ドラゴン・バラッド-龍血の龍討者- (雪国裕)
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プロローグ
修道服の少女は


 群青世界が広がっている。

 静けさの中、駆け抜ける人影がある。

 瞳を凝らしてみる。

 その体躯は小柄。布と革を合わせた狩猟用の服を着ているが、腰と脚には金属のアーマーで武装している。また気が付きにくいが、服の中には金属の胸当ても着込んでいた。守るべき頭部はむき出しで、鮮やかな群青色の髪が特徴的だった。

 そして腰には、彼にはやや大ぶりの濃紺の片手剣と鞘、そして小さな背中には、銀色の小楯が収められている。

 深い森は、場所によっては陽光さえも遮る。陰りの中で仰ぎ見た青い空は、所々削り取られた不完全な代物だ。そういうこともあって、森の中は全体的に暗い。暗がり獣の気配を感じ始めたら、不安になってキリがない。

 しかし少年は、恐怖を抱いてはいないようだ。それはおそらく、彼はもっと強大な、人知を超越した存在を目指しているからだろう。

 私には、それがわかる。

 それと比すれば、ここに生息する獰猛な獣もたいしたことはない。そんな気迫さえも感じられる。

 ただ、今のような事態には慣れていないようだ。

 もっと言えば、対処に困っているようである。獣に追われることはあっても、「人に」追われることはなかった、ということか。

 私は立ち上がる。そして意を決した。

 今の為に。未来のために。

 

 

 ――狙われている。

 そう確信したのは先程、前方から矢(正確には矢のようなもの)が飛んできて、自分の眼前を通り抜けた時だった。説明するまでもない、攻撃を受けたのだ。

 おそらく、弓矢による射撃だろう。それも、どうやら相手はひとりではないらしい。樹を盾にした時、幹に刺さる矢の音が、本数が、尋常ではなかった。

 その時は思わず息を飲んだ。ひしひしと、肌寒い死の匂いが、すぐそばに漂っていることを空気が教えてくれていた。

 あの時は無意識に避けられた。が、次はどうかわからない。走りつつもそんな不安を抱いて、突破口を見出そうとしていた。地面が作った小さな崖を飛び降り、その元に身を隠した。生い茂る草をヴェールとして、その間からあたりを伺う。

 ――どうする。

 枝を折る音と、草をかき分け踏むしめる足音が、少しずつ近づいてくる。汗は嫌というほど吹き出して頬を伝い、顎から滴り落ちた。こちらは息を殺し、身を潜めてはいるが、いずれは見つかるだろう。

 その時、茂みの向こう側に、敵の一人の姿が映った。暗い緑色の軽装姿だ。

 焦りがそこまで迫ってきている。冷静になれ。自分に言い聞かせつつも、走り出した。

 やむを得ないが、戦うしかない。腰の剣の柄に手をかけ、抜き払う。濃紺の刀身が、木漏れ日を反射し碧く煌く。

 自分の元に一本の矢が飛来する。

 だが、見える。斬り落とせる。剣をひと振りし、矢の真ん中を切り落とす。矢尻と矢羽根に二分された矢は、頭上と、左下に其々飛散し、矢羽根側が地面に落ちると、それから少しして後ろで矢先が木に突き刺さる。それから相手に肉薄して、柄で横腹を殴り、その反動を利用して体を反転、回し蹴りを入れた。

 男のうめき声が短く上がって、男は吹き飛ばされた。慣性が許すまま横に飛び、それから木に衝突してズルリと、力なく横たわった。意識があったなら、おそらく男はその威力に驚いたことだろう。

 少年が蹴りを入れたとは思えないほど、それは重かったと。

「ぐっ」

 衝撃を感じた。背に矢を受けたのだ。

 思いのほか、勘付かれるのが早かった。この矢は間違いなく、あの男の仲間が放ったものだ。

 矢は幸い、服の下のプレートアーマーが防いでくれたようで、体には傷ひとつ付いていない。しかし、足を止めてしまった。

「く」

 矢は次々と自分の元に飛んでくる。身を翻して避ける、が、避け損ねたものが身に当たる。刺さってはいない。そうなる様に避けたからだ。ちょうどプレートが防ぐところだけは、あえて避けていない。しかしそれでも全てをかわすことはできなかったようだ。左手の二の腕、鎖帷子のところに矢尻が命中する。角度と硬度のおかげで、矢はその後滑るようにして外側へそれていった。しかし、先は確かに生身を傷つけている。出血と、痛みがそれを教えてくれた。回転するように回避したあと、姿勢を低くするように屈み辺りを伺った。

 敵はどこだ。

 しかし残念なことに、相手の場所がわからない。このまま逃げ続けるにも、地形がわからない。仮にここに熟知している相手なら、持久戦となればいずれ・・・。

 万事休すか。

 諦めかけたその時、不意に矢の飛来がやんだ。

 前方を見ると、白い煙が立ち込めている。何が起こったというのだろうか。そしてほどなく――いや同刻か。背後で、もう一度火薬の弾ける音がして、それから濃い煙が撒き散らされていく。

「逃げるよ」

 ごく近くで、声だけが聞こえていた。落ち着いた口調の、しかしながら低いわけではない。女性のものだった。

 従うべき相手はこの場合誰なのか。答えなどわからなかった。ただ、それが最善だと思った。言われるまま、駆け出していた。いつの間にか手を握られて。煙幕の中で、声の主だけはまるで道を知っているように、迷い無い足取りで前進していく。

 矢が飛んでくる。耳が良いため風音で分かるのだ。木々に突き刺さる音がして、その度に肝を冷やす。闇雲に放っているとはいえ、当たるかもしれない。しかし、それもやがて聞こえなくなる。

 自分の手を引く人物の足取りもやがて遅くなる。

 ――いつの間にか僕は晴れた視界の中で、群青色の世界をただ仰ぎ見ていた。

 水が岩を打つ音が耳に入ってくる。目の前には、大きな滝が幾つか並んで存在している。

 広がる景色は一面、青と緑。それはまるで自身の群青のような色合いをしていた。そのあまりの透明性に、思わず動きが停止する。

 そして思考も同じく、止まっていたのだろう。その目の前にひょいと、右から来たのか左から来たのか、確認できなかった。

 眉を少し吊り上げ、怒ったような表情を浮かべた少女の顔が、近づく。

 驚いて、わあと声を上げて尻餅を付いた。すると自然と、少女を見上げるような形になる。木漏れ日が彼女目掛けて射し込んでくる。彼女の白銀の髪が、キラキラと輝く。

「どうしてこんなところにひとりでいるの。子供なのに・・・無用心すぎるよ」

 口調は決して優しくはなかった。

「・・・子供じゃない。もう十五だ」

 それは幼さ故か――眉を釣り上げていた。

「それに僕は戦士だ」

 左腕を押さえつつ、むっとした声で言い返す。少女は含みのある微笑みを浮かべ、それから腕組する。

「戦士・・・なるほどね。ともかく命拾いしたわね。・・・腕は大丈夫?」

 少女が腕に手を近づけたので、思わず反射的に身を引いた。速い動きだったので何をされるかと思ったのだ。

「ああ、掠った程度だよ。押さえていれば血も止まるはず」

「・・・・・・そう、良かった。はい、立って」

 そう言って少女は、今度はあからさまにゆっくりと手を差し伸べてきた。もしかすると気を遣ったのかもしれない。

 彼女は長い純白の手袋を、肘から上までつけている。

 その白さをじっと見つめた。

「血がつくぞ?」

 そう訝しげに言うと、

「構わないわ、ほら」

 目を閉じて笑い、少女は答えた。差し伸べられた手を取ると、手袋越しであるが柔らかさと温もりがある。少しどきりとした。

「私はルナ・ルーク。このあたりの町に住んでいるわ」

 何とも不思議な響きの名前だと思った。名も姓も決して珍しくはないのだろうが、彼女が言うと不思議に感じる。その証拠に、名は本人を表すようで、白銀色の髪に赤い瞳という出で立ちの彼女はどこか幻想的だ。

「僕はヴァン。姓はグリセルーク。今は旅人をしている。危ないところを助けてくれて、ありがとう」

 自己紹介のあとお礼を言って、それから軽く彼女の全身を見る。見たところ彼女、ルナは武器を所持しておらず、丸腰だった。まるで喪服のような漆黒の衣装を着ている。この感じ、どこかで見たことがあるのだけども・・・。

 ――ああそうだ、これは「修道服」ってやつか。昔、宣教師がやってきた際に同じようなものを見たことがある。黒がメインではあるが、ただ黒一色というわけではなく、各所に白が配置されていて、洒落ている。黄金色の留め具もいいアクセントだ。

 ただ、これが正装なのかと言われるとどうなのか。昔見たものとは、記憶違いなのかだろうかわからないが違う気がする。

 動きやすくするためかスカートは短くなっていた。靴は変哲のないロングブーツだ。太ももの半分まで、黒い足袋を履いている。

 スカートに関しては、昔見たものはもっと長かった気がする。あと、袖は手首まであったと思うし、やはりこれは、正装ではないのだろうか。

 彼女の服は、着古したのかところどころ裂け、傷が目立っていた。また、刃物のようなもので切られた――切り傷もあって、ほかにも燃えたような跡があった。

 一体、彼女は何者なのだろう。それを訊くには、なんだかまだ早い気がした。

 「その服って?」

 代わりに質問のランクを下げて訊く。

「これは教会の服よ。ちょっと縁があってね・・・まあ戦闘用ではないのだけど」

 こちらの鎧をちらりと見つつ、ルナは付け加えそう言った。

 ヴァンは苦笑する。

 蛇足だ、と思った。

 小馬鹿にされたのが鼻についたが、事実に変わりない。彼女がいなければ今頃、四方八方に矢が突き刺さった死体となっていたのだから。

 それにしても、なかなかいい性格をしている。ただ親切なだけではない――彼女には、どこか自分の興味をひく要素がある。今は「それ」を形にはできないけれど、確かにそんな気持ちが、自分の中で芽生え始めている。ヴァンは心なしかそんなことを考えた。

「む・・・」

 とりあえず反論は短い呻きだけにしておこう。

「ところでさっきの奴らは?」

 言うまでもなく、先程交戦した連中のことである。

「あれは、この辺に居座っている盗賊たち。でも多分、長くはいないと思う」

「どうして?」

「彼らはこの先の、龍の秘宝を目指している。ここはその道程に過ぎないの」

「龍の秘宝?」

「気になる?でも今は先を急ぎましょう。後でゆっくり聞かせてあげるから」

 わかったと、彼女の言葉に肯く。

「この先へ行けば、ひとまず安心だわ」

「先って、滝だけども・・・」

「それが道になっているのよ」

 ほう。無意識に頷いていた。

「気がつかれにくいでしょ?それに、ここは昔から此処を知っている者が利用した抜け道、彼らは追っては来られないはず・・・少なくとも今は」

「君は泳げる?」

「心配ないよ」

「そう。じゃあ濡れるけど、我慢してね」

 優しい口調で、少女は言う。その後直ぐに水の中に飛び込んだ。

 程なくして、自分も飛沫を浴びた。

 滝の先は洞窟となっていた。洞窟の中をしばらく歩いて、やがて開けた場所に出る。まだ、あたりは岩だ。そこは寒くはなく快適な場所で、各所に焚き火の跡があった。狩人の休憩場なのだろうか。

「つけられていなければいいのだけれど。ちょっとここで待ってて」

 そう言って、ルナは来た道を少々戻って、糸に穴のあいたコインを数枚通ししたものを、岩にくくりつけ、間もなくして戻ってきた。

 音鳴りの仕掛けか・・・古典的だが有効だ。

「念のためにね」

 そう言うと、彼女は焚き火のあとの燃え残りに、油を木に塗り、火打石で散らした火花で燃やし炎を作って、火を灯した。すると、辺りが少し明るくなる。見通しも良くなった。

 それからルナは帽子(のちのちベールと知ったが)を外した。

 まるで色の抜け落ちたような、白髪にも似た銀の髪に、紅蓮の瞳の全貌が顕になる。そこにかかるまつげも白く、それらに外の光が反射して淡く光り、さらに黒光りする岩肌へと反射する。

「ずぶ濡れね・・・。早く町に行って乾かさないと・・・」

 うつろげに半分閉じた紅い瞳は怪しく、艶かしい。濡れて頬に張り付き、肩にかかる髪は不思議な色気を醸し出す。その横顔は儚げで美しい。

 それがどことなく、「昼間の月」を思わせる――夜という晴れ舞台に煌く月ではない、陽光に照らされ薄くなった、はかないものだ。

 彼女は美形の部類に間違いなく入るだろう。少女であるためにまだあどけないが、それでも美の片鱗を見せる。

「ちょっと服を搾るわ」

 なんとなく口調、振る舞いなどから、年上だと推測できた。もっとも、身長に関しては見るからに、彼女の方が上なのだが。大体10センチだろうか――いやそれ以上の差がある。とても戦いには向いていない細い四肢と、しなやかな背中。純白の肌は澄んでいて、ざっと見ての感想はここまでにしておくが、まだまだ言いたいことはある。しかし考えが浮か

 ばない。

「――ねえ」

「ん・・・?」

 彼女の紅い瞳と目が合った。赤いのは目だけではなく、頬もだ。それから視線を横にそらして、

「流石に、直視されると恥ずかしいんだけど・・・・・・」

 ここまで来て初めて、ぼそぼそと小さな、恥じらいのある声で発言した。

 半裸の彼女に気がつかずに、ひとりで深く考え事をしていた。どうやら彼女は視線をそらしてくれると思っていたらしく、脱衣し始めたのだが、期待は外れたらしい。服を脱ぐのをやめた。

 そして目があった。

「ご、ごめん」

 慌てふためきながら瞬時にターンして、その後はなぜか正座していた。水を絞る、地面に落ちる水音を耳にしながら、しばらくの間鼓動を早くしていた。

 自分は今、胸に手をやり俯いて、目を見開いている。

 しばらくしてから音が止み、無音となった。

「やっぱり珍しい?」

 そんな中、言い方は悪いが横顔を盗み見る――そんな自分の視線を感じ取ったのか、彼女は振り向いた。

 あまりジロジロと見てはおらず、感づかれる一歩手前にとどめていたつもりだったが、迂闊だったか。

 言っておくが別に邪な気持ちはない。

「あ、いや、まあ」

「いいよ。気を遣わなくても」

 好奇な目で見られることは、慣れているということか。そう思えると、彼女とは離れているが、不思議と距離を感じない。

「でもまあ、驚いたけどさ。僕もそういう側だから、気にはならない」

 率直な意見だ。自らがそうであるために、相手にも寛容になれる。これはそういった類の感情なのか。

「・・・その髪のことかな」

 背中合わせで会話するふたり。

「やっぱり、知っているのか?」

 群青色の髪を撫でながら言う。

「まあね。本は結構読むほうなの。だから知識はいろいろとあるよ。それに勉強も好き」

 ルナはしばらく何も言わない。その間で、彼女は何かを思い出しているようだった。まるで頭の中にある、本のページをめくっているように思える。

「そう・・・龍血・・・群青色の髪を持つ一族は、龍の血筋を受け継いだ誉れ高き一族・・・って聞いているよ」

 しばらくして彼女は口を開いた。認識としては良いものだと思う。そこまで高く評価してもらったことは無いし、素直に喜ばしい。

「ここからもっと先の東の地に、確か竜の国があるって話だけど・・・君もそこから来たの?」

「いや、僕の生まれ育ったのは小さな村だ。ここからは北にいったところにある」

「・・・なるほど。そういえば顔もそっち系だよね」

 彼女はどこの出身なのだろうか。顔立ちは近い気がするが・・・髪のこともあるしよくわからない。

 いろいろ気になっているが、わざわざ質問する気にもなれない。自分は彼女ほど後期心旺盛ではないし、他人に踏み込んで会話できるタイプではないからだ。

 ただそれでも、はっきりさせておきたいことがある。

「さっき誉れ高いって行ってくれたけどさ。でも僕はこの血を、体を嫌っているよ」

 発した声には、哀愁を含んでいた。

「それは、差別されるから?」

 龍血症・・・それは、今は過去の遺物だった。

 世界に「法」というしきたりが形作られつつある今、高すぎる戦闘能力はそれ自体が畏怖の存在であった。

 いつかどこかの場所でとあるドラゴンブラッドの一人が、「罪を犯した」と嘘をついた「一人」に貶められ、それを皮切りに他の者も「人の本質的な恐怖心」を煽られた。

 そして差別が始まった、そう自分は聞いている。

「いや。それはもう気にしていない。気にしたってしょうがないさ、治るものでもないから」

「ただ僕の目的の、その支障になる」

 奇妙な間が空いた。彼女は、多分ためらっているのだろう。

「質問していい?」

 口火を切ったようにルナが言う。

 答えを求めるならば、答えよう。

「どうぞ」

「君の目的は、龍を討つことなの?」

 彼女は自分が答えずとも、直接的な答えを導き出した。

「そうだよ」

「それって、ドラゴンバスターになりたいってこと?」

 思わず苦笑する。

「いや、そんな誉れ高いものを目指しているわけじゃない。僕はただ、両親と仲間と、家族同然だった皆の復讐のために、龍を殺すつもりでいる」

 さらりと、旅の目的を告げた。口調も瞳も、今はひどく冷たかったと思う。

 青い炎の片鱗が、今は見えていた。

「なんか申し訳ないな。初対面なのに重い話をしてしまった」

「別に構わないけど・・・本気なの?」

 ルナは訝しげに問う。そんなことも知っているのか、彼女の顔は見えないが、声からしてわかる。

 彼女は知っている。ドラゴンブラッドとして生まれたものが、竜を討つということの意味を。

 龍血症・・・もとい龍血を持つ者、彼らが龍と戦うこと自体が禁忌とされている。それは、同族を殺すことを拒むということなのか否か分からないが、とにかく「血が」「血と」反応してしまうのだ。一種の発作のようなもの近い。

 それはとにかく苦しいと聞く。

 しかし自分はそれでも、奴を討たなければならない。

「ああ本気だよ、僕は」

「そう・・・わかったわ。頑張って」

「ありがとう」

「ところで、その龍についてだけど」

「ひょっとしてだけど、黒い鎧のような外郭を持っていて、―――とかだったり?」

 どうしてそれを。思わず振り返って、彼女の顔を見据えた。表情は、悪巧みをしているようにも見える。

「地面を這うように移動して、翼は持っていても、飛ぶことができない大地の龍。肩に大剣が刺さっているって話だけど・・・」

 そこまで知っているのか。何者だこの少女は。

「教えてくれ。どこでそれを聞いたんだ?」

「ふふん。なにせ私は博学ですから。もう少し付き合ってくれたら教えてあげてもいいけど」

 勿体ぶるなよ。押し倒したくなる衝動を抑える。

 それから落ち着くために一回深呼吸する。

「はぁ・・・分かったよ。付き合う。どうせ補給もしなきゃならないし、どこかの町に滞在するのは旅人にとっては当たり前だからな。それが情報料なら安い」

 思わず早口になっていた。

 驚きを隠し得ない。このあたりで――ごく最近に目撃例があったというのか?商人や村人、町の住人と話をして探ってきたが、ここまで具体例を挙げたものは一人もいなかった。

「やった。じゃあ町まで一緒に来てくれる?」

 一緒にという選択肢のほかがあるだろうか。彼女無しに、この森を安全脱出は難しい。ガイドなしに歩けるほど、安全な森ではない。

「それにお腹も減ったでしょ?」

「まあ・・・わかった、頼むよ。その・・・ルークさん」

「ルナでいいよ。これからよろしく、ヴァン君」

 

【挿絵表示】

 

 差し伸べられた手をとって、彼は薄い笑顔を見せるのだった。

 握手を交わす二人のもとで、炎がゆらゆらと揺れていた。

 そして、物語は動き出した。




最も古い設定を引っ張り出して構成したオリジナル小説です。文章自体は2012年に作成しました。
これから続きを書いてゆく次第ですのでよろしくお願いいたします。


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彼女の嘘
少年と老人


 彼女に案内されつつ森を進み、無事町の入口に到着することができた。二人で大きな門をくぐり抜けると、ルナはくるりとその場で一回転してこちらに向き直り、

「ようこそ、わたしの町へ」

 笑顔でそう言った。

 ここが、彼女の住まう町か。

 森を抜けた先――つまりここからはその姿を一望することはできないが、全体的に白く、それでいてひっそりとしている印象を感じ取れる。

 ふと、中央にそびえる大きな時計塔が目に留まる。今まであのようなものは見たこともなかったため、珍しいと素直に思った。

「さあ、いこうか」

 彼女の言葉で、僕らは再び歩みを始めた。そして噴水の出る広場を抜け、一段と閑静な宿屋通りを歩いた。

 街の雰囲気はやはりどこも静かで、とても活気に満ち溢れているとは言い難かった。すれ違う人々も多くはなく、どうやら町民は多くないようだ。

 と、急にルナが立ち止まった。あたりに目移りしていたせいで、自分は彼女の背中にぶつかってしまった。

「着いたわ」

「っ・・・ここが?」

 木造の古い建物を指差して、ルナは振り返った。

 ここが、彼女から事前に聞いていた宿屋である。

「ええ。私の住んでいた場所。話をつけてくるから少し待っていて」

「わかった」

 彼女は建物の中へ入っていく。その動きは遠慮なく慣れた様子で、彼女がやはりここで暮らしていたという事実が伺えた。

 考え事もする間もなく、ルナは宿屋から出てきた。

「話してきたわ。じゃあ・・・約束の時間までゆっくりしていて」

「ああ、悪いな」

 そこで彼女と一旦別れる。軽く会釈してから、彼女は東側――教会の方へ向かっていった。

 さてと。宿屋の入口に立って、その扉を開く。ドアは思いのほか重かった。

 頭上のベルが来客を知らせる。

「いらっしゃい」

 灯りを灯したカウンターには、店主の男性がいた。

「はいどうぞ。彼女の友人だってね。狭いがゆっくりして行ってくれ」

 友人という話にしてあるのか。それはさておき主は落ち着いた、少し痩せた初老の男性だ。

「ありがとう」

 彼に鍵を渡され礼を言い、軽く会釈をして、それから二階へと上がった。部屋番号は6番室だ。階段を上がると真っ直ぐな廊下になっていて、六号室は奥から二番目にあった。

 ドアを開いてみる。室内には机と椅子、それと簡単なベッドが置かれていた。それと、外部から持ち込まれた棚がひとつ。

 机の上の蝋燭は新品のようである。

 全体的に質素な雰囲気で、薄暗いが汚くはない。

 部屋の中に入って机に手を置いた。思いのほか手入れはされているらしく、埃はかぶっていない。小さな宿屋で、このように手入れが行き届いているのは珍しい。大抵は適当に掃除した程度で、とても客から金を取れる場所ではない、そういうケースが多々あった。 だからここは新鮮に感じる。窓を開けて空気を入れる。光はあまり差し込まない。下を覗き込むと、狭い裏路地が見えた。

 なるほど。彼女が住んでいた理由もここにあるわけか。ここへ至る道中に、ルナ本人に彼女の事について少し聞いた。

 どうやら彼女は生まれつき日の光に弱いらしい。黒い衣装もそれが関係しているということだそうだ。確かにここなら、カーテンなしにある程度陽の光を防げる。彼女にとっては快適かもしれない。

 さて、とりあえずまずは着替えることにする。装備を外し、ベッドの下の脇に並べて置いた。それから体を布巾で拭いて、水気を取った。髪も水気を拭き取り、少し乾かした。

 さて。

「これが・・・」

 手にとった一着をみて、思わず苦笑した。

 服は持っていなかったので、仕方なく彼女のお古を借りることになっていた。それがてっきり黒めの服かと思いきや、白い服だったので意外に思ったのだ。それに加えて、思いのほか・・・女性らしかった。

 それを着ている自分を想像してみた。

 ――思わず紅潮している自分がいた。慌てて首を振ってみせる。

「これは・・・だめだ」

 服は収納棚に入っている。

(着られるもの、あるかな・・・)

 仕方がないので全て調べて、一番中性的なものを選んで着てみることにした。

 女物ということで気が引けるが、鎧のままで歩くのはいろいろと面倒くさいので、妥協する。

 まだ若干濡れているし。鎧に目をやりながら心中でうめいた。

 それにしても、妙な気分だ。彼女の着たものを今自分が着ているなんて・・・・・・。兄弟がいれば、こういうこともあったのだろうな。

 いや、いたのだが。

 バッグなどの装備品を棚の裏に置いて、所持金の入った小さめのウェストポーチと、大切な剣を装備した。防具は窓を少し開けて、そのそばに置いておいた。換気すれば乾くだろう。

「さて」

 ひとまず別行動となったわけだが。待ち合わせは12の刻、昼時と約束した。現在は10時なのであと二時間ほど余裕がある。

 それまで適当に町の中を見て回ることにしよう。扉を閉めて鍵をかけ、宿主に会釈をしてから町へ出かけた。

「・・・ぉ」

 小さく声を上げる。

 宿屋通りの裏路地を抜けると、早速何人かが屋外で店を構えていた。雨よけの簡単な屋根のついた出店だ。

 ちらりと中を物色すると、木を彫って作ったアクセサリーなどが置いてあった。

 どうやら皆装飾品を扱っているらしい。

(ふーん・・・ふむ)

 しかしどこの店も似たり寄ったりで、興味はそれほどわかない。そのためせいぜい横目に見るのみで、冷やかしすらしなかった。

 ちなみにポーチの中身だが、追い剥ぎをされた時を考慮して貨幣はそんなに入れていない。食事と、小さな買い物を済ませられるくらいは持ってきているが。残りは宿屋に置いてきている。鍵を掛けてはいるが、一応目立たぬ場所に隠しておいた。あの主がくすねるとは考えにくいけども、念のためだ。

 だが例外として、剣だけは肌身離さず持っている。これは母の形見なのだ。

 そんなことよりも、次だ。次はどこへ行こうか。

 あまり遠くへは行かないほうがいい。待ち合わせの場所を見失ってしまう。この近辺で何か面白そうなところはないだろうか。

 ふと時計塔に目をやる。時計塔は石と木で作られているようで、白一色に塗られていた。蒼空にそびえ立つそれは、まるで名のある絵画の一部のような風情を感じさせる。

(あそこを目印にすれば位置関係を探れるな・・・)

 そんな事を考えているうち、あそこへ向かってみたい衝動に駆られた。完全に、観光という気分が前面に出たのだ。

 それに、だ。

 年相応の好奇心を、今は隠す必要もない。

「行ってみるか」

 旅で疲れた心を癒すのも時には必要だ。

 とりあえず、あの下へ向かうことにした。駆けはしない。ただ、若干の早足でそこへ向かっていった。大きくはない、しめやかな小さな街であるが、地面はきちんと石畳で舗装され、衆道を左右で挟んだ木々たちの随所にも手入れが行き届いている。

 喧騒が苦手な自分にとっては、悪くないところだ。

 程なくして時計塔の下に到着した。

 時計塔の下は上とは色が異なっていて、グレーの色合いで塗られていた。しかし、やはりここも静かで、あたりに誰かがいるということはない。ただ、なんとなく人がいる気配は感じるのだが。

 ふむ。

「すみません、誰かいますか」

 返事はない。とりあえず、石造りの外壁をぐるりと一周してみる。

 すると、入口とみられる扉を見つけた。同一色で塗られているので非常に見分けがつきにくいが。

 さて、少しばかりの好奇心は今、自分にある行動を起こさせようと手元を前方へと動かしているわけだ。

(まあいいか)

 観光だと思えばいい。少しためらいがちにそこを開けると、ひんやりとした空気がこちらへ流れてきた。それと同刻、内に閉じ込められていた機械音が外へ溢れ出す。機械仕掛けの時計が稼働する音だ。

 室内を覗き込むと、暗がりの中に上へと続く階段を見つけた。

「誰だい!」

 背後から声がして、直ぐに振り返った。

 そこには小柄な老人――おばあさんがいた。

「申し訳ない。ここが気になったんだ」

 謝ると、お婆さんは腕組をしてため息をつく。

 彼女は、おおよそ六十代と伺えた。顔には皺が多いが、パーツの並びが綺麗で、美人であった面影がある。腰が曲がっていて身長は低く見えているが、多分昔は今の自分よりは、背が高かったのだろうと思う。

「全く、ここに入ってくる奴なんて久しぶりだよ。よほど物珍しかったのかね・・・子供でもあるまいに」

「もしかして僕の歳が・・・?」

「ふふ。せいぜい十五、六ってところかね」

 あたりだ。きっと自分は図星という顔をしただろう。

「ほう、そうかい。ほほ。ま、若いね」

 今までは大体十三才以下と捉えられてばかりいた。それだけあって、これには素直に感心した。老人の目は大抵悪いが、ある意味で良いらしい。

 まあ、適当に応えたこともありえるだろうが。

「あんた、旅人かい?」

 むしろ、こちらの発言に驚いた。

「そうだけど、どうして分かるんだ?」

「なんとなくね……随分と小さいようだが、冒険者のようだね。目的を持って生きている、そんな目をしているよ」

 直感的で、それでいて具体的な感想だ。

 そして、だいたい当たっている。

「まあ、あたりだ。僕はヴァン。今、とある龍を探している。この町には、そいつについての情報があると知ってやって来た。」

「龍?龍ってドラゴンのことかい、飛竜ではなく」

「ああ。そいつを見つけて討つ。それが僕の目的なんだ」

 老人は笑いもしなかった。表情には否定も肯定も浮かんでいない。

「それで、あん――あなたも、何か知っていることはないか?」

 老人は返答にしばし時間を要した。

「……さあね。あたしはあいにく専門外さ。それに龍って言っても、色々いるだろう?具体的な特徴を言ってくれないとね」

「特徴か・・・僕も覚えていればいいんだが。どうしても思い出せない。見ていたはずなんだけど・・・」

 甲高い咆哮と、地響き。鮮血に塗れた、刺のような鱗を纏った、煤けた漆黒の巨体。思い出せるのはこれくらいで、しかもそれさえも曖昧だった。

 それだけなのに――それを思い出すたびに、気分が悪くなる。

「やめな。思い出したくないこともあるもんさ」

 ヴァンの顔色を伺ってか、老人は言葉をはさんだ。

「まあ、私じゃなんにも力になれそうもないね。・・・ふむ、教会に頭のいい奴がいるから、あの子なら知っているかもしれないけども・・・」

「それは、ルナ・ルーク?」

「ほう、あの子と知り合いかい」

 お婆さんは目を丸くした。修道服で行動していたら大体、教会と関連があると。自称、「思慮の薄い」ヴァンでもそれくらい判る。

「ついさっき、危ないところを助けてもらったばかりなんだ」

「そうかい。それは良かったね。あの子、世話焼きなんだよ。教会で、進んで自分から子供たちの世話もしてるせいかねぇ」

(そうなのか)

 どうやらあの善人らしさ素性らしい。ヴァンは頷いた。

「彼女には、その他にも宿屋を勧めてもらったり、いろいろ助けられているんだ」

「そうかい、きっとあんたも気に入られているんだね。ならきっと力を貸してくれるはずさ」

「でも、多分同世代だ。僕の目的をどう捉えているのか・・・」

「心配しなさるな――あの子は賢い。賢いししたたかだ。あのなりだから偏見の的だけど、たくましく生きてる。あんたも同じもんだろう?助け合いな」

 ちらりと龍血の証である群青に視線をやりながら、老人は促すような言葉をかけた。

「まあ、つまらん話につき合わせちまったね。もう行きな。約束があるんだろ」

「いや、そんなことはなかった。色々知れた。ありがとう」

 ヴァンは会釈する。そして扉の方へ向かっていく。扉に手をかけ、陽光が差し込むと、光は彼の半身を照らして、反対側に濃い影を落とした。

「そうそう。名乗り忘れていたけど、私はシルファ。縁があればまた会うだろうさ。ヴァン・グリセルーク」

「ああ元気で、シルファ」

 扉を閉めるヴァンにシルファは会釈した。そして再び時計塔の階段を上る。年をとると足腰が弱って困るものだ。頂きに腰を据え、再び街を見下ろした。

 似ていた。瞳がそっくりだ。シルファは彼の姿を思い起こしつつ、昔と今を重ねていた。

「あの子も……そうなのかね」

 小さく呟く。

 そして、小さな背中の少年の未来に、ささやかな幸運が訪れる事を願った。



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温かみの味

 シルファという名のおばあさんと会話した後、時計台の時計側から向かって北に進んでいった。しばらく歩いていくと、噴水のある町の広場に到着する。

「待たせた」

 時間は・・・振り返る前に彼女に声をかけた。寄り道しているあいだに、多分十五分は遅刻してしまっただろう。

「いえ。私もさっき来たばかり」

 彼女の気遣いに感謝する。

 ルナも自分と同じく服を着替えていた。二人共滝壺で濡れたので、当然といえばそうだ。

 彼女は相変わらず黒い衣装を着ている。ただ先程のとは違う町娘のような格好で、それはまあ、ありきたりなものだ。頭にはつばの短い帽子をかぶっている。ベールで隠れていた肩までの白い髪は、今はさらけ出されているが、ほかの場所、頭から下はやはり肌の露出が少なかった。

「似合ってるわ」

「は?」

「私の古着。まさか着てくれるとは思わなかった。君のことだから意地を張って鎧姿を通すと、半分は踏んでいたんだけど」

 座った状態で頬杖をついて、彼女は意地の悪い笑みを浮かべた。

「そうなのか」

 棒読みでそう言っておいた。目は多分死んだ魚だったろう。

 なんだが先程から彼女に踊らされている気がする・・・。悔しいが、ここで「そっちも似合ってる」と言い返せる余裕はなかった。

 噴水の傍のベンチに腰掛けると、彼女も無言で隣に腰を下ろした。ふと、彼女の腰辺りに目が行く。それは、彼女が肩からかけているポーチだった。年季の入ったもので擦り傷も目立つが、いい品に思えた。大切にしている様が、どこからか分かった。

「・・・ところで、さっき言っていた龍の秘宝って何なんだ?」

 問うと、彼女は少し瞳を落として、それから目を閉じた。

「文書によると、確かこの先にある古い建物のどこかに眠る、鎧と剣のことだって聞いてる。なんでも不思議な――ちからがあるんだって。でも、剣はずいぶん前に抜けてしまったって、本には書かれていたけど」

 言い終えて目を開き、ルナはこちらを見る。

「興味湧いた?」

「そりゃまあ・・・いやそれ以前に、きみの知識に驚いてる。なんでも知っているんだな」

「まあね」

 褒められて、ルナは鼻を鳴らした。

「ここは小さな町だけどね。遺跡が周りにあるせいか、そういった話は自然と囁かれるのよ。それに、定期的に商人がやってきて本を売ってくれるから、それを買って読んでいる。だから情報だけは知っているの」

 まあ、それがおとぎ話であったなら、信ぴょう性もなにもないんだけどね。とルナは付け加える。

「本当に本が好きなんだな。それにしても鎧と、剣か・・・」

 実のところを言うと、彼女の話を既に彼は知っていた。龍の秘宝の件も、多方掴んでいた。

 しかし、それはあまりにも信ぴょう性にかけていた。未だかつてそれらを見つけたものも、手がかりも挙がっていないからだ。だから、彼女の情報も無駄にはならない。伝承は伝わるたびに形を変える。

 現に。

 ――腰から剣を抜き払う。

 この剣、青い冠(ブルークラウン)。剣が抜けていたことは、ヴァンは知らなかった。剣と鎧がセットであるものだと思っていた。だから、この剣についていろいろと考えることができる。

 これは純粋な龍血であった自分の母のものだ。死んだ祖父の話のところ、一族に伝わる宝剣だという。なら、もしかするとその話に出てくる引き抜かれた剣というのが、このブルークラウンそのなのかもしれない。

 そう考えてみた。

 もうひとつの「鎧」とは、伝承に聞く龍と龍血との禁忌を解くもの。そしてそれは、今の自分には絶対的に必要になる、あの鎧なのではないのか。

 この町に来たのは、目的に必要なそれを手にするためだ。いや、正確に言えば情報か。“龍血を無効にする”鎧についての情報だ。

「どうかした?」

 ルナに顔を覗きこまれ、ようやく我に返った。

「あ、いやちょっと」

 考え事に耽っていたため、彼女の顔の近さに気がつかなかった。

(だが、ないな)

 しかしまあいろいろ考察したが、母親がこの剣を抜いた人物とは考え難い。ではやはりこれは違うのだろう。鞘から少しだけ抜いた、青い刀身を覗きながら思う。

 ならば、剣と鎧、両者を手にする必要があるのか…

 映る自分の顔はなんとも気難しそうだった。

「昼はもう食べた?」

「いやまだだよ。正直どこで食べればいいのかわからない」

「そうだろうね」

 ルナは呟くように言い、片目をつぶってから、

「仕方がない、私が案内しましょうか」

 そう提案してくる。嫌なやり方だ。選択肢は他にあるだろうか。

「じゃあ頼むよ」

 ため息混じりに言うと、彼女は表情を曇らせるどころか笑顔になって自分の手を取った。

「そうと決まれば――行こう!」

「ちょっと、おいっ」

 無理やり立たされると、そのまま繋いだ手を引かれながら走った。

 さながら、初対面の時を思い出した。まだ数時間しか経っていないというのに、どこか懐かしさを覚える。

 くすっと、彼女は短く笑った。

「何が面白いんだよ!というか走る意味があるのか!?」

 嬉しそうに、パタパタと走る彼女の背中に言った。声は届いているが、彼女は振り返りもせずに走り続けている。

 面に風を感じ、髪を揺らしながら駆けてゆく。

 まあこれも悪くないか。表情を緩ませて、これ以上物を言うのをやめた。

 口をつぐんで、そしてそのまましばらく彼女と駆け続けた。

 

 

 ◇

 

 

 ルナが扉を開いて、そのあとに続いた。

 二人共息切れしながら店内に入る。これだけ息が慌ただしいと目立つだろうと思ったが、意外にも賑わっていた店内によってすっかりかき消された。

 適当な席に座ると、まもなくウェイターがやってきて注文を取った。残念ながらメニューがよくわからないので、彼女任せにした。何が来るかわからないのだが、幸いなことに好き嫌いはないので心配はない。

「そういえば、君はどうやってお金を稼いでいるの?」

 注文した料理が手元に届くまでの間、彼女はそんな質問を投げかけてきたので、

「滞在した所で簡単な依頼をこなしてるんだ。熊や猪なんかは、村や町、どこにもいるから、狩猟依頼は常に出てる。報酬は決して多くはないけれど、まあ一人旅をするには十分なほどだよ」

 なるべく簡潔に答えておいた。

 ただ、嘘はある。

 十分とはいったが、現状は結構厳しいのだ。今のように潤っているときは寝泊りできるが、そこらで安全な場所を見つけ野宿することもしばしばある。

 それはあえて、言わないことにしておいた。

「へぇ、すごいね」

 なので、こうして素直に受け止めた彼女には、少し申し訳ない気もする。でも、彼女と自分は生きている環境が違う。気にすることはない。

 相入れることは、ない。

「それにしても強いのね」

 買い被られるのは好きじゃないので、

「いや、盗賊を巻いたきみには敵わないかもな」

 正直に言っておく。

「謙虚なのね」

「いや、そんなことは・・・」

「そんなことはないって?それこそ違うわ。私は、実際戦えないし」

「そう、なのか」

 逃げる際の手際の良さは確かに凄まじかったが、実際彼女が戦闘慣れしているとは言い難い。意外に脚力はあったようだが、持続力があるのかは疑問だ。

 身のこなしについては軽やかで、運動神経は良い方に見える。しかしだからといって、直接戦闘ともなると頼りない。

 相席の彼女の容姿を眺めみる。

 手足も細く、筋肉はついていない。特に鍛えてもいないらしい。全体的に華奢だった、胸以外は。ちょうど、視線が彼女の胸にいったところで、あの時を思い出して躊躇し、目線を外す。彼女の黒い服は割とボディラインが出る物だった。フリルがついているので目立たないが、胸の下側はくっきりと円形をしている。

 一旦意識を逸らそうと、とりあえずフォークに刺した肉を口に含んだ。

「あ――・・・それにしてもこれ美味いな。これなんて料理?」

 それは、本当は適当な感想だったのだが。

「鳥の餡掛けソースステーキ」

 なるほど。はじめて食べる料理だ。鶏肉は焼いてあり香ばしく柔らかく、特に庵かけ、というこの独特な口当たりを持ったソースがなかなかうまい。

「旅先では色々な料理を食べているけど、これは上位に部類するな、間違いなく」

 また、思っても見ないことを口走る。

「そうなんだ。気に入ってくれたみたいで良かった」

 彼女は素直に受け応える。それに、内心申し訳ないと思う。だが、あいにく張り付いたポーカーフェイスが邪魔をして、彼女との距離を一向に縮めようとしない。意見の交換、互いを知ることは信頼への第一歩なのだが・・・いつから距離を置くようになったのか。

 きっと自分が旅人だからなのだろう、そう思った。

「美味しいな本当」

 もうひと切れを口に運ぶ。

 本当は、こうして味わうことは希なのだ。というより、味などどうでも良いと思っている。生きていくために食す、それだけで良い。そう思っている。

 自分が肉にかぶりつく最中、ルナは陶器のコップに注がれた牛乳を飲んでいた。今気がついたが、彼女は料理を注文していない。

 空腹ではないということなのか?

「牛乳が好きなのか?」

「ええ。毎日飲んでいるわ」

 本当に美味しそうに含む。牛乳はその独特の臭みを嫌うものは多いが、気にも留めていないらしい。

 ちなみに自分は好きでも嫌いでもない。

「背も伸びるわけだ」

「えぇ、私は低いほうだよ?だって・・・」

 こちらの眼差しを察したのか、ルナが言葉を止めた。

 それはすなわち――禁句だった。

 カラン・・・フォークは手元から滑り落ちて、テーブルに落ちて音を立てていた。

「ごめん、わざとじゃないんだ」

 舌を出して謝るルナ。誠意が足りない気がする。

「わかってるよ。ああわかってる・・・」

 フォークを拾って、ナイフで肉を一口大に切ると、闇雲に口に放り込んでいった。これぐらいしか悔しさをぶつける先がない。彼女に怒ったところで何も解決しないし、器の小さい――ひいては甲斐性なしに思われるのもしゃくだった。

「僕も、これから飲んでみようかな」

「あらそう!じゃあ、ほらっ」

 失言を気にしているのか、ルナはかなり早い手つきでこちらにコップを突き出してきた。

「・・・こういうことに対して抵抗は?」

「?」

 判っているのか、それとも本当に分かっていないのか。

「いやいいんだ。いただきます」

 いちいち論議するのが面倒だったので、彼女の手からコップを奪い取りすぐにそれを飲み干した。甘みがある・・・それは悪くない味だった。

「きっとこれからだよ。私なんかすぐに追い越して、大きくなるはずよ」

「そうかな」

 そればかりはどうとも言えない。応援はありがたく受け取っておくけども。

 さて。

「ここで改めて、お礼を言わせてもらうよ。きみがいなければ僕はどうなっていたかわからない。助かった」

 頭を下げ「礼」をした。ここの地方ではこれが通じるだろうか。敢えて、ネイティブな方法をとったわけなのだが。

 ルナは一瞬だけ面を食らった。

 しかし、程なくしてその意味が判ったようだ。

「どういたしまして」

 てっきり軽く言い返すかと思ったが、その言葉には重みがあった。重みの正体は、まだわからない。

「こう言ってはなんだけど、情報についてはもう少し待ってね。・・・もう少し、私のわがままに付き合って欲しいんだ」

「なるべく早いほうがいいんだけどな」

 自分がこうつぶやいたあと、

「・・・ごめんね」

 影を落とした笑顔で彼女はそう言った。

 それに対して、無言で頷いた。

「ありがとう」

 彼女に対して怒っても苛立ってもいなかった。

 沈黙が二人の間にある。それは険悪なものではない、優しい沈黙だ。

 無言で肉を口に運ぶ。最後の人切れだ。それを口に含み、咀み、飲み込んだ時、ヴァンは「味」という意味の端を掴んだような気がした。

 いつもよりもずっと美味しい。

 人との会話、触れ合い、食事。

 今この状況が、すごく心地よい。

 そう思った。

 一人旅は自由だが孤独だ。孤独は慣れると言うが、慣れても人の温かみへの羨望は止まない。人は人を、自然と求めてしまう。

 自分は今、孤独という無味な生き方を否定している。この気持ちがそれを証明している。もし全てが済んだら、またこうして誰かとともに生きていきたいと願っていた。

 なら今、全ての目的を投げ捨てて、ここで彼女と生きていくと思うか・・・・・・答えは否だ。この状況、時、彼女さえも、目的を阻む誘惑に過ぎない。

 自分の中で再び、消えかけていた復讐の炎が激しく燃え上がる。そうやって何度も、この温かみから自分を遠ざけてきた。

 少なくとも目的を果たすまでは、自分はこの意志を守り抜くつもりだ。

「さて、行きましょうか」

「ああ」

「ここは私のおごりということで――」

 彼女がポーチの中身を探り出したので、手で押さえて制止する。

「いいや、僕が支払う。これは僕が頼んだものだ。人に支払わせるわけには行かないよ」

 堅苦しく思われたかもしれないが、譲るわけにはいかない。

 ――本当に良かったの?という質問が、店を出た直後に投げかけられた。

「ああ。僕にとってそういう決まりだからな」

 相変わらず揺らぎ無い返答をしておく。

 これはそういう流儀なのだ。旅人は部外者であり、必要以上に干渉はしてはいけないのだ。

 僕らは所詮、別の場所で生きる、”ならず者”なのだから。

 石畳が続く道を二人出歩く。

「ほかに何か見たい場所とかある?雑貨屋とか、なかなか面白いよ」

「いや、別にそういうのは、ないな」

「あまぁ、キミが見てきた場所に比べれば物足りないかもしれないね」

 ルナはため息混じりに言う。ただ、冗談も含んではいるが。

「そうだな。強いて言うなら、消耗品、武器、装備関連の店を紹介して欲しい、かな」

「なるほどね…それならこの近くに、狩猟団の人たちが利用している武器屋が何軒かあるよ」

 興味深い話だった。色々な装備品を眺めるのはなかなか面白いのだ。

「そこへ案内してもらっても?」

 それは愚問だと、発言の最中思った。

「もちろんいいよ?でも流石に私は、店内には入らないけど」

「どうして?」

「堅苦しいのが、きらいなの。あとはね…」

 そのあとの理由については、見当もつかなかった。だが、言いたくなければそれでいい。ヴァンは彼女の言葉に何も言わない。

「まあ、君が行きたくないなら僕も控えようか」

「そんな。気を遣わなくていいのに」

「気を遣っているわけじゃない。僕自身、虫の居所が悪いだけだ」

「そう?」

「ああ。代わりに、ほかのところでも紹介して欲しい。もちろん君が行けるようなところに」

「了解しました。では、私の家へ招待しましょう」

 さらりと彼女は口走った。ヴァンは、思わず目を数度瞬いてしまった。

「今なんて。一体どこだって?」

「私の家(ホーム)」

「家があるのか?君の」

「ありますとも。立派なね」

 ルナは胸を張って言った。

「信じられない」

「君ねぇ。それは旅人の見解でしょう?普通なら家があってもおかしくないはずだけど?」

 表情を曇らせる彼女。

「別に旅人だからそう思ったわけじゃないよ。僕にも家はある。ただ…」

「?」

「君が、家を持つことに違和感を抱いただけだ」とは、話がややこしくなるので言わず、ヴァンはおとなしく付き従っておくことにした。



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神父

「あと少しで着くから」

 ときは夕暮れ。ルナ・ルークは振り返り、そう切り出した。

「意外だな」と思った。

「ここから近くなのか?」

 辺りを見回すが、家らしき建物は一件もない。あるとすれば――

「ここが私のホームです」

 くるりと半回転して、彼女はヴァンの方を向いた。柔らかな白銀の髪がふわりと舞い、夕日を集め光り輝く。

 彼女の背中には門。その先に見えるのは十字架――そこは教会だ。大きくはないが、確かに立派だ。

 やっぱりか。

「彼女が家を持つことに疑問を抱く」予感は的中した。思ってみればずっと、それ以外に考えがなかったじゃないか。着替えの際教会方面へ向かった彼女を思い出し、ヴァンはため息をついた。

「ついてきて」

 ああ。と答え。敷地内を彼女の後をついて歩く。芝生は切り揃えられ、道の左右に植えられた木々も形を整えられている。やがて建物の扉の前に着くと、こちらが開く前に自然と扉が開いた……ように見えたが、同時向こう側で誰かが開けたのだ。

 半分開いた扉から、小さな少女が顔を覗かせている。前髪の切り揃えられた赤毛のショートカットが印象的だ。彼女は丸い目を輝かせ、好奇心のあふれる視線をこちらへ向けていた。

「おねえちゃん、その人は?」

「旅人さんよ。森で会って、少しの間この町にいることになったの。ほら、挨拶して?」

 道理で彼女の様子は「お姉さん」らしいと思ったわけだ。口調はあの時同様優しく、表情も柔らかい。そのさまはまさに修道女と呼ぶにふさわしいのかもしれない。

「私はマリーです。よろしくね」

「僕はヴァン。よろしくな」

「おねえちゃんは旅人さんなんだね。すごいね」

「凄くはないよ…あれ、おねえ・・・ちゃん?」

「ふふふ。勘違いされているみたいね」

 ルナはほくそ笑んでいる。

「あのなマリー。僕は男だ」

「えっそうなの?」

 マリーは目を丸くして言った。そこまで驚かなくてもいいというのに。確かに女物の服を着ているけれども…声変わりしていないのもひとつの原因なのか。ルナは彼女と少し話し、それに頷いたマリーは向こう側へ駆けていった。

 そして再び、二人となった。

「質問いいか?」

「なに?」

「・・・ルナ、君は何歳なんだ」

 女性にこれを問うのは失礼と心得てはいる。しかしどうしても気になっていた事なので、ここぞとばかりにさりげなく、どさくさに紛れて訊いてみた。

「私は十六。君よりひとつ年上になるのかな」

 彼女は表情を曇らせることなく、快活に答えてくれた。

 なるほど、やっぱり年上だったのか。

「そうか。やっぱり同世代だったんだな」

「そうね。気を遣わなくていいでしょ。まあ、私にしてみたらちょっと嬉しいかも」

「嬉しい?なぜ」

 彼女の言葉に少し顔をしかめる。

「同世代の子供はこの町にもいるけど、あんまり仲良くはないの」

 ――あと、大人もね。

 ルナは苦笑しながら言った。その表情が、網膜に張り付いて離れない。

「なるほど」

 彼女は無邪気に遊ぶ子供たちを眺めていた。たぶん、幼い彼らは意識しないのだろうけど、やはり彼女は一般人から見て特異な存在なのだろう。時計塔のシルファが言っていた事もわかる。

 純白の肌と白髪、そして真紅の瞳という出で立ちは、好奇と、そして異形の対象そのものだ。

 彼女には悪いが、自分まだその奇怪な姿に慣れていない。

 今は気丈に振舞っているが、幼い頃はひどい扱いをされたんだろう。そして、それは推測ではなく事実であるということも、おおかた検討がついている。彼女が無意識に大人を避けて歩いていたのも、気がついていた。

 彼女と僕は、違うだろう。

「彼がお客さんかい?」

「うん」

 向こうから、マリーに促されてやって来た黒服の男性がいた。言わずともわかるその出で立ち、ここの神父さんだ。黒のロングコートはすらりと長い手足を更にスマートに見せている。短く切り揃えられた黒髪は清潔さをかもしだしていた。

「彼女が客人を招くのは珍しくないが、これまた若いな」

「ヴァン・グリセルークです。彼女には何かとお世話になりました」

「私はレヴァンティス。呼びにくければレヴァでいい。ここの神父と、まあ・・・子供たちの父親替わりをやっている」

 落ち着いた出で立ちに似合って、彼は低いトーンの声で言った。

「あの、レヴァ神父。彼は秘宝について知りたいということで、この町へ来たらしいんです。私の知ることは教えようと思うんですけど、多分、あまり力にはなれないと思うんです。だから彼の手助けになってくれませんか」

「そうか。なるほど」

「ヴァン君。君は神を信じるか?」

「?」

「わかりません。もし神がいたのなら、あの時僕だけを生き残らせたのは何故なのか。ひと思いに殺しておくべきが、僕を救う方法ではなかったのだろうかと思うのです」

 それを聞いて、レヴァは少しだけ眉を寄せる。

「なるほど。ルナ、君は席を外してくれないか?これは彼について踏み込む話になりそうだ。なるべく、彼と私と二人で話したい」

「分かりました」

 そう言って彼女は去った。ルナのあの顔、本意ではないという感じだった。力になれないのを悔やんでいるのか、ほかに真意があるのか定かではないが。

「さて。先ほどの続きだ。君だけが生き残った…それは酷な運命かもしれないな。しかしさだめでもあるかも知れない」

「すわりたまえ」身振りで近場にある椅子に座るよう促されるが、ヴァンは首を横に振った。

「君が龍に刃向かえない体なのは、知っている。私の友人も龍血だったから。そして私自身も、混血で随分と薄まってしまっているが、血を受け継いでいるんだ。――これが起因で苦労する。まったく、我々も人間だというのにな」

 やれやれというように首をかしげる。彼も龍血ということで苦労したのだろう。

「――アンチドラゴンメイル、ブルースケイル。君が手にしたいのはそれだな?」

 たやすく、彼はあれの「正式な名」を発言した。ヴァンの「どうして」という顔を見透かしたのか、レヴァはさらに続ける。

「私がこの役職についたのは、もちろん自身で選んだこともあるが・・・成り行きが大きな要因となっている。自分で言うのもなんだが、高位な者には情報が与えられている・・・もしくは知る権限がある。だからそんなことも知っている。知らなくてもいいことも」

「君の成すことはなんにせよ復讐だ。そこには相手に対して慈悲の感情を持たない。そういった者は研ぎ澄まされ強いだろうが、決定的な弱点もある」

「それは?」

 ヴァンは訊く。

「自分の足跡が見えないことさ。そこに何を残したか、どんなことをしてきたか、前へ進むことがあっても振り返らない。振り返れば進めなくなるからだ。傷つけた人にも、ひょっとしたら気づけないかもしれない」

「決めたことだ。僕はやり遂げるつもりです」

「そうか」

 しかし――でも。と、ヴァンはそう口をはさんで。

「でも僕は振り返るつもりだよ。やったことからは目を逸らさない。そこにかかわった人たちも忘れない。犠牲も」

 レヴァは言葉に詰まった。

「一人で行動するのは犠牲を出さないためか?」

「そう。僕はもう誰がやられるにせよ、あんな光景は見たくはない」

「わかった。どうにも私のもとに集まる子供は、退かない子ばかりみたいだな。私でよければ力を貸すよ」

 瞬間、ヴァンの鋭い表情が消えた。

「そっか……ありがとう」

 少年の顔になった彼に、神父は微笑んだ。

 お互い椅子に腰を下ろした二人。

「黒い鉄のようなウロコを持つ龍だった」

 まず、ヴァンが口を開く。

「それはあれだな。黒鉄龍だ」

「分かることがあるんですか?」

「少しばかりな。翼を持たず、空を飛べず、地表を移動するために足腰が発達しているということと、硬化した黒い鱗を持っていることだ。ギルドの記事を見る限り、ここ数年は全くと言っていいほど目撃されていない。奇妙なことに。それでも地方では…話はあるらしい。討たれてはいないということだ」

「詳しいですね」

「ああ。実のところを言うとね、龍血に関わるものにはパイプ役がいくつもありそこから情報が集まりやすいんだ。君も同じく我々の仲間だからね。教えておく」

「レヴァ神父…僕はあんたに会えてよかった」

 感嘆の声を上げるヴァン。

「大げさだな君は。間違うなよ?事実は君が確かめるんだってことを」

「判っています」

 ヴァンは目を細める。

「鎧の場所については、教えておく。私の一族が血を受け継いでいるおかげで、それについて知る権利があるんでね。あとで地図を渡すよ」

「感謝します」

「ただ」

 神父は顔をしかめる。

「伝承のとおりそれを手にしたものはいない。山賊、盗賊、宝探しどもが、墓を荒らそうとも、それは見つかることはなかった。太古からそこを守護する墓守がいるのではいう噂も聞く。果たして、どうか」

「それでもやるさ…」

 ヴァンは言い切る。

「さて、話はここまでだ。これをどう捉えようとも、君の自由だよ」

「レヴァ神父。他にも聞きたいことがあるのですが」

「まだ何か?話はこれで終わり…」

「いや、ルナについて」

「彼女が気になるか?」

「それもありますが。でも、今は彼女の言ったことが気になっています。さっきの黒鉄龍についての話の他、彼女は肩に大剣が刺さっていることということを知っていたので」

 レヴァは眉をひそめる。

「私の知らぬ情報を?商人からでも聞いたのかね」

 そんな簡単な問題だろうか。

 龍血を受け継ぎ、ギルドやその手の情勢に詳しいレヴァを差し置いて、彼女はあれについての詳細を語った。それははたして、商人づてや書物だけで手に入れられるものなのだろうか。

 彼女にはまだ色々と訊く必要がありそうだ。

「レヴァ神父、地図はすぐに用意できますか」

「このあとすぐに用意する」

「明日、明朝――5時に出発する予定です。その前に、ここへ来たいのですが・・・大丈夫だろうか?」

「わかった。その時間帯には私も起きている。用意して待っているよ。ただ、鐘は鳴らさないでくれ。子供たちが目覚めてしまう」

「分かりました。情報を本当にありがとう」

「気をつけてな」

 ヴァンは軽く会釈し、レヴァと別れる。

 ドアを開くと、椅子に座っていたルナが振り返り、真紅の瞳と目が合った。

「いたのか?」

「ええ」

 ルナは心配そうな顔をしていた。ヴァンがその隣を無言で通過する。すると彼女は立ち上がってヴァンの肩を掴んだ。

 ヴァンは振り返る。

「なんだ?」

「何を話したかは訊かない。でも、あまり先を急がない方がいいと思う」

 影が濃くなったヴァンの表情を感じ取ったのか、彼女はそんなことを口走った。

「気遣いは感謝するよ。でも僕は、早く僕の平穏を取り戻したいんだ」

「平穏か。そう――わかった」

 諦めたのか、彼女は笑顔になった。

「――ところで夕食は?」

「食材屋でパンでも買って、宿屋で食事をとる」

「私がご馳走してあげようと思ったのに」

「そんな。お金を使わせるわけにはいかない。申し訳ないけど」

「安上がりな手料理でも?」

「それは……まあ、またいつかお願いしたいな」

 いつかがあれば、だが。いい加減な返答をした自分が少しだけ嫌になった。

 明日に出発し鎧を探し出して、それから――敵を討つ。

 そうしてその後……彼女と再会の機会は、果たしてあるだろうか。そもそも、僕は彼女と再び会う気などあるのだろうか。覚えているのだろうか。

 しばし考えてから、

「失礼だと思うけど、一つ聞いていいか」

「なに?」

「君は、僕が去ったあと、寂しく思うか」

「もちろん。そうね、さみしいわ。でも、その質問は失礼とは思わないよ。失礼じゃないし、恥ずかしいことでもないと思う」

 やはり、自意識過剰だったろうか。彼女のフォローに少々苦笑する。でも、聞かなかったら後悔したとも思う。

「明日、朝六時には出発する。それまではゆっくりしていくつもりだ」

「うん。じゃあおやすみなさい」

「おやすみ」

 その言葉を最後にして、ヴァンは教会をあとにした。それからは店を転々とし、必要なものを揃えた。

 夕日は沈みかけていて、夜が今まさに顔を表す――というところで、丁度宿屋の扉を開いた。カウンターに主の姿はなく、ヴァンはそのまま二階へ上がった。廊下には電灯があるらしい。光っていなかっただけに、昼間は全く気がつかなかった。自室の鍵を出して扉を開ける。

 部屋についてすぐ、ヴァンは乾かしていた衣服を取り込みベッドの隅に並べた。それが終わる頃、あたりは漆黒の闇に飲まれていた。わずかに残る夕焼けの名残を頼りにあるものを探す。この個室には電灯は無い。

「これか?」

 あたりだ。ヴァンが探していたのはマッチだった。確認すると、火を起こし机の上の燭台に火を灯した。それから、帰りに夕市にて買った食べ物を机に並べた。内容は先程彼女の前で公言したとおり、パンだった。塩気が若干きいている、特別美味しくもないパンだ。それを先程とは違う用途で、ヴァンはただ、生命の維持のためだけに食べた。

 手早く食事をとったあと、燭台の火を一息でかき消した。それからすぐ、ヴァンはベッドに横になった。

 青白い月明かりが部屋の外郭を照らす。何が何なのか……それがかろうじてわかる程度の弱い光だ。

 見上げていた天井は木製だった。石造りで無い分、温かみがあって落ち着く気がする。

 静寂の中では意図せずとも耳に音が入ってくるもので、他に客がいるのだろうか、先程から渡り廊下が軋む音がくり返し聞こえてきていた。

 そのことについて特に深くも考えず、いくらかの時間が過ぎ、疲れていたのだろう――彼はすぐに眠りについた。



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早朝の決闘

 明朝。ヴァンは旅の支度を始めていた。

 おそらくまだ起きているものは数少ないだろう。街は静かだ。

 鎧を着込み、剣を固定するベルトを腰に巻いた。ベルトの固定具部分にブルークラウンを装着したら、ポーチを背負って部屋を出た。

 宿の主に会釈をして、宿泊代を支払う最中。

「もう、行くのかね?」

 ふと先方から、そんな言葉を投げかけられた。

 ヴァンは、静かに頷く。

「そうか…君の旅に幸運を、願っているよ」

 主は微笑を浮かべた。

「ありがとう」

 ヴァンは礼を言うと、踵を返して歩き出した。

 

 人気のない街路は歩きやすく、思いのほか予定よりも早く教会に着きそうであった。しかしそんな道中で、彼の行く手を阻むものが現れるなど彼自身予想をしていなかっただろう。

「待って」

 ヴァンの歩みを止めた声があった。

 先程から気配を感じていたが、まさか彼女だったなんて。

「なんのつもりだ、ルナ」

 ルナ・ルークは立ちはだかるようにヴァンの前に現れた。しかも先日のような普通の衣服ではなく、ヴァンと同じような戦闘服姿だった。ただ、防御力よりも機動性を重視しているようで、革と布をベースに要所にのみ装甲を取り付けたタイプだった。ひらひらとなびく白い布に、地平線から漏れた日が反射してきらきらと煌めいている。

 それよりも驚くべきはなんと、腰に刀剣を差していたことだ。赤い鞘が美しい。あれは「カタナ」と呼ばれる斬撃に特化した剣だ。東に近いヴァンは、何度か見たことがある。

 北欧風の外見の彼女が持つと、より一層異質さが伝わってくる。

 いずれにせよ、彼女が身にまとうようなものではない。

「これは一体どういうつもりだ?」

 呆気にとられるヴァンをよそに、彼女は冷静だった。会ってからずっと見せている陽気な笑顔も、今は全く見せない。元々ある麗しさが際立ち、どこか一緒にいると息苦しい。

「少し時間をくれないかな」

 急ぐといってもまだ約束の時間には早かった。余裕はある。

 話があるというなら聞こう。いや――聞かなければならない。心のどこかでそう感じていた。

「ああ。話してくれ」

「まず、嘘をついたことを謝るわ」

「嘘?なんのことだ」

 ヴァンの質問に、ルナは平然とした表情のまま続けた。

「龍について、知っていることを知らないといったことよ。私は、いろいろなことを知っているの。――これから私の知っている事を話すわ。ただ、それは君の答えしだいだけどね」

 静寂の中、朝日が昇ってきた。

「私を同行させて欲しい。君の旅を、終わらせたい」

 その言葉を聞いて、ヴァンは背に何か嫌なものが駆け抜けていく、そしてしれはうなじのあたりに居心地の悪い感覚をもたらす。

「だめだ」

「やっぱり、か。君は少年のように幼くて、でも時折大人びた穏やかな顔をしていて・・・君は見ていて飽きない。でも目は違うのよ。いつも同じ目をしてる」

「どんな、目だというんだ」

「復讐の目よ。君は止まらない。昨日教会で私が君を引き止めようとしたとき、それを悟った。情報を与えれば、君は迷わずあれを討ちに行く。だから私は迷ってた。伝えようかどうか、そして同行しようかどうか」

「君は、私のことを善く思ってくれているみたいだけど、違う。私は悪い人だよ。ヴァン君」

 ルナは続けた。

「君を騙すことよりもたぶん、自分に嘘をつき続けることのほうが嫌だった。君が死んで、目覚めが悪いことになったら嫌だと、そう思っていた。そんなずる賢い人間なんだ。だから君にも、こんなふうにしか関われなかった」

「君はこのままでは勝てない」

 ヴァンは眉をひそめた。そして聞き手から離れる。

「言いたいことはそれだけか」

 ヴァンは強い口調で言い返した。

「さっきから僕が敗れる前提で話しているようだが。悪いがそんな生半可な気持ちで来てはいないんだ。だから君は、気にかけずに僕に情報を伝えるといい。それで、おしまいだ」

「いえ。これは、あなただけの問題じゃない。”私にも”、討つ権利はある」

「なんだと?」

 ヴァンは訝しげに言った。

「ここからは私についての話になるわ。なるべく簡潔に話すけど…。でもね。ちゃんと聞いて欲しい」

「わかった。黙って聞いている」

「ありがとう。実はね。私もあれに大切な人を殺されたの」

 ヴァンは目を見開いた。言うまでもなく、予想しない彼女の発言に驚いていたのだ。

「彼は異国の剣聖で、ドラゴンバスターだった。あなたのように各地を周り、狩りをし、時には飛竜を討った。そんな日常を一番近くで私は経験した」

「彼は強かった――でも」

 死んでしまった、ということか。

「最後まで、彼は私を護った。私と、周りの人を守ったの」

「彼から戦闘技術を学んだおかげで、私は十分戦える。多分…あなたよりね。だから連れて行ってくれれば、きっと活躍できる。あの時みたいに、君を助けられるはず」

 あの時とは、初めて会ったとき。森での出来事を言っているのだろう。

 ならばやはりあれも、計算された「計画」のうちだったのか。

「私にも何かできることが――きっとある」

「…だめだ。君は連れていけない」

 ヴァンは断言した。

「そう思うなら今ここで証明してあげようか?」

 強気な、それでいて多少の憤りが混じった口調でルナは言い放つ。彼女には珍しい、怖い顔をしながら。

 わずかながら、殺気を含んでいるようだった。

「わかった。少し痛い目を見ないと、わからないみたいだからな」

 まさかこんなことになろうとは。

 ヴァンは構えを取った。

 どうしてこんなことになっているのか。考えるのは後でいいと、

 今は多分、感情的になっていたと思う。

 ここで彼女を倒し、判らせる。

「そう」

 一方彼女は何の構えもない。

 それがかえって不気味だった。そう思った途端、その場にふらりと倒れこみ、彼女はあと少しで地面に接触しそうになるほど傾斜した。そこから体重を移動し、風のようにこちらに接近する。

 思わず受けを取った。

 刹那、蹴りが飛んでくる。

 一発二発三発四発、

 中段下段上段。

 彼女はこちらのガードが空いた場所に的確に回し蹴りを放ってくる。

 しかも、一撃が重い。

 本当に人間かと思うくらいだ。

「くそっ」

 不測の事態にやむを得ず龍血の力を使う。体力の消耗と燃費が悪いため少しの間だが。群青の髪が逆立ち青白く輝き、瞳は黄色味がかり、瞳孔は獣のように細くなる。

 これで攻撃は、難なく受け切れる。動体視力も上がったおかげで、彼女の攻撃を見切れる。蹴りや拳もかわせる。

 攻撃が見切られたせいなのか、これまで余裕だった彼女の表情に、若干焦りが見えた。

 後退のステップからバック転、ルナは一旦距離をとる。

「いくぞ」

 今度はこっちの番だ。力強く大地を蹴ると、人間離れした爆発力でヴァンは跳躍した。一瞬で彼女の元へ接近すると、超速の右手を繰り出す。

 風切り音が鳴る。が、彼女はそれをたやすく捌く。空振った腕の端にチラリと見えたルナの顔には、笑が浮かんでいた。

 余裕だと?ヴァンは顔をしかめた。

「あなたのこの力は確かに強力。でも継戦能力に欠ける」

「判ってるさ」

 再び、攻撃。拳で横になぐ。半回転し、後ろ蹴りを繰り出す。

 それも、さばかれる。

「龍と消耗戦になれば必ず負ける・・・だから相手の弱点を見極める力が必要なの」

 何を言っているんだ。ヴァンの耳には彼女の声がほとんど聞こえていなかった。今は、彼女を倒すこと、それだけを考えていた。

「私には、それが判る。あいつの弱点」

 しかしそれだけは、はっきりと聞こえた。

 仕掛けてくる。直感でヴァンは受けの大勢を取った。凄まじい速度でヴァンに肉薄したルナは、そのまま彼を蹴飛ばして受けを崩す。

 続いて腰をかがめ、よろけた彼に足払いを掛ける。

「だから力を貸して。二人ならやれる」

 息ひとつ乱さずに、平然と話すルナ。

「だめだ」

 もし自分の前で君が死んだら、どうしてくれる気だ。ヴァンは踏ん張るが、そこにもう一撃足払いを見舞われる。

「ぐっ!」

 たまらず転倒したヴァンは、一瞬無防備になった。

「いい加減意地になるのはやめなさい」

 そこへルナは馬乗りになった。左手で彼の右手を封じると、ヴァンが反撃する間もなく拳を振り上げ、眼前に振り下ろす――が、ガードは間に合った。意外にも、直撃前で受け止めたが、もともとそこで止めるつもりだったのか…全く反動がなかった。

「お願いだから――、一緒に闘って、きっと――」

 彼女は言った。表情は必死さにまみれていた。

 最後の言葉は、彼にしか聞こえない。

「わかった…君を連れていく」

 受け止めた拳の、力が抜けていく。

 予想しない結末で、戦闘は終わりを迎えるのだった。彼女の表情はみるみる萎れ、ヴァンが一つ瞬きをするうちには歪んでいた。真紅の瞳から光の粒が二つこぼれ落ち、それはヴァンの頬へ落ちた。白く長いまつげは濡れ、美しい顔は悲しみに歪み、頬は紅を宿していた。

 秘めていた思い――それが溢れ出して、涙となって、彼女の頬を伝い続ける。

「そこをどいてくれないか」

 そう言うと、彼女は無言で体の上から退いた。そして視線をしたにしたまま、その場に水鳥のように座り込み、やがて顔を覆い、嗚咽を漏らした。

 朝日は登り、光が地面に二人の影を作る。

 完全に調子を崩されてしまったヴァンは、山を越え昇りだした朝日を眺めた。

 ――今の彼女には痛いほど眩しいだろう。

「まいったな」

 ここで二人綺麗に別れて、

 互いに忘れ合い、それぞれ別の道を歩む。

 それを僕は望んでいたのに。

 しばらくしてから、ヴァンは泣きじゃくった彼女をなだめた。

「たぶん今まで生きてきて一番の強攻策。もしかしたら一生で一番かもしれないね」

 顔を上げはにかんだ様子で言う彼女に、ヴァンは苦笑する。無事であったからいいものの、危うくお互いを傷つけるところだった。まあしかし、ここにきてようやく彼女の年相応の表情の変化を垣間見ることができたので、距離が縮まったと言えば良かったかもしれない。

(でも、それならそうと)

 話してくれればよかったのに、とはいえなかった。自分が話して納得していたかと聞かれれば、間違いなく答えは否だったからだ。色々と言いたいことはあるが、ヴァンは懸命に言葉を飲み込んだ。

「だから荒っぽいことをする他なかったと…」

「こんなことを頼めるのは、多分君だけだと思った。森で見かけて、その姿を観察して、あの動きを見て、そこで予感した。君ならあれを倒せる気がするって」

「僕でなくとも討伐隊の連中はいくらでもいると思うんだけど」

「ダメ。君のように例外はいないもの」

 例外、か。ヴァンは頷く他なかった。確かにこの歳で龍討伐の旅をするドラゴンブラッドなど、自分以外いないかもしれない。

「僕に親切にしたのも、頼みのためだったのか?」

「うん…まあね。でも半分だけ」

「もう半分は?」

「私にもよくわからない」

 ルナはそう言った。

「そうか。まあそれならそういうことにしておくか」

 日は完全に上がり、あたりはまばゆい光に照らされていた。

「そろそろ立てるか?」

「ええ」

 ルナは立ち上がった。

「ヴァン君、聞いて」

 そして早々に口を開いた。

「龍は各地を移動しているかのように思われるけれど、実は違う。各々が守護する場所があって、そこを大きく離れることはないの。他の場所は他の者が護り、互いに殺しあうことはしない、普通はね」

「どうしてそんなことがわかる?」

「私のことを、話しておくべきね」

「私は昔、羅音(らいん)という人とともに、各地を放浪していた。その人からいろいろと受け継いだ。知識と技術とか、人道とかね」

 彼女の言った大切な人とはその羅音という人物か。

「彼の旅の意味は、例外な龍を討つことにあった。私は彼の目的を知って、同行を決意した。でも今みたいに断られた。その時も駄々をこねた気がするわ」

 結果として羅音は彼女に折れてしまったわけか。

 この自分のように。ヴァンは苦笑した。

「彼は私が何者なのか知っているみたいだったけど、結局最期まで話してくれなかった。明かしてくれたのは、私が龍と密接にかかわる存在だってこと。だから竜の居場所に敏感なんだって。こんなことを、一般の討伐隊の人に話しても聞いてくれないでしょ?」

「なるほどな」

 凡人が特殊な力というものを言葉だけで掲示され、信じろと言われれば無理もある。どうりで討伐隊の人間に頼めないわけだ。

「私が本や書物を読みあさったのも、自分を知るため、そして龍の居場所にこだわったのは、その力が本当なのか確かめるため・・・だから、情報というよりは私の勘と、その力というのが頼り」

 ルナは暗い口調で言う。

「信ぴょう性には、欠けてしまうけど」

 そして最後にそういい、ヴァンを見据えた。その瞳は、どこか震えている。怯えにも似た感情を思わせる。しかし、その奥に希望の光を感じる。

 今までもこうして、彼女は誰かに助けを求めたのだろう。そして皆に、断られてきたのだろう。憶測であるが、ヴァンはそう思った。

 そして同時、彼女が本気であることを悟った。

「彼――羅音は、君の力で奴を見つけたのか?」

「おそらくね。彼自身私を巻き込むのは嫌だったようで、隠してはいたけど。…私のいる近場でドラゴンが出没する、それも何度も。これは偶然ではないと思う」

「なるほど分かった。信じてみる。君の力も、話も」

 …ありがとう。

 ルナは一瞬言葉を失ったが、その後すぐにそう言う。万円の笑みを浮かべて。

「嬉しいよ、私」

 目頭には、先ほどとは違う雫が煌く。朝日を浴びてキラキラと光る涙は、地面に落ちて弾けた。

「私も、君を信じるよ。これから、よろしくね」

 彼女の信じるという言葉に、ヴァンの心は揺れ動いた。

 僕は――臆病だった。誰かを巻き込むことをおそれていた。彼女は僕よりも強い。自分はもちろん、僕を巻き込む事を覚悟して、願い出た。思いの強さはきっと、僕よりも強い。 

 そしてそれを表しているのが、目頭の光だ。

 今、彼女は出会ってから一番に綺麗な笑みを浮かべている。そこにもはや、彼女の嘘は無い。

 ヴァン・グリセルークは無意識に微笑んでいた。久々に、人を信じようと思えたことが、嬉しかった。

 ふと、ルナは手を差し伸べてきた。洞窟の時と同じように。ただ、互いの気持ちはあの時ほど離れてはいない。

 ヴァンは彼女の白い手を見据えながら思う。

 人と深く関われば、別れ際は辛くなる。でも、本当はそうじゃない。これから彼女と過ごし、いずれ別れても、二度と会えなくても、いいのだ。

 いいじゃないか。相手を信じようとした、信じることができた。そう思えたことを誇りにして生きていけばいい。

 

「ああ。よろしく」

 

 彼は、差し出された手を強く握り返した。

 




どうも、雪国です。中盤からの更新に二年もの歳月が経ってしまいました(汗)昔より文章力が落ちてて苦笑いしかできませんね。まあ書いてなかったですもの。仕方ないか。

一章はここで終わりです。かなり急ぎ足になりましたが、ここでは二人がお互いに旅をする動機付けを描きました。原案が原案だけに、無理やりすぎる内容をどう自然に進行するか悩みましたが、結局無理をしましたね。

次回からようやく物語が動き始めます。鎧を手に入れるために僻地へ向かったり、盗賊団との戦闘や、他に秘宝を狙う第三者の出現など、やることがいっぱいで、うまくできるか心配です(まだかけてない)

よければ続きも読んでやってください。
ここまでありがとうございました。
2014年10月4日 雪国裕


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蒼の冠
岩壁の街


 後日、彼らは山岳地帯にいた。この辺一帯の空気は薄く、また肌寒かった。二人は外套をまとい、息を荒くしながらも山道を進む。山の傾斜はさほどないが、代わりに岩場は凹凸が激しく起伏に富み、足を取られやすく危険だった。

 そのため、体の鍛えられたヴァンが先頭を歩き、安全を確認、その後にルナが続くという形で歩いていた。

 街から森を抜けて、北へと進む。森の中では、猪、野犬などの野生生物に出くわすこともあったが、大抵は息を殺してやり過ごした。どうしても戦闘になってしまった場合は、ヴァンが請け負って戦った。勝敗は…言うまでもない。

「この山を越えて、降りたところに街があるらしいわ。そこでひとまず休みしましょう」

 レヴァンティウスに貰ったこの地方の詳細地図を広げつつ、ルナは言った。

「そうだな。そろそろ休みも必要か」

 移動は、馬車などを利用することもあったが、基本的に徒歩だった。

 街を出て六日、休めそうな場所を探して野宿をはさんできたが、どうしても疲労は溜まる。ルナにおいては、平然な顔をしているがやはり疲れが見える。慣れていないため、当然だ。互いの荷物も少ないわけではなく、負担は大きい。

 そういったことも含めて、どこかで休みたい気持ちはヴァンにもあった。

「それに、食料調達と…あとは資金集めだな」

 ヴァンの狩りを行って得た資金は、放浪生活に当てられる。決して十分なわけではない。ルナにおいては、長年貯めていた資金があるものの、それでも満足というわけではない。マメに収入を得ていかなければ、旅はできない。野垂れ死にしてしまう。

「受け入れてもらえればいいんだけどね」

 ルナは苦笑しながら言った。ここまでの道中、集落へ足を運んだこともあったが、どれも歓迎されていた様子はなく、むしろ居心地の悪さ、ひいては身の危険さえも感じることもあった。ルナにおいては、女性という事が判った後は、男どもに性的な視線を送られることもあった。ヴァンが見張り難を逃れたが、つまりそういうこともあってか、彼女はやや弱気になってしまっている。部分的なストレスももちろんのこと、総合的な疲れのせいもあるのだろう。

 しかしそれでも、彼女は弱音を吐かない。

 真剣な彼女のためにも、自分の目的のためにも、ここで一つまとまった休みが欲しいところだった。

「大丈夫さ、なんとかなる。次はきっと」

 ヴァンは呟いて、先を急いだ。

 二人はそれからしばらくは、言葉を交わさなかった。その内霧が出始め、二人は時折手をつないだ。無意識に。それでも言葉は交わさない。

 黙々と歩いて、歩いて…そしてようやく山の折り返し地点、山頂付近にたどり着いた頃に。

「見えてきたね」

 ルナが先に口を開いた。

 見下ろした――絶景。

 風によって削り取られ、複雑な形状になった岩が点々と、遥か先まで並んでいる。そしてその先に小さく、街の全貌があった。ルナは地図を広げて、地形を当てはめる。

「間違いないみたい」

 そして安堵するように言った。ヴァンもほっとした様子でため息をつく。

「しかし、いい眺めだな」

 ヴァンは静かに呟いた。

 広大な大地と、天。その全てが収まって、彼らの視界にある。一人旅で感じもしなかった、感動。ヴァンはそんな不思議な感覚に浸る。

「…小休憩してから降りよう」

「ええ」

 二人は遠くに瞳を馳せる。

 砂嵐が吹き荒れたあと、もうそこに彼等の姿はなかった。

 

 

 ◇

 

 

 砂漠地帯の手前、壁に覆われたこの街。

 中央広場へ到着すると、二人はまず最寄りの宿屋を探すことにした。おもにヴァンが情報掲示板や、人づてを頼りにして情報を仕入れる。その際不思議なことに、これといって拒絶されることもなく話は進んだ。差別の眼差しも感じられない。

 ヴァンは「意外だな」と思った。そういえば、ここは移民よって作られた街であった。そのために民族差別などはほとんどないのだ。まあ、ここへ来る前に出会った商人の話が本当ならばだが。

 他にも、掲示板から察したというところもある。あの掲示板はご丁寧に、文字が何種類も用意されていて、他所から来た人間にも読めるように細工してあった。自分は東出身で、放浪生活のためにもおおよそ二カ国、ないし三カ国ほど言語に知識がある。まあすべてをマスターしているわけではないが、自分の覚えている限りの文字がそこにいくつかあったのが、決め手だ。

 そもそもとして、大きな街ほど旅人には寛容である。遠方から訪れた、観光客や旅人により利益を得るという風習がある。ここまでの道中の集落は皆、来客を受け入れる余裕は無いようだったが、今回は上手くいくかもしれない。いや、ほぼうまくいったといっていいだろう。

「たぶんこの街は一つの国として、僕たちのような者でも受け入れてくれるようだ。だから君も堂々としていればいいと思う。」

 ヴァンは、この事をルナにも伝える。しかし彼女はそれでも厄介事を避けたいらしく。

「そうかもね。でも……私はなるべく姿を見せ無いように頑張るわ」

 と言って、外套をかぶるのだった。口元しか見えない状態である。

 確かに龍血よりは、彼女は奇怪な外見かも知れない。過度に気を使うルナに対して、ヴァンはよくは思わなかった。苛立ちではない。

 良い意味で、もっとその姿をさらけ出してもいいのではないか。そう思ったのだ。

 しかし、それは僕のエゴだろう。

「ああ、頼む」

 彼女の気持ちを考えて、彼はそう返しておいた。

 さて、話をしているうちに目的地の宿屋に到着したわけだが、これがまた質素という言葉が似合いすぎるほどに素っ気ない外装で、仕事上の滞在に特化した宿である事がすぐにわかる。少なくとも、いや確実に観光向けでは無かった。

 宿屋の入口をくぐり抜けると、小奇麗な女性が受付を担当していた。手続きを手早く済ませたいヴァンは、早速宿泊や滞在日数の旨を伝えて、渡された契約書に目を通し始める。ほどなくしてからペンを取り、なれた手つきで文字を書いてゆく。

 因みに滞在日数は三日にした。

 かりかり。かりかり。

 かりかり。かりかり。

 素早く走らせた、羽ペンの乾いた音だけが沈黙の中に響いていた。その間、ルナは目を外套から覗かせて宿屋の天井を、何を考えることなく眺めみている。

 やがてヴァンがサインを書き終えると、後ろを向いてひとつ頷いた。それを見てルナも小さく頷くと、椅子から立ち上がって。

「はい。ありがとうございます。では、ごゆっくりと」

 妖しげな声色をした受付の女性は、ヴァンを見据えて薄く微笑んだ。それが仕事のための笑顔だと知っているヴァンは、特に何を思うこともなくそのままその場を離れる。

「よし、いくぞ」

「…うん」

 ルナは静かに返答すると、自分の手荷物を持って二人は荷物を抱えて、宿屋の二階へ上っていった。

 質素な渡り廊下はどこか寂しげで、間隔の狭い灰色の壁は、冷たさと息苦しさを与えてくる。

 部屋まで黙々と歩くが、二人にはそれがやけに長く感じていた。

「さみしげな場所ね」

「まあ、かなり安いところだからな」

 二人には資金の余裕はないし、何より観光できたわけじゃない。客人を招き入れるのに恥ずかしくない、外装や内装、手入れの行き届いた個室が並んでいる、クラスの高い宿屋には用は無かった。

 ここを選択したのは妥当な判断だ。その点については、双方了承の上で決定した事なので文句はない。

 しかし。

「でも、いつかはいいところにも泊まってみたいね」

 ルナはふと、そんなことを言った。

「そうだな」

 いつかとは、いつなのだろう。ヴァンは正直なところ実感は持てなかったが、成り行きでそう答える。

 部屋に入ると、すぐにふたりは荷物を下ろした。

 個室内はやはり殺風景だ。小汚くはないが寂しい。ベッドと棚、そして照明は設けられている。一人部屋のため広くなく、二人居れば少し窮屈だ。昼時のため、光が窓から降り注いできていた。その光は部屋の中央を通り抜け、入り口付近へと落ちる。二人は部屋を進み、その光に交互に当たった。

 そしてヴァンは椅子に、ルナはベッドにそれぞれ腰掛け、お互いに向き合う形になる。

「やっと一休みできるのね」

 ルナが羽織った外套を外す。小一時間ぶりに煌く白金の髪の毛と、真紅の瞳が顕になる。一瞬、ヴァンは目を奪われてしまう。

「私がどうかした?」

 視線を感じたのか、ルナがそう言った。

 彼女と出会ってから、始終一緒にいる。見慣れてきたはずなのだが、それでもどうしてもどきりとしてしまうのだ。

「いや…なんでもない。それより、これからどうする」

 ヴァンは本題に乗り出す。

「まずはドラゴンスケイルを取りに行きましょう。まず、あれがないといけないわけだから」

 鎧――この場合ブルースケイルとなるが、あれがなければ始まらない。しかし、ヴァンには不安要素がいくつもあった。道中、情報を持った人間には全く出会えなかったからだ。

「まあ、前提としてあれが必要なことは分かっているが、場所も特定できないのにどう動けばいい?君は龍を見つけることができるが、鎧は探せないんだろ」

「確かにそうだけど。そのことについては心配しないで」

「あてがあるのか?」

 ルナはヴァンの瞳を見据えて、ゆっくりと頷いた。

「場所は大体分かっているの。この山を越えた先に遺跡があって。ああ、前にも話したけど、龍の秘宝というものが隠されているという場所ね」

 小声で話す必要もないが、二人は自然と声を潜めながら会話していた。

「やっぱり、そのお宝ってやつが鎧なのか」

「多分ね。前に剣が引き抜かれていたというのは話したよね」

 ヴァンは無言でこくりと頷く。

「あの場所に足を踏み入れた探索者の一人が、遠眼鏡で、確認できる範囲だけど遺跡の内部をくまなく調べ上げたらしいの。そうしたら、以前あった剣が無くなっていて、驚いた――らしいわ。なにせずっと前からそこにあったものが、忽然と無くなったんだからね」

 にわかに信じがたい、というよりは現実味のない話だが、これが作り話ではない事は旅立つ前の約束が証明してくれている。”互を信頼し、嘘はつかない”という約束。二人のルール。そしてそれはほかでもない彼女からの願いだからだ。

「随分詳しいな。剣が抜かれたのはいつごろだ?」

「半年くらい前かな」

「半年…か」

 そう呟いてみたものの、ヴァンが知っていることや関連情報は何もなかった。ただ判ることは、この自分の剣――受け継いだブルークラウンが、その例の引き抜かれたものではないという事くらいだ。

「で、その剣の見た目なんだけど…実は君のそれとそっくりらしいの」

「僕のブルークラウンに?」

「ええ。その剣、鍔の形状が独特でしょ?」

 確かにこの剣の特徴の一つが鍔の形状だ。冠を模した円形の鍔は、相手の剣を巻き込んで固定しガードする盾の役割と、また細身の剣ならば折ってしまうソートブレイカーとしての機能がある。一般的な剣にはあまり見られない意匠だ。

 尤も、ヴァンは剣の傷みを気にして滅多に使ってこなかった。小盾を持っているのもその為だ。

「同じ形状だったのか。これと」

 ヴァンは鞘に収まったブルークラウンを手元に置いた。

「うん。珍しい形だし、色も美しい群青だって聞いていたから…私は、最初は君があの剣を引き抜いたと考えたわけだけど、ベンチで話を出した時に君は何も反応しなかったから、違うと確信したの」

「なるほど。そうすればそっちの剣は、レプリカか…もしくは」

「もう一本」

 しばしの沈黙が続く。

「…もしかすると、今後同じ剣を所持した誰かに出会うかも知れないわ。それが味方か敵かはわからないけど、注意したほうがいいね。おそらく鎧か、その他の何かを狙っている誰かだから」

「そうだな。僕もこれで斬られたらたぶん無事じゃすまない」

 ブルークラウンの持つ力は特殊だ。龍と見なすものを斬りつけると、相手に耐え難い激痛を与える。これは、いわゆる龍殺しの武器の一種だ。龍の血は刀身に触れると青い炎を上げ、瞬く間に蒸発してしまうらしい。

 この青の剣は、全ての龍の天敵として恐れられている。つまり龍の血を持つ、ヴァンも例外ではないということだ。

 そのリスクを知った上で、彼はこれを扱っている。これで斬られた時の事も想像できる。そしてそれは絶対に避けたい、いや避けなければならない事態なのだ。

「ところで…そんな情報を一体どこで手に入れたんだ」

「前に、狩猟団のキャンプに忍び込んで色々と聴いたの」

「無茶な事をするな…」

「まあ、好奇心が旺盛なのかも。見つからなかったから良かったけどね」

 冒険家な彼女には、ヴァンも時折驚かされる。

「程々にしてくれよ」

「はーい」

 彼女は本当に反省しているのか否か、呑気な返答だなとヴァンは思った。

「そんなことよりも。ルナ、何故そんな重要なことを黙っていたんだ」

「訊かれなかったから、かな?」

 無邪気に返答されてしまい、ヴァンは言葉を失った。そしてそれからしばし後、低い声で唸った。彼女は微笑んでから肩をすくめる。

 それを見て、おそらくだが先刻の答えは冗談――いや建前なのだろうとヴァンは悟る。

「本当は、君が暴走するんじゃないかって不安だっただけなのかも。それと、私自身確信もない情報で動きたくなかった、というのが理由かな。曖昧なこと言って、ごめんね」

 別に謝る必要はない。そうヴァンは返答した。

「…僕こそ、積極的に訊かなくて悪かったよ。今後からは、マメに意見交換しよう」

「そうね」

 その言葉を最後に、この話題は終を告げた。

 



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情報屋

 太陽が真上に輝く。昼を迎えようとするそんな頃だった。

「思ったよりも早かったな」

 先に待っていたヴァンが、扉を抜けてきたルナを見てそう言った。

「それを言うなら君もね」

 ルナはタオルで頭を拭きながら言った。彼女の顔は体温の上昇で、少し紅潮している。

 二人は屋外の入浴施設を利用していた。この辺りには源泉があり、暖かい水が溢れ出している。それを舗装して娯楽施設としたものが此処――いわゆる温泉というやつだ。

 身体を洗うためだけなら他でも済ませられたが、この場所の利用料金が思いのほか安かったため、旅の疲れを癒すという名目で立ち寄った。

 こうして二人共、束の間のくつろぎを得たというわけである。もっともヴァンの場合は、理由があって鴉の行水の如く短時間で出てきたのだが、それでも彼なりに満足できた……らしい。

 それから一旦宿屋に戻り外出の支度をした。

 互いに鎧を脱ぎ一般の服へと着替える。始終鎧姿では疲れてしまうためだ。ここでは主に旅の休息を取ることが目的だった。

 ヴァンは無難な一般的な町民の格好に、ルナはフードをかぶったままだが、やはり修道女という出で立ちとなる。

 これでいかにも剣士、戦士と言う感じは薄まった。当然武器は所有するものの、多少は相手に与えるイメージは硬いものから幾分かましになっただろう。

 不要な荷物は全て預け、ヴァン達は部屋を出る。一階で受付に声をかけた後、要件と宿に戻る時刻を大まかに伝え、部屋の鍵を預けた。

「さて、行くか」

「ええ」

 二人はそれぞれに異なる刀剣を腰に携えて、宿屋を出た。目的地はこの街のギルド。主に情報を集めるのが目的だった。もしそこで成果が得られなかった場合は、この周辺の商人や情報屋をあたって見ようと考えていた。

 道は綺麗に鋪装されており、家はレンガを用いた統一感のある物。全体的に調和した、綺麗な街並みをしている。街を覆う外壁が円形に周りを囲っている為、遠目に見ると家や店は若干緩やかなカーブを描いているのが特長か。

 ただ、四方の大きな――中央へ向かう道は違い、直線的で見晴らしが良い。道なりに進んだその先――中央にはギルドやこの街の重要施設がある。バンクと言われる、所謂お金を預け引き出すことのできる施設や、専門的な分野を幾つも持つ総合的な病院もある。

「ここまで来るともはや小国だな」

 ヴァンは街並みを見据え、そんなことをつぶやいた。とりあえず今二人は、目的地の中央へと向かっているのだが、これが案外遠く中々たどり着けないのだ。彼の言葉は存外嘘ではない。この規模であるならば、国と認められても何らおかしくはないだろう。

「でも良い情報もありそうね」

 フードの合間からヴァンを見て、ルナはそう言った。確かに移民も多く様々な情報も行き交うだろうここならば、求める情報もあるのかもしれない。

「そうだな」

 過度な期待は出来ないが、それでもヴァンは何かしらの手がかりが得られるだろうと、そうどこかで感じていた。

 程なくしてギルドに到着すると、二人は早速カウンターの受付に聞き込みを行った。基本的に、ギルドでの情報は訊けば無償で教えてくれるので、上手く行けばノーリスクで情報収集できる。

 しかしながらその内容はありふれたものであり、ドラゴンの目撃情報ならまだしも、鎧についてなどのごく少数派が求める情報は極端に少ないのが現状だった。

「どうだった?」

「ダメ。やっぱり専門家でないと難しいみたい」

 結果はやはりというべきか。二人はため息をついた。

 それからしばらく、同じように調べ続けた。しかし、やはりこれでは埒が明かないことを悟った二人は、隣の喫茶店へ入り最寄りのテーブルを境にして丸椅子に座った。

 腹も空いたので何かを食べようと適当に食事を注文する。それからすぐに軽食が運ばれてきた。

 それを摂りながら、ヴァンとルナはこれからについて簡単な会話していた。

「思ったよりも上手くいかなそうだな…」

 サンドウィッチを食べながら、ヴァンは暗いトーンでつぶやいた。ルナは相変わらず好物の牛乳を片手に、先刻からの彼の言葉を聞いていた。

「今後の為に、僕が簡単な仕事でもこなしておこうか?」

 ここには様々な案件が舞い込んでくる。それは彼らの目指す龍の討伐といった大スケールのものから、人や畑に被害を与える猪や野犬の掃討、日常的に必要な木材の確保、野草の収集、探し物の探索…など本当に多種様々だ。

 時間をかけずに資金を得る方法も、ないわけでない。現にヴァンはそういう仕事をいくつもこなして、生きてきていた。

「うん、それがいいかも。ぜひお願いしたいな。…ところで私は、もう少し聞き込みをしてもいい?」

 彼女の提案に、ヴァンは深く頷いた。正直にそれが好都合だと思ったのだ。

「ああ、寧ろそっちを頼みたい。君の方が情報集めには長けている気もするし」

「わかったわ。では役割を分担して行動しましょう」

「ああ。落ち合う場所は宿屋でいいか。時刻は、さっき設定した宿に戻る時間を目安にしよう。僕は時間通りに戻れるか分からないが、なるべく終えるように努力する」

「ええ。ではまた宿屋で」

 そうして彼らは別れた。

 きっとなにか手がかりが見つかるはずだと思っていた。

 ――しかし、その思惑は見当はずれとなってしまった。

 

 

 収穫もないまま、あっという間に二日が過ぎた。小さな”噂話”はあるものの、決定打となる場所を突き止める情報は皆無だった。

 前日と同じように、ヴァンが一仕事を終えて宿屋に戻った時だ。珍しく彼女は先に帰ってきていなかった。

 ヴァンが戻ってから二時間後、彼女は戻った。衣装が少々、髪も少し乱れている。おそらく走ったのだろう。彼女は少しばかり疲れた表情をしていたが、その瞳に希望を宿していた。

「おかえり。何かいい話があったのか?」

「ええ。かなりの」

 ルナは落ち着いた調子で答える。そして椅子に座り、

「この街の離れに、かなり危険な情報も扱う情報屋がいらしいわ。高額な料金を要求されるようだけど…訊けば、でたらめな情報はなしに大体の事を答えてくれるんだって」

「それは……賭けだな」

「利用者を見つけたのは偶然、それから店の場所を突き止めるのに手間取ったわ。おかげで時間がかかってしまった」

 帰りが遅くなったのはその為だったか。

 その後しばらく彼女は話した。場所を大まかに聞いて、ヴァンはそれがこの街の出口の砂漠方面だと知った。

「店は開いていたか?」

「昼間ならやっているみたい。私個人で話を進めるべきじゃないと思ったから、戻ってきた。何せいくらお金が必要か分からないから」

「なるほど。金の引き出しは必要か…」

 情報量は相当な額になりそうだ。ヴァンは一連の話から、明日ギルドに立ち寄ってバンクから資金を引き出すことにした。どれだけ請求されるかわからない。なるべく多くを持ち歩くことにした。

「今から行ってみる?」

 彼女の提案にヴァンは首を横に振る。

「今日はもう遅い。その情報屋も閉店かも知れないし、明日早朝から出かけよう。滞在期間より少し早めのチェックアウトになるけど、いいか?」

 砂漠方面だというなら、おそらく次の目的地への通り道になる。荷物をまとめて、ここを出る時に事を済ませようと彼は考えた。

「いいよ」

 ルナは快諾する。

「じゃあ、休もう」

 二人は一つのベッドに背を向ける形で寝転がった。ヴァンはもちろんのこと、さすがのルナも最初は緊張していたようだが、今は少しだけそれもほぐれた気がする。疲れのせいなのか、それとも安心感なのかわからない。

 ヴァンはそっと明りを消した。睡魔はすぐに降りてきて、ふたりをまどろみへ誘う。

「おやすみなさい…」

 暗くなる視界の中で、青白い光が降り注いでいる様をルナはぼんやりと見ていた。

 そして、月光の降り注ぐ部屋で二人は静かに眠りについた。

 

 

 ◇

 

 

 事を済ませた二人は、いよいよ例の情報屋へ趣いた。その店は岩壁の内にあるものの、街の端にあり、左右の高い建物が影になって、全く存在感を消している。装飾は地味で、廃墟とまではいかないが寂れていた。開店はしているらしいが、人気はまるで感じられない。

 二人は扉を軽く叩き、そのあとに続いて店内に足を踏み入れた。

 店の中には、昼間だというのに光が殆ど入ってきていない。薄暗い中に頼りない――切れかけた電球がひとつだけ、この店の主のテーブルを照らし出していた。奥には武器らしきものが多数鎮座し、あたかもこちらを睨みつけてきているかのような、そんな重圧を与えてきている。

 この場所は殺伐としていた。

「武器を外せ。この部屋には持ち込み禁止だ」

 唐突に低い声が響く。二人は互いに顔を見合わせて、小さく頷くとそれぞれの武器を外し、地面に置いた。

 そして入口へ踏み出そうとする――その瞬間。

「待て。俺が話をするのは一人だけだ…二人ならその分金を払え」

 先程よりも大きな、威圧的な声だ。店主のものだろう。

「私が行くわ」

 すぐさま切り出したのはルナだった。瞳には固い意志が伺える。彼女は直ぐに一歩踏み出そうとするが、それをヴァンは右手で制止した。

「いや、僕が訊く。武器を見ていてくれ」

 ルナは困惑し、一瞬「なぜ?」という表情を浮かべた。しかしそれも束の間、無言で頷いて身を引く。

 ヴァンは入口を通り抜け、そして扉は閉ざされた。

 

 薄暗い店内には、大柄の字黒い肌をした店主と、小さな少年が居た。

「お前の聞きたいことは?」

「抗龍鎧…ブルースケイルの場所を教えて欲しい」

 ヴァンは迷いなく発言した。

「…なるほど」

 少し間を置いて男は返事をする。それから腕組をしたり、首をひねったりしていた。何を考えているのかは想像できない。

「…額は?」

 しびれを切らしたヴァンは率直に訊く。重要な問題だ。

「30万Lだ」

 口頭で告げられた掲示額に、ヴァンはたじろぐ。

 情報にそんな金額を注ぎ込んだ試しがない。二ヶ月以上手ぶらで暮らせる。それだけにこれは高額だった。一応、手持ちの金額で足りるが、想定以上の状況に彼は頭を抱える。

「もう少し安くはならないのか?」

 さすがのヴァンも、易々とこれを受け入れることはできなかった。無謀と分かっていても、交渉を開始せざるを得ない。

「難しいな」

 だが彼の提案に、男は考えることもなく即答した。「それにこれでも破格のつもりだが…」と付け加えたのは、これ以上付け入る余地が無いことを暗に示していた。ヴァンは思わず表情を曇らせる。きっと今の自分は、苦笑を通り越した…苦痛にも例えられる表情をしているのだろう。

 何か方法はないものかと、思考を巡らせている最中、

「まあ、場合によっては安くできないこともない」

 男はそんなことを言った。

 声は相変わらず低く、重いまま。その調子から、足元を見られているわけではないということはなんとなく判る。

 男は嘘を言っていない。

「場合とは?」

 ヴァンは問うた。

「物々交換、この場合は情報交換に当たる。俺が欲しいのは、新鮮な情報だ。何よりも欲しいものはそれだ。金ではなくな」

 脳裏にルナの姿が思い浮かぶ。彼女もまた、情報――知識に固執する人間だ。この男も同じたぐいなのだろうか。

 分かることはこの男の、情報屋という仕事に対する強いこだわりだ。

 しかし、今の自分にこの男を満足させられる情報などありはするのか。彼女でもあるまいし、話の引き出しは殆どない。

 やはり自分は適任ではなかったか…そう弱気になりかけた時だった。

「ちょっといいかしら」

 ルナが扉を開き、店内に侵入してきた。盗み聞きしていたのだろう……タイミングは見計らったようだった。

「言ったはずだ。交渉は一対一でしか行わないと。それとも、お前も金を払うか?」

「いいえ。”私はお金を払わない”。その代わりあなたの欲しいという新鮮な情報を払おうと考えているわ。それで減額できたなら、また彼と二人きりで話せばいい…ダメかしら」

 無茶苦茶だ。盗み聞きしていた時点で、相手との交渉が失敗したのも同然だとヴァンは思った。

 しかし、男は考えていた。まさかとは思うが、この二人は本当に思考が似ているのかもしれない。だとすれば可能性はある筈だ。

 長い沈黙の後、男は静かに口を開いた

「……面白い女だ。話を聞こう」

 ヴァンはほっとした様子で胸をなで下ろす。彼女を見ると、自信気な顔をしているものの微かな緊張が見られる。それを見て、彼女はこの役回りを”演じている”のだと、彼は気が付く。この必死な思いは、彼女もまた同じなのだ。

「では始めましょう」

 ルナはおもむろにフードを脱いだ。煌びやかな銀髪と真紅の瞳が、男を見据えた。男は一瞬、身震いをしたように見えた。たぶん、自分が最初に彼女と会った時と同じような、畏怖の念。あの重厚なオーラをまとった男さえも、彼女にそれを覚えたのだ。

 男はにやりと口元を緩める。

「これは面白い話が聞けそうだな」

 そう言った。

 

 ヴァンは速やかに退出し、彼女の帰りを待った。どれくらい時間が経ったろう。少しの時間ではない。彼女は話題をいくつも持ちだし、男を満足させるに至るまで頑張っている。

 空を仰いだ。今ほど彼女に世話になった事はなかった。

 旅は一人もいいが、二人はもっと良きものになる・

 レヴァ神父が旅立つ時にそんなことも言っていたな。ヴァンは思い出しながら、空を舞う雲の流れをぼんやりと見つめていた。

 

「お待たせ。交代ね」

 部屋から出てきたルナは、少々暗い表情をしていた。

「ああ、ありがとう」

 何を話したかが気になるが、今は一刻も早く話を聞き出したい。ヴァンは扉を抜け、男のもとへ向かった。

「中々興味深い話を聞けたぞ。お前の連れは有能だな」

「それで、額はどうなった」

「半額だ。半額でいい。15万Lだ」

「わかった」

 ヴァンはすぐさま紙幣を出して男へ渡した。

「交渉成立だ。では説明するとしよう」

 条件をのんだ途端、男は態度を一変した。立ち上がって最寄りの世界地図を手にし、テーブルの上へ広げて見せた。

「お前のような若者が訪ねてきたのは初めてだからな、俺も驚いている。珍しいことは嫌いじゃない。今回は特別だ。何から何まで説明してやる」

 機嫌が良いのはあからさまに分かる。ルナは一体何を話したのか。気になるが話に集中する。

「この街を出て砂漠を横断しろ。次の街へ向かう貨車に乗ればいい。途中、白い岩が並ぶ地帯に出るはずだ。そうしたらそこで降りて、徒歩で北へ移動しろ。星から推測もできるが、全て天候次第になる。念のため方位磁石は持っておけ」

 想像以上に丁寧な説明する男に、ヴァンはやはりこの男の仕事への真摯さを感じた。機嫌もあるが、適当な事をする男ではない。奥の資料も、よく見るとかなり専門的なものばかりだった。

「その場所は昼間ではたどり着けない。蜃気楼が幻を見せるからだ。行くなら必ず夜にしろ。見通しは悪いがそれしか方法がない」

「砂漠の真ん中に、遺跡を抱くオアシスがある。鎧は、そこにあるはずだ。しかし」

「誰も手に入れていない、か」

 ヴァンが口を挟んだ。

「そうだ。秘宝を狙う連中も多いが、誰ひとりとして生きて帰ってきたものはいない。おそらくガーディアンがいるのだろう。それが何者なのかはわからない」

「なんとかする」

「なんとかする、か。しかしお前…そんな甘い考えでいたら、ガーディアンどころかほかの連中に殺されるぞ」

 野盗は子供だろうが女だろうが容赦はしない。森での出来事や、これまでの旅においてそれは重々承知していた。

「ああ、わかっている」

 ヴァンは静かだが強い口調で言った。わずかな殺気を含んでいたかもしれない。

「だといいがな」

 男はにやりと笑い、それだけを素っ気無く言った。ヴァンは踵を返し、出口へと進む。

「待て」

 それを、男が呼び止めた。

「最後にいいことを教えてやる。お前はこの先連中と必ず戦う事になるだろうが、気をつけたほうがいい。先日もお前と同じ…いやお前よりも尖った男がここを訪ねた」

 ヴァンは顔だけを男に向けた。

「奴は殺し屋にも似ていた。そういえば…お前の持っている、その剣とよく似たものを携えていたな」

 それを聞いて、ヴァンは一瞬だが肝を冷やした。前に睨んだ通り、もう一本のブルークラウンの所持者が鎧を狙っている。

 目的はわからない。ただその人物が危険な雰囲気を纏うことは、今の発言から知った。いずれ、戦う事になるかも知れない誰かを思い浮かべ、ヴァンは険しい表情をした。

「…そうか」

 訊きたいことは山程あった。しかしそれらを訊いてしまえば、資金は底をついてしまうだろう。それが、この男と関わる際のルールだ。

「ああ、気をつける。世話になった。」

 ヴァンは踵を返し、部屋を出た。

 

 店を出たあと、ルナに話の内容をありのまま伝えた。鎧について、そしてそれを護る者、それを狙う者たち。

 立ちふさがる深刻な問題の数々に、彼女もまた険しい表情になる。

「でも、やらないとならない」

 ルナは言った。勘違いしてはならないが、これらは全て前提なのだ。あの龍を討つためには、必要不可欠な。

「ところで、君は一体何を話したんだ?」

 これ以上下げられないと言われた額を、半額にするほどの内容を知りたかった。

「私の事よ。フードを取ってみせたのも、それの意思表示のつもりだった」

 ヴァンは絶句した。それは、タブーではないのか。

「こんなこと聞くのも悪いと思うが…良かったのかそれで」

「ええ。それで資金が抑えられるのだったら結果的には良いじゃないかしら。だって、私たちには目的があるんだもの。それを考えれば、ね」

 でも――と彼女は続ける。

「でも、いつか。そのことは君にも話そうと思う。もちろん、お金はいらない」

 ルナの健気さが身にしみる。同時、ヴァンは自分の情けなさを恥じた。

 金が何だというのだ。目的のためなら、出し惜しみなどするべきではなかったのではないか。未だ手に持った紙幣を握り締め、彼女に痛みを負わせてまで守るべきは、こんなつまらないものでなかったはずだと、そう思うのだった。しかし、その感情は結果を無駄にしてしまうだろう。今は、彼女の思いを素直に受け止めるべきだ。

「悩んでいても仕方ない。この情報を信じて先へ進もう」

 二人は空を見上げる。

 青空には眩い、金色の太陽が輝いていた。

 



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ふたりの距離

 二人は今、青白く鈍く光る砂漠を歩いていた。

 情報を手に入れたあと、まもなくして二人は街を発った。二頭のラクダを用いた貨車を利用し、砂漠を横断した。それなりに広い荷台の上には他の乗客もなく貸し切り状態だった。

 一日と少々の間それで移動し、途中で情報屋の指示通りに貨車を降りて、それから徒歩で目的の場所を目指した。

「もうそろそろ、見えてきてもいい頃だけど」

 少し疲れを感じる声でルナは言う。

 夜間のみたどり着けると言われたその場所は、白い岩を目印にして行くとあると言われていた。指示通りの白い岩を見つけ、それらが見られる地帯を慎重に進む。ルナは暗い手元を簡素なランプで照らした。

 広げた地図と、磁石を使って進むべき方向を導き出す。

「あの岩場の向こう側…たぶんそこにあると思う」

「わかった。あと少し、頑張ろう」

 再び彼らは歩き出す。月光に照らされた薄暗い白き大地に、かすかな風音と砂を踏む音だけが響いていた。

 吐く息は白かった。

 日が暮れると、砂漠は昼間の灼熱が嘘だったかのように冷え込み極寒の地となった。あらゆる桓温生物の侵入を拒む、そんな砂漠の過酷な環境下。二人はそれに震え、耐えながらひたすら進み続けた。頼りない手元の明かりが、彼らの心境を現してかのようだ。行先の分からぬ不安に苛まれながらも、”二人でいる”それだけを胸に彼らは足を進めていた。

 絆は確かに生まれ始めていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 唐突に感じた眩しさに、彼女は瞳を開けた。瞼を数回瞬きしてようやく状況を理解する。

 一つ、大きく深呼吸をし、澄んだ空気を体に取り入れる。

「――おはよう」

 すると、離れた場所から声が掛かった。

 先に目覚めていた彼が、少し離れた場所に立っていた。彼女――ルナはゆっくりと起き上がり、まだ少し眠い目を擦った。

 彼の姿を見据えた。ぼんやりと、次第に鮮明になる相方の姿。青い髪は朝日を浴びて青白く煌く。ふと目が合ってから、彼は次第にこちらへ近づいてきた。

「おはよう。ルナ」

「おはよう。ここは…」

 そこまで口にして「そういえば」、とルナは昨夜のことを思い起こす。あのあと無事に目的地へとたどり着くことができたのだが…何故か急に襲ってきた疲労で、直ぐに眠りについてしまったのだ。その事を思い出した。

 自分の周りを見回すと、木々や鋼材で作られた柱があり、天井には布で屋根が施されていあった。簡素だが備え付けの――今、自分が横たわっているベッドもあった。

 どうやら、ここはキャンプのようだ。

「これはキミが?」

「いや、僕じゃないよ」

 ヴァンは否定すると、視線を外しどこか斜め上を見た。

「他の人が立てたものだろうな。結構新しいものだから、同じ目的の誰かが最近ここを訪れたってことになる」

 辺りを伺う様子でヴァンは話した。彼は剣を腰に携えていて、額には少し汗をかいていた。素振りをしていたのだろうか。

 ルナはテント内から出て、外の光景を目の当たりにした。

「綺麗な場所…」

 瞬きを忘れる程の景色に、彼女は思わずそんな言葉を口にしていた。小鳥たちの歌が耳に届き、気持ちのいい風が頬を掠める。そして確かに聞こえる水のせせらぎ。泉が湧き出す音が、どこか遠くから耳に届いてくる。

 そこは、砂漠のオアシスだった。

 一面が砂に覆われたあの死地の真ん中に、緑が生い茂ったこのような場所が存在している。信じられないというのが本音だ。

「驚いたか?まるで森だよな」

 ヴァンが調子の狂った様子で言った。彼も相当驚いたに違いない。

「そういえば、あのあとここまで私を運んでくれたの?」

「ああ、まあ。荷物がかさばって時間はかかったが、全部移動した」

「そう…」

 暗闇の中よく動けたものだとルナは感心した。ヴァンは夜でも割と目が利くことの旨を伝えた。龍血は身体能力に優れているほかに、夜間動ける龍の特性をも受け継いでいるらしい。

「ありがとうね。運んでくれて」

 ルナは感謝の気持ちを言葉にした。

「いや。それより…急に倒れるから心配した。表情も、切羽詰まった様子だったからな。何か起きたのかと…」

 そう。ルナはここへ来て間もなく倒れたのだ。本人は睡魔だと思っているようだが、ヴァンにはそうは見えなかったようだ。

「ええ、心配をかけました。でも大丈夫、もうすっかり平気だから!」

 ルナは手を縦横に動かせてみせた。

「そうか。なら大丈夫だな」

 それを見てヴァンも安堵の表情を見せる。隠しきれない「杞憂ならいいが」という言葉はなんとか飲み込んでおいた。

「お目覚めですか」

 唐突に掛けられた第三者の声。

 それは男のものだった。ルナは瞬時に声の方向へ振り返る。

「あなたは誰?」

 訝しげに訊く。声の主は恰幅のいい男で、年齢は40代半ば。そして顔には、少々驚いたような表情が浮かんでいた。困惑とも捉えられる。

「もうしわけない。驚かせてしまったかね?」

「いや、大丈夫だ」

 男とヴァンのやり取りを聞いて、ルナはきょとんとした表情をする。

「明け方に会ったんだ。敵じゃないから安心していい。ここらの取りまとめ役、だそうだ」

「そう、びっくりした」

 ざっくばらんな説明だったが、ルナは安心したように胸をなでおろした。

「私はこの周辺の長をしているものです。ヴァンさんからお話を伺いたいとのことで、あなたの目覚めを待っておりました。では私の家へ案内いたします」

 そう言った男に連れられるまま、少し歩いた。美しい景色を眺めつつ、二人は木々の向こうに見える遺跡の片鱗に視線を向ける。あの場所におそらく鎧があるのだろう。

 しばらく進み、やがて小さな集落が見えてきた。

 ここにも村がある。ただ、その文明レベルは遅れていると感じる。衣服はかろうじてまとっているものの、家の造りは古代的で、全体的に外部から先進技術を全く感じさせない。それもそのはずであろう。外部との関わりは一切ない。そういっても過言じゃないほどに、この場所の存在は幻に近かった。

 だが幸い、言葉は通じる。全てではないが、共通の単語やニュアンスを変えて話せば意思疎通は可能だった。でなければこうやって和解しているはずもない。

「驚きましたか?」

 長はヴァンに問う。

「ああ。未開の地、未踏の地だと思っていたよ」

「でしょうね。ここを訪れたものは皆そう言います」

 ふと村人の一人が、こちらを見て頭を垂れた。ヴァンはその深々とした礼に疑問を浮かべる。

「何をしているんだ?僕らを見てやっているようだが」

 長は微かな笑みを浮かべる。

「ふふ。この場所では、龍血は特別な存在として崇められています。あなたは今、龍の化身で高貴な存在、ブルー・ブラッドとして見られているのですね」

 龍血であることを崇めている。信じられないことにここはそのような信仰があるらしい。

「つきましたよ」

 長の一言で、ふたりは足を止める。目前には石造りの家が、小高い丘の上に建っていた。二人は順番に入口を通り抜け、室内にお邪魔することになった。

 やはり長ともあってか一般の家とは違って作りも豪華で、室内には高そうな食器が飾られていた。その他に武器も幾つか展示されている。短剣と槍、弓などがあった。

「さて、早速ですが疑問を投げかけても良いですか?」

 椅子に座ったところで、長は口を開いた。

「ああ」

「よく、この場所に気がつきましたね。昼間は見ることもかなわないと言うのに。どうやって?」

「夜に来た」

「そうでしたか。なるほど。その情報は誰から」

「危ない情報屋から」

「ふむ…目的があるようですが」

「ああ、ちょっとした探し物が」

 率直に伝えると何か面倒事になりそうだったため控えておいたが、恐らくこちらの狙いについて、先方はおおよそ見当が付いているだろうとヴァンは踏んだ。そのあとは、このような調子でお互いに尋問のごとく質問を投げかけ続けた。ルナは始終黙り込んで、二人の会話を聞いていた。

「妙に疲れたな」

 村長との話を終えて、二人は外で一息ついていた。

 ルナは家から少し離れた――草原の上にある低い岩の上に腰掛ける。

「私、あの人は苦手だわ」

 率直な意見だった。

「ああ、僕も同じだ」

 彼も同じ気持ちだったらしい。

「なるべく早く片付けたい。長居は無用だ。とっとと鎧を手にして、ここを立ち去ろう」

 彼は親切すぎる対応に、窮屈さと疑念を抱いていた。家での会話も事務的なやりとりに過ぎず、信頼における人物ではないと判断できた。しかしこれが、この場所なりの外部から来る敵を欺き、対抗する術なのだろう。刃を向けられないだけ、まだ自分たちは救われている。

「遺跡の奥へ行くつもりですか」

 先程から気がついていたが――後ろに立っていた少女が、二人――正確に言うとヴァンへ声をかけた。先ほどの話を聞いていたのだろう、何か言いたそうな顔をしていた。

「二人きりで、ってかんじね」

 ルナは少し残念そうな顔をしてから言って、ヴァンの肩を優しく叩いてその場から外れた。

「悪いな」

 気を使える相棒だとヴァンは感心する。遠くへはいかないのだろうが、彼女はどこかへ向かう…恐らくキャンプ方面だ。

 後ろ姿を見送ってから、ヴァンは少女を見据えた。褐色の肌に黒髪、瞳は深いグリーンをしている。村人の中ではかなり綺麗な顔立ちをしており、年頃は恐らくこちらより下だと感じる。

「さて、話があるようだが」

「はい」

 近場の木陰に移動してから、彼女は口を開いた。

「この場所は誰にも見つかることもなく、ひっそりとしています。ですが時折、遺跡を探索する者や、盗賊、墓荒らしなどがやってきます。だから懐疑的なのです。何事に対しても皆」

「ああ、知っている」

 怯えとも言えるような目を少女はしている。それは、ヴァンにもわかる。懐疑的に捉えられるのが、自分も例外ではない事もわかる。

 ――たとえそれが、崇めるべき龍血であったとしても。

「貴方はそれを承知でここへ?」

 ヴァンは無言で頷く。少女は悲しそうな顔をしてから、再び口を開いた。

「我々は物騒な輩に怯え、身を潜めて――そのようにやり過ごし、難を逃れて生きてきました」

 少女は暗い表情のまま続ける。

「遺跡の入口付近で探索をやめ、戻ってきたものは血相を変えていて、ひたすら怯えていました…奥地へ進んだものは皆、帰ってきませんでした」

「この場所は呪われています。できれば、奥へ進まないで欲しい。奥地には、守り人がいます。守り人は…蒼き鎧を守る、龍の…」

 少女の声色は、怯えにも似た何かを含んでいた。

「僕が龍血だから警告するのか?」

 ヴァンが問うと、少女はしばし何かを考えているようだった。

「それは…そうです。私たちにとって、あなたは尊い存在だから。死んで欲しくないのです」

 そして、そんなツギハギだらけの言葉を紡ぎ出した。

「それは君の言葉か?」

 ヴァンは強い口調で言った。しばらく、少女は何も言えなかった。

「それは…いえ、本当はあなたを…」

 その言葉を最後にして、長い沈黙が続いた。

「申し訳ないが僕には時間がない。また今度にしてくれ」

 そう切り出して、ヴァンは踵を返した。少女には二度と振り返らない。互いに交わす言葉もない。

 

 今度が無いことは知っている。

 彼女が葛藤の中で生きることも、また分かっている。

 しかし、互いの生き方を許容するには距離が遠すぎた。

 僕には何もできない。今は何も。

 彼は、彼女が旅に出ることを願った。いつか真新しい世界に触れ、この場所のしきたりから解放され生きていく。

 自分がそうであったように。

 

 

 ◇

 

 

「おかえり」

 キャンプに戻ると、先に戻っていたルナが出迎えてくれた。彼女は火をおこして、食用の野草を湯掻いていた。肉や鶏卵も既に調理してあった。いつのまにか、村で購入していたのだろうか。とにかくありがたかった。

「どうやら、ここじゃ僕らは神様に近い存在らしい」

 腰掛けてから暗い声で、ヴァンは言った。皮肉も込めていたかもしれない。

「そういう考えの人も少ないけど確かにいるわね」

 ルナはお湯をかき混ぜながら言った。揺れる焔に照らされた彼女の顔、目は、どこか優しい。

 そういえば、ルナも最初会った時に自分のことを「誇り高き一族」と言った。彼女もまた、龍血に対して良い感情を持っている人間だった。

 人は、自身より遥かに優れた者を貶めるか、あるいは神格化する性質がある。彼の出会った多くは前者であった。しかし後者もまた、彼女の言う通り存在する。

 だが「神」という言葉が似合うというのならば、自分よりも寧ろ彼女のほうが適していると思う。

 神秘性を凝縮したような外見と、その身に備えた特殊な力。それが何よりもそれを裏付ける。

 しかしここの人間は彼女には優しくない。第三者である自分ですらそれを肌で感じていた。居心地が悪そうで、こちらも申し訳なさを感じてしまうほどだ。

 だから、それを和らげてやりたかった。しかし、どうすればいいかわからなかった。ヴァンは考えるよりも先に、口を開いた。

「君の過去のこと、話してくれないか。出会ってからまだ、せいぜい二週間くらいしか経ってないけど、今聞いておきたいんだ」

 情報屋に話した内容かどうかは分からないが、気にかかっていたこと。

 段階的にとは思っていたが、もっと彼女との距離を縮めたいという思いが、そんな言葉を口走らせた。

「少し嫌な話かもしれないけど、いい?」

「なんでも聞くよ」

 ヴァンが返答すると、ルナは口を開いてゆっくりと、次第にはっきりと言葉を紡ぎ始めた。

「出生のわからない私は、孤児院の園長に引き取られて育った。かなり小さい頃。あそこには親友がいた。私と同じ髪色と瞳の女の子だった…」

 ルナの表情が陰る。

「でもある日、そこは賊に襲撃された。院長さんはドアを開けてすぐ、殺された。それから、みんな急いで隠れた。その時、私を護った彼女が殺された」

 次第に濁っていく彼女の表情。

「自警団の人が来たのはそれからすぐ。生き残ったのは、私と、ごく僅かの子供達。再び行くあてのなくなった私たちは、里親を探す組合に一旦預けられた」

「でもね、私は残ってしまった。こんな見た目だから、みんな気味悪がってね。でもある日、私の事を物珍しいと聞きつけて、どこかの貴族の人がやってきた。けど……あの人、私を育てて玩具にする気だって、言葉の意味もよくわからないあの時の私でも、判った」

 ルナは顔を上げてため息をついた。

「意思なんて関係なかった。私は嫌がったけど、その貴族はもう“買取り”の準備を進めていた。私はいよいよあとに引けなくなって、逃げ出した。そんな私を、あの人は救ってくれた」

 そこで彼女の瞳に光が宿る。そして――懐かしむように言葉を紡いだ。

「橋の上だったかな。飛び降りる寸前のところを、大きな手のひらで引き戻された。不思議な格好をした背の高い、若い男の人。彼は泣きじゃくった私をなだめてくれた。事情を話すと、彼はその貴族がどうやっても出せない額のお金と、宝物を組合に提供したの。私はその人に拾われ、一緒に育った」

 それが羅音という人物である事は、すぐに察しがついた。

「実を言うとね。昔のことはあまり思い出せないの。引き取られる以前はどこで何をしていたのか、何をしてきたのか…今でも、自分の本当の名前すらわからないままなの」

「本当の名が?」

「ええ。だから、”代わり”にあの子の名前を名乗っている。ルナ・ルーク。ごめんね、君には伝えていなかった…いえ、たぶん自分から伝えるのが怖かったのかもしれない。私が話せることといえばこれくらい。あとは、彼と旅をした事かな」

 ルナはそう言って、話を締めくくった。

 ――なんだか、私って何もかもが紛い物みたいだよね。

 そう言って苦笑いする彼女が、ヴァンにはとても痛々しく見えた。かける言葉は、今は見つからない。長い沈黙が、彼女に苦痛を与えていることが手に取るようにわかる。

 

 僕ができることは、ただ一つだ。

 沈黙を破り、彼は口を開いた。

「僕のことも話していいか」

 今自分ができること。

 互いの距離を縮める、唯一の手段。

 

 揺れる焔は、彼が話し終えるまで燃え続けていた。

 朝日が顔を出し始める。

 肩を寄せ合って眠るふたりの距離は、次第に縮まっていく。

 



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龍血

 遺跡周辺は、ここが砂漠地帯の一端であることが信じられないほど、緑が生い茂った場所だった。小規模なジャングルとも言えるだろう。乾燥地帯では到底考えられない植物、数は多くはないが野生生物が存在している。

 ここに潜伏して数日、常に気の抜けない状態が続いた。当然詳細地図はない。意外と広いこのジャングルを、小刻みに移動するのは骨が折れた。

 獲物――龍の秘宝を狙う外敵は思いのほか多い。そしてその一部が既にこの地へ潜入している。その裏付け、痕跡もいくつか見つかった。大多数の足跡や食事の形跡。そして個人とみられる足跡、野宿を行ったとみられる跡地。

 予想通り、盗賊団と一個人がここを訪れていることが伺える。運悪く偶然、タイミングが重なってしまったわけだ。彼らは戦闘にならぬよう、隠密行動に徹することにした。必要最低限の装備で密林を移動、目立たぬように努めた。

 問題は食料。ポーチの中には携帯食料を詰め込んだものの。十分ではない。食べられるものを探しては摂っているが、それにも限界がある。

 そう長くはいられない。

「あれが遺跡の、入口か」

 大木を背にして、ヴァンは向こう側を窺った。鬱蒼としたジャングルの中では、当然見晴らしは悪く向こう側を確りと見据えることはできない。しかし彼の視界では一部、木々の合間から大きな建物が顔を覗かせていた。そしてそこは建物の開口部、入口らしき場所であることも判明した。

「敵もいるようだ」

 声を潜めて言う。人数は…確認できるだけで五人。おそらく盗賊団だろう。武装は、前に襲われたときにも扱っていた弓とショートソード、そして斧。皆獣の毛皮を合わせた鎧を着込んでいる。比較的軽装の部類に入るだろう。盗賊は皆どこか疲弊した様子で、遺跡の階段部分に腰を降ろしていたり、柱に寄りかかったりしていた。ともかく、入口からの正面突破は難しそうだ。

「奴ら、一体何を探しに来たんだろうな」

 ヴァンはふと、そんな疑問を口にした。

「何って、宝探しじゃないの」

 ルナがそう返すと、ヴァンは俯いてから視線を横にし、考えた。

「…それは剣か?鎧か?」

「どういうこと?」

「龍と戦うことが目的でここを訪れたなら、それは剣が目的ということだ。しかしそれが引き抜かれた今は、残っているとされるのは鎧だけ。奴らが持っていても特に意味はない」

「だとしたら、誰かに売りつけるのかな」

 ヴァンは首を振った。

「いや。転売目的なら効率が悪すぎる。真にあれを欲しがる人間は限られている。僕のような、特殊な目的を持たなければ、龍血であっても欲しくはならないだろう。価値が判る輩も、見つけること自体が難しい」

「そうだね…確かに」

 「ガーディアンの話が本当なら、犠牲は絶対に出るだろう。それも少なくはないはず。いや、もう出ているかもしれない。そんな多くの犠牲を出してまで、奴らはあれを手に入れる意味があるのか」

 ヴァンには、盗賊団の一連の行動に何かが引っかかっているようだった。

 しかし、今はそれを気にしていては行動に支障をきたすのも事実だ。

「まあ、考えていても仕方ないよ」

 ルナも、そしてヴァンも。そのことを分かっている。

「ああ。今は目的を優先するべきだな。ごめん、今の話は忘れてくれ」

 二人は迂回して別のルートを探すことにした。誰かと鉢合わせないよう、慎重に。息を潜め、かつ迅速に。

「まって。遠くからだけど、かすかに物音が聞こえるわ」

 ルナがヴァンを制止する。二人は顔を見合わせてから頷くと、視線を辺りに向けてゆっくりと見回した。

「見てみろ。あれを…」

 先にそれを見つけたのはヴァンだった。彼はルナにひと声をかけてから、更に足を進める。

 あくまで慎重に。

「あれがガーディアン…?」

 ルナが震えたような声で言う。

 ソレからは生命の息吹を感じなかった。

 まるで中身など存在しないかのように。

 ただただ、それは無機質すぎた。

 ガシャン…ガシャン。

 甲冑姿の何者かが遺跡の周りを徘徊していた。冷たい金属音が、一歩大地を踏みしめるたびに聞こえてくる。大きさはおおよそ大柄な男ほど。全身を白銀の鎧で武装しており、手には肉厚の長剣を携えている。鎧は所々錆で覆われており、破損箇所も見られる。決して小綺麗な外見ではない。だが、武器は錆びてはいなかった。木々の間から差した光が、剣先に反射し鋭く輝く。

「入口付近でガードをしていないということは、こっちが正解ってことか……なんとかやり過ごせないものか」

「難しい…かもね。どちらかが引き付ければ、一人は奥へ進めるだろうけど。そのあとは…」

「私が囮になるから。ヴァン君は…」

「いやまて」

 ガーディアン周辺――地面に目を凝らす。そこには、この場にふさわしくない何かが投げ捨てられていた。

 あれは、人間の――腕。目を凝らせば、辺りには幾つも死体が転がっていた。ヴァンはうっすらと額に汗をかいた。もうすでに戦闘が行われていたということか。

「ルナ。その役回りは僕が引き受ける」

「え?どうして…」

 彼女は拍子抜けとばかりに声を上げる。

「やらせてくれないか」

 強い口調で言うと、彼女は渋々頷いた。彼女を信用していないわけじゃない。この方が適任だと感じていたからこそ、だ。ヴァンは、おそらく彼女のほうが早く入口を探し当てると思っていた……というのは言い訳かも知れない。彼はただ、自分の直感に従った。

「注意を引いているうちに隠れながら入口を探してくれ。見つけたら飛び出して、君がその先に進む。その際に合図が欲しい。僕は、常に視界のどこかに君を入れておく」

「わかったわ」

 ルナの返事を皮切りに、ヴァンは飛び出す。走りながら背中の小盾を左手に装備し、ブルークラウンを素早く抜刀する。

 騎士と彼は対峙した。注意はこちらに向いている。ルナが動き出したのを確認すると、ヴァンは剣を構えた。

 それに応じるように騎士は両手で剣を持ち、その鋒を彼へ向け構えを取る。

 騎士が、こちら目掛けて突進してくる。重い突きの攻撃。それを盾で受け流す。ビリビリとした衝撃が、左腕を駆け抜けていく。すかさず、ヴァンは反撃に転じる。同じくして、騎士もまた一撃を繰り出していた。一撃目ほどではないが、勢いのある縦斬りだ。ヴァンは相手の剣撃の勢いを、長剣の鋒から鍔側に滑らせるようにして殺した。

 二人は鍔迫り合いの形になった。互いの剣はギリギリと音を立て、踏ん張った足が地面に埋もれた。ヴァンは龍血の力を解放する。そうしないと、力で押されてしまうからだ。群青の髪は青白さを帯びて逆立ち、瞳は猛禽類の如く鋭く、金色に変化した。

「お前が、ここを護るガーディアンか?」

 ヴァンが騎士に訊く。しかし返事はない。相手の兜の先は漆黒の闇で、あたかも深淵を見据えているかのような感覚だった。何を考えているのかなど、到底読み取れない。ヴァンはブルークラウンを前方へ押し込み、潰されそうになっていた体勢を立て直す。

 その際に騎士とさらに顔が近づいた。ヴァンは金色の瞳で騎士の顔を見据える。やはり兜の先は漆黒の闇。

 だが、その内から視線を感じた。

 視線の先は――

(ブルークラウン?)

 その時一瞬、相手の剣の重みが消えた。ヴァンはすかさず力を込め、相手の剣を跳ね飛ばす。そして騎士の足元へ潜り込み、向こう脛に蹴りを入れた。体勢を崩した騎士の頭に、廻し蹴りで攻撃を加えると、ぐらついた背中に両足を当てて――跳躍した。相手はよろめき地面に倒れ伏す。ヴァンは、跳躍した勢いで大きく距離をとった。受身をとり、何回か体を転がすと、起き上がって騎士と向き合う。その時、視界に一つの輝きが見えた。

 ルナの合図だ。彼女は、刀を抜き払い陽光を反射させていた。

 ヴァンは全力で駆け出した。しかし、彼が交差すると同時、騎士は起き上がる。ヴァンは警戒を怠らぬまま、その横を走り抜けた。追撃が来ることを予測し、ジグザグに動く。また、木々を利用して相手の行動を制限しようとした。

 だがしかし、結局騎士は彼を追ってこなかった。

「大丈夫?」

 遺跡内部へ侵入したヴァンに、ルナは声をかけた。

「ああ。あの甲冑、途中から僕への攻撃をやめたんだ。おかげで切り抜けられた」

「そう…無事でなにより」

「まともにやりあったら、かなり危なかったかもしれないな」

 そういうヴァンの表情には、言葉のとおり余裕は無かった。

「先を急ごう」

 彼の言葉を皮切りに、二人は走り出した。

 おそらく鎧は上層にあると思われる。これは直感だったが、二人は迷うことなくそこを目指した。

 途中、徘徊する人影を確認した。おそらく先ほどのガーディアンだろう。

 取り逃がした自分たちを追っているのか、それともそれ以外の誰かを探しているのか。

 いずれにせよ、ここには自分たち以外の誰かも侵入していることは確かだった。各所に痕跡があったのだ。例えばこの、苔むした床に残った多数の足跡…古くはない。つい最近付けられたものだ。それを頼りにして彼らは上を目指す。

 途中、開けた場所に出た。天井の一点から差し込む光が、部屋の中央へ降りている。静寂が満ちた場所だ。二人は歩く速度を緩めて、辺りを見回した。柱の後ろ側などに、誰かが潜んでいるかもしれない。

「この匂い…何か」

 ふと、ヴァンが何かに気がついた。この独特の匂い…硝煙のような…

 そして同時、微かに聞こえる断続的な乾いた音。

 音の位置をたどる。

 中央部付近。

 柱の裏側。

 そこを覗いて刹那、彼は目を見開いた。

「中央部から離れろ!」

 それから直ぐ、大爆発が起きた。爆音とともに柱が破壊され、倒れ伏す。その衝撃で当たりの柱も倒れ、巻き込まれて壁もまた崩れる。視界を全て塞ぐほどの土煙が立ち、それがおさまった後、ヴァンは起き上がった。

「爆発物か…!」

 誰の仕業だろうか。追跡を逃れるための手段か。あわよくば巻き込んで、こちらを亡き者にしようとしたのだろう。

「ルナ!大丈夫か!」

 瓦礫を跳ね除けながら、ヴァンは問うた。

「大丈夫!少し足を痛めたけど無事よ!」

 返事に安堵する。壁は破壊され、瓦礫によって分断されてしまった。自分はこの先へ回避行動をとった。しかし彼女は入口側に回避したため、この先には進めない。

「そうか…君は何とか迂回して進んでくれ。後で落ち合おう」

「わかったわ」

 彼女のことも気にかかる。しかしヴァンは先を急ぐことにした。彼自身も爆発のダメージを受けており、足を軽く引きずりながらもこの先の階段を上った。

「しまったな…」

 ヴァンはため息混じりに呟いて、足を進める。

 途中、青い剣を携えた男が上階へ向かうのが見えた。先を越されるかもしれない。ヴァンは焦燥に駆られ、更に足を速めた。

 上層への階段を上りきり、次のエリアへ到達した刹那、唐突に左から盗賊の一人が飛び出した。大柄な男は斧を振り上げ、瞬時に振り下ろす。

 予想していなかった出来事に、ヴァンは攻撃の回避が遅れた。厚く鋭い刃は、彼の左肩を掠め、衣服を剥ぎとった。その内の装甲がむき出しとなる。傷は無いが衝撃はあった。立て続けに蹴りを受け、ヴァンはガードするも反動でよろめく。が、すぐに体勢を立て直して反撃する。

 ――お前に構っている時間はない。

「どけ!」

 蹴りが男の横腹を直撃すると、吹き飛んで壁に激突した。そして、それきり動かない。彼はその姿を振り返ることもなく、走り去る。そしておそらく最上階の奥地だろう。その場所にたどり着いた。

 中央に石碑と、青い鎧。そこを取り囲むように、柱が何本もそびえ立っている。ヴァンは歩みを遅くして、石碑へと近づいていった。

「これが、鎧…」

 突如、背後に気配を感じ振り返る。放たれた太刀筋を、ヴァンは剣で受け止めた。

「ほう。やるね」

 男は自分と同じ、蒼の冠をその手に携えていた。その剣がブルークラウンだと気がついたヴァンは、鋭い視線を男へ送った。

「お前…!もうひとりか!」

「もうひとり、ということは足跡を掴まれていたようだね。やはりあの情報屋、始末しておくべきだったかな」

 この状況で、男は能天気な声で言った。内容は至って物騒な事であったが。

 男の容姿は変わっていた。だが、それは見慣れたものだった。

 髪は白色で、瞳の色は真紅の色合いをしていた。

 ――彼女と同じ。ヴァンは反射的に、龍血の力を使ってしまった。

 男はにやりと笑い、ヴァンを蹴り飛ばした。衝撃で宙を舞った彼に、斬撃を繰り出す。まともなガードも取れず、ヴァンは左腕に斬撃を食らってしまった。傷は浅い…が、傷口から青い炎が上がり、とたん耐え難い激痛が走った。

「ぐあぁぁああ!!」

 ヴァンは思わず叫び声をあげた。これが、龍殺しの武器で切られた痛みなのか。それはヴァンの想像をはるかに超えた苦痛だった。彼は痛みが引かぬまま、何とか立ち上がろうとする。

「…お前は、鎧をどうするつもりだ」

 男は龍血ではないのは確かだ。だとすれば、鎧など必要もないはずだ。

「君と同じ用途さ」

 だが、白髪の男はそう言った。

「それは違うだろ」

 ヴァンは片膝をつきながら反論した。

「同じさ。時期が違うだけだよ」

 男は曖昧かつ、意味深な発言をした。

「盗賊団と鉢合わせて、よく無事でいられたな」

 ヴァンはどこか挑発するように言った。虚勢を張っていることは、自分でもわかった。

「気がついていなかったようだね。あれは私が手配したんだよ」

「なに?」

 ヴァンは眉をひそめる。

「金品の一部を前金として手渡した。その後随時、情報を掴んだとされる度に報酬を支払った…そうして、徐々に信用を培った。もちろん、私はそれよりも早く情報を手に入れ、奴らより先にこの場所を探索した」

「剣だけがないのは目的のためか」

「剣は必要だったからね。通常武器ではまともにやりあえない。私がいくら鍛え抜かれていようともね。だから、私には戦う術が必要だった。ただ、鎧を手にするには少々骨が折れる。あのガーディアン…あれは少々苦手でね。前にも戦ったんだが、苦戦を強いられた。それで安全かつ確実な方法として、賊に情報を与え、ここに足が追いつくまで待ったという事だよ」

 男は、自らが仕込んだからくりを愉しそうに語る。

「まあ、偶然君たちもここに到達したということで、陽動してもらったわけだけども。おかげさまでこうして鎧を手にすることもできた。ありがとう」

 抗龍鎧・ブルースケイル。蒼いプレート状の装甲と、ウロコ状の装甲が合わさった美しくも禍々しいそれを、男はなでる。鎧はまだ石碑に固定された状態だ。しかし、それをやつが手にし、立ち去るまでは時間の問題だろう。

「まあ今はまだ、身に付ける必要もないがね。いずれは必要となるだろう」

 意味深な台詞に、ヴァンは一瞬だが嫌な考えが浮かんだ。おそらく無意識だったろう、ヴァンは言葉を紡いだ。

「お前…何を考えている?」

 男の口が、三日月型に歪んだ。

「ドラゴンの血を受け入れ…私は人を超越する」

 その声には、憧れを含んだような嬉々に満ち溢れ、そして深い狂気に満ちていた。

 龍血は元々、その身に人ならざる力を秘めている。それが遺伝以外で現れることはない。しかし、血縁のない者――一般人がその力を後天的に手に入れる方法が一つだけある。

 それは、龍の”心臓を喰らう”こと。

 すなわち、その血を取り込み、肉体を龍と同化させるのだ。成功確率は決して高くはない。その場で死に絶えたものもいる。が、確かにそれで力を得た戦士もいる。得た力は強大であり、オリジナルの龍血を凌ぐこともあるという。このことを目的にしてドラゴンバスターを目指すものも多いのも事実だった。

 この男も、それが目的だったのか。

「鎧はその後のためか。だが、僕はお前が黒鉄を倒せるなんで思えないね。お前は対象に弱った”奴”を選んだつもりだろうが、生物はそういう時が一番手ごわい」

 ヴァンの言葉を耳にし、男は鼻で笑った。そして、高速で踏み込みブルークラウンを一閃した。それが、ヴァンの横腹に直撃する。ダメージを受けていたがために、そして先刻の戦闘で消耗していた彼は、龍血の反応速度をもってしてもその攻撃を避けられなかった。鎖帷子はひしゃげ、無残に裂かれる。内側のインナーもろとも、その一撃は腹をえぐった。大量の出血を強いられた彼は、斬られた痛みの後にもう一度苦痛を味わう。

「う、ぐぁああああああ…」

 青い炎が煌めいたあと、ヴァンは激痛に悶え苦しんだ。しばらくのたうち回り、その内体を痙攣させて、彼はその場に嘔吐した。苦い胃液に混じって、浅黒い血液も吐き出した。青白く光る髪は元の群青に戻り、瞳は鉄色に戻った。

 その姿を見下した男が、嘲笑も混じった声で言う。

「どの口が言う。君は私よりも脆いじゃないか。鎧がなければまともに龍と戦うこともできない。そんな君がどうして奴を狩れるというのだ」

 ただその場にある、残酷な事実を告げるのだった。

「お互い要らぬ消耗もしたくないだろう?君も弱っているようだし。例のドラゴンに関しては私に任せるといい。そしていずれ、また会うとしよう。そうだな。君は脆いが優秀そうだ。部下にしてもいいな」

「ふざ…けるな」

 ヴァンは男を睨みつける。この男が目的を果たした次に何を仕出かすか。大体予想がつく。

 力を追い求め、それを手に入れて、権力を握り、国を持ち、やがて戦争を起こす。そしてまた力を求めるだろう。

 この男は潜在的に戦いを求めてやまないと、ヴァンは直感した。私利私欲のためだけに他人を利用し、罠に嵌め、人を殺めた。この男は間違いなく、世界に混沌を生む存在だ。

 ――この男に龍を討たせてはならない。

(止めなければ…)

 しかし、今の自分では奴を止めることも、たとえ万全で挑んだとして勝てる見込みもない。愉しげに嘲笑する相手の様を、無様に見上げることしかできない。地面に這いつくばった彼は、悔しさに拳を、地面を握り締めた。

「ヴァン!?」

 ルナの声が聞こえた。幻聴ではない。確かに、視界にも彼女の姿が映っていた。

「ル…ナ…気を…つけろ、こいつは…」

 必死に言葉を紡ぐヴァンの背中を、男は踏みつける。

「遅かったようだね。今、私は彼と対話をしていたところだったんだよ。紹介が遅れたが、私はリュース。君も、私にすべてを任せるといい。」

 リュースと言う男は軽い自己紹介を兼ねて、そうルナへ提案を持ちかける。

「断るわ。悪いけど、その鎧は彼が着るものよ」

 しかし当然ながら、彼女がそれをのむことはなかった。

「じゃあ、奪い取って見せるといい」

 リュースはまた先ほどのような、狂気に満ちた笑みを浮かべる。

「ルナ…やめ…ろ!」

「任せて…心配はいらない」

 男は剣を腰に収めて、彼の上から退いた。眼前に立つ男の両脚の合間から、構えを取る彼女が見えていた。戦闘は即開始され、鋭い拳や蹴りが幾度となく交わされた。

 ヴァンにはこの光景が、永遠にも似て長く感じた。

 まだ互いに決定的なダメージを与えてはいない。しかし言えることは、この男もまた彼女のごとく、優れた者であるということだ。

「なかなかやるね」

「舐めないで」

 リュースは後ろへ大きく飛び、ルナは後転した。そうして互いに一旦、距離をとる形となる。

「さて、そろそろ終いにしようか」

 リュースはもうひとつのブルークラウンを抜刀し、ルナへと突きつける。彼女は臆することなく、構えを取った。

 その時だ。

 ――復讐心を煽る外道よ。この地を汚した貴様…俺は許さん。

 ヴァンにはそう、聞こえた気がした。

 突如現れた白銀の”甲冑”がリュースを攻撃した。唐突の事態に、リュースは攻撃を受けきれずに吹き飛ばされる。遺跡の壁に叩きつけられ、地面に伏した。だが直ぐに、よろめきながらも剣を杖にして立ち上がる。

 そこに、ルナの回し蹴りが直撃する。リュースは左手でガードするが、とてつもない衝撃に勢いを殺しきれなかった。左手は力なく垂れ下がっている。

 残った右手でブルークラウンを振りかざす。ルナはそれを、鞘から少しだけ抜刀した刀の峰で受け止めてから、左手で、相手の手の上からブルークラウンの柄を握った。

 彼女は剣を取り戻そうとした。

 その瞬間、青い稲妻が走った。ふたりは衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がった。リュースが先に、次にルナが立ち上がる。

「まさか…お前も…」

 片腕を抑えながら、リュースは苦し紛れに呟いた。そして後ずさりした後、遺跡の縁から飛び降りる。ルナはその姿を追うも、下を覗いた時は既にその姿はなく、男は瞬く間に密林の中に姿を消してしまった。

 そして、鎧だけが残された。

「さっきの甲冑…よね」

 ルナは振り返り、白銀の鎧を見据えた。言うまでもなく、眼前の鎧に話しかけている。

「少女よ。俺の言葉が聞こえるか」

 甲冑が言葉を発した。ルナは驚くが、直ぐに自分のペースを取り戻す。

「ええ…」

「そうか。聞こえるのだな。やはり君は特別か」

「貴方は一体何者?」

「俺か…俺はもう人ではない。この鎧と長くいこと一緒に居すぎたんだ。亡霊と変わらない」

 鎧を着ているせいで、声は反響している。低く安心する、どこか耳に心地よい声質だった。

「敵ではないのね?」

「ああ。俺は今、君たちを味方と判断した」

 甲冑は、膝をついて二人に一礼した。

「なら彼を助けて…血が止まらないの…どうすれば…」

 どんどん顔色が悪くなるヴァンを、ルナは震える手で抱き抱えて言った。その身から真っ赤な血が流れ出て行くたびに、彼の生命の灯火は確実に弱くなっていく。

「鎧を纏え。止血できる」

 甲冑は、冷静にそう言った。

「そんな…そんなことで…」

「本当だ。その少年を救いたいなら、俺の言葉を信じろ」

 ルナは男の言うとおり、急いで石碑から鎧を外し、ヴァンに着せた。すると、とても彼のサイズと合っていなかった鎧が、瞬く間に彼の体に吸い付くかのように縮小し”張り付いた”。その様は、この鎧がまるで生き物であるかのようであった。すると、流れ出す血が止まり彼の表情は穏やかになった。

 不気味ではあるが、この男の言葉は迷いがなく効力がまことであることを物語っている。

「長く着ていれば悪影響を及ぼす。俺と同じように…戻れなくなる、とまではいかないが、しばらく目覚められなくなる。ある程度時間を待ったら外すといい」

 ルナは安堵して、頷いた。それから近場へ彼を寝かせると、彼女は甲冑と向き合って口を開いた。

「――あのリュースという男は…以前にもここへ?」

 甲冑はぎこちなく頷いた。

「ああ。その通りだ。奴は今回を含め二度、ここを襲撃してきた。一度目…あの時も、奴は相当数の賊を寄越した。俺一人では処理しきれないほどの、な。どさくさに紛れ、剣は奪い去られてしまった……恐ろしく狡猾な男だ」

 己の戦闘能力。莫大な金と、人を動かす潜在的な力。王の資質を持った男に違いない。しかし、それは悪逆の王だと、甲冑は言う。

「いつか鎧、そして剣を渡すに相応しいものが現れた時、お前が私の目となり見定めろ」

「どういうこと?」

「俺の君主が残した言葉だ。俺は俺の目で、彼が適任者であると見定めた。王となるかはわからないが、その少年は鎧を手渡すに相応しい器量を持っている。少なくとも俺は総判断した」

 甲冑は、ヴァンの方を見た。

「お願いがあるわ」

「なんだ」

「脱出を手伝って欲しいの。私たちは、この後砂漠を越えて街まで戻らなくちゃいけない」

「それはできない」

「なぜ?」

「俺は君主にここを守れと命じられた。剣と、鎧を」

「なら、あなたが果たすべき目的はもうないじゃない。あなたは自由よ」

 彼女の言うとおり確かにもう、この騎士を縛り付けるものはないのだろう。

「そう思えればいいとは思う。しかしそれは許されない。魂だけになった俺には、ここを離れられない。縛り付けられていなければ、俺はここに存在できないんだ」

 理由としては、どこか不確かなものだとルナは思った。それはまるでこじつけにも似た、そんな彼自身の思いがあるのだと。

「それに…まだあるんだ、護るものが」

 甲冑は、穏やかな声で言った。

「それ、聞いてもいいもの?」

「ああ」

 甲冑は、立ち上がって近場の石碑を指さした。そこには、韻を踏んだ文章が書かれていた。作詞もした事のないような人物が描いた、不器用なストーリー。しかし、思いは確かに感じられる。

 その内容は、はかなげな恋の歌だった。

「この歌、覚えてもいい?」

「構わない」

 甲冑は穏やかな声で言った。

 ルナは、ポーチの中にしまっておいた紙と、ペンを取り出して歌詞を書き写した。なんとなくだが、この歌には惹かれた。

「この歌は、君主が離れた恋人に向けたものだった。詳しくは言えないが、彼女と君主は、世間的には認められない間柄にあった。身分の差とは違った、厄介なしがらみに囚われていたんだ」

「それで、離ればなれになったのね」

 ルナは歌詞からそれを読み取って、そう呟く。

「一つ、訊いておきたいことがある。お前とこの少年はどういう関係だ?」

 甲冑は唐突に質問した。それに対し彼女は一瞬面食らうものの直ぐに口を開く。

「同じ目的を持って、行動する仲間よ。私たちは同じ龍を追っている。それを討つために」

「そうか…だがもし、その関係がそれ以上のものになったのなら……どうかそれを諦めないで欲しい」

「それは…どういう?」

「そのままの意味だ。いずれわかる」

 ルナは首をかしげつつも、甲冑の言葉に頷いた。

 

 

「密林の出口まで案内しよう。そこからは君たちで行くが良い」

 

 

 ◇

 

 

 どこからともなく小鳥達のさえずりが聞こえてくる。辺りには泉が湧き出ていて、その音もまた耳に心地よい。

 朝日が昇る頃。ジャングルの端っこ、彼らは別れを告げようとしていた。

「俺が動けるのはせいぜい、ここまでが限界だ」

 甲冑はそう言って、ヴァンを地面に下ろした。未だ意識が戻らない彼は、どこか安らかな顔を浮かべている。

「助かったわ。ありがとう、護衛してくれて」

 ルナはリュースの襲撃を危惧していたが、それはなかった。それであっても、この甲冑がいたことは大きかった。彼女一人では、怪我をした彼と鎧を運ぶことはできなかったからだ。

「礼には及ばない。俺はガーディアンだからな。これからもここを護り続けていくつもりだ」

 与えられた使命はもうない。甲冑は、自らの使命に従っていた。

「さらばだ。君たちの旅に幸福が訪れんことを、願っている」

 そう言い残し、白銀の騎士は踵を返した。一歩ごとに鈍い金属音を響かせて、彼は密林の中へ消えていく。それを見送りながら、ルナは切なげな表情を浮かべていた。

 

 彼女はふと、あの歌を口ずさんだ。

 とある龍血が創った、悲しき恋の歌を。

 



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白き人
つめたい雨


 ――私という存在を、受け容れてくれた人がいた。

 

 冷たい雨が私の体を打つ。振り注ぐ秋の雫は、赦なく私の体温を奪っていく。

 濡れた服が体に貼りついていた。私は裸体を隠そうともせず、その全てをあわらにしたまま、亡者のごとくおぼつかない足取りで暗い街を歩いていた。

 民衆は私の姿を気にもとめない。いや、違った。好奇の眼差しは常に痛いほど突き刺さって、しかし誰ひとりとして、声をかけてくるものはない。見て見ぬふりをしていることは、分かっている。

 私はひたひたと素足のままで、冷え切った街道を歩いていた。

 どこへ?

 どこまで?

 目的も持たず、私はこの現実から逃避していた。

 石造りの橋の真ん中に着くと、私は橋の縁から下を覗き込んだ。黒い濁流が、激しい音を立ててこちらを見つめていた。まるで私を呼んでいるかのようだ。

 落ちたら間違いなく命はないだろう。橋の縁に手をかけ、よじ登る。そして僅かな、数十センチの幅に私は立った。とたん、今までは微塵も感じなかった恐怖が、震えとなって襲ってきた。

 直前まで失ってもいいと思っていた命が、今は少しだけ惜しいと思えていた。

 私の中で、生と死が拮抗している。しかしそれは長く続かなかった。

 私の中で、死が勝った。

「さよならっ」

 涙を流して、私は身を投げる。まるで時が止まったかのように、その瞬間は長く感じられた。降り続く雨の、その粒が今ははっきりと見える。

 そして私は落ちていく――はずだった。

 唐突に伸ばされた手に、腕を掴まれた。

 力強い手のひらは、私を軽々と引きあげた。

 

 

 白い世界で、彼女は目を覚ました。どうやら、昔の夢を見ていたらしい。それがなんだったのかは、今は思い出せないが。

 未だぼんやりとしたままの視界の隅。そこには青い髪の少年が居た。なるほど。夢から覚めて、この状況を理解するのには時間はかからない。

 顔を上げたルナ・ルークは、眼前の少年を見つめた。

「おはよう。まだ目覚めないのね」

 病室のベッドに横たわるヴァンに、彼女は優しげな視線を送る。かけた言葉の、それに対しての返事はない。彼はただ、安らかな寝息を立てて眠っている。締め切った窓の外から、微かに雨音が聞こえてくる。

 ここ数日、空はずっと機嫌が悪い。しかしこれもまた砂漠地帯にとっては、命を紡ぐ貴重な雨なのである。

 雨は嫌いじゃない。

 確か、あの人と出会ったのもこんな雨の日だった。ルナは外を見つめながら束の間、想い出に浸っていた。

「失礼します」

 ノックとともに声が聞こえた。それから直ぐ病室に、今度は別の少女が顔を覗かせる。可愛らしい顔立ちをした、年頃は14、5歳の少女。褐色の肌に黒髪、大きなグリーンの瞳には希望が満ちている。

 彼女の名はアイリ。鎧が守られていた遺跡の、その周辺の村に居た少女だった。以前ヴァンと会話を交わしたこともある。体はしっとりと濡れていて、髪からは雫が滴り落ちていた。言うまでもなく外出していたのだ。彼女は働くために必要な名義を登録するために、中央ギルドへ趣いていたのだった。

「ありがとうございます」

 ルナからタオルを手渡された彼女は、病室の備え付けの椅子――丁度ルナの反対側に当たる場所に腰掛けた。

「あの時はありがとうね。おかげでここまで戻ってこられたわ」

 ルナは優しげな声で言った。それに対して、アイリは困ったような、はにかんだ笑みを浮かべる。

「いえ。むしろお礼を言わなくちゃいけないのはこちらです。無理を言って同行させてもらったのですから…」

 鎧の入手後、彼らは彼女に同行を求められた。街への帰還をサポートするという交換条件で、彼らは動向を許すことにした。その選択は正しく、最短でここへ戻ってくることができた。

 彼女いわく、ここをひっそりと抜け出したものは数多いらしい。文明が発達する中、自分たちだけが孤立している。そんな立場に耐え切れない若者が、情報を集めて失踪することは珍しくないと。彼女もまた、ここを訪れる者に色々と訪ねていたらしい。

 アイリの手を借りつつ、彼らは岩壁の街へと退避した。

 そして到着してから数日が過ぎた。

「お礼を言うなら、彼にね」

「はい」

 砂漠地帯に行く前に、彼女はたった一人で彼らを見送りに来た。別れ際、何か言いたげな彼女に対しヴァンは、君が望むなら来るといいと言った。それがきっかけで、彼女は切り出すことができたという。ルナは驚きを隠せなかったが、結局はヴァンの意向で事は進み、今に至る。

 元々身寄りもない彼女に居場所は無い。加えて外部との接触を絶ち、見えるものしか見ないあの場所は、少女にはなにより退屈だった。

 そんな毎日の中で時折やってくる旅人達が、彼女の憧れだった。

 彼らに影響されて、思いは募っていく。そして――時は来た。同年代の龍血の旅人と、その連れの奇怪な少女。彼女にとって彼らは、まさしく自らの殻を破る存在だった。ヴァンはそれを見抜いていたのかもしれない。似たもの同士として、情をかけたのかもしれない。

「でも、自分の状態も考えて欲しいわね」

 ルナは呆れながら言った。

「でもよかったの?ひとりで生きていくってかなり大変なものよ。私自身、旅をしてわかったけど…それにお金も無いとなると…辛いよ?」

「何とかしてみせます。覚悟のうえです」

 そう断言するアイリの瞳は、強い意志を宿していた。

「そう。でも、協力できることがあればさせてね」

「ありがとうございます。私も、できることがあればお手伝いしますよ」

 二人は笑を交わした。

「それにしても……目覚めませんね」

 ヴァンは密林を抜けたあと一時的に意識を取り戻し、それをなんとか気力で保っていた。しかし、彼は街に到着した途端に倒れてしまった。まるで力尽きるかのように。

 以後ずっとこの状態である。

 あの騎士が言っていたことが本当ならば、目覚めるまで時間がかかる。傷の手当は一通り終えているため問題はないが、こうしている間は当然食事を取れない。そのことが、なによりルナは心配だった。

 日に日に彼は確実にやつれていっている。このまま行けば間違いなく衰弱死してしまうだろう。

「アイリ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」

「は、はい」

 唐突なルナの頼みに、アイリはやや緊張した面持ちを浮かべる。本人は意識していないが、ルナの声が凛としていたのも原因だった。

「私の代わりに、彼を看ていて欲しいの」

「今、ですか?」

「ええ。頼める?」

 真剣な表情のルナを見て、アイリは深く頷いた。役に立てるならば、喜んで引き受ける。それが彼女の恩返しだ。

「任せてください。鎧も、しっかり守ります」

「ありがとう」

 程なくして、彼女は病室を出ていった。どれだけ真剣な面持ちをしていたかなど、本人はいざ知らないまま。

「ルナさん…大丈夫かな」

 残されたアイリは、窓の外を心配そうな顔で見つめていた。

 

 

 冷たい雨が滴る。彼女は雑貨屋で傘を調達した後、ある場所を目指した。雨の影響か、前ほどに人気は感じられない。どこか湿っぽい、しんみりとした石畳を彼女は歩いた。

 岩壁の街。

 まさか引き返してくる事になるとは、彼女は思ってもいなかった。リュースという男の動向が気になるが、ここならば治安も安定しているのである程度安心できる。傷を癒す場として選んだのは得策だ。

 鎧は入手した。彼が、そして自分が黒鉄と戦う前提条件は整ったのだ。あとは自分自身の力を上手くコントロールし、龍を探知すればいい。

 しかし彼女はどうしても調べておきたいことがあった。それを解決しなければ、気が散って龍を見つけることができない。

 それほどに好奇心をくすぐる事が、彼女の脳裏から離れない。

 ルナはあの日を思い出す。鎧を手にした時の事を。彼を傷つけ、踏みにじり、嘲笑した、黒いロングコートの男の姿を。

 気にせずに居ろという方が無理だった。

 

 まるで鏡写。

 ――あの外見は、私と同じだったのだから。

 

 思いを募らせるうち、彼女は目的地へと到着していた。

「ごめんください」

 ルナはノックの後そう言い、黒い重い扉を開いた。雨に濡れた足元で、室内に一歩踏み出す。水滴が、彼女の立つ床を濡らしていく。相変わらず暗い店内には、以前とはどこか違った空気が漂っている。

 彼女は再び、あの情報屋を訪ねていた。

「どうしたの、随分と怪我しているみたいだけど」

「お前か」

 情報屋は、面倒そうに言った。

「やられた。あの男に」

 店主――情報屋は、至る所に包帯を巻きつけていた。よく見れば店内も様々な箇所が破損しており、争った形跡が見て取れる。

 ルナは目を細めながら店主を見、口を開く。

「あの男って…」

「リュース・グレゴリス」

 自らが調べるべく男の名前を、店主は口にする。おまけに、フルネームだった。さすが専門家というべきである。

「招かざる客だったってことね」

「いいや?客どころの騒ぎじゃないさ。あれはもはや襲撃に近い」

 店主は冗談交じりに言う。

「訊かれた内容は?」

「お前に関しての情報だ」

「私の?」

 ルナは眉をひそめた。

「元々は俺の興味本位、他言無用な個人事だった。しかし、追い詰められて一部喋ってしまった」

「なにより、命が大事ですものね…」

 ルナは言葉ではそう述べるものの、冷たい眼差しを送る。

「俺にもお前のことを喋ってしまった負い目がある。今件ついての情報量は発生しない」

「当たり前ね」

「手厳しい女だな、お前は」

 店主は肩をすくめた。

「直接会ったなら少しはわかると思うけど、あの男はなにか目論んでいなかった?」

「いいや?良くは分からん。聞かれたのはただ、お前のことだけだ。そして奴はお前のことも探している様子だった」

「探している?私を?」

「ああ、満月の日に中央図書館にて待つ。とのことだ。詳しくは知らん」

 話を聞き終え、ルナは考え込んでいるようだった。そして、しばし沈黙が続いたあと、

「――まさかとは思うけど、あなた金で買収されていない?」

 沈黙を破った彼女の言葉には、あからさまな疑心が詰まっていた。

「バカを言うな。これでも善悪の基準はつけている。お前が善、あいつが悪だということもな」

 即答したあたり、本心なのだろう。しかし善とは言い過ぎでは。とルナは眉をひそめた。

「それにしても、お前がここを訪ねてくることを前提にして、奴は俺を生かしたつもりか。狡猾な男よ」

 つじつまが良すぎる。男は詮索するような事はないといったが、ルナは内心なにかの工作があるのではないかと今も疑っていた。

「…彼が危ないわ」

 目を伏せて、ルナは言った。

「あの龍血か?」

 店主の言い方に、ルナは不快な顔を浮かべる。

「あいつはどうしているんだ」

「あの男と打ち合って大怪我をしたの。怪我自体は病院で治療できたけど…まだ目覚めない」

 それを聞いて、しばらく店主は俯いていた。

「…そうだったか。それに関しては案ずるな。奴のことは直ぐに保安部へ通報した。もう奴は指名手配犯だ。まあ、以前から人殺しをしていたようだから、捕まれば即処刑だろう。裏のギルド部隊も粛清に動き出したらしい。とにかく、あいつはもう終わりだな」

「本当にそうかしらね」

 あの男なら、それさえも出し抜く可能性が多いにある。

「少なくとも簡単に動けはしない…窮屈な思いをしているだろう。ここは自由な街だが、意外とガードが堅い。特に大きな施設、病院には入れまい」

「そう。でも、そうなるとますます私も動きにくくなるわね」

 彼女はため息をついた。男女の差はあるものの、特徴、容姿はルナのそれと似ているからだ。

「問題はない。俺がきちんとした説明をしたからな」

「一個人の説明なんて通るものなの?」

「見くびるな。これでも俺は元裏ギルドの諜報員だった」

 意外な新事実に、ルナは目を丸くしていた。確かにあの男と戦って生き延びている時点で、この店主も只者ではないのかもしれない。

「で、行くのか?奴のもとへ」

「…考えてみるわ」

「残念だがあまり時間はないぞ。満月は――明日だ」

 店主はそう告げた後、ルナは無言で会釈し足早に店を後にした。

 一刻も早く、雨音を聞きたかった。心に芽生えたざわめきを、かき消してくれる音が欲しかった。

 気が付けば、傘も差さずに雨に当たっていた。

 雨の日は嫌いじゃない。

 しかし今は、このつらなる音を懐かしむ暇はない。

 動悸が治まらなかった。不安が脳裏をよぎり続けた。

 ――そして何よりも強く、彼女の心には期待が溢れていた。

 

 

 ◇

 

 

 人気の消えた夜の街を、一人歩く人影がある。夜空に浮かぶ赤い満月は、不気味に鈍く輝く。

 怪しい光に照らされた黒衣の男は、闇夜で不敵に微笑んだ。

 彼女は来てくれるだろうか。いや、きっと来てくれるだろう。

 

 我々は似た者同士なのだから。

 



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月下の暴露

 満月まで後一日。

 情報屋からそう告げられてから、数時間が経った。降り続いた雨は上がり、雨雲の切れ端から強い日差しが射す。束の間、しっとりとした雨の残り香が街を包んだ。しかしそれも長くは続かない。水分は高い気温によって蒸発していく。濡れた体のまま、ルナは街を歩いていた。衣服の水分は簡単には乾きはしなかったが、彼女の歩いた道に残った足跡は、すぐに乾いていた。

 静かな昼下がりだった。彼女は、行く当ても決めずにただフラフラと歩いていた。すれ違う人は多くはないが、皆揃ってこちらに好奇の目線を送ってくる。しかし、彼女はそれを意も介さない。

 こんなことをするのは久しぶりだ。いつも目的を決めて、それをいかに迅速に遂行するか。それだけを考えていた。それがいつごろからだったのだろうか、思い出せはしない。

 私にとって記憶とは、とても曖昧なものだ。

 そう、ルナ・ルークはいつも思っていた。

 天を仰いだ。

 相変わらず日光は苦手だ。だが、この光は嫌いではない。彼女は細めた目の合間から、自由に駆け巡る一匹の、白い鳥が舞う様を見据えた。

 そして思う。

 大空を駆け巡るあの鳥のように、自分は今解放されているのだろうかと。

 ヴァン・グリセルークは目覚めず、龍の居場所も依然としてはっきりとしない。今はそう――休戦状態にある。それは明日の夜までの短いものであるが、ある意味約束されたものであると言って差し支えない。

 本来はこの状況に危機を覚えなければいけないはずなのに、彼女はどこか余裕を感じていた。嵐の前の静けさ…なのだろうか。だとすれば覚悟を決めておかなければならない。ルナは、心中で自分に喝を入れた。

 ふと、彼女は商店街の一角、やや寂れた場所に設置されたベンチに座った。足元の水溜まりが蒸発するにつれ、次第に人の行き来が多くなる街並み。それを見据えながらも、ルナはこれまでの旅を振り返る。

 あまりにも密度があり感じもしなかったが、まだ数週間ほどしか経過していない。その僅かな短い間であっても、彼と自分との距離はかなり近くまで縮まったと思う。向こうがどう思っているかはわからないけども、少なくとも自分はそう感じていた。

 ルナは自分の中にある正直な思いを再度確認した。

 そして同時に、彼女の中に罪悪感が芽生える。

 図書館に向かうか向かわないかは、自分の意思次第なのだ。平穏を守るためならば、無理をして相手の話につき合う必要もない。ヴァンが回復するまで彼の傍で介抱を続けるのは、正解だと自分でも思うし、彼が望む選択であることも知っている。

 だからこそ図書館へ向かう話の以前に、そもそも独断で動いてしまったこと自体が、ヴァンの信頼に対しての一種の裏切り行為に値するのではないのだろうか。そのことに対しての罪悪感が彼女を苛ませる。

 少なくとも――彼の不在を利用して、自分の好奇心を満たそうとしているという事実は否めない。

 しかし、彼女にとって自分が何者であるかという答えは、重大な事だった。自分がわからない。そこから生まれる底知れぬ不安が、いつも自分を脅かしている。毅然と振舞うように心がけていても、時折その仮面は崩れ落ちる。どうしようもなく不安になったり、悲しくなったりすることもある。

 旅立つ日に見せてしまった涙も例外ではなかった。同世代の、しかも異性の前で涙を見せたことなどほとんどなかった彼女は、あの時を思い出して今一度少し、気恥ずかしさを覚える。

 黒鉄を討つ為の――必死の懇願だった。羅音のこと、自分のこと、そして彼のこと。三つの意志と目的を成し遂げるためには、必死になる他なかった。

 そう。必死だったのだ、自分は。それは今も変わらない。ではなぜ今、自分は自分のことについてのこだわりばかりに支配されているのか。

 ルナは記憶と気持ちを整理して、自らの行動原理を探った。

 

 自分が何者であったかも思い出せない。

 私は一体どこから来たのだろう。

 

「私はルナ・ルーク。あなたは?」

 その質問に、私はどう答えたのだろう。

 

 惨劇の後、散り散りになった子供たち。ひとり残された私は、彼に救われた。しかしその彼もまた、旅の最中に倒れた。刺々しい剣山のような、漆黒の龍の一撃によって。

 

 やがて行き場を失った人々が、色を失った者達が――その町に集った。

 そして私もまたその一員となった。

 驚くほど静かな町の中で、私は平穏を感じていた。

 

 本当の名を忘れたまま、やがて私は彼に出会った。青い髪の少年と。

 

 だが。

 彼と話しているのは、本当に私なのだろうか。

 やはり真実を知っておく必要がある。例えそれがどんなものであっても。

 

 

 ◇

 

 

 深夜を回った頃、ルナはアイリを起こさぬよう病室を抜け出した。

 一応、彼女には行き先を伝えてはいる。

 他言無用という条件で、だ。

 万が一ギルド、保安官が絡むような事態になれば、事は成し遂げられないと考えたからだった。

 闇夜の中を、彼女は息を殺して進んだ。

 彼女は修道服姿ではなく、遺跡の時同様鎧姿だった。不測の事態があるかもしれない。念を押しておく必要があった。武器はもちろん煙幕や爆竹、投擲ナイフなども所持している。彼女は図書館の表側を避け、裏口へ回った。白い格好のため、夜間は特に目立つ。ローブで隠してはいるが、隠しきれない部分もある。最善の注意を払いながら、茂みを利用してなんとか裏口へ回り込むことができた。ここまで警備員や保安官の姿は確認できない。

 不自然だ。なにか工作でも行ったのだろうか。予想通り、裏口の鍵は開錠されていた。警戒しつつも、彼女は人気の消えた図書館の内部に足を踏み入れる。受付を通り過ぎ、踊り場へと出ると、床には色彩豊かな文様が映し出されていた。頭上の美しいステンドグラスが、怪しげな月光を介して奇妙に色づいている。

「やあ」

 ルナは咄嗟に振り返り、声の出処を探った。二階の本棚の陰。闇の中の人影がゆっくりと動く。人影はやがてこちらへ出向き、光を帯びて次第にその姿を顕にしていった。

「来てくれると思っていたよ」

 黒衣の男――リュース・グレゴリスは微笑を浮かべた。

「こんなところに呼び出して、一体何が目的?」

「戦いをしに来たわけではないよ。実は、君と和解をしたくてね」

 白い刀を突きつけたルナに対し、リュースは穏やかな声でそう告げた。彼女は油断をしないまま、渋々刀を紅い鞘に収める。リュースは螺旋階段を降り、一階に向かってくる。そして踊り場に到達した。

 互いの距離は保ったまま、彼女はゆっくりと刀を鞘に収めた。

「警備の人たちはどうしたの」

「始末させてもらったよ。せっかくの機会を邪魔されては困るしね」

 ルナはその言葉を聞いて、リュースを強く睨みつけた。彼女の怒りの視線を受けても、向こうは笑みを浮かべているだけだった。

「君は、自分が何者なのか知りたくはないか」

 リュースは唐突に、そう切り出した。

「知っているのね」

 ルナの問い掛けに、男は静かに頷いた。

「私も、今まで自分が何者なのか探していた。だが、なかなか結論は出なかった。君も同じように生きてきたはずだ。生まれた頃の記憶は曖昧、その身に備えたほかの人間とは違う力の存在」

「私はその正体を知っている。どうだろう。君が知りたいというなら、ここで解き明かしてもいい」

 ルナは葛藤した。おそらくこれは罠であり、こちらへの攻撃だ。物理的にではなく、精神面での。しかし。

 ――知りたい。

 彼女の好奇心が、探究心がそれを許さなかった。

「聞きましょう」

 ルナは自ら受け容れる。

 ――冷や汗は、既に頬を伝っていたというのに。

 つよがりの笑みを見せた彼女に、リュースは凶悪な笑みを返した。

「白き人とは何なのか。私は長い間探し続けていた」

 そしていつごろか、そこ答えを知ったと、リュースはそう言った。

「元々は代居人…代わりに居る人という意味だったらしい。それは、他人を寄り代にして生きるから、だそうだ。病弱な外見と反した強靭な肉体と、洞察力を持つ。そして皆、長寿だ」

 そこで一旦、話を区切る。

「それには理由があってだね。人の寿命はどれくらいだと思う?」

 リュースは唐突に彼女に問いかけた。

「…80」

 ルナは困惑しつつも答えを出した。

「そう。その通りだ。人が生きてもせいぜい80年くらいだろう。だがそうなると、彼らにとっての目的を達成するには不便だ」

 リュースは移動しつつ、話を再開した。演説のごとく声のトーンを細かに変えながら、彼女に語りかけてくる。

「目的?」

 ルナは眉をひそめ、そう聞き返す。

「龍を殺すことだよ。白き人は、龍を殺す機会を待っている。だから人のそれよりもずっと長く生きていけるそうだ」

「いつごろだろうか、私は老いを感じなくなった。まるで変化がない。時の流れが、私の周りだけ止まってしまったかのように」

 リュース・グレゴリスは穏やかな声で言い、近場の鏡に触れた。彼の見た目は二十代半ばほどだった。ルナは、この時に確かなざわめきを心の中で感じた。男の次の言葉を、聞きたくないという感情と、そして待ち望む気持ちがあった。

 やがて、男は口を開いた。

「君は私の歳を知らないだろうが……君が思っているよりもずっと、長生きしている」

 彼女は、身震いした。

 ここでもってやっと、彼女は自分が得体の知れない存在と会話をしていることに気がついた。何者にも臆しない意志の強さが、自分の取り柄だと思っていた。しかし今は、不安という恐怖が背中に迫ってきている。

 それが、はっきりとわかる。

 怪しげな月光を背に受け、リュースの瞳は不気味に紅く光っていた。白髪が散り散りに揺らめいている気さえもして、それが威圧感と恐怖をあからさまに伝えてきている。

「どれくらい生きているの…?」

 男は答えを言わず、不敵な笑みを口元に浮かべるだけだった。それが逆に不気味であり、彼女を震え上がらせた。ルナは、次第に動揺を隠せなくなっていた。

「聞かせてあげるよ。そうしなければ君は協力してくれそうにないしね」

 リュースは、静かに物語を詠む。

 

 この世界において龍とは絶対的であり、人がそれに抗う術は無かった。

 しかしいつの頃だろうか、白き人が彼らを討ち、追い詰めた。

 

 足元の本を拾い上げ、男はその一節を述べた。彼女もいつごろか読んだことのある、一般的なおとぎ話に登場する――白き英雄の話。彼は青い稲妻と剣を駆使し、人々を脅かすドラゴンを幾つも討った。表面的に見れば、英雄は人を救った偉大な人物であり、崇められるべき存在だ。

 しかし、この話には二面性がある。そしてその裏側を彼女は知っていた。

 

 ドラゴン目線から描かれた、珍しい書物。その一節――

 

 我が仲間、青き民。それを殺して回った、白き怪物。

 龍によって護られる、世界の理を逸脱した者。

 全ての青き者の敵となる存在。

 

 ――あの時の稲妻、紛れもなく君が放ったものだ。どうやったのか…私に教えて欲しいんだ」

 男は何かを話していたのだろう。しかし彼女には、それが途中からしか聞こえてこなかった。

「知らない…」

 彼女は適当な返事をした。その声は沈んでおり、彼女の心の有り様をものがあっているようであった。

 ルナは後悔の念を抱き始めていた。

 私は悪魔の囁きに誘われ、罠に嵌ったのだ。自らの好奇心を抑えられず。

 様々な感情が渦巻き、彼女の鋭敏な思考を奪っていく。

「自覚がないだけさ。我々は元々龍を殺す力を秘めている。それは探知能力だったり、予知能力だったり、個体ごとに様々だ。君が見せた青き稲妻。あれは、攻撃性を持った白き人の…君の力だ」

 リュースは雄弁に語る。

「私の場合、予知能力がある。ドラゴンが絡むと予知できるのでね、あの少年と君がいる限り追跡は可能だ。実を言うと今のこうした状況も、大体予知していたんだよ。――だがまあ、君たちと出会うのは偶然だった」

「ドラゴンの強大な波長に比べれば、龍血一個人など見つけることもできない。しかし一度接触して、それから波長を合わせて狙いを定める。そうしておけば予知もある程度可能だった」

 ルナは、呆然としたまま話を聞いていた。辛うじて残った思考力で、彼女は相手の話を噛み砕く。

 ――探知能力、そして弱点の把握に関しては自分も備わっている、一種の特殊能力だ。前者においてはこの男もまた、自分と同じ存在だということを証明している。話の筋はおよそまかり通る。それが無性に悔しかった。

「我々は特別な存在だ。龍を追い詰め、世界の淵に追いやった白き伝説の人なのだよ。言わば、生ける龍殺しの武器。しかしながら、残念だが個人では龍にはかなわない。この忌々しい剣を頼らざるを得ないのだ」

 リュースは続ける。

「しかし手を組めば、違う。君の龍殺しの青い稲妻は、切り札となる。ドラゴンバスターの称号どころか、あらゆるドラゴンの血をすすり、さらに高潔な存在へと昇華できる。君はあのおとぎ話のように、白き英雄になれる」

「君が私と同様、仲間であることを理解して欲しくてこの話をした。どうかこの気持ちを汲んでくれるとありがたい」

 最後にそう言い、男は話を締めくくる。

「嫌よ」

 ルナは即答した。瞳にはまだ、強さが宿っている。

「そう。君はそう返すと思っていた。だが、どうかな。合理性を問えば、悪い話ではないはずだが」

「…どういうこと?」

 ルナの言葉に、リュースは微笑む。

「彼を傷つけたくはないだろう?私と君が手を組めば、彼を巻き込まずに黒鉄を倒すことが出来る。すべてを丸くおさめることで、皆が幸せになれる」

 黒服の男は、彼女を懐柔しようとした。ルナは一瞬揺らぎかけるが、それでも首を横に振る。それだけは、絶対に避けなければいけない結末ということくらい、分かっている。例え自分が男の言う、伝承上の白き怪物であっても。

 ひとりの人でありたい。それが彼女の気持ちだった。

「あなたのような人殺しと、一緒にいたくなんてない。同じ存在というだけで、吐き気がするわ」

 ルナは吐き捨てるように言った。そしてその言葉は、男の誘いをあからさまに、拒絶していた。

「そうか。残念だ…。しかし、私だけが人殺し?それは違う。君も殺したじゃないか」

 リュースは先ほどとは違う――鬼気を含んだ口調で言った。その言動と内容にルナは困惑する。彼女には当然、そんなことは身に覚えがなかった。

 しかし、わからない。

「だ、誰を…?」

 不安が頭の中をよぎり、眉は困惑に歪む。

 強気な瞳は一転し、戸惑いを映していた。

 

 彼女の揺らぐ視界の中には、赤く染まった満月と白い悪魔の姿だけがあった。

 



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しじまからの帰還

 真っ白な空間に、自分はいた。

 重量から解放された世界。

 まるで夢のような。

 

 いや。これは夢なのだ。

 

 確証はないが、なんとなくヴァンにはそれが判った。

「少年」

 ふと、何者かに呼びかけられた。低い声だった。

「誰だ?」

 振り向くと、背の高い戦闘装束の青年が立っていた。線の細い端正な面持ちに、切れ長の茶色の瞳。そして正面からは気がつかないが、焦茶色の髪を後ろでまとめている。その見た目はまさに、東方系という言葉が確りくる。

 ふと、気がついた。

 ――腰に携えた鍔のない赤鞘の刀剣の存在に。

 ヴァンは彼が誰であるかを、おおよそ察した。

「あなたが、羅音(らいん)か?」

「ああ、そうだ」

 羅音は、自分の隣まで来てからゆっくりと腰を下ろした。

「彼女に伝えなければいけなかったことを、伝えに来た」

 その声は優しげでありながら意志の強さがあり、聞いているとどこか落ち着くものがあった。

「何を?」

 ヴァンが内容を訊く。羅音は、静かに口を開く。

「それは――

 短い会話の後、ヴァンは無言で頷いた。羅音はそれを見て安堵したように、笑みを浮かべる。

「どうか、あの娘を護ってやって欲しい」

 

 さあ、目覚めるんだ。

 

 ――長き沈黙を破り、彼は目を覚ました。

 眼と首だけを動かし辺りを見回す。すると、視界にぼんやりとした黄色い小さな電灯が一つだけ映った。それは頼りなく、この場所を薄暗く照らしている。

 今は――夜か。

 視界は悪いが、しばらくすると目が慣れた。カーテンの間から差し込む月光、そして電灯を頼りに室内の形状、起伏を把握していく。どうやらここは病院の大部屋らしい。自分の寝ているベッド以外にも、いくつか同じものが並んでいる。しかしながら、ここにいるのは自分だけ。完全に貸しきり状態であった。

 記憶を整理しつつ、ヴァンは半身を起こして近場を見回した。少し離れたベッドの隣に、自分の身につけていた鎧と、ポーチなどが並べられている。アーマーの革部分は、先の戦闘によってひどく破損していた。金属部分も同じく凹みや亀裂がある。

 どうやら自分の思っていた以上に、激しい戦闘を繰り広げていたらしい。

 傷ついた鎧の隣には、愛用の青の剣が置かれている。ヴァンはブルークラウンを見据えつつ、記憶を遡った。

 自分は遺跡に乗り込み、そこで裏で糸を引いていた黒服の男と対峙した。そして最深部にて、自分と相手――同じ青の剣を携えた者同士で打ち合った。

 しかし結果は呆気なく、自分の敗北で終わった。しかも無様な惨敗。抉られた腹の傷は、幸い内蔵までは達していなかったようだが、それでも生きているのが不思議なほどの重症だったが、不思議と傷は塞がっていて治癒も進んでいる。縫合の後をなぞりつつ、ヴァンはある事を思い出した。目的の品――ブルーススケイルについてである。

 結果として鎧は、手に入れていたはず。しかし頭がまだうまく働かない。ヴァンはしばらく、力を抜いてうなだれた。やがて思考力が戻って来るのを確認してから、深呼吸して一息つく。

 あれから…いったい何日たったのだろう。ふとそんなことを思った矢先、視界に人影が映る。今まで気がつかなかった。

「ルナ…?」

 紡ぐ言葉は、まだぎこちなかった。

 いや違う。幻は消え去り、真実を暴き出す。

 彼女ではない。傍らには別の黒髪の少女が居た。少女は眠っており、スースーと気持ちの良さそうな寝息を立てていた。彼女を起こさぬよう、ヴァンはベッドから起き上がろうとしたが、同時に彼女を起こしてしまった。

「目を、覚ましましたか?」

「ああ。起こしてしまったか、すまない」

「いえ。無事に目覚めて安心しています」

 少女の目覚めは良いようで、数度目をこすってからすぐにはっきりとした口調で喋った。

「君は確か…アイリだったな」

「はい。あの村から同行してきた者です」

 あの村とは、砂漠地帯のオアシスに存在した小さな村だ。外界からの情報屋物資を一切拒絶し、独自のルールによって形成された場所。アイリは自分たちと手を組み、そこから抜け出してきたのだった。

「そうだ。ルナはどうした?」

 ヴァンは自分やアイリのことよりも、まず彼女のことが気にかかった。先刻彼女に纏わる人物から、大事なことを告げられていたからだ。

「そのことについては…まず食事を摂りましょう。食べながら話します。彼女も私も、あなたが食事を取れないことを第一に心配していましたから。ほら、非常食ですけど用意しておきました」

 畳み掛けるように、アイリは喋った。そして言葉通り、携帯食をヴァンの口元へ向けて……

「ま、まて、あまり腹は減ってない」

「嘘ですよ。だってもう三日も何も口にしてないんですから」

 アイリは棒状の干し肉のような物を、彼の口に押し込もうとしてくる。

「い、今までで三日くらい、食わなかったこともある!」

「でもお腹は空くでしょう?」

 可愛らしく、それでいていじらしい表情を浮かべるアイリ。ヴァンは必死に抵抗する。彼のとって食べることに関してではなく、誰かに食べさせてもらうことのほうが問題だった。

「平気…だっ!」

 そう言った瞬間、彼の腹は抗議の声を上げた。

「体は正直ですねっ、ほら」

 ヴァンはとうとう、彼女に口を塞がれてしまった。

 とりあえず……

 まずは水を飲ませてくれと、彼は心中で呟いた。

 

 

「そうか…そんなことが」

 ヴァンは、食事を摂りながらアイリの話に耳を傾けていた。彼女は落ち着いてここ数日のことと、ルナとの会話、彼女の動向を話した。

「ところでアイリ」

 やがて食事を済ませると同時、ヴァンは訝しげな顔をした。

「鎧は、奪われてはいないか?」

 まず、心配事だったことを聞く。苦労して手に入れた代物だ。あれがないと戦いは始まらない。

 見たところ、室内にはないようだが。

「大丈夫です。私とルナさんで見張っていましたから」

 アイリは元気よく答えた。どうやら、心配はないようだ。しかし見張っていた、か。ヴァンは続ける。

「それで、どこに隠してあるんだ?」

「私の目が常に届く場所です」

 ヴァンは、視線を巡らせてある場所――あるものを見つけた。

「そうか。なら安心だ」

 ヴァンは表情を緩めて、気軽な声で言った。

「そういえばさっき、妙な夢を見たんだ。ルナの師匠さんに会ったんだが、なんだか彼女を心配している様子だった」

「そうなんですか…」

 アイリはそれを聞くとすぐ、浮かない表情になった。

「なんだか嫌な予感がするんだ。アイリ、知っていることを全部話して欲しい」

「実は…口止めされていて…」

「言うんだ。今すぐ」

 ヴァンは彼女を見つめ続けた。

「…図書館へ向かいました。会わなきゃならない人がいると…」

「いつごろだ?」

「先程…30分ほど前です」

 アイリは直ぐに根負けして、彼に真実を打ち明けた。

「まだそれほど経ってないか…」

 ベッドから起き上がったヴァンは、覚束無い足取りのまま病室の端に向かった。棚や花瓶が陳列する中に、不自然に居座っていた物体。それにはフードが被されていた。

 そして彼は、おもむろにそれから布を剥ぎ取った。

「もう少し、上手に隠しておいたらどうだ?」

 顕になったブルースケイルを背にして、ヴァンは悪い顔で笑った。アイリは口をパクパク細かく開閉させながら、「やってしまった」という顔をする。

「装備する気ですか!?」

「ああ。じゃないと動けそうもない」

 この鎧は龍の血から身を守る他に、使用者に確かな力を与えてくれる。一度装備して、ヴァンはそれを実感していた。

 しかし、その力には対価が伴う。

「ダメです!それを着ていたせいで、貴方は今のような状態になったんですよ!彼女は、あなたが無茶をしないために口止めまでして…」

 彼女の言うとおり、この鎧は使用者の精神力……いや、もっと本質的な何かを蝕む。ヴァンが昏睡状態にあったのも、実際のところ怪我のせいだけではなかった。

 言葉で例えるなら”魂をこの世から遠ざける”のだ、この鎧は。

「構わないさ」

 ヴァンは、落ち着いた声で言った。

 アイリはそれを聞いて戸惑った。細い手を胸の前にやり数歩後退りをして、不安そうな顔を浮かべる。

「どうして?わからない。私には…」

 彼女が気を遣ってくれたというのに。と言わんばかりに、アイリの言葉には困惑の感情が含まれていた。

「君も友を持てば、解るだろうさ」

 ヴァンはそれだけを言って、鎧の留め具を外した。そして迷わずに装着する。元の使用者がそうだったのか。やや小さめに作られているが、それでもやはり自分の体とはサイズが合っていないようだった。今後運用するためには、どうやら調整が必要だろうと思った。

 ヴァンは関節部と干渉の少ない胴鎧と、篭手だけを装備した。それ以外は、今までのものを装備する。

 鎧と篭手はどちらも、装着後身体の形状にぴったりと吸着した。最初に装着したときは意識のなかったので、この感覚は今回が初めてだ。実に気分が悪いが、不思議とすぐに慣れた。その後はなんだか、心地よくさえも感じる。これが、この鎧が自分と同調している証なのだろうか。

 ――彼女を護る。

 ヴァンは固い意志をその胸に誓い、ブルークラウンを携える。

「必ず戻る。準備していてくれ」

 彼はそう言って、足早に部屋を去った。アイリは、その後ろ姿を引き止めることはできなかった。

 ヴァンは人気の消えた夜の街路を全力疾走する。まるで獣のごとく。間に合ってくれと、無事でいてくれと。

 彼はただそれを思って駆け抜けた。

 

 

 ◇

 

 

 彼女の脚は、ひどく震えていた。憶測を突きつけられただけであるというのに、どうして自分はこんなにも動揺してしまっているのか。それは多分自分にも、あの日の真実に確信がないからだ。

「代居人は生まれる時に、誰かに成り代わると言っただろう。つまり君は、その時に一人を犠牲にしている」

「ルナ・ルークとは、誰のことだろうね?」

 穏やかな口調とは裏腹に、リュースの紅い瞳は彼女を睨みつけているようだった。ルナは怯えたような表情のまま、激しく首を横に振った。

「イヤだぁ!!」

 そして、絶叫した。

「記憶の見えない部分から目を逸らすな…!よく思い出すといい!お前は人殺しだ!私と同じく、誰かを食って生きている怪物だ!」

「やめて――!」

 頭を抱えて、ルナはその場にへたり込む。

「認めろ…お前が殺した彼女の最期は、どうだった?」

 たったそれだけのささやきが、彼女の記憶の裏側を掘り起こした。ルナは瞳を見開き、口を震わせた。

「わ、私は…」

 普段は絶対に届かないその場所へ、目の前の悪魔は忍び込んだ。彼女を内面から弱らせて、その強い意志を破壊し、彼女の精神を蹂躙した。

 名前など、知るわけもなかった。

 悲鳴と鮮血の部屋の中で、私はひとりの少女に歩み寄った。

 少女の虚ろな瞳は、白く光る”人型の何か”を映していた。

「あれが白き…人?」

 闇に染まった記憶の一ページは、今暴かれた。

「君は認められなかっただけだ。何としても人でありたかった気持ちが、君自身を封印していた」

 リュースは崩れ落ちた彼女に優しげな声をかけた。そして凶悪な笑みを浮かべる。

「私なら君を理解できる。我々は我々らしく、生きるべきだ。どうかな、考え直してくれないだろうか」

 リュースはルナに接近して――手を差し伸べた。これまで見せたことのなかった行動だった。

「嫌だ…」

 そう、ルナはうつむいたまま呟いた。リュースはそれに面食らった様子で、差し伸べた手をすぐに戻し苦笑を浮かべた。

「強情な女は嫌いだよ」

 そしてさり気無く、腰の鞘に手を掛ける。

「代居人にも当然寿命がある。しかし、ドラゴンと同じく悠久の時を生きるために何度も転生ができるらしい。個体面で優秀な君を、今ここで試してみるのも悪くない」

 リュースは剣を引き抜いた。そしてその切っ先を一度、ルナのうなじへ向けてから、頭上に振りかざす。

「…まずは、君を半殺しにする」

 彼女は素早く刀を抜き、その一撃を受け止める。リュースを睨んだ紅い瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。

「嫌だ…!!」

 ルナは月夜に吠えた。それからブルークラウンを弾き返し、リュースと距離をとった。

「ここで死んだら、死んでしまったら…あの子の命を奪ってまで生きながらえた意味がない…!」

 赤い月は、いつの間にか白銀に変わっていた。

「私は、生きる。どんなことがあっても必ず。もう二度と、命を投げ捨てたりはしない」

 赤鞘から刀を引き抜く。曇りのない白い刀身が、月光を反射させて煌めいた。

 そしてルナは、羅音の形見刀――紅月を静かに構えた。

「そうか。それまでして抵抗したいか。なら、ここで決着をつけよう」

 リュースは不敵に笑い、構えを取った。それから刹那、二人はお互いを目掛けて走り出す。ステンドグラスの、鮮やか光が落ちた踊り場で二人は剣を交えた。甲高い、剣の打ち合う音が何度もそこで木霊する。ルナの全力の連撃は、凄まじいものだった。もともと筋力には優れていない彼女だったが、体重移動をうまく活用して、変化に富み、それでいて勢いのある攻撃を何度も繰り出した。対するリュースも、人間離れした運動能力でそれをさばき、反撃を加えている。しかし依然としてお互いに致命傷はない。

 お互いに同時に蹴りを繰り出して、二人は派手に吹き飛び床を転がった。

「君は人を手にかけることを、恐れているな」

 リュースは挑発するように言った。

「…どうかしらね?」

 ルナは負けまいと笑みを浮かべる。しかし彼女の脳裏には小さくも、確かに焦りが生じていた。

 スピードと攻撃性では、こちらに有利がある。しかし持久戦となれば別だ。相手の体力から推測して、打ち負ける。

 ペースを乱されたルナは、リュースの攻撃の全てを捌けずにいた。剣撃はなんとか受け止めはしているものの、その間に放ってくる格闘攻撃は見きれずにいた。剣術においては、向こうのほうが上手だった。それに加え、ほぼ互角の格闘術。疲労で落ちたこちらの攻撃スピード――つまり威力。

 押されるのも無理なかった。拳が何度か横腹に入り、彼女は痛みと苦しみに呻き声を上げる。胃液が逆流し、何度も咳き込んだ。

 だが――負けるものか!神速で踏み込み、相手の懐に刃を突き出す。しかしその攻撃を待っていたと言わんばかりに、リュースはブルークラウンを攻撃に合わせて交え、その冠部分で紅月の刃を捉え、無効化した。ルナはうろたえて、一瞬その場で動きを止めてしまった。

 無防備な腹に拳を、そして蹴りを食らった。刃が固定されていたため、ルナは攻撃の勢いを殺せなかった。吹き飛ぶこともなく、彼女はその場に倒れ伏した。紅月は手元を離れ、床に転がる。

 鈍い痛みが、次第に強く腹部に広がる。

 これはいけないと、彼女は悟った。しかし遅かった。回避行動を取る力は、もう残っていなかった。黒い影が頭上に迫る。

「終わりだ」

 刹那。

 闇の中から、青い獣が飛び出した。

 



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それぞれの出発点

 ブルークラウンの切っ先は、黒衣の男を捉えていた。

 高速で突進した獣の刺突。身体を翻してそれを避けると、リュース後ろに飛び距離をとった。上げた顔には、困惑が浮かんでいた。

「君か…まだやるというのかね。あれだけ私にやられておきながら」

 訝しげな声でリュースは言った。

 ふたりの男が向き合うさまを、ルナは倒れながら見ていた。月を中心にして、右にリュース・グレゴリスが、そして左に――ヴァン・グリセルークが立っていた。激情を燃やすリュースとは対照的に、ヴァンはとても静的な印象を与えていた。

「そんなに死にたいか…!龍のなりそこない…!」

 リュースの問いかけに、ヴァンは沈黙を貫く。そして無言のまま――跳躍した。

 そして刹那、その眼前に剣を振り下ろす。リュースはそれを紙一重で避けたが、ヴァンはそのまま手首をひねり、切り上げた。地面を抉った剣先の散らす火花が、闇の中に一瞬煌く。鋭い一撃は、黒衣の男の胸を抉った。

(当たった!?)

 ルナは目を見開いた。浅いが、彼はあの男に剣で一撃を与えたのだ。不思議なことに一瞬、相手の傷口からは青い炎が燃え上がった。だが、そのことなど特に気にならなかった。

 彼女は今、目の前の青い戦士の姿にただただ、見とれていた。

「見えるのか?この闇の中で…」

 リュースは、ブルークラウンを突き出した。一撃ではなく、何度も。刺突剣の攻撃スタイルだった。一度でも刺されば、龍血のヴァンにとっては致命傷となる。が、彼はそれを避けなかった。

 盾がわりに突き出した篭手は――剣撃を受け流した。一瞬青い炎が燃え上がるものの、即、消失する。

 あらゆる龍を否定するというこの鎧の力だった。それは龍殺しの力に対しても例外ではない。

 龍血において致命傷となる一撃は、完全に無効化された。

 ヴァンの動きはどれも、動きに畏れを感じさせなかった。苛烈で、鋭く、それでいて余裕が有る。

 リュースは、それに圧倒された。

 鎧の力を差し引いてもこの少年は、強い。

 そして確実に、前よりも成長している。

 リュースの口元が緩む。久しく感じていなかった危機感が、おかしな事に心地よかった。

 互いに構え直し、再び接敵しようと脚に力を込める――その時だった。

 

 ”そこまでだ”

 

 唐突に声が響いた。艶のある、雄々しい声だった。二人は動きを止め、剣を下ろして辺りを見回した。

 程なくして、どこからか足音が聞こえてくる。それは次第に近づいてきて、やがてルナの横を通りすぎた。

 踊り場に、三つ目の影が射す。

「お前たち、そこを動くな」

 現れた男は言った。言うまでもなく、ヴァンとリュースへ放った言葉である。目深に被った帽子のために男の顔は詳しく伺えないが、堀のある男らしい横顔であることは、シルエットでわかった。

 ルナはその姿を見上げる。赤と黒の装束に身を包んだ男の腰には、流麗な銀の刺突剣が携えられていた。

 恐らく指揮官なのだろう、胸にはいくつもの勲章が確認できた。

「取り囲め」

 その一言で、現展開は一変する。闇からいくつもの人間が現れ、瞬く間に踊り場は包囲された。確認できるだけで10人はいる。彼らも皆、赤い装束を身にまとっていたが、指揮官らしき男とは若干意匠が違っていた。装飾はよりシンプルなものとなっている。

 リュースは数名の人間に取り囲まれることとなった。奥には、また別の――剣を構えた騎士の姿もある。

 銃士が数名前に出て、小型拳銃の銃口をリュースへと向けた。

「剣を棄てろ」

 指揮官の男は短く言った。

「ああ…」

 素直にそう答え、リュースは床に剣を置こうとする――が、それは演技だった。低くした姿勢のまま一人に接敵すると、足元を蹴飛ばして転がし突破口を切り開いた。それとほぼ同時、発砲音が鳴り響く。しかし弾は外れ、床に着弾した。跳弾する銃弾は、本棚に直撃し数冊の本を散らした。

 その後何発か発砲音が聞こえた。リュースはジグザグに動き、その追撃を逃れる。さらに狙いを定める銃士たちだったが、指揮官の男がそれを手で制し、彼らは追撃をやめた。

 その後すぐ軽装の騎士が数名、そのあとを追って闇に消えていった。

 程なくして人は減り、その場を静寂が支配した。

「あんた達は……」

 ヴァンは残った指揮官の男に問うた。男は鋭い眼光を、リュースの逃げ去った闇へと向けている。

「答える義務はない。私は奴を追っているだけだ。この場は、保安部がなんとかするだろう」

 男はそれだけを言い残して、ゆっくりと消えていった。

 

「大丈夫か」

 未だに倒れているルナの元へ歩み寄り、ヴァンは片膝を付いてからそう声をかけた。

「あ…」

 ヴァンと目があった瞬間、彼女は取り乱した。今まで見たこともないほど、混乱している様子だった。先の戦闘に至るまでに、きっと何かがあったのだろう。ヴァンは、彼女に直接、訊くことにした。

「なにがあった?」

 その答えに、彼女はしばらく無言を貫いた。口元は、何度も発言をしようとしている。しかし言葉が喉に引っかかっている様子で、なかなか声にならない。

 

「わたし…あなたに言わなければいけないことがある」

 

 ようやく、彼女は言葉を発することができた。それから俯いて、またしばらく黙っていたが、程なくして口を開く。

「化け物なの。わたし」

 冷たい月光が、彼女の顔を照らしていた。

 声はひどく震えていた。

 ルナは、泣き出しそうだった。

「…どういう事だ、詳しく説明しろ」

 押し殺すように、ヴァンはルナに訊いた。

「あの男から、全部聞いた…白き人という、人を喰い乗っ取る怪物の事。私が、そのひとりであること…」

 彼女は、ヴァンから目をそらしながら言った。口調は淡々としていて、諦めのような気持ちが含まれている気がする。

「人から人に乗り移ることで、それは生き永らえるらしいの。私は、この世に生まれる時に…この身体の持ち主を殺した。そしてその時の記憶をずっと、忘れたふりをして隠していた。全部覚えていたの。今まではそれを、封じていただけ」

 ルナは自嘲気味に言う。

「放っておけば、いずれはあなたにも襲いかかるかも知れない。都合のいいことは全部忘れて、また誰かの名を名乗るかも知れない」

 

「だから――もう、いいよ?」

 彼女は、手でヴァンの胸を押して、自分から引き離そうとした。その腕を、ヴァンは強く握った。

「よく聞け…」

 

「君が得体の知れない存在だということは分かった。でも、君はルナ・ルークだ。それ以外の君を僕は知らない。もし君が自分を見失ったら、僕が連れ戻してみせる」

 ヴァンはルナの瞳を見据えて、強い口調で言った。目が合うたびに視線を外す彼女が、こちらを見つめ返すまでずっと、彼は両手を彼女の肩から離さなかった。

「自分の力が必要だと言ったのは君だろう?あの日のあの涙はウソだったのか?それとも……僕では信用ならないか?」

 ヴァンの口調には怒りが含まれていた。しかし、それ以上に含まれていた優しさが、彼女の凍てついた心を溶かした。

「そんなことはない…」

 ルナは首を横に振るった。

「じゃあ、言いたいことを言え」

 彼の瞳に、彼女は焦点を合わせた。真剣な眼差しが、彼女を見据えている。ルナはゆっくりと口を開いた。

「…私は…人でありたい…」

 彼女は掠れた声で言った。

 涙を流して、崩れた。

「そうか」

 それをヴァンは、優しく抱きしめた。友を慈しむというよりは、恋人に愛情を伝えるかのように。

「もう勝手な行動は控えてくれよ。とても心配だった」

 ヴァンは、そっと彼女の頭を撫でた。これほどまでに人を愛おしく感じたのは、初めてかも知れないと思いながら。

 

「あ~…」

 声がして、ヴァンは慌てて振り向いた。そこにはひとりの保安官が居て、ヴァンは彼と目があった。

 先ほどの部隊とは違う、この街の保安部の一人だった。後ろには数名、同じ服を着たものが待機している。

 男はわざとらしく咳払いをした。

「お取り込み中のようだが、お前たちには来てもらうぞ。まあ、もう少し落ち着いてからでも構わんがな」

 状況を忘れてヴァンは思わず、赤面する。

 

 

 ◇

 

 

「だから警備を厚くしろと言ったんだ」

 声の主は、浅黒い肌の屈強な外見をした、情報屋と言われた男の物だった。図書館での先頭から数日…つまり現在、彼はギルドの保安部へ出向いていた。

「被害が出るかも知れないと。それを無視してこのざまか。……はぐれ物の言うことなど信用できなかったか?」

 四方八方から飛び交う反論に、全く意も介さない。男は淡々と文句を吐き散らして、乱暴に室内を出た。

 

 

「牢屋生活は初めてか?」

 鉄格子の向こう側から、大柄な男がこちらを覗いていた。

「ああ」

 それが情報屋であることは、すぐに判った。ヴァンはゆっくりと振り返り、男の顔を見据えた。まさか、こんなにも何度も会う事になるとは、お互いに思いもしなかったろう。男は、ヴァンの表情を伺うとすぐに口を開いた。

「心配するな。少なくともお前は今日中に釈放される。連れの方は、もうしばらくかかりそうだが」

「色々と手を回してくれたらしいな。感謝する」

 後日、二人は、建造物へ不法侵入したという事でもって、ギルドの牢獄に拘留された。そしてそこで保安部、治安部、ギルドと様々な機関に質問攻めにあった。

 といっても、ヴァンが答えられることは少なく、幸い私物も、そして鎧も没収されなかった。情報屋の言うとおり、釈放は早い段階で実行されそうだ。しかしルナに関しては、あの男により近くで関わったということで、まだ尋問を受けているらしい。

 ヴァンとしては、傷ついた彼女に負担をかけないで欲しいというところもあった。しかし、講義は認められなかった。

「どうした?辛気臭い顔をして。……あいつなら大丈夫だ。俺と対等に話せる奴だ。うまくやるさ」

 情報屋は気を遣ったのか、そんなことを口走る。

「それより、あいつから言伝を頼まれた」

「なんだ?」

 ヴァンは立ち上がって、男の方に耳を傾けた。

「待っていて欲しい、だそうだ」

 彼女らしいといえば、そうである。

「お安い御用だな。まったく…」

 ヴァン――そして情報屋も…二人は口元に笑を浮かべて、目をつむった。

 

 

 ◇

 

 

 ルナが釈放されてから、一日が経った。釈放直後少しやつれた様子だった彼女も、一日経てば復活したようだった。体には打撲の傷があったようだが、怪我の手当ては既に済ませている。

 彼女は、頬にガーゼをあてがえた状態のまま、ヴァンをある場所に呼び出した。街の一角、唯一の草原地帯。心地よい風が吹く場所だった。そこでルナは自分のことについての全てを、ヴァンに打ち明けた。

 後ろめたさや、拒絶される恐怖に耐えながらも、彼女は彼の瞳から目をそらさなかった。

 彼もまた、真剣に彼女の話に耳を傾けた。

「ありがとう。あなたが来なかったら、私は…」

「お礼なら、羅音にも言ってくれよ。夢の中で会ったんだ。彼の言葉のおかげで目覚められた」

 その話を聞くなり、彼女は目を丸くした。

「彼は…なんて?」

「君を心配して、護ってくれと言った」

 ルナは少し残念そうにも嬉しいようにも捉えられる、そんな表情を浮かべた。

「彼らしいわ」

 その後少し、無言が続く。ふたりの合間を通り抜けるように、心地よい風が吹いた。

「この街を出たあと、稽古をつけて欲しい」

 ヴァンは唐突に切り出した。

「どうして急に?」

「気がついた。いや、認めたというべきだろうな。前に君が言ったとおり、今の僕の力では龍を倒せない。だから君の持てる技術を叩き込んで欲しい。なにより、僕自身が心もとないんだ」

 

「僕には、君が必要だ」

 

 ヴァンは振り返って、微笑んで返した。気恥ずかしさも混じった、今までで一番少年らしい――無垢な笑みだった。

 それが余りにも眩しすぎて、彼女は思わず俯いてしまった。

 ルナ・ルークは静かに「ありがとう」と、呟いた。

「私…君から逃げようとしていた。自分からも、逃げようとした。辛いから、認められないから…でも。それはきっと間違っているよね」

 どうしようもないくらいの隔たりと、偏見と、軽蔑の眼差しを受けながらも、それでも互いの関係を尊重し向き会おうとした、そんな人たちがいた。

 

 彼女はとある歌を思い出した。

 

 これは君へのバラッド。

 白き君と、蒼き私の愛、それは

 許されぬ想い、

 認められない禁忌。

 

 どうか許して欲しい。君を救えなかった非力な子龍を。

 これは君へのバラッド。

 

 天を仰げば、君のいない孤独を知る。

 

 彼らの幸せを、時代は許さなかった。想い人と引き剥がされたあとも、彼は時折この歌を詠み続けたらしい。これは遺跡の白き鎧から聞いた話だった。

 しかし――今は違う。

 差別は確かにあるが、昔より確かに緩和されつつある。

 自分を心から認めてくれる人に、もう一度会えたのだ。

 ルナは、例えこの旅が終わったとしても、こうして巡り会えた彼との日々を無駄にはしたくないと、そう願った。

 忘れてしまうものかと、強く願った。

 

 自分が何者なのか、彼女はずっと探していた。そしてその答えを手に入れた。それが、残酷な答えだったとしても…彼女はもう、

 逃げはしない。

「私は、確かに人ではないのかもしれない。でももう、犯した罪からも目を背けない。自分が、ルナ・ルークであることを疑いはしない」

「そうか」

 彼女の言葉を聞いて、ヴァンは目をつむる。彼は遥か彼方の方向を見据えた。そして微かに、微笑んだ。

 

 

 ◇

 

 

「ここまでお世話になりました」

 アイリは深く頭を下げた。ここはギルドの内部だ。彼女はここの一部である喫茶店で働くことになった。

「頑張ってね」

 ルナに追従して仕事をしていたが、いつまでもこのままでいてはいけない。彼女はこれから一人になる。自分たちはここを発ち、目的地へ向かわねばならない。彼女は自分で道を切り開いて、生きていかなければならない。

 それはアイリが選んだこと。

「いつかまた!」

「ええ」

 ルナは彼女に手を振った。

 

 

 事は数十時間前にさかのぼる。

 

「お願いがあるわ」

 彼女はある場所を訪ねていた。昼間でも薄暗い、今となっては出入りに躊躇しないあの場所へ。

「今度はどんな厄介事を連れてくるつもりだ。もうあんなことは御免だぞ」

 訝しげな声が、彼女へ向けられた。お互いに包帯を、至る所に巻いたままだった。

 これがおそらく最後の取引だろう。

「私の友達、年は14歳」

「俺は部下を作るつもりはない。こんな仕事だ。そんな程度の娘では、命が足りるとは思えん」

 情報屋は門前払いとばかりにまくし立てた。

「まだ何も言ってないんだけど…。どこか良い、働ける場所を知っていないかって」

 ルナの言葉に、情報屋はしばし次の言葉を考えていた。

「それは……そいつが決めるべきじゃないのか。街を歩けば、いくらでも店はある。目につくもの、気にかかるものが見える。それを本人の自由に、好きに選べばいい」

 男は続けた。

「それで、やってみてどうだったかは別だ。失敗するかもしれん。しかし、それが生きることには必要なことなんじゃないのか」

 ルナは、反論出来なかった。選ぶということの必要性と、重要性。それを彼女も、心得ていたから。

「ありがとう。確かにあなたの言うとおりだと思う。……お金を払わせて」

「こんなもの取引に入らない。さっさと消えろ」

 情報屋は虫でも追い払うかのように、手を振るった。

「そうはいかないわ」

 しかしルナは引き下がらず、懐を探り続ける。根負けしたのか、無意味と悟ったのか……男はため息をついた。

「……100Lでいい」

「え」

「何度も言わせるな。100Lだ」

 ルナはお金を手渡した。

「また何かあればよろしくね」

 多分、もう会うこともないだろう。それでも彼女は、そういう事の大切さを重視した。

「俺は、お前が二度と来ないことを願っている」

 扉を開くルナを見据えて、男は最後に薄い微笑みを返した。

 

 

 アイリを喫茶店まで送り届けたあと、ルナは街の出口へと向かった。そこには既に、彼が待っている手筈だった。

「お待たせ。少しは楽しめた?」

 約束通り、彼はいた。果実店の裏道、日陰に待機していたヴァンに向かって、ルナは声をかけた。

「ああ。観光としてはかなりのんびりと…。まあ最後になるが。俺としては、療養で金を費やしたのは勿体無かったとおもうが」

「どうした?俺の顔になにかついてるか?」

 

「だって、ヴァン君…」

 ルナはまじまじと、彼の顔を覗き込むようにして言う。

 そして…

「俺って!!」

 瞳を輝かせ、万円の笑みを浮かべた。

「べ、別にいいじゃないか!前から変えようとは思っていたんだ!」

 その反応を予測していたのか否か、ヴァンは赤面した。

「丁度いい機会だから変えただけだ」

 言い訳なのだろうか。分からないが、彼の顔は赤いままだった。ルナはそのうちに声を上げて笑い出した。

 それに怒ることもなく、ヴァンは気恥ずかしさに俯いて震えていた。

「いやぁ、何か可笑しいね」

 笑いを止めて、ルナは言った。違和感が、どうしてもある。

 でも、似合わないわけじゃない。そう彼女は思った。

「そういえばあなた…ちょっと背、伸びたよね」

「そうかもしれないな。最近、服の寸法が合わなくなってきている」

 これは、その理由の一つ。

 二人が出会って、一ヶ月と少々が過ぎていた。いつの間にか、彼の背は彼女の高さに迫っていた。ちょうど、成長期だったのかもしれない。

「それ以外にもね」とルナは囁いた。

「?」

 ヴァンは首をひねった。ルナはそれに微笑み返す。

 言葉を今は、紡がない。

 精悍な顔つきになってきた彼を、彼女は見つめた。

 

「黒鉄の動きは、最近はどうだ?」

「私の知覚では、動きは殆どない。居場所はだいたい決まっていると思うわ」

 自らを縛り付けていた鎖を取り払った今、彼女の感覚は研ぎ澄まされていた。自分の正体を受け入れたことで、本来の力を取り戻した……とも言える。

 ルナは黒鉄龍の居場所、生命反応を的確に捉えていた。

「はやりあの街へ行く事になるのか」

 ヴァンはしみじみと呟いた。ここからは少々、長旅になるかもしれない。思いのほか長期に滞在してしまったため、道中、資金を集めておく必要もありそうだ。

「鎧はもうすでに?」

 ルナはヴァンにそう訊いた。鎧とは、言うまでもなく抗龍鎧のことだ。

 ヴァンは静かに頷く。

「問題ない。ギルドの一級郵送屋にお願いした。重要品として預けたから金はかかったが……さすがにもう荷車を引いて歩きたくはないしな」

 砂漠横断を思い出し、ヴァンは苦笑した。

 

「しかしまさか、ここまで長く滞在することになるとは思わなかった」

「本当。いろいろあったね」

 二人はしみじみと言った。ふと初めてここを訪れたときと、場面が重なった。

「…行こう」

「ええ」

 ヴァンが切り出して、ルナは返答した。

 二人は岩壁の街へ別れを告げて、彼方へと歩き始めた。

 



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とある龍のバラッド
復讐の刻へ


 

 中欧都市・スィーグランド。その街の周辺に、目的の龍は棲んでいる。

 彼らはまず、都市を目指して移動をすることにした。長い砂漠地帯を抜け、一つの町を通り過ぎ、それから入り組んだ山岳地帯の谷間を縫って進んだ――その先を目指す。

 登山の途中で村があったので、そこで簡単な狩猟依頼を受けておいた。そうして僅かばかりだが資金を稼いだ。山頂付近では野鳥の襲撃、麓ではオオカミの群れと戦闘になったが、事なきを得る。

 他にも様々な難を逃れつつも、二人は慎重に山を下っていった。

 下山する直前、頭上を大型の翼竜が遥かな空の彼方へと飛んでいった。二人のことなど目もくれずに、まっすぐ先へ。

 翼をはためかせながら、どこまでも遠くへ。姿が見えなくなるまで、二人はそれを無言で見つめていた。

 山を下り終えると、緑に囲まれた平野が広がっていた。どこまでも続くかのような広大な大地を見据える。この先には、いくつかの建物が点々として存在していた。比較的近場に見えるのは恐らく砦。その近くに隣接して、兵士たちのキャンプも確認できる。人がいたならば、話を聞きながら先へ進む事にしよう。

 砦のさらに向こう側、ここからかなり離れた場所には、うっすらとだが確認できる――巨大な都市の姿があった。

 目的の場所、スィーグランド。城壁と背の高い建造物が多く並ぶ、巨大な都市だ。最新鋭の機械技術を扱い、文明の先端にある。人口は一般的な街の数十倍とも言われ、まさに国と呼べるような都市だった。

 ここへ至るまで、一ヶ月もの月日を要した。焦る必要はないが、迅速に移動できるに越したことはないのもまた事実だ。

 黒鉄は、この都市付近に潜伏しているのは間違いないと、彼女は言った。詳しく言えば、辺境の地下にいると言う。

 詳細は街についた後に調べるとして、今はまず先に進むことが先決だ。日は西に傾き始めていた。夕日が、空を色鮮やかに彩る。ここで二人は一旦話し合う。夜間行動するか否か、その選択をしなければならない。

 結論はすぐに出た。今日のところはここで一旦行動をやめ、休むこととなった。理由は登山中、そして下山に至るまでほとんど休めなかったことと、都市近郊には野盗の出没頻度が高い、ということだった。

 とりあえず近場の砦――その跡地まで歩き、そこをキャンプとして使用することにする。跡地のため無人だが、先客が居る可能性も否めないため、念入りに下調べをしてから腰を下ろした。夜間ともなるとやはり冷え込むため、適当に枯れ草と枝を集めて火をおこし、暖をとった。今回はルナが火をおこしたが、随分と手馴れてきたようだった。

「明日の朝も頼む」

 食事のあと、ヴァンはルナにお願いした。

 彼が言ったのは早朝の訓練のことだ。稽古をつけてくれと言って以来、彼は時間があればルナとの打ち合いや、技術の習得に勤しんだ。彼女の動き、行動のキレを身につけるための修練だ。

 ドラゴンとの戦闘では、こちらがいくら強靭であっても一撃が致命傷となる。人間の防御力などそこには意味を成さない。そのため、真っ先に優先されるのが回避力だった。攻撃と同時に回避する、またはその逆の動きを、彼女から手取り足取り教わった。

 彼は、常に真剣だった。必死すぎるほどに。

「ええ」

 ヴァンの申し出に、ルナはやや複雑な面持ちのまま返答した。彼女にとって、彼が力と技術を身に付けるのは喜ばしいことだ。しかし、彼女にはその点でいくつか、気にかかっていることがあった。だからこそ、彼女は表情を曇らせていた。

 いつか言おうと思っているの、しかしなかなか口に出せずにいること。

「ヴァン…あなたは…」

 小さな声で、つぶやくようにルナは言う。

「ん?何か言ったか」

 どうやらそれが聞こえていたようで、ヴァンはルナに聞き返すのだった。

「いいえ。また今度話すわ」

 彼女はゆっくりと首を横に振った。そして今日も口を噤んだ。それから交代で見張りをして、お互いに十分ではないが睡眠を取った。都市部にたどり着くまでの、もうしばしの辛抱だった。

 

 

 ◇

 

 

 街の入口には巨大な城門が設けられていた。門番は二人組で、それぞれ左右に振り分けられ、見張っていた。門の上を見据えるとそこは砦のようになっており、兵士が何人かそこを歩いており、彼らはどこかへ向かっていった。上側はやはり通路となっているようだ。門の上だけではなく、様々な場所へ通じている――おそらく、街全体を見張り、管理できるようにしてあるのだろう。ヴァン――そしてルナも、ここまで大規模な街を訪れたことはない。その姿に圧巻され戸惑いつつも、ふたりは足を進めた。そして門番の横を通り抜けようとする。

 すると、呼び止められた。やはりどうやら素通りはさせてくれないらしい。自分たちが他からやってきた事は、薄汚れたこの格好を見れば一目瞭然だった。ヴァンが一通り事情を説明すると、門番は一歩下がって二人を通した。その際、相手からも大まかに街についての説明を受けた。どうやらここは法治都市の色が濃いらしい。まあ、何かやましいことがあるわけではないので関係もないが。

「繰り替えずが、街で剣を抜けば重罪だ。いいな」

 門番は念を押して言った。二人は適当に頷いて、その場を去った。

「今度は、あんな事はできないな」

 ヴァンがルナへと語りかける。

「そうね……絶対にもう、しないわ」

 彼女はやや申し訳なさそうに答えていた。あんな事とはつまり、以前起こった図書館での出来事だ。あのことについては、彼女は何度もヴァンに謝罪した。しかしあれは彼女だけが気負う問題ではないとヴァンは考えている。お互いが敵への、殺意を持っていなかったといえば嘘になるからだ。

 結局二人は厳重注意と、その他に色々と聞かれるだけで事なきを得たものの、おそらくこの街で同じことを仕出かせばこの旅は終わりかねない。

 城門をくぐり抜けると、高い建物が並んだ巨大な街があった。至る所に商店、民家などがあり、道以外の平地が見当たらないというほどに建物が密集している。しかしよく目を凝らすと部分的に緑も存在し、よく整備されていることが伺える。

 とりあえず、二人は街の中央を目指すことにした。緩やかな上り坂となった道を進み、橋を渡り、長い階段を上った。

 その各所で、二人は好奇の眼差しを向けられた。貴婦人らしき三人組が、二人を横目に密やかに会話を交わす。良からぬ内容であることは、視線を合わせた時点で察した。こちらと目があった瞬間、三人組はその場を立ち去った。それを気にもせず、ふたりは先を目指す。

 これが普通でない彼らの、普通なのだ。

 

 

 数時間後、ヴァンはこの街のギルドの端にいた。ルナは別行動をしている。彼女は「身体を洗いたい」と言っていたので、おそらくどこかの施設で体を清めているのだろう。一方のヴァンは、そんなことには構いもせずにここに来た。寄り道する気にはなれなかった。それはこれが、最優先する目的のためだからだ。

 物品を預けるための巨大な倉庫が、目の前に鎮座している。そこには今も、何処かの誰かが持ち込んだもの達が世話しなく出入りしている。

 街に到着後、彼にはまず鎧が”届けられている”ことを確認する必要があった。個人での鎧の持ち運びが困難と判断した彼は、運び屋のスペシャリストを雇い、高額で郵送依頼したのだ。それはまさに、「たかが郵送に出し過ぎではないか」とも思う額であったが、彼にとってそれだけの品である事は明白だった。

 だが万が一ということもある。優秀な運び屋集団に任せても、すべてを信頼できるわけじゃない。しかし、彼はそれが杞憂であるということを思い知った。受付に尋ねると、直ぐにその場へ連れて行かれた。そしてそこには、依頼した物品が届けられていた。

 物品には律儀にガードが一人設けられており、厳重に保管されていた。

「こんなものをよく預けてくれたものだな。宝物庫に入れてもおかしくない品だぞ」

 ヴァン自身、道中何事もなくて良かったと思う。どこかの賊に襲撃され、奪われたらそれまでだ。しかし自分で運んだところで、同じ状況に置かれた場合に護り切る自身は無かった。それを踏まえたうえでプロに依頼したのだ。そして、その選択は正解だった。

「すまん。手伝ってくれ」

 男は開錠しながらそう言った。ヴァンは無言で頷く。やがて鉄格子が開き、中から縄で縛られた大きな木箱を、二人で押して外へ出した。ナイフで手早く縄を切り、箱を開けてみる。緩衝材が敷き詰められたなかに、さらに紙で包装されたブルースケイルの姿があった。

 まさかここまで厳重な措置をとられているとは思いもしなかった。ヴァンは包装紙を外し、その全貌を確認した。すべての部位に目を通し、一息つく。

 不備はない。

「依頼品で間違いないか?」

「ああ。すまないけど、使用日までここで保管を頼みたい。護衛は…金がかかるから外してくれ」

「了解した。じゃあ保管日時と詳細情報を、戻ってから記入してくれ」

 言葉を聞いた後、頷いてからヴァンは元の場所へ戻っていった。

 

 

 鎧の件での手続き終了後、ヴァンはギルドの龍対策部隊、その本部への謁見をお願いした。大規模な都市だからこそ存在する、正式な集団。もちろん、本部は一般人が詰め寄れるような場所ではない。もちろん旅人など論外だ。

 当然、受付では門前払いされた。しかしその奥に控える数人が、何やらこちらを見ながら話をしている様子だった。もしかすると、可能性があるのかもしれない。彼は、話題についてより詳しく説明することにした。今までの経緯や黒鉄の情報、ルナ・ルークと羅音の名前、自らが知り得る情報の至るところまでを。

 彼女には、それを一手段として使うようにと言われていた。ヴァンにとっては、なるべく避けたい方法であったが、もう後には引けなかった。

 切り札を出した以上、結果は実りのあるものであることに期待したい。受付は渋々こちらの要件を了承してくれたようで、ヴァンは先の、良い返事を期待した。

 そして、この場を去ろうとする。

「待ってください、ヴァン・グリセルーク様。お手紙が届いております」

 若い女性が慌ただしい様子で彼に詰め寄った。手には言葉通り、一通の手紙が握られている。

「俺に?」

 ヴァンはそれを片手で受け取った。いったい誰からだろうと思ったが、確認はしない。どのみち読むなら後になる。彼は女性に礼を言い、手紙をポーチに仕舞った。それから人のごった返すギルド内を歩き、出口へ向かう。

 広い入口を抜けると、向かって左手、石造りの分厚い塀の向こうの芝生にルナが居た。

「手続きは済んだ」

 ヴァンは声をかけて、塀を飛び越える。通行人の数人がその様子に驚いているようだが、気にはしない。着地してからルナを見た。彼女は防具をあずけ、今は修道服姿となっている。この場所では、こちらのほうが何かと無難なのだろう。

「少し、話してもいい?」

 ルナは、少し暗い声で言う。

「ああ。でもここで、か?」

「いえ、ちゃんと場所を変えて、ね。まだ全部は回れていないけど、街の構造は覚えたから。人気の少ないところで話しましょう」

 ヴァンはそれに了承すると、彼女の後についていった。

 二人は、路地裏の椅子に腰掛けた。そこは静かで、どこか寂れた場所だった。

「前から言おうと思っていたことなんだけど。ヴァン……あなたは、焦りすぎていない?」

 彼は、出会った頃から見て随分と変わった。目的達成を重視しすぎるあまり、盲目なところもあったが、最近は行動に余裕も生まれているように見えるし、落ち着いているようにも捉えられる。

 しかしそれでも、ルナには彼がどこか切羽詰る思いで居るように見えてしまう。彼と稽古をしている最中は、それが一層強く感じられた。だから彼女は前の街を出てからずっと、複雑な思いだった。

 ヴァンは、淡く笑った。そして言う。

「…かもな。どうしてこんなに焦っているのか、自分でもわからない」

 否定もせず、自嘲気味に。

「ここ最近、悪夢を見るようになった。黒鉄のこと――復讐の事ばかり考えているせいなのか。夢に見たことを振り返り、現実で意識し、また夢を見る。まさに悪夢の循環だ」

「どんな?」

 差し支えなければ、と付け加えてルナは彼に訊いた。

「当時の記憶だ。俺も君のように、忘れていたフリをしていた。しかし最近になって、黒鉄の討伐実現が近づくにつれて、その記憶と向き合うようになった」

 彼は目をつむり、過去を振り返る。

 

「面倒見の良い近所の老人夫妻は、倒壊した家に潰されて息絶えた。逃げ遅れた子供たちは皆、煙に巻かれ炎に焼かれた。父さんは、最期まで戦っていた」

 

「仲の良かった隣の姉さんが、怪我をした俺を家の地下室へ連れて行った。彼女はしばらく俺を看ていてくれたが、様子を見に行くと行ったきり、戻ってこなかった。俺は何もできずに、怯えていた」

 

「気が付けば、誰もいなくなっていた。焼け野原になった村を、俺は歩き回った。生きている者を探して。でも、誰もいなかった……」

 

 ヴァンはそこで一旦、話をやめた。彼は無意識に、頬の古傷を手でなぞっていた。

「俺は、前に進まなきゃいけない。立ち止まっていたら、大切なものがなくなっていく気がして、怖い。多分君が感じているのは、俺のそんな場所なんだと思う」

 ルナは、彼の瞳に久しく見ていなかった暗い炎を感じた。その火種は決して消えておらず、それが今も彼が復讐にとらわれていることを物語っている。それは同じ目的をもつルナとはまた違ったもので、意志の強さも違った。

 やはり彼のほうが自分よりも、憎しみの感情が大きいのだろう。ふたりの距離は縮まり、信頼は確かに強くなった今でも、彼にはまだ、自ら分け隔てている部分がある。それはどうしても他人とは交わることのないものであり、自分自身でしか解決することのできない問題だった。そしてそれは、復讐の刻を迎えなければ達成されない。

 ルナは、彼の問題に口を挟むことはできない。自分自身にもそういった問題や感情が存在していたから。

 恋した人の仇を討つという、彼女の旅の行動動機。違えども、目的は同じなのだから。

 彼は話し終えたあと、無言でいた。そしてその瞳はどこか、遠くを見ている。おそらく、遠い日のことを思い起こしているのだろう。

 ルナは沈黙を破り、口火を切る。

「私としては、少し不安があった。あなたは私の技術――持っている力が必要なのであって、それは私も理解しているし、それが旅をする上での約束事だった。だから今後もし、あなたが単体でドラゴンと戦える力を身につけたら、ひとりで突っ走ってしまうのではないかって、不安だった…」

 ルナは深刻な表情で言った。目の前で想い人が死ぬ。彼女にとって、二度も同じことを繰り返すことは嫌だった。

 だが彼女のそんな不安をよそに、ヴァンはそれを聞いて笑い出した。

「それはない。ま、保証はできないが、前ほど熱っぽくはない。ひとりで突っ走ってしまうことはないから安心してくれ」

 ルナは、少し機嫌を損ねたようだ。

「笑うことないじゃない!」

 本当に気を病んでいたのだろう。彼女は怒ったが、しかし本気ではないらしい。笑顔が似合う彼女が頬を膨らますと、それはそれで魅力的だった。ヴァンは彼女を尻目に、再び口を開く。

「だが…黒鉄を討伐するという目的への気持ちの強さは変わっていない。前にも言ったかもしれないが、俺にとってこの問題は、俺自身を自由にするための戦いでもあるんだ。これを成し遂げなければ、俺は前へ進むことはできない」

 そう思っているからこそ、本気なんだろう。ヴァンはそう最後に言い終えて、立ち上がった。

「さあ、戦いを終わらせようか」

 凛とした表情で、彼は空を見据えた。

 




ようやく最終章(エピローグを除く)に入ることができました。どう盛り上げていくか…頑張りどころです。
急ぎ足で事足りないところも多いですが、こちらも二人に負けず新年幕開けまでに「完結の刻」を目指したいと思います。

2014年12月15日 雪国 裕


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彼方からの手紙

 ヴァンがギルドに謁見を願い立ててから数日が経ち、龍対策部隊から彼のもとに返事が来た。

 内容はこうだった。

 本部との接触は出来かねるものの、実働部隊と話をすることはできる、とのことらしい。そこから場合によっては、上層部へ掛け合うという手筈だという。詳しい話を聞く所によると、驚いたことに部隊長直々にヴァンへ話があるとのことだった。指定日の午後6時、ギルドのある場所に来るようにと説明された。

 

 

「お、おかえり!」

 彼女はどこか慌てた様子でそう言った。ルナの視線の先にはヴァンがいる。彼はやや浮かない表情をしていた。

「ああ。ブルースケイルの調整を頼んだが…まだ時間がかかりそうだ」

 ヴァンは倉庫に預けていた鎧を受け取って、武具屋へと足を運んでいた。成人男性用としてはやや小ぶりな鎧ではあるが、それでもまだヴァンにとっては大きい。全ての部位を装着できるよう、鎧の遊び部分の調整をしてもらう必要があった。

「そう。やっぱり難しいの?」

 ルナはこのことについてやや心配しているようだった。それもその筈。いくら特殊な性質を持ち体と密着するからといって、隙間があれば流血の被害を受けてしまう。調整しだいで戦闘自体が不可能にもなりかねない。

「そのようだな」

 しかし、ヴァンは余裕の表情で続けた。

「だがうまくいくはずだよ。寸法調整のために体中調べられたからな。あの鎧が異質なだけあって、今日中には終わらなかっただけだ。また後日、受け取る形になる。連絡はすぐにでも来るはずだ」

「そう。よかった」

 ルナは安堵した。もちろん、調整が上手く行くかどうかなど彼には判断できない。むしろうまくいってもらわないと困るという思いで、ハッタリを述べただけだ。

「まあそれはいいとして。ギルドから討伐許可が降りるかどうかだな…問題は」

 ヴァンは話題を変えた。

 後日、彼は討伐隊と交渉をすることとなっている。

 ギルドに所属する討伐隊・討龍士は、人々を脅かす龍を倒すことが目的とされる。あくまで、秩序や世界の理、そのバランスを取るのが使命なのだ。

 だから今回のように”動かない龍”には、討伐指令は下されないし、自ら進んで戦う事も許されない。繁殖力に富み、比較的個体数が多く絶滅の危険性にない翼竜や、ドラゴン目下、つまり下級竜の討伐なら別として、本物のドラゴンともなると部隊での行動は実質不可能に近い。

 ここ数年活動のない黒鉄の件で動くことはまずないだろう。ギルド――ひいては国からの討伐の許可ももちろん降りない。

 しかし、自分のような一個人ならば別だ。特例なのか、それとも勝てる見込みもないので放置しているのか…ともかく、部隊外からの討伐は許可されていた。

 ただし条件がある。討伐隊に”許可を取った”上で”明確な理由”を掲示し、受理されればという条件が。

 もし受理され、かつドラゴンを討つことが出来れば、国のお墨付きで報酬と勲章を得ることができる。平凡な一兵からのし上がった成功者も、この仕組みを利用しているといわれる。そしてヴァンもこの方法を取るつもりだった。

 流れとして龍を狩る、ということも考えたが、後々のことを考えた上では正式に討伐の許可を得ていたほうが無難だと思ったのが理由である。

 ヴァンはもちろん、ルナもギルドに認可される重罰に処されたことや、罪を犯したことはなかった。しかし、前回の件は未遂とはいえ、機関にお世話になってしまった。その点の不安が、幾らばかりヴァンにはあったのだ。そしてそれを、同じくルナも抱えていた。

「本当にごめんね…」

 意図せず示唆したそれが伝わってしまったのか、ルナは唐突に謝罪した。過去の出来事を払拭したとは言え彼女の中にはまだ、あの時の禍根があるようだ。ヴァンはそう思っていた。

「いや、それは何とかしてみせる。だからもう謝るのは、これで最後にしてくれ」

 ヴァンも、あまり引きずられてはお互いの為にもならないと思い、そう言った。彼女は頷くと首をかしげ、それから笑顔を見せた。そして、おもむろに荷物を持って、それからドアへ歩み寄っていった。

「少し、散歩してくるね」

 振り返り、彼女は言った。気分転換…というわけでもなさそうだ。

「こんな時間にか?気をつけろよ」

 ヴァンは了承し、彼女の後ろ姿に声をかけた。

「ありがと。でも心配ご無用よ」

 ルナは明るい声で言った。まあ確かに、一般人で彼女に敵うものはいないだろう。足早に立ち去るルナの姿を見送り、一人になったヴァンはベッドに倒れ込んだ。

 今日も何かと疲れる日だった。鎧の調整の為に長い時間拘束され、それから契約書を書かされた。帰りがけに長話をまあ、先ほどに至るまで交わしていた。

 それでも戦闘の緊張感からすればずっとましだが、それとは別の方向での疲れは出る。ヴァンは天井を仰ぎ見、その時ふと先日受け取った手紙のことを思い出した。後回しにしていたのをすっかり忘れていた、一通の封筒。彼はベッドから身を起こし、ポーチの中身から手紙をつまみ出すと、差出人の名義へ目を向けた。

 そこにはシルファと書かれていた。それは、ルナの住んでいた町にいた老人の名だった。

 今から二ヶ月ほど前になる。ルナと出会ってすぐ、時間を潰すために立ち寄った時計塔の上に彼女はいた。

 そこで、ヴァンは彼女と少しだけ話した。それは取り留めのないような内容だったが、ヴァンにとってはそれが強く、今も印象に残っている。こちらの心を見透かしているような、不思議なお婆さんだった。

 どうしてこの場所がわかったのだろう。あれから彼女には一切、連絡を入れてはいないはずだが。

 宛は丁寧な字で”ヴァン・グリセルーク”と書かれていた。彼は疑問を持ったまま、封筒を手早く開封し中身を取り出した。

 封はいとも簡単に開けられた。

 中には二つ折りの手紙が二枚、入っていた。直ぐに広げて、文面に目を通す。

 

『元気しているかな。私だよ。

 あんたたちが行き着く先をだいたい予想して手紙を出してみたけど…果たして届いているかな。

 ヴァン、お前さんに言っておかなければならないことがある。口頭で伝えられないのが残念だがね』

 

『私のことについて、書かせて欲しい』

 

 彼の瞳がせわしなく、文章に沿って動いていく。

 ――静かな時間が、幾分か過ぎた。読み終えた後彼は目をつむり、しばらくの間黙っていた。

 深く空気を吸い込む。そして長く息を吐いた。

 その手紙には、とある二人の悲しい真実が記されており、そして最後に彼に向けた戒めの言葉を告げていた。

 ヴァンは窓に近寄った。カーテンを開き、錠を外して窓を開けると、とたん穏やかな風が室内に舞い込んだ。群青色の髪の毛が、風に揺れる。

 外へ顔を出し、この街並みを一望した。日は暮れてしまったが、それでも都市は光に包まれている。店は夜でも開いているところがあるようだ。

 ぼんやりとその光景を眺め見ながら、彼は今まで考えもしなかった未来のことについて思いを巡らせた。

 

 ――この先、僕らはどうする?

 旅が終わったあと、彼女と別れたあと。

 自分はどう生きるべきか。彼女はどう生きるのか。

 

 

 ◇

 

 

 翌日の朝。ギルド経由で鎧の調整が終わったという知らせを受け、ヴァンはすぐさま武具屋へ足を運んだ。この時間の武具屋はがらんとしていて、自分以外に人はいなかった。ただ、もちろんここの従業員は除いているが。

「思ったより早く仕上がったな…」

 ヴァンの第一声を聞いて、武具屋の店員は満足そうに頷いた。店員は二十代の若者だったが、腕が良いらしくここの責任者を代理でやっているとのことであった。

「微調整だけだったんでね。でもまあ、興味深い内容だったから、受け取ってからいままでぶっ続けで仕上げてやった。もちろん、一睡もしてないし飯も食っていない」

「無茶するな全く」

 男の責任者とは思えないセリフに、ヴァンはため息をつくように言い、肩をすくめた。だがそれはただ単に呆れ、相手を軽蔑したからじゃない。よくやってくれたという意味合いが深かった。

「そりゃそうだ。こんな鎧…見たことがない」

 男はさぞ楽しそうに呟いた。

「早速装備してみてもいいか」

「ああもちろん」

 ヴァンが言うと、男は快く鎧を差し出した。一回り小ぶりとなり、すっきりした印象となったブルースケイルを、ヴァンは一部分ずつ装備していく。それを男は、隈の出来た目で興味津々に観察している。

「何度見てもやはり不思議だな。どうしてこの物体が人間に吸い付くんだろうな。しかもお前以外――ここの誰にも反応しないなんて」

 検証したのか。という驚きはさておき、この鎧が形を変えるさまは確かに不思議な光景だった。質量は一体どうなっているのか。誰にも説明できない光景がここにある。ヴァンは兜以外の全ての部位を着込み、男と向き合った。

「いい感じだ」

 彼の為にあると言っても過言ではないほどに、様になっている。上出来だと言わんばかりに、男は笑みを浮かべて自分の顎を手でさすった。

「そうか、よかった。だがお前、成長期だろ。もし寸法が変わったら直ぐに来いよ。お前の要件が終わった、そのあとでもいい。この際どんなものでも持って来い」

 俺はお前が気に入った!などと男は言った。

 彼は龍血を良く考えている人間だった。昔から物珍しいのが好きで、そういったたぐいのことに関して憧れがあったという。彼がデザインした武具もその趣がよく現れており、皆珍しい形状、性能を持っている。

 そんな男だからこそ、ヴァンは――決意した。

「…そうだな。その時は世話になるかも知れない」

「かもしれない?」

 含みのある言い回しに、やはり男は食いつく。

 それを確認して、ヴァンは口を開いた。

「今後、自分は戦士で居続けるのかどうか…わからないんだ。昨日、少しだけ未来のことについて考えて…わからなくなった」

 なぜこんなにも口走っているのだろう。相手は出会って数日の赤の他人だというのに。気に入ったと言われたからだろうか。とにかく彼は、曖昧にごまかしてでも、「あの話」を誰かに聞いて欲しかった。当事者である「彼女」を除いた、誰かに。

「そんなもの。直感と成り行きでいいんじゃないのか。未来なんて誰にも見えはしないよ」

 男はきょとんとした顔で、そう素っ気無く返答する。ヴァンは一瞬目を見開いた。男の言葉――それが当たり前の感想だ。何も驚くことはない。

「もし見えていたとしたら?」

 自分の知る限りの例外を含めて、ヴァンは発言した。男はそれに否定もせずに、

「納得できるように変えてみせる!」

 堂々とそう言い放った。

「しかしどうした?急にしみったれて…」

 ヴァンの様子を察したか、男は言う。

「いや、何でもないんだ。とにかく礼を言う。ありがとう」

 ヴァンはゆっくりと首を振り、礼を言った。

「これでようやく、戦える」

 何を悩んでいたのだろうか。この男の言うとおりだ。未来が見えることがあっても、変えられないわけじゃない。きっとそうだ。あの手紙の最後にも、そう書かれていたじゃないか。

 視線の先には、ブルースケイルのヘルムがある。それ見つめる彼の瞳は、澄んでいた。

 

 

 ◇

 

 

 同日の日暮れ時、約束の時間。彼はギルドへやってきた。

 個人での話という名目で謁見は行われるため、ルナは連れてはいけない。もちろんそのことは話してあるし、また了承済みだ。彼女には宿屋で待機してもらっている。

 ギルドの内部はこの時間においても未だに混み合っていて、ヴァンは相変わらず人ごみを縫いながら先へと進んだ。ヴァンがカウンターの近くに寄ると、係りの者が彼に気がついたのか直ぐに駆け寄ってくる。あらかじめ約束事のある自分がやってくることは知っているだろうし気がつくのは当たり前だろう。

 が、恐らくは容姿を頼りにして見つけたのだろう。

「あなたが、今日来られる龍血の方ですね?」

 案の定、男性はそう告げ彼を迎え入れた。それに対し、とくに癇に障ることはない。

「ええ。討伐隊長とお話をしに参りました」

 ヴァンが言うと、男性は後ろに下がった。それからしばらくして、彼と入れ替わりに女性が現れる。

「私が案内します。どうぞ、ついてきてください」

 無表情な女性は、口調もどこか冷たげだった。それからヴァンは、その女性に連れられて人気のない廊下を渡った。

 そして更に内部へ進み、この施設の裏側を見ることとなる。普段、組織員でなければ見ることもない。様々な物資があたりに鎮座しているこの場所は、おそらく倉庫だ。

 様々な用途があるだろう部屋を幾つも通り過ぎ、やがて彼は昇降機へと案内された。

 昇降機というものは、まだ技術的に動作に不安があったり維持に費用がかかったりで、採用している場所は少ない――滅多にお目にかかれない代物なのである。ヴァンはこれで二度目であるが、旅人でもなければ一生見ずに終えるものも多いだろう。この昇降機はやや華やかさはあるが、所詮は鉄格子に囲まれた箱、という印象が強い。安全性を考慮した上の構造なのだろう。

「さあ、あなたもどうぞ」

 先に乗った女性に声をかけられる。少々不安もあるが、ヴァンも昇降機に乗った。小さな衝撃の後、鈍い金属音とともに昇降機は動き出す。思いのほか揺れはせず、快適だった。

 昇降機が動きを止め、女性に促されるまま通路を歩く。

「ここからは、あなた一人で」

 とある一室の前で振り返り、女性は言った。どうやらこの部屋が目的地らしい。意外にも質素な扉にヴァンは驚いた。当然、もっときらびやかなものだと思っていたからである。

「はい。ここまでありがとう」

 ヴァンが礼を言うと、女性はここまで始終冷たい表情だったが、この時ばかりは微笑んでくれた。

「健闘を祈っています」

 彼女はそう言い残し、静かに場を去る。

 さて。

 ヴァンは一呼吸おいて扉をノックした。中からは返事はないが、彼は問答無用で扉を開く。すると、軍服姿の壮年の男性――つまるところ部隊長が、テーブルを挟んで向こう側の椅子に座っていた。

「ヴァン・グリセルーク。只今謁見に参りました」

 緊張も交じる中、彼は勢いのある声で言った。

「そこに座れ」

「はい」

 言われるがまま、彼は置かれた椅子に座る。室内はやはり質素な作りで、広さもさほどのものではない。テーブルと椅子の間隔も大きくはない。そこで必然的に、隊長とヴァンの距離は近くなる。

「よく来た。早速だが本題に入る。お前も難しい話ばかり聴いていてもつまらんだろうしな」

 ヴァンは苦笑した。確かに、小難しい話を延々と聞かされていても困る。

「さて、まずは」

 部隊長は切り出した。

「お前の経歴と所有物、それから察することのできる素質。それを大まかに見せてもらった…」

 ヴァンは息を呑む。

 彼は小型のワイバーンを3体、トカゲ(翼のない地竜)を4体。全て一人で討伐している。それは年齢からは想像もできない、凄まじい戦績だった。組織に身を置けば、既に中堅レベルに至っていることだろう。だがこれらも全て、彼の目的の前に現れた偽りの対象――つまりハズレだったに過ぎない。

「悪くない。これが本当なら、一戦士として私が討伐許可を申請するに十分すぎる」

「ありがとうございます」

 ヴァンは素直に言葉を受け取り、頭を下げた。手前味噌のようだが、竜を狩るに特化した人間であることは自負していた。

 人間相手の方がよっぽど、苦手に感じるくらいだ。

「だが、甘いな」

 表情から読み取ったのか。部隊長は調子に乗るなと言わんばかりに、ヴァンへ言い放った。

「個人での討伐がどれほどに難しいか。お前は知っているのか?毎年幾人の人間が龍に挑み、死んでいっているか」

 ヴァンは―――それに答えられずにいた。部隊長は、短い沈黙を破って続ける。

「300人だ。しかも皆優秀な、我々が許可を出した者だ。それだけ、腕に覚えのある人間が死んでいる」

 予想を超える数だ。ヴァンは平静を装っているが、心の奥で驚きを隠せずにいた。その様を、部隊長は顔色一つ変えずに眺めみている。そしてそろそろ頃合か、とばかりに言葉を紡ぐ。

「組織は、基本的には許可を出す。もし一個人で龍を制すことができるなら、それでいい。だが考えても見ろ。こうした組織と、訓練された戦士達。特殊兵器。国やギルドが膨大な金をかけてまで龍を討つ術を講じている――つまり、お前が成し遂げようとしていることはそれほどに重大で難解な事なのだ」

「わかっています」

「いや、分かってはいない。わかってもらっては困るな…若造」

 部隊長は、ヴァンを冷徹な眼差しで見つめた。それが、長い間続く。まるで、お互いが気迫で戦っているかのような感覚。

「…退かない、か。やれやれ…」

 根負けしたのは、部隊長の方だった。眼差しは冷たいものから、どこか温かいものへと変わっていく。

「また一人、優秀な人材を失うのは残念だ」

「そうとは限りませんよ」

 緊張の糸が途切れたヴァンは、部隊長のジョークにそんな言葉でもって返事をした。そしてしばし、笑い合う。

 年齢の差を超えて今だけは。

 お互いに、無邪気に。

「既に知っていると思うが、我々はドラゴンが何かを仕出かさない限り動くことができない。それが、我々組織内の決まりだ。支援はできない。共闘もない」

 部隊長は言った。ヴァンもそのことについては心得ている。

「それでも。お前は行くのか」

 部隊長は短い言葉でもって、最終確認を取った。

「はい」

 彼が静かに頷くと、部隊長はかすかな笑みを口元に浮かべた。

「俺は、そのためだけに旅を続けてきました。それにもともと、ひとりでやる気でしたから」

 部隊長は、ヴァンの言葉に驚きもしない。ただじっと言葉を聞いている。

「いえ、前言を撤回します。今は一人じゃない、二人です」

 部隊長は、少しだけ目を細めた。

「俺には……相棒がいます。彼女と共に朝日を拝めるように、全力を尽くすだけです」

 ヴァンは、顔を上げて言った。その瞳に迷いはなかった。

「そうか…」

 聞き終えて、隊長は目を瞑る。そして静かに口を開いた。

「ヴァン・グリセルーク。黒鉄龍討伐をここに許可する。全力を尽くして目標を遂行しろ」

 強い口調で放たれた、言葉。

「感謝します」

 ヴァンは礼の言葉を述べてから、静かに部屋を後にした。

 謁見を終えたあと、ヴァンはギルドにその旨を伝えに行った。そして出発する日時と、回収場所、目的地までの移動手段などを決定した。

 もう一人の白き人――黒衣の男のことも気にかかるが、今は目的に向かってまっすぐ走るべきだと思った。

 契約書にサインした後、ヴァンはルナと落ち合った。日は没し、空は暗い闇一色となっている。

 それでも街の灯りが頼りとなり、辺は照らされていた。彼女は前にここへ二人で来た時と同じくゲートを出た左側、塀のすぐそばにいた。

 それからゆったりと街を歩きながら、ヴァンは今日部隊長と話した内容を大まかに彼女に話した。ルナは何も訊かずに、ただ静かに彼の話に耳を傾けていた。

「食事はまだだよな。どこか近くの店で済ませようか」

「ええ」

 ルナは小さな声で答えた。ヴァンは適当に開いている食事処を見つけ、ルナを連れて中に入った。店内は空いていて、二人は空いているテーブルへ腰掛ける。注文を取り、それからの待ち時間、二人は特に会話をしなかった。そしてそれは、食事が始まってからも同じだった。

「うまいな。これ」

「そうね」

「どんな味付けなんだろうな」

「どうなのかな」

 ヴァンが発言しても、彼女は上の空な答えを述べるばかり。ヴァンはうつむいたままのルナの顔を、さり気無く見た。やはり浮かない顔だ。いや、元気がないようにも見える。それを表すかのように食事も進んでいない。

 二人が店で食事を取ることは多くはない。前の街を除けば、大抵が野宿の際に持ち込んだ食料を、手持ちの道具で調理して、辛うじて食べられるように仕上げたものを食べていた。だからこうして、ちゃんとした味付けのなされた食べ物を口にすることは喜ばしいことなのだ。

「黒鉄と戦う場合、ルナはどうする気なんだ?」

 先ほどの話の続きという形で、ヴァンは話題を切りだした。

「私は…足元で戦う。あなたのブルークラウンより劣るだろうけど、これも一応龍と戦うことのできる武器だから。ダメージは与えられると思うわ」

「そうか…」

 やはり選択ミスだったか。彼女は簡潔に答えを述べ、それ以降会話は生じなかった。

 黙々と食器を動かす音が聞こえてくる。

 この状況、居心地が悪くてしょうがない。ヴァンはどうかこの空気を払拭できないかと考えを巡らせた。

「そういえば」

 ふと、前に彼女に連れられて店に入り、二人で食事を採った時のことを思い出した。あの時の自分は食べることを、生きるためだけの栄養摂取としか考えていなかった。それを、彼女が楽しさを教えてくれたのだ。

「牛乳。覚えてるか」

 ヴァンは、手元のグラスを持ち上げる。ここには先程まで牛乳が入っていた。

「え?」

 唐突の発言にルナは顔を上げた。

「最初。食事を取っただろう?あの時ルナが、牛乳を俺に勧めてきた。あれ以来、牛乳を飲むようになった」

「そうだったね。最近のことだけど、すごく前に感じる」

 ルナは記憶を遡るように、ゆっくりと言った。表情は若干、穏やかになっていた。間接キスのことは、おそらく覚えてはいないのだろうが。

「ああ。感謝してる」

 偏りがちな栄養も、食材など選んで入れない状況ながら、彼女が微調整してくれていた。背が伸びたのも、もしかすると彼女のおかげなのかもしれない。

 ルナは、もう一度俯く。そして直ぐに顔を上げて、こちらを見た。

 困ったような顔。そう、この顔の時の彼女はきっと、何かを言い出したくて仕方ない時の顔だ。彼は彼女の言葉を待った。

「ヴァン。謝らなきゃいけないことがある」

「ん?もうあの件なら…」

 ヴァンの声を遮り、

「いえ。違うこと」

 ルナははっきりとした口調で言った。

 彼女はフォークとナイフを置いて、それから話し始める。

「私ね。ヴァン宛の手紙、勝手に読んでしまった。しかも封を開ける前のやつ」

「…そうか」

 ヴァンは特に怒りもしなかった。むしろ、そういう事態もあっただろうと思っていたほどだ。

「謝るべきは俺だな。後で見せるつもりだったけど…正直なところ見せたい内容でなかったし、後回しにしていたかもしれない」

「でも、読んじゃった」

 ルナは補足した。

「そうなるな」

 沈黙が続く。二人共、内容については一切触れないようにしていた。何とも言えない、甘酸っぱさが混じった空気があたりに充満した。二人は目を合わせない。

「ルナ。何か言いたいことがあるんじゃないのか」

「わかる?」

「なんとなくね。君は結構わかりやすい」

 ルナは少し赤くなった。そして呼吸を整えてから、

「私からお願いがある。稽古の最終段階を兼ねて――」

 ヴァンは彼女の瞳を見据える。

「明日の朝もう一度、あの時のように――私と戦って欲しい。理由は、その時に話すから」

 

「そして、私の気持ちも」

 



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決意までの逃避行

 ヴァンが謁見のためギルドに赴く、その前日。――夕暮れ頃のことである。ルナ・ルークは一人、武器の手入れをしていた。

 現在彼女は安い宿屋にいる。値段相応、かなり狭い個室だ。資金に余裕がないというわけでないが、抗龍鎧の寸法調整や、武器の手入れなどで生じる必要経費を考えると、贅沢はしていられなかった。

 もちろん、二人で借りた一つの部屋だ。しかし今、部屋には彼女一人だった。ヴァンがギルドへ趣いた後、彼女は一人宿に残るこことなった。

 ルナは時間を持て余した。情報集めが彼女の仕事ではあるが、行動時間は以前よりずっと短くなった。なぜなら彼女は、あの一件以来行動を自粛していたからである。ヴァンは気にするなと言ったが、ルナはどうしても負い目を感じていた。だからこうして今は、大人しくしているというわけだ。

 そして少しでも、万全を期す為に出来ることをやっている――それが、武器の調整ということだった。

 そうとは言っても、彼女には専門的知識があるわけではない。下手なことはしない、あくまで形式的な範囲での手入れにとどめている。

 いや、そもそもこの刀に手入れは不要だったか。

 赤い鞘から抜き払った白い刀身は曇りなく、この世のものとは思えないほど、武器としては薄く軽い。そのため、振る事に筋力を要さないが、太刀筋が少しでもずれるとすぐに弾き返されてしまう。

 これは生前の羅音が使っていた武器で、彼が竜を狩るために使っていた事はヴァンにも話している。

 銘は「紅月」。特徴的な拵えの、鍔のない刀剣。

 龍殺しの武器以外で、人間が龍と戦うための唯一の近接兵器。そう、彼は言っていた。もっとも扱うには、例外じみた技量が必要らしい。それは彼女も重々承知している。まさに異質というべき武器だが、この刀剣の異質さはこれだけではない。

 なんと、刃こぼれしても治ってしまうのだ。月が満月を迎える頃、刀剣の傷が癒えるという。信じがたい話だが、彼女はその有様を何度か見ている。

 羅音は、この刀は生きていると言っていた。

 その言葉に、偽りはない。これはいわば妖刀だ。

 ルナの表情が翳った。

「私は多分…この刀の力を全く引き出せていないのでしょう」

 彼女は自嘲気味に言った。宿敵との決戦の日に向けて今、ヴァンが事を進めている。しかし、彼女はその日を前にして「龍と戦う力が自分にあるのだろうか」と。そう、思い始めていた。

 ヴァンは日々の鍛錬によって確実に力をつけていっている。戦い慣れしている分も含めていずれ、自分と互角以上の戦士となるだろう。そうなった場合、自分は彼の足を引っ張るのではないのだろうか。

 いや、もうなっているのかもしれない。この刀を上手く扱えないことが、既に彼との差を作ってしまっている。彼の剣は呪われた龍殺しの剣。「龍を殺す」という明確な理由を持った復讐の武器だ。そしてそれを、彼は行使している。

 この刀は確かに龍を斬ることができるけれども、自分にそれができるかがわからない。それが不安だった。

 もし、彼のブルークラウンと対等以上の力があるとすれば、それは。

「白き人」

 無意識の呟きだった。ルナはベッドに横たわり、灰色の天井を見上げた。あの男が言った、攻撃性の象徴、青い龍殺しの雷。それがもし、ドラゴンに通用するのだとしたら、有効だとしたら。

 自分はおそらく、迷いなく白き人の力を使うのだろう。

 人でないことを認めた今、彼女にその力を扱う事へのためらいはない。ルナは天井へ右手を突き出した。そして手のひらをゆっくりと閉じ、空を握っていく。

 だが問題は、根本的なところにあるのだ。彼女には雷を作る方法がわからない。どうすれば良いのかがわからない。

 途方にくれながら、ルナは鞘に収まった紅月を抱きしめた。旅に出る前、ルナは彼のサポートをすると誓い、彼女はいままでそれを全うしている。それをヴァンもありがたいと考えている。

 でも、それ以上のことをしたい。もっと彼の役に立ちたい。

 私は彼のために――何かをしたい。

「あ~!」

 ルナは思わず声を上げる。

 モヤモヤしたこの気持ちは、一体何なのだろう。シーツに顔を半分埋めながらも、彼女はカーテンの合間から覗く夕日を見つめた。

「わたし、どうしたらいいんでしょうか…羅音師匠…」

 そして、静かにそう呟く。姿勢を横にしてから。ふと彼女はそのことに気がついた。ヴァンの置いていった予備のアイテムポーチ、その中に封筒があることに。ルナはベッドから身を起こして、それを抜き取った。至って無意識に、ナチュラルに。彼女は封筒を開き、手紙を広げていた。

 もう一度寝転がってから、その文面に目を通していく。

 静けさが満ちる室内。

 ガタン。

 突如ドアが開き、ルナは慌てて飛び起きた。ヴァンが帰ってきたのだ。ドアは錠がかかっているため、すぐに開きはしなかった。

 やがて彼が鍵を使い、部屋に戻る。

「お、おかえり!」

 後ろ手に隠した封筒は、開封前の状態へ戻っていた。

 

 

 宿からしばらく、宛てもなく歩いた。街は明るく、方向を間違える心配はないだろう。

 どうして飛び出してきてしまったのだろう。

 ルナはそんなことを思いつつも、夜街を歩く。商店街はこの時間でもまだ閉店しておらず、彼女は気晴らしに物見遊山をすることにした。

 しばらくあたりを見物したあと、ルナは人気のない裏通りを進んだ。気のせいではない、視線がこちらへと注がれている。それに留意しながら、彼女は水路脇の通路を進み、橋を越えて向こうの区画へと移動した。この区画は先ほどと比べて静かで、明かりも少ない。彼女はランタンをポーチから取り出して、明かりをつけた。それを頼りに先へ進む。すると、ひときわ大きな建物が目に付いた。明かりはまだついているようで、色鮮やかな光が建物から溢れ出している。

 ステンドグラスを通した光。ルナは聖堂へとたどり着いた。そういえばこの街にも教会はあった。当然といえば当然であるが。ルナは無意識のうちにそこへ足を踏み入れる。すると中には一人、掃除をしている女性が居て、彼女を見つけるなり、

「あら。こんな時間に珍しい」

 彼女――シスターは駆け寄ってくる。清涼感ある青い修道服に、煌びやかな長めの金髪を揺らす少女。年頃は自分と同じくらいか――若干幼目に見えると、ルナは思った。

 彼女の顔立ちは綺麗なものだった。属性は対照的ではあるがルナ同様、独特な気品に溢れ、この空間に二人並ぶと、まるで名画から切り出した光景のごとく美しかった。

「あ、いや私は」

「まって」

 ルナはすぐに立ち去ろうとしたが、手を握られてしまった。

「あなたも修道女でしょ?」

 少女は目を輝かせながら問うてくる。こちらがよほど物珍しいのだろうか。

「ええそう…でも今はちょっと違う…けど」

 口ごもるルナを見て、少女は数回目を瞬いた。

「お悩みがあるようで?」

「いや、そんな」

 ルナは首を横に振る。

 しかし、

「でも、何もなくてここへ訪れないわけがないよね?」

 少女の言葉は、彼女の意中を突いていた。

「私でよければ、あなたの話を聞きましょうか?」

 そして少女は、聖女のように微笑みそう言う。ルナは、苦笑しつつもお願いしますと返し、礼拝堂の奥へ進んでいった。

 二人は適当に会衆席の一部に腰掛ける。とたん、早速少女の方から口を開いた。

「あたしはシーナ。シーナ・キャンドル。ここの聖堂に勤めて4年になります。ちなみに16歳ね。あなたは?」

 シーナという少女は手短に自己紹介をした。

「私はルナ・ルーク。小さな街の教会でシスターをしていた。けど、今はある目的のために、一人の戦士と旅をしているわ。歳はあなたと同じよ」

「そうなの!同い年なんだね!」

 元気な少女だな、ルナはそう思った。そして彼女の反応が本当に嬉しそうで、見ていてこちらも元気になる。少し強引な面もあるようだが、天真爛漫な姿がそれを許してしまう、そんな魅力のある娘だ。

「ルナ、さん?」

 少女はややぎこちなく彼女の名を呼ぶ。

「神父さんは今留守だけど、私が代わりに話を聞きます。言いたいこと何でも言ってね」

 きっと訪れる誰もが、彼女に好感を覚えてしまうのだろう。甘く優しい声に、ルナは自然とリラックスしていて、この短期間で心を開いていた。

「事情もあるし踏み込んで説明はできないんだけどね。助けたい、協力してあげたい人がいて、私はなんとか彼の力になろうとしているんだけど、うまく出来なくて…どうすればいいのか悩んでいるの」

 ルナは先刻のことを思い起こしつつ、語った。

「うん。内容については説明もないしよくわからないけど…ルナ、さんは、本当に彼の力になれていないのかな。もしかしたら、既になっているのかも」

 シーナはやや能天気な口調で言った。

「なっているとしても、それ以上のことをしたい」

 ルナはそれに対し、強い口調で告げる。シーナはしばし無言のままだったが、やがて真剣な顔つきをして口を開く。

「それって恋だよね?」

 この少女は真っ直ぐだ。その言葉をはぐらかさない。ストレートに、だからこそ信用できる。ルナは話を続ける。

「うん。でも、そんな気持ちが高まってきた頃に、嫌な事を知ってしまった。これがもうひとつの悩み…というか本題なんだけどね」

 ルナは手紙を思い起こす。

「これも説明しにくいんだけど、私と彼は同じようには生きられないみたいなの。たぶん、彼もその事をもう知っている」

 ルナの話に、シーナは考えている様子だった。そして口を開こうとした瞬間。

「おや」

 第三者の声によってそれが阻止される。シーナは立ち上がり、振り返った。ルナも声の主を探すべく、体を反転させて向こう側を見る。すると、ここの神父と思われる男性が、手荷物を抱えて向かってきていた。神父にしては少々長めの黒髪をしている。身長はさほど高くはないようだ。

「クリスさん!?」

 シーナが言うところ、この男性の名はクリスというらしい。

「シーナ。また留守中に客人を勝手に呼び入れたな?」

 クリスは呆れた様子でシーナに言った。口調からは、あまり怒ってはいないらしい。シーナは「ごめんなさい」と素直に謝る。

 それ見て、ルナは立ち上がった。

「いえ。ここには、私が勝手にお邪魔しただけです。彼女は、私の悩みを聞いてくれていました」

 彼女の隣に立ち、ルナは説明した。

「君は?見たところ同業者のようだが」

「ええ。私はルナ・ルークといいます。以前はシスターでしたが、今は旅人と一緒に旅をしています」

 クリス神父はしばし考え込んでいた。何かを思い出しているようにも見える。やがて、彼はルナへ視線を定めた。

「まさか、レヴァンティウスのところの?」

「お知り合いなのですか?」

 意外な接点にルナが驚くと、クリスは軽く頷いて微笑んだ。

「まあね」

 それにルナも安堵し、笑顔を見せた。

「まさかこんなところで逢うことになるとはな。夜分遅くだが、よかったら泊まっていくか?部屋に空きはあるし、食事も用意できる」

「そうですよー。泊まっていってください」

 シーナもそれに賛同した。彼らの善意が身にしみる。しかし彼女は首を横に振った。

「いえ、せっかくですがお断りさせていただきます。宿で待たせている人が居るので…今日はこれ失礼します」

 ルナは申し訳なさそうに言った。シーナは残念そうに、クリスは少し微笑んでいた。

「そうか、そうか。では明日時間はあるかね?」

「え?はい。大丈夫ですけど」

 ルナは少し疑問を浮かべつつ答える。

「よかった。話しておこうともう事がいくつかあるのでね。昼時にまたここに来てはくれないだろうか」

 クリスの提案に、ルナは少し間を空けたが、

「はい。喜んで」

 程なくして微笑んで返した。

「ありがとう。食事を用意しておくよ」

 ルナはクリス、そしてシーナに一礼すると、踵を返して歩き始めた。

「待ってるよ~!」

「こらシーナ。少し静かにしなさい」

 聖堂に木霊する賑やかな声は、彼女が聖堂を去ったあとも聞こえていた。

 

 

 早朝。ヴァンは鎧の調整の為武具屋へ向かった。今日は稽古をせず、口頭でのイメージトレーニングにとどめている。

 彼が去ったあと、ルナは日課にしていた柔軟体操をしてから外出し、人気の少ない場所で鍛錬を繰り返した。激しい跳躍と回転運動で、スカートは派手に翻り白い太腿が顕になるが、彼女はそれを気にもせず黙々と舞う。傍から見れば、気の狂った女に見えているかもしれない。

 しかし同時にそれは美しくもあった。

 鍛錬を終えてから正午になるまで、彼女は街を散策した。すぐに時間が過ぎ、ルナは聖堂を訪れる。

「あ!」

 すると、すぐさまシーナが迎え入れてくれた。

「こっちにきて」

 シーナに連れられて、ルナは聖堂の奥へと進んだ。扉の向こうは居住区となっていて、そこにはクリスもいた。彼は食事の支度をしており、程なくして約束通り食事をご馳走になった。

「ごちそうさまでした」

 食器を片付け、洗い物を手伝い、それから礼拝堂にて久しぶりのお祈りをした。

 静かで、ゆったりとした時間が流れていた。祈りが終わったあと、クリスは振り返ってルナを見た。

「昨日の悩み、相談相手くらいにはなれそうだ」

「聞いていたんですか?」

 驚くルナに、クリスは口の端を片方だけ上げて笑う。

「シーナ。ちょっと席を外してくれないか」

「はい!」

 クリスのお願いにシーナは即答して、すぐさま礼拝堂を後にする。

「元気ですね。本当」

「ああ…」

 クリスは、どこか遠い目をしていた。そして先ほど、シーナが座っていた位置に腰を下ろすと、彼は話を始めた。

「廻り合せというものは不思議なもんでね。シーナはあの孤児院の生き残り、その一人なんだよ。運良く優しい里親に引き取られ、あのように天真爛漫に育った」

 ルナは唖然とした。

 あの中の一人に、彼女が。

「比べて、君は随分と苦労をしたようだな…。一部だけだが、レヴァから聞いている。旅をして、それからあの町へ。そして再び今こうして、旅を…」

「苦労ですか…確かにそうかもしれませんね」

 ルナは否定もせず返答する。

「すまないが、さっきの悩みという話し、全て聞かせてくれないか」

「でも聞いていたんじゃ」

 疑問を浮かべるルナに、クリスは口を開く。

「あれはハッタリだ。神職がこんな事を言うのも元も子もないが…事をうまく運ぶためには嘘も必要だ。誰しも皆、嘘にしがみついているんだから」

 なんとなくだがそれはわかる。ルナはなるべく簡潔に、話せるだけのことを彼に伝えた。

「ありがとう。よく話してくれたね」

 クリスは頭を下げた。

「いえ、お願いしているのは私の方ですから。頭を上げてください」

 彼女がそう言うと、クリスは顔を上げた。彼は少し歩いて、ステンドグラスの前に移動した。そしてルナの方向を向くと、どこか悲しげな表情をした。

「僕が言えることは…生き方なんて人それぞれだということ。運命がどうであれ、好きにすればいいと思う。昔のように、世間の目も厳しくはないだろう」

「でも、この問題はどうしても越えられないんです。私と彼の間には、途方もない時の差が…」

「ではそれで、君は諦めるのか?」

「それは嫌…です」

 ルナは即答した。

「そうだ。それでいいんだ」

 

 程なくして、彼女は聖堂を去った。クリスに礼をして、感謝の言葉を述べて。

 澄んだ眼差しを彼方へ向けて。

 彼女が自分の助言を呑み、選択を悔やんだとしても。そしてその時に自分を恨んでくれても、構わない。あの少女には、それくらいの気持ちのやり場が必要なのだ。クリスは神父として、そして一人の大人としてそう思った。

「シーナ」

「はい?」

 ――あの子は、ずっと昔にお前と友達だったかもしれないぞ。

「いや、なんでもない」

 言葉を飲み込んで、クリスは踵を返した。後ろから聞こえてくるシーナの抗議の声を、どこか心地よく感じながら。

 

 

 ◇

 

 

 東から朝日が登ってくる。光があたりを照らし出し、世界に影を生み出していく。一気に立体感に溢れた街。その一角で二人は向き合っていた。まるであの日の同じように、真剣な眼差しをお互いに送りながら。

「最後の稽古よ」

 ルナは切り出した。

「限りなく実戦に近い形式をとること。そうでないと確かめられない」

「昨夜言った白き人の力か?」

 ヴァンは軽い口調で発言した。

「ええ。もしかしたら危険なことになるかも知れない」

 ルナは俯き、胸の前で両の手を握った。一応ヴァンにはその旨を伝えてはいるが、やはり不安はある。

 ルナは顔を上げる。

「それを、上手くやるんだろ?」

 するとヴァンは穏やかな口調でそう告げるのだった。

「そうね」

 ルナは安堵して、頷く。

「始めましょう」

 二人は構えを取った。剣は抜けないため、格闘のみでの戦闘となる。初めに凄まじい速さで接敵したのは、ヴァンだった。明らかに前よりも素早くなっている。ルナは後ろへ回転し、片腕をバネにしてさらに跳ねた。揺れる視界の中、自分のいた場所に回し蹴りが繰り出されるのが見えた。

 彼は手を抜いてはいない。ルナは着地すると、ヴァンに接近した。彼もまたこちらと距離を詰めてくる。接触する瞬間ルナは跳躍し、空中で体を回転させ、左右の足で四段、蹴りを繰り出した。ヴァンは腰を落とし、それを少しの動きでかわす。重心を移動させ横跳びに転がると、その勢いを転化させて壁を蹴った。そしていま着地し、回転の勢いを殺しているルナの頭上へと、落下してくる。

 彼女は――動かない。

 ルナは回避することなく、全身をバネにして逆立ちから蹴りを繰り出した。ヴァンは、手前で腕を交差させそれを間一髪で受け流す。腕を使ってしまったため、上手く着地が出来なかった。

 おそらく追撃が来ると見た彼は、振り返ることなく全力で前へ飛んだ。読み通り、彼女はそこへ拳を打ち込んだ。

 ヴァンが再び向き合うと、ルナは動きを一旦止める。

「ドラゴンブラッドの力を使って」

 そして彼女はそう言い放った。

「いいんだな?」

 手はず通り、彼は龍血の力を使った。大人の男も、山賊も、野生動物も。今の彼の一撃が致命傷となる。

 先程よりも鋭くなった攻撃を、ヴァンは繰り出す。ルナもより早く攻撃を加える。

 そして、お互いにひたすら攻撃し、回避し続ける。

 その様は、まるで舞のようだった。

 だが、それも長くは続かない。ルナがヴァンの猛烈な勢いに、押され始めていた。

「く…」

 回避が間に合わず、彼女はガードをしてしまった。当然、力では彼には勝てない。一撃、そしてもう一撃と打ち込まれると、彼女のガードは容易く破られてしまった。

 やられる。

 彼女は本能で、生命の危機を感じ取った。

 その時。

「わあああああぁぁ!!」

 彼女は叫び、次の瞬間――その手に光を掴んだ。

 手元から溢れ出した青白い光は、やがて形を成し、剣となった。それを見たヴァンは、思わず後ろへ飛び退いた。

 ルナはそれを携え、突進する。ヴァンは構えを取ったまま、微動だしない。

 一閃。

 光の剣は、ヴァンの頬を掠めて空を切る。意図的に外したことは明らかだった。

 ルナは光の剣を掌の中に”仕舞った”

「ありがとう…」

 彼女は、肩で息をしながらも口を開いた。

「これを確かめたくて…」

「やったな」

 ヴァンもまた、息が上がっている様子だった。そして二人はその場に座り込む。

「うん」

 ルナが言った。

 二人はしばし、空を見上げていた。

「しかし肝を冷やした…やっぱり強いよ、ルナは」

「はは…ごめんなさい」

 ヴァンは正直な感想を述べた。

「そういえば、手紙の件なんだけど…」

 ルナが、思い出したように言った。正確には、言うタイミングを探っていただけなのだが。

「あ、うん」

 ヴァンは少し気まずそうだった。

「私とあなたの関係だけど…」

「あ、ああ」

 二人は見る見るうちに赤面していく。

「い、今はやめよう!この件は全てが終わってからにしよう!」

「そ、そうね!緊張がほぐれたら大変だしね!」

 なぜだろうか。お互い妙に、恥ずかしくなってしまった。

「本当、あのお婆さんはすごいなぁ」

 ヴァンがふと、そう言い始める。おばあさんとは、手紙を出した本人であるシルファのことだ。

「さすが、昔活躍していただけはあるよね」

 ルナは、彼女の事を想像しつつ、しみじみと言う。

 ヴァンは手紙を取り出した。朝日が、白い便箋に反射して煌めいていた。

 

 彼方からの手紙。

 

『元気しているかな。私だよ。

 あんたたちが行き着く先をだいたい予想して手紙を出してみたけど…果たして届いているかな。

 ヴァン、お前さんに言っておかなければならないことがある。口頭で伝えられないのが残念だがね。

 

 私のことについて書かせて欲しい。

 

 実は私には、人とは違った特殊な力が備わっているんだよ。先のことがわかる、いわゆる予知能力ってやつがあるらしい。

 その昔、私には災厄を抑えるという仕事をしていた。災厄というのは、ドラゴンにおける人間への被害のことだ。

 

 私は、自分の力を使っていくつもの街を守った。あの頃の私は一切、自分の必要性、存在価値を疑わなかった。そしてそんなことを続けるうち、いつの間にか神様扱いされていた。それが息苦しくてしょうがなかった。

 

 程なくして、私に会いたいという者が現れたんだ。それも何人も。といっても、恋心とかそんなものじゃない。連中は皆私を、力の一部として傍に置いておきたい、ただそれだけだったんだ。

 でもその頃には、私にも好きな人が出来ていた。私を所有する勢力の、重役の側近だった男だった。彼はお調子者でね。よく任務の合間を見て私に会いに来た。見かけると、声をかけてきてくれた。下手だけど、歌も歌ってくれた。

 

 彼は畏まることもせずに、本当の私を見てくれていた。それが嬉しかったのかもね。そのうちに、私は彼に惹かれていった。

 

 でも、その恋は許されなかった。

 彼の階級がとか、そういった問題じゃない。もっと深い、歴史絡みの問題だ。とにかく、それは禁忌だった。彼は部隊を離れ、私はこの灰色の街へ逃げ込んだ。

 

 それでよかったんだと思う。

 それがお互いの幸せだと納得できたのだから。

 

 それから私はこの町の誰よりも高い場所へと逃避した。

 一人になりたかった。

 そうすれば、楽になれると思ったんだろう。でも、結局は寂しさに打ちひしがれるだけだった。恋人の詠んだ歌を思い出しながら、ひたすら寂しさに耐えていたら……いつのまにかこんな歳になっていた。

 同世代が歳をとって、先に逝っていくさまを見るのは、結構心にこたえる。時代に取り残されていく気がして、ますます辛い。それでも私がこうして生きているのは、多分、伝えたいことがあるからなんだろうね。

 その機会と見込みは、限りなくゼロに近かっただろうけど、お前さんにこのことを伝えられて、私は幸せだ。

 

 近頃、ルナとはうまくやっているようだね。お前さんも彼女が気にかかって仕方ないんじゃないか?まあ年頃だからね、仕方ない。

 でも、もうすべての真実を知っていた後ならわかるだろう?

 あの娘と同じ時間を生きることは、お前さんには許されない。

 

 もしお前たちが既に惹かれあっていたとしたら。そしてこれからも一緒に生きていこうとするなら、何かと辛いことになるだろう。

 

 でもね。

 

 それでも同じ道を行きたいなら…止めはしない。

 それもひとつの答えだと、私は思うから』

 

 



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一つの結末

 季節が移り変わり、やや肌寒くなった早朝。彼らは、物語の終わりを告げる場所へ趣いていた。

 そこは静かな、木々が風になびく掠れた音と、どこからか聴こえてくる小鳥のさえずりだけが鳴る場所で、ひどく寂れていた。

 まるで色を失ったようなここに、あの龍がいる。

 スィーグランドを経ってから二日。彼らは決戦の地へと足を運んでいた。

 辺境の滅びた町、その周辺に存在する黒水晶の洞窟。そこに、黒鉄龍がいる。ルナの力と、周辺情報から導き出した地図を片手に、ヴァンはここにいた。

「では、約束の日時になったらまた貨車を出す。それ以外の場合はここを定期的に通る馬車を利用してくれ」

「ああ、よろしく頼む」

 ヴァンは貨車の主へ一礼をした。その隣にはルナの姿もあった。主は微笑むと、彼らを見据えてから口を開いた。

「ささやかながら、健闘を祈っている」

 貨車はやがて丘の向こうへ消えた。

 二人は、直ぐに目的地の洞窟へ向かうことにした。現在のふたりの出で立ちは、ヴァンは全身をブルースケイルで固め、ルナは白の戦闘服姿である。ルナは身軽だが、ヴァンはいささか動きにくそうだった。だが実際、この鎧は重くはない。慣れるのに時間がかかったが、今はさして問題はない。

 地面を伝って、強い風が吹く。それが、二人の髪と装備を激しく揺らしていった。

 その風は肌寒く、どこか寂しかった。これより、ドラゴン・黒鉄龍を討伐する。実感が湧かないのは、たぶん二人とも同じだろう。

「いよいよ、だな」

 ヴァンは陽を見据えながら、静かにつぶやいた。声は、若干の緊張が含まれていた。

 彼にとっては長きに渡る道のりだった。それに違いはない。後ろに居たルナが、ヴァンの隣に来る。

「そうね」

 そしてそれは、彼女にとっても同じことだった。

 ルナは紅月の鞘を見据えながら、今までの旅を振り返った。

 短いようで、長く、振り返ればあっという間。

 本当にいろいろなことがあった。

 

 二人はまだ、”この先”についての答えを出していない。

 彼らは互いに、自分の内をさらけ出して接した。

 それがお互いを強く結びつけ、信頼を生み出した。

 諍いがなかったわけではない。

 すべてを許容したわけではない。

 すべてを覗いたわけではない。

 それらの不完全な箇所はきっと、

 旅の終わりに…知るきっかけを得られるはずだ。

 

 そのためにはまず、二人は旅を終わらせないといけない。

 

「もし俺が」

 ヴァンが唐突に発言する。

「もし?」

 ルナが聞き返すと、ヴァンは虫の悪そうな感じで、

「いや、まだいい」

 そう言った。

「?」

 ルナは不思議に思い、彼の顔を覗き込む。翳った顔。そこにはいつもよりずっと、複雑な面持ちが浮かべている。

 何を言いたかったのか、彼女は聞き出すつもりだった。しかしその表情を見てしまった後は、何も言えなくなっていた。

「行こう」

 ヴァンは顔を上げて切り出した。

「ええ」

 再び風が吹く。土埃が晴れたあと、ふたりの姿はもうなかった。

 

 

 ◇

 

 

 黒鉄龍の棲む洞窟の奥地。黒衣の男はそこへ趣いていた。

 設定した日付と時刻。

 予知が正しければ、まもなくあの二人が現れるだろう。若干の誤差はあるだろうが、こちらが先に龍を倒すことができたならば、それで事は解決する。仮に彼らが最初に交戦したならば、頃合を見計らって”血の儀式”を行えばいい。

 思わず笑いがこみ上げる。更に、人ならざる力が手に入るのだ。そうして、それから何を統べる?リュース・グレゴリスは自問自答した。

 答えは出なかった。焦ることはない。悠久の時の中、そのうちに探し出せばいいことだ。

 リュースは分岐路の――右側をくぐり抜けた。

 予想通り、開けた場所へ出た。天井の高さは、おおよそ15メートルほど。奥行もかなりある巨大な空間だ。黒水晶があたりにいくつも点在しているのが伺える。

 察するに、あの場所は近い。この先をしばらく進めば、傷ついたあの龍が居る。リュースは不敵な笑みを浮かべた。

 そして、彼が歩みだしたその時だった。

 

「ここから先へは行かせない」

 

 洞窟内に、低く艶やかな声がこだました。

 突如として現れた、紅の装束を身の纏った軍団。リュースはゆっくりと振り返った。赤服の男が、こちらを見据えている。

 鋭い眼光が、そして殺気が向けられていた。

 赤装束の部隊は、瞬く間にリュースを包囲した。待ち伏せされていたことは明らかだ。

 だがリュースはこの光景に、大して驚きもしなかった。

 自らが犯した罪。

 それに巻き込まれた人々がこうして、仇討にやって来る。

 そんなことなど、彼にとっては日常茶飯事だったから。

 そしてそれを皆、地に沈めてきた。

「全く。邪魔をしてくれるな。君たちも死にたいのか」

 リュースは肩をすくめ、ため息混じりに言う、次の瞬間。

 爆音が洞窟内にこだまする。リュースは体を翻し、その一撃を避けていた。表情には、先ほどの余裕は伺えなかった。

 彼の後ろで壁が破壊され、その破片と、垂れ下がっていた鍾乳洞が吹き飛び辺りに爆散した。

「…正気か?」

 リュースは訝しげに言った。

 彼はそれを知っていた。

 赤の軍団が使用したのは、翼竜を落とすための重火器…それによく似たものだった。

 通称、対龍砲と呼ばれる兵器。都心部における竜の襲撃を想定した設計で、本来は龍の攻撃から街を護るためという、特殊な用途でしか用いられない。

 しかも一般には普及しておらず、大規模ギルド意外には配備はされていない代物。それを携行型に改良した、おそらく試作タイプであろう物を、幾つもの兵士が装備していた。

 表には出ないであろう兵装と特殊装備。それはこの集団が、裏ギルドの尖兵であることを物語っていた。

 そしてその砲身はいずれも、黒衣の男へと向けられていた。

「正気だとも。リュース・グレゴリス。死ぬのは貴様の方だ。我々は”貴女”を…いや貴様を排除する」

 男は前へ出て、腰に手を添えた。

「放っておいてはくれないかね…」

「…」

 男は答えない。

 無駄なようだ。リュースはため息をついた。そして渋々、剣を抜く。赤装束の男もまた、腰に携えた剣を抜いた。

 流麗な銀の刺突剣が、黒衣の男を捉える。

「貴様を殺すのが、私の使命だ」

「殺せるか?」

 リュースは凶悪な笑みを浮かべる。対する男は、一切表情を変えない。

「…父は既に死んだ。お前は――まがい物だ」

 赤服の男は腕を上げ、鋒をリュースへと突きつけた。

 

 ひとつの決着が今、つこうとしていた。

 

 

 ◇

 

 

 ヴァン達は今、町の中にいる。

 スィーグランドで念入りに下調べを済ませておいたため、道中迷いなく進むことができた。ただ、実際に足を運んでみないとわからない部分もあった。ルナは建物を調べつつ、目的の方向を探った。

 町の中にいるといったが、少々語弊がある。正確には町だったというべきか。

 ここは“それ自体が滅びている”、無人の町だった。廃墟となった建物達が、かつての町並みを残して静かに鎮座している。どれほどの歳月が経っているのだろうか、見当もつかない。不気味ではあるが、同時にどこか美しくもある。

 誰かが住んでいる気もするが、二人は出会っていない。物見遊山をしに来たわけではないので、二人はまるで気にかけずに先を急いだ。

 目的地は、意外な場所にあった。

 崩れた家の淵、朽ちた庭の一角。

 そこから見える柱の下部に、洞窟への道の一つがあった。方向からして、街の中心部へ向かっている気がする。だとすれば、龍が潜む黒水晶の洞窟は、この町の真下にあるということになるのだろうか。

 黒鉄はどうして、このような場所を選んだのだろう。まるで、忘れ去られたような場所に身を寄せたのだろう。

 ヴァンはふと意味も無く、そんなことを考える。

「私が先に入るわ」

「ああ」

 ルナはランタンを手に持って、入口へと足を踏み入れる。

 龍が潜むとされる方向を出口とすると、こちらは一番遠い入口となるようだ。人がようやく通り抜けられるような入口だったが、ルナは細身で難なく通り抜けていた。

 小柄なヴァンも当然、すんなりと通り抜けることができた。

 内部は狭く、しばらくは舗装の跡が伺えたが、やがてありのまま、自然が生み出した道へと変わっていた。

 上を見れば、鍾乳洞がいくつも天井にぶら下がっている。そして向こう側からは何かの音が、微かだが聞こえてくる。二人は気を引き締め、先へ進んだ。

 それからしばらく進む。

 二人は一切言葉を交わさなかった。

 ただならぬ緊張感が、ふたりを支配していた。

「まって…」

 その時、ルナが握るランタンが、飛来する何かの影を壁に映し出した。ルナは危険を察知して、後ろの彼に止まるよう指示した。

 二人は身構える。遠くから、翼のはためきのような音が聞こえてきた。

 突如、彼らの前に黒い影が迫った。まるで黒い嵐のようなそれは、

「吸血コウモリか!」

 ヴァンが叫ぶ。黒い影は、コウモリが密集したものだった。それは、彼ら目掛けて突進してくる。

「ルナ!」

 ヴァンが声をかけると、彼女はすぐに隣に並んだ。そして二人は背を向け合い、剣を抜いた。そして一閃。群がる黒い影を切り落とし、少しずつ退路を切り開く。

「ヴァン…少しの間相手を!」

 ルナがそう言って、視線を低くして前線から離脱した。彼女は素早くポーチから道具を取り出し、

「横へ飛んで!」

 そう叫んだ。

 ヴァンが回避したのを見て、彼女は手持ちの火炎弾を投げつけた。大きな音と、爆炎があたりに四散する。大多数のコウモリは巻き込まれて、地面を這いつくばり絶命し、残った者は洞窟の奥地へ逃げていった。

「助かった」

 ヴァンがお礼を言うと、ルナは微笑んでみせた。

「どういたしまして」

 ルナは血振いして、刀を鞘に収めた。それからランタンを拾い上げ、先へ進む。ヴァンもそのあとを追った。

 

 

 ◇

 

 

「まがい物、か…」

 リュースから笑みが消える。

 ふたりは構えを取り合い、接敵する。そしてすぐに剣を交えた。双方、凄まじい速さで移動しつつ、剣撃を繰り出す。

 攻撃に攻撃でもって、防御する。金属音が辺りに木霊する。

 それは何者も介入できない、真剣な決闘だった。お互いに一撃もまともに入らない。

 技量は互角と見えた。

 回転し、跳び、宙を舞い。

 それはまるで永遠に続く舞踏のように。

 そのさまを、男の部下たちは黙して見つめていた。

 

「お前は、なぜそうもして私を狙う?」

「愚問だな。貴様は私の仇…だから討つ。それだけだ」

 

 打ち合う中、二人は短い会話を交わした。その意味が判っているものは、二人以外にいない。

 しばらくの間、二人は付かず離れずの戦闘を繰り広げ続けた。お互いに、隙の少ない攻撃を繰り返しており、大振りの攻撃を出していないのも原因だった。

 互いに息が上がっている様子もない。群衆は、このまま決着がつかないのだろうか。そう思ってしまうほどだった。

 しかし、あるときにそれは急遽、転調する。

 男の繰り出した大振りの、超速の突き。

 リュースはそれを見逃さなかった。紙一重で避け、その刀身にブルークラウンを添わせると、刺突剣の刀身が、みるみるうちにブルークラウンの冠に巻き込まれていく。確実に「噛み込んだ」リュースは笑みを浮かべた。

 ――だが、赤服の男は顔色ひとつ変えなかった。その瞳には、闘志の色が未だに色濃く残っていた。

「なっ」

 動きを封じられたのは、先方ではなく黒服の男だった。

 素早く右側から抜かれたもうひとつの、又別れの短剣。赤服の男はそれを左手に携え、リュースの脇腹へ突き立てた。

「ぐ!」

 リュースの顔が苦痛に歪む。男を蹴り飛ばし、彼は深々と刺さった剣を引き抜いた。

 乾いた金属音があたりに響いた。群衆がざわめく。赤服の男は剣を構え直した。

 これではまるで、見世物じゃないか。

 道化はどちらだ?

「はは、はははははは…」

 リュースは乾いた声で笑い出した。

 そして一気に詰め寄り、熾烈な連撃を繰り出す。幾重にも重なる鋭い青の残像が男を襲う。

 怒りに囚われた黒衣の男は、我を忘れて暴れた。それと対照的に、赤服の男は常に冷静に、熾烈な攻撃を受け流し続ける。

 死ね。リュース・グレゴリスは、明確な殺意を男へ向けた。

 間隔が短くなる、金属音。

「くっ…」

 赤服の男は遂に体勢を崩した。その好機を逃さない。

 リュースは詰め寄る。

 鮮血をまき散らしながら、鋭い一撃を振り下ろす。男は懸命にそれを受け流すと、先ほど手放した短剣を拾い上げた。

 させるか。リュースは横薙ぎに、ブルークラウンを振るった。男は間髪入れないその追撃を、短剣で受け止めようとする。

 キィィン!!

 一際大きな金属音が弾け、洞窟内に反響した。

 

 ――短剣が弾き飛び、鮮血が舞う。

 

「――貴様の、負けだ」

 刺突剣が、リュースの胸を貫いていた。

「私が……こんな」

 深々と突き刺さる刀身を見据えて、リュースは目を細めた。認めざるを得ない。

 勝敗は決したのだ。

 剣が抜かれていく。それと同時、リュースは地面に倒れふした。それから程なくして、傷ついた片腕を押えながら赤服の男は立ち上がった。部下が駆け寄り、傷の手当てを促すが、男はそれを手で静止し、そのまま踵を返す。

「待て…」

 リュースは消えようとする男へ、そう声をかける。

 それに対して男は答えない。そのまま洞窟の奥へ消えていく。

 業を煮やしたリュースは、歯を噛み締めた。

「待て!!」

 叫びが辺りに木霊する。

「話は、ここを訪れる少年にするんだな。私からかける言葉は、もう何もない」

 振り返りもせずに、男は言った。そして、洞窟内は静寂に包まれた。

 

 

 ◇

 

 

「戦闘の跡…なのか」

 現場と思しき場所へたどり着き、早々にヴァンはつぶやく。その口調には、戸惑いが含まれていた。

 ひときわ大きい空間に、二人は佇んでいた。洞窟内に、ひときわ激しく破壊された壁があった。まるで大砲を打ち込まれたかのような有様だ。当たりには無造作に砕け散った水晶や、鍾乳洞が散乱している。彼の言うとおりまるで最近、ここで戦闘があったかのようだ。

「まさかドラゴンを?」

 ルナが辺りを見回してから言った。

 第三者の介入。それは明らかだった。

「いや、違うと思う。こんな狭い場所で、やり合おうとは思わない」

 ヴァンは否定した。いくら開けた場所とは言え、ドラゴンを収容出来るほどのスペースではない。この場所で黒鉄は活動してはいないだろう。

「ヴァン、見て…」

 ルナに呼ばれて、ヴァンはその場へ向かった。

「……!」

 彼は顔をしかめた。そこには血だまりが広がっていた。よく見れば、点々とする血液の跡と、飛び散った跡などがあった。

「まさか、あの男絡み…」

 ルナが発言すると、ヴァンは小さく頷いた。

 あの男も黒鉄を狙っている一人だ。ここを訪れていてもおかしくない。こちらと日時を合わせたのは、なにか企てがあるからだ。

 しかしここに、奴の姿は無い。

「リュース・グレゴリス…」

 ヴァンはふと、黒服の男の名前を口ずさんだ。

 刹那。

 二人は寒気を覚える。そしてほぼ同時に、ゆっくりと後ろを振り返った。

 暗がりの中に蠢く何かがあった。二人はそれを黙して見つめている。冷や汗が頬を伝っていくのがわかった。

「すまないがルナ。この先へ行っていてくれないか」

「でも…」

 心配そうな顔をしている彼女に、ヴァンは笑顔を見せた。

「大丈夫。任せろ」

 ルナは渋々頷くと、この先へ駆け出した。それを見送ってから、彼は再び暗闇を凝視した。そして次第に形になっていく影を見据えた。

「決着をつけないとな。お前とも」

 ヴァンは表情を険しくする。

 その視線の先には、黒衣の男、リュース・グレゴリスがあった。体全体を引きずるように、リュースは現れた。銀の髪は血に汚れ、白い顔はさらに蒼白となっている。

 黒服の端から、おびただしい量の血液が漏れ出しており、どうやら重傷を負っているようだった。ヴァンは油断をしないよう、身構えながら男を見た。

「…再び会えて嬉しいよ。あの娘は逃がしたのかい?」

「ああ。お前には散々苦しめられたらしいからな。顔も見たくないだろうと思って先に行かせたよ」

「それは残念だ…」

 リュースは咳き込みそうになるところをこらえて、そう言った。

「それにしても、随分やられているようだな。乗り移りはしなかったのか?」

 ヴァンは皮肉めいた口調で問うた。リュースはそれに対し鼻で笑ってみせる。

「あいにく…めぼしい対象がいなくてね…」

「そんなもの、選んでいる場合か?」

 満身創痍の男の姿を見て、ヴァンは言う。

「…確かに…選ぶ暇もなさそうだ。しかしもう君でしか、この命を繋ぐこともできそうにない」

 ヴァンは無言で聞いている。何があったかは一切、聞きはしない。

 白き人が相手に憑依する場合、まずは対象の生命力をある程度奪わなくてはならない。そのため、相手を半死半生にする必要があった。

 これは実際に一部始終を経験したルナから聞いた話だ。リュースは精神面から、彼女を弱らせようとした。

 そして憑依しようとした。

 だが彼には、精神面でダメージを与えられるような要素は無い。となれば、実力行使以外に方法はない。

「龍血の体か…悪くもない。もしかすると、ドラゴンを倒さずとも力を得られるかもしれないね…」

 そこまで言い終えて、黒衣の男は突如牙をむいた。

 明白な殺意を乗せた、鋭い突きを繰り出す。

 

 まるで、「その気」など無いかのように。

 

 ヴァンは剣も抜かず、リュースの攻撃をステップで難無く避けた。勢いを殺しきれず、リュースはその場でたたらを踏む。

 背後にヴァンが迫る。慌てて振り返るリュースであったが、ヴァンは一切、攻撃の素振りを見せない。

「何故、斬らない…?」

 リュースは、困惑の混じった声で訊いた。

「俺は人斬りじゃない。この剣は、龍を討つためのものだ。お前が今の――龍血の身体を乗っ取っていたとしても、それは変わらない」

 お前はただの人なのだと、ヴァンは行動で告げた。それはリュースにとって慈悲のない、残酷な言葉だった。

「気がついて、いたのか…グハッァ!!…ハァ…ハハハ…ッ…」

 おびただしい量の血液を吐き出しながら、リュースは掠れた叫びを上げる。

 まもなくして、彼の呼吸は次第に浅くなる。やがて片膝を付き、そのうちに倒れた。

「ああ。青い抗龍鎧を狙った時点で、お前も俺と同じなんだと、そう思っていた」

 ブルークラウンは手放され、音を立てて地面に転がった。うつ伏せから自力で、仰向けになったリュースは、大の字になって天を仰ぐ。

「龍血を乗っ取って、お前の願いは叶ったか?」

「それは愚問だな…」

 リュースはうんざり、とばかりに言った。

「何一つ、代わりは…しなかった。お互いの特性を、暗い部分を。引き継いだだけだった…」

 ここからは、青い空は見えない。

「ついに私も…風前の灯、か…」

 薄暗い洞窟の天井が、途方もない隔たりが彼の間に存在している。まるでこの世界での自由を許さないかのように。

「…私は、白き人だったのだろうか…高潔な存在だったのだろうか」

 ドラゴンと戦うことも許されなかった男は、逆転する世界の中震える声で静かに訊いた。誰に対してでもない。

「私は、何者だったのか……」

 もしかすると、それは自分自身にかけた言葉だったのかもしれない。しかしそれは誰にも、わからない。しかし、確かな悲しみが混じっていたのは確かだった。

 ヴァンは、そんなリュースの言葉を汲み上げる。

「さあな。ただ言えることは、俺もお前も結局は欲に囚われた、ひとりの人間に過ぎないということだ」

 高潔な存在は、欲に囚われたりはしないだろう。ヴァンの脳内に相応しくもない姿が浮かぶ。それは復讐の対象であり、旅の目的である――

 そう、例えば。

 復讐者にただ奪われることを待ち続ける、黒鉄の龍のように。

「つまらない…答えだ…な」

「ああ。答えなんて、つまらないほうが幸せだよ」

 ヴァンは無表情のまま呟いた。特別な方が苦しい。自分ではどうしようもない隔たりを、一生抱えて生きていくのだから。

 彼の言葉を聴き終えて、リュースは絶命した。その表情はまるで、何かから解放されたかのように穏やかで、安らかなものだった。

 ヴァンは無言で、男の遺した青の剣を拾い上げる。

 それからゆっくりと立ち上がり、ルナの待つ先へ歩き始める。

 

 彼の目指すその場所は、物語の終着点――。

 




 次回、最終話です(エピローグのぞく)
 かなり端折り進めてきましたが、それでもデータを整理してると長いものだなぁと思ってしまいます。

 今回のお話は、やろうと決めていた事をようやく実行した感じです。ただ、進行に応じてぶれていくキャラクターや取り巻きをどうやって調整するか。
 また交互にシーンを入れ替えて大丈夫かとか悩みどころいっぱいでした。元々は前半対人戦、後半ドラゴン戦でしたが、力不足で上手くまとめられないので分割二話としました。

 拙い文章ですが、完結まであと少しですので良ければお付き合いください。


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終わりを告げる物語

 ふたりは分岐した細い道を歩く。

「もし、俺が先にやられたとしたら。ルナは逃げてくれ」

 道中ふと、ヴァンが呟くように言った。

「え?」

 ルナは耳を疑う。黒鉄討伐、このことに関して彼は自分よりも前向きで、勝気であったからだ。彼女は、ヴァンの横顔を伺った。彼は視線を前に向けたまま、続けた。

「君はまだ長生きできる。また俺のような奴を見つけ、やつを討つ機会はあるはずだ」

 それは彼女にとって、一番言われたくない言葉だった。

「嫌よそんな」

 だからこそ怒った。

「だよな」

 彼はやはり瞳を合わせぬまま、笑っていた。

 

『恐ろしい程に静かな、美しい黒水晶が煌く洞窟の中で、

 剣の傷を受けた一匹の巨龍は、静かに首をもたげた』

 

『やがてゆっくりと立ち上がる龍。

 その様子はまるで彼らを出迎えるように穏やかであった』

 

『その視線の先には、憎しみの炎を燃やす青い戦士と、そして龍を殺す白き人の姿がある。

 伝承から切り離され、動き出した物語の一節のように』

 

『龍と彼らは――今対峙した』

 

 巨大な黒い影、宿敵の黒鉄龍が彼らの前にあった。翼のないドラゴン。その体躯は、高さで7、8メートル。全長で16メートルほどにもなった。漆黒を凝縮したような禍々しい姿の龍は、鋭い金色の瞳を光らせてこちらを見据えていた。低い唸り声が、彼らを威圧する。

 しかし、ふたりは臆することはない。

「行くぞ」

「ええ」

 

 もはや、ためらいはなかった。

 

 二人は走りだし、即座に黒鉄龍へと接近した。交互に場所を入れ替えながら、黒鉄の脚へ斬撃を加えた。いずれも傷は浅く、致命傷にはなりえない。

 しかしこうやって生命力を奪っていくほか、倒す方法はない。

 逞しく、鋭い爪のついた脚で、黒鉄は二人を踏みつけようとしてくる。脚が振り下ろされるその度に、地響きと振動が生まれた。

 だが彼らは止まらない。

 ブルークラウンは、彼がひと振りするたびに青く煌めいた。今まで見たことのないほどに激しい炎を上げて、斬撃は黒鉄の脚に叩き込まれていく。しかしそれでも、本物のドラゴンの前には十分な威力とは言い難い。

 ルナの紅月も、時折火花を散らして弾かれてしまっているものの、確実に肉をそいでいる。ダメージはあるはずだ。しかし黒鉄は苦痛の声ひとつ上げず、彼らを迎撃していた。

 岩陰に身を潜め、ヴァンは自分の呼吸がひどく乱れていることに気がついた。どれくらいの時が流れたのか、見当もつかない。それほどに集中していた。

 申し訳程度に装備していた小楯は、いつの間にか弾き飛ばされていた。攻撃すべてをかわせているわけでもない。ルナから教わった、受け流し方によってある程度、ダメージを減らしながらガードしているが、龍の体躯がぶち当たるのである。無事ではない。

 洞窟内は大部屋がいくつか分岐して存在しており、現在黒鉄はその中でも一番大きな部分に居る。現在はこちらを見失い、索敵している状態だ。

 ルナとヴァンは、このエリアを走り回り、隙を見て攻撃を仕掛けるといったスタイルで戦闘を行っていた。ある程度回復したら、再び接敵するという手筈だ。そしてまた、その時が来た。向こう側のルナと頷き合うと、彼は岩陰から飛び出した。黒鉄は首をこちらへ向け、即座に旋回する。早い。

 しかし。ヴァンは龍の血に塗れながらも、ヘルムの隙間から黒鉄の右足を見た。

 この龍の動きには規則性があった。

 本来、世界をすべ自由自在に動けるはずのドラゴンであるが、この龍の右肩にはそれを妨げている要因がある。

 それは、誰のものかも知らぬ大剣だった。それが突き刺さったまま、関節の動きを阻害しているのか、黒鉄は右前足を常に引きずっていた。

 ギルドや個人にも”手負いのドラゴン”として認識されているとおり、黒鉄は五体不満足の状態にある。

 それが狙い目だった。

(――ルナ?)

 ヴァンは彼女のほうを向いた。

 一時、黒鉄の注意はルナの方へ向けられているようで、それを伝えるため向こうが合図していた。

 ヴァンは頷き、彼女を視界に収めたまま――龍血の力を解放した。鎧の内側から、一瞬青白い光が漏れ出す。

 そしてブルークラウンを構え、一本の足へ向かって連撃を繰り出した。

 一撃、また一撃。

 さらに数え切れぬほど、連撃を加えていく。

 耳をつんざくような甲高い龍の咆哮が、洞窟内に反響した。

 一瞬のうちに脚を切り刻まれ、黒鉄はここに来てようやく苦痛の声を上げる。彼の連撃は硬いウロコをはじきとばすと、そのあとに肉片と鮮血が舞った。

 舞った鮮血の合間から、ヴァンは黒鉄のむき出しの傷口を捉える。

 いける。

 彼はもう一度構えを取り、力を込めた――刹那。

 龍は、咆吼した。

 先程とは違う、太い雄々しい声で。

 漆黒の中に浮かぶ黄色い瞳が、彼を睨みつけていた。そして身体を動かし彼の攻撃を回避すると、空振りした彼を前足で殴りつけた。

 巨大な鉄塊の如き龍の脚が、眼前に迫る。

「っ!」

 鋭い爪の、そこについた傷まで鮮明に見えた。ヴァンは寸前のところで後ろへ回転し、攻撃を回避する。爪はブルースケイルの表面を削り取り、火花が上がった。

「ヴァン!」

 ルナが叫ぶ。

 黒い影が、既に彼の前に迫っていた。

 間髪入れずに放たれた、噛み付き攻撃。

 ――間に合わない。

 幸い噛みつかれはしなかったものの、鼻先が背中に直撃する。衝撃と、鈍い痛みが駆け抜けていく。

 ヴァンは吹き飛ばされ、無様に転がった。

 そして、動かない。

「あ…ああ…」

 ルナはその光景に思わず、こう思ってしまった。

「自分たちがなんてちっぽけな存在なのだろう」と。そしてその思いは、弱音となって今にも口から吐き出されそうになる。

 これではダメだ。彼女は黒鉄を睨みつけた。彼の目の前に立ち、必死で黒鉄の注意を引いた。

 きっと生きている。立ち上がると思いながら。

 引き続き、黒鉄の足元をかいくぐりつつ攻撃を加えていった。前足を抜け、腱へ一撃、回転して後ろ足へ一撃。華麗な連撃を加える。

 浅いが、黒鉄はわずかだがぐらついた。ダメージが蓄積しているのは、間違いなかった。体勢を崩した黒鉄は、横に倒れそうになる。

 ルナは、黒鉄の尻尾に注意しつつ急いでヴァンのもとへ駆け寄る。

「俺なら…大丈夫だ」

 彼はそう言い、剣を支えにして起き上がった。ルナは安堵した。よろけてはいるが、彼はまだ戦えるという意思を見せている。ルナは彼に肩を貸しつつ、岩陰へ一旦身を潜めた。黒鉄の追撃はまだ来ない。今のうちに次の手を考えなくてはいけなかった。

「足元がかなりきているみたい」

 ルナが状況を告げると、彼はヘルムの面貌を上げて口を開いた。

「どちらかがチャンスを見つけて、頭部へ攻撃する。龍は概ね角が弱点だ。あれを折ることが出来れば、平衡感覚を大幅に狂わせることができる…」

「そうね」

 どのみち、長くは戦えない。黒鉄は傷ついているといえど、龍である。人間よりもはるかに生命力が上なのだ。持久戦となれば勝機などない。

「背中には注意しろ…俺はともかく君は。場所を間違えれば終わりだ」

 ルナは深く頷いた。

 黒鉄の背中に密生したウロコは、まるで針のごとく鋭く尖がり、逆立っていた。

 それは黒鉄龍が別名アーテルソーズ――漆黒の剣山とも呼ばれる所以だった。

「いくぞ。もうあまり時間はない」

「うん」

 二人は再び駆け出した。動きの素早いルナが、まず接敵する。体勢を立て直した黒鉄は、彼女へ尻尾を、垂直に叩きつけた。横に飛び、それを避けると、今度はその後ろからヴァンが現れ、凄まじい速さで尻尾を駆け上がった。

 彼は龍血の力を解放していた。

 剣山が現れる背中手前まで走り抜け、そこから跳躍する。背中を通り越え、頭部の真上に到達する。ヴァンは、ブルークラウンを黒鉄の角へ叩き込んだ。衝撃が手を伝わる。矢張り斬ることは出来ない。それでも、僅かだが炎が弾けた。

 ヴァンは着地し、すぐに後ろを振り返った。

 黒鉄は苦痛なのか、声を上げている。角への攻撃は――有効だ。

 しかし、ヴァンは喜んではいられなかった。

 黒鉄は今の一撃で、激しく憤った。常に唸り声を上げ、傷口から鮮血を吹き出しながらも、熾烈な連撃を繰り返す。地面は抉れ、岩は破壊され、洞窟は全体が揺れ動いた気さえもした。

 ヴァンは、回避することで手一杯だった。

 龍血の力をフルに活用し、跳躍して攻撃を避ける。本来は攻撃のために使用したいところだが、今はそれどころではない。彼は必死だった。

 だがしかし、彼は壁際へと追い詰められてしまう。万事休すか――ヴァンはブルークラウンを構えた。攻撃の瞬間に回避し、懐に潜り込めば…あるいは。

 その時だった。

 彼の視界に飛び込んできた、信じ難い光景。先程の自分と同じように、尻尾を伝って跳躍したルナが、黒鉄の頭に――しがみついた。一歩間違えば、背中の剣山で串刺しだ。頭にしても、鋭いトゲが生えている。触れれば無事では済まない。彼女はやはり、出血していた。白い服を、自身の血が赤く染め上げる。

 それを気にもとめずに、彼女は紅月を抜刀した。そして黒鉄の額目掛けて、それを突き立てる。刀身はウロコを貫き、額に突き刺さる。

 同時に黒鉄は我武者羅に首を振り回し、ルナは呆気なく振りほどかれてしまった。なんとか体勢を立て直し着地する彼女は、体を転がし勢いを殺して、そして直ぐに起き上がった。

 紅月は、黒鉄の額部分へ突き刺さったままだった。

「ルナ!」

 ヴァンがルナを制する。が、彼女はこちらを向いて少し笑った。それが、ヴァンにとってひどく儚げに見えた。

 黒鉄の視線は、未だにヴァンを見据えている。どのみち、自分が動かなければいけない。

 得物を失ったルナは、ある方法を試みる。

 あの時のように。

 彼と早朝の決闘をしたときように、ひたすらに集中した。

 本能的に求めろ。

 龍を殺す力を。

 気が付けば、彼女の手元に光剣が出来上がっていた。それを携え、彼女は走った。そして全力で跳躍し、黒鉄の首筋へ斬りつける。

 しかし黒鉄は、寸前でそれを自らの二本の角で防いだ。光の剣は火花を上げて四散、呆気なく消滅した。

 そのさまを、空中で彼女は見据えていた。

「だめ…か」

 力なく、こぼれ落ちた言葉。

 着地してから、ルナは後ずさりした。白き人の力が通用しない。彼女の内に、絶望の影が歩み寄った。それが油断につながった。黒鉄と――距離を離してしまった。

 ヴァンは駆け出した。このままでは、彼女は。

 間一髪ルナを跳ね飛ばす。

 しかし彼女が「それ」に気がついたときにはもう遅かった。

 彼の姿が、遠くなる。ヴァンは突進してきた龍に轢かれた。角を用いた突進攻撃だった。彼は水平に移動して、遠く離れた水晶に激突し、ようやく止まった。

 それきり――ピクリとも動かなかった。

 ルナの瞳から、じわりと熱い何かが溢れ出した。

 あの時と同じだ。

 大切な人を失った時と同じだ。

 ――もし、俺が先にやられたとしたら。ルナは逃げてくれ。

 君はまだ長生きできる。また俺のような奴を見つけ、やつを討つ機会はあるはずだ――

 先ほどのヴァンの言葉が、彼女の中で復唱される。

「嫌、だよ…」

 彼女は涙を拭った。

 後悔するくらいならここで全てを、自分の命を燃やしてやる。

 右手に小さな、碧い剣を創りだす。それは次第に形を変え、色を変え。いつの間にか青から、紅に色付いていた。

 巨大な剣となったそれを。残った力の全てを――投げつけた。

 龍の力を司ると言われている角へ。

 そこに突き刺さったままの、紅月の元へ。

 刹那、雷が煌く。

 鋭い光の槍は、黒鉄の頭部へと深く突き刺さった。その瞬間、稲妻は砕け散り、光は四散した。膨大なエネルギーの全てが、黒鉄へと瞬時に流れ込む。

 先刻はこの龍をひるませるにも至らなかった攻撃は、今度は致命傷となった。

 紅き光の槍は、黒鉄龍の角を折り飛ばした。

 同時に龍は激しく仰け反り、その勢いで紅月は解放される。そして遠く離れた地面へと突き刺さった。

 刹那、洞窟内に龍の甲高い絶叫が木霊した。痛みに暴れ狂う黒鉄の尻尾が、彼女の周りの岩壁に打ち付けられる。

 短い悲鳴とともに、彼女は瓦礫と共に吹き飛ばされた。それから、まるで投げられた人形のように地面を転がった。

 美しい水晶が視界の淵に映る。ここはそう、ヴァンの直ぐそばだった。

「ルナ…」

 横たわりながら、ヴァンはかすれた声で言った。

「大丈夫…だったのね」

「…ああ、まあな」

 ふたりは手を握った。

「旅が終わっても、私たちの関係は変わらない…よね?」

「もちろんだ」

 ヴァンは断言する。

「早く、気持ちを聞きたいよ…ヴァン」

「俺も…だよ」

 終わらせなかればいけない。自分のためにも。彼女のためにも。

「さあ剣をとって」

 彼女は言う。おそらく最後の好機。

 ヴァンは自らを奮い立たせた。

「ああ!」

 覚悟を決め、兜の面頬を閉じた。黒鉄龍は未だ、彼女の放った雷撃のダメージでまともには動けずにいる。

 鈍った動きの今なら、より近く――懐に潜り込めるかもしれない。

 落ちた剣を拾い上げて、構える。

 その歩みは、はじめは覚束無い弱々しいものだった。しかし次第に、力強く大地を踏みしめる。

 ヴァンは駆け出した。力を振り絞り、風の如き速さで接敵する。向けられた爪と、牙を避け、しなる尾の一撃をかわしながら。

 逆立つ青髪と、引き絞られる竜眼。

 足腰に力を込めると、踏みしめた大地は割れた。

「ウォォオオオ!!」

 全力の跳躍。

 最後の力を振り絞り、ヴァンは黒鉄の肩へ飛び乗った。そこから更に跳び――その真上へ飛んだ。

 反転する視界の隅で、剣山のような背中の右肩部分に刺さった――大剣に狙いを定めた。

 黒鉄は遅れて首をもたげ、彼に噛み付こうとする。だが彼は既に、大剣の柄をしっかりと掴んでいた。腕を引き寄せ、それを回避する。

 空中で身を翻し、背中に着地する。剣山の合間を縫って、構えた青い剣を突き立てる。体重を乗せた切っ先は、ひび割れた鱗の隙間からズルリと潜り込んで、肉を裂きながら奥へと突き刺さる。

 同時、青い炎が燃え上がり、その一帯すべてを燃やし尽くした。ヴァンは炎に灼かれながらも、決して手を離さない。

 凄まじい咆哮が洞穴内に木霊する。黒鉄の悲鳴だった。龍を殺す痛みに悶え、痛みの原因を振りほどこうとして全身を揺らす。

 脳が揺られ、目が回りそうな程色を変える視界のなか、それでも力を抜くことはない。

 剣を、抜かせはしない。

 ここで力を緩めれば、明日は来ない。

 必ず、生き残る。

 しかし無常にも、青き炎は弱まっていく。

 ――このままでは、止めを刺すことができない。

 ヴァンは目を細めながら、脳裏に絶望の結末がよぎっていくことを感じた。

 だめなのか。

 やはり一個人でドラゴンに挑むなど、無謀だったのか。

 ――そんな時。ふと視界の端にルナが見えた。紅蓮の瞳が、希望を宿して震えている。

 それに応えたいと思った。

 そう。僕は忘れていた。これはもう、一人で成し遂げることではない。

 この物語の結末を決めるのは、僕だけではない。

「俺はもう、一人じゃない!!」

 ヴァンは叫んだ。ルナは目を見開く。彼は腰からもうひと振りを抜き払うと、それを足元に突き立てる。

 一つで駄目なら、二つの力で。

 炎は再び激しさを取り戻し、燃え上がる。

 二本のブルークラウンが美しく煌き、チリチリと鮮やかな火花が散る。

 そして。

 黒鉄の生命と、まるで反比例するように大きくなっていく、蒼き炎。

 それは、

 

 青く、蒼く、碧く。

 濃く、美しく。

 激しく、

 

 煌く。

 

 瞬間、巨大化した青の炎は弾け、白い光とともに黒鉄の全身を包んだ。それはもはや爆発だった。黒鉄の胸部――心臓を駆け抜けた光は、暫く細かくはじけ続け、あたりを照らしていた。

 背中から飛び降りて着地すると同時、ヴァンの背後でもう一度爆炎が弾け、閃光が洞窟内を照らした。

 焦げた匂い放ちながら黒鉄龍は、遂に――倒れた。

 

「…倒したの?」

 よろめきながら歩み寄ったルナは、ヴァンへ訊いた。

 剣を鞘に仕舞う。

「そのようだ」

 ヴァンは呼吸を整えてから振り返って、返答した。

 彼が近寄ると、黒鉄は力なく動いた。そして舌を出しながら子竜のような声を上げる。もはや風前の灯となった、かつての力強い生命の塊。それ見据え、二人は思った。

 おそらく同じことを。

 ルナは短く声を上げ、手で口を覆い、身を背けた。覗いた瞳に―――多分涙が浮かんでいたと思う。

 焦げた匂いの中、黒鉄は全身からおびただしい量の血を噴き出していた。

 内部から破壊されたような――これが龍殺しの、呪いの力だ。一度はそれを味わったことのあるヴァンは、わかった。

 この龍は痛みに耐え切れず、泣いているのだと。

「終わらせよう」

 ルナは言った。そして、左手で紅月を握った。手は、震えていた。その手に、もうひとつの手が重ねられる。ヴァンは首を横に振り、そうしてから深く頷いた。

 黒鉄の痛々しい姿を目にして、彼もまた同じ気持ちだった。ルナはそう捉えた。

 二人は紅月を、黒鉄の喉元へ向けた。

 

『もはや殺意も、敵意もなかったろう。

 いや対峙した時から、そんな感情は無かったのだ。

 彼は龍として生きただけだった。

 そして彼もまた、人として生まれただけだった。

 同じ血が混じり合う仲で、彼は恨み復讐を果たした。

 それは――ただ深い悲しみと哀れみの物語だった。

 

 私はこの時を、ドラゴンバラッドの終わりを。忘れはしない』

 

 鮮血が舞う。

 

「ねえ」

 剣を鞘に収めてから、ルナは声をかける。

「身体、痛まない?」

「全身痛い」

「やっぱりね…私も。帰ったらすぐに手当だね」

「ああ。でも致命傷はない」

 あれだけの戦闘だというのに、致命的なダメージはない。鎧を外した下がどうなっているか怖いが…とにかく不思議だった。

「そっちは?」

 ヴァンは彼女の姿を見る。

「小さい切り傷と、打撲程度よ」

 そういった彼女であるが、明らかにウソだった。出血は少なくないし、打撲というほど軽いものでもなさそうだ。

「あれがなかったら負けていたかもしれないな」

 ヴァンは、黒鉄の亡骸を見据えてそう言った。正確には、その右肩に突き刺さった大剣を見て。

「ええ。本当に」

 ルナも、しみじみとした様子で言う。

 黒鉄の動きを制限していた剣。

 名も知らぬ誰かの大剣。

「誰のものなんでしょうね」

「さあな…」

 彼らがその名を知る日は、来るのだろうか。少なくとも分かることは。

「だが、助けられたよ」

 ただそれだけはわかる。自分たちの勝利は、あの剣によってもたらされたといっても違いないだろう。

 ともかく。

「終わったのね」

 すっかり静かになった洞窟内で、ルナはポツリと呟いた。彼女の言葉に、ヴァンは俯いた。そして程なくして、彼の口から嗚咽が漏れ始める。

「ああ。終わったんだ…」

 ヴァンは涙を流していた。

 彼はこの時のために生きてきた。そしてそれが今、果たされた。

 その場に崩れ落ちるヴァンを、そっとルナは抱きしめた。抑えていた感情が、この時を持って溢れ出していく。声を出して、彼は泣いた。あの日から今日まで押さえ込んでいた涙を、彼は流し続けた。

「もう、あなたが抱えることは何もない。思いっきり泣いていいんだよ」

 ギルドの迎えが来るまで、あと三時間ある。

「傍にいてあげるから」

「ああ……」

 歪んだ視界の淵に映る彼女の瞳に、慈愛の意志を感じる。なんて柔らかで、暖かいのだろう。

 その瞬間、記憶が遡る。

 まるで、あの頃に戻ったように。

 暖かな白い光と、鳥のさえずり。心地よい風、めくられる本のページ。

 自分を呼ぶ声。

 不思議だ。彼は思い出す。

 忘れていた母の温もりを。

 

 それから間もなくして、逆光はふたりの姿を黒く隠し、壁に濃い影を作り出す。少年の安らかな寝顔を、少女は慈しみの瞳で見据え続けていた。

 やがて二つの影は、一つに重なる。

 

 こうして一つの龍の物語は、静かにその幕を下ろす。

 いつの間にか消えていた彼らの姿を、追う者はなかった。

 




次回、最終回です。
今までお付き合いしてくださった方は、本当にお疲れ様でした…
そしてありがとう。


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エピローグ
永久の刻を越える、賛美歌


 私が彼と出会ってから、もう四ヶ月が経った。

 短い冬が終わり今、季節は春の兆しを迎えている。

 様々な命がいま、芽吹こうとしていた。通り過ぎた街路樹の一つに、また新しい蕾を見つけた。

 ルナ・ルークは、微笑む。そしてこの先にいる彼の事を想った。

 今から二ヶ月ほど前になる。

 ようやく目的を果たして、彼は自由になった。

 復讐の感情に憑かれて戦う日々から解放された。

 旅を続ける理由は、もうない。

 それでも彼は、今しばらく旅を続けたいと言った。

 私は無言で頷いた。その答えに肯定も否定もできないと思って。ただ、彼がそうしたいのならそれが正しいのだろう、そうとも思いながら。

 

 

 ルナは教会の裏側の施設にある、一室にいた。彼女は今大鏡の前に立っている。透き通るような白い素肌が、光を帯びて神秘的に輝いていた。

 大鏡に映った自分の白い肌。体にはもう、目立つ傷はない。きっと彼のおかげだろう。彼女は両の手をギュッと胸の前で握り締めた。

 彼女は体を反転させた。煌びやかな銀髪が、なびく。髪は伸びて、すっかり肩に掛かるほどになっていた。腰に届くまで、そう時間はかからないだろう。

 旅で傷んだ分は、この期間で手入れをした。今では随分と艶を取り戻している。切ってしまうのも手だが、いっそ伸ばしてみるのもいいかもしれない。下着を履き揃えながら、ルナはそんな事を思っていた。

 新品の修道服の袖に腕を通す。デザインは前のものから変更されて、より落ち着きのあるのもとなっている。

 ぼろ布と化していた前の服は、一応捨てずに取って置いてある。思い入れが少なからずあるからだった。

 彼女は服の襟を正す。

「うん!」

 そして扉に手をかけ、部屋を出ていった。

 

 長いあいだ暮らしていたこの町へ、旅を始める前のふるさとに彼女は戻ってきていた。

 あの後、つまり黒鉄を討伐してからだが、スィーグランドで世話になった人たちへ挨拶をして回った。彼女の場合、教会にいるクリスとシーナ、ヴァンは部隊長と武具屋に。それぞれ、目的を成し遂げたことを告げた。

 それから後日、ギルドで勲章授与式などを行った。

 式自体には、討伐許可を得たヴァンが参加していた。彼は公衆の面前で、ドラゴンバスターの称号を得た。彼にはそれを表す紅い宝石と、莫大な資金が報酬として支払われた。

 報酬は二人で均等に分配する形となったが、ルナがどうしても額を減らして欲しいということで、ヴァンが多めに受け取ることとなった。

 彼女にとって、自分は彼の目的に協力しただけ、ということらしい。それと他に、あまり大金を持ち歩きたくないから、という事が理由だった。

 彼は納得しない様子だったが、結局しぶしぶ、彼女の要件を飲んだ。それらの手続きや、傷の手当などで思いのほか手間を取った。

 つまるところ、ここへはすんなり戻ってこられなかったわけだ。

 帰還へ至るまでの道のりは、報酬を用いた優雅なものだった。お互いに旅の疲れがピークに達していたためもあるが、とても自力で帰る気分ではなかった。それでも、まだ資金はあり余るほどあるのが、信じられない。

 ここに戻ってきてから一ヶ月ほどが経っている。見知れた面々に挨拶をして、それからは教会で仕事をこなしながら、彼女は余暇をのんびりと過ごしていた。

 落ち着いたら、何かをはじめてみようか。

 自分の知識が、力が役に立つ事を。

 彼女は胸の中でそんな想いを秘めていた。全ては、旅の中で生まれた気持ちだった。縛られていた思いが解放されたというべきだろうか。

 ルナは、あの日

 ――彼についていくことを決めたことが本当に良かったと。

 今そう思えていた。

 

 

「待たせちゃった?」

 石畳を進む彼女は、その歩みを止めてそう言った。視線の先には、群青色の髪の少年が一人、長椅子に座っていた。

「いや?俺も今来たところだ」

 彼はそう、調子の良い声で言った。

「なんだか、旅を始める前を思い出すね」

 あの日、二人はこの噴水のある広場で待ち合わせをした。ヴァンは遅刻をし、遅れてきた。それをルナは許した。

 あの時とは違い、先に到着していたのはヴァンの方だったが、その時にお互い、今と同じようなセリフを言った気がして、それが可笑しかった。

 お互いにベンチに腰掛ける。

 以前とは座る位置が逆になっている以外は、あの時と同じだ。

 ヴァンは、普段の鎧姿だった。といってもアーマーは外している。

 ブルースケイルは、ギルドに預かってもらうことにしたらしい。彼にとって、あれはもう必要のない代物だという。

 あの鎧は役目を終えたのだ。

「ここからは、遠くなるのね」

 彼が次に目指す場所を思い描き、ルナは言った。彼はまた旅に出る。しばらくの間は、旅人でいるという決意のとおり今日、ここを経つのだ。

「ああ。徒歩では少々移動に困るな。でも移動手段は考えてある」

 彼は馬車を使うのだろう。資金は余るほどある。

 ふと、ルナはヴァンの顔を覗き込んだ。

「子竜でも飼い慣らしてみたら?すぐに目的地に行けるわ」

 彼女が言うのは、人の手で訓練されたワイバーンのことだった。遠い国では、それを用いて移動をしたり、競技をしたりするらしい。

「悪い冗談だな。あれがどれだけ難しいか」

 もっとも。竜使いは、高い技量と経験が要求される。しかも先天的に持っている、龍と心を通じ合わせられるという素質が必要だ。今の彼ができるようになる見込みは全くわからない。

「何事も試してみなきゃわからないじゃない?」

「そうだがね?」

 二人は見つめ合い、吹き出した。

 それからしばし笑いあった。賑やかな笑い声は、静かな町に響き渡る。町ゆく人たちは、その光景にほほ笑みを浮かべていた。

「ずっと、ここにいればいいのに」

 ルナは、囁くように言った。

「それもいいな。でもやっぱり、もう少し旅をしていたい」

 ヴァンは、穏やかな口調で告げた。ルナはそれを聞いて、少しだけ肩を落とした。

「そっか、少し残念。でもそうしたいなら、止められないものね。冒険者さん?」

 ルナは冗談交じりで言う。

 そして続けた。

「私からお願いというか、約束して欲しいことがある」

 彼女は真剣な顔で切り出した。ヴァンはその面持ちをみて、同じように表情を固めた。彼女の口元が動く。

「またいつか。必ず会いに来てね」

 ルナは、言ったあとに微笑んでみせた。少しだけ無理をしているような、儚い笑顔だ。

「お安い御用だ」

 ヴァンは即座にそう返す。

「自信満々だね。でもよかった」

 その答えに、彼女はにっこり笑った。

「それでルナ。君の約束の代わりとしてなんだが、俺から一つ提案がある」

「なに?」

「次に会うまでの間、お互いの名を交換して暮らす。名乗るときは、そっちを名乗ること」

 彼女は理解に、時間を要したようだった。

「名前を?」

 ルナは聞き返す。ヴァンは深く頷いた。

「そう。俺たちは、いずれもルークという姓だ。でもスペルが違う。それを入れ替える。書面ではいつもどおりで構わない。単なるまじない程度ということで」

 それを聞いて、ルナは少しだけ考えているようだった。ヴァンは付け足す。

「どうだ、支障はないだろう?それで次に会った時に、お互いに返そう。それが、約束を果たす時だ」

 彼が言い終えると、ルナは顔を上げた。

「うん。変な発想だけど、いいわ。わかった」

 そして了承した。

 ルナにとって、自分の名前は偽物だ。それは、彼女自身が心得ていることだ。

 もちろんこの口約束を破ろうと、彼女がどう名乗ろうと自由だ。それでも、最初に会った時に話した、「ルーク」という共通の呼び名を、彼は大切にしたいと思った。特別にしておきたいと思った。

 だからあえて、こんなことを考えた。きっかけなどないし、別に理由もない。しかし人は理由をつけないと、前に進めない。復讐の旅がそうであったように。

 彼は次の目的を、自ら作っただけだ。

「よし。俺は今日から、また君に会うまで“ルーク”だ」

 ヴァンが微笑むと、ルナは惚けたような表情をした。それから、視線を斜め下におろす。

「…今度会うのは何年後なるでしょうね」

「たぶん、そう遠くはないだろうな。その時は成長した姿を見せてやる」

 ヴァンは自信満々に言った。

「野垂れ死にしないでよね」

「するものか。きっと今よりも逞しく、背もずっと伸びているはずさ」

「そうだと、いいね」

 ルナは淡い笑みを浮かべた。それを見据えてヴァンは心中で「少なくとも、君よりはずっと大きくなるだろう」とつぶやいた。

「ああ、そうだ」

 ヴァンは唐突に言い出す。

「記念にと思って作ってもらったものがあったんだ」

 彼は懐から何かを取り出した。彼の手には上品な箱が握られていて、ルナは身を乗り出してそれを見た。

「それ…なに?」

 ヴァンが箱を開ける。するとそこには、手のひらに収まる程度の小さなロザリオが収まっていた。華美な装飾はないが、シンプルながら美しい代物だった。

「これ…あの時貰った宝石…」

「よくわかったな」

 ロザリオに散りばめられた宝石は、ドラゴンバスターの勲章である紅蓮色の宝石のかけらそのものだった。

「よかったの?ドラゴンバスターの証でもあるのに」

「いいんだ」

 あの宝石はただの宝石ではない。だから貴重品として龍討者ほどの人物に手渡される。神力、あるいは魔力を秘めていると言われる。それを彼は惜しげもなく、加工してしまった。

「これを、ルナに受け取って欲しいんだ。俺はギルドにバスターとして認可された。でもルナは、報酬以外何ももらっていない」

 彼は少々照れている様子だった。

「え、でも……」

「もう加工してしまったんだし、遠慮せずに受け取ってくれ。俺が持っていいても、それこそどうしようもない」

 なかなか受け取らない彼女に、掌に押し付けるようにしてそれを渡した。煌めいたのは真紅の宝石。そこに、常人では見えないが、いくつもの術式が張り巡らされている。実際のところ、これは強力なお守りであった。

 災厄を跳ね除け、持つ者の幸せを約束する。この十字架にはそんな意味が、密かに込められている。

「でもこ、これって…こん…ゃく」

「!!」

 指輪ではなかったものの。確かに言われてみれば、外装もデザインもそれとなく。ヴァンは取り乱した。そういうことは、念頭に置いていなかった。

「いや!そういう意味は!」

「そ、そうね!気が早すぎるよね!」

「ああ!気が早…早いって!?」

 二人ともしばし慌てふためいていた。しかししばらくして、落ち着いた。紅潮した顔のまま見つめ合うと、まだどこか気恥ずかしい。でも、言わなければいけないことがある。ヴァンは呼吸を整えて、口を開く。

「ルナに出会えたこと、感謝している」

 そうして彼は、まっすぐに手を差し出した。ルナは微笑んで彼の手を握り、そして手のひらに収まった箱を、受け取った。

「ありがとう。大切にするね」

「ああ、いつも身につけていて欲しい」

 こうして、彼の不器用な気持ちはなんとか、彼女に伝わったようだった。

「旅を終えたあとは、どうするつもり?」

 しばらく談笑した後、ルナはそう彼に問いかけた。すると彼はすぐに口を開いた。

「ある程度満足して落ち着いたら、ギルドの試験を受けて正式な討龍士として生きていこうと考えている」

 そして。

 そう、明白な目標を語った。

「試験か…厳しそうだけど、頑張ってね」

「ああ。もしもその時に君がそばにいたら、応援してもらおう」

 冗談なのか、彼はそんなことを言った。ルナは間には受けず、あくまでも冗談として受け取っておいた。

「本当にそんなことがあれば、光栄に越したことはないのだけれど」その言葉も一緒に、飲み込んだ。

「さて、そろそろ時間だな」

 そう告げた彼の瞳には、少しだけ寂しさが浮かんでいた。

 立ち上がって、彼は遥かな虚空を見つめた。空は今日、晴れている。細く白い雲が、風の流れに乗って形を変えていくさまを、彼はしばし見つめていた。

 程なくして、ルナも椅子から立ち上がった。そして彼と同じく、遥か彼方へ視線を投じた。それに気がついたヴァンは、彼女のほうを向いて薄く、微笑んだ。彼の艶やかな黒の瞳に、自分の姿が映っている。

 ルナとヴァンの目線の高さは、あの頃からいつの間にか、入れ替わっていた。

 気が付いてはいたが、この旅で彼は一回り大きくなっていた。彼女よりも小さかった身長も、今はやや高くなっていた。

「丘まで、送るわ」

 寂しさの滲んだ声で、ルナは言った。彼は頷き、彼女の後に続いた。

 

 私たちの旅は、もう少しで終わりを告げようとしている。

 彼らはいつか歩んだ道を、なぞるようにたどってゆく。

 景色はゆっくりと移り変わり、その一つ一つが彼らの目に映る。そのたびに、様々な思いが胸の中を巡った。

 しかしその思いを、お互いに口にすることはなかった。

 

 教会を通り過ぎたあたりで、二人は再び向き合った。ここはそう、旅立ちの丘だ。この町を去る者が幾人と訪れた場所。

 ヴァンもその一人として、まもなくここを経つ。

「あのね」

 言って、ルナはヴァンを見た。彼女の美しい瞳が彼を見据える。真っ直ぐな、吸い込まれてしまいそうな真紅の瞳。

 綺麗であって、それでいて少しだけ怖い。

 伸びた髪を揺らして、彼女は一歩前へ前進した。

「私も、貴方に逢えて…」

「――ルナ?」

 歩み寄って、彼女は今にも鼻先が触れてしまいそうなくらいに、ヴァンへ近づいた。そして少しだけ背伸びをした。

 

 嬉しかった。

 

 声が風に乗って、聞こえた気がした。

 柔らかな感触が、彼女の体温が。この唇を通して伝わって来る。彼はこの時が、まるで永遠にも似て、儚い瞬間であると感じた。時を止めておきたい、そんな気さえもした。

 しかしそれは叶わないこと。

 程なくして現れた馬車に、彼は乗り込んだ。彼女はそれを無言で見つめたまま、やがて時は訪れる。

 

 彼女は青い旅人の背中に手を振り続けた。

 その姿が空に重なり、あの丘の向こう側に消えても。

 

 優しい風が吹いて、彼女の白銀の髪を揺らした。

 切なさが際立つ別れの中でも、彼女は微笑みを絶やさなかった。

 その理由はきっと、これから訪れる幸福への期待なのだ。

 

 

 ◇

 

 

 時が経ち、どこからか伝わった古い話が歌に連なり、だれかの耳に届いてくる。

 教会で静かに待つ白き人は、今日も天へ祈り続ける。

 いつかまた、会えますようにと。目を瞑り、懸命に、丁寧に……。

 

 女は十字架を胸に抱き――祈った。まばゆい日の光が、ステンドグラスを通して鮮やかに色付き彼女を照らしていた。

 その後ろ姿に、歩み寄る人影があった。

「まだ待つつもりなの?諦めなよ」

 これは、一体何度目の言葉だろう。女はゆっくりと振り返った。目に映ったのは、一人の修道女。かつて自分を姉と慕っていた子供、その一人だった。

 少女の名は、マリーといった。

「いいのよ。それが約束だから」

 女は、きっぱりと告げた。

「そんな約束、忘れてしまえばいいよ。だって、辛いじゃない?」

 マリーは、訝しげな表情を浮かべ、彼女――ルナ・ルークへ問いかけた。現在、ルナ友人であるところの彼女は、こうして常に彼女を気遣っていた。しかしながらいつもどおり、ルナは言う。

 構わないと。彼女は胸元のロザリオを撫でる。

「辛いことも、全部私が選んだことだから」

 それを聞いて、マリーは困った。彼女が何度言っても、ルナは意思を曲げなかった。マリーはしぶしぶ諦め、その場を去る。

 彼女はひたむきに待つことを選んだ。それまでが、どんなに退屈な日々であっても。彼が再び現れるまで、こうしていることを決めたのだ。

 それがつよがりであることも、わかっている。

 あれから数年、彼からは何の音沙汰もない。時が過ぎていくたびに、彼女の中に不安とあきらめという言葉が募っていった。

 彼は無事でいるだろうか、どうしているのだろうか。

 いつものように、平穏な毎日が過ぎ去る。彼と過ごした激動の日々が、まるでウソだったかのような、幸福で、退屈な、満たされた日々。

 いや、私は今…本当に幸せなのだろうか。傍から見れば、自分は幸せな日々を送っているのかもしれない。しかしながら自分の心からは、すっぽりと何かが抜け落ちている気がしてならなかった。

 彼女はあの日、はっきりと自分の気持ちを伝えられなかったことを、ひどく後悔した。

 今ならば言えるのに。

 

 あの言葉も、気持ちも。彼女は口を開き、とある物語を紡いでいく。

 これは君へのバラッド。

 

 白き君と、蒼き私の愛、それは

 許されぬ想い、

 認められない禁忌。

 

 どうか許して欲しい。君を救えなかった非力な子龍を。

 これは君へのバラッド。

 

 天を仰げば、君のいない孤独を知る。

 

 あの物語はここで終わっている。だが、彼女は歌をやめなかった。

 一拍置いてから、彼女は空気を吸い込む。そして物語は再び、息を吹き返す。

 

 これはあなたへのバラッド

 白き私と、青い君の想い、それは、

 強き願い。

 二人だけの約束。

 

 ずっと待ち続けているから。あなたを忘れずに、いつまでも。

 これは私達のバラッド

 

 天を仰げば、あなたを待ち焦がれる。

 

 久々に口ずさんだ、歌。

 歌い終えたあと、彼女は途方もない孤独感に襲われた。あきらめという言葉が、彼女の内に生まれる――

 その時だった。

 ふと、差し込む光の向きが変わった気がした。青白い色合いだけが残り、それは彼女の後ろへと注がれた。

 刹那、彼女の耳に音が入り込んできた。ゆっくりと、次第に早く――それは誰かの拍手の音だった。

 驚いて振り返ると、そこには長身の男が立っていた。

 眩しくて、最初は誰かわからなかった。

 目を凝らすがやはり判らない。

「あなたは――?」

 やがて日が陰り、光が薄れ初める。シルエットが次第に、鮮明になっていく。

 思わず――彼女は口を両手で覆ってしまった。

 伸びた群青の髪が、風に揺られている。その瞳は、彼女をただ穏やかに見据えていた。

 連絡くらい、くれたっていいじゃない。こちらがどれだけ心配でいたか…

 随分と変わってしまった彼に、掛ける言葉は山ほどある。しかし。

 

 ルナ・ルークはただ、目の前の光景に涙を抑えられなかった。降り注ぐ光は歩み寄る二つの人影をまばゆく、照らしだす。

 やがてひとつになる、人影。

 

 約束は果たされ、彼女の歌は真実となった。

 悲しみを歌った龍のバラッドは、もうどこにもない。

 物語の最後に彼女は言う。

 

 おかえりなさい――

 

 今はただそれだけの言葉を、紡いだ。

 

 

 

 ドラゴン・バラッド 終劇

 

 

 

【挿絵表示】

 




「あとがきに」

 ドラゴン・バラッド、これにて完結です。これまでお付き合いしていただいた方、ありがとうございました。

 ドラゴン・バラッド、なんて厨臭いタイトルなのでしょう。内容も名前に恥じることなく、厨二要素がいっぱいです。
 さて、私が中二病をこじらせたのがおおよそ9年前、2005年となります。それ以来、治ることのないこの病に苛まれ続け…。
 嘘です。今ではすっかり治っています。
 ただ、かかった振りをしています。そうでなければ、人は創作で物語など書けません。こういう作品を生み出すにあたっては、中二病――今の言葉で言うなら創作意欲が必須なのです。
 日常では足を引っ張って仕方ないそんな要素ですが、話を生み出すに至っては逆に、そういったものが豊富なのは嬉しいことです。しかしながら、年々その勢いを失いつつあることに危機感を覚えてきています。

「普通の人になってしまう!」と思います。
 誰しも大人になれば、空想をする時間は減り、何れはそれさえも棄てて、普遍的な発想だけで生きているようになります。生粋の小説家やクリエイターでない限り、大多数の人が、そのほうが簡単に生きていけるからです。
 私もその例に漏れず、変化を受け入れ始めています。
 するとどうでしょう、話が書けない!これもなかなか完結できず、学生のうちに一度やめようと思いました。(話がまとまらないのもありましたが)
 しかし今書かないでいつ終える?と思ってテコ入れしたのが、去年(2013年)の10月。
 完全な大人になってからでは遅すぎます。人間、未熟で不完全くらいがちょうどいいのです。
 本当、急ぎましたとも。年内完結と目標を掲げたのはいいものの、遅筆ですので苦戦必須でした。特に終盤。同じ時間軸で別のキャラを並列して描くようなことは、初めての試みでした。
 どうやれば綺麗に収まるかなど、文章の並びに気を配って、禿げかけました(嘘)

 執筆時期が違うため、精神的な変化というか成長というか、考え方の変化が文章から垣間見えます。浮き沈みもまた然り。文は人を表しますね本当。
 この作品は、私が子供から大人になるまでの間にいろいろと形を変えてきました。
 書いてはダメ出しし没案を山積みして、行き詰まれば友達と話し合ったり、お互いの作品の展開をねったりと、結果色々な添削を経て、本当はもっともっと長くなるはずだったところを、ここまで短く簡潔にまとめました。
 それでも、私の生み出した文章中では最大のボリュームとなりましたけどね。

 設定に変化があったり、その都度直したりしていたら、いつのまにかこんなにも時間が経ってしまいました。中学生の時に考えたスカスカの設定でしたので、そのまま出すわけにも行きません。テコ入れ、いえ見直しが必須でした。それでも変わらなかったのは、主人公とヒロインの名前と性格、そして見た目です。
 若干の変化や改良はありますが、そこはやはり譲れない要素なのでしょうね。あの時のままのこだわりというか、意地というか。
 そんな、何年越しだろう?というような作品です。伝えたかったことは色々と詰め込みましたが、全ては読み手の皆さんに委ねたいと思います。
 ちなみに後ろから読んでみると、伏線が浮き彫りになって面白いかもしれません。同じ表現をあえて、二度使ったりしてるところもあります。

 さて、そろそろお別れです。
 最後になりますが、ここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございます。完全に自己満足のために描いたようなストーリで、申し訳なくもありますが…もし、これで私の描いた世界を皆様と共有できたのなら、もう感無量でございます。
 おそらく、これが最後の文章作品となるでしょう。
 しかし仮に次があるとすれば…

 またいつか、お会いしましょう。

 平成26年大晦日 雪国裕


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