私は転生ウマ娘だよ。 (灯火011)
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屋上での一幕

 君はまるでトンボ玉のようだ。見る方向で、美しさが全く違う。

 

 苛烈な面もあれば、静かな面もある。きらびやかな面もあれば、朗らかな面もある。

 

 キラキラしていて、うつくしくて、風のように爽やかで。

 

 有り体に言えば、一目惚れ、だったんだ。

 

 

 さっと口から吸い口を離して、ふうっ、と勢いよく煙を吐いた。

 

 パイプタバコを吹かしながら思うのは、私はバニラの香りが好みだということ。

 

 あとは、走るのがそこそこ好きという事。

 

 前世の記憶があるという事。

 

 前世も含めて、自由が好きだという事。

 

 そしてここは、トレセン学園の喫煙所である、という事ぐらいだろうか。

 

「さてと、今日は何をしようかな」

 

 そう言いながら再びパイプを咥えて、啜るように息を吸う。するともっこりと葉が盛り上がる。こうなると火が長続きしない。

 

 コンパニオンを取り出して、タンパーで浮き上がった葉を軽く押し下げる。

 

「うん。いい感じ良い感じ」

 

 軽く口の中に煙をとどめて、ゆっくりと吐き出せば、鼻に抜けるのは煙草の香りとバニラの香り。実に、満足なひと時だ。

 

 煙草は体の健康に悪い。でも、満足な時間を得るには最高のツールとも言えよう。

 

 

 喫煙所と言う、屋上に私一人のために作られた憩いの場。そこを後にすると、目の前に広がったのはトレセン学園の広大な土地だ。

 

 眼下に広がる広大な芝とダートのコースに、少し遠くに見えるウマ娘達の寮。プールもあれば、室内練習場も完備している。

 

「おー、やってるやってる。精が出るね」

 

 どのコースを見ても、ウマ娘達が研鑽を積み、その実力を高めている。あるところでは、ダンスの練習をしているし、あるところではトレーナーとレクリエーションを行っている。いやはや、青春だね。

 

「やってるやってるってお前なぁ。お前もウマ娘だろう?」

「いやいや、私は煙草を吸ってるただの不良だよ。どこぞのトレーナーさん?」

 

 両の手を上げて、参ったの格好をしながら振り向いてみれば、そこに立っていたのは一人のトレーナーであった。黄色のシャツに黒っぽいベスト。口に咥えているのはタバコじゃなくて、多分飴かな?

 

「それで、どこぞのトレーナーさんは、こんな私に何の用?」

 

 煙草の香りでウマ娘は寄りつきゃしない。トレーナーも、ウマ娘が居なければ寄りつきゃしない。ここに来るのは煙草好きか、相当な変わりもの好きしか居ないだろう。私の言葉に、どこぞのトレーナーは頭をぽりぽりと掻いていた。

 

「毎日毎日、屋上からこっちを覗いている奴がいたら気にもなるだろう」

「へぇ。変わりもの好きもいるんだね。じゃあ、立ち話もなんだしさ。トレーナーもどうかな?一服」

 

 制服のポケットへと手を伸ばして、新品のコーンパイプとジャグを、小さく掲げて見せた。



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転生のはじまりは、海からなのです

なのです。


 ざらりとした何かが頬に当たる。冷たい液体が体にかかかる。ざぁざぁと、煩い音で頭の中のもやが取れていくようだ。

 

 はっとして目を開ける。

 

 目の前に飛び込んできたのは、波。白波。ざあざあと寄せるそれが、体に引いて寄せてを繰り返していた。空に目をやれば星空。どうやら夜である。

 

 いい加減、波に当てられるのも嫌気がさして来たので、体を起こしてみれば、ざりっ、と音が立つ。どうやらここは砂浜のようだ。

 

 夜の砂浜に、海の波を受けながら倒れている私。無論服と体はびしょぬれである。

 

 はて、一体全体どうしてこうなったのか。確か艦これをやって、ウマ娘をやって、あとはラグナロクオンラインをやりながら寝落ちしたはずなのだが。酒は飲めないし、泥酔したという事もあるまい。

 

「どういうことだろう?」

 

 はてと疑問を言葉にしたけれど、やはり意味が解らない。というか、声も随分おかしいものだ。声変りをした男が私なのだが、どうもハスキーのような女性の声になっている。自分の体を見下げてみれば、あろうことか薄紫の制服を。しかも女性の制服を着こんでいるじゃないか。

 

「うーん?」

 

 しかも、どうやら胸がある。そして口から洩れる声は明らかに女性の物。はて、これはどういうことか。まぁ、転生物とかTSものとかも好みなのである程度頭で理解は出来るものの、こんな現実があってなるものかという理性も確かに頭の中で蔓延っている。 

 

「ま、悩んでも仕方ないね。とりあえず…家に戻ろうか?」

 

 ざっと立ち上がると、視界の端で髪の毛が揺れた。どうやら、この体はなかなかの長髪であるようだ。夢だとしても、まぁ、性転換など貴重な体験であろう。一抹の不安としては、女装した自分が記憶のないまま海でぶっ倒れている。というやばい構図になるのだが。

 

「髪の毛は…うん。ウィッグじゃないね。痛い」

 

 髪の毛を引っ張ってみれば、明らかに地毛の痛みである。…というか、海水に浸かっていた髪にしてはシルクのような触り心地だ。

 

「ひとまず、鏡を探そうか」

 

 少し混乱する頭で、海、というか海岸を見渡せば、遠くに公衆トイレらしき建物が見えた。あそこならば、鏡ぐらいあるだろう。

 

 

 なるほど美少女だね。

 

 目論見通り、公衆トイレで鏡を見つけて早速容姿を確認したわけだけど、これがまぁ顔が良い美少女だ。しかも顔が小さい事。髪の毛はひざ下ぐらいまであるくせに、多分身長は170に近い。それでいて、着ている服がどこぞの制服っぽいのだけれど、どの上からでもわかるほどのナイスプロポーションである。

 

「なんで私の体が美少女になっているのだか。夢だろうけど」

 

 そう言いながら微笑めば、これまだ鏡の中の美少女が可憐に微笑んだ。悪い感じではない。しかしなんとも不思議な事だ。

 

「容姿端麗の美少女か。髪の色は黒というか、少し茶かな。目の色が緑っていうのが少し日本人離れっぽいね」

 

 まじまじと鏡を見ながらそう分析する。―ふと、頭の上に何かがあることを私の目が捉えた。

 

「…くせっけにしては、ずいぶん大きな何かが乗っかっているね」

 

 頭の上に乗っかっている何か。それに手を伸ばしてみれば、不思議な事に、耳を触る触感が伝わって来る。

 

「?」

 

 疑問を浮かべながら本来の耳がある位置の髪をかきあげてみれば、そこには何も無かった。普通に髪の毛が生えているだけ。もしや、と思ってお尻を見てみれば、そこには一房の髪の毛らしい何かが伸びていた。

 

「…耳付きの、尻尾付きの美少女?」

 

 鏡に映る私の表情は、困惑を極めている。夢にしても、なかなかニッチな状況であろう。はてさて、これは一体どういうことなのかな?

 

 

 困惑を頭の中に浮かべながら、夜の道を歩く。歩くたびに、尻尾が揺れて、髪の毛が揺れて視界の端に見え隠れする。体は濡れているし、制服も張り付いている。塩の香りが鼻を突く。でも、不思議と思う。

 

「気持ちの良い夜空だね」

 

 満点の星。大きく丸い月。きらきらと月光を受けて輝く砂浜と打ち寄せる白波。夢の風景としても、非常に気持ちの良いモノだ。

 

「煙草が欲しいけれど」

 

 そう思いながら、体をまさぐる。大体、私は外出の時にはサコッシュを以って、その中に煙草を仕込んでいる。手巻き、葉巻、パイプ。いつでも楽しめるようにだ。だが、残念ながら煙草は無いようだ。その代わりに、スカートの一部に何かが入っている感触があった。

 

「なんだろ?」

 

 どうやらスカートの一部にはポケットが付いているようだ。なるほど、この構造は知らなかった。手を突っ込んで何かを引っ張り出す。すると、砂と共に四角い定期入れのようなものが、手に収まっていた。

 

「うーん?」

 

 それを掲げてみれば、どうやら、何かの身分証であるようであった。先ほど鏡に映った美少女の顔が印刷されたそれには、どこかで聞いたような名前と、生年月日、そして所属の学校名が書いてある。それをおそるおそる引き出してみれば、裏にも何かが入っていたようで、2枚のカードが地面に落ちた。

 

「日本ウマ娘トレーニングセンター学園。ふぅん?」

 

 どうやら、そこがこの体の持ち主…というか今の私の所属らしい。落ちたカードを拾ってみれば、免許証と保険証のようなものであった。生年月日を見てみれば、どうやら成人は迎えているらしい。普通免許、大型自動二輪、なぜか大型とけん引免許も持っているらしい。これは私と同じ資格だ。保険証には性別女性、種族がウマ娘とある。

 

「ウマ娘…日本ウマ娘トレーニングセンター学園…」

 

 この2つが揃えば、否が応でも判ってしまう。なるほど、頭の上の耳と言い、尻の尻尾と言い、この身分証と言い、どうやら夢とは言え私はウマ娘になっているということだろうね。

 

「わけが、わからないね」

 

 両手を肩の位置まで上げて、降参のポーズをとる。ふと、ポケットの奥、ふとももに何かが当たる感触に気が付いた。

 

「ん?」

 

 手を伸ばしてポケットをまさぐってみれば、そこにあったのは、私のスマートフォン。電源は入るようで、指紋認証をしてみれば、なんと、普通に開くことが出来た。

 

「夢なのに、スマホは私のものなんだね」

 

 早速、地図を開く。とりあえずここがどこなのか。それを知らねばどうにもならない。地図が立ちあがり、今の位置を示してくれていた。

 

「逗子かぁ。遠いなぁ」

 

 まさかの逗子の海岸線に私は横たわっていたようだ。

 

「うーん…財布とかは…無いね。どうしようかな」

 

 途方に暮れた私の頭上には、相変わらず、月と星たちが輝きを讃えていた。



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夢うつつ

「夢と現の間にいるようだね」

 

 夜の街を歩けば、しんとした空気が纏わりついてきて、頭の中が妙にクリアになる気がしていた。時折走り抜ける車やバイクの音、貨物電車の音が良いアクセントにもなっている。

 

 ああ、こんな夜は静かにパイプを吹かしたいものだ。

 

 煙草は体に悪く、健康には向いていないことは十分承知している。だが、あの香りは筆舌に尽くしがたいものがある。無論、紙巻は確かに少し顔を顰めるところがあるのだが、パイプ、葉巻、煙管といったものは本当の意味でタバコの香りが楽しめて、非常に好みだ。

 

「とはいっても、パイプもジャグ(タバコの葉を刻んだ物)もない。お金もないから買えないし。どうせ夢ならあってもいいのにね」

 

 美少女のウマ娘になる夢。妙な夢を観ているものだが、それならば自分の夢なのだから、自分の好物ぐらいは持ち合わせてもいいのにと思う。

 

 

 それにしても目が覚めない。かれこれ、街中を歩くこともう3時間は経とうとしている。道路の青看板には『横浜』の文字が踊りはじめ、うっすらと太平洋の水平線が光に満ち始めている。

 

「うーん、そろそろ起きてほしいけど」

 

 そう言いつつも、歩みは止めない。何せ、朝焼け前の街並みというのも気持ちが良いからだ。そう言えば最近は仕事仕事でこういう時間が取れなかった気がするなと思い出していた。年を喰い、責任が増え、時には眠れない日々を過ごしていた私の日常。朝焼けの空気を感じることなどはここ十年は無かったであろうか。

 

「ま、いい夢をみている、ということで」

 

 この時間を楽しむことにする。いい加減に乾いた制服のスカートがひらりと揺れ、いい加減に乾いた髪の毛と尻尾も視界の端でさらりと流れていた。

 

「本当に女子になったみたいだ。うん。それにしても夢で女子になるとは、なかなか私も欲求不満だったのかな」

 

 確か、夢で性転換をするという時は、何か自分に不満があったり変わりたかったりする欲求が高いと聞いたことがある。うん。夢から醒めたら、自分の身の上を考えるのも面白いかもしれないな。

 

「それにしても、夢でスマホが使えるのも不思議なものだね」

 

 スマホで自宅へのルートを表示させることすら出来ている。夢にしてはなかなか出来た夢だ。とはいっても、まだまだ距離がある。ああ、そう言えばと思い出す。

 

「私の体はウマ娘か。しかも、おあつらえ向きに、道路にはウマ娘レーンがあるね」

 

 歩道のすぐ横。ウマ娘レーンが鎮座しているのだ。ならば、このレーンを走っていけば割と早く着くんじゃないかと思う。

 

「せっかくだしね。走ってみようか」

 

 ガードレールをぴょんと飛び越えて、ウマ娘レーンに降りたつ。軽く屈伸、伸びを行ない、体を解した。

 

「位置について、よーい、どん。なんてね」

 

 そう言って、軽くランニングのつもりで走り出す。するとどうだろう。面白いぐらいにスピードが出てしまった。おそらくは原付と同じぐらいの速度だろう。

 

「いいね。いい夢だ。じゃあ、飛ばそうかな」

 

 脚に力を入れて、少しスピードを出した。ぐっと風景が後ろに飛んでいく。耳にはごうごうと、風が後ろに去っていく音が流れて来た。横浜まで数キロの表記がどんどんとその数字を小さくしていく。

 

「いいねいいね。これなら、速く家に帰れそうだね」

 

 夢の中だけど。と内心で苦笑しながら、夜の街を飛ばしていく。気づけば、夜の街は、夜明けの街へと姿を変え始めていた。

 

 

 走ること1時間強。ついに私は、自分の家の前へとたどり着いた。府中にあるこの家は、私がローンを組んで立てたものだ。内訳としては、平屋のガレージハウスといったところである。とはいえ、鍵がないのだが、まぁ心配はいらない。この家のロックはスマートフォンと連動している。

 

「確かこのアプリで…そうそう。開錠っと」

 

 ドアの前でスマートフォンを操作すれば、ドアの鍵がガチャリと開いた。うん、こんなところまで現実と一緒とは、リアルな夢だと思う。

 

「ただいまっと」

 

 その脚でドアを潜ると、いつもの風景が私の目の前に飛び込んできていた。玄関には数種類のライダースブーツ、ジャケット、グローブ、ヘルメットが並ぶ。鍵が引っ掛かっている場所に目をやれば、なんと家の鍵もしっかりとそこにぶら下がっていた。

 

「鍵は、あるんだね」

 

 不思議な感覚を覚えながら、短い廊下を歩く。廊下には大きなサッシがはめ込まれていて、ガレージハウスと直接行き来が出来るようになっている。そこには、CB1100RSとプリウスが並んでいた。どうやら、私の家そのままが夢にも出てきているようだ。

 

「うん。やっぱり私のCBはカッコいいね」

 

 黒い車体の相棒を横目に、自らの部屋のドアを開ける。―同時に、絶句した。

 

「…誰の部屋だい?」

 

 私の部屋なのだが、私の部屋では無かったからだ。男の一人暮らしの一軒家。乱雑にモノが並び、机には煙草とノートパソコンが置かれている。だが、どうだろうか。

 

 ぶら下がっている洋服が、どう見ても女物なのだ。

 

「…ええ?」

 

 疑問しか頭に浮かばないが、それらを見て行けば、スカートにワンピースもあれば、タンクトップもあれば、下着類もある。全部、女の子の物であるということを除けば、ある意味私の部屋と相違が無い。

 

「………どういうこと?夢にしても、リアルだね」

 

 仕方なしにテレビに電源を入れた。普通であれば、女性のアナウンサーが今日のおすすめコーデや、天気予報をお伝えしてくれている時間のはずだ。が。そこに写ったのは。

 

『おはようございます。ウマ娘リポーターのトピオです。皆様、良い朝を迎えられましたでしょうか』

 

 ウマ娘であった。ただ、アナウンサーの容姿に似ているから、私の記憶をもとに、夢の中で形作られたものであろう。

 

「夢…にしては、ずいぶんと解像度が高いね」

 

 うーんと眉間に皺が寄ってしまう。ここまで私は何かに抑圧されていたのだろうか。リアルな変な夢を観ているものだ。ふと、潮の香りが気になった。

 

「ま、いいか。とりあえずシャワーを浴びて着換えよう」

 

 フリースをいつもの場所から取り出して、シャワーへと向かう。というか、フリースはいつもの位置にあるのかと小さく愚痴る。制服を洗濯機に放り込んで、シャワーの扉を開けた。

 

 



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燻らす

 今日のジャグはバニラの香りでいいだろう。コーンパイプを机に置いて、ジャグの缶をその横に持ってくる。今日の銘柄はダ・ヴィンチ。イタリアの煙草で、香りと味が非常に良い。

 

「さてさて」

 

 シャワーを浴びて塩臭さは無くなり、さっぱりとした体。クリアになった頭でタバコを楽しむ。パイプタバコの作法は色々あるのだけれど、好きに吸うのが一番だ。私の場合はまず、三回にわけでジャグをパイプに詰め込む。1回目は緩く。2回目は少しキツク。3回目でちょうどカステラを押したぐらいの感触になれば好みの分量だ。

 

「良い感じ良い感じ」

 

 パイプの9割ぐらいにジャグが詰め込めれば、あとは火をつける。100円のライターを付けながら、息を吸えば、パイプの先端に火が吸い込まれるようにジャグに着火する。するともっこりと葉っぱが浮き上がるので、コンパニオンと呼ばれるパイプを楽しむための道具を取り出し、その中からダンパーと呼ばれる抑える金具でジャグを上から押し込む。

 

「うん。よし」

 

 コツはダンパーで押し込んだジャグが、パイプの8割ぐらいの所で水平面を出す感じだ。ここで火は一度消えるので、今度は全体に火が回るように丁寧にライターであぶってやる。全体が軽く赤くなれば、それで着火完了だ。あとはパイプが熱くならないよう、でも、火が消えないように燻ぶらせる。イメージは、熱いコーヒーを啜るようなイメージで、でも、時折息を吹いてやって火を維持してやる。

 

「…うん、バニラがよく薫るね。葉っぱの加湿も良い感じだ。辛くない」

 

 加湿がしっかりされていれば、甘い本来の煙草の香りが楽しめる。湿度が多すぎれば失火しやすいし、湿度がなくカラカラになってしまったジャグは、辛みが強い。ここは好みだけど、私は甘いこの香りが好きだ。

 

 

 パイプを燻らせながら、シャワーを浴びた時に見た、私の全身を思い出した。端的に言えば、やはり女性の体になっていることは間違いなかった。大きな胸、無くなった相棒。くびれた腰に、張っているふとともや尻。ナイスプロポーション、と自らほめたたえるぐらいのものを持っている。

 髪の毛も、あれだけ海水を浴びていたにも関わらずにしなやかなコシと輝きを誇っている。まるで、何もせずに美貌が維持できるような、都合の良い美少女になったようだ。

 

「それにしても、目が覚めないな。お湯の感触もリアルだったし。どうしたものか」

 

 肌を流れていくお湯の感じや、頭を洗った感じ。体を泡で流した感じや、この風呂上がりの一服。全てが現実のような感触で私の五感を刺激している。頭のどこかで、転生したんじゃないの?という有り得ない考えが浮かぶ。

 

「転生かぁ。まぁ、本当に起こったのならちょっと嬉しいね。美少女に生まれ変わる。理想っちゃあ理想だけど」

 

 その場合、はたして仕事はどうなっているのだろうか。バイクと車、そしてローンを維持する収入なんて、この体からは想像が出来ない。ああ、ただ、ウマ娘、という側面から言えば、おそらくレースで勝利すればなにがしかの収入は得られるのであろうか。あとは、美少女だからタレントとか?

 

「ま、考えても仕方がないか。夢なら夢でいいし。もし転生なら、それはそれで楽しめそうだし」

 

 諦めて、パイプを吹かす。実際、この状態で私に出来る事はあるまい。起きるのを待つか、それともこのまま状況が動くのを待つのか。ああ、そういえばと思い立ち、棚の書類をいくつか引っ張り出した。

 

「…なるほどなるほど」

 

 その書類は、この家の権利書、車、バイクの車検証だ。車検証に関しては積みっぱなしは怖いので、出かけるとき以外はこのように棚に仕舞っている。その名義を見てみたのだが、どうやら、この女性になった私の名前になっているようだ。身分証を改めて見てみれば、その名前と、所有者の名前が見事に一致している。

 

「ふぅん。夢にしては権利関係までしっかりしてるじゃないか。あ、しかも…」

 

 このガレージハウスの権利が完全に私になっていた。これは少し可笑しい。なにせ、私はローンでこの家を買ったのだ。つまりは信託会社の持ち物になっている。だが、この書類上では私の持ち家になっている。つまり、ローンが無くなっているのかもしれない。

 

「えーと…ローンの書類は確かここに…」

 

 棚を改めてまさぐってみれば、この家の支払い明細書が出て来た。どれどれと見てみれば、なんと、私はこの家を一発で購入しているらしい。

 

「ええ?いや、まぁ、ローンが無くなっているっていうのは有難いけどさ」

 

 首を傾げれば、髪の毛がさらりと視界の端で流れていた。

 

 

 煙がパイプから立ち昇り、天井へと昇る。それと同じように、私の気持ちも結構、持ち上っていた。

 

「ローンは無い。バイク、プリウスの税金も払われている。しかも貯金額が半端ない事になっているね」

 

 通帳にかかれていたのは10桁の金額。一体なんでだろうと思って明細を見てみれば、『ユーアールエー ウンエイジムキョク』というところから、多額の金額が振り込まれているらしい。まぁ、ここまでくれば私でも判る。この体、どうやらウマ娘の中でもかなりいいポジションにいるウマ娘の体らしい。というか、私と言うか。

 

「これはなかなか…どう判断すればいいのかな。ああ、そうだ」

 

 改めて棚の前に立ち、まさぐる。すると、男の時は給与明細と税金関係しかなかったはずの仕事関係の棚から出て来たのは、モデルの報酬や、歌の報酬の書類であった。加えて学費の納入書類までがそこには存在していた。すでに、学費は数年分は入れてあるらしい。

 

「ふーん…学費ね。それに、モデルに歌か」

 

 書類の多さを見るに、どうやら私はなかなか活躍しているらしい。ただ、どうやらまだレース自体には出場はしていないらしい。重要、と書かれた封筒の中に『トレーナーとの契約について』という書類があったからだ。内容はと言えば、簡単に言えば『そろそろデビューしなさい。あなたは素質がある』という、学園からの催促の書類であった。

 

「…デビューか」

 

 ウマ娘としてのデビュー。それはきっとレースに参加するということなのだろう。ただ、正直に言えば、私はウマ娘としては生きていない、というか昨日の夜にいきなり海岸で目が覚めたわけだし、全く覚えがないのだ。ま、走って帰ってきた感じからするに、多分、この体は速いのだろう。

 

「でも、なんだろうな。言われてやるのは好みじゃないね」

 

 強制されたレース。言われてデビュー。そんなのはごめんだなーとぼんやりと考えている。自由じゃないからね。そもそも、バイクとか煙草が好きなのは、時間に縛られたくないからだ。タバコはのんびり自由に燻らせたいし、バイクも自由に乗っていたい。対してプリウスは仕事用だ。だから自由じゃなくて快適さを優先させている。

 

「うーん…」

 

 とはいえ、状況は色々判ってきたけれど、どうせ夢なのだろうから、ケセラセラ。それにしても、本当に細やかに色々と出て来る夢だなと思う。書類にしたって、男としての私の欠片すらなくなっていて、女性としての事にすべてが置き換わっている。ただ、バイクや車とかの好きな持ち物に関して言えば何も変わっていない。

 

「考えても仕方がないか。うん。ああ、そうだ。どうせ夢なら、一度ウマ娘の学校に顔を出してみようかな」

 

 そう想いたち、スマホでトレセン学園の場所を調べる。どうやら、この家からそんなに遠くは無いようだ。ならば、制服を着て…って、制服は洗濯中だったか。ジャージで良いだろう。顔を出せばなにかしか、状況が進むことだろう。



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出会い、伝える

「全く、一週間も連絡をよこさないと思ったらいきなりバイクで登校とは。いい度胸だな、君は」

 

 目の前に居るのは麗しのウマ娘、シンボリルドルフ。腕を組み、此方を睨む姿はなかなかの威圧感という奴であろう。

 

「しかも…この香りはなんだ。バニラのような香ばしい…まさか君、煙草か?」

 

 じっとりとこちらを見る目。うーん、流石、異名を皇帝と呼ばれるウマ娘。貫禄がものすごいね。ウマ娘というコンテンツで彼女を知らなかったら、思わず一歩引いてしまうぐらいの圧がある。

 

「何か言ったらどうだ?」

「おはようルドルフ。今日もいい天気だね」

 

 とりあえず挨拶をしてみたが、帰ってきたのは大きなため息だ。どうやらシンボリルドルフと私は知り合いであったらしい。確か、ゲームやアニメでマルゼンスキーが車で登校していたから、きっとバイクで登校してみても大丈夫だろうと思ったのだが、何やら常識からは外れていたのかもしれない。

 

「まあ、いい。細かい事を君に言ってもどうせバ耳東風に聞き流すだろう?ともかく、一度学園長とたづなさんに挨拶に行って欲しい。心配していたからね」

「そう?判ったよ」

 

 なるほど。この夢の中の私はなかなか厄介なウマ娘で通っているらしい。シンボリルドルフをして頭を軽く抱えている。とはいえ、夢の中だ。ま、適当に行こうじゃないか。

 

「ルドルフ。学園長室ってどう行けばいいんだっけ」

「…君は…。いや、いい。案内するから、バイクを置いてついて来い」

 

 遂に眉間に皺を寄せて不機嫌です、という態度を隠さなくなったシンボリルドルフ。

 

「バイクは何処に止めればいいんだっけ」

「…あっちの屋根の下だ」

「そうだったそうだった。ありがと」

 

 それにしても、このシンボリルドルフもかなり解像度が高いものだ。夢、なのだろうけど。いや、ここまでくるとこれ、夢なのかという疑問も浮かぶ。というか、シンボリルドルフもそうだけど、この学園にいるウマ娘の顔といいスタイルといい、かなりレベルが高い。

 

「うん。ルドルフは本当にカッコいいウマ娘だ」

 

 思わずそう口から洩れた。すると、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべていた。

 

「…そうか。その気持ちは素直に受け取っておくよ。だが、せめて休むときは連絡の一つも入れてほしいものだな」

「わかったわかった」

 

 降参のポーズを浮かべながら、バイクを押して屋根の下へと持って行く。その近くには、ゲームで何度か見たマルゼンスキーの赤い愛車の姿もあった。

 

 

 シンボリルドルフの背中を追いかけて学園内を歩いて行けば、ゲーム内でよく見た校舎がそこにはあった。本当に学園と言った雰囲気で、廊下から覗く教室は公共の学校と行った雰囲気が漂っている。まだ授業開始前ということもあって、ウマ娘はまばらだが、それでもよく知っているウマ娘達が校舎の中ですれ違う事が出来た。

 

「おはようございます。会長さん」

「おはよう」

「おはよー」

「あ!おはようございます!雑誌観ましたよ!流石です。カッコよかったです!」

「ありがとう」

 

 軽く挨拶をする中でも、おお、どこかで見たウマ娘だなぁと、自分の夢に感心していた。確か今挨拶を交わしたのはウイニングチケットじゃなかったか。黒髪で元気がいい。

 

「君は相変わらず人気があるな」

 

 苦笑を此方に向けて来たシンボリルドルフ。どこか、私に対して羨ましさを醸し出していた。確か、アプリだともう少し気さくに話して欲しい、とかいう願望があったんだっけ。軽くフォローをしておこうか。

 

「そう?ありがと。でも、ルドルフだって尊敬されているじゃない」

「君がそう言ってくれるなら有難い」

 

 ふっと笑って、彼女は再び前を向いた。うん、なんだろうな。初対面なんだけど、違和感がないこのやり取り。嫌いじゃない。

 

「さて、そろそろ学園長室だ。私は会長の仕事が残っているから、あとは君だけで行ってくれ」

「りょーかい。ルドルフ」

 

 軽く手をひらひらとさせれば、ルドルフは頷きで返してくれていた。さて、このドアを挟んで向こうには学園の最高権力者が居る訳だ。何を話そうかと考えながら、扉を軽くノックした。

 

 

「驚愕!?記憶が無い!?」

 

 言葉と同じ『驚愕』のセンスを眼前に広げた学園長は、その言葉通りの表情を浮かべていた。

 

「はい。昨日の夜、海岸に倒れていたところからしか私の記憶が無いんですよね」

「それは、本当ですか?」

 

 間髪入れずに聞き返して来たのは、駿川たづなさんである。緑のスーツに包んだ彼女の顔も、また驚愕の色に染まっていた。

 

「ええ。正確に言えば、また別の記憶はあるのですけれど」

 

 学園長室に通されて、私が選んだ手段は『全てを包み隠さずに話す事』だ。そもそもこれは私の夢の中であるし、それにゲームの中の学園長はウマ娘の幸せの最大化を謳っている人物だ。正直に話しても、悪い事にはならないであろうという打算もあっての事である。たづなさんも同様である。

 

「別の記憶について、お話を伺っても?」

「ええ、もちろんいいですよ」

 

 たづなさんと学園長に、かいつまんで、包み隠さず昨日からの出来事を話していた。元々男であり、仕事をしながら生活をしていたこと。気づけば、なぜかこの体で海岸に倒れていた事。私の持ち物が全て女性の者になっていて、権利者などは私になっていたこと。話していて現実離れしているなぁと思いながらも、しっかりと、彼女らに伝わるように包み隠さない。

 

「ということで、何か、元に戻るというか、何か得られるのではないかと思ってこちらに顔を出したんです。すぐに貴女方に会えると聞いて、ラッキー、と思いました」

 

 私の言葉を聞いて、彼女らはお互いに顔を見合わせていた。ま、当然の反応であろうか。

 

「私としては夢の中なのかなぁとか思っていますが」

 

 両手を上げて降参のポーズ。妙に慣れてきたそれを行なえば、2人は真剣な顔をこちらに向けていた。

 

「まず、その。貴女のお名前は、彼女のままでよろしいのですか」

「うん。多分。身分証もそうだし、権利書の名前もそうだったし」

 

 そう言いながら、身分証を彼女らに差し出した。そこには私の顔写真と、名前がしっかりと記されている。

 

「ううむ。不思議な話もあるものだ。とはいえ、君の活躍は学園でも既に周知の事実。君はデビューこそしていないが、メディアへの露出やファンサービスにおいてURA、トゥインクルシリーズの周知に多大な貢献をしていることは我々にとって重要な事」

「学園長のいう通りです。あの、そのあたりのご記憶も無くなっているのですか?」

 

 軽く頷けば、2人は天を仰いでいた。どうやら、この体の持ち主はいわばスターのようなものであるらしい。

 

「たづな。彼女の今後の予定はどうなっていた?」

「…はい。今週末に撮影とプロモーションビデオの撮影が入っています。その後にURAのシングルの収録が入っています」

「そうか。ううむ…」

 

 学園長とたづなさんは判りやすく悩んでいる。ま、確かに今までスターとして活躍していた一人のウマ娘が、いきなり記憶が無くなっていて、別人の記憶を持っているとなれば、どうすればいいかは判らない、というのが正直な所であろう。

 

「あの、改めてお聞きしますが、貴方は彼女ではない、ということですよね」

「ええ。恐らく」

「ですが、私達から見る貴女は、間違いなく彼女です。声も、仕草も。お聞きする限り、住居や持ち物も彼女と同じものです」

「そうですか」

 

 なるほどね。どうやら私は完全に何者かの体になっているらしい。しかも仕草や声も変わらないときたものか。

 

「…提案」

 

 学園長はそう呟く。私とたづなさんは、首を傾げていた。

 

「君は彼女の姿をしている。仕草も声もたづなの言う通り本物だ。君にとっては夢だとしても、我々にとっては現実であると言い切らせて欲しい」

 

 現実か。彼女らにとっては。なるほどね。となれば、次にくる言葉は大体が想像がつく。

 

「そこで、君さえ良ければ彼女として生活をしてほしいと思う。可能であれば、スケジュールの通りに動いて欲しいとも思っている」

「うーん。私、ダンスや歌の経験はないんですけど」

「無論!サポートは付ける!たづな!」

「はい。ダンスや歌のレッスンは私が受け持ちます。もし、私が無理だと判断した場合にはスケジュールを調整させていただきますので、如何でしょうか」

 

 これはまた破格の条件と言えるかもしれない。というか、そうか。夢じゃない可能性も出て来たと言えるのか、これは。となると気になるのは、この体本来の持ち主はどうなったのかということである。私が入ったことにより、消えたのか、それとも私の男性としての体に飛んだのか。…ま、今考えても答えは出ない問題か。

 

「判りました。ぜひ、そのお話に乗らせて頂きたいと思います」

 

 それよりは、この状況を比較的受け入れてくれている彼女らの期待に応えるほうがよさそうだね。

 

「そうですか。では、今日の所は一度家にお帰り下さい。こちらも準備がありますので」

「はい。判りました」

 

 なるほどそうなるか。夢…か現か。判らないままではあるが、とりあえずは家で一服、パイプを吹かして考える事としよう。

 

 

「…どう思われます?学園長」

「どう…と言われても、彼女は間違いなく彼女だとしか言えん。たづなもそうだろう?」

「はい。身のこなしといい、性格といい、声といい、仕草と言い。彼女そのものでした」

「記憶だけが別人になってしまった、という事だろうか…?それともいつもの冗談か」

 

 2人の間にしばしの沈黙が流れていた。が、学園長がパン、と扇子を閉じる。

 

「…決定。たづな。彼女の周辺、少し調べてもらえるか?」

「勿論です。すぐに調べ上げて、ご報告いたします」



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スーパーカーとネイキッド

「おはようございます。歌聴きました!かっこよかったですー!」

「ありがとー。握手しとく?」

「ぜひ!」

 

 学園を後にしようと歩いていたら、気づけば、私に群がる美少女たちウマ娘の円が出来ていた。少し困惑を覚えてはいるけれど、とはいってもあれだけの収入をモデルとか歌で得ているウマ娘だ。こうもなるだろうなぁと思いながらそれらに笑顔で対処しようと心に決める。

 

「どうやったらあなたみたいになれるんでしょうか」

「うーん。難しいけれど、前を向いて笑顔でいることかなー」

「ありがとうございます!」

 

 前を向いて笑顔で。どんな困難が待っていても、苦しい時でも、一日一秒でも良いから成功した自分を思い浮かべる。それが私の処世術なので、それを彼女らに伝える。少なくとも彼女らよりは私は年上だ。多少、アドバイスをさせていただいても罰は当たるまい。それに彼女らは美少女たちだ。私の外面はともかくとして、内心、私の心は笑顔で満面の表情を作っている事だろう。

 

「はい。みんな。彼女、困っているでしょう。解散解散!」

 

 パンパンと手を叩きながら現れたウマ娘は、ナイスプロポーションを誇るゲーム内でもかなりのお姉さんの一人であった。その名をマルゼンスキーと言う。すると、私に群がっていたウマ娘達ははっとした顔を浮かべて、私に頭を下げる。

 

「あ、マルゼンスキーさん!判りました!」

「アドバイスありがとうございました」

「サイン、大切にします!」

 

 そして、一言をくれながら、彼女らは私の元から去っていく。ひらひらと手を揺らしながら、笑顔を浮かべて彼女らを見送れば、残ったのはマルゼンスキーその人だ。

 

「おはようマルゼン。助かったよ」

「うふふ。おはよう。貴女が絡まれているなんて、珍しい事もあるのね」

「そう?いつもの事だと思うけど」

 

 どうやら最初のコンタクトは成功したようだ。私は彼女らと付き合った記憶は全くないが、ゲームの知識はある。ある程度は話が合わせられるだろう。それに、こういう機会はなかなか訪れはしないだろうし、コミュニケーションを楽しもうじゃないか。ふと、彼女がこちらをのぞき込んできた。思わず身を引くと、彼女の顔が心配そうに表情が曇る。

 

「やっぱり、何かあった?」

 

 鋭い。彼女は私の異変にどこか感づいているようだ。うーん。まぁ、正直に話してもいいだろうか。

 

「少しね。困ったことに、記憶が飛んでるんだ」

「記憶が飛んでる?」

「そ。昨日の夜からの記憶しかないんだ。全く、困ったもんだよねー」

 

 気軽にそう言えば、彼女の顔は判りやすく困っていた。

 

「それ、本当なの?ねぇ、私のほかに、誰かに話したの?」

「うん。学園長とたづなさんには話してあるよー。あ、でもルドルフにはまだ話してないかな」

 

 シンボリルドルフにはそういえば話してなかったなぁと思いながら、両手を上げる。降参のポーズも板についたものだ。すると、マルゼンスキーはふっと力を抜いたようで、ほのかな笑みを浮かべながら此方を見た。

 

「そう。学園長とたづなさんに報告して、ここにいるのなら大丈夫かしら。どうする?ルドルフちゃんには私から言っておく?」

「頼めるならお願いしたいかな」

「判ったわ。お姉さんに任せておいて。それで、今日はこれからどうするの?」

「学園長とたづなさんから自宅待機って言われてる。のんびりパイプを吹かそうかなって」

 

 私がそう言えば、仕方ないなぁという感じで、彼女は苦笑を浮かべていた。

 

「貴女、記憶が無いのに煙草とバイクは相変わらず好きなのね」

「うん。タバコとバイクは私の趣味だからね。ああ、マルゼン。機会があったらあの車に乗せてよ。何か思い出すかも」

「ふふ。判ったわ。時間、取っておくわね。…いけない。人を待たせてるから今日はここまでね」

 

 はっとしたマルゼンスキー。そういえば今は朝の忙しい時間だったか。皆が登校しているし、学園が動き始めているしね。

 

「うん。朝からありがとう。またねマルゼン。そうそう。明日は普通に来るからさ、ご飯でも一緒に食べようよ」

「いいわよ。それじゃ、また明日」

「またねー」

 

 お互いにひらひらと手を振りながら、マルゼンスキーは急ぎ足で校舎の中へ、私はバイク置き場へとゆったりと歩みを進めた。

 

 

 ガレージの中にCBを停めて、エンジンを切る。チリチリと心地よい金属音がエンジンから響けば、どこか昂った気持ちが落ち着いた。となりにあるプリウスは、静かにそこに在る。

 

「お疲れ様。相棒。うん、とりあえずは乗り切った、って言えるかな」

 

 CBから鍵を引き抜いて、ガレージのシャッターを下ろす。そして、サッシを開けて廊下へと出れば、いつもの我が家が待っていた。

 

「えーと、バイクの鍵はここだね」

 

 チャリ、と鍵をフックに引っかけて、ふうとため息を吐いた。ヘルメットを棚に置いて、自らの部屋に歩みを進めれば、相変わらずサラリとした茶色に近い髪の毛と、尻尾がさらさらと流れていた。

 

「相変わらず、すごい体だな。…ここまでくると、夢って言う線は怪しいね」

 

 髪の毛が流れる感覚もそうだけど、バイクで街中を走る感覚は間違いなく現実のものだった。香りといい、風といい、音といい。私が聞き間違えるはずは無い。

 

「じゃあ、これが現実だとすると…やっぱり、ダンスとか歌とかは仕上げないとなぁ」

 

 稼ぎを得るために働く。これは男でも女でも変わりはない。ただまぁ、貯金は沢山あるから、やらなくてもいいのだけれど。

 

「美少女。ダンス、歌。やらなくてもいいけど…でも、ちょっと面白そうかな」

 

 面白そう。そんな気持ちが溢れて来た。だって、ゲームの中で見ていた楽し気なライブ、歌。それが自分の手元にあると考えると、それだけで昂る。それに、もしレースに出れるのならば、彼女らと競い会えるのならば、きっと、切磋琢磨は楽しい物だろう。

 

「ま、とりあえず一服をして考えよう」

 

 あえて新品のコーンパイプを棚から取り出し、あえて新品のジャグを棚から引っ張り出す。アークロイヤル。今日の気持ちにぴったりな、穏やかなジャグだ。相変わらずのバニラの香り。ただ、ダヴィンチよりもバニラの香りが強いそれをパイプにゆるく詰めて、火をつけた。

 

「…うん。美味しい」

 

 パイプから立ち昇る円形の煙をぼんやりと眺めながら、これからのことに考えを馳せた。

 



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ほのかに香り始める

「なるほどなるほど。やっぱり女物しかないや」

 

 パイプを咥えながら、私は改めて自分の家の物をひっかきまわしていた。書類関係はもとより、衣服や、バイクの道具、車関係の道具などなど。やはり基本的には女性ものへとそれらは変化していた。

 

「これを私が着るのか。まぁ、スタイル良いし、似合う、かな?」

 

 下着はなかなかセクシーな物もあるし、ワンピース、スカートはまだしも、ジーンズもシルエットが女性そのものだ。ジャケットはユニセックス風、といっていいだろう。洗面台に行けば、そこにあったのも女性の化粧品。メーカーは同じだけれど、並んでいるラインナップが異なっていた。―ふと、一つの瓶に目が行く。

 

「ふーん。これは男物のままなんだね」

 

 それは香水。特に私は薄めのオードトワレが好みだ。その中でも、シダーウッド系が大好きである。数種類、男性向けのシダーウッドを持っていたのだけれど、それだけは男物のままであった。

 

「香りは同じかな?」

 

 確かめるために、直接体には付けずに空間へとワンプッシュ。すかさず、右手でその飛沫を掴んで、顔の前へ持って行く。

 

「…うん。甘さが無い感じ、男物のシダーウッドの香りだ」

 

 スパイシーというか、なんというか、個人的には落ち着く香りと言って良いだろう。実際、寝る前の寝具に軽く振れば、安らかに眠れる感じがある。

 

「でも、なんで香りだけは変わってないんだろうか」

 

 首を傾げてみるが、特に答えは浮かんでこない。そういえば煙草もそうだ。ジャグの種類や喫煙具はそのままである。香りは男のまま、身の回りのものは女性の物。これに一体どんな意味があるのだろうか。

 

「いけない、パイプの火が」

 

 消えてしまった。考え事をしていると、ままこういう事もある。パイプのいいところは、途中で火が消えても問題がないということだ。ライターを軽く火口に当ててやれば、またジャグに火が回る。

 

「悪くない香りだね、やっぱり」

 

 ふうと軽く息を吐いて、鼻から息を吸う。すると、立ち昇ったバニラの香りと、右手についたシダーウッドの香りが交じり合う。贅沢な時間。私が大好きなひとときだ。

 

 

 一通り家の確認を終えた私は、パイプを置いて椅子に腰かけた。まとめれば、煙草と香水は男のまま。服とバイクのジャケット類やプロテクター類、靴、そういった身につける者は全て女物になっていた。もちろん、私の体にぴったりのサイズの物だ。うん。夢、というには現実的すぎるし、私に女性服の知識は無い。十中八九、現実の空気が私の背中を押している。

 

『…トロフィーでの注目はやはりマルゼンスキーでしょう。トゥインクルシリーズでは…』

 

 何気なく付けたテレビからは、間違いなくウマ娘のレースの情報が流されている。現実だとすれば、間違いなく、ここは私の知る場所ではない。

 

「現実感が迫ってくると、やっぱり、ちょっと焦るかな」

 

 夢ではない。現実である。その事実を徐々に突き付けられ、気持ちがそちらに向いて行くと、不思議と焦りが産まれてくるものだ。私は一体誰なんだ。いや、学生証や書類から名前は判っているし、男としての名前も覚えてはいる。けれど、男としての記憶って、これ、本当に私の記憶なのだろうか。

 

「何かショックで、女性としての記憶を忘れて、男としての記憶が作られた…とか?」

 

 突拍子もない事をつぶやいてみる。有り得そうだ。でも、ゲームの記憶もあれば、馬、競馬の記憶もある。それに男として生まれて、働いて、それなりに活躍していた記憶すら残っている。こればかりは、作られた記憶と断ずることは出来まい。

 

「転生?憑依?それとも、目覚めた?…わかんないな」

 

 両手を上げて自らに白旗を上げた。この問題はきっと、考えても答えが出ないものだ。偶然にせよ、必然にせよ、きっと自分の力より大きなものが働いていることは間違いない。ならば、私にできることは、それを流れのまま受け入れて行くことぐらいだろう。

 

「よし、悩むのは終わり。ああ、そうだ。これをちょっと見てみようか」

 

 先ほど部屋をまさぐっている時に見つけた記憶媒体の一つ。タイトルは『仮称・URA宣伝用ダンス―案1ノーカット版』というもので、しかも踊り手の欄に私の名前が書いてあるものだ。きっと、この先役に立つ物であろう。

 

 

『カメラはこっち?』

『はい。サビ前で2から3、サビで1カメに戻ります。2番は4カメからスタートで、あとは同じ流れですね』

『んー、それだと面白くないかなー。ラスサビで3カメとかどう?』

『3カメ…ですが、それだとステップの関係上体へのご負担が大きくなると思うのですが』

『きにしないきにしない。いい画撮れると思わない?』

『わかりました。じゃあ、それで行きましょう。では、ご準備の方を』

 

 始まったのは私とスタッフの軽い打ち合わせからだ。学園のジャージを着た私が、スタッフと軽く打ち合わせをして、そしてそのまま撮影に入ったようだ。

 

『それでは参ります。URA宣伝用ダンス、仮称メイクデビュー、振り付け案その1。3、2、1』

 

 同時に私が歌い始める。まさに、その歌詞、曲はウマ娘プリティーダービーの『Make debut!』であった。ただ、少し記憶の中のダンスとは振り付けが違う。例えば歌い始めてすぐの所『君と見たいから』と歌う場所では、ゲーム内では手を上に上げるしぐさであったのだが、画面の中の私は、画面の、つまりはカメラを指さしていた。

 

「なるほどね。タイトル通りの仮称メイクデビュー、振り付け案その1ってことか」

 

 おそらくは正式版がゲーム内での振り付けであり、これは本当に仮の振り付けなのだろう、ということで納得しておこう。ちらりと記録媒体が入っていた箱を見てみれば、収録日はどうやらここ最近の物であった。となれば、今、まだMake debut!はダンス、歌共に構築中であるという事だろうね。

 

「ふーん。そういえば、ウマ娘の時間軸って結構あやふやだったよね」

 

 そもそもマルゼンスキーとシンボリルドルフ、ウイニングチケットが同じ場所で学園生活をしているということから、実馬との差というのはかなり大きいであろう。そこらへん、明確な設定というのは無かったはず。となると…この映像はどう見ればいいんだろう。

 

「ま、普通に考えればMake debut!の前にも曲はあったけれど、時代が流れるにしたがって新曲を作った、ってだけなんだろうけどねー」

 

 また謎が一つ増えた気がするが、まぁ…これも私の力ではどうにもこうにも判らないものだ。それにしても、私の映像で新曲の振り付けの映像があるということは、私は結構ダンスや歌で既に信頼を勝ち取っているということなのだろうか。

 

「あー。だから学園長とたづなさん、スケジュールはどうだとか言って少し焦ってたのかな」

 

 少し考えればそうなのだろう。新たな曲のPVとして映像を出す場合、歌が上手くて踊りが踊れて、容姿が良い人物が適任であろうし。映像を見る限り、正直、華があった。それにこの体は顔も声もスタイルもそうとう良い。

 

「んー…ま、難しい事は明日から頑張ろう。たしかたづなさんにレッスンをしてもらえるんだよね。そこで覚えればいいだけでしょ」

 

 今回も考える事はやめた。結局、私は私。なるようにしかなるまいよ。

 

 

「…何?彼女、記憶が無い?」

「ええ。さっき会った時様子が可笑しかったから何かあったー?って聞いてみたらそう言っていたの。ルドルフちゃんはどう思う?」

「彼女が冗談を言うとも思えないが…揶揄っている線も否定はできないな。マルゼンスキー。他にこのことを知っている者は?」

「学園長とたづなさんには話したって」

「ふむ…冗談という線は薄いか…?でも、学園長とたづなさんが知っていて、彼女を野放しにしている…それなら、まぁ、悪い事にはなるまいか?」

「ルドルフちゃん。一度、学園長と話をしてみたら?」

「そうだな、そうしよう」

 

 人払いされた生徒会室では、マルゼンスキーとシンボリルドルフが向き合っている。その会話の内容と言えば、よく彼女らが知る自由奔放なウマ娘の件についてであった。

 

「それにしても、私も先ほど彼女と会ったんだが、全くそんな素振りは見せていなかったな。私が知る限り、仕草や声、性格はそのままと言っても良いだろう」

「それは同感。彼女は彼女のままよねぇ」

「本当に記憶が無いと言っていたのか?いつもの冗談という線はないか?」

「うーん…他の生徒に囲まれて、ファン対応をしていた、って言えばちょっと異常だなって判るでしょう?」

 

 確かに、とシンボリルドルフは頷きを見せていた。彼女らが知るウマ娘ならば、寄ってきたファンを軽くあしらって風のように消えてしまう事だろう。

 

「ねぇルドルフちゃん。彼女は明日、普通に登校してくるらしいから、どうかしら。久しぶりに3人でランチでも」

「それはいい提案だな。場所は私が確保しておこう」



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彼女として

UA1万&お気に入り500超え、誠にありがとうございます。

ご期待されているという事もありまして、連載に切り替えてやらせて頂きます。

いつもの『え?』と思う展開もこの先あると思いますが、生暖かく見守っていただければ幸いです。


「位置について、よーい、ドン!」

 

 たづなさんの声に合わせて、地面を勢いよく蹴った。芝で満たされた地面は、思いのほか固く、私の脚の力を推進力に変えてくれる。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ!」

 

 息を鋭く吐いて、上半身の振りも推進力に変えてぐんぐんと加速をかける。この前、夜の街を走った時以上のスピードで、私の横を風が走り抜けていく。

 

「良い感じですよー!そのまま上半身を倒して、腕をもっと大きくふってみてくださーい!」

 

 アドバイスの通りに上半身を寝かせ、腕を自由に振る。すると、不思議なものでさらにぐいぐいと加速が掛かる。なるほど、ウマ娘のスピードというのは、人間のそれとは間違いなく、段違いのものを持っている。そして、その勢いのまま、更に加速をかけていけば、あっというまに練習コースを走り終えていた。

 

「はーっ、はーっ、はーっ!」

「お疲れ様です。いい感じに走れていますよ」

「ふーっ。本当?」

「ええ。どこからどうみても、彼女の走りそのものです」

 

 たづなさんから笑顔の太鼓判を頂いた。それにしても、レースの訓練という話であったので覚悟を決めて走り出したのだが、どうやら体は走り方をしっかりと覚えているらしい。最初こそ人間のように遅い走り方だったのだけれど、アドバイスを受けながら数回コースを走れば、あっという間にウマ娘としての走り方へと私の走りが変化していた。

 

「それならよかった。記憶が無くなっても、体が覚えていたみたいだ」

「ふふ。それに、確実にタイムも上がってきていますから、もうすこし練習すれば彼女としてエキシビションレースや模擬レースにも出れると思います」

 

 それは僥倖という奴だ。どうやら私は、楽しそうだなーと思ったレースには所かまわずに首を突っ込んで行くウマ娘だったらしい。しかも、本来は結構強いのだとか。その上で、自由気ままな性格で、デビューする実力があるくせにトレーナーからのスカウトをのらりくらりと躱していたらしい。その結果が、私が家で見つけた『早くトレーナーと契約してレースに出てね』の書類の正体という話であるようだ。

 

「そっか。それなら安心だね。あらぬ疑いをかけられるのは本望じゃないしさ」

 

 この世界が夢にせよ、現にせよ、この世界で楽しく生きていくのならば、変に変わったなーなんて思われちゃあやりづらくなるからね。そう思いながら頷いていると、たづなさんが困惑の色を少しだけ見せていた。

 

「あの、本当に彼女として生活をしていただいてよろしいのですか?学園側、私と学園長は非常に助かるのですが…貴方はお辛かったりしないのでしょうか?」

「ん?いや、全然。学園長にもお話したとおり、男の記憶の私は心の底からウマ娘は可愛いなとおもっていましたし、一緒に走れたら最高!と思っていたので。むしろ嬉しいくらいです」

 

 たづなさんにも会えたわけだしね。しかもこんな風に練習まで付き合って貰っている。少なくとも今は最高の一時と言えよう。

 

「左様ですか。それならば安心です。あ、それと、もしよろしければウマ娘としての体の手入れもお教えしましょうか?」

「体の手入れ?」

「ええ。例えば、肌の手入れや髪の毛の手入れ、化粧の仕方など女性としての身だしなみですね。男性と勝手は違いますから。あとはレースを走るアスリートとしてのウォーミングアップ、クールダウンの仕方などです」

「それはぜひ。手取り足取りお願いしたいかな」

 

 有難い提案に、すぐさま首を縦に振った。

 

 

 練習の合間に昼食を取ろうとたづなさんと食堂に向かってみれば、シンボリルドルフとマルゼンスキーに捕まってしまった。そして気づけば、たづなさんを含めた4人で生徒会室で昼食を取る事になっていた。ルドルフとマルゼンスキーはサンドイッチ、たづなさんは海苔弁当、私はお握りとサラダだ。

 

「君、一昨日の晩より前の記憶が無いそうだね?」

 

 サンドイッチの袋を剥きながら、ルドルフは表情を変えずに私にそう声を掛けて来た。軽く頷けば、ルドルフは肩を竦める。

 

「冗談などでは無いのだな?」

「冗談だったらよかったんだけどね。本当に記憶が無いんだ。逗子の海岸で塩水を浴びながら倒れていたのが最初の記憶だよ。あ、でも、濡れた体で夜の街を走るのは気持ちよかったかな」

 

 おにぎりを頬張りながら、そう答えればルドルフはもちろんのこと、たづなさんやマルゼンはどこか呆れたため息を吐いていた。

 

「…そういう所は変わらないのね」

 

 マルゼンはそう言いながら肩を竦め。

 

「彼女らしいというか…」

 

 たづなさんも軽く頭を掻いて。

 

「ううむ…」

 

 ルドルフは眉間に皺を寄せていた。何とも言えない空気である。というか、この体の本来の彼女はなかなかの変わり者であるらしい。というか、マルゼンの言葉から察するに、普段からこういう事をしているのだろうか。というか、一週間も連絡を入れないで海に倒れているとか、この体の本来の彼女は…。

 

「もしかして、連絡なくふらっと居なくなるのは日常茶飯事なのかな?私」

 

 そう問いかければ、三人は間髪入れずに頷きを私に返していた。

 

「加えて、海水を浴びても気にせず走り出して、気持ちいいと言う所も彼女そのものだよ」

 

 苦笑を浮かべてルドルフはそう付け加えた。なるほど。私も相当な自由人であるが、この彼女も相当な自由人であるらしい。まぁ、私自身、学生の頃に夕立などがあれば喜んでびしょぬれになりながら家に帰る事もあった。雨を浴びると、気持ちがどこかすっきりしたのだ。

 

「そうなんだ。ふふ」

 

 気が合うね、と自らの心に語りかける。もちろん何も言葉は帰ってはこないけれどね。ただ、どこか少し暖かい気持ち、というかこの体に親近感を覚えていた。

 

「たづなさん。そういえば、彼女とコースに居たようですが」

 

 ルドルフがそうたづなさんに問いかける。

 

「ええ。記憶が無いとのことでしたので、走りとダンスを見ていました。今週末にいくつかPVと歌の撮影の予定が入っていまして、場合によってはキャンセルしようかと思っていたんです」

「そういう事でしたか。それで、どうでしたか?」

「うーん…動きはまだぎこちないのですが、ただ、呑み込みがすごく早いので、数日練習すれば本来の彼女のポテンシャルに戻ると思います」

「そうですか」

 

 おにぎりを食べ終えたので、サラダに手を伸ばしながら彼女らの話を聞き流す。それにしても不思議だったのは、たづなさんの言った通り、走りといい、ダンスといい、案外と体は覚えているようで、今日の午前中だけの練習でも相当コツを掴むことが出来た。

 

「案外、記憶は無くても、不思議と覚えているものだったよ」

「不思議ね。あ、たづなさん。私、この後予定空いてるの。午後の練習に付き合ってもいい?」

「ぜひお願いします、マルゼンスキーさん。シンボリルドルフさんもご予定が空いていればお願いしたいのですが」

「すみません。この後は打ち合わせがいくつか入っておりまして、外せないんです」

 

 どうやら、午後の練習からはマルゼンも練習に付き合ってくれるらしい。私のダンスや歌、走る姿を見る目が増えるのは非常に有難い。いくらコツを掴んだと言っても、所詮それは付け焼刃だと自覚しているからだ。家で見つけた私の動画のように踊れるには、まだまだ時間がかかると私自身は感じている。

 

「かしこまりました。では、マルゼンスキーさんはこの後第7練習場に集合をお願いします。シンボリルドルフさんも、お手すきの際にはぜひいらしてください」

「わかったわ」

「判りました」

「悪いねー。私のためにさ」

 

 手をひらひらとさせながらそう答えてみれば、ふっと、3人は肩の力を抜くように表情を崩した。

 

「本当にそういうところは彼女そのままですね」

 

 たづなさんの言葉に、深く頷くルドルフとマルゼン。うーん、どこか不思議な感じだね。私とこちらの体の私は図らずとも、同じような性格をしているらしい。

 

 

 初日のレッスンを終え、学園を後にしようとしたときの事。最終的に合流したルドルフ、マルゼン、そしてたづなさんと別れ、家に帰ろうかと制服に着替えて相棒のバイクの元に向かっていた時だ。ポツ、ポツと天から、数粒の水の粒が降りて来た。

 

「…雨?」

 

 手のひらを天に掲げてみれば、ポツポツポツと、その水の粒が多くなる。そして、あっというまにザアザアと音を立てるくらいの雨に変化していた。雨の中、相棒で帰ると考えると少しだけ憂鬱な気持ちが沸き上がる。

 

「雨かぁ」

 

 そう呟いて、呆然と雨の中で立ち止まっていると、ふと、心の中に、全く違う感情がふつふつと沸き上がってきた。

 

「……………」

 

 ―雨の中を走りたい。きっと、冷たくて、新鮮で、それは楽しいものだ。なぜそう思ったのかは判らない。でも、この気持ちはなぜか抑え切れない。

 

「あはっ♪」

 

 気が付けばせかす心そのままに、私は制服のまま、練習コースへと飛び出していた。

 



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雨と告白

「全く君は…相変わらず、と言えばいいのか」

 

 あきれ顔で私の髪を拭くルドルフ。ここは生徒会長室である。雨の中、気持ちよくコースを走っていたわけなのであるが、見事にルドルフに捕まってしまっていた。当然であるが、大雨と言える中で走った私はそれはもう全身びしょ濡れである。水もしたたるいい女という感じだ。

 

「あはは。でも、気持ちよかったよ?」

「そういう問題ではないんだけれどね?」

 

 おどけた感じで言ってみれば、間髪入れずに不機嫌な口調で返された。更に、頭をふくバスタオルが荒々しく私の髪の毛を乱す。うん、下手な事を言うのは止めておこう。それにしても、なぜ雨を見た時に走り出したのか全く自分でも意味が解らない。でも、走っている時の爽快感といったら、筆舌に尽くしがたし、というものだった。

 

「さてと。髪の毛はあらかた拭き上がったが、体はどうにもならないか…。君、とりあえず私の部屋でシャワーを浴びていきたまえ」

 

 ルドルフの部屋?そう思いながら振り返ってみれば、そこに居たのは良い笑顔を浮かべるルドルフであった。

 

「せっかくだ。君、以前の記憶が無いならば、私がウマ娘としての…いや、人としての常識を教え込んでやろうじゃないか」

「ルドルフー?その笑顔はちょっと怖いかなー」

 

 あははと苦笑を浮かべれば、ぐいっと肩を掴まれた。

 

「誰のせいだと思っている。それに話したいこともあるからな」

「はーい。わかったよ、ルドルフ」

 

 降参と両手を上げれば、彼女は私の肩から手を離してくれる。

 

「あと、君さえよければ今日の所は泊っていくと良い」

「いいのかい?」

「ああ、ずぶ濡れの君をそのまま家に帰すというわけにもいかないし、それだけ汚れた制服だ。一度洗わねばならないだろう?洗濯を行って乾かすまで、軽く見積もっても明日の朝までは掛かるだろうからな」

 

 まぁ、道理か。それに制服は私が雨の中コースを走ったせいで、けっこうな汚れが付いてしまっている。簡単に言えば泥んこだ。

 

「お言葉に甘えさせてもらうよ。ルドルフ」

「ああ。じゃあ、早速行くとしよう」

 

 ルドルフはそう言って、書類を纏め始めていた。

 

 

 ルドルフの部屋でシャワーを浴びた後、彼女から寝間着を借りてのんびりと時間を過ごしていた。

 

「どうだ、サイズは大体同じだと思うのだが」

 

 彼女と私はペアルックとも言えるそれを纏い、珈琲を煽る。それにしても、この寝間着は体にしっくりと来る感じがある。どこの服なのだろうか?

 

「うん。丁度いいサイズ。ルドルフはいい寝間着を使っているねー。どこのメーカーの?」

「ソメスだよ。君のバイク用のジャケットと同じメーカーさ」

「そうだったっけ?」

 

 ソメス…聞いたことが無いメーカーだけど。バイク用品はクシのタニを使っているハズなのだけれどね。

 

「国内の有名バイク用品メーカーのジャケットでは体に合わない。オーダーメイドで作ってもらったんだーと私に自慢をしてきたじゃないか。…と、そのあたりの記憶も無いのだったか」

「うん。そのソメスってどんな所なの?」

「ソメスはウマ娘の用具を作っている所だ。日本の中では指折りのメーカーの一つだよ。我々の制服や、オーダーメイドの勝負服も作っている所だ」

「なるほどね」

 

 そうだったのかと頷く。よくよく考えればそういうメーカーもあるよなぁ。ウマ娘の服だっていきなり作られたわけじゃないだろうし。改めて寝間着を撫でれば、非常に触り心地の良い生地であるし、それに尻尾を出す穴もしっくりと来るように出来ている。

 

「それにしても、こう、寛ぐ姿といい、その口から出る言葉といい、本当に彼女そのものだ。本当に君は記憶が無い…というか、男性の記憶を持っているのかい?」

 

 首を傾げるルドルフ。うーん、男の記憶があるという点においてのみはその通りだと言えるけれど…。

 

「男の記憶は確かだよ。海岸で倒れる前は、仕事から帰って自宅でウマ娘のゲームをしていたんだ。でも、その、仕草とか口調がルドルフの知る私と同じっていうのが信じられないかな」

「そうか………ん?ちょっと待て。君、今なんて言った?ウマ娘のゲーム?」

「ん?うん。あ、えーと、ちょっと待ってね」

 

 私のスマートフォンを取り出して、ロックを解除する。そして、アプリを立ち上げる。

 

「これこれ。ウマ娘プリティーダービー。ほら、君も居るんだよルドルフ」

「ちょっと見せてくれ」

 

 画面を彼女に見せながら、軽くウマ娘のプレイ画面を見せてやった。キャラ紹介やら、カード紹介やらを見せるうちに、ルドルフの表情がどんどん硬くなる。

 

「…君、このアプリは学園長には報告してあるか?」

「ううん。特に誰にも言ってないよ」

「……そうか。君、このアプリは君が記憶が無い、という事を知っている学園長、たづなさん、マルゼンスキー、そして私以外の誰にも見せるな」

 

 すごい真剣な顔で、そして剣幕でこちらに迫る彼女。ふむ。大体状況は察せた。

 

「おっけーおっけー。もしかしなくても、このアプリはやばい?」

「ああ、とても。そうだな…簡単に説明すれば、そのキャラクター一覧にいるウマ娘の中で、未だ私が知らないウマ娘が居る」

「ああ…理解したよ。それはまずいね」

 

 なるほどね。このアプリはこの世に存在してはいけないレベルのものらしい。

 

「理解が早くて助かるよ。しかも…」

 

 彼女は自らのキャラクターを指さしながら、有り得ないと呟く。

 

「その上で、私の勝負服はデザイン案こそいくつか出されているが、どの案もまだ公開されていないし、もちろん制作もなされていない。にも関わらず、そのアプリでは私が勝負服姿で存在している。おそらく私の勘違いでなければ、私の戦績すらもこのアプリには入っているのだろう?もし、そのアプリが世に知られれば…」

「大混乱どころじゃないね」

 

 この世界において、未来を差し示すかもしれないアプリ。となると、男の記憶、特に競馬の知識なんかも知られない方が良さそうだ。

 

「そう言う事だ。…そう言えば、君のキャラクターはこの一覧には居ないようだが?」

「うん。まだ未実装。そろそろ実装されるんじゃない?と言われていたんだけどね」

「未実装…ふーむ…そうなのか」

 

 ルドルフは椅子に深く座り込んで、判りやすく悩んでいた。まぁ、確かにこのアプリは彼女の手には余るであろう。明日にでもすぐに学園長とたづなさんに報告をしたほうがいいだろう。とはいえ、ルドルフの悩みようったら、尋常じゃないね。

 

「ルドルフ。悩んでも何も答えが出ない事だってある。私だってなんでこの姿…というか、男の記憶を持っているか判らないんだしさ」

「………そう、そうだな。なぁ、君。一つ質問があるのだが、男の記憶の中でウマ娘とは一体どういう存在なんだろうか?」

 

 そういう質問を思いつくのは、流石聡明なシンボリルドルフと言えよう。とはいえ、この男としての記憶と知識は正直、この世界では劇薬と言えるだろう。

 

「うーん、話してもいいけれど、あんまり気持ちの良い話じゃないと思うよ」

「それでも構わない。今後のためにも知識として知っておきたい」

「…ま、ルドルフになら話してもいいかな」

 

 私は一つ、覚悟を決めた。

 

「男の記憶では、ウマ娘はファンタジーの存在だったんだ。えっとね」

 

 正確に私の知識を彼女に伝える。ウマ娘は存在していない。その代わりに馬という動物が存在している。レースは競馬と呼ばれる賭博であり、その競馬の名馬を擬人化した作品群のキャラクターがウマ娘であると、馬としての戦績すらも私の頭にはある。彼女には正確に、間違いなくすべてを伝えた。

 

「…」

 

 私の話を全て聞いたルドルフは、口元に手を当てて黙り込んでしまっていた。仕方がない事か。キャラクターとしてのウマ娘。競馬としての馬。その戦績をすべて知っているという告白でもあるからだ。

 

「どう?結構衝撃的な告白だったと我ながら思うんだけど」

 

 ひらひらと手を振りながら、あえて、おどけて見せる。さて、ルドルフはどう出るものかな?

 

「…確かに衝撃的な告白だったな。そうか、私が動物…ふふ」

 

 そう言いながら、彼女はコーヒーを一気に煽った。そして、にやりと、どこか好戦的な笑みを此方に向けてきていた。

 

「確かに面白い話だな。それで、君はその知識をどう使う?無論、君自身の戦績も、私自身の戦績も、否、全てのウマ娘の戦績、未来の行く末も男としての君は知っている。ならば、それをどう使う?」

「特に使う予定はないよ。それに、戦績はあくまで私の知識だ。あくまで、陣営の努力の賜物なのさ。ええと、上手くは言えないんだけれど…」

「…」

「つまりはさルドルフ。知識は所詮知識なんだ。努力をするかどうかは、これからの私の全てにかかっている。その結果は誰にも判らない。例え別世界で結果が出ていたとしても、この世界ではそれはきっと違う物になるし、私も知識としての結果に従うつもりなんてさらさらないよ。それは君も同じじゃないの?ルドルフ」

 

 知識は知識。馬としての結果は、決まっている。でも、ウマ娘としての結果なんて、まだまだこれからの話だ。私が私としてこの世界で馬のような戦績を出せるかなんて知らないしね。

 

「ふ」

 

 ルドルフの様子を伺ってみれば、こらえきれないと言った風に、口元を抑えていた。

 

「ふふふ。あははははは!」

「笑う所?」

「ああ、愉快だ。非常に愉快だ。全く。君は、記憶が無いなんて些細な事だった。やはり君は君だな。―ミスターシービー」 

「そう?お褒めの言葉として受け取っておくよ。未来の皇帝、シンボリルドルフさん?」

 

 そう言いながら、私達は固く握手を交わしていた。それと同時に、私の体からふっと、力が抜ける。

 

「おっとっと…」

「おい、大丈夫か?」

「うん、多分ね」

 

 ルドルフに支えられながらも、笑顔でそう答えておく。どうやら、なんだかんだ、私は緊張していたらしい。

 

「気が抜けたって言うかさ」

 

 冷静に考えれば、全く知らぬ場所に知らぬ姿として生きる羽目になっているのだ。ケセラセラ、という心構えで居たとしても、やはり、精神的な負荷は大きかったらしい。それが、一人だけだとしても理解者が得られたのである。気が抜けてしまうのも、無理はないだろう。

 

「そうか。それにしてもこの数日で君はとんでもないものを抱えていたのだな。無理はするな、といっても無駄だろうが、なんでも相談してくれ。話はいつでも聞くよ」

「ありがと。ルドルフ」



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ターフと出会い

「理解!なるほど。話は判った!」

「ええ。こちらです」

 

 翌日、私はルドルフと共に学園長室に顔を出していた。この場にはマルゼンスキー、学園長、たづなさんもおり、昨日の私の知識とスマートフォンを改めて紹介した形だ。

 

「ウマ娘プリティーダービー、それに馬とよばれる動物の諸々…。たづな」

「見たことも聞いたこともありませんね。マルゼンスキーさんはいかがでしょう?」

「うーん…私も知らないわね」

 

 学園長とたづなさん、そしてマルゼンも、昨日のルドルフと同じように判りやすく悩んでいる。だが、流石そこは学園長といったところ。一旦!という扇子を開き、彼女は鋭い眼を見せる。

 

「ならば。君の記憶ではスマートフォンとよばれるその端末。それは混乱を避けるためにも私が責任を持って預からせてもらう。よいな?」

「ええ。もちろんです。よろしくお願いします」

 

 スマートフォンを学園長に手渡した。神妙な顔でそれを受け取った彼女は、それを鍵のかかった自らの机にしまい込み、そして鍵をかけた。

 

「中身は見ないので?」

「必要あるまい。これは君の物だからな。ただ、この中身が世に出ると非常にまずいのは判るだろう?」

 

 うんうんと頷く学園長と私。ま、彼女がそう判断したのならば、それに従うまでであろう。よろしくお願いします、の意味を込めて、改めて深く頭を下げた。

 

「そしてもう一つ。君の記憶についてだが、それはなるべく秘密にしておいて欲しい」

 

 思わず首を傾げた。

 

「なるべく?」

「そう。なるべくで構わない。君の話を聞く限り、戦績は勿論の事、馬の怪我もどうやら知っている様子だ。つまりそれは、ウマ娘の未来の怪我の可能性も知っているという事に他ならない」

 

 そうだね。と意味を込めて首を縦に振っておく。戦績も怪我もあらかたは知っている。とは言ってもウマ娘に出て来る娘達の事に特化しているけれどね。

 

「故に、もし君さえよければ、その未来を回避するための助言を彼女らにしてほしいと思う。無論記憶は完璧ではないだろう。故に、気まぐれ程度で構わない」

 

 なるほどそう来たか。たしかこの学園長もウマ娘にはなるべく幸せになってほしいと願っている人だったはず。使える者はなにでも使う。そんな気迫が見て取れるね。嫌いじゃないよ、そういうの。

 

「それはその…ある意味、未来を変えてしまう事では?」

「何を言う?未来など、まだ何一つも決まっていないではないか」

 

 確かに言われてみればそうだ。私が馬としての知識やアニメのウマ娘などで見た知識。それらがもしこの世界でも本当の事だとしても、それは、まだ決まっていない未来に過ぎない。例えばルドルフがアメリカ遠征で怪我をして引退してしまう。という未来は、私の中では知っているものだが、この世界ではまだ何も起こっていないことだ。

 

「どうだろう?この提案に乗ってもらえるのならば、君の望みを1つ、叶えようと思うのだが」

 

 それは魅力的。ならばと頷いておこう。

 

「そうか。協力してくれるなら有難いことこの上なしだ!それで、何か望みはあるか?」

「じゃあ…」

 

 学園の中に無い物が頭の中に浮かんできた。他人にとっては不要だろうけれど、私にとっては必要なそれをねだっておく。

 

「喫煙所」

「…は?」

「喫煙所。煙草、吸いたいんですよ」

 

 喫煙所だ。今は家で吸っているが、この学園に来てからというもの吸う場所がない。昨日のルドルフの部屋だってそうだ。禁煙だ、と言われてしまえば吸うことなど叶うまいよ。

 

「…喫煙所…ううむ。他の物、などは」

「不要です。喫煙所が欲しいです」

 

 食い気味に学園長に意見をする。ちらっとたづなさん、マルゼン、ルドルフの顔を見てみれば、やれやれと言った風に苦笑を浮かべていた。

 

「承知した。善処しよう。だが、ウマ娘は匂いにも敏感だ。喫煙所を作るにしても、少々辺鄙な場所になることは許して欲しい」

「構いません。嗜める場所があるなら、それ以上の文句は言いませんので」

 

 昨今、喫煙者の肩身は狭い。全面禁煙なんてやられてしまう場所もある。故に、喫煙所が残っているだけでも非常に有難いのだ。

 

 

 学園長室を後にした私は、コースへとその体をさらしていた。ジャージに着替えて走るコースというのは、なぜかこうしっくりと来る。

 

「雨のターフも良かったけれど、太陽の下のターフも悪くはない」

 

 青々とした芝の上。この体はまるで、跳ねるようにその上を軽々と進んで行く。ぐっと首を下げてみれば、その力強さは増していき、ぐんぐんと風が強くなるようだ。

 

「良い感じ良い感じ」

 

 たづなさんから言われたことを頭に浮かべながら、しかし、自分の体と心のままにコースを駆け抜ける。ストレートが終わりコーナーへ入れば、まるでバイクのコーナリングのように体が傾き、スピードそのままにクリアしていく。

 

「はっ、はっ、はっ!」

 

 息が荒くなる。ゴールまであと少し、更に首を下げて、脚をもっと跳ねるように。前に、前に、前に、前に!

 

「ゴール!ンー!きもっちいい!」

 

 万歳のポーズをとりながら、そう叫んだ。うん。やっぱりウマ娘になったからだろうか。走る事が本当に楽しくなっているな。それに、実際気持ちよく走れるし。と、そう思った時だ。視界の端に何かが揺れた。

 

「ん?だーれ?」

 

 たづなさんあたりか?マルゼンか?ルドルフか?そう思いながら何かが揺れた方向に視線を向け見れば、そこにいたのは全く見知らぬウマ娘。

 

「あ、あ」

 

 私に気づかれるとは思ってなかったのだろうか。どこかおどおどしている感じ。

 

「君!そんなところに立ってないでさ。こっちきなよー!」

「あ…はい…」

 

 萎縮しながらこちらに歩み寄ってきたのは、比較的普通の、といっては失礼かもしれないが、ルドルフやマルゼンのようにオーラを纏っていない普通のウマ娘だった。体つきを見れば、脚は長いのだが、どこかひょろっとして見栄えが少し悪いなーなどと思ってしまう。…比較対象がルドルフとかなんで、まぁ、許して欲しい。と内心で思う。

 

「私はミスターシービー。さてさて、私を遠くから見ていた君のお名前は?」

 

 まずはなんにせよ自己紹介から。腰をしっかりとまげて見れば、驚いたような顔を浮かべていた。

 

「ミスターシービー…あ、すいません。私はカツラギ。カツラギエースと言います。その、ミスターシービーさんの走りがカッコよくて見とれてしまっていました」

 

 カツラギエース。その名前にどこかひっかかりと覚えながら、私は笑顔を彼女に向けた。

 

「あはは、ありがとう。ああ、あと私の事はシービーでいいよ。君の事をカツラギと呼んでも?」

「あ、はい!よろしくお願いします。シービーさん」

 

 ふふふと笑い合う私とカツラギ。うん。せっかくの出会いだし、こういうのは大切にしていかないとね。

 



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言伝

 カツラギエースと暫く会話を楽しんでいたのだが、校内放送で生徒会室に呼ばれてしまっては仕方がない。今度また練習でもしようかと約束を交わして、私は今、その扉の前まで歩みを進めていた。

 

「入るよー」

 

 ノックをしながらそう声を掛けてみれば。

 

「どうぞ」

 

 聞き慣れたルドルフの声が返ってくる。扉を開けてみてみれば、そこに居たのはルドルフ一人である。確か、アニメとかではナリタブライアンやエアグルーヴあたりも一緒に居たはずだよねーとかを考えながら、ルドルフの前に立った。

 

「お待たせ、ルドルフ。何か用?」

「ああ、これを君に渡そうと思ってね」

 

 そう言ってルドルフが机の上に取り出したのは、板状の見慣れた機械であった。

 

「これは?」

「携帯だよ。ないと不便だろう?学園長が用意してくださったものだ」

 

 なるほど、携帯ときたか。確かに無いと困る。とはいえ、本体の料金やら、通信費やら月額料金やらはどうなるのだろう?と疑問を浮かべたのだが、それはすぐに解決された。

 

「本体代は不要。通信費やアプリの月額使用料はURAで負担するとのことだ。ただ、アプリ関係は帰ってから入れ直してほしい、と伝言を預かっている」

 

 通信費があちら持ちとは有り難い。まぁ、データについては当然だろう。私の持っていたスマホは確実に封印されるものだし。となると、口座や証券、あと通販アプリに家のロック関係は入れ直さねばなるまいか。

 

「りょーかいだよ、ルドルフ」

「それでは、この書類にサインを頼むよ。シービー」

 

 差し出されたのは『受領書』とシンプルに書かれた書類であった。『ウマスペリア10マーク4』という機種名が書かれている一番下に、サインを描く。ミスターシービー、と。

 

「…うん。問題ないな。それではこれは私の方で学園長に提出しておく。箱やアクセサリはどうする?持って行くか?」

「いいや、充電器は持ってるし、アクセサリもこっちで準備するから大丈夫」

 

 そう言いながら、机の上の携帯を手に取った。起動ボタンを押し込んでみれば、ホーム画面が立ちあがる。アプリは基本的なものは入っているようだ。メーラー、ブラウザ、あとはキャリアのアプリ関係にウマスタ、あとはSNSのチャットアプリ。

 

「どうだ?君の使っていたものと違いはあるか?」

「うーん、特には変わりは無さそう」

「それならばよかった。ああ、SNSのアプリには私、マルゼン、学園長、たづなさんの連絡先が既に入れてある。何かあれば連絡してくれ」

「りょーかい」

 

 早速、良く見慣れた緑色のアイコンをタップしてSNSアプリを立ち上げてみれば、そこには確かに4人の名前の連絡先が記されていた。

 

「ルドルフ。このアプリは普通に使って良いのかな?」

「ああ。無論。知り合ったウマ娘やトレーナーらと連絡先を交換してくれて構わないさ。ただし、一般人との連絡先の交換はなるべく控えてくれ。世間一般では、我々はアイドルのような存在なのでね。特に君はメディアへの露出も多い」

 

 了承の意味を込めて頷いた。

 

「わかったよ。そのあたりは気を付けることにする」

「頼んだぞ。…さて、携帯の話はここまでだが、あといくつか伝えることがある。これを見てくれ」

 

 新たに出されたのは1枚の用紙。クリアファイルに入れられたそれをルドルフから受け取る。

 

「まず君が要望していた喫煙所についてだが、丁度使っていないプレハブがあってね。それを屋上に設置するから、自由に使って欲しい」

「本当?有難いね」

「次にデビューについてだが、君の状況を鑑みて無期限延期とした。無論、君がこの人と共にと思うトレーナーと出会った場合はその限りではない」

 

 デビューか。そういえば、書類で催促されていた事を思い出した。ま、現状、走りもまだまだ本来の私ではないようだし、順当な判断であろう。

 

「確認だけどルドルフ。デビューする場合はトレーナーを見つけてから、だっけ?」

「その通りだ。まれに例外もあるが、基本的にはそうだと思ってくれていい。あとは学業についても、君の好きなようにしてくれていい」

「学業も?」

 

 そこまで自由にしていいものなのだろうか?と首を傾げる。

 

「男の記憶では君は大学まで出ているのだろう?学園は精々高校レベルまでの勉強しか教えていない。特例措置、ということで学園長の指示だ」

「それは確かに有難いね」

 

 年下の女性と学園で過ごす。しかも、学友として、というのはこの記憶を持っている私からすればかなりの負担であることは間違いないであろう。よくよく考えればルドルフやマルゼンが大人っぽいから助かっているが、これがアニメの黄金世代ぐらいのノリだったら多分ついていけない。

 

「それに曲がりなりにも記憶が男。その体でまぁ、間違いはないとは思うが、一応の隔離処置という奴と認識してくれていい」

 

 順当だろうね。とはいえ、昨日の夜は君と一夜を明かしたわけだが…。

 

「でもさルドルフ。君とは昨日、君の部屋で一夜を過ごしたのだけど、あれは良かったのかい?」

「ん?ああ、あれは君に聞きたいことがあったからね。それに、気づいてはいないと思うが、昨日の君は普段の様子からすれば結構ひどい顔をしていたからね。そんな君を一人で家に帰すというのも、な?」

 

 ふむ、そういう事だったか。確かに、一昨日の夜は家では寝ることが出来なかった。夢なのか現なのか、そしてこの体は何なのか。不安になってしまっていたのは事実だ。それを見抜いての行動だとは。脱帽しかない。

 

「優しいね、ルドルフは」

 

 そう微笑みかけてみれば、ルドルフは苦笑で答えてくれた。

 

 

 生徒会室を後にした私は、学園内のベンチでのんびりとスマホを眺めていた。

 

「ゲームの記憶そのままの感じだね。模擬レースで実力を示して、スカウトされたウマ娘はメイクデビューを迎えると…」

 

 読んでいるのはウマ娘のレースであるトゥインクルシリーズのウマペディア。ま、ウィキペディアみたいなものだ。

 

「勝てなかった場合は未勝利に流れて、勝てた場合はファンの数を条件に様々なレースへの参加が認められる、と」

 

 そういえば、先ほど出会ったカツラギエースもそんなことを言っていたな。『学園に入るのは本当に第一歩。そこからデビューまでが凄く長い。そしてその後、特別なレースに出るにもまた長い時間が必要だ』とか。

 

「特別なレース、か」

 

 おそらくは競馬で言うところのグレードレースなのだろう。G3,G2,G1。確かに、それらは特別で、きっと素敵なレースなのだろう。だが―。

 

「メイクデビューだって、選ばれた者しか走れない特別なレースのハズなんだけど。この辺りは、競馬とあんまり認識が変わらないのか」

 

 カツラギ。気持ちは私も判る。特別なレースに出て、名を残したいというのはきっとウマ娘の本望なんだろう。私もこの名前を持っているからそこを目指さなければならないという事は良く判る。でもさ。

 

「ウマ娘のレース、というだけでワクワクするでしょ。楽しい、って思うでしょ」

 

 そういう事じゃないんだけど、なんだか胸がもやもやしてくる。楽しいレースは何も、グレード競走じゃなくてもいいはずなのだ。ライバルがいて、自分が居て、応援してくれる人が居る。ならば、レースを走るという事がなによりも特別な事なんだ。

 

「それにG1を特別だ特別だって言うあまりに、たとえ勝ったってそれを誇って傲慢になっちゃあ、怪我とかで脚を掬われちゃうよ。…ああ!うまく言葉に出来ないなぁ!」

 

 イライラして頭を掻きむしってしまう。なんだろう。ウマ娘になったからだろうか。グレードレース、一般レース、草レース。どれも素敵で楽しい物なのに。格付けなんて嫌いだ。

 

「…走ろう」

 

 考えるのをいったんやめよう。どうも今は悪い方に考えが向かってしまう。こういう時は煙草を吹かすか、バイクを走らせるか、体を思いっきり動かすかしかない。携帯を仕舞って、一目散に練習のコースへと脚を進めた。



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ルドシビ

「君は難儀だな」

 

 苦笑を浮かべる寝間着姿のルドルフ。私は昨日の夜と同じように、ルドルフの私室で寝間着をしっかりと着こんで珈琲を煽っていた。というのも、イライラした頭で練習場を思い切り走ったのにも関わらず、どうもイライラが頭の中に残っていたからだ。言葉に出来ないそれを相談しにルドルフに会いに来てみれば、ならば泊っていけ、という男前な返事を頂いた。

 

「仕方ないじゃない。どうにもイライラしちゃったんだ。どのサイトを読んでもさ、特別なレースの事ばっかり。そりゃあ特別なレースは素晴らしいよ?でも、未勝利だって楽しいレースのはずなのにさー」

「気持ちは判る。だが、特別なレースで得られる栄誉は皆が望む物さ。私だって欲しいと思っているし、君だってそう思っているんじゃないかな?」

 

 そう言われてしまえば、黙るほかは無かった。確かにグレード1のレースを勝てたウマ娘となれば、間違いなく世間一般にも認知されて、今後の栄誉、つまりは生活の保障みたいなものが付いて回る。だが、どうも、それが納得がいかない。

 

「まぁ、納得がいかないのならば、とことん悩むというのも手段の一つだろう。それに君も言っていただろう。『悩んでも何も答えが出ない事だってある』と」

 

 確かに言った。

 

「うん…そうだね。そうだよねー…」

 

 だが、気持ちは晴れない。もちろん、そんな簡単に答えが出る物でもないし。

 

「ふふ。まぁ、今日の所はこのまま泊っていきたまえ。一人で夜を過ごすよりは、二人で過ごした方が気が楽になるだろう」

「いいの?」

「勿論さ。それに君はまだまだ不安定な状態なのは判っているつもりだ。ミスターシービー」

 

 深くため息を吐いて、珈琲に口を付ける。芳醇なアロマ、苦みが、少しは私の気を紛らわせてはくれている。

 

「ねぇ、そういえばさ」

 

 話題を変えようと、一つ、彼女に質問を投げかけた。

 

「記憶が無くなる前、といっていいのかな。その時のミスターシービーってどんなウマ娘だったのかな」

「ん?」

「参考に、知っておきたいなって」

 

 そう。まだこれを聞いていなかった。私が私になる前のミスターシービー。デビュー前にも関わらず、メディアに顔を出してURAの知名度を上げていたというそのウマ娘の事。

 

「…そうだな。簡潔に言えば、芯があるウマ娘と言えるだろう」

「芯」

「そう。揺るがない一本の芯。言葉にするのは難しいが、少なくとも、君が今悩んでいることの答えは持っていたと思うよ」

 

 芯、か。確かに、今の私には程遠いものだ。私自身が何者か判らない。とりあえずは今週末の撮影のためにレースの練習やダンス、歌の特訓をしているだけのウマ娘。はたから見ればしぐさや言葉はミスターシービー。芯どころか、チグハグ付け焼刃。

 

「まぁ、そう心配する事は無い。君は間違いなくミスターシービーだ。自由を愛し、ウマ娘を愛し、レースを愛す。そんなウマ娘だった。その点は今の君と何も変わらないよ」

「変わったウマ娘だね」

「ふふ。自ら言う事じゃあないだろう」

 

 自由、ウマ娘、レースを愛したウマ娘。確かに、自由が好きだし、ウマ娘も競馬も好きだ。とはいえ…いや、深く考えるのはよそう。どうもダメだ。夜の時間のせいなのか、どうもネガティブに入ってしまう。

 

「とはいえ納得はいっていないのだろう?」

「うん」

「素直でよろしい。そうだな。提案だ。一度模擬のレースに出てみればいい」

「模擬?」

「ああ。悩んでイライラしているよりは、建設的だと思うよ」

 

 …確かに。そう思いながら頷く。まずはなんにせよレースを体験してみるか。

 

「わかった。一度出てみるよ」

「そうするといい。スケジュールは私が確保しておくから、それまではしっかりと、走りを練習したまえ」

「はーい」

 

 片手を上げてそう答えてみれば、ルドルフの顔に笑顔が灯る。

 

「さて。ではそろそろ寝ようと思うんだが。君はどうする?」

「私も寝る」

「承知した。じゃあ、ベッドを使ってくれ。私は此方のソファーで寝るから」

 

 そう言いながら自らのベッドを指さすルドルフ。判った、と言おうとした口からは、無意識なのだろうか、それともこの体の意志なのか。

 

「ルドルフもベッドで寝てよ」

 

 全く別の言葉が飛び出してきていた。

 

「…うん?」

「あ、いや」

 

 違うんだ、と言おうとしたが、これがなかなか言い切れない。おどおどとしている私に、彼女は優しい表情を向けていた。

 

「…ふ。判ったよ。私もベッドで寝るとしよう」

 

 そう言って、ルドルフは私の手を曳いてベッドへと飛び込む。消される電気。隣にはルドルフの気配と体温。

 

「…」

 

 思わず無言になってしまう。なぜ、一緒に寝ようなどと口から出てしまったのか。曲がりなりにも記憶は男だ。…男なのか?本当に?いや、もしかするとウマ娘が生み出した何か別の記憶とか、そういう?でも携帯はウマ娘があったし、間違いなく私は私であるし…と悪い方向に思考が向いた時だ。

 

「全く、世話が焼ける。今日だけだぞ」

 

 ふわりと背中に感じる柔らかさ。体に回された腕から、体温と共に安心感が伝わって来る。

 

「おやすみ。ミスターシービー」

「…おやすみ。ルドルフ」

 

 彼女の温かさのせいなのか。悪い方向に向かっていた思考は鳴りを潜め、深い眠りへと、私は落ちて行った。



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火が消えたら、また着ければいい

「はあああああああああ!」

「やああああああああああ!」

 

 先を走るのはカツラギエース。その背中を見ながら、私も追い込みをかける。ぐっと頭を下げて、重心を下げて、それでいて脚は跳ねるように。まだ意識しながらだが、なんとか形にはなっているのだろう。彼女の背中が近づいてきた。

 

「まだまだあああ!」

「あははは!負けないよー!」

 

 気合の乗る彼女の掛け声に、思わず笑みがこぼれてしまった。彼女の背に私の影が伸びる。そして―。

 

「ゴール!カツラギエースの勝ちっ!」

「ったあああああ!」

「ちぇー、まけたー!」

 

 あと一歩というところで、彼女の背中を見ながらのゴールを迎えていた。ここは変わらずの学園の練習コース。良馬場。距離にしてはまぁ、短距離ぐらいなものだろうか。それにしても、このカツラギ、かなりいい脚を持っている。最初のひょろっとした印象からは信じられないほどの力強さと言えるだろう。

 

「速いねカツラギ。もうちょっとだったんだけどねー」

「ありがとうございます。でも、シービーさんだってすごい追い込みの脚でしたよ」

「そう?ありがと。で、ルドルフ。どうだった?走り」

 

 審判役のルドルフへと声を掛ける。すると彼女は笑顔を讃え、大きく頷いていた。

 

「2人とも仙才鬼才の走りだったよ。カツラギエースは本来は長距離が得意だろう?しかし、この短距離でシービーの追い込みを交わして見せた。シービーは不調ながらも見事な追い込みだ。2人共、鍛錬を怠らなければ、間違いなくデビューは近いと思うよ」

「本当ですか!ありがとうございます!」

「本当?ルドルフにそう言って貰えると自信がつくよ。やったね、カツラギ」

「はい!シービーさんも!」

 

 カツラギとお互いを讃えながら笑い合えば、ルドルフもどこかあたたかな表情でこちらを眺めてくれていた。うん。順調にカンという奴を取り戻しているらしい。それにしても不思議なものだ。走れば走るほどタイムが上がっていくこの感じ。流石に疲れはするのだけれど、爽やかで、楽しいという感情しか浮かんでこない。

 

「さて、それでは私は生徒会の仕事が残っているから、ここで失礼するよ。君達はどうする?」

「私はもう少し練習していきます!」

 

 カツラギは両手をグーに形取ると、ふんす、と鼻息を荒げていた。やはりシンボリルドルフに褒められたからであろうか。見るからにやる気満々の様子だ。

 

「私はこれをやりにいくよ」

 

 ポケットからパイプをひらりと見せれば、ルドルフは苦笑を、カツラギはええ?と不満そうな顔を浮かべていた。判りやすい。

 

「シービーさん、一緒に練習しましょうよー!煙草は健康に悪いですから!」

 

 当然の感想だ。スポーツ選手が煙草。イメージが悪いし、実際体にも悪いのは私も良ーく知っている。ただ、ここで引くのは私じゃない。

 

「カツラギ。そんなことは私が一番よく知っているよ。でも、ウマ娘には吸わなきゃいけない時があるんだ」

「ええ…!?でもぉ」

 

 引かないのはカツラギも一緒だ。詰め寄ってくる彼女に思わず両手を上げて降参のポーズをとりそうになった時、助け舟がやってきた。

 

「カツラギエース。シービーを止めても無駄だぞ?生粋の煙草好きなんだ」

「むぅ。…判りました。今日は諦めます。でも、また明日一緒に走って下さいね?」

 

 なんとか承諾を得ることに成功した。くるりと踵を返しながら、カツラギを見る。

 

「そりゃあ勿論。カツラギと走るのは楽しいからね。ルドルフもまた明日」

 

 

 芳醇なバニラとはちみつのフレーバーの香りと、ヴァージニアとブラックキャベンディッシュがミックスされたシャグ。パイプにマッチで火を付ければ、香しい香りが私の鼻を満足させる。

 

「うん。練習の後の一服は格別だね」

 

 間違いないと頷きながら、盛り上がったジャグをタンパーで押さえる。火が消えないように静かに、しかし、長く良い味が楽しめるように適度な圧力をかけて。

 

「よしよし。良い感じに押さえられたね。それにしても、プレハブとは言いながらも贅沢な喫煙所を用意して頂けたものだね」

 

 プレハブの喫煙所である事は間違いない。よく工事現場にあるようなベージュの四角い箱だ。しかし、エアコンや机、そしてリクライニングのチェアが用意されているあたりで、完全に寛げる部屋と化していた。しかも屋上の出入り口から屋根が続いていて、雨の日でも濡れない心配りがされている。喫煙者にとっては至れり尽くせりのプレハブだ。

 

「確か私物の持ち込みもオッケー、とか言っていたから…コーヒーメーカーでも家から持ってこようかな。あと他の煙草も」

 

 例えば桃山なんかは常備しておきたいジャグの一つ。昭和9年に発売されたそれは、日本の最初の国産パイプ煙草。漫画家の藤子・F・不二雄先生が好んで吸っていた、という伝記も残る素晴らしいものだ。今ではデンマーク製になってしまっているけれど、甘い香りは当時のままだとか。

 

「コーヒーはそうだな。グアテマラ産のステイゴールドあたりの豆を深入りで常備しておきたい所だなぁ」

 

 チョコレートのような甘味と、どこかシトラスを感じさせる香りのコーヒーが、甘いジャグとよく合う。とはいっても他の珈琲もまた捨てがたい。たとえばブラジルのキャラメラード。中煎りぐらいで焙煎を止めておくと、柔らかな蜂蜜のような優しい香りが漂いながらも、キャラメルのような甘味とコクを讃えている。

 

「妄想が捗るね。とはいっても…」

 

 他に煙草を嗜むウマ娘が居ないというのが悩みか。ああ、でも、ルドルフはコーヒーが好きだったはず。煙草は吸わないにしても、彼女用に色々とコーヒーを揃えるのもまた一興だろうね。

 

「熱っ」

 

 いろいろ考えていたら、思いのほか燻らせすぎていたらしい。パイプを包む手に、明らかな高温が伝わって来る。

 

「火が消えたら、また着ければいい」

 

 どこかで見たパイプタバコを吸う際の気の持ちようをつぶやきながら、コーンパイプを一度机に置いてやる。ふと、窓の外を見れば、気持ちの良い青空と、練習コースを走るウマ娘達の姿が、どこか輝いて見えていた。



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CBの休日

「くあ」

 

 眩しい朝日にやられて目を開ければ、時間は既に9時すぎ。上半身を起こして、窓を開ければ、抜けるような青空が広がっていた。

 

「…うん」

 

 寝ぼけた頭で洗面台の前に立ち、歯磨きを行う。シャカシャカと心地よい音を耳に聞きながら、そういえば今日は休みだったかと思い出した。

 

「…私が私になってから結構たったねぇ」

 

 男の私が美少女の私になってから半月は経っているだろうか。夢かと思っていたこれは、どうやら目覚める気配が無い事からしてほぼ現実と言って良いだろうか。うーん。それとも昏睡しているからこんなに長い夢を見ているのだろうか。

 

「わかんないや」

 

 口を濯いで、顔を洗う。100円均一で買った泡だて器で洗顔料を細かい泡にして、顔にやさしく乗せる。たづなさん曰く。

 

『女の子はスキンケア命です!シービーさんは元がいいので、メンドクサイでしょうけど洗顔、保湿をしっかりしていてください!』

 

 と、かなり押されてしまっている。まじまじと鏡を見れば、泡で覆われた顔のミスターシービーがいる。ちょっと面白い。産毛を剃るために剃刀をついでに当てておく。うーん…なんだろう。こういう裏方の姿を見れるというのは、幸運なのか不運なのか。ちょっとばかり、邪な気持ちが沸き上がって来るものだ。

 

「よし、洗顔完了と。えーっと…化粧水で…美容液と乳液に…あとはこのクリームと」

 

 化粧水を手にたっぷりと取ってから、顔にゆっくりと当てる。摩擦が起きないように、しかし、しっかりと浸透するように。少し時間を置いて美容液に乳液も同じように顔に乗せる。そして最後に、しっとりとしたクリームで顔を覆えば、見事な美少女ミスターシービーの出来上がり。

 

「本当は眉もそろえたいけれど、まだ技術ないしやめとこ」

 

 男の時にはざっくりいじっていたが、明らかにシービーの眉は繊細だ。それに変にカットしたら違和感がものすごい事になりそうだし。こういうのは、美容院に任せよう。

 

「そういえば、美容院ってどこに通っていたんだろうか」

 

 自らのことながら首を傾げてしまう。男の時は千円カットの常連だ。棚から名刺などを引っ張り出してみれば、あったあった、美容院の文字。

 

「ふーん、名前からすると、ウマ娘がやってる美容院かな?」

 

 ウマ娘クイン美容室、と書かれた名刺。住所や電話番号、QRがしっかりと記載されているから、ま、必要となったら予約をしておこう。それはそうとして、今日は何をしようかな。

 

「練習…っていう気分じゃないし。車で出かける気分でもないしねー。バイクっていう気分でもないか」

 

 抜けるような青空。しかし、どうも相棒とかで外に出る気分ではない。

 

「じゃあ、散歩にでも行こうか」

 

 髪をさっとバンドでまとめて、部屋へと戻る。スカートの類はあるけれど、まあ、まだ違和感しかないのでパンツで良いだろう。上は…ゆるっとしたシャツでかまわないだろうか。服を併せて姿見の前ですっと立ってみれば、なるほど、何を着ても顔が良ければ似合うのかと納得がいく。

 

「アイドル。そう言われてみれば間違いなくそうだね」

 

 シャツとパンツでこれほどに様になるか。ショルダーバッグを併せてみても『こういうファッション』と言われれば、そうなのだなと思う。まぁ、自画自賛はこれまでにして、さっさと外に行くとしよう。

 

 

「写真ありがとうございます!大切にします!」

「いーよー。気を付けてね」

「はい!ありがとうございました!シービーさん!」

 

 犬も歩けば棒に当たる。ではないけれど、シービーが歩けばファンに当たるとはよく言ったものだ。繁華街で街の様子とかを見ながらコーヒーでも飲もうかと思った私の考えは少し甘かった、と言わざるを得まい。例えばそれは、コーヒースタンドの前を通った時の事。

 

「シービーちゃん。CM見たよー。相変わらず美人さんだねぇ」

「ありがと。でも、褒めても何も出ないよ?」

「あっはっは!会えたことが褒美だよ!ほら、好きな珈琲、どれでも入れてあげるよ」

「あはは、ありがと」

 

 お言葉に甘えて、ということで、オリジナルのコーヒーを1つテイクアウト。手を上げて礼を言えば、あちらも笑顔を返してくれた。かと思えば、今度はケバブ屋のあんちゃんに声をかけられたりと、この世界の私は人気者である。

 

「これで私はまだデビューもしていないのか。うーん、何かちょっと違和感があるけれどね」

 

 でも、もらえるものは貰っておく。ということで、頂いたコーヒーとケバブを片手に街中の公園で一休み。ケバブは鶏肉でさっぱりと食べれるし、コーヒーは良い香りで心を満たしてくれる。

 

「美味しい。それにしても。うーん…もしかして、私が中に入ったせいで、いろいろと世界が書き換わった?」

 

 その可能性はあるのかな。デビュー前でこの人気というのも本当に違和感しかないところだ。あ、いや、ナイスネイチャという例や、ハルウララという例もあるから、一概には言えないが。うーん、誰か説明してくれる便利な人間などは居ないよねー。考えるのは諦めようと降参を頭の中で告げる。

 

「考えても仕方がない。ケーセラセラー」

 

 などと適当な鼻歌を奏でながら、残ったコーヒーをぐいっと煽り、視線を周囲へと回す。昼間の休みの公園だ。親子連れもいれば、一人でのんびりと私みたいにすごす人もいれば、掛け声を併せながら何かの練習をする人々やウマ娘の姿が見て取れた。

 

 

 散歩を続けていると、以前ルドルフが言っていたウマ娘の服のブランド、『ソメス』の店舗の前に差し掛かっていた。

 

「あ、これか」

 

 私のバイクのジャケットもここのデザインだということだ。確かに着やすくて、すごくいいものという事は判る。よくよく外からディスプレイを見てみれば、ブーツや蹄鉄といったウマ娘の用品が並び、勝負服をイメージした服、つまりはゲーム中のモブウマ娘が来ていたような勝負服や、見たことのあるステージ衣装などもそこには飾られていた。

 

「へぇ。こういうメーカーが服を作っているんだね。一回入ってみようかな」

 

 自然と体が入口へと吸い込まれていく。自動ドアを潜れば、威勢の良い、しかし、落ち着いた店員さんの声と、クラシック音楽で出迎えられた。

 

「いらっしゃいませ。ミスターシービー様。今日は、どのようなご入用でしょうか」

 

 さっと声を掛けて来たのは、千明と書かれたネームプレートが眩しい老紳士。

 

「こんにちは。残念だけど特に用は無いんだ。近くを通ったから寄ってみようかなって」

「左様でしたか」

「あ、それと、以前作っていただいたバイク用のジャケット。すごく良いですよ。すっかりお気に入りです」

 

 私がそう告げれば、千明さんは嬉しそうな笑みを浮かべてくれていた。

 

「それはそれは。ミスターシービー様にそういって頂けると、我々共も鼻が高いです。それでは、どうぞごゆるりと店内をご覧くださいませ」

「ありがと」

「何かありましたら、ご遠慮なくお声がけを」

 

 承知の意味を込めて首を縦に振れば、千明さんはすっと、私の前から身を引いていた。うん、このお店、なかなか敷居が高そうだなと思う。けれど不思議と居心地がいい。改めて店内を見渡してみれば、壁や天井は木目調で安心感を与えてくれている。調度品やディスプレイ用の棚はアンティークだろうか。良い色合いだ。そこに、ウマ娘用の用品が引き立つように程よい間隔で置かれている。

 

「へぇ。蹄鉄も種類が多いね」

 

 材質だけでも数種類。厚みや形で更に数種類。合皮底用、ゴム底用、本革用、そういった文言も並んでいる。その棚から少し進めば、今度はウマ娘のブーツ類が並んでいる。運動靴もあれば、デッキシューズやスニーカー、ハイカット、ブーツ、ハイヒール、編み上げなどの靴もそこには鎮座している。試しにその一つを手に取ってみれば、何やら説明書きが書かれているタグが目に入る。

 

「なになに。普段履きにもお勧めの一足。牛革を使用しているため使い込むほどに飴色の色合い。蹄鉄は鉄半月1番、鉄柿本1・2番がお勧め。普段履きなら不要です、か」

 

 他の靴も手に取ってみてみれば、そういう文言が並ぶ。お値段はどんなものだろうとみてみれば、うん。人間用に比べると倍か、それ以上のお値段だ。やはり、相当な速度で走るウマ娘の靴は、頑丈に作られているからだろうか。結構お高めである。

 

「なるほどねー。いいものはやっぱりいいお値段がするものだね」

 

 更に奥を見てみれば、パンツ、スカート、シャツなどが並び、更に奥には、表から見えないよう下着類が置かれていた。ま、ここら辺は暫くは不要だろう。家にまだまだ物はあるしね。そうやって店を見て回るうちに、少し肌色の違う蹄鉄が置いてあることに気が付いた。

 

「ねぇ千明さん、この蹄鉄って何?」

 

 こちらを見ていた千明さんに、蹄鉄を指さしながら問うてみれば、ああ、という顔を見せながら、此方に歩み寄ってくれる。

 

「こちらは接着剤を使って靴に取り付ける蹄鉄ですね。新しい技術になりますので、まだレースで使えるほどの安定感は無いのですが、靴を傷めにくく、それでいてズレにくい特性を持っています。接着剤の種類によっては緩衝材の役割をするものもあるため、足への負担を軽減させる効果も見込めます」

「へぇ…いいね、それ」

「お試しになられますか?」

 

 間髪入れずに頷けば、早速と言わんばかりに店の奥から、2足の靴が私の前に置かれていた。どれどれと、まずは普通の蹄鉄の靴を履く。…うん、普段通りの靴だ。軽くジャンプをしてみても、いつも練習で履いているそれとなんら変わりがない。

 

「普通だね」

 

 そう言いながら、今度は接着剤で付けられた蹄鉄の靴へと履き替えた。すると、明らかに地面を捉える感じが違う。ダイレクト感が増しているというか。ジャンプをしてみれば、なるほど、普通の蹄鉄よりもしっかりと地面の感じが伝わって来る。これが、『ズレ無い』という感覚なのだろう。しかも少し衝撃も柔らかだ。

 

「いかがでしょう?」

「これ、靴は同じ?」

「ええ。同じモデルの同じサイズです。変わったのは蹄鉄の接着方法だけ、となっております」

 

 なるほどなるほど。同じものでここまで変わるのなら、間違いなくこの蹄鉄のお陰と言うものなのだろう。それなら、試しに一つ買ってみよう。

 

「うん。接着剤の方がいいかも。ねぇ、今私が履いている靴の蹄鉄の打ち替えってここで出来る?気に入ったから接着剤の蹄鉄にしてみたいんだけど」

「いえ。申し訳ないのですが、ここでは接着剤タイプの蹄鉄の打ち替えは行っておりません。お預かりしまして、数日お時間を頂く形になります」

「そうなんだ」

 

 それは残念、と両手を上げる。ただ、この接着剤でつける蹄鉄は気に入った。

 

「ですが、トレセン学園でも打ち替えは可能かと思います」

「そうなの?それなら、蹄鉄と接着剤を頂けるかな」

「畏まりました。材質や種類はいかがいたしましょうか」

「うーん…あんまり詳しくないから、お任せしてもいい?」

「畏まりました。それでは、少々お待ちくださいませ」

 

 綺麗なお辞儀をして店の奥へと去っていく千明さんを見送りながら、私はルドルフへとメッセージを送っていた。

 



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接着剤

「練習終わりのタバコはやっぱり旨い」

 

 屋上でパイプを加えながらそう呟けば、優しい風が頬を撫でていく。夕日は街を、トレセンを赤く染め、練習を続けるウマ娘たちを情緒の葛中へと取り込んでいくようだ。

 

「とは言え学園の真ん中でタバコを吸うのはどうなんだろうとは我ながら思うけれど、タバコが美味しいのが悪い」

 

 うんうんと頷いて、パイプから口を離す。そして、ドリップのコーヒー。お気に入りの猫のイラスト入りのマグカップに入った、芳醇な闇を煽る。苦味の中にどこか甘い香り。しかもシトラスのような柑橘の香りも鼻から抜けていく。

 

「そういえば蹄鉄の打ち替えは終わってるかな?」

 

 例の接着剤タイプの蹄鉄の打ち替え。ルドルフに相談してみれば、まぁできないこともない。とのことで職人さんに早速お願いをした形だ。本来は自分で打ち替えるらしいんだけど、私にそんな技術があるはずもないしね。

 

「私の蹄鉄、どう? と」

 

 口に出しながら、ウマホでLANEをルドルフに送る。おっといけない、パイプの火が消えてしまう。さっと口に咥えて息を吹き込む。うん、なんとか間に合ったようだ。煙がパイプから吐き出された。消えないように、軽く啜り、軽く空気を押す。すると、同じタイミングでLANEの通知音がウマホから流れる。

 

「なになに?―先程生徒会室に届けられた。都合のいいときに持っていこうか?―か」

 

 おお。打ち替え完了と来たものか。じゃあ、早速取りに行こう。

 

「―いいや、今から行く―と。よし、まぁ…タバコはここに置いてきゃいいか」

 

 紙巻と違って燃え尽きることはないしね。コーンパイプを赤い吸殻入れの上にポンと置いて、私は早速、生徒会室に足を向けた。

 

 

 ターフを蹴る感触は十分に良い。脚にかかる負担も間違いなく蹄鉄よりは少ないだろう。軽快に、軽く流すようにターフを周れば、ゴールに待っていたのはこの接着剤を持ち込んだミスターシービーそのウマ娘だった。

 

「どう?ルドルフ。結構良い感じじゃない?」

 

 記憶が無いという彼女であるが、やはり、声と言い仕草と言い、こういうものをいきなり持ち込んで来る様と言い、彼女そのものだなぁと感心する。

 

「ああ。悪くはない。感触も良ければ確かに負担も少ないな。だが…」

 

 そう言って蹄鉄を見せてやれば、シービーは残念そうに両手を上に上げていた。

 

「ありゃ。一周で剥がれかけちゃったんだ」

「ああ。君が一周走って、私が一周。2周で端の接着剤がダメになっているな」

「本当だね。うーん、千明さんの言っていた通り、レースでは使え無さそうだ」

 

 千明さんというのは、シービーが知り合った店員の名前らしい。その店員に紹介されたこの蹄鉄。物は良いが、耐久性に難ありであることは火を見るよりも明らかだろう。

 

「しかし、足への負担が少ないのは事実だ。足を痛めたウマ娘に対して、リハビリ用の蹄鉄として使うのはありかもしれないな」

 

 ウマ娘は人よりも頑丈だ。だが、頑丈だが弱い所もある。それは例えば人では起こりえない筋肉の炎症などの疾患や、強い足腰故の故障といったものがある。細かいところで言えば、足の爪もそうだ。そういった故障を抱えるウマ娘の治療やリハビリには使えるだろう。

 

「そうだね。ああ、ルドルフ。今度時間のある時でいいんだけどさ、蹄鉄の打ち方教えてもらえない?」

「ん?打ち方?」

「うん。そこら辺の記憶も無くてさー。なんだか皆自分でメンテナンスしてるじゃない?職人に任せても良いんだけど、ちょっとね」

 

 恥ずかしそうに頬をかきながら、彼女はそんな事を口にしていた。その姿に、少し苦笑を浮かべてしまう。まぁ、いいだろう。

 

「構わないよ。では、そうだな。今度の休み。君のスケジュールが開いている時に教えてやる」

「本当かい?助かるよ」

 

 屈託のない笑みを浮かべるシービー。それにしても、彼女の記憶はいつ戻るのだろうか。戻る気配は今の所全くない。学園長やたづなさんも逐一私に確認してくるあたり、相当気にしているのだろう。ただ、それと同時に男の記憶の有用さにも目を見張るものがある。

 

「それにしても、よく接着剤など見つけて来たな?」

「ん?なんだかピンと来てさ。良さそうだなーって」

 

 以前の彼女であれば、道具については比較的無頓着であったはずなのだ。拘りがない、というわけでは無いが、何よりも楽しさが第一というウマ娘であったはず。しかし、今回の件は間違いなく男性の記憶の賜物なのだろうと思う。



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歌と踊りと撮影と

「Make debut!。決定稿。センター振り付けデモ映像」

 

 多数のカメラと、スピーカー、そしてライトに照らされたステージ。プリウスの中で聞いた音源を頭の中でリフレインさせながら、その時を待つ。

 

「演者、ミスターシービー。音源、URAデモテープ決定稿A。準備をお願いします」

 

 その言葉を聞きながら、目を閉じて、胸の前に両手をやり、組んで、ポーズと表情を作る。そして軽く頷けば、監督や、スタッフらも軽く頷いた。

 

「それでは音楽まで、3、2、1」

 

 カウントと共に、頭の中でスイッチが入る。ほほ笑みを浮かべて、一歩前に踏み出した。

 

 

『響けファンファーレ 届けゴールまで 輝く未来を君と見たいから』

 

 出来上がった映像を見て、うん、まぁまぁいいんじゃないのー?と頷いていた。たづなさんやルドルフの特訓の甲斐はあったと言えるだろう。実際、考えてみれば楽曲については男の時には既に覚えていたものだし、それにこの体は運動神経が良い。教えてもらえば、なんとかなるというのが道理ではあるだろう。

 

「お疲れ様です。ミスターシービーさん、タオルと飲み物です」

「ありがと。どうだった?私の踊りと歌は」

 

 差し入れをくれたスタッフの感触を聞いてみる。私の出来た!という予感が間違ってなければいいのだけど。

 

「最高でしたよ!『いつでも近くにあるから』と歌う所の耳の動きとか、あとは手のスナップとか、見ててものすごくよかったですよ」

「そう?ちょっとアドリブいれてみたんだけど、良かった?」

「はい!監督も採用!って叫んでましたからね。あと落ちサビもですね。あの切なそうな表情と手の動きは流石です」

「あははは。ありがとう」

 

 実の所、決定稿と呼ばれたダンスの振り付けは、私の知るメイクデビューとは少し違う物だった。耳の動きとか、表情とか。メイクデビューだから基本は笑顔で、なんていう文言も書かれていたぐらいだ。ただ、実際、メイクデビューと言えば酸いも甘いも知る大切なレースである。ならばと、直前に色々やり取りした甲斐があったというものだ。

 

「じゃあ、撮り直しは無さそう?」

「いえ、実は何か所か撮り直しと言うか、アップが欲しいとのことで」

「アップ?」

 

 疑問を浮かべれば、スタッフは判りやすいように説明をしてくれた。

 

「ええ、今回の映像は教材にもなりますから、手の動き、ステップ、あと表情の抜きを別個で見れるようにという感じですね」

 

 なるほど、教材としてか。まぁ、体力的には一切問題は無い。多少汗をかいてしまっているけれど、練習よりは全然軽いというものだ。

 

「ああ、なるほどねー。判ったよー。動きは今回と一緒で大丈夫?」

「はい!それでお願いします。準備が出来ましたら、またお声がけしますので、それまで休憩していてください!」

「わかったよー」

 

 手をひらひらとさせれば、スタッフは私の元から去っていった。手渡されたタオルで汗を拭きながらドリンクを流し込めば、火照った体には丁度いい水分補給だ。

 

「お疲れ様です。シービーさん。本当にダンスが上手になられましたね」

「お疲れ様、たづなさん。いやいや、たづなさんのお陰だよ。判りやすく教えてもらったもの。恥をかかずに済んだよ」

 

 入れ替わるようにやってきたのは、学園の出来る秘書、緑のたづなさんである。

 

「恥をかく、なんてとんでもないダンスでしたよ。可愛さが前面に押し出た、素晴らしいダンスでした」

「あはは、ありがとう。そう言って貰えると有難いよ」

 

 可愛さが前面に押し出た、と来たか。まぁ、確かに思い浮かべていたのはまさにゲーム中のメイクデビューのPVそのものだ。スペちゃん、テイオー、スズカが並ぶアレを思い浮かべながら踊ったわけなので、そりゃあ可愛くなけりゃ嘘だろう。…とはいえ、ミスターシービーとしてはもう少しカッコいい方がよかったんじゃないか?という気がしないでもない。

 

「で、たづなさん。どうかな。私はなんとかやっていけそう?」

 

 不安な点を聞いておこうと、他人には聞こえないように小さく、そう尋ねてみればたづなさんは笑顔を見せて頷いてくれた。

 

「はい。今日のご様子なら、自信をもって送り出せます」

「そっか、よかったよかった」

 

 太鼓判も貰った所で、ふうと大きくため息を吐いた。というか今日は煙草もバイクも封印しているのだ。私としては真面目にやっているのだから、太鼓判ぐらいは貰わないと。などとしっかり調子に乗っておくこととしよう。

 

「ミスターシービーさん!準備整いましたー!こちらによろしくお願いします!」

「はーい。じゃ、行ってきます。たづなさん」

「はい。お気をつけて」

 

 ひらひらと手を振りながら、カメラの前で再びポーズをとった。今度はどうやら足元のアップらしい。まぁ、気負わずに、でもしっかりと役を成し遂げるとしよう。

 

 

『ミスターシービーさんお疲れ様でした!本日はこれでアップです!出来上がった映像は、いの一番でお届けいたしますので!またよろしくお願いいたしますねー!』

 

 という元気な監督とスタッフの声に見送られて私は、たづなさんと共にスタジオを後にする。結局半日ほどの缶詰で、撮った本数は10本はくだらないであろう。全身の固定カメラから、想定しうるカメラアングルの動き、手先、足先、腰回り、表情などなど、なかなかヘビーな一日であった。

 

「お疲れ様です。シービーさん。お見事でした」

「たづなさんもお疲れ様。付き合って貰って助かったよ」

 

 実際、スケジュールの管理やあいさつ回りをたづなさんに行って貰ったから今日は非常に負担が少なかった。今後もしばらくはたづなさんが秘書のように動いてくれるとかで、個人的に非常に心強い反面、本当にそこまで迷惑をかけていいのかなぁという気持ちも沸き上がる。

 

「お気になさらずに。シービーさんが一番大変でしょうから」

 

 そう言って貰えると本当に有難い。ならばと、一つ提案を彼女に投げてみる。

 

「ありがとうございます。お礼と言ってはなんですが、学園まで車でお送りさせて頂きますよ」

「あら、よろしいんですか?」

「ええ。確か今日は電車でしたよね?帰る方向もそんなに変わりませんから」

「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 笑顔のたづなさんを私の車にエスコート。スタジオのほぼ真横の時間貸し駐車場に停めてある、私のプリウスの元へと2人で歩き、乗り込んだ。

 

「今日はバイクではないんですね?」

 

 助手席に乗ったたづなさんは、シートベルトを締めながらそう不思議がっていた。まぁ、なんというか。

 

「真面目にやるときは車と決めているんです。バイクは趣味ですから」

 

 ついでに煙草もそれだ。ここぞという時は吸わないことと決めている。判りやすく言えば暗示みたいなもので、朝からバイクと煙草は断ち切るのが男の時、キメに行くときの決意だった。そう言う意味では、今日は人生、というかウマ娘生を決める一大イベントだったわけだし、間違っては無いと思う。

 

「そうなんですね。そういえば、今日は煙草もお吸いではない、ですよね?」

「ええ。よくお気づきになられましたね?」

「車に煙草の香りがついていませんので」

 

 なるほどなるほど。香りで気づかれたか。まぁ、それはそれとして、私もシートベルトをしっかりと付けてから、ブレーキを踏んでスタートボタンをさっと押し込む。星が流れるような起動音が流れて、メインパネルが立ちあがる。

 

『ETCカードが挿入されていません』

 

 機械音の後に、オーディオに火が入る。スマホと連動させたそれから流れて来たのは、今日、私が歌って踊ったメイクデビューであった。それをBGMに駐車場から車を出す。

 

「メイクデビュー。お車でもお聞きになっていたのですか?」

「はい。ダンスのイメージと、歌い方。しっかりと頭にいれないといけませんからね」

 

 そう言いながら、大通りへと車を走らせてさっと流れに乗った。軽いモーター音と、タイヤノイズが耳に入る。ちらりとたづなさんを見れば、こちらを見ながらなぜか微笑んでいた。

 

「たづなさん?どうかされました?」

 

 思わずそう聞いてみれば、はっとした顔を見せて、苦笑をこちらに向けてきていた。

 

「いいえ。その、失礼ながら、もう少し不真面目な方かと」

「え?そんな風に見られてました?」

「記憶が無い上に、男性とお聞きしていますから、余計にそう思っていました。ですが、普段の練習もそうですが、今日のダンスといい、このお車といい。しっかりと公私を分けられる方なのだなと感じましたので」

 

 あー…まぁ、なんとなくそれは判る。煙草をすってバイクに乗って。確かに不真面目の極みといってもいいかもしれないね。でも、男の時もそうだったけれど、やる時はやるんですよ?と意味を込めて、軽く笑みを向けて置く。

 

「まぁ、男の記憶の中でも私はこうやって公私を分けていましたから。ああ、だからその、煙草を吸っているからといって不真面目ではないんですよ?」

「ふふ。判っています。それに、学園でもしっかりと場所を守って喫煙していただいているので、そこまで不真面目ではないと認識していますよ。私も、学園長も」

「それなら安心です。あー…ただ、たづなさん。一つお聞きしたいのですが」

「なんでしょうか?」

 

 喫煙者で唯一の心配といえば、これしかないだろう。

 

「煙草、苦情とか来てませんかね?」

 

 まれにあるのだ。喫煙所を設けたけれど、ルールを守っているにもかかわらず苦情が来るパターンが。特に今回は学園内なので、もし苦情が来ていた場合は身を引かねばなるまい。そう心配していたのだが、たづなさんの表情は特に変わらなかった。

 

「今のところは無いですね。ただ、時折バニラの香りがするーという声は聴きますが」

 

 なるほど、フレーバーの香りだけか。

 

「ああー…まぁ、そのぐらいなら安心です。もし、苦情が来た場合はすぐに教えてください。ちょっと考えます。―ああ、それと、この間教えていただいたスキンケアなんですけれど、すごくいいですね。肌がプルンとします」

「早速やっていただいているんですね!そうでしょう、そうでしょう。本当にシービーさんは元がいいですから。少なくとも、お教えしたものだけは続けていってくださいね?」

 

 たづなさんは前のめりでそう私に詰め寄ってきていた。少し顔も怖い。私は勢いよく頷いていた。

 

「判ってますよ。たづなさん。ああ、それと、もしよろしければ今度、眉の整え方を教えて欲しいんですけれど」

「あら、もちろん。私で良ければいくらでもお教えさせていただきますよ」

 

 笑顔でうなづくたづなさんである。うん、しかし、隣に座って、こうも近くで顔を見ると彼女も相当な美人さんである。ウマ娘…という噂もアプリとかではあったよなぁ、確定はされていなかったけれど。緑のスーツということで、本来の私であるミスターシービーの勝負服とどこか親近感を覚えながら、私はたづなさんとの短い、学園へのドライブを楽しんでいた。

 



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らしさ

 目の前に置かれたメトロノームを目で追いながら、120の拍数を体になじませる。タンタンタンタン。胡坐をかいて、右手の人差し指を膝に置き、人差し指でトントンと。

 

「うん、とりあえず120は大丈夫かなー。あとは100と180ぐらいもやっておこうか」

 

 メトロノームの重りを動かして、今度は遅いテンポを体に刻む。撮影の時メイクデビューは上手く踊れたが、あれはたづなさんとルドルフの指導のおかげだ。私の体が元に戻らない雰囲気が漂い始めた今、地道に地力をつけて行かねばなるまいよ。

 

「これでも元々大人だからねー。自分で責任を取れるからこそ大人なのだーなんて…いや、戻れたほうがそりゃあいいんだけどね?」

 

 一人ぐちりながら、ビートを体に刻む。100だと結構ゆったりといった感じであるから、ウマ娘の楽曲だと…なかなか珍しいかもしれない。180だとメイクデビューやらうまぴょいやらがあるから…そっちを練習しておこうか?メトロノームの重りを下げて、180近くでリズムを刻ませる。

 

「うん。なんだか聞き慣れた感じだね。どーきどきどきどき…っと」

「ふぅん?聞き慣れない鼻歌だねぇ…?」

 

 ん?と思って首を向けてみれば、そこに居たのはマッドなウマ娘、タキオンさんだった。え?なんで今そこにいるの君?

 

「げっ。アグネスタキオン」

 

 思わず声が出てしまった。タキオンは一瞬驚いた顔を此方に向けたが、にやりと表情を変えた。

 

「おやおやおや、ずいぶんとひどいリアクションをしてくれるじゃないか!ミスターシービー!」

 

 ばっと大きく手を広げて、唯我独尊といった雰囲気漂うアグネスタキオン。っていうか、君、私の名前を知っているのか。…まぁ、有名人ではあるからなぁ。

 

「それに私とキミは初対面のはずだろう?げっ、とはなんだ、げっ、とは!あまりにも失礼じゃないか?そうは思わないか!?」

「いやぁ、君の噂を聞いているとねー…。個人的には関わりたくないなーって」

「それはそれは。そこまで言われちゃ仕方がない。じゃあ今回は大人しく引いておくとも。今度、今のメロディについて教えてくれ給えよー!」

「はいはい。またね」

 

 嵐のように過ぎ去っていったアグネスタキオン。妙な縁が出来たなぁなどと思いながらも、再び180のビートを刻み始めれば、今度は見慣れたウマ娘がこちらにやってきた。

 

「お疲れ様です。シービーさん!」

 

 笑顔眩しいカツラギエースそのウマ娘だった。うん。タキオンと違って何か安心感があるねー。

 

「カツラギ。お疲れ様。授業終わり?」

「はい!これからダンスレッスンです!シービーさんは?」

 

 ずずいっと顔をこちらに寄せて来るカツラギ。軽く手で制しながら、今やっていることを教える。

 

「私は自主練。リズムを体に染みこませようと思ってさ」

「リズム?」

「うん。ステージ上で流れる音楽を聴きながらステージに立つのも良いんだけどさ、なるべく自分の中でリズムを持っておきたいなってね。ファンに向けては完璧を見せたいじゃない?」

 

 やるからにはどこまでも完璧に。性別や仕事は違えど、プロなのだ。私達は。ファンがいる限り、しかりとした姿を見せないとね。

 

「確かに!すごいです、シービーさん!」

 

 私の気持ちが伝わったのか、ふんす、と鼻息荒くカツラギは頷いてくれた。

 

「あはは。ありがと。っていうか、私にかまってていいのかい?」

「あ、いけない!それじゃあ、また後で」

「うん。また後でねー」

 

 カツラギの背中を送りながら、頭の中でリズムを刻む。タン、タン、タン、タン。うまぴょいのリズムを思い浮かべて…。っていうか、さっきのアグネスタキオンの反応…もしかしてまだうまぴょい伝説が生まれておいででない?

 

「そうか。メイクデビューだけでもついこの間決定稿だもんねー」

 

 そこまで言って気が付いた。ちょっと待てよ。となると…もしかして適当に鼻歌を歌うと、この世界にとっては新曲になる…んだろうなぁ。うーん…これは気をつけねばなるまいね。

 

 

 ダンスレッスンが終わったカツラギと共に、練習場を走る。芝…これ、ターフって言うのだね。そのターフを駆けながら、カツラギの横顔を見れば、これがまた良い顔で走っている。ウマ娘っていう奴は、本当に皆美しい。

 

「どうしました?」

「カツラギの綺麗な顔を見ていただけー」

「なんですかそれ…。もう、ちょっと先行きますよー!」

 

 顔を見ていたことがばれたか。カツラギは少しほほを赤くして、先に行ってしまう。はぐれまいと脚に力を入れて、ほんのりと加速をかけていく。夕闇に沈む空。涼しい風が非常に心地よさを私に運んできてくれる。

 

「まってよカツラギー」

「待ちませーん!」

 

 気が付けばお互いに徐々にペースが上がり、気が付けばまるでレースのような速さで追いかけ、追い抜きを繰り返していた。そしてそれを数回、数十回と繰り返した時、アナウンスが入る。

 

『自主練習中の皆さん、門限まで1時間を切りました。門限を破らぬように、気を付けて、練習を行いましょう』

 

 その声に、練習場にいたウマ娘達の脚が止まり、耳がピンと立つ。あと1時間ということはだ、食事を寮で取らないウマ娘にとっては着換えを含めればギリギリの時間。風呂は幸い寮にもあるから、自室で夕食を取るウマ娘や、私のように自宅があるウマ娘にとってはもう少し練習が出来る塩梅といったところである。

 

「あ、ではシービーさん。私はここらへんで失礼します」

「お、りょーかい。ご飯?」

「はい!」

 

 そうかそうかと頷けば、彼女は元気に校舎の方へと駆けだしていった。

 

「それではまた明日ー!」

「はーい、またねー!」

 

 手を振りながら彼女を見送る。他のウマ娘達の大部分も、やはり、校舎へと引き上げていった。気が付けば、練習場に残っているウマ娘はほとんどいない。

 

「…さあて。ちょっとやるかなー」

 

 手をパン!と合わせて、首を回す。腰を落として、気合を入れ直した。

 

「位置について…よーい…ドン!」

 

 腕を振り、腰を入れて、足を一気に振り上げて。体はカツラギとの練習で解れている。最初からラストスパートという奴だ。首を下げて一気にトップスピードに!

 

「あは、あははは、あーっはっはっはっは!」

 

 楽しい!全く、ウマ娘ってやつぁ最高だ!自分の脚でどこへでも行ける!車もバイクもなんも、なんにも要らない!こんな開放的で、素敵な存在だったなんて、本当に思いもしなかった!

 

「そぉーれ!」

 

 思いっきり加速を付けて、練習場を周る。カーブに突っ込んで行けば遠心力でふっとびそうになる体を、傾けて、そして足の推進力で前に前に!静かな空気に、ターフを蹴る足の音。タタタタタという音が私の耳に届く。カーブを抜けて、ストレッチへ体を向ければ、残りは僅か数百メートル。一気に全力をもって足を蹴りだせば、あっという間に…!

 

「ゴォールウ!あはははは!最っ高だねー!」

 

 両手を天に上げて思いっきり笑ってしまった。いやぁー、楽しい。楽しいねぇ!腰に手を当てて天を見上げれば、気持ちの良い、夕闇の空が私を出迎えてくれた。そこに光るは一番星。にかりと笑えば、星もキラリと光ったような気がしていた。



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ドーナツ

「や、ルドルフ。お疲れー」

 

 生徒会室に足を運んで見れば、そこにいたルドルフはメガネを掛けて、小難しそうな顔を浮かべていた。

 

「…お疲れ。シービーか。なにか用か?」

「なんにもー。差し入れのドーナツ。食べる?」

 

 右手に持った某大手チェーンのドーナツの箱。12個入り。ポンとかシュガーとかいろいろはいっているそれを掲げてみれば、やはりルドルフも女子であるからだろうか。その鼻がピクンと動いたことを見逃さない。

 

「興味はありそうだねー。じゃ、こっちのソファー借りるよー」

「許可は出していないのだが…」

「硬いこと言わないの。コーヒーでいい?」

 

 そう言うと、ルドルフは渋々と頷いていた。ふふふ、甘いものは誰でも好きなのよ。とりあえずは棚にあったインスタントのコーヒーを引っ張り出して、早速コップを出す。

 

「お湯はそっちの電気ポットに入っている。濃いめで頼むよ」

 

 間髪入れずに指示が飛ぶ。なんだ、許可は出していない、とか言いながら飲んで食う気満々じゃないか。笑顔で頷いて、濃い目にコーヒーを淹れた。そのままテーブルにカップを2つおいて、ドーナツの箱を開ければ、キャラメルやチョコ、シュガーやクリームのあまーい香りが生徒会室に漂い始める。

 

「さ、準備できたけど食べる?」

「…ちょっと待て、この書類が終わってからだ」

「りょーかい。じゃあ、ちょっと横にならせてもらうよー」

 

 ソファーがちょうど2人掛けなので、その肘置きに頭をおいて、軽く横になる。まぁ、コーヒーは少し冷めても問題はないさ。むしろルドルフと一緒に食べたいからね。軽くウマホで蹄鉄の情報を集めながら、のんびりと待つこと10分。人肌に冷めたコーヒーがこちらを羨ましげに睨んでいるような気がしてきたそのとき、ようやくルドルフが動いてくれた。

 

「…さて、では休憩を…ってシービー。キミ、はしたないぞ」

「お、終わったー?」

「ああ、いや、キミ…まぁ、みなまで言うまい。ほら、少し間を開けてくれないか?」

「んん?隣のソファーが開いているけど?」

 

 私がそう言うと、ルドルフは不機嫌目に私の上半身をぐいっと押して隙間を作っていた。すると、その間にルドルフはするりと体を滑り込ませる。

 

「おお?」

「シービー。何か不安なことでもあったんだろう?ほら、膝を貸してやる」

 

 あっという間に空いたソファーに座り、私の頭を自らの膝に乗せる早業。なんだ君は、イケメンか?

 

「イケメンだね。ずいぶん」

「君にだけだ。何だ、寝れないのか?それとも、学業でなにか不安でも?」

 

 いや、まぁ、たしかに前、君に甘えて寝たこともあったけれど、今回はそういうわけでもないんだが。

 

「いや、本当に純粋に差し入れだよ。いつもありがとうって意味を込めて」

「…そうだったか。早とちりをしてしまったな」

「まぁ、膝枕は心地よいけどね。しばらくこのままでもいい?」

「もちろんさ」

 

 下から見るルドフルの顔は本当にイケメンである。いやはや。眼福というやつだ。

 

「うん。コーヒーもこちらの言った通り濃いめで美味しい。ドーナツを頂いても?」

「どうぞどうぞ。好きなのを先に食べていいよ」

 

 ほう、と感心しながらルドルフは指を空中で遊ばせる。ポンにいきそうになったり、シュガーにいきそうになったり、チョコで戸惑ったり。そして、覚悟を決めたように彼女が手にしたのはエンゼルなフレンチ。なるほど、いい趣味をしているね。

 

「これを貰おう。君は?取ってあげるよ」

「じゃあ、もちもちのプレーンのやつ」

 

 ルドルフはその細い指で、ポンなリングを手渡してくれた。まぁ、流石に膝枕をされている状態でコーヒーを飲むわけにはいかない。ドーナツを口に運べば、もちっと甘い優しい感じ。うん。やっぱりドーナツは美味しいねぇと目をつむる。

 

「君は美味しそうに食べるな」

「だって美味しいもの。…ルドルフだってすごく美味しそうな顔をしているよ?」

「…そうか?」

 

 見上げたルドルフの顔を見てみれば、そこにあったのは優しい微笑み。なんだろうな。ゲーム中のキリっとした彼女のイメージから少し遠い、甘いものを美味しそうに食べる彼女の表情は、どこか、魅力的に見える。そんな彼女はコーヒーを一口飲むと、ふうとため息を付いていた。

 

「助かったよシービー。少々根をつめていてね。甘いものがこれほど美味しいとは思わなかった」

「そう?それならよかったよ。忙しいの?」

「ああ。そろそろデビューするウマ娘達も多いし、入学するウマ娘達の選別もしなければならない。更に、あまり面白い話ではないが去る者も選ばねばならないからね」

 

 生徒会長とはなかなか大変なようだ。そういえば、シングレだとオグリのスカウトとかもやってたし、ダービーへの直談判とかもしていたものなぁ。

 

「うわぁ。そりゃあ重責だね」

 

 思わずそう声が出てしまう。すると、彼女はにやりと悪そうな笑みを浮かべていた。

 

「よければ手伝うかい?君だったら、いい選別眼を持っていそうなのだけれど」

「いや、遠慮しとく。大変そうだもの」

「そう言うと思ったよ」

 

 ふふ、と苦笑を浮かべたルドルフは、あっという間にドーナツを食らい付くしてしまっていた。実はなかなかお腹も減っていたんだろうなぁ。ということで、私の食べていたポンなリングを彼女の口元にやってやる。

 

「ん?」

 

 疑問を浮かべたルドルフ。ま、そりゃあ他のドーナツもまだあるしね。

 

「足りないでしょ?それに、このモッチモチのやつ一つしか買ってなかったんだ。美味しいものはおすそ分けってね」

 

 オールドとか、フレンチとか、イーストとか、そういうものは買っていたんだけれど、このモッチモチのやつはこれしかない。そう伝えれば、彼女は私の手渡したドーナツを受け取ってくれていた。

 

「…うん。もちもちしていて美味しいな」

「でしょう?私のお気に入り」

「…でも、少し苦いかな」

 

 苦い?むむ。私が食べていたときは甘いばかりだったはずなのだけれどね?と、表情に出ていたのだろう。ルドルフは苦笑を浮かべていた。

 

「何。少々苦くて、バニラの香りがするというだけだよ」

 

 ああ、そういう。

 

「こりゃ失礼」

「別に、嫌いなわけではないさ。さて、じゃあ君は次、何を食べる?」

「じゃあ…」

 

 そうやってのんびりと過ごす一時。ルドルフの体温と、ドーナツの甘さ。これはまさに、心休まるひとときと言えるだろう。

 

 

 ドーナツを食らった後、私とルドルフは改めてテーブルを挟んでコーヒーを煽っていた。流石にあのままというわけにもいかない。小っ恥ずかしいからねー。

 

「それで、接着剤の蹄鉄の話だが」

 

 おお?その話が出るか。

 

「なにか進展でもあったの?」

「ああ。学園長に進言したところ、試験的にリハビリを行うウマ娘たちの蹄鉄に使用することになった。まぁ、強度がないからしばらくは筋トレやら柔軟トレーニングまでの使用に抑えるつもり、とのことだ」

 

 なるほどね。でも、たしかにあの蹄鉄ならば踏ん張りを効かせるときに普通の蹄鉄よりは足に負担はないであろう。

 

「ゆくゆくは、足が比較的弱いウマ娘達や、靴底を薄くしなければならないウマ娘たちのためにレースでも使えるようにする、とおっしゃっていたよ」

「靴底の薄い?」

 

 靴底の厚みかぁ。どういうことだろうか?

 

「ああ。そうだな。私の練習靴が…ああ、これだ。それで…こっちがエアグルーヴというウマ娘の練習靴。見てみろ」

 

 2つ手渡されたそれを見比べると、その差は一目瞭然だ。靴底の厚みがかなり違ったのだ。

 

「ウマ娘にとっては靴底というのは、パワーや走り方を支える大切な部分なんだ。ウマ娘によって千差万別といえるものでね。君のは、もっと薄いだろう?」

「…言われてみれば」

 

 確かに私の練習靴の底。思い出してみれば、この2足と比べれても更に薄い。

 

「これがな。薄ければ薄いほど足裏の感覚がダイレクトになるんだが、薄ければ薄いほど、蹄鉄を打ってしまうと靴底がだめになるまでの時間が早くなる。更には、靴底に蹄鉄を打つわけだから、厚みは最低限確保はしなくてはいけない、というデメリットがあってな」

「あー…そういう」

 

 なるほどねぇ。ウマ娘によって、良い靴底っていうのがあるわけだ。

 

「そして、そうなると、本来はもっと薄い靴底で走らなければならないウマ娘が、適性よりも厚い靴底で練習やレースに出ないといけなくなるわけだ。そうなると、合っていない靴底で無理な走りをするものだからね。どうしても、怪我や故障が多くなりやすい」

「なるほどなるほど。となると、その解決にこの接着剤が役に立つわけだね?」

 

 合点がいった。そうか。この靴底の厚みだけでも、ウマ娘にとっては生命線になるわけだからね。

 

「そうだ。蹄鉄が打てないほどの薄い靴底で、自らの最大のパフォーマンスが発揮できるウマ娘にとっては、この装蹄方法は希望の光となるだろうな。というわけで、学園とURAと、そしてメーカーが一丸となって、レースにも耐えられるようなものを開発する流れになったわけだ。これも君のおかげだよ。シービー」

 

 こちらの眼を見てそんなことを行ってくるルドルフ。よせやい、照れるじゃないか。

 

「あんまり大したことはしてないけどねー。気になったから持ってきただけだし。でも、それがウマ娘のためになるのなら、幸いかな」

 

 コーヒーを煽って、軽くごまかしておく。すると、ルドルフはもう一つ、と私に提案を投げてきた。

 

「ふふ。そうか。それで、実は君にも協力を願いたくてね」

「私に?」

 

 なんであろうか?と首をかしげれば、少し真面目な顔のルドルフが人差し指を立てる。

 

「ああ。学園としてのお願いは、接着剤方式の蹄鉄の広報をお願いしたい。まだ知名度がないからね。あとはメーカーからの要望で、普段から使ってもらってのデータが欲しいそうだ。受けてくれるか?」

 

 なるほど、そのぐらいのことか。それならばと首を縦に振る。

 

「もちろんいいよ。ウマ娘の今後のためになるのなら、いくらでも受けるよ」

「ありがとう。そうだな。礼は…また何か考えるさ」

 

 ルドルフはそう言いながら、笑顔を浮かべてコーヒーを煽っていた。



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憩いの場

「ふぅー」

 

 大きく息を吐くと、空に向かうはずの煙がテーブル型の分煙機に吸い込まれて行く。その煙をゆらりと眺めながら、再び、パイプの煙を口内に啜る。肺まで入れないのがパイプタバコの嗜みという奴だ。

 

「ふぅ」

 

 今度は鋭く息を吐いて、煙を直接分煙機にかけてやれば、これまた見事に煙を吸い込んでくれた。そして、チタンのダブルウォールマグカップに淹れてあるコーヒーを煽る。タバコのバニラフレーバーの香りがアクセントとなって、このコーヒーがまた進むわけだ。

 

「うーん、美味しいね。っていうかマルゼン。君は外に出てたほうがいいんじゃないの?」

 

 喫煙所の端、私が自分用に用意したリクライニングチェアに座りながらコーヒーを飲むのは、マルゼンスキー。彼女はタバコを吸わないわけなのだけど、よく、コーヒーをやりにここには現れている。

 

「問題ナッシング。その香り、私も好きだもの」

「そういう問題じゃなくない?副流煙とか」

 

 私がそう言うと、マルゼンスキーはあっけらかんと笑ってみせた。

 

「ウマ娘は毒に対する耐性が高いのよ?知らなかったでしょう?」

「そりゃあ初耳だ」

 

 そうだったのか。うーん…確かにアプリで見た記憶があるけれど…。っていうか、それならむしろこっちのほうが心配だ。

 

「むしろこの場にいて、マルゼンの体に入っちゃうタバコのニコチンが心配だよ。いや、喫煙所を作ってもらった手前色々いうのもなんだけどさー」

 

 そう。ニコチンだ。スポーツでもかなり禁止されている薬物の一つ。喫煙…確かスポーツでは喫煙はまだドーピングには当たらないはずだけどさ。

 

「そうねぇ。喫煙自体は禁止されているわけじゃないわ。ニコチンっていっても、喫煙の量程度だったらウマ娘だったらすぐに抜けてしまうでしょうね。でもね、喫煙は間違いなく運動のパフォーマンスを落とすものよ?ドーピング対象じゃないにしても、吸うウマ娘はいないわよ」

 

 そりゃあ道理でございます。思わず咥えていたパイプを外して、眺めてしまった。うーん。どうせ私もこれからレースを走るんだろうしなぁ。禁煙、考えるか?

 

「ま、シービーちゃんは喫煙が一つのストレス解消の道具なのでしょう?今のところ、という注釈がつくけれど、今はまだ禁止されているわけじゃないし、無理して辞める必要はないと思うわよ?」

「そう言ってくれるとありがたいね。マルゼン」

 

 改めてパイプを咥えて吹かしてみれば、バニラの香りが鼻の奥をほのかに突き始めていた。

 

 

 マルゼンの差し入れのシュークリームを頬張りながら、喫煙所の外でコーヒーを飲むこのひととき。顔面偏差値がものすごく高い彼女と対面になるというのは、なかなかテンションが上がるというもので。

 

「うん。シュークリームもコーヒーも美味しいし、マルゼンもキレイだし。言うことないねー」

 

 素直にそう感想を述べてしまうぐらいには、私の気持ちは昂ぶっていると言えよう。タバコのせいで誰も寄り付かないと思っていたのだけれど、案外、ルドルフとマルゼン、しかもたづなさんまで結構ここにやってきたりもする。その都度テンションが上ってしまうのは仕方がないことであろうか。

 

「あら。シービーちゃんったらお上手ね。でも、シービーちゃんも可愛いわよー」

 

 これは見事なカウンター。笑顔でそんなことを言われてしまえば、頭をかくぐらいのことしか出来ない。気の所為ではなく熱くなった頬を誤魔化そうと軽く手で顔を仰ぎながら、コーヒーを煽った。

 

「そういえばシービーちゃんはスカウトは受けていないのかしら?」

 

 スカウトか。そういえば、私が私になってからは受けてないな。首を横に降っておく。

 

「そう…。うーん。ここだけの話なんだけれど、あなたが…記憶を無くす前のシービーちゃんなら、毎日のようにスカウトを受けていたの」

「ん?そうだったの?」

「そうよ。引く手あまた、っていう言葉がピッタリなぐらいにね」

 

 そうか。結構私は、トレーナー目線でも人気のウマ娘であったらしい。とは言え、まぁ、スカウトされた記憶がないので実感はないけれどね。

 

「そうなんだ。でも、全然スカウトされた記憶がないよ?」

「不思議よねぇ…。練習する様とか、カツラギエースとかと並走する様なんかはシービーちゃんそのものだから、スカウトが多くても不思議じゃないのだけれど…」

 

 確かに不思議だ。以前ならば間違いなくスカウトを受けている状況。でも、今は受けていない。となれば…まぁ、答えは明白だろう。

 

「多分だけどマルゼン。私へのスカウトは、学園長からストップがかかってるんじゃない?」

 

 記憶の無くなったウマ娘。理由は言わずとも、例えば、体調不良で安定するまでは、スカウトをしないようにとトップが言えばトレーナーはそれに従うものだろう。

 

「なるほどねぇ。それなら辻褄も合うかしら。後でルドルフちゃんに聞いてみようかしら」

「もし答えを聞けたら私にも教えてほしいかな。何も言われないよりは、それなりの気持ちの準備もできるしさ」

 

 うん。我関せずもいいのだけれど、情報は得ておきたいというのも正直な気持ちである。

 

「判ったわ。聞けたらシービーちゃんにもしっかりと教えてあげるわね」

「ありがと、マルゼン。お礼にコーヒーをもう一杯どう?」

 

 空になったマグカップを指させば、笑顔で頷くマルゼンスキー。2杯目は、そうだなぁ。一杯目はキリマンジャロだったし、二杯目はステイゴールドあたりで良いだろうか。

 

 

 練習場に降り立って、早速、例の接着剤の蹄鉄を履いてから、軽くコースをダッシュする。

 

『当社比二倍の強度です』

 

 と自信を持って送り出されたわけなのだが、どれどれと八割ぐらいの力で駆け抜けていく。最初のコーナーの入りはよし。首を下げて、ぐぐっと加速をかけてみる感じもダイレクトで良し。

 

「そーれっ!」

 

 ストレッチに入って更に加速をかけてみたところで、違和感を覚えたのでスピードを落として靴を確認すれば、右の蹄鉄が剥がれかけていた。

 

「NGでーす!」

 

 苦笑を浮かべてそう告げてみれば、メーカーの人はがっくりと肩を落としていた。完全に剥がれたわけではないので、ジョギング程度の速度でコースを回って、メーカーの人に靴を手渡す。

 

「走った感じなどは如何でしたか?」

「グリップは最高だね。やっぱりダイレクト感があるし。でも、力をいれるとはいこの通り」

 

 プランと蹄鉄が剥がれかけている靴を目の前に見せてやる。蹄鉄のかかと側のほうから少し剥がれが見える。

 

「…うーん。まだまだ改良の余地ありですね」

「あはは。まぁ、まだ改良始めですから。長い目でがんばりましょう」

 

 私がそう告げれば、メーカーの人は気合の入った目でうなずいて、練習場を後にしていった。うん、でも改良はしっかりとなされているようだ。前は軽く流すだけで剥がれかけていたものが、結構な本気で走ってコーナーを一つ抜けてまでは間違いなくしっかりと蹄鉄の役割をしていたわけだしね。

 

「お疲れ様です。ミスターシービーさん。蹄鉄、どうでしたか?」

「お疲れ様です。たづなさん。そうだねー…。感触はいいけど、まだまだレースに関わるには時間がかかりそうかな」

 

 ぐっと背伸びをして、近づいてきていたたづなさんへと言葉を返しておく。

 

「左様ですか。本当に協力して頂いていますが…よろしいのですか?」

「ん?全然いいよ。興味もあるしね。それにダイレクト感がすごい好みなんだ。これでレースを走れれば最高かなーって」

 

 普通の蹄鉄よりもダイレクト感がある。これは、つまり、私にとっては走ったときの爽快感に繋がっているわけだ。っていうか、私の靴底もかなり薄い方であるから、きっと蹄鉄を打つと靴の寿命というのは短くなってしまうこと間違いなしだろうね。

 

「そうですか。シービーさんがそういうのなら。ああ、あと差し入れのタオルとドリンクです。どうぞお使いください」

 

 たづなさんはそう言いながら、スポーツドリンクのペッドボトルと、乾いたタオルを渡してくれる。これは有り難いと、笑顔で受け取る。

 

「わ、ありがと。ちょうど喉が乾いていたんだ。気が利くね、たづなさん。流石できる秘書ですねー」

 

 たづなさんは笑顔を浮かべてくれる。うん。やはり、顔面偏差値が高い。

 

「褒めても何も出ませんよ?それでは、お邪魔でしょうから。私はこれで失礼しますね」

「はーい。ありがとねー」

 

 手をひらひらとさせれば、たづなさんはきれいなお辞儀を返してくれた。スポーツドリンクを早速喉に通してみれば、体の熱がさっと引いていくようだった。

 

「さて、たづなさんの差し入れも頂いたことだし。普通の蹄鉄で練習をしますかねー!」

 

 靴を履き替えて感触を確かめる。うん、いつもの蹄鉄の接地感だ。ぐっぐっと足の健を伸ばしてから、軽く、飛ぶように、ターフへと足を進めていた。

 

 …というか、走り出して気づいたのだけれど、接着剤の薄い靴底の練習靴を履いた後に、この普通の蹄鉄を履いていると何か少し…足の先の爪あたりに違和感があるから、もしかしたら私の適正靴底厚というのは、もっと薄いのかもね。無理をしないように、ちょっと気をつけて走っていこうかな。



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トレーナー、屋上での一幕

「ミスターシービー。自由奔放であり、竹を割ったような性格。脚質は追い込み。すでに歌手・モデルとして大活躍をしているため一般人、ウマ娘からの人気は高い。実力はすでにメイクデビューのそれではない、と」

 

 飴を咥えたトレーナーがそう呟けば、目の前にいる学園長はニヤリと笑う。

 

「左様!スピカのトレーナーである君に、ぜひ彼女のことを任せたい!」

「…構いませんが、なぜ私に?チームリギルの方が彼女にとっては良いのでは?」

「何、自由を愛する彼女を任せられるのは君しかいない、と思っただけのこと!無論、無理にとは言わない。協力してくれれば有り難い!という話だ!」

 

 なるほどとトレーナーは納得の表情を浮かべていた。リギルはたしかに実力が上位であり、練習法やノウハウは間違いのないものだ。だが、自由かと言われれば決してそうではない。そういう意味では、自分以外の適任も居ないであろう。

 

「かしこまりました。とは言え、まずは話を聞いて、チームに入るかどうか、そもそもがチームに入る気があるのかどうか。すり合わせを行いたいですね」

「うむ。それで構わない。無理やり、というのは我々にとっても、彼女にとっても求めるものではないからな!」

 

 学園長は満足げに頷いていた。が、トレーナーは若干困惑の表情を浮かべるばかり。とは言え依頼は依頼である。まずは噂のウマ娘の観察からだと、彼は学園長室を後にした。

 

 

「シービーちゃん。聞いてきたわよ。あなたの話」

 

 筋トレを一緒にしていたマルゼンから、唐突にそんな話を振られていた。

 

「私の?なんだっけ」

「ほら、スカウトされない云々の話よ。前、喫煙所で話していた」

 

 ああ、と頷く。あれから数日しか経っていないのだけれど、このあたりのコミュニケーション能力の高さは流石マルゼンと言ったところだろう。

 

「それで、何か言ってた?」

「ええ。やっぱり止めてるって。記憶がないあなたにトレーナーを付けても不安になるだけでしょうからって」

 

 やっぱり。まぁ、そうじゃなければ、引く手あまただったウマ娘が、急に閑古鳥になるなんてことはないであろう。まぁ、有り難いけれどね。記憶がないのに、一緒に頑張ろう!とか言われても正直迷惑な話だ。ようやく私がウマ娘であって、ミスターシービーであると受け入れてきたというのに。これ以上の刺激はまだ待ってほしいところ。

 

「それは有り難いねー」

 

 そう言いながら、引き続き筋トレ…これはレッグカールというものを行う。正直な話、こんな筋トレもそんなにしたことなかったんだけど、体には染み付いているようで、不思議とやり方が分かるというものだ。五〇キロの重りを軽々と挙げれてしまうこの身体能力にも驚きである。

 

「そう言えばマルゼン。君はデビューしているけれどさ。トレーナーはどうやって決めたの?」

 

 片手に二〇キロのダンベルを持ち、軽々と上下させるマルゼンにそう聞いてみれば、うーん、と少し困ったような表情を浮かべていた。

 

「そうねぇ…色々あるのだけれど、『楽しそうに走るなぁと思って見入ってたんだ』っていう言葉をくれたから、かしら」

「言葉?」

「そ。他のトレーナーが『どんなレースにでも勝てる』とか、『栄光を一緒に掴もう!』とアピールしてくる…『私の速さ』だけを見ていた中で、トレーナーくんだけが『私』を見てくれていた、と言い換えてもいいかもしれないわね」

 

 なるほどなぁ…。というか、なんだろうか。

 

「君も結構ロマンチストなんだね、マルゼン」

「あら?シービーちゃんがそんなこと言っちゃう?」

 

 ウインクをしながら私にそんなことを行ってくるマルゼン。む?私はそんなにロマンチストではないと思うのだけれどね?表情に出ていたのだろうか。ふふふと、マルゼンは私を見ながらなぜか、優しげなほほえみを浮かべていた。

 

 

 喫煙所と言う、屋上に私一人のために作られた憩いの場。そこを後にして、屋上の手すりにもたれかかる。すると、目の前に広がったのはトレセン学園の広大な土地だ。

 

 眼下に広がる広大な芝とダートのコースに、少し遠くに見えるウマ娘達の寮。プールもあれば、室内練習場も完備している。ああ、あそこにはカツラギがいる。マルゼンはトレーナーとダートトレーニング中か。ルドルフは…ん?ああ、エアグルーヴとナリタブライアンとともに何かやっているね。

 

「おー、やってるやってる。精が出るね」

 

 どのコースを見ても、ウマ娘達が研鑽を積み、その実力を高めている。あるところでは、ダンスの練習をしているし、あるところではトレーナーとレクリエーションを行っている。いやはや、青春だね。

 

「やってるやってるってお前なぁ。お前もウマ娘だろう?」

 

「いやいや、私は煙草を吸ってるただの不良だよ。どこぞのトレーナーさん?」

 

 両の手を上げて、参ったの格好をしながら振り向いてみれば、そこに立っていたのは一人のトレーナーであった。黄色のシャツに黒っぽいベスト。口に咥えているのはタバコじゃなくて、多分飴かな?私の男としての記憶の中で、一人だけそれに合致するトレーナーがいる。間違いなければ、彼なのであろうか。

 

「それで、どこぞのトレーナーさんは、こんな私に何の用?」

 

 ここは煙草の香りで、一部のウマ娘を除いて、基本的にウマ娘は寄りつきゃしない。トレーナーも、ウマ娘が居なければ寄りつきゃしない。ここに来るのは煙草好きか、相当な変わりもの好きしか居ないだろう。私の言葉に、どこぞのトレーナーは頭をぽりぽりと掻いていた。

 

「毎日毎日、屋上からこっちを覗いている奴がいたら気にもなるだろう」

 

「へぇ。変わりもの好きもいるんだね。じゃあ、立ち話もなんだしさ。トレーナーもどうかな?一服」

 

 制服のポケットへと手を伸ばして、新品のコーンパイプとジャグを、小さく掲げて見せた。

 

「…まぁ、そうだな。久しぶりに吸うのもいいだろう。貰っていいか?」

「話がわかるトレーナーだね。いいよ。ついでにコーヒーもどうかな?」

 

 頷くトレーナーを後目に、喫煙所へと歩みを進める。しかし、このタイミングでトレーナーがここに来るとはね。さてさて。どんな話をされるのだか。

 



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トレーナーとは

「ふーん?学園長命令で私に?」

「ああ」

 

 珈琲を淹れながらタバコを吹かしていれば、そんなことを話されていた。どうも学園長の命令で私をスカウトしてくれないか、と依頼されたとのことだ。

 

「でもさー、そういうのって普通本人には隠さない?」

「俺はそういうの苦手なんだ。それに隠しても結局バレるだろう?碌なことにはならないさ」

「なるほどね」

 

 そういうスタンスのトレーナーらしい。うん。アニメの中で見たことのある彼とどこかよく似ている。となるとだよ。彼がいるとなるとこのウマ娘の世界はアニメ?いやいや、でも、マルゼンは『トレーナーくん』と言っていたし…アプリの世界?それとも、なんだかわからない世界なのか。

 

「…うーん?」

 

 …ま、考えてもわかんないかー!と加熱しかけた思考を放棄する。そうだよ、結局ここがアプリでもゲームでも、私は私だもの。

 

「それでトレーナー、君のことはなんて呼べば?」

「好きに呼んでくれて構わないさ。俺の名前はこれだけど」

 

 胸にあったプレートを指さした彼。うーん…西崎、と書いてあるけれど、まぁ、そうだな。アニメを見ていた記憶があるからして。

 

「じゃあ、トレーナーと呼んでいいかな?」

「お前がそれでいいなら。ミスターシービー」

「私のこともシービーでいいよ」

 

 そう言いながら、珈琲を彼の前に差し出した。今日はいつものステイゴールド。香り高い安心感のある味だ。ジャグは今日はスウィートバニラ・ハニーデュー。ダヴィンチに比べると葉の刻み方が細かくて、火持ちしやすく、そして甘い味が特徴である。

 

「いい香りの煙草だな。珈琲も旨い」

「お褒めに預かり恐悦至極。トレーナーも判ってるね」

 

 正直パイプというのは香りが強く、好みが分かれる趣味である。しかもそれに加えてだ、酸味、香りが普通の味ではない珈琲。この趣味を判ってくれるのはなかなかいいセンスだ。

 

「っていうかトレーナー。君、パイプの吸い方も知っているんだね?」

 

 手付きを見れは良く分かる。紙巻きを吸っている人は吸いすぎるし、吸ったことのない人も同じようにすいすぎる。しかし、目の前のトレーナーは吹き戻しを繰り返しながら、ゆらりと燻らせている。こいつぁ、相当な手練だ。

 

「ここに来る前はよく吸っていたからな。ウマ娘に不評だ、ってんで辞めたんだ。まさかウマ娘と共にこれをやれるとは思ってもいなかったよ」

「そう?ああ。でも、たしかに私以外、パイプを吸っているウマ娘なんていないからねぇ」

 

 思い返してみれば、私が私になったことに気づいてからこのかた、私以外に煙草をすっているウマ娘なんていない。トレーナーですらである。パイプを置いて、珈琲を口に含む。チョコレートのような甘みと、シトラスの香りが頭をクリアにしてくれる。

 

「それで、話は戻るけれどさ。私をスカウトしたいっていうことだけど」

 

 私がそう切り出せば、トレーナーも同じようにパイプを置いて、珈琲に口をつける。

 

「そうそう。学園長からお前のトレーナーになれと言われてはいる。でもまぁ、最初に言った通り俺はそういうの、嫌いなんだ」

「嫌い?」

「ああ。まずはお前の意思を尊重したい」

 

 私の意思ときたか。

 

「ふぅん?トレーナー。一つ聞きたいんだけど、私の能力はどう思っているの?」

「最高だろうな。きっと、お前をデビューさせることが出来たトレーナーは、間違いなく勝利の栄光を一緒につかむことだろう」

 

 ほぅ?なかなかの高評価。だが、そうなると一つ解せない。

 

「高評価ありがと。でも、それなら、学園長の命令もあることだし、私のトレーナーに素直になったほうがいいんじゃない?」

 

 そうだ。トレーナーも人間である。人間というのはつまり、一般的には出世や栄光を得ることが本懐だと思うのだ。

 

「ああ。道理はそうだな」

 

 そう言いながらトレーナーは改めてパイプを吹かす。吐いた煙が空中を漂い、薄く広がった。

 

「だが俺は、何度も言うんだがそういうのが嫌い、なんだよ。お前が…ミスターシービーが一番いいと思うトレーナーと一緒に、自由に、思うがままに走って、その上で栄光をつかんでほしい。そう俺は思っている」

 

 なるほどね。…なるほどねぇ。

 

「ふふ」

「なんだよ」

 

 思わず笑みがこぼれてしまった。不可解な顔を浮かべるトレーナー。

 

「いやいや。君はなかなかどうしてロマンがあるなと思っただけだよ。トレーナー」

「そうか?」

「うん。間違いない。君はロマンで出来ているよ」

 

 なるほどな。アニメであれだけ慕われる理由も、今の言葉でわかるというものだ。自分の栄光よりも、出世よりも、欲よりも、ウマ娘のためにと動くトレーナー。そりゃあ君、名ウマ娘たちが君のもとに集うわけだよ。ふふ。嫌いじゃないね、そういうの。

 

「トレーナー。一つ提案があるんだ」

「うん?なんだ?」

「その君がトレーナーになるというのは悪い話じゃない。なんだか、自由に走らせてくれそうだしね」

 

 私がそう言うと、少し驚いた顔を浮かべていた。

 

「ただ。この場で首は縦には振れないな」

「この場では?」

 

 トレーナーは首を傾げた。そして何か勘ぐるような目でこちらを眺めながら、私の次の言葉を待っている。まぁ、そんなに訝しげにこちらを見るなって。そんなに大したことを言うわけじゃないから。

 

「確か、来週模擬レースあったよね」

「ああ。選抜レースが控えているが、それが?」

 

 足を踏み出し、トレーナーへ一歩体を寄せる。バニラの良い香りが、私の鼻を突いた。

 

「そこで私の走りを見てよ。トレーナー。君自身が、私が育てるに値するウマ娘と感じたのなら、改めて声をかけてくれると嬉しいかな」

「…判った。俺の目でお前の走りを見よう。その時は改めて声を掛けさせてもらうよ」

 

 私が軽く微笑めば、彼もまた優しくほほえみを浮かべてくれていた。

 

「さて、難しい話はここまでにしようよ。トレーナー。まだまだ煙草はあるよ。あと甘いお菓子も。トレーナーの時間の許す限りここでのんびりしていっていいからさ」

「ああ、わかったよ。シービー」

 

 お互いにパイプを口に喰み、煙をくゆらすおだやかなひと時。どうやら、私はこの世界で一歩、何かを踏み出したのかもしれない。そんな予感を感じながら、ゆるやかな、おだやかな空気を感じ取っていた。



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珈琲のお出かけ

「悪いねトレーナー。付き合って貰っちゃってさ」

「いいや、別に。っていうか俺で良かったのか?」

「うん。学園長とルドルフの目を欺く、保護者にちょうどいいよ」

「保護者ってお前なぁ」

 

 インカムを通してトレーナーの声を聞きながら、私は私の相棒で高速道路を北へと飛ばしていた。目的地は栃木の焼き物の街。というのも、お気に入りの珈琲が一つ切れてしまったのだ。通販でもいいんだけれど、すぐに飲みたくなってしまって致し方なく。

 

「っていうかトレーナー、もうちょっとしっかり腰に捕まってほしいんだけど?」

「いや、流石になぁ」

 

 密着されないとどうも安定しないのがバイクの二人乗りである。とはいえ、戸惑う彼の気持ちもわかるけれどね。私だって前はそこそこのおじさんだったのだ。おじさんが若い女性の操るバイクの後ろに乗って、密着するというのはなかなかどうしてイケない感じがするものである。

 

「気持ちはわかるけれど、危険だからね。それに私はどこ触られても気にしないよ?」

「俺が気にするんだよ!」

「あはは。練習を見ながら私のトモを触ったトレーナーがそんなことを言う?」

 

 例の屋上の件の翌日、私の練習を見に来たであろうトレーナーが、急に私のふとももやふくらはぎを触り始めたのは記憶に新しいところだ。居合わせたたづなさんとルドルフ、そしてマルゼンに説教を受けていた彼のしょんぼりっぷりはちょっとおもしろかった。懲りずにカツラギのフトモモも触ったのは流石と言えよう。

 

「いや…その、あれは癖っつーか…良いウマ娘を見るとつい確かめたくなっちまうんだ」

「あはは。君はトレーナーの鑑だね?じゃあ、目の前にいる良いウマ娘の背中に密着するぐらいは造作ないんじゃない?」

 

 私がそういえば、トレーナーの体の温もりが背中に伝わってきた。うんうん。それでいい。っていうか、これでも私結構美人のウマ娘なわけだし、君さ、結構役得だと思うんだけどねー?などと思考してしまうのは知識や記憶は兎も角も、私の『男』としての意識がなんだかんだ薄れてきているからなのだろう。

 

 

「お疲れ様です。学園長」

「ご苦労!シンボリルドルフ!」

 

 所変わってトレセン学園の学園長室には、ソファーに座る二人の姿があった。お互いに紅茶のカップが置かれていて、中央にはドーナツが置かれている。

 

「それにしてもよくシービーの外出許可を出されましたね?」

 

 ルドルフはカップの紅茶を楽しみながら、そう学園長に言葉を投げる。その評定は言葉とは裏腹にすこしばかりの笑みを浮かべていた。

 

「うむ。かのトレーナーと共に『お出かけ』、ということだからな!問題ないと判断したまでだ!」

「確かに彼であれば。自由を愛する彼女との相性もいいでしょう。…それはそうとして、私をここに呼んだの理由は一体?」

 

 学園長はドーナツを一口食む。そしてそれを紅茶で流し込むと、少しだけ鋭い眼でシンボリルドルフを見た。

 

「彼女の身辺調査の結果を君にも知ってほしい」

 

 そう言いながら、数枚の紙束をシンボリルドルフへと手渡していた。表紙には『ミスターシービー身辺調査』と銘打たれている。

 

「失礼します」

 

 ルドルフは書類を受け取れば、それを一枚づつ、しかし速読のように眼を通していく。10分ほど経ったとき、ルドルフはため息を付きながら、紅茶を口に含む。

 

「…正しく彼女は彼女のまま、ということですね」

 

 書類の中身はといえば、過去の経歴や家族の経歴だ。基本的には記憶の中の彼女と何も変わらなかった、というのが結論だ。

 

「うむ。記憶がないと言っている事だけが唯一の相違点と言っていいだろう。ただ、気になるのは連絡が取れなくなる前、スカウトが激しくなっていたと言うことぐらいだ」

「スカウトが?」

「うむ…。やはり良いウマ娘であるからな。メディアに出て顔も売れているし、ダンスも完璧、ファンサービスも高レベル。走りも良い。そしてそろそろ遅咲きの本格化を迎えそうなタイムの上がり方。スカウトが集中したのは容易に想像出来る」

「確かに。と、なれば、そのストレスで記憶が無くなった可能性も?」

 

 学園長はドーナツを食べながら、首を小さく縦に振った。

 

「不甲斐ない限りだ。彼女に甘えるばかりで彼女のストレスについては手が回らなかった。私の不覚であろう」

「そんなことは。私も彼女が多くのスカウトを受けていたのは知っていましたから。もし予測が事実だった場合は同罪です」

 

 少しばかりの沈黙。そして、先に口を開いたのは学園長であった。

 

「とはいえ、まだ確定ではない。これからも調査は続ける。なにか判ったら君に真っ先に相談するつもりだ。シンボリルドルフ」

「…かしこまりました。ご協力出来ることがあるならば、お声がけください」

 

 頷きあう2人。そして、紅茶を改めて飲み干した2人はといえば。

 

「それはそうとしてシンボリルドルフ!最近の彼女はどんな様子なのだ?」

「そうですね…強いて言えば、前よりも可愛げが増した、と言えるでしょう」

「ほうほう…」

「例えば、以前は生徒会室には寄り付かなかったんですが、ドーナツの差し入れなどをしてくれるように…」

 

 ミスターシービーの会話で花が咲く。以前と同じ部分、以前と違う部分。途中からはマルゼンスキーやたづなさんも交えて話に花が咲いていた。

 

 

「これこれ。この珈琲が欲しかったんだ」

 

 手にした袋に入っている珈琲はブルボン。オレンジのような香りが非常に好みだ。今回は浅煎りにしてもらったので、きっとエスプレッソで飲むといい感じの酸味が出ることであろう。

 

「満足そうで何よりだ。…それにしても、バイクのケツってのは体が痛くなるな」

「あはは。ごめんごめん。帰ったら美味しい珈琲とジャグあげるからさ」

 

 私がそう笑いかけてみれば、トレーナーは苦笑を浮かべてくれていた。まぁ、なんだかんだいってここまで付き合ってくれるんだもの。悪い人では無さそうだ。

 

「ああ、そうだトレーナー。せっかくだしご飯食べようよ」

 

 都内からここまで数時間のツーリング。ちょうどお腹も減っているしね。

 

「そうだな。腹も減ったし…何処か旨い店でも知ってるか?」

「もちろん。ここらへんも庭だからねー。トレーナーは蕎麦食べれるかい?アレルギーとか大丈夫なら行こうよ」

「蕎麦か。良いな。近いのか?」

「うん。歩いて行けるよ。じゃ、ついてきて?」

 

 私とトレーナーは並んで街を歩く。こうしてみると完全にデートだねぇと思いながらも、まぁ、彼は将来スズカといい感じになるトレーナーだし、いい友人として付き合えれば最高だね。

 

「それにしてもお前。休み明けには選抜レースだってのに。練習はしなくて良いのか?」

 

 唐突にそんな言葉が隣から聞こえてきた。そうだね、たしかにそうね。練習は大切だ。でも、私にとっては煙草と珈琲のほうが大切と言える。

 

「練習は帰ってからするよ。でも、こういうさ、精神的な余裕っていうのも大切だと思わない?」

 

 言い訳じみた言葉を口から垂れ流しながら、じろり、と彼の方を向いてみる。すると、彼は悪戯成功、みたいな笑みを浮かべてこちらを眺めていた。ふぅん?判ってて言ってるね。君。

 

「確かに大切だな。悪い悪い。試すようなことを言って」

「別にいいけど。あ、でもトレーナー、悪いと思っているなら、ご飯奢ってくれない?」

「はいよ。シービー」

 

 参ったと両手を上げながら彼は苦笑を浮かべる。ま、とは言っても私と彼じゃあ食べる量が違いすぎるであろう。それに、アニメの彼は相当金欠だったはずだし、人間が食べる以上の食事の分は自分でしっかりと払わせて頂くとしよう。



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自由じゃないよね

「どうしたものか。うーん」

 

 自宅でジャグを燻らせながら、頭を抱える。珈琲を煽れば、少し冷めたそれからはオレンジのような香りが漂う。ブルボン珈琲の良い所だ。

 

「我ながら、いまいち方針が決まらないなぁ。ミスターシービー…いや、私は私だとして…」

 

 ミスターシービーなら、きっとこう、三冠ウマ娘を目指していくべきなのかと思うわけだが、とはいえ、ここはまだミスターシービーがデビューしていない世界である。とはいえ…。

 

『ウマ娘のリンスならこれで決まり!』

 

 テレビから流れるCMには私が写っている。うーん…我ながら顔が良いからなぁ。こういう宣伝にはもってこいなのだろう。というか、来週末も確かCMかなにかの撮影が入っていたはずだしね。

 

「とはいえ、この記憶のことはトレーナーに打ち明けるか否か」

 

 数日後に行われる選抜レース。きっと、屋上のときの感触から言えば、私を間違いなくスカウトするだろうし、私もまた彼にスカウトされてもいいと思っている。知識的なところでも、人柄的なところでも。

 

「…ま、そこは信頼を積み上げたら、でいいか。例えばそう…三冠ウマ娘になった後とか?」

 

 言いながら苦笑してしまう。ミスターシービーというだけで、私は三冠を取るつもりであるらしい。いやはや、たしかに私は他のウマ娘に対して高い実力はあるんだろうけど、カツラギやルドルフを見ているとなかなかどうして本気具合が違うのだ。

 

「…でもそうだなぁ。やるんなら…本気でやろうか?そのほうが、楽しいでしょう?」

 

 頭の中に某ロボットアクションゲームの主任を思い浮かべながら、そうにやりと笑ってみる。うん、なんかやれる気になってきた。とはいえ、ミスターシービーかぁ。

 

「改めて考えてみると、偉大なウマ娘になっちゃったもんだよ」

 

 珈琲を煽る。うん。今までなんとなく考えないようにしていたけれど、本格的にスカウトが、レースで走ることが近づいてきた昨今、この名前の重みは半端ない。だってあれだよ?父内国産初のクラシック三冠馬が、しかも神馬以来19年ぶりの三冠馬がモデルなんだよ?国内の血統ってだけでも、後に見ても暴君ともしもし君ぐらいっきゃ存在しない偉業だもの。

 

「うーん…これは非常に両肩が重いね。重すぎて頭と腕が上がらなそう」

 

 ま、とはいっても、アイドルホースとしての活躍はこのCMや収入を見ればすでに達成しているのだろうか?いや、そこらへんのキオクが無いからなんとも言えないけれどね。

 

「とはいえ本気でやると考えれば…」

 

 三冠ウマ娘を目指すのは当然としようか。当然として…。史実通りをなぞってもいいんだけれどさぁ…。

 

「馬のミスターシービーをなぞる?なぞっちゃう?…でもそれってさー」

 

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選抜前のひととき

 選抜レース当日の朝。泡立てた洗顔料で顔を優しく洗い、剃刀を軽くあてる。温めの水でやさしく泡を落としてから、クリームを顔に塗り込む。

 

「うん、顔は良し」

 

 ミストを髪に当てて、いつもの髪型へと整えていく。とはいえ、ほとんど手を入れる必要なんてないのだけれど、ま、そこは気持ちの問題だ。最後にヘアピンで前髪を纏めて、準備は完了。

 

「今日はプリウス…だね」

 

 ジャグは机の引き出しに仕舞ったまま。バイクも今日は封印である。鏡の前で静かに眼を瞑り、気持ちを落ち着かせる。

 

「………よし、オッケー」

 

 精神統一ってわけじゃないけれど、いわゆるけじめみたいな物だろうか。プレゼンの朝。打ち合わせの朝。試験の朝。今日はそんな気分である。着慣れ始めた女生徒の制服に袖を通し、そしてレース用のジャージをしっかりとバッグへと突っ込む。

 

「蛇が出るか。それとも何か別のものが出るか」

 

 バッグを助手席に叩き込んで、運転席へと座る。リモコンを押せば、ゆっくりとシャッターが開いていく。明るい日差し、青い空。絶好のレース日和というやつであろう。

 

「練習はそれなりにしたけれど、不安は絶えないね」

 

 ミスターシービー。私がそうなって暫くたったが、本当にその名前は重いものだ。…どうせなら三冠取った後ぐらいのミスターシービーに成っていればもうちょっと気が楽だったんだろうけど…。

 

「言っても仕方がない事だね。だって今、私はミスターシービーになっちゃったんだもの」

 

 アクセルをゆっくりと踏み込めば、モーターが車を前に押し出した。

 

 

 マルゼンの真紅のスポーツカーの隣にプリウスを停める。車のエンジンを切り、地面に降り立ってみればトレーナーが私を待ち構えていた。

 

「おはよう。シービー」

「おはよう。トレーナー。いよいよだね」

 

 我ながらやはり緊張しているようで、なかなかどうして挨拶も固くなってしまう。そんな私の気持ちを察したのか、トレーナーは苦笑を浮かべるとポケットからなにか棒のようなものを取り出していた。

 

「そんなにガッチガチじゃあ実力も出せないだろう?」

 

 差し出されたのは飴。緑色のそれを受け取った私は、包を外して早速それを口に含む。

 

「…甘いね。いい感じ。メロン?」

「ああ。北海道のメロン果汁入り。なかなかのレア物だぜ?」

「そりゃあ有り難いね」

 

 飴玉を口の中で転がしながら、トレーナーと共にトレセン学園を歩く。うーん。やっぱり我ながら緊張しているんだね。なかなか言葉が出てこない。どうしたものかなぁ…なんて思っていたら。

 

「ひゃっ!?」

「うん…見事に鍛え上げられたトモだ。これだけしっかりしていれば、まず悪い結果は出ないだろうよ?」

 

 いつの間にか私の背中に回ったトレーナーが、私のふとももとふくらはぎを入念に触っていた。おいおい。ちょっと前にそれをやって、ルドルフとたづなさんにめちゃくちゃ詰められたじゃないか。そう思ってじとりと睨めば、彼はどこかあっけらかんとした顔で笑ってみせた。

 

「トレーナー?急に女の子の足を触るなんて君、やっぱり変態だよね?」

「ははは。あまりにもらしくない緊張をしていたからな。どうだ?少しは解れただろう?」

「解れた解れた。でもさー、もうちょっと別のやり方あったんじゃないのー?」

「はは。悪い悪い」

 

 思わずつられて笑う。全く、このトレーナーは。でも、たしかに緊張はいい具合に解れたというものだ。胸を張って、トレセン学園の空気を胸いっぱいに吸い込む。ターフの青い香りが鼻を突き抜ける。

 

「良し。いい顔になったじゃないか、シービー」

「うん。トレーナーのお陰。やり方は褒められたものじゃないけれどね」

 

 そう言いつつ、お礼代わりにしっぽを彼の足に絡めておく。テレビで見たのだ。親愛の証、だとか。

 

「ずいぶん俺を信頼してくれているようで。―それで、今日はどう走るつもりだ?」

 

 一転。真面目になった彼の顔。そうだね。どう、走るか。か。

 

「気ままに走るつもりだよ。スタートをしっかり決めて、あとは気のママ。1600でしょ?そのぐらいの距離なら」

 

 きっと、私のスタミナでも全力で走れる。そう思って彼の顔を見てみれば、軽く頷いてくれていた。どうやら、自己分析は間違っていなかったらしい。

 

「ああ、それでいいだろう。ま、俺がとやかく言うもんじゃないしな。好きに走って、お前の実力を見せてくれ」

「もちろん」

 

 トレーナーのお眼鏡に叶えばスカウト…という言葉も口から出かけたけれど、それは野暮っていうものだろう。―さてさて。ひとまずは、私の実力を彼に見せよう。そして、自分の実力を知ろうじゃないか。



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選抜レースとザ・ピース

 軽く足を伸ばしてストレッチを行えば、ターフの感触が足にダイレクトに伝わってくる。今日の状態は俗にいう良というやつかな?いい感じの反発が返ってくるし、濡れてもいない。

 

「うん、絶好のレース日和」

 

 天高く上がった太陽と、青空。そして気持ちの良い風を浴びれば、誰だってその気になるというものだ。他にもウマ娘たちがレース場にはいるけれど、彼女らの顔は緊張を孕んでいた。私もトレーナーにほぐされていなければ、あんな顔をしていたのだろうね。

 

「ま、とはいっても油断は禁物と」

 

 気合を入れ直すように、顔を叩く。なにせ今日は選抜レース。私の走りが何処まで通用するのか。そしてそれがあのトレーナーのお眼鏡に適うのか。それが決まる大切なレース。

 

「気負いはしないけれど、後悔のないように」

 

 つぶやきながら、靴に視線を落とす。そこにあったのは、接着剤でつけられた蹄鉄である。メーカーでの改良が進み、なんとか1レースだけならば持つ材料が出来上がったのだ。無論、ロングのレースにはまだまだ課題が残るが、今回の選抜は1600。十分に耐えられる強度であろう。

 

「うん…外れそうではないね」

 

 お陰様で私の好きな薄い靴底のシューズでレースが出来る。舞台は最高、準備も万全。あとは私の実力次第。

 

『選抜、1600メートル。第2グループ!スタート位置に並んでください!』

 

 どうやらお呼ばれだ。周りのウマ娘を見てみれば、どうやら11人で競うらしい。さあ、正念場だ。三冠をとらねば、という重責はあるけれど、まずはしっかりとここで勝って見せないとね。

 

 

『第2グループ!位置について!よーい、ドン!』

 

 眼下でスタートを切った11人のウマ娘。今回の大注目は、間違いなく、ミスターシービーそのウマ娘だ。CMや歌などですでにURAの広告塔とも言える有名人の彼女がついにデビュー。そのような話題でトレーナーたちは持ちきりだ。無論、メディアも数社駆けつけて、彼女の走りをしっかりとその眼に収めようとしていた。

 

「お疲れ様です。西崎トレーナー」

「お疲れ。シンボリルドルフ」

 

 その中に、しっかりとトレーナーとシンボリルドルフの姿があった。片方は彼女を心配して、片方は彼女と夢を見れるかその試金石として。

 

「学園長から話は聞いております。あなたが彼女をスカウトするのだとか」

 

 ルドルフがそう問えば、トレーナーは頭をかく。

 

「ああ。学園長からはそう言われた。けれど、俺は彼女を強制的にスカウトする、なんてことはしないさ。それに彼女に言われてててね」

「何をですか?」

「今日の走りを見て、あなたの判断で私をスカウトするか決めてくれ。ってな」

 

 ルドルフとトレーナーは、眼下を走るミスターシービーを見下ろした。スタートは上々。先行といった位置に彼女はついて、レースを進めている。足元には例の接着剤の蹄鉄が取り付けられていて、見るからに走りやすそうに足を動かしていた。

 

「調子は良いようですよ」

「だな。あの蹄鉄もシービーにはよく合うようだ」

 

 彼女とメーカー、そして学園が勧めていたレース用の接着剤の計画はひとまずは完成を見ている。弾性を持ち、剥がれにくさを持ちながら、しかしターフへの力の伝達を確実に行う蹄鉄。レギュレーションには違反していないことは確認済みだ。

 

「厚み、幅、重さ。よくレギュレーションをクリアした上で、しかもこの短期間で実用化したもんだな」

「ええ、なにせ彼女がやたら力を入れてメーカーと開発していましたから。走りやすいんだって嬉しそうでしたよ。一つのレースで靴ごとだめになる。とぼやいてはいましたけれどね」

 

 毎日試してはダメ出しを繰り返し、メーカーとの切磋琢磨を繰り返した結果の産物。とはいえまだその能力は不具合も多く、接着剤のせいで靴底が痛んでしまうのが課題のようだ。

 

「なるほどな。でも、シービーが走りやすいのなら、それが一番いいんだろう」

「ええ。私もそう思います…っと、そろそろ最終コーナーですね」

 

 シンボリルドルフがそう言うと、トレーナーは視線を最終コーナーを迎えた彼女に向けた。

 

「さあて、どういう脚を見せてくれるんだ?ミスターシービー」

 

 

 走りにくいね。というのが初めてのレースの感想だ。やはり他人がいて走るのと、一人や少人数で走る事とはなかなか状況が違うらしい。

 

「まだまだー!」

「負けるもんか負けるもんか!」

 

 気迫もまた凄いものがる。レース中盤だけれど、皆、その気持ちは本物だ。思わず体力が削れていくような、そんな幻想すら覚える。

 

『さあ各ウマ娘が最終コーナーへと入っていきます!注目のミスターシービーは前から3番手!ここからどういう展開を見せてくれるのでしょうか!』

 

 なるほど、注目と来たか。アナウンスを聞いたウマ娘たちの殺気にも似た気合が一段と増したのは気の所為ではないだろう。

 

「抜かせない抜かせない抜かせない!」

「抜かす抜かす抜かす!」

「ハアアアアアアアアアア!」

 

 最終コーナーに入って一気にペースが上がる。同時に、落ちていくウマ娘と、競り合うウマ娘とに分かれてレースが展開してく。

 

「無理ぃいいいいい!」

「くそおおおお!」

 

 叫びながら後ろに落ちていくウマ娘を後目に、私はなんとか前を競り合うウマ娘たちの間に割って入れた。順位にすれば4番手。前にいる3人は内側の良いコースを取ってしまっている。普通にやってしまえば、なかなか前には行きづらいであろうね。ならば。

 

『おっとここでミスターシービーが外によれた!これは致命的か!?』

 

 よれたんじゃなくて、体を外に振っただけ!私は頭の中でそう訂正しながら、上半身をぐぐっと下げた。脚に力を叩き込み、蹄鉄でターフを掴む。

 

「さぁ、そろそろ行こうか!」

 

 大きく手を振り、脚を上げる。ターフがめくれる感覚が脚から伝わってくるけれど構っちゃいられない。なんせ、トレーナーがこっちを見ていた。ここで無様な負けは見せられまいよ!

 

『外によれたミスターシービーが凄まじい追い上げだ!一人抜いて、二人抜いて!先頭に襲いかかる!』

 

 先頭のウマ娘が思わずこちらを見た。ふふ。いいのかい?レース中によそ見なんてして、さ!

 

「ムリィイイイイイイイ!」

『並ばない!一気に追い抜いてミスターシービー!一着でゴールイン!!』

 

 アナウンスに答えるように右手を上げてみせた。軽い拍手と歓声が私を出迎えてくれているように降り注ぐ。後ろを振り返ってみれば、おそらく、ゴール時には2~3メートルの差はあったであろうウマ娘が息を上げて立っていた。うん、どうやらこのレース、楽勝とは言わないけれど、納得の行く勝利を収められたらしい。遠くにいたトレーナーが親指を立ててくれている。ならばと、私も親指をしっかりと立てて彼への返事としておいた。

 

 

 選抜レースの後、私をスカウトしてくる幾多のトレーナーをのらりくらりと交わしながら、彼を連れて屋上の喫煙所へとやってきていた。手にしているのは、私にしては珍しい紙巻きタバコ。この日のために用意しておいた少々特別な煙草だ。

 

「おめでとうミスターシービー。お前はこれで、間違いなく、デビューへの道筋が約束された」

「ありがとう。トレーナー。ふふ、改めて言われると嬉しいね」

 

 そして、煙草の箱を開けながら、彼と珈琲を煽る。今日はいつものステイゴールド。良い香りが鼻と、気持ちを満たしてくれる。

 

「それでどう?私の走り。君のお眼鏡に適ったかな?」

「ああ。十分すぎる実力を見せてもらったよ」

 

 頷きあう私と彼。ならば、私の行く末は決まったと言ってもいいだろう。

 

「じゃあ、これからよろしく頼むよ。トレーナー」

「ああ、こちらこそ頼む。シービー」

 

 そう短い言葉を交わしながら固く握手を交わす。そして、煙草の厚紙の箱の中、そこにあった金属の箱、さらにその中に大切に仕舞われている日本を代表する紙巻きタバコの逸品。彼に向けて箱の中身を一本、手渡した。

 

「…これは?」

「ふふ。ちょっと良いタバコ。知ってるでしょ?」

 

 その名も、ザ・ピース。この日のために用意しておいた特別な煙草だ。そして、シルバーのジッポを使い、彼の煙草に火をつける。

 

「ん」

 

 そして、彼にシルバーのジッポを渡せば、同じように私の煙草に火がついた。

 

「これで運命共同体。ね、ミスタートレーナー?」

「ミスター…トレーナー?」

「そ、私がミスターシービー。それなら、私のトレーナーはミスタートレーナー。悪くないでしょ?」

「…ふ。確かにな」

 

 芳醇なバニラと煙草の香りが喫煙所を満たす。そしてタバコの煙をくゆらすように、彼に一つの夢を告げた。

 

「それでね、ミスタートレーナー。正式に私のトレーナーになってもらったわけだけど、私の夢、聞いてもらっても良いかな?」

「…ああ。お前の夢か。聞かせてもらってもいいか?」

「うん。私の夢。それはね」

 

 トレーナーの顔を見据えて、しっかりと言葉を告げた。

 

「URA史上初。()()()三冠ウマ娘を目指したいと思っているんだ」

 



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焚きつけ

 ターフの重い感じを足裏にしっかりと覚えながら、体を斜めに傾けながらコーナーへと入る。ラチが顔に近づいてくるが、構わず、蹄鉄とターフのグリップが失う寸前まで体を寝かせてスピードを維持しながらコーナーを駆ける。

 

「もっと踏み込め!気が緩んでいるぞ!」

 

 遠くでトレーナーの声が聞こえた。ふむ。踏み込むか。脚を下げる力を意識して、ズドンとターフに蹄鉄を沈めれば、ぐぐっと体が前に出る。なるほど、言われた通りだね。まだまだ私は踏み込みが甘いらしい。気づけばホームストレッチ。体を垂直に立てて、頭を下げる。上半身の反動を使って、脚でターフをえぐるように。

 

「よしいいぞ!ラストスパート気合入れていけ!」

 

 言われた通り、すべての体力を脚に叩き込む。残り200メートルのラストスパート。雨粒が眼に入る。顔に当たる。痛いし寒いが、それがまた気持ちが良い!

 

「ハァアアアアアアア!」

 

 気合を入れてラスト100メートル!腕を上げて、脚を蹴って、上半身を首ごと動かして、推力を全部前に!

 

「ゴール!2000メートルのタイムは2分8秒3!上がり3ハロンは39,8秒!」

 

 息を整えながら、トレーナーの元へ歩み寄る。今日の天気は最悪で、不良バ場。そこで2分10秒を切れたのはなかなかいい仕上がりなのではないだろうか?

 

「よし、この不良バ場で2000メートル2分10秒を切っているなら上々だろう。ただ、まだ改善点もあるのはわかるな?」

「うん。私はどうやら、時々踏み込みが甘くなる。その上で、どうも気が散ってしまうらしい」

 

 トレーナーがついて解ること。やはり第三者の遠慮のない意見というのは大切だ。カーブを楽しむあまり、踏み込みが甘くなったり、レース場の外の出来事がきになってしまうきらいがあるらしいのだ。トレーナーに指摘を受けてようやく自覚できたものだ。

 

「その通り。特にカーブでの踏み込みの浅さはレースでは致命傷になることが多い。そしてなにより、その踏み込みの浅さが脚に負担をかけている」

「脚に負担…」

「そうだ。蹄鉄でしっかりと地面を踏みしめない。ということは、その代わりに体のどこかがそのパワーを受け止めている、ということが言える」

 

 なるほどと頷いておく。

 

「踏み込みが浅くなることによって他の部分に力が分散すると言い換えてもいいか。となると、それは推進力が弱まるということもあれば、負荷が体にかかるという事にほかならない。例えばその一つには、靴と足の僅かな隙間が余計な力が加わることによって大きくなって、大きくなった隙間の間を動いてしまった足の指や爪、そういった末端を痛めてしまうキッカケにもなっている」

 

 うんうん。たしかにね。最近、少しばかり自分の爪が割れている事に気がついて、トレーナーには相談した事が記憶に新しい。

 

「とはいえ、これを治すということは、いままで走り続けた癖を治すってことだからな。まぁ…のんびりやるしか無いだろうな」

「そうだね。いやでも、ホント、トレーナーに私を見てもらってよかったよ」

「はは。ま、不幸中の幸いってやつだな。それにお前の、自分の体を痛めつけるほどの踏み込みの力強さ。これは、癖を解決出来た上で推進力に変換できれば相当な武器になる。なんとか、クラシック初戦、皐月賞までにはフォームをある程度は完成させたいな。その靴と一緒に」

 

 トレーナーが指を指したのは私の靴であった。レースペースで2000メートルを走りきった私の靴の蹄鉄…正確には接着剤が微妙に剥がれかけていた。

 

「ありゃ。2000はまだ厳しいかー」

 

 私がそう呟けば、トレーナーも軽く頷いていた。

 

「そうだな。とはいえ、まだ時間はある。今日の結果をしっかりと伝えて、靴は…また良いものを持ってきてもらおう」

「そうだね。トレーナー」

 

 仕方がないので靴底が少し分厚い、普通の蹄鉄の練習靴に履き替えながら、私はトレーナーに頷きを返していた。さてさて。これからどうなることやらね。

 

 

 練習上がりにパイプでタバコを吹かしてみていれば、そこに現れたのは久しぶりのマルゼンスキー。

 

「や」

 

 軽く手を上げてみれば、向こうも笑顔を浮かべて私に手を降ってくれた。

 

「無事スカウトされたんですってね。やったじゃない、シービーちゃん」

「うん。まさか私がスカウトされるなんてねー」

「ふふ。私もそう思っていたわ。でも、あのトレーナー、すごい評判がいいから、お姉さんも安心よ」

 

 ウインクをしながらそんなことを言う彼女に、珈琲を出してやる。今日はブルボン。オレンジの香りでさっぱりと気分をリフレッシュ。

 

「はい、かけつけ一杯」

「あら、ありがと。…うん、オレンジみたいないい香り。美味しいわ」

「そう言ってもらえると恐悦至極だね。おかわりもあるから、いつでも言って」

 

 彼女が珈琲を楽しみ、私がジャグを楽しむ。お互いに会話はあんまりないけれども、なんとも居心地のよい空間である。というか、こう見るとマルゼンはやはり美しい。足も速くてスターホース。本来の馬であっても、人気が出るのは納得である。

 

「あら、どうしたの?熱い視線。お姉さん恥ずかしいかも」

 

 私の視線に気づいたのか、軽く頬を赤らめながらそんなことを言うマルゼンスキー。うん。その仕草も可愛いじゃないか。

 

「マルゼンの横顔が可愛いと思ってね。つい見とれちゃった」

「あら、お上手ね。ふふふ」

「あはは」

 

 お互いに笑い合いながら、マルゼンは珈琲を飲みきり、私は灰を灰皿に落としていた。

 

「それで、少し小耳に挟んだのだけれど」

「うん?」

「無敗の三冠ウマ娘を目指す、って本当?」

 

 おや、それを何処で小耳に挟んだのか。たしかまだトレーナーぐらいにしか告げていないはずなのだけれど。

 

「隠すことじゃないから。本当だよ」

「ふぅん…」

 

 どこか、試すような眼でこちらを見てくるマルゼンスキー。視線が私の視線と混じり合う。

 

「本気?」

「うん。本気」

「難しいことよ?」

「承知の上さ」

「トレーナーには?」

「いの一番に告げてあるよ。協力してくれるって」

 

 軽い問答を繰り返した私達。そして、マルゼンは私から視線を外すと、どこか遠くを見つめ始めていた。憂いを含むような表情。そしてついて出てきた言葉が。

 

「羨ましいわね」

 

 ああ…そう来たか。確か、このマルゼンも、速いのだけれどURAの規定によって出れるレースが少ないのだったか。それにあまりに速すぎて、相手の心ごと折ってしまうのだとか聞いたこともある。それはまるで、史実のマルゼンスキーのようだ。

 

「羨ましい、か。じゃあ一つ約束してよ」

「約束?」

「しばらく、ドリームにいかないで現役を続けてくれない?」

 

 私の言葉に、首を傾げたマルゼンスキー。まぁ、そりゃあそうだろうねぇ。マルゼンは現在、すでに現役時代が長いしね。そろそろドリーム入りなんじゃないのーなんて声も囁かれ始めた頃合いでもあるのが一つの事実。

 とはいえ、私はそんなことは許さない。なんせあのマルゼンスキーだ。私も彼女と同じウマ娘になったんだったらさ、一つ、試してみたいじゃない?

 

「私が無敗の三冠ウマ娘になったらさ。その冬。ジャパンカップで一番を掛けて走ろうよ?マルゼンスキー。君は()()()()()()()()()()()()()()んでしょう?」

 

 そう言いながら、私はパイプタバコに葉を詰める。

 

 一段目は、緩めに。

 

 二段目は、少しキツメに。

 

 三段目は、更に詰め込むように。

 

 特に三段目は、普段のセオリーならばカステラぐらいの弾力が望ましいと言われている。でも、私が好きな吸い方は少し違う。更に固めに詰めるのが好みだ。セオリーなんて無視しても良い。自分の好きなように吸えるのが、パイプタバコの良いところであろう。

 

 マルゼンスキーに視線を戻してみれば、ああ、なるほど、彼女も生粋のウマ娘であるなと納得がいった。

 

「…本気?」

「本気本気。だってせっかく速いウマ娘が現役にいるんだもの。今はまだ目指している段階だけど、クラシック三冠のウマ娘とその速いウマ娘、どっちが速いか決めたくない?」

「…決めたいわ。すごく、すごく決めたいわ!」

 

 ぐぐいっと顔を寄せてきたマルゼンスキー。ふふふ。いい顔をしているね。まるで、獲物を狩るライオンのような笑みじゃあないか。

 

「じゃ、そういうことで。ああ、でもマルゼン。能力が下がってきてるってことを言い訳にしないでよね?そんなの、退屈だから」

「あはは。シービーちゃんこそ。無敗の三冠を目指して脚を使い果たしました、なんて不甲斐ないこと、言わないでね?」

 

 そう言いながら、お互いの右手を差し出して、固く握る。うん。これは一つ楽しみが出来た。史実ではまず行えない。アニメやアプリでも行えない真剣勝負。ミスターシービーとマルゼンスキーの叩きあい。

 

「ふふ…本当に楽しみだ。()()()とマルゼンがレースをする瞬間が来るなんて、さ」

 

 ポツリと出た言葉を噛み締めながら、パイプを口に加えてマッチで火をつける。赤くなっていきながら、盛り上がっていくジャグ。そのさまは、まさしく私とマルゼンの気持ちそのものであろう。



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タレント

 練習を行いながらも、タレント活動をしないと行けないのがウマ娘の辛いところである。いや、この場合はミスターシービーだからかもしれないと思いながらも、午前中のモデル撮影を終えた。

 

「いやはや、なかなか」

 

 肩の力を抜きながら、私は天を仰ぐ。青空がキレイだなぁなどとちょっとした現実逃避である。というのも今回の撮影は、『ついにデビュー!ミスターシービー!』という名打たれた特集コーナーの仕事であった。聞くところによると10ページもの大型特集なのだとか。ううむ。なかなかのお仕事であった。

 

「制服とジャージはともかくとして、普段着までとはねぇ…」

 

 実際は普段着と銘打たれたスタジオ衣装なのだが、スラックスにシャツといった男装のような感じや、ショートパンツにシャツを腰で纏めたへそ出しなスタイルだったり。いやはや、なんというか落ち着かなかったものだ。

 

「とはいっても、出来上がった写真は見事だったけどね」

 

 なるほどと思うほどの出来。ポーズやストロボ発光の関係性がこうなるのか。と思わざるを得なかった。まぶしい!と思ったけれど、瞳に入ったストロボの光が写真に命を与えていたり、顔の影をつけたり消したり。すごいなぁというのが正直な感想だ。それに加え、私の顔が良い。半端ない。いやほんと。

 

「私って顔小さい上にスタイル良いよね。脚長いし。うーん…」

 

 男の時とは違いすぎる。今回はそれをより一層感じ取ったひとときであった。ちなみに今回はたづなさんは学園でお仕事中である。いい加減、おんぶにだっこも卒業しないとね。ちなみに今回のギャラはなかなかのモノであった。

 

「さてさて…午後の仕事はっと」

 

 そう言いながらプリウスに乗り込んで、スタートボタンを押す。スマホのスケジュールを見てみれば、楽曲打ち合わせとあった。なるほど、前のメイクデビューの録音みたいなものだろうか。さてさて、どんな曲が私の前に現れるものやら。

 

 

「今回、ミスターシービーさんに歌っていただきたい曲のリストです」

 

 録音スタジオについて、早速プロデューサーから手渡されたセットリスト。それをみた私は、思わず、顔をしかめてしまっていた。

 

「これは…」

「やはり、多いですかね。とはいえ、メイクデビューの出来を見る限り、まずはあなたの声で世の中に出す音源を作りたいなと思ったのですが」

「いえ。多さではないんですが」

 

 セットリストを見てみれば、「ENDLESS DREAM!!」「彩 Phantasia」「winning the soul」「本能スピード」「UNLIMITED IMPACT」「NEXT FRONTIER」「Special Record!」の名前が並んでいる。これは、思わずウマ娘を知っているのならば顔をしかめてしまうと思う。

 

「これ、全部新曲ですよね?」

「ええ。新曲です。来年から行われる新体制のウイニングライブに向けての曲です」

 

 こういうことだ。新曲。ウマ娘をプレイしていた私としては馴染みの曲なのだが、どうやら、私はそれらの曲の黎明期に立ち会ってしまっているようだ。

 

「ああ。もちろんご心配なく。シービーさんも来年クラシックからシニアまでを走られると思いますので、今回の収録で使う音源と被らないよう、ステージでは音源を特別仕様にする予定です」

 

 いやまぁ、そういう心配をしているわけではないんだけれどね。とりあえず頷いておこう。

 

「分かりました。歌うことは問題ありません。歌詞と音源を頂いても?」

「ありがとうございます!歌詞はこちらです!音源は…聞いていかれますか?それとも、持ち帰りますか?」

「聞いていっても?」

「もちろんです!」

 

 差し出されたのはMP3のプレイヤー。ハイレゾ対応品。イヤフォンをつけて、歌詞カードを見ながらそれらを聞いていけば、やはりよく知るウマ娘の曲であった。うん。うん。むしろこの曲たちなら練習とかしないでも歌えてしまうのはウマ娘にハマっていたからだろう。

 

 ついつい、歌を口ずさんでしまう。

 

「ここで今輝きたい いつでも頑張る君から 変わってくよ」

 

 うんうん。スペシャルレコード。アニメ13話好きだったなぁ。ああ…でもあそこにミスターシービーおらんかったのはちょっと気になる。もし、この世界があそこにたどり着く場合は、私は引退でもしちゃってるのだろうか。それとも、単純にストーリーの都合でああなっただけなのか。

 

「Specialな毎日へ走り出そう 夢は続いてく」

 

 難しいことはともかくとして、やっぱりいい歌だねぇ。そう思いながら歌詞カードから目を離してプロデューサーの顔を伺ってみれば、完全にこちらに釘付けになっていた。

 

「…どうかされました?」

「…シービーさん。今すぐ。今すぐ録音しましょう」

「へ?」

 

 今すぐ?録音?いやいやいやいや。この前のメイクデビューですら、私の体感でも数日間はみっちり練習したぞ?それを今?

 

「戸惑うお気持ち、分かります。しかし、今、音源を聞きながら歌われましたよね」

「はい」

「それが非常に良かった!今のその感じのまま!すぐに!ブースに入っていただきたい!」

 

 思わぬ剣幕に、ついつい頷いてしまった。そしてあれよあれよという間にブースに連れて行かれて、いざ録音。7曲をしっかりと歌い上げてみたのだが、ほとんどリテイクなし。一発でOKが出る始末。

 まぁ…ウマ娘好きとしちゃあ抑えておきたい歌だったしね。シービーになる前には、男連中でカラオケでよく歌っていたし…淀みなくは歌えたとは思うのだ。とはいえ、本当に良かったのかな?とプロデューサーに尋ねて見たのだが。

 

「最高の出来です!いや、最高ですよ!音源は出来上がり次第すぐに回しますので!」

「あ。はい。あの、もし取り直しとかがありましたらすぐにお声がけを…」

「いえ!大丈夫ですとも!一部、歌詞が少し違いましたが、歌詞カードよりもこちらの音源のほうが良いと太鼓判を押させていただきます!歌詞カードの修正版も一緒におつけしますので!」

「あ…はい。わかりました。お待ち、しています」

 

 いたく興奮しているプロデューサーを後目に、私はプリウスでスタジオを後にしていた。ちなみにたづなさんから後ほど聞いたのだが、このプロデューサーが独断で判断した歌詞変更は相当な物議を醸したらしく、URA上層部でも話題に上がったそうだ。とはいえ、私の音源を聞いた彼らもその出来に納得、ということらしい。

 

 ちなみにこちらのギャラも結構な金額であった。それこそ、相棒とプリウスが2セットは買えるであろう金額が口座に振り込まれていた。高待遇だね。本当に。

 

「…こういう感じで今の貯金額か。ミスターシービー…侮りがたし」

 

 自分の部屋でのんびりとしながらそんなことを呟いてみる。もしかして夢では?と頬をつねってみればすごく痛い。ジャグは良い香りだし、珈琲は旨い。どうやらはやり、ここは現実味がありすぎる世界である。となれば、あとは、しっかりと練習を重ねて、目標の無敗の三冠ウマ娘を目指していくしかあるまいさ。



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時は進む

 紙巻きのTHE Peaceをトレーナーと分け合いながら、私は中山競馬場…競バ場?まぁ、そこはいいか。競バ場の喫煙所でのんびりと時間を過ごしている。

 

「いや、なんつーか。お前は規格外だなぁ」

「そうかな?割と危ない勝利だったと思うけど?」

 

 ホープフルステークス。グレードにしてみれば1クラス。今日はそのレースが中山競バ場で行われた年末の一日である。ちなみに私は勝負服姿ではなく、すでに私服に着替えてラフモードだ。

 

「だってトレーナー。考えても見て?クビ差で2着のバイノシンオーに辛勝だよ。まだまだ鍛えたり無いよ」

「いや、それはお前がスタートをミスったからだろう。全く、何を見ていたんだ?」

 

 確かにスタートをミスしたのは私だ。ちょっと勝負服の靴が気になってねー…とは言えまい。初めて勝負服を着てレース場に出たせいで舞い上がって出遅れていましたーなんてちょっと恥ずかしい。

 

「…まぁ、ちょっとよそ見を」

「そういう所だ。シービー、お前は実力は十分にG1ウマ娘だ。だがまだ精神的に脆いところがある。皐月賞までの課題だな。厳しくいくぞ?」

「うへー」

 

 参ったと両手を上げてそれに答える。まぁ、たしかに精神的な癖のようなものは直さねばね。この、なんというか、好奇心に満ちた心の動きと言うか。

 

「とはいっても。シービー。お前は今のところ無敗で来てる。デビュー、黒松賞、ホープフルステークス。3連勝でG1ウマ娘とは、素直にすごい」

「ふふ、ありがと。でも、これもトレーナーのお陰だよ。欠点をしっかりと直してくれたしね。蹄鉄の接着剤の開発にも協力してくれたしさ」

「そりゃ、お前のトレーナーだからな」

 

 誇らしげに笑みを浮かべて、タバコを口に咥えたトレーナー。

 

「最高のトレーナーだね」

 

 私も呟いて、タバコを口に咥えた。…さて、今日のことをかいつまんで話せば、ホープフルステークスを私は走り、見事に追い込みで勝利した。ということだ。もちろん、ウイニングライブはENDLESS DREAM!!。夢のゲート開いて、輝き目指して、はよく言ったものだと思う。

 

「そういえばシービー。お前の同期のカツラギエースの話なんだが…ホープフルステークスには出る、っていう話じゃなかったか?」

 

 ああ、そんな話もあったね。でも、今日は彼女、ここには居ない。

 

「うん。話だったよ。でもね。カツラギから面白い提案をされてさ」

「面白い提案?」

「そ。ほら、私、無敗の三冠ウマ娘になるよって、少し前に宣言したじゃない?」

「ああ。確か…学園の全校集会の話だよな?」

「うん。そのときに私の宣言を聞いたカツラギがね、『それなら、私がシービーさんと本気でレースをするときは、クラシックレースからですね!』って息巻いてね。ホープフルステークスをキャンセルしちゃったんだよ」

 

 少し前。私は新たな楽曲の手本ということで、全校生徒の前で学園のステージに上ったときがあった。

 その際にケジメという意味も込めて『来年のクラシックで無敗の三冠を目指すから、よろしくね』と言ってみせた。反応は様々で、あの小娘がという職員の声もあれば、あのシービーさんが?という声もあれば、負けてたまるかという声もあれば、そんなの無理、という声も聞こえてきていた。

 

 ただ、それと同時に、カツラギやルドルフ、マルゼンといった実力のあるウマ娘たちから熱い視線を受けたのもまた事実だったりもする。うん。我ながらいい役者だと思うよ。特にルドルフからは。

 

『…ほう?君が、無敗の三冠を目指すか。そうか、私よりも先に君が目指すか…ミスターシービー。すぐに君を追いかけよう』

 

 なぁんてなかなかに熱い告白を受けてしまった。いやはや、言葉は優しいのだが表情がすごく硬かった。いやはや威圧感もすごくて本当に皇帝様は怖い怖い。怖いから。

 

『へぇー。いいよ。でも、ルドルフの脚で追いつけるの?アタシの末脚はキミのそれより切れるんだよ?知ってるでしょ?』

 

 怖いからちょっと挑発をしてみたり。

 

『…言ってくれるじゃないか。キミと走るのは…早くても再来年のジャパンカップか』

『そうだね。そうなるかなー』

 

 軽く私が答えれば、ルドルフは射抜くような眼でこちらを見つめてくれていた。いやはや、お熱い視線だこと。

 

『ならば、ひとつ約束してくれないか?再来年のジャパンカップで君は、ミスターシービーは、傷ひとつ無い三冠を掲げて、すべてのウマ娘を堂々と迎え撃って欲しい』

 

 そうきたか。と思ったと同時に、それならこちらからも条件があるんだけどねーと軽く口を開く。

 

『もちろん。ルドルフも…そうだね。傷一つない三冠を掲げて、再来年のジャパンカップに参戦してくれているとすごく盛り上がると思うんだけど、どうかな?』

『無論』

 

 ぐっと強めの握手を交わしたのは記憶に新しいところである。いやはや。マルゼンといい、ルドルフといい。本当に走ることが大好きなんだから。あの時のルドルフたちの顔を思い浮かべてみれば、顔が勝手にほほえみを作ってしまっていた。

 

「何を笑っているんだ?」

「ん?あー…ちょっとね。それはそうとしてさ、トレーナー。次のレース、何を走ろうか?」

 

 史実のミスターシービーならば、皐月の前に1レース走っているはずなのだが、果たしてどうなのか。ホープフルステークスを走った時点でここは明らかにウマ娘時空だしね。細かいことは気にしない。そう考えながらトレーナーの言葉を待っていると、意を決したようにこちらの瞳を見て、トレーナーが口を開いた。

 

「ミスターシービーの次のレースは皐月賞へ直行だ。今回のホープフルステークスでお前のレースの力は十分だと感じ取れた。ここからは基礎と精神を改めて鍛え上げる」

「わかったよ。ミスタートレーナー。キミがそう言うのなら」

 

 頷いて、タバコの灰を皿に落とした。pieceの缶に残っているタバコは残り16本。2本づつ吸えば8セット。この先、彼とはどのようなタバコを吸えるのだろうか。

 

「ふふ。皐月かぁ。楽しみ」

「ああ、そうだな。楽しみだ」



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周りから見たミスターシービー①

 ミスターシービー。その名がURAの間で囁かれ始めたのは数年前の事。噂ではURA役員の隠し子だの、トレセン学園の重役の隠し子だのという噂があるウマ娘だ。

 

 ただ、そんな噂を流すものは、後ろ指を指される事であろう。

 

 彼女の活躍っぷりは、メディアで彼女の姿を見ない日はないということから推して知るべしだ。URA広報のCM、広告、街中の壁紙。そういったものには軒並み彼女がいる。そしてそれだけ活躍する彼女であるが、その人柄は案外ととっつきやすい印象を受ける。

 

 以前、我々も彼女に取材を申し込んだのだが、二つ返事でそれに応じてくれた。そして、我々の

 

『なぜここまでURAの広報に力をいれるのですか?』

 

 という質問に対し。

 

『面白いから。それに、レース場にひとがいっぱい来たほうが楽しいでしょ?退屈しないしさ』

 

 と、笑顔で答えてくれたことが印象に深い。事実、彼女の宣伝効果なのか、ここ数年はウマ娘のレースを見に行く人が徐々に増えているのが事実である。昨今のマルゼンスキーの活躍や、TTGなどの活躍もありながら盛り上がってきたレース業界。その波に乗って、彼女の人気はデビュー前にも関わらずスターウマ娘の一員と言っていいだろう。

 

 そして、今か今かと待たれていた彼女のデビュー。それは急を持って我々の耳に届いたことは記憶に新しいだろう。

 

『今年から走るから。応援してね』

 

 世間に公表されたのは夏真っ盛りの一日。URAの新たなウイニングライブ曲が全国放送・配信されたあの日。日本のレース業界は激震を持って彼女のデビューを知った。そして、彼女の爆弾はそれだけに留まらず。

 

『やるなら本気でやるからさ。見てて欲しいんだ。無敗の三冠ウマ娘の誕生を』

 

 そう言ってニコリと笑った彼女の笑顔。その輝きは最初こそ戸惑いや嫌悪といった声もあった。だが、夏が過ぎて秋、そして冬になったときにその声は歓喜一色に染まる。

 

『三冠宣言のミスターシービー!第四コーナーを回る!ホームストレッチに入って一気に先頭に追いついた!バイノシンオー粘る粘る粘る!しかししかし!外からシービー!外からミスターシービーだ!ホープフルステークス!ジュニア級の頂点に立ったのはミスターシービー!無敗のままG1レースを制覇しました!』

 

 歓喜の祝福を受けながら拳を天に突き上げた彼女の美しさは、筆舌に尽くしがたいものであった。そして、更にもう一つの爆弾が彼女によって投げられる。

 

『勝っちゃった。応援ありがとう。何か質問ある?』

『シービーさん!無敗の三冠という宣言でしたが、本当に目指すのですか!?』

『うん。それに、こういう話になるといつも思うことがあってさ。聞いてくれる?』

『思う、事?なんでしょう?』

『いつまでも、素敵な神様がウマ娘の頂点に立っているのってさ、退屈じゃない?』

 

 にやりと、楽しそうな笑みを浮かべてそう言い切った彼女の顔が非常に印象的であった。

 

 ―素敵な神様。彼女が言うそれはきっと、あの伝説の五冠ウマ娘の事なのだろう。彼女がこれからどのような活躍を、どのような走りをURAのレース史に刻んでいくのか。我々は、これからも彼女の動向を追っていこうと思う。

 

―URA発刊雑誌:ウマ娘ファンより抜粋

 

 

 まだ暑さが残るトレセン学園の練習場。日が登る前から一人のウマ娘がそのコースを回っている。緩急をつけながら、口から熱い息を出しながら。一段落したのか、彼女がベンチで休憩していると。

 

「カツラギエース。精が出るな」

 

 ジャージの姿のウマ娘が彼女の背中に声を駆ける。まるで美しい絵画のような彼女はシンボリルドルフ。

 

「会長さん!お疲れ様です!」

 

 声を掛けられたウマ娘、カツラギエースは後ろを振り向くと、勢いよく立ち上がってルドルフに頭を下げていた。

 

「ああ、お疲れさま。・・・この場には他の者は居ないのだから、別に『ルドルフ』と呼んでくれても構わないぞ?」

 

 ルドルフ、カツラギ、シービー、マルゼンらは仲良く、と言っては何だが一緒に練習をする仲である。流石に他人がいるところでは会長と呼んでいるのだが、この場ではラフに接して欲しいというルドルフの気持ちを感じ取ったカツラギは、

 

「はい!ルドルフさん」

 

 そう言って笑顔を彼女に向けていた。満足そうに笑顔を浮かべるルドルフ。2人はベンチに座りながら、フォームやこれからのことを軽く話し始める。

 

「カツラギの仕上がり、なかなか見事だな。トモも最初に出会ったときに比べれば相当だ」

「ありがとうございます!でも、ルドルフさんに比べるとまだまだ。練習で見せてくれる強いレース展開、憧れます」

「褒めても何も出ないぞ?」

 

 そうやって談笑をしているさなか、自然と会話はあのウマ娘へと流れていく。

 

「あ、ルドルフさんはシービーさんの宣言どう思いました?」

 

 あの宣言。全校生徒の前どころか、全国中継されている中での

 

 『無敗の三冠目指すからねー』

 

 という爆弾発言。言い方は軽かったのだが、その重さたるや豪雨の中の不良バ場以上の物がある。

 

「全く、ミスターシービーの口から飛び出た言葉は間違いなく、全ウマ娘に対しての宣戦布告だ。様々な方面から色々と連絡が来ていてね。対応する我々の身にもなってほしいものだけれどね…」

 

 ふうとため息をついたルドルフ。だが、その顔はその言葉とは全くの別物だった。

 

「あはは…お疲れ様です。でも、ルドルフさんすごく楽しそうですね?」

「ああ。彼女のようなウマ娘がレースを盛り上げてくれるのは願っても無いことだからね。それに、キミもいるし」

 

 ルドルフは流し目でカツラギを見つめた。

 

「私ですか?」

 

 少し困惑の表情を浮かべるカツラギ。ルドルフは人差し指を立てると、やわからな表情を浮かべる。

 

「うん。小耳に挟んでいるぞ?『ミスターシービーさんとはクラシックで本気で競い合うんです!』とトレーナーや同級生に豪語しているそうじゃないか」

「はい!だって、一緒に練習している仲ですし、デビューが同期ですから!シービーさんとは追いつけ追い越せの仲です!」

 

 ふんすと鼻息を荒くして、胸の前で両手をぐっと握り込む。気合十分といったところだろう。

 

「そうかそうか。じゃあ、キミも無敗の三冠を目指すのかい?」

 

 そう問いかけたルドルフであるが、カツラギエースの表情は少し硬かった。

 

「うーん…ご存知かと思うのですけれど、私は不良バ場が苦手なので…天候次第ですかねー」

 

 確かにとルドルフも頷いた。良バ場のカツラギは己やシービーとタメが張れる。だが、ダートや雨の中の不良馬場ではどうも脚がうまく動かないらしい。目下、改良中らしいが。

 

「でも、三冠は取る気合で行きます。シービーさんに負けていられないですから」

 

 そう言ってルドルフの眼を見つめ返したカツラギエース。その瞳の中に確かに燃えるものを見たルドルフは満足そうに頷く。

 

「そうかそうか。頑張ってくれよ」

「はい!…そういえば、ルドルフさんも来年にはデビューするんですか?」

「ん?ああ。まだ公言はしていないが…誰から聞いた?」

 

 訝しげにカツラギを見るルドルフ。というの、まだトレーナーも決まっていないのだ。ルドルフとしては知られるのは少々抵抗がある事案である。もし変な場所から漏れているのであれば、抗議の一つでもいれてやろうか、などと考えていた彼女の考えは、次の一言で霧散する。

 

「シービーさんからです。ルドルフとジャパンカップで走るのが今から楽しみだーって鼻歌まじりに言われましたよ」

 

 ああ…と納得して、ルドルフは少々額に手を当てた。まぁ、彼女なら悪意もなくそうするか。そりゃあそうするよな。と一人納得する。

 

「…そうか。全く、彼女らしい。ところでカツラギエース。まだ体力に余裕はあるか?」

「はい。まだまだ元気ですよ!3000ぐらいなら余裕です!」

 

 ふんすと鼻息荒く笑顔を浮かべるカツラギ。ならばとルドルフも笑顔で彼女にこう提案を投げた。

 

「じゃあ、始業まで並走をお願いできるだろうか?距離は2400で左回り。どうかな?」

「2400の左回り…?あ!ええ!もちろん良いですよ!走りましょう走りましょう!」



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ウマ娘たちの休日

「位置について!」

 

 右手を上げて合図を出せば、数名のウマ娘たちの腰が下がる。それを見届けると同時に、勢いよく右手をおろしながらこう、叫ぶ。

 

「よーい…どん!」

 

 ウマ娘たちは跳ねるように、次々スタートラインから飛び出していく。そのさまはまるで、引き絞られた弓が放たれた時のようであり、彼女らは鏃とも言えるだろう。

 

「やあああああああ!」

「はあああああああ!」

「シャアアアアアアア!」

 

 土煙を上げながら彼方へと消えていくウマ娘たちの背中を見送りながら、軽くパイプを銜え直して煙を吹かす。私の今の姿は、残心の心意気。そう思う私の前に、更にもう1団のウマ娘たちが並び始める。

 

「さー、負けないぞー」

「あははは、こっちこそ!地方だからってなめてもらっちゃ困るよ?落第寸前でしょキミ」

「なにをー!?こっから私の伝説は始まるんだよ!」

「あははごめんごめん。じゃあ、まずは私に勝ってみせな?」

「当たり前!ミスターシービーさん、スタートをよろしくお願いします!」

 

 そう言いながら私を急かす彼女ら。大井のウマ娘と、中央のウマ娘。この場には、その他にも関東各地どころか日本中から集まったウマ娘たちがいる。

 

「ふふふ、いいね君たち。でも、もうちょっと待ってね。他の子達の準備がまだだから」

「はい!」

「はーい!」

 

 準備をするウマ娘たち。宇都宮、高崎、足利、遠くは三条や中津といったところからもウマ娘たちの姿があった。

 

「えーと、君たちの名前、聞いていいかな?」

 

 並んだ彼らにそう声を掛けてみれば、皆、笑顔で自己紹介をしてくれていた。…2人だけすごくでかい体格だけど、どこから来たんだろうか?

 

「宇都宮のルーブルシルバーです」

「パスキネルクラウン。高崎からです」

「ミナガワマンナ!中央から失礼します!」

「フルイチエースです。大井から参戦よろしくお願いします!」

「足利のイズミタロウです!」

「三条からお邪魔してます。アサクラシヤドー。こっちはコウチライデンです」

「シバハヤブサといいます。こちらがマルカラナーク!中津からお邪魔してます!」

「ばんえいから失礼致します。タカラタイトルとタカラフジと申します。ジャンルは違いますが…よろしくお願いします!」

 

 なるほど…大柄な2人はばんえいか。そりゃあデカいわ。すごくトルクがありそうな足回りだ。…うーん。なんていうカオスなスタートラインだこと。そう思っていると、最後の一人が名乗りを上げる。

 

「中央。タケホープ。すでに引退した身だけれど、よろしく頼むよ」

 

 まさかの名乗り。名ウマ娘の一人と言える彼女も、足首周りをほぐしながら一列に並ぶ。いやはや、大先輩がこんな場所に来られるとは思っても居なかった。だけれど、他のウマ娘たちは気後れなんてしていない。

 

「伝説のウマ娘とご一緒出来るなんて!夢みたいです!」

「あはは。その期待を裏切らないよう、本気で走らせてもらう。さ、ミスターシービー。音頭を頼むよ?」

「無論です。それでは、位置について!」

 

 スタートライン。地面に靴で描いた、本当にみずぼらしい一本のくぼみに、彼らの前足がかかる。ここは名もなき河川敷。ゴールは、遠くに見える橋の袂。

 

 直線、2000メートル弱。ダートでもターフでもないただの土の大地。小細工なしの一本勝負。レースの世界なんて関係ない。ただただ走りたい彼らが集う、夢の大地。

 

 右手を高く掲げてみせれば、皆一様に腰を落とす。

 

「よーい!ドン!」

 

 大地が揺れる。大地が弾む。ウマ娘の歓喜が、寒空の空気を沸かせていた。

 

 

 バイクで学園に乗り付けた私は、ヘルメットを片手にトレーナー室へと脚を運んでいた。ノックを数回してドアを開けてみれば、書類の山と栄養ドリンクの空き瓶に囲まれたトレーナーがこちらを覗き込むように見つめる。

 

「お疲れ、シービー。良いリフレッシュになったか?」

 

 応接用のソファーにヘルメットをぶん投げ、その横に座りながら笑顔を浮かべてトレーナーへと言葉を返す。

 

「うん。良い休みになったよ」

 

 私が出向いていたのは、トレセン学園近郊の河川敷だ。誰でも練習できるそこはもともと私設の飛行場だったらしい。それを学園長が買い付けて2000メートル級の直線コースにしたのだとか。思い切りが良いよね。

 

「刺激も多かったしね」

 

 それにしてもばんえいのウマ娘のダッシュはやーばかった。土煙の上がり方がまさに重機。その横を華麗に抜けていく伝説の一人のタケホープさんの鋭い加速の足、負けじと追いかける若いウマ娘たち。まさに青春の一幕である。

 

「そうか。それは良かったな。それにしても、今日は車じゃなくてバイクなんだな」

「うん。遊びのときはバイクとタバコは外せないでしょ?」

 

 そう言いながらパイプを懐から出して、ひらひらと揺らして見せる。もちろん、このトレーナー室は禁煙なので、吸うことはない。

 

「なるほどな。お前のスイッチの切替方法ってやつなのか?」

「そ。真面目にやるときは車で禁煙。遊びのときはバイクで喫煙。ああ、でも勘違いしないでね?遊びだろうが本気だからさ」

「そりゃ判ってるよ。普段学園にはバイクで乗り付けているくせに、誰よりも練習している姿をこの目で見ているからな」

「しっかりと見ていてくれて恐悦至極だね。それはそうとして…その書類の山、どうしたの?」

 

 トレーナーはああ、という顔をしながら書類を一枚手にとってひらひらとさせていた。

 

「学園外からのお前への取材依頼や出演依頼の紙束だ。基本的には断っているんだが、たづなさんから目を通しておいて欲しいって言われてな」

「ふぅん?断っているのに?」

「ああ。学園の方針をトレーナーと共有したい、ということだ。お前も見るか?」

「私が見ていいやつ?」

「かまわないさ。そもそも断っている案件だし」

 

 ぺらっと渡された数枚の紙束をソファーに座りながら見てみれば、ああなるほど、断って当然の依頼ばかりだ。グラビア撮影や、体を張ったバラエティー撮影、あとは有識者との討論などなど。正直めんどくさそうな仕事の依頼ばかりである。

 

「基本、URAの広報以外は断っているってのが学園とURAの方針だ。あとはあまりにも安い依頼だな。加えて金銭以外でお前の価値を下げかねない依頼も断っている」

「金銭以外?例えば?」

「グラビア撮影、バラエティー、性産業全般に民間企業のコラボ商品とかだな。ああいうのはURA側でなんとも出来ない部分があるし、どうしても利害が絡んでめんどくさい話になるからな」

「そっか。判ったよ」

 

 紙束をトレーナーに返せば、受け取ったそれをシュレッダーに直接叩き込んでいた。うん、なるほどね。そういう扱いをして良い書類なわけだ。

 

「ああ、それはそうとして、明日からの練習だが」

「お、なになに?新しい練習でもするの?」

 

 思わずソファーから起き上がって、トレーナーの横に体をつける。と、そこにかいてあったメモには、少々顔をしかめる文言が書いてあった。

 

「プール練習…」

「ああ、スタミナと筋肉の柔軟さを維持するために基本的にはプール練習をしてもらう。ターフを走るのは最後の30分だけだ」

「プールかぁ」

 

 正直言えば、あんまり泳ぐのは得意じゃない。ちらりとトレーナーの顔を覗いてみれば、彼もそのことは判っているようで、少々苦笑いを浮かべていた。なんだい。判っているのなら避けてくれればいいのにねー。

 

「苦手なのは解るが、お前の三冠への道筋には必要な練習だ。やってくれるか?ミスターシービー」

「…そう言われちゃあ、やらざるを得ないじゃないか、トレーナー。全く。今度美味しい珈琲でも奢ってね?」

「そのぐらいならお安い御用さ」

 

 ため息を吐きながら再度、ソファーへと座り込む。うーん…プールかぁ。ビート板でバタ足がせいぜいなんだけどねぇ…。あ、いや、でもまぁ、考えようによっては男だった時から続いたカナヅチを克服するいい機会かもね。うん、気持ちを切り替えて、明日からまた頑張っていこう。



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プール練習、お姉さんと共に

「はーい、シービーちゃん力を抜いてー?いち、に、いち、に」

 

 マルゼンに手を引かれてバタ足でなんとか体を沈ませないように水中を往く。いやはや、この歳になって…こう、水泳を習うとは思わなんだ。というかマルゼンは泳げたんだねぇ…ってそりゃそうか。水着ガチャもあったぐらいだし…。羨ましい限りで。それはそうとして、そろそろ脚が辛くなってきた。

 

「マルゼン、ちょっと休憩させてほしいんだけど」

「あら、もう音を上げるの?シービーちゃんったら、意外と根性なしね?トレーナーちゃんも見てるわよー?」

「ぐ…判ったよマルゼン!」

 

 ちらりとトレーナーを見てみれば、こちらをどこか呆れた眼で眺めていた。う、そんな眼で見ないでくれると助かるなぁ…。苦手なものは仕方ないじゃない?とはいっても、本当、なんとかしたいところだね。

 

「はい、いちにーいちにー。ちょっと顔を水につけてー、そうそう!上手よ、シービーちゃん!」

 

 泳ぎながら水の中に顔を突っ込むとか正気の沙汰じゃない。クロールとか出来る人意味わかんない!背泳ぎなんか沈むしさぁ!なんなの一体!バタフライと平泳ぎなんて異世界の泳ぎじゃないか!ヒートアップした私の頭の中が表情に出ていたのだろうか。マルゼンが苦笑を浮かべていた。

 

「そんな顔しないのー。ほら、力を抜いて、お姉さんに体重を預けて。そうそう。はい、イチニー、イチニー、顔をつけてー、はい、顔を上げて息を吸ってー」

「そうは、いってもさ!」

「もう少しで足を着かずにコースを泳ぎ切れるわ。そうしたら、休憩にしましょ?」

「もう少し?本当?」

「ええ。本当。ほら、いちにー、いちにー」

 

 ええい、ここまで来たら最後までやるしかあるまいて!沈まないようにバタ足をしながら…力を抜くっていってもついつい力入っちゃうしなぁ。ううーん…ううーん。これは、前途多難だ!

 

 

「お疲れ。マルゼンスキーもありがとうな。シービーの練習に付き合ってくれて」

「いいのよ。私もプール練習の予定だったし。かわいいシービーちゃんを見れたしね?」

「はは。あんまりこのシービーの姿を言いふらさないで貰えると助かるな」

「判ってるわ、シービーのトレーナーちゃん」

 

 結局あれから2時間ほど、休憩をはさみながらみっちり水泳の練習をした私は、プールサイドに座りながらこれでもかと言わんほどの倦怠感に包まれていた。生まれたての子鹿のような脚とも言う。しばらくは立ち上がりたくないね。…精神的にちょっと…正直辛い。

 

「ほらシービー。いつまでそんなショボクレてるんだ。外のコースで仕上げ、行くぞ?」

「…はーい」

「ったく。泳げないのは聞いていたが、ここまでとはな。でも、飲み込みは速いんだから1週間もすりゃあ泳げるようになるだろうよ。な?マルゼンスキー」

「ええ。今日だけでも顔をつけて5メートルは一人で泳げたんですもの。シービーちゃん、才能あるわよ?」

「…そう?じゃあ、明日からも頑張る」

 

 そう言って、私は軽く伸びをしてから立ち上がる。うん、たしかに疲れてはいるけれど、まだ走れそうだ。いやはや…不甲斐ない事この上なしだ。全く、ライブとかはすぐに適応できたのにね。ミスターシービーも水泳は苦手だったのだろうかね。精神も体も水泳が苦手ってことか、今の私は。厄介だ、厄介だ。

 

「もう、シービーちゃん。そんな顔しないの。ほら、笑顔笑顔」

「そうはいってもマルゼン。ここまで泳げないものだとは自分でも思っていなくてさー。落ち込むよ」

「ふふ。落ち込む、ってことは本気で取り組んだってことよ?明日からまた頑張りましょう?」

「うん」

 

 とりあえずはジャージに着替えるためにマルゼンと一緒に更衣室へ。水着を脱いでジャージに着替えるわけなのだが、プールの水のせいだろうか、少々髪の毛が傷んでいる。私だけなら気にしないんだけど

 

「あら、そのままいっちゃうの?」

 

 私に待ったをかけたのはマルゼンスキー。その片手にはシャンプーとトリートメントが握られていた。

 

「…やっぱりダメかな?どうせ、ほら、ターフを走った後にお風呂入るし…」

「ダメよ!全く。一瞬でも油断しちゃったら魅力が半減するわ。女の子はいつでも可愛いの。ほら、これ、貸してあげるから、しっかりと手入れしてきてね?」

 

 手渡されたのはボディーソープ、シャンプー、トリートメントにボディクリーム。うん…私はまだ女の子としての自覚は薄いらしい。色々意識はしているんだけどねー。

 

「ありがと。じゃ、ちょっとシャワー浴びてくる」

「そうしなさい。汚れを落とした後、しっかりクリームとトリートメントでケアするのよ?」

 

 マルゼンはそう言いながら、私の背中を押した。うーん。可愛いというのは、なかなか、大変なんだねぇ。男ではわからない感覚だよ。



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夜中のバイクと3時の出会い

 練習を終えた私は、久しぶりにバイクで首都高を流していた。C2からC1へ、時々湾岸線へ。のんびりとのんびりと。寒空の中では相棒の調子も良い。気づけば東京タワーのライトが落とされ、首都高を走る車もほとんど消え去っていた。

 

「プール…まぁ、なんとかビート板で泳げるようにはなったけど…クロールはまだ遠いなぁ…」

 

 思わず遠い目を浮かべてしまう。毎日のようにプール練習プール練習。まー…スタミナはついたけどね、間違いなく。

 

「お、駒形か。そうだな、C1に入る前に休憩しとこうか」

 

 首都高、駒形パーキングエリア。C2からC1に入る手前。首都高6号線の上りにあるそれは、小さな小さなパーキングエリア。スカイツリーが見えるということで少しばかりの穴場スポット的なところである。喫煙所、トイレ、自販機を備えていて、案外と混雑も少ない場所だ。

 

「ふぅ」

 

 軽く花を摘み、缶コーヒーを片手にパイプを燻らす。時折通り過ぎるスポーツカーやバイクのエキゾーストノーズが心地よい。

 

「それにしても…無敗三冠かぁ」

 

 言った手前本気で挑むが…うん。なかなかプレッシャーがね。弱気にもなるというものさ。ミスターシービーならば出来る。とはいえ私はそうじゃない。夜の闇のせいだろうか。どうも弱気になってしまうね。

 

「…ふー。今日は悪い方にバイクが入ったかなぁ。うーん。もう2~3周、C1走ったら家に帰るかなー」

 

 そう言いながらヘルメットを被り、相棒に火を入れた。駒形パーキングは出口の合流、加速車線が短い。体制を整えて、一気にアクセルを撚る。回転数は一気に5000を超えて、体が一気に本線へと飛び出した。この先は3つのジャンクションが連続で続く。控えめに走ろうかと思った瞬間だ。

 

「お?」

 

 後ろから来た一台のバイクにふいに追い抜かれた。ちらりと車種を確認してみれば、私と同じ空冷四気筒、1140cc、タンクの横とシートの後方にはメーカーの名前が記されていて、メッキパーツが東京の夜景に照らされてギラギラと輝いている。

 

「いいね。判ってる」

 

 ふと、あちらのライダーがこちらをチラリと覗いてきたような気がしていた。そして気づく。あのヘルメットは見覚えがありすぎる、と。

 

「…」

 

 言葉が出なかった。なにせあれは、私のものと同じステッカーカスタムのヘルメットだからだ。オリジナルのステッカー。それはミスターシービーの勝負服である黄山形一本輪をポイントで左後ろに貼り付けてあるオリジナルのもの。あんなもの、私以外につけるやつがいるものか、と。

 

 それに気づくと同時に、かのバイクからハザードが炊かれる。それはつまり、イケない勝負のお誘いだ。

 

「…夢か現か。いいよ。やろうか」

 

 私もそれにハザードで返せば、かのバイクが私の横につく。ヤツのヘルメット中はミラーシールドのお陰で察することが出来ない。だが…ヘルメットから髪の毛が少し出ている事からして、長髪であることだけは解る。と、ヤツがふいに右手を上げてくるりと一周させるジェスチャーを見せた。

 

「右回りで勝負ってわけね。いいよ」

 

 右手を上げてみれば、ヤツは左手で挨拶をするようにジェスチャーをしてから、私の後ろに着いた。先頭は譲るってか。舐められたものだ。いやまぁ、本来、私はこんなことをする性格ではないんだが…ウマ娘になってから闘争心が高まりすぎている。正直、どんな形であれレースは楽しくて仕方がない。

 

「ふふふ」

 

 スタートはきっとこの先の江戸橋ジャンクション。そこから一周。私がこのまま先に戻ってくれば私の勝ち。抜かれれば負け。シンプルだ。両国ジャンクションを過ぎる。キツイカーブの手前でブレーキを踏み、フロント荷重で車体を寝かせていく。ミラーで後ろを見ればピタリと付ける丸目のバイク。正面に視線を戻せばふと、センターの液晶に表示された時間が目に入る。

 

「3時35分か」

 

 夜明けが近い。もう一戦は無理だろう。箱崎を抜けていよいよスタート地点。ならば負けるのは気に食わない。そうさ、どうせやるなら。

 

「本気で行こうか!」

 

 ギアを落とす。エンジンが唸りを上げる。回転数は4000、一番美味しいところの手前。江戸橋ジャンクションのキツイ左カーブを抜けてC1唯一の直線へ頭を向ける。この加速で負ける訳にはいかない。同じエンジン、同じ足回りなら度胸で勝負は決まる。右手を思いっきり捻れば、体が後ろに持っていかれるような強烈なトルクと、エキゾーストノーズが相棒から伝わってくる。

 

「やっぱりぴったり背中についてくるね。全く、あのヘルメットの中身は誰なんだか!」

 

 ミスターシービーになってから、バイク仲間というのは存在していない。いや、そもそも私にバイクの仲間は居ない。一人で走る。それこそが至高のひとときなのだ。

 そう思うのもつかの間、京橋ジャンクションの近くで半地下になった道を更に加速する。そしてそこからはテクニカルなカーブと、アップダウンが続く道に入っていく。その合図が、ちょうど道の真ん中に立っている橋脚だ。『カーブ注意R90』の看板を通り抜けて一気にブレーキング。私は橋脚の左、かのバイクは橋脚の右を通る。

 

「並ばれた」

 

 橋脚の先。すぐに左のカーブになっているため、左側…カーブの内側を通った私はどうしてもスピードが落ちる。外側のヤツはスピードに乗ったまま私に横並びだ。とはいえここで抜かれるのも癪だ。体を下げて、アクセルを回す。右へ左へ、全くの横並びで橋脚部を私はまた左、そしてヤツは右を通る。ここからまた少しの直線。半地下であるからか、お互いのエキゾーストノーズが響き合い、不思議なハーモニーを生んでいた。

 

「なかなかやる、ね」

 

 高層ビル群の中を抜けながら、並走する私とヤツ。右へ左へ流れる道路。お互いに一歩も譲らぬC1の右回り。気づけば汐留トンネルへと私とヤツの車体が飛び込んでいった。唸るエンジン、タイヤがアスファルトを斬りつける音。不思議とギアチェンジのタイミングまで同じのようだ。

 

「ちっ」

 

 舌打ちをしながら汐留トンネルを抜けて浜崎橋ジャンクションへ一気に近づく。高架になった首都高は、大きく右に、左にと揺さぶられるコーナーが待ち構え、正面に見えるは巨大な高層ビル群だ。高揚する気分を抑えながら、右手のアクセルと体重移動でコーナーをクリアしていけば、奴はすっと後ろに下がった。浜崎橋はタイトなコーナーな上に、途中で左からの合流がある地点だ。無理に並走すれば下手すりゃ大事故。判っていやがる。

 

「同じバイクの乗り手として尊敬するね、全く」

 

 そして浜崎橋ジャンクションのカーブを抜けて一瞬の直線。右手のビル群の間から東京タワーが見える。それを見ながら左へと大きくコーナーをクリアしていけば、連続で細かいコーナーが続く。ミラーをちらりと見てみれば、ピタリと後ろに奴は着いている。どうやら先程のような横一線という無茶はしないらしい。

 

「急に大人しくなったね」

 

 そこから暫く、コーナーを抜けても、直線に出ても、奴は私の後ろにピタリと着いてきていた。なかなかいやらしい。プレッシャーが並じゃないね。

 そうやっているうちに、トンネルを過ぎて江戸城の半蔵濠の横に飛び出した。ここからはもうコーナー勝負。右に行ったと思ったら左に下りながらトンネルへ。そうかと思えばトンネルがすぐに終わり登りながらの右カーブ。ビルが眼前に出迎え、星空は見えやしない。そして更に右へ大きくカーブしていけば、エンジンの回転数も、エキゾーストノーズも最高潮へと盛り上がる。

 

「そろそろゴールか!」

 

 緑の標識を見てみれば、ジャンクションの案内が見て取れた。あと1キロもない。奴は未だに後ろにピタリだ。右車線を陣取り、ヤツの行動を封じておく。

 この先、勝負どころはジャンクションの右カーブのみだ。一番右の車線からしか入れないその道は、すぐに一車線になり、そして最初の合流地点へと入る。

 

 つまりは右車線、しかもインを閉めていれば有利。最後の左カーブを抜けて、数百メートルもない直線をアクセル全開で流せば、奴は行き場を失う。

 

 その予想の通り、羽田という地面の文字を切りながら右へと大きく車体を向ければ、奴は速度を落としながら、少し左へと車体をズラしていた。

 

 どうやら勝ったか。そう思ったのもつかの間だ。

 

「うっそだろう!?」

 

 江戸橋の一車線の右カーブ。インを着いた私の左。外からよく聞き慣れたエキゾーストノーズが一気に私に近づき、そして追い抜いていった。そして抜きざまに、左手でピースサインなんか向けてきやがった。そして、抜き返す間は無く、ヤツが先頭。私が2番目で最初の直線へと戻ってきてしまっていた。

 どうやら最後。大外に車体を振ることで速度が出るラインに車体を載せて、インを締めた事によって速度の落ちた私を、見事に大外から追い抜いていったらしい。あのカーブでよくやる。私の常識じゃああり得ない走り方だ。大した度胸と技量だなぁと感心するばかりだ。

 

 こりゃあ私の負けかと納得して、ハザードを炊けば、あちらもハザードを炊いて私の車体の横に着ける。

 

「やるなぁ」

 

 そうつぶやきながら、私は親指を立てておく。すると、ヤツは左手の人差し指でヘルメットの後方に貼ってある黄山形一本輪を指さした。そして、その人差し指を立てたまま、ヘルメットの正面にそれを持っていく。なんだろうか?そう思ってヤツの人差し指を注視してみていれば、次の瞬間。

 

 ピストルのような形を作り、軽くこちらにそれを向けた。同時にヤツのバイクが加速して、あっという間にテールランプが小さくなっていく。

 

「…」

 

 ギアを落としてクールダウンに入る。前を向けば、完全に、奴はもう居ない。モニターの時間を見てみれば、すでに4時を回っていた。やつの正体は判らない。でも、多分。

 

「またどこかで会える気がするね。キミとは」

 

 一人、そうヘルメットの中でつぶやきながら、夜のC1を走っていく。綺羅びやかに輝く東京の街並みと、そびえ立つ東京タワー。今日はその輝きがより一層強く見えたのは、気の所為ではないのだろう。

 



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皐月の香り、未来の香り

 時がすぎるのは早いもので、気づけば既に4月に入り、学園であっても新入生たちの姿がチラホラと目に入る。学園内のモニターには見慣れた私のURA宣伝PVが流れ、いよいよクラシック初戦、皐月賞の香りを感じられた。

 

「どうでしょうか、ミスターシービーさん、新素材『錆びない蹄鉄』の使用感は」

 

 ターフを走り終えた私にそう語りかけてきたのは、蹄鉄メーカーの担当者佐藤さん。昨年から改良に改良を重ねた二種混合装蹄剤はいよいよ、完成の日の目を見た次第だ。練習靴でも、本番用の靴でも釘での打ち付け方と耐久力は変わらない。

 

「問題ないね。追い込みも、スタートも気持ちよく切れるよ。デキが良すぎて、先に薄い靴底がダメになっちゃいそう」

「それはそれは。また何か改良点がありましたらご連絡を。すぐに対応させて頂きましょう」

「うん。お願い。ああ、そういえばマルゼンとカツラギ…あとルドルフの方はどう?」

 

 さりげなく3人についても聞いておく。この接着剤を使用してくれているウマ娘は今のところ私以外では3人。マルゼンスキー、カツラギエース、そして皇帝だ。このメンツだけで逃げ、先行、そして追い込みのスペシャリストたちのデータが揃うわけで、メーカーとしても万々歳。

 ちなみに、ギャロップダイナ・ニホンピロウイナーのお二人も見かけたのでお声がけをしておいた。なにせこの2人、後の『あっと驚くギャロップダイナ』とサクラバクシンオー以前の短距離最強馬がきっとモデルのウマ娘。怪訝な顔をされたけれども、きっとお気に召してくれることだろう。

 

 

「お三方にも使用していただいておりますが、概ね好調ですね。特にマルゼンさんは『薄い靴底ですごく良い感触でターフを感じられる、非常に走りやすくなった』と特に好感触を頂いています」

「そ。それはよかった」

「他のウマ娘、お声がけを頂いたギャロップダイナさん、ニホンピロウイナーさんにも使用していただく算段が着いていますので、より一層良いものが作れそうです」

 

 いいねいいね。ふふ、ギャロップとピロウイナーはまぁ、私の趣味だけど、いずれ本気の彼女らと彼女らの舞台でバトルしてみたいものだと思う。史実なんて蹴っ飛ばしてね。

 

「それじゃ私はもう一周ターフを走るけれど、佐藤さんはどうされます?」

「私はそろそろ会社に戻ろうかと思います。新たなデータも取れましたので、錆びない蹄鉄の改良に勤しみますよ」

「承知しました。では、また!」

「ええ、ではまた。ああ、皐月賞、期待しておりますよ!」

「ありがと!」

 

 笑顔で手を振る彼を後目に、私はターフへと駆け出した。一歩一歩、足の裏に伝わるターフの感触が気持ち良い。ぐっと力を加えても、蹄鉄が外れる様子もない。

 

「三冠への関門、1つ目はクリアだね」

 

 ―さて、気合を入れてこの皐月までの数日、体を仕上げていこう。実のところ、私は史実のミスターシービーが蹄が弱すぎたことは知っている。『彼の現役時代、エクイロックスがあれば』なんて言われたことも、よく知っている。

 

「せっかく史実を知っている私がミスターシービーになったんだ。そりゃあ、変えるでしょうよ」

 

 ぼそりと呟きながら、コーナーを回る。ふふふ。雨の菊花賞は、私が一番好きなレースだ。ああ、そうだ。私はミスターシービーに恋をしていたとも言っていいだろう。

 

 

 競馬場で見たミスターシービー。それは、私からすれば憧れのようなものだった。

 

 

 君はまるでトンボ玉のようだ。見る方向で、美しさが全く違う。

 

 

 苛烈な面もあれば、静かな面もある。きらびやかな面もあれば、朗らかな面もある。

 

 

 キラキラしていて、うつくしくて、風のように爽やかで。

 

 

 有り体に言えば、一目惚れ、だったんだ。

 

 

 ただ、そう。ただ一つこころ残りがある。強いて言えば―。

 

「本気で万全のミスターシービーと、本気で万全のシンボリルドルフ。どっちが、どっちが強いんだろうね?」

 

 思わず口角が上がる。そしてこの世界ではその先まである。最速と言われたマルゼンスキー、史実ではジャパンカップで私とルドルフを抑えて勝利を収めたカツラギエース。彼らと競い合い、本気で切磋琢磨し、その先に迎える結末があるのならば。

 

「楽しくて仕方がないね!ふふふふ、あっはっはっは!」

 

 頭を下げて一気に最終直線。目に浮かぶのは逃げるマルゼンスキー、先行でその横にならばんとするシンボリルドルフにカツラギエース、外国のウマ娘たちも一気に上がっていく中で、私はその横を全力で駆け抜ける。駆け抜けて駆け抜けて駆け抜けて―!

 

「ゴール!」

 

 両の手を上げてみれば、そこにあったのはいつものターフ。他のウマ娘や、他のトレーナーたちは急に笑顔で叫びを上げた私を、怪訝な眼で見つめていた。

 

 でも、今はコレでいい。今はコレで。楽しみは、本番まで取っておこう。

 

「おつかれ、シービー。上がり3F35秒。上々だな。ほい、ドリンク」

「ありがとうトレーナー。うん、冷たくて良いねー」

 

 トレーナーから受け取ったドリンクを一気に飲み干せば、気持ちがすっと落ち着いていた。さ、舞い上がるのはここまでだ。

 

「どうだい、トレーナー。私の仕上がりは?」

「問題ない。踏み込みも十分、スタミナも着いてきた。この調子を維持していこう」

「わかったよ。トレーナー」

 

 私はそう言いながら、トレーナーに拳を差し出した。間髪入れずにトレーナーも拳を作り、私の拳と軽く合わせてくれる。いいねいいいね。こういう相棒感が堪らない。

 

「楽しそうだな?」

「うん。楽しくて仕方がない。万全に、本気のみんなと走れるんだもの。良いトレーナーも横にいるしね」

「そりゃあどうも。さて、じゃあ今日の練習はここまでだ、一服しにいこう」

「判ってるねトレーナー。今日はブルボンでいいかい?」

「ああ、ジャグはアークロイヤルで頼む」

 

 笑顔で頷けば、トレーナーは嬉しそうに目尻を下げてくれた。さてさて。いよいよ三冠への第一歩皐月賞が近い。どんなレースになるのか。ああ、本当に、本当に楽しみだ。



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雨に打たれた猛者共 滾る闘志を見届けて さつきの花は咲き誇る

―さあ4コーナーを抜けて先頭はカツラギエース!ミスターシービーは未だ中段に控えている!ニホンピロウイナーが内を回って差を詰めてきているがここでミスターシービーがスパートだ!泥の中山レース場!皆の勝負服が真っ黒に染め上げられた中でミスターシービーが猛烈に追い上げる追い上げるしかしカツラギエースも落ちない!内から食い破るように上がってきたニホンピロウイナー!そして大外から必死にかぶせてきたのはメジロモンスニー!

残り200!さあ並んだ横一線!皐月の栄誉は誰の頭上に輝くのか!


 ―さあついにやってまりいました。ウマ娘の天王山、クラシックの祭典。その初戦であります皐月賞!今年の皐月賞は一味違います。

 

 ―そのとおりですね。今年の皐月賞はURA肝いりの『ウイニングライブ』。その新体制での初クラシックG1となります。以前、ホープフルステークスでのウイニングライブの盛り上がりは記憶に新しいですからねー。楽しみです。

 

 ―はい!最初はどうだ?という声もあった新体制のウイニングライブ。ご存じではない方もおられると思いますので紹介いたしますと、今までのウイニングライブはウマ娘が感謝を伝えるために己の好きな楽曲を皆でステージで歌うというものでした。しかし、昨年のホープフルステークより、レースに楽曲をつけて、それをそのレースの勝者が歌うという新体制に変化しております。

 

 ―つまり、毎年楽曲は同じですが歌い手が違う。そうなると、やはり、推しのウマ娘を応援したくなりますねー!

 

 ―はい!まさに!今回はウマ娘の中でも特にCMなどに起用が多く、メディアに露出が多いミスターシービーが特に人気ですね。見事1番人気12番のミスターシービー。ウエスタンルックをイメージするパンツに、彼女のイメージカラーである緑色をあしらった上着と耳飾り。パドックでのお披露目の際も歓声が大きく上がりましたね!

 

 ―すごかったですねあれはー。これから本バ場入場ですが、更に大きな歓声が起こりそうです。2番人気はウズマサリュウ。3番人気はブルーダーバン、さっと髪をかきあげた彼女の笑顔が素敵です。そして4番人気コレジンスキーと続いておりますが、各ウマ娘、大いに気合が入っております。さあ、いよいよ本バ場入場。各ウマ娘が地下道へと消えていきます。

 

 

 いよいよ降り立った皐月賞の舞台。ホープフルステークスよりも全然人が多い。そしてウマ娘も総勢20人。お披露目のたびに歓声が上がるさまは、本当に気持ちが上がる。私も気持ちが乗ってしまって、ジャケットを投げた後、思わず投げキッスなどをしてしまっていた。

 

「ミスターシービー!がんばれよー!」

「ありがとー!見ててね!虜にしてみせるよ!」

「カッコイイー!」

 

 声援を受けながら地下のトンネルへと入っていく。ここを抜ければいよいよ本番のターフ。ふと、隣に人の気配。

 

「や、カツラギ。動き固くない?緊張してるの?」

「はい。すごく。でも、少しは緊張しているかと思ってたんですが、いつも通りなんですね、シービーさんは」

「うん。楽しくて仕方がないね。カツラギエースと走れるのが」

 

 そう行ってウインクを投げて見れば、カツラギは少し頬を赤くしてくれていた。うん、可愛い反応だ。

 

「私、シービーさんに勝ちたいです。でも、今日は足場が悪いので、きっと不利でしょう」

「うん。そうだね」

「でも、シービーさんもそれは同じ。追い込みにこの足場は向いていない」

「そうだね。私も不利かもねー」

 

 飄々と答えていると、カツラギは挑むような笑みを向けてきた。はて?

 

「…でも、ミスターシービーが追い込まないわけはない。あなたに常識は当てはまらないから。だから、私も、常識にとらわれない走りをします」

「…ふぅん?ふーん?良いことを言うじゃないかカツラギ。じゃあ、どっちが常識外れなのか。勝負のレースかな?」

「はい!クラシック。私が勝ちます!」

「残念、勝つのは()()()

 

 そう言いながら右手を差し出せば、カツラギも強い力で右手を握ってくれていた。さあ、いよいよターフだ。雨の皐月。史実の通り私が勝てるのか。それともカツラギが勝つのか、史実2位のメジロモンスニーが勝つのか、蹄鉄の技術を提供したニホンピロウイナーが良いところに追い込んでくるのか。

 

「楽しみだね。ああ、すごく、すごく楽しみだ」 

 

 

 ―雨が降りしきる中でファンファーレが鳴り響いております。20人のウマ娘が皐月の舞台に上がりました。芝の2000メートル。ちょうど芽吹き始めた芝の青葉が泥にまみれております。さあ、無敗の三冠宣言のミスターシービーが第43代皐月賞ウマ娘の栄冠を手にするのか、それとも、他のウマ娘の頭上に栄光が輝くのか。

 

 ―一週間前にちょうど桜が満開でした。その桜も全て散ってしまっているのですが、その代わりに、朝からの雨でスタンドいっぱいに傘の花が咲き誇っております。

 

 ―さあ、ウマ娘たちのゲートインが完了。注目のミスターシービーがどのようなスタートを切るのでしょうか!

 

 職員が退避しまして!今!皐月賞のスタートです!

 

 

 ぐっと脚を沈ませて、ゲートの開放と共に一気に前に身体を押し出した。どうやら他のウマ娘たちも非常に良いスタートを切ったようだ。うん、無理に前に行く必要はないだろうかと思ってさっと身体を下げてみたのだけれど、そうなるとすごいね。雨にウマ娘たちの脚によって跳ねられた泥が。一瞬で白い勝負服が真っ黒だ。

 

「…でも、嫌じゃない!」

 

 さあさあお立ち会いだ!周りを見てみれば全員どろんこ。カツラギもだ。お、カツラギが一気に先頭争い。なるほど…末脚を持つ彼女の奇策はコレか。逃げるわけだな!だが、これは史実通りと言えるだろう。だが、一緒に練習している彼女の実力は史実通りなのかと言われれば違う。

 

 さあ。2000メートルの旅路。楽しむぞ!

 

 

 ミスターシービーいいスタートを切りました!他の19人もいいスタートを切っております!

 

 さあ位置取りだ!誰が前に行く!内から鋭く行ったのはカツトップメーカー!そしてニホンピロウイナーも2人並んで先頭争い!ミスターシービーはすっと下がって中段に控えた!おっと、ここでカツラギエースも内から先頭に並びかける。

 

 第一コーナーを回ってミスターシービーは後方4番手外を回っている!あっという間に1コーナーを抜けて先頭は変わらずカツトップメーカー!2番手にはカツラギエースが着いてニホンピロウイナーが3番手!さあ向正面に入って各ウマ娘の位置取りが激しくなって参りました!

 

 先頭から最後尾まで20バ身ほどでありますがここでじわりと順位を上げてきたミスターシービーですがまだまだ後方に控えている!

 

 1000メートルを通過して先頭がカツラギエースに変わった!さあ再びのコーナー!第3コーナー!おっとここでミスターシービーが中段に上がってきたぞ!

 

 

 全身は既に泥だらけ。ウマ娘に巻き上げられるそれが時折身体にも当たり、目にも入り、痛みを私に伝えてきた。だが、そんなものはどうでもいい。どうでもいいのだ。

 

 10のハロン棒が後方にすっ飛んでいく。さあ、そろそろ行くか。少し脚に力を叩き込んで、前に、前に!泥を更に浴びる。ああ、全然、全然嫌じゃない!むしろ最高だ!

 

 ウマ娘になったからなのか。それとも、ミスターシービーになったからなのか。汚れることが、どろんこになる事が楽しいのか!いや、違う。レースが楽しいのだ!濡れようが、汚くなろうが、本気のレースが楽しいのだ!

 

 ウマ娘と競える事が何よりも至上!ああ、そうだ。レースを走っていると実感する!

 

 コーナーに入ってどんどんと順位を上げる。泥が巻き上がる。ウマ娘たちの吐息が聞こえる。本気の気迫が伝わってくる!

 

 思わず口角が上がる。ああ、ああ!そうだ!

 

「あはっ!あはは!あはははは♪」

 

 そうさ、そうだ!この言葉が私の気持ちそのものだ!

 

 愛してるんだ!愛しているんだ!そうだ!全力で愛している!

 

 全力で魅せる!ウマ娘!君たちを!

 

 

 ―さあ4コーナーを抜けて先頭はカツラギエース!ミスターシービーは未だ中段に控えている!ニホンピロウイナーが内を回って差を詰めてきているがここでミスターシービーがスパートだ!泥の中山レース場!皆の勝負服が真っ黒に染め上げられた中でミスターシービーが猛烈に追い上げる追い上げるしかしカツラギエースも落ちない!内から食い破るように上がってきたニホンピロウイナー!そして大外から必死にかぶせてきたのはメジロモンスニー!

 

残り200!さあ並んだ横一線!皐月の栄誉は誰の頭上に輝くのか!

 

 

 

 4コーナーを抜けていよいよってところで、カツラギエースに並びかける。ああ、必死に走る彼女の熱が、アタシに伝わってくる!

 

「行かせるもんか!」

「一人抜けなんてさせねぇ!」

「皐月は私の物なんだからー!」

 

 外からはモンスニー。そしてピロウイナー。見た名前のウマ娘が横から一気に攻め立てる。だがまだ、まだ君たちは足りない。まだこの体は余力がある。

 

 …いや、違う。湧き上がるのだ!ウマ娘と競い合うこの瞬間が、アタシの力を高めてくれる!ぐっと腰を沈ませて脚を一気に振り抜いた。

 

「はああああああああああ!」

「やああああ!」

「ぉおおおおおおお!」

「まだまだあああああ!」

 

 気合を入れて一気に前に出る。雨が顔に当たる。足元は非常に悪い。カツラギエースが叫ぶ。モンスニーが叫ぶ。ピロウイナーが叫ぶ!しかし、しかしこの脚を止める訳にはいかない!だって私はミスターシービー!雨の中山は、私の庭なのだ!

 

 

 ―真っ黒になって1人!真ん中から、真ん中から抜けてきたのは!

 

 ―ミスターシービーだ!ミスターシービーだ!外の方からメジロモンスニー!内から負けじとカツラギエース!しかししかしミスターシービーだ!ミスターシービーだ!

 

ミスターシービー優勝っ!!

 

 ―2着はメジロモンスニー3着はカツラギエース!そして最終直線で並んだニホンピロウイナーはバ群に沈んだ!

 

 ―ミスターシービー!見事、見事この不良バ場を追い込んで見事!足場をものともせずに勝利を収めました!これは強い!ミスターシービーは無敗のままで皐月の冠を手に入れました!

 

 

 大きく手を振りながらクールダウンを行ってみれば、大きい歓声が私の頭上に振ってきた。いやはや、この様と言えば筆舌に尽くしがたい。

 

「流石、早いなミスターシービー」

「君も。モンスニー。ふふふ、楽しかったよ」

「私もだ。今回は君にセンターを譲るが…ダービーではそうはいかないぞ」

「もちろん。でも、私も夢があるからね」

「ふ。ではまたライブで」

「また」

 

 2着を競い合ったモンスニー。良いウマ娘だ。お互いに軽くサムズアップで別れれば、彼女は地下のトンネルへと姿を消していく。

 

「やっぱり速いですね。シービーさん」

「カツラギも。まさかここまで逃げるなんて」

「不良バ場でしたから。シービーさんに勝つためには、逃げしか無いと思っていました」

 

 なるほどな。たしかに彼女の末脚は凄まじいが、良馬場限定というところがある。とはいえ、史実では掲示板を外した彼女だ。それを超えてきた彼女はすごいと思う。

 

「でも、ダービーでは私がセンターに着きますから。シービーさん」

「ふふ。それは楽しみ。でも、私がセンターだよ?」

「あはは。じゃ、またライブで」

「またね」

 

 彼女とは手を振りあって彼女はトンネルへ、私はターフを一周して観客の目の前に姿を晒した。大きく、大きく降り注ぐ歓声。ぞくぞくするね。思わず口角が上がる。

 

「まずは1つ目!」

 

 大声を上げて、人差し指を立てたまま、右手を天に掲げてみせた。

 

「「「「うぉおおおおおおおおおおおおお!ミスターシービー!!!!!!」」」」

 

 歓声に応えるように、投げキッスを返してみれば、更に大きな歓声が帰ってきていた。ふと、視界に映るは笑顔でこちらを見ているトレーナーの姿があった。

 

「ふふふ。やったよ。トレーナー」

 

 そう言いながら親指をぐっと立てて向けてみれば、トレーナーも同じようにサムズアップで返してくれた。よしよし。さて、ファンサービスは程々にしておいて、まずはウイニングサークルへ向かうとしよう。

 

 

「ミスターシービーさん!見事な勝利!おめでとうございます!」

「ありがと」

 

 興奮する観衆、そして、リポーターですらも興奮している。やはり、クラシックはすごいね。熱気が違う。

 

「早速ですが、今のお気持ちは!」

「素直に嬉しいよ。これも、応援してくれたみんなのお陰。ありがとね!」

 

 そうやって軽く手を振ってみれば、フラッシュが炊かれて非常に眩しい。うん、明日の一面はこれかなぁ?そして、勝利インタビューを続けているうちに、最終的に、この質問へとたどり着いた。

 

「そしてミスターシービーさん、無敗宣言をなされて見事、皐月の冠を手に入れましたが今のお気持ちを一言!」

「…そうだねー。ま、まずは第一関門突破かな。うん。すこしホッとしてる。それで、そうだね。期待していいよ」

 

 期待していいよ。その言葉を投げてみれば、驚くような表情をリポーターは浮かべていた。うん、いいねその反応、好きだよ。

 

「つまり無敗三冠を成し遂げてみせると!いや、素晴らしい心意気です!最後に、全国のファンに一言!」

「応援ありがとう。これからも、皆の期待に答えてみせるよ。ダービー、楽しみにしててね?」

 

 そう行ってウインクを投げたところでインタビューは終わりを迎えた。さ、ここからはいよいよウイニングライブの準備だ。無論、クラシックの曲はアレだ。さ、叫ぼうじゃないか!

 

 魂の絶叫を(winning the soul)




「ステイゴールドとThe pieceは準備しておくからな。ミスターシービー」
「ふふ。判ってるじゃないか、ミスタートレーナー。じゃ、後で」


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CHOO CHOO TRAIN

※12月~1月にかけて多忙につきまして更新頻度が落下いたします。週1目安です。


 学園の屋上で吸う煙草。クラシックの冠を被ったこの体で吸うそれであったのだけれども、良くも悪くもその味に変わりはない。

 

「うーん…なんだろうか。レース中は興奮したんだけれど、レースが終わるとなんだか…」

 

 身体が気だるくなるというか。車やバイクで言えばクラッチを切っている状態というか。ただ、エンジン…そう、エンジンだな。頭というか、心は回っている感じ。早くレースをしたい。しかしながら身体はまだそこに追いつかない。

 

「違う。そうじゃないね。どちらかというとこれは…」

 

 自分の思考を言葉で否定しながら、自分の心を感じ取る。ゆっくりとくゆらせる煙草の煙が青空へと吸い込まれていき、芳しく香る煙草の匂いが春風に乗り、辺りに漂い始めた。

 

「…」

 

 憧れ?いや、違うな。闘争?そうでもない。ミスターシービーへの責任感?そんなものはどうでもいい。楽しい?うん。楽しいけれど、この気持はまたそれとは違うもの。

 

「…焦り?」

 

 そう呟いた瞬間、なにかがカチリとはまり込んだ。ストンと腑に落ちるとも言える。

 

「焦りか。とは言え、何に焦っているんだろうね、アタシ?」

 

 実力?いいや、実力は十分だ。ダービーへのプレッシャー?いやいや、勝負は時の運。負けても勝ってもそれはきっと楽しいことだろう。

 

「楽しいよね。きっとワクワクするよ。でも何を焦っているんだろうか、私は」

 

 ふと、煙が消えた。どうやらジャグが完全に燃え尽きたらしい。コーンパイプを灰皿の上で軽く叩いて、灰を灰皿にしっかりと落とす。そして軽く中を掃除してみれば、何か違和感が伝わってきた。

 

「…ありゃ。コーンパイプの底、抜けちゃった」

 

 パイプを覗けば底から見える向こう側の景色。あっちゃあ。寿命だね。確か新しいパイプ…は、家か。あ、いやまてよ。こういうときのために…。

 

「あったあった。メープル」

 

 いつものコーンパイプとは材質の違うパイプ。カエデで作られたソレ。コーンパイプは正直に言ってしまえばすぐダメになる代物であるから、予備で喫煙所に置いてあったものだ。

 

「ま、味は好きじゃないんだけど」

 

 メープルの木材は、コーンパイプに比べると癖が少ないのが私にとっては欠点。ま、ジャグの味を感じるにはいいんだけどね。好みの問題だ、好みの。

 

「そうだねー…このパイプに合うジャグ…」

 

 家から持ってきているジャグはアークロイヤル、ダ・ヴィンチ、あとはチューチュートレイン。この中で比較的重いもの…。

 

「うん、チューチュートレインでいいかな」

 

 缶を手に取って開けてみれば、うん。この香り。甘いバニラの香りだ。そして、この煙草の特徴、刻んでいない煙草であるという点がある。

 

「ちょーっとほぐすのがめんどくさいんだけど、この手間もまたいいんだよね」

 

 缶の中でほどよくジャグを解しながら、メープルのパイプに煙草を詰める。この煙草は結構細かく解れるので、少しキツメにジャグを重ねて、マッチを擦った。

 

「………ゲホッ!きっつー。うん、でも、いい香りだね」

 

 アークロイヤルやダ・ヴィンチにはないガツンと来るジャグの香りとニコチンの感じ。ぐーっとくるこのきつい感じ。一瞬頭がくらりとするけれど、5分もすれば慣れるものでいつもの調子で香りを楽しみ始めた時、頭の中に一つの言葉が浮かび上がった。

 

「ああ、キツイのか」

 

 そうだ。どうでもいいと思っていたミスターシービーという名前への責任感。三冠ウマ娘への責任感。更には、一般人、男のときには味わったこと無い、すごい人数からの期待。そういったものが、私の気持ちを少々焦らせているようであった。つまり―。

 

「成り代わったのか。それとも成ってしまったのかは判らないけれど、やっぱり、ミスターシービーっていう名前は、ただの一般人だった私には重いみたいだね」

 

 重いのだ。ああ、そうだな。やっぱり重いのだ。ミスターシービーを背負うのは。そう思った時、口から不思議とこんな言葉が漏れていた。

 

「諦める?アタシ」

 

 不意に出た言葉に、くすりと笑ってしまう。

 

「冗談。諦めるなら無敗の三冠ウマ娘の宣言なんてしていないし、マルゼンに宣戦布告もしないよ」

 

 ああ、そうだ。焦ったぐらいで諦めるなら、そんな大きなことは最初から言わないさ。まったく、こんなことで少しでも悩むなんて私らしくもない。自由に、楽しく、わくわくしなきゃ。せっかく相手は本気で来るんだ。私も、私も本気でやって、レースを走って、あとは。

 

「野となれ山となれ、だ!」

 

 気分を変えるようにぐーっと伸びをしてみれば、心の焦りが少しは軽くなったような気がする。と、そんなときだ。ふいに、喫煙所の扉が開けられた。

 

「よ。俺も一服付き合っていいか?」

 

 トレーナーだ。その左手にはいつぞのコーンパイプが握られている。しかも右手にはマックスコーヒーなんてものが2本。

 

「もちろん。ああ、きついジャグだけど試してみる?」

「お?いいぜ。ほい、差し入れのコーヒーだ」

 

 トレーナーはそう言いながら、私の隣に腰をおろしていた。受け取った缶コーヒーを開けて一口、口をつけてみれば、練乳のあま~いコーヒーの味が、それはコーヒー牛乳じゃないのかな?と言わんばかりの甘い味が舌を刺激する。

 

「相変わらず甘いねー。このコーヒー」

「ん?ああ、まるでコーヒー牛乳みたいだよな?」

 

 どうやらトレーナーも同じ感想らしい。頷いてみれば、しかし、トレーナーは首を横に振る。

 

「ま、コーヒー牛乳みたいだとしても、これはれっきとした缶コーヒーなんだけどな」

 

 なんの気無しに告げられた言葉。ああ、そうだ。コーヒー牛乳みたいだとしても、これはれっきとした缶コーヒー。 

 

「そうだね。確か、『人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい』だっけ?このコーヒーのキャッチコピー」

「なんだそりゃ。初耳だぞ?」

「あはは。そりゃそうだよ。これ、ライトノベルの小説のセリフだし。でも、いい言葉でしょ?」

 

 人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい。そうだね。きっとミスターシービーっていう馬の生涯をなぞろうとするのならば、苦味もあるだろう。だけど、ここにいるのは私だ。

 

「酸いも甘いも、トレーナーが付き合ってくれるのなら問題ないさ」

 

 そう言って私はパイプを咥えた。コーヒーの甘さと、ガツンと来るジャグの香りのお陰だろうか。―少しは、落ち着けたようだ。



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うだうだダービー前に

 皐月賞からダービーまでの間は驚くほどに短い。ほぼほぼ1ヶ月と少ししか無いその練習期間で、私達ウマ娘は、2400の距離や、皐月の行われる中山レース場とは全く違う東京レース場の構成に対応したり、戦略を変えてみたりと様々な調整を行っていくわけだ。

 

 具体的に皐月賞とダービーを較べてみれば、ウマ娘の私が感じる違いは大まかに3つ。距離、起伏、直線の長さだ。

 

 距離は言わずもがな。400メートル伸びている。たった?と思うかもしれないが、たかが400メートル、されど400メートル。このスタミナは、一朝一夕でつくものではないし、そもそもの適性もある。

 

 起伏は中山と東京では明確に違う。中山はスタート直後に坂を駆け上がり、そして向正面で下り、そしてもう一度坂を登ってゴールだ。

 しかし東京レース場はスタート直後に坂はない。向正面、通称、大欅のあたりで緩やかに登る。だから、本当の私の知る競馬ですら大欅周辺では馬群が固まるわけだ。そして4コーナーから相当駆け上がる急な坂が待ち構えている。この坂で皐月の2000メートルを好走したウマ娘であっても、結構スタミナを持っていかれてラストスパートが鈍るウマ娘も居るんだ、とはトレーナーの談だ。

 

 そして最後に、直線の長さ。この直線の長さとは最終直線のことを意味する。―中山の直線は短いぞ、という実況にもある通り、中山は300メートル強の直線しか無い。だから、4コーナーを抜ける前から結構スパートに入るウマ娘が多い。私もそうだった。

 だが、東京は坂も含めて500メートル強の直線が最後に待っている。しかも前半は先に述べた通り急坂だ。おおそよ200メートルの急坂でスタミナを持っていかれ、300メートルの平場の直線、どれだけスパート出来るのかで勝負が決まる。たとえ200メートル弱の坂をトップで登りきっても、300メートルの平坦で差されてしまっては意味がない。しかし、300メートルの平坦があるからと言って200メートル弱の坂で気を緩めれば逃げられる。

 

「…難しいねー」

 

 トレーナーから渡された資料を練習コースの脇で眺めながら、思わず天を仰いだ。アニメやゲームとかだとそんなにコースを意識していなかったけれども、実際走るとなると…これがなかなかねぇ。

 

「シービー。難しいのは当たり前だ。なんていったってウマ娘の頂点を決めるレースだ。並大抵のコースではないし、他のウマ娘も全力を超えてすべてを賭けてくる。しかも同期に『無敗三冠』を目指しているウマ娘がいるとなれば、その気合は天元突破しているだろうよ」

「わかってるよトレーナー。モンスニー、カツラギ、ダーバン、皐月で競い合った彼女らの気合は見てて…ヤバいって言葉しか浮かばないもの」

 

 他にもビンゴカンタやウメノシンオーなど、史実のミスターシービーと競い合った馬の名を持つウマ娘たちも相当気合がノッている。実際、トレセン学園で練習をしていると、彼女らの視線をひしひしと感じることが出来る。まるでそれは、焼けるような夏の日差しのように真っ赤で、輝いていて、目眩がしちゃいそうだ。―ただ。

 

「…ニホンピロウイナー。彼女がダービーを辞退してしまったのは少し、残念だなぁ」

 

 しみじみと呟けば、トレーナーも静かに頷いてくれていた。

 

「担当トレーナーと相談して、これからはマイル・短距離路線に向かうそうだ。2000は長すぎたって話をしていたよ」

 

 馬としての史実を知っていると、彼女はきっとこれからマイルの王者として君臨すること間違い無しではあるのだろう。でも、皐月賞で競い合ったあの熱。できれば、ダービーでも味わいたかったものである。

 

「さて、シービー。話はここまでにしよう。ひとまずはダービーまで最後の追い込みだ。今日は左回りで3000を2本、その後、筋トレでトモを鍛えるぞ」

「ん。わかったよトレーナー。早速やろうかー」

 

 ぐっと伸びをして、コースへと入る。すると、見慣れた顔が、コースをゆったりと回っている姿を確認することが出来た。

 

「お、ルドルフー!」

 

 手を降ってみれば、あちらも私に気づいたのであろう。笑顔で手を振り返してくれていた。

 

「やあ、シービー。これから練習かい?」

「うん。ダービーに向けて3000を2本。ルドルフは?」

「精が出るな。私はメイクデビューに向けて調整中だよ」

「そうなんだ?でもルドルフ。君、秋ごろにデビューとか言ってなかったっけ?」

 

 確かそう。秋のデビュー、それを目指していたと思ったのだけれど、ルドルフは首を横に振った。

 

「そうなんだが…すこぶる調子が良くてね。夏頃に新潟でデビュー戦を走ることにしたんだ」

 

 そう言いながら、ルドルフは笑みを浮かべる。なるほど、調子が良くてときたものか。いやはや、慎重とも言えるルドルフが予定を早めるということは、本当にすこぶる調子がいいのだろう。となると、ちょっと試してみたいものである。

 

「そうなんだ。ふふ。じゃあ、どうかな、並走なんて」

「皐月賞を獲った、クラシック最強の君とか?―もちろん、願ってもない。3000を2本だったか」

「うん。ああ、ただ並走するのもつまらないから、勝負しない?」

 

 少し悪戯っぽく笑顔を浮かべてそうルドルフに声をかけてみれば、仕方ないな、と苦笑を返された。

 

「いいだろう。では、負けたほうが今晩の夕食を奢る、というのはどうかな?」

「いいじゃない。じゃ。やろう!トレーナー!そういうことだから、スタートの合図、よろしくー!」

 

 トレーナーにそう声を掛けてみれば、やれやれと呆れ顔で頷かれた。いいじゃないか、楽しくやったほうがさ。そう思いながら視線を送って催促してみれば、トレーナーは、苦笑を浮かべながらも、右手を天に高く掲げてみせた。

 

「位置について、よーい、ドン!」

 

 トレーナーの声に合わせて、私とルドルフは同時に地面を蹴る。さてさて、未来の皇帝はどんな走りを魅せてくれるのだろうか。

 

 

 練習終わり、喫煙所でのんびりと煙を漂わせて居たのだけれど、ふいに、喫煙所のドアが叩かれた。トレーナーかな?と視線を向けてみれば、そこにいたのは一人のウマ娘。

 

「お邪魔しても?」

「どうぞ。たばこ臭いけど」

 

 招き入れたウマ娘は、煙草の匂いを気にすることもなく、私の正面の椅子へと腰掛けた。さてさて、一体なんの御用でしょうか?

 

「どうしたの?」

「詫びをと思いまして」

 

 そう言いながらそのウマ娘は静かに頭を下げた。…さて、詫びをされたのはいいんだけれど、その理由が全く判らない。頭の中にハテナマークが思い浮かぶ。それがきっと表情に出ていたのだろう。ウマ娘は言葉を続けていた。

 

「ダービー、辞退しました。聞きました、私との競い合いを楽しみにしていたと」

「…ああ、確かに楽しみにしていたよ。ニホンピロウイナー。でも、それは君が決めたことでしょう?私がとやかく言うことじゃないよ」

「それでも。クラシックを共に走った者として、ミスターシービーさんに直接、ご挨拶せねばなるまいと」

 

 そう言いながら、さらに頭を下げたニホンピロウイナー。なるほどね。どうやら彼女はなかなかに義理堅いウマ娘であるようだ。

 

「そこまで言うなら受け取るよ。聞いたよ?短距離路線に行くんだって?」

「はい。2000は長い旅路でした。私は、私の旅路を行こうかと思います」

「そっか」

 

 沈黙。どうやら彼女はそんなに口数が多いウマ娘では無いらしい。―しかし、クラシックを共に走ったとはいえ、こんな風に詫びを入れられるのはなかなか謎である。

 

「…コーヒー、飲む?」

「頂ければ」

 

 ステイゴールドを淹れて彼女に手渡してみれば、静かに、しかしそれを楽しむように、穏やかな笑顔でコーヒーに口を付ける彼女。

 

「でもわからないな。クラシックを君と走ったけれど、私とピロウイナーはそんなに親しくはないでしょう?」

 

 疑問をそう投げてみれば、彼女は、視線を足元へと落としていた。…ああ、そういえば、彼女にも接着剤を紹介していたっけ。

 

「…この蹄鉄。いえ、接着剤。このおかげで私は不良馬場でも全力で走ることが出来ています。この受けた恩。私と貴女の絆です」

 

 ふと思い出す。彼女は、私と走った皐月賞では馬群の中ほどでレースを終えていた。史実ならば最下位だったはずなのに。後に天皇賞秋、2000メートルを3着で走り抜けたニホンピロウイナーは距離が苦手なのではなく、不良馬場が苦手だったのではないか、とも言われているのだ。

 

「きっと、この蹄鉄で走る前に皐月賞を走ったのであれば、気持ちの何処かにクラシックへのあこがれが残ったことでしょう。しかし、全力で走って、私の才の上限が2000メートルであると知りました。知ることが出来ました」

 

 ニホンピロウイナーが視線を上げた。その瞳に宿るのは、まるで、満月のような強い光。

 

「だから心置きなく。短距離で全力を出すと決意することが出来たのです。故に、貴女が無敗のクラシック三冠を目指すのであれば、私は、短距離覇者となる決心がついたのです」

 

 そしてまた、私に向かって頭を下げる。

 

「だから、貴女には詫びなのです。貴女のお気持ちを、少しでも曇らせてしまった」

 

 吐き出された言葉に宿るのは、確かな重み。私にとっては些細なことだとしても、彼女にとっては非常に重いものだったのだろう。

 

「ニホンピロウイナー」

「はい」

「正しく、詫びを受け取るよ。ただ、何か勘違いしていないかな?」

 

 私がそう疑問を投げかければ、下げていた頭を上げて、あの強い光が私を射抜く。

 

「勘違い、ですか」

 

 表情は戸惑いを見せている。私は微笑みを浮かべながら、言葉を続けた。

 

「うん。別にクラシックでなくても、君とは走れるじゃない?」

「…いや、しかし。ミスターシービーさんの適正距離と、私の適正距離は違います」

「あはは。勘違いだよ、それは」

 

 私は案外と勘違いされているけれど、スタミナを訓練で伸ばしているクチだ。トレーナー曰く、もともとお前は2000メートルまでの適正だろうな、とのことだしね。幸いにして、ニホンピロウイナーに比べて伸び代があった、というだけの話だと思っている。だが、目の前のウマ娘はどうやら納得はしていないようだ。

 

 なら、こういうときは、発破をかけるしかあるまいて。

 

「じゃあ、一つ提案しよう。今回は君は私の距離でレースをしてくれた。だから次は、君の距離で勝負がしたい」

「私の、距離」

「うん。どうだろう。短距離覇者となった君。無敗三冠の私。何年後になるかは判らないけれど、君の距離…そうだな。マイルチャンピオンシップで、スプリント対決なんてさ」

 

 私がそう言い切れば、ピロウイナーはゴクリと、喉を鳴らしていた。

 

「しかし…全力でない、ミスターシービーさんとレースをしても…」

「あはは。ニホンピロウイナー。舐めないでよ?アタシはこう見えても、最終直線のスプリントが大得意なんだ。例えそれが1600であっても、誰にも負けないくらいにはね」

「…左様ですか。ですが、皐月賞の第四コーナーでは、ミスターシービーさんより私のほうが速かったように思いますが?」

「あはは!言うねー!じゃあ、勝負の約束は成立、ということでいいかな?」

「無論です」

 

 私とニホンピロウイナーはそう言うと、お互いに右手を差し出し、固く握りしめていた。ふふ。これは一つ楽しみが増えた。秋のマルゼンスキー、そして無敗三冠対決シンボリルドルフ、その先に、また一つ。



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ダービー直前の一幕

「ありゃ。チョーカーが切れちゃった」

 

 ダービー前の控室。勝負服をセットしていると、首のチョーカーがぷつりと切れてしまった。うーん。今から別のものを準備するというわけにもいかないのは困った所だ。

 

「トレーナー、いるー?」

「いるぞ」

 

 控室の外に待機しているであろうトレーナーに声をかけてみれば、少し心配そうな声色で答えが帰ってくる。

 

「勝負服ってどこまで変更が認められるんだっけ?」

「大きな変更がなければ問題はないが、どうした?」

「それがチョーカーが切れちゃってさー。予備が無いんだけど、そのままでいいかな?」

 

 数秒間が空く。そして、戸惑うような声と共に、一つの答えがトレーナーから示される。

 

「あー…そのぐらいなら問題ないだろう。運営には俺から連絡しておくよ」

「おねがーい」

 

 うん。問題ないなら今日はチョーカーなしで走ろうじゃあないか。確か、史実のシービーだってハミが切れたわけだしね?…って、もしかして、馬の歴史をなぞっている感じ?

 

「…その割には、私未だに無敗なんだけどねー?不思議なことだ。実に不思議だ」

 

 最後に耳飾りという名のシルクハットを右耳の前に髪留めで止める。姿勢を正して姿見の前に立ってみれば、うん。見事にコンセプトアートの私がそこに立っていた。

 

「ふふ。どこからどう見てもミスターシービーだ。それなら、本気でやらなきゃね!」

 

 踵を返して控室のドアを開ける。トレーナーと目が合った。

 

「…うん。気合は十分だな?」

「もっちろん。さ、まずはお披露目だね」

 

 肩を並べて通路を歩く。この空気感、たまらないねぇ。

 

 

 さあいよいよやってまいりました!日本ダービー!ウマ娘の王者が今日決まります!注目はやはり無敗三冠宣言、皐月賞で見事センターの栄誉に輝いたこのウマ娘!ミスターシービー!

 

 お披露目も慣れたもの!お決まりの投げキッスで会場を沸かせてくれます!そしてトウショウボーイ以来、無敗での皐月賞ウマ娘となりましたミスターシービーであります。かの名ウマ娘を果たして超えていけるのか!注目が集まります!

 

 

 パドックでのお披露目も終えて、私はトレーナーとともに地下の道を歩く。否が応でも緊張してしまう。ふと、トレーナーがぽつりと呟いた。

 

「ダービーだなぁ、ついに」

 

 ちらりとトレーナーの顔を見てみれば、どこか、緊張しているようであった。珍しいね、いつもは余裕なのに。

 

「そうだねー。緊張してる?」

 

 私がそういえば、トレーナーはいいや、と首を横に振った。

 

「無敗の三冠。あの宣言を聞いたときは度肝を抜かれたけど、ここまで来るとその先が見えてくるんだから楽しいな、シービー」

 

 ぐいっと口角を上げて魅せるトレーナー。ふふふ、釣られて私の口角も上がってしまう。

 

「うん。楽しくて仕方がないよ。これもトレーナーのお陰だね」

「俺の?」

「うん。私だけじゃ走り方の矯正とか無理だし。アドバイスをくれる相棒っていうのは素敵だね」

 

 右手をひらりとさせながら、そう彼に目配せしてみれば、どこか恥ずかしそうに頬をかいていた。

 

「そりゃどーも。ああ、今日はどうする?」

 

 そう言いながら彼は右手の人差し指と中指を立てて、口元へと持っていく。ああ、アレね。

 

「ステイゴールドにアークロイヤルを添えて。頼める?ミスター」

 

 軽くそうトレーナーに告げれば、彼はやうやうしく頭を下げて、こう私に告げる。

 

「畏まりましたお嬢様。ああ、ピースも準備しておくから、心置きなく走ってこい」

「わかってるぅ!」

 

 流石私の相棒。ミスタートレーナーだ。これで、何も憂いはないね。っと、そうだ。

 

「あ、そうだ。はいこれ」

 

 そう言って、衣装合わせの時に切れてしまったチョーカーを、トレーナーに差し出す。彼はと言えば、不思議そうな顔でそれを受け取ってくれていた。

 

「…これ、切れたチョーカーじゃないか」

 

 顔に浮かぶは困惑。ま、たしかにレース前に切れた物を渡すなんて縁起はさぞかし悪い事だろう。でも、ミスターシービーの場合はそうじゃないんだよねぇ。

 

「うん。きっと良いお守りになるから。トレーナーにあげるよ」

 

 満面の笑みでそう告げれば、トレーナーは一つため息を吐いてから、こちらに笑顔を向けてくれた。―ふと、彼の脚が止まる。地上への出口が近い。私もそれにあわせて脚を止めて、眩しい太陽の光を全身に感じていた。

 

「ありがたく貰っておくぞ。ミスターシービー!今日も楽しく走ってこい!」

「もちろん。最高に楽しんでくるよ!ミスタートレーナー!」

 

 軽く拳を交わしてから、大きく一歩を踏み出した。

 

 さあ、今日は大一番。G1、東京優駿。プレッシャーはすごいし、カツラギやモンスニーの気合はヤバいとしか言えない。でも、大丈夫さ。

 

 いくぞミスターシービー。ダービーなんてものは、アタシが末脚で撫で切ってやるともさ。

 

 

―いつでも誰かが お前のそばにいる 思い出しておくれ 素敵なその名を

 

―心が塞いで 何も見えない夜 きっときっと誰かが いつもそばにいる

 

 首都高を相棒に跨がりながら、聞こえてくるインカムのBGM。『こっち』に来てからというもの、見知らぬ曲ばかりで飽きもしない。

 

「不思議なもんだね。アタシと同じ趣味。同じ家。同じ両親に生まれてきているなんて。ま、家のローンと車とバイクのローンは余計だけどさ」

 

 ちらりとホルダーに取り付けているウマホを見てみれば、『上々颱風 いつでも誰かが』という曲名が描かれていた。

 

「さてさて、あっちのアタシは楽しくやっているのかな?ま、いいけど。それにしても、男の世界は男の世界で大変なんだねぇ。上下関係友人関係、仕事の付き合いに趣味の付き合い。ウマ娘じゃあ判らないことばっかりだ」

 

 とはいえ仕事はなかなかに楽しいものだ。ワークスのCBR1000RRR。あれに乗れるだけでもよだれが出るというもの。とはいえ…。

 

「日本人では誰もMotoのトップを獲っていないとか。ふふふ。未開の大地だね」

 

 こっちに来てわかったことだけれど、どうやら、アタシは馬として相当な歴史をこちらの世界に刻んだらしい。全く。不思議なご縁があるもので。

 

「…しかしルドルフが無敗の三冠か。お硬い、でも、上しか見ていないルドルフにはちょうどいい称号でしょ」

 

 気に入らないとすればルドルフにアタシが負け続けたこと。全く、脚が弱いなんてね。本当に、ウマ娘のアタシみたいだ。

 

「でも、RRRは頑丈だね。なんてったって世界の翼だ。さっと優勝をかっさらって、ローンぐらいは返さないと」

 

 ちらりと相棒の時計を見てみれば、時刻は3時25分。丁度駒形パーキングまでもう少しというところ。

 

「お?」

 

 駒形を通り過ぎようとしたその時。私の前に丁度一台のバイクが合流してきていた。

 

「へぇ?センスいいじゃん。判ってるねぇ?」

 

 後ろから見るその姿は私の相棒。どんな人が乗っているんだろうね。ちょっと追い抜きざまに見てみようか。 

 



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東京優駿

―さあ各ウマ娘ゲートイン完了。

 一番人気ミスターシービーはどのような走りを見せてくれるのか!それとも、他のウマ娘が見事にセンターの栄誉を勝ち取るのか!係員が退避いたしまして…。

 日本ダービー、スタートです!

 ミスターシービー出が良いぞ!しかし先頭争いには参加せずにすっと下げて先頭から6番目につけた!皐月賞で3着のカツラギエース、2着メジロモンスニーも控えて後方でのレースとなりそうです。
 
 先頭争いはイズミサンライズ、ニシノスキーが行っていますがおっと、ここで桜花賞ウマ娘シャダイソフィアが行く!さあ一丸となってウマ娘たちが第一コーナーへと飛び込んでいきます!2400メートルの旅路、誰が最初に栄光を掴むのか!


 ターフへと出てみれば、私の頭の上から圧とも言える歓声が降ってきた。怒号なのか、叫び声なのか、歓声なのか、悲鳴なのか。翻ってスタンドを正面に据えてみれば、そこに居たのは大勢の観客、つまりは多くのファンたちだ。

 

「ミスターシービー!!頑張ってくれよー!今日のダービーも勝って無敗の三冠見せてくれー!」

「うおおおおおおお!シービー!またウイニングザソウルを聞かせてくれえええええ!」

「キャアアアアアア!ミスタシービー!!!キャアアアアア!」

 

 うーん。こっちから見ているとすごい光景だね。軽く投げキッスをして手を降ってみれば、その歓声が大きく響く。今日の空は快晴。軽くウォーミングアップにとホームストレッチを走ってみれば、地面、ターフの状態は良と言えるだろう。これは全員にとって有利な条件だ。しいて言えば、先に行われたレースの影響でイン側のターフが少し荒れている点が気にはなる。

 

「相変わらずの人気ですね、ミスターシービーさん」

 

 足元を確認しながらゲート前に来てみれば、見知った顔と合うことが出来た。カツラギの後ろからは、ちらりとモンスニー、ダーバンあたりの姿も見える。

 

「ありがと。カツラギ。でも、君だって相当なものだろう?」

 

 そう言って親指で観客席を指させば、そこにあったのは『突き抜けろカツラギエース!』の横断幕。『差し切れメジロモンスニー』とか他のウマ娘の横断幕も見える辺り、いやはや、ダービーとはやっぱりお祭りだ。

 

「…地元の商店街の人なんですけれど、張り切っちゃって。家族みたいで楽しいんですけれどね。あはは」

「いいじゃない。そういうの羨ましいよ」

「でもシービーさんはもっとすごいです。横断幕、すごい数じゃないですか!」

 

 うん。そうだね。ここから見えるだけでも10枚以上。『決めろミスターシービー』『末脚爆発!無敵のシービー!』などなど。正直見ていて小っ恥ずかしくなってくるね。

 

「まったく頼んでいないんだけど。嬉しいけど、恥ずかしいよ」

「あはは。でも、横断幕の数では負けてますけれど、レースでは私が勝ちますからね!シービーさん!」

「お、言うねー?でも、アタシがまた勝つよ。だって無敗の三冠ウマ娘になるんだからさ」

「自信満々ですね!?でも、今日は良馬場。私の末脚、炸裂させますよー!」

 

 そういやってカツラギとじゃれ合っていると、ついに、拡声器で号令がかかる。

 

『ウマ娘はゲートイン準備を!』

 

 全員の顔が変わる。耳はピンと立ち上がり、きりりと表情が締まる。

 

「じゃ、カツラギ。そういうことで」

「はい!シービーさん。そういうことで!」

 

 軽く手を叩き合って、お互いのゲートの前へと向かう。カツラギはラッキーセブンの7番ゲート。私は12番だ。彼女のゲートインを見届けてから、私もゲートに入る。すると、お隣のウマ娘からお声がかかる。全く、人気者は辛いね。

 

「今日は負けませんよー?ミスターシービー」

「や、ウズマサリュウ。残念、私も負ける気はないんだ」

「残念。アタシのほうがあんたらよりも速いさ。シービーにウズマサ」

「プラウドシャダイも気合十分だね。いいよ、全力でやり合おう。追い込み、着いてこれるならね?」

「着いていく?冗談。あんたがアタシの後ろを走るんだ」

 

 お隣になったウマ娘と軽くじゃれ合いながらその時を待つ。―最後のウマ娘がゲートに入った。いよいよだ。

 

 

―さあ各ウマ娘ゲートイン完了。

 

 一番人気ミスターシービーはどのような走りを見せてくれるのか!それとも、他のウマ娘が見事にセンターの栄誉を勝ち取るのか!係員が退避いたしまして…。

 

 日本ダービー、スタートです!

 

 ミスターシービー出が良いぞ!しかし先頭争いには参加せずにすっと下げて先頭から6番目につけた!皐月賞でも活躍したカツラギエース、メジロモンスニーも控えて後方でのレースとなりそうです。

 

 先頭争いはイズミサンライズ、ニシノスキーが行っていますがおっと、ここで桜花賞ウマ娘シャダイソフィアが行く!さあ一丸となってウマ娘たちが第一コーナーへと飛び込んでいきます!2400メートルの旅路、誰が最初に栄光を掴むのか!

 

 

 スタートは好調。ズドンと先頭を取る勢いでゲートを抜けることが出来たのは、今後のためにも我ながら一つ大きな功績だ。

 

「ま、今回は逃げないけど」

 

 小声で囁いて、すっとペースを落として大体先頭から6番手に着ける。ともすれば、行くのは逃げウマ娘たち。どうやら3人が固まってペースを作っていくようだ。確か一人は桜花賞ウマ娘のシャダイソフィアのはず。油断をすれば、きっとこの高速列車からは振り落とされることだろう。

 

「とりあえずはスリップに入って体力温存。それにしても、足元…ラチ沿いはいいけど、ほんの少し膨らむと脚が取られるね」

 

 コーナーに入って特に実感を得る。ラチギリギリの地面はまだいい。しかし、ウマ娘が一番通るイン側からコース3分の1程度までの荒れ方が結構、気になってくるレベルである。蹄鉄への負荷も多そうだ。改良が進んでいるとは言え、この地面でスパートを駆けるのは接着剤にとっても良くはない。これは、最後の4コーナーでは外目に振って行くか、それとも仕掛けを早くするのが得策か?

 

「とはいえカツラギは今回逃げじゃあない。自慢の末脚で叩き切るつもりだろうし」

 

 今回は良馬場。最終直線はカツラギの独壇場だ。彼女の末脚と言えば、私と競い合うというだけでも実力が知れるというもの。とはいえ。

 

「500メートル。4コーナー前から行くとすれば6、700メートルは硬いラストスパート。アタシの脚が持つかどうかっていう話も出てくるし」

 

 向正面に入って先頭はまだまだ行くシャダイソフィアの姿が見える。周りの息遣いも聞こえてくる。いやはや、不思議なものだ。

 

『勝ちたい』『勝つ』『絶対に』『私が』『アタシが』『勝つ』『勝つんだ!』

 

 言葉にはしていない。誰も、言葉にはしていない。でも、伝わってくる熱がある。たしかに伝わってくる、熱き太陽の如く熱がある。

 

 ―ならば。取る手段は一つしかあるまい。

 

「持つ、持たない。そんなものは関係ないね。アタシは楽しい方を行くだけだ!」

 

 頭の中に浮かんだイメージは、暗闇。なぜかエンジンの回転計だけがボヤリと浮かび上がる。グアンと吹かされたエンジンの音のイメージと共に、そこに見えた数字は14500回転。

 

 驚異的な回転数だ。こんなエンジンはなかなかお目にかかれない。だって、相棒の回転数上限は10000に満たないというのに。

 

 そして、暗闇の中から現れたのは2つ目のライト。流線型に包まれた一台のバイク。

 

「ああ、良い。実に良い。それは私にぴったりだ!」

 

 私は今、きっと、スーパースポーツのバイクと同じような存在だ。人間を大きく超えて、風を切って走るウマ娘!そうだ、そうだとも!私はコレが好きなんだ。そうだとも!私はコレが好きなんだ!レースが、風が、このスピードが!

 

 気づけば前を行くウマ娘たちが第3コーナーへと入っていく。後ろから上がってきたのはカツラギエースにメジロモンスニー、ブルーダーバンもいればニシノスキーも上がっている。いよいよのラストスパート直前といった雰囲気が伝わってくる。4コーナーを抜けてからきっと勝負を仕掛ける気だろう。今はまだ全員、位置取りに必死だ。でも、でもさぁ!そんなセオリーなんてもの!

 

「守っていてもさ!詰まらないでしょう!」

 

 そうだとも。ラストスパートが500メートル?600メートル?何を言っているんだ。コイツのエンジンは15000まで回る。ミスターシービーの脚はこんなことでへこたれはしない!

 

 イメージの中で、ギアをぶち上げた。ガゴンと伝わる衝撃。ああ、これはまるでワークスのCBRだ。クラッチミートは気にしなくて良い。なんてったって最新装備のクイックシフター付き。あとは右手を思いっきり捻っていけばいいだけだ!

 

 

 さあ向正面抜けまして3コーナーへ!先頭はシャダイソフィアが粘るが襲いかかっていくのはカツラギエースにメジロモンスニー!ブルーダーバンも来てニシノスキーもすっと上がってきた!ミスターシービーはまだ動か…動いた!外目にすっと上がっていったミスターシービー!

 

 いや、これは…!

 

 これはなんということだ!掛かってしまったか!?他のウマ娘たちをおいてぐんぐんと加速していくぞ!これはラストスパートの勢いだ!カツラギエース、メジロモンスニー追いかけるがミスターシービーこの勢いのまま単独で第四コーナーを抜けていく!これは大波乱の決着か!?それとも、戦略なのか!勢いよくウマ娘たちが坂を駆け登る!

 

 だが、だが、ミスターシービー落ちない!落ちないぞ!

 

 

 ウマ娘達の一団を避けるように、足場の良い外目を通って最高速で一気にカーブを抜けていけば、眼前に開けた緑のターフ!ああ、いいねホームストレート!脚はまだまだ回る回る!400の標識がすっとんでいった!トレーナーとも話し合った坂ど真ん中だね!

 

 だからどうしたぁ!いくぞ、いくぞいくぞいくぞ!!

 

「勝ち逃げはゆるしませええええん!」

「ミスターシービー!!!」

 

 やっぱり来たなカツラギエース!それにメジロモンスニーも!いいねいいね!この競い合いこそレースの一番楽しいところ!

 

「着いてこれるなら、着いて、きて、みなよ!」

 

 ずどんと更に脚に力を込める。イメージのギアがトップに入る。回転計が一気に15000を差し切る。まるで、血湧き肉躍るような感覚!

 

 300の標識がすっ飛ぶ。視界の端に入りかけてきたのはカツラギエース。わずかに遅れてメジロモンスニーにブルーダーバン。だが、そんなものはもう関係ない。

 

「やぁああああああああああああああああ!」

 

 坂が終わったのか、脚への負荷が一気に軽くなる。思わず口角が上がる。もう誰も私に追いつけない。アタシに追いつけない。でも感じる。少し脚が重くなってきたかもしれないね!でも、最後までアクセルは緩めてなるものか!

 

 残り100メートル。視界の端には誰もいない。足音も、私の音しか聞こえない。風が全力で私にぶつかって来る。

 

 ああ、これが、これが先頭の景色!なんて、なんて!気持ちの良い景色だ!

 

『―1着はミスターシービーでゴールイン!』

 

 全力でゴール版を駆け抜けた私の耳に、アナウンスが木霊する。

 

『ミスターシービー勝ちました!ミスターシービー圧勝しました!そしてタイムが…2分25秒6!2分25秒6!上がり3ハロンが33秒7!レコードでの圧勝!文句なし!無敗の三冠へ向けて、2つ目の冠を見事勝ち取りました!』

 

 息を整えながら、ちらりと観客を見てみれば、そこにあったのは大歓声と手を振る人々。

 

「やられました。やっぱりすごいですね、シービーさん」

「…本当。すごいや」

 

 2着に入ったカツラギと、3着に入ったモンスニーの言葉を背に受けながら、大きく手を降って観客の声に答えて魅せる。

 

「だから言ったでしょ?アタシは速いってさ」

 

 そう言いながら2人にウインクを飛ばしてみれば、笑顔で返してくれていた。そしてもう一度観客席の方を向いて、今度は右手を天高く突き出して見せる。

 

「2冠達成!どう?楽しくなってきたでしょう!?」

 

 そして天に突き上げた拳を、ピースサインにしてみれば、大きく観客席から歓声が湧き上がる。

 

 …ま、本来のパフォーマーは来年に出てくるんだけど、でも、煽る意味では最高の一幕だ。

 

 そう思いを込めて、きっと、あの来賓室から、上から見下ろしているであろうルドルフと、マルゼンスキーに向けて、にやりと笑ってみせた。



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周りから見たミスターシービー②

 いよいよ無敗の三冠ウマ娘へ王手!

 

 先に行われた東京優駿、日本ダービー。ミスターシービーが見事な末脚で圧勝したことは記憶にあたらしいだろう。

 

 これにより、彼女はついに、無敗の三冠ウマ娘へと手をかけるに至った。あのトウショウボーイ以来無敗の皐月賞ウマ娘だったミスターシービーが、名ウマ娘を超えてついに偉大な記録へと挑む。とはいえ、その道程は険しいものだ。決して楽ではないだろう。

 

 菊花賞の前には夏がある。この夏の間に、ウマ娘たちは一回りも二周りも大きくなってレース場に帰ってくるからだ。

 

 無論、ミスターシービーも大きく成長して帰ってくることだろう。

 しかし、カツラギエース、メジロモンスニーに、ブルーダーバン、ニシノスキー、ボンゴカンタなど、同期のウマ娘達の力量も目を見張る物がある。

 

 皐月賞は不良馬場の中、持ち前のパワーで押し切り、ダービーは戦略で他のウマ娘を出し抜いたとも言えるミスターシービー。

 

 彼女が菊花賞という長距離でどのような戦略と、成長を見せてくれるのか。

 

 そして、他のウマ娘もどのような成長を見せ、ミスターシービーにどうやって対抗するのか。

 

 今からレースの発走が楽しみで仕方がないと、心の底からそう思う。

 

―URA発刊雑誌:ウマ娘ファンより抜粋

 

 

「はああああああああああああ!」

 

 トレセン学園のトレーニングコース。今日も幾人のウマ娘たちが競い合い、鍛え合う。その中にはもちろん、メジロモンスニーやブルーダーバン、カツラギエースの姿もある。

 

「ゴール!クールダウンにもう一周軽く走ってきて!」

「はい、トレーナー!」

 

 トレーナーと訓練を行うウマ娘たちもいれば。

 

「追い切り行くよー!」

「お、じゃあ私もついていく!」

「やる気まんまんだね?でも、負けないからねー?」

「じゃ、位置について、よーい、ドン!」

 

 ウマ娘同士で訓練を行う集団も居た。もちろん、その目標はさまざまであり。

 

「ジャパンカップへ向けてどう?」

「んー、マルゼンスキーとミスターシービーが出るからねー。まだまだ足りないって思ってるよ」

「ああー…今回はあのスターが出るんだっけ」

「うん。でも、負ける気はないしさ。練習がんばんなきゃ!」

 

 シニア級のレースを目指すウマ娘もいれば。

 

「ミスターシービー対策?」

「うん。ダービーの坂を登ったスタミナ。それに、最後の追い込みの脚。アレに対抗するためにはスタミナと…あとパワーをもっと付けなきゃ」

「あー…ハンパなかったよねー」

「ほんとほんと。でも、菊花賞は秋だし、まだまだ時間があるからさ。やれるだけやっとかないと!」

「そうだね。菊花賞こそ、私が勝つ!」

「いーや、私が勝つ!」

 

 クラシック級を目指すウマ娘たちも多い。

 

「…ホープフルは通らなければいけないだろうな」

「ホープフルか。でも、無敗の三冠なら通る必要はないぞ?」

「うん…それは十分承知しているよ。でも…シービーが通った道だ。せめて、その道は超えていかねば、理想など程遠い」

「そうか。ルドルフがそう言うのなら全力でサポートさせてもらう」

 

 先に行った者の背中を見て、ジュニア級を制覇するために、そしてその先のクラシックに挑まんとする者の足音も、たしかに聞こえている。

 

 

「身辺調査に全く曇りは無し、か」

 

 学園長室では、たづな氏に渡された資料を読みながら、学園長がそう呟いた。

 

「はい。以前の資料と相違は何も。家族関係、身辺、金銭関係。すべて相違ありません。以前からの彼女そのままです」

「うーむ。そうなると、記憶が無くなったその原因は身辺にはないということになるか」

「はい。おっしゃる通りかと」

 

 学園長はわかりやすく悩みながら腕を組む。普段、天真爛漫に振る舞う彼女から想像もできない、運営者としての姿だ。

 

「…保留。この件は、進展あるまで継続調査とする」

「承知いたしました。学園長」

 

 たづな氏がそう言って頭を下げれば、学園長は窓へと歩みを進めていた。そして、その眼下で練習を続ける件のウマ娘、ミスターシービーを眺める。

 

「以前の彼女と変わらない。…否。以前の彼女より、ウマ娘に対してより好ましい発言や行動が多くなっている。さらにはその有言実行。無敗の三冠へ向けて邁進するその姿。まさに、ウマ娘の鑑と言っていいだろう」

「はい」

 

 ふと、学園長が振り返り、たづな氏の顔を見つめた。

 

「故に、彼女の秘密は、秘密を知るもののみの中に留め、最高のサポートをしようと思う。たづな。異論はないか?」

「ありません。実際、彼女の走る姿を見てあのシンボリルドルフ、マルゼンスキーですら燃えているようですから。私も、走りたくてうずうずしてしまいます」

 

 たづな氏はそう言いながら、笑顔を学園長に向けていた。その顔を見た学園長も、にやりと笑って頷きを返す。

 

「うむ。…さて!難しい話はここまでにして、無敗の三冠を達成した後について考えるぞ!たづなぁ!」

「はい、承知いたしました!」

 

 学園長室にやかましい声が響き渡る。今日も今日とて、彼女たちはウマ娘の幸せのために全力で動いている。



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おつまみ、お酒、煙草、体に悪い三点セット

「や、社長、ファイアーブレードいい感じだよ。バッと加速してスッと止まる」

「不満そう?あー、バレた?」

「もうちょっとセッティングを追い込んでくれてもいいかな。カリッカリに曲がって加速する感じで。ブレーキはそのまま。大丈夫、大丈夫。いまんところ晴れで状態良なんだし」

「…うん。そんな感じで。雨の時はどうするんだって?あはは、それこそ心配いらないって。私、雨は、すこぶる得意なんだ」


 菊花賞に向かって日々練習を重ねる日々であるが、とはいえ、ウマ娘と言えど疲れが溜まるものであり、どうも最近は体が重い。

 

「今週は一旦休むか」

 

 季節は進んで7月。じりじりと焼かれる灼熱の太陽光にやる気が削がれる中、トレーナーから出た一言は、天の助けと言う他ない。

 

「休み?今週?いいの?」

「ああ。暑くなって身体が追いついていないだろう?お前の顔をみれば一発で解るさ」

「む。そんなひどい顔してるかな?私」

「ひどいぞ?目の下がくぼんでいるし、気持ち猫背だ」

 

 そう言われてしまえば、休みを謳歌するしかあるまいて。ただ、一人で休むのはちょっと嫌だ。

 

「判った。じゃあ、今週はのんびりするよ。あ、トレーナーはどうするの?」

「書類整理や手続き関係があるが…ま、概ね暇だ。俺も身体を休めようとは思っているよ」

「へー?あ、じゃあちょっと土日で海いかない海。バイクで」

「海?お前、もう少しで夏合宿だぞ?」

「そうじゃなくて、トレーナーとオフでいきたいんだけど、どうかな?」

 

 笑顔でそう問いかけてみれば、トレーナーは仕方ねーなーという感じで頷いてくれていた。よしよし。

 

「ホテルは適当で良いでしょ?」

「ホテル?」

「そ。土日でって言ったじゃん?アタシに任せてくれたら、いいところ取るよ?」

「…じゃあ、任せていいか?」

「もちろん!じゃ、軽くとっちゃうね」

 

 さてさて。じゃあウマホを手に持ちまして…海沿い…やっぱり料理は良いところじゃなきゃねー。あとは酒蔵が近くにあると尚良し。温泉でしょー。あと海水浴もしたいから遊泳できるところの近くでー…。

 

 

 ということで早速の休み。トレーナーを連れての海水浴ってやつだ。バイク移動での密着も慣れたもの。ま、私が男の記憶持ちってのが大きいかもしれないけれどね。

 

「男の俺と2人で出かけて大丈夫なのか?」

「トレーナーなら別に何があっても。むしろ、責任とってくれるんでしょ?」

「…その信頼は嬉しいけどな」

 

 カラカラと笑ってみれば、呆れ顔で返されたのは記憶にあたらしい所だ。このぐらいドライだとやりやすくて非常に良いね。バイクは県営駐車場に止めて、さっと着替えて来てみれば、そこにいたのは水着姿のトレーナーである。

 

「それにしてもトレーナー、結構いいカラダしているね?」

 

 水着姿の彼は、腹筋胸筋と鍛えられて、見事なアスリートのような身体をしていた。

 

「ま、鍛えているからな。お前らウマ娘に付き合うには体力勝負ってことだ。お前も綺麗な身体をしているな。ミスターシービー」

 

 おや、これは予想しないところからのお褒めの言葉。ま、良いプロポーションというのは自覚しているけれどね。緑のビキニスタイルで白い肌がばっちり露出。幾人かの男性の視線を受けて、結構自信がある格好だ。

 

「ふふ。ありがとうトレーナー。さ、早速海に入ろうよ!きっと、気持ちいいよー!」

「そうだな。…じゃあ、行くか。ああ、でも沖まで行くなよ?お前、泳ぐの苦手なんだから」

「判ってまーす。さ、行こう行こう!」

 

 トレーナーの手を掴んで、海へと駆け出してみれば、脚にまとわりつく冷たい海水が非常に気持ちがいい。手始めにトレーナーに水を掛けてやれば、思いっきり掛けかえされた。あっという間に全身が磯の匂いで塗れる。不思議と黄色い声が自分の喉から出てしまう。こんにゃろうと、海を掛け返す。気づけばお互いに砂と海水まみれで笑っていた。

 

 だが、海はコレが良い。

 

 

 海でしっかり遊んだあと、海の家でのんびりと食事をとっている。トレーナーと私はお互いに成人であるから、飲むものと言えば、これだ。

 

「乾杯」

「かんぱーい」

 

 黄金色のシュワシュワのやつ。キレッキレのキンキン。軽くジョッキを合わせて、ぐいーっと喉にそれを流し込めば、暑さが吹っ飛ぶような爽快さ。学園じゃ無理だ。

 

「くぅー。やっぱり夏はこれだな!」

「ほんっと、素敵な一杯だよねー」

 

 ちなみにおつまみはソーセージにポテトフライ、あとは唐揚げという油、油、油!更には喫煙も出来るので、お互いにパイプを吹かしちゃっている。酒、油、煙草。身体には悪い三点セットだが、これを謳歌できるのは大人の特権であろう。

 

「あ、ソーセージもらうよ」

「どうぞどうぞ。店員さん。ビールもう一杯おかわりを」

「アタシもー」

 

 2杯目の乾杯。ぐいーっとソレを飲み干して、気づけば3杯目。うん、トレーナーもなかなかヤル口だね。学園だとそんな雰囲気まったくないのに。

 

「よく飲むなぁ、シービー」

「トレーナーだって」

 

 もぐもぐとソーセージを喰らいながら、トレーナーの顔を見やれば、唐揚げを頬張りながらあちらさんもビールを煽る。笑顔で。うん。いいねこのオフの感じ。

 

「そういやシービー。お前、どこのホテルとったんだ?」

「あー。ここから見えるあのおっきい所。オーシャンビューで部屋に露天の温泉付きだよー」

「温泉か、いいな。海で冷えた身体に染み入りそうだ」

「でしょ?夕飯も懐石でいい感じ。ふふ」

 

 グラスに口をつけながら、ドヤ顔でトレーナーに笑いかけてみる。

 

「そりゃあいいな。酒…何か買っていくか?」

「ご心配なく。地酒で良いのを用意してもらっているよー」

「抜かり無いな」

 

 そう言いながらさり気なく4杯目のビールに手を伸ばすトレーナー。キミ、さては普段、そうとう鬱憤溜まっているね?

 

「うん。喫煙もバルコニーならオッケー貰っているしね。2人でゆっくり楽しもうよ」

「流石だな。じゃあ、チェックインしたらどっちかの部屋に集合ってことでいいのか?」

 

 おや、何かを勘違いしているご様子。

 

「え?トレーナーと私、一緒の部屋だけど?」

 

 一蓮托生ってやつさ。と、いうのはアレだけど、別にトレーナーとなら一緒の部屋でも問題ない。むしろ安心する。

 

「…お前、やったな?」

 

 頭を抱えて顔を下げたのを見て、思わず、笑いが溢れてしまった。

 

「あっはっはっは!大丈夫、ベッドは2つあるからさ!」

「そういう問題じゃあないんだが…」

 

 私の笑いを見たせいか、大きくため息を付いたトレーナー。ま、これも信頼関係あってのことだけど。

 

「だってさー。一人じゃ寂しいじゃん。晩酌しながら、ジャグやろうよー」

「んなこったろうと思ったよ。ミスターシービー。判った判った。せっかくの休みだ、お嬢様のわがままに付き合ってやるよ」

「流石。わかってるねーミスタートレーナー。じゃ、改めて乾杯しようかー」

「おうよ」

 

 さてさて。今日のご予定は決まった。海の家で楽しんだあとは、ホテルでのんびりと温泉に浸かり。飯を食い。トレーナーと共に夜遅くまで酒と煙草を呑む。

 

「ふふ。楽しみ楽しみ」

「ご機嫌でなによりだよ、ミスターシービー」

 

 そりゃあ楽しいですから。グラスに口をつけながらも笑顔を隠さずにいると、トレーナーも柔らかく、ふっと笑みを浮かべてくれていた。




「や、佐藤さん。それに千明さん。蹄鉄、いい感じだよ。バッと加速してスッと止まれる」

「不満そう?ああー、ばれちゃった?」

「もうちょっとコーナーを全力で駆け抜けれるようにしたいんだよね。ターフを掴むっていうか。取付角度、もうちょっと追い込んで見たいんだ。あはは。大丈夫大丈夫。多少重くなっても、遅くなるような鍛え方はしてないからさ」

「…うん。そんな感じでお願いできる?え?雨だとちょっと不利になるかもって?あはは、それこそ心配いらないって。アタシ、雨は、すこぶる得意なんだ」


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夏合宿、そして、"遊び"

 トレーナーとの休みを謳歌して、当然ながら特に男女の仲になることもなく、いつものように学業とレースの鍛錬に挑む日々に戻ったのが数日前。

 

 私たちは再度、海辺へと繰り出していた。今回は休みというわけではない。ウマ娘的に大きな変化の時期、夏合宿に繰り出しているわけだ。トレセン学園ほぼすべてのウマ娘たちが各々のトレーナーと共に、一周りも二周りも成長ししようと努力する季節だ。無論、私も例外ではなく。

 

「全力ダッシュ!4本目!」

「やあああああ!」

 

 足元の砂にパワーを持っていかれながら、浜辺を全力で駆け抜ける。距離にすれば1キロ程度の短距離走だが、この鍛錬が足腰の筋肉に非常に効いてくる。

 

「ふー。どうかな?トレーナー」

 

 ダッシュを繰り出した後、息を整えながらトレーナーの元へと駆け寄れば、その顔に笑顔が浮かんでいることが読み取れた。

 

「流石のパワーだな。うん。十分に鍛え上げられているだろう。ここからは3000を走り切るスタミナを更に伸ばす」

「判ったよ。で、具体的には?」

「トライアスロン、の自転車抜きだ。1キロのランとスイムを交互に繰り返してもらう」

「1キロ…1000メートルランにスイムだね?オッケー」

「スタートしてからはまずランで目印のところまで走れ。そこからはスイムで戻ってこい。良いと言うまで繰り返せ。じゃ、早速行くぞ!スタート!」

 

 トレーナーの合図で走り出せば、ぐっと脚に負荷がかかり、景色が後方に吹っ飛び始める。スイムねー。最近はクロールが出来るようになっているし、頑張ってみますかー!

 

 

「精が出るわね、シービーちゃん」

 

 トレーニング上がり。合宿場という名の民宿で軽く風呂に入ってから、ロビーでのんびりと寛いでいると、見知った顔が私の前に立っていた。

 

「マルゼンこそ。昼間の爆走っぷり、調子いいじゃない?」

「あら、見ていてくれたの?お姉さんうれしくなっちゃう」

「あはは。そりゃあね。マルゼンとのレースも近いし」

 

 そうなのだ。目下、菊花賞を狙って私はトレーニングしているが、菊花賞の2ヶ月後にはジャパンカップが控えている。つまりは、今の鍛錬はシニア級の相手もしなければならない私を底上げするという狙いもあるわけだ。

 ま、問題があるとすれば、目の前のマルゼンも底上げされているということなんだけど。彼女の成長スピードを超えていかねば、勝利はない。

 

「それにしてもシービーちゃん、馴染んだわね」

「ん?」

 

 その言葉に疑問をうかべつつ、マルゼンの表情を伺ってみれば、おだやかな彼女の顔が見て取れた。

 

 馴染んだ、か。

 

 この言葉の意味するところは、まぁ、この世界に馴染んだ。学園に馴染んだ。シービーとして、馴染んだ。そういう意味なのだろう。

 

「ま、大体1年は経ったしね。でも、馴染んだというか、なんだろうねー。私、としては何も変わってないんだけど?」

「そ・れ・で・も。それに、レースのキレも上がっているわ。だから、シービーちゃんと走るのが楽しみで楽しみで、仕方がないの」

 

 キラキラと、ギラギラとした眼でこちらを見つめるマルゼン。これは、なかなか情熱的なお誘いだね。全く、マルゼンったらさ。

 

「そりゃあ良かった。アタシも楽しみにしているから。…あ、それで、マルゼンには一つ、お願いがあるんだけど。聞いてくれる?」

「お願い?私に?何かしら」

 

 首を傾げたマルゼンスキー。何、そんなに難しいことじゃあないよ。

 

「菊花賞、見に来てくれるんでしょ?」

「もちのロンよ!だって、シービーちゃんの無敗の三冠がかかっているんですもの。ルドルフちゃんと一緒にしっかりとこの目に焼き付けるつもりよ?」

 

 ぐっと笑顔で言い切るマルゼンスキー。うんうん。ソレなら良いんだ。ただ、私がお願いしたいのはそこじゃあない。

 

「ダービーでさ、来賓席で見てたよね?」

「ええ」

「今回も?」

「そのつもり、だけど?」

 

 マルゼンの言葉に首を振る。

 

「それはダメだ。マルゼン、今回はスタンドに降りてくれない?」

「スタンド?別にいいけれど…」

 

 なぜ?言葉にはしないけれど、ありありと浮かぶマルゼンの疑問の表情に、軽く頷きながらこう返した。

 

「ウィナーズサークル。あそこの最前列で待っていてほしいんだよね」

「ウィナーズ…?」

 

 まだピンと来ていないようだね。マルゼンスキー。私がやりたいのは、こういうことさ。

 

「そ。無敗の三冠ウマ娘、クラシックの絶対王者としてあの場でマルゼンに宣戦布告するからさ。最前列に居てくれないと困るんだ。それで、マイクをキミに渡すから。パフォーマンス、今から考えておいてくれると助かるかな?」

 

 にやりと口角を上げてマルゼンの顔を見てみれば、あっけにとられたような驚きの顔で止まっていた。1分ぐらい経ったときだろうか。マルゼンが急に満面の笑みを浮かべて、私にこう、言葉を返してくれた。

 

「…判ったわ。ウィナーズサークルね。一番いい位置で、私が、ミスターシービーの菊花賞を見てあげる」

「うん。よろしくね、マルゼンスキー」

 

 お互いに自然と右手を差し出して、握手。マルゼンの眼に映るのは、青い炎。いい。実に良いぞ。その闘争心。全力でぶち当たるには最高の相手だろう。

 

「あーん、もう!せっかくお風呂も入って落ち着いたのにワクワクしちゃったじゃない!」

「あはは。ごめんごめん。じゃあ、そうだなー…走るのは…ちょっと身体がバッキバキだからダメだけど…」

 

 昼間の鍛錬はキツイ。それこそ、鍛錬上がりは足腰が立たないほどに。それはマルゼンも同じようで、苦笑を浮かべていた。

 

「ってことで、どう、アタシの部屋で一緒にビールでも」

「あら、それ、良いわね。乗ったわ。確か、シービーちゃんのトレーナーも一緒なのよね?」

「うん。そうだよ。マルゼンが嫌じゃなければ、トレーナーも一緒に呑む、っていうのでどうだろう?」

 

 そう提案してみれば、マルゼンの顔に笑顔が浮かんだ。

 

「良いに決まってるわ。じゃあ、早速シービーちゃんのお部屋に行きましょ!」

「うん。行こう行こう」

 

 途中、自動販売機でビールを買いながら、私の部屋へと歩みを進める。道中、ジャパンカップの話題や、菊花賞の話題で話が絶えることはない。なにより、私は知ってしまっている。君の無念を。だから、その…。

 

 ダービーを君に、なんてキザな台詞は言わないけれど。

 

「全力でぶち当たろう。マルゼン」

「当然。フルスロットルよ?」

 

 

「んー?」

 

 ふと目が覚める。気づけば、酒を飲んだまま寝てしまったようだ。マルゼンスキーの姿は部屋のどこにもない。自分の部屋に帰ったか。そう思いながら上半身を起こしてみる。

 

「…ふとん?」

 

 うーん?確か縁側でマルゼンとトレーナーと共に呑んでいたと思ったんだけど…。そう思って周りをキョロキョロしてみれば、隣のふとんではトレーナーが静かに寝息を立てていた。

 

「君とマルゼンが運んでくれたんだね。サンキュー」

 

 ふとんから這い出て、トレーナーの頭をさらりと撫でてやる。全く、気持ちのいい顔で寝ちゃってさ。癖っ毛を弄るのが妙に楽しい。

 

 そうやって、トレーナーの頭で遊んでいると、ふと、視界の端に、オレンジの光が舞い込んできた。

 

 どうやら、もう夜明けが近いらしい。

 

「ちょっと、風にあたろうか」

 

 縁側に出て、夏の朝を感じる。ほどよくぬるい夏の風が頬をなでていく。酒が残る頭が、クリアになっていく。

 

「…良い日々だ。実に、良い日々じゃないか。ただただ、ただただレースに明け暮れる日々。なんて、理想的な」

 

 "遊び"は本気で。

 

 これが私のモットーだ。

 

 故に―。

 

 この世の全ては、"遊び"に満ち満ちていると、いつも考えている。

 これからもっと楽しい"遊び"が待っていると、いつも考えている。

 仕事ですらも、きっとそれは楽しい"遊び"の一つ。

 

 だからこそ。

 

 「菊花賞は、楽しく走らないとねー」

 

 ぐっと背を伸ばして、肺に、朝の新鮮な空気を入れた。



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菊の花が咲く前に

―常識っていうのは、人が作るものに他ならない。

 例えばそう。大逃げじゃあ勝てないとか。

 例えばそう。骨折からの復帰は絶望的だとか。

 例えばそう。菊花賞の最終コーナーの坂はゆっくり登ってゆっくり下るとか。

 多くのウマ娘の経験値と、多くのトレーナーの経験値から導き出された常識。

 常識を守ってこそ、成績が残せるのだというトレーナーやウマ娘も多い。


 夏合宿も終わっていよいよ、秋の空気が忍び寄る毎日。菊花賞を控えたウマ娘たちは、ピリピリとした緊張感でターフを走っている。無論、私も例外ではない。

 

「フォームが乱れてるぞ!地面から脚が離れた後も気を抜くなよ!」

「オーケー!」

 

 既にターフを走って1時間ほど。体力が削れてどうしてもフォームが疎かになる。疎かになるということは、力が逃げる。そこを指摘されてしまった。ならば、丁寧に、しかし、縮こまってはスピードが乗らない。身体を大きく使って、しかし、気を使いながら走るしかあるまい。

 

「日本武道の残心のイメージで」

 

 残心。技や動作の後でも、気を抜かずに心を緊張させたままでいる心の動き。油断せず。勝って兜の緒を締めよ。…は、ちょっと違うか。

 

「そういえば、ウマ娘って弓道も嗜む、とかゲームでは言ってたっけ」

 

 弓道は残心が動作の中に入っている競技だ。射、離れか、つまりは弓を的に打ち込んだ後、その体勢のまま的を見続ける。案外と、この動きを心得ているかどうかで命中率が変わるというのだから面白いものだ。

 

「後でルドルフに教えてもらおうか」

 

 多少、高校の時に嗜んだ事はあるけれど、とはいえ本格的にやったことはない。菊花賞が終わったら本格的にやってみてもいいかもしれないね。さて、とはいえ余計なことを考えるのはここまでだ。コーナーが近づいてきた。

 

「はっ!」

 

 息を吐いて、身体を傾け始める。菊花賞を同じ右回り。首を右にわずかに捻りながら、カーブの先を見る。ターフの状態、それに高低差。走る場所を、走るラインを見極めながらトップスピードを維持していくわけだが、重心の関係上どうしても右足を振り抜いた後、左足は若干力が逃げてしまう。このフォームは菊花賞までには改良は厳しいだろうね。

 

「マルゼンとやるまでにはもうちょっと改良したいねー!」

 

 直線を向いて左足を地面に叩きつける。カーブを抜けた後の重心の戻しは問題なし。一気に加速をかけてカーブでの遅れを取り戻すようにダッシュをかけていけば。

 

「ゴール!」

「ふー!トレーナー!タイムは?」

「3分15秒。ま、もう4本目だからタイムは気にするな」

「オッケー」

 

 そう言いながらトレーナーのもとに駆け寄れば、早速彼の口からはスタートとカーブの欠点を指摘される。

 

「スタートは得意なんだろうが、もう少し力を抜け。体力を無駄に使いすぎるな。お前は逃げウマ娘じゃないから、程よくでいい」

「うんうん」

「カーブについては…ま、自分でよくわかっているだろうが、2回目、3回目の時に軸足じゃないほうで地面を蹴る時にどうも上体が起きる。有り体に言えば力が逃げている。腰を落として上半身を下げたまま行ければ、もっと速度が乗るだろう」

「なるほどなるほど」

 

 予想通りというか。たしかにそうだと言えるご指摘だ。

 

「それと菊花賞のコースなんだが、最終のコーナーには大きな坂がある。登って降りてだ。セオリーはゆっくり登ってゆっくり下る。4コーナーを抜けたらよーいドンで最終加速のイメージだ。そこまで体力は温存しておきたい。それに距離が3000。お前の本来の適正距離から見れば…長丁場だ。余計にスタートはゆっくり出たほうが良い」

「うん…セオリーね」

「そう。セオリーだ。そしてその最終4コーナーではここはどうしても他のウマ娘たちと団子になりやすい。位置取りも重要になってくる。コーナーで踏ん張れるってのが一つキモなんだが…ってお前、その顔はどうした?」

 

 トレーナーはそう言ってこちらを覗き込む。まぁ、判りやすく不快感を覚えているからね。

 

「…んー、セオリーって言葉がちょっとね」

「まぁ、今ままでの菊花賞で結果を出しているウマ娘たちがそうしているからな」

「納得、いかないなぁ」

 

 史実のミスターシービーを知っているから、という以前に、セオリーという言葉はどうも好きではない。ま、セオリーを知っておくのは大切だけどね。

 

「納得いかない、か」

「そ、納得いかないんだ。その、追い込みとか、第四コーナーの坂とか。色々言われるの」

「うーん…とはいえ、セオリーだからな。シービー、お前、京都走ったことないんだから、伝えないわけにもいかないだろう?」

「確かに。ねー、トレーナー。ちょっとジャグやりながら話そうよー」

 

 そして迎えるのは煙草を燻らしながらトレーナーと2人、喫煙所で過ごす静かな時間。心地よいこの時間だからこそ、一つ、彼にはこう提案を投げておこう。

 

「トレーナー。その、実はさ。菊花賞の戦略だけど、私に任せて欲しいんだ」

「戦略を?」

「そ。今回、ちょっと考えていることがあってさ。ちょーっとセオリーを無視するんだけど、どうだろう」

 

 そう問いかけながら、トレーナーにコーヒーを差し出してみる。銘柄はいつものステイゴールド。味と香りが非常に好みだ。すると、トレーナーは軽く笑顔を浮かべつつ、頷いてくれていた。

 

「…ま、お前にも考えがあるんだろう?いいぜ。お前を信じるさ」

 

 何も聞かずにそう言ってくれたのは非常に有り難い。

 

「ありがとう。トレーナー」

「ただ、一つだけ条件をつけさせてもらう」

「条件?」

 

 トレーナーは真剣な眼差しでこちらの眼をしっかりと見つめる。さて、何を言うのだろう?

 

「3000メートル。必ずセンターを勝ち取れ」

 

 なるほど。それは確かに。お熱い一言だ。でも、私にとってはそんなもの朝飯前さと、笑ってみせよう。

 

「あはは!そんなこと?そんなことでいいの?」

「そんなことってお前な」

「だって、アタシは勝つから。条件にもなりゃしないよ」

 

 そう言ってパイプを深く吹かし、煙を天に放り投げた。

 

「その自信なら大丈夫、か。好きに走ってこい。俺は観客室から応援しよう」

「ふふ。頼むよー?あ、で、菊花賞って京都だったよね。移動日とか、アタシはどうすればいい?」

 

 そういえば今回、初の出張である。今まで中山レース場か、東京レース場でしか走っていないからねー。

 

「そうか。シービーは遠征は初めてだったな」

「そうだよー。トレーナーはどうするの?」

「俺は前日、土曜日の朝一に新幹線で行くが…シービーはバイクで来るか?」

「え?いいの?」

「好きにしろって。お前が気持ちよく走るのに必要な準備をしてくれればかまわない」

「じゃあ、バイクで行くよ。トレーナーも乗っていけばいいのに」

「そうもいかないさ。レースの最終手続きやら、あいさつ回りもあるしな。あ、ただ、帰りは乗せてくれると有り難いな」

 

 あいさつ回りかぁ。めんどくさそうだなぁと思うし、一緒に回ろうとか言われなくてよかった。ま、帰りは2人で色々楽しめそうだけどねー。

 

「帰り?もちろんだよ。じゃあ、えーと…アタシは何時ぐらいに京都に到着すれば良い?」

 

 いちばん大切な所。私の現地入りの時間はどうなのだろうか。

 

「そうだな。ステージリハーサルにコースの確認、あとは、最後の仕上げ含めて、ま、土曜の昼ぐらいに『京都レース場』に到着してくれればいい」

「昼ね。りょーかい。じゃ、それに間に合うように行くから。持ち物は…」

「練習用のジャージと靴関係、勝負服関係はこっちで持っていく。肌着、タオル、あとメイク道具…アメニティは自分で頼むぞ」

「判ったよ。トレーナー」

 

 そう言いながらお互いにジャグを吹かす。さて、もう僅かそこまでに菊花賞が迫っている。日々やることは変わらない。練習して、煙草を嗜んで。

 

「あとは度肝を抜くだけか」

「何か言ったか?シービー」

「いや、特に何もー?」

 

 

 いよいよ菊花賞の前日。土曜日。

 

 2時。目覚ましが鳴る。重い頭を持ち上げて、ベッドから洗面所へと歩みを進める。

 

 髪をクリップで止めて、まずは歯を磨く。マウスウォッシュ、フロス、そして歯磨き。のんびりと20分。

 

 次に洗顔。泡をしっかり立てて、両の手で泡を立てて。レモン一個分ぐらいの細かい泡を、Tゾーンにまずは優しく乗せる。

 

 指で肌を擦らないように、泡で汚れだけをこそぎ落とすように。そして少々冷たい水でそれを濯ぎ落とす。もちろん、指は顔に触れない。

 

 柔らかいタオルで顔に乗せるように水を拭き取り、化粧水、そして保湿。軽く下地を載せて、眉を整えて。軽く化粧を乗せて。

 

「よし」

 

 気づけば3時を回って、そろそろ家を出る時間。ライダースシューズ、パンツ、ジャケットをしかりと羽織り、必要な物をスーツケースに仕舞う。

 

 鍵を壁から毟り取り、バイクのキーシリンダーへと差し込む。セルを回せば、重い音と共に、相棒が目覚めた。暖気を行う間、スーツケースとトレーナー用のヘルメットをリアキャリアにしっかりと固定する。

 

「…」

 

 プリウスを見る。仕事のときのスイッチ。だが、ここ最近の私の中の心変わりなのだろうか?すべてが楽しい遊びに思えているからか、最近、めっきり使うことが少なくなった我が愛車。

 

「だから今日もバイクで行くんだけどねー。楽しい楽しい、遊びの時間」

 

 ぽつりと呟けば、相棒のアイドリングが落ち着く。ガレージのシャッターを開ければ、秋を感じる涼しい風が、私の顔にやさしく当たる。ヘルメットを被り、グローブを嵌め、スーツケースをキャリアに括り付ける。

 

「準備完了っと。さてさて、参りますかね」

 

 トレーナーは新幹線であちらに向かうという。だけど、私は道中、楽しく行きたい。ま、帰りは一緒に帰る約束をしているけどね。

 

 アクセルスロットルを捻れば、相棒は相変わらずいい加速を見せてくれる。漆黒の闇を切り裂きながら高速道路に乗ってしまえば、ぐんぐんと東京の街からは遠ざかっていく。

 

「リハねー。ウイニングザソウルは慣れたもんだし。あとは、先頭で駆け抜けるだけだね」

 

 さあ、明日はいよいよ待ちに待った菊花賞だ。マルゼン、ルドルフ、見ていて欲しい、とは言わないよ。ただ、結果を叩きつけるから、覚悟しておくといいさ。

 

 

「マルゼン、本当に良いのか?君だったら来賓席でシービーの走りを見れるというのに」

「ウイナーズ・サークルで見ていて欲しいってシービーちゃんから言われちゃってるのよ」

「変わったお願いをされたものだな」

「ええ。本当に。でも、彼女、勝つつもりよ?彼女のライバルは大変ね、ルドルフ」

「…ははは。何、ちょうどいい重みだ。無敗の三冠ウマ娘。この眼で誕生を見届けるさ」




 例えばそう。ミスターシービーは『まくり』が得意だ。という一つの常識。

 だが、きっと、その言葉を聞いた彼女は鼻で笑うことだろう。

 ―タブーを犯せ。3000メートルの、その先で。


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リハーサル

「ウイニングザソウル。事前リハスタートします!打ち合わせの通り、センターは1番人気のミスターシービー、2番人気カツラギエースと3番人気ビンゴカンタが左右を固めて、あとはバックダンサーでお願いします!」

 

 スタッフが急ぎ足でこちらに指示を飛ばす姿を見ながら、ぐいーっと背中を伸ばしてステージへ上がる。全員思い思いの格好で、私なんかはジャージだけれど、中には勝負服のウマ娘の姿もあった。只今の時間は夜の9時。土曜日のステージが終わった舞台でのリハだ。本番と同じようにコースに設置されているから、観客席もよーく見える。リハとは言え気合が入るね。

 

「わかったよー。カツラギ、ビンゴ、よろしくねー」

「はい!」

「はーい」

 

 センターの3人。そしてその後ろに並ぶのは18人のウマ娘。…多くない?っていっても、18頭立てフルゲートになったのは90年代からだもんなぁ。トウカイテイオーとかあの辺りだったっけ。ウマ娘的にどうなるかは判らないけれど、きっと、今後改良されていけば18人立てのレースになっていくのだろうなぁ。本当、今はいろいろな意味で黎明期と言えるのだろうね。

 

「ま、今はただ駆け抜けていくだけ、か」

 

 気負いはしない。とは言っても、緊張はする。ライトが眩しいステージの中央に立ってみれば、ぞわりと鳥肌が経ってしまう。明日、私は菊花を受け取れるのかとか。マルゼンと本気でやり会えるのだろうかとか。来年、どっかの無敵の皇帝様といい勝負が出来るのだろうかとか。いろいろな思いが湧き上がる。

 

「緊張してます?シービーさん」

 

 そう言いながら顔を覗き込んできたのはカツラギエースだ。年齢は違えど同期の絆というやつだろうか。気づけばビンゴカンタも心配そうにこちらを眺めていた。

 

「…そうだね。緊張はしてるかな」

「ミスターシービーでも緊張はするんだね?」

「そりゃそうさ。ビンゴカンタ。日本初の期待が両肩には乗ってるし、このパフォーマンスも失敗は出来ないし。驕っては居ないけれど、この世代の代表ウマ娘はアタシだって自覚もあるしね」

「贅沢なプレッシャーだね」

「ビンゴカンタは緊張してないのかい?」

 

 私は自らが強ばる表情を感じ取りながら、彼女にそう問いかけを投げてみる。すると、ビンゴカンタは大きく頷いた。

 

「そりゃあ緊張しているさ。だって、私の、いや、カツラギもそうだし、ブルーダーバンやウメノシンオー、ここにいないニホンピロウイナーだってそう」

 

 静かに彼女の言葉を聞き入れる。

 

「ミスターシービーと同期のウマ娘は、いつだって緊張しているよ」

「私と同期だと緊張するの?」

「そ。だって、私達も頑張らないと。ミスターシービーに追いつかないと。ミスターシービーだけが強かった、なんて評価をされたら、癪でしょう?」

 

 …なるほどね。そういう緊張感か。カツラギを見る。そして、今の話を聞いていたであろうブルーダーバン、ウメノシンオーといったバックダンサーとして立っているウマ娘たちを見てみれば、皆、力強く頷いていた。

 

「シービーさんが強い世代。そう言われないように、じゃないですね。『この世代は全員強い。その中でも、一番強いのがミスターシービー』…そう言われたいんです」

 

 カツラギが呟けば、皆一様に再度、力強く頷いていた。

 

「…そっか。じゃあ、アタシも、不甲斐ない走りを見せないように気合を入れないとね」

 

 ぐぐっと背筋を伸ばして、センターポジションでマイクを握る。

 

「じゃ、ひとまずは今日はアタシがセンターポジションでのリハーサルだけど、明日の本番は、アタシじゃない誰かが立っていることを祈っているよ」

「そんな気全然無いくせに!」

 

 ビンゴカンタのツッコミに、全員が軽く吹き出していた。さてさて、それじゃあ行こうか。

 

「スタッフさん。全員ポジションに付きました。音楽お願いします!」

 

 マイクに向かってそう力強く叫んで見れば、スタッフが大きく腕を振った。暗転していた照明に火が入り、同時に流れ出す音楽。カツラギ、ビンゴカンタと目配せをしながらイントロの振り付けを熟して、マイクを握った。

 

 

 一通りのリハの後、楽屋で私服に着替えて夜の街に繰り出した私とトレーナー。夜の街、と言っても、軽い夕食であるから勘違いはなされぬように。

 

「ウイニングザソウルのリハは完璧、京都のコースも初めて走るとは思えないぐらい、いい感じだったな」

「ありがと、トレーナー」

「それじゃ、ひとまずは乾杯といくか」

「うん」

 

 お互いにグラスを掲げて、軽く合わせる。とは言っても今日は私は酒じゃない。濃いめの人参ジュース。トレーナーも私に合わせてソフトドリンクを飲んでくれている。グラスを空にして周囲の景観を眺めれば、目の前に広がるのは雄大な鴨川の景色だ。間髪入れずにトレーナーがグラスにジュースを注いでくれた。お返しにと、トレーナーのグラスにもジュースを注ぐ。

 

「それにしてもよくこの時期に、この時間に川床なんて取れたね?」

 

 時間にしてみれば既に11時。普通の飲食店ならば閉店している時間だろうに。

 

「学園長のツテさ。せっかく京都に行くのなら、レースの前に英気を養って欲しい!とかでな」

「流石の学園長だね。でも、それならレースの後でもいいんじゃない?」

「俺もそう思うんだけど、学園長のススメだからな。それに明日はどうころんでも、レースの後ゆっくりなんて出来ないだろうからよ」

 

 それもそうか。レースで勝てばお祭り騒ぎ。レースでも負けてもお祭り騒ぎ。こんなふうに、ゆっくり川床で料理を楽しむことは難しいだろう。

 

「に、しても。この料理は日本酒が欲しくなるねー」

 

 目の前に並ぶのは鱧料理、鮎料理、湯葉料理などだ。試しに、鱧の梅肉和えに口をつけてみる。

 

「うーん。淡白で実に美味しいね」

「そうだな」

「トレーナー。別にキミはアルコール入れてもいいと思うよ?」

「そうもいくまいさ。旨い酒は、お前と一緒に味わってこそだよ」

 

 そう言いながらトレーナーはジンジャエールを嗜む。全く、その気遣いが嬉しいね。

 

「そっかそっか。じゃあ、明日は余計に負けられないねー」

 

 天麩羅もサクッと軽くて美味しい。今日は人参ジュース。明日は、そうだな。

 

「トレーナー。明日は月桂冠でも開けようよ。せっかくの京都だしさ」

「そりゃあいいな。じゃあ、純米大吟醸でも用意するよ」

「頼んだよ」

 

 そう言いながら鱧の椀を啜る。京都の濃い出汁の味。明日の菊花賞も、皆にとって味わい深い物になるように。

 

「楽しく走って、楽しく呑もう」

 

 ぐっと人参ジュースを飲み干して、秋空を見上げる。今日の月は上弦の一つ前。淡い光が鴨川と、京都の街並みと、私達を照らしている。



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菊花賞(前)

 菊花賞当日。前日の軽い夜更かしの影響はまったくなく、絶好調でお披露目を終えた私は、のんびりと、地下道の中で歩みを進めるウマ娘たちを見送っている。というのも、お披露目も終わりターフへの移動しようと思った所で、スタッフから。

 

「ミスターシービーは最後に登場をお願いします」

 

 と、要望を受けてしまっているため、ちょっとだけ待機の時間だ。せっかくなので、ついでに、トレーナーと軽い雑談なんかもしちゃっている。

 

「3000メートル、持ちそうか?」

「うん。きっと大丈夫。それに、途中、戦略は組んでいるからさ」

 

 トレーナーはやっぱり私のスタミナを心配している。トレーナーいわく、もともとミスターシービーは中距離ウマ娘らしいしね。実際、馬のミスターシービーもそうなんだっけなぁとぼんやりと思う。そして、トレーナーは、私の戦略を聞いてからは余計にスタミナを心配してくれている。

 

「心配はむしろ他のウマ娘たちだよ。驚いてくれるかな?」

 

 とはいっても、スタミナは夏の合宿からの練習で相当伸びている自覚はあるしね。むしろ、戦略が外れるほうが心配だ。

 

「お前の戦略なら間違いなく今回は出し抜けるさ。なんてったって俺でも呆気に取られたぐらいだからな」

「そりゃあ心強いね。あとは、息を入れるタイミングが肝心なんだけど…皆、乗ってくれるか本当に心配だ」

 

 きっと、私のやろうとしていることは安牌じゃない。新雪の上を行くようなもの。今までは、曲がりなりにも史実という獣道があった。だが、今回は。

 

「弱気になるんじゃない。絶対に乗ってくるさ。ミスターシービーが行けばな。特にこの菊花賞であれば」

 

 ―間違いないさ。そう、トレーナーの目が訴えてくる。うん。ここまでトレーナーが言うのであれば。

 

「そう。そうだね。ありがとう、トレーナー」

「ああ。じゃあ、俺はそろそろ観客席に移動させてもらうよ。今回も、しっかり楽しんでこい。ミスターシービー」

「もちろんさ。ミスタートレーナー」

 

 トレーナーは踵を返して観客席へと姿を消した。そうやっている間にも、私の横を何人かのウマ娘が通り過ぎていく。ふと、一人のウマ娘が、私の前で立ち止まる。

 

「今度こそ、勝ってみせます」

「はは。カツラギ。それは無理だね」

 

 そのウマ娘はカツラギエース。気合十分。日本ダービーの時よりも、きっと、仕上がっている。でも、今回はキミでも足りないだろう。

 

「今回のアタシは、ちょっとスペシャルなんだ。きっと、スタートした後に度肝を抜かれていると思うよ?」

「スペシャル…?」

「そ。スペシャル。今のカツラギじゃ、そんなアタシに着いてこれるビジョンが見えない」

 

 きっと、カツラギエースだけじゃない。ブルーダーバンも、ウメノシンオーも着いてこれないだろう。私がそう言いながら笑って見せれば、カツラギエースはこちらの目を真っ直ぐに見てくれていた。

 

「…大丈夫です、シービーさん。絶対に、着いていって、着いていって、ゴールを先に切ってみせますから」

「そっか。じゃ、楽しみにしているよ。カツラギエース」

「私もです。ミスターシービー」

 

 そう言って握手を交わした私とカツラギ。後はターフで決着を着けるだけだ。お互いにもう、目は合わせることもない。そうやってウマ娘たちの姿を見守りながら、そろそろ私の出番かなと、スタッフに聞こうと思った時、一人のウマ娘の姿が見えた。

 

「そんなところでぼうっと突っ立っちゃって。主役は遅れて登場するの?シービーちゃん」

 

 現れたのはマルゼンスキー。どうやら、わざわざ観客席からこちらに会いに来てくれたようだ。

 

「まぁね。一番、期待がかかっているのはアタシだし。歌舞伎でも真打は最後に登場するのが、道理でしょ?」

「そうね。それで、どう?調子は。勝てそう?」

 

 マルゼンはいつもの笑みだ。

 

「そうだね、…獲れれば、…良いかな」

 

 曖昧に答えて彼女の眼を見つめる。マルゼンは、にこりと微笑んでくれていた。

 

「あら、三冠を獲って私と対決したい、って言っていた割に弱気じゃない?」

「ん?そう見える?それなら、ぜひ、走りをしっかりと見ていてほしいな」

「ええ。もちのロンよ」

 

 マルゼンの言葉を聞いて頷く。そして、いよいよ、全員がターフに出たのであろう。私にスタッフからGOサインが出されていた。

 

「時間みたいだ。じゃ。マルゼン。ウィナーズサークルで」

「そうね。ウィナーズサークルで待っているわ。シービーちゃん?」

 

 笑顔を浮かべたままのマルゼンに、手を軽く振りながら、踵を返してターフへと向かう。

 

『さあ、そして最後にターフに現れたのは9番!ミスターシービー!皐月、日本ダービーと未だ無敗!無敗の三冠ウマ娘としての期待がかかります!』

 

 大きく降り注ぐ声援に右手を振って笑顔で答える。眼前に広がるのは淀の大舞台。3000メートル右回り。大きく息を吸い込んで。

 

「さあ、いっちょ、やりますか!」

 

 

「ターフに現れたウマ娘たちに、大きな声援と拍手が送られます。特に今回は大注目、ミスターシービー無敗の三冠ウマ娘になるのか。それとも、他のウマ娘が菊花賞ウマ娘の座を勝ち取るのか、非常に注目のレースとなっております。京都、3000メートル、右回り。芝の状態は良。さて、やはり我々も気になりますのはミスターシービーのレース運びでしょうか。どのような展開になるでしょうかね」

 

「そうですねー。皐月賞、日本ダービーを見るに、ミスターシービーは()()()()()()()()()()ウマ娘ですからね。皐月賞では追い込み、日本ダービーでは先行と戦略を変えてきておりますから、なんとも難しいところですが、彼女の末脚を活かすのならば中段より後ろになるのかなと思いますね」

 

「やはり菊花賞ですから、スタミナの配分と、位置取りが重要になりますか」

 

「ええ。特にこの京都レース場は淀の坂と呼ばれる高低差が最後に控えておりますから、下り切るまではスタミナを温存して、4コーナーを抜けたあたりで追い込みをかければ、あるいはと思いますね」

 

「楽しみですね。無敗の三冠ウマ娘。とはいえ、他のウマ娘たちも気合が入っておりますが、注目のウマ娘などはおられますか?」

 

「そうですねー。やはり、外せないのは皐月、日本ダービーと2着に滑り込んでいるカツラギエースでしょうか。惜しいところまでは来ておりますから、この距離が伸びた京都でそれがどう発揮されるかが楽しみです。他にもビンゴカンタ、ウメノシンオー、ブルーダーバンあたりも同じようにミスターシービーにあと一歩ということろまで迫っているウマ娘たちです。それに、今日、出場のウマ娘は全員調子が良さそうですから、ミスターシービーは油断できませんね」

 

「なるほど。やはり、どのウマ娘からも目は離せませんね。さて、スターターがスタート台へと上がりました。旗が振られますと、いよいよ、菊花賞のファンファーレです」

 

 

 ゲートインをする中で、まず、異様な空気を感じたのは、ダイゼンキングとウメノシンオー。

 

 異様な雰囲気は、大外で待つカツラギエース、最内で待つアテイスポートにすら届いていた。

 

 ちらりと、各々がミスターシービーの顔を伺えば、そこにあったのはただただ真っ直ぐにコースを睨む鋭い眼光。思わず気圧されてしまいそうなその雰囲気に、ぞくりと鳥肌が立つ。

 

 最後にゲートに収まったドウカンヤシマですらも、ぶるりと、全身を震わせた。

 

―ああ、これは、今日、ミスターシービーは本気の本気でヤル気だ―

 

 ウマ娘たちがそう感じたと同時に、観客の声援と、風の音と、アナウンスの音の中に、あり得ない雑音が一瞬だけ交じる。

 

 それはまるで、甲高いエキゾーストノーズ。それは、彼女らは知らない、12000回転を超える高性能エンジンの音。

 

 一部のウマ娘から言わせてみれば、それは領域と呼ばれる、極限まで集中力が高まった状態。だがしかし、だからといって、そんな音がするわけがないと頭を横に振ったウマ娘も居る。

 

―ミスターシービーの気合に押されてなるものか。私が今日は一番速いのだ。このために練習してきたのだから―

 

 そう意気込むウマ娘たち。多少のことでは度肝は抜かれまい。

 

 観客ですら、当然のように驚きはすまい。

 

 ミスターシービーはきっと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。序盤は落ち着いて、レースを走ろう。序盤は落ち着いてレースを、見よう。

 

 誰もが、そう、思っていた。

 

 ついにこの瞬間がやってまいりました。

 

 トゥインクルシリーズが始まって、三冠ウマ娘という言葉が出来て、初めての三冠ウマ娘は「セントライト」そして史上2人目の三冠ウマ娘が「シンザン」と2人のウマ娘が獲得。

 

 果たして、史上三人目、そして史上初の無敗の三冠ウマ娘が誕生するのか!いよいよ、スタートです。

 

 菊花賞のゲートが開きました。さあ21人のウマ娘の出はまずまずと言った所か。ミスターシービーはいいスタートを切れている。

 

 ハナを主張するのはアスコットエイト、続いてリード―ホーユー。

 

 リードホーユーのその後ろ、その後ろに駆け込んできたのは…ミスターシービー!?

 いや、駆け込んできただけじゃあない!そのままリードホーユーを交わしてアスコットエイトと並んで()()()()()()()()()!?

 これはミスターシービー掛かってしまったか!?おっと!?()()()()()()()()()()()()のはカツラギエース!?これは一体どういうことだ!?

 

 観客席からはどよめきが上がる菊花賞となりました!さあ各ウマ娘たちがホームストレッチに姿を表します。

 

 先頭は大方の予想を裏切ってミスターシービー、次いでカツラギエース、その後ろにアスコットエイト。未だどよめき止まぬ菊花賞。さあここから各ウマ娘、どのような戦略で、この3000メートルのレースを展開していくのでしょうか!

 

 

 マルゼンスキー。キミに対して、強い言葉で煽るのもいいだろう。マルゼン、キミにクラシックを届けると、キザになるのもいいだろう。それか、強い眼で射抜くのも良いだろう。三冠を、追い込みで獲って見せてもいいだろう。

 

「でも、それじゃあマルゼンには『弱い』」

 

 そうだ。言葉じゃマルゼンには弱い。楽しそうにしているけれど、きっとどこか、ミスターシービーは格下で、年下のウマ娘と軽く見られている。―つまり、私が、アタシが言いたいのはさ。

 

 相手を本気にさせる挑戦状の叩きつけ方って言うのは、何も、強い言葉である必要は無いってことさ。特に、未練が残る人にとってはね。




「そうだね、(キミが得意な逃げで)獲れれば、(キミへの挑戦状としては)良いかな」


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菊花賞(中)

2023年もよろしくお願いいたします。

ビバウマ娘!ミスターシービー実装を願いまして!書き初めです!


 菊花賞のゲートが開くと同時に、一気に身体を前に出した。スタートは私にとってはお手の物だ。クラッチを当てるように脚に力を入れて、一気に身体を前に出すだけ。そして、そのまま今回は一気にトップスピードに体を乗せる。ハナを取るためだ。

 

「なっ!?ミスターシービー!?」

「うっそでしょ?掛かった!?」

「ミスターシービーが行った!?」

 

 ほらみたことか。ウマ娘たちも、観客も驚いてる。よしよし、まず走り出しは順調といったところだ!

 

「いかせません!」

「お、来たねカツラギー!」

 

 発走直前に煽ったカツラギも一緒に来て、2人で逃げの体制が出来上がる。気づけばハナを獲ってあっという間にホームストレッチに入る。普通であれば歓声が降り注ぐが、今回ばかりはどよめきが私に降りかかる。多分、マルゼンも、ルドルフも同じじゃないかな。その顔を想像すると、ちょっとおもしろい。

 

「お」

 

 ちらりと見えたイエローのシャツに黒のベストの姿。トレーナーだ。目配せをしてみれば、小さく頷かれた。よしよし。トレーナーから見ても、この状況はまさに理想通りといったところだろう。

 

「ミスターシービー!何処まで逃げるんですか!」

「どこまでも!」

 

 カツラギエースの叫びに、笑いかけながら答えて見せる。ここまで既に後ろとの差はざっと5バ身体以上。さあさあ、コーナーに入るまではもっと逃げるよ。ついてきな!カツラギ!

 

 

「菊花賞は逃げたい、か」

「そ」

 

 喫煙所で私の戦略を聞いたトレーナーは、判りやすく、眉間にシワを寄せていた。ま、そりゃあね。末脚が強いウマ娘が逃げって、どうなのそれって思うもの。 

 

「いや、でもお前のスタミナじゃあ持つかはわからないぞ」

 

 ごもっとも。でも、それはそうとして成功例を私は知っているんだよ。

 

「うん。だからそう、途中で息を入れるつもり」

「途中で?」

 

 途中で息を入れる。それは例えばセイウンスカイ。これで、馬のほうは菊を獲っている。ウマ娘でもその映写があるしね。それに、記憶に新しいタイトルホルダー。彼も、この戦法で菊花賞をもぎ取っているし、天皇賞の3200メートルまでも手に入れているわけで、実績は十分。問題があるとすれば、それはしばらく後の未来、ミスターシービーの数世代後のお話であるということぐらいだ。

 

「そう。スタートから正面スタンド過ぎてコーナーに入るまではスパートをかけるんだ」

「スパートを」

「それで、そこからペースを緩めて一息をいれるわけ」

「…確かに、それは一理あるな。ハマれば、戦略としては理想的なところだな。しかし、問題はその先だ。よしんばスタミナを維持できても、結局淀の坂で捕まる可能性が高いだろう」

 

 そうだね、と頷く。だが、トレーナーもそうだけど、その前提条件がそもそもおかしいのだ。

 

「捕まるだろうね。普通に行くと。だから、淀の坂で、加速しながら行く」

「淀の坂で?」

「うん。淀の坂で速度は緩めない。むしろ、加速しながら登って、勢いのまま下る。楽しそうだって思わない?」

「楽しそうってお前なぁ…。セオリーガン無視かよ」

 

 呆れ顔でそんな事を言ってくれるトレーナー。だけど、私の目はごまかせないよ?だって、口角、上がってるんだもの。

 

「じゃあ、反対する?」

 

 ジャグの煙を吐き出しながらそう聞いてみれば、その口角の上がり方は目に見えて大きくなる。

 

「冗談言うな。お前のトレーナーだぞ?セオリーガン無視。面白いじゃないか。それに、お前に戦略は任せる。その言葉に二言はないさ」

「流石アタシのトレーナー。わかってるねー。はい、コーヒー、もう一杯サービス!」

「サンキュー」

 

 そう言いながら私のコーヒーを受け取ってくれるトレーナー。うん。やっぱりトレーナーは良い人だね。

 

「ああ、そうだ。お前、まともなパイプは持ってないのか?」

「ん?ないよー。前も言ったけど、コーンパイプが好きなの」

「そっかそっか」

 

 

 ミスターシービーは現在ハナを主張して第一コーナーへと入っていきます。その後ろにカツラギエースがくっついて、それを追うように19人のウマ娘たちが勢いよく第一コーナーを右にカーブを取ります。

 ミスターシービーは未だ先頭。ビンゴカンタ、ヤマノテスコは中段、1番のアテイスポートがシンガリ。

 

 ミスターシービーとカツラギエースが大逃げであります。その差は3番手まで10バ身体といったところ。その2人を除いて他のウマ娘たちはほぼ固まっています。どこからでも誰であっても仕掛けられるでしょう!さあウマ娘たちが向正面に入りました。先頭は未だミスターシービー、続いてカツラギ―エース、そこからぐーんと開いてアスコットエイト、リードホーユー、ドウカンヤシマが行きました。各ウマ娘の動きが激しくなってきています!いよいよ、レースが動きます。

 

 

「さあ、ここからが勝負どころだぞ。シービー」

 

 向正面にシービーの姿を認めたトレーナーは、そう小さく呟いた。不安がないわけじゃない。むしろ、負けてしまう可能性のほうが高いとも、このトレーナーは思う。

 

「今のところは後ろは着いてこない。きっと、ミスターシービーが掛かったと思っている。対応したのはカツラギエースだけ」

 

 そう言って、トレーナーは一つ気が付いた。なぜ、カツラギエースだけが着いていっているのか?シニア級ならまだ経験値の多いウマ娘ばかりだから解る。だが、ここはクラシックだ。

 

「…あいつ、教えたな?」

 

 きっと、教えたにせよ教えなかったにせよ、何かを吹っかけたのだろう。じゃなければ、今頃一人の逃げだったはずだ。そうなると、どうだった?

 

「その場合、作戦がバレてミスターシービーに全員がついていく可能性もあったかもな。でも、今の2人逃げの状況であれば、実力者の2人であるカツラギとミスターシービーが逃げて潰れてくれれば…そう思っているウマ娘も多いだろうな」

 

 その言葉を証明するように、未だ3番以下は団子だ。追いつこうとするウマ娘は居ない。これがシニア級ウマ娘なら『作戦』と見抜いて潰しにかかるウマ娘もいるだろうけれど、残念ながらまだここはクラシック級。全員、走ることに夢中で、簡単な作戦でもハマる。

 

「息を入れられている。作戦は、ほぼ決まりだ。あとは」

 

 カツラギエース。彼女の実力と、ミスターシービーのガチンコの戦いになるだろう。距離が伸びたこの菊花賞。どちらが有利なのか?

 

「長距離の才能だけでいえばカツラギエースだろう。生まれ持ったスピードと末脚で言えばミスターシービーか」

 

 己の担当だからといって贔屓はしない。実際、ミスターシービーに肉薄してついていっている。あの実力は本物だろう。とはいえ、それが重要かというと、ミスターシービーにとっては重要ではないだろう。そう思って、トレーナーは軽くため息を吐いた。

 

「楽しめ。楽しんで楽しんで。最後に先頭で戻ってこいよ。ミスターシービー」

 

 観客のどよめきが未だに止まぬ菊花賞。その中で、熱い視線をターフに向けているうちの一人。思わず口角が上がる。たとえ三冠ならずとも、このレースは、非常に熱い結果をもたらしそうだ。

 

 

「シービーちゃん」

 

 マルゼンスキーの眼前。一回目のストレッチをハナで駆け抜けたミスターシービー。その姿を、マルゼンスキーはしっかりと納めていた。

 

「前しか見ていない。前しか見えていない」

 

 思い出されたのは、過去の自分の姿なのか。それとも、また違う姿なのか。

 

「そう。逃げ。逃げるのね。シービーちゃん」

 

 …思い出される。クラシックを走れたら。

 

『順位に入れなくてもいいから、走らせて』

 

 ああ。そうだ。私はきっと、クラシックに叶うことのない恋をしている。恋をしたまま、今も走り続けている。

 

「羨ましい」

 

 第一コーナーへ走り込むミスターシービーの姿を見た。それに追いすがるカツラギエースの姿を見た。きっと、私もああいうふうに走ったであろう。先頭で、気持ちよく。この菊花賞の3000メートルだって。きっと楽しく走ったことだろう。

 

「ああ、そう…。そういうこと?シービーちゃん」

 

 出走前。『三冠は獲れそう?』とミスターシービーに訪ねた時。彼女は曖昧に答えていた事を思い出す。確かに、これじゃあ三冠を濁すのも判ってしまう。逃げ、なんて、勝てないという保険…と思ったけれど、そうじゃないと首を振る。だって。

 

「でも、それでも貴女は『三冠ウマ娘』として私の前に立ちはだかると言ってくれた」

 

 そうだ。言い切ってくれた。『ウィナーズサークルで』という、一言の言葉の重みが判らない彼女じゃないだろう。

 

「シービーちゃんはなんて言ってた?」

 

―あら、三冠を獲って私と対決したい、って言っていた割に弱気じゃない?

―ん?そう見える?それなら、ぜひ、走りをしっかりと見ていてほしいな

 

『走りをしっかりと、見ていて欲しいな』

 

 はっとして、カーブの向こうに消えるミスターシービーを見る。大逃げだ。文句なしの大逃げだ。ぶっちぎって、3位以下を引き離して向正面に入っていく。そんな彼女をみていてたら、腹の底から湧き上がってきた感情が、一つ。

 

「…ずるい」

 

 ずるい。だって、クラシックで。あんなに一杯ライバルが居て。あんなに、あんなに楽しそうに走っちゃって。しかも、先頭で!私だって、私だって!

 

「走りたいに決まってるじゃない!シービーちゃん、ずるいわ!」

 

 『見ていろ』なんて酷な事を!ああ、全く!本当にずるい!こんな熱いレースを見せられて、参加出来ないなんてもどかしい!全く、まったくもう!

 

「でも、こんなところで負けちゃ、お姉さん承知しないからね?ミスター、シービー!」

 

 大声を上げて、ミスターシービーにエールを送る。向正面。見えるはずのない彼女の表情が、にやりと、笑ったように見えたのは気のせいじゃないだろう。



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菊花賞(後)

 カツラギエースを引き連れて第一コーナーへ駆け込んでいけば、後ろとの差は10バ身体以上。そして、どうやら彼らは無理には追いかけてこないようだ。

 

「よしよし、いい感じいい感じ」

 

 ちらりと目配せをして、カツラギと目を合わせてみれば軽く睨み返された。『どういうことなんですか!』と言いたげな感じである。ふふ。勢いでついてきたけど、理解は出来ていない。そんな顔だね。ま、もうしばらく着いてきてくれると、私的には助かるけどね。

 

「それにしても、先頭の景色は素敵だね。サイレンススズカ、マルゼンスキー、セイウンスカイ。彼らが逃げにハマる理由が判った気がするよ」

 

 身体を右に傾けながら1,2コーナーを抜けていく。風を切る音、足音、自分の音が心地よく響いてくる。懐かしさすら感じる、この風切り音。

 

「CBRで先頭を走っているときは、こんな感じだったっけ」

 

 ミスターシービーになる前、男の私を思い出す。数少ないポールポジションを取れたレースではこんな感じだった。風切り音。誰も前に居ない。聞こえるのは自分のエンジン音。後ろから少しづつ近づくライバルたちの音。でも、自分のエンジン音が一番大きく、誰も前に居ない。気持ちいいコースを、気持ちのいいペースで走り込む。

 

 ああ、そうだよ。これだ。これが好きで私はレースを生きている。レースに居る理由はコレだ。

 

 別にミスターシービーになったからといってレースで生きる理由はない。なんてったって貯金だってある。走らずに辞めても良い。

 

「でも、それは、詰まらない」

 

 詰まらない。のんびり生きる人生なんて詰まらない。レースで生きれる下地があるのならば走らなくっちゃ。そして、ぴったりと後ろにつくカツラギや、後方集団で控えるブルーダーバン、ビンゴカンタ達、そして、今は別の道をいったニホンピロウイナー。彼らのようなライバルがいるのなら、なおさら。

 

「よっぽど、楽しく走れるじゃあないか。ああ、素敵、素敵だ!」

 

 コーナーを抜けきって向正面。ちらりと目配せをしてみれば、まだ後方との差は縮まっていない。少しだけ脚を緩めて、息を整える。同時に、スピードを落としていないカツラギがハナを獲った。

 

「バテましたか!」

「かもね」

 

 バテたか。そう言われれば確かにバテている。とは言え、これは計画されたバテ方。この直線で脚と息を回復させる。

 

「本当はマルゼンスキーやスズカのように、逃げる脚を持っていれば良いんだけど」

 

 残念ながら私はそこまで逃げに特化してはいない。それに、長距離もあんまりだ。私の長距離の資質はおそらく5段階で言えば良くて2~3だろう。逃げの資質も同じだ。カツラギは今まで一緒に訓練していた中で感じるのは4~5。だが、スピードにおいては私は4~5、カツラギは3~4ぐらいであろう。

 

 そう、何事にも得意不得意がある。『運動は誰にでもできる』という人もいるだろうが、そんなことはない。『運動は誰にでも出来ない』が正しい。逆上がりなんかはいい例だろう。出来ないものは出来ないのだ。努力をしようが、道具を使おうが、体力をつけようが、筋力をつけようが、逆上がりが出来ない人は出来ない。泳げない人も同様だし、跳び箱を飛べない人もそうだ。

 

 だが、できる人間はいつもこういう。『努力すればできる』と。だが、それは出来ないのだ。人間は単体で空を飛べないと同じレベルで出来ないのだ。人間は酸素ボンベもなく、素潜りで水中で何日も生活できないのと同じように、出来ないのだ。

 

「だから、コレは逃げじゃない。2回。スタートとゴールで、追い込みを駆けるだけ」

 

 そう。これは逃げじゃない。スタート直後に追い込みをかけて、そして、道中で休み、最後のゴールでもう一度追い込みをかけるという戦略。ガソリンとタイヤの消費を抑えるみたいなもんか。だから、今はカツラギに前に出られても我慢の時。彼女の背中を見ながら、スリップストリームを使って脚を少しでも休める。張り合って一緒のペースで走り続ければ、有利なのはカツラギなのだから。

 

「後ろはまだ来ない。そう。そのまま」

 

 競い合っているように見えるのならば、来ないのならば良い。4コーナーに入る前に捕まえられなければ、私なら逃げれる。

 

「ふ」

 

 息を大きく吸う。余裕は、正直あまりない。結構息は上がっている。だが、ここは大きく息を吸って、酸素を身体に叩き込まなければならない。今は貯め時。ゴールをするまで酸素が、筋肉が持てば良い。

 

 むしろ。ゴールの後、ぶっ倒れるぐらい、全部を出し切りたい。

 

 だって、そのほうが。

 

「気持ち良いよね!」

 

 コーナーが見える。カツラギの背中が大きい。後ろからのプレッシャーをビリビリと感じる。

 

 さあ、ここからがこのレースの分水嶺。私のレースの勘所と、アタシの追い込みの力。

 

 ウマ娘達にどこまで通用するのか、いざ尋常に勝負といこうじゃないか!

 

 

 向正面に入ったウマ娘たち。ハナはカツラギエースに変わりレースを引っ張って参ります。1000メートルの通過タイム…58.9秒はかなりのハイペース!これは最後までスタミナが持つのか!

 改めて順位を確認していきます。ミスターシービー、カツラギエースは未だ2頭で大逃げ。その後ろ10バ身体ほど離れて集団を引っ張るのはアスコットエイト、すぐ後ろに12番ドウカンヤシマ、3番タマモコンコルド、7番リードホーユーと続く。2番がチヨノカチドキ、そしてワイドオーがいました。その外ウインディシャダイ、ビンゴカンタが行きました。14番がヤマノテスコ

 、そしてマンノタロ、ワンアイドダイナ、ダイゼンキングがいます。そしてここで京都の第三コーナー、登りに入りました!後方集団のウマ娘たちのペースが上がって大逃げの2人に徐々に迫ってまいります!

 

 おっと!ここで9番のミスターシービー、ミスターシービーがカツラギエースの外からいった!ペースをグンと上げてカツラギエースの外から行った!スタミナが持つのか!登りで行ったミスターシービー!カツラギエースも負けじと行く!さあ下りをどう行くのか!ハナを進むミスターシービー!ドウカンヤシマ、ビンゴカンタもぐっと差を詰めてきているがさあ2周目の、2周目の坂の下り、これが三冠街道かミスターシービー!

 

 カツラギエースも負けていないが、外からビンゴカンタ、内からドウカンヤシマ!しかし、しかしミスターシービーがここで完全に先頭に立った!

 

 ミスターシービーが左右を確かめた!ミスターシービー先頭で第四コーナーをカーブする!

 

 どよめきがついに歓声に変わった!ミスターシービー先頭だ!さあミスターシービー!シンザン以来の三冠か!初の無敗の三冠ウマ娘か!

 

 

「はっ!はっ!はっ!はっ!」

 

 息が苦しい。耳に入ってくる音は、正直怪しくなってきた。

 

「ちっ」

 

 目に入る汗に、思わず舌打ちを食らわせる。ぐっと手で額の汗を拭う。やっぱり楽じゃないね。レースっていうのは。

 

「ふ、はっ、ふっ、はっ!」

 

 左右を確かめる。どうやら、横に並ぶウマ娘は居ない。カツラギの表情がチラリと見えた。彼女も顔を真赤にして、汗まみれ。だが、その瞳は鋭さを持って私を睨んでいる。それは、お互い様だ。

 

「ぁあああ!」

「ゃああああああ!」

「こなくそぉおおお!」

 

 内、外。後ろからプレッシャーと、声が聞こえる。足音も近づく。

 

「ミスターシービー!抜かす!私が一番!」

 

 カツラギもそう叫ぶ。だが、伝わる。お互いに余裕はない。あちらも一杯。こちらも一杯。

 

「そうは問屋が卸さない!カツラギ!着いてこれるなら、着いてきてみな!」

「ったり前!!ゃあああああああああああ!」

 

 脚を前に出す。スタミナなんてとうの昔に切れている。息をついたとて、3000メートルの全力勝負。後は、根性勝負!脚を回せ、脚を回せ!脚を回せ!脚を回せ!下りでついた勢いを殺すな!活かせ!そのまま!そのまま!

 

「はぁあああああああああああ!」

 

 自然と声が張る。20人のウマ娘たちのプレッシャー。彼女らに飲み込まれないように。追いつかれないように!脚を回せ!回せ!回せ!残り200の標識が後ろにすっ飛んでいく。まだだ。まだ緩めるな!カツラギの音が近い、内からも、外からも音が近い。くっそ!抜かされてたまるものか!アタシが一番速いんだ!回せ!回せ!回せ!回せ!

 

『ミスターシービー!踏ん張れ!首を下げろ!顎を引け!!腕を思いっきり振れ!!ゴールまで、振り絞れ!行けええええええ!』

 

 観客席から聞こえた、誰かの声。ああ、聞き慣れた、あの人の声に似ている。

 

『ミスターシービー!走れ!走れ!走って走って!勝ちなさい!勝ち取りなさい!』

 

 ウィナーズサークルで待つ、誰かの声!終わったと思ったスタミナに火が灯る。更に、足に力が入る。頭の中に、あのエンジン音が木霊する。

 

「やああああああああああああああああ!」

 

 首を下げて、脚を地面に叩きつける。反動で地面が揺れる!それはまるで、大地が弾むように!

 

 

 大地が、大地が弾んでミスターシービー!ミスターシービーだ!

 

 内からリードホーユーが来た!カツラギエースが外から来た!ビンゴカンタもその外からぐっと伸びて来ているがミスターシービーだ!逃げる逃げる逃げる逃げる!

 

 史上に残る三冠の脚!史上に残るこれが三冠の脚だ!歓声と拍手が湧く!ミスターシービーだ!ミスターシービーだ!ミスターシービーだ!

 

 シンザン以来の三冠!無敗の三冠ウマ娘だ!ミスターシービー!

 

 驚いた!ものすごいレースを魅せてくれました!

 

 常識破り!大逃げ、そして坂で魅せたミスターシービー!『()()空を行く』とはまさにこのウマ娘のためにある!

 

 勝ち時計は3分5秒1!ホリスキーのレコードを塗り替えた!ダービーに続き、本当にとんでもないレースを魅せてくれました!

 

 史上3人目の三冠ウマ娘!それも、史上初の無敗の三冠ウマ娘の誕生であります!

 

 

 ターフにぶっ倒れる。息は上がりきっている。肺の音が、ゼヒュー、ゼヒューと煩い。

 

「はっ、は、は、はっ…」

 

 出し切った。すべて、出し切った。どうだ、どうなった。ゴール板は駆け抜けたはずだ。誰の音も聞こえなかったはずだ。

 

 先頭の景色は、守りきったはずだ。どうだ、どうなった。

 

 悲鳴をあげる身体。どうにもこうにも視界がハッキリしない。目眩か、これは。耳もいまいち聞こえない。

 

「―?」

 

 声がする。視線を向ける。ああ、その髪型はカツラギか?それとも、リードホーユーか、ビンゴカンタか。

 

「―、―」

 

 声がする。どうやら、肩を貸されたようだ。視界が持ち上がる。脚はガクガクでまともに立てやしない。気づけば両肩にウマ娘。こりゃいい気分だ。

 

「―さ―。―す!―よ!」

 

 この声はカツラギエースか。だが、うまく聞き取れない。心臓の音が、まだまだ大きい。肺もまだ、酸素を欲している。

 

「―は―けない―。―ビー」

 

 逆から身体を支えてくれているのはビンゴカンタか。なんだ。どうした。どうなったんだ。

 

 ふと、2人が同時に、指を指した。

 

 その指を追って、首を上げる。

 

 そこにあったのは、着順を知らせる電光掲示板。

 

「―あ」

 

 てっぺんに灯る、9番の文字。嗚呼、9番か。ああ、9番か。そうか、9番か。

 

「シービーさん。さすがです!すごいですよ!」

「次は負けないからな。ミスターシービー」

 

 彼女らが、再びそう声を掛けてくれる。頭が、一気にクリアになる。観客席に視線を移せば、見慣れた黄色いシャツのトレーナーが、両腕を天高く上げて、何かを叫んでいた。

 

 ふと、ウィナーズサークルを見てみれば、彼女が、満面の笑みでこちらを見てくれていた。

 

 ふと、あたりを見回せば、20人のウマ娘たちが、こちらを向いて、拍手を。

 

「はは」

 

 やったのか?やったのか私は。やったのか?

 

―おめでとう、アタシ。流石だね―

 

 頭の中で木霊する声。はっとするも、その声は幻に消える。クリアになった頭で、もう一度、電光掲示板を見る。

 

「…9番。9番が、一番上だ」

「そうですよ!シービーさん!すごく、すごく速かったです!」

「本当だ。追いつけないとは、恐れ入ったよ。ミスターシービー」

 

 現実が、追いついてきた。ああ、現実に、追いつかれた。そうか。そうか!

 

「…っしゃあああああああああああ!」

 

 両肩を支えられながら、両の手を天に、勢いよく掲げた。

 

 降り注ぐのは満天の歓声と拍手。やり遂げた。やり遂げたのだ!

 

 どうだ、見たか、マルゼンスキー!

 

 どうだ、見たか、シンボリルドルフ!

 

 どうだ、見たか、トレーナー!

 

 どうだ、見たか、ウマ娘たち!

 

 どうだ、見たか、観客たちよ!

 

 どうだ!見たか!―ミスターシービー。



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ひとりは、背追う

「そうか。無敗の三冠ウマ娘は、先に、君が勝ち取ったか」

 

 窓の下。ターフの上で、カツラギエースとビンゴカンタに肩を貸されて立つ、彼女を見る。ここからでも解る。全力を出し切ったウマ娘の姿。汗で髪の毛が顔に張り付き、脚元はおぼつかない。しかし、その顔の満足さたるや。

 

「ミスター、シービー」

 

 彼女の名を口にする。素晴らしい功績である。そう思う。きっと、URA総出で彼女の偉業を称えることであろう。トレセン学園も、学園長、たづなさんを含め、私達生徒会も、彼女の偉業を笑顔で称えることであろう。

 

「御目出度い。ああ、非常に、御目出度いことだ。そうは思わないか。トレーナー君」

 

 隣に控えるのは、私の素晴らしいトレーナー。その顔は、笑顔で彩られている。

 

「思うとも。素晴らしいウマ娘だ。ミスターシービーは」

「君も、そう思うか」

「ああ。だが同時に。君はそれ以上のウマ娘だと思う」

 

 トレーナーの言葉に、ああ、と頷く。

 

「だから、その握られた拳を開くと良い。シンボリルドルフ」

「拳…?」

 

 はっとして、自らの拳を見下ろした。視線の先に現れたのは、固く、固く、それはもう固く握りしめられた己の両の拳。

 

 高い理想を掲げて、ここまで来た。

 

 高い理想を体現せよと、その責任を背負ってここまで、来た。

 

「…存外、私も俗物らしい」

 

 だが、その理想は、今日、一人のウマ娘として私の前に現れた。

 

 追い込みも、先行も、逃げも、中距離も長距離も強い。 

 

 そして、極めつけに3人目の三冠ウマ娘。しかも、無敗の三冠ウマ娘は史上初。

 

「負けて、なるものか」

 

 拳を解きながら、口にする。

 

「負けて、なるものか」

 

 見下ろしたウマ娘を、睨む。

 

「負けて、たまるか」

 

 ミスターシービー、君に、私は。

 

「絶対に、勝ってやる」

 

 絶対に勝ってやる。あのつよいウマ娘に、私は絶対に、絶対に勝ってやる。

 

「…違うな」

 

 感情で熱くなった頭を、理性で抑える。違う、勝つ、というのは違う。そう、そうだ。

 

「すでに私は、彼女を超えていると、証明する。この脚で」

 

 高い理想を、彼女を超えて体現して見せる。そう心に決めて、改めて拳を握る。

 

「流石だな。シンボリルドルフ」

「ありがとう。とはいえ、まだまだ私は未熟だ。君に指摘されるまで、この、内から湧き上がる悔しさに気がつかなかったのだから」

 

 私だけで行ける。そう思っていた節がある。だが、それは無理らしい。彼女は、それにも気づかせてくれた。

 

「故に、トレーナー君。これからも、よろしく頼む」

「言われなくても」

 

 私には、杖が必要だ。皇帝に相応しい、それはそれは、とても尊い杖が。

 

 そして、そして、私はいずれ、名前に恥じぬ功績を挙げ、皇帝となる。

 

 故に。無敗の三冠は達成せねばならぬ。

 

 故に。ミスターシービーとは、雌雄を決せねばならぬ。

 

 故に私は、決意を、背追う。

 

 彼女すらも超える、最強のウマ娘であるという、決意を。



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ふたりは、並ぶ

シービー!シービー!シービー!

 

 大きく降り注ぐ歓声に、ミスターシービーは手を降って答える。2人のウマ娘たちに抱えられながら、ホームストレッチを1歩、また一歩と踏みしめ、観客席へと、三本指を掲げて見せる。

 

シービー!!シービー!!シービー!!

 

 更に歓声は大きく。止む気配すらない。

 

 はたから見れば、今のミスターシービーはお世辞にも格好いいとはいえないだろう。むしろ、非常にかっこが悪い。髪は乱れ、服は汗で張り付き、息も絶え絶え。脚元はおぼつかない。顔も、笑顔を作ってはいるが、明らかに疲労困憊。だが、それをかっこ悪いと、後ろ指を指す人間は誰もいない。

 

「かっこいいわね。本当に。シービーちゃん」

 

 ポツリとそう呟いたウマ娘の言葉が、すべてを物語っている。

 

「…最高のウマ娘だ、お前は。ミスターシービー」

 

 彼女が歩く姿を、肩を抱えられながら、ゆっくりと歩く姿を。両の眼で優しく見守る彼女の杖の言葉も、それを物語っている。

 

 

 ミスターシービーがウィナーズサークルに入る。と、同時に、大きくなる歓声。彼女が手を上げてみれば、更に歓声が大きくなる。無理もない。シンザン以来の無敗の三冠ウマ娘。つまりこれは、現代のウマ娘ファンにとって、初めて、目の前に現れた三冠の称号を持つウマ娘なのだから。

 

 その熱狂たるや。あるところでは万歳三唱が起き、あるところではコールが起き、あるところでは涙を流し、あるところでは笑いが絶えず、あるところでは、彼女を称えるばかりである。

 

 熱狂の中、ウィナーズサークルに立つミスターシービーに、インタビュアーが駆け寄った。

 

「ミスターシービー!おめでとうございます!まずは今のお気持ちを一言!」

「まずは感謝を。ありがとう。皆の応援のおかげさ。なんとか、獲れた」

 

「今回はいきなりの大逃げを打ちましたが」

「うん。ちょっと思うところがあってね。今回、皆強そうだったし、それに無敗の三冠もかかっていたから。戦略も含めて全力で行こうって決めたんだ。色々考えた上での大逃げさ」

 

「なるほど。実際、走ってみていかがでしたか?」

「キツいね。逃げは。もう二度とやりたくない」

 

「道中、どのような事をお考えに?」

「そうだねー。やっぱり、勝ちたいっていう思いが一番。他のことは全然考えていなかった」

 

「今回、坂を勢いよく登って、その勢いのまま下りました。セオリーとは全く違う走りでしたが、振り返ってみて如何でしたか?」

「坂、本当にキツかったよ。なんでセオリーがあるのか理解できた。でも、私の脚とスタミナなら行けるって思ったんだ」

 

「勝利を確信したのは、やはり、3コーナーの坂でしょうか」

「ううん。確信は最後までしてなかった。ゴール板、抜けた後も理解出来ていなかったんだ。むしろ、後ろから来る皆のプレッシャーがすごくってさ。本当に勝ったの?勝ったの?って頭の中では思ってた」

 

「左様でしたか。ミスターシービーさん。全力を、出されたのですね」

「うん。絞りきった。絞りきったよ。カツラギも、ビンゴカンタも、リードホーユーも、このターフを走ったウマ娘たち、全員が、速かった」

 

 噛みしめるように告げた言葉に、記者や観客たちのざわめきが止まる。本当に、全力を出し切ったのだなと。競い合ったのだなと。全員が、この偉業を、このウマ娘たちの激走を、噛みしめる。

 

「それでは、ミスターシービーさん。最後に、なにかございましたら」

 

 記者がマイクを手渡した。さあ、何を言うのだろうか。静寂に満ち溢れた観客席。全員が、ミスターシービーの言葉を、待つ。

 

 数秒。考えたミスターシービーは、マイクを口の前に持っていく。

 

 小さく、息を吸う。そして、告げた。

 

「並んだって言ってもいいよね?マルゼンスキー。君に」

 

 美しい唇から告げられた言葉は、ただ一人に向けられた挑戦状。

 

 観客席が、少し、ざわめく。観客の視線が、ウィナーズサークルの観客席、その最前列に立つスターウマ娘に集中する。カメラも、そちらを向いた。電光掲示板のメインビューに、マルゼンスキーの姿が、映し出される。

 

 それを知ってか知らずか、マルゼンスキーは頷く。

 

「じゃあ、どっちが強いか。試してみようよ」

 

 ミスターシービーがそう言うと、マルゼンスキーは大きく、頷く。

 

「ジャパンカップ。君も、来るんでしょう?」

 

 そう告げたミスターシービーは、マルゼンスキーへと近寄っていく。

 

 マイクは、マルゼンスキーの手の中に移る。静まり返った観客たち。先程の熱狂は嘘のよう。

 

 マルゼンスキーが何を言うのか。耳を澄まして待っている。

 

 

 私は―。

 

 マイクを握る手を見ろして、そして、ミスターシービーの顔をしっかりと見つめる。彼女の表情は、真剣そのもの。瞳が、私を射抜いている。

 

 なら、私の言う言葉は、一つしかない。

 

「…当然でしょ?あんなに熱い逃げを見せられて。あんなに熱いレースを見せられて。ジャパンカップ。世界を迎え撃つ!強いウマ娘を迎え撃つ!ええ、そうよ!アナタを!ミスターシービー!アナタも含めて、全てのウマ娘を、私が!」

 

 指をミスターシービーに向ける。お行儀が悪い?そんなの、気にしない!気にしている暇はない!今はそんなものよりも、この気持を、この気持を言葉に!

 

全部まとめて、ぶっちぎってあげる!

 

 笑顔でそう、言い切ってみせた。

 

 一呼吸おいて、大歓声が上がる。

 

『うおおおおお!無敗の三冠ウマ娘がジャパンカップを走るぞ!世界を相手にミスターシービーだ!』

『マルゼンスキー走るのか!こりゃ見なきゃ!どっちが強いんだ!』

『そりゃミスターシービー!』

『マルゼンスキーがきっと速い!』

『うおおおお見たい!!!』

『次も見るぞ!ウマ娘!!!!』

 

 降り注ぐ観客の声で、何も聞こえやしない。ミスターシービーの顔を見てみれば、してやったりの満面の笑み。ふと、その唇が、小さく動いた。

 

 声は聞こえない。でも。彼女の表情が、その言葉を雄弁に語っている。

 

―これでこそマルゼンスキーだ―

 

 …痺れちゃうわ。まったくもう。

 

 ミスターシービー。彼女と走るのが、今からすごく、楽しみね。



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無敗の三冠ウマ娘

 ウィナーズサークル。宣戦布告をマルゼンにした後、盛り上がる観客やウマ娘たちを尻目に、私とトレーナーは控室へと戻っていた。無論、汗まみれの服を取り替えるとともに、身体のチェックや、今回の反省点のまとめ、あとはウイニングライブへの最終振り付けチェックなどなどの段取りのためである。

 ということで、私は着替えも終えて、トレーナーに身体の調子を見てもらいながら、軽く打ち合わせを行っていた。

 

「…うん、足、身体に異常はないな。蹄鉄も剥がれていないし、いいだろう」

「ありがと」

「ま、それでだ。今回の走りは想定通り。ま、解ったと思うが、お前はやっぱり適正が長距離向きじゃない。良くて2500までだろうな」

「やっぱり?」

「そう思う。例えば、『天皇賞春の3200』は辛いところだろうな。お前もそう思っているんだろう?」

 

 頷く。今回思い知った事は、やっぱり長距離は私に向いていないと言うことだ。逃げという点も今回は不利に向いたけれど、でも、そもそも、追い込みだとしても長距離の最後の末脚は、おそらく皐月やダービーほどキレがないと思う。ニホンピロウイナーとのレースもそのうちやらんといけないし。ま、長距離はひとまずここで打ち止めといったところかなぁ。

 

「それはそうとして、トレーナー。どう?無敗の三冠ウマ娘、だよ」

 

 私は話題を変えようと一つの偉業を彼に改めて伝えてみせた。無敗の三冠ウマ娘。史上初の偉業。本来は皇帝の偉業だったけれど、残念。私が先に獲っちゃった。…って考えると、今度ルドルフと合うのが怖いね。下手すると、この後直近で出会うだろうし。何を言おうか。どこか浮ついた頭でそう考えていると、トレーナーからこぼれた言葉は、意外なものであった。

 

「そうだな」

 

 ただただ私の言葉に同意の意思を告げたその音に、私はトレーナーの顔を思わず見てしまう。うん、傍から見るトレーナーの顔は、実に落ち着いているね。

 

「案外そっけないねー。私がゴールした時にはガッツポーズしてたじゃない?」

「自分の担当がレースで勝利すればそりゃあガッツポーズの一つもするさ。そういうお前だって、三冠の割には随分とあっけらかんとしているじゃないか」

 

 うん。まぁ、うん。ミスターシービー、本物のミスターシービーに並んだっていう喜び、安堵。そういうものは凄く感じている。ようやくスタートラインに並んだ。そんな気持ちもある。でも、ウマ娘としての私の気持ちは、どちらかっていうと。そうだな。

 

「そりゃ、まぁ。私としては称号っていうよりも、レースに勝っただけだし」

 

 レースに勝った。その気持ちのほうが大きいかもしれない。全力で、全部出し切って。ミスターシービーに追いついた。カツラギよりも、ビンゴカンタよりも速かった。今日走っただれよりも速かった。その喜びたるや。その充実感たるや。楽しくて仕方がない。ゴールの瞬間を思い出してしまって思わず、口角が上がる。

 

「俺もだ。ミスターシービーがレースに勝った。それ以上の評価はないさ。今回は勝利のついでに無敗の三冠っていうものがついてきた。俺にとっても、お前にとっても、それだけのことだろ?」

 

 トレーナーの顔にも笑顔が浮かぶ。ああ、そうだ。私が、このレースを走った。そして、勝った。コレ以上のものはない。ただ、今回は、トレーナーの言う通りに、『称号』もついてきた。史上初、無敗の三冠ウマ娘。実に、実に良いことだ。

 ただ、それをしっかりと言葉にしてくれた。貴方は、実に、私のトレーナーだ。

 

「うん。そ。それだけ。わかってるじゃん。トレーナー」

「そりゃあお前のトレーナーだ。称号がほしいから走っているわけじゃない。お前は、楽しいから走っているんだろう、ミスターシービー」

「正解!」

 

 そう言いながら、自然と笑顔が浮かんでしまう。これで、『お前は無敗の三冠ウマ娘なんだから、これからはしっかりと走らないとな』なんて言われたら、やる気、なくなるもん。

 最高の言葉だよトレーナー。ということで。

 

「正解のトレーナーには、三冠のトロフィーをプレゼントだ」

 

 ウィナーズサークルで頂いた。三冠のトロフィーをトレーナーの懐に押し付ける。

 

「私が持っていても()を溜め込むだけだから。替わりに磨いといてくれない?」

「もちろん。お安い御用さ。頼まれなくたって、毎日磨いてやるさ」

 

 大切に。丁寧に。そんな言葉が似合うような手付きで、優しくトロフィーを包むトレーナー。これらなら、まぁ、安心だね。

 

「それと、ミスターシービー」

「なぁに?」

「今回の勝利といい、トロフィーといい。お前にはもらいっぱなしだ」

「そんなことないよ。トレーナーの訓練があればこその勝利だよ」

「いいから。そんなわけで、こいつを受け取って欲しいんだが」

 

 そう言いながら、トレーナーが彼の荷物を漁る。そして差し出したのは、少し大きめのティシュ箱ぐらいの木箱。はて、と首を傾げながらその木箱を受け取った。

 

「開けてみてくれ」

 

 促されるまま、木箱のフタを開けてみる。すると、その中に入っていたものは、見慣れた、しかし、見慣れないものだった。

 

「これ…メシャムパイプじゃないか!」

 

 パイプ。そう、見慣れたパイプなのだが、私の持っていないパイプ。海泡石、メシャムと呼ばれる材料で出来ている高級品だ。思わず、テンションが上がる。

 

「え、トレーナー!?いつの間に!?」

「ちょっと前にな。手にとって見てくれないか?」

 

 トレーナーの顔とパイプを交互に見比べていたら、そう促される。そっと木箱を机において、中からパイプを引き上げる。―おお、いい重量感。よく見れば吸口も琥珀で出来ている。うん、まさに逸品といった具合だろうか。パイプ本体を見てみれば、どうやら、繊細な彫り物がされているようだ。…はて、このデザインはどこかで…。

 

「わ!これ、よく見たら三女神様じゃないの!?わぁ、いいデザイン!」

「喜んでもらえて何より。準備した甲斐があるってもんだ」

「ほんとにこれ、もらっていいの?」

「おう。好きに使ってくれ」

 

 笑顔が素敵なトレーナー。いやはや、これは驚くサプライズ。控室の照明にパイプをかざしてみれば、これがまた陰影も見事なこと。

 

「いいなぁ。これ、いいなぁ」

「コーンパイプもお前に似合うんだが、こういう良いパイプもお前らしいと思ってな。―ただ」

「ただ?」

「普通にお前に渡したところで受け取らんだろう?」

 

 そうだね。普通に渡されたら、断るね。トレーナーの顔を見ながら頷いておく。

 

「…まぁ、うん。コーンパイプ好きだし。もらっても多分使わないし。困るしね」

「だから、記念になる日に渡そうと決めていたんだ。そう考えると、『無敗の三冠』も捨てたものじゃないだろう?ミスターシービー」

 

 再び、視線をパイプへと移す。ああ、そうか。これは、『トレーナーとアタシの無敗の三冠』記念パイプということなんだね。三女神があしらわれた、素敵な、素敵なパイプ。

 

「『無敗の三冠』の記念パイプ。大切に使わせてもらうよ。ミスタートレーナー」

「ああ。使え使え。使い倒して、しっかりといい色に育ててくれると嬉しい、かな」

 

 笑顔のトレーナーを尻目に、私はパイプを眼で楽しむ。ああ、いい。実にいい。本当に、本当に素敵だ。

 

「もちろん。いい色に育てて見せるよ」

 

 メシャムパイプというのは、新しいときは純白を湛えている。しかし、使い込めば使い込むほど、その色は飴色に変わっていく。親子三代も使えば、それは、琥珀のような鮮やかな色になるらしい。ああ、コレは本当に、良いものを頂いた。

 思えば、私も『無敗の三冠ウマ娘』となったばかり。これから、どう色づくのかは、私の努力次第。ライバルと競い合って、どういう未来を紡いでいくのか。

 

「天の神様の言う通り、ってね」

 

 三女神様を天に掲げる。なるように、しかし、流されないように。しかりと、この2本の足で歩みを進めよう。

 

 ―ま、差し当たっては。

 

「それはそうとして、そろそろライブの時間だね。今日は特に、しっかりと盛り上げて来ないとね」

「ああ、お前にとっちゃ3回目のウイニング・ザ・ソウルだが、気合を入れていけよ。無敗の三冠ウマ娘」

「もちろんだよ。『稀代の名トレーナー』」

 

 私の口から出た言葉に、驚くトレーナー。間髪入れずに、彼は顔を掻いていた。

 

「なんだそりゃ。よせよ、照れる」

「いいじゃない。『無敗の三冠』って素敵な偉業らしいからさ」

「そうか。そうだな」

 

 軽く拳を合わせて、控室を後にする。さあ、ここからは気持ちを切り替えて、いざファンサービスだ。応援してくれた皆、走りあった皆。皆で、楽しい時間を過ごすとしよう!



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勝利者の歌

 ナイトレースという物がある。

 

 例えばF1でいえばシンガポールグランプリ。絢爛豪華な街の灯りの中を、F1マシンがエンジン音を響かせて走り抜けるさまは本当に格好がいい。

 

ありきたりの プロセスなんて 壊すんだ 自分を示せ

 

 例えばそれは私の知る大井競馬場。輝きに満ちた競馬場を、勢いよく駆け抜けていく馬たちの躍動感。あれも、非常に格好いい。ぜひ一度は見て欲しいと思うほどに。

 

そこから始まるストーリー 果てしなく続く Winning the soul!

 

 例えばそれは、眼前に広がる夜の京都レース場のメインスタンド。私にとっては京都競馬場といったほうが馴染み深いそこには、夜の帳も降りたというのにも関わらず、多数の人々が声援を送っていた。無論、その声援の行き先はステージに居る、私や、カツラギ、ビンゴカンタに向けてのものだ。

 

woh woh woh

 

 最後、掛け声をかけなばらポーズを決めれば音楽が終わり、一瞬の静寂が訪れる。そして、次の瞬間。

 

―ウワアアアアアアアアアアアアア!―

―最高!!!最高だ!!!―

―無敗の三冠!おめでとう!―

 

 ステージから見る観客席は、ウイニングザソウルを歌い上げた私の目の前に広がるその光景たるや、それはもう絢爛豪華な街の灯以上であるし、競馬場の輝き以上の眩しさだ。

 

「いやはや、京都の夜は、随分、騒がしいもんだね」

 

 観客には聞こえないであろう。小さく、そうつぶやいた。

 

「何を言っているんですか、シービーさん。私達で盛り上げたんです」

「そうだぞ。ミスターシービー」

 

 私のつぶやきが聞こえたのでああろう。ビンゴカンタ、カツラギエースらがそう答える。彼女らも、観客席からの光を浴びて輝いている。いやはや、実に美しいことかな。

 

『今日のメインステージ、ウィニング・ザ・ソウルでした!演奏はURA交響楽団!出演はビンゴカンタ!カツラギエース!そして、史上初の無敗の三冠ウマ娘!ミスターシービー!改めて!大きな拍手を!』

 

 司会者がそう告げれば、更に大きな歓声がこちらに降り注ぎ、ライトが大きく振られていた。右から左へと手を振りながらそれらを眺めてみれば、やはり多い色は私の緑色である。だが、ちらほらと他の色が見えるあたり、しかりと、ビンゴカンタにも、カツラギエースにも、他のウマ娘たちにも多くのファンがついていることが見てとれる。

 

『それでは本日のメインステージは以上となります!この後は、ミスターシービーのソロステージ!無敗の三冠となった彼女が、彼女のお気に入りの曲を歌い上げてくれる時間です!お時間のある方はぜひ御覧くださいませ!』

 

 きた。きたきた。私も最近まで知らされていなかった一つの大きなイベントだ。ソロステージ。何をするのか、といえば、私の好きな曲を歌い上げてほしいとのことだ。

 

 学園長いわく、

 

『昨年までURAのステージ、つまりは、勝利ウマ娘の好きな曲を披露していたその延長だ!好きな曲を歌ってもらって構わない!』

 

 とのことらしい。正直、私の専用曲でも歌うのかなぁ?とか思ったのだが、どうやら、その概念は無いらしい。

 

「専用曲とかはないので?」

 

 そう私が告げたときの、学園長、たづなさんの

 

『その発想はなかった!しまったぁ!』

 

 というあの驚いた顔は正直面白かったが。ま、今年のこの一件で、来年のルドルフは専用曲がつくことだろうから、私としては問題はない。

 それに、今年はレースごとの専用曲のお披露目の年でもある。ウイニングザソウルにメイクデビューなどなどね。そういう意味ではまだまだトゥインクルシリーズのライブ黎明期、多くは求めちゃいけないだろう。

 …と、考えたところで思いつく。もしかして、元々の世界ではよく、『ミスターシービー以降の記録として…』なんて言われていたオマージュみたいなものだろうか?

 となると、もしかして、この世界でも『ミスターシービー以降の記録、以降のライブ、以降の曲』なんて呼ばれちゃうのかもねー。それはちょっと楽しいかも。

 なんて、余計なことを思い出しながら、思考がズレ始めた私の耳に、聞き慣れた声が入ってきた。

 

「じゃ、シービーさん、私達はこれで」

「また学園で。ミスターシービー」

 

 あ、そうか。メインステージが終わったのだから、彼女らとは一旦ここでお別れか。

 

「うん。またね。カツラギ、ビンゴカンタ」

 

 ふと、気づく。彼女らの眼の端に、光るものが見える。

 ―ああ、わかる。わかるとも。私はミスターシービーとなってからは負け知らずだが、前世では負け続けていた男だ。表彰台の一番低いところから見る風景。2番めに高いところから見る風景。それを、よく、知っているとも。

 手をひらひらとさせながら、2人を送り出す。ステージから去る彼女らにも、観客から大きな歓声が送られていた。なんせ、クラシックを盛り上げた猛者たちだ。讃えられて当然である。

 

「またね。また、必ず走ろう」

 

 しかし、その讃えられる内心に燃えるのは、『悔しさ』という猛烈な炎。きっと、この後、彼女らはトレーナーと共にか、それとも、一人でなのか。大いに、悔しがり、そして泣くことだろう。ミスターシービーに勝つのだと。誰よりも前に出るのだと。そう、心に決めて泣くのだろう。

 どうか、彼女らの心が折れず、私の前に再び現れることを祈る。いや、祈る、じゃないな。

 

「…必ず、レースで、また会おう」

 

 私は、アタシは、切に願う。

 

 

『さあ!ミスターシービーのソロステージをお待ちの皆様!お待たせ致しました!改めて本日の主役をご紹介させていただきましょう!』

 

 ただ一人残るステージの上で、観客席を漫然と眺めながら、司会者の言葉を聞く。手筈では、一気にスポットライトが私に当たるはずだ。

 

『無敗の三冠ウマ娘!史上初のその偉業を成し遂げたその名は!ミスター!シー!ビー!』

 

 司会者の言葉と同時に、すべてのライトが私に向かう。思わず、眼を細めてしまう。正直、かなりの圧力だ。とんでもない、圧力だ。その圧力に負けじと、反射的に、右手が天に伸びた。

 

―ウォオオオオオオオオオオオオオ!―

―キャアアアアアアアアア!―

 

 男の野太い声が、女の黄色い声がやかましい。

 

「はは…こりゃ、すごいね」

 

 伸びた右手は、指を三本、天に掲げている。そこに降り注ぐのは大歓声。漫然と見ていた観客席の色は、全て、緑色に染まっている。

 

「あはッ!」

 

 喉から笑いが伸びる。これは魔力だ。悪魔的だ。このすべてを一人で握っている。この感覚。一番になったやつだけが感じる素敵な感覚。だからこそ。だからこそ。

 

「これだからさ、レースは、辞められないね!」

 

 負けてもいい。勝っても良い。悔しくて良い、悲しくて良い、絶望的でも良い。この、最後の瞬間。一番速いやつが讃えられる。実に、良い!

 

「みんな!改めてありがとう!」

 

 大きく声を張り上げる。

 

「応援してくれたみんなのお陰様で!私はここに居る!」

 

 もっと、もっと大きく張り上げる。喉が痛くなるぐらい、張り上げる。

 

「無敗の三冠ウマ娘。私こそが!ミスターシービーだ!」

 

 私がそう告げれば、京都競馬場が、京都レース場が爆発した。いや、爆発したような、そんなイメージを持った。

 

「ははは」

 

 これでもかと振られるライト。これでもかと熱狂する人々。これでもかと発せられる叫び。ああ、これが、熱狂と言うのだろう。熱狂に当てられて、当てられるほど、意外と私の頭は、冷静になっていく。どこか、私じゃない誰かが声援を受けているかのように。

 

「ふふ」

 

 つまりは、現実が、私を追い抜いた。私がこの熱狂に追いつくには、まだしばらくの時間が必要なのだろう。ま、ちょうどいい。頭が冷える。頭が、冴える。ならば今日は、しっかりと歌い上げようじゃないか。

 

「今日、歌う曲は…多分、初めて聞く人しかいないと思う」

 

 右手を下げる。同時に、歓声がさぁっと波のように引いていく。三冠ウマ娘の言葉を聞き逃さんと、静かに、静寂がこの京都レース場を包んでいく。

 

「私しか知らない曲。私しか知らない曲だけど、聞いてくれるかな?」

 

―もちろん!―

―聞く!―

―歌って!ミスターシービー!―

 

 ちらほらと、そんな声が観客席から送られる。さざなみのような小さな声が広がりをみせ、ライトが振られ、少しづつ、大きな歓声へと変貌を遂げる。

 

『シービー!シービー!シービー!』

 

 コール。私の名前のコール。天を仰ぐ。どうやら、歌うことを許されたようだ。気合を入れよう。

 

 右手を親指から握り込めて、天に掲げた。

 

 

 ここから歌うのはつまり、私の世界の歌。世界が違う異世界の歌である。音源は私のスマホ。よく、あの学園長が許可を出したものだ。よほど、『専用曲』というアイデアが思いつかなかった事が堪えているのだろう。

 

『しまった、無敗の三冠ウマ娘になった者がいたのならば!いや、可能性があったのならば!たしかに専用曲の一つや二つ…!用意せねば…!不覚…!!!』

 

 と、本当に悔しがっていた。そこで提案したのがこれだ、

 

「私の好きな曲を、ま、学園長達に言わせれば、別の世界…そうだね。異世界の曲、というのを歌ってもいいかな。この世界の曲でなければ、皆が知らないしさ。専用曲、といってもいいんじゃない?」

 

『ううむ…それは、確かに…』

 

 そう納得してくれた彼女の度量の大きさ。それに感謝せなばなるまい。

 

『しかし、異世界の…』

「そうです。好きな曲でもありますしね。それに、私は、ウマ娘の曲以外、この世界の曲に耳馴染みがないんです」

 

 実のところ、違和感はあった。ウマ娘のアプリでは、大いに、現実の世界とのつながりがあるように見せて、例えば、■■■■の曲は一切出てこず、御本人の姿も一切出て来ない。ならば、キタサンブラックの■■とは、誰なんだ?彼の曲は、なぜ、流れない?

 

 キャロットマンとは?私の知る■■■■シリーズは?パロディは散りばめられている。だが、その他の、本物は?

 

 そこまで気が付いたとき、私はこちらでのスマホと同じ役割のウマホで曲を、作品群を調べた。似たタイトルは大いにあった。しかし、曲は、ウマ娘の曲以外のそれは、正直、聞き馴染みがない音楽ばかりであったのだ。―ならばつまり。

 

「私の知る、私の世界の曲を歌えば、それは、専用曲ということになる」

 

 故に、考えた。三冠ウマ娘。ミスターシービー。彼女に、私に、アタシに、相応しい曲とは。

 

「ま、ウマ娘はメディアミックス作品。ならば、ここはアニメから一つ」

 

 私は、幸い、ウマ娘。まぁ、私基準で言えば、特殊能力を持つ人形の物体といっていいだろう。身体一つで。どこまでもレース場を駆け抜ける。マキバオーなんかもちょっと気になったけれど、あの曲たちは少々ミスターシービーには似合わない。

 

「そうだな。ミスターシービーとはなんだ」

 

 そう考えたとき、思い浮かぶのはまず強いウマ娘。だが、それなら、ルドルフがいるだろう。格好いい?それなら、マルゼンがいるだろう。速い?それならば、そんな速いウマ娘はごまんと居る。

 

「ミスターシービー。それは、多分」

 

 自らが掲げたルールを、そしてモラルを大切に生きる。自分の力を信じ、レースに勝つと、自信を持って言えるその信念こそ、きっとミスターシービーなのではないだろうか?そしてそれを、その結末を含めて、全てが楽しいと、心の底から思うからこそ、ミスターシービー足り得るのではないだろうか。

 

「私がそれに成れるかはわからないけれど」

 

 マルゼンも、ルドルフも、学園長も、たづさんも、『君はミスターシービーだ』と私に言ってくれた。それが、多分その答えなのだろう。

 

「そして、それならば。私自身が、レースの前に聞いていたあの曲ならば、相応しいか」

 

 相棒にまたがる前に、ルーティーンで聞いていた音楽。あるアニメのオープニングだが、その歌詞は、その歌詞の強さは、私に力をくれていた。

 

 ―スポットライトが赤く染まる。

 

 どうやら、曲の始まりだ。乾いたドラムの音。それに合わせるように、アコースティックギターがラテンのような音を刻み始める。

 ああ、良い。この曲は、いつ聞いたって、気分が上がる。本来ならば男性の曲だが、ま、些細な事だろう!いよいよ前奏が終わる。

 

奪え!すべて!この手で!たとえ、心、傷つけたとしても 目覚めた本能 身体を駆け巡る

 

 歌う。謳う。詠う。すべてを出し尽くすように。今日、二度目の体験だ。

 

夢や愛なんて都合のいい幻想 現実を踏みしめ 果てない未来へと手を伸ばす

 

 ああ、そうだ。きっと、ミスターシービーに負けて、いや、レースに負けて、折れてしまったものもいるのだろう。

 

Reckless fire そう大胆に 魂に火をつけろ

 

 故に、そんな奴らに届くように、謳う。もう一度立ち上がってこいと。もう一度、私の前に立ってみせろと。

 

逃げ場なんてないさ 嘘も矛盾も 飲み干す強さと共に

 

 そして、まだ私に届いていない奴らも、私の前に立ってみせろと。無鉄砲になってみろと。そう願いを込めて。

 

今は求めない 互いに宿るSympathy 渡せない何かを掴みとるまでは

 

 右手を高く掲げて、3本の指を指し示す。視線の先に居るのは、観客と、ウマ娘たち。

 

「ん?」

 

 ふと感じた、明らかな殺気。雷鳴にもよく似たその感覚。ああ、きっと、彼女は、私の歌のメッセージを正確に受け取ったことだろう。

 

「はは。相変わらず、ルドルフは硬いな。でも、嫌いじゃないよ、そういうの」

 

 掛かってきな。私は、アタシは、逃げも隠れもしないからさ。



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帰路。はままつ。牡蠣カバ丼。

 菊花賞から2日後。私は東名高速道路を、バイクのタンデムシートにトレーナーを乗せて、府中への帰路についていた。本当は翌日に帰る予定だったのだけど、やっぱり無敗の三冠ウマ娘ということで、テレビにラジオに、雑誌の取材にと引っ張られてしまったのだ。トレーナーも同様で、正直、お互いにへろへろである。

 

「浜松?」

「うん、浜松。ちょっとね。せっかくここまで来たのならってことで。宿、とってるから」

 

 インカムで繋がった私たちはのんびりと雑談をしながら、帰路に付く。そして、そのさなかで私はトレーナーに今日の目的地を告げた。直行で帰るのではなくて、道中、浜松に寄るよと。 

 

「急だな」

「学園長とたづなさんに許可とってあるよー。夏のときと同じでおんなじ部屋。問題ないでしょ?」

 

 ふふんとちょっと誇らしげにそう告げてみれば、帰ってきのは無言の時間。おや、もしかしてこれは、トレーナー、驚いているかな?ちょっと、おちょくってみよう。

 

「あ、もしかして、私に魅力感じてる?」

「…いや、そんなことはない」

 

 あら、その反応。少しは私に魅力を感じているということだね?あっはっは。よきかな、よきかな。

 

「ふふーん?脈はありそうだね?」

「お前は美人だしなぁ。ただ、自由奔放なお前のパートナーに収まった奴は、苦労が絶えないだろうな」

「なぁにそれ。ひっどいなぁ」

 

 こりゃあいい感じに反撃を食らってしまった。なんだろう。前を向いているからトレーナーの顔は見えないけれど、してやったりの笑顔が頭の中に浮かんでくるね。

 

「お前の自由さについていける奴なんて、そうそう居ないだろう?」

「あはは、たしかに。私が思いつくに、私の自由さに着いてこれる人なんて、トレーナーぐらいしか、知らないね」

「奇遇だな。俺もそう思う」

 

 ははは、とインカムで笑い合う。こういう、気心知れたじゃれ合いは嫌いじゃない。

 

「ま、お前がトゥインクルを走りきったとき、相棒がいなけりゃ、タンデムシートに座ることぐらいはしてやるさ」

「りょーかい。気が向いたらね」

 

 全く、いい男だね。キミは。記憶にあるあの世界の未来のスズカさんが羨ましい限りで。そういえば、この世界で私はどういう相手を見つけるのだかね。実際のお馬さんは子供を作ってるわけだし。しかも、あのトウカイテイオーと同世代に結構強いお馬さんが生まれているはず。それとも、そういうことになる前に、私の意識は世界を超えて、もとに戻るのであろうか。はてさて。

 

「それはそうとして、浜松で何をするんだ?まだ、日は高いぞ?」

 

 ああ、そういえばトレーナーに言ってなかったか。ちょっと、楽しみにしているものがあるのだ。この時期だからこそ食べれる、浜松の名物が私達を待っているのだ。

 

「ん、ちょっと食べたいものがね」

「ほー?浜松…ってことは、うなぎか?」

「ふっふっふ。このミスターシービー様はそんな安直じゃないよ?―牡蠣カバ丼。聞いたことない?」

「牡蠣…?無いな…」

 

 そうか、無いか。ふふふ。ならば、お店で物を見たらびっくりするだろう。食べて更にびっくりすることだろう。こりゃ、別の意味でも楽しみだ。

 

「そっか。ま、じゃあお店についてからの、お楽しみということで」

 

 そう言いながら、眼に入ってきた緑看板に『西浜松』の文字が描かれていた。どうやら、目的地のインターチェンジについたようだ。

 

「ここで降りるよー、減速するからしっかり捕まってねー」

「おう」

 

 腰に伝わる力が強くなる。それを確認してから、クラッチを軽く握ってギアを落としていく。エンジンの音がガオン、ガオンと高くなると共に、メーターの速度が落ちていく。さてさて、それではまずは、宿にチェックインといこうかな。荷物を部屋に置いて、早速、お店にゴーだ。

 

 

 宿にバイクを置いて、歩くこと十分程度。ここは舘山寺温泉の一角だ。いい感じの街並みの中をトレーナーを引き連れて歩いていけば、目的のお店へとたどり着く。

 

「鰻屋じゃないか。ここでいいのか?」

「うん。牡蠣カバ丼のお店だよ」

 

 うなぎ、活魚、すっぽん、ふぐ。そう書かれた看板に釘付けになっているトレーナーを尻目に、暖簾をくぐる。

 

「いらっしゃいませー。お二人ですか?」

 

 すると、間髪入れずに女将さんが私達に元気な声を掛けてくれていた。

 

「はい。予約していた、ミスターシービーです」

「ミスターシービー様ですね。お待ちしておりました。では、こちらのテーブル席をご用意しております。どうぞ、お座り下さい」

 

 店内には大きなテーブルが一脚、そして、お座敷が4間程度。比較的小さなお店だ。しかし、香ってくる匂いが、バイクの移動ですっかり減ってしまったお腹にクル。案内された椅子に座れば、より一層気分が高まるというもの。トレーナーはちょっと戸惑っているけれどね。

 

「お料理はご予約いただいたものでよろしいですか?」

「はい。牡蠣カバ丼2つ。…あ、追加で肝焼き、あとは…瓶ビールに、グラス2つお願いします」

「かしこまりました。ビールは先にお出し致しましょうか?」

「はい。あ、できれば肝焼きを牡蠣カバ丼の前にお願いできます?」

「かしこまりました。少々お待ち下さいね」

「はーい」

 

 女将さんと流れるような会話をしている間、トレーナーは興味津々に店の中を眺めている。確かに、おすすめの料理のポスターなんかもあるしね。でも、残念。今日はそれらは食べないんだ。

 

「ほー…いい鰻屋じゃないか。すっぽん…それにふぐまで…」

「そ。どれも美味しいよー。でも、今日のところは私に任せてよ」

「判ってる。ああ、ただなぁ、それにしても腹が減った。バイクのタンデムシートってやつは、結構疲れるもんだな」

「あはは。よく付き合ってくれてるよ。トレーナー。だから、お礼として今日の食事と宿代は私持ちだからさ、安心して飲み食いして」

「お、そりゃ助かる」

 

 まぁ、私のために色々してくれてるしね。普段のお礼も兼ねてだ。そうやって、雑談を楽しんでいると、女将さんがビールの瓶を持ってきてくれていた。グラスは2つ。いい具合だ。

 

「きたきた。はい、グラス。注ぐよー」

「悪いな」

「いいのいいの」

 

 早速、ねぎらいの意味も兼ねて彼のグラスを並々、ビールで満たしてやる。そして、自分の分をグラスに注ごうとした瞬間、ひょいと、ビール瓶を取られてしまった。驚いてトレーナーの顔を見てみれば、優しい笑みが私を待ち構えていた。

 

「じゃ、今度はこっちからだ。ほら、グラス」

 

 なるほどね。じゃあ、お言葉に甘えて注いでもらおう。グラスを差し出せば、私のグラスめがけて、勢いよく、しかし丁寧にビールが注がれる。そうして、お互いのグラスが満たされた。

 

「ありがとね。じゃ、おつかれさまってことで。トレーナー、乾杯」

「おつかれさま。ミスターシービー。乾杯」

 

 グラスを合わせて、ぐっと、ビールを流し込む。コトン、と飲み干されたグラスがテーブルに置かれた。お互いに一気だ。

 

「…いいね。いい味だ」

「うん。いい味だ」

 

 ふう、と一息を付くと、視界の端に女将さんの笑顔が見える。

 

「こちら肝焼きです」

「お」

 

 きたきた。うなぎの肝焼き。好き嫌いは人それぞれだが、うなぎが好きで、酒を飲む人間でこれが嫌いという人間はまぁ居ない。早速、お互いに割り箸を割って、箸をつけた。

 

「この苦味がいいよねー」

「ああ、酒によく合うな」

 

 お互いにグラスを再度満たし、今度はゆっくりと、ビールをちびり、ちびりと、肝焼きをちびり、ちびりと減らし合う。

 

「ふふ」

「なんだ?」

「こうやって静かに、酒を飲むのもいいなって。喜びが、こう、染み入るっていうかさ」

 

 しみじみとそう告げる。あの菊花賞から2日も経ってみれば、いよいよ、現実に私が追いついてくるというもの。それはまるで、染み入る夏の暑さのようなもの。少しづつ、少しづつ、身体に、気持ちに、心に染み入ってくる。

 

「はは。そうか。確かにな」

「トレーナーはどう?そろそろ現実感、湧いてこない?」

「現実感か…そうだなぁ。正直な気持ちとしては嬉しいさ。嬉しいんだが…こう…俺のミスターシービーは、変わらず眼の前に居る。でも、無敗の三冠ウマ娘だ。ギャップのせいなのか、現実味がまだないっていうかな」

 

 苦笑を浮かべるトレーナー。うん、わかる、わかるよその気持ち。

 

「わかるわかる。私もようやく、ようやく自覚してきた所だもん。ライブはすごかったし、京都レース場から送り出されたときもすごい人だった。でも、バイクに、トレーナーを乗せて走った道は、まったくもって、今まで通り」

 

 染み入ってきたけれど、まだ、まだ追いついては居ない。どちらかというと、まだ、フワフワしている感じがあるしね。

 

「きっと、私もトレーナーも、徐々に現実感に追いつくんだろうなって思うよ」

「ああ、そうだな」

 

 しっぽり。そんな言葉が似合うような、そんな雰囲気だ。騒ぐわけでもなく、静かに、静かに。しかし、沈黙するわけでもない。そんな素敵な空間だ。そうやってポツリポツリと会話を楽しんでいると。ついに、女将さんが大きなお盆を持って、私達のもとへとやってきた。主役の登場だ。

 

「おまたせいたしました。牡蠣カバ丼になります」

「お!待ってましたー!」

「ほー…これが」

 

 目の前に差し出された大きな丼。お吸い物。箸休めの漬物に、切り干し大根。デザートはフルーツ、いちごだ。特に、大きな丼からは、うなぎのタレの香りが立ち昇る。思わず、喉が鳴る。トレーナーは興味津々に丼を見つめていた。

 

「なるほど…うなぎのタレで、牡蠣を焼いているのか」

「そ。浜松は牡蠣も名産だからね。名産のうなぎと牡蠣のコラボさ。ささ、食べてみて。美味しいから。私もすぐ食べたい」

「ああ、早速いただこう」

 

 早速と箸をお互いに持つ。そして、合わせるようにお決まりの挨拶を決める。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 トレーナーと一糸乱れぬ動きで、軽くお吸い物を一口。そして、丼を持って、牡蠣を一口。トレーナーの顔に笑顔が浮かぶ。

 

「…ほお、これは美味い。牡蠣の旨味に、うなぎのタレの旨味が合わさって、米にもよく合うな」

「でしょー?牡蠣もぷりっぷりでさー。しかもこの色もいいよねぇ」

「ああ、こりゃ本当にうまい。旨いぞこれ。ああ、箸が止まんねぇ」

「お気に召されたようで。何よりだよ」

 

 箸で牡蠣を持ち上げてみる。一見、その美しい照りをみるに、うなぎの蒲焼のよう。しかし、中身はプリプリの牡蠣。ぜんぜん違う物だ。しかし、それを口に運んで見れば、牡蠣と鰻のコラボレーションで、途轍もなく旨味を感じる素敵な丼である。そう。まるである意味、今のアタシのように。

 

「アタシも、コレになれたかなぁ」

 

 ぽつりと言葉が漏れた。どうだろう。三冠ウマ娘になった。ミスターシービー。きっと、彼女と並んでも恥ずかしくないモノにはなれたはず、と信じたいものだね。

 

「ん?何か言ったか?」

 

 気づけば、トレーナーが不思議そうな顔でこちらを眺めていた。おやおや、聞こえてしまっていたか。ま、ここは誤魔化させていただこう。軽く口角を上げる。

 

「なんにも。美味しいって言っただけだよ」

 

 

 食事をした後、店から、宿へと徒歩で向かう。その道中、トレーナーとの会話を楽しみながら。ふと、トレーナーが、私の顔を覗き込んで、疑問を投げかける。

 

「なぁ、ミスターシービー。あの曲、名前はなんていうんだ?」

「ん?曲?曲名はしっかりと告げたはずだよ?歌った後に」

「いや、それはなぁ。歓声でかき消されて、聞こえなかったんだよ」

 

 そっか。ま、確かにすごい歓声だったからねー。観客席にいたのならば、聞こえなくても当然か。ならばと、トレーナーの顔を、少しアルコールの入って赤くなったその顔を、しっかりと見据えてこう答えておく。

 

Reckless fire(レックレス ファイア)。直訳すると、無謀な炎、無鉄砲な炎…と言う感じだね」

「無謀な…か。菊花賞の、お前の走りみたいだな」

「ふふ。褒めない褒めない」

 

 ま、たしかに無謀だったと言えるしねー。実際、スタミナは使い切ったし。よく勝てたと今でも思うさ。後ろを追いかけてきたウマ娘たちの足音が、今でも、背中を強く、強く叩くようだ。

 

「それにしても、よくもまぁ…あれだけ、非常識なことをしたよ。俺以外のトレーナーだったら、絶対に、全力で止めていただろうよ」

「そう?」

「ああ。それに、実際、走り出した時は俺も驚いたさ。逃げる、とは聞いていたが大逃げも大逃げ。俺の隣で見ていた観客なんか、『終わった!三冠がぁ!』とか叫んでいたぞ?」

「あははは。それはちょっと見たかったかな」

 

 そんなことになっていたなんて。後でレース映像でもあれば見てみようかな。観客のリアクション、気になるし。それに、アタシの走りも気になるしねー。

 

「で、菊花賞が終わった直後にこんな話をするのも野暮なんだが…マルゼンスキーとのレースはもう間近だ。ジャパンカップ。世界各国から、センターを狙いにウマ娘がやってくる」

「そうだね」

「どうするんだ?また、大逃げか?」

 

 大逃げね。ま、たしかにそう思うか。でも、世界を相手にするならば、本気のマルゼンスキーを相手にするならば、その選択は愚かだろう。

 

「冗談。世界を相手にするなら、マルゼンスキーとやり合うなら。私の一番得意な脚で行くよ」

 

 全員をぶっこ抜く。ミスターシービーここに在り。それを、見せつけに行くことにする。決めた。口角を上げてみせれば、トレーナーは、やれやれと肩をすくめた。

 

「…世界を相手に追い込みをかける、か。面白そうだが、難しいぞ?」

「そんなことは先刻承知。でも、それが、楽しいんじゃないか。トレーナー、学園に戻ったら早速、特訓、頼んだよ?」

 

 やっぱり、私も少し酔っている。どうも、態度が大きくなってしまう。世界を相手に喧嘩を売る。実に、実に楽しそう。

 

「へいへい。全く、わがままなお姫様だ。無敗の三冠ウマ娘ってやつは」

「そりゃどうも。でも、わがままなお姫様をここまで育て上げたのは、キミだよ。トレーナー。責任をもって、しっかり最後まで付き合ってね」

 

 手のひらを上に向けて、人差し指と中指でトレーナーを指さしてやる。少しだけ驚いたようだけど、トレーナーはすぐさま笑顔を浮かべて、言葉を返してくれた。

 

「勿論さ。どこまでも背中を押してやるとも」

「頼もしいね」

 

 ふふ。やっぱり、キミは良い。手を引っ込めて、彼の隣を静かに歩く。旅館までの短い道だが、不思議と、落ち着ける。ふと、トレーナーが立ち止まった。どうしたんだろう?とトレーナーの顔を見てみれば、何かを思い出したような表情を浮かべていた。

 

「どうしたの?トレーナー」

 

 そう声をかけてみれば、彼は、頭をかきながら、私に言葉を投げる。

 

「あー、そういえばシービー。ひとつ忘れてた。実は、学園長からお前にって、相談の連絡があってな…」

「相談?なになに?」

「今度のジャパンカップなんだが、もし、マルゼンスキーとお前がワンツーでフィニッシュを決めたときのために、レースのライブとは別に、専用曲ってのを作りたいらしい」

 

 なるほど、考えたね。学園長。たしかに、私とマルゼンがワンツーを決めたら、それはかなりの快挙ってことになるだろうねー。日本のウマ娘が、世界のウマ娘を相手に大金星を上げたということだもの。でも、なんでそれで私に相談が飛んでくるんだろう?

 

「…ふーん?」

「ま、二人共相当期待されているってことさ。それで、お前の専用曲、Reckless fireの出来を見て、良い作曲家を知らないか?って連絡が入っててな」

「え?作曲家…?それ、学園長のほうが詳しいんじゃない?」

「俺もそう思うんだが…。どうしても、お前に聞きたいってプッシュされてしまってなぁ…」

「えー?」

 

 うーん?なんでだろう。不思議な感じがするねー。

 

「ま…詳しくはお前とサシで話したいんだとさ。後で、連絡を入れてやってくれ」

「勿論だよ」

 

 サシ…ってことは、勘違いじゃなければ私のスマホ目当てかな?まぁ…冷静に考えてみれば、ジャパンカップまでは時間がない。つまりはこっちの作曲家が専用曲を用意する時間がないのであろう。

 

 ああ。そうか。今回、私の用意した曲が受けも良かったってことで…多分、「異世界」の曲を使わせて欲しいということ、かなぁ?まー、こう考えれば、わざわざ私とサシで話したいっていう辻褄も合うか?

 

 …しかし、私とマルゼンで謳う曲かー。そう考えると…デュエット曲かなぁ…。

 しかも、多分、ライブで使うとなれば恋愛とかじゃなくて、こう、互いに競い合うというか、そういう感じ…かな?いいの、あるかなぁ?

 

「悪い悪い。悩ませちまったな。ま、この件は学園に戻ってからでいいさ」

「え?いいの?学園長からの相談でしょ?」

「かまわないさ。催促が来ても、俺が断っておく。ミスターシービーは、疲れを取るために静養中だってね」

「あはは。そりゃ有り難いね。ありがと、トレーナー」

 

 難しいことを考える時間は、今日のところは終わりとしよう。さてさて、あとは、宿に戻って温泉に浸かろう。そんで、ゆっくりと、トレーナーと共にジャグをやろうじゃないか。



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浜松の夜、星を見上げて。

 牡蠣カバ丼を楽しんだ私達は、ホテルでゆったりとした時間を過ごしていた。ジャグをやり、温泉に浸かり。そして夕飯。予想通りというか、夕飯は鰻なんかも出てきて、非常に満足なひとときを過ごさせていただいている。

 

「おつかれ。シービー」

「おつかれさま。トレーナー」

 

 夕飯の後。ひとっ風呂浴びて火照った身体を冷ますように、暗くなった浜名湖を見下ろすバルコニーで、リクライニングチェアに座りながらトレーナーと共にのんびりと時間をすごす一時。

 お互いに労いの言葉をかけながら、ピースを口に咥える。火をつければ、バニラのフレーバーが鼻を擽った。

 

「美味しいね」

「ああ、旨い」

 

 ふっと、息を吐けば、煙は天高く舞い上がっていく。つられて視線が上を向く。天には満天の星空というやつが広がっている。

 

「星、よく見えるね。これだけ綺麗な星空、都内じゃなかなか見れないよねー」

「ああ。それに、いい酒もいい食事もある。良い日だよ。ありがとうな、シービー」

「いいっていいって。こちらこそ、トレーナーのお陰様で三冠とれたし」

 

 三冠にそこまで重きを置いていない。とはいったけれど、やっぱり、獲れて嬉しいからね。私だけじゃ無敗でここまでこれることはなかっただろう。トレーナーの尽力、蹄鉄の開発、ライバルとの練習。すべてがここに集結した感じがするよ。

 

「本当に、感謝してるよ。トレーナー」

 

 ピースを咥え直して、深く、煙を肺に入れる。浜名湖のさざなみが、耳に心地が良い。トレーナーも同じようにピースを深く楽しんでいるようで、白い煙が2つ、天に登っていった。

 

「に、しても、BGMが湖のさざなみだけじゃあちょっと寂しいな」

「ん?そう?」

「静かすぎるっていうかな。ラジオぐらい欲しいもんだ」

 

 トレーナーは酒に酔っているのか、いつもより欲張りな感じがする。私も酒に酔っている。

 

「じゃあ、そうだなぁ…」

 

 勢いで、こんな事を言ってしまった。

 

「実はウイニングライブで謳うかどうか、最後の候補に残っていた曲があるんだ」

「ほう?そんな曲があるのか」

 

 驚いた顔を見せるトレーナー。

 

「うん」

「なんでそっちの曲を選ばなかったんだ?」

「ま、三冠っていうお祝い事にはふさわしくないっていうかね。バラードっぽくてさ」

「へぇ…」

「ってことでさ、もし、トレーナーさえ良ければ、聞いてくれるっていうならBGM替わりに謳うよ。アカペラだけど」

「え?」

 

 驚くトレーナー。だろうねー。でも、きっとトレーナーも酒で酔っている。次の瞬間にはほら、笑顔だ。

 

「いいのか?三冠ウマ娘の喉をお借りしても」

「もちろん。トレーナーならね」

 

 今宵謳うのはトレーナーのために。ウマ娘の力を存分に振るって、しっとりと歌い上げる、ただ2人のためのステージ。

 

 さ、ミスターシービー。キミも聞くと良い。私の世界の歌ってやつはさ、激しい曲もあるし、こういうバラードも、色々あるんだよ。

 

 さざなみを聞きながら、ふっと、息を吸い込む。懐かしいさを感じる一曲を、口ずさむ。

 

 

―見上げてごらん夜の星を

 

 小さな星の 小さな光が

 

 ささやかな幸せを うたってる

 

 

 バルコニーから望む星が瞬く。照らされて、トレーナーの横顔がぼんやりと浮かぶ。視線が合った。軽い笑顔で頷いてくれる。

 

 どうやら、お気に召したようで。それなら、歌を続けよう。

 

 

―見上げてごらん夜の星を

 

 ボクらのように 名もない星が

 

 ささやかな幸せを 祈ってる

 

 

 ここからは少し転調が入る。ま、ウマ娘なら余裕だ。それに、ここは少し、トレーナーにも伝えたいメッセージでもあるしね。トーンは落とすけれど、気持ちを込めるよ。 

 

 

―手をつなごう 僕と 

 

 追いかけよう 夢を

 

 二人なら 苦しくなんか ないさ

 

 

 一人ならきっと、歩けなかった道もある。でも、トレーナーと2人だから、ここにいるのさ。 

 

 

―見上げてごらん夜の星を

 

 小さな星の 小さな光が

 

 ささやかな幸せを うたってる

 

 

 やっぱり、いい曲だなぁと思いながら、最終節に入る。トレーナーに視線を向けてみれば、目を瞑ってリズムを取っているようだ。

 

 

―見上げてごらん夜の星を

 

 ボクらのように 名もない星が

 

 ささやかな幸せを 祈ってる

 

 

「…こんな感じ」

「いい歌だ。…いい歌だな、ミスターシービー」

「でしょー?星空を見ると思い出すんだ。この歌をさ」

 

 本来は、苦学生、夜間学校に通う人たちをモチーフにした歌である。でも、そのメッセージは、聞くだけで元気が出るような、そんな気がする素敵なものだ。

 

「そういえば、この曲の名前はなんていうんだ?」

「ええとね。『見上げてごらん夜の星を』」

 

 私がタイトルを伝えると、トレーナーは噛みしめるように頷いていた。

 

「見上げてごらん夜の星を、か」

 

 トレーナーはそう言いながら、もう一度空を見上げる。つられて、私も空を見た。

 天に広がる広大な海。浮かぶは星たち。それはまるで、ターフを駆け抜けるウマ娘たちの輝きにもよく似ているような、そんな気がするんだ。



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ジャパンカップに向けて

 三冠ウマ娘となってから一週間。学園に戻った私とトレーナーは、早速、ジャパンカップの対策へと乗り出していた。スタミナ、スピード、パワー。追い込みを世界相手にかけるのだ。練習はやりすぎってことはないだろう。それはマルゼンも同じようで、彼女が練習コースで汗まみれになっている姿をよく見る。

 

「うーん…」

 

 そして、今日のところはトレーナー室でマルゼンスキーの資料映像を見ているのだが、これがまた、マルゼンスキーのレースは圧勝ばかりで参考にならない。しかも、レコードもばっちり残しちゃっているあたりでその実力は折り紙付きと言っていいだろうか。

 表現が若干曖昧なのは、その現存しているレース映像の距離が中距離以下であるということに尽きるであろう。

 

「難しいねー」

 

 彼女のレースを映像で見ながら、その実力を追おうとするものの、その実、まともなレースというのは彼女は走っていないと言えるだろう。なんせ、公式には彼女は、ジャパンカップが初G1レースなのだ。だが、いままで出走したレースのその勝ちっぷり故に、彼女を『最強だ』と称えるファンや、トレーナーも多い。私のトレーナーもその一人だ。

 

「参考になったか?映像は」

「全然。一緒に走っているウマ娘との実力が離れすぎてて、わっかんないや」

 

 一緒に映像を見ていたトレーナーにさじを投げる。うーん、本当にデタラメ。っていうか、これでいままでG1レースに出ていないとか本当かねぇ?

 

「負けた相手の中にはG1に勝ってマルゼンスキーに挑んだ奴も居るんだが…ま、正直、実力は一つも二つも格上だ」

「それは映像の中のマルゼンスキーのこと?それとも、アタシと比べて?」

「両方。世間じゃお前とマルゼンスキーのレース結果に期待が注がれているが…」

 

 トレーナーは一瞬言いづらそうに眉をしかめるが、私が軽く頷けば、言葉を続けた。

 

「正直に言えば、俺としては、現状だとマルゼンスキーVS世界のウマ娘、になってしまうだろうな、と踏んでいる」

「そっか」

 

 真正面から言われれば、納得するしかあるまいて。ま、薄々感じていたけれどね。実際、煽りに煽って彼女をジャパンカップという舞台に上げたけれど、実力の差というのはかなり大きいだろうからね。

『彼女は現役が長く、もう、引退が近い』なんていう台詞を言う人もいるけれど、とんでもない。彼女が本気で大逃げした場合、私の追い込みでどこまでついていけるものか。正直に言えば判ったもんじゃない。

 

「ま、現状だ。現状。当日まで何があるかは判らないし、お前だって今が一番伸びる時だ。ジャパンカップまで残り時間が少ないが、それでも、可能性はあるさ」

「ありがとう、トレーナー。うん、そうだね。時間は少ないけれど、頑張らないとね」

 

 無敗の三冠ウマ娘。それが、走ってみたら弱かったですー。なんてことは避けたい所。それに、今回はシニア級から最強格のキョウエイプロミス、アンバーシャダイ、そして名門メジロからはメジロティターンなどのウマ娘たちも集っているからね。気合、入れないと。

 

「トレーナー。頑張ろう」

「ああ、頑張ろう。ミスターシービー。じゃあ、俺は先に行ってコースを確保しておく。準備が出来たら第3練習場に来てくれ」

「りょーかい。すぐ行くよ」

 

 トレーナーを見送りながら、ぐっと伸びをして、肩を解す。しかし、海外勢に目を向けてみても、今回はなかなかのメンツが揃っている。去年の凱旋門賞ウマ娘から、イギリス、フランス、カナダにアメリカ、オセアニア、そんな感じの名ウマ娘たちが集っちゃってまぁ。魔境かなって言いたいぐらいだ。実に、プレッシャーだ。

 

「でも、面白そうかな。退屈はしなさそうだ」

 

 距離は2400。ダービーと同条件。追い込みでぶっこ抜く。楽しそうだ。実に良い。しかもだ、私の知っている史実とは明らかに異なる点も存在する。

 

「カツラギも走るしね」

 

 そう。今年のジャパンカップ。カツラギも名を連ねている。当然だ。クラシック3つを、私のすぐ後ろでゴールしてみせた実力のあるウマ娘。そんな彼女が、私が出るレースに名乗りを挙げないはずがない。

 …本来なら、翌年。私とルドルフを抑えて、初の日本調教馬としてジャパンカップに名を刻むカツラギエース。その彼女が今年出る。アタシも出る。マルゼンも。

 

「さぁ、さぁ。面白くなってきた」

 

 口角が上がってしまう。スーパーカーが世界を抑えるのか。それとも、一人の大穴が世界を驚愕させるのか。それとも、ミスターシービーの追い込みが世界を引っこ抜くのか。それとも、史実の通り海外が日本を制するのか。ああ、実に楽しみだ。

 …ああ、でも、でも。今年、一緒に走ることが出来ない、一人のウマ娘のことが頭に浮かぶ。

 

「シンボリルドルフ。皇帝は、今、何を思うのかな」

 

 走れないという悔しさか、焦りか。それとも、強い奴らが居るぞと、翌年に向けた希望を胸に懐きながらジュニア級を走るのか。他人のことは判らない。しかし、少しばかり、気になってしまうね。と、まぁ、余計なことを考えるのはここまでにしておこうか。スイッチを切り替えて、いざ、練習開始だ。

 

 

「確認ッ!ミスターシービーの様子は変わりないか?」

「はい。変わらず。いつもの様子です。前よりも多少、バイクに入れ込んでいるぐらいですね」

「承知ッ!ならば、問題はあるまい。これからも、彼女のサポートを頼むぞ!シンボリルドルフ」

「無論です」

「さて、ミスターシービーの話はここまでにして、君の話を聞きたいと思う!」

「私の、ですか」

「うむ。君はやはり、目指すのか?彼女の隣を」

「無論です。…いえ、違いますね。目指すのは隣、ではありません」

「ほう…!では、シンボリルドルフ。君の目指す先を教えて欲しい!」

 

「彼女のはるか先。その頂きを、目指します」

 

「期待ッ!!その意気やよし!存分に!頑張ってくれたまえ!」



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チューニング

いやー、社長。いい感じだよいい感じ。え?いやいや、私の力じゃないさ。社長とか、スポンサーとかの力があったからこその結果だよ。

痺れたね。特にレッドゾーンに回転数が行った時にさ、振動が強くなるんじゃなくて、まるで雲の上を走るように加速できたんだもん。良いマシンに良いチューニング。最高だった。本当、腕がいいよね。

うん。このまま…え?スポット参戦の話がアタシに来てる?

…へぇ?それ、面白いね。あのマシン、一度は乗ってみたかったんだ。

もちろんいいよ。あのマシンで世界を相手にすればいいんでしょ?やるやる。


 汗まみれ、息も絶え絶え。そんな姿が珍しい一人のウマ娘とそのトレーナーが立っているのは、コース脇のベンチの前だ。傍から見れば座れば良いと思うのだが、どうもその気配はない。

 

「トレーナーちゃん。どう?貴方から見て、私は仕上がってきてるかしら」

「ああ。問題ないよ。マルゼンスキー。気持ちよく走れている」

 

 マルゼンスキーとそのトレーナーは、どうやら練習の合間のミーティングを行っているようだ。汗をタオルで拭くマルゼンスキーに、スポーツドリンクを準備するトレーナーという、よく見る組み合わせ。だが、その顔は真剣そのもの。

 

「ただ…」

「ただ?」

 

 トレーナーは言いづらそうに顔をしかめるが、マルゼンスキーが頷きを見せることによって、言葉が続く。

 

「正直に言う。衰えが見える。スタミナ、スピードに鈍化が訪れ始めている。自覚は、あるよな」

 

 語りかけたトレーナー。マルゼンスキーは、小さく、しかし、はっきりと頷いた。

 

「そう。そうね。確かに、感じているわ」

 

 そう言って、マルゼンスキーはタオルをベンチに置く。間髪入れずにトレーナーがドリンクを彼女に手渡し、それをぐっと嚥下する。大きく息を吐くマルゼンスキーに、トレーナーは少々苦い顔でこう告げる。

 

「…正直、お前のピークにしっかりとレースを走らせてやれなかった俺の力不足だ。すまない」

「気にしないの。トレーナーちゃん。そもそも、レースを走れなかった一番の理由って、私が『楽しく走りたい』ってワガママを言っていたからでしょう?それに、あなたが私のために全力で動いてくれていたのは、知っているから」

「すまない。でも、だからこそ。今回のジャパンカップ、最高の状態にお前を仕上げてみせるよ」

 

 決意の宿る眼で、マルゼンスキーを射抜く。と、マルゼンスキーもその視線を真正面から受けるように、笑って見せた。

 

「頼んだわよ?本気の私を、世界に魅せつけるんだから!」

 

 その顔を見たトレーナーも、自然と笑顔を浮かべる。そして、マルゼンスキーから空になったドリンクの容器を受け取ったトレーナーは、こう、言葉を続けた。

 

「もちろんさ。俺のスーパーカーは、世界に通用すると証明して見せるとも。だから、今回ばかりは、お前も全力でぶつかってきてくれ」

「ふふ。安心して。トレーナーちゃんのことは信頼しているわ。さ、次は、何をすればいいのかしら」

 

 トレーナーの視線が坂路へと向く。つられて、マルゼンスキーの視線も、坂路へと向いた。

 

「世界と、そして、ミスターシービーから逃げる。そのために、スタミナを伸ばす。坂路、2000メートルダッシュの交互のインターバル。行けるか?」

「もちのろんよ!」

 

 間髪入れずに本気で走り出したマルゼンスキー。去り際、トレーナーに写った彼女の目は、まるで狩人のような鋭い光を宿していた。

 

「本気のマルゼンスキーの走り、か。それはきっと、今まで見たことのない美しさなんだろうな」

 

 しみじみとそう呟く、マルゼンスキーのトレーナー。

 

 ―ああ、ついに、ついに、彼女の前に、望むべき、望んでいた、切に渇望していた、好敵手が―

 

「俺の愛バは、とても、とても速いぞ。ミスターシービー」

 

 坂路を勢いよく駆け上がる最速の背中を見送りながら、トレーナーは、口角を上げた。

 

 

 第2練習場と呼ばれるコースでは、幾人ものウマ娘たちが周回を重ねている。やはり、鍛錬の基本は走り込みから。それを体現するように、一際目立つウマ娘とそのトレーナーの姿があった。

 

「もう一本!」

「やぁああああああああ!」

「まだまだ!ミスターシービーの背中はまだ遠いぞ!カツラギエース!」

「はあああああああああああ!!!!」

 

 トレーナーの言葉に反応し、更に更にと追い込んでいくカツラギエース。すでに体中から汗が吹き出し、息は上がりきっている。だが、その脚は止めはしない。1周、2周、そして何周も彼女はコースに蹄鉄の跡をしっかりと付けていく。

 

「…よし、今日はこんなところで上がりだ!ほい、タオルとドリンク」

「ありがとうございます。トレーナー。頂きます!」

 

 練習の終わりは、いつも夕闇が近づく時まで行われていた。タオルで汗を拭きながら、ドリンクを勢いよく飲むカツラギエース。ふと、その表情が引き締まる。

 

「…どうでしょう、私の、走り」

 

 これだけやった。日々、これだけやっている。でも、果たして、どこまで成長できているのか。その不安をぶつけるように、トレーナーに問いかける。

 

「いい感じに仕上がっているよ。菊花賞の時よりもパワーも、スタミナも、スピードも一回りも二回りも成長してる」

 

 その不安を吹き飛ばすように、トレーナーは笑顔を浮かべ、そう答えていた。

 

「本当ですか!」

「うん。でも、それはきっとミスターシービーも同じだ。だから、まだまだ油断せずに練習を重ねよう」

「はい!頑張ります!」

 

 笑顔を浮かべ、頷くカツラギエース。そしてポツリと、決意をつぶやいた。

 

「背中は遠い。けれど、きっと手は届く。必ず、勝ちます。ミスターシービーさん」

 

 彼女は決意を胸に、空を見上げる。そこには、宵の明星が一際強く、輝きを放っていた。

 

 

「日本総大将、ミスターシービー」

「まあ、そうなるでしょう。無敗の三冠ウマ娘ですからね。ですが…」

 

 2人のシニア世代が、コースのスタートラインで軽く会話を交わしている。

 

「キョウエイプロミス。現役世代では貴女こそが日本総大将だと、私は信じていますからね」

「ははは。メジロ家のご令嬢にそう言っていただけると、心強いよ」

 

 カラカラと笑うキョウエイプロミス。何を隠そう、現在のシニア級ウマ娘で一番脂が乗っているウマ娘の一人だ。直前に行われた天皇賞秋は見事に先行策で勝利を納め、センターの栄誉に輝いている実力者である。

 

「とはいえ、君も走るんだろう?メジロティターン」

「ええ。ですが、知っての通り私は調子が上がりません。今年で、引退ですよ」

「それは。………そうか」

「はい。ですが、私は夢を叶えました。お母様から託された、天皇賞の制覇。今度は、これを、この使命を、私の下の世代のメジロに伝えるのが使命ですから」

「メジロ家の悲願、か。羨ましいね」

「ええ。だからこそ、今年の天皇賞を制覇した貴女には、メジロ家のみんなが期待しています。世界を、獲ってくれると」

 

 そういいながら、メジロティターンはキョウエイプロミスの目をじっと見つめた。

 

「ふふ、あははは!それはそれは。判ったよ。その期待、背負ってみせようじゃないか」

 

 キョウエイプロミスは天を見上げ、自信満々に笑顔を浮かべた。それを見たメジロティターンは、満足そうに頷きを見せる。

 

「頼みましたよ。私達の『日本総大将』」

「任された。ってことで、あと2本、合わせ頼んだよ?」

「この脚でお手伝いできる事ならば、2本と言わず何度でも」

 

 そう言って二人は、勢いよく地面を蹴った。その風は、芝を空に舞い上げる。

 

「そうだ。世界に手をかけてみせよう。日本のウマ娘は、伊達じゃないってね!」

 

 各々は、ジャパンカップに向けていよいよ、仕上げに入りつつあった。世界を相手に、マルゼンスキーを相手に、無敗の三冠ウマ娘を相手にするために、その刃を研ぎに、研ぐ。




いやー、佐藤さん。いい感じだよいい感じ。え?いやいや、私の力じゃないさ。佐藤さんとか、千明さん、それに、みんなのサポートの力があったからこその結果だよ。

痺れたね。特に最終直線の時に本気で脚に力を入れたら、滑るんじゃなくて、まるで雲の上を走るように加速できたんだもん。いい蹄鉄に加えて良い調整だったよ。最高だった。本当、腕がいいよね。

うん。このまま…え?私専用の蹄鉄を用意する話がある?

…へぇ?それ、面白いね。そういうの、一度は試してみたかったんだ。

もちろんいいよ。その蹄鉄で世界を相手にすればいいんでしょ?やるやる。


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積み重ねて、積み重ねて

「パート分けはこんなところで良いかな」

「そうね。1番が私、2番がシービーちゃん。Cパートと、サビは勝ったほう、ね」

 

 ジャパンカップまで後わずか、いよいよ日取りも、段取りも、曲もと様々なものが決まってきた最中、私とマルゼンはレースの練習の合間に、専用曲の練習に勤しんでいた。

 

「そういえばシービーちゃん。ジャパンカップの課題曲は完璧?」

「もちろん、マルゼンは?」

「問題ナッシング。完璧よ。ルドルフちゃんと一緒に練習したから、振り付け、歌、全てオッケーよ」

 

 なるほどね、ま、ルドルフと一緒に練習しているなら、大丈夫だろう。ジャパンカップの課題曲といえばご存知『Special Record!』。ま、公には大阪杯、宝塚記念、エリザベス女王杯の曲と共通だけれどね。でもあのステージで歌う曲の華やかさったら素晴らしいものだ。海外からのウマ娘を招くには、最高の曲であろう。

 

「それにしても、シービーちゃん。三冠を獲って、これから貴女の夢はどこまで続くのかしら?」

「うん?」

「ほら、スペシャルレコードにもあったじゃない?『スペシャルな毎日へ走り出そう、夢は続いていく』って。貴女、貴方はどうするのかなって思っただけよ」

 

 うーん…まぁ、三冠ウマ娘、という一つの節目は通過したからね。この先、どういうふうに過ごすか、か。

 

「マルゼン、ルドルフ、あとピロウイナー、カツラギあたりとは勝負はつけたいな。ただ、無敗で居続けたいわけじゃないし、全力で、強いウマ娘と競い続けられたら言うことなしだね」

 

 ま、当面はこれだろうね。ウマ娘としての能力が衰えないうちは、しっかりと勝負を続けていきたいし。まあ、そうだな。衰えたときには、昔とった杵柄ってことで、バイクのレースにでも参戦するさ。

 

「そう」

 

 優しい表情でこちらを見てくるマルゼン。なんだろう、雰囲気は完全に保護者のそれだ。まぁ、たしかに、私がシービーになってから最初に頼ったウマ娘ではあるし、ある意味保護者の一人だから、何かこう、感じるところはあるよねー。

 

「お母さんって呼んで良い?マルゼン」

「巫山戯ないの。さ、そろそろ振り付けの合わせも始めましょ。ジャパンカップまでにはしっかりと仕上げないとイケないわ」

「ちぇー。判った判った。じゃあ、まずはイントロの頭から通しで。暗転でアタシが上手、マルゼンが下手から登場してポージングだね」

「判ったわ。それで…マイクはゴッパチでいいのよね」

「うん。生歌だからねー。やば、リハって言っても、緊張してきた」

 

 リハとは言え音源を聞きながらとなると、どうしても気合が入るというもので。振り付けは練習しているから頭に入っているとは言え…うん。こりゃなかなか。三冠のウイニングザソウルとかは勿論緊張したけれど、今度は世界相手…あ、これ結構ヤバイかもしれないね?

 

「ほら、固くならない固くならない。リハでも笑顔」

 

 肩に感じる重み。そして、目の間にはマルゼンの顔。いけないいけない。結構考え込んでしまったようだ。うん、ま、そうだな。今日は練習だ。まずは通しで、マルゼンと息を合わせて踊れるようにならないと何も始まらないわけだし。無理にでも、ぐいっと口角を上げておく。

 

「ありがと、マルゼン」

「気にしないの。さ、じゃあ位置に付きましょう」

「うん。じゃ、音源は10秒後で流れるようにセットするよ」

 

 位置につく。そして、お互いに目を合わせて、頷く。同時に流れ始めたのは、私達用の専用曲。電子音が一定のリズムを刻む。

 

「さてさて、どのぐらいでマルゼンと息が合うかな」

 

 中央に脚を進め、マルゼンと並んで両の手のひらを観客席側に向けたたま、顔の前で左右から顔を隠すように、平行に伸ばす。マルゼンとは鏡合わせのような形だ。そして、人差し指を伸ばしながら両の手を水平に、左右に広げていく。同時にイントロにトランペットが入り、盛り上がりを見せると共に、私は右手を、マルゼンは左手を天に高く掲げあった。

 

 

『さあ、いよいよ11月も後半に入りましてついに近づいて参りましたジャパンカップ。

 

 まず、クラシック級から世界を迎え撃つのは無敗の三冠ウマ娘のミスターシービー。そしてそのライバルのカツラギエース。シニア級からはスーパーカーとの異名も高いマルゼンスキーが初のG1参戦、他にも天皇賞ウマ娘のメジロティターン、キョウエイプロミスらも注目であります。

 そして海外勢で注目なのが、凱旋門ウマ娘のオールアロング。『無敗の三冠ウマ娘と戦えるのならば』と、参戦の意思を表明しております。そして昨年の4着、アイルランドからはスタネーラが参戦と、今年のジャパンカップは国内外共に非常に層の厚いレースとなっております。

 

 とはいえ、このメンツの中でもやはり注目はミスターシービーでしょうか』

 

『ええ。それは間違いないと思います。皐月賞では追い込んで、ダービーでは先行で、そして菊花賞では大逃げと変幻自在の彼女が今回はどのようにレースを盛り上げてくれるのか注目したいですね。そしてカツラギエース。彼女もミスターシービーに追いすがる勢いで成長を遂げておりますからもしや、という可能性も。

 そして忘れてはいけないのがマルゼンスキー。今まで相手不在、条件が合わないなどの理由でG1に出場出来なかった、走れなかった彼女が、ここでついにその実力を世界相手に魅せつけるわけですからねー。非常に楽しみです。無論、キョウエイプロミスやメジロティターン。アンバーシャダイなどのウマ娘たちも侮れませんし、今回は南関東トレセンからダーリンググラスが参戦しますので、そちらも、また注目でしょう』

 

『なるほど。非常に楽しみですね。そして、天候のお知らせではありますが、ジャパンカップが行われる11月27日『雨』予報となっております。現時点では木曜日から前線の影響で雨が降り続く、ということもありまして、今年のジャパンカップは雨の中での開催となりそうです。現地でご覧頂く際は、ぜひ、寒さ、雨対策をしながら風邪など引かぬようにお気をつけてご覧下さい』

 

『雨のジャパンカップですか。これ何か、一波乱、起きそうですね』



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雨に歌えば

『さあいよいよやって参りました!第3回ジャパンカップ!只今のお時間は14時を回ったところです!各々のウマ娘たちはパドックに入りまして、お披露目を行っております!しかしながら、予報の通り本日は雨の中のレースとなりそうな天候です。

 そして今回のジャパンカップ。本来は16人立てで行われるレースですが、今回に限りましては特例として、18人をフルゲートとして行われます』

 

『結局雨は降り続いたままですね。お披露目を行うウマ娘たちも、秋の長雨に打たれていまして、少々体調が心配になってきます』

 

『そうですね。結局木曜日から降り続いた雨によって、バ場状態は不良。しかしながら、御覧ください!超満員と言っても良い観客席のその熱気を!本日のジャパンカップは史上最強のメンツが集まったと言っても過言ではないでしょう。なにせあの凱旋門賞を勝利してみせたオールアロングがおりますし、現在の日本のウマ娘の最強格である無敗の三冠ウマ娘ミスターシービーがおりますから、まさに、このジャパンカップは世界へ挑戦する舞台、そして、日本のウマ娘が世界へ手が届くのか、今後のURAを占う大切な一戦となるでしょう!』

 

『その通りです。無敗の三冠ウマ娘。それも、このジャパンカップと同じコースで、ダービーのレコードを更新してみせたミスターシービー。彼女の走りが、世界に通用するのか、否が応でも注目せざる終えません。そしてなにより、あのマルゼンスキーがついに、G1レース、それも世界を相手に走るのです。これは、応援せざるを得ないでしょうね!』

 

『さて、ウマ娘たちのお披露目が続きますが、改めて、レースの展開予想などあれば』

 

『そうですね…まず、ミスターシービーは読めない、と断言させて頂きます。以前にも言いました通り、クラシック級をすべて違う戦術で勝利していますので、なんとも判断がつきません。とはいえ、間違いなく注目のウマ娘であることは疑う余地はないでしょう。

 しかし、全体のレース展開となればある程度は予想が出来ます。まず行くのはマルゼンスキーで間違いないでしょう。そして、このバ場の悪さからしまして、おそらくカツラギエースも行くと思います。あとは逃げ宣言のハギノカムイオーもハナを主張するでしょう。この予想通りいきますと、おそらくはこの不良馬場ですが、3人がハナを主張するわけでありまして、相当なハイペースが予想されます。そこにどれだけ食いつけるかが、おそらくはレースの鍵となりそうです』

 

『なるほど。となりますと、オールアロング、そしてスタネーラあたりの人気海外ウマ娘たちはどのように動くでしょうか』

 

『そうですね…。おそらくは、慣れないレース場ですし、比較的後ろの方から様子を見て行くのではないかと思われます。特に、海外のウマ娘達はパワーがありますからね。この不良バ場でも、大いにその末脚を発揮してくれるだろうと思います』

 

『ありがとうございます。さあ、お時間が迫ってまいりました。いよいよ、本バ場入場です』

 

 お披露目を終えた私は、地下道への入り口で、最終のチェックを行っていた。服の着付け、メイク、そして破損箇所の有無。トレーナーと共に、一通りの確認を行う。特に今日は雨。お披露目だけでずぶ濡れになっている勝負服に、不備があってはいけないからね。

 

「作戦は追い込み。長い直線で力の勝負だ」

「うん。判ってる。あ、背中の縫い目とかは大丈夫?」

「…特に問題はないな。ああ、ただ、マルゼンスキーがどこまで逃げるか判らない。もし、最終直線の加速だけじゃ追いつけないと判断したら、どこからでも行け」

「オッケー。全部のウマ娘をまくるように、頑張ってみるよ」

「ああ。ま、大丈夫だとは思うが、この雨だ。バ場も不良。足元は今までで一番悪い。落ち着いて行けよ」

「うん、うん。判ってる」

「それと、蹄鉄の状態はどうだ?」

 

 カツン、カツン。蹄鉄をつけた勝負靴を床に打ち付けて、接着と、違和感の有無を確認する。というのも、この蹄鉄は一週間前から使い始めたばかりの専用品だ。それに、接着剤も世代が一つ新しくなって、接着時間が短縮され、強度が増しているもの。千明さんの自信作ということもって、非常に具合は良いと言えよう。

 

「行けそうか?」

 

 トレーナーが心配そうにこちらを伺う。実のところ、トレーナーからは『今までの蹄鉄のほうが良いんじゃないか?』と言われてはいる。慣れ方、耐久性など、不安要素があるからに違いない。とはいえ、私はそうは思っていない。なにせ、千明さんの自信作。ならば、間違いは無いだろうし、実際、走った時のカチっとハマる感じはこの蹄鉄のほうが数段上だ。

 

 それに、この蹄鉄はちょっとスペシャルなのだ。

 

 そもそも、この私専用の蹄鉄が開発された経緯は、ダービーからこっち、私の脚力が強すぎるという問題点を千明さんが見つけてくれたことに端を発する。サンプルに提出した、練習で一週間ほど使った蹄鉄の鉄尾、その幅が目に見える形で広がっていたのだ。

 

 千明さんいわく『我が社の蹄鉄で、この事例は2人目だ』という事らしい。詳しく話を聞いてみれば、踏み込みにパワーが有りすぎて、蹄鉄が変形し、そのせいで靴が変形。それによって肉刺や靴擦れを起こしていたウマ娘が過去に居たとのことだ。

 

 その有りすぎるパワーの対応として、千明さんの会社で作られた蹄鉄が、かの『シンザン鉄』という蹄鉄だ。

 

 そして、私が今勝負靴につけているのは、その『シンザン鉄』を発展させた鉄橋蹄鉄の一種、『CB鉄』という専用品。通常の蹄鉄に補強を入れて、スパイクを追加。その上で重量、幅等をレースの規定に合わせた特注品だ。

 …ま、鉄って名前が入っているけれど、実際は、鉄ではなくてアルミニウム合金製らしいけれどね。『伝説の三冠ウマ娘』に肖るということで、この名前にしたらしい。

 

「勿論。この蹄鉄にも慣れたしね。それにさ、今までで一番脂が乗っているって、そう太鼓判をくれたのは君でしょ?ミスタートレーナー?」

 

 そう言って笑って見せれば、トレーナーも笑い返してくれる。そして、力強く、頷いてくれた。

 

「ああ。そうだ。だから、世界のてっぺんを獲ってこい。ミスターシービー!」

「任された」

 

 私がそう言いながら拳を差し出せば、トレーナーも間髪入れずに拳を差し出してくれた。そこに、軽く拳を当てて、踵を返す。さあて、さあて、いよいよか。

 

 視線を上げれば、誰もいない地下道が私を待ち構えている。息を深く吸い込み、長く、吐く。

 

 他のウマ娘たちはもう、本馬場に入っているようで、人影は一つもない。

 

「さあ、行くぞミスターシービー。ここからは、私も知らない未知の世界だ」

 

 言い聞かせるようにそうつぶやいて、右足を前に動かした。

 

 

 地下道を一人歩く。カツン、カツンと、真新しい蹄鉄と床が喧嘩する音が静かに響く。

 

 耳をすませば、その響きの中に、サアサアと雨の囁きが混ざる。

 

「雨のレース」

 

 つぶやいてみる。相手は、最高峰ばかり。凱旋門賞の覇者、フランス、イギリス、イタリア、ドイツ、アイルランドなどなど名ウマ娘を抱える欧州からの名ウマ娘たち。アメリカやカナダ、オセアニアからもG1級のウマ娘たちが出揃っている。

 

「雨はアタシの得意分野だけど、でも、彼女らだって雨には強い」

 

 欧州のレース場の芝。それは、深くてパワーが必要だという。そんなところを普段走る彼女らの力は、それはそれはとても強いものだろう。きっとそれは、日本の芝の不良バ場ならば、ものともしないぐらいに。

 

「でも、日本のウマ娘だって、強い」

 

 天皇賞、宝塚記念の勝ちウマ娘たちが勢ぞろい。長距離のメジロも居る。油断はできない。すぐ後ろを追いかけてくる、一人のライバルもいる。

 

 なにより。

 

「最高の逃げ馬が。逃げウマ娘が居る」

 

 世界を相手にできるその脚。私の知る史実でも、ウマ娘の中でもそれは世界を相手に発揮されることはなかった。とはいえ、子孫が名だたるレースを勝利しているあたり、その能力、血筋は最高のものだったのだろう。そんな、そんな最高の逃げ馬が、いや、逃げウマ娘と、私は走れるのだ。

 

「最高、最高じゃないか」

 

 ああ、最高だ。最高の、気持ちだ。ワクワクする。ああ、ワクワクする!これは、そうだ。この気持は、そう。恋と言って、恋と言い切っていいだろう。恋い焦がれた、最高の相手。無敗の三冠ウマ娘だからこそ挑める、ウマ娘だからこそ味わえ得る、最高の相手。

 

「ああ、素敵だ」

 

 素敵だ。ああ、素敵だ。そうだ、素敵だ。これ以上の、言葉は無い。

 

 カツン、カツンと歩みを進める。遠くには、雨のさざなみが聞こえる。そして、感じる。とてつもなく、熱い、熱気を。

 

 ウマ娘たちの、闘争心。その、熱気を。

 

「…」

 

 足を止める。静かな静寂が、私を包む。誰もいない。トレーナーも、観客席から私の登場を待っていることだろう。

 

「雨のジャパンカップ。東京レース場…ふふ」

 

 自然と、笑みが浮かぶ。ついに、ついに走れるのだ。マルゼンスキーと。最高の、逃げ馬と。雨の中で。

 

 そう考えていた私の頭の中に、不思議と、一曲の歌のメロディーが流れ始めた。

 

「るーるるるーるーるるーるるるーるー」

 

 頭の中のメロディーを口ずさみながら、改めて脚を進める。それだけで、ワクワクする。

 

 雨は、降り続く。気づけば、地下道の中にも、雨水が侵入してくるほどの大雨だ。

 

 気がつけば、口は、勝手に歌を紡いでいた。

 

『I'm singing in the rain Just singing in the rain―』

 

 軽くタップダンスを決めながら、跳ねるように、踊るように。雨に歌う。

 

 道の先に光が見える。歓声が聞こえ始めた。どうやら、地下道も終わりのようだ。意を決して、雲が広がるターフへと歩みを進める。

 

 ―ザアアアアアアアア

 

 ―ワアアアアアアアアアア!

 

 2つの歓声が私の耳に満ち溢れる。天の恵みと、人の恵み。両方を噛み締めながら、両手を広げて、雨を全身で感じれば。

 

『Just singin',Singin' in the rain』

 

 ちょうど、歌い終わった。心が踊ったまま、観客席に手を降ってみれば、更に大きくなる声援。雨だというのに、みんな、すごい熱量だ。

 

 視線をターフへと向けてみれば、そちらに居るのは17人の優駿たち。見知った顔もいれば、知らぬ顔も居る。

 

 マルゼンなんかは、こちらに手を降っている。笑顔で、だ。

 

 その横で、カツラギは何か決意をしたように頷いている。

 

 そして、海外のウマ娘たちは、私を、明らかに敵視している。ま、当然か。

 

「ま、でも、やることは変わらないし。全力で、楽しむとしましょうか!」

 

 ぐっと背筋を伸ばして、ウォーミングアップがてら軽くターフを蹴る。雨粒が気持ちいい。でも、足元はぐっちゃぐちゃ。こりゃあ一苦労しそうだね。と、ゲートに近づく私に、一つの影が近づいてきていた。

 

「お前がミスターシービーか」

 

 一人の大柄なウマ娘。挑むような鋭い瞳。

 

「おや、不躾だね。君は?」

「オールアロング。ミスターシービー。君と走りたくてここに来た」

「へぇ。凱旋門ウマ娘が私に?」

「ああ。正直に言えば、このジャパンカップは本来は辞退しようと思っていたんだ。こんな辺鄙な土地、それにこんな天気だ。誰が好き好んで走る?」

「確かにね」

 

 ひどい言われようだね。でも、それでも彼女は、このターフに立っている。

 

「だが、日本最強のお前が居るのなら、走る価値はある」

 

 そういった彼女の目は、ギラリと輝いていた。

 

「そっか。じゃあ、いい勝負をしよう。オールアロング」

「ああ、いい勝負をしよう。ミスターシービー」

 

 そう言って、彼女は踵を返す。なるほど、私と走りたくて、か。こりゃ、変な走りは出来ないねと、思わず頭をかいてしまう。

 

「あら、お熱い告白を受けたわね、シービーちゃん」

「聞こえてた?マルゼン。何、嫉妬でもした?」

「ええ。だって、このレースは私とシービーちゃんが主役だもの。凱旋門ウマ娘だとしても、間に入る余地は無いのよ?」

「たしかにね。でも、残念ながら私は、日本を代表する無敗の三冠ウマ娘なんだ。今日ばっかりは、勝負は、受けて立たなきゃいけないんだよね」

 

 無敗の三冠ウマ娘。どこからか日本総大将という言葉も聞こえてくる。私が軽く笑みを浮かべれば、マルゼンは、どこか寂しそうに笑みを浮かべていた。

 

「その両肩、重そうね」

 

 ふむ。まぁ、確かに重い。責任は重いだろうね。変な走りをしたら、勿論、叩かれるだろうね。失望もさせてしまうだろうね。でも、強いて言えばその程度のモノでしょう?それに、問題は何もない。

 

「そうでもないよ。それに、アタシは今日、誰にも負けないしさ」

「誰にも?」

「そ、誰にも」

 

 マルゼンは少し考えるように、瞳を閉じる。だけど、すぐにこちらを強い瞳が貫いた。

 

「私にも?」

 

 強い瞳に負けぬように、余裕の笑みを浮かべて見せる。

 

「当たり前だよ。何?マルゼン。アタシに勝てるとか、思ってるの?」

 

 するとマルゼンは、寂しそうな笑みから一転、柔らかく笑ってくれていた。そして、その笑顔のまま、楽しそうにこう告げた。

 

「ふふ、当然、勝てると思っているわ」

「そっか。じゃあ、しっかり逃げてよ。中途半端じゃ、詰まらないから」

「モチのロンよ。じゃあシービーちゃん、あとは、真剣勝負」

「うん。走ろう、マルゼン。負けないから」

「私もよ、シービーちゃん。負けないから」

 

 ぐっと、強い力を込めて握手を交わす。ふと、カツラギとも目が合う。軽く頷かれた。私も頷いておく。カツラギとの間に特に言葉は要らないだろう。抜くか、抜かれるか。その勝負をするだけだ。

 

 そうしているうちに、スターターが雨の中、スタート台に向かう姿が見えた。

 

 どこか浮ついた気持ちを胸にしまい込む。軽く息を吸い、天を見上げ、首を回しながら、息を素早く吐き捨てる。

 

「…うん。よし。さて、後は、出たとこ勝負ってところかな」

 

 決戦の時だ。思い切り、楽しむとしよう。

 



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第三回ジャパンカップ

 慣れることは無いのだろうと思う。

 

 全員が真剣勝負。全員から伝わる、その熱さ。天から降り注ぐ恵みを受けても、その熱は、冷めることなど無い。むしろ加熱していく。

 

 

『各ウマ娘ゲートインが続々行われています。改めまして、各ウマ娘の紹介をして参ります。

 

 1枠1番に収まりますのは赤い勝負服が眩しいマルゼンスキー。絶好の内枠を引き当てまして、その大逃げに期待が持てます。

 

 その隣2番にはハギノカムイオー。こちらも逃げ宣言のウマ娘。内枠が逃げウマ娘で固まりました。ハイペースが予想されます。

 

 3番ハイホーク。イギリス、フランスなどの長距離重賞を三連勝。その勢いのまま、ジャパンカップ制覇なるか。

 

 カナディアンファクター4番。カナダでのG2勝利を引っ提げて東京に挑みます。

 

 5番にはイタリアから、G1ウマ娘のチェリオルーフォが収まります。

 

 6番はドイツ最強ウマ娘と名高いトンボスが収まりました。二〇〇〇ギニーを勝利しての参戦です。

 

 キョウエイプロミスは前走天皇賞での勝利を引っ提げての参戦。7番。期待です。

 

 8番には先の天皇賞一番人気、キョウエイプロミスと共に激走を魅せたダカラテンリュウが収まりました。

 

 9番エスプリデュノール。G1ウマ娘です。フランスからの参戦です。

 

 10番にはアメリカから、春G1を三連勝のエリンズアイルが収まります。昨年ジャパンカップを勝利したハーフアイスト。彼女に鍛えられたというその脚に期待です。

 

 名門メジロから天皇賞ウマ娘、メジロティターンは11番。静かに天を仰いで枠入りを待っています。

 

 12番には南関東トレセンからの殴り込みダーリンググラス。調子はすこぶる良好だとコメントをしています。好走に期待といったところ。

 

 13番にはアンバーシャダイ。春の天皇賞の勝利ウマ娘は、世界を相手に気合十分の面持ちです。

 

 14番には今年のクラシック戦線を盛り上げたカツラギエース、表情に緊張が見られますが、その実力は折り紙付きです。

 

 15番には昨年4着のスタネーラ。その雪辱なるか期待ですが、少々足元に不安が残る出来とのこと。しかしながら、勝利は諦めていないとコメントを残しております。

 

 16番はマクギンティ。オセアニアの中距離G1最強ウマ娘、快速自慢が自信満々にゲートに収まります。

 

 そして注目の二人は大外からのスタート予定です。

 

 17番、凱旋門ウマ娘オールアロング。昨年のジャパンカップは2着。そして、このジャパンカップ参戦の前に、北アメリカ3大レース『ロマンズインターナショナルステークス』『ターフクラシック招待』『ワシントンDCインターナショナル』を史上初、完全制覇での参戦です。実力は、ひとつ、飛び抜けていると言っていいでしょう。

 

 18番、無敗の三冠ウマ娘。ミスターシービー。我らが日本総大将。このレースは相手にとって不足なしとインタビューで自信満々に答えてくれています。東京二四〇〇メートル、ダービーのレコード保持者。世界にどこまで通用することができるのか。注目です。

 

 以上、18人のウマ娘たちが、日本の東京レース場を舞台にしのぎを削ります。

 現在、一番人気はオールアロング、二番人気がハイホーク、三番人気ミスターシービー、四番人気エスプリデュノール、五番人気マルゼンスキー、六番人気はスタネーラと続いております。やはり、日本ウマ娘の人気は昨年までの実績故に低めに感じられます。

 そしてやはり一番人気はなんといっても凱旋門賞、そして北米三冠を獲ったウマ娘オールアロング。その人気は高止まりといったところでしょう。二番人気ハイホークも、この中では抜きん出た成績といって良いウマ娘です』

 

『実際、昨年までの実績は日本のウマ娘が大敗しておりますからね。ミスターシービーの三番人気でも随分健闘していると言っていいでしょう。そしてマルゼンスキーですか、やはり、距離不安がこの人気の原因かと思われます。今までマイルが中心でしたからね。この大一番、二四〇〇メートルでどこまで逃げ切れるのか、注目といったところでしょうか』

 

『さぁ、この雨が降りしきる中での第三回ジャパンカップ。大外枠ミスターシービー、その隣オールアロングはお互いに顔を見合わせず、静かに前を向いております。三番ハイホークがスターティングゲートに収まりまして、いよいよ、スタートです』

 

 

 ゲートに収まって、他のウマ娘の準備を待つ。熱気は、緊張感は、声援は、期待は、不安は、恐怖は、最高潮を迎える。

 

 隣のオールアロングからも、その緊張と、熱気と、そして、その恐怖が伝わってくる。

 

「Va où tu peux, meurs où tu dois…Va où tu peux, meurs où tu dois…Va où tu peux, meurs où tu dois…」

 

 小さく、何かをつぶやいている。彼女なりの、レース前のルーティーンだろうか。やっぱり、凱旋門ウマ娘といえど、緊張はするのだろうか。

 

「…他人を気にするなんて、アタシも随分余裕があるもんだ」

 

 小さくつぶやいて、苦笑を浮かべる。冷静に、しかし、頭は熱く。身体の状態を、目を瞑って確認していく。…どうやら、肩に力が入っている。脈拍が、速い。やっぱり、緊張している。不安だ。スタート、よく切れるか。追い込み、うまくできるか。道中、しっかりと走れるか。力を抜く。脱力。脱力。脱力。

 

「よし。よし。よし。よし」

 

 4度唱えて、目を開ける。天を仰いで、ふう、と息を吐く。

 

―やれる。アタシならやれる―

 

 頭の中で唱える。隣からの声も、気にならない。観客席からの声援も、聞こえない。ただ感じるのは、天から降りそそぐ恵みの冷たさと、足裏に伝わる地面の芝の青さのみ。

 

 右足を、自然と引く。

 

 膝を、軽く曲げる。

 

 腰を、落とす。

 

 顔は前に向けたまま、上半身を前に軽く倒す。

 

 手は、軽く開いたまま。

 

 右手を顔の前に、左手は、腰の後ろに。

 

 もう一度、目を瞑る。

 

―そう、やれる。ミスターシービーなら―

 

 深く息を吸い込み、ゆっくりと、吐き出す。

 

―そう、やれる。アタシなら。絶対に―

 

 目を、開けた。

 

 自信満々に、笑みを浮かべてやれ。

 

 そうして、タイミングを合わせて。

 

 右足を、思いっきり蹴り出した。

 

 

『きれいなスタート。流石、世界から、日本から集まった優駿たちです。

 

 内の方でハイホークがわずかに押されて立ち遅れたか。宣言通りハギノカムイオーがぐっと加速していくがマルゼンスキーも負けじと先頭に行く。その後ろからはカツラギエースとトンボスが行く。その少し外目を通りマクギンティが5番手、内目を通ってエスプリデュノール、内を通ってタカラテンリュウ、スーッと上がっていくのはアンバーシャダイが行く。

 そのアンバーシャダイの内側についているのがカナディアンファクターであります。後方からは5人、少し間を開けてレースを進めるのはハイホーク、やや内目を通ってチェリオルーフォが続いてそのすぐ後ろにはダーリンググラス。

 

 そして更にその後ろに控えているのは、ここに居たオールアロングとミスターシービー。ミスターシービーはシンガリを選んだジャパンカップ!

 

 向正面に入りまして、すでに10バ身以上の大逃げを魅せているのはマルゼンスキー、ハギノカムイオー、そしてカツラギエース、やはり予想通りこの3人がレースを引っ張って行きました。4番手にトンボス、そこから遅れてエスプリデュノール内々を通りました。その後ろに快速ウマ娘のマクギンティ、後ろにアンバーシャダイつけている。

 内を通ってキョウエイプロミス、その外目を通ってエリンズアイル。その内側にタカラテンリュウ!

 

 

 レースは進む。目の前にいるのはオールアロング。見事な蹴り足だ。先頭は雨のせいで見えない。相当かっ飛ばしている。多分、マルゼンスキーとカツラギエースあたりだろう。足元はやっぱり悪い。新しい蹄鉄だからこそコーナーは踏ん張れているけれど、最後、追い込みでどこまでいけるのかちょっと不安だ。

 

 とはいえ、まだまだ向正面に入ったばかり。動くウマ娘は少ない。

 

 今はまだ序盤も序盤。でも、相手は世界、相手はマルゼンだ。行くタイミングをミスれば、そこで終わる。さあ、彼女はどこで行く。オールアロングはどこで行く。カツラギは、メジロは、キョウエイは、はたまた他のウマ娘たちもどこで行く。

 

 …いや、考えすぎだ。考えすぎだよアタシ。落ち着いて。大丈夫。楽しいところで行けば、私は勝てる。アタシは勝てるから、心配しないでいい。

 

 そして、私の勘はこう言っている。

 

『3コーナーが勝負』

 

 きっと、間違いは無い。マルゼンスキーのエンジンがかかるのは、いつも後半だ。しかも、今回は本気でぶっ飛ばしてくる。今もペースは速いけれど、でも、彼女の走りはこんなもんじゃあないのは、よく知っている。

 

 ふと、頭の中にイメージが湧き上がる。

 

 先頭を走るのは、真っ赤なスーパーカー。雨を切り裂き、エキゾーストノーズを高らかに。

 

 そのすぐ後ろを走るのは、ドッカンターボ付きの日本のライトウェイトスポーツ。ああ、あれは、ピーキーだが、ハマれば速い。それは、きっと世界のスーパーカーをぶち抜くぐらいに。

 

 そして、私の前にいるのはV6エンジンを積んだカリッカリの競技用のマシン。重量も、空力も、エンジンパワーも、一台だけ、モノが違う。

 

 それらを最後方から、虎視眈々と追いかけるのは、チェーンドライブ、4気筒、1000cc。後輪駆動のモンスターマシン。わずか150キロ程度の車重に、200馬力を超える高回転型化け物エンジンを積んだ非常識。常人が扱えば、そのパワー故にすっ飛んでしまうことだろう。

 

 だが、ここに居るのは常人ではない。ミスターシービーだ。

 

 彼女ならば、その程度のパワー。きっと、扱いきって見せるはず。

 

「…そろそろ、ギアを上げようか」

 

 小さく呟く。頭の中のイメージが、一つ、切り替わる。ガコン、とギアが動く。

 

 私のほうが僅かに早かったが、オールアロングもほぼ同時に、蹴り足を強めた。一瞬、目線が交差する。ニヤリと、口角が上がる。

 

 いよいよ、いよいよだ。最後方。その絶好のポジションから。

 

 2台のスペシャルが、エキゾーストノーズを高らかに、勝利の歌を謳い始めた。

 

 

 さあ先頭は第三コーナーに差し掛かってその頂上から一気に加速していきますマルゼンスキー!このまま日本勢が逃げ切りのゴールを駆け抜けられるのか!少し遅れたかハギノカムイオーとカツラギエース!4番手は変わらずのドイツ代表ドンボス!さぁこの辺から徐々に後続との差が詰まってまいります!

 

 ここで凱旋門ウマ娘オールアロング、ミスターシービーがすーっと上がってきた!!外目をついて2人がいい脚で上がってきている!やや外目を通ってエスプリデュノールも上がってきた。アンバーシャダイもいい足で上がってきた!

 

 ここまで逃げてきたカツラギエースとハギノカムイオーがバ群に捕まって第三コーナー中盤!

 

 アンバーシャダイここで2番に立った!一人逃げるマルゼンスキーを筆頭に日本勢が頭を抑えて大健闘のジャパンカップ!そのマルゼンスキーがここで思い切った!加速していく!逃げる逃げるマルゼンスキー!距離不安もなんのその、大一番ジャパンカップで先頭でホームストレッチに戻ってきたマルゼンスキー!完全にトップギアだ!このまま思い切った走りを魅せて欲しい!

 4コーナーを抜けて400の標識を抜けた!後方5バ身の差で突っ込んできたのはスタネーラ!キョウエイプロミスも競い合うように伸びてくる!

 

 

 ほぼ並ぶように加速していく。だが、油断をしたらすぐにチギれてしまいそうだ。気合、根性、体力、経験、すべてを動員して、世界に追いすがる。遅れてはならない。やっぱり凱旋門は伊達じゃない。タコ―メーターはすでにレッドゾーン。エキゾーストノーズが(つんざ)く。しかし、まだ追いつける。が、その瞬間。

 

「ちっ」

 

 コーナーを曲がるGに、身体を外に持っていかれそうになる。瞬間、脳内でトレーナーの声が響き渡る。

 

―もっと踏み込め!気が緩んでいるぞ!―

 

 ハッとして、瞬間、腰を落として脚に力を入れ直す。グっと蹄鉄が芝を捉え、僅かに内側に切れ込んで、最高速でコーナーを駆け抜ける。僅かに遅れたが、まだ致命傷じゃ無い。それに、まだ奥の手は残している。

 

 そうして4コーナーを抜けてホームストレッチが目の前に現れる。

 

 先頭が、見えた。

 

 もう1段、腰を、落とす。

 

 手を大きく振り上げる。

 

 脚を一歩、雨の中でも芝に蹄鉄が食い込むよう、思いっきり、地面に力の限り叩きつける。

 

 刹那、イメージが切り替わった。ガコン、という音とともに、ギアが変わる。

 

 ホームストレッチ(ホームストレート)を向く。エンジンが唸りを上げてこれでもかと、身体を前に押し出し始める。

 

「やぁあああああああああああ!」

 

 自然と、喉の奥から叫ぶ。全力を、振り絞るように。

 

 世界に、マルゼンに、追いつくように!

 

 坂を登りきった。オールアロングの足音が、真横から聞こえる。

 

 マルゼンスキーの、背中が見える。

 

 あとは、あとは!

 

『行け!ミスターシービー!駆け抜けろ!走れ!!!』

 

 ゴール板(チェッカーフラッグ)まで!アクセルを全開で!駆け抜けるのみ!

 

 

 ここで大外!大外から2つの影!並んですごい勢いで上がってきた!ミスターシービーとオールアロング!そのままキョウエイプロミスとスタネーラを捉えた!だがまだ止まらない!後方からすごい勢いでマルゼンスキーに襲いかかる!

 

 逃げる逃げるマルゼンスキー!

 しかし!しかし!

 

 マルゼンスキーの後ろからミスターシービーとオールアロング!

 マルゼンスキーの後ろからミスターシービーとオールアロング!!

 マルゼンスキーの後ろからミスターシービーとオールアロング!!!

 

 残り200メートル!マルゼンスキー落ちない!しかしオールアロング!ミスターシービー追いすがる!すぐ後ろにスターネーラとキョウエイプロミス!

 

 マルゼンスキー!マルゼンスキー!突っ込んできたオールアロング!ミスターシービー!オールアロング!マルゼンスキー!

 

 オールアロング!マルゼンスキー!ミスターシービー並んだ横一線!!!!

 

 

 脚に力が入らず、ゴールしたそのまま、ターフに倒れ込んだ。息は上がったままだ。隣で、2つ、大きな水音がしたあたり、マルゼンも、オールアロングもぶっ倒れたのだろうか。

 

「はー。はー」

「ハー、ハー、ハー」

 

 粗い呼吸が耳に入る。そりゃあ、そうか。全力、だったもんな。結果は、どうだ。重い頭を上げて、掲示板を見る。

 

『写真』

 

 …どうやら、写真判定だ。1,2,3着。写真判定だ。つまりは、マルゼンか、アタシか、オールアロングか。出来れば、勝ちたいな。

 

 でも、まぁ、全力で走り抜いた。満足は、している。

 

「はっ、はっ、はっ、はー…」

 

 息が整わない。脚に、いや、全身に力は残っていない。

 

『ナイス追い込みだったミスターシービー!お前は、最高のウマ娘だ!』

 

 聞き慣れた(トレーナーの)声がする。嗚呼、そうか、応援(背中)してくれたもんね(押してくれたよね)

 

 そうだ。全力で走り抜いて、走り抜いて、満足はしているんだ。でもさ。でも。

 

 やっぱり、勝って、魅せたいな。

 

 

『さあ写真判定の文字が踊ります掲示板。現在確定しているのは5着はキョウエイプロミス!4着に入ったのはスタネーラ!キョウエイプロミスは日本ウマ娘の意地を見せた!そしてスタネーラの追い込みも見事の一言!しかし、しかし今日の主役はこの3人でしょう!

 

 スーパーカーの異名のマルゼンスキーか!

 

 凱旋門ウマ娘の意地を魅せたオールアロングか!

 

 それとも、無敗の三冠の脚で最後に伸びたミスターシービーか!

 

 3人共、雨に塗れたターフに倒れ込んで、起き上がる気配がない!死闘、これは死闘と呼んでいいでしょう!さあ写真判定、どうなるのか!初のG1制覇!世界の頂に立つのかマルゼンスキー!凱旋門、北米3冠、そして日本の頂を掴んで名実ともに世界最強を名乗るのかオールアロング!それとも、世界を獲って無敗の記録を伸ばし続けるのかミスターシービー!

 

 高まる緊張感に、場内、どよめきが止まりません!』

 

 

 どよめきが、歓声に変わった。どうやら、結果が出たらしい。

 

 朦朧とする頭を動かして、掲示板を見た。確定の、文字が踊る。

 

「どんなもんだい」

 

 右の拳を親指から握り込み、寝転んだまま、天に掲げてみせた。

 

 

『ジャパンカップ!第三回ジャパンカップ!世界を、世界を獲って魅せたのは!

 

 ミスターシービー!!!!

 

 無敗三冠は伊達ではなかった!やはり、やはり強かったミスターシービー!2着にはマルゼンスキー!そして3着!オールアロング!!!

 

 ジャパンカップ!第三回ジャパンカップ!3度目の正直!ついに、世界に手が届いた、ミスターシービー!!!!

 

 勝ち時計は…大雨、不良バ場の中で2分28秒4!ミスターシービー、そしてオールアロングの上がり3ハロンがなんと驚愕の32秒フラット!素晴らしいタイムが生まれました!しかし最後まで粘ったマルゼンスキーも見事でありました!そして、日本勢がワンツーフィニッシュ!5着掲示板にもキョウエイプロミス!世界を相手に、ついに、手が届いたぞ!!』

 



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ウイニングライブまでの一幕、インタビュー抜粋

『お疲れ様でした。マルゼンスキーさん』

「お疲れ様です」

『このメンツの中で堂々の2着。マルゼンスキーここに在りとその存在を示してくれました。ご感想を一言』

「満足。満足したわ。1着でないことは悔しいけれど、全力で走り抜けたんですもの」

『横一線でゴール板を駆け抜けましたが、その時の感触などあれば』

「正直、判らなかったわ。私、2400メートルは初めてでしょう?最後の最後は、気合で走ってたから、他のウマ娘に気を使う暇が無くて」

『そうでしたか、全力を出し切ったのですね』

「ええ。全力だったわ。初めてよ。ここまで、ゴールしてから倒れるほど、本気で走ったのはね」

『なるほど…どうしたか?初の全力、G1レースを走り終えて、何かご感想などあれば』

「そうねぇ…。さっきも言ったけれど、気持ちは、満足しているの。多分、記者さんなら知っているだろうけど、私は満足に走れていなかったから。それが、ジャパンカップっていう大舞台に、シービーちゃんに連れてこられて走ることが出来た。全力で。すごく、満足しているわ。ええ、満足は、しているの」

『満足はしている、と言われている割には、少々、不満そうなご表情ですが』

「…ええ、不満よ。だって、逃げ切れなかったんですもの。私だって、今回、最高の状態だったのよ?すごく、みんなと走るのをすごく楽しみにしてたの。大逃げで、ぶっちぎるつもりだったのに。フタを開けてみれば2着だし、すぐ後ろまで他のウマ娘が迫ってた。一歩間違えばきっと、オールアロングや、カツラギちゃん達に抜かれていたわ。こんな事、初めてよ」

『左様でしたか。では、最後に何かございましたら』

 

「そうね、そうね…。次、走ったら私が1番よ。期待してて。スーパーカーは伊達じゃないの。でも、今日のところはシービーちゃんに譲ってあげる。今度は、私が追いかける番だから。それと…お姉さん、まだまだこの先を知りたいと思っているの。メラメラしてるの。だから、応援してくれた皆も、未来のマルゼンスキーの走りに期待しててね?」

 

『ありがとうございました』

 

 

『お疲れ様です。カツラギエースさん』

「お疲れ様です」

『シニア級や世界を相手に6着という大健闘。ご感想など』

「はい。正直、最後の直線で勝負と思っていたんですけれど…3コーナー回ったところで体力が限界でした。それに、言い訳にはなりますけれど不良バ場は苦手なんです。次、またジャパンカップに出れるなら、良バ場がいいですね」

『左様でしたか。道中、大逃げをしておりましたが、その時の感触など』

「いい感じでしたね。向正面、三コーナーに入るまでは想定通りでした。悪いバ場で、マルゼンスキーについていけていたので、これは行ける、って思ったんですけど。マルゼンスキーが一気に加速を掛けたときに、体力、パワー共に追いつけなかったんです。我ながら、今後の課題です」

『なるほど。収穫が多いレースでもあったようですね。では、最後に、何かございましたら』

 

「6着。この結果を胸に、今後も頑張っていきたいと思います。それと、おめでとうございます。ミスターシービー。やっぱり貴女は、強い。でも、必ず、私が追い抜きます」

 

『ありがとうございました』

 

 

『お疲れ様でした。キョウエイプロミスさん』

「おつかれさん。いやはや、なんとか掲示板に残れたよ」

『お見事でした。最後の追い込み、魂を見せていただきました。今回のレースについてのご感想など』

「まずは感謝を。ここまで仕上げてくれた関係者の、トレーナー、応援してくれた皆。ありがとう。お陰様で、世界を相手に走れると証明出来たと思う。それで、やっぱり世界の壁は分厚いと感じたよ。オールアロングの末脚は追い抜ける気がしなかった。スタネーラも、最後の一伸びが強かった。でも、それを超えてゴール板を駆け抜けたマルゼン、シービーの2人には称賛を送りたい」

『ありがとうございます。4コーナーを抜けた際に感じたことなどあれば』

「…イケる。って思ったね。マルゼンスキーはマイラー、シービーとオールアロングも4コーナー抜けてまだ来ない。行ける。ってそこから全力でマルゼンスキーを追いかけたんだ。スタネーラもついてきて、ああ、これはスタネーラ、私、マルゼンスキーの3人かとおもったら、直線一気で後ろからシービーとオールアロングだ。やられたよ。それに合わせてマルゼンスキーももう1段絞り出してた。驚愕さ」

『左様ですか。それでは、最後に何かございましたら』

 

「改めて感謝を述べたい。サポートしてくれた皆、応援してくれた皆、そして、一緒に走ったウマ娘達。世界を相手に走れる。その証明ができたと思う。ただ、そうだな。出来れば、自分の脚で一着を獲ってみたいもんだ。今後、もっと仕上げてリベンジを決めたいと思う。そしてミスターシービー。おめでとう!シニア級を代表して、賛辞を送る!」

 

『ありがとうございました』

 

 

『お疲れ様です。オールアロングさん』

「お疲れ様。いやいや、君たちのウマ娘は強いな」

『お褒め頂きありがとうございます。今回の結果について、感想などあれば』

「そうだな。慣れないレース場、大雨、悪いバ場。色々重なって、私も実力が出し切れていなかったのかもしれない。だが、それは些細な事だ。今日は、世界で1番ミスターシービーが速かった。私も全力を出した。後悔はしていない。世界最強を名乗れないのは、少し残念だけどね」

『左様でしたか。それで、どうでしたか、日本のウマ娘は』

「強いな。ただ、昨年はこれほどまでに強くなかった。片手でひねって終わり。それが私の認識だった。でも、今年は違う。ミスターシービー、マルゼンスキー、キョウエイプロミス、そしてその後ろに滑り込んできたカツラギエースか。スタネーラも言っていたよ。『日本のウマ娘は強くなった。一年で。これからが恐ろしい』ってね。私も、そう思っている」

『なるほど…。では、最後に、何かございましたら』

 

「日本のウマ娘は、一年で化けたな。楽しかったよ。良い経験になったし、良い意味で常識をぶっ壊された。来年、またここに挑みに来る。そしてミスターシービー。今日は君が1番だ。おめでとう。心から祝福を送らせてもらおう」

 

『ありがとうございました』

 

 

『お疲れ様でした。ミスターシービーさん。そして、おめでとうございます!無敗記録更新、そして、初のジャパンカップ制覇。世界に手が届いたそのご感想などあれば!』

「お疲れ様。そうだね。素直に嬉しいよ。でも、世界に届いたっていう実感がまだないんだ。その、うまく言葉にできないんだけど…うん。現実感がないんだよね」

『左様でしたか!では、これから徐々にその嬉しさを感じてくると思いますが、今回のレースのご感想などあれば』

「まずは、関係者のみんなに感謝を。トレセンや応援してくれるみんなのおかげて、掴めた勝利だよ。それで…全員が強かったね。最後まで逃げたマルゼンスキー、すごい足で上がっていったオールアロング、あとは逃げていたカツラギ、キョウエイプロミス…全員の名前は挙げないけれど、皆、印象に残ってる。誰が勝ってもおかしくなかったと思う。しかも、この雨だしね。だから、勝てたのは幸運もあったんだと思うよ。天の恵みに、感謝かな」

『そうでしたか。見事勝利を納めましたが、勝利に確信を持った時はいつだったのでしょうか』

「んー…。確信は無かったよ」

『確信は、無かった?』

「うん。勝てたってわかったのは、掲示板を見たから。アタシがやったことって、当然のことなんだけど、全力で前を向いて走っただけなんだ。ただ…そうだね。仕掛けどころは3コーナーからと思って加速したんだ」

『なぜ、3コーナーから勝負に?』

「マルゼンがいつも4コーナーぐらいから仕掛けるじゃない?だから、その逃げ足に追いつくには3コーナーぐらいから仕掛けないと勝負が出来ないって思ってたんだ。ま、今回はそれが功を奏した感じ。ただ、ペース早すぎてキツかったね。確か、先頭はずーっとマルゼンだったんでしょ?」

『ええ。今回、最後の最後までマルゼンスキーが先頭を切って走っていました』

「信じられないよね。だって2000メートル逃げて走ったくせにさ、4コーナーの先、坂を登ってまだ加速していくんだ、非常識だなぁってちょっと思ったもん」

『なるほど。それでは、最後に何かございましたら』

 

「改めて、トレーナー、トレセンの皆、応援してくれた皆に感謝を。ありがとう。お陰で世界に手が届いたよ。無敗の三冠ウマ娘として、面目躍如を果たせてちょっとホッとしてる。次は多分、有マ記念を走るけれど、そこでも勝つから。みんな、応援よろしくね。あ、あと、この後マルゼンと一緒に新曲をお披露目するからさ、一緒に盛り上がってくれると嬉しいな」

 

『ありがとうございました!ジャパンカップ勝者、ミスターシービーのインタビューでした!』

 

 

『さあ、熱戦行われた東京レース場では先程までの降り続いた雨も上がり、陽の光も見え始めました。そしてコース上では整備、及びステージの組み立てが引き続き行われております。

 御存知の通り、この後、日没を待ちまして、ジャパンカップ記念ライブを開始いたします。本日の演目は『Special Record!』。きらびやかな、ウマ娘たちの歌と踊りをお楽しみ下さい。

 そして、初の日本勢ワンツーフィニッシュを記念しまして、ミスターシービーとマルゼンスキーのデュエットソングもお披露目されます。皆様、ぜひ、奮ってご参加ください!』



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Special Record →

 色とりどりのサイリウムが振られ、うっすらと浮き上がるステージ。王冠型のステージに、金色の装飾が施されたそれに、ライトが当たる。

 

ここで今

 

 歌い出しはミスターシービー。腕を天に掲げながら、一糸乱れぬ動きで浮かぶウマ娘たち。

 

輝きたい』 

 

 次に見せるのはマルゼンスキー。軽くミスターシービーと見つめ合うと、頷き合ってみせる。そうして、次の瞬間。

 

叶えたい未来へ 走り出そう

 

 スタネーラ、オールアロングも交えて、4人での合唱が始まる。小指を立てて、腕を前に。そのまま、小指の約束を観客席に手渡すように、手のひらを上に向けて突き出した。

 

夢は続いてく

 

 冒頭のほぼアカペラの部分。メインの4人が歌い終わった瞬間にドラムが入り、ステージを色とりどりのライトが一気に覆った。それはまさに、綺羅びやか。王冠を彩るに相応しい、ウマ娘たちを引き立て、美しく見せる究極の演出。その演出の中、18人のウマ娘たちが華麗な踊りを魅せる。下段のステージには、カツラギやドンボス、キョウエイプロミス、メジロティターンらが笑顔で、そして、ステージ上段ではラストスパートを競い合った本日の主役たちが、次々とステップを魅せ、ポジションを入れ替えていく。

 

 そして、スポットライトが前に出た2人を照らし出すと同時に、ミスターシービーの声が響き渡った。

 

新しい季節がやってくるよ

 

 鏡合わせで踊るのはマルゼンスキー。背中合わせに、彼女らは歌い合う。

 

もっと加速して 全身全霊でenjoy!

 

 2人はハイタッチを行ってから、すっと後方に下がる。そして、スタネーラとオールアロングの海外組がステージの前へと躍り出た。

 

夢に見た景色が見えるよ

 

 まず歌うのはオールアロング。日本語も何のその。美しい歌声が、ステージに響き渡る。

 

君と一緒に目指したキセキ

 

 今度は間髪入れずにスタネーラが、入れ替わり立ち代わり、可憐にステップを踏みながら、場を盛り上げていく。そして、ステージ全体の照明が落とされると同時に、マルゼンスキーとミスターシービーへとスポットライトが当たる。2人の動きに合わせるようにスポットライトが動き、いよいよ、サビへとそのボルテージが上がっていく。

 

涙こぼれるときもあるけど この胸に抱きしめた希望があるから

 

 再度、ステージが光に包まれ、4人が一糸乱れぬ動きでステージを駆け巡る。そして。

 

未来を目指して

 

 紙吹雪が舞うと同時に、ステージの演出も最高潮を迎えた。降り注ぐライトの光、スポットライトは天から地から、ウマ娘を照らし、その輝きをより引き立たせる。

 

ここで今 輝きたい いつでも頑張る君から変わってくよ

 

 観客席を指さしながら、笑顔を振りまく彼女たち。ステージの上も、下も、関係ない。全員が満点の笑みを浮かべていた。

 

day by day さあ 進もう my way

 

 華麗なステップを行いながら、手を振る彼女たち。サイリウムがこれでもかと振られ、まさに、ボルテージは最高潮。そして。

 

Specialな絆で 走り出そう 夢は続いてく

 

 歌い終わると同時に、BGMのテンポが落ちエンディングへと入っていく。全員が一糸乱れぬ動きで、笑顔を浮かべながら、小指を天に掲げ、ゆったりとした動きでステージを回る。ステージから見えるすべてのファンに、その姿を焼き付けるように。頭上からはキラキラと光がこぼれ落ち、ライトはすべて、黄金に染め上げられた。

 

『最高だったー!』

『みんなかっこいい!!』

『また来年も楽しませてくれ―!』

 

 多くの歓声と拍手が沸き起こる。気づけば、ペンライトも全て黄金に染め上げられ、光の中で踊る彼女たちはまるで女神のようだ。

 

 ラスト、ミスターシービーが拳を掲げた。それは、あの専用曲のように、ゴール直後のように。それに合わせて、他のウマ娘たちがミスターシービーに向けて人差し指を掲げ合う。そして、有終の美を飾るように、天高く、美しい花火が打ち上げられた。

 

「お送りした曲はSpecialRecord!センターはミスターシービー!脇を固めるのはマルゼンスキー、オールアロング、そしてスタネーラでお送り致しました!すべてのウマ娘に改めて大きな、大きな拍手をお願いいたします!」

 

 暗転したステージを、去っていくウマ娘たち。あるものは手を振りながら、あるものは、笑顔を浮かべて。ステージ上では、ミスターシービーらと握手を交わしてオールアロング、そしてスタネーラが笑顔で、ステージを去っていく。

 

「素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれましたウマ娘達。彼女たちは、これからも、きっと、努力を重ね、競い合い、切磋琢磨を繰り返し、輝きをより強く、我々を照らし続けてくれることでしょう!今一度、大きな拍手を!」

 

 アナウンスに、大きな拍手と声援が、再び会場を包み込む。同時に、ステージのライトが赤色と、緑色に染め上げられた。合わせるように、サイリウムの色も、その色に変わっていく。ステージ上からみたそれは、まるで、おとぎ話の世界の美しい世界のようだったと、後に、ミスターシービーは語っている。

 

「さて、今からミスターシービーとマルゼンスキーの両名が披露する曲は、この日のために、そして、この2人が勝利した時のために用意された至極の一曲。もし、何か一つでも歯車が狂っていれば、世に出ることのなかった、特別な一曲となります」

 

 おお、と歓声が上がる。そうか、と。彼女らが勝つことを信じていたのは、我々だけでは無かったのかと。落ち着きを見せ始めた観客が、にわかに盛り上がりを見せる。

 

 その盛り上がりに呼応するように、イントロが流れ始め、2人の歌姫がステージを舞い始めた。

 

「しかし、SpecialRecordのように、未来を歌う曲ではありません。ウイニングザソウルのように、情熱を描く曲でもございません。今日、ここに立っている2人の、そのたった2人の競い合いをイメージされて謳われる、その曲の名前は!」

 

 すっと、流れるイントロ以外の音が消えた。観客たちは、静寂を以って曲名を待つ。それと同時に、ステージ上の2人も振り付けを止め、ナレーターの一言を待つ。

 

 そして―。

 

『いけないボーダーライン!』

 

 ナレーターの叫びとともにギターと管楽器の音が入り、一気にボルテージが上がる。2人の動きも激しくなり、観客たちも自然と合いの手を入れ始めた。そして、まずマイクをとったのは赤い勝負服のマルゼンスキー。ベテランの彼女だからこそ歌える、艶のある声で艶めかしさを醸し出しながら、その声をステージに乗せた。

 

見つめ合って恋をして 無我夢中で追いかけて だけどもっと知りたくてメラメラしてる

 

 歌い上げながらミスターシービーを見つめ、笑顔を浮かべるマルゼンスキー。ミスターシービーも答えるように、口角を上げた。

 

願うほど謎が増え 思うほど熱になる だからもっと飛び込むの未開の世界 ah

 

 ミスターシービーから視線を外したマルゼンスキーは、流れるように観客席へと視線を流し大きく、大きく想いを届ける。呼応するように赤いサイリウムが一気に振られていた。

 

恋とか夢とか誰でも信じるけど ソコソコ攻めなきゃつまんないよ

 

 ハーモニーにミスターシービーの声が乗る。そして、赤と緑の2色だったステージのライトが、赤に切り替わると同時にサビが始まった。

 

ギリギリ愛 いけないボーダーライン 難易度Gでもすべて壊してみせる

 

 圧巻の歌唱力。ベテランの彼女から発せられた声が、ステージを、レース場を染め上げる。

 

キリキリ舞 さらなるGへと 意識が溶ける 体は制御不能』 

 

 まさに、全力を出し切ったマルゼンスキーを表すように。熱を持ったその歌声は、ステージから観客たちを魅了していく。そして。

 

いっちゃうかもね

 

 流し目で観客たちをぐるりと見回して、キメた。

 

『うぉおおおおおお!かっこいいぞマルゼンスキー!』

『2人とも!最高だー!』

 

 観客たちのボルテージは上がりきっている。だが、まだ。まだ真打ちはこれからだ。マルゼンスキーはミスターシービーへと拳を掲げ、それをミスターシービーは受け取る。同時に、ステージの色が再び赤と緑へと戻った。

 

 ここで歌い手が変わるという合図。今度は、緑の勝負服のミスターシービー。その、勇ましく、しかし魅力的な歌声で、今度は彼女の色にステージを染め上げ始めた。

 

ふざけ合った友達と 求め合ったあの人と また会える日のためにギラギラしてる

 

 先程のマルゼンスキーと同じように、今度はミスターシービーがマルゼンスキーを見つめながら笑顔を浮かべ、答えるようにマルゼンスキーが口角を上げた。

 

光るほど影はでき 燃えるほど灰になる 走るほど見えてくる 危ないライン ah

 

 こちらも、まさに圧倒的な歌唱力。お互いに違う魅力を持ちながら、しかし、人々を圧倒するその圧力は、筆舌に尽くし難い。

 

自由も平和も望めば生まれるけど モタモタしてたら腐っちゃうよ

 

 今度はハーモニーにマルゼンスキーが名乗りを上げた。ステージの光が、緑色に染まる。今度は、ミスターシービーのサビが始まった。

 

ギリギリ愛 あぶないボーダーレス 非常識だね まだ加速しているよ

 

 魂の叫びか。それとも、嬉しさの咆哮か。伸びやかに謳い上げるその声は、ステージから人々を魅了する。

 

キリキリ舞 限界点なら 塗り替えていい

 

 それを証明するように、緑色のサイリウムが右に左に大きく振られていた。

 

破壊と再生から私が出来る

 

 ミスターシービーのキメと同時に、BGMが一瞬盛り下がる。そして、2人は鏡合わせのようにステージの端に移動しながら、観客席へとその肢体をアピールするように腕を振り、ステップを踏み、ぐるりとステージを縦横無尽に走り抜ける。

 

 そのパフォーマンスが架橋を迎えた時、ふと、照明が暗くなる。同時に、すっとマルゼンスキーはミスターシービーの影に隠れた。そして、今日の主役にスポットライトが当たる。

 

『ギリギリ愛 いけないボーダーライン 難易度Gでも 全て壊してみせる』

 

 一人。ステージで謳う。魂の限りの、叫びを添えて。

 

『キリキリ舞い さらなるGへと 意識が溶ける 身体は制御不能』

 

 思い描くのは、マルゼンスキーか、カツラギエースか。それとも、まだ見ぬ未来の皇帝か。

 

『―いっちゃうかもね』

 

 ソロパートをキメたミスターシービー。再び、ステージには輝きが灯り、歌姫を照らし出した。同時に、音が半音上がり、盛り上がりは最高潮を迎えはじめる。

 

 そして、2人は合わせるように、同時に、マイクに魂を込めた。

 

ギリギリ愛 いけないボーダーライン 燃え尽きながら まだ輝いてみせる

 

 赤と緑で彩られた光。紙吹雪が舞い踊り、サイリウムの草原も、まるで嵐が来たかのように狂い咲く。

 

キリキリ舞 あなたのために 未来のために 何度砕け散っても

 

 そして、最高のボルテージを迎えたステージの上で、彼女らは、お互いの顔を見ながら、最後の章節を謳い上げた。

 

愛することで 生まれ変わる

 

 満面の笑みのマルゼンスキー。

 

愛されたくて 生きて帰る

 

 満面の笑みが輝くミスターシービー。

 

 ―音楽が終わる。

 

 同時に、2人は背中をあわせた。

 

 マルゼンスキーはマイクを持たない左手で、4本の指を立てると、中指と薬指をクロスさせることでピースを2つ作り上げた。そして、ミスターシービーは両の手でピースサインを作り、右手と左手の人差し指をクロスさせた。

 

 その2人のキメポーズが決まった瞬間。

 

 今まで、輝きを見せていたステージの照明が、一気に落とされた。わずかな静寂が、レース場を包み込む。

 

 刹那。

 

『ウォオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』

 

 観客たちの声援が、いつまでも、漆黒に染まったステージを包み込んでいた。



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その合間の記憶

『シービー!シービー!シービー!』

 

 大雨のターフに響き渡る私の名前。ぶっ倒れたまま、拳を揚げた私に注ぐその祝福は、実に温かいものだと感じていた。

 

「おめでとうございます。ミスターシービー」

 

 そして、その合間から降り注ぐのは、聞き慣れた同期の声。黒い髪をポニーテールでまとめた、愛しのライバルの一人。

 

「ありがと、カツラギ。どうだった?アタシの走り」

「…速かったです。まだ、追いつけない。そう思いました」

「そっか」

 

 ニヤリと笑って見せれば、カツラギは苦笑を浮かべる。その目にはありありと悔しさが滲んでいる。うん、良い目だ。なら、その気持にはしっかりと応えないとね。

 

「ま、アタシはこれからも強いから。何度でも来なよ、カツラギ」

「もちろん、勿論です。それに、今回は不良バ場でしたから。良馬場なら、絶対、追いついていました」

「だろうね。カツラギは速いもん。でも、今日はアタシの勝ち」

「はい。今日は、私の負けです」

 

 ふふ、とカツラギは笑う。私も釣られて、ふふ、と笑う。そして、お互いに自然と、こう言葉が出てきていた。

 

「「また、勝負しよう」」

 

 言い合って、拳をぶつけ合う。さて、そろそろ身体も落ち着いてきた。ぐっと上半身を起こせば、カツラギが手で支えてくれる。それを頼りに、一気に視界を持ち上げた。

 

『シービー!シービー!シービー!』

 

 まだまだ鳴り止まぬ声。むしろ、私が立ち上がったことでその声援は大きくなった気もする。手を振って声援に応えていた私を見ながら、カツラギは笑顔を浮かべていた。

 

「じゃあ、敗者はそろそろ引っ込みます。またライブで。ミスターシービー」

「うん、またライブで。カツラギエース」

 

 軽く頷き合って、彼女と別れる。同時に、今度はオールアロングと、マルゼンスキーがこちらに歩み寄ってきていた。さてさて、おふたりともいい笑顔だ。何を言われることだろうね。

 

 

 インタビューを受け、地下道に引っ込んだ私はトレーナーからタオルを受け取っていた。よく見れば、地下の道も外のターフと同じように泥だらけ。そりゃあそうだ。いままで走っていたウマ娘たちが引き上げた道なのだから。私も例に漏れず泥だらけ。靴は泥水でぐっちゃぐちゃ、勝負服も水を含み切って重いこと。

 

「おつかれ、シービー」

「ありがと、トレーナー」

 

 頭をタオルで拭きながら、トレーナーと軽くそう言い合う。

 

「どうだ、気持ちよく走れたか?」

「もちろん。最高だった」

 

 全力で走った。雨の東京レース場。勝って嬉しいは当然だけど、それ以上に、全力で競い合えた充実感が私の身体を満たしている。ふと、その時。グウと、お腹が鳴ってしまった。

 

「ねぇトレーナー、何か食べ物持ってない?お腹へっちゃって」

 

 私がそう言うと、トレーナーは思案顔になる。まぁ、都合よくは持っていないか…と思ったのだが。

 

「あー…」

 

 ジャケットのポケットに手を突っ込んで、歯切れ悪く、トレーナーがつぶやいた。

 

「レースが始まる前に屋台で買った鯛焼きならあるが…ああ、冷たくなっちまってる」

 

 鯛焼きか。冷たくなった、鯛焼きか。

 

「ちょっとまってくれれば温かいのをすぐに用意するが」

「いや、それがいい」

 

 そう、その冷たくなった、鯛焼きが良い。

 

「いいのか?」

「うん」

 

 だってそれは、鯛焼きを食べるより、私のレースをしっかりと見ていてくれた、私のトレーナーの証なのだから。

 

「じゃあ、ほら」

 

 包に入れられた、きつね色に焼かれたそれを受け取る。ああ、確かに冷たい。ちょっと硬くなってる。でも。

 

「…うん。やっぱり美味しいね」

 

 背中からパクリとかじりつく。少し硬くなった皮、熱のない餡。疲れ切った身体に、染み渡る。思わずにんまりと口角が上がる。

 

「そいつは良かった。さて、じゃあ、シービー。それを食べたら、ライブの準備だ。着替えは控室に準備してあるから、着替えてきてくれ」

「判ってる。泥だらけのこの格好じゃあ、仕舞がつかないからねー」

 

 そう言いながら、2人で控室へと歩みを進める。うん、私とトレーナーの関係はこのぐらいがちょうどいいだろう。勝利に湧きすぎるわけでもない。でも、祝福しないわけでもない。このぐらいの、さっぱりとした感じがたまらなく良い。

 

「ああ、そういえばインタビューで次は有マ、って言っていたが、本当に出るつもりか?」

「うん。出るよ。どうして?」

「ここのところ連戦だろう?休んでも、文句は言われないと思ってな」

 

 あー…まぁ、史実のミスターシービーは休んでいたしねー。でも、ま、私の調子はすこぶる良いわけで、それに。

 

「んー…休んでもいいけれど、年末のお祭りでしょ?お祭りならさ、『踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々』ってことで、走らな損って思わない?」

「走らな損か。そうか、そうだな。じゃあ、明日からまた特訓だな」

「そうだね。だから、しっかりと頼むよ?ミスタートレーナー」

「判ったよ。お前こそ、しっかりと頼むぞ?ミスターシービー」

 

 

 いけないボーダーラインを謳いきった私とマルゼン。赤と緑のライトから、通常のライトに切り替わり、大きな歓声が私達に降り注ぐ。それに答えるように、私とマルゼンは大きく、大きく両の手を振っていた。

 

『ありがとう!応援してくれてありがとう!』

 

 私がそういえば、大きな声援が帰ってくる。天を仰ぎ、声援をじっくりと感じていると、マルゼンから声をかけられた。

 

「浮かない顔ね」

 

 おや…判ってしまうか。うん。そうなんだよねー。盛り上がったのは良いんだけど…。ちょっと一つだけ。

 

「別世界の曲を持ってくる。ちょっとズルしているみたいでね」

 

 そう。私が考えたわけでもない曲。それを専用曲として使う。どうなんだろうっていう考え。少しだけ、私の中に影を落とす。本来は、作曲でも、作詞でも出来ればいいのだけれど、そんな才能は無い。と、マルゼンスキーは、やれやれといった感じで、顔を横に振った。

 

「別に良いんじゃない?それでも」

 

 その言葉に、マルゼンスキーの顔を観る。そこにあったのは、まるで、仕方ないわねぇと言わんばかりの苦笑を浮かべた彼女の顔。

 

「確かにシービーちゃんの曲は別世界の物よ。シービーちゃんが作ったわけでも、歌ったわけでもない」

 

 そうだ。まったくの借り物だ。正論に、思わず、頭をかく。が、マルゼンはそんな私を尻目に、言葉を続けた。

 

「でも、それをここに持ってきたのは、持ってこれたのは、貴方がシービーちゃんとして頑張ってきたお陰なんだから、胸を張りなさい」

 

 胸を張れ、か。そうだね、そうか。ならばと、大きく息を吸う。 

 

「それでもモヤモヤしているのなら、目の前のファンたちを見てみなさい」

 

 笑顔を浮かべ、そう私に告げたマルゼン。

 

 言葉に誘われるまま、観客席に目をやれば、そこにいるのは大歓声をこちらに向ける人々。緑色のサイリウムが振られ、そして、声援を送ってくれている。

 

「…うん。いい感じに盛り上がってるね」

「そういう事。それじゃあ、最後は貴方の十八番を歌っちゃいなさい」

「わかった。ありがとね、マルゼン」

 

 私も彼女に負けないよう、満面の笑みを浮かべてみせる。そうだな。ここまで来たなら、やりきってやろうじゃない。

 

「お礼はいいわ。それより、また一緒に走ってくれる?」

「勿論。お安い御用さ」

 

 マルゼンは笑顔を浮かべたまま、ステージを去っていく。残されたのは、私一人。すると、そこに降り注ぐ、大きな声が。

 

『アンコール!アンコール!』

 

 鳴り止まらないのはアンコール。気づけば、それは波及して、スタンドを緑のライトで覆い尽くしていた。

 

「…やりますか」

 

 スタッフへと目配せを行う。あちらもこちらに目配せを行い、同時に頷いた。そして、ステージは『赤色』のライトが包み込む。そして、この世界で初めて披露した、あの曲のイントロが。

 

 どこか、ラテンの音を彷彿とさせるギターの音が爪弾かれる。

 

『オォオオオオオオオ!』

『ミスターシービー!』

『ミスターシービー!ミスターシービー!』

 

 言葉はいらないだろう。右腕を天高く掲げて、親指から、拳を作ってみせた。



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カツラギエース

ミスターシービー実装おめでとうございます。

おめでとうございます。

おめでとうございます!!!

カツラギエースも一緒に出てきたじゃないか!

おめでとうございます。

おめでとうございます!!

おめでとうございます!!!


※ということで、ウマ娘ソウルINしました。


 すべてが無事に終わり、熱が引いたように静まり返る東京レース場。トレーナーも自宅へ帰り、私はシンとした空気を楽しむように、タバコを吹かしていた。

 

「お疲れ様」

 

 近づいてきた影に、そう声をかける。

 

「お疲れ様です。シービーさん」

 

 カツラギエース。同期の、ライバル。彼女が、喫煙所の、私の隣の席へと腰を下ろす。

 

「喫煙所だよ、ここ」

「かまいませんよ」

「そう」

 

 タバコを揉み消して、ふっと、息を吐く。シン、と静まり返る喫煙所。職員も、最低限の人数が残るだけ、トレーナーたちも、URAの関係者たちも、観客たちも、ウマ娘すら帰路についたのに、私とカツラギだけはここに居る。なんか、不思議な感じである。

 

「やっぱり疾い、ですね、シービーさん」

「当然。アタシだよ?そうそう負けはしないって」

 

 今日のレースの結果だろうか。まぁ、本当はそんなに余裕は無かったけれど、ここは強がっておこう。

 

「有マ、出るんですか?」

「うん。当然。楽しそうだし。カツラギは?」

「…そうですね。今回はやめておこうかと」

 

 ありゃ、カツラギは走らないのか。うーん、そりゃあ残念だ。

 

「そっか。じゃあ、勝負は来年にお預けかな?」

「そうですね。来年に、お預けです。ちなみに、ミスターシービーさんは…」

「ちょっと待った」

 

 言いかけたカツラギの言葉に、私の言葉を重ねる。カツラギは、不思議そうに首を傾げる。当然だろうね。急に言葉を遮ったのだから。

 

「前から思ってたんだけど、カツラギって私と距離あるよね?」

「…そうでしょうか」

「そうだよ。だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?デビューからこっち、ずーっとクラシック戦線も一緒に走った仲なんだしさー」

 

 じっと、彼女の目を見て、こう告げる。

 

「敬語じゃなくて、本当のカツラギエースを魅せて欲しいんだけど、嫌かな?」

 

 どうだろう。嫌と言われるか、それとも、目をそらされるのか。少しだけ固まる彼女と私。10秒ぐらい立った頃だろうか。カツラギの唇が小さく動き出した。

 

「じゃあ、私からも一つ、お願いしていいですか?」

 

 おや、お願いときたものか。なんだろうか?

 

「なーに?」

 

 お互いに目を逸らさず。軽い笑みを浮かべながら続けるキャッチボール。カツラギから帰ってきた言葉は、意外なものだ。

 

「エース。そう、呼んでください」

「エース。良いよ。でも、どうして?」

「その、最初に出会った頃、貴女がカツラギと呼びたいから、そう呼んで下さいと応えたんですけど」

 

 ああ、確かに。カツラギと呼んでも、と私が言った記憶はあるね。ふと、恥ずかしそうにカツラギは頬を染めた。

 

「私は、本当は周りからはエースと呼ばれているんです。だから、シービーさんも、そう、呼んでください」

「もちろん、いいよ。エース。じゃあ、エースも敬語はやめてよ。本当のキミを見てみたい

 

 いままで崩さなかった、その仮面。その下に眠る本当のカツラギエースを見たい。

 

 そう願いを込めて、彼女の目を見つめてそう告げた。

 

 すると、カツラギエースは、仕方がないといったふうに小さくため息を吐くと、私の目を、しっかりと見つめ直してくれていた。

 

 大きく吸われる息。そして、彼女の口は、しっかりと言葉を紡ぎ始めた。

 

…判ったよ、シービー。今度は負けないからな!次一緒に走る時は、覚悟しておけよ!

 

 彼女の口から飛び出してきたのは、なんと、今までの大人しめのウマ娘という印象とは、一戦を画する溌剌とした声であった。

 

 驚きに、目を見開いてしまう。それと同時に、可笑しくて、口角が上がってしまった。

 

「ふふ、あはは!エース、キミ、相当、()()()()()ね?」

「なんだよ。笑うなよ。あたしだって憧れのウマ娘の前じゃあ、猫ぐらい被るっての」

 

 ちょっと頬を染めたカツラギ改めエース。テレ顔も可愛いじゃないか。それに、どちらかというと。

 

「ごめんごめん。でも、よっぽどいいよ。こっちのほうが。負かし甲斐がある相手だね」

「なんだよ、もう勝ってる気なのか?甘く見られたもんだ。じゃあ約束だ。来年のジャパンカップはあたしが勝つぞ」

「お、言ったなー?じゃあ、来年もアタシが勝つ。でも、エースは3着!」

「あたしが!?なんでだよ!」

 

 エースを3着にした理由は明確だ。確かに史実ではエースが勝つんだけれどさ、この世界、ちょっと焚き付けすぎた相手に心当たりが有りすぎてね。多分、なりふり構わずこちらに来る、ライオンのようなこわーいウマ娘が一人、心当たりが有りすぎるのだ。

 

「だって、こわーい生徒会長さんが来年はシニアに来るんだよ。ついてこれる?」

 

 シンボリルドルフ。多分、彼女は来年のジャパンカップ。私の首を取りに本気の本気、下手をすればすべてをかなぐり捨てて向かってくることが予想できる。なんてったって、ウマ娘の理想たれ、と己に課している彼女の目の前で、それらを証明する事象が成就されたのだ。私というミスターシービーが成就してみせてしまったのだ。ならば、シンボリルドルフの理想を実現させるには、その相手は倒さねばなるまい。

 

 だが、それを、私の隣で見て、知っているはずの、私の目の前の彼女の自信満々の顔ったら。

 

「ったりめーだ。生徒会長だろうがシービーだろうが、あたしの背中を見せてやるよ」

 

 良い。実に良いねエース。キミは。やっぱり、アタシのライバルだ。

 

「そりゃあ楽しみだ。あ、それで話は変わるんだけどさー、エースは帰りどうするの?」

「あー…走って帰る」

「それなら送ろうか?エースさえ良ければバイクの後ろに乗っけてくけど」

「お。本当か?じゃあ、頼むわ」

「任された。じゃ、ほら、ヘルメット」

 

 誰のために、とは言わないけれど、用意していたヘルメットをエースに手渡しておく。当然、不思議そうに彼女は私の顔を見た。

 

「用意が良いな?」

「トレーナーと一緒によく乗るからね、いつも持ってるんだ」

「惚気かよ。無敗の最強ウマ娘は、羨ましいね」

「惚気じゃないやい。乗せないよ?」

 

 まさか茶化されるとは。というか、本当によく、キミ、猫被ってたね?

 

「冗談だよ冗談!」

 

 慌てて首を振るカツラギエース。あはは、と笑いながら、私は喫煙所から外を見る。

 

 静まり返った東京レース場。

 

 サイリウムも、ライトも、足音もしない。

 

 でも、間違いなく、またここから新たな一歩が踏み出されたのだと思う。

 

「まずは有マからか。それで来年は…」

 

 鬼が笑うらしいことを考えながら、エースと静かに語らい過ごす夜。結局、エースを学園に送り届けたのは、門限過ぎた深夜のことであった。



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のんびりタバコ、平和のヒトトキ

 東京レース場の喧騒は彼方へと消え、日常が戻ってきた校舎の屋上。我がいとしの喫煙所ではいつものメンツというか、私とトレーナーの2人がのんびりと紫煙を楽しんでいる。

 

「落ち着いたな。ようやく」

「落ち着いたねー。ほんっと」

 

 ここ一週間ほどは、ずーっと出ずっぱり。雑誌取材に音源取り、パカチューブにテレビに新聞にと、乾く暇がないという奴である。今日はそれが落ち着いてひさびさのお休みという奴だ。ま、メディアの仕事をしているうちは練習はお休みしているわけで、身体的にはちょうどいい休養になっているんだけれどね。

 

「いやはや、勝ち続けるっていうのもなんか、損な気がするよ」

「贅沢な悩みだなぁ、シービー」

 

 そう言いながら、私とトレーナーはいつものピースを咥えていた。気づけば、20本あったそれは、8本にまで減っている。記念すべき初勝利、ホープフルでのG1制覇、皐月、ダービー、菊花の3冠、そして、ジャパンカップで世界の冠。このTHE Peaceもあと4回吸えば、その役割を終えてしまう。

 

「うーん…新しいのを買うか、悩むね」

「ん?何をだ?」

「ああ、このTHE Peaceのこと。ほら、勝ったレース全部で吸ってるわけじゃないけれど、私とトレーナーの勝利記念、みたいなものじゃない?」

「ああ、確かにな」

「残り8本。だから、正味4勝でなくなっちゃうでしょう?新しく買っとかないとなぁって思ったんだけど、なんか、それも違うなーって」

 

 言いながら、ふわあと煙を空中に漂わせる。バニラの香りが鼻をくすぐった。

 

「…ま、確かに、このタバコだからこそっていう面もあるな」

「でしょ?同じものでも、新しいものじゃあ何か違うって気がするんだ。トレーナーはどうしたら良いと思う?」

 

 缶を手のひらで弄びながら、トレーナーへそう質問を投げてみた。せっかくならばこの煙草はずっと味わいたい。でも、新しいものもなんか違う。言葉にするのが難しいけれど、私にとってはそういう類のものなんだ。ふう、と煙草の煙を吐き出して、トレーナーの返事を待った。

 

 すると、なんの気無し。そういう雰囲気を醸し出しながら、トレーナーは私にこう、告げる。

 

「別に、無くなったら無くなったままでいいんじゃないか?」

 

 無くなったら無くなったままで。ふむ。どういうことだろうと、トレーナーの瞳を覗き込む。

 

「なんだ、不思議に思うか?」

「そうだねー。トレーナーだったら、俺がまた用意する、とか言いそうかなーって思ってた」

「ああ。ま、つまりは…これが無くなっても、お前と俺の関係が消えるわけじゃないし、走らなくなるわけでもないだろ?」

「確かに」

「ジャグだってあるわけだし、これからも楽しめるさ」

 

 そう言って、ぐっとトレーナーは紙巻きを吸い込んだ。赤くなった先端が、みるみるとその体積を減らしていく。私もそれを真似して、ぐっと、肺に息を吸い込んだ。

 

「それに、数が限られていたほうが、これからはどのレースを走って吸うか。その取捨選択も楽しみの一つになるだろう?」

「…確かに。その考えは無かったかも。となるとー、有マと来年のジャパンカップは走るから、他2つのレースかぁ」

「宝塚とか天皇賞はどうだ?」

「んー…今のところピンとこないんだよね。エースが走るなら出たいけど。あ、でも、実はちょっと走りたいレースはあるんだ」

「ほう?」

 

 エースとの勝負、ルドルフとの勝負、これはきっと、来年のジャパンカップで楽しめるはず。だから、その先で一つ、どうしても走りたい相手がいる。

 

「ニホンピロウイナー、最近短距離路線で勝ち始めたでしょう?彼女と走りたいから、再来年あたりにマイルを一発って思ってる」

 

 私がそう言うと、トレーナーはふう、とため息のような煙を吐き出していた。

 

「マイルで再来年か。そりゃ、また気の長い話だな」

「ふふ。でも、そのぐらい先のことを考えても楽しいかなって思ったんだ」

 

 例えば、ゲームのアプリは3年で終わり。それはつまり、私にとっては来年だ。でも、それは勿体ない。せっかくなら、その、先を。

 

「だから、その一服までは付き合ってくれる?トレーナー」

「当たり前だろう?俺はお前のトレーナーだぞ。それに、その一服までなんて勿体ない。その先も一緒にやってやるさ」

 

 やれやれといった顔で肩をすくめるトレーナー。ふふ、流石、アタシのトレーナーだ。

 

 

「ついに、シービーの前で猫を被るのを辞めたんだね。エース」

「おう。面と向かって言われちまった。本当のあたしを魅せてくれって」

 

 練習場の片隅で、トレーナーと話しているのはカツラギエースである。軽くストレッチをしながら、カツラギは屋上へと視線を移していた。

 

「今頃、あいつはあいつのトレーナーと一服中だろうな。ったく、マイペースっつーか」

「いいんじゃない?その間に、一歩でも二歩でも彼女に近づければ」

「おう。で、今日は何をすればいい?」

 

 カツラギエースはそう言いながら、トレーナーに視線を向けた。

 

「2000メートル2本。その後筋トレ。今年の有マに出ない分、基礎トレをしてしっかりと身体を作る」

 

 トレーナーはといえば、微笑みを浮かべたまま、カツラギエースの視線に答えるように、淀みない返事を返す。

 

「わかった。で、その先は?」

「エースさえ良ければ、来年の春、大阪杯から始動してもらおうと思ってる。宝塚記念でG1に挑戦して、天皇賞秋を経由してジャパンカップでシービーとルドルフを捉える。っていうのでどうだろう?」

 

 気軽な感じで告げられたその言葉に、カツラギエースの口角がぐっと上がる。

 

「いいね。いいねぇ!気合が入るってもんだ!じゃ、早速行ってくるぜ、トレーナー!」

「うん。でも、無理はしないこと。まだ、ジャパンカップの疲れが抜けきってないんだからさ」

「わかってるよ!」

 

 大きくそう叫ぶと共に、カツラギエースは大地を蹴る。ズドン、と大きく捲れた練習場のターフが、彼女の成長ぶりを示すようだ。

 

「壁は大きいけれど、きっと、キミならば超えていけるさ。カツラギエース」

 

 トレーナーはその背中を眼で追いながら、そう呟いていた。



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汝、皇帝の嘶きを。

「ハアアアアアアアアアアアアア!」

 

 学業が終わり、普段であれば多数のウマ娘たちが練習に励んでいるはずの練習場の一つ。なのだが、そこに居たのはただ一人、鹿毛が美しいそのウマ娘が走り込みを行っているのみだ。

 

「もう一本!気が緩んでいるぞ!腰を落とせ!」

「判っている!」

 

 流星をたなびかせて、流れる汗もそのままに走り込みを行うのは、生徒会長シンボリルドルフ。ホープフルステークスを控えて、その調整真っ盛りの彼女は今までに無いほどの気迫を孕んでいた。その力強さたるや、ほかのウマ娘を寄せ付けないほどに。

 

「ラスト400!追い込め!」

「ハァアアアアアアアアアア!!」

 

 ズドンと踏み込まれたターフ。その音は雷鳴のようにも聞こえ、隣の練習場で追い込みを行っていたハーディービジョンら同期のウマ娘が思わず振り向いてしまうほどの強烈なものである。

 

「…うわぁ。気合入ってるわ、ルドルフ」

「この状態のルドルフには近寄りたくないねぇ」

 

 思わず引いてしまうほど、という言葉がピッタリの彼女の雰囲気。その原因は、ただ一つしか無い。

 

「ゴール!…よし、想定通りのタイムだ。流石だな、ルドルフ」

「フー、フー、フー。…当然、このぐらい熟さねば、ミスターシービーを超えられん」

「ああ、その通りだ。だが、入れ込みすぎるな。君は今、頭に血が登りやすくなっている。いいな?この後はしっかりと身体を休めるように。自主練なんて以ての外だ」

「…ふー。ああ、判っているよ、トレーナー君。ありがとう。どうも、焦ってしまっていけないな。私も、まだまだだ」

 

 頭を振りながら、冷静さを取り戻したように見えるシンボリルドルフ。が、傍から見れば、耳は絞られているし、しっぽにも落ち着きはない。

 

「ううん…まぁ、焦るな、といくら言葉で言っても仕方ないか。ルドルフ。ということで、今日、君がミスターシービーに勝つためにするべきことを、伝える」

「聞こう」

 

 トレーナーの一言に、耳がピンとたったルドルフ。その耳に入ってきた言葉が、彼女を思わずポカンとさせた。

 

「たっぷりご飯を食べて、ゆっくりお風呂に入って、ふかふかの布団でゆっくり寝ること!」

「…え?」

「え、じゃない。返事は?」

 

 圧。異論は認めないと言わんばかりのトレーナーの言葉に、ルドルフは頷くしか無い。

 

「承知した」

「よろしい。今の君に必要なものは休養だ。今日はゆっくり休むように」

 

 

 シンボリルドルフは一人、寮へと歩みを進めていた。普段であれば他のウマ娘たちの練習終わりと重なって混んでいる校門前。ただ、その耳は絞られて、どうみても不機嫌そうな彼女の雰囲気に、ウマ娘たちは左右に分かれてしまい、これまた見事な道が出来ていた。

 

「…ううん、やはり、入れ込み過ぎか。いや、トレーナー君にもこれ以上迷惑はかけられないし、マルゼンスキーにでも相談しにいくとしようか…いや、しかし、それも迷惑か?」

 

 それに気づくこともなく、シンボリルドルフはぶつぶつと呟きながらその真中を歩く。堂々としたそれは、まさに皇帝らしい佇まいであろう。だが、そんな雰囲気もなんのその。一人のウマ娘が、バイクを押しながら彼女に近づいた。

 

「や、ルドルフ。どう、このあと並走でも」

「…シービー。君との並走、か…。ああ、ぜひお願いしたい」

「あはは。怖い怖い。出会った頃の優しいルドルフとは別人みたい。でもそれは無理。提案しといて悪いけど、君のトレーナーに止められているからね」

 

 あははと笑いながら、ルドルフの横に並ぶ。そして、にやりと笑いかけると、バイクの後ろのシートを指さした。

 

「っていうことで、後ろに乗りな」

「後ろ?」

「うん。後ろ。ヘルメットはこれ使って」

 

 手渡されるヘルメット。緑と黄色と白で彩られたミスターシービーカラーのそれを眺めながら、ルドルフは顔を横にふる。

 

「いや、私は乗るとは一言も…」

 

 断ろうとしたルドルフに、シービーはずいっと顔を寄せることで、その言葉を打ち消した。

 

「いいから。今日は年上に任せなさい?さっさと被って。それとも、後ろは怖い?」

「いや、怖いわけでは…仕方ないな、判ったよ。あ、しかし、外出許可が…」

「とってあるよ。今日、シンボリルドルフさんはミスターシービーとミーティングのために、一晩外出!ってね。学園長と寮長の許可貰ってるから。気にしないの」

 

 にかりと笑うミスターシービー。対して、ルドルフは深くため息を吐き出した。

 

「そうか。全く、君はいつもそうやって人を振り回す。少しは自粛出来ないのか?」

「無理だねー。アタシは自由に、楽しくやっていきたいだけだからさ」

 

 ミスターシービーはそう言うと、さっとバイクに跨った。それに追従するように、シンボリルドルフもシートにまたがる。

 

「じゃ、しっかり捕まっててね。飛ばしはしないけど、楽しく帰るよ」

「お手柔らかに」

 

 ミスターシービーが右手のスターターを押せば、相棒のエンジンが淀みなく始動する。すでに地球一周以上の距離を走った相棒の、優しく、野太い音を聞きながら、ミスターシービーとシンボリルドルフは、学園を後にする。

 

「シービーに任せて、大丈夫でしょうか」

「うむ」

 

 その背を、見送る者たちの存在に、ルドルフは気がつくことはついぞ無かった。

 

「もしかして、学園長も、このような、ルドルフのような経験がお有りだったのでしょうか」

 

 一人は、ルドルフのトレーナー。明らかに入れ込みすぎた様子のルドルフについて、ジャパンカップ前より、学園長に相談していたのである。結果、トレーナーの横にいる学園長その人の提案で、ミスターシービーにルドルフを任せたのだ。

 

「遠い昔のことだがな!さて、では、シンボリルドルフのトレーナーの君には、茶でも奢らせてもらおう。なぁに、ライバルにはライバルにしかわからぬことがあるものだ!心配せずとも、明日になればよき顔で、学園に戻ってくる事だろう」

 

 2人の脳裏には、「いいよー。ルドルフに喝入れればいいんでしょ?」と簡単に、この難題を引き受けたウマ娘の顔が、浮かんでいた。

 

 シャッターが降りて、自動で室内のライトが輝き出した。シンプルであるが、しかし、狭くないガレージには、最近乗ることがめっきり減ったプリウスが鎮座している。シービーはバイクのエンジンを止めてさっとバイクを降りる。そして踵を返して、シンボリルドルフへと手を差し伸ばしていた。

 

「さて、いらっしゃいませ。と」

「…お邪魔します」

「ん。靴とヘルメットは適当に置いといて。ああ、散らかってるけど、ま、気にしないでくれると助かるかな」

 

 ルドルフは彼女の自宅をぐるりと見渡した。白で統一された部屋。家具は黒で統一され、みていて気持ちが良い。ところどころ、彼女の勝負服の色である緑、黄色があしらわれていて、なるほど、ここは彼女の自宅らしいなと納得する。

 

「えーっと…エアコンつけて、あとコタツ…。ああ、ルドルフ。適当にくつろいでくれていいから。飲み物はコーヒー?それとも紅茶?」

 

 キッチンへと立ったシービーはそう言いながら、猫と犬の書かれたコップを手に、お湯を沸かし始めていた。

 

「紅茶を頼む」

「ん、りょーかい。ダージリンでいい?」

「それでいいとも」

 

 ルドルフは荷物を部屋の隅に置きながら、部屋の隅々を観察する。ヘルメットとつなぎが数種類。鍵、彼女自身のポスターが何枚か。メタルラックには、学園の制服が仕舞われていて、散らかっていると言っている割には床には物がなく、非常に整った印象を覚える。

 

「ん。じゃあちょっとまっててね」

 

 そう言ってシービーは、キッチンへと向かう。ルドルフは用意されたコタツへと脚を差し入れた。冬のバイクは非常に手足が冷える。それを温めるように、ルドルフはそのまま手もコタツの中へと入れた。ふう、と安堵のため息がルドルフの口から吐き出されていた。

 そうやって、しばらく。紅茶を入れ終わったのか、シービーはコップを2つを手に、ルドルフの向かいへと脚を差し入れた。そして、犬の柄が書かれたコップをルドルフの前に置く。

 

「さ、お待たせ。ついでにお茶請けもおいておくよ。甘いくるみのお菓子。結構お気に入りなんだ」

「ほう…せっかくだ、頂くとしよう」

 

 ルドルフは進められるまま、紅茶と、くるみのお菓子を口にした。サクリといい音が響く。

 

「ほう、これは、食感もいい、香りもよく鼻に抜ける。紅茶との相性も絶妙だ」

「ありがと。じゃ、御飯作るから、そのままのんびりしててー」

 

 シービーはそう言うと、落ち着く暇もなく立ち上がっていた。その姿にルドルフの眼が点になる。

 

「…ご飯?」

「そ。ご飯。だってルドルフ、ご飯食べてないでしょ?」

 

 不思議そうなシービー。そして、負けじと不思議そうなルドルフ。少しの静寂が2人の間に流れた。

 

「確かに、食べては居ないが…」

「じゃあそこで紅茶飲みながら座ってて。苦手なものはなにかある?」

「いや、特には」

「判った。ま、作るって言っても、合わせるだけだけどね」

 

 冷蔵庫から鍋を取り出し、それを火にかけるシービー。そして、冷凍庫からなにかの包を取り出して、レンジへと入れた。

 

「あ」

 

 そして何かに気づいたようで、棚から一つの缶詰をルドルフに見せる。

 

「これ、食べる?」

 

 手にしたのは、よくあるスパムの缶詰。

 

「…スパム?」

 

 怪訝な顔をしたルドルフに、ミスターシービーはいい笑顔で、こう続けた。

 

「うん。卵と()()()?」

「ああ…。卵とベーコンと()()()

「卵とベーコンとソーセージと()()()

()()()()()()()()()、卵と()()()

 

 そこまで続けたところで、ルドルフとシービーは、お互いに顔を見合わせながら、吹き出していた。

 

「ぷっ」

「ふふ」

「判ってるじゃん、ルドルフ。守備範囲広いね」

「シービーこそ。まさか、そのネタを知っているものが、この学園にいるとは」

「あはは。じゃ、今度こそ真面目に作るから、ちょっとまってて。ご飯は予約で炊いてるから…えーっと、レンジでハンバーグと人参を温めてーっと」

 

 手際よく、ミスターシービーが調理を進めていけば、あたりに漂ってくる良いスパイスの香り。皿を2つ用意して、炊きあがっている米と、ハンバーグと人参を載せる。そして最後に、鍋から温めたカレーと、冷蔵庫から取り出したスペシャルな卵をかけてやれば。

 

「はいお待たせ。人参ハンバーグカレーライス。温泉卵を乗せて。手前味噌だけど、美味しいよ。食べてみて」

「これは見事な。じゃあ、早速頂きます」

 

 口に運べば、スパイスの効いたカレーと、ハンバーグがマッチして非常に食が進む。そう思うと、ルドルフの口は勝手に開いていた。

 

「ほぉ。これは美味しいな。学園の食事と謙遜ないと言える。あ、いや…これだったらメニューに入れてもいいのかもしれないな」

「お褒め頂き恐悦至極、ってね。さ、おかわりもあるから、お腹いっぱい食べて」

「ああ、頂くとしよう」

 

 ルドルフに追従するようにミスターシービーも、頂きますと早速スプーンをカレーに突き刺していた。そしてほぼ無言で食べ続けることしばらく。気づけばカレーの鍋はすっからかん。米もほぼ平らげてしまっていた。

 

「…ふう、食べた食べた。円満具足とはまさにこのことだな」

「お粗末様。お口にあって良かったよ」

 

 そう言いながら、シービーは食器を重ねてシンクへと運び、水に浸けておく。そして、再び紅茶を淹れて、ルドルフとしばし食休み。のんびりとした空気が流れていたが、ふと、ルドルフが口を開いた。

 

「それで、シービー。私をここに連れてきた理由をそろそろ聞かせてくれないか?」

 

 犬のコップに入った紅茶で口を潤しながらも、ルドルフは真剣な眼差しだ。

 

「ん?ああ。単純だよ。ルドルフの余裕が無さそうだったから。なんでかなーって思って」

 

 そう言いながら、猫のコップに入った紅茶を楽しむシービー。その顔は、どこか楽しそうに見える。

 

「君からみても、そう思うか」

「うん。よっぽど余裕が無いよ、今のルドルフ。…ま、理由はなんとなく想像付くんだけどさ。アタシに言いたいこと、あるでしょ?今日ぐらい胸襟を開いたら?」

 

 コトリと、コップを置いて、真剣な表情でルドルフを見るシービー。ルドルフも佇まいを直すと、軽く咳払いを行っていた。

 

「では、言わせてもらう」

「どうぞ」

「正直に言えば、嫉妬しているとも」

 

 コトリと、ルドルフもコップを置いて、ミスターシービーを睨みつけた。

 

「ああ、狂いそうなほど、嫉妬している。目指していたものを、目の前で、すべてキミが持っていった。初の無敗の三冠ウマ娘。初のジャパンカップ制覇。そして、未だに無敗。最強。理想のウマ娘。キミは、ゲームとやらで私の某かを知っているのだろう?生い立ちを、知っているのだろう?」

「生い立ちまでは知らない。でも、『シンボリルドルフは冷静沈着、公明正大。とてもストイックな性格だが、実はかなり心配性で保護欲が強い』。それでいて、すべてのウマ娘の幸福を願う、素敵なウマ娘。そう認識はしているね」

「ああ、そうだな、その通りだ」

 

 頷くルドルフ。だが、言葉を続けたのは、ミスターシービーの方だった。 

 

「だから、キミの言葉は確かに真摯で、前だけを向いているように見える。でも、どうも、キミは、君の欲望を抑えているように感じるんだ。理想高くあれ。理想のウマ娘であれってね?」

「…ほう?」

「でも、アタシはそれが気に入らなかった。いや、私が気に入らなかった」

「それで、君は偉業を達成したと?」

「そんなわけ無いでしょ?結果的にそうなったけど、生半可じゃないよ。アタシの戦績は」

 

 無表情。しかし、その瞳に燃えるような何かを宿したまま、ミスターシービーはこう告げた。

 

「ただ。アタシは、むき出しのシンボリルドルフと走りたい、そう思っただけ」

 

 目をつむり、頷きながら、更にシービーは続ける。

 

「私の知る君は、それはもう、ライオンのように暴れる奴だったらしいからね。その本性を知っている私としては、どうも、理性に包まれている君が気に入らない」

 

 そして、シービーは目を開けると、目の前の獅子をしっかりと見つめていた。

 

「でも、どうやら君の顔を見ていれば判ったよ。むき出しの君と本気で、勝負が出来そうだ」

「…当たり前だ。ここまで先を越され…いや、違うな。挑発されて、黙っている私ではない」

「いいね。いいよその感じ。ビリビリ来ちゃう。ビリビリ来ちゃうから―」

 

 そう言いながら、ミスターシービーは勢いよく立ち上がった。そして、目にも留まらぬ速さで部屋の一角へと移動すると、何かをシンボリルドルフへとぶん投げる。反射的にそれを受け取ったルドルフは、何事かと、ミスターシービーを睨んだのだが、そこにいたシービーの表情は、まるで、いたずら成功と言わんばかりの笑顔であった。

 

「今日のところはお風呂でゆっくり温まって、のんびりして。うちのお風呂、広いから」

 

 呆気に取られるルドルフが手元に視線を向けてみれば、バスタオルと、おそらくシービーが用意していた寝間着が握られていた。

 

「え?は?」

「だって、このままいくとルドルフ、入れ込みすぎて回りが見えなくなりそうなんだもん。熱くなった頭をよーく冷やせるようにアイスも準備してあるから、さっさと入ってきな?」

 

 呆気に取られたルドルフの眼に、一人の人間の姿がゆらりと浮かぶ。長い髪、そして、高い身長。ミスターシービーと言えばその通りなのだが、しかし、その彼女を照らすように、霧の遠巻きから、甲高いエキゾーストノーズが聞こえてくる。うっすらと、彼女を照らしあげるように一条の光もどこからか照らされて、それはまるで神秘的な何かのようであった。

 

「君は、一体、誰なんだ?」

 

 幻か。その幻想にシンボリルドルフはそう問いかけた。

 

「アタシ?そうだねー。ミスターシービー…っていう答えは求めていないか」

 

 幻はそう言いながら、髪をかき上げる。そして、何も気負うこと無く、言葉を発していた。

 

「アタシは、誰よりもウマ娘を愛している『ただの一般人』だよ」

 

 そう、シービーが告げた瞬間。ルドルフの眼には、姿がダブって見えていた。ほぼ同じ身長、体格の何者かが彼女の後ろに控えている。ただ、確かに言えるのは、その何者かから伝わってくる雰囲気、それは、こちらを気遣うようなものであった。そしておそらく、この何者かが彼女に成り代わった誰か、なのだろう。

 

 だが、その後ろにもう一人。一瞬だが、確実に、あるウマ娘の姿が見えた。ニヤリと、楽しげに、そして挑戦するようにこちらを見つめたその瞳には、心当たりがある。…全く、ままならないものだと、ルドルフは苦笑を浮かべてしまっていた。

 

 ―彼女は変わっていない。いや、むしろ、すべてを吸収しながら成長している。全く、それに比べて私というやつは、本当に未熟者のようだ。

 

 そして、ルドルフの心の中にはもう一つの気持ちが湧き上がる。それは、最初は小さいものだったが、徐々に徐々にその体積を増やし、そして気づけば、ルドルフの口角は上がりきっていた。

 

「…ふ、ははは。ははは!一般人が無敗の三冠を穫れるわけがないだろう。全く、悪い冗談だ。悪い冗談だよ、はははは!」

「えー?そんなに笑うとこ?」

 

 大口を開けて笑いをあげたシンボリルドルフ。改めて、何者かを見ようとミスターシービーを見た。だが、そこに居たのはどう見ても、ミスターシービーその人だけだった。―なるほどな、とシンボリルドルフは一人納得すると、ミスターシービーへと視線を合わせ、こう告げた。

 

「だが、だからこそ私は君に勝とう。無敗の三冠ウマ娘として、キミの前に立って見せよう。無論、逃げはしないだろうね?どこぞの一般人君?」

「当たり前じゃないか。ルドルフ。ああ、でも、気をつけな?アタシの背中ばかりをみて、足元、掬われないようにね。キミの同期、濃い連中が多いから」

「当然だ。私を誰だと思っている」

「シンボリルドルフ。私の知るウマ娘の中で、最強で、かっこよくて、唯我独尊、最高の皇帝たる人って思っているよ」

 

 自信満々の笑みを浮かべて言い切ったミスターシービー。それを見たルドルフは、どこか、肩の力が抜けたような、そんな雰囲気の笑みを浮かべていた。

 

「そうか。それならば、そう在らねばな。ミスターシービー。では、お言葉に甘えて、先にお風呂を頂くとするよ」

「うん。ごゆっくりー」

 

 ミスターシービーはひらひらと手を揺らし、シンボリルドルフを送り出した。と、その背に、小さく声をかける。

 

「…相対するなら、最高の相手と、だからね。ルドルフ。精神的にも、肉体的にも。最高のキミと勝負をしたい。それは本当の気持ちだから」

 

 脚を止めたルドルフは、振り返らずに言葉を返す。

 

「判っている。ここまで焚きつけられて、キミとのレースに私の理想など持ち込んでやるものか。全力を以ってすべてを捩じ切ってやる。私の本能と、私の我儘と、この脚でな」

「おお、怖い怖い。怖いから、湯上がりに飲み物でも用意しておきたいんだけど、リクエストは?」

 

 肩をすくめたシンボリルドルフ。その背中に、小さく笑い声が降り掛かっていた。

 

「では、ココアを。とびきり甘いのを頼む」

「はーい。準備しておくよ、皇帝様」

 

 今度こそ、シンボリルドルフは風呂へと歩みを進める。その顔には、どこか、すっきりとした笑みが浮かんでいた。



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ミスターシービーとしてのひととき。

「お世話になります。遅ればせながらジャパンカップ、おめでとうございます」

「ありがとう。千明さん。蹄鉄のお陰だよ」

 

 12月に入り、いよいよ有マの機運が高まり始めた頃、私はトレーナー室にて千明さんと相対していた。私と千明さんのサシの対談ではあるのだけど、数年の付き合いってことで雰囲気良く話が出来ていたりする。

 ちなみに、トレーナーはたづなさんと何やら秘密の会議らしい。なんでも、私の特別ライブの話があるのだとか。めんどくさいことにならなければいいけど。

 

「さて、シービーさん。早速ですが、改めて新型の調子はどうでしょう」

 

 真剣な様子の千明さん。一旦、特別ライブの事は頭の片隅に置いておこう。新しい蹄鉄の調子はといえば、こうだ。

 

「んー、前より確かに重いけれど、コーナーの食いつきは最高だね。千明さん達はいい仕事するね」

 

 心の底からの賛辞である。大雨の第三コーナーから追い込み。ジャパンカップで勝てた理由の一つは、蹄鉄の食いつきが良かったからだしね。ただ、最後の最後まで競い合ったオールアロングは普通の蹄鉄らしいので、やはり、世界を相手にしている技量というか、力と経験は凄いと思ったよ。

 

「お褒め頂き恐悦至極です。それで、ご注文いただいた練習用のものを10足、勝負靴を2足ご用意させていただきました。お収め下さい」

「ありがとうございます。あ、支払いは月末締めでいいですか?」

「もちろんです」

 

 品物を確認してから、受領書にサラっとサインを書いて印鑑を押しておく。諸経費コミコミで今回の料金はざっくり1本強ってところのお値段である。ちなみに、私は個人負担4割といったところで買うことが出来るので、私が支払う金額はまぁ…250ccのバイクぐらいの値段である。ま、メディアの出演料とか色々収入を含めれば、全額出してもいいぐらいの金額ではあるんだけどね。

 

「ありがとうございます。さてシービーさん、蹄鉄の他、何か気になるもの、気になっている点などございますか?小さな点でもよろしいです。何なりとお申し付け下さい」

「んー…そうだねー」

 

 気になることか。蹄鉄は満足しているしなぁ。…あ、ちょっとまてよ。

 

「実は靴の中敷きで相談があるんだけど、いい?」

「中敷き…インソールでございますか」

 

 そう。ちょっと気になっている中敷き、インソール。トレーナー室に置いてある私の使用済み練習靴と勝負靴を引っ張り出して、千明さんの前に置く。

 

「これ。この間頂いた練習靴なんだけど、ちょっと見てくれる?」

「では、拝借いたしまして…これは…」

 

 千明さんの顔が少々曇る。うん、でしょうねー。私も気づいた時はちょっと驚いたからね。

 

「うん。インソールが変形しちゃってるんだ」

「なるほど…あ、勝負靴のほうも見せていただいても?」

「どうぞ」

 

 千明さんはしげしげと勝負靴を覗き込む。うん、やっぱりわかりやすく表情が曇ってるね。

 

「…ふむ、こちらも少々変形が見られますね。こうなると…走りに少々影響が出そうですが」

「当たり。新品のうち、2~3回全力で走るまではいいんだけど、使い込むとね。タイム的には問題ないんだけどさ、ちょっと走りに違和感があるんだ。どうにかならない?」

 

 そう聞いてみれば、千明さんはこれまたわかりやすく悩んでいた。そして、考え込むように顎に手を当てる。

 

「ウマ娘用のインソールは確かにございます。ございますが…すでに、この靴にはミスターシービーカスタムと言ってもいい、薄く、しかし強度のあるインソールが入っています。それが変形してしまうとなると…」

 

 ありゃ、そうだったのか。既に私仕様なわけね。

 

「改善は難しい?」

 

 千明さんの顔を覗き込む。すると、ひととき考えを巡らせた後、自信ありげにこう答えてくれた。

 

「いえ、少々お時間をいただければ、改善は可能です」

 

 うん。私はいい人たちに巡り会えているようだ。笑顔で頷く。

 

「じゃあお願い。今年の有マには間に合わないだろうけれど、来年のジャパンカップまでには間に合わせて欲しいかな」

「承知致しております。そうですね。まずは2週間程度お時間を頂きまして、試作品を数種類作成いたします。そこからさらに詰めていく、という形にはなると思いますので、蹄鉄のときのようにご協力願えますか?」

「もちろんいいよ。じゃあ、それの計画書、またあとで送ってちょうだい。すぐに確認して返信するからさ」

「かしこまりました。では、戻りましたらすぐにでも」

 

 よし。これでまた一つ憂いは消えることだろう。

 

 と、思い出した。ああ、そうだ。千明さんには一つ、渡したいものがあるんだった。

 

「ああ、あと」

「はい。どうされましたか?ミスターシービーさん」

 

 紙袋を取り出して、千明さんの前に置いた。

 

「千明さん達にこれ。あげる」

「…これは?」

「開けてみて。気にいるかわからないけどさ」

 

 千明さんは不思議そうな表情で、紙袋から一つの額縁を取り出した。

 

「これは!」

 

 正しくそれを認識してくれた千明さんの顔が、驚愕に染まる。ま、そりゃそうだ。

 

「ジャパンカップの蹄鉄。記念にって思って」

 

 世界を捉えた蹄鉄。それを両の足分。額縁には『ミスターシービー ジャパンカップ優勝記念』という文言とともに、私が『ジャパンカップ』というレイを掛けている写真つきの、正真正銘の一点ものだ。

 

「いや、しかし…よろしいのですか?」

「うん。千明さん、あと佐藤さんに持っておいてほしいからさ。だって、あの雨で最高の追い込みをかけられたのって、新しい蹄鉄のお陰だし」

 

 大雨の中のグリップ。いくら脚を鍛えても、いくらミスターシービーといえど。いくら良いエンジン、シャシーでも、タイヤが駄目なら追い込めない。その点、新しい蹄鉄は最高の仕事をしてくれた。こころからの賛辞を送りたいと思う。

 …ちなみにトレーナーは『これがあるから別に』と、トロフィー片手に笑っていた。私自身も蹄鉄は別に不要だしね。かと言って記念館とかで飾っておいてほしいわけでもない。この価値がわかる人に持っておいて欲しいっていう、私の我儘だ。

 

「ありがとうございます」

 

 蹄鉄を改めて手に取りながら、深々とお辞儀をしてくれた千明さん。いやいや、そんな大したもんじゃないんだけどね。

 

「あはは。ま、そうはいったけどさ、煮るなり焼くなり好きに扱ってくれていいよ」

 

 別に研究材料に使ってもらってもいいし、お金に変えてもらっても構わないし。そう気軽な気持ちで告げてみたのだが、帰ってきたのは、いいえ、という明確な否定の言葉であった。

 

「いいえ。大切に飾らせていただきます。佐藤にもしっかりとその旨、伝えさせて頂きます」

 

 

 所変わって学園長室。私は久しぶりに、学園長と2人で面と向かって紅茶を楽しんでいる。ちなみにたづなさんは出張中らしい。なんでも、新しい楽曲の打ち合わせなんだとか。

 

「メープルの香り。良いお茶だね、学園長」

「うむ。お気に入りの逸品だ。君も気に入ってくれたようで何より!」

 

 メープルティー。カナダで生まれた紅茶のフレーバーの一つ。あまーい香りが心地よさを演出してくれる素敵なお茶だ。

 

「さて、今回キミを呼び出したのは他でもない、礼を言いたくてな」

「礼、ですか」

「うむ。専用曲。その概念を我々に教えてくれただけではなく、あの盛り上がりを魅せてくれた。デュエット曲までもだ。これからのURAの発展にはかかせないターニングポイントだったであろう。改めて、感謝を述べたい!」

 

 なるほど。そう来たか。とはいえ、私は歌いたい曲を歌っただけに過ぎないところもあるしなぁ。

 

「ありがとうございます。しかし、私は自分の好きな曲を歌っただけです。その場を用意していただき、演出もしていただいた学園長やたづなさん、そして関係者様にひたすら感謝こそすれど、感謝されるほどのものではないですよ」

「それでも、だ。我々では思いつかない、君だからこそ思いついたものだ。どうか、自分を卑下せず、この言葉を受け取って欲しい」

 

 そう言って頭を下げてくれた学園長。そこまで言われちゃ仕方がないか。

 

「判りました。素直に感謝を受け取ります」

「うむ。それにしても、それが君の素か?ミスターシービーとは随分様変わりしているようだが」

「いえ。目上の人にはそれなりの態度を、と思いまして」

「ふむ。気にする必要はないのだがな。何、部外者が居るときだけ気をつけてくれれば良い」

 

 一応気を使ってみたのだが、学園長相手では意味がないらしい。ならば、いつもの調子でやらせてもらおう。

 

「そういうことなら。じゃあ、崩していいかな。学園長」

「うむ。そのほうがよっぽど、らしい。さて、それで今回はお礼の品ということで、まぁ、大したものではないのだが、こちらも用意させていただいた」

 

 そう言って、私に手渡された紙袋。はて、なんだろうかと中身を確認してみれば、見慣れた手触り、そして、嗅ぎ慣れた香り。しかし、国内ではまず見たことのないジャグが紙袋に包まれていた。

 

「MIXTURE No.79?」

「うむ。伝手があってな。アメリカで1()9()3()4()()から販売されていてるものらしい。いっとき、はやりを見せた煙草だとか。国内では手に入れられないものになる」

「へぇ。珍しい煙草なんだね」

 

 しげしげとパッケージを観察してみる。真っ白なパッケージ。そこに、黒いインクでMIXTURE No.79と書いてあるシンプルなもの。香りは…と、鼻を近づけてみれば、なにやら嗅ぎ慣れない匂いが漂っている。

 

「うむ。しかし、今となっては癖が強くてな。アニス、と呼ばれる香草が香り付けに使用されていて、これが厄介なのだ。だが、製法は当時から変わっていなくてな。好きな者には好まれるという煙草に仕上がっている、と聞いている」

 

 アニス。一瞬、バニラかと思ったけれど、確かにこれはちょっと違うね。んー…近い香りとしては、八角…か?なんにせよ独特だ。

 

「へぇ…面白そうだね」

 

 しかし、癖のある味、香りか。それは、一度試してみたい。にやりと口角が上がってしまった。

 

「その反応は、気に入ってくれたか?」

「もちろん」

「ふふ。であれば、手配した甲斐があるというもの。楽しんでくれ給え!」

「うん。このあとすぐにでも試してみるよ。ありがとう、学園長」

 

 礼を言って、ジャグを紙袋に戻した。そうやって、また引き続いてお茶を楽しんでいると、今度は少しばかり真剣な眼でこちらを見てくる学園長の姿があった。

 

「ミスターシービー。今後の予定についてだが、本当に君は有マに出るのか?」

 

 トレーナーと同じような質問だね。答えは変わらない。

 

「うん。出る予定」

 

 すると、学園長はコトリと紅茶のカップをテーブルに置いた。そして、こちらをじっと見つめて、一言。

 

「体力的に、問題はないか?どこか違和感などは、些細なことは無いか?」

 

 トレーナーと同じだ。体を心配してくれている。だからこそ、満面の笑みで答えてみせた。

 

「体力的…は、問題ないねー。むしろ、走りたくてウズウズしてる」

 

 私の答えを受けて満足したのか、学園長も満面の笑みで頷いてくれる。

 

「そうか!それならば憂い無し、だな!しかし、ジャパンカップから有マ記念のレース間隔は短い。しっかりと練習をして、しっかりと休養をとるのだぞ?」

「もちろん。良い煙草も貰ったしね。万全に走れるように体調を整えるよ」

 

 そう言いながら紅茶を口に含む。メイプルのいい香りが、鼻を抜けて行く。

 

「うむ。ならば良し。では、要件は以上だ。私は少々、出かける用事があるのでな!しばらく、ここで紅茶を飲みながらくつろぐと良い!」

「判ったよ。学園長。ありがとう」



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気怠い日には、あの曲を。

 12月も半ば。暮れの中山まであと2週間といったところに差し掛かり、練習も佳境を迎えている。トレーナーの指示の元、練習場を周りに回り、坂路を登りに登り、プールで泳ぎに泳ぎ、飯を喰らいに喰らい。充実の日々と言ってよいだろう。

 

「よし、いい具合に仕上がってきたな」

「そうだねー。気持ちよく攻め込めるよ」

「ああ、ということで、ここらで休養だ。2日、がっつりと休んで疲れを抜け」

 

 おや、まさかの指示。驚いてトレーナーの顔を見てみれば、そこにあったのは笑顔だった。

 

「いいの?」

「むしろしっかり休んでくれ。練習のピークは今日までだ。あとの日取りは、お前のピークを本番に合わせる調整の期間とする。自主練とかもなるべくは控えてくれ」

「りょーかい。トレーナー。あ、それじゃあさ、一緒にどっか行く?」

 

 この前の静岡とか、栃木みたいな感じで。そう考えながら、トレーナーに笑顔を向けたのだけど、トレーナーは首を横に振った。

 

「今回は遠慮させてもらう。年末ってこともあるし、打ち合わせと書類が待ってるんだ。悪いな」

 

 申し訳無さそうに頭を下げたトレーナーに、気にしないでと、笑顔を向けた。

 

「そっか。じゃあ、のんびりと一人で休むよ」

「ああ。ま、年末年始が終われば俺も暇になる。来年の春にはどこか行こう。お前の背中も悪くないからな」

「ふふ。オッケー。いい場所考えておくよ」

 

 お互いに笑い合う。一つ、楽しみが増えたよ。それじゃあ、お言葉に甘えて明日と明後日はのんびりとしようじゃないか。

 

 

 自宅に帰ってから早めに寝床に入って、早速のお休みを楽しもうと思ったのだが。

 

「…うーん」

 

 朝日を浴びてベッドから起き上がると共に、どうも気分が乗らないことに気がついた。怠い。非常に怠い。だめだ、なんか今日は駄目なほうに入ってる。気持ちも、体調もだめだ。

 

「どうしたものかなぁ?」

 

 うーん、折角の休みだというのに、実に駄目だ。洗面所に行って歯を磨く。肌の手入れをして、髪の毛を梳いてなんてやっていたけれど、しかし、やっぱり怠いまま。バイクに乗ろうかと思ってヘルメットを準備してもまぁー、気持ちが全く乗らないことこの上ない。

 

「こういう日は…そうだねー」

 

 戸棚からカップを引っ張り出し、ヤカンに水を入れて火にかける。そして、戸棚からコーンパイプを取り出して…No79のジャグをひとつまみ。上下の犬歯で吸口を噛んでから、シカクニホンのマッチを一本取り出して、親指と人差指で軽く挟み、手首のスナップで擦る。

 

「ふぅ」

 

 軽く息を吸い込みながらマッチを近づける。すると、火がジャグに移ると同時にもっこりとジャグが膨らんだ。火種が消えないように息を吹き込みながら、上から火口を押さえ付ける。一連の慣れた動作を、息を吐くように続ければ着火完了だ。

 

「…む、確かにこれは癖のある香りだなぁ。でも、嫌いじゃないね」

 

 あとは、ゆっくりと、漫然と、でも新しいジャグだから吸い方も少しづつ調整しながら、息をすするように煙を楽しむんだ。そうやってジャグを楽しんでいると、カタカタと、音が耳に入ってきていた。

 

「お、沸いた沸いた」

 

 気づけばヤカンは蒸気を吹き上げていた。戸棚からパーコレーターとコーヒー、ステイゴールドを取り出し、パーコレーターにざざっと袋から直接コーヒーを打ち込む。分量は適当だ。今日みたいな日は多めでいいだろう。沸騰したお湯をヤカンからパーコレーターに注ぎ込む。

 

「うーん、いい香りだね。流石ステイゴールドだ」

 

 名馬と同じ名前のコーヒーを好んでいるのは、正直に言えばゲン担ぎだ。グアテマラの良い豆を厳選したコーヒー。私もそうなれるようにと、ミスターシービーになる前から飲んでいた、私のお気に入り。

 

「懐かしいというか。変わらないというか。我ながら女々しいことで」

 

 笑いながらパーコレーターを押し込む。お湯を泳いでいたコーヒー豆が仕分けられて、黒い液体の出来上がりだ。それをゆっくりとカップに注ぐ。

 

「やっぱりいい香り。好きだなぁ」

 

 パイプを置いて、カップから黒をすする。苦味、酸味、甘み、そしてどこかフルーツを感じさせる香り。一流とはこういうものだと、語りかけてくるようなもの。

 

「…一人だからか、それとも、疲れているからかな。ちょっとセンチだね」

 

 想う。バイクのレースを。今では、ウマ娘として走っているけれど、私のそもそものしごとはレーサーだ。バイクでどこまで早く走れるのか。スポンサーを付けてもらって、チーム一丸で日本一、世界一へ。でも、気づけば私は最初の気持ちを忘れてしまっていたのだろうね。

 

「本当は、好きなようにコースを、好きなバイクで自由に走りたい。整ったアスファルト。白線で囲われたスタートグリット。観客席には大勢の観客たち。スターティングのランプが灯る」

 

「エンジンの熱が股下から、エンジンの咆哮が股下から襲う。緊張感。ランプが消え、全員が一気にアクセルをひねり、クラッチを繋げる。色とりどりのライバルたち。第一コーナーへ突っ込むあの熱。気づけば前のアイツのケツについて最速のラインを描く…」

 

「感じるのは風。ガソリンの匂い。焼けるタイヤとアスファルトの匂い。ヘルメットだけじゃない。ライダーススーツを通じて感じるあの空気。300キロの風圧。雨、太陽、霧、ああ、ああ!」

 

 ―楽しくて、楽しくてたまらない。

 

「ふふ。図らずとも…ミスターシービーになってからは、楽しませてもらってるよ。最高だ。ありがとう」

 

 黒に移る私の顔を見ながら、礼を言う。気づけばその楽しさは、栄冠を取るための必死さと責務に追われていた。私の父は名メカニック。母親はその父親の育て上げたバイクで世界に挑戦した名ライダー。その子として生まれた私は、結果を求められたのは当然のことなんだろう。その重さに、正直言えば潰れていたんだろうね。

 

「でも、ミスターシービーになったという追い風が私をここまで引っ張り上げた。やっぱり、ミスターシービーは、かっこいい馬だよ」

 

 言いながら、パイプを咥え直して煙を楽しむ。ああ…そうだな。せっかくなら、ハンモックぐらいは部屋に欲しいかもしれないね。ゆっくり揺られながら、パイプとコーヒーを楽しむ。いいじゃない。

 

「…あー、そうだ。トレーナーと今度休みに行くならハンモックが張れるキャンプとかいいかも。開放的に、2人でパイプを吹かす、とか」

 

 想像すると楽しい。きっとそれはそれはいい感じになるだろう。焚き火でも見ながら、星空でも見ながら、夜のしじまに、溶け込むように。

 

「ふふふ。あー、でも、考えてみるとなんか恋人みたいだ。よくよく考えれば男女だもんねぇ」

 

 トレーナーとウマ娘。お互いの信頼で成り立つわけで、距離感はほぼほぼソレだろう。

 

「ま、そこは野となれ山となれかな。どうなるかなんて、判らないし。私の両親だって、似たようなもんだしね」

 

 難しく考えても仕方はあるまい。本当に、なるようにしかならないのだから。に、しても、身体が戻るとかそういう兆候がないからなぁ。どうなることやら。

 

「…しかし不思議なのは、曲は知らないのが多いけれど、煙草とかコーヒー、つまりは文化面は割と共通なところもあるってことだよね。それに、ルドルフが空飛ぶを知っていたのも」

 

 うーん、と煙を吹かしながら考えてみる。…が、特にいい考えは思いつかない。どこまで一緒なのか。バイクとかも一緒だしなぁ。うーん…うーん?

 

「やめやめ!ったく、今日は本当に駄目っぽいなぁ。こういう時は…」

 

 充電していたウマホを引っ張り出し、オーディオと無線で繋ぐ。検索するのは、スパム…ではなくて、彼らの方。

 

「…お、予想通り。有るものは有るんだねぇ」

 

 自分でも判る上機嫌っぷり。こういう時は、こういう曲に限るってもんだ。

 

「ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF LIFE」

 

 いつでも、人生の明るいところをみていよう。暗いところを見ていたってしょうが無い。せっかくのミスターシービー。しかも、楽しく走れているわけだし、楽しく煙草も、コーヒーも、バイクも楽しめている。それなら、悪いことが起きたって、口笛を吹いて、今の私を楽しもうじゃないか。

 

「うん。そうだね。気分も乗ってきたし。バイクにでも乗って、首都高にでも上がるかぁ」 



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かくして。

 有マが迫るのは、ミスターシービーだけではない。学園の練習場の一角では、ジャパンカップを走り抜け、有マを走らんと訓練を続けるウマ娘たちもいる。選ばれし18人のうち、その2人がベンチで話し込んでいる。

 

「プロミス。貴女、有マで引退と聞きました。本気、ですか?」

「あー、流石メジロのお嬢様。情報が早いね。結論から言えば本気だよ」

 

 キョウエイプロミスとメジロティターンの2人だ。ジャパンカップでは激走をみせた2人。しかし、その雰囲気は少々暗いものだ。

 

「なぜです?貴女、ジャパンカップのインタビューでリベンジを誓っていたじゃないですか。『自分の足で一着を』と。それが、この2ヶ月弱でなぜ?」

 

 有マで引退。以前から決めていたティターンは仕方がないとしても、プロミスはまだまだ走るつもりであったのだろう。だが、それが有マ直前での引退宣言。一体なにがあったのだろう。

 

「そうは言ったんだけどねぇ。実のところ、ジャパンカップからこっち、タイムが落ち込んでいるんだ。努力しても落ちていくんだ、全てが。感じてしまったよ。ああ、これが、上がりかと」

 

 そう言って、少し寂しそうに笑うプロミス。ティターンは思わず、天を見上げた。

 

「そうでしたか。貴女も、ついに」

「うん。ティターンの言っていた『限界』っていうやつだな。事が身に沁みているよ。いや、本格化とは全く逆だな。練習を重ねているにも関わらず、どんどん力が落ちていく。維持すら出来ない。この状態でよく、ティターンはここまで走ってきたね。素直に尊敬するよ」

 

 そう告げて、ティターンに微笑みかけるプロミス。ティターンはと言えば、ひとつ、ため息を付いてから、プロミスにこう告げた。

 

「意地ですよ。ただ単に。最後までメジロの誇りを魅せつけたいっていう、それだけの意地です」

「強いねー、君は。でも、君はメジロ家の悲願、天皇賞を勝ち取った時点で夢を叶えたんだろう?なぜ、有マまで走るんだ?」

 

 疑問。ティターンとしては能力の落ち込み方からすれば、現役を続けているというのが信じられないもののようだ。その疑問にティターンは、再度、天を仰ぐことで答えていた。

 

「単純ですよ。次世代の有望株。我がメジロ家の血を継ぐマックイーンにはかっこいい姿を見せたいですからね」

 

 メジロマックイーン。メジロ家の次世代のエースの一人。無論、マックイーンだけではないだろう。既にトレセンでその片鱗を見せているラモーヌや、マックイーンと同世代のライアン、ドーベルらというウマ娘たちに。きっと、天皇賞を、それ以上の栄誉を獲ってくれるだろうと、ティターンは信じている。その道筋になれるように。背中を見せるように。

 

「そっか。じゃあ、一緒に最後の悪あがきをしてみようか。私も天皇賞覇者だしね」

「ふふ。じゃあ、天皇賞覇者どうし、最強に挑みましょう。悔いのないように」

「うん。挑もう。ミスターシービーという最強に」

 

 固く、約束は結ばれた。2人の覇者が、最強のウマ娘へ挑む、最後の挑戦である。

 

 

「それで、私が引っ張り出されたというわけか」

「うん」

 

 首都高のパーキングエリア、大黒。私とルドルフは、コーヒーの缶を片手にのんびりと雑談を交わしている。ただ、ルドルフの顔には少々、呆れたような表情が張り付いていた。ま、仕方ないか。いきなりバイクで連れ出したからねぇ。

 

「シービー。出来れば事前に連絡が欲しかったのだが」

「あはは。ごめんごめん。でも、トレーナーも来れないって言うし、一人じゃ寂しいし。じゃあ、ルドルフだねって思ったんだ。キミなら来てくれるかなーって」

 

 時間は既に夜。太陽は完全に隠れて、今はお月様の時間。ルドルフを背中に乗せて走る首都高速道路っていうのも、なかなか乙なものであった。

 

「まだ、仕事もあったのだけどね?」

「えー?でも、周りがやってくれるんでしょ。むしろ、みんな『会長はお休みになられるべきです』とか言ってたじゃん?」

「それはそうなんだが」

 

 あんまり納得いってないね。でも、実際ルドルフ仕事しすぎなんだよなぁ。後輩とか周りに任せて良いんだよ、こういう案件はさ。ちょっと、先達としてアドバイスっぽいことをしておこう。

 

「それに、こういうときに頼られたほうが嬉しいんだよ。特にルドルフみたいな人に頼まれたらね」

 

 そう、尊敬する人に頼られる。それは、嬉しいことだから、どんどん仕事を振っちゃって良いんだよね。

 

「嬉しい?」

「うん。あの時、あの人に頼られた!っていう経験になるから。これ、結構大きな成功体験でさ。例えば、レースの最後の追い込みに一歩踏み出す力にもなったりするよ」

「それほどか?」

「それほどだよ」

 

 首を傾げてしまったルドルフ。そういうところが、後輩や周りに慕われるところなんだけれど、それがまた欠点にもなりうるのさ。背負い込みすぎて潰れたりね。ルドルフとはいえ一人のウマ娘だ。息抜きは、しっかりとしてもらわらないと、私も困るし。

 

「ま、逆に嫌いな人にやられるとやる気無くなって実力発揮できなくなるんだけど、ルドルフに頼られたのならそれは絶対にないだろうし」

「…それほどか?」

「それほどにきまってるでしょ?ルドルフ、君の人気は相当だよ?」

 

 そうか、とつぶやきながらコーヒーを煽るルドルフ。顔には苦笑が浮かび、ちょっとむずがゆそうな感じ。話題を変えるように、ルドルフは言葉を発する。

 

「そういえば、なぜ私たちは大黒に来たんだ?既に門限も超えているぞ?」

 

 ああ、そういえば言ってなかったね。門限を超えて、ここにいる理由。ちなみに、ルドルフを連れ出すための許可は、学園長にとってある。

 

「あー。ほら、ホープフル。勝ったよね」

「…ん?ああ。確かに勝利の栄冠を掴んだが」

 

 ホープフルステークス。ジャパンカップと有馬の影に隠れてしまっていたが、ルドルフは見事に勝利を収めてみせた。しかし、私はと言えば。

 

「ほら、私見に行かなかったしさ。お祝いもしてないでしょ?その、埋め合わせ。ご飯奢るからさー」

 

 スケジュールに空きがなし。ってことで、どうしても見に行けなかった。その埋め合わせも兼ねてだ。

 

「ふ、なるほどな」

「うん。じゃあ、2階のレストランでラーメンでもどう?」

「ありがたく頂くとしよう」

 

 缶コーヒーを空にして、ゴミ箱に入れる。そして、2人並んで2階のレストランへ。窓際の席に案内された私たちは、大黒の夜景をちょっと楽しみながら、ラーメンを頼む。

 

「ああ、そうだ。それで、もののついでに一つ。ミスターシービー。君に一つ頼みがあったんだ」

「頼み?」

「うむ。ああ、その前に一つ。学園長から聞いたのだが、君の専用曲。あれは君の、文字通り異世界の曲だと。間違いないか?」

 

 難しい顔をしているルドルフ。ありゃ、こりゃあ怒られるかなぁ?と身構えながら、言葉を選ぶ。

 

「あー、そうだね。専用曲ってなっているけれどさ、実際は私の知っているヒット曲を歌ってるだけなんだけど。えーと、どうかした?」

 

 私の雰囲気を察したのだろうか。ルドルフは、軽く笑みを浮かべ、その表情を崩していた。

 

「いや、批判などしようというものじゃない。曲がどうあれ、盛り上げたのは君とマルゼンスキーの努力の賜物だからな」

 

 予想外のお褒めのお言葉だ。いや、そう言われるとちょっと照れるね。

 

「ありがとう。でも、批判じゃないなら、なんだろう?」

「実は、有マ記念で一曲お願いしたくてね」

 

 む?有マで一曲?この直前に?

 

「有マで?学園長からそういう話はないけれど」

「ああ、これは、私から、というより数名のウマ娘からのお願いだ」

「お願い?」

 

 どういうことだろうか。学園長を通さず、お願いと来たものか。

 

「ああ。今回、メジロティターン、そしてキョウエイプロミス、アンバーシャダイが引退のレースだ。一つの時代が終わる。それでなくても、有マというのは、出会いと別れのレースなんだ。だから、彼らを送り出す意味でも、背中を押す曲をお願いしたい。と言うことだ。ま、正確に言えば、未だURA側の作詞作曲、楽曲作成のノウハウが無いとも言えるのだけどね」

 

 なるほどねぇ。

 

「…ま、ルドルフの頼みなら。でも、私のチョイスだから、あんまり期待しないでね?」

「問題ないさ。君のセンスに任せるとも」

 

 私のセンスに任せると来たものか。んー、さて、どうしようかなー。ちょっと探りを入れてみますかね。

 

「ちなみに、数名って、誰?」

「私、マルゼンスキー、あと代表的なところでいうとシービークロスにホリスキー。他にも多数のウマ娘達から嘆願を受けているんだ」

 

 ふむ。っていうか、シービークロス。私と同じ名前をもつウマ娘からの依頼か。

 

「ルドルフとかはいつものメンツだとして…シービークロスにホリスキー?」

「ああ。特にシービークロスが熱心でね。彼女が最後に走れなかったレース。そこに、メジロティターンがいたそうでね。彼女の活躍を自分のことのように見ていたそうだ。だからこそ、最後は盛大に送り出したいらしい。ホリスキーもティターンやアンバーシャダイの走りを見て勇気づけられたとかでね。ステイヤーとしての彼女達に憧れた人々からの依頼だよ」

 

 なるほどね。名ウマ娘にはファンも多いというわけだ。

 

「そういうことなら。でも、難しいね。送り出すような…しかし、有馬記念のような舞台でも盛り上がる一曲かぁ」

「無理難題というのは承知の上だ。無論、断ってくれてもかまわないさ」

 

 そう言いながら、ルドルフは笑みを浮かべる。全く、言葉と表情が合っていないぞ?

 

「あはは」

「どうして笑うんだい?」

「ルドルフ。アタシが断らないって知って言ってるでしょう?前のアタシなら断ってたけど、最近のアタシなら、断らないって」

「…ふ。バレていたか。そうだ。君なら、きっと、彼女らに相応しい一曲を用意してくれると、信じている」

「うん。わかったよ。頑張ってみる。それにしても急だなぁ。練習もろくにできないじゃない?」

 

 ここからだとあと一週間ほど。いやぁ、実に直前。実にピンチというやつだ。

 

「ああ、だからこそ。キミに任せたいんだ。キミなら、やってくれるだろう?」

 

 挑むような笑みを向けてきたので、こちらも、自信満々に頷いて見せる。ただ、しかし。そうなると速急に曲を決めなくちゃね。

 

「まぁね。でも、材料が少ないよ。あー…ルドルフの事も含めた資料とかってある?明日にでも貰いたいんだけど」

「言われると思って持ってきてあるとも。これだ」

 

 これはこれは用意の良いことで。ルドルフから紙の束を受け取ると、早速、目を通す。なるほどなるほど、各ウマ娘の詳細のプロフィールか。

 

「…マルゼンスキー、デビューがこの年で…ああ、寅年ね…で、シービークロスが…なるほど、こんな戦績で、あー、最後のレースね。なるほど。怪我か。で、うさぎ年…メジロティターンが…午年で…」

 

 んー…なんとも難しいところだねぇ。それにしても、十二支までデータがあるんだねぇ。これ、午ってなっているけれど、多分この世界じゃあウマ娘のことだよね。ちょっとおもしろいかも。

 

「そういえば、マルゼンはなんで?特に関係ないでしょ?」

「それが、ホリスキーを学園に誘った張本人だそうでね。簡単に補足をさせてもらってもいいかな?」

「ぜひ」

 

 ルドルフにそう促せば、頷いた後に淀みなく彼女は語り始める。

 

「ホリスキーは脚部が弱かったんだ。そのせいもあって、なかなか勝ちきれなくてね。本格的に始動出来たのはクラシックからだ。その時に、彼女ら、ステイヤーの走りを見て勇気づけられたらしくてね。マルゼンスキーはその恩を感じているらしい」

「なるほど。マルゼンも案外義理堅いね」

 

 なかなかマルゼンも後輩思いなウマ娘なことで。ま、判っていたけどね。ということは、実際はマルゼンとシービークロスの推しが大きいわけか。ルドルフが動くぐらいだし。

 

「…そうだなぁ。なんかいい曲…」

 

 マルゼンが寅の干支、クロスが…卯の干支。なんだろう、何か、ひっかかる…トラ、ウサギ…トラ…ウサギ?トラと、ウサギ?あ!

 

「参考になったかな?」

「うん。いい感じ。で、確認だけど、つまり、今までの『レースの世界で生きるウマ娘の物語』が終わって、各々の『次の物語へ続く』歌。そういうので、いいんだよね?」

「ああ、そういうのが、欲しい」

「じゃああるよ。一曲。いいのがね」

 

 ま、また肖ることになるけれど、と心のなかで付け足しておく。ふと、そこで一つ、大切なことに気がついた。

 

「でも、私にそれをお願いするってことは…私が勝つってことだけど、いいの?」

 

 そう。私の専用曲ということは、有馬記念で私が勝たなければならないのだ。それを考慮していないルドルフじゃないだろう。そう思いながら、表情を伺ってみれば、全く、あきれるほど自信満々な笑みの皇帝様のご尊顔があった。

 

「ん?ああ、だって、君が勝つだろう?」

 

 当たり前じゃないか。そう言いたげに、言い切った。

 

「負ける気はないけどね」

 

 そう、多分、アタシが勝つ。実力もなにもかもが私は今が1番いい。だが、浮かれてばかりもいられないのが有馬記念というもの。お祭り騒ぎの年末の一大行事。それはきっと、ウマ娘であっても、実際の馬であっても同じこと。どんでん返しもあるかもしれない。

 

競馬に絶対はない。それはきっと、ウマ娘でも同じことだ。

 

そして、有馬記念はお祭りとは言いながらも、そのお祭りを区切りとし、レースの世界から去る者だっているのが事実である。彼女らの覚悟は、きっと最強をも食らう力になることだろう。でも、だからといって。

 

「負ける気はない。むしろ、引導を渡すよ。私が。その有終の美に」

 

 絶世を誇った彼女らも、落日を迎え。いよいよ、その帳が落ちようとしている。その、最後の有終の美。己が最強と自負するがゆえに、全力をもって叩き潰し、その行く足を見届けねば、送らねばなるまい。その涙を、覚悟を持って受け止めねばなるまい。後悔などさせることなどないように、アタシは、私は絶対の強さを誇らねばなるまい。絶対の強さを見せつけて、次のステージへ、私は彼女達を送り出そう。

 

「容赦ないな、キミは」

「そう?でも、ルドルフだって同じ立場ならさ、同じことするんじゃない?」

「当然だ。失礼があってはならない。同じレースの場に立つのだからね」

「うん。その通り。最高の追い込みを魅せつけないといけないんだ、私はね」

 

 自分でそう言いながら、少し頭を抱える。

 

「…そう考えると、プレッシャーだなぁ」

「キミがか。明日は雨かな?」

 

 からかい気味にルドルフがおちょくる。確かに、全く、全く自由じゃない。この覚悟はきっと、私の思っているミスターシービーらしくは全くないと想う。

 

「降ってくれたほうが嬉しいけどね。ま、称号とかには興味はないけれどさ、自分ごととして考えてみるとさ、きっとこうあって欲しいって想うことがあるんだ。楽しく走ったレースという世界。私の力が落ちて、どうにもならないその最後にもし、最強がいたならって考えるとね」

 

 でも、それでも、私は今度の有マを勝ちたいと願う。だってこれは、レースに生きた彼らへの餞になるのだから。

 

「ほう?では、キミは、キミが言う『最強』がいる、己の引退レースを走る時にどう考えたんだい?ミスターシービー」

「その強さを隣で感じたいって思ったよ。手が届かない、絶対的なその強さをね。一緒に走れたら、それだけできっと楽しいんだ。だから、私は」

 

 今度の有マは全力で走るんだ。言葉にはしないけれど、ルドルフの目をしっかりと見つめた。私の視線を受けた彼女は、軽く笑みを浮かべながら、ゆっくりと頷いてくれていた。

 

「やはり、ミスターシービーは格好いいな。流石、史上最強のウマ娘だ」

「あはは。ルドルフほどじゃないけどね、っと。ラーメン来たよ」

 

 ルドルフと啜るラーメン。その味はとても美味しいもので、夜景と相まって忘れられない夜になりそうだ。そして、暮の中山。ここを超えていけば、来年はついに彼女と戦う時が来る。うん、楽しみ、楽しみだな。



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暮の中山

「この子は?」

 

 キョウエイプロミスがお披露目のために移動していると、メジロティターンが見慣れぬ子供のウマ娘を連れていた。

 

「メジロマックイーン。メジロの次期エース候補です。今日は、私の引退レースを見てもらおうと思いまして」

「へぇ。よろしく、メジロマックイーン。私はキョウエイプロミス。ティターンの一つ上だ。よろしく」

 

 プロミスがそう言うと、マックイーンは自然な所作で頭を下げていた。

 

「改めまして、メジロマックイーンと申します。今日はよろしくお願いいたします」

 

 きっちりと、丁寧な挨拶。なるほどメジロのウマ娘だなとプロミスが感心していると、なぜかティターンが吹き出していた。

 

「ふふ、今日はすましているけれど、プロミスに会うのを楽しみにしていたんですよ?」

「な!ティターンさん!それは言わない約束ですよ!?」

 

 被っていた猫が剥がれた。子供らしいとプロミスも、思わず吹き出してしまう。

 

「ぷっ。あはは。そうなのかい?メジロマックイーン」

 

 そうやってプロミスが言ってみると、マックイーンは輝く瞳でプロミスを見つめていた。

 

「はい!天皇賞を勝ったプロミスさんにどうしてもお会いしたくて!」

 

 満面の笑み。なるほど、本当に楽しみにしていたのか。そう納得したプロミスは、ファンサービスと右手を差し出す。

 

「そっか。じゃあ、握手でもする?」

「ぜひ!」

「ふふ。―うん。いい手だね。毎日練習しているのかな?」

「はい!日々、天皇賞を目指して練習を重ねています!」

「そっか。頑張ってね。大変だろうけど、きっと、キミなら栄誉に輝けると信じているよ」

 

 決してリップサービスではない。メジロのウマ娘。それもティターンのお気に入りならば、きっと天皇賞を獲るという確信めいた何かを感じていた。

 

「はい!!ありがとうございます!」

 

 嬉しそうにお礼を告げたマックイーン。ふと、ティターンがなにかに気づいたようにハッとする。

 

「さ、マックイーン。そろそろ私たちはお披露目だから。観客席に」

「あ、はい。それじゃあ、頑張ってください!ティターンさん、プロミスさん!」

「ああ。精一杯頑張ってくるさ」

「ありがとう。マックイーン」

 

 マックイーンに送り出され、2人は笑顔でお披露目のパドックへと歩き出していた。

 

 

 お披露目を終えたメジロティターン。トレーナーと最終の打ち合わせを行い、地下のバ道を歩いているところに、不意に声を掛けられる。

 

「よ。ティターン」

「これは。アンバーシャダイ先輩」

「はは、よせよ。プロミスと同じで呼び捨てでいい。メジロのお嬢様に敬語を使われると虫酸が走る」

「相変わらずですね」

 

 うへーという顔をしながら、ティターンに手を振ってみせるアンバーシャダイ。このウマ娘も、天皇賞覇者。メジロのウマ娘としては、同格以上の人物だ。

 

「はは。ま、お前とこうして会うのも今日が最後だしな」

 

 すこし寂しそうに語るアンバーシャダイ。何を隠そう、彼女もこのレースが最後の一走だ。

 

「そうでしたね。あなたも、引退ですか」

「おう。春の天皇賞で勝って以来、全てが駄目だ。維持こそ出来ているがな。お前の言う限界が来た。全く、ままらなん」

 

 頭をかきながら、そう告げる。ふと、ティターンが不思議そうな顔を浮かべていた。

 

「そういえば、レースが終わった後は、どうするんです?」

「んー。そうだな。全く決めてない。地元に戻って後進を育てるか、と漠然と思っているよ」

「…そうでしたか。ああ、もし、ご都合が付けばメジロでもトレーニングをしていただきたいと思うんですが、如何でしょう?」

「あたしがか?」

 

 まさかの申し出に、反射的に聞き返してしまったアンバーシャダイ。頷いて、ティターンは言葉を続けていた。

 

「はい。ライアンという子がいまして。貴女とその子、相性が良さそうなんです」

「なんだそれ。いい加減だな?」

「運命的な何か、を感じたんですよ。よければ、お話を受けていただけません?」

 

 首を傾げ、可愛げに告げる。つまりは、メジロへのスカウトだ。トレーナーとして。アンバーシャダイは少しだけ迷ったが、悪戯っぽい笑みを浮かべて、こう言葉を投げた。

 

「あー。ま、暇だしなぁ…あ、給料は出るんだろうな?」

「もちろんですよ。衣食住、お給金、メジロにお任せあれ。期待していいですよ?少々マナーには煩いですが」

「はは!イイじゃない!その話ノッた。じゃあ、落ち着いたらでいい。連絡をくれ」

「承知しました。では、まず、今日のレース、真剣勝負を」

「もちろんだ。ま、衰えたと言っても、負ける気はない。お互いベストを尽くそう。じゃあ、先に行っているぜ」

 

 手をひらひらとさせながら、アンバーシャダイは本バ場へと消えていく。それを追うように、メジロティターンも歩みを進めた。

 

 

『さあ、今日の一番人気はやはりこのウマ娘!18番ミスターシービー!ジャパンカップでの勝利を引っ提げて年末の祭典、暮の中山に現れました!現在G1を5勝!無敗!当代最強のウマ娘でしょう!今日、このレースであの伝説を超える6冠バの誕生を見届けられるのか!非常に期待が高まっております!』

 

 湧き上がる歓声を尻目に、私はウォーミングアップにとターフを軽く走る。やはり、今日の主役は無敗の5冠ウマ娘、ミスターシービー。アナウンス、そして歓声の度合いはそれはもう、私達の比ではないだろう。有マ記念はお祭りだといくら言ってたとしても、今日の主役は間違いなくミスターシービーその人だろう。

 

「今日勝てば、無敗の6冠ですか。素晴らしい記録です」

 

 つぶやきながら、自分の脚を見る。タイムが伸びなくなった私の脚。本当、なんでまだ走っているのだろう、そう思うこともあった。

 

「もう一度、天皇賞の栄光を。…いえ、違いますね。これはやっぱり、意地なんでしょう」

 

 どこまで行けるか。試してみたかった。大した理由なんて、無かったはず。

 

「そうですね。その旅の終わりがここ、暮の中山だった。それだけですかね」

 

 後悔は無い。私は全力で走ってきた。今日のレースだって、全力で走る。全力で競う。全力で、先頭を取りに行く。でも。

 

 直前のタイムを見れば、まぁ、色々絶望的でしょう。勝つ可能性は薄い。でも、そんなデータは、今日はおまけみたいなもの。

 

 「追いつけるかどうか?…野暮ですね。うん。勝つとしましょう」

 

 ゲートを見据えてピシャリと頬を叩く。ラストラン。しっかりと、走り切りましょう。

 

『さあ、ついに始まります。暮の中山、ウマ娘の祭典!注目はやはりミスターシービー!各ウマ娘ゲートイン完了!今、スタートしました!これは各ウマ娘見事なスタート。やはりミスターシービーのスタートは見事です。さあ、先頭は誰が行くのか。この暮の中山、注目の先頭は華麗な勝負服、ハギノカムイオーが行きました!内々をついてホクトフラッグも行っております!その外にはリードホーユー。どうやらこの3人がレースを作っていきそうです!』

 

『さあ拍手と声援に迎えられてホームストレッチに各ウマ娘入ってまいりました。先頭は変わらずハギノカムイオー、2番手リードホーユー、ホクトフラッグ内々通って3番手、スイートカーソン、ビンゴカンタ、エイティトウショウ外目から来て、ミスラディカル、その外にメジロティターン、キョウエイプロミスと続いております。ミスターシービーは最後方。仕掛け時を狙っているか!さあ先頭がコーナーに入っていきます!キョウエイプロミスの後ろにはテュデナムキング、ビクトリアクラウンがついて、ワカテンザン、それを見るようにアンバーシャダイが前を臨む!そしてミスターシービーの前にはモンテファストがコーナーを曲がっていく!』

 

『向正面、ハギノカムイオーゆったりとしたペース。見事なフォームで後続を4バ身から5バ身離してゆうゆうと進みます。そして2番手リードホーユー。3番手ホクトフラッグ、4番手スイートカーソン。順位は今のところ変度はありません。そして、ペースはスロー。ペースは早くはありません!ペースは決して早くはありません!これは、追い込み勢が有利になるか!?』

 

『さあ最終コーナー手前!各ウマ娘ペースを上げた!ハギノカムイオーの後ろにリードホーユー!後方からはダイナカールが早めに動いた!ペースを上げた逃げの4人!しかし、他のウマ娘も続々と間を抜けてやってきている!スイートカーソンペースを上げて先頭に立った!しかし最後方ミスターシービーまでの距離はない!アンバーシャダイは後方4番目!ミスターシービーはまだ最後方だがバ群が固まって400メートルの標識を超えた!』

 

『最後400メートルの勝負!最終コーナーを回った!回ってついに来た!!大外ぶん回してきたミスターシービー!リードホーユーが続いてデュナムキングも上がってきている。メジロティターン良い位置につけてアンバーシャダイが内をついてグーンと伸びたか!突っ込んできたのはオークスウマ娘ダイナカール!ビンゴカンタは伸びが苦しいか!そしてここでキョウエイプロミスも内をついて上がってきた!ティターン来た!アンバーも来た!

 

 しかししかし、ここでミスターシービーが大外をぶん回して一気に上ってきたぞ!』

 

 

 ミスターシービーらしい。素晴らしい、自由な追い込み。それについていくようにリードホーユーと、デュナムキングが私を突き放す。そのすぐ後ろにはアンバーシャダイが追い込みを掛けている。だけど、私の脚は。

 

「ああ、駄目ですか…追いつかない…!」

 

 400の標識が飛んでいく。ああ、最後だっていうのに。足に力がこれ以上入らない。これ以上、加速ができない。

 

 限界。成長の終わり。落日。私の力は、ここまで落ちていたのか。ああ、判っていたことだけど。

 

 泣きそうになる。挫けそうになる。

 

 でも、まだ脚を止めるわけにはいかない。まだ、下を向く訳にはいかない。なぜならば。

 

「メジロティターン!」

 

―確かに、聞こえた。ミスターシービーを応援する大歓声の中で、確かに聞こえた。

 

「いけ!メジロティターン!!!」

 

―背中を押す声が。私を応援する、必死な声が。

 

「がんばれ!メジロティターン!!!!」

 

―私の背中を、見ていてくれる、その声が!

 

 何を弱気になっている。メジロティターン!

 

 何を諦めている。メジロティターン!!

 

 私の背中は、ただの背中じゃない。

 

 メジロの夢が、人々の夢が乗っている。

 

 こんなところで、不甲斐ない姿なんて、見せちゃいけない!見せてなるものか!私はメジロティターン!怪我を超えて、負け続けて、でも、諦めずに天皇賞を手に入れたウマ娘だ!

 

 そうだ。たかだか力が無くなったぐらいで諦めるなんて、私らしくない!私は、諦めない!

 

「勝負、ミスターシービー!」

 

 ナケナシの脚から、一歩、踏み出す力をふり絞る。

 

 ズドンと、久しぶりに足元から、力を感じる音がする。

 

 やれる。イケル。まだだ。まだ諦めてたまるか!これが、私の最後のレース!最後の背中!一歩でも、あの最強に近づけ!あの最強に、歩み寄れ!そして、この姿を!

 

 その目にしっかりと、焼き付けて。

 

「やああああああああああああ!」

 

 焼き付けて!いずれ、私の、この背中を追い越すのですよ!頼みましたよ!

 

 メジロマックイーン!

 

 

『ついにミスターシービー先頭に立った!リードホーユーを交わした勢いのまま逃げる逃げるミスターシービー!2バ身体離れてリードホーユー!その後ろアンバーシャダイかデュナムキングか!ダイナカールも必死に追いすがる!そしてメジロティターンがワカテンザンを交わして先頭に迫っていくがその後ろからキョウエイプロミス、モンテファストにミスラディカル、トウショウゴッドも来ている!』

 

『しかし、しかし!やはり、やはり先頭はミスターシービー!大地が跳ねた!京都に、府中に続いて中山でも大地が跳ねた!これが最強!これが無敗!大地が跳ねた!大地が跳ねた!!』

 

『先頭は18番、ミスターシービー!今!ゴールイン!文句なしの優勝!!強い!そして、ついに!時を超えてあの伝説を超えた!無敗の6冠ウマ娘の誕生だー!!!』

 

『2着はリードホーユー。3着はデュナムキング。4着、アンバーシャダイ。そして5着にメジロティターンかそれともダイナカールかそれともキョウエイプロミスかというところ。確定まで、少々お待ち下さい』

 

 

『選ばれしこの道を ひたすらに駆け抜けて 頂点に立つ そう決めたの 力の限り先へ!』

 

 夜。天に星が降り注ぐ、その真下。私はステージの下で、見慣れた顔と肩を並べていた。お互いに全力。お互いに出し切った。だからこそ、お互いに掛ける言葉は決まっている。

 

「…どんまい」

「あなたこそ」

 

 NEXT FRONTIERを謳うミスターシービー、リードホーユー、デュナムキングの三人を眺めながら、お互いにかけるのは慰めの一言。

 

「着外かぁ…いや、追いつかなかった。やっぱり早かったなぁ。ミスターシービーは」

「ええ。本当に。唯一、私達の世代ではアンバーシャダイが掲示板に残りましたけど、うん。納得の世代交代ですね」

 

『一生に一度きりの今を後悔したくない 有言実行 言葉にしたら世界は動き出した』

 

「ああ。だが、後悔は無いさ。全力を出して負けたんだ。強さを刻みつけられた。うん。いい手土産だ」

「本当に。容赦がなかったですね、ミスターシービー。いえ。あの世代。いいウマ娘たちです」

 

『最速の輝き この手に掴み取って 新しい幕開けを超えて 進んでいこう』

 

「レースという舞台はこれで、終わりですね」

「ああ。私達の物語は終わった。あとは、次の奴らの物語さ。それに、レースは終わったが、私たちは次を育てるっていう仕事が始まる。うかうかはしていられないぞ?」

 

『情熱に鳴り響く 高鳴りというファンファーレ 抱きしめたら 解き放とう 目指す場所があるから!』

 

「そうですね。次のメジロたちを強くしなければ。プロミスはどうするんですか?」

「ん?そうだなぁ…ま、地元に戻って、有望株を鍛え上げてみせるさ」

 

『選ばれしこの道を ひたすらに駆け抜けて 頂点に立つ 立って見せる Next frontier 力の限り 先へ!』

 

「おー…やっぱりいい曲だ」

「プロミスは歌ったんでしたっけ?」

「うん。春にな」

「羨ましいですね」

 

―披露致しました曲は、URA作詞作曲『NEXT FRONTIER』。新たな決意を胸に進む、ウマ娘たちの決意の曲!来年もまた、ウマ娘達の活躍をご期待ください!―

 

 司会者の声がステージに木霊した。盛り上がる観客たち。大歓声に送られてステージを降りていくウマ娘たち。しかし、その中で唯一人、ステージに残ったウマ娘が居た。

 

「ミスターシービー、残りましたね」

「ああ。どうしたんだろうか?」

 

―そして、本日。新たな伝説がここ、中山レース場で生まれました。かの伝説を超えた、最強がここに生まれました。その名は、ミスターシービー!―

 

 大歓声。ペンライトは、ステージのライトは、全て緑色に染まる。

 

―それを記念し、ミスターシービーには新たな曲を歌っていただきます!―

 

 おお、と上がる大歓声。

 

「新しい曲?何か聞いていたか?ティターン」

「いえ、何も」

 

 なるほど、私達も知らない、となれば、本当のサプライズなのだろう。

 

「ああ…そうか。今日、ミスターシービーは無敗記録が伸びたのか」

「しかも、6冠ですからね。記念すべき記録ですよ」

 

 頷いて、ステージを見る。恥ずかしそうに頭を掻いて、ミスターシービーは静かにマイクを握り直していた。

 

―それでは、ミスターシービーさん。歌う前になにか一言!―

―うん。や。ミスターシービーだよ。今日は応援してくれてありがとう。今日は良いターフだったよ。みんなの熱気を感じられて、楽しく走ることが出来た。それで、無敗が続いて、G1を6勝。伝説を超えれた。ただ、覚えておいて。アタシは楽しく走りたいだけ。来年もそうするから、どんどん挑んで来て、どんどん応援して。真剣勝負をしよう。そして、また、皆の目の前で歌えたら最高だね!―

 

 ミスターシービーの声を聞きながら、プロミスは呆れた表情を浮かべていた。私も、そうだ。 

 

「それにしてはあいつ、いつもの通りすぎないか?賛辞を送ったら、『6冠?ああ、そういえば、そうだったね。ありがと』だってよ」

「それも彼女らしいです。だから、きっと勝ち続けているのかもしれませんね」

 

 そして、2人の脳裏にはミスターシービーのトレーナーの姿も浮かんでいた。勝利者のインタビュー、トレーナーももちろんコメントを求められるわけであるが。

 

『6冠。確かに偉業ですが、私にとってはミスターシービーが楽しそうに走ってくれたんで満足ですよ』

「偉業は大したものではない、と?」

『そう言われると語弊があります。ただ、彼女はこれからも楽しく走ってくれると信じていますから。楽しく走るシービーは、最強ですよ』

 

 あっけらかんと答えていた姿が、印象に残っている。

 

「トレーナーを含めて、あいつらは無欲だねぇ」

「ええ。本当に。じゃあ、私達の最後の仕上げ。彼女の歌を聞いて、お開きにしましょうか」

「そうだな。それにしても、何を謳うんだか。この有マのステージで」

「さぁ、でも彼女の専用曲を考えれば…今までの傾向から言えば格好いい系では?」

「だろうなぁ。ああー、でも、最後は勝ちたかったもんだ。これが、運命か」

「らしくないですよ?」

「そうはいってもな。ティターンはそう感じないのか?」

「…勝てるか、と期待はしていました。でも、うん、これが今の私ですよ」

 

 ふと、照明が落ちた。曲の始まりか、と視線をステージに向けた彼女らの耳に、衝撃が走る。

 

『かくして、またストーリーは始まる』

 

 イントロもなしのいきなりの歌い出し。また、ストーリーが始まる?

 

「え?」

「は?」

 

 あっけにとられた2人を尻目に、ギターがかき鳴らされる。バックモニターには、今日のレース映像。18人のウマ娘たちが次々に映し出されながら、曲は進む。

 

『これが運命だったんだ、期待してたかい?』

 

 射抜かれた。そう思った2人は、驚きでミスターシービーのステージに魅入る。気のせいじゃない。明らかに、彼女と目が合った。

 

『何も言わなくても伝わりそうだから とりあえず今は黙っておこう』

 

 運命だった。確かにそう思っていた。でも、それと同時に、ふざけるなとも思っている。運命なんてあってたまるかと。まだやれる。後悔はないと言葉で言っていても、やっぱり有る。ああ、勝ちたかった、最後のこのレースで。1番を取りたかった。 

 

『喝采のロードサイド 止まない未来の向こう側で 倒れちゃいそうな不安をみんな持ってる』

 

 これからどうなるのか。全く、不安しか無い。歌詞のとおりだ。喝采を受けるミスターシービーの後ろで、こんな不安を持っている。

 

『ただ眠っていたって 夜は明けてしまうから 走れ 進め 狙え 今を理由にして』

 

 不思議と、背中を押される感覚。それを感じながらも、音楽は一気に盛り上がりを見せた。

 

『その願いを叶えようか 歌えkaleido fiesta きれい過ぎて忘れられないような ような 景色になる』

 

 それは、まるで忘れらないような豪華絢爛なステージ。ミスターシービー色に染められたステージ。空には、リズムに合わせてライトが綺羅びやか。バックモニターには、ああ、今、ラストスパートをした私の映像が映る。キョウエイプロミスが、アンバーシャダイの背中が映る。

 

『今あなたと僕だけで夢を見続けないか 刹那したプレリュードだけが答えだろう?』

 

 ファン。それとも、トレーナー?共に、夢を見続ける…。

 

『祝祭の鐘よ鳴れ かくして快進撃は始まる』

 

 そう言って、私達を指さしたのは、ステージで楽しげに舞うミスターシービーその人。見間違いじゃない。ああ、彼女は、きっと、私達に向けて歌っている。レースから身を引く私達に、新たな『快進撃』があるんだと。

 

『トップスピードは更新中 ついて来れるか』

 

 今日のレースは、とても素晴らしいレースだった。ああ、きっと。

 

『等比級数的にロマンチックになる 見逃さずになぞっていこう』

 

 ミスターシービーなら、どこまでも行けるだろう。その姿は、見逃すことなんて出来ない。ただ、追い込みがどうだとか、色々知らない人たちが高説を垂れていることを知っている。でも、きっと彼女なら、これからもこのレースの世界を引っ張ってくれることだろう。

 

『高説はtoo muchだ お願い 少し黙って欲しい 史上最重要なドラマが控えてる』

 

 この有マのステージで、そう謳うか。そうメッセージを伝えてくるか。まだ、この先、待っていると。ドラマが待っていると伝えてくれるのか。

 

『つまり整合性なら 後日譚でわかるから』

 

「後日譚…これからの、私達を歌っているのか?味なことを。ま、なんにせよ、いい歌だな」

「ええ。いい歌ですね。そうですね。かくして、ストーリーは始まるんです」

 

『今を 今を 今を 今を 誇れるかだろ』

 

「後悔は?」

「していません。貴女は?」

 

『当てがないシークエンスでも 歌えkaleido fiesta つまりI miss youはもう要らない 未来を迎えに行く』

 

「私もしていない。いや、それどころか、今日の負けを含めて、キョウエイプロミスとしての栄冠は後世に誇れるものだ」

「私もです。メジロティターンとして進んできた栄光は、誇れるものです」

 

『胸の奥灯っている誰かを想うような 不器用なノクターンで既に傑作だ』

 

 トレーナーか。それとも、同期の仲間か、メジロの誇りか、応援してくれている誰かなのか。

 今日、いや、いままできっと私はそれを想って走ってきた。確かに、私の生き様は傑作だったのでしょう。うん、そうですね。最後を締めくくるノクターンとしては、全然、カッコがつかなかったけれど、それでも。

 

『幾千の喜びが集まり連鎖して そのまま C'mon please DJ, 問いただしてくれ この街を誇る権利 羽が無くても心が促す飛び立つような感覚を』

 

 ライトが落ちる。すると、今度は私達の、去る者たちのライトが灯る。合わせるように、ミスターシービーは天に指を指した。

 

『広がり続ける星空に僕らは今を誇れるか?』

 

 天を見上げた。幾千幾万の星空が見える。まるでそれは、これからのウマ娘達のよう。これからもどんどん、新しい名ウマ娘たちが生まれていくことなのだろう。ああ、出来れば、私の、私達の走りが後世のウマ娘たちの希望になるよう。ウマ娘たちが、幸せに過ごせるように、この星空に祈ろう。

 

『その願いを叶えようか 歌えkaleido fiesta きれい過ぎて忘れられないような ような 景色になる』

 

 忘れないさ。きっと。このレースという世界を。私の青春をかけた、こんなきれいな景色を忘れるわけがない。

 

『今あなたと僕だけで夢を見続けないか』

 

 トレーナーの顔が浮かぶ。最後まで、きっと、私はかっこよく走れたであろうか。

 ファンの、マックイーンの顔が浮かぶ。最後まで、きっと、私は最高を見せられたであろうか。

 

『刹那したプレリュードだけが 答えだろう?』

 

 遠くでは、アンバーシャダイがステージに釘付けだ。ああ、彼女もきっと、感じるものがあるのだろう。

 

『祝祭の鐘よ鳴れ』

 

 プロミスと、ティターンは顔を見合わせる。くすりと、笑みが浮かぶ。

 

『かくして快進撃は始まった』

 

「ああ。それじゃ、また会おう。メジロティターン」

「ええ。またいずれ、お会いいたしましょう。キョウエイプロミス」

 

 お互いに右手を差し出し、固く、固く握りしめた。

 

「「自分の意思を継ぐものを連れて必ず、レースの舞台で。もう一度」」

 

『kaleido fiesta 祝祭の鐘は鳴る』

 

 謳い終わった彼女は天に指をかざす。ギターの音が、最後の盛り上がりを見せるとと同時に、大きく、多数の花火がステージの上に花開く。暮の中山が終わる。

 

 

 すべてが終わり、レース場を後にしようと荷物を持って出口へと向かっていたティターンとプロミス。その2人の耳に、聞き慣れた声が入ってきた。

 

「ティターンさん!」

 

 振り向いてみれば、そこにいたのは息を切らしたマックイーン。隣には、執事が申し訳無さそうに立っている。

 

「マックイーン。もう帰ったんじゃ」

「待っていたんです!プロミスさんも!」

「私もか?」

「はい!あの、お二人のお時間、これから頂けないでしょうか!?」

 

 突然のマックイーンからのお誘いに、プロミスとティターンは顔を見合わせていた。

 

「いいけど。どうしたの?」

「ありがとうございます!えっと、この近くのホテルでお食事の予約をしておりまして。その、お話を聞きたくて!」

 

 マックイーンの言葉に、プロミスが思わず吹き出す。

 

「ふ、はは。マックイーン。私達で良いのか?今日の勝ちウマ娘はあっちにいるぞ?」

 

 プロミスは駐輪場を指さした。きっと、あの最強は今日もバイクでトレーナーと共に去ることだろう。だが、マックイーンは首を横に振った。 

 

「プロミスさんとティターンさんのお話が聞きたいのです!」

 

 真剣なマックイーン。一瞬、ティターンの頭には学園のルールが浮かぶ。そろそろ帰らないと反省文を書かされてしまう。メジロのウマ娘としては失格だろう。プロミスも同じようなことを考えていたのか、苦笑を浮かべていた。

 

 だが、同時に、2人はこうも思っていた。

 

 ―まぁ、今日ぐらいは門限を破ってもいいだろう。

 

「そっか。いいよ。とことん付き合ってあげる。プロミスもいいですよね?」

「もちろん。じゃ、行こうか」

「やった!あ、あの、今日の走り、かっこよかったです!」

「ふふ。そうですか?私、着外ですよ?」

「それでもです!最後の直線、思わず、ティターンさんの名前を叫んでしまいました!」

 

 並んで歩く三人。その表情には笑顔が浮かび、天の光がそれを照らす。陽が落ち、帳に隠れた夜にも光はある。落日があるからこそ、陽は昇るのだろう。



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シニア級1月のあれこれ①

 有馬記念は良いレースだった。気持ちよくブン抜けたし、なにより全員の熱気だ。あれを隣で感じられた瞬間、本当に楽しくて仕方がなかった。真剣勝負、一発勝負、雌雄を決する一戦。まさにそれだ。結果として勝って、ルドルフの依頼を達成できたけどね。ま、運が良かっただけだろう。

 

「診断結果としましては、爪の炎症ですね。軽いものですから、一週間ほど休んでいただければ完治できるかと」

 

 運。それは私の身体にも平等に降りかかるものだったらしい。有馬記念のあと、少々脚が痛んだ私はトレーナーを伴って病院に。結果としては、爪の炎症だとか。うーん…直前までなんにもなかったのだけれどねー。つまるところ、ミスターシービーとしての宿命的ななにかだろうか。

 

「一週間」

 

 とはいえ、一週間なら問題はない。のんびーりと過ごせばいいだけだ。トレーナーも同じことを思っているようで、軽く頷いていた。

 

「ええ。大したことはありません。軟膏、湿布、あとは飲み薬を出しておきますので、しっかりと養生なさって下さい」

「原因は何か考えられますか?」

 

 トレーナーが間髪入れずにそう訪ねていた。先生はうーんと唸ると、カルテを見ながらこう告げる。 

 

「そうですねー…。所見では…靴が合っていないのかと思われます。人間で言えば靴擦れみたいな症状ですからね。軽症で来ていただいたので、今のところ他に問題はないと思います」

「靴ですか」

 

 靴。あー…まぁ、少し前に違和感があったからねぇ。

 

「ええ。心当たりがお有りですか?」

 

 私の反応に先生がそう聞き返してくる。軽く頷きながら、こう答えた。

 

「インソールがどうも」

「あー…では、それが原因の一つかもしれません。可能ならば完治後に一度、インソールを変えて様子を見て下さい」

「わかりました」

「では、今日の診察はここまでとします。また一週間後、様子を見せに来て下さい。練習の可否は、そのときに判断いたしますので」

「はい」

 

 トレーナーとともに頭を下げて、部屋を後にする。それにしても私が怪我とは。やっぱりアスリートというものは、ウマ娘というものは怪我とは離れられないらしい。

 

「軽くてよかったな」

「うん」

 

 そう言いながら会計を待つ。待合室のモニターには、ニュース番組が流れている。どうやら、トゥインクルシリーズの特集をやっているようだ。

 

『ミスターシービー。やっぱり今走る中では、最強格のウマ娘ですね。テン良し、中良し、終い良し。調子を狂わすこともない、まさに理想でしょう』

 

 おお。まさかの私の事だ。結構な高評価だね。でも、今まさにその調子を狂わせているんだけどね。って、野暮なことは言っちゃ駄目か。

 

『そして、今年はやはり、シンボリルドルフの活躍に期待でしょう。一昨年のミスターシービーに続き、無敗のままホープフルを勝ち進みました。実力は十分でしょう。意気込みも『ミスターシービー』を超えるとのことでしたので、これはもしかすると、無敗の三冠ウマ娘が2年連続で生まれる可能性があります』

 

 おー、ルドルフも特集されててまぁーいい感じ。今年はルドルフとのガチンコバトルが待ってるし、実に楽しみだこと。

 

『他に注目と言えば、やはりカツラギエースでしょうか。ジャパンカップでこそを掲示板を外しましたが、それまではミスターシービーの直ぐ後ろにいましたからねー。今年はもしかしてがあるかもしれません』

『もしかして、というと?』

『ミスターシービー、シンボリルドルフを抑えての勝利。どこかで、見れるかもしれませんよ!』

 

 ははは。ご冗談を。とは言えない内容だねー。うん。実際実力は結構近いしね。でも、だからこそ楽しみがいがあるというものだ。

 

「楽しそうだな?シービー」

「ん?」

「顔に出てる」

 

 ありゃ。思わず、頬を両手で揉む。ああ、なるほど、確かに口角が上がってるね。

 

「まー…今年も楽しく走れそうだなって思っただけだよ」

「そうか」

 

 そういうトレーナーもいい感じに笑顔を作っている。こりゃ、似た者同士ってやつかな?

 

 

 練習は出来ない。レースも出来ない。ってことで、特にやることもないので、学園の喫煙所でのんびりと煙草とコーヒーを楽しむ。

 

「良いコーヒーだけどさ、煙草臭いなここ」

「仕方ないでしょ。ここは喫煙所だよエース」

 

 今日はお客さんが一人。同期のカツラギエースその人だ。猫かぶりをやめた彼女は男勝りのいいウマ娘だと思う。が、おタバコは嫌いなようで。

 

「というか、あまり君が来ると煙草吸いづらいんだけど」

「あー、気にすんなよ。わたしはお前の顔が見たかっただけだからさ!」

「どういうこと?」

 

 なんだそれ。私の顔って。

 

「景気づけだよ景気づけ。今年はお前に勝つって決めているからさ!」

「えー?なにそれ。ま、べつにいいけど」

 

 コーヒーを煽る。ステイゴールドの良い香りが鼻に抜ける。とりあえずパイプは横に置いておくとしようか。

 

「シービーは今年はどこから始動するんだ?」

「ん?」

 

 と、コーヒーを楽しんでいたら不意にそんなことを聞かれてしまった。始動ねぇ。

 

「エースは鳴尾からの大阪杯だっけ?」

「ああ。重賞獲って、宝塚を走る予定だぜ」

 

 なるほど、重賞からのグランプリ制覇か。良いレース予定だねー。

 

「それなら宝塚から…って言いたいところなんだけど、ちょっと問題があってね」

「問題?どうしたんだ?」

「勝負靴。最近合わなくなってさ。新しい型を作っているところなんだ。それ次第ってとこ」

 

 怪我のことは特に言うまい。心配させても仕方ないし。ともあれ、靴が出来ないことには本気で走れないのも事実。実際、いつ頃になるかねぇ。

 

「あー、そっか。ちぇ、宝塚で一緒に走れるかと思ったんだけどな」

「へー?楽しみにしてくれてるんだ。アタシと走ること」

「当たり前だ。お前に勝って、私が最強って言って見せたいからな!」

 

 そう言って、笑顔で拳をこちらに向けてくるエース。いいね。こつんと拳を当てて見せれば、ニカリと歯を見せてくれた。

 

「そりゃ楽しみだ。ま、練習用の靴は来週には仕上がるっぽいし、そうしたら一緒に練習しようよ、エース」

「もちろんだ。じゃ、あたしはそろそろ行くぜ。コーヒー、ありがとな!」

「んー。じゃ、またねー」

 

 足早に去る彼女の背中を、手を振って見送る。うん。彼女ならきっと成長して私の前に現れてくれるだろう。今年のジャパンカップはルドルフにエースにと相手には事欠かないね。

 

「そういえばマルゼンはどうするんだろ」

 

 昨年、ジャパンカップ2着のマルゼンスキー。リベンジを語っていたけれど、最近ついぞ話を聞かない。まぁ、現役は続行していることは知っているけれど、後で話を聞きに行くとしようか。

 



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シニア級1月のあれこれ②

 久しぶりに呼び出されたのは学園長室改め理事長室。たづなさんは居ないようで、学園長改め理事長とサシの会談と言っていいだろう。

 

「まずは無敗記録、そして年度代表ウマ娘、おめでとう!さあ、まずは一杯!」

 

 祝!という扇子を広げて笑顔でそう言ってくれた理事長。差し出されたのは手ずから淹れていただいたコーヒーである。

 

「ありがとうございます。頂戴します」

 

 礼を言いながらそのコーヒーに口をつけてみれば、なるほど。結構良いものを使っている。ただ、ちょっと好みとは外れる感じだね。重いというか。

 

「その顔はあまりお気に召さなかったようだな!失敬失敬!」

「あはは。ごめん。あんまり美味しくないや」

「うむ。正直で結構!さて、では話は変わるが今回呼び出したのは、祝い事のためだけではない」

 

 うん。でしょうね。ここに呼ばれるときは何某か、要件があるときぐらいだし。

 

「だろうと思っていました」

「察しがよくて助かるぞミスターシービー!単刀直入に言えば、4月の感謝祭、そこでソロライブのステージを任せたいと思っているのだ!」

 

 あー、ファン感謝祭か。確かにゲームにあったね。シニア級で、確か固有スキルが上がるイベントだったっけ。でも、そのステージってどういう事だろう?

 

「ステージ?」

「うむ。ファン感謝祭のステージだ。加えて、新入生の祝いのステージにもしてやりたいと思っている。協力願えないか!?」

 

 賛否!と書かれた扇子をこちらに向けてくる理事長。まぁ、そういう意味のステージなら立ってもいいだろう。それに、無敗の三冠ウマ娘としての立場も有るしね。こういうときに矢面に立つのも一つの責任だ。

 

「無論、良いですよ」

「助かる!それで、演目についてなのだが…」

 

 言いにくそうに視線を落としながら、苦笑する理事長。ああ、なるほど。この流れならば、こういうことか?

 

「もしかして、いい曲がないから協力願えないか?というお話ですか?」

「…うむ。どうしても、一曲が思いつかなくてなぁ」

 

 難題。扇子が彼女の気持ちを指し示す。…いや、そんなにコロコロ文字が変わるのがすごいね。その扇子、ちょっと欲しいかもしれない。

 

「一曲、ですか」

「無論、URAでのレースでの曲もあるが、今回はファン感謝祭と同時に、新入生に対する祝の場所なのだ。しかも今や飛ぶ鳥を落とす勢いの君のソロステージ。無論、ウイニングザソウルやメイクデビューなどは歌ってもらうが、トリの一曲を君に任せたいと思っている」

「トリの一曲、ですか」

 

 うーん、と考えてしまう。様々な曲を歌った後の一曲かぁ。というか、それなら。

 

「私はスペシャルレコードがいいと思いますが」

「ふむ。理由は?」

「やはり、昨年の有馬記念の曲ですからね。それに、歌詞や曲調の明るさ、ステージの豪華さといいファンに向けた感謝としても、これからレースを走る彼女らへの発破をかける曲としてもいいと思いますが」

 

 そう言うと、わかりやすく悩む理事長。どこが不満なのだろう?

 

「そう思う、のだが、実は、感謝祭のラストもラスト、大トリに昨年の活躍したウマ娘による全員合唱バージョンを考えていてなぁ…」

「あー…」

 

 なるほど、確かに今回はソロライブの依頼。その他にも普通のライブなどもやると考えたときに、グランドフィナーレとしてスペシャルレコードを持ってくるのは当たり前か。

 

「だから、君のソロステージのトリ。そこにはスペシャルレコードは使えないのだ。故に、君の知識、君の感性を借りたい!」

「うーん…まぁ、いいですけど」

「そうか!感謝!非常に助かるぞ!ミスターシービー」

 

 笑顔でこちらの手を握ってきた理事長。うん、この反応からするに相当頭を悩ませたんだろうね。ま、そうそういい曲ってのは出て来ないからね。私の場合は流行った曲を提供しているっていうチートみたいなもんだし。

 

「しかし、ファンと新入生に向けた一曲ですか。また難しそうですね」

「うむ。加えて、個人的には在校生に向けた一曲でもあってほしい」

「…在校生?」

 

 理事長の顔を見てみれば難しい顔だ。多分、私も同じ顔をしていることだろう。要求が結構高いね。新入生にも、ファンにも、在校生にも伝えたい曲か。

 

「うむ。正直に言おう。現在、君がこの学園の頂点だ」

 

 頷く。確かに、私以上のウマ娘は誰も居ないだろう。ま、今年出るけど。ルドルフっていう最強が。エースも間違いなくジャパンカップで来るだろうし。

 でも、それが今回の事と何か関係があるのだろうか?

 

「そして、そのせいもあってか…あまり良くないことをいうウマ娘たちも居る」

「というと?」

「ミスターシービーは持っているウマ娘。持っていないウマ娘の私たちは、どうしようもない。というような意見だ」

 

 ああとため息が出た。うん。その気持はよく判る。判ってしまうとも。勝てない日々、勝つ奴は目立って格好いい。皆が注目する。でも自分は注目されない、努力しているのに。希望を持ってチャレンジし続ける。

 しかし、結果がなかなか出ないウマ娘達は、結果が出る前、あるときに気持ちが折れる。折れた結果はまぁ、碌なことにはならない。結果的には学園を去っていくわけだ。

 

「他にも、ミスターシービーは持ってて、キメる時に決められて、素敵なウマ娘。私たちはもってないし、決めきれないし、普通のウマ娘だ。のようなネガティブな意見が少々、聞かれるものでなぁ…」

「うーん」

 

 ただ、こういう気持ちというのは周りからみたり、後から振り返ってみると大したことはない。いや、君には君の武器が有るじゃないか。私にはあの時この武器があったじゃないか。それを磨かなかったのは、君だろう。自分だろう。…と、思うのだが、今その当事者からしてみれば、『そんなことはない!私は持ってない!努力はしている!運がない!』と、声を大にして言いたいものだ。私も、そういう時期はあったさ。

 

 だが。

 

 何も関係ないだろう。誰が活躍していようと、何度負けようと、何度挫けようと、足を止める理由にはならない。

 

 そう、足を止めたのは、止めたいと思っているのは、間違いなく君の意思であり、君が自分で決断した事である。

 

 もちろん続けるのも、君だけの意思だ。言い訳をして辞めるのも、君の意思だ。他の奴の行動や意思や言葉が目に入ったところで、それは理由付けに利用しているに過ぎない。全ては自分の判断なんだ。

 

 『ミスターシービーには敵わない』『ミスターシービーには届かない』

 

 糞みたいな言い訳だ。そんな奴、私に追いつけるわけがないだろう。誰かが、『アタシ』を諦めているうちに、『私』はそのもっと上を目指しているのだから。

 

「…ま、あるよ。一曲、ただ」

 

 しかし、活躍している私が直接そう言ってしまうと、完全にいじけてしまう奴も居るだろう。だから、今回も肖ることとする。手段は問わない。

 なんせ、不幸になるウマ娘は、できるだけ、一人も見たくないからね。

 

「ただ?」

「ファンや新入生に向けた曲ではないかなー」

 

 背中は押せるけどね。にやりと笑って見せれば、理事長は大口を開けて笑ってみせた。

 

「はははは!構わないとも!煤けた背中に喝を入れてやってくれ。ミスターシービー」

「モチロン。まったく、勿体ないよね。トレセンに居るっていうのに」

「うむ。私はすべてのウマ娘が幸福に過ごせるように日々邁進している。しかし、自ら諦められてしまっては、私から差し出せるものがない。どうか頼むぞ、ミスターシービー」

「はーい。任された。ま、期待してていいよ」

 

 残ったコーヒーを口に含む。うん、重くて、苦いコーヒーだ。全く、口に合わないな。

 

 

 数日後。私はトレーニングルームで足腰を鍛えていた。ま、とはいっても、軽い運動レベルの感じである。まだまだ本調子じゃないからね。怪我なんてしたらもったいない。

 レッグプレスのマシンに座った私は、ぐっと縮めた脚に力を入れて、思い切り蹴り伸ばしてやる。下半身が一気に鍛えられるこの感じは、嫌いじゃない。隣では麗しの生徒会長が上半身を鍛え上げている。

 

「と言うわけで、なんか、まーた引き受けちゃった」

「なるほど、なかなか君も難儀だな。ミスターシービー」

「君にだけは言われたくはないんだけど、ルドルフ?」

 

 難儀さで言えば間違いなく君のほうが上だよね。そう思いながら睨みつけてみれば、ルドルフは肩をすくませて筋トレを続けている。全く、うちに一晩泊まってから気安さが増えたのはいいんだけど、遠慮が無くなっている気もするなぁ。そういうの、嫌いじゃないけどさ。

 

「しかし、君のソロステージか。演目は決まっているのかい?」

「ん?えーとね、メイクデビュー、ウイニングザソウル、あとレックレスファイア」

「ああ、君の専用曲…扱いのか」

「そ。決まっているのが3曲なんだけど全部で4曲歌わないといけない。で、トリの一曲は新しい曲を用意しないといけないんだ。練習や振り付けの事を考えると案は今週ぐらいには出さないと。全く、無茶な要求するよねー」

 

 ちなみにエンドレスドリームについては、ルドルフ、エース、マルゼン、私を含めて18人で演目の予定だ。なかなか豪華だよね。

 

「そうか。しかし、君の中で曲は決まっているんだろう?」

「まーねー」

 

 思い浮かんでいるのは、比べて言い訳をするやつには特効薬みたいな曲。ま…もしかしたら、完全に折れる奴もいるかもしれないと危惧もしているのだけど…、腐ってもトレセンに入ったエリート。こなくそと、立ち向かってきてくれるだろうと信じている。

 

 そんなことを考えていると、ルドルフが笑顔で頷いていた。

 

「どうしたの?」

「ああ、いやなに、この間の有マのステージ。君の歌を聞いて、何人ものウマ娘が目の色を変えていたものでね。雰囲気を一言で言えば…そうだな、開雲見日と言ったところか」

「そうなの?」

「ああ。私も観客席にいたが、それはもう、劇的な変化だったとも。覇気すら感じるほどだった。特に、引退が決まったはずの彼女らの、その瞳の強さは忘れられるものではないよ」

「そっか」

 

 希望が見えたのなら、歌った意味があるというものだし。肖った甲斐があったね、と、心の底から思う。やっぱりウマ娘好きだもん。笑顔でいてほしいと思うからね。そのために、私の知識はすべて使っていこうと思う。

 

「故に、今回の君の歌も期待させてもらうとも」

「うーん…そう言われるとプレッシャーを感じるね」

 

 お互いにいい汗をかきながら続ける会話。下半身はいい感じに疲労感と負荷を感じている。そろそろ辞め時だろう。最後に一発、よっこいしょっと!

 

「ん、今日はここまでか?シービー」

「うん。今日の追い込みはここまでで終わっておくよ。本調子じゃないしねー」

 

 先にも言った通り、今日のところはトレーニング、というよりは、体力維持の運動だ。この後は少しだけランニングを行って、運動を終わらせる予定である。器具の重りを元に戻しながらルドルフを見てみれば、これはなかなか本格的にトレーニングを行っているようで、額には玉汗が浮かび、顔には赤みが浮かんでいる。

 

「ルドルフは本格的に追い込んでるね。皐月には早くない?」

 

 皐月はまだまだ先。今から追い込んでしまっては身体が持たないんじゃないの?とちょっと心配をしてみたのだが。

 

「ああ、クラシックには早い。だが、なんせ目の前に最強がいるものでね。自然と気合が入ってしまうんだ」

 

 じろりとこちらを睨む皇帝の瞳。怪しい光をまとった視線に、思わず仰け反ってしまう。うーん、これはなかなかヤバイプレッシャーだね。

 

「そっか。じゃあ、アタシはルドルフが入れ込みすぎないように、立ち去るとするよ」

「そうしてくれ。このままでは気持ちが乗りすぎて、君との勝負が待ちきれなくなるどころか、嫌がる君をコースに連れ出して、今直ぐ勝負をしてしまうことだろう」

「ふふ。わかった。あー…で、飲み物持ってこようか?」

 

 ふと目に入ったのは空のドリンク容器。ま、本格的なトレーニングをしているだけあって、ルドルフ、汗まみれだしね。

 

「ああ、空か。では、頼んでもいいかい?」

「モチロン。普通のドリンクでいい?」

「プロテインを追加で、スプーン2杯入れてくれ」

「あー、学園の奴ね。オッケー」

 

 ルドルフのドリンク容器を持って、学園備え付けのドリンクのコーナーへと向かう。スノーマッスルと書かれたプロテインを2杯容器に入れてから、宝瓶宮と書かれたスポーツドリンクを注ぎ込む。うん、相変わらずよく溶けるプロテインだこと。男のときに使っていたやつは結構固まるんだけどねぇ。これ、あっちにも欲しいと思う。作るの楽だしね。

 



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トレセンの1月

「ミスターシービーかぁ…本当、彼女凄いよね」

「うん。周りも。エースに、ルドルフさんに、追いつける気がしない」

「本当にねー。あーあ、地元じゃ1番早かったのになぁ」

「あたしも。いつまでダラダラとすがりつくんだかって思うよ」

「私もだよ。でも、やっぱり夢は見ちゃうよね」

「うん。オープンで勝ちたい。重賞ウマ娘になりたいんだけど。私、キラキラ持ってないしなぁ」

「本当に、羨ましいよねー。あ。それでさ、あたし、実は今年でトレセンをやめようとおもってるんだ。地元のお店から声かかっててさ」

「え!?嘘!?」

「本当。最後まで本気でやりたいけど、どうもねー…」

「そっか。そっかぁー」

「君は?」

「まだ居れるうちは頑張るけど…ね。でも、そろそろ勝たないと、勝たないと、でも」

 

―ミスターシービーみたいに、キラキラは出来ない。私には。

 

 

『あと2周!タイムが落ちてるぞ!前を向け!顎を上げろ!踏みしめていけ!』

『はい!』

『お前なら出来るぞキング!まずは中山記念!獲るぞ!』

『はい!ヤアアアアアアアアアアア!』

 

 抉れる地面。汚れる顔。だが、それを笑うものは誰もいない。ここはトレセンだ。

 

『エース!下を向くな!まだお前はシービーに届いていない!練習から気後れしてどうする!』

『わかってんだよそんぐらい!見てろ!』

『いいぞ!気迫を出していけ!』

『あいつにいつまでも背中を見せられてるわけにいかないんだよ!オラアアアアア!』

 

 笑う暇があるなら、前を向いて背中を追う。暇など無い、上を目指すのだから。

 

『スイムの目標は2000メートル。いいな?』

『もちのロンよ。スタミナ、付けないとね』

『目標は今年のJCでいいのか?本当に』

『ええ。2番手じゃあマルゼンスキーの名が廃るもの。ドリームに行くとしても、一着でいかなくちゃ』

『わかった。じゃあ、目標タイムは人間の半分だが、お前なら行けるだろう』

『あら、信頼してくれているのね。キッツイけど、おねーさん頑張っちゃう。行ってくるわね』

 

 そこに、年功序列は関係ない。実力をただただ高め、ライバルとのレースに備えていく。

 

『ほら、ドリンクだ。5分休憩、そのあと坂路再開だ』

『プロテインは?』

『2杯入れてある』

『ありがとう。どうだ、私の仕上がりは。クラシック、君の目から見てどう思う』

『気が早いぞ、掛かり過ぎだ』

『…すまない。最近、シービーと筋トレをする機会があってね、やはり、どうも』

『はは。君も年相応な所があるんだな。だが、今年のクラシック、面子は濃いが…君が1番濃く、味がしそうだ』

『ほう。根拠は?』

『私の勘』

『ふ、あはは!まさかトレーナー君がそんな冗談を言うとは』

『でも、私の勘は当たるからね。それに、シービーが1番注目しているのが君だ。これが根拠では物足りないかな?』

 

 目指す背中はまだ遠い。しかし、希望は常に目の前にある。

 

『十二分だ。―さ、では休憩は終わりだ。何本走る?』

『4本。全力で足を振り抜いてこい』

『承知した。ハアアアアアアアアア!』

 

 それをまた見守るものも、希望に満ち満ちている。

 

『最近、シンボリルドルフはどうか?』

『調子はいいと聞きます。生徒会の仕事は他の人に任せているとか』

『そうか。彼女は責任感が強いシンボリの家の者だ。抱え込むきらいがあったが、どうやら、周りを頼る事を覚えたらしい』

『そうですね。これも、ミスターシービーのお陰でしょうか?』

『ん?なぜ彼女の名前が出てくるのだ。たづな』

『理事長がミスターシービーに任せたのでしょう?かかり気味だったシンボリルドルフを。判りますよ』

『そうか。なんにせよ、今年も一年、退屈することはないだろう!』

『そうですね。ああ、それはそうと、学園の畑の増設の件で見慣れない請求書が来ているのですが…』

『おおっとたづなぁ!私は急用を思い出したぁ!適当に処理しておいて…』

『…逃がすと、逃げれるとお思いで?キッチリと説明していただきますよ?』

『いやこれはウマ娘の幸せのためであってな!?話を聞いてくれたづなぁ!』

 

 得てして、今日もトレセンは騒がしい。

 

 

「爪の状態は良いですね。練習再開の許可を出しましょう」

「ありがとうございます」

 

 病院で快方の報を受けて今日はプリウスでの2人旅。バイクじゃないし、バイクじゃ駄目。というか、車じゃないといけない理由があるんだけど、まだ、トレーナーには伝えていない。

 

「そういえば、新しい靴は近いうちに届く、んだよな」

「うん。明後日には持ってくるって」

 

 千明さんと佐藤さんの自信作。柔らかさと靭やかさ、そして強度と耐久性を高次元でまとめたものらしい。練習靴だけでも制作に時間がかかるとか。

 

「ドライカーボンのインソールに、特殊樹脂を染み込ませた皮、だっけか。奢るなぁ。高いんだろう?」

 

 頷く。ま、確かに桁がひとつ違うけど、楽しく走るための投資だ。安い安い。

 

「ま、それだけアタシの足が厄介ってこと。幸い蓄えは多いしね。それに、トレーニングメニューを調整してくれたから去年は怪我が無かったんだし。君に感謝だよ、Mr.トレーナー?」

「そう言ってくれると冥利に尽きるさ。ミスターシービー。それはそうと…どこに向かってるんだ?首都高…逆じゃないか?」

 

 お、お気づきになられましたか。そうだね。普通だったら府中にいくもんね。でも、今向かっているのは川口方面。埼玉方面。全く逆だ。だって、今日プリウスで来た理由はこれなのだから。

 

「キャンプ場に向かってるよ」

「は?トレセンじゃないのか?」

 

 良いリアクションするねー。でも、トレーナーの顔は見ずに話を進めておく。こういうのは、相手の意見を聞かないのがコツだ。

 

「大洗の松林。平日なら空いてるからねー」

「いやそういう話じゃなくてな?」

 

 焦ってる焦ってる。でも、君はアタシのトレーナー。こうなったら、曲がらないのはよく知っているでしょう?

 

「ハンモック、2つ用意したからさー。焚き火で温まりながらゆっくりしよう」

 

 そう言って笑顔でちらりと目配せをしてみる。すると、トレーナーは肩をすくめて大きくため息を吐いていた。どうやら勝ちのようだ。

 

「…へいへい。判りましたよお姫様」

「よろしい。あ、外泊許可は獲ってあるから」

 

 理事長と生徒会長から勝ち取ったとも言う。トレーナーと2人の外泊なんて普通認めないからね。でも、私がやりたいからねーということで無理やり押し切った。苦笑を浮かべていたから、仕方ねぇなぁこいつは、ぐらいな感じで送り出された感は強いね。

 

「お前本当にそういうところの根回しがハンパないな?」

「楽しむためなら努力は惜しまないからね。レースも、遊びも!」

 

 全力で競い合い、全力で遊ぶ。私のスタイル。アタシのスタイル。妥協なんてありゃしない。だって、勿体ないもの。逸る気持ちそのままにアクセルを踏み込めば、モーターとエンジンのハイブリットの力で、車体がぐっと前に出る。

 

「おおい、控えめでいけよ」

「判ってる判ってる」

 

 バイクの背中に乗っている君が今更何を。車なんて快適じゃあないか。雨には濡れない、風にもあたらない、気温はコントロールされているし、ノイズも少ない。快適すぎる。

 

「アタシがバイクなら、ルドルフは車かなぁ」

「ん?」

「ああ、いやね、イメージの話。アタシは楽しく走るでしょ。縦横無尽というかさ」

「そうだな」

「でも、ルドルフは強くて安定している感じがあるからさ。そうかなって」

 

 思い出してみれば、馬のシンボリルドルフは強い競馬ばかりだった気がする。前目に付けて、最後の直線でぐっと前に出る。安心感は強く、実際、強い競馬だ。彼女と比べれば、アタシは不安定とも言えるだろう。

 

「ルドルフは確かに有望株。強いな」

「トレーナーもそう思うでしょ?」

「だが」

 

 区切ったトレーナー。ちらりとその顔を伺ってみれば、仕方ねぇなぁという顔で、笑っていた。

 

「ミスターシービーは不安定だからこそ楽しんだろう?最後の直線で駆け抜けてくるから、楽しいんだ。お互いに良いところがあるんだし、気にすんな。お前は、楽しく走ってくれればそれでいいし、それ以上は求めない」

「1着は?」

「ついでに着いてくるもんだろ?俺にとっても、お前にとっても」

 

 なんの気無しで言ってくるトレーナー。ああ、そう。そうだ。その通りだよ。思わず、笑みが浮かぶ。

 

「あははははは!いいね、すごくいい!そうだよ。その通り。やっぱり君は良いトレーナーだ」

「なんだよ急に」

「こっちの話。じゃ、今日はステーキを奢るよ。お手製ハラペーニョソースもつけちゃう」

「お、そりゃいいな。酒と煙草が進みそうだ」

 

 天気は快晴。気温は低い。でも、隣に居るのは信頼出来るパートナー。きっと今日は、楽しい楽しいキャンプになりそうだ。

 



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キャ『ン』プ・ビー

公式からの供給過多とはこのことですね。

圧倒的、圧倒的感謝…!


「いいでしょ、大洗の海」

「おー」

 

 助手席のトレーナーは感嘆の声を上げていた。若干、今日はシケているからか、白波が立っていてどこか日本画のような海だ。と、その砂浜で、結構大きな人だかりが見て取れた。

 

「ん?あれ、なにやってんだろ?」

「ん?どれだ?」

「あれあれ」

 

 私が指さした先を、トレーナーは追う。

 

「あー…野良レースじゃないか?」

「野良レース?」

 

 よくよく見てみれば、人だかりから離れたところで数名の人影が走っている。あ、今人だかりからまた数名、横一線で砂浜を駆け出した。

 

「楽しそうだね、アレ」

「興味あるのか?」

「うん。トレセン近くの河川敷とかでもよくやってたし。こっちだと砂浜なんだねー」

 

 砂を巻き上げなら進むウマ娘達。表情は伺い知ることはできないけれど、きっと、楽しんでいそうだね。

 

「キャンプ場いって落ちついたら行ってみるか」

「いいの?」

「ああ。ま、お前が走るのは遠慮願いたいが…」

 

 む、まー…そうか。砂浜、オフ。走る道具も持ってきてないしねぇ。

 

「まぁ、状況によるな。コースの状態を見て、あと参加者の民度を見て許可を出すよ」

 

 私の残念そうな表情をみたトレーナーは、そう提案をしてくれていた。

 

「うん。お願い」

 

 少し笑みが浮かんでしまう。レースというだけでも、かなり楽しいのだ。ウマ娘の本能というか、私の本能というか。

 

 

 海岸線を抜けてキャンプ場に到着した私とトレーナーは、早速受付へと向かう。のだけれど、その前に一つやることがある。

 

「なんだその帽子」

 

 私が荷物から取り出した帽子を見て目がテンになっているトレーナーを後目に、更にヘアゴムを取り出した。

 

「一応ほら、テレビで顔出てるし変装。あとほら、ゴムで髪をまとめてポニーテール。案外これでごまかせるもんだよ」

「なるほどな」

 

 せっかくのオフ、キャンプ。だというのに、顔がバレて騒ぎになるのは避けたい所だ。なんてったって、私の歌は町でも結構流れているわけだし、URA自体がエンタメ。誰が見ているかわからないからね。処世術というやつである。…ミスターシービーだったら、多分、「気にし過ぎ」とか言いそうだけど。

 

「お二人ですね。お名前とご住所をこちらに」

「はーい」

 

 早速受付でトレーナーと共に記帳を行うわけだが、ここでミスターシービーと書いてしまっては変装の意味がない。ということで。

 

「西崎様と、ウマ娘キャップビー様。ご予約の方ですね。お待ちしておりました」

「うん」

「ご利用になったことは?」

「何度かあります。あ、ゴミ袋2つお願いします」

「承知しました。では、軽くご説明だけさせていただきますね」

 

 係員はゴミ袋を取り出しながら、簡単にマップを指さしながら説明を行ってくれた。ゴミ捨て場、水場、あとは売店の時間など。ま、今回はキャンプ場隣のスーパーや、市場で食材は手に入れるから問題はないだろう。門限だけだね。

 

「…最後に、消灯は10時です。それ以降は静かにお過ごしください」

「わかったよー」

 

 私とトレーナーは受付を終えて、その足で適当に場所を探していた。どうやら今日は人は少ないようで、まさに貸し切り状態と言えるだろう。遠くでギターの音が聞こえる。しかも結構お上手だ。うん。あの音が聞こえる範囲でちょっと設営したいかも。

 

「この丘の上でいいかな」

 

 ということで、選んだのは受付から近い丘の上。トイレ、水場も近い。ベストポジションだ。

 

「設営…やったこと無いんだが」

「あー。大丈夫だよ。ちゃっちゃとやっちゃうから」

 

 今回選んだ道具たちは一人でも設営が出来る優れもの。テントは真ん中にポールを立てるだけのワンポールテント。大きく、2人の大人が寝ても余裕の一品。コットと呼ばれる簡易ベットに、ヘッドレスト付きの椅子、少し高いテーブルに、スキレット、後はディスク型の焚き火台。チタンのコップはダブルウォールで飲み物の温度を保ってくれる。

 

「…ほお、かなり本格的だな」

「そりゃ、トレーナーと一緒に泊まるからね」

 

 そう言いながら取り出したのはダウンの寝袋。冬の大洗は海沿いとは言え氷点下に気温が下がる。ウマ娘の私は体温が高いので-5度のライトなもの。トレーナーはー15度対応のヘビーなものを用意している。もしそれでも寒いのならば、この軍用毛布のウール96%の一品で暖を取ってもらう感じ。

 

「よし、こんなところかなー」

「見事だな…テントに寝袋…これ、ベッドか?ランタンも4つ…ランタン、こんなにいるのか?」

 

 コットやテントを見ながら感心するように頷くトレーナー。新鮮でいいかも。

 

「うん。トイレ行くときとかに一人一つ。で、こっちの大きなのがメインのライト。調理とかの時に使うんだ。で、こっちのがオイルランタン。焚き火始めてのんびりしてきたらこれに切り替えるよ。雰囲気が良いんだ」

 

 ランタンは使い分けが大切だ。特に、今回は荷物に制限がない車キャンプ。やりたいことは、すべてやる。

 

「ほー…こだわりだな?」

「ミスターシービースペシャルだよ。でも本当は、ハンモックでキャンプにしようと思ったんだ。でも寒いからね。今日はテントで勘弁して?」

「ハンモック…それも魅力的だな。じゃあ、それはまた今度」

「うん。じゃ、設営も終わったし。食材買いに行くついでに野良レース、見に行こう?」

 

 頷くトレーナーを助手席に叩き込んで、ウキウキする気持ちのままアクセルを踏み込んだ。さあ、どんなレースが行われているんだろう。

 

 

「やっぱり、野良レースだ」

 

 ダダダダ、ドドドドとウマ娘たちが駆け出す姿を見ると、なるほどなと納得することが出来る。年齢は関係ない。子供から大人のウマ娘までが参加する野良レース。直線で…1000メートルぐらいか?いや、違う。よく見ると折り返しが有るから…直線、折り返し有り2000メートルといったところか。

 

「うん。参加者のスタートもいいな。ゴールに…道中のスタッフもいるし…うん。これなら参加してもいいだろう」

「本当?」

「もちろんだ。ああ、ただ全力は出すなよ。軽く、アップのつもりで走れ」

「もちろん。怪我はしたくないしね。それに」

 

 実力があまりにも違う。フォームも、コース取りも、何もない。本当の一般ウマ娘達。そこで走ろうと思えば、軽く走るほかはあるまい。

 

「わかっているならいい。熱くなりすぎるなよ?」

「わかってるよ」

 

 中央のように、身体を接触させるような、相手に殺意をぶつけるような、そんなしのぎを削るレースはしない。今回は楽しく、楽しくだ。

 

「えーと、受付はどこかな」

「あれじゃないか?」

 

 トレーナーが指さした先、簡易テントが設営されてそこに何名かのスタッフが居るようだ。近づいてみると『太陽ビーチ町営野良レース』と銘打たれた看板が立っている。

 

「あのー、野良レース、参加したいんですが」

「ああ!参加ですか!?えっと、ご確認ですが、ウマ娘でいらっしゃいますよね?」

「うん」

 

 ミミとシッポを見せてやれば、頷きを返してくれた。そして、目の前に差し出されたのは簡単な名簿。

 

「ご参加の場合はこちらにお名前と…あと年齢、連絡先、連絡先の電話番号、あとはお連れ様がいらっしゃればそちらのお名前もお願い致します」

「はーい。じゃ、西崎さんもよろしく」

 

 さてさて、なんて書こうかな。ミスターシービー、なんて書いちゃ騒ぎになるだろうし。んー…。

 

「ウマ娘、キャップビー様、ですね」

「うん。こっちが西崎さん。ま、トレーナーみたいなもの」

「トレーナー…?もしかして、トレセン所属の方ですか?」

「うん。参加しちゃまずかった?」

 

 私がそういうと、受付の方は首を横に振る。

 

「いいえ!むしろ大大大歓迎ですよ!この野良レースにはこれからトレセンを目指す子も多く走っています。どうぞ、その走りを見せてあげてください!」

「あはは、そうなんだ。わかったよ。楽しく走らせてもらうよ」

「はい!ぜひ!では、あちらの列にお並びください。係員がご案内致します」

 

 指を刺された先を見てみれば、なるほど、老若男女のウマ娘が列を作っていた。

 

「じゃ、俺はあっちで見させてもらうぞ」

「オッケー」

 

 トレーナーはそう言いながら、ビーチの高台へと移動していく。さてさて、どんなウマ娘たちがいるのやら。心躍るかもね。

 

 

「キャップビーさんですね。えーと、では、こちらの列に」

「はーい」

「…お、トレセン所属の方でしたか。この組の皆さんは運がいいですね」

 

 係員の声に、一緒に走るであろうウマ娘たちの顔がこちらを向いた。子どもたち、大人たち。軽く笑顔を浮かべておこう。

 

「あはは。ま、よろしくねー」

「それでは改めて。今回は10人で行われる非公式ビーチレースです。距離は1000メートル折り返して1000メートル。合計2000メートルの直線です。折り返し前後100メートルでは追い越し禁止となりますので、ご注意ください」

 

 なるほど、そういうルールね。頷いておく。

 

「参加者はご覧の通り、子どもから大人まで混じり合っていますので、特に、大人の方は周りをよく見てくださいますと助かります。危ない場合は係員ウマ娘が割って入りますのでご了承を」

 

 うんうん、結構しっかりしている感じ。いいね。周りを見てみれば、若い子は小学生ぐらいか。

 

「では、軽く自己紹介を。短いレースですが、同じレースを走るウマ娘同士ですので。では1番から」

「はい!地元の中学校三年のウマ娘、ホシイモスキーと…」

 

 端から自己紹介をしていくウマ娘たち。干芋かぁ、実に食べたいね。ってそれはいい。私はといえば10番。ラストだ。さてさてと待っていると、思わず、振り向いてしまうような、そんな名前が参加者から飛び出していた。

 

「シガーグレイドです!トレセンを目指しています!!」

 

 ん?

 

「ナイスネイチャです。地元は遠いところですけど、今日は旅行の途中で参加しました!今日はよろしくお願いします!」

 

 んん?ん?そう思ってちらりと視線を向けてみれば、そこにいたのはちっちゃいウマ娘が2人。んん!?と思いながら頭に浮かべたウマ娘2人。あー…脳裏に浮かんだアニメやアプリのウマ娘の面影はあるね。彼女らの幼少期かなぁ?と、思っているうちに私の番が回ってきていた。

 

「…キャップビーです。トレセンに所属しているウマ娘です。遊びに来ていたら楽しそうなことをやっていたから、参加させていただきました。今日はどうぞよろしく」

 

 改めて、私の顔を見る彼女達。明らかにシガーグレイドとナイスネイチャはキラキラとした瞳でこちらを見ている。

 

「あの!トレセンってどんなところなんでしょうか!?」

「あ、こら君。そういうのは…」

 

 ナイスネイチャが我慢しきれないという感じで声を張った。静止しようと動いた係員に目配せを行う。

 

「大丈夫、質問は受けるよ。そうだねー。一言で言えば楽しいかな。皆が上を向いて切磋琢磨しているから、楽しくて仕方がない場所だよ」

「そうなんですね!」

「あの、トレセンに入るにはどうすれば!」

 

 今度はシガーグレイドだ。そうだねぇ。

 

「前を見て全力で練習することかな。あとはしっかり勉強をすること。トレセンは真面目に走り、人々を楽しませようとする人を歓迎しているよ」

「わあ!ありがとうございます!」

 

 彼女らの質問を皮切りに、どんどん出るわ出るわの質門。学生じゃないけどトレセンは入れるのか、とか、レースはどんな感じなのか、とか。収集がつかなそうだなぁと思った時、係員が手をたたき、その場を抑えた。

 

「さあみなさん。質問はそろそろ終わりにしましょう!次は皆さんの走る順番です!」

 

 前を向けば、なるほど、前のグループがスタートラインの上で準備を行っている。ならば、向かうとしよう。

 

「じゃ、質問はここまでね。何か気になることがあったら、また走ったあとで」

「はい!」

 

 返事はよろしい。といったところで前のグループがスタートを切った。うん、てんでバラバラ。素人らしいスタートだ。でも、楽しそうで仕方がない。

 

「では、次のグループの方!スタートラインにどうぞ!」

 

 歩みを進めながら、トレーナーの方を見ると、どこで買ったのか既にビールを開けていた。寒空なのによくやるねぇ。でも、羨ましい。せっかくの休日だもの。此の後焚き火をしながら一杯やりたいものだ。ふと、トレーナーから親指を立てられた。健闘を期待するってことかな。こちらも親指を立てておく。

 

「うん。スターティングゲートじゃないっていうのも新鮮でいいね」

 

 野良レース。砂の上に雑に引かれたライン。多分靴で引いたのだろう。ちょっと曲がっている。でも、そこに立つウマ娘たちの顔は皆笑顔で、皆真剣。

 

「…アップか。それはちょっと失礼だね」

 

 ちょっと本気で行こう。右足をぐっと後ろに下げて、腰を落とす。追い込みはしない。今回は逃げていこう。

 

「では、位置についてー!」

 

 ちらりと周りを見た。腰を落とすウマ娘もいれば、そのままのウマ娘も居る。ナイスネイチャとシガーグレイドと目が合ったので、軽く手を振ってみれば、笑顔を向けてくれた。

 

「よーい!」

 

 前を向く。冬空と、シケの海。ざあざあとなびく風の音。息を整え、合図を待つ。

 

「ドン!」

 

 ズドン、と砂を抉る。腰を捻り、右足の力で右腕を振る。その反動で今度は左足を地面に突き立て、このぬかるみとも言える海岸の砂を、パワーでねじ伏せて速度を乗せる。

 

「速っ!?」

「うっそ!?」

「さすがトレセンのウマ娘だ!」

「うわーえぐっ!?」

 

 様々な声を耳に入れながら、トップスピード、とは言わないけれど、程々の速度を出して後ろをちらりと見た。

 

「へぇ」

 

 なるほど、やっぱりか。私の後ろには、シガーグレイドとナイスネイチャ。そこからしばらく距離を開けて1番の子。

 

「ふふ」

 

 これは楽しみが増えそうだ。そう思いながら、前を向いた。

 

 

 走った結果は1着。当然と言えば当然だ。でも、嬉しいものはやっぱり嬉しいもので。

 

「一着の記念のほしいもです。どうぞ」

「ありがとう」

 

 笑顔でそれを受け取って、トレーナーに掲げて見せた。再び、彼は親指を立てて、こちらに笑顔を向けてくれていた。

 

「んー、無敗記録更新、ってねー」

 

 服についた砂を手で払いながらそう呟いていると、見慣れた2つの影。シガーグレイドとナイスネイチャが私に近づいてきていた。その後ろには親御さんであろうか、大人の女性が2人。

 

「かっこよかったです!キャップビーさん!」

「すごかったです、ぐーっと、ぐーんて背中が離れていって!」

「ありがと。えーと、シガーグレイド。ナイスネイチャ」

「はい!」

「あたしの名前、覚えていてくれたんですね!?」

「モチロン。私の後ろをついてきたんだ。今から、君たちの将来が楽しみだよ」

 

 私がそう言うと、笑みを見せる彼女らと、その親御さん。ふと、シガーグレイドが興奮冷めやらぬまま、大きな声で叫ぶ。

 

「本当ですか!?私も、トレーニングセンターに、中央のトレーニングセンターに行けますか!?」

 

 ほほお。いいね。そのやる気。ココロの底からそう思っている。そんな声だ。ナイスネイチャも言葉にはしないけれど、表情に出ている。私もそうなりたいと。

 

「シガーグレイド!またそんな事を言って。貴女からも言ってください。中央は普通のウマ娘は無理だって。この子ったら、どうしても中央に行くって聞かないんです」

「あら、ウチもです。どうなんでしょう、キャップビーさん。この子たちでもトレセンは、その、中央に行けるのでしょうか?」

 

 よく見れば、彼女らだけではない他のウマ娘の親御さんたちや、大人のウマ娘も興味津々なようで、こちらに視線を向けていた。ほーん。中央トレセンに、ね?ならば、ここは一つ、助言と言うか、何か、話をするとしよう。

 

「そうだねー。普通なら、無理だろうね?」

「やっぱり!ほら、シガーグレイド。ウマ娘のおねえちゃんもこう…」

「でもね」

 

 言葉を遮る。ああ、そうだね。普通の親なら止めるんだろう。コツコツとやってほしいと思うだろうね。でも、成功したいのなら。頂点に立ちたいのならそれじゃあ届かない。

 

「普通の努力、普通の勉強、普通の生活をしていたら届くはずもないよ」

 

 それに、だ。親の都合で決めた子どもの夢なんてものは結局、親が楽するための方便だ。子どもに苦労させられるのが親の仕事でしょ?だから、どんな夢でも、子どもの背中を押してあげて。

 

「きっと、今じゃキミ達は全く届かない。全く、中央には来れない」

 

 私の言葉に目を見開く人々。なんてことを言い始めるんだと、もうちょっと言い方が有るだろうと言いたげな瞳。だが、君達が私に言葉を求めたんだし、ここは私に任せて。それに私は未来と話をしているからね。ちょっと運のいい私から、キミ達に厳しい現実と栄光の希望をプレゼントだ。

 

「中央は普通の人間も、ウマ娘も居ないよ。常軌を逸した努力、常軌を逸した精神、常軌を逸した情熱。『常軌を逸した行動』それを『普通だよ』と涼しい顔で言える人しかいない」

 

 変装用の帽子のツバが邪魔だ。髪留めが邪魔だ。帽子を脱いで、髪留めのゴムを外す。素顔を晒しながら彼らをじろりと舐めるように見つめた。一部のウマ娘たちは、私の言葉と視線に一歩引いた。だが、子どもたちは、希望を抱くも者達は一歩も引かない。いいね。その精神は大好きだ。

 

「だから、シガーグレイド、そしてナイスネイチャ。そしてここにいる全ての未来達」

 

 あれ、このウマ娘、どこかで見たと声が聞こえる。

 

「私の、私達の『普通』を、君たちが『普通だね』と笑える日が来たのなら」

 

 まさかと、驚きの声が聞こえた。

 

「その時は歓迎しよう。改めて、私はミスターシービー。無敗の三冠ウマ娘だ。君たちならばきっと、私の背中を追い越してくれると信じている」

 

 にやりと笑う。少しの沈黙の後帰ってきたのは、驚いた瞳と、しかし、力強い頷き。うん。いいね。とっても良い。そういうのは大好きだ。

 

「じゃ、本番はここからだよ。今日のところは思いっきり走るから、好きに挑んでくるといいよー。第一線、トップの力を魅せてあげる。いいかな、係員さん?」

「え。あ、はい!?あ、えーと!?ミスターシービーさん!?あの無敗の三冠の!?」

「あはは。本物だよー。疑うのなら、あっちで座ってる私のトレーナーに聞いてみれば?今日、時間の許す限り、全部の野良レースに出るよ。参加者募集中。いいよね?」

「あ、はい!願ってもないことです!お願いします!」

 

 係員さんの言質は取った。あとは、参加者のほうだね。

 

「キミ達も、いい?」

 

 私の周りに出来た人だかりに問えば、みんな一様に首を縦に振った。

 

「はい!」

「ミスターシービーと走れるなんて…でも、負けません!」

「お、言ったなー?じゃ、早速走ろうか!」

 

 いいよね?トレーナーと目を向けてみれば、仕方ねぇなと両手を上げて頷いてくれていた。

 

「そういえば、シービーさんもやっぱり最初から早かったんですか?」

「ん?」

「才能っていうか。そういうのも、大切なのかなって」

 

 ナイスネイチャがそんな事を聞いてきた。うーん。

 

「…んー、別に。むしろ遅いぐらい。それに、デビューも遅くてさ。トレーナーも居なくて退学寸前だったんだ。どちらかっていうと、落ちこぼれだよ」

「ええ!?」

「そうなんですか!?」

「うん。でも、諦めずに前を向いていたらここに立ってた。だから、才能も大切なんだけど、努力も大切だよ」

 

 私がそういえば、シガーグレイドが少し不安そうな表情を浮かべていた。はて?

 

「でも、才能が無かったら」

 

 ああ、そういう事。才能がないならこうすれば良い。

 

「秀才になれば良い。天才を超える秀才になればいい」

 

 シガーグレイドはどうやら納得したようだ。笑顔が浮かぶ。ふと、今度はナイスネイチャが不安そうな表情を浮かべる。うん、なんだかコロコロ顔が変わって面白いかも。

 

「その…天才の秀才が現れたら?」

 

 ふむ。天才の秀才か。難しいね。確かに、彼女の同期にはあのトウカイテイオーが居る。天才で秀才。まさに最高峰。ルドルフみたいな奴だ。でも、だからこそ私ならばこうするだろう。

 

「その時は…そうだなー。私なら、頭をかいて誤魔化すよ」

 

 ぽりぽりと頭をかきながら苦笑を浮かべてみせた。 

 

「なんですかそれー!」

 

 2人は納得いかないような顔でこちらに叫ぶ。でも実際、実力者相手にはそうするしかないのだ。おお、すごいやつが走ってるなぁ、こりゃ、敵わないかもねって。

 

「ふふ、他人を気にしても仕方がないってこと。勝てる勝てないとか、そんなつまらない自分の分類を気にする前に、まずはやれることを全力でやるんだ。まずはそこからでしょ」

 

 相手の方が強い。それを理解した上で全力で勝ちに行く。それが出来るからこそ、中央で立っていられるのさ。これが、私がミスターシービーになってから学んだこと。どうか、この子達にその一遍でも伝われば。

 

「わかった。やってみます」

「わかりました。頑張ってみます!」

「うん。よろしい。こういうことだよ、ってことで、保護者の皆さん。走りたい子は走らせてあげてください。きっと、大きくなりますから」

 

 そうやって彼らの目を見る。すると、どうだろう。先程までの『どこか一歩引いた目』から、燃える目へと様変わりしていた。ああ、そうだ。それでいい。自分の子を、信じてやれば良い。あとは野となれ山となれ。大丈夫、死にはしない。

 

「でも、もし失敗したら」

 

 シガーグレイドの親御さんがそう呟く。ああ、その心配はあるだろう。

 

「大丈夫、とは言えないけど。やりたいことをやり尽くして倒れたのなら。新しい道でも力強く進んでくれますよ」

 

 たとえ道半ばで倒れたとしても、残るのは、確かな自信と、形のない素晴らしいナニカさ。

 

 

 野良レースの後、キャンプ場に戻ってきた私たちは、その道中で買い集めた食材とお酒で早速一杯やり始めていた。焚き火がこうこうと灯り、気づけば夜の帳が下りている。星空は瞬き、杉林のキャンプ場はまさに情緒たっぷりの場所と言えるだろう。遠くからは波の静寂が聞こえる。パチパチと、焚き火が謳う。

 

「いやー、それにしてもらしくないことしちゃったよ。説教臭かったかなぁ」

 

 生ジョッキ缶を片手に、イカを食べながら苦笑を浮かべた。いや、本当、説教臭かったなぁ。どうもレースのことになると熱くなっちゃう。反省だ。

 

「そうか?お前らしいと思ったけどな。それに、響いたぞー?」

 

 酒、赤玉ワインを飲み、そして肉を焼きながらトレーナーは私に笑いかける。まったく、他人事だと思っちゃって。

 

「響いたって、どこらへんが?」

「秀才になれ。そして、強いやつが現れたら頭をかいて誤魔化すって所だ」

「そう?」

「ああ」

 

 言葉は多くない。だが、どうやらトレーナーは満足しているようだ。それなら、それでいい。焚き火に照らされてトレーナーの穏やかな顔が見えた。うん。ま、今日はそれを見れただけで満足としておこう。

 

「お、いい感じ。食べる?」

 

 イカを差し出してみれば、トレーナーは口を大きく開けた。そこにイカを放り込む。

 

「おお、旨いな。肉要る?」

「あ、ちょーだーい」

 

 口を開ければ、そこに放り込まれる肉。うん、いいね。牛肉のいい味が出てる。焚き火の直火っていうのも、実に良い。と、ふと、トレーナーがこちらを見た。なんだろう?と首を傾げてみたのだが、何かを迷うように視線を泳がせるだけだ。

 

「どうしたの?」

 

 煮え切らないトレーナーにしびれを切らし、そう聞いてみると、申し訳なさそうな表情でこちらを見た。

 

「その、ミスターシービー。こんな夜だ。いい曲を一つ、お願い出来ないか?」

「藪から棒だね」

「浜松で聞いたお前の歌が忘れられなくてな」

「そういうこと」

 

 まさかのリクエストか。うん。ま、確かに、酒に煙草に焚き火にこのキャンプ場の雰囲気。BGMの一つも欲しくなるか。とはいえ、前は見上げてごらん夜の星を、だったけれど同じ曲じゃあつまらないだろう。

 

「いいよ、じゃ、しっとりと歌ったげる」

「頼んだ」

 

 缶をテーブルに置いて、椅子に軽く腰掛ける。周りを見てみれば、受付のときより多いキャンパーが居る。予想よりも多い。とはいっても今日は1月の半ば。いくら海沿いとは言え夜は氷点下を切る厳しい夜だ。こんななかでキャンプをするのは、一部のもの好きしかいないだろう。騒ぐような人はまず居ない。

 

「ちょーっと恥ずかしいけれどね。他のキャンパーがいるのに謳うのは」

「怒られたら俺も一緒に頭を下げるさ」

「…それなら、安心して歌えるかな」

 

 す、っと息を吸う。この夜に、この冬に謳うのは、この曲がいいだろう。

 

―額に感じる 澄んだ空気 吐く息が弾む―

 

 吐いた息が白く天に登る。まさに、この冬を歌い上げた一曲を口ずさむ。

 

―止まること無く 歩き続けていたの ここで振り返る もうすぐだよ―

 

 のんびりと。しとやかに。息を吐くように、静かに。

 

―朝日が昇る 私は旅する 新しい日に 自由を吸い込んだら―

 

 しかし、のびやかに。冬の夜に響くように。

 

―あたたかい火を 囲んで座ろう たわいもないこと 話しながら―

 

 1番を歌い上げたところでトレーナーを見てみれば、目をつむり、しかし指でリズムをとっていた。どうやらお気にめしたようで。と、思った時。

 

「あの、すいません。少々よろしいですか?」

「ん?はい、なんでしょう」

 

 まさかのお声が掛けだ。もしかして煩かったか?とトレーナーと共に頭を下げようと思ったのだが。どうやら様子が違うらしい。

 

「素敵な歌声だったもので。どうでしょう、私のギターで伴奏など入れさせて頂きたいのですが」

 

 声を掛けてきた男性。歳にすれば30ぐらいだろうか?丸目のサングラスをして、ギターを抱えていた。トレーナーと視線を合わせて思わず笑い合う。

 

「いいよー。トレーナーもいいよね?」

「お前がよければ」

「うん。じゃ、ギターの人。よろしく。あ、で、曲はどうしよう?」

「今のを」

 

 短くそう告げたギターの人。む、この曲はこの世界に無いはずだけど。もしかして、私が知らないだけかな?

 

「聞いたこと有るの?」

「いえ、ですが、メロディーラインは判りましたので」

「うん。わかった。あ、でも、2番のあとにCメロ入るよ?」

「合わせますよ」

 

 ほほう、それはすごい。自信満々だ。いいね。嫌いじゃないよ。

 

「あ、そういえば貴方のお名前は?私はキャップビー」

「ああ、これは、大変申し遅れました。根付と申します。根付、羽紗です」

「根付さんか。よろしく。じゃ、2番からでいい?」

 

 軽く目配せをすれば、根付さんがギターを叩く。トントントン、と合わせたところで彼のギターがメロディを奏で始めた。

 

「へぇ」

 

 少し驚く。彼の爪弾くギターの音は、まさしく、『ふゆびより』その曲のイントロだったからだ。私の歌からそれを思い浮かぶのかぁ。

 

「すごいなぁ」

 

 私がそう呟くと同時に、ギターの音が止まる。

 

「何か?」

 

 根付さんがこちらを見ていた。おや、聞こえてしまっていたか。気にしないでと首を横に振る。

 

「ううん。こっちの話。続けて」

「では」

 

 ギターが再びメロディーを奏で始める。そして、根付さんが目配せをした。なるほど、このタイミングね。いいよ。

 

―鼻先に触れる木々の香り 時間も忘れて―

 

 静かなキャンプ場に響く私の声とギターの旋律。

 

―いつもの生活 やることがたくさんで 少し休んでも 大丈夫だよ―

 

 リズムを取りながら、ギターもノッていく。楽しくなってきたかも。

 

―星が広がる 光が流れる 優しい景色 心も包まれたら―

 

 空を見上げた。雲ひとつ無い空。松林の合間に見えるそれは。優しいものだ。

 

―明かりを消して となりで眠ろう たわいもないこと 話しながら―

 

 ふと気づけば、いくつもの視線を感じていた。周りを見てみれば、キャンパーたちがこちらに視線を向けている。なかには、身体を揺らしながらリズムをとっている人も。

 

―ひとりでいることのほうが好きだった けれど―

 

 ギターは静かに。Cメロを謳う。わかっているね。

 

―朝日が昇る 私は旅する 新しい日に 自由を吸い込んだら―

 

 根付さんと合わせるように、顔を見合わせて頷きあう。

 

―ゆるやかなとき 一緒に過ごそう 君がいれば 自然と笑顔になる―

 

 周りを見ながら、伸びやかに謳う。少しでも楽しんでもらえるのなら、本望だよ。

 

―ココアを入れて 写真も取ろう 知らない世界も 歩いてみよう―

 

 トレーナーの顔を見る。満足そうだ。そうだね、今日もこのあとは。お酒と煙草を楽しもう。

 

―たわいもないこと 話しながら―

 



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続く宴に良き才能

ミスターシービー誕生日おめでとうございます!一日遅れた!


果てしなく広がるこの大地を 僕らはまた歩き続けるさ すべての意味が分かるのならば この瞳で何を見つめるのだろう

 

 夜の宴というものは気づけば続いていくもので、一曲で終わらせるはずの歌は、風に任せるように口からどんどん溢れていく。で、結局。

 

「ミスターシービー、いい歌を謳いますね」

「俺の自慢のウマ娘だからなぁ」

「羨ましい限りで」

 

 ワタシがミスターシービーというのは、あっというまにバレてしまった。開き直ったトレーナーとこのキャンプ場の管理人らしき人は、お互いなんか満足そうに頷いているし。人だかりが出来て、それが焚き火と星空に照らされてちょっとしたステージみたいな感じだね。加えて根付さんのギターの腕もあいまってまるで上質なライブ空間のようだ。

 

Oh No! No! If ya wanna be somebody

 

 謳いながら根付さんと視線を合わせ、頷く。いい感じだよと。軽くメロディーラインを伝えてアレンジしてくるギターテク。いいねぇ。

 

Get up on ya feet and go

 

 焚き火に巻きをくべながら、伸びやかに謳う。

 

I know we’re gonna meet each other

 

 大きくパチパチと弾ける薪。どうやらまだ乾燥が不十分だったようだ。でも、それもまた風情。

 

Somewhere around the globe

 

 そして気づいてみれば、あの子供のナイスネイチャもここに居た。どうやら、キャンプを楽しむ人々の中に居たようで、ご両親らしき人と一緒に肩を揺らしている。ちょっと微笑ましいかも。そしてここからラスサビだ。ギターを掻き鳴らしながら、根付さんが頷いた。合わせるように、大きく口を開ける。

 

Around the world―Around the world』 

いつでも自分に

 

 おっと、まさかここでかぶせてくるかと驚いて目を見開いた。根付さんは悪戯成功ってな具合に笑顔を浮かべている。いいよ、嫌いじゃない。

 

Around the world―Around the world

負けてる人は

 

 2人でリズムを取りながら、盛り上がりを演出してみせる。周りの観客たちも手拍子なんか入れてくれて、ものすごく良い雰囲気だ。

 

Around the world―Around the world

何も掴めない

 

 そして最後の章節へ。視線を合わせ、頷きながら。

 

But don't run away 'cause if it's not ok

But don't run away 'cause if it's not ok

 

 ギター音がかき鳴らされる。そしてその音が消えると同時に、アカペラで。

 

I'll change that world into something better honey

 

 静寂。パチパチと弾ける薪の音。ふっと息を吐くと、同時に拍手が起きていた。

 

 更に数曲を歌い上げたところで、ついに門限の10時を迎えた。冬空のライブハウスは解散となるはずだったのだけど、どうやらそうもいかないようで。

 

「素敵でした。最高の日に来れてよかったですよ!」

「あはは、そうかな?勝手に歌っちゃっただけだけど、満足してもらえたなら最高かな」

「満足も大満足です。あのミスターシービーの生歌を聞けるなんて。あの、今歌った曲たちってどこかで配信とかしてますか?」

「してないよー。今日だけの特別な曲だから。あ、URAの曲はそのうち配信するから待っててね」

 

 私を取り囲むように円が出来てしまっていた。モチロン、自分のテントに戻った人もいるけれど、根付さんやナイスネイチャの家族、管理人さんなんかも一緒になって焚き火を囲んでいる。

 

「それにしてもミスターシービー。いい歌、謳うね」

「根付さんのギターあってこそですよ。貴方こそ、すごくギターがお上手じゃないですか。どこかで演奏してらっしゃるんですか?」

 

 私の言葉に根付さんは頭を掻いて、少し照れくさそうにはにかむ。

 

「一応プロさ。ま、好きに歌っているだけだ。俺の歌を聞けってね。ああ、別にそんなかしこまる必要はないよ」

「へぇ。じゃあ遠慮なく。それじゃあさ、ライブをやるときは教えてよ。見に行くから」

「おう」

 

 なんて言いながら握手を交わしてみれば、なるほど、その手は繊細でありながら重みを感じるものだった。生半可じゃないなぁと思う。と、視界の端でウマの耳が動いていた。はて、と首をそちらに向けてみると、一人のウマ娘がこちらの顔色を伺っていた。首を傾げてみると、おずおずと、こちらに声をかける。

 

「あの、すいません。実はミスターシービーさんのファンで。サインいただけたりは…」

「ん?もちろんいいよー。あ、色紙無いけど…」

「用意しました!マジックもあります!」

 

 これは準備の良いことで。じゃあと色紙を受け取ってサインをさらっと書いた。本来はこういうのはやらないけど、ここにいる人だけなら人数的にも負担にもならないしね。トレーナーに視線を向けてみれば、軽く頷かれた。

 

「えーと、ああ、貴女の名前は?」

「フアーストストップです」

「フアーストストップさんへっと。はい、どーぞ」

「アタシも!」

「私も…」

「あの、俺も…」

「キャンプ場にも一枚…」

 

 そうなるよねー。わかるかわる。ま、トレーナーから許可は貰ったし。

 

「いいよー。じゃ、各々お名前教えてー?」

 

 サインを書きながら、ぽつりぽつりと雑談をするこのいい雰囲気。空には星が浮かぶ。木々はさあさあとなびく。うん、実に良い夜だ。 

 

 

 翌朝。朝日が昇った澄んだ空気を感じながら、私は爆睡するトレーナーを後目に歯を磨きに水場に来ていた。のんびりとフロスを歯に通していると、見慣れた顔が目をこすりながらこちらに近づいてきた。

 

「おはよう。よく眠れた?」

「おはようございます…あ、はい!よく眠れました!」

 

 ナイスネイチャだ。私が声をかけると、眠気がすっとんだように笑顔を見せてくれた。そして並んで2人で歯を磨き、顔を洗う。ふと気づくと、ナイスネイチャはこちらに顔を向けていた。どうしたんだろう?

 

「あの、昨日の曲のタイトルってなんですか?」

「んー?どれだろ」

「英語の歌詞が入ってたやつです。すごく素敵でした」

 

 目をキラキラとさせている。うーん、実に眩しいこと。

 

「Around The Worldってタイトルだよ」

「Around The World…あの、意味はどういう」

「意味?和訳すると…そうだね」

 

 なんて言おうか。直訳すると世界一周とかそういう意味なんだけれど。

 

「…いろんな世界を旅してみよう。いろんな世界を、見たことのない世界を見てみよう。みたいな感じかなぁ?」

 

 もともとは天竺へ旅する彼らの話。彼らが行った苦難を、素敵な旅をイメージしたのだから、多分、こういう感じだろう。

 

「いろんな世界、ですか」

「うん」

「その、まるで」

 

 何かを言い淀む。どうしたんだろうと首を傾げて笑顔を向けてみると、恥ずかしそうに言葉を続けてくれた。

 

「まるで、ミスターシービーさんみたいですね」

「そう?」

「はい!」

 

 元気だこと。でも、なんかちょっと誇らしいかもね。彼女に私がそう見えているのならば、それは素敵だ。

 

「そっか。そういえばナイスネイチャ。昨日の話の続きだけどさ、君は中央で走りたい?」

「もちろんです」

「じゃ、私の背中を追うなら色々な苦難に合うだろうけど、色々チャレンジしてみるといいよ」

 

 あ、そうだ。せっかくここであったんだ。何かの縁だし、ちょっと渡すものを渡しておこう。

 

「あとそうだ。会ったのもナニカの縁だしさ。これあげる」

「ありがとうございます。これは?」

「4月のファン感謝祭の招待状。私のステージの最前列だ。家族みんなで来ると良いよ」

 

 私がそう言いながらチケットを渡すと、目に見えて彼女のテンションが上っていることがわかった。笑顔で今にも飛び跳ねそうな感じだ。

 

「わ!いいんですか!?」

「もちろん。楽しみにしててね。新曲も謳うから」

「はい!ありがとうございます!」

 

 うんうん。よきかなよきかな。―さて、新たな出会いも楽しんだし、そろそろトレーナーを起こしましょうか。明日からはまた、楽しい楽しい練習の日々だ。あー、それと次のレースは何を走ろうかなぁ。宝塚…もいいけど。でも、エースとの対決はまだ先にとっておきたいしー…。



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インターバル・シービー①

「これこれ。この感じ」

 

 良馬場のコースを目の前に、新品の練習靴を履いて走り出した。足に伝わる感触に、思わず笑みが出てしまう。正直言えばヘタる部分だけを強化してくるかと思ったのだけれど、なるほど改良品とはこのことかと納得出来た。

 

「気持ちよく伸びれる、ね!」

 

 コーナーに入って腰を落とす。外に向かう力がかかり、靴やソールが変形する感覚が足に伝わる。だが、許容範囲内もいいところ。前のソールよりもダイレクトに地面がいる。

 ふいに足音が近づく。はて、と首を横に振ってみると見慣れたウマ娘が一人。

 

「っしゃああああ!シービー!調子良さそうじゃねーか!」

「お、エース!キミこそ調子良さそうじゃない?どう、このままゴールまで競争!」

「ノッた!勝ったほうが今日の昼飯奢るってことで!」

「いいね!負けないよー!」

「こっちこそだ!」

 

 距離にして残り1600。休み明けの追い込みとしては少しキツイ気もするけど、昼飯がかかっているなら負けるわけにはいかないね。ギアを一つ上げるように首を下げて加速を開始してやれば、合わせるようにエースも首を突っ込んでくる。いいね、悪くないよその気迫!

 

「休養明けってのに飛ばすじゃねーか!」

「キミこそ!本番が近いっていうのにそんなに飛ばしていいの!?」

「お前との勝負はいつでも本気だからな!オラアアアアア!」

「あっはははは!野暮だった!ハァアアアアアアア!」

 

 てなわけで、私はキャンプ明けのなまった身体の錆を落とすように、エースはその刃を研ぐように加速していく。直線はいい感じで互角。ならばコーナー抜けての最終加速が勝負どころ!腰を落とし、更に1段ギアを上げる。首を下げ、地面を抉るように!

 

「やるねエース!でも私が勝つ!ヤァアアアアアアアア!」

「負けるかアアアアアアアア!」

 

 並んでくるかカツラギエース!仕上げて来てるなぁ!ああ!楽しい、楽しくて仕方がない!コーナーが開けた!最後の直線!ゴールはトレーナーの立っているところ!最後の一歩までしっかり踏み込め!その勢いのまま、トレーナーの前を並んで駆け抜けたのだが。

 

「先着はカツラギエース。頭ひとつ遅れてお前の負けだ。シービー」

「っしゃあああ!あーっはっはっは!やったぞシービー!」

「げー…」

 

 昼食2人分の支払いは確定らしい。トレーナーの苦笑を背景に、高笑いを続けるエースの頭を少しこづいてやった。

 

「いてっ。なんだよー。悔しいのかー?」

「べつにー?」

「あはははは!顔に出てるぞシービー」

 

 悔しいとは口にしない。本調子ではないとも口にはしないけれど、こうも高笑いされるとひっぱたきたくもなるというものだ。思わずエースを睨んでしまったが、カラカラといい笑顔で返されてしまった。ちくしょう。次は負けないからな?

 

 そう思いながら体を伸ばしていると、トレーナーが何かを思い出したように手を叩いていた。はて、なんだろうか?

 

「さて、ま、カツラギエースとの勝負の結果はともかく、今週末開けておいてくれ。シービー」

「ん?週末?何かあったっけ?トレーナー」

「新入生の事前受け入れだ。体験入学と言い換えてもいい。お前と一日一緒にトレーニングを行って、このトレセンのイメージを掴んでもらう。と、理事長の発案さ」

「ずいぶん急だね?」

 

 怪訝な顔でトレーナーを覗いてみれば、ばつの悪そうな顔で頭を掻いていた。あれ、これもしかして私に伝え忘れてたやつか?という私の考えを証明するように、エースがさも当たり前のようにこう言った。

 

「アタシは前から聞いてたぞ?」

 

 マジか。トレーナーをちょっと睨む。

 

「え?トレーナー?」

「…悪い、伝え忘れてた。お前とのキャンプが楽しみでなー。伝え忘れてた」

 

 む、そう言われるとちょっと悪い気はしない。軽く肩を小突いて、仕方ないねぇトレーナーは、と笑っておいた。

 

「おいおい、惚気ならアタシが居なくなってからやってくれよ」

「惚気じゃないやい。エースだってトレーナーとデートぐらいするでしょ?」

 

 おちょくってきたエースにそう言ってみると、少し小難しい顔をしてこう言葉を返してきた。

 

「あー、まぁ。でも、泊まりはしないぞ?」

「そう?」

「ああ。つーかさぁ、お前とトレーナー、結構噂になってるぜ?」

「えー?なんもないけどなぁ。ね?トレーナー」

「ああ。なんにもないな。楽しく遊んでるだけだぞ?カツラギエース」

 

 トレーナーと顔を見合わせて首を傾げる。本当に楽しく遊んでいるだけなんだけどね?レースは真面目にやってるし。そんな私たちを見て、今度はエースが苦笑を浮かべていた。

 

「…自覚ないやつか」

 

 何かを呟いたようだが、聞き取れなかった。首を傾げていると、仕方ねぇなと肩をすくめるエースが居た。

 

「なんでもねぇよ。じゃ、おじゃま虫はそろそろ消えるわ。昼飯、忘れんなよー?」

「もちろん。じゃ、また後でねー」

 

 手をひらひらとさせてエースを見送る。さてと、じゃあ、改めてその体験入学ってやつの話を聞こうじゃないか。

 

「じゃ、難しい話は煙草でも呑みながら」

「そうするか」

 

 

 三女神の海泡石パイプに火が灯る。燻らせると煙が天に昇っていく。ゆらりゆらりと昇るそれを眺めながら、私はトレーナーから渡された資料に視線を落としていた。

 

「ミスターシービーとしての週末の受け入人数は3人だ。入学後はおそらく、クラシック級は間違いなしと言われている実力者たちになる」

「へぇ。すごい子達なんだね?アタシでいいの?ルドルフとかのほうが参考になるんじゃない?」

「たっての希望だそうだ。最強の秘訣を知りたいんだと」

 

 なるほどね。もの好きが3人か。ま、ちょうどいいだろう。私とトレーナーでいい感じに目が届く範囲だ。これで10人とか言われたら面倒を見きれる気がしないし。

 

「あとは見学者が数名だな」

「見学?」

 

 首を傾げた。練習だけじゃなくて、それを見られるってこと?

 

「ああ。こっちは入学予定のウマ娘たちと、一般の希望者さ。人数は未定だが…メジロ家のお嬢さんが2人は確実に見に来るらしい」

「へー、メジロの。じゃ、気合入れないと、かな?」

 

 笑ってみせると、トレーナーは首を横に振る。

 

「いや、お前はいつものままでいい。淡々と、その背中を後輩に見せてやれ」

「りょーかい。じゃ、いつもの通りの練習をすればいいんだね?」

「ああ。俺のメニューをこなしてくれればそれでいいさ」

 

 なるほどなるほどね。そういうことならば問題は無いね。あ、そうだ。

 

「そういえば練習を見せるのはいいんだけど、ライブは?」

「あー…それは考えてなかったな」

 

 ふむ。それはちょっといただけない。ウマ娘のレースとは、ライブまで含めた総合エンターテイメントに近い。ならば、最後に軽くライブを見せてやってこそじゃないかな、と思ってしまう。

 

「じゃ、一曲軽くエールを送る意味を込めて、体験の最後に私が謳うってことでどうだろ、ミニライブみたいな感じで。トレーナー?」

「お前が良いならそれで行こうか。シービー。でも、曲はどうする?」

 

 曲かぁ。ま、そうだねー。ウイニングザソウルあたりがいいかもしれないけれど、エールとなるとちょっと違うかな?

 

「こっちで用意するよ。伴奏のアテもあるしね」

「伴奏のアテ?」

「うん。トレーナーも知ってる人だよ。連絡先、交換したしね」

 

 私がそう言うと、ああ、と納得の頷きを見せるトレーナー。さて、じゃ、せっかくの縁だし彼に連絡を取ってみよう。2つ3つ、お願いしたいこともあるしね。

 



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インターバル・シービー②

思い立ったが吉日ということで、早速私は許可を取るために学園長室の扉を叩いていた。ちょうど休憩中だったようで、たづなさんと学園長が出迎えてくれる。たづなさんが入れてくれたコーヒーを口に含みながら『事前受け入れ』の話をしてみれば、面白い、と興味を持ってくれた。

 

「なるほど。体験で生音源でライブを」

「ええ、せっかくならそこまで体験させてあげたいなって。いいかな?」

 

 顔を見合わせてたづなさんと学園長はひそひそと何がしかを示し合わせている。が、次の瞬間笑顔でこちらを向いた。なるほど、いい感触だね?

 

「無論!特に、三冠の君が言うのだ!任せよう!」

「ありがとうございます」

 

 頷きと承認を頂いた。社会人としてはこういうのが大切だ。…多分本来のミスターシービーは苦手だろうけど、そこは私がフォローすればいいだけの話だ。いけないいけない、思考がずれた。ふと、学園長がわかりやすく悩み顔を浮かべていた。

 

「ただ、問題がな…」

「問題?」

「うむ。この時期、URAのバックバンドやオーケストラは別の仕事が入っているのだ。クラシックやティアラに向けた練習、その他、一般人向けのイベントの練習なのでな。だからスケジューリングが難しいのだ。やってはみるが、最悪は録音の音源でお願いすると思う!」

 

 なるほど。『生音源』が引っかかってるわけね?でも、大丈夫、その点は。

 

「その点はご安心を。ツテがあるので」

 

 おや?という顔でこちらを向いたたづなさん。でしょうね。いままで、私の曲は私のスマホの音源から渡していたのだから。いつのまにそんなツテを?と言いたげな瞳だ。

 

「ツテ、ですか?シービーさん」

「うん。ツテ」

「いつの間に。あ、いえ。実力は間違いない、ですか?」

「んー…私の歌にアドリブで合わせてこれるギタリスト、って言えば実力は伝わるかな?」

 

 私が微笑めば、たづなさんは頷いてくれた。よしよし。

 

「ということでバックバンドはこっちに任せてもらってもいいかな?ま、つまりは部外者を入れるってことにはなるんだけど」

 

 そう。根付さんは部外者だ。ま、悪い人じゃないから問題はないんだけど、学園的にこの点はどうなのだろう?

 

「その点はご心配なく。ウマ娘による警備も完璧に段取りしていますし、なによりシービーさんの事を信用していますから」

「ありがと、たづなさん」

「いいえ。それで、そのバンドのお名前は?」

 

 バンド。あー…バンドの名前…。そういえば、彼はバンドやってるのだろうか?

 

「あー、実は個人なんだ。根付さんって人。今のところ一人の知り合いなんだけど、多分、ライブやったことあるって言ってたから、仲間もいるからお願いしようかなって」

「なるほど。では、確定しましたら早めに連絡を」

「うん。って、どうしたの?学園長」

 

 たづなさんと話を詰めている中で、学園長は静寂を守っていたのだが、私が根付、と言った時からなにがしか引っかかるようで、わかりやすく眉間にシワが寄っていた。

 

「根付、という名が引っかかってな?はて…どこかで…」

「学園長、知ってるのですか?」

 

 たづなさんがいつもの笑みで、学園長にそう問いかけていた。

 

「うーむ…昔何処かで聞いたような気もするのだが…思い出せん!が、話は承知した!手続きはたづなに一任する。よしなに、話を進めてくれ!」

「かしこまりました。では、シービーさん。よろしくお願いします」

 

 2人に笑顔でそう言われれば、俄然やる気が沸いてくるというものだ。

 

「任された。ありがとね」

 

 

「おお、嬢ちゃん」

「どうも、根付さん。すいません、お呼び立てしてしまって」

 

 学園近くのライダースカフェ。そこに置いてあるのは私のCBと、彼の真紅のワルキューレ。大型のクルーザーだ。窓の外の愛車を見ながら、私と根付さんは顔を突き合わせていた。

 

「はは。気にすんな。俺も暇してたところさ。で、何の用だ?」

 

 笑顔でそう答えてくれる根付さんに、好きな飲物をどうぞと勧めてみる。すると、彼はアイスコーヒーを頼んでいた。私も同じものを頼む。そして、学園長とたづなさんに伝えた内容をかいつまんで根付さんに伝えてみた。

 

「なるほどな、ライブのバックバンドか」

 

 頷きながらコーヒーを口に含む根付さん。どうだろうか。反応は良さげだけど。

 

「ええ。不躾なお願いになるんですが、根付さんのギターの腕をお借りしたいなと」

「ほう。俺の腕か。でもよ、俺と君は一度しかセッションしてないだろ。そこまで買ってくれる理由は?」

 

 試すような瞳がこちらを睨む。おお、これはなかなかの迫力を感じてしまう。なんだろうか、百戦錬磨っていう言葉がしっくり来るような感じ。

 でも、アタシだってそれなりのウマ娘だ。貴方と一緒にライブをしたい理由なんてただ一つ。

 

「アタシが気に入った。それだけだよ」

 

 言い切って、根付さんの瞳を見返した。炎のようなゆらぎが、私を貫く。

 

「―いいぜ。引き受けた」

「ありがと。根付さんならそう言ってくれると思ってた」

 

 笑顔を浮かべ、握手を交わす。ゴツゴツと、しかし、しなやかな指だ。うん。やっぱりこの人は本物かもね。

 

「さて、じゃ、時間はねぇが準備しないとな。お前はどんな歌を謳うんだ?」

「えーとね、私のライブの曲から一曲、いけないボーダーラインで行こうかなって」

 

 ほう、と根付さんは感心するように小さく頷いていた。

 

「なるほど。あの曲か。良いぜ。じゃあ、そうだな、こっちからはギターの俺、ベース、キーボード、ドラム。この面子で参加させてくれ」

「モチロン。本当に急でごめんね」

「いいってことよ。日数は少ないが、やれるだけやってみるさ」

 

 そう言いながら、もう一口コーヒーを口に含んだ根付さん。笑顔を浮かべているが、その瞳にはゆらぎではなく、ギラツキが宿っていた。そんな根付さんをみていたら、一つの疑問が頭に浮かぶ。

 

「そういえば一ついい?」

「ん?なんだ?」

「昔、学園とかURAで歌ったこととかってある?」

 

 学園長が貴方の名前を知っているような素振りを見せていた。となると、貴方は多分、URAに何がしか関係があるはずなのだ。私の確信めいた質問に、根付さんは頭を掻きながら苦笑を浮かべていた。

 

「あー…ま、一回だけな。あるウマ娘の引退で歌ったことはある。どうしてだ?」

「いや、学園長が根付さんの名前出したら『どこかで聞いた』って言ってたからさ。なるほどね、納得だよ」

 

 そう言いながら私はコーヒーを口に含む。冷たいコーヒーが喉に気持ちいいね。すると、根付さんの表情が嬉しそうな笑みに変わっていた。

 

「へぇ、あのライブを知っているやつがまだ学園に居たのか。そいつぁ嬉しいね」

 

 どうやら彼にとって、そのライブはいい思い出らしい。なら、ちょっとだけ好奇心を満たすとしよう。

 

「差し支えなければ、何を歌ったのか教えてもらっても良い?」

 

 彼の歌。そういえば聞いたことが無かったなぁと思いながら、そう聞いてみる。

 

「ん?あー、俺のオリジナルの歌さ。エンジェルボイス、っていうな」

「へー…エンジェルボイス?」

「ああ、機会があれば聞かせてやるよ」

「そうだね。楽しみにしてる」

 

 エンジェルボイスかぁ。私の頭の中に浮かんだ曲は、あの劇中劇アニメの曲である。と、そこまで思い出したところで頭に引っかかった。

 

 …根付?ギター…小さい眼鏡…。ん?もしかして、もしかする?私みたいな存在がいるわけだし。

 

「…勘違いじゃなければ、なんだけど、もしかして、この曲って根付さんの?」

 

 ちょっとだけ好奇心を働かせて、曲名をウマホに打ち込んだものを見せた。すると、根付さんの表情が一気に変わった。口角が上がり、へぇ?という試すような視線がこちらを向く。

 

「…ほお?確かにそいつは俺の曲だ。よく、識ってる、じゃないか」

「好きで聞いてた曲だよ。私のお気に入りの一曲だよ」

 

 試すような視線が満足げな笑みに変わった。なるほど?なるほど。これはどう考えるべきなのか。…ま、詮索はすまいて。そうだな、世界は変わっても、同じ人っていうのはいるもんだと思っておこう。ルドルフにスパムが通じた当たりもそうだしね。アタシも、そういう類だし。しかしそうか。であれば、せっかくだ。行くところまで行ってみよう。

 

「ね、もう一つお願いがあるんだけど」

 

 口角を上げて根付さんに視線を合わせる。すると、あちらは不思議そうに首を傾げていた。

 

「なんだ?」

「お願いついでなんだけどさ、こんど行われる学園の感謝祭にも私のバックバンドで出てくれないかな。モチロン、悪いようにはしないからさ」

 

 さ、どうだろう?流石にウイニングライブは無理だけど、どうせなら学園のしっかりとしたステージで一緒に歌いたい。彼のギターで、いろいろな曲を歌ってみたい。その思いが伝わったのかは判らないが。

 

「面白そうだな。いいぜ、考えといてやるよ」

 

 根付さんは大きく頷きを見せてくれた。よし、じゃ、バックバンドが彼らになるのならば、アタシも気合を入れないとね。



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インターバル・シービー③

 いよいよやってまいりました週末。ジャージに着替えて、受け入れの練習生をコースで待っているわけだが、既に見学者は相当数。一般人から子ども、学園内のウマ娘たち。やはり、三冠ウマ娘であるアタシの練習を見れる、というのはなかなかの魅力があるらしい。よーくみてみれば、ナイスネイチャっぽい子や、メジロマックイーンらしい子、トウカイテイオーらしい子の姿も見える。

 

「…あー、そうだよねぇ。トウカイテイオーがルドルフに『ルドルフみたいにー』って言うのは今年だもんねぇ…」

 

 アニメのルドルフの一年前、それがアタシの活躍した時期だもの。確かに、そういうことになるわけかぁ。ってことは、彼女らがデビューする頃には間違いなくアタシも引退に近い状態になるんだろうか?ちょっとだけセンチメンタルになるかもなぁ。

 

「ま、明日のことを考えちゃあ鬼が笑うか。まずは、今日の練習を全力で、だね」

 

 さて…そろそろ練習開始の時間だ。手筈ではトレーナーが今日のパートナーというか、練習相手を連れてくるはずなのだけど…っと。

 

「お、キタキタ。さーて、一体アタシの練習に付き合いたいっていうもの好きは誰かなー」

 

 気軽に構えてトレーナーを待つ。遠くに見えたトレーナーの横には、()()のウマ娘の姿が見て取れた。…あれ?3人の予定じゃなかったっけ?

 

「お待たせ。シービー。今日のトレーニングパートナーだ」

「うん。トレーナー。予定より1人多いね?」

「メジロのお嬢様が一人、見学じゃ嫌だと言うことでね。急遽さ」

 

 ふぅん?値踏みするように一人ひとりのウマ娘をじろりと見つめていく。うん。まぁ、私のところに来るわけだから、そりゃ、当然のことながら将来大化けのウマ娘たちだ。

 

「オッケー。じゃあ、まずは自己紹介だね。アタシはミスターシービー。無敗のウマ娘だ。好きな走り方は追い込み。好きなものはバイクと煙草。じゃ、キミから」

 

 促されたウマ娘が一歩前に出る。そして大きく息を吸うと、はっきりと私にこう告げた。

 

「スーパークリークです。今日はお時間を割いていただきありがとうございます。教えていただいたことを吸収して、今日は成長させていただきます。よろしくお願いします」

 

 ギラっと目が輝いた。優しそうな笑顔の奥にある闘志が強烈だ。いやぁ…そうですか。では、次。

 

「タマモクロスや。大阪から出てきてまだ日が浅いから慣れてへんけど、よろしゅうたのんます」

 

 白い稲妻かぁ。言葉は謙虚だけど、めっちゃギラついた目。こりゃあ化けるね。次。

 

「イナリワン!地元大井からミスターシービーさんの胸を借りにきました!今日はよろしくお願いします!」

 

 これは元気な子だこと。勢いはイイ!ただ、2人に比べれば若干硬いけど、やっぱり瞳が強い。次。

 

「メジロラモーヌです。右に同じ、ミスターシービーの胸をお借りします。本日はメジロという家名は関係なく、どうか、よろしくお願いします」

 

 いやはやビッグネームよ。家名関係なくっても、君ねぇ…。思わずちょっと頭を抱えたくはなった。でも、そうか。私の練習に付き合えるウマ娘ってことは、このクラスがくるのは当然だよねぇ。なんだろう。逆になんかちょっと楽しくなってきた。今日の練習、どこまで強く踏み込もうかな?ふふーん。

 

 あ、そうだ。一つ確認しておこう。

 

「さて、それで一つ確認。『いけないボーダーライン』振り付けと歌は頭に入ってる?」

「大丈夫ですよ」

「モチロンや!」

「てやんでぃ!」

「問題ありません」

 

 自信満々に頷く彼女ら。そうかそうかと頷いていく。

 

「よろしい。練習の後、ちょっと歌って踊るから。ライブ会場は学園のミニステージね」

 

 私がそう言うと、みんな驚きで動きが止まっていた。ははぁん。油断してたね?今日は走りの練習だけだって。でも、アタシの背中を見るならその考えは甘い甘い。

 

「あはは、でも、そこまでやって中央のウマ娘さ。疲れていても、気分が乗らなくても、アタシたちは全力でファンに感謝を伝えるんだ。じゃ、練習、始めようか」

「よし、じゃあシービー。軽くウォーミングアップでトラック2周。そこからは調子を見てメニューを組み立てる。4人はその背中を無理ない程度に追いかけてみてくれ」

 

 トレーナーがそう言うと、全員がいい声で返事をしてくれていた。さあ、楽しくなってきた。

 

 

「ヤァアアアアアアアアアア」

「まだ顎が上がっているぞシービー!引け!フォームを意識しろ!」

「判ってる!」

 

 勢いよくトラックを駆け抜けると、トレーナーから激が飛ぶ。どうやら、練習をしなかった期間というのは私の体に結構影響を与えているらしい。ま、そりゃそうだ。例えばピアノなんかでは1日練習をサボると3日分戻ると言われている。私の場合は一週間程度練習をしていなかったのだから、それに照らし合わせれば1ヶ月分の実力が消えている状態だ。

 

 それを示すように、コーナーに入った時にずるりと蹄鉄が横に滑った。踏み込みが浅い。つまりは腕の振りが甘く、顎が上がって上半身が起きてしまっているということ。下半身に力を入れ直し、ぐっと前傾を意識して再加速を行う。

 

「ハアアアアアアアアア!」

「いいぞー!そのままコーナーを抜けてスパート!」

 

 脚を地面に食いつかせ、一気にトップスピードに体を乗せる。感じるのは風の轟音、吹っ飛んでいく景色、真っ青な青に、芝の青。誰も前に居ない。ああ、やっぱり走るのは最高だ!

 

「ゴール!タイムはベストから3秒落ち。ま、こんなもんだろう」

「ふー…3秒かー。やっぱり練習してなかったのは痛いねー」

「ま、お前ならすぐにカンを取り戻すだろう。で、だ」

 

 ちらりとトレーナーと共にターフに視線をやる。すると、そこにあったのは、ゴールライン手前で倒れふす4人の姿。思わず、私とトレーナーは吹き出してしまっていた。

 

「あー、ま、こうなるよね」

「だな。ちょうどいい、休憩を入れようか」

 

 ウォーミングアップに1600を2本、その後坂路を3本、そして本気の走りで2400を2本。慣れてないウマ娘にとっては辛いところだろうか。しかもペースが3秒落ちとは言え、重賞で通用するタイムだからねぇ。デビュー前のウマ娘にとっては、ま、異次元だろう。

 

「みんな限界っぽいから休憩!飲み物はアタシのやつ飲んでいいからね。小腹すいてるならこっちのお菓子も食べてよし」

「…はぁ、はぁ。ありがとう、ございます」

 

 なんとかそう答えたのはスーパークリークだ。なるほど、4人の中では一番スタミナがあるらしい。他の3人はこちらにかるく視線を向けて、頷いただけだ。顔も青白くなっちゃって、本格的にスタミナがなくなってるねー。

 

「うーん。ま、回復したらまた走ろう。でも、すごいよキミ達。学園のウマ娘でも、ここまで着いてくるのは一握りだ。才能ある。今後がすごく楽しみだね」

 

 しかも無理とは言わなかった。私の背中を追いかけてきているさなかでも、彼らは競い合い、自分を高めている。

 

『うおおおおおおお!置いていかれてたまるかってんだ!』

『イナリィ!無理すんなや!寝ててええんやでぇ!ウチが行く』

『てやんでぃ!寝ぼけたこと言ってんじゃねぇタマァ!』

 

 強気に競い合う2人がいれば、また。静かに競い合う2人もいる。

 

『…素晴らしい、ミスターシービー。ああ、素敵、素敵よ!』

『本当ですね!でも、私も貴女に負けませんよー?』

『ふふ。いいわ。どちらが彼女の背中に食らいついていけるか、勝負しましょう』

 

 静か、というのはちょっと語弊があっかもね。ただ、4人の闘志はまさに一流。こりゃあ本当に化ける子ばかりだ。

 

 そうやって物思いに耽りながらベンチで休憩していると、4人も落ち着いてきたようで、その顔に赤みが戻っている。あ、そうだ。

 

「じゃ、坂路、トラックの使い方は判ったと思うから、こっからは少し自由に走ってみて」

「ええんか?シービーはん」

「うん。せっかくの機会だし、体力のあるうちに学園の練習施設を楽しんで。あと、アタシとトレーナーでキミ達の走りを見てあげる」

「おお!そいつぁ願ってもねぇ!頼んだ!いくぞタマ!」

「あ!ちょまてイナリ!抜け駆けは許さへんでぇ!ほら、ラモーヌもクリークもぼさっとしてたら置いてかれるで!?」

「ふふ。じゃ、お言葉に甘えさせていただきますね。ラモーヌさん、行きましょう?」

「そうね。せっかく三冠ウマ娘に走りを見てもらえる機会。無下には出来ませんからね」

 

 4人はそう言葉を交わしながら、トラックへと出ていく。さてさて。彼女らの走りはどんなもんかな。トレーナーと視線を合わせて頷くと、2人でターフへと視線を向けた。

 

 

 ということで、まず走りを見たのはタマモクロス。うん、小さい体でよく走る。どちらかというと追い込み型と言えそうかなぁ。ふと、そんな事をトレーナーと語りながら視線を送っていると、タマモクロスがこちらにやってきていた。おや、集中力を切らさせてしまったかな?と首を傾げてみれば。

 

「あの、ミスターシービーさん、折り入って相談があるんやけど…」

「ん、いいよ。トレーナーは…」

 

 ちらりとタマモクロスに視線を向けてみると、小さく目線を外された。なるほど、私個人にだね?目配せをすれば、トレーナーは小さく頷き、ターフをかけるウマ娘たちの元へ向かっていった。

 

「それで、相談って?難しくなければ答えてあげるけど」

 

 難しいこと―例えば『早くなるコツ』とかね。ぶっちゃけいえばコツなんてあるかい。練習と、気合いだ。なんてことを思っていると、タマモクロスは意を決したように、語り始める。

 

「ほらウチ、ミスターシービーさんに比べると小さいやろ?トレセンでやれるのか、少し、いや、少しやないな。めっちゃ心配やねん」

「確かにチビだね」

「誰がドチビやねん!?あんた、そこは気遣いってもんがあるやろ!?」

「あはは、ごめんごめん。でも、それが何か問題?」

 

 チビ。たしかに一つのハードルではある。それに多分、彼女の髪の色もその不安を助長させているのだろう。それを証明するように、彼女はこう続けていた。

 

「ミスターシービー、シンボリルドルフ、カツラギエース。注目のウマ娘たちはみんなデカイ。しかも芦毛や無い。トレセンに来い言われたときは嬉しかったけど、いざその時が近づくと…正直、不安やねん」

 

 なるほどねぇ。私のようにデカイウマ娘と彼女の一歩の大きさや、繰り出せるパワーは差があるだろう。でも、それは、勝敗の結果には繋がらない。加えると、アタシ自身が、どちらかというと落ちこぼれ側だったわけだしね。

 

「大丈夫さ。アタシだってトレーナー決まらなくて退学寸前だったんだ。不安も大きかった」

「そうやったんか!?」

「うん。でもそれが見て?三冠だよ?それに、不安なら成ればいいんだよ」

「何にや?」

「G1ウマ娘。そこに大きい小さいもないし色も関係ない。それにさ」

 

 タマモクロスの目をしっかりと見る。そして、笑顔を浮かべてこう告げてあげる。

 

「それでも君はトレセンの門を叩くと決めたんだ。じゃあ、あとは他人がどうとかじゃなく、自分が全力でやるだけでしょ」

 

 背中を押せる言葉かは判らない。でも、本心を彼女に告げる。揺れる瞳。しかし、私の視線から逃げることはない。そして、つかの間。

 

「…せや、せやな!」

 

 揺れた瞳が炎に滾る。うん。どうやら、納得の行く答えを見つけたようだ。

 

「こんな答えで悪いね。アタシは言葉にするのは苦手なんだ」

「いや、あんたの言葉は私の心によー響いたで。ありがとな!」

 

 

 練習に戻っていったタマモクロスと入れ替わるように、今度はイナリワンがこちらに近づいてきていた。おや、どうしたんだろうか?

 

「あの、ミスターシービーさん。時間あるかな?」

「うん。どうしたの?」

「相談があるんだ。聞いてくれっか?」

 

 いいよ、と肯定の意味を込めて頷いてみると、これまた、何かを吐き出すが如く、語り始めた。

 

「地方…大井と中央トレセンで迷ってるんだ。どうすればいいか、アドバイスが欲しいんだ」

「ん?んー…何を迷ってるの?」

 

 大井と中央…私的にはイナリワンといえば大井、というイメージがある。だから、この練習会はイナリワン自身の実力をあげるためとかそういう理由で参加したのかなぁ?と思っていたけれど、どうやら思い違いらしい。もうちょっと、深い理由がありそうだ。

 

「地元を大切にしたいんだ。でも、中央に誘ってもらったのは光栄だろ?どっちに行くか悩んじまってる」

 

 ふーむ。両方とも素敵な気持ちだね。地元で走りたい、中央で走りたい。大井で走るか、中央で走るか。ま、でもこの場合は。

 

「はーん?じゃあ、簡単だよ」

 

 比べている時点で決まっているんだ、こういうのは。イナリワンの瞳を見つめて、微笑みながらこう伝える。

 

「自分の心のいくままに決めれば良い。アタシは常にそうしてるよ」

 

 世間で考えれば、栄光を考えれば間違いなく中央だろう。しかし、大井という走りたい場所で走るか迷っている。アタシはそう感じたんだ。

 

「心の」

 

 つぶやいて、考え込むイナリワン。そう。だったら、本当に走りたいステージで走れば良い。

 

「うん。義務とか、責務とか、栄光とかは二の次。一番は何をしたいか。アタシから言うことはこれ以上、何もないよ」

「…わかったぜ、ありがとう。ミスターシービー。ったく、アタシとしたことが、何を迷ってたんだか!」

 

 スッキリとした瞳でこちらの瞳を見返してきた。オッケー。どうやらお悩みは解決したみたいだね。それに、大井で走っていても、君は必ず。

 

「どういたしまして。ま、そうだなぁー。アタシとしてはまたいずれ、中央で会えることを楽しみにしてるね」

 

 アタシがそう言うと、イナリワンは驚いた顔でこちらを見返していた。が、すぐに、鼻を鳴らして笑顔を見せてくれた。

 

「てやんでぃ!」

 

 

 さて、こうなるとあと一人、スーパークリークも私のもとに来るのも時間の問題であったようだ。練習を続ける3人を尻目に一人、こちらに歩み寄ってきていた。

 

「お時間、よろしいですか?」

「うん、いいよ」

 

 こちらもまたお悩み相談である。3人目ともなれば慣れたものだ。さて、こちらのスーパークリークは一体どんなお悩みをお抱えかな?

 

「その、私の走りを見て、何か思いませんか?」

 

 ふむ、なんて抽象的な。でもまぁ、スタミナよしスピードもよし、気になるのはその足か。

 

「あー…そうだね。ちょっと足元が不安かなぁ。外向だよね、それ」

「はい。その、やっぱり、こういうものがあると中央で走ることは、活躍することは難しいのでしょうか?」

 

 おっと、そう来たか。うーん、でも、十分速いけどね?

 

「ん?なんで?」

「いえ、今日の練習でも感じたんです。3人の凄さを、そして、貴女の凄さも。私が、それについていけるのか少し不安になってしまって」

 

 ふむ。なるほど、今の自分と他人を比べてしまったわけか。そもそもアタシと今の君を比べるのが間違いなんだけど、まぁ、そうも言えないし。

 

「でも、トレセンの門は潜れた。ということはまぁ問題はないでしょ。あとは君がどれだけ君を信じられるか、かな?」

 

 自分の限界を決めるのは自分自身だからね。そういう思いを込めて彼女を見つめてみた。すると、その瞳はやはり、揺れている。

 

「私が、私を?」

 

 動揺が伝わってくる。なるほど、結構図星な感じね。自分が自分を信じられていないというところか?

 

「そ。自分を信じて本気で走れるか。歩く君の姿は一流のウマ娘のそれだよ。だからきっと、走っても速いはずだ。でも、なぜか今日のトレーニングでは一番遅い。なんとなく感じるんだけど、その原因は、君自身の走りを君が信じられていないからのように見えるかなー」

 

 静かに私の言葉を聞くスーパークリーク。うん。本来は語るべきものでもないのだけど、ま、何かの縁だ。思っていることを素直に伝えさせてもらおう。

 

「ま、どちらにしても練習を重ねることだね。積み重ねればきっと、その先に()()()()()()()()()()()()はずだ。もし自分の走りに自信が持ちきれないのならば、君の走りを信じたそのトレーナーとの絆を深めて二人三脚で勝ちに行けば良い、なぁんて思うよ?実際、アタシもそうだしね」

 

 肩をすくめてみれば、スーパークリークの瞳が驚きに染まる。

 

「あら、ミスターシービーさんも、そうなんですか?」

 

 うん。まぁ、とはいえ自分の走りに自信はあるけどね。でもレースを全力で走れるのは彼が居るからだ。

 

「まぁね。だって考えてみてよ?こんなに適当で自分勝手なウマ娘の手綱を握ってくれるトレーナーなんて2人といないよ?彼を信用しているから、だからアタシはレースで走れるんだ」

「あららら。すごい、惚気を」

 

 なんとでも言うといいさ。でも、その惚気にも感じられる信頼こそ、アタシの強さの一つと言っても良い。

 

「羨ましい?でも、大丈夫。キミもそういうトレーナーに出会うよ。だから、今が不安でも、きっと大丈夫さ。だから、三冠ウマ娘の言葉ぐらいは信用してみない?」

 

 アタシがそう言うと、スーパークリークは深く息を吸った。そして、噛みしめるように頷くと、こちらに強い瞳が向く。

 

「…判りました。貴女の言葉、信じてみます」

「うん。今は苦しいだろうけど、その先にはきっと栄光が待ってるよ」

 

 私の言葉を受けてか、スーパークリークは優しい笑顔を浮かべてくれていた。うん。旨いこと言えたかなぁ?っていうか一日の練習、っていうだけでこれかぁ。後輩を育てるって、かなり難しいねぇ…。

 

 そうそう、ちなみにメジロラモーヌは私への質問はないようで、ちらりと視線を送られるだけだった。ま、三者三様という言葉があるし、違うのもまた個性だ。しかし、この4人の中で一番抜きん出ているのは間違いなくラモーヌ。一つの問題を抱えながらも、間違いなく彼女が強い。てっきり、そのことについて聞かれるかと思ったんだけどな?

 

「ま、メジロのお嬢さんにはまた何か考えがあるんでしょ。難しく考えても仕方がないかなー」

 

 自分に言い聞かせて、ターフを見る。トレーナーの指示の下、トレーニングを行う4人。いいね、実に青春だ。

 

 ―と、そろそろ良い時間になってきたから締めと行くかな!ベンチから立ち上がり、彼女らに声を掛けに行くとしよう。

 

 

「じゃ、最後はレースね」

「はい!」

「はい、わかりました」

「かしこまりましたわ」

「気合入るなぁ…」

 

 最後の締めは、アタシとの模擬レース。手前味噌だけど、アタシと走れるとだけあってか、みんなの顔に気合が入っている。

 

「あ、ちなみにこのあとはライブあるからね。アタシを含めて一着と二着がセンターで歌ってもらうから、よろしくねー」

「へ?歌うって、ただ歌うんちゃうんか!?勝ったやつがセンターかいな!?」

 

 アタシがそう言うと、タマモクロスが勢いよくツッコミを入れてくれた。いいね、そういうの好きだよ。でも、今回はあまりおちゃらけたりはしないさ。

 

「そ。だって練習してきたんでしょ?バックダンサーも、メインも」

「ほんきか!?練習はしてきたけど、せやけど、聞いとらんで!?」

 

 そうだね、話してないから。でも、これからキミ達が生きる世界というものを体験するのが、今日の目的のはずだ。

 

「あはは!だって、今日キミ達はトレセンに来たんだ。レースに来たんだ。だったら、本番みたいにライブまでやらなきゃ。それにほら、このレースを楽しみにしている観客がいっぱいだ」

 

 見渡せば、始まったときよりも多くのウマ娘が私達の練習風景を見ようと集まっている。ま、もちろんルドルフやエースの公開練習目的の人々も多いのだけど、それでも人は多い。 

 

「だから、今日応援してくれて、見に来てくれてありがとうという感謝はちゃんと伝えないとね?ウマ娘のエンターテイメントのプロとして」

 

 にやりと笑みを向けてみれば、全員の顔が一気に引き締まった。よしよし。

 

「じゃ、並んで。距離はそうだな…()()()()()()体力のことも考えて1600メートル。マイルで行こう。タマモクロスが最内、その隣がイナリワン、その外にスーパークリーク、大外にメジロラモーヌ。ああ、()()()()()()()()()()()()()()()から―」

 

 私の言葉に、更に雰囲気が変わる。5秒遅れのスタート。これはかなりのハンデだ。なにせトレセンを目指してくる強者達。ふざけるなと思ったことだろう。でも、もうひと煽り。

 

「みんな、アタシに抜かれないよう、()()()()()()

 

 

 スタートライン代わりに立ったトレーナーの前に、四人のウマ娘が並ぶ。共に、その目には闘志が燃えていた。なにせ相手はミスターシービー。しかも五秒のハンデである。

 

「舐められたもんや…ミスターシービーかて、5秒遅れはやり過ぎや」

「舐めちゃいかんよ。相手は無敗の三冠ウマ娘だぜ?」

「そうですよー。きっと、今日の練習を見て今の私達なら抜けると判断したんです。気に入らないですが」

「全くね。でも、ミスターシービーの実力は本物。間近に見れるいい機会じゃないかしら」

 

 ラモーヌの言葉に、タマモクロスが思わずこう言った。

 

「せやかて五秒やで!?そんだけ自信があるってことやろ…!それに、今日の練習かてウチらが倒れとる中で全然息があがっとらんかった。勝てるビジョンが浮かばへん」

 

 弱気な言葉を告げたタマモクロス。だが、それは他の三人も同じようなものである。その言葉に頷くスーパークリークとメジロラモーヌ。だが、それを振り払うように、イナリワンは大声を出した。

 

「てやんでぃ!全力でやってやるっきゃねぇだろ!なに弱気になってんだタマァ!」

「イナリ…せやな。せやな!ウチはトレセンに入るんや。全力でやってやるでぇ!」

「その意気です。私も出来る範囲で、一位を狙います」

「あら、3人共目の色が変わったわね。じゃあ、私も出来る範囲で勝負させていただきますわ」

 

 頷き合う四人。それを見たトレーナーが彼女らに声をかける。

 

「じゃあ、スタートの合図は俺がする。準備はいいか?」

 

 その言葉に、四人はスタートの体勢を整えた。あとは、狼煙が上がるのを待つのみだ。観客たちも息を呑む。

 

「いくぞ。3,2,1,…スタート!」

 

 ダァン!と勢いよくターフに脚を叩きつけ、一気にトップスピードを出す四人のウマ娘。最初に行ったのはスーパークリーク、そしてメジロラモーヌが後ろにつく。更に後ろにタマモクロスとイナリワン。1600メートルのマイルの旅路だ。練習で体力が削られているとは言えスピード勝負になるのは当然の摂理であった。

 

「おー、いいねー」

 

 最初から一気に全力疾走の四人を眺めながら、ゆうゆうと準備を行うのはミスターシービー。自然体で、彼女らの背中を見る。

 

「うん。第一コーナーの侵入もよろしい。やっぱり素敵なウマ娘たちだ」

「さて、じゃあお前のスタートは()()()()()でいいな?」

「うん。そのぐらいがちょうどいいでしょ」

 

 ミスターシービーは首を左右に伸ばし、軽く伸びをしてからスタートラインに立った。既に6秒。

 

『…5秒のハンデじゃなかったか?』

『うん。そう聞こえた。でも、スタートしないね?』

 

 観客たちが少しどよめき始める。それを横目に、トレーナーはカウントを始めていた。

 

「じゃ、いくぞ。3,2,1,スタート」

「はーい」

 

 軽い返事。だがしかし、その言葉とは裏腹に。

 

―ズダン!―

 

 ターフが捲れ、その場に居たはずのミスターシービーが消えた。観客席から見ていた人々がそう思うほどのスタートダッシュを魅せつけたミスターシービー。気づけば、既に第一コーナーにその体があった。

 

『え?速っ!?』

『うわ、エゲツナ。見えた?シガーグレイド』

『画面の向こうと生じゃ迫力が違う…すご…』

『わぁ…ルドルフさんもすごいけど、シービーさんもすごいや。ボクもああなりたいなぁ』

『なんて速さなんですの…!?』

 

 観客たちのどよめきが更に広がった。だが、その距離は絶望的とも言えよう。なんせ10秒のハンデだ。ミスターシービーが追いかける。前の4人は逃げる。向正面でもまだそれは追いつかない。それは、四人も感じ取ったようで。

 

「獲ったで!ミスターシービー!」

 

 最終コーナー出口に向かう頃には、タマモクロスが確信めいた叫びを上げていた。だが、それに対して苦しそうな表情を浮かべるのはイナリワンとスーパークリークの二人。

 

「まだまだぁ!おおぉおおおおおおお!」

「くっ…脚が…ここまでですか!」

 

 練習の疲れ、そして自身の不調。それが重なり、彼女らはもう足が前に出ない。ずるりと落ちるイナリワンとスーパークリーク。それを後目に加速するタマモクロス。が、その外から更に一人のウマ娘が現れる。

 

「3人共まだまだね。お先に行かせていただくわ」

「くっ…ラモーヌ!」

「なぁ!?嘘やろ!?」

「てやんでぃ!負けてたまるかァ!」

 

 メジロラモーヌ。麗しいウマ娘が、三人を置いて頭一つ抜きん出る。だが―。

 

いい脚だね。4人共

 

 聞こえるはずのない5人目の声が、彼女らの真後ろから響いてきた。驚きに振り返る4人。そこにいたのは、10秒というハンデが無かったように、ぴったりと距離を詰めていた、涼しい顔の無敗のウマ娘。よくよく耳をすませば、その足音も真後ろから聞こえてきていた。

 

これは、将来が楽しみだ

 

 そして、あっという間にその声と足音は大外に動いていく。

 

さて。じゃあ、しっかり見ててね?これが、アタシの脚さ

 

 地面が揺れた。そう錯覚するような強い踏み込みを見せたミスターシービーは、4人を一気に抜き去り、圧倒的な差でゴールラインを駆け抜けていた。

 



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インターバル・シービー ④

 模擬レースが終わって数時間後。5人は、学園のミニライブが行われるステージへの舞台裏へと集まっていた。ミスターシービーを含め、全員が共通の勝負服を纏い、まるでG1の舞台袖のような豪華絢爛さだ。

 

「じゃ、改めて確認。メジロラモーヌがセカンドボーカル、私がメインボーカル、スーパークリークとタマモクロス、イナリワンはバックダンサーとハモリね」

 

 頷く4人。顔はちょっと硬いね。唯一ラモーヌが自信有りげな笑みを浮かべているけれど、隠しきれてない。手がちょっと震えてる。

 

「ミスターシービーさん。やっぱり、緊張してしまうのですが」

 

 不安そうな声はスーパークリーク。そうだね、まぁ、緊張するのは悪くない。それだけ真剣にやってきたということだから。でも。

 

「ま、まずは楽しくね?」

 

 スーパークリークの頬に人差し指を当てて、口角を無理やり上げて見せる。ちょっと驚くスーパークリークに言葉を更に重ねてあげた。

 

「そして笑顔を忘れない事。観客やファンのみんなは私達の輝く姿を、レース場に、そしてライブに見に来てる。だから相手をおもいっきり喜ばせる。その気持ちを忘れないこと」

 

 頬から指を話しても、スーパークリークの表情は笑顔のままだ。ちらりと他の3人をみてみても、なんとか笑顔を保ってくれている。よし、と頷いて見せる。

 

「それさえできれば、なんとかなるよ。どう?行けそう?」

 

 頷く4人。あ、ならば、ここで彼らも紹介しておこう。

 

「それで、紹介しておくよ。今日のバックバンド『FB』の方々。リーダーの根付さん、ベースの平井さん、キーボードのバニングさん、ドラムのドレイクさん。アタシも根付さん以外と会うのは初めてなんだけど、腕は確かだから」

「FBの根付だ。今日はよろしくな。ウマ娘の嬢ちゃん達。楽しくやろう」

 

 根付さんがそう言いながら頭を下げた。同時に、他のメンバーも頭を下げる。年齢はだいたい根付さんと一緒ぐらい…とはいえないか。バニングさんとドレイクさんがちょっと年上といったところだけど、でも、その年の差を感じさせないような気安さを感じられた。

 

「君が根付を動かしたミスターシービー君か。今日は楽しみにしているよ。よろしく」

「こちらこそ。バニングさん。ま、もしかしたらミスるかもしれないけど、そのときはごめんね?」

「大丈夫さ。俺たちはよっぽどのハプニングには慣れてる。任せてくれて良い」

 

 バニングさんと握手を交わす。そして、その流れでドレイクさん、平井さんとも握手を交わしていく。他の4人も私に習って握手と挨拶を交わしていっていた。いいね、そういうのも大切なコミニュケーションだからね。覚えてくれると良いと思う。

 

『ミスターシービーさん!そろそろ出番です』

 

 スタッフ役をかってくれたウマ娘、アラホウトクが私に声をかけてきた。うん。たしかにいい頃合いだろう。

 

「お、りょーかい。暗転?」

『はい。SE掛けたら暗転します。先にFBの方々が下手から飛び出してもらってスタンバイ。というか、ゲネプロなしで本番って本気です?』

「うん。だって、普段のウイニングライブだってそうでしょ?この子達には本番を体験してもらいたいから」

『あー…確かに。じゃあ、SE行きますね。それと今日のPAはマルゼンスキーさんです。『合わせるから好きにやっちゃって!』と伝言頂いてます』

「そりゃ心強い」

『ですね!では、FBの方々飛び出しの準備を。MCがコールすると同時にSE、スタートします』

「おう。行くぞ」

 

 根付さんたちの顔が引き締まる。おお、プロって感じだね!そして、登場曲代わりのレックレスファイアのインストがかかると同時に、彼らは舞台へと飛び出し、そして各々の楽器の元へ。すると。

 

『よう!お前ら!今日はミスターシービーのステージだ!盛り上がっていくぞー!』

 

 根付さんの声だ。音出しを行いながら、ギターを爪弾きながら場を盛り上げてくれ始めていた。ドラム、ベース、そしてキーボードが入り、その熱狂が徐々に徐々に伝播していく。

 

『すごいですね、根付さん。一瞬で観客を掴みましたよ』

「本当だ。いやー、すごいねー。知らなかった」

『え?そうなんです?学園長からはミスターシービーさんの紹介って聞いてたんで、これを狙っていたのかなと思ったんですが』

「いやいや、そんなことないよ。っと、さて。ではスーパークリーク、タマモクロス、イナリワン、そしてメジロラモーヌ」

 

 右手を差し出し、目配せをする。ライブの前に行うことといえば、円陣にほかならない。それを感じどったのか、4人は私の右手の上に手のひらを重ねていた。

 

「場は温まった。全力で楽しもう!そして、みんなを楽しませるよ!」

 

 私がそう言うと、彼女らは笑顔を浮かべて。

 

「はい!」

「おう!」

「はいな!」

「はい」

 

 良い返事をしてくれていた。ならば。

 

「行くよ!最高のライブにしよう!」

 

 そう言って右手を一気に掲げあげた。そして、ステージを向いて笑顔を浮かべると同時に、スタッフの声がかかった。

 

『ではミスターシービー、メジロラモーヌ、スーパークリーク、タマモクロス、イナリワン、ステージ入り、どうぞ!』

 

 頷き合い、一気に袖から飛び出す。暗転していた視界が一転、スポットライトの光の下へ。眩しさに視界と音が消えるが、次の瞬間。

 

『ミスターシービー!!!!!』

『ウォオオオオオオオオオ!』

『本物だああ!かっこいいーーー!』

 

 声援が私達に降り注ぐ。観客席は超満員。入り切らない人たちは校舎の上から見る有様だ。それに向かって手を振る。取りこぼさないように、全員に目を合わせるように。

 

「今日は急なライブに集まってくれてありがとう!アタシはミスターシービー!無敗の三冠ウマ娘だ!」

 

「今日はちょっと変わったライブなんだ。後ろの4人のウマ娘。識っているだろうけど、彼女たちはこれからトレセンで上を目指すウマ娘たちだ」

 

「今日は彼女たちが、私の練習に付き合うっていう日だったんだけど、ただ練習に付き合うだけじゃつまらないと思ってね!」

 

「レースみたいに、ライブも歌って踊ってもらうってアタシが決めた!いいよね!」

 

 アタシの問いかけに、観客席からは大きな歓声で答えが帰ってきた。よし、じゃあ!

 

「ありがとう!じゃ、高説はここまで!一曲歌うよ!」

 

 ミスターシービーの言葉と同時に、照明が音を立ててシャットダウンされた。そして、朧火のように、緑の照明が小さく輝き始める。その後ろのバックバンドには、赤色の灯火が輝き始め、全員がポーズを取った。

 

 一瞬の静寂。最初に動いたのは、控えていたギタリストだ。弦をたわませ、ギターのノイズのような爆音がステージを包む。同時に、ミスターシービーが右手を高く掲げ、こう叫んだ。

 

「いけない、ボーダーライン!」

 

 

 ステージは大盛況のまま終わり、ルドルフから『やりすぎだ』とありがたいお小言を頂きながら、私達の一日は終わりを迎えた。練習の最後は、レースの最後は、ライブの最後は、楽しい楽しい打ち上げのひととき。ま、私とトレーナーのようにビールはやれないので、飲み物はにんじんジュース。そしてここは学園の学食。

 ビュッフェをつまみながら周りを見渡せば、エースやルドルフ、それに他のウマ娘たちや、そのウマ娘たちに着いてきていた未来の卵たちが、笑顔を浮かべながら思い思いの時間を過ごしている。うん、素敵な時間だ。

 

 ちなみに根付さんたちFBの面子は既に解散してしまった。打ち上げに誘ったんだけど、にべもなく断られてしまった。曰く。

 

『あとは嬢ちゃんたちの時間だ』

 

 だそうだ。ただ、それに続くようにこんな言葉も投げかけられた。

 

『また会おうぜ、感謝祭でな』

「え?じゃあ、バンドやってくれるの?」

『おう。また演奏させてくれ。気に入ったよあんたのステージ。後でセットリスト、送ってくれ』

「うん。必ず!」

 

 感謝祭のバックバンドの約束が取り付けられて嬉しい反面、打ち上げを一緒に楽しめないのは残念だ。でもま、私の思う人たちならば、多分歌うことが何よりの楽しみであるわけだし、きっとこのあとも、どこかで歌うのだろう。約束を取り付けられただけでも、御の字というところか。

 

「ミスターシービー」

「ん?」

 

 私の名を呼ぶ声がする。と、首をひねってそちらを向いてみれば、そこにいたのは見た目麗しい今日のパートナーのウマ娘が一人。なんであろうかと首を傾げて見せれば、そのウマ娘は見事なカーテシーで私に挨拶を繰り出してくれていた。

 

「失礼。改めて、私、メジロラモーヌと申します」

 

 改めて。そう言いながら笑みを浮かべるウマ娘、メジロラモーヌだ。んー、スタイルも良い、姿勢もバッチリ、そして声も美しいときた。練習を見ていて思っていたけど、本当完璧だ。すごいね、いろいろな意味で。見た目も美しい。これ、数年立ったら魔性とか言われそうな勢いがあるね。

 

「丁寧にどーも。何か用?」

 

 おどけて見せれば、ラモーヌは軽く頷いてくれていた。

 

「楽しかった、とお伝えしたくて」

「そりゃ良かった。ええと、ラモーヌと呼んでも構わない?」

「ええ、もちろんです」

 

 しかし、まだ本格化前のはずなのに、今日のステージの相方。見事な歌を披露してくれていた。まぁ、将来有望ったら間違いない。

 

「ラモーヌ、キミ、かなり強いね。それで本格化前なんでしょ?」

「ええ。幸い、才能には恵まれているようなの。それで、一つご提案があるのですけれど、聞いていただけるかしら?」

 

 ほう。ご提案と。美人に言われたら断るのは野暮ってもんだろう。

 

「良いよ。言ってみて?」

「一度、私と2人で、掛け値なしの本気で走っていただけないかしら。練習とか、そういうのを関係なしにして」

 

 ふむ。ギラリと輝く瞳がこちらを向いた。うん。別にいいんだけど、そうだな。

 

「嫌だね」

「あら、どうして?」

「キミがまだアタシの横に居ないから。それに、足首、痛めてるでしょ」

 

 走る時、君の足の違和感に気づかないわけがない。ただ、それの不具合を持っていながらも今日の私のステージのパートナー。その実力はやっぱり、あのメジロラモーヌだ。

 

「確かに痛めています。ですが、それは些細な問題ですから」

「些細じゃないよ。嫌なものは、いーやーだ」

「では、どうすれば走っていただけるのかしら?」

「そうだなぁ…」

 

 本当に強くなった君と走りたいってだけなんだよね。牝馬三冠の君とさ。ただ、ストレートに言っても首を傾げられるだけだろう。だから君に伝えるならば、これがいいだろう。

 

「無敗の三冠を獲ってくれたら、と言いたいけど、いくらなんでも詰まらない。クラシックは私とルドルフが居るからね」

 

 改めてラモーヌの、その深い海のような瞳を見つめて言葉を紡いでみせた。

 

「無敗のトリプルティアラを獲ってみてよ。そうしたら、勝負してあげる」

「…無敗のトリプルティアラ」

「そ。史上初のトリプルティアラ。しかも無敗。どうかな?」

 

 私が言い切れば、ラモーヌは困ったような顔で口を開く。

 

「…面白いことをおっしゃるのね?貴女の言った通り、私は足首を痛めていて、いつ、トゥインクルを走れるかもわかりませんわ。その言の葉、根拠はあるのかしら?」

「んー…特に無いよ。でも、想像できたんだ」

「想像?よろしければ、伺ってもよろしいかしら?」

 

 試すような強い光を宿した瞳がこちらを射抜く。いいね、そういう所はすごく好きだ。

 

「大きな舞台で、三冠ウマ娘としてスタートラインに着くルドルフと、キミと、私の姿さ。面白くない?」

 

 言い切って、ウインクを投げる。呆気に取れるメジロラモーヌだったが、次の瞬間にはクスクスと笑い顔を浮かべてくれていた。

 

「承知しましたわ。貴女のご期待に応えられるよう、これからも精進させていただきますわね」

「うん。楽しみにしてるよ」

 

 さてさて、どうなることやらね。ま、私がいる時点で実際のお馬さんとは違う戦績なわけだし、多分楽しいことにはなるだろうねー。それに、種はいくら蒔いても多すぎるってことはないからね。よーく育って、熟して、ここに走りに来て欲しい。

 

「背中はいつでも魅せてあげるからさ」

 

 その代わり、抜かせる気はさらさら無いけれどね。



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インターバル・シービーFor Answer

花粉との戦いは一つの区切りを迎えた。

スギヒノキと呼ばれる彼、彼女らとの戦いは熾烈を極めた。

抗ヒスタミン剤―人間の免疫を抑える薬物を使い、マスク―人間の呼吸を管理するフィルターを使い、対花粉メガネ―人間の視界を遮る拘束具を付け、彼らの彼女らのフィールド、春の空の下へと繰り出した日々がついに、ついに終りのときを迎えた。

スギヒノキの花粉たちは、その力を使い切り、ついに地面に戻ったのだ。自然の循環の中に戻ったのだ。私は久しぶりに、眠気や腹痛を呼び覚ます薬を断ち切り、マスクを外し大きく息を吸った。メガネを外し、その目で大気を見た。

 ああ、素晴らしい。夏の空気が近づくこの瞬間が堪らなく愛おしい。

 全ての人類よ。スギヒノキとの激戦を繰り広げた者たちよ。


 おめでとう。


 ―だが、私たちは知っている。自然とは、巡るもの。また来年。彼らとの熾烈な戦いが待ち構えてることを。だからこそ、この平和を謳歌するのだ。


 体験入学という名の一つのイベントが終わった後、私とトレーナーは屋上の喫煙所で紫煙をくゆらしていた。今日のところはパイプではなく、紙巻きのピース。とはいっても、高級品の方ではなくて一缶50本入の両切りのピースだ。

 

「変わった吸い方をするなぁ」

「ふふ。バイクの出先でこんな吸い方をしてたおじいさんが居てね。試したら美味しかったんだ。どう?」

「うん。悪くはない。雑味も取れていい感じだ」

 

 両切りの缶ピース。フィルターがないタバコだから、そのまま吸うとタバコの葉が口の中に入ってしまう。先人たちはタバコを片側から叩くことにより葉っぱを寄せて、少しでも口の中に入る葉を少なくしたり、吸う側の紙をすぼめてみたり、別売りのフィルターを付けてみたりと様々な工夫をしていたりする。

 

「まさか、煙管にピースを突っ込むなんてな」

「いいでしょ、でも」

 

 私が吸っている方法は、日本古来の喫煙具の煙管だ。そして、その煙管の火口とよばれるところにタバコを挿している。こうすると、タバコの葉は口に入らないし、両切タバコの悩みである最後まで吸えないという問題も解決してくれる。

 

「カッコは悪いけどね。煙管の先に紙巻きを刺すとちょっと間抜け」

「はは。違いないな」

 

 欠点はこのカッコの悪さだけど、気心しれたトレーナーと愉しむだけだから問題はないけどね。

 

「それにしてもシービー。今日のお前、かっこよかったぞ」

「ん、ありがと。ちゃんと先輩面できてたかな?」

「先輩面どころか、いい導き手だった。こりゃ、あの4人は大化けするかもなぁ」

 

 トレーナーにそう言って頂けたのならいい仕事が出来たってことだろう。一安心だ。ふと、時計を見れば既に時間は10時過ぎ。門限などとうにすぎている。

 

「そういえばいいの?こんな時間までここに居て」

「ん?」

「ほら、10時まわったよ。学園の門限とか」

「ああ、心配いらない。学園長、それに当直のトレーナーに許可は取ってる。証拠に、ほれ」

 

 笑顔を浮かべたトレーナは、ジャラという音とともにカギをポケットから取り出していた。もしかして。

 

「屋上のカギ?」

「ああ。お前と俺の為なら一肌脱ごう!とか言われた」

「あはは、なにそれ」

 

 笑い合いながら、お互いに煙管を灰皿に近づける。カツンと煙管が皿に当たり、その衝撃で灰がぽとりと灰皿に落ちた。

 

「しかし、あの根付さんか、彼らのバンドの腕は一流だったな」

「そうだねー。いや、本当に今日は楽しく歌えたよ。トレーナーもありがとね」

「別に俺は何もしてないぞ」

「そんなことないじゃん。許可取り、スケジュールの調整、各所へのあいさつ回り。トレーナーが居なかったら今日のライブも実現してないもん」

 

 私がやったことは、根付さんを引き入れ、学園長とかルドルフに許可をもらった事ぐらい。他のステージの調整とかはトレーナーがかけずりまわってくれたからこそ、この短期間でライブが開けた。本当に、感謝しか無いよ。

 

「ま、お前には結構振り回されたからなぁ。このぐらいは楽勝さ。それに俺はお前のトレーナーだからな。好きに走れるように環境を整えるのも一つの役目だ」

 

 苦笑を浮かべてそんな事をいうトレーナー。ふふ。だからこそ、だからこそ私はキミにはこう伝えたい。

 

「トレーナー。改めてありがとう。本当、キミがいるから私は自由に走れるよ」

「はは、俺はお前のおかげで飽きない日々を送れてる。こちらこそありがとう」

 

 あはははともう一度笑い合いながら、タバコを啜る。そうやって1本、2本とタバコを進めるうちに、トレーナーがふと、こんな事をつぶやいた。

 

「で、お前は次、どこに向かって走るんだ?」

 

 次。それは、もちろん。

 

「前々から言っている通り秋のジャパンカップを走りたいかなー」

「ほかは?春の天皇賞や大阪杯、夏の宝塚記念もお前の脚なら気持ちよく走れると思うぞ?」

 

 あー、確かに。でも、正直いえばジャパンカップまでエースの出走とかぶりたくないっていうのが私の気持ちだしなぁー。

 

「エースと被りたくないんだ。エースとは、ジャパンカップで走りたい」

「そうか。なら仕方ないな。で、天皇賞春は?お前を望む声も多いぞ?」

「長距離は嫌い」

 

 菊花賞のことを思い出してしまう。全力で逃げて、本当にぶっ倒れるぐらいに全力を出したレース。あの苦しみはちょっと勘弁願いたいなぁと思ってしまう。

 

「ま、確かにお前の適性は長距離には無い、か」

「そーいうこと。菊花賞辛かったしねー」

「なら仕方ないな。でも、秋までレースをしないというものもったいないし、レース勘を維持するためにも何かは走っておいたほうがいい、そう俺は思う」

「たしかにね」

 

 そう言いながら頷くと、トレーナーは何か思いついたのかタバコを置いて、私に向き合った。

 

「それなら一つ提案がある」

 

 トレーナーから。珍しいね。なんだろう?

 

「へぇ、トレーナーから?聞こうか」

 

 アタシもタバコを置いて、トレーナーに向き合う。トレーナーの真剣な目が、私を射抜いていた。

 

「ニホンピロウイナーと来年にはやり合いたい、そう、言ってたな?」

「うん」

「なら、その前哨戦としてこの春から夏は短距離路線を走るっていうのはどうだ?そうだな、まずは―」

 

 ほう、短距離路線。まずは、なんだろう?

 

「京王杯スプリングカップ。場所も東京レース場でお前のホームだ。そしてそれを経由して」

 

 なるほどなるほど、そこを経由するということは。つまり、こういうことか。

 

「「安田記念」」

 

 トレーナーとアタシの声が重なる。なるほどなるほど?長距離でもない、そして、エースとも被らない。何より。

 

「それに、うまく行けば一年早くニホンピロウイナーとぶち当たれる、ってことだね、トレーナー?」

「そういうことだ。あっちは今年の始動は淀短距離から始めると発表しているからな。去年の短距離の戦績から推測すれば、その目標は間違いなく安田記念だろう。なら、ここで一戦やっとくのもいいんじゃないか、と俺は思うんだが、どうだ?」

 

 試すような視線が、私を貫く。ふふ。悪くない。悪くない提案だ。

 

「いいね、ノッた。やろう。短距離路線!」

「よし決まりだ!じゃあ、休み明けにでもすぐに登録書類を出しておくからな」

「うん。よろしくねー!楽しみが一つ増えたよ」

 

 やっぱり私のトレーナーは最高だね。アタシの気持ちを汲み取って、私を気持ちよく走らせてくれる。ふふ。じゃあ、明日からまた練習を頑張らないとね。

 



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春の戦線異常あり

 目標を短距離に定めて練習を始めて数週間。勝負服の靴の開発もある程度完成を見て、さあいよいよ本番に向けての追い込みを始めようかと準備をし始めたとき、よく見知ったウマ娘が私の元に現れていた。

 

「…その、すいません」

「キミは相変わらず律儀だねー。気にする事ないのに」

「いえ。せっかくこちらの土俵に来ていただいたのに、勝負することが出来ない。私が納得が行かないんです」

 

 頭を下げているのはニホンピロウイナーそのウマ娘だ。もしかすると安田記念でぶち当たれるかも、なんて思っていた矢先。彼女はレースで怪我をしてしまったのだ。

 

「ま、わかったよ。その言葉受け取っておく。で、実際どうなの?怪我治りそう?」

「はい。幸い軽い骨折でした。秋戦線には間違いなく復帰できます」

「そっか、それなら良かったよ」

 

 うーん、しかしつくづく彼女とは縁が無いなぁと思う。クラシックも袂を分けたし、今回も彼女の怪我で走れない。とはいえ、まぁ、彼女の事を馬として識っている私としては、そんなことはどうでもいいんだけどね。

 

「じゃあ、まぁ、来年の勝負を楽しみにしているよ」

「来年…あの、今年のマイルチャンピオンシップは」

 

 あー、まぁ、短距離の練習を始めた、となれば私も短距離路線に切り替えたのか、とか思うだろうねぇ。でも、残念。今年はそうは問屋が卸さないんだ。

 

「今年は残念だけど、ジャパンカップを目標にしているんだ。中一週間しかないからね。流石のアタシでも無理かなー」

「そうでしたか。残念です」

「でも、期待していいよ」

 

 満面の笑みで、彼女の顔を見た。すると、戸惑いの表情が浮かぶ。

 

「何を、ですか?」

 

 疑るような声で、私にそう問いかけるピロウイナー。そりゃ、決まってるでしょ。

 

「安田記念。前年度覇者とキミは間違いなく走れるから」

 

 一瞬動きを止めたピロウイナー。どうやら、私の言葉を理解するのに時間を要しているらしい。が、しばらくすると、その目が鋭くこちらを睨んでいた。

 

「…それは、大きな口を叩きましたね、ミスターシービー」

「うん。叩いたよ」

「今まで中距離から長距離を走っていた貴女が、短距離で勝つと?」

 

 ああ、納得し辛いことだろうね。でも、でもさ?

 

「ニホンピロウイナー。来年の事、想像したら楽しくない?」

 

 キミとアタシが全力で走る1600。スピード勝負の最高峰。追い込みも、差し込みも、先行も逃げも関係ない。一番ノっている奴が勝つ。アタシの言葉に、ニホンピロウイナーは同じことを想像したのだろうか。表情が緩む。

 

「はい。楽しみです」

「じゃあ、そういうことで。とりあえずは、その脚をちゃんと治しなよ?」

「ええ。もちろん。治した上で、磨き上げて。貴女の背中を追い抜きますから」

「言ったねー?じゃ、期待しているよ」

「ええ。私も、楽しみに」

 

 そう言いながら、私とピロウイナーは固く握手を交わしていた。うん。一つの楽しみはお預けになったけれど、でも、また一つの楽しみが出来た。エースにルドルフ、マルゼン、そしてピロウイナー。走る楽しみには本当に事欠かないね。

 

 

 3月に入って、私はトレーナーと共に阪神レース場の地を踏んでいた。なんせ今日はカツラギエースの始動レース『鳴尾記念』だ。…本来は大阪杯からのはずだったんだけど、予定を変更したらしい。ま、つまりは敵情視察という名前の応援というやつだ。

 

「や、エース。調子はどう?」

 

 控室に挨拶に行ってみれば、そこにいたのはちょっとだけ緊張の面持ちで出番を待つエースが居た。

 

「よう。シービー。調子はいいぜ?ちょっと、緊張しているけどな」

「見れば判るよ。珍しいね、エースが緊張なんてさ」

「緊張もするさ。なんてったってお前が見てる。不甲斐ない走りが出来ない、ってな!」

 

 そう言いながら笑ってみせたカツラギエース。なるほど、この緊張はどちらかというと武者震いの類だったっぽいね。

 

「そっか。じゃ、アタシは観客席からしっかりと応援させてもらうよ。頑張って、エース!」

「おう。ありがとな!」

 

 お互いに拳を差し出して、コツンと突き合わせる。さてさて、おじゃま虫はここらへんで退散ということで、トレーナーと共に観客席へと移動していた。

 

「上の席じゃなくていいのか?シービー」

「ん?うん。だってここのほうがウマ娘の走りを感じられるでしょ」

 

 片手にコーヒーを携えて、トレーナーと共にラチ沿いの最前列に陣取った。のだけれど、これはちょっとだけ失敗だったかもしれない。なぜかと言えば。

 

『握手してください!』

「いいよー、はい」

『サインを!』

「うんうん。えーと、この本?…はい、ぞうどー」

『写真を一緒に撮ってください!』

「写真?うん、ほら、横に立って。はい、チーズ」

 

 近くの観客から、正確に言えばファンから色々求められているからだ。まぁ、こういうこともウマ娘としての一つの責務だから問題はないんだけどね。ただ、時間が取られてしまうから、レースが始まったら控えて欲しいとは思うけどね。

 

 と、ふと、そのファンの中にやたらとこちらを眺めるピンク色の髪の、子どものウマ娘がいた。…もしかして?そう思いながら、その子の前に体を滑り込ませる。

 

「やぁ。こっちをずいぶん熱心にみてたけど、何か用?」

「うひゃあ!?本物のミスターシービー!?」

「や、そうだよー」

「うひょおおお!あ、ああ!あ、握手、して頂いても!?」

「いいよ、はい」

「あの、いつもその走りに感動しています!この間のミニライブも見ました!最高です!」

「あははは。楽しんでくれた?」

「もちろんです!ほんとう!最高でした!」

 

 嬉しさ爆発。そんな表現がピッタリの子どものウマ娘に、周りの大人達も笑顔を浮かべていた。

 

「ありがとう。そういえば、君のお名前は?」

「ああ、はい!アグネスデジタルです!」

「そっかアグネスデジタルね。これからも、よろしくね?」

「はい!!!」

「じゃ、せっかくだし一緒に見ようか、レース」

「ええっ!!あたしが!?一緒に!?」

「うん。嫌だった?」

「と、とんでもないです!ご一緒させてください!」

「じゃ、こっちに来て一緒に見よう」

 

 彼女を連れて、トレーナーの元へと戻る。するとちょうどその時だ。ウマ娘たちの本バ場入場が始まっていた。

 

「お、おかえり。ファンサービスは終わったのか?」

「うん。つつがなくね」

「…その子は?」

「ファン。一緒に見ようって声かけた」

 

 私が紹介する前に、アグネスデジタルはトレーナーに向かって口を開いていた。

 

「あの、アグネスデジタルです。本日はおひがらもよく」

 

 結構ガチガチになっちゃってるアグネスデジタル。それを察してか、トレーナーは落ち着いた声を返していた。

 

「アグネスデジタルか。俺はミスターシービーのトレーナーだ。キミもウマ娘だな?」

「はい!」

「そうか、ウマ娘が好きなのか?」

「はい、はい!とても、とーっても大好きです!」

 

 笑顔でそう言い切るアグネスデジタル。なるほど、このウマ娘は、子供の頃からウマ娘が大好きなんだねー。

 

「ははは。その歳でレース場に来るくらいだもんなぁ。俺と一緒だ。今日は一緒に楽しもう」

「はい!トレーナーさん!」

 

 と、ここで大歓声が起きる。ターフに目を向けてみると今日の一番人気スズカコバンがターフへと現れていた。その後ろにはカツラギエースが着いて、実力ウマ娘達の登場に、観客たちが大きなエールを送っているようだ。

 

「トレーナーから見てどう?エースは」

「うーん…。まだ本調子ではない、と言う感じに見えるな」

「そうなんだ」

 

 確かに控室で見た彼女、ちょっと緊張していたしね。

 

「ただ、おそらくは今回は叩きだ。本来は大阪杯から始動して宝塚に向かうという話だったから、今回は様子見なんだろう」

 

 なるほどなるほど。先を見据えて、ジャパンカップから空いたレース感を取り戻すってわけっぽいかな?

 

「叩き?」

 

 アグネスデジタルが頭にはてなを浮かべていた。あー、ま、なかなか知らないよね。

 

「叩きっていうのは、そうだなー。エースってジャパンカップのあとレースに出ていなかったでしょ?」

「はい。確かにお休みしていました」

「うん。練習はしているんだけど、レースに出ない間隔が長いとね、どうしてもレースでの勘というか、そういうものが鈍るんだ。だから、その勘を取り戻すってことを叩くっていうんだ」

「はえー…そうなんですね。あ、でも、感覚を取り戻すレースっていうことは、勝てない、ってことですか?」

 

 あー、そういう疑問も浮かぶか。視線を向けて、トレーナーに助け舟を求める。

 

「いや、そういうわけでもないぞ。休み明けがものすごく調子のいいウマ娘も居る。それに、叩きだとしても勝つつもりでウマ娘はあそこに立っているんだ。ただ、実力という意味では一歩劣るかもしれない、っていう感じだな」

「へー…」

 

 感心しながら、アグネスデジタルはターフのウマ娘に釘付けになっていた。なんせ、全員の入場が終わって、各々がウォーミングアップを始めているからだ。その姿に見惚れていると言ってもいいだろう。

 

「…シービー、この子相当ウマ娘が好きだな?」

「だね。アタシたちの声、多分聞こえてないよ」

 

 キラキラとした瞳でターフを見つめ続けるデジタル。なるほど、ウマ娘アグネスデジタル。この頃からほぼほぼ完成されてたのかなー。と、感心している時だ。スターターが旗を持ってステージへと登る姿が見えた。そして、その旗が振られると同時に、ファンファーレが流れる。

 

「お、ついに発走か」

「うん。いやー、やっぱりこの瞬間はドキドキしちゃうね」

 

 走るときも見るときも、この瞬間は本当に緊張が走る。なんせ、あと数分で勝敗が決る。それを証明するように、エースですらも天を仰いで深く息を吸っていた。

 

『さあいよいよ始まります、重賞、鳴尾記念!一番人気はスズカコバン。前走阪神大賞典では2着と好調のウマ娘。そして注目を集めているのはカツラギエース!2番人気まで期待が上がっております!前走はジャパンカップでの激走!ミスターシービーに勝つと気合十分でありました!さあ、有力ウマ娘が集うこの2500メートルの旅路。だれが最初にゴールを潜るのか!各ウマ娘ゲートイン完了!…スタートしました。少しぱらついたスタート。さあ誰が前に行くのか!2500メートルの旅路、まず名乗りを上げたのはカツラギエース!すぐ後ろにはハシローディーが上がって戦闘争いを繰り広げています』

 

 おお、頭を取ったのはエースだ。2500メートルで逃げるか。気合十分だね。一番人気のスズカコバンは比較的後方だ。コーナーを抜けてきて一回目のホームストレッチでも、その順番は動くことはない。

 

「がんばってー!みんなー!」

 

 隣ではアグネスデジタルが大きな声でエールを送っている。じゃ、それに乗ろう。

 

「エースー!頑張ってー!」

 

 観客席からの声援に負けないよう、大きな声でエールを送る。と、一瞬エースと目が合った。にやりと笑っている。おお、言葉はなくても『見てろよ?』という気合が伝わってくる。これは結構楽しみかもしれないね。そしてコーナーへと飛び込んでいくウマ娘たち。順位は少しづつ動いているけれど、やっぱりエースが頭を張っている。後ろにはちょっと走りにくそうにハシローディー、その後ろにはキントタロー、メジロプリンツが続く。

 

「どうだろ、トレーナー。エースは」

「お前の声援で完全にスイッチが入ったように見えたぞ」

「やっぱり?」

 

 うん。あの笑みは明らかに本気の彼女の顔だった。もう叩きとかじゃないよね、完全に。

 

「…え?エースさんと、シービーさん、すごい、つながりを感じ」

「ん?アグネスデジタル、どうしたの?」

 

 何かをつぶやいたデジタル。聞こえなかったけれど、どうしたんだろうか?

 

「あ、いえ!?カツラギエースさん、すごいなって思っただけです!」

「お、判ってるねー。そう、エースはすごいんだ。なんせアタシのライバルだからねー」

 

 そう言いながら、向正面で頭を貼り続けるエースを見る。表情は見えないけれど、気迫は十分に伝わってくる。うん、素敵だ。やっぱりエースは、素敵だ。

 

「だから今日は、いい勝負をすると思うよ」

 

 3コーナーに向かう集団を見ながら、そうつぶやく。ウマ娘たちの動きが激しい。追い込みをかけ始めるもの、位置取りをするもの、前をにらみつけるもの、十人十色の走り方をしながら、ウマ娘たちは栄光のゴールへと進み続ける。4コーナを抜けて直線を向いた。

 

『おおおおお!カツラギエース逃げ切りか!?』

『いや、ハシローディーも来てる!後ろからはスズカコバンだ!』

『いや、ワカテンザン、ミサキネバアーもすごい勢いだ!誰だ!誰が勝つんだ!』

『頑張れー!みんながんばれー!』

 

 歓声がターフに降り注ぐ。全員の行き足が早くなり、その足音が暴風のように私の前を通り過ぎる。熱が伝わる。ウマ娘たちから、観客たちから。その熱に、思わず。

 

『エース!!行け!走れェ!』

『ハアアアアアアアアアアアアア!』

 

 ラストスパートを掛けていたエースに、そう叫んでいた。迫りくるハシローディーとスズカコバン。だが、エースは落ちない。エースは落ちない。落ちないまま―!

 

『2500メートル!カツラギエース逃げ切った!!!!やはり昨年のジャパンカップの激走は伊達ではない!2着ハシローディー、3着はスズカコバン!』

 

「ッシャアアアアアア!」

 

 勝鬨をあげたカツラギエース。私も思わず、合わせるようにガッツポーズを繰り出していた。

 

 

「エースさん、すごかったですね!本当!感動しましたよ!そう思いますよね!ミスターシービーさん!」

 

 アグネスデジタルは興奮冷めやらぬまま、そう叫んでいた。うん。本当にそう思う。アグネスデジタルの頭をなでながら、頷きを返しておいた。

 

「本当だよ。やっぱり、エースだ」

「ですよねぇ!…あ!いけない!そろそろお母さんのところに戻らないと!?」

 

 ああ、そうか。子どもだもんねぇ…。そりゃ、保護者と一緒に来ているわけだ。見回してみると、こちらを微笑みで眺めている女性が一人立っていた。あの人がきっとアグネスデジタルの母親であろう。

 

「そっか。じゃあ、今日はここまでだね。ありがとう、一緒に応援してくれて」

「とんでもないです!あたしも、ミスターシービーさんの隣で応援できて幸せでした!」

 

 そう言って、私の前から去ろうとしたアグネスデジタル。でも、なんだかもったいないと思っちゃった。だから、その背中に声をかける。

 

「あ、そうだ。熱心なファンの君に、これあげる」

「へ!?」

 

 手渡したのは、鉄のアクセサリー。バイクのキーに取り付けているものだ。ただ、こいつはただの鉄のアクセサリーじゃあ無い。

 

「三冠のときに使ってた練習用の蹄鉄。それを加工したアクセサリーだ」

「え!?あ、はい、え!?」

「幸運のお守り。キミがこれから怪我しないよう、そして、キミの夢が叶うように」

 

 そう言いながら、子どものアグネスデジタルにアクセサリーを手渡した。それを噛みしめるように、アグネスデジタルは強く握り込む。

 

「いいん、ですか!?あたしがもらっちゃっても!?」

「うん。ここで会ったのもナニカの縁だしさ。ま、そうだな。例えば、キミがレースの世界に、中央に来る気があるなら、それを見て頑張ってほしいかな。折れず、前を向いて」

「もちろん、もちろんです!家宝にします!」

「あはは、大げさだなぁ。じゃ、またね」

「はい!またどこかで!」

 

 手を振りながら、母親であろう女性の元へ駆け寄るアグネスデジタル。うん。これはいい出会いだったと思う。

 

「よう。勝ったぜ、シービー」

 

 そしてその直後。今日の主役から声を掛けられた。

 

「うん。見てた。やっぱりかっこいいねー、エース」

「よせよ、照れるじゃねーか」

 

 頭を掻きながらそっぽを向くエース。照れてる照れてる。

 

「ま、シービー。礼を言うぜ。お前の声が背中を押してくれた」

「へぇ?聞こえてたんだ」

「ああ。最後の一伸びは間違いなくお前のお陰だ。ありがとな!」

 

 そう言って手を差し出したエース。大げさだなぁと思いながらも、握り返して笑顔を浮かべた。

 

「エース、これから大阪杯に宝塚を走るんでしょ?」

「ああ、今日でレースの感は戻ったからな!勝ってみせるぜ!」

「そっか、楽しみにしてる。見に行くからね」

「おう!じゃ、あたしはライブの準備に行ってくる。見てくれよー!」

「もちろん。楽しみにしているよ、ステージ」

 

 お互いに手を振りながら、エースの背中を見送った。うん、やっぱりレースは最高だね。



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インターバル・Mr.CB

 世界というのは結構不思議だ。私とアタシ、君とキミ。見ているものは同じなのに、見ているものが違う。

 

 例えば同じメイクデビューでも、こう、スマホから聞くものと記憶にあるものは結構違う、とかね?アプリのウマ娘をやりながらふと時計を見ると時間が迫ってきていた。喫煙所を出て早足で、とある入り口へと向かう。

 

「…うーん、どうしたものかなぁー」

 

 季節外れのアイスコーヒーを片手に、中山競馬場のラチ沿いの最前列に陣取る。手元にある馬券は、あるウマ娘に肖って購入したものだ。お祭り娘に一流を自負するウマ娘。彼女らの血がどういう走りを見せるのか、ものすごく興味がある。

 

「あ、そういえば」

 

 手元のスマホから、ウマ娘のアプリを立ち上げる。待ち受け画面はミスターシービー。ログインボーナス、有馬記念のスペシャルを手に入れてからアプリを閉じる。そうやってぽけーっとターフを眺めながら、出走を待っていると。

 

「あの、すいません」

 

 声を掛けられた。そこにいたのは若い女性。どうしたのかな?と思いながら首を傾げてみると、一冊の本を差し出される。

 

「ファンなんです。あの、サインを頂けないでしょうか!?」

 

 ふむ。よく見ればその本は、バイク雑誌。私のインタビューが載せてある最新号のものである。いや、なんというか、あのマシンで表彰台に乗ってからこういうことが増えたなぁとしみじみ思う。関係者には本当に感謝しか無いよ。

 

「うんうん。えーと、この本のここでいいのかな?…はい、どうぞー」

「わ!ありがとうございます!あの、よろしければ握手もしていただけると…!」

「いいよー、はい」

「わぁ、ありがとうございます!」

 

 そう言うと女性は頭を下げて走り去っていった。手を振りながら見送っていると、それを見ていたまた別の人が私に声をかける。

 

「あの、すいません。私も実は貴方のファンで。プライベートとご理解はしているのですが、写真を一緒に」

「写真?ああ、うん、ほら。横に立って。はい、チーズ」

 

 競馬に来たけれど、割と私のファンとも会う。ま、こういうこともレーサーの責務だから問題ないんだけどね。そんなに恐縮しなくてもいいんだ。ま、ただ、レースが始まったら控えてほしいとは思うけど。

 

「いやぁ、憧れの『世界のミスターシービー』と写真を撮れるとは思いませんでした。競馬、楽しんでくださいね」

「ありがとねー。あ、そうだ。キミ、詳しいの?競馬」

「あ、まぁ、ある程度ですけど」

「じゃあ一緒に見ない?私は走るのは得意なんだけど、ほかがどうもね」

 

 肩をすくめてみれば、笑顔を見せて快諾してくれていた。

 

「そういうことならば。ぜひ」

「よろしく。えーと、君の名前は?」

「ああ、渡辺と申します」

「うん。じゃあ渡辺さん、よろしく。ま、私のことは識っているだろうけど、改めて。安倍だよ。ま、あだ名はなんでかミスターシービー。よろしく」

 

 右手を差し出してみれば、相手からも握手を返される。よしよし、いい感じの好感触。すると、どこか呆れたような顔をされた。

 

「なんでかって。あなたが筋金入りのCB好きだからじゃないですか。見ましたよ雑誌。国内も国外も、どこの移動も自分のCBで行ってるんでしょ?」

「ああ、うん。好きだからね。今日もCBだよ」

「そうなんですか!?本当に好きですねー。あ、しかも、雑誌に書いてあったんですけど、その愛車で必ずコースを下見するって本当ですか?」

「うん。本当。だって、わかんないしねー」

 

 一度、私の脚と同じレベルでなじんでいる愛車でコースを巡る。それが私のルーティーン。よく読んでるね、この人。そう感心していると、にわかに歓声が大きくなった。

 

「あ、本馬場入場だ。そういえばこういう馬券買ったんだけど、どうだろ?」

「拝見します…。お、単勝のこれは大本命ですね!でも、三連単が…9-3-5ですか」

「うん。血統?を見た時に見た名前が居てね。あ、渡辺さんはやってる?ウマ娘」

「やってますやってます。ああー、確かにいますね!」

 

 なるほど、このやり取りで話が通じるってことは、彼もなかなかのプレイヤーみたいだね。やっぱり競馬好きでもやってる人はいるんだね。

 

「それで選んだんだ。どうなるかなーって」

「とはいえ、単勝10万円に三連単20万って。なかなかかけますね?」

 

 うん。でも、私の稼ぎに比べりゃそのぐらいは出しても問題ないしね。それに、私は馬が好きだからさ。

 

「競馬好きだからね。このぐらいのお布施はするよ」

「なるほど、それなら納得です。あ、ほら、今こっちに来ているのが一番人気ですよ」

「おー…元気がいいねー!」

 

 さてさて、吉と出るか凶と出るか。今日の競馬も楽しませてくれよー。



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エースの躍進、ルドルフの戴冠

 中三週間。鳴尾記念が叩きのレースだとしても、エースはよく走る気になったなぁとは思いながら阪神のレース場に私とトレーナーは立っている。

 

「カツラギエース。伸びに伸びているなぁ。これは脅威だな」

「あはは、おかしなことを言わないでよ。今までも脅威だったでしょ?」

「ああ、でも、ここに来てその成長の速度が1段も2段も伸びている。あれは、秋になれば大本命を張れるな」

「それは楽しみだ!」

 

 トレーナーと軽くじゃれ合いながら、ターフに目をやる。そこに入ってきたのは、第3コーナーを抜けて、第4コーナーを戦闘で駆け抜けてくるエースの姿。

 

「きたきた!」

「他のウマ娘も上がってきてるな。だが、今日の彼女の敵は居ない」

 

 トレーナーの言う通り。頷きながらエースに視線を送ると、ぐっと首を下げてギアを1段上げ、スパートを掛け始める。盛り上がる観客席、そして必死に走る彼女たち。

 

『走れー!エース!みんなー!ラストスパートォ!!』

 

 大声を張って彼女たちにエールを送る。すると、それに呼応するように。

 

『ヤアアアアア!』

『オラアアアアアア!』

『負けてたまるかァ!』

『ハアアアアアアアアアアアア!』

 

 全員から気合の叫び声が上がった。それを聞いた観客たちが更に盛り上がりを見せる。だが、その中でも一人だけぐっと前に出た。独走だ!

 

「やっぱり、すごいねエースは!」

 

 その勢いのまま、カツラギエースが今日のセンターを勝ち取った。いやはや、なんともかんとも流石としか言いようがない。すると、そのカツラギエースと目が合った。大輪の花のような笑顔で、こちらに親指を立ててきていた。こちらもそれに合わせて、笑顔で親指を立てる。

 

「ああ、すごいな。これで今年は重賞2連勝か」

「うん。いやー、やっぱりエースは速いねー!」

 

 と、鳴尾記念のときと同じように、満面の笑みのまま、エースがこちらに近づいてきた。

 

「よう。勝ったぜー?どうだ、速いだろ?」

「おつかれ。流石だね、エース。私も走りたくなっちゃう」

「あはは!いい走りを見せられて良かったぜ!」

 

 お互いに笑い合う。うーん。こうなるとちょっと宝塚記念で一緒に走りたくなっちゃうけど…ま、そこは我慢だ。我慢して、我慢して、秋にケリをつけたい。

 

「っし、じゃ、アタシはライブの準備があるから行くぜー」

「うん。じゃ、また学園でね?」

「おう」

 

 手慣れた会話。エースとのこの距離感は好きだ。去る背中に手を振りながら、見送る。さて、じゃあアタシとトレーナーはライブを見て、サクッと帰りますか。

 

 

 4月というのは、G1戦線、そしてクラシック戦線の本格化の時期。4月の頭にはエースが重賞大阪杯の冠を被り、私達の世代の強さを世に示してくれている。このままいけば、今年は無敗で宝塚記念に挑むことになるだろう。

 

「無敗と言えば、シンボリルドルフ」

 

 学園で練習をするさなか、彼女の気迫を肌で感じとっている。私の家に泊めたあの日以来、彼女はまさに一騎当千と言っていいだろうね。無敗のまま迎えた皐月賞に挑むシンボリルドルフの横顔には、不思議と余裕すら見えている。

 

「私からすれば、無敗のミスターシービーなんだがね?」

「忘れてた。そうだよねー。私のほうが先だったね。で、どう?皐月賞に挑むその心の内なんて」

 

 その余裕の横顔を見ながら、私は練習コースで追い比べを日々行っている。相手からすれば、最高の三冠ウマ娘。アタシからすれば、最強のウマ娘。どちらにとっても、win-winな追い比べだ。

 

「不思議と余裕がある。少し前の私では考えられないことだ。君のお陰だよ、ミスターシービー」

「面と向かって言われると照れるよ、ルドルフ。でも、私はご飯を御馳走しただけだけど?」

「そんなことはないさ。この恩は、必ず返すよ」

 

 笑みを浮かべてキザなセリフを浮かべたルドルフ。うん。イケメンだねー。しかし、余裕があるとは言っても全くスキはない。本当に、充実しているという言葉がピッタリ。

 

「しかしだ、君。まさか短距離に行くとはな。京王杯経由のG1安田記念か。破天荒とは常々思っていたが、なんだ、その、君の知るミスターシービーもそんな事をしていたのか?」

 

 怪訝な顔でこちらを見るルドルフ。あー、うーん。

 

「ううん。全然。私の識ってるミスターシービーは今頃怪我して養生していたはずだよ」

「そうか。と、いうことは、君は今全くの未開の道を往こうとしているわけだな?」

 

 頷きながら、笑顔を返す。そうだ。私は全くミスターシービーとは違う道を歩み始めた。秋口こそ、ミスターシービーと路線は合うけれど。

 

「まぁ、なぞっても良いんだけどさ。つまんないじゃん、そんなの」

 

 肩をすくめて見せる。すると、ルドルフは力の抜けた笑みを見せていた。

 

「…全く君らしい。ただ、そんな未開の道を往く君に、私からお願いがあるんだが、聞いてくれるかな?」

「いいよ。ルドルフの頼みなら」

「私と当たるジャパンカップまで、負けてくれるなよ?」

 

「当然。アタシを誰だと思ってるの?」

 

「ミスターシービー。…そうか。それなら、安心だな」

「じゃ、アタシからも条件」

 

「ルドルフも負けないでね。アタシ以外に」

 

「当然だ。私を誰だと思っている?」

「シンボリルドルフ。私の知る中で、最強のウマ娘!」

 

 私がそう言うと、ルドルフは大口を開けて笑ってくれていた。つられて、私も笑う。

 

「では、君の言う最強のウマ娘は必ず君を超えよう。そうだな、無敗の三冠は当然として。まだ、誰にも言っていないのだが―」

 

「来年は、少し旅行を考えているんだ」

「旅行?」

「そうだ。今年の戦績次第ではあるが…」

 

「花の都にな」

 

 

 そして迎えた皐月賞当日。誰もが待ち望んだ彼女が、4コーナーを抜けて先頭を取った。

 

『4コーナーを抜けて各ウマ娘上がってくるがしかし先頭はシンボリルドルフ!ビゼンニシキ、シンボリルドルフ早くもこの2人が競り合っている!200の標識を超えてこの2人が抜きん出た!そして3番手はニッポースワローか!?』

 

 余裕すらある表情で、コーナーから先頭を張ったシンボリルドルフ。その背中を必死に他のウマ娘たちも追いかける、だが。

 

『ここで先頭はシンボリルドルフ!シンボリルドルフ出た!シンボリルドルフ先頭!シンボリルドルフゴールイン!皐月賞、三冠ウマ娘への第一歩は、まずはシンボリルドルフが手に入れました!昨年のミスターシービーに続いて無敗の皐月賞ウマ娘の誕生です!』

 

「花の都、か」

「どうした?シービー」

「ううん。こっちの話。ルドルフもやっぱり強いね」

「ああ、やっぱりこの世代じゃあ一つ抜きん出ている。これは、ダービーも獲るだろうな」

「やっぱりそう思う?」

「思うさ。今日のレースも一人だけものが違った。今年の年末は、忙しくなりそうだ」

 

 頷く。ジャパンカップ、有マ記念。間違いなく今年の年末は、トレーナーの言う通り忙しくなるだろうね。でも、だからこそ。

 

「うん。楽しみで仕方がないや」

 

 笑みが浮かんでしまう。ああ、ついに来るか、三冠ウマ娘対決。こころが疼く。私は、アタシは、あの最強にどこまで手が届くのだろうか、と。



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ネイキッドとスーパーカー

 サクラバクシンオーという名ウマ娘を思い出しながら、スプリンターとしての練度を上げる。やってみると判るんだけど、これがなかなか難しい。

 

「ただ単純に追い込みを早くすればいいってわけじゃないのが面白いところだねー」

「そりゃあな。ま、幸いお前はマイル適正もあるようだし、やってやれないことはないだろう」

 

 パイプタバコを吹かしながら、喫煙所でだべる私とトレーナー。今日のジャグはまた志向を変えて『飛鳥』というブランドだ。もともと日本のジャグなんだけど、紆余曲折あって、海外生産品に鞍替えしてしまった歴史あるタバコ。その、海外生産品より前の日本生産のものは吸ったことがないんだけど、でも、シンプルで素敵な香りがする。

 

「このジャグも結構いい香りだな。このコーヒーとよく合う」

「でしょ?ステイゴールドの柑橘系の香りと、このフレーバーが結構好きなんだ。気に入ってくれてよかったよ」

 

 コーヒーを2人で呷りながら、パイプを一服。お互いにコーンパイプで呑むこのひとときが実にたまらない。なんというか、悪友といるときというか、昔からの相棒のような、そんな心地よさを感じるんだよね。不思議だよ。

 

―コンコン―

 

 なんて事を思っていたら、ふと、喫煙所の扉を叩かれた。

 

「はーい。いるよー。誰ー?」

 

 私がそうやって声を上げてみると、ドアの向こうには見慣れたウマ娘が一人、その顔をのぞかせていた。

 

「あれ?マルゼンスキーじゃないか。シービー、合う約束でもしてたのか?」

「ううん。してないよー。どうしたんだろう?」

 

 手招きをしてみると、マルゼンスキーは笑顔を浮かべながらドアを開ける。

 

「お疲れ様、シービーちゃん。それと、トレーナーさん。お邪魔します」

「おつかれー。どうしたの?こんな時間に」

「ちょっとね。宣戦布告に来たの」

 

 トレーナーと2人、顔を見合わせた。マルゼンスキーが私に宣戦布告?はて。

 

「あー…これ、俺が居ていいやつか?席、外そうか?マルゼンスキー」

 

 トレーナーも何かを感じ取ったようで、気を使ってそう言葉を告げた。だが、帰ってきた答えは首を横に振るマルゼンスキーの姿だった。

 

「宣戦布告って、マルゼンスキー。一体どういう事?」 

「その言葉のままよ。2人共、聞いてくれるかしら?」

 

 私とトレーナーはマルゼンスキーに向き合った。タバコとコーヒーは机に置き、そして、ちょっとだけ緊張した空気が間に流れる。少しの静寂の後、マルゼンスキーの口が開いた。

 

「安田記念。シービーちゃんも出るのよね?」

「うん。その予定。京王杯で優先権を取る予定だけど、それがどうしたの?マルゼン」

 

 ギラリ。マルゼンスキーの瞳が怪しい光を放ち始めた。…これはもしかして?

 

「私も出るわ。安田記念。ジャパンカップでは私が負けたけど、今度は私の土俵、マイルの逃げよ。正面から戦いましょう?」

 

 やっぱり、そう来たか!なるほど、なるほど!最近ナニカしていると思ったけれど、私へのリベンジをずっと考えていたわけか!

 

「つまり、マルゼンも安田記念走るの?」

「ええ。どうかしら?」

「私は良いよ。トレーナーも、良いよね?」

「ああ、構わない」

 

 頷き合って、マルゼンスキーへと向き合った。

 

「…あっさり承諾しちゃって、大丈夫?私は結構強いわよ?」

「識ってるよ。でもさ、どういう風の吹きまわし?最近静かにしてたけど」

 

 私がそう言うと、マルゼンスキーはにっこりと笑みを浮かべていた。

 

「ええ。そうね。そう見えたでしょうね」

 

 笑みが徐々にその意味を変え始めた。それは満足げな笑みではなく、挑むような、いや、刈り取るようなそんな笑みだ。

 

「でも、時間がたつに従って、貴女に負けた悔しさがどんどん、どんどん私の中で強くなっていったのよ」

「うん」

「そうしていたら、貴女が安田記念を走るっていうじゃない?こんなチャンス、絶対に、逃したくないって思ったのよ」

 

 ぐっと、マルゼンが顔を近づけてきた。

 

「つまりね。貴女の無敗は、誰にもあげたくない。私が貰いたいの。覚悟してくれる?ミスターシービー」

 

 そう言って、こちらに右手を差し出したマルゼンスキー。ほおう。これは、本気だ。それなら。

 

「いいよ。でも、安心してマルゼン。君にもその無敗はあげないよ?秋に向けてのステップにするから、覚悟して」

「あら、ずいぶん余裕なのね」

「当たり前だよ。だって、本気の君ともう一度やれるんだ。楽しさが溢れて、誰にも負ける気がしない!」

 

 マルゼンスキーの右手に、私の右手を重ねる。ぐっと、お互いに力を込めて視線を絡ませる。すると不思議とお互いに笑いが溢れていた。

 

「ふ、あはははは!マルゼン、急に怖いよ!びっくりしちゃった。もうちょっと良い伝え方あったんじゃないかなー?」

「あはははは!シービーちゃんにはサプライズがいいかなって思ったのよ。いつも驚かされてばっかりだから。じゃ、そういうことで」

「もう行っちゃうの?」

「ええ。自主練があるの。安田記念、楽しみにしているわね?」

「うん。またね、楽しみにしているよ」

 

 喫煙室を去る彼女の背中に手を振りながら、再びパイプを咥えた。軽く息を吸って、消えかけていた火種を生き返らせる。トレーナーも同じように、パイプを咥えてコーヒーを口に含んでいた。

 

「挑まれたか」

「そうだねー。いや、まさかマルゼンスキーから宣戦布告を受けるとは思わなかったよ。強敵だ」

「そうだな。じゃ、明日からの練習はより一層気合を入れないといけないな」

「うん」

 

 そう言って私とトレーナーはお互いに煙を吐く。さてさて、面白くなってきたぞ。スーパーカーの土俵でどこまで通用するかな。楽しみだ。



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ひといき。ひといく。

 マルゼンスキーの宣戦布告には驚いたなぁと思いながら、練習を重ねる日々を過ごしているわけなんだけど。

 

「…うーん?」

「どうしたんだ?シービー」

 

 なんだか最近、倦怠感というか、気分がスッキリしない。別に練習がキツイというわけでも、足りないというわけでもない。はて、一体なんだろうかと自分でも気づくとついつい首を傾げてしまっている。

 

「や、ちょっとね。最近どうもスッキリしないっていうか」

「スッキリ?一服行く…か、という話でもないみたいだな」

「うん」

 

 頭を掻きながら、天を仰ぐ。どう伝えれば良いのか、いまいち言葉にもならないなんかもやもやの気持ち。

 

「そうか。スッキリ、ねぇ」

「なんだろ?トレーナーから見ててなんかアタシ変?」

「いや、普段どおりに見えるぞ。表情が曇っているくらいだ」

「げ、顔に出てた?」

「ああ」

 

 トレーナーに言われてから、頬を両手で包んでむにむにと解してみる。頬の筋肉は気持ち良いんだけど、ただそれだけ。いまいち、いまいち気分がスッキリしない。

 

「…今日明日は休みにしてどこが遊びに行くか?」

「…うーん…」

「そういう気分でも…ないみたいだな?」

 

 頷く。うーん、うーん?我ながらワガママだなぁと思いながら、トレーナーの顔を見る。

 

「…なんだろ?」

「さぁな。ま、良い。今日の練習もちょうど区切りだ。ほい、タオル」

「うん」

 

 促されるまま、トレーナーからタオルを受け取って汗を拭う。なんだろうなぁ。いまいち、こう、余裕が無いというか、もやもやするというか。トレーナーの顔を見ても特になんか良いことを思いつかないし。そうやって頭を捻っていると、隣からため息が聞こえていた。

 

「ま、ここで悩んでいても仕方ないだろう。一旦上行くぞー。一服やりながらコーヒーをやろう」

「ん?うん」

「今日は俺がコーヒーを淹れる。タバコも俺が選ぶ。お前はくつろいでくれ、ミスターシービー」

 

 おや、珍しい。じゃあ、お言葉に甘えようじゃないか。

 

 

 チョイスしてくれたコーヒーはキリマンジャロ。しかも、カフェモカ。チョコレートの香りが漂う、あまーいコーヒーだ。そしてタバコはアメリカンスピリッツ(ヤンキー)のベリック葉。珍しい組み合わせだけれど、嫌いじゃない。

 

「うん。いい感じの組み合わせ。ありがと、トレーナー」

「口に合ったようで何よりだよ、シービー」

 

 というかカフェモカ作るの結構面倒くさいんだけど、トレーナーの手つきって言えば熟練者のそれだった。もしかして、家とかでも作っているのだろうか?

 

「ん?どうした?妙な顔をして」

 

 疑問が顔に出ていたらしい。

 

「あー、うん。カフェモカ作る手つきがさ、慣れてたから。家とかで作ってるのかなって」

「ああ、これか。お前がコーヒー好きだからな。つられてな」

「お、そうなんだ?」

「ああ。他にもフレンチ、ドリップ、エスプレッソも練習中だぞ」

「へぇー?いつの間に」

 

 驚いた。いつの間にそんなこと練習していたんだか。

 

「ま、お前ほど上手に淹れられないからな。まだ。上手くいくようになったら、披露させてくれ」

「もちろん。楽しみにしてる」

 

 いつも私が淹れていたコーヒーだけど、トレーナーが淹れたコーヒーというのも、トレーナーが用意したタバコというのも良いものだなぁとしみじみ感じながら、交互にタバコとコーヒーを愉しむ。カフェモカはエスプレッソで抽出されたコーヒーと、牛乳、そしてチョコレートがいい感じにマッチして、甘みと苦味の中に、チョコレートの香りが沸き立つ良いものだ。これでまだまだと言うのなら、本格的に彼自信が納得できる淹れ方を覚えたのなら、そうとう上手いコーヒーが飲めそうだね。

 

「楽しみにしててくれ、シービー」

 

 そう言って笑ってくれたトレーナーに、笑顔で頷き返す。アメスピを口に加えて、ゆっくりと燻らせる。何も添加剤の入っていない、シンプルなタバコの香りが鼻に突き抜ける。

 

「うん。アメスピともよく合うね、カフェモカ。美味しい」

「そっか。よかったよかった」

 

 ゆっくりとトレーナーと味わう最高のひととき。もやもやはまだ残っているけれど、だいぶ、スッキリした気がする。



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ダイナマイトな歌を

 4月に入って京王杯や安田記念などのレースが近づいてくると共に、もう一つの予定もいよいよ、というところまで迫ってきていた。

 

「えーと、フロス…あと口臭ケアはこれと…」

 

 口のメンテナンスを入念に行いながら、更に身だしなみも要チェックだ。目やになんかついてちゃいけないし、産毛もなるべくは剃っておく。

 

「よし…いいかな?」

 

 軽く頷いて鏡を見てみれば、そこにいたのは実にミスターシービーらしい女の子。しばらくこの姿に慣れてしまっていたのだが、こう気合を入れるとやっぱり美人だなぁと他人事のように思ってしまう。

 

「…うーん?やっぱりなんか気分がのらないなぁ?」

 

 ちょっとだけ愚痴りながら、ヘルメットを持ち出し、バイク用のウェアを着込む。向かう場所は学園だ。

 

「さてと。ま、憂鬱な気分は置いとくとしようか。今日は、リハだからねー」

 

 そう、今日は学園祭のリハーサル。それも、本番と音響やセットリストを揃えたゲネプロ。根付さんたちも来るしね。自分のもやもやはひとまず置いておこう。

 

 

「おう、嬢ちゃん。久しぶりだな」

「根付さん。お久しぶりです。今日はよろしくお願いします」

「ああ!頼むぜ!いつもの歌声、聞かせてくれや」

 

 私がバイクで学園に乗り付ければ、すでにそこには根付さんたちFBの面子が揃っていた。楽器なんかも持ち込んじゃって、気合十分の面持ちだ。

 

「えー、ではミスターシービーさんの出番は、カツラギエースの後ですね。持ち時間はトーク含めて40分。6曲のセットリストがこちらで問題ないですか?」

「…うん、大丈夫」

「判りました。では、出番となりますので、ご準備をお願いします」

 

 

 セットリストも終わり、残り時間もわずか。さて、じゃあ最後にトークでもしながら締めるか、それとも、一曲アンコールを想定してやるか迷っていると、背中から声がかかる。

 

「嬢ちゃん、らしくないな」

「え?」

 

 根付さんからだ。思わず振り向いて、彼の方向を見てみれば、なんと、彼以外のメンバーもこちらに視線を送っていた。うーん、やっぱりプロは判るのかな。

 

「歌がツマラナソウだ。どうした?」

 

 頷いて、軽く私の現状を説明しておく。どうも、もやもやするんだ、と。

 

「…なるほど、もやもや、か」

「うん。どうしようもねー」

 

 根付さんは頭を掻きながら、少しだけ後ろに下がる。どうやら、メンバーと何かを相談しているようだ。少しの間だけ彼らを待つと、根付さんはマイクを手に持った。

 

「スタッフさんよ。あと何分だ?」

「あと6分で入れ替えですね!」

「サンキュー。よし、ならミスターシービー。一曲歌うぞ」

 

 一曲?思わず目が点になった。

 

「え?」

「それで、だ。この一曲はお前のためだけに歌え」

 

 ほほう?それはまた変わったアドバイス。

 

「アタシのためだけに?」

「ああ。今日はファンのために歌ってたんだろ」

「うん」

「じゃあ、この一曲は自分のために歌ってみな?スッキリするぜ?」

 

 なるほど。そういうことなら、と頷く。しかし、一曲となるとなんだろうか?レックレスファイアあたりか、それとも、ウマ娘の楽曲の中から?

 

「そうだな。歌は、俺達のファンなら、この曲、識ってるだろう?」

 

 ギターとドラム、そしてベース、キーボードが鳴らされる。ああ、確かに、この曲は識っている。もう一度火を灯そうというその歌をよく知っている。思わず、口角が上がった。

 

「その顔、イケそうだな?じゃ、行くぜ!お前の歌を、オレに聴かせてみな!!!」

「オッケー!!!」

 

 憧れのバンドの演奏で、歌えるとなればテンションは上がるというもの!イントロが盛り上がり、スタッフが予定してなかった演奏に焦りを見せる。でも、そんなの気にしない!マイクを強く握り、口を大きく開けた。

 

「歌い始めた頃の 鼓動揺さぶる想い なぜか何時かどこかに置き忘れていた」

 

 いい曲をチョイスしてくれるもんだね!とても、好きだ、この曲は!

 

ナマヌルい毎日に ここでサヨナラ言うのさ!

ナマヌルい毎日に ここでサヨナラ言うのさ!

 

 ハーモーニーを入れてきた根付さんと目が合い、頷く。こういうアドリブ、嫌いじゃないよ!

 

「そうさ誰も オレの熱い想い止められない!」

 

 演奏は一気に最高潮へ。ギターはかき鳴らされ、ベースは激しく動き、キーボードは爆発する。そして。

 

Dynamaite!Dynamaite!Dynamaite explosion once agein!

Dynamaite!Dynamaite!Dynamaite explosion once agein!

 

 ―ああ、素敵だ!そして、私は気づけばフルで一曲を歌い切っていた。時間を見てみれば、私の出番ギリギリ。根付さんたちとアイコンタクトをして、ステージからさっと引き上げる。その途中、根付さんがいい笑顔を浮かべながら、こちらに話しかけてきていた。

 

「…お、結構いい顔になったじゃないか」

「そう?ありがと」

「ああ、それに。お前もいい歌歌うじゃねーか?」

 

 屈託のない、満足そうな笑顔。私も負けじと、笑顔を浮かべてみせた。

 

「根付さん、貴方もね」

 

 さて、だいぶスッキリした。スッキリしたから、マルゼンのところに行こうか。せっかく安田記念で一緒に走るんだ。今のうちから切磋琢磨しても、バチは当たらないだろうからね!



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ハートに火をつけて、そして油を注ぎ込め

 ゲネプロを終えたその足で、アタシはマルゼンスキーの元へと向かっていた。最初はゆっくりと歩いて、しかし、途中から早足で。でも、気づけばこの足は駆け足に変わり、いよいよ全力疾走といった具合にどんどん速度をあげていく。

 

「じゃ、嬢ちゃん。本番、楽しみにしているぜ」

 

 彼らの声が脳内でリフレインしながら、そして、学園の風景が吹き飛びながら練習場へと駆け抜ける。バイクに乗っているかのように、自分の足音が、背中から追いかけてくるような錯覚すら覚えながら。幾人の見知ったウマ娘たちの驚く顔をちょっとおもしろいなぁと思いながらも無視して、たづなさんの声も無視して。そしてたどり着いた先に居た!

 

「マルゼーン!」

 

 アタシの声に、マルゼンとマルゼンのトレーナーが驚いた顔をこちらに向けていた。ちょーっと面白いね!

 

「シービーちゃん?」

「マルゼン!走ろう!」

 

 見学席を飛び越えて、ラチを飛び越えて。気分はパルクールだ。飛び越えた勢いを殺さずにマルゼンの前に転がり込んで、笑顔でマルゼンを走りに誘う。

 

「…情熱的なお誘いだけど、シービーちゃん。覚えてないの?アタシ、安田記念で貴女に勝つつもりよ?」

「知ってる!知ってるよ!もちろん!でもさ、それってもったいないよ!安田記念だけで決着なんて!今日からやろう。毎日やろう!」

 

 ぐっと顔を寄せて心の赴くままに彼女に語りかける。我慢なんてしない。だってアタシは今、マルゼンと走りたい!

 

「落ち着いて、シービーちゃん。えーっと、トレーナーちゃん?ちょっと、外してもらえる?」

「え、ええ。じゃあ、マルゼンスキー。落ち着いたら食堂に来てくれる?」

「もち。じゃあ、また後でね?」

 

 マルゼンのトレーナーを見送りながらも、ストレッチを忘れない。アタシは今猛烈に走りたい。

 

「…さて、シービーちゃん。走るのは全然いいんだけど、そんなに興奮してどうしたの?」

「それがさ、根付さんと一緒に歌ったんだ」

「…根付…あ、シービーちゃんの知り合いのギタリストさん?」

「そうそう!そうしたらもう、気持ちが抑えられなくってさ!」

「ふぅん?どんな気持ち?」

 

 どんな気持ち?そんなの決まってるよ!

 

「マルゼンと本気で走りたい、毎日!」

「…へぇ?」

 

 そんな疑問の眼で見ないでよ。マルゼン!

 

「それで、ああ、それでさ!私に安田記念で勝ってほしい!」

「…え?」

 

 アタシの言葉に、マルゼンスキーは完全に呆気に取られているみたい!でも、そうじゃない。そうじゃない。ああ、違う。そうじゃないんだけど!でも勝ってほしいんだ!

 

「あ、誤解しないでね?アタシも負けないけど、マルゼンもアタシに勝ってほしい!」

「…えーっと、どういう事かしら?」

「全力でさ!本気で走ってさ!勝って負けたをしよう!何度でも!何度でもさ!」

 

 アタシが食いつくように言葉を続ければ、マルゼンは困り顔を浮かべるばかり。うーん、伝わらない?伝わる?

 

「おいおい、シービー。それ、マルゼンスキーにだけか?」

 

 見知った声がするほうに顔を向けた。ああ、そこにいたのは愛しのライバル!

 

「エース!ちょうどいい!キミも走ろう!」

「ちょうどいいってお前。そんなに興奮してどうしたんだ?」

「すっごい走りたい気分なの!ああ、それと!ルドルーフ!」

 

 アタシの激走を見ていたからだろうか。たづなさんやルドルフも練習場へと集まってきていた。ちょうどいい、すごくちょうどいい!トレーナーも何事かと驚いた顔をしてこっちを見てる!なら、ちょうどいい!

 

「ルドルフも走ろうよ!絶対楽しいよ!」

「ありがたい申し出だが、どうしたんだい?そんなに興奮して。学園内は静かに移動しなければならないんだぞ?」

「それは後で謝るから!走ろう!ね?あ、トレーナー。今日からみんなと追い切りで練習してもいいよねー!?」

 

 アタシの声に、トレーナーは一瞬困り顔を浮かべたけれど、しかたねぇなぁと言う具合に頷いてくれた。よし、トレーナーからの許可はもらった!なら、遠慮はいらないね!

 

「さ、練習始めよう!マルゼン最内、アタシ大外。エースはその内側でルドルフがマルゼンの隣!」

「ええーっと…」

「こうなったシービーは止まらない事しってんだろ?マルゼン。あたしも実力ウマ娘と走れるなら願ってもない事だからな。いいぜ」

「判ってるね!エース!ルドルフもこっちきなよー!」

 

 大声でルドルフを呼べば、彼女も仕方ないなと苦笑を浮かべながらもターフへと降りてくれた。さあ、役者は揃った。ということで。

 

「たづなさーん!スタートの合図よろしくー!」

「えっ!?あ、はい!」

 

 困惑するたづなさんを後目に、ルドルフがこちらに耳打ちをする。

 

「…全く、キミは仕方ないな?」

「うんうん。説教は後で聞くからさ!ほら、マルゼンもぼさっとしてないで!」

「判ったわ。全く、いきなりねー。でも、仕掛けてきたからには、覚悟して頂戴?」

「もちろん!でも、負ける気はないよー!」

 

 そう言ってみんながスタート位置に着いた。逃げウマ娘最高峰のマルゼン。最高のライバルエース。最高のウマ娘ルドルフ。この3人と走れると思うと、自然と顔の筋肉が緩んでしまう。

 

「でも、考えてみれば願ってもないわね。ルドルフちゃんとも、エースちゃんとも走れるなんて」

「あたしもだ。最強の逃げウマ娘と、今年の無敗の皐月賞ウマ娘と練習できるなんてな」

「私も同感だ。無敗の三冠ウマ娘と練習できるのならば、そのライバルたちと切磋琢磨できるのなら、この上ない経験になる」

 

 3人もなかなかやる気満載。でも、それだけじゃ足りない。全然足りない。だから、アタシの気持ちをブツケてもっとやる気を出してもらおう!

 

「でしょ?それで、みんなには私の無敗をレースでぶち壊してほしいんだ!私も負けないけど、皆には勝ってほしい!」

「ほう?」

「へぇ?」

「その言葉、本気なのね?」

 

 3人の眼がこちらを射抜いた。おお、怖い怖い。並のウマ娘ならきっとたじろいじゃう。でもね。

 

「うん!だって、無敗ってつまらないんだもん!最近なんかやる気でないと思ってたんだ。根津さんと歌って気が付いた。これってつまんないんだって。だからさ!」

 

 そう。詰まらない。詰まらないんだ。本気でやらないとさ!

 

「全員、毎日、死ぬ気でかかって来て?負けないから」

 

 にやりと彼女たちを見つめる。すると、帰ってきたのは猛烈な殺気。ああ、いい、これだよ。これが欲しいんだ。この、ビリビリくるような、来るような!

 

「いいわよ。じゃあ、その言葉通り、ぶっちぎってあげる」

「へー…言うじゃねぇかシービー。いいぜ、本気でやってやらぁ!」

「君は相変わらずだ。こちらの都合なんて二の次。だが、だからこそ天衣無縫か。いいだろう。挑ませてもらう!」

 

 そう言って、彼女たちは練習場のターフへと目を向けた。ああ、素敵だ。とても、とても気持ちがいい!

 

「ええーっと。色々言いたいこともあるんですけど、無粋ですね。では、位置について!」

 

 たづなさんの言葉で、全員が体勢を取る。足を引いて、顔を下げて、腕を引いて、力を溜める。そして、全員の力が溜まりきったとき―。

 

「スタート!」

 

 火蓋が切って落とされた。爆発的に膨れ上がる殺気。前に出るエースとマルゼン。その後ろから追いかけるルドルフ。そして、その姿をシンガリから見るアタシ。ちらりとトレーナーを見てみれば、腕を組んでこちらを眺めている。

 

―好きにやれ。ただ、負けるなよ―

―もちろん!―

 

 視線のやり取りで会話を済ませて、改めて前を見た。レース本番のような殺気。熱気。ああ、実に、実に素敵だ!そうして気づけば、アタシのモヤモヤは吹き飛ぶ景色と一緒にターフの彼方へとすっとんで、ふつふつと、走ることへの楽しさが湧き上がってきていた。

 



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ルドシビのひととき。そして感謝祭へ

「で、冷静になって恥ずかしくなって、私の部屋に転がり込んできた、というわけか」

 

 布団を頭からかぶっていたはずなのだけど、それを無視して声が私の耳に届く。多分、顔は見れないけれど、間違いなく呆れた表情を浮かべているルドルフがそこには居ることだろう。

 

「…だんまりは良くないな、君。ほら、別にとって食いやしないし、追い出しもしないから顔を見せてくれないか?」

「追い出さない?」

「追い出さない追い出さない」

 

 布団をかぶったまま、顔だけをちらりと出してみる。するとどうだ。予想通りの呆れた笑顔を浮かべる生徒会長殿のお姿があった。

 

「や、ルドルフ。お邪魔してる」

「知ってるとも。ヒシアマゾンからスペアキーを奪い取ったと聞いているぞ?」

「奪い取ってはないかなー。ちょっとタイマン勝負で気をそらさせただけだよ?」

「それを奪い取った、というんだ。全く。君なら別にそんな事をしなくても受け入れるぞ?」

 

 うーん、イケメンなお言葉がスラスラと出てくるね。流石ルドルフ。ファンも人望もあるわけだ。さて。流石に布団にくるまったままじゃあ会話もし辛いので、ベッドから這い出て縁に座り直す。

 

「そんな事言われたらさ、私が男だったら惚れてるよ。ルドルフ」

「ほう。つまり君は私に惚れているということだな?一般人君?」

 

 ぐへ。やぶ蛇だった。頭を掻いて苦笑いを浮かべると、ルドルフは思わずと言った具合に吹き出していた。つられて、私も笑う。

 

「ふふふ。全く君は面白いな」

「ルドルフが好きだっていうのは間違いないけどね。と、いうか。追い出さなくていいの?門限だけど」

「別に。君のことは私に一任されている。一晩程度なら問題ないさ。返しきれない借りもあるしな」

 

 ありがたいことだ。しかし、借りとはなんだろう?

 

「借り?」

「気にするな。こっちの話だよ。それにしても君、今日の昼間はなかなか素晴らしい自由奔放っぷりだったじゃないか。あそこに至るまでの経緯と、学園を疾走した言い訳を聞きたいんだが?」

 

 げ。もういっちょやぶ蛇をつついてしまった。ルドルフの顔を見てみれば、見事なまでの笑顔。シービー知ってるよ。笑顔って、本来は攻撃のサインなんだって。

 

「…校内を疾走してごめん。でも、気持ちが抑えられなかったんだ。後悔はしてない」

「だろうね。ま、素直に謝ったことに免じてその点は許すよ。なんというか、君らしい。しかし、なぜそこまで気持ちが昂ぶっていたんだい?」

「あー、それはさ」

 

 ゲネプロの事をルドルフに詳しく話す。どうも最近もやもやしていたこと。それを根付さんに見抜かれて、一曲、好きな曲を歌ったこと。そうしたら、気持ちが抑えられなかったこと。

 

「…っていう感じなんだ。不思議なんだよね。根付さんの歌って。パワーが湧いてくるっていうか」

「ほう。根付さんか。君のお気に入りのバックバンド、FBの方々か」

「そ。本当にこう、もやもやが吹っ飛んだんだ」

 

 ルドルフはふむ、と手を顎に当てて一瞬何かを思案していたようだ。が、間髪入れずに今度は満面の笑みを浮かべていた。

 

「なるほどね。しかし、君がそうなるということは、学園祭の君のステージは間違いなくその目的を達成できそうだな」

「うん。その点については全く問題なさそうだよ。きっと、皆が私の背中を追い越そうって気になるはずだから」

「それは嬉しい限りだ。―さて。では、それはともかくとして、君、夕食をとっていないだろう?簡単なものですまないが、夜食を作るよ」

 

 そう言いながらルドルフは簡易キッチンへと歩みを進める。その背中を見ながら、思わず首を傾げていた。

 

「え?いいの?」

「無論だ。この間君の家で頂いた礼をさせてくれ。嫌いなものは?」

 

 エプロン姿のルドルフを見れるなんてレアだなぁ…と、思いながら、嫌いなものを思い浮かべる。

 

「特に無いかな」

「好きなものは?」

 

 好きなものか。そうだなー。まぁ、特にはそれもないんだけど。強いて言えば…。

 

「ピーマン」

「…ふむ、変わってるね?判った。最近私も少しだけ料理に凝っていてね。では、ピーマンを使った料理の一つでもご馳走しよう」

 

 そう言って調理を始めたルドルフの背中を眺めながら、お嫁さんがいたらこんな気持ちだったのかなぁなんて思いを少しだけ馳せてみたり。ま、私は今女だけど。そういえば、現実というか私の男の体というか。あっちは今何をしているんだろう?私がこっちにきたことによって存在が消えているのか、それとも、普通に日々を過ごしているのか。それとも、もしかして、本当のミスターシービーが私として生きているのだろうか?

 

「味は濃い目がいいかな?それとも、薄味?」

「あ、濃いめで」

「判った」

 

 ちらりと見えたルドルフの顔はどこか楽しそうだ。ま、とは言っても私の状況が判るわけでもないし、考えても仕方はないとしておこう。それに、もし本物のミスターシービーが私としてあっちでやっているのなら、きっと、私よりいい感じにレースを制してくれているだろうという確信があるしね。だって、あの天衣無縫だ。どんなマシンだって、それはもうきっと、楽しく扱いそうだしね。

 

「どうだろ。君も、シービーが好きならいいんだけどね」

 

 と、そうやって物思いにふけっていると、ジュウ、といい音とソースの香りが漂ってきていた。どうやら、調理も佳境を迎えてきたらしい。

 

「お待たせ。ピーマンの肉詰めに、キャベツの味噌汁と玄米ご飯だ。飲み物は…にんじんジュースでかまわないか?」

「うん」

 

 そしてあっという間に目の前に置かれた料理。ピーマンの肉詰めはジューシー。玄米ご飯は美味しそうな香りが立ち上り、味噌汁からも温かい湯気が昇る。

 

「すごいね。ルドルフ。美味しそうだ」

「ふふ。さ、召し上がれ」

「頂きます」

 

 両手を合わせて、早速ピーマンの肉詰めに手を伸ばす。一口。おお、これはなかなか。見た目通りのジューシーさ。しっかりと胡椒と塩で下味も着いて、上にかかっているソースの味とマッチしてご飯が進む味だね。

 

「…うん。すごく美味しい!」

 

 素直に感想を伝えてみれば、ルドルフの笑顔が満開になった。

 

「お眼鏡にかなって幸いだよ。さ、ご飯のおかわりもあるからな。遠慮なく、食べてくれ。シービー」

「うん。ありがと、ルドルフ!」

 

 いやはや、ルドルフの手料理を食べられるだけで幸せというもの。なのに、美味しいときた。これ以上の幸せはないだろう。にんじんジュースも料理と合う濃さで実に美味しい。さてさて、英気も養えたことだし。明日からも頑張るとしよう!とりあえずは、日々の練習と、あとは、感謝祭の成功を目指していこうか!

 

 

 そして迎えた感謝祭当日。バイクでいつものように学園に乗り付けて、ヘルメットをトレーナー室へと持ち込んでおく。今日は感謝祭が終わるまでは禁煙なので、タバコもこっちに置いておく。

 

「さてと、シービー。俺は今日は運営側だから一日この部屋は空ける。何かあったらウマホで連絡をしてくれ。すぐに向かうから」

「わかったよトレーナー。頑張って!」

「おう。お前のライブは見に行くからな。そっちも、頑張れよ!」

 

 軽くトレーナーと拳を合わせて、私は学園内へと歩みを進める。その道中、各教室では今日の感謝祭へ向けた最後の飾り付けやリハが行われていた。

 

「お、シービー。おはよう!」

「エース。おはよう…って、その格好は?」

 

 その最中にカツラギエースを見つけたのだけど、なかなか変わった格好をしていた。パンツルック、そして燕尾服。つまりは男装だ。

 

「ああ、うちのクラスの出し物が執事喫茶でな。朝の持ち回りがあたしなんだ。どうだ、結構似合ってると思うんだけど」

 

 くるりとその場で一回転。うん。エースの快活さとあいまって、実にいい執事さんといった感じがする。

 

「うん。よく似合ってるよ。惚れちゃいそうなくらいカッコいい」

「惚れちゃう!?はははは!シービーからそう言われるなら間違いないな!っと、いけね、まだ準備中だった。またな!」

「うん。またね、エース!」

 

 お互いに軽く手を振って別れる。なるほど、エースの所は執事喫茶か。なんか、人気出そうだなぁ。あ、ライブ終わったら飛び入りで参加してみようかな?面白そうだし!



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トレセン学園感謝祭―ウマ娘の憂鬱

「どうする?ミスターシービーのライブ」

 

 今日の感謝祭へ繰り出す道中。私と親友のあたりさわりのない言葉のキャッチボール。私の先輩にあたるウマ娘のミスターシービーのライブを見るかどうかなんていう、そんな他愛もないもの。

 

「見る。もしかしたら、今年で中央トレセン最後かもしれないし」

 

 しかし、私達とは違う、選ばれし者であるミスターシービー。そもそも、トレーナーがついて、中央で走れるというだけでもかなりの選ばれし一握り。その中でG3などの重賞を勝つウマ娘なんて言うのは、雲上の存在だ。G1を勝つ、なんていうのは、もう神様と言っても良いかもしれないなぁ。

 

「そうだね。見ようか」

 

 私たちは2人共、トレーナーが着いていないウマ娘。中央に入る実力こそあったのだろうけれど、そこまで止まりのウマ娘だった。

 

「そういえば、先週の選抜どうだった?」

「聞いちゃう?」

「野暮だった。ごめん」

「ううん。ちなみに君は?」

「…聞いちゃう?」

「あー…これこそ野暮だったね」

 

 少しだけ気怠い気持ちを押し退けて、今日はなんとかここに立っている。学園の出店を見てみれば、そこにいる店員役はほとんどが中央で活躍しているウマ娘ばかり。普通のウマ娘は、裏方ぐらいの手伝いしかできないのが正直な話だ。なんせ、今日は感謝祭。名ウマ娘と触れ合えるのが一つの楽しみだから、というのは納得しているが、やっぱり、どうも。

 

「君は今年で何年目だっけ?」

「2年目。君は?」

「私も2年目。そろそろ限界だよねー」

 

 日々練習を重ねている。サボっているわけではない。でも、トレーナーに巡り合うわけでもないし、模擬レースでも勝てるわけでもない。このスカウトシーズンを過ぎてしまうと、自動的に3年目にたどり着く。つまり、正直に言って在籍がドンドン苦しい立場に追い込まれていく。別に、気にしないっていうウマ娘も居るけれど、この中央トレセンという選抜学校で3年も4年も芽が出ないとなれば…。

 

「もし、諦めないとイケないとなったら、どっかに行くの?」

「んー、私は高知に戻る予定。君は?」

「アタシは父さんのいるイギリスに戻ろうかなって。あっちならもうちょっと頑張れるかもしれないし」

「なるほどねー。ただ、お互い後悔はしたくないよね。せっかくここに入れたんだし」

「うん。本当そう思うよ」

 

 お互いに空を見上げた。抜けるような青い空。全くもって憎らしいほど。暗い気持ちとは真逆に、今日のトレセンは実に騒がしい。

 

「そういえばエースさんは執事喫茶やるんだって。これも行こうよ」

「え?そうなの?似合いそう。行こう行こう」

「あとはマルゼンさんのファンレースもあるって、参加する?」

「するする!」

 

 暗い気持ちを押し込めて、今日ぐらいはトレセン感謝祭を楽しもう。気持ちを切り替えて、私たちは歩みを進め直していた。―ふと、その時、バイクの音が聞こえた。音のする方向を2人で向いてみると、そこに居たのは噂の人物、ミスターシービー。いつものバイクでの通学だ。いや、正確には彼女は勉学を受けなくてもいい立場だから、通学と言うか、今日はこの感謝祭のライブのために登校していると言ってもいいだろう。

 

「ミスターシービーだ」

「あ、本当だ」

 

 大きなモーター音のようなバイク。詳しくは知らないけれど、あの黒くでギラギラしててすごいゴツゴツしているバイクを、いつ見てもよく扱うなと思う。パンツルックでジャケットを羽織る様は、単純にカッコいいを超えている。

 

「わー、カッコいいね。やっぱり。違うねー、私達と」

「本当。持ってるウマ娘はオーラも違う」

 

 遠くから見ても雰囲気が違うと思う。ヘルメットを取った彼女の美しい顔が、こちらからでも十分に感じ取れる。シュっとした立ち姿。歩く姿は一本筋が通り、どう見ても実力者の風格を感じる。―と、こちらの視線に気づいた彼女が、私達に軽く手を振ってくれた。

 

「わ、手、振られちゃった」

「本当だ。ちょっと嬉しいかも」

 

 そんな事を言いながら、手を振り替えしてみると笑顔で親指を立ててくれた。こういうところもすごくカッコいい。

 

「本当にカッコいいなぁ。ああなりたい」

「うん。でも、ねぇ」

「難しいよね。アタシたちじゃああはなれないよ」

 

 ミスターシービーが去った後、少し肩を落とす。ああなりたい。でも、なれない。本当、憂鬱な気持ちだ。

 

 そう、分類するなら私たちは持っていないウマ娘。彼女は、持っているウマ娘。

 

 この差は、なかなか埋められない。

 

 

 エースと別れてのーんびりと校内をほっつきあるいていたら、いつのまにか感謝祭の開始時間を過ぎていたようで、一気に学園の中が活気に満ち溢れ始めていた。というか、本当はマルゼンやルドルフに挨拶にいったのだけれど、すでにもぬけの殻。遅かったかぁと思いながら、喧騒の学園祭を感じながら歩いてみてれば、見知った顔がいたので思わず声を掛けてしまっていた。

 

「おはようございます。楽しまれてます?」

 

 そこにいたのは根付さん。小さい眼鏡がなかなかチャームポイント。片手にたこ焼きを抱えて、ウマ娘に囲まれる彼の姿はなかなかレアなお姿だと思う。

 

「おお、嬢ちゃん。楽しんでるぜ。いや、学園祭ってのも久しぶりだが、なかなかどうして楽しいもんだな」

 

 手を上げてそう答えてくれる。うん、なかなか気さくだこと。

 

「あはは。ありがとうございます」

「さて、ウマ娘ちゃん達、ちょっと悪いが俺はミスターシービーと打ち合わせだ。ライブ、来てくれよ?」

「「「はい!もちろんです!」」」

「良い返事だ。またなー」

 

 囲んでいたウマ娘たちを上手いこといなした根付さん。肩を並べて歩きながら、ぽつりぽつりと言葉を交わす。

 

「良いところだな、此処は」

「ええ。良いところです。良くも悪くもだけどねー」

 

 ふと、視線を窓に向けてみれば、感謝祭だというのに必死な顔で練習をするウマ娘たちの姿。あれはそう。簡単に言えば『後が無い』ウマ娘だ。理由は様々。トレーナーに合わない。学費が払えない。実力が落ちた。気持ちが切れた…子はあのなかには居ないけど、しかし、そういう子もいるのもまた事実。頂点に立つと、色々と見えるもので、ちょっと嫌にもなる。

 

「ま、競い合うから仕方ないんだけどさ」

 

 肩を竦めてみれば、私の視線の先を同じように追う根付さんの姿があった。彼の場合は肩をすくめる事もなく、軽く笑って見せていた。

 

「だろうな。嬢ちゃんみたいなトップもいれば落ちこぼれて去る奴もいる、か」

「うん。だから、今回は色々歌うんだ。特に最後の曲は落ちこぼれたとしても、後悔のないようにってね」

 

 ふむ、と頷く根付さん。たこ焼きを1つ頬張りながら少し思案するように視線を泳がしていた。と、その鋭い瞳が私を貫く。

 

「ああ、なるほど。今日のセットリストは納得だ。最後にアレを持ってきたのは確かに」

「でしょ?ま、最後暗い感じで終わるだろうから悩んだけどね」

 

 あの曲を最後に持ってきた場合は、多分、微妙な空気にもなるだろうと思う。でも、それはこのウマ娘の頂点に立つ私の責務だと思う。

 

 …ま、本物の彼女ならこんなことはしないだろうね。けれど、私は残念ながら抱え込むタイプだし、できれば、ウマ娘には幸せになってほしいから。

 

「そんな嬢ちゃんに提案だ」

「提案?」

 

 なんであろうかと首を傾げて、根付さんの顔を見ると、そこにあったのはイタズラを思いついたような笑み。ほう、なんだろう?すると、驚く言葉が飛び出てきた。

 

「俺たちの曲、歌わねぇか?」

「え?」

「この前の一曲がいい歌だったからよ。もう一曲ぐらい歌ったらどうだ?」

 

 ほうほう…なるほど。根付さんたちの歌か。確かに、彼らの歌なら背中を押すには最高かもしれない。願ってもないことだ。ということで、大きくうなずいて笑顔を浮かべた。

 

「願ってもないよ」

 

 すると、納得したように根付さんも笑顔で頷いていた。

 

「おう。じゃあ…選曲はどうする?この前のダイナマイトなんかも…」

「根付さんに任せる」

 

 食い気味で言葉を被せる。確かにダイナマイトエクスプロージョンもいい曲である事は間違いない。でも、今回はむしろ、提案してきてくれた根付さんの思う曲を歌ってみたい。

 

「オレに?」

「うん」

「オレに任したらお前、嬢ちゃんが歌えない曲を選ぶかもしれねぇぞ?」

 

 少し困惑した様子でそう聞いてくる根付さん。でも、そこは安心してほしいと笑顔を浮かべてみせた。

 

「あははは、舐めないで?貴方達の歌は網羅してるから。そうだなー。()()()()()()()()とかもそうでしょ?」

 

 そうやって曲名を言うと、根付さんの顔が一瞬引きつった。が、次の瞬間には力の抜けた笑みを浮かべ、たこ焼きをもう一つ頬張る。

 

「…嬢ちゃん、歳いくつだ?そこまで知ってるって()()()()()()()じゃねぇか」

「言ったでしょ?舐めないでって。()()()()()()()()に、私は追っかけてるよ」

 

 そう言うと、根付さんは今度こそ参った顔をしながら頭を掻く。

 

「はは。そこまで見てくれてんのか。ミスターシービー。いいぜ、じゃあ、ラストの一曲は俺が選んだ一曲で盛り上がるぞ。()()()()な」

「うん。判った。根付さん。()()()()、盛り上がろう。で、そういえばさ、今日はそれまで何するの?」

 

 まだライブまで時間は有る。もしかして、ゲリラライブとか開くんじゃないかなーとか期待もしたんだけど、どうやらそうでもないらしい。

 

「あー、そうだなぁ。こんな機会なかなかねぇし、仲間と出店でも愉しむさ」

「そっか。じゃ、アタシも色々巡るから、一旦お別れだねー」

「ああ、じゃ、またライブ会場でな」

「うん。またねー」

 

 手を振って彼と別れようとした瞬間だ。不意に、根付さんがこちらに一歩体を寄せた。なんだろうと首を傾げた私の目の前に、串に刺さったたこ焼きが差し出され。

 

「ほら。旨いぜ」

「ん?わ、ムグっ」

 

 無理やり口に放り込まれた。なかなかの熱々。ソースの味とマヨネーズの酸味がいい感じの大きいたこ焼きだこと。

 

「最後の1個だ。ありがたく食えよー」

「ん、あふぃがふぉー」

 

 味わいながら、今度こそ手を降って根付さんと別れる。うん、どうやら彼も彼の仲間もなかなかに楽しんでいるようだ。さてさて、じゃあ、ライブまでアタシは何をしようかなー。あ、マルゼンが模擬レースをしてるとか言ってたっけ。飛び入りしようかな?



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トレセン学園感謝祭―のんびりシービー

 適当なベンチに座りながら、出店のメガたこ焼きとお好み焼きをのんびりと頂いているわけなんだけど。

 

「ミスターシービーさんはどうしてそんなに速いの?」

「んー?」

「ボクに教えてよー!ね?ね?ね!?」

「どうしようかなー?」

 

 お隣にはどう考えても、どう見ても見知った顔のウマ娘が居る。しかも、想像通りやんややんやと喧しい。というか子どもの時からポニーテールだったんだねー。ポニーテール&ポニーテール。テールテールは実に可愛い。わちゃわちゃ動く彼女の姿を見ていると、やばい、ちょっと庇護欲的な感情が湧き上がってくるかも。

 

「教えてよー!!」

「んー…教えてもいいけど、君、なんでそんなに速くなりたいの?あ、たこ焼きいる?」

「たべる!」

 

 大きいたこ焼きを串に差して彼女の目の前に差し出してみると、勢いよくそれに食いついて来た。なんだろ、餌付け?と、彼女の顔に笑顔の花が咲いた。どうやら、お気に召したらしい。

 

「まー、そうだねぇ。つまらないけど、聞く?」

「聞く!」

 

 目がキラキラと輝いて、ずいっと上半身をこちらに寄せてきた。こりゃあ活きが良い。ふと気になって周囲を伺ってみれば、遠巻きに見守る人たちが数名。おそらくは私のファンとか、あとはきっと、このウマ娘の親御さんもいることだろう。見守る視線たちに手を振ってみると、ほとんどの人からは勢いよく手を振り返された。が、2人の男女は頭を下げてきていた。なるほどね。

 

 …下手なことは言えないね?これ。

 

「ま、と言っても簡単だよ。練習、練習、その上に練習。あとは運動前の動的ストレッチと運動後の静的ストレッチ。最後に食事と普段の生活のリズム、勉強。全てをレースに向ける。それだけ」

 

 私がそう言うと、彼女はポカンと口を開けてしまった。あー、ま、難しいか?ちょっと簡単な言葉で言い換えようとしたとき、彼女の表情が引き締まった。

 

「…その、普通、ですね?」

 

 ほう?『普通』と言うか君は。しかも、結構難しい言葉だったと思うんだけど、これ多分、私の真意を理解している感じもするなぁ。やっぱり、天才は居るもんだ。

 

「君にとっては普通なのかな?」

「うん。普通。練習を重ねて、体をケアして、普段の食事と習慣で体を作って、勉強をしながら頭も鍛える。レースの事を考えて、全部頑張る!ボクがいつもやっていることだもん!」

 

 なるほど。君は実に素敵だね。この頃から走ることへの情熱は本物だったわけだ。納得納得。しかも話していて判るけど、実は頭も勘もいい。なら、ここから君と私は一人のウマ娘どうし。子どもという認識は捨てて話をさせていただこうか。

 

「そっか。じゃあ、その普通をずーっと続けていれば、私の背中は見えてくると思う。でも、それだけじゃ足りない」

「足りないの?」

「うん。最後に必要な最後のピースがあるんだ」

 

 人差し指を立てて彼女に笑顔を向けてみれば、首をコテンとかしげる仕草。うん、可愛い。

 

「それって何?」

 

 可愛いんだけど、その口から出る言葉は真剣そのものだ。さっきまでのわちゃわちゃ動く彼女とは別人のよう。そう、もう一つ。運でもない、チャンスでもない。大切なことが1つ。

 

「自分の才能を熟知し、そして自分の体のことをよく理解した上で行われる努力の積み重ねだ。そう、ただガムシャラに走って練習してレースに出るだけじゃあ足りない。怪我しちゃうかもしれないしね。壊れるか壊れないか。その瀬戸際でどこまで追い込めるか。その見極めを間違っちゃいけない」

 

 そう言いながらたこ焼きを頬張る。うん、メガたこ焼きというか、大型のたこ焼き。タコは2つ入ってる。これは確かに美味しいね。

 

「すごく難しそう」

「うん。難しい。でも、だからこそ。ルドルフ、マルゼン、エース。過去に目を向けてみればトキノミノルやトウショウボーイ、シンザンといった名だたる重賞ウマ娘達は結果を残せたんだ」

 

 たこ焼きを嚥下してから、頷きそうやって言葉を続けてみると、このウマ娘は真剣そのものといった表情で、私の言葉を受け止めてくれていた。

 

「ま、つまり、自分の体をよく知ること。その走り方からくる負担をよく知って、練習を行うことだねー」

「自分の体を知る…でも、シービーさんは関係ない、よね?」

 

 あー、ハタから見るとそう見えるのかな?でも残念。この足は結構、苦労してたんだ。ま、君にならいいだろう。

 

「君には話すけどさ、アタシの場合は足元が弱いんだ」

「え!?」

「驚いた?そうだね、普通に走ってたらきっと今頃、まともに走れなかっただろう」

 

 驚きで目が開いちゃってまぁ、ちょっと面白くて吹き出しそうになってしまった。うん、こういうふうにコロコロと表情が変わるのも、彼女らしいね。

 

「じゃあ、なんで今、走れてるの?次、安田記念走るって…」

 

 当然の疑問だろうね。彼女の頭の中ではこうなっていることだろう。

 

『ミスターシービーは自分で欠点が判っていて、まともに走れる自分の限界を知っていた。でも、今でもトップを走っている不思議な存在』と。

 

 疑問は当然であるけれど、そう、これの答えは簡単で。

 

「自分を理解してくれて、そして、手伝ってくれる人がいるから」

「もしかして、トレーナーさんですか?」

「もちろん。でも、それ以外にも沢山。同級生、靴のメーカーの人や技術者さん達、そしてこのトレセンを運営しているURAの人々。全てに支えられて私はここに立っている」

 

 それに、ミスターシービーとしての責務も私の芯の1つ。この名前を背負ったのならば、きっと、一度は、あの最強に、大舞台で勝たなければならないから。それまでは倒れるなんて事は出来ないしね。

 

「ま、だから君も、これからの話しだけど、そういう人を見つけるといい。例え才能があっても、努力できる才能があっても、その才能と努力だけを抱えて一人で走っていたら、そのうちに壊れちゃうからね」

 

 ウインクを投げて見ると、そこには真剣な顔でこちらを見る瞳があった。真っ直ぐ。しかし、その中には燃える何かが見える。嫌いじゃない、好きな瞳だ。

 

「…わかりました!ボク、これから、色んな人と一緒にトップを目指します!」

「うん。いい返事。あ、ちなみに憧れのウマ娘は?」

 

 一応聞いておこう。まぁ、多分私じゃない。だって、彼女の憧れは。

 

「シンボリルドルフさんです!」

 

 うん。予想通り。いい顔で言い切ってくれた。思わず笑ってしまう。

 

「あはは!そっか。ああ、ちなみに今ルドルフなら校庭で案内をしているよ。私の名前を出せばきっと話を聞いてくれるから、行ってみな」

「え!?本当ですか!?ありがとうございます!」

「ふふ。じゃ、頑張ってね、未来の優駿さん」

「はい!お話楽しかったです!また!」

「うん、またね。…あ、お好み焼き食べる?」

「食べる!」

 

 お好み焼きを手渡し、そして、手を振りながらその背を見送る。すると、やはり、予想通り先程の頭を下げてくれた男女の元へと駆け寄っていった。親御さんだったんだろうね。聞き耳を立ててみれば、まさに親子の会話が聞こえてくる。そのほのぼのさに、思わず口角が上がる。

 

「わーい!シービーさんからお好み焼きもらったよー!」

「よかったじゃない。テイオー。お話、聞けたの?」

「うん!」

「そうかそうか。この後はどこか行きたい所あるかい?テイオー」

「校庭!シンボリルドルフさんがいるんだって!」

 

 未来の名ウマ娘の一人。トウカイテイオー。どうか、彼女の夢も叶いますように。ということで、ちょっと冷えてしまったけれどたこ焼きを1個、口に放り込む。

 

「…お?」

 

 すると、感じた違和感。もごもごと口を動かしながらその正体を探ってみれば。

 

「ああ、タコが3つ入ってる。これはまぁた、大盤振る舞いだね。あ。あとでトレーナーに差し入れでもしようかなー」



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トレセン学園感謝祭―『モブ』達の推し

 チケットを片手に、トレセン学園の大きな門を潜る。『トレセン春の大感謝祭』という看板を通り過ぎると、広大な土地に、広大な建物。広大なトレーニング施設が見えてきた。

 

「おおー…流石中央だぁ。おー、アレがターフの練習場…」

 

 地元、高知のトレセンのダートレース場を思い出しながら、そう言葉が漏れていた。ミスターシービーさんに貰ったチケットをもう一度眺めてから、ポケットに大切に仕舞う。

 それで…ええと、ミスターシービーさん曰く、確か案内してくれるウマ娘さんがこの近くに居るっていう話だったんだけど…?

 

「や、君がナイスネイチャ?」

 

 そうやってキョロキョロと視線を泳がせていたら、一人のウマ娘さんが声を掛けてきてくれた。赤い耳カバーに白でバツのマークが入っている。ちょっと派手なウマ娘さんだなぁと思って、少しだけ答えに詰まってしまった。

 

「えーっと…」

「ああ、ごめんごめん。私はビンゴカンタ。えーっとね、ま、シービーの友人。シービーの替わりに君を案内しに来たんだ」

「あ、そうなんですか!アタシ、ナイスネイチャです。よろしくお願いします!」

「おお!元気がいいね。それじゃあ、えーっと、トレセンは初めてでいいのかな?」

「はい。初めて来ました!」

「そっかそっか。じゃあ、そうだねー。軽く案内しようと思うんだけど、どうかな?」

 

 ビンゴカンタさんというウマ娘さんは、短く会話しただけだけど優しい、面倒見の良さそうな印象を受け取った。それに、ミスターシービーさんのお友達というのであれば、きっと、ついていって問題ないと思う。

 

「はい!ぜひよろしくお願いします、ビンゴカンタさん!」

「うん。よろしく。それで、ミスターシービーから伝言。『チケット渡したのに迎えにイケなくてごめん』だって」

 

 なんとなく、バツの悪そうな顔をしながら、右手を顔の前で立てて『ごめん』と言っているシービーさんの姿が思い浮かんだ。少し面白くて、口角が上がる。

 それと同時に思い出したシーンが有る。皐月賞とダービーで、ミスターシービーさんとカツラギエースさんの後ろに走り込んできていた、このビンゴカンタさんの姿を。とてもとても強く、綺麗だったあの姿を。

 

「大丈夫です。気にしてません!むしろ嬉しいです。第一線で活躍されてるウマ娘さんに案内していただけるなんて!」

 

 湧き上がる気持ちのまま言葉を伝えてみると、ビンゴカンタさんの顔に花が咲いた。

 

「あはは、ありがと。私の事知ってくれてたんだね!あ、そういえばシービーからは親御さんも来ると聞いてたんだけど…?」

「それが、仕事の関係で帰らなくちゃいけなくなってしまって、すごい残念だって言ってました。あ、帰りはまた迎えに来てもらえます」

「そっかそっか。じゃあ、そうだなー。せっかくだし、ナイスネイチャが良ければ今日は一日おねーさんと回ろっか!」

「はい!ぜひ!」

 

 ということで、ビンゴカンタさんと感謝祭を回ることになった。メインストリートに並ぶ露店には、美味しそうなたこ焼きや大判焼き、お好み焼きやチョコ、ポップコーンにアイス、それに綿あめなんかが並んでいる。両親からは楽しんでおいで、と結構大きな金額を貰っていたんだけれど。

 

「はい、たこ焼きー。お金は気にしないで」

「え?でも…」

「いいのいいの。シービーが君を気に入ってるんだ。君、未来の優駿だもん。そんな君を案内しているのにお金を出させた、なーんてシービーに言えないからね。それに、私だってそこそこ貰ってるからさ。気にしないで食べてねー?」

 

 有無を言わさない笑みを浮かべてそんなことを言われてしまった。こういう時は素直に。

 

「…じゃあ、遠慮なくいただきます!」

「うん。どうぞー」

 

 地元の商店街のおじさんやおばちゃんたちを同じ笑顔だなぁと思いながら、たこ焼きを1つ頬張る。おお。タコが2つはいってる。

 

「美味しいです!」

「ふふー、そうでしょ?シービークロスっていうウマ娘さんの出店なんだけどね。絶品なんだよねー」

 

 シービークロス。アタシでも名前は知っている。白い稲妻と呼ばれた重賞ウマ娘だ。まさか、そんな有名な人が出店を出しているなんて。

 

「すごい人のたこ焼きなんですね!?」

「お、知ってた?すごいでしょ。このメインストリートの出店はそういう人の出店ばかりなんだ。ほら、あっちにいるのがサクラショウリさんで、あっちのたいやき屋にいるのがダービーウマ娘のカツトップエースさんに、カツラノハイセイコさん。知ってる?」

「知ってます!知ってます!!わ、すごい!」

 

 画面の向こう。ラチの向こうでしか見たことのないウマ娘さんたちがすぐそこに居て、彼女たちと直接やり取りをして、彼女たちの作ったものを食べられたりする。すごいお祭りだ!と思うと同時に、1つの疑問が浮かんでくる。今、一番注目のウマ娘がここには居ないからだ。

 

「そう言えば、ミスターシービーさんは出店とかは…?」

「出してないよ。まー、彼女の場合そういうのやらないしねー。今日のライブだって本当にやるの?って言われてたし」

「そうなんですか?」

「うん。自分のやりたことだけやってるのが彼女だし、私達もそれが彼女だって思ってる」

「へー…」

 

 満足そうな笑みを浮かべているビンゴカンタさん。なんだろう、ちょっと、誇らしげだ。

 

「ま、今日はシービーはライブに全力だからねー。キミにも満足してもらいたいって漏らしてたから期待できるよ」

「わ、本当ですか」

「うん。私も楽しみにしてる。それになんか仕掛けるみたいだし?」

「仕掛ける?ですか?」

「そ。なんか、全部のウマ娘の背中を押すんだって真っ直ぐな目で言ってたんだ」

「全部の?」

 

 どういうことだろう?全部のウマ娘の背中を押す…って、すごい事をしようとしているのはわかるんだけど。

 

「うん。そうだねぇ。ま、こういう事をいうと卑屈ーとか贅沢な悩みーとか言われちゃうんだけど、私はモブみたいなもんなんだ」

「…モブ?モブって…えーと、ゲームとかの、その、主人公じゃない人たち、ですか?」

「そ。私は重賞に出るけど、なかなか勝てないからねー。そりゃ、オープンにも上がれないウマ娘に比べればすごいと言われるんだけど、やっぱり、一級品のキラキラしたウマ娘は本当に居るんだなって思うことがあるんだ」

 

 こんなこと言ってごめんね?と断りを入れられたけど、アタシはどこか納得していた。シービーさんに以前『普通』という事を言われているからだろうか?

 ビンゴカンタさんが言う『キラキラしているウマ娘』。シービーさんも言っていた『私よりも才能があって練習を積むウマ娘』という言葉。

 やっぱり、トレセンって厳しい場所なんだなぁ…などと、考えていたら難しい顔になっていたのだろうか。ビンゴカンタさんは、アタシの顔を見て少し焦ったように言葉を続けてくれた。

 

「あー。ちょっとネガティブな事いっちゃったね。たださ、自分でも不思議なんだけど、勝ちを諦めるっていう気にはならないんだ」

 

 彼女の顔は真剣そのもの。アタシの目を見ながら、そして、更に言葉を続けてくれていた。

 

「ミスターシービー。彼女の後ろは、走りやすいから。なんていうんだろ、いつでも目標で居てくれるっていうか。あー、ま、何言ってるんだって言うだろうけど」

 

 今度は頭を掻いて、少し悩む素振り。アタシは、静かにそれを聞いていることしか出来ない。重賞を走れるウマ娘ですら、こういう悩みを抱えているんだなって肌で感じるのは初めてだから。

 

「でも、いつか抜いて見せる。いつか、彼女を越えて見せる。彼女の横を、前を。歩きにくくても、自分の足で一番前を走りたい」

 

 そういった彼女の顔に、希望の花が咲いた。目は前しか向いていない。

 

「…あはは、ビンゴカンタさん。モブだなんて嘘じゃないですか」

 

 ミスターシービーさんが言っていた『普通』。きっと、ビンゴカンタさんは、その『普通』に生きている人、トゥインクルシリーズの主役なんだって思う。

 

「モブじゃないです。主人公です」

「あはは、そう言われると照れるなー。ま、ただね」

 

 くしゃっと表情を崩して、アタシの頭をやさしく撫でてくれていた。

 

「私みたいに彼女の背中を追い続けられるウマ娘っていうも一握りでさ。諦めちゃう子もいるんだ。ただ、そんな子の背中も押すって言ってたってわけ」

「はぁー…。すごい事を考えてるんですね。ミスターシービーさんって」

「うん。すごいよ。本当に」

 

 

 ビンゴカンタさんと感謝祭を回るうちに、グランドへと足を踏み入れていた。大きな足音が響き渡り、一段と盛り上がりを見せている。その理由は現役のウマ娘たちによる模擬レースが行われ、更には一部では重賞ウマ娘と並走も出来るという豪華なイベントが行われているからだ。

 

「おー。やってるやってる!」

 

 ビンゴカンタさんは、その光景を見ながら満足そうに頷いていた。視線の先に居たのはマルゼンスキーさん。どうやら、一般人や一般ウマ娘と一緒に模擬レースを行っているみたいで、すごい盛り上がりを見せていた。

 

「わぁ…マルゼンスキーさん、速いですね」

「ふふ。まぁね。トレセンきってのエースだし。ネイチャも走る?」

「あ、えーと…」

 

 走ってみたいと思うのが正直な気持ち。だけど、アタシの憧れはマルゼンスキーさんじゃないし、いやそもそもアタシの足じゃあ勝負にもならないし…なんて迷っていると、ビンゴカンタさんは空気を読んでくれたのか、少し違う話題を振ってくれた。

 

「お、人だかり。あれはー…ああ、シンボリルドルフだ」

「え?シンボリルドルフさん!?無敗の皐月賞ウマ娘の!?」

「うん。ミスターシービーに続いての無敗の三冠ウマ娘候補!人気だよー。近く行く?」

「ぜひ!」

 

 ビンゴカンタさんに連れられて人混みの近くへ来てみると、その中心に噂のシンボリルドルフその人がいた。どうやら、模擬レースの案内役をしているようだ。テキパキと指示を出して人を裁いていく手並みは見事としか言えない。

 

「わー、かっこいい」

「でしょ?うちのトレセンの次期エースだからねー」

 

 オーラがあるなぁ。シンボリルドルフさん。と、思っていたら。

 

 人混みの中から小さな影が勢いよく飛び出し、シンボリルドルフさんの足元へと駆け寄っていた。ポニーテールでアタシと同じウマ娘の耳と尻尾。どうやら、小さなウマ娘の女の子だ。そして、我慢できない!といった満面の笑みを浮かべて、誰も止める暇もなく大きな声を出していた。

 

『あの、シンボリルドルフさん!』

『ん?おや、君は…?』

 

 戸惑うシンボリルドルフさんに、ウマ娘の女の子は物怖じせずに大きな声で言葉を続ける。すごいなぁとあっけにとられてしまう。

 

『ミスターシービーさんに言われてきました!ここに来れば会えるって!憧れているんです!』

『シービーに?そうか。なるほど。すまない、少々案内を任せる。エアグルーヴ』

『かしこまりました。お任せください』

 

 あっという間に、輪の真ん中にいたはずのシンボリルドルフさんを独り占め。思わず、口が開く。どうやらビンゴカンタさんも同じようで、口が開いて目は女の子に釘付けだ。

 

「はー、すごい子も居るんですね」

 

 ようやく言葉を絞り出した。素直にすごいと思う。アタシの言葉を聞いて、ビンゴカンタさんも深く頷いていた。

 

「あははは、本当にすごい子だよ。ま、多分あの子が特別なだけだと思うけど。だってシンボリルドルフにああもグイグイ行くウマ娘ってそうそう居ないから」

「そうなんですか?」

「うん。私も彼女の先輩ではあるけど、なかなか声掛けれないしね。ミスターシービーとかマルゼンスキーさんあたりはグイグイ行くけど、あれとかと一緒。特例だねー」

「はえー…そうなんですね」

 

 そうやってアタシ達が会話を続けるさなかでも、女の子はどんどんとシンボリルドルフさんへ食らいついていく。

 

『そうか。私に憧れて。しかし、私より強い、無敗の三冠ウマ娘ならミスターシービーがいるぞ?』

『ボクはシンボリルドルフさんが憧れなんです!無敗の三冠ウマ娘!信じてます!』

 

 シンボリルドルフの口角が上がる。ああ、その表情だけでもかっこいいなぁって思っちゃう。

 

『ふふ。ありがとう。キミは元気いっぱいだな。名前は?』

『トウカイテイオーです!』

『そうか、ならばトウカイテイオー。見ててくれ。私が彼女に並ぶその瞬間を』

『はい!』

 

 トウカイテイオーという女の子。彼女の言葉でシンボリルドルフの顔が一気に引き締まった。まるで、誰かを抜かさんとばかりに先を見る熱い瞳。そして、ミスターシービーさんへの宣戦布告。正直、近くで見ていただけだけど、びりびりと肌が焼ける感覚を覚えていた。

 

「…本当にすごいね。あの子。ぐいぐい行ってすごい言葉を引き出しちゃったわ」

「ですねー」

「あ、そういえばネイチャ。キミは憧れのウマ娘はいるのかい?私にできる範囲でだけど、会わせてあげられるよ?」

「あー…それは」

 

 視線を落として、チケットを取り出した。あの日、キャンプ場で受け取ったアタシの宝物。視線をビンゴカンタさんに戻して、にかりと笑って見せる。

 

「叶っているので、はい」

「ははぁん?そのチケット…なるほどね」

 

 

「あ、ミスターシービーさんだ」

 

 しばらく校庭でマルゼンスキーさんの模擬レースを見ていたら、遠くにミスターシービーさんの姿を見ることが出来た。どうやら一直線にマルゼンスキーさんの元へと向かっているようだ。

 

「お、今日の主役の登場だねー。いやー、遠くから見ても、全くカッコいいウマ娘だなぁ」

「はい!そう思います!」

 

 制服姿のミスターシービーさん。立ち姿はシュッとしていて、自信満々と言った様子。ただ、伝わってくる雰囲気は口角が上がって目尻が下がっているあたり、楽しそう。もしかして、マルゼンスキーさんと模擬レースでも行うのだろうか?

 

「あー、こりゃやる気だね。シービー。彼女も走るの好きだからねー」

 

 アタシの思考と重なるように、ビンゴカンタさんがそうつぶやく。ということはマッチレース。これは見なくちゃ損だ!…と、そういえばビンゴカンタさんも同期のはずなんだけど、走らないのかな?

 

「あ、そういえば、ビンゴカンタさんは走らないんですか?」

「ん?どうして?」

「ミスターシービーさんが走るので、一緒に出るのかなって」

 

 あー、と頷きながら、しかしビンゴカンタは首を横に振った。

 

「いつか抜きたいんだけど、なかなかねぇ。ね、ネイチャ。そうだなぁ、ここで走ったとして…君は私がシービーに勝てると思う?」

「えーっと…」

 

 迷う。正直、シービーさんの強さはピカイチ。でも、ビンゴカンタさんだって2着3着に入ってるレースが多い。条件次第なら…、いやでも…なんて考え込んでしまっていると、隣から吹くような笑い声が聞こえた。顔をあげてビンゴカンタさんの方を見ようとすると、不意に頭を撫でられた。視線をビンゴカンタさんに向けてみると、ちょっと困ったような笑顔を浮かべていた。

 

「うん。そうなるだろうね。だから私はさ、結果が解り切ってる今回は走らない。それに、私としては、彼女と走るのは此処じゃないと思ってるんだ。彼女との勝負は大きな舞台じゃなきゃ勿体ないって心の底から思ってるんだ」

 

 ミスターシービーさんを見るその目には間違いなく何か特別な感情が宿っている。まっすぐで、とても熱い。

 

「それに、まだ鍛えたりないからねー。もっともっと速くなってきっと追い抜いてみせるよ」

「なるほど…。あ、でも、ミスターシービーさんがその、もっと速くなったりとか、ミスターシービーさん以上のウマ娘が居た場合って、どうするんですか?」

 

 そこまで言って、あ、かなり失礼なことを言っちゃったかもしれないと気づいて、急いで訂正しようと思ったのだけど。

 

「あー…。うん。そういうことも有るだろうけどー。ま、その時は、その時だよ」

 

 そう言いながら、ビンゴカンタさんは誤魔化すように頭を掻いて笑顔を浮かべていた。でも、アタシは気づいてしまった。その瞳に灯っている、とてもとても熱い熱を。

 

 ―私なら、頭をかいて誤魔化すよ

 

 不意に、ミスターシービーさんの言葉が頭に蘇る。

 ああ、なるほどと納得する。これが、彼女たちの普通なんだ。

 

「それに、相手が速いぐらいじゃ勝ちを諦める理由にはならないよ」

 

 ニカリと笑ったビンゴカンタさん。その笑顔には1つのクモリもなく、まるで太陽のような。

 

「今は、彼女が速い。それだけだもん」

 

 …やっぱり、モブなんて嘘じゃないですか。ビンゴカンタさん。

 一流の、最高のウマ娘です。



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トレセン学園感謝祭―模擬レースの一幕

「やー。マルゼン、楽しそうなことやってるねー!」

 

 たこ焼きでちょっと膨れたお腹を擦りながらマルゼンの元へ来てみると、そこにあったのは喧騒と熱。すでに模擬レースは何本も行われていて、走る前の人や、走った後の人の顔たるや楽しそうで非常に羨ましい。

 

「シービーちゃん!ふふ、楽しいわよ。模擬レース!…やる?」

 

 マルゼンスキーも例に漏れず、頬をちょっと紅潮させてエクボなんか作っちゃってる。そんな彼女に誘われたら、反射的にこう言うしか無いでしょ。

 

「やる!」

 

 ぐっと伸びをして、早速スタートラインに向かおうとした。のだけれど、一人のウマ娘に割って入られた。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。ミスターシービー先輩、順番がありますので」

 

 おや、エアグルーヴ。眉間にしわを寄せて、勘弁してくれと言わんばかりの顔だこと。あれ、そう言えば案内ってルドルフじゃなかったっけ?と思いながらキョロキョロと視線を泳がせてみると、小さな女の子と一緒にいるルドルフがいた。

 

『ボク、ルドルフさんみたいになりたいんです!』

『私のように?』

『はい!かっこよくて!強くて!素敵なウマ娘に!』

 

 あー…テイオーだ。私、焚き付けたもんにー。エアグルーヴがちょっとテンテコマイな原因は私にもあるね、これ。

 

「ん?あ、そうなの?」

「ええ。今は…5組後ですね」

 

 エアグルーヴが恐る恐ると私にそう告げる。ま、邪魔しないように、ここは無理を言わずに順番を待つとしよう。

 

「じゃあ待つよー」

「本当ですか!お気遣いありがとうございます」

「気にしないでー。っていうか、エアグルーヴ」

 

 私が名前を呼ぶと、首を傾げて脚を止めてくれた。

 

「はい、なんでしょう?」

「頑張ってるね。ルドルフの足りない所、しっかりフォローしてくれててありがとね?」

 

 きっと最近のルドルフの余裕の一端を担っているのは君だろう?熱い熱いルドルフを感じ取れるお礼だ。

 

「いえ、とんでもありません」

 

 すると、きれいに腰を折ってくれる。うーん、実に一流な所作。ルドルフが気に入るわけだ。

 

「それに、いつか君とも本気で走ってみたいと思うよ」

「私と、ですか?」

「うん。だって君、速くなるもの」

 

 笑顔でエアグルーヴにそう告げてみると、少し目を見開いて戸惑いを見せた。だけど、すぐに表情を引き締めて、こちらに軽く頭を下げる。

 

「…御冗談を。では、少々お待ち下さい。順番が来ましたらお呼びします」

「よーろーしーくー」

 

 さり際、彼女の頬に少しだけエクボが出来ていた。うん、上手く労えた、かな?手をひらひらとさせながら、模擬レース待機所と雑にプラカードが立っている場所に向かう。

 

『…うお!ミスターシービー!』

『うわ…本物…かわいい』

『顔ちっさ。すごいカッコいい』

 

 驚きの声が私を囲む。ま、重賞ウマ娘の隣はなかなか立てないからねー。じゃ、少しだけファンサービスといきますか。

 

「聞こえてるよー?褒めてくれてありがとね。握手でもする?」

『あ、ああ!ぜひ!』

「はーい。そうだな、暇だし、なんか聞きたいことあれば聞くけど」

 

 数名と握手しながら、そうやって目配せをしてみると、早速数名が手を上げてくれていた。

 

『あ、じゃあ、ミスターシービーさんの趣味は!』

「趣味?バイク」

『バイク?』

「うん。遠くに自由に行けるのが好きでさ。風を浴びてどこまでも行けるのが最高なんだ。キミもどう?」

 

 そうやってウインクをしてみると、ぱあっと笑顔の花が咲いた。

 

『…乗ってみたいです!』

「うんうん。良いね。もし乗ることがあったら連絡頂戴。一緒に走ろう?」

『えええ!?いいんですか?』

「もちろんさ。他の皆もねー。あ、他になんかあるー?」

 

 すると、今度手をあげたのは子どものウマ娘。さてさて、君の質問はなんだろうか?

 

『あの、私、トレセンを目指しているんですけど、入れますかね!?』

「ん?んー…判らないなー」

 

 正直に伝える。というか、質問が結構漠然としちゃってるからね。なんとも言い難いところはある。難しいところはあるんだけど、聞かれたからには先達として1つアドバイスを送っておこう。

 

『判らない?』

「うん。トレセンを目指しているウマ娘は多いしね。ま、ただ」

『ただ?』

「入るところを目標にしないほうがいいよ。それよりも」

 

 そう、入ることを目標とすると、入った後にすぐに落ちる。燃え尽きるってやつだ。それは私も望まないし、本人も望んでいないことだろうからね。

 

「誰を笑顔にしたいのか。誰に勝ちたいのか。先を見据えたほうがいいと思う」

 

 大切なのはどこを目標とするか。私の場合は幸い、シンボリルドルフ、カツラギエース、マルゼンスキー、そして、ミスターシービーという背中が居た。だからこそ、今も走り続けられている自覚は有る。

 

『先…』

 

 子どものウマ娘は、少し視線を落としてしまった。いきなり言われたら難しいか。じゃあ、もっとシンプルにしてあげよう。

 

「あ、じゃあさ、私に向かって宣言してみなよ。誰を目標にして、誰を追い抜くのか。聞いたげる」

 

 誰を目標にするのか。今、この瞬間にキメてみろと意志を持って彼女に告げた。ここでキメられれば、彼女はきっと活躍するだろうし、迷えばきっと、活躍が後ろに伸びてしまうだろう。下手すれば、二度と会うことはない。さあ、この子はどうだ?

 

『私は…』

 

 すると、意を決したように彼女は首を上げた。その顔に浮かぶのは、満面の笑み。そして、大きく開かれた口から出た言葉は、素晴らしいものだった。

 

「私の目標はミスターシービーさんです!絶対!大きなレースで抜いてみせます!」

「…おお!?アタシを!?言ったなー!」

 

 自分でも口角が上がったことがよく分かる。ああ、きっとこの子は大丈夫だ。っていうか、面と向かって言われると、やっぱり嬉しいもんだね。

 

「じゃあ、キミは大丈夫だ。絶対にトレセンに入れるし、私と同じレースを走れるよ。あ、ちなみに君の名前は?」

「ウイングアローです!」

「よし、覚えたよウイングアロー。じゃあひとまずは今日、楽しく走ろう」

「うん!」

 

 

「やーお待たせ」

「待ってないわよー」

 

 距離は800。路面は転倒などのことも考えて、柔らかいダートが選ばれているようだ。ま、ちょうどいい模擬レース会場といった具合である。走る面子は人間が3人、ウマ娘が5人、ウマ娘の子どもたちが8人。全18人フルゲート。先程会話をしていた皆が横一線に並ぶ。

 

『位置について!よーい!』

 

 号令で、全員が腰を落とした。そして、刹那のひとときを超えて、緊張感が最高潮になった瞬間。

 

『ドン!』

 

 全員が一気に駆け出した。先頭に行くのはマルゼンスキー。その後ろから大人のウマ娘たちが追いすがり、更に子どものウマ娘。その中にはウイングアローがいる。そして普通の人間がシンガリに近いところでぐっと駆け出した。

 

 だけど。

 

『あれ、ミスターシービー、スタートしない?』

『他の皆スタートしたよね?』

 

 戸惑う声が観客から聞こえる。まぁまぁ落ち着きなさいな。今日は無敗の三冠のミスターシービーさんとしてここに立っているからね。ぽけーっとすること10秒程度。マルゼンスキーの背中は150メートル先ぐらい。彼女も全然本気じゃない。ま、そりゃあね。普通の人間もいるし、エンジョイレースだし。

 

 つまり、ここを走っているひとの見たいものを、感じたいものを見せるためのレースってことだ。そのぐらいは判るさ。きっと、マルゼンスキーの背中を皆みたい。ならば、私は?

 

「じゃ、いっくよー」

 

 上半身から力を抜いて、だらりとリラックス。少し膝を曲げ、重力に任せて体を前傾に。そして、前のめりに倒れる寸前に、左足を一気に蹴り出して、トップスピードに乗せた。

 

『はっや!うわ。地面えぐれてる』

『うわ。エッグ…あれがミスターシービーの加速…!?』

 

 滑るように。右足、左足とダートを抉る。うん、ターフとちょっと勝手は違うけれど、これはこれで走りやすい。むしろ、負担が少ないから私的にはいいかも。そうして一瞬で普通の人達の横を抜け、ウマ娘たちの横を抜け、前目に上がってきていたウイングアローの横へと飛び出し、軽く声を掛けておく。

 

「マルゼンスキーさん速いいいい!」

「や」

「ミスターシービーさん!?え!?」

「いい脚してるねー。他の人達を抑えてマルゼンの後ろを取るなんてさ」

 

 ウインクを投げてみると、驚いたように目を見開いてくれていた。うんうん。そういう顔好きだよ。でも、もっと驚くだろうから、しっかりと私を見ていてくれると嬉しいな!

 

「じゃ、せっかくだし見てて。ちょっと本気出すから」

 

 驚くウイングアローを尻目に、脚に力を叩き込み、マルゼンスキーの背中へとピタリと付ける。振り向いたマルゼンスキーの鋭い目がこちらを捉えた。

 

―来たわね!―

―当然!―

 

 ギアが上がる。残り1ハロン。最後の追い込みとしては最高の距離。グアン、と2つのエンジン音が脳内で轟く。ターフに限って言えば、ここぞの加速は私のほうが上。ただ、トップスピードと粘り強さはマルゼンスキーのほうが上。しかも距離が800でここはダート。きっと、思い通りにはならないだろう。

 

 でも、だからこそ、全力を出して楽しめるというもの!

 

「やああああああああああああ!」

「ハアアアアアアアアアアアアア!」

 

 マルゼンと体を合わせ、横一線でダートを駆け抜ける。吹っ飛んでいく景色、巻き上がる声援。だけど、どうしても最後のひと伸びがキツイ。ダートの砂に力を分散させられてしまっていて、どうも。と、ふと、視界の端に見えたウマ娘。

 

「ミスターシービーさぁあああん!頑張ってえええええええ!」

 

 ナイスネイチャの声で、諦めかけていた気持ちに、脚に力が入る。はは、応援されたからには、余計に負けるわけにはいかないねぇ!

 

 

「ダートも行ける、なんて聞いてないわよ?水臭いわねーシービーちゃん」

「アタシも自分が走れるとは思ってなかったよ。マルゼンはやっぱり速いな」

 

 白熱した模擬レースの結果は、なんと同着。ま、機械があるわけじゃないから暫定といったところだけど、それを決めるためのレースじゃないしね。ゴール板役のウマ娘の判断だ。

 

「お二人ともやっぱり速いですねぇ」

「はは、ありがとね。オーロラテルコ。でも、やっぱりアタシのほうが早かったんじゃない?」

「こら、シービーちゃん。さり気なく勝とうとしないの。ね?同着よね?テルコちゃん?」

 

 軽く頭をこづかれてしまった。オーロラテルコはといえば、一瞬困ったような笑みを浮かべてから、力強く頷く。

 

「はい、同着です。で、3着がウイングアローちゃん。すごいね。他の大人たちを抑えて、2人から5秒遅れ。期待出来る子だねー。はい、賞品」

「ありがとうございます!やった!」

 

 そう言ったオーロラテルコから、ウイングアローへと紙袋が手渡されていた。うん、結構大きいヤツだ。ちょっといいなーと思っちゃったけど、もしかして、走ればもらえるってやつ?

 

「へー、賞品出るんだ?」

「ええ。ま、トレセン学園在校生とOB以外の人、上位3人にですけどね。あとは参加賞もありますよ」

 

 あー、なるほど。在校生とOB以外ね。ま、そりゃそうか。

 

「ちぇ、私は貰えないのかー」

「当然でしょ、シービーちゃん?」

 

 ぶーたれる私に、マルゼンスキーは苦笑で答える。と、目の前にマルゼンスキーのサインが書かれた色紙が差し出される。なんだろうと首を傾げながら、オーロラテルコの顔を見た。

 

「色紙?」

「はい。この色紙にサインをお願いします。シービーさん」

「サイン?」

「最高位の人には一緒に走ったウマ娘のサイン色紙をプレゼントしているんですよ。今回は貴女もいるので」

 

 なるほどなるほど。だーからこんなに人が居るわけね。じゃあ、ま。

 

「りょーかい」

 

 そう言って、マルゼンスキーのサインの下に、私のサインをさらっと書いてウイングアローに手渡した。

 

「はい、記念にどうぞ」

「あ、あっ!?あ、はいぃい!大切にします!?」

 

 目を白黒させながら、ギュッと色紙を抱きしめるウイングアロー。うん。いい記念になってたらいいねぇ。

 

「ほんと、みんなの期待に答えちゃって。おねーさん、ちょっと嬉しいかも」

「ん?なにか言った?マルゼン」

「いーえ、こっちの話よ。さて、次はどうする?」

 

 なんだかごまかされたような気もするけれど、マルゼンスキーの笑顔の前では些細なことだ。彼女の目は、次も走るんでしょ?と言いたげだけど、ちょっとそうは問屋が卸さない。

 

「ああ、ごめん。そろそろライブの準備しなくちゃいけなくて」

 

 時計を見てみれば、そろそろ私の前のエースのライブの時間。現地入りしておかないと、準備が間に合わないからね。

 

「あら、そうだったわね。じゃあここまでね。シービーちゃんのライブ、私も見に行くわよー」

「うん。よろしくー。あ、みんなも良ければ私のライブ、見に来てね?」

 

 ひらひらと手を振りながら、模擬レースの会場を後にする。皆が声援を送ってくれる中で、ウイングアローが大きく手をふる姿が印象に残った。いやぁしかし、5秒落ちとはいえ、私の背中をおっかけてきた彼女、きっと速くなるねぇ。

 

「さ、今日は一発ぶちかまそう」

 

 ぐーっと背を伸ばして気合を入れる。今日は、ミスターシービーとして、無敗の三冠ウマ娘としての責務を果たそう。この背中を抜いてみろと、発破をかけてやろうじゃないか。

 

「―――()()()らしくはないけど。でも、『私』らしくて嫌いじゃないよ」

 

 自然と口から出た言葉に、首をかしげる。はて。

 

「ま、いいか。さーって、根付さんたちはバックヤードに着いてるかな?私も声出ししないとねー」



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その『悪癖』を、ぶっ飛ばせ

 タタタ、と蹄鉄の音が聞こえ、舞台脇の階段を降りる音が聞こえてきた。勝負服姿の彼女は、私を認めるとニカっと笑顔をこちらに向けてくれていた。

 

「よう、シービー。舞台温めといたぜ!」

 

 ほんのりと汗をかき、上気したそのままの勢いで大声でこちらにそう言ってくる彼女。負けないように、こちらも大声で応える。

 

「サンキュー!エース、いいステージだったよ!」

「ありがとな!じゃ、あたしも観客席から見てるからな!」

「うん!期待してて!」

 

 拳を合わせてニカリと笑うエース。その言葉の通り、舞台装置の隙間から見える観客席は超満員。キャパを超えてるんじゃないかな?ってぐらいだ。しかも、その声援がバックヤードまで響いてくるという始末。これは楽しみで仕方がない。

 

「次、ミスターシービーさん、FBさんの出番です!ステージの入は下手からFBの皆さん。打ち合わせ通り、winning the soulからでお願いします!」

「おう。任されたぜ。リミックスのBGMから上手く繋げればいいんだよな」

「はい!まずは繋で根付さんのギターソロ、そして全楽器の音入れ、最後に上手からミスターシービーの登場でお願いします!」

「オッケー。じゃ、よろしく!」

「おう。嬢ちゃん、頼んだぜ!」

 

 拳を合わせて、彼らの背中を送り出す。ギターがかきならされ、メイクデビューのソロ演奏が始まった。盛り上がる観客席からは、悲鳴のような歓声が沸き上がる。

 

『おおー!メイクデビュー!次はミスターシービーか!』

『今日はシービーを見に来たんだ!楽しみだ!新曲もあるらしいぞー!』

『シービー!』

 

 そんな声を耳に入れながら、ぐるりとステージの後ろ、バックヤードを回る。そして、上手のステージ袖にたどり着くと、数名のスタッフとウマ娘たちがこちらをじろりと見つめた。

 

「今日はよろしく」

 

 そう言いながら頷けば、帰ってきたのは微笑み。さあ、ここまで準備してくれた彼らのためにも、今日はしっかりと盛り上げて、そしてかましていこう!

 

 

 飛び出てからメイクデビュー、そしてウイニングザソウル、レックレスファイアやマルゼンが乱入してのボーダーライン。大盛りあがりを見せながら、私のステージは最高潮を迎えている。根付さん達の演奏も熱を帯びて、非常に、ものすごく、楽しい!

 

「ここまで聞いてくれてありがとう。さあ、最後の一曲だ」

 

 だけど、その時間も終わりが近い。時間が迫ってきていた。そろそろ次のウマ娘に引き継がなきゃならない。袖から、心配そうにこちらを見つめるスタッフに、頷いて、笑顔をみせておく。判ってるよって。

 

「最近、実はちょっと気に入らないことがあってね」

 

 さあ、それじゃあ此処から爆弾を1つぶん投げよう。根付さん達のギターが軽く爪弾かれる中で、トークを進める。全体を、一人ひとりを見つめながら。

 

「学園の中でこういう声が聞こえてるんだ。「ミスターシービーはすごい。私は追いつけない」ってね?」

 

 ピクリと、ウマ耳が動いたウマ娘がいる。ああ、心当たり、有るよね?

 

「いや、学園の中だけじゃない。世の中のヒトも、世の中のウマ娘からも」

 

 ドキリとしたのだろうか。口元を押さえる人も、ウマ娘も居た。強張っている人が何人も居た。

 

「だから、この曲を君たちに贈るよ。ミスターシービーから、君たちに」

 

 根付さんのギターが、イントロに走りはじめた。ああ、良いね。このイントロ。―そうだな。ある意味、私の前世は終わって、この世界が始まった。その世界から持ってきた曲だし、こういう場に、ふさわしいだろう。

 

 息を吸う。そして、ドラムが入ると同時に、声をあげた。

 

 

 ドキリとした。ミスターシービーの言葉に。そして、聞いたこと無い曲が、始まった。

 

『君たちったら何でもかんでも 分類 区別 ジャンル分けしたがる 持ってるヤツとモテないやつとか』

 

 はっと、ミスターシービーの顔を見る。それは、無表情。こちらを、なんでもない顔で見ている。

 

『陰キャ陽キャ? 君らは分類しないとどうにも落ち着かない 気づかない本能の内側覗いてかない?気分が乗らない?』

 

 ドキリと心が動く。ああ、確かに、分類している。ああ、そうだ。ミスターシービーは、持っている。私は、持っていない。

 

『つまりそれはそんなシンプルじゃない もっと曖昧で、繊細で、不明瞭なナニカ』

 

 それはきっと、この場にいる誰もが、思ったことなのかも知れない。

 

 

 子どもの手を引きながら、ああ、と思う。ミスターシービーの歌う曲の通りだ。夫を持って、子を持った。今でも、トレセンは夢の世界だ。

 

『所詮アンタはギフテット アタシは普通の主婦です と』

 

 …ああ、思っていた。画面の向こうで、ラチの向こうで。走って、笑顔を浮かべている彼女らと、私。違うんだと、思っていた。

 

『それは良いでしょう? 素晴らしいんでしょう? 不可能の証明の完成なんじゃない?』

 

 そんなわけない。だって、私はまだ、走ることを諦めきれていないんだから。

 

 

 でも、どうする。そんな事を伝えたって。私は練習しても練習しても、強くなれない。どうやって、これ以上頑張れば―。

 

『夢を持て なんて言ってない そんな無責任になりはしない』

 

 じゃあ、ミスターシービー。貴方は何を伝えたいんだ?

 

『ただ その習性に喰われないで そんなhabit 捨てる度 見えてくる君の価値』

 

 …私の、価値?

 

 

 何処かで憤る。ワタシとミスターシービーは違う。何を上から目線で言っているんだって。でも、それを見透かされたように、歌詞は進む。

 

『俺たちだって動物 こういうのって好物 ここまで言われたらどう? 普通 腹の底からこう ふつふつと』

 

 ああ、ふつふつと湧き上がるこの感情。これは、悔しさか、怒りなのか。

 

『俺達だって動物 故に持ち得るoriginalな習性 自分で自分を分類するなよ 壊してみせろよ その bad habit』

 

 悪い癖―。

 

 

 我ながら、ぽかんとしている。何を歌い始めたんだ。あのミスターシービーはと思う。観客たちもそうだ。まるでこれでは四面楚歌。困惑の声が上がるばかり。

 

『大人の俺が言っちゃいけないこというけど 説教するってぶっちゃけ快楽 酒の肴にすりゃもう傑作』

 

 更に畳み掛ける様に歌い続ける。

 

『でもって、君も進むキッカケになりゃそりゃそれでwin-winじゃん? そもそもそれって君次第だし』

 

 ああ、でも、それはその通り。続けるも続けないも、本人次第。とはいえ。

 

『その後なんて俺興味ないわけ』

 

 直球すぎるだろうとほくそ笑む。まぁ、ミスターシービーらしいと言えば、らしいなと。

 

 

 全く、何を歌うんだって思ったら、とんでもない曲を歌い始めたな、シービーは。

 

『この先君はどうしたい? ってヒトに問われる事自体 終わりじゃないと信じたいけど そーじゃなきゃかなり非常事態』

 

 そうだろうな。この学園でそう聞かれるってことはもう、非常事態にも等しい。アタシやシービーは有り得ないけどな。

 

 

 ミスターシービーにスポットライトが当たる。そして、静かにその口は、全てに語りかけるように力強く言葉を吐く。

 

『俺たちはもっと曖昧で 複雑で不明瞭なナニカ』

 

 静かに見つめる瞳は、強い炎を灯している。

 

『悟ったふりして驕るなよ』

 

 言の葉からは誰も取りこぼしてなるものかと、熱い想いを感じる。

 

『君に』

 

 ぐるりと、観衆を睨んだ。誰も、ミスターシービーから目を離せない。そして―。

 

『君を分類する能力 なんて無い』

 

 

 会場の雰囲気が、変わった。ああ、ミスターシービーが言いたいこと。それは。

 

『俺達だって動物 こーゆーのって好物』

 

 そうだ。

 

『ここまで言われたらどう? 普通、腹の底からこうふつふつと』

 

 湧いてくる。心の底から。

 

『俺達だって動物 故に持ち得るoriginalな習性』

 

 そう、この私の習性を、ただただ、壊して見せてくれと。

 

『自分で自分を分類するなよ 壊してみせろよその bad habit』

 

 そして、彼女はもう一度、私達にむけてこう言い放った。

 

『壊してみせろよ その bad habit』

 

 私達、全員の背中を押すように。

 

 

「そうそう。学園のウマ娘達は知ってると思うけど、アタシは落第寸前だったウマ娘なんだ。そんなウマ娘だって、ここまで駆け上がってこれる」

 

 伝わっただろうか。私の伝えたかったこと。歌い終わって、じいっと皆の目を見ながら言葉を続ける。

 

「自分を分類せず、全力でやっていれば、ね。だから、そんな悪い癖、さっさと捨てちゃいな?悩んでいるんだったら、全力で、後先考えずに走ってみて」

 

 頷くウマ娘が見えた。頷く、人が見えた。うん。良かった。少しは伝わったみたい。そう。自分を分類するな。全力でやって、チャレンジすれば道は開ける。開けなかったとしても、歩んだ道には花が咲いている。

 

「きっと、悪いようにはならないよ」

 

 マイクを下ろす。ふう、とため息を吐く。個人的には満足、満足。でも、これでおわったら、私の自己満足のステージだ。ちらほらと、首を下げたままの人々も居る。そうだ。それでも前を向けない人は居る。

 

「ただ、それでも気が乗らないのなら―」

 

 出来るならば、ウマ娘を全て掬い上げたい。

 

「前を向けないと言うのなら」

 

 いや、今の私ならば、全てのウマ娘の顔を上げさせたい。たとえそれが傲慢だとしても。

 

 だって私は。

 

「もう一曲。アタシ達の歌を聞いていけ!」

 

 ウマ娘が、大好きだから。

 

 泣いて、諦めてトレセンを去るウマ娘なんて、一人も見たくない。

 

 

 静寂がライブ会場を包む。楽器の音は、何もしない。ミスターシービーが一人、マイクの前に立つ。そして―。

 

たった一曲のロックンロール 明日へ響いてく

 

朝焼けの彼方へ おまえを遮るものは何もない

 

 音に熱が籠もる。ギターの男の人が前に躍り出て、激しい、炎のようなメロディーを奏で始めた。

 

FIRE!BOMBER!!!

 

 ドラムスが、キーボードが、ベースが、ギターが、爆発したような音を奏でる。その熱気に負けない熱量で、ミスターシービーがマイクに叫び始めた。

 

戦い続ける空にオーロラは降りてくる

 

打ちひしがれた夜 お前は一人ぼっちじゃない いつだって!

 

 顔を俯かせていたウマ娘は1つ思い出した。ああ、そうだ。そうだ。例えトレーナーが居なくたって、練習する仲間がいる。そうだ。いつだって、見てくれている、応援してくれている人がいる。

 

たった1つの言葉で未来は決まるのさ

 

俺達のビートは輝くダイヤモンド

 

本当の空へ 本当の空へ 命輝く空へ

 

 今度はバックバンドのギターが声を荒らげた。パワーを感じる、不思議な声。まるで、失いかけていた気力を注入されたような。心の底から、熱くなっていくような。

 

Fly away Fly away 昇っていこう

Try again Try again 昨日に手を振って

Fly away Fly away 信じる限り

Try again Try again 明日を愛せるさ!

 

 気づけば、観客席は盛り上がりを取り戻していた。上がる歓声に、ステージ上で声を合わせるギターの男と、ミスターシービーの顔には笑顔が浮かぶ。そして、今度は2人で言の葉を届け始めていた。

 

たった1つの迷いが チャンスをダメにする

 

嵐の中だって瞳そらさない

 

さあ何度でも さあ何度でも やりなおせるさ きっと!

 

 頷き合う2人。盛り上がりを見せて、声が上がる観客席。そして、2回目のサビに突入していく。

 

『さあ、みんなも一緒に歌って!Fly away!』

 

 ミスターシービーの言葉で、観客席が爆発した。

『Fly away!!Fly away!!』

Fly away Fly away 昇っていこう

『Try again!!Try again!!』

Try again Try again あきらめないで

『Fly away!!Fly away!!』

Fly away Fly away 信じる限り

『Try again!!Try again!!』

Try again Try again 陽はまた昇るだろう!

 

『みんな、サイコー!』

 

 Fly away、Try aganのコール。初めて聞く曲のはずなのに、何度も聞いたことが有るように、声がピタリとハマる。ギターの男の不思議な魅力のせいなのか、それとも、楽しそうに歌うミスターシービーのおかげなのか。

 

 ―と、その刹那。静寂がライブ会場を包み込む。そして、目配せをしながら、ギターの男が一歩前に。

 

『たった一曲のロックンロール』

 

 ミスターシービーが、合わせるように、一歩前に。

 

『明日へ響いていく』

 

 そして、向かい合わせになると。声が重なった。

 

『朝焼けの彼方へ』

『朝焼けの彼方へ』

 

 空を見上げ、観客席へと向く。そして、全員を見据えて最後の言葉を、告げた。

 

『おまえを遮るものは 何もない』

『おまえを遮るものは 何もない』

 

 ハートに火をつけて。なんどでも立ち上がれ。なんどでも、飛び立てば良い。毎日でも、毎夜でも、いつでもどこでも。彼女の気持ちが伝わる。彼女の魂が伝わる。

 

「…」

「…」

 

 私と友達は、いや、周囲を見ても、無言だ。ああ、魅了されていると言っていいだろう。でも、その瞳には、その魂には。

 

 新たな火種が。

 

 

「…ね、すごかったね」

「うん」

 

 私と友達は、ライブ終わりの道を歩いていた。あの歌。あの歌詞。それはきっと、アタシ達みたいなくすぶっているウマ娘たちに向けて届けてくれたものだ。

 

 ミスターシービー。先に行っていたと思っていたけれど、常に、アタシたちみたいな、普通のウマ娘たちを見つめてくれていたのだろう。

 

 いや、もしかしてそうじゃないのかもしれない。いつものように、天真爛漫に、自由に歌っただけかもしれない。

 

 でも、私が勝手にそう思おう。だから。

 

「…あの背中には、恥ずかしくない走りを見せたいね」

「うん。同感。明日から気合入れ直すよ」

「アタシも」

 

 その日、私達の心に燻っていたものは消え失せた。ただ、その代わりに燃え上がったのは熱い想い。あの背中に、ウマ娘たちの夢を背負って先頭で駆け抜け続けている、誇り高きウマ娘に。私の全力を見せたいという、わがまま。

 

 追いつけなくても、走り続けようと心に立てた、おおきな一つの道標。

 

「頑張っていきましょう」

「そうだね。頑張ろう」

 

 頷き合う2人のウマ娘の背中には、もう、煤けた気配は残っていない。替わりに満ちたモノはただ、前を見つづけ走るという覚悟。

 

「走ろう、オースミレパード」

「走ろう、ミスタートウジン」

 

 ―後に、この2人がURA最長現役記録と、URA現役最高齢勝利記録を残すのだが―。

 

 それはまだ、誰も知らない物語(英霊譚)だ。

 

 

 最高のライブが終わった。ということで、今回ばかりは根付さん達に打ち上げに参加してもらうかなぁと思ったのだけれど。

 

「いや、俺達はもう帰る。用事があるんでな」

 

 と、ニベもなく断られてしまった。

 

「そっか。じゃ、ここでサヨナラだね。あ、またどこかで歌ってもらえる?有馬とか」

 

 無理に止めても仕方ないかと思い直して、そう提案したのだけれど、帰ってきたのは意外な答え。

 

「あー、そいつは無理だ。俺はちょっと旅に出るんでな」

「旅」

「ああ。歌修行ってやつだ。ま、気が向いたらここにも寄ってやるよ。楽しかったぜミスターシービー。お前の歌、気に入ったぜ」

 

 そうか。これでひとまずはお別れというわけか。ま、出会いも突然だったし、別れも突然。こういう関係も悪くはないだろう。

 

「そっか、ありがと。根付さんの歌も素敵だったよ。またどこかで」

「ああ、またどこかでな。元気でやれよ?」

「根付さんこそ」

 

 そうやって、別れようとしたときだ。根付さんがああ、と思い出したように数枚の紙を私に押し付けていた。

 

「あ、そうだ。この楽譜、お前にやる」

「え?」

「餞別だ。何かの機会に歌ってくれたら助かるぜ」

 

 チラリとそれを見る。コードと歌詞が書いてある、手書きの楽譜だ。

 

「じゃあ、ありがたく頂くよ。必ず歌うから、聞いててね」

「ああ。じゃあなシービー」

「根付さんもお元気で」

 

 手を振って、根付さんや、他のメンバーの背中を見送る。さてさて、彼らは一体何処に旅に出るのだか。と、まぁ余計なことを考えるのはよそう。何より今は。

 

「シービー。少しばかり話したいのだが」

「げ、ルドルフ。なーんか怖い顔しちゃって、どうしたの?」

「…新曲を隠していただろう。各方面から問い合わせが殺到していてな?」

「あー」

「とりあえず学園長室に連れてこい、とのお達しだ。たづなさんの説教が待っていると思うが、逃げ出すなよ?」

 

 これはこれは。ちょっと面倒くさそう。思わず、頭を掻いてしまった。



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ひといき、ひととき

 学園祭が無事に終わって暫く。私は、ウイニングサークルの真ん中で、大きく右手を掲げていた。

 

『京王杯スプリングカップの勝者は、短距離路線に殴り込んできた無敗のミスターシービーだー!』

 

 大きい歓声を受けて、もう一度、左手を合わせて観客席に手を振った。すると、更に大きな歓声が帰ってくる。

 

『うおおおおおおおおお!すげーぞミスターシービー!圧倒的じゃねえか!』

『無敗は伊達じゃない!すごいぞー!』

『本当はお前短距離ウマ娘なんじゃねーか!?』

 

 ニカリと口角を上げて、軽くキスを投げてみれば、今度は黄色い悲鳴が上がる。ふふ、ちょっとおもしろいかもね。

 

『きゃー!ミスターシービーがキスしてくれた!』

『かっこいいー!』

 

 うん。悪い気はしない。ついつい面白がって、ファンサービスを続けていると、不意に背中に声が掛かった。

 

「シービー。そろそろ」

「ん?」

「時間。ライブ」

「本当だ、ありがと。それじゃあ、またライブで会おうね!応援ありがとう!」

 

 声に促されるまま、ウイニングサークルから降りて、声を掛けてきてくれたウマ娘に肩を並べてバ道を歩く。

 

「ありがと。プログレス」

「ん」

 

 口数は少ない彼女だけれど、そのにじみ出る優しさは感じ取れる。と、そんな彼女が、不意に足を止めた。

 

「どうかした?」

 

 思わず、私も足を止めてしまった。すると、プログレスは顔をこちらに向けて、抑揚のない声でこういった。

 

「予想外。貴女、短距離も、強かった」

 

 そして、その視線と私の視線が絡み合う。滲み伝わるのは、明らかな悔しさと、後悔だ。

 

「油断した。言い訳だけど。次、何を走る?」

 

 宣戦布告とも言える言葉を、彼女は発していた。

 

「そうだなぁ。まぁ、優先出走出来る安田記念、かな」

「そう。じゃあ、出る。次は油断しない」

「それは楽しみだ」

 

 再び、プログレスは足を進め始めた。私も、その隣に歩みを合わせる。カツン、カツンと蹄鉄が地面とかち合う音が響く。

 

「シービー。学園祭、見た」

 

 その響きにも似た、静かな声がもう一度、言葉を紡いだ。

 

「お。見てくれたんだ」

「見た。トライアゲイン。ダウンロードして、ヘビロテ」

 

 ふんふんと鼻歌なんかを披露してくれる。これはちょっと、面白い子だな。

 

 

 ライブが終わって、皆と別れた後。いつもの通り、私はトレーナーとタバコを呑む。今日はシンプルに飛烏をコーンパイプで。2つの煙が喫煙所の天井に吸い込まれていく。

 手元にはステイゴールド。良い香りのコーヒー。しかし、そろそろ在庫が切れかけている。また、益子にでも買いに行くしかないか。

 

「改めておつかれ、シービー」

「おつかれ。トレーナー。上手くいったね」

 

 本命のプログレスを押さえてのセンター。1400メートルも、私の足は強いらしかった。まぁ、トレーナーのメニューのお陰が大きい。あとはそう。

 

「いつか言っただろ。長距離はお前に向いては居ない。これを返せば、つまりは短距離は強いってことさ」

 

 気負わぬ声で、トレーナーはそう呟く。

 

「そうだね。うん。私は短距離もイケる口だった。次の安田記念も期待してていいよ?トレーナー」

 

 口角を上げ、コーヒーを一口含む。少しぬるくなったコーヒーが心地よい。

 

「そういえばシービー。最近の収録は落ち着いたか?」

「ん?ああ。落ち着いた落ち着いた。いやー。不意に新しい曲を披露するもんじゃないねー。後が面倒くさいや」

「はは。その様子じゃあ相当苦労したようだな」

 

 学園祭からすぐ、私のところには収録の仕事が舞い込んで舞い込んで。それでいて、根付さんとは連絡が取れないからバックバンド探しがまぁ大変だった。やっぱり、あの勢いと腕を持っているのは彼ぐらいなもんだろうね。

 

「ま、でも。いい経験になったけどね」

 

 いままで学園任せだったスケジュール管理や人脈の管理においては、1つ、私自身の皮が向けたような気もしているからね。自由にできる幅が広がったと言い換えても良い。

 

「そうかそうか。お前がそう言うのなら問題はなにもないだろう。ああ、ただ、人手が必要だったら言えよ?」

「もちろん。トレーナーにはすぐに頼るよ」

 

 じゃなきゃ、短距離路線に行く、なんて無茶は言ってないからね。信頼できるから、君に言ったわけだし。タバコを含み、香りを楽しんでから吐き出す。濃厚な香りが心地よい。

 

「そういえばマルゼンスキーが安田に出るって話だが、シービー、お前知ってるか?」

「ん?ああ、知ってる。そもそも発破かけたの私だし」

「あー…納得したわ。普通、マルゼンスキーは重賞なんて出ないからなぁ。いい意味で変わってきてやがる。ドリーム行きだったはずのウマ娘が、お前にターゲティングしているわけか」

 

 悪い笑みを浮かべながら、トレーナーはパイプから香りを吸い込む。

 

「ま、そうだね。そのほうが面白そうじゃない?」

「確かに。じゃあ、明日からよっぽどいい練習をしないとな」

「もちろん。私のやる気も天元突破、コレ以上のモチベーションは他には無いというものだ」

「…なんだ、急に。ルドルフみたいな台詞回ししやがって」

 

 思わず2人で吹き出した。そして、気をとりなすように、お互いにパイプを吸い込む。は、と吐き出した煙が、お互いの顔に掛かり合う。

 

「じゃあ、勝ちに行こう。トレーナー」

「もちろん。お前はまだまだ負ける気は無いんだろ、シービー」

 

 当然。私が負けるのはまだまだ先だ。そうだな。『私はウマ娘のエースだ!』と、最強宣言を続けるやつぐらいにしか、負けはしないだろうよ。



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1つの変化、大きな波

 さて、今日は久しぶりに理事長室にお呼び出しだ。トレーナーとの練習もそこそこに、制服に着替えた私は、扉を叩く。

 

「ミスターシービー、参りました」

「うむ。待っていたぞ」

 

 と、そこに居たのは学園長、たづなさん、そして。

 

「おう、シービー」

「やあ、君もか」

 

 エースとルドルフだ。促されるままソファーに座ると、たづなさんがコーヒーを差し出してくれた。見渡してみれば、全員、飲み物が置かれている。どうやら私待ちだったようだ。

 

「さて、揃ったところで。早速、この楽譜を見てくれ」

 

 理事長が笑顔でそう言いながら、私達に楽譜を手渡した。

 

「今度、ジャパンカップでの勝者に歌ってもらおうと思っている曲だ」

 

 なるほどと、ついに私の知識からではなく、オリジナルの歌を用意できるようになったのかと内心で安心する。だが。

 

「ん?」

 

 タイトルを見た私は、少々驚きを隠せなかった。だって、この曲は良く知っている曲だからだ。

 

「ミスターシービーの活躍はカツラギエースも、シンボリルドルフも明るいところだろう!そのミスターシービーの専用曲に感化された人々が、遂に仕上げてきたのがこの一曲だ!」

 

 自信満々に、口角を上げながら、そして扇子を振りながら、熱弁を続ける理事長。しかし、私の内心はまだ、驚きのままだ。

 

「君たちはジャパンカップに出場することがほぼ、決まっている。ぜひ、当日までに完成度を高めておいて欲しい!」

「判りました。理事長。ご期待に応えて見せましょう」

 

 ルドルフが頷き、エースもそれに続く。

 

「判りました。理事長さん。私も全力で頑張らせていただきます」

 

 やる気満々といったところだろう。私も、続けて頷くけれど。

 

「うむ、良い心意気だ!ぜひ、この3人には、いや、3人だけではない!勝ったウマ娘には『私は最強!』と高らかに歌い上げてほしいものだ!』

 

 ―私は最強。それが、この楽譜の名前。私の知識から溢れたものではない。この世界の誰かが、作り上げた私の世界の曲。これは、良い事か。それとも。

 

「ああ、それと、もう一曲あるのだ。こちらは、新たな試みなのだが、たづな!」

「はい。では、ご説明させていただきますね!」

 

 たづなさんは私の動揺に気づかなかったのか、それとも、あえて無視をしているのか。説明を始めていた。なにやら、もう一曲新曲があるらしい。

 

「こちらの楽譜、お受け取りください」

 

 出された紙束を、受け取る。…いや、これもまた。

 

「こちらの楽譜なんですけれど、今、我々URAはウイニングライブ、というものしか行っていません」

 

 私も含めた3人は頷く。それを見たたづなさんは、笑顔のまま言葉を続けた。

 

「そこで、新たな試みとして、ジャパンカップにおいて、「オープニングライブ」を行おうと思っています」

「オープニングライブ?」

「はい。当日のメインレースの前に時間を設けて、パフォーマンスを見せようというものです」

 

 なるほど。それは面白そうなイベントだ。ただ、そうなると懸念が1つ。

 

「たづなさん。そうなると、ジャパンカップで走る前にライブをするってこと?」

「ええ。ですので、もし無理であればこのお話は無かったことにも出来ます」

「そ。話を切って悪かったね。続けて」

「はい」

 

 コホン、と小さく咳払いをしたたづなさんの表情が引き締まる。どうやら、ここからが本題のようだ。

 

「ウイニングライブ。これは、勝者とファンの祭典です。ただ、そうなるとどうしても一部のウマ娘しか活躍が出来ません」

 

 確かに、と頷く。とはいえ、それがモチベーションである事も事実だ。ただ、同時にそれが残念や後悔の生まれる場所でもある。

 

「ですので、その間口を少しでも広げる、新たな活動としての試金石、という意味合いが強いお話です」

 

 そうか、と頷く。確かに、それであれば少しは溜飲が下がるかもしれない。それで、この曲なのか。

 

「この曲を御三方にぜひ歌っていただきたいなと、理事長からのご提案です。ただ、もちろん」

 

 たづなさんは此方の目を見つめ、そして理事長も頷きを見せる。

 

「ウマ娘にとって、レース前の一時がいちばん大切な時というのは承知しています。断られることをほぼ前提でお話をさせていただいています」

 

 ふむ。確かにそうだ。一番緊張感を高める時間が、レース前の一時。それは、私が男だった時も変わらない。各々がルーティーンワークをこなし、調子を整え、最高潮に自らを持っていく。その一番大切な時にライブをする。体力も、精神力も使うライブを。非常識なお願いと言えよう。

 

 でも、それはそれ、これはこれ。私はウマ娘が大好きだ。だから、この提案には。

 

「私は歌うよ。レース前に」

 

 しっかりと乗らせて頂く。もし、このオープニングライブが成功すれば、お客さんも盛り上がるだろうし、全員が歌えるということ。一つ、ウマ娘の活躍が広がるとい事に他ならない。

 

「…君がそういうのならば、私も乗ろう」

 

 少し考え込んでいたルドルフも、乗ってくれた。ただ、その表情には厳しいものが有る。特にルドルフは今、無敗の三冠が掛かっている。本来ならば断りたい事だろう。

 

「私もいいぞ。シービーがやるんなら、やる」

 

 エースもしっかりと乗ってくれた。にやりと口角が上がっている。こちらは楽しそうだ。

 

「感謝する。すまない。私もまだまだ試行錯誤をしている。どうか、ウマ娘全体の発展のため、これからも協力を願いたい」

 

 我々の回答を聞いたたづなさんと理事長は、頭を下げていた。

 

 …に、しても、こっちの楽曲も、私の記憶にある曲だ。これは、本当に良い意味なのか、悪い意味なのか。判断が難しいな。後で、事情を知る人達を集めて、しっかりと相談することとしよう。



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二人の言葉、一人の一服

「それにしても、学園長さんも無茶を言いますよね」

 

 カツラギエースは、シンボリルドルフと肩を並べて廊下を歩く。シービーは、何か話があるそうで、学園長とたづなさんの元に残っている。本来はシンボリルドルフも残ってくれとシービーから言われていたのだが、練習があるということで、それを断った次第だ。

 

「ああ、オープニングライブか」

 

 ルドルフも同じことを思っているのか、少々眉間に皺が寄っていた。

 

「正直、シービーが躍ると言わなければあたしは断っていました。会長さんはどうですか?」

「ん?ああ、私だけに言われたことならば、私も断りを入れていたよ。無理だ、とな。だが、シービーが行けるというのなら」

 

 私も行くしかあるまい?と言わんばかりに、口角を上げてみせたルドルフ。その顔をみたエースは力なく笑みを浮かべていた。

 

「シービー。彼女の背中は、なかなか、追いかける価値がある。追いかける甲斐もある。…それにしても、カツラギエース」

「はい。なんでしょう?会長さん」

 

 改めて、足を止めてエースに体を向けたルドルフ。それに呼応するように、エースも足を止めて、ルドルフの顔を見る。

 

「なぜ、君は負けても負けても、シービーの背中を追うんだい?」

「それは、どういう意味でしょう?」

「いや、何、素朴な疑問だ。それに、負けても、負けても、君は私が最強だ、ウマ娘のエースだと言って憚らない。その、原動力は一体どこから来るのか。そう思っただけだ」

 

 ルドルフの眼差しを受けて、エースもしばらく沈黙を守る。そして、少し視線を彷徨わせた後、エースはルドルフの目をまっすぐに見て、こう言った。

 

「憧れなんですよ。あたしの。彼女の走りを、近くで見たい。彼女の走りに、並びたい。彼女の走りを、必ず超えたい。そう、常々思っています」

「そうか」

 

 ルドルフは、納得したように頷いていた。それは、ルドルフ自身も同じことだからだ。嫉妬するほど強いシービーの走り。それを目の当たりにして、ルドルフも必ずあの足を、私の力でねじ伏せると誓ったウマ娘の一人なのだから。

 

「それと…あの、会長さんご存知ですか?引退するウマ娘が多いこの学園で、シービーと一緒にクラシック三冠を走ったウマ娘は、誰もまだ、引退していないんです」

 

 ルドルフは頷いた。確かに、それは珍しいことだ。怪我や病気になってしまったウマ娘はいる。だが、その誰もが引退という言葉を口にしない。この、シービーの世代だけが特に目立つ。

 

「実はその。荒唐無稽なんですが、感じたんですよ」

「何をだ?」

「ミスターシービー。彼女から、私達にずーっと、ずーっと届けられている感情を。だから、誰も、シービーと走ることを諦めません」

 

 それは、なんだと問いかけようと思って、ルドルフはやめた。なぜならば、それは、ルドルフが言葉として聞いて、そして、行動として知っていることだからだ。

 

「ああ、そうだな」

 

 納得して、頷いたルドルフ。

 

 ―誰よりも、ウマ娘を愛している『ただの一般人』だよ―

 

 嫉妬に狂いそうな、闇に呑まれそうな時に助けてくれた、あの感情。無償の愛。ただただ、ウマ娘の幸せを願う、私が目指す、その姿。ルドルフは、満足そうに頷きを見せると、大きく息を吸い、そして、噛みしめるように、ゆっくりとそれを吐いた。

 

「では、改めて君に問うよ。カツラギエース。君はなぜ、シービーと共にオープニングライブを踊ろうと思ったんだい?」

「はい。別に大した理由はないですよ。ただ、シービーが躍るっていうのなら、あたしが踊らない理由はない。それだけです」

 

 そう言い切ったエースの顔は、どこか晴れやかだ。

 

「そうか」

「はい。逆に聞きますけど、会長さんは、なぜ躍ると言ったんですか?やっぱり、止めるかと思ってましたよ」

 

 エースは疑問をルドルフにぶつける。確かに、立場を考えれば、この様な不公平な事は止めるのが一番だ。もし、他のウマ娘がオープニングライブを拒否した場合、有利不利が生まれてしまうのは、当然だから。

 

 だが、それは判っていたのだろう。ルドルフは一度頷くと、その後、改めて首を横に振った。

 

「止めるものか。シービーは私の先を行くウマ娘だ。彼女が行くのならば、私はそれを超えてその先に行きたい。全てをなぞり、その上で、最強になりたい。そう思っているだけだ」

 

 強い目で、エースを見つめながら言い切ったルドルフ。どこか、その立ち姿はライオンのような怖さがあるなと、エースは他人事のように考えていた。

 

「では、会長さんとあたしは、ライバルですね」

「君と私が?」

「はい。だって、ジャパンカップでシービーを抜いて、最強だって宣言したいんでしょう?」

 

 頷くルドルフ。だが、それをエースは軽く押しのけた。

 

「でも、それは無理ですね。だって、あたしがウマ娘のエース。最強のカツラギエースなんですから」

 

 口角を上げ、自信満々に言いきったカツラギエース。その姿に、シンボリルドルフはほう、とため息を吐いた。そして、くすりと笑うと、こう言葉を続ける。

 

「ならばカツラギエース。ジャパンカップ、どちらが強いか、いや。世界で一番強いのは誰か、決着をつけようじゃないか」

「ええ。望む所ですよ。会長さん。あたしが最強だと、示して見せます」

 

 そう言い合い、目線が交錯する。が、ルドルフはどこか不満そうな顔を浮かべていた。どうしたのだろうとエースが首を傾げると。 

 

「なぁ、カツラギエース。君と私は、同じ背中を追うものが同士だ。敬語も、気遣いも不要だ。我々は対等な関係なんだぞ?」

 

 ルドルフの言葉に、エースは一瞬、目を見開き、口をぽかんと空けた。そして、次の瞬間には、口角を上げて笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、会長さん」

「ん?なんだい?」

「これからは、ルドルフって呼んでも良いか?」

 

 エースは試すように、にやりと口角を上げてそうルドルフに問いかける。そのルドルフはと言えば。

 

「構わんさ。むしろ、好ましい。私も、君のことはエースと呼んでも?」

「ああ、構わないぜ」

 

 当然だろうと、自然な顔でそう言い切った。

 

「では、エース。ジャパンカップに向けて、とことん、走り抜こうじゃないか」

「判った、ルドルフ。じゃあ、お互いシービーの背中を追うもの同士。頑張ろうぜ」

「もちろんさ。無論、君に負けるつもりもないがな」

「それはこっちのセリフだっつーの!」

 

 そう言い合いながら、エースとルドルフは固く握手を交わしていた。夕日が彼女らを照らす。そして。

 

「それはともかくとして、オープニングライブ。君は踊れそうか?」

「もちろんだ。シービーが出来るならあたしらに出来ない理由がないからな!」

「はは、違いない!」

 

 にかりと、2人の挑戦者は、腹の底から笑い合った。

 

 

 

 安田記念まであと僅か。流石に、今回はプレッシャーを感じてしまう。本来の距離になったマルゼンスキー、そして、短距離絶好調のハッピープログレスがいるからだ。前回の京王杯こそ勝てたけど、調子を更に上げてくるであろう安田記念は、正直、どう転ぶかなんて判らない。

 

「このパイプぐらい、わかりやすければねー」

 

 コーンパイプを呑みながら、少し愚痴る。左手で包んでいるそれは、ほんのりと暖かく、適温を維持できている。今日のジャグは飛烏。ガツンと来る、良いジャグだ。

 

「マルゼンスキーはキャプテン・ブラックゴールドあたりかな?人気だし、香りも良いし、吸ってて飽きないし、なにより美味しい」

 

 まぁ、脈絡もない例え話だ。飾り気のない飛烏に対して、フレーバーの良い香りが漂うジャグ。晴れやかな雰囲気はマルゼンスキーによく似合うだろう。

 

「ハッピープログレスは…そうだなぁ」

 

 ダニッシュ ブラックバニラあたりだろうか。今はなかなか手に入らないけれど、あの甘さとバニラの香りに特化されたジャグは、刺さる人には刺さる。それは、短距離を選んで走るウマ娘の強さによく似ていると思う。

 

「となると、やっぱりアタシは」

 

 飛烏、あたりだろうか。それとも、マックバレン?フレーバーの香りというより、いつでも楽しめるような無香料に近い、そんな例えが頭の中に過る。と、なると、多分ルドルフは。

 

「アンホーラ フルアロマティック」

 

 人気銘柄。まず、外さない逸品だろうな。誰が吸ってもきっと、いい香りだと言うだろう。かと言って弱くははない。むしろ、しっかりと葉の香りが立つ。

 

「エースは…」

 

 そうだな。強いジャグだろう。ハマれば、どこまでも強い。それでいて、残り香はきっと爽やか。嫌味が全く無い。そんなジャグ。

 

「…まだ、思いつかないや」

 

 コレ、といった銘柄は思いつかない。ただ、こう、強くて、シンプルで、それでいて気持ちの良い…。

 

「…あ」

 

 一つだけあるね。パイプじゃないけど。

 

「と、なると…」

 

 パイプを置いて、喫煙所に控えている別の喫煙具をさっと取り出した。そして、それの対になっている叺を開ける。その中には、細かく刻まれたタバコの葉と、椿の葉が数枚。

 

「…うん、良い感じに加湿されているね」

 

 髪の毛より細長いそれを、キセルに詰める。そして、右手にキセルを持って、それにマッチで軽く火を付けた。

 

 そして、啜るようにそれを楽しむ。

 

 一口。ぐっと、強い煙が来る。

 

 二口。気持ちの良い残り香が鼻に抜ける。

 

 三口。呑み切って、火が消えた。

 

「…これだね。エースは」

 

 キセルを返して、左手を灰皿の上に。そして、その左手の人差し指にキセルの口を軽く打ち付けると、黒い、小さな灰が灰皿にぽとりと落ちた。

 

「フッ」

 

 そして、キセルを咥えて、軽く息を吐く。すると、残った細かい灰がキセルの火口、先端から飛び散った。

 

 このタバコの銘は『小粋』。まさに、気持ちの良いエースらしい、刻みだと思う。



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ルドルフのダービー

 東京優駿。日本ダービー。昨年は私が三冠の街道の途中に見事、手に入れることが出来た称号の一つだ。今年はルドルフが出場する。ただ、本来は皐月賞と同じ様に、見に来るつもりも無かったんだけど。

 

『昨年の覇者である君が、来ない、なんていうことは、無いよな?特別席を、用意しているから、か、な、ら、ず。来るんだぞ?ミスターシービー』

 

 凄みのある笑みで、ルドルフからそう言われてしまっては、来る他の選択肢は無かった。全く、皇帝様は怖いなぁ。と、いうことで、私は今、府中レース場の貴賓室に一人、突っ立っている。

 

「暇だなぁ」

 

 エースは宝塚に向けて練習中だし、マルゼンも安田記念に向けて左に同じ。トレーナーには安田記念の打ち合わせをしてもらっている。本来は、ジャグでもやりながら、トレーナーと一緒に見たかったんだけどさ。仕方ないよねー。

 

「さて、ルドルフの様子は、と」

 

 既に時間は15時を回って、本馬場入場と言った時間だ。窓から、下を覗いてみれば。…いたいた、緑の勝負服。遠くから見ても、あの雰囲気はじりじりと私の肌を焼いてくる。

 

「気合十分、どころか。気合十二分、敵はなしって具合かな」

 

 本来であれば、もっと他のウマ娘も見なきゃいけないんだろう。でも、今日のこのターフは間違いなく、ルドルフの物だ。もちろん、気迫は他のウマ娘も十分なんだけどね。

 

「あの目、だよねぇ」

 

 そう呟くと同時に、ルドルフがじろりとこちらを見た。遠く、本来なら目線など会うはずのない私とルドルフなのだが、明らかに、お互いの目があった。

 

「おお…怖い怖い」

 

 絶対の自信。勝つ、その道筋が既に見えている。お前の背中など、すぐに追いつくぞ。そう言わんばかりの殺気のようなものを叩きつけられる。いやはや、一般人にはなかなかきっついね。

 

「ま、でも今はまだ、私が先を走るよ、ルドルフ」

 

 呟いて、笑みを浮かべてその目を見返してみる。と、どうだ、殺気は霧散し、ルドルフはさっさとウォーミングアップにいってしまった。なんだ、ちょっと寂しいじゃないか。

 

「発走は…と」

 

 あと10分程度。下の観客席で、応援がてら見ようかとも考えたけれど、私が観客席に行くと、それだけで人だかりが出来てしまう。それは迷惑だからね。大人しく、此処で見よう。幸い、飲み物は自由だし、軽食もあるし、ルドルフの走りは、部屋に設置されている多くのモニターで追えるからね。

 

 

 発走を待ちながら椅子に座る。頭には、数日前に学園長から伝えられた、オープニングライブについての話が思い出された。あの日、理事長からの提案を承認をしたあと、実は、安田記念でプレステージをやらせてほしい、とお願いしていたりする。

 

「たださ、いきなりのぶっつけはキツイよ。理事長。だから、安田記念前に一曲歌ってみてもいいかな?」

「うむ。構わないとも」

 

 もちろん、歌う曲はレックレスファイア。この世界での、私の代名詞とも言えるものになっている。借り物だから、あまり調子には乗れないけどね。なお、今回は私一人のステージだ。本番直前とは流石に行かないので、昼、午後のレースが始まる前に一曲を歌ってみる形だ。

 

「やってみて、キツいならジャパンカップのステージは無し、でもいい?」

「承知。全く問題ないとも!何よりまずは、君たちウマ娘の事が第一なのだからな!」

 

 さてさて、どういう事になるかな。一曲を本気で歌う。きっと盛り上がる事は間違いないだろうけど、私の体力、モチベーション、そして回りの反応。まだまだ、この世界のトゥインクルレースは発展途上。例えば、ダービーで最大の観客を記録したはずのアイネスフウジンは、まだ学園には居ない。トウカイテイオーやナイスネイチャもこどもだ。

 

「やれることは全部やりたい。だって、私はウマ娘が好きだからねー」

 

 しっかりと、ゲームのように色々な催しがある世界に。今、出来ることは全てやっておきたい。そして、将来は、ゲームの世界よりもより楽しい世界に。みんなが、幸せな世界に。

 

「…って、気負っても仕方ないんだけどさ」

 

 それでも、無敗三冠を成し遂げた私の責任だと思ってる。本来のシービーなら、きっと、こんな葛藤は無いだろう。

 

「でも、ここにいるのは私だし」

 

 葛藤があるからこそ、私だ。…そう言えば、本来のこのシービーは本当にどこにいったのだろう?ま、想像でしか無いけど、もし、私の世界に飛んでいたとしたら。

 

「そうだなー。多分、私よりも速く、相棒を走らせていそうだな」

 

 何者にも縛られず。自分のマシンを手足のように操って。今頃、もしかしたらMotoGPあたりにも出ているのかもしれないな。

 

「借金とかもすぐに返してそうだ」

 

 実際、この体は借金なんかも無い。私と、同じものを持っているのにね。…っと、今日はちょっと一人になるとセンチになっちゃうっぽい。やめだやめだ、変なことは頭の隅に置いておこう。

 

「それはともかく、今日は、ルドルフだ」

 

 気づけば、ファンファーレがレース場に響き渡り、ルドルフがゲートに収まっていた。

 

「さてさて、どうなるかな。勝つか、負けるか」

 

 私はこう言ったけど、頭の中では私も確信を覚えていたりするんだ。

 

「きっと、今日はさ。この東京レース場に」

 

 飛び切りデカい雷鳴が鳴り響き、新たな時代の幕開けになることだろうね。

 



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春の一幕

 上半期、マイル戦線の締めくくり、安田記念。今年のソレは、いつもと違う。

 

 なぜか? あの二人が走るからだ。

 

 1人はスーパーカーと名高いウマ娘、マルゼンスキー。マイルとなればお手の物で、本来の彼女のレースが見れることだろう。

 

 1人は無敗を続ける三冠娘、ミスターシービー。昨年のジャパンカップにてマルゼンスキーを下した彼女ではあるが、マイルの強者ひしめくこの安田記念で、どこまで食い込めるのかが見どころの一つ。

 

 大方の予想は、マルゼンスキーが勝利するとの見方が多い。それはそう。ミスターシービーは中距離以上のウマ娘、マイル、短距離は走れない。この前の京王杯は偶然、という声も聞こえてくる。

 

「ま、大方合ってるけど」

 

 インタビューを申し込んだ際、ミスターシービーはそう言って、カラカラと笑っていた。

 

「うん、多分不利だろう。マルゼンのほうがスタートも良いし、速いのは間違いないよ」

 

 コーヒーを啜り、しかし、ほんのりと笑みを崩さないミスターシービー。言葉とは裏腹に、絶対の自信が見て取れる。

 

「でも、勝負は時の運、って言うでしょ?楽しみにしててよ」

 

 ミスターシービーはそう言って、インタビューを締めくくった。最後まで、余裕な態度は崩れることもなく、流石の無敗のウマ娘の貫禄を見せつけられた気分だ。

 

「そうねぇ。マイルなら、シービーちゃん相手なら負けないと思うわよ?」

 

 マルゼンスキーもまた、余裕の態度でインタビューに答えてくれていた。

 

「ただ、シービーちゃんはそう云う常識は通じないの」

 

 そう言って、マルゼンスキーは口角を上げていた。

 

「だって、強いんですもの。きっと、今回も並んでくると思うわ」

 

 負けない、と言っておきながら、並んでくるとも言う。その気持は、一体何なのであろうか。

 

「ふふ、判らないかもね。でもね、だから、楽しみなのよ」

 

 マルゼンスキー。もうそろそろドリームトロフィーにと言われていたウマ娘であったが、まだまだトゥインクルで走る気であるらしい。個人的な意見としては、マルゼンスキーの走りはG1ウマ娘どころか、無敗の三冠であっただろうと確信するところがあるので、ぜひ、この安田記念では良い勝負をしていただきたいと願っている。

 

 

「ふう」

 

 軽くランニングをしながら、朝の府中の町中を巡る。他のウマ娘もチラホラと見え、普通の人間も同じように走っている。

 

「おはようございまーす」

「おはようございます」

 

 時折、そんな人達と挨拶を交わしながら、景色を楽しんで走る。安田記念が近いけれど、ここで追い込みをかけても仕方がない。なんせ、今は回復期。最高潮の調子で安田記念を迎えないとね。

 

「お、ミスターシービー!安田記念、応援してるよー!がんばってー!」

「ありがとう!頑張るから、応援しにきてねー!」

「おう!レックレスファイア期待してるよー!」

 

 もちろん、朝のランニングの時もファンは居る。こんな風に声を掛けられるのも悪い気はしない。時折気づくと、最近はポスターにウマ娘のものも増えている。私、エース、そしてルドルフにマルゼン。

 名ウマ娘達と言って良いポスターには、例えば、マルゼンスキーと私の安田記念の煽り文句だとか。ルドルフは無敗三冠に!だとか。エースはウマ娘のエースになれるのか!刮目せよ!ジャパンカップ!だとか、様々なものが見て取れた。

 

「いいね、盛り上がってる、かな」

 

 ウマ娘界隈が盛り上がっている事は、非常に好ましいからね。…うーん、ミスターシービーの重圧っていうか、そういうの、やっぱりあるからなぁ。それにさ。

 

「負けたくないからねー」

 

 史実ではルドルフにも負けたしね?いや、個人的なアレなんだけどさ。ミスターシービーのファンなわけだ、私は。だから、なんていうか。

 

「…負けたく、ないからねぇ」

 

 史実を変える。既に変えている。これは、勝者が変わるという責任を喰らうことに他ならない。たださ、それでもさ。

 

「負けないからね」

 

 シンボリルドルフ。初めて当たるのはジャパンカップ。そして有馬記念に続く事だろう。はは、だけどねぇ。負ける気なんて無いのよ。こっちには。

 

「自分の脚で、ぶっちぎる」

 

 少し足に力が入る。口角が上がる。やっぱり、それ以上に。

 

「楽しくて仕方ないね。今!」

 

 ドン!と脚を蹴り出して、一気に制限一杯ぐらいまで速度を上げる。町並みが吹っ飛んでいく。頬を風が撫でる。と、見慣れた背中が見えた。

 

「おはよーエースー!」

「うおっ!おはようシービー!張り切ってんなぁ!」

「まーねー!」

「気を付けて走れよー!」

「もっちろーん!」

 

 追い越しながら、軽く挨拶を投げると、元気の良い声が返ってくる。だけど、今日は追いかけてこないみたいだ。声はあっというまに後ろに消えた。彼女も宝塚に向けて追い込みの次期だからね。きっと、調子を整えているんだろう。

 

「ふふ。みんな本気だ。本気で競い合える。やっぱり、最高だね。ウマ娘って」

 

 赤信号。反動を殺しながら足を止めて、腰に軽く手を当てて息を整える。と、お店の窓に自分の顔が写った。結構走ったせいだろう、汗だくで、髪の毛も張り付いている。でも。

 

「随分楽しそうだね」

 

 口角も上がり、目も笑っている。どこか他人事のようにそれを見る私が居る。さて、じゃあこの後は学園に戻って、シャワーを浴びて、軽く一服しようかな。そのあとは朝ごはんと…。

 



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春のマイルの祭典:オープニングステージ

 安田記念となると、私の知る物は上半期のマイルレースの締めくくりと言った所が大きい。もちろん、このウマ娘の世界であってもそれは変わらないようで。

 

『ミスターシービー!頑張ってえー!』

『無敗記録更新楽しみにしてるぞー!』

 

 お披露目のステージで受ける声援の声もかなり大きく、横断幕やら、またファンなのか旗やら、色々と振られている。それに手を振り返していると、今度は別の声も聞こえてきた。

 

『マイルでやれんのかぁ!ミスターシービー!?』

『プログレス!ミスターシービーなんかに負けるなよ!』

『マルゼンスキー!今度こそミスターシービーから逃げ切れー!』

 

 それは、ブーイングに近い声援。そりゃあそうだ。私は今まで中距離戦線、そして今はマイル戦線。私は急に紛れ込んだウマ娘にすぎない。だけどまぁ、それと同時に心地も良いんだよね。

 

「ふふ」

「あら、楽しそうね、シービーちゃん?」

「や、マルゼン。調子はどう?」

「最高よ。練習中にシービーちゃんが会いに来てくれなかったからちょーっと、寂しかったんだけどね?」

「それはごめん。私も、本気でマイラーに調整してたからさ」

 

 私がそうやって誤魔化して微笑みを浮かべると、マルゼンは仕方ないなぁという感じに口角を上げてくれたていた。

 

「ま、シービーちゃんらしいけど。でも、その本気っぷりは伝わってきたわよ?」

「そう?」

「ええ。バイクも乗ってないし、タバコの頻度も落ちてたもの。それに、いつものシービーちゃんらしくない、その目もね。でも、だからビリビリきちゃってる」

「そっか。じゃあ、今日は楽しみにしててよマルゼン」

 

 そう言って、右手を差し出してみると、マルゼンはその手を握り返していた。しかも、なかなかの強さでだ。

 

「マルゼンも気合入ってるね?」

「そりゃあもちろんよ。貴女ほどのウマ娘がマイルに挑みに来てくれたんですもの」

 

 ぐ、と更に力が籠もるマルゼンの手。負けないように、こちらも力を込め返す。いやぁ、随分と燃え上がってるね。

 

「無敗三冠。そして、世代最強のウマ娘、ミスターシービー。相手にとって不足は無いわ」

「ふふ。そういう君は無冠の最速、マルゼンスキー。私にとっても、同じかな、それは」

 

 ぱ、と握手を解いて、お互いに軽く笑い合う。でも、きっと私の目も笑っていない。ここから先は真剣勝負。白と黒がはっきりと別れる世界。

 

「じゃ、あとはターフの上でね、ミスターシービー。そろそろ、その重たそうな無敗の冠、私が貰っちゃうわね?」

 

 ウインクを飛ばしてくるマルゼンスキー。満面の笑みだ。きっと、自信が有り余っているんだろうね。じゃあ、私は王としてこう返しておこうか。

 

「あはは、冗談キツイなぁ、マルゼンスキー。まだ君に、戴冠式は似合わないさ」

 

 

 マルゼンの背中を送ってから、全員が地下バ道に移る背中を傍目に、私もステージを一度降りる。一度メイク直しがあるからね。

 

「行けるか、シービー」

「うん、大丈夫だよトレーナー。あ、メイク大丈夫?」

「ちょっとまて…少しコンシーラーを…あとリップも付けておくぞ」

「ん」

 

 トレーナーに顔を弄られながら、目をつむる。ここ数ヶ月、マイル戦に向けての鍛錬は本当に体に効いた。筋肉痛にはなるし、息も絶えになることもあったしね。でも、ま。

 

「良し、これでいいだろう」

「ありがと」

 

 トレーナーとの二人三脚で過ごしたわけだから、まず、間違いはないだろう。

 

『さあ、全員のお披露目が終わったところで、今日のオープニングステージ!ミスターシービーのレックレスファイアが上演されます!ぜひ、御覧ください!』

 

 アナウンスの通り、今日はまずはこのままお披露目のステージで一曲を歌う。そして、それから本バ場入場、そしてメインレースの発送だ。

 

「じゃあ、俺は観客席から見てるぞ。頑張れよ、ミスターシービー」

「うん。楽しんでくるね、トレーナー」

 

 ぐりん、と首を回して、気合を入れ直す。そして、出番まで少しの間ぼうっとしていると。

 

「本当に歌うんだ。シービー」

「ん?うん。そのほうが盛り上がるでしょ?」

 

 気づけば、プログレスが近くに立っていた。どうやら、何か言いたいことがあるようで、こちらを鋭い目で見つめている。

 

「でも、貴女が不利になる」

「そうかな?」

「うん。体力を使って、私達とレースをする。無謀」

 

 なるほどね。忠告をしに来たって事かな。確かに常識じゃあそうだろう。私もこのステージ、手を抜く気なんてないからさ。でも、プログレスは1つ勘違いをしているよ。

 

「無謀かなぁ」

「無謀。絶対」

 

 言い切るね。それに、ちょっと怒りも見えている。全力の私と当たれないから?それとも、舐めていると思われているかな?

 

「プログレス。勘違いしているよ」

「何が」

「私は、勝つよ。全員を引っこ抜いて、勝つよ」

「それでも、無謀。勝てない。ミスターシービーは負ける」

 

 ふふ。真っ直ぐな言葉に、思わず笑みが零れてしまった。良いね。こういう言葉を真っ直ぐに言ってくるウマ娘っていうのも。

 

「プログレス。じゃあ、君、私に負けたらどうする?」

「…考えてない」

「でしょう?私も君と同じだよ。負けることなんて考えてない。今日、私はステージを踊り尽くして、それでもなお、勝てるだけの練習を積んできてる。なんていうか、確かに、常識から言うと無謀なんだろうけどさー」

 

 一歩、歩み寄って、プログレスの目を覗き込んだ。

 

「常識なんて、私に通用すると思う?」

 

 互いの息が掛かる距離で、そう自信満々に告げてやる。私はすべて万全だと。お前はどうだ?ハッピープログレス。

 

「…ふ、ふふ」

 

 すると、プログレスの口からは漏れるように笑いが溢れていた。

 

「ふふふ、あはは。そう、そうね。ミスターシービーは、常識なんて無い。忘れてた」

「でしょ?だから、安心してターフを走るといいよ。そして、安心して、全力の私に捲くられると良い、なんてね」

 

 パッと顔を離して、背を向ける。スタッフが私を呼んでいる姿が見えたからだ。そろそろステージに上がらないと発走時間がズレちゃうからね。

 

「…では、満を持して、貴女を迎え撃ちましょう」

「ふふ、楽しみにしてるよ?プログレス」

 

 背中に感じた闘気に、右手を上げてステージへの階段を登る。いつもとは違う、昼間のステージ。太陽が照り、そして、お披露目のパドックの観客席は超満員。そしてカメラも何台も設置されている。どうやら、最近設置されたターフのメインスクリーンでも映されるのだとか。

 

「さて、盛り上がるかな、本当に」

 

 そこだけだ。不安なのは。そして、指定されたステージの真ん中に立ち、深く息を吸った。

 

『さあ、お待ちかね、ミスターシービーのステージです!ここまで無敗、そして初のマイル戦に挑む、彼女の魂の声を聞けー!』

 

 煽るようなスタッフの言葉に、観客席からは大きな声援が飛んだ。いい掴みだね。用意されたマイクをスタンドから抜くと、右手拳を上げて、人差し指を立ててみせた。

 

 

 聞き慣れた音楽がレース場を埋め尽くし、手拍子や歓声も大きく上がる。その中には、のちの未来の名ウマ娘、ナイスネイチャの姿もあった。メインスクリーンに映し出されたミスターシービーの映像を食い入るように見る彼女も、歓声を上げるその一人だ。

 

「うわぁ、やっぱりかっこいい!ミスターシービーさん!」

 

 一緒に来ているであろう親御さんらしき人物を無視して、ナイスネイチャは大興奮でその画面を食い入るように見つめていた。そして、画面の中では、ついに、ミスターシービーの口元にマイクが触れる。

 

『奪え!すべて!この手で!たとえ心傷つけたとしても 目覚めた本能 体を駆け巡る』

 

 おお!と歓声が更に沸いた。中には、同じように口ずさむ者すらいる。サイリウムはまだ無いが、しかし、それでも手を振り、声を張り上げて盛り上がりを見せる観客席。ふと、ナイスネイチャは、何処かで聞いたことのある声を聞いた。首を振って目を凝らせば、シガーグレイドもその中にいることに気がついた。

 

「わ、あの子も来てたんだ」

 

 ミスターシービーの楽曲に乗るように、シガーグレイドもジャンプをしながら声を張り上げている。と、その時、画面から流れる映像に、ナイスネイチャは違和感に気づく。

 

「…あれ?歌詞が」

 

 ミスターシービーが歌うレックレスファイア。その歌詞が飛んだと、ナイスネイチャは思ったのだが、しかし。

 

「ううん、違う…そうじゃない。これは()()()()()なんだ」

 

 BGMの纏まり、そして、ミスターシービーの表情。全く違和感が無いどころか、自信満々に歌う彼女から感じ取れる気迫は、全力で歌い、伝えたいという気迫だけ。

 

『リスクやマイナスならば起爆剤さ 沸き立つ確信の矢を 未来へと解き放つ!』

 

 歌が短くなった分、そのメッセージは強烈に伝わってくるように感じていた。熱さ、そして、その本気さか。

 

『Reckless fire そう大胆に命の術を磨け この世はサバイバル 白か黒か行く道は1つだけ』

 

 鋭い視線が、画面越しに伝わる。ナイスネイチャは、ゾクリとしていた。普段、あんなに親しみやすい人柄なのに、やっぱり、レースとなると全く人が変わる、と。

 

『Reckless fire そう大胆に魂に火をつけろ』

 

 レックレスファイア、と観客も歌う。そして、画面の中で胸を強く叩きながら、大きく歌う。

 

『逃げ場なんてないさ 嘘も矛盾も飲み干す 強さと共に』

 

 汗が舞い散る。そして、笑みを浮かべたミスターシービー。君たちもこっちに来なよ、そう言われているような気がする。

 

『絶やすわけがない この胸の焔火は 揺るぎない本能と意志 貫くように』

 

 大きく上がる歓声。その中に、ナイスネイチャの声も自然と混じっていた。

 

『じゃ、今日もみんなで精一杯走るからさ。ファンのみんな!応援、よろしくね!』

 

 そして、その映像が途切れると同時に。

 

『おまたせ致しました!いよいよ、安田記念、本バ場入場です!』

 

 そのアナウンスに、更に爆発する歓声。

 

『さあ、まずターフに現れたのは1枠1番!赤い勝負服のスーパーカー!リベンジレースは最速の逃げが見れるのか!マルゼンスキー!』

 

 続々とウマ娘たちがウォーミングアップにとターフに舞い降りる。

 

『5番、ハッピープログレス!前走京王杯はミスターシービーに惜しくも破れて2着!しかし、マイルでは今ノリに乗っている一人!今日はその手で幸運を掴み取れるのか!』

 

 ()()()。選ばれしウマ娘たちは、観客に手を振り、観客を見ずに、観客の声援を感じ、各々の調子を整えていく。

 

『そして、18番(おはこ)!やってまいりました、今代最強のウマ娘が、この安田記念に!グレード1、マイル競走に舞い降りました!無敗の三冠ウマ娘!ターフの常識破り!天バの生まれ変わりかとも名高いその名前は!ミスターシービー!』

 

 手を大きく振りながらターフに現れたウマ娘。ライブを終えたはずのミスターシービーであったが、その顔に疲れは見えない。むしろ、その逆だ。2、3、他のウマ娘と会話をしながら、余裕の笑みを零さない。軽く地面を確かめるようにダッシュを掛けてみれば、その地面の芝が見事に抉れ、その脚力の高さを物語っている。

 

『スターターが今、スタート台に立ちました。G1、安田記念、ファンファーレが鳴り響きます!―東京11レース。安田記念。G1。上半期のマイルレース総決算。18人のウマ娘により争われる、芝、1600メートルのG1競走です。今日は10万人近い観客が押し寄せるこの東京レース場。果たして、どのウマ娘がセンターの栄誉に輝くのか!』

 

 いよいよ、選ばれしウマ娘による、マイルの祭典が始まる。

 

 

「いいねー、シービーは。こんな大舞台に立てて。でも、最近の彼女、らしくないんだよなぁ、もっとさ、こう、自由に走ってたほうが彼女らしいのに」

 

 ジャラ、と手に持った()()()()のデザインがなされた鍵を弄びながら、そう呟くウマ娘。少しだけツマラナソウに顔を顰めるが、しかし、思い直したように笑みを浮かべた。

 

「ま、でも、強いやつをばっさりと、って気持ちは良いよね。見てて。うん…そうだなぁ。今年はちょっと遅いけど、来年ぐらいに、そうだねぇ、シンボリルドルフあたりに向けて、ちょーっとだけ本気を出して見ようかな」



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安田記念

 駆け抜けろ、駆け抜けろ。府中のこのターフを。

 駆け抜けろ、駆け抜けろ。己の脚を信じて。

 駆け抜けろ、駆け抜けろ。誰よりも、己が一番速いと、そう叫びながら。


 スターティングゲートに収まると、不思議と落ち着く。ライブでの興奮冷めやらぬまま、と言いたいところだけど、私の心は今凪いでいる。

 

「いいかもね」

 

 大外枠に収まりながら、横を見る。全員が全員、気合十分といった面持ち、お、マルゼンなんかは首を左右の揺らしてるね。軽くほぐしている感じ。

 

「さ、今日はどうしようか」

 

 トレーナーからは前目に付けて行くのが良い。と一言だけ言われている。でも、同時に、好きに行けよ。とも言われている。ふふ、信頼されている感じがして、悪くないかもね。

 

「自由にやれるってのはいいけど」

 

 さ、でもどうしようか。そうだなぁ。気持ちいいのはきっと先頭だろう。一番でターフをかける感覚は何事よりも気持ち良い。

 

「でも、集団もいい」

 

 ウマ娘の呼吸を感じながら、ラインの駆け引きを行っていく。行くのか?それとも、行かないのか。内に外に、ライン取りの駆け引きなんかも堪らないね。

 

「ふふ」

 

 でもでも、後ろからいくのもいい。全員が、気持ちよく走っていくその背中を追いかけて。そして、4コーナー手前ぐらいから一気に、大外をぶん回していく。

 

「ふふふ、あはは」

 

 笑いが止まらないね。どういっても、きっと楽しいから。と、その時、全員のゲートインが終わった。いよいよ、スタートの瞬間だ、と。頭の片隅に、エンジン音が響き渡る。

 

「…ふふ」

 

 今日のバイクのイメージは、いつものCBRじゃあない。CBR、あのレース用エンジンは、高回転に上がるまでにラグが有る。今日、この日のために私が鍛えた脚は、トップスピードというよりは、トルク重視、加速重視のパワー重視。

 

 ズォン。と重く、しかしパワーがある音が、頭に響き渡る。いいね。

 

「あはは」

 

 ぐっと、体を鎮めて、左の足をずーっと後ろに引く。上半身は少し前傾に、そして、今までとは違って、腕はだらんと。少しだけ、左の手を前に出しておく。

 

『なんだあの体勢、ミスターシービー、どうしたんだ?』

 

 観客席から聞こえた声に、にやりと口角が上がる。他のウマ娘がしっかりと顔の前に手を持っていく中で、私だけだろう、きっと、こんな変な構えは。でも、今日はこれでいいんだ、これで。今日は、スタートは気にしないからね。ただ、その代わりに力を最後まで残しておく。

 

 ズォン、ズォン。重い、しかし、なめらかな音を響かせて、いよいよ、その時が来る。

 

 

『ゲートが開きました!安田記念スタートです!さあ、いいスタートだマルゼンスキー!一気に先頭を取っていく!続くのは…』

 

 シンボリルドルフは、来賓席でその様子を伺っていた。大方の予想通り、マルゼンスキーが先頭を行く。対して、今日の注目のウマ娘であるハッピープログレス、アサカシルバー、そしてミスターシービー、シンボリヨークあたりは、後ろからのレースのようだ。

 

『さあそして注目の一番人気、ミスターシービーは最後方からのレースと成っております。マルゼンスキー飛ばしていく、あっという間に後方との差が5バ身ほど。1600メートルの旅路、スロットルは全開だ!そのすぐ後ろにシャダイソフィアが…』

 

 実況を聞きながらも、シンボリルドルフの眉間にはシワが寄り、そして、耳は絞られている。

 

「さあ、どうする。ミスターシービー」

 

 マイルレースは短い、1分少々の旅路だ。悠然と後方を行くミスターシービーの姿に、シンボリルドルフはどことなく苛立ちを覚えているようだ。

 

「お前ならば、マルゼンスキーと共に全力で駆け抜けられるだろうに。何を悠長に」

 

 ぎり、と拳が握られる。と、その時だ。

 

「ま、落ち着きなさい。ルドルフ。焦り過ぎだよ。まだ始まったばかりでしょう?」

 

 隣でルドルフの様子を伺っていたトレーナーが、そう言いながら温かい紅茶を差し出していた。

 

「…すまない。トレーナー。一人で盛り上がってしまっていたようだ」

「あはは。仕方ないよ、ルドルフ。君の気持ちも判るさ。あの無敗を、自分の手で倒したい。そうでしょ?」

「ああ。無論だ。こんなところで負けて良いはずがない。…本来なら、オープニングステージなんていうもの、取り下げて欲しかった」

 

 紅茶を煽り、苛立ちを隠さずにルドルフはそう告げていた。トレーナーは1つため息を吐くと、ターフに視線を戻していた。

 

「ま、そこはさ。彼女がミスターシービーってことで、諦めるしか無いんじゃないの?あの自由奔放さが、彼女の強みだし。そんな彼女に、勝ちたいんでしょ?」

「無論、無論だよ。トレーナー。そう、そうだ。彼女は本当の意味で自由。外野が、口を出せるものじゃない」

 

 苛立ちを隠さず、しかし、冷静にレースを眺めるルドルフ。負けるかもしれない、ミスターシービーが、と考える彼女の頭と、いや、負けないな。という彼女の直感がせめぎ合う。

 

『さあ3コーナーに緩やかに入っていくウマ娘たち、未だに先頭はマルゼンスキー。後方のウマ娘に未だ動きはありません!』

 

 じり、じりと後方で位置取りを変えていくミスターシービーの姿。それに反応してか、ハッピープログレスもにじりと、ラインを変えていく。と、その時だ。ルドルフの耳に、確かに、一つの音が聞こえてきていた。

 

『第四コーナーをカーブ、直線に向かいます!各ウマ娘が一気に動いてまいりました!後方から外をついて来たぞミスターシービー、そしてハッピープログレス!一気に駆け上がるか!』

 

 絞っていた耳が、ピンと立つ。そして、鼻から息を吐くと。

 

「こんなところで、負けてくれるなよ。君に土を着けるのは、私なのだからな」

 

 ルドルフは、どこか確信めいた、余裕のある笑みを浮かべていた。

 

 

―違う

 

 マルゼンスキーは思わず後ろを見た。そこにいたのはハッピープログレスとミスターシービーの2人。2人共トップギアなのだろうか、いや、違う。一人、違うのが居る。

 

―さあ、やろうか

 

 ミスターシービーのイメージが、一瞬切り替わる。それは、マルゼンスキーが一瞬、自らをスーパーカーと重ねたときのように。

 

―あの時と、同じ…!?

 

 有マ記念の時も、同じようにイメージを浮かべた。あれは、見たことのないバイク。流線型のカウルに包まれ、甲高いエキゾーストノーズを高らかに謳っていた、あのバイク。

 

 しかし。

 

―違う、今日は、違う!?

 

 今日のイメージは違った。漆黒の、丸目一灯。どでかいフィンが目立つエンジンを腹に抱え、両方にマフラーを出して、野太いエキゾーストノーズと、エンジンのメカノイズを響かせながら。それをまるで手足のように扱い、追いすがるミスターシービーの姿が浮かぶ。ああ、そうか。CBRは最高速重視。しかし、このマイルは短距離加速重視!体を、作り替えてきたのかと、マルゼンスキーは口角が上がる。

 

―…冗談!

 

 ハッピープログレスは、ズドンとミスターシービーの足元が爆ぜた瞬間を見た。そして、漆黒の鉄が、自身の脇を追い抜く姿を幻視した。ああ、これが、これがミスターシービーの本気かと!何が、体力が無い、だ。何が無理、だ。無理なんて言葉、やっぱりミスターシービーに通用しなかった!ハッピープログレスは頭の中で愚痴る。そして、自身も更に、最後の力を振り絞るように、地面を蹴り上げる。

 

―まだ、まだぁ!

 

 スーパーカーとロードスポーツ、2台の後ろをぴったりと、離れないように全力で付いていく。だが。

 

―なっ!?

 

 ハッピープログレスの目が見開かれた。2人のギアが、明らかに上がったからだ。どんどんど離れる2人の背中。まだ、底があった。とんでもない、とんでもない!悔しい、悔しい、悔しい!けれど、けれど、けれどぉ!

 

―楽しい、楽しいね!最高に!

 

 負けることは判った。でも、だから諦める理由にはならない。ああ、まだ脚は動くんだ!少しでも、少しでも前に、前に!

 

―勝負、マルゼンスキー!

 

 そして、ミスターシービーは全てを出し切るように、ターフを抉っていく。逃げ、最高速を叩き出すマルゼンスキーに対して、野太いトルクで追いすがる。頭を低く、腕を振り、脚を掻き上げ、地面を這うように、そして、肺から吸う酸素は、全て脚に!

 

―まだ、まだよ!

 

 対するマルゼンスキーは既にトップスピード。だが、その先を更に絞り出す。レッドゾーンなんてとうに回っている。その先、その先に。その先にきっと、勝機がある。口から自然と雄叫びが漏れる。1600メートルが、酷く遠く感じる。先頭の景色のはずなのに、視線が灰色に成っていく。

 

『マルゼンスキー!走れええええええええええ!』

 

 長年連れ添ったトレーナーの声。聞き間違えない。ぐっと前を向き直して、ゴールを睨む。あと300メートル。坂は登りきった!後は、逃げ切る、全力で!

 

『シービー!負けるなぁ!頑張れぇ!』

『ミスターシービー!!!』

 

 聞き慣れた声と、聞き慣れない声。ああ、きっと、ナイスネイチャか、そして、トレーナーだ。ここにきてミスターシービーの頭は、ひとつ冷静になっていた。届くか、届かないか。時間がゆっくりと進む。200メートルの標識がすっ飛んでいく。

 

―あと1バ身。これが、なかなか!流石だなぁ、マルゼン!

 

 悪態を付きながら、その背中を臨む。体力はまだ十分、肺もまだまだ大丈夫。まだ、行ける、行ける。行けると心の中で唱えながら、地面を蹴り上げる。あとはエンジンの勝負。全力で、どちらが最後まで持つか、伸びるか。それだけの勝負。視界がどんどん狭まっていく。観客席も、ラチも見えなくなっていく。

 

 そして、全てが風の向こう側に消えそうに成った時。

 

『………ォオオオオオオオオオル!』

 

 バタリ。バタリ、バタリ。3つの影が、ターフに倒れ込んだ。大きく巻き上がる歓声。どうやら決着がついたらしい。

 

『安田記念を』

 

 倒れ込んだ3つの影が、上半身を無理やり起こしていた。マルゼンスキーも、ミスターシービーも、そしてハッピープログレスも、汗だくで、息も絶え絶えだ。そして、次々にゴールしてくるウマ娘たちも、汗だくで、そして息を上げている。全員が全員、全力を出して走った証拠だ。

 

『上半期のマイルレースを』

 

 さあ、誰だ。誰が、このマイルの王に成ったのか。マイルレースで調子を上げてきたハッピープログレスか、それとも、マイル最強と名高いマルゼンスキーか、それとも、無敗を引っ提げてマイルに殴り込んできたミスターシービーか。この3人の内の誰かで有ることは、全員が判っている。

 

『制したのは!』

 

 しかし、その差は僅か。ターフで走っていたウマ娘たちも、見ていた観客たちも、全員の目が掲示板に釘付けだ。そして、少しの間の後。

 

『マイルの王に輝いたのは!やはり、ここでも、このマイルでも強かった!』

 

 確定の文字が踊り、観客たちが爆発する。その掲示板のテッペンに輝いた星の名は。

 

『18番!ミスターシービー!クビ差でマルゼンスキーを下して、無敗記録を伸ばし!そして、名実ともに最強となりました、ミスターシービー!2着はマルゼンスキー!そして3着は半バ身まで2人を追い詰めたハッピープログレス!タイムは1分35秒9!』

 

 17人。同じくターフを走っていたウマ娘たちの視線がミスターシービーに集まった。悔しい、おめでとう。さすが。次は負けない。色々な感情を湛えながら。そして、当のミスターシービーはと言えば。

 

「しゃああああ!」

 

 らしくない。ミスターシービーは両手に拳を作りながら、そんな雄叫びを上げていた。



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無敗のウマ娘

 安田記念のライブは本能スピード。速度感溢れる楽曲をマルゼンと、そしてハッピープログレスで歌い上げたステージはまぁ、それはそれは盛り上りを見せた。

 

「速かった。また、走りたい」

「そうでしょ?ま、来年も走るから。よろしく」

 

 ハッピープログレスとそんな会話をするぐらいには、お互いに満足感を得たレースだったことは間違いない。ただまぁ、最後の加速をかけた時に、頭の中のイメージに私の相棒が出てきた時は我ながらなかなかだと思ってしまう。

 

「ま、空冷4気筒、リッター超えの車体ならね」

 

 どんな加速にも負けはしないだろう。そう言って、自分を納得させる。実際は蹄鉄の調整、そして、普段の鍛錬が花開いたというだけの話だ。トレーナーと、メーカーの人達の努力の賜物。私はといえば、それに従って全力で駆け抜けただけ。

 

「ふふ。感謝だね、感謝」

 

 周りが優秀だと、本当に楽に感じる。そりゃあ練習はキッツイけれどね。それに加えて身体のポテンシャルも。ミスターシービー。実に、恵まれている。

 

「…うーん。とは言えだなぁ」

 

 今年で3年目のトゥインクルシリーズ。これからどうなることやらと、ちょっとだけ不安になる。もしかしたら、3年目の有マを超えたら、世界を超えて戻るのかもね、なーんてね?

 

「いやぁ、後ろの思考しか出来ないや。これ、私、疲れてるなぁ」

 

 ストイックに身体を改造していたせいだろうか。夜の闇のせいだろうか。悪い考えが浮かんでしまう。ああ、こういう時は一服をかまそう。

 

 

 シンとした東京競馬場…いや、東京レース場を一瞥してから、喫煙所へと向かう。途中、ステージを解体する職員やスタッフ、そしてトレーナーやウマ娘なんかとも顔を合わせながら、そして、軽く会話を行いながら。

 

「あら、シービーちゃん」

「や、マルゼン」

 

 その途中でマルゼンと出会う。どこか、スッキリとした顔を浮かべた彼女。その顔を見て私は。

 

「…マルゼン、もしかして」

「ふふ」

 

 言葉にはしない。けれど、その顔にありありと浮かぶのは、満足という感情か。それとも、諦めという感情か。それは、つまり。

 

「限界かしらね」

 

 腰に手を当てて、そう、気持ち良いくらい言い切ったマルゼン。ああ、そうだろうな。1600。タイムを見るとレコードではない。ならば、本来の、全盛期のマルゼンならばそれを超えて来たことだろう。だが、そうはならなかった。

 

「そっか。残念」

 

 野暮なことは言わない事にする。きっと、彼女なりに長く考え、出した答えなのだろう。でも、それでも、競い合えたのだから。まだトゥインクルシリーズで走り続けて欲しいという気持ちはある。でも。

 

「私は一足先にドリームに行くわね。ただ、その前に」

 

 私は彼女の決断を、歓迎しよう。

 

「今年のジャパンカップ。最後に、勝負をお願いしても?」

「もちろん。待ってるよ。ルドルフごと叩き切ってあげる」

「それは楽しみね。じゃ、シービーちゃん。また学園で」

「うん。またね、マルゼン」

 

 軽く手をひらひらと捺せながら、マルゼンは出口へと向かう。それを見送りながら、少しだけため息を吐いた。

 

「…さ、気を取り直して」

 

 一服をやりにいこう。ああ、そういえば、トレーナーもそろそろ手続き関係が終わるはず。喫煙所に来ないかな?

 

 

 薄暗くなっている喫煙所の扉を明けて中に入ると、照明がゆっくりと明るくなる。どうやら、私が唯一の喫煙者のようだ。

 

「…えーと」

 

 とりあえずトレーナーに「喫煙所にいる」とだけメッセージを送っておく。さて、これで憂いなし、と。持ち歩きようのメッセンジャーバッグから、三女神様があしらわれたパイプ、そしてジャグを取り出して、早速、パイプに葉を詰める。ここ最近はずっと飛烏だ。

 

「シンプルで好きなんだよねー」

 

 詰め方は3回に分けて、しっかりと押さえる。そして、ライターで表面を一度炙ってやると葉っぱが盛り上がる。それを、火が消えないように息をゆるりと入れながら、コンパニオンで軽く表面を押さえてやる。

 

「よし」

 

 いい感じに火が着いた。温度が上がりすぎないように、左の手でパイプを包み、パイプの穴を親指で軽く押さえながら、呼吸をするように煙を吸い込む。

 

「…うん、温くていいね」

 

 ここで左手で持てないほど熱くなっては、それは吸いすぎの証拠。温度を下げるように少し呼吸を抑えてやらないと、辛い煙が口に入ってきてしまう。そうなると勿体ないし、パイプもダメージを受けてしまう。それはちょっと、タバコの楽しみ方としては好ましくない。と、私は想っている。

 

「ここにいたか。ミスターシービー」

 

 煙を吐いていると、ドアが開いた。そして、聞き慣れた心地よい声が、耳に届く。ルドルフだ。

 

「や、ルドルフ。煙臭いよ?ここ」

「構わないさ。君と少し話がしたくてね」

「そっか。あ、でも、少し待って。消しちゃうから」

「いや、私が勝手に来たんだ。そのままでいいよ」

 

 そっか。ま、そういうことならと、パイプを再び加えて、息をゆっくりと吸う。うーん、ウマ娘の嗅覚は凄まじく敏感だ。本来、タバコの香りは苦手なはずなんだけどね。

 

「それに、私としてはタバコの香りは君の香りだ。心地よさすらを感じるさ」

「ルドルフ。その台詞はさ。言ってて歯が浮かない?」

「いいや?」

 

 相変わらずイケメンだなぁ。そしてしれっと隣に立つあたりも、やっぱりイケメン。いや、本当に煙たいし、ひどい匂いなんだけど。ルドルフの服にも匂いが移る気もするんだけどね?

 

「それに、ここ最近、君からタバコの匂いが消えていたからな。ようやく、戻ってきたかと少し安心もしているんだ」

「あー」

 

 そりゃあね。短距離に向けて身体を仕上げていたから、なかなか吸う機会なかったからね。ま、ただ、ここからはジャパンカップに向けての半年が有る。確かに、少しは余裕が出来たかな。

 

「ま、身体を作り替えていたからね。ただ、ここからは夏合宿もあるし、少し余裕があるからさ」

「そうか。と、いうことは、やはり。私と当たる時は無敗のまま、ということだな?」

「うん。それは安心してくれていいよ」

 

 パイプを口から離して、ふっと息を吐く。そして、パイプを灰皿に置いた。少し、熱くなりすぎているからね。

 

「しかし、シービー。秋となると天皇賞も控えているが。それは走らないのか?」

「あー…そっちはエースが走るから」

「カツラギエースか?ならば、余計に走るのが今までも君じゃないのか?」

 

 あー、そう思うよね?カツラギエースが出るならミスターシービーも。ミスターシービーが走るなら、カツラギエースも。

 

「今はお互いに充電期間だからね」

「充電期間?」

「そ。距離を置いて、お互いに道を行って、そして、感情が一番高まった時にぶつかり合う。君と同じだよ、ルドルフ」

 

 本来ならば私は秋も走る。でも、それじゃあ詰まらない。感情を溜めて溜めて、最高の時にぶつかり合うことが、一つの望み。

 

「だから、ルドルフ。君もしっかりと、無敗の三冠ウマ娘としてジャパンカップを走ってね?」

「当然だとも」

 

 ピリ、と空気が張った。そして、ルドルフの口角がぐいぃと上がる。

 

「君の背中を必ずや追い抜いて見せよう」

「わあ、怖い怖い」

 

 肩をすくめて、もう一度パイプを咥えた。うん、いい感じに冷えていて良い感じになっている。軽く啜れば、甘い香りが口内を満たす。と、不意にウマホを見たルドルフの顔が、素面に戻った。

 

「では、そろそろ失礼するよ。門限が近いのでね」

 

 どうやら時間のようだ。ルドルフは肩をすくめて、踵を返した。

 

「あ、そっか。ルドルフは寮だもんねぇ。堅苦しくない?」

「存外と悪くないぞ?どうだ、君も寮に入っては」

「遠慮しとく。自由じゃないし」

「言うと思った。まぁ、部屋は何時でも準備している。気が向いたら声をかけてくれ。では、また学園で」

「また学園でねー」

 

 パタン、と喫煙所の扉が閉じる。再び、静寂が戻ってきた。私の場合は門限はないし、しばらく、パイプを蒸しながらトレーナーを待とうじゃあないか。



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夏の予定は

「お疲れ、シービー。今日も良い走りだった」

「ふふ、そっか。ありがとね、トレーナー。はい、マックスコーヒーとパイプ。今日は飛烏だよ」

「お、気が利くな」

 

 手続きが長引いたせいだろうか。喫煙所にやってきたトレーナーは、少しだけ疲れを顔に浮かばせていた。甘いコーヒーを手渡せば、助かるといった具合に笑顔を浮かべてくれていた。プルタブを上げて、トレーナーは早速とそれを口につけた。

 

「ああ、ほっとする」

「はい、火」

「お、サンキュー」

 

 トレーナーが咥えたパイプ。マッチをさっと擦って、火を付けてあげる。火口が少しづつ赤くなり、香りが漂い始めた。

 

「はい、ダンパー」

「ん」

 

 コンパニオンのダンパーを出して、トレーナーに手渡してあげた。ジャグの押さえの強さは個人個人で違うから、此処から先はセルフでどうぞ。そうやって、パイプを愉しむトレーナーを横目に、私もパイプを軽く啜る。うん、熱くなりすぎたパイプも、温度が下がって美味しくなった。

 

「ああ、旨いな」

 

 どうやらトレーナーのパイプも良い温度になったようだ。パイプの火口から紫煙が立ち上り始め、飛烏の香りが漂う。シンプルでタバコの葉だけの香り。バニラとかのフレーバーもいいけれど、やっぱり、このぐらいのやつが好きだ。

 

「さてと、シービー」

 

 すると、トレーナーは佇まいを直してから、私に向き合った。さて、なんだろうか?

 

「これから先はどうしたい?」

 

 これから先と来たかぁ。そうだねぇ。

 

「ま、前と変わりはないかな。ジャパンカップを目指して、そのまま有マ記念、来年は…まぁ、安田記念あたりかな?」

「そうか。じゃあ、明日からはまた中距離向けの練習を組んでいくが、良いな?」

「もちろん。ああ、ただ」

 

 パイプを一旦置いて、こちらもトレーナーに向き合う。

 

「ちょっとやりたいことがあってね」

「やりたいこと?」

「うん。夏の合宿っていうか、その時間を使って始めたいことがあるんだ」

「ほう?」

 

 トレーナーの眉が動き、煙の動きが止まる。

 

「ギターを習いたいなって思ってて」

「ギター?なんでまた」

 

 聞き返してきたトレーナーに合わせて、頷いた。

 

「うーんとね。根付さんってギターすごかったじゃない?」

「ああ、彼の演奏、彼のバンドは凄かったな。なかなか居ないぞ」

「うん。私もそう思うんだ。で、私もあんなふうにギター弾いてみたいなぁって」

 

 それに、貰った楽譜を弾き語りたいっていう個人的な願望もあるしね。ただ、これを実現するには時間的に制約がある。もちろん、趣味じゃなくて、ステージで弾き語りをしたい。となれば、あと1年以内には練習を重ねなければならない事は、明白だ。

 

「…つまりそれは、ウイニングライブで、ってことか?」

「うん。そうだなぁ。有マ記念とかで弾ければいいんだけど、ま、半年しかないから難しいと思うけどね」

 

 多少なりは経験はある。男であったとき、ギターに憧れがあって、安いギターでコードぐらいは弾いたものだ。ただ、それから相当時間が経っているし、本格的に先生を付けたとしても、人に見せるには時間が掛かることだろう。

 

「ウイニングライブで、弾き語りか。それは、面白いかもな」

「でしょ?今まで、そういうウマ娘居なかったし。あ、もちろん、しっかりとパフォーマンスをやったあとで、アンコールとかでね」

「うん、悪くはないな、それ。理事長に俺から伝えてみるよ」

 

 トレーナーの頬が緩んだ。どうやら、面白い提案だったらしい。となれば、きっと。

 

「じゃあ、それを含めて中距離向けの練習をしながら、ライブパフォーマンスの練習をしつつ、ギターも練習する、というイメージだな」

「うん。どうだろう。トレーナー的には行けそう?」

 

 そう言って、トレーナーの顔を覗き込む。そこにあったのは、口角を上げて目を細めているトレーナーの顔だった。

 

「ん?ああ、今のお前ならきっと出来ると信じているさ。それに、体調はこちらで管理して見せる。シービー、お前は自由にやればいい」

「そりゃあ心強い。頼んだよ、トレーナー」

 

 パイプを再び咥えて、紫煙を愉しむ。さてさて、明日からまた、忙しい日が続きそうだ。

 

「あ、そうだ、トレーナー」

「ん?」

「今年の夏合宿なんだけどさ。ちょっと、いくつかやってみたいことがあるんだけど」

「ほう、聴かせてくれ」

 

 そうそう、忘れてた。せっかくルドルフも来るし、エースもいる、それにきっとマルゼンだって合宿に来ることだろう。名ウマ娘が集まる合宿。きっと、盛り上がりを見せるはずだ。ならば。

 

「簡易ステージをやってみたいんだ」

「簡易ステージ?」

「うん。きっと今年は、無敗の私と、無敗のルドルフがいる。それだけで盛り上がることだろうと思うんだ」

「そりゃあなぁ」

 

 きっと、取材や、それ以外のファンも多くが詰めかけるであろう。ならば、それに対して。

 

「感謝のライブを開きたいなって思ってさ。あ、ただ、まだ誰にも言ってないから絵空事なんだけど」

 

 どうだろうか?首を傾げてトレーナーの返答を待つ。パイプを一息吸い、そして少しだけ考えを巡らせたトレーナーはにかりと笑顔を見せた。

 

「絵空事結構じゃないか。俺は面白いと思うぞ。本気なら、それも理事長に伝えておく」

「うん。お願い。ルドルフ達には私から誘いを入れてみる」

 

 頷き合って、紫煙を吹かす。うん、よし、これは本格的に忙しい日々になりそうだな。

 



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季節の合間に

 練習をして、煙草を嗜んで、日々の鍛錬を続ける中で、季節は移ろい続けるものだなぁと感じていた。気がつけば春からいよいよ夏に、まぁ、強いて言えば梅雨時という奴だ。

 

「こういう空も嫌いじゃないけどね」

 

 学園の屋上から見る空も、じめりとした纏わりつく空気とともに、どんよりと雲が覆っている。

 

「よぉ、シービー。見てくれたか?アタシの宝塚」

 

 憂鬱な天気を楽しみながら、喫煙所でベンチに腰掛けて煙管を吹かしていると不意に扉が開き、見慣れたウマ娘の声が耳に飛び込んできていた。カツラギエース、そのウマ娘だ。私の高松宮の後、彼女は見事に宝塚を獲ってみせた。シニアになってからはミスターシービーだけじゃなく、カツラギエースも強いなぁんて言われ始めている。実に鼻が高い。

 

「もちろん。さすがエースだ。これで、シニア級中距離最強のウマ娘の称号はキミのモノだね」

「まぁな!」

 

 ドカ、と音を立てながら、私の横に座るエース。いやキミ、ここは煙草臭くて普通のウマ娘は近寄らないんだけど、大丈夫なのかな?

 

「ただまぁ、最強最速のウマ娘があたしじゃねーのが気に入らないけどな」

「そりゃあ贅沢な話だよ。ルドルフもいるし、マルゼンだっているんだからさ」

「違いないな。だけど」

 

 煙を吐きながらそう言葉に出してみると、ずい、とエースがこちらの顔を覗き込む。

 

「そんな会長さんとかマルゼンスキーを差し置いて、一番の頂、日本のてっぺんに立っている奴があたしの目の前にいるだろ?」

「へぇ、エースの目の前にはそんなすごい奴がいるんだ。まったくもって心当たりがないや」

 

 目を逸しながら、口角を上げてみせた。ついでに、肩もすくませておく。

 

「ふふ」

「あはは」

 

 自然と、お互いに笑い声が溢れてしまう。うん、こういうの、結構好きだな。

 

「今まで負け知らずだもんなぁお前」

「幸いにね。ま、でも、冷静に見ればある程度は順当なんだ」

「そうかぁ?」

 

 首を傾げたエース。

 

「後付論だけどさ」

 

 ワンクッションを置いて語ってみよう。

 

「幸い私は年齢が上じゃない?だから、経験豊富だったんだ。だから、クラシックは勝てたと思う」

「ああー。そういえばそうだったなぁ」

「でしょ?コレも合法的にやれてるし」

 

 煙草を指さしながら、笑みを作る。それにトレーナーとの酒もなかなかの旨さだ。ま、もちろん学園じゃ呑めないけどね。

 

「それと、ジャパンカップは幸いに日本を舐めていた外国勢っていう図式があったから、やり切れたところもあるよ。マルゼンがハイペースでスタミナ削ってたし」

 

 思えばあのペースは異常だろう。いきなりの慣れない場所でハイペースに連れて行かれた外国勢の驚きたるや。だからこそ、付け込めたといってもいいだろう。

 

「でも、有マ記念は?」

「それこそ。言葉はきつくなるけれどさ、あの中では私が一番だったってだけだ。マルゼンなんかも実際、そろそろドリームじゃないの?なんて言われるぐらいタイムが落ちていたしね。運が良かったんだ。私はね」

「…うーん」

 

 解りたくないけれど、解る。そんな雰囲気を醸し出すエース。ま、そこへんは肌感もあるだろうね。ただ、今年に入ってからは正直全く予想がついていない。マルゼンも再びタイムを上げてきた。ルドルフも実力を付けてきた。今年のジャパンカップはきっと、海外勢は油断なしで来るだろう。

 

「でも、エースは怖いね。なんせさー、練習のタイムが私と同じぐらいじゃん」

「頑張ってるからなー!年末お前に勝つために走ってるからよ」

「そりゃあ頼もしい。ついでにルドルフも下してくれると助かるんだけど」

「うーん…それはちょっとまだ荷が重そうだなあ」

「今のままタイムが伸びれば、きっと、私とルドルフを抜いてもお釣りが来ると思うよ?」

 

 …などと分析してしまうのは、男のときにバイクのレーサーだったからだろうか。正直、事前のレース結果、練習状況、タイム、車体の状況で、大体の結果は判ってしまうのが正直なところだ。だからこそ、入選したり優勝した時にはもうお祭り騒ぎってもんだしな。

 

「なぁ、シービー」

「ん?なぁに、エース」

「なんか弱気になってねーか?」

 

 む、そう見えたか。首を強く振って、はっきりと否定しておこう。

 

「そんなことはないよ。むしろ、強いウマ娘とレースが出来るんだし、楽しみ」

「そっかそっか」

「弱気な方が嬉しいのかな?」

「んなわけねぇじゃん。シービーとは全力でレースしたいからなぁ!」

「同感。ふふふ」

「あははは」

 

 ひとしきり笑って、再び煙管を咥えたところでエースがこちらに視線を向け直した。なんだろう?

 

「それ、あたしにもくれないか?」

 

 煙管を指さしながら、そんな事を言い始めた。はは、面白いことを言うね。でも、当然。

 

「それは無理だね」

 

 肩をすくめながら首を横に振る。これは私の特権だ。それに、煙草は健康に悪い。キミみたいにちゃんとしたウマ娘には吸わせるわけにはいかないさ。

 

「ケチ」

 

 唇を窄めて、不機嫌そうなエース。ちょっと微笑ましいね。

 

「何とでも言うといいよ。ま、エースが大人になったら考えたげる」

 

 煙を吐きながら、肩をもう一度竦めた。ほら見たことか。この煙の香りだけでもキミは眉間に皺が寄っているじゃないか。まだまだこれは、キミには早いよ。エース。

 

「…っと、そろそろ練習だ。またな、シービー」

「ん、またねー」

 

 

 再び、鈍色を眺めながら煙管を付加していると、入れ替わるように喫煙所の扉が開いた。現れたのは我がトレーナーだ。夏合宿の打ち合わせなんかをしていたらしいけれど、一段落したのだろうか?

 

「休憩だよ。少し用意する書類が多くてな」

 

 疲れた顔をくしゃりとさせて笑うトレーナー。十中八九私の我儘によるものだろう。ライブを合宿先で行うなんて前代未聞だろうしね。

 

「おや?」

 

 クン、と鼻に慣れない香りが刺さった。はて。

 

「トレーナー、なんか変わった煙草持ってない?」 

 

 私がそう言うと、トレーナーは少しだけ目を見開き、懐に手を伸ばしていた。

 

「判るのか?」

「香りがね。見せて見せて」

 

 トレーナーの懐から出されたのはハードケースだ。水色で、なにやら羽のようなロゴが書いてあるな。あんまり見ない銘柄だ。

 

「えーと…ご…がうろ…?」

「ゴロワーズ・カポラル」

 

 ゴロワーズ。名前は聞いたことがあるぞ。たしかどっかのアニメとか映画のキャラも吸ってたような。なるほどね、これが実物か。

 

「どこの煙草?」

「フランスの煙草だ。他の学園の関係者から土産にもらってな。一本やるか?」

「へぇ。どれどれ」

 

 クイ、と一本箱から出された煙草を受け取って、しげしげと観察する。

 

「はー、日本の煙草に比べると黒い葉が多いね。で、両切りかぁ」

 

 感じとしては缶ピースのような感じだろうか。

 

「ほい、マッチ」

「マッチ?」

「こいつはマッチで着けるのが通らしい。その人いわく、だけどな」

 

 そういうもんなのか。なら、その作法に合わせてみよう。軽く叩いて葉っぱを寄せて、と。

 

「…ぐへ、あんまり好きじゃないかも」

 

 紙巻き、そして慣れない煙草。どうやら体は受け付けないらしい。おもわず咳き込んでしまった。

 

「はは、そうか」

 

 私の姿を見ながら、トレーナーも早速と火を付けて、紫煙を燻らせた。…少し眉間にしわが寄ったあたり、私と同じ感想であるらしい。

 

「しっかし、これをお土産だなんて。物好きだね」

「まぁ、フランスと日本を行き来している人だからな」

「そりゃまた凄い人だね。ちなみにその人の名前は?」

 

 口から煙草を離して、煙管の皿にゴロワーズを差す。これで少しはマイルドになるだろう。

 

「佐岳っていう人だ。学園長との馴染みの仲らしい」

「へぇ。学園長ね。というか、その佐岳って人はトレーナーではないんだ?」

 

 軽く吸口から息を吸う。…んー、あんまり変わらないな。多少、キツさはなくなったけど、独特の香りはそのままだ。

 

「ああ。ま、そのうち発表になるだろうが…」

 

 トレーナーは煙草を灰皿に置いてしまった。どうやら、完全に口に合っていないらしい。ならばと、予備の煙管を渡して吸うように促す。私と同じように皿にゴロワーズを差し、再び口をつけたトレーナーの眉間には、皺は寄らなかった。

 

「フランスで一旗揚げようっていう、ロマン溢れる人さ」

「フランス」

 

 フランスか。フランスね。フランスで一旗揚げようってなると…。まぁ、十中八九アレだろうなぁ。

 

「それは、かなりのロマンチストだね」

「だろう?というか、最後のひと押しはお前だ。ジャパンカップの走りを見て決心したらしいぞ」

「そりゃまたなんで?」

 

 ゴロワーズを蒸しながら、トレーナーに問いかける。うーん、なかなか、この味には慣れなさそうだな。

 

「海外にも日本のウマ娘は通用すると証明してみせただろう?だからこそだ」

「へぇ。そりゃあ面白い。トレーナー。その話、進展あったら教えてくれない?」

「もちろんさ」

 

 フランス。ウマ娘。ロマン。ということは、パリの星。凱旋門に他ならないだろう。ま、流石に私は走る気はないけどね。ただ、そうだな。

 

「英雄はきっと生まれる。なら、その背を押すことぐらいはしてもいいでしょ」

「何か言ったか?」

「ん?いや、やっぱりこの煙草は口に合わないなって思っただけ」

 

 ミスターシービーではないミスターシービー。それが私。ならば、挑む者がいるならばぜひ、その一助ぐらいになったとしても、バチは当たらないだろう。



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一つのターニングポイント

 バイクから降りてグローブとヘルメットを脱ぐ。ぐーっと背伸びをして、凝り固まった肩と首を解すと、ぽきぽき、ごりごり、ぴりぴりと、体の中から色々な音がする。

 

 少し遠くには、ライトアップされたスカイツリーが見える。

 薄雲に覆われた星空が、街の光とひと繋がりになって、思わずため息が出る。

 そして、壁を挟んだすぐそちら側では、100キロ近い速度で車が道路を切り裂いていく。

 

「…うん。やっぱり夜の首都高はいいね」

 

 夏の初め、まだひんやりとしながらも、じとりとした空気を感じながら、バイクからキーを抜く。そして、バイクから背を向けて目指すのは喫煙所。

 

「と、その前に」

 

 コインケース。ハンドウォッシュレザーで出来ているそれ、をパンツのポケットから取り出して、自販機へと滑り込ませる。

 

 ガタン、と迷いなく吐き出されたそれを持って、数歩あるけば喫煙所のベンチに座り込んだ。幸い、先客は居ない。

 

「さて」

 

 斜めがけにしているボディバック。中から、チャズのシガリロ、まぁ、葉巻の小さいものだ。それを取り出して、使い捨てのライターで先端に火を着ける。

 

「咥えないのがミソなんだけどね」

 

 呟きながら、先端に均一に火が付くようにゆっくりと炙る。焦るといけない。じっくりと、じっくりと…よし、着いた。軽く口に咥えた。

 

「…んー、ちょっと加湿不足かな」

 

 軽く、口の中に最初の煙を含んで、転がす。香りはいいのだけれど、どうも辛い。これはイケないね。

 

「ふ」

 

 火が強くならないよう、少しだけ息を優しく吹き込む。こうすると、葉巻に息の水分が吸い込まれ、煙草の葉本来の味が出てくる。ま、わかりやすく言えば、多少なりとも甘くなるわけだ。

 

「ま、及第点」

 

 啜るように、肺までは入れない。口の中で煙を味わいながら、煙を空に捧げる。

 

「で、これがお友達」

 

 パキリと、缶コーヒーのプルタブを押し上げる。そして、一口。

 

「…うん。甘いね」

 

 黄色くて長い、甘い甘いあんちくしょう。少々苦い紫煙の共には、これが一番だ。

 

 

 ズォンと重い音を立てて、相棒が再び目を覚ました。ヘルメットを被ると、葉巻の香りが鼻についた。

 

「吸いすぎたかな」

 

 口から息を吐いて、そして、鼻から息を吸う。香りが増したような気がした。

 グローブを嵌めて、相棒に跨る。そして、軽く右手を撚る。

 

 ズォン、ズォン。葉巻、シガリロを軽く2本。30分程度の休憩。まだまだ、エンジンは温かいままだ。

 

「うん。アクセルのツキは良いね」

 

 これならば、本線に入ってすぐにでも、アスファルトを蹴っ飛ばせることだろう。 

 

 左手のレバーをしっかりと4本指で握り込む。左足でサイドスタンドを蹴り払う。

 ガタン、左足のレバーをつま先を押し込んで一速にギアを入れる。

 

「さてさて」

 

 右手のアクセルを僅かにひねりながら、左手のレバーをゆっくりと離す。ズォォォ、と鈍い音と共に、車体が前に進み始めた。

 レバーを離し切って、アクセルをぐっと叩き込む。

 

「っ」

 

 これだ。この相棒の一番の味。この低速からのトルク。加速感。だから、この相棒からは降りられない。

 これより早いマシンは知っている。これより速いマシンに乗っている。

 

「だけどねぇ!」

 

 2速にギアを入れ、アクセルを思い切りひねりこむ。250キロの車体が、前輪が軽く浮く。

 脚で車体を抑え込み、体幹でゆらぎを抑え込み、本線へと合流する頃にはスピード計の針はテッペンに向いていた。

 

「これこれぇ!」

 

 ゴン、と前輪が設置する感触を以って、ギアをもう一つぶち上げる。今日はこういう気分の日。

 あっという間に、数台の車が後方に飛んでいった。

 

 ああ、そうだ。この感覚が、この感覚が堪らないんだ。

 

 

 自宅に戻る頃には、すっかり日が昇って、青々とした夏空が広がっている。

 相棒をガレージに停めて、エンジンを止める。冬のようにカンカンと音はしない。

 むしろ、まだまだ行けるぜ、と言わんばかりに、エンジンは陽炎を漂わせている。

 

「ま、焦らないで。すぐ出るからさ」

 

 相棒に声をかけて、自宅のドアをくぐる。そして、一晩走って汗ばんだ衣服を脱ぎ捨てた。

 そのまま、シャワールームに入り、少し熱めの湯を頭から被る。慣れた事だが、長い髪にしっかりとトリートメントを塗り込み、それをよく流すことを忘れてはならない。

 

「艶がね」

 

 細かで、小さな手入れこそが結果に通じる。体のメンテもそうだし、バイクもそう。

 そして、レースもそう。だから、本当は夜駆けは避けたほうがいいんだけど。

 

「精神の栄養だからねー」

 

 言い訳を口にすると、自然と笑みが溢れてしまった。まったく、我ながら仕方のない。

 さて、あまりゆっくりしていると、トレーニングに遅れてしまう。そろそろ上がろう。

 体の水分をタオルで拭きつつ、冷蔵庫からミントの葉と炭酸を取り出して、適当なグラスを準備する。

 

「風呂上がりはこれだね」

 

 塩をひとつまみ。ミントの葉は手で軽くもんで香りを出して、そこに氷をありったけ。

 炭酸水を注ぎ込めば、簡易的なノンアルソルティミントだ。

 

 グラスに口をつけ、嚥下する。爽やかな香りが、タバコの香りを消していく。

 

「さて、では」

 

 ここからは仕事の時間だ。着替えをバッグに詰め込んで、再びライダーのジャケット、パンツを履き直す。

 相棒のリアボックスに荷物を詰め込んだら、家の鍵を締めて準備よし。

 

「行こうか」

 

 ズォン。答えるように相棒の心臓に火が入る。エンジンは熱いまま。まるで、これからの季節を表すかのよう。

 

「夏は成長の季節だからね」

 

 合宿にむけての準備は整いつつある。メニュー、体調、そして、ライブ。私の全ては、レースと、ファンのために。

 

「らしくないかな?」

 

 虚空に問いかけてみるけど、答えは帰ってこない。唯一、相棒のエンジンが静かに、低く、囁いている。

 

【行くぞ】

「行こうか」

 

 ま、あれこれ背負っても、仕方ないから。重さは感じるけど、心地良い。ならば、私のスピードは鈍らない。

 

 それに。

 

「やっぱり、ルドルフに負けるのは気に入らない」

 

 最強なんて言わせてなるものか。なにやら史実ってやつではコテンパンにやられた相手なわけなのだが、そうそう簡単に私が引くわけがない。

 それにだ。そんなつまらなそうな、最強という名の孤独にひとときでも、浸らせてなるものかよ。

 

 この沼はそうそう、手放すには勿体ない。

 

 手始めに。

 

「夏の合宿で、しっかりと置いていってやろう」

 

 お前は最強などではない。お前は孤独ではない。何故ならば、私やエース、マルゼンがいるからだ。まだまだ、背中を見せ続けるだけの話さ。

 

 

「セカンドアルバム?」

「そ。で、エースには先行であげる。練習の後少し時間ある?」

 

 朝の練習に付き合いながら、軽い世間話。夏のじとりとした空気がまとわりつき、なんとも季節を感じる朝である。

 

「私は嬉しいけど、いいのか?」 

「もちろん。友達だし」

「ははは!そりゃ嬉しいね」

 

 実際、年の離れた、性別的にも相違のあるエースとこうも仲良くやらせてもらっているのは奇跡だからね。

 返せるときに返しておくということで、私の歌の二枚のアルバムをエースに渡すことにした。

 

 中身はオリジナル、という名の、私のスマホからの曲を再録したものだ。

 つまり、ファーストアルバムがURAのデモ・ソングだとすれば、セカンド・アルバムはミスターシービーのオン・ステージということ。

 

「で、どんな曲を歌ったんだ?」

「それは聞いてからのお楽しみってやつだ。ただ、エースが知らないのもあるよ」

「へぇ」

 

 ま、中身は楽しみにしてくれていい。なんせ、私の世界でヒットした曲ばかりだからね。

 

「ちなみに一曲は、合宿中の夏ライブで、初めてステージで歌うよ」

「ほんとか?シービー」

「ほんとほんと。だから、コールとかも練習しといてくれると助かるかなー。盛り上がると楽しい曲だから」

「わかった。まかしとけって!」

 

 そう言いながら、笑顔を見せてくれたエースに少し安堵する。彼女が味方についてくれるのならば、心強い。きっと、夏のライブもうまく行くことだろう。

 

「さって、余計な話しちゃったね、エース。次は坂道ダッシュ?」

「ん、ああ!いずれはお前を追い越してエースになりたいからな!付き合ってもらうぜ?」

「あはは。その意気やよし!じゃあ、しっかりついてきてね?」

「それはこっちのセリフだぜ?」

 

 軽くジャンプをしてから、歩調を合わせて走り出す。そして、坂路の近くまで来ると。

 

「じゃ、おっ先!」

 

 言うやいなや、私を置いて走り出したエース。ふむ、なるほど。私から逃げるわけか。

 

「でも」

 

 腰をぐっと落としてから、ゆらりと手を顔の目の前に持っていく。

 

「エースが逃げが得意なようにさ」

 

 一息を吸い込んで、体を沈める。

 

「私も、追い込みなら大得意なもので」

 

 沈んだ勢いで、脚を蹴り出す。地面を軽く刳りながら、体が一気に景色を置いてきぼりにする。我ながら、いい脚だ。まるでCBみたい。

 でもまぁ、エースも。

 

「なんだ来ないのかぁ!?」

 

 簡単には追いつかせてくれなさそうだね。

 

「ご心配なく。今、行くからさぁ!」

 

 もう一歩、更に踏み込む。頭は冷静に、しかし、心は熱く。

 

「うわっ!?」

「おっ先い!」

 

 私は地面をがっつり刳りながら、エースにその背を見せた。まだまだ、まだまだ私のほうが強いんでね。手は抜かないよ、エース。

 

 

 したたる汗を無視しながら、ぶっ倒れたエースを横目にトラックへと脚を進めた。

 

「まだやれんのかよ…!」

 

 悔しそうなエースは、しかし、体が動かないようだ。ま、本来持っているものなら君のほうがきっとスタミナは上。でも、駆け引きの経験は私のほうが上。練習でもそれは効果を発揮するもんだ。

 

「まだやれるんだなぁ、これが」

 

 エースにはスポーツドリンクをプレゼントしながら、回復したらついてくるようにと一言を残して、トラックで走り込みを行う未来の最強に歩み寄る。

 

「やールドルフ。精が出るねー」

 

 へにゃりと、自分でも顔が緩んでいるなと判るような表情で声をかけると、ルドルフも柔らかい笑みを浮かべてくれた。

 

「やぁ、シービー。人のことは言えないだろう?君だって、カツラギエースと競い合うようにしていたじゃないか」

「まぁね。ただ、エースがバテちゃってね。練習、付き合うよ」

 

 私がそう言うと、ルドルフの顔が引きしまる。

 

「それは有り難い。今日は練習相手が居ないものでね」

「今日は?」

「…今日は、だ」

 

 少し遠くを見たルドルフ。…まぁ、彼女の同期はなかなか変わり者が多い。一緒に練習することもなかなか少ないのかねぇ、と少しだけ心配になる。

 

「前みたいに私達やマルゼンと一緒に練習してもいいんじゃない?」

 

 彼女は、クラシック戦線を戦い始める前から私との練習を少しだけ避けている節がある。まぁ、節というか、戦略的にも別々の練習をして然るべき、なのだけれどさ。

 

「そういうわけにもな。君たちとは年末に戦うのだから。それまではなるべくは」

 

 共に練習はしたくない。と申すか。まぁ、気持ちはよく分かる。エースと同じレースに出ない私の気持ち。それを更に煮詰めたのがルドルフの気持ちなのだろう。だが、しかし。

 

「固いって、ルドルフ」

 

 固い、固すぎる。君のその固さはきっと、強みでもあるのだけど、同時に弱さであるのだ。だから以前、彼女にはもっと周りを頼るようにと伝えたのだがねぇ。クラシック戦線を戦う中で少し、悪い方の昔に戻ってきたような感じがするね。

 

「固い、か?」

「固い固い。固くて煙草が不味くなる」

 

 肩を竦めると、ルドルフの眉間に皺が寄った。ちょっとイライラしているね。うんうん。そういう感じ、大切よ?

 

「だってねぇ、気づいてる?ルドルフ」

「何に、だ」

 

 威圧感。言葉に、重さが乗ったね。おお、怖い怖い。

 

「君さ。『練習方法を選んでいる』なんて、随分と―」

 

 私も顔から力を抜いて、ルドルフの顔を、目を睨む。

 

「無意識に上に立っているもんだね。『あたし』を随分と」

 

 ルドルフが一歩引いた。逃さないと、一歩踏み込む。彼女と私の息が交錯する。

 

「下に見てくれているね?」

「―あ、いや」

 

 そういうわけでは…と、小さく聞こえた。まぁ、きっと、彼女はその考えには至っていないのだろう。高潔に、正しく、まっすぐに。胸の中の炎をたぎらせたとて、シンボリルドルフというウマ娘は、馬は、誇り高い最強なのだろう。

 

「そういうところ、私は、あたしは気にいらないなぁ、ルドルフ」

 

 だから私は、あたしは気に入らない。そんなもの、投げ捨てろと言いたくなる。さっさと投げ捨てて、ただただ、本気の走りで、私と競えと。

 

「…ま、別に良いけど。ルドルフらしいからさ」

 

 ぱ、と両手を顔の間で開いて、ルドルフとの距離を取る。…全く、ほとんど徹夜でバイクに乗ったからだろうか。我ながら、ちょっとテンションがおかしいや。

 

「でもまぁ、使えるものはなんでも使いなよ」

「…それは、君ですら、か?」

「そりゃあもちろんだよ。なんてったって私は今、ウマ娘の中では最強だから。その背中、借りないつもり?」

「―いや」

 

 ルドルフが微笑みを浮かべなら、引いた私に一歩近づいた。

 

「ならば、今日は、とは言わん。毎日練習に付き合ってくれないか?ミスターシービー」

「勿論。ああ、エースとか、マルゼンも一緒だけど、いいよね?」

「無論だ。全てを飲み込んでみせるさ」

 

 ならばと、右手を差し出してみれば、ルドルフも右手を差し出してきていた。ぐっ、と強く、それを握り合う。

 

「じゃあ、早速。今はスタミナ練習?」

「ああ。トラックを走り込んでいた。並走をお願いしても?」

「もちろん。ああ、変な期待はしないでねルドルフ。坂路を走ったといっても、まだまだ、イケちゃうから」

「はは。むしろ好都合。坂路を走ったせいで、などと言い訳をされても困る」

 

 うん。いい顔になったねぇ、ルドルフ。と、その時だ。

 

「楽しそうなコトになってんじゃねーか、シービー。会長さん」

 

 復活したエースが、にこにこ顔でこちらに近づいてきていた。いいね、いいタイミングだ。

 

「エース、おはよう。並走しない?」

「寝てねぇよ!並走はやるやる!」

「じゃ、やろうか。ルドルフもいいよね?」

「もちろん。願ったり叶ったりだ」

 

 では、と、軽く息を整えて。

 

「じゃあ、トラック10周行こうか!位置について!」

 

 私の号令で、彼女らの腰が落ちる。私も腰を落として、タイミングを見計らって―。

 

「よーい、どん!」

 

 ズダン!と土が抉れる。2人の背中が前に出る。さあさあ、楽しい楽しい、追いかけっこの始まりだ。



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迎える夏、動く夏。

 梅雨が開けて、じりじりと太陽が照りつける季節がいよいよやってきた。学業は休みになり、大きなレースも控えていないこの時期。

 多くのウマ娘は夏の合宿へと向かう。私はといえばもちろん、他のウマ娘たちと一緒に合宿の地を踏んでいた。

 何やら今年は多くの記者やファンたちがいるけれど、まぁ、ウマ娘のレースが人気になった証拠だと、ポジティブに思っておく。

 

「いいぞそのまま!最後まで顔を上げろ!」

「シッ!」

 

 鋭く息を吐きながら、トレーナーの言葉の通りに顔を上げて浜辺を走り抜ける。いやはや、実に、実に走りにくい場所だ。

 沼のように足を取ってくる砂地の地面、容赦なく体力を奪う太陽、そして、上半身を揺さぶる海風と波しぶき。

 

「走りづらいね!」

 

 この夏を超えたウマ娘が、一回りも二回りも大きくなって秋レースを迎える理由がよくわかるってもんだ。

 

 そして、今年は。

 

「やあああああああ!」

 

 今年クラシックを走るルドルフが、私と共に夏合宿を行っている。無論、エースや、マルゼン、他にもピロウィナーとかもいるのだが、今日のところは浜辺でダッシュしているのは私らだけだ。他のみんなは山道での足腰鍛錬や、レースの分析などを行っているらしい。

 ま、それに加えて、私達の練習風景を写真にでも収めようとしているのだろう、ファンやら記者やらが周囲に群がっている。流石にこの場所で、練習をしようというウマ娘は流石に少ないか。

 ちょーっと、色々気を使うねぇ。

 

「ルドルフ!遅れているぞ!ミスターシービーに食らいつけ!」

「無論!」

 

 ルドルフのトレーナーが気合を入れて、見事その言葉に反応したルドルフ。短く吐いた言葉と共に、私の背中にルドルフの足音が迫る。ゴールまであと200メートル。スパートをかけるのならばまさにこのタイミングだろう。

 

「来たねえ!」

「逃がすか!」

 

 並びかけたルドルフの姿が見えたと同時に、腰を一つ落として、前傾を強くする。バランスを取るのが難しいのだけれど。

 

「セェッ!」

 

 気合を入れて、ズシャっと砂に脚を突き刺しながら加速をかける。

 

「くっ…!はあああああ!」

 

 ルドルフのギアも上がったみたいだ。だけどだけども。

 

「ゴール!シービーが先着!遅れてルドルフ!」

「っしゃ!」

「…ちっ」

 

 おや珍しい、ルドルフが舌打ちなんて。

 

「ルドルフ?」

 

 思わず大丈夫かな?とニュアンスを込めて名前を呼んでみた。と。そこにあった顔は、非常に不機嫌そうな、拗ねているような。

 

「…君は相変わらず強いな。全く。君を追い抜くため練習をしているのに、なかなかその背中は見えてこない」

 

 おや、褒められた。頭を掻いていると、ルドルフはずい、と顔を寄せてくる。

 

「ずるいぞ」

 

 眉間に皺がよってら。あー、やっぱり、拗ねている感じだねぇ。

 

「ルドルフ、あまりシービーを困らせてやるな」

 

 少し戸惑って、答えにあぐねいていると、ルドルフのトレーナーからの助け舟が出た。有り難い。便乗しておこう。

 

「ずるいって言われてもね。今はまだルドルフより強いし」

「むう」

 

 しかしながら皇帝様はご納得いかない様子。我儘だなぁ。

 

「まぁ、納得するまで走ればいいじゃないか」

 

 それを見守っていた私のトレーナーからの助け舟。ただ、その顔には苦笑が浮かんでいる。ま、夏になってからルドルフは良い意味でがっつけている。

 それこそ、某ウマ娘のように、「ついてく、ついてく」を私に対してやられている感じ。

 

「…そうだな、そうしよう。付き合ってもらうぞ、シービー」

 

 ルドルフのがっつきようと言えばだ。合宿前の学園で、どっかのシンボリの名を関するウマ娘から「皇帝サマが随分といい顔になったもんだ」などとも言われているのを聞いたこともある。

 

「かまわないよ。いっそ、私をスタミナで負かしてみなよ。ルドルフ」

「言ったな?」

 

 目が据わったね。その奥には雷鳴が見えた気もするけれど、まぁ、そんなものはどうでもいいか。なんにせよ、彼女との練習はいい刺激になるしね。

 

「ならば、ついてこいシービー」

「あはは。良い啖呵を切ったね。ルドルフこそ遅れないでねー」 

 

 改めてスタートラインに着いた。タイミングはトレーナー任せだ。

 

「では、良いと言うまで浜辺ダッシュ往復だ。良いな?」

「うん。いいよー」

「無論。望む所だ」

 

 ぐ、と脚を広げて腰を落とす。ルドルフはといえば、軽く前傾になっていた。

 

「では、用意…ドン!」

 

 先にルドルフを行かせるように、少しだけタイミングを遅らせる。ズドンとルドルフの足音が空気を揺らして、その体が跳ね跳んでいく。

 

「いいねー」

 

 その背中をしっかりと見つめながら、しかし、離れないように追いかける。

 ぶっちゃけて言えば、合宿前はシニア級とクラシック級のウマ娘の実力はまだまだ離れているはずだよねぇ。などと思ってたのだけど、それは私の驕りだったと思い知らされている。

 

「うん、結構」

 

 ルドルフの背中を見れば、間違いなくメキメキと追いつかれている気はする。多分、今年の有マ記念あたりは危ないかもしれない。とはいえ。

 

「負けないけどね」

 

 ゴール地点まで半分を過ぎた。さあ、動こう。息を吸い込んで、脚に力を叩き込む。歩幅を広げて、あの雷鳴に追いつくように追い込みを。

 

 

「やっぱり強いわね。あなたのシービー」

「ん?まぁな。あいつは今のところ敵なしだ。自信を持って、どんなレースにでも送り込める」

「でも、煙草はどうにかならないかしら?基本、禁煙なんだけど」

「ははは、そりゃあまぁ…無理な相談だ。シービーが自ら学園長と交渉して喫煙所を認めさせた、という話だぞ。俺の範疇外だよ」

「筋金入りね」

 

 トレーナー2人は、肩を並べて彼女らの走りを眺めていた。必死に逃げるルドルフに、どこか楽しそうに追い込みをかけるミスターシービー。2人共、随分と生き生きとしているように見える。

 

「それにしても不思議」

「何が?」

「どうしてあの自由奔放なウマ娘が、ここまでウマ娘のために尽くすようになったのかって」

 

 確かにな、とトレーナーは思う。クラシックのその前。ミスターシービーは強いのだけど、走らないウマ娘として有名だった。

 理由を聞いてもはぐらかされる。しかし、練習場には姿を現すし、模擬レースにも参加はする。しかし、決してトレーナーは作らなかった彼女。

 

「やっぱり、あの日から変わったのかしら?」

「あの日、ねぇ。確かに、少し騒がしかった時期があったなぁ」

 

 あの日。それは、トレセン学園でも一部のトレーナーや上層部しか知らない、あるひととき。

 

「騒がしかったな…なんて生半可なものじゃなかったでしょう?一週間。彼女が『行方不明』になっていたのだから」

 

 ふらりと居なくなり、音信不通。家にもおらず、彼女の好きなバイクすらも家にあって、いよいよ走らずに、ミスターシービーはトレセン学園を退学か、などと言われた時期があった。

 

「そうだな」

「そうだなって。貴方も捜索に参加したでしょう?」

 

 数日間。手が空いたトレーナーたちは彼女を探しに探した。その中には、このミスターシービーのトレーナーの姿すらもがあった。

 

「何事もないようにしているけれど、貴方、一番心配していたでしょうに」

「ああ。だが、彼女は一人で戻ってきた。しかも、覚悟を決めて。それなら、俺たちのすることは決まっているだろ?」

 

 トレーナーの顔には穏やかな微笑み。どうやら、こちらも覚悟が決まっているようだ。

 

「貴方らしいわね。ウマ娘第一主義。ここまで来ると、あきれちゃうわ」

「褒めるなよ」

 

 言葉はそう言いながらも、トレーナーは思う。あのミスターシービーが消えた一週間、彼女は何を見て、何を行って、そして、何を決めたのだろうかと。そして、なぜ彼女は今の彼女として決意を決めたのか。

 

「一度、聞いてみるのもアリ、か」

 

 今までは誰もタブーとして触れなかった事。学園長や、シービーの隣で走るシンボリルドルフはどうやらその事情は知っているのではないか、という噂は、まことしやかに囁かれている。

 

 

 ミスターシービーが宿泊している宿。そこは普段であれば人はそんなにこない鄙びた旅館だ。一昔前は恐らく、海への観光で多くの人が訪れていたのであろう、部屋数は多く、大浴場までしっかりと備え付けられていた。

 

「いいねぇー」

「そうねぇ」

 

 その大浴場。2人のウマ娘はしっかりと肩まで浸かって、その疲れを癒やしている。

 

「ルドルフちゃんは別の宿なのが残念ね、シービーちゃん」

「まー、仕方ないでしょ。マルゼンもわかってるでしょ?シンボリ家のウマ娘が泊まる場所じゃないと私でも思うよ」

 

 昼間にミスターシービーと共に練習を行っていたシンボリルドルフはこの場には居ない。彼女は、この海の側に構えられている、比較的高級なホテルにその部屋を取っている。

 家が太い、というのは、何事にも有利なのだなぁと、シービーは頭の片隅で考えていた。

 

「そういえばシービーちゃん。一つ聞きたいことがあったのだけど、いい?」

「ん?いいよー」

「貴方が、貴女になるまえの記憶って、何か覚えてない?」

「んー?」

 

 シービーは首を傾げる。視線は天井を向いて、なにがしかを考えているようである。マルゼンスキーはそれを静かに見守っていた。

 

「…覚えてないねー」

 

 諦めたように首を横に振りながら、シービーはそう言葉を吐いた。

 

「そう」

「なんでまた今更?」

「いえ、特には理由は…ううん、話しておいたほうがいいかもしれないわね」

「何を?」

「貴女がシービーちゃんになる前の、ミスターシービーの話」

「へぇ、それはちょっと気になるかも。私が私で違和感は無い、と聞いているけど」

 

 ミスターシービーの視線がマルゼンスキーを捉えた。

 

「ミスターシービーが何をしていたのか気になるし」

 

 シービーの台詞。なんの気無しに言った一言であるが、明確に彼女が彼女ではないということを、マルゼンスキーは再び認識していた。

 

「そうね。実は貴女が成り代わる、その直前。ミスターシービーは行方不明になっていたのよ」

「え、そうなの?」

 

 思わずそう聞き返してしまっていた。

 

「ええ。そうなの。だから、ひょっこり貴女が帰ってきて、みんな驚いたのよ。…まぁ、更に驚くことが私達を待っていたんだけど」

「あー…まぁ、ミスターシービーではない私が来たからねー。っていうか、なんで教えてくれなかったのさ?」

 

 結構重大な事実だと思うんだ。その、行方不明になった、ということは。

 

「何ていうか。ミスターシービー…ではないのだけど、ミスターシービーと思えたの。私も、学園長も、たづなさんも。もちろん、ルドルフちゃんもね?」

 

 彼女は笑顔を浮かべて居た。どうやら、本気でそう思っているらしい。

 

「不思議なことだね。それにしても私が行方不明ねぇ…。ちなみに、どのぐらい?」

「一週間、っていったところかしら」

「一週間かぁ。結構長いね」

 

 ふーむ。一週間もほっつき歩いて居たのかぁ。ミスターシービーは。で、その結果、なぜか海辺にぶっ倒れていて、私が彼女の変わりに目覚めた…ということか?

 

「そうなのよ。まぁ、貴女はいつもフラッと消えたりすることがあったから、最初は心配してなかったんだけどね」

「あー」

 

 こういう話を聞くと、ちょっと私とシービーは似てるのだなぁと思う。ふらっと、相棒にまたがってどこかに行く、なんて日常的であったしね。

 

「ただ、今回はちょっとね。学園での進退の話があった直後の事だったし…かなり騒ぎになったのよ。事情を知ってる人たちみんな総出で探したのよ?」

「そうなんだ」

「でも、それがひょっこり戻ってきたのよ。本当に。だからみんな驚いていたし、私も思わず拍子抜けしていたわ。ルドルフちゃんなんか、怒っていたぐらいだし」

「あー、やっぱり。言われてみればルドルフと初めて会った時、なんか不機嫌そうだった」

 

 最初に出会ったルドルフの顔を思い出しちゃって、思わず吹き出しそうになる。不機嫌そうな、でも、仕方ないなという顔。

 

「でも、改めて判ったわ。貴女は以前のシービーちゃんじゃない。でも、間違いなくシービーちゃんだわ」

「ふぅん?そうなんだ。マルゼンもそう思う?」

「ええ」

 

 そう言って、マルゼンは静かに目を瞑り、息を長く吐いていた。色々、思うところはあるんだろうね。ま、深くは追求しないけどさ。

 

「でもシービーちゃん。貴女、馴染みすぎよ?」

「そう?」

「だって、私の裸を見てるのに、何も感じていないじゃない?」

「ああ」

 

 まぁ、ね。魅力的なんだけどさ、男のときならいざしらず。

 

「マルゼンスキーはとても魅力的だけどね。私の()()に出来ないでしょう?」

「あら、…お上手なのね」

 

 

「あの日も、こんな夜でしたか」

 

 海岸線を一人歩くウマ娘、ニホンピロウイナーは一歩一歩浜辺を踏みしめながら、夜空に思いを馳せる。

 

「…彼女の言葉が、私の背中を押してくれる」

 

 デビュー前。思うようにタイムが伸びず、そして、中距離以上に適応できなかった私に、彼女は言葉をくれた。

 

『別に、適正なんて置いといてさ。ウイナーの好きに走ればいいんじゃない?大丈夫だよ。あたしもそうしてるからさ』

 

 彼女が付き合ってくれたあのひとときは、忘れられない思い出だ。

 

『え?あはは、何悩んでるのさ。走ればいいじゃん。クラシック。距離が長い?でも、走りたいんでしょ?じゃあ、走ればいいじゃん。悩む必要すらないよ。あたしはいつも、そうしてる』

 

 カラカラと笑う彼女の顔が今でも思い出される。最近では、負け知らずの最強になってしまった彼女だけれど、まだ、彼女は私にチャンスを与え続けてくれている。

 

「…来年の、マイルで」

 

 必ず、彼女の背中に追いついて見せる。それが今、私の1番やりたいことだから。 



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力を蓄え、その背中を

 最強の背中と、世間では呼ばれ始めている彼女。今だ無敗の日本総大将。

 

 私からしてみれば、あの3人の伝説の一人『天翔けるウマ娘』の走りを彷彿とさせる速さを、彼女の背中からは感じている。

 

『天翔ける…?ふふ、あははは!』

 

 以前、インタビューをしたときに、カラカラと笑われてしまったことが、脳裏にこびり付いている。

 

『私は走りたいように走っているだけだからさ。別に、どんな名前で呼ばれても気にしないけど、ありがと』

 

 その反面で、期待されていた天皇賞には出なかった。3月の頭にインタビューを行った時、なぜ?と聞いた時の彼女の答えも、興味深かった。

 

『楽しそうじゃないからかな。ま、判るよ。私が出ていればきっと盛り上がる。でも、天皇賞春は私じゃない』 

「私じゃない、ですか」

『そ。私じゃない。ただそうだなぁ、天皇賞春は、きっと、私の末脚よりもすごいものを見れると思うよ』

 

 その後の結果は、皆様のご存じの通り。彼女の言葉の通り、目の覚めるような末脚で一人のウマ娘が天皇賞春を制覇している。

 

『どうだった?言った通り、目が覚めたでしょ』

 

 彼女の目には一体何が見えているのか。記者として、非常に気になる所だ。

 

 そして、彼女の横を走り続けている同世代のウマ娘達の活躍もまた素晴らしい。

 

 今、その背中を追いかける時代の最強候補の活躍もまた目まぐるしい。

 

 この夏、彼女らはきっと、更に強くなり、秋の戦線でぶつかり合う事だろう。

 

 これからも、トゥインクルシリーズからは目が離すことは出来ないらしい。

 

 

「聴いた?ミスターシービーのアルバム」

「聴いた聴いた!素敵だったよねぇ!」

 

 梅雨を過ぎて、少しじめりとした東京の街並みの中、一人のウマ娘の話題が風のように人々の間をくぐり抜けていく。

 

「今までウマ娘のレースに関心なんてなかったんだよねー」

「わっかるー!でも、ミスターシービーの歌聞いたあとに気になってレースの動画見たんだけど、すごかった!」

 

 その風は、最初こそ春のそよ風だった。新しい風に、ほんの一握りの人々が気づく程度の。それが、今では春を越えて夏の熱い風となって、更に更にと人々の間を駆け抜けていく。

 

「今度俺、ウマ娘の合宿を見に行くんだ」

「マジで!?羨ましいな!」

「いいだろう?しかもミスターシービーのミニライブもあるって話だぜ。今から楽しみでよー」

 

 日々の会話の端々に、ミスターシービーの名前が呼ばれ、その熱は更に更に人へと伝播していく。

 

「なんか最近ミスターシービーって良く聞くよねぇ?ウマ娘だっけ?」

「そうだぜ。実は俺も好きでね」

「そうなん?」

「最近アルバムが出てな。聞いたらどハマリしちまってさ」

「ほー。俺も聞いてみるかな」

「おうおう。しかも美人だぜ?」

「マジで?」

「ほら、これが写真」

 

 彼ら、彼女らもまた、ミスターシービーの巻き起こす風に当てられた人々。秋に向けての下地は、どんどんと整えられつつある。

 

「しかし、今年も強くてカッコイイウマ娘がいるんだよ」

「本当に?」

「ああ、名前はシンボリルドルフっていうんだ。このウマ娘も今、無敗で二冠目なんだよ。2年連続で無敗の三冠ウマ娘が誕生する!って今レース界隈ではお祭り騒ぎさ!」

「てこたぁ、もしかして、年末の有マなんていえば」

「そうさ!無敗の三冠の対決だぜ!」

 

 だが、もちろん彼女らのファンだけでもない。

 

「俺はカツラギエースが好きなんだよ。ミスターシービーに追い付け追い越せで、飛ぶ鳥を落とす勢いでG1を獲ってるんだぜ」

「今年はカツラギエース調子いいよなぁ。これ、ミスターシービーとシンボリルドルフと当たれば、勝つ可能性もあるよな?」

「ああ。十分にあるぜ。確か、非公式だけどジャパンカップでその三人が当たるって話もあるぜ」

「マジ!?見に行くかなぁ」

 

 街は色めき、季節は流れる。

 

 

「いやぁ、やっぱりキッツイねー」

 

 連日行われる朝っぱらからの浜辺での走り込みは、実に足腰に堪えてくる。我ながら感じている。短距離から中距離への体の作り替えもいよいよ佳境といった具合なのだろう。それが証拠に、ストップウォッチを握るトレーナーの顔には、少しばかりの笑みが浮かんでいた。

 

「良い感じだ、シービー。この末脚ならばどこの誰にも負けないだろうさ」

「ありがと。にしても、他のみんなは山とか行ってるけどさ、私はいいの?」

「ああ。まだ暫く、スタミナと末脚の強化をしていくぞ」

「オッケー。ま、そのほうがやりやすいしね」

 

 シンプル。しかし、それだけに重ねれば重ねるほどに力が蓄えられていく。ま、それに、自覚していることも一つあるし。

 私は結局、ミスターシービーという才能に乗っかっている微妙な存在だ。今までもこれからも、ミスターシービーという、スーパースポーツの性能に助けられることだろう。

 

「ただまぁ、それだけじゃあね」

 

 もう一度、スタートラインに足を運びながら、ひとり呟く。確かにワークスマシンは早い。良く曲がる。スーパースポーツだってそう。どこまでも回るようなエンジンに、強烈に曲がれる車体。素人が乗ってしまっては、その性能は1割も引き出せない。

 

「私が、この体を乗りこなす。そのためには練習を重ねないとね」

 

 マシンが良い事は良く判っている。ならば、私の技術と、センスを鍛え上げていかなければ。レースには勝った。三冠も獲った。世界のウマ娘にも、マルゼンスキーにも、エースにも勝っている。今だ無敗のスーパーマシン、ミスターシービー。

 

「まだまだ、まだまだ足りない」

 

 スーパースポーツ、それに足りないもの。ワークスマシン、それに足りないもの。

 

「そう。まだ」

 

 頭の中に、一つの形が浮かび上がる。それは、ある小さなピストンリングメーカーから始まった夢の道の先。その道すがらに形作られた一つの形であり、脈々と続く、一人の人間から始まり、数多の人々が紡いだ一つのDNAの完成形。

 

「よし、あと一本走ったら一度休憩だ!本番のつもりで走りこめ!」

「勿論!」

「位置について、よーい!」

 

 浪漫の体現。時代遅れと言われようとも関係ない。

 

「ドン!」

 

 丸目一灯、2眼のバイク。私は、スーパースポーツだけではなく、夢の浪漫を追い求めたい。

 

 ま、色々考えてはいるけど、つまりはだ。

 

『どこまでもシービーらしく』

 

 ってこと。ま、今まではちょっと回り道をしてきたけれど、この体にも私の心が付いてきた気がしてきている。ならばこそ、ミスターシービーの性能を、浪漫を追い求めていきたい。

 

『最後の最後は追い込みで、あの皇帝に勝つ』

 

 競馬での追い込みほど、古臭くて、でも新しくて、心躍る浪漫のあるものはないのだから。

 

 

 シンボリルドルフ。ミスターシービーのライバルと目される彼女は今、山の上にいた。すでに太陽は天高く昇り、ルドルフの額には汗が浮かんでいる。

 

「よし、そろそろ休憩にしよう、ルドルフ」

「判ったよ、トレーナー。冷たいドリンクはあるのかな?」

「もちろん」

 

 どこかシービーのような砕けた口調で軽口を返しながら、ドカリと適当な石の上に座り込む。そして、ドリンクをトレーナーから受け取ると一気にそれを飲み干した。

 

「…うん、生き返った。ありがとうトレーナー」

「まだあるけれど、どうする?」

「今は一本だけでいいさ」

 

 ぐーっと伸びをしながら、ルドルフは天を仰いだ。彼女の頭の中にあるのは、今はミスターシービーの背中だけだ。もちろん、生徒会の業務も並行して行ってはいるものの、そのほとんどをエアグルーヴらに任せて、実力向上に向けて自らの鍛錬を行っていた。

 この行動は、今までのルドルフからすれば異様。今までの夏ならば、夏合宿の運営や、トレーナーのいないウマ娘や、夏合宿に参加できなかったウマ娘らのサポートをしていたはずなのだが、そんな姿は、今年は見られない。

 

「ルドルフ。根を詰めすぎてはいないか?」

 

 トレーナーが思わずそんなことを聞いてしまうぐらいには、『レース』に入れ込んでいると言ってもいいのかもしれない。

 

「はは、トレーナーにもそう見えるのか。エアグルーヴやマルゼンスキー、それに、フジキセキやヒシアマゾンからも同じことを言われてしまったよ」

「そうだろうな。今までルドルフと言えば頼れる生徒会長、っていうイメージだったからな」

「そうか」

 

 ルドルフは不意に立ち上がる。そして、改めてトレーナーへと視線を向けた。

 

「今も昔も、私はそのまま変わっていない。ただ、そうだな」

 

 言葉を区切ると、ルドルフは一瞬目をつむる。トレーナーはそれを静かに聞き、待つ。そして、少しの静寂の後に、ルドルフは再び口を開いた。

 

「頼る、を覚えたのだと思う」

「頼る?」

「うん。そうだな。頼ることを本当の意味で覚えたんだ」

 

 自ら頷いて、言葉をさらに続けるルドルフ。トレーナーは静かにその言葉を受け入れる。

 

「今までは、私の夢は尋常じゃない努力により、私だけが強くなれば叶うもの、いや、強くならなければ叶わないと思っていた。私の無力、未熟さを恥じながら、自らの内にその答えを求めていた。正直、君にも…トレーナーにも話せない、などと思い込んでいた」

 

 確かに、とトレーナーは言葉に出さずに思う。彼女はすべてが完璧、だった。すべては一人で管理され、一人で夢のために突き進む。トレーナーの出来ることと言えば、それこそアドバイスとサポートぐらいなものだった。だが、今はそうではない。

 

「だが、それを打ち壊した一人のウマ娘がいたわけだ。彼女はあの境遇ながら、トレーナーを頼り、私を頼り、マルゼンスキーを頼り、学園長すらも頼りに頼り、気が付けば、私の夢の先にいた。全く、頭を殴られたような気分だったよ」

 

 そのおかげなのだろう。今のシンボリルドルフは容赦なく、生徒会の仕事は誰かに頼る。自らの鍛錬も積極的にトレーナーを頼る。学園の全てを頼りながら、シンボリルドルフは確実に進化している。以前の彼女ならばあり得ない異常事態だ。

 

「そうだな。ミスターシービーは退学寸前だったよな」

「うん。学園から勧告されるぐらいには、もう限界だったんだ。速く、強い。走れば最強クラスのウマ娘。だけれども、延々とトレーナーを決めずに走らない。それでは、彼女の未来は暗かったはずなんだ。だが、彼女が周りを頼り始めた瞬間、すべてが動き出した…と少し休憩が長い気もする。そろそろ、走ってもいいかな?」

「ああ、いいぞ。じゃあ、また山道をダッシュだ。誰にも負けないフィジカル。足腰の筋肉を作り上げる」

「判っているとも。ミスタシービーが追い込んで来ようとも、マルゼンスキーやカツラギエースが逃げようとも、必ず先頭でゴールできる体を作り上げてみせるよ。トレーナー」

「良い意気だ。じゃあ、良いというまで繰り返せ、皇帝!」

「無論!」

 

 荒れた山道をもろともせずに、シンボリルドルフは地面を蹴って山の中に消えていった。全てを巻き込みながら強くなり始めたシンボリルドルフ。その強さは未知数だ。



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夏合宿と、ライブの準備

 夏の風物詩というものは、日本各地に存在する。それは例えば花火であったり、夏祭りであったり。とある場所ではひまわりの迷路であったり。そして―。

 

「うわー!本物だぁ!!すごい!」

 

 目の前に広がる大海原。その砂浜では、天から降り注ぐ陽の光に負けないほどの輝きを放つ、ウマ娘達の姿があった。

 

「すごいな!みんな有名なウマ娘たちだ!」

 

 この場所での夏の風物詩はそれが即ち、ウマ娘の合宿である。日本のあらゆる場所から地方も中央も、分け隔てなく実力のあるウマ娘が集うこの合宿はファンはもちろんのこと、ウマ娘のファンでなかったとしても盛り上がりを見せることが知られている。

 

「わ、ミスターシービーだ。かっこいい!」

 

 その中でも一際目立つのは、やはりというべきだろう。今まで無敗街道を突き進む、三冠を取り、マルゼンスキーや外国のウマ娘を抑えてジャパンカップを制した生ける伝説。ミスターシービーだ。最近では短距離も制し、まさに敵なし。ファンの視線に気づいた彼女が手を振れば、黄色い悲鳴と、野太い叫び声が沸き起こる。

 

「手を振られたよ!」

「うぉお!かわいい。かっこいい!」

 

 彼女はファンの声を受けて、さらにファンサービスとばかりにウインクを投げた。こういうところも、彼女の人気の一つであろう。そして、彼女はこの夏の合宿で集まったファンに対して、ライブの企画も立てているという。セットリストは非公開だが、非常に楽しみなイベントの一つだと言えるだろう。

 

『よぅし、シービー!浜辺ダッシュ10本!休みなしで行くぞ!』

『ッケー!トレーナー!』

『位置について、よーい…』

 

 トレーナーがそう言うと、ミスターシービーからは緊張感が滲みだした。それに当てられた人々の喧騒が徐々に徐々に小さくなっていく。そして、その緊張感が高まった瞬間だ。

 

『ドン!』

 

 砂塵を巻き上げ、トレーナーの声と共にミスターシービーの体がスタート位置から消え去った。そして、はたから見ればあっという間にゴール地点へとその体が移動している。かと思えば、また彼女は搔き消えて、スタート位置へと戻っている。

 

「…うわぁ、早…」

「なんだあれ…、すげぇなウマ娘…」

 

 もちろん、ファンはレース場で彼女の走りを見ている。彼女の末脚の力強さは誰にも負けないことは知っている。知っていたはずだった。

 

「この前のレースより、もっと早くなってない?」

「なってるよな。すげぇな…ミスターシービー」

 

 その先が見えない伸びしろに、ただただ人々は感嘆を覚えるばかりだ。もちろん、それはファンだけの反応じゃあない。

 

「トレーナーさん。あの、もっとトレーニング、強度高めてもらえませんか?」

「私もお願いします!」

「判ってるわよ。だから今日は前よりもキツイメニューを用意しているよ。最後までやり切れるかしらね?」

「やって見せます!」

「やります!」

「うふふ。その意気は良いわ。じゃあ、まずはミスターシービーに負けないぐらい根性を見せなさい!」

「「はい!」」

 

 一緒に夏合宿を行っているウマ娘達にもその姿は伝播している。この浜辺にいる者は当然として、この場に居ない連中も普段の倍以上のトレーニングを自らに課していることだろう。

 

『よーっし。10本終了。次は一服入れたらタイヤ曳きだ!』

『オッケー!まかせて!』

 

 なにせ、いまだ影すら捉えられない最強が、一番、今年のウマ娘の中で厳しい練習を、連日続けているからだ。浜辺ダッシュにタイヤ曳き。地味だがキツイ。そんな基礎訓練をずぅっと行っている。それを見せられ続けている周りのウマ娘の気持ちたるや。

 

『負けねぇぞシービー!』

 

 ミスターシービーの近くではカツラギエースが負けぬ勢いで砂塵を巻き上げながらタイヤ曳きなんかしているもんだから、その胸中は燃え上がる炎など生ぬるく感じるほどであろう。

 

『お、エース!頑張れー!』

『なんだシービー、休憩かぁー!?余裕だなぁ!』

 

 ピクリ。離れたところからでもわかるくらい、ミスターシービーの耳が大きく動いた。同時に、トレーナーと頷き合って、手早くタイヤ曳きの準備を完了させる。そして間髪入れずに、ミスターシービーは走り出した。

 

『おりゃああああああ!エースゥ!抜いちゃうぞー!』

『うおっ!?なんだぁ!?ってシービー!?くそっ!負けねぇぞー!』

 

 猛烈な勢いでカツラギエースを追いかけるミスターシービー。そして、負けない勢いで逃げるカツラギエース。レースさながらの盛り上がりに、再び、浜辺は喧騒に包まれ始めていた。

 

 

 二足の草鞋を履く。はたから見れば、おそらく私たちはそれなのだろうと思う。レースのために体を鍛えながら、しかし、ライブなどの準備もする。その上でウマ娘ってやつは更に勉学も嗜むわけで、2足どころかいくつの草鞋を履いているのか、私ですら把握しきれていない。

 ま、幸いにして私は勉学は免除されているような感じだからいいんだけど。

 

「で、こう、で」

 

 そして、今日はその夏合宿のさなか、浜辺の駐車場に仮設されたステージの上で、体を動かしながら夏の感謝ライブへの準備を進めている。しっかりと体の動きを確認しながら、振り付けと、ほかのウマ娘たちとの調和もとっていく。とはいっても。

 

「ここで、ターンで入れ替わるのね?」

「うん。位置づけテープ…黄色じゃなくって…あ、この赤いところで曲がアウトするから、そこから暗転する感じ」

「うんうん、で…私が暗転の中でステージから降りると同時に」

 

 相手はマルゼン。勝手知ったる仲ということもあって、我ながら息がぴったりだと思う。

 

「板付きで、私が登場、という感じでいいんだな?」

 

 そして、もう一人。今年のウマ娘といえばこの人。シンボリルドルフもライブの演者だ。本来は誘う予定は無かったのだけれども、夏合宿の賑わいを見て急遽参戦してくれている。

 

「うん。で、本番は暗い時間だし、ハンドマイクだから、動きが制限されたりするってことも頭の隅にいれといて、ルドルフ」

「承知している。PAさんとの打ち合わせは?」

「ちょっとずつリモートでやってる。週末にはゲネプロ予定だよー」

「そうか。それなら、安心できるな」

「まかせてよ。ルドルフよりは慣れているからさ。あ、URA関係の打ち合わせは…」

「問題ないさ。それに関しては私のほうが手馴れている。シービー、そちらは任せてくれ」

「頼もしいねー。ルドルフ。任せたよ」

 

 ま、急遽参戦って言ってもだ。最後の一曲だけのスペシャルゲスト。今年のクラシックの主役だから、きっとファンも盛り上がってくれる、と信じている。

 

「じゃ、軽くリハ行ってみたいんだけど。あ、マルゼン、ありがとね!」

「シービーちゃんの頼みだもの。じゃ、ルドルフちゃん、あとはよろしくね?練習に戻るから」

「任された。さて、しかし、この曲はなかなか…」

「面白いでしょ?夏にピッタリ、私たちにもピッタリだと思っているよ」

 

 床に置いてあるウマホを操作して、一曲の音源を流し始める。ま、夏の海で盛り上がるならこのぐらいの曲がいいだろうな、と安直に選んだものだけどね。

 

「…それにしてもわざわざ水着になる必要が?シービー」

「夏だからねぇ。そのほうが盛り上がるでしょ?」

「確か、に?」

 

 いまいちピンと来てないね。ま、ミスターシービー、マルゼンスキー、シンボリルドルフの3人の水着が見れるってだけで来る人が居る。ということも狙っているからね。ファンのすそ野は広げておいて損はない。

 

「それに良く似合ってるよ。ルドルフ。マルゼンに選んでもらっただけはあるねー」

 

 頷きながらルドルフの姿を視界に収め直す。深い緑を基調としながらも、赤が差し色となり、襷の代わりにラインが一本。ま、マルゼンが選んでいるからビキニなんだけども、とはいえやはりルドルフが着るとどこか厳かになるものだ。

 

「普段、こういうものは着ないのだが…。君の頼みならやぶさかでない」

「あはは。ありがと。じゃ、早速合わせてみようか」

 

 初期位置に立って、2人でタイミングを合わせながら声を上げた。

 

 そして、その一曲を合わせ終わったとき、ルドルフがこちらに意味深な視線を向けて来ていた。

 

「ああ、そうだ。シービー。君に一つ頼みがあるんだが」

「ん?なぁに、ルドルフ」

 

 ルドルフから、声をかけられた。はて、ルドルフからお願いとはなんだろうか?練習は一緒にしているし。もしかして、何かレースのお誘い?いや、でもそんな感じでもない。彼女の顔はどちらかというと…。

 

「いや、やっぱり、いい」

 

 ちょっと気恥ずかしそうな、そんな顔だ。

 

「なに?気になるじゃん。言ってみなよ」

 

 珍しい顔に、ちょっとほほが緩んでしまう。さてさて、何をお願いされることやら。少しばかり迷っていた様子のルドルフであるけれども、恥ずかしそうに笑みを浮かべながら、こう口を開いた。

 

「…その、少々バイクの背に乗らせてほしい」

「バイクの?」

 

 あら、それはそれはうれしいお願い事だこと。

 

「駄目、か?」

「良いよ。何時にする?」

「シービーが問題ないのならば、今夜にでも」

 

 今夜にでも、か。何だろう。そんなに乗りたい理由でもあるのかしらね?

 

「急だね?」

「いや、その」

 

 何だろうか。気恥ずかしそうなルドルフなんて珍しいことで。

 

「この前、首都高を走っただろう?」

「うん」

 

 海には夕日の橙が広がり、夏独特の空気…寂しさというか、恋しさのようなものがあたりを満たしている。

 

「あの時の感覚が忘れられなくてね。そのバイク、もう一度感じたいんだ」

 

 夕日に照らされた彼女の顔は、どこか魅力的で、そしてどこか年相応な女性の顔だった。

 

「そりゃ嬉しいことだよ。じゃあ、今晩、都合ついたら連絡頂戴」

「ああ、わかった。シービー」

 

 頷き、笑い合う。それならば、皇帝様を退屈させないように良いコースを探さないとね。



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背中

 トレーナーと一緒に夕食を食べるというのも悪くないもので、今日のところは魚介たっぷりの海鮮丼を2人で食べている。この夏合宿を始めてから何度も来ている少しお気に入りのお店だ。今時珍しいけれど、タバコがオッケーな店であって、喫煙者としてはありがたい。

 

「やっぱり旨いなこれ」

「うん、かなり美味しいよねー」

 

 舌鼓というのはまさにこのことだろう。新鮮ないくら、鮭、あとはブリにハマチ、マグロにエビなんかも乗っかっていて非常に良い。さらには私はウマ娘用でトレーナーの2倍の大きさはある丼で出していただいている。

 

「毎度どうも。トレーナーさん、ミスターシービーさん。満足いただけているかしら?」

 

 そうやって美味しくいただいていると、ふいに女性から声をかけられる。顔を上げてみれば、そこには笑顔を浮かべた女将さんの姿があった。

 

「いやぁ、毎度毎度、美味しい食事を楽しませていただいてます」

「うんうん。ここの料理はどれも美味しいよ」

 

 トレーナーと一緒に本心を伝えると、女将さんは満足そうに頷きながら、お皿を一つテーブルに置いてくれていた。

 

「いつもご利用いただいてる方へのサービスでこれもどうぞ。今日入ったときしらずのお刺身よ」

「ときしらず?」

「ええ。時期外れの鮭なの。若い鮭でね、普通の鮭よりもやわかくて、油があるのよ。よかったら食べてね」

 

 へぇ、ときしらずねぇ。さっそくトレーナーと共に箸をつける。

 

「…お、確かに油たっぷり。美味しいね」

「そうだな。本当にやわかくて、口当たりも良い。酒の当てにも最高だな」

「本当だね」

 

 なめらかできめ細やかな感覚が舌に伝わる。それでいて、濃いうま味が口内を満たしてくる。一緒に海鮮丼をかっ込めば、これまた一段上の料理になったようだ。本当はトレーナーの言う通りに酒、特に冷酒でも行きたいところなんだけれど。

 

「ま、私は禁酒中だから、トレーナーだけでも呑んだら?」

 

 年齢的にも呑めるっちゃあ呑める。そして案外、ウマ娘は酒に強かったりもする。私事だが、結構呑んでも翌日に残るってことはあんまりなかったしね。ただまぁ、今は体を少しづつ中長距離向けに改造中だから、体の形成に影響のあるものは採らないようにしているって感じだ。特に酒は筋肉の生成効率を落としてしまうからねぇ。

 

「お前が吞めないのに俺が呑むのは違うだろ」

「そう?良いよ別に」

「駄目だ。酒と煙草はお前と呑むから旨いんだ」

 

 へぇ?

 

「嬉しい事言ってくれるじゃん。トレーナー」

 

 ってことで、海鮮丼の上に乗ってるブリとハマチを一枚、トレーナーの丼の上に乗っけてあげる。

 

「お礼ってことで」

「お、これはこれは。ありがとな。で、話は変わるけどさ。この後はシンボリルドルフとツーリングに行くんだよな?」

「うん。ルドルフの希望で夜駆けにね。あ、もちろん安全には気を付けるからさ」

「その点は心配してない。ただな、あのシンボリルドルフの希望っていうのがな?バイクとシンボリルドルフの組み合わせのイメージが、どうも頭に思い浮かばないんだよ」

 

 トレーナーの視線が不意に流れた。ま、確かにバイクに乗るルドルフっていうのも、なかなか想像しずらいかもしれない。基本的には真面目で堅物、レースとウマ娘に一直線でわき目も振らない。そんなイメージがあるからねぇ。でもまぁ、付き合ってみると判るんだけど、胸の内は結構な我儘お嬢様って感じだし、個人的には案外バイク向きな性格って感じがする。

 

「ま、ルドルフなりに色々あるんでしょ」

 

 軽く肩を竦めて、トレーナーには笑顔を向けておく。確かに、こう、ルドルフは気持ちが揺れてる姿とかは、あんまりトレーナーとかには見せていないんだろうなぁと想像がついてしまう。ま、最近こそ、色々と頼り始めているみたいだけれどね。

 

「確かに最近思い当たる節はあったな。直近だと一昨日か、ルドルフのトレーナーと話す機会があったんだが、色々変わってきていると耳には挟んでいるよ」

「へぇ?」

「例えば靴関係だな。お前ほどではないが、メーカーと掛け合って色々とやっているらしい。この間はルドルフのトレーナーも巻き込んで蹄鉄の議論を丸半日してたとか」

「真面目なルドルフらしいね」

 

 とことんまで突き詰めて、そして、結論が出るまで議論をする。そんな彼女の姿が容易に浮かんでしまう。きっと、メーカー側も相当苦労することだろう。ただ、彼女に妥協の二文字はないから、ソレが完成した時にはとんでもない完成度になることだろう。

 

「そういやぁ、話は変わるがお前の靴はどんな具合だ?まぁ、日々見ているからある程度判るっていえば判るが」

「アタシの?そうだねー」

 

 私の靴。と改めて聞かれるとちょっと困るんだよね。ある程度の完成を見たのだけれど、そのあとの突き詰めがどうも弱い気がしている。勿論トレーナーとも話してはいるのだけれど、最後は私の感覚になってしまうからねぇ。

 

「ま、時々話している通り、8割ってところかな」

「そうだよなぁ。その2割を突き詰められればもっとなぁ…」

「仕方ないよ。まだまだこの接着剤の蹄鉄は発展途上の技術ではあるからねー。無いもの強請りしても仕方ないよ」

 

 実用に耐え、全力で踏み込んでも壊れない。このラインはクリアしている。薄さも好み。ダイレクト感も好み。だが、それ以上の何かが足りていない感じ。

 

「今の蹄鉄は確か、鉄唇もないタイプだったよな?」

「そ。で、改めて言っておくと、開発当初の奴よりも材質は軽いものにしてあって、厚みもかなり薄くしてもらってる。参考にしたシンザン鉄から随分変わっちゃったけどね」

 

 最初は私の脚、そのパワーに耐えきれるようにと色々改良を加えていたわけなのだが、そこから一気に変更を加えたのが今年に入ってから。トレーナーのアドバイスもあって、『より地面を感じたほうがお前らしいんじゃないか?』ってね。

 

「でも、おかげで脚の調子はすこぶる良い感じ。トレーナーのアドバイスのおかげだよ」

「そりゃ良かった…だけど、その詰め切れないってのがなぁ。俺にも、もう少しそっち方面の知識があればな」

「あはは、気にしない気にしない。適材適所って言葉があるでしょ?トレーナーには十二分に力を貰ってるんだからさ」

 

 支えてもらっているし、トレーニングも見てもらっているし、自由にさせてもらっているし。これ以上の幸運は無いからねぇ。

 

「ま、お前の事はこれからも支え続けるさ」

「ありがと。本当、頼りになる背中だよ。じゃ、追加でマグロとエビもあげちゃう」

「おお、サンキュー…って、お前の具が無いじゃねぇか」

「気にしない気にしない」

 

 ときしらずとこの酢飯だけでも十二分に美味しく頂けるからね。ということで、丼に一枚のっけて酢飯を食らう。

 うん、美味しいけど、やっぱりお酒が欲しいかも。

 

 

 夜分遅く。月が照らす海に細かい波が立ち、まるでキラキラと夜空が海面に落ちたよう。その海沿いの道を、背中にルドルフを乗せてゆっくりと進む。無言ではあったのだけれど、不思議と嫌ではない時間だった。

 そして、ただただ走ることしばらく、海沿いに立つコンビニに入って、2人で缶コーヒーを開ける。缶コーヒー独特の苦みのある香りが、夜に呆けた頭を覚ますようだ。

 

「うん。バイクとはやはり、良いものだな」

 

 そう呟いたシンボリルドルフ。なんだろうか?私の背中で何を感じたのか判らないが、どこか、すっきりとした顔をしている。なんからしくないような?

 

「なぁ、シービー」

「なぁに?ルドルフ」

「改めて聞きたいことがあるんだ」

 

 そんなルドルフが不意に、こちらに真剣な顔を向けて来ていた。そして、私が一言を挟む前に、ルドルフの口が動いた。

 

「君はなぜ、走る?」

「んー?質問の意味が判らないよ?」

 

 なぜ、と来たか。うーん?どういう意図なんだ?ルドルフは。続きの言葉を待つとしよう。一口、コーヒーで口を濡らす。

 

「君は、ミスターシービーではない」

「そうだね」

「君は、この世界の人間ですらない」

「そうだねー」

 

 ま、確かにそうだね。体こそミスターシービーだけど、その中身はまぁ違うし。

 

「だからこそ今一度聞きたい。君はなぜ、走る?君はなぜ、トップを走ることが出来る?」

「んー、そうだねぇ」

 

 そう聞かれるとなんでだろう?改めて考える。

 

 ウマ娘が好き。うん、間違いないと思う。でも、それなら見ていればいいだけの話。

 

 ならば、ミスターシービーに成り代わったから?なるほど、それも確かにありそうだね。

 

 でも、多分、私の根っこはそうでもなさそうだな。理由ねぇ。理由かぁ?

 

 難しい事を聞くなぁ、ルドルフは。うーん…。思わず視線が泳いじゃうな。

 

「そうだねー。多分、明確な理由は無いよ」

「理由は、ない?」

「うん」

 

 ここに帰結するのだろう。と、自分で言葉を発しながら、納得する。それにあれだ。何事も、明確に理由なんてない事が多い。例えば、ウマ娘が好きだったから馬も好きになった。ぐらいな事。明確な理由は無いけれど、好きになった。あとはそうねぇ。ウマ娘が好きだから、創作してみた。そんな理由で色々と広がる物語だってあるわけだ。そんな話は五万とあるし、その先にとんでもないプロになって世間を動かすぐらいのものを生み出す人だっている。

 

「ま、それに」

 

 ただ、もちろんそれだけじゃあない。私がなぜここまで走れるかというのは、案外と簡単な理由なのかもしれない。

 

「みんなと出会ったからね」

 

 走るきっかけは今更思い出すこともない。私がミスターシービーになったから。いや、それよりも前の話だろう。私がレースという行為そのものが好きだから。だからこそ、私はバイクで常にサーキットにいた。だが、ウマ娘となった私がなぜかトップを走れているのは、みんなとの出会いがあり、運がよかったからだ。

 

「蹄鉄を改良し続けているメーカーの人々、私を匿ってくれている理事長、たづなさん、共に歩んでくれているトレーナー。あとは、バイクとか家なんかの面倒を見てくれているプロの人々に、タバコを容認してくれているURAの人々、応援してくれているファンの人々」

 

 自ら語ってみれば、間違いなく、私は周りに恵まれ、運に恵まれている。この体だって、最高の運による賜物だろう。

 

「あとは、競い合うウマ娘達。例えばそれは学園にいるウマ娘もそうだし、一緒にレースを走ったウマ娘もそう。全員の名前を言い始めると長くなっちゃうから…例えばそう、短距離マイル路線で待ってくれているピロウィナー、なんだかんだ付き合ってくれるマルゼン、一緒に高め合っているエース」

 

 いったん言葉を区切って、泳がせていた視線を、一人のウマ娘の顔で止める。

 

「そして、君もだ。シンボリルドルフ」

「私も」

「そ。君は間違いなく強い。きっと世代最強どころか、日本最強に一番近い。そんな君が私の背中を目指して、追い抜かんとしている」

 

 彼女と視線を合わせて、頷いた。

 

「こんなのさー」

 

 言いながら、心の奥底が熱くなる。

 

「燃えないほうがおかしいでしょ?」

 

 私がそういうと、一瞬、あっけにとられたようにルドルフの目が開かれた。が、次の瞬間にはその顔の口角が上がる。

 

「何が明確な理由がない、だ」

 

 ルドルフは鼻で笑う。まったく、仕方がないなと言わんばかりに。

 

「誰よりも強く、重い理由じゃないか。ミスターシービー。やはり君は、強いウマ娘だな」

「あはは。皇帝様、お褒めに預かり恐悦至極。ルドルフもどう?こんな感じに燃えてみない?」

「茶化すんじゃない。それに、言われなくても、私は既に燃えている」

 

 ルドルフの口角が上がる。まるで、肉食獣の笑顔みたいだ。

 

「ぷっ。ルドルフ、顔が怖いよ?」

 

 むに、と。間髪入れずに、ルドルフのほほを掴んで解してやる。こういうところはやっぱり、シンボリルドルフだねぇ。

 

「…まったく、君という奴は。シービー」

「っていうか、コレを聞きたかったの?」

「疑問に思ってしまってな。合宿中に二人きりになれると言えば、この方法しかないだろう?」

 

 次の瞬間にはふにゃりと、ルドルフの顔が緩んだ。まったく、ルドルフってば。

 

「で、どうする?この後は」

「聞きたいことは聞けた。それに、美味しいコーヒーも飲めた。満足したよ」

「そ。じゃあ帰ろうか。ルドルフ」

 

 この我儘な皇帝様を、安全にホテルに送り届けないとね。

 

 彼女のバイク。その背中で揺られながらも、改めて感じたものがある。

 

 アクセルの開け方、コーナーの曲がり方。シフトチェンジや、ブレーキから感じられる、自由で気軽でありながら…絶対的な自信。

 

 芯があると言い換えてもいい。ただ一つしかない、自分の道筋を突き進んでいる。

 

 レースの外。バイクの運転だけを切り取ってみても、誰よりも重く、誰よりも理想が高い。目の前の背中の大きさに、魂が震えるような感覚に陥っていた。

 

 それに加えて、彼女は全く知らぬ世界で、しかし、新たに一から関係性を築き、まるでそこに最初からいたような雰囲気すら漂わせている。

 

『度し難いとしか言えない』

 

 すべてを巻き込みながら王座に君臨し続ける王。ミスターシービー。その精神は、いったいどんなもので出来ているのだか、想像するだけでも恐ろしい。

 

『これを超える事は、容易ではない』

 

 しかし、彼女の背中を見てしまうと、どうにも、私の気持ちが昂ってしまう。

 

『本当の意味で、遠慮などしてられないな』

 

 なんせ、当の本人が自分すら使って高みを目指せと私に発破をかけたのだ。

 

 ならば、全てを食らい尽くして、必ず。



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カツラギエースの夏

 ある宿の一室で、一人のウマ娘が静かに椅子に座り、何かを読んでいるようだった。

 

『ミスターシービー、ジャパンカップで連覇なるか』

『無敗の三冠に突き進むシンボリルドルフ』

『無敗の三冠馬の対決はジャパンカップか、それとも有マ記念か』

 

 カツラギエースが読んでいる新聞。そのスポーツ欄には連日、ミスターシービーとシンボリルドルフの記事がやたらと並ぶ。

 

「やっぱりすげぇな。あの2人」

 

 溜息を吐いて、新聞を適当に机にぶん投げる。あの2人の対決は確かに盛り上がるんだろうなぁ、とカツラギエースも思っている。

 

「ま、相手にとって不足はねぇだろ」

 

 ある所では、カツラギエースの活躍というのは目立たず、注目もされていなかった。だが、この世界ではそれは少々、状況が違う。

 

『今年の秋戦線の注目はやはり、ミスターシービーとシンボリルドルフでしょうかねぇ?』

『ええ。確かに。しかしながら忘れてはならないウマ娘がおります』

『ほほう』

『カツラギエースですね。昨年のレース結果こそ惜しいものでしたが、今年は間違いなくシニア級のエースと言えるでしょう』

『なるほど。確かに宝塚の走りは圧巻でしたからね』

『そうでしょうとも。確か、彼女たちが最初に当たるのは秋のジャパンカップ。今から、彼女らのレースが楽しみで仕方がありません』

 

 どこからか、テレビか、ラジオか。そんな音声がカツラギエースの耳に届いていた。彼女は間違いなく、今のこのウマ娘レース界で5本の指に入る強者である。

 

「こう、名前を出されるってのは悪い気はしないよな」

 

 それに、何よりも。 

 

「誰よりも早いのはあたしだ。なんせ、あたしはミスターシービーのライバルだから。あの背中を最初に追い越すのは、私以外じゃ、嫌だ」

 

 手のひらを顔の前に上げて、目の前で握りこぶしを作る。

 

「シンボリルドルフにだって、先を越させてたまるかよ」

 

 勢いでは負けているのかもしれない。実力や、才能でも負けているのかもしれない。だが、それがどうした。私はカツラギエースだ。

 

「それに、ファンのみんなからこんな良いもん貰っちまったしな」

 

 ホテルの部屋、その片隅に立てかけられているのは『葛城栄主』の旗。ファンがこの合宿中に届けてくれた、願いの結晶だ。

 

「悪くないな。こういう、『願い』を背負って走る、っていうのも」

 

 カツラギエースの口角が上がる。

 

「ああ、シービーもルドルフも、きっとこれ以上の重いものを背負ってるんだろうなぁ」

 

 世代を代表し、レースをけん引する。その重圧たるや、いったいどれ程の願いの重さなのだろう。カツラギエースは一瞬だけそれに思いを馳せた。

 

「うん。…さぞ、気分がよさそうだ」

 

 その姿は、どこか、走りを楽しむミスターシービーを彷彿とさせるものだった。

 

「…と、まぁ、それはそうとして…アレ、取るなら合宿中だよなぁ」

 

 

 連日の激しい基礎トレーニングをこなしながら、カツラギエースは自らの実力が確実に向上していることを自覚しながら、その実力に合わせるように確実に自信を付けていく。

 

「もう一本行くぜ!トレーナーさん!」

 

 今日も今日とて浜辺でのタイヤ曳き。スタミナとパワーを伸ばし下半身を苛め抜く、過酷な鍛錬である。行いすぎれば無論故障を引き起こし、かといって抑えすぎればおいて行かれるという、絶妙な力加減が必要なのだが、残念ながらカツラギエースにその見極めは難しい。

 故に、このまま行動してしまえば、故障の可能性が増えていく領域に彼女はいた。

 

「ストップ!いったん休息を挟んでからね」

 

 その領域に突入する直前、止まれの声がカツラギエースの耳に入った。その声は、耳馴染みのある声で、カツラギエースの体がその場に留まった。

 

「まだまだイケるぞ!?」

「駄目なものは駄目。傍から見てると、フォームも崩れて変なところに力が入り始めてる。少なくとも、乳酸を抜いてからね」

「はーい」

 

 しぶしぶといった具合で、トレーナーの元に戻ったカツラギエース。間髪入れずに、トレーナーはドリンクを彼女に手渡し、敷物を砂浜に敷いた。

 

「じゃ、座って休もう。1時間とは言わないけれど、15分ぐらい休憩しよう」

「判ったよ」

 

 ふう、と一息をついて腰を下ろしたカツラギエース。さらさらと、夏の風が彼女らの間を抜けていき、その心地よさに思わず目を細めた。トレーナーの用意していたドリンクも良く冷えているようで、カツラギエースの喉がよく動く。

 

「美味しい。ありがとう、トレーナー」

「どういたしまして」

 

 その眼前の砂浜を、よく見慣れたウマ娘達が通り過ぎる。ピロウィナーが浜辺ダッシュをしていると思えば、シンボリルドルフとミスターシービーがタイヤを曳いて競い合い、マルゼンスキーがそれを見ながらランニングを続けている。

 

「トレーナーさん。やっぱりすぐに再開したいんだけど」

 

 どうやら今日は、見知ったウマ娘が浜辺に一堂に会しているらしい。そんな彼女らに刺激を受けているのだろう、カツラギエースの耳が我慢できないとばかりにピクピクとせわしなく動いている。それを見たトレーナーは、思わず苦笑を浮かべていた。

 

「気持ちは判るけど駄目」

 

 再度ストップをかけて、よぉくカツラギエースを観察するトレーナー。顔色はさっきよりは戻った。だけれど、まだ息は上がっている。汗も引いていない。足元はまだ震えているし、手先の爪がまだ白い。貧血気味と言ってもいいかもしれない。少なくとも、まだ走らせることは出来ない。

 

「はたから見れば限界だよ。カツラギエース」

「…ちぇ」

 

 自覚はあったのだろう。その言葉に、耳がしょんぼりと垂れて、大人しく休むように息を吐いていた。そして、改めてドリンクを口に含む。

 

「やっぱりシービーはすげぇなぁ」

 

 どこか遠くを見ながら、そう呟いたカツラギエース。ミスターシービーはまず、怪我をしない。そのうえで、毎日の練習を休むそぶりを見せていない。それがまた、周りのウマ娘の気力を引き出していた。

 とはいえ、その実態はミスターシービーとはいえレース前などは練習を軽くし、休息も十二分にとっているわけであるが、傍から見れば、練習の鬼と捉えられる事だろう。

 

「ふふ。そうだね」

 

 カツラギエースのトレーナーは、ミスターシービーの息抜きに気が付いている。今日もああいう風にタイヤ曳きを繰り返しているが、案外と午後の暑い時間などは宿に帰っていたりするし、かき氷を楽しく食べていたりもする。

 ただ、その隠し方が旨い。昼食と見せかけて姿を彼女のトレーナーと共にくらますものだから、知らぬものからすると、どこかで秘密の特訓をしているのだろう、と映るのだ。ある日、カツラギエースのトレーナーは偶然に、ウマ娘が寄り付かない『喫煙可』の海の家で休んでいる彼女らを見つけた。

 

『なるほどね』

 

 と、納得してしまったのは仕方のない事だろう。狙っているのか、普通のウマ娘のトレーナーすらも寄り付かない場所で、ひとしれず息を入れる。確かにこれは有効な手段である。しかし。

 

「でも、練習内容はエース、あなたも負けていない」

 

 これは間違いなく言えるであろう。少なくとも息を入れつつ練習を繰り返すミスターシービーよりは、その時間は、負荷は大きい事だろう。だからこそ、その見極めをしなければならないと、トレーナーは深く決意を固めている。自らが手塩に掛けるウマ娘、カツラギエースがミスターシービーと、時代の皇帝に勝つ。その瞬間を夢見て。

 

「判ってるよ。トレーナーさん」

 

 それはきっとカツラギエースも同じだ。何度負けようとも、必ずミスターシービーに勝って見せる。その信念が灯る瞳には、強い輝きが湛えられている。

 



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