異世界の不思議な喫茶店でワンオペしてるバイトです (モーム)
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うちの店。お姫様しか来ねえ

   

「おいバイト、これはなんという機械なのだ?」

 

 椅子に座ったフリルドレスの女の子が、テーブルの上におかれたコーヒー・サイフォンを見ながら聞いてくる。

 頬杖をついて興味なさげにしているけれど、目はキラキラ光って興味津々。

 

 食いついたな、と心の中でガッツポーズ。

 

「サイフォンといいます。下のポットで加熱されたお湯が上の漏斗にのぼり、そこでコーヒーを抽出するんです」

 

 本当のところはもっと複雑なんだけれど、今日のお客様──リリーナ・ロリリア王女──にはこれで十分だろう。

 事細かに質問されたら、その時にしっかり答えればいいんだし。

 

「なるほどな」

 

 これでOKだったみたい。

 興味をおさえられなくなったんだと思うけど、テーブルに身を乗り出して、今まさにフラスコから漏斗に上がっていくお湯をまじまじと見つめている。

 

「そちらの世界に、こういうものはありますか?」

 

 彼女は何度も来てくださっているけれど、アニメでよく見るファンタジー世界らしいってことしか知らない。

 

 ふむん、とリリーナ王女が相づちをうってくれる。

 家来にするような相づちだけど、彼女は王女様なんだから、アルバイトのボクにはだいぶもったいない。

 

「錬金術師がこのような道具で、なにやら作っているのを見学したことがある」

 

「フラスコで実験ですか?」

 

「そうだ。ガラスの中の霊薬(ポーション)を沸騰させて、なにやら抽出させていた……と、思う」

 

「なるほど……」

 

「蒸発した液体が別のフラスコに注がれていくのが不思議でな、よく覚えている」

 

 中学でやった蒸留とか分留の実験みたいなものかな。

 王女様が言っているのは分留実験だと思うけれど、異世界の霊薬(ポーション)からどんな成分が抽出されたのか、すごく気になる。

 

 ボクが聞こうとする前に「だがしかし……」とリリーナ様が話を続ける。

 

「いつも貴様(バイト)がやっている、紙でろ過する……ドリップ式ではいかんのか?」

 

 どうしてそんなことを聞くのだろう、と首をかしげてしまった。

 それを見た王女様が、察しの悪いボクに説明を加えてくれた。

 

「これでは時間がかかるだろう。いつまで客を待たせるつもりだ」

 

 あ、そういうことか。

 よく見れば王女様は頬をふくらませて、年相応の子どもらしくむくれている。

 いつもお行儀よく飲んでくれているけれど、きっと、ごくごく飲みたかったのかもしれない。

 

 だけど今日ばかりは、今しばらく辛抱してもらう。

 

「いいえ、王女様。このサイフォン式がいいんです」

 

 ワンオペのバイトとはいえ(言ってて悲しくなってきたな)、ひとり喫茶店を預かっているんだから、ボクにもプライドがある。

 

「その心は?」

 

 待たされてすこしいじけているみたい。

 

「見て分かるとおり、これは時間もかかるし手間もかかります。正直、ちょっと面倒です」

 

 ドリップ式ならカップとフィルターがあればすむけど、サイフォン式は実験器具みたいにごちゃごちゃしてて、準備が面倒くさい。

 ボクがどんな結論を言いたいのか分からない様子で、リリーナ様が首をかしげる。

 だいぶかたむいてる。

 

「でも、見ていて楽しいでしょう?」

 

「それはまあ、認めるが……」

 

 やぶさかでないといった口調だけど、頬も赤くなっているし、とても楽しんでもらえたんだろう。

 

「面倒だからいつもはやりません。今回は特別なので、このサイフォンを使いました」

 

「特別?」

 

「はい、特別です」

 

「ふむ……そうか、特別か……特別……」

 

 威厳ある王様のように腕を組んで胸を張っているけれど、口元がゆるんで「~」なんて形になっているし、犬だったら尻尾をぶんぶん振ってそうなくらい、幸せオーラを振りまいている。

 

「いかがでしたか、王女様?」

 

「……くるしゅうない」

 

 口調は堅苦しいけど嬉しさは隠せてなくて、そんなに喜んでもらえるとこっちもすごく嬉しい。

 いやチョロいな……。

 本心だけど、こう簡単に信じてもらえると、なんだか不安になる。

 

 ツンと澄ました育ちの良いペルシャ猫が、お行儀よく座りながら尻尾を振って楽しんでいる感じ。

 小動物的にかわいい。

 

 威張ろうとがんばっているけれど、逆に微笑ましくて笑みがこぼれる。

 きっと王宮でもこうやって愛されているのかも。

 

「コホン」

 

 ふと、だれかが咳払いをした。

 お付きの女騎士の人(アグリアスなんとかさん)だ。

 入店するなり「使用人、私のことはけっこう。構わないでよろしい」と言われたまま、そのとおりに気にしていなかったから、ほとんど忘れていた。

 

「姫様。油断してはなりません。この得体の知れない黒い液体を、錬金術師どもとおなじ道具で作ったのです」

 

 ぎろり、と鋭い視線がこっちをにらむ。

 射殺すような目つきで、喉の奥から出したことのない変な悲鳴が出そうになった。

 なんとか悲鳴を飲み込む。

 

「なにを言うか、お前は知らないだろうが、私は何度もこの店のコーヒーを飲んでいるのだぞ」

 

 せっかくこれからコーヒーブレイクだったのに、と不機嫌にむくれてる。

 

 ボクはといえば、あんまり困ってない。

 コーヒーを飲む文化のある世界や地域からきた人ならともかく、そういった風習のないところからきたお客さんは、まず疑ってくるものだし。

 そういうお客さんはそこそこいる。

 

「油断させてから毒殺するのかもしれません」

 

 その発想はなかったな……。

 たしかにカフェインは飲みすぎたら毒だけど。

 

「こいつが? 虫が出ただけで悲鳴をあげる腰抜けなのに」

 

 それはそうですが。

 女騎士さんからの視線がバカにしたようなものになっていたたまれない。

 時給900円に、こんな冷たい目を向けられる給料は入ってないのに……。

 

「たしかに、人に手をあげられるような男には見えません」

 

 すっごいバカにしたよね?

 そうやって心をグサグサ突き刺すのはやめてください。

 そろそろ、泣く。

 

「剣から手を離せ、バイトに対して無礼であるぞ」

 

 バイトって王女様から気を使われる立場だっけ?

 というかずっと剣に手をやっていたんですね、アグリアスさん。

 ちょっとでも選択肢を間違えたらバッドエンド待ったなしだったじゃん。

 今さら怖くなってきた。

 

「ここで殺すのはやめておきましょう」

 

 後で殺されそう。

 

「うむ」

 

 うむじゃないが?

 

「ですが姫様、あなたのお口に入れる前にやることがあります」

 

「ふむう」

 

「毒見をいたします」

 

 毒見。

 

「ならばよし」

 

 いいんだ!?

 

「……毒見用に入れ直しますか?」

 

「そのままでいい。姫様の口に入るものと同じでなければ意味がない」

 

 さようで。

 

 うーん……。

 リリーナ様にお出しする分しか作ってないから、ポット1杯で……カップ2杯分くらい?

 そう何杯も飲まれないお客さんだからちいさいポットで作ってしまった。

 

「1杯ならこのまま出せます。2杯も飲まれるなら、また作り直す必要がありますけれど、どうしますか?」

 

「1杯でいい。よこせ」

 

 おおせのままに……。

 危うく命の危機だったせいで指が震えるけど、コーヒーカップに注ぐくらいは目をつむってもできる。

 

「砂糖とクリームは?」

 

「む」

 

 すこし考え込むように、アグリアスなんとかさんの動きがとまる。

 顎に手を当てて考える姿は凛々しくて、こっちに敵意がなかったら胸が高鳴りそう。

 今もボクの心臓は高鳴ってるけど、これただの恐怖なんだよな。

 

「姫様はお入れになられるのか?」

 

「たくさん」

 

「ではそれで」

 

「バイト……貴様……」

 

 いつもたっぷり入れてるのが、子どもっぽくて恥ずかしいと聞いた覚えがある。

 でも今はちょっとそれどころじゃないので、恨みがましい目を向けないでください。

 年下の女の子にそんな風にみられると心が痛い……。

 

 ウェッジウッドのカップに音もなくコーヒーを注ぐ。

 白を基調として、縁に紫と金の装飾が綺麗なカップで、普段は使わないけれど、リリーナ様のようなこだわりのあるお客さんにはこれがちょうどいい。

 

「ふむ……まぁ、王族にも失礼のないカップではある」

 

 女騎士さんにも気に入ってもらえたみたい。

 

 量はそんなに多くない。

 エスプレッソほど少なくもない。

 カップの半分よりすこし上まで、注ぐ。

 

 シュガーポットから砂糖を小さじ2杯、コーヒーフレッシュをひとつ。

 姫様が言うところの「いつもの」やつ。

 

「熱いのでお気をつけください」

 

 ソーサーと一緒に出すころには、もう手は震えてない。

 これでダメならなにをしたってダメなんだし、バイトでもコーヒーの腕前に自信がある。

 

「うむ。香りはいいようだ」

 

 口元までカップを運び、すこし回して香りをたしかめている。

 よく見ればけっこうな美女で、まっすぐ通った鼻とキリリと結ばれた唇をまじまじと見ていると、こっちの顔が赤くなりそう。

 嗅覚に集中していると思うんだけど、長いまつ毛を閉じている姿を見たら、絵から抜け出してきた美しさがある。

 

「バイト」

 

「ッス」

 

 とても冷たい声が王女様から飛んできたから目をそらす。

 こういうときの女の子を怒らせると怖いって、よくおじいちゃんが言ってた。

 ブチギレてるおばあちゃんの隣で。

 

 アグリアスなんとかさんがコーヒーを口にふくむ。

 

「━━━━━━!?!?!?」

 

 声もなく絶叫した。

 びっくりマークとハテナマークをそこら中に投げ散らかし、口元に手をあてて目を見開いている。

 ……頰が赤くなっていて色っぽいな。

 

「おい」

 

「ッス」

 

 いやめちゃくちゃ驚いてるなこの人。

 こんなに擬音を飛ばされるとなんか心配になってくる。

 あ、聞き忘れてた。

 

「アグ……なんとかさんに、食べてはいけないものってありますか?」

 

 これはアレルギーの話だけじゃない。

 チョコから高純度の魔力を摂取しちゃって倒れた魔法使いとか、ワインを飲んだネクロマンサーの人が鼻血を出したり(調べたらワイナリーの隣にでっかい教会があった。それで神様の加護をもらったワインになってたらしい)、いろいろある。

 

「特に聞いた覚えはないが……あっ」

 

 なんかあるな。

 

「……コーヒーどころか、砂糖も初めてだったかもしれん」

 

「ああー……」

 

 その昔、お茶もコーヒーも薬だったという。

 まだ一般的な飲み物じゃなかった時代、カフェインの刺激はそれだけ激しかった。

 エナドリ扱いされてたくらい。

 

 砂糖もおなじで、お薬扱い。

 それも滋養強壮に効く万能薬という。

 

「コーヒーも砂糖も、一般的ではないんですか?」

 

「コーヒーは知らん、見たこともない。砂糖はある」

 

「あるんだ……」

 

 宗教的に禁止されてるのかな。

 コーヒーを見るなり「悪魔の涙!」と叫んだ聖女様が脳裏をよぎる。

 

「代々、騎士を務める家系と聞いている。砂糖のように軟弱な嗜好品を騎士は嫌うからな」

 

「そういう」

 

「うむ」

 

 ずっと砂糖や嗜好品を遠ざけて訓練に明け暮れていたなら、そうなるのかな。

 現代だって、激しい減量を終えて数ヶ月ぶりにドーナツを食べたボディビルダーが男泣きしたって話もあるし、今まで食べたこともないなら、一層ひどいことになってるんだろう。

 

「む、ぐう……!?」

 

 女性が出しちゃいけない声が聞こえた。

 聞かなかったことにしよう。

 

「うまいか?」

 

 自信満々にふんぞりかえったリリーナ様がにやにやしている。

 作ったのはボクなんですけど???

 

「…………………………まだ安全と分かったわけではありません」

 

 せやな。遅効性かもしれない。

 いやコーヒーは毒じゃないんだが?

 ボクまで向こうのペースにのまれてるんだが?

 

「まだありますから、遠慮なく」

 

「いただこう」

 

 今度は香りをたしかめるまでもなく、二口目をぐいっとあおる。

 もむもむと口の中でよく味わってから、ごくん。

 白い喉を鳴らして飲む。

 

「……ふむ」

 

 三口目。

 

「ふーむ」

 

 四口目。

 カップが空になった。

 

「もう一杯いただこうか」

 

「おい」

 

「毒見です」

 

 そう言っておけばなんでも許されると思ってるのか。

「好きなだけ飲んでいってください」

 満足するまで帰さないからな。

 

 

 

 




コーヒーって何杯も飲むとお腹が荒れますよね。


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今週の無礼討ち

「今日は大事な話がある」

 

 さて、私の声は上ずっていなかっただろうか。

 しゃんと胸を張って威張れているだろうか。

 たぶん、いつもどおりにできたはずだ。

 

「えっ、無礼討ちとか?」

 

「違うが」

 

 驚かせてしまった……というか、バイトが勝手に勘違いして驚いたわけだが。

 見て分かるほど、カップにコーヒーを注ぐ手が震えている。

 王族と面と向かって話せるくせに、変なところで気の小さいやつだ。

 

「短い人生だった……」

 

「まだ終わらせないが」

 

 私に給仕する仕事がまだあるし、もっとやらせるつもりなのだ。

 

「魔法使いに異世界まで連れてこられて、処刑台の露に消えるんだ……」

 

「おい、バイト」

 

「はい」

 

「話を聞け」

 

「ッス」

 

 バカをやっている間にも、コーヒーは注ぎ終わり、ミルクと砂糖もよく混ぜられてまろやかな色になっていた。

 震えながらもしっかりと仕事はするあたり、れっきとしたプロフェッショナルというやつなのだろう。

 これだけの腕前をもっているのだから、男らしく堂々としていればよいのに。

 

 それはそうとして。

 

「支払いについてだ」

 

 とても大事な話をしなければな。

 

「ああ、今までツケでしたもんね」

 

 バイトがスマホだかタブレットだかいう道具を取り出した。

 あの道具にはいろんなことができると言っていたし、帳簿かなにかでもチェックしているのだと思う。

 

「うむ。一度も払った覚えはない。だが私はお忍びできているただの客だ。そろそろ払わないと問題があるだろう」

 

 王家に茶や菓子を献上できるとなったら、むしろ金を払ってでもゴリ押ししてくるくらいだ。

 御用達のブランド目当てで……。

 

 そんなことはともかく、常に閑古鳥が鳴くこの店にもテコ入れしてやらねば、潰れてしまうかもしれない。

 潰れては困る。

 とても、とても困る。

 

「うーん……でも子どもからお金をとるのは……でも経営が……むむむむむむ……」

 

「子どもじゃない!」

 

 たまにむかつくことを言う男だな。

 一人前のレディになんてことを!

 

「それではお聞きしますが、そのドレスはどなたが買ったのでしょう?」

 

「……国庫から出た金、だと思うのだが」

 

「ご自分のお金ではありませんよね」

 

「これは王族として当然のことだ。我々は民からおさめられた税によって生き、そして国を導いて民に奉仕することで返礼とする」

 

「お勤めを果たされているのは国王様やお兄様お姉様たちであって、まだお仕事を任されていないリリーナ様は、ご自分でお金を稼いだわけではないでしょう?」

 

「そう言われたら、そうかもしれないが……」

 

「自分でお金を稼げていないうちは、子どもです」

 

 ぐうの音も出ない。

 蝶よ花よと育てられている自覚もある。

 今だけはしかめっ面をしても許してもらえると思う。

 

 それはそれとして。

 

「おいバイト、今までに私以外の客から金は受け取ったか?」

 

「えーっと、他にお客さんが来たことないので、受け取ったことはないですね」

 

 ほーう?

 それなら話は早い。

 

「お前も、金は稼いでいないようだな?」

 

「え゛っ」

 

「さて、『自分でお金を稼げていないうち、子どもです』と言ったのはだれだったかな?」

 

「く゛ぇ゛ぇ゛」

 

 およそ人が出したとは思えない奇妙な声で叫び、バイトが頭を抱えた。

 

「ふふふ、私に口で勝つには早かったようだな!」

 

 とても気分がいい。

 いつも口で丸めこんでくるあのバイトが、私に口で負けてもだえ苦しんでいる。

 認めたくないが、イケメンと言ってもよいバイトが苦しみで表情を引きつらせているのを見ると、背中がゾクゾクするな。

 

「ちゃんとバイトで稼いで……あれ、売り上げがないのにもらうお金って給料じゃなくね……お小遣いじゃん……?」

 

 冷や汗をダラダラ流してぷるぷる震えている姿は子犬みたいではないか。

 もうちょっとだけ楽しみたいが、あまりいじめてもかわいそうだ。

 

「そんな貴様に、私にとってもバイトにとっても都合のいい答えがある」

 

「えっなに……どうしたら大人になれるんですか……?」

 

「この間、アグリアスから借りた小説によれば、こんな時のために最適なセリフがある」

 

 びしっ、とバイトの鼻先に人差し指を突きつける。

 

「な、なんです?」

 

 それはだな。

 

「────体で払う」

 

 決まったな……!

 セリフを言うのは恥ずかしいから、鏡の前でポーズを練習した甲斐があったというものだ。

 今の私は最高にかっこいいぞ!

 

「ひ、姫様、その言葉はどちらで覚えたんですか!?」

 

 なんだ急に騒ぎおって。

 そんなに気に入ったのか?

 

「アグリアスから借りた小説だが?」

 

「なんてタイトルの?!」

 

 えーと、たしか……。

 

「『没落した悪役令嬢ですが、隣国の王子にさらわれました ~誘拐先の宮廷でふたりだけの甘々結婚生活~』だな」

 

「なんてものを読んでるんだあの女騎士! オークにでも捕まってろ!」

 

 また唐突に叫びおって。

 うるさいぞ。

 

「それで、体で払う件はどうなった?」

 

「ダメです」

 

 なぜだ!?

 

「どうしていけないのだ?」

 

「いいですか姫様、今のセリフは絶対に言ってはいけません」

 

「主人公は嬉々として言っていたぞ? 地の文によれば、頬を赤らめうっとりとした顔で──」

 

「姫様姫様姫様! いけません! 店内でそのようなことを言われては困ります! 姫様っ!」

 

 騒がしいやつだな。

 しかし私は大人だからここは引き下がってやろう。

 私は大人だからな。

 

「ふむ、そうなると支払う方法がなくなったな」

 

「別に払わなくても……いや、払ってもらわないとボクも子どものまま……んん~~~」

 

 お腹が痛いのか、腹をおさえてうなっている。

 うちの宰相がたまにやっているのとおなじだ。

 私も成長したらああいうことをするようになるのかな。

 

「お前もいつまでも子どものままでいたくないだろう?」

 

「それはそうですが……」

 

 私だってそうだ。

 だからひとつ、提案がある。

 

「兄上は昔、身分を隠して武者修行していた時に行き倒れたことがあるそうだ」

 

「王子が行き倒れる国」

 

「路銀もなくなりあわや死にかけたところを、ある村娘がミルク粥を食べさせてくれたおかげで、命を救われたそうだ」

 

「ブッダじゃん」

 

「しかし金もないから困っていたところ、村娘の家で皿洗いをし、ついでに村を襲ったドラゴンを撃退して帳消しにしてもらった」

 

「ファンタジーじゃん。ここ異世界だったわ」

 

 私は剣をとって戦うことはできないだ……。

 つまり、だ。

 

「働いてツケを返す。それではいけないか?」

 

「んんんんんんんんんんんん~~~~~~~~~」

 

 今度はバイトが頭を抱えはじめた。

 こいつはいつもなにか悩んでいるな。

 もっと男らしくサクサクと決めていけば頼もしく見えるのに。

 

「児童労働……子どものお手伝いなら大丈夫かな……マスターに聞かないといけないんじゃ……?」

 

 バイトはこうして時々、訳のわからないことを言う。

 

「小遣いだろうと賃金だろうと、金は金だ。それでツケを払えば、私は自分で稼げる大人に、お前も一人前になれるぞ」

 

「そうかな……そうかも……」

 

 あと一歩だな。

 交渉テクニックの見せどころだ。

 

「私を雇えば、今なら特典がひとつついてくる」

 

「えっ、そんなお得な話があるんですか?」

 

 うむ、あるのだ。

 それも、この閑古鳥が鳴く喫茶店にはとっておきのな。

 

「客を紹介してやる。よろこべ、私以外の客がこの店に来ることになるのだぞ」

 

「今日からでも働いてください」

 

 くるしゅうない。

 



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制服、エスプレッソ、時々iPhone

 スマホに通知が来た。

 マスターからだ。

 

『( ᐢ˙꒳˙ᐢ ) 用事ってなにー?』

 

 なんで顔文字を使うんだろうこの人。

 いや人かどうかも分かんないけど。

 

『( ̄へ  ̄ 凸 忙しいんだからさ~邪魔したら怒るよ~?』

 

 バイトに向かってなんだその中指は。

 SNSで燃やしてやるぞ。

 

『新しくお手伝いを雇いたいです』

 

 リリーナ様のことだけど、「アルバイト」とは書かない。

 なにかしらの日本の法律に触れそうだから。

 

『(T▽T)』

 

 たぶん、泣き顔の顔文字だと思う。

 

「どういう感情?」

 

 ほんとに分かんない。

 今の会話に泣く要素なかったでしょ。

 日本語検定、というか空気読み検定何級の問題だろ。

 

『やめるわけじゃありませんよ』

 

 これであってるかな。

 ボクはたかだバイトなんだし、自意識過剰すぎたかも。

 

『。゚゚(*´□`*。)°゚。 よかった〜』 

 

 あってたみたい。

「うっそでしょ……」

 バイト相手にこんなになれなれしい態度の雇い主なんて見たことない。

 

『事情があって、この世界の人に手伝ってもらおうと思います』

 

 はしょりすぎた気がする。

 緊張してうまく説明できないと思って省略したけれど、やっぱり一から説明した方がよかったかも。

 

『(≧∇≦)/ よいよ!』

 

 そっかぁ。

「よくないんだわ!」

 ちゃんと話を聞いてから判断してよ!

 経営者でしょ!

 

 落ち着こう。

 きっとバイトには及びもつかない考えがあるのかもしれない。

 現地の人を雇うんだから、メリットもおおいはず。

 

『(^▽^)o 君の責任で好きにしていいと思うよ。知らんけど』

 

 これで夢のバイトリーダー!

「好きにしちゃダメなんだよ! なにも考えてないじゃん!」

 ばーか!

 

 

 

 

 

           §

 

 

 

 

 

 

「制服を作ります」

 

 マスターのことは気にしないでおこう。

 深く考えようとするだけムダだった。

 だから次のステップにすすむ。

 

「ふむ。では王族ご用達の仕立て屋を呼んで……」

 

「こちらで作ります」

 

「なぜだ」

 

「経費で落ちるので」

 

「そうか……」

 

 そもそもこんなところから税金を取り立てているのはだれなんだろ。

 この世界の国ではなさそうだし、現地のギルドでもないし。

 そう考えてみると、マスターはどうやってこの世界に喫茶店を作ったんだか、謎すぎる。

 

 それはそれとして。

 

「採寸したいのですが、えーっと、メジャーはあるんですけど」

 

「……貴様が採寸するのか?」

 

「ああ~……どうしよ……」

 

 採寸するには脱いでもらう必要があるけど、そもそもリリーナ様は子どもとはいえ女性だ。

 ボクが、つまり男がやるのはいけないだろ。

 それに素人の採寸なんて、寸法もガタガタになるなぁ。

 

「しょうがないやつだな」

 

 姫様がため息をつきながら、カバンの中から一枚の巻 物(スクロール)を取り出した。

 磨き上げられた象牙に羊皮紙を巻き付けて、さらに赤いシートで包んで飾ってある。

 

「それは?」

 

「身分証明書だ」

 

「保険証よりゴツい」

 

 銅板をはめこんだテーブルの上に、リリーナ様が巻物を広げる。

 長さはそうでもないけれど……。

 

「……文章じゃなくて、魔法陣?」

 

「うむ。これを読み取ることで、その人間の身分やその他もろもろが分かる」

 

 魔法ってすげー!

 だけどひとつ問題がある。

 

「読み取るのって、魔法でやるんですか?」

 

「そうだが?」

 

 頭を抱えたくなる。

 

「……リリーナ様の世界って、だれでも魔法を使えるとか、そういう世界ですか?」

 

「あっ」

 

 ははーん、だれでも魔法を使えちゃうってわけネ。

 ボクは使えないんだが?

 

「そんな時でも大丈夫。そう、iPh〇neならね」

 

「なんだそのセリフは」

 

「ボクのいた世界で有名なキャッチコピーです」

 

 アップルは好きじゃないけど、今日はジョブズに感謝してる。

 最初にマスターから「アンドロイドは好きじゃないからiPh〇neでいいよね」と言われた時は静かに怒ったけど。

 さてと、マスターからもらったスマホに最初からインストールされていた「猿でもできるステータスオープン!」アプリを起動する。

 

 巻物の魔法陣からホログラムの文章が浮かび上がる。

 

「なんだ、使えるではないか」

 

「ボクじゃなくて、この板が代わりにやってくれています」

 

「便利なものだ」

 

 で、問題はまだある。

 

「……文章が読めません」

 

「こちらの世界の文字だからな」

 

 えーっと、こういう時は……。

 バックヤードの棚をあさる。

 

 マスターが残していった便利な魔法道具とか、すっごいSFな謎アイテムを収納してあるところだ。

 他にも倉庫があるらしいけど、ボクみたいなど素人でも使えるものはだいたいここにあるらしい。

 

 あった。

 メガネだ。

 それもただのメガネじゃない。

 

「……うん、読める」

 

 自動で翻訳してくれる魔法をかけてあるだとかで、ヒヒイロカネを使ったレンズだから赤色の色メガネなのは気になるけど、これのおかげで異世界の文字でもなんでも読めるから、文句は言えない。

 

「読み方は分かるか? 自分で動かしたことがないから、どこに寸法が書いてあるか分からないが……」

 

「大丈夫です。けっこう慣れてるインターフェースなので」

 

 これ、ゲームのステータス画面だよな。

 だから初見のボクでもサクサク動かせる。

 

 えーっと、身体情報の……やべっ。

 

「バイト、読んだらいくらお前でも生かしておける保証はない」

 

「ッス」

 

 一番上からスリーサイズが書いてあった。

 リリーナ様のプライバシーのためにも、ボクがステータス(仮)を動かすのはここまでにする。

 姫様に自分の寸法をA4用紙に書き出してもらって、そのメモをボクから見えないよう彼女に持っててもらう。

 

「で、これをどうするんだ?」

 

「FAXで送ります」

 

「ふぁっ……なに?」

 

「遠い場所にいる人にも、こういう紙を送れる道具です」

 

「……転送魔法(テレポート)か?」

 

 そんなようなものです。

 おじいちゃんの家にあったのを見ただけだから、うまくできるか自信がないけど。

 姫様にメモをセットしてもらい、送信。

 

 ガッガッガッ、と独特な動作音のFAXを前にして。

「ひゃっ」

 リリーナ様の可愛い悲鳴。

 

 本人が赤くなって恥ずかしそうにしているから、聞かなかったことにする。

 

「こ、この後はどうするのだ?」

 

「時間がかかると思うので、すこしお茶しましょうか」

 

 マスターの方で制服を作ってくれるという。

 そうすぐにでもできるものじゃないだろうし、何日かもらうことになるだろうけど、その連絡が来るまでゆっくりしてもいいと思う。

 

「そうか。それではいつもの……ああいや」

 

「……?」

 

 姫様がなにやら悩みだした。

 あごに手を当てて考える仕草は、まだまだ女の子なのにどこか大人びていて、やっぱりこの子は王女様なんだと分かる。

 

「たまには違うものを飲みたいな」

 

 その口調はいつもより、子どもっぽかった。

 なるほど。

 勇気を出して言ってくれたんだろうな。

 

「それでは、カプチーノにしましょうか」

 

 期待には応えないと。

 ボクの方が年長なんだし。

 

 

 

 

 

           § 

 

 

 

 

 

 

 一人前のレディらしく注文できただろうか。

 子どもみたいなおねだりではなかっただろうか。

 緊張して心臓がどくんどくんとうるさい。

 

「そのカプチーノというのはなんなのだ?」

 

 気を抜くと体がふにゃっとなりそうで、意識して肩肘を張らないと、威厳がたもてない。

 期待に胸をふくらませているのに気づかれていないといいけれど。

 

「エスプレッソに……濃くいれたコーヒーに、泡立てた牛乳を注いで作ります」

 

 バイトが微笑みながら説明してくれる。

 その笑みに胸の奥を見透かされたようで、私はおだやかではない。

 

「なんだか苦そうだな」

 

 言ってから、やってしまった、と気づく。

 これでは子どものようではないか。

 

「エスプレッソは大人の男性でも苦手な方がおおいですから、そうですね、キャラメルシロップを入れましょう」

 

「う、うむ」

 

「実はボクも苦手です」

 

 ここだけの秘密ですよ、とバイトが口に指をあてて口止めしてくる。

 どうしてだか分からないが、その仕草を見ると私の心臓がもっとうるさくなった。

 

「……それはもう二度とやらない方がいいぞ」

 

「ッス」

 

 刺激が、なんというか、強すぎる。

 大人になったら、こういうことをされても素直に受け止められるのかな。

 

 バックヤードから店内に戻る。

 

 よく磨き上げられた白タイルの床も、木目の美しいウォールナットのテーブルも、尻が落ち着かなくなるほど柔らかいクッションの椅子も。

 穏やかな場所だった。

 ここまで心安らげるところは、王族でもそうそう体験できないだろうと思う。

 

 豪華というのも、違うな。

 品が良いというのだろう。

 

 白いタイルの床をブーツで歩けばコツコツと小気味良い音で楽しませてくれる。

 ウォールナットと言えば暗い色の木材だというのが普通だけれど、いったいどんなニスを塗ってあるのか、ピカピカで肌触りもなめらかだ。

 

 椅子……というか、クッションは……。

 初めて座った時はあまりにも沈むものだから、自分が太ってしまったようで恥ずかしかった。

 バイトが隣に座った時はおなじくらい沈んでいたから、きっと、そういうクッションなのだろうな。

 

「それでは、すこしお待ちください」

 

「うむ」

 

 バイトがカプチーノのとやらを作るのを、カウンターに頬杖を突いてながめる。

 この喫茶店の中でもとくに「機 械 ら し い(メカメカしい)」道具をいじりはじめた。

 

 エスプレッソマシン、だったか。

 碧色を基調に銅があしらわせた機械が綺麗に思えて、質問したのを覚えている。

 

 取っ手のついたカップのようなもの(ホルダー)に、コーヒーをひいた粉をぐしぐしと押し固めるのを、ぼーっと見る。

 カチコチと時間を刻む置時計のほかにはなんの音もしなくて、いつもにぎやかな王宮とは違うところに、私の住む世界とは別の落ち着いたところに来たんだと実感させてくれる。

 

 エスプレッソマシンが動き出し、物々しい音を立てて。

「あうっ」

 驚いて頬杖がずれて変な悲鳴をあげてしまった。

 

 聞かれていただろうとは思うけれど、エスプレッソマシンに向き合うバイトは背中しか見えなくて、笑っているかどうか分からない。

 

 例のコーヒーを作る「抽出」が終わったらしい。

 どろどろのエスプレッソはとても濃く、見るだけでとんでもなく濃厚なんだと分かる。

 そこにキャラメルシロップをくわえる。

 

 砂糖や牛乳を煮詰めた菓子(キャラメル)は知っているが、キャラメルの砂糖水(シロップ)とはどういうことなのだろう。

 キャラメル味のシロップなのかな。

 

「ここにミルクを注いでいきます」

 

 半分よりちょっと上で止めた。

 

「いつもより量がすくないように見えるが」

 

「はい、残りは泡立てたミルクをつぎます」

 

「ふむ」

 

 泡立て器(ハンドミキサー)なるものが激しく動く。

 瞬く間に牛乳がかき混ぜられる。

 

「これで模様を作りますから、ご覧ください」

 

「模様」

 

 かたむけたカップにミルクを注ぐ。

 かと思えば、ほんのすこしついだだけで、ミルクポットを離す。

 

 おなじことを、もう一度。

 

 二度。

 三度。

 

 何回も繰り返しすこしずつ模様を作っていった。

 

「カプチーノと、ラテアートのチューリップ模様です」

 

 いつもよりちいさなカップを置いた。

 ラテアートがなんなのか知らないが、エスプレッソにミルクを注ぐことで模様を作るのだろう。

 細かく分けられた葉と、チューリップの花弁がコーヒーとミルクだけで表現されている。

 

「わ……」

 

 思わず声がもれた。

 綺麗というか、かわいい。

 飲み物を工夫して注ぐだけで、こういうこともできるのか。

 

「飲むのがもったいような気がする……」

 

「何度でも作りますから、どうぞお召し上がりください」

 

 バイトのやつ、「何度でも」や「いつでも」で私が心を弾ませていることに気づいているのだろうか。

 たぶん、まだ気づかれていないと信じたい。

 

 きっと私じゃなくて、だれにでも言っているのだろう。

 こいつは私より大人で、上手に仮面を被れるはずだから。

 

 よくない考えを振り払おうとカプチーノを飲む。

 キャラメルシロップで甘くなり、ミルクでまろやかになっている。

 それでも、子どもの舌にエスプレッソはひどく苦かった。

 



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王子が行き倒れる国の王子様

 今日も喫茶店は静かだった。

 ロリリア様がいないと閑古鳥すらないてくれない。

 いつもならゆったりとしたBGMを流しておくんだけど、たまには、こうやって静かな店の中で、ただ自分が飲むためだけのコーヒーを入れてみたい。

 

「でもちょっと寂しいな……」

 

 すこし棚をあけるだけでもいつもよりずっと響いて、なんだかうるさく感じる。

 おだやかな静寂に包まれるんじゃなくて廃墟で枝を踏んじゃったみたいだ。

 図書館でおおきな音を立ててしまった時の気まずさに似ている。

 

「この喫茶店に魔法でもかかってるのかな」

 

 時間が止まったような、リンと澄んだ朝の空気に陽光がきらめいて、見惚れてしまいそうな美しさがある。

 自分が音を立てると、その静けさを破って、邪魔した気持ちになる。

 

 やっぱりこの喫茶店はどこか、おかしい。

 いや、おかしいものならいっぱいあるんだけど。

 

「注文したらなんでも届く冷蔵庫だろ、魔法を読み取るメガネだろ、あかぎれが一瞬で治るクリームだろ」

 

 指をおりおり数えてみると、道具が見つからなくて困ってる時のドラえもんよりずっと役立つ変なアイテムばっか。

 でもこれは、一個一個がおかしいだけ。

 この喫茶店の椅子から壁紙からテーブルからサイフォンから床まで。

 

「なんか変なんだよなぁ」

 

 マスターの趣味か知らないけれども、地球の喫茶店みたいだけど地球の喫茶店じゃなくて、地球人の自分は場違いな感じがする。

 

「まだまだ修行しなきゃだ……」

 

 自分が喫茶店の一部になれるまで、腕をあげたら違和感もないんだろう。

 内装や家具のひとつくらいまで雰囲気にマッチして、むしろいないと落ち着かないところまで、馴染む。

 熟練のバリスタやマスターは、そういう人たちなんだと思う。

 

 さてそれにはどうすればいいのやら。

 十年以上はかかりそうで、ぎりぎり未成年のぼくには目が回りそうなほど遠い。

 

「キャリアプラン……」

 

 SNSの広告で見た言葉をつぶやいてみるけど、あんまりしっくりこない。

 将来設計とか、ライフプランとか、子どもに言われてもね。

 

 その子どもが、ロリリア様みたいなもっと年下に大人ぶっているのも、頭の中で文章にして考えてみても、なんだかおかしな雰囲気がする。

 

 おままごとではないと、信じてる。

 そのためには、僕も喫茶店の一員らしく馴染めるように、努力しないと。

 

 チリン。

 

 入店を知らせるドアベルが鳴った。

 ロリリア様だ。

 

「いらっしゃい……ませ……?」

 

 違う。

 知らない人だ。

 

 金の装飾がきらめく銀の鎧。

 騎士だ。

 歴史の教科書やテレビで見たのより、ずっと豪華で、ずっとファンタジー。

 

 鎧をよく見れば、金色の装飾は豪華だけど、銀の鎧はマットなかがやきで、派手というより上品だ。

 イギリスの別荘に住んでる貴族のおばあさんみたいな、それとない品の良さ。

 

 その鎧を着た人が、お腹を抱えながら口を開く。

 

「は、はらが……へった……」

 

 王子が行き倒れる国からやってきた、行き倒れの王子だった。

 倒れてすぐ気絶しちゃったんだけど、これどうすればいいんだろ。

 気絶した騎士とか重すぎて動かせるわけないでしょ。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 ルバート王子がコーヒーを飲む。

 堂々とした作法で、そこはさすが王子様。

 この人が行き倒れるなんて信じられない。

 

「かたじけない。この私が世話になるとはな」

 

「よく行き倒れるって聞きましたけど」

 

「そんなにじゃない。まだ6回目だ」

 

「もう6回……」

 

 普通は1回でもおおいんだよ。

 よく生きてるなこの人。

 

「それで、ここはどんな店なのだ?」

 

「知らずに来たんですか?」

 

 ロリリア様から聞いてないのかな。

 いやまぁ、喫茶店がない世界だったら説明しにくいし、それで誤解されるかもだけど。

 

「うむ。妹にカギを渡された時は、急いでいて聞いていなかった」

 

「人の話は聞いてください」

 

「だって……宝の地図を手に入れちゃったから……」

 

「手に入れちゃったかぁ」

 

 男子小学生と変わんないな……。

 

「保存食はちゃんと持ってきたんだけどなぁ」

 

「それでも行き倒れたんですか?」

 

「宝箱をあけたらテレポートされちゃって」

 

「罠をチェックしないで宝箱をあけるタイプ」

 

「たぶんだけどこれ、別の大陸に飛ばされたんだな」

 

「別の大陸」

 

「気候がな、前に飛ばされた大陸っぽくてな」

 

「経験者」

 

「人に出会えればなんとかなると思うんだけど」

 

「陽キャのコミュ強」

 

 ドン引きしてて、ふと気づいた。

 この店に来る方法はひとつ、「どこかのカギ穴に、魔法のカギを使うこと」だ。

 ちょっと文明から離れてたような人が、どうやってカギ穴を見つけたんだろう。

 

「カギ穴なんて、どこにあったんですか?」

 

「貴重品入れ」

 

「貴重品入れ」

 

「カギを回したら……光に包まれて、この店に……」

 

「扉以外に使ったらそうなるんだ……そんな機能あったんだ……」

 

 ためつすがめつカギを眺める。

 ファンタジー映画とかジブリの映画で見るような金のカギ。

 そこらへんのアンティークショップで売ってそうな安物じゃなくて、何百年も前からずっと使われている本物っぽい風格がある。

 

「いやしかし、ウェイター殿が妹にこのカギを渡していなかったら俺は飢え死にしていただろう。重ね重ね礼を言う」

 

「いえ仕事なので」

 

 仕事といえばさらにもうひとつ。

 この店を出てからも文明からしばらく離れているだろうこの人に、なにか持たせておくべきだと思う。

 

 そういうわけで完成したものがこちらになります。

 

「これは……ペーストにした肉かな?」

 

「保存食の一種でリエットといいます。おまけで黒パンもつけておきます」

 

「ふーむ?」

 

 瓶詰めにしたリエットは、ペーストにした牛肉の中に酢漬けの野菜を混ぜてある。

 ちょっと見ただけだと重たいソースのようにも見える。

 ルバート王子はちょっと疑わしそうに瓶を見つめているから、もうひと押し。

 

「ちょっと食べてみますか?」

 

「ふーむ!」

 

 いざ実食。

 リエットの重たいペーストをスプーンですくって、普通の白いパンより長持ちする黒パンに塗る。

 あとお肉にあうよう酸味が強くてスッキリとしたエチオピアの豆で淹れたブラックコーヒー。

 

「パテとは違うようだな。ペーストのようだがほろほろと崩れる」

 

 ごろごろとした肉がよく刻まれた野菜や乾燥バジルのペーストから抜け出て、パンとよく絡んで口の中でほぐれていく。

 

 しばらく咀嚼していくとぷるぷるとしたゼリーが舌に触れる。

 

「これは……ラードじゃないな?」

 

「はい、煮汁を固めて混ぜ込んであります。こうすると長持ちするんですよ」

 

「ふんふん」

 

 王子様と聞いていたからロリリア様のようにお上品かと思ったら、意外ともぐもぐとかきこんでいく。

 あっという間にパンひとつを食べきって、それでも下品に見えないのはさすが王子様といったところ。

 

「ふーむ」

 

「いかがでしたか?」

 

「旅で一番困るのは補給がないことだが……これはいいな。腹を空かせるのが楽しみになるぞ」

 

 かなり好感触。

 ちょっと自慢気に胸を張っても許されるだろう。

 

 ここでさらにもう一品。

 

「これは普通のリエットですが、今なら白ワインとバターを混ぜ込んだ自家製リエットがついてきます」

 

「ふーむ!」

 

「これがセットでお安くしておきます」

 

 ルバート王子がニカッと笑みを見せる。

 なんとも気持ちのいい笑みで、女性が見れば黄色い歓声をあげて男性が見れば楽しくなるだろう。

 

「なんと今は無一文だ!」

 

「遭難してたらそうでしょうね! 分かってたよこの一族はさぁ!」

 

 いっつもいつも文無しだ!

 ロリリア様に言わせれば「そもそも財布を持ち歩く王族がいるか? 小切手を渡して後で請求してもらえばいいだろう」とのこと。

 

「ツケにしてもらおうか。請求は実家宛てで頼む」

 

「あの、請求書とかそういう証明は持ってますか?」

 

「剣だけ掴んで冒険に出てきたんだぞ。持ってると思うか?」

 

 こ、こいつら……。




【ルバート王子】
RPGでダンジョンに入ったらマップ全部探索してからボスに挑むタイプ。
たまに数日から数ヶ月単位で失踪しては人知れずドラゴンを退治したり世界を救って帰ってくる。
だいたい辺境とか別の大陸に飛ばされるせいで失踪中に何をやってきたか誰も知らない。


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バイトは金髪巨乳美人に弱い 「不敬だぞ」「ッス」 【前編】

 ふぅ、と王城の一室でため息をこぼす。

 居間は広く、ひとりどころか何十人がいても使い切れない。

 白亜の壁には金の装飾がきらびやかで、上を見れば世界で有数の画家に描かせた天井画が見える。

 

 時間とともに部屋のきらめきが変わっていく壁面装飾は、落ちていく夕陽のなめらかなオレンジ色をしていた。

 

「夕食はそろそろか」 

 

 今のうちにあの喫茶店をたずねないと夕食を食べそびれてしまう。

 あの喫茶店にも食事メニューはあったが私ひとりだけ食卓に並ばないのも不自然だ。

 

 客を連れていくと言ってもだれを連れていこうか。

 アグリアスはダメだ。

 やつから借りた小説の「体で払う」はバイトに通用しなかったから。

 

「ふむ……」

 

 かといって、命令してだれか連れていくのも違うだろう。

 私のお忍びのわがままに付き合わせるわけにはいかない。

 

 そうなると……。

 

「だれも……いない……!?」

 

 一緒に出かけられる友人が、ひとりも思い当たらない。

 この私が孤独の身(ボッチ)だと!?

 

 心が折れそうだ……。

 せめて数人くらい、だれかいないかと頭の中でぐるぐる考えを巡らせてみるけれど、使用人や騎士といった家来は出てきても、友だちはひとりも出てこない。

 

「うそだ……」

 

 混乱する。

 いかん、思ったよりもつらいぞこれは。

 

 初めて自分の孤独を自覚した。

 よもやこの私がボッチだったなんて。

 

 やわらかい夕陽に照らされる金細工の輝きが、ひどく非現実的で、どこか夢のようだった。

 

「リリーナちゃーん♪」

 甘くて明るい、年ごろの女性の声。

 

「……スカーレット、姉様」

 

 名前のとおり真っ赤な瞳が上から私を見ている。

 夕焼けのオレンジ色の中でも赤く映える瞳。

 

「いつも決まって威張っている君らしくないですよー?」

 

「……よく見ていますね」

 

「かわいいかわいい妹のことですからー」

 

 ハートマークが語尾に見えそうなくらい、明るくて元気な甘い声。

 私と違って社交的で、友人だってたくさんいる人。

 ほんとのことを言うとかなり苦手だ。

 

 どうやったらこの人みたいに、たくさんの人と仲良くすることができるだろう。

 ……勇気を、出してみる。

 

「スカーレット姉様」

 

「はぁーい?」

 

「明日は一緒に、お茶しに行きませんか」

 

 声は震えていた。

 けど、勇気の出し方はこれで正解なはず。

 

 

 

 

 

           §

 

 

 

 チリン。

 お昼前でのんびりとしていた頭が、来客を告げるベルの音で起き出してくる。

 

「いらっしゃいませ」

 

 お客様は決まってひとりだから、お決まりのカップを出そうと食器棚に向かう。

 

「お邪魔しまーす♪」

 

 カップとソーサーに伸ばした手が止まる。

 歯が浮くような甘い声。

 だれ? なに? 幻術?

 

「客を連れてきてやったぞ、バイト」

 

 威張っているロリリア様(なんだかいつもより威厳パワーが足りてない気がする)と、もうひとり……?

 

「スカーレットと申します。今日はよろしくお願いしますね?」

 

 赤い星の瞳をした人。

 リリーナ様の赤いドレスとおなじくらい鮮やかな目が、白いワンピースによく映える。

 

 そしてなによりも。

「うお……でか……」

 胸がたわわに実っていた。

 

 最近はロリリア様のようなロリ……愛らしい美少女しか見ていなかったから、女性らしい体は刺激が強すぎる。

 

「バイト」

 

「ッス」

 

 これ以上は自重する。

 今は仕事中だし、なによりもロリリア様の前だから。

 他の女性にデレデレしてる場合じゃない。

 

「リリーナちゃん、こちらの男性が?」

 

「ええ、ワンオペのバイトです」

 

 それ名前じゃないんですが。

 いいけれども。

 

「当店は喫茶店です。コーヒーに紅茶、お食事もご用意いたします」

 

 マニュアル通りに一礼。

 リリーナ様が連れてきた大事なお客様だ。

 ここで逃すのはまずい。

 

「丁寧にありがとうございますね。私はスカーレット──」

 

「──私の知人で、ただのスカーレットだ」

 

 挨拶をさえぎられたスカーレットさんが、おやおや、というように片眉をあげた。

 妹の子どもっぽいところを可愛く思う姉みたいにちょっと微笑んでる。

 

 たぶんというか、確実に王族かなにか(ロイヤルファミリー)だろう。

 雰囲気は違うけど、ルックスがよく似ているし。

 仮にもお姫様を「リリーナちゃん」と呼べる人もそういないでしょ。

 

「お好きな席へどうぞ、ただいまお水とおしぼりをお持ちします」

 

 それはそうとして、まずは自分の仕事をしないと。

 水とおしぼり、それからメニューを渡す。

 

 冷えた水をつがれたコップの水滴に、「へえ」とスカーレットさんが──スカーレット様の方がいいか──感心した。

 

「こちらのお店……喫茶店? には魔法使いの方が? それとも魔法の道具(マジックアイテム)を?」

 

 あ、そういえばファンタジーな異世界だったことを忘れてた。

 地球にある普通の喫茶店みたいなことをしてたからかな。

 

「冷蔵庫という、物を冷やしておける機械の道具です。魔法は使っていません」

 

「機械で? 時計や自動人形(オートマタ)は見たことありますが、異世界にはそういうものもあるんですねぇ」

 

 そこまで興味はなさそう。

 社交辞令程度の質問だけれど機械のことより、いつでも冷たい水を出せる店だ、ということが気になっているのかも。

 

「よい店でしょう?」

 

 ふふん、と得意気にリリーナ様が胸を張る。

 かわいい。

 

「ええ。よいお店ですね」

 

 スカーレット様が微笑みかけてきた。

 なんかえっち。

 大人の女性って感じで、たぶんボクより何歳か年上だ。

 

 顔が赤くなる前にカウンターの奥に戻る。

 ロリリア様には気づかれなかったみたいだ。

 あの子はじっとメニューを見ている。

 

「ふーむ。食事を頼むのは初めてかもしれない」

 

 そういえばフードメニューを注文された記憶がない。

 

「まぁ、私たちなら頼まなくても出てきますからね」

 

 そういう次元じゃなかった。

 人生初とかそういうやつじゃん。

 はじめてのおつかい〜喫茶店でお食事スペシャル〜じゃん。

 

「おい、バイト」

 

「はい?」

 

「なにかしっかりとした食事はあるか?」

 

 んー、食事食事。サンドイッチとかは違うよな、あれは軽食だ。

 あれ?

 

「メニューに書いてあるものではご不満でしたか?」

 

 そもそも地球の日本にある喫茶店のメニューじゃ、お姫様たちの口にあわなかったかも。

 

 スカーレット様がちょっぴり困った顔をした。

「文字は読めるのですけれど、知らない料理ばかりで。説明もいまいちピンとこないんです」

 そういえば異世界の料理じゃん。

 

 女性向けのがっつりメニュー……。

 カレーかハンバーグは男向けだしな。

 それじゃあ……。

 

「海老とアボカドのバジルソースパスタなんて、いかがでしょう」

 

 パスタ屋みたいなメニューがなんで喫茶店にあるかは知らない。

 こういうオシャレなご飯が売りの喫茶店はよくあるしそこから持ってきたのかもしれないけど。

 メニューはひと通り練習してあるから問題なく作れるはず。

 

「海老はともかく、アボカド? 聞いたことがないな」

 

「この国では聞かない言葉ですね」

 

 あー、アボカドってどこの国が原産なんだろ。

 バナナとかああいう地域の果物なイメージ。

 

「野菜かフルーツの一種です。甘味や酸っぱさはないですが、料理に使うとまろやかでクリーミーになります」

 

 アボカドの味を口で説明するのは難しかった。

 別名に「森のバター」があるけど、大豆は別にお肉じゃないし、アボカドもバターじゃない。

 

「それにバジルソースをくわえたパスタ……とても気になります!」

 

 スカーレット様がやたらぐいぐいくる。

 食欲旺盛というか、食べるのが好きなのかな。

 あと、ワンピース姿でこっちに身を乗り出してきて、たわわに実った胸がすっごい主張してくる。

 

 いけませんお客様! そのようにバイトを誘惑されては!

 

「バイト」

 

「ッス」

 

「このパスタを二人前だ」

 

 はい。

 今のはいつものお叱りじゃなかったみたい。

 脊髄反射で返事しちゃった。

 

「デザートやお飲み物はいつお持ちしましょう」

 

「一緒でお願いします!」

 

 はい。

 めっちゃ食い気味でびっくりする。

 

 なにを持っていくか聞いてないけど……。

 ここでひとつ、ロリリア様にお任せします、と合図《ウインク》しておく。

 制服はまだこないけど、アルバイトとして練習中だから、デザートのことは分かってるはず。

 

「……!?」

 

 これ通じてないね。

 リリーナ様、耳まで真っ赤にしてふるふる震えてるもん。

 スカーレット様も「あら〜」なんて言ってるし。

 

「おい、バイト」

 

「はい」

 

「姉様の前で二度とやるな」

 

 はい……。

 

 だが待ってほしい。

 いつもなら「二度とやるな」と言ってるところだけど、わざわざだれかの前でやるな、なんて言ってる。

 それなら、ふたりっきりの時にやれってこと?

 

 分からない。

 女性のこと、女子のこともさっぱりだ。

 でもスカーレット様が「あらあら~」って嬉しそうに笑ってるから、きっと、悪いことじゃないはず……おそらく……。

 

 とりあえずバックヤードまで逃げよう。



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バイトは金髪巨乳美人に弱い 「私にも将来性というものがある」「ッス」【後編】

 落ち着こう。

 冷静にならないと火を扱うのは危ない。

 

 冷蔵庫まできたら扉に設置してあるタッチパネルを起動。

 SF感あふれるホログラムでキーボードが写し出されるからそこに必要な材料を入力していく。

 

 海老。

 アボカド。

 パスタ。

 

 そして最後に「海老とアボカドのバジルソースパスタに使用」とメモ。

 エンターキーを二度押し。

 

 タッチパネルで砂時計がくるくる回りだした(N o w L o a d i n g)

 このまま待つと、そのうち調理に必要な食材が出てくる。

 

 マスターがどこかの異世界(星が丸ごと機械になってる世界らしい)から持ってきたものだと聞いたけど。

 

「これを冷蔵庫と呼んでいいのかな……」

 

 全自動食材調達機って言った方がただしいと思う。

 そもそもこの中に食材らしい食材を入れた覚えないし。

 たまーにアラートがなるから冷凍庫の部分に小麦色のブロックを入れて補給するだけ。

 

 待っていると、アラームが鳴った。

 冷蔵庫(仮)を開けるとちゃんと食材が入っている。

 

 海老、アボカド、パスタ……。

 

「バジルソースまで?」

 

 調味料がそろっているからバジルソースくらい作れるんだけどな。

 ラベルが異世界の文字で書かれているから、翻訳してくれるメガネで読んでみる。

 

「有名シェフ、ンヌグググ・カッファーパッカン監修、特製バジルソース……?」

 

 すっごい名前してんな。

 あとタコのイラストが書いてあるけどまさかシェフの肖像画じゃないだろうな。

 最後にメニューの名前をメモしたから気を利かせて用意してくれた……のかな?

 

 たぶんそう。

 部分的にそう。

 そうだと信じる心が大事。

 

「素材は上々、あとはボクがうまくやらないと」

 

 たっぷりのお湯を沸かしておいた鍋に、水100に対して塩1を入れる。

 ここにパスタを入れてゆでる間に他の食材を用意する。

 

 アボカドは皮と種をとって1cm角に切る。

 海老は皮と背ワタをとったら塩水でよく洗い、ラップで包んだものを電子レンジで1分ほど600Wの加熱をするようにセット。

 

 そして……。

「バジルソースを作らなきゃいけないんだけど、これそのまま入れていいのかな……」

 謎の文字が書かれた缶詰を見つめる。

 

 ちょっと味見。

 

「うーん、すこし濃い」

 

 ボクみたいな男が食べる分にはいいかもしれないけれど、パスタにたっぷりと絡めて女性に出すには味が濃すぎる。

 

「そこで刻んだカブを投入することにする」

 

 バジルソースの塩気を薄めつつ食感に彩りを加えてみる。

 ゆでるとアボカドと同じでまろやかな食感になって二番煎じだから、水洗いして薄くカットするだけ。

 

 パスタがゆであがったらバジルソースをかけ、ゆで海老とカットしたアボカドとカブを入れて、よく混ぜてソースをパスタに絡めておく。

 

「これでよし、と」

 

 最後にハーブの葉を2枚ほどのせる。

 

 底の浅い白磁のお皿にすくってのせ、これを配膳する。

 

「お待たせしました。海老とアボカドのバジルソースパスタです」

 

 暖かな湯気が立ち上るお皿を机に置けば、「わぁ」と嬉しそうな声が聞こえてくる。

 

 この声が聞きたかった……それも金髪巨乳美人の……生きててよかった……。

 

「バイトォ……」

 

「ッス」

 

 ロリリア様の地獄めいた声で正気を取り戻し、パスタに加えてドリンクも紹介する。

 

「こちらニルギリ紅茶の水出しアイスティーです」

 

 縦長の水出し用ポッドとあわせて、ステンドグラス風の装飾を施されたガラスのティーカップに注いでお出しする。

 

「ステンドグラスのようですが……こんなに小さなものにも装飾できるんですね?」

 

「厳密には違うかもしれませんが、モチーフになっていると思いますよ」

 

「うちでも作ってみようかな?」

 

 スカーレット様は珍しそうに眺めていて、このガラスのカップを出したのは正解だとわかる。

 ロリリア様が小声で「姉様の悪い癖だ……綺麗なものはすぐ作ろうとする……」と言っているから、きっとこういうものに造詣が深いオタク気質のお姫様なんだろう。

 戦国時代でいう千利休とか古田織部とかそういう。

 

「さぁスカーレット姉様。冷めてしまわないうちにいただきます」

 

「あら私としたことが!」

 

 いただきます、とお姫様2人がお祈りをしてフォークを手に取った。

 手を合わせるんじゃなくて両手を握っていたのはこの世界のやり方なんだろう。

 

 くるりと器用にフォークでパスタを巻き、その一巻きをぱくっと食べる。

 とてもいい食べっぷりだった。料理した甲斐があるというもの。

 

「ふむん」

 

 もむもむと咀嚼して味わってくれている。

 食いしん坊っぽい仕草なのに隠せない上品さがあってさすがはお姫様。

 

 こくんと呑み下すと、ふーむと考え始めた。

 

「海老が入っていますがシーフードの感じはしないですね。むしろアボカドがまろやかでクリームパスタが近いのかな?」

 

「ほんとのレビューが始まったんですけど」

 

「この人にものを食べさせたらこうなる」

 

 異世界のグルメレポーターってわけね。

 

「でもジェノベーゼじゃないんですね。ニンニクその他を加えないでどうしてバジルソースだけなんですか?」

 

「ほんとの質問が来ちゃったんですけど」

 

「この人にものを食べさせたらこうなる」

 

 常日頃から贅沢なものを食べているであろうグルメなお姫様に問いただされる宮廷料理人の苦労が偲ばれる。

 

「男性でしたらジェノベーゼでよかったかもしれませんが……つづけてアイスティーをご賞味ください」

 

「ふむん」

 

 お姫様2人がお行儀よくカップをつまんで一口。

 実食からの味わう時間をちょっと挟んでから口を開く。

 

「サッパリしましたね。ジェノベーゼだと味が勝ちすぎてくどくなってしまうのでしょう?」

 

「はい。それよりは旨みを海老に絞ってアボカドやカブを添えた方がよろしいかと思いまして」

 

「ふむん!」

 

 この一族リアクションが似てるな。

 ロリリア様が似てないのか、ルバート王子とスカーレット様が似てるだけなのか。

 

「アルバイトさん、同じものを3人前用意してください。すぐにいただきますから」

 

「分かりまし……えっ、3人前?」

 

「この人に美味しいものを食べさせたらこうなる」

 

 だいぶヘビーなお客さんだった。

 スタイルのいい美女がそれだけたくさん食べるというのはギャップがあって驚きつつ、しかしそれだけの栄養が豊かな胸にいっているのだと思うと「うぉ……でか……」と感動したのは間違いじゃなかったかもしれない。

 

「バイトォ……」

 

「いて、痛い!」

 

 椅子に座りながらロリリア様がぐしぐしと脛を蹴ってくる。

 スカーレット様はそれをみて嬉しそうに微笑んでいる姿が綺麗だったし、ロリリア様のようなお可愛らしいお姫様にじゃれつかれて悪い気はしない。

 

 けっきょくツケだったけど、今日ばかりはタダにしてもよかったかもしれないくらい楽しい時間だった。




【スカーレット様】
 綺麗なティーカップを見つけたら自分でも作ろうとするタイプのオタクで胸が大きい金髪美人。
 お腹いっぱい食べられるものが好きで意外と子供っぽい。
 ピカピカの泥団子を作るためにドレスを泥だらけにしたことがある。

【冷蔵庫(仮)】
自分を冷蔵庫だと勘違いしている全自動食材生成機。


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堅物女騎士は甘いものがお好き

 最近はお客さんが増えてきたとはいえ、わりとまぁまぁそれなりに暇な時間がある。

 ロリリア様だって毎日来るわけじゃないし、ルバート王子はあれ以来まったく姿を見せないから生きているか死んでいるかも分からない。

 

 ワンピースのビブルカードでも持たせておけばと思ったけど、けっこうな頻度で燃えたり再生したりで心配でノイローゼになりそう。

 

 そのうちリエットも切れるかもしれないとはいえ、文明と出会っていればなんとかなっていそうな人だから心配するだけ杞憂かもしれない。

 

「掃除も終わっちゃったな……」

 

 冷蔵庫(仮)への補給もしておいて、コーヒー豆や茶葉の在庫が足りていることも確認して、あとうはもうやることは……。

 

「あ、ロリリア様に渡すマニュアルを書かないと」

 

 コーヒーの淹れ方やらなにやら。ボクが付きっきりで教えられればそれが一番だけどそんなに毎日ここに来てもらうには、お姫様というのは忙しいからこうやってまとめておく。

 

「これなら忙しくても合間に読める……はず」

 

 なにを教えるかまとめていくのも自分の復習になっているからとても楽しい。

 それにあのお姫様のことだから、きっとしっかり読んでくれるだろうと思えば手を抜けない。

 ノートにちょっとしたイラストを加えて書き込んでいく。

 

 チリン。

 来客を知らせるベルが鳴った。

 

 準備の時間はここまで、次は実践の時間。

 

「いらっしゃいませ、お客様」

 

 振り返れば鎧と剣をまとった女騎士、前にロリリア様と一緒に来たアグリアスなんとかさん。

 

 笑みを絶やさずはきはきと喋る。

 たくさんあるお店の中からせっかく選んでくれたんだから、美味しいものを出して笑顔で帰ってほしい。

 そのためにはどれだけ努力しても足りない。

 

「なるべく甘くて濃いものを出せ。できなければ殺す」

 

「命の危機はどうすればいいんだろうな。帰ってください」

 

 さっきまでの殊勝な心構えを返してほしい。

 

 

 

 

 

        §

 

 

 

 

 

 からん、とグラスに浮かぶ氷が冷たい音を響かせる。

 とりあえず剣を置いてもらうことには成功した。

 あの脅しが本気じゃないことを祈るばかり。

 

「ううん……」

 

 アグなんとかさんはメニューを眺めてああでもないこうでもないと唸っている。

 

「そろそろ10分は悩んでいるようですけど」

 

「まだ10分しか悩んでない」

 

「気が長いなおい」

 

 またメニューをにらんで悩み始めた。

 ちょっとやそっとじゃ気にしないけどこうも長いと口出ししたくなる。

 

「マロングラッセにプリンアラモード。聞いたこともない名前がずらりと並んでいる」

 

「メニューに説明を追加しておきます。よければ『なるべく甘くて濃いもの』をご用意いたしますが」

 

「……まぁ、それでいいか、うむ」

 

 ぱたんとメニューを閉じて腕を組み始めた。

 お菓子とか甘いものに縁がなかったようだし仕方ないのかもしれない。

 そういう人を満足させるのが腕の見せ所……だと思う。

 

 そしてなにより金髪で胸の大きい美人だから悩んでいるところを見ていて楽しかった。

 戦う綺麗な女性っていいよね。好き。

 

 それはさておき。

 

「甘くて濃いものか……スイーツかドリンクか聞いてなかったな」

 

 とはいえ任せてもらったからには質問を返すよりもとっておきのモノを出すべきだろう。

 

「甘いものか濃いもの単品ならたくさんあるんだけども」

 

 甘さを引き立てるためにホロ苦いカラメルを入れる手もあるけれど、たぶんあの女騎士さんにそういうのは合わなそう。

 

「甘いものを食べに来てくれたんだから、甘さに集中したものか……」

 

 腕を組んで悩んでみる。

 とびっきり甘いパフェなら簡単に作れるけど濃いパフェというとバニラがきつくなってしまう。

 となると濃厚なクリームやフルーツで攻めていくべきだろう。

 

「パリブレスト、だな」

 

 そういいながら耐熱容器を取り出して、そこに薄力粉と砂糖を入れる。

 これをホイッパーでよく混ぜたら牛乳と卵の順番でいれていきさらによく混ぜる。

 何度も加熱しては混ぜ、加熱しては混ぜを繰り返すとミルクカスタードができあがる。

 

「混ぜたものをレンジで加熱する間に……」

 

 並行してシュー生地の準備をする。

 あらかじめ薄力粉をふるいにかけて卵を溶いたものと、鍋に水とバターを入れて沸騰させておいたものを用意する。

 

「これがけっこう力がいるんだなー」

 

 さっきのミルクカスタードもそうだけどお菓子を作るには生地だのクリームだのやたらと混ぜる必要があって、これがとても力を使う必要がある。

 

 薄力粉に卵やバターがよく絡んでひとまとめになったら、中火で生地を転がしながらすこし炒める。

 

「また混ぜるんだよなー」

 

 生地をボウルに移し替えたら溶いてある卵を2回~3回に分けて入れ、ねっとりするまでよく混ぜる。

 よく混ぜて、さらに混ぜて、もっと混ぜる。

 これでようやく生地の素ができる。

 

 クッキングシートを引いた天板に丸い輪になるようスプーンで生地を落とす。

 予熱で200℃にしておいたオーブンで2回に分けて焼く。

 

「ミルクカスタードを生地で挟んで、イチゴをぐるりと一周するようにそえたら粉砂糖を落とす」

 

 これでイチゴとミルクカスタードのパリブレスト、ざっくりいうとシュークリームの豪華版ができあがり。

 となると次はどんな飲み物を合わせよう。

 コーヒーの苦味でシュークリームの甘さを引き立てるのもいいけれど、ご注文は甘いものだった。

 

「うん、これでいこう」

 

 飲み物を決めたらあとはお出しするだけ。

 白いお皿にのせたパリブレストをテーブルに置く。

 

「ほう、これはまた甘そうだな」

 

「パリブレストといいます。甘くて濃いですよ」

 

「円形にしたシュークリームにイチゴをのせて、粉砂糖が雪のようだ……うん、いいぞ。こういうものが欲しかったのだ」

 

 ふふふ、と笑う姿はロリリア様にはない大人の余裕が見えて、いつもこうしていればいいのにと思う。

 ロリリア様と比較したせいか王宮の方からそこはかとない殺気を感じたのでこれ以上はやめておく。

 

「アッサムのミルクティーを用意しました。あわせてご賞味ください」

 

「では、ありがたくいただこう」

 

 シュー生地を器用にナイフで切るとフォークで串刺しにして、一口目を食べる。

 なめやかだけれど濃厚なミルクカスタードにイチゴの食感で変化をつけてあるのが楽しいのか、うんうんと首を縦に振りながら食べてくれる。

 

 美人が美味しそうに食べてくれるとすごく嬉しい。

 それでもやっぱり真剣な顔で食べてくれるロリリア様の表情が一番嬉しい気もする。

 

「ううむ、いいぞ。こういうのが食べたかったのだ」

 

 うんうん、とまたしても首を縦に振る。

 フォークの先についたミルクカスタードのクリームが気に入ったのかじっと見つめている。

 

「甘いものをという注文だったのでイチゴも酸味より甘味が強いものにしました」

 

 半分にカットしたイチゴをクリームと交互に置いてある。

 ミルクカスタードのまろやかな甘みと、フルーツのみずみずしい甘さ。

 甘いだけだとすぐ飽きてしまうからここで変化をつける。

 

 そしてもう一手を打って変化させる。

 

「よろしければミルクティーもどうぞ」

 

「む。まぁプロがそういうなら……」

 

 甘いものを食べて幸せオーラ全開の人に話しかけるのは気が咎めたけどもっと美味しく味わってほしいから許してほしい。

 

 アッサムのミルクティー、砂糖とミルクたっぷり。

 ロリリア様にお出しした時は「子どもの飲み物だ」と叱られてしまった。

 

「コクがあるな。甘いのにしっかりとしていて……甘ったるいものを食べて浮ついた心を穏やかにさせてくれる」

 

「はい。なので付け加えさせていただきました」

 

「いい茶だな。これはフォークがすすむ」

 

 もぐもぐとあっという間に食べていく。

 早食いというよりも素早く食べることが習慣になっているんだろう、お姫様の護衛につくほどの騎士なら忙しそうだ。

 

 パリブレストはけっこう大きなスイーツで食べ応えもたっぷりあるんだけど、運動して鍛えている人だけあってすぐに胃袋に消えていく。

 

「これもスイーツなのか? 女子どもには重すぎると思うんだが」

 

「元々は選手が競技前にエネルギーを補給するためのお菓子だったそうです。レース前に体力をつけてもらうために」

 

 1891年から続くパリからブレストをたったひとりで往復する1200キロの過酷なレース。

 その第一回を記念して作られたというこのスイーツは、たった一個でもお腹いっぱいになってしまうほどボリューミー。

 

「それだから私の舌にも合うんだろうな。訓練の後に食べることができればどれだけ美味いことか」

 

「よろしければお持ち帰り用に包んでおきますよ」

 

「いただこう。殿下もきっとお喜びになる……茶は持ち帰れるのか?」

 

「茶葉をお渡ししますから、そちらで淹れていただければ」

 

 そういうわけで、瞬く間に大きなリングシューのパリブレストを食べてしまったアグ……なんとかさんは、ロリリア様用のパリブレストとアッサムの茶葉を持って帰っていった。

 

 剣で脅された時はそこそこ焦ったけどロリリア様にスイーツを渡せるからよしとしよう。

 でもアグリアスなんとかさんが帰ってからひとつ気づいたことがあるんだ。

 

「代金もらってなくね?」

 

 ツケに慣れすぎてうっかり会計を忘れてしまった。

 最近はだれがいくらツケているかのメモが厚くなっていくばかりだ。




・女騎士のアグなんとか
 特訓と訓練と修行しか知らないところへ甘味を食べさせられて調教されてしまった。
 食べた分だけ胸に栄養がいく体質。


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色ボケ聖女様、コーヒーにお怒りになる。

 今日のお客様はきらびやかなシスター服を着た聖女様だった。

 ロリリア様やスカーレット様のようにピンと背筋を伸ばしているけれど、ふんわりとした柔らかい雰囲気で親しみやすそうな女性に見える。

 

 開店当初にやってきてコーヒーを「悪魔の涙!」と呼んだ人。

 怒りながらも全部飲んでくれたから問題なかったと思うんだけど。

 

「今日は異端審問に来ました。場合によっては生きたまま火炙りです」

 

「問題しかねえな」

 

 なんでそう簡単に命の危険とエンカウントするかなこの店。

 何もしてないのに問題が向こうからやってくるんだわ。

 

悪魔の涙(コーヒー)を飲ませ背徳の果実(ケーキ)を食べさせるなど……いけませんねこれは異端です焼かねば」

 

「使命感と火力が強すぎる」

 

 他の人は普通に食べていたから、聖女様とかストイックな僧侶の人はそこらへん厳しいんだろうな。

 わざわざ食べに来ておいて当たり屋をされてもだいぶ困るんだけど。

 

「最近は王女殿下お二人に護衛の女騎士まで毒牙にかけたとか……これは由々しき事態ですね正さないと」

 

「そんな人聞きが悪いことになってるんだこの店。道理で人が来ないわけだ」

 

 一応、魔法の鍵がなくても普通に来店できる喫茶店で、しかも大通りの一等地に構えているのに誰も来ないわけだ。

 そんな噂されている怪しい店なんか怖くて入れない。

 

「これはいけません……コーヒーもケーキもしっかりと調べ上げなければ……」

 

「もしかしてそういう口実で食べにいらっしゃった」

 

「背徳の味のために我が身を差し出すなど……ああいけません、仕事とはいえなんといやらしいことを」

 

「もしかしてそういうプレイをやってらっしゃる」

 

 諦めてメニューを出す。

 聖女様はまだ自分の世界にいるのか身悶えしてる。

 

 お冷とおしぼりを出したところで聖女様はようやくまともになった。

 

「よろしければなるべくシンプルなものが食べたいのですけれども」

 

「宗教上の都合で豪華なものはNGとか?」

 

「いえ。あまり刺激の強いものを食べてしまったら……ふふ……はしたないかもしれませんが私どうにかなってしまうかも……」

 

「この色ボケ聖女どうにかしてくれないかな」

 

 とはいえお客様の要望には応えないといけない。

 そう無理難題というわけではないもの。

 

そうなると……

「コーヒーとショートケーキのセットはいかがでしょう?」

 基本にして王道のセットメニュー。

 

「聞くだけでも興奮を覚えてしまいます……なんと刺激的な言葉でしょう……」

 

「男子中学生でももうちょっとくらい慎みがあったと思うけどな」

 

 ひとまずそういうことになったのでコーヒーとショートケーキを用意しないと。

 キッチンに移動する。

 

「コーヒーは普通でいいだろうけど、ケーキ、ショートケーキな…」

 

 普通にストロベリーショートケーキでもいいと思うんだけども、よりにもよって異端審問とか言い出している危険人物を相手に普通にしていいものか悩む。

 ただの脅しだと思うけど機嫌をとっておかないと生きたまま火炙りになるかもしれない。

 

 そういうわけでちょっと聞いてみる。

 

「ショートケーキなんですが、ホイップクリームにイチゴを乗せるのが王道ですが食べたいものはありますか?」

 

「王女殿下に伺ったところではマスクメロンなる背徳的で悪魔的な果実があるそうですね。いやらしくたわわに実った果実、想像するだけで興奮してきました」

 

「ショートケーキにメロンか……」

 

 なくはないんだけど難しいところを突いてきたな。

 普通のショートケーキに乗せただけではちょっと微妙になってしまうフルーツ。

 

「普通に作ったら、甘すぎて脂っこくなるんだよな」

 

 ただフルーツだけ入れ替えればいいというものではなくて、イチゴのショートケーキはイチゴの酸味でクリームの甘さを際立たせているから、甘いフルーツに変えるだけだと甘すぎたり味が尖ってしまう。

 

 なので、クリームとスポンジを工夫しないといけない。

 子供向けの甘いクリームとスポンジを、大人向けのまろやかな甘さに変える。

 なにせ普通のショートケーキにメロンを乗せたら子供でもそっぽを向くほど甘くなりすぎるし、脂っこくなってすぐに飽きがくる。

 

「豆乳と和三盆か」

 

 ここで日本に伝わる健康ドリンクと伝統の甘味に頼ることにする。

 

 牛乳ではなく豆乳に油と和三盆に粉寒天を混ぜて温めたら、これでもかというくらい泡立て器でかき混ぜる。

 豆乳は牛乳と比べて油分が少なくて固まりにくいから、普通にホイップさせるよりも念入りにかき混ぜる。

 

「うん、ちゃんとツノが立つ」

 

 よくかき混ぜたのを確認したらひとまずこれでよし。

 

 次はスポンジ作り。

 これはグラニュー糖ではなく和三盆糖を使うだけで他に変えるところはないから、特にいうこともない。

 

「で、メロン。メロンかぁ」

 

 クリームに挟む分は一口サイズに四角くカット。

 ケーキの天辺に乗せる主役の部分はボール玉のように丸く抉り取る。

 

 下からスポンジ・クリーム in メロン・スポンジ・主役メロンの順番に形作る。

 これで完成。

 

「コーヒーってかなり脂っぽい飲み物だから、これも考えないとだ」

 

 せっかくケーキをまろやかにしたのにコーヒーを合わせたら台無しになるなんてことがあったらいけない。

 となると……

 

「浅煎りの酸味が強い豆をペーパードリップで」

 

 深煎りで苦い豆は油分が、コーヒーオイルが強く出てしまうから、豆に水分が残っていて酸っぱいもので打ち消す。

 紙で抽出するペーパードリップならフィルターを通しているから油分が残りにくい。

 それに浅煎りなら果実としてのコーヒーの風味が出てくるからフルーツ感もある。

 

「ニカラグアのジャバニカがいいかな」

 

 マイルドな味とフローラルな香り、浅煎りでも後味にかすかな甘味が残る上品なコーヒー豆。

 癖もなくて柔らかい甘さが心を和ませてくれる品種だから、コーヒーに慣れていない聖女様にもうってつけだろう。

 

 浅煎りの豆はすぐ雑味や青っぽさが出てしまうから、普段以上に気を使って丁寧に淹れる。

 慎重に豆を挽いて、ドリップも気をつけて……できた。

 

「お待たせしました。浅煎りのコーヒーとメロンのショートケーキです」

 

「まあまあ、なんとも芳しく人を惑わせる香りでしょう。これは危険ですね」

 

 「この言い方だけどうにかならないかな」

 

 それでは、実食。

 

 スプーンでケーキを切り取る姿は優雅なもので、色ボケしていてもそこは流石に聖女様。

 まずは、一口目。

 

「甘いのにまろやかで……不思議ですね、甘くて脂も感じるのに、なぜだか体に優しそうな雰囲気がします」

 

「牛乳ではなく豆乳で、そして日本の……ボクの故郷にある砂糖の一種、和三盆を使っています」

 

「豆のミルクというのも初耳ですが、ニホン? あなたの国にはこういうものがあるのですね」

 

 優雅な動きだと思ったら次から次へとケーキを口に放り込み、あっという間になくなってしまいそうな勢い。

 

「よろしければコーヒーもどうぞ。こちらも工夫しておきました」

 

「ん、前に飲んだものより色が薄いようですね。私は濃くてドロりとして苦い方が好きなのですが、まぁいいでしょう」

 

 言葉選びのセンスだけはどうにかしてほしい聖女様が、カップを傾けてコーヒーを飲む。

 浅煎りのコーヒーを飲み下してから、ふぅ、と一息ついた。

 

「苦くないですが、ううん、ナッツや果物のような風味がありますね」

 

「普通のコーヒーでは脂こくて重たくなってしまいますから、このようなものを選びました」

 

「いいですね、とても異端ですが私は許します」

 

「本当に褒めてんのかなぁこれ」

 

 とりあえず生きたまま火炙りは回避できたみたい。

 本当かどうか分からない脅しの命の危機は脱したから第一目標は達成。

 生きていないと喫茶店のバイトはできないからね。

 

 「しかしニホンの豆乳とワサンボンなるものは本当に美味しいですね…これは週一で異端審問の必要があるでしょう。これからも監視させていただきます」

 

「もうそれでいいのでまた来てくださいね」

 

「私まで毒牙にかけようとはなんといやらしい! これは説教が必要ですね、そこに座りなさい」

 

 このあとめちゃくちゃありがたいお説教が1時間続いた。

 人によってはとても嬉しいんだろうけどムッツリ聖女の勘違いで正座させられたから全然嬉しくないし、またおかしな噂が加速しそうで気が遠くなる。

 

 また今度来る時はお代を持ってきてほしい。




・色ボケ聖女
 普段は清楚でおしとやかなシスターさん。
 裏の顔は淫乱ピンクで苦くて濃いものが好き。


色ボケ聖女を懲らしめたい方は評価・ブックマークいただけましたら幸いです。


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「そこの胸が大きくてコミュ障の魔法使いがうちのマスターです」

 今日もバイトのコーヒーを飲みに来てやった。

 閑古鳥が鳴くこの店は私が飲み食いして支えてやらねばなるまい。

 

 決してバイトに会いに来たとか話に来たとかそういうわけではない。

 ないったらない。 

 

 そういうわけで今日も他に客のいない店に来てやったのだが……。

 私の他にもうひとり客がいた。

 どういうわけかバイトはその女性が見えていないかのように振舞っている。

 

「……こんにちわ」

 

「………………フィヒッ」

 

 その女性はぎこちなく微笑みながら頭を下げてきた。

 もしかして今の変な音は挨拶か?

 魔法使いのようなローブを着ているが、異国の文化かそういう職業とか事情があるかもしれないから深く聞かないでおく。

 

 だがしかし、うむ……。

 

「大きいな……」

 

 どことは言わないが、女性らしさを表すところがとても大きい。

 大人の女性らしさでいえばスカーレット姉様に匹敵するんじゃないだろうか。

 

 羨ましくもあるが嫉妬はしない。

 私も血筋的にはすぐに成長するはずだ。

 きっと。たぶん……。

 

「おいバイト」

 

「はい?」

 

「こちらの女性にどうして水を出してやらない?」

 

「女性?」

 

 バイトがきょろきょろと辺りを見回す。

 まったく見当違いの方向を見ている上に演技している風にも思えないから本当に見えていないのかもしれない。

 

「すぐそこに座っているじゃないか」

 

「すぐそこ?」

 

「キャヒッ……」

 

 私が示した方向にバイトが目をやって魔法使い風の女性と視線が重なる。

 そのせいか女性がちょっと聞いたことのないような小さい悲鳴をあげた。

 

 ようやくなにかを察したのか、バイトが何とも言えない微妙な顔をする。

 初めて見る顔で、あまり人前ではやらないような表情にすこし驚く。

 

「もしかして、体の一部がローブの上からでも分かる大きな魔法使いの女性がそこに座っていますか?」

 

「もしかしなくても、胸部が豊かで女らしい体をした魔法使いがそこに座っているぞ」

 

「その人、マスターです……」

 

「こいつが!?」

 

「エヘヘ」

 

 魔法の道具や奇妙な機械をたくさん持っていて、こんな喫茶店を構えられる魔法使いと聞いていたから、もっと堂々としていて威厳に満ち溢れるものだと思っていた。

 

「それがこんな……猫背で緊張感のないふぬけきったような女性が……」

 

「フヘ……」

 

 ふにゃふにゃとして甘ったるい声だった。

 こういうおとなしい女性に魅力を感じる人もいるだろう。

 なんだか見ていて放っておけない方だ。

 

「まだ見えていないんですが、とりあえずここにマスターがいると仮定して話を進めます」

 

「もうひとつ右の席だぞ」

 

「見えないの不便だな……ここら辺かな」

 

 マスターの頭のあたりを狙ったバイトの手は空振りして、「きゃっ」と小さい声が聞こえてくるだけだった。

 執拗にローブを狙うバイトとその手から逃れるマスターの一進一退の攻防が続く。

 

「女性の服を剥ごうとするのはどうかと思うぞ」

 

「ローブを取らないと見えないんですよ。ボクが」

 

「不便なんだか便利なんだか分からんな」

 

 魔法は便利だがそういうこともあるか、と納得しかけたところでマスターが口を開いた。

 

「は? 誰に見えて誰には見えないか自由に選べて普通のローブに偽装できる透明マントは私しか作れないし他に存在しない便利グッズなんだが?」

 

 急にまくしたてられて驚いた。

 この人、変な音以外に普通に話すことができるのだな。

 

「マスター、しゃべったぞ」

 

「その人、魔法のことになったら早口になるんですよ」

 

熱心な愛好家(オタク)というやつか……」

 

「エヘ……」

 

 バイトが自分の話をしている時はすごく嬉しそうにしているのだが、魔法の話になった途端に真顔で早口で話すから少し近寄りがたい雰囲気がする。

 この人が私の雇用主になるのだと思うと先が思いやられるところだ。

 優秀な魔法使いには違いないだろうが……。

 

「……バイト、とりあえず甘いコーヒーでもくれないか」

 

「僕の許可もなくバイトに命令しないでもらえるかな?」

 

「いいですよ、何か淹れてきますね」

 

 マスターの言葉をまったく無視してバイトがカウンターの奥に引っ込んでいった。

 あれはたしか苦くて濃いもの(エスプレッソ)を作る機械だったか。

 

「ふぇ……」

 

 無視された形のマスターは見るからにかわいそうなほどショックを受けている。

 よもやバイトに自分の主人を無視するだけの図々しさがあるとは思えないから、きっと理由がある。

 

「もしかして、姿だけではなく声も消せるのではないですか?」

 

「わ、忘れてた……これそういうローブだった……」

 

 マスターがローブの袖をぎゅっと握ったまま椅子の上で小さくなる。

 なんだこの生き物、放っておけないぞ。

 目を離したすきに転んでしまう子供みたいだ。 

 

 無視されたのがよほど堪えたのか「うぇぇ……」と涙声が聞こえてきた。

 可哀想だから気晴らしにでもならないかと話に誘ってみる。

 

「バイトとは親しいようですね?」

 

「ふふ……顔が良くて真面目なイケメンが僕にコーヒー入れてくれるからね……」

 

「否定できない」

 

「分かる!? やっぱ誰だって執事服を着た青年にお茶とお菓子を作ってもらいたいよね?!」

 

「分かったのでもう少し声を抑えてもらえますか」

 

「あっ……すみません……」

 

 愛好家(オタク)ってそういうところあるぞ。

 否定しはしないしよく分かるから同意見なのだが。

 

「まぁ、私もそういうところがあるから来ていますが」

 

 とはいえバイトと親しい女性が同じ理由で来ていることを知ったら、どうにも胸が騒ぐけれど。

 

「だってさ……研究に詰まって発狂してる時にさ、『お茶でも飲んでゆっくりしていってください』って優しく言われてみなよ……あれは落ちるよ……」

 

 ぐでーっとテーブルの上に溶けたようにうなだれるマスターから、小さな声だがそんな言葉が聞こえてきた。

 うちのスカーレット姉様が上手く陶芸品を作れなくて「でーきーなーいー」と泣きながらソファで暴れている時と一緒。

 

「まぁ、そうですね……」

 

「やっぱり癒しって大事だと思うんだよね……美味しいお茶とスイーツなんて無限に食べられるじゃん……でも研究って無限に発狂するじゃん……対消滅させるしかないじゃん……」

 

「分かったような分からないような」

 

 私はこうやってバイトの店に来て話をしてお茶ができれば満足だが、大人というものは大変なんだろうな。

 ルバート兄様みたいな冒険野郎は毎日楽しそうだから別としても。

 そもそも生きてるのかあの人。

 

「しばらくお店に来れてなかったから心配だったんだよ……ここがなくなったらストレス解消できないじゃんね……」

 

「お疲れ様です。魔法使いともなれば苦労も多いでしょう」

 

「へへ……《世界を渡り歩ける人(プレインズウォーカー)》とかなるもんじゃないよ……」

 

 プレインズウォーカー、たしか世界に何人もいない別の世界に移動できる魔法使いか何かだった気がするが、まぁ愛好家(オタク)は話を誇張するものだしな。

 

「でも、お茶とお菓子ばかりでは、その、体重が気になるのではないですか」

 

「うぐ……や、やっぱり邪魔、だよね、これ」

 

 マスターが唐突に自分の胸を手に取った。

 頬を赤らめた女魔法使いが自分の胸を強調させる姿は昼間から人前で見せていいものではないし、さてはこの方は食べた分だけ大きくなるタイプだな。

 姉がそうだからよく分かる。母もそうだったというからよく分かる。

 

「邪魔です。一刻も早く取り除くべきでしょう」

 

「でも”うちのバイト”はたまに視線がここに向いてるよ……?」

 

「”私のバイト”にそんなことはさせません」

 

 なんだか引っかかる言葉があったから対抗しておく。

 マスターの顔も何故だか私をからかうような笑みになっているように見えるのも気のせいではないだろう。

 

 二人分のコーヒーを盆に乗せたバイトがやってきた。

 

「変な噂を流されていた気配がするんですけど」

 

「気のせいだ」

 

「気のせいだよ」

 

 バイトは疑いながらもコーヒーを置くと、「剣呑な気配がする……」と言いながら椅子に座った。

 マスターの隣に座ったことに気づいていないのか、マスターが身振り手振りでバイトの所有権を主張しているが、これは無視しておく。

 

 コーヒーはカフェラテのようだったが、上に何か載っていた。

 

「カフェラテを改造してみました。甘い生クリームとチョコソースをかけてあります」

 

「甘そうだが、甘すぎないか?」

 

「マスターの好みなんですよ」

 

「へへーん」

 

 勝ち誇ったように笑顔でダブルピース。

 ピースに慣れていないのか指が伸び切っていないし、表情筋が乏しいのか引きつった笑顔になっている。

 無性に胸が騒ぐのでバイトを蹴っておく。

 

「痛いです」

 

「痛くしているんだ」

 

 怒りを覚えたがコーヒーに罪はないのでありがたくいただく。

 子供向けのような甘さの後に、苦くて濃厚なエスプレッソがコーヒーの味を残していく。

 

 まぁ、これはこれで悪くないし、苦味の強いエスプレッソで生クリームとチョコソースの甘さを楽しめるならリピートしてもいいかもしれない。

 スイーツと合わせても良さそうだ。

 

「これがあると研究が捗るんだ……カフェインと甘味は脳に素早く届いてストレスを消してくれる……」

 

 子供のように両手でカップを手にして油断しきったふにゃふにゃの笑顔を見せるマスターは、とてもこの喫茶店の道具を整えた偉大な魔法使いには見えないが、バイトの作るお茶とお菓子が好きな人間には違いなさそうだ。

 

 目の下のクマが濃くて今にもマスターが倒れそうで不安だが。




・マスター

 いろんな世界を旅して美味しいものを食べるのが趣味。

 ふらりと入った喫茶店で働く少年が作ったコーヒーとショートケーキに即落ち2コマをかましたガチ恋勢。



三徹明けでコーヒーを飲みに来るマスターに豪華なお菓子を食べさせたい方は評価・ブックマーク等いただけましたら幸いです。


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金髪王女様、バイトに無茶な注文をつける。

「鮮やかな真っ赤が出せないんですよね。やっぱり顔料が違うんでしょうか」

 

「うーん、このカップも綺麗に見えますが……」

 

 スカーレット様が持ってきたカップはワインレッドの大人っぽいカップとソーサーのセットだった。

 なんでも王女様が直々に運営している陶器工房があるとかで、うちの喫茶店にある食器を見てインスピレーションを得て色々と作っているらしい。

 

 それでたまに見せてくれることになったんだけど……。

 

「原色の綺麗な色を出そうにも、ここから原料を変えると陶磁器に定着しなくって」

 

「どんどん専門的な話になってきた」

 

 あっという間に芸術家目線での話になってしまってついていけなくなる。

 ボクは喫茶店に合いそうな食器を選ぶことはできても、どういう食器にどれだけの価値があるだとかそういう目利きはできない。

 

「それで本題なんですけど」

 

「前置きにしてはすごいマニアックな話だった……」

 

「このカップとソーサーに合う飲み物を用意してください」

 

「本題はもっと難しい話だった……」

 

 カップ&ソーサーをよく見る。

 ムラなく塗られたワインレッドは鮮やかで、現代日本でもかなりの価値がつきそう。

 とてもお姫様のお遊びには見えない。

 

「実は、けっこう切羽詰まったお話なんです」

 

「作れと言われたら、とりあえずやってみますけど……」

 

 まだ背景が分からない。

 ただの注文ならいつも通り自分なりにやってはみるけれど。

 

「私の工房が資金難になってまして」

 

「王族御用達が経営の危機……どこかで聞いた話だな……」

 

 うちはお代をいただかなくてもやっていけるとマスターが言ってたけど、工房ともなれば色々とあるんだろう。

 ここまで綺麗な食器を作るんだから原材料だけでもすごいお金がかかっていそう。

 

「それというのも私が色々と試していくうちに材料費がかさんだんですよ」

 

「これだから凝り性のオタクは……」

 

「私の趣味に税金を使うわけにもいきませんし、かといって趣味もやめたくないんです」

 

「公私ともに真面目すぎる」

 

 さっきまでろくろを回していた(ベンチャー企業ポーズ)のに今は腕を組んでいる(職人のポーズ)

 経営を気にしたり職人になったり忙しい人だ。

 

「なのでカップとソーサーのセットを売り出そうと思ったんです。そこに目新しい飲み物もあればマーケティングになると思って」

 

「ファンタジーな異世界で急に横文字が出てくるとびっくりしちゃうな」

 

 やりたいことはだいたい分かった。

 問題はボクは他の誰かが考えたものを言われたままに出す仕事で、マーケティングだって専門外だってこと。

 

「どうか考えていただけませんか?」

 

「困っているお客様の力になりたいのは山々なんですが……」

 

「成功したら報酬は期待してくれていいんですよ?」

 

「やらせてください」

 

 お金とか褒美とかそういう話をされると弱い。

 決してスカーレット様が腕に抱きついてきて胸が当たってきたのに負けたとかそんなんじゃない。

 

「受けてくださってとてもありがたいです♪」

 

「うーんボクはもっと嬉しい気分なんですが当たってます緊張します」

 

「当ててるかもしれませんね?」

 

「いけませんお客様ー!」

 

 困ったな。大人の女性には弱いのでこういうことをされると困る。

 脳裏でロリリア様の怒った顔が浮かんだので大急ぎでカウンターの裏に逃げる。

 

「あなたには期待してますよ♪」

 

 スカーレット様がカウンターに頬杖を突きながらにこにこと微笑みかけてきて動悸がやばい。

 緊張でうっかり手を滑らせそう。

 

「飲み物といっても、なにかご希望はありますか?」

 

「若い女の子受けがいい甘い飲み物です」

 

「モテたことのない若い男の子には無理難題がすぎる」

 

「あら、こんないい人なのにもったいないですね」

 

 そういうことはあまり言わないでほしい。

 女性に免疫のない男子だから簡単に勘違いしちゃいそう。

 

 男子校出身だったらもう勘違いしてるところだった。

 共学でよかったとこんなに感謝した日はないよ。

 

「女性向け……というか若者向けだとジュースは定番ですよね」

 

「手軽さでいえばそうかもしれませんが、貴族の娘に売るとすると庶民的すぎるかもしれません」

 

「名家って大変だなー」

 

 日本で話題のクレンズジュースやコールドプレスジュースならうちから卸せていいかと思ったけど、やっぱり異世界だと感覚が違うんだろうな。

 

 しかしジュースがダメとなると、この異世界でも珍しいものはどうやって作ればいいだろう。

 

「こっちのコーヒーはなくても紅茶(ティー)はありましたよね」

 

「毎日飲まされてますね」

 

緑茶(グリーンティー)ってありますか?」

 

「緑のお茶……?」

 

 なるほど。茶葉はあるけど緑茶はないか、それか一般的には飲まれてないんだろう。

 茶葉があるならこの世界でも製法を真似て作ることはできるだろうし、入手方法もそんなに困らなそうだ。

 

「緑茶。これならいけるかもしれません」

 

「緑のお茶……私、とても気になります」

 

「ちょっと、いやかなり邪道なものですがこの場で作りましょう」

 

「やったぁ!」

 

 大人っぽい女性なのに急に子供っぽいところを見せないでほしい。

 好きになっちゃうだろ。

 

 千利休が見たら右ストレートで殴ってきそうな、お茶の世界からすれば異端ともいえるドリンクを作る。

 抹茶ラテを、作る。

 

「こちら抹茶といいまして、紅茶とは別の方法で発酵させた茶葉を粉末にしたものです」

 

「粉のお茶ですか。長旅に便利と聞いたことはありますが……」

 

「このような形ですが、緑茶の最高級品です」

 

「ふむん」

 

 こっちの世界の人からすれば本格コーヒーを飲みにきたのにインスタントコーヒーを出されたようなものだろう。

 これを和洋折衷にして利休に喧嘩を売るような飲み物に変えさせていただく。

 

「ボウルに出した抹茶小さじ1杯に、生クリームと砂糖をお好みで入れます」

 

 お好みとはいったけどそこそこの量を入れる。

 

「見ているだけでも甘そうですね?」

 

「抹茶は苦味が強いのでこれくらいでないと甘味が負けてしまうんです」

 

「ふむふむ」

 

 スカーレット様はいつの間にか取り出したメモ帳に羽ペンでさらさらとメモしていく。

 メモ帳はクリーム色で高級な雰囲気があり、柔らかい羽ペンもインクをつけていないのに書ける特別仕様のマジックアイテムらしい。

 

 コーヒーのうんちくを語った時にロリリア様もやっている仕草で、この姉妹は勉強家で似たもの同士なんだろう。

 

「お湯を少しだけ加えて、ダマにならないよう溶かしつつ目一杯混ぜます」

 

「ふむ」

 

「これでもかというほど混ぜます」

 

「お菓子と同じで難儀なものですね」

 

 甘いものはだいたい混ぜる必要がある、とはどこかのパティシエの言葉らしい。

 抹茶は固まりやすいから小まめにお湯を加えながら混ぜるといい感じになる。

 

「抹茶シロップが出来上がりましたら、鍋で温めた牛乳を注ぎます」

 

「甘そうですね」

 

「今日は見た目にもこだわっていきたいので、このミルクフォーマーを使います」

 

「リリーナちゃんがカプチーノを飲んだ時に使ったものと聞いています」

 

抹茶ラテにさらにミルクを注ぎながらピッチャーを傾けて模様をつけていく。

カップに注いだものがこぼれないように気をつけて、けれど模様が沈んでいかないよう素早く注ぐ。

 

「葉っぱの模様、ですか?」

 

「ラテアート、といいます。コーヒーなど色の濃いものに、泡立てた牛乳を注いで描きます」

 

「ふむ……これは目にも嬉しい工夫ですね」

 

 カップをスカーレット様が持ち上げる。

 彼女が持ち込んだワインレッドのティーカップの向こうに、赤い瞳がキラキラと輝いている。

 

「ラテアート。カップだけではなく注がれた飲み物でも美しいものが作れるのですね……」

 

 日本ではたしかに見慣れた模様ではあるけれど、今でもSNS映えのするメニューとして親しまれているし、異世界の人ともなればより感動してもらえるかもしれない。

 

「それにこの抹茶の色、ワインレッドの補色にある濃い緑色を選ぶとは、バイトさんもデザインに詳しいようですね」

 

「知らなかったそんなこと……補色ってなに……」

 

 ネットの辞書によると「ある色と相性の良い色」という意味らしい。

 例えば白い背景に黒い文字とか。

 

 ボクがスマホで補色という言葉を検索している間に、スカーレット様がカップを傾けて抹茶ラテを飲んだ。

 

「うん、甘くて飲みやすいのにコクがあっていいですね。大人も飲めるいいメニューになりそうです」

 

「コーヒーを加えて抹茶コーヒーラテにするのもいいですよ。甘さを気にされる男性はそうやって飲んでいる人もいます」

 

「老若男女にも提供できる汎用性がありますね……」

 

 スカーレット様が両手で持ったカップの中で揺れる抹茶ラテを見つめながら考え事を始めた。

 これは長そうだ。今のうちに甘さを変えたり牛乳を豆乳に入れ替えたお代わりを用意しておこうかな。

 

「決めました。うちの茶畑にも作らせましょう」

 

「王族御用達がまた出てきた」

 

「どうせならいろんなところを巻き込んで元手を増やして大きく儲けましょう」

 

「生まれついてのビジネスパーソンが出てきちゃったな」

 

 話が大きくなってきたので、適当に相槌を打ちながら抹茶ラテのバリエーションを作る。

 そろそろ経営とか大きな話にはついていけなくなってきたから。

 

「レシピ考案者としてバイトさんの名前を載せておきますね」

 

「はい」

 

 今なんかボクに関係ありそうな話題が流れた気がするけど、まぁ悪いことにはならなそうだしどうでもいいか。




・スカーレット様
 綺麗なものがあったら自分でも作ってみるタイプのオタク。


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砂漠の王族、コーヒーを飲みに来る。

 日差しの心地よい晴れた昼下がりのことだった。

 ロリリア様が異国風のお客様を連れて来た。

 

「詳細は省くが、砂漠の国の王子がコーヒーを飲みたいというので連れて来た。お前の腕に外交がかかっているぞ」

 

「やぁ。ここで砂漠の飲み方(アラビック)ができると聞いてね。不味かったら交易に影響するかもしれないな」

 

「喫茶店をなんだと思ってるんだろうな……」

 

 ジャンプの料理漫画とか信長のシェフじゃないんだからさ。

 美味しくお茶してもらうための店に外交とか大問題を持ち込まないでほしい。

 

「コーヒーはともかく、異世界の喫茶店を名乗るのだからお茶請けは見たこともないようなお菓子で頼むよ」

 

「無茶に無理を重ねてきたな……」

 

 こっちの世界にある砂漠の国がボクの世界にある砂漠の国と同じかどうか分からないし、たけのこの里を日常的に食べている国だったらどうしよう。

 きのこ派は死んでしまうしかない。

 

「チョコ、そうだなチョコがいい」

 

「コーヒーに合うお菓子の定番といえば定番ですね」

 

「不味かったら……君、分かってるね?」

 

「王族って人に無茶を言うのが仕事なんですかね」

 

「私はそうでもないぞ」

 

「喫茶店のバイトに外交を託した人が言うのか……っ!」

 

 まぁ作るけど。

 コーヒーは普通にアラビアンコーヒーでいいだろう。

 魔法で自動翻訳された言葉の中に「アラビック」と言っていたしそう間違ってはないはずだ。

 

「熱した砂は用意できないので炭火で失礼します」

 

「ん? ああ、オレは気にしないから君のやりやすいようにやってくれて構わない」

 

「優しい……正しく作らないと首をはねてくる信長みたいなパターンじゃなかった……」

 

 DV彼氏に優しくされて勘違いする彼女の気分だ。

 ブラック企業で休みをもらって喜ぶ社畜の方が近いかもしれない。

 

 とりあえずコーヒーの方向性は決まった。

 あとはそれに合うお茶菓子を選ぶだけ。

 

「チョコは甘いものと苦いもの、どちらがよろしいでしょうか?」

 

「甘い方がいいな。長旅で疲れが……いや、滋養をとるならカカオが強い方がいいか?」

 

「それでは両方ということで」

 

 チョコなら同じメニューで味を変えればいいから、即興でもまだなんとかできそうだ。

 組み合わせは考える必要があるけど。

 

 アラビアンコーヒー、もしくはトルココーヒーは日本では馴染みがないものの、スパイスを入れた飲み方が特徴的。

 それに負けないだけのお菓子を用意しないと、コーヒーが勝ちすぎてちぐはぐになる。

 ただのチョコに何かを添えるだけでは足りないだろうな。

 

「分かりました。それでは用意させていただきます」

 

「ま、不味くても気にはしないからそれなりの物を頼むよ」

 

 なんだぁてめえ。

 飲んだ後に不味いと言われたら納得するけど、最初から期待していないと言われるとピキっとくるぞ。

 お前満足させてやるから覚悟しとけよ。

 

「マクトゥーム殿」

 

「うん?」

 

「あまり私のバイトを苛めるようでしたら、今後の付き合い方を考えなければいけませんね」

 

「ロリリア様……」

 

「それは悪いことをした。謝罪しよう。それだけの物を出してくれるんだろうね?」

 

「嬉しいですけどハードルが上がってます」

 

「あっ」

 

 けっこうな無茶振りがもっと無茶になった。

 それはそれとしてかばってもらえて嬉しくもあり、今度なにかサービスしてお礼を言おう。

 

「アラビアンコーヒーにモカ、それもイエメンのマタリ産だな……」

 

 腕を組んでメニューを考えるボクを、マクトゥームと呼ばれていた王子とロリリア様が見つめている。

 口元を手で隠して呟きながら考える姿が珍しいのかな。

 人目を集めていることにすこし緊張するけど、メニューに没頭すればその緊張もすぐに解ける。

 

深煎り焙煎(シティロースト)で、スパイスはカルダモン以外にも入れて……」

 

 アラビアンコーヒーは浅煎りでトルココーヒーは深煎りというけれど、特に厳密な違いはなくてバリスタに任されている。

 王子様ともなればカルダモンが入っているくらいでは満足しないだろう。

 他にもシナモンなどを入れて味にリッチ感と深みを出していこう。

 

 そうと決まれば後は作るだけ。

 アラビアンデザインの縦長で取っ手のついた小さな鍋を取り出す。

 

「初めて見る道具だな。それはなんという?」

 

 ロリリア様から質問が飛んできた。

 このポットは現代日本でもなかなか見ないだろう。

 

「へぇ、アラビア風ポット(イブリック)まであるのか」

 

「ええ。本格コーヒーを名乗るなら、コーヒー発祥の地の淹れ方も勉強しないと」

 

「バイト、といったか。なかなか分かるじゃないか」

 

 バイトは名前じゃないけどまぁいいや。みんなそれで呼んでくれるし。

 イブリックと一緒にスパイスを入れた鍋を炭火にかける。

 まずはお湯を沸かさないことにはコーヒーを淹れられない。

 

「そっちのスパイスはなにをしている?」

 

「お菓子に使うのかい?」

 

「これはコーヒーに入れます。カルダモン、クローブ、シナモン、粉末にしたジンジャーです」

 

 ふむ、とロリリア様が腕を組んだ。

 

「これが砂漠の国(アラビック」)な飲み方ですか?」

 

「こうやって何種類も入れることはあるね。普通はカルダモンだけなんだけど」

 

「お疲れのようですから、香辛料で元気を出していただこうと思いまして」

 

 シナモンもジンジャーもお菓子によく使われるスパイスの王道で、クローブは日本では馴染みが薄い香辛料だけど、ナツメグに似た甘くて上品な香りが持ち味。

 コーヒーの香りを華やかにさせて風味を増すにはこの組み合わせが一番。

 

 これと一緒にお菓子も作り始める。

 

「そのナッツは?」

 

「ピーカンナッツです。これをチョコで包んでいきます」

 

「一工夫ってそれだけかい?」

 

「まだまだ序の口です」

 

 ピーカンナッツをローストしつつ、ボウルに50℃のお湯とチョコをあけて湯煎にかけて溶かす。

 いい具合になったらピーカンナッツを取り上げチョコに入れて、よく絡めていく。

 

 そして、ここから。

 最中の皮を取り出す。

 

「また知らないものが出てきたな」

 

「最中という日本のお菓子があります。その皮だけを使います」

 

 チョコが固まりきらないうちに最中の皮に、ナッツを包んだチョコをのせていく。

 そして「よくお菓子の上に乗ってるピンク色の粒々」こと、木いちごを乾燥させたフリーズドライフランボワーズをのせる。

 

 これでお茶菓子は完成。

 次はアラビアンコーヒーを進める。

 

 スパイスを煮出したお湯をイブリックに移して炭火から下す。

 そしてイブリックに挽いたコーヒーの粉を3杯ほど入れる。

 

 すぐに粉がぷくぷくと膨らんでくるから、もう一度炭火にかける。

 泡が細かくなって吹きこぼれる寸前に炭火から離す。

 

 これをそのままカップに注ぐ!

 

「フィルターには入れないのだな?」

 

「はい。コーヒーの粉も一緒に入れます」

 

 そのコーヒーの粉が沈むのを待っている間にも、コーヒーとスパイスが混ざったかぐわしい香りが店内に広がる。

 カップの底に粉が沈んでいったら完成。

 

「どうぞ、アラビアンコーヒーとピーカンナッツのチョコ最中です」

 

 背が低く小ぶりなコーヒーカップにのせてお出しする。

 チョコレートは甘いものと苦いものの2種類。

 

「香りは合格といったところかな」

 

 カップを回してコーヒーの香りをくゆらせる姿は、さすが王子様だけあって堂々としている。

 コーヒーに負けないだけのスパイスの香りが食欲を刺激してくる。

 

「ありがたくいただこう」

 

 カップを傾ける。

 砂漠の国の人にしか、本場の人にしか出せない自然な雰囲気を醸し出しながら、一口飲んだ。

 よくよく味わってからマクトゥーム殿が顎をさすって、一言。

 

「うん、本国で飲むものに勝るとも劣らないものだ」

 

 小さくガッツポーズ。

 異世界とはいえ、コーヒー発祥の地の人に褒められて悪い気はしない。

 

「何種類もスパイスを用意し出した時は驚いたが、なるほど、砂糖やミルク以外にもこういう味の付け方があるのだな」

 

 ヨーロッパで発達したコーヒーとは枝分かれしたアラビアンコーヒーやトルココーヒーは独特で、国によってはコーヒーの皮と香辛料を煮出すものまであるという。

そのためお茶はお茶でも気軽に飲むというよりは、ゲストをもてなすための大事なドリンクであったり、国によっては漢方薬に似たエナドリのように扱われているという。

 

「このコーヒーとスパイスのハーモニー、うん、よく出来ているじゃないか」

 

「ありがとうございます」

 

 コーヒーは合格したようだ。

 最初はとげとげしい人だと思ったけれど、素直に褒められると好感度が上がってしまう。

 

「菓子の方は……私もこの店で見たことがないものだな」

 

「ナッツとチョコの組み合わせはポピュラーだけど、モナカというのは初耳だな」

 

「どうぞお試しください」

 

「うん、いただくとしよう」

 

 モナカとチョコの相性については、偉大なチョコモナカジャンボが証明している。

 とはいえチョコモナカジャンボをそのまま出すのも喫茶店の名折れ、ちゃんとスイーツを自作して一工夫いれた。

 

 最中をアレンジしたのは初めてだけど自信はある。

 

「……うん」

 

 マクトゥーム殿が口に入れた。

 食べやすいよう一口サイズにしたモナカの皮に、ピーカンナッツを絡めたチョコレートが包まれている。

 

「このモナカというのはパリパリとした食感が楽しいね。それに香ばしいな」

 

「チョコも、コーヒーの苦みとスパイスの風味の後で食べると、甘さが嬉しい」

 

 かなりの高評価。

 ナッツを入れたのも最中で包んだのも、正解だったようだ。

 

 アラビアンコーヒーの格調高い風味の強さに負けないためには、ナッツとモナカで香ばしさを、チョコレートの甘味と苦味でまとめる必要があった。

 それでうまくバランスを取れたんだろう。

 

「俺が出した条件はふたつ、『アラビアンコーヒー』と『俺が見たこともないようなお茶菓子』だった」

 

 だから本格的なアラビアンコーヒーと、この世界にあるかどうかも怪しいモナカの皮を使ったチョコレートを出した。

 

「合格だよ。どちらも最高のものだった。俺と一緒に来た連中にも出してやりたいんだ、お茶菓子だけでも持ち帰るかな?」

 

「もちろんです。よければ他に追加しますよ」

 

 とても嬉しい。

 見返してやったとかじゃなくて、自分の作ったもので人が喜んでくれる姿がなによりの幸せだから。

 それも異世界とはいえ本場の人に認めてもらえたことで感慨もひとしお。

 

「じゃ、次は俺より面倒くさい女の占い師が来ると思うから、そいつのことも頼むよ」

 

「この世界の王族って人に無茶振りしないと生きていけないんかな」




・マクトゥーム殿
 偉そうにしているけど実際に偉いけど、胸を張って高笑いしながら歩いてたら段差で転ぶタイプの間抜け。
 無茶は言うけど人に頼まれたら断れないタイプ。
 たまに雨に濡れる猫を拾ってきては執事に説教されている。


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女占い師、「揚げても溶けないアイスをよこせ」と言う。

 今日は夕方になるまでお客様のいない日だった。

 最近では遅くまでだれも来ない日は稀な方だけど、姫様しか来なかった時はそれが普通だったから、前に戻ったようで少し寂しく思いながらマグカップを洗っていた。

 

 そんな時にやってきたお客様は、砂漠の国の王子マクトゥーム殿から聞いていた、女占い師だった。

 

「ご注文は……?」

 

「フィヒ」

 

「マスターと同じタイプか……」

 

 かなりのコミュ障だった。

 メニューを開かないどころか、恥ずかしがり屋なのかメニューで顔を隠しているレベル。

 その顔を隠しているメニューを見てもらわないことには話が始まらないんだよな。

 

「困った……」

 

「大変ですね」

 

「だれのおかげだと思ってる?」

 

 あんたのおかげだよ!

 なにも頼まないで居座るお客様も客に数えるけれども、そろそろお冷とおしぼり以外のモノを出したい気分だ。

 お茶とかお菓子とか。

 

「なにか頼んで欲しいんですけど」

 

「ちょっと待ってくださいよ。あなた早漏ですか」

 

「もっと言葉に気をつけてくださいよコミュ障」

 

 ぴきぴきと額に青筋が立っていくのを感じる。

 こんなド直球に失礼なことを言ってくるお客様は初めてだぜボクは。

 

 できることなら怒りたいところなんですけど、

「くっ……でかい……」

 女性らしさを表すところが、だいたい大きい。

 

 しかも占い師風のローブと、踊り子みたいな露出の多いアラビアンな衣装を着ていて、とても目の保養になってよろしくない。

 そんなことをされたら好きになっちゃう、とまでは言わないまでもなにをされても嫌いになれない気がする。

 気がするだけ。強くて正しい大人(ぎりぎり成人)だから負けない。

 

「占い師じゃなくて踊り子なんじゃないですか?」

 

「こうすると男どもから金を巻き上げられて楽なんだ」

 

「分かってしまう自分が嫌だ……踊り子たすかる……」

 

 できれば水晶とか操ってないで踊ってほしい。

 健全な男子だから無限に欲望が漏れ出てしまう。

 どうにかなってしまう前になにか頼んでほしい、その前にメニューで顔を隠すのをやめてほしい。

 

「うちの水晶玉で占ったら幽霊に言われたんだけどさ」

 

「この喫茶店って幽霊いるんだ……知らなかった……」

 

 客として来たけどボクが気づかなかったのか、それとも居着いているのか。

 音楽を聴ききながらモップがけして踊っているところを見られていたらどうしよう。

 

「ここに来ると『揚げても溶けないアイス』が食べられるらしいね」

 

「なにそれ知らない……その幽霊さんほんとにうちの幽霊さんかな……」

 

 アイスは出しているけれど、そんな変化球のアイスはメニューになかったと思う。

 なにか別の世界線と混線しているんじゃないだろうか。

 

「揚げ物も好きなんだけどアイスも好きなんだよね」

 

「わかる」

 

「両方あわせたら……最強なんじゃないの!?」

 

「ラーメンにケーキをぶちまける人ってこういう発想するんだろうな」

 

 俗にケーキラーメン理論。

 どう考えても合わなそうなものを「自分の好物だから」と混ぜ合わせて台無しにすること。

 

「アイスは温めると溶ける。子供でも知っている常識ですが……フィヒッ!」

 

「なんだなんだ急に笑い出したぞ」

 

「熱いのに溶けないアイス、そんな不思議なものを食べたらあたしどうにかなっちゃうかも!」

 

「おいおいそういうプレイか?」

 

 常識が通じないお客様は珍しくないけど、こんなにも堂々とおかしな人はマスター以来だ。

 そういうのはひとりで静かに満たされた状態でやってほしい。

 

「じゃ、あたしはここでメニューとにらめっこして待ってるから作ってよ」

 

「メニューくん、目と鼻の先にえっちな占い師さんがいて緊張してますよ」

 

「あんたは後で構ってあげるからアイスちょうだいよー」

 

 しょうがねえな作るか……

 お冷を追加したらカウンター裏に引っ込んで準備を始める。

 

 おそらく世間一般では冷蔵庫とも自動調理器とも呼ばないだろう不思議な冷蔵庫(仮)に頭を下げ、タッチパネルにアイスクリームを注文する。

 アイスはアイスでも、トルコアイス。

 普通のアイスではない理由は食べてからのお楽しみ。

 

「はーやーくー」

 

「おだまり欠食児童」

 

 手足をパタパタと振って萌え袖のローブを振り回す占い師が急かしてくるのを無視する。

 あんまり可愛いことをされるとうっかり手が滑るかもしれない。

 

 コンフレーク・砂糖・バニラサンドクッキーも用意したら、これをボウルにあけて砕いていく。

 これはアイスクリームの衣に使うから、固まりができないようにしっかりと力を入れて細かく砕いていく。

 

「フィヒ……男が袖まくって料理してるところ最高……」

 

「目の付け所がいやらしい」

 

 もしかして朝のニュース番組でイケメンが料理するコーナーが主婦に人気なのってそういう……

 頭を振って邪な考えを振り払う。

 

 細かく砕いたコーンフレーク・砂糖・バニラサンドクッキーの衣に、よく冷えたトルコアイスの玉を転がしてたっぷりと衣をつけていく。

 

 ボールになったトルコアイスと衣の玉を、溶き卵に浸して揚げ物の衣を作る。

 そしてこれを冷蔵庫(仮)に入れる。

 

「今から冷やしたら間に合わないと思うんですけどー、いつまで待たせるんですかー?」

 

「おだまり、うちの冷蔵庫……冷蔵庫? 冷蔵庫(ちょっと自信がなくなってきた)を舐めるんじゃない」

 

「それがなんなのか分かってないじゃん……」

 

 それはそう。

 冷蔵庫(たぶんそう)の扉を閉じたら、タッチパネルで「2時間冷凍」と入力する。

 すると、数秒後には2時間冷凍された衣のついたトルコアイスのボールが出てくる。

 

「どういう仕組みなの?」

 

「さぁ……知らないけどなんか出来上がるんだよね……」

 

「よくそんなもの口に入れようと思うよな。はやく食べさせて」

 

 そしてこちらが、菜箸を入れたら泡が立つほど熱した油です。

 こちらの油に、衣をつけたトルコアイスを30秒ほど投下します。

 

「ヒヒ……跳ねる油の中にはアイスクリーム……」

 

「またなんかのプレイしてる……」

 

「熱い油の中に冷たいアイスを入れちゃって可哀想だと思わないの? ジュージュー鳴ってる音はアイスクリームちゃんの悲鳴なんだろうね。油さんも冷たいもの入れられて一緒に悲鳴あげてるよ?」

 

「そんな猟奇的な発想をされてもついていけない……」

 

 自分の体を抱きながらぞくぞくと震えている占い師から目を逸らす。

 見た目とやっていることはえっちなんだけど言ってることが怖い。

 

 揚げたアイスクリームを取り出したら、生クリームとチョコソースをトッピングして、完成。

 

「こちら、アイスを揚げたもの、クザルムッシュ・ドンドゥルマです」

 

 簡単にいうとフライド・アイスクリーム。

 アジア料理店などではポピュラーなスイーツだけど、今回はトルコアイスを使ってトルコ風の揚げアイスにした。

 

「アイスちゃん揚げ物にされちゃって可哀想。今、衣をぶち破ってどろっどろの中身をお皿の上に垂れ流してあげるね」

 

「もうなにを言っているかも分からなくなってきた。どうぞご賞味ください」

 

「フィヒ!」

 

 メニューから顔を離した占い師は、瞳をキラキラと輝かせながら頬を緩め、よだれを垂らしてナイフとフォークを構えている。

 ああどこから切ろう、どうやって破ってやろうか、なんて言いながらとても楽しそうにしているから、面倒なお客様ではあるけど悪い気はしない。

 決して、踊り子衣装と褐色の肌がえっちだとかそんなんじゃない。

 

「い、いただ、フヘ、いただきます!」

 

「刃物を持ってる時は落ち着いてください」

 

 揚げた衣をフォークで刺し、ナイフで切る。

 すると生地の中からトロトロの冷たいアイスクリームが出てくる。

 

「ふおおおおおおお」

 

「なんか慣れてきちゃったな」

 

 マスターと同じタイプの生き物だと思えば扱いも分かってきた。

 いちいち反応するよりも、目を離せない子供が変なことをしないか見守って腕組後方保護者面していればいいんだ。

 

 とろりとしたアイスクリームを生地にたっぷりと絡み付かせて、粘るトルコアイスをナイフで断ち切り、占い師が一口目を食べた。

 

「んん〜!」

 

 ナイフとフォークを持ったまま嬉しそうにパタパタしてる。

 フライドアイスは美味しいだけじゃなくて、食べて楽しい食べ物だ。

 

「外はサクサクで熱いのに、中はトロトロで冷たい! 揚げたのになんで?!」

 

「衣を厚くしてサッと揚げれば、中の冷たいアイスは溶けないんです」

 

「すっげー! しかも、このアイスめっちゃ伸びる!」

 

 トルコアイスにしたのも理由がある。

 普通のアイスだったら食べている間にも溶け出してお皿の上でスープになってしまう。

 でも粘るトルコアイスなら、溶け始めても衣の生地に絡みつかせれば無駄なく食べられる。

 

「うーん、どろどろで……濃くて……白くて……ねばっとしてる……」

 

「言葉に気をつけろよ喫茶店だぞ」

 

 あまりそういうえっちなことは言わないでいただきたい。

 店員が惑わされるだろ、踊り子さんたすかる。

 

「おかわり!」

 

「はいはいまだありますからね」

 

 あっと今にチョコソースまで綺麗に食べてくれた。

 第一印象はかなり悪かったけど、動きが可愛いし子供っぽくて好きになっちゃう。

 ボクはお茶とお菓子を美味しく綺麗に食べてくれる人が好きだから……

 

「お金ないから占い()で払うね」

 

「食べ終わったらさっさと帰って」

 

「なんか? 異世界から? お客さん? 来るってよ?」

 

「ボクから見たらここが異世界なんだよな。あと占うならもっとはっきり占ってほしい」

 

「また別の世界だって。バイトの故郷でもないらしいよ」

 

 異世界は一個だけでお腹いっぱいなんだが?




・女占い師
 露出の激しい踊り子衣装の上に占い師のローブを羽織っている。
 ダークエルフで耳も長いのに、バイトは「そういうファッションなんかな」とスルー。
 好きなものは甘くて脂っこくて健康に悪いもの。

 メスガキ系占い師に美味しいスイーツを食べさせて理解らせたい方は評価・お気に入り等いただけましたら幸いです。


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