黒い刺客に成り代わったブルボン推しがデビューを1年ゴネる話 (ィユウ)
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PAGE:01 『RE/BIRTH 事態はやはり突然に』

本来の世代と別の世代で戦うifって作ってる人少ないんじゃないか。そんな思いから始まり、色々くっついて出来たもの。

そしてハヤヒデ、すまん。


BNWの影にうごめく刺客。ノーマークから主役に躍り出た鬼才。

人は彼女をそう呼ぶ。

 

()()()という唯一無二の偉業を遺した名優が去った春の天皇賞で、レコードタイムを叩き出したその勝利に、新時代の到来を感じ取った人々は震えた。

 

 

名優は惜しむ様子でこう語る。

 

『あと一年早くデビューしてくだされば、きっと戦えましたのに』

 

坂路の申し子と呼ばれ、才能の壁を努力で覆した()()()()()()()()()()ウマ娘は、わずかながら感情の伺える声色で語る。

 

『……彼女が同世代にいれば、三冠というタスクの難度は劇的に上昇していたと推測されます。しかしながら、そのパターンで予測される獲得マテリアルはリスクを踏まえても得るべき、いや得たいと思考した……させられました』

 

 

彼女の強さを、誰もが知っていた。

ある者はもしもを夢見た。絶対を打ち壊してくれたかもしれないその背中を見て、運命の悪戯に嘆息した。

 

 

──そして誰も、彼女の心中を知らなかった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「──マジかよ」

 

姿見を前に、可憐な声色に似合わぬ砕けた台詞を口走るウマ娘。

 

より詳細に語るなら、成人男性の人格を内包したウマ娘といったところか。

 

「これが憑依転生ってやつか……?」

 

目を醒ました、つまり転生に気付いたのはほんの少し前に遡る。

 

彼の意識が覚醒するまでのこの肉体は、本来の持ち主のような生活を送っていたものの、5歳という物心つく年齢になってきた頃、母に新しく買い与えられた絵本を開こうとするところで、表紙を前に動きが止まった。

 

しあわせの青いバラ──。そのキーワードを認識した瞬間、男の自我は解放された。

 

濁流のように溢れ出す人格、記憶、諸々のデータが脳内を書き換え、最適化していく感覚を味わう忘れがたい経験ののち、状況は今に至る。

 

「んー……いててっ」

 

頬や腕やら体の適当な部分をつねってみるが、どうやら夢ではなさそうだ。

 

大きく息を吐き出し、ようやく現状を完全に飲み込む。

 

(まあそりゃ、色々読み漁った身だし、夢見たことはあるっちゃあったけどさ)

 

『転生』と題したライトノベルが人気を博すこともしょっちゅうだった故、それなりに二次元道楽を嗜む身だった彼にとって状況把握は容易かった。

 

(この目、髪質、デカイ耳……間違いない、ライスだな。ウマ娘の)

 

鏡に映る自分を眺め回し、再度状況を認識する。

何度見直しても、鏡に居るのはウマ娘『ライスシャワー』の姿だ。幼齢ながらも、低身長な印象が先行する原作とイメージはそう遠くない。

 

(んー……)

 

自惚れでなければ、彼にはウマ娘についてもおそらく平均以上の知識があったし、比重はゲーム版寄りであったものの、特典が付くと知ればアニメを収録した円盤を手に入れる位には熱量も備えていた。

 

(しかし、ライスか。うん)

 

当然円盤の中身も検めているし、ゲームに実装されたキャラクターストーリーもかじった身だ。知らない訳ではない。よく知っているとすら言える。

しかしそれは、少々込み入った理由があったからだ。

 

 

 

「一番好きなのブルボンなんだよぉぉっ……」

 

 

 

この男、ミホノブルボン推しであった。

 

無機質なストイックさを保持しながらも、機械音痴だったりどこか抜けていたり、そんなギャップが生み出す魅力に惹かれたのだ。

 

その彼女の最初で最後の宿敵になってしまうとは、今の今まで思いもしなかった。

 

沸き上がる困惑に揺さぶられるように悶えた後、いくらか冷静さを取り戻し思考を回転させる。

 

(どうする、どう動けば良い?)

 

まず身の振り方に悩む。このまま選手として彼女の道をなぞるのはリスキーだ。

 

(問題は、ここがどの媒体の世界線か、だ)

 

アニメ、ゲーム──特にライスはメインストーリー、育成シナリオの差異もある──、その他諸々がある訳だが、それ次第でこのライスシャワーは割とキツい目に遭うことになる。ラストランとなる宝塚記念の顛末も、時系列の調整が入っている育成ストーリーでしか示唆されていないだけに気掛かりだ。

 

──何よりひいきのウマ娘(ミホノブルボン)を夢の一歩手前で打ち負かすという、業の深いことをどのみちしなければならないのがネックだった。

 

(……いや、レースに出なきゃいけない義務がある訳じゃない、今までみたいな日常を送るのだってアリだ……でも)

 

そこで男は一度、レースと縁遠い環境に行こうと決めた。

 

しかし、打算を司る感情が「大当たりの才能をかなぐり捨てるのか」と語り掛けてくる。

なるほど、確かに未来のGIウマ娘の体になったのだ。それを知っていて活かさないのは愚行と言える。

 

(ライスの体を……どんな形であれ奪ってしまったというのに、俺は走ることから逃げるのか)

 

加えて、持ち主への負い目も判断を鈍らせた。

 

(けどなぁ……バッシング覚悟で勝つ気力はないぞ)

 

しかし、どうしてもあの菊花賞を描く物語が脳裏によぎってしまう。

勝てばブーイングを浴びると知りながら、本来のライスシャワーの如き血の滲むような努力をするのは心理的に難しい。

かといって、もし手を抜いてブルボンの三冠を眺めたとしても、必ず後悔が残るだろう。

 

開き直ってティアラへ行くのも考えたが、長距離を主戦場とする彼女の才能で歩むには厳しい道だ。

スプリンターやマイラーとして活躍するのも、ゲームからして適性ランクが低い故に難しいだろう。

 

悩み、いつまでも悩み、あることを思い出す。

 

(──待てよ、デビューする年齢って決まってるのか?)

 

同年デビューのミホノブルボン、ライスシャワーが高等部であったのに対し、マチカネタンホイザは中等部からのデビューだったように、学年には隔たりがあったことを。

 

(何歳からなんて決まりはなかったはずだ。ドトウやフラワーのシナリオを見た限りじゃ本格化がいつ来るか次第で決まるんじゃなかったか)

 

そして考える。

ニシノフラワーという小学校から飛び級の身分でも出走した例があったように、本格化を迎えればデビューなどいつでもよいのではないかと。

 

(デビューはブルボンたちとは別にして、出来れば数年遅らせられれば……)

 

本来よりデビューを一年でもズラせれば、史実における古馬戦に出ないブルボンとかち合うリスクは大いに減らせる。

 

これならば、努力のベクトルをしっかりと勝利に向けられるのではないか。保身も兼ね備えたその案は実に魅力的に見えた。

 

「……よし、これで勝負に出よう!まずは──」

 

方針が確定すると共に、歩まんとする道が鮮明に見え出す。

だがそのためにまず、やっておかなければならないことがあった。

 

 

「あの娘の口調、真似なきゃな……」

 

 

元の彼女らしく振る舞うこと。

 

「が、がんばるぞ〜、おー!」

 

試しに姿見へ向かって例の台詞を口走ってみるも、羞恥心に沈んだ。

 

 

 

──ここは幾多ものifの世界のうちのひとつ。

 

 

 

世界を動かすきっかけは、決断ひとつで十分なのだ。




次回、『万事は初手で決まる』。


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PAGE:02 『RE/START 万事は初手で決まる』

トレセン学園の試験ってどんな感じなんだろ。


「……ん」

 

ライスシャワーの朝は早い。

 

特にトレセン学園の入学試験がある今日この日は。

 

毛布を突き飛ばすようにして上体を起こし、思い切り伸びをする。

 

同時に欠伸も飛び出す中、すぐさまベッドを降りてドレッサーに向かい、櫛を手に取ると長髪をとかす。後は馴染みの帽子を被れば、いつも見ているライスシャワーの完成だ。

 

「……」

 

ふとドレッサーから距離を取り、自分の姿を眺めてみる。

 

成り代わったと気づいた数年前から、特に外見の変化はない。

 

よく食べてそれなりに動いて、牛乳を飲んで寝る生活を送っている身だが、一向に身長の伸びるペースが早まらない。

 

このまま145cm(原作通り)に収まる運命なのではないか、との不安がよぎるが、まだチャンスが潰えている訳ではない。

そう決意を新たにして自室を飛び出し階段を下ると、キッチンには母の姿があった。

 

「おはようお母さまーっ!」

 

「おはようライスちゃん。今オムレツ作ってるから、机の上のパン、スープ、サラダを食べて待っていてちょうだい?」

 

「はーい!」

 

手慣れた意気揚々な返事──やっているうちに本家よりテンションが高くなってしまったのは内緒だ──と共に洗面所に行き、手洗いうがい顔洗いを済ますと席に着いた。

 

「いただきます」

 

食前のルーティーンを済ませると、ジュー、と卵に火を通す爆音をBGMに、山並みに積まれたパンを一つ取り齧る。内容物は無かったことから、スープに漬けて食すことを前提としているようだ。

 

薄黄色のスープの入ったお椀を手にして小刻みに揺らしてみると、どろっと水面が歪む。

さらに鼻を近付けて香りを確かめたところ、コーンスープの類いであると結論づけ、早速パンの断片を掬うように漬けると口に運んだ。

 

(美味ぁ……)

 

水分を含み柔らかくなったパンに舌鼓を打った後、勢いでサラダを掻き込むように平らげ咀嚼していると、机に新たな皿が現れる。

 

「はいお待たせ、メインディッシュよ!」

 

にんじんとウィンナーを付け合わせにしたオムレツが運ばれる。眼前のパンの山と比べれば微々たる量だが、それ以上に美味だ。

なぜ他人が作る薄焼き卵の類はこんなにも美味いのだろう、と考えながら形がなくなるまで咀嚼する。

 

やがて原典のごとき胃の広さを発揮し、出された料理を胃に納めていくライス。

そのとき、階段を下る音が聞こえた。

 

「やあおはよう、ライス」

 

「おはようお父さまっ!」

 

「おはよう、あなた。朝ご飯出来てるわよ?」

 

父はありがとう、と告げライスと向かいの席に着き、彼用のカゴからパンを取ってスープと共に食らい始める。

 

「二人とも食べ終わったら準備するのよ?今日はライスの大事な試験なんだから」

 

サラダを頬張りながら母にもちろん、と頷く。父も対象に含まれているのは、彼が送迎担当であるからだ。

 

「父さんがしてやれることはこれくらいだが……ライスは賢い子だ。きっと受かるさ」

 

「ふふ、ありがとうお父さま」

 

父の激励に、苦笑いの成分が混じらないように微笑み返す。前世から記憶を引っ張ってきているからそう見えているだけだ、そう考えて恥ずかしくなってしまうから。

 

「辛くて仕方がなくなったら、いつものあれをやりなさい!がんばるぞ、おー!」

 

「お、おー!」

 

続けて振られた例のセリフに慌てて追従する。このセリフは母親仕込みだったか、と取り留めのないことを思い出しながら、また羞恥心に沈む。

成人男性のメンタルには大いに響くので勘弁してほしいものだ。

 

「はむっ…ごちそうさま!用意してくるから!」

 

ぽつんと残ったパンひとつを一口で頬張り、完食を告げそそくさと自室へ逃れた。

 

さて、父が食事や出発用意を終えて召集が掛かる前にバッグに詰め込んだ物の確認を行わなければならない。

 

中身を検めると、子供用の簡易携帯電話、筆記用具、諸々の暗記帳、タオル、スポーツドリンク、糖分補給用のタブレット等々が出迎える。

実技試験か何かしらで走ることになると思っていたので、着替えの類がどうなるか気掛かりだったのだが、体操服は向こうが貸してくれるとのことなので下着やソックスのスペアを放り込むに留まった。

 

(……異常なし)

 

そう、異常なし。準備が万全であることは立証されたものの、逆に出発までやることがなくなってしまったとも言える。

仮にも受験直前というピリつく状況でなにもすることがなくなるのは、いたたまれないような気分に陥る。こんなことなら、完食のタイミングをもう少し粘ればよかったと後悔した。

 

(落ち着け、こんな時は……そう、試験内容の復唱だ)

 

気を紛らわそうと、試験の大まかな流れを諳じる。

 

一つ。筆記試験があること。だが小学生の身分で受けるテストなのだ、あまり問題ではない。

 

一つ。面接をやらされること。前世で就活をしていた際にマナーを頭に叩き込んでいた経験があるため、付け焼き刃以上には機能するはずだ。

 

一つ。模擬レースをさせられること。これが一番の懸念事項だった。

 

キッズ用のちびっこレースという舞台で何回か走ったことはあったが、それと比較にもならないだろうことは想像がつく。

 

また距離も問題だ。メインストーリーにて、BNWのユニット名で知られるウイニングチケットら三人が、入学当初のトレーニング授業で『通例の2倍となる2400mの走行に挑戦した』というエピソードがある。

そこから逆算すれば短距離、長くてもマイル戦程度の距離で能力を試されると考えられた。

 

(ライスの適性は短距離E、マイルCだったはずだし、早速厳しい関門だよなぁ)

 

ステイヤーには、スプリンターと同じ瞬発力は出せない。

他にもネームドウマ娘と当たったら?とか接触の危険は?とか、次々と降って湧く懸念に押し潰されかけるが、堂々巡りになるだけでどうにもならないと切り捨てた。

 

(いや、ビビりすぎだな。頑張ればハルウララが有馬記念を勝てる世界だぞ?)

 

かつてウマ娘界隈を賑やかした一大チャレンジを思い出し、唐突ながら失笑する。

あれが可能ならこの程度の挑戦は些事に等しいな、とひねくれたプラス思考を発揮したところで、ライスの耳は呼び声を捉えた。

 

「ライスー!降りてきてくれー!」

 

それは父の声だった。どうやら出発の時が迫ってきたらしい。

 

「はーいただ今ー!」

 

努めて大声で返事を繰り出しながら、荷物を手に取り階段を下る。

 

がんばるぞ、と心中で唱えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称トレセン学園。

 

『中央』と称され国内最高峰の規模と実力を誇るその機関では、新たな才能の原石を見極める試験が行われていた。

 

志望者に立ちはだかるのは、筆記や面接の他に実技、すなわちレース。どれほどの血統、経済、教養を有そうと、走りの才がない者に門は開かれないのである──極稀に例外はあるが──。

 

東京レース場を模した練習コースに集められた入学志願者たちによる、模擬レースが幕を開ける。

 

ゲートは使用されず、一定のラインから教官の掛け声によってスタートが行われる。

 

そして一列に並び、駆け出したウマ娘たちの姿を、場外から捉える二人の影があった。

 

「始まったわね」

 

「ああ。誰のレース人生の嚆矢濫觴(こうしらんしょう)となるかな?」

 

レースを眺めるのは、最強と名高いチームリギルの一角にして怪速逃げウマ娘『マルゼンスキー』。

その隣には、同じくリギル所属の無敗三冠を打ち立てたレジェンド『シンボリルドルフ』が肩を並べている。

 

「誰が名を上げると思う?」

 

コースを見やると、メンバーはプレッシャーや熱狂にあてられているのか、逃げ、先行勢の暴走に引っ張られる形のハイペースなレースが行われていた。

そうねぇ、と考え込むマルゼンの食指は、先団から一歩引いた位置にいる小柄なウマ娘に動いた。

 

「お、あの娘なんか一味違いそうよ?5番の──」

 

「……ライスシャワーか」

 

目星をつけて名を言う前に答えを被せてきたルドルフに、ややあんぐりとするマルゼン。

 

やはり図星か、とルドルフは笑いながら持論を語ることにした。

 

「入学が懸かったレースなんだ、掛かってもおかしくない……というジョークはさておき、ハイペースに呑まれない冷静さは評価に値する」

 

焦りから来る無闇な加速は、大抵ロクなことにならない。それでも現役ウマ娘でさえ逃れ難いバッドステータスであったが、ライスにその色は伺えなかった。

 

「ええ。それに自分の戦い方を信じている……というより解っているような感じもするのよね」

 

ライスの冷静さを捉えたマルゼンの見解にルドルフは頷く。

ウマ娘に、己の全力を引き出せる作戦というのは必ず存在する。黄金パターンを確立している者が結果を出すのは世の常であり、作戦への信頼は焦燥の抑制に直結するのだ。

だがそれは本来、試行錯誤を積み重ねてようやくたどり着くものであり、一朝一夕で培えるものではない。

 

「よほど影響を受けた存在がいるのか、それとも……」

 

己の適性を知っていたとでもいうのか、と続けようとして首を振った。

 

「ん?加速してきたわよ?」

 

訝しげに呟くマルゼンに引っ張られて見やると、コーナー入ってすぐにも関わらずスピードをジリジリ上げているライスが目に入る。

重賞レースであったなら、まぁなくはない光景だろうが、まだ発展途上の新入生候補が掛けるスパートの位置としては早すぎる。今までセーブしていたとはいえ体力が持つのか?と眉間に皺が寄るルドルフだったが、眺める内に失策ではなかったことを知ることになる。

 

「ロングスパート……か」

 

長距離走者が採ることが多いそのスタイルは、ゴール間際の全力加速で帳尻を合わせる一般的なスパートではなく、巡航速度を長期的に底上げすることで優位を狙うものだ。

 

(だがこの距離では……いや杞憂か)

 

このレースは、新入生たちの身体的な事情も考慮し、マイル戦程度の距離に留まっている。彼女がアドバンテージを保持しているであろう持久力をフルに活かすには短い舞台と言えたが、熱に浮かされた前衛を尻目に前へ前へと脚を進めていく。

 

直線に入って先頭集団が一杯になるかそうでないかの二極化の様相を呈したところで、前者たちの後退を躱すライスがハナを捉える。

 

だが先団も腑抜けではない。是が非でも押し切らんと活力を捻り出す。

 

「いい逃げっぷりだけど……足りないわよね」

 

だが怪物には、それが刺客の追走を振り切れる逃げ足とは映らなかった。

 

結局、ぬるっと差しきったライスが先頭でゴール。

 

「……あれはステイヤーとして鳴らすだろうな」

 

「そうね、マイル走くらいにしたのは勿体なかったんじゃないってくらいに」

 

言外にせめてもう少し長ければ独走していた、と語るマルゼンにルドルフは苦笑する。

 

「仕方あるまい。誰もが同じ才能を持っている訳ではないのだから、測るにはあれくらいが適当なんだ」

 

でもねぇ……と栓無く惜しむマルゼンを尻目に、次のレースが始まる。

 

「ん、いいんじゃない?あの先頭の娘!」

 

指を指した先にいたのはレースを先頭で牽引するウマ娘『ミホノブルボン』。

 

表情から感情は読み取れないが、見れば走るフォームも周りと比べて洗練されていた。

我流で走る者も多い中、彼女のみ現役なのではと見間違う程度には。

 

「確かに……入学前ながらも手慣れている。もしかしたら身内に指導者がいたのかもしれないな」

 

「ええ。それに才能も十分あると思うわ。本番でも調子を乱さないなら、短距離のレースを走れば敵はいないんじゃないかしら」

 

話が一段落してレースを眺めていると、やがてブルボンが勝利した。圧勝だ。

 

これは抜けたな、と二人が確信したのち。

 

(この逃げ足なら……さっきの娘と戦ってみてほしい所だけれど)

 

ふとマルゼンが先ほどレースを終えたライスの方へ目をやってみる。

 

(──っ)

 

彼女の浮かべていた形相に、思わず息を飲む。

わずかにつり上がった口角からは、獣が獲物を見定めたがごとき愉悦の色が垣間見えたからだ。

後の好敵手同士の因縁が芽生える、そんなワンシーンを見たようなゾクゾクとする感覚が支配する。

 

「……今年の子たちも、退屈させてくれなさそうね」

 

「ああ。例年に漏れず豊作だな」

 

マルゼンの意図の全てを汲み取ったのかは定かではないが、ルドルフも新入生候補たちには満足げだ。

 

こうして、入学試験は続いてゆくのだった。

 

 




偽ライス君「生ブルボンパネェ……!」ニヤニヤキラキラ

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PAGE:03 『RE/FLECTION 悔恨、一新、合否』

UA10000感謝投稿回。


父の乗用車に乗り込んでまもなく、徐々に小さくなっていくトレセン学園を眺めるライス。ふと交差点の赤信号に遮られ停車すると、緊張から解放された彼女は開口一番こう言った。

 

「あぁキツかった」

 

一時停車による微震に揺られながら数十秒頭を空っぽにしていたが、青信号と同時に思考はまた動き出す。

 

(いやあ、入学受験は強敵でしたね)

 

脳内でうろ覚えのネットミームをもじりながら試験を回想してゆく。

 

特に危なげなく完答した筆記は特筆しないとして、面接の緊張感はなかなかだった。理事長を務める秋川やよいと生徒会長のシンボリルドルフという、お馴染みの学園トップ組を相手に色々語らされたのだが、ルドルフが無意識に放っているであろう、目に見えない何かに五臓六腑を締め付けられる感覚が、肉体にこびりついて離れてくれない。

 

訊かれたことは無難に捌いていったつもりだが、貴方は何故走るのか?という質問に「この身に生まれたからには成し遂げねばならない事柄であったから」と答えたのは狙い過ぎだっただろうか。

 

(模擬レースだって……そう易々といかなかったし)

 

なら実技試験はといえば、これから挑む壁の高さを感じる内容だった。

 

最初に面食らったのは自分と周囲との意識のギャップだ。内心で「入学試験の模擬レースなんて消化試合だ」と舐めていた自分に対し、心構えの地点で既に後手に回っていたのだ。

 

レースが始まってもそれは変わらない。やたら前でガツガツ競り合いが行われるので、掛かるリスクと接触を懸念して一歩引き、対応を先延ばしにする内に外からロングスパートを掛けて追い抜く雑な手段をとるしかなくなっていた。

 

もしあのレースがマイル戦よりも数段早い選択を迫られる短距離戦だったならば、自分に叩きつけられたのは不合格の三文字だろう。

 

(ジョッキーの人たちはこんなエグいことしてたのか)

 

馬に跨がって行うのと走者として行うのでは感覚は違うだろうが、一秒毎に激変する状況下でコース取り、加速、マークの判断を適時下してゆくのは想像の数十倍神経を磨り減らす作業だ。

 

何よりおぞましいのは入学前の段階でゼーハー言っているこの現状である。数時間前のように自分がライスシャワーである、ということに甘えているならすぐにでも脱落するだろう。

 

(おい前世の俺、聞こえるか?画面越しに見てた世界はこんなにもシビアだぞ)

 

過去の何も知らなかった自分に叫びつつ、またも赤信号で停車した反動のなすがままに体重を背もたれに預けた。

 

「随分お疲れだな、ライス」

 

もたれかかった際に大きく息を吐いてしまったので疲労困憊ととられたらしく、軽く心配げな父の言葉が飛んで来る。

 

「ううん、レースって大変だなって思ってただけ」

 

「……上手くいかなかったか?」

 

捻り出した答えを試験結果の不安と受け取ったのか父の声に心配の色が強まるが、ううんと首を振って少々語ることにした。

 

「一番にはなれた。けど、思い通り、願い通りなものじゃなかったの。周りの皆が必死になって走ってるのに私は引け腰に戦っちゃった」

 

混戦の最中、目の前で選択肢が次々消えていくあのレースの映像を思い起こしながら伏し目がちに言葉を紡ぐ。

 

「私なら大丈夫だって、だめなナメ方をしてた。走ってる内にやりたいこともやらなきゃいけないこともどんどんできなくなって、ああ、ちびっこレースとこんなに違うんだって考えさせられた」

 

前世からウマ娘が走る姿を見ていた、粒ぞろいだったその中の一人になった、事前のイメージトレーニングは万全だった、だから何だ。そんな本気のレースになれば吹っ飛ぶような自信なんて慢心でしかない──。そんな悔恨を込めるように言葉を吐き出す。

 

「……そうか」

 

言いたいだけ言った彼女の独白が終わり、短く呟いた父の声と共に会話に空白が生まれる。

その数拍の間に形容しがたい感情を増幅させてゆくライスだが、その思考が一瞬吹っ飛んだのはすぐ後だった。

 

「それに気付けるなら、ライスはだめな子じゃないさ」

 

え、と首を持ち上げるライスをルームミラー越しに見届け、父は語る。

 

「油断なんて誰だってするものさ。それに気付けないからこそ失敗は起こるんだ。本当に物事をナメている人はハナからナメているなんて思ってない」

 

そこまで言うと三たび赤信号に遮られ停車したのち、それに、とこちらへ顔を向けて彼は言う。

 

「ライスはさっき言ってたじゃないか、「一番にはなれた」って。ならまずはそれを喜ぶべきだ」

 

その表情は「なんでそんなシケた顔をしてるんだ」とでも言いたげだ。

 

参ったな、と首元を掻くライスの口角は、笑いかけた父につられて緩む。

 

(悲観的になりすぎていたかもしれないな)

 

当人がどれだけ気に入らずこき下ろしたものだとしても、勝利、成功の価値は替え難く尊いものに変わりない。

画面越しにウマ娘を育成していたときだってそうだったろう、と自嘲した。

 

思えばあのとき、何もかもが100パーセント上手くいった育成などしたことがなかった。サポートカードの連続イベントが最後まで進まずにレアスキルを取り逃したり、思いがけずやり直しの効かない敗北を喫したり、一桁の失敗率に引っ掛かったり、唐突なやる気ダウンに喘いだりとアクシデントはしょっちゅうだったが、評価点の自己ベストを叩き出したときに感じたのはそれらの後悔よりも達成感だったはずだと、上手くいかないこともゲームのうちだと楽しんだからこそ1.5年も同じゲームを継続できたんだと思い出した。

 

ならば、反省して沈み込んでばかりはいられない。

 

「……ありがとう、お父さま」

 

「いいんだ、子供を励ますのはいつだって親の仕事だろう?」

 

父はそう言うと同時に、信号の青点灯に伴いアクセルペダルを踏み込んだ。

 

「実はな、ちょっと寂しかったんだ」

 

ハンドルを右に切りながら飛び出た父の声に、ライスの首がまた持ち上がる。

 

「小学校の先生からライスはいつもテストで満点を取るんだ、利口な子なんだ、係の仕事も誰より善くこなしてくれるんだ、なんて聞かされて嬉しかったけれど、ライスはあまり父さんたちを頼ってはくれなかったからね」

 

その告白に思わず苦笑する。転生者の特権を行使したツケがそんな形で回ってきているとは、思ってもいなかったからだ。

 

「だから娘が自分に初めて弱味を見せてくれて嬉しいっていうか……身勝手かもしれないけどね」

 

そう言って何とも言えない表情を作る父。

発言に込められていたのは、いわゆる親心というものなのだろうか。前世でも妻子を得たことがない自分にはわからなかった。

 

しかしどうにも気恥ずかしくて仕方がない。この話題からなんとなく逃れようと思ったライスは前々から気になっていたことをぶちまけることにした。

 

「……それにしても、今日はよく信号に引っ掛かるね」

 

「はは、神サマがライスに嫉妬してるんじゃないか?」

 

ふふ、と父のジョークに失笑をこぼす。

だとしたら原作のライスはどれだけ妬まれてたんだよ、と内心突っ込まずにはいられなかったが、気の悪い考え方ではないことは確かであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それほど長くない時が経ち、試験の合否が決まる封筒が届いてきた。

 

「開けるよ、お母さま、お父さま……!」

 

封を切ろうと力む娘を両親は固唾を飲んで見守っている。

 

シールの接着面が紙の表面を引き剥がす鈍い音が響いたのち、それは間もなく開かれた。

 

差し出されたのは吉報か、凶報か。わずかに震える手で内容物を取り出すライス。

 

三つに畳まれた書面をパタンと開き、文章に目を走らせる。

 

ある二文字に飢えた目はすぐさま目標を捉えた。

 

「受かっ、たぁ~っ……」

 

合格の文字を見届けた瞬間、思わず脱力感に囚われて後ろに倒れ込んだ。

 

狂喜乱舞する両親の声が響き渡るが、ライスには三割も届いていない。

 

「お祝いだな、ライス!今日は飛びきりのご馳走にしよう!」

 

「ええ!おめでとうライスちゃん!」

 

緊張の反動の渦中にあったライスの肉体は、しばらく可動を要求してくれなさそうだったが、なんとか右腕を掲げピースを作って応える。

 

親戚に連絡しなければ、と興奮冷めやらぬ様子で固定電話に手を掛けた母を見届け、ライスの意識はグルグルと回る思考の海に沈んだ。

 

(やっと、スタートラインに立てた)

 

もし受かれなかったらどうしようか、と心の片隅でずっと考えていた。推しを一目拝む機会が減るというのはそうだが、この世界の道筋を乱してでも、という選択肢を取ったあの日の決断が泡沫に消えるとなれば、恥ずかしいどころの話ではなかったからだ。

 

しかし、これからだ。トレーニングに、デビューをずらす言い訳づくりに、やることは山のようにある。

 

手汗で若干ふやけた合格通知を見やり、そう決意を新たにした。

 

 

 

 

──数時間後。親戚やディナー先やらに電話をかけ倒していた母がようやく落ち着いてから、ライスと父と母は面と向かってカーペットの上に座っていた。

言うことは言ったと思っていたが、そうでもなかったらしい。

 

「まずは合格おめでとう、ライスちゃん」

 

おそらく二回目となる母の祝福の言葉から、この会合は始まった。

 

「実は話さなきゃいけないことがあって」

 

なんだなんだ、とライスの好奇心が煽られるが、続いて飛び出したのは仰天の告白だった。

 

「母さんたち、海外に転勤する話が来ているの」

 

「えええええ!?」

 

耳がピーンと立つくらいの驚きぶりを見せてみたものの、内心ではそこまでの衝撃は感じていなかった。

ライスのサポートカードの連続イベントにて、両親が海外に居住していると語られていることを知っていたからだ。

 

「言ってなくてごめんな。先月くらいにその話が上がっていてね。ライスの受験のこともあるし保留にしていたんだが……」

 

「トレセン学園は全寮制だから、合格したら母さんたちがいなくても暮らしていけると思ってずっと考えてたんだけど……ライスちゃんはどう?」

 

アバウトな質問に内心困惑するが、我儘は無用だと切り捨てて回答を口にすることにした。

 

「うん、私は一人でも平気だよ!……私の走るレース、海の向こうからでも見ていてくれたら嬉しいな」

 

「……ああ、もちろんだ。ライス」

 

「ありがとう。まとまった休みが取れたら帰ってくるからね!」

 

涙をこらえながら言う父に抱き寄せられ、続けてそこに母も加わる。

 

これから会えなくなる分を取り返すが如く、その抱擁は続いた。




次回、やっとこさ入学です。

マイページの通知欄に新着感想の報せがあると、ものすごくニヤニヤできてモチベーションが上がるのでどしどし記入願います。

そしていつもお読み下さる皆様に最上級の感謝を。


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PAGE:04 『RE/ENTER 来たれ、語られ、あんた誰?』

ナカヤマフェスタを賭けた大一番(ガチャ)に負けちまった……って凹みながら日間ランキング覗いたら8位くらいにいてマジでビビったんだがありがとう(困惑)投稿。


「──そこで、我々生徒会役員、関係者各位は、新入生である諸君らが唯一無二の活躍を残せるよう願い、助力をしていく所存だ。さしあたっては──」

 

トレセン学園体育館。新入生にとってはこの学園で初めての行事となる入学式が執り行われている。

現在、生徒会長・シンボリルドルフによる歓迎・激励の言葉が贈られているのだが、少々難解かつ冗長な言い回しによって新入生の気力は徐々に削られつつあり、退屈に耐えかねて重くなる瞼と格闘する者が続出している有様だった。

 

(長ぇ……)

 

それはライスも例外ではない。彼女は今、手首を準備運動の要領で僅かに動かしながら睡魔を追い払っている状態だ。

 

式の最初こそ、画面越しに夢見た地に足を踏み入れたのだとワクワクしていたが、もうその熱狂は残り火状態になりつつある。しばらくは考え事をして気を紛らわせていたがいよいよ限界が近い。その証拠に脳みそはこの話がいつ終わるのかにしか興味を示していなかった。

 

「ふぁ〜あ……」

 

目に見えて眠たげな隣につられて欠伸が飛び出る。眠気はいくらかマシになった気がするが、効果はそう長く持たないだろう。

 

(そういや、今頃母さんらは向こう側かな)

 

欠伸で一旦リセットされた脳みそは、少し前に見送った両親のことを思い起こす。

その別れ際に「海外でレースをすることがあったらすぐにでも駆け付けるから連絡してくれ」と告げた父の言葉が今でもライスの脳裏に焼き付いていた。

 

海外遠征。ライスシャワーの競走馬としての史実を考えるなら即答しかねる願いだったが、そもそもデビューを遅らせる算段なのだ、無くはない考えである。

 

だが前世含めて海外経験のないライスにとってはかなり高い壁だ。

 

(それに自分、外国のウマ娘はブロワイエだかモンジューだかしか知らないし)

 

加えて元来海外競馬に疎いため、転生のアドバンテージを発揮できないのもネックだった。

逸れに逸れる思考の中、この退屈な時間も終わりを告げようとしていたことに、彼女は気づいていなかった。

 

「──して、我々の決意と行動をここに宣言するものとする。以上だ」

 

体育館内に拍手が木霊し、思考を遮られる形で状況の変化を悟る。ルドルフの話がようやく終わったようで、隣を見ると寝起きで慌てながら手を叩いている様子が映る。

 

「では、新入生の皆様は担当の教員に従って移動してください」

 

司会の指示に沿って腰掛けていたパイプ椅子を立ち、周りの赴くままに流されつつ動く。

 

こうして最初の学校行事は、何事もなく終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

式を終え、荷物と共に連れられたのは学生寮──自分は原作通り美浦寮だ──。各々割り振られた部屋を告げられ、位置とルームメイトの名を飲み込むと寮内に放り込まれた。

 

配置に世代や学年は問われず、同学年でない者と組まされることもザラにあるこのシステム。自分の場合はそれにあたるとのことだった。

 

(けど……この娘は誰だ?)

 

ただし、告げられたルームメイトの名が、原作でのライスの相手と合わない。これから自分が生活を共にするのは『オルフェローズ』というウマ娘らしかった。

 

時期を考えれば、年下の中等部であるゼンノロブロイが同室とならないことは当然といえば当然だ。だが聞き覚えのないその名がライスの興味をそそる。

 

(もしかして、まだ未実装のウマ娘だったりして)

 

自分の知らない名馬であるのか、ハッピーミークやビターグラッセらを例とする非実在ウマ娘なのか、ブロワイエやリオナタールのようなアニメで鳴らした偽名ウマ娘なのか。答え合わせの術を持たない以上余興にすらならないものの、ちょっぴりワクワクしながら指定された部屋に赴き、扉を前に一呼吸おく。

 

「……っし」

 

スーツを整えるが如く制服の襟を払い、ノックを行う。

 

(……)

 

──が、反応がない。もう一度やってみたものの状況は変わらなかったので、まさか外出中かと頭を掻いた。

 

「んー……あれ?」

 

ダメ元でドアノブを捻ってみると、施錠されている手応えがなかった。

 

そのままドアを押し引きしてみるとなんと開いてしまったので、部屋違いなら謝って出ていけばいいか、と自分に言い訳をしながら足を踏み入れる。

 

「お邪魔しまーす……」

 

部屋の主はすぐ見つかった。

 

「……グガ」

 

その葦毛のウマ娘は椅子に座ったまま腕を組んでいびきをかいて眠っている様子だ。その前にあるデスクにはプリントが放ってあるため、読んでいる最中に休息を取ろうとしたのだろうか。

 

見回すと腐葉土で満たされた虫カゴや何かの空き瓶、色素の薄い薔薇──よく見ると僅かに青味が窺える──などが目に入るが、自分の知る限りその三要素を持ち合わせるウマ娘は存在しないため無用な情報と化した。

 

独りでに起きてもらえないものか、と足音を大げさに立てたり姑息な手段を使うも一向にいびきが止まらない。

 

仕方なく肩を揺さぶって起こすことにすると、手をかけて間も無く目を覚ました相手の睨み顔が向けられる。

腹を立てたのか荒っぽく頭を搔きむしりながら声を投げ掛けてきた。

 

「……何ですか貴女は?私はね、眠っているところを起こされるのが、一番嫌いなんですよ」

 

丁寧な物腰ながらも極めて不機嫌そうに放たれた苦言にライスは眉をしかめる。

同室となる者が新たに来ることを知らなかったのかは不明だが、こちらとしては理不尽にも程があるとしか言えなかった。

しかしここで言い返して波風が立つのも面白くない。グッとこらえて自己紹介を切り出そうとしていると、こちらの挙動を一つ一つ観察していた相手の瞳がこちらの右目を覆う帽子を認め、口が開かれた。

 

「青……趣味としては上の中と言っておきましょうか」

 

「……は?」

 

取っ掛かりの掴めない言葉にきょとんとするライスだったが、自らと青色を結びつけるものと言えば薔薇の他にない。先ほど見た灰色の薔薇もその思考を後押ししていた。

この話題を広げるべきかと返答をしようとするが、首を振った相手の一声で阻まれた。

 

「……それで、何の御用ですか?」

 

相変わらず愛想のない声色で用件を促す彼女であったが、先ほどのような不機嫌さは窺えなかった。

 

「えーっと……この部屋に住まうオルフェローズさんですよね?今日から同室となりましたライスシャワーです、どうぞよしなに」

 

懇切丁寧に名乗ることに成功したライス。一方相手は表情を変えることなく返答した。

 

「そうですか。いかにも、私はオルフェローズです。ではこれから宜しくお願いしますね」

 

そこまで言うと用は済んだと考えたのか、ローズはどうぞ荷解きを始めてください、と告げるとこれ以上会話をする気はないとばかりに背を向け、放っていたプリントに目を通し始めた。次々とページをめくる音が聞こえるが、ちゃんと読めているのだろうか。

 

仕方なくキャリーバッグを開き私物を取り出していると、間もなくローズは立ち上がってスマホを取り出すと誰かに連絡を取り始めた。

 

「……もしもし?私です。対策構築の資料についてですが、先日のレースの内容をあのように分析していたのなら中の下がいいところです。せめて中の中になるよう、もう一度検討してくだ──」

 

電話先は読んでいたプリントの作成者らしかった。対策と言うところを見るにおそらく彼女のトレーナーなのだろうか。

しかし誰からかと聞く暇も与えず、そのまま部屋を出ていってしまった。

 

「……本当に誰だったんだ?」

 

ルームメイトの退出と同時に頭を搔きながら吐き捨てた。

 

やはりと言うべきか、データベースに引っ掛かる候補はない。

ハッピーミークやビターグラッセらのように非実在のウマ娘の類なのだろうとアタリをつけた。

 

(……まあいいや、それにしたって無愛想が過ぎやしないか)

 

年上でもそうでなくとも変わらないキツい態度は、女帝と称されたとあるウマ娘を想起させる。

見ている分にはよいのだろうが、同室として長く付き合うとなれば難易度が高い。

 

「手に負えん、助けてくれ、ロブロイ……」

 

思わず未来の同室の名を呼ぶ。しかしその未来は、一日一週間で来てくれるものではなさそうだった。




オルフェロくんにモデル馬はおりません。
一話限りの登場なのでキャラ付けも他作品の青薔薇使いから拝借している適当ぶりです。

さて、このまま中等部にいても特に見所がないので次回は時系列を高等部まで飛ばします。


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PAGE:05 『RE/THINK 真理は近付くほど見えないもの』

「前ルームメイトなんてヒント一切無いし好きに弄くればいいや」って作ったオルフェロくんが4話の感想の8割占めてて驚きです。骨組みにしたキャラが元々曲者だったせいか辛口な方もおりましたが……


『スーパークリーク先頭に立った!』

 

思い出すのはあの風景。1980年代後期で鳴らした名ステイヤーを象りしウマ娘が挑んだ、春の天皇賞。

 

『スーパークリーク先頭!スーパークリーク先頭!!それから差が開くか、スーパークリーク先頭に立った!』

 

ハナを進んだ彼女は、直線に入っても衰えぬ無尽蔵のスタミナを以てゴール板に迫る。

 

『外から襲いかかるのはイナリワンだ!』

 

それを追う同レース前年度覇者にしてレコード保持者。切れ味鋭い追い込みを武器としてGI3勝を挙げた、クリークも属す永世三強の一角だ。

 

『スーパークリーク、内からパルクールが来る!スーパークリーク苦しいか!?』

 

矢継ぎ早に迫る強敵たち。されど易々と屈するはずもなく、天才を天才にしたウマ娘はただ勝利を求めひた走る。

 

『スーパークリーク先頭!体半分リード!スーパークリーク先頭だ!』

 

渇望は消えず、尽きず、果てず。猛追せし大井出身の天下人を振り切ったままレースは終わる。

 

『スーパークリーク、スーパークリーク一着ぅっ!!スーパークリークです!そしてイナリワンは二着っ!』

 

史上初となる天皇賞秋→春連覇を打ち立てたウマ娘に惜しみ無い賞賛が贈られる。

 

春→秋連覇、レコード、秋→春連覇と次々に偉業を生んだ天皇賞。そしてその蹄跡は、新たな世代に続いて行く。

 

 

 

 

──驚異の二連覇、名優の時代へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

記憶の断片を映した夢が終わり、瞳はここ数年間ですっかり見慣れた天井を新たに映した。

 

(最近こんな夢ばかり見るな……こないだはブルボンが出てたし)

 

苦笑しながら隣のベッドを見やると黒鹿毛のウマ娘が布団にくるまり寝息を立てていた。そう、ゼンノロブロイである。

 

「……何というか、慣れたもんだな」

 

本格化の兆候は未だなく、デビュー前のウマ娘らを指導する教官によって控えめなトレーニングを行うに留まった中等部生活を送ったライスは、現在高等部に進級していた。

 

その最中に前ルームメイトであるオルフェローズは学園を卒業してしまったため、新たにロブロイが同室となったのだ。

ローズと違って前情報がしっかりと存在するウマ娘である故、コミュニケーションはスムーズにいっているはずだ。

 

(にしても代わってつくづく思うけどクセのある人だったなぁ……実際のライスシャワーはどうしてたんだろうか?)

 

前任のローズは気難しい性格だったが、プランの質を最良に──彼女らしく言えば上の上か──押し上げようと推敲する姿を数年間見る限りでは、レースに懸ける想いは決して自らの知る名ウマ娘たちと遜色ないと言えた。……それでもただの一つすら勝ちを拾えないことがあるのがこの世界である。

敗れても、ただ足掻き、走り続ける意志があろうと、最初の三年間(タイムリミット)からは逃れられなかった。

 

しかし、学園を去る際でも普段の調子を崩さなかった彼女に、辛くないのかと聞いたことがあった。言い訳は趣味ではありませんが、と前置き笑んで口にした一言はよく覚えている。

 

「勝負の世界です、こればかりはどうしようもないことだ。だが、最後に泣くか笑うかは本人次第ですから」

 

決意に満ちたその言葉に、何も言えず見送ることしかできなかった。

 

(……俺が走るのをやめるとき、泣くか笑うかする暇はあるんだろうか)

 

己を待ち受けているかもしれない結末を知っていた故に。

 

──いや。

 

気が滅入りそうな逸れ方をした回想に区切りをつけ、現状の再確認に脳みそを回すことにした。

 

先日、永世三強と名高いスーパークリークが春の天皇賞の盾を手に入れた。

 

自分の置かれている状況も原作に近くなってきたし、もしこのまま現実の競馬史をなぞるならば、来年には自分がデビューすることになるだろう。それではいけない。

 

だがこの世界でデビューの指針とされている本格化の兆候は自分自身でも漠然としかわからないほどアバウトなものであると聞くし、知らぬ顔をして力をセーブすれば教官の目は欺けるだろう。

しかしそんな器用な真似を続けるには一年というズレはあまりにも大きい。

 

(教官さんのトレーニングも慣れてきてしまったしなぁ)

 

トレーニングもある程度慣れてきたし、学業は前世の経験を思い出す程度にこなせば回せてしまうし、気分転換という訳ではないが何かやりがいのあるものが欲しい。デビューをゴネる言い訳にもできれば最高だ。

 

そう考え込んでいると隣のベッドから可愛らしい欠伸が聞こえた。

 

「ふわぁぁあ……あ、ライス先輩、おはようございます」

 

起床して間もなく大振りなメガネを着けてこちらを視認するやいなや声をかけてきた。

自分も慌てて帽子を手繰り寄せていつもの場所に張り付ける。

ライスシャワーのマスクを被るときはこれがスイッチになりつつあった。

 

「うん、おはよう。ロブロイさん」

 

未だいつもと変わらぬ一日が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トレセン学園の中等部に所属するウマ娘のひとり、ゼンノロブロイ。

彼女には謎多き隣人がいた。目の前で向かい合って昼食のカツ丼を平らげているウマ娘、ライスシャワーである。

 

同室として初めて会ったとき、あまり自分と変わらない背丈から同年代と勘違いし、後に驚愕したのはいい思い出だ。

 

そんな彼女は初対面であるはずの自分のために、色々と気を回してくれた。

部屋内のスペースにお気に入りの本を数冊配置していたのを見ていたのか、学園の図書室の場所を真っ先に教えてくれた他、最寄りの書店についてもいくつか案内してくれたし、時折発作のように始まる自分の本語りも面倒な顔をせず聞いてくれる。相槌のみで聞き流す訳でもなく、時折細かく内容を尋ねたり私見を述べてくれたりと、同じ高さで聞き手に回ってくれる彼女に好感を抱くのは無理からぬことであった。

 

心を許せる先輩に巡り会えたことで、新天地での不安もほどけたことから普段より明るく振る舞う余裕が生まれたために、クラスメイトと打ち解けるのも早かった。

 

学園生活の出だしを助けてくれた彼女に、何かしらの形で報いたいと思うほどには恩義を感じていたロブロイであったが、ふと考え込むとライスシャワーというウマ娘について測りかねている部分が多いとも感じていた。

 

趣味を探ろうにも最低限の日用品しか置いていない彼女の領域からは何も読み取れなかった。

さりげなく飾り物などは持っていないのか聞いたところ、二年後には埋まっているから不要なのだ、と釈然としない返答しかされなかった。

 

二年後までに彼女の待つ何かしら──例えばイベントだろうか──が起こるということなのか、二年後までに趣味を見つけるという意味合いなのかはわからない。

 

それにおそらくだが、自分に見せているものとは違う一面があるのでは、と疑うような事柄もいくつかある。

 

歩いていると赤信号に引っ掛かったり、目の前に鳥のフンを落とされたり、自分と会話しているなりして気が逸れた隙にガムを踏みつけていたりと、なにかと災難に見舞われることの多いながらも、大抵「しょうがない」とか「そういう日もある」とけろっとしている彼女なのだが、たった一度だけ「()()()()仕方ない」とやや引っ掛かる言い方をしていたことがある。

 

この間も中々寝付けずに本を読んで眠気が来るのを待とうと暗い部屋を手探りで進んでいたとき、苦しげに寝言を吐いていたのを聞いたばかりだ。

確か「おれは……」とか「ブ…ボン」とか「ゆる…てく…」とか言っていただろうか。

 

その心中に何を飼っているのか、訊くことは躊躇われた。そこを突いた途端、何かが崩れるのではないかと感じて。

 

「そういえば、高等部になったら何かしようとして結局してないなぁ……なんたら委員とか」

 

思案に耽っていたロブロイに、いつの間にやら箸を止めていたライスの声が飛び込んできた。

 

「あ、あぁ。美化とか風紀とかあるんでしたっけ?実は私、図書委員になろうかな、なんて……」

 

「そうなの?ロブロイさんならきっといい図書委員になれるよ!」

 

慌てて返答を構築したロブロイに、いいねとライスも続く。

 

話題をもう少し広げられないか、と考えたロブロイは、先ほどの件に絡んだ打算も含め聞き返してみることにした。

 

「先輩には興味がある活動はないんですか?」

 

その質問にライスはふむ、と考え込む。薔薇好きな彼女のことだ、園芸委員なりを挙げると思っていたが、育てるのは専門ではないのか言い淀んでいる。

 

「うぅ~ん……それがね……」

 

「……まあ無理して入ることもないと思いますよ」

 

ここで言えないならば、と早々に見切りをつけたロブロイは、この話題に後ろ向きに対応しようと決めつつ料理を口に運んでゆく。

 

「強いて言えばイベント云々のサポートや何かしらの補佐をやってみたいって思うけど、そんな都合のいいところなんてないし……」

 

「いや、生徒会に入ればよいのでは……?」

 

「でも生徒会はルドルフさんやグルーヴさんやブライアンさんが……いや、待てよ」

 

ロブロイの指摘に対し口元を覆うように手を当てて思案しだしたライスの目は、しばらく硬直したのち見開かれた。

 

「そうだ、生徒会といえば会長と副会長だけな訳ないじゃないか!」

 

そう手を叩いていつになくボーイッシュな声を張り上げる彼女は、勢いのままに残っていた豚汁を飲み干す。

 

「ありがとう、ロブロイさん!俺、いや、ライス、あぁ違……いや違くないのか?まぁいいや、とにかく私、行くところが見えたよ!」

 

お椀をトレーに叩き付けるように置くと、こちらに礼を述べて食器の返却に向かっていった。

 

「ど、どういたしまして……?」

 

口調も一人称も二転三転しているぞ、とか生徒会の役職の数を知らなかったのか、とか様々な突っ込みどころを目の当たりにしつつも、ロブロイはみるみる遠くなる背中に生返事を返すことしかできなかった。




次回予告。偽ライス君が何かする。以上。

2022/11/17 追記
 誤字報告してくださった方々、感謝致します。


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PAGE:06 『RE/JOIN 知ってれば対応できる訳ではない』

アイネスフウジンのキャスト変更の報せに唖然呆然としたりドーハの歓喜に燃えたり感情が迷子になる今日この頃。


廊下をひとり歩くウマ娘、ライスシャワー。

 

その足は学園のある一室に運ばれていた。

 

「……」

 

重厚さを感じさせる観音開き戸を前にして、体を向かい合わせるように止まる。

 

部屋名を主張するプレートに綴られているのは『生徒会室』の四文字。執行部関係者か大事をしでかした輩くらいしか来ることがない、そこらの生徒には縁の薄い場所である。

 

ライスはそこに前者として足を踏み入れようとしていた。

 

同室の後輩であるロブロイに吹き込まれて(?)生徒会役員を志したあの日から、ライスの行動は早かった。

 

新風吹き込む春頃であったのは幸運で、役員募集の期限ギリギリで滑り込んだ彼女は全校生徒にカメラ越しで抱負を語る、オンラインの立会演説を行ったのち庶務の座に就いたのだ──志望者がびっくりするほど居らず信任投票と化していたのが割と気掛かりだったが──。

 

特に動きが無かったならば、これから向かう先には3人のウマ娘がいるはずだ。

 

大きく息を吐いて気を整えたのち、ドアを叩く。

 

「ああ。入りたまえ」

 

ドア越しで声量の減衰した返事を聞き取り、ドアの片側を開き入室する。

会長席に座る存在を目にして空気が一変したのを感じ取りながら、自己紹介を切り出した。

 

「失礼します!本日付で生徒会執行部庶務に任命されましたライスシャワーです!よろしくお願いします!」

 

緊張で想定より数割増しのボリュームとなったことを一瞬悔いたが、台詞を噛んだり声が裏返ったりするよりは百倍マシな失態なのですぐに流した。

 

(あぁプレッシャーが苦しい、これを心地よく思える考え方になればいっそ楽だろうか)

 

入学面接の時と同様の動揺ぶりを内心で発揮しながら部屋を見渡すと、会長席に座る『シンボリルドルフ』以外には、鋭さを感じさせる顔立ちのウマ娘『エアグルーヴ』の他に見当たらない。

 

(ブライアン居らんのか……)

 

新参の目通りをすっぽかしてきたらしい副会長の片割れに内心で苦笑しつつ、相手の開口を待った。

 

「ご苦労。君の加入を心から歓迎するよ、ライスシャワー。私は会長のシンボリルドルフだ。そして彼女が私の片腕である優秀な副会長で、名前が──」

 

「──エアグルーヴだ。宜しく頼む」

 

ルドルフと、その言葉尻を奪うように名乗ったグルーヴに会釈を行う。そしてもう一人についてどう聞いたものかとライスが思うより素早く、ルドルフの口はまた開かれた。

 

「そして、私の片腕である者がもう一人いるのだが……あいにく彼女は自由奔放なものでね」

 

能力は確かなのだが、とフォローを付け加えつつも紹介に窮するルドルフに、また横入りする形でグルーヴが動いた。

 

「……私と同じ副会長のナリタブライアンのことだ。会長の言う通り手腕は確かだが、まぁ今ここに来ていない程度には服務態度に難があってな」

 

やはりか、とライスは内心項垂れる。将来戦う相手でもあるので早い内に知り合っておきたかったが、そうすぐにはチャンスは巡らないらしい。

 

「顔を合わせていない今はどうしようもなかろうが……今後貴様が奴を持ち場の外で見つけることがあれば私に連絡しろ、いいな?」

 

「……誓って必ず」

 

よろしい、と言いたげに頷いたグルーヴは、次に自己紹介からオリエンテーションへと段階を進めたいらしく、会長にアイコンタクトを送っていた。

 

「……では早速だが、職務について訓辞でも垂れておこうか」

 

頷いて腕を組み直したルドルフに対し、聞き入るようにライスの背筋も伸びる。

 

「まず、とにかく抱え込まず誰かを頼ってほしい。……これは別に君のためだけというわけでもない。どちらかといえば我々に都合がいいからなんだ」

 

貴女が言うか──。客観的に見た自分がルドルフの病的なまでの勤勉さを知っているはずがない以上、大きなリアクションをとることはないものの心中で突っ込んだ。

 

「我々は全生徒……いや学園全体にとっての課題を解決するため粉骨砕身の努力を捧げなければならない。人員の都合で課題をひとまず単独で任されることもあろうが、そこでもし行き詰まったまま抱え込んでいると他者……すなわち私やグルーヴらのフォローが期限目前になってしまうこともある訳だ」

 

「……そうですか」

 

納得するように洩らした。かつて自分が会社員だった際に案件をギリギリになって相談しようとしたために直属の先輩に同じ内容の叱責を受けたことがある。

 

「手に負えなさそうなことが独力で急に解決へ転ずることは極めて稀だからね。どうせ頼ることになりそう、と思ったらすぐにでも助けを求めて欲しい。こちらが忙しくしていても包み隠さず伝えてくれれば後の優先度の調整が容易くなる。これはフォローする側としては楽この上ない話だ」

 

ただ無言で頷き聞き入るライスに、意図が十全に伝わっていると確信したルドルフは満足げに組んでいた腕をほどき説法の仕上げに移る。

 

「故に私は君が窮地の告白を逡巡しないよう努力する。だから君も解決力の向上に努めながらも、助力を求める選択肢を忘れないようにしてくれ」

 

以上だ、とルドルフは締めくくり、ここで訓辞は終了となった。

 

「ではグルーヴ、以降の指南は君に任せる。あぁそれと業務内容だがしばらくはグルーヴの補佐……有り体に言えば手伝いをしてもらおう」

 

「えっ」

 

内心で息を飲むが、厳しそうなので嫌、なんて冗談でも言える雰囲気ではない。

 

「……はっ!了解しました!」

 

百分の一秒にも満たない時間で思考をやけっぱちに切り替えたライスは、過剰に凛々しい声を出して応えた。

 

「ああ。折角だ、彼女の下で学園についてもおさらいするといい。ライス君?」

 

ルドルフは笑みを浮かべて付け加えるようにそう言うと、会長席のどこからか書類を取り出して読み込み始めた。

 

グルーヴに行くぞ、と顎でしゃくられ促されたので追従して部屋を出る。

 

扉が閉まりきり、緊張の空間から完全に隔たれたことを認識したライスに脱力感に似た解放感が襲う。

 

(あああああ……緊張したっ……)

 

帽子を外し片腕で額を拭うとともに、さながら活動を停止した重機の如く息を吐いたライス。

 

「……先ほどの威勢はどうした?会長とは長く付き合うことになるのだ、慣れねば保たんぞ」

 

「え、あ、すみません」

 

即座に飛んだ叱咤に慌てて帽子を戻し取り繕ったライスに対してため息をついたグルーヴは、一瞬で導き手の目になるとただついてこい、と言った。

 

グルーヴの後ろに着いて歩くライス。その脳内にはこの数分間の出来事の記憶が駆け巡っていた。

 

(……さっさと慣れなければいけないな、出来ないなら何のための前世だ?)

 

前世のゲーム感覚も早々に抜けきらせなければならない。一々圧倒されているようではキリがないぞ、と決意を新たにしたところで将来設計を進めることにした。

 

(学園についておさらいするといい、と言っても元々……ん?おさらい、ライス……)

 

ふと、ルドルフの台詞を噛み砕いていたライスの足が止まる。

訝しげに振り向いたグルーヴの視線を不躾ながら無下にした彼女の目は、ハッと真理に気付いたように見開かれた。

 

「──おさライス……?」

 

「……は?」

 

おもむろに呟いたライスの瞳はグルーヴの呆けた顔を映したが、今の彼女にとってはどうでもよいことであった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

そろそろ仕掛けた爆弾が起動した頃だろうか。

 

終わり際に放ったのは昨日書類捌きの傍らで、ずっと思案していたとっておきだ。これで少しでも自分への印象が柔らかくなってくれればやりやすい。

 

「……私はあのときよりも、皆を幸せに導くに相応しいウマ娘へとなれただろうか」

 

自分以外に誰もいなくなった生徒会室の中で、誰かに問うように呟く。

 

ドリームトロフィーリーグに身を移す前──すなわちトゥインクルシリーズの選手だった頃──、ライスと同じく庶務の座に就いて自分に付き従ってくれたあるウマ娘がいた。

 

ライスと重なるところと言えば地位しかないが、ふとした瞬間に思い起こすには十分な共通項だ。……尤も、前庶務は既に学園を旅立ってしまったのだが。

 

そんな彼女がどこからか見ていてくれることを願いつつ、ライスの去った扉の方に目をやった。

 

『──ライスシャワーという……いえ、このウマ娘という身に生まれたからにはやらねばならないことだったからです』

 

入学面接にて、彼女と初めて顔を合わせたときの記憶が甦る。

まだランドセルを背負っている年齢にしては不釣り合いな沈着さを持ったそのウマ娘が放った、周囲と違った重みのある言葉に、驚きが無かったと言えば嘘になる。

 

「……君は、走ることに何を感じているのかな?」

 

その問いに答える者は、いない。




クソどうでもいいことですが筆者はウルグアイ代表推し。


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PAGE:07 『RE/STRAIN じっと待つも人生』

大まかな流れは決まれどチーム選びに難航し筆が進まない+いきなり2年飛ばすのは急ぎ足すぎる(かといって1話だけでは焼け石に水になりそうですが)という事情から生まれた閑話です。


桜散りゆき、春気分はとっくの昔に抜けた5月末。

 

ライスが生徒会に所属して1年が経った。

 

常にレースの話題にアンテナを張りつつ、少々密度の増した学園生活を送り続けた彼女。

 

気付けば世間は皐月賞、ダービーの二冠を手にした天才・トウカイテイオーの故障離脱の話題で持ちきりであった。

 

(はぁ……今日も取材云々が詰め寄せてきてたしなぁ)

 

プレスだけに、とつまらない洒落を吐く自分にため息をつくくらいに、ライスは疲弊していた。

テイオーという超注目株の離脱に喘ぐのはチーム『スピカ』のみにあらず、登校時間になるたび湧いてくる取材陣の対応に追われる生徒会役員も同様であったのだ。

 

ある日自分とグルーヴが校門で時間を稼ぐ内にテイオーをお米様抱っこしたゴールドシップが某配管工ばりの大ジャンプで取材陣を飛び越して学園の敷地に侵入していったのには失笑を禁じ得なかったが。

 

さて、現在はグルーヴの下での研修期間から脱しているライスであったが、今は彼女と共に練習用のコースにいた。

 

「ほう、以前よりスタート直後の加速にキレが出ているな。ドーベル?」

 

「ありがとうございます!先輩の教えてくれたトレーニング法のおかげです!」

 

「ああ。まだ歩幅を広げる意識が過剰なきらいはあるが……習慣づける内に解決するだろう。では3分のインターバルののちもう1セットいくぞ」

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

そう、グルーヴの後進育成の場に同行中なのである。尤もこれは生徒会やリギル云々ではなくグルーヴ個人でやっていることなので付いていく義務はないのだが、無理を言って助手として側に置いてもらった。

 

今の自分はさながら、器具やスポーツ飲料を運んでグルーヴらに叩き付けるマシーンである── 一度だけ誤って蹴り飛ばしてフェンスに跳ね返ったミニハードルをまともに喰らう無能を晒したが──。

 

「はいどうぞ、ドーベルさん」

 

「……!え、ええ。ありがとうございます」

 

ライスの差し出したスポーツ飲料をやや驚く様子を見せながら受け取るウマ娘。

キリッとした瞳と落ち着いた黒髪でいかにもクールビューティーな印象を抱かせるそのウマ娘は、名を『メジロドーベル』といった。

 

極度の男性嫌い故に教官のトレーニングへ思うように取り組めず、見かねたグルーヴが面倒を見ているこの構図は前世でも見た通りであった。

 

(全然警戒解いてくれないな、まさか精神面では男だって見抜かれてるのか?)

 

礼を述べるとそそくさと背を向けて水分を喉に流し込むドーベルを、糸目気味になりながら見届けるライスに、グルーヴが歩み寄る。

 

「……言えば混ぜてやるというのに」

 

「見ているだけで十分ですよ。あいにく私は教官さんに不満はありませんし、手伝いに来た身ですから」

 

あなたの前で走ったら手抜きがバレるだろうし、という断り文句は当然ながら飲み込む。

 

テイオーがクラシックレースを沸かせているということは、本来なら次の世代であるライスは本格化どころかデビューに差し掛かる頃合い。

 

狙っているデビューの遅延には最も重要な時期となる以上、こうやって手札を増やしながらも懸念材料の発生は避けたかった。

 

グルーヴの少々訝しむような視線が解かれると、ボトルをジェスチャーで示されたので頷いて手渡す。

 

軽い会釈ののち幾らか口に含んだ彼女はドーベルを召集すると次の練習を相談し始めた。

 

「……ふー」

 

ふと帽子を外し息を一つついたライス。

 

天を仰がんとした瞳は練習コース沿いの、坂を挟んで高度差のある通路を歩む二人の人影を捉える。

 

ライスの頭脳はそのうちの一人を膨らむような形状の長髪と機械的な動作から、自らが最も入れ込んできたウマ娘『ミホノブルボン』であると判断を下し、その隣にいる人物は、背格好からアニメ版におけるブルボンの指導者である黒沼トレーナーだとアタリをつけた。

 

距離が距離だ、会話の内容を覗くことはできない。

 

だが一方的とはいえこの物語のキーマンと言えるコンビとの遭遇にライスの心は躍る。

 

──そしてそれは単なる歓喜には収まらず、内に秘めた闘争本能が理性の制御を離れ、血肉を沸かすがごとき感覚に飛躍させた。

 

(く……ア"ア"ァッ)

 

嗚呼、彼女と走りたい、競いたい、下したい。そんなウマ娘らが残らず持ち合わせる人間の三大欲求クラスの衝動を、文明の発達と共に野性を眠らせた凡人の一人である彼がまともに受け止めきれるはずもなく、帽子を右目に抑え付けるように戻し、持ち主の仮面を被ることでそれを押し包まんとする。

 

(落ち着け、落ち着け、落ち着いて……)

 

自己暗示に等しい思考を繰り返す内に、やがて乱れていた呼吸が安定するとともに肉体を突き動かしていたエネルギーが萎むように収束していく。

 

「はぁぁ……はぁ……まただ」

 

膨大な欲望に支配されかけるこの感覚は初めてではない。

本格化の兆候を感じ始めた今年に入ってから頻繁に起こるようになったそれは、レースに関する強い興奮をトリガーに暴走状態を引き起こす厄介な代物であった。

就寝中に発作が起こることもあり、悪夢から覚めるように叩き起こされて声を抑えることにしか思考が回らないこともしばしばだ。

 

なぜそんなことが、と初めは思っていたが、未だ原作でもウマ娘の生態については謎が多く、何が起きてもおかしくはなかった。

 

仮にこういった感情へのリミッターをウマ娘ら全員が持っているとすれば、異物である自分がそれを持たず苦慮するのは当然と言えるが、単に本格化に対して練習負荷の強化を行っていないことによる消化不良が起こっている可能性なども否定できず、原因は計りかねた。

 

(もし保健室であいつに会えたら聞いてみるか)

 

あんしんあんしん、と針を振り回す淑女の姿を想起しつつ完全に平静を取り戻したライスに、相談を切り上げたグルーヴが近づいてきた。

 

「どうした、苦しそうだが」

 

見られてたか、と歯噛みするが状況が状況だ。仕方がない。グルーヴに関する記憶を残らず引きずり出した頭脳は言い逃れる術を捻り出す。

 

「いえ、その……大きめの虫がいたもので」

 

「な、バカな?!どこにいた、もういないのか!?」

 

自分への疑念が衝撃でどこかに飛んだことを確認すると、目に見えて焦り出したグルーヴ。

 

「ああ、いや、もう大丈夫ですから」

 

「そ……そうか」

 

内心詫びながら告げると、そうかそうかと平静を取り繕った彼女はバツが悪そうに額を押さえたのち、用件を口にした。

 

「……ドーベルと併走をしようと思ってな。ゴール地点に立ってタイムキーパーをしてもらえるか?」

 

「ええ。もちろんです」

 

「頼む。……よしドーベル、行くぞ!」

 

「はい!」

 

ライスが了承するとともに普段より数割増しで声を張り上げ追従を促したグルーヴは、ドーベルと共に振り向くことなく所定の位置へ移動していった。

 

「はぁ……」

 

二人が離れ、足元の用具入れからストップウォッチを取り出すと安堵の息を吐く。

 

(……あまりうかうかしてられないかもな)

 

歩む道を定めたとき、なぜ自分と同じことを考えるウマ娘がいなかったのか、とどこかで思っていたが、ああして内面から働きかけがあったとすれば解らない話ではなかった。

 

「いや、どうせ来年……少なくとも年末付近までは待たなきゃ安心はできない」

 

4歳新馬という例がある以上、焦ればクラシック級からデビューということになりかねないが、年を越してしまえば、半年ほど準備期間として粘る選択肢を取れる。

 

本能の責め苦に耐える自信があるわけではない。だが今はまだ、動き出してやるワケにはいかなかった。目先の安寧のために、予定と違った一歩を踏み出すワケにはいかなかった。




いつも読破、評価、感想、ここすき、誤字報告などしてくださるすべての方々に格別の感謝を。


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PAGE:08 『RE/VIEW しぶとさは一人前』

10万UA突破&ロブロイ実装おめでとう投稿。


「チームの見学に興味はないか?」

 

ある日、行事予算の報告書を仕上げてボーっとしていたライスにそう声を掛けたのは、同じく書類に手をつけていたルドルフであった。

 

「……ええ。そろそろ真剣に見て回ろうと考えていたところですが」

 

ジャパンカップが幕を閉じ、時系列は安全圏と位置付ける年末まで進行していたのもあり、ライスの返事は前向きなものだった。

彼女にとっては、アニメでライスを預かっていたチームや、アニメではさほど描写されなかった他のチームに行ってみるのもいい、という軽い言葉だったのだが。

 

「私の属するチーム……リギルが近々、ライバルチームであるスピカと合同のトレーニングをするものでね。その見学の誘いをと思ってね」

 

それは、と驚愕のあまり洩らす。

 

「……しかしリギルとスピカのどちらも、学園随一の強豪とお聞きしておりますが」

 

リギルといえばクラシック三冠、GI七冠、ダブルティアラなど。スピカの方も無敗二冠、天皇賞連覇をはじめとするド派手な戦績を残す、どちらもタレント揃いの銀河系軍団だ。

そんな二強と形容して差し支えない名門からの誘いに、真意を測りかねていたライスへ向け、ルドルフは笑いながらジョークを飛ばす。

 

「役不足かな?」

 

「いやいや、足りすぎてますよ」

 

そんな返しは今欲しくねえ、と内心毒づきながら真意を探る。ただの同僚贔屓と見るには稚拙が過ぎたからだ。

 

「同僚のよしみで、というだけではないさ。命令に忠実かつバイタリティーに溢れる君なら、リギルは適性の高いチームだと思ったのでね」

 

「え、えぇ……」

 

ライスにとっては過大とも言える賛辞に、言葉を詰まらせた。

なるほど、本来のライスシャワーほどの勤勉さを持たない自分にとって、放任主義ゆえに明確な自我の発露を求められるスピカと比べれば、指示の遵守と規律を重んじるリギルの方針は向いていると言えなくもない。だが──。

 

「しかし。相当な実力が無ければ入れないチームと聞きます、まだ自分にそこまでの力は……」

 

「──レースとは力量のみで決まらず。己のそれを把握し、発揮する知性こそ肝要なり。その点において君は当代随一だ」

 

それはフィジカル面は未完成ながら老練なレース運びを見せる将来有望なステイヤー候補、とルドルフはライスを位置付けていた故の発言だったが、ライスにとってそれはデビュー遅延のための八百長と、前世併せルドルフらの倍以上の人生を歩んできた故の沈着さと、ウマ娘というコンテンツに触れた分の積み重ねを切り崩しているだけであり、要はズルに次ぐズルの産物に過ぎないので気が重くなる期待だった。

 

「最近は特に好調だとは自分でも感じているのではないか?あの出来ならデビューも間近だろうと思うし、どうかと考えたのだがね」

 

「み、見てたんですか」

 

最近は、という言葉に反応したライスがと問うとルドルフは頷いた。

多忙であろうに、どうやって自由時間を捻出しているのかと思わずにはいられないが、それはそれとしてこちらもギアを上げているのは確かだ。

 

首根っこを掻き返答に窮していた彼女であったが、その瞬間扉が勢いよく開いた。

 

「たっだいまーっ!頼まれた書類、カイチョーの言ってた通りに届けてきたよっ!」

 

快活な声とともに生徒会室へ足を踏み入れたのは『トウカイテイオー』。現在のチームスピカの中核を担う一人だ。

最初はルドルフに構ってもらいに生徒会室に来ていたのだが、多忙で応対が困難と知ると手助けを志願してやまなかったので、外回りの仕事を任されていたのである。

 

「ご苦労、テイオー。随分早い帰還だな、ゆっくりでいいという指示を()()()だのかな?」

 

「もー、心配しすぎだってば、カイチョー……」

 

そう不満げに返答するテイオーは、ルドルフの言葉をただの過保護と受け取ったようだが、ライスはそこにジョークを織り混ぜていることに気付いた。

瞬時に手持ちの同音異義語を探るとヒットしたので、何食わぬ顔で放り込んでみることにした。

 

「会長の言う通りですよ。体はレースの()()なんですから、いたわってくれないと困ります。冗談抜きで私たちがね」

 

「そうだ、テイオーひとりの体と思わない方が……待て、ライス君。今のは狙ったのか?」

 

ものの数秒もせずに悟られる。流石に本職はレスポンスが早い、とライスはルドルフとともに苦笑した。

 

「エー……ライスもカイチョーも寒いよぉ……」

 

「いや、私は素晴らしいと思うが」

 

しかし、テイオーの呆れ気味な苦言が心臓へ突き刺さる。ルドルフのフォローが慰めにもならずライスが後悔していると、テイオーに向き直ったルドルフがまた告げる。

 

「ジョークはさておき、君は故障による休養()()が明けて間もない。無茶はしないことだ」

 

「いやいや、全然さておいてないじゃないですか……え、いやちょ、二発目を期待しないでくださいよ会長」

 

真面目な顔をしながら全くめげないルドルフに突っ込みを入れたものの、自身へ向けられた物欲しそうな視線に慌てて首を振った。

そうか、とどこかしょんぼりした様子だが、流石にどうすることもできなかった。

 

「まーまー、とにかくボクの仕事も終わったワケだし、遊んでよ、カイチョー!」

 

「それなんだが、生憎テイオーが想定より早く終えてきたものだから、まだ完遂できていなくてね。すぐに終わらせるから、もう少しだけ待っていてくれ」

 

「エェー……」

 

駄賃代わりに時間をねだるテイオーだったが、まだ業務を終えられていないことを告げるルドルフの言葉へ不満げに頬を膨らませる。

 

「すまないな……あぁ、ライス君。見学の件は後に聞く。検討しておいてくれ」

 

申し訳なさげにテイオーから視線を外すルドルフは、デスクへ向かいながらライスへそう会話の区切りをつけた。

 

「ん、見学って何?」

 

一秒でも長く構ってほしくて素早く終えてきたのに、と不貞腐れていたテイオーだったが、ルドルフの言葉に関心を覚え、訊いてみることにした。

 

「ああ、私のチームと君のチームが近々合同で練習を行うだろう?その見学に来ないかと誘っていてね」

 

「そうなの?良かったじゃん、ライス!」

 

カイチョーの練習なんて中々見られるものじゃないからね、と付け加えながら反応を窺ってくるテイオー。

ルドルフへの返答は後回しでもよいと思っていたライスだったが、前倒しにして即決することにした。

 

「あー……そうですね。もう少し迷うつもりでしたが……是非お邪魔させてください、会長?」

 

「そうか。勿論だ。私から誘ったのだし、しっかりと話は通しておくよ」

 

「格別の配慮、感謝します」

 

承諾に応ずるとデスクに座し、書類と向き合い始めたルドルフに感謝を告げると、頭の後ろで手を組んでいたテイオーがぼやく。

 

「ボクも生徒会入ればよかったかなー。今よりずっと近くでカイチョーに構ってもらえるし」

 

ライスみたいに、そう続けようとして飲み込みながらも、彼女の表情には明確な嫉妬が表れている。

それを知ってか知らずか、ルドルフは書類片手に笑いかける。

 

「ふ、限りある時間であるからこそ、楽しみは増すものだろう?……勿論、君が入りたいというなら歓迎するがね」

 

「うーん……ま、今はいいや。ボクのトゥインクルシリーズは、これからが本番だもんね!」

 

一瞬悩んだものの、ピースサインを突き出すとそう言いきったテイオーは、微笑むルドルフを拝むとライスに体を向けてきた。

 

「ライスはもう仕事終わったんでしょ?カイチョーの仕事が終わるまでチェスの練習でも付き合ってよ!こないだのグルーヴがやってたクイーン・サクリファイスってヤツ、挑戦してみたかったし!」

 

「え!?いや、私は会長の書類を幾らか手伝おうかなと……」

 

突然不得意分野で勝負を挑まれたライスは言い逃れるべくモゴモゴと言葉を紡ぐ。ただし、旗色はすぐに不利な方へ傾いた。

 

「それでもテイオーが待ちぼうけになることは変わらないだろう。気分転換に、一局付き合うといい」

 

「えー!?私がチェスは不得意だと知っての発言ですかそれ!?」

 

ルドルフによる予想外の加勢へおののくが、もう状況は覆らない。

 

「じゃあ決まりねー!えっと、確かこの辺に……」

 

そう喜び勇んでチェス盤を引っ張り出すテイオーを見て、これから味わう苦境に身を強張らせる他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴女ね?ルドルフの紹介で来た見学者というのは」

 

「ええ。ライスシャワーと申します。強豪の練習風景を見学させていただけて光栄です。今日はよろしくお願いしますね、東条トレーナー」

 

ルドルフの案内で連れてこられた練習コースにて、リギルの指導者である東条ハナと挨拶を交わす。

 

メンバーならあそこに居るわよ、と指をさされた方を見やると、リギルの見慣れた顔触れが勢揃いしていた。無論ルドルフもその中にいる。

スピカ所属のウマ娘たちもいたが、あの葦毛のUMAだけが不在だった。空気を読むことを知らない彼女だ、遅刻の言い訳に何を持ってきても不思議ではないだろう、と内心で自分を納得させていると、今度はそのトレーナーの不在も気になってきた。

 

「失礼ながら、スピカのトレーナーは……」

 

何処か?そう訊こうとしたライスの声は、ノーマークの所からやってきた動揺によって遮られる。

 

右脚のふくらはぎから太ももをこねくり回される感触に身を強張らせた彼女。間もなく背後から男性の声が響くが、ライスへは届かなかった。

 

「この遅筋の発達具合……うちのマックイーンにも劣らない程のステイヤーの素質が見えるな、未デビューにしちゃおかしな具合だが……」

 

「う"あ"あ"っっ!?なんだコイツっ!?」

 

感触におののいて掴まれていた右足を引き抜くと、数歩後ずさって片膝をつく形で体勢を立て直した彼女は背後に向き直り、既に立ち上がっていたらしい曲者を前方に捉えるや否や、両足で踏み切り空中に浮かべた体をくるめて後方回転させながら前進させていき、やがて地面と平行になるよう伸ばした体をきりもみ回転させつつ、ぴったりと閉じた両足を以て蹴りつけた。

 

「ぶべらああっ!?」

 

キックがもろに入ったらしい曲者が数メートル吹っ飛んでいく手応えがあったが、構う間も無く背中で着地する。

制服が芝まみれになるがもう何を言っても後の祭りだ。

 

「……って、あー!?貴方はスピカの!?」

 

しかし、曲者の正体に気付いたライスは驚いて指をさす。今まで気づかなかったのは、キックに夢中で識別がかなり遅れ気味になっていたからだ。

尤も、先に認識できていたとしてもキックを抑制できたかは怪しかったが。

 

「いつつ……ん、あ、あぁ。その通りだが」

 

そう返すスピカTは痛そうにしていながらも、深刻なダメージは窺えない。

人間の比にならないバリキを生み出すウマ娘の蹴りを受けていたはずだが、ピンピンしているあたり間違いなさそうだ。

 

「蹴られる前にコイツって言った気がしたんだが……気のせいか?」

 

「き、気のせいですよ気のせい!というかすみません!新手の不審者かと思って……」

 

動揺のあまり本物のライスが絶対に使うことのない二人称が出てしまっていたことを、慌ててはぐらかす。

 

「あ、あぁ。まぁ慣れてるからな、発端はこっちだから気にすんな。にしても派手に蹴られたもんだが……」

 

「いや、その……ほんとすみません」

 

そう水に流した彼に、ライスは若干呆気にとられながら謝罪を続けていると、後ろから登場がため息を吐いているのが聞こえた。

 

「……私は庇わないわよ。それより、立て替えてるツケの帳消しはナシね」

 

「な、そんな殺生な!?この通りだっ!」

 

東条の言葉に、慌てて土下座を敢行したスピカT。

どうやら合同トレーニングの実施にあたり取引が行われていたらしく、不履行を宣告され焦った様子だったが、さすがにこの状況は好転しなさそうだ。

どうしたものかと居たたまれない空気に喘いでいると、なにやら駆動音が聴こえてきた。

 

「うーっす、尻尾取りに帰って遅れちまった……ってなんだこりゃ?」

 

コースに姿を見せていなかったゴールドシップがセグウェイに乗って到着したようだった。しかし、来て早々に自分のトレーナーが土下座をしている状況は流石の彼女も飲み込めなかったらしく、ひどく困惑している。

 

「……いつものアレよ。自業自得」

 

呆れ気味にそう口にした東条に対し、普段のセクハラ紛いの行動だと結論づけたゴールドシップは、状況証拠から被害者と踏んだライスへ顔を寄せる。

 

「コイツにか……?って生徒会の庶務やってるヤツじゃねえか!?」

 

しかしライスの素性を知っていたらしい彼女は、どうしてやろうかとまだ地に伏せていたトレーナーへ近づいた。

 

「へっへっへ、天下の生徒会サマに粗相たあ死んだなトレーナー。骨は拾わず放置しといてやるよ」

 

「お前まで……ってやめろその構え!既にダメージ負ってんだこっちは!」

 

助勢が望めないばかりか、絞め技を掛けようとすらしてくるゴールドシップに命乞いをするスピカTだが、逃れられる訳もなくすぐさま関節を極められていた。

 

「……結構残念に見えるけれど、手腕は本物よ。あの男は」

 

文字に書き起こせばすべてに濁点がつきそうな叫び声をあげているスピカTを尻目に、フォローを入れてくる東条。

だがこの状況を前に、さすがにライスも苦笑いをこぼすほかなかった。

しかし、東条のフォローはそれでは終わらなかった。

 

「それにスピカにはトゥインクルシリーズ現役最高峰の二人もいる。師事して得られるものは決して少なくはないわ……けどその選択は貴女自身で下しなさい」

 

二人、というのはテイオーとマックイーンのことを指しているのだろう。

確かにスピカというチームは『トレーナーの第一印象』という途方もない壁を越えれば、破格の優良物件だ。

 

(ここでスピカを下げないあたり、いい人だよなぁホント)

 

勧誘を考えれば讒言して然るべき場面ではあろうが、その選択肢を取らないあたり彼女の人格者ぶりやスピカTへの信頼などが伺えた。

 

「……ええ、勿論です」

 

東条が統括しているからこそリギルはスピカの良きライバルとなり得たのだろう、と納得しながら返事をすると、続いて件のスピカTの方に向き直った。

 

「色々ありましたけどよろしくお願いしますね、ゴールドシップさん。それと、ええと……何とお呼びすればいいでしょうか?」

 

言いかけて目の前の男性の氏名について無知であることに気付く。演じる声優の名にのっとって便宜的に沖野と呼ばれることもあれば、初期の設定資料から西崎と呼ばれることもあるが、実際に作中では明言されていない。

 

「おー、こいつか?沖野か西崎かスピトレのどれかで呼んどけ」

 

「ど、どれか?」

 

「おいお前適当なこと吹くんじゃねえ!?」

 

ライスの思考を覗いていたかのように呼び名の候補を告げてくるゴルシに、困惑するライスと異を唱える沖野、いや西崎、あるいはスピカT。

 

「うっせー。おめーの喉と創造神がそう告げてんだ、諦めたまえよトレーナー」

 

「訳わかんねえこと言うなって、俺は……あででででっ!?」

 

「えぇ~……」

 

何も伝えられぬまま言葉を叫び声に塗り潰される彼を前に、間延びした声を出して動揺を物語ることしかできず、結局彼の本名が何であったのかを訊くことは叶わなかった。

 

 

 

肝心の合同練習については、テイオーVSルドルフの親子対決や黄金世代対決をはじめ、マイル戦版ウィンタードリームトロフィーもどき(タイキシャトルIN、ビワハヤヒデ&オグリキャップOUT)を拝めて非常に眼福であったことを記しておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、新風を求めたチームリギルが入部テストを行った。

新鋭ひしめく中、ぶっちぎりで試験レースのトップに座したウマ娘の名は、ライスシャワーであったという。




ライスシャワー、参戦!

正直どこに所属させてもやりたいことの2~3割が出来なくなるので迷っていたのですが、当初のプロットに最も寄せられるのがリギルルートだったので会長に動いてもらいました。

いつもお読みくださる皆様に格別の感謝を。


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PAGE:09 『RE/MARK 目標の無い道はブレブレになる』

感想欄の皆様が東条Tの胃とRXキックを受けたスピカTの頑丈ぶりを心配してて草生えたので今年最後の投稿。


「ライスシャワーです!よろしくお願いします!」

 

チームリギルの根城にて、入部テストを通過した新参の目通りが行われていた。

全員のGI勝ち鞍を合わせれば二十は下らない銀河系軍団を前に、竦むことなく声を張り上げる。そこにはかつて生徒会役員となったときにやや露呈したあがり症は微塵も伺えなかった。

 

「というわけで、彼女が今日からチームに合流することになったわ。……あぁ、こう見えて高等部所属だからその辺りの勘違いはないようにね」

 

東条の注釈に各々が頷くなどして了承を示す。ひとり「ケ!?」と声をあげるウマ娘がいたが、隣の同級生に発言を潰される様を流しつつ、ライスは所属選手代表として進み出たルドルフと握手を交わす。

 

「リギルへようこそ。恒星の名の下に誓おう、君を後世に語り継がれるほどの栄光へ導くことを」

 

「歓迎感謝します、会長。……生憎今は突っ込めませんよ

 

いつものごとく澄ました顔で駄洒落を放り込んでくるルドルフに対し、メンバーの前である手前、耳打ちで断りを入れつつ手をほどく。

 

また忘れた頃にやる気を下げるのだろう、と何も知らない顔のグルーヴを見やり内心で苦笑したところで、各々の自己紹介が始まった。

 

「語る必要もないだろう、エアグルーヴだ」

 

「……ナリタブライアンだ」

 

「ハァイ、マルゼンスキーよ!よろしくね、ライスちゃん!」

 

「ヒシアマゾンさ。ま、困ったらいつも通り頼っておくれよ!」

 

「フジキセキ。ヒシアマゾンと同じく寮長の身さ。いつでも君の力になろう、ポニーちゃん?」

 

「ハーイ!タイキシャトルデース!一緒にハッスルして、レースに風穴、空けに行きまショーウ!」

 

「リギルという恒星に輝く超級の一等星……それ即ちテイエムオペラオー、ボクのことさ!よろしく頼むよ?」

 

「エ、エルコンドルパサーで、デース」

 

「グラスワンダーと申します。先ほどのエルの粗相、水に流して下されば幸いです」

 

一人ずつ行われるそれらに前世併せおよそ二十年来のファンとして感嘆を覚えつつ、ライスは返事を返していく。

 

「じゃあ顔合わせも済んだことだし、行きましょうか……あぁライス、今日は目標設定からスタートさせるわよ」

 

「了解です」

 

東条の号令に、まずは将来の展望をはっきりさせてからトレーニングに移るということだろう、とライスが理解して返事をすると間もなく、メンバーたちは動き出した。

 

それに倣いついてく、ついてく……と歩みだす。

 

彼女のキャリアが今、始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京レース場を模したトレセン学園練習コース。

日々様々なウマ娘たちが研鑽に励むその場は、今日はリギルのトレーニングに使われていた。

 

「ハァ……ハァ……どうしたんだい!慣らしは終わった頃合いだろ!?根性見せな!」

 

「フッ、本気がこの程度だと思われていたならば心外だな?ボクならば散りゆく様すら美しいだろうが、そんな美しさはボクには不要だ!」

 

本日3度目となるランダム併走としてヒシアマゾン、テイエムオペラオーの二人がコースを駆ける。

運任せに相手が決められるそれは前走、前々走ではそれぞれルドルフとブライアン、マルゼンとグラスという味な取り合わせとなっていたが、いずれも勝者は前者であった。レジェンドの壁は厚いのである。

 

「ヒシアマ……今日は随分と前目だね。逃げ、ではないし先行策かな?オペラオーとのタイマンに気合いが入っているようだ」

 

「この間トレーナーと会長に仕込まれていたからな、比較対象としてはいい相手だろう」

 

「オーウ!ソレ、ワタシも隣で聞かされてマシタ。なんでもオウドウ、だからだそうデース」

 

「ああ。ノウハウがある分、プランを容易に用意できるのが要因でね……なあ、どうだグルーヴ。今のは決まったろう?」

 

「な……」

 

他のメンバーたちが会話に花を咲かせる中、ふたりベンチを占領するライスと東条は目標の設定に勤しんでいた。

 

「ここしばらくの貴女のグループトレーニングの様子を聞く限りでは、ステイヤーの素質があり、またそれを理解し活かそうとしているように見える」

 

ルドルフにも若干聞いていたしな、と付け加えられながら、ライスは自らの振る舞いで与えようとしている印象と客観的に見たそれにズレがないことを確認していく。

 

「だがクラシック級で出走できる長距離のレースはかなり絞られる。皐月賞やダービーでは、おそらく短すぎる」

 

ウマ娘のゲームシステムにおいて、長距離と分類されるレースに出走するタイミングはクラシック級8月まで無い。重賞ともなれば菊花賞を待つ必要があり、知名度のあるステイヤーがたいてい大器晩成型と呼ばれるのはその辺りが関連していた。自分の土俵で戦えるタイミングが遅いのである。

 

「そこで、GIを狙うなら三大競走の内で最長である菊花賞に的を絞るべきだと私は考えたの」

 

「道理ですね」

 

間を置かず理解の返事を飛ばす。若干東条の眉間が歪んだ気がしたが、聞き入るばかりのライスの関心はそこには注がれず、続く言葉を待った。

 

「デビューから丸一年の間、トライアル一発ではなくコツコツと実績を重ねて、全力を量らせないまま本番の菊花賞で全てを叩き付ける。クリークやマックイーンと同じ道程に見えるけれど、こちらは意図的な分具体的にプランを練られる」

 

東条はどうやら菊花賞を本命に据え鍛えつつ、そこに辿り着くまでオープンなどの小規模戦を主戦場にすることを勧めているらしかった。

 

重賞未勝利、または未出走のままGIに出ることは特段珍しいことではない。

まず相手のレベルが一段下がる分実戦特有の疲労による消耗や故障を抑えられるし、トライアル勝者と比べ知名度の抑制にも繋がり、対策の構築を遅らせやすいメリットがある──尤も後者の件はチームの知名度の観点からさほど考慮されていないらしいが──。

 

反対に、大敗が続くなどして結果を積み上げられなければ取り戻しが利きづらい上、不安分子の発生も懸念材料となり、メンタル面の負荷が大きいプランでもある。そこらのウマ娘であるならば。

 

「……尤も、これは理性を最大限に訴えた夢のない一案に過ぎない。貴女が三冠を望むなら、相応しいサポートを施すわ。必ず」

 

その言葉に対し、両腕を腰に預けて天を仰ぎ考え込む素振りを見せるライス。だが内心ですでに結論を出してはいた。

史実におけるライスシャワーの戦績を考えれば、二千メートル台レースでの勝利には乏しい故に、おそらく三大競走にて戦うことになるナリタタイシンやウイニングチケットの猛追を振り切るビジョンを浮かべづらいとは感じていたからだ。

 

史実ライスと同程度の勝利を目標とするライスにとって、期待度の低いレースを切り捨てて本命を磐石にできるこの提案は渡りに船といえた。

 

「賛成します。私に必要なのは三冠ではありませんから。──教えてください、3000メートルを戦う術を」

 

腹を決めたライスの眼には、目を瞑り頷いた東条の姿が映った。

 

「ええ、じゃあ重点はそこに置きましょう。……あぁ、ルドルフにも声をかけておくわ。現時点、このチーム内でステイヤーとして頭一つ抜けているのはあの娘だから」

 

「はい、ご配慮に感謝します。精一杯学ばせて頂きますね」

 

道を定めた二人は立ち上がり、コースを見やる。

 

そこには結局差し切られたヒシアマゾンが、高笑いを響かせるオペラオーに食って掛かる様子が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リギル新メンバーの募集、加入からしばらくして。諸々の業務にひとまずケリをつけ、久々に行きつけのバーにやってきた東条は、半ば勝手に隣に座り込んできた腐れ縁の男(スピカT)と語らっていた。

 

「それでどうなんだ?ルドルフの紹介をきっかけに入ったあいつは」

 

この男もどうやらライスのことを気にしているらしい。過程はどうであれ彼もライスの知り合いだ、特に隠す必要もないので機密情報にはきっちり線を引きつつ軽く明かす。

 

「結構フィットしている様よ。ウチはこれでもクセ者揃いだし、特にオペラオーには面食らうかと思ったけれど、普段通りに接しているようだし」

 

そいつは良かったな、とどうせ自分が奢らされるのだろう酒を呷る男の振る舞いが腹に据えかねた東条はチクっと煽ることにした。

 

「ルドルフたちに差を見せつけられても折れないし、才能ならそっちのマックイーンと遜色ないと思うわよ?残念ね、セクハラひとつでツケも逸材も手放すなんて」

 

「そこまで言うか……あ、マスター同じのをもう一つ頼む」

 

してやったり、と一時は男の唸りに溜飲を下げた東条だったものの、すぐさまおかわりを注文した彼へ思わず額を押さえた。

 

ため息とともに体勢をリセットした彼女は、カクテルを一口含むとポロっと言葉をこぼす。

 

「……折れない、というには落ち着きすぎな気もするけど」

 

東条の脳裏には、あのプランを提示したときのライスの顔がよぎる。

三冠という誰もが憧れる称号を、遠回しに不可能と断じたというのにも関わらず、彼女はすんなりと受け入れた。

 

生徒会庶務としてルドルフらと働く身だ、思い至れぬほどの凡愚というワケではあるまい。実際食って掛かられるともよし、と吹っ掛けたところはあったものの、一切構わずそれどころか三冠を不要と断じまでした。

 

「……そりゃスピカに行ったら何をすればいいか分からない、なんてこぼすでしょうね」

 

「何だそれ、嫌味かぁ?オイ」

 

少し前にスピカを選ばなかった理由を訊いたときのライスの回答をまんま反復しつつ、残りのカクテルを呷る。

こちらの言うがままにひたすら従順な教え子の表情を思い浮かべながら、東条はいよいよマスターへチェックを申し出ることにした。

 

「ま、向こう2年はマックイーンも止まんねえだろうし、アイツがここまで上がってこれるなら──」

 

相手になってやる、と宣戦布告を行おうとしたスピカTは、同僚の行動に気づき慌てて立ち上がった。

 

「おいおい、おハナさん!こーゆーときの俺は持ち合わせ無えの知ってるだろ!?」

 

「そっちの都合でしょ?たまには皿でも洗いなさい」

 

しかしタダ酒が許されるはずもなく拒否され、がっくりと男は肩を落とす。たまには、と言うが東条がご無沙汰だった最近はずっと皿洗いで酒を恵んでもらう日々が続いていたからだ。

当然知ったことではない彼女はその様を尻目に一人分の支払いを行い、颯爽とバーを去った。

 

(気にしても仕方ない所は気にしない、そのスタンスで接するしかないわね)

 

飲み明かす前より数段クリアになった思考は、既に教え子たちに向けられていた。




読んでくださる皆様に格別の感謝を。そしてよいお年を。


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PAGE:10 『RE/STORE ここからが本番』

新年最初の投稿です。そして祝、10話目突破。

無料10連でサポカSSRを何も引けず、育成ウマ娘の方も中々星3が引けずにいるので祈願という意味も含めた投稿。

タイトル詐欺になりかねない展開がずっと続いてたので、ここで半分回収しておきます。


「トゥルットゥットゥットゥー……休みはどこに巡ろっかなーっと」

 

機嫌よくスキップをしながら寮の廊下を移動するライス。

 

チームのトレーニングに明け暮れる中、与えられた完全オフの日を楽しみにしているようだったが、トレセン学園のルールにおいて生徒が無断で学園外に出かけることは禁じられており、プライベート等の理由で外出するには寮長の許可を必要としていた。

 

そこで彼女の左手につままれていたのは外出届の書類であった。補足するなら門戸はさほど狭くなく、大まかな出発・帰還時刻と、行動範囲や動機などを記せば大抵はOKが出る。

 

「ただいまー、ロブロイさん」

 

「あ、おかえりなさい、先輩」

 

自室にたどり着いたライスはロブロイを一瞥すると、早速書類を書き上げてしまおうと筆記用具を引っ張り出して紙を机に置き、椅子に座ることもせずに記入していく。

 

「買い物ですか?」

 

「うん、色々と欲しいものが出来たから今度はあちこち巡ろうと思って」

 

最近はよく外出していたこともあり、ロブロイは慣れたように訊いてくる。

 

「ええと、雑誌とか、ぬいぐるみとか、あとついでに一人カラオケもしたりとか……」

 

「はぁ、随分贅沢なさるのですね」

 

指を折りながら目的を列挙していくライスに対し、驚きながらプリントに記入されていた日付を盗み見ると、ちょうど自分の休息日と被っていることに気付いたロブロイは、数秒の間逡巡したあと同行を申し出てみることにした。

 

「ええと、もしよろしければ、なんですけど、その日は私も空いていて暇をしていたので……その外出、私もついていってもよろしいでしょうか?」

 

とはいえ言った直後にやはり不躾だったかと思い、ご迷惑でしたら今度で構いませんので……と小さく付け加えるが、すぐに表情を笑顔に変えたライスはこう応えた。

 

「うん、もちろんだよ!ロブロイさん!」

 

するとプリントに向き直って記入事項の調整を行い始めたライスに安堵して礼を述べたものの、ロブロイは肝心なことを忘れていた。

 

「じゃあロブロイさんも外出届持ってこないとね」

 

「はっ、そうですね」

 

盲点を突かれ、やることリストにプリントの確保を放り込んだロブロイ。しかし扉に足を伸ばそうとしたところで、ライスに待ったをかけられた。

 

「あっ、でももともと色々買い集めるつもりのお出かけだから、ロブロイさんにつまらない思いさせちゃうかも……」

 

もともとのテーマがデュオ向きではなかった、と懸念を口にしたライスに対し一瞬言葉を詰まらせたロブロイだったが、引き下がる気はもとよりなく、クワっと気を込めた彼女はすぐさま発言した。

 

「面白そうだからついていくのではありません。プライベートをただ──」

 

句読点によって一瞬、間を空けてしまった。それが命取りだった。そのたった一瞬の間に先輩後輩の関係を視野に入れてしまったロブロイは勢いをここまでしか持たせられず、用意していた台詞、いや名詞と言うべきか。それが適切であるかの確信を失い、代わりの言葉を探そうとして声が塞き止められてしまったのだ。

 

「と、友達と過ごしたいから……ではいけないでしょうか?」

 

結局目の前の相手との関係を形容する名詞がそれ以外見つからずに発言を強行するも、着地点が大幅にズレ込みながら言い切ると、ライスは苦笑しながら言葉を返してくれた。

 

「ううん。じゃあとことん付き合ってもらうね、ロブロイさん!」

 

「は、はいっ!よろしくお願いします!」

 

しかし羞恥にも似た緊張が限界に達したロブロイは、カッと熱くなった顔面を隠すように踵を返し、そのまま部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行こう行こう!ロブロイさん!」

 

「わわっ、ちょっと待ってください」

 

お出かけの当日、いつになくノリノリなライスにロブロイが引っ張られる形で、二人は書店に入っていく。

 

入店するや否や真っ先にスポーツ関連のコーナーに駆け込んだライスは、すぐさま目的の雑誌を発見した。

 

「あった!『二冠ウマ娘 ミホノブルボン特集』!」

 

表紙に愛しの愛バが全面的に主張されたそれを手に取ると、他にも直近で行われたGI──主に日本ダービーの──特集の雑誌などを次々カゴに放り込む。

 

「え、え?これら全種類買うんですか?」

 

「もっちろん!」

 

困惑気味なロブロイの問いにウキウキになりながら返すと、ついでにネクストブレイクと銘打たれたデビュー間近ウマ娘たちの特集雑誌をカゴに放り、次はロブロイの守備範囲である伝記、物語ジャンルのコーナーに行こうと誘った。

 

(はは……いつもは逆だったんですけどね)

 

ライスから見た自分はこんな感じだったのだろうか。普段と一風変わった様子の先輩を前に首元を掻きながら歩み出すロブロイであったが、一日はまだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

書店を数軒巡ったあと、ゲームセンターに入った二人は、ウマ娘を象ったぬいぐるみを封入したクレーンゲームに興じていた。

 

萌え系のグッズを血眼になって獲りにいくという、前世の自分であれば少々気恥ずかしく感じる行為ではあったが、ウマ娘という外見がその辺りのハードルを取り払ってくれた。

 

「もっと奥、もっと奥……そこです!」

 

「オッケー!」

 

機体の側面から見張るロブロイの合図に合わせボタンから指を離した。アームを開き目標に向かって降下していくクレーンを、固唾を飲んで見守る。

両脇からガッチリと対象を挟み込んだクレーンはやがて上昇し、初期位置に移動していく。

 

「よっしゃ取れたぁ!」

 

そのままクレーンから取り出し口へ落ちてきたターゲットにガッツポーズを取るとすぐ手を伸ばし、ひとしきり眺めると頬をこする。

 

戦利品の正体はもちろんミホノブルボンを象ったぬいぐるみである。ゲームでよく見るぱかプチとは異なり、まるで絵文字から抜き取ったようなシンプルな顔立ちをしていたそれは、アニメでテイオーがクレーンゲームに興じる隣に確認されたシリーズだ。

覚えている限りではヒシアマゾンやオグリキャップのみしか映っていなかったが、他にも存在するのではと探し回った結果、やはりあったのですぐさまトライした。

 

クレーンゲームは無策で挑むと苦戦するという前世からのイメージがあったので、500円硬貨二枚で済んだのは幸運と思えた。

 

「よかったですね、先輩……あ!」

 

労いに駆け寄ったロブロイが、驚くようにここではないどこかに指差していた。

 

その方向を見やると、手のひらサイズまで縮んだぬいぐるみらが入った別機体があり、そこには当然ミホノブルボンの姿もあった。

 

「これは……ふ、やるしかねえなァ……オイ」

 

思わず自分を偽る仮面を被ることを疎かにしてしまうほどの興奮に包まれつつ、片腕をグルグルと回しながら歩み寄ってゆく。

 

その形相はロブロイ曰く『刺客』そのものであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とあるカラオケボックス。お出かけの締めとして入店した二人はソフトドリンク片手に歌唱に明け暮れていた。

 

「恋は~ダービー!胸が~ドキドキ~、あぁお祭ーり騒ーぎだ~!」

 

ライスが歌うのはテイオーのソロソングとして知られる『恋はダービー』。

これは東条にライブパフォーマンスを仕込まれる中で気付いたことだが、ウマ娘の声帯を得た今、高音を求められる大抵のアニメソングを原曲キーで歌えるのだ。

『WINNING THE SOUL』を始めとするライス未歌唱のウマ娘楽曲も例外ではないことに気付くのに時間はかからず、思い付く限りのGI用歌唱曲などを打ち込んでは歌っている。

 

(あぁたんのしいっ!爽快っ!)

 

ファンとしてはこの肉体がもたらす中で最上級とすら言える恩恵を、ただひたすらに享受した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、カラオケボックスを出た二人は、夕暮れに迎えられながら帰路についていた。

 

「フーフーフーフン、フーフンフン、フフンフフーフフフンフンフン……」

 

手足が生えたガラケーが踊る姿を脳裏に想起しながら、鼻唄を歌うくらいにはご機嫌なライス。

 

「えっとその、楽しかったですね。今日のお出かけは」

 

「うん!とっても!相当!ものすごくっ!」

 

そんなにですか、とライスの勢いに気圧されるロブロイ。

同室として生活すること二年となるが、素面でこれほど感情を剥き出しにしているのを見たのは初めてかもしれない。

 

それにしても──。

ロブロイはふとライスの両手にぶら下がる袋を見やった。

右手に雑誌、左手にぬいぐるみの集合体を詰め込んだそれらは、ほぼすべてが特定のウマ娘を扱ったものであった。

 

「その中に入っているもの全部、ブルボンさんのグッズですよね?」

 

「うん、そうだよ?ほら」

 

ライスはそう言うと、パンパンに膨張している左手の袋の口を開く。

 

ベッド周りに置き回るんだ、と楽しげに語る彼女を前に、ロブロイはある一言を思い出す。

 

──今は色々貯めてるの。二年後まで、その時まで待たなきゃいけないんだ

 

かつて自分が入学して間もない頃、寮内のライスのスペースに最低限の日用品以外存在していなかったことを不思議がって訊いたときの返答だ。

 

思えば彼女のスペースに物が増え始めたのは、あの時からちょうど二年後にあたる今年から、いや正確には昨年末ごろであった。

 

最初は誰かに押し付けられでもしたのかと思っていたが、今日の様子を見る限り彼女の待つ二年後は既に始まっていたのだと確信に変わった。

 

「かなりひいきにしているのですね」

 

「もちろん!私ブルボンさんの大ファンだから!」

 

ライスはそう誇らしげに語る。

ミホノブルボンといえば朝日杯FS、皐月賞、ダービーというGI3勝を含め計6勝、それも無敗のまま快進撃を続けるニュースターウマ娘だ。

スプリンターの血統ながら、血の滲むような特訓の末にそれを乗り越えているというフィクション染みたバックストーリーや、前年でテイオーが故障離脱により達成できなかった『史上二人目の無敗三冠』という称号に手を掛けようとしている事実も手伝って、彼女の人気はもはや社会現象級とすらいえた。

 

「ふふ。まぁここまで物語の英雄染みた方も珍しいですからね」

 

「うんうん、それにね、サイボーグ感あふれる無機質キャラなのに意外と抜けてるところも多くて──」

 

すると、どこから仕入れてきたのかわからないブルボンのお茶目なエピソードをひたすら乱発しだしたライスに、二つの意味で驚愕を隠せないロブロイ。

 

「──でも、ものすごく頑張り屋で、誰よりも努力してるから。私は大好きなんだ」

 

やがてレースの方に話題が移ってもそのまま語り続けたライスが話を結論付けようとしたとき、異変が起きた。

 

「──だからね、三冠を獲るのはきっとあの人なんだよ。なんたって私が居な──」

 

そこで急ブレーキをかけたように声を体内に引き戻したライスは、台詞を土壇場で差し替えた。

 

「──ぃぁっ、わ、私に言わせれば、あの人を倒すには実力だけじゃ足りないから。膳立ても何もかもを踏み潰す覚悟が必要だから」

 

慌てて言い切ったライスの顔色は、先ほどの高揚が嘘のように青ざめていた。

 

「その、たくさんの人に応援されてるから、応援のパワーっていうの?なんかスポーツで言うホームやアウェイとかそんな感じのハンデを背負わなきゃいけないし、これだけの人気なら勝ったあとだって大変になるの。なんで三冠の邪魔するの、って言う人はきっと少なからず居るし」

 

つらつらとブルボンを倒すために障害になるであろう事柄を挙げていくライスだったが、これより後の言葉はロブロイはあまり覚えていない。

 

ライスの持論は、なるほど納得はできるしもっともであると言えた。しかし彼女が言いたいのは本当にそんなことだったのだろうか。

 

数年共に暮らしても、外出を一日共に楽しんでも、未だライスシャワーというウマ娘はロブロイにとってまだまだわからないことだらけだった。




偽ライス君「やべ調子乗って口緩みすぎた」

次はようやくデビュー回。


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PAGE:11 『RE/LEASE 船出─メイクデビュー─』

おかしい、推し活してる偽ライス君を書いたつもりなのに雑穀雑穀と言われている。なんでや。


秋。それはクラシック三冠終着点『菊花賞』や、秋シニア三大競走の開幕でざわつく季節。

 

10月に入り、デビューがいよいよ一週間後に迫っていたライスは着々伸びてくる力量に手応えを感じながら、今日も今日とて鍛練に励んでいた。

 

練習コースにて「3kmを走るルドルフをただ追い続ける」というミッションを黙々と遂行するライス。今夏くらいからルドルフと都合が合えばチームトレーニングの度に行っているそれは、最初の頃こそ途中で強制終了を言い渡されるほどの開きがあったものの、最近ではなんとか4バ身くらいの差でのゴールに留まることができるようになった。

だが、今日は過剰に消耗を強いられた。どうにもルドルフが時折加速したりとペースを乱してくるのだ。おかげで虫の息である。

 

「……カチっと。よし二人とも、そこまでだよ!」

 

横切ったゴール地点に立っていたタイムキーパー担当のヒシアマゾンの声を聞き、前を走っていたルドルフを若干追い抜かしながら歩行速度まで減速する。

Uターンして超過距離の分を歩きながら息を整えつつ、疲労の全く窺えないルドルフを見やる。

 

「ルドルフ、あんた遊び過ぎだよ。あんな緩急の付け方したって練習にならないだろ?」

 

「ふ、レースでは先頭次第でペースが乱れることなどもはや日常茶飯事だ。それに適応できないようではステイヤーとしては半人前でステイや……なんてね」

 

「なんだい?急に関西弁だなんて……あ、そういうコトかい!?サムっ?!」

 

独断で試練の難易度を上げていたルドルフに第三者の視点から苦情を飛ばすヒシアマゾンだったが、ノータイムで流し込まれた駄洒落には身震いで応えることしかできず。

当然その寒波は当事者のライスにも及んだので、ペースをランダムにされる件への抗議は自動的に握り潰されることになった。

 

「まあ流石に実戦との比較が出来ない走行にしてしまったことは反省しているが、だとしても2000m付近までの追走は及第点と言えるだろう。これならデビューで十分スパートを掛けられる余力は残せるはずだ」

 

「え、は、はい」

 

とても秋とは思えぬ空気に震えるライスには半分ほどしか聞こえていなかったが、なんとか無難に返事をする。

 

「……言っとくけどルドルフはまだ本気を見せちゃいないよ、タイムだってあの時の菊花賞に比べちゃお粗末なもんさ」

 

寒波から解放され、ストップウォッチの数値をこちらへ見せびらかしながら放たれたヒシアマゾンの言に、心底というほどではないが驚嘆する。

 

(人間が越えるべき壁は……こんなにも高いのか)

 

思えばこの肉体は、本来ならもう一線級の実力を持ってGIで鳴らしている頃合いなのだ。意識が本物のライスのものだったならばこの程度屁でもない試練だったろう。

 

とんでもない皮算用をしていたのかもしれない、と一瞬過去の浅慮を悔いたが、吐いた唾は飲み込めない。

 

こんな苦難を味わうからには、せめてGIのひとつでも獲らなければ見合わないというものだ。そうライスは決意を新たにする他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お待たせしました、本日の京都レース場第4レースとなりますメイクデビューが、いよいよ開幕です!』

 

実況の声と共に、パラパラと歓声があがる。デビュー戦故に、この場のファン層はレース関係者や玄人に絞られるが、静かながらも確かな熱狂がそこにはある。

 

7枠7番に位置し、一番人気としてこのレースに出走するライスは既にパドックでの御披露目を終え、スターティングゲートのすぐ側にいた。

 

一方、それをルドルフとふたり最前列で見守っていた東条は腕を組み黙り込んでいたものの、ふと口を開く。

 

「阻むとしたら誰かしらね?」

 

ライスとは師弟関係とすら言える間柄のルドルフに、敢えてそう問いかける。

 

「そうだな……人気上位三名を除くなら、8番だろう」

 

さほど考える素振りなくひとりを指差したルドルフ。その8番のゼッケンを背負うのは、端くれとはいえ名門メジロ家出身のウマ娘で、ステイヤー志望のライスにとって警戒対象となるのは当然といえた。

 

「あとこれは若干の贔屓目が入るが、2番にも注目していてね」

 

もう一人、と挙げたのは4番人気のウマ娘。

何故?と東条が顎でしゃくって続きを促すと、大した理由ではないよ、と前置いて話し出す。

 

「実力はもちろんだが、彼女が入学したとき、少々語らったことがあってね。ただそれだけなんだが、この感情は……そう、テイオーを応援するときのものに似ているかもしれないな」

 

大した理由ではなかったろう?と言いたげな教え子に微笑で応えつつ、東条は揶揄するように言葉を投げ掛けることにした。

 

「随分感情的な理由ね。ライスに妬かれるかもしれないわよ?」

 

「ふ、彼女はそういった感情とは無縁だと思うがね」

 

言えてるわ、と東条が笑うと同時にファンファーレが吹かれ、話題はそれまでとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(できるできるできるできる俺はできる俺はできるやるかやらないかは気持ちの問題……)

 

とうとう立ってしまったレースの舞台に、内心ガチガチになっているのを必死で取り繕いながら、ライスはゲートへ足を運ぶ。

 

走るのは1800mの晴れ良バ場。実力を発揮するのになんの障害もない好条件なワケだが、緊張で世界のすべてがプレッシャーの元凶に見えているライスには何の慰めにもならず。

 

(大丈夫大丈夫大丈夫……こちとらGI3勝の名馬やぞ、こんくらい楽勝や楽勝……いやなんで関西弁やねん)

 

気を強く持とうと内心で口走った思念に自らツッコミを入れるという滑稽なことをしでかしていたが、そうなると最早一周回って冷静になってきたような気がしてきた。

気付けばゲートに収まっていたライスは気休めの柔軟を行うと頬を軽く叩き気を鎮め、意識をレースのそれに切り換える。

 

『3番人気は4番ツルサントップ。この評価は少し不満か?2番人気は9番マイティメビウス。そして1番人気はこの娘!7番ライスシャワーです!』

 

前世で飽きるほど聞いてきた実況の台詞に既視感を覚えつつ、スタートの構えをとると、また聞き慣れた言葉が飛んでくる。

 

『各ウマ娘ゲートに入って体勢整いました』

 

それをきっかけにしたかのように、世界から音が消える。

 

──そして数時間にも等しいひとときののち、目の前のゲートの繋ぎ目に現れた芝の緑色を認め、駆け出す。

 

『スタート!各ウマ娘、きれいにスタートを切りました!』

 

人間の走行時の5、6倍ものスピードで動き出したウマ娘らが、横一列になって両脚を前へ前へと進めていく。

肉体を圧砕するような、向かい風にも似た空気抵抗という慣れた異常がライスを襲った。

 

『まず先頭に立ったのは5番ヨシズミコーカサス。その後ろには9番マイティメビウス、10番ノンブレイキングと続き、その外並んで7番ライスシャワー。また5番手では2番イッテンユートピア、8番メジロミカエルがこちらも並走の様相を呈しています』

 

作戦に従い位置を概ね確定してきた全員がコーナーを見据え内ラチに寄ってきた頃、ライスは内心で安堵していた。

コーナーまで900mほど直線が続くこの条件では、逃げウマ娘が飛ばすとペースを高速化されやすいのだが、今回は特にその心配はなさそうだったからだ。

消耗戦に自信がないワケではないが、ハイペースはどうしても気持ちが逸りやすいという自覚があった。

 

『続いて7番手は3番マイティワヘイと6番ハヤシダガリョウが競り合い、1番ビリオンスポンサーと続きまして4番ツルサントップがシンガリという形。ここまでは淀みなく進んでおります』

 

坂を登りながら、コーナー付近での動きを思案するべく諸々の事柄を天秤にかけていた。自分と並んで内にいるノンブレイキングを追い抜くか、退がるか、などだ。

 

『坂を登りきっていよいよコーナー!ここからの走りは見ものです!』

 

そうこうする内にコーナーに差し掛かる。結局ラストで外から抜け出そうと企んだことで、並走続行の構えを見せたライスは位置取りを変えないまま臨んだ。このままスタミナ消費が予定通りの範囲に留まるならば、若干アウトに出ることによるタイムロス程度取り戻せると踏んだからだ。

 

『第3コーナーを過ぎて下り坂に差し掛かる!ミカエル、ガリョウ、ワヘイ、スポンサーの4人は前に詰め寄る様子が伺えますが、ツルサンはまだ脚を溜めているか!?』

 

後ろから感じる気配が濃密になり始めた。第4コーナーに入る頃には、先ほどまで5番手だったミカエルが自分の外に並ぶ位置まで来ていた。

 

『さあ第4コーナー!まだヨシズミコーカサスの先頭は変わっていないが時間の問題か?そして後方では4人がやり合っている!』

 

頃合いか、と加速を始めて間も無く直線に入る。内にいたブレイキングを抜く……いや抜ききれず2番手にいたメビウスと、無理ー!と叫んで目に見えて失速が始まったコーカサスを二人して順に抜いていき、そのまま叩き合いとなった。

 

『先頭はライスシャワーとノンブレイキングの一騎討ち……いや、ツルサントップが追い込んできて4…3番手に浮上!加われるか!?』

 

全力を以てトップスピードを引きずり出したライスはブレイキングを振り切ろうとするが相手もさるもの。気配が後ろに流れる様子はなく、さらにもうひとつの気配が迫ってきていることも感じ取っていた。

 

『先頭どちらも譲りません!ツルサンが詰め寄るも間に合うかどうか!その後ろではイッテンが混戦を脱け出しますが流石に厳しい!』

 

大勢が変わらない。間違いなく全力を投じているのにも関わらず、隣のウマ娘の左半身が視界から消えてくれない。

今に至るまで、転生というハンデをふんだんに使ってきた。それでも圧勝のビジョンが見えない現状に戦慄する。

 

「くそ、負け、ねえええっっ!!」

 

吠える。肺に1mlでも酸素を送り込まなければならない現状では何よりもの愚策であったが、そうでもしなければ自分が出していないはずの余力を引き出せる気がしなかった。

 

2番手との相対速度がゼロに等しいためにまるで静止したような景色を映していた視界から、猛スピードでゴール板が現れ消えていった。

 

『抜けた抜けた、ライスシャワー!ライスシャワーが1着でゴールイン!接戦を制したのはライスシャワーです!』

 

勝者の決定に沸き上がる実況、観客とは対照的に無感動のままゴール地点を通過したライスは、半ば放心状態になりながら減速しつつ、右方の掲示板を見やる。

 

5着から順に点灯していく番号の表示が頂上に達したところで、自身の7番の位置を目視するやいなや、活力を取り戻したように拳に力を込めた。

 

「……っ、しゃあああっ!!」

 

静止すると思わず跳び跳ねるようにガッツポーズをとるライス。本性が隠しきれていないが、全身で悦楽を感じているライスは気付くよしもない。

 

「だあああっ!!負ーけたぁーっ!!」

 

2着となった10番ゼッケンのブレイキングが足元に倒れ込む。仰向けになっていた彼女は右腕の肘関節の部分を垂直に折るとそのまま元に戻す形で、拳を地面に叩きつけた。

 

「くっそー!エリート様をぶっ倒せるって思ってたのになぁぁっ!!」

 

彼女は心底悔しそうに言葉を吐く。気分よく応えようとしたライスだったものの、一瞬で自分の演じるべき誰かを思い出した彼は腹の底を氷点下まで冷やしながら言葉を差し替える。

 

「あ、えっと、お疲れ様……でした。速かった、です。負けるかもと思いまし、た」

 

「出たー、勝者にのみ許された謙遜……」

 

「え、あはは……」

 

「あーいやいや、そんなつもりで言ったワケじゃなくて」

 

揶揄するように飛ぶ返答に苦笑がこぼれてしまうが、本心からの嫌味ではないらしくすぐに次がれた言葉に生返事を返しつつ会話を続ける。

 

「にしても庶務様がまさかオラオラ系だなんてねぇ……」

 

「え?」

 

「いや……なんでもない」

 

歓声もあり不意に放たれた呟きを拾えず聞き返すが、はぐらかされてそれ以上は追えなかった。

 

「まあ……とりあえず、立ってください。ウイニングライブもあることですし」

 

そう手を差し伸べるライスの掌を、ブレイキングが握り返すには少し時間がかかった。先ほどすぐ隣で聞いていた猛々しい雄叫びとは似つかぬ丁寧な口調に、思わずこみ上げる笑いを処理しなければならなかったからだ。

 

「ふっ……しゃーない。ま、主役の引き立てくらい一番上手くやってやらないとね」

 

衝撃を逃がすような形でこぼした笑い声は、いつもどおりの皮肉げなものに演出できていただろうか。そう気にかけながらブレイキングは手を掴み立ち上がる。

 

なんとなくこの件は墓まで持っていこうと、そう決めながら。




書き上げたあと、思ったより数百倍苦戦してて笑いました。まあライスのマイル適性Cなんで許してください。

原型のレースは一応あるので気になる人は頑張ってググってみてください。
モブのウマ娘の名前は元ネタから連想ゲームする感覚で決めてます(要は適当)ので悪しからず。
実は執筆途中まで、フラッシュとシャカールが欧州のプロサッカーリーグの展望についてひたすら討論してるのをロブロイの産駒ネタ込みの注釈を聞きながら見守るシーンがあったのですが、時系列がライスのメイクデビューと季節単位でズレ込むのと読んでる人が誰もついてこれないという理由で渋々カットした背景があります。

そんな筆者にとって色々事情がてんこ盛りだったメイクデビュー回、お楽しみ頂けましたでしょうか。

次回は多分ブルボンの菊花賞やるんじゃないかと思います。

追記
ブレイキングの「かっそー!」は本来意図的な誤字だったのですが、考え直したらあり得ない発音だったので修正しました。


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PAGE:12 『RE/SPECT 成就─菊花賞─』

レースをやりますが、前半の実況台詞はほとんど原作のコピーだったりします。ライスを抜く以外あまりやることがありませんでしたので。


自分で望んだので仕方ないことだが、レースにまつわる諸々の肉体労働と、生徒会の頭脳労働との両立は難しい。

 

初めてのレースから二日経ち、肉体のクールダウンをある程度終えたことでまた事務作業に加わることになったライスはそんなことを考えていた。

 

ルドルフは外回りに出て、ブライアンはいつもの如くサボりを敢行し、それを血眼になってグルーヴが捜索に出かけて……といった流れでひとり生徒会室に取り残されたために、誰の声も聴けず退屈していたのもあったのだろう。

 

こういうとき頼りになるのはテイオーだが、そんな日に限って来ないので、誰か訪ねてこないだろうかと願っていると、意外にも救いの手が差し伸べられるのは早かった。

 

「失礼。リギルの東条よ。ブライアンとライスはいるかしら?」

 

ノックののち聞こえてきた声は、自らの師のものだった。

短く返事をして迎え入れると、見回すうちに在室者がライスしかいないと気付いた東条は頭を掻きながら連絡事項を伝えてきた。

 

「来月、貴女とブライアンを連れて偵察に出ることになるわ」

 

「ほう」

 

開口一番に放たれた要件に思わず洩らす。確定事項として告げられたのは予想外だったが、11月に見に行くものがあるとすれば心当たりがあったライスは詳細を探ることにした。

 

「偵察というと……行き先は京都ですか?」

 

「ええ、菊花賞よ。貴女にとっては一番確認しておきたいレースの筈だから」

 

やはりか、と考え込んだライスは、次に起こすべき行動を導き出すとすぐさま返答する。

 

「ならブライアンさんを探さなければいけませんね」

 

「そうね。心当たりはあるかしら?」

 

「うーむ、サボりの途中に電話に応じる方とは思えませんし……ひとまずトレーナーは屋上を探ってください。私は外の適当なところを探してきます」

 

進展があったら連絡を取り合おうという旨を告げて、書きかけの書類を定位置に追いやると、東条と別れ外出した。

 

(さーて、久々のガチシークだな……)

 

ブライアンのサボりをグルーヴに通報することは少なくなかったが、大抵外回りの最中に見つけることが多かったので、本気で探そうと思って探すのはさほど多くなかった。

 

いつもなら二回に一回くらいは見逃してやるのだが、今日はタイミングが悪い。必ずブライアンには来てもらう必要がある。生徒会のグループチャットに、生徒会室を離れる、とだけ投稿すると、人通りの少ない場所を中心に巡っていくことにした。

 

 

 

その後、ライスらより先にブライアンを発見したグルーヴと挟み撃ちにする形で彼女を捕らえ、共に生徒会室に戻りながら偵察の件を告げた。そのとき若干細められた瞳には、サボりを阻まれたことへの煩わしさがあったのか、渇きを満たす強者の到来への期待があったのかは、ライスには判別がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都レース場パドック。国内最高峰のグレードであるGIに属するレースへ出走する猛者たちが、世界にひとつしかない各々の勝負服を纏って姿を現していた。

 

『さあ続いては既に二冠を掴み、無敗三冠という偉業に手をかけようとしている圧倒的一番人気!7番ミホノブルボンの登場です!』

 

主役の登場に高まるボルテージの上昇具合は留まるところを知らず、この場にいる何千何万もの観客や、このレースを液晶越しに見守る者たちなど様々な想いがここ京都レース場に集約されているかのような盛り上がりだった。

 

このレースの観戦のために府中からやってきたリギル三人は、観客とは一歩引いた位置からそれを見守る。

 

「中々な熱気ね。去年のテイオーのダービーと同等……いや、それ以上よ」

 

教え子二人の間に立つ東条は思わずそう溢す。去年メンバー全員を引き連れてダービーを観たときとは、一線を画す熱狂ぶりだったからだ。

 

「……ふん」

 

「これが、私が走るはずだった舞台の……空気……?」

 

寡黙なブライアンとは対照的に、ライスはこの熱気に圧倒されているらしい。メンバーの中で最も新参の彼女は、去年のダービー観戦には同行していない。もしプライベートなどでレース場に赴いたことが無いとすれば、これが初めての生のGI観戦ということになる。

しかし発言にあたって過去の助動詞を誤用しているあたり、相当動揺しているようだ。

そのあたりの耐性の付与がいずれ必要か、とプロファイリングしたところで、出走者全員の顔見せを見届けると東条らはその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、いよいよ、いよいよ始まろうとしています。クラシック三冠レースの終着点、菊花賞!我々は今年こそ、偉業の目撃者となるのでしょうか?その答えが、この京都の地で今より示されます!』

 

開幕を告げるその一言で、レースの結末を一目見んと集った観客たちの熱気はピークを迎えた。

 

東条やブライアンと居る内に、ようやくこの空気に体が慣れ始めてきたばかりのライスは立ち眩みを起こしかけるが、どうにか踏ん張る。

 

やがて平静を装える程度まで持ち直した彼女は、ターフに視線を固定する。

 

「このレース、ブルボンが予想通り圧倒すると思う?」

 

ふと東条から投げられた質問に、ライスはわずかに考え込む。一方ブライアンはあまり質問に興味がないのか、考える素振りも見せない。

いちファンであり、その最大の懸念分子を自ら取り払った身としては是と答えたいが、無論万が一もあり得る。そこで彼女は、一人のウマ娘を挙げることにした。

 

「12番次第じゃないですか?」

 

ライスが口にしたバ番に入るのは、会見にて打倒ブルボンを掲げ、先頭は渡さないと大啖呵を切ったウマ娘だ。名は違ったが、彼女の正体については心当たりがあった。

 

「ほう。確かに彼女は重賞2回の優勝を果たしている身だけれど、それは2000m以内の話よ。上振れを期待するとしても、果たしてブルボンに勝てるほどかしら?」

 

どこか挑発するような声色でそう問うてくる東条。

わかってるくせに、と内心で毒づいたが、突っつかれては語らずに居られないライスは息を吸い込むと持論を展開しだす。

 

「ええ、勝つかと問われれば可能性は低いと言うほか無いでしょう。しかし勝ち負け云々の問題ではなく、その存在自体がブルボンさんにとって厄介になり得ます。邪魔が入らない先頭に立って一定のペースを保ちながらスタミナを適切に使いきる戦いをする……いやしなければならないあの人には、それより前を行かれる大逃げはまさに天敵ですからね。道中で持久力を失えない以上、スタートから独走するか競り合いうかして封殺する手段は取れないし、自滅を待つにしてもレース展開をハイペースに歪められていればそれもままなりません。そこをライ……失礼、タンホイザさんか誰かに突かれて勝ちをふいにする可能性だって十分にあります。要は掛かりのリスクをほぼ確実に突き付けてくる恐ろしさを12番の方は持っているということですね。そうなればブルボンさんがどう妥協していくかという点に今日のレースは焦点が置かれることになるのですが、今年に入ってから誰も前に立たせることなくレースを勝ち続けているワケですから、最前列での駆け引きについてどれほど適性があるか未知数であって──」

 

「ええ、もう結構よ、ありがとう」

 

うんざり顔の東条の一声で発言をシャットアウトされたライスは不満気に頬を膨らませる。

 

やがてほとぼりが冷めると、ひとり出走表を取り出し眺めだす。詳細を把握していないワケではなかったが、なんとなくもう一度確認しておきたかった。

枠番などを見て回ると、ブルボンやタンホイザはそれぞれ7番、10番と史実通りの位置だった。そして次に本来自分が納まるはずだった番号を見やる。

 

(8番に入ってるのは……スペインジェラードっと)

 

前世で見た名の気がするが、見ていないような気もする。プレイアブルではないモブウマ娘の名前は大体がそんなものだから仕方がない。備考の欄を読んでみると、どうやらトライアル競走の『セントライト記念』にて3着を獲ったウマ娘らしい。同レースには本来のライスも出走していたはずなので、繰り上がる形になったのではないかと思えた。

 

(さて、ライスがいないとなればどう転ぶか)

 

タンホイザや12番の存在など懸念点を消せない以上、「番狂わせ」の可能性はやはり否定できない。歴史には修正力がある──タイムスリップが扱われるフィクションの世界でそう聞くことはよくある。

ライスひとり抜けてもブルボンが勝てるとは限らないのだ。

 

(まあ正直……ここで勝たなくたって、元のまま進むだけさ)

 

しかし極端な話、ブルボンの勝敗にはさほど執着していなかったりもする。無論三冠を獲ってくれるなら嬉しいが、逆に言えばそれだけだ。シニア級戦に出ないので自分には関係ないから……と言えば身も蓋もないが、そもそも彼女を推した理由がキャラ付けやストーリーに惹かれたからというのも起因しているかもしれない。

 

「我ながら面倒くさい性分だな」

 

そうボヤいて最後の確認作業を終えたライスは、手にしていた紙を元の位置に仕舞い、再びターフへ視線を固定する。

出走者たちを見やると、彼女らの目はもれなくゲートに注がれており、レースの開始が間近に迫っていることを雄弁に物語っていた。

 

『さあただいまよりレースが始まります!まずは3番人気の紹介から参りましょう、8枠16番ハイパーフューラー。今夏からは好調を維持し、セントライト記念では二桁人気から意地を見せレリックアースの2着と好走しました。そして2番人気は5枠10番マチカネタンホイザ。過去10戦中、掲示板を外したのは皐月賞の一度のみと安定感には定評がありますが、ここで初のGI制覇という箔をつけられるか?』

 

全員がゲートに入っていく中、恒例の人気トップ3の紹介が行われていく。

 

『さあ、そして今日の主役はこのウマ娘をおいて他にいない!どこまで進化すれば気が済むのか?1番人気はここまで7戦無敗のハイパーレースサイボーグ、4枠7番ミホノブルボン!限界の先に見えてくるもの、それを掴み取ることが出来るのか!?』

 

主役のコールに、観客がまたも沸き上がる。しかしルーティーンを終えた全員がスタート体勢をとったのを認めると、その狂騒はすぐに収束を始めた。

 

『各ウマ娘ゲートに入って体勢整いました』

 

そのアナウンスをきっかけに加速した沈黙は、動員数が桁外れである以上完全とまではいかなかったが、ウマ娘らにとって集中を乱さない程度までは歓声の減衰に作用した。

いよいよ、あまりに長く、あまりに短い3分間が始まる。

 

『スタートしました!18人が第3コーナーに向かいます!』

 

ゲートから解放されたウマ娘たちがターフに飛び出す。ロスもなくスタートを切ったブルボンが先頭に立つ、いつもの風景かと思われたが。

 

『ミホノブルボン早くも出て参りますが、キョウゾンアロウズが行きました!』

 

開始早々、今年は誰の背を追うこともなかったサイボーグに先駆けるウマ娘がいた。それはやはり、ライスが言及した12番だ。

 

『やはりキョウゾンアロウズ先手を取りまして、リードを2バ身3バ身ととって参ります、そして二番手にミホノブルボン!』

 

初っ端から先頭に立つ12番をブルボンが追う構図は、かつて液晶画面に穴が空くほど見てきたあのレースの通りだった。まだ、それはいい。

 

『三番手は2バ身差、ネームドセンター。そしてその後にマチカネタンホイザが行きました、サンライトシティ五番手、その後は3、4人が固まってまず一周目です』

 

坂を登ってカーブを抜けて、各々の位置取りがはっきりし始めてきた。こうなれば大衆にとって気掛かりなのは、慣れない2番手の位置につくブルボンの様子だろう。

 

『やや中団が徐々にバラけて参りますが……さあ、キョウゾンアロウズをめぐってリードが2バ身くらいですが、ミホノブルボンも行きました!ミホノブルボンも行きまして、まず一周目スタンド前に入って参りました!内にコースを取って参ります!』

 

(いやぁー、やっぱ掛かってるやん……)

 

あの時と変わらない解説も合わさり、ブルボンの掛かりが決定的になると思わず、ライスは眉をしかめる。

 

『キョウゾンアロウズが先頭、リードが3バ身くらい、そして二番手にミホノブルボンです!その後は5バ身から6バ身差、ネームドセンター。そしてまた4バ身ほど離れまして、マチカネタンホイザ』

 

大歓声に包まれながら、スタンド前の直線を18人が駆ける。焦りがあるのか若干苦しい表情のブルボンに、ファンは不安を煽られながらも声をあげるのをやめなかった。

 

『そこから大きく離れましてカリスストーン、さらにはサンライトシティ、内をついてニンベンキセキが行きました、パインセンゴクがその外であります。そして1バ身差、ハイパーフューラーあるいはメーカーデリケート、ザイバンリョウマ、ファーストポッキーと行っています』

 

順位の振り返りが中位付近まで近づいたところで、先団は再びコーナーに差し掛かる。

正直なところ、知った名前がこれでもかと言うほど出ないので、ライスは後方グループのウマ娘らの聞き取りをほぼ放棄していた。

 

『各ウマ娘は第1コーナーのカーブにかかりました、モミジフレイム、あるいはこのグループにはヘルバイスも加わっています、後方からはジュニアライダー、あるいは遅れましてマンデーバーニング』

 

ひとりの大逃げによって縦長となった隊列をコーナーが余さず迎え入れた頃。ブルボンとの差をキープしながらアロウズがトップを走る状況は、まだ変わらない。

 

『2コーナーから向正面に入ります、キョウゾンアロウズのリードはおよそ3バ身から4バ身ぐらいまであります!ミホノブルボン、ガッチリ抑えて2番手』

 

流石に対抗意識が鳴りを潜めてきたのか、温存に舵をとったブルボンに胸を撫で下ろしながら見守る。

 

『向正面に入りました、その後は4バ身から5バ身差、さあ3番手はネームドセンター、その後は2バ身差マチカネタンホイザも早めに動き始めました』

 

先団が徐々に何らかの兆しを見せ始める頃合いとなり、アロウズもそろそろスタミナに限界が来ているのか、ブルボンとの差が詰まりつつあった。

 

『ここまで来ると先頭からはかなり大きく距離があります、タンホイザの後にカリスストーン!これから第3コーナーに向かいます!その後は3バ身差、サンライトシティ、そしてニンベンキセキ、メーカーデリケート、内からハイパーフューラーと、このあたりは固まって第3コーナーの登りに向かうところであります』

 

密度の高い後方グループらも先団を捉えつつあり、全体的にバ群は縮小の様子を見せる。

 

『さらにはパインセンゴク、これも中団の位置、モミジフレイムも中団からやや後方グループであります3コーナー登り詰めて今度は下りにかかりました!800m、キョウゾンアロウズ リードが2バ身くらい。ミホノブルボン相変わらず2番手!そして3番手は1バ身差、ネームドセンター外に持ち出した!その後は2バ身くらいの差でマチカネタンホイザ、さらにはサンライトシティ』

 

第3コーナー。いよいよをハナに立たんとコースを調整し始めたブルボンと、センターに対して逃げ切りを図りたいアロウズの先頭争いに全員の注目が集まる。

 

『そしてメーカーデリケート、メーカーデリケートにカリスストーン。このあたりは固まってくる、ニンベンキセキ!さあ最後の第4コーナーにかかりました!』

 

後方もコーナーに差し掛かる中、いよいよ先頭らが最終直線に迫り、観客の盛り上がりは最高潮に達していた。

 

『直線コースに入りますが、さあ先頭はキョウゾンアロウズか、ミホノブルボン立ちました!ミホノブルボンが先頭!』

 

後方を解説していた実況は反応が遅れていたが、コーナーを曲がりきる頃には先頭はアロウズも外にいたセンターも振り切ったブルボンに代わっていた。

 

『そして2番手の位置でありますが、マチカネタンホイザ突っ込んできた!メーカーデリケートも突っ込んでくる!』

 

懸命にデリケートが追うも、一着争いは既にブルボンとタンホイザに絞られており、最後は二人が後方を突き放しながら叩き合いに興じていた。

 

『しかしマチカネタンホイザ!マチカネタンホイザ内からやってくる!ミホノブルボンどうか!?ミホノブルボンわずかに先頭か!?』

 

詰めてくるタンホイザに、ライスの表情は強張る。

もし不在の自分の代わりに三冠を阻止するとすれば、彼女だと思っていたからだ。

あの日どうにか2着を死守したブルボンの原動力が、宿敵に手向けるプライドだったとすれば、今の彼女にそれを捻り出せるのかは未知数だった。

 

『内からマチカネタンホイザ!内からマチカネタンホイザ!並んだ!?ミホノブルボン、マチカネタンホイザ並んでゴールイン!』

 

沸き上がる歓声の中、ライスは口元を覆った。

他のウマ娘らも次々とゴールに飛び込み、まずレースは終演を迎えるが、実況の反応は鈍い。

 

『3着はメーカーデリケートでありましょうが……1着2着が微妙だったところです』

 

すると遅れて掲示板に番号が映し出されるが、未だ空白の1着2着のバ番の間にある着差の欄に思わず観客が静まり返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────写真。

 

 

 

 

 

 

ブルボンとタンホイザのバ番より早く出現したその2文字は周囲を困惑の渦に落とすには十分だった。

 

「いやいやいやブルボンだって!逃げきったでしょ、なぁ!?」

 

「俺に聞くなよ!この位置じゃわかんないだろ!?」

 

近くの二人組がざわつく声が聞こえてきた。

判定の最中、状況を整理する猶予を与えられたことで、衝撃から解放された順に混乱の声があがっていた。

 

「え、どうなってんのコレ?」

 

「写真って……あれは流石に差されてるでしょ」

 

「おいおい何だこの状況……頼む、審判忖度してくれマジで」

 

「バカ野郎、冗談でも言うなそんなこと!」

 

ただ困惑している者もいれば、苦笑気味に勝者を確信している者もいるし、判定役に懇願する者もいる。

とにもかくにも勝者を公に確定されなければこの混沌が収まらぬのは確かだった。

 

「まさか同着……かしら?」

 

隣の東条がそう呟く。GIで一着が二人発生する事例は、既に教え子のエルコンドルパサーがダービーでやっている故に思い至ったのだろう。

 

「───あっ!」

 

そう指差したのは誰だったか。見れば混沌の元凶たる二文字はすでに無く、その位置にあったのは別のカタカナ二文字だった。

 

「一着は7番……ブルボンだ!ブルボンがやったんだ!」

 

事態を誰より早く認識したひとりの声を皮切りに、歓喜に包み込まれた周囲が歓声を次々にあげた。

 

『確定、確定っ!!起こしてみせた、三度のリミットブレイク!!ハナ差でこそありますが勝利、さらにレコード達成!文句無しの、史上二人目の無敗三冠達成です!!』

 

「良かった……よくやった、よくやったぞ、ブルボンーっ!!」

 

「すごいウマ娘だよ、君は!これからも俺達に夢を見せてくれーっ!!」

 

目の前で打ち立てられた偉業を最大のテンションで読み上げる実況に、観客は耳をつんざくような雄叫びで応える。

 

『しかし素晴らしいレースでした、一時はキョウゾンアロウズがハナを進み、マチカネタンホイザが同着スレスレの猛追を見せ抗うシーンもありましたが……力及ばず!ブルボンは強かった……!』

 

全員が死力を振り絞ったレースを改めて噛み締めるように実況担当、赤坂美聡は唸る。

 

「惜しかったぞ、タンホイザーっ!君なら次こそブルボンを倒せるぞ!」

 

「アロウズー!手ひどくやられちゃったけど、気持ちいい逃げっぷりだったわよー!」

 

「次だ、次だぞ!デュオ!お前の実力はそんなものじゃないだろー!?」

 

耳を済ませば、敗れたひいきのウマ娘たちに声をあげる各々の様子も垣間見えた。

 

こうして、今季クラシック級の大一番は幕を閉じた。

 

「……面白い」

 

歓声の中、入場振りに聞くブライアンの声には高揚が伺える。

 

「ええ……さて、どう?ライス。あなたのアイドルが勝った気分は」

 

「……まぁ色々言いたいことはありますけどね」

 

突如振られた話題に、まだ諸々の整理を終えていないライスは言葉を詰まらせるが、さっさと切り抜けようと短い賛辞を組み立てる。

 

「頑張ってくれてありがとう、今はそれだけです」

 

この状況を生み出した張本人は、控えめな拍手のみでそれを祝った。




推しのレースなのに思いの外、偽ライス君を元気よく書けなかった。
アプリでブルボン三冠ifを見慣れていたから、とでも解釈しておいてください。

追記
出走ローテーションについての疑問はひとまず解消致しました。ならびに、ガイドライン抵触について懸念してくださった方にはご心配をおかけしました。


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PAGE:13 『RE/BUILD 気がついたらなんか違う』

ライス出走GIをひたすら観戦する回であり、史実改変タグが仕事し出す回です。
競走中止を示唆する描写があるので注意。


『ライスシャワー先頭!一番人気のラドリーハットは伸びない!そのままゴールイン!』

 

阪神レース場10R、Pre-OPレース『エリカ賞』。前世でいうところの500万下、即ち1勝クラスにあたるこのレースにて難なく勝利を掴み2連勝を果たしたライス。

 

この勝利を受けて年内の出走を一旦切り上げる運びとなった彼女は、普段のトレーニングと平行してライバルの研究に時間を割けるようになると、あれよあれよと時は進み有記念当日。テイオーのために中山へ観戦に赴いたルドルフが不在のなか、今日も今日とて学園中を奔走していたところ、帰り際の他生徒から興味深い話題を耳にする。

 

──それは日本GI史上2度目の1着同着が発生した、というものだった。

 

あまりに多くのことが起こりすぎていた1992年有記念にまたひと波乱加わるのか、と驚愕し足を止めかけたことは忘れられない。

生徒会業務中のスマートフォンの使用は連絡用途のみに限定していた彼女は、寮に戻ってからようやく詳細を知ろうと動画サイトに足を伸ばした。

 

原典ではメジロパーマーが勝利を収めていたが、本来のライスも出走していたレースだ。もしや勝者も変わったのかと考えながら目的の映像を探る。

 

「うわ、これは……」

 

URA管轄を示すサムネイルを見て、ライスは早速視聴を開始した。

 

しばし画面を止めて出走者名のテロップを読む限りでは、本来ライスがいた位置にタンホイザが入っていること以外は変わらない。

 

(いや改めて見てもやべーメンツだなコレ)

 

人気投票式のグランプリであるだけに、ドリームレースと言っても過言ではないメンバーだ。

 

「でも結局ブルボンは故障で出られなかったしなぁ」

 

しかしそこに愛バは居ない。宿敵が一人居なくなるからといって、故障を回避できる理由にはならなかった。

 

6月に負った故障が回復しつつあったマックイーンも大事をとって出走を回避したことで、一番人気は変わらずテイオーが戴いていた。しかし前走ジャパンカップで復活を果たしていたとはいえ、有力候補である二人が出走回避したゆえの繰り上げだ、と懸念するのはライスに限った話ではなかった。

2、3番人気はタンホイザら現クラシック級勢が続いていく形で格付けがなされている。

 

そして1992年の有記念といえば──と13番の枠を見やると、ライスの記憶とおそらく一致しているであろうウマ娘がいた。

ライスが抜けた分のひずみがそのウマ娘にまで及んでいなければ、彼女はここでキャリアを望まぬ形で終えることになる。

 

──自分が出ていれば止められただろうか。

 

降って湧いたタラレバに、思わず首を振って誤魔化す。

 

まず原典からしてライスと別の路線を歩んでいたのだし、接点がない。

そもそも彼女はアニメではただ姿を見せていたのみで名前が挙がることもなかったので、入れ知恵しに行くにしても手掛かりが乏しく探し出せなかっただろう。

 

「仕方ない……仕方ないんだ」

 

そう言い訳を紡ぐも、自分の中の身勝手な正義感が、自らを偽善者と罵ってくる。

業はすべて呑み込んだものと思っていたが、思いの外自分は脆かったらしい。

 

意を決するように一時停止を解除し、発走の刻を待った。

 

『スタートしました!全員きれいに飛び出しました!』

 

早々に飛び出して大逃げを打ったパーマーとヘリオスのコンビがレースを引っ張り、テイオーがそれを見越して珍しく後方でのレースを試みるという、大まかな序盤の立ち上がりは特に変わらない。

 

やがてレースが中盤に入ってもその構図は変わらず、展開の改変が起こっているようには見えなかった。

 

『メジロパーマーとダイタクヘリオスが大逃げであります!三番手以降に、まだ10バ身以上もの差がある!さあ早く追いかけなくてはいけない!このままでは、とても前の二人に追い付けそうにない!トウカイテイオーはあの位置で大丈夫なのでしょうか!?』

 

『このところ、浮き沈みの激しいレースを繰り返していますからね。少し心配です』

 

心配げな解説の脳裏によぎるのは、天皇賞(秋)での7着フィニッシュだろう。ダービーでの負傷以降、コンディションの波が目立つようになっていたのは拭いがたい事実だ。

実際この時のテイオーは、無敗と三冠の目標が両方とも頓挫し、精神的に不安定になっている状態だった。

 

『トウカイテイオーは依然として後方から5、6番手です!』

 

やはりと言うべきか、まだテイオーは二桁番手を手放さない。

 

さて、ここで気になるのが、今現在先行組に混ざっているタンホイザにテイオーのマークに着く気があるかどうかということである。

史実でのライスシャワーは、テイオーの警戒のため若干後ろ気味に位置取っていたが、対象の不調を想定していなかったために目論見が泡沫に消え、見せ場なく8着に敗れ辛酸を舐めた。

一方このときのカノープスメンバーズはネイチャが3着、イクノは7着と、前評判と比べ好成績揃いであったため、彼女らを束ねる南坂トレーナーがそのあたりのマークミスを犯していたとは考えづらく、そうであればタンホイザも同等の働きはするだろうと考えていた。

 

そうこうする間にレースは終盤となり、まずタンホイザがスパートを敢行。それを知ってか知らずか、インを走っていたレリックアースも体勢を変え加速を開始したのを皮切りに、周りのウマ娘たちも連鎖的に先頭を追う脚を速めだした。

 

『さあ、第4コーナーを回りました!メジロパーマー逃げた!直線は310m!中山の直線は短い!』

 

直線に差し掛かる。ヘリオスは既にスタミナを使いきり、内からやってきたレリックアースに追い抜かれようとしていた。俯瞰視点であるため音声は不明瞭だが、おそらく「あとは任せたーっ!」と叫んでいるに違いない。

ヘリオスが後方の彼方に消え去る中で、既に1着争いが二人に絞られ、アースがパーマーを差し切るかといったところだ。

 

『レリックアースが来ている!レリックアースが来ている!外の方からナイスネイチャ!メジロパーマー、レリックアース並んでゴールイン!』

 

歓声が、沸き立つ。未だ感情が見えないアースとは対照的に、パーマーは両手を挙げ勝利を確信しているようだった。

 

『メジロパーマーか、レリックアースか!?菊花賞に続き写真判定が行われてもおかしくない着差でしたが……しかしビシシンヤも、トウカイテイオーも、どうしたんでしょうか!?意外な展開であります!』

 

赤坂の困惑気味な台詞ののち、動画は終了した。どうやらレースのみを映す方針であったようで、写真判定の映像及び掲示板の確定までのシーンは映されなかったが、同着という結果は既に知っていたので支障はなかった。

スペシャルウィークとエルコンドルパサーの日本ダービーが記憶に新しいGI1着同着の焼き直しに、現場でどのようなリアクションがあったのか知りたくはあったが。

 

「え~~っ、どうしたんパーマー?」

 

何故か本来より数センチ追い付かれているパーマーに、思わず間の抜けた声が飛び出た。

 

順位表を見てみれば、ネイチャは変わらず3着、タンホイザが4着と好走し、その影響でイクノが8着に繰り下がりつつも、テイオー11着、ヘリオス12着と大筋自体は変わっていない。無論競走中止が一名発生した部分もである。

 

(いや、レリックアースが加速を始めたとき、それより早く仕掛けたタンホイザの方を意識しているように見えた。それによってコンマ数秒でもスパートの前倒しがあったとすれば?)

 

予定外の勝利を生み出した、一見すれば本来のものと差異のないように見える彼女のスパートも、この間接的な史実改変の主犯であるライスにはそう映った。

 

自身の抜けたレースが一人分の単純な繰り上がりで済むはずがないことは、ブルボンの菊花賞を見て想像していたが、それでも意識が足りなさすぎたかもしれない。

今は『僅差が縮まって同着になる程度』で済んでいても、積み重なっていけばもっと大きい歪みを生み出すことも考えられ、それが自分の走る93年クラシック路線に影響を及ぼさないと断ずるのは楽観視が過ぎる。

 

……こりゃまずいな。

 

するとライスは、同期であるナリタタイシン、ウイニングチケット、ビワハヤヒデらBNWを始めとする面々の情報を探り出した。

 

それは自身の中の彼女らの情報を架空(前世)から現実(今世)に更新するための作業だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ネームドのウマ娘がいないオープン戦を狙って出走する方式では、前世から引っ張ってきた浅い知識はそもそも追いつかない訳で、そうなれば他のウマ娘と変わらず地力での勝負を強いられるのだが、これが大きく仇となる。

 

ジュニア級で手応えを感じてもクラシック級に入ってから勝利に見放されるのは実際よくあることだが、自分もその内に入ってしまったのだ。

 

『伸びる伸びる伸びる!エイサンキッズ1着でゴールイン!同胞の想いを継ぐかのように一番人気に応え、待望の3勝目を果たしました!』

 

まず若駒ステークスにて、一番人気だったウマ娘に差しきられ2着。前走でGIII3着とはいえ、連闘続きであったために疲弊しているはずだと高を括ったのが間違いだった。

 

『圧倒的だ!ノーブルカッセル4バ身差をつけゴールイン!何という劇的な幕切れ!』

 

続いては若草ステークス。菊花賞と同じ京都で行われるそのオープン戦は、先を見据える意味も込めて距離を2400mに延長し挑んだものだった。レース直前の出走取消や、終盤での競走中止により、退場者が2名発生する異常事態があったものの、最後には第3コーナーから位置を上げてきたカッセルが驚異の末脚を見せ、ライスはまたも2着に終わる。

連対こそ外していないが、菊花賞出走への足しにはならないので素直には喜べない。

無敗という余計な箔をあまり格を落とさずに剥がせたと考えれば、まあ救いようはあるだろうが。

 

「あー、やっぱゲームのようにはいかないなぁ」

 

そうボヤきながら寮に戻ろうと歩みを進めていたライスは、USBメモリとプリントを手渡されてとあるレースの鑑賞を命じられている途中だった。

 

(まだ猶予はあるとはいえ……もうひとつ何か欲しいんだよなぁ)

 

勝ちきれずに出走が続くと本番の自分のサンプルが増えて対策されやすくなる。

目標の下方修正を考えるには時期尚早であるし、さっさと勝ちを重ねたいところだ。

 

「ねえすごいよね!?こんな記録絶対に破られないよ!」

 

「ほんとほんと、マックイーンさんマジパないってカンジよねー!」

 

それにしても、似たような話題が周りからチラホラと聞こえてくる。

おおかた原因はコレだろうな、とUSBメモリに記された『天皇賞(春)』の文字を見やりつつ歩き続ける。

 

(こっちは特に波乱なしか、まぁマックイーンだし)

 

さすがに何度も同着騒ぎを起こされては堪らない、と苦笑しつつやがて部屋まで辿り着くと、図書委員が非番であったらしいロブロイに迎えられた。

 

「あ、お帰りなさい、ライス先輩」

 

「ただいま、ロブロイさん。図書委員は今日休み?」

 

「はい。ですがする事があまりないもので、いつものように物語を読んでいるばかりです」

 

そう言っていかにもお堅い印象の書籍を主張したロブロイに笑いかけつつ、ライスはデスクにある私物のノートパソコンに向かった。

 

「ライスさんもチームで休みを頂いているのですか?」

 

「うん、ちょっと他の人たちの研究ってことで」

 

ロブロイの声を背で受けながら返答する。

前走から間もないので肉体的な負担を掛けないこの作業を言い渡されたのだろう、と添えると彼女は納得していた。

 

「ライスさんの動向を考えるに……見るのは天皇賞ですか?」

 

「そうそう。結果自体は周りが噂してたから知ってるんだけど、レースの展開とか学ぶことは色々あるから」

 

そこまで言い切ったタイミングで、愛バのステッカーを張りつけたパソコンを開き電源を点けると、今度はイヤホンを探し始める。さすがにロブロイの読書中に実況音声をかき鳴らす訳にはいかない。

 

「よしあった。これで……」

 

見つけたイヤホンをスマートフォンに接続し、USBメモリをパソコンに挿入すると、その中には動画ファイルがあった。

 

プリントを見ると動画サイトにアップされているURA管轄の映像と併せて見るための映像であると示唆されていた。

どうやら東条T自身がレースの全体像を収めたものらしい。確かに日頃テレビなどで見るレースは隊列の中の一部分を順々にクローズアップする形で撮影されているので、映らない部分で動きがあるとレスポンスが遅れることも多く、痒いところに手が届くありがたい措置だ。

 

早速頭頂部の両耳にイヤホンを差し込みながら、スマートフォンとパソコンの位置関係を調節し、ゲート開放のタイミングを合わせ再生する。

 

『──スタートしました!』

 

視聴者にとっては何の前戯もなく15人が放たれる。

そういえばアニメではゲート入りのときにマックイーンがやたらと手こずる様が描写されていた気がしたが、あのくだりはどうなったのだろう。

蒼炎を眼に宿した本家ライスへの畏怖を押し出した表現であったため、もしかしたらカットされたのかもしれない── 一説にはイクノへの親愛が原因だったともされているが──。

 

『先行争いは、やはりメジロパーマーが行きます』

 

相変わらず逃げを敢行するパーマーによって、レースが引っ張られる。前年では敗れこそしたが中位に踏みとどまっている辺りスタミナは折り紙つきで、自滅を楽観視できる相手ではない。

 

『さらにその外、メジロマックイーン。メジロパーマーの後ろに着く形だ』

 

すると、意外にもマックイーンがパーマーに追走していく形となった。本来では視界ギリギリのポジションからマークしてくるライスに煽られる形での位置取りだったため、ライスの代理か別の誰かがマックイーンに圧力を掛けていない限り、自らの意思でこの位置に着いたことになる。

 

『15人のウマ娘が、大歓声に震える正面スタンド前を通過致します!』

 

スマホ画面に映るバ群のクローズアップの度に、パソコンの完全俯瞰映像をチラチラと確認していると、やがてレースは中盤に突入する。アニメなら長距離戦ではあり得ないほどのハイペースで進行していることに、カノープスメンバーズが不平を並べている頃合いだ。

2000m通過タイムにスピカTが「前年より2秒早い」と驚愕するほどだったそれは今世でも変わりない──余談だが東条Tに渡されたプリントにも留意事項として同じことが書かれていた──。

 

『先頭はメジロパーマー。リードは5バ身ほど。2回目の第3コーナーの坂に入ります』

 

まだ勢いの衰えないパーマーだったが、坂に差し掛かると同時にマックイーンとの差は狭まりつつあった。

 

『さあ、第3コーナーの坂を登って、天皇賞(春)はスタミナ勝負……おおっと、外からメジロマックイーンだ!スパートを掛けた!マックイーン、先頭のメジロパーマーに迫る!パーマー!マックイーン!』

 

ロングスパートを本格的に始動させたマックイーンが位置を上げる。超がつくほどのハイペースにも関わらず十分に加速する脚を残していたことへの驚愕を声色が物語る。

 

『さあ、第4コーナーを回った!2人が競り合う直線勝負!タンホイザも来ている!ここで先頭に躍り出るのは!?』

 

最終コーナーを終え、歓声渦巻く直線に足を踏み入れる面々。しかし既に3番手以降はメジロ家2名に大きく引き離され、やがて舞台は名優の独壇場になりつつあった。

 

『メジロマックイーンだ!メジロマックイーン先頭っ!』

 

とうとう先頭にマックイーンが立つと同時に歓声が大きくなり、思わず音量を抑える。すぐ後ろでパーマーが粘るが、逃げウマ娘に差し返しを期待するのはあまりに酷だ。

 

(てか思ったよりすぐ後ろに居たんだな、やっぱスタミナえげつないわ)

 

マックイーンとライスにフォーカスを当てた都合上、アニメでは映らなかったパーマーの奮闘に内心驚きつつ、偉業への最終関門を見守る。3番手は遥か彼方だ、もう怖いのは転倒くらいのものだろう。

 

『さあマックイーンの3連覇か!パーマー粘るが差はおよそ半バ身!縮まらない!』

 

マックイーンの表情には、晴れやかな笑みが浮かび上がっていた。

 

『マックイーン完全に先頭!マックイーンが今、1着でっ、ゴールインっ!!』

 

歓声が、沸き立つ。勝利を決めた名優は、淀の空の果てまでも駆けてゆけるようだった。

 

『3連覇!3連覇です!しかもなんとレコード!記録を1秒も塗り替えてみせた!偉業に偉業を重ねてようやく満足とでもいうのか!?は、果たしてこのウマ娘を止める術は本当に無いのでしょうか!?』

 

目の前で示された偉業を語る他に語彙を割けなかった赤坂の絶叫に等しい台詞で、動画は終わる。

忘れていたことだが、このレースは4着──この世界では3着だったが──のタンホイザまでがレコードタイムを更新しているという大荒れぶりである。

衰退も珍しくないシニア級3年目でこのハイペースを乗りこなし、ここまでの大記録を残すのは歴史上類を見ない。

 

(……ワンチャン、4連覇狙いに来たりして)

 

頭に浮かんだifに首を振るが冷や汗は止まらない。

気を紛らわせようという打算半分、世間の反応が見たいという興味半分でパソコンから掲示板サイトに足を運ぶと、

 

『すごすぎる……!』

『この時代に生まれてよかった』

『ドリームトロフィーリーグでもこの走りを見たい!』

 

といったように賛美のコメントで埋め尽くされている。

 

(おーおー、すげぇすげぇ……)

 

パラパラと読み漁ってゆくと2、3着のパーマーやタンホイザらを労うコメントもチラホラあったが、量は比べるべくもなく。

 

(さて、世論調査はこのくらいにしてもう2、3回見直しを……あ?)

 

『春の天皇賞はマックイーンしか勝たないからつまらない』

 

スクロールの勢いのままサイトを閉じる間際に一瞬だけ現れて消えていったその一文を記憶から消し去るには、少し時間がかかった。




有馬記念(1992)
INマチカネタンホイザ△
OUTライスシャワー▼

天皇賞(春)(1993)
INカニアペラシオン(ヒント:前年2着)△
OUTライスシャワー▼

主人公のレースより観戦に尺を取る謎小説があるらしい。


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PAGE:14 『RE/ESTABLISH 翻弄─菩提樹S─』

誕生日おめでとう、ゴールドシップ。1日遅れですが誕生日おめでとう、ライスシャワー。そしてアストンマーチャン、マンハッタンカフェ。

今回で5戦目です。ダイジェストで流すはずだったんですが、急遽使わないといけないネタが増えたので1話まるまる張ってもらいました。
色々と偽ライス君にぶつける回です。


「地盤固め、ですか」

 

それは出走ローテーションの方針について東条に個人で召集を受け、付いていったライスが最初にした返事だ。

 

早期に菊花賞への出走登録争いを勝ち抜けたかった故に直近2戦はオープン戦に終始していたのだが、2着が続いて勝ちきれなかったこともあり、飛び級作戦を中断して最低条件をクリアすることを優先しようというのだ。

 

「これらのレースで勝てば、運任せに頼る資格はまずもらえるわ」

 

そう言って示されたプリントに記されたレース名の一覧は、条件戦の中でもいわゆる2勝クラスに分類されるものたちだ。

ここで勝てば菊花賞に挑める……ことが確約される訳ではないが、出走権を扱う抽選に賭けることくらいはできるようになる。この後に菊花賞出走確定のボーダーラインである3勝クラスに挑むかオープン戦で粘るかどちらに分岐するとしても万が一の保険になり得る選択肢だ。

 

「時期と条件を考慮して……出るとすればここね」

 

東条がコンコンと指先でプリントを叩いた先には、菩提樹ステークスという文字があった。あまり馴染みがある名前ではないので知らなかったが、5月下旬に行われる阪神芝2200mのレースらしい。

 

「ライバルとなるなら、誰でしょうね?」

 

「今までと同じよ」

 

うすうす結果を感じながら放った疑問は、やはりすぐ切り捨てられる。

GIでの抗争真っ只中のBNWがこんなところに来るはずはないし、そうなれば全く知らない面々と戦わされるだけなのだから。

 

「ではここに決めましょう」

 

特に迷うことなく承諾し、その日の協議はそれまでとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一週間後のダービーで世間が賑わう中、そのレースは開催されていた。

 

「改めて言うけれど、今日の2200mを前走より200m短いと侮らないこと。急坂を2回登り降りする都合、スタミナの配分の感覚は全く違うと知りなさい。それと第3コーナーの下り坂を使っての決定力に重きを置きたいなら、差し戦法を使うのも手よ」

 

「ええ、勿論留意しています」

 

6番のゼッケンを背負う体操服に着替えたライスは、控え室で東条より最終の指示を聞いている最中だった。

 

「すまないな、ライス。私は阪神を走ったことが無くてな。……あの宝塚の出走を取り消していなければまだ違ったのだろうが」

 

同行していたルドルフが申し訳なさそうに告げる。

 

宝塚記念といえばこの菩提樹ステークスと同条件のGIレースだが、彼女はシニア級初年度に一度は出走を表明するも、ゴタゴタの末に出走取消を行って以降出ることはなかったのだという。

 

「いえいえ、この間みたいに当時の訓練の感覚とかを教えてくれただけでも大きく助けられてますから」

 

「……そうか」

 

気休めではなく本心から放ったその謝意が、ルドルフの芯を捉えていたのかは分からなかった。

よし、という思いきったような声とともに立ち上がることでそれを有耶無耶にしたライスは出入り口のノブに向かい数十分ぶりの外気を浴びる。

 

「……一族のこととか、今は関係ねえ。とにかく走って、1着でケリをつけてやれっ!」

 

「はい!エース先輩!」

 

控え室から出てちょうど、制服姿のウマ娘が他の出走者である3番のウマ娘に檄を飛ばしている姿が映った。

 

赤いワタリを着け、キリっとした顔つきが特徴的なその制服姿のウマ娘は、少なくともライスの知っているキャラクターではない。だが、名もなきモブウマ娘と断ずるには特徴的すぎる気もする。

 

(てか聞いたことあるなこの声。誰だったっけな……いや忘れた、もういいや)

 

違和感と聞き覚えのある声に加速させられた疑念は、脳裏にうっすらと『スパイと殺し屋と超能力者が織り成すホームコメディに登場するどこかの次男坊』を出力したが、ワンラリーで正体を引き出せないなら即座に断念を選ぶくらいにはどうでもよく感じていたライスは何もなかったように考察を切り捨てた──。

 

「……ふ、彼女も来ていたのか。随分な巡り合わせだな」

 

「えっ、知り合いだったのですか?」

 

──が、件のウマ娘と親しげなルドルフの口振りに、好奇心を再出力させられたライスが訊いてみると、勿論という風に頷かれた。

 

「私を初めて下したウマ娘さ」

 

それは、と思わず言葉を詰まらせる。同じ三冠ウマ娘だったミスターシービーでも、ルドルフを下すことはできなかったことを知っていたからだ。

 

「私が無敗三冠の称号を手にしてすぐ後に、ジャパンカップに挑んだことは知っているだろう?」

 

「は、はい」

 

実はピンときていなかったのだが、反射的に知ったかぶりをしてしまった。ルドルフの時代は今より10年も……いや、ほどほどに前であったのだから記憶がぼんやりとしていたのだ。

 

「あの日彼女は、一世一代の博打に出たんだ。自分の置かれていた立場をすべて利用した大博打にね」

 

ルドルフ曰く、そのウマ娘は当時ジャパンカップで未だ日本勢の勝利がなかったこと、三冠ウマ娘二人の台頭や距離適性の不安などの懸念材料があり二桁人気に沈んでいたこと、それまで()()()()を一度も使っていなかったことなど様々な要因が絡み合った果てに生まれたチャンスをモノにする勝ち方をしたのだという。

 

「彼女はレースが始まって早々に先頭へ駆け出した。向こう正面に行く頃には10バ身は開く大逃げだったかな、やがてスローペースに落ち着いても後ろが追うに追えずにいる中でまんまと二の矢を残し、終盤で全員が追う頃には時既に遅し。結局逃げ切っていったよ」

 

思いの外壮絶だったそのウマ娘の勝ち姿に衝撃を受けながら再び記憶を漁るが、やはりそのウマ娘はそこには居ない。

 

「……お名前を伺っても?」

 

1980年代前期の競馬史には元来疎いゆえに、何のヒントにもならなそうだったが、一応聞いておくことにした。

 

「──カツラギエース」

 

名前を聞いても、やはりわからなかった。ウマ娘の世界はどうやらまだまだ知らないことだらけらしい。

すると、そのカツラギエースと称されたウマ娘がこちらに気づいたのか駆け寄ってきた。

 

「おー!ルドルフじゃねえか!」

 

改めて聴いた声は、確かなボーイッシュさが際立つ声だ。彼女がもしゲームに実装されていたならば、さぞ女性人気が凄まじかったろうと思える、俗に言うイケボと呼ばれる部類だった。

 

「やぁエース。応援に来たのかな?」

 

「ああ、ちょっと面倒見たことがあるヤツがいてな……そっちは?」

 

呼び声に応えたルドルフへ示されたのはイエスの言葉だった。

もしや、運命的ななにかを感じていたりするのだろうか。

 

「同僚兼チームメイトの激励にね」

 

「同僚……?あー!庶務のヤツってあのときから代わってたんだっけか?」

 

「そうだな、以前の彼女のように、自分なりに役目を全うしてくれているよ」

 

するとエースはこちらを見下ろした。

ちょうど20cmの身長差がある故に、首を上げなければ目を合わせられないのは、慣れてきた今でもツラい。

 

「あたしはカツラギエースだ、よろしくな」

 

「え、ええ。ライスシャワーです。会長には日頃からお世話になっております」

 

そう短く挨拶を交わすと、話題は自己紹介からレースへと移る。

 

「そういや、さっきルドルフが言ってたし、格好から察してはいるんだが……お前もレースに出るんだろ?」

 

「ええ、勿論です」

 

そうか、とライスの返事に対し頷いたエースは、何やら神妙な面持ちになると控えめなエールを送った。

 

「会ってすぐじゃ無責任なことしか言えねえけど……頑張れよ」

 

至極シンプルなそれに頷いて応えたそのとき、背後からわざとらしい咳払いが聞こえた。

 

「……ライス、そろそろ時間よ」

 

後ろにいた東条がやんわりと咎めたことで、エースとの対面はそれまでとなった。

 

「──では行ってきます、武運を祈っていてくださいね」

 

1人分の想いを新たに背にし、ライスは運命のゲートへ赴く──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……負けましたあぁぁあっ」

 

レースを終えて控え室に戻るや否や、机にぐでーんと突っ伏してそう洩らした。

 

「まあ……あれをやられてはな」

 

全てを知っているルドルフは気まずそうに口にし、一方東条は額に指を押し付け黙っていた。

 

回転の停止したライスの脳ミソの中では、忌まわしき記憶が垂れ流されていた。

 

『一番人気のアダムスソルジャーが先頭、アダムスソルジャー先頭!そしてスパイクスピーダー!さらにその外をついてダイイチビクトリー辺りも突っ込んで参りました!そしてライスシャワーも突っ込んでくる!』

 

全体的に小さくまとまって、前に3人後ろに4人とキレイな二層構造のバ群を形成していたそのレース。やがて最終直線に差し掛かり、後ろの層に属していたライスはようやく前に活路を見出し駆け抜けようとしていた。

 

『大外からはエンプレスパトラ!』

 

一方シンガリでレースを進めていたこのウマ娘は、直線になるやいなやふらふらと外ラチギリギリまでヨレていき、目の前まで来られた観客からしてみれば故障を懸念してしまうほどの異常行動をとっていた。

 

『これは激戦となった!さああと200mを通過!誰が抜け出すか!?わずかにアダムスソルジャーが先頭か!?しかしライスシャワーも詰め寄る!』

 

出走者は大外の彼方に消えていったパトラのことを誰も見ておらず、ライスも目の前のアダムスと先頭争いに明け暮れていた。

それがメイクドラマに加担する失策となってしまうとは、予想できるはずもなく。

 

『エンプレスパトラがかなり外をっ、ついております外ラチ沿い!』

 

残りおよそ100mといったところだろう、観声の成分がどよめきに変わったことを感じ取ったのは。

このとき、トップスピードに達してあとは先頭を奪うだけだったライスには、それを先頭争いへの熱狂だと片付ける以外なかった。

 

『そしてスパイクスピーダー、前4人が固まったところでゴールイン!』

 

決着がついたそのとき、ライスは確かに先頭だったアダムスを抜き去っており、勝利を確信したのだ。

 

ゴールにあたり、小さく左手でガッツポーズをとったのち観客席の方を向いた途端、世界が一瞬停止したと錯覚するほどの衝撃に襲われる。

 

他でもない、大外に消えたそのウマ娘がそこにいたのだ。

 

『しかし外をついてエンプレスパトラがよく伸びておりました!外ラチ一杯に突っ込んで参りましたエンプレスパトラであります!』

 

状況に納得できないまま聞こえてきた実況の台詞は、どう解釈してもパトラにフォーカスを当てていた。耳を疑いながら今度は掲示板の方を見やると、こちらもライスに不都合な事実を吐き出した。

 

『1着は外ラチスレスレから末脚一閃のエンプレスパトラ。2着にはライスシャワー、1番人気のアダムスソルジャーは3着となっております』

 

──ハアァァッ!?

 

実況が総括した通りのバ番順で結果を点した掲示板に、不服げな大声を上げてしまったのは許してほしい──余談だが隣にいたアダムスも唖然としていた──。

 

「……こういうアクシデントは意外とあるものよ。きれいさっぱり忘れて切り替えるか、この経験を最後まで気を抜かないための戒めとするかは……あなたが決めなさい」

 

「……はい」

 

ようやく口を開いた東条の一言に、とっちらかっていた感情がようやく整理されてきたライスは、両肘を杖に上体を持ち上げると短く応えた。

しかしどうだろう。師としての言葉を捻り出すのに相当苦しんでいたのか、重たく放った東条の言葉には若干の苛立ちがあるような気がしてならなかった。

 

(レース中の奇行なんて、ゴルシだけで十分なんだよ……)

 

不可視の位置から勝利をかっさらっていった件のウマ娘に、思わず心中で愚痴をこぼす。

サプライズを起こしてくるのは名有り(主役)のみとは限らない、三度もそれで敗れていれば流石に身に染みて分かる。だが──。

 

(でも……段々とはっきりとしてきてることはあるんだよな)

 

──それとは別に、明るい材料も見えてきたのも事実だった。

なんとなく手のひらを開いたり閉じたりしながら思い出したのは最終直線でトップスピードを引き出したときの感覚だった。

 

二番手を抜き去り先頭に手を掛けたとき、明確にギアが上がるような感覚が肉体を支配した瞬間があった。

 

(この体になったんだ、そりゃ当てにはしてたよ)

 

──固有スキル、若しくはそれに準ずるものの片鱗が現れてきているのではないか。

 

プレイアブルキャラの特権であるそれは、意図的に発動を確約できるならば勝利に大きく直結し得るポテンシャルを保持している。

最初の山場といえる菊花賞までにそれのコントロールを可能にするために割ける回数は──。

 

「──あと2、多くて3回だな……」

 

「……?」

 

「あああ、いや、何でもないです」

 

ふと口頭から漏れてしまった思念をはぐらかしつつ、ライスは試算を続ける。

 

物理的理論の範疇を超えたその現象をモノにするには、直接覗ける唯一の場である実戦か、それに等しいレベルの併走トレーニングを繰り返すしかない。

ただし、それにかまけて菊花賞の3000mを走りきるための地力を十分に鍛えられなくなれば本末転倒だ。そのためには、出走条件のクリアにかけるレース数を最小限に抑えつつ、一戦毎に確固たるイメージを持って感覚を掴んでいくしかない。

 

(気を配ることが多くなりそうだな、まあ自分で制御したいっていうならそれぐらい頭を回さなきゃリスクとリターンが不釣り合いだろうし──)

 

次戦はより厳格なレース運びを必要としそうだ、とまで考えたところで、控え室にノックの音が響く。

 

「2着のライスシャワーさん!ウイニングライブの用意をお願いします」

 

レース関係者の召集要請だった。

短く返事をしてルドルフと東条によろしく伝えると、セットアップへ向かう。

 

次こそは、と決意を新たに。




負けとるやないかい()

ようつべのどこかにこのレースの終盤だけ上がってたので見てみたらガチでこんなクレイジーなことしてるんですよね。

それはそれとしてカツラギエース参戦おめでとう。願わくは三冠馬と覇を競ったその生き様が、多くの人々を熱狂させますように。


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PAGE:15 『RE/CHARGE 夏、ギアヒートアップ』

しゃがんで後にパッとするためのイベント回収回。話自体は全然進みません。ダレてきているな、とは個人的にも思ってはいるのですが……。


夏。夏合宿という一大イベントも含まれるこの季節は全ウマ娘たちにとっては勝負の季節であり、スプリンターたちがざわつく季節でもある。

 

数日後にチームの合宿を控え、今秋からGIへ足を踏み入れるライスにとってもまさに正念場。

リギル夏合宿については、実は去年も行われておりライスもそれに同行していたのだが、初めての合宿トレーニングに緊張していたのかさほど詳細は覚えていない。

 

さて、いつものごとく昼食をとって英気を養おうと、ロブロイと共にカフェテリアに赴いていた彼女だったが、少々呆気に取られる事象に遭遇していた。

 

「ですから!我が祖国のリーグを見ずしてプロサッカーは語れないと申しているのです!今年こそバイエルンをホームとするドイツ屈指の強豪が首位に返り咲く日が来るのですよ!」

 

「浅ェな、見ンならイタリアリーグだ。13回のスクデット*1を果たしてる強豪が居ンだが、前々シーズンはリーグ初の無敗優勝、前シーズンも制して3連覇にリーチときてる。まぁ躍進の主軸を担ったオランダ人トリオの解体は痛手ではあるが、イタリアサッカーの哲学たる守備面は何ら損なわれちゃいねェ。蹂躙劇を見逃す手は無ェだろ?」

 

なにやら熱い議論を交わしカフェテリアの全生徒から注目を集めているそのウマ娘らの名は、エイシンフラッシュ&エアシャカール。すぐ近くにファインモーションも座っていたが、二人の会話に入ることなく黙々と聞き入っている。

 

(なんでシャカールいるの?)

 

一応彼女についての情報もある程度知っていたライスの脳内では、ハテナマークが浮かんでばかりだった。活気を嫌って食事は周りとタイミングをズラしていると聞いたことがあるし、事実今に至るまでカフェテリアに居るのは見たことがなかったのだが、今日はどうしたのだろう。

大方ファインに捕まったのだろうが、そこへフラッシュが湧いてきた経緯が分からない。

 

シャカールとフラッシュの組み合わせは、生憎見たことがなかったので接点がわからず、話題のヒントを探ろうと、知識人であるロブロイに訊いてみることにした。

 

「……何の話してるの?」

 

「え?えーっと、海外のサッカーの話です」

 

あー、と納得しながら洩らした。アプリにて、サッカーにまつわるシャカールのヒミツ*2を何度も見たことがあったからだ。

あまり時間をかけない返答であったことから、もしやロブロイも彼女らの同志であったりするのだろうか、と興味を抱いたライスはもうひとつ訊いてみることにした。

 

「もしかして、ロブロイさんもその辺見てるの?」

 

「ええ。見ていると言っても少しだけですけど、『神の子』と呼ばれているすごい方に……なんというかこう、運命的な何かを感じたのがきっかけで。幼い頃はペルーサ、と呼ばれていて大人しい方だったそうですが、サッカーに触れてからはすぐに頭角を現すと、やがて祖国のアルゼンチンを飛び出してスペインやイタリアの強豪に属していたんです」

 

最近は、ちょっと色々ありましたけど……とモゴモゴと尻すぼみになりながら語られるロブロイの解説に相づちを打ちながら、なけなしのサッカー知識を引っ張り出す。

 

(……無理だ、半端ない人のことしか解らん)

 

この世界に来る少し前に、カタールで行われる世界規模の大会に日本代表選手たちの出場が決まったとは聞いたことがあるが、元々サッカーには疎い身。とても語らえるはずがなかった。

 

「結構凄いんだなぁ……それでフラッシュさんが語ってるドイツのサッカーについては解ったりする?」

 

「え、いやその、あくまでその方を追っていただけですから、ドイツのことについては……いや、ナショナルチームの話になりますが、前のワールドカップでその方が属するアルゼンチン代表と戦っていたはずです。フラッシュさんがドイツが勝って優勝した、と触れ回っていましたし……あ、そうです!来年のワールドカップへの出場権を懸けた大陸間プレーオフ*3が2月にあったのですが、前述の方が久方ぶりに代表へ復帰していて──」

 

止まらないロブロイの語りに、不躾ながら頭にハテナマークを浮かべることしかできない。自分から訊いたのにも関わらず、だ。年単位の付き合いだったが、彼女との会話の中でこのような体験をしたのは初めてだった。イラストにすれば全身の輪郭がぐにゃぐにゃと歪むか、いつか見たブルボンのミームの如く背景に宇宙を背負うかしていることだろう。

 

(やべ、解らん。あぁ、フラッシュもロブロイもサッカー大好きだったんだな……)

 

熱弁を振るうロブロイを横目に、ライスは普段の印象とかけ離れた情熱的なフラッシュの姿を今一度見やった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『吠えろツインターボ!全開だターボエンジン逃げきった!ツインターボが勝ちました!』

 

おやつどきの過ぎた頃の生徒会長室に、手を休めていたルドルフのスマートフォンから音声が響き渡る。しかしそれを聞き届ける彼女の様子がどこか上の空であることは、この世界の事前知識がなくとも察せられるであろう。

 

(あぁ、七夕賞って今日だっけ)

 

聞き覚えのある実況音声に、時系列の位置を悟ったライスは書類の整頓を行い始めた。

特に改変が起こっていなければ、間も無く訪問者が来るはずだ。

 

すると案の定ノックの音が聞こえてきたので、部屋の主であるルドルフが久々に口を開いた。

 

「開いているぞ」

 

返事が飛んで間もなく開かれた扉から現れたのは、松葉杖をついたテイオーだった。

 

「……テイオー」

 

「ちょっとお話いいかな?」

 

予想していたテイオーの切り出しに、整頓のペースを上げたライスはすぐさま書類を抱え立ち上がった。

 

「席を外しますね」

 

「……ああ。気遣い痛み入るよ」

 

お構い無く、と返事をしてすぐさま退出したライスは、諸々の顛末を回想していた。

 

(ここからの半年は……早いぞ)

 

テイオーは現在、この3度目の骨折のダメージによって、全盛期の速力の喪失を告げられている状態だ。

このあと彼女は、葛藤の末、一度は引退を決意してしまう。

しかし舞台は帝王の降板をよしとしなかった。秋の感謝祭で行われたお別れミニライブにて、自称ライバル・ツインターボの歴史に残る番狂わせを目の当たりにした衝撃は、みごと再起への原動力に繋がり、間を置かず繋靭帯炎による挫折が訪れた、盟友マックイーンへ奇跡を捧げると誓った有馬記念では、文句無しの復活劇で物語を終結した。

 

(これが脚色しただけの事実まんまだなんて……つくづく信じがたいよ)

 

事実は小説より奇なりとは彼女に一番ふさわしい言葉かもしれない、とテイオーのキャリアに舌を巻いていると、もうひとりの人物と鉢合わせる。

 

「ん?ライス?」

 

「おおおう、東条トレーナー。如何されましたか?」

 

気配の正体は直属の師だ。思考が空から引き戻されたライスは反動のままに応対を始める。

 

「ええ、私はルドルフに用があって」

 

告げられた用件に、返答を迷う。本来なら、ここで聞き耳を立てたことでテイオーの引退について知っていたはずだ。

流れを止めてしまったことに焦りを覚えたライスだったが、結局事実を仄めかすことでそれを修正しようと決めた。詰められれば厄介だが、少し時間を稼げば、スピカTが電話をかけてくるはずだという確信もあったからだった。

 

「すみません、今取り込み中で。実はテイオーさんから相談を受けているようなんです。……その、結構思い詰めた顔で」

 

「テイオーが?」

 

口にすると驚いているようだった。しかし元々、テイオーがルドルフに用件について話す前に部屋を出てしまっていたので、これ以上詳細を語ると後々疑念を抱かれかねないため早々に話題を切り上げてしまいたかったが、思いの外助けが来るのは早かった。

 

「ぇはっ!?……もしもし?」

 

鳴り響く着信音に慌てる東条に、スピカTからの着信だと読み取ったライスは内心で安堵した。

 

『おハナさん、ちょっと今夜付き合ってくれないかな?』

 

「……わかったわ」

 

1ターンで通話を終えた彼女はスマートフォンをしまうと、こちらを向いて一度咳払いをしたのち謝辞を口にした。

 

「ルドルフへの用はまた後にするわ。それじゃあ」

 

「ええ。では」

 

「……あぁそれと、夏の合宿についての資料は確認したかしら?期間中の県外遠征による、スケジュールの変更も反映させてあるから。それじゃあ」

 

「はい、勿論確認済みです」

 

ついでになされた注意喚起を受け流したところで、来た道を引き返していった東条を見送り、ようやく肩の荷が降りた、と額を拭ったライス。

チラリと生徒会長室の扉を見やると、すぐさま東条と反対の方に歩き出した。

 

(さて、テイオーの心配しててもしょうがないし)

 

まずは手元の書類をどうにかしなければいけない。ライスは手近な空きスペースを探し始めた。その足取りには、かすかに合宿への高揚感が表れているようだった。

*1
イタリアサッカーリーグにおける優勝を表す単語

*2
イタリアのプロサッカーの中継をちょくちょく見ている

*3
スポーツ競技における通常の順位決定方式の後に行われる試合のこと




4話前にボツにしたばかりのサッカーネタをもう使うことになるとは……。半ばボリューム稼ぎで入れただけの小話ですので読まなくても理解しなくても差し支えはありません。言うまでもないですがロブロイがサッカー見てる設定は本作限定なのであまり本気にしないでください。

次は合宿回。


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PAGE:16 『RE/EMERGE 泣いたっていい、また笑えるならば』

最近題名のネタ探しに曲を聴き漁っていたらとある特撮番組の主題歌にハマって毎日聴き込んでいます。特撮ソングとはいくつになっても燃えるものですね。


「この夏、エルはよりビッグなウマ娘になると宣言します!ドリームトロフィーリーグでスペちゃんを倒すためにっ!」

 

「あら……私は眼中にない様子ですね、エル?」

 

「ゲェッ!?グラスのことももちろん忘れてませんからッ!」

 

一度分からせるべきでしょうか、と物騒に呟くグラスワンダーへ、エルコンドルパサーが取りなそうと騒ぎ立てるやりとりが響き渡る、リギル夏合宿遠征車内──ちなみにマルゼンスキーのみ愛車と共に別行動中だ──。

 

外野から見守る、フジキセキやテイエムオペラオーらの笑い声も時折添えられるその場は、控えめに言っても喧騒としている。

 

「……」

 

ライスはそれを聞き届けながら、黙々とスマートフォンのチャットアプリと格闘していた。

 

ルドルフの他にも、生徒会や寮を司る主要メンバーが一挙に学園を離れるこの合宿。もし学園残留組との連携に失敗すればしっぺ返しが大きく響くので、慎重な対応を迫られる時期だ。

 

ライスにはルドルフらの示す指針を噛み砕き、代わりに伝達する役割と、相談窓口の両方を任されていた。

 

「学園の方はどうなっているかな?」

 

「大事なく回ってるそうですよ。助っ人を頼んだアイネスさんの働きが大きいようです」

 

文字を打つだけ打って投稿を終えると、隣から声をかけてきたルドルフに応答する。

 

現状、示された状況は懸念に値するものではないと言えた。

ピンチヒッターの人選は間違っていなかった、と安堵する。

 

アイネスフウジンに白羽の矢を立てたのは、手広いバイト経験を持つ故に多芸であるのもそうだが、以前ゲームにて彼女の育成ウマ娘イベントで『生徒会の書類整理を手伝ったことがある』と言及があったからだった。

 

「そうか。マルゼンスキーやスズカを始め、多くの生徒から名前を聞く存在だったし、推挙に疑問は抱いていなかったが……それほどとはね」

 

「はい、笑顔が一番のお返しだから、と返礼については取り合ってくれませんでしたが……いつか報いたいものです」

 

「ハハハ、そうだな。なら、う~む……そう、愛、愛というのはどうかな」

 

「え、それ本気で言って──あ。あぁー……」

 

溜めた割には妙なことを口走る、と訊き返そうとして気付く。何の事は無い、アイネスの名と掛けた駄洒落だ。

 

それにしてももう少し凝りそうなものだが、と何とも言えない微妙な違和感を覚えつつ、詰まらせてしまった話の流れを切り替えようと、トレーニングの話題に移ろうとしたときだった。

 

「ま、まぁ慌てず追々考えますから。そうだ、いつもの3km併走なんですけど、なにやらブライアンさんも新しいフォームを整え次第サシで付き合ってほしいと言っていまして……おや?」

 

そう言ってわずかに窺ったルドルフの瞳は、何も捉えてはおらず。

 

「……あぁ、そうだな。受けて立とうとも」

 

ワンテンポ遅れて放たれた返事の内に、虚ろな感情を目の当たりにしたライスは再び話題を修正した。

 

「……えっと、気にされているのですか?テイオーさんのことを」

 

どうにも冴えないルドルフを訝しんで、そう囁いた。

今の彼女が意気消沈する理由といえば、そのくらいしか思い付かなかったからだ。

 

「あぁ、まあね……。そういえば、あのとき何を話しているか君は聞いていなかったかな」

 

その一言に、元より全てを知っているライスは、内心で詫びながら次の言葉を待った。

 

「度重なる怪我に、思い悩んでいたようでね。目をかけてきていた故、少々堪えていたのさ」

 

流石にかなりぼかされていたが、それでも引退を一足早く聞かされた心情はきっちりと読み取れた。テイオーの幼い頃から今まで最前線でレースを戦ってきている彼女にとっては、親が子に先立たれるような感情だろう。

 

「……脆いものだろう。後輩一人の悩みを聞いて、この有り様なのだから。すべてのウマ娘の幸せと謳っても、私は──」

 

「── 一人のウマ娘の苦難に心を痛められずに、何千何万ものウマ娘の幸せを願うことはできないと思います」

 

自嘲するように溢すルドルフに、そうライスは語る。台詞自体は、他人の発したものを継ぎ接ぎしただけではあるのだが。

 

「皇帝にならないといけないから、と自分の痛みに鈍感になったら、他の人の痛みなんてわからないですよ。きっと、多分みんな痛がりながら各々の道を進んでいるんですから」

 

「……そうか」

 

自分だってそうだ──と内心で付け加えながら口にすると、ルドルフは短く応えただけだった。

 

これを不発と考えたライスは慌てて伝えたいことを簡略化して言い募ろうとした。

 

「と、とにかく!辛いのを気負って我慢することはないって話で──」

 

「あぁ。わかっている」

 

やんわりと手で制され次に行けなかったライスに、ルドルフは言葉を続ける。

 

「だが今は……少しそっとしておいてくれ」

 

そう窓の景色を見やり動かなくなったルドルフに、もう声をかけることはできなかった。

 

(……安心してください、あの人はきっと帰ってきますから)

 

そう言えればどれほど楽だろうか。

脳裏に焼き付いて離れない、帝王の勝ち姿を彼女に見せられればどれほど話が早いだろうか。

 

話し相手を失い、暇を持て余す。作業用にノートパソコンは荷物に放り込んでいたが、かさばるためにバッグごとバスのトランクの中にあるゆえ手元にない。

 

バスの終着点は、そう早く訪れてはくれなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は今、どこにいるのだろう。

 

何とはなしに意識が覚醒すると同時に辺りを見回すと、整備が行き届く平坦な芝と見覚えのあるスターティングゲートがあった。

 

左腕を目の前に運ぶと、まだこの世界ではお目にかかったことのない、ライスシャワーの勝負服の袖があった。

 

『さあ今年の天皇賞はまっったく予想がつきません!グランプリばりに実力者が揃います!』

 

普段よりやたら鮮明な実況放送の方に振り向く。天皇賞というワードにこの勝負服、まさかここはGIの舞台だろうか。

 

『菊花賞で激闘を見せ、有でも好走したライスシャワー、ビワハヤヒデが参戦します。さらに前走の勝利で復調を印象づけた皐月賞ウマ娘ナリタタイシン、GI常連のナイスネイチャ、マチカネタンホイザらも怖い存在です』

 

名前が読み上げられる度、そのウマ娘が視界に現れる。自分の後ろから歩いてくるようなかたちで登場することもあれば、ふっとテレポートしてきたように登場することもあった。

明らかに異質な状況にいるライスは、されどBNWの登場に1994年天皇賞(春)の舞台であると悟る。

 

『さあいよいよ登場です、三番人気はこのウマ娘!もしや、もしや成し遂げてしまうのか?4連覇を懸けてターフに返り咲いた名優、メジロマックイーン!』

 

右前方に、純白の勝負服を纏うマックイーンが現れる。

4連覇だと?はて、彼女が4度も天皇賞(春)に出ていただろうか。いや、史実を考えるならばそもそもBNWが台頭しているこのときは既にトゥインクルシリーズを退いているはずだ。

 

『二番人気はこの娘!有での復活劇は誰もが知るところ!不屈の帝王、トウカイテイオーです!』

 

左前方に、真紅の勝負服を纏うテイオーが現れる。

あり得ない。前年末に劇的なラストランを演じた彼女もまた、この舞台に再び立つことはなかったことをライスは知っている。

 

しかしそれらを差し引いても妙だ。そんな二人がどちらも人気で2、3番手に甘んじるはずもない。

そして感じた違和感はすぐさま解消されることになる。

 

『続く一番人気です。ついに、ついに帰ってきました。あらゆる逆風を追い風に変える栗毛の怪物が、ついにGI復帰です!』

 

前口上の最中、背後から衝撃波が走る。

振り向くとそこにはまた、いるはずのないウマ娘の姿があった。

 

『ニュータイプステイヤー像の確立となるのか!?無敗三冠の逃亡者──』

 

そんなはずはない、だがこの世界だ。いてはいけない道理もない。

電光にも見紛う気迫を纏うそのウマ娘はゆっくりと立ち上がると、こちらを見据え目を掻き開く。

 

 

 

 

「ミホノブルボンッッ!!」

 

 

 

 

 

 

最も相手にしたくないウマ娘が、そこにいた。

 

「迎えに来ました──ライスさん」

 

いつもの無機質な声で、彼女はそう言う。

呆気にとられ立ち尽くしているライスには、背後から迫る気配に気付かなかった。

 

「逃がしませんわよ」

 

そこに続くように、気付けば耳元にいたマックイーンの声が響く。

思わず腰を抜かし後退るとこちらを見下ろす二人が同時に見えた。

 

「戦いなさい、走りなさい、競いなさい、勝負しなさい」

 

有無を言わせぬ口振りでそう歩み寄ってくる二人に圧倒され、後退る勢いが無意識に増していく。

 

「……お、俺は──」

 

何をどう弁解したいのかも決めていなかったが、言い訳がましくそう口走った刹那。右腕がついた先が虚空と化し、バランスを崩した肉体は穴に吸い込まれるようにそのまま真下へ落ちていった。

 

「うあああああああああああっっっっ!!!!

 

反射的に伸ばした腕が徐々に霞むと同時に叫び声も暗闇に呑まれるように消えていき、意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──は」

 

目が覚めた。暗闇はそこになく、前の座席の後面部がまず映る。

 

「ノってマスねー!ワタシもお相手、務めマスヨー!」

 

「よせタイキ!お前まで騒がれると敵わん!」

 

車内の喧騒は、相変わらず続いているようだった。ライスの頭脳はまだ醒めきっていなかったが、それでも先ほどまでいた空間とは隔たれたことは感じ取れた。

 

「……?」

 

されど、まだ現実感が得られず手の開閉を繰り返して呆然としていたライスだったが、隣を見ると心配げにこちらを見るルドルフがいた。

 

「どうした?」

 

掛けられた声に、ライスは脳みそに無理矢理エンジンをかけて返答を捻り出す。

 

「夢を……見ていたようです」

 

そして返答の成否を見届けもせず、一秒毎におぼろげになる夢の記憶を拾い集めていたライスの脳裏には、確かにあの春の天皇賞がよぎっていた。

 

出走者の面子からして、この世界の自分が挑むならはじめに向かうことになるだろう1994年のものだと読み取れた。

 

そしてそれが、3人──ライスを加えれば4人とも言えるが──のイレギュラーが加わった、ifの戦いであろうことも。

 

アニメではあのテイオーの有記念より後のことは、語られていない。繋靭帯炎を克服したマックイーンと再びターフを駆けるシーンで物語は幕を閉じていた。

 

捉え方によっては、一期のサイレンススズカのようにトゥインクルシリーズに残ったと判断することもできる終わり方だ。

 

そもそも怪我で出走できなかっただけで1994年も現役ではあったテイオーならば、そうなるのも現実味はある。

 

なら、共にいたマックイーンやブルボンもそうなるのか──?

 

「いや、まさか……ね」

 

加熱してきた皮算用に、踊らされすぎだ、と自嘲する。

 

見ていたのはただの夢で、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

 

(しかし、本当のことを言ったらあの二人……どう思うんだろうな)

 

目の醒める間際に二人に言い募られた記憶がどうにも離れてくれないライスは内心そう独りごちる。

 

たかが夢、されど深層心理を写すともされるあの場での景色は、自分のしたことを後悔していることの表れかもしれない、そう考えずにはいられなかった。

 

もはや再び眠る気にもなれず、通路に身を乗り出すかたちでバスのフロントガラスの景色を覗き込んだライスの目には、目的地のホテルが小さく映っていた。




次回こそ夏合宿。ここを抜ければ菊花賞までもうちょっと。


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PAGE:17 『RE/SURFACE 最悪の敵は己の影』

前話の遅参の分を取り返そう、という意味での投稿。
ブライアンやヒシアマ姐さんのターンが迫ってきて1期に関することをどのくらい無かったことにすればいいのか悩む今日この頃。


「夏デス!海デス!合宿デェェェェス!!」

 

夏合宿に赴くチームリギルのメンバーを乗せたバス。目的地に到着するやいなや真っ先に下車して叫んだエルコンドルパサーの大声が響き渡る。

 

「……気持ちは理解するが大げさすぎる、ここは毎年来ているところなんだぞ」

 

「ノンノン、一年に一度きりのイベントだからこそ、思いきりエキサイトすべきなんデス!ヘーイ、エル!」

 

エルの熱狂が煩わしそうに下車してきたエアグルーヴに被せる形で、こちらも熱狂を露にしたタイキシャトルが、エルに駆けよっていった。

 

「ったく、夏からデビューのアタシたちよりノリノリじゃないかい」

 

「……やかましい、おかげでおちおち寝てられん」

 

「まあまあ、お通夜よりはマシですよ」

 

それを後ろから見るのは、今夏にデビューを控え、この合宿に懸けているものが大きいヒシアマゾン、ナリタブライアンと、そのふたりの発言を明確にたしなめようとするライスたちだった。

 

「そういえば……既に到着していると聞きましたが、マルゼンさんはどちらにいらっしゃるのでしょう?」

 

「彼女なら……あぁ、あそこだよ。グラス」

 

続いて下車してきたものの、訳あって他メンバーとは別々に目的地へ向かっていたマルゼンスキーの行方を気にしたグラスワンダーへ、フジキセキがとある赤い車を指し示す。

そこには、扉にもたれかかる探し人の姿があった。

 

「ハァイ、みんな!」

 

「ええ、学園ぶりですか?お早い到着ですね」

 

「そうそう、みんなと同じバスで行くのも楽しいけれど、やっぱりあたしにはタッちゃんがいるからねぇ。それに──」

 

一行を乗せたバスに気付いて歩み寄ってくる彼女に、親交の深いグラスが声を返すと、そのまま語らう様子がライスの眼に映る。

 

「さて……ライス。君にとっては2度目の合宿だが、慣れたか?」

 

ライスが背後からの声に振り返ると、そこにはルドルフがいた。

 

「ぼちぼち、です。流石に今年は戸惑っている暇がありませんから。菊花賞でBNWを超えるには、最後の正念場とも言えますし」

 

「そうか、だが気を張り詰めすぎても損だ。そうだな、暇、暇、暇……マヒマヒ……いや、何でもない。とにかく休息は怠るなよ」

 

無理を戒めようとしていると思いきや、意味深に発言を打ち切るルドルフ。彼女が会話を雑に終わらせる真似をするとは思えなかったライスが、やはり調子が上がらないのか、と察すると同時に、東条の号令が響き渡った。

 

「全員いるわね?行くわよ」

 

その一言により動き出した他メンバーに追従する形で、ライスはそのままホテルに赴くことになった。

 

(……出しきらないとな)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここに来たからには普段と異なり、トレーニングLv5モノの猛特訓を山のようにやることになるのだが。

 

「残り3往復!気を抜かず走れ!」

 

「はっ!」

 

スピードトレーニング・ランニング。ビーチの上をただひた走るだけのカンタンな作業……とはもちろんならず、気を抜けば定期的に東条の叱責が飛んでくる。

 

「踏み込みが甘いぞ!併走でなければ本領を出せないのかアマゾン!」

 

「わかってるよっ!」

 

東条の叱責に、視界の外からアマゾンの投げやりな返答が響く。

この時間、走行フォームへの指摘は普段の倍以上厳しい。ビーチの砂はきめ細かい故に、スピードを出す上で正確なフォームを求められる……とはマックイーンの言だったか。

 

「ブライアンもまだマニュアルの意識が過剰だ!新しく模索したそのフォームを鮮明に描き直せ!」

 

続いたその叱責に、思わず隣にいたブライアンの方を覗くと、重心をやや落としたそのフォームにひとつ熱が入り直したように思えた。

 

(ブライアンのこのフォームは……メインストーリーで言ってたやつか?それを認めたのがあの人ってことは……もっと教本通りな人って思ってたけど、意外と柔軟な人なのかもな。それとも誰かに似てきたって言ったら怒るか?)

 

規律を重んじる東条にしては珍しく思えるフォーム変更の一任に、ある男の姿を思い浮かべるライスだったが、指摘すれば「そうした方が合理的だからだ」とでも言い訳していそうな彼女を見て失笑をこぼした。

 

「どうしたライス!よそ事を考える暇があるとは随分余裕だな?」

 

「……っ、すみません!」

 

まずい、と余分な思考をシャットダウンすると、すぐさま陳謝し、目の前の折り返し地点を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あー……脚が棒になりそう)

 

スタミナトレーニング・遠泳。学園のプールとは比べ物にならない水量の中行うスタミナトレーニング。

ただし、この肉体故か前世から経験の乏しい故か、原作と変わらずビート板を保持するライスはさすがに浅瀬で泳ぎ続けていた。

 

「ツッ!?ダーッハッハッハ!!」

 

突如響き渡る高笑いに振り返ると、同じくビート板使いであるオペラオーが足をつりでもしたのか、ひっくり返って水しぶきを立てているのが目に入った。

 

「ええ!?オペラオーさん!?」

 

前進を中断してオペラオーに好ましくない異変が起きていることをはっきり認識したライスは、すぐさま東条に目配せをする。

浅瀬とはいえ、泳げない者が助けに入っても共倒れに終わる公算が高いと踏んだゆえの判断だ。

 

東条がライフセーバーの職員にハンドサインを送っているのを見届けると、今度は気が動転しているであろうオペラオーの沈静化に動く。

 

「ちょっと、オペラオーさん、落ち着いて──」

 

「嗚呼、大海までボクを阻むか!面白い、実に面白いよ!アーッハッハッハ!!」

 

溺れかけているのにも関わらず、心底愉快でたまらないかのように口上を迸らせる彼女に、ライスの頭が空白で染めきってしまったのは無理からぬことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……おおおおっ!!」

 

場所をホテル内のジムに移し、パワートレーニング・筋トレ。

フジキセキに足をホールドされながら、上体起こしを連続で行うライス。

 

「ハイ、ワンツー!トントン、ターンのリズムデース!」

 

「ブエノー!ゴートゥーヘェェェヴゥゥン!!」

 

「やかましいっ!」

 

別のエリアでサンドバッグを小気味良く吹っ飛ばしていくタイキ、エルのデュオと、ランニングマシンを漕ぎながら騒音に苦情を吐くグルーヴらの声が響く中、悲鳴を上げ始める腹筋との戦いは続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「走れ、今を!まだ終われない、たどり着きたい場所があるから、その先へと進め──!」

 

合宿の最中も、無論ウイニングライブのダンスは欠かされない──これを根性トレーニングと数えるならLvが落ちていると言ってはいけない──。

 

「涙、さえも!強く胸に抱き締め──そこから始まるストーリー……」

 

三冠競走の覇者のみが歌唱が許される楽曲『winning the soul』を、狂いなく歌いあげてゆく。

 

「果てしなく続くwinning the soul──!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──違う、これは菊花賞の走りには遠く及ばない。そういやアニメではスピカTが菊花賞を見たとき「夏に一回りデカくなった」って言ってたな、じゃあ現時点で菊花対策として参考にできるレースはやっぱりないってことか?くそ、この夏ならなんでもいい、どっかしらにメディア露出してねえか?」

 

与えられた自室に戻ってからも、研鑽は止めない。

仮面を被る必要のない個室であるのをいいことに、いわゆるメタ行為を行っていた彼女。

パソコンを前に、菊花賞における最大討伐目標・ハヤヒデの資料を、ピンポイントに見漁っている最中だった。

 

(考えろ、本当に何もないのか?一年半も見てきたんだ、糸口くらいあるだろ?……いや)

 

同時にスマホでニュースサイトへアクセスしている最中、ふと顎に手を添えて考え込む。

 

勝者を前もって知れている以上、真っ先に思い付いたのは徹底的なマークや牽制を仕掛ける方法だ。

策のイメージをひとしきり描き精査にかけるものの、残らず同じ答えに達して終わる。

 

(どのみちレコードを二歩三歩超える速さがなければ話にもならない……か)

 

しかし、本来のライスが叩き出した京都3000mのレコードタイムすら超えてみせていたハヤヒデの前には、小手先の妨害はさほど価値を持たない、というのが結論だった。

 

(逃げでタイムトライアルに徹するか?いや、そもそもハヤヒデが元のタイムで納まってくれる保証がない)

 

ならば、とレースというものが極論記録を競うものであるという点を考慮した最も単純な答えに達するが、先頭というペースメーカーの地位に本来と異なる者が座せば、レースは自身の知るものとは別物と化すだろうことは明白だった。

 

(くそ、皮肉だな。全部知ってるからこそ、勝ち筋が正攻法しか見えないとは)

 

外的要因で覆しようがない、ハヤヒデ自身の実力という壁にここへきてぶつかったことに内心で思わず毒づくが、それで相手が弱くなってくれる訳ではない。

そもそもその困難に直面しているきっかけは、自分自身の甘ったれた決断であることに他ならない以上、もうこれ以上逃げの一手は許されない。

 

(……リギルに所属してる以上、練習相手には事欠かない。元のライスがシューズを幾つも履き潰すほどの量をこなしてたなら、こっちはどうにか質を稼いで埋めるまでだ)

 

レコード超えをさらに超えられれば勝てる、などと目指す先はとても正気とは思えぬ暗く遠い道のりだが、その到達点が視えるというアドバンテージは間違いなく大きい。

そこにひた走れぬほど腐ってはいないつもりだった。

 

「……勝てなきゃあの二人に言い訳できん」

 

その情熱には、サイボーグと名優から、越えるべき宿敵を奪った負い目も宿されていた。

 

ふと、とっくの昔に読み込みを終えていたらしいニュースサイトに目をやる。

 

そこには写真一杯に広がる葦毛を携えた名士の姿があった。

 

 

──まだ、光は見えそうにない。




次回、夏合宿終結。

私事になりますが前話のタイトルの元ネタである曲が使われた特撮番組のストーリーを追う機会があったのですが、これが中々に面白く……。
ただし展開自体はスローペース故に一週間のインターバルがあったリアルタイム時代に見たらキツかったろうな、と思いながら見てます。

……などと、投稿が半月+aに一回ペースで展開が滅茶苦茶遅くそれでいてまだ本題に達せていないクソ筆者が申しております。
菊花にさえ行ければまだ再加速できるので許してください!何でもはしませんから!


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PAGE:18 『RE/COGNITION 誰かのために、自分のために強くなれ』

途中視点スワップありです。


「スピカからライブの打診?」

 

練習を終えると脇目も振らずに自室に戻ってきたある夕方、オンラインでの役員会議の最中に挙げられた報告に対する、ライスのオウム返しが通話ルームに響く。

 

『はいっ、今度の秋の感謝祭に合わせて開催したいと』

 

元は学園残留組で、件のチームから言伝を預かったという会計担当の報告だった。

各々相槌を打つなり反応を示すのがパソコンの画面越しに伝わる中、グルーヴの発言があった。

 

『えらく急だな。マックイーンの宝塚記念の祝いでもするのか?……どうした、早く言え』

 

要請の目的を祝賀と捉えたものの、口ごもっていた会計に仔細を急かすグルーヴ。その催促に、ためらい気味に会計の報告は続いた。

 

『その……テイオーさんの、引……いやお別れライブだと』

 

なんと、とその報告にブライアンらもざわつく。故障は知っていれど、引退を考慮する段階にあったことは知らなかったのだろう。反対に経緯を知っているルドルフとライスは黙ったままだった。

 

『アイツがか……』

 

そう溢すブライアンの言葉を最後に、静まり返った通話ルーム。しばらくして、ようやくルドルフの声が入ってきた。

 

『報告感謝する。だが現状、明確な返答は不可能だ。帰還後の会議にて詳細を詰めることにしよう』

 

その一言でお流れとなったその話題ののち、会議は当たり障りなく終わっていった。

 

「……さて」

 

退出したグループ通話アプリケーションのタブを葬ったライスは、すぐさま動画サイトを開き、ある6文字を検索欄に入力する。上がってきた動画たちの中からめぼしいものを選ぶと、サムネイルをクリックした。

通話場所にロビー等の公共的な空間を選ばなかったのは、この研究の時間を一秒でも捻り出すためだったのである。

 

読み込みの最中、手元に置いていた飲料水を喉に流し込みながら待機していると、部屋にノック音が響き渡った。

 

「はーいただ今ー……」

 

この忙しいときに、と水を差された苛立ちを声に露さないように返事をしてドアに向かっていくと、覗き穴には意外な人物が映っていた。

 

「おお、マルゼン先輩、どうしましたか?」

 

ドアを開く。苛立ちは用件への興味に入れ替わっていた。

 

「ハァイ、ライスちゃん、今いいかしら?」

 

「……?ええ、役員会議なら今終わりましたし、今からライバルの誰かの研究でもしようとしていたんですが……」

 

手隙ながら時間潰しには困っていないこの状況に言及しながら、マルゼンの目的を洞察する。

伝言ならLANEなりですればよいし、直接部屋に訪れなければならない用件とはなんだろうか。

 

「じゃ、今からドライブ行きましょ、ライスちゃん?」

 

「え?」

 

危険な誘い文句の登場に、思わず素っ頓狂な声が飛び出すライス。そして二の句を継ぐまでもなく腕を掴まれた。

 

「さあさあ行きましょ!夏の夜風があたしたちを待ってるわ!」

 

「え、いやあの、パソコンが開いたまま──」

 

有無を言わせず部屋から引っ張り出される。他にもなぜ自分が選ばれたのか、とか部屋のカードキーを置いてきたままなのだが、とか言いたいことは山ほどあったが、とても今の彼女には伝えられそうもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユーラリユールレリ……」

 

連れ出されて間もなく、気づけばライスは隣の運転席に座るマルゼンの唄を聴きながら赤信号を待っていた。

 

(なんで俺はここに……)

 

シートベルトへの当て字が命綱の二文字になりかねないほどの脅威度を誇る彼女のドライブに、突如駆り出されたことへまだ納得いかない様子のライス。

それでもまだ五体満足でいるのは、赤信号に捕まりやすい自らの不幸体質が影響しているのだろう。流石にいちドライバーとして交通法規という壁をぶち抜くことはできないマルゼンは、ライスの足止めを前に、徐行速度に毛が生えた程度のスピードで走行するほかなかったのだ。

 

「……そろそろ教えてくれたっていいんじゃないんですか?」

 

「ん〜ん?思い詰めてる後輩ちゃんのためにひとっ走り行ってるだけよ?」

 

未だ目的を口にしないドライバーに対して放ったライスの問いへ、はぐらかすように答えるマルゼン。

しかし、その言い回しに引っかかりを覚えたライスは、勢いのまま噛みついた。

 

「思い詰めてるって……焦ってないワケじゃないですけど、オーバーワークならしてませんよ?無茶な自主トレーニングが下策であることくらいわかってますから──」

 

「トレーニングが終わるやいなや部屋に篭りっきりで仕事、研究漬けな生活をオーバーワークしてないとは言わないんじゃない?」

 

反論の最中に差し込まれた指摘に、ライスは言葉に詰まった。昨日まで自室には誰も入れていなかったのに、と考えたが、まさか先ほど部屋から連れ出される際の会話から察したのか、と歯噛みした。

 

「それが何だと?初のGIに向けてこれ位は──」

 

「あら、まさか合宿中ずっとそんな生活してたの?」

 

この程度の負荷なら必要経費だ、と苛立ち気味に返せば、マルゼンの驚き声が返ってくる。

一瞬呆けたものの、その声色から鎌をかけられていたことにようやく気づいたライスは、俯いて押し黙る。つくづく間抜けだった。

 

「……そうカリカリしてるってことは、相当根を詰めてたってことね。いい?体は寝れば休まるけど、気持ちは簡単に付いてきてくれないものなんだから」

 

「それは……すみません。ですが、負けるワケにはいかないんです。菊花賞は、絶対に落とせないレースですから」

 

考えれば気が立って感情的な受け答えになっていた──そう自省し詫びながらも、もう止まるワケにはいかないのだ、という思いでそう述べるライス。

 

「……ま、ただの頑張りすぎならハナさんに告げ口して終わったんだけどね」

 

付け加えるように発されたマルゼンの言葉にライスが顔を上げると、ルームミラー越しに悪戯な視線が送られた気がした。そしてその言葉の続きは、信号の切り替わりに伴う発車とともに紡がれる。

 

「ライスちゃんが真剣なのは分かってる。生半可な気持ちで走ってるワケじゃないってコトも。でも……」

 

言葉を探しているのか、語り口を一瞬止めたマルゼンにライスが身構えると、唐突に剣呑な視線が注がれた。

 

「あなたは……どのくらい、自分のために走れているのかしら?」

 

その質問に、即答できず詰まるライス。

何のために走るか、理由ならいくらでも挙げられる。トレーナーである東条やこの世界の両親など多数の人物の恩義に、そしてこのライスシャワーの才に報いるため、何よりライバルを奪ってしまったブルボンとマックイーンにせめて言い訳くらいはできるように勝ち続けたい、と努力はしていた自負はあったからだ。

 

しかし、マルゼンが訊きたいものはそこに混ざっているはずの、自分自身が持つ欲望を指しているはずだ。

 

「……どういう意味です?」

 

質問の意図は寸分狂わず把握していたが、ポーズを取ろうとあえてそう訊き返す。

 

「簡単よ、走っていく中で……あなたが笑えるための理由があるかってコト」

 

改めて提示されたその問いに対し、やはり答えを組み立てるまで至らず沈黙を続けていたライスに、困ったようにマルゼンは笑った。

 

「ごめんなさいね。今までのライスちゃんを見て、気になったことなの」

 

質問には答えられていなかったが、その無言をどう解釈したのか言葉を続けてくれた。

 

「あなたのローテーションの方針は聞いているわ。重賞への出走を封じた上で菊花賞だけを目標に据えてるって」

 

その言葉に、ひとまず頷く。同じチームの一員である以上、隠し立てすることでもなかった。

 

「タイトルの獲得だけを理由に走る子ならいくらでもいるのよ?でもあなたの原動力はそこじゃない……きっとあなたは誰かのために頑張れる子だから」

 

次いだ言葉に身を強張らせる。

誰かのため、外から見ればそうも見えるか──。

 

「これは勝手な想像だけれど、あなたの中にいる誰か……走りたくても走れなかった身近な誰かがそうさせてるんじゃないかしら?」

 

その洞察に思わず口を噤む。指している者はこの世界にいない、という点で決定的に異なるが、間違ってはいない。

 

「そう考えれば、初めて見た時から完成してた先行策にも、慎重を期すローテーションにも、ちょっとカリカリしちゃうほどの頑張りも全部繋がっちゃうもの」

 

最初から成熟していた戦法は、その誰かを真似たものだから。堅実に実績を積み立てようと企てるのは、その誰かに託された失敗の許されない目標だからだろう、と彼女は言う。

彼女の双眸には、自分がレースのひとつひとつに良くも悪くも『目標達成に必要なタスク』以上の価値を見出していない、と映ったのかもしれない。

 

──成程、その通りだ。

 

(どう言い逃れたもんかなぁ……)

 

抱えている事情をバカ正直に話せば、引かれるのが関の山だ。逆に黙秘して切り抜けても先延ばしにしかならないかもしれない。かといって彼女に下手な嘘が通じるとも思えなかった。

 

「……そこまで気にしてくれていたなら、何も答えないワケにはいきませんね」

 

真実をありのままに、とはいかないが、告白の必要はあるだろうと認識したライスは、意を決して口を開くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライスシャワー。生徒会庶務として、会長ルドルフの足として学園中を奔走する傍らで、チームリギルの一員として一定の戦果を挙げるエリート街道を突き進む彼女に、どこか影を感じたのはいつからだったろうか。

 

ウマ娘という種族とは、それぞれ程度に差はあれど他者と競い走ることに至上の喜びを見出す生き物だ。だからこそ、レースというものがこの世界の最たる催しとして根付いているのだ。

 

しかしその点において彼女はウマ娘として異質だった。

 

BNWら強敵たちとの死闘そのものには興味を示さず、目標に定めた勝利のみを至上として泥臭く勝ちを積み上げようとするその様は、沈着なる慎重派と言えば聞こえはいい。長くレースの世界に身を置くマルゼンは、以前にもそういった者はいくらでも目にしてきていた。

 

(でも、あの娘の見ている先はどこにあるのかしら?)

 

ただし、彼女にとってライスの走りは、根源的な喜悦が明らかに欠けているように映ってならなかった。まるでその根源であるなにかを取り払ってしまったような、いや、ウマ娘以外の何かしらが肉体を操っているのではないか──?そう思わせるような走りに。

……故にこそマルゼンは、理由を誰かに託されて走っているのではないかと問うたのだ。

 

「昔の私には……身近に先輩が言う通りの誰かがいました」

 

そしてその推察は、的を射るに至っていたようだ。不躾な質問をしている自覚はあったが、ひとまず返答をくれたことに胸を撫で下ろしつつ聞き入った。

 

「この世界に欠かせない、欠かしてはいけない、それくらいのウマ娘でした。ですが」

 

そうライスは言葉をひとつずつ選ぶように紡いでいく。彼女にそこまで言わしめる存在が唐突に現れたことへまずは驚いたが、成程、そこが原点か──。

 

「……私のせいで、ターフに立つことも叶わなかったんです」

 

「……そう」

 

切り出しから覚悟はしていたその答えに、マルゼンは迷う。

意図的にそう追い込んだ、とはとれない口ぶりではあったが、理由を細かく尋ねるのは憚られた。

不幸体質を普段から自虐している節のある彼女だ、件のウマ娘を自らの不幸に巻き込んでしまった、とでも後悔しているのかもしれない。

 

「付き合ってくれるトレーナーさんや会長たちの恩に報いたいという気持ちは、もちろんあります。ですが、根本的な理由といえば……その娘にできる言い訳を作りたい、そんなものかもしれません」

 

そこまで言って、ライスは足元に視線を落とした。

 

「責任をとる、なんてことが言いたいワケじゃないですけど……」

 

この可愛い後輩の吐露に、どう返したものかとまだ迷っていた。

今の彼女は、かつて自分が目をかけていた後輩たちの悩む姿とよく似ていた。

自身を慕い、挑みかかってきてくれたその二人は、自分に追いつこうと努力してくれた。ただし、追いついた時の喜びや楽しさを想っていた彼女らの眼は、いつしか追いすがることへの焦燥で染まってしまっていたのだ。

そのときは自分が「楽しむ感情が、自分の背中を押してくれる」と諭し、気持ちを新たに取り組んでくれるようになったが、ライスはどうだろうか。

 

かつての体験が彼女を縛っているとするなら、楽しみを思い出してもらう方向でのアプローチは難しいかもしれない。ならば──。

 

「ライスちゃん、あなたは強いわ」

 

向こうからすれば突拍子もない切り出しだったろうが、構わずマルゼンは声を発した。

 

「才能も、熱意も、あなたは十分に持ってる……あと、あたしやルドルフみたいなマブい先輩もねっ!」

 

「は、はぁ……」

 

柄でもないジョークを添えながら、そう続けた。苦笑気味な声を洩らすライスをミラー越しに一瞥しながら、次に本題へ移る。

 

「あなたが本気で菊花賞の3000mを走れば、多分ダービーを勝ったチケットちゃんよりも強いと思うわ。だけど、あなたはチケットちゃんには勝てない。なんでかしらね?」

 

ここまでは前に後輩へ語った内容を、引き合いに出す対象を変えて話しているだけだが、言い方が言い方だ、今度こそ食ってかかられることも考えていた。しかし意外にもライスは唸り考え込んでいるだけだった。

 

「……何でしょうね?ライバルに勝ちたいとか、そんな気持ちがあるからですか?」

 

「あら、分かってるじゃない?」

 

語ろうとしていたことと概ね一致している回答に一瞬驚きながらも、意図を真に理解している訳ではなさそうだった彼女に続けて語ることにした。

 

「GIっていうのはね?速く走ることが、レースが、ライバルと競うことが楽しくて、その上で勝ちたいと乞い願える……そんなウマ娘だけが勝てる舞台なの」

 

「……その条件に自分は合致していないと?」

 

マルゼンが言い切ると、覚悟を決めたように問うてきたライス。その視線を横目に、若干遠回しな答えを渡すことにした。

 

「──勝ちたいと思って走ることと、負けられないと思って走ることは全く違うことよ」

 

はぁ、と洩らし唖然としていたライスを一時捨て置き、マルゼンは続ける。

 

「あなたはこれまで、負けられないと思って走ってきた。だから慎重を期して、コツコツと勝ちを積み重ねるために動いてた……あぁ、勘違いがないように言っておくけど方針自体が悪いっていう話じゃないわよ?あのマックイーンちゃんだって、そうしたうちの一人だから」

 

将来GIを走る上でのメンタルについての講釈をしようとしていたマルゼンは、前置きが失言ととられる前に釈明へ走りつつ続けていく。

 

「……でも、ここから上のステージではその戦い方は通用しなくなる。限界を越えた削り合いの決まり手は、いつの世でもほんの一ミリの気持ちの差って決まってるのよ」

 

マルゼンの言うそれは、彼女が知る限り『死力を振り絞ったウマ娘たちの勝敗』を最も左右してきた決定的要素だった。

 

──ティアラを狙う5人横一線の混戦を制した女王。

 

──不撓不屈の決意を以て年末頂上決戦を制した不死鳥。

 

──そして去年の、三冠を懸けたサイボーグの突破劇も記憶に新しい。

 

その3人に勝因を問えば、動機に差はあれど間違いなく「勝ちたくて仕方なかったから」という一点に収束するだろう。

 

……そして大一番で勝とうと選んだガムシャラな一手は、負けまいと選んだ合理的な一手を容易に覆し得る。

 

「負けたくないって願望に急かされて走るか、勝ちたいって願望の赴くまま走るか……。選べと言われれば、後者でしょう?」

 

「それは……」

 

若干意地悪な二択を迫ってみれば、わかりやすく狼狽していたライス。すると、ひどく動揺した声色でその口は開かれた。

 

「でも、自分はもともと楽しんで走ってこようとは思ってなかった身で……そのぉ……あの娘に申し訳がって気持ちが……う〜ん……」

 

今更気が引ける、と踏ん切りがつかない様子のライスに、もうそろオチるな、とマルゼンはほくそ笑む。

 

「だったら、その娘に伝わるくらいいい走りを見せれば問題ナッシング!でしょ?」

 

「いやぁ……でも今更──」

 

「──何にでも遅いなんてことはないわよ?たとえ楽しめる理由がなくとも……いや、楽しめる理由がないなら、勝つために楽しみなさい!」

 

そう被せるように言い切ると、滅茶苦茶な……と呟き押し黙ったライス。

すると状況はしばらく膠着したが、交差点に差し掛かる間際にまたも信号機に行く手を一時遮られたマルゼンがふと隣を見やると、そこには懐かしい表情があった。

 

(これ、初めてブルボンちゃんを見たときの──)

 

どう感情にケリをつけたのかはわからない。しかし悦に入るように口角をつり上げたその様を、かつてマルゼンは見たことがあった。

ライスが崇拝して憚らないという三冠のサイボーグ・ミホノブルボンの走りを、入学試験で初めて目にしたときに彼女が浮かべていた表情そのものだった。

 

「──そうだよな、楽しめなきゃ続かない……なんでそんな事も忘れてたんだよ、俺は……」

 

そう小さく呟かれたその独り言は、マルゼンには聞こえなかった。間もなく大きく息を吐き出した彼女は、憑き物が落ちたように口を開いた。

 

「その……ありがとうございます。楽しむって考えはまだ纏まらないですけど、えっと……」

 

「ふふ、礼ならいらないし、纏まらないなら無理に話さなくていいわよ」

 

おずおずと礼を口にした彼女の口ぶりからして、まだ指摘されたそれの解決には至ってはいなさそうだったが、構わないと笑った。

慎重な彼女のことだ、こうエンジンを点けてやれば投げ出してはおかないだろう。

 

「でも、確かにちょっと色々語りすぎたせいでゴチャっとした部分はあったかもねぇ……だったらっ!」

 

青信号と共に発車し、車通りが唯一なかった右方へハンドルを切った。

やがて山沿いの道に出ると、信号も対向車も皆無であることを認め思わずほくそ笑む。

 

「え、渋滞抜けてる……?せ、先輩、どこに連れ回すつもりで?」

 

シフトレバーへ手を掛け、激走の用意を既に整えたマルゼンは、なぜか狼狽え気味な後輩の問いにこう答えた。

 

「この道の果てまでよ!超スピードでいったん余計なモノ全部ブッ飛ばしちゃいましょ!」

 

え、と洩らしたライスに構わず、チャーミングなウィンクと共にアクセルを踏み込む。

 

「うぉぉっ!?待て待て、俺が乗ってるなら渋滞にしかならないハズじゃあ……!」

 

そう柄でもなく口走るライスの言葉は、意識を領域内へ向けて共に振り切ってしまったマルゼンには届かなかった。

 

「さあ行くわよ……!あたしのトップギア、見せてあげるわ!」

 

次々と迫り来るカーブに、ドリフトを適宜決め込みながら走行していく。合宿の間はずっとご無沙汰だったハイスピードドライブに、沸騰するような悦楽がマルゼンの肉体を駆け抜けた。

 

「おーーーーろーーーーーせーーーーーー!!」

 

ドライバーの矜持を一身に受け止めた真紅の車体は、闇夜を切り裂き駆けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ〜……ああぁ……」

 

「だ、大丈夫?ごめんなさいね、ちょっと久々のトップギアだったから、やりすぎちゃったかも」

 

怪物との激走を終え、ホテルに戻ってきたライスは、若干意識が朦朧としながらもマルゼンに肩を借りながら自室への通路を歩んでいた。

同じ道を往復した分、行きと同じ区画だった帰り間際では再度マルゼンの血の気を抑える渋滞が待っていたのは幸か不幸か、時間をおいた分思考回路は復旧してきていた。

 

(楽しむ理由、ねぇ……)

 

よろよろと歩みながら、行きに語られた内容を思い起こす。

 

(ふふ、あるじゃないか、わんさかと)

 

隣のマルゼンに不審がられないよう笑みながら、ライスは内心でそう口走った。

考えろ、そもそもこの世界は自分が最も愛したゲームの世界なのだ。その中の最も推したキャラクターのライバルに成り代わったから、と考え込んでしばらく忘れていたが、こうして実際に数々の名バたちを相手に競い走れるという行為自体が、ファン冥利に尽きるというものだろう。

 

自分はミホノブルボン推しである前に、あのゲームのファンであるのだから。

 

(ごめんな、ライス。せめて土産話はたくさん持っていくから……待っていてくれないか)

 

この体の本来の持ち主に向けてそう語りかけながら、自室の目の前まで来たライス。

 

「着いたわよ、ライスちゃん」

 

目的地への到着を告げるマルゼンの声に、安堵感が湧き出てくる。もう今はベッドに飛び込みたくて仕方がなかった。開錠用のカードキーを取り出そうと反射的にポケットへ手を突っ込む。

 

「──ない」

 

カードの紛失を認識した瞬間、冷や汗が背筋をつたったが、すぐさま原因にアタリがついた。そもそも自分は有無を言わさず手ぶらで連れ出された身だったのだから。

つまり室内にカードキーも携帯も何もかも置いたまま外に出ている今の状態で、独力で中に入る方法はないということだった。

 

「あ〜……えっと……」

 

「ど、どぉしましょおっ、せぇんぱぁ〜い……!」

 

打つ手をなくしたライスは、同じく原因を察し気まずそうにするマルゼンに向けて、病み上がりゆえによく回らない呂律ですがるほかなかった。

 

 

 

──結局、マルゼンの取りなしで東条Tに掛け合ったことで事なきを得たものの、呆れを言葉より雄弁に物語る彼女の眼差しは、忘れられそうもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『決まったーー!!三人一列の大接戦!勝ったのはライスシャワーです!この日本海ステークスを制し大事な3勝目を挙げました!』




Q.ライス乗せてるのになんで渋滞抜けれたの?
A.ライスシャワー育成ウマ娘イベント「何事も前向きに?」参照。彼女に不幸を都合よくコントロールすることはできないのです。

偽ライス君のいう誰か……。一体何スシャワーなんだ……?

次話は、感謝祭編だそうですよ。


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PAGE:19 『RE/PROCESS 歴史的復活に向けて』

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8月後半、合宿帰りのバスに乗るライスは、徐々に遠ざかってゆくホテルを窓から眺めていた。

 

日本海ステークスは強敵でしたね、と内心でいつかの如くもじりを行いながら、その前走を振り返る。

2勝クラス狙いの方針を変えずに挑んだそのレースは、自分にとっては初めてのシニア級混合戦。同期に加え、重賞勝利はなくとも経験値では数年単位の長がある先輩たちを相手にすることになったが、結果は三人横一線で並んだ接戦の末のハナ差勝ちだった。

明確な決め手があったかと問われれば困る内容ではあったものの、マルゼンの忠言を聞いていなければ負けていただろう、とははっきりと言えた。

 

ちなみにその一週間前にはブライアンのデビューがあったのだが、こちらは史実と変わらず2着と惜敗に終わったらしい。数日後に迫る再戦に向けて調整中とのことだ。

 

「……?おお、先輩」

 

バスの全高ゆえにやや見下ろす形になったが、すぐそばにマルゼンの車が並走していることに気づく。一瞬目が合ったので会釈を返しておくと、片手を小さく振ってくれた。ちなみに、出発前に同乗を誘われていたのだが、そちらは丁重にお断りしておいた。

 

「さて、帰ったら忙しくなるな」

 

まだ遠いゴールを待つライスの眼が捉えた先は、せわしないほどに賑やかな未来だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……ロブロイも寝たし」

 

学園に帰ってきた夜。積もる話もそこそこに寝静まった同室者を背に、ライスはある作業に励んでいた。

 

デスクライトの光を頼りに、裏返した古いテスト用紙へ過去の自分が綴ったこの世界の時系列を指でなぞっていく。

 

「感謝祭をやったら菊花賞まで秒読みだ、んで間もなくマックイーンが繋靭帯炎を発症する、そこから有だ」

 

アニメで語られる時代の範囲は、既に佳境を迎えつつある。

最善の立ち回り方を導き出せるのは、今年いっぱいまでだ。まずはそこまででも見通しをつけておきたかった。

 

「感謝祭でテイオーのライブがあって、そこにカノープスの乱入が……そういや、オールカマーにはライスも出てるんだったか?」

 

初めに直近のイベントへ目を向ける。しかし重要なのは、同日に行われる中山メインレースの方だった。

 

「ま、俺出ないけど」

 

そう断じたのは本来よりデビューを一年遅らせた都合もあるが、そもそもプランの構想外にあったことや、ファン感謝祭で生徒会役員として動き回らなければならない事情があったからだ。

 

本来そのレースで一番人気に推されるはずだったライスの不出走は、一見ターボのメイクドラマに不都合なように思える。だが勝利のインパクトの減衰は危惧するほどではない、という打算があった故の決断だった。

そもそも、あのレースにいたGIホースはライスだけではない。二番人気に着いていたのも、同じGI・桜花賞を制した強豪であったし、2着でレースを終えたウマ娘も、この世界では既にGIとして扱われている帝王賞や川崎記念などを制し、地方最強の地位に座した猛者だった。ならばライス抜きでもターボの勝利は十分驚愕に足り得るだろう。

 

(そもそもギリギリまで突っかかってきた同期の勝ち姿を見て、情の動かない感性はしてないだろうし)

 

また、絶対条件であるターボの勝利についてだが、こちらも心配事は少なかった。対戦相手の変更という史実改変の余波は、相手を問わず逃げまくる彼女には及びづらいと考えていたからだ。

 

(崩れるとすれば、まず自分の代わりに入る誰かが、より前へ逃げる戦法をとることだけど……彼女以上の個性派が来るとは思えない)

 

それができる可能性を持つ現役のウマ娘と言えば、爆逃げコンビの括りで知られるメジロパーマー、ブルボンの菊花賞で接戦を演出したキョウゾンアロウズらが筆頭だが、前者はそもそも出るつもりならライスがいる原作でも出ていただろうし、後者も現在は脚部不安を抱えており出走できる状態ではないと聞く。

 

(他に考えられるのは、誰かがターボの逆噴射を考慮しないロングスパートを行うこと。もしくはそれに伴う周囲の掛かりによる混乱の発生くらいかな)

 

だが、既に『ターボ=破滅的大逃げ』のイメージが定着しきっている中で、そんな大ばくちを打つ者が現れるとは思えない。それこそ自分のように答えをすべて知った転生者であるか、超がつくほど大胆不敵な勝負師でもなければ、まず選択肢として現れないだろう。

 

「でもリギルに入った俺にどうこうできることじゃないし、考えるだけ無駄かもな」

 

そう思考を投げ出しながらも、もしカノープスに入っていれば諸々スムーズになるよう動けたかもな、などと頭の片隅で浮かんだ()()()に苦笑したライスには、まだ幾らか考慮しておかなければならないことがあった。

 

「それよりも問題は、その先の菊花賞で……俺がハヤヒデに勝てるかどうか」

 

目標に近づいている感覚はある。だがどう転ぶかは本番にならなければわからない。

 

(大筋を変えないなら、スパートの精度を上げるしか手は無いな)

 

タイムトライアルに徹さず先行策を使うならば、向上心を口実にルドルフに挑み続けて技量を蓄えるほかなさそうだ。そう一定の答えを出したライスは次に思考を移した。

 

(ここを乗り越えればジャパンカップか有がある訳だが)

 

どちらも大きい山だが、スケジュール的に現実味のある有記念の方に照準をまず絞る。

 

──されど。

 

(……テイオーが復活しなきゃいけない有に、出てしまっていいんだろうか)

 

その舞台に挑むにあたって、かつてデビュー遅延を決断したときのような迷いが彼女に巣食う。

もしテイオーを下せば、奇跡など起きないと示してしまえば、難病を患うマックイーンの希望もへし折ることになる。今までのレースとは、結果をねじ曲げる代償が違いすぎるのだ。

無論、道理を二歩三歩も飛び越えていたあの走りを超せる自信がある訳ではない。なにせ史実のライスは8着で終えたレースだ。されど、勝つつもりもなくレースに出ることは出来ない。それを認めれば、あの決断の意味がなくなってしまうから。

 

「うーん、とりあえず勝ってからじゃないと腹くくれそうにないなぁ……」

 

まだ菊花賞を成功させた訳でもないのに、プライドと折り合いをつけるのは早計だ。そう考えたライスは思案をそこで打ち切り、ファン感謝祭のプランについて興味を移した。

 

オンラインの定例会議を通じて、スピカからの打診を聞いたばかりだ。近いうちに生徒会役員として、機材やステージ設営の手筈についての用意が必要であることは間違いない。開催がわかっている以上、前倒しで計画を立てておけば負担は低減できるだろう、と合宿のときから若干思案していたのだが、大筋を立てたのみで棚上げになっていた。

 

チラリとロブロイの寝顔を窺うと、パソコンを立ち上げて諸々の機材レンタル専門サイトやステージの建設に要する資材の物色、リストアップを始める。

 

「アニメで見た感じではあのステージめちゃくちゃデカかったしな……どこでやってんのか覚えてないけどそれっぽいところを下見に行ってくるか?んでトラスやモニターとかが学園にどれくらいあるかは後で調べるとして……そうだ、設営するには人数も必要だし……ポスターや学園内の連絡用アプリとかに使う文面も考えなきゃな」

 

偽善だとか傲慢だとか言われようが、折角のアドバンテージをこれくらいは還元してみせなければ、良心に堪える。そんな思いの中、夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、役員会議を始めよう」

 

2日後の放課後。空き教室を使った生徒会役員会議が、ルドルフの音頭とともに幕を開けていた。役員全員が会しての開催としては、リギルの夏合宿が明けて以降初だ。

 

「まずは、我々が不在の中での学園運営、ご苦労だった。この場にいない協力者の面々にも、同等の敬意を表するものとさせていただこう。では早速本題に移ろう。まずは──」

 

会長ルドルフの労いの言葉で始まった定例会議は、やがて間近に迫った感謝祭に議題が移った。

 

「──屋台については去年出店した面々の7割が続投希望、カテゴリを変更しての出店志願者が1割ほど。そこに今年から新たに出店を志願した面々を合わせると……去年の1.3倍ほどの出店数が予測されますね」

 

来場者を迎え入れる正門付近を彩る、生徒出展の屋台についてデータを基に現状を総括するライスの発言で、面々が唸り出す。

 

「ふむ、正門付近のスペースの浪費は許容できない……いくらか統合させる必要があるだろう」

 

「待ってください、人数次第ではスペースが足りないところも出るでしょう。統合は個人単位の店に限定すべきです。この……物産展なんかは丁度いいのでは?」

 

「おい、スペースの省略化は結構だが、支出を抑えられる保証はあるのか?続投者は新メニューとやらを作りたがるのが常だ。たい焼きなんかは特に種類が膨れ上がっていた覚えがあるが」

 

「毎年、今年限定が限定でなくなっていくあのパターンか……」

 

「人気はあって元が取れるから言いづらいっちゃ言いづらいんですよねー……。既存組と新規組でそれぞれふるいにかけていくのが早いんじゃ?」

 

「なら飲食はともかくとして、ひとまずこのアトラクション系統の2件は却下の方向でいいんじゃないんですか?どちらも中等部のクラスの出し物で類似した企画がありますし──」

 

さすがに一大イベントだけあって普段より白熱する会議に精一杯追従しつつ、次第に選別の方針が固まってくると議題は次へ、さらに次へと進み、やがてこの日最後のものに移る。

 

「では、続いての案件へ行こう。先日チームスピカより、メンバーのトウカイテイオーのお別れライブを開催したいと打診があった件についてだ」

 

ルドルフがそう読み上げると周りは少し神妙な面持ちとなった。話自体は少し前から全員が知っていたことだ。しかし諸手を挙げて進められる話ではなかった。

 

「会計担当として答えるなら……開けるでしょう。いちファンとしては、心苦しいですけどもー……」

 

まず会計担当の生徒が重たく口を開く。この学園に身を置く者として、テイオーの存在は程度に差異はあれど目映い。

どう飾っても引退に手を貸すような真似は受け入れがたいのだろう。

 

「腕白を絵に描いたような彼奴が引退とは……やはりまだ受け入れがたいな」

 

「……理解はする」

 

副会長組もそれは同じだったようで、空気はより一層淀む中、次に言葉を発したのはライスだった。

 

「ですが、断るというわけにもいきません」

 

流れに逆らう彼女の言葉に、我が意を得たり、と微笑むルドルフが言葉を継いだ。

 

「その通りだ。何事にも終わりは訪れるもの。多大な功績を残した彼女に、最後の花舞台をもって我々からの報いとしようじゃないか」

 

会長の一言に、沈んだ気分を取り払われた面々は続いて頷く。

 

「……ええ。やりましょう、会長」

 

「ふん……好きにしてくれ」

 

「くー!わっかりました!不肖・会計、ファンとして、テイオーさんが笑ってくれるなら、いくらでもつぎ込めるように……足りなきゃ私のへそくりを差し出す心構えで助力しますよっ!」

 

よい具合にまとまった空気感にライスがひとつ安堵しているのも束の間、ルドルフは段取りに移行する。

 

「実行委員代表は私が務めよう。次いでグルーヴに補佐を願いたい」

 

「勿論です」

 

台詞と平行した目配せにグルーヴは即座に承諾の返事を飛ばす。

 

「追加の人員はのちに私が選抜する。開催内容はスピカとの協議後に立案し通達。費用の試算も追って会計に連絡しよう。ここまでで疑問点は?……よし、ではこれにて全議題の検討を完了したものとし、定例会議は終了だ」

 

ルドルフの閉会の宣告とともに各々が退出していくと、残ったのは彼女とライスだけになっていた。

スマートフォンを取り出すと東条を通じスピカTへの取り次ぎを要請していたルドルフは、やがてライスに気付くと声をかけた。

 

「どうしたライス?会議はすでに終わったはずだが……」

 

「会長、ミニライブの件です」

 

ライスにしては珍しい、有無を言わせないような切り出し方に、首を傾げる暇もなくルドルフは返答を構築する。

 

「実行委員志願かな?あいにく君には各エリアの視察を頼んでいたはずだ、そんな暇は──」

 

「いえ、そういうことではありません」

 

配置への不満か、と考えたルドルフの言は一蹴される。先ほど鬱屈としかけていたメンバーの流れを断つ発言をしていた彼女だ、むしろそれ以外を想定する方が難しくはあったのだが。

 

「少々お耳に入れたいことが」

 

そう言って鞄からPC端末を取り出したライスは、ある画面を見せた。

 

「……これは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋が顔を見せ出す9月の上旬。

 

感謝祭の準備で賑わう学園の一角にて、『トウカイテイオーお別れライブ』の設営は大事なく行われていた。

インコムを携えて現場指揮に当たるルドルフは、ふと資材運搬を行っていたマックイーンに声をかけることにした。

 

「マックイーン、様子はどうだ?」

 

「会長、お疲れ様です。みんなテイオーのステージに向けて、張り切ってますわ」

 

二人が視線を向けた先には、ボードデザインの意見をぶつけ合うダイワスカーレットとウオッカや、泣き崩れながら作業を続けるスペシャルウィークや、その三人に発破をかけるゴールドシップらスピカメンバーの姿があった。

やがて視線をそこから外し大型のスクリーンやライトアップの点検を行う他生徒たちの様子をふと眺めたマックイーンは、まもなく感心したように口を開く。

 

「随分順調に設営が進んでおりますわね」

 

「ああ。各員の奮闘努力の結果だ」

 

既にステージ上での全体リハーサルが行えるほどに進展していた設営状況について言及したマックイーンへ、ルドルフは関係者一同の功績と主張する。

 

「ふふ、私は会長の迅速な主導あってこそ、と聞き及んでいますわよ?」

 

「……どうかな」

 

ただし、事ここに至るまでのある()()()()()()()()を信じていたマックイーンは、どこかからかうような声色でルドルフをおだてた。にべもなく受け流そうと口にした返事を、謙遜と受け取ったらしいマックイーンがそれ以上言葉を紡いでこなかったことを幸運と捉えつつ、ルドルフは顛末を回想した。

 

──ライブ開催の打診から、生徒会のレスポンスは早かった。

 

役員会議にて承認が決まった2日後に、実行委員代表のルドルフとスピカメンバーとの会談は行われた。

 

トレーナー、メンバーの意向を基に、可能な限り大規模なものとするようまとまった開催方針を、ルドルフはなんと一晩で具現化。

機材諸々の確保の候補先を会計担当たちと微調整しながら素早く目処が立った開催計画により、大幅な余裕を持ったスケジューリングが実現した……というのがカバーストーリーのあらすじだ。

 

(狙ったかは知らないが、名声を持つ私を盾に、とは中々官僚めいた奇策だな……ライス)

 

しかしそれらは、計画がスムーズに運ぶようライスが図った故のシナリオだった。

 

『一昨日……いや夏合宿のときから考えていました──』

 

あの役員会議ののち、そう切り出しながら示されたのは企画書と題されたスライドだった。

 

ステージ予想図や資材、機材の調達経路、建設人員の募集要綱などが記されたそれに驚愕したことはよく覚えている。

 

予算面を考慮すれば現実的でこそあったものの、まだ先行きの不透明な現在では机上の空論の域を出ない、と一笑に付して終えようとした自分に対し、ライスは強硬な姿勢を崩さなかった。

 

『あの人が小さくまとまって終わることは、誰も望んでいません。実戦を離れて9ヵ月にはなりますが、それでも多くの人々を動かす力があの人にはあります』

 

その後、功績を考慮するなら一大イベント並みのものを開くのが自然だ、とSNSにおけるテイオーの動向への反応の多寡を根拠に食い下がってきたライスの提言を、結局スピカサイドの意思の尊重を口実に保留にしたのち会談へ向かうと、まさしく彼女の言う通りの展開となった。

 

「ここまで走ってきたあいつのために、人知れずひっそり……なんて終わり方じゃなく、もっと盛大で、華やかに送り出してやりたい」

 

そう瞳にわずかな涙を蓄えながら口にされたトレーナーの意向に、次は遠征中のサイレンススズカを除くメンバーの意思を伺えば、同じような回答が返ってきた。

 

「ああ、ド派手にブチ上げようぜ!」

 

「まったくあなたは……可能であるならば、是非そうしてくだされば幸いですわ」

 

「アタシも同じです!テイオーのためなら何だってしますから!」

 

「お、俺だって!」

 

「テイオーさあぁぁん……!」

 

そうか、と頷きながら5人分の賛同を聞き届けたルドルフは、最後にテイオー自身の言葉を聞くことにした。

 

「ずっと走れてないボクのために、どれだけの人が来てくれるかはわからないけど……やれるなら、全力で頑張るよ」

 

「……そうか」

 

どうやら意思は固まっているらしい彼女に、ひとつ笑みをこぼしたルドルフ。

 

「心配ない、君には……多くのファンがいるからね」

 

数刻前のライスとのやりとりを思い出し、思わずそう口走ると、同時に自分の中である決め事をし、それを口にすることにした。

 

「……ライブの計画については、ひとつ当てがあってね。大筋を君たちと共有できるのは早い時期になるかもしれない」

 

そう口にすると、7人には驚きをもって受け止められた。さっすがカイチョー、と何気ないテイオーの賞賛に引っ掛かりを覚えつつも、すぐさまトレーナーの発言が入ったため訂正されることはなかった。

 

「なら、会場の押さえとかはそっちに任せても構わない、って感じか?」

 

「ああ。だが当日行うプログラムについては、そちらの意見を最大限尊重したい。運営については適宜相談していこう」

 

もちろんだ、とトレーナーの返事と共に終結した会談ののち、すぐさまライスに連絡を取った。

 

「もしもし?私だ。君の言う通り、向こうも大規模開催を希望していたよ」

 

『そうですか』

 

「保留にしていて申し訳なかったね。君の提案、採用させてもらおう」

 

『……!了解です』

 

電話越しでも伝わる安堵ぶりに若干苦笑しながらも、通話はまだ続いた。

 

『では、押し付ける形にはなってしまうのですが、これからの主導は会長に任せてもよろしいでしょうか?不都合があれば企画書の考案者の名義を書き換えても構いませんし、不明点はお答えしますので……』

 

「ああ……だがいいのか?」

 

実行委員以外の者が企画した形になるのを懸念したのか、全権の委任を打診するライス。代表の自分が考えたことにすれば動きやすいことは確かではあったし、押し付けるといってもそう迷惑でもない。だが、それは彼女の奮闘を誰にも知られぬまま、功績のみを譲り受けるのと同義だった。

 

『……?ええ、手柄が欲しくてやった訳でもありませんし。それでラクに……いえ、大事なくテイオーさんにライブをやってもらえるなら問題ではありません』

 

いまいち要領を得ていないような声色だったものの、その言葉に己の不義理を恥じたルドルフは、すぐさま謝罪を差し込もうと決めた。

 

「不躾だった、許してほしい」

 

『え、いや、謝ることはありませんよっ!だいたい、無理を言ってるのはこっちのほうで──』

 

その後、明らかに狼狽えていた彼女を相手に、しばらく謝罪合戦になっていたところまで思い起こすと、目の前のマックイーンの顔がどこか曇っていたのが気に留まり、ひとつ声をかけた。

 

「……浮かない顔だな」

 

「そうですね……本当に私の前からいなくなってしまうのか、そのときが来ない限り認められない気がして……」

 

そう言葉に迷いながら発言する彼女の声色からは、テイオーが舞台を降りる事実を未だ飲み込めない感情がはっきりと表れていた。

 

「同感だ」

 

どこか自嘲するように賛意を表したルドルフは、マックイーンらに背を向けると舞台裏へ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある人気の無い公園で、二人のウマ娘が対峙していた。

 

青髪のツインテールが特徴的なウマ娘・ツインターボと、彼女がライバルと称して憚らないスターウマ娘・トウカイテイオーだ。

 

「挑戦状見てくれた?いつ勝負してくれるの?」

 

ライバルを公言してはや数年。未だテイオーとの直接対決を行えていないターボは、いつになく真剣な態度で問う。

だがテイオーは口を開かない。

 

「ターボ今度のオールカマーに出るから!みんなすごいんだよ?イクノも出るし……えっとあのー……とにかくそこで勝負っ!」

 

業を煮やして次走にでも対決を取り付けようと、頼れるチームメイトを餌に闘争心を煽りに掛かるが、テイオーが揺さぶられる様子はない。

 

「……出走登録なんてとっくに終わってるよ。それに、ボクはもう走らないから」

 

「へ!?なんで!?」

 

なんでって……と内心苛立つテイオーに対し、すぐさま気を取り直したターボは構わずこう続ける。

 

「じゃあじゃあ、オールカマーで勝ったら今度こそ約束っ!」

 

「だから……そんな約束出来ないってば」

 

「やだやだっ!ターボと勝負っ!次も勝つから!ぶっちぎりで逃げ切って──」

 

消極的なライバルを前に地団駄を踏んで食い下がるターボだが、状況は好転してくれなかった。

 

「ボクはもう走らないから、勝負は諦めてよ」

 

一切揺らぐことなく、先ほどと同じセリフで決裂を表明するテイオー。しかし『諦める』という言葉が、ターボをより刺激した。

 

「なにそれ変なのっ!諦めるなんてテイオーっぽくない!」

 

──随分と簡単に言ってくれる。一切引かないターボの我が儘に、ついにテイオーの苛立ちが爆発する。

 

「キミに何がわかるのさっ!?」

 

そう叫んでやったあと、目に入ったターボのおののき顔を受けて頭に上った血を若干引かせたテイオーは、思い切りブレーキをかけた声量で内心を吐露した。

 

「ダメなものはダメって認めるの……すっごくすっごく辛いんだよ……?」

 

二度乗り越えても尚立ちはだかる負傷という壁。本能との葛藤の末にようやく踏ん切りが付こうとしているテイオーにとって、ターボの言葉は堪えかねたのだ。

似合わない、と普段なら一蹴されるだろう弱音を吐く内に、胸の中を支配していた憤怒が、たちまち哀しみに塗り変えられていく。

 

「そんなの知らない!ターボの知ってるテイオーは諦めたりなんてしないもん!」

 

それでも、と吠え続けるターボに、最早相手にする気力もなかったテイオーは、適当にあしらって帰ってもらえるようにマインドを切り替えた。

 

「……次走、オールカマーだったよね。とにかく頑張ってよ。強いウマ娘もいるだろうけど、ターボなら逃げ切れるんじゃない?」

 

誰よりも執着していたはずのレースを、まるで他人事のように語るテイオーへ、ターボの堪忍袋がプツンと切れる。

 

「~~~~~っ!!あんまりだよテイオーッ!ターボゼッタイぶっちぎって勝つから!諦めなければやれるってことゼッッタイ思い出させてやるから!!テイオーのアンポンタアアァァンっ!!」

 

決闘のことなど最早頭になく、変わり果てたライバルを見て見ぬふりをするように背を向けて吐き捨て、走り去っていく。

 

 

 

そしてターボが、オールカマーでの戦いぶりをテイオーにどうか見せてほしい、と自らのトレーナーである南坂に懇願したのはすぐ後だった。

 

彼によって示された極秘計画は、チームメイトであるネイチャら三人も乗じることとなり、また同時出走者であるイクノディクタスの提案により一味異なる特訓を積むことになったターボ。

 

 

 

その一方で、ライブ開催にあたり学園内では実質的に周知されていたテイオー引退の報は、ライバルたちに微妙な変化を生じさせていた。

 

 

 

「さすがのテイオーも、怪我には勝てんか……」

 

「……マスター、私は」

 

期限切れの『テイオーお別れライブ設営スタッフ募集』のポスターを前に溢す黒沼トレーナーと、それを不安そうに見つめる教え子のミホノブルボン。

 

「だが、お前に後は追わせん。望むものは……まだ星のようにあるはずだ」

 

振り向きはせず、ただそう語る黒沼。その言葉通り、三冠を手にしても未だ燃え尽きぬ闘志を心中に宿していたブルボンは、彼を見つめると調子を取り戻したように再び口を開く。

 

「……解。この『他者の故障による引退』の解析ベクトルを、『自身へのフィードバック』へ調整。私は……負けません」

 

「それでいい。……これからだぞ、ブルボン」

 

歩むべき道をはっきりと見つめ直した教え子を伴い、黒沼はその場を去っていった。

 

 

 

 

 

また、テイオーの引退は、彼女と同世代で争った名手たちにも動揺をもたらした。

 

「今は去年の有一度きりだけでも、今年は、来年はって、そう……そう思ってたのに……ッ!!」

 

「スイサン……」

 

凶報に、教室で泣き崩れるケーツースイサンとそれを複雑そうに見つめるシダーブレード。どちらもここぞという場面でいぶし銀の活躍を見せ、クラシック級ではテイオーの同期として三冠競走を戦ったウマ娘だった。

 

「シダーは何も思わなかったのか!?ナタールは最後まで諦めてなかった!ダービーと有で負け続けたままでいる気はないって、脚の病気だって必ず治してみせるからってギリギリまで粘ってて、なのに、なんであいつはこうあきらめてしまえるんだっ……!!」

 

「……」

 

今年の頭に病を患い、そのまま復帰が叶わなかったもう一人の同期を引き合いに出しテイオーをなじるスイサン。テイオーとはクラシック前哨戦からの付き合いだったシダーは、彼女がそう諦めのいいタチではないことは知っていたが、何も口に出さなかった。内心ではスイサンもわかっていることだろうとも思っていたから。

 

「なあシダー、教えてくれ、あいつの心はっ、どうしたら……繋ぎ止められる……?」

 

すがるように口にするスイサンへ、シダーは静かに口を開く。

 

「……戦うだけだよ」

 

「シダー……?」

 

「同期として……勝って、前に進み続けて、最高の手向けを贈るしかないんだよ」

 

その胸に、確かな決意を宿しながら。

 

 

 

 

幾重もの想いと願いが交錯する学園。しかし時は皆が待ち望む学園祭へと近づいてゆく。

 

 

 

──運命の日が、来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月19日、ファン感謝祭。イベントで賑わう学園内の練習コースに、生徒会所属を示す腕章を巻いたライスが訪れていた。

視察としてどこでも動き回れる立場をいいことに、自分が口を出したイベントを一目見ようとやってきたのだ。

 

『さあいよいよ開催の逃げVS.追込鬼ごっこ!実況は私、元気一番!カイコウイチバンがお送りいたしまーす!』

 

開催されていたのは、逃げ・追い込みと正反対な脚質を持つウマ娘らが集まったスペシャルマッチ。

 

「即席エスケーパーズ、いざ本番へ……ゴーなのー!!」

 

「ウェーイ!私たちの爆逃げ、見せちゃおーっ!」

 

「がってん承知の助ーっ!!ゲキマブ逃げ切り、狙っちゃいましょっ!」

 

「ひゃーっ、皆さん自信満々で。こりゃ私も当てられちゃうかも?なーんて」

 

コース中を逃げ回るのは、この企画のプレゼンターでもあるアイネスフウジンが率いる逃走者チーム。他にはメジロパーマー、マルゼンスキー、セイウンスカイで構成される即席ユニットながら、士気の高さを伺わせる。

 

「……あ、庶務さーん!お疲れ様なのー!」

 

すると、眺めているうちに目が合ったのかアイネスが手を振る様子が映る。

手を振り返してみれば、はにかむように笑っていた。

 

(これで恩返しはできたかな?)

 

そんな満足げな表情に、夏合宿中の恩義を思い起こしながらほっと息をついた。

先日、感謝祭でやりたいことがあれば口添えできる、と彼女に声をかけたところ、この企画を返されたので、どこからか聞きつけたシービーを合わせ、メンバー招集を二人に任せつつ自分が主導を行ったのがこのイベントだったのだ。

 

(逃げ切りシスターズ組めないだろ、って思ってたけど杞憂だったみたいだし)

 

そしてその安堵はアイネスが属するアイドル、もといウマドルグループのメンバー状況に不安を抱いていたからでもあった。

盟主ながら今回の舞台となるターフでは不利を強いられるスマートファルコン、未だ故障離脱中のブルボン、海外遠征中で不在のスズカという、3人が出場を困難とする現状となれば招集の是非を懸念するのは無理からぬことだったが、考えてみれば逃げウマ娘がその5人しかいないワケもなく、杞憂に終わった。

 

「アイネスちゃーん!ファル子たちの分も頑張ってー!」

 

「コマンド『激励』を発動……頑張ってください、皆さん」

 

声の方を見やると、客席に陣取る欠場中の逃げ切りシスターズメンバーを発見し、ひいきのウマ娘の登場に心躍らせたところで、彼女らのライバルとなるチームの方を向いた。

 

「ふっ……じゃ、こっちも行こうか。この機会、思う存分楽しもう!」

 

「ほわぁ……!もちろんですわ〜。シービーさま〜。」

 

「ケッ。見世物扱いは気に食わねェが、相手が相手だからな。駄賃分のデータはスらせてもらうぜ……?」

 

「……私に代打なんて、変とは思ったけど」

 

逃走者を追うのは、ミスターシービーが率いる追跡者チーム。他メンバーはマイペースなメジロブライト、打算ありきで招集を受けたらしいエアシャカールに加え、急遽代打として抜擢され困惑気味のアドマイヤベガという、後方からのレース運びに定評のある面々で構成された。

 

ちなみに本来、シービーはアヤベではなくヒシアマゾンを誘おうとしていたらしいが、デビュー戦が重なった故に断られたのだという。余談だが、彼女が朝にゴールドシチープレゼンツの学内ヘアサロンに赴いていったのをライスは目の当たりにしていた。

 

そして双方の顔合わせが済んだところで、いよいよ対決が始まる。逃げウマ娘たちが距離をとるための猶予期間ののち、追込ウマ娘たちも動き出した。

 

「やろうか、マルゼン」

 

「この走り……まずはパーマーお姉さまにご覧に入れますわ〜!」

 

「テメェのタネ、見破らせてもらうぜスカイッ!」

 

「……なら、私は……」

 

『さあ逃げVS.追込鬼ごっこ!追込ウマ娘はそれぞれのターゲットに照準を定めました!』

 

まずはマンツーマンでの追跡劇となった初動。まず動きがあったのは。

 

『まずはスーパーカーに向け三冠ウマ娘が迫る!一進一退の走りの応酬に、客席の熱気はいきなりトップギアです!』

 

至近距離まで詰め寄ったと思えば、マルゼンのギアチェンジが炸裂する。しかし常識を飛び越えるシービーのコース取りは、出来た差をすぐさま埋めてみせる。

 

「やっぱりやるわね、シービーちゃん!」

 

「引き下がれなくてね。柄でもなく勝ちを手向けたい相手がいるんだ」

 

「そっ!じゃあトレンディに捕まえてみなさい!」

 

『両者一歩も引かない!一方パーマー、ブライトのメジロ家対決は互いのペースを崩さんとする戦いに……おっと向こうではリードを喰らうシャカールの姿が!そしてここで魅せるアイネスフウジン……あああ口と目が足りなぁぁいっ!!』

 

4箇所で同時に起こるハイライトに実況が頭を回す様に苦笑しながらライスは全体を見渡す。

 

「ほらほらブライト、私は全然止まる気ないよ……ってヤバ!?」

 

「わたくしもです〜。たった今から……咲き誇りますわ!」

 

互いのリズムを主張するメジロ家同士の大一番。

 

「おわっ!?やっぱ来ちゃう?」

 

「たりめーだスカイ。テメェの菊花賞は何度も見てンだ、実際に試せるチャンスを逃すような意地は張らねェ主義でなぁ!」

 

二冠のトリックスターの逃げっぷりを追える機会を逃すことはしたくなかった、と語り追い続けるデータ狂いの天才。

 

「さぁさぁ本気で来ーい、なの!」

 

「成り行きでも……首を突っ込んだ以上、手を抜く気はないわ」

 

動と静、対極の意志を宿しながら激突するダービーウマ娘たち。

 

なんて味な対戦カードだ、と食い入るように見つめていたライスのポケットから、スマートフォンの振動が響く。

 

「もしもし?」

 

『庶務さん!至急の用なんですけど、どこにいらしてますかっ!?』

 

電話先は会計担当の生徒だった。自分よりまず会長に言え、と告げようとして、彼女は今テイオーのライブに立ち会っている途中だと気づき引っ込めた。同様の理由でグルーヴも無理、ブライアンもどこをほっつき歩いているかわからない、なら自分に声が掛かるのが道理かと思い直したライスは、潮時かと観念して向かう腹を決めた。

 

「……鬼ごっこをやってる練習コースに。手がけたイベントだったので様子を──」

 

『じゃあ今すぐ来てくださいっ!ブライアンさんは掛けても繋がらないのでっ!』

 

「分かりました、分かりましたから。どこに向かえば?」

 

そう慌ただしい言葉を聞きながら、ライスは客席を去る。

 

 

 

──そして数時間後、一転して学園を奔走する羽目になった彼女。

 

ある目的地に向かう途中、テイオーのライブの前を通りがかった数秒の間で見たのは、かつて見たように笑うテイオーの踊る姿だった。




偽ライス君、ちょっと読み違える。

途中のブルボンとテイオー同期組のくだりには、意味はありますがございません。もとは「テイオーのお別れライブをこのメンツが把握してないワケないだろ」って思って捏造しただけなので、今は『原作の裏でも起こっていたワンシーン』と捉えていただければ。

次の次で菊花賞に行きます。まずは次話までしばしお待ちを。

1993 オールカマー
ライスシャワー OUT▼
??? IN△


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PAGE:20 『RE/ARRIVAL 再編へのカウントダウン』

気づけば20話でございます。ここまでついて来てくださった皆様に格別の感謝を。そしてこれからも拙作をよろしくお願いします。


感謝祭も終わり、学園にはゆったりとした雰囲気が流れていた。

それは一大イベントが終わったことで職務の負担も軽くなってきた生徒会も同様であり、ふとあるときグルーヴが重機の排気音のごとき吐息を漏らしていたのは印象深かった。

 

ただし抱えている作業がすべて無くなる訳ではないので、ライスはグルーヴと共にルドルフの確認が必要だった書類を持って生徒会室を訪れていた。

 

「何をしているんだか、全く……」

 

書類を預けに近づくと、窓の外へ顔を向け、なにやら苦笑をこぼしているルドルフ。

わずかに聞こえた呟きから、おそらく復帰明けのテイオーが、とある探偵に扮して密偵を行うあのシーンを迎えていることは察せられた。

そういえばこの後ライスのもとにも訪れるくだりがあったが、カット扱いになるのだろうか──今現在、未だ重賞への出走すら行っていない状態である以上そうなるとは思うが──と身の振り方に一瞬悩んでいると、すぐさま次の台詞が吐かれていた。

 

「どうされました?会長」

 

「いや、ちょっとな」

 

「こちら、ご確認お願いします」

 

「あっ、失礼ながら、こちらも」

 

「わかった」

 

慌ててグルーヴに便乗し、書類を差し出す。あいにく今は仕事中なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月10日、福島レース場11R、福島民報杯。

ゲームでは2023年現在の競馬状況に合わせたシニア級4月の開催となっているこのレースに、なぜ未だクラシック級のライスが出走できているかと言えば、この世界はクラシック級にあたる馬齢でも出走を可能としていた1993年当時を反映していたためである。彼女はそんなことは覚えても知ってもいないのだが。

 

『さぁ前二人の一騎打ちだ!三番手のモンデンフォージュを置き去りにした!しかしわずかに抜け出したかライスシャワー!ケーツースイサンの追走も及ばずゴールです!福島民報杯を制しました!』

 

結果といえば、最終直線まで風避けにしていた先頭をかわしてギアを上げていった後は、飛び出してきた2、3番手の追走をなんとか振りきる形に()()()()勝利。ただし、ある程度距離を離してやったせいかモンデンが割とすんなり引いてくれた一方で、スイサンの諦めが思いのほか悪かったのは予想外だった。

 

(もう少し流すつもりだったが……まぁシニア級が相手だったし)

 

もう少しラクに()()する気だったのだが、と意味のない自己反省会を行いつつ客席に手を振っておく。呼吸を意図的に早めて消耗の具合を偽りながら。

 

(とりあえず、これで菊花賞は出れるだろ)

 

オープン戦を勝った以上、出走は確定的になったと見ていいだろう。以前2勝クラスを勝ったことははっきりいって無駄になったが、もともと保険で勝っておいたようなものだったので気にすることではなかった。

 

「よし、じゃあ……ゼェ……ライブの……用意に……やべ、マジで疲れてきた気がするな……」

 

プラシーボ効果の類だろうか、演技だったはずの息切れが本気になりだしていることに、内心で辟易としながらウイニングライブ控え室に向かった。

 

「はぁ……はぁ……続いてみせるって……言ってきたばっかなのに……。弱いな、あたしは……」

 

その敗者の呟きを意に介すことなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、久々のスピカとの合同練習が行われていた。

 

「つーわけで、今日のトレーニングはリギルの皆様方と合同って形になった!おハナさん、よろしく、なっ?」

 

「……ええ。互いに意義のある時間となるようにしましょう」

 

トレーナー同士の挨拶もそこそこに、メンバーのもとに引き返してきた東条は、ライスのすぐそばまで歩み寄ると、ひとつ耳打ちをしてきた。

 

「……伝えていた通り、今日はあなたのために取り付けた合同練習よ。菊花賞のために、マックイーンから技術を盗んできなさい」

 

「──勿論」

 

以前、合同練習が決まった日にも伝えられていたその言葉に小さく頷く。

今回、協力を取り付けるにあたって、個別に指名して1対1という形では目立ちすぎる、と懸念した東条は、チーム全体を巻き込んでのトレーニングという体にすることで、隠れ蓑の確保とチーム全体のレベルアップを織り交ぜたこの方式を採用したのだ。

 

マックイーンとは、プライベートな場での走り込みについていくしか併走する術がなかった本家とは違い、こうして真正面からぶつかりにいけるというのは願ってもないチャンス。

 

やる気を迸らせているチームメイトをよそにスピカサイドの方を見やると、そのトレーナーが開始の音頭を取ろうとしていた。

 

「よぉーし!じゃあ早速ウォーミングアップのあとの模擬レースの組み合わせでも決め──」

 

しかし、スピカTの言葉はそこで止められた。それはこのコースに向かって走る第三者の叫びがあったからだった。

 

「庶務さーん!!」

 

突然の登場でメンバー全員の視線を釘付けにしたそのウマ娘は、高く上げたその手に、ライスにとって見覚えのある端末を携えていた。

 

「え、俺……私のスマホ!?なんで!?」

 

その正体を捉えるやいなや、驚きから我を忘れかけながら立ち上がったライス。まさか直前に訪れていた生徒会室に置いたまま忘れていたか、と考え彼女に向かって駆け寄る。

目の前まで近づいたところで、スマホが小刻みに振動していることに気がついた。

 

「えっと、書類を生徒会室に運びに行ったら、これが残ってて、ライスさんのだ!って思って、その、ここまで運んでたら、なんか着信がっ」

 

「オッケーわかった、わかったから……!」

 

振動が止まないスマホを片手に、大慌てで言い募る相手をなだめながら東条に視線を送ると、ため息を吐きながらも口を開いてくれた。

 

「……なるべくすぐ帰ってきなさい、順番はこちらで決めておくから」

 

「あ、ありがとうございます!……えっと、届けてくれてありがとう!それじゃ!」

 

東条の寛大な処置を受けて平謝りをしたのち、届けてくれた後輩にも頭を下げ、ライスはこの場を一時立ち去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もしもし?電話取るの遅れてごめんね、お母さま」

 

電話の相手へ、半ば不可抗力ながら対応に時間をかけすぎてしまったことを詫びる。コールしてきたのは、今は仕事で海外にいる母であった。

 

「ええ、おはよう……いや、こんにちはかしら?ライスちゃん。今忙しいところかしら?」

 

電話越しの母は、時差のせいか挨拶の言葉に迷いながら時間の余裕を訊いてくる。あまりゆったりとは話していられないライスは、包み隠さず答えることにした。

 

「う、うん。入ってるチームの練習中で、ちょっと抜けさせてもらったの」

 

あら、と電話の向こうで驚く母。さすがにスケジュールを細かく教えているわけではないので仕方がなかった。

 

「ごめんね、う〜ん……でも、この後は……うん、なるべく手短に済ませるから、ちょっとだけお願いね?」

 

しかし、向こうも多忙の合間を縫っての電話だったらしい。ここは聞くだけ聞こう、と構えたライスが頷いたところで、母は再び口を開いた。

 

「久しぶりの二連勝、おめでとう」

 

「……うん、ありがとう。よく知ってたね」

 

最初に口にされたのは、好調なレース結果についてだった。最近は2着続きでヒヤヒヤしちゃったけど、とついでに添えられたその労いに礼を述べながらも、重賞出走すらしていない自分の戦績をよく把握していたな、と思いそう訊いてみると、母は自分の娘だもの、と笑っていた。

 

「だからね、ライスちゃんがGIに出るならもうそろそろなんじゃないかって思って連絡してみたの!いつでも応援してるからって、仕事が空いたら駆けつけるからって、そう伝えに!」

 

そういかにも待ち遠しい、と言わんばかりに語る母。この人になら、と考えたライスは、一つ告げごとをしようと決めた。

 

「ありがとう。……実はね、もうすぐなの。初GI」

 

まあ、と洩らす母をよそに、ライスは続けてこう口にした。自分にはステイヤーとしての才能があったため、大きな長距離走のレースがあるこの秋までは重賞出走を控えていたこと。そしてそれにあたってずっと出走を狙っていたのが菊花賞なるレースであること。──そして今回の勝利で、そのレースへの出走が確固たるものになったこと。

 

「そうだったの……!じゃあすぐにお休みもらえるようにしなきゃね!それでいつなの?菊花賞!」

 

「え、ええと」

 

興奮気味に訊いてくる母に、意味もなくスマホを顔から遠ざけて記憶の全てを辿ったライスは、腕を呼び戻して回答を口にした。

 

「……来月の7日。絶対勝ってくるから、見てて」

 

先ほどまでの困惑など忘れたような、精悍な声でそう告げる。

 

「……7日ね。確かに覚えたわ」

 

その復唱ののち、まもなく通話は終了の運びとなった──電話をかけたことはお父さんには内緒よ、と添えられたのは完全な余談だ──。

 

「……うし」

 

勝たなければならない理由がまたひとつ増えた、と荷を背負い直したライスは、急ぎコースへと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、帰ってきました」

 

「ええ、お帰りなさい。あなたが走るのはマックイーンとよ。ウォーミングアップはしておきなさい」

 

了解です、と返しそのやりとりを終えると、他のメンバーたちの併走を肴に準備運動を行っていく。見れば、今やり合っているのはグルーヴとスカーレットのふたりだった。

 

そして間もなく準備運動を完了させたライスは、出番まで暇を持て余すことになったため、夏以来ご無沙汰だった、あるウマ娘に話しかけることにした。

 

「あの」

 

スピカTのそばで、クリップボードを片手に併走を見つめていた彼女へ、そう声をかけながら隣に並ぶ。

 

「あ、ライスじゃん!久しぶりっ!」

 

「ええ、ご無沙汰してます、テイオーさん」

 

相変わらず快活な声で応える彼女に内心安堵しつつ、積もる話があったライスはそのまま、視線を併走中の二人に置きながら切り出すことにした。

 

「今日はイメージトレーニングですか?」

 

「え?うーん……ま、そんなとこ!トレーナーがみんなの走りを見て、アドバイスしてやれって」

 

まだブランクを抜け出すには時間がかかるのだろう、今日は走りに来ているワケではないらしい彼女に、ライスは興味本位であの日のことを訊いてみることにした。

 

「感謝祭のライブ、大変でしたね。何やらジャックがあったと聞きましたよ?」

 

いけしゃあしゃあとそう言い放ったライスに、テイオーは苦笑気味な笑い声を上げながら答えてくれた。

 

「まぁね。いきなりでちょっとビックリしたけど、あのおかげで色々吹っ切れたから」

 

そう言う彼女の横顔をちらっと覗けば、迷いなく目の前を見つめる頼もしい顔がそこにあった。

 

「そうですか。私もちょっとの間居合わせただけだったのでよく知らないのですが、その様子なら心配はなさそうですね」

 

ちょっとと言っても数秒だけだったが、と口には出さず、納得した風の返事をしたライス。

 

「うん。これからは、テイオー伝説の第二章。ライスも見てて、この先のボクを」

 

そう力強い言葉を紡ぐテイオー。まずは満足、と安堵するのも束の間、ライスには訊いておかなければならないことがあった。

 

「1ヵ月後……有馬記念が迫ってますけど、テイオーさんはどうするんですか?」

 

「チームのみんなと見に行くよ。きっとマックイーンも出るだろうし、最高の応援ができるようにしなきゃ」

 

すると意外にも、返ってきた言葉は回避を示唆するものだった。

あれ、と肩透かしを喰らうライスだったが、よく考えてみれば有馬記念へ出走する最後の一押しはマックイーンの故障だったわけだし、時系列的には「ターフの上を駆けること」以上を望んでいない期間である現在では仕方ない反応といえた。

 

「……そうですか。まあ、もしこれからご一緒できることがあれば、そのときはよろしくお願いしますね」

 

ひとり納得すると、待っているぞ、と暗に言い残してライスはそこを立ち去った。

 

「すみません、マックイーンさん」

 

「構いませんわ。あなたですわね、今日お付き合いしてくださるのは」

 

今日の目的であるウマ娘に、遅参を詫びつつ顔を合わせた。思えば直接会うのは初めてであったので、相応の挨拶を組み立てながら。

 

「はじめまして、ライスシャワーです。最強ステイヤーと名高いあなたに師事できることを嬉しく思います」

 

それに対し、どうぞよろしく、とマックイーンの短い返答で顔合わせを終えたふたりの会話は、早速次の段階へ進む。

 

「聞けば、ライスさんは菊花賞を次に見据えているとか。……全力をぶつけて来なさい、相手になりますわ」

 

「え、ええ。お手柔らかに願います」

 

圧されつつもその口ぶりに頼もしさを覚えたライスのもとに、ひとりの乱入者が現れる。

 

「ぴすぴーす!面白そーな話してんじゃねーか、オイ!」

 

「んなっ、ゴールドシップさん!?」

 

にゅっと地面から生えるように現れたゴールドシップ。驚きの声を上げるマックイーンとともに面食らったライスだったが、思い返せば彼女も菊花賞ウマ娘であった、と頭のどこかで納得していると、彼女は意に介さず続けてきた。

 

「ったく、長距離の話すんのにアタシを呼ばねぇ、なんてこたぁねーだろ!ステイヤーと言えばゴールドシップ、10人のアタシに訊きゃあ7人がそう言うぜ〜?」

 

「何を根拠に……って答えさせてるのあなた自身じゃありませんの!というか3人は違う方を挙げていらしてますし!」

 

「え?あ、知らねー。ゴルシって略して答えたんだよ多分」

 

「自賛にしても雑すぎますわ!まったくもう……!」

 

目の前で繰り広げられる血統繋がり漫才に、ある種の懐かしさを覚えているライスがしばらく傍観していると、困り果てた様子のマックイーンがフォローにやってきた。

 

「すみません。このような方ですが、実力は確かなもので、きっとライスさんにとってもよい経験をくれる相手となってくださるはずですわ。ですから……」

 

「はい、もちろん大歓迎です。どうぞよろしくお願いします!」

 

間髪入れずにそう言い放ったライスに対し、安堵するマックイーンが目に映るが、ゴールドシップはまだ止まる気はないらしく意気揚々と言葉を紡いできた。

 

「いい心がけだ!なんせアタシは故郷じゃこう呼ばれてたんだ、ステイヤーのゴールドシップを略してステイゴー……あっやべ、これ言っちゃいけねーヤツだった」

 

すると、阻むもののなかった彼女の勢いが急に止まる。しでかしたらしい失言を誤魔化す方法でも考えているのか、明後日の方向を向いて押し黙っていた彼女だったが、そこにふたりが踏み込む前に先手を打ってきた。

 

「あ、次オメーらだぜ?ほら準備しろ準備!世界は待っちゃくれねーぞ!」

 

「え、ちょ」

 

「き、急にどうしましたの!?」

 

そう自分とマックイーンの背中を押しながらうやむやにしようとする彼女に、二人して強烈な違和感を覚えつつも、そのバリキに抗うことはできず、ズルズルと外ラチまで連れて行かれてしまった。

押すだけ押しておいて、じゃーな!と逃げ去っていった元凶に文句を言う暇もなく取り残されたふたりの間に、微妙な雰囲気が漂う。

 

「え、えっと……」

 

「ま、まずは一度走ることに集中しましょう!あの方の言うことを真に受けてばかりはいられませんわ」

 

「そ、そうですね」

 

拗れに拗れた空気を切り替えようと声を出したマックイーンに引っ張られる形で、出番の迫った併走に意識を向ける。

 

 

 

やがて始まった併走の出来については、及第点でしたわ、と評される程度には上出来であったと記しておく。

 

余談だが、ゴールドシップの言いかけたあの件についての追求は、本人が記憶から消してしまったらしく叶わなかった。早々に諦めて、代わりに菊花賞のアドバイスを求めたときに彼女が口にしたのは、「京都の外回りコースは3コーナー手前から仕掛けるのはやめろよ」の一点だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここでいいかな」

 

「ええ」

 

合同練習の終わった夕暮れ時、三人のウマ娘がコースに残っていた。ターフの上に立つライスシャワー、シンボリルドルフ、そのふたりを内ラチ越しに見守るヒシアマゾンらである。

 

「準備ができたんなら、さっさと始めるよ!」

 

大声を張り上げたアマゾンは、手にしていた旗をひらひらと振った。特に変わったことをしているワケではない。いつも付き合っている3km併走だ。

東京レース場を模しているこのコースでは、芝3000mの走行はちょうど1.5周分に相当する。

 

「構わない!そちらのタイミングで始めてくれ!」

 

そのルドルフの返答で、ならばと旗を頭上に掲げたアマゾンを目視し、ふたりはスタートの体勢をとる。

 

「よーい……どんっ!」

 

合図とともに振り下ろされた旗を目視した瞬間、ふたりが駆け出す。

ルドルフより外側でのスタートであったため、内に寄る分のロスを強いられたライスが後ろを付いていく形となったが、今回の併走の主旨を考えれば不利どうこうの問題にはならない。

 

そして直線の中間から始まったその併走は、すぐさまスタンド前に向かうコーナーへと差し掛かる。

 

わずかでも気を緩めれば、ルドルフが擁する現役屈指のコーナリング技術で蹂躙されるのが落ちだ。一切の油断は許されない。

 

「……く」

 

そして、ルドルフがコーナリングの最中に加速を行ったことを察したライスに、緊張が上乗せされる。追うしかない以上、こちらも加速を試みることで相対速度の発生を潰し、マークを続行する。

 

そしてスタンド前の直線。コースの内側を横断してきていたアマゾンを内ラチ越しに捉え、まずは半周を終えたことを認識した。

 

この併走の出来を決めるのは、結局のところどれだけの間肉体に言うことを聞かせられるかという一点のみだ。限界がくるまで、いや、限界がきてからどれだけ動力を捻り出せるか。長距離を走る以上、どうしてもその一点に帰結する。

 

ライスがその限界を超えた先を気にするのは、なにもレコード破りの先に行くために必要だからという理由だけではない。

 

──この肉体が、いやライスシャワーというウマ娘が、果たしてシンボリルドルフに手を掛けられる存在なのかという知的好奇心に、傲慢ながら突き動かされているからだ。

 

ニィ、と口角を上げながら次のコーナーに移った彼女は、その後もルドルフの仕掛けるペースチェンジに動じず追走を続けていった。

 

向正面の直線を切り抜け、気づけば視界の右側を流れる外ラチの向こうが、スタンドに変わっていた。いよいよゴールである地点は近い。コーナーを抜けたライスに、慣れた苦痛が襲う。

 

「……ふっ!」

 

ふとこちらを一瞥すると、片脚に込める力を一息に倍にしたルドルフに続き、こちらもスパートを試みる。得意のロングスパートの形とは異なるそれは、拒み続けた相対速度の発生をしばし許すこととなった。

 

「……く」

 

徐々に遠ざかる背に、置いていかれまいとするライス。しかし、ゴール前の坂を踏み締める脚は負担を叫び、肺が酸素をしきりに要求する。

普段のルドルフとの併走の中でも、今回はトップクラスに平均ペースが早いことを感じていた彼女には、それが普段の何倍もの大きさをもってのしかかっていた。

 

この坂を登りきった瞬間、この併走は終わる。その最終関門が目の前に横たわっていたライスに、ある記憶がよぎる。

 

『おっと!ここでミホノブルボンが仕掛けたっ!三冠ウマ娘に向かってミホノブルボンが一気に先頭へと躍り出たー!』

 

飽きるほど見て来たその記憶が映すのは、淀の坂を越えた精鋭たちの最終直線。

 

──追いつきたい!もっと……もっと近くに!

 

三冠を懸けた愛バに猛然と迫る刺客──今は自分が体を借りている存在──が口にした想いとともに、ある炎が自身の心中に灯る。

 

「──見える」

 

かすかにそう洩らした彼女をよそに、早回しで回想されていく記憶は次のハイライトを映す。

 

『逃げるミホノブルボンっ!2バ身以上のリードっ!しかし外からライスシャワーだっ!ライスシャワーが猛然と上がっていくっ!』

 

聞こえる、と呟いたのは、どちらのライスだったろうか。しかし刻が進む度に、双方の闘争心は一切の誤差なくグツグツと煮えたぎらせていく。

 

「……こんな」

 

目につく偉業を幾度も阻み続けた彼女の走りは──。

 

『追い上げるライスシャワー!』

 

5戦の激闘の末、生涯随一のライバルを下した彼女の走りは──。

 

「こんな、こんな……」

 

何者にも屈さなかった彼女の走りは──。

 

『2バ身!3バ身!そして並んだ!』

 

愛バを、後には名優をも下した彼女の走りは──。

 

 

 

「こんなもんじゃねえだろおおおぉぉぉぉっっ!!」
 

 

 

 

あらん限りの闘志をもってそう吠えたライスは、坂を意に介さぬように動力のすべてをバリキに変換した。

 

わずかにこちらを覗いたルドルフの視線に気づくことすらなく、目の前のターゲットを追う彼女は、徐々に広がっていた差を埋めつつあった。

 

並ならぬ気迫を感じ取ったルドルフもわずかに余力を引き出し、そして──。

 

「ゴールッ!そこまでだよ二人とも!」

 

先にルドルフが、ほんのわずかに遅れてライスが目の前を横切ったその瞬間に声を上げたアマゾンによって、二人は走者の領域から解放される。

 

スムーズにブレーキをかけ、スピードを歩行速度にまで落とすルドルフと対照的に、勢いを殺すまでにルドルフの倍をかけたライスは前転をしたかのように転がり、仰向けになった。

 

「大丈夫かい!?ラ──」

 

駆け寄ろうとしたアマゾンを、ルドルフは手で制す。その際アマゾンが片手に保持していたストップウォッチの数字を一瞥した彼女は、悠然とライスに歩み寄った。

 

「立てるか?」

 

そう手を差し伸べるルドルフに対し、息も絶え絶えなライスはゆっくりと黙って首を振った。本当なら呼吸の安定や筋肉痛の予防の観点からしても、激しい運動後である今は軽い歩行やストレッチをさせたかったが、精根尽き果てた様子の彼女を引き起こして転倒なりされては目も当てられない。

 

どこか痛めたか、と続けて放った問いにも同じ反応を貰い苦笑しながらも、大事ないことを確かめるルドルフ。

 

「……最近、君には驚かされてばかりだな」

 

思ったままをふと呟くと、よく解っていない顔のライスに再び微笑を溢していたルドルフの背から、ゆっくりとアマゾンも様子を見に近づいてきていた。

 

「ったく、大丈夫なのかい?」

 

「ああ、すまないな、どうやら立てない程度に疲れ切っていたらしい」

 

「えぇ?本当にそれだけで済んでるのかい?大体、このペースで飛ばしてたんじゃ──」

 

ルドルフの検分を不安がったらしいアマゾンは、ストップウォッチを片手に言い募ろうとするが、顔を寄せたルドルフに阻まれる。

 

「このことは少しの間だけ、黙っていてくれないかな」

 

「……なんでだい?」

 

ひそひそ話の声量で頼むルドルフへ、つられるようにアマゾンも声量を落としながら問う。

 

「死ぬ気でやれば既に辿り着けるところだと知れば、彼女はこれから毎回こうなるぞ」

 

「誰のせいだと思ってるんだい……」

 

記録の裁量権は半ばルドルフにあるといってもよい。故に彼女の言っていることは尻拭いをしてくれと頼んでいるのに等しいのだが、それについては「楽しくなってしまった」と短く詫びるのみだった。

 

「とにかく頼むぞ……ライス、そろそろ起きられるか?」

 

「おい、アンタ……!」

 

とうとう押し切ってライスへ向かったルドルフに、小言を告げる間もなく取り残される。

 

「まったく、アイツは……」

 

思わず頭を掻き回し、もう一度ストップウォッチを見やるアマゾン。

 

 

 

 

──そこには、『3:04.8』の記録があった。




菊花賞突入まで秒読み。
ガヤガヤほのぼのできるのも今話限りになるかもしれないのではっちゃけた所存。


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PAGE:21 『RE/ACT 矛盾が怖くてどうする』

唐突なインタビュー回。


「哲学は浸透しきっている」強豪新世代の一番手に迫る

 

今回、近日開催されるGIレース・菊花賞への出走を表明するウマ娘のひとり、ライスシャワーに話を聞くことができた。

シンボリルドルフ、エルコンドルパサーなど、現在ドリームトロフィーリーグを戦う精鋭を育成した強豪チーム・リギルに所属する彼女は、このレースで初のGI出走を迎えることになる。

今夏よりデビューの同僚・ナリタブライアン、ヒシアマゾンらの台頭も注目される中、リギルの新時代を占うことになる彼女への取材について、ここでは記していく。

 

──取材の承諾、感謝します。まずは、初のGI出走の確約についてお祝い申し上げます。

 

ありがとうございます。年内のGI出走という目標を達成できて、個人的にとてもほっとしています。チームの皆さんのサポートのおかげです。

 

──それでは早速。同レースの中で最も注目を集めるBNWの三人とはこれが初対戦と伺っております。対策の見通しはついておりますか?

 

そうですね、ハヤヒデさん、タイシンさん、チケットさんのいずれも、強豪と呼ばれるに足るウマ娘ですし、対策は非常に困難な要求だというのが正直なところですね。それこそ私では不透明な距離適性の面で賭けに出る、ということを前提とした走りを強いられてもおかしくないと思っています。

 

──なるほど。特に今夏では、三冠バ・ブルボンの恩師で知られます黒沼Tに倣った坂路トレーニングで実力を伸ばしたビワハヤヒデに注目が向いておりますし、やはり勝ち方に拘れる相手ではないということでしょうか?

 

ほう、その話もっと詳しく……いえ、そうですね。一緒に走るのは初めてですから、勝ち方なんてむしろ模索中という所で。結局のところ、周りと比べてローテーション面での出遅れがあるところは否めないかなと。

 

──そうですか。確かにデビュー以降、朝日杯や三冠競走などのGIはおろか、そこに繋がるトライアル競走、重賞すらも避けるような出走履歴でしたね。そこについては、狙いがあって選択したものではなかったのですか?

 

……いえ。上半期は能力をピークに持っていく過程で慎重にならざるを得ない事情がありまして、有力な方との出走は避けながらのローテーションを組んでもらっていたんです。先ほど話した目標については、ずっとそこが根底にあったゆえでしたね。

 

──今年は勝負をかけに行く年ではなかった、と?

 

三冠競走を軽視しているワケではありませんが、まずGI勝利の価値というものは、どのレースでも等しく尊いもの、と私は考えていますし、シニア級からのレースで大きい舞台での勝ちを積もう、という前提でデビューに踏み切った面はありましたから、その質問には……はいと答えるのが適当かもしれませんね。それを考慮すれば、有力な同期の方の力量を一挙に、そして明確に比較できるという意味で、今回の出走は僥倖と言えたんです。

 

──そうでしたか……。しかしそちらが所属されているチームは学園随一と名高い強豪です。ファンの方々からはGIでの勝利、というものを常に求められているのではないかとも思います。プレッシャーというか、焦りは感じるのではないですか?

 

その通りですね。特にオペラオーさんを最後に、しばらくトゥインクルシリーズでのデビューがチームからなかった以上、真っ先に勝利を求められる役回りであることは自覚しておりますし、このチームを愛してくださる方々には、お待たせしてしまっているなと常々感じています。正直なところ、ブライアンさんの方が早く、というケースも十分に考えられますからね。

 

──将来的には、と長く構える考えはないという捉え方で……どうでしょう、よろしいのでしょうか?

 

はい。無論今回のレースには必勝を期しておりますから、時間をかけるつもりは決してありません。……まあその上で、気長に眺めてもらえればなと。

 

──期待しております。それでは最後に、出走に向けての意気込みや、ファンの方々へのメッセージがあれば、ぜひお聞かせください。

 

はい。まだ途上ではありますが、チームの哲学は十分に浸透していると感じています。楽観できるレース展望ではないことは理解しておりますが、勝つつもりもなくレースに出るつもりは毛頭ありませんので、チームとして久々のGI勝利に向け、はっきりとしたビジョンを持った走りをお見せしたいと思います。皆さんの応援をぜひ頂ければ幸いです。

 

──ありがとうございました。

 

着実に実績を積み上げ、強豪所属のプレッシャーには決して流されぬ泰然自若ぶりには、強豪を強豪たらしめる勝者のメンタリティーを感じさせる。晩成型の苦労人は、見事菊の舞台で遅咲きの"スター"となりえるだろうか。

 

(取材・執筆 羽黒蓮)

 


 

 

 

 

 

 

「持ち上げられすぎだろ、自分」

 

チームリギルの部室。寝転びながら雑誌を読み漁る、ライスの呟きが響く。

招集をかけられて、いの一番に到着したものの、手隙だったゆえになんとなく手に取っていたそれに綴られていたのは、少し前に受けたインタビューの全容だ。

出走を目前にして、さすがに情報の締め出しに限界があるとされ挙がってきたそのオファーについては、東条から「大口を叩かなければどうにでも言ってよい」と釘を刺された上で受けたのだが、ライバルの警戒を避けようと、体裁を保ちながらもギリギリまでネガティブな発言を行っていたつもりだった。

 

「勝つ手立てもない、勝負かけるところでもないって言ってんだから、もっと見放してくれよって」

 

それに何だ、勝者のメンタリティーとは。印象操作かマスコミめ、とささやかな八つ当たりを行ったところで、外から足音を聞き届けた彼女は居住まいを正し、訪問者を待った。

 

「……あら?随分早いわね」

 

「ああ、トレーナーさん。お疲れ様です」

 

扉から現れたのは東条。トレーナーゆえに集合時刻より大幅に早い到着だったのにも関わらず先に到着されていたことに驚いていた彼女は、間もなくライスが手にしていた雑誌を認めると手近な話題を繰り出す。

 

「……いよいよね」

 

「ええ」

 

今日──11月7日は、いよいよ自分がGIへ足を踏み入れる日となる。本来より一年と半年分遅れてしまったが、ようやく大舞台に躍り出ることができる。

 

「メンバー……ルドルフたちも皆来ると言っていたわ。ああ、ブライアンもね」

 

「ほ、ほう……」

 

リギル総出での観戦の宣告に、思わずおののくライス。それにブライアンは、前日にGIIのレースを走ってきたばかりだったはずだ。

 

「無理はするなと言ったのだけれど。おおかた、姉のレースを見たがったんでしょうね」

 

ついでに添えられた注釈に適当な相槌を打ちつつ、ライスは重圧の増大を自覚した。

原作にて京都へ観戦に赴いていたブルボン、スピカ(−マックイーン)、東条に加え、リギルのフルメンバーにまで見られながら戦わなければならないのか、と。

 

(うぅわ恐れ多ぇ……)

 

偉大なる推しとチームメイトの前で無様な走りなどしてやれそうにないな、と内心で苦笑いを浮かべながら他の言葉を待っていると、再び雑誌に目をやった東条が口を開く。

 

「そういえば、インタビューの内容、見せてもらったわ。今日は期待しているわよ、遅咲きの苦労人さん?」

 

「やめてくださいよ……というかあれ、とんだゴシップ記事ですよ。言外に勝つ気はないって言ったつもりだったんですよ?いや本当にそう思って言ったワケじゃないですけど」

 

「そう。いいように書かれるのも大変ね」

 

まさかこの人にここまでイジられる日が来るとはな、と顔を赤くしながら言い返すライス。

 

 

 

出走まで、9時間──。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『最初に登場しますのは1枠1番、サートゥンガニェ。13番人気です』

 

「……勝ってみせます、必ずっ!」

 

京都レース場パドック。出走者が自慢の一張羅を引っ提げて登場するこの場に、最初のウマ娘が現れる。

 

『続いては同じく1枠にて2番に入りますライスシャワー。12番人気です』

 

やがて名前のコールに伴い、右目の帽子に触れると歩みを始めるライス。

 

今の彼女は、本来のライスシャワーと一切変わらぬ勝負服を身に纏っていた。紺色を基調とし、袖のワインレッドを差し色としたそのドレスに加え、腰元に存在を主張する短剣もそのままだ。

 

そして、口上ののち帰ってきた1番と入れ替わる形でパドックに出ようとする。そのとき、ライスは不思議な体験に遭遇する。

 

「……?」

 

すれ違ったその刹那。名も知らぬ1番の背に、何やら懐かしいものを感じた。

前触れもなく、とめどなく胸の中から溢れ出るその感覚は、不思議と心地よい。

 

(何だ、これ……運命的な何かってやつなのか?)

 

自分では感じたことのない現象にそうアタリをつけるものの、そう長くもたついていられないライスはすぐさま観客のもとに向かう。

 

『重賞への出走は初となるウマ娘です。出走履歴を見ると地力は伺える一方、前走の終わりは苦しそうにしていましたから、芝3000mはどうでしょうかといったところです』

 

解説の批評を聞き届けながらパドックステージに出た彼女を、やや曇りの空色と若干数の歓声が出迎える。

 

「頑張ってー!」

 

「よっ、秘密兵器ー!」

 

「リギルの新しい景色を見せてくれーっ!」

 

チームのファンだろうか、ちょくちょく聞こえてくる応援の声を浴びた彼女は、瞑想するように瞼を開閉すると、胸の前で握り拳を作り一礼を行った。

 

まばらに上がった歓声を聞き届けて間もなく、次の3番と入れ替わろうと背を向ける。

 

「負けられない。いや、勝つんだ」

 

身にひとりでに滾り出す激情を隠しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「調子はどうかな」

 

スタンドにて、ゲートを前にするウマ娘たちを見やるリギルメンバーたち。その中のルドルフが声を発した。

 

「あの子は出し抜いてやる気満々だって言ってたけどね」

 

数刻前に車内で()()()から聞いた言葉を反復するマルゼンに、なら絶好調だろうと笑ったルドルフ。そこに東条が話題へ加わる。

 

「人気では下位、三強の一角は絶不調……番狂わせを起こすには十分な膳立てがあるわ」

 

師の言葉に頷く二人。当初の思惑通り、警戒を避けうる人気順に甘んじることができたことに加え、こちらの陣営には不謹慎ながらも都合のよい報せが1ヶ月前に舞い込んできていた。

 

──BNWのひとり、ナリタタイシンの不調だ。

 

身体面での課題に悩まされることが常だった彼女は、秋の初戦に位置付けていた菊花賞トライアル・京都新聞杯への出走を重度の体調不良により回避。病み上がりのぶっつけ本番でこの舞台へ挑まざるを得ない状態となっていた。実績から3番人気にこそつけているが、当面脅威にはなり得ないというのが東条のみならず出走者全員の見解である。

 

「ふっ、甘いな。三強の一角には姉貴がいるぞ」

 

すると突如会話に加わったのは、BNWの一角・ビワハヤヒデを姉に持つブライアンだった。

 

「君の姉びいきには、ほとほと困ったものだね」

 

チームメイトが出走するレースなのだから、と言外に咎めるルドルフだったが、三人の苦笑をよそにブライアンは続ける。

 

「だが、姉貴の実力が別格なのは事実だ。夏の修練を段違いの強度で行っていたことは会長殿も知っているだろう」

 

そこについては、ルドルフも認めるところだ、と考えていた。ハヤヒデがこの夏に飛躍的に実力を伸ばしていたのは、前走の勝利からして明らかでもあったからだ。ライスが出走していなければ、自分も迷いなく優勝候補として推していたことは間違いない。

 

だが進化を遂げているのは、もちろん彼女だけではない。

 

「しかし、だ。……ここだけの話だが、ライスにはもうすでにここのレコードを塗り替えるだけの力があるぞ」

 

その言葉に、アマゾン除く他メンバーから驚きの声が上がる。そこでルドルフは、以前行った3km併走の件を懇切丁寧に伝えた。

 

「……なぜ黙っていた」

 

聞き終わるなり、ブライアンが真っ先に苦言を呈する。渇きを満たす死闘を欲する彼女には、対象となりえる存在が目と鼻の先にいたことを隠される嫌がらせに等しい。

 

「すまない。ライスに伝わるのは避けたくてね。彼女は確固たる成功に挑むと、むしろ萎縮してしまう性分なんだ」

 

勝って当然、というプレッシャーに対して著しく脆いことをデビュー後2連勝後の惜敗続きから感じ取っていたルドルフは、あのレコード越えの時計を出してしまった併走の件を東条を除き秘匿しており、ライス自身にもはぐらかしていた。

 

「敵を騙すにはまず味方から、なんてアタシにも無茶いうもんさ、こっちも参っちまうよ」

 

当時計測係をやっていたゆえに、隠蔽工作に巻き込まれていたアマゾンが、堰を切ったように愚痴をこぼした。

 

「なら、先輩はすでにGIを勝てる脚をしている、ということですね?」

 

確信を得ようと穏やかに問うグラスに、ルドルフは頷く。

 

「尤も……レコード破りがもう一人現れなければ、の話だけれどもね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に……ここまで来たんだな」

 

バ場に入る前に、両親やチームのメンバーたちとも顔合わせを済ませたライス。発走時刻が近づき、いよいよゲートを前にしたその脳裏には、様々な感情が渦巻く。

 

「皐月賞はタイシンに取られちゃったけど……ここで二冠目、取っちゃうぞおぉぉっー!」

 

「うるさ……。ただでさえそれどころじゃないってのに……」

 

周りを見るとまず目に入ったのは、チケット、タイシンの二人だ。皐月賞、ダービーの二冠を分け合った者同士でありながら、テンションの真逆な振る舞いは自分の知っている彼女らと変わりない。

 

ターフには他にも、以前敗北を喫したエンプレスパトラ、ノーブルカッセルらを含む17人のウマ娘たちがいた。

 

「フフ……今までの私は『存在感マシマシ脇役キャラ』。私の"最強"ウマ娘へ向けたこの布石、どれほどが気づいているかしら……!?」

 

他にも目に留まるウマ娘はひとりいたが、それはライスの知っているウマ娘ではなかった。

暖色系の配色である勝負服に身を包むその眼鏡っ娘は、確か名をロイスアンドロイスといったような──?

 

──いや。少なくとも今回のレースの勝敗に絡む人物ではない以上、ライスは彼女へそれ以上思考のリソースを割くことはなかった。

 

(それよりも、タイシンの不調は変わってなかった。じゃあ今日の敵はハヤヒデしかいない──!)

 

自分以外の出走者、特にBNWの状況が原典とさほど変わりないことを改めて認識したライスは、注視対象を一人に絞る。

 

「……」

 

一切の動揺も見えず、威風堂々としている風のハヤヒデへどこか圧されながらも、畏怖を振り払って策の最終調整に移った。

 

(前年のアロウズのような大逃げはなかったはず。ならハヤヒデに付いて、直線のスパートで競り合うまでだ)

 

マークを前提とした先行策にプランを決定し、勝利を奪う算段を整えた彼女は、ふと息を吐き出し余熱をすべて解放した。

 

「考えてみれば……皮肉なもんだな」

 

ふと、自嘲するように彼女は呟いた。

冷静になった頭が、直前まで頭脳を回転させていたその行為を滑稽だとなじる。

 

──ブルボンの勝ちを奪うことを拒みながら、ハヤヒデの勝ちを奪おうとしている自らの行為を。

 

(GIの価値はすべて等しく尊い、だったか?どの面下げて言ってんだ)

 

勝者の違いのみで挑む世代を変えておきながら、と少し前の自分が発した言葉を思い返し、そう罵った彼女だが、女々しいエゴで投げ出してしまうには、この計画はもう後戻りが許されないところまで進んでしまっていた。

 

「出走者の方々ー!間もなく発走時刻ですのでゲートインをお願いします!」

 

関係者に促され、いよいよゲートへ歩みを進めるライス。指示通り1枠2番に収まった彼女は、ふと左手へかすかに見えた芦毛を睨んだ。

 

「ハヤヒデ」

 

本人には聞こえぬ声量で、その名を呼ぶ。

 

「……許せ」

 

ゲートが開く。

 

『さあ菊花賞、今開幕です!』

 

──決死の略奪戦が始まった。




ロイス参戦のお知らせ。掲示板にも入らないのでホントちょろっと出すだけですが。

次回、『変革─菊花賞─』。

菊花賞(1993)
1枠2番の馬 OUT▼
ライスシャワー IN△


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PAGE:22 『RE/DEFINE 変革─菊花賞─』

WARNING!

今話末、極めて重大な史実改変の示唆が行われます。

端的に言えばラストランが変わるウマ娘がいます。苦手な方はブラウザバック推奨です。































本当によろしいですね?
警告はしました。
どうぞご照覧あれ。


曇天の京都レース場。ゲートを飛び出した18人が、それぞれ熾烈な牽制を仕掛けていた。

 

『注目の先頭争いはプライズシーフとムーンピアーシティ、ハイネセザールは3番手。1番のサートゥンガニェ、マインコメント、おっと外からハナノスカイラインが4番手付近まで浮上してまいりました』

 

スタートもそこそこに、実況も若干目を回す活発な先行争いからレースは始まった。得意の追込体勢か、それとも不調か、若干離れて最後尾に位置するナリタタイシンをよそに行われるその争い。ビワハヤヒデへのマークを前提としていたライスは、7、8番手に甘んじた彼女の後ろからそれを見守る形となった。

 

『あ、7番ビワハヤヒデは外に出ました!』

 

『若干掛かりの色が伺えますが……』

 

──しかし、その停滞模様は意外にもすぐさま崩れる。なんとハヤヒデは好位置を欲しがったのか、若干の加速を行い外からの浮上を試みたのだ。

 

「……っ」

 

見失ってやる訳にもいかず、こちらも外に向け追従したライス。これより差し掛かるコーナーでインを望むことはもはやできなくなったが、ここで位置取りを妥協してマークを切らしたのでは、ハヤヒデのスパートのタイミングを図れない懸念があった。

 

『すぐそばのライスシャワーもそこに付きます。その後ろにクロスフィーラーがいて、さあウイニングチケットはどこにいるのか!?』

 

『後ろから4……いや5番手あたりといったところでしょう、末脚勝負に賭けているのかもしれません。一方ナリタタイシンは最後尾から苦しそうに追いかけていますね、心配です』

 

注目バが前方後方に位置取りを分ける形となった序盤。そしてコーナーにてライスがマークに神経を擦り減らす中、場面は一度目のホームストレッチに移る。

 

(ちょ、飛ばしすぎだろ──!)

 

直線に入るやいなや3、2番手と位置を押し上げていくハヤヒデに冷や汗を垂らすライス。現先頭のハナノスカイラインの後ろでようやく位置を安定させたのかと思えば、今度は外から先頭目掛け疾走する別のウマ娘も現れ、先団の状況は混迷を極め始めていた。

 

『さあウイニングチケットらの動向も注目すべきところではありますが、ビワハヤヒデの方は……ああっともう3番手です!掛かっているんでしょうか!?』

 

先ほどまでは中位だったろう、と先団に視線を移した実況の驚く声がスタンドに響く中、続いてのコーナーに向かう18人。

 

『さあほぼ一団の18人が第1コーナーに向かいます!もう一度先頭から整理していきましょう!先頭は思い切って行ったクロスフィーラー!3番のクロスフィーラーが先頭です!』

 

初動ではハヤヒデ、ライスらの後ろにいた、先述のウマ娘の浮上にまだ驚きを見せながらも、順位の振り返りは依然として続く。

 

『そしてサートゥンガニェが2番手、3番手にようやく落ち着いたかビワハヤヒデ』

 

『まだ少し掛かり気味かな、といった様子は伺えますよね』

 

好位争いに折り合いがついたのか、前に振り上げたついでに右腕でメガネを直すような姿を見せたハヤヒデの一挙一動を捉えながら2周目に向かうコーナーを駆け抜ける。

 

──まだ、保ちそうか。

 

『隣にはライスシャワー、そして後ろにハイネセザール、ハナノスカイライン。その後ろでありますが、おおっとここにウイニングチケットがいた!』

 

『ライス、ハイネ、ハナノ、そして13番のマインコメントが間にいますが、さほどハヤヒデとチケットは離れていないように見えます』

 

向正面に入るやいなや、位置を上げてきていたチケットの登場。そしてそれに呼応するかのように、再び順位の入れ替わりは苛烈の様相を呈していた。

 

『おーっと16番のムーンピアーシティが行った!激しく、目まぐるしく順位が入れ替わっている!』

 

突如、内からチケットを追い越そうと企むシティ。二人を挟んだ後ろの方で「ええー!?」とやかましく驚くチケットの声を聞き届けたライスが若干後ろを見やったそのとき、彼女は別の違和感に気づいた。

 

──ハイネが居ない。

 

「うわっ、ちょ、何だっての……!?」

 

そのとき、最後尾のタイシンから発されたその呟きは、ズルズルと退がってきたあるウマ娘を見送ったために出たセリフ。

 

その人物こそがハイネその人であった。ここにきて不整脈の一種を発症してしまった彼女は、もはやレースどころではなくなってしまい、事実上の脱落となってしまったのだ。

 

(どこに……いや脚を溜めてるのか!?けどそればっか気にしてるワケにもいかないっ……!)

 

だが遠く離れた最後尾での呟きを聞き届けられるはずもなかったライスに気づく術はなく、早々に違和感への考察を切り上げた彼女はマークを続行する。

 

『10番ブレイブオオキミ、外にラグビーチャンプ、8番ロイスアンドロイス、11番エンプレスパトラであります!その外にアーケードチャンプ、その後ろがプライズシーフか?そしてノーブルカッセルがいた!もうひとり後ろのイエロージャージが後ろから2番目──』

 

『いや、待ってください、かなり後ろの方にもうひとりいます!』

 

タイシンの名を呼んで全員の順位の振り返りを済まそうとしていたところで、ようやく解説が最後方の異変に気付く。

え、と洩らした実況がイエローの順位を訂正する暇もなくレースの全体像を俯瞰すると、まず集団の背後には相変わらずな位置どりのタイシンがいる。

 

『続きますのはナリタタイシンですが……おっとひとり故障!ハイネセザールが故障した模様です!』

 

すでに現在第3コーナーを回る一同から、それもタイシンにすら大差をつけて離されていたハイネに驚きの声を上げる実況だったものの、すでにレースは終盤の山場に差し掛かっていた。

 

『あと17人はハイネセザールを置いて第4コーナーへ向かいます!』

 

いよいよ淀の坂を下る一同が、スパートの体勢に移る。

 

「……ふっ!」

 

ここで明確にギアを上げ出したハヤヒデに、置いていかれまいと加速するライス。

 

 

──そこで、ライスに奇妙な体験が襲う。

 

 

「な……これはっ!?」

 

視界がスローモーションになると同時に、辺りの空間が手前、即ち背後から覆うように黒く塗り代わってゆく。

 

地面までも染め切ったその空間の中で、菱形のトンネルを作るように紫色のイルミネーションが次々に灯る。

これがハヤヒデの使う領域のビジョンなのか、と理解するより早く、彼女の息遣いが変わる。

 

 

「これが……私の方程式だ──!」

 

 

狙い通り──。そんな声色で、気づけば勝負服を着せたマネキンのようになっていたサートゥン、ラグビーらから抜け出していったハヤヒデ。

 

「クソ、やらせるかァァッ!」

 

呆気に取られていた精神を引き戻すと、半ば無我夢中でハヤヒデの抜けていった穴から追いにかかる。間もなく内のサートゥンを見送って2番手に踊り出た。

 

『さぁ先頭集団はどうか!?ビワハヤヒデはどこにいるか──いや、先頭だ!ビワハヤヒデ先頭!』

 

佳境に入るレース。いよいよハヤヒデの大きい背中越しに、雄大な最終直線が見えた。

 

『第4コーナー回って最後の直線に入る!』

 

コーナリングを終え、これで余計なことを考える必要はなくなった。あとはただ速く走ればよいだけだ。

気づけばハヤヒデと共に他16人を置き去りにしていたライスの肉体に、ドクンと大きな鼓動が響いた。

 

 

「ライスだって……咲ける……っ!」

 

 

鼓動に引きずられるように飛び出した、そのセリフとともにギアを上げた彼女は、ハヤヒデの背へ猛然と迫った。

 

『グッと中から抜けたのはビワハヤヒデ……いや、ライスシャワーもいるぞ!』

 

グングンと後続を引き離す二人のデットヒートをそう謳った実況に、観客からどよめきの声が上がる。

 

「だ、誰だあの娘!?」

 

「面白え……やっちまえー!」

 

ダークホースの登場に驚嘆する観客の声援を浴びながら、ジリジリと先頭に迫るライス。

 

『BNW無冠の最後の一人が、ついにここにきて頭角を現すのか!?それとも無名の刺客がその予定調和を切って捨てるのか!?』

 

「よそ者がアウェーなのはどこも一緒だなァ……!」

 

かすかに聞こえたセリフをそう皮肉ったライス。腹は括った、勝ちを取り上げる覚悟は決めた。悦楽の信号を上げる身体を、ただ前へと進めていく。

 

「一割四分程度の可能性だと思っていたがな……!」

 

輪郭を拝めるまでに近づいたハヤヒデが、そう溢したのが聞こえた。こうして自分が上がってくる展開か、そもそも独走できない展開を指しての発言だったのかはわからないが、虚を衝くことができたことには間違いなかった。

 

──が。

 

 

「……起こるまいと楽観するより、起こるかもと備えをしておくものだ」

 

 

続けたその言葉とともにわずかに上がった口角の意味を理解するより早く、再加速という返答が飛んでくる。

 

『外からアーケードチャンプ、ウイニングチケットも伸びてきた!しかしビワハヤヒデ突き放す!』

 

詰めかけていた距離を目の前で白紙にされたライス。ある種の憤慨を覚えながらその事実を受け止めた彼女だったが、指を咥えて見送る愚図ではなく、迅速に追う足を早める。

 

「──ンだとッ」

 

さすがに魅せてくれる、とそう溢すライスであったが、深層心理で『ターゲットの加速』というイレギュラーの前提条件を、ある種過信していた彼女と、織り込んだ独走劇を期していたハヤヒデとで出来てしまった差は埋まらずにいた。

 

(まずいまずいまずいなんで抜かせない?遅いからだ、ハヤヒデに、もっと加速したハヤヒデに着いていけているのに、レコード破りに手は掛けられているはずなのに、力はついてるってことなのに、じゃあなんでだ?遅いからだ、ああくそ──)

 

打開されない状況と迫るタイムリミットから来る焦りで、堂々巡りになる思考に支配されながらも、諦めてしまうワケにはいかない彼女はエネルギーすべてを燃料として焚べる。

 

(勝たなきゃいけないんだ……!俺のわがままで捻じ曲げた娘らの分を……!)

 

いつかマルゼンに諭されたように、不敗でなく必勝を確かに掲げ駆ける。

だがそれは当然ハヤヒデとて同じであり──。

 

『ビワハヤヒデ先頭!ビワハヤヒデ先頭!追走するライスシャワーを徐々に1バ身、2バ身と引き離す!』

 

「く、そおおおおぉぉぉっっっっ!!」

 

先見、意地、速力。あらゆる面で同格以上のステージに上がれなかった純然たる事実を、開きゆく差が雄弁に物語るのみだった。

 

『強さを見せつけるビワハヤヒデ、今ゴールインッッ!!』

 

 

──そして一度も並ぶに至れぬまま、視界の右側をゴール板が横切り、勝負は終わりを告げた。

 

 

『クラシック最終戦・菊花賞は、BNW最後の一人、ビワハヤヒデが勝利で飾りました!』

 

『二桁人気ながら、ライスシャワーの猛追は見事でした。これから名を上げることになるでしょうね──』

 

勝者が決まり、湧き上がる歓声をよそに、ライスは特大の息切れを処理することで精一杯だった。

 

「……クソッ」

 

並べもしなかったのだ、写真判定などすがるまでもない──。そんな思いで掲示板を見やれば、やはり一着に灯るのはハヤヒデの7番で。

 

「ライスシャワー君」

 

若干吐息の混じる、聞き慣れた聡明な声で呼び止められる。振り向けば、声の主はやはりハヤヒデだった。

 

「……存外私も熱狂してしまったようでね、極めて陳腐な言葉になるが──」

 

激戦を終えてすぐ、筆舌に尽くし難い感情を捻り出すように前置きを垂れた彼女は、一度メガネをずり上げると短くこう口にした。

 

「──いいレースだった。近いうちにまた、再戦願うよ」

 

新たな好敵手との死闘をそう賛美し、腕を差し出すハヤヒデ。

 

「……もちろん」

 

大きく鼻をすすり、手を掴み返すしかできない。

嗚咽が歓声にかき消されていることを祈るほかなかった。

 

「はぁ……はぁ……ナイスランっ!」

 

そこへ、勝者となった盟友を祝いに、チケットがやってきた。

 

「あのハヤヒデについていくなんてスゴいよっ!ハヤヒデと一緒で、夏の間も頑張ってたんだろうなってのが伝わってぎてぇっ……キミとは、もっどばやぐ走りだがっだよお"お"お"お"お"お"っっ!!」

 

そう泣きじゃくった彼女に対し、ライスは何も言えず押し黙った。

 

そうして他者の視点からレースの顛末を告げられてようやく、敗北の実感がとめどなく湧き上がってくる気がして。

 

(ああ、負けた……負けたんだな)

 

振り返ってみれば、ハヤヒデの勝ちたいという気持ちに、ライスの改変の覚悟が敗れた戦いだった。

 

歴史に横入りする覚悟など、真に勝ちたいと願う彼女たちの気持ちに到底敵わないのだと実感した。

 

目の前で示された、常に最良の方程式を追い求め、模索し、更新し続けるハヤヒデの強さ。それ故に彼女は菊花賞ウマ娘であったのだろう。

 

「ハヤヒデぇっ……どうかじたのぉっ?……グスッ」

 

「……いや、今頭が一回り大きいだとか聞こえた気がして……」

 

間もなく繰り広げられた頭でっかち漫才を意に介す様子もなく、ターフの上にしばらく立ち尽くすライス。

 

──あと一歩だったというのに……。

 

ごく短い視界不良に見舞われたあと、頬に伝ったのは脂汗混じりの涙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第54回菊花賞。1着には変わらずビワハヤヒデが輝いた。

 

ベールを脱いだリギルの秘密兵器は、チームの哲学である先行策で挑むも、名士の鬼謀を前に敗れ去った。

 

3:04.6のレコードタイムを叩き出した先頭にコンマ1秒の差をつけられていた彼女には、健闘を讃えながらも「一年デビューが違えば」と世代の不運を惜しむ声が多く上がったという。

 

そして、すべてを終えた彼女が戻った控え室から間もなく上がった衝撃音を、聴いた者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

学園に戻った夜。

 

気持ちに辛くも折り合いをつけたライスは、次の試練を見据えていた。

今の今まで目を背け続けてきた有記念だ。

 

「出れたっておかしくはない、けどな……」

 

切望した勝利を得ることは叶わなかったが、BNWに食らいついたのだ、出走に足るだけの票を集めていてもおかしくはない。

 

まずは久方ぶりに検索エンジンを立ち上げ、素早く有記念の四文字を打ち込んで適当な記事を漁り出す。

 

「──なっ」

 

最初に開いた、有記念の有力ウマ娘の特集と銘打った記事の概要を目にして思わず洩らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこには、ミホノブルボンが故障完治と共に同レースでの復帰を宣言している、との情報があったからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だろ……?治るにしたって早すぎる」

 

アニメにおいてミホノブルボンの復帰は、最終盤においても未だ行われていなかった。いや、最後まで言及がなかったと言うべきか。

それが有馬に間に合うまでに早められているこの事実に、再び史実改変が起こったことを悟る。

 

「満たされていない──。なるほど、それが君の走る理由だっていうのか」

 

さっと見漁ったその記事には、他でもないブルボンのコメントがあった。三冠でも足りない、まだ走ることはやめられない、まだ何もかもが道半ばであるのだ、と宣言する言葉が。

 

「嬉しい……嬉しいさ、だがなんで今なんだよ……って俺のせいか、くそっ」

 

推しの夢を折ることはできない──。かつてそうのたまって逃げ出した彼女には、単に吉報と受け取ることができなかった。

逃げ続けたツケが回ってきた、そう思えてしまって。

 

「票集めならテイオーだって上位に食い込めたんだ、ブルボンが上がれないワケがない」

 

有馬記念の出走条件である、得票数というわずかな逃げ道は、自ら否定した。丸一年のブランクを楽観視するには、彼女はあまりにも功績を立てすぎている。

そして彼女のこの決意も、その膳立ても、元を辿れば自分の決断が招いた結果であると気づくことに時間はかからなかった。

 

「それに、困るのは俺だけじゃない、テイオーだって──」

 

開いていたサイトを葬ると、続いてテイオーの動向の注視に移るライス。8文字を打ち込んでからの、いつもより数秒長い検索時間を永遠のように感じながら、すぐさま表示されたサイトたちをスクロールしていく。

 

「な、な……」

 

そして間もなく彼女は新たな事実を知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──今季引退のトウカイテイオー、将来的なトレーナー業転向を明言──

 

 

 

 

運命など、とうの昔に捻じ曲がっていたことに。




いつからテイオーが復帰すると錯覚していた?

次回、『氷刃─オールカマー ─』。


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PAGE:23 『RE/LAY 氷刃─オールカマー ─』

主人公がまったく出てこない回。


運命の分岐点となったあの日。焦がれたライバルの再臨を望み、一世一代の大勝負に出たウマ娘とその仲間たちがいた。

 

ウマ娘の名はツインターボ。後先を考えぬ大逃げ使いとして知られる、現役屈指の個性派である。

 

彼女がライバルを自称し対戦を熱望していたのは、言わずと知れた天才・トウカイテイオー。しかし度重なる故障で肉体が限界を迎えた彼女は引退を表明し、トレセン学園のファン感謝祭にて引退ライブを開催。自らに着いてきてくれたファンに別れを告げようとしていた。

しかしそんな結末をターボが認めるはずもなく、同日に行われる中山芝2200mの重賞『オールカマー』を勝利することで、テイオーの闘志を呼び覚まさんとする試みが行われる。

 

まず彼女が所属するチームカノープスのトレーナー・南坂の提案により引退ライブ舞台裏の制圧、もとい放送機材のジャックが行われると、ステージモニターにターボのレース中継を上映。テイオー含め場の全員の視線を釘付けにする膳立てが行われ、あとはターボが結果で覚悟を示すのみとなっていた。

 

『さあこの場内のどよめき!ツインターボのとにかく逃げ!何バ身開いているかとても実況では今の段階では分からないくらい、大きく大きく差をつけて逃げていっています!』

 

「こんな演出聞いてないわよ?」

 

「どうなってるんだ!?」

 

突如流れる中継映像に、舞台袖で見守るチームメイトから驚愕の声が上がるが、モニターを夢中で見つめるテイオーには届かない。

 

「あんなことプログラムにありません!今すぐ中止に……」

 

「構わない。私が許可した」

 

文字通り予定外の異常事態に対処しようと立ち上がったグルーヴを、ルドルフが制す。

無論ルドルフはこの状況について微塵も備えはしていなかったが、テイオーのキャリアを左右する最後の分岐点であることを感じての黙認だった。

 

「すまない。言い忘れていたんだ」

 

珍しく訝しげな視線を自身に向けるグルーヴに苦笑しながら言い放つ。ライスに言ったら卒倒するだろうか、内心で詫びるとルドルフは何も言わずモニターに目を向けた。

 

『ツインターボが逃げる!ツインターボが大逃げだ!ターボエンジンは今日も全開!第3コーナー入って加速が止まらない!全霊燃やして走り尽くす!個性派逃亡者ツインターボが先頭!さあ追いかける一番人気、ブラザーユウショウが上がってきて、3番手を伺う位置!現在4番手!かつてティアラ路線を最前線で戦った──』

 

一方、現場はターボの大逃げに踊らされ混乱の様相を呈し……とはいかず、誰一人彼女のペースに付き合うことなく、いつも通りの走りを見せていた。

 

(……まだ、誰も仕掛けていない、ターボさんが最後に崩れて終わると信じて疑っていない)

 

出走者でもあり、ターボのチームメイトでもあるイクノディクタスは、内心でほくそ笑んでいた。

 

(この場の誰もが実力者揃い、だからこそ引っ掛かる)

 

並の熟練者なら、今のターボに構う選択肢はまず浮かび上がらない。彼女はサイレンススズカやメジロパーマーらのような、ここ一番で違いを作り出せる大逃げ使いではないからだ。

 

──今までは。

 

(小細工を使えるタチではない、今までのレースを見れば真っ先に分かることです。その前提が、眼を曇らせる──!)

 

今のターボは、全力に限りなく近い速度と気迫を引き出してこそいるものの、思考の根底にあったのは温存の二文字であった。

 

2200mを全力で走りきるスタミナは、彼女にはない。しかし常に先頭で走ることを熱望するこのウマ娘にとっては、温存など故障に次いで忌み嫌う愚行だ。

だがターボは、実力者らを前に採り得る唯一の策としてトレーナーに示されたそれを拒めるほどの愚者ではない。

 

(脚はまだ残っているはず、ならあとは押し切るだけですよ、ターボ!)

 

共犯者として併走に幾度となく付き合ってきたイクノは、ここにきて賭けの成功を断ずる。

 

中団から最後の援護を行おうと肺に酸素を送り込み、言葉を紡ぐ。

 

「行けぇッ、タ──」

 

──戦友へのイクノの叫びが、そこで止まる。

 

彼女の外からひとりのウマ娘が飛んできた、ただそれだけだった。だがイクノへ衝撃を与えたのは、豊富な実戦経験の中でも類を見ない速度を叩き出していたその気迫だ。

赤い帽子を携えたそのウマ娘は、思えば自身が最近走った天皇賞(春)や宝塚記念で見たウマ娘だった。

 

『ツインターボから1秒、2秒、3秒ほど離れて2番手にはヴァイスストーン、3番手にはインペ……いや、外からシダーブレードだ!シダーブレードが3番手に上がってくるのか!?最後方から急激な浮上を見せる!』

 

そう、イクノを抜いたウマ娘の名はシダーブレードといった。鬼のような形相をしたそのライバルは、肉眼で──俯瞰で見る実況ですら──測れない距離の差が開いているのにも関わらず、脚をターボに伸ばしはじめている。大逃げ使いをまさかこのタイミングで追うというのか。無茶だ。逆噴射に賭けるほうが、まだ勝率は高いと言えるだろう。

 

──しかし、一連の奇策を介した側であるこちらにとって、それは何よりも恐れていた選択だ。

 

『さあ早くもツインターボだけが、ツインターボだけが、第4コーナーのカーブに入ってきました!ツインターボが大きく逃げる!シダーブレードが早くも追う!他のウマ娘たちも何人か続いてきます!』

 

シダーは一切の迷いも見せずターボを追う。この粉微塵の勝ち筋がただひとつの必勝法だと信じているかのように。

彼方に消えていく背に追いすがろうとするも、シダーの浮上に焦った周囲のウマ娘らがイクノを妨げる。

 

「ッ、ターボッ!!」

 

戦友に、吠える。彼女の明晰な頭脳は、ターボの代わりに勝利するというスペアプランの実行が、もはや不可能であることを導き出していた。

今この場は、託すしかない──。チームメイトとして、いち走者として最大級の屈辱を味わうことしかできなかった。

 

『さあ最後の直線!ようやく全員が上がってきた!ツインターボが200mの標識に掛かるが、シダーはもう射程圏内に捉えている!』

 

そして静かなる凶刃は、尚も逃亡者に迫る。

 

「これが諦めないってこ…………ッ!?」

 

待ち望んでいた直線にて、生涯最大のライバルへ吠えようとしたターボの声が止まる。背後から感じる猛烈なプレッシャーによって。

 

──テイオー、あなたの強さを私にくれ──!

 

そんな呟きが、ターボには聞こえた気がした。

 

「っ、うあああああっ!!」

 

既にプレッシャーの正体が自身のすぐそばまで迫っていると感じ取ったターボは、限界スレスレの肉体に鞭を打ち加速する。

消費を切り詰めていたとはいえスタミナが持つとは到底思えなかったが、ただ先頭の交代を先延ばしにしているに等しいこの状況ではやらない方が愚かだ。

 

「「トウカイテイオオオオオッッ!!」」

 

デッドヒートを演じる二人の叫びが、皮肉にも重なる。

 

『抜け出したか、シダーブレード!ツインターボこれはもう無理!』

 

間もなくターボの左前方に誰かの背中が映った。誰のものかは至極どうでもよかったが、好ましい状況ではない。

 

まだだ。まだ追える。脚を引きずってでもその誰かを抜かすのだ──ターボは今一度脚に力を送る。そのとき、あることに気がついた。ターボの視界に映る光景が、徐々にスローと化してきていたのだった。

 

(なんで!?ターボ全開で走ってるのに──)

 

減速を疑った彼女は、叫声に等しい思念を紡ぐ。その瞬間、視覚と聴覚へ同時にもやがかかり始め、猛烈な目眩に見舞われた。

 

『……!?ツイ───ボ、力なく転───走中───』

 

そのとき、片脚が芝に縫い付けられたようにもつれた。不思議と痛みはなかったが、それは何の慰めにもならなかった。

やがて平衡感覚をも失った身体は、シダーのほうへ向かうどころか、芝から離れることを断固として拒否してくる。

 

(やだ……テイオー、テイオー、ティ、ォーッ……)

 

遅れて響き渡った不快な足音が、かすかに連続するのみの暗い世界の中で、ターボはただライバルの名を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『見事に決めたぞ、シダーブレード!デビューすぐの二連勝以来およそ3年ぶりの勝利、そして初の重賞制覇です!皐月賞でテイオーの喉元に迫ったその末脚は健在だった!』

 

ライブ会場は静まり返っていた。ラストで競り合った二人の片方が制し、片方が力尽き倒れた。同期同士であるというドラマチックなスパイスも添えたその死闘を全員が目にしていた訳だが、普段のように熱狂しながら見届けた者は一人もいなかったろう。

それどころか──。

 

『一方ツインターボは残り数メートルのところで転倒……故障によるものかはこちらからは確認できませんが、残念ながら競争中止ということに──』

 

「ターボちゃん……!」

 

「ターボっ!ターボっっ!!立って、ターボってばッッ!!」

 

勝者を映すカメラからとうの昔に消えていた戦友を案じる叫びが、観客席よりこだまする。

落ち着いてください、となだめる同じ覆面の男性も、教え子を案じると同時に、悔やむ思いが瞳にありありと映っていた。

 

『……しゃあああっ!!見たか、テイオーっ!!』

 

それをよそに、画面の向こうにて待望の勝利を手にした名刃が吼える。誰よりもこの勝利を報せたい相手に向けて。

 

『ナタールも、ブレスももう居ない……そして今日から、あなたも居なくなる』

 

シダーがはじめに呼んだその名は、既にターフを去りし同期たちだ。彼女にとっては、テイオーが涙を飲んだ菊花賞を共に盛り上げた、忘れがたい戦友であった。

 

『──だからどうした、私が……シダーブレードが、ここにいるっ!!』

 

しかし、かつて三冠ウマ娘ミスターシービーに見初められクラシック戦線を駆け抜けた無冠の大器の見る先は決意に満ちていた。

 

『私はこれからも走り続ける!あなたが戦った世代がこんなにも強かったんだってことを証明し続ける!だから──』

 

「やめてッ、言わないでッ!言ったら、言っちゃったらッ、テイオーがッ」

 

次がれる言葉を察したネイチャがすがるように叫ぶが、当然届くはずもない。

そもそも成否をターボの勝利に依存し、失敗時の想定など練りようのなかった作戦だ。思わず握りしめた拳に、行き場のない感情を込めるほかなかった。

 

画面の向こうの同期は、ひとつ息を吸うと最も望ましくない言葉を吐き出した。

 

『──そこで見てろ、帝王。』

 

その瞬間、映像は途絶え、元通りの画面を映した。

 

「……」

 

勝者は決まった。

 

観客席はざわつきで支配されていた。この場の誰もが、この状況を理解できていなかった。いや、理解することを拒んでいたのだ。

 

「……滅茶苦茶です」

 

状況を静観するほかなかったグルーヴが、ふと重たく口を開く。

一方彼女を制したルドルフ自身は、押し黙るままだった。

 

(現実は……こうも劇的ではないものなのだな……)

 

テイオーと懇意にしていた──実のところ一方的ではあるのだが──かの逃亡者に、賭けてみたところがないと言えば嘘になる。

 

(いや、責めることはできない。彼女も、あの勝者も)

 

彼女がテイオーと引き留めんと選んだのであろうレースという手段は、決して大義名分があれば微笑んでくれる都合の良いものではない。

だが──。

 

「何故だ、どうしてこうなる……」

 

わずかに漏れ出た本音は、すべてのウマ娘の幸せを分け隔てなく願う彼女の矜持をもってしても堰き止められなかった。

 

一方、肝心のステージ上にいるテイオーはといえば──。

 

「……また、キミに背中を押されちゃったな」

 

いつかの菊花賞を思い出しながら、センチメンタルな感情を覚えずにはいられないでいた。

 

意志のみでは、奇跡など起きない。

目の前で示された事実が、かすかに残っていたテイオーの迷いを消し去る。

 

そうだ、自分が今まで何故勝てたのか思い出せ。

 

絶対を継ぐ意志、不敗の夢想、信じてくれた師と仲間、そして何より生まれ持った自慢の速力。

 

どれが欠けても勝利は叶わなかったはずだ。

その内の取り返しのつかぬ一つが朽ち果てんとしている今、なお進化を遂げ続けるライバルたちを越せる道理はない。

 

(……おっかしいよね、今さらこんなこと考えちゃうなんて)

 

わかっていたはずだ。トレーナーと共に速力喪失を告げられたあの日から。

 

やがて、観客を背に満足そうな笑みを浮かべたテイオーは、振り向き様に決意を示す。

 

「ありがとう、みんな。こんなボクに、戻って来てって言ってくれて」

 

集まってくれた全員に、嘘偽りのない感謝を告げる。続ける内容は、きっと皆の望むものではないだろうが。

 

「でもボクには出来ない。出来ないんだ。だって──」

 

言葉を紡ぐ度に、テイオーの脳裏に今までの日々が再生されていく。敬愛する会長の走りを見たあの日、トレセン学園に足を踏み入れたあの日、このチームに加入したあの日、デビュー戦のあの日、三冠競走を戦ったあの日、マックイーンと激突した天皇賞のあの日。

 

そして理由を口にする頃には、記憶は今目の前で勝利を掴んだ同期の勝ち姿まで追いついていた。

 

「──こんなボクのために、他の子の夢が折られていいワケがない」

 

自分へ言い聞かせるように口走った彼女に、観客はもれなく押し黙る。

 

大義もなく、過去の栄光を贄に他者を追いやる枠潰しにはなれない──。それがテイオーが短時間で導き出した答えだった。

 

「それに、2回も骨折したのにジャパンカップを勝った、なんてすっごいこともしちゃったんだし、もう取り返しなら十分済んでるよ」

 

レース史上最強、とまで評された強豪揃いの顔ぶれを撫で切った去年のそれを回想しながらそうはにかむテイオー。

そうだ、一矢ならもう報いている。マックイーンとの再戦が叶わないのは残念だが、ターフでやるべきことはやり尽くしたのだ。心配ならいらない、自分の分を駆けてくれる人物は、もういるのだから──。

 

「だからね、ボクは──」

 

「ふざけんなッッ!!」

 

突如、続けようとしたテイオーを遮る声が轟く。

 

そちらへテイオーが首を向けると、いつの間にかステージに上がっていた覆面のウマ娘がいた。

 

「ち、ちょっとネ……キャプテン!?」

 

「な、何をするつもりで!?」

 

他にもいたらしい同じ覆面の人物らの声をよそに、そのウマ娘は荒い息遣いで覆面を脱ぎ去る。

 

「……ネイチャ?」

 

覆面を脱ぐと地面に叩きつけた、彼女の名を呼ぶテイオー。

ネイチャにとっては、言い逃れができなくなる決断だったが構わなかった。

たとえ醜い悪あがきだとわかっていても、こんな終わり方を認めるワケにはいかない。

 

「本気で言うつもりなの?走るのはもうヤメだなんて」

 

怒気を滾らせながら問うネイチャに対し、逡巡するテイオー。しかし、もう覆すワケにはいかなかった。

 

「……うん。言ったでしょ?もう十分だって。それに──」

 

「それが何だってのよ!」

 

テイオーの言を斬って捨てたネイチャは、ズカズカと歩み寄る。

目の前、という距離まで近づいた彼女は、テイオーに二本の指を立てた。

 

「2勝1敗……。アタシとテイオーの勝負のことね」

 

言葉の最中に中指を折りながらそう告げた彼女。その勝敗の数はもちろんトゥインクルシリーズでのレースにおける戦績だ。

 

「クラシック級に上がってすぐの頃。初めてテイオーと戦ったとき、あたし……越えられないって思ったの」

 

わずかに俯きながら、初戦の若駒ステークスについて口にした彼女。ネイチャにとっては、対テイオーで現在唯一の黒星だ。

 

「あんなキラキラした子に挑むなんて最初から無茶だったって、打ちのめされちゃってさ……トレーナーがいなかったら、走るのをやめちゃってたかも、ってくらい」

 

示された実力差に絶望して消極的になりかけたそのときを回想しながら、ネイチャは苦々しく語った。

 

「でもね、こなくそ、って頑張って菊花賞に出たり、年末のグランプリに呼ばれるまでになったりってのは、アンタと出会ってなかったら絶対無理だったと思う」

 

だがその出会いがなければ、GI常連クラスまでには至れなかったと口にした彼女は、次にシニア級以降の2戦に焦点を移す。

 

「それでシニア級に上がってからやっとGIで戦えて……覚えてる?秋の天皇賞と、同着騒ぎの有馬記念のこと」

 

シニア級の春からテイオーと入れ替わる形で故障を起こしていた彼女には、ほぼ2年ぶりの再戦でもあったその2レース。だがそれは、テイオーが全く実力を発揮できず沈んでいたレースでもあった。

 

「アンタと戦いたがってたターボには結構うらやましがられたけどさ、アタシにとってはそんないいものじゃなかった!天皇賞じゃ、らしくなく掻き乱されてて、有馬こそ真剣勝負って意気込んだら絶不調で……なんで、どうしてって」

 

こんなものは勝ちに入らない、と悔しげに言い募る彼女は、やがてやるせない感情を抑えきれなくなったのか、涙を溢れ出しながらこう懇願した。

 

 

「──お願い、最後にターフで見たアンタを、不甲斐ないトウカイテイオーにしないで……ッ!」

 

 

こちらを涙越しに射抜く視線に耐えきれず、テイオーは苦しそうに目を泳がせる。

 

「……ごめん」

 

「謝ってほしいんじゃないっての!アタシに……こんな虚しい勝ち逃げさせないでよ!」

 

絞り出すような謝罪を、そう一蹴するネイチャ。出会った中で誰よりも輝いていた、と信じてやまない相手が、このような形で消えていくなど我慢ならなかったのだ。

 

「アンタは、無敵のトウカイテイオーなんでしょ……?」

 

すがるように繰り出された、かつて何度も自身が口にしていたそのセリフを受け、テイオーは言葉に詰まった。

 

「……」

 

黙り込んだテイオーに呼応するように、再び静寂で支配される会場。

 

「──想いだけじゃ、勝てないんだよ……」

 

ふと、誰にも聞こえない声量でそう吐き捨てたテイオー。しばらく答えを探すように俯いていた彼女は、ふと観客席の方へ歩くと、最前列にいたトレーナーを見つけしゃがみ込んだ。

 

「トレーナーはさ、もう一度走ってくれって言ってたよね」

 

数分前に叫ばれたばかりの言葉を返すテイオー。するとトレーナーは、黙っていた分が溢れ出したように言い募った。

 

「……あ、ああ。俺はただお前に走っていてほしいんだ。わがままだって何だっていい。枠潰しだなんて、俺が言わせねえ。怪我する前より速く走れなくたって、勝つ方法なんざいくらでも──」

 

「──ボクがさ」

 

しかし、説得は無用とばかりに封殺したテイオーは、まだ若干逡巡するかのようにこう告げた。

 

「ボクが走る以外の形でレースの世界に居たいって言ったら、ついてきてくれるかな」

 

「……それは」

 

その言葉をスピカTが飲み込むまで、少し時間がかかった。

 

「きっとこれからマックイーンは、ううん、スピカのみんなは今よりずっと大きくなる。そんなみんなを……トレーナーがしてくれたみたいに支えていきたい、なんてちょっと思ってさ」

 

「俺みたいにって、お前……」

 

実はこの間のリーダー業務で目覚めちゃったんだよね、と笑ってみせるテイオーだが、無論彼女のトレーナーは、それが本音の全てだと受け取る愚鈍な男ではない。

 

「本気なのか?」

 

「うん」

 

やっぱり嘘だと、そう言って欲しかった。だがそれを望むには、彼女の瞳には覚悟の色がにじみ過ぎている。

 

「本当にいいのか?それを認めた瞬間、もうマックイーンともあいつ(ネイチャ)とも同じターフの上で走ることはなくなるんだぞ?それに──」

 

「トレーナー」

 

先ほどと同じようにトレーナーの言葉を封じた彼女は、わずかに瞳を涙で潤わせながら続ける。

 

「もういい……もういいんだよ」

 

どこか哀しい笑みを浮かべながら告げる彼女に、トレーナーは言葉を失う。引き留めてくれとも、引き留めないでくれとも言っているようなその微笑に投げつけてやるべき煽り文句を、彼は持ち合わせていなかったからだ。

 

「テイオーさあああんっ!!」

 

そのとき、舞台袖から一部始終に立ち会っていたスペシャルウィークが涙ながらに駆け寄ってくる。立ち上がりながら振り返ったテイオーの目の前で、崩れ落ちるように彼女はこう懇願した。

 

「教わりたいこと、まだまだたくさんありますっ!戻ってきてくださいっ……!」

 

一瞬戸惑うテイオーの前に、気づけば追従してきたらしいダイワスカーレットとウオッカもやってきて続く。

 

「頼むよテイオー!やっぱり寂しいよぉっ……!」

 

「戻ってきて……!また一緒に走ろうっ!」

 

みんな……とわずかにテイオーが洩らして間もなく、セグウェイを駆り追ってきていたゴールドシップが口を開く。

 

「……お前はどうしたいんだ?」

 

いつになく真摯な表情の彼女に、若干呆気に取られながら立ち尽くすテイオーだったが、その視線は至極落ち着き払って歩み寄ってきたマックイーンに吸い寄せられる。

 

「もう一度言いますわ。あなたがどうなろうとも、あなたにどんな不安や困難が立ちはだかっても私は走り続けます。最強のウマ娘であり続けるために」

 

ライブの提案を受けたあの日の続きを、厳然と口にした彼女は、すぐさま鼓舞するようにこう続けた。

 

「もしあなたがその決断を下すのならば……せめて見ていてくださいませ、最後まで」

 

盟友の言葉を受け、一度瞑想するように閉じられたテイオーの目は、次に開く頃にはいつも通りの彼女のものに戻っていた。

 

「みんな聞いて!」

 

勢いよく涙を拭って観客の方へ振り向いた彼女は、思い切り叫んだ。

今までの自分との決別と、今からの自分が掲げる夢の宣言のために。

 

「ボクは今日から、ターフを降りる。それはやっぱり変えられない。けど、ボクはこのチームで、みんなと成長し続けたい!」

 

力強く言い放つ彼女の瞳からは、涙は不思議とこぼれなかった。ちょうどいい。新たな船出の日に、涙など必要ないのだから。

 

「だから……ボクの道はまだ終わりじゃない。走らなくたって、走れなくたって、レースの世界を動かし続けてみせる。ここからは──

 

 

──()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

とびきりの笑顔でそう告げた彼女は今、新たな一歩を踏み出した。

「ミュージックカモーン!」と音響担当を急かしたチャレンジャーは、肉体に叩き込んできたパフォーマンスの披露に移る。

 

 

(キミが諦めないなら、ボクだって諦めない。ねぇ、ずっと見ていてあげるからさ──)

 

 

流れ出すイントロの中、はなむけの勝利を掴んだ同期へ語りかけるように、内心で吐露する。

 

 

(──キミもボクを見ていてよ、シダー)




ターボは特に故障などは起こしていません。そのあたりはひとまずご安心ください。

次回、『連覇か、無敗か』 。

1993 オールカマー
ライスシャワー OUT▼
シダーブレード IN△


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PAGE:24 『RE/MAIN 連覇か、無敗か』

「菊花賞まで行ったら再加速する」って言った過去の自分を殴りたくなる今日この頃。


「……今は何も考えていたくない、ですか」

 

メジロ家の本家。国内随一の伝統を誇るこの名家を束ねる身であり、「大奥様」と呼ばれ敬われる老齢の女性のもとへ、あるウマ娘のメンタルヘルスにまつわる報告が届いていた。

お抱えの主治医より仔細をひとしきり聞くと通話を切った彼女に、そばにいたひとりのウマ娘が話しかける。

 

「ねえおばあ様、どうなの?マックイーンの様子は……」

 

癖のある髪を後ろにまとめたそのウマ娘は、メジロパーマー。前年のグランプリを総ナメにした実力者ながら、飾らない性格で周囲の相談役を担うことが多い存在だ。

 

「予断を許さない心持ちであることは間違いないでしょう。しかしこればかりは、誰かの声でどうにかできるものではありません」

 

対話による解決が極めて困難であることを告げる老婆の言葉に、パーマーは苦々しげな表情を作る。

 

(これで終わりにするか、続けるか……。そんな選択を問う領域の話ではないことは、あの娘とて理解しているはず。なのに──)

 

それをよそに老婆の脳裏へ思い起こされたのは、件のウマ娘にレースからの引退を勧告する言葉を浴びせた数刻前の記憶。

 

菊花賞、宝塚記念、そして春の天皇賞の三連覇。まさにステイヤーとしてすべてを手に入れていたそのウマ娘への説得は、当初の老婆にとってはそう難航することでもないと考えていた。

 

『──もう十分ではありませんか。あなたは何度もレースで結果を残し、天皇賞制覇という私の悲願も叶えてくれました。私はあなたのことを誇りに思いますよ』

 

『……く』

 

老婆の言葉を、歯を若干食いしばりながら聞き入るそのウマ娘の名は、メジロマックイーン。

 

松葉杖をつきながら立っている彼女の身には、ウマ娘にとっての不治の病・繋靭帯炎の発症が確認されていた。

 

『……ですから、もう終わりにしましょう』

 

一見冷徹ながらも、将来を案ずる想いを多分に含めたその言葉へ、マックイーンは返答を迷っている様子だった。

 

『おばあさま……しばらく、考える時間をくださいませ』

 

『いいえ。あなたの足はもう限界です。繋靭帯炎というのはそういう怪我なのです』

 

返答を保留にしようとしたマックイーンの言は、即座に切って捨てられる。走れば走るだけ肉体を蝕むのが繋靭帯炎の恐ろしさなのだ、走者としてのキャリアの続行など、望むべくもない。

 

『ですからどうか聞き入れて……』

 

『嫌、嫌ですわ……まだ身を引くには、あまりに早すぎるというのに……』

 

弱々しく説得を拒もうとするマックイーンの姿を見ていられなかったのか、じいやがわずかに俯き目を背ける様子が老婆の瞳に映る。

よろよろと扉へ体を向け、部屋を後にしようとするマックイーンの口から、ある本音が洩れたことを、老婆は聞き逃さなかった。

 

『最後まで、と啖呵を切っておきながらこの有り様なんて、とても格好がつきませんもの……』

 

そこに表れていたのは、盟友との約束に殉じんとする小さな意地。

 

このまま放置し続ければ、怪我を押しての暴走に至りかねない。しかし彼女には、それを止めるだけの言葉など持ち合わせてはいなかった。

 

(これがあなたの言う……若さゆえの過ちというものなのですか)

 

通話を打ち切り、わずかに項垂れた彼女の脳裏によぎったのは、かつて自らもターフに身を置いていた頃の師が口にしていた言葉。

 

未だ不肖の身である自分には、とても彼女を止めることも、背中を押してやることもできない。嗚呼、今でも貴方が横にいてくれたならば。かつて彗星のように自らの前に現れ、導いてくれた貴方ならば、あるいは──。

 

「──私と来てくれれば……」

 

「おばあ様……?」

 

老婆の未練がましい呟きが、独りの部屋に響き、そして消えていく。厳然とした彼女の顔しか知らなかったパーマーは困惑気味な声を上げてしまったが、すぐに表情を取り繕った老婆自身によって、その戸惑いはかき消されることになる。

 

「……何でもありません。それよりあなたには、彼女のこと以上に重要視しなければならないことがあるはずです」

 

「……っ」

 

言外に連覇が懸かっていた有記念のことを告げられたパーマーは、悔しげに俯きながらもすんなりとその言葉を聞き入れ、部屋を後にしていった。

 

「言葉でダメなら……走りで前向かすしかないっしょ」

 

確かな決意を胸に。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

何をどう間違えたのだろう。虚空を見つめながら、ライスの思考は独りでに空回りしていた。

 

「振り返っておくけれど、有記念は2500mのレースよ。あなたが味を出すには短すぎる可能性は十分あるわ」

 

また奪ってしまった。大切なものを……。ターフを駆けるウマ娘にとっての根幹となるものを、奪ってしまった……。

 

「それに今回からは、上の世代のメンバーも相手にしなければならなくなる……もちろん、あなたのひいきにしているあの娘もね」

 

ライスの胸の中にあるのは、絶望だけだった。自分は今まで、戦う理由の半分を『好敵手を取り上げた相手への言い訳作り』に依存していた。だが、今そのうちの一人の、生涯の戦友を奪ってしまったのだ。

 

「そのあたりは、ハヤヒデよりも一歩先に経験しているだけに分はあるけれど、正直焼け石に水ね」

 

あのとき、テイオー引退の報せを目の当たりにしたあと、オールカマーの勝者を探りに行ったところまでは憶えている。だがそのあとの記憶は曖昧だった。今朝どのように起きたのか、そもそも眠れていたのかさえもはっきりしない。

 

「前年覇者のパーマー、レリックが揃って出走しているし、今年ダブルティアラを獲ったペラもいる……ドリームレースの名は付いて然るべき陣容よ」

 

だからといって、何をしでかしたのかはすでに知れている。考えるまでもなく、明確に。

 

 

 

()()()()()()

 

「あの菊花賞を見て、あなたを推すファンは、少なくはないとは思うわ。でも、応えるのは今ではない、という考え方もある」

 

自分が甘えていなければ、プラン外だろうと出走をねじ込んでいれば、引き戻す道はあったかもしれない。まだテイオーは、ブーツを脱ぐべきウマ娘ではないのだ。

 

「メンタル面の課題持ちというレッテルは受けるでしょうけど、先を考えて温存するのもひとつの手よ」

 

いや、そうだ。それならばマックイーンはどうなる?有でのテイオー復活もなしに、彼女が繋靭帯炎からの再スタートを切れる可能性などゼロに等しい。そして彼女らに憧れたキタサンブラック、サトノダイヤモンドの二人は、果たして本来の通りにレースの道を選んでくれるのだろうか?

 

「尤も、あなたがそこで尻込みするタチだとは思っていないのだけれど」

 

もし懸念の通りになってしまうのだとすれば、顔向けできない、などというレベルの話ではなくなる。一体、何度詫び、どのように懺悔すれば、この罪は消えてくれるのだろうか。

 

「これは理性を最大限に訴えた夢のない一案に過ぎない。あの時のようにね」

 

思えばいつもそうだ。レースに挑むウマ娘らの想いを測り損ね、何も思い通りにできない、ならないことの連続だった。

 

何も掴めはしないくせに、折ってはいけないものは次々にへし折っていく──そんな本物(ライスシャワー)の成り損ないと化した自分の手元に、何が残るというのだろう。

 

 

 

 

──もう、やめてしまおうか。

 

 

 

 

「──今たに、踏み込む気はあるかしら?」

 

「……んぇ?あ、はい」

 

耳に飛び込んできた東条の声で現実に引き戻されたライスは、反射的に同意を返した。はて何の話だったろうかと記憶を遡った彼女は、昨日の菊花賞の結果を踏まえて次走の取り決めに来ていたことを思い出した。

 

「……切り替えづらいのは理解するけれど」

 

「え、あ、す……みません」

 

まだ菊花賞の悔しさから解放されていないと読み取ったのか、上の空なライスにため息混じりの活を入れながら、東条は先ほどまで話していたことの復唱に移った。

 

「……もう一度話しておくわね。今回の有記念の人気投票では、あなたが出走できるだけの票を集める見込みがついているの」

 

あの夜に考慮していたその可能性を改めて突きつけられ、ライスは何とはなしに胃を痛める。

 

「ライバルはハヤヒデだけではないわ。去年勝った二人や、あなたのひいきにしてるブルボンも出る」

 

ドリームレースと称されて然るべき顔ぶれになることは間違いない、と告げる東条は、続いてライスにその気があるかを問う。

 

「加えてステイヤー体質のあなたには、有の距離は短いかもしれない……そんな向かい風の状況の中、立ち向かう気概があなたにあるのか、という話よ」

 

その言葉を受け、ライスは一瞬という長い時間を迷う。一昨日までは過去の決断とのジレンマに苦しんでいた彼女が出した答えは、意外にも──。

 

「……出なきゃいけないなら、出られます。出ます。どうぞ出してください」

 

「あなたね……」

 

──投げやりともとれる回答として吐き出されたそれに、呆れたような声を出す東条。彼女が訊きたいのは出走の可不可ではなく、そのタイトルへの執着はあるか、だったからだ。

 

「出走については、もう少し後に考えることにしましょう。……ひとまず、休養日を延ばしておくから、気持ちの整理を付けてきなさい」

 

そう言って席を立つと、一度部屋を後にする東条。

 

「は……はい」

 

こうして、出走についての決定は一度先送りとなった。

 

「あぁ……何かもう、どうでもよくなっちゃったな……」

 

一種の解放感からなのだろうか、大きなため息をついてうな垂れたライス。

 

今の彼女にこの決断を下せるだけの気力はなく、思考の半分は空白の渦に放り込まれていた。

 

「俺はこれから、どの面を下げてターフに立てばいい……?」

 

この世界が辿るシナリオに必要不可欠である、テイオーの選手生命を間接的に手に掛けてしまった事実を突きつけられた今では、まともに出走に目を向けるには難しい状態にあったのだ。

事ここに至っては、夏にマルゼンから諭され不完全ながらも見出した『走る理由』も、本来のライスへ通さねばならぬ義理も、粉微塵ほどの力を持たなかった。

 

(もうこれ以上流れを壊す前に、辞めてしまうしか──)

 

損切りの原理から独りでに弾き出されたその案に必死で首を振りながらも、過去の決断との板挟みで実力など出せそうもない有記念に出走する決心はやはり固められなかった。

 

出るも難し、出ないも難し。なれば──。

 

「どうすればいいんだよ……」

 

絶望にも似た気持ちを抱えたまま、いつまでもライスは椅子から立ち上がれなかった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

『一年ぶりの復帰ということで、ファンの方々から不安の声は少なくありません。跳ね返す自信はありますか?』

 

『無論です。マスターより授かった鍛錬、情報、ほかすべての面を統合し考慮した結果、ミッション完遂の可能性は限りなく高いと断言できる地点まで到達しています』

 

テレビには久々の勝負服姿で映るブルボンがいた。URAのエンブレムが入ったインタビューボードを背に、機械然とした受け答えをしていく様は、かつて二次元道楽として観ていた彼女の姿と変わりない。

 

「今日はずっと元気がないですね、ライスさん」

 

隣のベッドから、不意にロブロイが言った。

 

「そうかな……いや、そうかもね」

 

反射的に否定しようとして、取り消す。体育座りの姿勢のまま、仏頂面で黙りこくって液晶を眺めている姿はまともな元気を持ち合わせている姿ではない。

 

「ご両親と食事に行ったんですよね?久しぶりに会うって楽しみにしていたような……?」

 

そうだね、と心情をはぐらかしながらライスは記憶を回想する。

 

東条と別れたあと、寮で夕方まで時を潰したライスは、両親との食事に赴いていた。出走祝いということもあったが、レースの観戦のために久々の帰国をしていたことによる久々の一家団欒が主な目的だった。

これで少しは気も紛れてくれるだろうかと思ったが、終わってみればそんなこともなかった。夜景を売りにする類の高級レストランに連れて行かれたせいで、あまり細かいことを考えていられる暇がなかったのだ。

もともとテーブルマナーに無知であることから、味を愉しむ余裕などなかった。現に今あの店で食べた料理が美味であったかそうでないのかも思い出せない。緊張のあまり、近況を問う質問に大丈夫プラスアルファの返事をするほかに動きのない娘の姿を、不審に思っていないか祈るばかりである。

 

「……もちろん、楽しみにしてたし、実際楽しかったよ?でもねお父さまったら、わざわざ贅沢なところに予約入れてて、それで──」

 

若干の愚痴混じりな語り口に、少しは元気も戻るだろうかと相槌を打ちながら聞き手に回ったロブロイ。

 

やがてひとしきり話し終わったライスがテレビを再び見やると、リポーターが締めの質問を投げかけようとしていた。

 

『では、最後に。あなたにとって、GIとは?』

 

極めてアバウトなその質問に、数秒の間熟考した彼女は、確固たる意志を瞳に宿しながらこう口にした。

 

『……私を形作る、ほぼすべて』

 

その一言の後、リポーターの謝辞とともに終了したインタビュー映像は、続けて番組スタジオのパネラーたちによって総括が行われようとしていた。

 

──それがライスのトラウマを抉る一打になるとは想定されるはずもなく。

 

『以上ミホノブルボンのインタビューでした。さて、今回の有馬記念はおよそ一年ぶりの復帰を表明した彼女と、前年覇者であるメジロパーマー、レリックアースたちの対決も注目されています。特に戦法の似通っているブルボン、パーマーの二人はBP対決として特に期待されているそうです』

 

『かたやクラシック三冠路線で無敗、かたや連覇を懸けた名家出身……お互いの境遇を考えると、去年春に行われた天皇賞のTM対決をつい重ねてしまいますからね』

 

連覇か、無敗か──。昨年に世間を沸かせた両雄の激突になぞらえて、感慨深げに語る両者。それ自体は、特に変わったところのないありふれたコメントではあったのだが。

 

「──うぷ」

 

「え、ライスさん……!?」

 

コメントを引き金に腹から込み上げてくるものを感じたライスは、手近な毛布を引っ掴むと自身をくるむようにしてテレビ音声から逃れた。隣から心配げな声がかすかに聞こえたが知ったことではなかった。間もなく心拍数の上昇を感じ取った彼女は、得体の知れない苦痛に支配される。

 

「ウ、アガァッ──」

 

「どうしたんで──いや、り、寮長を呼んできますっ!」

 

覆った毛布でも繕うことすらできないほど悶え始めたライスの様子を只事ではないと捉えたのか、寮長のヒシアマゾンを呼びに走ったロブロイ。待て、と呼び止めようとする頃にはもう言うことを聞かなくなっていた肉体に振り回され、迫り来る不快感から逃れようともがく。

 

間もなく寝返りを打つようにしてベッドから転げ落ちたライスは、勢いのまま仰向けになったところで、徐々に意識が遠のいてゆく感覚に苛まれた。

 

「ウ、ァァッ……」

 

はるか彼方へ向かって行くように小さくなる視界を、意味もなく片腕を伸ばし掴もうとして、次第に力なく垂れ下がる。

 

意識を失う直前に捉えたのは、テレビがおさらいに映していた、もう二度と叶わぬTM対決のワンシーンだった。




次は箸休めの幕間編。菊花賞覇者の誰かと誰かと誰かが有馬記念について対談する記事風な何かを綴る予定。つまり偽ライス君はまた2話先までほっとかれることに。


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PAGE:25 『三冠競走の牽引者たちが語る「私と、あなたのグランプリ」』

気づけば一周年でした。いつもご愛読ありがとうございます。

ちなみにナタールのキャラ付けは適当です。


ウマ娘たちの頂点を決める年末の祭典「有記念」が、12月26日に開催される。これを受けて月刊トゥインクルでは、今年の菊花賞にてレコード勝ちを飾ったビワハヤヒデと、昨年無敗クラシック三冠を成し遂げたミホノブルボン、そして二人と同じく菊花賞覇者であり昨年度の有記念の出走者でもあるリオナタールの対談を企画した。

 

ビワハヤヒデは去年9月、ミホノブルボンは2年前の9月、リオナタールは3年前の12月に、いずれもクラシック三冠を目標に活動を開始。各々ライバルと共に同世代のシーンを盛り上げてきた。ちなみにナタールは引退後ではこれが初めてのメディア露出とのこと。今回ではそんな三人に、自らのキャリアと有記念への想いについてそれぞれの視点から語ってもらった。

 


出会いはジンクスに阻まれた?


 

──三人が初めて会ったのはいつ頃ですか?

 

リオナタール どうでしょうね?私としては、面と向かって合うのは初めてだと思うんですけれど。

 

ミホノブルボン ……私の記憶メモリに、お二方とのマッチング記録のヒットなし。つまり『初対面』だと推測します。

 

ビワハヤヒデ 同じくだ。全員にとって、別世代のいち強敵として認識していた、というぐらいの関係性だと思うよ。

 

リオナタール ですよね?デビューは私が一番早かったんですけど、怪我もあって同じ世代以外の人と戦う機会はそんなになかったりしてて。もう本当に最後の最後にやっと、ってくらい。

 

ミホノブルボン はい。機会が、という部分は同じだったかと。私は今までクラシック級までの方々としか戦っておりませんから。

 

リオナタール あーそうだった。結構同じ(クラシック級の)タイミングで故障を起こしてたりするんですよね、ここ二人は。

 

ビワハヤヒデ ああ。私が言うと説得力はないが、妙にそういった流れがあったと感じることはある。菊花賞を獲ると長期休養に入ってしまう例はマックイーン君と……その1年前から合わせて4年も続いたからね。ジンクス、と言えば伝わりやすいだろうか。

 

リオナタール すごいジンクスですね、それ(笑)。そういえばマックイーンさんとも戦ったことなかった気がするし、菊花賞(を勝った者)同士でぶつかることって結構なかったりするのかなあ……って考えると、今回の有って結構貴重だったりするかもしれませんね。

 

 


自己主張と、夢と、証明と


 

──お三方にとって直近のGI勝利であります菊花賞。そこで1着を取ったときの感情などを、改めて振り返っていただければ。

 

リオナタール 直近といっても、自分にとっては最初で最後の、って感じなんですけれども(笑)。まあいろいろ重なって動揺もあった中というのもあるんですけど、やっぱりそれまで勝ってきたレースとは結構違う味わいだったなというのはあります。

 

ビワハヤヒデ そうだな。私のときは、その前に3つGIへ挑んでギリギリで跳ね返された、という分が溜まりに溜まっていたからね。それが最高の形で結実してくれたことには喜びが抑えきれなかった。無論想定外がなかった訳ではなかったし、「まだ気を引き締めていなくてはならない」と思えるよい勝ち方をした、させてもらったなという充実感が大きかったかな。

 

ミホノブルボン 私は……目標『三冠ウマ娘になる』が目の前まで迫っていたという前提がありましたから、お二方とは違うベクトルでの回答になるかもしれません。その上で発言するとすれば……勝利当時に発現・計測したステータス『歓喜』は、想定よりも小さいものであった、と感じざるを得ませんでした。

 

──それは意外です。

 

ミホノブルボン はい。しかし不満があった、容易すぎたからという訳ではありませんでした。ハヤヒデさんと同じく様々な困難を突きつけられたレースではありましたし、(ビワハヤヒデを凝視しながら)すぐ次の年で破られることになったのですが……レコードを更新したという栄誉も合わせて不足のない勝ち方ができましたから。ただし、言語化に窮するのですが……なにかが欠けている、と本能が訴えるように、思考回路にエラーが発生していて……。

 

リオナタール そうなんですか……?なんだか燃え尽き症候群、とはちょっと違うような感じですね。

 

ミホノブルボン ええ。ですがそうであるとも、そうでないとも取れるような不思議な感覚で……その意味を探すため、と表現するのはおそらく不適切となりますが、故障発生時から今まで現役続行の意思を折れずにいたのは、間違いなくそのときの記憶が背景にあったからと存じます。

 

──夢の続きを見たい、ということですね。

 

ビワハヤヒデ フフ。これから戦う私としては、喜ぶべきか迷うイレギュラーかな?

 

リオナタール いやぁ……自分としては三冠を取るとそう見えるものなのか、って思うばかりですね。自分のときは怪我で皐月賞に挑めなかったせいで、始まる前から潰えた夢でしたから。

 

──確かに、ナタールさんのクラシック級は年頭から長期の休養が発表されていましたね。

 

リオナタール はい。この三人の中では私だけなんですよ、皐月賞行ってないの。それでやっとダービーに出られる頃にはテイオーが頭一つ抜けてる、っていうその……大きい壁があったって状態で(笑)。

 

ビワハヤヒデ ふむ……だが、実際復帰後の君の活躍は目覚ましかった。条件クラス、トライアル、ダービーと駆け上がっていく様は私としても胸を熱くさせられたからね。

 

リオナタール えー!嬉しいです。やってきてよかったですね。正直あの時期の自分……というか割と最近までそうだったんですけど、ファンの人たちの声って聞こえてるけど聞いてない、なんておかしな状態だったりしたんですよ。

 

──なにかプレッシャーのようなものに追い詰められていた、ということでしょうか。

 

リオナタール そうです。やっぱりあのとき、自分たちの世代で誰が注目されてるかって言ったらテイオーしかいなかったんですよ。そのテイオーが消えて、主役不在って呼ばれる中で菊花賞に行くことになってたんですよね。

 

──かなり切実な状態だったんですね。

 

リオナタール ええ、本当に。ダービーでは結構離されて2着だったので、正直誰よりも差は感じてたんですよ。でも3000mならチャンスがあるだろうって持ち直した矢先にコレで。

 

ビワハヤヒデ ……倒すべきライバルを失うというのは、それほどまでに恐ろしいのだな。

 

リオナタール はい。こうなるともし怪我がなければ、とかテイオーの強さはもう一人歩きしていくばかりで、自分ってなんだろう?という。自分は「テイオー以外」にしかなってなくて、「私、私、私。私はどうなんだ?」って盲目的な、そんな状態です。

 

──ですが今では、あの菊花賞はファンの間では名勝負として語り草となっています。掲示板に載った他の面々も、以降話題を提供し続けてくれましたね。

 

リオナタール ……ええ。でも自分はもうただ「やってやったぞ」というその……いっぱいいっぱいだっただけで、それからはまったく振るわなくなってしまいましたから。あの後もずっと存在感を出してる(ナイス)ネイチャや、シダー(ブレード)、他の皆は……本当に凄いです。

 

 


グランプリの景色


 

──それではいよいよグランプリについて話題を移しましょう。近日開催のGI・有記念について、まずは現役のお二方の想いをお聞かせください。

 

ビワハヤヒデ そうだな。私としてはシニア級の先輩方と初めて顔を突き合わせる場だ、大いにリスペクトを持ちつつも……ああ、妹になぞらえて言うなら、狩り尽くす、という気概で挑ませてもらうつもりだよ。

 

ミホノブルボン 同じく。先ほども述べましたが、私にとって同世代の方々以外と競うシチュエーションはこれが初です。そしてその場は、この一年向き合ってきたあらゆることへのアンサーを出すには最適な舞台だと認識しています。三冠という称号を背負うに相応しい走りを……皆さんにお見せします。それだけです。

 

──ありがとうございます。ではナタールさん、去年の有記念出走者として、今振り返ってみて見えるもの、というものがあれば、是非おっしゃってください。

 

リオナタール ……そうですね、競技に出なくなってからも、やっぱり有は自分にとって特別なレースではあるな、と。でなきゃここにいないですから(笑)。今思えば、あの場に一度きりでも出ることができたのは、ちゃんと私のことを見ていてくれた人たちがいたからなんだよな、とここにきて改めて振り返ることができましたね。

 

──確かに、有記念とは出走にファンの投票を必要とするレースですから、応援してくれる人々の想いというものが最もダイレクトに伝わってくる場所ではありますよね。

 

リオナタール はい。それを伝えに来てくれた(ファンの)皆さんへ、現役中に目を向けられなかったのは、痛恨の極みだったなと。

 

ミホノブルボン  ……この流れで話すべきではないのかもしれませんが、ファンの皆さんの声がこちらに届くというのは本当に嬉しいことです。SNSの類にはあまり触れられてはいないのですが、マスター(=トレーナー)からという形でメッセージを聞くことも多くありました。先ほどは足りないものの意味を探すため……というように形容しましたが、実際にはその声も原動力になっていたかと。

 

ビワハヤヒデ 目標のためだけではなく次第に応援してくれる誰かのために、という想いも混ざっていく感覚だろう?

 

リオナタール うわぁ、ものすごく羨ましい(笑)。

 

 


グランプリと、その先


 

──最後に。この有を越えてからも続く皆さんの未来について、思いの丈を語ってください。

 

ビワハヤヒデ ……そうだな、私は気持ちを込めすぎると話が長くなるタチでね。手短にいこう。まず私の勝つ姿に夢を見てくれる人々がいると定義した上で──。

 

リオナタール もう長くなりそうですね(笑)。

 

ビワハヤヒデ (笑)。では伝えるだけにしておこう。私はこれからも自らの望む勝利、栄光のために、理論を証明していくだけだ。だから見ていてほしい、とね。

 

ミホノブルボン ……私も変わりません。私の走りに夢を見て、今まで待っていてくれた方々に、ただ全力を捧げ続ける、とだけ。

 

──ありがとうございます。全力で駆け抜けるお二人の姿を、これからも追っていければと思います。それではナタールさん、どうぞ。

 

リオナタール 私もですか!?あーその、まあこれからもセカンドキャリアが待ち受けているんですけども、そこでもう一度皆さんに注目されるようなすごいことをしでかしたい、という感じですかね。

 

──ありがとうございます(笑)。ちなみに同じく引退済みの同期の二冠ウマ娘・トウカイテイオーさんは所属チームに身を置きながらトレーナーとしてのセカンドキャリアを歩んでおります。ナタールさんも、そういった後進育成などの考えはありますか?

 

リオナタール あ〜えっと、今のところは全部未定です(笑)。それもいいな、あれもいいな、って感じなので。でも勇気は同期にものすごくもらってきましたから、ほんとに飛んでいくだけって感じです。シダー見てて!私もまだ消えないぞ!

 

 

 

 

──開幕の迫る年末頂上決戦。同レースにはハヤヒデとブルボンの両名も出走予定だ。そのほか注目メンバーも数多く集まる舞台にて、頂点を掴むのは誰になるのか。




アニメSeason3エグい……。

次回、『残影─有記念─』。


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PAGE:26 『RE/PLACE 残影─有馬記念─』

お待たせしました。お待たせしすぎました。

マイナーチェンジを遂げた拙作を、これからもよろしくお願い致します。


「──ハッ」

 

悪夢から覚めるかの如く体を起こしたライス。

 

少しの間呆けた後に見回してみると、自分は病院の部屋内にいるらしかった。

 

「ライスッ!」

 

まもなく記憶を辿ろうとしたライスの意識を、ある声が引き止める。

 

ベッドの側を見れば、ミーティング以来別れていた東条がいた。

何を伝えるかは決めていないが、それでもまずはと口を開こうとして。

 

「……みなまで言うな、もう聞いている」

 

ただし、切り出しの言葉は真っ先に堰き止められる。どうやら彼女はすべてを知っているようだ。

 

「すみません、その──」

 

「お前が謝ることではない。突き詰めれば、私のマネジメント不足が招いたことだ」

 

心配をかけた、と詫びようとしてかき消される。一瞬沈黙が流れたあと、再び東条が口を開く。

 

「……医師からは、ストレス由来の疾患が重なった……いわゆる併存症によって蓄積したダメージの結果だと判断を受けた」

 

重たげに口にされた総括を、ライスは目を合わせて聞き入ることはできなかった。

続けて熟眠障害、胃炎、その他諸々をセットで患っていたらしいことを告げた東条は、気まずそうに訊いてきた。

 

「お前にとって、リギルの名は重すぎたのか」

 

それは、とライスの言葉が詰まる。

先述のミーティングでの様子が、その想像を手伝ったのだろう。チームの未来を占うレースで勝ちきれなかったことを気に病んでいるのでは、と疑われていても不思議ではなかった。

 

「いや……その、誰のせいでも……強いて言えば自分が──」

 

錯乱寸前の頭脳が自責を訴えようとしたとき、忌まわしい改変を回想したのが引き金となる形で、ライスの身体を蝕む。

胃からこみ上げる何かが、彼女の言葉を引き戻した。

 

「……自分が悪い、自分のせい。人は追い詰められたとき、いつもそう言うんだ」

 

口に出せなかった言葉を、都合の悪い方に補完されたのだろうその一言に歯噛みしながら、苦痛に耐える。

違う。貴方に責任を問える部分など何一つない、これは自らの選択の結果に他ならない──。そう口にするどころか、声帯は言語を発することすら断固として拒否してきた。

 

「トレーナーとして不甲斐ないばかりだ、すまない」

 

やがてシーツを汚す結末は避けたライスが荒い息遣いで東条の方を見やると、そこには彼女が頭を下げる様子が映る。

 

「トレーナーさん……」

 

物理的なものでない痛みが、心臓の動く度に襲いかかってくる。

 

結局ライスは、何も口にすることができなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「……調子はどうだろうか」

 

翌日、病室を訪れたのはルドルフだった。

 

入室時に驚いたライスが、庶務ひとりが抜けているのに来ても大丈夫なのか、と開口一番に訊いて、二人抜ける位で瓦解する運営はしていない、と笑っていたのは余談として、やりづらい相手の訪問に彼女が選んだ返答は無難なものだった。

 

「今はなんとか。……すみません、その、最近疲れてしまっていて」

 

あなたの産駒を潰して思い悩んでいた、とまさか口にできるはずもなかったゆえの虚勢だったが、実際の調子としてはまるで徹夜をしているときのようなだるさとしこりを感じており、早いところもう一眠りしてしまいたいくらいだった。

 

「……こんなときくらい、気を張って敬語を使わなくても構わない。そうだな、タメ口なんてどうだろう」

 

「ふふっ、お気遣いありがとうございます」

 

ルドルフの発言をジョークと捉えたライスがそう笑んでみせたところで、出迎えのフェーズを終えた二人。

重い沈黙が一瞬部屋に横たわったのち、次に口を開いたのはルドルフだった。

 

「こうなるまで気づいてやれなかったのは、私の失態だな。君の……仮にも先達として、恥ずかしい限りだよ」

 

悔やむように放たれたのは、昨日の東条とよく似た言葉だった。

生徒会役員としても、チームメイトとしても長く行動を共にしてきた身ゆえではあるだろうが、そこそこの情を持っていてくれたらしい彼女へ、申し訳ない気持ちが徐々に湧き上がってくる。

 

「……会長が気にすることではありません、私が勝手に落ち込んでいるだけですから」

 

昨日東条へしてみせたようにフォローを入れるライスであったが、やはりルドルフは首を横に振る。

 

「そういったウマ娘も救えてこそ、私の夢は意味があるものになるんだ。……だから、今はただ詫びさせてくれ」

 

懇願するように頭を下げるのみの彼女に、ライスはまた何も言うことができなかった。

自らの不甲斐なさのあまりため息をついてしまった彼女は、とうとう負のスパイラルへ身を投じてしまう。

 

「……ダメですね、私。こうやってすぐウジウジ悩んで勝てなくなって、結局体まで壊しちゃって」

 

夏にマルゼンに諭してもらったときもそうだった、と自嘲するように呟いたライスからは、堤を切ったように自責が溢れ出す。

 

「いろんな人の夢を壊して、捻じ曲げたくせに、それに見合うだけの結果も出せなくて。ただのわがままで済めばどれだけよかったのに、なんて何度も考えたんです、これならいっそ──」

 

「ライス君、一体何を……?」

 

脈絡もなく自責を口にする彼女へ異変を感じるルドルフだったが、遅れてライスの瞳に自分が映っていないことを察してまもなく、決定的な言葉を聞き届けることになる。

 

 

「──やめてしまえれば、楽なのに、って……」

 

 

それが何を指すのか、聞くまでもなかった。わずかに俯くようにして言葉を探したルドルフは、おもむろにライスを抱きしめる。

 

「……君が潰れれば、悲しむ者もいる。それだけは忘れないでくれ……!」

 

そのときのライスの顔は、ルドルフには見えていなかった。

 

「下してきた相手に合わせる顔がない、と言いたいなら……気に病む必要はない。全身全霊で駆ける君を、誰が糾弾できようか」

 

その言葉は、決して的を射たものではなかった。しかし、ライスの涙腺の決壊に値する言葉だった。

 

「う、うあああああああああっっっっっっっ!!」

 

自分のやったことへの罰が欲しかった。何よりも、背負った十字架を許して欲しかった。

 

だがルドルフは言う。お前は許されるべき罪など、最初から背負っていないと。

 

彼女がこちらの事情を推し量ってくれているはずはなかった。いわば上辺だけに等しい言葉ではあったのだが、そんなものでも縋らざるを得ないほどに、ライスの精神は疲弊していたのだろう。

 

「……今は泣いても構わない。この刻を乗り越えた後に、より強くなった君へ会えることを……楽しみにしているよ」

 

ルドルフの言葉への返答は、嗚咽に支配されたライスには紡げなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあいよいよ登場だ!年内最後の大一番・有記念、この一番人気を戴くウマ娘のお目見えです!』

 

12月26日、聖夜の余韻も冷めやらぬ世間を賑わすメインイベントが、中山レース場にて幕を開けようとしていた。

 

「……ライス、お前の贔屓っ子だ」

 

そう東条が声をかけた教え子の顔は、ひどく暗い。

 

「……ええ」

 

短い返答を以て反応とした彼女は、今は()()()()()()()東条と行動を共にしている。

 

 

──結局、医者に年内一杯の出走制限を言い渡されたゆえに、現地観戦という形で帯同を懇願した。

 

 

あるべき形から捻じ曲げた業に対するせめてもの行いとして、このレースの行く末を見届けなければならないと考えた故の行動であったそれは、もちろん普段の対策研究とは根本的な意図が異なる。

 

『デビュー3年目で初の有馬記念出走!唯一絶対の武器は、サイボーグの如く正確無比な逃げ!クラシック三冠を無敗で達成した史上二人目のウマ娘となってから一年も戦列を離れますが、慕うトレーナーのスパルタ練習で差を埋める精神力は当代随一!』

 

パドックへ響く口上に、一切の感情も表さず佇むライス。何も知らなかった頃の自分を思い返して自嘲する、といった段階は、とうの昔に過ぎ去っていた。

 

『彼女は言う──GIとは、今の私のほぼ「全て」だと!至上命令は優勝のみ!快速栗毛超特急、ミホノブルボン!』

 

そのコールとともに、歓声が沸き立つ。

 

『さあお聞きくださいこの大歓声!一年ぶりの出走ながら、注目度はまっっったく衰えません!これこそ無敗を貫く三冠ウマ娘の威光、とでも言いましょうか!』

 

『前年の菊花賞ぶりの有馬記念出走、というのは去年のリオナタールも該当しましたが、やはりその称号が付くと違うものですね』

 

ブルボンにとっては、大きく期間を空けての復帰であったこのレース。前例を回顧しながらも、やはり熱量に圧倒されている様子の解説をよそに、会場のボルテージは高まり続けている。

 

「パーマー相手でもいける!君の逃げが世界一だああっ!」

 

「また、テイオーの分も頑張ってくれー!」

 

周囲から飛び出るその声援は、努めて聞こえないよう振る舞った。もし耳に入れてしまえば、自分の中のなにかが真っ二つに割れてしまうような気がして。

 

(どうなっちまうんだ……もうわからない……)

 

勝者とイレギュラーの出入りが行われたと言ってもいいこのレースに、内心でそう洩らした。

 

一着となるべきテイオーの離脱と、一着になり得るブルボンの参戦が同時に起こった以上、いよいよ展開は予測がつかないものとなるだろう。

 

贔屓目抜きにも、ただ単純にハヤヒデが繰り上がるだけのレースになるとは思えなかった。

 

(……駄目だな、これ以上考えたら俺は……)

 

(きた)る未来に思考を巡らせる度に、逸りだす心拍数を自覚したライスは、改めてレースの注視へ重心を移す。

 

発走の刻は、すぐに来てくれそうになかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『さあ、今年もいよいよこの日がやってきました。暮れの中山レース場、吹きすさぶ寒風をも跳ね返すほどの異様な熱気が、ターフと観客席を包んでいます。GI・有記念です!』

 

『そうですね。豪華メンバーが揃っていますし、素晴らしいレースが期待できます』

 

ファンの夢を載せた大一番の迫るこの中山。すでにフェーズは本バ場入場へと移行していた。

 

『さあ、ウマ娘たちが続々とターフへ姿を現しました!』

 

勝負の舞台へ上がったウマ娘たちを見届け、実況はそう宣言する。

 

『ブーツを脱いだ帝王の意志を継げるか、名刃・シダーブレード!』

 

『末脚一本で3年分の鬱憤を晴らしたオールカマーは強かったですね。今回も伏兵として鳴らしてくれるのか、期待しましょう』

 

最初に実況の食指が向いた先は、ライスの代わりに入ったとおぼしきウマ娘だ。

 

(諦めておかしくなっちまったのかな、俺)

 

ライスにとっては計算違いを起こしてくれた忌まわしき相手ではあったものの、不思議と彼女に憎悪は浮かばなかった。

もはやそういった負の感情を湧かせるエネルギーすらなくなっているのか、あるいは──いや。自分でもわかりきっているからだろう。シダーの意地を呼び覚ましたのが、自分の決断の産物であったことが。

 

『こちらは去年の有記念の覇者、メジロパーマーです!』

 

『逃げウマ娘としての素質は一級品です。スタート間もなく先頭に立ってペースを作れば、二連覇も夢ではありません』

 

続けてコールされたのは、現役屈指の大逃げ使い。本来なら観客席に立つ盟友・ダイタクヘリオスへ陽気な振る舞いを見せているはずの彼女だったが、その表情は重い。

 

「……見ててよ、マックイーン」

 

意識をレースへ向け一点集中する彼女から零れた決意は、誰の耳にも拾われることはなかった。それは記憶との相違に違和感を覚えていたライスも例外ではなかった。

 

『長距離ならば他者に引けを取らない、このマチカネタンホイザも怖い存在です。ナイスネイチャもブロンズコレクターの名を返上し、有の栄誉を手にしたいところ!』

 

まとめて行われたカノープスメンバーズのコールに、シダーのときと同じくライスは気を重くした。テイオーを意識する存在として、特に同期同士のネイチャに与えたダメージは大きいと考えていたからだ。

 

『メジロパーマーと同じく前年覇者にして、ジャパンカップでは世界の名だたる強豪を捩じ伏せ、価値ある勝利を収めたレリックアース!その向こうに見えるのは、次世代の担い手のひとり、ウイニングチケット!』

 

今年の東京芝2400mにて最強を証明した二人も紹介され、ターンはいよいよテイオーにあたるところへ移行した。

 

『さあ注目は彼女、ビワハヤヒデ!連対率は驚異の100パーセント!堂々の二番人気、ファンの期待に応えられるでしょうか!?』

 

『ライバル筆頭と目されていたライスシャワーの回避は残念でしたが、安定感あふれる走りは期待大です』

 

しかし、順序が入れ替わったか、先に自身にとっての宿敵でもあるウマ娘が姿を現す。

さらっと触れられた自身の話題にどきりとする間もなく、真打は現れた。

 

『そして、一年ぶりにターフに姿を見せたミホノブルボン!休み明けもなんのその、一番人気で有記念に挑みます!』

 

威風堂々と歩みを進めるその存在。本来この場に立つことのなかった彼女は、奇しくも本来の勝者と同じ口上を以て迎えられていた。

 

(……本当なら、諸手を挙げて祝ってやりたかったのにな)

 

贔屓のウマ娘の登場に関わらず、やはり苦々しい表情で目を向けるライス。

一度封じておきながら、またとめどない想いがあふれそうになる彼女だったが、ファンファーレの迫るこの刻に、感傷に浸る時間は与えられなかった。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

『……場内にファンファーレが響き渡ります。さあ、今年のナンバーワンを決める有記念。各ウマ娘、枠入りは順調に進んでいきます』

 

開幕を告げる音色を背に、戦地へ足を踏み入れんとするウマ娘たち。各々の想いを携えた彼女らが放つ覇気は、レース場を最高の舞台へと変えた。

 

『それぞれ真剣な面持ちで、応援を送るファンの期待に応えるべく、ゲートが開く瞬間を待っています!』

 

スタートラインに立ったメンバーの表情をそう評した実況は、大外枠のメジロパーマーのゲートインを認めると、高らかに発走をコールした。

 

『さあ、14人枠入り完了しました!今年最後のGI・有記念……今、スタートしました!』

 

勢いよく開かれたゲートから、一斉にウマ娘たちが飛び出す。出遅れはなかった。

注目の集まる序盤の先頭争いへ、最初に先陣を切ったのは。

 

『まずはメジロパ……いや、ミホノブルボンだ!』

 

大外枠から果敢に飛び出さんとしたパーマーの先を越したウマ娘へ、一同がどよめく。

 

『ロスが少ない内からの出走でしたからね、当然でしょう』

 

しかし一方で、解説には納得の色が浮かぶ。パーマーに最も効果的かつ現実的な負け筋の突きつけ方は、同じ逃げウマ娘であるブルボンからマークを受けることだと考えていたからだ。

 

『しかし大逃げを打つには苦しいのではないか、どうしたブルボン!』

 

一方で、パーマーの前に出る以上は避けられぬだろうその義務を叫ぶ実況。

菊花賞にて勝利を収めたとはいえ、好きに使い倒せるほどスタミナが豊富なわけではない。

ただし、一連の対応を、ライスはこう捉えていた。

 

「「……いや、ブルボンは一度この展開を見てるからだ」」

 

このとき彼女は、自分と誰かの声が被ったことに気づいた。左右を見やると、レースを食い入るように見つめるメガネの男性が目に入る。

 

「……どうした急に」

 

「ブルボンは前走……413日前の菊花賞で、パーマーよろしく大逃げを打ったキョウゾンアロウズにハナを奪われた経験がある。それで掛かりに掛かって結局ハナ差での辛勝を強いられた彼女は、この失態を強く認識しているはずだ。なにせ『サイボーグ』と呼ばれた超ストイックウマ娘だからな」

 

その隣にいたパーカーの男性の声を意に介さず、語り続けていた彼の正体には心当たりがあった。

アニメseason2より、視聴者への『説明役』として大いに個性を発揮したキャラクター『みなみ』と『ますお』その人だ。

 

「……勝てると思うか?」

 

「それ聞いちゃう?去年の無敗三冠ウマ娘だぞ?」

 

恐らくますおは、丸一年ぶりの出走であることを懸念していたのだろう。しかし彼が放った質問は、ブルボンの称号を引き合いに出されたことで沈黙させられる。

奇しくも、本来この場にいたテイオーへ向けられたものと同じ構文で放たれたその台詞。しかしその後に続く声は、ない。

 

『さて選ばれし優駿たちが第4コーナーを回っていく、先頭は変わらずミホノブルボン』

 

されど、各人の感情に左右されることなく、レースは淡々と続いていく。

逃げる先頭と先行勢の間には、さほど距離が生まれていなかったが、それはブルボンの仕業というわけではなく、元々が例年よりペースが速い展開だったからだろう。

 

『レリックアースが2番手、ビワハヤヒデは現在3番手、後ろからヴァイスストーンも行く!』

 

『やはりミホノブルボンは譲りませんね、一年ぶりのレースでもいつもの感じで行くのでしょうか』

 

パーマーを果敢に抑えるブルボンによって先導される形で、レースは運ばれていく。

未だ健在か、と解説の安堵から間もなく、スタンド前へウマ娘たちが足を踏み入れていた。

 

『各ウマ娘、一周目のホームストレッチに入ります。中山のファンの前を、14人のウマ娘が駆け抜けていきます!』

 

眼前を走るウマ娘たちへ向け、あらんばかりの歓声が届けられる。

 

「ブルボンが走ってる……」

 

「……見に来てよかったよ」

 

そこには、去年のブルボンを知る者たちの感激の声も混ざっていた。

特に動きなくその後のコーナーを進んでいったウマ娘たちは、バックストレッチへと向かう。

 

『さあ、第2コーナーを抜けて向正面に入りました14人、現在の並びを確認していきます』

 

レースも折り返しとなり、初めて全体の順位の振り返りが行われる。

 

『ミホノブルボンが先頭、その外にメジロパーマーがいる形、ヴァイスストーンが3番手、レリックアースが4番手、ビワハヤヒデ5番手、その後ろウイニングチケット、そしてペラ!ファーメントウィン、ナイスネイチャ、デュオプリュウェン、シュプールムーバー!アベックドリーム、マチカネタンホイザ、シダーブレードといった展開で進んでおります!』

 

コールされた中位陣は、自分とテイオーがいた本来のものとおおよそ変わっていない。ただし、入れ替わった二人が先頭と最後尾を占める形となっていた。

 

『大方の予想ではメジロパーマーが先頭でレースを作ると思われましたが、ミホノブルボンが御した形ですね』

 

『そうですね。そのせいか14人がほぼ10バ身以内に収まっていますからね。誰がこの先上がってくるかも読めないレースになりました』

 

先頭から最後尾まで小さくまとまったレースをそう評した──ブルボンがハナを取らなくてもこうなっていたことは知る由もないだろうが──二人。

 

『前回の有記念はまんまと逃げ切ったパーマーですが、今回は厳しいかもしれません。BP対決は勝負ありかというところで、レースはいよいよ第3コーナー。誰が仕掛けるかという場面にやって参りました!』

 

以前から注目されていた対決に触れたところで、終盤への突入を告げた実況。

アニメになぞらえれば、『絶対に勝つ』と一行が闘志を滾らせる場面だった。

 

『さあ、レースは第4コーナーに差し掛かります。ビワハヤヒデ、ウイニングチケットがじわじわポジションを上げていく!レリックアースも動いているか……おおっと!』

 

BNW勢と前回覇者の動向に注目した実況から、驚愕が零れた。

 

『ここでビワハヤヒデが仕掛けてきた!菊花賞ウマ娘のビワハヤヒデ!ぐんぐんとスピードを上げていく!』

 

注目バのスパートに、歓声が沸き立つ。すでにパーマーに手をかけていた彼女だったが、それを一瞥した先頭は、ひとつの回答を提示する。

 

『メジロパーマーをかわして……あーっとミホノブルボン加速!まだ二の矢を残していた!』

 

二番手に上がったハヤヒデに大勢が決まったかと思いきや、ブルボンが突き放さんと踏み込む。菊花賞すら逃げ切った、底なしの根性がそうさせたのだろう。逃げてなお切れる脚を残すその様は、かつてターフを沸かせた異次元の逃亡者・サイレンススズカを彷彿とさせた。

 

『この二人についてこれるウマ娘はいるのでしょうか!?ペラか、レリックアースか、ウイニングチケットはどうか!?』

 

続いていたウマ娘たちを見やる実況。しかし、このレースはもう二人のものか──。

そう先頭二人の叩き合いとみなした彼女が、直線に入ったウマ娘たちへ目をつけたそのときだった。

 

『ナイスネイチャが来たー!』

 

それは、位置を上げたらしい3番手へ向けた台詞だった。しかし──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ナイスネイチャが来た!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アナウンサーとして染みついた感覚から、無意識に放たれていたそれに自ら慄く赤坂。

 

 

 

──この日オーディエンスは、一世一代の意地を見る。




多分、当作品で初めてみなみとますおを使ったんじゃないでしょうか。
ブルボンのパドックの前口上は、言うまでもなく某年末漫才グランプリのオマージュです。

次回、『覇者─有馬記念─』。

有馬記念(1993)
トウカイテイオー OUT▼
ライスシャワー OUT▼
シダーブレード IN△
ミホノブルボン IN△


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