なんだと?』

 

 老人はぎろりと少年を睨む。しかし少年はその視線から逃げず真っ向立ち向かう。

 

 『オレは盗賊です。任務中の身なので、これ以上のご迷惑をお掛けする訳にはまいりません。《キメラの翼》が手に入り次第、すぐこの国を発ちます。

 オレさえ姿を消せば事は穏便に済む筈。姿を見られたとはいえ、奴らも流石に英雄一家に手を出すような馬鹿な真似はしないでしょうから』

 『………もしやお主、ギルドの者か?』

 『この国や貴殿方が不利になるような任務ではないという事だけ、伝えておきます』

 

 頷く少年に、老人は顎を撫でて一つ息を吐いた。 

 盗賊ギルドの任務ならば一般人が深入りしても、なにひとつ良い事はない。

 

 『わかった。ならばもうなにも聞かん。早々に出ていってくれ。

 キメラの翼なら、オルテガの部屋に幾つか残っていた筈だ。エリーゼ、渡してやれ』

 『わかりましたわ』

 

 エリーゼと呼ばれた少女の母が心得顔で頷く。

 

 一礼し、母と共に立ち去ろうとした少年の服の裾を少女は慌てて掴んで引き留めた。

 

 『………あ、あの!』

 『なん……ああ、すまない』

 

 はたっとして少年は咄嗟にズボンのポケットにしまった《命の石》を取り出した。

 

 『悪い。返し損ねる所だった』

 

 差し出した宝石を、しかし少女は受け取らなかった。

 

 『それはお兄さんが持って行って』

 

 少年は眉間に皺を寄せる。

 

 『……これ、父さんから貰った物だろ? 他人にやるな』

 『お兄さんに貰って欲しいの! 今回みたいな事がないように! 御守り!』

 

 そう言って少女は手首のリボンを掲げ見せて笑った。

 

 『交換』

 

 少年は瞠目し、それからふと笑った。

 

 『わかった。交換だ』

 『私、アステル。お兄さんは?』

 

 少女……アステルは少年に名を尋ねるが、少年は眉を下げて首を横に振った。

 

 『悪いが名乗れない。無関係な人を危険に巻き込まない為にも』

 『……ま、また逢える?』

 

 それにも少年は首を横に振った。

 

 『多分、もう二度と会えないと思う』

 『ふっ、………ううああああんっ!』

 

 声を上げて泣き出してしまったアステルに、彼女の母親と祖父は大層驚いていた。

 少年はアステルの前に屈み込むと、彼女の頭を撫で、手首に巻かれたリボンの端を摘んだ。

 

 『けど。運命の神が気まぐれを起こしたら。その時はわからないな』

 

 アステルは涙を拭い少年に触れんばかりの位置まで顔を寄せた。流石に驚いたのか少年は瞳を見開く。

 

 『ろ、六年後の、うっ、春頃に、っく、また、アリアハンに来て!』

 『六年後?』

 

 少年は首を傾げたが、少女はそれ以上は答えなかった。ただ必死にこちらを見詰める。

 六年後といえば、この子は恐らく成人を迎えてる頃だろう。

 

 

 それはつまり。

 

 

 君が望んでくれるのなら。

 

 巡りあえたならば。

 

 

 『────わかった』

 

 

 

 

 

 ────その時は共に在ろう。

 

  

 

* * * * * *

 

  

 ────ダーマの神殿の宿屋で。

 

 アステルはベッドに座り、ウエストポーチの中にある物を取り出す。白布で包んだそれを開ける。

 

 中身は一本の空色のリボン。

 

 同じくウエストポーチに付けていた、白い毛玉の飾り《うさぎのしっぽ》を取り外す。 

 《うさぎのしっぽ》にリボンを結びつけて、アステルは満足げにそれを眺める。

 

 二つの御守りを両手で包み込むように優しく握り、

 

 

 ただ、唯。────()の無事を祈った。

 

 

 

 







『夢』のお話の続きです。突然始まる過去話。

アステル8歳の頃のお話。この頃の彼女の髪はベリーショートで、今(16歳)よりももっと短めの髪型です。毛先に癖がありあっちこっち向いてます。今まで髪が長かった為、めちゃくちゃ人の目を気にしてます。背もこの年頃の子達と比べたら小さめです。そうび…E:布の服E:銅のつるぎ

黒髪黒目の少年は14歳くらいで身長は165cm弱くらい。声変わり中なハスキーボイス。肌白で面立ちも幼く一見クールな女の子って感じです。服装はドラクエ3の公式イラストの盗賊とほぼ同じ恰好をしています。が、ベストはイラスト程カラフルな黄色じゃありません(笑)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!






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願わくば

 

  

 ────マリナンの神殿。真白き聖堂に夜の帳が降り始める。水路の所々に配された夜光石が淡く輝きだし、その光によって照らし出されたのは魔王の邪悪な思念波より自分達を護り、額に傷を負った女神像。傷付きながらも慈愛に満ちた眼差しでこちらを見下ろしている。

 

 スレイは一人、天窓から覗く満天の瞬きをぼんやりと眺めていた。涼やかな清水のせせらぎのみが辺りを支配する。おもむろに首に下げていた守り袋から、宝石を取り出した。

 青い宝石はそれを受け取ったあの頃から、今この時まで変わらず優しい光を放ち、己を癒してくれる。

 

 スレイは大きく息を吐いた。

 

 

* * * * * *

 

 

 「〈賢者〉とは。神より選ばれ、授けられた奇跡の行使を許されし者。魔と法、相反する力を同時に操り、この世のありとあらゆる知識と呪文を身につけ、更には新たなる魔法を創造する事さえ可能とする」

 「……その賢者っちゅうのになれば、スレイは助かるんか?」

 

 シェリルの問いに大神官ナディルは深く肯いた。 

 

 「……生命力を糧として〈魔力暴走〉を意識下で引き起こす伝説の自己犠牲呪文〈メガンテ〉」

 「メガンテ」

 

 アステルがその呪文を口にした途端、行使したわけでもないのに、ぞわりと身震いがした。流れる血が、魂が。その言葉を忌避したような気がした。

 

 「めがんて……めがんて。目が……点。ぷくくっ! あたっ!」

 

 茶々を入れるマァムの頭を、すかさずシェリルがはたいて黙らせる。が、ナディルはにやりとし、己の白い顎髭を撫でた。

 

 「目が点とな。ほほっ! 言い得て妙よ。命と引き換えに起こす魔力の爆発はそれはそれは凄まじいものでな。故にメガンテは禁断の秘術とされておる」

 「どんくらいすんごいのぉ〜?」

 「術者の魔力と生命力にもよるが、小さな島一つぐらいは軽く吹き飛ばせるだろうな」

 「ほへ〜〜っ!!」

 「そいつは凄いが。そんな危険な呪文とスレイを治すのと一体どういう関係が?」

 

 頭を掻きながらタイガが尋ねる。

 

 「超高位呪文であり難解な呪文だが、目的はメガンテを習得する事ではない。

 メガンテの呪文を理解し応用する事によって、呪いにより狂わされた魔力の抑制機能を自力で元に戻し、生命力の流出を防ぐ事」

 「呪文の応用……先程のマホトラと同じようなものですか?」

 

 先程の光景。己の理力を他者に分け与える。そんな呪文は聞いた事がない。アステルにナディルは首肯く。

 

 「うむ。応用といえど効果は違うのだから、それは新たなる呪文の創造とも言えよう」

 

 どっこらしょと、ナディルは椅子に腰をかけた。

 

 「……じゃが賢者とは本来、神に選ばれし血族より生まれ出づる存在。そうでない者が賢者となるには、まず《悟りの書》を通じ己を守護する神と会話し認められ契約する必要がある」

 

 「《悟りの書》」

 

 (もう一人のマァムが言っていたやつか……?)

 

 タイガはちらりと見下ろす。目が合ったマァムは「なに?」とばかりに首を傾げたので、なんとなくその頭を掻き撫でとく。

 

 「《悟りの書》ってなんなんや? そいつはどこにあるんや?」

 

 聞いた事のないアイテム名に商人魂に火がついたのか、シェリルが身を乗り出して尋ねた。

 

 「《悟りの書》とは神が人に与え給うた世界の歴史と智識の源泉。神と人を繋ぐ指標であり媒体となるものよ。悟りの書はガルナの塔に眠っておる」

 

 「ガルナの塔って確かタイガの……」と、アステル。

 

 「そうだ。以前、俺の修行場だった。場所は案内は出来るぞ」と、タイガ。

 

 ナディルは一つ頷くと固い面持ちのスレイに見向き、そして微笑んだ。

  

 「……スレイよ。ガルナの塔へ行くがよい。

 そして天啓を受けよ。神はそなたの到来を待ってくださっておるぞ」

 

 

 

  ────神。

 

 

* * * * * *

 

 

 「ほう。《命の石》かい」

 

 肩を大きく揺らしてしまい、スレイは舌打ちをした。一番動揺した姿を見せたくない相手にそれを見せてしまった。

 

 「なんとかここまで辿り着けたのも、それのお蔭かい」

 

 此方に歩み寄る命名神の巫女姫ナンナにスレイはちらりとだけ視線を向け、再び天窓の星空へと遣った。

 

 「眠れないのかい? もしかして仲間がおらんで淋しーのかい? ヒーヒヒヒっ!」

 「……黙れ。クソババア」

 

 そう。今この神殿にはスレイとナンナしかいない。 

 この神殿地下から湧き出る清水はただの水ではなく、理力を回復させる《魔法の聖水》と呼ばれる幻の霊水だという。それを知った時のシェリルの反応と興奮は、見てるアステル達が引いてしまうくらいのものだった。

 それはさておき。この神殿に滞在するそれだけで、スレイの中で常に失われる理力は直ぐ様癒やされるらしい。明日ガルナの塔へ向かうその前に少しでも不調を回復させる為、スレイはここに留まり、アステル達はダーマの神殿にある宿屋へと戻っていった。

 

 ナンナは長く深い溜め息を吐いて、スレイの隣に腰を下ろした。

 

 「……怖いかい? 魔力と知識を得る事が」

 

 スレイは答えない。しかしナンナはそれに構わず話を続けた。

 

 「お前には元々、魔法を操る素質があった。その才を伸ばさずにいたのはただ(ひとえ)()()に囚われない為」

 

 ぐっと宝石を握る手に力が籠る。

 

 「お前は───《器》だ。そうなるよう生まれた」

 

 ばっと立ち上がり、スレイはナンナを見下ろす。その表情は険しく、怒りに満ちていた。

 

 「魔力を高めるという事は《器》へと近づくという事………けれど。

 《器》であると同時にお前は《闇》でもある」

  

 更に続けられた言葉にスレイの怒りの表情は次第に泣き出しそうに歪み出す。それを見てナンナはフッと笑った。

 

 「バカタレ。勘違いするんじゃない。何度も言ってるだろうが。闇は決して悪の象徴ではない。

 闇とは本来、安らぎの象徴。……己の本質を見誤るんじゃないよ」

 

 「オレの、本質……」

 

 「しっかし!」と、老婆の声音がいつもの人を小馬鹿にするものへと戻る。

 

 「久々に戻ってきたと思ったら、呪いを受けてるだなんて、本っ当ぉに間抜けな奴だよ」

 「……うるさい。何度も同じ話を繰り返すな」

 「あの時渡したリボンはどうしたんだい?

 マリナンの加護を受けた《神具》と《名前》が揃ってりゃ、下っ端魔族の呪いなんてはね除けられたろうにさぁ」

 

 こちらを向かず黙りこくるスレイを、ナンナはニヤニヤと見上げる。

 

 「……っ! わかってるんだろうが! いちいち聞くなっ!!」

 

 その視線に耐えきれず、がなるスレイにナンナはヒーヒヒヒっ!と嗤った。

 命名神の加護を受けた者は、その巫女姫であるナンナを前にして隠し事は通用しない。その者の過去の何もかもが彼女の前では晒け出される。

 

 ───そう。何もかも、だ。

 

 (……命名神の加護を受けた者、か)

 

 ふとスレイは背後の女神像を見た。

 悪夢に苛まれ、闇夜に紛れて女神像の足元で伏して声を殺して泣いていた子供の頃。

 ナンナはそれを目ざとく見つけ、寄り添い、その背を優しく擦った。

 

 『大丈夫さ。星はね。真っ暗闇の中でも消えはしない。光を増して輝く。お前の背負う闇に決して呑み込まれなどしない。傍にいて、道標となり、輝き続けるんだよ』

 

 

 薪小屋の暗がりの中、一人声を押し殺して泣いていた小さな少女のその姿は在りし日の自分と重なって見えた。

 

 偉大な父に代わり、祖国と世界の期待を一心に背負う小さな青い星はあまりに儚すぎて。

 

 無事兄弟子と再会した後、再び師匠の元へと戻り修行をやり直す事を決めた。

 『あんなに独り立ちに拘ってたってのに』と、兄弟子は訝しげな顔をしたが、師匠はこうなる事がわかっていたかのような心得顔で。これまでがかわいいものだったと思えるくらいの試練を、戻った即日から課してきた。

 

 

 ────守らなければと思った。

 

 ────強くならなければと思った。

 

 

 そう思ったのは自責の念からなのか。似た者同士ゆえに生まれた庇護欲からなのか。

 

 ────わからない。

 

 ────わからないけれど。

 

 容易く折れそうなか細い手首に結んだ、運命の神の加護を受けたリボンに想いを託した。

 唯一の友を失い、孤独と使命の重圧に消えそうなこの子を護り、今度こそ良い巡り合わせへと導かれるように、と。

 

 そして、願わくば───……。

 

 

 

 此方へと近付く足音が耳に入りスレイはハッと我に返る。ナンナは立ち上がり、手にある杖をコンっ!と床にひと突きした。

 

 「《星》は《闇》の中でしかその輝きを見せない。昼間の星はその輝きを失う。星が輝けるのは闇夜の中でのみ。お前が前を向き歩む為にあの娘が必要であったように。

 あの娘にもお前が、お前こそが。必要なんだよ」

 

 「ババア……?」

 

 そう言い残して、ナンナは居住区へと続く階段へと消えていく。入れ違いで聖堂に現れたのは、アステルだった。

 暗い通路から恐々と顔を出し、スレイの姿をみつけるとパッと強張っていた表情がほころんだ。

 

 「スレイ! よかった、起きてた!」

 「アステル。どうした? なにかあったのか? 他の奴らは……」

 「私一人だよ。別に大した事じゃないんだけど、あのね……」

 

 嬉々としてぱたぱたと駆け寄ってくるアステルに、米神をひくつかせたスレイ。

 

 ────ビシッ!!!

 

 「はうっ! ……な、なんでっ!?」

 「なんでじゃないっ! こんな遅い時間に一人でうろうろとこんな所にまで来るなっ!」

 

 デコピンされた額を押さえて非難の声をあげるアステルに、スレイは怒鳴る。マリナンの許しがあれば神殿まで迷う事はないだろうが、夜の森を歩く事に変わりはない。森には魔物はいないが、自然の動物達はいる。もちろん中には獰猛なのだっている。

 

 「だっ、だって! スレイに早く渡したい物があったから! ……でも、ごめんなさい」

 

 はじめは反論しかけたアステルだが、自分に非がないわけでないので素直に謝る。しゅんとなるアステルにスレイは溜め息を漏らすと「で?」と、先を促した。

 

 「渡したい物ってなんだ?」

 「あ、あのね。これ……」

 

 そう言って差し出され、受け取った物にスレイは目を見開く。白い毛玉の飾り。

 

 「これ……」

 「あれ? 忘れちゃった? スレイが私の誕生日プレゼントにくれた《うさぎのしっぽ》」

 「それは覚えてる。じゃなくてこのリボンは?」

 

 スレイは《うさぎのしっぽ》と留め具の間の鎖に結ばれた空色のリボンを摘まんだ。

 

 「あ、それね? 私の宝物で幸運のお守り。夜だからわからないけど、光に照らすと綺麗な虹色になるんだよ?」

 

 アステルは二つの《幸運のお守り》を乗せたスレイの掌を、両手で包み込むようにして優しく握りこむ。

 

 「子供の頃に貰ったんだ。大事な友達を自分のせいでなくして落ち込んでた時に出逢ったお兄さんに。

 『良い出逢いがありますように』って。『幸運のお守りだ』って。そのリボンをくれたの」

 

 そしたらね!っと、アステルは満面の笑みで顔を上げた。

 

 「凄いの! これを貰ったその年の冬にマァムと出逢って。それからシェリルと出逢って。そしてタイガやスレイに出逢って。

 あの時。あのお兄さんがリボンにそう祈って手首に結んでくれた通り、いい出逢いに恵まれて!」

 

 だから。旅立ちの夜、父から貰った熊のぬいぐるみに謝って、その首に結んでいたリボンをほどいて腰ポーチに入れた。

 

 ───旅先でも護って貰えるように。と。

 

 「あとね。昼間の名前の事で父さんが言ってた事を思い出したの。『武器やアイテムにもちゃんと心があって、声をかけて大事に使っていたら、ちゃんとそれに応えて助けてくれる』って。今思えばホントにその通りだって思えて。

 なら、このリボンとスレイに貰ったこの《うさぎのしっぽ》とが合わされば、幸運がパワーアップして呪いとか悪い事とか、追っ払ってくれるんじゃないかって!

 ………で。この子達にお願いしてたらいつの間にかこんな時間になっちゃってて……」

 

 きょとんとしているスレイに気付き、興奮し熱弁していた自分に恥ずかしくなったのか、アステルの声がどんどんと萎れていく。

 

 「………今日じゃなくても明日渡せば良かったんじゃないのか?」

 「そうは思ったんだけど。こういう事って、ほら! 思い立ったら吉日っていうでしょ? 早く渡してスレイを守ってもらおうと思……って」

 

 「そうか」

 

 アステルは息を呑んだ。

 

 スレイが笑った。本当に、嬉しそうに。

 

 と。スレイの右手を握っていたアステルの両手を、彼は左掌で簡単に包み込んだ。

 

 「ありがとう。しばらく借りる」

 「うっ、うん」

 

 アステルは顔が熱くなり、次いで鼓動が早くなるのを感じた。

 自分から握った癖に早く手を離して欲しいと願ってしまう。そして願い通りその手があっさりと離れていってしまうと、今度はそれを残念に思ってしまう自分がいて。

 更に頭を抱えたくなってしまった。

 

 「? どうした?」

 「な、なんでもっ! なんでもないっ!」

 

 どもるアステルに首を傾げるも、スレイは再び手の中にあるふたつの幸運のお守りを穏やかな表情で眺める。眺めたまま唐突にアステルに尋ねた。

 

 「……このリボンをくれた奴はどんな奴だったんだ?」

 「え!? ……えっと、確か、歳は今の私と同じくらいだったと思う。突然、家の薪小屋に飛び込んで来たと思ったら、追われてるから匿ってくれって」

 

 「……まるっきり不審者だろ。それ」

 

 確かにそう認めざるえない。顰めっ面になったスレイにアステルは慌てる。

 

 「えっと、でもね! びっくりはしたけど怖くはなかったの。悪い人じゃないってのは伝わったし、きっとなにか理由があったんだと思う。実際に話し始めたらとっても優しいお兄さんだったし」

 「……そうか」

 「そう!」

 

 強調するアステルに、スレイは何故か視線を反らした。

 

 「けど、なんでいきなりそんな事聞くの?」

 「……いや。出逢ってすぐ御守り渡すとか。同じ事してるなと思ってな。親近感を感じただけだ」

 

 

 ふっと笑って。スレイは《うさぎのしっぽ》にしっかりと結ばれた《リボン》を指に巻き付けるように触れた。

 

 

 『────勇者を目指す必要なんてなければ………っ!』

 

 

 あの日。

 

 彼女自身が心の奥底に追いやり、見て見ぬふりをしていた想いに触れた。

 

 

 だからこそ。

 

 

 オレは今ここに在る意味を見出だした。

 

  

 空色のリボンはきらきらと淡い虹色の光を溢した。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 ───ダーマの神殿。

 

 その中の一番広く大きな空間は《託宣の間》と呼ばれている。この空間にはマリナンの神殿の清水が地下を通じて湧いている。空間の奥、認められし者しか登る事を赦されない、高い祭壇の背後に位置する所にある屋内池の中央には、全能神の象徴であり、龍が翼を広げた姿を模した真白な大理石の十字の台座があり、天窓から降り注ぐ月光によって清らかに輝いている。

 

 一人祭壇で祈りを捧げるナディルは、中央の十字に陰が射し込んだのを認めた。高い天窓から舞い降りた影は、風の呪文を纏ってゆっくりと着地した。ナディルは振り返り、祭壇下にいる娘の姿を認めると、目を細めた。

 

 昼間見た時よりその瞳の緋色は暗い。

 

 だが。この色こそが賢者ノーランの一族の証。

 

 娘はその場に跪き、胸の前に両手を交差させ、正式な礼を見せる。

 

 「……はじめまして」

 「儂は初めてではないがな」

 

 黄金の巻き毛を揺らし、頭を傾げる娘にナディルはホホホッと笑った。

 

 「お前が物心つく前に、エルドアンとセファーナがこっそり連れて来てくれたんじゃよ」

 「お父様、お母様……が?」

 

 ナディルは嬉しそうに頷く。

 

 「大きくなったの。お前の母セファーナにそっくりだ」

 「お母様、そっくり……?」

  

 ナディルは祭壇を降り、娘の前に立つと、跪き、そして抱き締めた。

 

 「……よくぞ無事で。よくぞ生きていてくれた。………マァム。わが孫よ」

 

 包み込まれ感じた香の匂いは、その昔嗅いだ父の匂いを彷彿とさせた。マァムはその胸に頬を擦り寄せた。

 

 

 「………お祖父様」

 

 

 

  

 








今回はアステルのロマンチストな性格が強く現れたお話となりました。
ゲームプレイの影響で父オルテガの性格は豪傑設定で考えていたのですが、()()のオルテガはアステルと同じロマンチストじゃね?と考えを改めはじめています(笑)

と、ここで補足を失礼します。

ドラクエ3に《魔法の聖水》は出てきませんが、ドラクエ11の不思議な鍛冶《祈りの指輪》素材レシピをネタにしております。
祈りの指輪の原料なんだからドラクエ3の世界に魔法の聖水は存在してる。しかし(エルフ族以外に)汲み取る方法がないとなっております。

《命の石》にゲームにはない効果があります。これは公式ドラクエ1小説の勇者が赤ん坊の頃、命の石の力のおかげで数日もの間水も乳もなしに生きられたというネタから。
この物語の命の石は病を退け疲労を癒し、命に関わるような飢えや渇きも癒される効果があります。
前話のあとがきで書き忘れてましたのでついでに補足。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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ふたつの心

 

 

 祭壇の天窓から降り注ぐ月光が、再会を果たした祖父と孫娘を祝福するかのように包み込む。

 

 抱き締めた体をそっと離し、ナディルはマァムの羽毛のように柔らかな金髪を優しく撫でた。その心地好さにマァムもされるがままになっていたが、猫のように細めていた瞳をハッとして大きく見開いた。

 

 「……お祖父様。お尋ねしたい事が、あります」

 「む?」

 「悟りの書について、聞きたいです。ガルナの塔に、悟りの書は、ひとつしか、ないの、ですか?」

 

 ナディルは目を丸くする。

 

 「……悟りの書とはの。血族以外の存在が賢者として神の目に止まったその時、天からの啓示と共に降りてくる。

 今、ガルナの塔にあるのはスレイの為の悟りの書のみ」

 

 俯き、無表情ではあるものの明らかに沈んだ様子の孫にナディルは頭を傾げた。

 

 「どうした? 我らに悟りの書は必要なかろうに」

 

 その言葉にマァムは表情を変えぬまま、更に空気を重くさせた。

 

 「………魔法を、うまく、使えない」

 「ほう?」

 「あたしの方は、攻撃呪文が、使えないし、わたしは、回復呪文が、使えない。かろうじて、補助呪文なら、使えるけど」

 「《あたし》?《 わたし》?」

 「昼間のが、《あたし》。今、話してるのが、《わたし》」

 「なるほど、なるほど」

 

 ホッホッホッと白い髭を撫でながらナディルは笑う。

 

 「しかしそれは仕方なかろうに。あの方には攻撃呪文は扱えぬ」

 

 「あの、方?」

 

 マァムは首を傾げる。その様子にナディルは眉間に皺を寄せ、彼女の肩に手を置く。

 

 「マァムよ。……神鳥ラーミア様を忘れたわけではあるまいな」

 

 「神鳥、ラーミア、様」

 

 ドクリッと心臓が大きく不快に鳴り、思わずマァムは胸を押さえる。その胸が淡く緑色の光を放つのをナディルは見た。

 

 「……そうか。覚醒せぬよう封印を施されたか」

 

 ────魔王からその魂を護る為に。

 

 胸の光が治まりマァムの身体が傾ぐ。ナディルはその身体を抱き止め、目を上げた。

 

 

 「そこにおるのだろう? タイガよ」

 

 神域を護るように建つ四体の闘神像の一体から、頭を掻きながらタイガは姿を見せた。

 

 「ばれてましたか」

 「わからいでか」

 

 タイガは二人の元に歩み寄り、ナディルの腕の中にいるマァムを覗き込んだ。完全に意識を失っているマァムに眉を顰める。

 

 「大丈夫なのですか?」

 「問題ない。(ふせ)ぎが働いたのであろう」

 「禦ぎ?」

 「この子に二つの人格が存在しているのは理解しとるか?」

 「はい。主だって(おもて)に出ているのは明るい方の人格で、裏方に徹しているのは……」

 

 タイガは眠るマァムに目線を遣る。

 

 「………タイガよ。マァムになにがあったのか、聞かせてはくれまいか?」

 

 マァムの祖父だというナディルの願いを断る理由はない。タイガはマァムの義母ルイーダから聞いた、そしてタイガ自身がこれまで見てきたマァムについて語り始めた。

 

 

* * * * * *

 

 

 タイガがもう一人のマァムと出会ったのは本当に偶然だった。

 

 魔物との戦闘の際に受けた強制転移呪文(バシルーラ)により、アリアハンへとやって来たタイガ。更に運悪く、財布を落としてしまった彼に救いの手を差し伸べたのが、旅人ギルドのマスターであり、酒場の女主人あるルイーダだった。

 

 酒場を仮宿として幾日か過ぎた頃。

 

 夜も更け最後の客も店を出て。店内の清掃を終え、掃除道具を片付ける為にタイガが裏庭に出ると《彼女》はいた。

 寝巻きの裸足姿でぼんやりと天を見上げるその姿は、深紅の瞳は。昼間の太陽のように明るい朱色のそれとは大きく異なっていた。

 本来の彼女を知る者ならば、その異変に気付き違和感を感じるだろう。

 彼女に善からぬ存在が取り憑いたのでは、と、思う者さえいるかもしれない。

 

 だがタイガには。

 

 月のない朔の暗夜を哀しげに、けれど懸命に見上げる彼女が。

 その《姿》と《魂》が。

 違和感なく正常に重なり映って見えたのだ。

 

 故に。

 

 『君は誰だ?』

 

 こう尋ねた。

 

 『マァムだが……マァムじゃないな?』

 

 ……と。それを聞いた彼女……マァムは驚いたように瞳を見開き、否定する事なく、ただ黙って頷いた。

 その夜をきっかけに、夜が更けると暗き瞳のマァムはタイガの前に姿を現した。

 だが彼女からタイガに話し掛ける事はない。ただ。閉店後の後始末、もしくは休息中の彼の傍らにいて、夜が明ける前には姿を消していた。タイガの方もそんな彼女を特に問い質すような事はせず、挨拶を交わし、日常の他愛のない話や自分がしてきた旅の話等をして、彼女はそれを黙って聞いて。そうして彼女との時間を過ごしていた。

 酒場の手伝いや外に出て魔物を倒す等してある程度金が貯まり、仮宿をルイーダの酒場から町の宿屋に移したその後も、彼女は度々タイガの元に訪れた。

 そんな日々の中、ふと彼女は己の名を口に出した。それは《マァム=ヴェルゼム》ではなく、《マァム=ノーラン》だった。

 夜に現れる自分の事はそう呼んで欲しいのだと理解出来た。

 それからはタイガは彼女の事は必ずそう呼ぶようにしている。

 

 アリアハンに来て半年が経過しようとした頃。マァムの友人であり、アリアハンの次期勇者であるアステルの旅立ちが迫っていた。

 

 『私達と一緒に旅をして欲しいの』

 

 ある日、緊張した面持ちでアステルにそう誘われた。

 魔王討伐の旅。目の前の彼女の父親も含め、様々な英雄が志し旅立ちながらも、未だ誰もそれを成し遂げてはいない、険しく果てしなき旅路。

 勇者として挑む彼女の旅の同行者は、幼き頃に共に在ると誓い合ったマァムとシェリル。しかし旅慣れていないアステルとマァムに、少しは心得のあるシェリルでは心許ない。

 タイガの旅に特別な目的などはない。強いて言うならば研鑽と見聞の旅。

 マァムに紹介されて以降、気さくに話し掛けられ、今では顔見知りとなった娘達の頼みを蹴るほど自分は薄情者でもない。

 タイガは笑顔で了承すると、アステルの強張った顔がほっとほころんだ。

 

 ───その夜。酒場の閉店作業を終え、帰路につこうとしたタイガは、その店主であり、マァムの母親であるマダム・ルイーダに呼び止められた。

 酒を飲み交わしながら、明かされたのはマァムは己の実の子ではない事。自分と同じく転移魔法によってこの地に飛ばされた娘。そして彼女にはアリアハンに来る以前の記憶がないという事だった。

 

 『何故その事を俺に?』 

 

 タイガはつまみに出されたチーズを一切れ取って口に放り投げた。ルイーダはうっすらと笑みを浮かべる。

 

 『どの口が言うのかねぇ。親の目盗んで、うちの愛娘と夜な夜な逢い引きしてる奴が』

 

 飲み込んだチーズを喉を詰まらせ、苦し気に胸を叩くタイガに、ルイーダはクックックッと喉を震わせた。そんな彼女をタイガはじとりと見上げる。

 

 『(やま)しい事はない』

 『わかってるよ。あたしが言いたいのは、大親友のアステルとシェリルにも、母親のあたしにさえ姿を見せないもう一人のあの子が、あんたの前でだけ姿を現してる事実さ』

 

 その言葉にタイガは目を丸くした。

 

 『彼女の存在を知っていたのか』

 『バカにすんじゃないよ。あたしはあの子達の親だよ』

 

 ルイーダは手にしたグラスを傾けワインをちびりと含んだ。

 

 『……けど。あたしが気付いて声をかけるとあの子はすぐ引っ込んじまう。あんたに対して姿を見せてるのがホントに不思議なくらいさ。……どうやってあの子を口説き落としたんだい?』

 『……人聞きの悪い事を言わんでくれ。俺は別に特別な事はしてない』

 

 ニヤリとして尋ねるルイーダにタイガは困り顔で頭を掻いた。

 

 『まあそれは置いといて、だ。あたしがあんたにマァムの事を話したのは、あんたにあの娘達を頼みたいからだ』

 

 笑みを消したルイーダに、タイガも眉をひそめる。

 

 『もう一人のマァムの存在はあたしとあんたしか知らない。あの子が慕っているアステルも、幼馴染みのシェリルも知らないんだ』

 

 真夜中の酒場に一つだけ灯されている灯火(ランプ)の火が揺れ、ジジッと音を響かせた。

 

 『魔女のカン……ってやつかね。わかるのさ。マァムにはとてつもない力が宿っている。いずれ魔王打倒の鍵となる力が。

 もう一人のあの子はそれをたった一人で抱え隠している。こーんな小さかった頃からね』

 

 そう言ってルイーダは出会った頃のマァムの背丈を、真紅で彩られた爪が光る手で示した。 

 

 『自分の存在そのものと共に。それがどんなに辛く孤独なものか……』

 

 切な気に伏せられた瞳がふいに上がる。紫紺の瞳が妖しげな紫に輝き、正面に座る男の姿を、そしてその腰に下げられた固く封印されている剣を捉えた。

 

 『……マァムがここに現れ、勇者であるアステルに出会ったのはきっと偶然なんかじゃない。必然なんだろう。……タイガ、あんたがここにやって来た事もね』

 

 ルイーダにはアリアハン入国滞在の手続きの為に出身地のみ明かしはしたが、その瞳と言の葉は、己の内の秘とする全てを見透かしているようでタイガは思わず身構えた。

 だが、次の瞬間には酒場の女主人はふっとその瞳を和らげた。

 

 『……これからもあたしの《娘達》の支えになってあげておくれよ。引き篭もりのもう一人の娘を引き出したあんたになら。安心して任せられる』

 

 柔らかく微笑む彼女のその表情は先程までの魔女のそれではなく、娘を気遣う母親のものへと戻っていた。

  

 

* * * * * *

 

 

 タイガの話を聞き終えたナディルは大きく息を吐いた。天窓から覗いていた月は既に姿を消しており、代わりに神殿内に配置された燭台(しょくだい)の灯りが三人の姿を照らし出していた。

  

 「なるほど。主人格が入れ替わってしまったというわけか」

 

 その場に腰を下ろし、己の膝を枕にして眠る孫娘の頭を撫でながらそう溢すナディルに、向かい合って座るタイガは眉を寄せた。

 

 「それはどういう……」

 「説明する前にまず、もうひとりのマァム……おぬしが言う明るい方じゃな。そちらはマァムではない。別の魂だという事を理解してほしい。そしてその魂は深い眠りにあった筈なのじゃ」

 「マァムじゃない? 眠っていた魂?」 

 「本来、(おもて)に出るべきはこちらのマァムじゃという事だ。恐らくは幼い頃の強制転移による影響で、眠っていたもうひとつの魂が半覚醒し、本来のマァムの記憶と混じり合い、混濁(こんだく)した事が今の状況を生み出しておるのじゃろう。

 更には護るべき存在を主人格と勘違いしておる。仮人格である自分では賢者の力を操れる存在ではないと思い込んどる。(ゆえ)に悟りの書が必要と思い至ったのであろう。………この状態は非常にまずい」

 「まずい……とは?」 

 「このまま主人格のマァムの己が仮人格であるという思い込みが強まれば、やがて身体の主導権の全てをもうひとつの魂に(ゆだ)ね、遠くない未来消滅するじゃろう」

 「……マァムと混じり合う別の魂とは、一体な、………っ」

 

 タイガは苦し気に言葉を詰まらせる。

 

 あの明るいマァムの存在を否定するような言葉を紡ぐ事が出来なかった。ナディルは彼の心中を察し、続く筈だった質問の答えを述べた。

 

 「我ら賢者ノーランの一族は、代々神鳥の魂を守護する使命を受け継いでおる」

 「………神鳥?」

 「八雲の民よ。神珠(しんじゅ)と言えば理解出来るのではないのか?」

 「───っ!」

 

 息を飲んだタイガの脳裏にはっきりと浮かんだのは。長い黒髪を一つに束ね、白の巫女装束に身を包んだ小さな娘の後ろ姿。

 祭壇に奉られた《紫》に輝くそれを手にし、胸に押し当てる。やがて光は止み、そして此方を振り返ったのは。

 

 

 ───この世で何よりも大切な

 

 

 ───美しくも儚い笑み。

 

 

 

 知らぬ間に腰に下げた(つるぎ)の束を握り絞めていた。

 

 「マァムも、そうなのですか?」

 

 呻くような声で尋ねるタイガに、ナディルは目を伏せた。

 

 「神鳥の魂の欠片。テドンの民《緑》の守護者だ」

 

 タイガは剣から手を離し、胡座をかいた膝の上で拳をぐっと握りこむ。目を閉じ、大きく深呼吸する。そして目を開いた。

 

 「……マァムを。マァムを守る手立てはあるのですか?」

 「マァムに己の存在を自覚させる事。身体の主が自分である事を自覚させるんじゃ。タイガよ。ガルナの塔の最上階にある、銀細工の髪飾りを探しだして欲しい」

 「髪飾り?」

 「マァムの父エルドアンがその昔、マァムの母セファーナに贈った品じゃ。この子の瞳の色と同じ赤色の宝玉……紅玉髄(カーネリアン)が填まっておる。

 セファーナが亡くなった後、エルドアンはガルナの塔にそれを隠した。両親の形見に触れれば、自らの素性(ルーツ)を見出だせる筈」

 「わかりました」

 

 頷くタイガに、ナディルは目を伏せた。

 

 「……しかし。あのルイーダがマァムの養母となっておったとはな」

 「ナディル大神官はマダムの事をご存知で?」

 

 懐かしげに目を細め、真白い顎の髭を撫でるナディルに、タイガは頭を傾げた。

 

 「うむ。ルイーダは若き頃知識を求め、このダーマにやって来た。十年間寝食すら忘れ、古代図書館の本を読み漁り、膨大な知識を小さな頭に詰めに詰め込んでアリアハンに帰りおったわ。

 あれは稀代(きだい)の魔女よ。高い魔力と知性を備えとったが、驚異とする点はそこではない。古代より伝わる魔法陣や結界術を解明解析する理解力、更には新たな陣を編み出す発想力は大神官であり、賢者である儂をも凌駕(りょうが)する程じゃ」

 「な……っ、」

 「アリアハン大陸に住まう魔物が他大陸に比べ脆弱(ぜいじゃく)なのは、あやつが彼の地の王城に眠る古代の巨大結界魔法陣を復活させたからに他ならない」

 

 つまり。あの女店主は魔王の力から大陸一つを守った。いや、今も護り続けているという事か。

 明かされた酒場の女店主の過去とその力に、タイガは頬を引くつかせる。

 ルイーダが元は王宮魔術士だとい事は聞いてはいたし、底知れなさは肌身で感じてはいたが。

 

 「《神剣》に選ばれし者タイガよ。お主が勇者アステル、そして守護者であるマァムと出会い、共にあったのは運命られたものだったのかものう」

 

 稀代の魔女と同じ事を言う大神官にタイガは苦々しく笑う。

 

 「俺はそんな大層な存在ではありませんよ。

 

 ………それに。俺にはもう草薙(くさなぎ)を扱う資格はない」

 

 

 眼帯に触れてタイガは(ひと)()ちた。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 「朝起きたら、ウチ一人しかおらんしっ!ほんまにびっくりしたんやで!!」

 

 翌日。朝一番、シェリルの怒声がマリナンの神殿に響き渡った。

 

 「ご、ごめんね、シェリル……」

 

 マリナンの神殿の居住区、あの美しい湖底が一望できる空間に皆揃っていた。

 謝罪しながら、アステルは大理石のテーブル席に腰掛けたシェリルの前に朝食を並べる。

 焼き立てのパンとハムエッグ、簡単スープ、アステルが急拵えで用意した朝食だ。ナンナとスレイも席について黙々とフォーク、ナイフを動かしている。

 

 昨夜一人でこの神殿を訪れたアステルは、帰りの際スレイと『送る』『平気』の押し問答となった。 

 身体を癒す為にこの神殿にいるというのに、アステルを宿屋まで送ると言って聞かなかったのだ。『逆の立場ならお前は気にせずぐっすり休めるのか?』というのがスレイの意見。

 結局は居住区の階段からぴょこりと頭だけ出したナンナの『あーうるさい! もうあんたもここに泊まっていきなっ!』の、鶴の一言で収拾がついたのだが。

 

 置き手紙は書いておいたが、宿屋に一人きりの状態で目覚めた時、置いてかれたとシェリルは大層慌てたらしい。

 

 「……だって。まさかタイガとマァムまで出掛けてたなんて思わなかったから……」

 

 と、アステルはテーブルに並び切れなかった朝食をマットを広げた床に並べ、それを物凄いスピードで平らげるタイガとマァムを見下ろす。

 口一杯頬張っていたパンを飲み下すとタイガは目を釣り上げるシェリルに苦笑う。

 

 「いやぁ。あの後ナディル様に一杯誘われてだな」

 

 そしてタイガはダーマの神殿で夜を明かしたという。

 

 「ウチもそれ呼んで欲しかったっ!!」

 

 バンッ! と、テーブルを叩くシェリルにタイガは悪い悪いと謝る。

 

 「マァムもタイガに付いて行ったのね?」

 「んふ? んぐんぐ……よくわかんなぁい!」

 

 普段なら神殿なんてつまらないと言い出しそうなものなのに。

 そう思いながらアステルが尋ねるも、マァムは首をこてんと傾げ、再びパンに齧りついた。

 

 

 

 

 朝食を済まし、出発準備を整え終えた一行はマリナン神像の座する間に集まった。

 

 「持っていきな」

 

 そう言ってナンナがぞんざいに放り投げた物を、スレイは危なげなく受け取る。

 

 「これは……」

 

 〈魔法の聖水〉を原材料とし、エルフ族のみがその製法を知るという、理力を回復させる貴重な品〈祈りの指輪〉。

 

 「前にエルフがここの水を汲み取る代わりに置いてったやつだ」

 「なんやてっ!?」

 

 その言葉にシェリルが食い付く。

 

 「どうやって!? どうやってこの魔法の聖水持ち出したんやっ!」

 

 そう。ここの清水はどういう理由(わけ)か汲み取る事が出来ないのだ。手で掬い取れば直ぐ様蒸発する。器や瓶、袋などを使ってもそれは同様だった。

 

 「知らんよ」

 「ああーーっ! 目の前にお宝があんのに、指咥えて見てる事しか出来んなんて………っ!」

 

 さらさらと神殿内を流れる清水を恨めしげに見詰めるシェリルに、ナンナは白け顔を浮かべ、改めてスレイを見上げた。

 

「……とにかく。体に異変を感じたらさっさとそいつを使いな。仲間の足手まといになりたくないならね」

 「……助かる」

 

 そっぽを向きながらも、短く礼を告げるスレイをアステルが微笑ましく見上げてると、

 

 「笑うな」

 「ひゃ!?」

 

 頭を乱暴に下へと押さえつけられた。

 

 「あと……タイガ。ちょっとしゃがみな」

 「ん? ……てっ!?」

 

 素直に言う通りにしたタイガの頭をナンナは持っている杖で突然叩いた。

 

 「な、なにを……」

 「ちょっとした〈有難(ありがた)いまじない〉さ。

 タイガ、ガルナの塔を思い浮かべながら森を歩きな。お前達はタイガから絶対に離れるんじゃないよ」

 

 頭を擦るタイガと、首を捻る面々にナンナは含みのある笑みを浮かべて、旅立つ一行を見送った。

 

 タイガを先頭に、朝露に濡れ濃い霧に包まれた幻想的な森を歩く。

 タイガ曰く。ダーマの神殿からガルナの塔までは山を三つ程越え、最後に岩壁登攀 (いわのぼり)した先にあるらしい。

 

 「まあ、ひと月はかからんと思うが、それなりに過酷である事は覚悟しておいてくれ」

 「……迂回路とかあらへんのか?」

 「残念ながらないなぁ」

 

 げんなりとするシェリルに、溜め息を漏らすスレイ。霧が薄れ、奥から光が見える。森が切れる、と。

 

 「───わっ!?」

 

 突然の強く冷たい横風に一行は襲われた。

 バサバサッ! と、外套が大きく煽られ、油断しきっていたアステルは飛ばされそうになる。それをスレイがすかさず捕まえて抱き寄せた。

 

 「あ、ありがとう……?」

 

 気恥ずかしさにアステルは慌てて離れようと両手で突っぱねるも、肩を抱く力は弱まらない。訝しげに彼を見上げると、スレイの見開いた瞳は前方に釘付けとなっていた。

 

 アステルもその視線の先を追うと。

 

 「え」

 

 目前には天を貫く程の巨塔が聳え立っていた。

 

 「……あの、タイガ? もしかしてこの塔が?」

 「…………」

 

 アステルが尋ねるも、タイガは口の端を引き攣らせたまま固まっている。

 

 「ねえねえ~~! 森がぁなくなってるよおぉ~~!」

 

 マァムの言葉に皆一斉に背後を振り返ると、そこにあるのは広大な山岳風景。今立っているその場は、それらを見渡せる断崖絶壁といった所だった。「ひえっ!」と短い悲鳴を上げて、シェリルは慌てて崖っぷちから離れる。

 

 「……なるほど。確かにこれは〈有難いまじない〉、だな」

 

 タイガは乾いた声で笑った。

 

 どうやら命名神の御加護によって、約ひと月はかかるという険しき道程のなにもかもをすっ飛ばし、小一時間で目的地へと辿り着けてしまったようだ。

 

 

 







この物語での賢者は神に愛された血筋より生まれる者とされています。ですので例え魔法使い系と僧侶系の魔法が使えたとしても賢者とは呼べません。アステルはこちらに当てはまります。

この物語のガルナの塔に隠されているという《銀の髪飾り》は公式ゲームとは違う品です。ゲームでは隠されておらず堂々とあります(笑)
髪飾りのデザインは勿論の事、使用されている宝石、銀素材もミスリル銀が使われており魔法がかってます。マァム父がマァム母の為に用意した一点物です。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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神の塔《資格ある者》

 

 

 

 ダーマの神殿と同じような青白い御影石(グラニット)で出来た恐るべき高さの塔は、やはり神殿と同じく表面は宝石のように磨き上げられている。

 あらゆる不可能を可能とする力と知識を持ち、現人神(あらひとがみ)とも呼ばれた初代賢者の名を冠する───ガルナの塔。

 人の技術で建てられたとは到底思えない塔は、天啓と神の加護を得るのに、これ以上相応しい場所はないだろう輝きを放っていた。

 聖竜が彫刻されたアーチを潜った先は、通路を挟む様にして建ち並ぶ女神像。喜怒哀楽の様々な表情を浮かべた彼女達は、試練を受けし者を見定める様に見下ろす。

 そこも通り抜けると今度は天井の高い広い空間に出た。そしてそこには二人の妙齢の女性が此方が来るのを知っていたかのように待ち構えていた。

 

 一行の……その中のスレイの姿を認めると、一人は淑やかに一人は嫋やかに会釈する。

 一人は清楚な白の長衣に身を包んだ修道女。

 もう一人は濃艶な紅の薄絹に身を包んだ舞人。

 

 「人生とは悟りと救いを求める巡礼の旅。ガルナの塔へようこそ」

 

 厳かにそう告げると修道女は胸元の銀のロザリオを握りしめ、祈りを捧げた。

 

 「この塔のどこかに悟りの書と呼ばれる物が眠っています。悟りの書があれば賢者にもなれましょう」

 

 吟うようにそう告げると、舞人は両腕輪に繋がったベールを蝶の(はね)のようにひらりと翻す。

 

 「あなた方は……」

 

 一体……と、そう続く筈だったアステルの言葉は虚しく宙に消えた。

 

 二人の女性の姿と共に。

 

 「な、なんや!? 今のっ!! ゆ、幽霊かっ!!?」

 「う~ら~め~し~……」

 「やめいっ!!」

 

 横髪を数本口の端に咥え、両手をだらりとさせて詰め寄るマァムの脳天に、すかさずシェリルがチョップを落とす。

 

 「……タイガ。今の人達は?」

 「いや。俺がここで修行してた頃は見た事も会った事もないな」

 

 幼馴染みのいつものじゃれ合いを尻目に、アステルはタイガに尋ねてみたが、彼もまた首を捻ってみせた。

 邪悪な何かには思えなかったけど。と、アステルは二人が消えた空間に再度視線を移す。

 

 (もしかして。塔を守護する精霊とか、かな?)

 

 「……にしても」と、タイガ。

 

 「塔の中の空気がだいぶ変わったなぁ」

 「空気がか?」

 

 目を眇めて尋ねるスレイに、タイガは頷いた。

 

 「魔物が妙に殺気立ってる。それに……数も増えてるな。以前はここまでじゃなかった」

 「……神の塔なのに魔物がいるのか?」

 「ここら辺には希少な魔物がいてな。その昔、人間に乱獲されるのを塔を造った古の賢者が哀れんだそうだ。

 で、人の目から逃れる為にここに住む事を許したらしいぞ」

 「希少……《メタルスライム》の事か?」

 

 「メタル……スライム?」

 

 メタルとは金属の事だ。スライムといえば柔らかくてゼリー状が殆どの筈。首を傾げるアステルにスレイは頷く。

 

 「この辺りに生息するスライムだ。見た目も生命力の低さもアリアハンに現れるスライムとそっくりだが、物凄く俊敏な上に、火球呪文(メラ)が使えて、銀色に輝く金属のような体はとにかく硬い。生半可な攻撃ではびくともしないし、攻撃呪文も通らない。

 ……だが、臆病な性質で遭遇すると大抵はあちらから逃げ出す」

 「なら危険はないのね」

 

 ホッとするアステルに、何故かスレイは微妙な顔をする。

 

 「ああ、危険はない。……ないんだが」

 「……ないんだが?」

 「逃げられたら。……とにかく悔しい」

 「は?」

 「こちらとしたら、あいつを見つけたらなにがなんでも狩らずにはいられないんだよなぁ」

 

 重々しい表情で頷き合うスレイとタイガに、アステルは怪訝な顔をする。

 

 「まあ運良く出会えたら、アステルにもわかるさ」

 「はあ……?」

 「ともかく。メタルスライムを代表とした〈人が乱獲して絶滅しそうになった魔物達〉がここに住みついてるって話だ。

 魔王が現れる以前の魔物達は臆病で大人しかったそうだからな」

 「今では考えられない事だがな」

 「神域だけあって魔物達もみんな大人しいもんだったんだが。……それが今じゃ殺気立ってる」

 「魔王の力が神域にまで及んでるの……?」

 

 ここでハッとしてアステルはスレイの表情を伺った。

 

 「スレイ、体は大丈夫?」

 「問題ない」

 

 特に変化はみられないが、アステルは彼の腕に触れて、その体温を確かめる。わかりづらかったので今度は頬に触れようとしたが避けられた。

 

 「大丈夫だって言ってるだろ」

 「だって前科あるでしょ」

 

 煩わし気に言うスレイにムッと膨れっ面になるアステル。二人のやり取りを微笑ましげに暫く眺めていたタイガだったが、表情を引き締め声をかける。

 

 「アステル。とりあえずは俺の師匠に会ってくれないか?」

 「タイガのお師匠様?」

 「すぐそこの小部屋に《旅の扉》がある。そこを潜った先にいる部屋が修業場なんだ」

 「旅の扉ぁぁっ?」

 「旅のぉ扉ぁ叩ぁいてぇ~♪」

 

 呻くシェリルの隣でマァムが陽気に歌いだす。

 

 「……あ。シェリルは旅の扉駄目だった……」

 

 はたっとしてアステルが呟いた。

 

 

 

 

 

 ───《旅の扉》とは。古代大戦より前の、この世界に国という概念がなかった時代に創られたという瞬間転移装置である。   

 世界各地に配置され、海を越えた遥か遠くの大陸に瞬く間に移動が出来るその装置の仕組みは、未だに解明されてはいない。

 見た目は青く光輝く、渦を巻いた水面のようなものだが、本物の水ではなく可視化された高密度の魔力の渦である。

 故に魔力を持たない、または慣れていない者がその中に入ると酷い頭痛や吐き気などを引き起こす《魔力酔い》に(かか)る場合がある。

 

 ちなみに。シェリルはアリアハンからロマリアへの移動の為《旅の扉》を使用した際、その《魔力酔い》を経験している。

 

 

 

 「なんでこんな塔ん中に旅の扉があるんや~!!」

 

 「一説では古代の賢者が旅の扉を創造した際、ここで試験運用したといわれている」

 「そんな解答(こたえ)、求めとらんわっ!」

 

 シェリルが漏らした愚痴に懇切丁寧に答えるスレイ。……いや、この場合は意地悪か。

 

 (スレイもたまにマァムみたいに楽しそうに意地悪するのよね……)

 

 しかし。そんな意地悪をするぐらいには余裕があるのかと、アステルは小さく息を吐く。

 

 「まあまあ」と、タイガ。

 

 「真面目な話、この先塔の中を移動する時に旅の扉を潜る必要があるかもしれない。とりあえずここの転移先は安全だし、試しに入ってみたらどうだ?

 もし駄目そうだったら、シェリルには悪いが今回の探索は諦めて、師匠の所で待つって事で」

 「ええ~~っ!」

 「でも最近は瞬間転移呪文(ルーラ)での移動を経験してるから、もしかしたら以前よりは酔いがないかもしれないから……ね?」

 

 嘆くシェリルに、アステルがフォローを入れる。

 

 

 「頑張ろう! シェリル!」

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 「シェリルっ!」

 「ホォ~いミィ~」

  

 アステルが転移先で目にしたのは、突っ伏すシェリルにマァムが治癒呪文をかけ、タイガがスレイから借りた《妖精の地図》で彼女を扇ぐという、どこか懐かしくも感じる光景。

 先にマァムとタイガが入り、続いてシェリル、スレイ、最後にアステルが旅の扉に入ったのだが。

 

 やはり、今回も駄目だったようだ。

 

 シェリルは真っ青な顔で吐き気を堪えるように口を押さえている。前回は着地に失敗して頭をぶつけていたが、今回は先に入ったタイガが出てきた彼女をちゃんと受け止めたようだ。

 

 

 「───瞑想の邪魔をするでない!」

 

 怒声が狭い空間に大きく反響する。アステルがおっかなびっくりそちらに目を向けると、そこにいたのはタイガと同じ緑の武闘着を身に付けた細く小柄な老人。薄暗い部屋を照らす、壁に掛けられた二つの松明の灯りを背に、坐禅の格好のまま此方を睨んでいた。

 

 「あ、師匠。御無沙汰しております」

 「片手間で挨拶するでない。ばかもんが」

 

 シェリルを扇いだまま、軽く挨拶するタイガに老人は呆れたように嗜めた。

 

 「なんじゃ、おまえ。ロマリアに向かったのではなかったのか」

 「まあ、色々とありまして。今はアリアハンの新しい勇者と旅をしております」

 

 「……ほう?」

 

 老人は片眉を器用に上げた。

 

 「皆、こちらが俺に武道を教授して下さったハクロウ師だ。師匠、この子が勇者アステルです」

 「は、はじめまして」

 

 紹介されたアステルは慌てて頭を下げた。

 

 「ほう、勇者オルテガの子はおなごであったか」

 「父をご存知なのですか?」

 「名だけはな。……してタイガ。なに用だ。まさか修行しに戻ったわけではあるまい」

 

 煙たがるように要件を急かす師に、タイガは相変わらずだなと苦笑しつつ答える。

 

 「実は悟りの書を求めてここに来たんです」

 

 「……悟りの書、とな」

 

 またピクリと片眉を上げて、ハクロウは一同をゆっくりと見渡す。

 

 「……なるほど。資格を有する者が現れたか。道理で塔がざわついておる」

 「わかるんですか」

 

 身を乗り出すアステルに、ハクロウは頷く。

 

 「───ひと月程前にな。巨大で邪悪な魔力を持つ者がこの塔を訪れた」

 

 「え……?」

 

 タイガの地図を扇ぐ手が止まる。シェリルも体を起こそうとし、マァムがそれを支えた。

 

 「途端に、塔に住まう魔物達が凶暴化し、数を増やし、塔内部を破壊し始めた。

 そちらの探し求める悟りの書のある間へと続く路も魔物達が破壊した」

 「じゃあ悟りの書はもう……!」

 「案ずるな。悟りの書は無事じゃ」

 

 アステルはホッと息を吐く。

 

 「資格無き者の前にあれは決して現れぬし、触れられぬ。……じゃが。神は悟りの書の間に結界を張り、上の階へと続く道を隠された」

 「師匠、そこへと続く道は?」

 「知らん。地道に探せ」

 

 つれない返答に、一同肩を落とす。

 

 「で、でも。奪われてないんだから」

 

 最悪な状況は免れたのだから、とアステルは笑顔を浮かべ気持ちを奮い立たせた。

 

 「……にしても。何者なんや? やっぱしバラモスの手のもんか……っ」

 

 うぷっと、シェリルが口を押さえ、タイガは再び地図で彼女を扇ぎ始める。スレイは顎に手をやり思索する。

 

 「師匠?」

 

 答えを求めハクロウに視線が集まった。が。

 

 「わしはここを一歩たりとも動いとらんからな。姿は見とらんし、その後そやつはこの地を去ったようじゃからな」

 「……じい様は戦おうとか、思わんかったんか?」

 「なにゆえ? わしに魔物をけしかけたわけでも、襲い掛かって来たわけでもないというに」

 「………そやけど」

 

 ジト目を向けるシェリルに、ハクロウはふんっと鼻を鳴らす。

 

 「……まあ。今のそちらでは到底敵わん相手……と、だけは言っておこうかの」

 

 鋭く見据えるハクロウに、シェリルは息を飲んだ。

 

 「だからさっさと用事を済ませた方がええ。気が変わって引き返してこんとも限らんしの。……なによりお前さんにはあまり時間がなさそうじゃからな」

 

 そう言って顎でスレイを指す。

 

 「悟りの書を消滅させずとも、資格有る者が消えれば同じ事だからの」

 

 表情を引き締め頷くアステルにハクロウも頷き返し、再び瞑想に耽ようと目蓋を閉じた。……が。

 

 「あ、師匠、ちょっと待った」

 

 そこにタイガが割り込む。

 

 「なんじゃ」

 「暫くこの子をここに居させて下さいませんか? どうも旅の扉との相性が悪くて」

 

 そう言ってタイガはまだ具合が悪そうなシェリルに目を遣り、次いでハクロウもそちらを向くと大きな溜め息を吐いた。

 

 「惰弱(だじゃく)な」

 「……悪かったな。こちとら魔力無しで耐性ないんや」

 

 やさぐれるシェリルに、ハクロウはハッと憫笑(びんしょう)する。

 

 「甘えるな。わしとて魔力は持ち合わせておらん。魔力なぞなくとも、気合いでどうとでもなるわ」

 「……そうだ! シェリル、ここで待ってる間に《氣》について師匠に教わるといい」

 

 タイガが思い付いたように声をあげた。

 

 「キ?」

 「忘れたか? この間、盗賊のアジトの洞窟で魔物が擬態した宝箱を見分けるのに《氣》で判断したって話を」

 「……ああ。あん時の……」

 「体内の《氣》の調整が自力で出来れば、《旅の扉》みたいに体内の神経を狂わされた時に早く回復させる事や、それ自体を防ぐ事だって可能になる」

 「……ふん。この様な惰弱な娘っ子に習得出来るとは思えんがの」

 「なにをっ!?」

 「シェリル!」

 

 立ち上がり、ふらつきながらもシェリルは坐禅しているハクロウに近付く。慌ててアステルが手を伸ばすが、タイガがそれを止めた。

 

 「大丈夫、大丈夫」

 「だけど……」

 「シェリルには才能がある。師匠だってちゃんとそれを見抜いてるだろう。きっと習得出来るさ。シェリルの負けず嫌いな性格はアステルだって知ってるだろう?」

 

 アステルの肩から手を離し、笑みを浮かべたままタイガが前を見遣る。アステルも同じように視線を移すと、シェリルは既にハクロウの隣で見様見真似で坐禅を組み、目蓋を閉じていた。

 その様子にアステルは微苦笑を浮かべて「そうだね」と頷き、シェリルを除いた一行は静かにその場を後にした。

 

 

* * * * * *

 

 

 再び旅の扉を潜り、ガルナの塔入り口付近へと戻る。塔内部は意外と入り組んでおり、行き止まりも多くあった。

 更に奥へと進むと、元は入り口と同じく艶やかに磨かれていたであろう床や天井は、魔物の爪痕や炎により焦がされ破壊された痕跡があった。

 塔に詳しいタイガを先頭にスレイ、マァム、殿にアステルという隊列で探索を開始する。更に奥へと進むと、アステルにも魔物達の発する殺気を肌で感じ取れた。

 角を曲がった次の瞬間、背中に背負う剣を鞘から素早く引き抜く。飛び出し様に襲ってきた巨大な嘴を、剣で受け流す様にして避ける。

 

 「ひっ!?」

 

 その異様な姿の魔物にアステルは思わず短い悲鳴をあげた。

 パッと見、人の背丈程ある鷲の頭だけが動いてるかのように錯覚するが、本来首のある部分に2本の大きな鉤爪の足が生えている。

 〈大嘴(おおくちばし)〉という名の魔物が猛禽類特有の目玉をギョロリと動かし、己の攻撃を捌いたアステルを再び標的として襲いかかる。羽のない鳥はその強靭な足をバネにして飛び上がり、嘴を振り下ろす様にして襲いかかる。

 アステルはそれを横に飛んで避けるが、鋭い嘴は素早く追撃して彼女を逃がさない。

 

 「は、早っ……!」

 

 しかし。目前へと迫った嘴に竜の尾を模した鞭が絡まり動きを止めた。スレイのドラゴンテイルに捕らえられた大嘴は、振りほどこうと暴れる。アステルが剣を持ち直し、下から突き上げる様にして鷲の喉元辺りを貫くと魔物は息絶え宝石へと変化した。

 

 「こ、この魔物も乱獲の対象だったの?」

 

 見た目のおぞましさにアステルは何故と思わずにはいられない。そんな彼女にどこでそんな知識を得たのか、スレイが解説してくれる。

 

 「その昔こいつらはその俊敏さや小回りの良さから、馬みたいな移動手段として重用されていたそうだ。あと嘴や鉤爪も室内装飾品として貴族相手に高く売られたらしいぞ。

 今じゃ倒すと宝石になってしまうから、無理な話だけどな」

 

 と、彼は地面に転がった金茶に鈍く輝く石を拾った。

 

 「あれに、乗るの?」

 

 腰かけるとすれば頭の天辺部分か? 手綱や鞍なんて乗るのだろうか? それよりなによりも……。

 

 「カッコ悪いなぁ」

 

 アステルが思ってた事を、タイガが苦笑しながら代弁した。

 

 そうこう言ってる間に、次なる刺客が襲いかかる。大嘴の群れの中には、ダーマに辿り着くまでに何度も奇襲を掛けてきた闘牛羊(マッドオックス)紫の大猿(キラーエイプ)などもいた。

 成る程確かに。魔王の存在もなく、魔物が死んでも石とならず、弱体していた時代なら。彼らの立派な角や暖かそうな毛皮にはそれなりに高価な値が付いていたかもしれない。

 そんな事を思いながら、アステルは腰ベルトに差し込んだブーメランを取り出し、群れに投げつけた。

 

 

 

 「上に上がる階段はここ二つなんだが……」と、タイガは左右の部屋に繋がる通路の真ん中で足を止めた。

 

 左の部屋の奥には上に登る階段が見えたが、右の部屋は上の部屋の床が落ちたのか、大小の瓦礫が散乱している。

 

 「左側の階段は三階まで登れるが、特に何もない。右側は二階までなんだが……」

 

 言葉を濁しながら彼は右側の部屋へと進み、瓦礫で隠れていた階段を登った。アステル達もその後に続く。

 

 「……こういう訳だ。魔物達も侵入を諦めたようだな」

 「ぐっちゃぐちゃ~」

 「床は落ちてなかったんだがなぁ」

 

 マァムの言う通り、この大部屋の破壊され様は今までで一番酷かった。階段のすぐ手前で部屋半分程の床が大きく抜け落ちている。

 しかし。部屋破壊よりも目を引いたのは。その抜け落ちた床の先、大部屋を仕切るカーテンような光の幕。それはオーロラのようにゆらゆらと美しく色を変えていた。

 

 「あの光は……?」

 「キレイだねぇ~?」

 

 頬に手を当ててうっとりするマァムに、アステルは笑みを浮かべ「そうだね」と応える。

 

 「ああ。あれは俺が修行してた当時からあったものだ。触っても特に問題はなかったが、どうしても先には進めなかった」

 

 もしかして魔物達はあの光の幕を、その先にある《何か》を破壊したかったのではないのだろうか。……なら。

 

 「……で。ここからが問題だ」

 

 顎に手を当ててタイガが唸るように言う。

 

 「俺の知っている登り階段はこの二つだけだ。

 あの先が〈悟りの書〉がある場所だとしたら、スレイが(アレ)に触ったらなにかしら変化があったかもしれんが……」

 「……この大きさは流石に飛び越えられないよね」

 

 と、眼前の大穴にアステルも溜め息を漏らす。

 

 「……だが。じーさんは『上の階へと続く道を隠された』と言ってたからな。どこか他に路はある筈なんだろう?」

 

 スレイにタイガは頷く。取り敢えず、下の階へと戻った一行はスレイが作成した塔内部の見取り図を確認する。

 

 「今一階を西周りでまわってる。次は北通路から入り口へと戻る通路だ」

 「うん」

 

 歩き出した一行が突き当たって右にしかない通路を進もうとした、その時。

 

 「───待って!!」

 

 アステルが前にあるスレイの背中の服を引っ張って止めた。

 

 「なんだ」と振り返るも、アステルの真剣な眼差しに思わず口を噤む。数歩先に進んでいたタイガとマァムも首を傾げ、二人の元へと戻った。

 アステルはただの行き止まりの壁を、瞬きを一つせず見詰め続ける。

 

 おもむろに、しかし、どこか慎重に手を差し出し、そっと、壁に触れた。

 

 

 ─────カシャンっ!

 

 

 と、薄い硝子が割れたような音が鳴り響く。瞬く間に壁は失くなり、外界へと開かれた通路がそこにはあった。新鮮な風が吹き込み、一行の髪を服を揺らして通り抜けた。

 

 「………幻、か?」と、スレイ。

 

 辺りを警戒しながら外を窺う。中庭だろうか。すぐそこには塔の別棟と中に上へと登る階段が見えた。

 

 「エルフの森と同じ現象だな」

 

 感心したように呟くタイガに、スレイも頷く。

 

 「アステル、すっごぉ~いっ!!」

 

 腕に抱き付くマァムに、アステルは「あはは……」と少し引き攣った笑みを浮かべる。

 

 (それにあの時同様、今回も不可視の結界を破壊したようにも見えた)

 

 「あの時といい、どうしてわかるんだ? アステル」

 「どうして……って、言われても」

 

 スレイに問われてアステルは眉を下げて困った顔をする。

 

 

 「あの時も今も、視えた、としか……」

 

 

 『──彼女に我等の力は通用せぬからな』

 

 

 「……っ!」

 

 「スレイ?」

 

 ばっと片耳を押さえて突然辺りを大きく見回したスレイに、アステル達は目を丸くする。

 

 「どうかしたのか?」

 「………今、声が聞こえなかったか?」

 「声ぇ~?」

 「いいや、何も聞こえんかったが」

 

 訝しげな顔をする面々に、スレイは再び辺りを見回す。そして(かぶり)を振った。

 

 「………悪い。気のせいだ」

 「ろうかげんしょう~?」

 

 失礼な事を言う金髪の頭頂に、目にも止まらぬ速さでチョップを落とす。

 

 「タイガぁ~! スレイが叩いたぁ~!!」

 「そうかぁ。でもマァムが悪いぞぉ」

 

 泣き付くマァムに朗らかに笑いながらタイガはその頭をよしよしと撫でる。

 

 「スレイ……あの、」

 「悪い。気にするな」

 

 不安げな顔をするアステルにスレイは笑いかけるも、先程聞こえた声が耳から離れない。

 

 

 彼にだけ語りかけたその声は、涼やかで、優しく、どこか懐かしさも感じて。

 

 

 声の主を求め、思わず見上げた蒼穹は何処までも澄み渡っていた。

 

 

 

 







タイガの師匠ハクロウはゲームの中では名もなきモブキャラです。セリフも一行のみ(笑)始めに出てきた二人の女性もガルナの塔のスタート地点近くにいる塔紹介の為のキャラですが、この物語では……?

作中のモンスター【おおくちばし】の説明ネタ元はドラゴンクエスト漫画ロトの紋章から。ロトの紋章とはドラクエ3からドラクエ1までの間の時代、勇者とその仲間達の子孫の活躍を描いた少年漫画です。
作中ではカッコ悪いとか言ってますが、実際にはおおくちばしに乗る描写はとてもカッコよく描かれてます。とても面白くて今でも印象に残っております。アレに乗るという発想が出てくるのが凄い。
読んだ事のない方は是非!オススメです!

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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神の塔《試練》

 

 

 

 「嘘でしょ……」

 

 ガルダの塔、中庭の別棟にある長い、長い階段を登った先に広がる光景にアステルは愕然とする。

 

 今いる場と先に見える対岸を結ぶ一本のロープ。その長さ恐らく約五(じょう)(約十五メートル)程。

 

 「嘘でしょ……」

 

 ロープは『ここを渡れ』と言わんばかりに存在を強調していた。

 

 「べっ、別の道があるかも──「ない」

 

 無情に断言された。

 がっしりと肩を掴まれたアステルは青褪め、さながら油切れしたからくり人形の様にギギギッと振り返る。そこには縄を持ったスレイがいた。

 

 「諦めろ」

 

 そう言って、アステルの胴に縄を回してしっかりと縛り、そして近くの柱に巻き付けた。生命綱(いのちづな)だ。

 

 「………なんで、綱渡り?」

 「精神力を試されてるのかもな」

 

 震える声で誰ともなしに問うアステルに、苦笑気味にタイガが答えた。

 

 「でもロープは頑丈そうだし、安定感はそこそこあるぞ。横風の心配もなさそうだ。アステルなら十分いけるさ。マァムだって、ほら」

 

 と、タイガが指さしたのは、既に渡り終え、向こう岸で笑顔で手を振るマァムだった。

 

 「マァム、いつの間に……」

 

 シェリルがここにいたのなら。きっとアステルと一緒にごねてくれただろう。

 今この時だけ。この難を逃れたシェリルを羨ましく思った。

 

 「スレイ。生命綱は俺がみてようか?」

 「平気だ。先に渡ってくれ。到着直前の方が気が緩み安いからな。そっちの補助を頼む」

 

 スレイの言葉にタイガが頷くと、不安げな顔のアステルを勇気付ける様に頭を撫でる。

 

 「さっきの結界のお陰か、ここには魔物の気配はしない。安心して渡りきる事に集中するんだ」

 

 そうしてタイガはロープを渡り始めた。

 

 (だからなんでそんな軽々といけるの!?)

 

 「……薄々感じてはいたが、おまえ高い場所が苦手なのか?」

 

 溜め息交じりのスレイの言葉に、アステルはびくりとし、そして肩を縮こませた。

 

 「苦手、というか……。旅を始める前はそうでもなかったんだよ?」

 

 訓練の岩登りも木登りだって普通に出来ていた。お城やナジミの塔までの高さなら全然問題なかった。だからアステルも自分が高さに弱いなんて思ってもみなかったのだ。

 しかし。シャンパーニの塔の未知の高さに突入した頃から、感覚がおかしくなった。不意に落ちたり、落とされたりした辺りから、怯え体が(すく)むようになっていた。

 ダーマまでの道程の中にも難易度高めの岩登りがあった。恐怖を押し隠し、乗り切ったつもりだったが、背後の青年の目は誤魔化せなかったらしい。

 

 (それになにより綱渡りなんて、想定外過ぎるしっ!)

 

 肩越しに振り返り、青い大きな瞳を潤ませ、こちらを見上げてくるアステルにスレイはぐっと言葉を詰まらせる。

 

 「スレイ? ………わっわっ!」

 

 スレイの手が両肩に掛かり、そのままぐりんっと前を向かせられる。ロープの下、遠い地面を見た瞬間、眩暈に襲われそうになる。

 

 「下を向くなっ!」

 「はいっ!」

 

 怒鳴られ、背筋が思わず伸びる。

 

 「前を向いて、マァムの能天気なまぬけづらでも見てろ。緊張してるのが馬鹿馬鹿しくなるぞ」

 

 「ま、」

 

 あちら側でマァムが腕を振り回して、なにやら言い返している。まさか今の囁くような悪口が聞こえたのだろうか?

 プンスコ怒ってるマァムが可愛くて、おかしくて。アステルは吹き出した。

 そんな彼女にスレイも表情を和らげる。

 

 「深呼吸。……もう一度。ゆっくり、大きく」

 

 言われた通り、何度か深呼吸をする。その間、低く落ち着いた声でスレイは言葉を続けた。

 

 「おまえは落ちない。もしもの時はオレがちゃんと引っ張り上げる。先に行ったタイガだって一緒に手助けする。……絶対大丈夫だ」

 

 と。丁度向こう側へと渡りきったタイガが、こちらを振り返り、手を振った。

 

 「……うん」

 「縦揺れに合わせて歩く事を心掛けろ」

 「うん」

 「足元は見ず、あちらにいるマァムとタイガだけを見ろ」

 「うん」

 「手は頭より上だ。……行け」

 

 そっと肩から手が離れ、声で背中を押される。足が自然と一歩、前に出た。

 

 しかし不思議とそれに驚きも怖さも感じなかった。

 

 

* * * * * * 

 

 

 ───もう三歩、あと二歩、一歩……。

 

 ぐいっと、腕を引っ張られ体が浮く。

 ハッとしてアステルが目を上げると、そこにはタイガの笑顔があった。

 

 「お疲れさん」

 

 地面へと下ろされ、素早く縄が解かれた。ペタンと腰を着いた途端、身体中から汗が吹き出し、震え始める。

 

 「アステルぅ~……大丈夫?」

 

 屈んでこちらを覗き込むマァムの顔を見た途端、アステルは安心して涙が溢れそうになるが、震える頭にポンッと手を置かれ、その手が誰のかわかると涙が引っ込んだ。

 

 「ズルい………」

 

 恨めしげに言われて、スレイは眉を顰める。

 

 「何が」

 「早くないっ!? 私必死でここまで来たのに、着くの早くないっ!?」

 「鍛え方が違う」

 

 八つ当たり気味に突っかかるアステルに対し、冷静を装っていなすスレイにタイガは笑いを堪えていた。

 

 気が気でないと言った様子でスレイがアステルを見守っていた事。

 到着後彼女が腰を抜かした瞬間、手の中にあった縄があちら側で素早く巻き取られ(摩擦でやけどするかと思ったぞ)、ロープの上を疾走して来た事。

 

 全てちゃんと見ていたので。

 

 

 

 小休憩を挟み、気を取り直した一行は下への階段を降りた。薄暗い部屋は《旅の扉》が発する淡い青い光で染まっていた。

 

 「シェリルに下で待っててもらって正解だったなぁ」

 「うん」

 

 タイガの言葉にアステルは頷く。

 旅の扉を問題なく潜り抜けた先は十字路の一端だった。左右中央の路の先には登り階段がある。スレイが探索呪文(フローミ)を唱えると、ここは塔の一階だとわかった。

 

 「恐らくは塔の中心部分なんだろうな」

 

 自作の見取り図、中央空白部分をペンで書き記しながら、スレイは言う。

 十字は全能神のシンボルだ。更に十字の中央に大きな聖方陣が刻まれているのをみても、ここは塔の中心部のような場所なのかもしれない。

 左右の階段の三階にそれぞれ宝箱が一つあり、その中には〈小さなメダル〉もあって、マァムが目を輝かせていた。

 

 「タイガ、なにか探しているのか?」

 「え、あ~、……」

 

 キョロキョロと辺りを見回すタイガに、スレイが首を傾げると、タイガは曖昧(あいまい)な返事をする。

 

 「いやな? この塔は一体何階まであるのかなってな」

 「タイガは何階まで登った事があるんだ?」

 「三階までだ。ただ思ってた以上に、ここは入り組んでいたんでな。さっきの十字路だってスレイの魔法がなけりゃ、場所の把握のしようがない」

 「途中で旅の扉があるからな」

 

 再び十字路の空間に戻り、最後の一角にある階段を登ると、そこは先程とは違った造りになっていた。更に階段を見つけては登り、そしてついに四階階へ。先程より小さな十字を象った部屋だ。

 奥に階段が見えるが、それよりも手前中央に存在する銀色に強く輝く雫型の何かに視線が向いた。

 

 「あれ……って」

 「銀色のぉスぅライム~?」

 

 体は動かさず、二つの目玉と笑ってるような真っ赤な口がズズズッとこちら側に移動するように現れた。

 

 タイガとスレイがほぼ同時に地面を蹴った。

 

 タイガの素早く繰り出された拳を、銀色スライムは彼の腕の上を這ってすり抜ける。次にスレイが手にした毒針を銀色スライムの口めがけて繰り出すが、スライムは瞬時に口と目玉を移動させ、銀色の体で弾く。刺さってはいない。弾いている。甲高く金属音が鳴り響く。

 

 (つ、強い! スライムなのに強いっ!)

 

 突然始まった戦闘。二人と一匹の物凄い速さで繰り広げられる攻防に、アステルとマァムは呆気に取られ、見ている事しか出来ない。

 ……ヒュンっ! と、銀色スライムは二人の攻撃を(かわ)し、すり抜け、アステルとマァムの元へとやって来る。

 

 「こいつが〈メタルスライム〉だっ!」

 

 タイガが叫ぶ。

 

 「絶対に仕留めるんだっ!!」

 

 毒針を持ち直しながら、スレイもまた叫んだ。

 

 「「逃がすなっ!!」」

 「え、え、!?」

 

 目の色が完全に変わってる二人に一瞬怯えるも、アステルは素直に剣を抜く。銀色のスライム……メタルスライムは地面を這うように移動する。その速さは普通のスライムと比べ物にならない。

 

 「わっ!?」

 

 メタルスライムが飛び上がった瞬間が目に追えなかった。メタルスライムはにたりと笑い……いや、元々笑ってはいるが。不思議な音、違う、声か? を発した。

 メタルスライムの体がオレンジ色に輝きを発し、その輝きは尖った頭の上に集積し、火の玉へと変化し、アステル目掛けて放たれた。

 

 (まさか、火球呪文(メラ)っ!?)

 

 「───初等火球呪文(メラ)っ!!」

 

 アステルも慌てて火球を放つ。二つの火の玉はぶつかり、相殺される。爆発し、上がった煙がメタルスライムの姿を隠す。

 階段に向かってザザザッという這う音は聞こえたが、アステルには反応仕切れない。

 

 「ダメ……!」

 

 逃げられる。そう思った。が。

 

 「ほっほ~いっ!」

 

 気の抜けた掛け声と共に放たれたマァムの小石が、ゴスっ! という、鈍い音をたててメタルスライムに当たった。

 特に狙ったわけではない。マァムは煙に向かって適当に投げたのだ。

 ちなみに小石はそこらに落ちているただの小石ではなくて、倒した魔物が変化したそれなりに固い宝石。更にメタルスライムは逃げ切れたと安堵し、硬質な体を柔らかな本来のスライムの姿へと戻した瞬間の出来事だった。

 煙が晴れ、地面に伏したメタルスライムの姿が現れる。そしてメタルスライムは細かく弾けて銀色の光の粒へと変化し、アステル達の上に降り注いだ。

 

 「やっ!?」

 「動くなっ!」

 

 正体不明の粒を咄嗟(とっさ)に避けようとしたアステルだったが、スレイの叱咤で動きを止める。降り注いだ光の粒は触れた所から浸透し、消え、やがて変化を(もたら)す。身体中の血が熱く駆け巡り、力が漲るのを感じた。同時に頭の中に複数の呪文が閃き、魂に、刻み込まれる。

 

 ───離脱呪文(リレミト)、アストロン、トヘロス、中等閃光呪文(ベギラマ)……。

 

 「な、なに……? 今の」

 

 突然流れ込んできた力の奔流(ほんりゅう)による痺れと眩暈はほんの一瞬で。それらはすぐに治まった。だが身体が異様に軽く、手にしたままだった剣もまた、先程より軽く感じる。

 アステルはなんとはなしにそれを振るってみる。瞳を見開き、次いで本格的な型を繰り出す。

 明らかに速く、強く、鋭く、正確に剣が扱えてる自分に気が付いた。

 

 「それがメタルスライムを倒した時の効果だ」

 

 目を丸くしたままのアステルにタイガが笑みを浮かべて近寄った。

 

 「……原理は不明だが。メタルスライムを倒したその時に現れる光の粒子を浴びると、潜在能力の開花と身体能力の底上げが成されるんだ」と、スレイ。

 

 「強さを求める者がメタルスライムの虜になるのが、理解できたか?」

 「うん。……スレイとタイガが豹変したのもわかるかも」

 「マジヤバな人だったぁ」

 

 アステルの言葉尻の刺とマァムの非難の声に、スレイは目を反らし、タイガはハハッと笑って誤魔化(ごまか)す。

 

 「まあ、武の道を極める者としては、こればっかりに頼って強くなっても、いつかは壁にぶち当たるんだろうがな」

 

 「うん」

 

 タイガの云わんとする事はアステルにもなんとなく理解出来る。知識や技術の基礎があってこその成長だ。

 

 「アステル、新しい呪文も幾つか思い浮かんだんじゃないのか?」と、スレイ。

 

 「え、これもやっぱりそうなの!?」

 

 自分の身に実際に起こった現象だったが、こんなにも一気に呪文が閃く事は生まれて初めてだったので半信半疑だった。

 今の今まで、初等呪文(ギラ)が精一杯だったのに、いきなり中等呪文(ベギラマ)が使えるようになるなんて、想像もつかない。

 

 「でも、習った事のない呪文も幾つかあったけど……」

 

 離脱呪文(リレミト)中等閃光呪文(ベギラマ)はわかるが、アストロンとトヘロスは聞いた事のない呪文の(おと)だ。アステルの言にスレイは頷く。

 

 「それこそ《潜在能力の開花》だろうな。一般の魔法教本や歴史書に記されていない、限られた者にしか扱えない独特の呪文なんだろう」

 

 (……独特の呪文……)

 

 「………アステル。なにが起こるかわからないなら、ここでは使うなよ」

 

 スレイの釘指しに、アステルは肩をギクリと跳ね上げた。

 

 「わ、わかってます!」

 「本当か?」

 「スレイは!? タイガにマァムも何か変わった事あるの!?」

 

 スレイの疑わしげな目から逃げるように、アステルは話題を切り替えた。

 

 「俺は身体強化ぐらいかな」

 

 と、タイガは拳を握りしめる。

 

 「……オレも似たようなものだ。盗賊の技法は旅立つ前に全て叩き込まれたからな」

 

 スレイは毒針を腰ベルトに仕舞いながら言った。

 

 「あたしはねぇ。《くちぶえ》が吹けるようになったよぉ」

 「口笛……?」

 

 頭を傾げるアステルに、マァムは満面の笑顔で頷く。胸いっぱいに空気を吸い込み、桃色の小さな唇を窄めた。

 

 ────ピュイイイイィィィィッ!!!

 

 高く響いた音色は狭い空間を反響し、いつまでも鳴り響く。鳴り響く。

 

 「………だからなんなんだ」

 

 と、スレイが白け顔で突っ込み、先に進もうと前を向く。マァムがむぅっ! と、頬を膨らませ、アステルが微苦笑を浮かべてそんな彼女を宥めていた………その時。

 

 「ちょっと待て」

 

 と、タイガが真顔で皆の動きを制した。

 

 「タイガ?」

 

 名を呼んで、アステルもハッとした。

 

 ────ガッシャァァァアンッ!!!

 

 すぐ側の大きな窓硝子が割れて、二匹の大きな鷲が蝶の群れを従えて飛び込んできた。

 〈大 鷲(ガルーダ)〉は気が狂ったように咆哮し、大きな翼をはためかして強風を起こし、辺り構わず口からベギラマの閃光を此方に吐き散らす。人面蝶(じんめんちょう)の進化形〈(しび)揚羽(あげは)〉は青褪(あおざ)めた苦悶の表情を浮かべ、なにやらぶつぶつと呟きながら、触れれば麻痺を起こす鱗粉を撒き散らして、アステル達を囲み飛び交う。

 

 「これって……まさか」

 

 炎からマァムを抱き締めるようにして庇いながら、口を引くつかせるアステル。

 

 「さっきの口笛は魔物を呼び寄せるもの……なのか?」と、額から一筋の汗を垂らして苦笑いのタイガ。

 

 「どぉぉぉおだぁ~っ!!」

 「『どうだ』じゃないっ!!」

 

 ドヤ顔で胸を張るマァムを、スレイが怒鳴る。

 

 刃のブーメランを取り出し、苛立ちのままに眼前の敵にぶつけた。

 

 

* * * * * *

 

  

 色々とあったが、遂に五階まで辿り着いた。そして。

 今広がる光景にアステルは絶望し、がくりと膝を着いた。タイガもスレイも流石にかける言葉が見つからない。

 

 「アステルぅ~……」

 

 項垂れるアステルの頭を慰めるように、マァムが撫でる。

 二階と同じ様な光景がここ五階にも広がっていた。いや、二階よりも対岸までの距離が遠く長い。二倍以上はあるのではなかろうか。しかも時折吹く突風が、ロープを情容赦なく激しく揺らしている。

 

 「賢者って……なんだろうね?」

 

 遠くを見る目でポツリと漏らしたアステルの言葉に、タイガとスレイはやはり返す言葉が出ない。賢者となるには軽業師のような素質が必要なのだろうか。

 

 スレイは口に手を当てて、考える。

 

 (……さて。どうするか)

 

 自分とタイガ、マァムはなんとか大丈夫だろう。問題はアステルだ。

 能力的に渡れない事はないと思うが、恐怖の方が勝っている今の状態では無理だろうし、この高さを渡れというのは流石に酷だ。

 ロープの先の対岸の外観を、盗賊の技法〈鷹の目〉を使い、俯瞰(ふかん)するように確認する。恐らくは、あの先が最上階へと繋がっているはずだ。

 〈鷹の目〉を解き、黄金に輝く瞳が落ち着いた琥珀色へと戻ると、スレイは仲間達に向き直った。

 

 「パーティーを分散しよう。タイガとマァムで先に進んでくれ。タイガ、渡った先に何があるか確認して教えてくれ」

 「わかった」

 「……マァム。今回はふざけずに真面目にやれよ」

 

 スレイの言葉にぶーっと膨れるマァムの頭を、タイガがポンポン叩いて宥める。

 

 「ごめんなさい……」

 

 しょぼくれるアステルの頭をタイガはがしがしっと、掻き撫でた。

 

 「気にするな。こういう時こそ、仲間で助け合って乗り越えればいい」

 「アステルのぉ分までぇガンバるからねぇ!!」

 

 にっこり微笑むマァムにアステルは涙ぐんで頷いた。

 始めにマァムが渡る。

 トントンと、体を解すようにその場で小さく跳ねる。風とロープが静まったタイミングをみて、躊躇わず駆け出した。

 視線は前に、前傾姿勢で左右の腕を後方へ伸ばし、ロープの上を一気に駆け抜ける。あと残り三尺余り(約九十センチ超)で突風が吹くその気配を逸早く察知すると、ロープを跳躍台の如く、勢い良く踏み、大きく跳躍する。身体を丸め空中で三回転して向こう岸へと見事着地。

 それと同時に突風が吹き、大きくロープを揺らした。

 マァムの運動能力の高さと、そして何よりも風読みの正確さに面々は唖然とする。

 

 「意外な才能だな……」

 「…………」

 

 思わず感嘆の息を漏らすスレイに対し、タイガは神妙な面持ちであちら側で笑顔で手を振るマァムを見詰めている。

 

 「タイガ?」

 「……さて。俺も行くかな! 二人とも気をつけてな」

 

 呼び掛けるアステルに、いつもの朗らかな笑顔に戻ったタイガはロープへと歩を進める。

 

 「そっちこそな」

 

 スレイの声にもう一度振り返って笑顔で頷くと、マァムと同じ様にとはいかないが、慎重に、しかし危なげなく進んでいく。

 

 「……鳥」

 「どうかしたのか?」

 

 突然そう漏らしたアステルに、隣にいたスレイは首を傾げた。

 

 「さっきね。タイガがマァムを見てそう呟いてたの」

 

 (………ん?)

 

 綱渡りの最中、タイガはある事に気付く。思ってた以上にロープの揺れはなく、身体に感じる筈の風も弱い。ふと先にいるマァムを見ると、彼女の瞳が朱色から深紅へと変じている。

 そして軽くロープに向かって差し出された手。

 

 (やはり、君か)

 

 タイガは目を細める。おそらくは。アステル達に気付かれぬ程度に風を操り、ロープの揺れとタイガの周辺の空気を操ってくれているのだろう。

 

 そうか、とタイガは得心した。

 

 この綱渡りは『平静さと集中力を試されてる』。それも間違いではないだろう。だがそれよりも重要なのは『空気……自然を操る魔法』をここで試されているのではないだろうか。

 

 (それを無意識で熟している彼女はやはり……)

 

 賢者の血統なのだろう。

 

 (……そして)

 

 人ならば恐れて然るべき高さをものともせず、まるで自分の領域のように自由に駆け、風を読んだ、あの姿はまさしく……。

 

 (───鳥)

 

 ふと、辺りが暗くなりタイガは目を張る。見上げると、太陽の光を受け金色に輝く、巨大で、蛇のような長い胴体、空色の(まなこ)には驚愕する自分の姿が映し出されていた。

 

 「───まさか、(りゅう)?」

 

 そう。それは黄金の鱗の竜〈空 竜(スカイドラゴン)〉。

 

 しかし。タイガの眼帯で隠された右目は。

 

 同じでありながら、全く違う存在を映し出す。

 

 もっと巨大で、もっと残虐で、もっと狂暴な………

 

 

 ────八つ首の竜を、見た。

 

 

 「タイガ!!」

 

 マァム=ノーランの切羽詰まった叫びに我に返ったタイガは、ロープの上を駆け出す。空竜は走るタイガを狙って、口から燃え盛る火炎を吐き出す。背中が焼かれるのを感じるも、なんとかマァム=ノーランのいる足場に辿り着く。地面に転がって背中を焼く炎を消す。そんな彼の元にマァム=ノーランは駆け寄り、彼と竜との間に立ちはだかった。

 

 「タイガっ! マァムっ!」

 「待てっ! アステルっ!!」

 

 対岸から見ていたアステルは、仲間の危機に高所の恐怖も忘れ、スレイの制止も振り切ってロープに一歩足を踏み出した。すると竜はタイガとマァム=ノーランから目を離し、アステルに見向くと、彼女に向かって飛んだ。

 

 まるでその時、この瞬間を待っていたかのように。

 

 竜は大きく尾を振るい、ロープを激しく弾いた。

 

 「えっ!? わっ!? ───わっ!!」

 

 ロープが大きく波を描き、アステルを上空へと撥ね飛ばした。そのまま彼女は下へと真っ逆さまに落ちていく。

 

 「アステルっ!!」

 

 スレイもまた、我を忘れ彼女を追って飛び降りてしまった。

 

 「アステルっ!! スレイっ!!」

 

 タイガとマァム=ノーランは慌てて下を覗き込むが、既に彼女達の姿はそこにはなかった。 

 

 

 







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神の塔《導引》

 

 

 

 「アステルっ!」

 「す、スレイ……っ!」

 

 落下しながら、スレイはアステルへと必死に手を伸ばした。アステルも手を伸ばすが、もう少し、あと少しの所で、風や空気の悪戯(いたずら)()い、その度に彼女の軽い体は遠退き、掴み損ねる。

 錐揉(きりも)み状態の中、黒装束の懐の奥に仕舞っていた筈の白い毛玉の飾りが飛び出した。

 アステルから預かった《幸運のお守り》。お守りの空色のリボンが虹色に輝き、ほどけて伸びる。端と端で己の手首と彼女の手首に絡まり、結び付いた。

 不可思議な現象にスレイは瞳を見開くも、直ぐ様リボンを手繰(たぐ)り寄せ、彼女の体を引き寄せ、強く抱き締めた。

 アステルも彼の背中に手を回し、ぎゅっとしがみつく。

 ふと。

 自分達を纏う風の動きに変化が生じた。柔らかい膜を通り抜けたような感覚にスレイはハッとして下を見ると、何故か先程まで見えなかったガルナの塔の中央棟が見えた。蓋のない吹き出し部分に吸い込まれるようにして二人は入る。ゴーーッと、筒状の空間を風を切りながら落下し続ける。ろくな身動きが取れぬまま、ついに御影石(グラニット)の床が近付いてきた。

 このままでは激突して───ぺしゃんこだ。

 

 「───あ、あ、アストロンっ!!」

 

 咄嗟に先程閃いた、効果がわからない呪文をアステルは叫んでいた。

 

 

 

 一方その頃。

 

 ガルナの塔から遥か西北にある、オリビア岬と呼ばれる地。

 ガルナの塔を任せていた〈(あや)しい(かげ)〉という名の、実体を持たぬ影の魔物の目を通して、この状況を見ていた黒の修道服の神父は顔を上げた。

 アステル達が塔に入ってから、魔物は影であるその特性を生かし、気配を完全に断ち、付かず離れず、神父の目として一行をずっと眺めていたのだ。

 スレイが塔から飛び降りたその時、魔物は素早く彼の影に潜り込んだのだが、彼がアステルを抱き締めた刹那、神聖で強力な結界が発生し、それによって妖しい影は掻き消されてしまった。

 

 「全能神の仕業……いいや。恐らくは、おっとっ!」

 

 突如、北から吹く冷たく強い風に神父は慌てて円帽子(カミラフカ)を押さえる。首に掛けた白の(ストラ)を飛ばさんばかりの風。疎ましげに神父は黄金の瞳を眇る。

 

 「そうですか。貴女が《器》と繋がりますか………命知らずな老神よ」

 

 喉奥でくつくつと笑う神父の身体を、何処からともなく現れた紅蓮のローブが包んだ。

 それを翻し、デビルウィザードは吹き付ける風を払いのけた。

 

 「……良いでしょう。残り僅かなその命、我が王の贄として、捧げて頂きましょうか」

 

 

* * * * * *

 

 

 「アステルっ! スレイっ!!」

 

 自分の失態でアステル達を危機に追いやってしまった。

 タイガは悔恨で強く歯を食い縛る。マァム=ノーランは一時言葉を失い真っ青になるも、(まなじり)をあげ、立ち上がった。

 足元からふわりと巻き起こる風の魔法を纏って。

 

 「……追う。タイガも、来て……!」

 

 黄金の髪を靡かせながら手を差し出すマァム=ノーランに、タイガもまた頷いて彼女の手を握った。その時。

 

 『───待ちなさい。人の子と大地(ガイア)の娘よ』

 

 女性の声が、タイガとマァム=ノーランの頭の中で響いた。アステルを落とした空 竜(スカイドラゴン)が二人の元へとゆっくり飛翔する。先程の様な気迫は感じられず、(むし)ろ慈愛に満ちた雰囲気を醸し出している。

 驚く二人の元に鼻先を差し出し、敵意がない事を示した。

 

 『手荒な真似をしてしまいましたね』

 

 そう語りかけて、竜はタイガの焼けただれた背中に視線を遣る。すると真白き光が何処からともなく現れ、タイガの背中を包み込む。光が消えた時には火傷(やけど)は完治し、焼け焦げた武闘着まで綺麗に再生した。

 ……と。天空から更にもう一匹の空 竜(スカイドラゴン)が舞い降りてくる。

 

 『彼の者達は無事《天啓の間》へと導かれました』

 「天啓の……間?」

 

 タイガの声に竜は鷹揚に肯いた。

 

 『今のガルナの塔は本来のガルナの塔ならず。悪しき者から《悟りの書》を護る為、その(かたち)を変えています。入り口となる場所もまた、空間を曲げ、変じているのです』

 「空間を曲げる……」

 

 その言葉にマァム=ノーランはハッとして、アステル達が消えた空中に視線を移した。先程は焦って視えていなかったが、極微量に。魔力の渦がうっすらと彼女の視界に捉えることができた。

 

 あれは。

 

 「《旅の扉》……!」

 

 マァム=ノーランの解答に、竜は肯く。

 先程から聞き覚えのあるその声に、タイガは「あっ」と声を上げた。

 

 「……お前達はもしかして、塔の入り口で俺達に話し掛けた巫女達か?」

 

 竜達に返答はなかったが、否定もしなかった。

 

 「なら、こんな回りくどい真似をしなくても、前以て説明してくれれば良かったんじゃないのか?」

 

 タイガの咎めるような口調に、竜達は目を細め、微苦笑を浮かべた、ような気がした。

 

 『《監視者》がいました』

 「監視者……? 魔族の事か?」

 

 竜達は揃って肯いた。

 

 『此度の選ばれし者は、魔に(あま)りにも近く、そして魅いられています。監視者は常に彼の動向を覗き見ているのです』

 

 選ばれし者とはスレイの事だろう。魔に近いとは彼に掛けられた呪いの事だろうか。

 しかし、何故彼が付け狙われる?

 

 二匹の竜は交互に話し続けた。

 

 『《天啓の間》はいわばガルナの塔の心臓部。魔の者が塔の外側をどんなに破壊尽くそうが、《天啓の間》さえ無事ならば、自らの力で復活しましょう。しかし《天啓の間》そのものが破壊されれば、ガルナの塔はこの世から消滅してしまう』

 『万が一にも監視者の手によって、彼が《天啓の間》にて魔力暴走など起こさぬよう、監視者の目から完全に彼を引き離す必要があったのです。

 ……その為には彼女の協力も不可欠だった』

 

 「彼女? アステルの事か?」と、タイガ。

 

 『彼女がその気になれば、神の力は通用しない』

 『人間は勿論の事、魔王さえ退ける結界も彼女の行く足を遮る事は出来ない』

 

 『『その力が必要だったのです』』

 

 (アステルにそんな力が……!?)

 

 マァム=ノーランがタイガの服を引っ張った。タイガが見下ろすと、表情の乏しい彼女がはっきりと怒りを(あらわ)にしている。

 

 「つまり。《天啓の間》に張られた、神の結界を、スレイや、魔族は、通り抜け、られない。けれど。アステルと一緒なら、スレイは、神の結界の、干渉を受けずに、通り抜けられる。

 だから。窮地に、陥れる事で、アステルを、その気に、させた」

 

 その為にわざとタイガを襲い負傷させ、アステルを誘き寄せて落下させたのだ。

 マァム=ノーランは深紅の瞳で竜達を睨み付けた。

 

 語るべきを終えた竜達はゆっくりと天に向かって浮上した。

 

 『人の子よ。貴方が求める物はこの先にあります』

 

 『大地の娘よ。貴女が貴女である為に。課せられたその天命を、今一度思い出しなさい』

 

 

 『『もう一人の選ばれし者よ』』

 

 

 

* * * * * *

 

 

 ガルナの塔一階を、殺気(みなぎ)らせて徘徊していた魔物達は、突然響き渡った振動と天井が破壊されるかのような爆音に、大きく飛び上がった。

 その直後、魔物達は憑き物が落ちたように(まなこ)をぱちくりとさせて、互いに顔を見合わせる。すると本来の臆病さをみせて、同族で固まって、塔の中に築いた各々の隠れ家へと脱兎の如く走り去った。

 

 音と振動の発生源であるその二階では。

 青黒く輝く鋼鉄の像が、御影石(グラニット)の床に大きな亀裂(きれつ)を走らせ、めり込む形で横たわっていた。

 像は固く抱き合う男女の形をしていた。精巧な造りの像はまるで生きているかのようだった。

 

 暫しの時間をおいて。

 

 鋼鉄の男像の頭髪が黒から銀色へ空気に触れて靡き、女像の瞳は、鮮やかな青に輝き瞬く。

 着衣も色付き柔らかく微かな動きに皺より、肌は暖かな血の通ったものへと徐々に変化……いや、元に。戻っていく。

 

 像の正体は、なんとアステルとスレイだった。

 

 「ぐ……っ」

 

 体の(きし)みにスレイが顔を歪めて呻きながら、寄り添うアステルの体ごと上体を起こすと、

 

 「た、助かった……」

 

 アステルは彼にしがみついたまま、安堵の息を漏らした。

 はたっ、と。

 目が合った二人は、無言で、密着した体をそろりと剥がし、完全に離れると、どっと疲れたように互いに長く大きな溜め息を吐いた。

 

 「───アステル」

 

 低く轟くような声にアステルはびくりとする。

 

 「は、はい」

 

 と、返事するものの腰を下ろしたまま、ズリズリと彼から距離を開ける。彼がすうっと息を吸うのを見て、アステルは身構えた。

 

 「なんでっ! おまえはっ!! 唐突に考え無しになるんだっ!!!」

 「ご、ごめんなさいっ!!」

 

 今までで一番の怒鳴り声に、アステルは「ひえっ!」と、体を(かが)めた。

 

 「それに効果のわからない呪文は使うなと言っただろうっ!!」

 「だっ、だって。良い方法が思い浮かばなくて。なんとなく……これを使ったら、なんとかなる……かなぁって気がして……」

 「そんな危ない賭けをあんな場面でするなっ!! もしあれが敵を永遠に鋼鉄の塊にする呪文だったらどうするっ!! 元に戻れなかったらどうするんだっ!!」

 「ごめんなさいっ!!」

 

 身を守る呪文だとばかり考え、その可能性は全く考えていなかった。青くなったアステルはおもいっきり頭を下げた。

 縮こまったアステルに、スレイは米神を押さえ、深く深く溜め息を吐く。

 

 「ああいう時は、さっき一緒に覚えた離脱呪文(リレミト)を使えば良かっただろう」

 「だっ、だって。リレミト使ったら、塔の外に出ちゃうと思ったから……っ」

 

 外に出てはタイガとマァムを助けられないと、言外にそう滲ますアステルに、スレイは舌打ちをする。

 しかし。結局はタイガとマァムを上に置き去りにしてしまった。

 アステルもそれに気づいているだろう。肩を落とし項垂れる彼女に、スレイはそれ以上咎めるような事はしなかった。

 

 「……タイガは、マァムも。あいつらは強い。だから大丈夫だ」

 「………うん。そうだよね。本当に私、駄目だなぁ」

 

 スレイの言葉にアステルは頷くと同時に、仲間を信じきれずに突っ走った浅はかな自分に恥じ入った。と、こつんとスレイに頭を小突かれた。

 

 「スレイ?」

 「お前はあいつらを信用しなかった訳じゃない。ただ心配で思わず出てしまっただけだ」

 

 呆れ顔でそう言われて、アステルは瞳を大きく見開く。小突かれた頭に手を遣ろうとして、ふわりとした感触に当たった。

 

 「ん?」

 

 アステルが手元に視線を落とすと、そこには《うさぎのしっぽ》と《幸運のリボン》……合わせて《幸運のお守り》が自分の手に寄り添うようにして在った。

 

 「……あれ?」

 「どうした?」

 「これ……」

 

 アステルがスレイに《幸運のお守り》を手に乗せて見せる。

 

 「あの時リボンが解けてた筈なのに……ほら」

 

 あの時、リボンがうさぎのしっぽから解けて、アステルとスレイの手首に巻き付いたのだ。しかし今は。元通りうさぎのしっぽに結ばれた状態でここにある。

 二人はあの不思議な現象に首を傾げつつ《お守り》を眺めていたが、その後の状況もまざまざと思い出され、お互いなんとなく気まずくなって顔を反らした。

 鋼鉄になってる間、不思議と意識と視界は開けていた。互いの背中に手を回し、抱き合っていたのをしっかりと覚えていた。しかしその間、体の感触やぬくもり、息遣いも心音もなにも全く感じなかったのだが。

 

 「───はい」

 

 先に沈黙を破ったのはアステルだった。

 大切なお守りを両手でスレイへ差し出す。

 

 「まだ終った訳じゃないから。引き続き守って貰おう?」

 

 僅かに視線を反らしたアステルの頬が、紅く染まっているのに気付くと、スレイは更に落ち着かない気分に駆られた。

 

 「……ああ」

 

 出来るだけ彼女の手に触れぬように、慎重に受け取ったお守りを、再び黒装束の懐へと大事に仕舞い込む。

 

 気持ちを切り替えようと殊更明るく「よいしょっ」と立ち上がったアステルは、今いる場所を見回した。天井に外へと通じる吹き抜けがあるだけで、特に何かあるわけでもない小部屋だ。

 

 「それにしても、ここは何処なんだろう……」

 「恐らく、ガルナの塔二階だろうな」

 

 スレイも立ち上がり、先程通って落ちた吹き抜けを見上げた。高く遠すぎて空は見えない。

 

 「戻ってきちゃったの?」

 

 眉尻を下げるアステルに、スレイは首を横に振った。

 

 「いや………多分、ここは」

 

 そう言って、スレイは吹き抜けの下から移動する。アステルも慌ててその後を追った。さほど長くはない通路を通り抜けると、ぼんやりとした輝きが辺りを照らす。

 

 「……あっ!」

 

 アステルが思わず声をあげた。そこはあの美しい光の幕がかかった大部屋。

 しかもここは。

 

 「………スレイ?」

 「ああ。ここはあの破壊された部屋の反対側だろうな」

 

 アステルとスレイは光の幕へと近付く。オーロラの輝きはやはり美しく、アステルは魅いられるままに、それに手を伸ばした。

 

 ………柔らかい。柔らかい、が。

 

 「あ、あれ?」

 

 アステルの手は柔らかく弾力のあるものに跳ね返る。

 

 「タイガが言ってた通りだね……」

 

 そう言って、隣に立つスレイを見た。

 今度はスレイが手を伸ばす。

 

 「………!」

 

 スレイの手がすっと、光の幕の中へと入り込んだ。スレイは息を飲むも、意を決して前へと一歩進む。……が、後ろへと引かれた。

 

 「………アステル?」

 「え? ───わっ!?」

 

 本当に無意識だったのだろう。彼の服を引っ張っていたアステルは、慌てて離した。

 

 「…………」

 

 行き場を失くしたその手を見詰めていたスレイは、おもむろに取って握った。

 驚きこちらを見上げるアステルの顔は茹でダコのように真っ赤に染まっており、スレイはつい失笑する。

 

 「スレイ!?」

 「……わ、悪い」

 

 からかわれたと思い、いきり立つアステルに、肩を震わせてひとしきり笑ったスレイは息を吐く。

 緊張が解れた表情でアステルを見下ろした。

 

 「一緒に来てくれないか?」

 

 その言葉に一瞬アステルはぽかんとするも、捕まれた手を握り返し、ほころぶように笑った。

 

 手を繋ぎ、頷き合うと二人は光の幕へと入って行った。

 

 

* * * * * * 

 

 

 竜達が消え、マァム=ノーランは苛立ちを隠さぬまま、タイガに向き直った。

 

 「───タイガの、探し物って、何?」

 「え、あーー……」

 

 マァム=ノーランの追及にタイガは、頭を掻きながら、言葉を濁す。

 

 「……もしかして。わたしが、関係してる?」

 

 察しの良い彼女に、タイガは一つ息を吐くと、彼女を真っ正面から見下ろして頷いた。

 

 「ナディル大神官がここに、マァムに譲りたい大切な物が在ると言っていた。俺はそれを探していたんだ」

 「《あたし》に……?」

 

 首を傾げる彼女に、はっとしてタイガは「すまない」と謝る。

 

 「?」

 「マァムにじゃない。……君にだ。マァム=ノーラン」

 

 マァム=ノーランの深紅の瞳が僅かに大きくなる。

 

 「マァム=ノーラン。今眠かったりするか? まだこのまま君のままでいられるか?」

 

 タイガの言葉にマァム=ノーランが頷くと、タイガは安堵の息を吐く。

 

 (……思えば。初めて会った時よりも、マァム=ノーランが出てこられる時間が短くなっている気がする)

 

 以前はそういうものなのだろう、自分の意思でそうしているのだろうと思い込んでいた。ナディルの話を聞くまでは。

 

 しかし。それも《彼女》が消滅する兆しだとしたら。

 

 「大切な物は、この塔の頂上にあると言っていた。………行こう」

 

 表情を引き締め、タイガはマァム=ノーランの手を引いて、最上階へと通じる階段を登った。

 

 

 







暗躍する〈あやしいかげ〉。ガルナの塔出現モンスターですが、スパイとして使われやすいモンスターです。

スカイドラゴンもモンスターですが、ここでは神の遣いとして登場しております。
この物語の全能神とはゲームクリア後に登場する()()()です。
そういう理由で竜族はエルフ族と同等に神聖な一族ですので、ドラゴン系モンスターの中には魔王に洗脳されてないドラゴンもいたりします。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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神の塔《琥珀の涙》

 

 

 

 アステルを拒む柔らかな壁となった美しい光の幕。

 スレイがあんな柔らかな表情で、アステルに頼み事をするのは初めてで。

 ………嬉しくて。

 だからこそ。アステルは願った。

 

 (……私も一緒に通らせて……!)

 

 と、何処かで誰かがくすっと笑う声が聞こえた。

 それは嘲るようなものではない。

 例えるなら。

 母親が我が子の仕出かしを『しょうがないわね』と、赦し包み込むような声。

 アステルは思わず閉じていた目蓋を上げた。

 

 「あ………」

 

 そこは真っ白な空間だった。

 文字通りの白の世界。床も天井も存在しない。自分が立ってるのか、浮いてるのかすらわからない。立っているという事を意識してなければ、途端に底のわからない白の世界に落とされるような。

 落ちて、墜ちて、何処までも落下して。

 そのうち、本来在るべき世界さえ見失い、己の存在自体がこの白い世界に染まり、溶け合い、無へと還されるような。

 そんな感覚に襲われた。

 不安に駆られ、繋いでいた手に思わず力が籠ると、同じ様に握り返された。

 アステルが顔を上げると、隣にはスレイがいた。スレイも今立つこの場所に驚いたのだろう、その瞳は見開かれていた。が、アステルと視線が合うと落ち着きを取り戻すように、目元が緩まった。

 

 その時。

 

 白の世界に異変が起こる。

 何処からともなく現れた虹色の光が、彼女達の元……いや、スレイの前へと降りてくる。

 

 「スレイ……」

 

 呼び掛けるアステルにスレイは頷くと、その虹色の光に手を伸ばした。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 ───吹雪の森の中を一人の娘が歩いていた。

 

 薄汚れた外套を羽織る娘のその下の衣服は、今の環境にそぐわない柔らかく透き通るような薄絹のドレス。いや、あれは寝間着かもしれない。

 震えるか細い腕で必死に抱えるのは、一振の細身の剣。黄金の拳護鍔(フィストガード)柄頭(ポメル)には紅の飾り房が揺れている。炎を象った模様が施された真紅の鞘に収まった宝剣。

 枯れ木の枝に、頭巾(フード)が引っ掛かる。強風で中の長い絹糸のような銀髪が溢れてさらさらと靡く。

 

 雪道を歩く裸足は、凍傷で青黒く傷付き、冷たさを通り越してもはや感覚がなくなっていた。

 それでも娘は歩いていた。

 溢れる涙が頬で凍てつき、元より白かったであろう肌は、更に青白い。

 妖精のように可憐な美貌は殴られたのであろう、片頬は腫れ、口の端には切れて滲んだ血がこびり付いている。

 そんな貌が乗せる表情は、怒りか、悲しみか、それとも屈辱か。

 

 殺して。助けて。殺して。助けて。殺して。助けて……。

 

 正反対の願いに葛藤し、呼吸をする事さえ苦痛だった。

 娘は遂に、積った雪に埋もれるようにして倒れた。

 

 疼く下腹部を娘は雪に押さえる。

 服が濡れ、身体が更に凍えるのも気にせず、押し付ける。

 そこに灯った小さな火を消すつもりで。

 しかし。気が付くと、生命よりも大切な宝剣を手放し、唾棄したい程の存在が息づく下腹部を両手で覆って護っていた。

 娘は自分自身に対して絶望し、打ち拉がれ、咽び泣いた。

 

 ───と。前方から誰かがやって来る。

 

 娘の脳裏にあの悪魔の姿が浮かぶ。

 娘の故郷を滅ぼした元凶。

 

 何食わぬ顔をして、父に近付き、信用を得て。

 そして裏切り、甚振り、殺し、全てを焼き払い、そして───。

 

 前方からやって来る者も倒れる娘に気付き、歩を早めて此方に近付く。

 

 娘にはもう、指一本動かす気力は残っていなかった。

 

 

 

 気が付くと娘は暖かな暖炉の傍で、毛布や外套、そこらにある布という布をかき集め、くるまれた状態で抱え込まれていた。

 

 娘は自分を抱えたまま、うつらうつらする男の顔を見た。

 暖炉の炎に照らされた柔らかな茶色の髪、固く生真面目そうな顔立ちの男だった。

 娘ははっとして腕の中を確かめる。そこには生命よりも大切な剣がちゃんとあった。恐らく男は娘の意思を汲んでそのままにしてくれたのだろう。

 と、男が気付き、寝惚け眼のまま娘を覗き込んだ。

 優しい若草色の瞳は、暖かな春の大地を思い出せる色だった。

 

 途端、ほろほろと娘の瞳から安堵の涙が溢れた。

 

 男は驚き、眠気は完全に吹き飛ぶ。慌てるも今だ凍える娘を離す訳にいかず、背中を優しく叩いて宥めた。

 

 

 男は行く宛のない娘を、自分の屋敷へと連れて帰った。

 男の故郷では、彼は名の知れた騎士だった。

 魔物討伐任務の帰り、男は行き倒れた彼女を見つけたという。

 庶民の暮らしを知らぬ、訳ありの娘を、男は見捨てず、甲斐甲斐しく助け導いた。

 此方の事情に敢えて踏み込まぬ、男の包み込むような大きな優しさに触れるうち、娘は男に淡い恋心を抱く事となる。

 男も儚げな見た目にも関わらず、強気で芯の強い娘に。警戒心を露にしていたのが、徐々に和らぎ、そして花開くような笑顔を向けてくれた瞬間、恋に落ちた。

 

 されど。

 

 娘は早々にその恋を諦めた。

 

 娘は身籠っていたのだ。

 

 望まぬ子。望んでは、決して愛してはならぬ子を。

 

 堕す事も自害する事さえ赦されない。そういう呪いをかけられた。

 

 己は穢れている。彼には相応しくないと。諦めていた。

 

 けれど。

 

 男は優しいだけでなく、諦めの悪い男だった。

 誰との子かは知らない。

 だが、彼女が赦してくれるならば。

 腹の子の父親になる覚悟が、彼女と共に腹の子を愛する覚悟が男にはあった。

 娘が断る為どんなに訳を連ねようが、果ては心を鬼にして男を罵ろうが、男は諦めなかった。

 

 そんなある日。

 

 腹の子が成長するにつれ、娘の体が衰え弱っていくのに男は気付いた。娘を心配する男に止めとばかりに、娘は真実を打ち明けた。

 

 これを語れば流石に男も諦めるだろうと。

 

 『この子は悪魔に孕まされた子だ』

 

 腹の子は娘の魔力と生気を吸い尽くして誕生する。子は世界の脅威と成る為に誕生する。子は魔王の《器》と成る為、そう運命られているのだ。と。

 

 涙ながらに語る娘は、どこか狂気じみていた。正常のままで語る事など、とても出来なかったのだろう。

 

 『どうせ自分は死ぬ。だから今のうちに、この子諸とも殺してくれ』

 

 と、逃げ出す際に取り戻した家宝の神剣を差し出し、男に乞うた。

 

 神の剣ならば、呪われたこの身を貫く事も可能な筈。元々そのつもりで逃げ出したのだから。  

 

 誰かにこの生命を断って貰う為に。

 

 ───それでも。

 

 男の意思は変わらなかった。それどころか涙して彼女とその腹の子ごと抱き締めた。

 

 『世界がどんなに望まぬとも、俺は君と君の子を愛する』───と。

 

 娘は泣いた。

 

 声が枯れんばかりに、泣き叫んだ。

 娘は嬉しかった。

 厄災を孕んだ己と、厄災そのものである哀れなこの子を。

 それでも男は愛してると言った事。

 愛してくれた存在があった事に。

 

 根負けした娘は、男の求婚を受け入れた。妻として、夫として、夫婦として。家族として。ささやかな幸せを尊びながら、日々を過ごし、娘は産み月を迎えた。

 

 娘は痩せ衰え、出産に耐えられるとは到底思えない状態だった。

 涙する夫の手を弱々しく握り返し、娘は虚ろな瞳で願い乞うた。

 

 『───神よ。母なる大地の神よ』

 

 琥珀の瞳に涙が浮かぶ。

 

 『我が生命と引き換えに。どうかこの願いを聞き届け給え』

 

 涙が頬を伝い、すぅっと流れ落ちる。

 

 『お腹の子を、この人と、私の子を。どうか───』

 

 娘の目蓋が閉じたと同時に産声が響き渡った。

 

 しかし。

 

 娘の守護神である大地の神ガイアはこれに応えなかった。

 大地神(ガイア)信仰の聖国グランディーノ。その民の愛姫(まなひめ)の頼みといえど、応える事が出来なかった。

 太陽神(ラー)の双子神である大地神(ガイア)は、闇に触れる事は出来ない。

 

 それこそが悪魔の魂胆。

 

 他の神……特にこの大地神を警戒し、赤子に手出し出来ぬように。

 赤子はいずれここに訪れるであろう悪魔の手によって、《器》として彼の者達の王へと献上されるであろう。

 

 だが。

 

 光でありながら、闇に最も近き神族がこの世には在った。穢れなき哀れな娘の切なる願いはこの神に届いた。

 

 神は出産の場に降臨した。

 

 生まれたばかりの子を抱き、息絶えた妻を抱き締め涙する男に、神は涙した。

 

 『暫しの時、妾がこの子の闇の力の半分を引き受けよう』

 

 元気な産声を上げる赤子の額に神が手を当てると、赤子を覆う闇がその手に吸い込まれた。

 

 『子は時が来るまで妾が隠し護ろう。……安心して眠るがよい』

 

 その白く清らかな御手で、娘の涙の痕に触れ、痩けた頬を労るように優しく撫でた。

 

 

* * * * * *

 

 

 アステルの瞳から涙が頬を伝い落ちた。

 

 それを合図に元居た真白き世界へと意識が還る。

 

 「今のは……」

 

 ……一人の、いや、二人の。過去の追体験から解放されたアステルは改めて戸惑う。

 

 (あの二人は……、それにあの女性(ひと)は。あまりにも……似すぎてる)

 

 

 スレイが手にしていた七色の光は一冊の本へと変じていた。本を握る手は小刻みに震えている。

 アステルはゆっくりとスレイを見上げた。

 

 スレイに表情はなかった。

 

 しかし。

 

 琥珀の瞳から、止めどなく涙が溢れていた。

 

 それを目にした瞬間、弾かれたようにアステルはスレイに抱き付いた。

 首に手を回し、その肩口に頬を擦りつけ、強く、強く、しがみつく。

 

 本が彼の手から離れ、宙を漂う。

 

 何故、アステルにもあの情景が見えたか、わからない。わからないが。

 

 彼がどう思ってるか知れないし、自分に知られたくなかったかもしれないが。

 

 それでも。と、アステルは思った。

 

 スレイが一人でさっきの情景を見なくてよかった。と。

 

 

 ───心から、そう思った。

 

 

 

 








《グランディーノ》とはバラモスによって滅ぼされたゲームには出てこないオリジナル設定の国です。
この国の跡地にバラモスは居城を構え、この大陸は《ネクロゴンド》と呼ばれるようになりました。(序章参照)

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神の塔《目覚めし者》

 

 

 

 タイガとマァム=ノーランは最上階へと足を踏み入れた。

 そこは何も置かれていない、小さな小部屋だった。四方に窓があるだけで、特に変わった物は見当たらない。

 

 「………おかしいな。ここにあるって言ってたんだが」

 

 タイガは頭を掻いて辺りを見回し、それから後ろにいるマァム=ノーランを見た。

 

 「マァム=ノーラン……?」

 

 彼女はぼんやりと部屋を見ていた。そしていきなり部屋の奥へと走りだし、しゃがみこんで床を調べ始めた。

 

 「どうした? 何かわかるのか?」

 

 タイガの問に、マァム=ノーランは頷く。

 

 「わたし、ここ、知ってる」

 「え?」

 「ここだけ。この、部屋だけ、知ってる。覚えてる。多分、塔は、姿を変えたから」

 

 確かに。竜達も魔族から《悟りの書》を守る為にと、そう言っていた。

 

 「ここ、来た事、ある! わたし、は、ここ、に………っ!」

 

 

 ───いいかい? マァム。母さまの髪飾りはここに仕舞っておこう。

 

 ───マァムがしっかり勉強して、魔力と聖力を高めて、身体も大きくなったら。

 父さまなしでこの塔の最上階、この部屋に辿りつけたら。

 

 ───その時、お祝いとして、この髪飾りをマァムにあげよう。

 

 ───《賢者》として一人前になれた、そのお祝いにね。

 

 

 「父、様と……っ!」

 

 カコンッと。御影石(グラニット)の床が沈んだ。マァム=ノーランは瞳を見開き、体重をかけて沈んだ一角を更に押し込む。

 すると四方の窓の一つ、硝子向こうの外の風景が消え、飾り棚(ニッチ)へと変化した。

 マァム=ノーランは立ち上がり、棚の窓を開ける。

 そこには革張りの箱が一つ置かれていた。

 長らく置かれていた筈であろう、その箱に埃は一つも被ってはいなかった。

 マァム=ノーランは箱に手を伸ばそうとし、途中で止まる。先程まで迷い一つなかった行動と眼差しに、躊躇いの色が浮かぶ。

 

 これに自分が触れて良いのか。これに触れるべきは、もう一人の自分ではないか……と。

 

 マァム=ノーランが意識を閉ざそうとした、その時。

 

 彼女はその肩を、痛い程強く握られた。

 

 吃驚してマァム=ノーランは後ろを振り返った。そこには真摯な眼差しを向けるタイガがいた。

 

 「……逃げるな、マァム。言っただろう? これは《君に》宛てられた物だと」

 「わた、しに……」

 「君は君だ。君はマァムなんだ」

 「わたし、は、マァム?」

 

 問うように尋ねるマァムに、一瞬タイガは言葉を詰まらす。が、真っ直ぐに彼女を見詰め直し、はっきりと言った。

 

 「君が、マァムなんだ」

 

 

 ───パチンッ!と。

 

 箱の留め具が勝手に開く。二人は驚いて箱に視線を遣ると、箱の蓋は開いており、そこには八重の花を模した見事な造りの銀の髪飾りがあった。華心には丸い紅髄玉(カーネリアン)が填まっており、窓から差す光で銀華から垂れる短冊状の銀のビラカンがきらきらと輝いていた。

 

 「母、さま───」

 

 

 

 マァムの脳裏に唐突に浮かんだのは、この髪飾りで黄金の髪を結い上げた母の姿。

 見上げるマァムの視線に気付いて、柔らかく微笑み、手を差し伸ばす。マァムは母の腕の中に抱き上げられると、頬擦りされた。

 

 母からはいつも花の香りがした。

 

 マァムはこの香りが大好きで、とても安心出来た。

 

 

 

 次に浮かんだのは、棺に眠る母の姿。

 

 病魔に冒され、痩せ細った青白い肌。けれど、その表情はとても穏やかで。

 声をかければ。体を揺すれば起きるのではと、マァムは何度も繰り返しそうするが、しかし、母が目覚める事はなかった。

 葬儀は滞りなく行われ、やがて棺の蓋が閉まり、墓地へと運ばれ、掘られた穴の中へと棺が沈む。大地へと還されようとした、その時。

 マァムは世話人の手を振りほどき、参列者の人並みを掻き分け、母の棺へとすがり付いた。

 

 皆が驚いた。何故なら。

 

 マァムという娘は感情に起伏がない子だと、周囲に知れ渡っていたからだ。

 母親の死に目にも涙一つ浮かべない。そんな薄情な子だと、思われていたのだ。

 

 そんな彼女に、葬儀進行役の神官の一人が近付く。その男の発する香の香りで、マァムはそれが誰なのか振り返らずともわかった。

 

 神官の男はマァムの父親だった。

 

 男はマァムを棺から引き剥がすと、マァムもそれに抗いはしなかった。

 抗いはしなかったが、それがとても苦しくて。マァムは抱き上げる男の胸に顔を埋めた。声も上げず、涙も流さない。けれど体の酷い震えが彼女の慟哭を表していた。

 

 健気な我が子を父親は抱き締めた。

 

 マァムは感情の起伏がないのではない。

 

 感情の表し方がわからないだけの子なのだ。

 

 

 「わたし、は。そう。これが、わたし」

 

 わたしはマァムの足りない部分でない。マァムの影ではない。

 

 《わたし》は《わたし》だったのだ。

 

 

 

 また脳裏に浮かぶ景色が変わる。

 

 

 そこは炎の海だった。

 

 焼かれているのはマァムの生まれ育った村。

 魔王の思念波を直接浴び、魂を喰われた魔力の高い女達は魔女へと変じ、ベギラマの炎を撒き散らし、己の生家を、家族を襲い燃やし尽くす。

 そんな彼女達を……中には家族、恋人がいただろう、涙ながらに手を下す男達を邪魔するように現れたのは、大きな仮面を被った邪神を崇める邪教徒達。

 彼等は理力吸収呪文マホトラで、容赦なく男達の理力を奪い吸収する。

 理力が尽き、戦う術を失った術者達は邪教徒が呼び出した亡霊騎士や屍人に斬られ、喰われ、次々に蹂躙された。

 

 

 『───マァム』

 

 はっとして顔を上げると、そこは村外れの牢の中だった。

 

 何故そこにいるのか。どうやってここまで逃れたのか。わからないが、マァムは父とそこにいた。

 

 肩で息をする父の震える右手には世界樹の枝で出来た杖、左手はマァムの肩を強く抱いていた。賢者の証である額冠(サークレット)の赤い宝玉が、小窓の鉄格子越しから入り込む炎の光に照らされ、鮮烈に輝く。

 儀式の時にしか身に付けない、浅葱色のローブに赤黒い染みがどんどんと拡がる。

 

 どんどん。どんどん。

 

 マァムは慌てて、父に回復呪文をかける。

 だが平常心を保てない状態で放たれた治癒の光はあまりに弱々しくて。

 しかし。

 そんなマァムを父親はこの上なく愛おしげに見詰めていた。

 

 『マァム。これから父さまがする事を許しておくれ』

 

 父親は自らの胸に手を(かざ)すと、そこから緑の光が現れた。

 

 『これは……世界の希望の欠片。マァムにこれを託す。いつかこれを手にするに相応しい者が現れるまで、護っておくれ』

 

 そう言って、父親はマァムの胸に緑の光を押し当てた。光は吸い込まれるようにマァムの胸の中へと消えた。

 父はこの時初めて表情を歪め、マァムを強く抱き締めた。我が子の感触を魂に刻み付けるように。マァムの体に父から流れる鮮血が温かく染み渡る。

 

 牢の壁が爆音をたてて吹き飛ばされた。

 

 煙幕の中から燃えるような紅蓮のローブを身に纏った男が現れる。

 父親は血で濡れた指で地面に魔方陣を素早く描き、そこにマァムを乗せた。

 

 『大地の女神よ。我が最愛に祝福の加護を与えたまえ……っ!』

 

 父が祈るように両手を組んだ。

 ローブの男が此方へと手を翳す。

 

 『───強制転移呪文(バシルーラ)

 『───高等爆裂呪文(イオナズン)

 

 

 同時に放たれた呪文は一帯を真っ白な光で包んだ。

 

 

 

 暗転。

 

 

 

 

 「───はじめまして。私はアステル。あなたは?」

 

 再び脳裏に浮かんだ景色は変わる。それはアステルとの出会いだった。

 

 彼女の青い瞳に自分が映った瞬間、胸が高鳴った。

 

 懐かしくて、嬉しくて、涙が溢れそうになった。

 彼女の笑顔が好きだった。

 何故だかわからないが、彼女の事がとても好きだった。

 彼女と話がしたくて。

 彼女に笑って欲しくて。

 彼女に笑って貰える自分になりたくて。

 

 

 その瞬間。《わたし》の中で《あたし》が目覚めた。

 

 

 ─────そう。目覚めたんだ。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 「────ムっ! マァム=ノーランっ!!」

 

 いつの間にか閉じられていた目蓋をマァム=ノーランが開けると、そこにはタイガがいた。

 

 倒れたのか横抱きされた状態で、タイガが此方を覗き込んでいる。

 憂いの色を浮かべた漆黒の瞳に己が映し出された瞬間、マァム=ノーランは。

 

 ……いや、マァムは。自我を確立した。

 

 「大、丈夫」

 

 疲れたのか、マァムはタイガの胸にポスンと頭を倒す。

 

 「思い、出した、から。《わたし》は、大丈夫」

 

 

 マァムは手の中にある銀の髪飾りをそっと、握り込んだ。

 

 

 

 







(さと)るマァム。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。




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神の塔《悟り》

 

 

 

 一体、どれくらいの時間そうしていただろう。

 

 

 白い空間の中で、気が付けば二人の体は浮いていた。

 二人の周りを《悟りの書》は、仄かな虹色の光を溢して漂う。

 手が頭に乗る感触に、アステルは体を少しだけ離して目を上げる。ぼんやりと遠くを見詰めたまま、スレイは彼女の髪を梳いていた。

 

 「………知ってはいたんだ」

 「え?」

 「オレが魔王の《器》だって話」

 

 半信半疑だったけどなぁ。と、疲れたように笑うスレイ。

 

 「《器》ってのが、どんな意味か正直わからない。オレに初めてそれを教えた奴はさも愉快そうに教えなかった。ナディル(ジジイ)ナンナ(ババア)に尋ねた事もあったけど、今のオレには教えられないって言われた。まあ、それで(ろく)な事じゃないってのは、わかったよ」

 

 信じたくなかった。あんなもの知りたくもなかった。

 

 「お袋がオレを生んだ時に死んだのは、親父から聞いていた。産後の肥立ちが悪かった、って……けど」

 

 と、今にも泣き出しそうな歪んだ笑みを浮かべた。

 

 「お袋はオレに殺されたんだな」

 

 痛々しいその表情に、アステルの瞳にまた涙が盛り上がる。

 

 「親父は実の子でないオレを守り育ててくれたんだな」

 

 「スレイ……それは、知ってたの?」

 

 ゆっくりと。首を横に振るスレイに、アステルは息を飲んだ。

 

 これもそれも《悟りの書》を得る為の試練だというのか。

 

 (こんなの……こんな知り方、あんまりだ……っ!)

 

 

 ぼんやりとしか思い出せなかった父親。

 ……いや。思い出す事を拒絶していた。でないと《あの時》の事が否応なしに思い出されて。

 あまりに……辛すぎて。

 正義感に溢れてて、困った人を見過ごせない、そんな男だった。国の誰からも知られ、慕われ、頼られ、尊敬された騎士だった。

 だが、スレイにとっては。

 ただ真面目で融通のきかない、上手く立ち回れない不器用な父親だった。やれ任務だ、やれ遠征だと日々駆け回りがちな父。子供の頃はなかなか構って貰えず、寂しくて「父さんなんて嫌いだ」と拗ねて叫んで困らせた事もあった。

 広い背中。抱き上げ、頭を撫でる暖かい大きな手。驚く顔。照れ笑う顔。叱る時の顔。此方の視線に気付いて固かった表情が緩んだ瞬間。今でははっきりと思い出される。

 

 「けど、父さんも……、オレのせいで」

 

 ぽつりと漏らしたその言葉にアステルは瞳を見開く。スレイはアステルから手を離し、両手で己の顔を覆った。

 

 「オレなんかが生まれたせいで……っ」

 

 「違うッ!!」

 

 一際大きくアステルの否定の声が白い空間に響き渡った。スレイの手を退()かし、涙に濡れたその頬に両手を伸ばして包み込む。彼女の青い瞳の中には情けない程歪んだ己の顔が映っていた。

 

 

 ───それだけは違う。違うのだ。

 

 アステルは確信してる。

 彼の母親は最後の最後で、お腹の子を悪魔の子ではなく、愛する人との子だと言っていた。

 彼女は悪魔に課せられた残酷な運命に殉ずるのではなく、ただの母親として産みの戦いを乗り越え、母親として我が子の幸せを祈り、逝ったのだ。

 

 「スレイのお母さんはスレイを愛してた。

 スレイはお父さんとお母さんの子だって、あの時、お母さんが言ってたでしょう? ……お父さんも」

 

 びくりと、スレイの体が大きく強ばったのに、アステルはまた確信する。

 

 理由はわからないが、彼の父親もまた、無事ではないのだろう。

 

 まさかそれさえも彼の出生と関わるものだとしたら。もしそうだとしたら。

 涙が溢れそうになるのをアステルは必死で堪える。泣き出したら言葉が出なくなる。

 

 「お父さんだって、スレイを自分の子だって、愛してるって、抱き締めてくれたでしょう? 今のスレイを見たらわかるよ? あの後もお父さんはスレイをちゃんと愛して育ててくれたのでしょう?」

 

 アステルは呆けるスレイの頬の涙を優しく拭う。

 

 「だから。スレイがそんな事言ったら駄目だよ。お母さんとお父さんが抗った運命なのに、スレイがそれを受け入れたら駄目だよ」

 

 その昔アステルが幼かった頃。怖い夢を見て夜中に泣いて目覚めた時、母がそうしてくれたように。

 アステルはスレイの額にそっと唇を寄せた。驚き見開かれた琥珀の瞳を覗き込み、微笑んだ。

 

 「オレなんかが、なんて言わないで。

 私はスレイと出逢えて良かったよ?

 スレイを命懸けで生んだお母さんに、育んでくれたお父さんに感謝したい」

 

 「~~~~っ!!」

 

 スレイは声にならない声を上げ、アステルの腕を引き、掻き抱いた。アステルはそんな彼を宥めるように、震える背中を優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『人生とは悟りと救いを求める巡礼の旅。───悟りとは。己を顧みて知る事により、開かれる』

 

 声にアステルとスレイは顔を上げると、二人の周りを漂っていた《悟りの書》が静かに語り出した。それは気品と慈しみに溢れた声。

 

 そしてこの声に二人は聞き覚えがあった。

 

 「赤ちゃんのスレイを……守ってくれた神様?」

 

 アステルの呟きに、光は優しく応える。

 

 『───妾は光でありながら、闇に最も近き存在。スレイ。そなたの母の祈りに応えし存在』

 

 本が発する光がドレスを纏った背の高い女人の姿を象る。《悟りの書》を媒体とし、女神が此方に語りかけてくるのが二人には解った。

 

 その光景は正に───天啓。

 

 あまりにも神々しく、恐れ多くて。

 本能で膝を着きそうになる二人を、光がそっと支え立たせてくれるのが、わかった。

 

 『この《悟りの書》には、妾が見たこの世の全てが記されている。そなたが望むもの、望まぬもの、知りたい事、知りたくない事───全てが』

 

 《悟りの書》がすぅっとスレイの前へと移動して止まる。

 

 『それらを手にした時、理解した時。そなたは先のように、苦悩し、己が《闇》に染まりきり、《深淵》へと誘われるやもしれない。

 だがそなたは《星》をみつけた。そなたの《闇》と唯一寄り添える、強く光り輝く《星》を』

 

 ぼんやりとした輪郭がアステルの方を見て、ふわりと優しく微笑んだ気がした。

 

 『   』

 

 女神が甘やかに誰かを呼んだ気がした。聞こえた筈なのに、アステルにはそれが言葉として聞き取れなかった。

 しかし。スレイにはちゃんと聞こえたのか、己の名を呼ばれたように肩を跳ね上がらせた。

 

 『悪しき者の思惑により産み出された、深淵の主の《器》となる為の存在。

 されど。そなたの父母が、そなたにその名を与えた瞬間。そして、ありのままのそなたを望む者が現れた瞬間。

 彼の者達の用意した道筋より、そなたは着実に外れているのだ』

 

 《悟りの書》が発する光が強まった。

 

 神の姿が光に掻き消え、虹色の光は更に増し、周りの白と同化する。その余りの眩しさにアステルとスレイは光を手で遮るように目元に当て、目蓋を閉じた。

 

 『それを決して忘れるでないぞ』

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 次に目蓋を上げたら、二人は破壊され荒らされた部屋にいた。目の前の御影石の床が抜け落ち、大穴がぽっかりと空いているがらんとした部屋。ガルナの塔二階の大部屋。

 

 「戻ってきた、の?」

 

 アステルは辺りを見回す。光の幕はそこにはなく、大部屋は薄暗く静寂に包まれていた。

 夢のような時間だった。いや、あの場所は時間が流れていたのかすらも微妙だった。

 

 「スレイ、悟りの書が!」

 

 アステルは彼の手に何も無い事に気付き声を上げたが、スレイは落ち着いた様子で首を横に振った。

 

 「ちゃんと有る。……ここに」

 

 そう言って、彼は自分の胸に手を当てた。その言葉に一瞬呆けるも、アステルはまたハッとして声を上げた。

 

 「スレイ、だったら呪いを……っ!」

 「それももう問題ない」

 

 「えっ」と、目を丸くして間の抜けた声を出したアステルに、スレイは苦笑する。

 

 「オレも呆気なさすぎて吃驚してる。《悟りの書》が中に入った途端、ジジイが言ってた呪文の出来損ないみたいなのを無意識にかけてた」

 

 例えるなら。思わぬ怪我をして、咄嗟にその部分に手を当てるような感覚で。

 

 誰に教わる事もなく、呪文を解析し、用途を変化させ、行使した。まさしく己れを守護するあの女神の媒体であり、智識の源泉でもある《悟りの書》は、スレイの内に宿り、彼にその力と智識を与えているのだ。

 

 勿論。

 

 彼が知りたくはない、望まぬ《真実》と、それに結び付く……彼の者の《思惑》も教えてくれた。

 

 眉を寄せるスレイだったが、突然頽れるように床に膝を着いたアステルに慌て、彼女の前にしゃがみ込み、その表情を窺う。

 

 「アステ「よ゛か゛っ゛た゛よ゛ぉ゛~~っ!」

 

 心底ほっとしたように、アステルは泣き出した。

 つい先程まで見た事もない程大人びた女性だったのに、今の彼女はいつもの『自分が守らなければ』と思わせる少女だった。

 

 「まったく……お前は」

 

 苦笑し、顔を伏せて泣きじゃくる頭に手を置き、スレイはそのまま自分の胸へと引き寄せた。

 

 「………ありがとう、アステル」

 

 

 服を掴む小さな手に力が籠るのを、スレイはこの上なく、愛おしいと思った。

 

 

 







(さと)るスレイ。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。


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神の塔《心模様》

 

 

 

 ────時を約一刻ばかり遡る。

 

 ここはガルナの塔一階。ハクロウは薄目で隣で座禅するシェリルを見遣る。見様見真似とはいえ、様になっていた。基本が既に身に付いているようだ……と。

 

 ────ズズンッ!!!

 

 まるで塔全体が揺れたような振動と音にシェリルはパチリと目を見開き、腰を浮かした。

 

 「な、なんやっ!? 今のはっ!!」

 「……たわけが。これしきの事で心を乱すな」

 「せやけど! もしかしたらアステル達になんかあったんかも……!」

 「だろうな。………だが、今のお前が心配して駆けつけたとしてもどうにかなるものでもあるまい。それ以前にここから出る事も儘ならんのではな」

 

 「なんやとっ!」

 

 息巻くシェリルに見向きもせず、ハクロウは言葉を続けた。

 

 「塔に変化が起こったのは確かだ。邪悪な思念波が消え去り、操られていた塔の魔物達の殺気が一気に薄れた」

 

 シェリルはピタリと動きを止めた。

 

 「……それって良い事なんか?」

 「少なくとも悪い事には繋がるまい」

 

 ───ちなみに。先程の轟音の正体は呪文で鋼鉄化し、塔五階から落ちて来たアステルとスレイである。

 

 「……なあ。この修行もタイガが言ってた《氣》ってのを操るのに、必要な事なんか?」

 

 シェリルは腰を下ろし、横目でハクロウに問うた。

 

 「無論。初歩中の初歩じゃ。外部の音を遮断し、精神を静め、己と向き合い、初めて体内を巡る氣を感じ取る事が可能となる」

 「なあ。氣ってなんなん?」

 

 『今更なにを』と言わんばかりの蔑視した目を向けられたが、ハクロウは答えてくれた。

 

 「………氣とは万物を構成する要素。生命の活力。物質をその物質として存在させている根源。人の根底にある氣力のことじゃ」

 

 ……余計わからなくなった。

 シェリルは以前タイガが噛み砕いて説明したのを思い出す。

 

 「アステル達の理力と似とるけど異なるとかタイガは言っとったっけ……」

 「その通り。理力はいわば精神力。精神力が尽きようが死に至る事はない。だが氣力は生命力とも繋がる。生命力を使い果たせばどうなるかぐらい理解出来よう」

 

 シェリルは頷く。

 

 「まさに今のスレイがその状態らしいからな。……そういや爺さんはなんも聞かんでもスレイの状態に気ぃ付いっとたよな」

 「体内の氣の流れを見たらすぐ分かる。あの者の体内からは、穴が空いた桶のように氣力が流れ落ちとった。本来ならば立つ事すら辛かった筈じゃ。流石は賢者に選ばれるだけの事はある大した忍耐力よ」

 

 (……そんなに酷かったんか)

 

 そんなのを(おくび)にも出さなかったスレイに対して自分はなんて情けない。《旅の扉》なんかで足止めを食らって。シェリルは悔しげに拳を握りしめた。

 

 「───カーーーーーッ!」

 

 突然、声を張り上げたハクロウにシェリルは肩をおもいっきり跳ね上げた。

 

 「愚か者がっ! 今この時に怒りという邪念はいらんっ! 例え不甲斐ない自分自身に対してであろうとなっ!」

 「爺さん」

 「悔しければ今この時を無駄にするでない。仲間達が戻ってくるまで時間はそうないぞ。なにも身に付けぬまま仲間との再会を果たすか!?

 瞑想すらまともに出来ぬ者に無駄な事を教えるつもりなぞ儂にはないぞ!」

 

 言い終えるとハクロウは完全に周囲の音を遮断した。深い呼吸音だけが辺りを支配する。そんな彼を見てシェリルも一つ息を吐くと、座禅を組み直し、肩の力を抜き、呼吸する事のみに集中した。

 

 

* * * * * * 

 

 

 ────そして今現在。

 

 ガルナの塔最上階。眠るマァムに膝を貸しながら、タイガは溜め息を吐く。彼女の手にはしっかりと銀の髪飾りが握られている。

 あの時。箱の蓋が勝手に開き、中の髪飾りを目にしたマァムは動きを止めた。

 ぼんやりとしていたが、途中表情を変えぬまま、突然彼女は一筋の涙を溢した。

 思わずその肩に手を置こうとしたが、髪飾りがふわりと浮いて彼女の手の中に入った。彼女がそれを握り締めた途端、眠るように倒れた。

 慌ててその体を受け止めると、暫くして彼女は目覚めた。もう大丈夫だと言って。

 

 そうしてまた眠ってしまったのだ。

 

 「……ん」

 「気が付いたか?」

 「……うん」

 

 今度こそ目が覚めたのか、起き上がり目を擦ってこちらに見向く。彼女の瞳の色はまだ深紅のまま……マァム=ノーランの方だ。

 

 「何があったか、説明して貰ってもいいか?」

 

 タイガの質問に少しだけ間を置いて、マァムは頷いた。

 

 「思い出した。わたしの、事。本来の、わたしを。……《あたし》の事、も」

 

 (内に在る別人格を自覚したという事か)

 

 いつも通り、タイガは口を挟まずにまず彼女の話を聞いた。

 

 彼女自身、在った筈の過去の記憶が日々抜け落ちていた事に気付いてなかったらしい。ナディルの言う通り、あのまま放っておけば彼女は消えていたかもしれない。

 髪飾りを見て母親の事、幼かった自分の事、本来の自分がどんな性格だったかを改めてマァム=ノーランは思い出した。その上で魔王とその配下に故郷の村を滅ぼされ、その際に賢者の父親の魔法によってアリアハンへと飛ばされた事。アステルと出会った事でもう一人のマァムが目覚め、彼女は影に隠れるに至った事を思い出したという。

 

 ……あの時。突然泣き出したのは、両親の死に際を思い出したからだろう。彼女は泣いたと自覚してないようだが。

 タイガはゆっくりと話すマァムを急かす事はしなかった。

 幼い頃から感情の起伏が乏しく、引きこもりがちだった上に、マァム=ノーランという人格が面に出る事もなくなってしまった。たどたどしい口調も人と触れ合い、話す機会に恵まれなかったのなら納得も出来る。

 彼女がこんなに話したのは出会ってから、初めての事かもしれない。一通り話終えたのか、疲れたように彼女が息を吐いたタイミングで、タイガが口を開いた。

 

 「マァム=ノーラン。君は今目覚めた。これからどうする? 面に出てこれまでの事をアステル達に説明するか? 説明し辛いなら俺が手伝うが……」

 

 タイガの言葉にマァムは自分の胸に手を当て、暫し俯き、そして首を横に振った。

 

 「……まだ、駄目。《あたし》は、わたしの、記憶を元に、人格が、形成されて、るから。今、わたしが出たら、きっと、混乱する。わたしの時と、同じ。間違えれば、消滅、しかねない」

 「……もう一人の君を守るにはどうすればいいか、検討は付いてるのか?」

 

 そこでマァムは再び俯いた。

 

 「………六つの、宝珠(オーブ)を、探す」

 「おーぶ?」

 「わたしの、時と、同じ。《あたし》に自覚、させる以外、方法はない」

 

 ───正しき己の姿を。

 

 「君の時がその髪飾りだったように、もう一人の君にその《オーブ》ってのが、必要なんだな?」

 

 マァムは手の中の髪飾りを眺めて、深く頷く。

 

 「スレイ、が」

 

 マァムはゆっくりと目を上げた。

 

 「スレイが、《悟りの書》を、得たのなら。きっとみんなに、アステルに、話す。六つの、オーブの事。……ラーミアの伝説を」

 「らーみあ? もしかしてそれが彼女の本来の名前なのか?」

 

 聞き返すタイガにマァムは頷く。

 

 「ラーミアは、バラモスへと辿り着く、唯一の手、だから」

 「どういう事だ?」

 

 しかし、マァムは首を横に振った。少し表情が曇ってる気がする。

 

 「上手く、説明出来ない。スレイなら、きっと出来る」

 「……取りあえずは。君は今まで通り影に徹するって事だな? だが君はそれで本当に大丈夫なのか? また今回のような事には……」

 

 気遣わしげな表情のタイガにマァムはほんの少しだけ、口元をほころばせた。

 

 「今度は、大丈夫。タイガも、お祖父様も、いるから。わたしの事、知ってる人がいるって、わかってる、から」

 

 そう言ってマァムは手に在る髪飾りを差し出した。

 

 「タイガに、持ってて欲しい。《あたし》にとって、これは、ない方がいい。《あたし》の母様は、違うから」

 

 マァム=ヴェルゼムの母はアリアハンにいるルイーダ唯一人だから。

 言外にそう言うマァム=ノーランに、タイガは眉を顰める。

 

 「そんな事を言うんじゃない。マダムはマァム=ノーランの事だって娘だと言ってたぞ」

 

 強めの口調で嗜めるタイガに、マァムは僅かに目を張った。そしてそろりと目を反らし、声小さく呟く。

 

 「……でも。きっと、嫌われ、てる」

 「なんでだ?」

 「話し、かけられたら、隠れてた、し」

 

 無表情だがばつが悪そうな空気は感じ取れて、タイガは思わず破顔する。

 

 「それはいつか謝った方がいいかもな」

 

 そう言って俯くマァムの頭をわしわしっと掻き撫でた。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 ───同刻。所変わってここはガルナの塔、二階大広間。

 

 泣き過ぎて目を赤くするアステルを前に、スレイは苦笑した。

 

 「目を擦り過ぎるから赤くなるし、腫れるんだよ」

 

 言ってるそばから目元に手をやってるアステルに呆れるように言う。そんな顔で膨れっ面になるものだから、スレイは軽く吹き出した。

 

 (───あの時もすぐに赤く腫れ上がってたな)

 

 薪小屋の暗がりの中、小さな肩を震わせて。恐らく泣いた痕跡を隠そうと無意識でやってるのだろうが、むしろ逆効果だ。

 スレイは俯いて隠そうとするその顔を此方に向かせた。慌ててそっぽを向こうとするアステルの両頬を素早く両手で挟み込み、逃げられないよう正面に固定し、真っ赤な目と少し腫れ始めた目蓋をみた。

 

 (これも摩擦による外傷と同じ扱いになるのなら………効果があるんじゃないか?)

 

 「ちょっ! やだっ」

 「ホイミ」

 

 彼の手から発せられた白い癒しの光が、アステルの赤く腫れた目蓋や目元を涼やかに癒す。まさかスレイが治癒呪文を使うとは思わず、アステルは驚き固まった。目とその周りの熱と痛みが徐々に引いていく。此方を覗き込むスレイの琥珀の瞳の中の目を真ん丸くした自分と目が合う。

 

 ───瞬間。アステルは今更ながらにあの時の出来事を思い出してしまった。

 

 忘れてたのなら、そのまま綺麗さっぱり忘れ去ってしまいたかった。

 あの時はああするしか……! と、アステルは自分で自分に言い訳をする。

 スレイを必要としている事をちゃんと伝えたくて。わかって欲しくて。今にも壊れ崩れそうな彼を守り支えたくて。

 

 後悔はしてない。してはいないが。

 

 (額にとはいえ、きっ、キスを……っ!)

 

 勿論、家族以外の異性にキスをするのは生まれて初めての事である。

 恥ずかしさのあまり折角治まっていた熱がぶり返す。目が潤み始める。

 

 「───よし。もう大丈夫……」

 

 触れられてるのに耐えきれず、アステルは強く目を閉じていた。閉ざされた視界で感覚だけが鋭敏になる。火照った頬を大きな手が優しく撫でる。その指先が唇に触れた瞬間、思わずびくりと震えた。

 すると顔を引き寄せられ、自分のとは違う熱い吐息が重なった気がした。

 

 「スレイ?」

 

 躊躇いがちに声をかけたら、ぴたりとその動きは止まった。不自然な沈黙と間に、アステルがそっと目蓋を上げると、何故かスレイは片手で顔を覆う様にして俯いていた。

 

 「………」

 

 スレイは掠れた声で何か呟いたが、アステルには聞き取れなかった。片頬に残っていたもう一方の手もすごすごと離れていく。

 

 「何か言った?」

 「なんでもない。気にするな」

 

 まだ顔を覆ったまま早口でそう言うスレイに、アステルは瞳を瞬く。隠せてない耳が赤くなっていた。

 

 「スレイ、もしかして顔赤くない?」

 「気のせいだ」

 

 そう言いつつ自身の顔を覆う手に、冷気が込もってるのもアステルにはしっかり見えた。

 

 (……冷やしてる。あれ絶対に冷やしてる)

 

 何故顔を冷やしているのかも気になるが、ついさっき賢者の素養を開花させたばかりなのに、それをもう器用に使い熟している彼に驚きを隠せない。

 暫くしてから長い溜め息を吐いて、スレイは顔から手を離し、何故か渋い顔で此方を見た。

 

 「……アステル」

 「なに?」

 「今後無用心に他人の前で目を閉じるなよ」

 「え?」

 「い・い・な?」

 

 声低く念押しするスレイに、アステルは理不尽だと思いつつも「はい」としか答えられなかった。

 

 「……取りあえず、移動しよう」

 

 咳払いをしてから、そう言って立ち上がるスレイ。アステルも釣られて立ち上がり部屋を見回す。下へ降りる階段は抜け落ちた床の向こう側。二階から一階とはいえ、高さはなかなかのもので飛び降りる事は不可能だ。

 

 「脱出呪文(リレミト)使うね?」

 「ああ。頼む」

 

 アステルはいつも通りスレイの手を取り、彼もその手を握り返した。……が。

 アステルがまた、ぼんっ! と湯気が出そうなくらい真っ赤になった。スレイは驚き目を見開く。

 

 「───は?」

 「りっ、り、り、リレミトっ!?」

 

 ひっくり返った声が大広間に大きく響き渡ると、二人の姿は消えた。

 

 

 

 「───ぐっ!」

 「きゃあっ!」

 

 集中力の欠いた呪文行使により、二人は受け身も取れぬ姿で宙に投げ出され、ガルナの塔の入り口へと落とされた。

 スレイがまず地面に叩き落とされ、その腹の上にアステルが突然現れる様にして落ちてきた。

 

 「……げほっ! げほっ! ア、ステルっ! なにやって……」

 

 咳き込み顔をしかめるスレイだったが。

 自分の上で瞳を潤ませ、これでもかというぐらい顔を真っ赤に染めて見下ろすアステルに、スレイは言葉を失った。

 

 さっき見えた顔は気のせいではなかったらしい。

 

 手を繋いだだけで平常心を失ったというのか? 今までずっと瞬間移動呪文(ルーラ)を使う度、平然と当たり前のようにアステルから手を繋いできてたというのに?

 

 混乱する二人のすぐ隣にヒュンっ!と、降り立つもう二つの影。

 

 「「「「あ」」」」

 

 それはタイガとマァムの二人だった。

 

 

 

 

 

 

 (───まずい)

 

 タイガは内心汗だくでどう説明しようかと頭を捻らせていた。

 マァム=ノーランのリレミトで一旦外へ出て、なに食わぬ顔でアステル達と合流を果たすつもりだったのだが、運悪くアステル達とかち合ってしまった。

 どういう状況かわからないが、スレイとその上に股がってるアステルとばっちり目が合う。二人から『?』という疑問符がありありと見える。

 まだ暫くはマァム=ノーランの存在を隠しておこうと、そう決めたばかりだというのに。と。

 

 「ああぁ~~っ!! スレイがぁアステルにぃエッチぃ事してるぅ~~~っ!!」

 

 マァムが明るい朱色の瞳を釣り上げ、二人を指差して叫んだ。

 

 「「は?」」

 「マァム?」

 

 タイガは呆気に取られる。

 マァム=ノーランが意図的に入れ替わったのか、それとも仲良くしている? 二人にもう一人のマァムが怒り心頭で飛び出してきたのか。

 

 「ば、馬鹿な事を言うなっ!!」

 「マァムっ! ち、違うからっ! ちょっと魔法を失敗しただけでっ!!」

 「説明は後にしろっ! 早くどけっ!」

 「は、はいっ!!」

 

 アステルが狼狽えながらスレイから飛び退いた。

 

 (それにスレイよりもむしろ私の方が………っ)

 

 顔が熱くなるのが治まらない。密着したせいで、思い出さなくてもいい事をまた思い出してしまった。

 

 (あの時のは別に深い意味はなくて! ただ必死で、なんとなくあんな事……って、なんとなくあんな事しちゃった私の方がエ……っ!)

 

 恥ずかしさのあまり卒倒しそうなアステルの腕にマァムが抱き付き、スレイを()め付ける。

 

 「まぁたスレイのぉラッキーすけべですかぁ? もぉしかしてぇソレ狙ってますかぁ?」

 

 「なっ!」

 

 カッとしてスレイが立ち上がる。

 

 「やっぱぁスレイはぁムッツリスケベよぅ。アステルぅ大丈夫ぅ? なにもぉされなかったぁ?」

 

 「……ムッツリ」

 

 自分が言われた訳じゃないのに、その言葉は今のアステルの胸にグッサリと刺さった。マァムはアステルを抱き締め、項垂れる頭をよしよしと撫でる。

 

 「駄目だよぅ? スレイはぁ触るな危険だよぅ? アステルをぉぱくってぇ食べちゃうよぉ?」

 「ふざけるなっ! いつオレがそんな事っ!」

 「あ~や~し~い~っ! ムキになってるぅ! やぁましい事あるんでしょお~~っ!!」

 「そんっ、あるわけないだろうっ!」

 「どもったぁ~~っ! ずぇ~ったいっ、あ~や~し~い~~っ!!」

 

 (いき)り立つスレイから、アステルを守るように更に距離を取るマァム。

 

 「ハハハ……」

 

 放心状態のアステルを挟んでのスレイとマァムの言い争いに、タイガは口の端をひくつかせながら笑った。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 「───つまり。《悟りの書》は無事入手出来て、スレイはもう大丈夫なわけだな?」

 

 シェリルの元へと行く道すがら、互いに起こった事柄を話し終え、タイガは再確認する。先程の《マァム=ノーランのリレミトかち合いの件》は「なんかしらんが移動してた」で誤魔化し通した。

 《旅の扉》だってある神の塔なのだ。そんな事が起こってもおかしくはない。

 

 「……ああ」

 

 隣を歩くスレイが疲れきった顔で短く返す。これは《悟りの書》を得るまでの苦労のせいではなく、つい先程のやり取りのせいだろう。その後ろで同じく疲れた表情のアステルと、彼女の腕を抱き締めたマァムがスレイに対して警戒心を露に距離を置いて付いてきている。

 

 「だが、あの竜がここで現れた女達だったとはな」

 

 そう言ってスレイは塔の守護者が初めて現れた空間を見渡した。

 

 「ああ。あの時俺を襲ったのはスレイ達を《悟りの書》がある場所へ導く為に必要な事だったらしい」

 「やっぱりあの二人は塔の守り神だったんだね」

 

 納得したように頷くアステルに、スレイが振り返る。

 

 「アステル、何か気付いてたのか?」

 「ううん。二人が竜だとは流石に思わなかったけど、邪悪な感じはしなかったし、むしろ神秘的な……感じが、して」

 

 スレイと目が合った途端、アステルの語尾が萎んでいく。

 タイガがおや? と、首を傾げて二人を確認する。

 アステルは頬を僅かに染めてスレイから視線を反らし、そんな彼女にスレイもばつが悪そうに目を逸らす。そしてマァムはスレイに怒った猫の如く「シャーっ!」と威嚇していた。

 マァムの過剰反応ではなくて、二人の間に何かあったらしい。

 

 最近の二人は以前の兄妹のような関係には当て嵌まらない気がする。

 変わりつつある二人の関係を微笑ましく思うと同時に、タイガの胸中に去来するのは故郷に残した妹分の凛とした後ろ姿。

 

 

 「───タイガ? どうかしたか?」

 

 スレイに声をかけられ、タイガは我に返った。どうもこの間からやたら昔の事が思い出されて調子が狂う。

 

 タイガは頭をがしがしと掻く。

 

 「すまんすまん。いつものガルナの塔に戻ったからつい気が緩んだ」

 「そういえば全然魔物が出てこないものね。とても静か……。これがいつものガルナの塔なんだね」

 

 アステルとそれをマネしたマァムも一緒になって辺りを見回した。

 

 

 その後も魔物と遭遇する事なく、シェリルが待つハクロウの瞑想の間へと繋がる《旅の扉》を潜り抜ける。

 到着したアステル達が見たのは、シェリルとハクロウが手合わせの場だった。

 ただの手合わせではない。布を巻き付け目隠しをしたシェリルを、ハクロウが攻撃する。シェリルは手にした魔法のそろばんで反撃せず、ハクロウの繰り出される拳や蹴りをひたすら避けているようだ。

 

 「ほう……!」

 

 タイガが顎を撫で、感嘆の声を漏らす。相手の動きをよく読み取れている。しかも師は極限まで気配を殺した状態で攻撃しているのだ。例えるなら今シェリルは空気や真空の刃を相手にしてるようなもの。

 

 (あの短時間でよくここまで身に付けたものだ………だが)

 

 「───あっ!?」

 

 シェリルの集中が途切れた。恐らくは急に現れた自分達の気配が邪魔したのだろう。ハクロウは構えた魔法のそろばんを掻い潜って彼女の懐に入り、腹に拳一撃を入れた。

 

 「うあっ!」

 「シェリルっ!」

 「シェリルぅっ!」

 

 壁まで吹っ飛ばされたシェリルにアステルとマァムが駆け寄った。

 

 「ててて……なんや、アステル達やったんか」

 

 目隠しを下ろして、シェリルが笑う。

 

 「ごめんなさい。邪魔しちゃったよね」

 「その程度の事で心を乱すこやつが弱いだけじゃ」

 

 フンッと鼻を鳴らすハクロウに、シェリルは悔しげに歯ぎしりする。

 

 「けどなかなかのもんでしょ? 彼女は」

 

 そう言って笑顔で歩み寄るタイガを、ハクロウは睨み付ける。

 

 「なにがじゃ。良き師に恵まれながら、基本中の基本を疎かにしておる愚か者じゃ」

 「そんな事言って、手合わせまでしてるじゃないですか。俺の時は入門さえなかなか認めてくれなかったくせに。……彼女の才能を伸ばさずにはいられなかったんでしょう?」

 

 にやりと笑う弟子をハクロウはじとりと見上げ、それからアステルとマァムに手を引かれて立ち上がるシェリルに見向いた。

 

 「……基礎は叩き付けた。後はお前が見てやるといい」

 「ありがとうございました。師匠」

 

 頭を下げるタイガにハクロウは眉根を寄せた。

 

 「……心にまた翳りが見えるぞ」

 

 周りに聞こえぬ程低く囁くハクロウの言葉に、頭を下げたタイガは目を見開いた。

 

 「……捨てきれぬ過去なら向き合え。でなければお前はそれ以上強くはなれん」

 

 『───逃げるな、マァム』

 

 不意に。最上階でマァムに同じ事を言った己を思い出し、タイガは顔を伏せたまま皮肉げに口の端を持ち上げる。

 

 「相変わらず……お手厳しい」

 

 顔を上げた時には、タイガはいつもと変わらない笑顔を張り付けていた。そんな彼にハクロウは渋面で深い溜め息を吐く。

 

 「───あのっ!」

 

 ハクロウとタイガが振り返ると、シェリルが此方に向かい背筋を伸ばし、その勝ち気な表情を引き締めていた。

 

 「ありがとうございましたっ!」

 

 束ねた珊瑚の髪を勢いよく振り、深く頭を下げる。その頭をちらりと見、ハクロウはぼそりと言った。

 

 「………今後も鍛練を怠るなよ」

 

 ばっと顔を上げて、シェリルはニカッと笑い「はいっ!」と良い返事をする。

 

 「……お前もあの娘の前向きさを少しは見習え」

 

 すれ違い様に言い捨てた師の言葉にタイガは苦い笑みを浮かべる。

 

 「用が済んだのならさっさと出ていけ。修行の邪魔じゃ」

 

 そう言ってハクロウは初めに座して居た場所に戻り、目蓋を閉じて座禅を組んだ。

 アステル達は感謝を込めて一礼する。

 

 そして振り返った目の前には旅の扉。アステルは緊張した面持ちのシェリルを見た。

 

 「シェリル、大丈夫?」

 「た、多分」

 「大丈夫だ。さっきの手合わせでちゃんと体内の《氣》の調整が出来てたぞ」

 

 タイガが苦笑しながら、声をかける。

 

 「落ち着いて。旅の扉に入った瞬間纏わり付く《魔氣》の流れに囚われず、己の体内の氣の流れを正常にする事だけに集中するんだ」

 

 「おうっ!」

 

 両頬をパンと叩いて気合いを入れると、シェリルは大きく深呼吸する。

 

 そして旅の扉へと入った。

 

 彼女の後を追って、残りの面々も次々に旅の扉へと飛び込む。

 

 静かになった瞑想の間。

 

 珊瑚の髪の娘の乱れのない《氣》が遠ざかるのに、ハクロウは僅かに口元を綻ばして。

 

 

 その精神は今度こそ無の海へと潜っていった。

 

 

 

 







ガルナの塔攻略完了。

《さとりの漢字》
覚り【目を覚ます事】・悟り【吾の心】。解釈が違うかもしれませんが、今回のメインとなった二人の賢者に当てはまってる気がしてます。
【吾の心】とは我が心と読める他、煩悩に気付く事という意味もあるのですが、この場合スレイがそのまんまだ(苦笑)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。

追記:ハクロウの名前が間違っていたので修正しました。ご報告ありがとうございます。



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賢者の証

 

 

 

 「───おかえりをお待ちしておりました。新たなる賢者様」

 

 全員が問題なく旅の扉を抜け、ガルナの塔を後にしたアステル達は瞬間移動呪文(ルーラ)でダーマの神殿へと戻った。

 神殿入口に立ち入った一行を待ち受けていたのは、道を挟んでずらりと居並ぶ神殿の神官達。立ち止まり、此方を興味津々で眺める参拝者達の視線が痛い。

 スレイは不機嫌に眉を寄せ、彼等にわざと聞かせるように大きな舌打ちをした。

 

 ルーラを唱える前にスレイが「マリナンの神殿を目指してくれ」と言い出した時には、思わず聞き返してしまう程意外だったが、こうなるのを見越しての事だったのか。

 アステルははじめ言われた通りにそうしようと試みたが、しかし何故か呪文が発動しない。それをスレイに伝えると「……あのクソババァ」と悪態を吐いていた。

 結局はダーマの神殿入口をイメージして呪文行使した結果が、こうである。

 

 (でもなんでわかったんだろ……?)

 

 アステルは前を歩く黒装束の背中を見た。

 「……なあ」と、隣にいるシェリルがアステルに声をかける。

 

 「なんでスレイの隣行かんのや?」

 「えっ!? なんでっ!?」

 

 彼の隣がさも当たり前の様に言うシェリルに、アステルは肩を跳ね上げた。

 

 「いや、なんでって……いつもそうしとるやん。さっきのルーラん時も真っ先にウチの手握っとったし」

 

 アステルのもう片方の手はマァムが常に独占している。

 

 「そ、そうだっけ?」

 

 首を傾げるシェリルに、アステルは(とぼ)けるようにから笑う。

 全然意識していなかった。気が付けばスレイはアステルの隣か後ろにいるので、ついつい手を伸ばしてしまうのだ。

 またしても体温が上がりそうだ。

 パタパタと手うちわで顔を扇ぐアステルを、シェリルを訝しげに見下ろした。

 

 ガルナの塔を後にして、太陽は真上から西へと片寄り始めた時分。

 神官達に誘導されるままダーマの神殿の本殿、黒鉄の扉の前へと一行は訪れた。

 前回は扉は固く閉ざされ、その先へと進む事は叶わなかった。赤紫の法衣を纏った壮年の男性神官は天を仰ぎ祈るように両手を高く掲げた。

 

 「勇者よ! そして新たなる賢者よ! ダーマの神殿によくぞ来た!」

 

 神官はポーズを取る。扉は大きな音をたてて開いた。神官は満足げに頷く。

 それに対しなんの感慨もなく半眼無言で通るスレイ。続いてぞろぞろとアステル達が通る。

 

 「また開かへんかったらおもろかったのに」と、こっそり呟くシェリルにアステルは危うく吹き出しそうになった。

 

 「賢者様はこちらへ。勇者様がたは《託宣の間》へ」

 「………本当にやるのか?」

 

 本当に嫌そうに顔を歪めるスレイ。

 

 「慣例ですので」

 「大神官と巫女姫様のお達しですので」

 

 と、ほぼ引っ張られるように神官達に彼は連れて行かれた。流石に不安になってきたアステルは此方に残った神官の女性を見た。縋るような視線を受けた神官はにこりと微笑む。

 

 「大丈夫ですよ。賢者様とはまたすぐ会えますから」

 

 

 

* * * * * *

 

 

 大扉が開いた。

 

 そこはとても明るく、天井は高く、そして何百もの人々が入れるであろう広さだった。初めに目に入るのはこの大きな空間を支え護るように建つ四体の闘神像。磨かれた床のタイル一枚一枚には蓮華の華が精密に彫られていた。

 空間最奥、高い祭壇の背後には清水が湧く大きな屋内池。池の中央には真白い大理石の台座が置かれていた。全能神の象徴十字を象るそれは水に濡れて煌々と輝く。大きな天窓から入り込む自然光を青白い御影石(グラニット)の床や壁が受け止める。この空間に立ち入った者の邪念や迷いを祓うかのように神聖な光で満ちていた。

 

 「おかえり」

 「無事でなによりだ」

 「ひゃっ!?」

 

 大神官ナディルと命名神の巫女姫ナンナの突然の登場にアステルは短い悲鳴を上げて飛び退く。この空間の素晴らしさに惚けて、またしても気付けなかった。

 

 「た、ただいま戻りました!」

 「……こう言っちゃなんやけど、お人が悪いなぁ」

 

 《氣》の心得を叩き付けられたシェリルは思わずジト目になる。二人はわざと気配を消して自分達を驚かせる為に初めからそこに立っていたのだ。きっと初めて出会った時もそうだったのだろう。

 

 「ほう? 少しは成長したようだね」

 「ふふん♪」

 

 にやりとするナンナに、シェリルもどんなもんだいと胸を張った。

 

 「アステルぅ~! そこのぉおじさんのぉ像の下にぃ小さなメダルがあったぁ~~っ!」

 

 アステルに駆け寄り嬉々としてメダルを差し出すマァム。

 

 「マァム、勝手に動いちゃ駄目……って、それはお供え物じゃないの!?」

 

 ナディルがホッホッと笑う。

 

 「よいよい。恐らくお前さん達に見つけて欲しくて、自ずから姿を現したんじゃろて」

 

 そう言ってマァムの頭を優しく撫でた。撫でられたマァムはぱちくりと瞳を見開いたが、その後にっこりと笑った。その様子をタイガは瞳を細めて眺めていた。

 

 「……ところで」と、アステル。

 

 「スレイはどうしたんですか? 神官の方々は慣例がどうとか言ってましたが……」

 「……ふむ。そろそろ来るじゃろて」

 「ほれほれ。お前達はこっちだ」

 

 それだけを言ってナディルは重そうな祭服姿でありながら、祭壇へとホイホイと軽い足取りで登る。ナンナはまだ首を捻るアステル達を祭壇脇へと引っ張った。

 

 すると自分達が入った後、閉まっていた大扉が再び開いた。

 後ろの神官に背中を押されるようにして現れたのは、常時(いつも)の黒装束の姿ではなく、薄浅葱の法衣(ローブ)に身を包んだスレイだった。白の下袴に革のロングブーツを履き、両手首に黄金の腕輪を身に付け、普段は絶対出さない開かれた首元には黄金のチョーカーが輝く。そして手には無骨な木の杖を持っていた。

 破れかぶれといった感で彼は祭壇へと、アステル達の元へとずんずんと進む。

 普段の彼が絶対に着そうにないその服と色に、アステル達は驚き言葉を失う。

 似合っていないわけではない。

 彼は抜群に容姿端麗なのだ。なにを着ても様になる。……なるのだが。

 

 「……ふっ」

 

 誰かが吹き出すとそれは連動する。我慢出来ず、皆が皆吹き出し腹を抱えて笑い出した。マァムは指を差して笑い転げている。

 

 「……笑うなっ!!」

 

 顔を赤くして怒鳴るスレイを見て、アステルはさっきまで抱えていたやらかしによる羞恥心や、説明し難い面映ゆさ、なにもかもが全部吹き飛んだ。

 

 「だって、ふっ、似合ってるのに……全然らしくないんだもんっ!!」

 

 いつものアステルの笑顔にスレイは一瞬表情をホッと緩めるも、すぐ仏頂面になって、腹癒せとばかりに彼女の髪の毛を乱暴に掻きまぜた。

 

 (……ああ、今度は大丈夫だ)

 

 触れられても。それが嬉しくてアステルがはにかむと、スレイは舌打ちをしてその頭を離した。

 

 「オレだって好き好んで着てる訳じゃないっ! ……ジジイっ! いつまでも笑うなっ! 儀式をするならさっさとしろっ!」

 「なら、お前がさっさとこっちに来んか」

 

 檀上から嗤うナディルに、スレイは肩を怒らせて進む。黄金の宝冠(ミトラ)、白の長衣の上に金糸で細やかな刺繍のされた真紅の幄衣(カズラ)を纏った大神官の祭服姿のナディルの前にスレイは渋々と跪く。

 

 「………取り敢えずは元の空気に戻ってよかったのう?」

 「あ?」

 

 スレイが柄悪く返事をすると、ナディルは好々爺(こうこうや)な笑みを浮かべて此方を見下ろしていた。

 

 「お前もじゃが、相手はまだ幼く色恋とは縁遠い生活じゃったろうて。焦らず、急かさず、な?」

 

 目をかっぴらぐ。嫌な汗がどっと流れて背中が冷たくなる。

 

 ───命名神の加護を受けた者は、その巫女姫であるナンナを前にして隠し事は通用しない。その者の過去の何もかもが彼女の前では晒け出される───

 

 唐突にその事実を思い出し、スレイの顔は火が出そうなほど熱く真っ赤に染まった。

 

 「なあ。スレイまた顔が赤くなったで」

 「ちょっと笑い過ぎたかな……」

 「……だなぁ」

 「「ヒーヒヒヒヒッ!!」」

 

 意地悪く嗤うシェリルとだんだんスレイが可哀想に思えてきたアステル、苦笑を浮かべるタイガ。その隣ではナンナとその真似をするマァムが檀上に跪く彼を嘲るように高らかに嗤った。

 

 「呪いよりも祝福(こっち)の方が(たち)が悪過ぎるだろう……」

 

 片手で顔を覆い隠し呻くようにそう呟くスレイに、ナディルはホホホッと笑う。

 

 

 

 「………辛かったであろう」

 

 先程までの陽気さを潜めた静かな口調に、スレイは顔から手を離し目を上げた。

 

 「お前に宿ってしまった業は取り除けぬ。たとえ名を変えようとも、お前を守護する神々の力であろうとも、それに手出しは出来ぬ。……何故ならお前はそう在る為に産み出されたからじゃ。……だが」

 

 ナディルは祭壇の下でこの青年を見守る少女に視線を遣る。

 

 「《天の愛し子》」

 

 その言葉にスレイの表情がなくなる。アステルと旅をする中でエルフの女王が、ドワーフが幾度か彼女に対して発した言葉。

 その言葉の意味を、そして重さを。

 悟りの書を通じて神の叡智を得た今なら、解る。

 

 「あの娘はこの世で唯一、神の力に抗える事が出来る者。彼女もお前と同じだ。深淵の主が神格を得ようとしている今この時代に誕生した天が定めた選定者。彼女ならば──」

 

 「オレは」

 

 スレイは遮るように低く強く声を発する。

 

 「確かに悟りの書を受け入れた。だが目的は今もこれからも変わる事はない」

 

 ───その為にも。

 

 「大地神の剣を。ガイアの剣をみつける。そしてアステル達とバラモス()倒す。……それだけだ」

 

 その言葉にナディルは目を見開く。

 

 「………《星》を手放すつもりか?」

 「手離すもなにも、そもそもオレのじゃないだろう」

 

 さっきまで莫迦みたいに騒いでいた心臓が嘘みたいに静かになる。

 

 そうだ、と。

 

 なにを思い違いしていたのだろう、とスレイは自嘲した。

 

 (───元々自分にはそんな資格などないというのに)

 

 それに自らの出生と魔王の真実を知った今、すべき事は今までと同じでありながら、その先は大きく変化したのだ。

 

 「さっきからなにコソコソ話しとるんやろ? 小声過ぎて全然聞こえん」

 「……うん」

 

 祭壇にいる二人を眺めながらシェリルは首をかしげる。アステルは跪くスレイのいつもと違う色を纏う背中に、言い様のない不安をおぼえた。

 今すぐ駆け寄ってその背中を捕まえたい。

 それが出来ない代わりに胸の前で両手をぐっと握り締めた。

 

 ナディルは再びアステルへと視線を向ける。先程から大きな青い瞳はまっすぐにこの独り善がりのたわけ者を捕らえて離さない。

 ナディルは口の端を持ち上げた。

 

 「───そう思う通りになるかな?」

 「は?」

 「さて。そろそろ始めるかの」

 

 眉を顰めるスレイに含んだ笑みを浮かべると、ナディルは手に持つ十字の黄金杖を高く天へと翳した。

 

 「我等が全ての父。全能なる竜の神よ。悟りの書に認められし者、ここに誕生せし新たなる賢者スレイにその証を与え賜え!」

 

 ナディルの声に応え、天井から太陽の欠片のような黄金色に輝く光が静かにスレイの頭上へと舞い降りる。

 アステル達は口を噤み、その光景に魅入った。

 丸い光は形を輪へと変化し、スレイの頭上に降りようとしたが、ぴたりと動きを止めた。

 

 「?」

 

 スレイは訝しげに伏せていた頭を上げる。光がまた形を変化させる。同時にスレイの右手に付けていた黄金の腕輪が、なにもしていないのにするりと落ちた。

 輪は大きさを縮めて彼の右手首へと滑るように収まった。

 光が止み、残ったのはスレイの右手首をぴったり覆う形の燻金のような鈍い照りの腕輪(バングル)。中央には黒い宝玉が一つ填まっていた。

 

 「ホホッ……本来ならば賢者の証は額冠と決まっておるのだがの。守護する神はお前の好みに合わせてくれたようだのぅ」

 「……それは助かる」

 

 愉快愉快と目を細めるナディルに、スレイは己の神に感謝して立ち上がった。

 スレイとナディルが祭壇から降りると、アステル達も二人に歩み寄った。

 

 「それが賢者の証なんかぁ。材質はなんやろ? 黄金とはちゃうようやし……」

 

 シェリルがスレイの腕輪(バングル)をまじまじと眺める。次いでスレイが持つ背の高い無骨な杖に興味が移った。先端は丸くひねくれ、ごつごつとした瘤のあるとても堅そうな木の杖だ。杖の真ん中辺りには───丁度スレイが身に付けている賢者の証と同じような。燻金の輪が填まっていた。輪にはシェリルには解読不能な文字が細やかに刻まれている。

 

 「その杖も……ただの木の杖ちゃうな? 魔法がかかっとるみたいや。 材質も樫や檜じゃなさそうやし……」

 

 ツンツンと杖をつつくシェリルに、スレイは「持ってみるか?」と何気なく手渡した。

 

 「おんもっ!? なんやこれ! めちゃくちゃ重いやんか!!」

 

 シェリルが片手で持っていたのを、慌てて両手に持ち替える。

 

 「は?」

 「無理っ! タイガっ!!」

 「お? ………うおっとっ!?」

 

 たまらずシェリルは隣にいるタイガに渡す。と、やはり彼も杖を重たげに両手で持ち上げた。己の背丈程の岩を軽々と動かす剛腕のタイガが、だ。

 

 「そんなに重いか?」

 

 胡乱げにスレイはタイガからひょいっと杖を取り上げると、タイガとシェリルは目を丸くした。

 

 「うむ。スレイは杖に選ばれたようじゃのぉ」

 「待て。オレはなんの説明も受けてないぞ」

 

 顎髭を撫でながら頷くナディルに、スレイは目を据わらせて突っ込む。わざわざ宝物庫まで移動して取りに行かせたのは、運び出す事が出来なかった為か。

 

 「認められたのだから良いではないか。その杖は《ルーンスタッフ》といってな。世界樹と呼ばれる聖なる大樹から落ちた枝で出来た杖じゃ。その神聖さから邪悪な存在がこの杖を目にすると恐れ(おのの)くと()われておる。これはその昔、オルテガがダーマに残した置き土産なんじゃ」

 

 「父さんが!?」

 

 驚くアステルにナディルは頷く。

 

 「アリアハンの国宝だと言っとった。自分は使えんが、巡り合うであろう旅の仲間にと国王から賜ったそうだ」

 「使えへんのにこげな重いもん持ち歩いとったんか……?」

 

 って、いうかこんなのを旅する者に託すアリアハン王もどうかと思うと、シェリルは呆れる。

 

 「うむ。筋力強化に丁度いいとか、笑って言っとったな」

 「アステルの父ちゃん、超前向きやな」

 「さぁすがぁ~! アステルのぉパパぁ~っ!」

 

 苦笑するシェリルと褒めるマァムに、アステルは口を引き釣らせて複雑げに笑った。

 

 「けどダーマを発つ前に『杖がここに残りたがってる』っておもむろに言いおりおってな? 儂にこの杖を託して行きおったんじゃよ。あの時はおかしな事を言いおると思ったもんじゃが……」と、ナディル。 

 

 スレイは手にあるルーンスタッフを見た。やはりシェリルやタイガが言っているような重みは全く感じられない。寧ろ解放したばかりの不安定な聖力と元来強かった魔力が、これを握る事で両立し安定している気がする。

 

 (それに世界樹、か……通りで馴染みがある筈だ)

 

 「あやつには不思議な力があったからねぇ。それがなにかって説明は出来ないけどね」と、ナンナが染々と呟いた。

 

 「お前が使うといい。杖はお前を待ってたんだよ」

 「魔法を扱うのなら、杖は持っといて損はない。特に初心者はの」

 

 スレイはアステルを見た。アステルも笑顔で頷く。

 

 「私もスレイに使って欲しいな。だってその杖、スレイが持ってると凄く喜んでるみたい」

 

 比喩ではなく、アステルにはそう見えるのだ。

 さっきタイガとシェリルが持った時の杖は、まるで葉のない枝ばかりの冬の木だった。スレイの手にある今は葉の代わりに淡い緑の光を放ち、大地に根付く大木の様に生き生きと強く輝いて見える。

 

 「そうそう。オルテガもそんな感じで杖の気持ちを代弁しとったのぅ」

 「案外オルテガはんもロマンチストなんかもな」

 

 ナディルとシェリルに父親と似ていると言われたアステルは擽ったそうに笑った。

 

 「……それなら。アステル、有り難く使わせて貰う。シェリル、今度棒術の特訓に付き合ってくれ」

 「うん!」

 「任しときっ!」

 

 頷くアステルに、シェリルはドンッ!と胸を叩いた。

 

 「───取り敢えずは今日はここまでにしときな」と、ナンナ。

 

 「今後の事など積もる話もあろうが、今夜はここでゆっくりと休むが良い」

 

 ナディルも頷き、手を上げると側仕えの神官が心得たように、アステル達の部屋の準備へと下がった。

 

 気が付けば、神殿内は夕暮れ時のオレンジ色の光に包まれていた。

 

 

 

 







やらかした事が全て筒抜けって、加護というよりもはや《恥ずかしい呪い》並ですよね(苦笑)
スレイがナンナと顔を合わせたくない理由もほぼココにあります。
カンダタもナンナと知り合いですが、カンダタは自分の行動(覆面ビキニパンツ姿含め)を恥ずかしいと思ってないのでスルー。ナンナもからかいがいがないのでスルー。

ここで恒例の(恒例にすな)補足を失礼します。

神官達の総出迎えをスレイが察知していたのは《悟りの書》が教えてくれた過去の歴史(慣例)から。あとナディルとナンナが面白がってしそうなのが予測出来たから(笑)

賢者の証であるサークレットをスレイがしている図がどうしても《らしくない》為、ガントレット風な腕輪になりました。スレイを見守る神様のえこひいき(笑)

《ルーンスタッフ》は杖が認めた者以外は重くて取り扱えないというオリジナル設定があります。
しかしオルテガは扱えないものの、持ち運べない程の重さを感じていませんでした。これはルーンスタッフが所持するだけならオルテガを認めていたからです。(アリアハン王もそれをわかっていて彼に家宝を託しました。押し付けた訳じゃないよ!)

※お知らせ※
お話のストックがなくなりました(..)
そして12月に入り公私共になにかと忙しくなって参りましたので、しばらく投稿をお休みさせていただきます。
けど年内にダーマ編だけは完結を目指して遅筆なりに執筆しておりますので、暫しお待ちください_(..)_

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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その名前

 

 

 ───ダーマの神殿の朝は早い。

 まだ日も昇らぬうちに神官、僧侶達は目覚め、冷たい清水で心身を清め、神に祈りを捧げる。それが終わると手分けして神殿内の清掃と朝餉の仕度に取り掛かる。

 けして大きな物音をたてる訳ではないが、人々の動きだす気配にアステル達は自然と目を覚ました。

 軽く寝具を整え、顔を洗い、髪を整え、着替えを終えて。与えられた部屋から出ると、隣室を使っていたスレイとタイガは既に準備を終えて彼女達を待っていた。アステルはスレイの姿に目をぱちくりとさせる。

 

 「あれ? 昨日の服装じゃなくてもいいの?」

 「……あれだけ笑っといてよく言うな」

 

 恨みがましく声低く言うスレイに、アステルは頬を掻いて誤魔化すように笑う。今のスレイは昨日散々揶揄われた浅葱色の賢者の正装姿ではなく、かといっていつもの黒装束姿でもなかった。

 黒の上下に胸の部分のみの愛用の革の鎧、その上に品の良い紺色の光沢を帯びた黒の外套(コート)を羽織っていた。

賢者というより魔法使い寄りな感じだが、昨日の服よりかこっちの方が彼が纏うのに違和感はない。

 しかしパッと見、色合いのせいか生地は重そうだ。袖や裾の広がりがなくスッキリとした以前の黒装束の方が動き易そうに思えるが。

 「おっ!」と、突然シェリルが彼のコートの裾を摘まんでその生地を興味津々で眺める。

 

 「黒染めされとるし、デザインもだいぶちゃうけど……この生地は間違いない。《みかわしの服》やっ!」

 「正解」

 

 どや顔のシェリルに、感情の込もってない声でスレイは答えた。

 

 「みかわしの服ぅ~?」

 

 『みかわし』を表現しているのか、仮想の敵の攻撃を躱すように手足腰をキレ良く動かすマァムにシェリルが頷く。

 

 「この生地の糸はノアニールの村付近にのみ繁殖する特殊な綿花なんや。紡いで編み上げんのにこれまたノアニールに代々伝わる秘伝の技法と魔法が必要らしい。せやから他所でこの生地を購入出来へん。

 この生地で出来た服は空気みたいに軽くて動き易いから、敵の攻撃をひらりひらり躱せるようになるらしいわ。だから名前がみかわしの服。こんな靭やかやけど鉄の鎧並みの強度が備わっとるんやで」

 「へえ~~!」

 「けどウチが見た既製のみかわしの服はフード付きのローブで鮮やかな黄緑色やったな。これ、珍しいんちゃうか?」

 「スレイばっかり新しいの貰えてるぅ!ズルいぃ~~っ!」

 「なぁ~~?」

 「朝っぱらから騒々しいな」

 

 膨れっ面で彼を指差し抗議するマァムと面白げに便乗するシェリルに、スレイは米神を引くつかせる。

 

 「ナディル殿が手配してたらしい」と、タイガ。

 

 「部屋を別れてから届いたんだ。魔法を扱う者はそれに相応しい服が必要だからって言伝てと一緒にな」

 「! うん。そうだね」

 

 その言葉にハッとしてアステルは大きく頷いた。

 初心者は攻撃呪文の発動時、制御仕切れず効果の余波を受け、己の身体を傷付ける事がある。それを防ぐのが魔法がかった衣服や装飾品だったりする。

 

 「特にスレイの魔力は大きいから、慣れないうちは装備品に助けてもらった方が安全だよ。……ナディル様は本当にスレイの事が大切なんだね」

 

 微笑ましく思いながらアステルはスレイの新しい衣装姿を眺めていたが、何故か頭を押さえ付けられ下を向かせられてしまった。

 

 「……神殿に奉納された品らしいが、宝物庫の中で腐らすのも勿体無いとも言っていた。それらしい生地は色違いでまだあったから、お前達も欲しいんなら言えばいい」

 

 よしみで仕立ててくれるはずだぞという言葉に、シェリルとマァムは目を輝かせ互いの掌を合わせて叩きあう。

 

 「しかしノアニールか……。訪れたのがもうだいぶ昔の事に感じるなぁ」

 「でも実際にはまだ一年も経ってないんだよね。西大陸とアリアハンとじゃ季節も反対だし、場所で気候も凄く変わるから」

 

 腕を組んでしみじみ呟くタイガに、よたつきながら顔を上げたアステルも苦笑する。

 

 窓から覗く空は薄紫色から朝日で淡い金色に変化していた。

 

 

* * * * * * 

 

 

 ダーマの神殿敷地内にある大図書館は本殿と同じ御影石造りの外観と城といっても過言ではない規模だった。

 エントランスである中央部は小さなソファーや机が点在する憩いの場となっており、各々の階へと繋がる階段が延びている。吹き抜けの高い天井には丸い大きな硝子が嵌め込まれ、明かりが入るものの、照らされるのはこの中央部のみ。

 中央から見て左右に広がる、背の高い本棚が整然と立ち並ぶ空間に、本の大敵である日の光が届く事はない。窓はなく密閉空間ではあるものの、魔法で一定の湿度温度が保たれているので暑くも息苦しくもなく、なにより貴重な蔵書が傷まぬよう守られていた。

 

 三階は個人から大人数同時に使用出来る大小の閲覧室が設けられ、その一つにアステル達はいた。後からやって来た命名神の巫女姫ナンナとも合流している。

 目的は調べものでも本を読む為でもない。ここで大神官ナディルと待ち合わせているのだ。しかしそれまではと、各々興味のある本棚へと足を運んで何冊か持ち戻りここにいる。マァムはというと本に興味なく、頭の上に分厚い本を三冊乗せて滑るようなムーンウォークをして閲覧室内をひたすら周回していた。

 

 「こらマァム! ここの本で遊んだらあかんっ! 破いたり汚したりしたら、弁償どころの話じゃ済まんのやからなっ!」

 「そりゃ私が持って来たやつだから、別に気にする事ないよ」

 

 読書を中断して叱るシェリルに、ナンナが声をかける。

 

 「婆様が?」

 「滅多に来ない図書館に来たんだ。マリナン神の使者として、本の寄贈でもしようかと思ってね」

 

 「ふ~ん」と、シェリルは再びマァムの頭の上のやたら外装が凝っている本に視線をやる。神の使者が持ち込んだ本となるとその価値は、内容はどんなものか。

 興味が沸いたシェリルはマァムの頭の一番上の本に手を伸ばす……と。

 

 「ああ。そいつは読むと人格が変わる魔法の本だから、変わりたくなけりゃ無闇に開かん方が良いよ」

 「ひっ!」

 

 シェリルは伸ばした手を慌てて引っ込めた。

 

 「確か題名は『淑女への道』だったか。家出した娘が名前と生き方を変える為に神殿にやって来た際、置いていったのさ。魔法の本をそこらに放っておけないから、なんとかしてくれってね」

 「……で、どんな性格に?」

 

 読んでいた本を下ろしてタイガが尋ねる。

 

 「たしか貞淑な性格になれるとか言ってたね」

 「ていしゅく……」

 

 シェリルには縁遠い言葉である。

 

 「家出娘はエジンベアからやって来たお金持ちのお嬢様だったが、性格はお転婆娘そのものでね。ドレスや宝石より、武術の修行や力試しが好きな娘だった。

 ある日、三十も歳の離れた男に見初められ、無理矢理嫁がされそうになった時に、その本を父親に贈られたそうだ。

 危うく読むところだったって、そりゃ怒り狂ってたね。

 けど今では吹っ切れて、武闘家として元気に強い奴求めて旅しとるよ」

 「なんかぁ、その子シェリルと似てるねぇ~~?」

 

 遠い目をして語るナンナにマァムは笑う。タイガは複雑そうに口の端を引き攣らせ、シェリルは震撼した。

 

 「……ウチ、これからは親父が贈る本、全部速攻で燃やすわ」

 

 

 

 

 「あ、あった。あれだ」

 羊皮紙の独特な匂い立ち込める本の森を歩き回り、やっと目的の本を見つけたアステルはそれに手を伸ばすも、僅かながら届かない。

 と、後ろから伸びた手が容易くそれを取り、アステルに手渡した。

 

 「スレイ?」

 「守護呪文全集? ……アストロンの事を調べたいのか?」

 

 天へと突くような塔の最上階から落ちてもびくともしなかった、身体を鋼鉄へと変化させた呪文。

 

 「うん。あとね、トヘロスって呪文の事も。なんとなくだけど、これも護りの呪文のような気がするの」

 「………習得者には呪文の効果もおおよそ察知出来るんだな」

 「へ?」

 「この本にアステルが求める答えは載ってない。いや、ここにある全ての本を探しても記載されていないだろうな」

 「ええ!?」

 

 思わず大きな声を上げてしまい、アステルは慌てて己の口を押さえてる。

 

 「……そんな珍しい呪文なの?」

 「……扱える存在が数百年に一人現れるかどうかの奇跡の呪文だ。アステル以外に扱える奴は恐らく、この世に存在しないだろう」

 「ええぇ……」

 

 声を潜めて尋ねると、スレイは声低く答える。一瞬その表情に翳りが差した気がして、アステルは首を傾げた。

 

 「……アストロンは《鋼鉄変化呪文》だ。あらゆる呪文や攻撃を数分間受け付けない地上最強の防御呪文だが、欠点は動けない事と自分の意思による呪文解除が不可能な事、呪文解除時に即座に体制を立て直せない事だ。

 呪文の効力が切れたタイミングで敵から速攻を受けたら対処出来ない。使い処を誤ると一気に窮地に立たされるぞ」

 

 そう言ってスレイはアステルの顔の前に手を翳す。つまりこのような至近距離で攻撃呪文や武器を突き付けられた状態で呪文の効力が切れてしまえば……即やられてしまうという事だ。

 アステルは息を飲み、それから神妙に頷く。それを確認してスレイは手を下ろした。

 

 「そしてトヘロス。これは《結界呪文》だ」

 「結界呪文?」

 「この呪文は術者を中心に結界を展開維持し悪しき存在を遠ざける呪文だ。要は聖水と同じだな」

 「聖水」

 「そして聖水と違う所は、その結界の威力がアステルの力に比例する事だ」

 「私の力……?」

 「強くなればなる程、威力は強大になり、魔物どころか魔族すら退ける力になるだろうな」

 

 (───魔王も。そして、神すらも……)

 

 考えがそこに至ったもののスレイは直ぐ様掻き消す。ここが薄暗くてよかった。少しくらいなら表情を隠せている筈だ。

 アステルもまた、何故か躇いが芽生える自分に対して動揺していた。

 魔王打倒を目指す上で力が手に入るなら、それは喜ぶべき事。強くなる事は当然の事で。………なのに。

 スレイの視線を感じてアステルは笑顔を繕い顔を上げた。

 

 「で、でも、この図書館の本にすら載ってない呪文がわかるなんて凄いね。スレイの中にある《悟りの書》が教えてくれるの?」

 

 「ああ」と、スレイは頷く。

 神の叡知を受け入れるとはどんな感じなのだろうか。改めてアステルは考える。

 あの時は彼の生命優先で、なりふり構っていられなかったが。出生の秘密と共に、計り知れない量の智識を突然詰め込まれた今、彼の負担はいかばかりか。

 本を握っていた手に力が籠る。

 

 「そんな情けない顔をするな」

 

 無意識に俯いていた頭に優しい手が置かれた。そして手にしていた本を取り上げられ、本棚へと戻される。

 

 「わからない呪文を覚えたら、オレに聞くといい。大体は答えられると思うぞ?」

 

 不敵なその表情はどこか子供っぽくて。アステルもそれに釣られる。

 

 「魔法に関しては私の方が先輩の筈なのに」

 「けど知識ではオレが上だ。すぐ追い越す」

 

 わざとむくれてみせると、スレイは挑発的な笑みを浮かべ、アステルの癖のある黒髪をわしゃわしゃと掻き撫でた。

 

 「ちょ、やめっ、サークレットが擦れるからっ……」

 

 回りを気にして小さな抗議の声を上げるも、彼女は楽しげで。スレイは彼女に触れる手を止められない。静かな戯れに苦笑しながら見上げたアステルの瑠璃の瞳と、柔らかに細められた琥珀の瞳が交差した。

 途端。心臓が大きく鳴り響き、熱が駆け巡り、身体が硬直する。

 けれどそれは嫌なものには感じられず、アステルはただスレイから目を離せずにいた。スレイもまた、薄暗い中でも、いや、暗闇の中でこそ輝く青い瞳に目を反らせずにいた。乱暴に動かしていた手は彼女の乱してしまった髪を整えるように、優しい手つきへと変わる。

 それがとても気持ち良くて。アステルの目蓋は抗えずに閉じてしまう。

 

 「───ふぇ?」

 

 片頬を抓られた。

 

 「目を閉じるなって言っただろ」

 

 機嫌悪げにスレイはアステルの頬を更に引っ張って伸ばした。

 

 「いひゃいいひゃい! ごめんなひゃいっ!?」

 

 取り敢えず謝るとスレイは手をすんなりと離し、踵を返した。

 

 「そろそろジジイも来る頃だろ。戻るぞ」

 

 彼が突然不機嫌になった理由がわからず、アステルは呆然とする。

 と、先程の悲鳴を聞き付けたのか、背後の本棚から顔を出した司書がわざとらしく咳払いをした。

 

 「す、すみませんっ!」

 

 アステルは逃げるようにその場を駆け出す。小さな痛みと熱を帯びた頬を擦りながら彼を追った。

 

 

* * * * * * 

 

 

 「待たせたのう」

 

 お茶と菓子を乗せた盆を持った神官二人を伴いナディルが部屋を訪れた。神官達はテーブルにお茶と大きな藤かごに盛られた蒸し菓子を置くと、ナンナが持って来た本とシェリル達が読んでいた本を預かって退室する。

 

 「食べていい? 食べていい~?」

 

 甘いこし餡を薄皮で包んだまんじゅうと呼ばれる菓子は、昨夜のデザートにも出た品だ。そわそわわくわくとマァムがナディルに尋ねると、彼は笑顔で促した。

 

 「……さて。お主達の目的であったポルトガの勇者の呪いを解く方法じゃが。

 バラモスを倒す他にもう一つ手段がある」

 「ホンマかっ!?」

 

 思わず身を乗り出すシェリルに、ナディルは頷く。

 

 「太陽神の力を秘めた神鏡《ラーの鏡》を使うんじゃ」

 「ラーの鏡?」

 「イシスの国宝だな」

 

 どこかで聞いた事があるようなと、アステルが首を傾げると、隣を座るスレイが答えた。イシスの女王の叔父が怒りを露にして叫んだ失われた国の宝。

 

 「ラーの鏡は偽りを破り真実のみを映し出すと言われておる。その鏡で動物になっている状態の二人を映し出せば、真実の姿が映し出され、呪われた偽りの姿は破られる筈じゃ」

 

 ぱあっと表情が輝き出すシェリル。しかしスレイが待ったをかけた。

 

 「……無茶を言うなジジイ。ラーの鏡が失われたのは何百年前の話かわかってんだろ。その間に色んな奴らがイシスの宝を求めて捜索したが、未だに手掛かりすら掴めてない。

 そんな伝説上の代物を見つけ出すなんて、居場所のわかってる魔王を倒す事よりも困難だろうが」

 

 スレイの指摘に、アステルは上がりかかった肩を落とし、シェリルは落胆するように椅子に腰掛ける。

 

 「なにしょげくれとんだい」

 「だって……」

 

 ナンナが呆れるように言うと、シェリルは嘆息を漏らす。

 

 「ナンナの言う通りじゃ。手掛かりならちゃんと持っておるではないか」

 「……は?」

 

 組んでいた腕を解き、スレイはナディルを見た。

 

 「《悟りの書》を読み解く力がまだまだじゃ。お前達は太陽神の神器を既に二つ手元に持っておるだろうが」

 

 その言葉にスレイは口元に手を当て、集中するように目蓋を閉じ、そして開く。

 

 「……イシスの聖剣と鍵か」

 「ゾンビキラーと魔法の鍵が?」

 

 アステルは携えていた剣と腰ポーチに仕舞っていた銀色に輝く鍵を取り出し、テーブルに乗せた。ナディルが黄金杖を、ナンナも手にある杖を翳すと、机に置かれた剣と鍵は二つは各々の神器に応えるように白い光を発した。

 タイガの腰に吊るされた《剣》も、神器達の会合に参加したそうに淡く輝きだす。タイガはぎょっとしつつもそれを決して顔には出さず、素早くさりげなく《剣》を机の下に隠すようにする。

 タイガは恨めしげな視線を老人達に向けるも、ナンナはそっぽを向き、ナディルも素知らぬ顔で話を続けた。

 

 「イシスの国宝……太陽神ラーの遺産。その二つを携え、世界を回れば、この様に鏡ともいずれ巡り会えよう」

 「いずれ、なんか。結局はカルロス達にもう暫く耐えてもらうしかないんやな……」

 「勇者の称号を戴いた男とその男に選ばれた娘だ。待つ事ぐらい出来んでどうする」

 「それにそんな長い旅になるとは儂には思えんしの」

 

 悔し気に溢すシェリルに対し、ナンナは事も無げに言い、ナディルは長い顎髭を撫でホホッと笑う。

 

 「………それに鏡の件がなくとも、結局は世界を回る事になる。魔王の元へと辿り着く為の近道など、ない」

 「………〈ガイアの剣〉を見つける事ですか?」

 

 アステルはイシスの女王の話を思い出す。

 

 『神剣〈ガイアの剣〉は荒ぶる大地の神の怒りを鎮め、路を切り開く剣と。

 大地神の怒り……それは恐らくネクロゴンドへの上陸を阻み、今も噴火し続けているギアガ火山を指しているのだろうと……』

 

 

 「それもじゃがの。ネクロゴンドの火山の躍動を止めたその先にも大きな障害がある」

 

 ナディルは脇に置かれていた羊皮紙の束を皆に見えるように開く。それは古い世界地図だった。

 

 「これはバラモスが現れる以前の旧地図じゃ。この頃のギアガ山は今のように猛る火山ではなかった。そしてこの地を治めていたのはグランディーノ王国であった。

 バラモスの居城が元はグランディーノ王城だというのは知っておるかの?」

 

 アステルは頷く。

 

 「地図でもわかるようにグランディーノ王都は高山地帯にある。長い山道の洞窟を抜けると美しい都、そして湖に囲まれた王城があった」

 「あった……って。大神官様は行った事あるんか!?」

 「勿論じゃ。バラモスがこの世に現れたのは今から二十二年……いや、もう二十三年か。昔話という程昔ではない」

 「……あ、そやった」

 

 なんだか恥ずかしい事を言ってしまった気がして、シェリルは頬を掻く。

 

 「俺やスレイがギリギリ生まれたかどうかの頃だからな。シェリルが実感湧かないのも無理ないさ」と、タイガ。

 

 アステルは隣に座るスレイをちらりと盗み見る。彼は地図を見たまま特に動揺した様子は見られなかった。

 

 (……そうだ。スレイは魔王の器になる為に生まれたって聞いたけど……スレイが生まれる一年程前にバラモスはこの世界に存在してたんだ)

 

 ───魔王の器って一体なんなんだろう。

 

 (スレイ………悟りの書を得る前はどういう意味かわからないって言ってたけど)

 

 ───賢者になった今はその意味に気付いているの?

 

 

 

 「……話の続きじゃ。本来人が住むには厳しい高山地帯に国を築けたのは、大地神ガイアの加護あっての話。ガイアの加護を失ったかの地は今や邪悪な力が覆う魔王の領域。人の足で踏み込める場所ではなくなってしまった」

 「そりゃガイアの剣ではどうにもならへんのか?」

 

 シェリルの問いにナディルは首を横に振る。

 

 「あれは大地神の怒りを御する為の神剣。入り口を開くという役割を果たせば大地神の御元へと還るじゃろう」

 

 分かりやすくガックリとするシェリルに、ナディルがホホホッと笑う。

 

 「案ずるでない。他に方法がないわけではない」

 「え?」

 「この世には如何なる結界も、領域も、時空も、異空の壁すら乗り越え羽ばたく翼を持つ神がいる。精霊神ルビスが産み出し、慈しんだ神鳥………」

 

 

 「───ラーミア」

 

 ナディルではない声が部屋に響いた。

 皆が一斉にその声の主を見る。

 スレイが信じられないといった感で、隣に座る人物に声をかけた。

 

 「アステル? なんでその名前を……」

 

 彼女が知りようもない神の鳥の名前。神鳥ラーミアは神話として人の世に浸透してはいない。神鳥の魂の守り人と呼ばれる一族にのみ、口伝として伝えられてきた秘話。

 

 「なぜその名前を知ってる?」

 

 そう尋ねられるも、アステル自身にもわからず頭を振った。口が勝手に動いたのだ。

 ルビスという名前を聞いた途端、何かが弾けた。そして口が勝手に動いたのだ。

 

 

 「ルビス………ラーミア」

 

 まただ。これほどの懐旧の情は知らない。アステルは経験した事がない。なのに。痛いほどの愛おしさと切なさに襲われアステルは胸を押さえる。目頭が熱くなる。

 (会いたい、違う、君に逢いたい、なに、私は、これ……私の、違う、私じゃ、え?)

 

 

 『こうしていると、わたくしがお母様で、貴方がこの子のお父様ね』

 

 額を突き合わせながら。クスクスと笑う鈴を転がすような声。この世で最も愛おしい声が脳裏に甦る。

 

 

 「───マァム!?」

 

 シェリルの声にアステルはハッと顔を上げる。皆が皆、此方をじっと見ていた。自分と、そして。

 アステルは隣に座るマァムに視線を移し、そして瞳を見開いた。

 

 「マァム……?」

 

 ぽとりと食べかけのまんじゅうが床に落ちる。マァムはこちらを見たまま、猫の目のような大きな瞳からぽろぽろと涙を溢していた。

 

 「………ぐすっ、ふぇ、ぅ、うわあーーーんっ!」

 

 そして子供のように声を上げて泣き出してしまった。

 悲痛なその泣き声にこの子を宥めなければ、落ち着かせなければと思う。アステルはその感情のままに、その頭を撫でようと手を伸ばしたが、マァムに飛び付くようにして抱き付かれてしまった。

 もう離さないとばかりに強く強く抱き締められる。

 

 まるで迷子の子供が親と巡り会えたかのように。

 

 そのぬくもり、柔らかな金髪が肌を擽る感覚に。アステルも堪えていたものが溢れだした。嗚咽し震えるその背に手を回して抱き締める。

 

 タイガがちらりとナディルを見る。

 ナディルはアステルを。そして恐らく、彼女によって呼び起こされたのであろう、マァムの中のもう一つの人格の変化を見定めるように見詰めていた。

 





お久しぶりです。
気が付けば前回から年明けて、今はもう4月の半ば……。
時の流れの早さにヒビリます。

今回、あの二人の呪い解除にドラクエ2のラーの鏡の効果も一緒にさせて頂きました。(後世に残す為に壊れるのは勘弁ですが)
シェリルの友達なので、あまり長い事呪われたままにしたくなかったので。

ルビス、ラーミア設定にオリジナル入ってます。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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宝珠《オーブ》

 

 

 「大丈夫かぁ? 二人とも」

 

 まだひゃくりあげる幼馴染み二人の背中をポンポンと叩きつつ、シェリルはその泣き顔を覗き込む。

 

 「ん、ごめん」

 

 アステルはハンカチで目元を押さえながら、恥ずかしそうに顔を上げた。

 

 「一体全体どないしたんや? 突然泣き出して。にしてもウチ、マァムのマジ泣き初めてみたわ」

 「むぅぅぅっ」

 

 その涙を拭ってやりつつからかうシェリルに、マァムは目蓋を腫らしながらも膨れっ面になる。こちらも羞恥心に襲われる程度には落ち着いたようだ。

 

 「アステル、お前ルビスとラーミアをどこで知ったんだ?」

 「し、知らないの。本当に知らないの」

 

 スレイが尋ねると、アステルは頭をぶんぶんと横に振った。

 

 「なのに口が勝手に、」

 

 ……あれは本当に自分の意思で起こした行動なのだろうか。自分の感情が伴っていたのだろうか。

 

 それは違うとアステルには確信出来た。

 

 まるで別の誰かが自分の体に入り込んで体を動かしたような……違う。それも違う。

 元々別の誰かが自分の中に存在していて、それが起きだしたような……。

 

 そこまで想像してアステルはぞくりとする。

 駄目だ。嫌だ。気持ち悪い。もう考えたくない。

 

 「アステル?」

 

 突然アステルは自分で自分を抱き締めるようにして俯き黙りこくった。スレイが異変を感じて、その肩に手を置くと震えているのがはっきりと伝わった。

 

 「アステル」

 

 もう一度、今度は強めに名前を呼ぶ。アステルはハッとしてスレイを見た。強ばっていた顔が泣き出す一歩手前のような表情へとなり、スレイは目を張る。

 

 「……大丈夫か?」

 「う、うん。ごめ、説明が難しくて。……ごめんなさい」

 

 ぐっと堪えるようにして、それでも笑顔を作ろうとするアステルに、スレイはこれ以上追及など出来なかった。

 膝の上で固く握り閉めている小さな拳を、覆うようにして手を重ねる。常時よりも冷たいその手にスレイは眉を顰める。

 

 「あたしもぅ、いきなりぐわぁーーーってなってぇ、ブワぁ~~~って噴き出してきてぇ、今はしゅんってしてるぅ」

 「はぁ?」

 

 あの時の変化をマァムなりに身振り手振りで伝えようとするが、シェリルには全然理解出来ない。

 

 (……まあ、こちらは元々語彙力が足りてないが)

 

 日頃の恨みからか、スレイは彼女に対しては辛辣になってしまう。傍目からは不思議な踊りをしているとしか思えないマァムを半眼で見る。

 

 

 「───まあまあ。わからぬのなら仕方なかろう。あまり責めてやるでない」

 

 ナディルはスレイとシェリルの二人を宥めるように言った。

 

 (……?)

 

 スレイは違和感を感じてタイガを見た。

 彼は特に動揺する事なくこの事態を静観している。スレイの怪訝な視線にタイガは気付くも、特に取り繕うような真似をせず『何だ?』とばかりに柔和な表情でスレイを見返した。

 

 「タ「スレイ」

 

 タイガに声を掛けようとしたスレイだが、ナディルに遮られる。長い眉毛から覗く鋭い眼光にスレイは口を閉ざすしかない。

 

 (詮索は許さない……か。だが、)

 

 この二人はなにかを知っている。知っていて隠してる。

 

 「アステル、マァムよ。話の続きを始めても大丈夫かの?」

 「あ、はい! すみません!」

 「もう大丈夫ぅ~~!」

 

 アステルは表情を引き締め、マァムも元気に返事する。ナディルはうんうんと頷く。それを見てシェリルは二人から離れて元の席へと戻った。

 

 「スレイ、あの、もう大丈夫だから」

 「ん? ああ、悪い」

 

 その声にスレイはアステルの手を握ったままだと気付き、ぱっと離す。冷たかった手はいつの間にかぬくもりを取り戻していた。

 

 「ううん、……ありがとう」

 

 さっきまで握られていた手にもう片方の手を添えてはにかむアステルに、スレイは思わず目を反らす。

 

 「…ふむ。何処まで話したかのぅ? スレイ?」

 

 さっきとは打って変わって、ニヤニヤとこちらを見るナディルにイラっとする。

 

 「魔王の張った結界を打ち破る為にラーミアが必要だと言った所までだ」

 「うむ。ではついでにラーミア復活への説明をしてもらおうかの」

 「なんでオレが」

 「お前の中の悟りの書の理解度を知る為じゃ。ほれ、さっさとせい」

 「ラーミア……復活?」

 

 アステルに尋ねられ、仕方ないとばかりにスレイが口を開いた。

 

 「ラーミアは今、眠りの中にいる」

 「眠り……?」

 「神話時代、一つの世界が破壊を司る邪神の力によって滅びの危機に瀕していた時、全能神は新たな世界を創造し、人々を含めた多くの生き物を移り住まわせた。

 新たな世界とはオレ達が今いるこの世界。そしてラーミアはその異空を越える力を駆使して、全能神が取り零してしまった生命を巨大な翼で運んだとされている。

 ラーミアはその時、力を使い果たし、深き眠りについたと言われている」

 

 「死んでしもうたんか?」

 

 シェリルの言葉にスレイは首を振る。

 

 「神は死なない。深い眠りについただけだ。全能神は神鳥を労い、その安らかな眠りを邪魔されないよう、神鳥の体から魂を抜き取り、六つの宝珠(オーブ)に変えて、守り人と呼ばれる一族に託した。いつか神鳥に選ばれし者の手により、復活するその日まで……大丈夫か? アステル」

 

 「ごめん、大丈夫。続けて」

 

 再び表情が曇り始めたアステルに気付いてスレイは話を中断する。マァムを見ると、こちらも不機嫌にむっすりとしていた。

 

 「ほんま大丈夫かいな……」

 「うぅぅ……平気ぃ~~っ!」

 

 と、マァムの頭を隣に座るタイガがポンポンと軽く叩く。

 

 「要はバラモスに近付く為に神鳥ラーミアが必要で、ラーミアを復活させる為にはその六つの宝珠(オーブ)が必要なんだな。

 ……で、その宝珠の場所は目星ついているのか?」

 

 「───黃の宝珠(イエローオーブ)は希望を求め人から人へと渡り歩き、紫の宝珠(パープルオーブ)は汚れなき乙女の祈りに憩う。銀の宝珠(シルバーオーブ)は聖なる山の頂きから世界を見守り、赤の宝珠(レッドオーブ)は義の戦士の血潮にて受け継がれる。緑の宝珠(グリーンオーブ)は愛深き賢き森の民の魂に護られ、青の宝珠(ブルーオーブ)は世界の中心にて勇気ある者を待つ。

 聖なる旋律に導かれ、六つの宝珠(オーブ)揃いし刻、極寒の地に封じられし、神の翼ラーミア蘇らん」

 

 突然ナンナが吟うように朗唱したので、暗く陰った表情のアステルとマァムは驚き目を上げた。

 

 「ババア……なんで守り人の一族にのみ伝わる歌を当たり前みたいに歌ってんだ」

 「どっかの誰かさんが惚れた女捕まえるってのに、わざわざうちの神殿まで来て練習してたからねぇ。耳タコだよ」

 「秘匿じゃなかったのかよ? ジジイ……」

 「あの頃は儂も若かったからのぅ。その娘は儂の嫁さんになったんじゃから問題ないわい」

 

 じとりと見るスレイに、ナディルはホッホッホッと長く伸びた髭先を捻りながら笑う。

 

 「あれ? という事は、ナディル様はもしかして……」

 

 はたっとしてアステルは声をあげる。

 

 「そうじゃ。儂は緑の宝珠(グリーンオーブ)の守り人……テドンの民じゃ。テドンは賢者の一族の隠れ里なんじゃよ」

 「……って事は、緑の宝珠(グリーンオーブ)はナディル様が持っとんのかっ!?」

 「いや。悪いが儂はこの通りダーマの大神官となった身。宝珠(オーブ)の守り人ではもうない。もうなん十年も戻っとらんよ。………それになにより。テドンはもうこの世に存在せん」

 「え?」

 「滅んだんじゃ。十年前に魔王の配下に襲われ、焼き討ちに遭った。

 皆死んでしもうたよ。緑の守り人であった儂の娘婿もな」

 

 アステル達は言葉を失くす。

 どんな言葉をかければいいのかわからず、心痛な面持ちで狼狽える優しい娘達にナディルはふと笑った。

 

 「じゃがの。孫は生きておる。お主のように、父に代わり緑の宝珠(グリーンオーブ)を守る使命を果たさんと今も必死に生きて、戦っておる。……儂の誇りじゃ。宝珠(オーブ)を集めていればいずれ会う時が来よう。その時はどうか仲良くしてやってくれ」

 「………はい!」

 

 しっかり頷くアステルにナディルは目を細める。タイガはそっとマァムを見た。

 マァムはぼんやりとナディルの話を聞いているが、彼女の中にいるもう一人のマァムはきっとそうではないだろう。

 

 「その孫は一体何処にいるんだ?」と、スレイ。

 

 「スレイは会った事ないの?」

 

 アステルは意外そうに尋ねる。それにナディルはフフッと笑い、茶目っ気たっぷりにこう言った。

 

 「お主達のすぐ傍におる……と、だけ言っておこうかの」

 

 その言葉に、アステル達は顔を見合わせた。

 

  

 

 「───取り敢えず、緑の宝珠(グリーンオーブ)は保留として、次の候補は青の宝珠(ブルーオーブ)だな」

 「何処にあるか検討がついてるの?」

 

 スレイは机上の地図を指差す。そこはここから遥か南。故郷アリアハンの隣、西に位置する小さな島だった。

 

 「世界の中心といわれている聖地ランシール。ここにはダーマ程じゃないが、大神殿がある。オレが行った時には固く閉ざされていたが、ここは勇気を試される試練の場ともいわれている」

 「青の宝珠(ブルーオーブ)は世界の中心にて勇気ある者を待つ……」

 

 伝承歌を復唱するアステルに、スレイが頷く。

 

 「ここに向かう為にも、まずはポルトガへ戻って船を手に入れないとな」

 「ポルトガに戻んのはええけど、親父帰ってきてたら面倒やな……」

 

 シェリルが愚痴を漏らし、アステルはそんな事言っちゃ駄目だよと嗜める。ふと気が付くとマァムが皆の分のおまんじゅうまで食べしまい、シェリルはかんかんになって彼女を追いかけ回した。

 

 いつも通りの三人娘にタイガは目を細めるも、隣に腰掛けてきたスレイがこちらを睨んでくるので、軽く息を吐いた。

 

 「───悪いな。だが、俺の独断で話す訳にはいかないんだ」

 「それは今回のアステルとマァムのあの反応にも関係してくる事なのか?」

 

 声に僅かに怒りを滲ませてスレイは問う。それにタイガの表情も固く強ばる。彼女達のあの怯えよう、嘆きようはあまりに痛々しく、見ている此方まで胸が痛くなった。……しかし。

 

 「悪い。それに関しては本当にわからない」

 

 茶化す事のない真面目な声にスレイはただ一言「そうか」と、納得した。

 

 「だが。俺はスレイには知って欲しいと思っている。今まではどうにかなったが、ここから先は正直俺一人じゃ荷が重い。それに同じ賢者になったスレイに隠し通せるとは思えないしな」

 

 「同じだと?」

 

 気色ばむスレイに、タイガは苦笑する。

 

 「本当にすまん。話すにはまず許可を得ないと」

 「……誰の許可が必要なんだ。ジジイか?」

 「いや。その孫」

 「は?」

 

 間の抜けた声を出したスレイに堪えきれず、タイガは吹き出した。

 

 

* * * * * * 

 

 

 方針が決まった七日後。アステル達はダーマを発つ日を迎えた。

 旅立つのに七日かかったのは、スレイの魔法訓練と、宝物庫にあったみかわしの生地を使って独自に仕立ててもらった服の完成を待っていたからだ。万全の状態で新しい服を纏ったアステル達の前にはナディルとナンナがいた。

 

 「こんな早朝にお見送りして頂いて申し訳ありません」

 

 薄暗く霧がかった森を背景に、申し訳なさそうする礼儀正しい娘に、ナディルはホホッと笑い、ナンナはフンと鼻を鳴らした。

 

 「なぁに気にする事はない。老人は朝が早い。朝日が昇ってしまえば、儂は見送りする暇などないからのう」

 「あたしは暇だから昼でも良かったんだかね」

 「意地悪言うな。儂だって見送りしたいわい」

 

 老人達の言い合いに、アステル達はははっと笑う。

 

 「ナディル様、ナンナ様、本当に色々とありがとうございました」

 「うむ。道中気をつけてな。何かあれば、遠慮なく訪ねてくるがいい」

 「はい!」

 

 深々と下げた頭を戻しつつ、隣に立つスレイを見上げた。周りの生暖かい視線に苦虫を噛み潰したような顔になりつつも、スレイは前に出る。

 

 「ジジイ、ババア。今回は世話になった。…………………助かった」

 「そこで素直にありがとうと言えん所が、ガキなんだよ」

 「まあまあ。奥手で照れ屋なスレイにはこれが精一杯じゃろて。なあ?」

 「……あんた達は逐一オレをからかわなければ気が済まないのか?」

 

 ぎりぃっと睨み付けるスレイをホッホッホッヒーヒヒヒッと嗤う。

 

 「……それでは」

 「ちょっと待っておくれ」

 

 ナディルに呼び止められ、ルーラ体勢に入っていたアステル達は動きを止めた。

 

 「マァム、ちょっとこっちに来てくれんかの」

 「ほえ?」

 

 マァムがアステルから手を離し、ナディルの前に立つ。

 

 「お前さんには強い聖力が秘められとると言った話は覚えとるかの?」

 「? ………そうだっけぇ?」

 「マァム! 昨日マァムの力の事、みてもらったでしょ!」

 

 首を傾げるマァムに、アステルは慌てて言う。

 バハラタの町のシスターに言われた事。マァムの聖力の高いという話をナディルに聞いてもらったのだ。多忙な中みてもらったのに忘れたとあっちゃ、失礼過ぎる。

 詫びるアステルに、しかしナディルはよいよいと手を振る。

 

 「あの時も言ったが、お主はあるがままで良い。その力をお主の大切な者を守る為に使いなさい。

 ………そしてマァムよ。自分の力を信じなさい。お前に流れる血の連なりとその加護を信じなさい。それは決してお前を見捨てず、裏切らない。……お前は強くなれる」

 

 アステル達からはマァムの背中しか見えず、その表情は窺えないが。

 

 おそらく。と、タイガは思う。

 

 (あとの言葉は孫に向けてだな)

 

 最後にナディルはマァムの頭に手を置く。そしてアステル達に向かって十字を切った。

 

 「全能神と大地神の祝福があらんことを」

 

 豊かな髭で隠れた口の動きがわかるほどにっこりと微笑むナディルに、アステル達は頭を下げて礼を述べる。

 

 「ほれ、ナンナ! そなたも祝福を授けんか」

 

 黙って眺めていたナンナに、ナディルが声を上げた。

 

 「……ったく。あたしはあんたと違って命名神の神殿でちゃんと授けたってのに………」

 

 そう、しぶしぶと言いながらマァムの前に立つ。頭を傾げたままのマァムを暫く黙って見上げ、それから手にある杖を大きく振り上げる。

 虹色に輝く濡れない霧がマァムの、アステル達の頭上に降り注がれた。

 

 「おおっ!」

 「綺麗………」

 

 アステル達は手を伸ばし感嘆の息を漏らす。

 

 「ふわぁぁ~~っ!」

 

 マァムは降り注がれる虹に手を翳す。

 そしてそれが消えると、ナンナに向かってありがとう~っ!と、とびきりの笑顔で笑った。

 そして、仲間達の元へ駆け出し、大好きな彼女彼等の手を固く繋ぐ。

 それを確認し、最後にナディル達に見向き、ポルトガに向けて瞬間移動呪文(ルーラ)を唱えた。

 

 「………お前は話さなくてよかったのか? ナンナ」

 

 空に描かれた移動魔法の光の軌跡を見上げながら、ナディルはポツリと呟いた。

 

 「今更何を話すんだい」

 「何でもいい。それこそ触れてやるだけでもな」

 

 その言葉にナンナはフンと鼻を鳴らし、背を向けた。

 

 「あたしは自分の娘にすら、ろくに顔を合わせず、抱いてやったことすらないんだよ。その子供に何をしてやれる。下手な事して出発前に動揺させてなんになるさね」

 

 強がる小さな背中にナディルはやれやれと息を吐く。

 

 「だが、セファーナは知っとったよ。知っていて何も言わなかった。産んでくれて、お前にとって特別な《名前》を付けてくれた。ただそれだけで構わないとな。

 ……お前が孫に与えた名前も喜んどった」

 

 「…………」

 

 本来、巫女姫に婚姻は認められない。子を成す事は許されない。なのに隣にいる男が最初で最後の特例を作ったのだ。

 

 「……あたしはただ祈るだけさ。命名神の加護と名前があの子達を護り導く事をね」

 

 ナンナはかぶっていたフードを外して、明け色の空を見上げた。眩しげに細められた白銀の瞳。

 冷たい風が頬を撫で、白の混じった淡く輝く金色の髪がふわりと揺らした。

 

 





やっとダーマ編終了しました。
当初ここまで長くなる筈ではなかったのですが、メインキャラ二人も絡んでくると削れないし、削りたくなく。
もっと文章力があればといつも思います。

次回は新章へ移る前に閑話ひとつ挟みます。今回キャラクター紹介は文字数不足の為、次章のキャラクターと合わせます。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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閑話 魔法と香り

 

 

 その昔、人は《魔法》の事を《魔術》《法術》と、それぞれの使い手を《魔術士》《法術士》と呼び分けていた。

 今でいう魔導士魔法使いが魔術士。神官僧侶が法術士に当てはまる。

 魔術士の魔術とは、知識を深める事で自然界の理の力を理解し、更に探求追究する事によって新たな(じゅつ)を創造する。法術士の法術とは、心身を浄め修練を重ねる事で、神の御心を知る霊感を高め、霊感によって知った宿命を果す為に与えられた(すべ)

 しかしいつしか魔術士の割合が大きくなり、法術士の使い手は逆に少なくなった。これは戦乱の世が招いた信仰の力の弱体が原因といわれている。

 時は流れ、戦乱の世は幕を閉じる事となる。そして大戦終結へと導いたのは一人の《賢者》だといわれている。

 賢者という言葉に馴染みがなかった頃、魔術法術を使い熟す彼の者を見て、畏敬の念の元《魔法使い》という言葉が生まれ民に浸透した。

 更に時が流れ、戦のない世の中となり魔術法術を扱う者が更に減った事により、その力は分け隔てなく総じて《魔法》と呼ばれるようになったという。

 

 「───スレイ?」

 

 薪割りをする為の空き地を借りてスレイは魔法の練習をしていた。

 近寄るアステルの気配に気付いてはいたが、特に危険な範囲には立ち入っていないので、スレイはそのまま手の中にあった呪文を発動させる。氷の刃が標的に並べた薪に次々と突き刺さる。

 

 「どうした?」

 「特に何も。スレイの手伝いでもと思ったけど、必要なかったね」

 

 見事全ての標的に的中している氷の刃を見て、アステルは肩を竦めた。

 

 「スレイ普通に魔法が使えてるね」

 「ん? ああ。盗賊にも二つしかないが魔法はあったし、魔法教本は過去に何冊か暇潰しに読んだ事があるからな」

 

 確かに。スレイは魔法が使えなかった時から、呪文に関して詳しくてよくタイガとシェリルに説明していた。

 

 「盗賊にもやっぱり開眼の儀式があるの?」

 「ああ。盗賊の技法はどちらかといえば、魔力開眼に近いな」

 

 魔法はその者の素質とその開眼により使用出来るようになる。

 魔法使いを目指すなら魔力開眼の為の儀式を受ける。僧侶なら法力開眼の儀式。儀式を受け開眼しなければ、いくら魔力や法力があろうが、素質が高かろうが呪文は覚えられないし、発動もしない。

 ちなみにアステルは両方の素質があった為、儀式はどちらとも受けている。

 そして儀式を終えると基本魔法も同時に身に付く。

 魔導士魔法使いなら《初等火球呪文メラ》。

 神官僧侶なら《初等治癒呪文ホイミ》。

 身に付けた初歩魔法を繰り返し行使し、経験を重ね、その上で教本による知識を深め、または神への信仰を深め、それら全てを積み重ねる事により、啓示のように新たな呪文が閃く。

 ただ、閃いた呪文がどのようなものなのかは、使ってみないとわからない。

 ここで手助けとなるのが、先にも出た教本の存在だ。

 《呪文》または《力ある言葉》ともいう、それらは個々種族の違いに関係なく共通しているのが現時点では判明している。言葉が通じない魔物も、魔物の言葉でメラと唱え火の玉を放っているのだ。

 先達は各々が発見した呪文とその効果を教本として遺してくれている。それらを前以て学び知る事により、咄嗟に閃いた呪文でも安全に行使する事が出来るのだ。

 話を戻す。

 恐らくスレイは《悟りの書》を受け入れた時点で、それらの儀式を終えた扱いとなっているのだろう。

 

 そこで『ん?』と、アステルは首を傾げた。

 

 「スレイ、さっきメラじゃなくてヒャドを使ってなかった?」

 「ん? 正確にはヒャダルコの練習だったけどな」

 「それ中等呪文!」

 

 そう言ってスレイは今度は氷刃呪文ヒャドを唱える。掌から放たれた冷気と鋭い氷の刃が地面に突き刺さり、青々と繁る草に真っ白な霜を落とす。

 

 (初歩呪文が氷刃魔法……それにもう中等呪文が使えるなんて……このままじゃ『追い越す』って言葉、冗談じゃなくなるかも……)

 

 「火炎系より、氷結系の方が扱いが難しいって聞いてたんだけど……」

 

 笑顔を浮かべつつ、心内では焦りながらアステルはメラを唱え、小さな火の玉を掌の上で転がす。と、スレイも同じ事を試みる、が。

 

 「───わっ!!」

 

 巨大な火の玉が現れたかと思えば、直ぐ様ちょろ火になり、シュンっと消えた。

 

 「メラよりもヒャドの方が使い易いな」

 

  渋面を浮かべるスレイに思わずアステルは吹き出した。

 

 「笑うな」

 「ご、ごめんなさい。でも、失敗するスレイってなんか新鮮で。スレイにも出来ない事あるんだなぁって安心した」

 「出来ない事がなんで安心に繋がるんだ」

 

 怪訝な顔をするスレイにアステルは変わらず笑顔を浮かべ、心の中ではガッツポーズを取っていた。

 

 (よしっ! まだまだ火炎魔法は私のが上!)

 

 そういえばとアステルは思い出す。スレイが魔力暴走した時も氷の特性が顕現されてたっけ。と。得意な属性の場合は基本例とは異なるのかもしれない。

 

 「……って。何気に凄い事してるし」

 

 アステルが考えに耽っている間にスレイは地面に腰を下ろして、遊ぶ様に掌の上で氷の花を作っていた。透明な花弁が太陽の光に照らされ、きらきらと耀く。

 

 「わぁ、綺麗……」

 

 繊細に模された氷の蓮の花に、アステルも腰を下ろし魅入った。もっと近くで見たくて身を乗り出す。乗り出し過ぎて、触れんばかりの位置にいる事に気付いてない。彼女からする仄かな甘い香りがスレイの鼻を擽った。

 

 「アステル、菓子でも作ったのか?」

 「? ううん。あ、もしかしてお腹空いた? 魔法使ってたら甘いもの欲しくなるよね?」

 「……ああ、いや、大丈夫」

 

 スレイは曖昧な返事で首を横に振る。アステルは頭を僅かに傾げるも、再び氷の花に釘付けになる。

 彼女は特に香水などはしてないし、石鹸は宿屋に常備してある同じ物を使っている筈なのに、どうしてこうも自分とは違うのか。と、ここでスレイはハッとする。

 

 (これが《魔力の匂い》……なのか?)

 

 魔法を操る数が増え、感覚が鋭敏になってきているのだろうか。魔力のある女性が魔族に狙われ襲われやすいのは、もしかしてこの香りが原因なのかもしれない。

 改めてスレイはアステルを見下ろす。

 彼女からは砂糖菓子の様な、花の様な、甘い香りがする。甘い香りはあまり好きではないが、この香りは嫌いじゃない。心が安らぎ満たされる。ずっと傍にいてこの香りを感じていたいと思わせる。

 だが、その一方で。まるで最高の獲物を目にした獰猛な獣にでもなったような、ほの暗い欲情が首をもたげる。

 

 ───あの時のように『美味そうだ』と。

 

 ガルナの塔で瞳を閉じた彼女を前にした時。己の身体にすっぽりと収まる華奢な肢体、熟れた林檎の様に染まった柔らかな頬、薄紅の甘そうな唇に指が触れ、噛み締められていたそれがうっすらと開かれた瞬間。

 アステルが声を出さなければ、生まれて初めて味わった衝動のままに自分は。

 

 突然スレイは立ち上がり、メラを唱えた。

 

 「あーーーっ!!」

 

 思わずアステルは悲鳴をあげる。掌の花は一瞬で湯気をたてて消えた。

 

 「お、今度はうまくいった」

 「綺麗だったのにもったいない……」

 

 眉を八の字にするアステルに、スレイは呆れたように溜め息を吐く。

 

 「魔法の基礎練に付き合ってくれるんだろう? さっき見せた火の玉のお手玉のやり方を教えてくれ」

 「……! うん!」

 

 不満顔から一転、満面の笑顔でアステルは立ち上がった。

 

 





ダーマでの七日間にあった出来事。
真面目に魔法のお話をするつもりが、小難しいお話が苦手な筆者が途中で脱走してしまいました。
ガルナの塔でアステルが目を閉じていた時に、スレイは何考えてたのか。←言い方

彼も22歳の健全な男子ですので。←誕生日迎えました。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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第六章 ポルトガ~テドン~ランシール
新たな仲間


 

 

 

 濃厚な潮の香りが鼻を擽る。三ヶ月ぶりの海運王国ポルトガはその名に相応しい活気に満ち溢れていた。

 船が入ってきた事を知らせる銅鑼が港から鳴り響く。乗船客が降りてまず向かう市場。以前は静かなものだったが、今は色取り取りのテント幕を張った露店が立ち並ぶ。新鮮な魚介や珍味、美しい珊瑚や真珠を使った装飾品、外国から取り寄せた染め織物を前に客寄せの声が飛び交う。

 港を慌ただしく往復する馬車や荷引き車を押す人々。出航を断念していた期間の稼ぎを取り戻すかのように、忙しなく動き回る売り子に商人、漁師や船乗り達。

 しかし誰も彼も疲れを感じさせない笑顔そのもので、城下は陽気な喧噪に包まれていた。

 ポルトガ城内もやはり初めてここを訪れた時より、張り詰めた空気は薄れていた。完全に払拭されないのは大元を絶てないでいる為であろう。今回はあくまで蜥蜴の尻尾を切り落としたに過ぎないから。

 しかし、すれ違う兵士達は深謝の念を込め最上級の敬礼で彼女達を迎えた。

 

 「皆の者、面を上げよ。勇者アステルとその仲間達よ。ここに来るまでに城下の様子を見ただろうが、そなた等の働きによってすっかり活気を取り戻した」

 

 ポルトガ王は笑顔でアステル達を迎え入れ、その功績を称えた。

 

 「大国が暗躍している裏で、魔族までもがそれを利用して悪事を働いていたと報告を受けた。危険な旅であったろう。礼を言うぞ。よくぞ成し遂げてくれた」

 「お褒めの御言葉を与り恐悦至極でございます」

 

 アステルが頭を下げる。一通り礼を述べポルトガ王はその笑顔を収めると、もうひとつの気掛かりな案件に触れた。

 

 「……して。騒動解決後、我が国の勇者の呪いを解く為、ダーマへと赴いたと聞いたが………成果はどうであった?」

 「はい。大賢者であり、ダーマの神殿を統括する大神官ナディル様のお知恵を拝借して原因究明に努めたのですが、その結果、魔王バラモス自らの手でかけた呪いだと判明しました」

 

 

 「なんと!」

 

 ポルトガ王は目を見張り、黙していた大臣が思わず声をあげる。控えていた臣下達にも動揺が走り、玉座の間が騒然となる。

 命名神とその巫女姫ナンナの存在について語るのはなんとなく憚れたので、アステルはナディルの名と権威を借りた。

 左後ろに控えるスレイにちらりと視線を送ると、それでいいと小さく頷かれる。

 

 「しかし、呪いを祓い元の姿に戻す(すべ)も授かりました」

 「それは真か!?」

 

 ポルトガ王が玉座から乗り出す。

 

 「太陽神ラーの御力を秘めた《ラーの鏡》をもってすれば、それは可能だろうと」

 「ラーの鏡……だと? それは……」

 「はい。イシスの国宝である失われた鏡です」

 

 その言葉にポルトガ王は玉座に力なくどかりと座る。

 

 「我々の祖先が奪い紛失した彼の国の宝。因果が巡り巡って帰ってきたと言うわけか」

 

 王は獅子の鬣のような髪をくしゃりと掴み、悔恨に歯を食い縛った。

 

 「……王様。イシスの女王様はもうポルトガを恨んではいないと仰りました。

 そしてここに女王様から与った太陽神の遺産があります」

 

 そう言ってシェリルに振り返ると、シェリルは《大きな袋》から一振の剣を取り出し、アステルに手渡す。

 

 「王の御前に刃を持ち出すとは「よい。赦す」

 

 叱責しようとする大臣をポルトガ王の声が素早く抑える。

 

 「ナディル様は仰ってました。この太陽神の遺産を手に世界を回れば、必ず同じ遺産である鏡と共鳴し、その場所へと導くだろうと」

 

 聖剣を王に差し出し、言葉を続ける。

 

 「必ず鏡を見付け出し、魔王の呪いを打ち破って御覧に見せます」

 

 強い意志を秘めて輝く青い瞳に、ポルトガ王は一瞬魅入られる。そして口の端を上げた。

 

 「そなたの決意、しかと聞き届けた。

 ならば我等はそなた等の船旅を万全なものとする為に支援を惜しまん。この国で一番頑丈で速く疾る船は既に用意してある。

 他に必要な物があれば、遠慮せず申し述べよ」

 「ありがとうございます。それでは船乗りを数名斡旋して頂けないでしょうか」

 

 「我が国の船乗りを?」

 

 訝しげな顔をするポルトガ王と傍らの大臣に、アステルは内心慌てる。

 

 「決して長い期間ではありません。せめて自分達の力で航海が出来るようになるまで指導という形で……」

 「いや。別に(いと)うているのではない。陸しか知らぬ素人に船を任せるつもりは毛頭ないし、此方でも航海士を用意するつもりであった。

 だが、そなた等の仲間の中に既に航海士が数名おるのではないのか?」

 

 「え?」

 

 アステルは声を上げ、後ろに控えていた仲間達も怪訝そうに顔を見合せる。一体誰の事だ?

 

 「うむ。数ヶ月前にエルトン殿が証人として申し出て、その者達は既にそなた達の乗る船の調整と荷運びを始めておるぞ」

 「親父……ンンッ! 父のですか!?」

 

 大臣の言葉にシェリルはつい場もわきまえずに叫んでしまう。

 という事は、シェリルの父エルトンが娘可愛さに手配した船乗り達なのだろうか。

 

 「確か航海士達の頭目は《カーダ》と名乗っておったぞ」

 「カーダ……!」

 「スレイ、知ってるのか?」

 

 タイガが小声で訪ねると、スレイは若干気の緩んだ面持ちで「ああ」と応えた。

 

 「安心していい。みんな知ってる奴だ」

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 城の兵士に案内され、一行は造船ドックへと向かった。

 

 「わあ……」

 

 アステルは自分達に与えられた帆船を見上げた。黄金に輝く女神の舳先(へさき)飾りに、二本帆柱(マスト)、艶やかに磨かれた細みの船体。

 

 「我が国最新の小型外洋船です。縦揺れ横揺れに強く操舵性に優れております。小型とは言え、住居空間はしっかり確保しており……と、あちらに頭目が」

 

 説明途中で、丁度船から降りてきた目にも鮮やかな翠緑の髪の男を、兵士が笑顔で指し示す。

 アステル達に気付いた男が顔を上げたと同時に、シェリルが地面を蹴って駆け出した。

 

 「よう! 遅かったなっ!」

 「てりゃぁぁああっ!!」

 

 シェリルは跳躍して魔法のそろばんを、爽やかに手を上げた男の顔面目掛けて振り下ろす。

 しかし男は白羽取りの要領でそれを受け止めた。

 

 「はっ! 腕上げたじゃねぇか」

 「うっさい! なんでお前がおるんやっ!」

 「久し振りに会ったかと思えばご挨拶だね、お嬢様!」

 

 白羽取りの体勢でブンッと両腕を振り上げ、魔法のそろばんごとシェリルを後方へと投げ飛ばす。シェリルは空中で一回転して着地すると、そのまま地面を蹴って再度カンダタに飛び掛かる。

 

 「お嬢様言うなぁぁっ!」

 

 取っ組み合いを始めた二人に、兵士は目を白黒させ、アステル達は微苦笑を浮かべる。

 

 「………カンダタさん?」

 「カーダは町中で使用しているあいつの偽名だ」

 

 兵士の耳に届かぬよう小声で呟くアステルに、こちらも小声で答えるスレイ。

 

 案内してくれた兵士が立ち去るのを見送ってから、改めてカンダタに見向いた。

 

 

 「お久しぶりです! カンダタさん」

 「おう! 元気そうでなによりだ」

 

 と、返事し、それからアステルの隣に立つスレイを改めて見る。「ん?」と片眉を上げたかと思えば、顎に手を当て観察するように頭から足元までじっくりと眺める。

 

 「なんだ? その格好は。それに体を流れる魔力の質がえらく変わってんじゃねぇか。何があった?」

 「凄い! わかるんですね!」

 「まあな。エルフの血は伊達じゃねぇってとこか。………で、どうしたんだ?」

 

 自分で説明するかと思いきや、スレイは口を噤んで動かない。仕方なくアステルが前に出る。

 

 

 

 「───という訳で、スレイは賢者になりました」

 

 と、事の経緯と説明を締めくくると、カンダタは額に手を当てて「はぁああっ」と、深々と長い溜め息を吐いた。

 

 「……お前、本っっ当にっ! 昔っっからっ! 苦労が絶えねぇのなっ!!」

 「ほっとけ」

 

 弟分の運のなさを嘆きながら頭を撫でようと伸ばされた手を、スレイは素早く避ける。それを気にせず今度はアステル達に振り返った。

 

 「嬢ちゃん達、スレイを助けてくれてありがとよ」

 

 そう言って逃れたと油断したスレイの頭をがしっと掴み、強制的に下げさせた。

 

 「は、な、せ、っ!!」

 

 スレイはカンダタの腕を振りほどき、手にある杖をぶん回す。勿論カンダタはそれをかわす。

 

 「どうせ、ちゃんと礼を言ってねぇんだろ?」

 「言った!」

 「ええ~~っ! あたしはぁ言われてないよぉ~~っ!!」

 「アステルには言ったっ!」

 

 ブーブーと文句を言うマァムに、スレイはやけくそ気味に怒鳴る。

 

 「アステルにだけな」

 「ハハッ! 正直だなぁ」

 

 開き直るスレイに呆れるシェリルと楽しそうに笑うタイガ。アステルも小さく笑った。

 

 

 「………それで。お前はここでなにやってる?」

 

 杖をコンと地面に突くと、据わった目でスレイは兄弟子を見上げた。

 

 「いや? 嬢ちゃん達の旅に航海士として加えて貰おうかと思ってよ」

 「え」

 「はあ~~~~っ!!?」

 

 仰天するアステルとシェリルの脇で、「そう来ると思った……」とスレイがこぼす。

 

 「盗賊団はどうするんだ?」

 「ポルトガに到着したひと月前解散した。ここなら団員達が地元に帰るのに丁度いいからな」

 

 タイガの疑問にすっぱりと答えるカンダタに未練の影は見えない。

 

 「思い切りがいいな」

 「そろそろ潮時だったんだ。こちとら真面目に盗賊稼業してたってのによ。腕を買われるようになってから、人の名騙って散々悪さしやがる奴等が沸いてキリがねぇ。いくら俺でもいい加減疲れた」

 

 遠い目をするカンダタに、アステルは憐憫の情を抱いてしまう。

 

 『真面目な盗賊稼業とは』と突っ込んではいけない。盗賊は泥棒や強盗等と結び付けられやすい。言葉の意味は間違ってはいないし、哀しい哉実際にそういった行動をする輩もいるが。

 基本盗賊ギルドに所属している盗賊達の仕事は、国からギルドを通して要請を受けた未知の洞窟や遺跡の探索調査、王公貴族の悪事に対する偵察密偵や護衛などを熟す、歴とした職業なのだ。

 ……と、仲間入りして間もない頃、事ある毎にマァムに泥棒呼ばわりされ続け、堪忍袋の緒が切れたスレイが切々と説明した。

 ……無論、マァムは聞いちゃいなかったが。

 

 英雄ポカパマズに憧れるカンダタの性格上、《影の英雄》にもなりうる盗賊という職に、遣り甲斐を感じていたに違いない。

 

 「団員は親父の代から付き合ってくれた古参の奴の方が多かったからな。奴らもそろそろ腰を落ち着けたかっただろうし、若い奴らは盗賊を続けるにしても、足を洗うにしても、自分の道をちゃんと選べるだろう。そうなるように育て上げた」

 

 人として道を踏み外し、片腕を失った男の件があるからだろう。カンダタのその言葉には重みを感じられた。

 

 カンダタはアステルにニカッと笑う。

 

 「連れて行ってくれねぇか? 嬢ちゃん達に付いて行った方が面白そうだし、何よりオルテガさんへの恩返しにもなる」

 「え、えっと………」

 

 アステルとしてはカンダタが仲間になる事に特に問題ないが、突き刺すようなシェリルの視線が痛い。

 

 「お得だと思うけどな。雇い入れる訳じゃねぇから給金もいらねぇ。俺は操船は勿論の事、船の修繕だって出来る。海上での戦いの心得もある。ついでに他乗組員二名付き」

 

 「乗組員二名……?」

 

 頭を傾げるアステルに、カンダタは「お前らもこっち来て挨拶しろっ!」と甲板に向けて声をかける。

 すると今の今までこちらを覗いていたのであろうか、二つの影が小型とはいえ、それなりの大きさの船から身軽に飛び降りた。

 

 「はじめまして」

 「よろしくお願いします」

 

 と、十歳くらいの少年が二人、同時にペコリと頭を下げる。双子なのだろうか。表情を乗せぬ顔立ちと浅黒い肌は全く同じだが、髪の色、瞳の色が異なる。

 トエルと名乗った少年は黒髪に藍玉(アクアマリン)の瞳をしており、ノエルと名乗った少年は白髪に紫水晶(アメジスト)の瞳をしていた。

 

 「こいつらは最近盗賊団に入って来たばかりで、独り立ちさせるにはさすがに早すぎてな。手元に残したんだ。けど普通に戦えるし、仕事の覚えも早い。

 なんなら船乗りとしてはお前らの方が後輩だ」

 

 そう言ってカンダタは二人の背後から、彼らの切りっぱなしの髪をがしがしっと掻き撫でた。その時、少年達の無表情に嬉しそうな気恥ずかしそうな面差しが現れ、アステルはふっと微笑む。

 

 「オレはいいと思う」と、スレイ。

 「カンダタの操舵の腕はオレが保証する。それにお前達も今更コイツに対して遠慮なんてしないだろう?」

 

 「俺も別に構わないぞ」と、タイガ。

 「カンダタなら、慣れない海上での戦闘に他者を気にする必要がないからな。マァムはどうするんだ?」

 

 やけに静かだと思えば、マァムは船に乗り込み、船縁の上を歩いていた。

 

 「アステルとぉタイガがいいならぁ~どうでもいいぃ~っ!」

 

 この時点で既に三票。多数決ならもう勝負は付いているが、一行のリーダーであるアステルの票は三票に値する。

 ……と、シェリルが今勝手に決めた。

 ばっとシェリルはアステルに勢い良く振り返る。アステルは肩を跳ね上げらせる。目を反らしつつ、しかし、コホンと小さく咳払いをして、シェリルを真っ直ぐ見てにこりとする。

 

 「シェリルは旅費の無駄遣い……したくないよね? 経費は削減したいよね?」

 

 アステルはパーティー金庫番シェリルに痛恨の一言を与えた。

 

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 スレイはカンダタに今後の目的と予定の説明をする為にドックに残り、アステル達はカルロスとサブリナに呪いを解く手掛かりを伝える為、彼等が滞在するマクバーン家の別荘へと向かった。

 肩を落としてげっそりとするシェリルを支えながら、立ち去るアステル達にカンダタは首を捻る。

 

 「俺、あいつにそこまで嫌われるような事やったかぁ?」

 「やたらからかうからだろ」

 「あそこまで過敏に反応されたら、構ってやらにゃ失礼ってもんだろ?」

 

 悪びれもせずにそう言うカンダタの楽しげな笑顔を見て、スレイは諌める事を直ぐ様諦めた。今の笑顔は余程心を許した奴に対してしか見せない。つまりカンダタはシェリルを相当気に入っている。

 カンダタは決して悪い奴ではないし、寧ろいい奴だ。しつこいし暑苦し過ぎるが、その前向きな思考にスレイは何度も救われてきた、が。

 

 (いなせるようになるまで常に神経を磨り減らされる)

 

 「……今までは距離があったしそれでよかったが、これからは程々にしてくれ」

 

 はぁっと溜め息を付きつつ、スレイは妖精の地図を鞄から取り出し、話を始めた。

 

 

 

 

 「───しかし、ガイアの剣に加えて、ラーの鏡の捜索に、神鳥ラーミア復活ねぇ……。ほんの二ヶ月そこらで話が伝説級に大きくなってやがるとはな」

 

 話を聞き終えたカンダタは鼻の頭を親指で擦り、翠緑の瞳を眇める。

 

 「……ところでよ。魔王に滅ぼされたテドンって隠れ里の事だけどよ。それはどの辺りにあるんだ?」

 

 不意にカンダタは目を上げて尋ねる。スレイは不思議に思いつつも地図上のその場所を指差した。

 

 「ここだ」

 

 砂漠の王国イシスから更に南にある森。こうやって見ると、ネクロゴンドのすぐ隣、険しい山々に阻まれているが魔王の足元のような場所だった。

 まだ行った事のない場所なので色付いていないが、ちゃんと里が在る事を印している。この地図はナジミの塔にいた賢者が造ったものだ。彼もテドンに行った事があるのだろうか。

 

 「やっぱ、そこか」

 「どうした?」

 

 カンダタの予感が的中したような声に、スレイは思考を中断して彼を見た。

 

 「お前達が戻る間、俺なりに情報を集めたんだよ。……で、ある怪談話を聞いた」

 

 「怪談……?」

 

 スレイも眉を顰める。

 カンダタは語った。

 ポルトガからランシールを目指し南下していたとある商船は、イシスを通り過ぎた海域で霧が濃くなり、誤って陸の河口側へと入ってしまったそうだ。船は風もないのに何かに導かれるように河を登った。そうして日が暮れた頃に辿り着いた岬付近に着岸すると陸地にぼんやりと灯りが見えた。

 魔物が見せる幻惑か罠かと船乗り達は警戒するものの、その光の正体は人が灯した篝火だった。ホッとして商人と船乗り達はその村里へと向かう。

 入り口の門番らしき男に呼び止められはしたものの、船で来た事、闇夜の中、霧のせいで動けない事を伝えると、快く中へと入れてくれた。

 夜も更けてきた頃だと言うのに、里の人々は昼間のように外に出てのびのびと過ごしていた。違和感を感じながらも、特に気味悪さのようなものは感じなかったらしい。

 里長に挨拶し、船乗り達と商人は里の中で思い思いに過ごす。その中にある武具店の商品は滅多にお目にかかれない珍しい物ばかりで、商人は店主に商談を持ち掛けるも、店主からは寂しげな表情で断られたという。

 

 『この里は本来、外の人間との交流を禁じられている。あなた達がここに来てしまったのは我々の先走りが招いた事だから』

 

 と。訝しげな顔をする商人に、店主は里にある一番の鎧を商人に譲った。

 宿屋に戻るとベッドの支度がされており、船乗り達は既に高いびきをかいていた。商人も枕に頭をつけて、目蓋を閉じた。

 朝一番に聞こえたのは、鳥のさえずりではなく、船乗り達の悲鳴だった。

 商人が体を起こすと、ベッドが悲鳴をあげて壊れた。周りを見ると昨夜は清掃が行き届いた清潔な宿屋の一室が、見る影もないほど、ぼろぼろに朽ちていた。

 木の床は抜け落ち、屋根は所々穴が空いており、曇天が覗いていた。煉瓦積みの壁は焼き焦げ、ぼろぼろに崩れている。

 転がるように外に出ると、殆どの家が破壊され朽ちかけていた。それはまるで軍隊か何かに襲撃を受けた後かのようだった。青々としていた筈の草木は枯れ腐って倒れ、所々に発生している毒の沼は腐臭と瘴気を放っている。

 教会の破壊が特に酷く、奥に安置されてい大地を司る神像の首が切り落とされ、地面に転がった女神の顔がこちらを見ていた。

 茫然自失の商人を船乗り達が引っ張り、早々にその場を立ち去った。

 這這(ほうほう)(てい)で船に乗り込み、船乗り達は船の錨を上げる。商人は放り込まれた客室で我を取り戻すと、荷袋を取り出して開けた。

 そこにはあの里で譲ってもらった魔法の鎧が、清らかな青銀の輝きを放っていたという。

 

 

 「───って、陳腐な怪談だ。だが商人が実際にその魔法の鎧をポルトガに持ち帰ったのはそこそこ有名な話らしい。

 ……船乗り達が辿り着いたって岬ってのは、まさにそのテドンって里の目と鼻の先だな」

 「…………」

 「どう思うよ。賢者サマ」

 

 揶揄うようにそう言ったものの、カンダタの目は好奇と確信でギラギラとしている。スレイはその目を見て、それから地図上のテドンに再度視線を落とす。

 

 「アステル達に話してみる」

 

 

 




カンダタ参入決定。彼は盗賊でもあり、船乗りでもあり、戦士でもある。
自分的には彼はバトルマスターです。
この時点ではパーティー最強です。
ゲームデータ(冒険の書)にも彼は存在していて、とても強く育て上げました。
あと、謎の双子も登場。子供をパーティーに加えたかったのです……(笑)
彼らの職は一応盗賊です。一応。

《追記》誤字報告ありがとうございました!全然気付かなかったです………!

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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テドン

 

 

 ポルトガを旅立って既にふた月が経った。海上にてアリアハンを発って一年が経過し、アステルは十七歳となった。

 

 最新式の船は速く、三枚の真っ白の帆はいっぱいに風をはらみ、ぐんぐんと進む。

 途中、群れを成すしびれくらげや半人半魚のマーマン、ヤドカニのように硬い殻に覆われたマリンスライムが特殊攻撃と補助魔法を駆使して襲い掛かって来たが、殆どがスレイの魔法練習の餌食となっている。

 アステルもガルナの塔で中等閃光呪文(ベギラマ)を覚えたので、この二人の魔法が早々に決まれば、タイガやシェリルの物理攻撃組はあまり出番がない。

 今までなかった魔法職の強みを絶賛体感中だ。

 勿論、怪我人もでないのでマァムの出番もない。極たまにかすり傷をアステルが負うも、練習だからと言ってスレイが素早く治してしまう。

 歯噛みして悔しがるマァムを、スレイは黒く笑った。

 

 こういうたまにみせる大人気ない所は、兄弟子カンダタと通ずるものがあるなと、タイガは思う。

 

 一行の中に船酔いを催す者は今の所おらず、皆初めての船旅をめいめい気ままに過ごしている。

 鍛練に勤しむ他、カンダタに海図の読み方や舵の取り方、櫂の使い方、帆の扱いを学んだり、双子と一緒に(アカ)汲みや甲板の清掃、魚釣りをしたり、それでアステルが料理をしたり、余った分はカンダタに教わって干したり、塩漬けにしたりして保存食にしている。

 

 ……料理といえば。バハラタから樽五個分という、とんでもない量の黒胡椒がアステル宛てに届かれ、彼女は開いた口が塞がらなかった。価格にすれば五十万ゴールドは堅いらしい。

 バハラタを旅立つ前にグプタやタニア達が含み笑いをしたその理由が判明した。

 アステルは真っ青になって固辞し続けたが、エルトンの「みんなの気持ちを無下にしたらあかん。有り難く頂いとき」という、言葉に折れた。路銀に困った時に換金すればいいとも言われた。

 取り敢えず小袋に詰め替えて《大きな袋》に入れている。これならば簡単に腐らないだろう。今の所は料理や保存食の加工にちまちまと使用している。

 

 たまに激しい雨が降るものの、それは天からの恵みの雨。急いで樽を甲板に並べて生活水とする。

 大きな嵐に遇う事もなく、比較的天候には恵まれいた。

 

 (───そういえば旅を始めてから、基本的に天気はいいな)

 

 この中に天に愛されている者がいるのだろうと、タイガは帆柱(マスト)に設置された見張り台から空を見上げる。

 

 胸のすくような真っ青の空なのに。

 

 出てくるのは憂鬱な溜め息だった。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 カンダタとその養い子といってもいい年端の双子の少年達を仲間に加えた後、彼等とスレイを残し、アステル達と共にタイガはカルロスとサブリナに会いに行った。

 二人に呪いをかけたのが魔王である事、その呪いを解く為にはラーの鏡が必要である事を伝える為に。

 始めはショックを受け言葉を失くすサブリナだったが、傍にいた馬の姿のカルロスが嘶くと、ハッとして彼を見る。

 落ち着きを取り戻した彼女は、こちらを真っ直ぐ見て「大丈夫、私達はシェリルと皆さんを信じます。信じて待ってます」と、笑った。

 日が暮れてから人の姿に戻ったカルロスとも話をした。「信じて待つ事しか出来ないのが心苦しいけど」と、彼は悔しげに笑ったが。それでも二人が悲観的にならずにいてくれた事が、シェリルにとってなによりも救いになったに違いない。

 

 「絶対、絶対、元に戻したるからなっ!」

 

 シェリルは二人に堅く誓い、笑顔で別れた。

 

 

 

 そして。カンダタとスレイがいるドックへと戻ると、彼等は驚くべき現象がテドンがあった場所で起こっている事を話した。

 

 「そ、そそそそれって、ゆゆゆゆ幽霊が、出とるって事かっっ!?」

 

 激しく(ども)るシェリルに、カンダタの口の端が持ち上がる。

 

 「もしかしてお嬢様はこの手の話が苦手か?」

 「そ、そんなわけないやろっ! ってか、お嬢様言うなっ!!」

 「あ~~っ、シェリルの背中に……」

 「ひぎゃあああっ!!」

 「ぐはっ!!!」

 

 マァムのいつもの悪戯に簡単に引っ掛かったシェリルは、目の前に立つカンダタの腹にタックルする勢いでしがみついた。

 

 「…………はっ!」

 「げほっ、吐くかと思った……この馬鹿力」

 「きゃああああっ!!」

 「ぐふっ!!」

 

 我に返ったシェリルはカンダタに会心のボディブローを放って突き飛ばす。カンダタはたまらずその場に頽れた。

 

 「カンダタ、死んだ」

 「カンダタ、死んだらダメ」

 

 双子が青ざめてカンダタに飛び付き、その体を揺する。真っ赤な顔でふーっ、ふーっと、荒く息を吐くシェリルの後ろでマァムは震え上がる。大惨事だ。

 

 まさかこんな事になるなんて。

 

 「茶番劇はそこまでにしろ」

 

 言いつつスレイはカンダタに杖を差し出し、直接手でではなく、遠隔で治癒呪文をかける。優しさに思えるがそうではなく、ただ単に魔法練習の一環としてだろう。

 

 「……で。どうせランシールまで通り道なんだし、その岬に一応足を運んでみたらどうかとオレは思うんだが……」

 

 と、アステルを見た。アステルは口に手を当てて暫し思索し、それから目を上げた。

 

 「……確かに気になるね。イシスの前王様の例もあるから余計に。思い残しがあってこの世に留まってるのかも……」

 

 アステルの言葉にスレイも同意するように頷く。

 

 「───行こう。テドンへ」

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 タイガが下の甲板を見下ろすと、マァムと双子が楽しげにモップ掛け競争をしていた。

 朱色の瞳をきらきら輝かせ、高い笑い声を上げるマァムに釣られて、表情の乏しい双子の顔にも僅かに笑みが浮かぶ。そんな平和な光景を眺めながら出る溜め息は、やはり重いもの。

 

 テドンに行くという事は、マァム=ノーランに破壊され荒れ果てた己の故郷を見せるという事だ。

 

 そして一番厄介なのが、アステル達がその事実を知らないという事。つまり現状、彼女の心境を(おもんぱか)って行動が出来ないという事だ。

 ガルナの塔で親の死に目を思い出して見せた、彼女の静か過ぎる涙が鮮明に脳裏に蘇る。タイガは苛立ちのままにくしゃりと髪を掻き上げる。

 

 (こんな事になるなら、さっさとスレイに事実を打ち明けて巻き込めばよかった)

 

 アステル第一に考えてる彼だが、根はとても優しい。知れば少しは配慮して行動して貰えただろう。

 自分の判断の遅さに、再度長く重い溜め息が出た。

 年長者として、秘密を隠し持つ者として、こんな自分は皆には絶対見せられない。見せたくもない。

 ならせめて、見張りと称して一人でいる時は吐き出してしまいたい。

 

 柵に凭れかかり、ぼんやりとしていると。

 

 ふわりと潮風とは違う魔法の風がタイガの前髪を揺らした。目線を下げるとマァムがタイガを深紅の瞳で見上げていた。

 狭い見張り台に二人は少々きつく、マァム=ノーランはくるり回り、タイガに背中を預けるようにして凭れかかる。

 

 「……掃除は終わったのか?」

 「ん」

 

 なんとなくぎこちなくて、取り敢えずそんな事を尋ねると、マァム=ノーランはこくりと頷いた。

 

 「競争は、トエルの、勝利。ノエルも、だけど、あの子達、見た目以上に、すばしっこい」

 「そうか」

 「………タイガ、もしかしなくても、テドンに、行く事、気にして、くれてる?」

 「……………」

 「ありがとう。わたしは大丈夫、だよ?」

 

 その言葉が強がっているとしか思えず、タイガは顔を顰めた。

 

 「それに、本当に、里の人達が、いるのなら、確認したい。何を伝えたい、のか、わたしも、知り、たい」

 

 背中を向けてるので、表情は窺え知れない。

 

 「父様、も、いるのかな……」

 

 その言葉に弾かれたように、タイガはマァム=ノーランの体に片腕を回し、力を込める。「行かなくてもいい」と言ってやりたかったが、彼女はそれをよしとはしないだろう。

 

 「……無理だけはするな」

 「……ん」

 

 自分の前に回された暖かい腕に、そっと両手を添えて、マァム=ノーランは目蓋を閉じた。

 

 

 

 それから更にひと月と五日目。

 この日は朝から霧がかっていた。カンダタは用心深く舵を握り、スレイは見張り台から盗賊の技法《鷹の目》を使って辺りに浅瀬や岩礁がないか注意深く辺りを伺う。

 甲板では皆が魔物の奇襲に何時でも対応出来るように、控えている。

 

 と、顔色を変えてカンダタは舵を切った。

 

 同時に何かに捕まったように船が激しく揺れた。

 アステルが床に膝を着けたまま、顔を上げると、幾つもの吸盤が張り付いた青白く丸太のような触手が海面から生え伸びるのが視界に入った。

 

 「な、なに!?」

 「大王イカだっ! くそっ! 船底に張り付きやがったっ!」

 

 舵を必死に固定しながら、転覆を防ぐカンダタ。

 

 「このイカ、焼いて食えるかな?」

 「でかいイカって臭くて焼いても揚げても食えんって、聞いた事あるでっ! その前に倒したら、コイツ消えるんちゃう?!」

 「そういやそうだ」

 

 襲いかかる触手をタイガは蹴り飛ばし、シェリルは魔法のそろばんで殴りかかる。しかし、弾性に富んだ触手は与えられる衝撃を悉く弾く。

 

 「うわ、嫌な感触」

 「妖しい影と闘った事を思い出すなぁ」

 

 その特性で苦戦を強いられた思い出したくもない敵を思い出し、二人は苦く笑う。……と。

 

 ───ダンッ!!

 

 鈍い音をたてて、太い触手が切断された。触手の影から現れた小さな影はトエルだった。その手にはカンダタが扱うものと変わりない大きさのバトルアクスがある。

 小さな体で大きな斧を振りかぶる。斬る。斬る。斬る。

 その速さと威力にタイガとシェリルが呆然としていると、脇で魔法の光が見えた。

 

 マァムを守るように前に立ち、ノエルが呪文を唱えた。

 

 「───ピオリム、ピオリム、ピオリム……」

 

 延々と唱え続ける敏速強化呪文を受けて、トエルは物凄い速さで移動し、海から現れる新たな触手を切り落としていく。

 

 カンダタとアステルに襲いかかる触手。カンダタは手が離せない。アステルが剣と魔法で応戦するものの、致命的な効果が与えられない。

 

 「イカの顔を出させねぇと……っ」

 

 カンダタが舌打ちをする。

 

 「───中等氷刃呪文(ヒャダルコ)っ!」

 

 スレイが見張り台から放った氷刃が二人を狙っていた三本の触手を貫き、凍てつかせる。更に放った初等真空呪文(バギ)の真空の刃が氷結した触手を切り刻んだ。

 ロープを伝って素早く甲板に降り立つと、アステルに叫ぶ。

 

 「アステル! 結界呪文(トヘロス)を使えっ! このままじゃ船が壊されるっ!」

 「トヘロス? ……でも」

 

 今から効果があるものなのか? それよりもあんな巨大な魔物に自分の力が通用するかどうか。

 

 「深く考えるなっ! 船に張り付いてるイカを剥がす事だけ考えろっ!」

 「は、はいっ! ……トヘロスっ!」

 

 アステルを中心に展開される白く輝く聖なる結界が船を覆う。途中、ぐぐっと反発される力を感じて、アステルは歯を食い縛る。

 

 「───トヘロスっ!!」

 

 再度、声を高らかにして唱えると、船が大きく左右に揺らぎ、カンダタの握る舵が効き始める。イカが離れた。

 力を使い果たし、へたりこむアステルをスレイがさっと支える。ナディルが以前行った、理力吸収呪文(マホトラ)の応用術を使い、アステルに理力を供給する。

 

 このまま去るかと思ったが、それは甘く、大王イカは波飛沫をあげて船の船縁に張り付き、乗り上げた。シェリルやタイガ達の目の前に巨大なイカの顔。

 濁った黄色の眼が甲板にいる者達をぎろりと睨む。

 

 「───剛力強化呪文(バイキルト)

 「!」

 

 トエルが放った紅い光が、タイガを包み込む。沸き上がる力に驚き目を丸くするタイガに、いつの間にか隣に立つ彼が呟く。

 

 「……イカを締めるには目玉を目印に胴体とゲソの部分の間に刃を入れる」

 「ふ、普通のイカを締めるのと同じでいいのか?」

 

 こくりと頷く。

 トエルは斧を振り上げると、表情を変える事なく、イカの目の間に刃をダンッッと入れる。体液を振り撒きながら奇声を上げ、触手を振り回すのをトエルは後方に飛んで避ける。

 

 「───睡気誘発呪文(ラリホー)

 

 ノエルの魔法で大王イカはぐらりと傾ぐ。その好機を逃さずタイガは、切れ込みに鉄の爪を着けた拳を深々と差し込む。子供の体型では届かなかった急所を切り抉った。

 イカの青白い体が大きく痙攣し、一瞬にして真っ白に染まる。タイガはバイキルトによって上がった脚力でイカを蹴り飛ばした。ずるずると船から触手と体が剥がれ落ち、大王イカは海の底へと沈んでいった。

 

 「……ウチ、大王イカをこんな短時間で倒すの見んの、初めてかも」

 

 船縁からその様を覗き込みながら、シェリルが呟く。

 タイガとトエルは魔物の体液を頭からかぶってベトベト。タイガは生臭さに眉を寄せながらトエルを見下ろした。

 

 「大したもんだ」

 

 そう言って笑顔で親指を立てて見せると、トエルは無表情で首を傾げ、それから彼を真似て親指を立てる。

 

 「トエルとノエルは魔法が使えたんやなぁ」

 「カッコよかったよぉ~~っ!」

 

 次々に褒められ俯いたノエルの頬がほんのりと赤く染まった。

 

 

 タイガとトエルが風呂に入っている間、アステル達は先程同様、油断なく、辺りを見回していた。

 その日は結局霧が晴れる事はなく、まもなく、日没を迎えようとした頃、

 「そろそろ話に出てた海域だ」と、アステルが持ってきた軽食片手に頬張りつつ、カンダタは呟く。

 

 見張り台のスレイがハッとして顔を上げる。

 

 「風が止んだ」

 「う………?」

 

 マァムが食事を止めて顔を上げる。

 タイガも不思議な気配に辺りを見回す。

 

 「まさか………っ、」

 

 と、シェリルは傍にいる双子に手を伸ばし、ぎゅっと抱き寄せる。双子は頭を傾げていた。

 船は大陸へと近付き、幅の広い河口へと入っていく。

 

 「………舵が効かねぇな」

 「えっ!?」

 

 またイカかっ! と、アステルはカンダタを見たが、彼は首を横に振る。

 

 「見てみな。勝手に動いてやがる」

 

 くるくると勝手に動く舵を指さすカンダタに、シェリルは「ひいいっ!」と悲鳴をあげて双子を更に強く抱き締めるものだから、怖くなった双子はカンダタに助けを求める。

 

 「ま、こっからは様子見だな」

 

 と、舵から離れてシェリルから双子を奪い取り抱き上げたカンダタは、船の進む先を見据えた。

 

 

 河の流れは穏やかで、船は滑るように走る。迷いなく突き進むそれは、まるで何かに急かされているようで。早く、早く、こっちだよと、導かれるように。

 闇の帳が降りる。東は切り立った山々が連なり、西側は鬱蒼とした密林と山々、その間を縫うように船は進む。すると問題の岬が見えてきた。

 スレイが《鷹の目》を使うと、成る程確かに、篝火や家々の窓から漏れる光らしきものが確認できた。

 岬付近で河は二股に別れており、船は左側の河を選んで進む。やがて古びた桟橋の掛かった船着き場が見えた。船はゆっくりと速度を落とし、そして、停まった。

 

 「んじゃ、俺らはここで待ってっから」

 「お前は来んのかいっ!!」

 

 カンダタと双子が船から手を振って見送るのに対して、シェリルは盛大に突っ込んだ。

 

 「当然だろ。船を守るのが俺らの仕事だ」

 「くっ!」

 「怖いんなら、船に残っていいんだぜぇ?」

 「だ、誰がっ!!」

 

 船縁で頬杖をついてニヤニヤ見下ろすカンダタに、シェリルはカアッと顔を赤くする。肩を怒らせてずんずん進もうとするシェリルをマァム、そしてタイガが追っかける。

 

 「シェリルぅ~~っ!」

 「こらこら、一人で行くな。シェリル」

 

 「カンダタ……」

 「いーじゃねぇか。本人もやる気が出たみてぇだしな」

 

 弟弟子の咎めるような目を、カンダタは笑ってあしらう。

 スレイは溜め息を吐くも、次に顔を上げた時には真剣な眼差しを向ける。

 

 「……くれぐれも気をつけろよ」

 

 カンダタの後ろに聳える険しい山を見上げる。天を穿つような山脈は、闇夜も相まってまるで黒い巨人か、角と羽の生えた悪魔が見下ろしているようにもみえた。

 この山を越えた向こう側がネクロゴンド。

 ───バラモスがすぐ傍にいる。

 

 「ここは魔王のお膝元だ。いざとなったら船を放ってでも逃げろ」

 「バーカ。船旅は始まったばかりだってのに、早速俺をクビにする気か」

 「スレイの言う通りです! いざとなったら私達はルーラで戻れますから!」

 

 ここなら、イシスへ飛ぶ事が可能だろう。しかしカンダタは二人を安心させるような力強い笑みを浮かべる。

 

 「スレイも嬢ちゃんも余計な心配すんな。おそらくだが、ここはきっと大丈夫だ」

 

 その言葉にスレイは目を眇める。

 

 「……エルフの血が教えてくるのか?」

 「多分な。わかったならとっとと行け。あいつら見失うぞ」

 

 

 しっしっと追い払う仕草をするカンダタに、アステルとスレイは顔を見合わせた。

 

 

 

 





トエルが魔法使い系の、ノエルが僧侶系の魔法が使えます。トエルは自身にバイキルトをかけて前線で戦うスタイル。そんな彼を補佐するのがノエル。

そして近付くテドン。

この物語のカンダタはエルフの血をひくものの、攻撃や回復の魔法は使えません。その代わり剛力と、霊力(霊感能力)が強めです。

……つまりラストの彼のセリフは、そういう事です。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!


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幽幻の里

 

 

 

 船着き場から僅かに残る道らしき痕跡を辿り、鬱蒼とした森の中に(とも)る光を目指して、アステル達は松明片手に進む。岬から見えた明かりの大きさからして、里はすぐ近くかと思っていたのだが、実際にはまだまだ奥の方らしい。

 

 「ななななあ、あの明かり、どんどん遠ざかっとらへん?」

 

 ガタガタと震えるシェリルが、タイガの背中に隠れながら言う。

 

 「気のせいだよ」

 

 言いつつも、アステルもそう思わないでもない。まるで森の奥へと誘き寄せられている気がするが、カンダタに対する負けん気で動けている彼女に言えやしない。

 

 ───そういえば。

 

 「ねぇ、スレイ?」

 「なんだ?」

 

 アステルに声をかけられ、前を歩いていたスレイが振り返る。

 

 「カンダタさんに言ってた『エルフの血が教えてくれる』って、あれはなんの事?」

 「……ああ。カンダタはエルフの血を引くけど、魔法を扱える魔力は低い。その代わりなのか、力や体力が桁外れに強い。そして霊感が並外れて高いんだ」

 

 「れ、霊感って?」

 

 怖さを紛らわせようと、シェリルが問う。

 

 「霊感ってのは、直感力や感応能力。僧侶や神官は『神の声を聞く能力』って言ってるな。カンダタは子供の頃から、この能力に助けられてきた。………オレも助けられた」

 

 ぽつりと付け足された言葉に、アステルは首を傾げる。

 

 「……まあ、そのカンダタが大丈夫だって、送り出したんだ。危険はないとは思いたいけどな」

 

 「あいつの言葉通りになるんはしゃくやけど、ほんまなんも起こらんで欲しい……!」

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 一刻程歩き続けて、やっと里の入り口の篝火らしきものが見えた。

 

 「人がいるな」

 

 声低くスレイが呟き、アステルも唾を飲み込んで頷く。

 

 本当にテドンの村里の亡霊か、はたまた他所から来た者が里の跡地に住み着いただけか。

 

 行くなとばかりに背後で服が引っ張られる。シェリルの無駄な抵抗を感じつつ、タイガは隣を歩くマァムを見た。彼女の瞳は朱色のままだが、どこかぼんやりしているような気がする。

 

 篝火の影からふらっと若い男が現れ、皆、思わず竦み上がる。男もこちらに気付いて目を大きく見開いた。

 

 「───ようこそ。テドンへ!」

 

 笑顔で歓迎されて、アステル達は思わず固まった。

 

 「………テドン?」

 「はい。皆さんは船でお越しに? だったらこんな所に人が住んでて、さぞ驚かれたでしょう」

 「は、はあ……」

 「霧が出て大変だったんじゃないですか? 僕達は村から滅多にでないから知り得ませんが、ここらの海は濃い霧がでやすいらしくて、潮の流れの悪戯か近くの岬によく船が辿り着くんですよ」

 「そ、そうなんですか?」

 「朝になれば、霧は晴れるかもしれません。それまででよろしければ、滞在なさってください」

 「ありがとうございます。……あの!」

 

 「はい?」

 

 里の中へと入ろうとした男が振り返る。

 

 「あなたはいつからここにお住まいに?」

 

 アステルの質問に、男は不思議そうに首を傾げる。

 

 「いつからって……僕は生まれて此の方、里を出た事はありませんよ?」

 

 飄々と。ごく自然に。ごく当たり前に。

 

 「この道をまっすぐ行ったら、小さいですが宿屋があります。あ、その前に里長に顔を出しておいてくださいね」

 「は、はい! ありがとうございます!」

 

 

 頭を下げながら、自分はちゃんと笑えていただろうか、とアステルは思う。

 

 「スレイ……テドンが滅んだのはいつの事だったっけ?」

 

 頭を下げたままぼそりと問うと、スレイは眉根を寄せて、アステルの外套(マント)を引っ張り上げるようにして上半身を起こさせた。

 

 「……十年前だ。あの男はどう見ても二十代ぐらいだろう。だとしたらバラモスの配下に里を襲われた時は、十歳ぐらいとなるな」

 

 しかし先程の男の言動は不可解そのもので。この里がバラモスに襲われた過去がある事に、触れなかった。

 覚えていないと言う事は流石にないと思うが。

 

 「大神官様が嘘言っとったって訳………あるわけないやんな」

 

 そんな嘘を吐いてどうする。と、皆に一斉に目で言われたシェリルは、「わーんっ!」とアステルにすがり付く。

 

 「そんな目で見んといてーなっ! だって、せやったら、あん人……」

 

 涙目のシェリルが事実を否定したい気持ちもわかるので、アステルは彼女の背中を叩いて宥める。

 

 シェリルが離れたその隙に、タイガは先程から静かなマァムに目を遣ると、彼女の見開く瞳が深紅に染まり、乳白の肌が青白くなっているのに気が付いた。

 彼女の姿を己の背に隠すと、マァム=ノーランはタイガの服を震える手で握り締める。

 

 「ば、……バトゥーダ、さん」

 「え?」

 「じゅ、十年前、ま、魔族が、襲って、来た時、一番に、殺された」

 「………!」

 「こんな、風に、彼は、あの日、もっ、入り口を、見回ってて、……だからっ、」

 

 いつも以上に言葉が(つたな)(ふるえ)る声に、タイガは焦燥に駆られる

 

 「……マァム=ノーラン。無理を言ってるのはわかってる。だけど落ち着くんだ。……もう一人のマァムと変われるか?」

 

 マァム=ノーランはタイガの背中にしがみついたまま、頭を横に振った。

 

 「テドンに、着いた途端、隠れて、出てこない、の……っ、」

 

 タイガはアステル達を見た。里の様子の方に気を取られて、マァムの異変には気付いてない。

 

 「……このまま出来るだけ俺の後ろにいるんだ。いいな?」

 

 頷く気配を感じながら、タイガは里の中へと進むアステル達をゆっくり追う。

 所々に篝火が焚かれ、里の中を照らす。そろそろ床に着く時間にも関わらず、出歩く人間が多く、木造の家々の戸口のランプは灯り、煉瓦造りの煙突から煙が昇り、家の窓の隙間から微かに団欒の声が聞こえる。

 里の長の家を探して小道を歩くと、壮年の男性二人がアステル達を不審げに呼び止めた。

 アステルが先程同様、船でここに辿り着いた事を説明すると、「またか」と男は頭を掻いた。

 

 「俺達はその霧は魔王の吐息なんじゃないかと、思ってるんですよ」

 

 「魔王の吐息?」と、スレイ。

 

 「魔王は北の山奥……今ではネクロゴンドと呼ばれる地にいるそうです。近いせいか、ここまで邪悪な気が漂っている。その気が船を、ここらに誘き寄せてるんじゃないかってね」

 「ここからもネクロゴンドへと渡る道が在るのか?」

 「いや。……以前は王都グランディーノへ続く道が存在したが、魔王出現による地殻変動ですっかり閉ざされてしまった」

 「もしかして、あんた達は魔王に立ち向かおうとする者達か?」

 

 アステル達が頷くと、もう一人の男は年若い彼女彼等を案じるように、表情を暗くさせる。

 

 「テドンの岬を東にまわり陸沿いに更に川を上ると左手に火山が見えるだろう。

 その火山こそが今唯一残されたネクロゴンドへ入る鍵。しかし余程の強者でもない限り火口には近づかぬ方が、身の為だろう」

 

 「若いのだから、無闇矢鱈(むやみやたら)に命を粗末にするんじゃないぞ」と、男達は言い残して立ち去った。

 

 「な、なんや生きてるようにしか、見えんな……」

 

 アステルの手を握ったまま、シェリルが呟く。

 

 「……それに《影》があるのも珍しいな」

 「影?」

 

 ポツリと漏らしたスレイの言葉にアステルが反応する。

 

 「幽体は物体ではないから、影が無い事が多い。けど、この里の人間には影がある」

 

 と、道行く人が篝火に照された際に生じる影をスレイが訝しげに見詰めた。

 

 「……人の想いが成せる(わざ)を越えている。星降る腕輪を上回る、広範囲に効果を(もたら)す魔法具を利用して、この現象を実現させているのか?」

 

 タイガは己の左上腕に嵌まっている星降る腕輪に目を遣る。

 

 「……グラトス、さん、ローグ、さん」

 

 マァム=ノーランの呟きにタイガは目線を彼女に移した。

 

 「……彼等も?」

 「グラトスさん、は、魔王の、魔力で、お、奥さんが魔女に、されて……、攻撃出来ずに、殺された。ローグさん、は、屍人に、生きたまま、「すまん、もういい」

 

 俯く頭にぽんっと手を置いて、彼女の言葉を遮った。

 マァム=ノーランは生来の性格と人見知りから、里の者とあまり関わりを持たなかったらしいが、こんな小さな里ならば、ある程度は人の名や顔を覚えているだろう。

 

 ───だがそれは残酷な事この上ない。

 

 

 

 「───偉いっ!」

 「ひぎゃっ!!!」

 

 背後から突然大きな声で話し掛けられて、シェリルが大袈裟な程跳び跳ねた。

 

 「……なんじゃ、気概がないのぅ。魔王打倒を志してると聞こえたのに」

 

 アステルの背に咄嗟に隠れるシェリルを、腰の曲がった老人が残念そうな目で見上げる。

 

 「お主らが今回の来訪者か」

 「こ、こんばんは」

 「うむ。それで、魔王打倒を目指しておるのは、本当か!? お主らはどこから来なさった!!」

 「アリアハンです」

 

 興奮気味な老人に気圧されながら、アステルが答えると「アリアハンかっ!」と、目を輝かせた。

 

 「アリアハンといえば、勇猛と馳せた勇者オルテガの故国じゃな! ついこの間旅立ったばかりというに、彼の者の噂はこんな田舎にも届いとるよ」

 

 「つい、この間……」

 

 アステルは愕然として呟き返す。アステルの父、オルテガが旅立ったのはアステルが生まれて間もない十六年前。決してこの間というほど最近ではない。

 

 それになにより。

 

 (この反応……このお爺さんは父さんが死んだ事を知らない)

 

 「儂らとて負けてられん。こう見えて儂はその昔、世に名を轟かせた魔法使いなんじゃ。たとえ魔王がせめて来ようとも儂らは自分達の村を守るぞい!」

 「……けど、ここは昔魔王に襲われて滅んだって……」

 

 胸を叩きふんぞり返る老人に、シェリルが思わず口にしてしまう。

 

 「シェリル!」

 

 スレイの鋭い叱責の声に、シェリルは肩を竦ませた。

 

 「なに? この村は既に滅ぼされているのではないかと?」

 「ひっ!!!」

 

 ずずいっと、顰めっ面を寄せてくるので、シェリルは隠れる範囲の広いスレイの背後へと移る。

 

 「ならここで話しとる儂はなんなのじゃ。冗談も程々にせい!」

 

 肩を怒らせて去っていく老人に、スレイはホッと息を吐き、アステル達は呆然とする。

 

 「シェリル、言葉に気を付けろ。彼等が亡霊だとして、それを自覚したらどうなるか見当もつかないんだからな」

 「自覚したら、どうなるの?」

 「……見当もつかないって言ったろ。自覚して空に還るのならまだ良いとして、万が一、悪霊と化してこの世に留まってしまったら……後味が悪すぎる」

 

 問うアステルに、スレイは不機嫌なまま答える。

 

 「悪霊に転じたのなら、浄化魔法(ニフラム)でどうにかならないの?」

 「……ニフラムには《浄霊》と《除霊》の二つの効果がある。

 《除霊》は悪霊と化してしまい、どうしようもならない魂をこの世から有無も言わさず排除するもの。

 《浄霊》はこの世に未練や死した事すら自覚していない魂を浄め天へと導くもの。ただし。魂が納得し、天へと還る意志があってこそ、初めて成り立つんだ」

 「じゃあ、もしあのお爺さんが悪霊に転じれば……」

 「……魔王は恨み辛みを抱えた悪霊を魔物へと作り変えたがる。奴の配下に下る前にニフラムで除霊した方が、あの爺さんにとっては幸せだろうな」

 

 アステルは思案顔で老人が去った道の先を見た。

 

 「あのお爺さん、大丈夫かな?」

 「恐らく大丈夫だろう。邪悪な気配に転じた様子はなかった。シェリルの言葉を信じてないんだろうな」

 

 「ご、ごめん……ウチ、」

 

 青ざめた顔で胸を押さえるシェリルの肩を、アステルは軽く叩く。

 

 「怖かったし、知らなかったんだもん。仕方ないよ。……スレイだって、そんな大切な事、前もって教えてくれてれば良かったのに」

 

 アステルがわざと膨れてみせると、スレイはぐっと言葉に詰まり、それから溜め息を吐いた。

 

 「オレだって多少なり動揺してるんだ。……シェリル、悪かった」

 「ここからは言動に気をつけよう? 出来るだけ里の人達の会話に合わせていこう」

 

 アステルの言葉にシェリルは力なく頷いた。

 

 

 

 更に奥へと進む。今度は三日月が映る池を眺めていたうら若い女性と目が合った。アステルが会釈すると女性もそれに応じた。

 

 「こんばんは。旅の方ですよね?」

 「はい」

 「女性の旅の方なんて、珍しいわ。勿論船で、ですよね? 海の魔物は恐ろしくはないのですか?」

 「怖くないって言ったら嘘になりますが、それを含めての旅ですので……」

 「心が強いのですね。……わたしもそうありたかった」

 

 儚げに微笑む女性は、夜空を仰いで天へと手を翳した。

 

 「……ああ、空を飛べたらどんなに素敵かしら! そうすれば魔物に怯える事もなく、行きたい所へ行けるのでしょうね」

 「…………」

 「ふふ。ごめんなさい。急におかしな事を言って」

 

 「……いいえ」

 

 彼女から里長の家を教えてもらうとアステル達はその場を離れる。アステルがそっと振り返ると、女性は再び池の中の月を覗いていた。

 

 彼女は自分がもう、この世の人間ではない事に気付いているのかもしれない。

 

 何故かアステルにはそう思えた。

 

 

 

 道が二つに別れており、すぐそこに宿屋が見えた。という事はもう一方が里長の家へと続く道だろうか。

 アステル達がそちらへと進もうとする。タイガもそれに続こうとしたが、後ろのマァムが不意に立ち止まった。

 

 「マァム?」

 

 タイガは呼び掛けたが、まるで聞こえていないかのように、彼女は明かり一つない漆黒の森をじっと眺めていた。

 

 そして───突然、駆け出した。

 

 「待て! マァムっ!!」

 

 タイガの声にアステル達が振り返ると、マァムは一人、道外れを駆け出していた。

 

 「マァム! どこに行くのっ!?」

 

 アステルも叫んだが、彼女はそれさえも無視し、森の中へと消えた。

 

 「突然どないしたんや!? マァムは!!」

 「とにかく追うぞ」

 

 彼女を追って既に駆け出していたタイガを追って、三人も森の中へと駆け出した。

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 ───マァムは走っていた。

 

 炎で明々とした森を。爆ぜる火の粉を浴びながら。燃やされる木々の悲鳴、人々の悲鳴を聞きながら。

 強く手を引かれて。足が縺れて、転びそうになる度、腕を引き上げられ。ほぼ引きずられながら。

 

 止まれば───それは死を意味していたから。

 

 走って、走って、走った、その先は。

 

 「………あっ!?」

 

 木の根に足を取られ、マァム=ノーランは盛大に転んだ。

 さっきまで感じていたマァムの手を引く、大きな手はなくなっていた。

 激しく息を切らし、少し咳き込む。擦りむいて血が滲む掌を握りこんで。ややあって身体を起こす。

 

 そしてマァム=ノーランは深紅の瞳を見開いた。

 

 緑暗の森の中にポツリと、冷たく、寂しげに、浮かび上がる灰色の箱。

 

 四角の石造りの───半壊した牢獄。

 

 マァム=ノーランは立ち上がって、牢獄へと近付く。

 

 「……いるの? そこに、まだ、いるの?」

 

 一歩、また一歩と、踏み締めるよう近付く度に、あの時の赤い記憶が蘇る。

 

 「ずっと、待ってて、くれたの? 父、様───」

 

 真っ赤に濡れた、けれど柔らかくて暖かい微笑み。

 牢獄の鉄扉へ手を伸ばす。

 

 そして触れた途端、凄まじい衝撃がマァム=ノーランの身体を駆け巡った。

 

 「───きゃああああっ!!!」

 「マァム=ノーランっ!!」

 

 扉に弾き飛ばされるようにして倒れたマァム=ノーランを、タイガが抱き起こした。

 マァム=ノーランは深紅の瞳を悲しげに歪めて、扉を見た。

 

 「な、んで? 父様、なんで、」

 「マァム=ノーラン?」

 「怒って、るの? わたしが、ちゃんと、出来てないから……?」

 「マァム=ノーラン!」

 「緑の宝珠(グリーンオーブ)を、ちゃんと、守れ、なかったから……?」

 

 宝珠(あたし)に守られて、ここまで来たから……?

 

 

 「───マァムっ!」

 

 アステルが、シェリルが、スレイが辿り着いた。各々が彼女を心配げに見詰めている。

 

 (違う……わたしじゃない)

 

 みんなが心配しているのは、わたしの中にいる〈あたし〉。

 

 明るくて元気なわたしには出来ない事が、出来る〈あたし〉。

 

 その影に隠れて、みんなを騙して、〈あたし〉を騙して。

 

 ───それが、わたし。

 

 なのにわたしは。そんな彼女を、羨んでいる。

 

 ───なんて、姑息で、卑怯な。

 

 

 「マァム、あなたその目の色……」

 

 アステルはハッとして、マァムの虚ろな瞳を見る。

 

 「……ごめん、なさい」

 「え? マァムっ!?」

 

 力なく顎をのけ反らして、マァムは意識を失った。タイガは眉を寄せて、眠るマァムを抱え直した。

 

 

 ……転んだのだろうか。マァムの膝や掌には血が滲んで滴っていた。

 アステルは直ぐ様、彼女に治癒呪文(ホイミ)をかけてやる。

 

 (さっきの深い紅色の目……。あれは)

 

 エルフの森の地底湖の洞窟で初めて見た。二度目は命名神マリナンの神殿で。

 

 (……『ごめんなさい』って、どういう事なの?)

 

 ───何故、謝るの?

 

 「………貴女は、誰なの?」

 

 アステルの独りごちたその声に、タイガは思わず目を上げた。

 

 

 スレイは皆から離れ、牢獄へと一人近付く。半壊になっており、そこから中を窺おうとしたが、闇に覆われている。

 夜だから。明かりがないから。……ではない。文字通り、闇に覆われているのだ。

 鉄扉の前に立ち、それに触れようとした。

 

 「───っ!!」

 

 触れた所から稲妻が身体を迸って焼いた。大きく弾かれ身体が傾いだが、地面に杖を突き、踏ん張ってなんとか堪える。

 離れていたアステル達の元まではっきりと届いた衝撃音に、アステルとシェリルは驚き、彼の元へ駆け寄った。

 

 「スレイ!?」

 「大丈夫か!?」

 「……っ、ああ。二人ともこれ以上近付くな」

 

 そう言って、スレイは自身に治癒呪文(ホイミ)をかけた。それだけの衝撃だった。

 

 「……結界……か? マァムはこれにやられたのか」

 

 

 「───旅の御方、ここは牢獄。立ち去られよ」

 

 振り返れば、初老の男が厳しい目を此方に向けて立っていた。

 

 「ここには何が、……誰がいるのですか?」

 「言ったであろう。そこは牢獄だと。居るのは罪人のみだ」

 

 里の人間の言葉を否定してはいけない。

 彼等の言葉はそのままこの世に留まる理由であり、存在意義なのだろう。しかし。

 

 アステルは一歩前に出た。

 

 「……本当に、ここに居るのは罪人なのですか?」

 

 目の前の少女の、こちらを見据える鮮やかに輝く青き瞳に捉えられ、男は戦慄した。

 

 「そなたは……そなた等は一体……」

 

 男は一行を見渡した。そして一人の娘の姿に目が留まった。

 

 「……セファーナ!」

 

 「セファーナ……? この子はマァムっていうやけど」

 

 シェリルは言ってしまってから、

 (しもうた! またやってもうたっ!)

 と、口を押さえる。

 

 「マァム? マァムだと……っ!」

 

 驚愕を露にし、男が声を荒げる。シェリルとアステルは思わず、マァムを守るように立ちはだかる。

 

 しかし次の瞬間、男はその黒い瞳から滂沱の涙を流した。

 

 「生きて、……生きておったか……!」

 

 男はよろよろと眠る彼女を抱えるタイガの元へと進む。アステルとシェリルは顔を見合せ、たじろぎつつも道を開く。

 マァムの目の前に来ると男は地面に膝をついた。

 

 「おお、おお。大きく、綺麗になって……っ、セファーナにそっくりだ。地母神よ! 感謝致します!」

 

 嗚咽をもらしながら、手を組み合わせ神に祈る。

 

 「エルの願いは届いていた……!」

 「セファーナに、エル………?」

 

 シェリルの声が耳に届き、男は鼻を啜り涙を拭って、顔を上げた。

 

 「……いや。年甲斐もなく取り乱してしまい、申し訳なかった。

 私はディムドという。賢者の隠れ里テドンの……、

 魔王バラモスによって滅ぼされた、このテドンの里の長を務める者だ」

 

 

 

 

 





誤字報告ありがとうございます!

テドンはゲームでは村表記ですが、当物語では隠里となっております。外からの人に対してつっけんどんな対応はしませんが、長期滞在は嫌がるみたいな。

ダーマ編に引き続きマァム=ノーランの試練が続きます。ごめんよマァム=ノーラン(泣)

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!


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刹那の邂逅

 

 

 

 一行は一旦森の牢獄から離れ、里長ディムドの家宅へと向かった。

 気を失ったまま意識を取り戻さないマァムをベッドに横たわらせると、ディムドは愛おしげに目を細め、その頭を撫でた。

 

 「ディムドさん……あの、」

 

 どこまで触れていいのか、尋ねていいのか、アステルが思い(あぐ)ねていると、ディムドはふと笑った。

 

 「大丈夫。私はバラモスの配下によって殺されたのは自覚しておる。何を尋ねられても、今更悪霊化はせんよ」

 

 アステルは眉を下げたが、すぐに切り替えて表情を引き締めた。

 

 「私達はダーマの大神官ナディル様に、ここテドンが賢者の血族の隠れ里である事、神鳥ラーミアの魂の欠片緑の宝珠(グリーンオーブ)を守る一族が住んでいた事を伺いました。

 そして、魔王の配下によって滅ぼされてしまった事も。

 教えて頂けませんか? 何故ディムドさん達はこの世に留まってしまったのか。

 あと……マァムとディムドさんはどういう関係なのか。

 マァムは何も覚えていない。……記憶喪失なんです」

 

 その言葉にディムドは眼を見開き、それから頭を振った。

 

 「……記憶を……そうか。無理もあるまい。あの当時マァムは九歳の幼子。子供の心にあの惨劇は耐えられんだろう……」

 

 (……いいや。マァム=ノーランはその惨劇を覚えている。ずっと覚えているんだ)

 

 ずっと独りで背負い続けた。父親に託された緑の宝珠(グリーンオーブ)に宿る魂を守り続けていた。神鳥(ラーミア)の魂の欠片に自身の身体を明け渡し、十年もの間、己は他人と一切関わらずに。そのせいで自分自身が消えそうにもなった。

 

 なのにマァムは、使命を果たせていないと自分を責め、父親に詫びていた。

 

 沸き上がるぶつけどころの見付からない憤りに、タイガは常に保っていた笑顔を装う事も忘れていた。

 そんな彼を訝しげ見る、スレイの視線にも気づかないくらいに。

 

 タイガは今、静かに怒っていた。

 

 「じゃあ、マァムはやっぱり……」

 「この子はここテドンで生まれ育った。私の息子エルドアンの娘だ」

 

 そして再度マァムを見下ろす。

 

 「本当に大きくなった。世界の(ことわり)から分断されたこの地にいて、再び時の流れを痛感する日がこようとはな」

 

 「世界の理から、分断……?」と、シェリル。

 

 ディムドは深く頷き、そして重い口を開いた。

 

 ───あの日。災厄は紅蓮のローブを纏った一人の男の姿を成して、里に訪れた。

 気さくに話しかけた若者に対して男は手を翳し、巨大な火球を放った。若者は避ける事叶わず、炎に飲み込まれ、更にはその奥にあった家屋を焼いた。

 

 昇った火柱と煙は開戦の狼煙。虐殺の始まりだった。

 

 男の足元を中心に拡がる魔方陣が里を覆い描かれると、そこから(おびただ)しい魔物が現れた。

 ただの里一つを滅ぼす戦力ではなかった。男は知っていたのだろう。

 この里に住む者は皆、魔法戦に特化した者達だと。

 里の民一人一人が神の翼を守る使命を帯びていた事を。

 

 その証拠に男が呼び出した魔物は、魔法を通しにくい甲冑を纏った〈地獄の鎧〉の大軍、邪神を崇める〈邪教徒(シャーマン)〉達は呼び出した〈腐った死体〉を放って数で押しきろうとし、その中にいた〈屍人の王(ゾンビマスター)〉は我等の理力を吸収して、此方が倒した魔物を無限に復活させた。

 それだけでない。里の女達はその魔方陣に触れた途端、心を魔に犯され〈魔女〉へ……魔物へと変じ、同胞を襲った。

 緑美しかった里はあっという間に灼熱の炎に包まれ、澄んだ池は泥と血で濁り、地に伏し果てた民の骸を魔物達が貪り喰う。

 

 まさにテドンは阿鼻叫喚の地獄そのものと化した。

 

 ディムドの語る想像を絶する過去に、シェリルは自身の二の腕を掴む手に力が籠る。アステルもまた潤みそうになる瞳を必死に開く。

 

 「緑の守り人であり、賢者であったエルドアンもローブの男に立ち向かった。

 だが男の魔力は強大、爆裂呪文と火炎呪文を駆使し続ける理力は無尽蔵。与えた創傷は蓄積される事なく、治癒呪文で直ぐ様癒されてしまう。

 息子が倒れるのは時間の問題だった。

 私は息子と守り人の後継であるマァムを逃がす為、囮となり紅蓮のローブの男と戦った。

 ……しかし実際に私が稼げた時間は、ほんの数分、いや、数秒かもしれん」

 

 そこでディムドは目を手で覆い隠した。

 蘇った辛酸を嘗めさせられた記憶と、悔恨の念をぐっと歯を食い縛って堪える。

 

 ふー……っと、深く息を吐き、ディムドは顔から手を離した。

 

 「……薄れゆく意識の中で、凄まじい爆音と衝撃を感じ、目を開いた。

 森の奥から立ち昇る炎と煙を突き破り、天へと昇る真白い光を見た。

 それが私が今生で見た最後の光景になる……筈だった」 

 

 「はず、だった……?」

 

 「意識は暗い闇の底に沈み、そのまま消えて失くなるかに思えた。

 しかし、まるで掬い上げられるかのように、意識は浮上し、私は目を開いた。

 闇夜に包まれたこの部屋で、私は意識を取り戻した。

 戦いの最中、燃やされた筈の我が家は以前のまま、破壊の痕跡何一つなく。

 閉まっていた窓のカーテンを開けると、闇の帳が降りた里を篝火が照らし、家々には明かりが灯っていた。

 夜道を歩く者を捕まえ問い掛けると、夢でも見ていたんじゃないかと笑われた。

 ならばと、エルドアンとマァムの住む家へと向かった。

 しかしそこに誰もおらん。里の中を駆け回ったが、息子と孫は何処にもおらんかった。

 ふと森の奥で見えた真白い光の事を思い出し、そこに向かった。森の中にある、あの牢獄へと。

 牢獄だけは強襲前の姿と異なり、半壊しておった。その上、強い結界に覆われ、どうやっても入る事が叶わなかった。

 中に息子がいる事がなんとなくわかった私は夜通し声をかけ続けたが、返事が返ってくる事はなかった。やがて空が暁の薄紫に染まり始めた。

 

 すると私の意識は再び闇へと閉ざされた。

 

 そして次に目覚めた時は、やはり闇夜の家宅の中だった。幾度となくそれが繰り返され、ある日確信した。

 我々テドンの民は闇夜の中でのみ復活するのだと」

 

 「……それに気付いているのはあんただけか?」

 

 スレイの問いにディムドは首を横に振った。

 

 「一部の民はそれに気付いておる。

 だが、大半の者は強襲自体が初めからなかった事になっていた。

 繰り返される無意味な生に気が狂いそうになった者は、その瞬間に里が強襲された記憶がごっそり抜け落ちた」

 

 「……一体、何がそんな超常を引き起こしているんだ」

 

 スレイは低く呟くように言った。それにディムドは直ぐ様答えた。

 

 「《闇の灯火(ランプ)》」

 

 「闇の灯火(ランプ)?」と、アステル。

 

 「あの牢獄にはその昔、テドンの民が闇を司る神から授かった闇の灯火(ランプ)という神具が隠されておった。真実は定かではないが、そのランプに闇色の炎が灯った時、この世界に突如として夜を齎すといわれておる。

 恐らくはエルドアンが何らかの理由で闇の灯火(ランプ)の力を使い、夜にのみあの世とこの世を繋いでおるのやもしれん。

 そうまでしてエルドアンがこの世に残り、守ろうとするものは唯一つ───緑の宝珠(グリーンオーブ)

 

 タイガは目を張る。

 

 「だからこそ私は狂う事も、忘れる事もできんかった。いずれ訪れるであろう『神の翼を甦らせる者』が現れるまで。この事を伝えるまでは」

 

 そしてディムドはアステルを見据えた。

 

 「そして今日そなた達が現れた。同胞ナディルが認めた、そして孫娘マァムを連れたそなた達が現れたのだ。

 よいか、旅の御方。神の翼の復活を望むならば、まず《青の宝珠(ブルーオーブ)》に認められよ。バハラタより南にある島、ランシールへ向かうがよい」

 

 「《青の宝珠(ブルーオーブ)》……ですか?」

 

 「あれこそが始まりの宝珠。《青の宝珠(ブルーオーブ)》が目覚めれば、自ずと他の宝珠(オーブ)も目覚めよう。エルドアンが持っているであろう《緑の宝珠(グリーンオーブ)》も(しか)り。

 そなたが真実『神の翼を甦らせる者』ならば、かの地にいる『伝承者』がそなた等を導くだろう」

 

 

 

 

* * * * * * 

  

 

 

 

 (……………懐かしい、匂い)

 

 閉じていた瞼がゆっくりと上がり、深紅の瞳が現れる。木目の天井が見えた。目だけで辺りを見回す。

 マァム=ノーランが眠るベッドに凭れるようにして並んで座って眠るアステルとシェリル。壁に凭れて胡座をかいて眠るスレイとタイガ。

 一つしかないベッドの、傍にある台の上に置かれた角灯(ランタン)が暗く燃える。

 年季の入った箪笥、筆立てと数冊の本が立てられた机、椅子。今使っているベッドも、全て見覚えがある。ここに遊びに来て眠ってしまった時に、父に、母に、あるいは祖父に。度々こうして寝かされていた。

 

 あまりにも懐かしい。……ここは。

 

 皆を起こさないように注意しながら、マァム=ノーランはそっとベッドから出る。

 寝室から出て、続きの居間を見回す。暖炉の火は微かに燃えていた。奥に見える流し台と竈。椅子が四つ並んだ四角の食卓。

 母が作ったミートパイを、祖父に優しく見詰められながら、父の膝の上に座って頬張る幼い自分の幻影を見た。

 誕生日を迎える度、孫娘の成長を刻んだ柱の横線にマァム=ノーランは指を滑らす。線は九歳の誕生日までで止まっていた。

 

 (………やっぱり。ここは、お祖父様の、家)

 

 しかし、肝心の祖父の姿は見当たらない。

 マァム=ノーランは家の外に出た。所々に焚かれた篝火が今にも消えそうになっている。外を歩く人影はなく、彼女は我知らずほっと息を吐く。

 見上げた空は夜明け前の藍色。マァム=ノーランはふらりと、森の中へと歩き出した。

 

 

 

 マァム=ノーランが牢獄の前に辿り着くと、そこには一人の男が立っていた。風に靡く空色の髪は父と同じ。けれどその長さは父よりも短く、襟足で切り整えられていた。

 男もマァム=ノーランの気配に気付いて振り返る。

 父と同じ黒曜石のような黒い瞳は、彼女の姿を捉えると、大きく見開いた。

 

 「マ、……ああ、いや。目が覚めたのか」

 

 名前を呼ぼうとして、記憶がないと言っていた事を思い出し、ディムドは当たり障りのない言葉をかける。しかし。

 

 「………お祖父様」

 

 彼女がはっきりとそう呼び掛け、頭を掻いていた手が止まる。

 

 「な、に……?」

 

 次の瞬間には抱き付かれていた。

 あの頃と同じように。孫は感情を面に出さぬ代わりに、こうやって行動で示していた。

 

 「私が、わかるのか? ……マァム」

 

 己の胸に顔を埋め頷く彼女を、ディムドはしかと抱き締めた。

 

 「あい、たかった……!」

 「……私もだ。会いたかったよ。マァム」

 

 このまま抱き締めたままでいたかったが、夜明けまで時間がない。

 そっとマァム=ノーランを剥がすと、彼女は明らかに不服そうに見上げてくるので、ディムドは苦笑した。

 随分と情緒が育ったらしい。

 

 「記憶がないと聞いたから、てっきり私の事がわからないと思っていた」

 「わたしは、覚えてる」

 「わたし、は?」

 

 マァム=ノーランは拙いながらも、これまでの事を必死に話した。孫のこれまでの苦労を知り、ディムドは瞳を潤ますも、健気に父の跡を継いで宝珠を守ってきた事を知ると、彼女を労い、その頭を優しく撫でた。

 

 「そうか……緑の宝珠(グリーンオーブ)はマァムに受け継がれ、既に半覚醒していたのか」

 「わたしが、しっかり、してなかったから……」

 

 マァム=ノーランはしゅんと項垂れる。

 

 「それは違う。緑の宝珠(グリーンオーブ)青の宝珠(ブルーオーブ)より早く目覚めるとは伝承されていない、有り得ない事なのだ。決してお前のせいではない」

 

 ディムドは牢獄を見上げた。

 

 「エルドアンが闇の灯火(ランプ)の神力を以てテドンを存続させている事も、何か関係しておるのかもしれんな」

 

 マァム=ノーランもおずおずと牢獄を見上げる。

 

 「父様は、わたしの事、怒ってない?」

 「誇る事はあっても、怒る事はない」

 

 父そっくりな祖父の笑顔に、マァム=ノーランの口元も自然と綻ぶ。……と。

 気が付けば、空が白み始めた。同時に周りの風景も歪み、色褪せ始める。

 マァム=ノーランは深紅の瞳を大きく見開く。祖父の身体の輪郭がぼやけ始めた。

 

 「……久方振りの感覚だ。有意義な時間は本当に短いものだな」

 

 孫を撫でていた己の手が霞むのを見て、ディムドは寂しげに笑う。

 

 「……や、いや、……行かないで……!」

 

 薄れゆく姿に、マァム=ノーランは頭をぶんぶんと振り、その胸にすがり付いた。

 

 「また会おうマァム。その時はエルドアンも一緒にな」

 「お、お祖父さ、……っ!」

 

 「愛しておるぞ……マァム……」

 

 ディムドは笑みを浮かべたまま曙光(しょこう)に溶けるように消えた。すがり付いていた手は空を掻き、行き場を失くす。

 

 白々とした光が照らしだすのは、半壊した牢獄と、炭のように焼き焦げた木々が立ち並ぶ黒と灰色と静寂と、色濃い死の世界。

 草一本生えていない焦土の上に、マァム=ノーランは(くずお)れる。黒い土を握るとヒリヒリとした刺激が伝わる。

 あの惨事から十年という時が経過したというのに、今だ瘴気漂う大地に緑が甦る気配がない。

 

 これが───テドンの現実。

 

 

 「………っ、~~~~っっっ、!!!」

 

 泥と瘴気で汚れた両手を顔に持っていこうとして、止められた。

 両手を捕まれたまま、背後から包み込むように抱き込まれる。

 

 「顔や目を痛めるぞ」

 

 優しく嗜めるその声に。熱い程のぬくもりに。

 強張っていた身体の力が抜ける。目が熱く潤み、ひっと喉が鳴った。

 

 この人はどうして、何時も傍にいて欲しいと思った時に、いてくれるのだろう。

 初めは父や祖父と同じ瞳の色に、惹かれた。

 用もなにもないのに、傍に居る事を邪険にせず、感情を表情で表せない自分を、気味悪がらずに。

 上手く話せない自分の言葉を、急かさず聞いてくれたのは、家族以外ではこの人が初めてで。

 

 

 「………タイガ、」

 

 〈あたし〉、ではなく、ありのままの〈わたし〉を、認めて、受け止めて、くれた人。

 

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 

 「───起きろ、アステル、シェリル」

 

 肩を揺すられ、アステルがのろのろと瞼を上げる。肩を掴むスレイを見て一気に覚醒した。

 

 「………これっ、」

 「ん~~っ、なんや、……って、おわっ!?」

 

 アステルとシェリルは朽ちた家の残骸の中で、地べたに転がっていた。

 木で出来た屋根も壁も喪失し、冷たい風が通り抜け、空が覗いていた。残っていたのは役割を失った焼き焦げた支柱と、煤黒い煉瓦積みの暖炉と竈のみ。

 

 「ま、マァムは!?」

 

 アステルは慌てて辺りを見回す。もちろん昨夜あったベッドも失くなっており、マァムの姿もなかった。

 

 「……多分、外だ。タイガの姿も見当たらない」

 

 

 

 中心部に出ると、昨夜見た里の風景の面影はなかった。

 辛うじて残っていたのは石造りの家ぐらい。それすらもほぼ瓦礫同然。木造の家は土台だけ残すのみとなっていた。

 昨夜、女性が覗き込んでいた、月の映り込んでいた池は、腐臭と瘴気漂う毒々しい沼と化していた。

 

 「………酷い」

 

 魔物達の残虐な行為に、アステルは口を手で覆って呻き、シェリルは言葉を失くす。スレイは険しい面持ちで注意深く辺りを見渡した。

 

 (遺骸が、白骨が見当たらないのは、魔物に喰らわれたからなのか……それとも)

 

 里を囲んでいた緑美しい森は焼失しており、枯死した木々が立ち並んでいた。

 奥からタイガとマァムが此方に向かって歩いて来る。

 

 「───タイガ、マァムっ!」

 

 アステル達が駆け寄ると、マァムは頭を傾げた。

 

 「アステルぅ、どぉ~したのぉ~?」

 「どうしたって……大丈夫なの?」

 「何がぁ~?」

 「何がって、昨日倒れたんやろっ! それに……、」

 

 ここがマァムの故郷と触れかけて、シェリルは言葉に詰まる。うが~~っ!と髪を掻き乱した。

 

 「……つまり、みんなマァムの事を心配してたって事だ」

 

 頭をポンッと軽く叩いたタイガをマァムが見上げる。

 マァムは朱色の瞳をしきりに瞬き、それからアステル達に見向いた。

 

 

 「───わたし(・・・)はぁ、大丈夫だよぉ!」

 

 

 雲間に差し込む朝日に照らされながら、マァムは満面の笑みを浮かべた。 

 

 

 






ここで一旦テドン編は終了です。
次はブルーオーブ求めてランシールです。
その前に必要なアイテムがありますが。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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船上での告白

 

 

 

『どんな時でも必ず食事はしっかり取る事』。

 

 それはアステルが母に散々言われ続けた教訓だったが、流石にこの日の朝は、この場で食事をするという気が起こらなかった。

 簡単な携帯食を口に入れて、準備が整うと一行は早々にテドンを発った。

 魔王の配下によって滅ぼされた、賢者の隠里テドン。神鳥ラーミアの魂の欠片を守護する民が住まう地。

 

 ───そして、マァムの故郷。

 

 思いがけない場所でマァムの凄惨な過去を知り、帰りは行き以上に言葉数が少なくなってしまった。

 マァム当人が笑顔だというのに、周りがいつまでも気落ちしたままでは駄目だとアステルは気を取り直して、船に戻ると朝の分まで腕を奮って豪華な昼食を作った。

 船は問題なく河を下り、海へと戻る。

 海は昨日とは打って変わって清々しいまでに晴れ上がっていた。

 

 

 

 

 「タイガ、話がある」

 

 その日の夜。アステル達女組と子供達が床に就き、カンダタは見張り台で見張り中。甲板で日課の鍛練を終え、部屋に戻ったタイガを待っていたのは、ベッドに腰を掛け、腕を組んだスレイだった。

 誤魔化しは許さないとばかりに睨み付けてくるので、タイガは失笑する。

 目付きが更に鋭くなったので「違う、違う。はぐらかすつもりはない」と、笑いながら扉を閉めた。

 

 「だってスレイはもう気づいてるんじゃないか?」

 「………あれだけ名前を出されればな」

 

 向かい側の己のベッドに腰を掛けて、タイガはスレイを見た。

 

 「セファーナはジジイの死んだ娘の名前だ。そして娘婿はテドンで魔族の強襲の際に亡くなっている。……その娘婿がテドンの里長の息子だろう? マァムはジジイの孫娘だ」

 「…………」

 「ジジイがマァムを自分の孫と明かさなかったのは引っ掛かるし、ジジイとテドンの里長の話が食い違っているのが気になるが……」

 

 そこでひたりとスレイはタイガを見据えた。

 

 「それについても、お前は何か知っているんだろ?」

 

 ふと、タイガはちらりと扉に視線を向け、それから肩を竦めた。その仕草にスレイは怪訝そうに眉を(ひそ)める。

 ……と、扉がノックなく静かに開いた。現れたのはマァムだった。寸前までその気配を感じ取れなかった事にも驚いたが、それよりも。

 

 「………? ………マァム、か?」

 

 姿形はマァムその人だったが、雰囲気があまりにも違う。けたたましく騒がしい、癇に障る言動や行動で常に自分を非常に苛つかせるあのマァムが、今は感情を乗せない顔で此方を探るように深紅の瞳で見ていた。

 黙っていれば整ったその容貌のせいで、美しく精巧な人形の様にも見える。

 

 (深紅………?)

 

 マァムの瞳の色は明るい朱色だった筈。それにこの瞳は、長年自分が世話になっていたダーマの大神官ナディルと同じ色。

 マァムは静かに扉を閉め、スレイの視線から逃れるように、スススッと音なく移動してタイガの背後へと回る。警戒する猫のように顔を少しだけ出して、此方を無言で見返してくる。

 

 「彼女もスレイが今夜辺りに探りを入れると思っていたようだ」

 

 タイガは苦笑混じりに、その金髪の上に手をぽんっと置くと、マァム(らしき者)はそれこそ猫のように瞳を細めた。

 あまりに自分の知っているマァム=ヴェルゼムと違う。

 

 「どういう事だ?」

 

 問掛けてくるスレイに、タイガはマァムを見下ろす。彼女は彼に深く頷き返した。

 

 「……実はな────」

 

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 

 「───つまり。今、目の前にいるのが本来のマァム=ノーランという人格で、オレ達がこれまで接してきた方のマァム=ヴェルゼムは、彼女から身体を借りて表面に出ている半覚醒した緑の宝珠(グリーンオーブ)……つまりは神鳥ラーミアの魂の欠片という事か……?」

 

 話を聞き終えたスレイは、反芻(はんすう)するように呟く。

 

 「ああ」

 

 タイガが頷き、彼の背中にぴったりとくっつくマァム=ノーランもスレイの見解に頷く。

 

 「完全な覚醒を果たしていない状態で、自分がマァムでない別の存在だと気付かせるのは自我崩壊の危険があるから、黙っている必要がある……と」

 

 二人は再度頷いた。

 

 ……確かに。一つの魂が六つに分かたれた《欠片》という不安定な存在なのだ。些細な事で砕ける危険があっても不思議ではない。

 スレイは米神に指を当て、目蓋を閉じる。

 内に在る《悟りの書》でラーミアについて深く調べようとしたが、創世記以前にまで遡ると強い頭痛に襲われ、顔を顰める。その智識を覗くのは、今のスレイには負担が大き過ぎるらしい。早々に諦めて再び二人に見向いた。

 

 「思ってたより、冷静なんだな」

 

 意外そうに言うタイガに、スレイは眉間に皺を寄せる。

 

 「……正直、そこのマァムを見てなきゃ実感湧かない話だけどな。……アステル達には話さないのか?」

 

 その言葉に後ろのマァム=ノーランが激しく首を横に振った。

 

 「アステルとシェリルはもう一人のマァムと付き合いが古い。それこそ無駄に混乱させるだけだし、あの二人が事実を知って、それに知らん振りするなんて無理だろう。

 なにより三人の今の関係が壊れる事を彼女は望んでいない」

 

 タイガの言葉を肯定するように、マァム=ノーランは強く頭を上下に振った。

 そんな彼女の一連の動きを見て、スレイはタイガが慎重深く行動していた理由がよくわかった。ラーミアの欠片の件がなくとも、彼女自身があまりにも幼く、どこか危うい。

 

 (───あんな過去を背負ってるんだ。精神退行していたとしてもおかしくはないが)

 

 「……ずっと傍にいたアステル達が気付かず、ぽっと出のタイガがジジイの孫娘の存在に気付くとはな」

 

 

 『………貴女は、誰なの?』

 

 

 本当にそうだといいんだが。と、タイガはあの時漏らしたアステルの言葉を思い出す。

 彼女は驚くほど勘がいい。根拠を見出だす力がある。

 何かに気付いている気がするが、あちらは何も言ってこないしし、こちらも説明出来ない以上、現状見て見ぬ振りをするしかない。

 

 「……彼女は細心の注意を払ってアステル達を見守っていたからな。俺がマァム=ノーランに会ったのは偶然だ。きっかけがなかったら、今もこうしていたかどうか」

 

 そう言って、タイガは目を細めてマァム=ノーランを見下ろす。これまで見せてきたどの笑顔でもない、裏表のない笑みにスレイは目を丸くした。

 

 「けど、偶然でも出会えて良かったと思ってる」

 

 (……でなければあの時、再び(ひと)りになってしまった彼女を、支える事すら叶わなかった)

 

 死んだ森で独り、声なき声で泣いていた彼女を。

 

 タイガの表情を窺いつつ、スレイは目の前のマァム=ノーランに視線を遣る。目が合うと彼女はまた、スススッとタイガの背中に隠れてしまった。

 

 「……しかし、本当に喋らないな?」

 

 普段ピーチクパーチクと鳥のように(さえ)ずる分、その違いに戸惑わずにはいられない。

 

 ………いや、奴の本性は鳥だったのだ。

 

 「喋れない訳じゃないんだが、少々人見知りで口下手なんだ。許してやってくれ」

 

 別に怒っていたわけではないが、タイガの擁護する言葉に、スレイは軽く溜め息を溢す。

 

 「………取り敢えず、事情は理解した。そういう事なら、オレの方からはこの件に関しては口を出さない。里長の言う通り《青の宝珠(ブルーオーブ)》が目覚めれば、何かしら変化は起こる筈だからな」

 

 そう言ってスレイは傍らに立て掛けていた杖を手に立ち上がる。

 

 「どこに行くんだ?」

 

 首を傾げるタイガとマァム=ノーランに、スレイは半眼でぼそりと呟いた。

 

 「………馬に蹴られたくない」

 「は?」

 「カンダタも暇してるだろうから、鍛練に付き合ってもらう。……お前さんもゆっくりしてろ」

 

 お前さんとはマァム=ノーランを指しているのだろう。ドアノブに手を掛けて、不意にスレイはタイガに振り返る。

 

 「……あんたって案外、表情豊かだったんだな」

 

 そう含み笑いを浮かべて、部屋を出て行った。一瞬ぽかんとして、それからタイガはマァム=ノーランを見下ろす。

 

 「………俺の顔、どこか変だったか?」

 

 深刻な顔でそう確認するが、マァム=ノーランは不思議そうに首を傾げただけだった。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 

 イシスやネクロゴンドが在る南大陸を二十五日かけて抜けると、外海を東に進路を変え船は進む。

 ダーマと並ぶ聖地と名高きランシールの港へと辿り着いたのは、年が明けて三日後の事だった。

 

 「じゃあ、俺らはドックで船の整備してっから!」

 「はい! 終わったら宿屋に来て下さいね!」

 

 船縁からカンダタと双子達に見送られ、アステル達は船を降りた。

 照り付ける太陽を眩しげに、タイガは手で庇を作りながら苦笑う。

 

 「アリアハンでもそうだったが、新年が暑いってのは中々新鮮だよなぁ」

 「タイガの故郷は今頃は寒いの?」

 

 真夏が新年であるのが当たり前なアステルは、小首を傾げる。

 

 「ああ。俺の故郷じゃ今頃が冬だ。雪も積もってるかもしれん」

 「ポルトガはそれ程寒くはないけど、今頃は雨季やな」

 「…………無駄話は屋根のある所でやってくれ」

 

 機嫌悪げにそう言うのはスレイ。皆、通気性が良く涼しい《みかわしの服》を着ているものの、スレイの纏う黒は太陽の光を取り込み易いので、一人白の日除けの頭巾(フード)付き外套(マント)を羽織っている。暑いのが苦手な彼は、とにかく涼しい屋内へ避難したいらしい。

 アステル達を置いてく勢いで、迷いなく町へと向かう。そんな彼を慌てて追う。

 

 「待って待って! スレイ、道わかるの?」

 「………前に言ったろ。来た事あるって」

 

 「あ」

 

 うっかりしていた。

 ここランシールはスレイが過去に因縁をつけられ、危険な目にあった場所だった。

 青の宝珠(ブルーオーブ)の件で頭がいっぱいになっていたのもあるし、スレイがあまりにも気にした様子がなかったのでアステルはすっかり忘れていた。

 

 「あの、……」

 「ん?」

 

 遠慮がちに外套を引っ張るアステルに、スレイは眉間を寄せつつ見下ろす。

 

 「その、今さら……だけど、大丈夫?」

 

 その言葉にスレイは目を見開き、それから軽く吹き出した。

 

 「本当に、今更だな」

 「うっ、………ごめんなさい」

 

 くつくつと笑うスレイに、アステルは恥ずかしさに俯いた。

 

 「過ぎた事だ、気にするな。………それに」

 

 (ああいうのも《怪我の功名》って、いうのか?)

 

 ───そのおかげで出逢えた。

 

 

 「………それに?」

 

 見上げてくるアステルに答えず、癖のある黒髪をわしわしと掻き撫でた。……と。

 

 「どっせぇ~~いっ!!」

 

 マァムが突然スレイの背後から体当たりをかまして来た。転けはしなかったものの、油断と暑さも相まって膝が砕けた。

 

 「スレイっ!?」

 「触りすぎぃ! こんのぉ、むっつりスケベぇ~!!」

 

 マァムはアステルの腕に抱き付いて、スレイから遠ざける。

 

 「………………っ、」

 

 スレイは、右手に凍気を纏わせてゆらりと立ち上がる。それをタイガが素早く掴む。

 

 「ヒャ「……あー、落ち着けスレイ。魔法はやめろ。魔法は」

 「………離せ。これは頭を冷やす為だ」

 「本当か?」

 

 「もうぅ! アステルってば、無用心んんっ! スレイはぁ、人の顔したケダモノなんだからねぇ? カぁッコつけてて頭ん中じゃアステルにあ~んな事やこ~んな事をしてんだからねぇ!」

 

 「あんな事こんな事?」

 

 此方まで聞こえる大声で耳打ちの呈をするマァムに、アステルは小首を傾げる。

 

 「ヒャダル「待て待て待て。それはアステルにも当たるぞ」

 「……アステルには当てない」

 

 掴まれてる逆の手で杖を振り翳す。タイガはその手も素早く掴み上げた。

 

 「貴様は人の顔を借りた鳥だろうが」と、切れんばかりの鋭い目付きと冷たい声で呟くので、タイガは口の端をひくつかせた。

 最近わかった事なのだが、マァム=ノーランは特にスレイの事を悪くは思っていないらしい。こんな態度を取るのは、あくまで神鳥の欠片であるマァム=ヴェルゼムの人格の方なのだ。

 

 「スレイ、すっかりライバル視されとんなぁ。ウチも一時、同じような目におうとったわ」

 

 やれやれとばかりに溜め息を吐くシェリルに「そうなのか?」と、タイガは意外そうに声を上げた。三人あんなに仲が良いのに。

 

 「アステル達と出会って間もない頃は特にな。少し前もアステルがウチに構い過ぎっと、ようマァムが割って入ってきてな。妬いてしょっちゅうからかったりして、ケンカ売ってきたで。

 今は矛先が殆どスレイに向かっとるから、ウチは大助かりしとるけどな」

 

 「おい」

 

 スレイが物言いたげな目で睨むので、シェリルはニシシと嗤い、人指し指を彼に突きつける。

 

 「一番ええ方法は、アステルとある程度距離おく事やな。接触が減ったらマァムもちょっかい出さんやろ」

 

 「…………」

 

 そこでスレイは黙り込み、それからむすっとして、両腕を掴むタイガの手を振り解いた。

 

 「なんでオレがアイツの気分に合わせて行動しなきゃならない」

 

 と、前を歩くアステルとマァムを追うように歩き出す。タイガとシェリルは顔を見合わせ、吹き出した。

 

 

 

 






嫌がらせされても、離れるつもりはないと。むしろ受けて立つと(苦笑)

今回はマァム=ノーラン自白の回でした。サブタイトル悩みました。悩んだ結果がまんまだという(涙)
季節気候云々に関してはドラクエwikiを軽く参考にしています。アリアハンのモデルはアトランティス大陸という事で、近いランシールと大体同じ季節としています。
突っ込みどころ満載かと思いますが、ファンタジーって事で軽く流して頂ければ幸いです_(..)_

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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奇妙な伝承者

 

 

 

 誰がそう語り伝えたのかは定かではない。『世界の中心』と呼ばれた聖地ランシールには古の時代に建てられた神殿があった。証を持った選ばれし者だけが、中へ入る事が出来るという。

 

 海上からも見えた赤みを帯びた巨大な岩山は、この大陸の中央を取り囲むように連なっているらしい。その山の麓に位置する場所にあるランシールはアステルが思っていた以上に小さく静かな村だった。

 大きな神殿を構えた村なら年明けの祭事などで賑やかになるものだが、特に催し物などもしてもいない。

 スレイの話ではこの岩山は朝、昼、晩と天候や時間帯によって色を変えるという。雄大で美しいその景色を観る為に、以前は神殿参拝者だけでなく、観光客も多かったらしいが。

 村に一つしかない食事処を兼ねた宿屋で一行は部屋を確保し、ついでに昼食も頼んだ。

 

 「海の魔物が増えるわ強くなるわで、定期船が少なくなって、参拝客もめっきり減ってしまったんだよ」

 

 そう言いながら宿屋の女将はアステル達のテーブルにてきぱきと大皿に盛られた料理を並べていく。

 白身魚と薄く切ったじゃが芋を油で揚げたものや、海で釣ったマスや羊肉の焼き料理。それらに添えられた蒸かし芋を潰した料理。デザートはラミントンと呼ばれる、チョコレートというソースのかかったとても甘いケーキ。

 久し振りの上陸、新年という事で奮発した。どの料理も珍しく、食欲をそそる芳しい薫りを放っていた。

 

 「ここに食べにくるのも、村のもんばっかだったからね。久し振りの外からのお客さんだ。料理しがいあるってもんさ。ランシール名物料理をしっかり味わっておくれ」

 

 タイガとマァムが瞳を輝かせて、まずは骨付き羊肉を取ってかぶりつく。アステルは揚げた魚を口に運ぶとさくっとした衣と、ふわっとした白身の歯応えに瞳を見開いた。

 

 「久し振りの肉は旨いなぁ!」

 「うまかぁ~~っ!!」

 「さくさく……! おいし……!」

 「この揚げ料理、酒に合うわぁ」

 

 頬に手を当ててもぐもぐとするアステルの隣では、昼間だがシェリルが麦酒の入ったジョッキを傾けていた。各々料理に手を伸ばし、舌鼓を打つ様子に、女将は腰に手を当て満足げに笑みを深めた。

 出された料理を残さず平らげたアステル達は、カンダタ達の分の料理の作り置きを女将に頼んでおいて、村の散策に宿屋を出た。

 

 

 向かいにある武具屋に倒した魔物の宝石を売りに中を覗くと、シェリルが「おっ!」と声を上げた。

 

 「〈魔法の鎧〉があるやん」

 

 彼女が目をつけたのは、カウンター近くに飾られた神秘的な青銀に輝く鎧だった。久々の客に店主は、人懐っこい笑みを浮かべながら擦り寄ってくる。

 

 「これはこれは! お嬢さんお目が高いねぇ! こいつは魔法の鉱石ミスリル銀で出来ててね。軽い、丈夫、その上攻撃呪文からも守ってくれる鎧だよ! ……そうだな。そこの剣士のお嬢さんと魔導士の兄さんにいかがかな?」

 

 「え? 私達?」

 

 アステルとスレイが呼ばれて振り返る。

 

 「試しに持ってみるといい」

 

 店員は鎧の上部分だけアステルに手渡す。構えて持ってみたが、装甲は厚めなのにも関わらず、見た目以上にずっと軽かった。

 

 「わ、ホントだ。凄く軽い」

 「だろう? 見たところ二人とも、鎧とか苦手そうな感じだか、こいつはそんな前衛戦士にぴったりの鎧なんだ! 兄さんもその革の鎧、だいぶ年期が入ってるんじゃないか? ここらの海の魔物の攻撃によくそれでやってこれたよ。

 けど、そろそろ買い換えた方がいいと思うぞ」

 

 指摘されてスレイは暫し考え、顔を上げた。

 

 「………肩当てと腰当てはいらない。極力装飾を外して、籠手一つと脛当、胸当てを貰う事は出来るか?」

 「出来るっちゃ出来るが、その分本来備わった守備力より劣る事になるよ?」

 「構わない。アステルはどうする?」

 「え、えっと……私は」

 

 アステルはわてわてとシェリルを見た。シェリルは共同財布を掲げて笑う。

 

 「必要経費や。暫く武具新調しとらんし、アステルもそろそろ鎧くらい着慣れんとな」

 「じゃあ、……私はこのままで調整をお願いします」

 「下には鎖帷子を着込むかい?」

 「二人の着てる服は〈みかわしの服〉の素材なんや。この上に鎧が装備出来るようにしてやってくれへんか?」

 「〈みかわし〉か。そりゃ鎖帷子より上等だな。じゃあ、お二人はこっちで試着してみてくれるか? サイズ調整するから」

 

 早々に試着室に連れてかれるアステルとスレイに、シェリルは店主の絶対に買わせるという固い意志を感じて薄ら笑う。

 

 「タイガとマァムはなんか欲しいもんあったか?」

 「んん~~っ、コレェ!」

 

 と、指差したのは魔法の鎧。シェリルは苦笑しながら「それは無理」と、すっぱり却下する。

 

 「ええぇ~~~っ!」

 「マァムに装備出来ひんから」

 「むぅぅぅぅ!」

 「……タイガはなんかあったかぁ?」

 

 アステルとスレイが(そういうつもりではないのだが)お揃いなのが、気に食わないのだろう。膨れっ面のマァムから逃げるように、シェリルは棚にある商品ををまじまじと眺めるタイガに声を掛けた。

 

 「ああ。これなんだが……」

 

 タイガは五つの突起の付いた鋼鉄製の手甲のようなものを、手に取って彼女に見せる。武闘家の武器らしき事はわかるが、使い方がわからないらしい。

 

 「ん? ああ、〈パワーナックル〉やないか。こうやって四つ穴に指通して手に嵌めて殴るんや。鉄の爪と違うのは斬るより、突くに特化しとるとこかな。

 鋼鉄製な分、威力と耐久性は鉄の爪より上やで。あと鉄の爪よりも持ち運びやすくて、手早く装着出来るんも利点やな」

 「確かに楽だな」

 「タイガの鉄の爪もそろそろ寿命やろ。これを機に買い換えん?」

 

 シェリルはタイガの腰に下げる鉄の爪を見ながら言う。手入れは怠っていないものの、海での戦で刃にも限界がきていた。

 

 「そうだなぁ。じゃあ、これも頼めるか?」

 

 

 購入した武具の調整も終え、買い物を終えた一行が武具店を出ると、隣の道具屋の呼び子をしていた女性が此方をじっと見ていた。

 売り子が笑顔を浮かべたので、アステルもなんとなく会釈すると、売り子は笑顔のまま猛牛の如く走り寄って来た。

 

 「そこ行くお兄さんお姉さんがた! ランシール名物〈消え去り草〉はいかが? 一包み三百ゴールドとお買い得よ!」

 

 「え? 消え去り……?」

 

 その迫力に思わず後ずさるアステル。しかし売り子の女性は退いた分だけ寄ってきた。

 

 「あら、ご存知でない?」

 

 女性は下げていた藤籠に手を突っ込んで、麻布に包まれたそれを取り出した。ギザギザの葉に、根っこが二股状から根先の方でまた一つになっているという、見た目も珍しい草だ。

 

 「消え去り草はあなたの姿を見えなくしちゃう、不思議な草よ。このランシールでしか買えない貴重な草なのよぉ?」

 「消え去り草は貴重っちゃ貴重やけど、使いどころがわからん草やな」

 「持続効果もあまりないし、何より三百ゴールドは高い」

 

 シェリルが首を捻り、スレイもぼそりと付け足す。

 

 「どうやって使うの?」と、アステル。

 

 「乾燥させて、すり鉢で粉末状にしたのを身体に振りかけるんや」

 

 「ふ~ん」と、アステルは消え去り草に視線を戻すと、おもむろに腰ポーチから自分用の財布を取り出した。

 

 「それ一つください」

 「まいどぉ~っ!」

 「買うんか!?」

 「うん。何かの役に立つかもしれないし。私のお小遣いから買うから、許して、ね?」

 

 三百ゴールドを手渡し、消え去り草を受け取る。無駄遣いしてと言いたげな顔をするシェリルに、アステルは笑顔で「袋に入れといて」と、シェリルに手渡した。

 その後、売り子が「サービスするから!」と引っ張った彼女の実家の道具屋で旅の必須消耗品の買い物を終え(本当にサービスしてくれた)、食料品を買い込み、飲料水と一緒に船まで運んで貰うよう手配する。一通りの買い物を済ませたアステル達は、お目当ての神殿へと足を運んだ。

 

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 

 神殿は村の外れ、ヘタをすれば見落としかねない林の奥の奥にひっそりと佇んでいた。人気のない静寂に包まれた神殿は、ダーマの神殿程ではないにしても、広大で村の敷地半分以上を占めていた。

 白大理石を同じ大きさで切り、積み重ねて建てられた神殿の入り口は左右中央とあったが、どれも固く閉ざされ、開く事は叶わない。

 ダメ元で盗賊の鍵、魔法の鍵を使ってみたりしたが、やはり開かなかった。

 

 「やっぱり証? が、必要なのかな?」

 「その証が何なのか、検討もつかないが……」

 

 眉を八の字にして鍵を仕舞うアステルに、スレイは米神に指を当てて目蓋を閉じ《悟りの書》の智識を覗く。

 

 「〈最後の鍵〉………」

 

 目蓋を上げたスレイがぽつりと言う。

 

 「え?」

 「この世のありとあらゆる扉を開くという〈マネマネ金〉という金属で造られた鍵だ。……それがあれば」

 

 『そうだよ。さすが賢者! その鍵がなきゃ、〈大地のへそ〉への扉を開かない』

 

 アステル達は互いの顔を見合せた。誰の声だ?

 

 『こっちだよ。こっち。下向いてよ』

 

 子供のような高く可愛らしい声に釣られ、皆一斉に足元に目線を遣ると、その者はぷるぷると半透明な青い雫型の身体を揺らして、円らな瞳で此方を見上げていた。

 

 『………やあ!』

 

 故郷アリアハン以来、ご無沙汰していた魔物のスライム……の、手のひらサイズ。

 

 「スライムがなんでここに!?」

 「しかも喋ったっ!」

 「きゃはっ!!!」

 

 アステルが驚き声を上げ、シェリルは武器を握るが、マァムは瞳を輝かせてそのスライムを持ち上げた。

 

 「かぁ~~わいぃ~~~っ!!!」

 

 そう言って頬擦りするマァムに、スライムもデレ~っとしてその愛撫を甘んじて受けている。

 

 「ちょ、マァムっ! やめとき!」

 「いや、大丈夫だ。このスライムからは悪い気を感じない」

 「ああ」

 

 慌ててスライムを払い落とそうとするシェリルの手をタイガが遮り、スレイも同意する。

 

 「そもそも魔物ならこの聖域にはいられない………こいつは魔王の魔力に操られていない、原始のスライムだ」

 「原始のスライム……?」

 

 『その通り!』

 

 スライムはマァムの手から離れ、ぽよんと地面に降り立ち、前面を少し膨らませている。……胸を張ってるのだろうか。

 

 『ボクはスラりん。君達が生まれる、ずうっと、ずうっと、ずぅ~~っと前に神様からお役目を授かって、ここにいるスライムなのさっ! そんじょそこらのスライムと一緒にしてもらっちゃあ、困るなっ!』

 「ごめんなさい」

 『わかればよろしっ!』

 

 アステルはスラりんの前にしゃがみこんで、素直に頭を下げると彼(?)はドヤ顔で許してくれた。

 スライムといえば無機質な笑みを浮かべて人を襲う。それが不気味だったのだが、このスライムは表情豊かに物を言う。

 

 (………かわいい、かも)

 

 アステルは頬を染めて、おずおずとスラりんに尋ねる。

 

 「あの、持ち上げてもいい?」

 『いいよ! 君達大きくて話辛いしね! かわいい女の子の手の中なら大歓迎さっ!』

 

 ぴょんっとアステルの手の平に乗り、ぷるんとゼリー状の身体を震わせて此方を見上げる。

 

 (………やっぱりかわいい)

 

 思わずマァムと同じように頬擦りする。

 

 (………かわいいし、冷たくて気持ちいい)

 

 一方のスラりんもアステルの暖かい柔肌に触れてデレ~っとしてる。と。

 

 「アステル」

 

 スレイに声低く名を呼ばれて、ハッと我に返った。

 

 「ご、ごめんなさい! ……つい」

 『いいよ! ってか、もっとしてもいいよ!』

 「調子に乗るな」

 

 スレイがアステルの手の平に乗るスラりんの額辺りを中指で弾くと、ぷよんと変形する。スラりんはへこんだ額をぐぐっと元に戻すと、ちぇっちぇっ! と舌打ちした。

 

 『今回の賢者は心が狭いなぁ』

 「仕事しろ。《伝承者》」

 「「えっっっ!!?」」

 「あなたが伝承者……さん?」

 

 『そうだよ。はじめまして《天の愛し子》ちゃん』

 

 驚くアステルに、スラりんはにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 

 『ここの神殿は〈地球のへそ〉って呼ばれる試練の洞窟に繋がっているの。

 青の宝珠(ブルーオーブ)はそこに眠っているんだけど、入る為には、そこの賢者が言った最後の鍵が必要なんだ。……ってな、わけで。キミ達は消え去り草を持ってるかな? この村の道具屋さんに売ってるから「もう買ってあるけど……」

 

 その言葉にスラりんは『わおっ!』と、嬉しそうにぴょんっと跳ねた。

 

 『さっすが《天の愛し子》! 導かれてるねぇ!』

 

 (またその言葉……)

 

 《天の愛し子》。度々、自分に向かって投げられる言葉。

 

 (一体何なんだろう?)

 

 

 「ここで使うの?」

 『ダメダメ! 違う違う! ここじゃなくてね、エジンベアってお城で使うの。ボクにはよくわかんないけど、絶対必要になるらしいから! ちゃんと使えるようにして、持って行くのを忘れずにね!』

 

 「エジンベア?」

 

 その名前が出た途端、何故かシェリルとスレイが嫌悪感(あらわ)に顔を顰めたので、タイガは頭を傾げた。

 しかし、スラりんの話は続く。

 

 『そこにはね。最後の鍵が隠された祠の封印を解く力のある《渇きの壺》があるの。昔、ある一族が大事にしていた神様の宝物だったんだけど、その国の人達が奪っちゃったんだって。

 それを手に入れたら、今度はエジンベアから海を西に渡った大陸、ジャングル……蒸し暑い大きな森の事ね。と、たくさんの川が流れる場所に、渇きの壺の持ち主の村があるから、後はそこにいる《伝承者》に使い方とか聞くといいよ!』

 

 「うん、わかった」

 

 アステルが頷くと、スラりんは満足げに身体を震わせる。

 

 「あ……っ!」

 

 アステルの手の中のスラりんの身体が淡く輝き、薄れていく。

 

 「スラりん!?」

 

 慌てるアステルに、スラりんは大丈夫、大丈夫!と笑った。

 

 『試練が終わったから、次の試練に移るだけ。

  ボク達スライム族はねぇ、純粋で弱い生き物なんだ。だから今の時代のように魔王様のような邪悪な魔力を受けたら、すぐ充てられてしまう。

 けどスライム族は可能性をたくさん秘めていて、神様からも期待されてる種族でもあるんだよ?

 ほら、ボク達ってその環境によって色んな容に変化進化して存在してるでしょ?

 例えば海に、例えば山に、毒の濃い地に。魔法に特化したり、防御に特化したりしてね?』

 

 「あー……確かに」

 

 シェリルの頭に浮かぶのはバブルスライムやホイミスライム、最近では海に現れたマリンスライム。しびれくらげは見た目はホイミスライムの色違いだが、奴もスライム族なのだろうか。

 

 

 『けど、ボクはもっと別の存在になりたいって願ったんだ。そしたら神様が与える試練を乗り越えたら、叶えてくれるって』

 「試練……?」

 『今回の試練は《神の翼を甦らせる者》を神の遺産へと導く事。その為にボクは二百年もここでキミ達が来るのを待ってたの』

 「にひゃく……!?」

 『スライムってね。案外長生きなんだよね。二十年前に魔王様の波動を感じた時は、さすがにマズイってヒヤヒヤしたけど、この聖域に籠ってたら、なんとか自我を保てたよ!』

 

 スラりんはえっへんとお腹の部分を膨らます。

 

 『今回やっと試練が果たされたから、神様がボクを次の試練の世界に連れてくだけ。だから心配しないで!』

 

 アステルは薄れゆくスラりんの頭を、優しく撫でた。

 

 「今まで待たせてごめんなさい。ありがとう。スラりん」

 『ううん。ボクが神様に願って受けた試練だから、平気だよ!」

 「あなたは何になりたいの?」

 

 『───人間っ!』

 

 アステルは瞳を大きく見開いた。

 

 『スライムも素敵だけど、ボクは人間になりたいの! まだまだ試練は続くけど、願い続けたら夢は叶うって、ある人に言われたから、がんばるっ!』

 

 「私もそう思うよ。頑張ってね、スラりん」

 『うん! ありがとっ!』

 

 微笑むアステルに、スラりんもにっこりと笑った。

 

 『やっぱり、キミはオルテガに似てるね』

 

 「え? スラりん……」

 

 

 オルテガを知っているのと、アステルが尋ねるその前に、スラりんは光の泡となって天に昇った。

 

 

 

 ───人となる為の次なる試練を受ける為に。

 

 

 

 

 







手の平サイズのスラりん、想像したらかわいくて、旅のメンバーに入れるか本気で悩んでました。

ランシールのスライムがヒントをくれる理由を考えてたらこんな設定に。スライムが長寿なのはオリジナル設定です。でも長生きできそう。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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キャラクター紹介⑤

ダーマ~航海までのキャラクタープロフィールです


 

 

《ダーマ》

 

ナンナ (70代くらい)

名前と宿運を司る命名神マリナンに遣える巫女姫。とても小柄な老婆で、虹色に輝く空色のリボンが幾重にも重なり飾る薄紫のフード付きローブを纏い、手には命名神の持つ神器、羽根ペンと歯車を融合したような意匠の杖をもっている。瞳の色は銀灰色。フードで隠れた髪は白髪混じりの金髪で、二つに分けて縛っている。雰囲気は巫女というよりも童話に出てくる年老いた魔女。冷たく無愛想ややきつめな口調だが、その実、傷付いた者、道に迷う者に手を差しのべるなど懐が深い。ツンデレか?

スレイを小馬鹿にしてからかう事が多いが、彼の事を孫のように心配し大切に想っている。大神官ナディルとは腐れ縁。

 

ナディル=ウル=ノーラン (70代くらい)

全能神を奉るダーマの神殿の頂点に立つ大神官であり、頭脳明晰な古の賢者の血筋を継ぐ。マァムにとっては母方の祖父。

グリーンオーブを守護する守り人の一族。 

普段の恰好は紫紺の法衣、黄金に輝く額冠を被り、全能神の象徴である十字の黄金杖を持ち歩いている。

背が高く、動きが老人とは思えないくらい身軽。坊主頭だが眉毛と髭は白く長く目元口元が隠れてる。瞳の色は紅髄石(カーネリアン)。飄々としていて、少しやんちゃなおじいちゃん。ナンナとは若い頃からの付き合い。 

 

ハクロウ (50代くらい) 

武の道を極めんと生涯を捧げる鉄人武闘家。タイガの武道の師匠で、今回はシェリルに《気功術》を伝授した。

タイガと揃いの緑色の武闘着を纏っているが、これはタイガが尊敬する師を真似て用意した。

細く小柄な体格でありながらも、放たれる気迫は徘徊する殺気漲らせる魔物さえ怯え避ける程のもの。ここ数十年はガルナの塔に籠りひたすら瞑想に耽っている。

言動が厳しく人嫌いな風に見せるが、才能ある若人を放っておかない辺り面倒見は良い。

 

命名神マリナン………名前と宿運を司る神。全能神の従属神。人生の再生を望む者に祝福を与える。命名神の前で過去の名を捨て、新たな名を名乗り、それを赦された者は過去の名の柵に捕らわれず、新たな道を歩む事が出来るといわれている。

 

ダーマの神殿………全能神を奉る神殿。ダーマとはこの世界に『法』の教えを広めた賢者の名前。

 

 

《航海》 

 

カンダタ (27歳)

仮の名はカーダ。スレイの兄弟子で大盗賊団の頭として名を馳せたが、名目上盗賊は引退、カンダタ盗賊団は解散した。覆面マントビキニ姿という奇抜な格好は止め、現在は素顔を晒して普通の格好でアステル達の船の航海士となっている。

カンダタの育ての親が盗賊でありながら、造船技師であり、船乗りであった為、その技術はちゃんと受け継いでいる。

エルフとの混血で緑髪緑目の美丈夫。エルフのように魔法が得意ではないが、その代わり、力と体力が人並み以上に抜きん出ており、霊力と呼ばれる特殊な感応能力がある。

 

トエル (10歳前後)

カンダタが拾った双子の少年。黒髪に藍玉(アクアマリン)色の瞳をしている。褐色の肌に体格はこの歳の子供と比べて細身に小柄。しかし巨大な斧を振るう力を持ちながら、魔法使いの覚える呪文も扱える。

無口無表情、機微に疎いが、甘いお菓子が好きだったり、カンダタを親か兄のように慕うその姿は年相応。彼を支えようと、一つでも多く船の仕事を覚えようとするがんばりやさん。

 

ノエル (10歳前後)

トエルと双子の少年。白髪に紫水晶(アメジスト)色の瞳をしている。それ以外はトエルとそっくり。どちらが兄、弟かはわからないし、決めるつもりも本人らにはない。前線を戦うトエルを支援する後衛タイプ。その分トエルに比べ、状況把握に長けており抜け目がない。僧侶系の魔法が得意。トエルと同じように、無口無表情だが、褒められると照れる所や、怖い事(魔物や戦う事は平気だが、経験した事のない未知の事態は基本怖い。トエルも同様)が起こるとカンダタにしがみつく、子供らしさはちゃんとある。

 

 



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七章 エジンベア
エジンベアへ


 

 

 神殿を後にし、宿屋へと戻った頃にはとっぷりと陽は暮れていた。

 食堂に向かうとカンダタと双子が食事の真っ最中で、アステル達も隣のテーブルに腰を下ろして夕飯を注文する。

 彼等が食べている食事内容を見て、アステルは眉を顰める。それは彼女が昼食用に頼んでいたメニューだった。

 

 「もしかしてお昼抜きで船の整備してたんですか?」

 「おう。整備に手間取っちまってな。終わる頃に嬢ちゃん達が頼んでいた食料や水も届いたから、ついでに積み込んでた。

 ……ああ、そんな顔すんな。別に昼飯抜きだったわけじゃねぇから」

 「船に残ってた取り置きの食材と水でお昼作った」

 「作ってみんなで食べた。節約」

 

 口をもぐもぐさせながらトエルとノエルが交互に言う。

 

 「それよか、そっちはなにか収穫はあったのか?」 

 

 

* * * 

 

 

 「───次の目的地はエジンベアか。そりゃまた厄介な所に……」

 

 伝承者スラりん、最後の鍵、渇きの壺の事を話すと、カンダタは渋い顔をして、手にある骨付き羊肉に齧り付いた。

 

 「スレイもシェリルもあまりいい顔してないけど、そんなに厄介な国なの?」

 

 アステルはちらりと彼等を見ると、露骨に苦い表情を浮かべていた。

 

 「厄介な国だな。あの国は王侯貴族はもちろんの事、国民も気位が馬鹿みたいに高くてな。とにかく他国民をやたら見下す。あの国に行って、良い思いをした奴なんていないと思うぞ」

 

 スレイの言葉に、カンダタとシェリルもうんうんと頷く。

 

 「あとな。王様達の紹介状で寄港は出来るかもしれんけど、入国はすんなりいかんと思うで」

 「えっ!? 四か国の王様の紹介状だよっ!?」

 

 ───アリアハン、ロマリア、イシス、そしてポルトガ。揃いも揃った主要国の紹介状が通用しないのか。

 驚愕の声を上げるアステルに、「そんなんあの国には関係ないねん」とシェリルは片手をパタパタ振り、渋い顔で語る。

 

 「前に城の兵士用にウチの店に武具を注文した癖に、届けにいったら門前払いしよってな。十日間かけて書類のやり取りして、やっと入れた思うたら開口一番に『約束の期日も守れんのか。これだから田舎者は』や! ふざけんなっ!!

 入国の許可が降りる間、こっちはずっと港につけた船ん中で過ごしたんやでっ!

 しかもっ! 滞在中に帰りの分の食料も使ってもうたから、物価の高いあそこで補充するしかなかったんやっ!」

 

 当時の屈辱と怒りをまざまざと思い出したシェリルは、ぐいっと麦酒を仰って、ドンっ! とジョッキをテーブルに下ろす。

 

 「……天下のマクバーンだから十日間の待機で入国出来たようなもんだ。勇者御一行だからって理由じゃ、ひと月かけても入れるかどうかわかんねぇぞ?」

 

 付け加えられたカンダタの言葉にアステルは眉を顰め、それからハッとする。

 

 「………まさか、その為の《消え去り草》?」

 

 スレイも頷く。

 

 「そのまさかだろうな。いざとなったら使えって事だろう」

 「や、それは、ちょっとまずいんじゃ……」

 「忘れたのか。あのスライムは神の遣いだ。これは所謂(いわゆる)《神の思し召し》だ。気にするな」

 「ええ~~……」

 

 さも当然のように言い捨てるスレイに、アステルは口の端を引くつかせる。

 

 「……それよりも。ここからエジンベアまでの行程だが、一つ試してみたい事があるんだ」

 

 

* * * * * *

 

 

 翌日。太陽が照りつける晴れた真夏の空の下、ランシールの港からある程度離れた海上にアステル達の船は浮かんでいた。

 帆柱(マスト)に触れるアステルと彼女の手を握るスレイ、スレイはノエルを手を握っている。カンダタは舵を握り、その他は甲板で三人を囲むようにして見守っている。

 

 スレイが試みたい事。それは瞬間移動呪文(ルーラ)で船ごと目的地へ飛ぶ事だった。

 

 「ルーラは連れていく人数が多く、物体が大きくなればなる程、理力を消耗する。

 その理力はオレが賄うから、アステルは船ごと皆を連れていくつもりで、ルーラを唱えろ」

 

 「……うまく出来るかな」

 

 理屈は解るが、自分に人を乗せた大きな船を持ち上げられるのか。

 不安げにそう漏らして項垂れるアステル。

 スレイは一旦手を離すと、彼女の頭を掻き撫でて上を向かせた。

 

 「結界呪文(トヘロス)を船全体に展開出来ただろ? あの感覚を思い出せ。お前は魔力も技術もちゃんと成長している。自信を持て」

 

 手付きは乱暴ながらも、こちらを見下ろすスレイの眼差しはまっすぐで、言い聞かせる低い声は強く心に響く。

 

 「……うん!」

 

 今度は力強く応えるアステルに、スレイは口の端を持ち上げた。

 アステルは心地よい胸の高鳴りを感じながら、スレイから帆柱へと視線を移す。

 我ながら単純だとアステルも思わずにはいられなかったが、彼が傍にいると心強くて安心する。大丈夫だと言われれば、なんでも出来る気がするから不思議だ。

 

 「ノエル。お前はあくまでも保険だ。理力が足りなくなったら、悪いが分けて貰うぞ?」

 

 供給相手は理力が豊富なマァムでも良かったのだが、彼女とは上手く連携出来ない気がしたスレイは、魔法を扱える双子の僅かではあるがトエルより理力の容量が多いノエルに頼んだ。見下ろすスレイに、ノエルは繋いだ手を握り返して頷く。

 ………ちなみに。そのマァムはというと、先程の二人のやり取りの間に割り込もうとしたが、シェリルが羽交い締めしてそれを阻止していた。

 

 

 「目的地はポルトガの大灯台付近の海上。間違ってもポルトガの街並みや陸地をイメージするなよ」

 

 スレイの最終警告にアステルは大きく頷いた。空から船が墜ちてきたら港は大恐慌に襲われる事間違いないし、陸地に降りたりしたら言わずもがなだ。

 

 「いくよっ! みんな、どこかにしっかり掴まっててね!」

 

 初めての試みでどれだけ揺れるか検討もつかない。その言葉に皆、船縁や掴める所に掴まって体を固定する。それを確認してアステルは高らかに《力ある言葉》を言い放った。

 

 「───瞬間移動呪文(ルーラ)っ!」

 

 ごっそりと理力を奪われる感覚に襲われアステルは顔を歪めるが、だがそれは一瞬で、繋いだ大きな手から暖かな理力が流れ込み満たされる。

 アステルから発する光の膜が大きく広がり船をまるまる包み込むと、船底から風が巻き起こり、海面が大きく波立つ。

 船が宙に浮かび、そして北西の空目掛けて飛び立った。

 

 「おお~~~ぅっ!!!」

 

 耳に届いたマァムの歓声にシェリルは思わず閉じた瞼を開く。

 

 「わっ!」

 

 そして彼女も驚きの声を上げた。

 白い雲を波のように突っ切って船は大空を走る。

 しかしそれは瞬く間で。目下に見えるはポルトガの城と港街。その少し離れた岬に見えるのは目的地である大灯台。そちらに向かって降下を開始する。タイガは船縁から体を乗り出し、周辺海域を素早く見渡す。航行している船は見当たらない。

 

 「スレイ! 着地点(した)は問題ないぞっ!」

 

 タイガの声にスレイは頷いた。

 

 「アステル!」

 

 スレイはもうひと頑張りだと繋ぐ手に力を込め、理力を彼女に流し込む。

 船体を固定してゆっくりとゆっくりと下降し、着水する。船への衝撃を最小限にする為にも、常時以上に時間をかけて防壁でもある光の膜を消さなくては。

 

 「もういいぞ、嬢ちゃんっ!」

 

 カンダタが取り舵を取りながら叫ぶ。その声を聞いて、詰めてた息を吐いた。光の膜は完全に消失し、緊張の糸が切れたアステルはその場にへたり込んだ。手を繋いだままのスレイも一緒に膝をつき、彼女の顔を覗き込む。

 

 「大丈夫か?」

 「……うん。スレイこそ」

 

 精神的にはくたくただが、理力は全く減っていない。彼からかなり理力を貰った気がする。

 アステルはのろのろと顔を上げたが、スレイの表情からは疲労の色は見られなかった。

 

 「オレは平気だ。理力も消費したのは三分の一くらいだな」

 

 「うそ」

 

 驚きを通り越して呆れてしまう。

 魔法発動中に理力を絶えず供給し続けて、更には空っぽになったアステルの理力を満たして、まだ余力があるなんて。

 

 「……今度から《船ごとルーラ》はスレイがやって」

 「悪いな。ルーラはまだまだ使い熟せなくてな」

 

 口を尖らすアステルに対し、いけしゃあしゃあと言ってのけるスレイ。と。

 

 「出番、なかった」

 

 言い合う二人の間にしゃがみこんで、ノエルはどこかふて腐れたように言う。どうやら手伝う気満々だったらしい。

 二人は顔を見合せる。アステルは苦笑し、スレイは少年の白髪をくしゃりと掻き撫でて宥めた。

 その手に冷たい水滴がぽつりと落ちる。スレイが、釣られてアステルとノエルが顔を上げると、高く澄んだ夏空は雫を落とす冬の曇天、焼けるような暑気は湿度を伴う肌寒い空気へと変化していた。

 

 

 船の進路をポルトガへと向ける。入港すると、一行は市場へと向かった。

 エジンベアに向かうその前に、防寒具や冬服が必要不可欠だったからだ。

 ランシールは真夏だったが、西大陸は冬真っ只中。ポルトガはまだ肌寒い冷たい雨が降る程度で、重ね着して外套を羽織ればどうにかなるが、エジンベアはそうはいかない。あそこは地理的に寒さが最も厳しい時季だ。テドンに向けて出発した時期に購入が難しかった冬物衣類も、今ならどの服屋にも並べられている。

 世界を回るならば必要となるだろうそれを各々厳選して購入し、船に持ち帰ると再び海へと戻った。

 

 

* * * * * *

 

 

 船はポルトガをやや西側に北上する。エジンベアに近付くにつれ気温は下がり、風に雪が混じる。

 エジンベアの島陰が見えるまで、ひと月はかからなかった。

 

 「さっむぅ~~いぃ!!」

 

 毛皮の外套(コート)を着込んだマァムは楽しげに雪がちらつく灰色の空に両手を伸ばして、甲板をくるくると舞い駆け回る。その様はさながら雪に喜ぶ子犬のよう。

 

 「マァム! ちゃんと帽子も被らないと濡れちゃうよ」

 「はぁ~い!」

 

 アステルに呼ばれてマァムは嬉々として駆け寄る。アステルはマァムの長い金髪を結い上げ、お団子にしてコートとお揃いの毛皮の帽子の中に納めるようにして被せた。

 皆それぞれポルトガで購入した防寒具に身を包んでいる。温暖な気候にいた日が長かった分、この気温の高低差はさすがに堪えた。

 アステルは魔法の鎧の上に纏う外套(マント)を前を引き寄せ、吹き付ける刺すような寒風から身を守る。外套(マント)は普段の紫紺のそれではなく、毛皮で出来た頭巾(フード)付きの外套(マント)だ。

 吐く息は真っ白。これまでの旅で初めて冬を体感しているのではないだろうか。

 

 (ここまではっきりと寒いって感じたのは、イシスや砂漠で過ごした夜くらいかも……)

 

 あの時も冬季だったが、夜間は極寒ではあるものの昼間は夏と変わらぬ厳しい暑さで、冬の旅をしていたような気にはならなかった。

 そんな事を振り返っていると、背後の船室への扉が開いた。この場にいないのはスレイとカンダタとノエルの三人。入国前に必要な準備があるとの事で、舵取りはタイガが代わりに行っている。

 

 「………うぇ?!」

 

 現れた三人の姿を目にして、アステルは驚きのあまり変な声が出た。その声にシェリルとマァムも振り返り、彼等を見て目を丸くさせた。

 

 「スレイ……カンダタさんもノエルも、どうしたの? それ……」

 

 三人の髪と瞳が、見事な黒色に変じている。瞳は勿論の事、髪も染め粉で染めたのとはまるで違う、生まれついてのもののように全く違和感がない。

 

 「魔法薬で変えた」と、スレイは最近肩まで伸びた髪の一房を摘まんだ。

 

 「俺達の色は珍しいからな。変に興味持たれて絡まれても面倒くせぇ」

 

 そうぼやくように言うのは翠緑の髪と瞳が黒く染まったカンダタ。その傍のノエルも白髪と紫色の瞳が同様に黒く染まっている。駆け寄り片割れをまじまじと見詰める黒髪のトエル。双子だけあって髪の色が揃うと、もはや瞳の色でしか見分けがつかない。

 

 「そこまでしなくちゃいけないの?」

 「……一度元の髪と目の色であの国に入ったら、捕まって閉じ込められた。オレの姿を見て、気に入ったから手元に置いときたいとかほざく貴族がいてな」

 「………え」

 

 温度のないスレイの言葉に、アステルは怪談でも聞いたかのようにゾッとした。

 

 「安心しな嬢ちゃん。すぐに助けに行ったからよ。

 閉鎖されたあの国は目新しい物や珍しい物に目が無い。それは物でも動物でも人間でもな。特に貴族なんかは手段を選ばず手に入れたがるし、民も何も知らない他国民を騙して捕えて貴族に売り飛ばそうとする」

 「そんなの犯罪……人身売買なんじゃ……」

 「エジンベアでは人身売買も奴隷も合法だ。法はエジンベアに住む奴等の為にあって、他所から来た奴等の安全なんて知ったこっちゃねぇんだ」

 

 アステルは嫌悪感を隠す事なく、顔を顰めた。エジンベアは想像以上に危険な国だった。

 

 「だから自衛の為に極力目立たないようにする必要がある。……なのにこいつは入国前にあんだけ薬を飲めって言ったのに聞かねぇしよ。あん時はちぃとばかし灸を据えた」

 

 カンダタの言葉尻に、危険性を理解しようとしない昔のスレイを敢えて窮地に追いやった事がわかった。スレイは舌打ちをする。

 

 「………ガキの頃の話だ」

 「どうして薬を飲まなかったの?」

 「………すごくまずかった。うがい何回もしたのに、まだ味が残ってる」

 

 アステルの疑問に対し、スレイの代弁をするかのようにノエルが薬の味を嘆いた。

 

 (不味くて飲みたくなかったのね……)

 

 アステルは苦笑して、腰ポーチから手作りの飴玉を取り出す。ノエルに手渡すと目を輝かせて口の中に放り込んだ。

 

 「あ~~っ! アステルぅ! あたしもぉ~!」

 「………!」

 「お、いいな。嬢ちゃん俺にもくれ」

 

 アステルはマァムと欲しそうに目で訴えるトエル、カンダタに飴玉を手渡す。

 

 「スレイも食べる?」

 

 飴玉を差し出すと、スレイは顰めっ面のまま受け取って口に含んだ。暫くして表情が少し和らいだので、アステルは小さく笑みを浮かべる。檸檬(レモン)味の飴玉はちゃんと口直しになったようだ。

 

 「……うまいな。もしかしてこれも作ったのか?」

 「うん」

 

 「凄いな。お前料理で店が出来るんじゃないのか」

 

 (───あれ?)

 

 褒めるスレイの細められた黒い瞳に、アステルは嬉しさ以上の切なさと懐かしさに襲われた。

 外套を整える振りをして、とくとくと騒ぎ出す胸に手を当て小首を傾げる。

 

 「しっかし、そんなけったいな効果の薬、聞いた事あらへんで」

 「盗賊に伝わる変装用の薬だからな。闇ルートでしか手に入らねぇ」

 

 カンダタがその薬を懐から取り出してシェリルに見せてやる。小瓶に入った黒い丸薬をシェリルは興味津々に眺めて、きつく閉められた蓋を開けた。途端、漂ってきた独特の匂いに一同顔を顰めた。薬のような、香辛料のような。けれど絶対に苦いもしくは不味いであろうと確信できる匂いに、シェリルは直ぐ様蓋をする。

 

 「うへぇ……で、効果はどのくらいなん? 染まる色は黒だけなんか?」

 「こいつ一粒飲んだら、大体ひと月くらいはこのまんまだ。色は黒しかしらねぇな。無難な色だしな」

 「材料はなんやろか……この独特の匂いは多分……」

 

 珍しくシェリルが喧嘩腰にならないでカンダタと接している。新しいアイテムを前にして、商人魂の方が優先されたらしい。

 

 (私が飲めば目の色が黒くなるだけなのね)

 

 あまり大きな変化でもないが、それはそれで見てみたいかも。アステルは隣にいるスレイの横顔を改めて見上げた。

 繻子(しゅす)のような艶やかな白銀の髪は、闇夜の漆黒に染まっている。琥珀色の瞳もまるで黒水晶(モリオン)のような綺麗な色だ。

 

 その色を目にして。

 

 アステルの脳裏に唐突に浮かんで現れたのは、幼い頃に出逢った少年の姿。

 

 

 夏の日の薄暗い薪小屋での出逢い。互いに助け、助けられて。ほんの僅かな時間言葉を交わし合っただけなのに、別れ際は酷く離れがたくて。

 

 傍にいて欲しいと願った少年の姿を。

 

 名前を尋ねても教えてもらえなくて、もう二度と会えないと言われてショックで、寂しくて悲しくて、泣いてしまった。

 

 『六年後の春にアリアハンに来て』と願った。

 

 再会を期待してなかったと言えば嘘になる。

 出立を春が終わるまで待とうかと思った時さえあった。

 

 しかし時が流れて成長して、無茶を言ってしまったとちゃんと理解している。再会が果たされなかった事については気にしては……いない。いないのだ。

 

 今はただ、彼が健やかである事を祈るだけ。

 

 残念ながら顔立ちはぼんやりとしか思い出せないが、少年の……『お兄さん』の色ははっきりと覚えている。

 

 ───漆黒の髪に黒水晶のような綺麗な瞳だった。

 

 

 「───? 何だ?」

 

 此方を見上げたまま静止しているアステルの頭を、スレイは怪訝な顔で軽く小突く。

 

 「……っ! な、なんでもない!」

 

 ハッと我に返ったアステルは慌てて目を反らした。後ろめたさのようなものを感じてしまったのは何故だろう。

 それを見ていたカンダタはニヤリとした。

 

 「ははーん。さては嬢ちゃん、コイツに見惚れてたな? 嬢ちゃんの好みは黒髪黒目の男か?」

 「へっ!?」

 

 カンダタの言葉にアステルは肩を跳ね上げる。それを見たシェリルも「おっ?」となった。

 

 「そうなんか? ……にしてはタイガには全然そんな風にならんやん」

 「え、ち、違、」

 「あいつはまたタイプが違うだろ。嬢ちゃんはコイツの見た目で黒髪黒目がいいんだ。そうだろ?」

 「ち、違うのっ! そうじゃ、そんなんじゃなくてねっ!?」

 

 反論したいのに、うまく言葉が出てこない。おまけに顔まで熱くなってくる。混乱するアステルの背中にマァムが嫉妬たっぷりの顔で勢い良くしがみついてきた。

 倒れそうになるのをぐっと堪えて、それからアステルはぶすっと顔を上げた。

 

 「そ、そうじゃなくて。昔知り合った人の事思い出して。その人と同じ色だったから懐かしいなって……」

 「で、そいつは嬢ちゃんの初恋だったと?」

 「そぅ……だ、だから違うってばっ! もうっ! カンダタさん、しつこいっ!!」

 

 アステルは背中にマァムをくっ付けたまま、揶揄うカンダタをぽかぽかと叩く。

 船橋からタイガが「なんだ~っ? 楽しそうだなぁ?」と、声をかけるのにアステルが「なんでもないから!」と声を荒げる。

 

 「聞いたか~? 今のあんたアステルの初恋相手に似とるんやて」

 

 「知るか」

 

 悪戯めいた笑みを浮かべるシェリルを、スレイは素っ気なくあしらった。

 

 

 






ゲームでルーラ移動すると当たり前のように付いてくる船。当物語にそんな便利機能はありません。
【瞬間移動呪文】と書いて【ルーラ】と読んでおりますが、フッと消えてパッと目的地に到着するよくある瞬間移動ではなく、高速飛行移動して目的地に到着するという感じで描いてます。天井のある場所でルーラを唱えると、頭をぶつけるドラクエ4仕様です。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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古疵

 

 

 

 ───エジンベア王国。西の大国ロマリアで王位簒奪を目論んだとして、遥か北西の、小さな未開拓の孤島へと追放された王族の血縁者が、辺境民を従え築き上げたとされる王国である。エジンベア国王は自分こそが正統なロマリア……ひいては西大陸を統べる王なのだと、長らくロマリアへ戦を仕掛けていた。

 主要国間での停戦協定が結ばれ、大戦が終結した後もエジンベアのその主張は変わらず、対応を誤れば再び戦時下へと逆戻りとなる危険性を孕んでいた。

 東の軍事国家サマンオサに並ぶロマリアの軍事力の成長は、エジンベアへの対抗策に他ならない。

 しかし、魔王バラモスと強力な魔物達の出現により、エジンベアはロマリアを侵略する余裕など失くしてしまった。

 そして今代の王は歴代の王と比べ、温和な性格だった事が幸いし、二国間の仮初めの平穏は保たれていた。

 

 

 

 エジンベア王国唯一の港に入る。大きな港だが停泊する船は少なく、船乗り達の姿も見掛けない。……と、警戒心を露にして槍を携えた兵士が此方へと近付いてきた。

 「この場はこいつと俺に任せろ」と、カンダタはタイガを親指で差した。

 

 「舐められる方が後々面倒だからな」

 「え?」

 「だな。アステル、紹介状を貸してくれ」

 

 タイガも了承し、アステルは証書筒を託す。屈強な体格の彼等が前に出て来て兵士は怯むも、紹介状を見せ、寄港料に普段より多めのゴールドを握らせると、兵士はニヤリとして投錨(とうびょう)を許可した。

 

 「ここでの買い出しは必要ねぇからな。用事済ましたら、とっとと戻ってこい」

 

 カンダタの言葉にアステル達は頷く。

 《渇きの壺》を手に入れ次第《船ごとルーラ》でまたポルトガへ戻り物資の補給、渇きの壺の所有者と伝承者を尋ねに、遥か西の未開の大陸を目指す予定だ。

 

 船を降りて、港を出て王都までの広く大きな一本道を行く。

 雪はちらちらと降ったり止んだりで、辺りを見渡しても積もっている様子はない。

 寂しげな港と同じく街道を歩く人の姿も足跡も殆どない。

 アステルは前を歩くスレイの背中を、揺れる黒髪を、見た。

 先程のドタバタ騒ぎの後、恥ずかしくて彼とまともに顔を合わせられない。

 

 (───初恋、だったのだろうか)

 

 カンダタにそう指摘されて以降、アステルは悶々としていた。

 『お兄さん』との出逢いはアステルにとって、掛け替えのないものだった事だけは間違いない。

 

 大切な人だとも、思う。

 

 けれどそれが恋だったのかは、経験が無さすぎて判断出来なかった。

 アステルはオルテガの後を継ぐ事を決めてから、同じ年頃の少年と遊ぶような事もなくなった。

 

 どうしてだったか。………そうだ。

 

 (女の癖に生意気だって言われたんだ)

 

 父オルテガに憧れる少年達にとって、その子供とはいえ、女のアステルが勇者(かれ)を継ぐ事を認めるのが癪だったのであろう。

 姑息な嫌がらせがあったと思うが、アステルは全て無視し、いなしてきた。

 暫くして親にバレたのであろう、少年達はあからさまな嫌がらせを止め、アステルから距離を置くようになった。

 

 

 魔力暴走を起こしてからはより一層。

 

 (勇者サマを怒らせたら、燃やされるぞって)

 

 男の子みたいに短くなった髪を、遠巻きで嗤って(ののし)ってた。

 

 

 (あいつ、遂に女捨てやがったって……)

 

 

 

 「───アステル?」

 

 スレイに声掛けられて、意識が過去から現在へ引き戻される。

 

 「足が止まってるぞ。どうかしたのか?」

 「え?」

 

 気が付けば最後尾に立っていた。皆の訝しげな視線を浴びて、アステルは慌てた。

 何故かとてつもなく考えが逸れて、勝手に落ち込んでしまった。

 

 「ごめんなさい! 何でもないの!」

 

 (───何やってるんだろ)

 

 頬を指で掻きながら笑って誤魔化すアステルの額に、シェリルが神妙な顔つきで手を伸ばした。

 

 「………熱は、あらへんな」

 「そんなんじゃないから。ちょっと考え事に夢中になっちゃっただけだから」

 

 ずらされた額飾り(サークレット)を直し、張り切って歩き出したアステルに、シェリルとマァムは不思議そうに顔を見合せる。

 張り切り過ぎて目下悩みの原因であるような、そうでないようなスレイと並んでしまい、頭を抱えたくなった。

 

 隣で溜め息が聞こえて、アステルは少し悲しくなる。

 

 「……雪は積もってないが所々凍結してる。ぼんやりしてると滑るぞ」

 

 そう言ってスレイはアステルの頭を軽く小突いた。

 

 

* * * * * * 

 

 

 エジンベア王都は、城と町全てが堅牢な城壁に完全に囲われた、巨大な砦のようにも見えた。更に城門の外側にもう一重の高い城壁が設けられており、防備は厳重を極めた。高い城壁の上で時折、見廻りの衛兵が復数人歩く姿が見られるが、唯一の城門に立つ門番は何故か一人のみだった。

 アステル達はすぐにそこに向かわず、城壁に隠れて取り敢えず観察する。

 門番の顔を見てシェリルが「げっ」とまさに苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

 「あいつや」

 「あいつ……って、もしかして」

 「せや。昔、(おのれ)らが注文した武器届けに行ったのに、門前払いしよった時の衛兵や。いつまで門番やっとんねん」

 

 シェリルがジト目でそう言うと、向こうで衛兵がタイミング良く豪快なくしゃみをした。

 

 「あいつ絶対出世出来ん憂さ晴らしを、ウチらみたいな旅人にしとるんやで」

 「そんな好き勝手して、あの門番は処罰を受けないのか?」

 「受けんから今もあーやって立っとるんや」

 

 タイガの疑問にシェリルがにべも無く答え、「成る程」とタイガは頷く。

 

 「……じゃあ、これを使うか」

 

 スレイが鞄から麻袋を取り出した。中身はランシールで購入した《消え去り草》だ。スラりんの指示した通り、乾燥させて粉末状にしてある。

 

 「───待って。やっぱり一応話してみない?」

 

 アステルの進言にスレイとシェリルは眉を顰める。

 

 「シェリルの話しを聞いてただろ? 正攻法は通用しない。やるだけ無駄だ」

 「()な思いしかせえへんで」

 

 スレイの言葉にシェリルはうんうんと頷き、タイガも二人に同意しているのか、眉を下げて何も言わない。マァムは頭を傾げていた。

 

 「行ってみて駄目だったら諦めるから。ね?」

 

 意志の変わらないアステルに二人は深く溜め息を吐いた。

 

 

 

 「なんだ貴様らは!」

 

 国の顔とも言うべき門番は、来訪者に対し居丈高(いたけだか)に叫んだ。この門番に通じるかどうかわからないが、アステルは頭巾(フード)を取り、勇者の証である額飾り(サークレット)を見せた。

 そして四か国の王家の紋章を各々刻む四本の証書筒を差し出す。

 

 「私達はアリアハン王の命を受け、魔王打倒を目指し旅をする者です。我が国の王と、協力して下さる各国の王が宛てた我々の紹介状はここに」

 「魔王打倒だと?」

 「エジンベア王にお目通りしたく……」

 

 しかし、話の途中で門番は彼女の差し出した証書筒を叩き落とした。四本の筒は音をたてて濡れた地面に転がる。

 各王の想いが籠められたそれをアステルは慌てて拾い集め、門番を睨んだ。

 

 「なにをするのですかっ!」

 

 しかし門番は彼女を見下すように嗤った。

 

 「ハッ! そんな戯言(たわごと)誰が信じる! それらもどうせ贋物(がんぶつ)であろう。我が国に入り込んで善からぬ事を企んでおるのだろうが、そうはさせんぞ!

 とっと立ち去れっ! 田舎者の余所者めがっ!」

 

 突然の失礼極まりない対応に、アステルは呆れて言葉をなくす。代わりにスレイが前に出て声低く言う。

 

 「せめてこの紹介状が本物かどうか確かめるべきでは? もしくは(しか)るべき御方にお見せするべきだろう」

 「しつこいぞっ! 小娘が、なにが魔王打倒だ。みっともない髪を堂々と晒しおって、恥を知れっ!」

 

 「…………は?」

 

 突然、何故かアステルの髪型を指摘した。アステルは固まり、仲間達も皆渋面を浮かべる。

 

 「我が国では髪の短い女は罪人と奴隷のみとされておる。端女(はしため)や遊女であってもそんなみすぼらしい髪をしておらぬわっ」

 

 鼻で嗤う門番に、アステルはサアッと全身の血の気が引く音を聞いた気がした。これ程の悪意と嘲笑を身に受けたのは久し振りで、頭が真っ白になる。

 

 

 「でえぇぇ~~~いっ!!!」

 

 マァムの怒声にアステルは我に返る。目の前で跳躍したマァムが、愛用の魔封じの杖を門番の顔を目掛けて振り下ろしていた。

 

 「ぎゃっ!?」

 

 小気味良い打撲音と共に、魔封じの杖の先端の骸骨が紫の霧を吐き出し、辺りを霧で覆い隠す。

 「一旦退くぞ」というスレイの声と共に、ひょいっと身体が持ち上げられた。

 

 「………へ?」

 

 アステルは一瞬自分の身に何が起きたか解らなかったが、横抱きにされて運ばれている事を理解すると顔が熱くなった。

 

 (厚着なのに! 鎧だって着込んでいるのに……!)

 

 「ちょ、スレイ、私重い……っ!」

 「軽い」

 

 即座に言い返されて、アステルの顔は更に熱くなる。

 

 

 「みっともなくない」

 

 怒りを圧し殺しているような低い声に、アステルはハッと目を上げた。紫の霧でスレイの表情は窺え知れない。霧を抜けて目の前が晴れた筈なのに、今度は視界が滲んで揺れてアステルは困惑する。

 

 先を走るシェリルとぷりぷりと怒るマァムを抱えて走るタイガを追いながら、スレイは静かになったアステルを見下ろし、目を見開く。

 

 自分の胸に顔を埋めるようにしてしがみつくアステルに、スレイはそっと囁いた。

 

 

 「お前は可愛いよ」

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 「ようやった。マァム」

 

 王都と港のちょうど中間の街道の大木の影に身を隠して、シェリルはマァムを褒める。マァムはフンスと鼻を鳴らした。

 

 「アステル、大丈夫か?」

 「え? う、うん、大、丈夫」

 

 タイガがしゃがみ込み気遣わしげにアステルの顔を覗くと、彼女は顔を真っ赤に染めたまま、ぎこちなく返事をする。

 

 「自国の風習を威張りくさって声高に言っとるだけや。気にせんとき」

 「アステルはぁ、とぉ~~ってもかわいぃぃんだからぁ!」

 「……ありがとう、みんな」

 

 抱き付くマァムの背中をぽんぽんとしながら、アステルはちらりとスレイを盗み見ると彼は此方に背を向けていた。

 

 「しっかし、この魔封じの杖は目眩ましにも使えんなぁ」

 「ね~っ! お利口さぁ~~んっ!」

 

 シェリルとマァムに応えるように、魔封じの杖の先端、赤い法衣を纏った骸骨はカッカッカッと顎を得意気に鳴らす。

 

 灰色の空から羽毛のような雪が舞い降りてきた。

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 ───半刻後。薄く積もった雪に足跡がサクリ、サクリと付く。

 しかし辺りには人っ子一人見当たらない。姿無き足跡は城門に向けてサクリ、サクリと進む。

 

 門番は忌々しそうに目元の青あざに触れ、走った痛みに顔を歪める。

 直ぐ様伝令を出して恥知らずな不届き者共を捕らえ罰したかったが、小娘に遅れを取るという不名誉を同僚に知られたくはなかった。

 

 「クソッ! 忌々しい無礼な田舎者どもめ」

 

 愚痴を吐く門番は、近付いてくる足跡にまだ気付かない。一人の足跡が先頭だって門番の傍らに近付き、妖しくも可愛らしい声でそっと囁いた。

 

 「………て・ん・ちゅ・う」

 

 「ん? ───ごっ!?」

 

 突然聞こえた声に門番が顔を上げたその時、左頬を見えない拳で殴られた。

 

 「ぶっ!?」

 

 続け様に右頬に衝撃が走る。

 

 「な、なん!? ───がっ!?」

 

 門番は目だけで周りを見回すも何も見えない。と、今度は顎を抉り込むように殴り上げられた。

 よろける足元をとどめとばかりに何かが払い、地面にゴンっ! と頭を打ち付け、門番は気を失った。

 

 

 

 「………さっきの騒ぎのせいで警備が厳重になってないか心配したけど」

 「言った通りやろ? こういう偏屈な奴は絶対自分の失敗を言い振らさんって」

 

 のびている門番以外誰もいない景色の中、少女の声がホッと息を吐き、快活な娘の声がかかっと嗤う。

 

 「この人屋根のある所まで運ばなきゃ」

 「だな」

 

 少女の声に、笑いを堪えてるような男の声が応えた。

 門番の身体はひとりでにずるずると引き摺られ、屋根のある篝火が近い場所に横たえられる。

 門番に白い癒しの光が灯ると、殴られた場所が癒されていく。暫くすれば気が付くだろう。

 

 「ほっときゃええのに」

 「むううう~~っ!」

 「さすがに寒い中、傷だらけで放置は出来ないよ。

 始めっからみんなの言う通りにしていれば、この人もこんな目に合わなかっただろうし、お詫びも兼ねて、ね?」

 

 ブーブーと文句を言う二人の娘の声に対して少女の声は苦笑する。

 

 「それにこれなら目が覚めた時、居眠りしたんだって勝手に勘違いしてくれるでしょ?」

 

 背後から頭をぽんぽんとされた。顔が見えずとも誰の手かわかる。

 

 何故だかそれが(くすぐ)ったくてふふっと少女は笑った。

 

 

 こうして。五人分の姿無き足跡は城門を潜り抜けた。

 

 

 







※天誅※殴った順番。マァム→シェリル→アステル→とどめスレイ(足払い)。タイガは重傷となってしまうので自粛。

エジンベアの歴史については捏造です。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!

《2023.7.24》サブタイトル変更しました。


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傲慢なる国

 

 

 

 城門を潜り抜けてすぐ左右に衛兵の詰所のような大きな建物があった。

 高く分厚い城壁の上へと上がる階段は、詰所と繋がっており、見廻りの衛兵が行き来している。城門の開閉装置も城壁の上にあるのだろう。

 詰所を通り過ぎたタイミングで消え去り草の効果が切れ、アステル達の姿が浮かび上がる。

 幸い誰にも見られなかったので、そのままなに食わぬ顔で一行は進んだ。

 

 

 

 初めて見る珍しい様式の町並みに、アステルはほうっと白い息を漏らす。

 丘陵の地を利用して築かれたこの城は、上層部に王が住まう王宮、下層部に国民の居住区と分かれていた。

 城門から真っ直ぐ長く伸びる石畳の大通り。その道の両端には砂岩の切り石を積み上げた数多の建物がぴっちりと建ち並んでいた。

 小さな塔程の高さの建物には複数の所帯が住んでいるようで、建物の玄関(エントランス)で主婦同士で挨拶を交わし合っている。建物の下の階は商店となってる所が多く、食品雑貨や飲食店など様々な店が並んでいた。買い物客は窓硝子(ガラス)越しから店内に飾られた、宝飾品やきらびやかな服、嗜好品を楽しげに眺めている。

 大通りを跨ぐように架けらた美しい彫りが施された石橋にも、人が行き来している。

 舞い降りる雪が灰色の石の町をうっすら白く染めあげ、なんとも風情ある景色となっていた。

  

 

 アステルがキョロキョロと見回していると、スレイに頭を小突かれた。

 

 「おのぼりさん丸出しだぞ。あまり隙を見せるな」

 

 「あ……」

 

 二人の婦人が通り過ぎる際、此方を見てクスクスと嘲るように笑う。「田舎者がなにしに……」「あの服装見ました? なんて品がない……」そんな囁き声と共に。

 そんなに変だろうか? と、アステルは自身を見下ろす。ポルトガで安値で購入した防寒着とはいえ、品質も見た目も全く悪くないのだが。それにこれを選んでくれたのはマァムとシェリルだ。笑われるのはあまり気分が良くなかった。

 意識すれば複数の目が、じろじろと不躾に此方を見ているのがわかった。好奇と嘲弄と侮蔑の視線を容赦なくぶつけてくる。

 

 (………この人達、とにかく難癖をつけて私達の反応を楽しみたいんだ)

 

 それに気付くとアステルは呆れて溜め息が溢れそうになった。その時。

 全く別の種類の視線を感じた。と、同時にスレイに肩を抱かれて引き寄せられた。

 

 「気付いたな?」

 

 囁くスレイにアステルは言葉なく頷く。目だけ動かしそちらを確認すると、家と家の間の細道から誰かが此方を覗き見ていた。

 まるで獲物を見定めるかのような、薄気味悪い目線にアステルは怖気(おぞげ)立つ。

 

 (………あの人と同じ目だ)

 

 あまり思い出したくないそれは、バハラタの人攫い騒動。主犯格の男がアステルに向けた、人間(ひと)を値踏みする如何わしい目と同じだった。

 上品な国かと思えば、そうでもない。

 やはりここは異邦人にとって安心できる国ではないのか。

 スレイがそちらに向かって鋭く睨みを利かせると、彼女を狙った存在は逃げるように路地へと入って消えた。

 

 

 「相変わらず疲れる国やわ」

 

 眉を顰めてシェリルは唾棄するように呟いた。

 

 「ここに来た時期が冬で逆に良かったかもな。出歩く人間はまだ少ない」と、タイガ。

 

 いつもと変わらぬ口調のタイガだったが、マァムを自分の外套(マント)の中に隠している。勝手に動き回らないように、見目の良いマァムが破落戸(ごろつき)の目に止まらぬように。

 《春》を堂々と売り買いしていた交易都市アッサラームとはまた違った、面倒な危険が潜む国に、タイガも内心辟易としていた。

 中のマァムは珍しく空気を読んで大人しくしているのか、それとも単に暖かいからか寝こけてるのか。

 

 「こらマァム。寝るんじゃない。ちゃんと立つんだ」

 

 どうやら後者のようだ。

 

 

 

 ふと。スレイの腕の中にいたままだった事にアステルは今更ながらに気付く。

 

 

 『───お前は可愛いよ』

 

 ついでに抱き上げられて囁かれたあの言葉を思い出してしまう。

 冬で本当に良かった。

 赤くなる頬をどうとでも誤魔化せる。

 

 

 『───あいつ、遂に女捨てやがった』

 

 『───みっともない髪を堂々と晒しおって』

 

 

 いつもならなにを言われようと、受け流してみせた。

 あの時はたまたま昔の事を思い出した直後に、同じような事を言われて動揺してしまい、それをスレイに見られてしまった。

 

 

 (……だから。あれは落ち込んだ私を励ましてくれただけ)

 

 

 スレイの優しさを勘違いしないように、アステルは自分にそう言い聞かせる。

 

 囲う腕を軽くぱしぱしと叩くと、すぐ解放された。

 

 

 「ありがとう。スレイ」

 「毛色の珍しい奴だけじゃない。外国の娘を狙ってる奴らもいるからな。気をつけろ」

 

 気遣うように見下ろす瞳の色は琥珀ではなく黒水晶。フードから溢れた黒髪がさらりと靡いた。

 スレイだとわかっているのに、どうしても別の人物の姿を重ね見てしまい、後ろめたさが拭えない。

  

 「た、たまたまだよ」

 

 目を逸らすアステルに、スレイは柳眉を(ひそ)めた。

 

 「ほら、剣も鎧も身に付けてるし、遠目なら男の子に見えなくないかな?」

 

 慌ててそう言い募るアステルは、背後のシェリルに振り返った。

 今の彼女は長い珊瑚色の髪を、耳当て付きの帽子の中に隠している。武器を背負い、背丈もあり、厚着と毛皮のコートで身体の線が隠れているので、遠目なら男性に見えなくもない。実際本人もそう見せてるのだろう。

 

 自分だって大人の男性に見えずとも、少年剣士ぐらいになら見えるのではと、アステルは思っているのだが。

 

 

 「見えない。さっきの奴は明らかにお前を狙ってただろ。女だってバレバレだ」

 「だからたまたまだって! それに私マァムみたいに綺麗でも可愛いわけでもないから、狙われるわけないよっ!」

 

 「は?」

 「え?」

 

 呆れとも怒りとも取れる声を出すスレイに、アステルはたじろぐ。

 

 今感じている寒気すら生ぬるい、凍てつくような怒気を感じて、アステルは僅かに後ずさる。

 

 

 (なんで急に怒り出すの?)

 

 

 「……お前本気で言ってるのか?」

 「……ほ、本気、ですけど」

 

 特に間違った事を言ったつもりはない。冷冷たる視線に負けじと、今度は目を逸らさずアステルは見上げる。

 と。

 スレイは盛大に舌打ちすると(おもむろ)にアステルの被ってるフードを引き下げた。

 

 「わっ!? わっ!」

 

 顔を隠されて狼狽えるアステルの手を引き、スレイは歩き出す。

 

 

 「今のはアステルが悪い」

 「そうだなぁ」

 

 その後を追うシェリルが嘆息を洩らし、タイガも困ったように笑って同意した。

 

 「アステルって昔っから、ああやねんなぁ。アリアハンでも一、二を争う有名美人のエリーゼ(おっか)さんと激似なんやから、可愛くないわけないやん」

 

 因みに。アリアハンのもう一人の有名美人は、旅人ギルド兼酒場の主人(マダム)、そしてマァムの母ルイーダである。

 

 「アステルはぁ~めちゃんこかわいいんだからぁ~っ!」

 「マァム、それは正しいけど今は大人しゅうしとき」

 

 タイガの外套の中で両手を上げるマァム。うごうごと不気味に動くタイガの腹に、シェリルが裏手で突っ込む。「ぷぎゅっ!」と、変な声がした。

 

 

 

 スレイは憤りを隠す事なく、前方を睨み付けるように歩く。鈍感な者でさえ伝わる威圧感に周囲は恐れおののき、彼を避けて通った。

 

 アステルは自分の外見を過小評価し過ぎだと、スレイは前々から感じていた。

 

 あれだけ周りから「愛らしい」だの「可愛い」だの褒められているというのに、本人は見え透いたお世辞だと空笑う。

 マァムの『かわいい』はマァムだからこそ言ってくれていると思っている。

 

 謙遜しているわけでもない。

 

 本気で自分には男を惹き付ける魅力がないと思っているのだ。

 

 

 (過去に見た目で自信を無くすような事でもあったのか……?)

 

 門番の暴言に色を失ったアステルの顔、自分の胸に顔を押し隠し、声を殺して泣いていた様は、幼い頃のアステルの姿を彷彿とさせた。

 

 初めて出会った時のアステルは、今よりももっと髪が短かった。

 少年が着るような服を纏い、肌は陽に焼け赤くなり、華奢な手足には傷を幾つも拵え、腰には剣を下げて。

 

 けれどその面立ちは優しげでとても可愛かった。

 

 介抱の手際の良さや些細な気遣い、あげたリボンに喜ぶ姿は女の子らしく、そして微笑ましかった。

 

 十七になって少し背が伸び、頬の丸みが取れ始め、逆に身体に丸みを帯び始めた。最近は鎧を身に付けるようになり、それが隠されたので密かに安堵している。

 ふとした表情が少女から女のものへと変わる。それを此方に向けられる度、馬鹿みたいに過剰反応してしまう。

 遠くない未来、周りの男も放っておけないくらい綺麗になるだろう。

 なのに本人にはその手の危機感が全くない。

 

 だからこそ心配なのだ。

 

 

 そこでふと、アステルの初恋相手の話を思い出す。

 

 黒髪に黒い目と言っていたが、それはアリアハンではよく見かける色だった。

 

 (アリアハンにいた時はそんな男は現れなかったな)

 

 誕生日の日や旅立ちの場にもいなかった所を察すると、あまり親しい相手ではなかったのだろうが?

 

 ………いつ、どんな風に出会ったのだろう。どんな奴だったのだろう。

 既に昇華した恋心なのだろうか。

 

 それとも。

 

 

 (───今でもそいつの事が好きなのか)

 

 

 胸が締め付けられた気がして、スレイは顔を(しか)める。

 アステルの手を握る手に力が籠る。びくりとしてアステルは真っ赤に染めた顔を上げた。

 

 

 「す、スレイ、あの、あの」

 「王宮まで我慢しろ」

 

 

 そう言い捨てて前を向いて歩くスレイに、アステルは目を白黒させる。

 寒い筈なのに熱い。手袋をしていて良かった。なかったら確実に手汗を気にして、いてもたってもいられなかったろう。

 いや、今でも十分いてもたってもいられない状態なのだが。

 俯き様に足を動かす。身長差がある筈なのに遅れない。スレイが歩幅を合わせてくれているのに気付くと、擽ったくてほんの少しだけ、嬉しくて………と、アステルはその場に(うずくま)りたくなった。

 

 

 

 

 

 長い街路をひたすら歩いて行き着いた先には、大きな噴水広場と二股に分かれて伸びる上層階へ続く石の階段があった。

 階段前に辿り着くと、スレイはアステルを離す。途端アステルは逃げるように距離を取るものだから、スレイは渋い顔になった。

 

 「……お前、その態度は流石に傷付くぞ」

 「だっ、だって……」

 「やぁ~~い♪ ザマァ~~♪」

 

 マァムがタイガの外套から顔だけ出して、ケタケタと嗤う。

 

 「ここまで来たら大丈夫やろ。マァムも出て来てええで」

 

 シェリルの言葉に「きゃほうっ! さむっ!!」と、マァムはタイガの外套から飛び出し、外の寒さに大袈裟に震え上がった。

 

 「王宮でもやっぱり姿を消さなきゃ入れないのか?」

 

 外套を整えながらタイガが問う。

 

 「うんにゃ。ポルトガ王の紹介状出せば通れる筈や。ポルトガは唯一の貿易相手やからな。書状が本もんか偽もんかぐらいすぐ検討つくやろ………まあ、すんなりとはいかんやろうけど」

 

 シェリルはうんざり顔で答えた。

 

 

 

* * * * 

 

 

 

 シェリルの『すんなりとはいかない』という言葉の意味は、王宮に入ってすぐ理解できた。

 

 対の獅子の石像が挟む(アーチ)を潜ると、二人の衛兵が護る大扉があった。

 書簡を見せ、謁見を申し込むと、門番の時と違い、ここの衛兵はちゃんと受け取って確認した。衛兵は特に咎めるような真似はしないが、此方を見下す目と皮肉げな笑みは(かん)に障る。

 

 書簡を衛兵が持って行き、王の返答待ちでアステル達は鮮やかな紅の壁と絨毯が敷き詰められた豪華な部屋に案内された。暖かな炎が揺れる暖炉の上には、黄金の燭台が置かれ、天井には水晶の雫を垂らす豪奢なシャンデリアが下がっていた。

 真紅のソファーに腰を掛ける。腰が深く沈み込み、なんとなく落ち着かなかった。

 待っているその間、噂を聞き付けた王宮の者達が代わる代わる顔を出しにやって来る。

 

 「まるで珍獣扱いだな」

 「暇人か」

 

 苦笑うタイガに、シェリルは据わった目で吐き捨てるように言った。

 そして遂には神父までやって来て「こんにちは! 田舎の人!」とにこやかに挨拶された。一同呆れ顔になってしまったのは仕方ない事だと思う。

 

 殆どがアステル達を薄ら笑い田舎者と小馬鹿にして去る中、他国からここに永住した者も数人いて、自分も昔は苦労したとか、故郷(いなか)に帰りたいとか、苦労話をして帰る者もいた。

 

 その中の一人、商人風の男からは興味深い昔話が聞けた。

 

 二代前のエジンベア国王は領土拡大を目論み、軍を率いて海を渡り、手付かずの新大陸を侵略しようとした。

 しかしその企みは、東大陸の軍事国家サマンオサの介入によって阻止される。

 圧倒的戦力を前に大敗に喫したエジンベア軍は撤退の最中、原住民の集落を見つけた。軍は食糧や物資の強奪を目論み、夜襲をかけた。だが原住民の戦闘能力は彼等の想像を遥かに越え、逆に返り討ちにされてしまう。されどエジンベア軍は転んでもただでは起きぬとばかりに、原住民が守る宝を奪って、命辛々逃げ延びたという。

 

 「今でもその宝がこの王宮の地下に眠っているそうですよ」

 

 と、こそっと耳打ちされてその話は締め括られた。

 

 

 

 「───今の話……」

 

 商人が立ち去ると、アステルは口を開く。

 

 「恐らく、その奪った宝ってのが《渇きの壺》だな」

 

 スレイも頷いた。

 

 

 

 

 待たされる事、約半刻(約一時間)。ようやく現れた衛兵は高慢な態度のまま、王が謁見に応じる旨を伝えに来た。

 

 「───陛下は心の広い御方だ。お前達のような薄汚い田舎者でも、お会い下さる事を光栄に思うがいい」

 

 

 横柄な態度と物言いはともかく。謁見できるのならそれに越した事はない。

 

 

 

 






ここまで読んで下さり、ありがとうございました!

命の危険を感じる暑さ(泣)

皆様お身体御自愛ください。



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エジンベア王

 

 

 

 衛兵は玉座の間まで一行を先導する。

 王宮内の通路の壁は真白に塗られ、床には幾何学(きかがく)模様の彫刻が美しい、白大理石のタイルが敷き詰められている。等間隔に配された縦長の窓をちらりと覗けば、薄く曇った硝子の向こう側に雪化粧をした丘陵と城下の町並みが望めた。

 

 入り組んだ通路を進むと、中庭に出た。大きな屋内池の中央には、腰を下ろし、(くつろ)いだ姿の黄金の女神像が浮かんでいる。

 その(ほとり)に桃色のドレスを纏った愛らしい顔立ちの少女が、つまらなそうに透明な水面を眺めていた。

 綺麗に巻かれた亜麻色の髪に黄金のティアラを戴くその姿から、この国の王女だとわかった。

 歳は六つか七つくらいか。

 此方の視線に気付き、茶に金色が混じった(つぶ)らな瞳を瞬かせると、満面の笑みを浮かべ、ドレスを翻してやって来る。

 控える侍女が止めようとしているのがわかるが、彼女はそれを無視し、半ば駆けるようして此方までやって来た。

 アステル達はその場に片膝を着き、頭を垂れる。

 

 

 「面を上げなさい」

 

 幼くも凛とした声に従い顔を上げると、王女は興味津々といった感でアステル達を見回した。

 

 「わたくしはエジンベア第一王女マーゴッドです。あなた達が皆の言う、イナカから来たイナカモノ達なの?」

 

 そう話す彼女からは悪意は全く感じない。恐らく彼女は周りの人間の言葉を鵜呑みにし、田舎という言葉をどこかの地名か国名と勘違いしているのだろう。

 

 「王女殿下。名乗る事をお許し下さい」

 「許します」

 

 慌てておすまし顔になる王女がとても可愛らしくて、アステルは思わず頬が緩んでしまった。

 

 「私はイナカのイナカモノではなく、アリアハンのアステルと申します」

 「ありあはん?」

 

 王女はこてんと小首を傾げた。そんな仕草も愛らしい。

 

 「ここから海を越え、遥か南にある国にございます。祖国であるかの地より、ここまで旅をして参りました」

 「世界を旅しているのね!」

 

 王女の瞳がきらきらと輝く。王女はアステルに近寄ろうとしたが衛兵に阻まれた。むっとして王女は衛兵を見上げる。

 

 「どきなさい。わたくしはもっとアステルの話が聞きたいわ」

 「なりません。下賤な田舎者の戯れ言など、聞けば御身が穢れます」

 

 衛兵が控えている侍女に目配せすると、心得顔で侍女が王女に近寄る。

 

 「姫様。まもなくダンスの御時間にございますよ」

 

 だから正装姿だったのね。と、アステルは納得した。

 公式の場は別として、王女も常にティアラを被り、豪華なドレスを身に纏っているわけではない。幼いならば尚の事。

 アステルもこのくらいの頃にアリアハン国王ステファンから、英雄の娘たるもの淑女の教養も必要だと、娘である王女と共に勉強させられていた。ダンスもその一つだ。

 その時、王女もアステルも舞踏会当日さながらの姿で練習した。動きやすい格好で練習しても意味がないからだ。

 

 しかしそれも勇者の訓練が始まったと同時に終わった。

 

 ロマリアで久々にドレスを着せられたが、やはり苦手だと再認識した。似合わないし苦しいし動き辛い上に一人で脱ぐ事も儘ならない。

 

 

 (それにダンスなんて、今じゃまともに踊れるかも怪しいなぁ)

 

 相手の足を踏む自信ならある。そんな事を思いつつ、侍女と幼い王女を眺めた。

 

 「まだ少しぐらいいいでしょ?」

 「なりません」

 

 ぴしゃりと王女の希望をはね除けた侍女は、その小さな肩に手を掛ける。王女はまだ何か言いたげに口を開こうとしたが、結局は音とならず項垂れる。やんわりと背を押されてこの場を去っていく。

 途中名残惜しそうに何度も振り返る王女に、アステルも残念とばかりに眉を下げて見送った。

 

 「でしゃばった真似をするな。あの御方はエジンベアの至宝。お前のような輩が、(みだ)りに近寄って良い御方ではないわ」

 

 衛兵が忌々しげに放つ言葉を聞き流す。短い時間であったものの純粋無垢な王女との出会いに、アステルはこの国に来て初めて癒された気がした。

 

 

* * * 

 

 

 

 中庭を抜けた区画から、長く伸びる赤絨毯が敷かれていた。それに従い歩を進めると、幅広の階段が見えた。

 白大理石の柱や階段の手摺には、薔薇の花が巻き付いた繊細な彫刻がされている。

 階段を登りきると、玉座の間へと出た。

 

 先導していた衛兵は脇へと下がり、アステル達に目で『進め』と言う。

 

 正直にいうと、今まで訪れた国の中で一番小さい玉座の間だった。

 しかし。壁や高天井一面に描かれた絵の壮大で、絢爛たる事。エジンベアの大地と、空と、そこに御座す神々と、それを崇める人々。その絵はまるで浮き出てるように、鮮やかで生き生きとしていた。

 一瞬間目を奪われはしたものの、アステルはすぐ顔を引き締める。

 

 黄金の玉座の手摺に頬杖を突いて、だらしなく腰掛ける王は若かった。

 恐らくタイガやカンダタと同じくらいの年齢ではなかろうか。そしてとても整った顔立ちをしている。

 五段差のある玉座から見下ろす好奇に満ちた目は、あの小さな王女様との血の繋がりを感じさせた。王女のそれは純粋な興味からくるものだったが、此方ははたして。

 アステル達は御前まで歩を進めると、跪いて顔を伏せた。

 

 

 「苦しゅうない、面を上げよ。余は心の広い王様だ。どんな田舎者であろうと、偏見など持たぬ」

 

 軽い口調でそう騙るその言葉こそ、偏見そのものなのだが。

 そう思いつつも「有り難き幸せにございます」と、アステル達は顔を上げた。

 王は顎を撫でながら彼女の事をまじまじと眺める。

 この寒さだ。防寒着はそのまま羽織る事を許されたものの、頭巾(フード)は流石に外している。待たされている間ひっきりなしに訪れる、シェリル曰く《暇人》の侮蔑の目に晒され続け、アステルはもう開き直ってしまった。

 

 ここはそういう国なのだと。

 

 

 やはりこの王も短い髪を嫌悪するだろうか。

 

 

 (どう思われても別に構わないけど、交渉に支障が出るのは困るなぁ)

 

 表情には出さず、内心では唸るアステルだったが。

 

 「……ふむ。そなたがかの有名な猛者オルテガの娘とな。なんとも可憐な娘ではないか。勇者などでなければ、余の妃に召し上げたいところだ」

 

 

 「は?」

 

 思わず素の声が出てしまった。まさか侮蔑ではなく関心を持たれるとは。大臣や家臣達もざわめき立つ。

 

 「お(たわむ)れを……」

 「戯れなどではないぞ? 顔立ちも美しいが、なによりもその青い目が気に入った。亡き妃も美しい青の瞳をしておってな。どうだ? 勇者など辞めて余の妃とならぬか?」

 

 目が青いのが妃を娶る基準なのか。

 あまりの事にアステルは呆気に取られるも、背後から感じた刺すような冷気にぞくっとして我に返った。

 

 

 (……なに今の。どこか窓でも開いてるの?)

 

 いやいや、そんな事よりも。と、後ろを振り返りたくなる衝動を抑えて、アステルは口を開いた。

 

 「誠に恐縮ながら。私は父の遺志を継ぎ、魔王を倒す使命と共に勇者の称号を戴いております。道(なか)ばで投げ出すつもりは毛頭ございません」

 

 「無礼なっ! 王に楯突くとはっ!」

 

 目を反らさずはっきりと述べるアステルに、王はその金茶の瞳を細め、傍らに立つ大臣が怒鳴った。

 控える衛兵が槍を構え、剣の束に手を伸ばす。不穏な空気が謁見の間に漂い始める。

 

 

 『───閉鎖されたあの国は目新しい物や珍しい物に目が無い。それは物でも動物でも人間でもな。特に貴族なんかは手段を選ばず手に入れたがる───』

 

 

 カンダタの言葉がアステルの脳裏に甦る。

 まさかそれが自身に適用されるとは。

 戦う訳にはいかないが、抗わない訳にもいかない。

 謁見中のアステル達の武器は全てシェリルが持つ《大きな袋》の中だ。膝を着いた状態のまま、シェリルは袋をすぐに開けられるようにし、タイガは飛び出し兼ねないマァムを押さえ、アステルとスレイはすぐに呪文が発動出来るよう臨戦体勢を取る。

 が。

 

 「はははっ! ならば仕方ないな! 諦めるとしよう」

 

 王自らが、その空気を一瞬で払拭した。からりと笑う王に一同、言葉をなくす。

 

 揶揄(からか)ったのか?

 

 アステルは肩透かしを食らった気分になった。

 

 

 「…………ご期待に添えず、申し訳ございません」

 

 建前上アステルは頭を下げるが、(たち)の悪い冗談に気分が悪い。

 そんな彼女の心中を知ってか知らずか、笑みを浮かべたままエジンベア王は(のたま)う。

 

 「構わん構わん。それで? 勇者殿は何用で我が国に参られた?」

 「はい。先に申し上げた通り、我々は魔王の元へと辿り着く、その為に必要となる品を求めて参りました」

 

 アステルの言葉に王は笑みを収めた。

 

 「………そのような物がここにあると?」

 「はい。それは《渇きの壺》という名でございます」

 「渇き?」

 「陛下。もしやあの品の事では」

 

 眉を顰める王に、家臣の一人がおずおずと進言する。

 

 「先々代の王の時代に献上された宝の中に紛れていた、あの呪われし壺です」

 「おお。アレの事か」

 

 (……呪われた壺?)

 

 アステルの疑問を読み取ったエジンベア王はニヤリとして、こちらに向き直った。

 

 「その昔、戰場から持ち帰った戦利品の中に奇妙な壺があったらしい。

 嘘か誠か知らぬが、その壺はここら一帯の水脈を一瞬で枯れ果てさせ、そして一瞬で元に戻したと聞く」

 

 「水を枯れさせ……元に戻す?」

 

 アステルが呟き、王は頷く。

 

 「壺が呪われているといわれる由縁の一つなのだが……」

 

 (一つ?)

 

 まだ何かあるのか?

 訝しげな顔を隠さないアステルに、エジンベア王の口の端が持ち上がる。

 

 「もう一つは実際、己の目で見た方が早かろう」

 

 そう言って王は玉座から立ち上がり、段差を下りると、アステルの前に立て膝をつき、手を差しのべた。

 まるで姫君を相手にする騎士のように。

 またしても周囲がざわめく。

 アステルは躊躇いながら、その手と王の綺麗な笑みを交互に見る。

 

 「壺が必要なのだろう?」

 

 王が甘さを帯びた声で囁く。

 だったらこの手を取れという圧力も感じた。

 駄目だと思いつつも、態度も表情筋も、いう事をもう聞いてくれない。

 自分は我慢強い方だと思っていたのだが。

 げんなりとしてその手を借りてアステルが立ち上がると、王はその態度をさも愉快そうに笑った。

 

 この手の平の上で転がされる感じ。

 

 (この王様……ロマリアの王様と同類だ)

 

 ロマリアの国王を狸と例えるならば、このエジンベアの国王は狐だろう。

 なんか似てるし。と、アステルはエジンベア国王の赤みのある金髪と糸目を、据わった目で見た。

 

 

 

 

 王に手を引かれたまま、アステル達は玉座の間を出る。

 どこかを目指す途中、小走りの王女マーゴッドとそれを追う侍女が現れた。

 

 

 「あーーっ! お父様っ!!」

 「おお、マーゴッドではないか」

 

 父王に気付き、王女はぱっと顔をほころばすも、アステル達の存在に気付くとむすっと頬を膨らませた。

 

 「お父様ばかりずるいですわっ! わたくしもアステルとお話がしとうございます!」

 「申し訳ございません。姫様がどうしても、そちらの旅人ともう一度会いたいとおっしゃって……」

 

 頭を深く下げるお付きの侍女によいよいと、王はアステルから手を離し、駆け寄る王女を抱え上げた。

 

 「このような事は滅多にないからな。お前も一緒に来るか?」

 「喜んでっ!」

 

 微笑ましく父娘が触れ合う隙に、アステルは仲間達の傍に寄る。

 ほっとしたら今度は背中にぞくりと悪寒が走った。

 恐々(こわごわ)と振り返ると、そこには痛いほど冷たい眼差しを此方に向けるスレイと、今にも暴れだしそうなマァムを持ち上げるようにして羽交い締めるタイガと、彼女の口を押さえるシェリルがいた。

 

 マァムが怒ってる理由はなんとなくわかるが………彼は?

 

 「あの、スレイ?」

 

 なんで怒ってるの? と言外に尋ねると、スレイは無愛想な顔で、胸に貯まった全てのものを吐き出すような、大きな大きな溜め息を吐いた。

 

 

 「お前にもあのくっそ不味い薬を飲ませておけばよかった」

 

 

 苛立ちを滲ませた声で、ぼそりとそう呟いた。

 

 

 







★ゲーム内の女勇者は母親に男の子のように育てられた設定ですが、当物語のアステルは母も祖父もアリアハン王も、勇者の後継として男の子のように育てるつもりは全くありませんでしたし、そのように育ててません。母親は花嫁修業ばりに家事を仕込み、王は淑女教育をしてる。祖父も孫の可愛さを危惧し護身術として剣術を教えてました。
アステルが勇者になる事を決意した以降から、周りの大人達は厳しい特訓を与え始めます。

★若いエジンベア王はオリジナルです。王女を幼くしたら、王も自然と若くなってました。すると簡単に会話して謎解きして終わる予定が大きく変わりました。ナゼコウナッタ?
エジンベア王家はロマリア王家と遠縁設定なので、ロマリア王のような軽そうながらも抜け目のない王様になりました。

2023年10月追記:久々にSFC版をプレイしてみたら、王女に固定名があった事が判明しました。自分で考えた名前も好きでしたが、見つけてしまったので変更します。(変な拘り)


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封じられた宝物庫①

 

 

 

 愛娘を抱え先導する王と、その脇と背後を守るように進む衛兵と大臣家臣。その間にアステル一行、その後ろにも衛兵が数十人でぞろぞろと進む。

 王宮の一番奥まった区画に、地下へと下る幅の狭い階段があった。

 

 「ここからは余と王女、大臣と勇者達、衛兵は……そうだな、腕力に自信がある者四人で構わん。残りはここで待機せよ」

 

 「はっ!」

 

 一人の衛兵が油燈(カンテラ)を持ち、先だって進む。その次に王と王女、大臣と残りの衛兵、最後にアステル達が狭く暗い階段を下りる。

 アステルは階段に一歩足を踏み込んだ途端、奇妙な胸騒ぎに襲われた。

 

 この感覚はもう何度か経験している。

 

 エルフの森、イシス宮殿、マリナンの神域。つまりは、誰かしらの力の及ぶ領域内に入った感覚だった。

 

 

 (エルフの森やイシス宮殿の時みたいな、敵意とは違うみたいだけど………)

 

 同時に。彼女の後ろを歩くマァムもそわそわキョロキョロとしだす。

 

 「……どうした? マァム」

 「なんかココぉ、変な感じがするぅ」

 

 タイガが小声で尋ねるも、マァムは大きな声で答えるものだから、大臣や衛兵達は胡乱な目を向ける。

 しかし、エジンベア王は目を細めた。

 

 

 「ほほう。流石は勇者の供と言ったところか。よくぞ気付いた」

 

 「……どういう事ですか?」と、アステル。

 

 「ここは元々宝物庫へと続く階段なのだが、本来の姿を変えたのだ」

 

 「姿を変えた……?」

 

 

 丁度、階段が終わり、扉の前へと立つ。

 

 王は王女を下ろし、懐から黄金の鍵を取り出すと差し込んだ。

 扉が開き、中に入るとアステル達は目を丸くさせた。

 石造りの地下室にも関わらず、灯りがなくとも明るい。まるでこの部屋自体が光を発しているかのようだった。

 まず部屋の入り口すぐの場所は演台のように高く、部屋全体を見渡せた。その演台の左右は緩やかな坂になっていて、降りるとそこは小さな迷路が広がっている。

 迷路の奥には小部屋があり、中には魔方陣が刻まれた蒼白い大きな石板が三枚、横一列に床に嵌め込まれている。

 しかしそこまで行かせまいと、細い通路の所々に青く鮮やかに輝く池が幾つも配置され、更には三つの大人の背丈程の石球が道を阻んでいた。

 

 

 「わぁ! ここに来るのは初めてですわっ!」

 

 マーゴッドが歓声を上げた。

 

 「ここは………何かの仕掛けですか?」

 

 アステルが問うと、「おそらくな」とエジンベア王は曖昧な返事を返すものだから、アステルは首を傾げた。

 

 「この部屋は元々なんの変哲もない宝物庫だったのだ。しかし、お前達の言う《渇きの壺》がその能力を示した明くる日、壺を仕舞っていた宝物庫はこのような仕掛け部屋に変化し、壺は封じられてしまった。困った事に宝物庫に納められた他の宝共々な。……お前達」

 

 王は衛兵四人に見向く。

 

 「一番端の石球を押して池に落とすのだ」

 

 「はっ!」

 

 衛兵達は迷路へと降り、四人並んで石球を池に向かって押す。しかし。

 皆顔を真っ赤にして必死に押すも、なかなか動かない。

 石球は磨かれたように滑らかなのに、余程重量があるのかボールのようには転がらない。

 それを見て「……やはり奴等には無理か」と、王のぼやく声がアステルの耳に届いた。

 

 見ていてじれったくなったのか、「代わろう」と、タイガが下へと降りる。

 しかし代わると言っているのに、なかなか石球から離れない衛兵達にタイガは眉を顰める。

 この狭い通路に五人並んで石球を押すのは危険だ。何かの拍子に転ばれて、壁と石球に挟まれでもしたら。

 

 「すまないが退いてくれ。危ないから」

 「なんだとっ!!」

 「愚かなっ! 自分の力量も測れんのかっ!」

 「そんなに一人で手柄が欲しいのかっ!」

 「なんと強欲なっ! これだから田舎者はっ!!」

 

 親切心で言ったつもりなのに、何故か逆上されてタイガは困り顔で頭を掻いた。

 

 

 (タイガなら楽勝よね・やろ・だろう)

 

 と、アステル、シェリル、スレイは心の中で声を揃えた。

 何故なら。

 旅立ったばかりの頃の話で、タイガはとある村で今対峙している石球以上の大きさの岩を、一人で動かして見せたのだ。

 それに加え、今の彼はあの頃以上の力を身に付けている。

 

 

 「お前達は下がっておれ。勇者の供の力、是非とも見せて貰おうではないか」

 

 敢えてアステル達に対して挑発的に言う王に、衛兵達は渋々と下がる。

 大口叩いておいて動かせなければ、あの勇者共々嘲り罵ってやる。そんな悪念を抱きながら、彼等は岩の前に立つ男を睨み付けた。

 

 

 「よっ、と……」

 

 タイガは石球に両手を着く。力を込めてそれを押す。

 

 「あっ!」

 

 ───ゴロゴロゴロ……バシャーーーンッ!!

 

 

 石球はタイガが思っていた以上に軽かった。

 力加減を誤って押した石球は勢い良く転がり、すぽんっと池へと嵌まってしまった。タイガは慌てて池に駆け寄り覗き込む。石球は底へ底へと吸い込まれる様に沈み、やがて消えた。

 この池は思っていた以上に底が深いようだ。

 

 口の端を引き釣らせながら、タイガが振り返る。

 

 

 「………落として、良かったんだよな?」

 

 衛兵達は瞠目して言葉を失っていた。

 王は呵呵(かか)っと笑い、王女とマァムが「「凄いですわ~~っ!」」とパチパチと拍手する。

 

 

 「うむ。見事だ。大した豪腕よ!」

 「……あの。石球は池に落とすモノなのですか?」

 

 アステルは王に問う。しかしそれに答えたのは王ではなく、顰めっ面のスレイだった。

 

 「違うな。多分あの三個の石球は、奥に見える三枚の板の上に乗せるんだろう」

 「恐らくはそうであろうな」

 

 「「なっ!」」

 

 いけしゃあしゃあと(のたま)う王に、アステルとシェリルは絶句する。

 タイガは再度池を覗き込んだが、最早水中に石球の影すら見えない。石球を引き上げるのは不可能そうだ。

 これでは永遠に仕掛けが解けないではないか。

 彼女達は批難の目を王に向けるが、当の本人は何処吹く風。

 

 

 「よし。皆の者、一旦この部屋から出るぞ」

 

 王女を連れて踵を返す王に、一同頭に疑問符を浮かべるも、大人しく部屋の外へと出た。全員が出ると王は部屋の扉をきっちりと閉め、そして扉を開いて再び中へ入ると……。

 

 

 「まあっ!」

 

 王女の驚きの声が高く部屋に響く。

 

 池に落ちて姿を消した筈の石球は何事もなかったように、元の位置へ戻っていた。

 

 「愉快ですわ! 不思議ですわ! お父様、ここは一体どうなっておりますの!?」

 「わからん。先々代はこの部屋を破壊し、宝を取り戻そうとしたそうだが、壊したしりから元に戻ったらしい。その後すぐ先々代は原因不明の熱病に冒され、儚くなられた。

 それを間近で見ていた先代……余の父王は呪いだと恐れて、この場の立ち入りを一切禁じた」

 「こっ、怖いですわ」

 「石球を動かしたり、池に落とす分にはなんともない。余が証人だ。安心するがいい」

 

 怯える王女の背中を、王は優しく撫でる。

 

 「大地を干上がらせ、甦らせる力を持つ、(まか)り間違れば国堕としの兵器にもなりうる壺。

 それを渡さんとばかりに人知を越えた仕掛け部屋を施したのは神の御意志か、悪魔の所業か。

 これが呪われし壺といわれる由縁だ」

 

 エジンベア王は改めてアステル達に見向いた。

 

 「勇者とその供よ。この部屋の仕掛けを解いてみせよ。見事成し遂げたなら《渇きの壺》はお前達にくれてやろう」

 「陛下っ! よろしいのですか!?」

 「構わん。余は壺以外の宝さえ取り戻せれば十分だ」

 

 慌てふためく大臣を王は軽くいなす。

 アステルは再度王に問うた。

 

 「……陛下は仕掛け部屋の解き方を既にご存知のようですが?」

 「これはパズルのようなモノだ。少し考えれば子供でも解けよう。だが、そのパズルを解く為の豪腕の持ち主は我が国におらぬのだよ」

 

 芝居がかった仕草で王は嘆いた。

 しかし。王は何らかの方法で一度はここの石球を動かし、池に落としているのだ。でないと部屋が元に戻る事を知りえない。

 実は自分達の力がなくとも仕掛けを解く事が出来たのでは?

 もしかして呪いが自身に降りかかるのを恐れて放置したのか?

 そう考え付くも、アステルはすぐ取り消した。

 この王が呪いを恐れるとは何故か思えなかった。

 

 やはり。《敢えて実行しなかった》というのが、正解ではないだろうか。

 

 

 アステルはエジンベア王の真意を探るように、じっと見上げる。

 するとエジンベア王は悪い笑みを浮かべ、彼女に手を伸ばした。持ち上げるようにしてその顎に触れる。

 

 「勇者よ。無闇矢鱈(むやみやたら)に男を見詰めぬ方がよいぞ? 誘ってるようにも見える」

 

 「は?」

 

 アステルには言っている意味が理解出来ない。しかし王の指が唇に触れそうになり、不快感に顔を歪めた。

 

 と、腕を取られ強く後ろに引かれる。

 

 ぽすんっと後ろ頭が背後にいる人物の胸に当たる。思わずほっと息が洩れた。

  

 

 「………スレ」

 

 背後を振り返ろうとしたが、横から現れたマァムに掻っ攫われるようにして、アステルは彼等から引き離された。

 

 エジンベア王は愉快愉快と笑うも、スレイは王を鋭く睨み続けていた。

 

 

 

 






ちょっと短めですが、キリがいいので。

★とある村とはレーベの村の事です。ゲームではかなり序盤に岩転がしイベントのフラグ立てしてたんですよね。

★謎解きのお部屋《岩転がし部屋》
本作では謎解きがゲームよりも複雑な設定で書いてます。
子供の頃は謎解きが難しかったFC版、操作ミスで何度も岩を池ポチャしてやり直したSFC版と最新版。キャラクターの動作が早くなった分、あと一歩ってとこが何故か二歩になる。本作中のタイガの池ポチャシーンは、自身がよくやった凡ミスを思い出しながら書きました。

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封じられた宝物庫②

 

 

 

 王の言う通り、確かにこの仕掛け部屋はパズルそのものだった。

 三個の石球を出鱈目(でたらめ)に動かしても、壁や池、はたまた自身で動かした石球に阻まれ、終着点である三枚の石板の上にたどり着けない。

 スレイは演台から迷路を俯瞰(ふかん)して的確に指示を出し、それに従ってタイガが石球を動かす。スレイの隣に立つ小さな王女も、自分で答えを考え、その答え合わせをするようにパズルが解かれる様を見下ろしていた。

 一つの石球を少し動かしては、周り道をして別の石球の元へと移動し、動かす。また大きく周り道をしてもう一つの石球を動かし、また最初の石球の元へと戻る。その作業の繰り返しだ。

 

 

 「ウチこういうの苦手や。頭こんがらがる。ようやるわ、スレイ」

 「ねぇ。盗賊の血が騒ぐのかな。あんなに早く指示出してるし」

 

 「あ~~……」

 

 早すぎてタイガが大変そうだが。

 シェリルが溜め息を漏らす。実際一回だけ先程と同じく力加減を誤り、うっかり石球を池に落としてしまった。

 一からやり直しになった時のタイガを見下ろすスレイの目は、本気(マジ)で怖かった。

 哀れタイガ。

 

 (ほんま、とっととエジンベア(こっ)から出たいんやなぁ。………それはウチもやけど)

 

 それになにより。

 

 

 「ふむ。あの者もなかなかやるな」

 

 (油断ならんこの王様から、(はよ)ぅアステルを引き離したいんやな……)

 

 ちゃっかりとアステルの隣を陣取る王に、シェリルはジト目になる。隙あらばアステルの肩に手を回しそうだが、その辺はマァムがアステルに抱き付いて阻止している。

 多少失礼な態度を取っても、この王様は気にしないようなので、もう放置だ。

 

 というか、シェリルももう疲れていた。

 

 それにマァムがアステルを守っていると思ったら、スレイの苛々も少しぐらいは緩和するかもと、そう思う事にする。

 

 そんなこんなで。二枚の石板の上に石球が乗り、残る最後の一枚の石板の上にタイガは慎重にゆっくりと石球を乗せた。

 カチと軽い音がタイガの耳に入ったと同時に、部屋全体が地鳴りと共に揺れた。

 

 「おっ?」

 

 タイガのいる場所から隣に見える壁がせり上がる。揺れが治まるとそこに一本道の通路が現れた。

 

 

 「よし。行くとするか」

 「お待ちくだされ! 陛下っ!」

 

 王はわくわくとする王女を抱え上げるも、大臣に慌てて止められた。

 

 「罠かもしれませぬぞ。ここは奴等に任せて、我々はここで待機するか、部屋を出た方がよろしいのでは?」

 

 そう言って大臣はアステル達を一瞥する。しかし王はその提案を首を横に振って却下した。

 

 「大臣よ、お前は忘れておるぞ。

 中に人がおる状態で誰かが外に出ると、中にいた者達が忽然と消えたと、記録にあったではないか」

 

 「そ、それは」

 

 大臣が激しく目を泳がせたのに、シェリルは眉間に皺を寄せた。わかっててそう進言したのでは、と、疑ってしまうのは致し方無い事だろう。

 

 「それにせっかく解いた仕掛けも、外に出ればなかった事にされるのだぞ。

 とにかく付いて参れ。お前達もだ」

 

 尻込みする衛兵達に嘆息を漏らしながら、王は部屋の最奥へと進む。続いてアステル達。大臣と衛兵は顔を見合せながら、結局その後を付いて行く。

 

 「む? 灯りが失くなったな」

 

 王の言葉に衛兵が慌てて油燈(カンテラ)を灯して掲げる。

 暗く細長い通路に、複数の靴音だけが響き渡る。暫く歩くと、辺りがぼんやりと明るくなった。奥に見える金色の輝きを目指し、一行は進む。

 

 

 ───辿り着いたその場所は、宝という宝が所狭しと並ぶ、約百年前に封じられた宝物庫だった。

 

 金銀財貨が詰め込まれた宝箱はうず高く積まれ、硝子で出来た棚には黄金細工や磨きあげられた宝石細工が飾るようにして納められている。壁に掛けられた宝石をちりばめた黄金の宝剣、盾、甲冑。

 金糸で細やかな刺繍がびっしり成された真白い絹の祭典用ドレスに、金剛石がふんだんにあしらわれた純金のティアラ。銀製の美しい皿や杯にカラトリー。

 明らかにエジンベア近辺で作られたのではない、機織り物や装飾品。玻璃や陶磁の器や置き物。見た事もない動物の巨大な牙や角、毛皮、剥製なんかもある。

 宝物庫の壁に備え付けられた黄金の燭台は、つい今しがた灯したかのように明々と輝き、中に納められた財宝を照らし出していた。

 

 おっかなびっくりで宝物庫へと入る面々。最後の一人が部屋へと入った、次の瞬間。

 

 ズドンッ! と、何かが落ちたような大きな音が鳴り響き、一同肩を飛び上がらせた。

 皆が背後を振り返ると、そこに道はなく、あるのは一つの扉だった。

 

 

 (………あれ?)

 

 空気の変化に、アステルは思わず辺りを見回した。マァムも同様に頭を傾げている。

 

 「どうした?」

 

 スレイがアステルに尋ねる。

 

 「………ずっと感じていた不思議な感覚が消えたの」

 

 辺りを見回したまま、そう答えるアステルにスレイは眉を顰め、今しがた現れた扉へと向かう。そして開いた。

 

 「貴様っ! 勝手に何をしておるっ!!」

 

 誰か一人でも部屋の外に出れば、部屋の中にいる者達は消滅してしまう。

 王と王女を除く、エジンベア勢がぎょっとして、慌てて扉へと走る。

 唾を飛ばしながら怒鳴り、掴み掛かろうとした衛兵をスレイは難なく避け、扉を全開にしてその奥にあるものを皆に見せた。

 そこにあったのは上へと登る階段。

 

 つまりは。

 

 

 「仕掛け部屋が消滅した」

 

 端的にスレイは言った。

 

 「大臣よ。あのままあの場に残っておったら、消えたのは余やお前達であったかもな」

 

 唖然とする大臣や衛兵達に、王は目を狐のように細めた。

 

 

 

 

 

 「───しかし。これまた随分と貯め込んだものだ」

 

 エジンベア王は顎を撫でながら薄く笑う。

 黄金色に輝く品々。これこそがその昔エジンベアが辺境諸国や他民族を蹂躙し、侵略した歴史の証に他ならない。

 

 「で、勇者殿。《渇きの壺》とやらはどれかわかるか?」

 

 「え?」

 

 「ここにあるのは確かだが、何分宝物庫に入れて直ぐに封じられてしまったからな。絵として記録を残す時間すらなかったのだ」

 

 「えっと……」

 

 そんな事を言われても、アステルも名前を聞いただけで実物を見た事がない。宝の山を見渡すも、それがどれかなんてわかる筈もなかった。

 

 (ど、どうしよう……)

 

 思わず隣にいるスレイを見上げた。

 スレイは軽く息を吐き、米神に指を当て、目蓋を閉じる。

 内にある悟りの書の智識を覗き、渇きの壺の記録を探る。

 暫くしてからスレイが目蓋を開けた。

 

 「……なんとかなりそう?」

 「ああ」

 

 不安げに見上げるアステルの頭にスレイはポンっと手を置き、それから宝の山に向かって手を掲げ、呪文を唱えた。

 

 「───探知呪文(レミラーマ)

 

 すると宝の山の片隅で、星のような光が瞬いた。

 マァムがその輝きの元に小走りで向かい、それを拾い上げると、アステルの元へと駆け戻り手渡した。

 

 「ありがと。マァム」

 「うへへぇ~~♪」

 

 アステルが彼女の頭を撫でると、マァムはふにゃりと笑う。

 

 「スレイ、さっきのは盗賊の魔法?」

 「ああ。レミラーマは本来、隠された宝を探知する盗賊の技法だが、そのまま使うとここにある全ての宝に反応するからな。

 渇きの壺限定で反応するように、効果を改変させた」

 

 事もなげに言うスレイだが、呪文の効果を変える事は即ち、新たな呪文を創造する事と同位である。誰にでも出来る訳ではない。

 

 (スレイ、息するみたいに新しい呪文(つく)るなぁ)

  

 感心しながら、アステルは受け取った壺を改めて見た。

 それほど大きくはない、艶のある黄白(クリーム)色の壺だった。口が二つあるので、壺というよりも水差しの形に近い。

 それは二匹の大小の魚が重なり合う姿を模しており、大きな魚が尖らせた口から、中の水が零れる様になっている。大きな魚の背に乗る小さな魚は体を丸く反り返して、取っ手の役割りを果たしていた。

 壺の胴の部分には、舟に乗って曳き網をする漁師、波模様を海と見立てて、魚、貝、蟹が、ヘラ彫りや鮮やかな柑橘(オレンジ)色の釉薬(うわぐすり)で塗り描かれている。

 

 「ほう? それが渇きの壺とやらか」

 「あまり可愛らしくはありませんわね……」

 

 どれどれ? と覗き込む王。背伸びをして見上げた王女は期待はずれだったのか、むうっと唸った。

 と。エジンベア王が突然、わざとらしく大きな咳払いをする。

 

 「……勇者とそのお供達よ! よくぞ宝物庫の封印を解き明かした! 褒美として渇きの壺はお前達に授けよう!」

 

 王の朗々たる声が宝物庫に響き渡った。

 びっくりして目を見開くアステルに、王が片目を閉じ、悪戯っ子のような顔をして笑うものだから、ついアステルも吹き出して笑ってしまった。

 

 

* * * * 

 

 

 地下室から地上に戻ると、アステル達は王と王女の強い要望で、応接間へと案内され、そのまま話し相手として付き合わされた。

 ようやく解放された頃には、外は雪が止み、分厚い雲の切れ目に茜が差している。

 空の見える王宮の庭園に案内してもらい、一行はそこから港へ瞬間移動呪文(ルーラ)で飛ぶ事にした。

 

 「もう行ってしまいますの!? わたくし、アステルとまだまだお話がしたいですわっ!」

 「申し訳ございません。王女様」

 

 駄々をこねる王女に、困った様に笑うアステル。……だが、先程から大臣や家臣、衛兵の目が怪しい。

 王が下賜したとはいえ、不思議な力を秘めた壺を取り戻そうと企んでいる輩がいるかもしれないので、早々にこの国を立ち去りたかった。

 

 何より………疲れた。この一言に尽きる。

 

 「マーゴッドよ。勇者殿を困らせてはならん。

 この国が嫌いになって、もう二度と来なくなるかもしれんぞ?」

 「そ、それは嫌ですわっ! アステル、嫌いにならないでくださいましっ!」

 

 父王の言葉に王女はガンっ! と、ショックを受け、それからアステルに縋った。

 

 「王女様(・・・)を嫌いになんかなりませんよ」

 

 この国を好きとはとても言えないが。

 

 アステルは王女の前に跪き微笑むと、すっと王が横から手を差し出した。

 アステルはその手を今度は素直に取って立ち上がる。

 立ち上がったのに、エジンベア王は手を離してくれない。

 アステルが頭を傾げると、王は手の中にある小さな手に口付けを落とした。

 

 「アステルよ。お前を妃にと言った言葉に偽りはない。

 魔王を倒した暁には、勇者の称号を捨て、一人の女として余の元へ参れ」

 

 

 

 

 

 

 「…………」

 

 アステルは身体が硬直して動かない。頭が真っ白になって言葉が出てこない。

 茫然自失の彼女の手を、王から引ったくる様にして奪った者がいた。

 

 

 「瞬間移動呪文(ルーラ)

 

 

 アステルを強く抱き寄せると、その者は怒気を帯びた低い声で呪文を唱えた。

 

 「っ!? っ、───っ!? ───っ、───っ!!」

 

 (えっ!? ちょっ、いくらなんでもそれは王様に失礼……って、スレイ、ルーラ使えないって言ってたよねっ!? それに皆がまだ残って……っ!!)

 

 我を取り戻したものの、言葉が音で出てこない。口をぱくぱくとさせるアステルは、スレイと光の膜に包まれ、灰色と茜色が混じる空へと飛んで行った。

 

 「行ってしまいましたわ……」

 「スレイのばかぁ~~っ! アステル連れてくなぁ~~っ!!」

 

 王女は悲しげに項垂れ、割り込みが間に合わなかったマァムは、天高く登った光の軌跡に向かって、手を振り回して叫ぶ。

 

  

 「………え~と。ほなサイナラ」

 

 とても王に対する態度でない、気の抜けた挨拶を残して、シェリルは怒るマァムを抱え上げたタイガの腕を掴み、素早く袋から取り出した《キメラの翼》を空へと放り投げた。

 

 そして来訪者は全員いなくなり、嵐が去ったように辺りが静まり返った。

 

 

 「………くっ、あははははっ!!!」

 

 突然、腹を抱えて笑い出した王に、呆然としていた家臣一同はハッとする。

 

 「な、なんたる無礼なっ! ええいっ! 何をぼんやりとしておるっ! 兵を回せっ! 港を閉鎖せよっ!

 エジンベアの宝を取り戻すのだっ!!」

 

 声を張り上げる大臣に、王は待ったを掛ける。

 

 「おいおい大臣よ。何を勝手に命じておる。あのような物、余には必要ない」

 「しかしですな! あの壺さえあれば、ロマリアなど取るに足らず。世界征服すら夢では……」

 

 「……余の命が聞けぬと申すか?」

 

 王の声が温度をなくす。大臣は慌てて口を紡ぎ、佇まいを正した。

 

 「お前、何を見て、聞いて、体験しておったのだ? 選択を誤れば、直ぐ様命が奪われるあの場で。

 あの空間を造りし存在にとっては、余もお前の命も塵芥(ちりあくた)同然。

 あの壺は人間(ひと)の手に余るもの。手を出してはならぬ神代の産物だ。

 手元にあらば、必ずや余と余の愛するエジンベアの民に災禍を(もたら)す。

 一時奪われた水脈は、正しく警告だったのだろうよ。

 だが先々代はそれに気付かず、欲を出した。故に宝も、命さえも。取り上げられたのだ」 

 

 この寒い中、大臣は身体中から汗が噴き出るのを感じた。

 日頃あまりにも自然体で気儘な王を装うものだから、つい忘れがちになってしまう。

 決してこの王は怠惰なわけでも、ただ尊大なわけでもない。

 この若き王は歴代の王の中で誰よりも、頭が切れる。そしてその手腕は、建国の父初代エジンベア王に酷似しているのだ。

 

 前王の無謀な統治で荒れた町並みと基盤を整備し、ポルトガとの国交を再開させ、民の生活水準を上げたのもこの王の治世からだ。

 民も、そして己自身も。そんな王を敬愛し、畏敬し、誇っているのだ。

 

 「お許しを……! 私めの浅慮でございました……!」

 

 平伏さんばかりに頭を下げる大臣に、王はその覇気を弱めると、元の狐目に戻った。

 

 「あの者達は、封じられた宝を余の元へと返し、災いの種をわざわざ持ち去ってくれたのだ。感謝せねばな?」

 「はっ!」

 

 

 

 

 エジンベア王は思い出す。

 

 あの少女と同じ、青い目をした旅人の男の事を。

 王宮に姿を消して忍び込んだ男は、まだ王子であった生意気小僧に見つかり、ばらされたくなければ付き合えと、二人で王宮地下の仕掛け部屋に挑戦した、あの時の事を。

 力加減を間違い池に石球を落としては男を罵り、此方が謎解きを誤れば男は馬鹿にして嗤う。

 何度も間違って、やり直して。

 そうやってやっと三個の石球を石板の上に乗せ並べたのに、なにも起きなかった。

 

 『なにも起きぬではないか!』

 

 腹を立てる王子に、男は苦笑した。

 

 『だから始めに言っただろう? こいつは俺達には見向きもしてくれないってな』

 『なぜお前にそんな事がわかるっ!』

 『なんとなく……かな?』

 『答えになってない!』

 

 怒鳴る王子の頭髪を男は無礼にもかき混ぜて笑った。

 

 『でも、楽しかったな!』

 

 

 

 

 

 「お父様っ! 本日はとても楽しかったですわね!」

 

 見下ろせば、娘が此方を見上げて花咲くように笑っていた。

 それに王は柔らかく微笑んだ。

 

 

 「ああ。楽しかったな」 

 

 

 

 

 

 








補足説明

★レミラーマがやっと使えた!
ゲームでは大変お世話になった盗賊呪文なのに、作中では使えるタイミングがなかなか見つからず、(マァムが持ち前の運のよさで小さなメダルを見つけるので)このまま使えないかもとか思ってました。
ゲームで殆ど使わないフローミは作中では結構使ってるのにね(苦笑)

★かわきのつぼのデザイン
渇きの壺のデザインは攻略本イラストを参考にして描いてます。本文では伝わりにくいかも、気になったら検索してくれるかな?と思いつつGoo*leさんで検索してみたら、なんとビルダーズの平凡な形の壺イラストしか出ませんでした。うそん。
アニメDQアベル伝説でも旧作デザインで(確か)出たはず。
ドラクエ3とビルダーズでは《かわきのつぼ》のデザインが違うんですね。知りませんでした。
そういえばロトも天空もリメイクされたアイテムイラストは簡略化されてるんですよね。
ゲームグラフィックにしやすくする為なんだろうけど、自分は旧作の細やかなデザインの方が好きです。

★プロポーズされた時の彼女の心の背景
まさに宇宙猫状態でした。

★エジンベア王の治世
大臣に目茶苦茶持ち上げられてましたが、それほど今までの王様の治世が悪かったのです。
外国人どころか自国民すら虐げて、内乱一歩手前の状態でした。こいつら勝手に滅ぶわ。と魔王すら放置する程の荒れよう。
人身売買や奴隷制度などは先々代から残った悪習。外国人(特にロマリア人)を偏見対象としたのは、民の国政への不満の捌け口とする為。
国交に関しては民に混乱が起きないように時間をかけて改善しようとしているので、此方の問題もいずれは解決する筈です。多分。  


ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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自業自得

 

 

 

 エジンベアの港に停泊している船の甲板で、積もった雪を寄せ集めて遊んでいる双子と、それを眺めながら温めた火酒(ウィスキー)の入ったカップを傾けるカンダタ。

 そんな彼等の前にアステルとスレイは降り立った。

 

 「おっ、戻ってきたな! ……って、お前らだけか? お嬢様達はどうした?」

 

 カンダタが訝しげに首を傾げ、双子も今はいない彼女彼等の姿を探す。

 

 「そ、それが、置いて来ちゃって……」

 「ハアぁ~~っ?」

 

 アステルの言葉に、なにやってんだとばかりに呆れ返った声をあげるカンダタだが、直ぐ様据わらせた目をスレイに向ける。

 

 「さては、お前の仕業か」

 「あいつらだって〈キメラの翼〉を持っているんだ。すぐ戻ってくる」

 

 この上なく不機嫌な顔で話すスレイ。カンダタは目を丸くし、「何があった?」とアステルに尋ねるが、なんとも答え辛い。

 

 何かあったのかと問われれば、エジンベア王に『魔王倒したら嫁に来い』と言われました……と、しか。

 

 けれど、それでどうしてスレイが怒るのか、アステルには皆目検討もつかなかった。

 

 そうこう言っている間に、転移の光が空から此方へと降ってくる。光の幕が消えるとシェリル、タイガ、マァムの姿が現れた。

 

 「ア~~~ステェルゥ!!!」

 「わっ!」

 

 タイガの腕から飛び出したマァムがアステルの首っ玉に齧り付く。それからアステルの身体をくまなく調べた。

 

 「だいじょぉぶぅ!? スレイにぃなんにもぉされなかったぁ~~っ!?」

 「だ、大丈夫だよ。マァム」

 

 マァムは再度アステルに抱き付いて、スレイに向かってはフシャーーッ! と、猫のように威嚇する。

 

 

 「揃ったな。じゃあ、さっさとポルトガに向かうぞ」

 

 スレイは猫の首根っこを掴むようにして、マァムをアステルから引き剥がし、ぺいっとタイガの方へ放り投げた。タイガは危なげなくマァムをキャッチする。

 華奢な女性とはいえ、細腕一本で抵抗する人間を軽々と放り投げている辺り、スレイの腕力も常人離れしている。

 

 「こるぁぁああぁっ!!!」

 

 マァムの怒声を完全に無視し、アステルの手を引いて、スレイは船の一番太い支柱(マスト)へと向かった。

 

 「す、スレイ! どうしたの? なんだか変だよ?」

 

 あまりにもいつもの彼と違う横暴な態度に、アステルは困惑する。しかし。

 

 

 「夜になる。さっさとしろ」

 

 底冷えしそうな冷たい目で見下ろされ、アステルは大人しく従う他なかった。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 あの後アステル達は、《船ごとルーラ》でポルトガ近海へと戻った。

 ランシールより距離が短かったからか、スレイによる理力供給は一回で済んだ。

 ポルトガの港に着いた頃には陽は落ち、空は紺青から闇色に染まりつつあった。

 スレイはまたカンダタやシェリル達を放って、アステルを引っ張って足早に船を降りる。

 勿論マァムもその後を追おうとしたが、スレイはマァムに対してまさかの幻惑呪文(マヌーサ)を唱え、追跡を躱した。

 アステルとスレイが増殖し、マァムはあわあわと目を動かし、そしてぶちギレた。

 

 「ばっきゃやろぉぉぉっ!!」

 「今晩の宿はウチん()やからなぁ~!」

 

 マァムにしか見えない無数のスレイを魔封じの杖で殴りながら叫ぶ隣で、時々自分にも向かってくる杖を避けながら、シェリルは二人に告げておく。

 アステルは引っ張られつつも振り返り、わかったとばかりに手を振り返す。二人は港の人混みに消えた。

 

 

 「だからなに暴走してんだ? アイツは」

 

 停泊作業を終えたカンダタが、フーッフーッと、鼻息荒く憤るマァムを宥めるタイガに尋ねた。

 振り返るタイガも、流石に疲れた表情だ。

 

 「まあ、強いて言うなら……悋気か?」

 「悋気ぃ~~?」

 「りんき?」

 「スレイ、りんき?」

 

 双子は互いに顔を見合わせて頭を傾げた。

 そんなほのぼのとした双子の反応に少し癒されつつ、タイガは後ろ頭を掻いた。

 

 「壺だけで十分なのに、とんでもない土産をくれたものだ。……あの王様は」

 

 (『参れ』って言うからには、アステルが行かなければ問題ない気もするが)

 

 相手が相手だけに、苛立ち不安になるスレイの気持ちもわからないでもなく、タイガは溜め息を溢した。

 

 (エジンベアに行くのは、これっきりにしてもらいたいな)

 

 己と仲間達の心の平穏の為にも。

 

 

 

* * *

 

 

 

 雪が舞っていたエジンベアと比べたら、ポルトガの冬はまだ暖かい方だった。

 夜の港街の酒場や食事処からは、魚介が焼ける芳ばしい匂いが彼方此方(あちらこちら)で漂う。まだまだ活気は治まらず、街灯も明々と照らされてどこかアッサラームの雰囲気と重なった。

 

 しかしそんな楽しげな空気に見向きもせず、無言で前を歩くスレイに、アステルは手を握られてる照れよりも、不安の方が勝った。

 

 

 (こんなスレイ知らない。本当にどうしちゃったの?)

 

 何処に連れてかれるかと思えば、武具屋だった。店じまいをしていた所にスレイは無理矢理入り、迷惑そうな顔をする壮年の店主に「女用の革手袋はあるか?」と尋ねる。

 店主は渋々とカウンターに商品を並べた。

 

 「今あるのはこれだけだよ。そっちの嬢ちゃん用かい?」

 「ああ。アステル、好きなやつ選べ」

 「え? でも……」

 「いいから」

 

 今身に付けている革手袋は、防寒具と共に新調したばかりのものだ。しかし、ここで変に逆らうのは得策でない気がしたので、アステルはカウンターに並べられた手袋に目を遣る。

 

 「手にとって試着しても構わないよ。サイズの微調整が必要なら、受け取りは明日になるけどな」

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 

 (よく擦りきれるし、予備に置いといてもいいか……)

 

 

 結局サイズ調整は必要なかったので、そのまま購入した。突然入ってきた迷惑な客なのに、店主は質の良い手袋を良心価格で売ってくれた。

 迷惑をかけた意識はあるのか、スレイは請求価格に色を付けたゴールドをカウンターに置いた。

 

 新しい革手袋をはめたまま店を出ると、スレイが振り返った。

 

 

 「アステル、さっきまでしていた手袋を渡せ」

 「え? う、うん」

 

 頭を傾げながら手袋を手渡すと、スレイはそれを忌々しげに一瞥し、そして。

 

 

 「───初級火球呪文(メラ)

 

 

 燃やした。

 

 しかも火球が現れる呪文の筈なのに、スレイの手の平に現れたのは小さな火柱だ。

 街の人々は誰か花火でも上げたのか勘違いし、歓声を上げた。

 革が燃える特有の匂いと煙が立ち昇る。革手袋は一欠(ひとかけ)の灰すら残さず、燃え去った。

 

 アステルは目を大きく見開き、あんぐりと口を開いたまま固まる。

 

 

 「お客さんっ! 人の店の前でなにやってんのっ!!」

 「ひゃっ!? ……ご、ごめんなさいっ!?」

 

 小火(ボヤ)かと武具屋の店主が慌てて店から飛び出す。その声で我に返ったアステルは店主に向かって慌てて頭を下げたが、スレイはそんな彼女の手を再び引いて、人集(ひとだか)りに紛れ込んだ。

 

 

 人並みを掻き分けるようにして進むスレイの背中を、アステルは見上げた。街灯に照らされ艶めく漆黒の髪が、その後ろ姿が、遠い日の思い出と重なる。

 

 あの日の去っていく『お兄さん』の後ろ姿と今のスレイの姿が重なり、アステルはどうしようもなく不安に駆られた。

 

 

 「スレイ、どうしちゃったの? なんでそんなに怒ってるの? 私、何か怒るような事した?」

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 ちゃんと聞かないと。話さないと。引き留めないと。

 いなくなる。『お兄さん』みたいに。スレイもいなくなっちゃう───。

 

 「ねぇ、スレイ。スレイったら……」

 

 

 震えだした声に、スレイは訝しげに後ろを振り返り、そしてぎょっとした。

 そこにはぽろぽろと大粒の涙を溢すアステルがいた。

 

 「なっ!? アステル!?」

 

 スレイは慌てて向き直り、アステルの顔を窺う。その表情がいつもの彼のものに戻り、アステルは安心して更に涙が止まらなくなってしまった。

 うぐうぐと更にしゃくりあげるアステルに、スレイは真っ青になる。

 

 

 「おいおい兄ちゃん。往来で痴話喧嘩かよ?」

 「イイオトコが女の子泣かせちゃダメでしょ~」

 「嬢ちゃん、そんな顔だけの男なんか止めて、こっちにきなよ~~?」

 「おっちゃん達が慰めてやるからさぁ」

 「ほれほれ。旨いもんもあるぞぉ~~」

 

 

 やいのやいのと周りの酔っ払いに(はや)し立てられる。スレイが睨み付けるも、全く効果がない。わざわざ足を止めて、此方を窺う輩まで出てきた。

 

 「くそっ!」

 

 スレイは悪態を吐くと、アステルの頭を抱き寄せて、これ以上彼女の泣き顔が晒されないように隠す。

 鞄から余っていた《消え去り草》の粉末を取り出し、自身とアステルに振り掛けて姿を消すと、大通りを足早に通り抜けた。

 

 

 

* * * 

 

 

 

 シェリルの家宅までの道中にある、海を眺められる憩いの場に来ると、スレイはまだ泣き続けているアステルをベンチに座らせ、自分もその隣に腰掛けた。

 

 

 「お前、なんで突然泣き出すんだ」

 「だって、スレイが無視するからぁ……!」

 

 余り物の消え去り草の効果は既に解けているが、周囲には誰もいない。

 アステルは一度泣き出すとなかなか治まらない。取り敢えずは泣かせておこうと、スレイは息を一つ吐いて、眼前の黒い海にぼんやりと目線を遣った。

 

 

 

 ふと辺りが薄明かるくなった。スレイは目を上げる。

 

 

 「……アステル。前見てみろ」

 

 声掛けられ、アステルは目元を拭いながら顔を上げた。

 雲で隠されていた真円が、その姿を現した。

 淡い黄金色に輝く月とその光は、静かな海に映り、細長い光の道となって海面に現れる。

 美しく神秘的な光景にアステルは息を呑み、目は釘付けとなる。耳に入る小波(さざなみ)の音はとても心地良くて。

 

 気が付けばアステルの涙は止まっていた。

 

 

 

 

 「落ち着いたか?」

 

 優しい声音で尋ねられて、アステルは照れ臭そうに頷く。

 

 「スレイも、その、……落ち着いた?」

 

 スレイは瞠目し、それからばつが悪そうに頭を掻いた。

 

 「………悪い」

 

 俯き様に弱々しく謝るスレイに、アステルは瞳を大きく見開く。

 

 

 「馬鹿な真似をした。辺境とはいえ、一国の王にあんな態度を取って、今後の旅に支障が出てもおかしくはないってのに……。

 ……貴族にとってあんなのは挨拶だって、わかってる。目くじら立てるような事じゃないのもな……ただ」

 

 そこでスレイは言葉を切った。

 言おうか言うまいか思い(あぐ)ねるように。

 

 

 「……ただ。その後の言葉にオレの気分が悪くなっただけだ。

 お前は何も悪くないし、突然あんな事して悪かったとも思ってる」

 

 アステルは胸が高鳴るのを感じた。

 スレイの言葉に、何故か喜んでいる自分に戸惑う。

 

 「私は王様が言ってた事、本気にしてないよ。言われた時は、そりゃびっくりしたけど、今は……なんとなくだけど。あの言葉は全部が全部、本気じゃない気がする」

 「どういう意味だ?」

 「王様にとっては、私がお妃になってもならなくても、どっちでも良いってくらいの本気かな……って」

 

 アステルがエジンベアを嫁ぐ意思があるならば、お妃として迎え入れ、大切に愛してくれるかもしれない。けれど来ないならば別に構わない。

 

 つまり、その程度の想いだという事だ。

 

 渋面(しぶづら)になるスレイに、アステルは困ったように笑う。

 

 「今後オレの目の黒いうちは、おかしな男は近寄らせない。反論は認めない」

 

 「……それって、ひと月限定?」

 

 薬の効果が切れて黒い瞳が琥珀に戻る頃だ。

 揶揄(からか)うアステルに、スレイは目を据わらせて、彼女の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に掻き混ぜた。

  

 

 「ねぇ? スレイ」

 「なんだ?」

 「なんで手袋を燃やしたの?」

 

 アステルは乱された髪を整えながら尋ねると、スレイは一瞬動きを止めた。

 目を反らし、さらさらの黒髪をわしわしと掻き、何処かとても言いにくそうに。

 自分と違い、乱しても癖の付かない髪を羨ましげに眺めながら、アステルは彼の答えを待った。

 

 

 「………お前、深く考え事すると手を口元に持っていく癖があるの、気付いてるか?」

 

 不貞腐(ふてくさ)れたように言うスレイに、アステルは頭を傾げた。そんな癖あるのかと、だから何? という疑問を浮かべた顔に、スレイは自棄糞(やけくそ)とばかりに怒鳴った。

 

 

 「お前は男が口付けた手袋を身に付けて、これからもそうするつもりか?!」

 

 言われて、アステルは自身に雷が落ちたかのような感覚に襲われた。ぶんぶんと頭を横に振る。

 

 「ないっ! それはないっ!!」

 「だったら、焼却処分しても文句はないなっ!?」

 「はいっ!!」

 

 激しく首を縦に振るアステルに、スレイは大きな溜め息を吐いた。

 

 (おもむろ)に。

 

 スレイはアステルの手を取り、弄ぶ。

 アステルは頭に疑問符を浮かべ、されるがままになっていたが、不意にびくりと肩が跳ねた。

 

 

 「す、れい……?」

 

 スレイの指先が絶妙な力加減で手の平を撫で擦る。いつもの握られ方とはまるで違う、とても優しく、なにかを探るような擽るような触れ方。

 ざわっと肌が粟立つ。けれど、それはけして嫌なものではなくて。むしろ手袋越しなのが、とてももどかしくて。

 と。我に返り気恥ずかしくなったアステルはその手を退()こうとしたが、簡単に捕まってしまう。

 指と指が絡まり、引き寄せられる。

 熱を帯びた黒水晶の瞳がひたりと、アステルの潤んだ青の瞳を捉えた。

 

 スレイがその手を持ち上げ、唇がアステルの指先に触れる───

 

 

 ───事はなく。彼は唐突にベンチから立ち上がった。

 手にある小さな手を持ち直して、彼女を引き上げ立たせる。

 

 「……アステル。なにぼんやりしてるんだ。少しは抵抗しろ」

 

 「へあっ!?」

 

 「危機感がなさすぎる」

 

 スレイはぺしっとアステルの頭を軽く叩く。

 アステルは暫し呆然としたものの、カッと顔を紅く染めた。

 

 「し、したからっ! 抵抗っ! 手、のかそうとしたからっ!」

 「あんなの抵抗とは言わない。思いっきり突き飛ばせ」

 

 嘆息を漏らすスレイに、アステルは躍起になって叫んだ。

 

 

 「そんな事、スレイに出来ないよっ! だって───」

 

 

 ───嫌じゃなかったから。

 

 

 それは言葉にはならなかったが、何故か伝わった。伝わってしまった。

 アステルとスレイは互いに目を見開き、言葉を失くした。

 小波の音が辺りを支配する。

 月が雲に隠される。

 スレイの表情が闇に隠れ、アステルはハッとする。

 そのまま彼の存在が闇に溶けて消えてしまいそうで、アステルが思わず手を伸ばすと、その手はしっかりと握られた。

 

 

 「───もう、行こう」

 

 そう言って、スレイはアステルの手を引いて歩き出す。

 

 

 

 そう。嫌じゃなかった。

 

 アステルは思い返す。

 こうやってスレイに手を握られるのも、頭や髪を撫でられるのも。抱き寄せられた時も、頬や唇に触れられた時だって。

 

 あの王様は嫌だった。

 

 タイガやカンダタに肩を叩かれたり、頭を撫でられるのは、父や祖父にされるのと同じ感覚で。

 怪我を診るとかの緊急時じゃない限り、身体に触れられるのは……なにか違うと思うし、やはり嫌だと思う。

 

 

 「アステル」

 

 不意に名前を呼ばれて、アステルは顔を上げた。手が口元にあったのに気付くと、いたたまれない気持ちに襲われた。

 

 「今日は本当に疲れたな」

 「………うん」

 「もう考えるのはよせ。多分、今日はろくでもない事しか思い浮かばない」

 

 

 ───ろくでもない事。

 

 

 「帰ったら多分、スレイはマァムに目茶苦茶叱られると思うよ」

 「勘弁してくれ」

 

 暗闇の中で舌打ちするスレイに、アステルはフフッと笑った。

 

 

 「自業自得だよ」

 

 

 潮騒の音を聴きながら、アステルはさっき感じた胸の痛みをなかった事にした。

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 ───我慢ならなかった。

 

 エジンベア王がアステルの手に口付けを落とした、あの時。

 スレイは自分でも驚くぐらい感情を抑えられなかった。

 

 いずれ。いずれは。

 

 彼女を手放す日が来る。

 彼女が魔王を倒し、普通の娘に戻る日を迎えた時。

 

 自分は彼女の隣にはいないだろう。

 

 なのに、目の前で彼女が別の男に笑みを浮かべ、話し、触れられ、求婚されている場面を目にした瞬間。

 

 いずれ訪れるであろう未来を垣間見た瞬間。

 

 

 スレイは彼女に手を伸ばしていた。

 

 渡さない。渡したくないと。

 

 

 その後の己の行動を省みて、頭を抱えたくなったのは言うまでもない。

 

 更に。

 

 手袋の話をした後の行動は、魔が差したとしか言いようがなかった。

 

 自分があの王と同じ事をしたら、どんな反応を見せるのか。と。

 

 あれだけ理不尽な憤りをぶつけられた後なのだから、警戒するだろうともスレイは思っていたのだ。

 

 

 なのに。

 

 

 『そんな事、スレイに出来ないよっ! だって───』

 

 

 その先は言葉にならなかったのに、彼女の切なげな眼差しが先を物語っていた。

 

 

 拒まれなかった事が、ただただ嬉しかった。

 

 

 そんな己の身勝手さにスレイは自嘲し、

 

 

 

 ────厭悪した。

 

 

 

 

 

 






スレイ暴走回。

賢者にはなれましたが、悟りの境地には達しておりません。

*追記*
ここにきて追加で章分けしております。
実は最後の鍵入手までをひとつの章にしようかと思っていたのですが、そうするととても長い章になると今頃気付き、修正しました。
ですので前の章でキャラクター紹介も加えていますので、時間がございましたら目を通して頂けたら。(読まなくても別に問題ありません)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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八章 スーの村
第二の伝承者


 

 

 アステルとスレイがシェリルの実家である邸宅に着くと、玄関(エントランス)で目を据わらせたマァムが、魔封じの杖を手に、仁王立ちして待っていた。

 

 振り翳した杖の先端から、紫の霧が噴き出し、隣のアステルを器用に避けて、スレイだけを包んだ。

 いつもと違う色の濃い紫の霧は、効果を一人に限定させた分、その威力は強く。

 結果スレイは一週間もの間、魔封じの刑を喰らう事をこの時点ではまだ知らない。

 カンダタには冷やかされ、シェリルには呆れられ、タイガには生暖かい目で肩を叩かれた。

 止めとばかりに双子からは、曇りなき眼で「りんき?」「スレイ、りんきしてたの?」「りんきってどんな感じ?」と質問責めに遭っていた。

 

 

 

 ───それから二日後。

 

 想像以上にエジンベアで疲弊した心を癒し、船の整備や食料品や水等の備蓄品の補充を終えて、アステル達はポルトガを出港した。

 目指すはポルトガからは西。地図上では東大陸に当たる場所。川が多く、ジャングルと呼ばれる密林地帯にある集落。

 そこに住む者達が《渇きの壺》の元来の所有者であり、その使い方を知っている。

 そしてそこには、スラりんのような《伝承者》もいるらしい。

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 遮る物が何もない外洋に出て、一月(ひとつき)が経過したある日。

 曇天続きの空に久方振りの青空が広がった。アステル達女性軍と双子は溜まっていた洗濯物と格闘し、今しがた戦闘終了したところだった。

 カンダタは舵取り、タイガは甲板掃除をしていてマァムと双子はそちらの手伝いに向かった。シェリルは備品の整理に倉庫へ。

 アステルはお昼の準備でもしようと炊事場へと向かう途中、皆の憩いの場としている船室で、椅子に腰掛けて武器の手入れをしているスレイの姿を目にし、なんとはなしにそちらへと足を運んだ。

 

 

 スレイは目だけ動かし、アステルが此方に来るのを確認する。

 洗濯をしていたのを知っていたスレイは、「お疲れ」と労うのに、アステルは笑みを浮かべて向かいの席に座った。

 アステルは机上に広げてある《妖精の地図》を覗く。

 なんとこの地図、渇きの壺の所有者である原住民の住みかまで記載されているようなのだ。スラりんとエジンベアで聞いた話を照らし合わせたら、地図に記載された《スー》という名の場所で間違いないだろうとなった。

 地図上でちょこちょこと忙しく動く羽根ペンの動きを眺めていたが、順調に海の青を右端まで塗っていたと思ったら。

 

 「わっ!」

 

 ぴょんと左端側に飛んで、セピア色の地図に鮮やかな青を塗り始めた。

 アステルの驚く声に、スレイは武器の手入れの手を止め、地図を覗き込んだ。

 

 「今、東大陸側の外海に出たな」

 「え? そうなの?」

 

 船で旅をして一番不思議だと実感するのが、この世界の繋がりだ。

 目の前の地図のように、囲いや壁があるわけでもない。

 

 世界に境界などはなく、広がり繋がっている。

 

 

 

 ダガーを鞘に納め、今度はドラゴンテイルの手入れをし始めたスレイを、アステルは見た。

 船旅を再開して暫くの間魔法が使えず、久々に武器の出番となった。

 マァムは『ざまあみろ!』とばかりに高らかに嗤っていたが、スレイもまた呪文に頼りきった戦闘から脱却するのに丁度良かったと、心内で嘲笑っていた。

 

 ……とまあ、二人の駆け引きはともかく。

 

 魔封じが解けたそれ以降も、スレイは魔法と武器を組み合わせた戦術に変えている。

 

 

 「………なんだ?」

 「えへへ……」

 

 白銀の髪をさらりと揺らし、琥珀の瞳が持ち上がる。

 目が合ってはにかむアステルに、スレイは訝しげな顔をする。

 エジンベアに乗り込む為に飲んだ変装用の薬の効果が昨日切れ、スレイ、カンダタ、ノエルの目と髪の色が元の色に戻った。

 

 「スレイに久し振りに会えた感じがして、なんだか嬉しくて」

 「……黒の方が良かったんじゃなかったのか?」

 「あれはカンダタさんが勝手に言っただけだから。本気にしないで」

 

 意地悪く笑うスレイに、むすっと膨れっ面になるアステル。

 「ああ、そうだ」と、スレイは思い出したように、手入れをし終えた刃のブーメランをアステルに差し出した。

 

 「なに?」

 「お前にも、そろそろコイツが使えるんじゃないかと思ってな。オレは暫く使わないから、お前が使うといい」

 

 ブーメランが納まった革のホルダーごと受け取る。ホルダーから引き出すと、持ち手となる強靭な革で巻かれている部分以外は、全て青々と輝く鋭利な刃となっていた。アステルは上目遣いで恐る恐る尋ねる。

 

 「………指、持ってかれない?」

 「不必要に怖がる方が失敗するぞ。今のお前なら取り損じる事もないだろ。

 練習には付き合う。なんなら防禦強化呪文(スカラ)を掛けてやるから」

 

 頭の上にポンっと手を置いて琥珀の瞳を細めるスレイに、アステルはひと月前の海辺での出来事を思い出す。

 

 あれから彼はあの事について、全く触れる事はなかった。

 まるでそんな事などなかったかのように。

 

 

 いつも通り(・・・・・)のスレイ。厳しいけど、でも優しい、頼りになる……仲間。

 

 自分を支え励ましてくれる、いつも通り(・・・・・)の優しくて大きな手。

 

 

 (………それなのに)

 

 

 胸がしくしくと痛むのは何故だろう。

 

 

 

 

 「あ~~~すてぇるぅっ!!!」

 

 と、マァムとトエルが船室に慌てて駆け込んできた。スレイが傍にいるのを見て、マァムはあからさまに顔を歪め、文句を言おうと口を開けたが、トエルがそんな場合じゃないとばかりに、彼女の手を引っ張る。

 

 「どうかしたのか?」

 

 席から立ち上がってスレイが尋ねると、トエルが勢いよく首を縦に振った。

 

 「しびれくらげの、大軍が、甲板に溢れ返って、るっ! 駆除手伝ってっ!!」

 

 「「はあ?」」

 

 

 

 甲板に上がると、びっしりと蔓延る〈しびれくらげ〉の感情を乗せない丸い目が、一斉に此方に見向く。その異様さと気持ち悪さに、アステルとスレイは思わずたじろいだ。

 直ぐ後から現れたシェリルも「なんじゃこりゃぁっ!!」と、顔を歪ませて驚嘆する。

 

 

 「お、おお……やっと、来たか……」

 「タイガ!?」

 

 二匹の白いくらげに触手でペシペシと身体や頭を叩かれている、タイガがすぐそこにいた。

 麻痺攻撃を食らったのか、膝を着いたタイガがひくひくと口の端を上げた。

 

 「キィアリィク~~~っ!」

 

 マァムが緩和呪文(キアリク)を唱える。黄色の光がタイガの身体を包み込み、彼を蝕む麻痺毒を消す。

 身体が動くようになると、タイガは直ぐ様くらげを空へ蹴り飛ばした。

 

 「参ったよ。いきなり甲板に一匹現れたかと思ったら瞬く間に、あれよあれよとこの通りだ」

 

 そう言って、タイガは笑顔で頭にへばり付くくらげを剥がし、触手に触れぬように握り潰す。………ちょっと怖かった。

 トエルがノエルの元へと駆け寄る。くらげ軍団に、ノエルは初等真空呪文(バギマ)を、トエルは中等閃光呪文(ベギラマ)を合わせ唱える。

 クラゲ軍は切り刻まれ焼かれて、核となる青白い宝石を残して消滅する。

 しかし、減ったしりからまた大量のクラゲが海から這い上がってくるのに、双子はうんざりと同時に溜め息を漏らした。

 

 

 「なんだ? この海域はしびれくらげのアジトなのか?」と、スレイ。

 

 「嬢ちゃ~ん! あの魔物避けの呪文使ってくれねぇか!」

 

 カンダタが襲いかかってくるクラゲに対し、鬱陶(うっとう)しげに戦斧を振るいながら叫んだ。

 

 「は「あーーーっ!!」……い?」

 

 アステルの返事と被せるように、シェリルが悲鳴を上げた。何事かと振り返って、アステルも青褪める。

 なんと船尾に干していた衣類やシーツやタオルに、しびれくらげが迫りつつあるのだ。

 折角渇き始めてるのに濡らされてしまう。最悪、破かれたり飛ばされでもしたら大惨事だ。

 

 

 「────結界呪文(トヘロス)!」

 

 アステルは(まなじり)を上げ、洗濯物を死守せんと一際強く呪文を唱える。彼女を中心に白く輝く結界が船を覆うように展開される。

 それにより、船尾から乗り込もうとするくらげ達は尽く弾き飛ばされ、他のくらげも光を恐れて、立ち去って行く。

 

 取り敢えずの危機は回避されたが、船尾の方を意識し過ぎたせいか、甲板前方の結界の効果が僅かに弱かったらしい。

 光を恐れず残った勇猛なくらげ達が、まだ数十匹甲板に残っていた。

 

 「あとはスレイの魔法で………」倒して貰おうとしたところで、アステルの肩にスレイの手が置かれ理力が供給される。

 消費した理力が満たされる。それだけではなく、更に防禦強化呪文(スカラ)がかけられた。

 

 「え? ……スレイ?」

 「丁度いいブーメランの練習台が出来たな」

 

 スレイは黒い笑顔でついでとばかりに、しびれくらげの大軍に遅緩呪文(ボミオス)をかける。突然動き辛くなったくらげ達の顔に、焦りの色が見えたような気がした。

 

 「あの、私さっき仕事したばかり……」

 「ちゃんと理力は回復させたろ」

 「そ、そうだけど」

 「全部倒した頃には使い熟せてるだろう」

 

 額に冷や汗を垂らすアステルに、船室に置いてきた筈の刃のブーメランが手渡される。

 

 いつも通り(・・・・・)、優しくも厳しいスレイがそこにいた。

 

 

 勇敢なるくらげ達は宝石へと姿を変えて一行の旅費として麻袋に納められ、アステルはひたすらブーメランを投げ続けたおかげで、その日のうちにコツを掴む事が出来た。

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 ───ポルトガを発ってから、まもなく三月(みつき)目を迎えようとした頃、東大陸の影が見えた。

 地図に従い、切り立った岩山に沿って南下し、大きな河口に入った。

 川上を進むにつれ何度も岐路が分かれる川を、妖精の地図と見張り台からスレイが盗賊の技法《鷹の目》を使い、場所を逐一確認しながら船は北上する。

 両岸には目にも鮮やかな常緑広葉樹の密林がどこまでも広がり、珍しい動物の息遣いや視線を感じる。赤や青黄、色とりどりの幻想的な鳥の不思議な鳴き声が響き渡る。

 

 生命力に満ち溢れた大地と言えば、聞こえがいいが。

 

 ふと水辺に視線を遣れば、陸から川に滑り入る大の男の背丈と同等かそれ以上の大きさ蜥蜴……(ワニ)と呼ばれる獰猛な生物に(アステルはスレイに説明されるまで魔物かと思った)、小さな野鳥を狙わんと水面を勢い良く跳び跳ねる肉食魚や、川のはずなのに鮫までいたりする。

 

 勿論それだけではない。

 

 氷刃呪文(ヒャド)中等治癒呪文(ベホイミ)など魔法を操る、半魚人(マーマン)の進化系マーマンダインや、ガルーダの進化系、魔鳥ヘルコンドルといった魔物達も船の行く手を阻む。

 ヘルコンドルが美しい紫銀の翼をはためかして唱えた強制転移呪文(バシルーラ)にはひやりとさせられた。

 呪文を受けたタイガの身体が一瞬浮いたかに思えたが、その前にマァムが振り翳した魔封じの杖の霧の効力がじわりと効いたのか、呪文発動は阻止された。

 

 風があまり吹かず、とにかく蒸し暑い。昼過ぎには決まって夕立のような激しい雨が降るが、だからといって涼しくなるわけでもなく、夜は湿気と蚊うなりが酷く寝苦しかった。

 虫除けの香を焚き、スレイが魔法で出した氷塊を砕いて暑さをどうにか凌ぐ。

 傷みやすい食材や作り置きは全て、保存の効く《大きな袋》に突っ込んだ。

 妖精の地図といい、これをくれたナジミの塔の賢者に、本当に感謝の念に堪えない。

 

 

 

 川を登る事、三日目。

 

 明らかに人が作った、二本の丸太を縄で繋ぎ合わせて掛けた橋が見つかった。

 そして更に北上すると岩山に囲まれた小さな平原に、集落を発見した。

 小さな波止場だが、川の水量もあって船をなんとか停める事が出来た。が。

 

 ばらばらと、集落から男衆が疾風の如く此方へと駆け寄って来る。

 いずれも額に刺繍の施された抹額(まっこう)を巻き、大鷲の羽根を一本飾り差している。

 濃い褐色の肌に黒い目。黒に近い焦茶色の縮れ髪。顔や身体中に様々な模様の刺青がなされている。青い石と動物の牙や羽根で作られた首飾りを二重三重に掛け、鍛え抜かれた裸胸に、赤や青の鮮やかな刺繍が施された衣と、鹿革の腰巻きをしていた。

 此方に対し、敵意を剥き出しにして、手にある弓や斧を構え、槍を突き出した。が。

 

 

 「やめよ」

 

 しゃがれた声が一色触発の空気を破った。

 

 男達は道を開き、武器を下ろし、その場に跪く。

 現れたのは翠緑の鬣を持つ白馬を従えた、腰の曲がった老人だった。

 服装は他の者達とほぼ同じだが、装飾品や頭に被る大量の大鷲の羽根をあしらった立派な冠から、この集落で一番位の高い者だと一目でわかった。

 闇夜のような黒い瞳に呼ばれた気がして、アステルが動くとスレイに引き止められた。

 

 「大丈夫だから。シェリル、《渇きの壺》出して」

 

 アステルが苦笑してそう言うと、スレイは眉を曇らせるも掴んだ手首を離した。

 シェリルに手渡された渇きの壺を受け取ると、一人船から飛び降り、アステルは老人と白馬に近寄る。

 老人は手に持つ杖を頼りに膝を突き、白馬も彼女の前に頭を垂れた。

 

 「我らは、スーの一族。よく、来た。《天の愛し子》よ」

 

 

 

 

 老人はスーの一族の長だという。アステル達は彼に導かれ、集落の中へと入った。

 彼等の家屋は黒檀の木で建てられ、屋根は茶色い椰子の葉で()いている。湿気の多い土地だからか、全ての家が床が地面から持ち上がっており、梯子に登って入るようだ。

 男達が各々元居た場所へ戻っていく。家畜や馬の世話をする者、槍を鍬へと変え、畑仕事に精を出す者、そのまま森へと狩りに出掛ける者。

 鹿革を身体に巻き付けた女達と共に、家に押し込まれていたのであろう子供達は、腰巻きのみの出で立ちで我先にと外へと飛び出し、元気に駆け回る。

 皆、露出の多い簡素な服装だが、高温多湿なこの地域で暮らすには、その方が快適なのだろう。

 

 しかしアステルはある点に気付き、頭を傾げた。

 

 集落の様子を眺めながら長に付いていく。

 集落の中心には井戸があり、女性達はそこに集まって、洗濯や料理に使う野菜を洗っている。作業をしながら、楽しそうに会話に興じているが、やはり聞き慣れない音の羅列だ。

 

 「ここの人間は全員古代語で会話しているのか……?」

 「え?」

 

 スレイが信じられないといった感で呟き、アステルはそれに反応する。

 

 

 「……遥か昔。神は、争いが、絶えぬ、地獄の世界を、消し去った」

 

 先頭を歩く長が(おもむろ)に口開く。

 

 「神は、人の、諍いの原因、言語の違いと、理解した。

 故に、この世界と、人、再び創造した時、一つの言語、しか、話せない、ようにした。

 しかし我ら、スーは、滅びた世界より、神に、導かれ、新たな世界に、住む事、許された、唯一の、人の末裔。

 ドワーフ、エルフ、同様、忘れ去られし、時代の、我らの祖の、言語、使う事、許された、存在。

 我らにとって、それ誇り。

 故に我ら、忘れ去られし、言語、使う」

 

 それを聞いて、この世界の言語が統一している不可解さを初めて意識した。もしかしたらそれすらも、神の思惑の一つなのかもしれない。

 

 「皆、お前達の言葉、通じない、訳ではない。が、我ら、うまく、話せない。許せ」

 

 

 長の家に辿り付くと、彼は庭の方へと回る。そこには太い丸太を真っ二つにしたようなテーブルと、並べられた丸太の椅子があり、アステル達を招き座らせた。

 ……成る程。この庭は僅かながらも風が通って心地よい。

 ほっと一息吐いている間に、女性達が大きな葉っぱに色んな果実をふんだんに盛ったのと、椰子(やし)の実の殻を半分に切ったのを器代わりしたのを、テーブルに並べていく。

 

 「まずは、我等が宝を、取り戻して、くれた事に、感謝する。たくさん、食べて、飲め」

 

 「急。肉、魚、まだ焼けてない。先に果実、食え。喉、乾いただろう。どんどん、飲め」

 「は、はい」

 

 年重のいった女性が友好的な笑みと声で、アステルに器を差し出す。

 器を手に持つとひんやりと冷たい。覗くと氷が入っていた。

 恐らく氷魔法の使い手がいるのだろう。

 途端、喉が渇きを訴えた。アステルは器を口に付け傾ける。

 イシスでも飲んだ椰子の実のジュースだが、冷やされている分こちらの方が断然飲みやすかった。

 

 

 『お口に合いましたか?』

 「はい! とても美味しいです………?」

 

 背後から発せられた優しげな若い男性の声に、アステルは思わず返事をしたが、振り返れば───先程からお利口に付いて来ていた白い馬しかいない。

 

 今の声は一体………?

 

 

 『それはよかった。私もソレ好きなんですよ』

 「────っ!!!」

 

 アステルは椅子からずり落ちそうになるのを、隣に座るスレイがさっと手を出して支えた。

 

 「う、馬が喋った!?」

 

 シェリルが指差して叫ぶ。白馬は悪戯が成功したかのに満足げに鼻を鳴らした。

 

 「…………スライムの次は馬か」

 「えっ!? じゃあ」

 

 呆れ顔でぽつりと漏らすスレイに、アステルは恐る恐る白馬に問い掛ける。

 

 「伝承者……さん、ですか?」

 

 

 白馬は肯定するように高らかに(いなな)いた。

 

 

 






刃のブーメランのデザインは3版ではなく11版のデザインで描写しています。
いやだって3のデザイン、人が使うのに無理があるでしょうってなる(笑)
気になる方は検索してみてください(笑)
刃のブーメランが初めて登場したのはドラクエ5でリメイク3(SFC版)はそのまんまのデザインが起用されたようですが、あれは仲間モンスターの為の武器かなって思ってます。(当時あったドラクエ4コマ漫画で、刃のブーメランを装備した仲間スライムが、投げて帰って来たブーメランで真っ二つになるってギャグがありましたが(苦笑))

ゲームプレイ中でもスレイ(盗賊→賢者)の刃のブーメランをアステル(勇者)に譲っているので、今回それが出来て満足しております。


ここまで読んで下さり、ありがとうございました!





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喋る馬

 

 

 『《天の愛し子》よ。はじめまして。私はエドと申します』

 「は、はじめまして。アステルといいます」

 

 アステルはばくばくと鳴る胸に手を当てて、目の前の喋る美しい白馬を改めて見た。

 翠緑の(たてがみ)の馬なんて初めて見る。黒い目はおっとりとしていて優しげだ。

 そこでアステルは、馬になる呪いをかけられたカルロスの事を思い出した。

 

 「あんた、もしかして元は人間やったりするんか?」

 

 シェリルも同じ事を考えたのだろう、白馬に尋ねると彼は首を横に振った。

 

 『私はこの村の普通の馬夫婦の間に産まれた、正真正銘の馬ですよ』

 「そ、そうなん?」

 

 シェリルは口の端を引き釣らせる。

 

 「喋れるのは生まれつきなんですか?」と、アステル。

 

 『はい。けど馬の言葉もちゃんと話せますよ。そういった意味では、私も彼等スーの一族と同じですかね』

 

 そう言ってエドはニッと歯を見せて笑う。

 

 (……それにしても凄く良い声してるなぁ)

 

 役者や詩人並みの美声なんじゃないかと、アステルはしみじみと思った。それにスーの一族より、馬のエドの方が流暢に喋れるのはどういう訳なんだろう。

 

 (やっぱり伝承者としての役割を果たす為なのかな?)

 

 「おお~~いっ!」と、この場にいない筈の者の声が耳に入った。

 そこにいたのはスーの民に先導されるカンダタと、彼のズボンを掴んで警戒気味に辺りを見渡すトエルとノエルだった。

 

 「何かあったんですか?」と、腰を浮かせて尋ねるアステルに、カンダタはその動きを制するように手を上げ、困ったような笑顔を浮かべた。

 

 「いやぁな? 突然ここの奴らが船にやって来て、『宴、始まる。来い。船は責任持って見てる』つうから、来たんだがよ」

 「はあ!? それで船放りだしたんか!?」

 

 カンダタの言葉にシェリルは(まなじり)を釣り上げ、席から立ち上がったが、双子が彼の前に立って慌てて弁明する。

 

 「行かないって言っても、ここの人達聞いてくれなかった」

 「ここの人達、『自分達嘘つかない。船必ず守る』って」

 

 「……その通り。我等、嘘許さない。嘘吐かない。船、必ず守る。安心していい。お前達も、一緒に、休め。飲め。食べろ」

 

 スーの一族の長の言葉に、シェリルは憮然として腕を組んで座り、その隣にカンダタはどかりと座った。

 そうこうしてる間に、アステル達の前にあるテーブルの上には、所狭しと料理が並べられていた。そして運んできた者達もこの場に留まり、自分達の食べる分も用意している。村中の民が、食べ物を持ち寄ってこの場にやって来る。

 長の家の庭はいつの間にか宴会場として整っており、民達は宴が始まるのを今か今かと待ち侘びていた。

 

 その様子にエドは苦笑を漏らす。

 

 『アステルに、皆さん。神の遺産について尋ねにここまでやって来たのでしょうが、今はこの宴を楽しんでくださいませんか?』

 

 「は、はい」

 

 長がここの言葉で宴の始まりを告げると、わっと喝采が沸いた。

 

 改めてアステルは目の前のテーブルの料理を見渡す。基本塩のみで味付けされた焼き料理や蒸し料理が並んでいる。

 ぎょろりと目を剥く肉食魚の丸焼きや、何かの肉のステーキが大量に盛られている。

 あれは何の肉なんだろう? と、アステルはその隣の、皿代わりの大きな葉に盛られた料理に目を遣る。

 そしてそれは判明した。

 鋭い鉤爪(かぎづめ)と鱗に覆われた……そう。爬虫類の、いや、蒸されて湯気を立たせた(わに)の手羽先が乗っていた。

 

 叫ばなかった自分を褒めたいと、アステルは心中で嘆く。

 

 飾り盛りなんだろうが、見たくも知りたくもなかった。

 仲間達はどんな反応をしているのかと、ちらりと見る。

 マァムとタイガはなんの躊躇いなく、鰐のステーキを口に放り込んで咀嚼していた。

 

 「うんま~~いっ!」

 「魚かと思えば、鶏肉みたいな味なんだなぁ」

 

 二人の感想にアステルは口の端をひくつかせる。

 

 (そっかぁ。美味しいだぁ。鶏肉みたいなんだぁ)

 

 そうは聞いても、鰐の手羽先を見た後では手は伸ばせない。

 シェリルとカンダタは料理よりも、差し出された酒の方に興味を移し、たまに小さな肉食魚を焼いたのをツマミに口にしている。

 

 (……この二人。喧嘩するわりには息が合ってるんだよね……)

 

 双子達は意外と平気な顔で、出された料理と果実を口いっぱい頬張っている。傍にいるスーの一族の女性達が微笑ましそうに双子を眺め、おかわりを持ってきては、口元を拭ったりと甲斐甲斐しく世話をする。

 

 スレイは。彼もアステルと同じで、スーの食文化についていけないようだ。それにアステルは心からホッとする。同士がいた。

 彼は料理から目を逸らし、食べやすそうな果物を手に取って齧りついている。

 

 ……成る程。それなら鰐や魚料理を勧められる事はない。

 

 食事をしてない事を不振に思われる前に、アステルも目の前の赤く柔らかい果物に手を伸ばした。

 しかし手にしたは良いものの、どうやって食べるのかわからない。

 

 「えっと……」

 「それ、マンゴー。こうやって、食べる」

 

 傍にいたふくよかで人当たりの良い笑みを浮かべた女性が、添えてあったナイフでマンゴーとやらを半分に切って、皮から果実が剥がれやすくなるように、切り込みを入れる。

 アステルに半分を手渡すと、女性はもう半分を手にし、口に持っていてオレンジ色の果実にかぶり付いて見せた。

 アステルも見様見真似で口に含むと、蕩けるような果実はとても甘くて、目を見開き再度齧り付く。

 

 「うまいか?」

 「……っ、はい!」

 

 (……凄く美味しいんだけど、手や口が汚れちゃうな……)

 

 そう思いつつも、アステルはついつい二個目に手を伸ばした。

 

 

 

* * * * * 

 

 

  

 「───食べながらで悪いが、こっちの本題に入ってもいいか?」

 

 アステルが三個目のマンゴーを食べ終えた頃、スレイが賑わう民達の邪魔にならぬ程度に、声を抑えて長とエドに見向く。

 

 「宝が戻って喜んでいるところ申し訳ないんだが、まだ壺は返せない。

 オレ達はあんた達の敬う神の導きで壺を手に入れ、ここまでやって来た。

 渇きの壺(アレ)を使うべき場所を教えてくれないか?」

 

 そう言ってスレイは、今は祭壇のような台に鎮座している渇きの壺に視線を遣る。

 アステルは腰ポーチから手拭いを取り出し、果汁で汚れた手と口元を拭ってから長とエドを見る。

 マァムと双子を除いて、タイガ達も食事を続けつつも此方に注視した。

 

 

 「……返す必要ない。それ本来、お前達のモノ」

 

 長の言葉にスレイは片眉をぴくりと上げた。

 

 『本来スーの一族の役目は、神の遺産を選ばれし者に引き渡す日まで、守護する事だったのです』

 

 付け加えられたエドの言葉に、長は肩を落として俯いた。

 

 「……なのに奪われた。我等、護れなかった。お前達に手間、取らせた。──すまなかった」

 

 長だけでなく、楽しげに騒いでいたスーの民全員が項垂れ、沈痛そうな面持ちで黙り込んでしまったので、アステルはあわあわとする。

 

 「だ、大丈夫です! 大した手間じゃなかったですからっ!!」

 

 エジンベアでの心労をまざまざと思い出し、仲間達はなんとも言えない顔になるが、ここでそれを語る必要はない。

 

 「……別に。あんた達を責めるつもりは毛頭ない」

 

 渋面のままそう告げるスレイに、アステルもうんうんと強く頷く。

 

 「だから気にしないでください。それよりも壺を使う場所の事を……」

 

 早急に話題を切り替えようとアステルはエドを見た。

 エドは頷き、長に一度目を向ける。

 長はここの言葉で『彼らは許すと言った。此方は一切気にするな』と民達に呼び掛けると、民はホッと表情を緩め、各自で宴を楽しみ始める。

 

 それを確認してから、伝承者エドは口を開いた。

 

 『《渇きの壺》は《最後の鍵》が封じられし、海底の神殿への道を拓く(ただ)一つの方法なのです。

 《最後の鍵》はこの世のありとあらゆる扉という扉を開く事の出来る鍵。

 至って普通の木の扉から、堅固な牢の扉であろうと、神の力で封じられた鍵穴のない扉ですら開く事の出来るという、唯一無二の鍵。

 悪しき者の手に渡らぬよう、神は鍵を納めた神殿を海底深くに封じられたのです』

 

 地図はお持ちですか? とエドが尋ねると、スレイは鞄から《妖精の地図》を取り出し開いて見せた。

 

 『この東大陸北部の内海側。西大陸側からは丁度、世界樹の大森林の地より東の海中です』

 

 「この辺りか……?」

 

 エドの言葉に従い、スレイが地図上の海域を指差す。エドは深く首肯(うなず)いた。

 

 『そこまで《渇きの壺》を持っていけば、あとは壺が道を指し示し、拓いてくれるでしょう』

 

 アステルは頷く。

 

 

 『……ところでアステル。貴女は《山彦の笛》と呼ばれる、聖なる旋律を奏でる為の笛をご存知でしょうか?』

 

 「やまびこのふえ?」

 「聖なる旋律……」

 

 エドの言葉にアステルは頭を傾げ、スレイは何かが引っ掛かったのか、顎に手を当てて考え込む。

 

 『ここから船で河口まで下りた後、陸地から岩山の連なりを迂回するように南西へ進めば、聳え立つ塔が見える筈。

 アープの塔と呼ばれるその塔に眠る《山彦の笛》の奏でる()は、神鳥の魂を呼び寄せると謂われています』

 

 「地図には……記載されてあるな」

 

 スレイの開く地図をアステルも覗くと、確かに塔の印があり、《アープ》と書かれていた。

 

 「神鳥の魂って……宝珠(オーブ)の事ですか?」

 

 アステルの問いに、エドは首肯く。

 

 『六つに分かたれた神鳥の魂は、世界各地に散らばっています。

 貴方(・・)の奏でる《山彦の笛》の旋律は、神鳥はとても好んでいた。

 あの旋律(・・・・)貴方(・・)が奏でれば、宝珠(オーブ)は応え、貴方(・・)の元へと必ず集う事でしょう。

 あの御方(・・・・)の元へと共に帰る為に』

 

 不意に。アステルの心臓が不快に鳴り、ざっと血の気が引いた。

 アステルは咄嗟に胸をきつく押さえる。

 そうしていないと、何かがアステルという殻を破り、飛び出して来そうで。

 

 アステルはエドを見た。

 

 エドの清んだ黒い瞳にはアステルの姿が映し出されているのに。

 

 (……なんでだろう)

 

 今の彼はアステルを見ていない。

 アステルにはエドの先程の言葉が、アステル本人に投げ掛けていないような気がしてならなかった。

 

 

 「アステル?」

 

 アステルの変化を機敏に感じ取ったスレイが、彼女に声掛ける。

 此方を向いたアステルの顔色は悪い。

 

 この様子はまるで……。

 

 (ダーマでラーミアの伝説を聞いた時と同じだ)

 

 スレイはマァムに視線を遣る。彼女の方は至って自然で、彼と視線が合うとムッと目を釣り上げて「イーだっ!」と、歯を食い縛って見せる。これもいつもの事だ。

 と、スレイの手に小さな手が乗った。

 スレイはアステルを見る。彼と目が合うと、アステルは『大丈夫』とでも言いたげに小さな笑みを浮かべた。

 

 「……エド。つまり宝珠(オーブ)を集める為には山彦の笛が必要って事ですよね?」

 『ええ。その通りです』

 「なら、次の目的地はアープの塔だね」

 

 笑顔でそう言うアステルにスレイは胡乱な目を向けるものの、溜め息混じりに口を開いた。

 

 「……《聖なる旋律》が《義を司る赤》を導く時、海の上で再び会おう。

 ……バハラタに現れた女海賊はそう言っていた」

 

 「……あっ!」と、アステル。

 

 「女海賊……って、姉貴の事か!?」

 

 シェリルが椰子(やし)の実の器をテーブルに置いて声を上げる。

 

 「義を……司る赤」

 

 (そうだ。確かに彼女はそんな事を言ってた)

 

 そういえば。と、アステルはダーマで聞いた秘伝の歌を口ずさむ。

 

 「赤の宝珠(レッドオーブ)は義の戦士の血潮にて受け継がれる……」

 

 アステルがスレイを見ると、彼は頷く。

 

 「まさか赤の宝珠(レッドオーブ)は姉貴が持っとるんかっ!?」

 「……しかもあちらはオレ達が宝珠集めを始める事を、あの時点で既にわかっていた事になるな」

 

 わなわなと震えるシェリルに、スレイは更に付け加えて言った。

 

 「シェリルの家も、実は宝珠(オーブ)の守り人だったとか?」と、タイガ。

 

 「それはないっ! そんな珍しい宝が(うち)にあんなら、親父の事やから絶対見せるか説明しとる筈やっ!」

 「……いや。もしかすっと、赤の宝珠(レッドオーブ)を受け継いで守ってんのは、お嬢様の姉貴が今(かしら)を務めてる、海賊団の方かもしんねぇぞ?

 あれは代々の義賊で海の戦士だからな」

 

 「どさくさでお嬢様言うなっ!!」

 

 シェリルは空の椰子の実の器を、カンダタの顔目掛けて投げ付ける。無論、カンダタは簡単に避けたが。

 

 「大体、姉貴が赤の宝珠(レッドオーブ)を持っとるんなら、なんであん時に、ウチらに渡してくれんかったんや!?」

 「たんに時期じゃなかったからじゃねぇのか?

 あん時のお前らは神鳥の事も、宝珠の事も、その重要性も知らなかったんだしよ」

 「だから! それをそん時に説明せいって話や!」

 「あの女の事だから、それこそ『甘ったれんな』って言うんじゃねぇか?

 足懸り(ヒント)を残すだけ、まだ優しいもんだろ」

 

 カンダタの言葉にシェリルはぐっと言葉を詰まらす。

 確かに。《情報は己の足で稼げ》はマクバーン家の家訓でもあり、姉の言いそうな事だった。

 だが。このカンダタが己の姉の事をわかったように話すのが、なんとなく気に食わなかった。

 

 (あの女……)

 

 ムカムカしてきたシェリルは、傍にあった酒に手を伸ばして一気に煽った。

 

 「おい、それ俺の飲みかけ……」

 

 「ブーーーッ!!!」

 

 シェリルは盛大に吹き出し、マァムはケタケタと笑った。

 

 「こんなとこ置くなやぁっ!!」

 「明らかに俺の前に置いてあるやつを奪っただろうが」

 

 慌てて口を拭うシェリルにカンダタは呆れ顔になるも、次にはにやりと口の端を持ち上げた。

 

 「……なにお前。たかが同じ器に口付けただけで意識してんのか?」

 「ぬあっっっ!!?」

 「ヒューヒュー♡ 間接ちゅうぅぅ~~♡」

 「かっっっ!!?」

 「マァム、《くちぶえ》はやめるんだ。魔物がやって来たら困るだろう」

 

 シェリルが大袈裟に(おのの)くものだから、マァムまで面白がって口笛を吹いて冷やかし始め、タイガがそれを慌てて止める。止める意味が少し違う。いや、正しいのか?

 これ以上ないくらい顔を真っ赤に染めて、口をぱくぱくと閉口させるシェリルに、カンダタは近距離で妖艶に嗤う。

 

 「お嬢様には刺激が強すぎたかぁ? そいつは悪かったなぁ」

 

 「今日こそは()るっっ!!」

 

 シェリルは魔法のそろばんを手に立ち上がり、カンダタは楽しそうに受けて立つ。

 突然始まった乱痴気(らんちき)騒ぎに、スーの民は怒るかと思いきや、余興とばかりに歓声を上げた。

 

 

 「すみません、すみません」

 「皆、楽しんでる。問題ない」

 『外からの来訪者を迎え入れるなんて滅多にない事ですからね』

 

 ぺこぺこと頭を下げるアステルに、エドと長は寛容に笑った。 

 アステルは頭を上げて、エドを見詰める。

 

 『……まだ何か聞きたい事が?』

 「あの、」

 

 優しく問い掛けるエドに、アステルは逡巡(しゅんじゅん)するも、思いきって尋ねた。

 

 「私の事を《天の愛し子》って言いましたが、それって一体なんなんですか?」

 

 エドと長は驚いたように瞠目する。

 

 「お前、それ、知らない?」

 「色んな人にそう呼ばれましたけど、今まで尋ねる機会に恵まれなくて……」

 『そちらの貴方は賢者ですよね。《天の愛し子》の意味をご存知の筈……』

 

 エドはスレイと、彼の右手に嵌めている《賢者の証》に目を遣った。

 

 「そっか。《悟りの書》で知ってたんだね」

 

 アステルはスレイに振り返る。

 良い機会だから教えて欲しいとアステルは彼を見たが、スレイの方は何故か苦虫を噛み潰したような渋い顔をしていた。

 

 「……スレイ?」

 「……賢者は神に選ばれし者、勇者は天に選ばれし者といわれている。

 だから単に勇者の称号を得たお前の事を、《天に愛された者》って意味で、そう呼んでるだけだろう」

 

 (つまり特に大した理由はないって事?)

 

 彼の様子からして、それだけではない気がするのだが。

 アステルはエドと長に向き直る。

 

 「……そういう意味なんですか?」

 

 彼女の見えない所で、射るような鋭い眼光を向ける若き賢者に、長はぶるりと震え、エドは目を瞬いた。

 

 『……人の世(・・・)でそう謂れているのならば、そうなのでしょうね』

 

 エドはやれやれとばかりに、当たり障りのない返答をする。

 

 長は黙して、瞳を閉じた。

 

 

 

 ───スーの一族は、偽りを口にする事は許されないから。

 

 

  







鰐の手羽先って本当に料理であるんですよねぇ(汗)検索したら出てきた。
ちなみに自分は豚足も食べれません。

話は変わりまして、エドの声はドラクエ3CDシアターの勇者役をされた声優様のお声がイメージです。なぜかエドの声はあの御方の美声でイメージが出来てしまいました。

ご報告:この回から投稿時間を22時から21時に変更させて頂きます。これからもどうぞよろしくお願い致します_(..)_

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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閑話 星と太陽と

 

 

 

 

 「───え?」

 

 

 アステルは慌てて辺りを見渡す。

 

 自分はスーの民の催す宴の場にいたのではなかったのか。

 

 しかし、今アステルが立つ場所は眩しいくらいにただ白く、何もない空間だった。

 

 (ガルナ)の塔で女神と邂逅(かいこう)した場所とも似ている。

 

 だが。今ここには彼の、スレイの姿はない。この空間にアステル以外、誰もいない。

 

 

 ───と。背後から誰かがアステルの腕を掴んで引き寄せた。

 

 

 「ひっ!?」

 

 驚いてアステルが振り返る。

 そこには真白な世界に()ってなお、存在がわかる白い人がいた。

 白い人は背の高い男性の形を成しているが、顔に凹凸は一切なく、目鼻口もなかった。

 

 「きゃあああああっ!!」

 

 アステルは悲鳴を上げた。大抵の事では物怖じしない彼女が。

 すぐに逃げなくてはという、強い恐怖心と忌避感が彼女を襲い、冷静さを奪った。

 見た目の不気味さではなく、アステルには男の存在そのものが、とてつもなく恐ろしく、相容れないと感じられたのだ。

 

 アステルは必死に手を振り解こうとするも、腕を掴む大きな手は痛い程強く、離れない。

 

 

 『───帰ラナケレバ』

 

 「───っ!?」

 

 

 口のない白い男が喋った。切実な、訴えるような声で。

 

 聞いた事もない男の声。

 

 なのに、何故かとても懐かしい。

 

 男はアステルが呆けた隙を突いて、彼女の両肩を掴んだ。

 顔のない男とアステルは真っ正面から向き合う。

 

 

 『俺ハ。アノ子ト共ニ。彼女ノ元ヘ、帰ラナケレバナラナイ』

 

 「……え?」

 

 

 『何ガ《天ノ愛シ子》ダ。ソンナモノ、コノ世界ニ縛リ付ケル、忌マワシキ楔ニ過ギナイ』

 

 

 徐々に男の声が低く、怒りに震え始める。

 

 

 

 ───神を裁く者など。……神など。

 

 

 『反吐が出る』

 

 

 底の見えない暗い憎悪を帯びたその声に、アステルの肌は総毛立った。

 

 「や、やだっ! 離してっ!」

 

 アステルは抗うも、両肩を掴む男の手は重く、びくともしない。

 すると男は全身で眩い光を放ちだした。

 光を受けてアステルの身体の輪郭が、白く、次第に薄らいでいく。

 

 

 「あ、あああっ!!」

 

 『彼女の元へ帰る。その為にお前は───邪魔だ』

 

 

 白い男の手によって、アステルもまた真っ白に染まろうとしている。

 

 

 

 『消えろ』

 

 

 まるで闇夜に瞬く星の光が、真昼の太陽の強く眩い光によって、その輝きを消されるように。

 

 

 太陽()が眩しすぎて。

 

 (アステル)は存在出来ない。

 

 

 

 「やだやだやだっ! スレイっ! スレイっ! スレイっ!!」

 

 

 無意識だった。

 

 アステルは彼の名を叫んだ。他の誰でもない、彼に、助けを求めた。

 

 

 と。

 

 アステルと男のすぐ傍に黒い雫が落ちる。

 

 ポタリと落ちた一雫は大きく広がった。

 

 白い世界に突如として現れた黒は、アステルを拘束していた男の存在に迫る。

 白い男は黒く染まるのを畏れて、慌てて離れた。

 

 だが、アステルには。

 

 白く消えつつあったアステルの身体の輪郭を、黒ははっきりと浮き出させ、優しく包み込んだ。

 

 

 

 ───黒。闇色。それは彼の色。

 

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 

 「───テル、アステルっ!!」

 

 彼の声に。身体を揺するその手の感触に。アステルはぱちりと目蓋を上げた。

 そこには気遣わしげな目で彼女を見るスレイがいた。

 目を開いたアステルに、スレイはほっと息を吐く。

 

 彼から巻き起こる冷たい風が前髪を揺らし、汗が滲んでいた額を、熱い身体をひやりと癒す。

 アステルは緩慢に辺りを見回し、そして上を見上げた。

 燦々と降り注ぐ陽光の眩しさに、アステルは眩暈と僅かな畏れを覚える。

 

 ここは自分達の船の見張台の中だった。

 

 狭い見張台の中に、アステルは凭れるように座り込み、スレイは跪いてそんな彼女の身体を支えている。

 

 「あれ、私? ……宴は?」

 

 「宴? ……おい。何を寝惚けてるんだ。スーの村を発ったのはもう二日も前の事だろ」

 

 「え、そうだったっけ……?」

 

 スレイは目を据わらせてアステルの頭を小突き、それから水筒を差し出した。

 彼女に呼ばれたような気がして、スレイが支柱(マスト)を登って来てみれば、アステルは見張台の中で顔を真っ赤にして深く寝入っていた。

 

 「見張台で居眠りなんかするな。日射病になりたいのか」

 「ん、……ごめんなさい」

 

 水筒を受け取って口に含むも、まだぼんやりとしているアステルに、スレイは目を(すがめ)る。彼女の額飾り(サークレット)を外すと、ヒャドの凍気を纏わせた手を彼女の額に当てた。

 ひゃっ!と、アステルは身体をびくりと竦ませて短い悲鳴をあげるも、直ぐ様身体を弛緩させた。

 

 「あ~~……、気持ちいい……」

 

 嬉しそうにするアステルに、スレイは呆れるように溜め息を吐くも、琥珀の瞳は心配げに彼女を見詰めている。

 

 「大丈夫か? (うな)されてたぞ」

 「うん。……ちょっと怖い夢見ちゃった。スレイ、起こしてくれてありがとう」

 

 「どんな夢だ?」

 

 尋ねるスレイに、アステルは頭を少し傾げた。

 思い出そうとするも、何も思い出せない。

 ただ、とても怖かったという感情が漫然と残っているだけ。

 

 「大丈夫。怖かったけど忘れたから」

 

 何もなかったような軽い口調でアステルは言うと、額に乗るスレイの冷たい手を取り、その手に甘えるようにして火照った頬を擦り寄せた。

 スレイは瞠目し、それからばつが悪そうに目を逸らした。色白の頬に薄紅が差す。

 

 

 「……全然大丈夫じゃないな」

 

 スレイは服の下に隠された、首に下げている革袋を引き出す。片手で器用に中身を取り出して、アステルに握らせる。

 緩やかに身体が楽になっていくのを、アステルは感じた。

 アステルは硬質で冷たい、己を癒してくれるそれ(・・)の感触に懐かしさを感じて不思議に思うも、霞みがかった意識は考える事をすぐに放棄した。

 

 

 結局アステルはまた気を失い、自室に運ばれ、その日の夜ベッドの上で目覚める事となる。

 夢とは違い、自分のしでかした事をはっきりと覚えていたアステルは、赤面してベッドの中でごろごろと転がり、介抱するシェリルとマァムは不審げに眉を顰めていた。

 

 

 

 








スレイが真の意味を隠そうとする《天の愛し子》とは。アステルの中に潜む《何か》が蠢き始めます。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


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アープの塔

 

 

 

 魔物に襲われ、廃墟となった賢者の隠れ里テドンに、一つの人影が空から舞い降りて来た。

 黒い修道服を纏った神父らしき男は円柱型帽子(カミラフカ)を抑えて、草一本生えていない……いや、生えない(・・・・)黒い地面に着地する。

 

 「ここは相変わらずですねぇ」

 

 細い目を更に細めて神父は溜め息混じりに呟く。

 里の中を歩きながら、辺りを見回す。

 この滅ぼされた里跡に、何かが起こっているのに神父は気付いている。

 しかし。自分達が踏み入るとまるで息を潜めるように、《死んだフリ》をする。

 

 神父は里外れへと進む。

 

 魔族の炎で焼き尽くされた森は、死したままの黒と灰色の世界。

 足元でぱきぱきと小気味良い音が鳴る。朽ちた枯れ木や炭となった木枝を踏み締めながら進む。そうして辿り着いた先は。

 

 半壊した牢獄。

 

 鉄の扉に触れると、その扉は呆気なく開いた。

 神父は牢の中へと進む。が。

 薄暗い牢の中は空っぽ。勿論誰の姿もない。

 内部で大きな爆発があったのだろう。石の壁や床は黒く煤けて、所々崩れている。

 空いた壁から、熱でへしゃげた鉄格子の窓から、にわかに光が射し込んでいた。

 

 その僅かな光の中で、賢者の証である浅葱色の聖衣をどす黒い血で染めた男が、此方を睨んで立っているのを神父は見た気がした。

 

 我が子を逃す為に救う為に。

 

 敵わないと知りながらも、それでも立ち上がり、闘うその目は、決して希望の光を失わない。

 

 ふと、それは別の男の姿とも重なった。

 

 血の繋がらぬ子を我が子と呼び、子の為にその身を犠牲にした男の姿を。

 

 神父は愉しげに笑んだ。

 

 「……本当に私は、牢に入れられる男と縁がありますねぇ」

 

 

 『───デビルウィザード様』

 

 神父の足元から伸びる影が、蝙蝠羽を生やした悪魔のへと変容する。

 

 「どうかしましたか?」

 『アリアハンの勇者が、アープの塔を目指して行動しております』

 

 「………ほう?」

 

 アープの塔。ガルナの塔と同じく、神の遺産が眠る塔。

 しかし、今はかの国の忌まわしき実験場と化している。この《影》はそこを住みかとしている。

 定期的に《かの者》の動向を報告をしてくれる、神父にとって可愛い(しもべ)である。

 

 『恐らくは、塔の宝を手に入れようとしているのかと』

 

 「───宝、ねぇ」

 

 目の前に、触れられる場所にありながら、我ら魔族には触れる事すら叶わない《神の遺産》。

 顎に手を当てる神父の脳裏を過ったのは三つの姿。

 

 エルフの洞窟で。海の王国で出会った勇者の後を継ぐ幼気(いたいけ)な娘。

 探し求め見つけた時には、なんの因果か勇者と共にいる我らが王の《器》。

 そして。強襲の最中に逃がした、あの男の娘。大地神ガイアの加護を受けた賢者の娘。

 

 彼女もまた、勇者の元に在った。

 

 

 「───そんな貴女なら停滞しているこの現状を、動かして下さいますかね」

 

 

 誰もいない牢の奥を見詰め、神父は薄笑いを浮かべた。 

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 東大陸北部の河口を出て、西側に見える高く連なる岩山を通り過ぎた辺りで、アステル達を乗せた船は錨を下ろした。

 

 「まあ、気を付けて行ってきな」

 「頑張って」

 「待ってるから」

 

 カンダタと双子に見送られながら、アステル達は出発する。

 

 ここからは久方ぶりの陸路の旅だ。

 

 地図で見る限り、アープの塔に辿り着くまでに、幾つかの丘陵を越えなければならないようだが、それでも三日はかからないだろうとスレイは言った。

 季節は初夏に差し掛かり、気温もぐんぐん上昇する。しかしこの辺りは風がよく吹き、空気がからりとしている。ジャングルのように蒸し暑くないのが救いだった。

 

 ……しかし暑くない訳ではないのだ。

 

 故にある厄介な魔物が現れると、皆が顔を歪め、鼻と口を覆った。

 そして今まさに、その魔物の群れとアステル達は対峙していた。

 

 

 「来るなぁ~~っ!! くっさぁ~~いっ!!!」

 

 マァムが鼻をつまみながら悲鳴をあげて、屍人の体当たりをひらりひらりと躱して距離を取った。逃げ惑う彼女だが、(はた)から見れば、余裕たっぷりにみえてしまうのが不思議だ。

 勢いあまった魔物達はぶつかり合い、べしゃりと地面に倒れる。青々と繁る草が魔物の体に触れて萎れ茶色く枯れていく。

 

 〈毒々(どくどく)ゾンビ〉。腐った死体の進化系で、猛毒で満たされた腐乱した身体は紫に染まっている。吐き出す息は毒の霧、その手に触れ傷付けられた者は、そこから移された毒によって、のたうち回り死に至るといわれている。

 スーの村の更に北にある森に大きな毒の沼があり、そこから生まれ(いづる)らしく、この地域では昼夜問わず群れて出現するので、気を付けろとスーの民から聞かされていた、要注意の魔物だった。

 (とお)もいる屍人を従えるように現れるのは二つの人影。

 

 勿論、人間ではない。

 

 笑みを浮かべた大きな面で顔を覆う人型の中級魔族〈魔巫者(シャーマン)〉。

 黒い肌の上半身と手足首に毛皮を纏い、腰簑(こしみの)を身に付けた出で立ちで、身軽に跳躍しながら、屍人と応戦していたアステルに向かって、角の生えた動物の頭蓋骨を刺した棒を振るう。

 アステルは聖剣(ゾンビキラー)で屍人を斬り伏せ、返した刃でシャーマンの攻撃を受け流す。

 シャーマンは彼女から距離を取り、素早く手にある棒を回転させて、金切り声で何かを叫ぶ。

 杖から放たれた白い光が屍人を包み込み、一瞬で癒してしまった。

 治癒の仕方から見て、恐らくは中等治癒呪文(ベホイミ)。そして治癒呪文は屍人の傷まで癒せるのかと、アステルは驚愕する。

 

 

 「それならっ! ───呪術封印呪文(マホトーン)っ!」

 

 アステルはシャーマン達に向かって剣とは逆手を翳し、呪文を唱えた。

 ヴォンっ!! という、耳鳴りのような音が辺りに響き渡り、紫の光の帯が二匹のシャーマンを縛る。

 しかし呪文を封じられたのは一匹のみ。もう一匹は身体を縛る紫の光の帯を断ち切った。

 アステルは悔しげに眉を顰める。

 しかしタイガが素早く前に飛び出す。行く先を邪魔する屍人を掻い潜り、呪文を封じられなかった方のシャーマンの顔を殴り飛ばして昏倒させた。

 動かぬ同胞にもう一匹のシャーマンが治癒呪文を唱えるが、此方は呪文封じが成功している。

 呪文が発動せず狼狽えるシャーマンの隙を突いて間合いを詰めたシェリルが、魔法のそろばんを疾風の如く鋭く突き出した。

 鳩尾に綺麗に決まった会心の一撃に、シャーマンは叫び声すら上げられずに消滅し、赤い宝石へと変化して地面に落ちる。

 タイガがもう一匹のシャーマンに止めを刺すと、残るは統率を無くした毒々ゾンビの群れのみ。

 

 「しかし、ほんま(ひっど)い臭いやなぁ。イシスで腐った死体やらミイラやら出たけど、ここまでちゃうかったで」

 「奴らが現れたピラミッドは王墓だからな。遺体が傷まない環境が整っていたからだろ」

 

 シェリルが鼻を押さえてぼやき、スレイは辟易と答えると、中等氷刃呪文(ヒャダルコ)を放つ。

 氷の刃は屍人の胸に突き刺さり、そこから腐敗して溶けた皮膚をみるみる間に凍てつかせる。

 氷結した五匹の毒々ゾンビをタイガとシェリルが次々に叩き割った。 

 と、残りの毒々ゾンビ達は彼女達に向かって、一斉に息を吐き出した。

 息というものは不可視の筈なのに、屍人(しびと)の唾液と共に吐き出した息は、薄茶色の霧となり辺りに重く漂い留まる。

 

 「ぐっ!」

 「うえっ!」

 

 タイガとシェリルは慌てて息を止めて霧を振り払うも、目を閉じる事は叶わない。強い刺激に目は染み、生理的に涙が滲む。

 二人はたまらず後方へと下がるが、毒々ゾンビの群れは毒霧を吐き出し続けながら、その距離を詰めてくる。

 とてもじゃないが、近寄って攻撃など出来ない。と。

 

 「───解毒呪文(キアリー)!」

 「───キィアリィぃ~~っ!」

 

 スレイとマァムが唱えた解毒呪文が、タイガとシェリルを蝕もうとする毒素を、素早く消し去った。

 

 「───初等真空呪文(バギ)っ!」

 

 更にスレイが放った真空の刃が毒霧を吹き飛ばし、ついでに屍人を怯ませた。

 

 「───中等閃光呪文(ベギラマ)っ!!」

 

 アステルが追い撃ちで閃光呪文を放つ。屍人は炎の中で悶えるも、まだ此方に向かって手を伸ばし歩を進めるのに、アステルは顔を顰めた。

 

 (火力が足りない……!)

 

 支援しようとスレイが手を伸ばしたが、逸早くマァムがアステルの隣に立ち、背中に携えた杖を引き抜く。

 手の中でくるりと回して、格好良く敵に突き付けた。

 それは愛用の魔封じの杖ではない。

 先端に古代(ルーン)文字がびっしりと刻まれた黄金の円盤と、その上に足を掛け翼を広げる緑竜の像が付いている───〈(いかずち)の杖〉と呼ばれる雷神の力が宿る杖。

 渇きの壺と同じくスーの村に伝わる宝で、長から譲り受けたそれを、マァムは華麗に振り翳した。

 

 「これでもぉ、喰らえぇぇ~~!」

 

 円盤の中心に填まった青玉が輝き、竜の(あぎと)から雷が(ほとばし)り、電撃が魔物の群れに直撃する。

 目映い光が消え、燻る地面に残ったのは、無数の鈍く輝く黒い宝石のみだった。

 

 「凄い……」

 

 アステルが呆然と呟き、マァムはえっへんと豊満な胸を反らした。

 

 

 

 辺りに魔物の気配が無くなったのを確認して、アステル達は武器を納めて息を()いた。

  

 「……やっぱ、マァムが魔法具を使うと威力が跳ね上がんねんなぁ」

 

 宝石を回収しながら、シェリルはマァムとその手にある杖を眺める。

 雷の杖は魔封じの杖と並ぶ伝説の杖のひとつで、文献では中等閃光呪文(ベギラマ)相当の威力の閃光を放つと謂われているが、あれはまるで名の由来通りの《雷光》だ。

 それにアステルの中等閃光呪文(ベギラマ)と比べると、その威力は杖の方に軍配が上がる。

 しかしそれはマァムが使えばの話。

 アステルやスレイが試しに杖を使ってみたが、あのような威力は発揮できなかった。

 

 「魔封じの杖かて、一度も敵の呪文を封じ損ねた事ないし。一体なんでやろ……。魔力でいえば、スレイかて強力な筈やのに」

 「相性の問題だろ」

 

 素っ気なく答えるスレイに、「そんなもんなんか?」と、シェリルは頭を傾げながら、宝石を納めた麻袋の口をキュッと締める。

 

 ……無論、本当の理由は違う。スレイはマァムに視線を遣りながら推測する。

 

 (神族が神器や神器を基に造られた魔法具を扱えば、引き出せる威力が人間(ひと)と違うのは当然の事だ)

 

 恐らく身体の持ち主であるマァム=ノーランの人格では、あれ程の威力は引き出せないだろう。

 

 (神鳥(ラーミア)の魂に、神器である雷の杖は呼応しているんだ)

 

 過去にエルフ族にしか扱えない筈の神器、〈夢見る紅玉(ルビー)〉をマァムが手にした時のように。

 紅玉(ルビー)を介して、実体のない魔族を拘束し、弱体化させたあの(わざ)も、エルフや人間には不可能な事だったのだ。

 

 (思えばあの時から、神鳥の力の片鱗を見せていたんだな)

 

 

 「助かったよ。ありがとう、マァム」

 「えへへぇ~~」

 

 アステルに頭を優しく撫でられ、えへらえへらとご満悦のマァムは、スレイと視線がばちっと合う。彼女はふふんっと鼻で嗤い、それに対してスレイは目を鋭く細める。

 アステルを挟んで激しく火花を散らす二人に、シェリルは呆れ顔になり、タイガは苦笑を浮かべた。

 

 「……なんかこの流れ、もうお約束になっとらんか」

 「ハハハ……」

 

 エジンベアを訪れて以来、アステルへの庇護欲がより増したスレイと、アステルを取られまいと奮闘するマァム。

 アステルを賭けた二人の対立を前に、シェリルは溜め息を吐き、タイガは空笑った。 

 

 

 

 目的地であるアープの塔は、陸路の旅を再開してから、二日目の夕暮れ時に到着した。

 その日のうちの塔攻略は諦め、アステル達は塔の近くで野営の準備をする。

 茜差す空を背景に見上げた塔の高さは、ナジミの塔とシャンパーニの塔の丁度中間くらいか。

 ガルナの塔と比べれば、遥かに低い。

 最近、登る塔の高さがどんどん高くなる傾向にあったので、アステルがほっと安堵の息を吐いていたのを、スレイは見逃さなかった。

 

 ───しかし。塔の中に、彼女にとって過酷な試練が待ち構えている事を、この時はまだ知る(よし)もなかった。

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 夜が明けて。一行はアープの塔内部へと進む。

 古びた石塔の正面入り口は門で閉ざされてはおらず、解放されている。入ってみて判明したが、左右にも入り口があり、そちらにも門はない。

 だだっ広いエントランスの中央には、二本の鮮やかな青大理石の柱を中心に、周りを四本の白大理石の柱が囲っている。柱の足元は古代(ルーン)文字が刻まれたパネルが敷き詰められており、結界陣のようにも見えた。

 

 そしてその奥には固く閉ざされた大扉があった。

 

 「ここは魔法の鍵で開きそうだな」

 

 鉄扉の鍵穴を調べたスレイが振り返ると、アステルは一つ頷いて、腰ポーチから銀色に輝く魔法の鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。

 先頭に立ったタイガが押すと、解錠された扉は重い音をたてて開いた。

 と、そこに開いた扉の隙間を潜るようにして、此方へと飛び出してきたのは十羽余りの鳥の魔物。

 一見、巨大な鷲の首だけが動いているように見えるが、喉元から丈夫な腿と鋭い鉤爪を持った足が生えている。

 ガルナの塔で遭遇した〈大嘴(おおくちばし)〉の色違い。密林地帯(ジャングル)で見掛けた色鮮やかな鳥達のように、この大鷲の首は、鮮やかな碧色をしている。大嘴の進化系〈アカイライ〉だ。

 

 「いきなりのお出ましやなっ!」

 

 シェリルは魔法のそろばんを構える。アカイライは各々標的を定めると、敏捷な動きで襲い掛かって来た。

 先ずはマァムが狙われた。飛び上がり、その鋭い鉤爪で柔らかな身体を地面に押さえ込もうとするも、彼女は身軽に避けて不敵に笑む。……しかし。

 

 「うひゃぁ!?」

 

 思っていた以上の追撃の早さに、身構える事すら叶わず、流石のマァムも泡を食う。

 だが、〈星降る腕輪〉の敏捷効果のお陰でタイガはアカイライの動きよりも早く、彼女の元へ駆け付ける。風神の盾で突き出された嘴を弾き飛ばした。

 

 「速い、なっ!」

 

 瞬く間に再行動をする魔鳥の疾速の動きに、アステル達は苦戦を強いられる。

 突然距離を取った一羽のアカイライに、スレイが目を眇めると、魔鳥の持ち上げられた嘴が淡く輝き、

 

 「───クエエエエエっ!!」

 

 鳴き声と共にそれ(・・)は放たれる。スレイは瞠目して、一歩前に出てルーンスタッフを掲げた。

 

 「───初等真空呪文(バギ)っ!」

 

 目の前の魔鳥が放つ真空の刃を、スレイは同様の真空呪文を放って相殺させる。

 しかし次の瞬間には、呪文を唱えた魔鳥は目の前に移動していて、鋭い嘴を此方へと突き出しに掛かっていた。

 ぎりぎりの所で躱して、スレイは舌打ちをする。

 この魔物、いちいち行動が速い。

 この速さに付いてこれてるのは、星降る腕輪の恩恵を得ているタイガと、元盗賊の身軽で素早く動けるスレイのみだ。

 辛うじて付いてこれているアステルとシェリルは次第に翻弄され、繰り出される鋭い嘴と鉤爪に、傷を負い始めている。

 なら。と、スレイはルーンスタッフを掲げた。

 

 「───敏速強化呪文(ピオリム)っ!!」

 

 アステル達の身体に白い光が灯る。すると身体がぐんっと軽くなった。

 アカイライが攻撃を繰り出すよりも早く、そろばんを振り下ろせたシェリルは目を丸くして、それからニッと笑った。

 

 「こりゃ、ええわっ!!」

 

 アステルもアカイライが接近して嘴を繰り出すそれよりも早く移動して、下段から剣を喉元目掛けて突き刺すと、アカイライは宝石となって床に落ちた。

 何も施されなくても素早かったタイガはというと、神懸かったかのように目にも止まらぬ蹴りと拳を繰り出し、次々と魔鳥を宝石へと変えていく。

 残り三羽となったアカイライは接近は危険と判断し、距離を取って呪文攻撃へと切り替える。

 

 「マァム! 魔封じの杖でコイツらの呪文を封じ込めろ!」

 「つ~~ん」

 「お願い! マァム!」

 「らじゃ~~♪」

 

 スレイの指示にマァムは膨れっ面でそっぽ向くも、アステルのお願いには笑顔で素直に応える。

 

 「そぉぉぉれぇぇっ!」

 

 マァムが魔封じの杖を掲げると、先端の骸骨がカカッと笑い、紫の霧を吐き出してアカイライ達の呪文を封じる。

 そこにアステル、シェリル、タイガが敵に向かって走った。

 形勢は一気に逆転し、アカイライの群れは全て碧色の宝石と化して床に転がった。

 

 

 「大したお出迎えやったなぁ」

 

 シェリルは手早く宝石を拾い終えると、立ち上がった。その傍らでマァムが治癒呪文を彼女にかけている。

 

 「……しかし。この魔物は一体全体何処から侵入してきたんだ?」

 

 扉向こうの窓が一切ない空間を見回しながら、首を捻るタイガ。

 

 「元からここに住み着いていた所を、閉じ込められたのか?」

 

 スレイは扉に手を当て、床の埃具合を確認して眉を顰めた。

 

 「この扉……閉ざされたのは昔の話じゃない。つい最近まで誰かが出入りしていたように見える」

 

 「誰か……って、」

 

 自身の切り傷に治癒呪文をかけながら尋ねるアステルに、それはわからないとスレイは首を横に振った。

 

 「ただ、ここもガルナの塔のように、神器を納める聖域ではなくなったと見て間違いないだろうな」

 

 スレイの言葉に一行は気を引き締めて、扉の奥へと進む。

 

 

 誰もいなくなったエントランスの壁に、背に羽を生やした悪魔のような黒い影が突如として伸びた。

 影はそのまま一行を追うように、音もなく塔の内部へと消えた。

  

 

 

 







《あやしいかげ》が在る所、もれなく《あやしい人》がアステル達をストーキングしております(笑)

アープの塔って、必要性がないからゲームでは忘れられがちな塔ですよね。塔探索ってゲーム内では4つしかないから貴重なのに。
山彦の笛も事前ヒントなしFC版初プレイ中でさえ、使う事がありませんでした(苦笑)
オーブ探索のヒントって会話で結構転がってたし、SFC版になると更にそこら中に転がってた。優しさ溢れる仕様。

《前話捕捉説明》
高い所が苦手なアステルが見張り台に登ってた事について。
アステル自身も説明していますが、彼女の中で大丈夫な高さがあり、そこまでなら平気で登り降り出来ます。
船の見張り台はギリ大丈夫な範囲であり、真面目な彼女はひそかに登り降りして、苦手克服を目指しています。(スレイやタイガにはバレてますが)
不意に落とされたり、極端に足場が悪かったり(それこそ高所での綱渡りとか)はダメです。
けど状況によっては恐怖が振りきれてしまえるあたり、彼女はやはり勇者。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!



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蠱毒①

 

 

 その後も鍵が掛かった鉄製の大扉が続いた。扉を開ける度に襲い掛かってくる魔物の群れ。

 外で遭遇した毒々ゾンビを筆頭に、甘い息を吐いて此方が睡魔に抗っている隙を突いて襲い掛かる、巨大な角を持つ魔羊〈ビッグホーン〉。麻痺を起こす鱗粉を撒き散らす〈痺れ揚羽〉に強制転移呪文(バシルーラ)を操る魔鳥〈ヘルコンドル〉。

 

 ───そして。

 

 「あーーっ! またコイツらかいっ!」

 

 シェリルが発狂せんばかりに叫ぶ相手は、真紅の甲冑騎士の群れ。しかし中身はがらんどう。〈殺戮鎧(キラーアーマー)〉と呼ばれる、バラモスの魔力によって操られた空甲冑〈彷徨(さまよ)う鎧〉の進化系である。

 しかもこの甲冑騎士、呪文が行使できる。

 先手を取ったキラーアーマーは、左手に持つ盾を構えた。聞き取れない声で唱える呪文は、団体の身の守りの力を下げる呪文ルカナン。一行に青い光が纏わりつく。

 別の個体がシェリルに斬りかかる。しかし彼女はひらりと避けた。

 ダーマで仕立てて貰った身躱(みかわ)しの生地の服の特性のお陰か、それを纏うアステル達の動きは、風に舞う木の葉のように敵に捕らえられない。

 だがこのキラーアーマーは時折、ひやりと背筋が凍るような強烈な一撃を繰り出すから油断ならない。

 スレイがすかさず団体の身の守りを高める呪文スクルトを唱えて、先程のルカナンの効果を打ち消すと、素早く腰からドラゴンテイルを抜き放ち、敵の足元を()ぎ払って転ばせた。

 

 「マァム、魔封じの杖を!」

 「はぁいっ!」

 

 アステルの声にマァムは嬉々として応え、魔封じの杖を振りかざす。

 立ち上がれないキラーアーマーに、杖の先端の骸骨が吐き出した紫の霧が襲い掛かり、呪文を封じ込めた。

 敵が体勢を立て直すその前に、アステル、タイガ、シェリルは飛び掛かった。

 

 

 「……なあなあ。アステルの魔物避けの呪文でどうにかならんか?」

 

 宝石拾いはマァムに任せて、甲冑ばかり叩き過ぎて痺れてきた手をふりふりとさせながら、シェリルはアステルに提案する。アステルも結界呪文(トヘロス)を唱えてはみた……が。

 アステルの身体から発せられた白い光は頼りなく、直ぐ様消えた。

 

 「……だめ。ここでは効果ないみたい」

 

 塔の中に充満する邪悪な気配がトヘロスの光を抑え込み、邪魔をする。アステルは眉を八の字にして、(かぶり)を振った。

 

 「取り敢えず進むしかないだろ。幸い塔の造り自体は単純そうだからな」

 

 探索呪文(フローミ)で辺りを確認し終えたスレイの言葉に、シェリルは深い溜め息を吐いた。

 既に大量の魔物に遭遇し、対応するも切りが無い。まるでこの魔物達を封じ込める為にこの塔は存在しているかのような、そんな錯覚すら覚える。

 三つ目の大扉を開き、襲い掛かる魔物を蹴散らして、ようやく二階へと上がる階段に辿り着けたものの、隣り合わせにある四つの階段は、それぞれ別の空間へと続いているようだ。

 

 

 この部屋は何故か魔物の侵入がない。

 

 

 「ここで少し休憩しない?」

 

 アステルの提案に一同賛成し、腰を下ろした。まずは疲労回復に苦い薬草を噛み締めた後、塔に入る前に事前に用意したアステル特性の(わに)肉のサンドイッチで腹を満たし、水で喉を潤す。

 そう。スーの村で捌いて貰ったあの(・・)鰐の肉だ。

 栄養価の高い肉を摂取する為、背に腹はかえられない。

 勿論手羽先や鱗は取り除いてもらい、食べられる部分のみを頂いた。

 アステルはあの姿を思い出さず、心を無にして調理した。鶏肉に似ていると言っていたから、取り敢えずは焼き料理にしてみた。黒胡椒で味付けし、見た目も良くして食べてみたら、臭みは全くなくあっさりとしており………意外と美味しかった。

 

 「ワニの肉侮れへんな。それにあの革も。流通に乗せたら、案外儲かるかもしれん」

 「シェリル……今はその名前は出さないで」

 

 鰐の可能性を真剣に考えるシェリルだったが、アステルとスレイの渋い顔に、「ゴメンゴメン」と笑って謝る。

 意外な事にシェリルは、スーの食文化に傾倒しつつある。タイガとマァムは元々平気な上に、此方も好物になりそうな雰囲気だ。

 旅をする上では、偏見なくなんでも食べれるようになるのは重要な事だが。

 

 

 食事を終えたアステルは立ち上がり、二階へと続く四つの階段に視線を遣った。

 

 「……〈山彦の笛〉は無事かな……?」

 「悟りの書のように、山彦の笛は神聖な力を秘めている。魔族や魔物が容易に触れたり、壊したり出来るものじゃない。きっと無事な筈だ」

 

 アステルの呟きを拾ったスレイがそう答えると、彼は(おもむろ)に服の下に仕舞っている首に下げた革袋を取り出し、その中身をアステルに手渡した。

 

 「これ……」

 

 黄金の土台に青玉が填まった、簡素ながらも美しい指輪は〈祈りの指輪〉。

 指に嵌めて祈ると理力を回復させる効果を持つ指輪。使い過ぎると壊れてしまうが、壊れない限りはいつまでも使える。

 以前ダーマにて、命名神マリナンの巫女姫ナンナがスレイに渡した品だ。

 

 「結構な頻度で中等閃光呪文(ベギラマ)唱えてただろ。回復しておけ」

 「え、でも、これはナンナ様がスレイの為に……」

 「オレとお前とじゃ理力の量が違う。気にせずに使え」

 

 後ろめたさでアステルは使う気になれなかったが、スレイは使うまで許さないとばかりに、アステルをじっと見下ろし続ける。

 アステルは諦めたように溜め息を吐いて指輪を嵌め、手を合わせて祈った。

 

 (どうか壊れませんように……っ!)

 

 ぽうっと指輪に填まっている青玉が淡く輝いた。

 こんな祈りでも指輪はアステルの消費した理力を回復させ、かつ、壊れなかった。

 

 (……もしかしてこの指輪の名前の由来って、こういう事なのかも)

 

 壊れない事を祈りながら使うから《祈りの指輪》。

 心内で一人納得しつつ、アステルは指輪を外そうとしたが。

 

 「返さなくていい。オレには必要ないから、お前がそのまま嵌めておけ」

 

 「え、ちょっ、スレイ?!」

 

 慌てふためくアステルを置いて、スレイは四つの階段の方へと足を運んだ。

 途中、シェリルがすれ違い様にスレイにぼそりと囁く。

 

 「うまい事《指輪(虫除け)》渡せて良かったなぁ」

 

 くふふと嗤うシェリルに、スレイは目を据わらせて「今のお前、カンダタそっくりだぞ」と言うと、シェリルはうげっと渋面(しぶづら)になった。

 

 







命名神の祝福を懲りずにまた横流しする男(笑)

ここまで読んで下さりありがとうございました!


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蠱毒②

 

 

 

 四つある内の取り敢えず近くの階段から、一行は上ってみる事にした。

 

 「───わっ」

 

 二階へと着くとアステルは驚き、思わず声を上げてしまった。

 通路は高い壁で仕切られているが、上に天井はない。

 二階からの構造は吹き抜けとなっていた。塔内部ど真ん中にぽっかりと空いた吹き抜けは、三階と更にその上の四階も五階も同じ構造のようだ。

 目の前の細い一本通路を通って扉のない部屋に入る。

 部屋はだだっ(ぴろ)く、天井はあり、部屋奥の壁には外界が望める鉄格子付きの縦長の窓が並んで二つ、部屋の中心に二本の柱が並び建っていた。

 

 「あるぇ~~?」

 「マァム?」

 

 頭を傾げながら、マァムはとてとてと柱近くまで走る。何かを拾い上げて此方(こちら)に戻って来た。

 シェリルが受け取ると、それを眇め見た。

 

 「……これ宝石やん」

 

 アステルもシェリルの傍に寄って、彼女の手の中にあるものを確認する。

 確かに。倒れた魔物が落とすような灰色の宝石がそこにあった。

 

 「ここにもぉ~! たっくさん、あるよぉ~~っ!」

 

 マァムが嬉しそうに拾いあげて、どんどん持ってくる。タイガも胡乱な目で、その宝石を見詰める。

 

 意識しだすと気付かずにはいられない。

 

 物言わぬ無数の宝石に囲まれ、アステルはなんとも言えない悪寒に襲われた。

 と。やにわにスレイは宝石に向かって手を翳し、浄化呪文(ニフラム)を唱えた。

 聖なる光に吸い寄せられるように、宝石はどんどん消えて行く。

 

 「スレイ、なにしてんねん! 勿体無いやん!」

 「普通の魔物の宝石とはどこか違う。回収しない方がいい」

 

 シェリルが抗議の声を上げるが、スレイは眉間に皺を寄せてそう言う。

 

 「違う……って」

 「呪いじゃないから気付けないのか? コイツにはお前の苦手な霊的な、怨念のような……」

 

 シェリルは直ぐ様、拾った宝石を差し出した。

 

 「……アステル。取り敢えず先に進むぞ」

 

 聖水で手を浄めるシェリルとマァムを脇目に、声低く言うスレイにアステルも頷くと、一行は再び階下へと下りて今度は別の階段を上る。

 造りは殆ど先程と同じ。天井はなく、部屋へと続く一本通路があるのみ。

 四つあるうち三つの階段を登ったが、どれも行き止まり。そしてやはり部屋には無数の宝石が転がっていた。

 

 最後の一つの階段を上る。

 

 先にある部屋の確認をしようと、一歩足を踏み出して。

 

 ───ざわっと鳥肌立った。

 奥の部屋から放たれる強い殺気に、アステルは背負う剣を咄嗟に引き抜く。

 

 (敵が……いる。けど、この気配は……)

 

 目だけで仲間達を見ると、皆も既に臨戦態勢に入りアステルを見返した。

 タイガがアステルを庇うように前に進み出る。

 

 「……アステル。気付いてるな?」

 「……うん」

 

 普段あまり耳にしないタイガの固い声に、応えるアステルの顔色は青い。

 過去に感じた事のある気配。

 人ならぬ、けれど人にあまりにも近いその気配。

 

 「……なんなんや。こいつ、魔物、なんか?」

 

 ダーマにて《氣》の極意を身に付けたシェリルも、前回の戦いでは気付けなかった、その気配の異様さに眉を顰めた。

 

 一歩、また一歩と慎重に部屋の手前まで進んだ、……次の瞬間。

 

 ───ガアァァァァンッ!!!

 

 激しくぶつかった金属音が響き渡った。

 振り下ろされた巨大な斧を、タイガの風神の盾が受け止めた。生半可な盾では盾ごと叩き斬られただろう。

 

 「───剛力強化呪文(バイキルト)っ!」

 

 スレイが攻撃力を上げる呪文をタイガに掛ける。身体中に漲る力を、タイガはそのまま眼前の敵に向かってぶつけた。

 

 「───うおりゃあっ!!」

 

 掛け声と共に盾を押し上げて、敵の巨斧を突き飛ばした。

 敵は出て来た部屋から押し戻されるようにして、部屋の中心にある二本の柱に激突する。

 アステル達も部屋の中へと進む。

 部屋の構造は他の三つと同じ。だが二本の柱のその奥に、三階へ上る階段が見えた。

 敵は柱に豪快な音をたてて激突したにも関わらず、けろりとした様子で立ち上がる。階段の前に立ちはだかり、その行く手を阻んだ。

 

 屈強な巨体を持つその者は素顔を隠すように、目玉の部分だけ穴を開けた袋を被っていた。剥き出しの裸胸は人ではあり得ない灰色に染まっており、粗末な短袴を纏っている。

 出で立ちはまるで、罪人の首をその手に持つ巨斧で切り落とす、死刑執行人のようだった。目出しから覗く、ぎょろりと濁った目玉を一行に向ける。

 

 ……アステル達には知りようがないが、この人ならざる存在(モノ)は、創造主によって敵を殺戮、排除する兵器〈エリミネーター〉と名付けられていた。

 

 「バハラタの洞窟で見た人型の魔物?」

 

 (よく似てる……でも、どこか違う?)

 

 「なんでこんな所に………」

 

 エリミネーターは指先を驚愕するアステルに向けて、呪文を唱えた。

 

 「……マホ、トーン」

 「なっ!?」

 

 ───呪術封印呪文(マホトーン)。殺人鬼によく似たエリミネーターは、人語を用いてアステル達の呪文を封じ込めにかかる。

 耳鳴りのような不快な音が部屋に響き渡ると、アステルは紫の光の帯に縛られた。

 呪文を封じ込められた事よりも、彼が人の言葉を話した事にアステルは衝撃を受けた。

 彼女に向かって振り下ろされる斧をタイガが再び盾を構えて阻止し、スレイが硬直しているアステルの腕を強く引いて後ろに下がらせる。

 代わりにシェリルが飛び出す。

 それに気付いたタイガは、エリミネーターから離れる。シェリルはエリミネーターに魔法のそろばんで鋭い突きを繰り出し続け、敵を再び柱まで後退させた。

 

 

 「───死にたいのかっ! 今は戦いに集中しろっ!!」

 「っ! ……ごめんなさい!」

 

 間近でスレイに怒鳴られて、アステルはハッと我に返った。

 呪文を封じられなかったスレイは防禦強化呪文(スクルト)を唱える。身の守りを高める橙色の光がアステル達の身体を包み込んだ。

 エリミネーターはスレイを指差して、再度魔封じの呪文を唱えようとしている。

 

 「マァム、魔封じの杖をお願い!」

 「はぁ~~い!」

 

 アステルの声に、マァムが魔封じの杖を振り翳す。

 先端の骸骨が吐き出した紫の霧が、エリミネーターを包み込み、呪文を封じた。

 

 呪文が発動しない事を察したエリミネーターは、苛立たしげに斧を持つ手に力を込める。

 筋肉が風船のように大きく膨れ上がり、血管が浮き出て、身体が一回り大きく変化した。澱んで何処を見ているのかわからない目は、真っ赤に充血している。

 まるで夜中に出くわした獰猛な動物のように、獲物を狙って爛々と紅く光っていた。

 

 到底、人とは思えない。それなのに。

 

 「あー……、なんで、あん時タイガとアステルが戦い(やり)にくそうにしてたんか、やっとわかったわ」

 

 溜め息混じりにシェリルは言った。

 

 「……人間の《氣》が混じっとるんやな」

 「この短期間で、そこまでわかるようになるのは大したものだぞ」

 

 タイガは敵を睨んだまま、彼女の成長に感心する。

 敢えて口にはしないが、やはり彼女の武術の才能は、商人だけに留めておくには勿体無いと思ってしまう。

 

 「……けど、人間じゃない。手加減なんて考えるな」

 「わかっとる。あんなん人間に思えってのが無理やわ」

 

 ジリジリと距離を詰めて、双方相手の出方を窺う。

 先に動いたのはシェリルだった。

 巨体の脇を狙うように、魔法のそろばんを横に振りかぶる。

 エリミネーターは手に持つ巨斧で、それを受け止め、弾き返す。

 だが、エリミネーターの逆脇には既にタイガが立っていた。

 それに対して再度、斧を振るおうとしたが、遅い。

 タイガのパワーナックルが填まった右拳は、処刑人の鳩尾に抉り込むように、深々と突き刺さった。しかし。

 

 「ぐがああああっ!!」

 

 「うおっ!」

 「やばっ!!」

 

 エリミネーターはいきり立って、タイガとシェリルに猛烈に襲い掛かる。それだけでない。辺り構わず振り回した巨斧は、柱を倒し、壁を破壊し、床を抉る。

 ───柱が飾りで良かった。万が一、天井を支えるような柱ならば、この魔物諸共崩れた天井で押し潰されるところだった。

 

 「───睡気誘発呪文(ラリホー)っ!」

 

 スレイの放った眠りに誘う呪文が効いたのか、エリミネーターの巨体がぐらりと傾ぐ。

 

 (───今だっ!)

 

 アステルは剣を構え、敵に向かって走ろうとしたが、スレイに腕を掴まれ引き留められる。

 

 「えっ!?」

 

 アステルはなんで? とばかりに、スレイに振り返ると、彼は強い冷気と蒼白い輝きを纏っていた。

 琥珀の瞳は黄金に煌めいている。

 

 「タイガ、シェリル! 下がれっ!!」

 

 スレイの掛け声に二人が素早く後退すると、スレイはルーンスタッフに維持していた凍気を放つ。

 

 「───中等氷刃呪文(ヒャダルコ)っ!!」

 

 それは常時の氷の刃ではなかった。凍気は床を這い、エリミネーターに辿り着くと足元から氷が這い上がる。徐々にその巨体を凍てつかせる。

 それはスレイが魔力暴走を起こした際の魔力の顕現とも似ていると、アステルは瞳を見開いた。

 エリミネーターは唸り声をあげ、斧を振り回し暴れるも、顔まで氷が覆い、最終的には巨大な氷の像となった。

 

 「───初等爆裂呪文(イオ)

 

 止めにスレイが放った光弾が氷の像に直撃し、爆散した。

 氷の欠片は床に落ちる前に蒸発するように消えた。甲高い音をたてて、灰色の大きめの宝石が床に落ちて転がる。

 

 「……すごっ」

 

 此方まで凍える冷気に、シェリルがカチカチと歯を鳴らして感嘆する。

 タイガは訝しげにスレイを見たが、結局何も言わなかった。

 

 上の階からも、下の階からも新たな敵が近付く気配はない。

 アステル達は緊張を解き、武器を納める。珍しく息が上がってるスレイの背に、アステルは手を伸ばした。

 

 「スレイ。今のもしかして《魔力暴走》を起こしてた?」

 「ああ、意識下でな」

 「それってまさか、メガ「違うぞ」

 

 もしや、ダーマの大神官ナディルが言っていた自己犠牲呪文メガンテか。とアステルは思い当たり顔を青褪めさせるが、スレイが直ぐ様否定した。

 

 「さっきのは《魔力暴走》で威力を上乗せさせたヒャダルコだ。

 だからそんな顔するな。ちょっと疲れるだけで身体に害はない」

 

 本当なのだろうか。

 

 (こんなに身体が冷たくなってるのに)

 

 アステルはスレイの身体を暖めるつもりで背中を擦った。

 暫くして呼吸が整い始めたのか、スレイは「大丈夫だ」と彼女の手を下げさせて、前屈みになっていた背中を伸ばした。

 

 「ちょっと難しいが、コツさえ掴めればお前にだって使える術だ」

 「……そう、なの?」

 

 そんな事を言うくらいだ。アステルが思う程の危険はないのだろう。

 だが《魔力暴走》は彼女にとって嫌な思い出しかないので、アステルの表情は晴れない。

 スレイはアステルの黒髪をわしわしと掻きまぜた。

 

 「なあなあ、アステル!」

 

 シェリルの声にアステルとスレイがそちらを向く。

 

 やはりこの部屋にも彼方此方に宝石が散らばって落ちていた。先程倒した魔物と同じ灰色の宝石。

 それが意味するのは。

 アステルはぞくりとして身を竦ませた。

 

 「これ……」

 「ああ……だろうな。さっきの魔物が同士討ちをしていたんだろう。ここに残ってたのは最後に残った《最強》と言った所か」

 

 スレイの説明を聞いて「まるで蠱毒だな」と、タイガが珍しく嫌悪感を露にして吐き捨てるように言った。

 

「コドク……?」と、アステル。

 

 「俺の故郷で禁呪とされてる呪法だ。

 壺の中に大量の虫を詰めて、蓋をして数日間放置しておくと壺の中で共喰いが始まる。そうして最後に生き残った虫を、人を呪う道具として使用するんだ」

 

 想像したのか、アステルは顔を真っ青にし、シェリルとマァムはうげ~っと顔を歪めた。

 

 「やけに詳しいな」

 

 武闘派なタイガにとって、明らかに畑違いな分野だろう。

 スレイに特に詮索するような意思はない。ただ純粋に不思議に思ったのだ。

 

 「親がそういった類いに詳しかったんだ」

 

 指摘されたタイガは微苦笑を浮かべ、言葉(みじか)にそう返した。

 

 「それよりも。この階の下、階段のあった部屋に魔物が侵入しなかったのは、ここにいた魔物を恐れていたからだろう。

 ……バハラタの盗賊のアジトにいた人型の魔物と同じだ」

 

 タイガがあの時の事を思い出すように話す。

 盗賊がアジトにしていた洞窟でも、魔物達は殺人鬼を恐れて身を隠していた。

 

 「どういう理由かはわからんが、盗賊のアジトに現れた同系統の魔物である事は間違いないな」

 

 「………」

 

 エリミネーターとの戦いが始まってすぐ、スレイはバハラタでの殺人鬼達との戦いを思い出した。

 あり得ない生命を授かったあの手の魔物は、その時対処したカンダタのように一太刀で仕留めるか、強い聖力を秘めた武器……例えばアステルの持つ聖剣(ゾンビキラー)で対処するか、だ。

 今回ならば敵の動きを封じた上で、アステルにゾンビキラーで止めを刺して貰うのが、一番手っ取り早かった。

 

 ……だが。それはさせたくないとスレイは思ったのだ。

 

 バハラタでのあの時も、殺人鬼(あの魔物)の真相に気付けていたならば。

 

 スレイは歯を食い縛る。

 

 (───彼女に討たせなどしなかった)

 

 悟りの書が教えてくれた。

 魔族には人間を生かしたまま、魔物へと進化させる禁忌の術があると。

 

 そして再度《人ならざるもの》を目にして、スレイは確信した。

 

 (……《氣》を読めるタイガとシェリル、感覚の鋭いアステルが惑うのも無理ない。

 あの時のも、そして今回も。

 人ならざるものは元人間だ。しかも、生きたままの)

 

 死体を魔王や魔族の魔力が操っているのではなく。生きたまま、別の生物に、魔物に変えられたのだ。

 

 ……だが。スレイはこの事を、アステル達に知らせるつもりはない。

 

 知ればあの時とどめを刺したアステルが、傷付き嘆き悲しむとわかりきっていたからだ。

 

 己のエゴだと、スレイも理解していた。

 

 ……それでも。と。

 

 (魔王を倒す……そこに至るまでに、アステルに余計な重荷を背負わせはしない)

 

 憂いなど残させない。

 

 魔王を倒した後、彼女が普通の少女として幸せに暮らしていけるように。

 

 

 「……スレイ?」

 

 アステルに声掛けられて、スレイはハッとする。見下ろすとアステルの青い瞳が不安げに揺れていた。

 

 「悪い、大丈夫だ。

 ……やはりここもガルナの塔と同じように、魔族の手が回ってるとみて、間違いないだろ」

 

 「一刻も早く《山彦の笛》を見つけなきゃね」

 

 アステルの言葉に皆頷く。

 落ちていた大量の宝石と先程倒した人型の魔物の宝石に、アステルは浄化呪文(ニフラム)を唱えた。

 ニフラムの聖なる光の中に消えて行く宝石達を見送って、一行は三階へと続く階段を上った。

 

 

* * * * * 

 

 

 一行が立ち去った後、柱から伸びる影が悪魔の形へと変わり、ひとつ、またひとつと分裂していく。

 

 『……エリミネーターは失敗か。やはり呪文を使えるようにすると、狂暴性が落ちるな』

 『ここは呪文に頼らず、従来通り力を引き伸ばす方に重点を置いた方が良いか』

 『やはり生きたままの脆弱な人間では完璧な兵器になど………』

 

 複数の影は全く同じ声で、しかし、各々違う考えで話し合う。

 

 『あの侵入者達を材料に使ってはどうだ。成功の見込みがありそうだが』

 『あれらは駄目だ。あの御方が目を付けておられる』

 『焦る事はない。実験材料はサマンオサに行けばいくらでもある。

 取り敢えず今はあの御方の命令に従い、監視を続けようではないか』

 

 結論に至った影達は、その姿がひとつ、またひとつと重なり戻り、上の階へと上がる階段へと伸びて消えた。

 

 

 







*魔物の落とす宝石について*
今回初めて宝石を拾わないで浄化するという行動にでました。
だったら今回以外の倒した魔物の宝石に怨念は宿らないのか?となるかもしれませんが、結論から言うと宿りません。
魔物は魔王に凶暴化されていますが、根底は野生動物と同じです。狩る側であり、狩られる側でもある。そこに人間のような恨み辛みは基本的にない。
物質系の魔物にはそもそも心の概念がない。
ゾンビ系の魔物は寧ろ、倒されて天に還れる事を喜んですらいます。
ですので、与えられた魔王の力の影響が強くて宝石と化してますが、その宝石に未練等は宿っていません。
ただ、自我の強い(人語を喋ったり策を練ったりするような知識のある)魔物や下級中級魔族、タイガの言う《蠱毒》等の自然の摂理に反する惨い扱いをされて命を落とした場合は、この限りではありません。

アープの塔編はほぼ書き終えてますので、次回投稿は9月末か10月始めになるかと思いますので、また読んで下さると幸いです_(..)_

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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最上階で待つもの

 

 

 

 アープの塔三階。眼前に広がる風景に一行は唖然とした。

 三階の床らしき床は、四角い空間の四隅にある僅かな踊り場のみ。すぐ近くには上へと続く階段が在った。

 アステル達から見て、遠くにある残り三隅の踊り場にある階段は、上の階にのみ繋がっているようだが、特に何かが置いてあるわけでもない。

 

 しかしそれよりも気になるのは、広大な吹き抜けの空洞、そのど真ん中に浮いている四角い床だった。

 

 「……あそこに宝箱がある」

 

 アステルが指差す。

 宙に浮いている床の中央に、赤い宝箱が四つ並んで置かれているのが確認できた。

 

 と、上の階から背中に蝙蝠羽が生えた男……吸血鬼系の最終進化〈バーナバス〉が現れる。

 一行に気付いたバーナバスは獲物を見つけたとばかりに、此方(こちら)に向かって急下降してきた……が。

 宙に浮く床の上を滑空しようとして、見えない壁に激突する。

 気を失い敢えなく落下していくバーナバスを、マァムが「あ~らら」と見送る。

 

 「……結界か? 〈山彦の笛〉はあそこにあるようだな」

 

 間抜けなバーナバスを尻目にスレイは呟く。

 

 「……でもあれ、どうやって取るのかな?」

 

 アステルはぽつりと呟くも、既に嫌な予感がしており、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

 「ここで見てても仕方ない。さっさと上に上がるぞ」

 

 

 溜め息混じりのスレイの言葉に背中を押され、一行は四階へ。

 更に空洞の範囲が広まっていた。歩ける場所は壁沿いの人一人が通れる細長い通路のみ。こんな場所での戦闘は勘弁して欲しいと願いながら、遠くに見える階段を目指すもののその願いは虚しく。

 痺れ揚羽(あげは)や先程現れた吸血鬼(バーナバス)魔鳥(ヘルコンドル)といった飛行する魔物達が邪魔する。

 それらをなんとか蹴散らしながら進む。

 

 階段まであともう少しの所で、魔物達はぴたりと動き止め、慌てて逃げ出した。

 アステル達はきょとんとするも、次には重い威圧(プレッシャー)が頭上から一行を潰さんばかりに襲い掛かってきた。

 一行は慌てて階段へと走るも、凄まじい火炎が行く手を遮る。

 

 「(あつ)っ!?」

 

 アステルは炎の出所に視線を向けた。

 

 

 「───キシャアアアアッ!!」

 

 その鳴き声は塔全体に響き渡り、びりびりと振動を起こした。

 上階から舞い降りる蛇のような長い胴体に、黄金の鱗、鋭い鉤爪の手足。

 いつか見た澄んだ空色の(まなこ)は、今は曇天のように灰色に濁っている。

 二匹の空 竜(スカイドラゴン)がそこにいた。

 

 「……今度もまた俺達を導いてくれている……って、訳じゃなさそうだな!」

 

 聞く耳持たぬと吐き出された炎を、一行は床に臥せてギリギリ避ける。

 

 「こなくそっ!! いきなりなんやねんっ!!」

 

 起き上がったシェリルが、竜の鼻面目掛けて魔法のそろばんを振りかぶった。

 しかしスカイドラゴンはひょいっと飛翔して避け、逆に彼女の方が狭い通路から下階へと落ちそうになる。

 

 「うわったったったっ!!──と、危な……あんなんどうやって叩けばええねんっ!!」

 

 「降りてこいやぁっ!」と、ぶんぶんと魔法のそろばんをぶん回し、がなるシェリル。

 

 「ならならぁ~~! こいつならどうでぇ~~いっ!」

 

 マァムが雷の杖を振り翳す。

 

 「くらぇ~~いっ! ───ライドド~~ンっ!!」

 

 へんてこ呪文(実際にはそんな呪文はない筈)と共に放たれた凄まじい雷光が、スカイドラゴン達を包み込んだ。

 しかし。光が止んで姿を現した竜達は、パチパチと電気を身体に帯びつつも平然としている。

 

 ……いや、寧ろ、雷を吸収したように黄金の鱗は生き生きと輝いて見えた。

 

 「あ、あれれ~~?」

 「マ、マァム。なんか奴ら、元気になっとらんか?」

 

 たじろぐマァムとシェリル。彼女達に向かって口をぱかりと開くと、スカイドラゴンは盛大な燃え盛る炎を吐き出した。

 

 「「うひゃあーーーっ!」」

 

 「───中等氷刃呪文(ヒャダルコ)っ!!」

 

 スレイが放った氷の刃が炎と空中でぶつかり、爆発を起こす。スカイドラゴン達は驚いたように鳴きながら、飛翔して離れた。

 

 「アステル、炎はオレがなんとかする。お前はその隙に竜に向かって浄化呪文(ニフラム)を唱えてくれ」

 

 「ニフラムを?」

 

 意外な呪文にアステルは思わず問い返してしまう。

 

 「空 竜(スカイドラゴン)は元々神の遣いで聖なる種族だ。本来はアープの塔の守護者だったんだろうが、塔に充満する邪気に充てられたんだろ。

 ニフラムの光は天へと通じている。(あっち)に還れば正気に戻る筈だ」

 

 「わかった……!」

 

 再び下降して来た竜達は一行に向けて、二匹同時に炎を吐き出す。

 スレイは再び中等氷刃呪文(ヒャダルコ)を唱えて空中で受け止める。

 彼の背後に身を隠していたアステルは、不意打ちのように現れてスカイドラゴンに向けて呪文を唱えた。

 

 「───浄化呪文(ニフラム)っ!!」

 

 スカイドラゴンの頭上に光の渦が現れる。竜達は炎を吐くを止め、光に吸い込まれるのに抗うように暴れる。

 あまりの抵抗にアステルが呪文の重ね掛けをしようとしたが、不意に竜達は力を抜いた。自分から飛び込むようにして光の渦の中に消える。

 予想外の展開にアステルは目を瞬く。

 危険が去り、しんっと静まり返った空間に、一行の深い深い溜め息が落ちた。

 

 

 

* * * * * 

 

 

 

 スカイドラゴンに恐れて逃げていた魔物達が戻って来ないうちに、アステル達は階段を駆け上がった。

 そうして辿り着いた五階最上階。

 そこにはアステルにとって、無情と言わざる得ない光景が広がっていた。

 

 

 「……だから、なんで、」

 

 アステルは膝から崩れ落ちる。

 シェリルは目の前の光景に絶句し、スレイとタイガは見覚えあるこの光景と、アステルの反応にそれぞれ溜め息とから笑いが出てしまう。マァムだけが楽しげにキョロキョロと辺りを見回していた。

 ほぼ空洞の広大な空間に、五本の太い綱が今立つ足場と、奥壁の僅かな足場に渡され伸びていた。更にそこから所々で横と横に縄が結び渡されている。

 

 「なんで綱渡り!? 神様って綱渡りが好きなの!? ねえっ!!?」

 「落ち着け」

 

 取り乱して泣き付くアステルの頭に、呆れ顔のスレイがぽすんっと手刀を落とす。

 

 「は? 神様? どういう事? もしかしてこいつ渡るんか!?」

 「ガルナの塔でもあったんだよ。……綱渡り」

 

 ガルナの塔攻略に不参加だったシェリルは何も解らない。眉間に皺を寄せるシェリルに、タイガは困り顔で説明する。

 

 「さて。今回はどうする? スレイ」

 「……取り敢えず、オレ一人で見に行く。あんた達は待っててくれ」

 

 溜め息混じりにスレイは言って、綱を渡り始めた。

 

 

 この階は今までの階とは違って静かだ。

 恐らくは前の階のスカイドラゴンを恐れて、それより弱い魔物達は寄り付けなかったのであろう。

 アステル達が見守る中、スレイは簡単に向こう岸まで辿り着く。辺りを見回すと、宝箱が三個ある。手前にあるものから回収する。中身は小さなメダルだった。

 スレイから見て右側の岸にも宝箱がある。綱を渡り右岸に移動して宝箱を開けた。此方の中身は白銀に輝く指輪だった。向かい合う鳥が彫られ、その真ん中に菱形の白い宝石が填まっている。

 左岸にも宝箱があるが、あまり良い予感がしない。こういう時は大抵〈人喰い箱〉か即死呪文(ザラキ)を操る〈ミミック〉であったりするが。

 

 (けど一応、確認しておくか……)

 

 スレイが綱を渡る度、アステルは心臓がきゅっとなる。大丈夫だとは思っているが、心配で心配で仕方ない。

 向こう岸で手を合わせて祈るアステルを横目に、スレイは気軽な足取りで縄を渡っていく。

 着いた先の宝箱の前に立ち、スレイは手を伸ばして呪文を唱えた。

 

 「───危険探知呪文(インパス)

 

 「お? なんや?」

 

 シェリルの声にアステルは伏せていた顔を上げると、スレイの前に置かれている宝箱が赤く輝いていた。

 それを確認したスレイは宝箱に触れず、踵を返して此方へと戻る為に綱に乗った。

 途中、スレイが空洞の丁度中心辺りで、いきなりしゃがみこんだ。

 アステルは息が一瞬止まったが、どうやら下の階を覗き込んでいるだけらしい。

 暫くして納得したように立ち上がり、此方へと危なげなく戻って来た。床に着地するスレイを見て、アステルの方が安堵の息を漏らした。

 

 「す、スレイ大丈夫? さっ、さっきの赤い光は何?」

 

 何もしていないアステルの方が疲れきった顔をしている。スレイは震えるその頭をぽんぽんと叩いて宥めた。

 

 「危険探知呪文(インパス)の光だ」

 「インパス?」

 「宝箱に罠が仕掛けられてないか、擬態した魔物じゃないかを触れずに確認出来る呪文だ。青い光は問題なし。赤い光は罠か魔物だ」

 「じゃあ、あの宝箱は……」

 「人喰い箱かミミックだな」

 「へぇ~~。便利な呪文があるもんやなぁ」

 

 感心するシェリルに、スレイは手に入れた指輪と小さなメダルを彼女に渡した。

 

 「お、こいつは〈博愛リング〉やな!」

 

 「博愛?」と、アステル。

 

 「愛情がふつふつと沸き上がる不思議な指輪って謂われとる。どんな乱暴者でもこれを嵌めれば、怒りや苛つきが治まって、他者に愛情深く優しくなれるらしいで」

 

 「へぇ?」

 「ふ~~ん?」

 

 アステルはシェリルから受け取ったそれを、マァムと一緒にまじまじと眺める。

 

 「……スレイがこのまま持っとったら? こないだみたいな時に役立つやろ」

 

 シェリルが意地悪く嗤うのに、スレイは目を据わらせる。

 こないだというのは、エジンベアでの一連のスレイの行動についてだろう。

 

 「いいや。オレよりもお前の方が必要だろ。特定の相手に対してな」

 

 スレイも反撃を忘れない。

 特定の相手とは今現在、船で留守番をしている緑髪の彼の事だろう。

 シェリルがぐっと言葉に詰まらせるのを見て、スレイはしてやったりと口の端を持ち上げた。

 あ、これは駄目なやつだ。と、アステルは慌てて二人の間に入る。

 

 「ね、ね、スレイ、シェリル。これマァムにあげてもいいかな?」

 「……あ?」

 「……へ? 別に構わんけど」

 

 突然の申し出に気が()れたスレイとシェリルは、「なんで?」と頭を傾げた。

 

 「マァムに似合うんじゃないかなぁって思って」

 

 (それに最近のごたごたで、マァムのスレイに対する印象が……)

 

 これでスレイに対して、少しでも優しい気持ちになって欲しいという願いも込めて、アステルはマァムの細い指に鳥の指輪を通した。 

 少し大きいかと思ったは指輪は、マァムの指のサイズに合わせて縮み、ぴったりと吸い付いたのでアステルは驚く。

 

 「わあ! 便利」

 「おお、この腕輪と同じだな」

 

 タイガが自分の左上腕に嵌めている〈星降る腕輪〉を見せた。

 イシスで貰ったこの星降る腕輪も、初めは女性が身に付けるような小さなサイズだったが、タイガが嵌めると彼の腕のサイズに合わせて大きくなったのだ。

 

 「そうそう。魔法のかかった装飾品は、様々な祝福を与えるし、大なり小なり精神に影響を与えるもんもあるけど、綺麗やし身に付けたらぴったりとくっつくし簡単には失くさんから、冒険者だけじゃのうて一般人にも結構人気あんねんで」

 

 シェリルが商人顔で説明する。先程のスレイとのいざこざは頭からすっ飛んだようだ。悪い感情をずるずると引き摺らない前向きな所が、彼女の美点だ。

 

 (だからこそカンダタさんに対してだけ、ああなるのが本当に不思議なんだけど……)

 

 アステルは指輪の填まった手を掲げ見るマァムに声を掛けた。

 

 「どうかな? マァム」

 「うん! かわいい~~! キレイ~~! ありがとうぅアステルぅ~~! 大事にするぅ~~!」

 

 マァムはスレイに振り返り、『アステルに貰ったんだぞ。いいだろう』とばかりに彼に見せびらかして鼻で嗤う。……手に入れたのはスレイなのだが。

 

 「……シェリル。博愛だったか? 確か他者に愛情深く、優しくなれるとか言ってたよな?」

 

 『どこがだ』とマァムを指差すスレイに、シェリルもアステルも苦笑を禁じえなかった。

 

 

 

 「───話は変わるが」と、皆に向かって口を開くスレイ。

 

 「三階の宙に浮いた床に辿り着くには、ここの空洞中央部分から、飛び降りるしか方法はなさそうだ」

 

 「…………」

 

 硬直したアステルの顔の前で、スレイは両手をパンッと打ち鳴らした。

 

 「……はっ!」

 「戻ってきたか?」

 「とびっ、飛び降りっ、るって、こここここ、五階……っ!」

 「それしか方法がない。だからこそ竜達は精神を冒された状態にあっても、この階を本能で守っていたんだ」

 「だが、この高さを飛び降りるの流石に無謀じゃないのか? それに宝を守るあの透明な壁はどうするんだ?」

 

 尋ねるタイガに、スレイは皆から少し離れると瞑目した。

 暫くすると彼の服がはためき、白銀の髪が靡く。足元から旋風が起こり、スレイの身体が持ち上がった。

 瞬間移動呪文(ルーラ)と違い、滞空している。

 

 「飛んでる……凄い……!!」

 

 瞬間移動呪文(ルーラ)も飛んでるようなものだとタイガは思うが、アステルにとってはそれはまた別の話らしい。

 アステルが瞳をきらきらさせてスレイを眺めてるのに、マァムが影でチッと舌打ちするのをタイガは見た。

 皆の頭上辺りまで上昇すると、スレイはゆっくりと着地して息を吐く。

 

 「……真空呪文(バギ)の応用だ。練習中だからこれ以上は高くは浮けないし、飛行なんて無理だが、高所からゆっくり下降するぐらいならなんとかなる」

 

 (……ああ。マァム=ノーランがよくやってる風を纏った飛翔術か)

 

 スレイも出来るのか、とタイガは得心がいったように頷く。

 

 「あと、あの浮いた床の周りに張られた結界の事だが。アステルが行けば問題ないだろ」

 

 「え」

 

 先程まで興奮して色付いたアステルの頬が、スレイの言葉でまた真っ白になる。

 可哀想だがその変わりようが可笑しくて、タイガは吹き出しそうになるのを咳払いで誤魔化した。

 

 「なんでアステルなら大丈夫なん?」

 「喋る馬(エド)が言ってただろう。山彦の笛の吹き手はアステルだと。

 あの結界を消せるのは、神器である笛に望まれている者だけだ。

 ……だからアステル。諦めろ」

 

 どう足掻いてもアステルの綱渡りは免れない。

 黄昏(たそがれ)るアステルを置いといて、スレイの説明は続く。

 

 「オレとアステルが降りたのを確認したら、タイガ達は一階の階段部屋まで下りてきてくれ。あそこならまだ安全に待機出来るだろう。

 オレ達は笛を手に入れたら、その場でまた飛び降りるから、そこで合流しよう」

 

 「わかった」

 「りょーかい」

 「反対っ! ハンタイっ! はんたぁ~~いっ!!」

 

 タイガとシェリルが頷くが、マァムは金髪を振り乱して声を張り上げた。

 

 「そんなまじめな事言ってぇ~! ホントはアステルと二人っきりになってぇ、あんな事、そんな事、えっちぃ事するつもりなんでしょおぉ!! このむっつりスケベぇ~~っ!!」

 「するかっ!!」

 

 怒鳴るスレイに向かって、マァムは魔封じの杖を振り翳そうとしたので、タイガが彼女を背後から羽交い締めた。

 いつ解けるか解らないスレイ対応の魔法封じを、今この時にさせる訳にはいかない。

 

 「ちょぉ、タイガぁ~~っ! 離してぇ~~っ! アステルのぉ貞操のぉ危機なんだからぁ~~!!」

 「マァム、ちょっと落ち着こうか。それと魔物が来るかもしれんから、もう少し声落とそうな?」

 

 

 「……シェリルは結局、今回も、綱渡りしなくてもいいんだね……」

 「すまんなー。代われるもんなら代わってやりたいんやけどなー」

 

 どんよりと恨めしげに睨むアステルに対し、シェリルは『よよよ』と芝居がかったしぐさで嘆いた。

 

 

 

 







*アステルにとって最悪、綱渡り再び。更に落下のオプション付き(笑)
ゲームでは目的地に向かって飛び降りて終わりですが、実際はそういうわけにはいかない。しかも、一階下ならまだしも最上階から二階も下の階に飛び降りるってのはね。
ここに来るまでにマァム=ノーランの行動で、この物語ならではの解決方法を小出ししていました。
しかし今回はアープの塔内の構造説明がとても難しかったです。
俯瞰でマップみたら目茶苦茶単純なのに(汗)

*マァムのへんてこ呪文《ライドドン》は、ゲームでも遊び人が実際に唱えてるやつです。もちろん何も起こらない(笑)
今回のはいかずちの杖の効果です。


今月末から仕事が忙しくなりそうだったので、予告より早めの投稿となりました。
明日の投稿でアープの塔とこの章は終了です。時間差でキャラクター紹介も投稿していますので、読んで頂けたら幸いです。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!



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聖なる旋律

 

 

 「行くぞ」

 「うう……」

 

 アステルの胴に命綱を回すと、スレイは縄の端を自らの胴に回して繋げた。

 アステルが前を歩き、その後ろをスレイが歩く。これならアステルが万が一踏み外したとしても、スレイが手助けなり対処出来る。

 

 「深呼吸!」

 「ひゃっ!!」

 

 綱の前を立つアステルは、背後からかけられたスレイの声に小さな悲鳴をあげるも、両肩に置かれた手の感触と心強さに瞳を見開く。

 アステルは素直に呼吸を繰り返した。

 

 「変に力むな。もっと肩の力を抜け」

 「うん」

 「前にも言ったが、絶対に下を向くな」

 「うん」

 「終始目的の場所だけ見てろ」

 「うん」

 「後ろにちゃんと付いてる」

 「うん」

 「お前が何かやらかしてもフォローはちゃんとする」

 「うん」

 「大丈夫だ。前回だって問題なかっただろ?」

 「うん」

 

 スレイがゆっくりと言い聞かせ、アステルは一言一言に頷く。

 最後にスレイはアステルの両肩をぽんっと叩いて離した。

 

 「じゃあ行くぞ。アステル」

 「はい!」

 

 そうして一歩踏み出したアステルとスレイを、シェリルがどこか感慨深げに眺めているのに、タイガが小声で囁いた。

 

 「どうした? シェリル」

 「……ん? いやな? アステルがああやって、愚痴ったり、弱音吐いたり、誰かに頼るようになるとはなぁって思うて」

 「そうか?」

 

 タイガが頭を傾げるのに、シェリルはふと笑った。

 

 「アリアハンにいた頃のアステルは、今みたいに弱味なんて絶対みせん子やった。

 あの子は立場上、過度の期待を懸けられるか、やっかまれるかのどっちかやってん。

 味方よりも敵の方が多かった気ぃもする。そんな奴らに足をすくわれんように、いっつも気ぃ張っとった。

 親父さんの名に恥じぬように、勇者の称号に相応しいなる為に」

 

 ああ。確かに。とタイガは思い返す。

 

 アリアハンにいた頃のアステルは、どこか背伸びしていた。マァムやシェリル、家族、ルイーダ(マダム)以外には、笑っていても笑っていないような顔をしていた。

 

 (俺に対しても初めは、余所行きの笑顔を張り付けてたしなぁ)

 

 自分と接するマァムの様子を見て、徐々に警戒心が薄れ、旅の仲間入りの承諾を決めた瞬間、完全に取り払われた気がする。

 

 ふと、タイガは綱渡り中のアステルとスレイを見る。

 

 (しかし。そう考えたら、スレイはあっという間に彼女の信頼を獲得していたな)

 

 それにスレイも。

 

 今ならわかるが、彼は初対面の相手に対し、関心を持って接するような人間ではない。寧ろその真逆だ。

 だがアステルには出会ったその日から、まるで妹を見るような穏やかな目で、常に気を配っていたような気がする。

 しかし。それはあくまでアステルにだけで、シェリルやマァムとは一線を引いていた。

 ───勿論、今は違うが。

 

 

 「ウチらは」とシェリルの声に、タイガは思考を中断し、アステル達に遣っていた視線をシェリルに戻した。

 

 「アステルの幼馴染みで親友や。

 けどアステルにとってウチらは『支えられて守られる』よりも、『支えて守らなあかん』って意識の方がどうしても強いねん。

 今はともかく、実際出会った頃のウチらはアステルに守られとったからな。

 マァムはぶうたれとるけど、スレイがおってホンマよかった思うとる」

 

 むっすりとしているマァムの頭に肘を置いて、「もちろんタイガもな」とにししっと笑うシェリルに、タイガも口の端を持ち上げた。

 

 そんな話をしている間に、二人は空洞の真ん中に辿り着いていた。

 

 「あ~~~っ!!!」

 

 そこでマァムが目を剥き、頭を抱えて叫んだ。

 スレイがアステルの手を取って飛び降りると、突然アステルは繋がれていない方の手をスレイの首へと回した。遠目からだと二人は抱き合いながら落下したように見えた。

 

 「おぉい? マァム~~?」

 

 シェリルが呼び掛けるが、マァムはわなわなと怒りに震え「スゥレェイィ~~っ! ゆ~る~さ~ん~っ!」と、ギンっと目尻を釣り上げる。

 そして階下へと走った。

 

 ((あれは不可抗力なんじゃ……))

 

 シェリルとタイガは互いに見合った後、力なく笑い、彼女の後を追った。

 

 

 

 ───さて。降下中のアステル達はというと。

 

 「いきなり抱き付くなっ! 危ないだろうがっ!!」

 「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」

 

 スレイはアステルと手を繋いだ状態で飛び降りた。

 しかし身体がぐらりと傾いだアステルは、恐怖で咄嗟に彼に抱き付いてしまったのだ。

 怒鳴りながらもスレイはアステルの腰に手を回して彼女の身体を固定し、アステルは謝りつつも、しがみついたまま彼から離れない。

 先程は血の気が引き、冷たい汗をかいたアステルだったが、今は顔が熱く心臓は早鐘のように打ち鳴らされている。顔を少し動かせば、すぐそこにスレイの顔があるから下手に動けない。

 スレイもまた、アステルの髪や香りが肌や鼻を擽り、ただでさえまだ慣れていない魔法を行使している最中だというのに、集中が途切れそうになる。互いに鎧を纏っているので、身体の感触があまり伝わらないのが、唯一の救いだ。

 

 下に宝箱が並んだ浮いた床が見えてきた。……それと同時に。

 

 ────カシャンっ!

 

 と、薄い硝子が割れたような音をアステルとスレイは聞いた。

 エルフの森やガルナの塔で結界を解いた時と同じ。やはり結界はアステルを阻む事はなかった。

 

 滞空時間はそれ程長くはない筈が、二人にはそれはそれは長く感じられた。

 二階にある浮いた床にやっと足が着くと、互いに目を反らしつつ身体を離す。

 二人は肺の中の酸素全てをはきだすような、深い溜め息を吐いた。

 

 「す、スレイの言う通り入れたね!」

 「……ああ」

 

 アステルは空気を変えようと笑顔でそう言ったのだが、スレイは深刻な面持ちのまま、自らと彼女を縛る命綱をほどく。

 

 

 『───彼女に我等の力は通用せぬからな』

 

 (ガルナ)の塔で聞いた、己を守護する女神の声をスレイは思い出した。

 

 (神の力は《天の愛し子》には通用しない。……天に選ばれし者か)

 

 

 「スレイ……?」

 

 恐る恐る掛けられた声にスレイは我に返ると、アステルが萎縮した様子で項垂れていた。

 

 「その、さっきは本当にごめんなさい」

 

 スレイは首を捻ったが、すぐ理解する。気もそぞろで返事をしたから、まだ怒っていると思われたのだろう。

 

 「……あれは確かに危なかったが、もう気にしていない」

 

 下を向くアステルの頭をわしわしと掻き撫でると、アステルはそっと青い目を上げた。目が合うとスレイは表情を緩めた。

 

 「次は気をつけてくれ」

 「次なんてない事、本気で願うから」

 

 人を(いじ)るような口調でスレイがそう窘めると、アステルはほっとして、それからぷうっと膨れてみせた。

 

 「それより……」

 

 スレイは四個並んだ宝箱に視線を向ける。アステルも頷き、宝箱に触れた。

 

 一つは古いゴールド貨幣、二つ目は小さなメダル。そして三つ目は薬包紙で包まれた木の実だった。

 

 「命の木の実だな」

 「いのちの……?」

 「服用すると生命力が上がると言われている魔法の木の実だ」

 「これ、食べれるの? 随分古いと思うんだけど……」

 「魔法の実や種は腐らない。問題ない……って、なんでオレに差し出すんだ?」

 

 木の実を差し出すアステルに、スレイは目を据わらせる。それにアステルは慌てて弁解した。

 

 「べ、別に信用してないとかじゃなくて! ……スレイって自分の事、疎かにしがちだから」

 

 暫く睨みあったが結局はスレイが折れ、アステルの手から木の実を取り上げると口の中に放り込んだ。それを見てアステルはにっこりとする。

 

 そして最後の宝箱をスレイが開けた。

 中には翼を広げた鳥のような紋章が彫られた木箱が入っていた。

 スレイが箱を取り出して、アステルに見せる。

 その紋章を目にした瞬間、郷愁のような強く切ない感情が溢れて、アステルは思わず胸を押さえた。

 

 「アステル?」

 「大丈……夫。それよりも早く中を」

 

 急かすアステルをスレイは訝しげに見るも、木箱の蓋を開ける。上品な葡萄茶色(ワインレッド)天鵞絨(ベルベット)の上に、鳩琴(オカリナ)が鎮座していた。

 象牙色のオカリナは艶やかで、古びていない。材質は陶器に見えるが、渇きの壺と同じく、ただの陶器ではないだろう。

 

  

 「私の、………俺の笛」

 

 ぽつりと呟いたその言葉に、スレイは笛からアステルへと視線を遣り、瞠目する。

 アステルは瞳に涙を浮かべながら柔らかく微笑み、引き寄せられるように手を伸ばして、スレイの持つ箱の中の笛を優しく撫でた。

 

 「彼女(・・)がくれた……俺の笛……こんな所にあったのか」

 

 笛を手に取り、アステルは愛おしげに笛をまた撫でる。

 

 「アステル?」

 

 様子のおかしいアステルにスレイは戸惑いながら、彼女の名を呼び、その肩に手を伸ばした。が。

 

 涙で揺れていた瞳は温度を失くし、『触れるな』と言わんばかりの明らかな敵意を込めてスレイを貫いた。

 スレイは息を呑み、伸ばした手は宙に留まる。

 

 アステルはスレイから再び笛へと視線を戻す。

 アステルは吹き口に唇を当て、軽く息を吹き込んだ。ヒュンと笛は嬉しそうな高い音を出し、アステルの瞳は優しげに細まる。

 

 そしてそのままアステルは笛を奏で始めた。

 

 神秘的で、けれどどこか物悲しげな調べは、塔内に高く澄んで響き渡る。

 アステルの身体から白い光が溢れだす。

 それは結界呪文(トヘロス)の光にも似ていたが、どこか違う。

 アステルの足元から、白い光の粒子がふわふわと現れる。それは数を増していく。

 彼女の奏でる音色に呼応するように、光の粒は塔の床や壁、柱と、至る場所から。

 

 光は溢れ、満ちていく。

 

 

* * * * * 

 

 

 「なんや、このキレイな音……。笛の音か?」

 

 笛の音色は塔を下りている最中、その邪魔をする魔物達と交戦中のシェリル達の耳にも届いた。

 そして彼女達のいる場にも光の粒子がふわふわと現れる。

 

 「……シェリル、魔物達の様子がおかしいぞ」

 

 タイガの声に、シェリルが魔物に目を遣れば。

 魔物達は苦し気に呻き、手があるものは耳を塞ぎ、光に抗うように暴れて、そして───消滅した。

 

 「なんや、これ……」

 

 シェリルが呆然としているその隣では。

 笛の音に心を奪われ、立ち尽くすマァムの紅髄玉(カーネリアン)の瞳が、鮮やか翠玉(エメラルド)に輝いていた。

 

 

 『なんて忌々しい、耳障りな音……』

 『な、なんだ光は……』

 『まぶしい……っ、』

 『苦しい……っ、』

 『形を保てな───っ』

 

 アステル達を尾行していた妖しい影達も、彼女から放たれる白光を前に、慌てて物影……身を隠せる闇を探すものの、今この場に闇はない。これだけの光が溢れているならば、影は必ず生じる筈なのに。

 そうして、影の悪魔達はその姿を保てずに消滅した。

 

 

 光はアープの塔の中だけでは納まりきらず、聖なる旋律を乗せて外へと溢れだす。

 

 世界へと広がり渡る。

 

 拡散した光の粒子と目覚めの音色は微かで小さいが、けれど、確かに。

 

 分かたれた魂の元へ届いた。

 

 

 それは土地神を奉る社で。

 

 それは世界で一番高い山の頂の祠で。

 

 それは何処かの邸宅の宝物庫で。

 

 それは青い海に浮かぶ髑髏の旗を掲げた船で。

 

 それは滅ぼされた里跡の牢獄で。

 

 それは世界の中心、地底深くの洞窟で。

 

 

 分かたれた魂は聖なる旋律と共に歌い、そして叫んだ。

 

 

 我はここだと。

 

 一つになりたいと。

 

 貴方の元へ返りたいと。

 

 あの御方の元へ共に帰りたいと。

 

 

* * * * * *

 

 

 「アステル、アステル………っ!!」

 

 光を放ちながら、アステルは虚ろな瞳で笛を無心に奏で続ける。

 スレイは目映い光に目を腕で隠し、眇めながら、何度も彼女の名を呼んだが、何の反応も返さない。

 

 彼女から放たれる輝きは増す一方で。

 

 それはまるで小さな太陽のよう。

 

 アステルの背中から更に大きな光が放たれる。

 まるで蛹から蝶が羽化するように現れたそれ(・・)は、人の上半身を成し、背後からアステルに覆い被ろうとしている。

 

 (───駄目だ)

 

 スレイは漠然と感じ取った。

 それは焦燥感。このままでは自分の大切なものが奪われる。

 過去に経験した、絶望手前のあの感覚。

 

 (あれ(・・)とアステルを一つにしては駄目だ!!)

 

 「アステルっ!!」

 

 今度は躊躇などしない。

 

 スレイは手を伸ばしてアステルの腕を掴むと、そのまま引き寄せて抱き締めた。

 アステルの口から笛が離れ、ヒュンッと不服そうな音を出した。

 

 アステルの背中にいる人の形を成した光とスレイは向き合った。

 

 『触るな。これは俺のだ。穢らわしい闇の眷族が』

 

 光は喋った。それも男の声。

 横暴な言と、なにより彼女に密着しているのが男だと判明すると、スレイは怒りを露にする。

 

 「アステルは貴様のじゃない。貴様が彼女から離れろっ!!」

 

 スレイが吼え、アステルの手から山彦の笛をもぎ取った。

 アステルの身体から溢れる光が薄れる。それに従い男の声を発する光も徐々に薄れていく。

 

 「貴様は誰だっ!!」

 

 スレイが尋ねると、光はくつくつと喉の奥で嗤い、そして名乗った。

 

 『俺は天の愛し子───《ロト》だ』

 

 「───っ!?」

 

 『仮にも賢者ならこの意味、解るだろう?』

 

 言葉が紡げぬスレイを、光は滑稽だとばかりに嗤う。

 

 『運命の回避など不可能だ。───この俺のようにな』

 

 哀しげな、寂しげな声で。

 

 そう、吐き捨てて。光は完全に消えた。

 

 

 

 「………ん?」

 

 虚ろな青の瞳に本来の輝きが蘇る。

 

 「あれ? ………なに、ひあっ!??」

 

 アステルは目の前にある胸に手を当てて、それが誰なのかわかると短い悲鳴をあげて両手を上げた。

 スレイから身体を離し、アステルはキョロキョロと辺りを見回す。

 

 「え、なに!? どうして、私っ!!?」

 「………アステルか? アステルだよな?」

 「へ? う、うん」

 

 おかしな質問にアステルは頭を傾げつつも頷くと、スレイの固く緊張した顔付きが緩まった。

 

 彼女の肩に腕を回し、引き寄せて。

 

 そのままアステルは強く抱き締められた。

 

 「えあっ!? え、なん、スレ、えっっ!!?」

 「……不可能じゃ、ない」

 

 慌てふためくアステルだったが、絞り出すような掠れたスレイの声に、アステルは動きを止めた。

 

 「スレイ……?」

 

 強く抱き締める腕も、アステルを覆い隠す背中も、小刻みに震えている。

 

 (……何かに、怯えてる?)

 

 アステルは抵抗を止めてスレイに身体を預け、その背に手を回してぽんぽんと優しく叩く。するとスレイは詰めていた息を吐き出し、アステルの頭に唇を当て、癖のある黒髪に顔を埋めた。………と。

 

 

 

 「アーーーーーーッッ!!!」

 

 (つんざ)くような叫び声に、アステルとスレイは肩を跳ね上がらせて正気に返る。

 二人はばっ! と身体を離し、声のした方を向く。

 大きな空洞を隔てて僅かな足場で、マァムが憤怒の顔で二人を睨み付けていた。

 その後ろには複雑そうな表情を浮かべるタイガとシェリル。

 

 「やっぱりやっぱりやっぱりやっぱりっ!! アステルの純潔の危機ぃぃぃっ!!!」

 

 その場で激しく地団駄を踏むマァムに、タイガがまあまあと宥めるも、効果はない。

 スレイは片手で顔を覆い隠し、アステルは真っ赤な顔のままで固まっていた。

 

 「さっきなんか変な光が現れたけど、そっちは大丈夫かぁーーっ!?」

 

 タイガがマァムを抑えて下がらせ、変わってシェリルが前に出て、遠く離れたアステル達に届くように声を張り上げた。

 

 「……ひっ、光? どういう事なのぉーーっ!?」

 

 顔を赤らめたまま、アステルも声を張り上げて問い返す。

 

 「さっき笛の音が聞こえた思うたらぁ、光の粒が現れてぇ、魔物が全部消えてもうたんやぁーーっ!!」

 

 「魔物が全部……消えた!?」

 

 アステルははたっとして辺りを見回した。そういえば魔物の鳴き声も気配も何もしない。

 あんなに酷かった邪気が全て消え去り、塔は聖なる気で満ちていた。

 

 「なにがあったの……?」

 

 ふと、爪先に白い物がコツリと当たった。アステルが見下ろすと、そこには象牙色のオカリナが床に転がっていた。

 

 「もしかして、これ〈山彦の……」

 

 「───触るなっ!!!」

 

 アステルは拾おうとして、スレイに凄い剣幕で止められた。

 スレイの怒鳴り声はシェリル達の耳にもはっきりと届いた。

 タイガとシェリルは訝しげに顔を見合せ、マァムも思わず口を閉じてしまった。

 

 「ス、スレイ……?」

 

 驚きと怯えが入り混じったアステルの瞳にスレイははっとして、それからばつが悪そうに目を反らした。

 

 「悪い……それが〈山彦の笛〉だ。

 シェリルが言っていた光が現れたのは、アステルがその笛を吹いていた時だった。

 ……お前、その時の事覚えているか?」

 

 アステルは驚き、言葉なく首を横に盛んに振った。スレイはそれに頷いて、言葉を続ける。

 

 「……だろうな。その時のお前は意識があるように見えなかった。

 だから。今はまだ笛に触れない方がいい。………わかるな?」

 

 はっきりと納得した訳ではないが、スレイが酷く心配している事は、アステルにはっきりと伝わった。

 アステルが頷くのを見てから、スレイは山彦の笛を拾い上げ、鳥の紋章の彫られた木の箱の中に仕舞う。

 箱の紋章を目にして、また血が騒めくのを感じたアステルは、慌ててそれから目を反らす。

 スレイの話が確かなら、アステルは意識を失いながらも行動していた事になる。

 それは本人にとって、身の毛も弥立(よだ)つ話だった。

 アステルが二の腕を擦ると、その手を取られる。

 アステルが目を上げると、スレイがその手を握り直して、ぎゅっと力を込める、

 

 「行くぞ。さっさと皆と合流して、ここから出よう」

 「……うん」

 

 そして今度は始めからアステルの肩を抱き寄せて、彼女の身体を固定した。

 マァムがあちら側の岸でまた叫び、アステルは恥ずかしさで顔が熱くなるが、彼の真意はわかっていた。

 

 アステルが少しでも恐怖を感じないように。

 

 今はその優しさがとても有り難くて。

 

 アステルは彼の胸にそっと凭れる。

 二人は仲間達の元へと戻る為に、階下へと飛び降りた。

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 「───あの忌々しい音と光は……」

 

 頭巾(フード)から覗く端麗な容貌(かお)は、きつく歪められていた。

 神父……いや、デビルウィザードは。

 紅蓮のローブをはためかせながら、空中からアープの塔を見下ろしていた。

 (しもべ)である影達の目を通し、彼等が消え去るその瞬間まで。デビルウィザードは塔内の《器》達の状況を見ていた。

 

 「あの笛が神器だとするならば、これはその力が解放された故の現象……?」

 

 塔に蓄積されていた邪気、怨念、瘴気全てを一瞬で消し去ってしまった。

 塔は目覚め、聖なる気で満たされた今、魔の者が立ち入る事はもはや不可能だろう。

 

 「それともまさか、あの娘の力……? 只人(ただびと)ではなかった?」

 

 妖しく煌めく黄金の瞳を眇める。

 

 

 「あの娘は一体………」

 

 デビルウィザードの呟きは虚空に溶けた。

 

 

 








*聖なる旋律*
奏でる曲名はもちろん、『おおぞらをとぶ』です。Yo*Tu*eでこの神曲をオカリナ演奏されているのを視聴した時から、こうする事を決めてました。
《ほこら》の曲からの《おおぞらをとぶ》は最高に良きです。

次は新章スタートです。最後の鍵GETとそして……。ちょっと来月から(というか、今週から)いよいよ年末に向けて仕事が忙しくなりそうですが、合間をみて執筆したいと思っております。
いい歳ですので、睡眠時間削ったら倒れる(マジで)
なんとか10月も投稿したいなぁ、出来たらいいなぁ(^-^;

時間差でキャラクター紹介⑥も投稿しています。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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キャラクター紹介⑥

ランシール~エジンベア~スーの村までのキャラクタープロフィールです
※久々にSFC版データを開いたら、エジンベア王女に固定名があった事が判明しましたのでそちらに訂正しました


《ランシール》

 

スラりん(200歳以上)

神の遺産へと導く伝承者の一匹(ひとり)。かわいい人間の女の子が大好きなむっつりならぬ、オープンすけべなスライム。スライムに性別はないが、心は間違いなく雄。 

魔王の魔力によって魔性に目覚めていない原始のスライム。凶暴化した野生スライムより小振りの手の平に収まるサイズ。

人間になるために神の試練を受け続ける。

遠い昔に水のない場所で干からびて死にそうになってたところを人間の娘に助けられ、その子に恋をした事がきっかけで人間になりたいと神に願い、その願いは神に届いた。

 

 

《エジンベア》

 

エジンベア国王(27歳)

(ロイド=アディス=エジンベア)

赤みを帯びた金髪に、金が混じる茶色の細い瞳。細身で背は高く(185cmくらい)顔立ちは整っていてる。ロマリアの王が狸なら、エジンベアの王は狐がイメージ。尊大で気儘な王様のように見せるが、その実、頭の回転は早く抜け目のない性格をしている。王子(子供)の頃は頭でっかちな性格でプライドがやたら高く、周囲の人間を見下すような性格だったが、ある旅人の男と出会いで考えを改めた。

王妃は王女を産んで暫くしてから病で亡くしている。後妻を娶る事なく、王女を次代の王として教育中。

■名前を折角考えたのに、名乗らせるタイミングが何故かみつけられず。

アステルは求婚は半ば本気ではないと思っているが、旅人の男と同じ瞳と雰囲気を持つ彼女を気に入っており結構本気だった。

故にアステルへの求婚は、常に敵意を向けていたスレイに対する嫌がらせでもあった。

 

マーゴッド=テミス=エジンベア(7歳) 

エジンベア第一王女にして王太子。亜麻色の髪に、父親と同じ金色が混じった茶色のつぶらな瞳をしている。愛らしい顔立ちは亡くなった王妃似。周りの大人達の悪意に染まらない、少々おてんばで好奇心旺盛な王女様。女でありながら世界を旅するアステルに憧れ懐いている。

 

 

エジンベア王国の歴史………王位簒奪を目論んだ罪により、辺境の地へと追放されたロマリア王家筋の者が興国したとされる。西大陸を手中に治めんと、建国以来ロマリア王国に戦を仕掛け続けていたが、魔王バラモスの出現により停戦状態となっている。

 

 

《スーの村》

 

エド (5歳)

神の遺産へと導く伝承者の一頭(ひとり)。喋る上、見た目も珍しい翠緑の鬣に黒い瞳の美しい白馬。その声は若い男の美声で、スーの村の住人より流暢に話せている。スーの村の普通の馬の子として産まれたが、子馬の頃から人の言葉が話せ、己の使命も理解していた。 

 

 スー一族………太古の昔、人と人との醜い争い絶えぬ世界を神が嘆き、破壊した世界から、唯一救われたとされる人の一族の末裔。言語が統一されたこの世界で別の言語を口にする事を許された人間の一族。彼等にとって嘘や偽りは大罪で許されない。

 

 



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九章 海上~ムオル
凪海


 

 

 スレイは甲板に立ち、辺りを見渡す。

 風も波もない夜だった。静まった海面は鏡のように、瞬く満天の星を映し出している。

 魔物の夜襲の気配も全くない、稀にみる平和な海だとカンダタも首を傾げていた。

 

 「まさか、アープの塔での光と聖なる旋律の影響がここまで及んでるのか……?」

 

 スレイはそう、独りごちた。

 

 

* * * * * 

 

 

 あの後、アステルとスレイは無事タイガ達と合流した。

 そこでマァムはスレイに、問答無用で魔封じの杖を振り翳した。〈星降る腕輪〉を身に付けたタイガの隙を突いた、それは素早い動きだった。

 ……だがスレイは呪文を封じられてしまったものの、戦闘面での心配は全くいらなかった。

 何故なら、行きとは全く違い、蔓延っていた魔物達は影すら見当たらなかったからだ。

 塔内の静謐な空気に、アステル達はただただ戸惑いながら帰路に着く。

 

 「やっぱ、この笛のおかげかな……」

 

 歩きながらシェリルは木箱の蓋を開けて、中の〈山彦の笛〉を取り出した。

 オカリナの形をした笛は艶やかな照りがあり、陶器のように見えるがとても軽い。かといって陶器のように、衝撃で簡単に破壊出来そうな材質でもない。

 はっきり言って未知の材質で出来ていた。

 シェリルは笛を吹いてみたが、すかすかと空気が抜けたような音しか出さない。貸して貸してと強請(ねだ)るマァムにも渡してみたものの、やはり音は鳴らなかった。

 

 「アステル、吹いてみてくれへん?」

 「……え」

 「アステルがあんなに笛の演奏がうまいと思わんかったわ! もう一回ちゃんと聞かせてーな」

 

 何気なくアステルにそう言ったのだが、彼女はまるで怯えるように肩を跳ねさせたので、シェリルは首を傾げた。

 アステルが何か返事をする前にスレイが「やめろ」と口を挟む。

 

 「あの時、アステルは笛を吹いて様子がおかしくなった。原因がわからない以上、下手に触らない方がいい。

 ……それよりシェリル。そいつが呪われてないか鑑定できるか?」

 

 そんな事をスレイが尋ねてくるので、シェリルは眉間に皺を寄せつつも、再度笛を手に取り眇め見る。

 

 「……いんや、何も感じん。特に呪われとらんで?」

 

 「……そうか」

 

 シェリルの答えにスレイは顎に手を当てて考え込み、それ以上は何も言わなかった。

 

 

* * * * * 

 

 

 こうして。何事もなく無事にアープの塔を後にしたアステル達は、瞬間移動呪文(ルーラ)でカンダタ達が待つ船へと戻った。

 船に着いてすぐ、アステルは疲れも見せずに晩御飯の準備に取り掛かり、マァムとトエルとノエルがその手伝いをする。

 留守番中にカンダタ達が釣り上げた魚や貝、海藻が貯蔵されていたので、アステルはそれらと傷みかけの食材を余す事なく使いきった。

 何か不安や悩み事があると、アステルの料理は豪勢になる。

 共に旅を始めてそれなりに経っているので、仲間内では既に周知された事だった。

 テーブルにどんどん並べられていくご馳走に、タイガとシェリルは「何があった?」と尋ねるものの、スレイは「放っておけ」と首を横に振った。

 

 説明のしようがない。

 

 今はとにかく好きな事をやらせて、少しでも気が紛れればいいと、スレイは思った。

 大食らいのタイガとマァムだけでなく、アステルがいない間粗末な料理だったのか、カンダタと双子も大喜びでがつがつと平らげる。

 その様子を見て、アステルにやっと本来の笑みが浮かんだ。

 

 

 後片付けを皆で手早く済ませて、アステル達は既に床に就いている。

 眠れそうになかったスレイは、深夜の見張りを買って出た。

 留守の間寝ずの番をしていたであろうカンダタも、四日振りにゆっくりと休めるだろうと、スレイは我知らず息を吐く。

 その場に胡座をかくと、スレイはシェリルから再び預かった〈山彦の笛〉の入った木箱を見た。

 

 

 

 『俺は天の愛し子───《ロト》だ』

 

 『仮にも賢者ならこの意味、解るだろう?』

 

 あの光の……《ロト》の声が、彼の頭の中で反芻される。

 

 (《ロト》……真の英雄に与えられる称号。人の身でありながら神に等しき者)

 

 悟りの書に与えられた《ロト》に関しての智識は、この程度のものだった。

 間違いではないだろうが、知りたい事はそれではない。

 

 (《ロト》と名乗った何者かも、己を《天の愛し子》だと言っていた。

 《天の愛し子》……神を裁く者であり神の選定者。天に認められし唯一無二の存在)

 

 スレイは木箱の蓋を開ける。中に鎮座する白いオカリナは角灯(カンテラ)の明かりを受けて、艶やかに輝いていた。

 

 (笛に《ロト》の意識が宿っていて、アステルに取り憑こうとしていたのかと思っていたが。

 《ロト》は今世の《天の愛し子》であるアステルの内に元々宿っていたとしたら……?)

 

 ───あとは。

 

 『触るな。これは俺のだ(・・・)

 

 (信じがたいが……転生。

 そう。《ロト》が転生したのが、アステルだとするならば……)

 

 以前ならとんだ妄想だと鼻で嗤っていただろうが、賢者となり、神の叡知を得てからはただの絵空事と笑えなくなってしまった。

 

 有り得る話なのだ。

 

 特に最高神に愛された魂というのは。

 

 本来なら死して天に昇った魂は、最高神の手によってまっ更に浄化され、新たな生を受ける。

 しかし、最高神に愛された魂は浄化される事なく、次の生へとそのまま引き継がれる事もある。

 

 (……いや、違う)

 

 《天の愛し子》である《ロト》の死後の魂に最高神が干渉出来なかった?

 

 (それが《ロト》であり、アステルとしたなら……)

 

 そして、神鳥の魂を見つけ出す手懸かりとなる〈山彦の笛〉の元の所有者は《ロト》。《ロト》と《神鳥ラーミア》とは(えにし)があった。

 

 (山彦の笛を手にした事で《ロト》の自我……魂? が蘇り、アステルの身体を奪おうとした……?)

 

 伝承者であるエドはこの事を知っていたのか? こうなる事を予測していたのか?

 今頃になってあの時、エドの話を聞いていたアステルの様子が変わった事をスレイは思い出す。

 

 (戸惑っていたような、怯えていたような……)

 

 スレイは蓋を閉めて、箱に刻まれた紋章を見つめる。

 翼を広げる鳥を象った紋章。恐らくはラーミアがモチーフなのだろう。

 アステルはこの紋章を目にした時も、様子がおかしかった。

 だが、彼女に何か知っているのかと尋ねたとしても、恐らく何も答えられないだろう。

 アステルは内にある《ロト》の感情に揺さぶられていたに過ぎないから。

 アープの塔で無意識に己が行動していた事を知り、ショックを受けていた彼女の姿が思い出される。

 あの時は〈山彦の笛〉から遠ざける為に本当の事を告げるしかなかったが、知らせるべきではなかったかとスレイは(ほぞ)を噛む。

 

 〈山彦の笛〉が入った箱に刻まれた紋章と《ロトという名の者》を頼りに、更に〈悟りの書〉に記された神の記憶に触れようとした………が。

 

 「くそっ!!」

 

 閉じていた目蓋を上げてスレイは盛大に悪態を吐いた。

 昼間受けたマァムの魔封じの威力は、〈悟りの書〉の智識を覗く能力も封じ込めてしまったらしい。

 この感じはポルトガで受けた魔封じの力と同じ。暫くの間は呪文も悟りの書を開く事も出来ない。

 

 「……あのアホ鳥、わざとじゃないだろうな」

 

 アステルを神鳥(ラーミア)が求める《ロト》とする為に。

 

 マァムのアステルを慕う様子を目にしてそれはないと思いつつも、これからは訝ってみてしまいそうで憂鬱になる。

 最近鬱陶しくなってきた伸びた前髪をくしゃりと掻き上げて、スレイは大きな溜め息を吐いた。

 

 

 『運命の回避など不可能だ。───この俺のようにな』

 

 寂しげな声で放たれた言葉は、呪怨のようにスレイの心を蝕む。……しかし。

 

 『悪しき者の思惑により産み出された、深淵の主の《器》となる為の存在。

 されど。そなたの父母が、そなたにその名を与えた瞬間。そして、ありのままのそなたを望む者が現れた瞬間。

 彼の者達の用意した道筋より、そなたは着実に外れているのだ』

 

 『スレイがそんな事言ったら駄目だよ。お母さんとお父さんが抗った運命なのに、スレイがそれを受け入れたら駄目だよ』

 

 しかし、その度に己を守護する神の言葉と、アステルの声と笑顔が思い出され、己を奮い立たせてくれる。

 

 『あの娘はこの世で唯一、神の力に抗える事が出来る者。彼女もお前と同じだ。深淵の主が神格を得ようとしている今この時代に誕生した天が定めた選定者。彼女ならば──』

 

 ダーマで聞いたナディルの言葉が蘇る。

 ナディルは深淵の主の《器》となる運命を断ち切るには、アステルの力が不可欠だと言おうとした。

 ……けれど、それでは今度はアステルを《天の愛し子》としての運命に縛る事になる。

 

 それはスレイの望みではない。

 

 スレイの望みは始めからただ一つ。

 

 あの薪小屋で隠れて泣いていた小さな少女が。

 戦いなんて似合わない彼女が。

 アステルが笑顔で普通の少女として、幸せに暮らしていける世界。

 

 『オレなんかが、なんて言わないで。

 私はスレイと出逢えて良かったよ?

 スレイを命懸けで生んだお母さんに、育んでくれたお父さんに感謝したい』

 

 あの時与えられた優しい祝福を思い出し、スレイは己の額に触れる。

 

 (そう言ってくれた彼女の為なら、なんだってする。……してみせる)

 

 「バラモスの元に辿り着く為だから……ラーミアは蘇らせる。だがアステルは《ロト(お前)》に渡さない。───運命になんかに殉じさせない」

 

 スレイは木箱に刻まれた紋章を覆い隠すように、それを握り締めた。

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 ───笛の音が聞こえる。

 

 澄み渡る青空の下、爽やかな風の吹く広大な草原に、白い巨大な綿毛の塊があった。

 綿毛の塊がひょこりと首を出す。

 巨大な綿毛と思われたそれの正体は、巨大な鳥の雛だった。

 ふわふわの純白の産毛に埋もれるようにして凭れる青年は笛を奏でる。胡座をかく青年の膝を枕にして眠るのは美しい娘。

 雛鳥が甘えるように鳴くと、娘は閉じられていた目蓋を上げた。

 娘の瞳は虹色の炎を閉じ込めた、神秘的で幻想的な色だった。

 娘は身体を起こして、すり寄ってくる雛鳥の柔らかな嘴を優しく撫でてやる。青年は瞳を細めて、あやすように雛鳥の大好きな笛の音を奏で続けた。

 雛鳥は鮮やかな翠玉の眼をゆっくりと閉じ、父親代わりの青年と生みの母である娘と過ごす平和な一時を満喫していた。

 

 

 ───その日は突然訪れた。

 

 地響きを上げて激しく揺れる大地は、大きく裂け、逃げ惑う人々を奈落へと誘う。

 海は黒く濁り、やがて巨大な波と化し、石の塔が建ち並ぶ大地に押し寄せ、流し、破壊して飲み込んだ。

 猛り狂う山々は赤々としたマグマを噴き出し、噴石を撒き散らす。熔岩は這うように流れ、穢れた地表とその原因たる存在諸共焼き払う。

 大気は荒れ狂い竜巻が巻き起こる。空は暗雲に覆われ、神の怒りを体現するかのように、止む事のない稲光と雷鳴が轟き渡った。

 

 今まさに、一つの世界が終わりを迎えようとしていた。

 

 更に大きな鳥へと成長した雛鳥は、虹色を帯びて輝く銀紫の翼を羽ばたかせ、崩壊する世界の上を光を振り撒きながら旋回する。

 その大きな背に無辜の民と、彼等を導く一人の青年を乗せていた。

 鳥の首元に座し、操る青年は精悍な面差しを焦燥に歪ませ、割れていく地上を見下ろす。

 

 そこには鳥にとって母である娘がいた。

 

 桃色にも見える柔らかな金の長い髪を荒ぶる風に靡かせるその姿は、嵐の中で健気に咲く一輪の花にも見えた。

 

 青年は黒の蓬髪を振り乱し、何かを叫び、娘に向けて手を精一杯伸ばした。

 

 娘は虹色の瞳に涙を浮かべ、青年を愛おしげに見詰めながら、首をゆっくりと横に振る。

 

 地割れは彼女の足元にまで伸びる。大地は悲鳴を上げ、助けを求めるように崩れるその手を彼女に伸ばした。

 

 青年は鳥に向かって叫ぶ。

 

 鳥は父である青年に応え一鳴きすると、彼女の元へと滑空する。

 

 しかし。

 

 目には見えない巨大な手が、鳥とその背に乗る青年達ごと、掬い上げた。

 

 鳥と青年は、自分達を捕らえた存在を鋭く睨む。

 

 突如、暗き天に《穴》が穿たれる。

 

 鳥と青年はその《穴》の中になす術もなく、吸い込まれていく。

 

 青年は届かぬとわかりながらも、手を伸ばした。伸ばさずにはいられなかった。

 

 滅び逝く世界に愛する女性をたった独り残していく絶望に、青年は発狂し、涙して。

 

 その名を叫んだ。

 

 彼女はいつもと変わらぬ、暖かく優しい笑みを浮かべて。

 

 裂ける大地に飲み込まれて、消えた。

 

 

 

 

 「『───ルビス……』」

 

 

 船室の寝台に横たわり、閉じられたアステルの眦に一筋の涙が頬を伝い流れる。

 その上の段の寝台で眠るマァムの頬も、涙で濡れていた。

 

 

 

 








筆者は小説ルビス伝説は読んでません。
本作のロト、ルビス、ラーミアについてはオリジナル設定でお話は展開します。
《ロト》も称号としてより、今のところ(・・・・・)は個人名扱いです。

※ラーミアの姿
雛の姿はFC版のひよこデザインを思い出しながら描き、成長した姿はドラクエ他シリーズのどこかに登場するデザインを基本に描きました。(一応念の為ネタバレ防止)
SFC版3の鳳凰デザインも荘厳で好きなのですが、他シリーズをプレイしてて3との繋がりに気付いた時はまさに鳥肌が立ちました。ラーミアだけに(笑)
ですのでこの物語とも軽く(本当に軽く)ですが、そのシリーズとも繋がりを持たせてます。

10月に入って急に肌寒くなりましたね。秋到来。皆様、風邪などひかないようにお身体ご自愛ください。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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最後の鍵と伝承者①

 

 

 アープの塔での出来事から既に一月(ひとつき)が過ぎていた。

 あれからアステルも、覚えていないものをくよくよ悩んでも仕方ないと割り切り、既に平常を取り戻していた。

 スーの村がある東大陸北部を陸沿いに、船は北へと進む。

 途中、マリンスライムやヘルコンドル、凶悪な鋏と真っ青な甲殻を持つ巨大な蟹型の魔物〈ガニラス〉が現れて一行の行く手を阻むものの、マァムの振り翳す雷の杖の雷光を浴びて早々に海の藻屑と消える。

 一人で魔物を一掃するとマァムはそのつどにスレイに振り返り、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 ……いつかの仕返しなのだろう。

 

 

 そうして船は東大陸最北端に辿り着くと、今度は進路を西へと変え、波を掻き分けて疾走った。

 季節は夏真っ盛りを迎えているが、吹き付ける潮風は冷たく、薄着で過ごすなど不可能な寒さ。アステル達はついこの間、虫干しして収納した防寒具を再び引っ張り出して羽織っていた。

 辺りの小島にも雪が薄く積もっている。

 カンダタの説明によると、ツンドラと呼ばれるこの地帯は一年の半分以上は氷雪に覆われているらしいが、短い夏のこの期間だけは永久凍土の表面が解け、苔や藻などの植物が繁殖して覆われるらしい。

 

 「こっから更に北に行けば、氷の大陸グリンラッドがある」

 「氷の大陸……永遠に冬が終わらない大地……ですよね?」

 

 鼻の頭を赤く染めたアステルが問うと、カンダタは頷いた。

 

 「ああ。とてもじゃねぇが人が住める土地じゃねぇな。あと南にも氷の大陸があって、そっちはレイアムランドって呼ばれてる」

 

 氷雪が解けると言っても全てではない。雪を残す島が大半で、青鋼色の海には岩のような雪と氷の塊が浮かんで漂っている。

 船橋にて勢揃いしている一行は、蒼白の氷雪に映える、鮮やかな黄色や赤茶色の苔植物が広がる荒原を()く事なく眺めていた。

 

 ……と。アステルは灰色の何かを見つけた。

 

 「あれ、お城……? 違う……神殿かな?」

 「……ん? あ、ホンマや」

 

 雪の残る小さな小島平地に中規模の石造りの建物が見える。この辺りには木や森などの視界を遮るような物が一切ないので、とてもよく目立った。

 

 「アステル、行って「やめとけ」

 

 シェリルのわくわくとした声に被せるようにして、カンダタが声低くそれを制した。 

 「なんやいきなり」と、むすりと振り返ったシェリルだが、カンダタの険しい顔に思わず口を噤む。

 

 「あそこには《旅の扉》があるだけだ。旅の扉はある(・・)国の領土に通じているが、用がねぇなら無闇に近付かねぇ方がいい」

 

 カンダタが警戒し敵意を剥き出しにする国。……それは。アステル表情を引き締めて口を開く。

 

 「……ある国って、サマンオサですか?」

 

 アリアハンの勇者オルテガと魔王討伐を志した同士であり、大地神の力を秘めたガイアの剣の所有者、そして今は行方知れずの勇者サイモンの故国。

 カンダタはアステルを見、それから深い溜め息を吐いて重い口を開いた。

 

 「……その通りだ。あそこにはサマンオサの兵が常駐してるかもしれねぇ。

 無闇に近寄って、あらぬ疑いをかけられて捕まりたくねぇだろ?」

 「……んな、立ち寄るだけでも罪にでもなるんか?」

 「入国を禁じてる国の領域に侵入するって事はそういう事だろ。殺されたって文句は言えない」

 

 ムスッとなるシェリルに、スレイは諭すような平静な声で言う。

 

 「それに、あの国が外国の娘を拉致してたのを忘れたのか? 見目麗しいお嬢様がやって来たら、これ幸いと問答無用でしょっぴかれるかもな」

 「お嬢っ「そんなに酷い国なんですか?」

 

 スレイの言葉にカンダタはシェリルを見ながら揶揄うように付け加える。案の定噛みつこうとしたシェリルだったが、アステルがそれを制した。

 カンダタは話を逸らしたかったようだが、アステルはそれを許さず質問を重ねる。

 アープの塔で襲い掛かってきた、人に近いが《人ならざるもの》。あの魔物を兵器として使用している国サマンオサ。

 ここからアープの塔は近い距離とは言えないが、アステルには無関係と思えなかった。

 

 「狂ってやがる」

 

 笑みを引っ込め真顔で吐き捨てるように言うカンダタに、アステルは眉を顰める。

 カンダタはサマンオサを毛嫌いしているが、その詳しい理由を語ろうとはしない。だが意図的に、アステル達をサマンオサと関わらせまいとしているのが解る。

 

 「嬢ちゃんはこのパーティーの頭領(リーダー)だ。どこに行くかは嬢ちゃんが決めるべきだってのはわかってるし、俺もそれに従うつもりだ。

 けど、あの国についてだけは口出させて貰う。不必要にあの国に立ち入るんじゃねぇ」

 

 共に旅をして初めて厳しく忠告するカンダタに、アステルは神妙に頷いた。

 

 「俺達の今の目的は《最後の鍵》だからな。先ずはそちらを優先すべきだろう?」

 

 タイガが場の空気を変えるように明るい声で言うと、アステルも「そうだね」と笑みを浮かべた。

 

 船は建物が見える小島から距離を取って進む。

 皆の興味が別の風景へと移る中、スレイだけが遠くなる建物のある小島を眺めているのにアステルは気付いた。

 声を掛けようとその背中に手を伸ばそうとして、「……あれはここだったのか」と呟いたのにアステルはその手を止めた。

 

 その声は寂しげで。

 

 ふと。冷たい風に靡く白銀の繻子の髪に、アステルは既視感を覚えた。

 此方の視線に気付いたのだろう、スレイが振り返るとアステルは何故か慌てた。

 

 「どうした?」

 「あ、あの、……あっ! 髪っ! 伸びたなぁって」

 

 「ああ」と、スレイは自分の髪の一房を摘まむ。その長さは鎖骨を超え胸の上辺りまである。賢者になる前は自分で切っていたのか短かったが。

 

 「伸ばしてるの?」

 「ああ。何かに使えそうだから一応切らずにおいてある」

 「何かに?」

 

 頭をこてんと傾げるアステル。

 

 「魔力を溜め込むのに髪が一番適しているんだ。オレは魔力が有り余ってるから、髪に溜め込んでる。

 魔力が貯まった髪は、儀式や錬金術かなんかの材料になるらしい。いざって時の為にな」

 「それも《悟りの書》の智識?」

 「ああ」

 

 「そのせいなのか伸びるのが早くて困るけどな」と、スレイは溜め息混じりに呟く。

 もしかして魔力が漲ってるから、こんなにさらさら艶々なのかなと、癖毛に悩むアステルは真剣に考え込む。

 

 「アステルぅ~、気を付けなきゃ駄目だよぉ~っ! エッチな人ってぇ髪伸びるの早いって言うからぁ~~」

 

 さすがムッツリぃ~っと、口を差し挟むマァムをスレイはギンッと睨み付ける。アステルは苦笑しながら、腰ポーチから一本の革紐を取り出した。

 

 「よかったら使って」

 「……ああ、助かる」

 

 差し出された革紐を受け取ったスレイは、早速髪を結おうとした。……が、慣れない作業に苦戦を強いられる。

 

 「……スレイ。ちょっとここに座って」

 

 見ていられず、アステルは半ば強引にスレイをその場に座らせた。彼の手から革紐を奪って後ろに回ったアステルは、手ぐしで白銀の髪を優しく梳き、手早く一つに纏めて結った。

 

 「はい、出来上がり」

 

 

 スレイが立ち上がると、丁度風が吹いた。風が吹く度ばさばさと鬱陶しかった髪がすっきりして、スレイの顔に自然と笑みが浮かぶ。

 

 「悪い。助かった」

 「スレイは髪がさらさらだから、慣れないうちは少し濡らした方が結いやすいかもね」

 

 微笑むアステルに、スレイは唐突にアープの塔で、《ロト》に乗っ取られたアステルを思い出した。

 

 伸ばした手を拒まれ、敵意を込めた温もりの一切ない目を向けられた時、息が止まった。

 比喩などではなく、目の前が真っ暗になった。あの一瞬でそれ程の衝撃を彼女は(正確には《ロト》だが)スレイに与えた。

 しかしその後すぐに、異常事態が起きたお陰で我を取り戻せたが。

 アステルが元に戻った時、心底安堵したスレイは思わず彼女を抱き締めてしまった。それでも暫く震えが止まらなかった。

 

 その時の己があまりにも無様で。思い出したくもないというのに。

 

 (なんで思い出してしまった………)

 

 「スレイ、どうかした?」

 

 ついさっきまで機嫌良さげだったのに、突然仏頂面になったスレイを、アステルは訝しげに見上げる。

 

 「なんでもない。……お前は髪を伸ばさないのか?」

 「え?」

 「それだけ結うのに手慣れてるんだ。以前は伸ばしてたんじゃないのか?」

 

 アステルは瞳を見開き、それから目を泳がせた。

 

 「えと、あ、あの、ほら! 戦いの時に引っ張られたり、……魔法で焦がす事もあるし」

 

 言葉にして、幼い頃に魔力暴走を起こして髪を焦がした事を思い出し、アステルは瞳を僅かに伏せる。

 

 「それに私癖っ毛だから、伸ばしても面倒だし……」

 

 (シェリルやマァムみたいに綺麗な髪でもないから……)

 

 そう続く言葉をアステルは呑み込んで、ぎこちなく笑った。

 

 「アイツだって癖っ毛だろ」

 「マァムのは綺麗な巻き毛だから、私と一緒にしちゃ駄目だよ」

 「そんな違いはないだろ」

 

 マァムを指差しぞんざいに言うスレイに、アステルは眉を下げた。

 と、スレイが手を伸ばしてアステルの頭髪をわしゃわしゃと掻き撫でる。

 

 「す、スレイ?」

 「今の髪型が悪い訳じゃないが、伸ばしても似合うと思う。

 それにオレはこの手触り、嫌いじゃない」

 

 アステルは瞳を極限まで見開き、それからカッと顔を赤らめた。

 

 「あ?」

 「おっ、お昼っ! そろそろお昼の準備しなきゃっ!!」

 

 そう言ってアステルは脱兎の如く船橋を駆け下りた。

 

 「はぁ~~っ。やぁ~らしぃ~」

 「は?」

 

 マァムが溜め息混じりに芥虫(ごみむし)を見るような目でスレイを一瞥し、アステルの後を追う。更に料理の味見役を狙ったトエルとノエルも彼女達の後を追った。

 残されたスレイは、カンダタ達に振り返る。カンダタとシェリルはニヤニヤとし、タイガも生暖かい笑みを浮かべている。

 

 「……まあなんだ。褒めるのはともかく」

 「手触りって言い方はやらしいっちゃ、やらしいな」

 「本音が出ちまったってとこか? ん?」

 

 呆気に取られるスレイだったが、カンダタ達の言っている言葉の意味を理解した途端に青褪めた。

 

 「違うっ! そんな意味じゃないっ! あれは猫や犬を触ったのと同じような意味だっ!」

 「それはそれでアステルに失礼やろ」

 「可愛いって意味だとしてもだ。それ絶対に嬢ちゃんに言うんじゃねぇぞ」

 

 慌てふためいて弁解するスレイにシェリルが目を据わらせ、カンダタは呆れたように苦言を呈し、タイガもそれに同意するように深く頷いた。

 







あの時のスレイ、実はめちゃくちゃ凹んでました(笑)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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最後の鍵と伝承者②

 

 

 最後の鍵が納められているという海底神殿を目指して二週間後。まもなくエドの言っていた海域に到着する。

 甲板に出て渇きの壺を〈大きな袋〉から取り出し、変化が現れるのを注意深く見守る。

 

 「あ……!」

 

 アステルが思わず声を上げた。

 手の中にある壺が小刻みに震えている。同時に見張り台に上がって盗賊の技法〈鷹の目〉を使い、辺りを警戒していたスレイの黄金の瞳にも、海面に僅かに顔を出している黒い岩礁を捉えた。

 

 「岩礁だっ! カンダタ、舵を切れっ! 皆、帆を畳んでくれ!」

 

 スレイの掛け声にタイガとシェリルと双子は直ぐ様動く。スレイ自身も見張り台から下りて力を合わせて帆を畳むと、錨が下ろせる場所で船は停止した。

 

 

 「……で。こっからはどうしたらいいんや?」

 

 アステルの手の中で震え続ける壺を見下ろしながら、シェリルが首を傾げる。

 喋る馬エドの話では壺が道を拓いてくれると言っていたが、具体的には何が起こるのか。

 

 「……もしかして。あの浅瀬にもっと近付かないといけないのかな?」

 「けど、それやと船が乗り上げてまうで」

 「なら船はこのままここで待機して、小舟で近付くしかねぇな」

 

 船橋から甲板に下りてきたカンダタがそう言うと、トエルとノエルがタッと走り、甲板の端に設置されていた小舟の掛布を取り外した。

 小舟を海面に下ろすと、アステル達は縄梯子で小舟へと乗り込んだ。

 タイガとスレイが櫂を漕ぎ、アステルは結界呪文(トヘロス)を唱え、海の魔物を舟から遠ざける。

 浅瀬に近付くに連れて、渇きの壺はまるで海に引き寄せられるように動き出した。

 

 「壺が、持ってかれるっ……あっ!?」

 

 アステルは持っていられず手離すと、壺は浮かび上がり、岩礁に向かって自ら海へと飛び込んだ。

 暫くすると海面が大きく揺れ、壺が落ちた場所に渦潮が発生する。辺りの海水が渦の中心に吸い込まれるようにして、どんどんと減っていく。

 

 「きゃっ!!」

 「ひゃはっ!」

 「わっ!」

 「うおっ!!」

 「舟に掴まれっ!

 ───初等真空呪文(バギ)っ!」

 

 勿論アステル達の乗る舟を浮かべている海水もみるみる間に減っていく。スレイは風の呪文を応用して、渦に引き寄せられないように、転覆しないように舟を安定させる。

 

 「つぼぉ~~っ!」

 

 マァムの声に皆がそちらを見ると、海水が減った事によってそれが見えた。

 渦の中心にある渇きの壺の口に、海水が際限なく吸い込まれていく様を。

 

 「すご……」

 

 シェリルが思わず漏らした言葉に、皆が心内で頷く。

 遂に地面は完全に干上がり、アステル達を乗せた舟は岩床に鎮座した。

 岩の表面にはフジツボなどの海岩貝や緑の藻が張り付いている。

 アステルは舟から降りると、周りを一周するように見回した。

 

 海のど真ん中に空けられた空洞。

 

 どういう仕組みなのか。一帯が高い透明な壁でもあるかのように仕切られ、海水が此方へと流れ込まない。

 魚達は全てあちら側に流されたのか、それとも元々こちら側にはいなかったのか。今いる場に打ち上げられてはいなかった。

 マァムは目を爛々とさせて、透明な壁越しの海の世界を眺めている。

 

 「どうなってんねん、これ……」

 「……結界だろうな。深海にも魔物はいるからな」

 

 おっかなびっくりで辺りを見回すシェリルに、スレイは溜め息混じりで答えた。

 

 「アープの塔のヤツと同じやつだな」と、タイガ。

 

 「……だからアステル。お前は絶対に近付くな。間違っても触るなよ」

 

 アステルの背中がギクリと強ばる。興味津々で透明な壁に近付こうとするアステルに、スレイはしっかり釘を刺した。

 

 「マァム~っ! 行くでぇ~っ!」

 「はぁ~いっ!」

 

 しょんぼりとするアステルの背中を、シェリルが慰めるように叩きながら、マァムに声を掛ける。

 

 岩礁……いや、岩山に囲まれた小さな神殿入り口の前に転がる渇きの壺を、アステルは拾い上げた。

 壺の中を覗いて見たが、壺の中には何も、水滴一つも付いていなかった。

 

 「吸い込んだ海の水はどこに行ったんだろうな?」

 

 タイガが尋ねるも、誰も答えられない。

 

 一行は中へと入る。下に下る階段を降りると、そこには海水が残っていたが、足首が浸かる程度だった。

 壁や床に海藻や貝などが張り付いている事はなく、また古びてもいない。

 明り窓から射し込む陽光が、神殿の中を淡く照す。光に照された薄青の大理石の天井や柱は透明に輝き、吐息を漏らす程美しかった。

 広い空間の中心部、丸い天窓の真下に辿り付くと、床の一部が突然せり上がった。

 天窓から陽光とは違う、金色の光がせり上がった台に降り注ぐ。

 金色の光が止むと、台の上に一つの鍵が現れた。

 アステルは鍵を手に取る。

 それは黄金色(こがねいろ)に輝く不思議な形の鍵だった。取っ手は眼の形を模しており、付け根には羽根が装飾されている。真紅の宝石の填まった眼から伸びる鍵先端は、普通の鍵にみられるようなギザギザなどはなく、ただ曲がっているだけ。

 

 「これがどんな扉でも開く《最後の鍵》……」

 「アステル! 見せて、見せてっ!」

 

 アステルは興奮気味のシェリルに鍵を手渡した。シェリルは鍵に指を滑らせ、感触を確認する。硬質に見えるが柔らかい。天窓から漏れる光に鍵を翳して眇め見る。鍵は光に透けた。

 

 「うわー……見た事も触った事もない金属や。コイツが伝説のマネマネ金ちゅうやつかぁ」

 「奥に扉があるぞ。試しに使ってみたらどうだ?」

 

 タイガが空間の奥を指差す。その扉の手前では、マァムが床に落ちてた小さなメダルを見付けてはしゃいでいた。

 ……アープの塔の結界内にあった事といい、小さなメダルは一体いつの時代からあったものなのだろう? と、アステルは首を捻らす。

 

 「アステル! ()よっ、 ()よっ!」

 

 動かないアステルに焦れたシェリルが声を掛ける。

 

 「あ、ごめん」

 

 アステルは奥の扉まで進む。鉄格子の扉はまるで何かを封印しているかのようで、アステルは開いていいのか一瞬戸惑うも、思いきって最後の鍵を射し込み、回した。

 ガシャンと大きな音をたてて施錠が解かれ、扉がひとりでに開く。

 中は窓一つない小部屋だった。

 部屋の奥、王が座る玉座のような豪華な椅子に、赤い法衣と背の高い帽子を被った……尼僧の出で立ちをした骸骨が座っていた。……と。

 

 「ぬあっ!?」

 

 マァムの驚きの声に、皆が一斉に彼女を見た。

 マァムの背中に背負う魔封じの杖が、ひとりでに彼女から浮かんで離れ、玉座に座る骸の手の中に収まった。

 魔封じの杖の先端の骸骨の、虚ろな眼が赤く輝くと、骸のぽっかり空いた眼にも同じ光が灯る。

 

 『……神に導かれし資格ある者よ。よくぞここまで参った』

 「ひいっ!!!」

 

 青褪めたシェリルは、慌ててタイガの背中に隠れる。

 アステルだってこの手の類いは平気ではないが、毎回シェリルが大袈裟に怯えてくれるものだから、ある程度冷静になれる。

 

 「……貴方は?」

 

 『私は古を語り伝える者。……最後の伝承者。

 我が骸はここにあったが、我が魂は魔封じの杖の中に宿り眠っていた。

 こうして目覚め、骸と一つになったのも神のお導き』

 

 (むくろ)の伝承者は声を出しているわけではなく、アステル達の頭の中に直接語りかけているようだった。

 

 『イシス砂漠の南、グランディーノの山奥にギアガの大穴ありき。全ての災いはその大穴より、いづるものなり』

 

 伝承者は吟うように語る。

 

 「ギアガ……大穴」

 

 ───天を穿った穴。吸い込まれた先……は。

 

 何かが記憶に引っ掛かり、アステルは頭を押さえる。

 

 「アステル?」

 

 スレイがアステルの肩を掴み、アステルはハッと我に返った。

 

 「ごめんなさい、大丈夫だから」

 「………」

 

 明らかに無理に浮かべた笑みにスレイは眉を顰めるも、アステルの肩を離す。

 

 「……ギアガ火山って、オルテガさんが消息絶った場所やなかったか?」

 

 シェリルがタイガの背中からおずおずと顔を出した。

 

 『───否』

 

 伝承者が声を発すると、シェリルはまたタイガの背中に隠れた。

 

 『躍動する山の方ではない。眠りについた山々、グランディーノの都より東、聖なる湖を越えた荒廃の地に大穴は在る。

 グランディーノの民は神より、大穴の封印を見守る役目を授かっておった。

 しかし、その封印もグランディーノの王が(しい)された事により解かれ、聖なる湖も邪に冒され、遂には魔王と呼ばれる存在がこの世に君臨した』

 

 「それが……バラモス」

 

 『神に導かれし者よ。魔を滅する運命を負う者よ。心せよ。穴を閉じぬ限り、此の世の災いは無くならぬ』

 

 「どうすれば穴を閉じられるのですか?」

 

 アステルは問う。

 

 『───竜の女王を尋ねよ。

 ここより西。高く険しき山の頂きにいと(たっと)き御方はおられる。神の翼ならば容易く辿り着けよう』

 

 「竜の、女王様……神の翼なら……」

 

 アステルが呟き返した、その時。

 手に持っていた渇きの壺が震え始めた。

 

 そして。

 

 「きゃあっ!?」

 

 彼女の手から離れた渇きの壺は、魚の口を模した注ぎ口から吸い込んだ海水を突然吐き出した。

 

 『……我が役目もここまで。急ぎこの地を離れるが良い。まもなくここは再び海に沈む』

 

 海水は怒涛の如く吐き出され続ける。足首に浸かる程度だった水面が、もう既に膝に届きつつあった。

 

 「アステルっ! リレミトだっ! 脱出するぞっ!!」

 「だ、だけど……っ」

 「あ~んっ! あたしの杖ぇ~~っ!」

 「命優先やっ! 諦めっ!」

 

 伝承者を気にするアステルの腕をスレイが強引に引っ張り、魔封じの杖に手を伸ばして嘆くマァムをシェリルが叱咤し、タイガが抱え上げた。

 

 『───優しき者よ。楽しき者よ。案ずるな。これでやっと我は眠れる。天へと還れるのだ』

 

 海水が満ちる轟音に紛れて届いた伝承者の言葉とカッカッカッと笑う魔封じの杖の骸骨に、アステルはぐっと唇を引き締め、皆が手を繋いでいるのを確認して脱出呪文(リレミト)を唱えた。

 外に脱出したと同時に、神殿の入り口から大量の海水が噴出する。

 今度はスレイが素早く瞬間移動呪文(ルーラ)を唱え、船へと戻った。

 転移の光が船の甲板へと降り立つ。アステル達は半ば投げ出されるかたちで各々甲板に転がった。

 てっきり舟で戻って来ると思っていたカンダタと双子は、目を丸くして帰って来たアステル達に駆け寄る。

 

 神殿は沈む。まるでコップに水が注がれるように、海のど真ん中に空けられた空洞に海水が満ちていく。程なくして岩礁が頭を出した元の海が船の前に広がっていた。

 ……と。何処からともなく渇きの壺が降ってきた。甲板に落ちたそれは破損する事なく勢いよく転がる。

 トエルが拾い上げ、ノエルと一緒に壺の中を覗き込む。

 

 ───無論。中には何も入ってなかった。

 






魔封じの杖が退場してしまいました(泣)
ここで退場するのは初めっから決まっていたのですが、マァムが使う事で存在感が増して、とても便利で楽しい杖になってしまいました。
これからはいかずちの杖に頑張ってもらいます。

あ、スレイ対応の新しいお仕置き考えなきゃ(笑)

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!


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父の足跡

 

 

 ダーマの神殿より北東、険しい山岳と大河を越えたその先には、広大な緑の海が拡がっていた。

 木々は数百年も前から存在している事を示すかのように、どれもが背が高く幹は太い。空を覆い隠さんばかりに葉を繁らせ、その隙間から降り注ぐ光は、まるで天からの梯子のよう。

 様々な針葉樹と広葉樹が入り乱れて存在する世界最大の森林地帯であり、この森から世界は拡がったとされる原初の森。

 この地の何処かに根付いているという《世界樹》と呼ばれる大樹は、この世界と異なる世界を繋ぐ神の木ともいわれていた。

 その幹や枝は神の住まう天界を支え、根は死霊の世界である冥界にまで伸びて通じているという。

 故にか世界樹の葉には、冥界へと旅立たんとする魂を現世(うつつよ)に呼び戻す力があると神話物語で語り継がれていた。

 命ある者誰もが夢み、その奇跡を欲した。

 だがしかし。その世界樹の元へと辿り付けた人間は、誰一人としていない。

 

 

 ある日のこと。大森林の中に不自然にある巨大な四つの岩山が一瞬の輝きを放った。

 その岩山の一つの麓に翠緑の髪の少年が佇んでいた。

 髪と同じ鮮やかな翠の瞳を不思議そうに瞬かせ、先程淡く輝いた岩肌に触れる。その手触りに眉を顰めて、少年は蔦を取り払い、苔を擦ってみた。

 すると岩肌と思っていたそれに不思議な紋様が現れた。

 遠目からは岩山に見えていたそれは、どうやら角錐(かくすい)型の遺跡だったようだ。

 

 ───ニャーン。と。

 

 己を呼ぶ可愛らしい声に少年がそちらを向けば、森の暗がりに映える真白い子猫がじっと此方を見ていた。

 子猫がもう一鳴きすると「わかった、わかった」と、少年が子猫の方に歩み寄る。

 子猫は少年が付いてくるのを確認すると、再び森の中を歩き始めた。

 飼い猫の先導を受けて、少年は鬱蒼とした森の中をひたすら歩く。

 露や苔むして滑りやすい地面を爪で掻き、倒木や低い隧道のような大木の根っこの隙間を子猫は難なく潜り抜けて行く。

 主の気も知らないで悪路を軽快に進む子猫に、少年は苦笑いを浮かべつつもその後を追った。

 

 そうしてようやく辿り付いた場所は。

 

 天を突くような巨大な木の根元だった。

 それは木というよりも、天へと通じる塔のようにも感じられた。

 この森で拾われ、この森で育てられた少年が初めて見る程の巨大な木だった。

 むしろ今まで何故、その存在に気付かなかったのかと不思議にすら思う。

 そして同時に少年は確信もしていた。

 

 (───これが、世界樹……)

 

 木が発する甘く爽やかな空気に包まれて、少年は吐息を漏らす。

 先導役の子猫は役目を終えたとばかりに、世界樹の根に腰を下ろし欠伸をして丸くなった。

 その様子に頬を緩ませ、少年は目の前の世界樹を見上げた。

 

 すると風もないのに世界樹がざわめいた。

 

 揺れる枝から鮮やかに輝く翠緑の葉が一枚、離れて宙を舞う。

 ひらりひらりと舞い降りた葉を、思わず伸ばした少年の手が捕らえた。

 少年は自らの手よりも大きな葉を見、それから目の前の巨木を見上げる。

 

 世界樹は少年に語り掛けるように、ざわめき続けていた。

 

 

 

* * * * * * 

 

 

 

 「最後の鍵もなんとか手に入った事やし、次はランシールの神殿やんな?」

 

 海底神殿への(みち)を開くその役目を終えた渇きの壺を大きな袋に仕舞うと、シェリルはアステルに話し掛ける。

 

 「鍵の掛けられた神殿の先に青の宝珠(ブルーオーブ)があるんだよな?」

 

 愛用の魔封じの杖が沈んだ海を未練タラタラで眺めるマァムの頭をよしよしと撫でながらタイガが尋ね、スレイが頷く。

 

 「なら瞬間移動呪文(ルーラ)でランシールだね?」

 

 「ちょぉ~っと待ったぁっ!!」

 

 次なる目的地が定まったところで、カンダタがアステルに待ったを掛けた。

 

 「か、カンダタさん?」

 「もう少し先にムオルって小さな村がある。こっからなら一日もかかんねぇ、折角だから寄ってみねぇか?」

 「……そこになんかあるんか?」

 

 訝しげにシェリルが尋ねるとカンダタはにやりと笑った。

 

 「ああ。ムオルは俺が初めてオルテガさんと出会った村だ。で、オルテガさんを救った縁深い村でもある。行ってみたくねぇか?」

 

 その言葉にアステルは返事するより先に、頭が勝手に頷いてしまった。

 

 カンダタの話では父オルテガは魔物との戦闘の最中(さなか)、魔法らしき力で西大陸最果ての地と呼ばれるムオルの村付近にまで飛ばされたという。

 オルテガはその戦いで大怪我を負い、倒れ動けずにいたところを、ムオルの村の子供が見つけ、大人達を呼んで助けたらしい。

 

 「ある島国で強力で邪悪な魔物が悪さをしてたそうだ。その国の権力者が退治に乗り出していた所を、たまたま立ち寄っていたオルテガさんが助っ人を買って出たらしい」

 「……強力な魔物って、一体どんな……」

 「オルテガさんの話じゃ、灼熱の炎を吐き出す八つの頭を持った山のように大きな身体の竜の魔物だったと」

 「……八つの頭の竜だと!?」

 

 今まで黙って話を聞いていたタイガが突然身を乗り出し、常時よりも強めの声音で問い返した。

 

 「カンダタ、それはいつの話だ?」

 「へ? ……確か俺が十四の頃だったから、今から十三年くらい前だった筈だ」

 「十三年前……まさか」

 「……いきなりどないした? タイガ」

 「タイガぁ~~?」

 

 伏し目がちで黙り込むタイガに、シェリルとマァムが声を掛ける。

 我に返ったタイガは、今さら皆が己に注目しているのに気付き、取り繕うような笑みを浮かべた。

 

 「……ああ。すまん、取り乱した」

 「もしかしてタイガの知ってる魔物だったの?」

 「あ~……」

 

 何故かタイガは言いにくそうに口ごもる。だが、まっすぐに見つめてくるアステルの青の瞳から逃れられない。

 タイガは諦めたように重い口を開いた。

 

 「もしかしたら……だが。オルテガは過去に俺の故郷の窮地を救った剣士かもしれん」

 「「「え!?」」」

 

 食い付くアステル達にタイガは頷いた。

 

 「───俺の故郷(くに)出雲(いずも)……いや、ジパングといった方が皆にはわかりやすいか。

 そのジパングを襲った脅威が八首(やつくび)の竜なんだ。

 竜は古くから山と川の恵みを齎す神とジパングでは崇められてきた。

 

 だが、ある時。竜は禍津神(まがつかみ)となってジパングに厄災を振り撒いた。

 神の山より度々里に降りては、家屋や田畑を踏みつけ、吐き出す炎で焼き払い、家畜や人を食らった。

 ジパングは代々女王が治めているんだが、彼女達には強力な神通力……まあ、僧侶や神官みたいな力だな……それを持っていてな。

 女王は常に竜と通じ合っていた。互いに些細な変化も気付ける程に。

 

 それが突然竜の声は途絶え、前触れもなく禍津神となってしまった。

 

 女王は竜を鎮める為、彼女の後継である娘と国に伝わる神剣を操る息子、選び抜かれた(つわもの)達を連れて、禍津神と対峙した。

 女王は禍津神と対話し浄化しようとしたが、猛り狂った竜に女王の言葉も力も通じなかった。

 竜が禍津神に転じる事は過去になかったわけじゃない。穢れなき神は邪気にその魂を犯されやすい。恐らくは魔王がこの世界に現れた影響なのだろうと思う。

 女王は古から伝わる神浄の儀……禍津神を神の山の中を流れる火の河へ還し、竜を犯す穢れを祓う事を決断した。

 女王の息子が持つ神剣はその昔、禍津神に成り果てた竜の残した尾より生まれた剣で、その剣ならば人の身でも竜と太刀打ち出来るといわれていた。

 禍津神となった八首の竜との戦いは凄絶なものだった。多くの者が傷付き、命を落とした。それでもなんとか禍津神を神の山にある火の河まで追い詰める事が出来た。

 

 ………だが、あと一歩の所で肝心の神剣の使い手である女王の息子が倒れたんだ。

 

 万事休すと思われたその時、何処からともなく現れた剣士が女王を救った。

 剣士は女王の息子から神剣を借り受け、竜の吐く炎に体を焼かれながらも、八首の竜の三つの首を切り落とした。

 女王はその命をかけ神通力で、弱った竜を火の河の底へと還した……だが」

 

 そこでタイガは一旦、言葉を切った。

 

 「だが。戦いが終わり皆の気の緩んだその一瞬の間に、剣士はその場から姿を消したんだ」

 「姿を……消した?」

 

 問い返すアステルにタイガは頷く。

 

 「剣士が立っていたその場に残っていたのは、禍津神の血を浴びた神剣だけだった」

 

 「脱出呪文(リレミト)か?……強制転移呪文(バシルーラ)なら一体誰が……」と、スレイが呟く。

 

 「こうしてジパングは破滅の危機を乗り切った。

 その後、剣士が俺達の国に再び訪れたのかは……俺にはわからない」

 

 「わからない?」

 

 眉を顰めるスレイに、タイガは力なく笑った。

 

 「俺はその戦いに参加していた。で、この通り片眼を失ってな。

 意識も視界も朦朧としていて、突然現れた剣士の姿もはっきりとは見えなかった」

 

 そう言ってタイガは黒の眼帯で覆った右目に手をやる。

 

 「……俺はあの戦いでなにも出来なかったんだ」

 

 溢れるように出た言葉に、アステルははっと瞳を見開く。

 

 「それで俺は己の未熟さを痛感して、鍛え直す為に国を出て修行の旅に出たんだ」

 

 ───だから。剣士がオルテガかもしれないと予測でしか答えられず、そしてその剣士が再び彼の故郷に現れたかどうかは、わからない。と。

 

 「……タイガ」

 「なんだ?」

 

 恐らく彼が今語った過去は、彼の古傷そのものだったのだろう。まだちゃんと治っておらず、痛みもあるかもしれない。

 謝罪の言葉が出そうになるのを、アステルは呑み込む。

 

 何故か謝ってはいけない気がしたのだ。

 

 

 「……話してくれて、ありがとう」

 

 そう言うと、タイガは残っている左目を細め、アステルの頭をぽんぽんっと優しく叩いた。

 

 

 「なるほどなぁ……」と、顎を撫でて唸るカンダタ。

 

 「そいつの話に出てくる剣士ってのが本当にオルテガさんなら、初めて会った時のあの全身大火傷(おおやけど)も説明がつくな」

 

 「全身……大火傷!?」

 

 思い出すように苦く呟くカンダタに、アステルが泡食って問い詰める。

 

 「ああ。虫の息で生きてんのが本当に不思議なくらいだったぜ。俺がたまたま持っていた《世界樹の葉》で命拾いしたんだけどよ」

 「世界樹の葉って、お伽噺に出てくる死者を蘇らせる、あの?」

 「世界樹って実在しとるんか!?」

 「シェリル。この杖がなにで出来てるか忘れたか?」

 

 スレイが傍らに置いてるルーンスタッフに視線を遣り、アステルとシェリルもそれに倣う。

 ルーンスタッフは世界樹の枝で出来てると、ダーマの神殿の大神官ナディルが説明して託してくれたものだった。

 

 「世界樹はある。だが世界樹の葉に伝説にあるような、死んだ人間を生き返らせる力はない。

 病や怪我による瀕死か、即死呪文を受けた直後の仮死のような状態に与えれば絶大な治癒蘇生効果があるんだ」

 

 そこでスレイはアステルに見向く。

 

 「死んだ者は生き返らない。……ましてやその身体すらなかったらな」

 

 アステルの心に一瞬だけ灯ってしまった希望の火はあえなく消えた。

 そうだ。オルテガはギアガ山にて襲い掛かってきた魔物と相討ちになり、火口に落ちてその遺体すらないのだ。

 スレイを見返したら、彼が苦し気な、悲しげな目をしていたのに気付いた。

 アステルは彼に笑み、頷く。

 わかっている大丈夫だ。と伝える為に。

 

 (───そう言えば)

 

 「……父さんの最期を伝えてくれた人って一体誰なんだろう……」

 

 「知らないのか?」

 

 意外そうに尋ねるタイガに、アステルは頷く。

 

 「うん。父さんの訃報の報せを聞いて、私と母さんが登城した時にはその人はもういなかったの。

 王様達は引き留めたらしいんだけど、まだやらなきゃいけない事があるからって。

 あまりにも切迫した様子で引き留めきれなかったって……。

 父さんをネクロゴンドまで送り届けた船乗りだとは聞いたけど……」

 

 しかし。父をネクロゴンドまで送った船乗りは船に待機していて。父と共に戦い、旅をしていたサマンオサの勇者サイモンは最終的にはその場にいなかったのに。

 

 今更ながらの疑問を呟くアステル。と。

 

 「そりゃ俺の親父だ。親父がオルテガさんに同行して、俺が船に残ってたんだ」

 

 あっけらかんと答えたカンダタに、スレイを除く皆が口をぽかんと開けた。

 

 「あれ、言ってなかったっけな?」

 「言ってません!」

 

 カンダタがオルテガと知り合いなのは、聞いて知っていたが。まさかオルテガの旅の同行者の息子で、彼自身も同行していたとは。

 

 「わりぃわりぃ。……てか嬢ちゃんも俺が仲間入りした時点で突っ込んで話聞いてこなかったじゃねぇか」

 「…………ですね」

 

 カンダタの指摘にアステルは目を気まずげに逸らした。

 

 「……まあそこらはおいおい説明するとして。今から向かうムオルで俺と親父は、瀕死の状態のオルテガさんと出会ったんだよ」

 「スレイは?」

 「オレがカンダタと師匠に出会う前の話だ」

 

 「ふぇぇ~~~くしょっ!!」

 

 そこでずっと暇そうに黙っていたマァムが盛大なくしゃみをした。

 寒風吹き荒ぶ甲板で話を始めて随分と時間が経ってしまった。

 

 「……取りあえず移動するか。昼に着けるのが、夜になっちまう」

 「そうですね」

 

 カンダタの言葉にアステルは素直に頷いた。

 

 

 

 

 

 船は海底神殿のあった岩礁から南へと、西大陸陸沿いに進む。

 海の上をぷかぷかと漂う流氷と、遠くにある雪山や所々残り雪を残す大地を眺めながら、アステルはかじかむ手を擦り合わせる。 

 夏でこうなのだ。真冬ならば一体どれだけ過酷な船旅となっていただろうか。と、そんな事を想像してアステルは体を震わせ、空を見上げた。薄い青の空に雲はない。

 

 

 (───しらなかった)

 

 父がそんな大変な、危険な目にあった事があったなんて、全然知らなかった。気付けなかった。

 家に帰ってくる時の父はいつも元気で。アステルや母、祖父に不調など悟らせる事はなかった。

 

 (……あ、でも母さんは気付いてたかも)

 

 影で叱られてたりして。

 アステルが知らない所で母に無茶を叱られている父を想像する。隠してた怪我を手当てしながら笑顔で怒る母に、大きな身体を縮めて頭を何度も下げて謝る父。

 それがとてもらしくて、アステルは軽く吹き出す。

 

 扉口で剣と荷物を携えて立つ父の姿。

 

 『父さん!』

 

 駆け寄った勢いのまま抱き付くアステルを父は抱き止めると、脇に手を差し込みアステルを軽々と持ち上げた。

 

 『アステルただいまっ! おお! また大きくなったなぁ!!』

 

 高い高いをされたまま、微笑む父を見下ろしてアステルも『おかえりなさい!』と笑う。

 アステルが物心ついた時から、繰り返されてきた父とのお決まりの触れ合い。

 しかし。大好きなその笑顔を思い出そうとするとそれはぼやけてしまう。

 自宅に飾られた肖像画の父の笑みを頼りに思い出そうとしている自分に気付き、アステルは寂しげに笑った。

 

 カンダタが指摘した通り、オルテガの、父の話題をアステルは無意識に遠ざけていたかもしれない。

 今のように喪失による愁腸に襲われるのを避ける為に。

  

 

 

 「───アステル?」

 

 名を呼ばれてアステルは視線を空からそちらに向ける。

 

 「スレイ」

 「見張りなら代わるぞ。中に入って少し暖まれ」

 「ありがとう」

 

 礼を言いつつもこの場を離れようとしないアステルにスレイは肩を竦め、彼女の隣に立ち、船縁に凭れる。

 冷たい風からアステルを守るようにそこにいる彼に、それだけで胸が暖かくなるのをアステルは感じた。

 

 

 






ご無沙汰しております。
昨年末の仕事の忙しさでスランプ状態、年が明けてすぐ親が倒れ緊急入院。バタバタして創作活動をする暇なく、気が付けば半年も時間をあけてしまいました。

やっと一息つけるようになり、投稿再開出来るようになりました。

また宜しくお願いいたします!

ここまで読んで下さり、ありがとうございました!




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蘇る笑顔

 

 

 ───昼過ぎに海峡を抜け、暫く進むと陸地に集落の影が見えた。おそらくあれがムオル村なのだろう。

 

 海底神殿侵入の為に(はしけ)を失ったので、このまま船で接岸出来るか不安だったが問題はなさそうだ。

 アステルは望遠鏡を覗く。村の桟橋では接近する船に気付いた村民達が、警戒しているのか右往左往していた。

 

 (……あまり余所の船の行き来がない村なのかな?)

 

 驚かせたり、怖がらせたくはない。

 カンダタはムオルを知っているようだし彼に指示を仰いで上陸しようと、アステルは艦橋へと上った。……が。

 

 「あれ?」

 「……カンダタなら着替えに行ってる」

 

 つい先程まで舵を握っていたカンダタの姿が見当たらない。代わりをスレイが務めていた。

 「着替え?」と問い返すアステルに、スレイはうんざりとした顔で振り返る。そして盛大な溜め息を吐かれた。

 

 「え? な、なに?」

 

 知らぬうちに何か仕出かしてしまったのだろうか? と、たじろぐアステルだったが、「お前のせいじゃない」と言われて取り敢えずはほっとする。

 

 「……じゃあ、どうしたの?」

 「……言っただろ。カンダタが着替えに行った(・・・・・・・)って」

 

 アステルが小首を傾げた次の瞬間。

 

 「───ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 つんざくようなシェリルの悲鳴が艦橋まで届いた。アステルは肩を跳ね上げ、スレイは再度大きな溜め息をついた。

 

 

 「な、な、な、な、っっ!!!」

 

 シェリルは化け物を見たかの如く嫌悪感を露にして仰け反り、着替えを終えた(・・・・・・・)カンダタを指差して、二の句を告げられず震えていた。

 

 「どうしたの!? シェリル……」

 

 艦橋から甲板に降りたアステルは、視界に飛び込んできたカンダタの姿に目を丸くする。

 

 「ヘンタイさぁん! 再びぃ~~っ!」

 「……その格好を誇りに思ってるのは知ってるが、流石にここでは風邪ひくぞ」

 「わはははっ! この格好は常に俺を熱くさせるっ! この程度の寒さ屁でもねぇぜっ!!」

 

 マァムがうげ~っとジト目になり、タイガは苦笑を浮かべてカンダタに忠告するが、彼は笑ってそれらをいなす。

 カンダタは緑色の覆面マントを被った、ビキニパンツ姿になっていた。

 それはアステルの父オルテガが、カンダタに語り聞かせた英雄ポカパマズの姿だ。

 肌を刺すような冷たい横風が吹いた。彼のマントがはためき、裸胸と素肌が露になる。

 ……今は懐かしさよりも、寒々しさを感じてアステルは眉を下げた。

 だが本当に寒さを感じていないのか、カンダタは戦斧を手に色んなポーズを決めて見せてくる。

 彼の傍らにいた双子達は頬を紅潮させて、「カッコいい! カッコいい!」「ポカパマズ! ポカパマズ!」ときゃっきゃっとはしゃいでいた。

 ……と。音もなくカンダタの背後に回ったシェリルが、魔法のそろばんを大きく振りかぶった。気配を察したカンダタが、間一髪斧でそれを弾く。

 

 「………ははっ! 今の一撃はなかなかヤバかったぞ!」

 

 焦るカンダタに仕留め損ねたシェリルは舌打ちした。

 

 「そんな格好しとるからなぁ? てっきり寒中水泳でもしとうなったんかと思ってなぁ」

 

 「遠慮せんとき。今すぐ氷海ん中にぶっ飛ばしたるさかい」と、魔法のそろばんを素振りしながらシェリルはカンダタに詰め寄る。

 珍しくシェリルの気迫に押され気味のカンダタは、アステルがいるのに気付いて、逃げるようにこちらにやって来た。

 

 「嬢ちゃん! どうだ懐かしいだろぉっ!」

 「はぁ。……でもなんで今ポカパマズの格好を? 風邪ひいちゃいますよ?」

 「安心しろ! 俺は風邪なんかひいた事ねぇ!」

 「……馬鹿やからな」

 

 わはははっ! と、高笑いするカンダタに、シェリルがぼそりと呟いた。

 

 「それにこの格好でいる方が、ムオルの奴らには警戒されねぇんだよ」

 「はあ~?」

 

 疑いの眼差しを止めぬシェリルに「いいから黙って見とけ」と、カンダタは覆面越しにウィンクする。

 そうこう言ってる間に、桟橋はもう目の前だ。

 武器代わりだろう(もり)を手にする村の男衆に、カンダタは船から身を乗り出して手を大きく振った。

 

 「やめんかっ! ビビらせるだけ「待って! 見てシェリル!」

 

 シェリルが再度カンダタに魔法のそろばんを振り上げたが、アステルに止められた。

 不服そうに手を止めたシェリルが桟橋に視線を遣ると、カンダタの姿を目にした村民は構えていた得物を下ろし、なんと此方に向かって手を振り返していた。

 

 「……どうなっとるんや」

 「な? 言った通りだろ?」

 

 得意気に胸を張るカンダタに、シェリルは信じられないとばかりに頭を振った。

 

 

 

 

 「懐かしい格好をしとる奴がいるかと思えば。……お前か、カンダタ」

 

 桟橋で出迎えていた村民の中から前に出た老人がにこにこと笑い掛けてくるのに、「よう! まだ生きてたか。爺さん」と覆面を剥いだカンダタが笑顔で応えた。

 

 「その昔、ポカパマズに憧れた悪ガキどもが、こぞって真似ておったからのう。家のシーツやカーテンをこっそり持ち出して、目出しの二つ穴を開けて被って遊んどったのぅ」

 

 「その後かかあにバレて(ケツ)叩かれて、次の日には風邪をひくってのがお約束じゃったのう」と、呵呵(かか)っと笑う老人にアステルは苦笑する。

 

 ………それにしても。まさか。

 

 「カンダタさん……ここのポカパマズって、まさか」

 

 横から恐る恐る尋ねるアステルを見て、老人は目を丸くした。

 

 「……その目の色。お前さん……もしやポカパマズの親戚かなにかかい?」

 「え?」

 「爺さん。親戚もなにもこの嬢ちゃんはポカパマズの娘だ」

 

 『『『なんだってぇ!!?』』』

 

 滅多にお目にかかれない、立派な外洋船を見学していた村人達……主に年若い男達が一斉に声を上げ、こぞってアステルの元に移動した。

 

 「あー、本当だ。この不思議な青い目はポカパマズのだ」

 「マジか。『俺の娘は世界一かわいいぞ! だが嫁にはやらんっ!』って……。ポカパマズの親馬鹿発言かと思ってたが……」

 「本当にかわいいし」

 「うん。普通にかわいい」

 「いや、めっちゃかわいいだろ」

 「娘さん、母さん似で良かったなぁ」

 

 どう対応すれば良いかわからず、狼狽えるアステルの後ろで、スレイが苛立たしげに舌打ちをしてるのをシェリルは見た。

 

 「───一体なんの騒ぎだい?」

 

 その声は騒ぎを聞き付け走ってやってきたのか、息を切らせた青年のものだった。

 淡い金髪に中肉中背の青年は、大きな鞄を袈裟懸けに引っ掛けていた。

 

 「おっ! ポポタじゃねぇかっ!」

 「え、カンダタ!? 何年ぶり……ってか、相変わらずその格好してんのな」

 

 旧友の姿を目にした青年……ポポタはぱっと笑顔になるも、直ぐ様呆れたように半眼になった。

 

 「言うじゃねぇか。昔は俺よりもポカパマズになりきって、粋がってたくせによぉ」

 「ガキの頃の話すんな。ポカパマズは憧れの英雄のままだけど、成人して結婚した今となっちゃあ、その格好は流石にもう出来ねぇよ」

 「なにをぅ! だったらポカパマズ……オルテガさんはどうなるっ!」

 「凄いよなぁ。オルテガさん。色んな意味であの人は英雄だよ。……カンダタ。おまえもついでにな」

 

 当時の彼の年齢に近付くにつれ、強くそう感じると遠い目で話すポポタに、村の若衆はうんうんと同意する。

 アステルは恥ずかしさのあまり、顔を隠してその場に小さく踞っていた。

 

 (父さん……ポカパマズは嫌いじゃないよ? でも流石に外ではあの格好はやめて欲しかったよ……)

 

 「嬢ちゃん、嬢ちゃん」

 

 ちょいちょいとカンダタが呼ぶので渋々とアステルは顔を上げた。

 

 「コイツはポポタ。森で倒れてたオルテガさんを見つけた命の恩人だ。

 ポポタ、この嬢ちゃんはオルテガさんの娘のアステルだ」

 「えっ!」

 「え」

 

 アステルは慌てて立ち上がり、驚くポポタに向き直ると深々とお辞儀をする。

 

 「その節は父がお世話になりました!」

 「あ、いやいや。わんぱく坊主がたまたま家の手伝いが嫌で逃げ出した時に、たまたま森で見つけただけだから」

 

 顔を上げたアステルと目が合い、ポポタは空色の瞳を細めて朗らかに笑った。

 

 

* * * 

 

 

 あの後、アステル達はポポタの自宅に歓迎された。今回はカンダタと双子も一緒だ。

 薬師の母を持ち、彼自身も薬師であるその家の室内には、至る所に幾つもの様々な薬草束が天井から吊り下げられ、乾燥させている。棚には所狭しと薬瓶が並べられており、まるで診療所のような独特の香りが充満していた。

 

 「一応言っておくけど。ポカパマズ……いや、オルテガさんはカンダタ(コイツ)みたいに外であの格好を披露してた訳じゃないからね。

 あの頃のオルテガさんはふた月もの間、ベッドから離れられなくて、世話になってたこの家の子供のおれの相手をしてくれてたの」

 「あ、そうなんですね」

 

 ポポタのフォローに、アステルはほんの少しだけ気持ちが浮上した。

 

 「狭い所でごめんなさいねぇ」

 「いえ、こちらこそ大勢で押し掛けてすみません」

 

 申し訳なさげに眉を下げて皆にスープの入ったカップを配る壮年の女性は、ポポタの母親のリーズだ。

 アステル達は居間兼作業場といった部屋に案内されているが、人数分の椅子はなく、椅子は女性優先で男達は動物の毛が織り込まれた敷物の上に腰を下ろしていた。

 

 「ヌーク草のスープよ。……あっ! 後から辛さで来るから慣れてない人が一気に飲むと噎せるわ。ゆっくり飲んでね!」

 

 渡されてすぐカップを呷ってしまったカンダタを見たリーズは、アステル達が口を付ける前に慌てて言葉を付け加える。

 

 「美味し……あ、後から辛さが」

 「うん。癖になる辛味だな」

 「ピリうまピリうまぁ~~!」

 「……なんや体が熱くなってきたな」

 「ポカポカする」

 「ぬくぬくする」

 「ヌーク草には即効性の強い発熱作用があるんだ。雪解けの夏のこの時期にしか取れない、この地方じゃ必需品となる香草(ハーブ)で、乾燥させて細かくしたのを料理に混ぜるんだよ」

 「へぇ~!」

 

 ポポタが鞄の中から採取したばかりの赤い葉を取り出してシェリルに見せてやると、シェリルは興味深げに手に取り眺めた。

 そうしてる彼女の隣の席にリーズは腰を掛ける。

 

 「さっきの話の続きなんだけどね。

 この子が調子に乗って村の子供達にポカ……いえ、オルテガさんの事を言い回って自慢するもんだから、皆がうちに押し掛けてきて、いっぺんに広まっちゃったのよ。

 オルテガさんもベッドの上でノリノリでポカパマズの格好をして英雄譚を語り出すもんだから、子供達に大ウケしてね。

 それで子供達にとってオルテガさんは《ポカパマズ》って認識されちゃったの。子供達に釣られて大人の私達までもね」

 

 クスクスと笑うリーズに、アステルはくすぐったくなる。

 

 (父さん、話上手だったからなぁ)

 

 年に数回帰ってくる父は土産を手に、アステルに旅で見聞きした事を面白おかしく話してくれていた。

 アステルを飽きさせる事なく、己の冒険を話す父はどこか詩人めいていた。

 カンダタやムオルの人々の知る《ポカパマズの冒険》だって、実は父オルテガが考えたお話だ。

 

 (うん。父さんって耳辺りのいい声してたし、剣を握ってなかったら詩人や作家に向いてたのかも……)

 

 亡くなった人はまず声から忘れられるとどこかで聞いた事があるが、オルテガの声は不思議とアステルの記憶に残っていた。

 

 「閉鎖的なこの村で、大人子供に関わらず余所者のオルテガさんが歓迎されたのは、彼の恵まれた人徳ゆえだと思うわ」

 

 アステルの手に手を重ねてリーズは笑い掛ける。

 その面差しにアステルは母エリーゼを重ね見てしまい、言葉に詰まってしまった。

 

 「……そうそう。アステルちゃん。コイツ、おれがオルテガさんの命の恩人って言ってたけど」

 

 そう言ってポポタはカンダタを横目で見る。

 

 「本当の恩人は《世界樹の葉》を持って来たコイツだからな」

 「え」

 「そうね。あの時のオルテガさんの全身火傷(やけど)はうちの手持ちの薬草でどうにかなるようなものではなかったもの。

 カンダタくんとボルガさんがあの日、薬草を卸しにムオルに来なかったら……確実に助からなかったわ」

 「ボルガさん?」

 「俺の親父の事だ。盗賊を引退した親父はこっから北にある世界樹の大森林に住んでんだ。そこで取れた薬草をここに卸しに来てたんだよ」

 「そういや、なんでか予定より早く薬草を卸しにきてくれたよな?」

 「なんとなくだ。行かなきゃいけねぇ気がしてよ。親父に話してみたら『おめえがそう言うなら、ちぃと()ええが行くか』ってなった」

 

 鼻の頭を掻きながら答えるカンダタに、オレの時と同じやつかと、スレイはこっそりと思い出す。

 

 ───奴等(・・)から逃げ出した時の事を。

 

 常闇の森をさ迷い、木の(うろ)の中で声を殺し、身を小さくして隠れていた幼いスレイを、カンダタが見つけ、連れ出し、彼の養父に保護された。

 (のち)に何故あそこにいるのがわかったのかとスレイが尋ねると、今と同じように『なんとなく』と、平然と答えたのだ。

 苦い過去を思い出し、溜め息を誤魔化すように、スレイは手にある湯気立つカップに息を吹き掛ける。

 

 「俺の親父は頭固くて誰とでも打ち解けるような(たち)じゃねぇんだが、オルテガさんと話してくうちにあの人の事、凄く気に入りだしてよ。

 オルテガさんの体が癒えて、ここを発つって時に親父がオルテガさんに声を掛けたんだよ。

 『お前、どんな嵐にも負けん船とそれを造った強くて格好いい元盗賊のこの俺、オマケにやたら勘がいいガキいらねぇか?』……ってな」

 「船を造った……って、親父さんは船大工か何かなのか?」と、タイガ。

 「まあな。親父は船に限らず、色んなもんが造れる。なんてったってドワーフだからな。木工大工ならお手のもんだ」

 「あんたドワーフとエルフの混血やったん?」

 「違う。親父は育ての親だ。血は繋がらねぇ」

 「あ、スレイが前に言ってた知り合いのドワーフって……」

 「ああ。カンダタの養父で、オレに盗賊の技法を叩き込んだ師匠の事だ」

 

 だからスレイはあんなにドワーフに詳しかったのねと、アステルは納得した。

 

 「始めオルテガさんは断ろうとしたよ。

 けど、俺の『自由に出来る船とそれを任せられる船員は必要だろ』の一言で折れた。

 定期船で陸を繋ぎ渡る旅にも限界はあるし、好き好んで魔王のお膝元に行こうとする船乗りはそうそういねぇからな」

 「それで父さんは、カンダタさんとカンダタさんのお父さんとで旅を始めたんですね」

 「いつか親父にも会ってやってくれ。オルテガさんの事も……ついでにスレイの恥ずかしい昔話の一つや二つも聞ける筈だからよ!」

 

 スレイは口に含んだスープを盛大に吹き出し、悲鳴と笑い声があがった。

 

 

 「───あ、」

 

 と、思い出したように声を上げ、ポポタは部屋を出る。

 小走りで戻ってきた時には、その手に木の筒らしきものと黒鋼の兜が乗っていた。それらはアステルに見覚えのある品だった。

 

 「これ……」

 「わかるかい? これはオルテガさんがムオルを旅立った時に、オレに残してくれたものだ」

 

 アステルは木の筒のようなものを手にする。それは水鉄砲だった。

 夏の日に父が自分と幼馴染みのアニーの分と二つ作ってくれて、これで水の掛け合いっこをしながら遊んだものだ。

 

 「うわぁ。……懐かしい」

 「オルテガさんが作ってくれたんだ。俺と同じくらいの歳の奴らは全員持ってる。みんなオルテガさんのお手製だ」

 「へえ……ようできとるやん。オルテガさんって器用なんやな?」

 「……うん」

 

 覗き込むシェリルに、アステルは微笑む。

 

 「オルテガさんはポポタや子供達の相手をしながら、故郷に残してきた娘さんと奥さんを思い出して話をしてくれたわ」

 「……お袋、それ聞いてオルテガさんの事諦めたんだよな」

 「おだまり」

 

 リーズは余計な事を言う息子の後ろ頭を素早く、しかし強かに(はた)く。

 アステルの笑みは引き攣ってしまう。

 あの父に限って不貞などあり得ないと信じるも、面白い話ではない。

 

 双子達が水鉄砲に注目しているのに気付いたアステルはそれを渡してやると、二人は楽しげにいじくり始めた。

 今度は焼き焦げ、熱でひしゃげた跡のある兜を持ち上げる。

 左右にある勇ましさを表したような一対の角は片方が欠けていた。額に填まっている紅玉(ルビー)の玉にも亀裂が入っている。

 兜は父の戦いの凄まじさを物語っているようで、アステルは眉を寄せた。

 

 「それね。お袋や皆はもう使えないから捨てたか置いてったんだろって言うけど、おれはお礼に置いていったんだって思ってるんだ」

 

 叩かれた頭を擦りながら苦笑交じりに言うポポタ。

 ふと。兜の内側を覗き込めば名前が彫られているのをアステルは見つけた。

 

 (───ガーディ……?)

 

 

 『───こいつはグロリア、こいつはヴァン、こいつはゲニウス……』

 

 幼いアステルの前に広げられる父の装備品。その一つ一つの名前を上げながら、父は愛おしそうに手入れをする。

 

 『みーんなにおなまえあるの?』

 『そうだぞぉ。こいつらは父さんと共に戦ってくれる戦友だからな。

 ……それでこいつはガーディだ! 武具屋のトーマスさんと息子のロディが造ってくれた兜なんだ!』

 

 そう言って兜を被って歯を出して笑う、在りし日のオルテガの顔がはっきりと思い出され、目頭が熱くなる。

 

 

 

 「アステル?」

 

 名を呼ばれてアステルははっとした。兜を抱えて俯き、きつく瞳を閉じて涙を堪える。

 

 「だ、大丈夫! なんでもない!」

 

 なんとか涙を溢さずに済んだアステルは、顔を上げて笑みを浮かべた。

 

 「ポポタさんの言う通りです。

 父さんはこの兜を忘れたり捨てたりなんかしない。ポポタさんにあげたんです。きっと大事にしてくれるってわかってたから」

 

 差し出された兜にポポタは目を張り、そして笑みを深めた。

 

 「アステルちゃん、その兜はあんたに返すよ。いや、あんたが持つべきだ」

 「え?」

 

 頭を傾げるアステルに、ポポタは眉を下げた。リーズも悲しげな笑みを浮かべている。

 

 「オルテガさん、亡くなったんだろ? 」

 

 今度はアステルの方が目を見開いた。

 

 「遺体も帰ってこなかったって聞いた。ならせめて、これだけでも家族の元に帰るべきだ」

 「どうしてそれを……」

 「おいおい。こんな辺境の村にもオルテガさんの訃報が伝わってんのかよ」

 

 驚くアステルとカンダタに、ポポタはふと笑う。

 

 「実はおれの嫁さんがアリアハン出身でさ。子供の頃にここに移住して来たんだ。

 あいつにポカパマズの事を話したら、真っ青になって、それで話してくれた」

 

 そこでポポタは表情を引き締めてこちらを見てくるので、アステルも思わず居住まいを正す。

 

 「アステルちゃん……実はおれの嫁さん」

 「───お母様、ただいま戻りました」

 

 ポポタの言葉を遮ったのは、若い女性の声だった。扉が開く音に続いてパタパタとこちらの部屋へと近付く軽い足音。

 

 「ポポタ帰ってたのね……あら? お客様……」

 

 現れたのはアステルと同世代の娘だった。

 細く小柄で可愛らしい顔立ちをした娘で、唾の広い帽子を取ると鮮やかな赤毛が現れる。長い髪を二つに分け、三つ編みにして下げていた。

 白い肌をしており、寒さで薄紅に染まった頬と鼻梁に散らばるそばかすが目立つ。

 

 鼻の頭のそばかすをいつも気にしていた幼馴染みがアステルには、いた。

 

 娘もまた瞳を見開いて、アステルの姿に見入っていた。まるで記憶の中の人物と照らし合わせるように。

 

 その時間は長くはかからなかった。

 

 

 

 「……アニー?」

 「アステル……?」

 

 

 それは九年ぶりとなる幼馴染みとの再会だった。

 

 

 

 








★当物語ではポポタは大人★
ゲーム上ではポポタは明らかに16歳の勇者より年下の子供設定で描かれていますが、これってちょっとムリがあるのでは……と。

SFC版オープニング画面を見る限り、オルテガ訃報を受けたのは勇者が恐らく10歳前後の頃。(勇者としての特訓スタートを考えてもそれくらいの歳なのでは)
けどそれ以前に少年ポポタは村を抜け出して、森で瀕死状態のオルテガを助けてるんですよね。
村を抜け出して遊ぶくらいだから、ドラクエ5主人公を例にしても最低でも6歳くらいでないと無理なのでは。
ならポポタは勇者より年上……最低でも同い年くらいでないとお話が成り立たないのでは……と思ったのです 
ですので当物語のポポタは年齢を18歳に設定しました。

★変態ビキニマント再び★
捏造ポカパマズ設定。オルテガの捏造設定は毎回わくわくしながら書いてます。

★当物語のオルテガは陽気なロマンチスト★
この物語のスタートの時点ではオルテガの性格はゲームのような豪傑か硬派な一匹狼だったのですがねぇ。


ここまで読んでくだり、ありがとうございました!




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