推しをラスボスにしないひとつの冴えた方法 (ねこぶるふ)
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第一章 プロローグ
始まりは記憶の彼方に


「あ、これ死――――」

 

 男の口からふと漏れた言葉。

 それはまさしく言葉の意味通りであり、最後の一言であった。

 

 男が目を瞬いた直後には強い衝撃とともに目紛しく視界が踊った。

 幸いなことに痛くはない。だが、このままだと間違いなく死ぬことは確かであった。

 

 死とは何か。

 男が今まで触ったことのあるテレビゲームやらパソコンゲームやらでは救済なり救われないものなり、わけのわからないものであった。

 だが、いざ死を強く感じる立場になってしまえば虚しさしか感じられないものなのだと分かった。

 今まで買うだけ買って積み上げてきたゲームのパッケージやらプラモデルの箱やらを思えば、散々と仕事に追われた人生だったのではないかと後悔の念さえ浮かび上がる。

 

 友人とのつながりさえも仕事が優先と切り離し、気がつけば周りには誰も残らず独り孤立していたものだ。

 

 男は思う。

 

 つまらない人生だった。

 もし、来世があるというならもっと楽しいゲームみたいな人生がいいものだ。

 まだその方がまだ刺激的な生を謳歌できそうなものだ。

 

 

"死者に救済を、迷える魂に新たなる機会を"

 

 一体これは何なのだろうか。

 

 やがて薄れゆく意識に聞こえる心地よいと思えるような美しい声。

 しかしてその内容を理解することもなく男はついに息絶えることとなる。

 

 そう、確かに男は命を散らしたはずだった。しかし、次に意識を取り戻した時には不思議な空間にいたのだ。

 

 

「ここは……?」

 

 

 見渡す限り一面に広がる白い世界。

 まるで雲の上にいるかのような浮遊感に困惑しながらも辺りを見回す。すると、目の前に現れたのは先程の声の主であろう人物。

 

 

「ようこそいらっしゃいました。私はこの世界の管理人のようなものです」

 

 

 男よりもかなり年下に見える少女。透き通るような青い髪に、青を基調としたドレスのような服装に身を包んだ彼女はどこか神秘的に見えた。

 しかし、1度見たら忘れないはずの姿は見た瞬間から忘れていく。まるで記憶から抜け落ちているかのように。

 

 

「あなたは……」

「はい。私の名前はアーケインと言います。お好きなように呼んでくださいね」

「あぁ、よろしく頼むよ」

 

 

 差し出された手を握る。

 見た目に反してしっかりとした握手を交わしながら、男は考える。

 

 

「……俺は死んだのか?」

 

 

 男は率直な疑問を口にする。

 

 

「はい。あなたは残念ながらお亡くなりになりました」

 

 

 男は本当に死んでしまった、という事実を瞑目して受け入れようとする。しかし、不思議と悲しみといったネガティブな感情が思い浮かんでくるようなことがなかったのは幸いだった。

 

 

「そうか……。それであんたが俺を生き返らせてくれるとかそういう話なのか? それとも天国に連れて行ってくれるのか?」

「いえ、私ができるのはただあなたの次の人生を案内することだけです」

 

 

 少女の言葉に男は少し驚く。まさか自分のような人間でも転生ができるとは思ってもいなかった。輪廻転生といった概念を信じていなかったわけではないのだが、実際に自分が体験してしまうと驚かざるを得ないというものだろう。

 しかし、それでもやはり気になることがあった。自分は一体どんな世界に転生できるのかということである。

 サブカルチャーに疎い男としては、剣と魔法のファンタジー世界に行きたいと願っても上手く立ち回れるか怪しいものだ。せめて現代社会に近い文明であればいいと思った。

 そして男は口を開く。

 

 

「俺は……次はもっと楽しく過ごせるような人生がいい。もうあんな辛いだけの日々を過ごすのは嫌だ」

 

 

 男は思わず本音を漏らしてしまったことにハッとする。

 しかし、そんな様子を知ってか知らずか、目の前の少女は一瞬驚いたように目を丸くしたものの、すぐに笑顔となってこう答えた。

 

 

「わかりました。あなたの願い承りましょう」

 

 

 こうして男は新たな人生を始めることとなる。

 

 男が転生したのは地球とは似て非なる世界であった。大まかには元々過ごしていた世界と相違ない文化水準ではあったが、魔法や魔物といった存在が科学と同等の存在として人々を支えていたのである。

 

 

柴宮(シグウ)、柴宮希海(ノゾミ)! 何をぼーっとしている!」

 

 

 教師の大声によって意識が覚醒する。柴宮と呼ばれた少女は慌てて立ち上がり謝罪をする。

 

 

「す、すみません……」

「まったく、授業中に居眠りなどたるんどるぞ。罰として明日までに反省文を書いてこい。いいな」

「はい……」

 

 

 しゅんとした表情のまま席に着く。

 教室からはクスクスという密やかな笑い声が聞こえてくる。

 柴宮はその光景を見て聞いてますます憂鬱さを加速させる。

 

 

「大丈夫だよ、のんちゃん。気にしないでね」

 

 

 隣の席に座っていた女子生徒が慰めるように声を掛ける。彼女もまた同じクラスメートであり、唯一の友人と呼べる存在であった。

 

 

「ありがとう、香苗(カナエ)ちゃん」

「いいよ、いいよ。それよりもさぁ……」

 

 

 香苗ちゃんと呼ばれる少女が何かを言いかけたその時、突如大きな音が鳴り響いて室内がざわつく。

 

 

「なんだ!?」

「警報音よねこれ!?」

「皆、落ち着いて避難してください!!」

 

 

 何らかの警戒を呼びかけるけたたましい音に慌ただしくなる生徒たち。そんな中、生徒の一人が窓の外を指差して叫ぶ。

 

 

「あれって……ドラゴンじゃないのか!?」

 

 

 その言葉通り、空を見上げれば翼を広げた巨大な生物が校庭に降り立つところであった。

 

 

『近隣にて魔巣の出現が確認されました、生徒の皆さんは速やかに校舎内に避難してください!』

 

 

 校内放送を通して流れるアナウンスを聞きながら希海たちは窓から外を見る。そこには見慣れぬ魔物の姿があった。

 全身を硬い鱗で覆われており、長い首と尻尾を持った爬虫類を思わせる姿。しかし、その姿は紛れもなく空想上に存在していたであろう竜そのものの姿をしていた。

 

 

「のんちゃん!? なにぼーっとしてるの! はやく逃げないと!」

「あ、うん」

「ほら、早く行くよ」

 

 

 希海は香苗に手を引かれて走り出す。

 

 この世界ではこのようにして時折

、魔巣と呼ばれるゲートを通じて異世界からの侵略者とされる魔物が現れることがあった。それらを倒すために人々は魔力と呼ばれる力を駆使する術を身に付け、やがては魔巣を攻略する英雄としての役割を担うようになっていった。

 

 

「きゃあああっ!」

 

 

 突然響く悲鳴に二人は足を止めた。振り返ると先程まで一緒にいたはずのクラスメイトたちが、今まさに人よりも二回りは大きい四足歩行の獣に襲われようとしている瞬間だった。

 香苗はそれを目に入れるだけでも脚がすくんで動けなくなる。

 

 

「まずい……助けなきゃ」

「ダメだよのんちゃん!! 私達じゃどうにもできないよ!」

「でもこのままだとあの子達が死んじゃうかもしれないんだよ!?」

「力のない私達が向かったところで犠牲が増えるだけなんだよ!!」

「でも……でも……」

「お願いだから言うことを聞いて……。私はあなたを失いたくないの」

「…………わかった」

「わかってくれてよかった。それじゃ、いこ……」

「だったら私があの人達を助ける」

「……え?」

 

 

 そう言って希海は香苗の手を振りほどく。そして一目散に駆け出した。

 

 

「のんちゃん!!!」

 

 

 背後から聞こえる友人の制止の声も聞かず、彼女は一直線に向かっていく。

 

 

「やめてぇええ!!!」

 

 

 叫び声を上げながらも希海は走る。そして、あと数歩という距離にまで近づいた時、彼女に気付いた獣が鋭い牙を見せ付けてきた。

 

 

「ひっ……」

 

 

 思わず恐怖のあまり立ち止まってしいそうになる。しかし、それでも彼女は諦めずに魔物と生徒との間に割って入った。

 

 

「やめろぉおおお!!!」

「グガァアアッ!?」

 

 

 次の瞬間、希海の身体が光に包まれたかと思うと、その手にはいつの間にか剣が握られていた。それは彼女の人を守りたいという意志の具現化したものであった。

 

 

「な、なに……これ……!?」

 

 

 戸惑いつつも希海は剣を構える。

 無論、希海には剣技や剣への理解もない。ただ本能的にそれが自分の手に馴染むものであると感じていた。

 一方で、魔物は突如現れた年端も行かない少女の姿に戸惑っている様子だった。

 

 

「グルルルルッ」

 

 

 魔物は低く喉を鳴らして威嚇する。

 だが、希海はここで引き下がるわけにはいかない。自分が戦わなければ目の前にいる人々が死んでしまうのだと己を奮い立たせ、獣の牙をその刃で受け止める。

 

 

「ぐぅ……」

 

 

 希海がいくら勇気を出して魔物と対峙しているとはいえ、所詮は13歳の少女に過ぎない。大人が全力で振り回しても折れてしまいそうな剣を細腕で必死に支え、どうにか魔物を押し返そうと試みる。

 しかし、力の差は歴然であり、じりじりと押し込まれていく。

 

 

「だ、だめ……押されちゃう」

 

 

 次第に体勢が崩れていき、ついには膝をつく。

 

 

「グギャオオオオッ!」

 

 

 絶好の機会を得た魔物が一気に飛び掛ってくる。この時、きっと希海は自身の死を覚悟したことだろう。

 迫る死に抗うことを諦めたその時、一瞬の剣戟が魔物を襲った。

 

 

「ギュルゥウウッ!?」

「……えっ!?」

 

 

 突如として視界に映り込んだ黒い影に驚く希海。

 そこに立っていたのは赤髪の青年だった。彼は腰に下げていた鞘から刀身を抜き放つと、そのまま流れるような動作で一閃する。

 

 

「グォオオオンッ!?」

 

 

 その一撃は魔物の胴体を捉え、魔物は悲鳴を上げて後退った。否、それだけではない。

 魔物が退いた先にある地面には大きな鈍色の輝きを放つ円状の紋様がいくつも存在していた。

 

 攻撃による衝撃で誘い込まれた魔物はそこから脱出することもできず、やがて眩い閃光と共に消え去った。

 

 

「ふぅ……」

「す、すごい……」

 

 

 呆気に取られる希海。そんな彼女を尻目に、青年は再び刀身を鞘に納めると何事もなかったかのようにその場から立ち去ろうとした。

 

 

「ま、待ってください!」

「……」

 

 

 呼び止められた青年は面倒臭そうに振り返ると、一言だけ告げる。

 

 

「お前も早く避難しろ」

「は、はい……」

 

 

 青年の素っ気ない態度に希海はそれ以上は言う事もできずに黙ってしまう。だが、それでも去り際に見せた彼の横顔がどこか悲しげに見えた気がして、希海は不思議と心がざわつくのを感じていた。

 

 

「のんちゃん! 大丈夫!?」

「あ、うん。平気だよ」

 

 

 折り合いを見た香苗が駆け寄ってきて、希海は我に返るとその場で立ち上がり制服の裾に着いた埃を払う。

 先程の感情を誤魔化すための苦し紛れの行動だったが、幸いにも香苗はそれに気付かなかったようだ。

 

 

「希海ちゃん、聖装(セイクレッド)だよね。その力」

「そうなのかな……。みんなを守りたいって思ったらいつの間にか……」

「その力は二度と使わないで」

「え?」

 

 

 香苗の口から出てきた思い掛けぬ言葉に、希海は自分の耳を疑う。そして、その表情には明らかな怒りの色が滲んでいた。

 それは彼女が希海に抱いていた友情や信頼が根底から崩れてしまうほどのものであり、希海はその瞳の奥に宿る強い意志に気圧されてしまう。

 

 

「どうして……? だってあれは……」

「わからない。……でも、お願い。お願いだからもうあの力を使うのはやめて。あの力はあなた自身を蝕む危険なものだから」

「香苗ちゃん……?」

 

 

 希海は親友の豹変ぶりに戸惑いを隠せない。

 普段の彼女であればこんなことは言わないだろうし、言うにしてももっと砕けた口調だったはずだ。しかし、今の彼女はまるで別人のように思えた。

それは彼女の中に眠る別の人格が表に出てきているかのような錯覚さえしていた。

 しかし、その考えはすぐに打ち消される。なぜなら、希海の目には今にも泣き出しそうな彼女の姿が映っていたからだ。

 その香苗を見て、希海は先程の感覚を気のせいだったと断ずる。そうだ、あんなのはただの幻に違いない。私はいつも通りの優しい友達を信じているんだ。

 

 そう自分に言い聞かせて。

 



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第一章
推しが目の前にいる!


 私は藤咲(フジサキ)香苗(カナエ)

 どこにでもいる15歳の女子高校生であったはずなのだが、その実28歳会社員、それも男の記憶を宿している転生者でもある。

 前世では営業職だと言うのに出来ると言う理由だけでITエンジニアの真似事をやらされたりしていたことをうっすらと覚えている。しかし、記憶を取り戻した混乱からかまだ全てを思い出せたと言えるような状態ではなかった。

 

 どうしてこのような特殊な存在になってしまったのかは分からない。

 私の物心がついた時には記憶の残滓が残っていたような気はするので、おそらくは事故などで死んでしまった後にこの世界に生まれ変わったのだと思われる。

 

 というのも、ここは私の知る世界(ぜんせ)とは色々と異なる世界*1。だが、科学は現代の日本とかそれに準ずるようなレベルなのに、魔法があって魔物がいてダンジョンのようなものがあったりと、ゲームのようなファンタジー要素に溢れている。

 なので、曖昧ながらも記憶の残滓を保持していた幼少期の私はワクワクしてばかりだったことを憶えている。

 

 ほぼ完全に記憶を思い出したのは最近の出来事だった。

 それまではそれなりのことがそれなりにできる普通の女子高生として生活してきたのだが、なんとなく自分の境遇に夢見心地のような違和感を覚えていた。

 だが、最近のある出来事を境にして急にその正体が分かった。

 

 突然頭に情報が流れ込んできたような感じで前世の自分について完全に理解するところとなった。それからというもの、自分の中にあった不思議な気持ちの正体を知ってスッキリすることができ、それと同時に自分のこれからに対して不安になった。

 

 このまま自分が自分じゃなくなってしまうのでは?

 

 実際、前世と性格がまるっきり違うわけではないのだが、なんだか自分が自分でないような、それでいて自分はちゃんと存在しているような、そんな妙な気分になっていた。

 そんな鬱蒼とした日々を送っていた時、ふとテレビを観ている時に見たニュースで、魔巣窟と呼ばれる危険地帯に潜った冒険者が行方不明になったという報道が流れた。

 その時、頭の中である映像が浮かんできた。その光景は、どこか見覚えのある場所。

 

 

(これは……もしかして……)

 

 

 その時、頭の中に流れてきたのはかつて前世の自分(28歳男性会社員)がプレイしていたことのあるゲームに似た設定の世界であるということ。そして、そのゲームの舞台となった学園の名前であった。

 

『私立聖稜学園高等学校』

 

 それは私が進学したばかりの高校の名前で、しかもその学校は主人公の通う学校でもあった。

 そこで私は確信する。ここは前世にやったことがある男性向け恋愛シミュレーションARPG「セイクレッドヘイブン」、略して「セレヘブ」という問題作の舞台となる異世界なのだということを。

 

 そう、ギャルゲーだ。このゲームは主人公を操作し、様々なヒロインを攻略していくという内容のもので、主人公は攻略対象の女の子たちと仲良くなりながら彼女たちとの絆を深めていき、やがて訪れる運命の日に向けて戦いに身を投じていくことになる。

 

 そのシナリオの中で主人公とヒロインたちは「魔巣窟(まそうくつ)」と呼ばれる危険な場所*2での戦いを強いられることになり、その過程で主人公が己に眠る聖装(セイクレッド)と呼ばれる固有武器を手に入れ、その力を使って戦うことになるのだ。

 ギャルゲーというジャンルなのだが、オマケのARPG部分が非常に作り込まれており、トレハンやらハクスラやらタワーディフェンスの要素まで盛り込まれていてかなりやり応えがある内容となっていた。

 前世の私はそのゲームを非常に面白く思い、また世界観が好きだったので何度も繰り返して遊んでいた。

 

 そして、そのゲームには隠しルートがあり、そこに登場するキャラを攻略することで真のラスボスと戦うことができるようになるのだが、そのラスボスというのが……。

 

 

「つまり、ラスボスは、柴宮希海……?」

 

 

 私の親友である、柴宮希海。

 そして前世で私が最も推していたキャラクターである。

 彼女がセレヘブに於けるラスボスポジションのキャラクターだったことを覚えている。

 彼女だけは何故か最後まで顔を見せない謎のキャラクターであり、公式サイトでも「謎の存在X」だとしか書かれていなかった。しかし、戦闘中に発するセリフの闇の深さがゲーム中でピカイチであり、プレイ後の私の琴線を狂わせてしまった罪深きキャラクターだ。

 しかし、攻略サイトの方もある一点において問題作たるセレヘブのプレイ人数が少ないのか、情報という情報が集まっておらず己で道を切り開く他なかった悲しみを背負い、彼女の情報を集めたがそれは徒労に終わることになったことを思い出すと、とても辛くなる。

 

 とにかく、彼女は一周目に最後の最後でようやく姿を見せることになる。しかし、希海はゲームの中ではかなりの強敵だった。希海を倒すためにはかなりレベルを上げなければならないし、それ相応の装備やアイテムも必要になる。正直、今の私はまともに戦う力も持っていないし、勝てるかどうかの騒ぎではない。

 しかし、希海は私にとっての親友(推し)であり、ラスボスとなってしまう未来が待ち受けている以上、何より放っておくわけにもいかないことには違いない。

 

 というのも希海の行く末はほとんどの場合、バッドエンドで確定してしまう。

 希海は最終的には己の力によって身を焦がし、闇落ちして暴走してしまう。そうなると、その身は邪悪なる存在、破壊神へと変貌してしまい、その肉体を破壊しなくては世界は破滅へと向かってしまう。

 

 故に、それだけは避けなければならない。

 私にとって唯一無二の親友である希海を救わなくてはならないと。

 私は決意を固める。必ず希海を救い出すと。

 

 そのためにはまずは強くならなくてはならないだろうが、幸いにして私は前世の知識を持っていた。それを上手く活用すれば多少なりとも強くなることは不可能では無いはずだ。

 現在は桜華王国歴神威161年4月21日の日曜日であり、実は既にゲーム本編の開始より1年が経過している。しかし、まだこの段階において希海に異変は起きていないはずなので、今のうちに何とか対策を立てておかねばならない。と言っても、まずは情報を集めることが先決だ。とりあえず、手始めにゲームで得た知識を元に情報収集を開始することにした。

 私の持つ前世の記憶が確かなら、ゲームでは主人公の入学式から物語が始まる。そして、ゲームでは主人公である『天城総司』が神威160年に聖稜学園に入学するところからスタートしていた。

 そして、ラスボスである柴宮希海が入学するのは総司が2年に上がったタイミングであり、本格的に絡むことになるのはさらに一年後の物語の終盤。つまり、現時点ではまだ希海は本編に登場していないはずだ。

 ならば、今はその前にできることをやっていかなければならないのだろう。

 

 とはいえ、藤咲香苗というキャラクターは原作には登場すらしていなかったモブキャラ。そもそも柴宮希海に親友が存在していたことすら知らなかった。まぁ、考えてみれば当たり前の話で、原作では主人公とヒロインたち以外の登場人物なんてほとんど出てこない。

 それにしても、どうしてこんな重要っぽいけど重要か分からないポジションに私が転生してしまったのだろうか? 普通こういうのって主人公とかメインヒロインとかに転生するものでは? と、そんなことを考えつつ、私はゲームで得た情報を頼りにこれからすべきことを整理し終えると、丁度よく私の部屋の扉が叩かれた。

 

 

「お姉ちゃん、ちょっといいかな?」

「あ、うん。どうぞー」

 

 

 私が返事をすると、ドアが開かれて一人の少女が現れた。

 

 

「お邪魔しま~す」

「いらっしゃい、結衣。どうかしたの?」

 

 

 やって来たのは妹の藤咲結衣。歳は私の二つ下で中学二年生。

 腰まで伸ばした綺麗な黒髪が特徴で、顔立ちはとても整っている。スタイルも中学二年とは考えられないほどに抜群だ。胸の大きさが玉に瑕だが伸びしろありと評価できる。性格も明るく活発的で人当たりも良いため友人も多く、男子生徒からも人気が高く、よく告白されているらしいが本人は恋愛に興味が無いらしく全て断っているという属性てんこ盛りな、本当にモブの妹か? というような設定を持っている。ただ、一つだけ問題があるとすれば……。

 

 

「ねぇ、お姉ちゃん。今日は一緒に寝てもいい?」

「……」

 

 

 そう、重度のシスコンであること。

 一緒に寝ると言うだけでは断定できないだろうが、私の下着を盗んだり匂いを嗅いだりと、その行動は変態そのもの。しかも、そのことを隠そうともしないので両親からは問題児扱いされており、私としても将来が心配だ。

 

 

「……あのね、結衣。何度も言っていると思うんだけど、私と一緒に寝るのは止めなさい」

「えぇ!? なんでよ! 私たち姉妹なんだし別に良いじゃん!」

 

 

 いや、姉妹で寝るのはおかしいと思う。兄弟とか、そういったものに置き換えてみれば……。

 兄弟と姉妹で大きく違うのだろうか……? まずい、このままの流れだと絆されるに違いない。

 

 

「そ、そういうのはもう卒業するべきだと思うの」

「うぅ……。だって、一人じゃ寂しいし怖いし眠れないんだよぉ」

「し、しょうがない。ちょうど寝ようとしてたし……」

 

 

 涙目になりながら上目遣いで訴えかけてくる。可愛いのだが、あざとすぎる。しかし、(カナエ)はこれに弱い。

 記憶が戻ったのだとしても私は私だということなのだろうか、結局は結衣の要求に折れてしまう。

 

 私はベッドの上で壁際に寄り、スペースを空けた。それを見た結衣は嬉しそうな表情を浮かべると、すぐに布団の中に潜り込んできて、私の隣に来ると抱きついてきた。

 

 もしかすると爛れた習慣だったとしても、やはり顔が良ければ全て許されるというのか……?

 

 

「んふっ♪ 希海さんには悪いですけど、やっぱりこうしてお姉ちゃんとくっついている方が落ち着きます。安心します。幸せです。大好きなお姉ちゃんの温もりを感じられます。これに勝る幸福はありません。おやすみなさい、お姉ちゃん」

「なんで希海の名前が出てくるの」

「さあね?」

 

 私の名前を呼びながら私の胸に顔を押し付けた上に脚を絡める。そして、そのまま眠りにつく。これもいつものことなので、私は諦めの境地に達していた。私は前世では妹がいたが、残念なことにそちらとは疎遠だった。だから、こうも懐かれると可愛くて仕方が無いということが刷り込まれているのかもしれない。

 私は結衣の頭を撫でながら優しく抱きしめると、しばらくして穏やかな寝息が聞こえ始めた。

 

 私は静かに目を閉じて、心地よい体温に身を委ねて眠ることにした。

 

 

 翌朝、私は朝食を食べ終えると身支度を整えて家を出た。向かう先は聖稜学園高校。私の通う学校だ。家から徒歩で16分程の距離にある。校門を通り抜け、下駄箱で靴を履き替えてから廊下に出る。

 この聖稜学園は小中高一貫の私立学校であり、私と結衣は一緒に登校することが日常となっている。

 ちなみに、聖稜学園の制服はブレザータイプのセーラー服であり、学年によってリボンの色が違う。1年は赤、2年は青、3年は緑である。また、女子はスカートの丈を膝より少し上の長さにすることが決められている。とはいえこの規則を守っている生徒は少ないというオチ*3もあったりする。

 

 私は自分の教室に入ると、窓際の一番後ろの席に座った。そして、机に突っ伏して腕を枕にしてから顔を上げて外を眺める。窓から見えるのは綺麗に整備された広い校庭と綺麗に手入れされた木々の数々。実にのどかな光景が広がっている。

 ゲームでは主人公はここでヒロインたちと仲良くなるきっかけとなるイベントが起こる。まぁ、要するに自己紹介みたいなものだ。とはいえ既に終わった出来事である。これから何かが起きるということはないだろう。

 私は小さくため息をはきすると、不意に声をかけられた。

 

 

「おはようございます。藤咲さん」

「あ、うん。おはよ」

 

 

 声の主は隣のクラスの学級委員長をしている子だ。名前は確か……

 

 

「どうしたんですか? 元気がないみたいです」

「……ちょっと、悩み事?」

「不肖、風森(カザモリ)紀々(キノリ)で良ければ相談に乗りますよ?」

「大丈夫。大したことじゃ」

「そうですか。ならいいのですが。でも、困っていることがあったら遠慮なく言ってください」

「うん、ありがとう」

「はい!」

 

 

 笑顔で返事をする彼女の名は風森紀々。艶のある長い黒髪が特徴の少女であり、セレヘブに登場する一人のヒロインの妹であり、個別攻略が可能なサブヒロインの一人でもある。

 メインヒロインとは違い、複数のエンデングを持つキャラクターでこそ無い。だがそれなりの人気を誇っており、非公式人気投票では10位以内(トップテン)に入っていたりしている妹系の人気キャラクターなのだ。

 

 そんな彼女は誰に対しても敬語で且つ柔和に接するという性格の持ち主。

 しかし異性に対してはかなり厳しく、そのせいか男子からは『クールビューティーノリちゃん』*4なんて呼ばれており、密かに人気があるらしい。

 しかし、本人は恋愛に興味が無く、告白してきた男子数百人をバッサリと切り捨てたという逸話をも持っていたりと話題に事欠かない。

 

 ちなみに、本来の彼女は姉と仲違いしており、あまり良い関係ではなかった。だが、その関係性の悪さを周りに当たり散らしていない事を鑑みるに主人公側で和解フラグを立てたのだろう。その証拠に彼女も姉のことが大好きだと公言するほどになっている。既視感。

 それにしてもこのフラグを立てることが出来るのはもう少し後になってからのはずなのだが……?

 

 となるとこの世界の主人公は一人のメインヒロインの好感度をかなりかせいでいることになるが……、ゲームのイベントを前倒しにするとはなかなかにやり手だな?

 やはり、現実とゲームの世界では差異があるということだろうか? 私が考え事をしていた時、抱きつくようにして誰かが覆い被さってきた。見なくても分かる。

 これは我が親友、希海だ。私は思わず苦笑を浮かべた。

 

 だが、そのような余裕をかましていられるのもこの時までだった。

 

 

「のんちゃん? 重いんだけど……」

「えへへ〜、だってぇ、香苗ちゃん成分が不足してるんだもんっ! 補充させて〜!」

「ちょっ!? あははっ、やめっ! くすぐったいっ!!」

「んふふー、可愛いなぁ〜、もうっ」

「やめてってば!! のんっ、ちゃっ!!!」

「やめないわ♪ やめるつもりは無いもの」

「やっ、やめっ、ひゃうっ!!」

 

 

 私は身を捩らせて希海の拘束から逃れようとするのだが、彼女はそれを許さない。私は笑いながら逃げ回るのだが、希海に背後を取られてそのまま押し倒されてしまう。

 え、女の子、やわっ、やわっこい!

 推しが、推しが目の前に!!

 

 おちつけおちつけおちつけつっ。

 つ、つけ……。

 

 目の前に存在しているのは推しだ。だが、私にとっては腐るほど見つめてきた腐れ縁の親友!! ……の筈!

 

 如何に親友であることを理解していても、理性が死んでしまう。このままではまずいと私は直感する。

 しかし、何考えて私を押し倒しているのか、一切合切理解ができない。故に、対策は構築できない!

 

 

「捕まえたぞぉ?」

「あ、……つ、捕まったぁ?」

「……」

 

 

 私は希海のご尊顔を目の前にし、捕まえられたことに対してそのままの状況を呟く。そして、希海が無言で私のことを見つめて言うのだ。

 

 

「香苗ちゃん。ここ、教室だよ?」

「……わ、分かっとるわ!」

 

 

 先日までの藤咲香苗なら、「あははー、このーこおバカさん~」なんて流すのだろう。いや、多分怒っていただろう。たぶん。

 恥ずかしさはあるが、記憶が戻る前とはそこまで性格は変わっていないらしい。

 

 とにかく、理性がトぶ前に解放してもらえて良かったことだけは確かだ。

 

 

「ふふ、からかった私も意地悪だったね。ごめんなさい。はい、これあげるから許してちょうだい」

「ご機嫌取り?」

 

 どこから取り出したのか希海は袋入りのクッキーを私の頭の上にちょこんと載せる。拗ねた私へのご機嫌取りだろうか?

 いや、こんな焼き菓子ごときで許すとでも……?

 

 

「……いらないの?」

「い、いや、別に。そんなことは無い、けど」

「えへへ、それじゃあ、はいどうぞ〜」

 

 

 クッキーの袋が頭から落ちそうになったので、それをどうにかキャッチすると早速開封し、甘い香りを堪能してみる。

 

 かほり立つとはこの事か。とにかく美味しそうだ……。

 

 

「……あ、ありがたく貰うけど、どうしてこれを?」

「実は昨日家で作ったの。それで余っちゃったものだからおすそ分けにって」

「へぇー、……今度お返し考えないと」

「気にしなくてもいいよ?」

「そういうわけにはいかないよ」

 

 

 希海とは親友だとお互いに認めある仲なだけあって、そこまで対価を要求し合うような関係では無いが、恩には報酬があるべきだと私は思っている。

 いずれ、何か考えておかなければいかないだろう。

 

 

「えへへ……。なら、楽しみにしてるからっ」

「うん、任せておいて」

 

 

 しかし、推しと直接話せるという恐るべき多幸感によって、脳内がバグってしまったらしい。完全に硬直するどころか、むしろ普段通りの態度で接することが出来ている。

 恐らく今の私の口では笑っていても眼の感情は無に違いない。

 

 ひとまず私は微笑みながら答えた(当社比)。そして、チャイムが鳴ると同時に担任の先生が教室に入って来る。私は希海と一緒に席に戻り、朝のホームルームが始まった。

 

 あれ、そういえばゲーム内の希海には親友とか、いただろうか……? 公式設定資料集第一巻*5にも書いてなかったような気がするのだが……?

 

 私は先生に隠れて袋の中から小ぶりのクッキーを取り出すと、小さく割って口に放り込んだ。

 砕けて小さくなったハズのクッキーはやけに甘く、美味しく感じた。

*1
国の名前異なってたり、国家間の情勢とかもまるっきり違ったりしている

*2
いわゆる、マップがランダムで生成されるタイプのダンジョン。規模によって戦利品やら階層の多寡やら敵の質や量も大きく異なる。

*3
パッケージ絵に描かれているヒロインズがスカートを校則で定められているものより長めにしていたり、リボンを独自に改造していたりと枚挙に暇がない。そこから髪色云々突っ込み始めると、終わりなき舞踏が始まる。

*4
掲示板の方でも和解イベント後の主人公に対する態度が軟化した様子を『ノリノリ紀々ちゃん』なんて茶化すコメントやAAも多々見られた。

*5
全三巻発売予定だったのだが、開発会社の経営不振によって第二巻以降の発売は未定になってしまった……。



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私、要る?

 

 ここ、私立聖稜学園は中高一貫の冒険家育成学校としても有名だ。

 

 冒険家についてを一概に説明することは難しいのだが、この世界で冒険家と言えば魔巣窟と呼ばれる空間に潜り、価値ある魔具を持ち帰る仕事だという認識が一般的だ。そのため、冒険家にはある程度の戦闘技能と知識が求められる。

 そして、この聖稜学園では高等学部に冒険家を育成する学科を設けており、このような学校はこの国でも聖稜学園しか名前が上がらないほどに希少である。故に冒険家の専門学校と言えば聖稜学園のことを指していたりもする。

 

 また、優秀な冒険家は国から直接依頼されて動くこともある。

 例えば、魔巣窟からはい出てきたはぐれ魔物の討伐。他にも市街やその近くに出現した危険な魔巣窟の調査及びに無力化と言ったものが挙げられる。

 これらは全て国が決めたことであり義務としてのしかかる。冒険家のライセンスを持ったものに拒否権は存在していない。

 

 しかしこれらの依頼を受けることで国からの多額の報酬の他に、税金免除といった特典がある故にこの国と冒険家の関係は揺るぐことは全くないと言っていいほどだと聞く。

 冒険家とは命懸けの仕事であり、常に危険と隣り合わせだ。だからこそ、国からの支援金を受け取れると同時に花形の職業のように見られることもしばしばあり、ともなれば子供たちが憧れる事も少なくない。

 そして、そんな聖稜学園の冒険学科に私は通っている。

 

 

 理由は単純明快。希海(ノゾミ)の死亡フラグを回避するためだ。

 死亡フラグを回避などという理由はあとから湧いたものであるため本来の理由を話そう。

 

 前世の記憶が戻る前の私はあまり乗り気ではなかったのだが、希海が楽しそうに冒険家についての話を聞かせてくれるうちに興味が湧いてきた。まぁ、結局は希海が通うなら一緒に通おうかな?

 といった感じで受験し、辛うじて合格した。聖稜学園に希海が居なければ恐らく入学すら出来ていなかっただろう。それほどまでに希海の存在は大きかった。

 

 

「か、香苗ちゃん。熱い視線をこっちに……、ど、どうしたの?」

「あ、なんでもないよ〜……? それより、今日も頑張ろう?」

「うん! そうだね」

 

 

 ぎこちなく笑う私に希海は満面の笑みを浮かべて答えた。

 記憶が戻ってから希海との距離感が月とすっぽんで比べるくらいに全く掴めないのだ。普通、月とすっぽんを比較することが間違っている。*1

 

 

 それからはあっという間であり、気がつけば本日分全ての授業が終わり、放課後となっていた。

 私は一緒に下校したがる希海を撒いて、単身で冒険科二年生の教室近辺に向かう。

 主人公達の様子を伺うためだ。

 

 決して推しの隣にいると変なこと口走りそうとか危惧した訳では無い。推しの姿に息が詰まって気軽に窒息(とうと)死してしまいそうで心配なのだ。

 そう、仕方がない。シカタガナイ。

 

 

 話を戻そう。

 セイクレッドヘイブンの主人公、天城(アマシロ)総司(ソウジ)は二年E1組*2に在籍している。彼は主人公であるが故、当然のようにヒロインを攻略することになる。

 

 攻略対象は全部で三人おり、その全員がこの聖稜学園の生徒であり、主人公の同級生だ。

 そして、それぞれのルートでは主人公は様々な困難を乗り越える事となり、様々なエンディングを通過し、最終的にプレイヤーは全員と結ばれるトゥルーエンドを目指す。

 まぁ、簡単に言えばいくつもの周回を重ねてハーレムENDを目指して頑張っていくゲームなのである。

 

 さて、なぜそのようなことを気にしているのかと言うと、それは主人公の選択したルート次第で柴宮希海が生存するか否か変わってくるからだ。

 各メインヒロインの個別ルートの場合、希海はグッドエンドとハッピーエンドの両方で死亡が確定する。

 バッドエンドなら希海が死亡することはないのだが、代わりに世界の方が滅亡することになる。

 

 ちなみに、このセレヘブにおいて希海はラスボスとなる素質が非常に高いキャラクターであり、死亡するルートでは大概ラスボスとして主人公の前にたちはだかるのだ。*3

 

 故に各メインヒロインの個別ルートは間違いなく避けなければならず、それ以外のルートでも希海に纏わり付いている死亡フラグを回避またはへし折って行かなければならない。

 

 柴宮希海に纏わりついている大まかな死亡フラグは大きくわけて三つとなる。

 一つ目が、先程も挙げた各メインヒロインの個別ルートやそれに準ずるサブヒロインのルート。

 これについてはもはや説明するまでもないだろう。

 

 二つ目に、柴宮希海の聖装そのもの。

 希海の発現させている聖装は『グラトニアル』であり、その能力は端的に表現するならば自己進化だ。要するに経験に応じて成長し続ける聖装であり、これの厄介なところは使用する度にその性能がどんどん上昇していく点にある。

 故に、聖装自体の性能が上昇していけばいくほど、彼女の戦闘能力も上がっていき、最終的には聖装そのものが彼女自身と一体化して肉体を乗っ取ってしまい、それがセレヘブのラスボスとなる。

 

 三つ目は、主人公の保有する聖装『マルグラース』の力を使用してグラトニアルの進化を抑制しなければならないということ。それはどういうことかと説明するならば、主人公の聖装はこのゲームにおけるワイルドカード的な存在であり、よく知っている聖装を劣化模倣したり、仲間の聖装を同調させて強力な大技を放てたりゲームシステムの根幹すら担っている。

 つまり何が言いたいのかというと、主人公の『マルグラース』を使用しなければ、希海(推し)が聖装に喰われてしまいラスボス化する未来(死亡フラグ)はほぼ確定的になってしまうということだ。

 

 

 

 よって、希海が死なないようにするためにはセレヘブの主人公、天城総司との繋がりを得る必要が出てくる。

 しかし、このマルグラースによる成長抑制を使用するということは主人公と希海が親密になる必要があり……、

 

 

「……これって、NTR(ネトラレ)か?」

 

 

 ……は?

 

 あっ、内なる殺意が目覚めそうになってしまった(手遅れ)。

 

 私は突如でてきた問題に頭を抱えてしまう。

 これは私の精神衛生的に無理ゲーだ。そもそもの話、主人公と希海が仲良くなる切っ掛けとなる床ドン(じけん)がまだ先に控えているわけである。

 

 つまり、その時に私の精神がバキバキに尊厳破壊されなければならないという話なのか!?

 

 

「……落ち着け、よく考えろ? 私と希海は親友。それ未満という訳でもなく、それより余程高い関係という訳では無い。そうだ、前提を勘違いするな」

 

 

 口に出してみると少しだけ落ち着いてきた。そうだよ。希海は大事な親友であり、それ以上でも以下でもない。

 前世の俺との関わりだってそう言わばアイドルとそのファンみたいなものだ*4

 

  とにかく、マルグラースを使用した成長抑制を始めるにしても早ければ早い方がいい。今から偶然を装い天城総司と接触を図り、彼と希海の仲を取り持つのが最善手と言えるだろう。

 

 

 そんなことを考えている内に誰もいない教室にて座っている天城総司その人を見つけることに成功した。

 ダメ元で2年の教室に寄ったのだが、まさか見つけられるとは考えていなかった。もしかして誰かと一緒にいるのだろうか……?

 

 教室の入口にそっと近づけば、天城総司の他に一人の女子生徒の姿を見つけることになる。ロングウェーブに切りそろえた、白金のように美しい銀の紡糸を揺らし、青い瞳をした美少女は天城総司に何かを語りかけている。

 

 彼女の名前は來素(クルモト)水波(ミナハ)。聖稜学園二年生にして聖稜学園冒険科冒険家専攻学科に所属する冒険家であり、冒険家志望である私にとって先輩でもある。

 彼女は聖稜学園冒険家専攻科の中でもトップクラスの成績を誇り、その実力から『冷血剣姫』の二つ名を持っている。そして、聖稜学園冒険科冒険家専攻科に彼女を知らない者はいない。

 そして來素水波は天城総司(主人公)にとっての幼馴染(メインヒロイン)でもある。ちなみに、セレヘブのメインヒロインはあと二人いるのだが、その二人は現在不在の様子だ。

 來素水波は聖稜学園冒険家専攻科の中でトップクラスの成績を誇る容姿端麗成績優秀で冒険家としての能力も高水準な完璧美少女だ。キレ目のクールさに隠れるデレによって男女問わず数多くのプレイヤーがクラっと来たのだという。

 その強さとは彼女の発現させたとされる聖装(セイクレッド)にある。來素水波の持つ聖装は水氷の力を宿す『ラグニルツワイシア』と呼ばれるいわゆる細剣(レイピア)だ。剣技に織り込まれるように生み出される氷晶が幻想的であり聖陵学園の生徒にもセレヘブのユーザーにも共に人気が高い。

 見た目のみならず、氷雪を使用した中距離攻撃、自身の周囲への範囲攻撃、防御バフ、限定的ながらも使用可能な回復などが揃っており、使い勝手の良さからセレヘブ初心者にもオススメしたい性能をしている。弱いわけが無い。

 

 

「――――幼馴染としてあまり心配させないで欲しい」

 

 

 ふと、そんな台詞が聞こえてくる。その声色は震えているような、懇願するような、そんな感じの声色だった。どうやら、天城総司は來素水波に怒られているのかもしれない。

 もう少し様子を伺ってみよう。

 

 

「うん……ごめん。でも、本当に何ともないんだよ?」

「嘘。君は昔からそうやって、すぐに誤魔化そうとする。昨日の動きは間違いなく例の事件が尾を引いてる」「い、いや、あれは別に……」

「それに君にはその聖装『マルグラース』がある。君の力は確かに凄まじい。けれど、その聖装は万能じゃない。頼りすぎればいずれ限界が来る。その時になって後悔しても遅いから」

「……わかってるさ」

 

 

 天城総司と來素水波の会話を聞いて、私は思わず息を飲む。これは、水波の好感度70%時に発生するイベントではないか。このイベントでは、天城総司が聖装を使い過ぎて身体に負担をかけてしまい、それを來素水波が咎めるというもの。このシーンにはかつて生き別れのようにして離れ離れになった來素水波の悲哀とも感じ取れる感情が読み取れるものであり、長らくツンのスタンスをとっていた水波が初めてデレの部分を直接的にさらけ出すシーン。セレヘブ界隈では賛否両論の声が上がっているが――――(オタク特有の早口言葉)。

 

 

 ……感極まって、つい取り乱してしまった。

 

 まさか天城総司がたった一年の間にここまでメインヒロインとの距離を縮めているとは思わなかった。現在は二年生の序盤も序盤。物語の折り返しにも辿り着いていない。

 このままだと、下手したら來素水波ルートに突入しかねない。それはまずい。なんとしてでもそれだけは避けなくてはならない。

 私が慌てて二人の元へと駆け寄ろうと意を決したときだった。

 

 

「あら、そこにいるのは一年生の方ではありませんの?」

 

 

 不意に声をかけられた。振り向くと、そこには一人の少女がいた。金色の髪に赤眼。まるで西洋人形のような出で立ちをしているが、しかし彼女の持つ雰囲気は明らかに日本人離れしている。

 聖稜学園冒険家専攻学科二年、東條タリア。桜華王国の冒険家達を表立って支援する東條財閥の令嬢にして、聖稜学園冒険家専攻科の中でもトップクラスの実力者。

 そして、彼女はセレヘブにおいて、メインヒロインの一人でもある。

 

 

「えっと……おはようございます。と、東條さん」

「ふむ、私のことはご存知のようですね。ところで、あなたはどうしてここに? ここは一年生が入っていい場所ではないはずですが」

「あー、いえ、ちょっと知り合いに用事があって来たんですけど……今取り込み中みたいだったのでまた後で来ますね。それじゃ!」

 

 

 私は踵を返してその場から去ろうとする。しかし、そんな私を逃さないように、東條さんの手が肩に置かれた。

 

 

「まぁ、お待ちなさいな。ちょうど良い機会です。あなたも、彼に言いたいことがあるのでしょう?」

「は、はい!? 私、別に天城先輩に何も言うことなんてないですし!」

「……? ではなぜ、こちらでソージのことを伺っていたのですか?」

「そ、それは……」

 

 

 希海のラスボス化を防いで世界滅亡を防ぐためです! などとは口が裂けても言えない。仮に言ったとして、信じて貰えないばかりか、この奇異なものを見つめる目が可哀想なものを見る目に早変わりだ。

 当然ながら天城総司に対して恋心を抱いているとかそういうわけではない。ただ、天城総司が主人公である以上、私は彼の動向を知っておかなければならない。

 

 なら、この状況を脱するために必要な台詞は……!!

 

 

「私は天城先輩のストーカーなんかじゃないですから!!」

「……はい?」

「だから、天城先輩のストーカーなんかじゃ……、あ」

 

 

 言ってから気づいた。藤咲香苗(わたし)よ、お前は何を言ってるんだ……?

 

 言い訳をするなら、コミュ力……ですかねえ……。

 人との会話中に、スっと、失言できる陰キャでして*5

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 訪れた沈黙は痛かった。

 私の咄嗟の弁明は教室にも聞こえていたようで、天城総司並びに來素水波は目を丸くしたまま固まっていた。

 

 当然だ。

 突然現れた後輩の少女が想いを寄せている男子のことをストーキングしていたなどと暴露していたのだから。

 言われた天城総司本人も驚きだろう。

 

 私は自分の発言を頭の中で反芻し、そのあまりの恥ずかしさに不本意ながらも顔を赤く染める。本当のことでは無いのに脳みそも沸騰してしまいそうでヤバい(語彙消失)。

 けれど、そんな私の気持ちなど露知らずといった様子で目の前にいる少女は呆れたような表情を浮かべる。

 

 やっべ……、溶けてなくなりてぇ。

 

 

「はぁ……。何を言っているのかよくわかりませんが、そういうことでは無いことは何となく分かりましたわ。それにしても、そんなに照れなくてもよろしいではありませんか」

 

 

 ……行間から人の思考を読み取っているとでも言うのか!?

 だが、冷静に会話が続けられるのは渡りに船だ。

 

 

「……は、はい。ちょっと、学園の有名人に会ってですね、その、テンパっちゃって」

「ふふ、褒められると少しこそばゆいものがありますね」

 

 

 東條タリアが有名人であることは間違ってはいない。とはいえ、どちらかと言うと天城総司や來素水波に向けて言ったつもりだったのだが……。まあいいか。

 

 

「ソージ、ミナハ。こちらのことは気にしなくて宜しくてよ」

「お、おう」

「そう……」

 

 

 來素水波と天城総司は東條タリアの言葉にそれぞれ首肯すると、帰り支度を整えてそのままどこかへ行ってしまった。

 ああ……、またとない主人公との接触チャンスが……。

 

 

「それにしてもフジサキカナエさん、……でしたっけ? 覗き見とは感心いたしませんわね」

 

 

 あれ、名乗ったっけ……?

 

 

「……名前呼びが気になります? 少しでも関わる可能性のある人物は全て把握する質でしてね。それで、弁明はありまして?」

 

 

 この女は読心術が使えるとでも言うのか……!?

 いや、戦々恐々とするのは後でも良い。

 

 

「……その、本当に申し訳ありませんでした……」

「別に責めているわけではありません。確かに新入生は情報的なアドバンテージが多くないことから、ソージを始めとした活躍している在学生のゴシップを掴みたいと思うのも当然でしょう。

 ですけれど、今後は気をつけてくださいまし」

「は、はい……」

 

 

 私は小さく項垂れる。まさかメインヒロインにお説教を頂くなんて思ってもいなかった。天城総司に挨拶がてらメインヒロインとの関係性を偵察に来ただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。

 

 ……ん? いや待て、おかしいぞ。

 何故、東條タリアは天城総司を下の名前で呼び捨てにしている? セレヘブではゲームシステムの関係上、各ヒロインへの好感度は一年で合計で100%上げることができるが、それでも東條タリアが主人公を名前呼びに変化するのは好感度を70より上にした上で三年目以降だ。

 東條タリアが二年生の時点で天城総司を既に名前呼びしているということは、少なくとも天城総司は東條タリアとの好感度もそれなりに上げているということだ。

 

 この二年回収のタイミングでのメインヒロインの妹との関係改善イベントの前倒し、來素水波の70%好感度イベントの発生、東條タリアからの呼び方の変化。

 

 

「ハ……ハ……」

 

 

 主人公、天城総司の用意周到さに思わずかわいた笑いがこぼれ落ちる。

 

 

「……カナエさん? どうか、致しましたの?」

「え、いえ、なんでもないですよ! あはは……はは!」

 

 

 こんなの、笑って誤魔化すしかないじゃないか。

 この世界の天城総司は原作無視のトゥルーエンドに(プレイ)走り抜ける男(ボーイ)だったのだから……!!

 

 ()、要る?

*1
※個人的な感想です。

*2
冒険家のクラスはE“数字”のようなクラス分けがされているが、このEは冒険家ではなく探検家の英語、EXPLORERの頭文字が由来となっているらしい。何故アドベンチャーのAを使用しなかったのかは謎に包まれている。(参考文献:セイクレッドヘイブン公式設定資料集第一巻)

*3
シナリオライターはどうしても希海を殺したいのか関わりもないシナリオで脈絡もなく登場する謎展開もしばしばあったりする。希海を推す俺にとっては理不尽であり、作品の評価を下げている所以のひとつだ。

*4
それが二次元であるというツッコミは聞かないものとする。

*5
無理にテンションぶち上げて置けばノリと勢いで会話ならできるタイプの陰キャ。



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信奉しすぎなヤバい奴

 

「その、天城先輩は一年生にして聖装を目覚めさせているということでコツなんかを聞こうかなと考えてまして……」

「ふぅん、そうでしたの? 私、てっきりソージのことが好きなのかと思っていました。これまでもそういった方、よくいらっしゃいましたし」

 

 

 ここは学校併設のカフェテリアの一角。放課から一時間が過ぎようとするこの場所には生徒の姿はひとりとして見えることはなく実質貸切状態であると言える。

 東條タリアはティーカップを傾けながら興味なさげに呟き、そして口元に笑みを浮かべた。あたかも私を信用する気がないと言わんばかりの言い方だ。

 え、なに? これまでもこうやって総司に見つかえる前に先んじて敵を排除していたと?? さすがはメインヒロイン様と申し上げるべきなのか。

 それにしても何かがおかしい。

 私の記憶(ぜんせ)が違和感があるぞと告げている。

 

 聖装(セイクレッド)云々は嘘なのだが、東條(トウジョウ)タリアは挙動不審の私を怪しんだらしい。人気のないこのカフェテリアに連れ込まれて話を伺われてしまっている。

 いや、詰められ方としては尋問のような気もする。しかして、何かを勘違いしているとは思うのだがどのように誤解を解くべきか全く見当もつかないのが現状だ。下手な切り口ではカウンターを受けて後戻り不可能な場所まで追い込まれてしまいそうで恐ろしい。

 

 

「……本当に違うなら良いのですけれど。もしかすると、私はフジサキさんを許せなくなっていたかも知れません」

 

 

 ゆ、許せないとはどのことを?

 その、東條女史? 口角が上がっていても、め、目が笑っていませんですわ……???

 

 

「あ、あは……、はは……。その節は本当にご迷惑をおかけしましテ……」

「あら、気にしないで下さいな。もう済んだことですし、こうして仲良くさせて頂こうと思っていますもの」

「そ、それはよかった……デス」

 

 

 私は引き攣った笑顔のまま、手元にある口をつけていないココアに視線を落とす。触れるマグカップからはじんわりとした温かさがつたわり、私に唯一の安らぎを与えてくれる。

 しかして、彼女は天城総司に近寄る女子生徒(悪い虫)が嫌いだと伺える。

 

 ゲーム上では天城総司のライバル的な立場も持ったヒロインというポジションだった彼女だが、幼い頃には天城総司と一緒に遊んでいたりと実は主人公にとって幼馴染の一人だったりする。

 東條タリアは幼い頃に両親を亡くした後、親戚中から厄介者扱いされていた時期があり、その時に天城総司と出会うことになったというベタな展開を経て、彼に対して並々ならぬ思いを抱くこととなる。いやでも、ゲームではそんな病んでなかったはずでしょう、君。

 

 幻覚なのかタリアの傍に爆弾が見える気がする……。セレヘブってこんなゲームだったっけ?

 

 

「それにしてもソージは相も変わらず人気でして……。昔からそうですわ。彼はいつも誰かしらに慕われていますの」

「……はい、ソウデスね」

「ふふ、カナエさん? 落ち着いて? そんなに緊張しなくても宜しくってよ?」

 

 

 ティーカップの取手を親指と人差し指で砕きながら75757という変速短歌のビートを刻まないでくださいまし……!!

 私は乾いた笑い声を上げながら、ちらと向かい側に座る東條タリアを見やる。

 

 めっちゃ目を見開いている。何となく目が血走っている気がする……!!

 

 

「それで、本題に入りますけど。カナエさんはソージのことをどう思っているんですの?」

 

 

 何が始まっているんだ? 主人公のことを好きすぎて周囲の人間に面談かけるとか正気なのかこのヒロイン??

 

 

「……えーと、とても優秀で素晴らしい人だと」

 

 

 私はそう言って目を逸らす。

 

 

「へぇ、そうなのですか」

「……ほへ?」

 

 

 東條タリアの像がブレた。

 否、ブレたと考えた一瞬の隙を突き私の背後に回った。

 

 

「それでは、彼のどこに惹かれましたの? 容姿でしょうか? それとも性格? あるいはその両方? もしくはその全て? 教えてくださいまし、ねぇ、カナエさん??」

 

 

 耳元で囁くように問いかけてくる東條タリア。くすぐったい吐息が私の首筋を撫でるように吹きかかる。

 東條タリアから主人公への好感度が限界突破し過ぎておる! これ、完全にヤンデレルート(※存在しない)まっしぐらじゃないですかヤダー!? こんな東條タリアの姿とか見たことないんですけどォ!?

 

 

「えっと、その、ですね……」

「はい、なんでしょう? ゆっくりで構いませんのよ?」

「あ、はい。ゆっくりでもいいんですけど……、首をその長い棒みたいなもので締めあげようとするのやめて貰えませんか……!!」

 

 

 私は真後ろでニコニコとした笑みを張りつけた東條女史。私は彼女が首を締めあげるのに使っている棒を抗議の意味で弱くペシペシと叩く。

 この棒ってもしかしなくても東條タリアが使ってる聖装だと思うんですけれど、使い方が違う気がしますよ? 

 杖ですよね、これ。ですよね?

 こ、後衛型魔法クラスの方ですよね?

 

 

「……あら、これは失礼しましたわ。私、あまりの嬉しさに我を忘れてしまいまして」

 

 

 う、嬉しい? もしかして、邪魔な虫が排除できて嬉しい……ってコト!?

 

 

「やっべ、怖……」

「ソージは小さい頃から誰よりも優しくて、困った人がいればすぐに助けに行ってしまうような人でして……」

 

 

 勝手に惚気出したが、全く一向に逃げ出せるような隙が生まれない。むしろどんどんこちらへの拘束が強まっているようにも感じられる。

 なんだ? これが恋バナというものか?? 私の知ってるものと比べても爛れて過ぎているが?!

 しかし、私が知っている東條タリアという少女はもっと大人しくて清楚なお嬢様然とした少女だったはずなのだが……。

 

 

「あの、ちょっと聞いてもらっていいでしょうか……?」

「……ええ? なんでしょう?」

 

 

 あ、やっばい。会話のリズム崩してご機嫌ナナメだよ。あ、やめて睨まないで東條女史ィ……。

 私は内心で冷や汗を流しながらも、目の前の狂気と会話を続ける。

 

 

「あの、本当に全然ですね。自分、藤咲(フジサキ)香苗(カナエ)ですが、天城総司氏の事は大変魅力的に思えますが異性として意識したことは一度もなくてですね? 純粋にですよ? そう、ただ純粋に、……その、最初に聖装を発現させたという状況を同じ冒険家志望の同志ということで伺い立て申し上げたかったと言いますか、天城総司氏の未来の婚約者(適当)である貴女のご意見も参考にしたいなぁと」

 

 

 私は前世の会社員時代に培ったスキル(大したことない語彙)を以て必死に言葉を並べ立てる。

 

 

「まぁ、そういうことですのね。ふふ、わかりました。では、そうですわね……。まず、カナエさんはどうしてソウジの聖装が発現したと思いますの?」

 

 

 私の必死さが伝わったのか、東條タリアは口元に手を当てながら先程までの絶対零度の恐怖が嘘のように上品に微笑む。

 た、助かった……の、だろうか……?

 

 私は彼女の質問に答えるために思考する。セレヘブの主人公である天城総司はゲーム開始時点では聖装を発現させておらず、ゲームの序盤に潜り込むことになった管理窟にてヒロイン三名と事故に巻き込まれることになる。

 そしてその三名に危機が迫ったその時に聖装『マルグラース』を目覚めさせるのだ。

 

 

「ええと、窮地に追い込まれること、でしょうか」

「……なるほど、もし伝聞を聞いていれば確かに出てきそうな()()()回答ですわね」

 

 

 東條タリアは顎に手を当てると納得するように数度、首肯する。

 その、そろそろ席に戻られては如何ですかね……。なんで私の後ろに控えておいでなのでしょうか。

 いつ発狂するか怖くて集中できないんですけど……?

 

 

「でも、残念ながらハズレですわ」

「え?」

「ソージが覚醒したのは、確かに窮地に追い込まれたからです。でも、それなら当時はまだ聖装を所有していなかった私達が同時に聖装を獲得してもおかしく無いでしょう? そうではなく、ソージだけが聖装を発現させた。()()()()()()()は何か、改めて考えて下さいまし」

 

 

 ……本当の理由? 東條タリアの言葉に思わず黙り込んでしまう。

 なんだかんだ導こうとしてくださってる訳ですし、恐らくこの人は天城総司が関わらなければとんでもなくいいひとなんだろうな!!!

 

 

「……それは、分かりません。すいません……」

「いえ、謝る必要は無いのです。ただ、それを自分で考えて欲しいだけですので。……それで、他に聞きたいことはありますかしら?」

 

 

 彼女は慈愛に満ちた聖母のような表情で私を見つめる。

 

 おかしいぞ……。

 さっきまではこんなキャラじゃなかった気がするのに。私は困惑しながらも、彼女に問いかける。

 

 

「えっと、それじゃあ一つだけいいですか?」

「ええ、どうぞ?」

「なんで、そんな密着して座ってるんですか?」

 

 

 私は自分のいつの間にか首に回されている東條タリアの右腕をペシペシと叩く。危うくヘッドロックを決められてしまうところだった。命拾いしたと言えるだろう。

 

 

「……いけませんか?」

「いや、ダメですけど……」

「あら、そうですの……」

 

 

 悲しそうに目を伏せられるとなんだかこっちが悪いことをしている気分になってくる。危うく意識を持っていかれるところだったので10:0で相手が悪いことに変わりは無いが!

 まさかここまでメインヒロインが天城総司に陶酔しているとは思わなんだな……。

 

 聖装の話は建前なので頭の片隅に追いやって東條女史の絶対零度の接待を通して冷えきったココアを手に取り、口に持っていく。

 

 

「……ん?」

 

 

 だが、その甘い液体はいつまでも私の喉を通ることは無かった。

 

 

「あら、魔具(ガントレッド)*1が滑りましたわ」

 

 

 東條タリアがそう言い、いつの間にか持っていたダガー型の魔具を懐に仕舞う。憐れ、気がついた時にはマグカップの取手は本体とおさらばしていた。

 しかし、中身を私がひっ被ることなく机の上にこぼれ落ちてしまう。まさかだが、これって計算されてるのか?

 

 いや、まさかね……?

 

 

「ほぁ……」

 

 

 私は突然の出来事に思わず呆けた声を出してしまう。

 

 

「ふふ、驚かせてしまいましたか? 申し訳ありません。こちらの方は私が責任をもって片付けますので、お気になさらず」

「は、はい……。ですが……」

「私が責任をもって片付けますので、お気になさらず」

「あ、はい」

 

 

 東條女史が笑顔で告げたので、私は大人しく引き下がることにする。

 いや、うん。申し訳ないんだけどね? 薮をつつけば間違いなく何か碌でもないことに発展しそうなので私はそっと立ち上がり、手早く荷物を回収する。

 

 

「あの、本当に申し訳ありませんでした」

「ふふ、構いませんわ。また、機会があればまたこうしてお話致しましょう?」

「え、それはい……や、なぁんて言うわけないですかぁ〜。も、もも、もちろんですよぉ〜〜っ!」

 

 

 思わず否定しかけたが圧が怖い(目が笑ってない)のでがんばって言い直して見せた。いつも気概だけは一番なんだ。気概だけ。

 そこから私は東條女史に頭を下げ、逃げるようにしてカフェテリアを後にする。

 

 まさかメインヒロインである東條タリアがあんなにも天城総司に入れ込んでいる事は想定外も想定外、すっぽんが月を飲み込むくらいには考えつかない話だった。いや、すっぽんが月を飲み込むなんてありえないけどね? とにかく、私が月とすっぽんの例え話を持ってくるくらいにはヤバい事になっている。

 メインヒロインのヤンデレ化など原作崩壊もいいところだ。

 

 正直に言うと、これ以上彼女と関わりたくはないというのが本音なのだが、希海の聖装である忌まわしき『グラトニアル』の存在がそれを許さないだろう。いずれにせよ天城総司とは何らかの接点を作らなければならないことは確かだ。

 前途多難ながら、なにかスマートに推しを守る方法が見つかれば良いのだが……。

 

 

 それにしても、なんだかんだで色々と時間を食ってしまった。私は早足で校舎を出て、正門へと急ぐ。

 帰りが遅くなれば妹になにか詰められるような気がしたので。こういった時の天啓的に降ってきた勘は信じるべきだと私は信じている。絶対にろくな事にならない!

 

 天啓と言えば、衝動買いで積み上げたプラモのことをふと思い出す。前世の私はどうして時間を作ってでもプラモを組まなかったのかと問い詰めたい。記憶が戻ってしまった私としては今からでも作りたいくらいだ。

 そんなことを考えながら、私は正門を通り抜ける。すると、目の前に見知った顔があった。

 

 

「あれ、希海?」

「あ、やっと来た。もう、すごく遅いよ、かなえちゃんっ」

 

 

 希海が少し不機嫌そうな顔をして立っていた。これはまずい。主に私の精神面で。

 

 

「……ぽへ? な、なんでまだのんちゃんが? 放課からもう2時間くらい経ってるよ?」

「えへへぇ〜」

 

 

 私の疑問に対して彼女は頬を緩ませ、嬉しそうに笑う。その笑みはいま惑星(ほし)の裏側で花園を生み出したに違いない。

 うぅ……。推しが可愛い……。

 いや、正気になれ、今はそんな事を気にしている場合じゃないだろう。

 

 

「ごめん、ちょっと用事が長引いて……。って、そんなことより! ど、どうしてこんな場所で待ってたの?」

「香苗ちゃんと一緒に帰ろうと思って。迷惑だった?」

 

 

 推しのしょぼんとした表情を見てしまった私は首がネジ切れる勢いで振り回して否定する。

 

 

「じ、じゃあ……。ずっとここにいたの?」

「うん。そうだけど?」

 

 

 え? なに? 推しをこんな寒空に放り出して、私は何をやっていたんだ??

 きょとんとした表情を浮かべる希海に、私は思わず頭も胸を撃ち抜かれそうになるのだが、崖から1歩踏み外したところで踏みとどまる(?)。

 

 

「れ、連絡してくれれば? よかったのに??」

「あはは、ごめんね。なんかタイミング逃しちゃった」

 

 

 希海は申し訳なさそうに笑い、両手を合わせる。

 いや、待たせたのは私の方だぞ! なぜそんな謝罪を私に向けるんだァ! ざ、罪悪感が!

 私の心がジュクジュク*2痛むぅ……!

 

 私は今にも飛び出して来そうな心の叫びを賽が投げられた直後(手遅れ)くらいで抑え込み、なんとか平静を保つ。

 

「ヴァッ……ァッ!」

「香苗ちゃん、すごい顔してるよ……?大丈夫? 具合悪いの??」

 

 

 女神、希海が心配そうに尋ねてくる。

 

 

「へァ……!? いや、なんでもないよ? それよりィ? 一緒に帰るんでしょぉ?」

「あ、うん。そうだね。帰ろっか」

 

 

 希海は挙動不審な私に対しても平等な微笑みを下賜してくださり、無事に†昇天†することになりました。

 推しは、いいぞ。だが、そのキラキラを向けてくれるのはやめてください。

*1
魔巣窟で発見されることが多い、持ち替え可能な装備。レベルの低い聖装と同様か劣化した様な性能を持つが、誰にでも扱えるという点において非常に優れている。剣や弓を初めとした武器から、鎧や盾といった防具の存在も確認されている。

*2
痒いくせに絶妙な痛みを齎すヤツ



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感情と距離感がバグってる

 帰り道。

 私と希海は肩を並べて歩いていた。

 いつもなら他愛のない会話をしながら歩いているのだが、今日に限っては互いに言葉を発することはなかった。それはきっと気まずいとかそういうわけではなくて、私が意識しているからだ。そしてそんな緊張が希海にも伝わっているのかもしれない。私はチラリと隣を見る。

 すると、視線を感じたのか、希海もこちらを見つめていた。

 

 目が合った。推しのご尊顔……!

 

 しかし、何を考えてしまったのか私は慌てて目を逸らす。

 心臓の鼓動が加速する。

 身体中の血液が全て顔に集まっているのではないかと錯覚するほどに熱くなっていく。短時間目を合わせただけでこれなのに、真正面から見つめ合うなんて無理だ。

 

 恥ずかしくて死んでしまう。

 

 いや、でも、ここでまた黙っているのは不自然すぎる。

 何か言わないと……。

 

「その……」

「ね、香苗ちゃん」

 

 

 意を決して口を開こうとしたとき、不意に希海が口を開いた。

 

 

「へ、なに?」

「あのさ、香苗ちゃんって……、好きな人とか……いる?」

 

 

 唐突にそんなことを聞かれたものだから、私は思わず息を呑んだ。

 まさか、私が希海(推し)へ向ける気持ちに気づいて……。

 

 

「そ、そそそ、それって? どどど、どういう意味で、聞いてる???」

 

 

 私は動揺を悟られないように聞き返す。

 

 

「え? 恋愛的な意味だよ? だって、今日の香苗ちゃんちょっとおかしいじゃん」

「ファッ!? なな、なんのことかな〜??」

 

 

 私は必死になって誤魔化そうとするが、どう考えても私の持つ推しへの情熱がバレている。推しへの愛が認知されることは嬉しいが、これは藤咲香苗本人の持っていた考えではなく前世の記憶の影響だ。

 そういうことをあまり表に出すのもおかしい話だと思うのだよ。

 

 ほら、こう……ね? ゆっくりじんわり仲を深めたいと言いますか。

 

 

「ねぇ、教えてくれても良くない? 親友でしょ?」

「うっ……」

 

 

 親友という言葉に思わず反応してしまう私。推し云々問わず、そう言われると弱い。

 いや、別に隠してるわけじゃないんだけどね? ただ言うタイミングが無かったというか……。

 

 

「ほらぁ、やっぱりいるんじゃん!」

 

 

 希海はそう言って詰め寄ってくる。私のこの熱い気持ちに気がついている訳ではなさそうなので少し安心してしまったが……。

 

 推しが近い……。

 それに女の子特有のいい匂いが……。

 

 私は推しのご尊顔を至近距離で拝めていることに興奮しすぎて鼻血が出そうになるが、さすがにそれは堪えてみせる。これは神が与えたもう試練なのだろう。

 

 

「えっと……、うん。実は……います。はい……」

 

 

 嘘をつくのはよくないことだとわかっていても、どうしても言い出せるものでは無い。推しへのこの熱い気持ち、触れるくらいならええやろ?

 

 

「そうなんだー……。あの香苗ちゃんもおっきくなったんだねー。好きな人かぁ。教えてくれたりは……」

 

 

 そりゃ目の前にいる貴方(推し)に決まってるじゃないですか!

 気付いて欲しいけど気付かないで!

 

 

「で、出来ない……」

「どうして?」

 

 

 食い気味に尋ねられる。

 

 

「あ、あぅ……」

 

 

 目の前に寄せられる推しの尊顔。私を宝石みたいに美しいブラックダイアモンドのような双眸で殺す気なの? 『死因:尊死』なんて、もう少し後に取っておかせてくれ!

 

 私の脳内では天使と悪魔が戦っていた。

 天使は言った。

 

 

『この機会に想いを伝えよう! お前は勇気を出して告白したんだぞ! 今ならいける! 今しかない! 行け! 逝け! 死ね! 今すぐ! さっさと爆発しながら告れやゴラァ!!』

 

 

 対して、悪魔の方はと言うと、

 

 

『待て! 早まるな! 爆発するにはまだ時期尚早だ。今はもっと親密になってお互いのことをよく知ってからにしよう! そうすれば向こうも脈アリかもと思ってくれるかもしれない。あわよくば……ふふふっ……』

 

 

 いや、何お前ら。怖いわ! どちらも完全に推しに告る気マンマンじゃないか。推しとファンのスタンス崩壊させようとするのやめてくれぇ!

 そもそも告白する気は無い。

 

 私はあくまで少なくとも推しとして希海を愛したいだけだ。それ以上は望んでいない……!

 いや、でも、もし仮に、万が一、億が一でも奇跡的に、本当に付き合えることになったとしたら? 私はその瞬間に死んでもいい。いや、死ぬね。間違いなく。

 

 しかし、そうならなかったときに私は果たして藤咲香苗と柴宮希海は親友という関係のままでいられるのだろうか。それはわからない。

 だから、今の私にはこう答えることしかできない。

 

 

「しっかりと吟味したいんだ」

 

 

 私は絞り出すようにしてそれだけを口にした。

 

 

「……そっかぁ。なんか、ごめんね」

 

 

 また推しを謝らせてしまった。うごご。

 

 

「詰め寄って、変なこと聞いちゃった。答えてくれなくていいんだけど、その代わりに一つお願いがあるんだけど……、いいかな?」

「え? なに?」

 

 

 私は恐る恐る尋ねる。

 一体何を要求されるのだろう。

 推しからのお願いだ。出来る限り叶え てあげたい。しかし、それがもしも無茶振りだったりしたとしても身体を張ろう。

 対価? 要らねぇよ!

 

 そんなことを考えながら待っていると、希海がゆっくりと口を開いた。

 

 

「恋人ができても、ずっと、私と仲良くしてね」

「へ?」

 

 

 予想外の言葉に拍子抜けしてしまう。

 

 

「いや、まぁ、その、何ていうか……、さ。香苗ちゃんは大切な親友だから……、さ」

「…………ッッ〜〜〜!」

 

 

 私は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。希海の口から発せられた『大切な親友』という言葉。そして、少し恥ずかしそうにしている表情。全てが私の心に突き刺さった。

 こんなにも嬉しいことがあるのか。

 いや、無いね。

 

 私が再び転生したとして、ここまで可愛い推しと友達どころか知り合い以上になれる可能性すらなんて宇宙が何遍回帰したとしてもありえないだろう。

 

 つまり、この状況は奇跡か神の気まぐれがもたらした祝福に等しいのだ。だからこそ、絶対に失敗はできない。

 推しとの関係を壊さないためにも、慎重に行動しなければならないのだ。

 

 そして守りたい、この笑顔。

 

 

「も、もも、もちろん! これからもよろしくね!」

 

 

 私は満面の笑みで答えた。

 

 

「うん、ありがと」

 

 

 希海も笑顔でそう返してくれる。

 ああ、尊い。可愛すぎる。

 ご尊顔の供給過多やめてくれ。

 

 

「あー! 今の香苗ちゃん、変な顔してる。ふふっ、面白いね。写真撮っちゃおーっと」

 

 

 パシャリと音が鳴った。

 

 

「あ、ちょっ!? それは恥ずい、消してよ……!」

「やだね〜♪ 待ち受けにしちゃお〜」

 

 

 希海はスマホを操作して、撮った写真を自分の携帯の待ち受け画面へと設定したようだ。

 

 

「うぅ……。絶対他の人に見られたくないんだけど……」

「大丈夫だって。誰にも見せないし、見せたくもないから安心していいよ」

「え? それどういう意味……?」

「さてさて、また明日学校でねー」

 

 

 そう言って彼女は小悪魔的な微笑みを浮かべて私から距離をとる。

 ちょうど私の家と希海の家への分かれ道に差しかかっていたようだ。

 

 

「のんちゃん、また明日……ね」

 

 

 私は小さく手を振って彼女に別れを告げる。すると、希海も手を振り返してくれた。

 

 

「うん、ばいばーい」

 

 

 私は彼女が見えなくなるまで見送った後、少しの余韻を経て家路につく。

 

 

「はぁ……」

 

 

 大きなため息が漏れる。

 

 どうして今世は男ではなく女に生まれてしまったんだろうか。

 逆だったら、きっと希海へのこの熱い思いを伝えることが出来たのかもしれないのに。

 

 いや、男だったら余計無理だったはずだ。推しと合法的に触れ合える女でよかった。

 

 でも、それでも、やっぱり、

 

 

「女の子同士ってどうなんだろうな……」

 

 

 つい、独り言が出てしまう。

 そう、私には前世の記憶というものが存在している。

 男として生きた28年間の人生。その記憶を持っているのだ。

 

 そんな私が女の真似事などといった唾棄したくなることをできるはずもなく、私は私なりに藤咲香苗として生きるべきだと思い至る。

 私は藤咲香苗として生きていく。

 藤咲香苗として、柴宮希海の親友であり続ける。

 柴宮希海は私の推しであり、私の友人だ。

 

 それだけは、変わらない。

 変わるわけがないんだ。

 

 だから、これは決して恋ではない。

 そう自分に言い聞かせているのに、何故か心がざわつく。

 

 

「……推しになっちゃったから、かな」

 

 

 今朝、柴宮希海に抱きつかれたときのことを思い出して、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に陥る。

あのときの彼女の温もりをまだ容易に思い出せる。

 それに、抱きしめられたときに鼻腔をくすぐる果実のような甘い香り。あれはとても心地よいものだった。

 

 ……また、あんな風に抱きしめてもらえたりしないかな。

 

 

「いやいやいやいや、何考えてるんだ私は……!」

 

 

 私はぶんぶんと頭を横に振る。

 そんなの駄目だ。そんなことを望んでしまうのは、なにか人として間違っている気がするのだが! 私は自分の考えを、煩悩を振り払うように全力で走り出す。

 

 そして家にたどり着くと、制服のままソファーに倒れ込むようにして横になった。

 そのままぼーっと天井を見つめながら、今日あった出来事を振り返る。

 

 肉体的にも精神的にも、色々と消耗してしまった。想定外の事態ばかりで本当に濃い一日だったと思う。

 私は深く呼吸をして、ゆっくりと目を閉じる。

 瞼の裏に映るのは、もちろんの事ながら我が推し、柴宮希海の姿だ。

 

 まだ夢見心地なところはあるが動いて喋る推しを見られるとは、感無量である。そして、やはり彼女は私の想像通り、いやそれ以上に可愛かった。もし私が男子高校生なら間違いなく惚れていただろう。

 いや、女子高校生の身でも普通に惚れてるけどね? もう、可愛いの化身だよ。でも、私はあくまで親友として彼女と接さなければならない。節度あるファンとしてのスタンスを崩す事は許されないのだ。

 

 何故かって? そりゃあもちろん嫌われたくないし、私の欲望が暴発しかねないからだ。いわば、この推しへの態度は私の安全装置だと言い表せるだろう。

 まぁ、そもそもの話。実物となった推しが目の前にいるという事実だけで幸せすぎて既に自爆しそうなんですがね! 三次(リアル)になっても幻滅どころかますます好きになってしまう始末だ。

 柴宮希海、君ってやつは罪な女だよ……!



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意識してる、されてる?

「あれ、お姉ちゃん帰ってたんだー。遅かったね」

 

 

 不意に声をかけられて、微睡みの沼から意識を引き戻される。目を開けて、声の主の方へ顔を向けるとそこには妹の結衣がいた。

 ブラックパールも顔負けなほどにしっとり艶やかな黒髪ロングヘアーを揺らし、ぱっちりとした瞳がこちらに向けられている。この形で中学2年生だと言うのだから恐ろしい。

 後はこれに重篤なシスコンが無ければ良かったのだが。

 

 

「うん。ちょっと友達と話してて遅くなった」

 

 

 私はソファから体を起こし、寝起き特有の気怠さを感じながらも妹の言葉に応える。すると、結衣は私の方へと歩み寄ってきて、ギュッと私の腰に腕を巻きつけてきた。

 ふわっとシャンプーの良い匂いが立ち込める。

 

 いつもより早い時間ではあるが、どうやら風呂に入っていたらしい。

 

 

「お姉ちゃんは、他の女の子と話したらだめなんだからね?」

 

 

 上目遣いでそのように言ってくる。一体どうしてこのように成長してしまったのか。悔やまられるべくは前世の記憶が戻ってきたことによって昔の記憶を上手く思い出せなくなってしまったことだ。

 私は結衣の無茶な要求をやんわりと否定しつつ、彼女を引き剥がした。

 

 

「ほら、ご飯食べるんでしょ。適当なの作るから早く準備しなさい」

「むぅ……」

 

 

 納得していない様子だが、渋々といった感じでリビングから出て行く。

 全く、困ったものだ。創作上ならまだしも現実上の妹には流石に恋愛感情なんて抱けるわけがない。前世が男であったが無理なものは無理だ。妹には早く私以外の人間に興味をもってもらいたいものである。

 

 私はそんなことを考えながら、そのまま台所へと向かった。

 夕飯の準備は、基本的に私がすることになっている。

 というのも、藤咲家の両親は仕事の関係で海外に出張しているためだ。*1

 

 というわけで必然的に家事全般は私がやる羽目になるわけだ。といっても、そこまで大層なことをしているわけではない。

 料理だって、レシピ通りに作れば誰にでも作れるし、掃除洗濯だってやり方さえ知っていれば小学生でもできる。一人暮らしの会社員ならばできて当然の話だ。

 ちなみに結衣に任せてしまうと『かつて食材であったもの』を生み出したり、掃除機をかけたら家具ごと破壊したりする前科があるため、我が家では基本的に母と結衣以外が家事を行っている。母も似たようなものなので遺伝かもしれないと父が言っていたことを覚えている。

 

 

「「いただきます」」

 

 

 夕食の時間になり、私と結衣は手を合わせて食事前の挨拶をする。今日のメニューは白米と味噌汁、焼き魚にほうれん草のおひたしという純和風だ。そのような献立を記憶が戻る前の私が立てていた。優秀だ。記憶が戻ってきたという混乱に負けず、献立が頭に残っててよかったと思う。

 私は早速、箸を手に取り焼き魚の身を解して口に運ぶ。口の中に程よい塩味と脂身の甘みが広がり、ほろりと崩れる身とともに思わず頬が緩んだ。やはり美味しいものは正義である。

 

 

「結衣、どう? おいしい?」

「ん、まあ。……おいしい」

 

 

 私の問いかけに対して、結衣は先程雑に扱われたことを根に持っているらしく不機嫌そうな表情を浮かべて応える。私はそれを聞いて苦笑するしかなかった。

 

 

「そっか。なら良かった」

「……お姉ちゃんが作る料理が美味しくないわけないじゃん」

 

 

 謎に拗ねてしまったらしい。私は、小さくため息をつく。こんな調子で姉離れ出来るものかと先が思いやられる。昨晩もベタベタとしていたし、挙句の果てには希海に対してヤキモチすら焼いていた。

 

 私は拗ね倒す結衣のことを放置したまま、食事を済ませて食器類を流し台に置いておいた。

 

 

 今日は疲れたので、結衣を見習って早めに入浴することにした。脱衣所で服を脱ぎ去り、浴室に入ってシャワーの蛇口を捻る。

 適温になったところで私は全身に浴びるように水を浴びた。

 お湯が身体を伝う感覚が心地良くて、つい声が出そうになる。ふぅ……。気持ちいい……。

 

 それから鏡に映り込む自分の姿をまじまじと見つめた。

 

 透き通るような白い肌。細い手足。そして胸元に存在する自己主張の控えめな双丘。顔も整っており誰がどう見ても美少女だと言える。自分で言うのもなんだが。

 然し、目の前に見えるのは女の子の裸体だと言うのに全く興奮しないし、できない。寧ろ見慣れている感覚であるからこそ、その事実を認識すればするほどに虚しさが込み上げてくる。

 私は、記憶が戻ってから何度目かも分からないため息をついた。

 どうして私は原作でも登場しないような名も無い女子高校生として転生してしまったのか。もっと他に転生対象となるようなキャラがいただろうに。

 

 

 そして、風呂を堪能した私は部屋着に着替え二階にある自分の部屋へと戻った。

 

 私は改めて自分の姿を鏡に映す。

 そこには、赤みがかった栗色の髪をセミロングに伸ばした美少女がこちらを見つめ返している。本当にこれでスッピンなのか? 本当にこれでモブキャラクターか?

 ノーメイクでここまでの完成度だとするならばギャルゲー世界の顔面偏差値エグイな……。美に傾倒していた前世の妹が知ったら現実と比べてあまりある差に卒倒してしまうんじゃなかろうか。

 

 しかしこれが今の私の身体。28歳の冴えないサラリーマンだった頃の姿ではない。今年で中学2年生となる妹の結衣よりも少し背が高く、胸はそこそこ……、いやこれはBも無い*2。しかし、腰回りにはしっかりと肉がついているし、太っているというほどではないが全体的に女性らしい丸みを帯びている。

 どこをどう見ても女の子の体であり、かつて男であったなどと誰が信じられようものか。

 

 自己認識についてもこの姿が自分自身であるとしか考えられない。

 そういえば、前世で死んだときの記憶が曖昧だ。死因はなんだったろうか。思い出そうとするのだが、記憶が霞がかったようにぼんやりとしている。

 

 香苗のものと前世のもので記憶が混濁しているし、いずれ思い出せるかもしれない。記憶については楽観的に行こう。

 私は、そんなことを考えながらベッドの上に寝転ぶ。

 

 記憶が戻ってから一度も起動していなかったスマートフォンを手に取る。

 電源を入れてみると、画面に表示されたのは見知らぬアイコンの数々。前世の世界とは別物であるので当然と言えば当然なのだが、妙な寂しさを感じてしまう。

 ホーム画面には本体のメーラーに電話機能、カメラなどの基本的なアプリの他には、メモ帳とスケジュール表の二つがあった。試しにメモ帳を開いてみる。

 記憶が戻ってくる前の私はあまりメモ帳を使って何かをするタイプではなかったのか、ほとんど何も記入されることなくチラホラとその場での覚え書きが残されているくらいだ*3。わかったことといえば記憶が戻る前の食への好みくらいだろうか。枝豆、焼き魚、乾き物。おっさんか?

 私はスマホを弄りつつ、先程から感じている違和感について考えていた。

それは、この身体になってまだ二日目だというのに、まるで何年も前からずっと女であったという錯覚に陥っていることだ。

 あやふやには香苗であった記憶が残っているにしても、その記憶は前世の記憶に上書きされるように薄れてしまっている。だと言うのに、私は前世の会社員だった男よりも自分は藤咲香苗であるという意識が強い。

 

 果たして私は藤咲香苗その人だと言えるのだろうか?

 

 柄にもなく哲学的な事を考えすぎたのか頭が痛い。私はスマホの光を消し、目を閉じてゆっくりと意識を落としていく。

 もう寝てしまってもいいだろう。

 ……きっと明日の私が頑張ってくれるはずだ。

 

 そして、目を覚ませば翌日となっていた。

 

 いつものようにベッドに潜り込んでいた妹のことにゲンナリとしつつ学校へ向かうと、教室の中が妙に騒がしいことに気がつく。

 

 

「おはよう! 香苗ちゃん」

「あ、うん。おはよ……」

 

 

 私が教室に入るなり、希海がいつものように元気よく挨拶してくる。私は、そんな彼女に挨拶を返しつつ、周囲の様子を伺う。クラスメートたちは、私と希海の方をちらりと見てはヒソヒソと何かを話し合っている。

 一体、何だろう。私が不思議に思っていると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、そこにいたのはセレヘブ三大メインヒロインの一角を飾る人物の妹、風森(カザモリ)紀々(キノリ)だ。

 

 

「おはよう、柴宮さん、それに藤咲さん」

「……おはよう」

「えっと、おはよう」

 

 

 希海と私がそれぞれ挨拶を返すと、彼女は私の顔をジッと見つめてくる。その顔は、何処か緊張したような様子で頬が赤い。

 どうしたというのだろうか。私が疑問に思っていると、不意に彼女に声をかけられた。

 

 

「今日の実戦演習のチーム、私と組んでみませんか?」

 

 

 私は、風森紀々の突然の申し出に面食らう。

 何故、私なんかと組みたがるのか。その理由が分からなかった。私が、困惑しながら答えあぐねていると、彼女の方から話を続ける。

 

 しかし、実戦演習か……、つまり入学して初めて魔巣窟に出向くことになる。管理窟という人の支配下にある魔巣窟ではあるが、未知への好奇心は止められるのもでは無い。

 通りで教室が騒がしい訳である。

 

 

「希海さんの聖装(セイクレッド)に興味があって。折角なら少し見せて貰いたいなと。確か、既に発現させていましたよね?」

「あまり人に見せられるようなものじゃないのだけれど……、それでも良ければ。どう? 香苗ちゃん」

 

 

 希海は、困った表情を浮かべながらも私に確認を取る。希海も風森紀々を拒む様子はなし、私にも彼女の申し出を断る理由はない。

 私は、承諾の意を示すと、風森紀々は嬉しそうな笑みを見せた。

 

 

「ありがとうございます。それじゃあ、本日の実戦演習はよろしくお願いしますね」

 

 

 それだけ言うと、風森紀々は自分の席へと戻っていく。その後ろ姿を見ながら、希海が腕を組んできた。

 

 

「のの、のんちゃん?? ど、どど、どうしたの?」

「ううん。なんでもない。香苗ちゃん成分を補給してるだけだよ」

 

 

 なんでもなくないね? というかなんだその成分は。私は思わずツッコミを入れたくなるが、希海は私の身体にすり寄ってくる。ふわりとかほる良い匂いが鼻腔を刺激して頭がクラクラしてきた。これが、私特効のフェロモン……!?

 これはいけない。このままでは、私のいたいけな少年のような理性が脆くも吹き飛んでしまいそうだ。

 

 希海は、私が抵抗しないのを見るとさらにぎゅっと抱きついてきた。まるでぬいぐるみを抱きかかえる子供みたいだ。……なんだこの可愛い生き物は。私の頭の中で天使と悪魔が熾烈な戦いを繰り広げ始める。

 駄目だ。ここで屈したら私は本当に希海に襲いかかってしまうかもしれない。朝のこんな人が沢山いる目の前でなんて、流石にそれはまずい。私は必死に理性を保とうとする。

 しかし、そこで私の中の悪魔が囁き始めた。

*4

 この世界に天使は存在しない……。

 

 

「の、のんちゃ……」

「ちょっと。柴宮さん、藤咲さん。授業始まるわよ」

 

 

 私が誘惑に負けそうになったところで救いの女神が現れた。声の主は、教室に入って来た担任の教師だ。彼女は、呆れた様子で私たちを見ている。

 私は、助かったと安堵のため息を漏らすと慌てて自分の席に座った。

 

 いやぁ、危なかった。

 危うく、クラスメートたちの前で獣になって希海を貪り尽くしてしまうところだった。……調子に乗りました。多分、直ぐにヘタレます。

 私は、相手の感情を配慮できるように深く反省するべきだ。友愛を情愛と勘違いしてはならぬのだ……。

 希海の方を見ると、何事も無かったかのように涼しい顔をしている。

 ……え、なんだ。意識していたのは私だけだと申すのか?

 

 そう考えると何だか恥ずかしくなってきた。感情のささくれに振り回されるなんてそんなバカみたいなこと……。うう……。

 

 私はバレぬようにそっぽを向いて頬杖をつき、頬を赤く染めながら頬の火照りを冷まそうと努めるのであった。

*1
謎に周辺人物の好感度が高かったり、お前はエロゲ主人公かよとツッコミたくなる。

*2
前世の記憶を取り戻した今となってはどうでもよい……、どうでもよいはずだが、香苗はBよりのAだと必死に言い訳をしていた記憶がある。必死過ぎ乙。Aだって『無』では無いのだぞ。

*3
買い物のメモとか、直近の予定のメモとか。

*4
──別にいいんじゃないか? 人目を気にする必要はない。ここには、希海と私しかいない。それに、希海だってきっと受け入れてくれるさ。なんせ、希海は私に恋をしているのだから……。(希望的観測)



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安全だと言われて安全だった試しはない

 実地演習とは、学園の所有している魔巣窟、通称管理窟に潜り学園側で安全性を確保した上で魔物と戦うと言うものだ。

 

 私達は、今まさにその実地演習の最中だった。

 オリエンテーションである一限目は、魔巣窟の成り立ちと性質についての説明に注意点の解説と言った内容だった。そして二限目からは実際に魔具(ガントレッド)を使用した聖装(セイクレッド)の力を引き出した際の感覚を掴むための演習となる。

 ちなみに、私は当然ながら聖装に目覚めていない。聖装に目覚めるのは非常に少なくほんの一握り。5000人に1人の割合でしか覚醒することはなく、冒険家となりたい人間が集まるこの学校でも一学年に20人も聖装が目覚めれば良い方だ。

 そのため、ほとんどの生徒はその学生生活を自分の実力に見合った魔具を使用して終えることも少なくはない。柴宮希海のように入学前から聖装に目覚めている者は希少であり、この実地演習で新たに聖装に目覚めるなんて者もいる事だろう*1

 

 

「藤咲さん! 右側に二体来ている!」

「了解っ!!」

 

 

 私は、風森さんの言う通り右側から迫って来る魔物に向かって拳を振るう。魔物は、私の攻撃によって吹き飛ばされた。私は、そのまま振り返ると背後に迫っていたもう一体の魔物に回し蹴りをお見舞いしてやる。

 硬っ! 足痛い! 

 

 

「痛っ……! 硬いし速いとか反則……」

 

 

 私が愚痴っている間にも、魔物はこちらに攻撃を仕掛けてくる。私は、それをバックステップで回避すると距離を詰めて来た魔物に対して掌底打ちを放った。

 ドンッ!! 衝撃音と共に魔物が後方に弾き飛び、光となって消え去ってしまう。それと同時に物凄い倦怠感が私を襲う。

 

 

「う゛……。もうダメ……」

「何言ってるんです、まだ入口から2割の距離も踏破できてませんよ」

 

 

 平常時では絶対に出せないような威力の攻撃だったのだが、これが魔具の力だ。

 魔具とは装備するだけでもその人が持っているエネルギー、俗に魔力(エーテリアル)*2と呼ばれるものを消費し始め、魔具の性能に応じて聖装所持者と同等程度の力を得ることが出来る。一般人の私でもこれだけ動けるようになるのだから大変恐ろしいものだと思う。

 とは言え魔具には欠点がある。装備者が魔力切れを起こしてしまえばそこでお終いになってしまう。そのため、聖装を持たない一般人が魔具を使用する際は使用後に魔力を回復させる効果のある薬を飲んだり、もしくは休息を取る必要がある。

 

 しかし、例外というものはある。

 そう、それは聖装を発現させている人物のことだ。

 

 

「それにしても、柴宮さんは別の場所で研修だなんて難儀ですね……」

「まあ、妥当だと思う」

「藤咲さんは残念じゃないんですか?」

「のんちゃんのことは信頼してるし……」

「信頼、ですか……」

 

 

 既に聖装を発現させている人間は聖装の使用に魔力を消費しないことに加え、魔具を使用しても魔力の消費を著しく減少させることが出来るというのだ。これは一般には聖装の加護と言われている。

 ちなみに、これによって実地演習が簡単になりすぎてしまうという理由で希海は一人だけ2年生の授業に混ざることになってしまった。私と同じチームを組めないことを泣きながら悔しがっていたが、これはこれで希海と主人公の繋がりが生まれる可能性があるものとして期待している。

 希海には悪いと思っているが、希海の生存が最優先だ。

 

 それにしても泣く程私から離れたくないということには驚いた。そんなに友人から離れることが寂しかったのだろうか。後でうんと甘やかしてあげようとか考えてしまう。

 

 

「顔が緩んでますけど……」

「は、はぇっ!? な、何でも無いからね?!」

 

 

 私は慌てて表情を引き締めて真面目な顔を心掛ける。希海(推し)のことを考えているとついニヤケ面を晒してしまう。

 このままでは風森さんから頼りがいがない判定が下されてしまうかもしれない。流石に女の子からそのように思われるのは心外だ。できる限り気をつけたいものである。

 

 

「よし、意外と余裕あったから、頑張って進もう!」

「はい、魔物自体は先生方の方で生み出したダミーとのことなので命まで取られることはありませんが、万が一と言うこともあり得ますから油断しないでください」

「分かってるよ~」

「……説明を受けている時、眠りこけてたのは誰でしたっけ?」

「へ、へへへ……」

 

 私は、頭を掻きながら誤魔化す。この子怖いわぁ……。

 本当に眠かったんだよ?? 昨日は散々だった(東條タリアの本性を知ってしまった)*3朝は寝起きが最悪だ(妹が私のベッドで裸体を晒していた)し……。思い出したら悲しくなってきた。

 

 

「はぁ……、やべ、ため息止まんねぇ……」

「演習の結果は来年に響くんですから、頑張りましょう?」

「うん、わかってる……」

 

 

 私は、風森さんの言葉に生返事をする。

 正直に言って魔巣窟攻略はきつく感じてしまう。もしかすると体力不足とかそんなんじゃないのだろうか。

 私は借り物の槍型の魔具を支えにしながら一歩ずつ歩を進めていた。

 

 

「大丈夫ですか、藤咲さん?」

「だ、だいじょぶ、だよ……」

「無理は禁物です。一旦休憩を挟みましょう。藤咲さんは体力と言うより魔力が枯渇してます」

「ご、ごめんなさい……」

 

 

 私は肩で息をしながら風森さんに謝罪する。いやはや、情けない話である。

 

 

「魔力に余裕のある私が魔物を警戒します。藤咲さんはもう少し魔力を消費しないような動き方を考えておいてください」

「魔力を……?」

「……」

 

 

 ひぃっ、そんな非難するような目で見るのはやめておくんなまし! 仕方ないじゃん。疲れちゃって着い居眠りしちゃったのはさぁ! 

 

 

「藤咲さん。魔巣窟内での魔力は、魔具を使用する我々のスタミナにも直結するんです。だから、魔力の温存は必須ですよ。もし、魔具の魔力が切れてしまったらどうなると思いますか?」

 

 

 私は少し考える。

 魔具の魔力が切れたら? そりゃあ、セイクレッドヘイブンでは魔具や聖装の力を使用するためのEP(エーテリアルポイント)切れが起これば行動不能になる。

 行動不能は文字通り動くことが出来ないということである。そして、今の私のように動きが緩慢になって無抵抗になってしまうことと同意義。

 

 

「……動けなくなる」

「その通りです。そうなるともう魔物と戦うことはできません。逃げることもままならないでしょう。つまり、死ぬということです。だから、魔力の消費を抑えないといけないんですよ。わかりましたね?」

 

 

 こっくりと首を縦に振る。

 この世界はゲームでは無い。

 

 今の私の状態は体力が無くなったという訳ではなく、魔力切れによって併発された倦怠感なのだ。これが疲労なのか、魔力切れによる症状なのか分からないが、少なくとも今の状態で魔巣窟を探索するのは危険だということだけは理解できた。

 しかし、そうは言われても、魔巣窟探索はまだまだ序盤。ここでへばっていてはこの先やっていけないだろう。

 風森さんの言うとおりにここで一旦休憩をして、回復した状態で目的地を目指すべきなのだろう。

 ここは、風森さんの提案に従って魔具の魔力を節約しながら戦う方法を練習しておいた方がいいのかもしれない。原作に存在しない私が聖装を手に入れることが出来るという見込みは何処にも存在しない。

 悲しいけど、希望は持ちたくないものである……。

 

 とはいえどもこれから先、希海の隣に立ちたいと考えるのならば、聖装持ちの背中を追いかけたいと考えるならば。

 先程までのようなゲーム通りのEPを気にしない派手な戦い方は使えない。もう少し理性的に戦う必要があるだろう。

 

 つかの間の休憩は終わり、再び歩き始める。

 

 あの後、風森さんも休憩した方が良いのではないのかと提案してみたのだが時間が惜しいと返されてしまった。

 実際のところ、風森さんは本当に聖装の力を持っていないのかと疑問になる程に魔力の消費でバテていないし、初めての魔巣窟とは思えないほどに場慣れているようにも感じられる。一体何者なんだろうか。

 って、ヒロインの妹か。そりゃあ強いわ。

 確か風森家って冒険家の家系だったよな……。

 

 そんなことを考えているうちに、私と風守さんのチームはクラスの中でも比較的早い段階で指定されたチェックポイントを踏破することが出来た。

 道中、ダミーの魔物に遭遇することも何度かあったが、その度に風森さんが的確に対処してくれたおかげで戦闘時間は非常に短く済んだ。もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな? 

 このまま順調に行けば予定していた時刻よりも早く目的地に到着することが出来るかもしれない。順調なのは良いことだ。

 

 余裕過ぎたのか主人公達が二年生の時には一年の様子など描画すらされていないので早く終わって欲しいな、などと呑気なことを考え始めてしまう始末。そんな時だ。

 視界に何かが映り込んだような気がしたので立ち止まってみる。

 

 

「どうかしましたか?」

「いや、なんか、いま……」

「いま?」

 

 

 私が見たままのことを伝えようとしたのだが、変なことを口走ってしまうのでは無いのかと思い口を噤んでしまう。しかし、風森さんの真剣な瞳は言外に続きを促しているようで、少し自分の中で出来事を整理し、言葉を続ける。

 

 

「来た道の奥の方に人影みたいなものが見えたんだけど」

「人影ですか?」

「うん」

「……何も見えません」

 

 

 そう言って、目を細める彼女。

 

 

「ダミーの魔物以外はこの階層には出没しないはずですが……?」

 

 

 風森さんが不思議そうな顔をしている。

 確かに今の今まで何もいなかったはずの場所に何かが突然現れるなんてことはあるはずがない。

 きっと、私の勘違いだろう。

 

 

「ごめん。私の勘違いだと思うから気にしなくて大丈夫だよ」

「いえ、一応警戒しておきましょう。万が一と言うこともあります。これまで通り私が先行、藤咲さんが後方の警戒を続けていてください」

 

 

 そう言いながら彼女は腰に下げていた剣型の魔具に手をかける。私もそれに合わせて自分の魔具を構えて移動を再開する。しかし、結局その後には何も起こらずに私たちは無事に目的地へと到着することが出来た。

 道中、ダミーの魔物とは接触すれども人影の類は見かけなかった。やはり私の思い違いだったのだろう。

 

 到着した場所は広いホールとなっており、中央に祭壇のようなものが設置してある。どうやら此処が最終地点らしい。

 

 

「引率の先生、居ないね。他の班の人達も見当たらないし……」

「おかしいですね。いくつかの班は先に到着しているはずなのですが。念のため、周囲を確認してきます。少し待っていて下さい」

「分かった」

 

 

 そう言うと、風森さんは小走りで周囲を確認しに行った。彼女の姿が見えない間に、私は魔力の回復に専念しておくことにした。正直に言ってあまりいい予感はしない。

 

 

「……結構、疲れた」

 

 

 聖装の魔力消費を節約しながら戦っていたとは言え、それでも身体に掛かる負担は少なくはない。

 それに、戦闘中に余計な考え事をしてしまう癖も治さなければ。戦闘中なのに意識が散漫になってしまえば命取りになってしまう。今度からはもっと集中して戦うことにしよう。

 

 

「風森さん、遅い……」

 

 

 周囲を確認してくると言っていたのだが、それっきり戻ってこないので心配になってきた。何かあったんじゃないだろうか。

 

 

「…………」

 

 

 ふと、周囲に目を向けると何やら違和感を覚えた。

 それはまるで、空間そのものが歪んでいるかのような感覚。

 

 

「何、これ……」

 

 

 目の前に広がっている光景は間違いなく現実のものであるはずだ。しかし、何処か現実離れしたように感じてしまった。

 そして、意識が弾けるような錯覚に陥る。次の瞬間、周囲の景色が一変した。

 ついさっきまでは薄暗い洞窟のような場所だったはずなのだが、突然視界が開かれる。

 

 

「──―さん、藤咲さん!」

 

 

 急な環境の変化に目を白黒とさせていると、背後から風森さんの声が聞こえてきたので振り返る。するとそこには焦った表情を浮かべている彼女が立っていた。

 

 

「……ぁ、風森さん? 一体、これは……?」

「今はそれどころじゃありません! 早く逃げてください!」

「え? どういうこと?」

「いいから! 早くっ!!」

 

 

 切羽詰まった様子の彼女に腕を引かれるがままその場を移動する。一体、何が起こっていると言うのだろうか。私は先程まで目的地の空間にいたはずなのではないのか。

 そして、その疑問の答えはすぐに判明することになる。

 

 

「──―ッ!?」

 

 

 風森さんに押されるようにして姿勢を低くすると、突如として現れた巨大な魔物の姿に絶句する。

 先程まで私の頭があった場所を鋭い爪が通過していた。もしあのまま呆けていたままだったなら、と考えるだけでゾっとする。

 しかしなぜ、ダミーでは無い魔物が……? 

 

 

「下がっていてください。私が囮になります」

 

 

 そう言うや否や、風森さんが手に持っていた剣を振るう。振るわれた剣から放たれたのは風の刃。それは巨大狼の首元に直撃したように見えたが、魔物の体毛によって威力が減衰してしまったようだ。

 しかし、牽制としては十分だったようで、魔物はその一撃を受けて警戒するような視線を向けた。

 

 

「グルルルル……」

「くっ、ダメですか……」

 

 

 悔しそうな声を上げる風森さんだったが、彼女はすぐに気を取り直したかのように顔を上げた。

 

 

「藤咲さん、貴方だけでもこの場から離れてください」

「でも、風森さんは……」

「大丈夫です。私は負けません」

 

 

 力強く宣言する彼女であったが、私は素直に首を縦に振れなかった。しかし、だからと言って魔力の運用すらまともに出来ない私が残ったとしても足手まといになるのは明白だった。

 

 

「……分かった。だけど、危なくなったら絶対に逃げるんだよ」

「はい。心配してくれてありがとうございます。これでも冒険家の端くれですから」

 

 

 礼を言うべきなのは私だと言うのに。彼女は笑顔でそう言った後、私に背を向けるとそのまま駆け出した。その後ろ姿を見つめながら私は拳を強く握りしめる。情けない。こんな時ですら私は何もできないなんて。

 しかし、今は逃がしてくれた彼女の言葉を信じて行動するしかない。

 

 

「……よし」

 

 

 私は小さく息を吐くと、周囲を確認する。周囲には誰もいない。どうやら上手く逃げられたみたいだ。

 しかし、このまま此処にいるのはまずい。風森さんがあの魔物を引き付けてくれているうちに、少しでも遠くへ逃げないと。

 逃げる、何処に? 

 

 そもそも、ここはどこなのか。先程も現れたのは学園側が用意していたダミーの魔物ではなく本物の魔物。あれは明らかにダンジョン内の環境に適応した魔物だったと思う。

 それに、周囲の風景だっておかしい。ダンジョンの中だというのに、目の前には広大な草原が広がっているのだ。明らかに普通ではない。

 もしかすると、これは夢なのかもしれない。そうだとしたら随分とリアルな夢だと言わざるを得ないが……。そんなことを考えていると、突然、背後から何かが近づいてくる気配を感じた。慌てて振り返ると、そこにいたのは大きな猪のような魔物。いや、よく見ると少し違う。その魔物からは、今までに感じたことのないような威圧感を感じる。

 おそらく、これが本来のダンジョンに生息する魔物なんだろう。

 

 ──逃げられない。

 

 直感的に理解した。

 目の前の魔物は私を逃がすつもりなど無いらしい。完全にロックオンされているのが分かる。

 恐怖に体が震える。それでも、必死に思考を回転させる。

 

 然し、相手は考える隙を与えるつもりは無いらしく、即座に突進を仕掛けてきた。

 咄嵯の判断として魔具で受け止めようとするも魔物の牙によって、それは容易に弾き飛ばされる。体勢が崩れたことで回避行動に移ることも出来ず、ただ呆然と立ち尽くす。

 次の瞬間、視界一杯に広がったのは鋭く長い牙であった。迫り来る死を前にして、私の脳裏に浮かんだのは驚異に立ち向かう一人の少女の後ろ姿だった。

 

 ──助けて欲しい。

 

 心の底から願ったとしても、その願いが叶うことは無く、無慈悲にもその牙が振り下ろされる。

 

 ──はずだった。

 しかし、いつまで経ってもその痛みが訪れることは無かった。恐る恐る目を開くと、そこには魔物の姿は無かった。

 そして、その代わりに立っていたのは一人の少女。風に靡くアッシュグレーの髪が太陽の光を反射して輝いている。

 その姿に見惚れてしまった私は、無意識のうちに愛称を口にする。

 

 

「……のんちゃん」

 

 

 柴宮希海。私の推しであり親友の少女がそこに居た。

*1
主人公とヒロインズがその最たる例と言える。ただ、あの演習では事故で魔巣窟の構造変化に巻き込まれ孤立してしまい、危機的状況に陥ったことが原因なのだ。よって、最初の演習程度では聖装が目覚めるなんて夢のまた夢である、ということだ。

*2
この世界の人類が生まれ持つ力のひとつ。保有量は個人差があるが基本的にはその総量に大差は無いらしいが、鍛えて伸びる成長限界は格差が激しいとも聞く。

*3
実はメインヒロインの中で言えば東條タリアが最推しだった前世の俺君見てる〜?w あはは……、血涙流して解釈違い起こしてるわ……。うぅ……ぅうぅ……。



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表裏一体なものたち

 

 希海は左手に持っていた盾型の魔具(ガントレッド)で魔物の牙を弾いて隙を作る。希海は僅かな時間を逃すことはなく、膝を魔物の顎へと叩き込んで見せる。

 その後に魔物の攻撃を凌いだ後、大きく私の元まで跳躍し後退。そしてこちらに視線を向けることなく告げた。

 

 

「香苗ちゃんは私が必ず守るから」

「……うん」

 

 

 力強い宣言と共に、彼女は再び前へと向き直り、そのまま魔物に向かって駆け出していく。その後ろ姿を見ていると、不思議と力が湧いてくる。

 推しからの言葉だからなのだろうか? それもあるのかもしれないが、それだけではない気がした。今の私は、彼女に守られている。だから、安心できる。それが理由なのだと思う。私はゆっくりと立ち上がろうと試みたが、腰が抜けてしまっていたようで上手く立ち上がることが出来なかった。情けない話だが仕方ない。あんなものを見せられてしまえば大抵の人はそうなってしまうはずだ。

 

 そんな私を他所に、希海と魔物の戦いは早くも決着を迎えようとしている。希海が利き手に持っている剣型の魔具を振るうと、その一撃を受けた魔物の身体に大きな亀裂が入り、粉々になって崩れ落ちていく。

 

 

「凄い……」

 

 

 思わず感嘆の声が漏れる。

 これが本当の戦闘。ARPGとして簡略化されていたゲームでは見ることの出来なかった光景*1。それを今、実際に目にしているのだ。

 やがて、魔物が完全に消滅したのを確認した希海が戻ってくる。

 

 

「……本当に、間に合ってよかった」

 

 

 そう呟いた彼女の表情も安堵に満ちていた。よく見ると希海には傷こそないが、全身が汗でぐっしょりと濡れている事が分かる。

 それほどまでに急いで駆けつけてくれたのだろう。そう思うと、嬉しさが込み上げてきて自然と笑みがこぼれる。それが不謹慎なことぐらい分かっているが、それだけ嬉しかった。

 

 しかし、私の笑みは直ぐに凍りつく。

 まだ終わっていない。

 

 ()()()が助かっても意味は無い。

 

 

「その、……のんちゃん。む、向こうで風森さんが。私を逃がして、囮になって……。早く、早く助けに行かないと!」

 

 

 つい希海に詰め寄りながら捲くし立てるように言う。今は悠長にしている暇は無い。すぐにでも助けにいかなければ、取り返しのつかないことになってしまうのではないか。焦燥感に襲われ、思考がまとまらない。

 しかし、取り乱す私を目の前にしても希海は冷静さを失っていなかった。彼女は私の肩を掴み力強く言い聞かせるように言葉を紡いでいく。

 

 

「落ち着いて、香苗ちゃん。まずは、この場から離れないと」

「でも、そうしたら風森さんは……!?」

 

 

 このままでは間違いなく風森紀々は死ぬ。あのようにして人の手で量産できるようなレベルの低い魔具でやれる事などたかが知れている。いくら彼女が冒険家を輩出する家系だと言っても限度があると言うもの。

 無事である保証はどこにもない。保証なんて言葉はとうの昔に破り捨てられているのだ。

 

 だが、熱くなる私とは対照的に希海は真剣な眼差しでこちらを見つめる。両頬に添えられたひんやりとした希海の手の平は私の熱を奪い去っていく。

 

 

「大丈夫」

 

 

 そう言って微笑む希海。

 それは根拠のない励ましだった。しかし、彼女なら何とかしてくれる。そう思わせるだけの何かが、柴宮希海と言う少女にはあった。

 

 希海の魅惑的な言葉に耳を傾けていると、唐突に知らない声が響く。

 

 

「柴宮さん……、は、速すぎる……! もう少しこっちのことを考えてくれ……」

 

「思っていたより遅かったですね、先輩方。歩調を合わせていれば救助が間に合いませんでしたから、ご容赦を」

 

 

 希海の視線の先を辿ると、そこには男子二名、女子二名の合計で四人の程の上級生が居た。彼らは制服の襟に2年生であることを示す赤い記章を身につけており、私よりも一年は長くこの学園に所属しているということが分かる。

 そして彼らの手にはそれぞれが学園からの配給品とは思えない魔具を携えている。もしかすると彼らは希海と同じ班に割り当てられた生徒なのだろう。

 息も絶え絶えといった様子の彼らに向かって希海が続けて言う。

 

 

「そちらの彼女をキャンプの方までお願いします。私はこれから格好つけて逃げ遅れた同級生の救助に向かいますので」

「ちょっと、待って……!?」

 

 

 そう告げると希海は風森紀々の倒れている方向へと駆けていく。私を助けた時と同様に希海の姿はすぐに見えなくなった。

 私を含めて残された五人は希海の姿を唖然とした表情で見送る。

 

 

「よ、ようやく追いついたのに……」

「聖装持ちは違うね~……」

 

 

 リーダーと思しき男子生徒の呆れたような言葉に続いて、手元の弓を抱き抱えながら二年生の女子生徒が呆然とした様子で呟く。その言葉からは疲労困憊といった様子が見て取れた。

 

 

「えっと……、無事かい?」

 

 

 希海を見送ってしばしの間を空けてリーダーっぽい男子生徒の一人が話しかけてくる。

 どう答えたらいいのか分からず、少しぎこちない返答しか出来なかったのだが、そんな私の様子を察してか気さくそうな雰囲気を持ったもう一人の男子生徒が口を挟んだ。

 

 

「君、一年生だよな。いきなりこんなことに巻き込まれちゃったけど、もう安心しなよ。俺らもついこの間は似たようなものだったんだから」

「昨年をついこの間と申すか」

「細かいことはいいだろ。一年も一週間も変わんねえよ」

「そんなわけないじゃん……」

 

 同じ班の女子生徒のツッコミに気さくな男子生徒の顔は笑ってはいたものの、緊張のせいなのか額にうっすらと汗を浮かべていた。彼はそれをハンカチで拭いながら話を続ける。

 昨年と言えば主人公達が巻き込まれた事故のことなのだろう。

 

 

「まあ、今はこうして無事に帰れる目処がついたんだ。喜んでもいいはずだろ? これも皆が昨年のことを糧に必死に救助活動をしているおかげさ」

「……前回は助けられる側だったけど、今回は僕達の番だ。君は責任を持って安全な場所まで連れて行くよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 私が素直に頭を下げると、先輩達は優しく微笑んでくれた。

 

 

「良いんだよ。さっきは後輩が全部持っていっちゃったから今度は俺達が守るぜ、なんて格好つけるわけじゃないんだけどさ。それでも、これくらいはしないとな」

 

 

 そう言って先頭に立って歩き始める男子生徒。彼らの先導の元、私たちは学園への帰路についていくこととなる。ふと、希海が去って行った方向を眺めていると、隣を歩く女子生徒が話しかけてきた。

 

 

「柴宮さんのこと、心配?」

「……ぇ、いや、そんなんじゃ」

 

 

 私は一瞬何を言われたのか分からなかったのだが、彼女の言葉で何を指しているのかを理解する。確かに、彼女が言葉少なく去っていったことを考えると心がざわついて仕方がなかった。

 だが、それと同時に胸の中に湧き上がってくる感情がある。それは、彼女に頼りきりになる自分の不甲斐なさに対する怒りでもあった。

 

 己は名も無いキャラクターであり、主人公ではないということを改めて突きつけられたかのようで無性に腹が立つ。だが同時に心のどこかではそれが当たり前だと当然のように理解している自分がいるのだ。

 今もこうして災難から逃れられた事を喜ぶ自分がいるし、彼女に対しての劣等感のようなものも拭えずにいる。

 

 今は親友であり、推しであるはずの希海を思う度に心がチクチクとするような痛みを。自分は一体どうしてしまったのだろうか。

 

 どうすればこの気持ちが収まるのだろうか。

 分からない。分かるはずもない。ただ、そんな自分に対して苛立ちを覚えてしまう。

 

 

「柴宮さんならきっと大丈夫だよ」

 

 

 わかっている、そんなこと。希海は強い。私の知っている誰よりも。でも、もしも万が一と言うことがあったら……。

 そう考えると心臓が締め付けられるような感覚が襲ってくる。

 

 希海のことは大事なことには変わりは無い。だったら、この痛みは何なのか。

 

 分からない。

 

 

「おいおい、初対面で嫌われてるんじゃねえよ」

「え!? 私何か変なことした? 悪かったら謝るから!」

「あ、いや、ちが、違うんです! ちょっと考え事してて……」

 

 

 考え事に没頭しすぎて、先輩方の呼び掛けにも応答できていなかったらしい。もしかすると私のせいで空気が悪くなってしまったのかもしれない。

 慌てて謝罪すると目の前の女子生徒は安堵した表情を見せた。それから彼女は、少し照れくさそうな様子で語り出す。

 

 

「そうだったんだ。それじゃあ私のこと嫌いになったとかじゃ……」

「ないですないです! そんな些細なことで嫌いになったりはしないです!」

「ってことは、なんかあったってことか?」

「え、ウソ!?」

「だから、ないですって!」

 

「おいお前ら、魔物が寄ってくるかもしれないだろ!」

「お願いだから時と場合を弁えて!」

 

 

 先行して移動する先輩二名のお叱りを受けて私達は揃いも揃って縮こまってしまう。

 しかしそれからは、先程までの緊張が解けたのか二人は私に気さくに話しかけてくるようになっていた。

 私も私で、あのままでは思考のドツボにハマって抜け出せなくなっていたのかもしれない。正直な話、先輩方には感謝しかない。

 

 

「それにしても、入学早々大変な目に遭っちゃったね」

「はは……、本当ですよ。まさか、いきなり本物の魔物が現れる魔巣窟に飛ばされるなんて思ってもみませんでした」

「でも、こうして無事に保護できた。本当に良かったわ。あ、そうだ。自己紹介がまだだったよね。私は桐葉っていうの」

「俺は早坂だ。困ったときは遠慮なく頼ってくれよ」

「わ、私は藤咲香苗です」

「短い間だけれども宜しくね、藤咲さん」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 

 お互いに挨拶を交わしてからは、学園の事だったり冒険家の事だったりと雑談をおりまぜつつ、魔巣窟から無事に脱出を目指した。

 やがてたどり着いた臨時で組まれている仮設のキャンプでは阿鼻叫喚といった様相を呈しており、五体満足に魔巣窟から出ることのできなかった生徒も少なくなかったことが窺える。教師の指示に従って治療を受ける者や、怪我を負っていなくても精神的なショックでその場で座り込んでしまう者の姿も多く見受けられた。

 私は腕への小さな擦過傷や腰部への打撲程度で済んでいたので、比較的早くに解放され、今は他の無傷あるいは軽傷の生徒達と共にテント内で待機する事になっていた。

 一つ屋根の下に長く居れば他の生徒達の抱える不安や恐怖と言った感情か伝わってくるのは必然であり、私自身、未だに心のどこかに拭いきれないモヤつきのようなものを抱えていたのが再び顔を覗かせる。しかし、その度に私を助けてくれた希海の笑顔を思い浮かべて心を落ち着かせ、どうにか平静を保つ。

 そうして過ごしていると、いつの間にか時間は過ぎ去っていき、ようやく先生らしき大人がテントに入ってくることとなる。

 

 

「只今、全員の救助が確認された。幸い、死亡者はいなかったが、重傷者は十数名に及ぶ。

 現在、教員と上級生が手分けをして救護にあたっている。だが、まだ安心はできない。引き続き、君達はここで待機するように。

 

 それと、この後のことについて学園側から指示があると思うが、しばらくこのテント内で待っていてくれ」

 

 

 それだけを言い残し、見知らぬ顔の先生は足早にその場を後にしてしまう。残された生徒達は何とも言えない空気に包まれる。それは、安堵半分、これからの未来に対する不安が半分といったところだろう。

 原作知識を持つ私とて似たようなものだ。一年生の実地演習がこのようにして二年生である天城総司の参加する授業に関わるなど思いもしていなかった。本来であればこのような大事件は起こることはなく、通常のダンジョンアタックとして、日常パートのARPG要素の一つで流されるはず。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 果たしてこの世界はどこまで私の知る『セイクレッドヘイブン』の世界と同じなのか。そして、今後どういった展開になるのか。

 その未来に対して出来ることがあればと、私は祈る――――。

*1
平面的な俯瞰視点に派手なエフェクトのものが比較対象となる。どちらが迫力あるかと聞かれるならば、結果は言わずもがな。




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閑話・ちっぽけな嫉みと弱虫

(ちょっとだけ、調子に乗りすぎたかな……)

 

 

 風森紀々はこれからどうするべきなのかと考えを巡らせている。香苗の逃亡を助力したのはいいものの、あそこまで派手に動く必要はなかったのかもしれない。よく考えてみれば香苗が逃げ切れるようサポートしながらの随伴だけでも良かったはずだった。

 だが、あのまま紀々が囮となって魔物を引き離さなければ、香苗は数分も耐えきれずに魔力切れで魔物の餌にされていたことだろう。

 守り切れるような技量もない紀々にはベターな選択だった。……はずだ。

 

 もっといい方法はあったかもしれない。だがよりよい方法を考えようにも既に後の祭りである。今の紀々には自分を正当化するしか道は残されていなかった。

 

 

(道中、他の魔物と会わなかったの良かったけれど……。香苗さんは無事、かな)

 

 

 自分の行動は正しかったはず。他に道はなかった。

 同じ状況になったなら、きっと彼も同じように動いたはず。

 

 

(……このまま、魔物が追跡をやめてくれればいいんですが)

 

 

 香苗を逃がしてからすでに10分程度が経過しようとしている。正面を切ってまともに戦っていれば多少魔力消費を抑えていたところで結果は見えていたはずだが、まさか幸いなことに草原の一角に林を見つけることが出来たのだ。

 今は紀々を探し続ける追跡者を何とか引き剥がすために木々が生い茂った奥へ入り込み、身を潜めている。もちろん、魔物の視界からも隠れるようにだ。

 しかし、相手は短時間でこちらの位置を突き止めて追い掛けてきているため、ここで上手く隠れたところで時間稼ぎにもならない。いずれここを突き止められるであろうことは目に見えていた。

 

 

(あの人みたいに、聖装(セイクレッド)に目覚められていられれば……!)

 

 

 窮地に追い込まれ、つい考えてしまったことが自分に見え隠れしていた感情の正体だと気付くまでに数秒ほど掛かった。

 紀々には香苗を助けたいという気持ちがあった。しかし、その裏には危機的状況に陥れば姉がそうなったように聖装を目覚めさせることが出来るのでは? という期待。いや、打算もあったのだろう。

 それが先ほどの一瞬だけ浮かんだ感情だったのだろうと今更ながらに自覚した。

 

 香苗の弱さを盾にして自分を犠牲にすることを正当化しようとしている。香苗を逃がした? たった一人で逃がしたところでどうなってしまう? 魔物に見つかってしまえば戦闘能力の低い香苗はまともな抵抗も出来ずに死んでしまうのが関の山だ。

 なぜ、そんな事にも気が付かなかったのか。

 なんて醜いのか。

 なんて汚らわしいのか。

 考えれば考えるほどに紀々は自分自身が許せなくなる。

 

 危機的状況というものはいつでも視野を狭くする。物事の善し悪しでもない、追いかけて来る魔物でもない。

 

 自分のエゴのために香苗を利用したという事実だけが紀々を追い詰めていた。

 

 

 ズシン、ズシン、と。

 

 

「ッ……!」

 

 

 重い音が響いたことで紀々は自分の思考が途切れたことを知る。同時に心臓が大きく跳ねたような錯覚を覚えた。音は徐々に近付いてくる。

 足音からして1体だろうか。

 

 追跡者(ケモノ)のものでは無い。これは、明らかに二足歩行するナニカによる足音だ。

 近づいてきたその音は一瞬止まる。

 

 

「ヴャゥッ……!」

 

 

 次の瞬間、狼に似た声が聞こえたかと思うと何かが木々にぶつかり、グシャリと潰されてしまう音がした。反射的に身構えてしまう。

 何が起きたのか。それは確認するまでもない。強い魔物がより強力な魔物に襲われた。それだけだ。

 

 冒険家として活躍していた両親から教えられたことのあるように、人の命が容易に奪われることなど魔巣窟ではよくある話。

 家族に冒険家への憧れを語る度にどれだけ聞かされたことだろうか。紀々は数えたことなど一度もなかった。

 

 

「……!」

 

 

 恐怖で喉の奥が引き攣りそうになる。身体も震えていた。手持ちの訓練用の魔具では太刀打ちできるだろうか。そもそも、おもちゃにも等しいもので、抵抗などできるものだろうか。

 

 不安が掻き立てられる間にも魔物の足音は止まらない。

 

 心臓が打ち鳴らす音も周囲の音を打ち消していまいそうな程にやけに煩い。

 ゆっくりとだが、音は確実に。着実に迫ってきている。

 

 紀々は息を殺すが、あらゆるものが煩く思える。

 そんな中でも必死に音を漏らさないようにする。

 

 少しでも気を抜いてしまえば、呼吸を荒くしてしまえば今にでも気付かれてしまいそう。そして、背後にはすぐ傍まで迫っている死の気配。

 それなのに、とても静かになってしまう。あれ程うるさかったのに、何も聞こえなくなる。

 まるで時間が止まったかのように。

 

 否、時が流れている感覚そのものが感じられない。

 紀々にとっての唯一の救いはこの場に誰もいないということだけだった。だから紀々がこの場でできることはただ一つ。

 風森紀々の後ろにいる存在が、通り過ぎて行くことを祈るだけ。

 

 そして。音は――――。

 

 

(離れて、行く……?)

 

 

 遠ざかっていく。

 紀々にはそれが分かった。

 

 振り返ることなど出来ない。振り向いて姿を確認する勇気もなかった。

 音を立てないように、紀々の体はただただ震えるのみ

 

 ホッとすると同時に、まだ生きていることへの安堵と、両親のような格好いい冒険家に憧れを抱いていたはずなのに、自分は何も出来なかった不甲斐なさがこみ上げてきた。

 

 

「ぁ、ぅあ……」

 

 

 涙が溢れ出てくる。

 まだ安全が確保出来た訳では無い。だが、助かったことで気が緩んでしまったのかもしれない。

 それに、紀々は今こうして泣いている場合ではないのだ。この事態を招いたのは紛れもなく自分であり、責任を取らなければならないと自覚している。

 

 

「ふぐっ、うぇ、ひっく」

 

 

 嗚咽が漏れ出てしまう。

 情けない。紀々はすぐにでも泣き止むべきだというのにそれがなかなか上手くいかない。

 

 

「……紀々ちゃん、だよね?」

「あな、たは……」

 

 

 草を掻き分ける音、そして声が聞こえる。

 それは優しそうな女性の声。少なくともあの場から逃げ出した香苗では無い。

 

 見覚えのあるような明るい灰のような髪の色をしたその女子生徒が覗き込むように紀々のことを見ていた。

 視界が霞んでいてはっきりと見えなかったが、その表情は紀々を心配しているように思えた。

 

 

「ほら、立てる? 手、貸すよ?」

 

 

 紀々は涙を拭って手を差し出した少女の顔を見る。

 助けに来てくれたのは同じクラスの少女、そして第一学年では唯一聖装を発現させていることで有名な人物。柴宮希海だった。

 紀々と同じチームを組んでいた香苗とかなり仲がいいようではあったものの、紀々とはそこまで接点はなかった。少なくとも紀々自身も希海とは積極的に仲を深めようなどと思ったこともなかった。

 

 そもそも、香苗とチームを組んだことだってあわよくば希海が聖装を発現させた状況を聞いてヒントを盗むことが出来れば良かった。

 

 

「もう大丈夫だよ、紀々ちゃん。後は私に任せて」

 

 

 紀々の手を取りながら希海がそう言った。目の前の人物が聖装を持っている事を知っているからか、力強く思える言葉だった。

 紀々は希海が触れた手を振り払うと一人で立ち上がって気休め程度に制服に付いた泥を払う。そして、すぐに自己嫌悪に苛まれる。

 

 

(何を今更、嫉妬なんか……)

 

 

 紀々はそう思いながらも目の前に立つクラスメイトを見る。希海は優しく微笑みかけてくれた。

 その笑顔を見ているだけで紀々の胸の奥底に沈んでいた不安感とか恐怖心が和らいでいくのが分かる。

 

 きっとそういった人柄というか、雰囲気が香苗とどこか似ているせいなのだろうかと紀々は思う。だからこそ希海は香苗と仲が良いんだろうなとも思った。

 

 

「……藤咲さんは?」

「香苗ちゃんなら私が助けたから、安心していいからね」

 

 

 香苗が助かっている。その報告は紀々を安心させるのに十分な要素だった。それだけでも自分が囮になった価値はあるし、危険な目に遭った事を気にしなくても良くなる。それに、一人で投げ出したなどという罪悪感から開放されたのだ。

 

 

「……ありがとう、ございます」

「ううん、気にしないで。私の方だって香苗ちゃんを守ってくれてありがとう、なんだよ?」

「そんなこと……」

 

 

 ない。と言いかけて紀々はその言葉を呑み込んだ。"ない"と言う返答は決して謙遜ではなかった。

 こうして自分も香苗も助かっている事は結果論に過ぎない。

 

 だが、その二文字を口にしてしまえば何かが終わってしまうような気がしたのだ。

 

 

「だから、ありがとう。紀々ちゃん」

「……」

 

 

 紀々は大人しく希海からの謝意を受け取ることにした。小さな反抗心か、声には出すことは無かったが小さく頷いて返事とした。それを見た希海は嬉しそうな顔をしていた。それは香苗を助けることが出来たからなのか、それとも直接紀々にお礼を言うことが出来たからなのか。それは分からないがとにかく嬉しそうだ。

 

 

(私って、弱いな)

 

 

 イレギュラーな状況に立ち向かっても尚笑顔をこぼす希海の姿を見て紀々は自分の弱さを痛感する。

 自分の身を守ることは出来てもチームメイトを救うことが出来なかった。

 だから、切り捨てた。その事が私の後ろ髪を引く。

 

 

「どうしたの? ほら、安全な場所まで送るんだから。もっと笑顔になって」

「……うん」

 

 

 紀々は無理矢理に笑みを浮かべる。ぎこちなさは否めない。

 

 それでも柴宮希海は満足してくれたのならば紀々はそれでよいと思った。



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曖昧模糊(あいまいもこ)とラバーダッキング

 

 ―――あれから1時間が経過しようとしていた。私たちは魔巣窟内の草原に設けられたキャンプに動きは一切なく、魔巣窟外での時刻は既に18時を回っている。

 なぜ私たちが魔巣窟から出られなくなっているのか、どうして私たちだけが取り残されているのかはこのテント内に居る生徒には「安全性の確保」と暈して伝えられている。だが、そういった理由には心当たりがあった。

 

 徘徊者の発生(ワンダリング)。それがこの現状を作り出している原因に違いなかった。

 

 ワンダリングはその名前だけでは分かりづらいが、魔巣窟の一つの階層にのみ影響を及ぼすあまり良くない現象(バッドイベント)だ。

 徘徊と言うだけあって通常は特定の部屋にて待機しているはずの階層主(フロアボス)徘徊者(ワンダラー)となってランダムで部屋の外へのフィールドへと出現してしまう*1

 

 もちろん、ランダムと言ってもその確率は低いはずなのだが、今回ばかりは運がなかったということなのだろう。恐らく教師陣はこの現象について把握しているはずだろうし、一年生にこのことを伝えないのは余計な混乱を広げたくないのだろう。先生方が対処できる範囲内ならば放っておいても良い問題なのだろうが、待機時間がこうして長時間に及んでいることから只事では無いのだろう。それにしても厄介なことに巻き込まれてしまった。

 

 

「藤咲さん!」

 

 

 そんな折、重苦しい空気の流れるテント内に風森さんの声が響いた。制服はボロボロであり、身体にも傷跡が見られ、疲労感も色濃く残っているのが分かる。

 しかし、風森さんの表情からはどこか強い意志が感じられた。

 

 

「風森さん、大丈夫?」

「はい、私は平気です。それより、藤咲さんこそ怪我はありませんか?」

 

 

 そう言いながら彼女はこちらに駆け寄って来た。そして私の体を見つめて心配そうに眉根を寄せていた。

 

 

「うん。私の方はなんともないよ」

「そうですか。良かった……」

 

 

 私が適当なポーズでアピールしていると風森さんの顔に安堵の色が広がって行くのが分かった。

 サブヒロインの彼女がここまで私を心配してくれるのは正直言って嬉しい。愉悦。だが、それと同時に申し訳なく思う。

 風森紀々は真面目な性格をしている子だ。クラス委員長を務めていることもあり責任感が強い。だから、きっと自分が逃がしたせいで危険な目に合わせてしまっているのではないかと思ってしまったのかもしれない。*2

 風森さんの責任じゃないのに。

 

 

「のんちゃんは? 今どこにいるの?」

「しば……、希海さんはいま別のテントで休んでいます」

 

 

 そう言う彼女の顔色は悪い。無理もない。命からがら逃げてきたのだ。精神的なダメージは大きいだろう。

 

 

「そっか。じゃあ、ちょっと様子を見れるか先生に聞いてくる」

「いえ、今はやめた方が良いと思います」

 

 

 立ち上がろうとする私を風森さんが止める。彼女の瞳は真剣そのものだった。

 

 

「……どうして?」

「彼女は、今は救助活動で疲れて休んでいますので」

「……わかった。ありがとう。教えてくれて」

 

 

 そう言って私は再び腰を下ろした。

 

 

「ええと……、今から時間もかからず、魔巣窟から出られると思います。だから安心してください」

 

 

 風森さんは多分私に向けて言ったつもりだったのだろうが、その言葉に周囲の同級生がざわつき出す。

 まぁ、当然だろう。彼らにとっては不本意ながらも、ここは初めての実戦の場なのだ。私だって怖かったのだ。みんな怖かったに決まっている。風森さんの言葉にクラスメイト達が沸き立つ。中には喜びのあまり泣き出している者もいた程だ。

 風森さんはというとその様子を苦笑いを浮かべて眺めていた。さすがに周囲がここまで反応するとは思ってもいなかったのだろう。

 

 そんなことを考えていると、間もなくテントに教師の一人が入ってきて言う。

 

 

「皆さんのいる場所のすぐ正面にある巨大な門が出入口です。そこから帰還できますので落ち着いて外に出てください」

 

 

 放送が終わると同時に生徒達の間から歓声が上がる。

 無理もない。みんな不安だったのだ。助かると分かった途端に気が抜けてしまうのも仕方のない話だろう。そんな様子に思わず苦笑してしまう。

 

 その後は正に瞬く間としか表現できないような速さで準備が行われ、あっと言う間に全員分のテントが撤収される。

 そして教師達の先導の元、私達は学園まで帰ることが出来た*3

 

 本日の件についての事後処理については後日、学園を通して行われるらしい*4

 

 

「本日は一旦解散となります。帰ってゆっくり休むように。明日は念の為一年生全員が休みになりますが、明後日からはいつも通りの時制となります」

 

 

 そう言って担任の教師が教室から出て行くと同時にクラスの中は喧騒に包まれる。やはり今回の出来事は彼らにもかなりの衝撃を与えたようだ。早くも学園を辞めたいだとかそういった話がチラホラと出始めているようだ。

 私も席を立ちあがり、荷物を持って帰ろうとする。

 

 希海の姿が最後まで見えなかったのは気になるが、担任も全員帰還したことを伝えていたし、大事に至っていることは無いはずだ。

 

 

「あ、あの、藤咲さん!」

 

 

 突然声をかけられ振り返るとそこには風森さんの姿があった。ボロボロだった制服からは学園支給のジャージに着替えており、心做しか顔色もよくなっているように見える。

 

 

「どうしたの?」

「えっと……、その……、良かったら一緒に帰りませんか?」

「うん。いいよ」

 

 

 私は二つ返事で承諾する。断る理由もなかったからだ。こうして私と風森さんの二人は仲良く帰路につくことになった。

 道中ではお互いに気を遣って当たり障りのない会話をするに留まったのだが、それも長くは続かなかった。というのも風森さんが住んでいるアパートの近くに差し掛かった辺りで彼女はふと足を止めて言う。

 

 

「あの、ちょっと寄っていきませんか?」

 

 

 彼女の指差す先には小さな公園があり、そこにはベンチが設置されていた。特に予定もなかった私は彼女の提案に首を縦に振る。

 ベンチに腰掛けると少しだけ彼女との距離が縮まった気がした。何とも言えない緊張感が二人の間に漂っているのを感じる。何か言わなければと思って口を開こうとすると彼女の方が口を開いた。

 

 

「……あの、藤咲さんは転科か転学されたりするんですか? もし、そうなら申し訳ないなと……」

 

 

 風森さんは心配そうな表情を浮かべて言う。

 あのような出来事に巻き込まれ、命の危機にさらされたのだ。冒険家の家系である風森さんはまだしも、確かに今の状況を考えれば私がそのどちらかを選ぶ可能性が高いと思われても仕方ないだろう。

 だが、私はどちらも選ぶつもりもなかった。

 

 

「……そんなつもりは無いよ。風森さんは考えすぎじゃないかな」

 

 

 私は苦笑しながら答える。

 実際、ここを卒業したとして冒険家を本業にするつもりなど微塵もない。そもそも私に戦う力など無い。今日の実地演習では戦闘のセンスは人並みかそれ以下しか無いということを嫌という程思い知らされたのだ。

 それに冒険家として活動するにはそれなりに危険を伴う仕事である。今日だっていつ死んでいてもおかしくはなかった。

 だからって希海を助けたいという気持ちは変わっていない。

 

 

「ねえ、風森さん。希海ちゃんについて聞いてもいいかな? 無事、なんだよね?」

 

 

 私がそう問いかけると風森さんは小さく首肯した。

 

 

「……はい。希海さんは大怪我こそ負いましたが、東條先輩の治癒もあって問題はないはず、です」

「そっか。ありがとう、教えてくれて」

 

 

 彼女が嘘を言っているようには見えない。少なくとも希海ちゃんは生きているということだろう。

 ほっとしたのも束の間、風森さんはどこか気まずげに言った。

 

 

「私のせいで、希海さんは怪我を……。本当にごめんなさい!」

 

 

 それはきっと謝罪の言葉だったのだと思う。けれど、私にとってそれは理解不能なものにしか聞こえなかった。

 

 どうして謝るのかが分からないのでその言葉を受け入れるにも受け入れられない。

 

 

「なんで、風森さんが謝る必要があるの?」

 

 

 私の発した言葉に風森さんはビクリと肩を震わせる。

 

 

「えっ……?」

「話を聞かせて?」

 

 

 私が優しく諭すようにそう口にすると風森さんは困惑した様子を見せた。どうやら私の意図が伝わっていないようだ。

 私はさらに言葉を続けてゆっくりと話してみる。

 

 

「きっと、のんちゃんが風森さんを助けたんでしょ?」

「はい……」

「それなら私に謝る必要なんてないよ」

「いえ、でも、希海さんは藤咲さんの友人ですし、その怪我は私が引き起こしたことで……」

「違うよ。のんちゃんが自分の意思で助けに行ったんだよ。風森さんが責められる謂れはないと思う。のんちゃんが自分で決めたことなんだよ」

「でも! 私は、それを知っていて何も言わずに見て見ぬふりをして、嫉妬なんかして、私は……、最低な人間で……」

 

 

 俯く彼女の顔から涙が流れ落ちる。

 彼女は自分を許すことができないのかもしれない。だからこうして涙を流しているのだろうか。しかし私はそんな彼女を見てとても腹立たしく感じていた。

 なんだか、届かないものに手を伸ばすような姿勢が数時間前の私に重なって見えた気がしたのだ。

 

 風森さんは泣いている。

 だからこそ、私は心を落ち着けて口を開く。

 

 

「風森さん、そんな風に泣かないで。君は何も悪くない。むしろ、私は嬉しいんだ。のんちゃんが友達のために行動できたことがね」

 

 

 のんちゃんは風森さんを救うために怪我をした。けれど、風森さんはそのことに責任を感じている。自分が悪いと思っているのだ。

 風森さんが何かしらの原因を作りそれをのんちゃんが庇ったというのであれば確かにそうなのだろう。でも、そんなことではのんちゃんが報われない。のんちゃんが救おうとした人は自分のせいだと悔いて苦しんだなんて知ったら悲しむに決まっている。

 

 ならば、ここで私がすることは一つしかないだろう。

 

 

「ねぇ、風森さん。私からもお願いがあるんだけどいいかな?」

「……はい。なんでしょうか?」

「もし、良かったらだけどさ。ありがとうって言ってみない? それこそ、希海ちゃんにありがとうって」

「…………ありがとう、ですか? 私を助けてくれて、ありがとうって」

「うん。それだけできっと、のんちゃんも喜んでくれるはずだよ。きっと怪我の痛みを気にしないくらい元気になる。だって、のんちゃんは誰かが傷つくことを何よりも嫌う優しい子だから」

 

 

 自分でも予想していない程に口が動く、滑る、流れる。

 まるで予め台詞が用意されていてそれを読み上げるように口から言葉が出てくる。

 これは、本当に私の言葉なのだろうか。でも、言っていて嫌な気分では無かった。

 

 

「だから、のんちゃんにありがとうって伝えてあげて。それが、きっと一番の恩返しだよ」

 

 

 私はそう締め括るとニッコリと微笑んで見せた。すると、目の前にいる風森さんの顔からは憑き物が落ちたかのようにすっきりとした表情になった。

 と、思う。

 

 

「はい。分かりました。次に会えたら希海さんにきちんとお礼を言おうと思います」

「うん。じゃあ、私はこれで失礼するね」

 

 

 風森さんとの会話を終えた私は立ち上がる。キャンプで休んだとはいえ、まだ体が少しばかり怠く感じる。

 

 

「か、香苗さん!」

 

 

 風森さんから呼び止められたので足を止めて振り返る。

 

 

「なあに?」

「話を聞いてくれて、ありがとうございました」

「どういたしまして。これからも仲良くしてくれると嬉しいな。それじゃあ、また明後日学校で」

「はい!」

 

 

 そうして私は風森さんと別れて公園を後にする。

 

 自分の発言を思い返してみたのだが我ながら随分なことを言ったように思える。まぁ、後悔は無い。私は私なりの最善の道を選べたのではないかと思っている。

 

 

「柄にもないことやっちゃったかなー……」

 

 

 公園を出ると途端に恥ずかしさが込み上げてきた。

 しかし、それも今更の話だ。推しの為ならこのくらい。

 希海(推し)が風森さんからのお礼を聞いてはにかむ顔を思えばこの程度の長話など大したことはないだろう、なんて自分を納得させて帰路に着く。

 

 

「私もお礼、言わないとな」

 

 

 冷静になって思えばどの口で言ってるんだというような話だった。これを踏まえて見ればちょっと思い出すだけでも恥ずかしさがぶり返してくる。

 

 そういえばあのモヤモヤした気持ちは、どこ行ったんだろうか。

 私は妙なスッキリ感を胸に、家への帰り道を歩いた。

*1
しかし、悪影響とはいえレアドロップ率が上がったりとプレイヤー的には嬉しい

*2
実際に魔物に襲われて死にかけたが、奇跡的に希海が間に合ったので良いものとする。

*3
学園の所有している殆どの管理窟は学園の敷地内に存在しているため移動距離はそこまでではない。

*4
残念ながら長期間の休みになったりはしないらしい。良くも悪くも、こういったことが稀によくあるということなのだろう。



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似てるようで違う景色

 翌朝、目を覚ますと見慣れていないようで見慣れている自室の天井が視界に映る。相反する言葉が並列するのは不思議な感覚だ。

 それでも、これが日常になりつつあるのは間違いないだろう。日常にしては濃すぎるイベントが目白押しだったことには目を瞑るものとするのだが……。

 

 昨日、家に帰りついてからの記憶が無い。

 疲れ果てていたのか、最低限の事をしてベッドに直行したに違いない。たぶん。

 

 ベッドの上で上半身を起こして背伸びをする。昨日の疲労感はまだ体に残っていた。

 寝不足というわけではないのだけれど、やはり精神的な疲れが残っているようだ。時計を見るとまだ朝の7時前だった。普段の私はとっくに起きている時間なのだが、昨日の一件で学年全体が休みとなってしまったことを考えれば今日はもうこのまま二度寝してしまっても構わないとすら思えてしまう。しかし、そういう訳にもいかない。

 

 

「ふぁふ……」

 

 

 欠伸を一つ。それから、のそのそと起き上がってカーテンを開けると外はすっかり晴れていた。窓を開けると春を思わせる爽やかな風が部屋の中に吹き込んでくる。

 

 昨日の出来事が嘘のように空は澄み渡っていた。

 

 

 昨日は風森さんと別れ、自宅に帰った私は希海ちゃんにメッセージを送信していた。

 

『のんちゃん、大丈夫?』と、それだけ書いてメッセージを送ったのだが、すぐに既読が付いて返事が返ってきていた。

 

『うん、魔物に襲われてケガしちゃった。詳しくは言えないけど、大丈夫だよ』と、言う内容のもので、一週間程学校に顔を出せないと嘆いていたのを慰めておいた。

 

 いくら親友とはいえ、学園側に口止めされているのなら詳細を尋ねても恐らく教えてくれないだろう。

 何が起こったのか私は詳しいことは何も知らないが、希海が話さなくても大丈夫だと考えているのならわざわざ私が問い詰めるようなことでもない気がした。

 ただ、無事であることが分かっただけでも十分だ。

 

 予定はどうせ空いているだろうし、お見舞いに行ってあげれば喜んでくれるだろう。

 その後は他愛のない会話を続けてやり取りを終わらせたのだ。

 

 

 時は戻って、いつもよりやや遅い時間に目が覚めた私は眠気まなこを擦りながら洗面所に向かう。すると、そこには髪を濡らした結衣がいた。

 

 

「お姉ちゃん、おはよ」

「おはよう、結衣。朝風呂? 珍しいね」

「まあね」

 

 

 結衣は短く答えるとドライヤーを手に取り、熱風を髪に当て始めた。結衣は昔から長かった髪を今は肩甲骨辺りまで伸ばしている。だから、乾かすにしてもそれなりに時間がかかりそうだ。

 私は結衣の横に立って顔を洗い始める。結衣はチラリと私の顔を見てから「ねえ、お姉ちゃん」と声を掛けてきた。

 

 

「なあに?」

 

 

 私はタオルで顔を拭きつつ、結衣の言葉に耳を傾ける。

 

 

「冒険家って危ないんじゃないの……?」

 

 

 心配そうな声色で結衣は問いかけてくる。その表情には不安が滲んでいた。きっと学園から事故の連絡を受け、私が巻き込まれたと聞いたに違いない。実際に巻き込まれたので、そういった連絡はしっかり行き届いているはずだ。それでも止める訳ではなく、聞くに留めているのは私の選んだ道を尊重したいと考えているからなのだろうか。

 私はそんな結衣に安心させるように微笑んで答えた。

 

 

「大丈夫だよ。ちゃんと準備すれば危険は避けられるはずだから。それにいざとなった時の備えもあるし、無茶はしないから」

 

 結衣は「そうだけど……」と小さく呟くと浮かない顔のまま俯いてしまった。無理もないだろう。

 シスコンという訳では無いが姉として、家族としては妹のことが可愛くて仕方がないのだ。

 だから、もしも結衣に何かあれば私だって辛い気持ちになる。なら、シスコンを拗らせている結衣は私への気持ちはそれ以上のはずだ。

 それからしばらく洗面所には水の跳ねる音とドライヤーの音が響き続けていた。

 

 そして、ようやく顔を洗い終えた私は最低限のスキンケアを施し、歯磨きを済ませると誰もいないリビングへと移動する。キッチンに置かれた冷蔵庫を開けると中からは食材が姿を見せてくれた。

 

 

 今日の朝食はどうしようか。

 

 そう思い、結衣のお弁当のことを考えて冷凍食品をいくつかピックアップする。そしてその中から幾つかを取り出してレンジにセットしてスイッチを入れる。続けてトースターに二枚のパンをセットし2分程度の時間設定で焼き始める。

 冷食が出来たら残りの冷食と交換して再びレンジのスイッチを押す。

 

 結衣のお弁当のことを考えるも朝なのであまり手間のかかる手作りの料理は出来ないし、そもそもそこまでのやる気が起きないので適当に見繕うことにした。

 フライパンを用意して火にかけると油を引いて温める。フライパンが温まるまでに卵焼きを作るための卵液を作り、調味料を入れて味を付ける。それを温まったフライパンに流し入れて焼くだけ。そうして出来上がった卵焼きを皿に移していると、私の背後から何者かの視線を感じた。

 十中八九、結衣からのものだろう。

 

 

「……調理中のハグは危ないからね」

 

 

 振り返ることなく、背後にいるであろう結衣に注意を促す。

 

 

「う、分かってるよ……」

 

 

 拗ねたような声で返答がある。どうやら本当に抱き着こうとしていたらしい。

 私は思わず苦笑する。何とも困った妹だ。しかし、こうして甘えてくれるのは嬉しいことでもある。

 私は焼けたばかりの卵焼きの一部をお箸を使ってお皿に乗せるとテーブルに置いていたトースターから食パンを一枚取り出してバターを塗っていく。それから、その横にある電子ケトルでお湯を沸かし、紅茶のティーバッグを入れたマグカップにお湯を注いでいく。

 

 

「はい、結衣。紅茶でいいよね?」

「うん、ありがと」

 

 

 後ろを振り向くとそこには先ほどよりも幾分か元気になった様子の結衣がこちらの様子を伺っていた。

 

 

「……見てて楽しい?」

「うん」

 

 即答だった。それなら良いんだけど。

 私は再び背を向けると卵焼きとトーストをお盆に乗せてテーブルまで持っていく。

 結衣はソファーに座って待っていた。私はソファーの前に置いてある小さなテーブルにおぼんを置くと、その隣に腰を下ろす。

 

 

「結衣は今日、何時に学校に行く予定なの? 私は休みだからゆっくりするけど」

「私も休む」

「ダメ」

「チッ」

 

 

 キッパリと断る。そんなことをしたら母親から大目玉を食らうのは私なのだ。

 すると、案の定結衣は頬を膨らませながら抗議の声を上げる。私を恐怖に震え上がらせるデンジャラスな舌打ちは聞かなかったことにする。

 

 

「お姉ちゃんと一緒がいい」

「ワガママ言わないの」

「お姉ちゃんは私と離れたくないって思ってくれないの?」

 

 

 上目遣い気味に問いかけてくる結衣。あざといなぁ。可愛いけれど。

 

 

「もちろん離れたくはないけど、学校に行かないのはダメ。結衣はもうすぐ高校生なんだからしっかりしないと」

「むぅ……」

 

 

 結衣は不機嫌そうに口を尖らせる。その仕草も可愛くて思わず抱きしめてしまいそうになるが、そこはグッと堪える。我慢である。

 ここで私が鬼にならなければ誰がこの妹を矯正するというのか。

 

 

「ほら、そんなに拗ねないの。今度どこか遊びに連れて行ってあげるからさ」

「……!」

 

 

 私が言うと結衣はピクリと反応した。

 ふっ、チョロいな。

 心の中でニヤリと笑う。しかし、表情には出さない。

 結衣は表情こそ変えないが、その瞳はキラキラ輝いているように見えた。

 

 

「約束だからね! 忘れたら怒るからね!」

 

 そう言って詰め寄ってくる結衣に私は思わず気圧される。圧が強い。

 それにしても、ここまで感情を表に出すとは思わなかった。まあ、これくらいの年頃だとそういうものなのかも。

 私は微笑ましい気持ちになりながらも、結衣の頭を撫でる。

 

 

「はいはい、分かったから落ち着いて」

 

 

 結衣はその手を受け入れると目を細めて嬉しそうにする。

 それから少しの間、私の膝の上で甘えるように身体を預けてきたかと思うと、やがてゆっくりと立ち上がる。

 

 

「そろそろ行くね。朝ご飯ありがと。美味しかったよ」

「どういたしまして。気を付けて行ってらっしゃい」

「うん、行ってきます。お姉ちゃん」

 

 

 そう言い残すと結衣は玄関に向かって歩いて行った。

 その背中を見送ると私は食器を洗うためにキッチンへと向かう。蛇口から流れる水の音を聞きながら、フライパンや皿を洗っていく。

 洗い物を終えたとき、ちょうど時刻は8時半を回っていた。特にやることもないので、ソファーに寝転がるとテレビをつける。朝からニュース番組を流し見ながらボーっとする。しばらくそうしているうとに尿意を催したので、私はトイレへと向かった。

 

 用を足している最中にふと、私は思う。

 転生という形で男子会社員から女子高校生へジョブチェンジしたわけだが、こうして客観的に自分のことを見てみると本当に女になったんだな、と改めて実感する。

 藤咲香苗というセレヘブでも聞いたのことの無い名前の女子高校生なのだが、私は何故かそれが自分であると理解していた。藤沢香苗に前世の自分が『上書き』されたと言うよりも『インストール』されたという感覚に近いだろう。

 もちろん、最初こそ混乱したが今では段々と馴染み始めている。

 

 思い出せる範囲だけでも前世の記憶が藤咲香苗の人格形成に影響していたことは確かであり、この世界に生まれてから感じていた違和感の正体だったことは記憶に新しい。ただ、未だに分からないこともある。それは私自身の存在だ。

 どうして私がセレヘブに登場しないキャラクター、藤咲香苗に転生することになったのか。そして、セレヘブ本編と食い違う展開。考えれば考えるほど謎だ。

 私はそこまで思考を巡らせたところでトイレを出る。

 

 よく考えてみれば童貞だった私が、自分自身とはいえ女の子のトイレを見て何も感じないのは変じゃないだろうか。その疑問に辿り着くと、なんだか急に恥ずかしく思えてきた。私は顔が熱くなるのを感じてリビングに戻るなり、ソファーに倒れ込む。

 

 ……最悪だ。気付かなければ良かった。

 

 

「ああ、もう……」

 

 

 意味もなく声が出た。クッションに顔を押し付けて羞恥心を誤魔化す。

 前世も今世も私はこんなキャラじゃなかったはずなのに。これもきっと、神様的なやつが悪い。文句の一つや二つで足りるだろうか……。

 しばらく悶々としていたら、気がつけば時間は10時を回っていた。学校が休みになったとは言え時間を無駄にしていいわけではない。記憶を思い出してこれまでの事とか、近所の地理とかが曖昧になっているので散歩がてら見て回るのが良いはずだ。

 

 そのように決心した私は、おもむろに立ち上がり己の部屋へと戻る。クローゼットを開くと、そこには様々な衣服が掛けられていた。

 

 男の記憶がベースになっているからか、ファッションに無頓着だった私は何度か結衣に頼んで一緒に服を買いに行ったことがある。その結果がこのクローゼットの中身だ。

 

 

「今日はこれかな」

 

 

 そう呟いて手に取ったのは白いワンピースである。シンプルなデザインでありながらもスカート部分がレース素材になっていて清楚な雰囲気を醸し出している。これにコントラスト高めの色を合わせることで、目立ち過ぎないシンプルな組み合わせになるはずだ。

 決して女物の服で着替えが楽だからとか、来ていて軽いからとか堕落的な思考にまみれた選択では無い。

 

 よし、これにしよう。

 着るものを決めた私は早速パジャマを脱いでそのまま白のワンピースに手を伸ばす*1

 ボスっとワンピースを頭から被る。

 手を通すときに感じる布地の手触りと匂いに懐かしさを感じる。最後に裾を持ち上げて身体を通した後は背中のファスナーを上げる。身体を動かすたびにヒラリと揺れるワンピースが心地よい。見立て通り気が楽な感じがする。

 

 

「ふぅ」

 

 

 長めのショールを羽織り、思わずため息が出る。鏡の前に立つといつもと違う自分がそこにいた。私は普段からこういったものを着慣れているのか、服装との一体感が凄い。このままファッションリーダーにでもなれそうな気分だ。

 私はその姿を見て思う。今の私は女子高生の姿ではあるが、本来の性別とは違う性自認を持っている。しかし、こうやって鏡の前で自分の姿を見れば、それは確かに私なのだと分かる。

 

 

「……やっぱり可愛いな」

 

 

 つい、そんな言葉が口から出る。

 藤咲香苗という少女は容姿に恵まれている。

 中身に28歳のおっさんが含まれていることは忘れよう。

 

 それを除けば間違いなく美少女と言える見た目をしている。身長はあまり高いとはいえず*2、胸の大きさはAカップの幼児体型に近い。だが、それにもよさがある。

 ロリ巨乳なんてものは邪道だ*3

 顔は童顔というほど幼くはないのだが、美人かと言われると自信がない。

 

 クラスメイトたちも顔面偏差値が高めだったので正直自信はない。しかし、それでも可愛らしいと思うのだ。

私は髪を軽く手で整えると部屋を出て階段を降りる。

 玄関に置いてある姿見の前に立つと、私はもう一度自分の姿をチェックする。結衣チョイスの服を適当に合わせただけとはいえ、散歩程度には大丈夫そうだ。私は満足するとそのまま家を後にした。

 

 

「いってきます」

 

 

 誰もいない我が家に挨拶を済ませると私は日傘を手に取り、外へと出た。春とはいえ太陽が眩しい。今日もいい天気だ*4

 私服姿の私が向かう先はもちろん学校ではなく近所の散策である。

 

 スマホで調べたのでこのあたり一帯が住宅街であることは知っているが、具体的にどの辺りに住んでいるのかは曖昧だった。なので散歩がてら確認することにした。

 まずは自宅から一番近いコンビニを目指す。

 

 登校する時にもよく見る光景ではあるがこのセレヘブの舞台となる国家、桜華(オウカ)王国の街の景色は二十一世紀の日本と大きく違わない。世界観を考えた奴、絶対サボっただろと言いたくなるような雑な設定ではあるものの、こうして転生してきてしまった身としては日本とあまり変わらない世界であることには安心感があり、助かっている。

 

 

 そうして歩くこと6分、目的の場所へと辿り着いた。

 自宅から学校へ向かう逆に位置しており、行きや帰りについでに寄っていくことは難しそうな立地だった。

 

 私はコンビニで前世ではよく仕事のお供にしていた缶コーヒー(ブラック)を一つ買ってから次の目的地へと向かう。次は少し離れたところにある雑貨屋を目指した。

 店は家から12分ほど歩いた場所にある。ここへはたまに結衣と遊びに来ることがあり、そのたびに店内を見て回っていた。そのためある程度覚えている。

 雑貨屋の前まで来ると入り口の横に看板が設置されていた。そこには手書きの文字で『雑貨屋 猫の額』と書かれている。なかなか珍しい店名な気がするが、店主の趣味だろう。店に入ると、様々な商品が置かれている。アンティーク調の小物や小動物をモチーフにしたグッズなど。中には誰が買うんだ? と言いたくなるような代物もある。

 

 しばらく中を歩いていると、とあるコーナーへと辿り着く。そこは拳大ほどの小さなぬいぐるみが並べられており、様々な動物のデフォルメされた人形たちがこちらを見つめていた。

 これが希海とかであればぬいぐるみを食い入るように見たりしていたのだろうか。しかし残念ながら私はそういった趣味は持ち合わせていないので特に興味は惹かれなかった。

 

 私は足早にその場を離れることにした。

 

 

「これ、下さ……い? あ、あれ?」

「お買い上げですかー?」

「は、はい……」

 

 

 趣味ではないと断じた筈。だが、私は気が付かないうちに手を伸ばし、ぬいぐるみを1つ掴みレジまで運んでいた。何かがおかしい。

 

 そして私は店員さんの言葉に対し、否定することが出来なかった。

 

 

 そのまま流れに任せて会計を済ませてしまうことになる。気が付くと私の右手には猫のぬいぐるみの入ったレジ袋が握られていた。

 何故こんなことをしてしまったのだろうか。私は首を傾げつつも、再び歩みを進める。

 そういえば希海が以前『にゃんこって可愛いよね』などと言っていた記憶がある。希海が可愛いと思うなら私にとっても可愛いに違いない。きっとこの子は可愛い子なのだろう。

 ……いや、本当にそうなのか? 分からない……。

 

 その後は近くの商店街の店を何件か回った。服屋、CDショップ、本屋、100円均一ショップなど、普段の生活圏内でも行かないところを回りつつウィンドウショッピングとかお昼ご飯を楽しみ、満足感を得たところで帰路に着くことにした。ちなみにコンビニで購入したコーヒーは噎せて飲めなかった。

 ブラックコーヒーってこんなに苦かったっけ……。

 

 

 帰宅後、私は改めて自室にてぬいぐるみを取り出した。

 大きさは15cmくらいだろうか。拳サイズの小さなぬいぐるみだった。全身真っ白の毛で覆われており、くりっとした瞳と耳、それから尻尾を持っている。愛くるしい表情をしており、抱きかかえるとふわふわとした柔らかさが伝わってきた。

 そうして私はしばらくの間、無言のままぬいぐるみと見つめ合う。そしてそっと頭を撫でてみる。

 私は自然と口元が緩むのを感じた。そしてそんな私の様子を察したのか、ぬいぐるみも笑っているように見えた。

 

 ……もしかすると、精神状態がおかしいのでは?

 一瞬正気に返ったような感覚に襲われたが、それはすぐに消える。

 私は何も考えずにぬいぐるみを抱きしめるとベッドの上に寝転がる。

 

 

(このままずっとこの子を眺めていたいなぁ)

 

 

 私はそっと枕の横に置くと、目を瞑り意識を微睡ませた。

*1
ちなみに着替えている最中、下着姿で個人的に思う艶やかなポーズを取ってみたが全く己の食指にかかることは無かった。なぜなのか。

*2
結衣よりは高いが、希海からはどんぐりの背比べと評されたことがある。

*3
邪とか言うほどに嫌いでは無い。むしろ(以下略)。

*4
日焼け、こわい。(自分の白い肌を見ながら)




週末週明けはほとんど何もしたく無くなる症候群に罹ります。
投稿ペースはさほど遅くならないようする……つもり。


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激重感情先輩からお昼に誘われた

 

「……」

「あら、今日は眠そうな顔をしていますね」

「アッハイ。おはよう、ございます」

「ふふ、面白いご冗談を。もうお昼でしてよ」

 

 面白い光景である。入学早々から東條グループのご令嬢に目をつけられて、挙句の果てに呼び出しを受けている少女は何を隠そう私こと藤咲香苗だ。

 

 私は現在、東條タリアに呼び出されている。場所は校舎裏のちょっと開けた場所にある隠れ家的なテラス。

 私としては人気のない場所に呼び出された警戒心よりも、こんな場所があったのかという好奇心の方が強く、東條女史が話しかけてくるのを聞き流しながら辺りを見回してしまうほどだ。

 

 

「聞いていますの?」

「え? え、えぇ! もちろんですとも。それで、何か御用でしょうか」

「その様子だと全く聞いちゃいないように見えますけど……、まあいいでしょう。あなたに一つお聞きしたいことがありまして」

「あ、はい。どうぞ何でも質問してください!」

 

 

 私がもみ手をしながらそう言うと東條タリアは小さく咳払いをしてこちらを睨んできた。彼女の目つきはとても鋭く、私は思わずたじろいだ。まるで蛇に睨まれた蛙の気分である。

 彼方を飛んでいる雁もイチコロの眼光。とても迫力のある視線だった。

 

 そもそも、どうしてこんなことになっているのかと記憶を廻らせれば、話は朝に遡る。

 

 

 私は起床後に妹をベッドから追い出し、いつものように家を出て高校へと向かったまでは良かったのだ。

 しかし、教室に入った瞬間、クラス中の注目を浴びてしまう事態になった。皆が私に奇異の視線を向ける中、私は平静を装い自分の席へと向かおうと足を進めた。だが、私の歩みは途中で止められることとなる。

 私の足を止めたのは金髪の美少女、東條タリアであった。

 彼女はこちらに向かって歩いてきたと思うと、私の顔を見て怪しげな笑み(エレガントスマイル)を浮かべ、そのまま私の手を掴んで引っ張ってきた。

 

 

「お、おおぉお!? ちょ、いきなり何するんですかっ!?」

 

 

 突然の出来事に抵抗する暇もなかった私は、彼女にされるがまま廊下まで連れ出された。そこでようやく拘束を解かれ、私は彼女に抗議しようと顔を上げる。するとそこにはこちらを射抜くような鋭い視線を向けてくる東條タリアの姿が見えた。

 

 

「……な、なんですか?」

 

 

 私は無意識のうちに後ずさりながら彼女を見つめる。すると彼女は上品な笑みを浮かべて、こう言った。

 

 

「カナエ。本日のお昼、私と一緒にお茶をしませんこと?」

「え、嫌です」

 

 

 私は反射的にそう答えていた。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 私達は互いに見つめ合い、無言の時間が流れる。先に口を開いたのは東條タリアの方だった。

 

 

「今の返事、どういう意味、でしょう?」

 

 

 彼女の瞳孔が大きく開かれる。錯覚かもしれないがまるで獲物を見つけた鷲のような雰囲気だった。私は慌てて弁明を試みる。

 

 

「あ、あー? いや別に深い意味はないんですよ? ただただ、お断りしただけです。ほ、ほら! よく言うじゃないですか! 『美人は三日で飽きる』って! 私はそう思わないので、お誘いには乗れな、あ、痛ッ!? なんでデコピンなんてしてくるんですか!」

 

 

 私は額を押さえて抗議するが、東條タリアはそれを気にも留めずに言葉を続ける。

 

 

「『美人』? あら、ありがとう。それでカナエに聞いておきたいのですけれど、『三日で飽きる』とは一体どういう意味でしょうか? 詳しくお聞かせ願えませんか? 今の私は冷静さが欠けております……!」

「へ、あ、あぁ。そういうことじゃなくてですね……」

 

 

 私は頬を掻いて苦笑いを零すが、東條タリアは有無を言わさない笑顔を崩さなかった。私のしどろもどろとした様子に、東條タリアはため息を零すと言葉を続ける。

 

 

「……なんて、少しイジワルをし過ぎましたわね。カナエの反応があまりにも面白くてつい、からかいたくなってしまいました」

 

 

 東條タリアはそう言って、悪戯っぽい笑みを見せた。私はそんな彼女の表情に目を白黒させるばかりである。

 

 

「え、っと。その。つまり、そのぅ」

()()()()お茶でもどうかしら、ということです。

 拒否したり来なかったりしたときはどうしましょうか……」

 

 

 東條タリアは得意げで不敵そうな笑みを浮かべた。私は額から汗を流しながら思考を巡らせる。この少女が何を考えているのか全く読めないが、下手に逆らうと何が起きるかわかったものではない。

 先日の一件(解釈違い)は私にトラウマを作ったのだ……。

 

 

「お、お供させていただきます」

「……フフ*1、それは良かったです。では、お昼に校舎裏のテラスにいらして下さい」

 

 

 私が答えると、彼女は満足そうな顔をすると踵を返して去っていく。その後ろ姿を見ながら、私はこれから待ち受けているであろう修羅場を想像し、大きなため息を吐いた。

 

 教室に戻ると、クラスメイトの皆の視線が一斉にこちらに集まる。

 だが、それも一瞬のことで、すぐに興味を失ったように視線は元の位置へと戻っていった。

 

 ほら、散った散った!

 

 

「香苗さん。東條の令嬢に呼び出しを受けたって聞いたのだけれど、大丈夫?」

 

 

 そう声を掛けてきたのは、風森さんだ。彼女は心配そうに私を見つめているが、私はそれに軽く手を振って応える。

 

 

「うん、まぁ、なんとか。ちょっとだけ怖かったけど」

 

 

 私は自席に座って背伸びをすると、小さく溜息を漏らした。毎朝飛び付いてくる何かが足りないなと思っていれば希海はケガをして休んでいることを思い出す。

 

 

「怖い……?」

 

 

 私の席まで着いてきていた風森さんは不思議そうに首を傾げた。

 

 

「強引にお昼に誘われちゃったというか、なんと言うか」

「東條さんは確か天城さんにゾッコンだったはずだけれど……」

 

 

 風森さんの言う通り東條タリアは相変わらず天城総司にゾッコンなのは間違いないのだが、彼女に対して天城総司が特別視しているかというと決してそうではないのである。

 この世界でどうなっているかは分からないが、ゲーム通りであるならば天城総司にとって東條タリアとは飽くまでも()()()()()()であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 しかし、私の知っている東條タリアの激重感情(こいごころ)はその程度では止まらないのである。

 

 一体この世界の主人公殿は何をやっているのかは分からないが、この東條タリア(プロテクト)をどうにかしない限り接触すらできないことは確かだ。

 

 

「香苗さん? 顔色が悪いわよ」

 

 

 風森さんの言葉に私は我に返ると慌てて取り繕うような笑みを浮かべた。

 

 

「い、いや、まあ目をつけられたのが運の尽きだと諦めて腹を括ろうかな、なんて考えてただけで、あはははは……」

 

 

 私は乾いた笑い声を上げながらそっぽを向く。その後は希海ちゃんとのその後とかを聞いたりして、HRが始まる20秒前くらいに解散するのだった。さて、放課後である。約束通りに校舎裏のテラスにやって来た私だったが、そこには既に東條タリアの姿があった。彼女は優雅な所作で紅茶を飲んでいる。

 

 

「あら、思ったよりも早かったですね」

 

 

 彼女はカップを置くと、口許に手を当てた。そして、話は冒頭まで戻ることになる。

 

 

「それで話というのは何でしょうか?」

「えぇ、少しあなたにお聞きしたいことがありまして」

 

 

 東條タリアはこちらをじっと見つめてくる。私は思わず身構えてしまった。彼女の視線から感じられるプレッシャーは尋常じゃないほどに強いからだ。まるで肉食獣に睨まれている小動物のような気分だった。

 その眼光はさながら鷹か梟か、猛禽類のそれだ。だとすれば私は呑気に木の上で立ち寝するリスか何かだろうか。

 

 

「先日、ソージとミズハが会話している場面を盗み見ていましたね。二人とは面識もないのになぜあのような事を?」

「それは……」

「それに、ソージのことも随分と熱心に観察していたようですが、どういうつもりですか? 最初は許そうかと考えていましたが、思い出すだけでも胸の奥がドス黒い気持ちで満たされてしまって許す気が失せてしまいました」

 

 

 東條タリアの視線が突き刺さる。

 私は咄嵯に言い訳を口にしようとしたが、そんなもの通用するはずがないのは火を見るより明らかだった。東條タリアは私が天城総司のことを好きだということを疑っていない様子だ。

 特に好きでは無いのだが、どうやってこの誤解を解くべきだろうか。下手なことを言えば東條タリアの怒りを買ってしまう可能性がある。しかし、このまま黙っていても怒らせてしまうことは避けられないだろう。

 

 

「その、前にも話した通り天城先輩はとても素敵な人だとは思うんですが、私の恋愛対象ではないと言いますか……だから、安心して欲しいと言うか……東條先輩が考えているようなことは何も無いんですよ。本当ですよ?」

「へぇ、そうなのですか。では、あの時に言っていたことは嘘偽りの無い本心ということなのですね。それを聞いて私は少しだけ心が軽くなったように感じています」

 

 

 言葉を選んで言い訳したというのに少しだけしか響かなかったかぁ〜……。どうしよう。どうしたら良いんだろう。

 私は内心で頭を抱えた。東條タリアの機嫌は多少良くなっているようだが、それは表面上だけのことだ。本当の意味で彼女が満足している訳ではない。

 私は天城総司のことが好きなわけでは決して無いのだ。ただ、彼のことを見てみたいと思っただけで他意は無いのだ。あの時に焦って発した言い訳が酷かっただけで!

 

 

「それであなたは本当にソージのことが好きではないのですね?」

「はい、違いますし誓います。好きではないです」

 

 

 私は即答した。即答せざるをえなかった。逆にどう答えればいいのか。

  私の返答に東條タリアは眉根を寄せた。まだ納得がいっていないようだ。うん、誓約書とか書く? 接近禁止とかが含まれているのはちょっと困るけど。

 

 

「私、噂とかで天城先輩が優しいのは聞いたことはありますが、それ以上に格好いいとは思いません。なので、そういうのではないと思います」

 

 

 私は自分が女になってしまった事を自覚しているが、別にイケメンな男子を見ると胸が高鳴ったりはしない。もちろん、ドキドキすることはあるが、恋心というものではないと思う。

 私は東條タリアに視線を向ける。彼女はどこか疑っているかのような視線をこちらに向けていた。だが、これ以上問い詰めても答えは変わらないと判断したのか「わかりました」としぶしぶ呟いた。

 

 

「とりあえずは信用しておきましょう」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 私は心の底から安堵の息を吐いた。良かった。本当に助かった。これでひとまずは危機を乗り越えたと言える。

 今からでも家に帰って昨日であったぬいぐるみを抱きたい。抱きしめに行きたい。癒しが足りぬ、ぐぬぬ……。

 

 

「でも、それならどうしてソージのことを?」

「それは、その……なんて言うか。えっと……」

 

 

 まさか、実は親友が聖装に取り込まれて暴走してしまうから力を借りようとしていた等と言ったところで信じて貰えないどころか、またあらぬ疑念を抱かれかねない。しかし、どう誤魔化せば良いだろうか。私は考え込む。

 しばらくの間、私が言葉を詰まらせていると、東條タリアが何かを察したのか口を開いた。

 

 

「いえ、無理に話そうとしなくても大丈夫ですよ。言いたくないこともあるでしょうし。ですが、一つ聞かせてください。ソージの何に惹かれたのでしょう? 教えていただけますか?」

「スケコマシなところですかね。正直恋愛対象にはなりません」

「ボロは出しませんでしたね」

 

 

 東條タリアが微笑を浮かべて言った。そんなとこだろうとは思ったが、やはり東條タリアは私の言葉に真実味を感じてはいなかったようだ。

 恋する乙女は複雑で警戒心が強く、面倒なものであるらしい。この感情を向けられている天城総司のことが少しばかり気の毒に思えた。

 

 

「でも、あの時の様子だと、あなたはソージに気があるように見えましたよ。なのに何故あんなに必死に否定をしたのでしょう。不思議ですね」

 

 

 東條タリアは探るような目をしていた。

 もしかするとゲームのCGシーンを思い起こして感傷に浸っていた様子が勘違いされたのかもしれない。私は思わず頬を掻く。

 そして、目を逸らしながら言った。

 

 

「ええと、東條先輩程じゃありませんが、來素先輩と天城先輩が並ぶと絵になるなと思ってまして……」

 

 

 我ながら苦しい言い訳だと思った。

 東條先輩の部分はお世辞だが、確かにそう思って眺めていた。

 

 ああ、胃が痛くなってしまいそうなプレッシャーだ……。

 

 

「なるほど、そういうことでしたか」

 

 

 東條タリアは納得した様子でうなずいていた。

 私は心の中でガッツポーズをする。なんとか切り抜けられたようだ。

 

 

「あなたもなかなかに可愛らしい趣味をお持ちのようですね。確かにあの二人はよく絵になるとは言われていますね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「いや、まあ、はい」

 

 

 私は曖昧に返事をしておいた。

 

 

「さて、そろそろ本題に移りましょうか」

「ふえぇ……?」

 

 

 唐突に話題を変えられて、変な声が出てしまった。というかこれまでの話は前座だったとでも言うのか!?

 私は心の中で悪態にも近い突っ込みを入れるが、当然それが彼女に聞こえるはずはないし、聞かれたら困る。

 それにしても、急に話題を変えたということは、今度こそ真面目に話すということだろう。一体何を言われるのだろうか。私は緊張にごくりと唾を飲み込んで東條タリアの言葉を待つ。

 

 

「もう時間もありませんし、ここ辺りでお昼にしましょうか。このままだとお互い、午後に差し支えがでてしまいますからね」

「へ? は、はい」

 

 

 私は拍子抜けした気分になった。てっきり、もっとこう重々しい雰囲気で話をされると思っていたからだ。

 とはいえ、昼食というのは良い案だと思う。私も腹ペコで集中力が切れる寸前だったのだ。

 

 その後、校舎裏のテラスで東條タリアと二人きりのランチが始まった。残り時間が残り少ないこともあって彼女はサンドイッチを用意させようとしていたけれど、私には持参したお弁当があるので遠慮させてもらった。

 先日カフェテリアで話した時とは打って変わって、東條タリアはとても朗らかで裏のなさそうな優しい笑顔を浮かべている。なんだかんだ言って彼女も根は悪い人ではないのかも知れないなと思う。

 

 私のお弁当に入っているシソ入りの卵焼きを羨ましそうに見ていたので少しだけおすそ分けしたところ、とても喜ばれた。

 自分の作った料理で美味しそうに舌鼓を打つ女の子は、見ているだけでも幸せな気持ちになれることがわかった。

 

 それが今日の収穫だということにする。

 すっかり庶民料理にハマってしまい、お昼が終わるギリギリまで東條タリアを餌付けして過ごすことになった。それでいいのか、メインヒロイン。

*1
†暗黒微笑†と言うやつ。怖い。




 評価とお気に入りにしおり、そしてここまで閲覧してくださっている方々、本当にありがとうございます。拙筆な文章ながらも執筆の励みになっております、これからもお付き合いくださると嬉しい限りです。


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遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)のトランキライザー

 

 にゃんこのぬいぐるみを目の前に見据えて、私はゆっくりと口を開いた。

 

 

「お前は誰だ?」

 

 

 その問いに、にゃんこは沈黙をもって答えとした。

 

 

「もう一度聞くぞ。お前は何者だ? 何故ここにいる?」

 

 

 僅かな静寂を経て再び問いかける。しかし、にゃんこは口を開くことはなかった。

 いや、本当にどうしてコレを買ってしまったのか。

 

 もうダメかもしれない。

 

 この記憶が戻ってからの短い期間で私の精神が限界を迎えつつある。こんなことではいけないと思いつつも、物言わぬにゃんこと対峙するだけで既に疲労困ぱいの状態なのだ。

 セレヘブ主人公君大爆走から始まり、東條タリアキャラ変事変、犯人不明の魔巣窟での謎転移事件、恐怖の東條タリアとの再対談に終わる出来事たちは、どれもこれもが私の心を疲弊させてくれた。その中でも私を震撼させたのがこのにゃんこのぬいぐるみを買ってしまったことだ。何を隠そう前世の私は猫派ではなく犬派なのである。

 だが、今世の私は希海の影響を多分に受けてしまったせいで犬派ではなく猫派になってしまった。由々しき事態である。

 

 確かに目玉焼きには塩コショウではなく醤油をかけてしまうし、好きなコーヒーはブラックよりもミルク入り砂糖マシマシのコーヒー牛乳*1が大好きだ。全て前世で好きだったものが今世で否定されようとしている。

 

 しかし、にゃんこの前では弱音を吐いてはいけない。……という謎のスローガンを掲げて、何とか自力で頑張ろうとはしている。

 何度「おい」と呼びかけても返事をする素振りのないにゃんこを見て、やっぱり自分は疲れ果てているのだと自覚する。にゃんともすんとも鳴かないぬいぐるみ相手にコミュニケーションを図るというのは中々に難儀なことなのだ。

 そんな時だった。

 にゃーにゃーと声が聞こえてきた。鳴き声ではない。それは言葉であり、人間の言語だった。入口に向かってクッションを投げると、それをキャッチする音が聞こえた。

 

 

「……あれ、お好みでは無い?」

「結衣、早く寝なさい」

「わかってるよー!」

 

 

 私が投げたクッションを持って妹が騒がしく逃げていく音が聞こえた。全く、もう中学二年生だというのに落ち着きが無いものだ。

 ため息混じりに漏れた独り言は誰に聞かれることも無く夜の闇に溶けて消えていく。明日提出予定の宿題があることを思い出した私は再び机に向かう。腰に置くためのクッションを投げてしまったので座り心地が悪くなってしまった気がする。

 なんだかんだ言って集中力も途切れてしまったこともあり、気分転換にとテレビをつける。

 

 

『──今日午後8時頃にまた新たな被害者が発見されました』

 

 

 どうやらニュース番組をやっていたらしい。

 キャスターのお姉さんが悲痛そうな面持ちをして画面の中でニュースを読み上げているのが分かった。

 

 

『今回はまた酷く、無残なものとなっていました』

 

 

 流石にモザイク処理で何が何だか分からないような処理がされているものの、死体の画像は酷いものであった。

本当に。嫌な事件が起こるのは前世でも今世でも変わらないらしい。

 地方で起こった出来事だとはいえ自分たちに直接関わりないと思うとホッとする。

 世の中は玉石混合であったり清濁併せ呑むだったりと色々言われたりするが結局は綺麗ごとだけでは回らないことは間違いない。

 

 

「私ももう少し目の前のことに向き合ってみなきゃダメかなぁ……」

 

 

 有言実行などとは行かないだろうがひとまず声に出すことによって自分の気持ちを再確認してみたり。

 まあ、まずは食生活の好みとか、バランスを取らないといけないのだが。

 納豆卵かけご飯は至高ではあると思うと同時に混ぜて食べるものでは無いという根強い意見がぶつかり合うのってかなりストレスじゃないだろうか。

 でも、()()()()()()になってしまったんだよな……。

 

 犬も、猫も。

 

 

 

 

「お買い上げありがとうございました〜」

 

 

 時刻は放課となり午後の4時が過ぎ去ろうとしている昼下りの商店街近辺。

 私は店員に見送りの言葉を送られながら、因縁の雑貨店『猫の額』を後にする。

 

 手元には昨日も貰ったものと同じようなレジ袋をぶら下げているのだが、その中身は先日のものとは全くの別物である。先日のレジ袋の中に入っていたのは猫のぬいぐるみで、今日私が買ったのはなんと、イッヌのぬいぐるみである。そう、前世の私が好きな犬だ。

 ぬいぐるみ自体は前世の趣味では無いが欲しいと感じてしまうのを受け入れてしまうのが楽だろうと腹を括っている。形からして女子高校生になってしまったのだから、ある程度はそういう好みの変化も受け入れなければならない。まあ、なんだかんだ結局は私自身の問題なので受け入れる以外にはどうしようもなかったとも言えるか。

 まあ、犬を買うだけあって前世のことを完全に諦めているという訳では無い。目玉焼きには胡椒も醤油のどちらも受け入れられるようにしてみるし、納豆混ぜ卵かけご飯もごく稀に食べるようにする。ただそれだけのことだ。

 しかし、ブラックコーヒーだけは苦くて飲むことが出来なかったので諦めた。世の中、そういうものであると受け入れることも肝要なのだと思う。前世で散々学んだのだ。精神的に成長できたかどうかは別にするが。

 いつかまた飲める日が来るだろうか……。

 

 

 そもそも、何故このようにしてぬいぐるみを購入しているのかといえば、それは勿論、癒されたいからだ。疲れ切った精神と肉体を回復させるために私はこうして不定期に癒しグッズを購入することに決めた。まあまあな値段ではあったが精神の平衡を保つための必要経費だ。

 それにしても、こうなると他のキャラクター達のグッズも欲しくなってきてしまったな……。この分だといずれコンプリートしてしまいかねない気がする。

 

 それはそれとして、今の状況について改めて整理すると非常に危うい状況に立たされている。

 何がと言えば希海とセレヘブ主人公との関係構築が一向に進んでいないというところだ。正直な所、ここまで関係が停滞するのは予想外だったと言えるくらいには順調とは言い難かった。……このままだと希海の死亡フラグが成立しかねない。

 できる限り早く天城総司のマルグラース云々で希海をグラトニアルから救わなければならないというのに……。

 しかし、焦っては事を仕損じるとはよく言われている。慎重に動かなければ希海の命に関わるような重大な選択を迫られる可能性も少なくは無いことを思えば、今はとにかく情報を集めて対策を立てるべき時だと考えるべきなのだろう。

 幸いにも時間はあるわけだし、ここはじっくり構えておくことが大切だ。

 

 ただでさえ当の主人公*2である天城総司は色々と厄介事を抱えていて忙しそうにしている。キャラ変した東條タリアやら姿を見せない風森姉(第三のメインヒヒロイン)とか。残る來素水波だけはまともな人物であると信じたいが……。

 

 さて、そんなことを考えながらガラリと扉を開く。

 

 

「のんちゃん、お見舞いに来たよ」

 

 

 病室に入り、声をかけると、ベッドに横たわったままボーッと天井を見上げていた希海がビクリとした様子を見せ、満面の笑顔を浮かべるとこっちに向き直った。

 

 

「か、香苗ちゃぁん! 来てくれたんだねぇ!」

 

 

 私がベッドの側まで寄るとまるで飛びかかるかのように抱き着いて来て私の胸元に頬擦りしてくる希海。そのあまりの勢いに思わずよろめいてしまう。

 希海の有り余る元気さを考えれば個室に入院してくれて本当に良かったと思える。個室でなければ看護師に怒鳴り込まれていたに違いない。それでももう少し静かにしなければ本当に乗り込まれかねない。

 

 

「ちょ、ちょっと、傷が開くよ? 落ち着いて。のんちゃん、ステイ」

「えへ、驚かせちゃった? ごめんねぇ。はい、落ち着いたー」

 

 

 どうにか体勢を立て直してからそう言うとあっさり離れてくれる。この変わり身の早さが恐ろしい。

 希海は私にギュっと抱き着いた時にさりげなく握った手はそのまま離さなかったらしく、未だに指を絡めたままの状態に私はドギマギしながらなんとか平静を保ったフリをして尋ねる。いやもう正直言って照れくさくて恥ずかしくて死にそうなんだが……。

 

 

「け、ケガは、……平気?」

 

 

 その問いに対して、ニッコリと微笑んで見せる希海。

 

 

「うん、平気だよ。深く抉れたのにかすり傷だって言われたんだもん。それに聖装の加護って言うものは傷の治りを早めるんだって。だから初日の入院以外は経過観察みたいなものだし」

 

 不思議だねぇ、といつもの飄々とした様子を崩さない様子からは想像できないが、抉れるほどの傷だったとは……。そこまでだと聞いていたならもっと早くお見舞いに来たというのに。

 確かにパッと見だと包帯とかも巻かれていなくて、元気そうには見えるけど、それでもやっぱりまだ本調子ではないようで、顔色が若干悪いように見える。それに少し痩せてしまったような気がする。

 

 そんな希海の姿を見ているとかつての光景がフラッシュバックしてしまい、ゾワリとする。背筋が凍りつくような、そんなベタな表現のできるものだ。

 これはいつの光景なんだ……?

 

 ふと気にし始めた時にはそのイメージは霧散してしまったかのように思い出すことも出来ない。まるで、思い出させたくないかのように。

 そこまで考えてブンブンと首を振って嫌な考えを吹き飛ばす。病院食とは食べていてもどんどん痩せるものだ。希海もきっとそうに違いない。

 

 しばらく考えが変な方向に行っている間に私の手を握っている彼女の力がどんどん強くなっていることに気付いて、私は慌てて思考を元に戻す。そう、折角お見舞いに来ているのだし、今はこの希海の心配をしないといけない。

 

 

「ほらー、久々なんだからもっと近くに座ってよ〜」

 

 

 私が個室の備品である椅子を持ってきて腰掛けていると、希海が非難の視線とともに自分から行うには誠に憚られるような要望を叩きつけてくる。ガチ恋距離を超えても本当によろしいのだろうか……。

 

 

「ひさ、久々って、まだ3日くらいでしょ?」

「ほらー、いいからー」

「……う、はいはい」

 

 

 私は自分の手を絡み取る指を丁寧にひとつずつ外していき、持ってきた椅子を元あった場所に戻すと、渋々といった形でベッドに腰かけた。中身に男が含まれているという事を鑑みれば大変宜しくない状況かと思うが、そこは元社会人たるもの、理性でねじ伏せねばなるまいという話だ。

 無理は道理でこじ開けるもの。ここに居るのは健全なる女子高校生二人だけなのだ。

 私が近くに来たことで満足気にする希海はニコニコと笑みを浮かべながらこちらを見ている。……可愛い。やはり、推しは尊いものだ。

 

 

「そういえばね、昨日は委員長が来てくれたんだ〜。退院するまでにまた来てくれるって」

「あぁ、そうだったんだ」

 

 委員長……、風森さんが。

 そう言えば風森さんは希海のことを話していたっけ。

 まあ命の恩人であるので見舞いに来るのは当然と言えば当然だろう。つい先日も助けて貰ったんだから素直にお礼を言えとアドバイスをしたのだった。それが実を結んでくれたようで良かった。

 

 

「あ、そう言えばあの時は助けてくれてありがとうってお礼もしてもらっちゃった! 普段はすごく肩肘張ったような子だから素直なのは意外だよね」

 

 

 希海は風森さんとそんなやり取りをしていたらしい。普段とのギャップに驚かれるくらいに風森さんの態度は柔らかなものなのだろうか。

 私としては彼女は結構ツンケンしてる印象が強い。まあそっちのキャラの方が原作でのデフォルト状態とも言えるのかもしれないけれど。

 相槌をうちながら話を聞く。

 希海は風森さんと話をした時のことを楽しそうに語り、風森さんのことを話す時に声を弾ませていた。それを見て、なんとなくモヤッとしてしまう。

 

 上手く言い表せないがきっと親友に対して抱く感情じゃないとは思う。でも、どうにも落ち着かない。そんなことはないはずなのだが、風森さんに対して希海を取られてしまうんじゃないかという不安感、なのだろうか。それとも離れてしまうことへの危惧?

 ……希海とはとても仲のいい親友だと思っている。しかし、違うのだろうか。

 

 

「香苗ちゃん」

「ふへっ!? ……ど、どうかした?」

 

 

 突然名前を呼ばれ、変な声で返事を返してしまう。

 希海は不思議そうな顔をしていたが、すぐに何かに気付いたように表情を明るくすると、寂しくなっていた私の手をギュっと握り直す。

 

 

「へへ、呼んだだけだよ。ぽぅっとしてる香苗ちゃんが悪いんだよ?」

 

 

 希海はいたずらっぽく笑い、私の顔を見つめてくる。その視線から逃れるようにして私は目を逸らす。

 心臓がバクバクと高鳴っている。

 顔が熱い。耳まで熱くなっているような感覚がある。

 どうしてこんなにも動揺しているのか自分でもよく分からないが、のんちゃんに見つめられ続けているのに耐えられなくなって、私は彼女のあだ名を呼ぶ。

 

 

「の、のんちゃん……」

「ん? なぁに?」

 

 

 私の呼びかけに対して希海は可愛らしく小首を傾げる。

 そして私が次の言葉を口に出す前に、希海の方から口を開いた。

 

 

「もしかして、香苗ちゃん。寂しいのかな? ……よしよし」

「……っ!」

 

 

 私は後ろから抱き寄せられ、希海に頭を撫でられる。その行為に思わずドキリとしてしまう。

 私のことを抱きしめている腕には、少しばかり力が込められているようで、身を預けるだけでもとても心地良い。ずっとこうしていたいと思ってしまうほどに。

 

 

「香苗ちゃん、あったかいね。安心する」

「そ、そう、かな……?」

「うん。すごく温かい。それに、手だって柔らかくて気持ちいいし、何より可愛い」

「……」

 

 

 もう何も言わないことにしよう。今なら「あ」という一文字を発するだけでも声が止まらなくなって死んでしまうに違いない。

 今更だけど、これって傍から見たら変な風に勘違いされるんじゃないだろうか。少なくとも友達同士の距離感ではないと思う。でも、嫌じゃ無い。

 愚かなことに、寧ろもっとこうしていて欲しいなんて思ってしまっている自分がいる。

 

 希海に抱きしめられているだけで、心配事を忘れてすごく幸せな気分になる。希海の温もりを感じることができる。ドキドキもするが、それ以上に安心できる。

 この時間が永遠に続けばいいのに。

 そんな取り留めもないことを考えていると希海が思い出したかのように呟いた。

 

 

「……あ! そういえば委員長からフルーツバスケットの差し入れもらったんだ! 食べる?」

「え、あ、う、うん……食べたい、かも」

 

 

 唐突に出された話題に戸惑いながらも、反射的に答えてしまう。

 同時に離れてしまった温もりと早鐘を打つ鼓動に名残惜しさを感じながら、あのままだったら取り返しのつかない沼に溺れかけていたことに恐怖する。

 ……本当に、希海に恋をしてしまったみたいだった。

 

 そんな私の気持ちを希海は知っているか知っていないかは分からないが、机の上にフルーツバスケットを置き、その中から一つの果物と果物ナイフを取り出して私に見せる。

 

 

「お母さんにナイフは持ってきてもらったんだけど一人じゃ食べきれなくてさ〜。私、料理とか苦手だからもし切ってもらうなら香苗ちゃんに頼みなさいって釘も刺されちゃって……」

「わ、分かった。任せて。切るくらいなら私にも出来るから」

「ありがとう、助かるよ〜」

 

 

 希海のお願いを了承すると、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべた。私は先程までの思考を振り払うように頭をブンブンと振った後、果物ナイフを受け取る。

 希海が切ってくれと言ったのは桃だった。ピンクと黄色の綺麗なグラデーションを纏った果実は触っただけでも瑞々しくてとても美味しそうだった。

 希海は気が付かないうちに体を起こしており、ベッドに腰掛け足をパタパタさせながらこちらを見つめていた。

 

 もしかすると希海自身も自制した結果フルーツバスケットのことを思い出したのかもしれない。そう考えることにする。天然で提案したのだとすれば泣きたくなりそうだ。

 

 期待の目線が気になりつつも、とりあえず目の前の桃に集中することにして私は心に灯った火を誤魔化すしか無かった。

*1
この世界には存在しないが雪印のアレと言えばわかりやすい。

*2
或いはフラグ乱立暴走列車。



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もしかして私、友達少なすぎ……?

 今日は4月29日。記憶が戻ってから今日で八日目だ。

 恐るべきことに、気がつけば月曜日を迎えていた。そう月曜日(人類種の天敵)である。

 

 休日を挟んだからと言って何かが変わったわけでもない。あの魔巣窟での事件も一旦の落ち着きを見せて、ただの日常に戻っただけだ。

 朝起きてから歯磨きをして顔を洗い、寝癖を直す。朝食の準備をしているうちに結衣が起きてきて、二人揃って食卓を囲む。それから身支度を整え、結衣と一緒に玄関へと向かう。

 朝、それも月曜日だと言うのに苦もなく準備ができる。習慣というものはとても便利なものだ。

 

 

「お姉ちゃん、ごめんね。いつもより早いのに付き合わせちゃって」

「大丈夫だよ〜。練習試合近いんでしょ?」

「うん、なんかみんな気合い入っちゃってて」

「頑張ってね!」

「ありがとう。行ってきます」

「いってらっしゃい〜」

 

 

 玄関先で手を振る結衣を見送る。

 結衣は最近、中学校で部活動に精を出しているようだ。

 テニス部*1に所属している結衣は週に2回のペースで部活がある。そのため、最近は一人で登校することが多い。

 一人になったところでやることも無いので、いつもよりも早めに家を出て学校に向かうことにした。

 

 外に出ると、春の陽気はどこへやら太陽の光が燦々さんさんと降り注いでくる。

 今日は一日を通して暖かくなりそうだ。

 

 学校に到着し、教室に入る。既に何人かの生徒達が席についていた。私は希海の姿が見えないことに一抹の寂しさを憶える。

 

 

「おはよう、香苗さん。珍しく早めの登校ね」

「うん、おはよう。風森さんも早いんだね」

 

 

 後ろから声をかけられたので振り返ってみると、そこには風森さんが立っていた。彼女の言う通り、私が普段よりも早く学校に来ているのは珍しいことだった。

 

 

「まあ、妹の部活が朝早いからね。暇だから思い切って早く来てみたってとこと」

「そう。妹想いの良いお姉さんなのね」

 

 

 風森さんの表情は穏やかだった。きっと彼女の家族仲も良好なのであろう。そうでなければこんなにも優しい笑顔を浮かべられるはずがない。

 

 私達は朝のホームルームが始まるまで他愛のない話を続ける。

 私は話をしながら風森紀々を改めて観察してみる。艶のある長い黒髪に整った顔立ち。美人というよりは可愛い系の美少女といった感じだ。そりゃあ人気も出るわけだと納得してしまう。

 

 

「か、香苗さん? 私の顔に何かついている?」

 

 

 じっと見つめすぎたせいだろうか。風森さんは少し恥ずかしげに視線を逸らす。

 

 

「ご、ごめんなさい! じろじろ見ちゃって……」

「べ、別に構わない。でも、あまり人に見られることは慣れていないから」

 

 

 風森紀々の頬には朱色が差している。流石サブヒロインだと言うべきなのか、照れている姿はなんと言うか小動物感があって可愛らしいものだった。

 そんな風に風森さんと話していると予鈴が鳴った。どうやらもうすぐホームルームの時間となるようだ。

 

 

「そ、それじゃあ、また後で」

 

 

 風森さんは自分の席へと戻っていく。彼女ともう少し話をしていたかったのだが、仕方が無いだろう。やがて担任の教師が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。

 

 それから授業を受け、あっという間に昼休みになる。

 希海がいないので今日もまた一人で昼食を食べることになるのかと憂鬱になりながら弁当箱を取り出していると、不意に声をかけられた。

 

 

「香苗さん、良かったら一緒に食べない? その、チームメンバーとして仲を深めたいし」

 

 

 風森さんはそう言って、私の机の上に自分の弁当箱を置いた。実地演習のチームメンバーでなくとも別に断る理由はない。私は「もちろん」と快く承諾した。

 

 

「ありがとう、助かるわ。私、こんな堅い性格だから、友達が少なくて」

 

 

 風森さんは自嘲気味に笑う。確かに彼女は真面目な性格をしており、近寄り難い雰囲気を出しているのも事実であった。

 私は教室を見渡して改めて風森さんを見て理解する。この世界では顔面の良さは大したアドバンテージでは無さそうだ。

 

 かくいう私も希海がいなければ話す相手が居ないことは事実だ。話し相手がいることは寂しくなくて助かる。

 

 

「気にしないで。私だって似たようなものだから。いつもなら希海ちゃんが気迫だけでだいたい追い払っちゃうし」

「……それはそれでどうかと思うけど。それにしても、香苗さんって意外とフレンドリーなのね。もっとこう、内向的なのかと思っていたけれど」

 

 

 風森さんの言う通り、前世の記憶が戻る以前の私はどちらかと言えば臆病で引っ込み思案な性格だった。それが今では、こうして風森さんと臆せず会話をしている。

 唐突に生えてきた28年間の人生経験とは偉大なものだと思う。高校デビューには少し遅いタイミングのようにも思えるが、不自然に感じる人は少ないだろう。

 

 

「まぁ、いろいろあって。それより、早くお昼ご飯を食べようよ。時間がなくなっちゃうよ」

「それもそうだ。いただきます」

「いただきます」

 

 

 私達は手を合わせてから食事を始める。風森さんのお弁当は彩り豊かでありとても美味しそうなものであった。

 

 

「凄いなあ……、冷食っぽく見えないけど、これ全部自分で作っているの?」

「ううん、お姉ちゃんがほとんどやってくれてる。私も料理、好きだけどあまりやらないかな」

 

 

 風森さんは苦笑しながら答える。「どうぞ、食べたいなら遠慮なく食べて」と言ってくれたので、お言葉に甘えて箸を伸ばしたのだが、お弁当は見た目だけでなく味の方も絶品であった。

 意識しなければ手が止まらなくなりそうになるくらいには美味しい。

 さすがは風森姉。作中最強のメシウマヒロインと言われているだけはある。あのご令嬢、東條タリアの舌をうならせていたその腕は間違いないものらしい。

 

 

「朝からこんなクオリティ維持して作れるんだ……」

「うん、私も凄いと思う。だから、お姉ちゃんのことは尊敬してる」

 

 

 私が感嘆の声を上げると、風森さんはそれに合わせて照れ臭そうに微笑んだ。

 お互いにお弁当を食べ終わった辺りで風森さんが話を切り出してくる。

 

「そういえば、来週からまた実地演習が場所を変えて再開するみたい。チームの変更は無いから、今週中に改めて戦術を詰めたいのだけれど、今週の放課後にどこかで集まりたい。香苗さんは都合の良い日はある? なければ、こちらで勝手に決めてしまうけれど」

「部活にも入ってないし特に予定はないから大丈夫だよ。場所はどこにしようか?」

「学園から最寄りの市立青城図書館なんてどうかしら? あそこなら二人で落ち着いて話し合いができると思う」

「いいね。じゃあ、それで決まりだね」

 

 

 私達が空箱を片付けながら会話をしていると、チャイムの音が鳴り響いた。教室の中が慌ただしくなり始める中、教師が入ってくる。

 

 

「予鈴がなってるぞ、席につけー」

 

 

 教師の言葉に従い、クラスメイトたちは自分の席へと戻って行く。風森さんも「放課後にまた」と言い残して自席へ戻っていった。そして、いつものように授業が始まり――――

 

 

 うっかり寝ていたら、瞬く間に放課後になった。

 ホームルームが終わると同時に、風森さんは私の方へ向かってきた。

 

 

「香苗さん。今週の予定を詰めていきたいので、一緒に帰りましょう」

「うん、分かった」

 

 

 私は鞄を持って立ち上がると、風森さんの後に続いた。そのまま廊下に出て靴に履き替えると校舎の外に出る。

 正門を抜けて道路に出たところで、風森さんが立ち止まった。

 

 

「それでは、香苗さん、早速ですが本題に入ります」

「はい」

「次回の実地演習について、私たちの役割分担を決めておきたいのです」

「役割分担……?」

 

 

 私はセレヘブでのゲームプレイを思い出すが、俯瞰型のARPGが役立つとは思えず、首を傾げるしかなかった。

 

 

「えぇ、例えば学園より生徒に貸与される魔具は揃いも揃って性能の低いものばかりですが種別には事欠きません。なので、私たちはそれらを上手く組み合わせて学園の用意した擬似魔巣窟を攻略しなければなりません。しかし学園より貸与される魔具は一人につき3種類をそれぞれ一つだけ。なので役割分担がより重要となります」

 

 

 風森さんが言うように、個人所有の魔具を持たず聖装を発現させていない私達一年生に学園から貸与される魔具の種類は多岐に渡っている。学園が用意した魔具で擬似魔巣窟に挑む上で、私たちのチームは二人と人数が少ないのだが、どうしてこうなったのかと言うと希海を当てにしていたためである。彼女は聖装を所持している希海ではオーバーパワーと判断されて授業から外されてしまった。

 しかし、チームの変更は出来ないと言われ、人員の補充などはなく、最終的に教師からは「他チームに協力を求めるのはどうだ?」と言われてしまう始末。しかし私も風森さんも、他のチームに頼めるような知り合いはいなかった。

 

 そんなわけで、私たちはこの二人でどうにかして擬似魔巣窟を踏破しなければならないのだ。

 なぜこんな訳の分からないルールがまかり通っているのかって? この世界の原型を作ったシナリオライターに聞いてくれ……。ゲーム本編での矛盾がそのまま具現化しているものだから、本当に酷い。

 ……あーあ、希海ちゃんと一緒に参加出来たら楽だったのに。

 

 

「あの、香苗さん……大丈夫ですか?」

 

 

 私が考え事をしていたせいだろうか、風森さんが心配そうに声をかけてくる。

 

 

「うん。ちょっとね」

 

 

 私は誤魔化すようにして苦笑いを浮かべる。そして、気を取り直してから風森さんのほうに向きなおった。

 

 

「それで、話し合うのはいつにしようか。私は何時でも大丈夫だよ?」

「はい。議題については役割分担と、当日に選択する魔具についてなのですが、早めに決めたいということもありますし、明日の火曜日。そして復習を兼ねて金曜日にもう一回というのはどうでしょう?」

.「うん。私の方も特に異議はないからそれで決まりかな」

 

 

 こうして、私と風森さんは明日に行う予定を取り決めたところで、今日は解散となった。

 果たして、どんな結末を迎えることになるのか。私は、不安と期待が入り混じる不思議な感覚を覚えながら家路につく。

 

*1
「そういうところだぞシナリオライター」と全ユーザーが言いたくなる問題点のひとつ。かつてサッカーという同名で同じルールの競技がセレヘブの世界に存在すると判明しただけでも炎上していたのに、なんで異世界にテニスまであるというのか。



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サブヒロインと行う作戦会議

 翌日、放課後になってすぐの事。私は、昨日約束した通り、風森さんと待ち合わせをしていた場所へと向かっていた。

 

 場所は学校から少し歩いた場所に位置する商店街、そこの広場にあるベンチには既に風森さんの姿が見えた。駆け足気味に彼女の元まで近づいていく。

 すると彼女はこちらの存在に気づいたようで、黒い髪を揺らしながら立ち上がった。

 

 

「お待たせしました! すいません、遅れちゃいまして……」

「いえ、特に待ち合わせも指定していませんでしたし、気にしないでください」

 

 

 男子がクールビューティなどという俗称を付けているのは伊達ではなく、彼女は努めて落ち着いた声色で言った。そんな彼女に連れられる形で商店街の喫茶店へと足を踏み入れる。店員に案内されて窓際の席に着くと、向かい側に座っている風森さんがメニュー表を差し出してきた。

 

 

「先週の……。その、借りみたいなものがありますし、奢りますよ」

「ほぇ……? や、やだなぁ。そういうのはのんちゃん、……希海に言ってあげて? 私は風森さんを助けてって言うことしか出来なかったんだし。むしろ逃がしてもらって私の方から奢りたいというか……」

 

 

 心の底から嬉しい話なのだが、風森さんの申し出をやんわりと断らさせてもらうとしたのだが、風森さんの様子は暗いままだった。

 

 

「えっと……」

 

 

 私が困惑していると、彼女の方が口を開いた。

 

 

「ですが香苗さんを私の判断で危険に晒しました。だから、これくらいはさせて貰えないでしょうか?」

「へ……? 私だってあの時は風森さんを容赦なく置いて行っちゃったし、お互い様だよ。それに、あの状況じゃ誰一人として正確な判断なんて出来ていなかったと思うし」

「それでもです!」

 

 

 そう言い切った風森さん。強い意志を感じさせる翡翠の瞳がこちらをまっすぐに見つめてきていた。こうなってしまえば私は弱い。どうしてもと縋る女の子の想いを足蹴になど出来ようものか……。

 

 

「うーん。それなら、のんちゃんの方にって言いたいけど、それは流石にフェアじゃないよね。分かった、ここはご馳走になるね」

 

 

 私がそう答えると、風森さんは「ありがとうございます」と表情をパッと明るくさせた。やっぱり可愛い子には笑顔が似合う。

 注文を一通り終えて一息ついたところで、風森さんが口を開く。

 

 

「本題に入りましょう。まずは香苗さんの現状を把握しておく必要がありますから」

「現状? そうだね?」

「はい、さしあたっては香苗さんのステータスですね。魔力の量を確認すればある程度は分かると思いますので」

「ま、魔力の量……? ええと、学園でもそういうのを測定する検査とか、あったっけ?」

「ありましたよ……?」

「そ、そっか~……。わ、忘れちゃってたナ……」

 

 風森さんの言葉に冷や汗を流しながら苦笑いを浮かべる。しかし、風森さんはそんな私を見て特に気にした様子もなく、自分の生徒手帳をポケットの中から取り出した。

 本のように開閉のできるカバーの中には薄く軽い小型のタブレット端末のような機械が嵌め込んである。ゲームでは詳しい描写などはなかったのだが、このセレヘブ世界の生徒手帳が電子化されているのかと感動を覚えたのは秘密だ。

 

 

「個人情報ですのであまり見せたくはありませんが、これに記載されるようになっています」

 そう言って風森さんは自分の生徒手帳を開いて見せてくれた。そこには彼女の名前や生年月日などの情報に加えて身体測定の結果、及びに冒険家としての能力が記載されているようで、その中でも冒険家の能力のみを表示して見せてくれている。

 

【氏名】風森紀々

【年齢】15歳

【性別】女性

【魔力量】2614.0

【耐久力】120.64

【魔力制御】0.74

【適正属性】火炎・自然

【魔具適合値】133.53

【魔力変換効率】0.0123

【身体強化効率】0.0905

【総合戦力評価】D-

【聖装情報】未発現

 

 

「あの、これでも恥ずかしいので、まじまじと眺めるのはよして下さい……」

「あっ、ごめんなさい」

 

 

 つい、じっくりと見てしまった私の視線に耐えかねたように風森さんが頬を赤らめながら言った。私は慌てて謝りつつ自分の生徒手帳を探してみると胸ポケットから簡単に見つかった。

 やはりゲームと同様のステータス表記があるとは思ってはいなかったが、その項目はゲームのそれとは大きく違っている。

 

 

「このボタンをタップしてください」

「こ、これ?」

「はい。それで能力値を閲覧できますよ」

 

 

 言われた通りにボタンを押してみる。すると画面が切り替わり、そこに数値化された私のステータスが表示された。

 

【氏名】藤咲香苗

【年齢】15歳

【性別】女性

【誕生日】1月12日

【身長】145.2cm

【体重】34.8kg

【バスト】72.9

【ウェスト】60.4

【ヒップ】73.2

(以下、身体測定の情報は割愛)

 

 これステータスと違う、私の身体測定の結果だ……! 見ている自分が恥ずかしくなるくらいに恐ろしいほどの寸胴(ロリ)体型をしていらっしゃる……。

 

 

「香苗さん、その、ボタンを押し間違えて……」

「あ、ウン。ソウダネ」

「……大丈夫ですか? 顔色が優れませんけど」

「見た?」

「えっ、いや、何を……、はい」

「……素直でよろしい。不問に処す」

「は、はぁ……?」

 

 

 何が何やらと困惑している様子の風森さんだったが、私が気にしていないならまあいいかといった感じだった。私としても変に意識されるよりかは余程良いのだが。それにしてもここまでの寸胴であれば自分の身体にコンプレックスを持ってしまうのも分かる。一部の界隈ではそれこそ好まれるようなものであるのは間違いないのだろうが……。

 気を取り直して表示するデータを切り替えると、今度は風森さんの生徒手帳に映っていたものと同様の情報が映し出される。

 

 

【氏名】藤咲香苗

【年齢】15歳

【性別】女性

【魔力量】64.8

【耐久力】4.74

【魔力制御】0.52

【適正属性】自然・水氷

【魔具適合値】1.53

【魔力変換効率】0.0003

【身体強化効率】0.0012

【総合戦力評価】G

【聖装情報】未発現

 

 

「えっ、私の能力低すぎ……?」

「入学前から魔巣窟に行っていた私と比べるのがおかしいんですよ。藤咲さんの魔力量は一年生でも平均的です。

 細かく言えば平均よりも少し低いくらいですが、評価も尻尾付きじゃないのでマシな方かと」

 

「尻尾付き?」

「その話についてはまた今度話しましょうか。それよりもまずは―――」

 

 

 そう言うと、彼女は自身の生徒手帳を取り出して、電子生徒手帳に内蔵された辞書機能を起動させる*1

 風森さんの生徒手帳には文字が表示されていく。

 

 

「―――軽いお勉強ですかね。その様子だと、ここに表示されている項目についても分からないでしょう?」

「……か、返す言葉もございません」

 

 

 確かに彼女の言う通り、この項目の内容に書かれていることがさっぱり理解できていない。今世の私は学園で一体何をしていたのか……。蛇足だが、学園での授業は基礎的なものが多いが冒険家の授業だけが全く頭に入らないのが悩みなのだ。

 

 

「少なくとも生徒手帳に記載されていた項目については覚えておいてください。最初に、これらは魔力計測値、別名エーテリアルスタッツなどと総称されます」

 

 

 そう言って風森さんは生徒手帳を操作して画面の表示内容を変える。そこにはいくつかの文章が表示されていた。

 

 

「この魔力量については分かりますか?」

 

 

 私は首を横に振る。

 すると風森さんは自身の生徒手帳を操作したあとにこちらに見せてくる。そこに表示されていたのは先ほど見たものと似たようなものだった。

 

魔力量:空気中より魔素(エーテル)を取り込み、体内に存在する魔力に変換し蓄積できる最大の量を指す。

 

 

「魔力は防御、攻撃の両方に使用されるので冒険家にとって重要な生命線となります。特に魔巣窟内ではセーフエリア以外では休みなく魔物と戦う可能性があるので、魔力量を超える魔力を使用して魔力切れを起こした。なんて事態に陥ればそこで人生が終わりになることは想像に難くありません。

 そして、この魔力量の値によって装備が可能な魔具の種類やランクにも影響が出てきます。なので、冒険家にとって最も重要な数値と言えるのです。訓練を受けていない一般人の平均的な値としては80~100が多い印象ですね。とはいえ、訓練によって伸ばせる値なので()()()()()()()()今は気にする必要はないです」

 

 

 なるほど、と私は相槌を打つ。平均を下回ってはいるが、使えるだけ私にとっては十分すぎるくらいだ。しかし、私の表情から察したのか風森さんは苦笑を浮かべた。

 現在の私の魔力量は64程度であるが、あまり気にするなと言いたいのだろう。小さいことを気にし始めたらキリがないことは既に分かっているので笑って風守さんの気遣いを流す。

 

 

「続けて良いですか?」

 

 

 私はこくりと首肯した。

 風森さんは電子生徒手帳に視線を落としながら説明を続ける。

 

耐久力:人間が体内に保有する魔力とは別に人間を守ろうとする耐久魔力のことを指す。魔具・聖装の装備時のみ効力を発揮するため厳密には魔力とは別物であるが、自身が受けることになる外傷を大きく抑えることが可能であるため重要な値である。

 

 この世界がゲーム通りならばHPなどと呼ばれていそうな存在だ。これらのおかげで世の冒険家たちは大きな怪我を負うことなく戦い続けることができるらしい。

 

 

「耐久力、これも訓練で伸びます。とはいえ、最初が低いとあんまり伸びは良くないん……ですよね。一般的に平均とされている数値は10程度なので、香苗さんは半分以下ですね……。伸びにくいかなと、存じます」

「あはは……」

 

 

 なんとも言えない気分になる。確かに元より冒険家向きでは無さそうだと自覚していた為に仕方ないことではあるが、もう少しなんとかならないものだろうか。

 要するに私は打たれ弱くて魔力が低いので魔具の力を引き出せない……。なんて産廃キャラクター?

 

 

魔力制御:体内に宿す魔力を制御する能力を示す値。高ければ高い程、少ない量の魔力でも魔具の性能を引き出すことが可能になる。

 

 

「魔法制御はそれこそ現在自身が出来る魔法操作の限界値を記録した値です。努力したら伸びるけど、どうせ伸びるから最初から高くても意味はない。

 でも、低いならこれからある程度は鍛え上げる必要がある。これも訓練すれば上がるから気にしないでください」

「うん、オーケー。とりあえず色々な値は私の頑張りで伸びるって事ね……。ひとまず、努力すれば問題ないところは置いておいて、これはどうしようもないって項目はあるかな?」

「そうですね……、強いて言うなら適正属性だけれど適正外の属性でも使えるからそこまで気にはならない、はずです。……ある程度は分かりましたか?」

 

 

 私が肯定の意を込めて大きく首を縦に振ると風森さんも満足げな表情で一つ相槌を打った。

 

 

「さ、次は私たちの立ち回りと役割分担を決めましょう。この前は私が自信過剰だったこともあって適当だったから」

「わ、わかった」

 

 

 風森さんの言葉に私はごくりと生唾を飲み込んだ。この前の実地演習なのだが、魔力を上手く使えなかったりと私は完全にお荷物であった。前世で格闘技を齧っていた事が功を奏して多少はマシな戦い方にはなっていただろうが、索敵から探索まで含めると足を引っ張っていたといっても過言ではないかもしれない。

 

 

「まず、香苗さんは後衛に回るべきだと思っています。香苗さんの耐久力は低いし、魔力量や魔法制御等の値も総じて低めですから、前衛は私がやる方が良いでしょう」

「うっ。やっぱりそうかぁ……」

 

 

 薄々感づいてはいたが、改めて言われるとショックが大きい。

 

 

「大丈夫、香苗さんの役割はちゃんとあります。香苗さんは支援に徹してください。そうすれば低い能力は誤魔化せますし、香苗さんが回復してくれたら、私は安心して戦えます」

「うぅ、支援か……」

 

 

 回復(ヒーラー)支援(バッファー)。それはゲーム内のセレヘブの戦闘においてはそこまで重要な役割を担っていなかったことを覚えている。ゲームの仕様上、プレイアブルキャラクターの全員が聖装を所有しており、聖装の能力を使用しつつ、適宜キャラクターを交代させつつ戦うというのが基本だ。言わば全員の性能が実質アタッカーそのものになっており、タンクやヒーラー、バッファーなどの役割はほとんど必要無かったのだ。

 しかし、現実ではたった一人だけで魔巣窟を探索する訳では無い。そうなれば自然とアタッカー以外の役割が必要となってくるわけであって、通常の冒険家が聖装持ち程強いという訳では無い。

 

 

「私に何が出来るんだろう……?」

 

 

 聖装無しの聖装所持者なんてただのモブキャラに過ぎない。それならばまだ、聖装を所持している悪役キャラクターに転生あるいは憑依していた方がよっぽどマシだったであろう。

 

 

「だから、出来ることを探さないと。出来ないなら穴を埋めるんです。自分なりのやり方で」

 

 

 聖装を持っていない冒険家は、聖装を持っている冒険家に劣る。それがこの世界の常識であり、真理である。

 聖装とは魂の力であり、それを手元に作り出せるということは己の肉体に眠る潜在能力を引き出すということである。聖装に目覚めた者は、常人よりも優れた身体能力を発揮することができるようになる。*2

 故に冒険家にとって、聖装の有無というのはかなり大きな差である。きっと目の前の少女もそう思っているに違いない。だから、努力を重ねている。

 

 風森紀々はサブヒロイン(プレイアブル)。きっと、報われるはずだ。

 

 

「……それじゃあ、香苗さんが使えそうな魔具について考えておきましょうか。何かあります?」

 

 

 だが、そんなことは関係ないとばかりに、彼女は平然と話を続ける。

 

 

「魔具には詳しくないから、特に……」

「そうですか……では、私の方でも調べておくことにしましょう」

 

 

 私の言葉に、風森さんは少しだけ残念そうな顔をする。しかし、すぐに気を取り直してメモ帳にペンを走らせる。

 どうやら彼女も、自分でできることをしようとしてくれている。それが嬉しくもあり、仲間として頼もしいなと思った。

 

 

「ひとまず回復と支援を両立してもらう形で行きたいと思います」

「うん、分かった」

「とりあえず、金曜日の放課後に一度、二人で訓練場に行きませんか? あそこならダミードール*3を動かせますし」

「そうだね。それがいいかも」

 

 

 確かにいきなり役割分担をして演習などは厳しいものがある。実際に動く人形を相手に事前の練習ができるのはありがたい。

 

 

「それでは、本日はこんなものですね。他の項目については帰って自習しておいて下さい」

「分かりましたー」

 

 

 私はスマホに金曜日の予定をメモをして仕舞う。すると風森さんも同じように紙の手帳を取り出していて何かを記入し終えていた。

 

 

「じゃあ、帰ろっか?」

「はい、帰りましょう」

 

 

 私たちは荷物を持って席を立ち上がる。そしてレジに向かい会計を終えてお店を出た。

 夕暮れ時だからだろうか、少しだけ涼しい空気が流れている気がする。

 

 

「今日は付き合ってくれてありがとうございます」

「ううん、わたしの方こそ。色々教えてくれて助かったよ。ありがとう」

 

 

 私がお礼を言うと風森さんは黒いロングヘアを小さく揺らして微笑んでいた。私達は別れ、それぞれ帰路につく。

 私は妹に今日は帰りが遅くなると連絡を入れると希海の居る病院へと足を急がせた。

 

 私の顔を見るなり表情ほころばせた希海。しかし、私が約束より遅い時間帯にやってきた事に文句を言いながらも嬉しそうにしていて、私が内心悶苦しむことになるのだが、それはまた別の話になる。

*1
調べるならスマホで良くないか? 等と言いたいところだが冒険家関連の情報はあまりネットに転がっていない事が多い。そのため、冒険家の情報が詰まった電子生徒手帳はものすごく有能なのだ。実はこれを高額転売しようと学園生徒を狙った事件もあったことがある。……らしい。

*2
(参考文献:セイクレッドヘイブン公式設定資料集第一巻)

*3
買えば目が飛び出でるほど高価な魔物を模した自動人形のこと。学園の訓練場では実地演習で使用されるものと同じモデルのものが使えるとか。



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推しの過剰摂取で動作を停止しました

早めの投稿という試み


「香苗ちゃん〜! 久しぶりぃ!」

「おふっ……!? の、のんちゃん……、心臓が止まっちゃうかと思った」

 

 

 木曜日の朝。登校してきたばかりの私を教室で出迎えたのは、希海ちゃんからの熱烈かつ強烈なハグであった。当然ながら急激な推しの接種によって危うく心停止してしまうところだったが、私は希海のことを思う事でどうにか踏ん張った。

 希海ちゃんにぎゅっと抱きしめられながらも呼吸を正常に戻すことが出来たのは、ひとえに僅かに残っていた希海への想いのおかげだ。

 

 希海ちゃんの柔らかい胸が押し付けられる感触は至福なのだけれど、彼女の抱擁の激しさは今に始まったことでは無くて過呼吸で済む程度には慣れている。

 とは言え、やはり突然の不意打ちみたいなものは今まで考えていた内容が吹き飛ぶのでやめて貰いたいものだ。

 切実に。

 

 何も考えられない……。

 

 

「ごめんね。退院したばっかりで香苗ちゃんを見た瞬間、我慢出来なくなって……」

「もう。いつも言ってるけどのんちゃんは私に対してスキンシップが激しいんだから。そういうことは恋人とかにしないと駄目だよ?」

 

 

 私がそう諭すと、彼女はどこか悲しそうな表情で俯く。

 

 

「私、……他の子に興味無いよ」

「へ? 今なんて……?」

 

 

 故意かそう出ないかは分からないが私に聞こえない程度の声量で希海ちゃんは何かを呟いていた。

 思考能力が停滞していた私は思わず首を傾げて聞き返す。

 

 

「えっと……、のんちゃん? い、いま、なんか言った?」

「ううん、何でもない! こんなに可愛い香苗ちゃんは手離したくないなーって」

 

 

 希海は私の返答に対して屈託のない笑みで応えた。しかし 、その瞳の奥では何かが僅かに揺らめいていて、それが本音ではないことを教えてくれる。

 いや本音じゃないならそれはそれで悲しいが。

 

 それにしても彼女は腹の底で何を考えているというのだろう。

 まぁ、本人が何でもないと言っているし、無理矢理聞き出す必要は無いだろう。……それにしても、柴宮希海ってこんな感じのキャラクターだっただろうか?

 そもそもゲームでは主人公である天城総司以外に知り合いと呼べるようなキャラクターもいなかったため、比較できるような対象も無い。

 

 

「そ、そっか……?」

 

 

 私は違和感を感じつつも、ひとまず疑問を飲み込むことにした。きっと、私の知らない所で何かあったのだろう。もしくは、これから始まってしまうのかもしれない。

 とにかく今は深く突っ込まない方がいい気がした。

 

 

「のんちゃん昨日は行けなかったけど、退院おめでとう。やっぱりのんちゃんとこうして学校で会えるのは何だか嬉しい気分になるよ」

「ありがとー! 私も香苗ちゃんに会えて凄く嬉しい。だって大好きなんだもん」

 

 

 相変わらずのド直球っぷりである。はいはい、ライクライク。ベリーライク*1

 本当に希海ちゃんらしい。その真っ直ぐな親愛に私も応えるべく彼女を抱き締め返そうとしたその時、後ろの方から声がかけられた。

 

 

「香苗さんに希海さん。朝から刺激の強いスキンシップは程々にして下さいね」

 

 

 ……風森さんの呆れた視線が突き刺さる。

 

 

「紀々ちゃんが香苗ちゃんの近くにいるの珍しいねぇー」

「細かいことはどうでもいいでしょう」

「そうかなー? ね、香苗ちゃん!」

 

 私は抱きつかれた体勢のまま固まってしまい、そして改めて希海の顔を見ると自分の顔が急速に熱を帯びてくる。きっと私は今の自分の顔を鏡で見たら湯煎された蛸のように真っ赤に茹で上がっているに違いない。

 

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 

 恥ずかしさに負けた私は咄嵯に謝罪の言葉を吐き出すと共に身体から離れようとした。しかしその寸前、今度は希海ちゃんがギュッと力強く私を引き寄せ、彼女の胸に顔を埋めさせられる形で拘束される。むぐふぅっ、息が出来なくなるんですが……。

 この状態はカップ数が何となくわかりそうだ……、Fは、下らない……! とにかく、デカい……ッ!!!*2

 

 

「えぇー? 親友だもん。問題ないよね香苗ちゃん♪」

 

 

 悪戯っぽく囁かれる言葉と楽しげな声色にと幸せな感触のカーニバル。私の頭はパニックに陥ってしまわざるを得ない。そんな私達を見て風森紀々が苦笑いしている。さもありなん。

 

 

「希海さん、知っていますか? お二人のツーショットを写したブロマイドが男子生徒間で高値で取引されていること。それが嫌でしたら……」

 

 

 風森さんが淡々とした表情で語る内容は恐ろしいものだった。こうやって仲良くするのは構わないが周りに見せつけるのは控えてくれと暗に言っているのだ。

 希海のブロマイドがどうして高く取引されるのか、理由は何となく想像がつく。この藤咲香苗(無個性ちんちくりん)は置いておいて、柴宮希海はとても可愛らしい外見をしているからだ。アイドル顔負けの容姿に加え、無邪気にじゃれつく性格という可愛さの塊とあれば人気が出ないはずが無い。

 まぁだからと言って私の写真を売り買いされても困るわけで……。

 

 

「えー、でも香苗ちゃん可愛いんだから良いじゃん! ……むしろどこで売ってる?」

「あの、そういった写真は恥ずかしいから勘弁して欲しいかなぁ……? それにブロマイドが人気なのも、私と言うよりはのんちゃんの方が可愛いからだろうし」

 

 

 風森さんは呆れたようにため息を吐いてジト目を向ける。

 

 

「はぁ、香苗さんは自分の見た目についてもう少し自覚を持った方が良いですよ」

「え、なんで?」

「……へ?」「……はぁ」

 

 

 呆れた風に風森さんが呟いた一言に私が素っ頓狂な声で問い返すと、何故か希海と風森さんはそれぞれ違った反応を見せる。そして変なことに二人して顔を見合わせている。……何か変なことでも言っただろうか。しかしそれはどうやら私には関係ないことらしく、風森紀々は気を取り直すかのように口を開いた。

 

 

「いえ、何でもありません。それより香苗さん、そろそろHRなので解散しますか」

「あ、そうだね」

「もうこんな時間なんだ〜。早いね〜」

 

 

 風森さんの言う通り既に教室内には多くの生徒が登校してきており、その視線は全て私達に注がれていた。そりゃそうか。朝っぱらからゲームのキービジュアルを飾れるような顔面偏差値上位の美少女と抱き合っていたのだ。注目するなと言う方が無理な話だ。

 希海ちゃんとは一旦離れることにしたのだが……、やっぱりまだドキドキが収まらない。私は顔を赤くしたまま自分の席に腰掛けるとそのまま机の上に顔を突っ伏す。そんな私の様子を見て風森さんが苦笑しているのが視界の隅っこの方にちらと映った気がしたが無視だ。

 しばらくすると予鈴が鳴り響き、クラスメイト達は慌ただしく着席していった。程なくして担任の教師が教室内に入って来て出席確認を始め、その後に本日の連絡事項などを簡単に伝えてから早々にホームルームは終了していた。

 

 教師が出て行った後、すぐに希海の周りには人が集まり始める。

 

 

「柴宮さん、あの時は助けてくれてありがとうー!」

「大丈夫? 病み上がりだし、疲れたりとかしてない?」

 

 

 そんな具合に集まってきたのは希海に救ってもらったと言う生徒たちだった。彼女達が感謝の言葉を希海に向けて次々と口にしていく。それを彼女は照れくさそうな笑顔を浮かべながら受け答えをしている。最初こそ、入学前から聖装持ちであるということで近寄り難かったのかもしれないが*3、先日の救助活動のおかげでもあってかクラスのみんなに受け入れられたのだ。

 うん、実に微笑ましい。

 

 それにしても人気者過ぎないだろうか。まぁ、良いんだけど……。

 しかし、ゲームの中盤から登場するキャラクターだとしても希海の容姿はかなり整っている。故に、私が女子だとしても朝からいちゃついていれば男子達から嫉妬の目線を一身に浴びてしまうのも事実だった。

 美少女を独占して悪いね。カノジョ、私の推しなんだ。

 

 そんな光景をしたり顔で眺めていながら優越感に耽っていたのだが、不意に肩がちょんちょんと突かれた。誰だろうと思って振り返るとそこには何か可哀想なものを見る目で私を見下ろす風森さんの姿がそこにあった。

 

 

「ど、どうしたの?」

 

 

 ……一体どうしたのだろうか。

 何とも言えない表情をした風森さんはそのまま小声でこう言った。

 

 

「……いえ、香苗さんは自己評価が苦手なのだなと思っていただけです」

 

 

 それはどういう意味だ?

 その様に尋ねようとするよりも先に彼女の方が再び口を開き、こう言葉を続けた。

 

 

「その、明日の作戦会議。基、訓練なのですけれど、先程金曜日に予定が入ってしまいまして。本日の放課後に開いても良いですか?」

「うん、いいよ」

 

 

 その提案に対して私はこくりと首肯する。風森さんはホッとした様子を見せながらも「助かります。それじゃあ……」と言ってその場を後にした。去り際にこちらを振り向いた際に見せた彼女の柔らかな笑顔には彼女をサブヒロインたらしめる魅力が溢れているような気がした。

 ちなみに今のやりとりに対して周囲の人達が注目していたことは言うまでもない。特に希海がこちらにふくれっ面を向けていることにも気が付いた。いや、希海がそういう反応を見せる必要は特に無いだろうに……。

 

 ともあれ、もうすぐ一時間目の始業を告げるチャイムが鳴る頃だった。

 

 

 そして時は流れて、放課後になる。

 

 希海は実戦訓練で行動を共にする先輩から相談があるとの事で呼び出しを受けていたらしい。泣きながら私から引き剥がされて行ってしまった。希海を取られてしまったことで少しばかり寂しさを感じていたのだが、今日に限って言えば風森さんの方を優先しなければならない。

 残念ながら希海に今日は一緒に帰れないという旨の連絡を残しておきつつ、風森さんと待ち合わせをしている訓練場へと急ぐ。

 

 

「ごめん、遅くなった!」

 

 

 動きやすい体操着に着替えた私は風森さんに謝罪の言葉を口にしながら急いで駆け寄る。それに対して風森さんは気にしないで下さいと手を振ると「時間に余裕があるので大丈夫です」と言ってくれた。

 

 

「一年生でも訓練場って借りられるんだね……」

「はい。それでも通常は上級生優先で貸し出されるルールなんだそうですが、この時期は過疎期とのことで施設の使用申請は簡単に通りました」

 

 

 風森さんに連れられて入ったのは何とも広い屋内ホールといった感じの部屋だ。

 授業でも使うことがあり、一年生はここで魔具の習熟などを行った覚えがある。室内にはちらほらと魔具を身に付けた先輩方の姿も見受けられ、各々自主練に励むなどして汗を流していた。

 

 そんな彼らの横を抜けて私たちは奥にある部屋に向かう。

 

 

「ここが貸し出し用の魔具が保管されている部屋。ここにあるものは訓練場ないであれば基本的に自由に使って構わないみたいです。先輩方は自前のを手に入れているので、ここにあるものはほとんど使われないみたいですが」

 

 

 扉を開けた先には棚にズラッと並べられた様々な武器や防具があった。剣とか槍などのメジャーなものは当然あるが、中には用途不明と思しきものも多く、見ているだけでも中々に面白いものがある。

 

 

「ひとまず……、この辺りのものを全部持っていくのは難しいので、気になるものをいくつか選んで持っていきましょう」

 

 

 風森さんのアドバイスを受けて、私が興味を持ったものはないか探していくと一つの物が目に付いた。何となく気になった私はそれに手を伸ばした。

 見た目としては金属バットのように見え、大きさ的にもちょうど良さそうな長さだった。

 

 

「メイスですね……」

 

 

 私の手にした得物を見た風森さんは納得するように呟いた。

 どうやらこれはメイスというらしい。金属製で打撃部分がやや分厚くなっている。試しに振るうと意外と軽かったもののそれなりに威力がありそうだ。私はこれならいけるかと思い風森さんに聞いてみた。

 

 

「風森さん、もし良かったらこれを使ってみても良いかな?」

 

 

 風森さんはそれを見ると「分かりました。後衛に必要かどうかはさておき、試しに使って見るのがいいですよ」と快い返事をして許可してくれた。

 その後、他の魔具を見繕っていく中で気になったのは籠手だろうか? 手の甲の部分に鉄のようなものが付いているので防御力もありそうである。それからしばらく風森さんと一緒に装備を物色していった。そして最終的に選んだ魔具は、風森さんからの助言を受けた上で魔具をいくつか倉庫から持ち出す。

 

 まずは風森さんの薦めもあって身を守る為の盾を数種類。次に攻撃用ではないけれど、何かしらの魔法を発動することが出来そうな杖もいくつか。そして剣に槍、メイス。最後に気になっていた籠手も持って行くことにする。

 ゲームでは魔具に魔石と呼ばれるカスタマイズ要素があったものだが、学園で貸し出されている魔具にはそういった機能はないようでちょっと残念である。無いものは仕方がない。

 

 

「風森さん。準備完了だよ」

「こっちも大丈夫」

 

 

 風森さんも自身の荷物を抱えて戻ってきた。私の場合はとりあえず武器になりそうなものは何でも持ってきておいたが、風森さんの場合は特にしっかりと吟味して使うものを決めていたようだ。

 彼女の場合は姉が弓の聖装を持っているからなのか、主に弓関係の魔具である。確かに彼女の姉はゲームの仕様で前衛シューターを余儀なくされていたが……。

 そういえば、冒険家の両親がいるなら家にも魔具が沢山置いてあったりするのだろうか。私、少しだけ気になります。

 

 

「えっと、訓練場ではどんなことをするの? まずは基礎の動作確認をしてから戦闘用の動きを覚える感じなのかな?」

「そうですね。まずは基本動作の確認をしてから、動くダミー相手に実戦を想定した動きの練習をすると思います」

 

 

 風森さんの説明を聞いて私はなるほどと思う。

 

 

「では、早速始めましょうか」

「はい!よろしくお願いします!!」

「なんですか、それ」

 

 

 私はビシッとした敬礼と共に答えると風森さんと軽く笑い合う。こうして始まった私たちの訓練は順調そのものだったのだが……。

 途中で私はふいに思ったことを口にする。

 

 

「ねぇ風森さん。どうして急に私の事を名前で呼ぶようになったの?」

 

 

 今まではずっと藤咲さんと呼んでいた筈だ。気がつけば変わっていた呼び方の変化について不思議に思った私は一旦の区切りを見て風森さんに疑問をぶつける。

 すると彼女は、私が問いかけると恥ずかしそうに頬を染めながら口を開いた。

 

 

「その、チームメイト、ですから……」

 

 

 そう言った後に、私の視線から逃れるように揺れる緑の瞳はそっぽを向いてしまう。しかし耳元まで真っ赤に染まった顔を見て私に指摘されたことがそこまで恥ずかしかったのだろうか、と思ってしまった。

 まぁでも確かに私の名前を呼んだりするのは勇気が必要だっただろう。

 

 それでも本人なりに仲良くなろうと頑張っていたのだと思うといじらしく思えてつい笑みを浮かべてしまう。可愛い奴めと思いつつ私は彼女に優しく声を掛けた。

 

 

「紀々ちゃん、ね」

 

 

 私の言葉を聞いた風森さんがピタリと硬直してしまった。それからすぐに慌てた様子を見せてくる。

 

 

「私、下の名前で呼んで欲しいとか言ってませんけど!それにちゃん付けで呼ばなくても良いですよっ!?」

 

 

 風森さんはどうやら呼び捨ての方が良かったみたいだが、私としてはやっぱり紀々ちゃんと呼ぶ方がしっくりくるのだ。だから呼び方を変えるつもりはないと伝えることにした。

 

 

「それは無理かな、だって紀々ちゃんって呼ぶ方がハマる感じがするし。嫌だったとしても、もう決定なので変えません!」

「うぅ~、……わ、分かりました。好きに、呼んで下さい」

 

 

 そんなこんなで私が呼び方を決めたところで私たちは訓練を再開した。

 

 そして数時間程経過した頃だろうか。

 私達はクールダウンの時間を少し取る為に休憩をしていた。

 

 といっても訓練場に併設された休憩所の中に用意されているテーブルセットの椅子に座って休んでいるだけだ。私は汗を拭き一息ついている紀々に近くの自動販売機で買ってきた飲み物を差し出す。

 差し出したものはミネラルウォーターがボトルに入ったものだ。ちなみに私が自分用に買ってきたのはスポーツドリンクである。

 

 

「お疲れ様、紀々ちゃん。はいこれ。スポドリじゃなくて良かったよね」

「はい、ありがとうございます。香苗さん」

「なんかミネラルウォーター飲んでる人ってガチな感じがする」

「ガチ……、実際のところ冒険家を目指してこの学園に来ているのですから、あながち間違ってはいないんでしょうが」

 

 

 私は自分の分のペットボトルを開封して中身を飲む。

 すると隣にいる紀々ちゃんも黒い髪をかき上げ、ペットボトルを傾け始めた。

 水を一口飲む度に上下する喉元を見つめながら、私は彼女のことを改めて眺めた。

 

 綺麗な髪色をしていると思う。今は座っているからあまり目立って見えないが背丈は平均よりか高い方だし私よりスタイルも良い。

 そんなことを考えていると視線に気づいた彼女が私に声をかけてきた。

 

 

「どうかしましたか?」

「役得だな、と」

「……はあ。まったく、本当に変なことばっかり言いますね」

 

 

 そう言い、紀々は「今言うことですか」と呆れた表情を隠そうともせずに溜息を吐く。

 私は彼女の反応を気にせずそのまま言葉を続けた。

 

 

「紀々ちゃんの髪は凄い綺麗だなって思って見てたんだよ」

「褒めてくれてるなら素直に受け取っておきます。香苗さんの髪こそ凄い艶があって明るい雰囲気で羨ましいです。手入れ大変でしょう?」

「そうかなぁ? まぁでも髪は女の命って言うし、気を使うように心掛けてるよ」

 

 

 言われてみて栗色の髪を撫でつけてみるが普段と変わらない手触りだった。特別ケアしているわけでもないのだが、私の髪質が特別なんだろうか。ふむ、謎だ。

 ただ髪に関しては特に何も考えてないので多分単純に遺伝だろう。

 私の父さんと母さんのどちらか、もしくは両方が髪に関することで苦労したことが無かったに違いない。なんにせよ、お手入れが楽なことはいいことだと思っている。

 

 なんて思いながら、紀々との会話を続けていると突然に横合いから声をかけられた。

 

 

「やあ、紀々。精が出ているな」

「おつかれ、きぃちゃん。ここで頑張ってるってタリアちゃんから聞いてきちゃった」

(ユキ)姉……!? それに、天城先輩もっ! ど、どうしてここに!?」

 

 

 紀々は声をかけてきた人物に驚いて、つい反射的に呼び捨てにしてしまいそうになったところをなんとか堪えたようだ。しかし驚きを隠すこともできず彼女は立ち上がっていた。

 驚きのあまり勢いが余ったのか、手に持っていたペットボトルを握り潰してしまい中の水が溢れてしまっている。

 

 声の主はそんな様子を面白げに見つつ笑みを浮かべていた。

 それは風森紀々の姉であり、私たちにとっての先輩にもあたる少女、――風森千々(チユキ)である。

 

 

「香苗ちゃん! 奇遇だね~!」

 

 

 天城総司と風森千々の間をぬって希海が飛び出してくる。一瞬、風森千々がそんな希海を見て紀々と同じ緑色の瞳を不服そうな形にしたが私は気にしない事にした。飛び抜けた希海はそのまま私に勢いよく抱き着いて頬ずりを始めた。

 やめておくれ、顔がくすぐったい。このままでは誰かに主人を見つけた犬かと突っ込まれてしまうだろうに……。

 

 

「ちょ、っと。のんちゃ、んっ!?」

「えへへー。やっぱり良い匂い」

 

 

 うっとりとした声を上げながら私の肩口に鼻を近づける。そしてスンスンと何度か嗅いだ後、「うん、良い感じの良い匂いだ」と満足げな声を出した。いや、何の匂いだ。

 というか思いのほか動き回って汗とか沢山流してるから嗅がないで貰いたいのだが。

 

 

「希海さん、貴女は盛りのついた犬ですか……!」

「話にあった親友ちゃんの前だと、こうなるのね」

 

 

 風森姉妹それぞれが引き気味にぼそりと呟きを漏らした。私は希海を押し返しながら「ちょっと、希海ちゃん。離れて」と言うと彼女は素直に従った。少し不満そうだ。だが、ここで甘くすると調子に乗ってまた同じことを繰り返しかねない。だからここは私の心の平穏のためにぐっと我慢をして頂かなければ。そうして一息ついたところで改めて目の前に立つ風森千々を見上げた。

 すらりと背が高くてモデルのような容姿。紀々とよく似た整った面持ちに後ろをポニーテールにまとめた黒髪。やや切れ長でエメラルドの様に煌めく眼差しは強い意思を感じさせる。しかし、それが決してキツさを印象づけているわけではなく、彼女の柔らかな表情をより魅力あるものへと変えている。

 紀々がクール系美少女であるのに対してこちらは元気で活発さのある美少女というべきだろう。どちらも聡明さを併せ持つような美人であることに変わりはないのだが、両者は方向性が決定的に違うのだ。

 

 

 これが來素水波、東條タリアに続く、三人目のメインヒロイン。

 聖陵学園高等学校2-E1所属の風森千々。

 

 主人公を含め主要キャラクター殺害エンドを幾つも持っているセレヘブ屈指の―――。

 

 

「希海ちゃんが香苗ちゃんにくっつき虫なのって。とても、いい事だと思うわ?」

 

 

 ―――地雷持ちだ。

 

 

*1
誤用。berry-like はベリーに似ている様を指す。とても好きであることを正しく表現するには like very much などが挙げられる。しかし、甘酸っぱい気持ちを表すにはピッタリかもしれない。

*2
この時、香苗の脳裏には己の無い胸のことがチラつき無意識のうちに胸に手をかけて絶望感を感じていたという。その薄い胸で。

*3
この世界ではこういった冒険家専門の学校へ入学する前に、聖装を発現させているとエリートでお堅いイメージが着いてしまうらしい。



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推しとヒロインの板挟み

 風森(カザモリ)千々(チユキ)

 セレヘブのメインヒロインの一人にして、千々ルート以外のメインストーリーにおける最大の脅威であると言える。

 ラスボスになってしまう希海が可愛らしく見えるほどの難敵なのだ。

 

 風森千々が主人公に対して抱いている想いは友情や親愛と言ったものではない。恋慕の情を抱いているわけでもない。もっと歪んだもの。執着と言っても良いかもしれない。彼女は気に入ったモノのことを占有したいと思っている。

 それは恋愛対象として見ているのではなく、自分だけのものにしてしまいたい。そしてそれを誰にも渡したくない。

 そういう独占欲とでも言うべきものが彼女の中で常に渦巻いていて、その気持ちが行き過ぎてしまっているのだ。

 

 風森千々ルートでは主人公に執着するあまりに監禁されてしまうバッドエンドが存在する。

 その理由は単純であり、彼女が主人公のことを好きになってしまったから。そして、主人公が自分に持つ興味が薄く感じたから。そのふたつが組み合わさり、主人公に離れて欲しくないと思ったからだ。

 そして風森千々はグッドエンド以外で自分の気持ちに気が付くことはない。だからトゥルーエンドを迎える場合、彼女は自分が狂っていることにも気が付けない。

 

 千々は狂っていて、それでいて一途で純真なのだ。それが千々の魅力でもあるのだが、同時に彼女の欠点にもなっている。

 ちなみに千々ルートに入っていない状態で風森千々の好感度が一定値以上かつ特定条件を満たすことで、ヤンデレ化した風森千々が主人公の前に現れるイベントが発生する。その時の風森千々が発するセリフが実にホラーなことで有名だ。

 

 

「ねぇ…………私だけを見てよ。他の女の子のことなんて見ちゃダメだよ?ずっと私の傍から離れないでね。約束できるよね?

 ほら、これは総君と話していた(好感度最高値のヒロインの名前)の髪の毛。ちゃんと大切に保管しておかないと。だって総君が大好きなんだもん。*1

 

 でもね、総君のこと一番大好きな人は私でなきゃダメだし、あなたは私のことを愛してくれなくちゃいけないんだよ。だって私たちは結ばれる運命にあるんだもの。

 そうでしょう?

 

 えへへ、これで私は総君のものだし総君は私が絶対に逃がさない。

 ずーっと一緒だよ。大好き、あいしてる。もう絶対離さない。永遠に―――」

 

 

 声優による迫真の演技に加え、身の毛もよだつような雰囲気を加速させるBGM。これらの相乗効果によってどれだけのプレイヤーがトラウマを植え付けられたことだろうか。

 

 このシーンはシナリオライターの渾身の一作だと評価されている。それほどまでに凄まじく鬼畜な演出なのだが、これが一部のヤンデレスキーには非常にウケた。

 これらとは別に主人公殺害(クズ男)ルート*2かヒロイン執着ルート*3の二つがある。

 前者は特にRTAで使用されることが多く、天城総司がネットでクズ男呼ばわりされるミームの遠因になっていたりすることもあった。

 

 しかし、その個別ルート外にも飛び出てくる狂気に満ちたシーンのおかげで全体としての千々の人気は低めの部類に入る。とにかくグッドエンド以外の個別エンドまでもが尽く酷いもので、掲示板はセイクレッドヘイブン発売直後から連日大荒れが続いたという。

 セレヘブのプレイヤー達からはラスボス化した希海が本編中に『破壊神』と呼ばれるのになぞらえて、『真なる破壊神(トゥルークラッシャー)』と呼ばれる存在。*4

 それが風森千々というキャラクターだ。

 

 

「おーい、親友ちゃ〜ん。希海ちゃんが心配してるぞ?」

 

 

 風森千々が私の目を覗き込むようにしてじっと見つめていた。私が見惚れるようにぼんやりしていたせいだろう。しかし、メインヒロインレベルの顔面は生きていてもなかなか拝めない代物だ。

 希海が拗ねそうではあるが、見惚れてしまうのも仕方の無い話なのかもしれない。しかし、危険物であることに違いは無い。

 

 天城総司が目の前の彼女をどのように魔改造しているかは分からないが、東條タリアのような例もある。気を抜くことは決してできないだろう。

 

 

「あ、すみません。初めまして、ですよね、風森先輩? 私、藤咲香苗と言います」

「ふふ、お人形さんみたいだったから私もついびっくりしちゃった。ごめんなさいね。私は2年E1の風森千々。紀々ちゃんのお友達だから千々ちゃん呼びでもいいよ?」

 

 

 風森千々の自己紹介を受けて、私は希海の方に視線を向けた。希海もこちらに顔を向けると、「千々先輩のこと、知らないの?」と小さな声で尋ねてくる。なので私はそれに首を縦に振って答えることにした。

 そんなやりとりをしている間に風森千々が隣に座ってきた。

 

 

「……香苗ちゃんって、よく見たら可愛いよね〜」

 

 

 風森千々がそう言いながら、まじまじと私の顔を眺めている。まるで値踏みするような感じだ。いや、実際にしているのかもしれない。

 この人、なんと言うか、ちょっと怖い……。

 

 風森千々が顔を近づけてきてまじまじと私のことを眺め始める。その瞳がまるで何かを探っているようで少しばかり恐怖を感じ取ってしまった。だからだろうか、私が思わず一歩後ずさりしてしまうと、彼女はクスリと微笑んでからこう言ったのだ。

 

 

「希海ちゃんがいつも言ってる通りだなぁ。香苗ちゃんはとっても可愛くて、それでいてどこか儚くて不思議な感じがする子って」

「えっと、あの……ありがとうございます……?」

 

 

 風森千々の言葉を聞いて希海がピクリと反応した。

 褒められているのに、あまり嬉しくなかった。風森千々の目つきが少し鋭いからなのだろうか。

 

 すると千々がわざとらしく頬に手を当てながらため息をつく。

 

 

「え〜? でもぉ、希海ちゃんってば香苗ちゃんのことをあんまり褒めちぎってるんだもの。よく聞かされているこちらの身にもなって欲しいわ。当然気になる、でしょう?」

「ほへっ」

 

 

 不意に頬を撫でられて変な声が出てしまった。自分の手で慌てて口を塞ぐがもう遅い。

 

 

「ふふ。香苗ちゃんの反応はとても新鮮ね〜?」

 

 

 風森千々が嬉しそうに笑みを浮かべている。そして私の隣では紀々が頭を抱えているのが見えた。

 助けを求めようとこの場で唯一の男子である天城総司に視線を送るのだが、私たちの様子を興味深げに見ている彼の姿があるだけだった。私はどうしたら良いのか分からずに困ったように笑うことしか出来ない。

 

 

「希海ちゃんが気に入るのも分かる気がするなぁ。ねえ、今度、二人で遊びに行ってみようよ!」

「えぇ……? それはさすがに……」

「いいじゃん! どうせ一年は暇なんだしさっ。ほら、行こうぜー?」

 

 

 風森千々がぐいぐいと迫ってくる。これは断りづらい雰囲気だ。

 でも、何で急にこんな風に話しかけて来るのかが分からない。今まで接点なんて無かったはずだ。少なくとも誰かから話を伝え聞いていたのだとしても興味をここまで持つのはおかしな話だ。

 

 

「……千々先輩!」「……ゆ、千姉!」

 

 

 私が困惑していると、希海と紀々が声を合わせて言った。

 二人はお互いに見つめ合うと、何かを確認し合ったようにこくりと一度うなずいた。

 

 

「今日はもう時間がありません」

「またの機会にしてください、千姉」

 

 

 二人して私を守るようにして言う。すると風森千々は意外そうな表情を浮かべて口を開いた。

 

 

「……へ〜、そっか。じゃあ仕方ないかなぁ。ま、それならそれで別に良いんだけどね。これから仲良くしましょう、香苗ちゃん」

 

 

 そう言って風森千々が微笑む。

 私はそれに対してぎこちなく笑い返すことしかできない。圧がすごいのだ。

 

 

「千々、そろそろいいか?」

 

 

 長きの沈黙を破って口を開いたのは天城総司だった。彼は風森千々の隣まで歩いてくると、腕組みをしながら彼女のことを見下ろしている。

 

 

「あ、総君。ごめんね、すぐ行く。じゃね、香苗ちゃん」

「希海、少しくらいは遅れてもいいが、あまり遅くなるなよ」

「はい、天城先輩」

 

 

 風森千々は立ち上がると、すぐに私達のそばから離れていった。そして、天城総司と共に訓練場の奥へと消えていく。

 ……主人公様々だ。

 

 

「……大丈夫、香苗ちゃん?」

 

 

 希海が心配そうに声をかけてくれる。

 

 

「うん、なんとか。ありがとね」

「……本当に無理しないでね、香苗ちゃん」

 

 

 希海はそう呟くと、私の頭を優しく撫でてくれた。私は彼女に甘えるようにして体を預けると、その温もりに身を浸す。

 希海はいつだって優しい。私には勿体無いくらいの親友だ。

 どさくさに紛れて私を嗅いでいなければこのまま手放しに褒められるのだけれど……。猫吸いみたく私を吸わないで欲しいんですが?

 

「の、のんちゃん……」

「ん゛ん゛っ……。香苗さん、希海さん?」

 

 

 紀々が咳払いをして、こちらに呼びかけると慌てて希海が返事をする。

 

 

「あっ、ごめん。紀々ちゃん、どうかした?」

「いえ、なんでもありません。ただ、()()()仲が良いんだなって思っただけで」

 

 

 紀々はどこか呆れたような声でそう言った。

 

 

「ふふふ、そうだよねぇ。わたし達って仲良しだもんね〜」

 

 

 希海が何事も無かったかのようにニコニコしながら私の手を握ってくる。私は何も言わずに苦笑を返した。希海はいつもこうだ。スキンシップが激しいというか、距離感が近い。

 彼女にとってはこれが普通なのだろうけど、変に前世の記憶を取り戻してしまった私としてはどうしても戸惑ってしまう。でも、なんだかんだ言って嫌ではない。

 むしろ嬉しいと思えてしまうのだから不思議なものだ。希海の手を握り返しながらそんなことを考えていた。

 

 そして希海はと私のことをジッと見つめてきている。まだ何か用事があるのだろうかと思い、首を傾げる。

 

 

「……ええと、どうしたの?」

「香苗ちゃん。くれぐれも千々先輩に拐かされないようにね?」

「そ、そんな心配しなくても大丈夫だよ。希海ちゃん」

「……希海さんの心配もわかる気がしますね。私も似たようなことを考えていますし」

 

 

 私が苦笑いをしながら答えると希海が少しだけ不安そうな表情を見せる。

 隣にいる紀々が同意するようにうんうんと何度も相槌を打つ。

 

 

「それじゃあ、先輩達に怒られるから行くね。またね香苗ちゃん!」

 

 

 希海が元気良く手を振りながらその場を離れていった。残されたのは私と紀々の二人だけである。彼女は先程までの真面目な雰囲気とは打って変わって柔らかな微笑みを浮かべている。

 私は思わず見惚れてしまいそうになる自分を律して口を開く。

 

 

「紀々ちゃん、さっきはありがとうね」

「いいんですよ。お礼なんて。それに、私は何もできなかったですし……」

 

 

 紀々は申し訳なさそうに目を伏せて言う。

 

 

「香苗さん。姉には本当に気をつけて下さい」

 

 

 紀々が真剣な顔つきで私を見上げてくる。

 彼女がここまで言ってくれるのには、理由がある事を私はもちろん理解していた。

 

 

「千姉は自分の気に入った相手を見つけると欲しがりますから。あの人は欲しいと思ったものは何としても手に入れないと気が済まないんです。それが例えどんなものであれ」

「……」

 

 

 紀々の言葉を聞いて、私は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。確かに風森千々の興味の対象になるということはそれだけ危険に晒されるという事でもある。

 私の事はさておき、原作において特殊な立ち位置である希海は風森千々の毒牙に掛かることはなかったのだが、この世界には既に(カナエ)と言う特異点(イレギュラー)が存在している。

 もし万が一にも風森千々が希海を害す可能性があるなら、力を持たない私はどうやって彼女を護るべきなのだろうか。

 

 

「うん、分かった。気をつける」

 

 

 私は紀々の忠告には素直に従うことにする。

 

 希海が危険な目に遭わないようにするためには、どうすれば良いのか。この場で考えるには、とてもでは無いが問題が大きすぎる。

 いや、そもそもこの問題に対して正解なんてものがあるのかどうかすら分からない。

 それに、これは飽くまでもなく私の自己満足に過ぎない。それでも、少しでも希海の助けになれるのであれば、そうするべきだと思っている。

 

 私が出来ることと言えば、精々希海の側にいるくらいしかないだろう。それで彼女の助けになっているかどうかは正直わからない。でも、少なくとも希海に寂しい思いをさせるようなことは絶対にしたくない。

 

 護られているばかりではいけない。私は心の中でそう呟く。

 

 

「それでは、少し早いですが訓練はお開きにしましょうか。凡そですが、香苗さんの使用する魔具は目星はつきましたし」

「……うん。そうだね、紀々ちゃん。今日はありがとう」

「いえ、こちらこそ付き合って頂いて感謝していますよ」

 

 

 深くお辞儀をする紀々に合わせて彼女の長い黒髪がピコリと小さく揺れた。私も彼女に習って頭を下げる。

 

 

「それじゃあ、帰りましょうか。香苗さん」

「うん。紀々ちゃん。帰ろうか」

 

 

 こうして紀々ちゃんと二人で並んで歩き始める。

 時刻はまだ17時前といったところで、日が落ちるにはまだまだ時間がある。

 

 こうして紀々と一緒に帰ることは初めてなのだが、彼女は背丈がかなり高いので私と並んで歩くとどうしても見上げる形になってしまうことに気がつく。

 たしか、公式プロフィールでは"166.4cm"だったか。

 

 

「……」

「どうかしました? 香苗さん」

 

 

 私がじっと見つめていることに気づいたのだろう。紀々ちゃんが不思議そうな表情を浮かべていた。

 

 

「こうしてみると、紀々ちゃんは身長、高いなって思って」

「そうですか? 平均くらいだとは思いますけど」

 

 

 紀々ちゃんが首を傾げながら答えてくれた。その仕草が可愛らしくて思わずドキリとしてしまう。

 

 

「で、でも! 私よりすっごく高いよね?」

「それは単純に香苗さんが小さいだけでは……?」

「……うぐっ!」

 

 

 

 紀々ちゃんの容赦のない一言が私の胸に突き刺さった。事実なので反論のしようもない。

 まぁ、実際のところ私は女子の中でも小さい方に分類されるし、何よりもこの基準からすると私は明らかに発育不良だと言える。紀々ちゃんに指摘された通り私は背が低い。だから必然的に顔を上げる必要が出てくるのだが、それでも20センチ差もある彼女と比べると随分と差があった。

 

 

「大丈夫ですよ。香苗さん。きっといつか大きくなります。責任は取れませんが、多分」

「そんな哀れみに満ちた眼差しで慰められるとは思わなかったかな!?」

「最後の方につい本音が漏れてしまいました」

「これが、格差社会か……」

 

 

 紀々に身長のみならず胸でも負けている私は項垂れる。

 いや、別に気にしてなんかいない。だがしかし、やっぱり女の子としては大きい方が良いのは間違いないはずだ。かく言う紀々はと言うと、どこか得意気な顔をして勝ち誇っているように見える。本当にそうなのかどうかはさておき、それがまた悔しさを助長させている。

 

 

「香苗さん。私の胸を見ても何も大きくなりませんよ」

 

 

 私の視線に気づいた紀々が口を開く。彼女の言葉にハッとした私は慌てて目を逸らした。

 確かに彼女の胸部装甲は厚かった。おそらくDはあるだろう。私だって、決して無いわけではないのだが……。

 

 やがて私たちは駅前へと辿り着く。駅には帰宅途中のサラリーマンやOLの姿がちらほらと見える。

 

 

「それでは、私はここで失礼しますね」

「うん、それじゃあ、また」

 

 

 紀々が一礼する。彼女の家はここから電車で数駅のところにあるらしい。私も彼女に別れを告げると自宅へ向かって歩き始めた。

 

 時刻はまだ18時前。日が暮れるにはもう少し時間がありそうだ。

 私はいつもの帰り道をゆっくりと歩く。ふと見上げた空はどんよりとしており、先ほどまでの快晴はどこに消えたのかと思うほどの曇天だった。

 雨が降りそうで降らない。見ているだけででもなんだかもどかしい気持ちになった。まるで今の自分の心を表しているかのような天気模様に思わず苦笑してしまう。

 

 このタイミングでの風森千々との出会いは、きっと私達に大きな波紋を起こす。

 そんな予感がする。

 

 私は一人、確信めいた不安を抱きつつ帰路を進んだ。

*1
尚、このイベント後に表示されるCGにて千々にヤられたことが仄めかされる。

*2
メインヒロイン全員の好感度が高めの状態で風森千々のことを少しでも蔑ろにすると即座に主人公殺害エンディングに入る。

*3
主人公があまりにも風森千々に構わないでいると千々がメインヒロイン(主人公と好感度が高い方)のことを気に入り、ヒロインが一人姿を消すことになる。その状態でストーリーを進めると、確定で共通ルートのバッドエンドになる。

*4
トゥルーエンドの条件も相まって本当に嫌われている。




「香苗さんは危機感が無さすぎるのでは?」紀々は訝しんだ。

 ここで懺悔します。10万字で第一章を区切れませんでした……!


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立ち込める暗雲も晴れる勢い

 この世界の暦や祝日は前世の記憶にある世界とそこまで変わりがない。カレンダーを覗けば西暦が陽暦と名前を変えて書かれているのだ。曜日に関してはもはや前世の世界のままである。

 直近に迫るみどりの日やらこどもの日の桜華王国における起源は何処なんだと聞きたくなるが、それが休日であることに変わりはなく、些細な問題に過ぎない。強いて違いをあげるとするならば、ゲームの仕様に合わせてその祝日が何日なのか毎年変化するという変則的なことくらいだろうか。

 この世界におけるゴールデンウィークというのは、大変ありがたいもので確実に5月の第二週の月火水が確定で休みとなる為、五連休が毎年やって来るのだという。社畜だった前世の私にはあまり関係のない話だったが、学生となった今では心底嬉くなるような、ならないような……。そんな黄金期を前日に控えた聖稜学園の生徒たちは期待と興奮で皆一様に浮き足立たせている。

 しかし、そんな中にあってもやはり例外というものが存在していた。

 

 

「に゛ゃ゛ぉ゛お゛お゛ん゛!゛ 香゛苗゛ぢ゛ゃ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ん゛!゛!゛」

「のんちゃん……。落ち着きなよ」

「う゛ぇ゛え゛〜゛ん゛!゛」

 

 

 昼下がりの一年生の教室。そこで私は親友である希海に泣きつかれていた。幸いな事に本日は売店で限定パンの販売がされており、クラスメイト達の姿が見えないことが唯一の救いである。

 彼女が何故こんなにも号泣しているのかと言うと、そろそろ始まるゴールデンウィークについてだ。

 

 例年通りなら、今年も彼女は私と一緒に過ごす予定を立てているはずだった。しかし、聖稜学園高等部の冒険学科では聖装を所有する生徒に対し、特別なカリキュラムとして特定の祝日中に魔巣窟を探索する課外活動を義務付けている。もちろん聖装を持っている希海はその合宿に参加することになっている。

 その為、彼女にとっては地獄の休暇が始まる訳だ。

 事情を聞いてしまえば彼女の涙には同情せざるを得ない。

 

 

「ひぐっ……。香苗ちゃんはいいよね……」

「ま、まぁね。うちの学校はそういうところ結構厳しいから仕方ないよ。それでも、私だって暇じゃないし」

「うあぁん! 香苗ちゃんの薄情者ぉ!!」

 

 

 私の言葉を聞いて希海はまた涙を流し始めた。

 さすがにちょっと罪悪感を感じてしまう。

 

 

「ねぇ、香苗ちゃん。お願いだから今から申請して一緒に行こ……? 香苗ちゃんが一緒だったら私頑張れる気がするんだ……」

「聖装非所持者は事前申請が必要でしょ……。もし、今から申請したのなら間違いなく参加できないと思うけど」

 

 

 希海からは一緒に行かないかと懇願されてしまうが、何日前までに申請する必要があるかは忘れたが、聖装を持たない生徒が魔巣窟探索の課外活動に参加する為には事前に申請する必要がある。

 それは冒険家を目指す学生ならば誰でも知っている常識であり、希海もそのことは重々承知していた。

 だからこそ、こうして泣いているのだろう。

 

 

「香苗ぢゃんのいじわるぅ……。うぅ……、せっかくのゴールデンウィークなのにぃ……」

 

 

 希海の嘆きを聞きながら、私は窓の外を見た。

 昨日とは違って今日はいい天気である。空を見上げれば、雲一つ無い青空が広がっている。絶好のお出かけ日和だろう。

 

 とまあ、現実逃避はそこまでにしておく。

 希海の方へと視線を戻すと、彼女は目尻に涙を溜めて私のことを見つめていた。正に臨海寸前といったところだろう。

 

 

「香苗ちゃんと会えないなんて嫌だよぉ! うえぇえん!」

「あー、もう。よしよし、泣かないの~。ほら、ハンカチ貸すから鼻水拭いて」

 

 

 ついに泣き始めてしまった私は希海を宥めつつ、たまたま教室に人がいない事に安心感を覚えた。この様子を見られていたのなら、勘違いされるまでは行かなくても変な空気になっていたことは間違いない。

 そっと彼女の頭を撫でてあげると、少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。

 

 

「ふにゃぁああぁ……。香苗ちゃんの優しさが心に染みる……。うわぁん! ありがとう! 大好きぃ、結婚してぇ……!」

「はいはい。わかったから。冗談でも勢いで求婚しない。取り敢えず落ち着こう。ほら、深呼吸」

「冗談じゃ……。ひっく、すぅ……、ふぅ~」

 

 

 彼女は言われた通りに息を大きく吸って吐く。

 

 

「落ち着いた?」

「少しだけ……」

 

 

 希海は未だにしゅんとした様子で言う。しかし、先程まで泣いていたために顔は真っ赤だし、瞳は潤んでいる。そんな姿も可哀想可愛い。

 我が推しに一片の欠点なし。完璧美少女だ。

 

 

「香苗ちゃんは寂しくないの? 折角のゴールデンウィークなのに……」

「まぁ、ちょっと残念だけど。しょうがないよ」

 

 

 希海からの問いかけに対して私はそう答えた。

 

 

「む……。香苗ちゃんのいけずぅ」

 

 

 私の返答を聞いた希海は不満げな表情を浮かべる。

 ほっぺたがぷっくりと膨らんでいて可愛らしい。思わず指先でつついてしまうと、希海は慌てて口元を押さえる。

 

 

「あ、ごめん。つい……」

「えへへ、別に気にしないよ」

 

 

 希海は頬を緩ませて言う。

 それから彼女は両手を広げて何かを催促している。何かを訴えるかのように見つめるその瞳からは、ハグを求めている事が伺える。

 

 

「……香苗ちゃん、ぎゅっとして?」

「えっと、ごめん……」

 

 

 推しに自ら触れに行くのは恐れ多いというものだろう? 今の私には無理である。

 私は首を横に振った。すると、希海は悲しげな表情を見せる。

 

 

「うぅ……。私、香苗ちゃんに嫌われちゃったのかなぁ……」

「ち、違うから! 嫌いになったとかじゃないからね!?」

「最近、香苗ちゃんが冷たいような気がするの。気のせいなのかなぁ」

「うぇ、ご、誤解だってば!」

 

 

 確かに前世の記憶が戻ってから希海との距離を置くようにしてきた。だが、それは決して彼女を疎ましく思っているからではないのである。

 むしろ逆で、彼女に対して申し訳なさを感じている節すらある。というのも、前世の記憶が戻る前の私は彼女の好意を素直に受け入れていたのだ。それは勿論、友達としての好意であって、それ以上のものでは無かったのだが。

 しかし、今はどうだろうか。

 

 彼女に抱きつかれたり、手を繋いだりする度に心臓が高鳴ってしまう。それは紛れもなく前世の記憶がもたらした下心なのだ。

 だからこそ、私は希海と距離を置かなくてはならないと考えている。彼女の純粋な気持ちを踏み躙るような真似だけは絶対にしたくはない。

 

 

「本当に?」

「ほ、本当だよ」

「そっかぁ……。良かったぁ」

 

 

 希海は頬を緩ませて安堵のため息を漏らす。

 

 

「じゃあ、今度こそぎゅーってして?」

「……うん」

 

 

 上目遣いでお願いされたら断ることなど出来ない。私は希海の要求を受け入れることにした。

 私は嬉しそうに笑みを浮かべる希海へと限りなく近づき、15FPS位のぎこちなさでゆっくりと背中に手を回す。そして、軽く抱きしめると希海の体温や柔らかさが伝わってくる。

 女の子特有の甘い匂いが鼻腔をくすぐり、脳髄を刺激する。

 

 

「ん~」

 

 

 希海は満足そうな声を漏らすと、私の胸に顔を押し付けてきた。

 希海の身長はここまで高かっただろうかと疑問に思う。中学の頃はまだ私と背も変わらず横並びになるくらいだったはずなのだが。

 いや、ゲーム本編に登場する時点での身長は162cmだったはずだから希海がそこまで成長していても不思議ではない。というか、今まで希海が私にしてきたハグは身長に合わせて屈んでいた……?

 

 

「えへへ、幸せだなぁ」

 

 

 希海はそう呟く。

 彼女は私の胸の中で顔を埋めているため表情を見ることは出来ない。ただ、その言葉は嘘偽りのないものだと確信出来る程に明るいものだった。

 

 

「ん゛ん゛っ!」

「ひゃっ!」

「むぐっ!?」

 

 

 何者かの咳払いに驚き、希海は私を強く抱き寄せた。当然、私の口元は希海の柔らかい膨らみに押し潰されてしまうわけである。

 私の視界は真っ暗になり、何が起きたのか理解できないままに呼吸困難に陥る。何とか酸素を取り込もうとするが中々うまくいかないものだ。

 

 

「……ええと、お邪魔だったかしら」

「と、ととと、東條先輩!?」

 

 

 焦ったような声を上げる希海によってより強く抱き寄せられてしまう。柔らかいという感触よりも先に息が出来ないと言う極限の状態が私の意識を奪い取らんとしている。

 

 

「どど、どうしてこちらに!?」

「ノゾミに用事がありまして。というよりも、カナエがそろそろノックアウトしそうにみえますわ。……大丈夫でして?」

「はっ、香苗ちゃん!?」

 

 

 窒息による死とはどんなものなんだろうなぁ……とぼんやり考えていたのだが、突然の浮遊感に襲われていた。どうやら解放されたらしい。私は息を大きく吸い込み新鮮な空気で肺を満たし、むせていた。

 

 

「ごめんなさい香苗ちゃん! 私……」

「ゲホッ、ゴホ……。と、東條先輩……、ごきげんよう。お、お見苦しい所をお見せしました……」

 

 

 涙目になって謝ってくる希海はひとまず置いておき、私はどうにか東條先輩に挨拶をすることが出来た。

 そんな状態の私のことを気遣ってか、東條先輩は心配そうに見つめてきている。

 

 

「いえ、こちらこそ悪かったですわ。まさかそんな、お楽しみの最中だったなんて……」

「ちょ、ちょっと待ってください!? 何かとんでもない誤解をしている気がするんですが!?」

 

 

 私が大声で抗議をすると、東條先輩はきょとんとした様子を見せた後、「ふふふ」と笑っていた。希海の方を見ると、満更でもなさそうな表情を赤く染めながら目を泳がせている。恐らく東條先輩が言った『お楽しみ』の意味が分かっているのであろう。なぜ否定しないのか。……ああ、穴があったら入りたい。

 東條先輩は楽しげに笑って私達を見比べた後に、こう言い放ったのだ。

 

 

「二人とも可愛らしい反応ですわね。そういう関係になった時は是非とも教えてくださいな。お祝いの品を送りましてよ」

「お祝いだなんて、そんな……」

「のんちゃん、遠慮を覚えておくれ」

 

 

 東條先輩がこちらに向けていたのはもう清々しい程の笑顔であった。私はそれに対して返す言葉が思い浮かぶことはなかったが、その沈黙を肯定と捉えられたらしく東條先輩はとても満足げにしている。希海に至っては「そこまでして頂けるとは」と言わんばかりにテレっと溶けたような顔をしてしまっている始末だ。

 ネタにされているとしか思えないのだが、弁明をしていると墓穴を掘る予感しかしない。これ以上は余計なことを言わずに黙っている方が良い気がした。

 

 私か希海が天城先輩とくっつくとか変に考えてもらうよりかは断然マシだと思いたい。こういったバックがデカい人間が敵でいない分にはとても心に余裕ができるのだ。

 

 

「ところで先輩? 私に用事と先程聞きましたが?」

 

 

 どことなく上機嫌な様子で希海が東條先輩に尋ねる。

 その質問を受けた途端、それまで微笑んでいた東條先輩の顔つきはそれまでの穏やかな雰囲気ではなく、鋭い目付きへと変わった。

 

 

 

「ええ、本日の放課後に第一会議室で課外活動の班分けの話でしてよ。カナエにも伝えようと思っていましたので、丁度良かったわ」

「へ? 香苗ちゃんにもってことは……」

「私も課外活動に参加するんだ」

 

 

 私がそう言うと、希海は呆気に取られた顔を見せてきた。参加しないとは一言も口にしていないからか、それで凄く驚いたらしい。

 

 

「行くなら行くって早く言ってよぉ! ……びっくりさせないでぇ」

「あはは、ごめん。のんちゃんを驚かせたかったの」

 

 

 私はいつもの仕返しと言わんばかりに悪戯っぽく笑い、希海に謝った。そんな私を見て希海は口を尖らせて文句を言いたそうにしていたが、結局は何も言わなかった。

 

 

「……まあ、紀々ちゃんも行くって言ってたし実戦の空気を肌で感じようかなって」

「ふーん、そっかぁ。紀々ちゃんが……、ふーん」

 

 

 希海の態度は明らかに面白く無さそうだ。紀々が希海に何か悪いことをしたとでも言いたいのだろうか……。いや、そもそも何もしていないと思うのだが。

 

 

「のんちゃん。紀々ちゃんに嫉妬?」

「ち、違うもん。紀々ちゃんにヤキモチなんか妬いてないし!」

「あら、嫉妬ですか。ふふ」

 

 

 東條先輩は希海の言葉を聞いてとても嬉しそうな顔をしている。ライバルが減ったように見えて嬉しいのか、まるで自分の妹を見るかのような慈愛に満ちた表情だ。

 

 

「むぅ〜〜」

「ノゾミは可愛いのねぇ?」

「のんちゃんは可愛いんですよ~」

「もう、先輩! 香苗ちゃんまで!」

 

 

 東條先輩にまで言われてしまい、いよいよ不貞腐れてしまった希海だが、それでも頬っぺたを膨らませながらではあるが東條先輩に抗議をする程度に元気ではあるようだ。東條先輩の言い方が面白かったのもあって、つい吹き出してしまった。それを見た希海がジト目でこちらを見つめてくる。

 

 

「……ふぅ、少々からかいすぎましたわね」

 

 

 東條タリアは少し反省しながら一息つく。少し間を開けて東條先輩は「最後に忠告を」と再び口を開く。今度は元の優しげな雰囲気に戻っていたものの、声色から感じられる威圧感にまだ笑いが止まらなかった私はおろか、拗ねていた希海をも押し黙らせることになった。

 

 

「……カナエが分かるかは存じ上げませんけれど、チユキが珍しくカナエのことを話していましたわ」

「風森先輩が、ですか?」

「……」

 

 

 希海が不思議そうに呟いた。

 もし、この会話が風森千々という人間についてよく知らないのであれば彼女の発言の意図がよく分からないかもしれない。だが、彼女に関して()()()()()()()私としては理解できざるを得ない。

 風森千々という人物は興味のないことにはとことん反応せず、例え言葉を交わしたのだとしても3歩歩いただけで、記憶どころかそこにいたことすらも忘れてしまうような奇特な人物だ。そんな彼女が私の事を話していたというのだ。

 

 恐らく、東條タリアもその不穏さを感じ取って忠告をしてくれたのだろう。まだ二度しか話したことの無い間柄であるのにこうやって気にかけてくれていることには本当に感謝しかない。

 あれだけ天城総司に入れ込んでいても、やはり本質はゲームの時と変わらず善人なのだと感じさせてくれる。

 

「そうです。だからあまり関わらないことをお勧めしますわね。友人のことを悪く言うつもりはないのですけれど、チユキ……風森千々は能天気に見えて何を考えているのかよく分からない方ですので」

 

 

 東條先輩の発言を受けて希海は何も言い返すことが出来ずにいるようだった。それも仕方のない事だと私は思う。

 風森千々は一見すると、明るく活発な女の子に見えるがそれはあくまでも見た目だけだ。中身はかなり打算的で腹黒いし計算高い。

 そしてその事実を表に出すことが無い。

 

 当然の事ながら前世の私も風森千々の猫被りに騙された口だ。彼女の本当の性格が分かった時には、全てが馬鹿らしく思えた。こんなものがメインヒロインなのかと思ったくらいだ。

 だからこそ彼女は危険だ。油断をすれば喰われると絶対的な確信がある。

 

 要件を伝え終えた東條先輩は去っていく。その背中を見送り終えると私は改めて希海を見る。

 むくれたような表情でアッシュグレーの髪の毛を指先でクルクルさせているその姿はとても可愛らしく見える。まるで小動物のような愛らしさを孕んでいる。

 私が男であったなら、きっと放っておくことは出来なかったに違いないと断言できるほどの美少女だ。なぜ男に転生できなかったのだろうかと残念でしょうがない。

 

 

「関わるな、なんて。風森先輩ってそんなに警戒する程なのかな……?」

 

 

 不安げな様子でそう呟く希海。確かに東條先輩の警告は早計と言えるかもしれない。まだ出会ってから日の浅い希海は風森千々のことを深く知らないし、私に至っては昨日初めて話をしたばかりなのだ。

 しかし、それでも彼女が『何か』を抱えていることを私は知っている。だが、何かあってからでは遅いと考えた東條先輩の懸念は決して大袈裟とは言えないだろう。

 

 

「大丈夫。……何も起きないよ。うん、大丈夫」

 

 

 自分に言い聞かせるように希海の肩を叩きつつ笑みを浮かべる私。その言葉を聞いて一瞬キョトンとした顔を見せた後、「そうだよね!」と言って満面の笑顔を見せる希海。

 希海がグラトニアルを持つ以上、天城総司との繋がりは避けられない以上、彼の取り巻きの一人である風森千々を無視することは出来ない。風森千々を警戒して天城総司との繋がりを断つことは、即ち希海を失うことと同義となる。

 天城総司の持つ聖装、マルグラースに代わる存在は少なくとも私は知らない。故に東條先輩には悪いが、彼女の心配は余計なお世話だと言えた。

 

 

 

「のんちゃん、ごめん。あんまり可愛くて」

「もういいよ。香苗ちゃん、許す。……その代わり、もう一度ハグして」

「え、いや、その……。そろそろクラスメイトも戻ってくるだろうし、恥ずかしいんだけど……」

 

 

 頬を赤らめて上目遣いに見つめてくる希海にドキッとする。可愛い。何この生き物。抱きしめたい。……じゃなくて! いかん、落ち着くんだ、私。

 

 

「ダメ?……お願い」

 

 

 うるっと瞳を潤ませて懇願してくる希海。ああ、これはズルい。

 仕方が無い。覚悟を決めよう。一度深呼吸をして気持ちを整える。そして意を決して両手を広げると、希海が勢いよく抱きついてきたのだった。

 

 もし風森千々に目をつけられたのが私なのだとしても、希海がいればきっとどうにかなる筈だ。この不安は杞憂だと、そう思いたかった。




誤字報告、感想、評価、お気に入り等々ありがとうございます!
誠に恐悦至極でございます! これからも応援していただけるように頑張って参ります!


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先行き不安の課外活動

 

 魔巣窟とは。

 魔力のたまり場に出現する割れ目のようなモノであり、その中には別の空間が広がっているとされている。

 簡単に言うなら空間の割れ目。あるいは空間の裂け目とも言い換えられる。

 その中へ入れば現実とは異なる法則が支配する異次元の空間が拡がっている。

 

 ゲーム内において大量の魔力が集まった結果、そのような現象が起こると説明されているのだが、この空間が裂け目が発生するメカニズムなどは分かっておらず、国や大学の研究チームによって今も研究が続けられている。

 しかし、それでも明確な答えが得られていないというのがこの世界の現状だ。

 

 それはさておき、魔巣窟には魔物と呼ばれる化け物が生息している。それらを倒すことで魔物の核である魔核や撃破した魔物由来の素材といった物品を入手することが出来、それらの入手アイテムは冒険家たちにとっては貴重な収入源となり得るものだ。

 同時に人々の繁栄を支えるひとつの柱としても役立っている。つまり、冒険家たちの活動がこの世界の経済の一角を支えているということだ。

 

 また、知っての通り魔巣窟の内部で採れる物品の中には魔具と呼ばれるものが存在し、それらは基本的に魔巣窟を探索する冒険家たちにとっても非常に重要なファクターとなる。

 魔具というのものは理屈は分からないが魔巣窟の中で自然に生成された武具のことを指し、これらは人の手で生産される通常の武器や防具と比べても遥かに高性能なものが大半を占めている。

 

 それも、当然だろう。魔巣窟内で生成される魔具というのはそもそもが魔素が生み出した特殊な力を持ったものなのであり、持つだけで使用者の力が大幅に増幅されるようなモノが殆どだ。

 そういった魔具を手に入れるために冒険家たちは魔巣窟探索を繰り返す。

 そして、その過程で冒険家は魔巣窟内で得られる魔具*1魔物由来の素材(かんきんそざい)*2を確保し世界経済に大きな貢献をしているわけだ。

 

 もちろん、こうした事情が絡んでいるからこそ冒険家たちが生み出す富は莫大なものになっており、魔巣窟内部に存在する資源は世界中の人々が喉から手が出るほどに欲している。

 それ故に冒険家たちは命懸けで魔巣窟内部の資源を探索し、そして持ち帰る。そうして手に入れた魔具を人々は高く買い取るのだ。そのようにして人類と魔巣窟の歴史は密接に関わり合ってきたと言える。

 

 

「あふぅっ……」

「暇だからなにか話をしようって言ったのは香苗さんですよ?」

「だからって魔巣窟と冒険家について今解説する必要ないと思うんだけれども……」

 

 

 私が欠伸を漏らしてしまったことに不服なのか、紀々がむっとした表情を浮かべた。そんな彼女に向けて私は頬杖を突きながら溜息混じりに言葉を返す。

 現在、周囲には変わり映えのしない青色の岩肌がそこらじゅうに広がっている。私たちの居る場所は、魔巣窟の内部に存在する空間。そこには洞窟の壁のように天井と地面が一体化しており、壁や床を構成している岩石は青く澄んだ色をしていたものの、どこまでも似たような景色がどこまでも続いていた。

 

 

「ほらほら、紀々ちゃんも香苗ちゃんも喧嘩しない」

 

 

 そんな私と紀々の間へと希海が割って入り、宥めるように声を上げた。

彼女は腰に手を当てて胸を張ると私の方を向いて悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

 

「希海おねーさんが魔巣窟のこと、もっと教えてあげるよ!」

「別にいいです。そういうのは勉強とかで間に合ってますし……」

「香苗ちゃん……。勉強、ホントにしてるの?」

「つい先日ゴールデンウィークの課題が分からないと泣きついてきた人は誰ですか」

 

 

 前世でも散々追われた勉強という二文字は是非とも遠慮したいものなのだが、紀々と希海の二人から同時にツッコミを受けてしまう。

 

 

「おい、一年生。役割がメイングループのバックアップだからって自由にしてていいわけじゃないぞ。……まぁ、そこに聖装持ちの護衛がいるし大丈夫だとは思うけど」

 

 

 そして、後方からそんな言葉が飛んでくる。それは二年生の男子生徒の言葉であった。後方組で唯一の男子だということもあってか居心地も悪そうにしているが、それでか最小限の忠告を行うとすぐに黙り込んでしまう。

 彼の名前は確か海馬(カイマ)と言ったか。色々と惜しい名前だ。

 聖装こそ発現させては居ないものの支援を行う魔具の扱いに関してはピカイチだと引率の先生が誇らしげに語っていた。

 

 現在、私たちは四人一組で聖装持ち4名の別グループに追従する形で魔巣窟の中を探索している。この魔巣窟の中には階層が存在しており、現在は二層目に差し掛かっている。

 海馬先輩の言うバックアップという役割についてだが、簡単に言えば戦闘におけるメインパーティーの後ろで支援魔法や回復魔法の援護を行いつつ、彼らの邪魔にならない位置で魔巣窟の構造を確認しておくと言ったものだ。

 そして、そのサポートに回る人員には大抵が聖装を持たない人間が選ばれる。その理由としては、大抵の聖装は攻撃的な性質を持っていることが多く、魔具には多い他者を補助する性能を持つような聖装が少ないことが理由の一つだ。

 また、戦闘能力の低い聖装非所有者のことも考えればそういった役回りが求められるのも当然のことであると言えるだろう。

 聖装持ちの希海がこちらにいるのは一年生であり、単純に魔巣窟になれていないからなのであろう。先日の活躍を見ればここに置いておくのは惜しいと私は思う。

 

 魔巣窟の中での戦闘は基本的に聖装持ちを中心としたメインとなるグループが行い、戦闘後に支援や回復の能力を持った魔具でサポートするのがバックアップの役割になる。

 ゲームでは学園内の依頼を達成することで魔巣窟内でセットアップできる有利な効果が獲得できたのだが、現実となった今となってはこのような形になっているのだろう。

 

 

「はーい、すみませんっ」

 

 

 私の隣を歩く希海は上機嫌なのか、海馬先輩に対して気の抜けた返事を返している。それを見ていた私は思わず苦笑してしまった。

 彼女のこういった態度はいつも通りで見慣れていると言えば見慣れているが、これから潜る魔巣窟の前で見せるものとしては少し緊張感に欠ける。しかし、これが希海の自然体なのだから仕方がないと言うべきか。

 

 希海が上機嫌な理由は私と一緒の班になったことが嬉しいということなのだろう。

 先ほどから私の方へと何度も視線を寄越してくるのが分かる。そして、そんな風にされるたびに私もまた微笑ましい気持ちになってくる。

 

 さて、今回の魔巣窟探索での目的は魔巣窟内で発生する特定の魔物を撃破しその魔物がドロップする素材の回収をすること、それに加えて魔巣窟内の構造の確認を行うこととなっている。

 また、魔巣窟は攻略済みのものであっても不思議のダンジョンよろしく定期的に内部の構造が変わってしまうらしく、そのためにもしっかりと内部構造を把握する必要があるらしい。私たちのいる魔巣窟は何度も攻略が済まされている魔巣窟であるため、構造変化の傾向はかなり調査が進んでいるそうだ。それでも、念のためと言ったところだろうか。

 

 

「メインの連中、もう()ってんな……」

 

 

 ふいに後ろを歩いていた海馬先輩が声を上げる。私もそちらへと顔を向けると確かに戦闘をしているメイングループの生徒たちの姿が見えた。

 前方で戦闘中の生徒は風森千々、來素水波、東條タリア、そして天城総司の四名。見事にメインヒロインズと主人公達のチームと組まされているわけなのだが、これがゲームと違って中々に凄まじい。

 

 まず目を惹かれるのはこの四人の連携だ。4人の内、天城総司と來素水波の2人が前衛として前に出て全ての敵の攻撃を引き受けているのだ。そして、風森千々が後方から弓による射撃によって遊撃を行い、その隙に東條タリアが火力の高い魔法を放つ。そうやって4人はお互いの得意分野を補完し合っている。4人全員が聖装に目覚めているということもあるのだろうが、単純にそれだけではないような気がする。

 

 

「さあ、戦闘終了(さいしょのしごと)だ。回復を掛けに行くぞ」

「は、はい!」

「護衛役二人はそこで警戒しながら待機」

「了解しました」「はーい」

 

 

 そう言って歩き出した先輩の背中を追って私は慌てて後を追う。

 魔巣窟は危険な場所なので、慣れた冒険家でも油断をすれば命を落としかねないほどだ。特に魔力を扱う能力も低く、聖装を発現していない私のような冒険家は魔巣窟では無力であり、戦闘になれば足手まといになってしまうのは目に見えている。

 だからこうして探索の際は戦闘は護衛に任せてサポート役に徹する。それが同じバックアップグループに入った先輩の指示だった。

 

 

「あ、待ってたよぉ!」

「お、お疲れ様です」

 

 

 メイングループの元にたどり着くとニコニコ顔の風森千々が出迎えてくれた。戦闘外でも何度も視線が後ろに向いていたので気にはなっていたのだが、どうやらずっとこっちの様子を窺っていたらしい。

 そんな風森千々に天城総司はジト目を向ける。

 

 

「千々ちゃん。損害報告を終える前にそっちに行かないでくれないか?」

「えぇー、だって香苗ちゃんがこんなに可愛いんだし、気にならない方が難しいでしょ?」

「全く……」

 

 

 そう言いながら天城総司は溜息を吐く。そんな様子に風森千々はチロリと舌を見せて笑った。そんな二人の間に割って入るように東條先輩が口を挟む。

 

 

「先程の戦闘カナエの方には魔物が流れたりはしてしませんでしたか?」

「はい、大丈夫です。問題ありません」

「全部メイングループで処理できてたぞ」

 

 

 私と海馬先輩の言葉に対して満足げに天城総司は笑みを浮かべる。

 その表情を見ただけで、彼がリーダーを務めるパーティの安定感が窺えるような気がする。

 

 

「回復完了です」

 

 

 引率の教員が魔具の扱いはピカイチだと褒めていたこともあってか、海馬先輩は手際がよく、気がついた時にはメイングループの面々の傷を癒し終えていた。

 

 

「一年、支援魔法の貼り直しだ。できるな?」

「はい!」

 

 

 私が返事をすると、海馬先輩は小さく頷いてこちらの様子を窺っている。私は右手に持った杖型の魔具を掲げると、魔力を放出した。

 放出した魔力が天城総司らの身体に纏わりつき、強化魔法を展開する。私の放った補助の魔法は効果を発揮すると、彼らの動きを活性化させる。

 

 

「……ん、十分」

 

 

 來素水波が呟くようにそう言う。來素水波の使う『ラグニルツワイシア』は彼女の声に反応して、周囲の空気中の水分が凍り付き、氷の結晶のような形をした武器へと姿を変えていく。

 來素水波は『ラグニルツワイシア』を手にして何も無い空間に一振り

する。すると、そこには無数の鋭い刃のような突起が突き出された巨大な壁が出来上がった。

 

 

「海馬の支援と遜色ない」

「さすがね、水波ちゃん。カッコいいわ」

 

 

 風森千々は嬉しそうな声で來素水波さんのことを誉める。そんな彼女に來素水波さんは淡々と言葉を返す。

 

 

「ん、当然のこと。この程度……できて当たり前」

 

 

 來素水波はそう言って、自信満々に胸を張る。確かに、彼女は自分の力に絶対的な信頼を置いているようで、その言動に揺らぎはない。

 しかし、そうはいっても、彼女が作り出した氷の壁は相当に凄いと思う。真似をしてみたら分かるが、あんなものを作るには相当な集中力と繊細な魔力操作が必要だというのに。

 

 

「それじゃあ、探索を再開しようか。海馬君と藤咲さんは引き続きバックアップとしての支援をお願いするよ。護衛の二人にもよろしくね」

 

 

 天城総司が私達に向かって指示を出す。私達はそれに対して首肯することで応える。

 

 

「分かりました」

「もちろんだ」

 

 

 天城総司の言葉に私と海馬先輩はそう返答する。それから希海と紀々が待っている場所まで移動してメイングループとは距離をとる。

 去り際に風森千々が意味ありげにこちらのことを見ていた気がするが特に気にしないことにした。

 風森千々の視線を振り切って、私と海馬先輩は希海と紀々の元に向かう。そこでは、希海と紀々が私達のことを待ってくれていた。

 

 

「お疲れ様、香苗ちゃん、先輩」

 

 

 希海が嬉しそうに迎えてくれる。それにつられて、紀々も口を開く。

 

 

「香苗さん、千姉になにか言われたりしませんでしたか?」

「ううん、大丈夫。紀々ちゃんが心配するようなことは言われてないよ」

 

 

 私は苦笑いしながら答える。希海も少しだけほっとしたような表情を見せた。

 先日、訓練場で風森千々が私のことをいたく気に入ったらしく、その日以降、紀々はずっとこんな感じで声をかけてくる。

 

 希海は東條先輩の忠告もあって風森千々が私を狙っていることを察しているのだろうし、紀々は紀々で自分の姉がどのような人となりをしているのかを分かっているのだろう。とにかく二人とも、私が風森千々に絡まれることに対してあまり良い顔をしない。

 少なくとも私のようなモブより、希海や紀々の方がずっと可愛いし魅力的だと言うのに、風森千々は全く理解できない感性を持っている。

 

 

「……そうですか。よかったです。香苗さんの身に何かあったらって思うと心配になるんです」

「そんな大袈裟だよー。大丈夫だって」

「大袈裟じゃないよ! 香苗ちゃんは可愛いんだから自覚して!」

 

 

 私が笑みを浮かべながら返すと、希海が強く抗議してくる。……えっと、どう反応すればいいのだろうか。

希海が真剣な顔でそう言うものだから、私は困惑してしまう。

 

 

「もう、私語を慎んでください! ここ、魔巣窟! 早く行きますよ!」

 

 

 紀々が少し怒ったような表情で言う。あ、そうだ。魔巣窟に来ているんだった。危なかった。

 希海はというと、まだ顔を赤くしたままボーッと私のことを見つめている。

 

 

「おい、一年生。仲が良いのは分かったが気を引き締めろ。魔物が居るかもしれないんだぞ?」

 

 

 しびれを切らしたのか海馬先輩のお叱りが飛んできた。

 仰る通りですね……。ここは魔巣窟なんだから、気を抜いていたら怪我じゃ済まないかもしれない。

 

 本当にこの調子で大丈夫なんだろうか。

 私は内心そんな不安を抱きながらも、魔巣窟の奥へと足を踏み入れていく。

*1
実は魔具を魔素に分解する技術が存在しており、その一つで主要都市の三日分のエネルギーを賄うことが可能だとか。そうでなくても強力な魔具は未踏破である魔巣窟の攻略に重宝されることが多く、とても需要が高い。

*2
超高密度高質量で体積が約500,000倍になるような高耐久性を持つ発泡材擬きであったり、確保された端材1つでひとつの地方都市で使用されるエネルギーの一日分を賄えるような代物もある。その価値は計り知れない。




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迫るヒロイン、鉄壁の防衛網

新年明けましておめでとうございます。
大遅刻の投稿ですが、今年もよろしくお願い致します。


「……ふぅ。なんとかなったね」

 

 

 グシャリと音を立て崩れ落ちる魔物を見下ろしながら希海がそう呟く。今私たちが戦っていた魔物は、ファンタジーの創作物でもよく見るオークと呼ばれる二足歩行をする豚のような生き物だった。

 前方で先頭を行うメイングループから流れてきた魔物はこの一体だけで、他には血の跡しか残っていない。

 

 

「ほとんどが、前の人たちに持っていかれちゃってるねぇ」

 

 

 希海が残念そうな声を上げた。

 魔物は体内に魔核という魔力を宿した宝石のようなものを持っており、これの換金率がとても良いらしい。しかし、メイングループが優秀なために言い方こそ悪くなるがおこぼれが殆ど無い状態だ。

 

 

「魔物を倒すのは彼ら(メイン)の仕事なんですから。私たち(バック)はそのサポートに徹するべきです」

 

 

 そう言いながら紀々が水筒を取り出して水を飲んだ。希海はというと、不満そうな顔をしながら、先ほど倒した魔物の死体を見ている。

 

 

「もう少し暴れたかったなー……」

 

 

 その言葉を聞き取った私は思わずため息を吐いてしまった。希海が暴れたいとつい口走ってしまう気持ちも分からなくはない。

 

 私たちが魔巣窟に入って既に約4時間ほどが経過していた。私たちは順調に魔巣窟を進み、今は第3層まで到達している。移動速度が速い分、遭遇する魔物の数もとても多く、従ってメイングループの戦闘回数も多くなっている。

 魔物と遭遇した回数は両手でも数え切れないくらいになっており、それのほとんど全てをメイングループで討伐してしまえている。

 それでも、前にいる彼らは余裕があるように見えた。さすがは主人公が率いるパーティーである。

 

 後ろに流れ込んでくる魔物は確かにいるものの、それは全体から見てしまえば誤差程度の手応えのないものばかりだ。強大な力を持つ希海はそれを持て余してしまっているのは聞かなくても分かる。

 

 そんな希海をやや離れた場所で控えている海馬先輩は特に咎めるようなことはなく、魔巣窟に入る前に自主性に任せるみたいな事を言われていたことを思い出す。

 とはいえども限度というものはあるとは思うが。

 

 もちろん希海の気持ちが分からないわけでもない。私だって魔物との戦闘には興味を持っているし、できることなら魔物と戦ってみたいと思っている。でも私自身がそんな力を持ち合わせていない為、こうして後ろの方で待機していることしかできないのは残念に思っているくらいだ。

 そうやって私がひっそり不貞腐れていると、希海が私の方へと振り向いてきた。

 

 

「ねぇ、香苗ちゃん。そろそろ魔巣窟に入ってから結構経つけど……、疲れたりとかしていない?」

「え?あぁ、うん。大丈夫だよ。まだまだ元気だから!」

「無理しないでね? 香苗ちゃんは参加してる中でも一番体力が無いんだから」

「うっ……。ま、まだ全然いけるよ! ほら、この通り!!」

 

 

 そう言ってガッツポーズを作って見せると、希海がにっこりと微笑んでくれた。

 その笑顔にドキッとしてしまって少しだけ目を逸らしてしまった。そしてすぐに我に帰ると、恥ずかしくなって頬を掻いた。

 

 

「それにしてもさ……、前の人たちペース早いと思うの。香苗ちゃんにも負担になるし」

 

 

 希海が前にいる天城総司たちを見てぼやくように呟く。

 

 

「事前に話し合いもしましたし、許容範囲かと思いますよ」

「経験値のある紀々ちゃんはいいかもしれないよ?

 でも、香苗ちゃんはほとんど初心者みたいなものだし。ペースが早すぎると思うんだけど……」

 

 

 希海から出た懸念点に、紀々は表情を変えることなく返答した。

 

 

「香苗さんには持久力が向上するような魔具を装備してもらっているので心配はないと思います。

 それに、こちらに流れ込んで来ている魔物はほぼ全て希海さんに処理されてしまっていますし。希海さん以外は結構余裕があると思いますよ?」

 

 

 そう言って希海に視線を向ける紀々。希海は照れ臭そうに笑みを浮かべると、「えへへ」と言って頬を掻いた。

 

 

「褒めてません。希海さんもペース配分を考えてください。聖装が無いとはいえ、私もバックアップの護衛なんですから」

「うっ。そ、それは……ごめんなさい?」

 

 

 紀々にジト目で睨まれて希海はたじろぐと申し訳なさそうに謝る。それから気まずげに黙り込んでしまった。

 

 

「全くもう……。香苗さんも何か言ってあげてください。いくら聖装を持っているからって、このままだとすぐにバテてしまいます」

 

 

 呆れた様子でそう告げる紀々。私はそれに対して苦笑いで返し、「のんちゃんは頑張り屋だから」と希海の肩を持つ。すると、彼女は嬉しそうな顔でうんうんと力強く首肯するのであった。

 そんな私たち二人の様子を見た紀々はため息を吐きやれやれと言った具合に肩をすくめる。

 

 

「はぁ。まあ、もう少し進めば休憩ですし。いいですけど」

 

 

 紀々は諦めたように呟くと「それじゃ、行きましょうか」と言って歩みを進める。私は彼女の後を追いかけるようにして歩き出す。その後を希海がニコニコ顔で追いかける。

 

 魔力が枯渇気味な私に代わってメイングループの治癒を行っていた海馬先輩が私たちの元に戻ってくると、私たちの様子を見て何かを察したのか無言のまま小さく笑みを浮かべていた。

 

 

 それから数分、私たちは魔物に襲われることなく順調に進んでいけば、やがて少し開けた空間に出る。

 そこの中央付近には青々と茂った草木に天井から漏れ出る暖かな日差しのような光。その光景はまるで洞窟の中の小さなオアシスといったところか。

 ここはいわゆる安全地帯と呼ばれる場所であり、この部屋の範囲内に限ってのみ魔物が出現せず、侵入もしないのだそうだ。ゲームでも回復&セーブが行える地点が所々にあったが、恐らくそれがこの安全地帯にあたるのだろう。

 

 メイングループの天城総司達も先にここに到着していて休息を取っていた。天城総司の隣には來素水波が座っており、それを引き剥がそうとする風森千々の姿が目に入る。

 それを後ろで見守っていた東條タリアが私たちの到着に気がついたようでこちらに近づいてきた。

 

 

「バックアップの皆さん、ご無事で何よりです。何かお怪我などはありまんでしたか?」

 

 

 そう言いながら心配そうな表情を見せる彼女に私を含めた皆がそれぞれに首を振る。それを見た彼女はほっとした様子を見せた。

 

 

「それは良かったですわ。もし万が一にもお怪我をされていたらどうしようかと思っていましたので」

 

 

 東條先輩は笑顔を見せながらそう言う。そんな彼女に対して海馬先輩が一歩前に出て口を開いた。

 

 

「天城のヤツ、後ろに敵を回さないように張り切りすぎてないか? 戦闘後の怪我も多いし、ちょっとばかし無理をしているように見えるんだが……」

 

 

 そんな彼の発言に東條先輩は顎に手を当てて考える仕草をした。そして、数秒ほどして顔を上げる。

 そして困ったような笑みを浮かべると東條先輩はゆっくりと口を開く。

 

 

「そうですね……ソージは確かに普段から無理をすることが多い方なのですが、今回はいつも以上に頑張られているような気がしますわ。

 バックアップのほとんどを一年生が占めているから負担を減らしたいつもりなのかもしれません。私からもそれとなく注意できるようにしますね」

 

 

 彼女の返答を聞いた海馬先輩は腕を組みながら小さく息をつく。

 

 

「なるほどな。まぁ、アイツなら大丈夫だとは思うけどよ。あんまり無茶すんなって俺からも言っとくわ」

「はい、同性の方からの忠告なら多少は大人しく聞くでしょうし、よろしくお願いいたしますわ」

 

 

 海馬先輩の言葉に東條先輩は柔らかな微笑みを浮かべる。海馬先輩はそれに対してしっかりと力強く首肯した。

そして、その後、東條先輩と海馬先輩の二人はその場を離れていった。

 海馬先輩は少しだけ振り返って私達を見渡す。

 

 

「一年生、お前らも無理するんじゃねぇぞ」

 

 

 そんな言葉を吐いて彼は去っていった。

 しかし、海馬とか言うこの男は一体何者なのか。というかゲームに友人キャラなんていた覚えがないし、当然ながら私に記憶にも存在していない。

 しかしそれを言ってしまえば、私自身も一体誰なんだということになる。在野にも名も知らないモブは大量にいるんだと深く考えるのは止しておく。

 

 ひとまず海馬先輩の後ろ姿を見送った後、紀々が声を掛けてくる。

 

 

「私も千姉に話があるので少し離れます」

「それじゃあ、私と希海は先にお昼を食べ始めるね」

「はい」

 

 

 そう言うと紀々は天城総司の元へと向かう。それを静かに見送っていると希海はこちらへと顔を向けて口を開いた。

 

 

「とりあえず休憩しよう! お昼ご飯、食べよう!」

 

 

 その元気な声を上げる希海は、私の背負ったリュックサックに入っている食事を待ちきれないと言わんばかりに私を見つめている。

 彼女は今にも飛び込んで来そうなくらいにウズウズと体を揺らしている。好物をチラつかされた猫みたいだ。

 

 

「えぇ。そうしましょうか」

 

 

 そして、私たちは近くにあった適当な倒木に腰掛ける。それから、私が背負っていたバックパックを希海に渡した。

 希海はその中から学園支給の無骨な弁当箱を取り出す。

 

 私も同じものを取り出した。しかし、中に入っている食事はそれぞれで異なったものとなっている。希海のそれは洋風のおかずを中心に構成されているが、私の方は和洋折衷な内容となっている。

 これを見ていると、間違いなく冒険学科の学費は高額であることが伺える。

 

 

「うぅ~ん……いい匂いっ! 美味しそう!!」

 

 

 希海は瞳を輝かせて鼻をヒクつかせている様子に餌を前にしてヨダレを垂らす犬が重なって見える。

 彼女の反応を見て、私は思わず苦笑してしまう。犬なのか猫なのか、これが分からない。

 

 しかし、出来たてではないとはいえ確かに良い匂いではある。お昼前の空腹には毒だ。

 

 

「ふふ、楽しみだね」

 

 

 私はそう言って希海へと笑いかける。

 希海はそんな私の声に反応してハッとした表情になる。そして、すぐに頬を赤く染めた。何か恥ずかしいことでもあったのだろうか?

 しかし、それはすぐに笑顔によって掻き消される。

 

 

「……うん、すっごく楽しみ」

 

 

 希海は花が咲くような可愛らしい満面の笑みを浮かべながら言った。

 私はそれに自然とつられて笑ってしまう。

 

 

「さぁ、食べようか?」

「はーい!」

 

 

 そう言うと、希海は嬉しそうに返事をした。私はそれを微笑ましく思いながらも、自分の分のお弁当を手に取った。開けると、そこには色とりどりのおかずが詰まっている。見た目も華やかだし、とても美味しそうだ。

 私は手を合わせてから、箸を持ち上げる。

 

 

「いただきます」

 

 

 希海もそれに合わせて「いただきまーす」と言って、お弁当に手を付け始めた。彼女も私と同じように料理を口に運ぶと、口元をほころばせる。そして、幸せそうな顔を見せている。

 

 

「うーん、おいしー!」

 

 

 本当に美味しいものは希海がしているようにこうやって口に出すべきだと私は思う。だって、それを食べている時の幸福感は言葉で表現し切れないほど素晴らしいものだから。それならせめて言葉に出して味わった方がより一層、美味しさを堪能できると思う。

 

 

「うん、美味しい。あむ……」

 

 

 私はそう言って、自分のお弁当に入っているミートボールを摘んだ。冷めているとはいえ、それでも十分すぎるほどの旨みが口の中を駆け巡っていく。そして、その味は空腹と言うスパイスによってその価値は最高潮まで引き上げられている。

 私は、おかずの味付けに舌鼓を打ちながらご飯を食べる。そして、また、一口食べると、その美味しさで身体中が満たされていく。この感覚は癖になってしまいそうだ。

 

 

「戻りました。どうですか? 学園支給のお弁当は」

 

 

 私が幸せな気持ちに浸っていると、背後から声が聞こえてきた。

 そちらの方を見ると、紀々が立っていた。

 

 

「海馬先輩はメイングループとの予定の相談ついでに向こうで昼食を摂るらしいです」

 

 

 そう言いながら、彼女は手に持っている私のリュックから三つ目のお弁当をと取り出して私の隣に腰掛ける。

 それから、お弁当を開けて食事を始めた。

 

 

「海馬先輩って天城先輩達と仲良いの?」

 

 

 海馬先輩がこちらへ戻ってこないことに疑問を感じた私は隣に座っている紀々に訊ねた。

 すると、彼女は少しだけ困った表情をしながら答えてくれた。

 

 

「そうみたいですね……。詳しくは知りませんが、色々と顔は広いみたいです」

「へぇー」

 

 

 その様子からはそれ以上の情報は出てこないことが察せられた。海馬先輩がこちらに戻らずに向こうで食べることを考えると、少なくとも天城総司らと面識はあるのだろう。それか、年下の異性に囲まれるのが恥ずかしいのかもしれない。

 後者の比重が高い気がするが、私も海馬先輩の立場であれば御免被りたいと思うことだろう。

 そんなことを考えつつも、私はお弁当に入っていたウィンナーを頬張った。やっぱり、冷めてても十分に美味しいように作られている事は尊敬に値する。

 

 間もなく弁当箱を空にした私は両手を合わせて、「ごちそうさまでした」と食べ終わった後の挨拶をした。希海も私に続くように手を合わせる。

 休憩を終えた私たちは探索再開の準備を整えるのだが、そこにはメイングループからやってきた闖入者がいた。

 

 

「風森さん、あまり1年生に迷惑をかけないようにしてくれよ」

「大丈夫だよ、海馬君。私が絡んでるのは香苗ちゃんだけだし」

 

 

 海馬の注意に対して、闖入者こと風森千々は悪びれることも無く平然と答えた。

 

 

「そういう問題じゃ無いんだよ。他の子たちに示しがつかないだろ」

「えー、でも香苗ちゃんは許してくれたもん。ねぇ、香苗ちゃん」

 

 

 千々はそう言うと、後ろを振り向いた。すると、私を守るようにして希海が立ちはだかった。

 彼女は、準備を始める前まで見せていた笑顔とは打って変わって明らかに不機嫌そうな顔をしていた。

 

 

「何が許した、ですか。私は許可を出した覚えなんてありませんけど」

 

 

 希海のその言葉を聞いた途端、千々の顔から笑みが消えた。次いでに海馬先輩もあまり関わりたくないのかひっそりと姿を消す。男としていい判断だと思う。

 しかし、それは一瞬のことだった。すぐにまた彼女は笑顔を浮かべた。だが、先程まで浮かべていた朗らかなものとは違う、どこか胡散臭いような印象を与えるものだった。

 そして、彼女は希海に一歩、そして二歩と歩み寄っていった。希海は彼女の接近に合わせて身体を固く強ばらせる。希海の後ろに隠れるようになっている私には見えないが、おそらく彼女たちは睨み合う構図になっているのだと思う。

 

 

「なぁに? 希海ちゃん。香苗ちゃんのこと取られちゃうと思ってヤキモチ焼いてるんだ。可愛いところあるじゃん」

「……先輩、ふざけたこと言わないで。なんであなたなんかに」

「ふぅん、まあいいや。今日は香苗ちゃんに用があってきたんだけど、ちょっといいかな?」

「良くないです。私たち、今、忙しいんで」

 

 

 希海はそう言って、私を背にして彼女に対して警戒心を剥き出しにしている。それもそうだろう。

 私だって、突然こんな風に馴れ馴れしくされた上に、敵意に近い感情を露わにされたとするなら良い気分にはならない。

 

 

「そう邪険にしないで欲しいな。香苗ちゃんと談笑したいだけなんだよね〜」

 

 

 千々の言葉に、私は思わず首を傾げた。

 この人、何を考えているのだろうか。こんな私と会話をして一体、彼女にどんなメリットがあるというのだろう。しかし、彼女が私と会話したいと望んでいると言うことは私に何か変な気があると言うことだ。

 

 

「えっとー。あの、どうして……?」

「香苗ちゃん、そんなに構えなくても大丈夫だよ。別に取って食おうってわけじゃないし」

「信用できません」

「希海ちゃんには聞いてないんだけどな〜」

 

 

 希海は私に付き纏おうとしている千々に対して、排除しようとする姿勢を変えるつもりはないらしい。しかし、千々も引き下がる気配が無い。それどころか、ますます意固地になって食い下がっているようにすら見える。

 

 

「ねぇ、香苗ちゃん。ちょっとだけでいいからさ。千々お姉さんとお話しない?」

「だから、うちの香苗は取り合いません! 他所を当ってください」

「えぇ〜。困ったな?」

「……」

 

 

 どうしよう。

 私は正直、困っていた。いくらなんでもゲームの知識が豊富にあるとはいえども初対面の人と話すのは緊張しないわけが無い。そもそも、千々が私に何を求めているのかが分からない。だから、返事に詰まっているのだ。

 しかし、そんな窮地に颯爽と現れた人物がいた。

 

 

「千姉、天城が呼んでました……って、希海さんとなに向かいあってるんですか……」

「あ、きぃちゃんだ。やっほー」

「や、やっほーじゃなくて……」

 

 

 色々と所用あってメイングループへ顔を出していた紀々が希海と睨み合いをしていた自身の姉を見てげんなりと肩を落としていた。

 

 

「おかえり、紀々ちゃん。ごめんね。風森先輩が中々にしつこくて」

「あぁ、うん。なんと言うか……大変だったみたいですね」

 

 

 紀々は苦笑いを浮かべながら、私の隣に立つと彼女の方へと視線を向けた。そして、そのままジト目で見つめ始める。

 

 

「千姉……、香苗さんが困っているように見えるんですが」

「いやいや、香苗ちゃんとは仲良くしておきたいんだよ。これから先、一緒に戦うことになるかもしれないし? それに、香苗ちゃんは可愛いじゃん。妹にしたくなる気持ち分かるでしょ?」

「分かりません。千姉は度が過ぎてるんですよ。香苗さんが迷惑しているでしょう」

 

 

 紀々の言葉に、私は小さく首肯する。すると、それを見た千々が悲しげな表情を見せた。

 

 

「香苗ちゃんまで……酷いよぉ」

「千姉、当然の帰結です。酷くありません」

「うぅ……香苗ちゃんは私のこと嫌いなんだ」

「そういうわけじゃ……ないですけど」

 

 

 千々の言い分を否定しきれないのは事実だ。風森千々というヒロインは確かに天真爛漫さにダークな危うさを秘めたキャラクターであり、それはこの世界でも共通しているのだろう。なにより最初に攻略しようとしたキャラクターは風森千々だった訳だし、ゲーム内外の評価は最悪だったが個人的には彼女のことを嫌いという訳では無い。

 しかし、彼女がバッドエンドの引き金になる可能性が高いために強く警戒しているだけなのだ。しかし、それを彼女に説明したところで理解してくれるどころか悪化しそうに思える。

 だから、私が口に出来る言葉は一つだけだ。

 

 

「別に嫌ってはいませんから。ただ、ちょっと苦手なだけで」

「苦手……。嫌いより、マシだけどグサリと来るね〜……」

 

 

 千々は泣きそうな顔をしていた。その隣では呆れた様子の紀々がため息を漏らす。希海はそこで勝ち誇った顔をしているんじゃありません。

 

 

「えっと、その、なんて言うか距離感近いじゃないですか。だから、少し戸惑ってしまうと言いますか……」

 

 

 嘘は言ってはいない。

 実際、千々の距離の詰め方は少々強引なところがある。

 しかし、それを言ったところでどうにかなるとは思えない。彼女は一度決めたら絶対に曲げようとしないタイプだ。だからこそ、彼女に対してはっきりとした拒否の意思表示をしなければならないだろう。

 それはそれで大波乱の予感がするが、あんまり考えたくは無い。

 

 

「まぁ、良いや。それで、きぃちゃんは何の用事だったのかな?」

「千姉を呼びに来たんです。天城先輩が千姉を探していたので」

「そっか。わざわざありがとね〜」

 

 

 千々は紀々の頭を撫でる。紀々も満更ではないようで嬉しそうだ。

 その様子を眺めていると不意に視線を感じた。そちらに目をやると希海がこちらを見つめていた。

 

 

「のんちゃん?」

「な、何でも無いよ。気にしないで」

「うん? ……分かった」

 

 

 希海は慌てて私から視線を外す。一体何だったんだろうと思いながらも私は再び探索再開の準備、荷物と魔具の点検作業をする。

 

 

「あ、海馬先輩どこ逃げてたんですか!」

「え? いや、それは……」

 

 

 風森千々が去っていったや否や、フラリと戻ってきた海馬先輩は目敏い希海に詰め寄られて、タジタジとしている。

 逃げるという選択をしたのは海馬先輩は自業自得だ。ということで彼への助け舟は出さないことにした。



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なんだろう、全部壊れてる

 探索は再開され、私たちは魔巣窟のより深くへと潜っていく。

 

 私たちバックアップグループはメイングループと比べると戦闘の機会は少なくなるが、それでも全く戦わないという訳ではない。

 そもそも、私たちはサポートがメインの役割ではあるが、メイングループがバックアタックを受けないように事前に報告或いは排除する役割も持っているのだ。

 

 それでもメイングループのそれと比べても、こちらが安全であることに違いは無い。

 

 

「香苗さんお疲れ様です。これを」

「紀々ちゃん、ありがとう」

「どういたしまして」

 

 

 私は魔力を回復させる薬剤が詰められた水筒を受け取り、中の飲み物を口に含む。スポーツドリンクのような塩味と酸味が口の中に広がり、喉を通っていく。

 支援の魔具を使用するのも体内の魔力を消費し、疲労をガンガン蓄積させていく。なのでこまめな魔力回復は非常に重要だ。

 魔具と言えば死亡を回避出来るややレアな魔具を紀々から借り受けている。そのため余計に消耗しやすいのには目を瞑るとして、それはドがつく初心者だからといって皆に迷惑をかけ続けるわけにはいかない。もし効果を発揮するタイミングがなかったのだとしても、心身を鍛えられるいい機会だと思って利用させてもらうつもりだ。

 蛇足だが、この魔具を借り受けた時にこれ一つでおいくら万円かと聞いたところ、取引不能と答えられた。親からのプレゼントなので後ほど返してくれと添えて。

 

 私はゆっくりと息を吐いて呼吸を整える。そして、希海は私の隣に腰を下ろして、こちらを覗き込むようにして話しかけてきた。

 

 

「香苗ちゃん、大丈夫? 無理していない?」

「うん。大丈夫だよ」

「本当に?」

「本当だってば」

「でも……」

 

 

 希海は私のことを心配してくれているようだ。もちろん彼女の気持ちは嬉しいのだが、あまり過保護になって貰っても困る。というのも、希海が私に対して依存気味になっているように思えてならない。

 記憶が戻ってくる前の私では、こんなことは考えなかっただろうが今の私は違う。私は希海のことを親友と思っているし、彼女のことを一人の人間として好きだ。だからこそ、希海(推し)には自分の人生を歩んで欲しい。

 そのために私ができることは限られてくるだろうが、それでも彼女の力になりたいと思う。

 

 

「私なら大丈夫だよ。そんなに心配しなくても平気」

「そうかなぁ……。香苗ちゃん、前は結衣ちゃんと一緒じゃないと眠れないとか言ってたし……」

「いやいや、流石に今は一人で寝てるから」

「じゃあ、一緒に寝ちゃう? 昔みたいに」

「どうしてそういう話になるの……」

 

 

 希海がニヤリと笑う。完全に遊ばれている。いや、揶揄われていると言った方が正しいか。普段はゲーム通りにあまり人と関わろうとしない希海ではあるが、こういう風に私と会話しているときの希海は実に楽しげにしている。

 香苗の記憶にある希海と言えばコレだ、なんて思うが故に私に依存しているだなんて考えが浮かんできてしまう。

 

 

「冗談。ちょっとからかっただけ」

「知ってるよ。もう、あんまりからかわないで」

「二人とも、探索中の私語は慎んでください。メイングループが接敵します」

 

 

 希海に注意することをもはや放棄している海馬先輩に代わって、呆れた様子の紀々が注意してくる。紀々の言う通り、今まさにメイングループの面々が魔獣と交戦するところであった。

 私はそれを眺めながら紀々が入れてくれた魔力回復の薬液をちびちびと飲む。彼らの戦闘は相も変わらず安定した戦いと言うべきもので、危なげなく戦闘を進めていく様子は正に圧巻の一言に尽きる。流石は主人公、と褒めておくべきなのだろう。

 希海は希海でその様子をどこか羨ましそうな眼差しで見ている。私は少し躊躇いながらも彼女に気になっている事を問いかけてみることにした。

 

 

「ねぇ、希海はああいう風に強くなりたいって思ったりするの?」

「えっと……、まぁ、憧れはある、かも。強くなれたらなって」

 

 

 彼女は苦笑してそう答える。その瞳には確かな憧情の色が見えるような気がした。彼女もまた天城総司たちのように、誰かを守りたいと心の底から思っていたりするのだろうか。だとすれば、私にもできることがあれば協力したいと思う。

 

 

「のんちゃんが強くなったら私も嬉しく思っちゃうかも」

「……うん。頑張る」

「私も手伝うよ。だから、無理はしないで」

 

 

 照れ臭そうに俯く希海の頭をつい撫で回してしまいそうになる手を自らの意思で抑え込み、彼女の肩を軽く叩いて激励の言葉を贈る。そんなこちらの様子に、彼女は頬を朱色に染めて恥ずかしそうにしながらも笑顔を浮かべてありがとうと呟く。そして顔を再び前に向けると魔物が巨体を揺らし、メイングループの戦闘が終わる瞬間を目撃した。

 希海はそれを眺めていると小さくため息を漏らした。

 

 

「のんちゃん、どうかした?」

「えっ? ああ、何でも無いよ」

 

 

 希海が何かを考え込んでいるようだったので声を掛けると彼女は慌てたような反応を見せたが、誤魔化すように微笑む。

 彼女は私の手を手繰り寄せるようにして握ってくると、私にの顔を伺うようにじっと見つめてくる。彼女のその行動の意図を掴めず首を傾げつつも、特に抵抗することなく彼女の好きにさせる。

 やがて思いを決めたのか、希海は言い聞かせるように口を開いた。

 

 

「ね、香苗ちゃん」

「どうしたの?」

「香苗ちゃん……、その……」

 

 

 希海は言いづらそうな感じで、言葉を探すかのように口籠っている。しかしそれも一瞬のことですぐに覚悟を決めたのか私のことをしっかりと見据えてきた。

 希海は私の目を見詰めたまま口を開く。

 

 

「……あの、さ。魔物のこととか、怖かったりしない? 香苗ちゃんこそ無理なんかしてないんだよね」

「魔物が?」

 

 

 彼女が指さしたのは、メイングループが討伐したばかりの火熊(フラメベアー)。その死骸からは大量の血が流れ出ており、辺り一面を赤く染め上げている。

 私は希海の質問の意図を測りかねながらも、とりあえず答えることにした。

 

 

「のんちゃんと一緒なら、怖くないよ」

「……へ? あぁ、うん。そ、そうだねっ?」

 

 

 希海は何故か顔を赤らめて、視線を彷徨わせている。一体何なのだろう。私としては希海と一緒であれば怖いことなど何もないので、別に普通に答えているつもりだったのだが。

 希海は私の回答に戸惑ったようで困惑しているようだ。しかしすぐに立ち直って笑顔を見せる。

 

 

「な、何かあったら、私に相談してよね。すぐにだよ!」

「うん」

 

 

 

 希海は嬉しそうでいて、どこか複雑な表情をしていた。もしかすると彼女に心配をかけてしまっていたのかもしれない。私は彼女にこれ以上不安を与えないよう出来る限りの明るい声を出して笑いかけると、大丈夫だと告げた。

 私がそういう風に返事をした途端、彼女の中で張り詰めた空気が緩んでいくのを感じた。

 

 

「そっか……。香苗ちゃんも無理なんかしちゃダメだからね」

 

 

 彼女はそう呟くと同時にほっとした様子で微笑むと私に身を寄せて、きゅっと私の手を握りなおす。そしてこちらを見つめてくるのだが、彼女の目には私のことしか映っていないように思える。私は苦笑しつつも、再び彼女のしたいようにさせてあげた。

 私達が見守る中、魔獣の亡骸は徐々に粒子となって崩落していき、後に残ったのは火熊の魔核と素材だけだった。それを私と海馬先輩の二人がかりで回収し終えると私達は先へと進む。

 

 

 

 しばらく歩いて、二度の戦闘を終えた頃合だっただろうか。

 洞窟の中に見合わない程の大きな湖が姿を現す。まるでどこかの地底湖さながらの秘境のような場所。神秘的と言っても良いかもしれないが、ここが魔巣窟であることを考えれば、この光景がどれだけ異質なものなのかを実感できるというものだ。

 地底湖の畔にはキャンプ地として使えそうな空間がある。予定では次の層へたどり着いてから野宿をする予定ではあったのだが、二層の魔物と三層の魔物を比較し防衛のしやすさも考えるとここで野営を行うのが安全だろうと言う結論が出ることになった。メインの面子と合流し、バックアップのメンバーはそれぞれで二人用のテントを張っていく。

 

 

「香苗さん、そっちの荷物からロープを持ってきてください。二本ほど足りなくて」

「あ、分かりました」

 

 

 紀々に呼ばれ、荷物を運ぶ手伝いをする。こういった作業に関しては私はまだまだ未熟者なので私よりも中期に及ぶ魔巣窟の探索に慣れているだろう紀々や海馬先輩の指示に従う。私が紀々にロープを受け渡すと彼女はそれを慣れた様子でペグに留め付けていく。その動作は淀みが無く、無駄がない動きと言える。

 

 

「手馴れてて頼もしいね」

「ありがとうございます。まあ、このくらいはできないと追いつけないので」

 

 

 感心したように私が呟くと、照れくさそうにして彼女は作業を続けて、瞬く間にテントを組み立ててしまう。 私はそれを手伝うわけなのだが、私がいない方がもっと早いのではないかと思ってしまう。彼女は私よりも遙かに効率よく作業を済ませてしまい、手際の良さを感じずにはいられない。

 彼女はテントの設営を終えると、私の方に振り返る。

 

 

「これで粗方の準備は完了ですね。香苗さんの方は大丈夫ですか?」

「うん、もう終わるところだよ」

「お疲れ様です。じゃあ少し休みましょうか」

 

 

 紀々はそう言うと折りたたみのスツールを二つ並べて置いて、そこに座るように促してくる。私はその言葉に従って腰掛けると、ふうと一息ついた。すると自然と体が弛緩していくのを感じる。それだけ疲労していたという事だろう。

 私は自分の体を労わるようにゆっくりと背筋を伸ばしたり、手足を動かしたりしながら緊張していた筋肉を解していく。

 

 

「やっぱり、初めての場所は落ち着かないかもしれない」

「意外ですね、香苗さんはもう少しどっしり構えているものかと思っていました」

「そう、……かな?」

「はい。私もそう思っていたんですけど」

 

 

 そうだろうかと私は苦笑しつつ、頬を掻く。

 私自身、私の事をあまり頼り甲斐のある人物では無いと思っているのだが。どちらかと言えば、誰かがフォローをしてあげなければ危なっかしく、どこか抜けた部分が目立つような人間であると認識している。

 しかし、こうして指摘されるとそんな風に見えているんだなと思うと不思議な気持ちだった。

 

 

「そうですね、どっしりと言うよりも図太いと言うのが合っているかもしれません」

「うーん……」

 

 

 それは褒められているんだろうか? 何とも言えない気分だ。

 

 

「か、香苗ちゃーん!」

「ぴぃっ!? のんちゃん?」

「……変な鳴き声」

 

 

 突然、背後から希海に抱きつかれ、私は思わずひよこのような小鬼を連想させる悲鳴を上げてしまう。紀々はその様子を眺めながらくすりと笑うと、そのまま視線を希海の方へと移した。

 

 

「希海さん、どうしました?」

「えっと、テントを張りたいんだけど全然上手くいかなくて……」

「……私が様子を見に行った時は上手くいっていたように見えたのですが」

「いやぁ、あの後、一人で頑張ってみたら何故か全部壊れちゃって……」

 

 

 希海は困ったように笑って、頭をかく。私は彼女の腕から抜け出すと、彼女が張ろうとしていたであろうテントの傍まで歩み寄っていく。紀々も私の後を追うようにして席を立った。

 テントは布が所々が裂け、支柱が何故が地面に生まれた亀裂に呑まれた上に折れ曲がっている。なんだろう、全部壊れてる。

 

 

「あ、あはは……、おかしいよねぇ……」

「……」

「これは酷い」

「いやこれ、何があったんですか」

「それがですね、……さっぱりで」

 

 

 希海の言葉に私と紀々は顔を見合わせる。

 テントを張る作業は確かに力のない一般の女性であればコツか力が必要だったり難しい作業ではあるのだが、テントを壊すような失敗はしないはずだ。多分。

 

 

「何か、力が入っちゃったとか?」

「そうなのかなぁ……。でも、今までこんなことなかったのに。それになんか、最近、力が強くなり過ぎてるような気がするんだよねぇ」

「力が強い、ですか?」

「うん。前に魔物と戦った時からなんだけど」

 

 

 希海はそう言って、拳を握る。そしてそれを見つめると、不思議そうに首を傾げた。

 

 

「最初は気のせいかなって思ったんだけど、やっぱり、強くなったのかな」

「そう、なんですね。……ちょっと、失礼しますね」

 

 

 紀々はそう言うと無惨にも潰れた上に地面にめり込み、使い物にならなくなったペグの残骸に手を触れる。彼女は眉間にシワを寄せて、難しげな表情を浮かべていた。

 

 

「聖装が覚醒した影響でしょうか。姉も聖装が目覚めた三ヶ月間は身体能力の変化に慣れずに苦労したものと聞きますが」

「確かに私も初めて覚醒した時はそうだったよ。でも、今になってまた起こるなんて思わなかったな……」

「確かにそれを思えば、おかしい話ですね。希海さんが初めて聖装を手にしたのは小学生の時と聞きかじってます」

「うん」

 

 

 紀々は考え込むように顎に手を当て、俯く。私も彼女と同じように、希海に起こった変化について考えていた。希海の身に起こっている事は、確かにおかしなことだ。

 本来、聖装とは十代後半から二十代前半にかけて目覚めると言われているものだ。しかし、希海の場合は例外中の例外で、小学五年生の時に覚醒している。当時の記憶は未だに曖昧なので思い出すことすら出来ないが、とても凄かったということだけを憶えている。

 

 

「早い段階で聖装に目覚めたのは知っていましたが、聖具師の誘いも多かったでしょうに」

「全部断っちゃったー」

 

 

 聖装に目覚めること自体が稀有な例だが、平均より早い年齢で聖装に目覚めることはそれよりも珍しい。そして早く聖装に目覚めた者は通常よりも聖装の力を引き出すことが出来るようになる事が多いため、飛び級で専門の聖具師なる公務員を育てる教育機関に入学させられることが多いのだと紀々が教えてくれる。

 例外も多い上に優秀な聖装を持った聖具師の座を蹴ってすら居るとは流石はラスボスの素養を持っているだけはある。

 

 

「あの時はお母さんが私のことを案じてくれてね、そのまま小学校、中学校と通わせてくれたんだ」

「それで、そのまま進学したと」

「うん。だから中学校に入った時点で、聖具師の誘いが来ていたけど、それをずっと断っていたの。私は香苗ちゃんと冒険家になるって決めてたから」

 

「なるほど。だからこの学園に」

「そういうこと。でも、そのせいで中学校に入学した時は色々と大変だったんだ。ね、香苗ちゃん」

「お、憶えてないな……」

「えぇっ!?」

 

 

 希海は驚いた様子を見せると、悲しそうな表情で項垂れてしまう。希海がぐったりとして今にもしくしくと泣き出してしまいそうな様子を見て、私は慌てふためいてしまう。

 

 

「……その、ひとまず話を戻しませんか? そろそろ真面目にテントのことを考えていかないと、今日寝るところが足りなくなってしまいます」

 

 

 項垂れた上に私がオロオロとし始めたのを見て、収集がつかなくなると考えたのか紀々が慌てて話題転換を持ち出す。

 

 

「あっ、ごめん! テント、そうだよ。……ええと、どうしようか」

「それを考えている最中です」

 

 

 希海はハッとした表情になると、すぐに落ち込んだ表情に戻る。彼女には色々と申し訳ないことをしてきているが、コロコロと変わる表情を見ていると本当に感情表現が豊かだなぁと感心しながらその様子を眺めていた。

 

 

「おい、一年。テント立て終えたか?」

 

 

 そんな風に彼女が一人で百面相をしていると、背後から声を掛けられる。振り返るとそこには海馬先輩が立っていた。彼はこちらを見ると、不機嫌そうに顔をしかめる。

 

 

「これ、テント……? 何があったんだ、こりゃ」

 

 彼の視線の先には地面にめり込み原型を留めていないペグと、そこから生じた細い亀裂に巻き込まれたテントの支柱、そして何故が刻まれるように破れたテントの天幕がある。

 恐らく、ペグを打ち込んだ際に力加減を間違えてしまったのだろう。テントの支柱は地面とほぼ平行になっており、まるで巨大な獣が噛み付いたかのように地面に食い込んでいる。そしてテントの生地には無数の穴が空いており、それはもう見るも無惨な姿であった。

 海馬先輩は至って冷静に私たち三人の様子を窺っているようだったが、内心では怒りを覚えているようで額に青筋を浮かべながら笑顔を作っていた。

 

 

「……大体、コレを仕出かした奴は分かった」

 

 

 海馬先輩は腕を組み、苛立ちを隠さずに言い放つ。

 

 

「お前らも連帯責任だ。さっさと予備使って建て直しとけ」

「す、すみませんでした……」

「怒っても仕方がねぇ。とりあえず設営は俺も手伝うから。藤咲、お前は柴宮が怪我してないか再度確認しろ。風森は俺と一緒にメイン組の荷物から予備のテントもって来るぞ」

「分かりました」

「はい!」

 

 

 海馬先輩の指示に従い、私たちは動き始める。希海に痛いところはないかどうかを訊ねると、特に無いとのことだったのでそのまま彼女の担当していたテントの設営を手伝うことになった。その後、希海がハンマーを振るう際に発生する衝撃波(ソニックブーム)が周囲の物を音もなく切り裂くことが判明したり、希海の握力で洞窟の地面が抉れることが判明したりと色々あったのだが、どうにかこうにかテントを建てることに成功した。

 

 設営を終えた頃、()()()海馬先輩はやつれていた。怪我は私が治した。

 

 

 

 

 

「では、不寝番は予定通りにします」

「風森妹と來素さんにトップバッターは任せる。俺と天城は二番目な」

「では私とチユキがトリですわね」

 

 

 紀々と海馬先輩の言葉を受けて、東條タリアが口を開く。メンバーが決定した時から話はしていたのだが、初日の夜は中期の探索に不慣れな私と希海は最初の夜番から外れることとなっていた。

 

 

「初心者の香苗さん達は気にせずゆっくり休んでください」

「うん、ありがとう。おやすみ」

「では、おやすみなさい」

 

 

 私は紀々と就寝の挨拶を交わし、横になる。今日は魔巣窟で初めての本格的な探索を行ったこともあってか、精神的にも体力的にも疲れていたらしくすぐに眠気が襲ってきた。魔巣窟について少し甘く見ていた。希海と二人で寝る予定だったが予期せぬハプニングもあり、結局一人きりの就寝となってしまったのはすこし物悲しさを覚える。瞼を落として意識を暗闇に沈めていく。

 

 眠りにつく寸前、何か柔らかいものが私の唇に触れたようなそんな感覚がしたのだがそれが何だったのかは良く分からなかった。

 ただ一つ言えることは、私はその瞬間が嫌ではなかったということだけ……。



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飛び出す魔物、飛び出しそうな鼓動

 ―――ふと、目が覚めた。

 洞窟の中だということもあり、光源が無ければ何があるのかがぼんやりとしか分からないほどに薄暗い。もし光源となる道具を持ってきていなければ、この地底湖の空間に限るが月明かり程度の光を発する苔を頼りにするしかない程だ。

 私は近くに置いていたライトをゆっくりと上体を起こす。隣を見ると、そこには誰もいなかった。

 それもそのはず。希海は力を制御できないなどというイレギュラーが発生してしまったせいで、急遽テントの外で眠ることになったのだ。

 今頃、希海のメガトンパンチが湖を割り、湖水を残らず亀裂に飲み込ませていたりしないだろうか、なんて。

 

 

(……それは無いか)

 

 

 過剰に心配をしていても仕方がない。私は半身を起こした状態で、身体の凝りを解すように伸びをする。

 昨日の疲れはまだ微妙に残っているが、一日中歩き回っていたにしては疲労感は少ない。魔具様々だ、などと言いたいところではあるがドーピングをしているみたいで素直には喜べそうになかった。

 魔巣窟以外でも携帯可能であれば手放せない代物になっていただろう。誠に残念なものだ。

 

 身体に違和感が無いことを確認した後、テントの外へと這い出る。湿度高めのひんやりとした空気が肌を撫でた。ふと腕時計を確認すると、その針は午前4時半過ぎであることを指し示している。

 魔巣窟の外であるなら日が昇るまであと数時間といったところだろうか。まだ寝ていても良さそうなものだが、出発の時間が7時前であることを考えると二度寝するには微妙な時間なことは確かである。

 

 

「……ん、ん~っ!」

 

 

 両手を上げて大きく背筋を伸ばす。凝り固まった筋肉が解されていく快感を味わいながら息を大きく吐き出す。

 ここが洞窟ではなく大自然の中であれば、もっと開放的な気分に浸れたことだろう。だがここはあくまでも魔巣窟である。いつ魔物に襲われるかもわからないからこそ、十分に気を引き締めなければ。

 

 

「さてと……」

 

 

 今日の探索に向け、体を温めようとしていたところで、視界の端で小さな何かが動いた瞬間を捉える。咄嵯に視線を向けると、そこには何も無かった。

 

 

「……?」

 

 

 一瞬ではあったが確かに見たと思ったのだが、どうやら見間違いだったらしい。私は肩透かしを食らいながらも、首を傾げる。

 

 

(まあいいか)

 

 

 あまり深く考えても仕方がないだろうと私は思考を放棄し、とりあえずストレッチを始めることにした。

 

 

 

 ―――それから15分ほどの時間が経過した頃合になるだろう。身体を軽くほぐした後に、本日使う予定の魔具の点検をしていたところ、背後より声を掛けられる。

 

 

「あら、カナエはもう起きていらしていたのですね」

 

 

 振り返るとそこに立っていたのは東條タリアであり、彼女は私の手元に目線を向けていた。

 私の手にあるのは学園からの借り物であるランタン型の魔具。魔力を込めることで持続的に炎を灯すことが出来る優れものだそうで、その明るさは一般的な懐中電灯のよりもやや暗いものの、火種に出来たりと使い勝手の良いものだ。

 

 

「おはようございます、東條先輩。ちょっと早く目が覚めちゃって」

 

 

 私がそう言って軽く笑うと東條先輩もまた金色の瞳を細めて笑みを浮かべた。

 彼女はジャージ姿の私とは違って、とても動きやすそうな戦闘衣に身を包んでいる。この課外活動の間、先輩らの服装についてはあまり気にしないようにしていたが、こうして改めて見るとやはりメインヒロインとしての風格を感じさせるような格好(デザイン)をしていた。

 

 洞窟内ということもあって暗く、はっきりと視認こそ出来ないが恐らく黒を基調としていると思われる戦闘衣は、所々に金糸のような装飾があしらわれており、それがまた彼女の金色の髪と非常にマッチしている。

 その上で後衛の魔法使いを連想させるようなゆったりとした服の隙間から覗いている白い地肌は、暗闇の中であっても眩しく見える。

 その衣装の露出に目のやり場に困っている私の心中を知ってか知らずか、彼女は私の方に歩み寄ってくる。今は女であるとはいえガン見して良いものではないと思っているのだが、つい目が行ってしまいそうで困る。しかしそんな邪な気持ちを抱いていることがバレるわけにもいかないと、私は努めて平静を保つ。

 

 

「お早いのですね。もう少しゆっくりしていても良いと思いますけれど」

 

 

 そう言いながら私が点検作業をしている隣にしゃがみ込む東條タリア。その距離感は彼女の吐息が耳に掛かるとまでは言わないが、それでもかなり近い位置だ。

 

 

「あー……いや、なんか目が冴えちゃったんですよね。だから早めに準備をしておこうかなって思いまして」

「ふふっ、なるほど。そういうことでしたか」

 

 

 私が少しだけ緊張しながら口を開くと、彼女はおかしそうに笑い声を上げた。そしてそのまま立ち上がると、「では私は不寝番の仕事に戻りますね」と言って歩き出す。

 

 

「あ、はい! お疲れ様です!」

「はい、それじゃあ今日も頑張ってくださいね。カナエ」

 

 

 話すだけ話して去っていってしまう東條先輩の後ろ姿を見送り、私は思わずため息を漏らしてしまう。

 

 あの人はなんなんだと、私は自分の胸元に手を当てながら思う。

 正直なところ、彼女が何を考えているのかよく分からないのだ。

 別に嫌われているとか、そういった類の感情は抱かれていないのは多分、間違いないだろう。だが、彼女は風守千々について忠告してくれたりと妙な親近感のようなものを感じてしまう。それが何なのかは上手く説明が出来ないが、少なくとも私を天城総司から引き離してそこで終わりという訳では無いらしい。

 そもそも私は女同士の友情というものについて、いまいち理解が出来ていなかったりするのだが。

 

 香苗としての記憶は穴抜けになっている部分が多いものの、香苗は元より友達といった類は少なく他人とのコミュニケーションも苦手としていたようだ。身近なサンプルはスキンシップが過剰な気がするのであまり参考にならないし、前世の記憶は男であったが故に友達付き合いとして露ほども役に立つとは思えない。

 故に女同士における適切な距離感というのが分からず、彼女との距離感を掴みかねている。なんだったら最初の邂逅の悪印象も足を引っ張っているのかもしれない。

 だがしかし、私が壁を作ってしまうほどには、東條先輩のアレはインパクトが強かった。

 

 

「慣れないなぁ……」

 

 

 洞窟内に響く水滴の音を聞きながら、私は呟いた。

 

 

 さて、それから数時間もすれば探索再開である。

 

 私たちは第二層から第三層へと足を踏み入れる。この階層は瞬く間に通り抜けてしまった第一層や広く複雑であった第二層とは異なり、洞窟の広い部屋の中に自然が構築されているという感じの作りとなっている。

 天井は高く、高さにして10メートル以上はあるだろうか。壁はゴツゴツとした岩肌が剥き出しとなっており、所々には苔のようなものが生えている。地面は土が露出しており、湿っているためか靴越しにでもじっとりと濡れた感触が伝わってくる。

 

 

 

 

「……空気中の魔素(エーテル)濃度が高いな」

 

 

 海馬先輩が呟いた言葉に、私は首を傾げる。確かにこの階層に入ってから妙な息苦しさを感じるのは確かだが、それは私が単にそういう環境に慣れていないだけだと思っていた。

 

 

魔素(エーテル)って私たちの力の源にもなってるやつですよね」

「あぁそうだ。呼吸して体内に取り込んでいるな。だが、これが多すぎる空間だと普通の人間は不調を訴える」

「そうなんですか?」

「あぁ。だから藤咲はあまり無理するなよ」

「え、希海や紀々ちゃんは大丈夫なんですか?」

 

 

 海馬先輩の言葉に、私は希海の方を見る。彼女は普段と変わらない様子であり、平然としていた。

 

 

「聖装に覚醒してると魔素の悪影響は受けないんだって」

「そ、そうなんだ……」

「聖装に目覚めてないと、濃い魔素とかには耐えきれず最悪死んじゃったりすることもあるみたいだけどね」

 

 

 そう言って、希海は笑みを浮かべた。私よりも遥かに余裕があり、頼もしいなと改めて思う。

 後ろからひょいと現れた紀々は私の隣に並ぶと、先ほどの会話に補足をしてくれた。

 

 

「聖装を持っていなくとも訓練していて魔力量や魔力制御の上手い人なら、魔素の影響は受けませんよ。逆に聖装を持っていても極端に魔力量が足りなければ魔素の影響を受けることもありますけど」

 

 

 そんなことほとんどありませんが、と紀々ちゃんは付け加える。

 

 

「なるほどね。じゃあ、紀々ちゃんは影響受けたりしないってこと?」

「私の場合は訓練や慣れの問題ですね。元々魔力量が多い方なので。この魔素の量だと、そこに居るだけでもかなりの量だと感じますので、香苗さんの方こそ心配です」

 

 

 言われて、私は周囲を見渡すように呼吸をしてみる。確かに息苦しいような気はする。しかし、これくらいならば問題ないだろう。

 私たちは第三層へと降りて、そのまま森林の様相を呈した洞窟の中を歩いていく。木々の隙間からは弱い光が差し込んでおり、薄暗いものの視界が確保できない程ではない。

 洞窟内は静寂に包まれており、時折聞こえてくる鳥らしき何かの声が反響するばかりである。しばらく歩いていると、不意に紀々が立ち止まった。

 

 

「希海さん!」

「おおっと危ない」

「ひゃっ!?」

 

 

 紀々が大きく声を上げると希海によって突然手を掴まれ、そしてそのまま私を近くへと引き寄せた。すると、私達の目の前を巨大な蛇のような生物が高速で通過していったのだ。

 全長4メートルはありそうなその大蛇は不満げにこちらを振り向き、舌なめずりをした。どうやら、獲物を仕留めきれなかったことが気に食わなかったらしい。

 

 

「……紀々ちゃん、これって何?」

「フォレストジャイアントスネーク、濃い魔素の影響で巨大化した蛇型のモンスターです」

「なるほどねぇ」

 

 

 私は希海に抱き寄せられたまま、黙って彼女の解説を聞いている。私の頬は熱く、希海の顔が近く、私は視線を合わせられずにいた。

 

 

「柴宮、風守妹、前衛は任せるぞ! こっちは余裕があったらメインの連中を呼ぶ!」

 

 

 少し離れた地点から海馬先輩から指示が出る。希海と紀々ちゃんは同時に返事を返すと、すぐに行動を開始した。

 

 

「希海さん、香苗さんは任せます」

「おっけー。香苗ちゃん、少し我慢しててね」

「う、うん……」

 

 

 私は希海の腕の中で身を縮こませて、彼女に身を任せる。

 そして次の瞬間、私は希海に抱き抱えられて跳躍していた。先ほどまで私達が立っていた場所に、大きな地響きと共に大蛇の頭が叩きつけられる。地面に激突した衝撃によって、辺りの砂埃が舞い上がる。視界が塞がれてしまい、私は思わず目を閉じた。

 

 

「バックアップだけを狙った奇襲とは……、第三層は一筋縄じゃ行かないね」

 

 

 希海の声が聞こえる。しかし、私は目を開けることが出来ない。情けない話だが、恐怖心が身体を支配しており思うように力が入らないのだ。それにしても、一体何が起こっているのか。今の状況が分からないことが一番怖い。私の耳に、何かがぶつかる音と液体が飛び散るような音が聞こえてきた。恐らく、紀々があの蛇と戦っているのだろう。

 

 

「ほら、もう大丈夫だよ」

「ごめんね……」

「謝ることじゃないって」

 

 

 ようやく動けるようになった私はゆっくりと瞼を開くと、希海は微笑みながら私を見つめていた。至近距離でその美形を見つめた私は思わず顔の温度が高まっていくのを感じる。役得と言えば役得なのだが……、どうにも希海の顔を見ていられない。

 

 

「立てる?怪我はない?」

「う、うん、平気だよ……。ありがとう、のんちゃん」

「どういたしまして。それじゃ紀々ちゃんのお手伝いに行くから!」

 

 

 私が立ち上がると、希海はすぐに私から離れて紀々が大蛇と戦闘している場所へと駆け出した。私はそれを見送ることしか出来ない。彼女は強いなぁと感心しながら私はその後ろ姿を眺めているばかりだった。

 私は自らの唇に指をあてて、無意識のうちにそっとなぞるように触れていた。何か柔らかかった記憶が……。

 思い出そうとすると再び顔が赤くなってしまいそうで―――。

 

 

「藤咲、どうした? 様子がおかしいぞ」

「あ、……いえ! な、何でもありません!」

「そ、そうか?」

 

 

 私は海馬先輩に呼ばれ、そちらの方へと向き直る。彼は腕を組み、難しい顔をして考え事をしているようだった。

 助かったと言えるだろうか……。いや、助かった。間違いない。

 結局、大蛇はメイングループの到着を待つことなく希海によって倒され、塵となって崩落していく。その様子を確認すると、希海は振り返り私の元へと戻ってくる。

 

 

「お疲れ様、のんちゃん」

「香苗ちゃんこそ、お疲れさま。でも、本当に怪我とか無い?」

「う、うん。大丈夫」

 

 

 希海は私を心配してくれているようだ。私は笑顔で応えると、希海は安堵した表情を浮かべて笑った。

 

 

「良かったぁ〜。香苗ちゃんが大怪我でもしたら私、泣いちゃうかも」

「大袈裟だなぁ」

「そんな事無いよ……。だって、大切なヒトなんだもん」

「そこまで言われてもなぁ……」

 

 

 私は照れ臭さを感じながらも、何とか言葉を絞り出す。希海は満足そうに笑うと、そのまま会話を続けた。

 それからしばらく歩くと、今回の目的であるカラドウルフの痕跡のある地点へと辿り着いた。その場所には複数の足跡が残されており、まだ新しいものだと判断することが出来る。

 

 恐らくここにカラドウルフの群れが待機している。

 

 

「今回の目的って、この痕跡の主の素材なんだっけ」

「はい。目的の魔物、カラドウルフの毛皮を持ち帰ることが今回の目的です」

「そっかー。でも、どうしてそのモンスターが必要なの?」

「カラドウルフは毛皮が高級品として扱われています。ですが、それだけではありません。彼らは魔力を帯びた攻撃に耐性があるのです。その性質を利用して、魔法防御の高い防具型の魔具を作ることが出来るんです」

「へぇ~、凄いんだねぇ」

 

 

 紀々ちゃんの説明に希海は関心した様子を見せる。

 

 

「注意として、カラドウルフは単独ではそれほど強くありません。ですが、群れを成して行動する習性があるので油断すると餌になります。主立って戦闘するのはメイングループですが、バックアップの役割のひとつであるバックアタックの防止、退路の確保のことを忘れないように」

「代わりの説明助かる」

 

 

 紀々は真剣な面持ちで言うが、本来は海馬先輩の役割だったらしい。彼は少し離れた場所から、紀々ちゃんの言葉を聞いて小さく相槌を打っている。

 私は彼女の言葉を聞き、改めて気を引き締めた。

 

 

「よし、メインから突入の指示を待つぞ」

「分かりました」

「はーい」

「分かった」

 

 

 海馬先輩の言葉に従い、私たちは待機する。希海は緊張感の無い返事を返したが、私もそれに合わせて返事をした。しかし、内心は緊張していた。

 これから戦うことになるのは、今まで戦ってきたような雑魚ではない。それなりにレベルを上げた冒険家ですら苦戦を強いられる相手なのだ。私は自分の手を見る。震えてはいないが、心臓がバクバクと高鳴っていることは自覚出来た。

 

 

「大丈夫ですか?香苗さん」

「え?ああ、うん……。大丈夫だよ」

 

 

 紀々は心配そうな表情を浮かべながら、私に声をかけてくる。私はそれに対して苦笑いをしながら応えると、彼女は私が杖の魔具を持つ右手を両手で包み込んだ。

 

 

「私と希海さんが貴女を守ります。だから、安心して下さい」

「紀々ちゃん……」

「あー、紀々ちゃん、ずるい!」

 

 

 希海は私と紀々の間に割って入ると、紀々はくすりと笑みを溢した。

 

 

「ごめんなさい、希海さん。香苗さんのことが可愛くてつい」

「むぅ……、仕方がないなぁ。私は理解のある親友なので」

「ありがとうございます」

 

 

 紀々ちゃんは私から手を離すと、希海に向き直って微笑んだ。希海は不満げな顔をしていたが、希海は紀々に負けじと私の手を両手で握り締めてきた。

 

 

「私と紀々ちゃんに任せておいて!」

「ありがと、のんちゃん」

 

 

 私は希海と紀々ちゃんに笑顔を向ける。二人は嬉しそうに笑った。

それからしばらく待つと、メイングループのメンバーが待機している地点から淡い青色の信号弾が上がった。

 それは突入の合図であり、私達は飛び出すように駆け出した。



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バックアッパー、戦闘開始

 群れとの戦闘における作戦は各個撃破を基本として動く。

 天城総司を始めとしたメインの主戦力は前衛で敵を分断し独立した敵を射手が遠隔攻撃で確実に仕留めると言った戦法を使うらしい。

 そしてバックアップを行う私たちは、各個撃破を援護するために後方に回り込む敵とメイングループが倒し損ねた敵を倒す役目、そして万が一の退路を確保をする役割がある。

 もちろんメイングループの使用するという作戦をパク……参考にさせてもらう手筈になっている。

 

 

「抜けてきたぞ! 数は七体だ!」

 

 

 海馬先輩の声が響く。私は杖を強く握りしめると、前を見据えた。そこには、狼のような姿のモンスターがこちらに向かって疾走してくる姿が見えた。

 私はその光景に息を飲む。

 

 

「来るよ、香苗ちゃん」

「う、うん」

「大丈夫ですよ、香苗さん。露払いは私がします」

「紀々ちゃん……」

 

 

 私は二人の言葉を受けて、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、前方のカラドウルフたちを見つめた。カラドウルフたちは私たちの姿を捉えると、立ち止まって警戒するように姿勢を低く構える。

 

 

「……よしっ」

 

 

 希海が呟くと、疾駆する。その速さは希海と同じく護衛役の紀々よりも早く、一瞬にしてカラドウルフたちの目前まで接近した。カラドウルフは突然現れた少女に対して驚き、目を大きく見開く。

 しかし、次の瞬間には希海によって喉元を切り裂かれていた。

 

 希海は得意気に笑みを浮かべると、魔具についた血を振り払う。それを見た紀々は小さくため息を漏らした。

しかし、カラドウルフたちも黙ってはいない。希海に対して、一斉に飛びかかった。

 しかし、希海は慌てることなく魔具の剣を振るい、また一匹とカラドウルフを斬り伏せてみせる。さらに三匹目を斬り裂いたところで、残っていた四匹のカラドウルフが希海の作り出した乱戦を飛び抜け、後方に位置していた私と紀々のところへ迫った。

 

 

「させない……っ!」

飛べよ、風の刃(ボラル、ヴェンテスフェラン)!」

 

 

 そこからさらに後方に控えていた海馬先輩が、杖型を構えて風の刃を放つ。それに合わせるようにして紀々は落ち着いた様子で弓を構え、弦を弾く。風の刃と放たれた矢はそれぞれ二匹のカラドウルフを貫いて動きを止める。残る二匹は私と紀々の目の前にまで迫っていた。

 

 

「お、網よ、防止せよ(オブスタリ、リテルス)っ」

 

 

 私は彼らを罠にかけるために杖をかまえ、魔力で編み上げられた網を前方に展開する。

 練習はしていたものの、実際に上手くいくかどうかについては心配だったのだが……。

 

 

「ギィッ!?」

「ギャウゥン!!」

 

 

 二匹のカラドウルフはその網に捕らわれて身動きが取れなくなる。

 魔法の詠唱が簡潔な世界で助かったと心の底から思っている。

 

 

「今! お願いしますっ」

「はい!」

 

 

 私は紀々ちゃんに声を掛けると同時に駆け出す。私は近接された場合に備えていた小型のメイスをカラドウルフの頭部目掛けて振り下ろし、同時に紀々の放った矢がもう一匹を貫く。

 

 

「メイングループから、追加で5匹だ。想定より量が多いが行けるな?」

「はい、了解です」

 

 

 海馬先輩の言葉に紀々は短く返事をする。やや距離が離れている希海もその通達を耳にしたのか、すぐに表情を引き締め改めて敵が迫ってくる可能性のある方向へと向き直る。

 私はその様子を見ながら、先ほどの戦闘を振り返る。

 希海が先行して敵の数を減らし、抜けてきた魔物を私が足止めし、海馬先輩と紀々が確実に仕留める。今のところ、特に問題もなく順調に進んでいる。

 この調子なら予定通りに目的の素材を手に入れ、帰還することも出来そうだ。

 そう思った矢先のことだった。

 私たちは突如、横合いからの奇襲を受けることになる。

 

 いち早く気がついたのは中衛として遊撃を務めている紀々だった。彼女は側面より私たちに向かって猛進してくる影に気づくと、素早く反応して弓を構える。

 紀々の視線の先には巨大な角を持つ猪のような姿をしたモンスターがこちらに迫ってきていた。それはプライドホーンボアと呼ばれる強力な突進攻撃を得意とする大型の魔物であり、私たちのような聖装を持たない後衛が直接相手にするには危険な相手であった。

 

 

「三時方向の側面斜面下より大型の魔物が接近しています!!」

「なっ……!? これはまずいっ、下がれぇええ!! 来るぞっ!!!」

 

 

 海馬先輩の声に反応して、私と紀々ちゃんはその場から離れる。

 直後、私達の背後にあった岩壁が粉砕される。

 

 

「ぐっ……」

「ウソ、まだ追ってくる……」

 

 

 砕かれた岩石が周囲に飛び散り、砂煙が立ち込める。その中から姿を現したのは、一匹のプライドホーンボアだった。

 彼は怒り狂ったように鼻息を荒げ、鋭い眼光を私達にぶつけてくる。

 

 

「……柴宮は!?」

「……わかりませんっ、私達は退避しましたが」

「ちぃ……、仕方がない。藤咲、 俺の後ろに付け。風森、フォロー頼めるか?」

「は、はい!」

「任せてください」

 

 

 海馬先輩の指示を受けて、私は彼の背後へ回る。それを確認した海馬先輩は腰元に携えた鞘に手を伸ばして剣型の魔具を引き抜き構えた。

 紀々は弓を構えると、海馬先輩の横に並ぶようにして立つ。

 

 

「藤咲。変則的だが、可能ならサポート頼むぞ」

 

 

 私が肯定の返答をする前に状況は動く。プライドホーンボアが海馬先輩に向けて突撃してきたのだ。

 

 

「チッ、飛べよ、風の刃(ボラル、ヴェンテスフェラン)!」

 

 

 海馬先輩はそれに対して臆することなく、冷静に対処する。彼が持つ剣型の魔具が輝きを放ち、同時に剣身から風が吹き荒れる。そして、海馬先輩は剣を振り抜いた。

 瞬間、風の刃が発生し、はプライドホーンボアの身体を切り裂くと、その巨体からは少なくない量の血飛沫が舞い上がる。

 それでもなお、プライドホーンボアは止まることはなく、その闘争心を失わずに海馬先輩目掛けて突っ込んでくる。

 私はそれを視認しながら、慌てて魔法の詠唱を開始する。

 

 

奮いて聳えよ、氷の城壁よ(サージサージト、グラキスプロプニークヤム)

 

 

 私の魔法により、海馬先輩の目の前に高さ3メートル程の氷の壁が出現し、それを避けることも無く正面からプライドホーンボアはその勢いのまま壁に激突した。衝突によって生じた轟音と振動が洞窟内に響き渡る。

 プライドホーンボアは一瞬怯んだものの、すぐさま氷壁を破壊しようと全身を使って激しくもがき始める。

 

 

「藤咲、魔力の残りは?」

「……は、半分です」

「上等だ。風森、畳み掛けるぞ! 風刃付与(ヴェンテスフェラムフィ)!」

「はいっ!」

 

 

 海馬先輩は手に持った剣を輝かせると、そのまま横に薙ぎ払う。

 風を纏った斬撃がプライドホーンボアを襲い、先ほどよりも大きな傷を与える。プライドホーンボアは苦しそうな鳴き声を上げながら後退し、氷の壁による拘束から抜け出す。

 そこへ紀々の放った矢が飛来するも、狙いはプライドホーンボアの頭部から外れて胴体へと命中してしまう。

 

 

「……外れました、次が来ます!」「風森、隙を作る! もう一度だ!」

「はい、わかりました!」

 

 

 二人の指示を受けた紀々は再び弓を構え、海馬先輩は剣を構える。

 次の瞬間、プライドホーンボアは再度突進を仕掛けてきた。海馬先輩がホーンボアの側面へと回り込み、すれ違いざまに後ろ足を斬りつける。ホーンボアはバランスを崩しかけたものの、すぐに体勢を立て直すと、今度は紀々の方向へと走り出した。

 

 

「藤咲、網を張れ!」

「はい!」

 

 

 紀々に向けてプライドホーンボアの突進が迫る中、海馬先輩の声が響く。

私はそれに即座に反応して、手に持つ杖を構え魔法を詠唱する。

 

 

「お、網よ、防止せ(オブスタリ、リテ)ッ……!?」

 

 

 しかし、詠唱の途中、突然横合いから何かが私目掛けて飛びかかってきた。カラドウルフだ。

 

 

「藤咲!」

「ひっ、やぁっ!!」

 

 

 咄嵯に振り払った杖の先端が、飛びかかろうとしていたカラドウルフの顔面に直撃するが、飛びかかってきた魔物の身体の勢いは止まらず、私はそのまま押し倒されてしまう。

 

 

「撃つな、風森! 退避しろ!」

「……!!」

 

 

 海馬先輩の指示を受けて、紀々はホーンボアに向けて弓を放つ直前だったのを寸前のところで止め、素早くその場から離れる。

 

 

「……香苗さん!」

 

 

 私の上で息をしていたカラドウルフに、紀々は矢を射って絶命させる。

 

 

「大丈夫ですか?!」

 

 

 紀々が駆け寄ってきて、私の顔を覗き込むようにして心配そうに声をかけてくる。

 希海はまだカラドウルフとの戦闘中なのか、その姿は見えない。

 

 

「う、うん。なんとか……」

「すみません、私が敵の存在に気がつけなかったばかりに……」

 

 

 舞い上がっていた砂埃も落ち着き始めると、視界が開けプライドホーンボアのその巨体が目に入る。興奮冷めやらぬといった様子で彼は私たちの姿を睨みつけている。

 

 

「藤咲、立てるか?」

 

 

 海馬先輩が声をかけてくれる。私は慌てて立ち上がると、服についた土汚れを払う。

 

 

「はい!」

「カラドウルフがメインの方に集中してやがる。一応連絡はしたが……」

「あの、今の状況を教えてもらえますか?」

「あー、まぁ、簡単に言えば俺たちが足を引っ張っちまってる。だいたい目の前の猪野郎が悪いが」

 

 

 海馬先輩の言葉を聞きながら、私はプライドホーンボアの方に視線を向ける。今にもこちらへ襲いかからんとする彼の眼光は鋭く、まるで私のことを射殺そうとでも思っているかのような気迫を放っている。

 すぐに突進してこないのはこちら側の出方を伺っているからなのだろうか。それともただ単に、先ほどの攻撃によって受けたダメージの回復に努めているだけなのか。

 

 ふと、単身で先陣切った希海のことが頭に浮かぶ。

 彼女は今頃どうなっているのだろう。怪我などしていないといいけれど。そんなことを考えていると、海馬先輩が口を開く。

 

 

「柴宮が居ればどうにかなるんだろうが……、分断されたのは俺の判断ミスだ。すまない」

「いえ、謝らないでください。先輩は何も悪くありません」

「だが、目の前には奴がいて、カラドウルフが周囲で漁夫の利を狙ってる」

「……」

「正直、勝てる見込みが薄い」

 

 

 そう言いながらも、海馬先輩の顔つきからは諦めの色は見えず、むしろ闘志に満ち溢れていた。確かに、この場での戦闘は非常に厳しい状況だ。

 魔力も少なく、周囲の狼すらも満足に倒せない足でまといだ。

 

 

メイングループ(あいつら)の到着を願って、この猪で時間を稼ぐ。その間にコバンザメの餌になるんじゃねぇぞ?」

 

 

 海馬先輩は不敵に笑いながら剣を構えると、プライドホーンボアに向かって走り出す。プライドホーンボアはその動きに反応し、突進を仕掛けようとする。

 しかし、それを遮るように、海馬先輩は横に飛ぶが、そこへタイミングを見計らったかのように、背後にいたカラドウルフが飛びかかる。

 

 

「畜生が! 大人しくしてろッ!」

「私が狙撃します!」

 

 

 海馬先輩はそれをギリギリまで引きつけると、横に飛び退いて回避に専念する。隙を見せたカラドウルフは直後に紀々の放った矢により、頭部を貫かれて絶命する。しかし、プライドホーンボアの突進は止まらず、大きく旋回すると、そのまま海馬先輩に狙いを定めて突っ込んでくる。海馬先輩はその突撃を掠るようにして避けることに成功するのだが、バランスを崩して転倒してしまう。

 

 

「先輩!」

 

 

 紀々の声が響く。そこにプライドホーンボアの追撃が入り、彼は地面を転がると岩にぶつかり止まる。

 

 

「くっそ、が……!」

 

 

 地面に倒れ伏す海馬先輩の周囲にはカラドウルフが群がるのだが、紀々が一、二匹を射抜くことで牽制する。

 

 

「香苗さん、あの猪は私が対処する。海馬先輩の治療を」

「り、了解!」

 

 

 私は海馬先輩の元に急いで駆け寄り、状態を確認する。

 

 

「大丈夫ですか?! 今治癒します」

「あぁ、助かる。……強がりたいが、かなりキツい。身体中が痛ぇ。んで、囲まれてるのは気のせいか?」

「はい、カラドウルフが周囲に集まっています」

「チッ、クソッタレが……。猪は風森が?」

「……はい」

 

 

 私の返事を聞くと、海馬先輩は大きく息を吐き捨てる。そして、彼は立ち上がろうとするものの、うまく力が入らないのか膝をつく。

 

 

「無理しないでください。今治療します」

「ダメだ。周りのヤツらが黙ってねえ。」

 

 

 そんなことは分かっている。今にも私達を取り囲み、襲いかかろうとしていることくらい。

 

 

「睨みつけてねえと、直ぐに殺られるぞ……!」

 

 

 海馬先輩の言葉通り、周囲の狼たちはいつでもこちらに襲い掛かれるようにジリジリと距離を詰めてくる。その数は既に十を超えており、とてもじゃないけど捌き切れない。それに、今の私は戦力にならない。

 

 

(せめて、主人公のように聖装さえ使えれば)

 

 

 悔しさのあまり、思わず歯噛みしてしまう。聖装とは、持っているだけでも魔具をより効率的に扱うことが出来るようになり、聖装自体が魔具とは比にならないくらいに強力な装備として扱える代物だ。

 そんなものを手にできない私は、このセイクレッドヘイブンという枠組みの中でもただの端役に過ぎない。それが酷く情けない。

 

 

「先輩。一つだけ、……賭けませんか? このままだと全滅です」

「何を言い出すんだお前……」

「生き残るための策があるんです」

 

 

 そう言って、私は懐の魔具を握り締める。―――これが本当に最後の手段だ。これでしくじれば全滅する。

 

 

「へっ、いいぜ乗った。どうすりゃ良い?」

 

 

 海馬先輩はニヤリと笑うと、地面に座り込んだままの姿勢で話を続ける。その表情には少しばかり余裕が感じられた。



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死中に活を見い出せば

注意、グロ多めで痛いです。
あと曇りそう。


「どうすんだ?」

 

 

 カラドウルフに対して睨みを効かせる海馬先輩の発した問い掛けに対し、私はゆっくりと自分の胸に着けたメダリオンを指差す。

 これは紀々から借り受けた魔具だ。まさか、このような形で役に立つとは思ってもいなかったが。

 

 

「これを使って、ごく短時間ですが奴らの攻撃を引き受けます。その間に先輩の治癒を」

「……それ攻撃を1回防ぐ効果なんだろ? 出来るのか?」

「はい。でもその代わり、海馬先輩にお願いしたいことがありまして」

「……。出来ることなら何でもやるが、俺の盾になって死ぬつもりならしたがえねえぞ?」

 

 

 海馬先輩の瞳がギロリと私の目を捉える。それは、これまでの道中に見せてきた海馬先輩の態度からは想像もつかないような強い視線だった。

 しかし、ここで怯んではいられない。私だって死ぬつもりは無い。だから、絶対に譲れないところだ。

 

 

「大丈夫です」

 

 

 そう答えて、私は海馬先輩の目を見つめ返す。海馬先輩は小さく溜息をつくと、諦めたように呟いた。

 

 

「分かったよ。それで?」

「治癒後、海馬先輩は私が放つ攻撃魔法の衝撃に乗って紀々ちゃんの所へ行ってください」

「衝撃に乗って……? かなり無茶だな」

「そうですね。けど、やってください」

「取り巻きはどうするんだ?」

 

 

 海馬先輩が当然の疑問を口にする。

 先輩の言う通りこの場には私と海馬先輩の2人しか居らず、海馬先輩を衝撃で撃ち出すとなると必然的に私だけがここに残ることになる。

 しかし、そんな事は分かりきった上で提案しているのだ。

 

 

「周囲のカラドウルフは私が対処します。少なくとも足でまといの居ない二人がかりなら聖装持ちでなくとも負けないはず。最後は結局、希海頼りになっちゃいますけど」

「でも、お前一人じゃあ……」

 

 

 海馬先輩が何か言いかけるのを遮って、私は言葉を続けた。

 

 

「大丈夫です。こう見えても結構物知りなんですよ、私」

「理由になってないが」

「理由なんて後からでも作れます。それに、もし駄目だったら、その時は二人で仲良く死にましょう」

「アホぬかせ。大してお互いを知りもしない後輩と一緒に死ねるかよ」

 

 

 海馬先輩が呆れた様子で頭を振る。

そして、大きく深呼吸すると、意を決したかのように真剣な面持ちになった。

 

 

「だがまあ……、もう船には乗っちまったからな。仕方ねぇ、頼んだぞ」

「はい」

 

 

 海馬先輩の言葉に、私は力強く返事をする。そして、私は海馬先輩の負傷箇所に杖の先を当てて魔法の詠唱を紡ぎ始める。

 

 

魔力よ(エツエテラ)。守る障壁となりて《プロテクトル》、彼の者の心身を根源より癒したまえ(デセパチェン)

「……来たぞ!」

 

 

 海馬先輩の身体が淡く光り輝き、魔力が形になろうとしている。最早警告などは聞いていられない。私はそれを確認してから、第二節を詠唱し始めた。

 

 

生命力と治癒の力を今此処に(リデク ヒタルムヴィタム)!」

 

 

 ―――下級の治癒魔法。対象の状態異常や軽い負傷を回復する効果がある。長い割には消費魔力が多く、制約の多い回復手段の一つ。

 セイクレッドヘイブンにおいて、支援や回復の魔法というものは基本的にプレイヤーからは敬遠される代物であった。その理由は、長々しい魔法の詠唱中に動けば即座に効果を受けられなくなるからだ。

 

 

「行ってください! 先輩!」

 

 

 続けざまに私は杖を構える。

 拙い魔力、拙い制御。そんな無い無い尽くしの私が行うのは魔具へと魔力を限界まで無意味に送り込むこと。私が魔法の補助として使用している魔具は初心者用のものと言える魔力を受け取れる限界の低いものだ。それも、私の魔力の総量でオーバーフローを起こすくらいには。

 

 問い、限界を超えたら何が起きるか。

 それも、耐性を持たなければ生物に害を与えるような恐ろしいエネルギーの、だ。

 

 

「お前、それ、攻撃魔法なんかじゃ―――!!!」

「良いんですッ!!」

「この、バカヤロウがァーーーッッ!!」

 

 

 海馬先輩が駆け出した瞬間、私達の背後から凄まじい速度で影が飛んでくる。それはまるで黒い砲弾のように隙を見せてしまった私たちの至近に迫る。しかし、その攻撃を予測していたのか、海馬先輩が振り向きざまに剣を振り抜き、私から溢れる光を足場に駆けた。

 黒い影達の包囲を抜け、そのまま紀々の方へ突っ込んでいく海馬先輩の姿が視界の端に映る。眩い光が辺りを包み込み、その光の奔流は油断しきっていた捕食者達を呑み込み、その全てを灼いた。

 

 もしこの世界に語り部(ストーリーテラー)が存在しているのであれば、名前もなかったようなモブ二人組だけに魔物をけしかけて消そうなんて意図があったに違いない。そうじゃないとしても、クソ喰らえって話だ。

 抗う理由としてはこの上なく上等なものだ。私は目の前に現れた化け物を睨みつけながら、そう思った。

 

 

「くたばれ! こんっの……! クソオオカミ共ぉ゛ッ゛、が゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!?」

 

 

 これの名前はなんと言ったか。

 そう、魔力(エーテリアル)暴発(イグニッション)

 詠唱不要のセレヘブに登場する中でも最強のダメージを叩き出すことが出来る攻撃魔法。

 

 俗に言う、自爆だ。

 

 

「ぃ゛ぁ゛ッ゛……!」

 

 

 私は身を焦がすような痛みに思わず悲鳴を上げる。全身の骨がきしみ、肉が裂けるような感覚がする。まるで巨大な鉄球が私の全身に叩きつけられたかのような衝撃が走り、息が詰まる。

 強力な衝撃によって肺の中の空気が押し出され、呼吸が出来なくなり、意識が飛びそうになる。内側からの力を受けて全身が張り裂けるような痛みが襲うが、紀々から受けとった即死防止の魔具がそれを許さない。

 行き場を失った一部のエネルギーは私を内側からぐちゃぐちゃに掻き回してしまう。放出されたエネルギーで周囲の魔物を消し飛ばしている。

 その威力は推して測るべし。

 

 

 眩しい。

 熱い。

 痛い。

 苦しい。

 

 光が。

 熱が。

 音が。

 

 私が知覚できる全ての情報が遠のいて、ただひたすらに苦悶の濁流だけが私の身も心もズタズタに壊していく。

 私はその激痛に耐えるように歯を食い縛り、自分の身体を抱き締める。少しでも気を抜けば眩い光の中へと意識を滑り落としてしまいそうだ。

 

 何も見えない。何も聞こえない。

 真っ白な光の中。自分がどこにいるかも分からなくなって、自分が生きているかどうかも曖昧になってしまいそうだ。

 

 まさか死ぬほどの痛みがこんなにも苦しいものだとは思っていなかった。それも一度死んだというのに、だ。

 正直なところ、舐めていた。こんな苦しさなんて覚えていない。

 

 でも、それでも。

 ――まだ、私は生きている。

 

 私には助けたい人がいる。そう簡単には死ねない。

 

 

 「……かはっ、げほっ、ごほぉっ、がはっ!」

 

 

 光が収まると同時に、わたしは思い切り咳き込んだ。口の中に嫌な味が広がり、それが血だと気付くまでに少し時間が掛かった。全身が軋むように痛い。

 腕も足も、頭も、背中も、お腹も、何処も彼処も全てが私に苦痛を訴えかけている。今すぐに横になって眠ってしまえば楽になれるんじゃないかと思える程、私の体はボロボロになっていた。

 

 私は色を失ったメダリオンを外し、その場に投げ捨てようとしてやめた。

 もう二度と使いたくない手段だが、この魔具は紀々からの借り物であり、もしかするとこれから希海を助けることになるかもしれない私に必要な道具だ。だからと言ってこれを使う度に毎回こうなっていれば身が持たない。

 

 

「…………かふっ、ひゅ」

 

 

 声が出ない。

 喋ることはおろか、口を開けて酸素を取り込むことさえ難しい。杖を支えにして辛うじて膝で立てている状態で、一歩も動くことが出来ない。

 

 そんな状態の私は格好の獲物だ。

 新たにやって来た狼達が獲物を追い詰めた狩人のように、ゆっくりと近づいてくる。

 

 

「ぁ……」

 

 

 喉の奥が焼けているせいなのか、それとも疲労の蓄積で掠れた声しか出せないのか。

 私は何ひとつとして言葉を発することが出来ず、ただ迫り来る獣達を見つめていた。逃げたい。だけど体が動かない。

 魔巣窟の魔素に当てられたのか、体の調子すら悪い。それに魔力暴発の影響で魔力も殆ど残っていない。今の私は戦うどころか逃げることさえも難しいだろう。

 

 もちろん立案時に増援のことを考えていなかった訳では無い。

 しかし、あの場は海馬先輩を送り出すのが最も賢い選択だったのだ。全員死ぬよりはマシな運命のはずだ。

 

 少なくとも、紀々にはあの時の恩を返すことが出来ていれば良いのだが。

 

 

「ぁぅ、うぐっ」

 

 

 私を取り囲むようにして迫ってきた三匹の狼達が、鋭い爪を突き立てるようにして私に飛び掛かってくる。

 死中に活という言葉があるが、余裕があるときにはまだしも、そう何度も使えるような言葉だとは思えない。似たような言葉に窮鼠猫を噛むと言う言葉がある。今の状況に当てはめるなら、逃げられなかった鼠は二度も逆らう前に狩られるのがオチだ。

 

 

「…………ぁ」

 

 

 唸り声とともに飛びかかってきた狼達に、為す術もなく押し倒される。なんたって、生き残るためだとはいえ仲間を焼いたのだ。それはもう憎いはずだ。

 全身を覆い尽くすような灰色の毛並み。私の視界を埋め尽くしてしまうほどの大きさ。私の視界いっぱいに広がる狼の顔は、まるで怪物のようだ。

 恐怖を感じている暇は無い。悲鳴すらあげられぬ私の体には鋭い牙が深く突き刺さる。肉を裂くような音と共に私の身体に痛みが走る。

 

 

「……ぉ゛ッ゛、ぐ……、ぃ゛ッ!」

 

 

 魔力暴発の時とはまた違った痛みに一瞬意識が飛びかけるが、直ぐに同じ痛みによって現実に引き戻された。痛みから逃れようと必死に体をよじるが、その程度でどうにかなるはずもない。むしろ暴れれば暴れるほどに苦痛は増していくばかりだ。

 

 

「あ゛っ!?」

 

 

 私の上に乗っている狼が、私に噛みついたまま頭を振った。

 思わぬ衝撃に私は焼けた喉から悲鳴を上げる。

 

 魔具による身体の保護は時に残酷なものだ。丈夫になれども、痛覚が鈍くなる訳ではない。痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。カラドウルフによって突き立てられた牙は私の体へと深く突き刺さり

 

 群れからはぐれた弱いものを狙い、なぶり殺しにする。実に理にかなったやり方である。

 私は狂気と理性の狭間で弱々しく手を伸ばし、何とか魔具に触れようとするが、指先が魔具に触れた瞬間にオオカミは私を咥え、その場から飛び退こうとした。

 

 

「香苗ちゃんを触るなッ! その汚い涎を、……付けるなァッ!!」

 

 

 希海の声が聞こえてきた。

 それと同時に、私の上に乗っていたオオカミが吹き飛ばされ、切り離された頭部ごと私は宙へと放り出された。

 

 

「―――」

 

 

 空中に浮いた状態で、私は呆然としていた。

 

 

「―――と……ど、……けぇっ!」

 

 

 希海は地面を蹴り上げ、空高く舞っていた私を目掛けて跳躍した。そしてそのまま私をキャッチすると、地面に着地すると同時に勢いよく跳ねた。

 

 

「のん、ちゃ……?」

「ごめんね、遅くなって。助けに来たよ、香苗ちゃん」

「……」

 

 

 私を助けてくれた希海は、申し訳なさそうに眉を下げながら私に謝った。私はと言うと、希海に抱きかかえられている現状に対して何も反応を示すことが出来なかった。何故なら私の体は限界を迎えていたからだ。

 

 

「残りは私がやるから、香苗ちゃんは休んでいて」

 

 

 希海は私をその場に下ろすと、残りのカラドウルフ達を睨みつけた。

 私達を囲むようにして佇む狼達は低く、威嚇するような声を出しながらも一定の距離を保ち続けていた。希海が一歩でも前に踏み出せば、即座に襲い掛かるつもりなのだろう。

 声を出すことも出来ない程に疲弊しきっている私は、ただ黙って彼女の背中を見つめることしか出来ない

 

 

「大丈夫、すぐに終わらせるから」

「……」

 

 

 

 私はそんな彼女を見て、ただ黙って見つめることしか出来なかった。 今の私は半身を起こすことすら困難な状態だ。正直に言ってしまえば、こうして会話をするだけでも辛い。

 しかし、私は彼女に心配をかけないように無理矢理に口角を上げ、笑みを浮かべた。

 

 

「のん、ちゃん……」

「……」

 

 

 私は声を振り絞るようにして、幼馴染の名前を呼んだ。彼女はそんな私の姿を見て何か言いたげにしていたが、すぐに表情を引き締めると、魔具である剣を構え直し、言った。

 

 

「……すぐ終わるから、待っていて」

「……」

「安心して、絶対に守るから」

「……」

「だから、少しだけ我慢していて」

 

 

 私は小さく首を縦に振ることしかできなかった。

 今にも意識を失ってしまいそうなほどに衰弱しているが、ここで気を失ってしまえば二度と目を覚ますことが出来ないかもしれない。そんな恐怖が、私をなんとかこの場に留めてくれている。

 

 

「……いつでも来い」

 

 

 希海は短く呟くと、私を守るように前に出てカラドウルフと対峙する。先ほどまであれほどまでに敵意を剥き出しにしていた狼達は、まるで希海を警戒しているかのようにその場から動かずにいた。それは私を守るようにして立ち塞がる希海もまた同様で、その場から動くことなくジッと狼達の様子を見据えている。

 狼は弱い獲物と強い獲物を分断し、弱い方に襲いかかる習性がある。希海がそのような彼らの習性を知っているのかは分からないが、恐らくは本能的に理解をしているのだろう。

 しかし、狼達は確実に私達との距離を詰めている。

 

 希海は狼達を睨んだまま、手に持った魔具を構えた。

 

 

「――ッ!」

 

 

 刹那、狼達が一斉に動き出す。

 狼達は低い姿勢のまま地面を蹴ると同時に、希海に向かって飛び掛かった。

 希海は飛び掛かってきた狼達に臆することなく、冷静に魔具を構える。そして、飛びかかってきた狼を斬りつけると同時に、その勢いを利用して他の狼を牽制する。

 狼は斬られた痛みによって悲鳴を上げるが、その程度で怯むような相手ではない。仲間が傷つけられたことで怒りを覚えた狼達は、更に勢いを増して希海に襲い掛かる。

 

 

「……っ!?」

 

 

 希海は魔具を振るいながら、次々と襲い来る狼達を捌いていく。しかし、流石に多勢に無勢だ。一匹や二匹程度ならばまだしも、一度に十匹以上の狼を相手にすればどうしても隙が生じてくる。狼の爪が希海の体を掠め、鋭い刃のような牙が希海の腕を切り裂く。

 聖装を所有している希海にとって、その程度の怪我は大した問題にはならないが、それでも無傷という訳にはいかない。

 

 

「――ッ」

 

 

 希海は顔を歪める。

 そして、その一瞬の隙を見逃すほどに狼達は甘くなかった。

 

 

「きゃっ……!?」

 

 

 希海は突然背後から襲われ、地面に倒れ込む。襲いかかった狼は希海を組み伏せ、首筋に牙を突き立てようとするが、その一秒後には魔具によって首を貫かれていた。

 しかし、獲物を得られるタイミングを得た狩人はその一瞬の隙をさない。いつの間にか近くまで接近していたカラドウルフは、私の身体を咥えあげると、そのまま何処かへ走り出した。

 

 

「――ッ」

 

 

 私は必死に抵抗を試みるが、既に体力の限界を迎えていた私の力では、カラドウルフに抵抗することは不可能だった。

 

 

「か、香苗ちゃん……! くそ、離せ……!」

 

 

 希海は慌てて立ち上がり、私を助けようと駆け寄ってくる。だが、私が捕まっている場所までは距離がありすぎる。

 

 

「……あ」

 

 

 私は小さく声を漏らした。

 視界の端に映ったのは、カラドウルフの群れに追い詰められた希海の姿だ。彼女は剣を手に持ち、何とかして戦おうとしているが、数の差を前にして防戦に徹することしか出来ないようだ。

 

 

「……」

 

 

 私はただ黙って、その様子を眺めていることしか出来なかった。

 何故なら、私の体は限界を迎えていて、指一本すら動かすことが出来ない状態だったからだ。

 私は視線を動かし、辺りを見回す。そこには無数のカラドウルフがいた。私を捕まえた個体を含めて、合計で八匹程のカラドウルフがいる。彼らは私を取り囲むようにして佇んでいた。

 私はただ黙って、彼らの様子を窺うことしか出来なかった。

 

 

「グルルルル……」

「グゥウ……」

「ガァア……」

「……」

 

 

 私は小さく息を吐いた。

 正直に言ってしまえば、もうダメかもしれない。そう思った。私は今にも意識を失いそうな状態で、目の前にいるカラドウルフを睨みつけている。正直に言ってしまえば、こうして意識を保っていること自体が奇跡に近い。

 

 大口を開けた狼が私に迫る。

 

 

「……ぁ」

 

 

 私は思わず目を瞑る。

 

 

「……?」

 

 

 しかし、いくら待っても私に衝撃が訪れることは無かった。私は恐る恐ると目を開く。すると、私に襲い掛かろうとしていたカラドウルフは何故か私から少し離れた場所で横になっていた。

 そして、その周囲には他のカラドウルフの死体が転がっている。

 

 

「……」

 

 

 私は呆然としながら、周囲を確認する。

 そこには一人で狼を()()()()()で薙ぎ払う少女の姿が目に映る。

 

 己の身長よりも一回りも大きな大剣を振るうたびに、彼女の周囲に存在する狼達が真っ二つに切断されていく。まるでバターを切るかのように容易く、狼達は両断されていった。

 聖装グラトニアル。

 それが彼女が持つ大剣の名前であり、希海の持つ聖装の名称でもある。

大剣を振るう度に、大剣の刀身から放たれた光波(エフェクト)が周囲の空間を切り裂いていく。それはまさに幻想的で、美しく、それでいて力強い光景だった。

 希海は次々とカラドウルフを斬り捨てていき、周囲の狼を私に近づけることなく、瞬く間に全ての狼を掃討していく。

 

 ……凄い。

 もし声が出せていたのであれば、そんな言葉が漏れていた事だろう。それほどまでに、目の前で起こっている光景が信じられなかったのだ。

 全てを燃やし尽くした灰の様な髪をその手に握る武器の発する光に煌めかせるその姿は、まるで神話に出てくる戦女神のようだと私は思った。

 

 

「ごめんね、香苗ちゃん」

 

 

 彼女は申し訳なさそうに言うと、こちらに振り返る。そして、ゆっくりと私の方に向かって歩いてくると、私のことを優しく抱きかかえた。

 

 

「……約束、守れなかったや」

 

 

 希海は私の耳元で言う。

 

 

「でも、安心して。すぐに終わらせるから」

「……のん、ちゃん?」

 

 

 私は彼女の名を呼ぶ。

 

 

「大丈夫だよ、香苗ちゃん。怖かったよね。もう、何も心配はいらない」

 

 

 希海は優しい声で言った。

 

 

「……だい、じょうぶ」

 

 

 私は希海に抱かれながら、弱々しく答える。

 先程までの恐怖心は既に消え去っていた。いや、正確には希海に抱きしめられているという事実によって、不思議とその感情は消し飛ばされていた。



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第一章 エピローグ
混ざり物


1つ前の話の終盤を大幅に修正しております。
よろしければそちらの方もご一読して頂けると幸いです。


 あれからどれくらいの時間が経っただろうか。

 私は希海に背負われていた。

 私は体力も魔力を使い果たし、歩くことはおろか、立ち上がることすらままならない状態だった。そのため、私は希海によっておんぶされている状態になっている。

 

 

「……おもく、ない?」

 

 

 私は希海の首筋に顔を埋めながら尋ねる。

 希海は即答した。

 

 

「全然。むしろ軽いよ。もっと食べた方がいいんじゃ無いかな」

「……そっか」

 

 

 私は呟きながら、彼女の背中に身体を預けた。希海の言葉通り、私は軽々と希海に持ち上げられてしまっている。

 私は自分の身体を見下ろす。

 そこには同年代の少女達と比べても小柄な身体があった。重くないわけがないだろうが聖装や魔具で身体能力が跳ね上がる世界では大した重さではないのだろう。

 何となくだが、私は彼女の首に回した腕に力を入れてみる。すると、希海が少しだけ驚いたような声を出した。

 

 

「わっ、びっくりした。どうしたの?急に甘えてきたりして……」

「……甘えて、ない」

 

 

 私は顔を赤らめながら、首を横に振る。

 少し前までなら推しだ女の子だなどと変に慌てふためいていたことだろうが、今の私はそんな気分にはなれなかった。それはただ単純に慣れなのか、それとも前世と今世の記憶が統合されてきた影響なのかは分からない。だが、今はただ純粋に彼女のことだけを考えている自分がいる。

 

 

「……香苗ちゃん。今頃、天城先輩達が紀々ちゃん達を助けてくれてるはずだから」

「そうなの?」

「うん」

 

 

 希海はそう言って微笑んでみせた。

 

 

「だから、安心して」

「……うん」

 

 

 私はそう言って、再び腕に力を込めると、その背に頭を擦り付けるようにして寄り添う。すると、希海はくすりと笑った。

 

 

「ふふっ、やっぱり今日は一段とおかしいね。香苗ちゃん」

「……そう?」

 

 

 私は恥ずかしさを感じながらも、小さく答えた。

 

 

「つい先々週くらいからね? なんだかよそよそしいって言うか、距離を感じるようになったっていうかさ」

「……」

 

 

 私は押し黙る。それは、確かにそうだ。私は記憶が戻ってきて以来、必要以上に接触することを避けていた。それは勿論、彼女が嫌いになったとかそういうわけではない。

 私は、希海のことを意識し過ぎていた。推しは愛でるものであって、決して恋焦がれるものであってはいけない。それは前世の頃からの信念であり、それはこの世界でも変わらない。

私は彼女に必要以上の恋愛感情を抱かない為、彼女と接することを意図的に避けていたのだ。

 

 しかし、それは逆効果だったのかもしれない。私が意識すればするほど、彼女は私に対して積極的に接して来てしまう。その結果が、これである。

 私は無性に気恥しくなって、思わず俯いてしまった。

 

 

「……香苗ちゃん、に何があったのか分からないけど、挙動不審なところを除けば変わった様子はあんまりなかったし安心したかな」

 

 

 希海が私の心を覗き込むように話しかけてくる。私は咄嵯に彼女の視線から逃れるように目を逸らすと、小さな声で言った。

 

 

「ごめん」

「別に謝ることじゃないよ。嫌われた訳じゃなくて安心した」

 

 

 希海はそう言うと、私の頭に手を乗せる。そして、そのまま優しく撫で始めた。

 

 

「……希海ちゃん」

 

 

 私が名前を呼ぶと希海は一瞬だけ身体を震わせた。

 

 

「……香苗ちゃん?」

「―――なんでもない」

 

 

 私は首を横に振って答える。先程、希海に抱き抱えられた時から私の心は落ち着きを取り戻しつつあった。だが、それと同時に私の心は激しく動揺していた。

 

 きっと私は希海の事が好きなんだろう。

 それが、どういう意味で好きであるのかは正直な所よく分かっていない。いや、分かっているつもりではあるが、それを素直に認めるにはあまりにも恥ずかしいという気持ちが強い。

 そして何よりも、私が香苗を器にして転生してきた存在であるという事実が邪魔をしている。私は前世の記憶を取り戻した言うよりも、藤咲香苗という人物に混ざってしまった異物に過ぎない。

 本来ならば、私はここに居るべきではない。彼女に好意を抱く資格など無いのだ。私は彼女の首筋に顔を埋める。

 

 

「どうしたの?急に甘えてきたりして……」

 

 

 希海はそう言いながら、くすりと笑う。その言葉に私は何も答えられなかった。ただただ、私は彼女の首筋に顔を埋めて身体を預ける。

 彼女の体温を肌越しに感じて、心臓が痛むように高鳴った。




やや無理くりですが「推しをラスボスにしないひとつの冴えた方法」は一区切りとさせていただきます。
また気力が湧いたら書き直すか続きを書くかもしれませんが、その機会があればまたよろしくお願いします。


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