くもりくもらせ (龍桂)
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1,御剣舞の死

 

 

 

 

 

 

 怪異。夕刻から夜にかけて現れ、人を驚かせたり害を成したりする化け物たち。それを退治するのが私たちの仕事だ。

 

「舞! 仕事よ!」

 

 声をかけられ、私はスマホから顔を上げた。目の前には明るい栗色の髪を後ろで束ねた、ゆるふわという言葉がぴったりな雰囲気の女の子―時雨あかりがいた。

 

「なに? 今動画見てるんだけど」

 

「怪異が出たから課に来いって」

 

「あー……わかった。動画終わるまで待って」

 

「そんなの後で見ればいいじゃない。ほら、行くよ!」

 

 あかりは私の首根っこを掴んで皮張りのソファから引きずり下ろすと、ずるずると廊下に引っ張り出す。そのまま「怪異課」に連れていかれた。

 

 藤見市役所にある「怪異課」は人に害を与える怪異を退治するための組織だ。怪異が出現すれば、私たち職員が現場に急行して始末する。しかし怪異と戦うには呪具を扱えるだけの霊力を持っている必要があるうえ、死亡率が高いので常に人手不足なのだ。

 

 私やあかりのような高校生の臨時職員にも仕事が回ってくるのは、そんな事情があるからだろう。

 

 部屋に入ると、白髪交じりの髪を撫でつけた50代くらいの男―丑三(うしみつ)課長がいた。課長はあかりに引きずられている私を見て苦笑した。

 

「ご苦労さん、時雨君。御剣君をここまで連れてくるのは大変だったろう」

 

「ほんとですよ。舞、たまにはすぐ来てもいいんじゃない?」

 

「……今度はすぐ行くから」

 

「もー、次は絶対自分で来てよ?」

 

 あかりはやれやれとばかりに笑った。

 

(ああ、あかりは今日もかわいい)

 

 私は、ころころ変わるあかりの表情を見るのが好きだ。対怪異課でいっしょに戦ってきて、笑い、恐れ、怒り……彼女のたくさんの感情を見てきた。どのあかりも可愛くて好きだった。

 

 だが、一番私の心に刺さったのは、彼女が悲しむ顔、つらい思いをしているときの顔だった。

 

 あれは確か、怪異との戦いで初めて同僚が死んだときだった。私も多少は悲しかったが、仲良くしていたらしいあかりにはかなりダメージがあったらしく、号泣してからずっとふさぎ込んでいた。

 

 そんな彼女を見て……フフ……下品なんですがその……興奮しちゃいましてね。

 

 私はそんな彼女の顔が見たくて、心に傷を負わせるにはどうすればいいかを考え続けた。その結果、私が彼女と親密な関係を築いてから死ぬのが一番精神的ダメージを与えられる方法だということに気がついたのである。

 

 この方法の問題は死んだ後に彼女の顔を見られないことだが、その点については克服済みだ。

 

 私がお守りに入れている殺生石のかけら。これがあれば死後しばらく幽霊として彷徨った後、適当な人間として肉体をもって現世によみがえることができるのである。

 

 しかもこれを使えば、私―「御剣舞」が死んだ後も、彼女に別人として近づいて親しくなり、死ぬことを繰り返すことができる。曇らせ永久機関の完成だ。

『ああ、人間は度し難いな』

「今回は廃病院に出没している怪異を退治してもらう。看護師の恰好をしてるらしいから、悪霊か擬態系の怪人だろう。事前調査によると、瘴気は45%」

 

「45ですか。なら安全ですかね」

 

 怪異は特有の瘴気を放っており、空気中の瘴気が濃いければ濃いほど怪異本体の危険度が高い。職員はそれぞれ自分の強さと比較して戦いに行くかどうかを決めるのだが、私の対応できる怪異は70まで、あかりが50くらいまでなのでこれは安全な任務ということになる。

 

(ま、簡単には死ぬチャンスは来ないか)

 

 私が難しい顔をしていると、あかりは不思議そうな顔をして私の顔を覗き込んできた。

 

「どうしたの? なんか不安なことでもあるの?」

 

「別に。今日の仕事が終わったら駅前のアイス屋さんに行きたいなって」

 

 とっさにそう答えると、あかりは腰に手を当て、たしなめるように言った。

 

「それ、死亡フラグって言うんだよ。いくら舞が強くても、戦いの最中にそんなこと考えてたら死んじゃうよ」

 

「でも」

 

「でもじゃなくて。ちゃんと戦いに集中してね。死んだら私泣いちゃうよ!」

 

 それが見たいんだけど。と思ったが、口には出さなかった。

 

「わかったわ」

 

「それならよし! まあ、私もちょうどそのお店の半額クーポンもってるし、終わったら一緒に行こっか」

 

 そう言って、あかりはにこりと笑った。

 

 ああいい子!ほんッッとうにその笑顔が曇る瞬間が見たいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻。二人は現場―廃病院に到着した。病院はやや老朽化していて、確かに怪異の住処になりそうな雰囲気を醸し出している。

 

 隣を見ると、あかりのバディである黒髪ロングの少女―御剣舞は、ふだんの気だるげな雰囲気はどこへやら、ぴんと張り詰めた空気を身にまとい、廃病院を見上げていた。

 

「どうしたの?」

 

「瘴気を全然感じない」

 

「夕方には出てこないタイプなんじゃない?」

 

「そうかもね。……でも、警戒はしとこう」

 

 舞は辺りを見回しながら、病院へ入っていく。ふだんはだらしがないが、戦いのときだけは頼もしい。いつもこんな調子なら、クールビューティーなのに。そんなことを想いながら、あかりは後に続いた。

 

 病院内は、まだ日が昇っているにもかかわらず薄暗い。病棟の廊下を歩きながら、あかりは自分の呪具―薄手の手袋を身に着けた。

 

「そういえば、あかりはなんでこの仕事やってるの?」

 

 そのとき、舞が口を開いた。唐突な質問にあかりは少し面食らった。

 

「私は親がいないから一番稼げるこの仕事をやってる。けどあかりは普通にお父さんもお母さんもいるよね」

 

「なんでって言われてもなあ……霊力があって呪具が使えるってわかったから……かなあ。私が戦えばいろんな人を助けられるでしょ」

 

「自分が死ぬかもしれないのに、そんな理由でやってるの?」

 

「……うん。こういうのは、誰かがやらないといけないんだよ」

 

「ヒーローみたいなこと言うのね」

 

 舞が茶化すように言ったので、あかりは赤面した。

 

「あなたが言わせたんでしょ」

 

「ごめんごめん。真顔でそんなこと言う人初めて見たからさ」

 

「この……!」

 

 軽く小突こうとしたとき、舞が振り返り、唇に人差し指を当てた。あかりがはっとして前を見ると、廊下の向こうにたたずむ人影があった。

 

 「それ」はナース服を着ていて、遠くから見ると何の変哲もない看護師のように見える。しかし、顔の部分だけは墨で塗りたくられたかのように真っ黒で、表情をうかがい知ることはできない。

 

 怪異はゆっくりとこちらを向いた。あかりたちの存在を認識したらしく、こちらに向けて突進してくる。

 

「あれが今回の目標みたいね。走ってくるってことは、飛び道具はないのかな」

 

 舞がそう言ったときにはすでに、ナースは目の前まで距離を詰めてきていた。あかりはとっさに彼女の前に立ち、左手を掲げる。

 

「『塗壁(ヌリカベ)』!」

 

 ナースの突進が止まった。足は動かしているのだが、見えない壁にはばまれているせいでこれ以上進めないのだ。あかりは壁を展開したまま、右手を向ける。

 

「『鬼火(オニビ)』」

 

 指先から青白い炎が迸った。身体を焼かれたナースはあっという間に炭化し、ごとりと床に倒れる。

 

「ナイス」

 

「油断しないで。この騒ぎを聞きつけて他がくるかも!」

 

 そのとき、廊下の向こうから何体ものナースたちが走ってきた。多い。私の「塗壁」では防ぎきれないだろう。

 

 舞はそれを見て、ポケットから手のひらサイズの小さい鎌を取り出した。ただのキーホルダーのように見えるが、これが彼女の呪具なのだ。

 

「んー……これは私の担当か」

 

 呪具は彼女の背丈ほどもある大きな鎌へと変化する。舞は大鎌を構えると、名を呼んだ。

 

「『鎌鼬(カマイタチ)』」

 

 その瞬間、舞は目にもとまらぬ速さで怪異の群れに突っ込んでいった。ちか、ちかちか、と光が瞬き、先頭にいたナースの首が飛んだ。後ろに続いていた者たちもまとめてなぎ倒される。

 

 運よく最初の高速斬撃を逃れたナースが着地して動きを止めた舞に手を伸ばす。が、あかりが瞬きをし終わったときには脳天から両断されていた。

 

 チリとなって消えていく怪異の死体を見ながら、舞はため息をついた。

 

「全部チリになっちゃったか。残念」

 

「まあそんなに強い怪異でもないし、そりゃそうよ」

 

「ボーナスが欲しかったんだけどなあ」

 

 力の強い怪異を倒すと、死体がチリにならずに一部だけ残る。これをもとにあかりの「塗壁」や舞の「鎌鼬」のような怪異の力を再現する呪具が作られるのだが、そんな怪異には遭遇することはめったになく、遭ったら遭ったで殺される可能性が高いので、怪異の死体はなかなかお目にかかれないのである。

 

「死ぬ心配がないんだから贅沢言わないの。とりあえず病院にいる怪異を一掃しましょ」

「はーい」

 

 あかりと舞による、廃病院の捜索が始まった。元々この場所が怪異を引き付ける性質をもっていたのか、人がいないから集まってきたのかはわからないが、ナース型の怪異はそこら中にいた。

 

 とはいえ、戦闘というほどの戦闘にはならなかった。ほぼすべて舞が瞬殺してしまったからだ。彼女はあかりと同じ臨時で雇われているが、実力は課で最強といっても過言ではない。

 

(天才だもんな。舞は)

 

 舞が課に入って来たのは、あかりが怪異狩りを始めてしばらくしたころだった。両親が交通事故で亡くなり、食べていくために怪異狩りになった新人がいるという話を聞いていた。当時面識はなかったが、彼女の境遇に同情していたことは覚えている。

 

 だから、舞が「鎌鼬」を使って研修が終わった日のそのうちに15体の怪異を斬り捨てたという話を聞いたときは驚いた。あの呪具は高速斬撃の制御が難しく、誰も扱えないと思われていたからである。それを舞はあっさりと使いこなしてみせた。

 

 そんな彼女とバディを組まされると聞いてどんな化け物が来るかと緊張していた。しかし彼女と会って一緒に行動しているうちに気づいた。舞は親を殺された悲劇のヒロインでも怪異を殺しまくるヒーローでもない。ただの女の子だった。

 

 カラオケで楽しそうに歌ったり、スイーツを横取りしてきたり、テストで悩んでいたり。たまたま怪異を殺す才能があるだけで、後はあかりと何も変わらない。

 

 それに気づいてから、あかりは舞と一緒に長い時間を過ごしてきた。

 

「『鬼火』っと……あらかた倒したかな」

 

 倒れている怪異を焼きながら、独りごちた。廊下の向こうでは残りの怪異たちと舞が斬り結んでいる。舞が負けるわけがないから、あれが片付けば任務は終わりだろう。

 

(あ、アイス屋のクーポン。どこ入れてたっけ)

 

 そう思っていたからか、あかりは「戦いの後」のことを考え始めた。さんざん舞に注意していた油断が、ぬらりと思考に入ってきていた。

 

 ポケットを探ってクーポンを探そうとした、そのときだった。

 

「あかり! 危ない!」

 

 どん、と突き飛ばされ、あかりは床を転がった。

 

「痛った……舞、どうしたの」

 

 顔を上げて、あかりは息をのんだ。目の前にいる舞の脇腹には、何本ものメスが突き刺さっていた。

 

 一体どこから―あかりが目を走らせると、索敵を終えたはずの病室の床から、染み出すように巨大な化け物が現れた。人間の身体が寄せ集められて団子になったようなグロテスクな姿で、飛び出ている無数の手には鉗子やハサミ、メスなどの手術用具が握られている。

 

「逃げて。たぶん()()()()()()()()()()()相手だから」

 

 舞は脇腹を押さえながらそう言った。指の隙間から恐ろしいほどの血が流れ、ブラウスを赤黒く染めている。

 

「何言ってるの。舞も逃げるのよ」

 

「無理」

 

「無理じゃない! 『鎌鼬』なら誰も追いつけないでしょ!」

 

「逃げてもどうせ血が足りなくなって死ぬ。自分の身体のことくらいわかるわ」

 

 寂しそうに笑った舞を見て、あかりは自分の眼の奥がつんと熱くなるのを感じた。舞が致命傷を負ったのは分かっていた。だが認めたくなかった。

 

「なんで私をかばったのよ! なんであなたが!」

 

「そんなこと聞かないで。照れくさいから。……それより、早く逃げて。今はあっちが警戒してるから大丈夫だけど、いつ襲い掛かってくるかわからないわ」

 

 死を目前に、舞は飄々としていた。彼女の中身はただの女の子なのに、泣き叫びたいはずなのに、どうしてこんなに冷静でいられるのだろう。あかりが茫然としていると、舞はしびれを切らしたように怒鳴りつけた。

 

「行きなさい!」

 

「……ごめん」

 

 あかりが泣きながら駆けだすと、背後で刃物のぶつかり合う音が聞こえてきた。舞と化け物の戦いが始まったのだ。助けてもらったのに逃げることしかできない自分を呪いたくなった。

 

「……あとは頼んだわ、あかり」

 

 それが、最後に聞いた御剣舞の言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 藤見市対怪異課臨時職員 御剣舞(16)

 

 廃病院にて怪異との戦闘中に死亡。推定死因は四肢切断によるショック死。生活反応あり。御剣が所持していた「鎌鼬」の回収は完了、バディである時雨あかりは生還。

 

 

 

 




あかり視点はシリアスです。主人公視点はシリアルです。


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2,あかりの悲嘆

御剣舞:あかり曇らせ隊
時雨あかり:被害者



 

 

 

 

 例の廃病院の再調査は、あかりと舞が突入したその日のうちに行われた。舞がやられたと聞いた丑三課長は万全を期し、課の全員を動員して病院に踏み込んだが、怪異らしい怪異に遭遇することはなかった。

 

 ただ一つ、化け物がいた証拠として残っていたのは、両腕と両足を切り落とされ、虚空を見つめる舞の死体だけだった。

 

「傷口には凝固しかけていた血小板があった」

 

 舞の無惨な死体の写真を見ているあかりの前で、丑三課長は首を振った。

 

「つまり彼女は生きたまま分解されたんだろう。可哀想に」

 

 その瞬間、持っていた写真をぐしゃりと潰してしまった。蓋をしていた感情があふれ、涙となって床に落ちた。

 

「ごめんなさい……」

 

 舞はあかりをかばって死んだ。あかりが油断していなければ怪異に奇襲されることはなかったし、舞が死ぬこともなかっただろう。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 人に油断するなと言っておいて、自分が警戒を怠っていた。そして彼女を犠牲に自分だけが生き残った。何が「誰かを守れる」だ。隣にいた親友も守れていないではないか。

 

 丑三課長は、泣きじゃくるあかりを見て、同情するように言った。

 

「時雨君のせいじゃないよ」

 

「いいえ。私のせいです。だって舞は私をかばったせいで死んだんだから」

 

「二人とも、運が悪かったんだよ。いくら強くても、一つ間違えれば死ぬ。それがウチの仕事なんだよ」

 

 そんなことは分かっていた。分かっていたはずなのに。

 

(……ああ、なんで私生きてるんだろう)

 

 次の日、高校での授業が終わって課に行く途中。どしゃぶりの雨の中、あかりはそう思った。学校にも友達はいる。しかし、一番の親友であった舞はもういないのだ。その事実を思い出すたびに、あかりはやるせない気分になった。

 

 そのとき、上着のポケットに入れていたスマホが鳴った。丑三課長からだった。

 

『舞君の遺族に会って彼女の死を通知しに行ってくれないか。君に頼むのは本当に心苦しいんだが、私や他の職員は仕事から手が離せなくてね』

 

「わかりました。責められる覚悟もあります」

 

『つらい役回りをさせてすまない。住所は藤見市笹ヶ原3丁目5-1のアパートだ』

 

 そういえば舞の家には行ったことがなかったな。そう思ったとき、あかりは彼女が両親を失っていることを思い出して首をかしげた。

 

「……ありがとうございます。ところで、舞の遺族って誰ですか?」

 

『彼女の妹だ。名前は、御剣凛』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は怪異さんに腕をむしり取られてとても痛かったです。でもあかりがいい顔をしそうなので楽しみです、まる。

 

 私は絶命した自分の体を見下ろしながら、心の中でそうつぶやいた。

 

 今、私は幽霊になっている。うまくあかりをかばって死ぬことができ、満足だった。ただ死ぬのではなくあかりをかばって死ねば、責任感の強い彼女はより自分を責めるからだ。

 

 怪異もいい仕事をしてくれた。四肢をもがれるというのは中々ショッキングな死にざまだ。欲を言えばちょっとかじるくらいすればもっと悲惨さを演出できたのだが、理性のない怪異にそこまで求めるのは酷というものだろう。

 

 私が映画監督のように自分の死体の評価をしているうちに、「御剣舞」を殺した怪異はどこかへ行ってしまっていた。おそらくあれは、この病院で死んだ患者の霊が集まって怪異になったものだろう。

 

 ちょうどナース型怪異が全滅してから現れたので、彼女らがあの怪異を封印もしくは世話をしていたという線が濃厚だ。ふらふらと別の所に行ってしまったのは、ナースたちと違ってあの患者たちの妄執が別の場所にあるからなのかもしれない。

 

「さて、あかりを見に行こうかな」

 

 私は怪異の考察を打ち切り、思い切り伸びをした。

 

 しかし今の私は幽霊状態なので、存在の本質は怪異と同じ。のこのこ怪異課に行けば呪具で攻撃されて本当に死んでしまう。姿を消しておかなければならない。

 

 私が怪異課に行くと、休憩室で顔を覆って泣いているあかりを見つけた。しゃくりあげる声が指の隙間から聞こえてきて、私はえもいわれぬ幸福の予感に身を震わせた。

 

「ごめんなさい。舞。私が、私がもっとしっかりしていれば……」

 

 漏れる懺悔の言葉。泣きすぎて少し変になった声。涙をぬぐう仕草。すべてが美しかった。

 

(こんな気持ちにさせてごめん。でも、あなたのその感情からしか得られないものがあるの……う~んたまんない!)

 

 あかりの優しさを逆手に取ってつらい目に合わせていることに対して申し訳なさはあったが、彼女のこんな様子を見られるなら、死んだかいがあったというものである。

 

 丑三課長に現場の写真を見せられた時の悲痛な顔もよかった。絶望しきっているところに写真という形で死を実感させることができ、二度おいしいというやつだった。

 

 しばらくあかりの表情を眺めてから、私は「次」の準備をするため自宅へ戻った。

 

 私の蘇生で使うのは、死ぬときに身に着けていた殺生石の力。これはかつて京で悪さを働いた大妖、白面金色九尾の狐が変じたもので、狐の蘇りと変身の力が詰まっている。

 

 つまり、これを使えば元の自分とは違う姿で復活できるわけだ。殺生石のこの特性を活かすことで別人としてまた彼女の傷になれる。ここで考えどころなのが、どういう人間として復活するかということだ。

『いろいろな人間を見てきたが、こやつほんとこわい』

 全くの無関係者として登場してもいいが、新しく家を借りる必要があるし、前世にもっていたお金を引き継げないのは痛い。その他いろいろ面倒なことがあるので、「御剣舞」の妹として再登場することは早くから決めていた。

 

 そのため「御剣舞」の頃にいつ死んでもいいように裏で準備を進めておいた。戸籍に存在しない妹「御剣凛」を加え、近隣の中学校に行っていることにし、「凛」の携帯端末や持ち物も買った。

 

「あとは、身体の再構築をしとかないとね」

 

 私はアパートの一室で体を再構築した。顔は「御剣舞」をベースに少し幼く変化させ、身長は6㎝ほど縮めておく。それが完了すると、私は身体のどこにも欠損がないかを確認し、用意していたサイズの小さい服を着た。

 

「……やっぱり肉体の再構築後は表情が動かしづらいわね」

 

 殺生石の実験は何度かやっていた(ただし御剣舞として復活していた)が、身体がなじむまで少し表情や動作がぎこちなくなるようだ。まあ、これは数日もすれば治ると思う。あとは「凛」という個人を作っておかなければならない。

 

 例えば、学校。怪異課の誰かが私の死亡を伝えに来るのを待ちながら、一般的学生としての生活を作っておくため中学校に通わなくてはいけない。中学程度の学習内容から学ぶことなどもうないが、まあ適当に流しておこう。

 

 それと職員が来たら、うまいこと課に臨時職員として雇ってくれるよう掛け合わなくてはならない。怪異課はいつも人材不足なのに加え、私が死んで仕事が回らなくなっているはずだから、霊力のある人間であれば、義務教育期間中でも「公共の福祉のため」雇ってくれる可能性が高い。志願理由も「姉の仇を討ちたい」とか言っていれば納得してくれるだろう―

 

 次の日に行った中学校では転校生として扱われた。クラスメイトたちが寄ってきて質問を浴びせてきたので、私は発言に矛盾がないよう気を付けながら、一つ一つ丁寧に答えておいた。

 

 適当な女子グループに所属してとりあえずは無難に放課後をむかえるころ、雨が降り始めた。その勢いは激しく、帰り道は自然と小走りになった。自分の住むアパートの前までたどりつき、やっと着いたとためいきをついたとき、私は玄関の前に誰かが立っていることに気がついた。

 

 その人物―時雨あかりは、ぐしょ濡れになった生気のない顔を私に向け、か細い声で問うた。

 

「……あなたが、舞の妹の、御剣凛さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 御剣凛は表情が顔に出ないタイプらしい。しかし、舞の面影を残した端正な顔立ちと綺麗に切りそろえられたショートカットの組み合わせからは、彼女とはまた違う、凛とした美しさを感じた。

 

「ええっと……時雨さん、とりあえずタオルをどうぞ」

 

「ああ、ごめんなさい。雨がひどくて」

 

「だいぶ寒そうだけど大丈夫ですか? シャワー使いますか」

 

「そこまで濡れてないから大丈夫。ありがとう」

 

 あかりは凛の差し出すタオルを受け取りながら、じくじくと心が痛むのを感じた。あかりはこの子に、唯一の肉親であった舞の死を伝えなければならないのだ。

 

「紅茶があるんですけど、アールグレイとダージリンどっちがいいですか?」

 

「あ……じゃあアールグレイで」

 

 違う。こんなことを話している場合ではない。そう思いながらもあかりはどうしても話を切り出せなかった。お茶の入った2つのティーカップをテーブルに置くと、凛はあかりの向かいに座った。

 

「姉からあなたのことはよく聞いていました。怪異課でいっしょに仕事をしていると」

 

「……舞は私のことなんて言ってたの?」

 

「いろいろうるさいけどいっしょにいたら一番楽しいって言ってましたね。まあ、あなたには絶対言うなって言われてますけど」

 

 凛はほのかに笑みを浮かべ、話を続けた。舞は凛に怪異課のことを喋っていたらしく、会ったこともないあかりの好きな音楽まで知っていた。

 

「……こんなに可愛い妹がいるなら教えてくれればよかったのに」

 

 そうつぶやくと、凛は少しぬるくなったお茶を飲みながら、まあ姉は教えないでしょうね、と当然のように言った。

 

「姉は人の記憶に残りたがらないから、私のことを教えなかったんだと思います」

 

「どういうこと?」

 

「もし姉が死んだら、私を見るたびにあかりさんは姉のことを思い出すでしょう? そういうのが嫌いなんだと思います。両親が死んだときもアルバムを捨てていましたし、姉の写真は家に一枚もありません」

 

 そういえば、あかりのスマホには舞の写真は一つもない。恥ずかしー!と言ってカメラを指で隠していたからだ。今残っている彼女の写真は、無惨に殺されたときのものだけ。

 

(……だからってあなたのこと、忘れられるわけないじゃない)

 

 あかりは目頭が熱くなってうつむいた。そして、

 

「……凛さん。ごめんなさい」

 

 突然の謝罪に、凛は目を丸くしていた。

 

「あなたのお姉さん……舞は、昨日の夜、怪異に殺されたの。私をかばって」

 

 凛は、あかりの重い雰囲気から、それが嘘でも冗談でもなく、真実であるということをさとったようだった。

 

「姉の最期はどうだったんですか。……写真はありますか」

 

「ある。けど、見ない方が」

 

「見せてください」

 

 言葉に有無を言わせない力を感じた。あかりが写真を手渡すと凛はふっと無表情になり、しばらく無言で天井を眺めていたが、やがて話し始めた。

 

「最初から、何かあったんだなって思ってました。昨日は帰ってこなかったし、これまで怪異課の人が来たことはなかったし。でも、そっかあ……」

 

 凛の声は、先ほどまでと同じ平常運転の声だった。それがかえって痛々しく聞こえ、あかりは歯を食いしばった。

 

「私、一つだけ怖いものがあったんです。起きたら姉がいなくなってる夢。帰りを待ってたらスーツの人が来て、姉は死んだって言われるんです。……もう、怯えなくていいんですね」

 

 凛はぎこちない笑みを浮かべた。

『こやつの内面を知っているとむずがゆくなるのう。玉藻もそういうケはあったが』

(やめて。もうこれ以上言わないで)

 

 改めて、あかりは自分が誰かの大切な人を奪ってしまったという事実を思い知らされた。心臓が苦しい。息ができない。

 

「ごめんなさい。私が……私がもっとしっかりしていれば」

 

 からからになった喉からしぼりだすように言葉を紡いだそのとき、凛は突然立ち上がった。無表情のままだったが、その顔は真っ赤で、今にも泣きだしそうに見えた。

 

「すみません。ちょっとお手洗いに」

 

 凛はしばらく帰ってこなかった。涙を見せたくなかったのだろう。性格は似ていないが、妙なところで人を気遣うところは、舞とそっくりだった。

 

「お待たせしました」

 

 あかりの前に座った凛は、目を赤くしていた。抱きしめて安心させてあげたかったが、舞の死に責任のある自分がするべきことではないだろうと思い、自制する。そのとき、凛はあかりを見上げ口を開いた。

 

「お願いがあります」

 

「……なに?」

 

 凛の言葉に、あかりは並々ならぬ決意を感じた。

 

「私を怪異課の職員として雇ってください。私が姉の仇を討ちます」

 

 あかりの前にいる小さな復讐者の両目には、青白い炎が静かに、しかし激しく燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 



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3,「犬神」と初任務

 

 

 

 

「……ふむ、霊力スカウタの計測結果は優、呪具適性アリ、か。……確認だけど、君の名前は御剣凛、で合ってるかな」

 

「はい」

 

 丑三課長は私と、そして隣で心配そうに見ているあかりを見て、困ったような顔をしていた。

 

「最初に言っておくけど、この仕事は危険だ。命を落とすかもしれない。……君のお姉さんがそうなったように」

 

「分かっています。でも、やりたいんです」

 

 あかりのバディになって感情をかき乱すのを。という言葉を飲み込み、私は押し黙る。

 

 そのときあかりが何か言おうとして、口を閉じた。きっと彼女は、丑三課長が私を不採用にすることを願っているのだろう。あかりの性格的に「御剣凛」を怪異課に所属させ、死の危険にさらしたがるとは思えない。

 

 だから、昨日にあかりがやって来たときは焦った。彼女は、断固として私の怪異課への加入を拒む可能性があったからだ。

 

 しかし妹の存在を親友であるはずのあかりに伝えていなかった不自然さや、姉妹で一緒に写っている写真がないという矛盾をうまくこじつけることで、必要以上に負い目を感じさせることに成功した。自分で言うのもなんだが、なかなかの名演だったと思う。

 

 私の頼みを断れないようにしてから課への雇用を頼むと、あかりは悲しそうな顔をしながら丑三課長に取り次いでくれた。それから最低限の霊力があるかどうかのチェックやそのほか健康検査を経て、課長の面接までこぎつけることになったのである。

 

 丑三課長は少し思案していたが、やがて口を開いた。

 

「本当は年齢的に君を雇うことはできないし、こういう危険な仕事は私たちのような大人がやるべきだと思ってる。だが、今は本当に人手が足りない。君の才能を無駄にできるほどウチに余裕はない」

 

「つまり、雇ってくれるんですね」

 

「ああ。だが、仕事に行く前にしばらく研修を受けてもらうよ」

 

 研修とは、自分の呪具を選び、扱いに慣れるための期間。「舞」の頃に受けていたので必要なかったが、おとなしく従っていた方がいいだろう。

 

「時雨君、研修の担当を頼めるかな」

 

「……わかりました。凛さん、ついてきて」

 

「凛でいいですよ。あかりさんの方が先輩なので」

 

「じゃあ行こうか、凛」

 

 私はあかりに連れられ、「呪具保管庫」にやってきた。扉には何枚ものお札が貼られ、霊的なガードがほどこされている。

 

「この中にあるのは、私たち職員の使う呪具が入ってる。基本、怪異には普通の武器が効かないからこれで戦うことになるわ」

 

 あかりが扉を開けると、その中には傘や掃除機、鎧兜など、様々なものがごちゃごちゃになって所せましと並んでいた。以前「鎌鼬」を受け取った際に入ったことがあるが、あのときよりも置いてある物が増えているような気がした。

 

 あかりは丑三課長から受け取った呪具の目録を見ながら、説明を続ける。

 

「けっこういろいろあるけど、個人で使いにくかったり威力が大きすぎたりする物を除いたら……凛が使えるのは『赤マント』『犬神(イヌガミ)』『鎌鼬』かな」

『犬神……そうか、ヤツも狩人に討たれたのか』

「有名な怪異が多いですね」

 

「それくらい強くて有名な怪異じゃないと呪具にできないからね。例えば私のは手袋なんだけど、左手には盾の役割を持つ『塗壁』、右手には相手を攻撃するための『鬼火』の力が宿ってる」

 

 あかりは、赤いハンカチ、鞘入りの短刀、キーホルダー型の鎌を集めてきた。それから訓練室に移動すると、それぞれの性能について話し始めた。

 

「1つ目は、赤マントね。他の呪具もそうだけど、使いたいときは呪具に触った状態でその名前を言えばいいわ。『赤マント』」

 

 あかりが手に取っていたハンカチが広がり、身体を包みこんだ。そして赤い布がはらりと落ちたときには、あかりは明治時代の兵隊のような軍服を身にまとっていた。

 

「これは、こんな感じで着るタイプの呪具ね。怪異や自分の血を吸って、弾丸に変えて撃つことができる」

 

 あかりは右手の人差し指を真っすぐ伸ばして銃を模した形にすると、10メートルほど離れた場所にある的に向ける。ぱぁん、という乾いた音とともに、的からかなり外れたところの壁に穴が開いた。

 

「外しましたね」

 

「……普段使わないから」

 

 あかりは少し顔を赤くしながら『赤マント』を解除した。そして、次に見せたのはかつての私の武器、『鎌鼬』だった。

 

「これは鎌鼬。霊力を込めて大きくしてから名前を呼べば、高速斬撃を放つことができるわ。舞は、この武器を使ってい」

 

「それにします」

 

 私が食い気味に言うと、あかりは複雑そうな表情を浮かべた。

 

「この武器を使いたいっていうのは分かるんだけど、これ、ものすごく制御が難しいの。舞以外でこれを使える人はいないわ」

 

 それはそうだろう。私が「御剣舞」だった頃も、完全に制御できていたわけではない。

 

 そもそも人間の脳は音速を越える世界についていけるように設計されていないのだ。遮蔽物のない空ならともかく、屋内や街の中ではまず間違いなく何かにぶつかる。

 

 この問題を解決するため、私は15パターンほど斬撃軌道を覚えておき、実戦ではそれらを組み合わせて動いていたのである。

 

「貸してください。やってみないとわからないじゃないですか」

 

 だから、どの距離なら鎌を当てられるか、パターンをどう組み合わせれば理想的な軌道になるかはしっかり理解していた―はずだった。

 

 私は正中線に沿ってラインの描かれているマネキンに向け、鎌を向けた。そして距離を測り、軌道を決め、能力を発動させる。

 

「『鎌鼬』」

 

 気がつくと、私は壁に激突していた。頭を打ってしまったからか、少しくらくらした。大慌てで助けにやってくるあかりを視界の端で見ながら、私はその理由に思い至った。

 

(……そうか。身体が全然違うからか)

 

 舞と凛では身長、体重、体形がだいぶ違う。以前の身体を前提とした軌道は凛の身体には合わないのだ。

 

「もう……鎌鼬はやめた方がいいわ。危なすぎるもの」

 

 あかりはそう言いながら私の手から大鎌を取り返す。まあ、このざまでは仕方ない。今度復活するときは、なるべく「舞」と近い身長と体重にしよう、と思った。

 

「すみません。じゃあ、『犬神』を見せてもらっていいですか」

 

 

 

 

 

 あかりは凛を怪異課に入れたくはなかった。舞だけでなく、凛まで死んでしまったら。そう考えると背筋が冷たくなる。しかし舞の仇を討ちたいという凛の気持ちも痛いほどわかるのだ。だから断るに断れず、結局研修を手伝うことになってしまった。

 

 凛は、そんなあかりの気持ちを知ってから知らずか、自分の呪具―『犬神』の短刀を持ち、少し嬉しそうな顔をしながら廊下を歩いていた。

 

「……結局、犬神かあ。私はあんまりおすすめしないけどなあ」

 

「一番生存率が高いのはこれでしょう」

 

「そうだけど、その呪具は……痛い思いをするよ。『赤マント』ならある程度怪異の攻撃を防いでくれるし、遠くから攻撃できるのに」

 

「射撃の腕に覚えがあるわけではないので。怪異が殺せるなら、痛みなんてどうでもいいです」

 

「……そう」

 

 どうも危うい。凛は舞の仇を討とうとして命を落としてしまうのではないか。そんな予感がした。

 

「……お? 見たことねえ顔だな」

 

 そのとき、向こうから金髪の若い男がやって来た。コートに包まれた痩せぎすの長身を折り曲げると、品定めをするように凛をじろじろ眺め始める。

 

「ああ、お前、アレか。課長の言ってた御剣の妹か」

 

「あかりさん。この人は誰ですか?」

 

「怪異課の職員よ。浜矢。ゲーム脳だけど、腕は立つわ」

 

「ども。俺、浜矢警剛(はまやけいご)。怪異ぶっ殺すのが面白いので職員やってまーす。よろしく~」

 

 普段から職員は命がけで働いているが、怪異課に入った理由は様々だ。市民を守る、食い扶持を稼ぐ、復讐をする……しかし浜矢が怪異を狩る理由は、いまだにあかりには理解できない。

 

「よろしくお願いします。今度怪異課に所属することになりました。御剣凛です」

 

「中学生ってマジ?」

 

「はい」

 

「オイオイオイ、丑三のオッサンやばいって。いくら俺らが忙しいって言ってもさすがに中学生入れるのはまずいっしょ」

 

「……怪異を殺せるなら、年齢は関係ないでしょう」

 

 凛は無表情のまま答えた。すると浜矢は、何かを思い出したらしく、にやりと笑った。

 

「ああ、そういや姉ちゃんの仇討ちのために入ったんだっけ。やめとけやめとけ。お前みたいな眼ぇしてるやつ、すーぐ死ぬからさあ。復讐なんてくだらないぜ」

 

「私にとってはくだらなくはないですが」

 

「いやあ。意味ないね。怪異ぶっ殺して誰かが生き返るんだったら俺もオススメするけどさあ。とっとと学校行ってお勉強してなよ」

 

「ちょっと言い方ってものがあるんじゃない?」

 

 浜矢の無神経な態度に腹が立った。浜矢は肩をすくめ、おどけた声色で答える。

 

「おーこわ。俺は、心配して忠告してやってんだぜ、親切によお。そんなこともわからないなんて、最強だった舞ちゃんを無駄死にさせた人は違うなあ!」

 

「い、今は関係ないでしょ。その話は」

 

 まだできて間もない傷をえぐられ、あかりは唇を噛んだ。それを見て、浜矢はふんと鼻で笑った。

 

「ま、復讐なんて暗いことはやめて、もっと仕事を楽しんだらいいさ。もし凛ちゃんが生き残って強くなったら、キルスコアで競争しようぜ」

 

 そう言うと、浜矢はさっさとどこかへ行ってしまった。浜矢の性格が最悪なのには慣れているが、免疫のない凛がどう反応するか分からない。慌てて凛に話しかけた。

 

「あの人の言うことなんか気にしない方がいいわよ。頭がおかしいだけだから」

 

「そうですね。……でも、他の職員もあんな感じなんですか」

 

「まさか。丑三課長を除けばあと2人いるけど、あの人よりはまともよ」

 

「ならよかったです。さすがにアレばっかりだと疲れます」

 

 そう言いながら、凛はため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凛が加入して数日で研修は終わり、彼女は舞の死亡により空いたあかりのバディに収まった。そしてその日の夕刻、近所の中学校で怪異の発生があったという報告があったため、2人は現場へ急行した。

 

「あ、ここ私が通ってる学校です」

 

「なら、案内は凛に任せるわ。人体模型の怪異らしいから、とりあえず理科室に行ってみましょう」

 

「わかりました。こちらの昇降口からが一番早いです」

 

 そして理科室に到着すると、そこには窓から指す夕日を浴びながらたたずむ、男の人体模型があった。人体模型は、ぎぎ、ときしむような音をたてて首を曲げ、二人の方を向く。

 

『お肉ください』

 

 人体模型の口がひとりでに動き、言葉をつむいだ。

 

『お肉くださいお肉くださいお肉ください』

 

 そう言いながら、人体模型はこちらに突っ込んでくる。喋るタイプはたまにいるが、なまじ人間に似ているからか、生理的な嫌悪感がすさまじい。あかりが唾を飲み込みながら「塗壁」の発動用意をしたとき、短刀を構えた凛が前に出た。

 

「私にやらせてください。……『犬神』!」

 

 呪具の名を呼んだ瞬間、凛の虹彩が真っ青に染まった。同時に、彼女が視界にとらえている人体模型は青い炎のようなオーラに包まれる。

 

 だが、人体模型はそれを気にも留めていないようだった。凛にとびかかって、短刀を構えていた彼女の右腕に噛みつく。

 

「凛!」

 

「待ってください。大丈夫です」

 

 そのとき、ぶつりと嫌な音がしたかと思うと、凛の右腕の肉が噛み千切られた。血が滴り、皮一枚でぎりぎりつながっている右腕をだらんとぶら下げている凛の前で、人体模型は美味しそうに咀嚼を始める。

 

「楽しそうですね。しかし、ご自分の腕も見てみたらどうです?」

 

 言葉は分からないくせに、人体模型は異様な雰囲気を感じ取ったらしい。咀嚼をやめ、人体模型は自分の右腕に目を落とす。腕の肉は、ちょうど凛と同じようにそがれ、ぼたぼたと血が流れていた。

 

「どうせなら、利き手じゃない方をあげればよかったですね」

 

 凛は短刀を左手に持ち換えると、突然の負傷に戸惑っている人体模型の胸に、深々と突き刺す。すると奇妙なことに、えぐれていた凛の傷が少し治癒された。

 

『犬神』の力。それは、見ている相手を祟る力だ。所有者が傷つくと敵に同じだけの傷を負わせることができ、逆に祟っている相手を傷つければ、その生命力を吸い取って自分の傷を癒せる。

 

 一対一の状況では無敵といっていい強力な呪具だが、一つだけ欠点がある。使用者の傷は癒してくれるが、痛みを和らげてはくれないのだ。

 

 凛は平気そうな顔をしているが、どう考えても無茶な戦い方だった。もう私に任せてくれ、と言いたかったが、凛のまとう雰囲気がそれを許さなかった。

 

「お肉……くださ……」

 

 暴れる人体模型を押さえ込み、凛は二度、三度と突き刺す。そのたびに飛び散った怪異の血が飛び散り、彼女の手が、胸が、顔が赤く染まっていく。

 

 何度か刺した辺りで怪異は事切れ、チリとなって消えた。凛についていた返り血が細かい粒子となって零れ落ちていく中、彼女の青く光っていた虹彩も、元の黒に戻っていく。

 

 そして凛はあかりの方を見ると、先ほどまで眉一つ動かさず血みどろの殺し合いをしてみせていた人間のものとは思えない、屈託のない笑顔を見せた。

 

「やりました、あかりさん。初任務達成ですね!」

 

「……ええ、そうね」

 

 私はどこかで間違えてしまったのではないか。あかりは瞠目した。

 

 

 

 

 




次はネームド怪異出したいなあ……


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4,ドッペルゲンガー

 

 

 

 

 御剣凛。11月21日怪異課加入。23日から時雨あかりとともに活動開始。30日現在まで怪異21体を処分。瘴気を基準にした対処能力は推定60%程度。

 

 私の現在の怪異課での評価は、そんな感じだ。破壊力のある「鎌鼬」を使えないせいで舞の頃より派手に怪異を倒すことはできないが、犬神も捨てたものではない。というかあかりの顔を見るに、むしろこちらの方がいいかもしれない。

 

 とはいえあかりに嫌な思いをさせすぎても避けられてしまうから、仲を深めるため積極的にアクションを起こさなくてはならない。

 

 たとえば、いっしょに遊びにでかけるとか。

 

「あかりさん。今日はお暇ですか」

 

「ん~ふあぁ……暇だけど」

 

 携帯の向こうから、あかりの寝ぼけた声が聞こえてくる。どうも今起きたばかりらしい。

 

「寝すぎじゃないですか。もう10時ですよ」

 

「昨日夜更かししちゃってね。 緊急任務?」

 

「いえ。映画を見に行くんですが、いっしょにどうかと思って。同級生には断られちゃって」

 

 嘘である。端からあかり以外を誘うつもりはない。

『偏執的な者こそ、殺生石を使い果てるものだが……こやつは本当に極端だな』

「いいよ~12時に駅前の映画館集合でいい?」

 

「ありがとうございます」

 

 私は電話を切ると、鼻歌を歌いながらお出かけ用の服を選び始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あかりが映画館の前にやってきたとき、もう凛は到着していた。凛はトレンチコートのポケットに手を突っ込み白い息を吐いていたが、あかりがやって来たことに気づくと、ぱっと顔を輝かせて近づいてきた。

 

「おはようございます。あかりさん。今日は私のワガママを聞いてもらってありがとうございます」

 

「ちょうどヒマだったから。寒いしとりあえず中入ろっか」

 

「そうですね。早くしないと映画始まっちゃうかもですし」

 

 凛はスキップしそうな勢いで映画館へ入っていく。普段は無表情なことが多いので、こうして年相応の姿を見るとほっとする。

 

「……で、今日は何観るの?」

 

「まだ決めてないです」

 

 そう言うと、凛は映画の一覧を見ながら長考を始める。家で飼っている子猫が何かを考えるとき、急に動かなくなるのをなんとなく思い出し、あかりは微笑した。

 

 しかしそれが5分、10分と続くと、さすがに待ちきれなくなって口を開いた。

 

「そろそろ始まっちゃうよ。早く決めてよ」

 

「最初は『サラディン』にしようと思ってたんですが」

 

「じゃあそれにしようよ」

 

「でも『カレー・シャーク』も気になるし、『アルルカンと猫』はあかりさんの好きな俳優が出てるからこっちがいいかなって。あと……」

 

「もう私が決めるよ。凛に任せてたら一生シアターに入れないわ」

 

 あかりは直感で映画を選ぶと、大急ぎでお菓子と飲み物を買い、凛の首根っこを掴んで中に入る。腕時計を見ると、上映開始時刻ギリギリだった。

 

 映画を観終わってから、あかりと凛は近くに会った喫茶店に入った。こぢんまりとした店だが、古時計やオルゴールなどのアンティークがあちこちに置いてある、不思議な雰囲気の店だった。

 

 店員は人のよさそうな年配のマスターが一人いるだけ。凛とあかりの座ったテーブルにやってきて注文を取り、飲み物を出すと、そのままカウンターへ戻っていった。

 

「全然先が読めませんでしたね。最初に主人公が殺されるとは思いませんでした」

 

「ミステリーなのに幽霊出すとかアリなのかなあ。まあ面白かったからいいけど。……ていうか凛、映画選ぶ時間長すぎない? いつもあんなに時間かけてるの?」

 

「そうですね。私があかりさんみたいに直感で選ぶと、だいたいハズレの映画を引くんですよ。意外とこういうのって才能がいるんですけど、あかりさんは『もって』ますね」

 

「えへへ、そう?」

 

 特別な才能があると言われれば、悪い気はしない。あかりはすこしいい気分になって、コーヒーカップに口をつけた。心地よい苦味と酸味を舌の上で転がしていると、凛はじっとこちらを見てきた。

 

「コーヒー飲めるんですね。ブラックですか?」

 

「んーまあ。テスト前とかによく飲んでるんだけど、何も入れない方が効きがいい気がするんだよね。凛は飲まないの?」

 

「苦すぎて飲めないんです。消しカスを煎じたらこんな味じゃないかなって」

 

「ふうん、凛って大人びてるのに、舌はお子様なのね」

 

「……その気になれば飲めますよ。好んで飲まないだけで」

 

 少しからからかってみると、凛はむっとした様子を見せた。

 

「すみません、マスター!あかりさんと同じものを私にください!」

 

「苦いの駄目ならカフェオレもあるけど」

 

「いえ、ブラックで!」

 

 それを聞いたマスターはニコニコしながらカウンターに戻り、コーヒーを淹れて持ってきた。凛はそれを受け取ると、ぐいと勢いよく飲み―そしてむせた。

 

 げぇっほげほげほ、と盛大にせき込む凛を見て、あかりは思わず吹き出してしまった。凛は口元を拭いながら、恨めしげにあかりを見つめてくる。

 

「そんなに面白いですか」

 

「ごめんごめん。だって漫画みたいだったもん」

 

 凛は少し顔を赤くしながら立ち上がった。

 

「……今ので服が汚れたので、ちょっと洗ってきます」

 

 マスターに案内されてお手洗いへ向かった凛を見ながら、あかりは何とも言えない安心を感じていた。

 

(……凛も、やっぱり普通の子なんだな)

 

 ここ数日の凛の戦闘はわざと自分を痛めつけているのではないかと思うほどの特攻ばかりで、あかりはハラハラし続けていた。

 

 簡単に避けられる攻撃をあえて喰らい、敵が反射した傷を負ってひるんだところを短刀で突き刺す。凛が築きつつある戦いのセオリーは、彼女が抱える闇―どれだけ自分が傷ついてもいいから、怪異をたくさん殺したいという気持ちを体現しているように見える。

 

 しかし、どの映画を観るか迷っている姿やムキになって嫌いなコーヒーを飲もうとしている様子を見ていると、ちょっと背伸びをしたがるごく普通の女の子にも思えるのだ。

 

 復讐者としての彼女、普通の中学生としての彼女……結局のところ、どちらも凛の一面なのだ。彼女が完全に狂っていないのは、こういった他愛ない日常があるからなのかもしれない。

 

 そう思いながらコーヒーに口をつけたそのとき、凛が服を洗いに行った方から乱暴にドアを開ける音が聞こえてきた。続けて何かが落ちたり、割れたりする音。だんだんとこちらに近づいてくる。

 

(……どうしたんだろ)

 

 あかりが首を伸ばして音のした方に目を向ける。すると、()()()凛が短刀で斬り合いながらこちらへ向かって来るのが見えた。

 

「「犬神!」」

 

 お互いに相手の身体を視界にとらえ、青いオーラをまとわせた。混乱するあかりをよそに、二人は斬り合いを続ける。

 

「二人とも、一旦戦うのをやめなさい!」

 

 そう叫ぶと、二人の凛は鍔迫り合いをした状態で動きを止めた。

 

「……なんで凛が二人いるの?」

 

「もう一人の方は私じゃなくて、怪異です。私に化けています」

 

「黙っていれば好き勝手言いますね。あなたが怪異でしょう。おとなしく死んでください」

 

 にらみ合う二人を見て、あかりは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 うかつだった。私は隣にいる怪異―ドッペルゲンガーを見て、そう思った。

『完全な模倣など不可能だと思うが……もしやこの怪異、妾まで模写しているのではないか?』

 この怪異―元の姿はこの店のマスターだった―は、私がお手洗いで袖についたしみを洗っているときに入ってきて、「御剣凛」そっくりに変身した。即座に殺そうとしたが、呪具までコピーされていたらしく、一対一で決着をつけることは不可能だった。

 

「……つまり、どっちかは凛でもう一人がドッペル凛ってことね」

 

 話を聞いたあかりは、私とドッペルゲンガーを見比べながら首をひねっていた。私とドッペルが戦って決着がつかない現状、鍵を握っているのはあかりである。

 

 あかりがドッペルを見抜き、私といっしょに戦えば勝てる。逆にあかりが私をドッペルだと判断すれば私は殺され、残ったあかりも殺されるというわけである。

 

「私からすればもう一人が怪異なのは自明なので、それが伝えられないのはもどかしいですね」

 

 いけしゃあしゃあと言うドッペルゲンガーを睨みながら、私はあかりに自分を識別してもらう方法を考え始める。さすがにここで死ぬのは避けたかった。

 

(まだ全然あかりと仲良くなってないし、あかりが死んだら元も子もないしなあ)

 

 私が自分の身体とドッペルゲンガーを見比べていると、あかりはぽんと手を叩いた。

 

「……よしわかった。じゃあ、凛しか分からない質問するから、二人とも正直に答えてね」

 

 まあ、それは私もすぐ思いついた方法である。だが、「犬神」までコピーされていたことを考えると……

 

「凛の家の住所は?」

 

「「藤見市笹ヶ原3丁目5-1です」」

 

 私とドッペルは同時に答える。やはり記憶もコピーされているらしい。

 

「駄目ね。変身中は瘴気も出ないみたいだし、どうしようかな……」

 

「待ってください、私とドッペルの格好は少し違うみたいです。そこから見つけてみたらどうでしょうか」

 

 例えば、私は黒のニットセーターを着ているのだが、ドッペルのセーターの色は、微妙に色が薄い。他にも左目の下にある泣きほくろの位置、髪の切りそろえ方が違う。

 

 それを指摘すると、あかりは困り顔で答えた。

 

「違いが微妙すぎるわね。元をよく覚えてないし」

 

「……怪異課の人に助けを呼ぶのはどうでしょう」

 

「もうやってるけど、携帯がつながらないの。これもドッペルゲンガーの仕業なのかな」

 

「じゃあ直接課に戻るのはどうですか」

 

「うーん、それをやって、ドッペルゲンガーが丑三課長あたりに化けたらもっと大変だなあ」

 

「なぜです?」

 

「太刀打ちできなくなるかもしれないから。私も課長が戦ってるとこ一回しか見たことないけど、たぶん舞と同じくらい強いんじゃないかな」

 

「そうなんですか」

 

 実は、私はこれまで丑三課長が戦っているところを見たことがない。出張に行っているか、ずっとデスクワークをしているからだ。まあ怪異課の平均寿命が入ってから約4、5年ということを考えると、50近くまで生きている人間が弱いわけはないのだが。

 

(とにかく、この怪異は私たちだけで処理しないといけないということね)

 

 私とドッペルの違いは何だろうか。服装や身体的な特徴では、あかりが判別できない。他に明快にわかる方法は―そう思ったとき、私は一つの案を思いついた。

 

「……あかりさん、私にしかわからない質問をしてください」

 

「さっきやったじゃない」

 

「数をこなすんですよ。ドッペルの外見が不完全なら、記憶も不完全にしかコピーできていないはず。ボロを出すまで質問すればいい」

 

「……なるほど、試してみる価値はありそうね」

 

 それから、あかりは大量の質問を私とドッペルゲンガーにぶつけはじめた。

 

「家にある紅茶は?」

 

「「アールグレイとダージリン」」

 

「凛がさっき選ぼうとしてた映画は?」

 

「「サラディン、カレー・シャーク、アルルカンと猫」」

 

「私が研修のときに見せた呪具は?」

 

「「赤マント、鎌鼬、犬神」」

 

 しかしドッペルゲンガーはなかなか尻尾を見せなかった。いくつもの質問を重ね、ひょっとして私の推論は間違っていたのではないかと思い始めた、そのときだった。

 

「……凛のお姉ちゃんの名前は?」

 

「御剣舞」

 

 私が言うと同時に、ドッペルゲンガーも自信満々に答えた。

 

「姉はいません」

 

「『鬼火』」

 

 その瞬間、ドッペル凛は火だるまになって倒れた。目を見開き、身を焼かれながら、意味が分からないとでも言いたげな顔で私とあかりを見上げる。

 

「な……んで、わた、私ほんとうのこと……」

 

「それ、凛は絶対間違えないんだよね」

 

 あかりはそう言うと、とどめと言わんばかりにさらに火炎を注ぎ込んだ。ドッペルゲンガーは「犬神」を発動する間もなく、断末魔をあげながら焼き尽くされる。

 

(本当のことを言ったのに殺されたら納得できないよね)

 

 少しの哀れみを感じながら見ているうちに、ドッペルゲンガーの身体はチリになって消えた。しかし、その頭部だけは消えずにそのまま残っていた。

 

「やった。これ課に持って帰ったらボーナスもらえますよ」

 

「持って帰るのはいいけど、何か包むものない? ちょっと目線がさ……」

 

 あかりはドッペル凛の恨めしそうな顔から眼をそむけながらそう言った。

 

「うーん、私はもってないですけど……目隠しとかします?」

 

「それはそれでなんか嫌だなあ……」

 

 結局、私たちはカウンターに置いてあった紙袋を拝借し、そこにドッペルゲンガーの生首を入れることにした。それからレジにお代を置いて、店の外に出る。

 

「長居しちゃってたみたいだね」

 

 空にはすでに黄昏の色が広がっていた。ふと後ろが気になって振り返ると、さっきまでいた喫茶店は無くなっており、「貸地」の看板の立っている寒々しい空き地があるだけだった。

 

「あの店もドッペルゲンガーの能力の一部だったんでしょうか」

 

「かもね。雰囲気はよかったから、ちょっと残念」

 

 それから私とあかりは怪異課に行き、ドッペルゲンガーの首と引き換えに茶封筒を貰った。そのお金で少しお高いレストランでご飯を食べて、私たちは帰路についた。

 

「カラオケとか行きません?」

 

「えー、中学生をこんな遅くまで連れまわしてたら私が怒られちゃうよ。今度行こ」

 

「……そうですね。楽しみは後に取っておきましょうか」

 

「そうそう。私は歌うまいよ~。どーんと期待していいからね」

 

 あかりはからからと笑った。それを見ているうちに、私も自然とほほ笑んでいた。もともとあかりの表情を見るのが好きだったので、笑顔も嫌いではない。……のだが。

 

(……物足りない)

 

 そんな気持ちが、お腹の中でうごめいた。

 

 

 

 

 

 



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5,臨時バディ浜矢

 

 

 

 

 ゲームは好きだ。何度もやり直せるから。

 

 かちり、かちかち。浜矢が素早くボタンを押すと、自分のアバターは巨大な剣を振り回し、大蛇の首を斬り飛ばした。

 

(5回目。まあ他よりは早いか)

 

 浜矢のやっているゲームは、いわゆる死に覚えゲーというもので、何度も戦って敵の行動パターンを覚えることを前提としたものである。大学時代にはこの手のゲームはやらなかったのだが、なぜか怪異課に入ってからすっかりはまってしまった。

 

 次のマップに行こうか、と思ったそのとき、誰かが後ろから画面をのぞきこんできた。

 

「市役所のwifiでゲームですか」

『最近の遊戯は面白そうじゃのう。妾もちょっと遊んでみたい』

 顔を上げると、そこには新顔の少女―御剣凛が立っていた。学校から直接課へ来たらしく、黒セーラーを着ていた。

 

「ソフト入ってっからオフラインなんだよ。てか、俺がゲームやってたのは凛ちゃんが来るのを待ってたからなんだけど」

 

「浜矢さんと組むって、さっき知らされたばかりですし。浜矢さんのバディは、今日はどうしたんですか?」

 

神標(しめ)は時雨と組んでもう行った。たまにやるんだよ、こういう入れ替え。同じやつと長く組んでると、そいつが死んだあとに連携がとりづらくて困るだろ?」

 

「なるほど。そういうことですか」

 

 凛は納得したようにうなずいた。

 

 バディの入れ替え。基本的に職員は二人一組で怪異退治に向かうが、たまにこうして違う人員と組む。凛に説明したように普段のバディ以外との連携を可能にするだけでなく、顔を合わせることが少ない職員同士で交流を深めるという目的もあるらしい。

 

(……ハズレだな)

 

 凛の表情を見て、浜矢はそう思った。

 

 強さは申し分ない。この前はドッペルゲンガーの死体を持ち帰っていたし、新人の割に退治した怪異の数も異常に多い。あと数か月もすれば、強さの面では舞に見劣りしなくなるだろう。

 

 だが、彼女の張り詰めた空気―何としても怪異を殺すという決意は、危うい。危険な敵を見極めきれず、命を落とす可能性が高いのだ。

 

「怪異を殺しに行きましょう、浜矢さん。私とキルスコアを競ってくれるんじゃないですか」

 

「バーカ。ひよっこは相手にしねえよ。今日は安全運転でいけ」

 

「……これでもけっこう怪異を倒してるんですが」

 

「ネームド1匹と雑魚怪異ばっかだろ? チュートリアルで調子乗んなって」

 

 凛は少し悔しそうに顔を歪めた。浜矢はそれを尻目に舌打ちした。

 

(……なるべく突き放しとくか)

 

 好きな食べ物。笑いのツボ。手持無沙汰なときの癖。そんな些細なことでも知ってしまえば、知った分だけその誰かが死んだときにつらくなる。

 

 そのうち死ぬとわかっている娘に入れ込むのは、馬鹿のやることなのだ。

 

「行くぞ。冬は日が暮れるのが早いからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『鬼火』」

 

 巨大なムカデ型の怪異が黒焦げになり、あかりの目の前に転がった。

 

 ここは藤見市郊外にある神社である。人が来なくなったせいで怪異がよく棲みついているので、パトロールの対象域になっている。石畳の上でのたうち回る百足に止めを刺そうとしたとき、「待って」と声をかけられた。

 

「うん、時雨さんありがとう。早かったわね」

 

 振り返ると、ダウナーな雰囲気を身にまとった、スーツ姿の女性―神標千鶴が拍手しながらあかりの隣にやってきた。彼女の綺麗な二重の眼はきゅっと細められ、獲物を見つけた蛇のような光をたたえている。

 

「千鶴さん。まだ大百足は死んでませんよ。下がってた方が」

 

「大丈夫。任せて」

 

 神標はそう言うと、小さな丸鏡を取り出し百足に向けた。これは17世紀に隠れキリシタンが作った魔鏡というもので、彼女の呪具だ。光に当てると表面の凹凸で反射して十字架が浮かんで見えるらしい。

 

「『雲外鏡』」

 

 魔鏡の名を呼ぶと、大百足の姿が一瞬にして消え失せた。

 

 彼女の「雲外鏡」は、鏡の前にあるものを他の鏡の前に移動させる力をもつ。呪具の性質上彼女だけでは大した怪異は倒せないが、緊急脱出や現場への移動などのサポートは非常に心強い。

 

「今の、どこに飛ばしたんですか」

 

「怪異課に置いてある、お札が貼られた箱の中。生け捕りにしたかったから」

 

「……生け捕りにしてどうするつもりですか」

 

「食べる」

 

「………神標さんが怪異を食べるのが好きなのは知ってますが、百足も守備範囲なんですか?」

 

「そうね。以外と珍味かもしれないわ。唐揚げとかいいかも」

 

 ドン引きするあかりを気にもせず、神標はそんなことをのたまった。

 

 神標は怪異を好んで食べる美食家なのである。怪異を食べても栄養にならないし、本体が死ねば肉もチリとなって消えてしまうので食べるメリットは一切ないのだが、それでも彼女は怪異を捕獲・調理する。

 

 ある意味浜矢より怖いが、それ以外はしごくまともで優しいので、あかりは先輩として慕っている。

 

「時雨さんの鬼火、死なない程度に怪異を焼けていいわね。浜矢くんは一発で殺しちゃうからなかなか生け捕りにできないの。貸してくれたらおいしい料理を振る舞ってあげるけど、どう?」

 

「どうって……嫌ですよ。怪異とカエル、どっちか食べろって言われたら迷いますよ、私は」

 

「残念、ダイエットにもなるのに。……まあいいわ。パトロール続けるわよ」

 

 そう言って神標がきびすを返そうとしたとき、携帯が鳴った。神標はポケットから携帯を取り出して画面に目を落とす。

 

「お、浜矢くんからだ。御剣ちゃんが来たから行動開始するって」

 

「……あの二人で大丈夫なんでしょうか」

 

 凛は冷静そうで不安定なところがあるし、浜矢は人格破綻者だ。彼らの戦闘力は疑っていないが、連携はとれるのだろうか。不安がるあかりに、神標はふわあ、とあくびをしながら答えた。

 

「問題ないんじゃない? 浜矢くんって心配性だから、あかりちゃん以上に過保護かも」

 

「心配性?」

 

「うん。もし凛ちゃんがピンチになったら鏡を通して助けてやってくれって言われてるんだよね」

 

 そんな気配りができるような人間だとは思っていなかったので、あかりは驚いた。それを見た神標は、こらえられないというように吹き出した。

 

「あは。意外でしょ。なんか舞さんの件で思うことがあったらしくてね。凛ちゃんだけじゃなくて、時雨さんのこともちょっと気にしてるわ。まあ、ふだんから口悪すぎてわからないかもしれないけど」

 

 あかりは浜矢の憎まれ口を思い出し、ため息をついた。

 

「なら普通にそう言えばいいのに」

 

「普通に言って聞くなら、浜矢くんはそうするでしょ」

 

「……どちらにせよ、凛を残して私だけ抜けるってことはありえません」

 

 あかりの言葉を聞いた神標は、そう、と興味なさげに答えた。

 

「まあ私はやめてほしいとは思ってないし、別にいいけどね。バディの絆が固い方が生存率上がるかもしれないし」

 

「神標さんは、浜矢……さんとは仲いいんですか?」

 

「んー別に。あかりさんとか凛ちゃんと比べると、だいぶゆるいよ。趣味も性格も合わないし、お互い最低限仕事のときだけ話すって感じかな」

 

 言ってから、神標は聞こえるか聞こえないかというくらい小さな声でつぶやいた。

 

「……硬いものほど砕けやすいっていうからね」

 

 

 

 

 

 

 見回りをしているうちに夜になった。昼は日が当たっていたのでまだましだったが、それもなくなると急激に冷え込んでくる。浜矢はジャンパーを貫いてくる冷気に身震いした。

 

「おーさみ。お前は大丈夫か」

 

「中にカーディガン着てるので。というか、その上着の下、半袖ですよね。寒くて当然ですよ」

 

「しょうがねえんだよ。俺も持ってる呪具が『鵺』じゃなかったら厚着してえよ」

 

 浜矢と凛の二人は公園にやって来ていた。ここは藤見第一公園。子供の怪我や死亡事故が異様に多い場所で、「呪われた公園」として悪名の高い場所である。風水的にあちこちのよどみが流れてくるせいか、怪異がわんさかやって来る。

 

「……見つけた」

 

 隣にいた凛はそう言って、持っていた短刀をすらりと引き抜く。浜矢が彼女の視線の先に目をやると、そこには首のない鎧武者が何体もいた。立派な鎧を着た総大将らしき武者がブランコに座っており、その周りを足軽たちが囲んでいる。

 

「ここって古戦場だったりするんですか」

 

「いや。ただどっかから流れてきたんだろ。ここはそういうとこだ」

 

 浜矢はジャンパーを脱ぎ捨てると、凛に指示を飛ばした。

 

「まず俺が『鵺』であいつらをぶっ飛ばす。お前は孤立したやつから順に殺していけ」

 

「了解です」

 

 作戦は明快だった。浜矢と凛は同時に鎧武者に向かっていった。鎧武者たちが疾駆してくる二つの影に気づいた瞬間、浜矢は自分の首元にかかっているクチバシ型のネックレスの名を呼ぶ。

 

「『鵺』」

 

 浜矢の両手が大きく膨れ上がり、巨大な虎の剛腕に変じた。右手を薙ぎ払うと、槍を構えた足軽たちはぼろくずのように吹き飛ばされる。

 

 『鵺』の力。それは身体の一部を虎、狸、蛇、猿に変えられるというものだ。虎の剛腕、蛇の暗視能力はシンプルに使いやすく、これといった弱点はない。強いて言えば半袖しか着られないことくらいか。

 

「『犬神』」

 

 凛も呪具の力を発動させ、浜矢に蹴散らされた武者の一人に斬りかかった。しかし相手の反応速度が速かったらしく、武者の振るった刀が突進していった凛の腹を貫いた。

 

 「鵺」の能力で浜矢の額に発現しているピット器官が凛の傷口から滴る多量の熱―すなわち血液を認知し、ぞわりと肌が粟立った。

 

「御剣!」

 

「大丈夫です」

 

 凛がそう言った瞬間、犬神で祟られている武者の鎧が弾け、同じような傷が開く。それにひるんだ武者の胸めがけ、凛は短刀を突き出した。

 

 ぞぶり。鎧の隙間から短刀を突き入れ、凛はぐるりと刀身を回転させた。青いオーラに包まれた鎧武者は激痛を感じているらしく、びくびくと身体をふるわせる。

 

「私の傷は自分で癒せます。浜矢さんは気にせず戦ってください」

 

「そりゃありがたい。勝手にやらせてもらうよ」

 

 吐き捨てるように言って、浜矢は突撃してくる武者たちを両腕で叩きのめす。

 

(……時雨が心配するのもわかるな)

 

 少し戦いを続け、凛の特攻戦法を理解した。即死する可能性がある頭と心臓への攻撃だけ回避し、ずたぼろになりながら相手を仕留めるのだ。

 

 痛みに怯まず敵を殺し続けるその姿を目の当たりにして、浜矢は言いようのない苛立ちを覚えた。

 

(俺が中学生の頃は、ずっと外でサッカーしてたよな)

 

 学校が終わってすぐ、グラウンドで仲間と部活に行っていた。日が暮れるまで、気のすむまでボールを蹴っていた。将来のことなど考えず、ただ今を楽しんでいた時期だった。

 

 凛も普通ならそうあるべきなのだ。こんなところで戦い傷つくのは浜矢たち大人の仕事であって、凛の役目ではないのに。

 

 いつの間にか浜矢は、死んだ舞の姿を凛にかぶせて見ていた。同僚が死ぬのは、悲しいが仕方のないことだ。怪異に殺される危険を知ったうえで就職したのだから。

 

 だが、あかりや凛たちは―

 

 浜矢は、舞とあかりが談笑している光景を思い出した。たまたま怪異課にやってきたときにすれ違っただけで、そのときはどうとも思わなかった。退治成績はいいが、そのうち本当に危ない奴に遭ってやめていくだろうと思っていたからだ。

 

 だが、その前に彼女たちの片割れが死んだ。廃病院で舞の死体を見たとき、浜矢ははらわたが煮えくりかえった。舞は妹や自分の生活のため怪異課に入り、浜矢が味わったような大学の自由さ、就職の大変さやお酒のうまさを知ることなく、むごい殺され方をしたのだ。

 

 その理不尽がどうしようもなくやるせなかった。

 

 現実にリセットはない。死者は生き返らない。浜矢はよく知っていた。だからこそ。

 

(同じ轍は、なるべく踏ませたくねえ)

 

 波立つ心を押さえため、浜矢はふざけて笑った。

 

「さっきからわざと殺されに行ってるように見えるが、お前Mかあ?」

 

「違いますが。そうする必要があるからです」

 

 凛は浜矢の方をちらりと見てそう言うと、自分の腕に短刀を思い切りよく突き刺した。

 

「は? 何やってんだお前!」

 

「後ろです」

 

 浜矢が振り向くと、刀を構えて背後から斬りかかろうとしていたらしい武者が左手を押さえ、うずくまっていた。浜矢を奇襲しようとしていた武者を祟り、自傷してダメージを与えたのだ。

 

「クソがっ!」

 

 浜矢の腕の一振りで鎧はひしゃげ、武者はチリとなってはじけた。不注意で凛のダメージを増やしてしまった。浜矢は舌打ちをした。

 

「敵に気づいたら声をかけな。今のは自傷しなくても問題なかっただろ」

 

「でも」

 

「気色わりいからやめろ。あとお前、本当は死にたいんだろ? そんなに姉ちゃんに会いたいか。この自殺志願者が」

『おっ、この男、少しいい線いっておるな』

 浜矢がそう言うと、凛は珍しく動揺の色を見せた。そして彼女が口を開こうとしたそのとき、銃声が響いた。

 

「伏せろ!」

 

 凛と浜矢は伏せ、丈の長い草むらに隠れた。少し顔を上げて様子をうかがうと、近接戦は不利だと悟ったのか武者たちはこちらを遠巻きにして、火縄銃を構えていた。

 

「ひいふうみい……大将1人銃3人か。ちっ、めんどくせえことになった」

 

 鵺で変化した両腕はある程度の強度があるが、それでも正面から銃弾を浴びるのは危険だ。凛も当たり所が悪ければ即死だし、そもそも今の自傷が癒せていない。神標を呼んだ方がいいか。そう思って携帯にふれたとき、凛が浜矢を真っすぐに見つめていることに気がついた。

 

「浜矢さん。突っ込みましょう」

 

「おいおい、自殺に付き合う気はねえぞ」

 

「……さっきの話の続きですが、私は死ぬ気はないですよ。私は自分でできると思う最善を尽くしているだけで、命は惜しいです。それに」

 

「それに?」

 

 凛はいかにも困ったというような顔をして言った。

 

「ここで死んだら、あかりさんと約束してるカラオケに行けないんですよ」

 

 それを聞いた浜矢は目を丸くし、そして思わず笑ってしまった。復讐だけが楽しみかと思っていたが、そうでもないらしい。

 

「何かおかしいことを言いましたか」

 

「いや。それならいい。対応策は?」

 

 凛は浜矢の態度にきょとんとしていたが、武者たちの方を見てつぶやいた。

 

「策っていうようなものじゃないですが……歴史の教科書に書いてありました。火縄銃ってなかなか当たらないし、弾込めにも時間がかかるそうです」

 

 ふたたび銃声が響き、近くの地面がはじけた。続けて2発目。そして3発目が聞こえた瞬間、

 

「今!」

 

 凛は立ち上がり、武者たちの方に向かっていった。

 

 浜矢が慌てて起き上がった時にはすでに、彼女は銃を刀に持ち替えようと慌てる武者たちに襲い掛かっていた。

 

 大将を除く敵全員が銃に持ち替えていたため、勝負はあっという間に決まった。凛は確実に一体ずつ、手早く急所をえぐっていき、最後に総大将らしき武者を突き殺した。

 

 凛はチリを浴びながら振り返り、戦いを見ていた浜矢の方に戻ってきた。

 

「……浜矢さん。1つ勝ち越しです」

 

「あ?」

 

「戦いながら数えてたんですが、浜矢さんは8体、私が9体倒しました。これでもまだ「ひよっこ」ですか?」

 

 不満そうに見上げる凛を見て、浜矢は苦笑した。どうも出かける前に言ったことを根にもっていたらしい。浜矢は凛の頭に手をのせた。

 

「いや、お前は一人前だ。死にたがりとは違うみてえだしな」

 

 凛と言葉を交わし、少し考えを変えた。たぶん彼女は守りたいと思う日常をちゃんと持っている。戦い方は少し指導する必要があるが、早死にはしないだろう。

 

「そういえばさっき、私に自殺志願者とか言ってましたけど、そういうこと人に言うのどうかと思いますよ。前もあかりさんにひどいこと言ってたし」

 

「あー、それは今度謝っとくわ。どうせ何言ってもお前らはやめねえだろうし」

 

「?」

 

「いや。こっちの話。あと、お前はもう少し自分を大事にしろ。正味、俺の悪口なんかよりよっぽど時雨にはキツいはずだ。かわせる攻撃は回避しろ。わかったな」

 

「……努力します」

 

 凛は短刀を鞘に納め、しぶしぶといった感じで答えた。あかりのことを持ち出すと、てんで弱くなるらしい。浜矢は鼻で笑って星空を見た。

 

(……しばらく、死人は出なくて済むかもな)

 

 ひさびさにすがすがしい気分だった。

 

 

 

 

 

 



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6,ダブルチームVS七人ミサキ

 

 

 

 

 ときおり、両親が死んだ日を思い出す。

 

 夜のドライブ。家族で遊園地に行き、高速道路で帰っている途中だった。逆走してきた車と正面衝突し、その衝撃で私たち家族の乗っていた車は吹き飛んだ。

 

 運転席と助手席にいた両親は即死だった。後部座席にいた私は衝撃こそマシだったが、フロントガラスを突き破ってきたフレームが腹に刺さり、大量失血で死んだ。

 

 だが、オカルトマニアだった父が私にくれた、殺生石のおまもり―それが私を蘇らせた。私は気づくと、大破炎上している車のそばで、おまもりを握りしめて立ち尽くしていた。

 

 目の前で両親と自分の死体が炎に巻かれていった。お土産に買った大きなクマのぬいぐるみがそばに転がっていたが、綿が内臓のようにはみ出し、表面は炎に焼かれて原型をとどめていなかった。

 

 最悪の気分だった。心細かった。どうしようもなく寂しかった。真っ暗な世界に、一人だけ私がいるような気がして、吐きそうだった。どうして私だけがこんな目に遭わないといけなかったのだろう。

 

 そんな昏い感情が、事故の処理が終わって一人暮らしを始めた後も心の奥底で頭をもたげ続けていた。ファミレスで食事している親子を見るときも、同級生の話す親の悪口を聞くときも。

 

 だからだろうか。楽しそうに笑うあかりを見て、私と同じような目にあったらどんな顔になるのだろうと思い始めたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、今日も来てくれてありがとう」

 

 丑三課長は怪異課にやってきたあかりに気づくと、パソコンから目をあげた。

 

 今は放課後の夕方。魔に逢うとき、つまり逢魔時(おうまがとき)と表現されたように、怪異が活動を始める時間帯。あかりや凛のような臨時職員も応援に加わり、忙しくなる。

 

 だが、今日だけは。今日はなるべく早く仕事を切り上げて凛と一緒にいてやりたかった。

 

(今日は、凛の誕生日だから)

 

 以前、何となしに聞いていた。凛の誕生日は1月12日。つまり今日である。舞という唯一の肉親はすでにこの世になく、誕生日会を友達とするようなノリの子でもないだろうから、何も言わなかったらきっと1人で一日を終えるかもしれない。

 

(……でも、それじゃ寂しいよね)

 

 あかりは誕生日プレゼントとして、細い銀色のネックレスを買ってきていた。舞の代わりになるとは思わないが、祝ってあげたかった。

 

「今回は、ダブルチームで戦ってもらうから」

 

「ダブルチーム……ですか」

 

 しかし課長の言葉を聞き、あかりは頭が痛くなった。ダブルチーム前提ということは、今日は絶対抜けられない仕事ということではないか。

 

「凛君には説明していなかったね。基本、うちは職員の生存率を高めるために二人一組でバディを組ませてるけど、そのバディをもう一つ加えて一緒に戦うのが、ダブルチームだ」

 

「つまり……それって強い敵と戦うってことですよね」

 

「そうだね。ちょうどもう片方のバディが来たし、そのあたりはまとめて説明しようか」

 

 丑三課長がそう言ったとき、部屋に二人の人物が入ってきた。

 

「……おう、久しぶりだな。学生二人組」

 

「御剣ちゃん、今日はよろしくね」

 

 一人は浜矢。今日はなぜか季節外れのアロハに上着を着ている。そして、もう一人の方―神標は、串に刺した肉をライターであぶりながら中に入ってきた。

 

「神標君。役所内は火気厳禁だ」

 

「すみません課長。さっき新鮮なお肉が手に入ったものでつい」

 

「君はこれさえなければなあ……まあいい、凛君はたぶん初対面だろうから、紹介しとこう。神標千鶴君だ。浜矢君のバディでもある」

 

「よろしくね。ところで、凛ちゃんもこれ食べる? お近づきのしるしに」

 

 そう言うと、神標は肉の串を凛に差し出した。

 

「いえ、いいです。……というか何の肉です?」

 

「人面犬♡」

 

 あかりは吐き気を催して口を押さえた。よくそんなものを食べられるものだ。さすがの凛も困惑したような表情で神標を見ている。

 

「怪異って殺すとチリになるんじゃないですか」

 

「そうよ。だから私は生け捕りにして肉を切り取ってるの」

 

「うえ」

 

 それを聞いていた浜矢は舌打ちした。

 

「気色わりい話してんじゃねえよ。で、課長。俺たちを集めたってことは、相当ヤバいやつとやるんでしょうね」

 

「ああ。今回は私も出る」

 

「ほぼ課の全員ってことっすね。五幣は来ないんですか?」

 

「五幣君は隣町の役場を守りに行ってるから、この作戦には参加しないよ」

 

 それを聞いた浜矢は、あきれたようにぽりぽりと頭をかいた。

 

「隣町の怪異課は何やってんだ。あの辺は大した怪異も出ねえのに」

 

「うん、だからだろうね。昨日やってきた強力な怪異と戦って全滅したそうだ」

 

 丑三課長の言葉に、緊張が走った。

 

「隣町は呪具も人員もウチほどよかったわけじゃないがね。怪異と遭遇したと思われるため池周辺で課長クラス以下全員の死亡が確認された。この怪異は他の市町村でも出現しててかなりの被害を出している。ルート的に、次にやって来るのはこの藤見市だ」

 

 移動型の怪異か、とあかりは思った。怪異にも習性らしきものはあり、俗にいう地縛霊のように特定の場所から移動しないタイプ、範囲は狭いがある程度自由に動くタイプ、長大な距離を移動するタイプの3通りがある。

 

 移動型の例として世界各国で天然痘を流行させた「疱瘡神」、船幽霊の一種「モウレイヤッサン」などがあり、いずれも強力な怪異として知られている。

 

「これまで戦ってきた他の怪異課からの報告を見るに、この怪異は『七人ミサキ』という伝承に分類されるだろう。7人一組で行動する怨霊で、倒しても7体のうちどれかが残っていればその個体の近くで復活する」

 

「んじゃー7体まとめてぶっ潰せばいいわけっすね」

 

「作戦の方針としてはそうなるな。私が1体捕縛したあと、それを起点に復活するまで他の場所にいるミサキたちを倒し続け、集まったところで全滅させるのが効率的だと思う」

 

「神標の雲外鏡で集められないっすか?」

 

「すでに別の課が似たような呪具で試しているが、どうも奴らは鏡に映らないらしく、失敗している」

 

「ああ、吸血鬼系ですか。それなら私はあまり役に立ちませんね」

 

 神標はそう言って肩をすくめた。霊感のない人間にも見えるか、カメラで撮れるかなど、一口に怪異と言っても様々な違いがある。雲外鏡は鏡に映らないものに干渉できないので、百足を封じ込めたようにはいかないだろう。

 

「神標君は退避用に呪具を使ってもらおう。後で凛君と浜矢君に手鏡を渡すから、危なくなったらメッセージを飛ばしてくれ。それと、ミサキに触られないよう気を付けてほしい。ミサキの手に触れ、瘴気を流し込まれた人間はミサキになってしまう」

 

「味方がミサキにされた場合、どうすれば戻せるんですか?」

 

 神標の問いに、課長は首を振った。

 

「戻す方法は無い。ので、気をつけてほしい。まあ我々のように霊力をもつ人間しかミサキにされないから、一般人への被害はあまり気にしなくていい」

 

「なかなかハードなクエストが来たな。触られたらダメ系ってことは俺と凛は要注意か」

 

 その通りだ。おそらく外傷でないので犬神でも無効化できない。今回ばかりはあかりが前を張った方がいいかもしれない。

 

「課長、七人ミサキの画像などはありますか?」

 

「ああ。ここにあるよ。全滅した怪異課が最後に仕事をしてくれた」

 

 あかりは丑三課長のスマホに映っている画像を見て、あっ、と思わず声を上げてしまった。

 

「どうしたんだ? 時雨君」

 

「いえ。あの……これ、私と舞が廃病院で会った怪異です」

 

 薄汚い病人服を着た不気味な怨霊の姿は記憶に焼き付いている。病院で遭遇したときはボールのように集まった姿だったが、この禍々しい雰囲気は忘れようがない。病院を捜索しても見つからなかったのは、すでに移動した後だったからだろう。

 

 この怪異はおそらく、藤見市を出てぐるりと他の市町村を周り、また戻って来たのだ。あかりが忌まわしい記憶に渋面を作っていると、それを耳ざとく聞きつけた凛が、口を開いた。

 

「廃病院で会ったということは、この怪異なんですね」

 

 あかりは、はっとして凛の顔を見た。そう、彼女にとってはこの七人ミサキこそが姉の仇なのだ。

 

 凛はそれ以上はなにも言わず、ただ仇の姿を凝視していた。冷ややかな眼の奥にどす黒い恨みの感情がゆらめいている。にもかかわらず、その口元にはぞっとするような笑みが浮かんでいた。

 

「……凛、無理はしないでね」

 

「わかっています。姉が負けたくらいですからね。なおさら用心しないと」

 

 凛の言葉はどこか嘘っぽい。あかりがなお心配そうな目を向けていると、凛は困ったように笑った。

 

「大丈夫ですよあかりさん。終わったら一緒にご飯食べにいきましょう」

 

「それ、死亡フラグって言うん……だよ」

 

 あかりの声は、フェードアウトした。あの日に舞と話していたことを思い出し、あかりはポケットに入れていた手袋をぎゅっと握りしめた。

 

(大丈夫……だよね?)

 

 自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返した。

 

(今日は課の人が皆いるし、いざとなったら神標さんの『雲外鏡』で緊急脱出できる。大丈夫。きっと……大丈夫)

『この娘も気の毒よのう。厄介なやつに目をつけられたものよ』

 しかし、その猛烈に悪い予感はぬぐえず、あかりの心に小さなわだかまりを作った。

 

 

 

 

 

 

 大チャンスだなと思った。

 

 あの病院で「舞」を殺した怪異―七人ミサキは、隣町の怪異課を全滅させるほど強かったらしい。それなら、私―凛が戦いの中で死んでも、別段不自然なことではない。

 

 ちょうど昨日新しい戸籍を用意したし、遺書も作成しておいた。このうえなくタイミングがよろしい。

 

 ミサキを探すためにあかりとともに町はずれを歩きながら、私はほくそ笑んだ。隣にいたあかりはそれを見て、不思議そうに聞いてきた。

 

「何か面白いことでも思い出したの?」

 

「……今日、私の誕生日で15歳になるんです」

 

 15歳の何がいいかというと、遺言が法的に効力をもつようになるのだ。14歳以下でも書置きはいくらでもできるが、私が昨日書いた「あかりに財産を全て譲渡する」というような内容は無効になってしまう。

 

「おめでとう。ちなみに私……凛にプレゼント持ってきてるんだ」

 

 あかりは小さい紙袋をポケットから出し、私に手渡した。

 

「え、覚えててくれたんですか。ありがとうございます。開けてもいいでしょうか」

 

「いいよ」

 

 中身は、銀色のネックレスだった。細かく鎖が編みこまれており、派手さはないがシンプルなデザインである。私はネックレスを身に着け、神標に渡された手鏡で自分の姿を覗き込んだ。

 

「これ、可愛いですね。死ぬまで付けます」

 

「冗談でもそういうこと言わないでよ」

 

「すみません。嬉しくってつい」

 

 ただそれだけに、今日手放すことになるかもしれないのは残念でならない。私はその感触を名残惜しみながらネックレスを撫でた。

 

『♪』

 

 そのとき、スマホにメッセージが届いた。目を通すと、課長が1体、ミサキを捉えたとのことだった。

 

「ということは、後は殺していくだけですね」

 

「そうね」

 

 ミサキがどの個体のもとで復活するとしても、発見と対処を繰り返していけばよい。昨日から今日にかけてミサキたちが目撃されたエリアは大きく分けて7か所に散らばっており、他の場所へ行った様子はない。戦うこと自体はかなり楽にできそうだが——

 

「……罠っぽいなあ」

 

 なぜ散らばったミサキたちはそのエリアから動かないのか。資料で確認したが、「移動型怪異」はイナゴのように常に移動し続けるはずなのだ。このように一点に留まるという動きは、こちらに都合がよすぎる。

 

 この不自然な動きが私たちをおびき寄せる罠だと考えると、つじつまが合うのだ。

 

「あかりさん。一応いつでも神標さんにメッセージを送れるようにした方がいいかもしれません」

 

「そうね。戦ってたらメッセージ打ってる暇ないだろうし」

 

 そんなことを言いながら歩いていると、いつの間にか見覚えのある道にいた。切れかかった街灯がずらっと並び、その向こうにあるのは――あの廃病院。どす黒い瘴気が角の向こうから立ち上っているのが見えた。

 

 あかりもそれに気づいたらしく、少し顔をこわばらせた。

 

 この先にミサキがいる。私を再び殺してくれそうな、ありがたい怪異の顔を思い出して私は笑う。

 

 するとそれを見たあかりはぽつりとつぶやいた。

 

「凛はすごいよね。あの瘴気を見て笑えるって」

 

「何の話ですか?」

 

「私、あれを見てちょっと怖くなった。危なかったら、すぐに逃げ出せるかなって思って」

 

「それは普通のことですよ。それに私が無茶な攻撃ができるのは、あかりさんがいてくれるから、ちゃんと逃げを計算できる人だからというのもあります」

 

「……違うの。凛を置いて逃げちゃうんじゃないかって。それが怖い」

 

 どうも「舞」の死がトラウマになっているらしい。私はあかりの苦しそうな顔に癒されながら、しかし顔は真面目な表情を崩さずに答える。

 

「姉のときは致命傷だったのでしょう。姉もあかりさんまで死ぬのは本意ではなかったはず。あかりさんは間違ったことをしてませんし、今回、私が致命傷を負っても同じようにしてほしいです」

 

 あかりは目を伏せ沈黙していたが、少ししてうなずいた。

 

「分かった。凛も、私がダメそうなら逃げてね」

 

「それは嫌です。あかりさんは絶対見捨てません」

 

「は?」

 

「私は別にいいですけど、あかりさんはダメです」

 

「……それはずるすぎるでしょ」

 

 私とあかりは、目を合わせて吹き出した。私はいいのだ。いくら死んでも次がある。だが、あかりにはない。命の重みが違うのだ。あかりは知るよしもないだろうが。

 

「行きましょうか」

 

 あかりの緊張をほぐしたところで、戦いを始めることにした。

 

 私たちは角を曲がり、立ち上る瘴気の根本を見すえる。病人服を着たミサキが一体、自動販売機にもたれかかっていた。その顔は乾いた木乃伊(ミイラ)のようで、しおれた手には手術用具―ハサミが握られていた。

 

 私が短刀に手をかけると、あかりが手で制し前に出た。

 

「課長が言ってたでしょ。あいつの手に触れるのはやばいって。まず私が戦ってみる」

 

 あかりの前に立ちはだかるミサキはぐるぐると何かを探すように目玉を回していたが、やがてその照準は私たちにぴたりと定まった。

 

「かり、うど」

 

 ひどくしわがれた声を発した。狩人、と言ったのだろうか。

 

「かり……うど、にひキ……そう。そチら……いち。にい。あわせて、ごお」

 

 情報を仲間と共有している。猛烈に嫌な予感がした。

 

「あかりさん。左です!」

 

 突如、傍にあった電柱から瘴気が立ち上った。私の声に驚いたあかりは、反射的に左手の「塗壁」を発動させ―それが間に合った。

 

 くわぁん、と硬い金属同士がぶつかったような音がした。2体目のミサキが、電柱の陰からメスで奇襲してきたのである。

 

「お、鬼火!」

 

「塗壁」に弾かれ、たたらを踏んだ2体目のミサキはあかりの炎に焼き尽くされ、チリとなった。

 

「ありがとう。助かった」

 

「……いえ、まだです」

 

 私は、ミサキのいる方を指さした。2体に増えている。

 

「奇襲してきた方が死んですぐ、そこで復活しました。同時に殺さなければ、延々とここで復活されます」

 

「……じゃあ、二人でかからないと意味ないってことね」

 

「ええ。しかし今のあかりさんの一撃でわかりましたが――」

 

 七人ミサキは、復活するという点を除けばそれほど強くない。

 

 私は『塗壁』の透明な盾を構えるあかりの後ろに隠れ、二人で突撃した。ミサキたちの突き出したハサミとメスはたやすく弾かれ、二体は大きく体勢を崩す。

 

「鬼火」

 

「犬神」

 

 あかりが片方を焼き尽くしたのと同時に、私が後ろから飛び出してもう片方の首を斬り落とした。チリになっていくミサキを見て、私は拍子抜けした。隣の課を全滅させたにしては弱すぎないだろうか。

 

 手に触れられないようにする必要はあるが、攻撃はあかりの「塗壁」で容易に防げるし、何なら回避も簡単だ。復活するという点を除けばあまり脅威になるとは思えない。

 

(流石にこの程度の敵にやられることはないな)

 

 殺される期待が裏切られて欲求不満なので、私は少しあかりのトラウマをいじり、その感情を味わうことにした。

 

「こんなものですか。こんなやつに。こんなやつに……お姉ちゃんは殺されたの?」

 

 私が独り言のように言うと、勝利に安堵していたあかりの表情が翳った。

 

 遠回しにあかりがいたから「姉」が死んだと傷をえぐり、かつ私が悪意で言っているのではないとわかる言い方。あと「姉」ではなく「お姉ちゃん」呼びにしたのがワンポイントである。これは効くだろう。

 

「ごめん」

 

「あ……すみません。責めるつもりはなくて。つい。気持ちが昂っちゃって」

 

 私は、自分の言葉の意味することがやっとわかったというような顔をして、謝罪する。あかりに無用のストレスをかけている点は本当に申し訳ないが、それはそれとしてとても楽しい。

 

「復讐もラクなことに越したことはないですから。むしろありがたいです」

 

 つらそうなあかりに、適当なフォローを入れながら短刀を鞘に納めようとしたとき、私の携帯に着信が入った。発信者は「神標」と表示されている。

 

(なんだろう、作戦変更かな?)

 

 だから私は、特に不審にも思わず電話に出た。

 

「もしもし。御剣です」

 

『はぁい。私メリーさん』

 

 出発前に会った神標とは全く違う少女の声。

 

『今、あなたの後ろにいるの』

 

 私は振り向こうとした。しかしその瞬間、身体が硬い縄でいましめられたかのように動かなくなる。

 

「なっ……」

 

 狼狽していると、声の主は私の前に姿を現した。

 

「はじめまして。あなたたちがこの市の狩人さんたちかしら?」

 

 ゴシック風のドレスに身を包んだブロンドの少女―メリーさんはくすりと笑った。

 

 

 

 

 



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7,洗脳殺し合い.exe

 

 

 

 

「課長、浜矢くんがミサキを1体殺しました」

 

「報告ありがとう。さっきこっちに3体来たから、2体は時雨君たちだな」

 

 神標の報告を聞き、丑三課長は彼の近くに立っている高さ20メートルほどの巨大な骸骨を見上げた。骸骨の右手の中には何匹ものミサキが収まり、逃げようともがいている。

 

 丑三課長の呪具、「がしゃどくろ」は人骨でできた万年筆である。世界各地の戦場跡で出現した小さながしゃどくろのかけらを集めて作られたもので、巨大な骸骨を精製し動かすことができる。

 

 この骸骨は霊力のない一般人には一切見えないが、うっかり建物を壊したり人を踏み潰す危険があるので、今回のような大規模な戦闘以外では使われない。

 

 数年前、東京の怪異対策本部にいたころは先陣をきっていたというが、こちらに出向してきてからは小規模な戦闘しか起こらないので、戦闘についてはあかりや浜矢のような小回りの利く職員に一任しているらしい。

 

「今捕まっているミサキは何体ですか」

 

「6だ」

 

 戦いは順調に進んでいた。神標がカーブミラーを利用して移動をサポートしていたのもあるが、浜矢が敵を片付けていくスピードは速かった。あっという間に4体(そのうち1体はあかりたちが担当する場所で復活したと思われる)を片付けてしまった。

 

「この分だと、もうすぐ終わりますかね」

 

「そうだな。でも油断はしない方がいいよ。戦闘中は神経張ってるから意外と死なない。私が見てきた限りじゃ、職員の死因の5割くらいが油断だ」

 

 丑三課長は少し考えるそぶりを見せ、首をかしげる。

 

「うん、そう。なんか嫌な予感がするんだよね。あっさりしすぎてるというか……浜矢君は大丈夫かい」

 

「はあ。特別心配なことはありませんでしたが」

 

「すると……アレか。時雨君たちの方を確認した方がいいかもな」

 

「彼女たちからはとくに救援の要請は来てないですが」

 

「いいから確認してみて」

 

 長年の経験に基づく勘というものなのだろうか。神標は「雲外鏡」を取り出し、あかりたちに渡した鏡へのアクセスを確認する。一度自分が見た鏡なら、即座に位置を把握しワープ先に指定できるのだが―

 

「……あれ?」

 

「どうしたんだ」

 

「凛ちゃんに渡した手鏡が見つかりません」

 

「つまりどういうことかね」

 

「鏡が何らかの理由で原型をとどめていないということです」

 

「……連絡をとってみてくれ」

 

 神標は凛とあかりの携帯に電話をかけてみた。しかしどちらの電話も応答はなく、ただ呼び出し音が続くだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「経験則なんだけどさ、貴女(あなた)たちみたいな狩人って、自分が罠にはめられること考えてないよねえ」

 

 くるくると髪を人差し指に絡ませながら、怪異「メリーさん」はそう言った。

 

 基本的に怪異は人語を解さないが、ドッペルゲンガーのようにある程度強い個体になるとコミュニケーションが取れるようになる。さらにミサキをおとりにして私たちを待ち伏せするだけの知能ももっているとなると、目の前にいるメリーさんはかなりの強敵なのだろう。

 

「凛! そいつから離れて」

 

「そうしたいのはやまやまなんですが……身体が動きません」

 

「私の力で縛っちゃったからね~貴女はもう、私のお人形さんよ」

 

 かろうじて口や目は動かせるが、首から下は指一本動かせない。あの電話を取ったのがまずかった。おそらく相手を縛るこの能力を発動させる条件は、電話で声を聞かせるとかその辺りだろう。

 

 あかりは私の現状に気づいた瞬間、メリーさんに向けて右手を向けた。

 

「待ってて、凛。今こいつを殺すから」

 

「そういえば、あなたは縛れてなかったわね。河童! 来なさい」

 

 メリーさんが呼んだ瞬間、傍にあった排水溝から異様に手足の長い人型の怪異が現れ、あかりの前に立ちふさがった。その体躯はひょろりとしていて、腕は腐れて青黒い。ガスマスクのような顔は愛嬌のある「河童」のイメージとはかけ離れていた。

 

「俺に命令するな。あの方に言われているから従っているだけだ」

 

 ふしゅるる、と口から洩れる吐息で聞きづらかったが、河童はそういうことを言った。こちらもメリーさんと同等の知能があるらしい。さすがにこれを無視することはできず、あかりは悔しげに顔を歪ませる。

 

「わかってるって。面倒ねー。……あ、そうだ。鏡を割っとかないと。助けが来たら面倒だし」

 

 メリーさんは河童に悪態をついてから、私の上着のポケットをまさぐり始めた。そして神標のくれた手鏡を探り当てると、地面に叩きつけた。

 

 鏡は派手な音を立てて砕け散った。増援の希望も絶たれ、私は初めて焦りを覚えた。

 

(……これ、あかりが死ぬかも)

 

 私は動けないので間違いなく殺される。そしてあかりもこの2体から逃げられるとは思えない。「凛」としてはほぼ詰みの局面だ。

 

 最悪の場合、首から上は動かせるので舌をかみちぎって自殺し、この場で肉体を再構築して2体を殺すということになる。しかしこの方法だと私の蘇生のタネが割れる可能性があるし、ごまかすのが大変だ。最大限これをしないで済む努力をしなくては――

 

 私は顔をあげ、メリーさんに話しかけた。

 

「メリーさん。お願いします。あかりさんは見逃してくれませんか」

 

「彼女を見逃して、私になにかメリットがあるのかしら?」

 

「……ありません。でも、お願いです。私は殺しても構いません。どうか。お願いします」

 

 メリーさんは、にやにやと笑いながら私の懇願を聞いていた。

 

「貴女、復讐のために戦ってるっていう狩人よね。プライドないのかしら?」

 

 メリーさんに身体を押され、私は受け身も取れず地面に転がった。スカートをつまんで持ち上げ、私の頭を踏みつけると、メリーさんは勝ち誇るような笑みを浮かべた。

 

「人に何かを頼むときは、まず頭を下げるものよ。わかった?」

 

「……はい」

 

 あまり調子に乗ってると殺すぞ、と言いたくなったがぐっとこらえ、私は答えた。あかりは死なず、私だけが殺されるという理想の状態になる可能性があるなら、耐えた方が得だ。

 

「ん~ほんとは全員殺せって言われてるんだけど。そうね、心をこめてお願いしてくれたらいいわ」

 

 僥倖。私は悔しそうな顔をしながら、心の中でガッツポーズをした。

 

「……お願いします。メリーさん。あかりさんを」

 

「『様』でしょ」

 

「お願いしますメリー様。あかりさんを見逃してください」

 

「あ、貴女のお姉さんと貴女が殺した怪異への謝罪も盛り込んでね」

 

「……私と姉があなたたちにしたことを謝ります。こんな私が頼むのは厚かましいとは思いますがお願いしますメリー様。あかりを見逃してください」

 

「心がこもってな~い。テイク4行ってみようか」

 

 注文が多いな。私は試行錯誤を重ねながら、ふと不思議に思った。

 

(この怪異は、どうして神標の鏡のことや私の来歴を知ってるんだろ)

 

 細かい作戦や怪異課の人間に詳しすぎる。それにさっき河童が言っていた「あの方」という言葉も気になった。怪異の親玉的な存在がいるのだろうか。

 

 もし情報収集や作戦立案を経て各地域の怪異課をはめたのだとすれば、この「メリーさん」や「河童」は、普段対処している雑魚怪異とは違い、組織化された怪異として動いていると言える。今までよりもずっと手ごわい相手だった。

 

「は~いオッケー! あなたの気持ち、よーく伝わったわ」

 

 そんなことを考えているうちに、メリーさんのOKが出た。

 

「そこまで頼み込まれたら仕方ないわね~私たちは絶対、あの子に手を出さないわ」

 

 言いながら、メリーさんはパチンと指を鳴らした。すると1体のミサキが電柱の影から現れた。

 

「……何をする気ですか?」

 

「約束通り、私たちは手を出さない。でも、貴女をミサキにして、貴女が彼女を手にかけるのは問題ないでしょ?」

 

「あっ」

 

「ずいぶん仲がいいみたいね。貴女たち、ちょっと殺し合ってくれる?」

 

 私はとっさに舌を噛み切ろうとしたが、その前にミサキに頭を掴まれ、意識が暗転した。

『自害に躊躇がなくなるのは、殺生石所有者あるあるじゃな』

 

 

 

 

 

 

「河童」はやりづらい相手だった。シンプルに腕力があるだけでなく、体表から立ちのぼるガスは毒があるようで、肌に触れるだけでピリピリする。

 

「……凛。待ってて。今行くから」

 

 河童にとおせんぼうされている向こう側では、メリーさんに頭を踏みつけられた凛の言葉が聞こえてきた。

 

「私と姉に殺された怪異の皆さんに謝ります。こんな……立場で言えることではないのですが、どうかあかりさんだけは助けてくれませんか」

 

 凛は何度も同じようなことを言わされていた。復讐すべき相手に謝罪し、懇願させられることは凛にとってどれほどの屈辱だろう。その内心を想い、あかりは唇をかんだ。

 

「鬼火!」

 

 火炎を放つが、河童はぬらりとした粘液を分泌して炎の威力を減殺させる。駄目だ、このままでは凛が危ない。そう思ったときだった。

 

「河童、もういいわ。行きましょう」

 

 メリーさんが声をかけると、河童は動きを止めた。

 

「もういい……とは?」

 

「私のやりたいことは終わったから。こっちは最後まで見てみたいけど、そろそろ丑三光浩を殺しに行かないと」

 

「……俺の目の前にいるやつは?」

 

「放っておきなさい。そっちの方が面白いから」

 

 そう言って、メリーさんはあかりに目を向け、にい、と笑った。

 

「特別に貴女は見逃してあげるわ。あの子に感謝することね。たぶん、意味ないけど」

 

 言いたいだけ言うと、メリーさんの姿は消えた。河童もずるりと排水溝にもぐりこみ、あっという間にいなくなる。残されていたのは、倒れている凛だけだった。

 

「凛!」

 

 あかりが駆け寄ろうとしたそのとき、凛はぱちりと目を開けた。

 

「……よかった。大丈夫?」

 

 凛はあかりの問いかけに答えす、無表情のままあかりの方を向いた。

 

 なんとなく不気味なものを感じ、あかりは後ずさる。凛は抜刀して短刀の切っ先をあかりに向けると、つぶやく。

 

「犬神」

 

 凛の虹彩が青く輝き、同時にあかりの身体が青いオーラに包まれた。()()()()()()()()()()()

 

「ねえ凛。冗談やめてよ」

 

 凛は何も言わず前に進み出た。

 

「……面白くないって。だからさ。刀を下ろしてよ」

 

 あかりは震える声でそう言ったが、凛はぴくりとも反応しない。その目つきは虚ろで、七人ミサキのそれとそっくりだった。

 

「やめて!」

 

 次の瞬間、凛は刀を大上段に振りかぶり、あかりに斬りかかってきた。あかりが攻撃を「塗壁」で弾くと、凛は後ずさる。

 

「鬼火!」

 

 牽制のため炎を放った。が、凛はそれをぎりぎりのところで見切り、果敢に攻撃を仕掛けてくる。あかりはそれを丁寧に防ぎながら、丑三課長の言葉を思い出した。

 

――ミサキにされた人間は元に戻せない

 

「……嫌だ」

 

 凛がミサキにされてしまったことを認めたくなかった。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!」

 

 あかりの右手から火柱が迸った。凛は難なくかわすと、あかりの死角に回り込んでくる。ぎりぎりのところで短刀の突きを回避し、あかりは必死に呼びかけを続ける。

 

「目を覚ましてよ。舞の仇討つんでしょ」

 

「………」

 

「そうだ、帰って誕生日パーティやろうよ。ねえ」

 

「………」

 

「今度行くときはさ。映画も好きなだけ選ばせてあげるし」

 

「………」

 

「だから、頼むから、返事してよ」

 

 凛は何も答えない。あかりを見すえ、自分の左腕を短刀で貫いた。

 

「いっ!」

 

 あかりの左腕に鋭利な痛みが走り、血しぶきがあがった。腕を見るとちょうど凛と同じように制服がやぶれ、傷口が開いている。「犬神」の自傷ダメージだった。

 

 左腕の力が抜け、塗壁のガードが下がる。これではもう次の攻撃を受け止めることはできない。あかりは涙で滲む視界の中、ゆっくりと近づいてくる凛を見つめていた。

 

 殺される。あかりは傷を負った左腕を握りしめ、恐怖を押さえつける。身体もミサキと同質のものに変わりつつあるのか、凛の肌は死人のように青ざめている。

 

(……舞。ごめん。私もそっちに行くかも)

 

 舞を死なせ、凛も守れなかった自分にはお似合いの最後かもしれない。結局、二人のためにあかりは何もできなかったのだから。

 

 凛はあかりの前に立つと、短刀を振りあげる。あかりはぎゅっと目をつむり、死の瞬間を待った。

 

「……あ、かりさん」

 

 あかりは目を開いた。短刀はあかりの頭の数センチ上で静止している。凛はあかりの左腕を見ていた。

 

「すみません。左腕の傷。私のせいですか」

 

「凛……?」

 

「はい。なんとか身体の主導権を握りました」

 

 どこかぎこちないものの、話し方は凛そのものだ。あかりは思わず凛を抱きしめた。

 

「よかった……よかったよお……」

 

「私も、あかりさんを殺さずにすんでよかったです」

 

 背後でからんと「犬神」の短刀が地面に転がる音がした。涙でぐちゃぐちゃになっているあかりの顔を見て困った顔をしながら、凛は口を開いた。

 

「頼みがあります」

 

「……なに?」

 

「犬神を手放しました。それを拾って私を殺してください」

 

 言っている意味が分からなかった。あかりが茫然としていると、凛は申し訳なさそうな顔をして続ける。

 

「私は今、気合でミサキの殺人衝動を押さえていますが、長くはもちません。いずれ身体と心、どちらも完全なミサキになってしまうでしょう」

 

 ぱき、という音がして、凛の頬の皮膚が少しだけミイラのようなものに変化した。

 

「だから、私がヒトであるうちに、あかりさんにとどめを刺してほしいんです」

『自分で死ねばいいのに。よっぽどあかりに殺されたいらしいな』

 ふざけるなと思った。せっかく凛が助かったと思ったのに、そんなこと。あんまりではないか。

 

「む、無理」

 

「無理じゃありません。あかりさんは強いから、きっとできます」

 

 諭すような凛の声を聞き、あかりは泣いた。一番怖いのは凛のはずなのに、復讐の半ばで人生を終えることに何も思っていないはずはないのに、彼女はきわめて平静だった。

 

 あかりがしゃがみこんで短刀を拾うと、凛はにこりと笑う。

 

「そう。その調子。あとは簡単です。「犬神」を発動させれば、あかりさんの傷も治るはず」

 

 ああ、この子はどこまで自分の死んだ後を考えているのだろう。怪異に侮辱され、人としての尊厳も踏みにじられてなお笑顔を浮かべられる凛を、ひどく哀れに思った。

 

「ごめんなさい。凛。もっとあなたといっしょに楽しい思い出を作っておきたかった」

 

「……もう十分、いただきました」

 

 凛は震える手で首飾りを指し、ほほえんだ。あかりは涙をのんで呪具の名を呼ぶ。

 

「犬神」

 

 突き出した短刀が凛の胸を貫いた。凛は血を吐き、糸の切れた操り人形のように倒れる。あかりが慌てて身体を支えると、凛はうっすらと目を開けた。

 

「あかりさん。泣かないでください。最後くらい笑った顔を見たいです」

 

「う、うん」

 

 しかしどうしても無理だった。どれだけ口の端を釣り上げても、楽しい思い出を想起しても、涙が止まらない。

 

「あれ? おかしいな。いや私、頑張ってるよ。笑おうとしてるんだよ? 笑うのってこんなに難しかったっけ?」

 

「ふふ。しょうがない人ですね」

 

 凛は笑うと、上着のポケットから血に染まったハンカチを取り出した。

 

「拭いて……あげます」

 

 震える手で、ゆっくりとあかりの右頬をぬぐう。柔らかな肌触りのハンカチからは、鉄の臭いがした。

 

「次は……ひだり……を」

 

 そのときハンカチを持った手が止まり、地面に落ちた。はっとして顔を見ると、凛は笑みを浮かべたまま動かなくなっていた。

 

「凛?」

 

 体を揺さぶっても、魂のない人形のようにがくがくと揺れに合わせて動くだけで反応はない。凛の眼は、もう何も見ていなかった。

 

「あっ……あぁあ……あー……」

 

 あかりは、自分の喉から言葉にならない声が出るのを聞いた。凛の亡骸を抱え、慟哭し続けた。

 

 

 

 

 

 

 



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8,遺言と転生

 

 

 

 

 がしゃどくろの立ち尽くす静かな公園に、電話の着信音が響いた。かけてきたのは誰だろうと思って確認すると、「御剣凛」と表示されていた。

 

「凛君からか……」

 

 丑三は、コールの続いている携帯をポケットにしまった。

 

「凛君からか、じゃないですよ。なんで取らないんですか?」

 

 先ほどまで凛たちの行方を捜していた神標は、丑三がせっかくの手がかりを投げ捨てたことに不満を覚えたようだった。

 

「私の電話番号は彼女に登録されていないからだ」

 

「……は?」

 

「それに救援の頼みなら、神標君の方にかかってこないとおかしいと思うよ。これは罠だ」

 

「罠って……電話をかけてくることのどこが罠なんです」

 

「呪われて動けなくなる。『メリーさん』だ」

 

 誰かのフリをして電話をかけてくるこのやり口には見覚えがある。対策本部に勤めていた頃、メリーさんの奇襲によって犠牲になった職員が毎月のように出ていた。

 

 この怪異は電子機器や電波に乗って移動し、電話を取った人間の動きを縛ってしまう。一度はまってしまえば自力で抜け出すことは不可能なうえ、退治しようとしても近くにある電子機器に潜り込んで逃げ去ってしまうので、駆除は困難だ。

 

 これに遭遇したのであればあの二人はおそらく生きてはいまい。丑三は目を閉じ瞑目する。

 

 その瞬間を狙ったのか、ミサキが背後から襲い掛かってきた。

 

「残り一匹が自分から出てきてくれたのは嬉しいね」

 

 丑三が振り向きもせずにそう言うと、ミサキの動きが止まった。がしゃどくろの巨大な指につままれていた。

 

 がしゃどくろの視点から、背後の繁みに隠れていたミサキは見えていた。丑三は振り返り、手足をばたつかせてもがくミサキを見上げた。

 

「これで7体全部揃ったな。やれ」

 

 がしゃどくろは両手に収まっていたミサキたちを無造作に握りつぶした。おびただしい量の瘴気が弾け、七人ミサキはチリとなった。

 

「で、ミサキはいなくなったが次の手はあるのかね? メリーさん」

 

「……なるほど、貴方は一筋縄ではいかないようね」

 

 目の前に音もなく現れたのは、フランス人形のような少女だった。外見的には人間と見分けがつかず、彼女の身にまとう瘴気が人外である唯一の証だった。

 

「不意打ちが得意な君が動きを縛れてもない敵の前に出てくるなんて、珍しいな」

 

「もう私のことは知ってるみたいだから、隠れてても意味ないでしょ」

 

 そう言ってメリーさんはウインクをした。

 

(つまり、姿を現したことには意味があるということか)

 

 メリーさんという怪異の本領は不意打ちや絡め手で、まともな戦闘能力は持ち合わせていない。いつでも逃げられるという自信があるからかと思ったが、それなら姿を現す必要はない。

 

 となると、残る可能性は―

 

「仲間がいるな」

 

「ご名答」

 

 傍にあった排水溝から河童が姿を現し、紫色のガスを丑三に向けて吐き出した。麻痺系もしくは致死性のガスだろう。そんなことを考えながら、丑三は慌てずがしゃどくろに命令を下す。

 

吐息(ブレス)

 

 猛烈な勢いの風が吹き、河童の放った毒ガスは霧散した。いとも簡単にガスを防がれたじろいだ河童を捕まえると、がしゃどくろはそのまま力をこめ、ぎりぎりと締め上げた。

 

「~っ……!」

 

 河童は苦しそうにもがいている。ミサキが一瞬で潰れたことを考えると、細身な割に頑丈らしい。

 

「どいつもこいつも使えないわね。せっかく隙を作ったのに」

 

 メリーさんはそうつぶやくと、冷ややかな目をこちらに向けた。

 

「しょうがない。今日はここまでにしようかしら。今回は許すけど、次はきちんと仕事をしなさい」

 

 メリーさんの姿が消えたかと思うと、がしゃどくろに握りつぶされかけている河童のところまで移動し、その頭を掴んでいた。

 

「……ま、こっちも2人くらい狩人をやっといたから痛み分けってとこかしら。次来るときは、ちゃんとカタをつけてあげるわ」

 

 そう言い捨てると、メリーさんと河童の姿が消えた。いちおう再度の奇襲を警戒しつつ、丑三は胸ポケットから煙草を取り出した。

 

「神標君。浜矢君をここに連れて来てくれ。あの怪異たちが浜矢君を襲ったらまずい」

 

「……わかりました」

 

 神標の顔色は青ざめていた。おそらく、メリーさんが遺していった言葉の意味するところが分かったからだろう。

 

(いつでも、若い子が死ぬのは嫌だねえ)

 

 丑三はそう思いながら、煙草に火を点けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御剣凛は死んだ。

 

 彼女はすでに身寄りがなく、また未成年を怪異と戦わせて死なせたということが公に知られるとまずいということで、藤見市怪異課で密葬されることになった。

 

 あかりは御剣姉妹が住んでいたアパートを引き払い、遺品整理を行うという役目を引き受けた。男手と物を運べる人間がいるということで、浜矢がついて来てくれた。

 

「いまだにちょっと信じられねんだよな。あいつが死んだってのが」

 

 浜矢は軽トラックを運転しながら口を開いた。

 

「課に入ってきたやつがすぐ死ぬかどうかってのはだいたい分かるんだ。凛はそこそこ長生きするタイプだと思った」

 

「……ですよね。きっと浜矢さんか神標さんが一緒だったら、凛は死ななかったかもしれません。私の力が及ばなかったんです」

 

「そうは言ってねえだろ。聞いた限りじゃ、「メリーさん」の力は初見殺しだ。誰だって仲間から電話が来たら応答するし、それでやられる。結局運が悪かったんだよ」

 

 おそらく慰めてくれているのだろうが、舞のときにさんざん聞かされた「運が悪かった」という言葉は、むしろ凛が死んだ本当の理由がわかっているあかりにとって苦痛でしかなかった。

 

 あかりが河童を倒すことができなかったから凛は怪異の毒牙にかかった。そして、あかりの手で殺された。それは紛れもない事実だ。

 

 まだ凛を刺し殺したときの感触は手にこびりついている。きっと、どれほど手を洗ってもこの汚れが落ちることはないのだろう。食事をするときも、顔を洗う時も、風呂に入るときも。あの感触はずっとあかりに付きまとっていた。

 

 昏い目をしているあかりを見て、うんざりしたように浜矢は言う。

 

「力不足だと思うんなら、すっぱりやめちまえばいいんじゃねえの?」

 

「でも、凛だけじゃなくて私もいなくなったら仕事が回らなくなるんじゃ」

 

「後は俺たちが何とかするから心配すんな。課長が暇そうだし、役所仕事ブン投げて戦ってもらうかね」

 

 そんなことを言って軽く笑った浜矢から目を背け、あかりは窓から曇り空を見上げた。

 

(怪異課をやめる、か……)

 

 父と、母と、弟が一人。家族は皆生きていて、生活に困ることはない。怪異課にいなければならない理由はあかりにはなく、ただ適性があったのとちょっとした正義感があったから怪異を駆除していた。

 

 だから浜矢の言うように、怪異課をやめるのが賢い選択なのかもしれない。

 

 あかりが怪我もせず仲間の死についても言及していないので、両親はあかりが怪異課にいることをとくに問題視してはいない。だが、そんな彼らも舞や凛が死んだことを伝えたら必ず怪異課をやめさせようとするだろう。

 

 うずうずと考えているうちにアパートに到着した。あかりと浜矢は大家から預かっていた鍵を使って中に入る。

 

「……始めますか」

 

 以前来たときは気づかなかったが、部屋にはあまり物が無かった。浜矢の手を借りなければならないものは机やテレビ、本棚、こたつくらいであとはあかりでもどうにでもできそうだった。

 

「外に洗濯物があるみたいだから取りこんどけ。ほら、ゴミ袋」

 

 ベランダに干されていたスポーツブラにパンツ、猫耳フードつきのパジャマをゴミ袋に入れながら、ふうん、とあかりは思った。

 

(こういうの着てたんだ)

 

 肌着はイメージ通り飾り気のないものだったが、猫耳フードというのは意外だった。あかりはこれを着た凛を思い浮かべて少し笑った。が、もうそんな彼女を見る機会は永遠に失われたのだということを思い出すと、陰鬱さが戻ってきた。

 

 あかりが洗濯物を片付けて部屋に戻ると、浜矢は机の上にある紙切れをじっと見ていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「……遺言だ」

 

 浜矢から手渡された紙には、たしかに凛の字で「遺書」と書かれていた。

 

「なんでこんなものが」

 

「たぶん、自分がいつ死んでもいいようにってことだろうな。そういうことが書かれてる」

 

 あかりは遺言に目を通した。

 

 

『今日、私は15歳になりました。あと1年で姉と同じ年齢です。それまでどうにか生きていたいものですが、私のお仕事の内容を考えると難しいかもしれません。

 

 ですから私が死んだときに備え、今のうちに遺言を書き残しておきたいと思います。財産と言っても家具と銀行預金くらいの少ないものですが、ある程度まとまった金額はあると思います。

 

 さて、生きてるうちにこういうのを書くのはなんだか恥ずかしいのですが、私はあかりさんと怪異課の人たちに多少なりとも救われました。

 

 姉が死んだ日のことは今でも思い出しますし、そのたびに怪異たちをめちゃくちゃに殺してやりたくなります。でも、最近はそれ以上にあかりさんと過ごした日々を思い出すことが多いのです。あかりさん、私と友達でいてくれてありがとうございました。

 

 怪異課の皆さんにもいくつか言い残しておきます。浜矢さんはもう少し歯に衣を着せた方がいいと思います。あかりさんにひどいこと言ってたら化けて出ますから。

 

 それと丑三課長には謝らないといけませんね。おそらく私の死は公表しづらいでしょう。入るときもそうでしたが、最後まで迷惑をかけてすみませんでした。

 

 相続先についてですが、私には身寄りがないのであかりさんに全ての財産を遺したいと思います。いらなければ怪異課に寄付してもらっても構いません。怪異の駆除に私の遺産が役立てば幸いです。

 

 私は幸せな日々を過ごしました。せめてその恩をお返し出来たらと思います。

 

 

 20××年 1月12日 6時20分 御剣凛』

 

 

 後の方に、おおまかな財産内容が書かれていた。それを見たあかりは、胸を締め付けられるような感覚に襲われた。

 

(誕生日の朝にこんなものを書いておいて、何が幸せよ)

 

 どこまでも哀しい。凛は自覚していなかったかもしれないが、あの子の年齢でこれほど自分の命を冷徹に見られるというのは異常だ。あかりと一緒にいたことが楽しかったと書いてあったが、彼女の時間が止まらなければ、もっと楽しいことはたくさんあったはずなのだ。

 

 遺言の後ろについていた財産目録に、ぽつりと黒い染みが広がった。

 

「……こんなのいらない」

 

「は?」

 

「いらない!」

 

 困惑している浜矢の前であかりは遺言を握りしめ、血を吐くように叫んだ。

 

 

 

 

 あかりが落ち着くのを待ってから遺品整理は再開された。てきぱきと物を仕分けた浜矢は、最後に100万に近い預金の入っている通帳を見せ、受け取るかどうか聞いてきた。怪異課の予算にでもしてください、とあかりは拒絶した。

 

 それからどうやって家に帰ったのかは覚えていなかった。自分の部屋に入り、照明も点けないままベッドにうつぶせになる。精神的にまいってしまったのか、めまいがする。

 

 これまで少しずつためてきた何かが破裂したような気がした。心臓の音がうるさい。肺が水で満たされたようで苦しい。

 

(……なんかもう、疲れたな)

『可哀想にのう……誰も死んではおらんのに』

 そのとき、机の上に置いていたイヤホンのコードが目に入った。どん底にいるあかりには、それが天から垂らされた蜘蛛の糸のように思えた。

 

 何かわけのわからないものに突き動かされ、あかりはコードを結んで輪を作る。ぐいぐいと引っ張り、体重を支えてくれそうなくらいには丈夫なのを確認すると、ドアノブにコードを括り付けた。

 

 即席の首つりロープが完成すると、輪の向こうを他人事のように冷めた目で見た。これに首を通して足を投げ出せば、その瞬間に自分の体重が凶器となり、ラクになれる。

 

「これでいいんだ」

 

 自分に言い聞かせながら首を突っ込もうとしたそのとき、後ろで何かが落ちる音がしたかと思うと、あかりは両腕を掴まれた。

 

「待って!」

 

 振り向くと、全裸の銀髪少女があかりの両腕を掴み、険しい表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 本当に危なかった。

 

 霊体として自分の肉体から抜け出て自分の死体を見下ろし、私は胸をなでおろした。

 

 ミサキに身体を乗っ取られ、あやうくあかりを本当に殺してしまうところだった。とどめの一撃を振り下ろす直前で自分の身体の動きを止められなかったら―私は身震いした。

 

(……結果オーライだったからよかったけどね)

 

 あかりに殺してもらうという最高の形で「凛」を終われたのは良かった。あかりが自分のために泣いてくれているのを見て、ぞくぞくと脊椎を這いあがってくるような快感を存分に味わった。

 

 自分の倒錯嗜好を満たし終えてから、私はあかりの傍にい続けた。もう少し彼女を見ていたいという私的な理由もあったが、まだ周りに敵がいる可能性があったからだ。

 

 戦いが終わってからは自分の葬式と遺品整理の様子を眺めていた。財産をいらないと言われたのはちょっとショックだったが美味しい感情のおかわりがきたので、そこは嬉しかった。

 

 とぼとぼと帰宅したあかりは、そのままベッドに倒れこんだ。相当心にきていたらしい。私は心配になって見守っていたが、ここであかりはいきなり予想外の行動をとった。

 

 妖しい目つきで机の上に置いてあったコードを掴むと、あっという間に輪にしてドアノブに括りつけたのである。

 

(……自殺する気だ!)

 

 あかりを追い詰めすぎた。あの遺書がダメ押しになったのだろうか。私はやりすぎたことを少し後悔しながら自殺を阻止する方法を考えた。

 

(霊体じゃ止められない! すぐに身体を作らないと!)

 

 私は「凛」を作った時のような細かい調節をかなぐり捨て、慌てて身体を構築する。身体が動かせるようになるや否や、今まさに首を吊ろうとしているあかりに近づき腕を掴んだ。

 

「待って!」

 

 振り向いたあかりは突然現れた私に戸惑っているようだった。

 

「えっと……誰?」

 

「私は――」

 

 あらかじめ用意していた名前を言おうとして、私は口ごもった。あかりの部屋に置いてあった鏡―それに映し出された私の姿が銀髪銀瞳で、かなり目立つ容姿だったからである。

 

 このような記憶に残りやすい外見だと偽戸籍を使うのはリスキーだ。出現の仕方まで怪しいのだから、取り繕っても調べられて嘘だと見破られる可能性もある。

 

 この見た目はおそらく、最近見かけた有名なアルビノ女性モデルがベースになっている。急いでいたため適当な記憶から容姿を作ったのが裏目に出たらしい。どう言い訳しようかと考えたが、いいアイデアが土壇場で思いつくわけもない。

 

 だから、私は説明を放棄することにした。

 

「……あれ? 私の……名前は……」

 

 記憶喪失のフリ。人間そうそう記憶喪失になんてならないものだが、あかり視点ではすでに何もないところから私が湧いて出てくるという意味不明な状況だと思うので、たぶん通ると思う。

 

 あかりは困惑しつつも質問を続けてくる。

 

「どうして私の部屋に? なんで裸なの?」

 

「……わからない」

 

 少なくとも、この一瞬であかりを納得させられるような言い訳は思いつかなかった。何を聞かれてもわからないの一点張りで答えていると、さすがにあかりも質問してもしかたがないと思ったらしい。

 

 あかりはクローゼットから自分の衣服と肌着を取り出し、私に押し付けてくる。

 

「とりあえず服を着て。私の貸してあげるから」

 

 私は自分が裸だったことを思い出し、両手で胸と下腹部を隠した。どうせなら身体だけでなく衣服も再構築できればいいのに、と思いながら私は服を受け取った。

『身体を再生してやっとるのに贅沢言うな、阿呆』

「私が着替えてる間に、自殺しないよね?」

 

「あれは気の迷い……だから」

 

 服を着る間、私はあかりの自殺を止める方法を考えていた。ひとまず今は私が乱入して自殺を止めたが、「次」があるかもしれないからだ。それをどうにかしなくては。

 

(……ていうかそもそも、あかりは自殺するような性格だっけ)

 

 あかりは優しいが心が弱いわけではない。もし凛の死に責任を感じて自殺するような性格だったら、舞のときにやっている可能性が高いし、別に原因があるのではないか。

 

 私が気配を探ると、ほんの少し瘴気を感じた。あかりは気づいていないようだが、この部屋に何かがいる―私がひと際強い気配を感じた方に目をやると、そこにはベッドがあった。

 

「……どうしたの?」

 

 あかりはベッドの方をじっと見つめる私に怪しむような視線を投げかけた。

 

「何かいる」

 

 私はベッドに近づきその下を覗き込む。するとベッドの下にいた者と目が合った。

 

 うっ血した顔に飛び出た眼球。首はねじれ、あらぬ方向を向いている。「縊れ鬼」は私に見つかると、慌ててベッドの下から這いずり出てきた。

 

「げ」

 

 縊れ鬼に気づいたあかりは慌てて手袋をはめ、鬼火を放つ。すると断末魔をあげ、縊れ鬼はチリになって消えた。心の弱った人間にとりつき自殺させる危険な怪異だが、弱いので見つけてしまえさえすれば簡単に対処できるのである。

 

「迂闊だったわ。縊れ鬼なんかにとりつかれてたなんて」

 

 あかりはため息をついてつぶやくと、私の方を見た。

 

「怪異の気配がわかるのね。本当にあなた、何者なの?」

 

「わからない。……本当にわからないの」

 

 私は体育座りになって頭を押さえ、あくまで「記憶喪失とそれに怯えている人間」を演じ続けた。

 

「……大丈夫」

 

 あかりはしゃがみこむと、私に目線を合わせた。

 

「一緒に怪異課に行きましょう。怪異関係の事件に巻き込まれたのかもしれないし、それだったら何かわかるかも」

 

 ああ、なんて簡単に騙されてくれるのだろう。あかりのそういう人の良さも私の好きなところではあるが、いつか悪い人間や怪異に騙されてしまうのではないかと心配になってしまう。

 

 そんなことを思いながら、私は彼女の言葉にうなずいた。

 

 

 

 

 




首つり 方法 で検索するとこころの相談窓口が出て来たんですが、流石にGoogle君もこういう邪悪な小説を書くために検索したとか予想できないんだろうなあと思いました。


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9,異類少女

 

 

 

 

 あかりとともに怪異課にやって来た私は、霊力を持っている人間かどうかということを確認するため検査を受けていた。「凛」のときは難なくパスしていたのだから気にすることはない―そう思っていたのだが。

 

「君は異類だ」

 

 丑三課長は、私に向けていた霊力スカウタを下ろし、そう告げた。

 

「異類とは何ですか?」

 

「君の体内には瘴気と霊気が等しく含まれていてね……平たく言うと、人間と怪異のハーフだ」

 

「えっとそれはつまり?」

 

「君は人間じゃないってこと」

『異類になるにはだいぶ死なんといかんはずじゃが。早いの』

 「異類」には、夢魔との交わりで生まれた子どもや人面瘡に寄生された人間などが分類される。どちらの割合が多くとも、いずれも法律的には怪異と同一視され、駆除の対象となるという。

 

 私は少し混乱した。「凛」のときのミサキ化の影響かと思ったが、身体は新しいものだし、魂の方が変質していたとしたら殺人衝動が伴ってしかるべきだ。

 

(……となると、原因は殺生石しかないか)

 

 復活と変身の力があることを知っているだけで、細かい情報はよくわかっていないのだ。単に身体を適当に作ったからこうなったのか、それとも連続使用すると異類の身体になってしまうのか。

 

「最初はアメリカとかロシアとかその辺の怪異狩りが神隠しでこっちに飛ばされたのかと思ってたけど、君の正体が異類だとなると話は別だねえ」

 

「彼女は私の自殺を止めようとしてくれました。実際そうなんじゃないでしょうか」

 

 あかりは私を弁護してくれたが、丑三課長の賛同は得られなかった。

 

「うーん、瞬間移動とか忘却能力のある怪異のいたずらで人が神隠しに遭うことはあるんだけど、同時にそれを装う例もたくさんあるんだよ」

 

 戦争当時国同士の都合で全滅が隠されたノーフォーク連隊は灰色の雲に包まれ消えたことになったし、スパイとして育成される人間も「消えた」ことにされる。そして、怪異狩りの眼から逃れるために怪異自身が神隠しにあった人間として登場するなど、課長は多くの例を挙げた。

 

「穿った見方をすれば、先日戦ったメリーさんが送り込んできたスパイとも考えられる。時雨君を助けたのもウチに潜入するため、とかね」

 

 メリーさんのスパイという話については間違っていたが、丑三課長の指摘はなかなか私の痛いところを突いていた。最初は信用してくれていたあかりも、わけのわからないものを見るような目つきで私を見ている。

 

「そんな。私、そんなのじゃないです」

 

「どちらにせよ君はそう言うしかないだろうね。安定をとるなら、私は君を殺処分するべきだろう。異類には人権が認められていないから、今からでも可能だ」

 

「信じてください」

 

「すまないが、無理だ」

 

「なんでですか。なんでそこにいる子を助けたのに、私が殺されないといけないんですか」

 

 一応抗議はしていみているが、もうここまで来たらリセットした方がいいかもしれない。殺してもらってから予定していた戸籍を使うのであれば余計な苦労をしなくていいからだ。そのときも異類になっていればまた別の方法を取らざるを得ないが、今回よりは幾分かマシだと思う。

 

 そんな感じで半ば死を覚悟していたので、丑三課長の発した次の言葉に少し驚いた。

 

「……まあ、そうだな。君の生きる道がないでもない」

 

「本当ですか!」

 

「ああ。でもその準備まで時間がある。少し君を拘束させてもらうよ。時雨君。『個室』に案内してあげなさい」

 

 

 

 

 

 

(……ほんと、わけわかんない)

 

 お札の張られた強化ガラス越しに、あかりは彼女を見張っていた。ここは「個室」。ただ灰色の壁で四方を囲まれた何もない部屋。生け捕りにした怪異を入れておく場所だ。

 

 銀瞳の少女は部屋に入れられてしばらく歩き回っていたが、やがてそれに飽きると、見張りとして座っているあかりに近づいてきた。

 

「あづっ!」

 

 その瞬間火花が散り、ガラスに触れようとした少女は手を引っ込めた。普通の人間であれば普通に触れるのだが、怪異やそれに類するものにはそれができない。

 

「本当に怪異なのね……」

 

 もし彼女がメリーさんの手下なら凛の仇だ。あかりは少女を睨んだ。

 

「……私、なにかした?」

 

「あなたは何もしてない。ただ私は怪異が嫌いなの」

 

「でも、私は怪異じゃなくて異類なんでしょう?」

 

「どっちも一緒よ」

 

 人間と怪異の混じり物―あかりは、また凛のことを思い出してしまった。ミサキ化が進み、殺してくれと懇願してきた凛。メリーさんに踏みつけられ、心を凌辱されていた凛。ちり、とあかりの胸の中で炎が灯った。

 

「あなたは知らないかもしれないけど、怪異は私の大事な人にひどいことをしたの。あなたがその手先だったら、真っ先に殺してやりたいくらいよ」

 

 メリーさんの顔を思い出し、怒りが込み上げてきた。そうだ、怪異課をやめるなんて論外だった。凛の仇を討ってあげなければ。あかりができる手向けはそれくらいしかないのだから。

 

 あかりの発する静かな殺気に気がついたのか、彼女は一歩引いた。

 

「……ごめん。今、たぶん嫌なこと思い出させちゃったよね」

 

「私が自分から言ったんだから何も謝ることはないわ。それより、自分のことを心配してたら」

 

 あの戦いの後、あかりの報告を聞いた丑三課長は、組織的な動きを見せた怪異に対抗すべく、応援を要請した。それで藤見市に派遣されることになったのは、対策本部の中でも選りすぐりの精鋭―特殊怪異制圧部隊のメンバーだった。

 

 特殊怪異―要するに強く、グループとして動く怪異たちを専門に追う者たち。市の安全だけを考えていればいい普通の怪異課と違い全国で転戦しており、実戦経験は桁違いだ。

 

 そんなバケモノが、彼女を「使える」ようにするためやってくるのだ。

 

「……お待たせ!」

 

 そのときドアが開き、2人の人物が入ってきた。どちらも20代くらいで、1人は眼鏡をかけた穏やかそうな男性。もう1人は、にこにこと笑う小柄な女性だった。

 

「初めまして。僕は特殊怪異制圧部隊の伊見(いみ)敬一郎です」

 

「私は小坂部(おさかべ)眞桐(まきり)、よろしくね。君は時雨ちゃん、だっけ?」

 

「はい、時雨あかりです。藤見市怪異課臨時職員です」

 

 少し緊張しながら答えると、小坂部はにっと笑った。

 

「時雨ちゃんは、高校生なのに怪異課にいるんだってね。その歳でこの仕事できるのって、すごいよ」

 

「ありがとうございます……?」

 

「相棒の子が死んでも健気に頑張ってるって……ハマヤンに聞いたよ。ほんっとうにつらいよね」

 

「は、はあ……ハマヤンって誰です?」

 

「あれ? ハマヤンって藤見市の怪異課じゃなかったっけ。浜矢警剛。私の同期なんだけど」

 

 そこでようやく、ハマヤン=浜矢でつながった。世間は狭いものだなと思っていると、伊見がぱんと手を鳴らした。

 

「まあ、雑談はこれくらいで。あの異類を何とかするのが藤見市での初仕事だからね」

 

「あいあい、そうでしたそうでした。時雨さん、異類ちゃんを出して。処置を施すから」

 

 小坂部は持っていたスーツケースから黒い皮でできたチョーカーを取り出した。少女が出てくると、小坂部は何か言おうとしてから動きを止めた。

 

「どうしたんですか?」

 

「そういえばこの子ってさ、名前ないの?」

 

「完全に記憶喪失らしいので、ないです」

 

「へえ~、そういう設定なんだ」

 

「設定じゃないんだけど」

 

 少女の反駁を聞き流しながら小坂部は考えている様子だった。

 

「君がどっちだろうと問題はないんだ。ただ、いつまでも異類ちゃんというのも味気ないし……そう、白いから真白ちゃんって呼ぶね。OK?」

 

「……ひとまず真白でいいけど、私を生かしてくれるの?」

 

「うん。今、怪異課は人手が足りてないから、多少怪しいヤツの手も借りたいんだ。……その代わり、真白ちゃんには安全装置をつけてもらう」

 

 そう言って小坂部は持っていたチョーカーを真白の首に巻いた。カチリ、とロックのかかる音がした。

 

「そのチョーカーは、『覚り』の皮でできてる。情報を敵に渡したり、無実の人を傷つけるような利敵行為の意志を感知したら、その時点でボン!外そうとしても同じだから気を付けて」

 

 なるほど、とあかりは感心した。真白がスパイであれば自動的に死ぬし、そうでなければ制御のための枷になるというわけだ。真白はチョーカーをぺたぺたと触っていたが、やがて小坂部の方を見た。

 

「ちょっと窮屈だけど、命には代えられないわね。これで終わり?」

 

「いいえ。あともう一つやっとかないといけないことがある」

 

 小坂部はにこにこしながら薬瓶と注射器を取り出した。あかりは何となく嫌なものを見せられそうな気がして、眉をひそめた。

 

「それは?」

 

「いろんな怪異から抽出した成分で出来たお薬。霊力の底上げに効く代わりに、依存性がある。怪異用の麻薬ってとこかな」

 

「えっそれはちょっと」

 

「今死ぬよりはましでしょ?」

 

 小坂部は注射器に中身を詰め終えると、有無を言わさず真白の右腕を押さえ、内容物を注入した。

 

「あっ、あっあっ………」

 

 真白は倒れると、びくびくと痙攣し始めた。小坂部はとくに彼女を心配する様子はなく、片づけを始める。あかりはたまらず小坂部に話しかけた。

 

「小坂部さん。これ大丈夫なんですか」

 

「今回は最初だから反応が激しいだけで、そのうち慣れてくるよ。……そうそう、仲間のいない君はこの子と組むことになると思うから、この注射器と薬をいくつか渡しておく。薬が切れたら打っといて」

 

 薬品の入ったポーチを渡され、あかりは少し戸惑った。

 

「彼女を薬漬けにする必要があるんですか?」

 

「うん。薬なしで生きられないようにしないと逃げられるんだよ。あ、時雨ちゃんは絶対使わないようにね。危ないから」

 

「……はい」

 

 あかりは過呼吸気味に息を吸っている真白に少しの哀れみを覚えた。が、異類の少女に同情していることに気づくと、あかりはぶんぶんと首を振って自分に言い聞かせる。

 

(この子は人間じゃないんだ。情けなんかかけちゃだめだ)

 

 あかりは倒れている真白を見下ろし、冷たく言葉を投げかけた。

 

「明日の放課後、いっしょに怪異を殺しに行くから、それまでにはまともに動けるようになっててね」

 

「ぁ……わかっ……た」

 

 息も絶え絶えに答える真白を一瞥すると、そのままあかりは歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 あかりが部屋を出て行ってからしばらくして、小坂部に注入された薬物の効果が薄れてきた。薬の効果なのか、やけに五感が冴えわたっている。

 

 しかし怪異課もよく考えるものだ。首に巻かれているチョーカーを撫でながら、私はそう思った。人外だろうと使えそうなものは使う方針らしいが、こんなアイテムが用意されているあたり、怪異のスパイの排除にも抜かりはないらしい。

 

(まあ、人間がスパイやってたら意味ないんだけど)

 

 メリーさんが脱出用の手鏡や私のプロフィールを知っていたという情報を考慮すると、怪異課内部に裏切り者がいるという疑いは濃厚である。

 

 他の可能性として怪異が直接侵入して情報収集していたというのは考えられるが、これは重要なデータや呪具のある部屋はこの部屋のように強力な結界が施されているので難しいと思う。

 

 こっくりさん、怪人アンサーのような怪異に頼ったとしたら私の正体を見抜いているはずなので、これもない。よって、誰かがメリーさんの手先になって情報を流していると考えるのが自然なのだ。

 

 怪異のスパイとなっている人物が誰かまではまだ絞り込めていないが、まあいずれ分かるだろう。

 

 なにせ、私は「突然現れたスパイの可能性のある異類」である。内通者がいるとすれば、その人物からはメリーさんが内通者に見切りをつけて新たにスパイを送り込んできたように見えるはずだ。闇討ちか連絡か、いずれにせよ何らかのアクションはとってくる。

 

 気にすべきなのは、それに巻き込まれてあかりが殺されないよう注意するだけ。

 

(……そういえば、今のあかりはちょっと危なっかしいな)

 

 私の死を引きずってくれているのは嬉しいが、そのせいでだいぶふさぎ込んでいるというか、人が変わったような気がする。私自身、凛として「復讐を誓った人間」を演じてはいたが、いざあかりがそういうタイプになると、心配でたまらない。

『誰のせいだと思っとるんじゃろ』

 心のバランスをとってやる必要があるな、と思った。「凛」のときのように重圧をかけてはならない。「真白」は映画に出てくる三枚目俳優のように明るくお調子者で、ちょっと抜けているような人間であるべきだろう。

 

 そんなことを考えていると、「個室」のドアが開いた。丑三課長だった。

 

「処置は終わったようだね。気分はどうだい、真白君」

 

「よくないです」

 

「それはすまない。……ところで、君の住む場所について話があるんだが」

 

「え、ちゃんとしたところに住めるんですか? 戦闘の時以外はずっとここに転がされると思ってました」

 

「そうしてもいいが、今は怪異たちの組織的な動きが目立っていてね。各個撃破されないように集まって行動することにしようと思ってるんだ」

 

「はあ、となると課長の家に泊めてくれるということですか」

 

「いいや。私の家にはすでに浜矢君と五幣君、伊見君が滞在することになってる」

 

 小坂部は神標の家に行くことになり成人組の分け方は決まったのだが、残った実家暮らしのあかりをどうしたものかと首をひねっていたらしい。

 

「そこで君だ。時雨君の家に住んでもらおうと思う」

 

「それ、あかりの両親は了承したんですか」

 

「まだだが、彼女の親御さんは説明すれば分かってくれるタイプだ。それに怪異課から君の「維持費」も出るから引き受けてくれると思う」

 

「なるほど」

 

 あかりに怪異課なんて危険な職務を許しているくらいだから、チョーカーで縛られている私を預かるくらいなんてことないのだろう。懐が深いというべきか、放任すぎるというべきか。まあ人間的な生活ができそうなので、そこはありがたいかぎりなのだが。

 

「それと、呪具を選んでおいてくれ。さすがに異類でも丸腰だと戦えないだろう」

 

 丑三課長は説明をしながら、いくつかの呪具を私の前に置いていった。私はその中に見慣れた道具を見つけ、手に取った。

 

「じゃあこれで」

 

「持ってきといてなんだけど、それは使いづらいよ。今のところ一人しか……」

 

「使えます」

 

 今回は体格が同じくらいですから。そう心の中で呟きながら、私は鎌の形をしたキーホルダーをぎゅっと握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

「あかり。今日なんか元気ないけど大丈夫なの?」

 

 帰りのホームルームが終わり、帰ろうとしていたあかりに話しかけてきたのは眼鏡をかけた地味めの女子――友人の赤野谷子だった。

 

 基本的にあかりは自分が怪異課で働いていることを学校で話さないのだが、一度学校で発生した怪異から谷子を助けたことがあっため、彼女だけはあかりが職員であることを知っている。

 

「病み上がりだからかなあ」

 

「ふーん、でも昨日は普通に外歩いてたって誰か言ってたけど」

 

「……気のせいじゃない?」

 

 凛の死や自殺未遂、異類の出現など、おとといから昨日にかけてショッキングな出来事がありすぎた。嘘をつくのはあまり好きではなかったが、職員としての守秘義務的にもまとめて「風邪」といってごまかすのが一番いい手だった。

 

「……いろいろ大変なんだろうね」

 

 谷子はあかりの嘘を見抜いたようだったが、あえて突っ込むつもりはないようだった。友人の気遣いに感謝しながら、あかりはこくりとうなずいた。

 

 あかりと谷子が教室を出て校門のあたりへやって来ると、すっかり葉の落ちた寒々しい桜の木の下に、誰かが立っていた。下校する生徒、部活をしている生徒たちがちらちらとその人物を見ている。

 

 遠目には分からなかったが、近くに来るとその理由がよく分かった。

 

 白銀のような髪、眼、肌。顔立ちには少し異国情緒があり、じっと周りにいる生徒を見つめるその様子は、まるで桜の妖精かニンフのように見える。そんな特徴的な容貌は一度見て忘れられるわけがない。真白だ。

 

 真白は、あかりがやって来たことに気がつくと、ぱっと明るい顔になって駆け寄ってきた。

 

「あかり! 来たよー!」

 

 それを見た谷子は目を丸くして、知り合い? とあかりに訊いてくる。

 

「職場の人。……なんでここにいるの、真白」

 

 出迎えなどせず、怪異課の床に転がっていればよかったのに。問答無用で殺されても文句は言えない立場のくせに、堂々と学校に来るなんて何を考えているのか。

 

「課長にまとまって行動した方がいいって言われたから、迎えに来たの」

 

「だったらもっとこう、帽子とかマスクとかつけたら?」

 

「今お金持ってないからな~」

 

 そうだった。あかりがため息をついていると、谷子は興味津々といった様子で真白と話し始めた。

 

「えーと真白ちゃんだっけ? すっごい可愛いけど、外国の人? ハーフ?」

 

「ハーフらしいよ」

 

「らしいって何? わからないの?」

 

「んー、ちょっといろいろあってね」

 

 もともと明るい性格だったのか、それとも薬の効果でハイになっているのかは分からないが、昨日とは打って変わって真白は元気だった。あれだけ怯えていたのが嘘のようだった。

 

「そういえば、怪異課ってことは、真白ちゃんもあかりみたいにあれ持ってるんだよね、呪具」

 

「持ってるよ。昨日、一番強いのもらったんだよね」

 

 そう言って真白が得意げに取り出したのは鎌の形をしたキーホルダー、「鎌鼬」だった。舞しか使いこなせなかった呪具を真白が所持しているのを見て、あかりは驚いた。

 

「『鎌鼬』でしょ。使えるの?」

 

「使えなかったら持たせてもらえないよ」

 

「……そう。結構強いのね」

 

 鎌鼬の使用者は化け物じみた動体視力と反射神経が要求される。だから、それで戦えるという時点で能力の高さは証明されているようなものである。

 

 あかりの言葉を聞いて調子に乗ったのか、真白はどんと胸を叩いた。

 

「そう、私は強いから、前の子みたいに死ぬ心配はしなくていいわ! 怪異いっぱい倒してボーナス独り占めしちゃったらごめんね」

 

「真白には給料とかボーナスは発生しないよ」

 

「えっひどくない?」

 

 豆鉄砲をくったような顔をした真白に、あかりは苦笑いした。実力はあるようだが、能天気というか少し天然が入っているというか、そういうところが彼女にはあるようだった。

 

「そろそろ仕事を始めるよ。日が傾いてるから」

 

 

 

 

 

 

 




人外と戦う系あるある、主人公が半分人外になる


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10,五分前にキメよう

 

 

 

 

 真白の強さは想像以上だった。

 

「鎌鼬!」

 

 地面を蹴って斬りこんでいった真白は、あっという間に警官の顔をもつシェパード犬をなますにしてしまった。戦い方は舞と同じで見慣れたものだったが、精密性はまったく違った。

 

 宙を舞い、ありえない角度で曲がる。急停止、斬撃。粗削りで直線的な動きの多かった舞よりも軌道が滑らかなのである。薬の影響か、それとも異類が呪具との親和性が高いのか。それは分からなかったが、とにかく真白は強く、あかりは今日の仕事で一度も呪具を使っていなかった。

 

「あかり!ほら見て勝ったよ!」

 

「そうね」

 

「そこは褒めてよ」

 

「今倒した怪異、倒せないと話にならないってレベルよ。いちいち褒めてたらキリないわ」

 

「むう。ちなみにあかりは私より早くこいつらを倒せるの?」

 

 少し不満げに頬を膨らませた真白に言われ、あかりは言葉に詰まった。

 

「私の呪具はあなたのより防御に寄せてるから、難しいわね」

 

「できないってこと?」

 

「……役割分担上、しかたないのよ」

 

 あかりは少し苛々しながらそう答える。真白がすぐ調子に乗るせいもあるが、彼女よりも弱く、戦えない自分がもどかしかった。

 

 基本的に職員の強さは呪具に依存するので、強くなるには呪具を変えるのが手っ取り早い。しかし今持っている鬼火と塗壁があかりの扱える最強の呪具で、これ以上強くなることはできないのである。後々他の呪具を使えるようになるケースもあるが、今のところあかりにその兆候はなかった。

 

(こんなんじゃ、仇を討つこともできない)

 

 メリーさん、そして河童の姿を思い出し、あかりは歯噛みした。前者は電話を取らなければいいだけらしい(そのため現在怪異課ではメッセージでやりとりしている)が、後者は純粋な力量差で負けていた。あれと同じレベルの怪異が他にいるとなると、あかりが怪異たちと渡り合えるかという見通しすら怪しくなる。   

 

 ぽっと出の真白がばったばったと敵をなぎ倒しているのを見ると、悔しさがこみあげてきた。自分はもうこれ以上強くなれないのに。

 

 そんなあかりの内心を気にする様子も見せず、真白はくるくると回っていた。

 

「ところで空き地はだいたい駆除し終わったと思うけど、次はどこ?」

 

「これで終わり。いつものルートの終点だし」

 

「そう。じゃあ帰ろっか。あかりの家に」

 

「……今なんて?」

 

「私、あかりの家に住むことになってるから」

 

「はあ?」

 

 半信半疑で真白とともに帰宅し、出迎えてくれた母親にそのことを聞くと、あっさりとうなずかれた。

 

「あなたの職場のとこの課長さんが来てね。支給金の話を聞いてたら、まあこの子を住ませる方が得かなって」

 

「でもこの子異類なのよ? 怖いとは思わないの」

 

「しっかり制御出来てるんでしょ。それに結構可愛いじゃない~」

 

「あはは、それほどでも~」

 

 母はがしがしと真白の頭を撫で始めた。真白がまんざらでもなさそうな顔をしながらされるがままになっているのを見て、あかりは今日何度目かもわからないため息をついた。

 

「一階の和室が空いてるから、そこを使うといいわ」

 

「ありがとうございます。お母さま」

 

「わあ、ねぇ聞いた、あかり? お母さまだって。育ちがいいのね」

 

 お母さま、なんて言うキャラでもないだろうに。少しめまいがした。しかしあかりを含めて家族の中で母親の決定に逆らえる者はいなかったので、不本意ながらも共同生活を送るしかないようだった。

 

 

 

 

 

 

 朝。朝食を摂るため制服に着替えてダイニングにやってきた時雨光紀(こうき)は、見知らぬ少女が姉と同席して食事していることに気がついた。

 

 少女の方も光紀の存在に気がついたらしく、にこりと笑いかけてきた。

 

「ああ、あなたがあかりの弟さん……光紀君ね。初めまして、私は真白。よろしくね」

 

「どうも。……昨日、母ちゃんの言ってた同居人?」

 

「そ。これからお世話になるわ」

 

 そう言いながら、真白はバターをたっぷりと塗ったトーストを美味しそうに齧った。カワイイ。異類といって純粋な人間ではないらしいが、突然美少女と一緒に住むことになるという漫画のようなできごとに光紀の心は踊った。

『このパンとか言うの、うまそうじゃのう……』

「もう父さんと母さんは仕事行ったから、光紀も食べ終わったらさっさと学校行きなさいよ」

 

 トーストを光紀の皿に置くと、あかりはそう言った。あかりの高校は家の近くにあるが、光紀の中学は少し遠い所にあるので早めに出ないと間に合わないのである。

 

「そういえば真白はいつまでいるの?」

 

「うーん、まだ決まってないんだけど、とりあえず私が死ぬまでとかかなあ」

 

「ずっといるつもり?」

 

「いや。たぶん1年もすればいなくなるんじゃないかな」

 

 まるで自分のことを話しているとは思えない発言。怪異課の作戦次第であちこちに行くからなのだろうか。そんなことを考えていると、あかりが真白に話しかけた。

 

「そういえば私が学校に行ってる間、真白は何するの? 昼は怪異もそんなにいないと思うけど」

 

「怪異課に行って聞いてみる。もし仕事なかったらあかりの学校に遊びに行こうかなあ」

 

「やめて。ただでさえ昨日のアレのせいで噂になりそうなのに。学校に怪異が出でもしない限り、絶対呼ばないから」

 

 姉はなぜかあまり怪異課での出来事を話したがらないが、それは学校でも同じらしい。

 

「……暇ならさ、うちの中学の調査してくれない?」

 

 そのとき、光紀は思いつきを口にした。

 

「うちの学校で1人、女子が死んだんだけどさ。その原因がわかんないから、ひょっとしたら怪異のしわざかもって」

 

 何か月か前に転校してきた女子だった。口数は少ないが大人びていて頭もよいので、影で人気のある子だった。しかしおととい教室にいったときには机の上に花が置いてあり、彼女の死が告げられた。原因は一切告げられず、タブーのように扱われていた。

 

 謎の死を遂げた転校生の話をすると、あかりの方が少し興味をもったようで、口をはさんできた。

 

「それで死んだ子の名前はなんていうの?」

 

「御剣凛っていうんだけど」

 

 その名を聞いた瞬間、あかりは苦虫を嚙みつぶしたような顔になった。真白はなぜか納得したような顔をしていた。

 

「……その子については分かってる。真白は怪異課に行っときなさい」

 

「は~い」

 

「もう学校に行くわ」

 

 突然態度を変えたあかりは皿を食洗器に入れると、家を出て行ってしまった。光紀がぽかんと口を開けている一方、真白はなぜか少し嬉しそうだった。

 

「……何、今の?」

 

「さあ、わかんない」

 

 うそぶくと、真白はまた新しいトーストにバターを塗り始めた。

 

 それから数日間もたつと真白のいる生活にも慣れてきたが、相変わらず彼女自身については謎のままだった。コーヒーが苦手だとか、映画をよく観ているだとか、そういったどうでもいいことは分かってきた。だが彼女の由来や考えていることはいまだに全くわからない。

 

 不思議な人物だった。底なしに能天気。無邪気で正体不明。異類だというフィルターでそう見えているのかもしれないが、まるでつかみどころがなかった。

 

 ある日の夜。洗面台で歯を磨いていると、風呂場からシャワーの音と、真白の歌う声が聞こえてきた。

 

(もう帰って来てたのか)

 

 以前は、あかりが怪異課での仕事を終えて帰ってくるのは10時くらいだった。だから平日は朝食のときくらいしか顔をあわせなかったのだが、今は9時、早い時には8時に真白と一緒に戻ってくる。生活の時間帯が重なっているのだ。

 

「とぅもろー、とぅもろー! あいらぶゆー、とぅもろー!」

 

 見た目はハーフっぽいのに、発音は完全に日本人だった。まあ異類に日本「人」というのはおかしいのかもしれないが。

 

 光紀が調子っぱずれの歌に苦笑いしていると、突然、ひゅっ、と異様な呼吸音とともに歌は中断された。続けて、床に何かが落ちる音。

 

「こけた? 大丈夫?」

 

 返事はなかった。光紀は風呂場のドアに手をかけ、少し戸惑ったものの、そのまま開けた。

 

 真白はうつ伏せに倒れていた。彼女の一糸まとわぬ白い裸身に、放り出されたシャワーが噴水のようにお湯を浴びせていた。

 

「真白!」

 

 抱え起こすと、真白が胸を押さえ、荒い息をしていることに気がついた。目は限界まで見開かれ、その端には涙が浮かんでいる。

 

「かりを。あかりを呼んで」

 

「姉ちゃんを? 病院に行った方が」

 

「あかりを呼んで……」

 

 何かの発作のようだった。慌てて光紀はあかりの部屋へ行き、状況を説明した。するとあかりはたいして驚いたようでもなく、冷静に答えた。

 

「……切れたのね。大丈夫。私が何とかするから。光紀は部屋に戻っときなさい」

 

「何なのあれ。持病?」

 

「知らなくていい」

 

 あかりはつっけんどんに言うと、近くにあったポーチをもち、さっさと出ていった。

 

「なんだあれ。せっかく教えてやったのに」

 

 少し腹が立った。あかりは本当に何も教えてくれない。怪異課での仕事だけでなく、真白のことも全く喋ってくれなかった。

 

(……どうするんだろ)

 

 だから、あかりが何をしているのか気になった。洗面台と風呂場につながるドアをそっと開き、光紀はそっと中を覗き込んだ。

 

「もう、切れそうなら早めに言いなさいよ」

 

「あっ、あかり、はやく、はやくしてよ。あっ」

 

「うるさい、黙って。今用意してるから」

 

「おくすり。痛いのよ。切れたらさ、ずっと痛くて。でも我慢して。あかりのために」

 

 ぶつぶつと言う真白の両目は焦点が合っていない。その前であかりが注射器に薬を充填し、気泡を抜いていた。

 

(注射器……?)

 

「ほら、腕出しなさい」

 

 真白が喜々として差し出した右腕には、痛々しい注射痕がいくつも残されていて、光紀はぞっとした。さっきの反応といい、間違いなく真白は薬漬けにされている。そして、彼女をそんな目にあわせているのは、光紀の実の姉―あかりなのだ。

 

「あ、ああ……ありがとうあかり。収まって……きた」

 

 中の液体を注入された真白は、目をつぶり、深く息を吐き出している。

 

(何やってんだよ。何やってんだよ姉ちゃん)

 

 光紀は怖くなって自分の部屋に逃げ帰った。

 

 

 

 

 

 

 

 普通に禁断症状がきつい。

 

 確かに戦闘力は向上するし、動体視力や反射神経は「舞」だった頃と比べ格段に強化された。しかし1日ごとにあの薬を打たなければ地獄のような発作が襲ってくる。

 

 四肢切断や串刺しの痛みは情熱と気合で乗り越えてきたが、禁断症状の苦しみは想像以上だった。頭の中をハリネズミが暴れまわっているような痛みを、時間感覚を5倍にも6倍にも引き延ばされた状態で味わうハメになるのである。さすがにこたえた。

 

 今度は、効果が切れるまでの周期を見誤らないようにしなくては。

 

 昼下がり。私は浜矢とともに怪異たちの隠れそうな空き家に踏み入りながら、そんなことを考えていた。

 

「あーあ、昼に探してもやっぱ見つかんねえよなあ」

 

 浜矢はあくびをしながら言った。日が出ている間、怪異は山や街のどこかに潜んでいて姿を現さないので、あかりやそれに従う私を除き、職員は基本的に昼夜逆転している。眠そうなのはそういうわけである。

 

「まあ、相手方も昼に探しに来るのは分かってるでしょうし、そう簡単に見つかる場所にはいないでしょう」

 

 現在の藤見市怪異課はメリーさん一派に対応するため、昼も活動している。私はあかりと組むとき以外は空いている適当な職員とともに彼らを探している―のだが。

 

「それにしても三日続けて収穫なしってのはやる気無くすぜ」

 

「……課長も根気がいるって言ってましたしね」

 

 空き家や下水道など、普段立ち入らないところにも入って捜索を続けているのだが、雑魚怪異はいても知性のある怪異は発見されなかった。

 

 そもそも敵がそれほどいないのか、スパイが事前に捜索場所を伝えているのかは分からなかったが、まあ予想の範囲内ではあった。

 

「そういえば、時雨はどんな感じだ?」

 

 浜矢は空き家のドアを開け、踏み込みながら聞いてきた。

 

「どんな感じとは?」

 

「アイツはバディを立て続けに殺られてる。仇を討つために怪異課に籍をおいてるんじゃーないかって思ってるんだが」

 

「聞きましたね。もしスパイだったらこの手で殺してやりたいって言われました」

 

「……前はそんなこと言うヤツじゃなかったんだけどな。腹が立つこともあるかもしれないが、時雨をしっかり守ってくれよ」

 

 これまでのような露悪的な喋り方は鳴りを潜めていた。私たちは部屋を一つ一つ開けながら、会話を続けた。

 

「言われなくても守ります。しくじったら殺処分されるかもしれませんし」

 

「そうか。俺が言うのもなんかちげえかもしれねえけど、頑張れよ」

 

「……優しいですね。そういうこと言われたの初めてです」

 

 そう言って浜矢の方を振り返ったが、彼は別の方を見ていたので顔は見えなかった。

 

「別に同情はしてない。ただお前らみたいな奴が死ぬのを見たくないだけだ」

 

 それから捜索を続けたが、やはりここにも怪異はいなかった。私と浜矢はすごすごと家を出た。

 

「……移動が面倒くせえし、神標呼ぶか」

 

 手鏡を出してから携帯でメッセージを打ち始めた浜矢をみていて、私はふと気になったことを聞いた。

 

「そういえばあかりに聞いたんですが、神標さんって怪異を食べるのが好きな人ですよね。なんでそんなことしてるんですか?」

 

「……あいつ、俺と組む前は恋人とバディ組んでたんだ」

 

 職場恋愛というより、もともとカップルだったものが同じ怪異課に入ったという感じだったらしい。

 

「で、その恋人が怪異に目の前で怪異に吞まれた。野槌(ノヅチ)っていう奴で、何でも丸のみにする大蛇の怪異だ。結局そいつは仕留めそこなって、バディの遺体は残らなかったんだと」

 

「悲惨ですね」

 

「ああ、神標が怪異を食べるようになったのはそれからだ」

 

 きっと食い返しているのだろうな、と私は思った。ある種の復讐のようなものなのだろう。……わざわざ調理して食べるのは理解しがたいが。

 

 そんなことを考えていると、鏡が光って神標が現れた。彼女は少し咎めるような視線を浜矢にやった。

 

「浜矢君。噂話はよくないわね」

 

「悪い。真白が聞きたがったからついな。怪異課に転送してくれ。真白は今日も時雨と合流するだろうから、学校へやってやれ」

 

「わかったわ。……あんまり人の話をペラペラ話さないでね。『雲外鏡』」

 

 神標が呪具の名を呼ぶと、まばゆい光とともに浜矢の姿は消え去った。転送が完了すると、神標は振り返った。

 

「やっと二人きりになれたわね。……聞いておきたいことがあるの。さっき私の話をしてたみたいだし、こっちから聞いてもいいでしょう?」

 

「答えられることならいいですが。何でしょう」

 

「あなた、メリーさんのスパイよね」

 

 まるで値踏みするかのように、神標は私を見ていた。

 

「違います。もしそうなら私はとっくにチョーカーが爆発して死んでますし」

 

「……本当のことを言いなさい。他の人には喋らないから」

 

「だから違うと」

 

「とぼけるな」

 

 神標の声は静かで、しかし冷気を帯びていた。悟りのチョーカーをつけているにも関わらずしつこく疑ってくるその様子を見て、私はある確信をえた。

 

(……ああ、この人か)

 

 まず、課長はありえなかった。彼の立場ならダブルチームを組ませず一人ずつ殺していけばいいだけだし、そもそもメリーさんは彼を殺すと言っていた。

 

 鏡の情報を共有したのは戦いの直前だったので、隣町へ行っていた五幣である可能性は低い。

 

 そしてあかりはずっと私と一緒にいたので、メリーさんに鏡のことを伝える時間はなかった。

 

 残るは浜矢と神標だったが、先刻、浜矢は私から情報を引き出すチャンスがいくらでもあったのに、何も聞かずただ漫然と話していた。

 

 メリーさんに連絡して私が彼女の送り込んだスパイではないと聞かされていても、それを信じられる証拠はない。だから何かしら聞いてくるはずなのだ。彼女がそうしてきたということは――

 

「神標千鶴さん。あなたがメリーさんの手先だったんですね」

 

 驚愕し目をみはった神標に、私は大鎌を向けた。

 

 

 

 

 




このお話は100万回生きた猫35L、迷い家20kg、呪術廻戦4L、うしおととら1.5kg、夜の都800g、チェンソーマン250g、ツインスターサイクロンランナウェイ100g、くもらせ、被虐などその他少量15の要素で構成されています。


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11,メリーさんの電話

 

 

 

 

「神標千鶴。頼みたいことがあるのだけれど」

 

 メリーさんと初めて出会ったのは一か月前の夕方だった。木の影にたたずむ彼女を見つけ、鏡を向けようとしたが、するりとかわされ続けどうにも捕獲できなかった。

 

 数分ほど鏡による捕獲を試みてそれが無理だと悟ったころ、再びメリーさんは口を開いた。

 

「追いかけっこはもう終わっていいかしら。私は取引をしに来たんだけど」

 

 知性があると言っても、怪異は人間に害をなすものだ。取引などするつもりはなかったのだが、彼女が投げてよこした写真を見て、神標は驚いた。

 

 自分の恋人が捕まっていたからである。

 

「この人から聞いたんだけど、貴女が恋人なんでしょ? 助けたくなぁい?」

 

「どうしてお前が」

 

「私が飼ってる野槌ちゃんに吐き出してもらったの。ね、取引したくなったでしょう」

 

 メリーさんは憎らしいほどに自信たっぷりだった。そして実際、彼を見捨てて頼みを断ることは神標にはできなかった。メリーさんの言われるがまま、職員の情報や戦闘計画を流した。

 

「そう。七人ミサキと戦うために丑三が出てくるのね。チャンスだわ」

 

 そしてミサキがやって来た時、メリーさんはアクションを起こすことにしたらしい。ミサキを倒すためやってきた職員たちをまとめて殺す、という。それが終われば、人質を解放してくれるという約束だった。

 

 しかし、神標は土壇場で踏ん切りがつけられなかった。メリーさんと丑三課長が対峙したとき、彼女はウインクして課長を背後から襲えと合図してきていた。課長が河童の攻撃を防いでいる間に神標がナイフで襲い掛かる算段だったのだが、それを躊躇したため作戦は失敗した。

 

「今回は許すけど、次はきちんと仕事をしなさい」

 

 そう言い残してメリーさんは去っていった。それから彼女からの連絡はなく、恋人の無事を案じる神標のもとに現れたのが、真白だった。

 

 突然あかりの家に現れた異類。怪異課に潜り込んできた少女は、神標にはメリーさんの新しいスパイにしか見えなかった。許すと口では言っていたが、メリーさんは神標を見切るつもりなのではないか。真白はチョーカーで動きを縛られているとしても、少なくともこのタイミングでやってきた者がメリーさんと無関係なわけがない。

 

 彼女の目的を聞きださなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたがメリーさんの手先だったんですね」

 

 そう言って真白は「鎌鼬」を向けてくる。「だったんですね」などと言っているが、真白には神標=内通者だということが分かるはずはないのだ。それこそ、彼女自身がメリーさんに送り込まれた者でない限り。

 

「あなたもでしょう?」

 

「いいえ。私が疑われやすいのは分かっていますが、違いますよ」

 

「あくまでしらばっくれるつもり?」

 

「何を勘違いしてるのか知りませんが、おとなしく捕まってください。うっかり首を飛ばしたくないので」

 

 つまり神標をスケープゴートにして、真白がスパイを務めるということらしい。神標は舌打ちした。

 

「……さんざん使っておいて、この仕打ちか。やっぱり私、怪異は嫌いね」

 

「いや、だから本当に違うんですけど」

 

「『雲外鏡』」

 

 神標が呪具を使った瞬間、真白は嫌な予感でもしたのかさっと飛びのいた。直後、真白のいた場所に自動車が落下し、派手な音をたてた。

 

「勘がいいわね」

 

「殺す気ですか。自動車って」

 

「もちろん。あなたたちが私を切るなら、私も怪異の味方をする必要はないから。死んで」

 

 言うや否や、真白の目の前に捕獲していた人面犬を2体転送した。呪具を構えている真白を敵と認識したらしく、人面犬たちは歯をむき出して彼女に襲い掛かる。

 

「鎌鼬」

 

 しかしその歯は真白に届かなかった。呪具発動から1秒後、高速斬撃によってずたずたに引き裂かれ肉塊になった人面犬は地面に血をしみこませた。

 

「神標さん。無駄な抵抗はやめてください」

 

 巻きあがったチリの中から真白が姿を現した。彼女はその気になれば人面犬たちと同じように神標を殺せるはずだが、降参させたがるのはチョーカーによる制約のためだろう。

 

(だったら、最初にしかけたトリックを使う余裕がある)

 

 神標はポケットからナイフを取り出し、自分に雲外鏡を向けた。

 

「雲外鏡」

 

 次の瞬間、神標はさきほど転送した車のサイドミラーの前――すなわち真白の背後にいた。無防備な彼女の首筋めがけ、ナイフを振り下ろした。

 

「あっ……ぶな!」

 

 しかしその直前、真白は首を右にそらした。完全に虚をついたはずの攻撃を見切られ、神標は目をみはった。

 

 必殺だったはずの一撃は急所を外れ、真白の左肩に突き刺さる。刃渡りがないせいで、致命傷にはほど遠いダメージしか与えられていない。

 

 慌ててナイフを引き抜こうとしたその瞬間、真白は振り返り神標の頭を鎌の柄で殴りつけた。

 

「なんで、わかったの?」

 

 膝から崩れ落ちた神標に、真白は苦笑いを浮かべた。

 

「死ぬほど不意打ちを受けてきたので。慣れです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あかりは捕縛されている神標を見て、絶句していた。怪異課に集まっているのは丑三課長、小坂部、浜矢、そして肩をかばっている真白。

 

「神標さんが怪異に情報を流してたって……嘘ですよね?」

 

「私もにわかには信じがたいけど、真白はチョーカーを巻いてるからね。私たちの害になる嘘は吐けないよ」

 

 小坂部の言葉に、真白はそうだそうだ、とでも言いたげにうなずいた。

 

「なんで……」

 

「もうさっき話したでしょ。私は彼を助けたかったから皆を売った。そのほかに話すことはないわ」

 

「あのときも……七人ミサキのときも情報を流してたんですか」

 

「ええ、そうよ」

 

 淡々と話す神標。その様子を見て、あかりの心を満たしていた動揺がすっと引いていった。代わりに押し寄せてきたのは、煮えたぎるマグマのような激怒。

 

「凛を狙ったのはメリーさんの作戦ですか」

 

「たぶんね。あの子が死んだのはたまたまだと思うけど。だって私が伝えたのは鏡を割ることで……」

 

「あなたは凛が死んで、どう思ったんですか」

 

 神標は表情を変えずに答えた。

 

「……気の毒だと思ったわ」

 

 乾いた音が響いた。あかりは衝動的に神標の頬を叩いていた。

 

「ふざけないで! どのツラ下げて!」

 

「……真白君、時雨君を押さえて」

 

 あかりは神標に飛びかかろうとしたが、後ろから真白に羽交い絞めにされた。

 

「離しなさい! 私は!こいつに……!」

 

「殴ってもしょうがないよ」

 

「あなたに何がわかるの! こいつのせいで! 凛は!」

 

「あかり。落ち着いて」

 

「邪魔しないで!」

 

 あかりが突き飛ばすと、真白は派手な音をたてて床に倒れた。あかりがはっとして真白の方を見ると、神標にやられた傷が開いたらしく、じわりと彼女の上着に血の染みが広がった。

 

「あっ……ごめん」

 

「大丈夫。気にしないで」

 

 真白は怒りもせず、ただ傷をかばっていた。神標の捕縛で傷を負った真白に追い打ちをかけてしまったことに罪悪感を覚え、あかりは黙った。

 

 一瞬の静寂。それを破ったのは、小坂部だった。

 

「しかしどうしましょうか、丑三さん。神標さんを逮捕します?」

 

「……うーん、そうだねえ。彼女を逆スパイとして利用できないかな。まだこっちは相手の本拠地も分かっていないわけだしね」

 

「私には利用価値は無いと思いますよ、丑三課長。私は見捨てられてます。たぶん」

 

 そのとき神標が口を開いた。

 

「君の後釜が真白君だと思ってるわけか。それは心配しなくていいと思うけど」

 

「なぜです」

 

「君みたいに人質をとるなり金で釣るなりして職員を協力者にするほうが手っ取り早いし、発見される危険も少ないだろ。少なくともこんな簡単に首輪をつけられるようなヘマはしない」

 

 そのとき机の上に置いてあった神標の携帯に着信が入った。相手の名前は「メリーさん」だった。

 

「なんで……今」

 

「聞かれてたんじゃねえの」

 

「神標君、とりあえず取ってみなさい」

 

 縄を解かれた神標はそろそろと携帯に手を伸ばし、電話に出た。

 

『はぁい。私メリーさん。元気にしてた?』

 

「おかげさまでね。なんでしばらく連絡しなかったの?」

 

『忙しかったのよ~今どこにいるの?』

 

「怪異課」

 

『そう、じゃそっちに行くのはやめて、電話越しで話そうかしら。周りに人はいる?』

 

 どうやら先ほどまでの会話を聞いてはおらず、周りの様子が分かるというわけでもないようだった。浜矢と小坂部が首を縦に振るのを見て、神標は返答した。

 

「近くにいる。けど、話す分には大丈夫」

 

『ならよかった。そちらで何か変わったことは?』

 

「異類が怪異課に入ってきた。白髪で16、7歳くらいの真白って女。これはあなたのお仲間と考えていい?」

 

 神標は真白の方をちらりと見てから、メリーさんの反応を待った。

 

『なにそれ? 知らないけど』

 

「そう。てっきり私の代わりと勘違いしてたわ」

 

『ふふ、ないない。こっちはあの方の世話が大変だから、また新しくスパイを送るなんて面倒な真似はしないわ』

 

「あの方って?」

 

『おっと、何でもないわ。余計なこと喋る癖、治さなくっちゃ』

 

 あの方。あかりは河童のセリフを思い出した。メリーさんや河童を従えている者。きっとそれが怪異たちの頭なのだろうが、一体何者なのだろうか。

 

 残念ながらメリーさんはそれ以上「あの方」についての情報を落とさず、教えてももいいと課長が判断した真白や怪異課についての情報を聞いていた。

 

『ありがとう。真白とかいう異類についてはこっちでも調べとこうかしら。あと、狩人たちは殺生石の所在を知ってる?』

 

「殺生石って……観光地にあるアレのこと?」

 

『違う。あれは確かに九尾の狐の一部だったけど、魂は入っていない。私が欲しいのは、その力が宿ってる核よ。対策本部の奴らが探してたような気がするのだけど』

『妾を探しておるのか。どうせ妾を復活させて力を貸せとかいうんじゃろなあ』

「知らないわ。……そんなもの何に使うの」

 

『ひ・み・つ」

 

 メリーさんは神標の探りをまともに取り合う気はないようだった。

 

『知りたいことはだいたい聞いたかしらね……あ、そうだ。最後に一つだけあったわ。七人ミサキと戦ったとき、あかりとかいう狩人がいたでしょ。あの子結局、相棒の子を殺したの? それとも両方死んだ?』

 

「……殺したそうよ。泣きながら」

 

『プふっ』

 

 電話の向こうでメリーさんが吹き出したのが分かった。あかりは心配そうに見てくる真白に、大丈夫だと目で答え、怒りを押さえつけていた。次に出会ったら絶対に殺してやる、と思いながら。

 

『ふふ、その場面見てみたかったわねえ。……今日はこれくらいでいいわ。また今度もよろしくね』

 

 メリーさんはそう言い残すと電話を切った。すると課長がほっと安堵の息をはいた。

 

「ろくな情報はなかったが、ヤツが九尾の狐を追ってるってことが分かったのは収穫かな。……それにしても、浜矢君とあかり君が耐えてくれてよかった」

 

 あかりは隣にいる浜矢に目をやった。彼は額に深い縦皺を刻み、不機嫌さを隠そうともしていなかった。

 

「胸糞わりい奴らが喋ってて気分はよくないですがね、さすがに自重しますよ。それで神標はどうするんすか」

 

「当然野放しにするわけにもいかないけど、刑務所送りにする前に仕事はしてもらわないといけないし、個室に入ってもらう」

 

「わかりました」

 

 神標は観念していたようで、あっさりうなずいた。

 

「……もし彼が生きてたら、助けてくれますか」

 

「生きてたらな」

 

「ありがとうございます。……今までのこと、本当にすみませんでした」

 

 神標は小坂部にうながされ立ち上がった。そしてあかりの方を見て、くしゃりと顔を歪めた。

 

「ごめんなさいね」

 

 先ほどと違い彼女の心からの謝罪のようだったが、あかりは何も言えなかった。

 

 裏切っていたのは許せない。許せないが、もしあかりが父や母、光紀、そして友達を人質に取られていたら同じことをするかもしれない。冷静になってそう考えると、彼女を責める言葉を見つけるのは難しかった。

 

 あかりはそのまま、小坂部に連行されていく神標の姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、もう治ってる」

 

 私は自室として与えられた時雨家の和室で、左肩をはだけて傷の具合を確かめていた。異類の再生能力は人間よりもはるかに強いらしく、ぱっくりと開いていたはずの傷は跡形もなくなっていた。

 

(これなら怪異退治に行ってもよかったかもなあ)

 

 私が受傷していたので、今日は課の仕事をせず帰ってもいいと言われたのである。無理に使って私が故障したら困るし、バディのあかりに被害が及ぶのは避けたいから、と小坂部は言っていた。

 

「それにしても、殺生石を探してる……ねえ」

 

 私はメリーさんの言葉を思い出してひとりごちた。

 

 足につけていた小さいホルダーから、黒く光る殺生石を取り出してまじまじと眺める。欠片と言ってはいるが、おおもとの大きな殺生石とは明らかに石質が違う。メリーさんが言ったように、「核」と表現するのが正しいのかもしれない。

 

 これこそが私の生命線であり、絶対に渡せないものではあるが、なぜメリーさんはこれを探しているのだろう。「あの方」とかいうボスに献上するのだろうか。

『彼奴らの頭か……。妾と同時代の者だとは思うがわからんなあ』

 うむむ、と考え込んでいると、廊下の方から足音が聞こえてきたので、私は慌てて殺生石をホルダーに仕舞う。それと同時に、ふすまを開けて誰かが和室に入ってきた。

 

「まし……って、なんで服脱いでんの」

 

 光紀は顔を赤くして目を背けた。そういえば服を着直すのを忘れていた。

 

「おっとと。……でも光紀君はこの前私の裸見たんだし、今更って感じよね」

 

「あのときは緊急事態だったから! てか早く着てよ!」

 

「はいはい」

 

 私は服を着ながら、光紀に尋ねる。

 

「で、なに? 覗きにきたわけじゃないでしょ」

 

「それなんだけどさ。この前風呂場で倒れてたのって姉ちゃんのせいだよな」

 

「なんのこと?」

 

「右腕見せてよ。やばい薬打たれてるんだろ」

 

 ああ、と私は気づいた。彼はこの前あかりに薬を打ってもらったのを見ていたのだろう。私が腕をまくると、見た目の悪い注射痕が露わになる。それを見て、光紀の眼に少し怒気がこもった。

 

「なんで姉ちゃんはこんなことしてるんだよ」

 

「私を逃げられないようにしないといけないからかな。ずっと監視するよりは効率がいいし」

 

「真白はそれでいいのか。こんなの奴隷だろ」

 

「そうだよ。でも、生かしてもらって、人なみの生活をさせてもらってるだけでもありがたいから」

 

 どうも光紀は人扱いされないということがよくわかっていないらしい。法の保護がない以上、「真白」を誰かが犯したり殺したりすることは何の罪にも問われないし、文句も言われない。いつでも使いつぶせるゲームの駒なのだ。

 

 そう説明すると、光紀は納得できないというような顔をした。

 

「やっぱりおかしいだろ。なんで真白は普通に受け入れてんだよ」

 

 ああ、善良。きっと彼も優しくて、芯があって、他人のために悲しんだり怒ったりできる人間なのだろう。そういう人ほど、私のこじれ切った内面を見通すことはできないのだが。

 

「もう慣れたから。それに心配してくれるのは嬉しいけど、私、もうお薬なしじゃ生きられない身体にされちゃった。手遅れ手遅れ」

 

「……そっか」

 

 私が笑うと、光紀は憤懣やるかたないといった様子でつぶやいた。彼は自分の近くで不幸な目にあっている者を放っておけないたちなのだろう。そういうところは、本当にあかりに似ている。

 

 きんこーん。

 

 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。

 

「今日、誰か来る予定でもあるの?」

 

「……いや、ないけど」

 

 時雨家の両親が帰ってくる時間ではない。トラックの停まる音もしなかったから宅配便でもない。私と光紀は顔を見合わせる。

 

 その瞬間、猛烈な勢いでチャイムが鳴り始めた。外で連打しているらしい。

 

「あーもううるさい! ほんと何!?」

 

 和室から出た私と光紀は、あわてて階段を降りてきたらしいあかりとはちあわせた。

 

「あかりの知り合いでもないの」

 

「チャイム連打するような友達なんていないわよ」

 

 そのとき、ばき、と何かが壊れる音が聞こえてきた。ドアを壊して入ってこようとしているらしい。私たちが玄関に到着したときには、すでに訪問者はドアの取っ手部分を破壊して侵入してしまっていた。

 

「ボオォン ソワー!! マドモアゼル!」

 

 その人物は私たちの姿をみとめると、ハイテンションな声で叫んだ。

 

 彼が人間でないことは一目でわかった。身体は礼服を来た普通の男性のようだが、頭はヤギの頭蓋骨がそのまま乗っており、中には目の代わりに2つの青白い炎が揺れている。そして極めつけに、彼のつま先は床ではなく天井を踏んでいた。

 

「……光紀。ここから離れなさい」

 

 あかりは天井に立っている男を見上げながら言った。光紀は一瞬だけ心配そうに私たちを見たが、うなずいて家の奥へ走っていく。それを見て男は残念そうに首を振った。

 

「おや残念。怖がられてしまいましたか」

 

「もっとまともな挨拶をしたらよかったんじゃない」

 

 私は鎌鼬を元の大きさに戻しながらそう答えた。あかりも手袋をつけ、臨戦態勢に入っている。

 

「確かにそうですね。まあ逃げられたのはしょうがないので、彼の血はデザートとして頂くことにしましょう。今日の主菜は真白さんですから」

 

「私?」

 

「はい。「混じり物」の血をいただくのは初めてなので、今日は楽しみにしていました。……ああ、もう一人の狩人も処女のようですね、実に好みです。こちらは前菜でいただきましょう」

 

 口調は紳士的だが、発言はすこぶる気色が悪かった。しぶい顔をしている私とあかりに、男―「吸血鬼」はうやうやしく一礼した。

 

 

 

 

 




自分が傷つく/死んだと思われることによって罪悪感を味わわせるタイプの曇らせって明確なジャンルとしての名前が分からないから検索しづらい……被虐曇らせ、傷になりたい系、罪悪感押し付けモノ?


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12,献血(致死性)

 

 

 

 

「先手必勝。鎌鼬!」

 

 私は悠然と立っている「吸血鬼」めがけ、弾丸のように突撃した。単純な攻撃だが、これを食らって生きていた怪異は一体もいない。変に警戒して守りに入るのではなく、馬鹿みたいに突撃するのが「鎌鼬」の最も効率的な運用なのである。

 

 その定跡を過信しすぎていたと言うべきだろうか。吸血鬼を斬り捨て、家の外に勢いよく着地したそのとき、左の脇腹に鋭利な痛みがはしった。

 

「痛っつう……」

 

 脇腹が裂け、血が流れていた。

 

(……鎌鼬の弱点、見抜かれてたか)

 

 吸血鬼とすれ違う際、ヤツは鋭利な爪を斬撃軌道上に置いていた。「真白」になってからも、斬撃の軌道はあらかじめ決めているものを使っている。だからそのルートに刃物を置かれるだけで、自分から当たりに行ってしまうのである。

 

 狭い空間で軌道を予測されやすかったのもあるが、この対応はまるで「鎌鼬」を知っているかのようだった。

 

「やはりそうですか。鎌を見てもしやと思ったのですが……鎌鼬は狩人にやられて武器にされていたのですね」

 

 振り返ると、袈裟斬りに両断されていた吸血鬼の身体がうぞうぞと集まり、くっついていた。他の怪異とは比べ物にならない再生能力をもっているらしい。

 

 再生が完了した吸血鬼は、大袈裟な仕草で顔を覆った。

 

「友人をこんな姿にするなんて……むごすぎる。ああ、なんという非情。マドモアゼル。貴方の罪深さがわかりますか」

 

「知らないわ。そもそも私が来る前から怪異課にあったものだし」

 

「なるほど。それでは貴方を責めるのは酷ですね……しかし残念だ。彼と約束した夢を叶えられないのは」

 

「夢?」

 

「ええ。美女100人を彼が切り、私が飲み干す。そう意気込んでいたのです」

 

 吸血鬼は寂しげに首を振った。怪異って頭おかしいのしかいないのか。私が呆れていると、吸血鬼は顔を覆っていた手を下ろしてこちらを見た。

 

「せめてもの手向け……あなたの血は彼にも捧げてあげましょう」

 

「やってみなさい。『鎌鼬』!」

 

 呪具発動。今度は家の外で戦っているので使える軌道に制限はない。一撃を入れたら、再生する暇を与えず斬り殺してやる―私はいくつものパターンを組み合わせ、対応が不可能な角度から吸血鬼に襲い掛かった。

 

「……真白さん。確かに貴方は強いです。だが、鎌鼬ほどではない」

 

 私が吸血鬼の首を飛ばすと同時に、吸血鬼は私のみぞおちに拳を叩きこんでいた。

 

「……ッ!」

 

 そのまま吹き飛ばされて地面に叩きつけられると、私は身体を折り曲げ血反吐を吐いた。激痛。息ができない。

『珍しいな。この変態が苦戦するとは』

「おやおや。大事な血が……もったいない」

 

 そう言いながら吸血鬼の身体は首を拾い、胴体に載せる。あっという間に再生していくのを目の当たりにして、私はため息をつきたくなった。

 

(……駄目だな、これ)

 

 高速斬撃は軌道を読まれてカウンターを食らうし、再生能力のせいでダメージは残らない。絶望的なまでに相性が悪かった。

 

「真白!」

 

 あかりが駆け寄ってきて、私を抱き起こす。再生中で動いてはこないだろうが、吸血鬼の近くに来るのは危ない。私はあかりの肩を借りて立ち上がりながら、口を開いた。

 

「あ、危ない。……あの怪異から離れて、あかり」

 

「あなたを見捨てて? 真白、絶対殺されるでしょ」

 

「……私は異類よ。見捨てても問題はない、はずじゃ」

 

「問題ある」

 

「でも」

 

「あるっ」

 

 私があかりの顔を見上げると、あかりは悲壮な決意を瞳にたたえていた。

 

「真白が人間じゃないとか、そんなの関係ない。もう友達を死なせたくないの」

 

「とも……だち」

 

 あっ最高。ありがとう。「舞」と「凛」背負ってくれてる。嬉しい。彼女の悲しみは好きだけど、それを背負って前向きな決意を抱いてるのもかっこかわいくてとてもいいと思います。

 

 嬉しさのあまりとろけてしまいそうになったが、頭を切り替えて吸血鬼の方に意識を戻した。すでに彼の首は元通りにつながっており、ぱちぱちと拍手していた。

 

「すばらしい友情。まとめて手折ってさしあげましょう」

 

 吸血鬼が襲い掛かってきた。鎌鼬を発動した私ほどではないが、凄まじいスピードで距離を詰めてくる。彼は私たちめがけて、鋭い爪の生えた腕を振りかぶった。

 

「塗壁」

 

 甲高い音がした。強固な壁に攻撃を弾かれ、吸血鬼は後ずさる。そういえばあかりの塗壁で張った結界が割られているのは見たことがない。防御型の呪具というのは伊達ではないようだ。

 

「鬼火!」

 

 あかりが燃え盛る火焔を放つと、吸血鬼は素早く飛びのき距離をとった。

 

「……避けた?」

 

 私のときは避けすらしなかったが、どうやら彼はあかりの炎を恐れているらしい。吸血鬼とは戦ったことがないので弱点といえば太陽光、銀、流水、臭いの強いものくらいだと思っていたが、炎にも弱いようだ。

 

 吸血鬼は炎を放ったあかりを見て、少し苛立っているようだった。

 

「メリーめ。炎使いがいるなら教えておけ」

 

「やっぱり、メリーさんの部下だったのね」

 

 あかりの言葉を聞き、吸血鬼の眼の炎が不快そうに揺らめいた。

 

「あの外道と一緒にしないでもらえますかね。利害の一致で協力してやっていることは認めますが」

 

 以前遭遇した河童といい、吸血鬼といい、メリーさんは相当嫌われているらしい。あの油のこびりついた排水溝のような性格では致し方ないのかもしれないが、吸血鬼も似たり寄ったりだ。

 

「真白、立てる?」

 

「なんとかね」

 

 吸血鬼ほどではないが回復は早い。私がよろよろと立ち上がると、あかりはほっとした表情を見せた。

 

「あかり。あれは勝てない。助けを呼ぼう」

 

「そうね。私があいつを押さえるから、課長にメッセージを送って」

 

 あかりは私に携帯を渡すと、吸血鬼に向かって走っていった。その後ろ姿を見ながら、わたしはふと思った。

 

(そうだ。助けを呼んだら、逝ける……かな?)

 

 おそらくあかりは、守りに徹すれば吸血鬼に殺されることはない。私がいなくとも、救援がくるまで十分持ちこたえられるはずである。

 

 そして彼女は私を友達と言ってくれた。異類の私を仲間だと認めてくれている。これは、いけるのでは? 死んで傷になれるのでは?

 

『助けてください。時雨家にて吸血鬼と交戦しています』

『了解、すぐに向かう』

 

 返事はすぐに返って来たのを見て、私は笑った。チャンスだ。

 

(……でも、どうしようかな)

 

 下手に入って殺されるのは間抜けすぎるし、堅実な戦い方をするあかりが隙を突かれるとは思えないから、彼女をかばうというのは実現できない。

 

 となると吸血鬼の方を動かすしかない。彼があかり以外―つまり私を狙う動機があれば、私は死ねる。そしてその動機はたった今できた。こちらの増援。追加の敵が来ると知れば、吸血鬼はあかり以外の血を吸うか、あきらめるかの2択をとるはずだ。

 

「あかり! 助けが来る! しばらく持ちこたえて!」

 

 私は大きな声で叫んだ。あかり―ではなく、吸血鬼に聞こえるように。

 

 

 

 

 

 

 案外戦えるものだな、とあかりは思った。真白がずたぼろにされたのでかなり警戒していたのだが、なかなか相手は攻めてくる様子を見せない。

 

(……相性の問題か)

 

 塗壁によるガードと鬼火による反撃、どちらも近接戦を得意とする吸血鬼にとっては苦手なものなのだろう。あきらかに攻めあぐねている。

 

 そのとき、「助けが来る」という真白の声が聞こえてきて、あかりはつめていた息を吐きだした。後はここで時間を稼ぐだけ。

 

「時間稼ぎですか」

 

 ちょうど心を読んだかのように、吸血鬼はつぶやいた。

 

「確かに応援に来られると厄介ですね。前菜とはいいましたが、あなたの血はまたの機会に。順が前後しますが、他をいただきましょう」

 

 そう言うと吸血鬼はあかり―ではなく、時雨家に向かって走り、ガラスをたたき割って中に入った。

 

「家の中? ……光紀か!」

 

 まずい。吸血鬼は応援が来る前に光紀の血を吸い、そのまま逃げるつもりなのだ。

 

「あかり。私が追う」

 

 真白は「鎌鼬」を発動させると、吸血鬼を追って猛スピードで家に入っていった。あかりも真白に続き中に突入し、3人の居場所を探る。と、そのとき2階で激しくもみあう音が聞こえてきた。

 

「うわあああ!」

 

 あかりが慌てて2階へ上がると、風呂場の方から光紀の悲鳴が聞こえてきた。全力で床を蹴り、あかりは風呂場に入った。

 

「……ま、しろ」

 

 腰をぬかした光紀が座り込んでいた。彼が凝視しているのは、後ろから吸血鬼に抱き着かれている真白。光紀をかばってくれたらしい。彼女の肩には吸血鬼の歯が埋まっており、その歯からじゅるじゅると血を吸い上げるおぞましい音がしていた。

 

「美味。上質な瘴気と血がブレンドされていますね。半分は何の怪異なんでしょうか。テイスティングしておこうか……いや美味すぎて止まりませんね」

 

 真白の手は空中をかきむしっているが、吸血鬼をふりほどくことはできていない。助けなくては。

 

「鬼……」

 

「おっと、ここで炎を出すと彼女もただではすみませんよ」

 

 吸血鬼のたしなめるような言葉に、あかりは唇を噛んだ。その間も死の抱擁は続き、真白は弱っていく。

 

「やめて!」

 

「私もいったんじっくり味わいたいのですがね。吸いつくすまで止まれそうにない」

 

 どんどん血を吸い上げられ、真白の皮膚は真っ青になっている。真白が死ぬ。死んでしまう。

 

 あかりはとっさに叫んだ。

 

「私の血をあげる! から、真白を放しなさい!」

 

 その瞬間、吸血鬼は真白に突き立てていた牙を抜き、ほう、と嬉しそうな声をあげた。

 

「ならばその手袋を脱いでください」

 

(呪具を捨てたら自分だけじゃなくて、3人まとめて殺される。……いや、吸血鬼が真白を離した瞬間に拾えばいける?)

 

 あかりは迷った。生存本能は応じるなと叫んでいる。光紀を守るためにも真白を見捨てろと言っている。だが感情は逆だった。真白は凛の仇を見つけてくれたし、光紀を助けてくれた。あかりは彼女を薬漬けにするという、恨まれても文句は言えないことをしているのに。

 

 それに報いもせず、彼女を見捨てるのか。自分だけ安全圏にいて、舞と凛のときのようにどうしようもなかったと自分を慰め、後悔を味わうつもりなのか。

 

 刹那の思考。だが、決心するには十分だった。

 

「……わかった」

 

 あかりが両方の手袋を外して床に投げ捨てると、捕まっている真白は信じられないというように目をみはり、弱々しく首を振った。

 

「あかり。何やってるの。ダメ」

 

「ほら、外したわ。来なさいよ」

 

「や……めて、あかり!」

 

 真白の叫びが合図になった。吸血鬼は真白を打ち捨て、あかりに飛びかかってくる。あかりが鬼火の力の宿る右の手袋を拾い、装着しようとし―

 

「間に合いませんよ」

 

 たときには、吸血鬼が目の前にいた。がしりと両腕を掴まれ、身動きが取れなくなる。

 

 間に合わなかった。あかりは先ほどまでの真白の様子を思い浮かべた。自分も同じように血を吸いつくされて死ぬ。後は皆仲良く殺されて終わりだ。

 

「―――あ」

 

 吸血鬼の牙が、あかりの首筋に触れる直前。

 

「『精霊風(ショウロウカゼ)』」

 

 突風が吹いた。激しく吹きすさぶ風をまともにくらい、吸血鬼の眼窩に収まっていた炎がふっと消え去る。すると吸血鬼はそのままあかりに覆いかぶさるようにして倒れこんできた。

 

「な、なに?」

 

 あかりが突き飛ばすと、吸血鬼は床に転がった。起きる気配はなく、イビキをかきはじめる。どうやら眠っているらしい。

 

「間一髪だったね」

 

 顔を上げると、そこには小坂部と浜矢がいた。小坂部は古そうな扇『精霊風』をパチンと音を立てて閉じ、安堵の息をついた。

 

「お前の家の洗面台の鏡を登録しててよかったぜ」

 

 浜矢はそう言うと持っている『雲外鏡』を見せた。神標のものだったが、今は浜矢がもっているらしい。真白の救援要請を受け、助けに来てくれたのだ。

 

 あかりはほっとすると同時に、死にかけの真白のことを思い出した。

 

「そうだ! 真白……真白が大変なんです。血をたくさん吸われてて……早く病院に連れて行ってください!」

 

「わかった」

 

 意識を失っていた真白は雲外鏡の力によって病院に運ばれた。

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚まして、私は病室にいることに気がついた。

 

(死んで……ない?)

 

 あかりが手袋を外して吸血鬼に襲われたところまでは意識があった。だが、それからどうなったのかが全く分からない。

 

「……そうだ、あかり。あかりはどうなったの」

 

 あかりの生死は。彼女に死なれたら、自分が生きていても意味がない。私が飛び起きたちょうどそのとき、看護師が中に入ってきた。

 

「あ、真白さん起きたんですね」

 

「あかりは! 時雨あかりは生きていますか!」

 

「すぐそこであなたが起きるのを待ってますよ。時雨さーん、来てください」

 

 看護師に呼ばれ、あかりと浜矢が入ってきた。私が安堵のため息をついたとき、あかりは私に抱き着きながら、涙に潤んだ声をあげた。

 

「よかった。生きててよかった」

 

「……それはこっちのセリフ」

 

 死ねなかったのは残念だったが、心配してくれていたのは悪い気分ではない。私が笑みを浮かべると、浜矢はどっかりと見舞い客用の椅子に座り、持ってきていた林檎をナイフで剝き始めた。

 

「いや、本当に危なかったぞ。下手したらお前らまとめてゲームオーバーだったし」

 

「そうね、あかり。なんであのとき私を見捨てなかったの?」

 

 舞のときと同じく、合理的な判断を下して逃げてくれるという予想で光紀をかばったので、あのときは本当に肝が冷えた。

 

「今度は死なせたくないと思ってたから」

 

 私の質問に、あかりは少し寂しそうな顔をして答えた。どうもこれまでの「私」の死に思うところがあったかららしい。想われて嬉しいような、チャンスを潰されて悲しいような、複雑な気分になった。

 

「食え。飯の前に襲われたんだし、腹減ってるだろ」

 

 浜矢はうさぎさんの形に切った林檎を差し出した。まな板もないのに意外と器用らしい。

 

「ありがとうございます」

 

 浜矢からうさぎりんごを受け取り、ひとくち齧った。なかなか美味しい。しゃりしゃりとしている。私が歯ざわりを楽しんでいると、浜矢はふっと笑った。

 

「……ま、死ななかったからいいけどよ。お手柄だぜ。吸血鬼の野郎から情報を引き出せたからな」

 

「情報? 捕まえたんですか?」

 

「ああ。小坂部が精霊風で眠らせて生け捕りにしたから」

 

 精霊風。死人の魂がのった風で、これに吹かれると難病に罹ったり死んだりしてしまう。さすが対策本部の職員というべきか、強力な呪具を所有しているらしい。

 

「……で、何が分かったんですか」

 

「いろいろだ。例えば、親玉の名前とか、本拠地とかな」

 

 

 

 

 

 

 

「酒呑の御仁」と吸血鬼は言ったらしい。メリーさんが首領としていただくその怪異の本当の名前は教えられなかったというが、まあ日本人なら「酒呑」が何者を指すのかはすぐにわかる。

 

「酒呑童子。それが今回の組織のトップにいる怪異だ」

 

 丑三課長はそう断言した。この会議室には隣町を一人で支えている五幣を除き、怪異課職員のほぼ全員が揃っている。

 

「今回の敵は鬼すか。酒呑の野郎は大昔に首斬られたって聞きましたが」

 

「首を斬られても、あれは生きられるんだ。だから首級(みしるし)は文科省の地下に厳重に保管してたんだが……さっき問い合わせたら、無くなっていたと連絡があった」

 

「なんでそんなもんを生かしてたんすか。さっさと殺せばよかったのに」

 

 浜矢が呆れたように言うと、課長は肩をすくめた。

 

「仕方ないだろう。力がある怪異は利用価値がある。酒呑の血液は呪具の制作に使えるし、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の力は暴風雨を起こして国防に使える。だからこそ、これまで日本に現れた強力な怪異3体のうち、八岐大蛇と酒呑童子は時の政権に厳重に管理されてきたんだ」

 

 初耳だった。異類に怪異狩りをやらせるくらいだから、怪異を何かしらの用途で使っていることもあるだろうとは思っていたが。

 

 本部に所属している小坂部と伊見は知っていたらしく特に動揺した様子はなかったが、他は私と同じで、大なり小なり驚きが顔に出ていた。

 

 あかりがそっと手を挙げ、課長に訊いた。

 

「ちなみに残り1体は何なんですか?」

 

「白面金毛九尾の狐。伝承通りならヤツは現在殺生石となって力を失っているが、核となる部分は行方不明だ」

 

「……メリーさんもそれを探していましたが、怪異たちは九尾の狐を復活させて、仲間にするつもりなんでしょうか」

 

「かもね。まあそうそう見つからないから大丈夫だよ。私たちも管理下に置くために探してはいるけど、いまだに見つけられてないし」

 

 あかりの質問を引き取った小坂部の言葉に、私はぎくりとした。彼女はどこまで掴んでいるのだろう。捜査が続けば、いずれ対策本部は私の父にたどり着く。

 

 彼らは殺生石の仕様を知らないようなので御剣舞と私が同一人物であることを見抜けないだろうが、動向はそれとなく知っておいた方がいいかもしれない。

 

「見つかってもない怪異の話なんてしても仕方ないでしょう。酒呑が何のために動いているのかはわかったんですか」

 

 話題が狐にそれかけたところを、伊見が軌道修正した。

 

「……それはわからない。けど私たちに先制攻撃してきたんだし、怪異に対抗できる人間を皆殺しにするとかその辺じゃないかな」

 

「そのために組織で動いてると。……その辺は捕まえて聞けばいいか。それでヤツは、この藤見市にいるのですか」

 

「ああ。『隠れ屋敷』という場所に潜んでいるらしい。だから、職員全員でここを急襲して叩き潰す」

 

 課長は地図を広げ、印のつけてある場所―郊外の山奥を指でこつこつと叩いた。

 

「今度はこちらが攻める番だ」

 

 

 

 

 



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13,突入、隠れ屋敷

 

 

 

 

 酒呑童子の潜む隠れ屋敷は、迷い家という現象に分類される。山奥にたたずむこのお屋敷の出現先は関東地方から東北地方に点在しており、一定の期間が経つと移動していくという。そのため、課長は急襲を選んだ。

 

「隠れ屋敷が藤見市にどれだけいるかはわからない。だから明日、五幣君が来るのを待って襲撃をかける」

 

 会議が終わってからはいつも通りパトロールをしていたが、明日に備えて早めに家へ戻った。ドアノブはすでに課から提供された修繕費で修理されており、そこだけ真新しかった。

 

「ただいま」

 

「二人ともおかえり。ご飯できてるわよ」

 

 時雨家の夕食は早く、遅くに帰ってくるあかりと真白は二人だけで食べるのが常である。しかし今日はなぜか母親が食事をする二人の前に座っていた。

 

 真白は気にもとめずご飯を口に運んでいたが、あかりはどうにも気になって話を切り出した。

 

「……どうしたの? いつもテレビ見てるのに」

 

「あかりたちが、ここで怪異と戦ったって聞いたから、どんな感じだったのかなって。ほら、あかりは全然教えてくれないじゃない」

 

「別に話すようなことじゃないから」

 

「反抗期ねえ」

 

「違うけど。それで何が聞きたいの」

 

「真白ちゃん、死にかけたそうね?」

 

 突然話を振られ、真白は困惑したようだった。が、すぐに明るい調子に戻った。

 

「きっと光紀君は戦いを見るのに慣れてないから、勘違いしたんだと思います。大したことなかったですよ~」

 

「そうなの?」

 

「はい。もう、光紀君大げさだなー。あ、すみません。おかわりもらえますか?」

 

「いいわよ」

 

 あかりの母は笑いながらご飯をよそい、真白の前に置いた。

 

「こんなに元気なら心配しなくてもいいかしら」

 

「もちろんです!」

 

 それを聞いた母は笑うと、真白の頭をがしがしともみくちゃにする。あかりにも同じことをしようとしてきたので、慌てて手を払いのけた。

 

「危ない目にあってないならいいわ。でも、もし駄目そうなときが来たら逃げなさい。真白ちゃんも」

 

「私も?」

 

 不思議そうに見上げた真白に、母はうなずいた。

 

「ええ。もう娘みたいなものだし」

 

「……」

『お前が欲しいものではないか、舞。よかったのう』

 一瞬だけ真白は羨望と悲しみがないまぜになったような、形容しがたい表情になったが、すぐに無邪気に笑いだした。

 

「やった、居候から家族に昇進です! じゃあ私お姉ちゃんね、あかり」

 

「なんでよ。真白って年齢不詳でしょ」

 

 平常運転だった。いつも通り調子に乗り始めた真白にツッコミを入れながら、あかりは自分が見たものは何かの勘違いだろうと結論づけた。

 

 そして食事が終わって部屋に戻ろうとしたとき、あかりは真白に呼び止められた。

 

「あかり」

 

「なに?」

 

「切れそうだから、お願い♪」

 

「……分かった。来て」

 

 そういえば今日は薬を打っていなかった。階段をのぼりながら、憂鬱な作業をしなくてはならないことにため息をついた。

 

『この子身体ボロボロですねえ。怪異課ってことはけっこう強い薬を使ってるんでしょうな』

 

 吸血鬼に襲われ真白が病院に運び込まれたとき、医者はあかりを呼び出してそう説明した。輸血の際に血液を調べたそうだが、異様な濃度の快楽物質が流れていたという。

 

 彼女が異類であることは医者も知っていたそうで、特にそれを咎めるようなことは言わなかったが、彼女の余命だけは宣告された。

 

『もって数か月というところでしょう。今は無症状かもしれませんが、このタイプは一気に崩れますから』

 

 近い未来、真白は薬に侵されて死ぬ。それを知ったあかりは自分の運命を呪いたくなった。なぜ自分の相棒はこんなに短命なのだろう。まるで意地悪な神様がわざとそういう子を選んでいるようだ。

 

(……でも薬を打ってるのは、私か)

 

 部屋に鍵をかけると、あかりはポーチから注射器と薬を取り出した。とろんとした目でそれを見ている真白を見て、あかりはひどく苦いものがこみあげてくるのを感じた。

 

「……真白。ちょっと聞きたいんだけどさ。薬、減らせる?」

 

「急にどうしたの」

 

「このまま使ってると、真白の寿命がどんどん削れる。だからやめられないかなって」

 

「……あはは、いまさら何言ってるの。無理だよそんなの」

 

 真白はあかりに諭すように言った。

 

「禁断症状がね、つらすぎるの。あかりは分からないかもしれないけど、アレになるくらいなら死んだほうがマシなの」

 

 普段弱音を吐かない真白が言うだけに、その言葉には重みがあった。

 

「……ごめんね」

 

「いいよいいよ。私なんて怪異課行ったあの瞬間に殺されてもしょうがないんだし。むしろ生きててラッキーだよ」

 

 明るく言う真白。せめて恨み言の一つでも、平手打ちの一つでもくれればまだ楽だった。しかし一切そういうことをせず、受け入れている彼女に薬を注入するのは、心を摩耗させる。

 

「手、出して」

 

 真白が腕をめくると、白い肌に残る無数の黒ずんだ注射痕が露わになった。これは、あかりが彼女にしてきたことの証。尊厳を奪い、服従を強いてきたしるしだった。

 

 あかりが薬を押し込むと、真白は熱っぽいため息をついた。

 

「あ~気持ちい~」

 

 薬の効果か、真白はくすくすと笑い始めた。代償の重さを理解している分、あかりはとても笑える気分ではなかったが。

 

(……せめて、小坂部さんが打っただけだったら)

 

 あかりが打たないでいたら、早い段階で薬を断っていれば、真白の命を削らずに済んだのだろうか。何も考えず言われるがままに薬を投与していたことが悔やまれた。

 

「これで元気100倍! 明日はがんばろ」

 

「……そうね」

 

 あかりは力なく答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の午前中。私とあかりが郊外の山のふもとにやってきたときには、すでに課の全員が集まっていた。

 

「休日出勤はえらいんやけど、流石にやらんといけんよなあ」

 

 そうぼやいているのは頭を丸めた坊主―五幣だった。丸く太っているのと、目の下にクマがあるせいでパンダのように見える。昼に実家の寺の手伝い、夜は怪異課という二足の草鞋を履いている職員で、「凛」が死んでからずっと隣町にいたため、会うのは久々だった。

 

「こんにちは。五幣さん、ですか?」

 

 私が話しかけると、五幣は振り返って目を見開いた。

 

「めっちゃ可愛い子おるやん。え、誰きみ」

 

「……真白です」

 

「ああ、君が例の異類ちゃんか。そ、僕は五幣高邦(ごへいたかくに)や。よろしくな」

 

 そう言って五幣は相好を崩した。

 

 私たちがやって来たことに気づいた課長は、ぽんと手を叩いて注目を集めた。

 

「全員揃ったことだし、隠れ屋敷に向かおうか」

 

 課一行は山道を歩き始めた。隣にいるあかりは、周りを見回しながらため息をついた。

 

「なんか山の中って暗くて気味が悪いわね」

 

「確かに。怪異がどこに潜んでもおかしくないしね」

 

 人間が夜に寝るように、怪異たちは昼に眠る。むしろ私たちが寝込みを襲いに行っているので、不意打ちを受ける可能性は低い。メリーさんが何らかの手段でこちらの攻撃に気づいていたら別だが。

 

「今はそんなに気にしなくていいと思うよ。昨日、メリーさんが電話してきたんだけど『吸血鬼は殺した』って答えてもらったから。吸血鬼から情報を引き出して奇襲するというのを読んでくるとは思えない」

 

 課長はそう言いながら道を先導していく。彼の言う通り、山道をはずれ、繁みや木々の間をぬって移動を続ける間、怪異の襲撃を受けることはなかった。

 

 そしてついに、小川の向こうに大きな屋敷が姿を現した。

 

「五幣君、頼んだ」

 

「任せてくんさい。『煙々羅』、気張れよ」

 

 五幣の手のひらに載っている小さな壺から大量の煙が吹き出し、あたりに立ち込める。そして怪煙は広がり、屋敷を覆っていった。

 

 煙々羅。古くから伝わる煙の怪異で、広範囲に広がった煙は一切の怪異を通さない強力な結界になる。ミサキにやられ職員のいなくなった隣町の役場を1人で防御できていたのは、ひとえにこの呪具のおかげである。

 

 今回の作戦は中にいる怪異を掃討していくだけだが、「煙々羅」で隠れ屋敷を囲うことで討ちもらしを防ぐ狙いがあるのだろう。

 

「よし、五幣君は煙の結界の外で待機していてくれ。私たちは二手に分かれて屋敷に入り、怪異たちを殺していく」

 

 私とあかりと浜矢のペア、課長と小坂部と伊見のペアに分かれ、屋敷内の探索を始めることになった。緊急撤退用の手鏡を五幣のそばに置いてから、私たちは屋敷へ入った。

 

「……思ったより綺麗だな」

 

 滑らかな石を敷き詰めた三和土(たたき)に踏み込み、課長はそうつぶやいた。壁は檜で染み一つなく、床は毎日雑巾がけしているかのように滑らかだ。瘴気がそこかしこで澱んでいなければ、住みたいくらいである。

 

「土足で失礼しますよっと……」

 

 だが、浜矢はかまわずそのまま足をのせた。他のメンバーも何も言わず土足のまま歩いていくのを見て、私もそれに従った。三和土を上がってすぐに突き当りがあり、そこで左右を見渡すと、先が見えないほど長い廊下が双方に続いているのが見えた。

 

「じゃあ、浜矢君たちは左へ。危なかったら撤退していい」

 

「了解っす」

 

「人質見つけるってことも忘れないでね、ハマヤン」

 

「わかってるって。あとハマヤンっていうなっつってんだろ」

 

「そうだっけ。忘れちゃったよ。じゃ、頑張ってね~」

 

 小坂部はにこやかにそう言うと、課長たちと一緒に右の通路へ歩いて行った。

 

「……小坂部さん、やたら浜矢さんにダル絡みしますね?」

 

 私が訊くと、浜矢はうんざりした様子で答えた。

 

「腐れ縁なんだよ。同期っつうか幼馴染でさ。でもあっちの方が出世したからなあ、見下してんじゃねえの」

 

「見下してる感じはしませんが」

 

「そうなのか?」

 

 私とあかりを連れているせいか、嫉妬の色を少し含んではいたが小坂部の浜矢に対する感情は悪いものではなかった。鈍いなと思ったが、あかりも気づいてはいないようなので、どちらかというと私の方が敏感だったのだろう。

 

 歩きながら、私たちは一つ一つ障子をあけて座敷の中を確認していった。

 

「……いた」

 

 そして6部屋目で、黒々とした羽根を折りたたんで眠っている醜い怪鳥を見つけた。サイズが異常で、身にまとう瘴気を見なくとも怪異だとわかる。

 

「たぶん、陰摩羅鬼(おんもらき)って怪異だ。騒がれるとまずいからひといきに殺せ」

 

 私はうなずいて陰摩羅鬼の首を刎ねる。何も言わず、陰摩羅鬼はチリとなって消えた。

 

 それから、きわめて静かな殺戮が始まった。眠っている怪異たちは「鎌鼬」の刃にかかり、断末魔をあげることすらできず息絶えていく。犠牲になった怪異の数が20体を超えたあたりで、私は数えることをやめた。

 

「こいつは」

 

 何度目か分からない部屋の確認をしたとき、浜矢は緊張した声をあげた。彼の視線の先には横たわるスーツ姿の男がいた。

 

「……この人がどうかしたんですか」

 

「こいつが神標の恋人だ」

 

「え、でも……」

 

 浜矢の答えに、あかりは困惑していた。それはそうだろう。彼から瘴気が立ち上っているのだから。それはつまり、倒れている彼が怪異であることの何よりの証明だった。

 

「怪異にされた人間ってやつだろ。どういう怪異かは分かんねえが」

 

「どうするんですか」

 

「殺すしかない」

 

 あかりは何かを思い出したらしく、表情は沈んでいる。

 

「なんとか殺さずに済む方法はないんでしょうか」

 

「お前の考えは分かる。でも、こいつは怪異になっちまってる。凛のときとは違うぞ」

 

「……」

 

 そのとき、ぱちりと男が目を開けた。二人の会話で目を覚ましたらしい。男の首は身体から離れると、宙を舞った。

 

 ひぃいいいーいいぃ、と「飛頭蛮」は甲高い叫びをあげた。凍り付いた私たちを見て、不気味な笑いを浮かべる。

 

「野郎ッ」

 

 浜矢は虎の剛腕で飛頭蛮を叩き潰した。が、もう遅い。今の叫びで屋敷にいる怪異たちは確実に目を覚ましただろう。

 

「くそっ、怪異のくされた臭いが近づいてくる。気づかれたぞ」

 

 狸の嗅覚で敵の接近を察知したらしい。浜矢は舌打ちすると、部屋を出る。

 

「すみません、私がさっさと殺しておけば」

 

「反省は後でいい。……行くぞ」

 

 廊下を出ると、すでに何体もの魑魅魍魎たちがいた。肉塊(ブロブ)、無数のヒビが這いまわっているマネキン、ランタンをくわえた腕のない老人など、わけのわからない怪異たちが押しあいへしあい向かって来る。

 

「鎌鼬」

 

 しかし、彼らは私の斬撃で全員仲良く斬り捨てられ、チリになった。この程度の怪異が束になってかかってきても負けることはない。問題は、メリーさんや吸血鬼のような強力な者が目覚めた可能性があることである。

 

「……狩人どもがここまで来ているとはな。お前ら、下がれ」

 

 そう思ったとき、私の斬撃にひるみ、距離を取っていた怪異たちを押しのけ、大柄だがひょろりとした怪異が立ちふさがった。独特の息遣いが言葉に混じるその喋り方は聞き覚えがある。

 

「河童……!」

 

 あかりは立ちふさがっている相手があの河童だということを悟ると、敵意をむき出しにした。河童の方もあかりを覚えていたらしく、不愉快そうな声をあげた。

 

「あのときの小娘。生きていたのか。……メリーの奴め。ここを襲われているのといい、とことん詰めが甘い」

 

 以前戦った課長によると、河童は毒ガスを吐くという。吸い込むとどうなるのかは分からないが、ガスを吐く前に殺すのが結局は一番いいだろう。

 

「私がやります! 鎌鼬!」

 

 私が呪具の力を発動させ襲いかかったその瞬間、河童は毒のブレスを吐いた。十分予想していたことなので、私は息を止めて目をつぶり、毒霧に突っ込む。

 

「うぐ」

 

 河童の腕と、後ろにいた怪異たちをまとめて斬り飛ばし、私は後ろに着地する。目をつぶっていたせいで狙いがそれた。次の攻撃に移らなければ―

 

 そのとき、焼けるような痛みが鼻の中を襲ったかと思うと、鼻血が顔を伝った。

 

「息を止めても、鼻の粘膜は守れないだろ」

 

 河童は呆れたようにそう言った。

 

(まずいな。痺れてる)

 

 私は鼻血を拭おうとして、手の動きが鈍いことに気がついた。出血毒と神経毒の両方を含んだガスのようで、身体が思うように動かない。河童は無防備な私を見下ろすと、拳骨を振り上げた。

 

「こっちに背ぇむけてんじゃねえよ!」

 

 その瞬間、浜矢の剛腕が横薙ぎに河童を捉え、吹き飛ばした。私は何とか河童から離れると、あかりの傍に戻って来た。

 

「真白、大丈夫?」

 

「死にはしないけど、ちょっと動きが悪くなるかも」

 

 私が顔を上げると、浜矢に張り倒された河童は平気そうな顔で立ち上がって来ていた。あかりの炎が通らないことはわかっているので、こうなると攻めを担当できるのは私しかない。

 

「あかり。ポーチの薬をありったけ私に打って」

 

「……切れたの?」

 

「ううん、しびれをごまかして身体を動かす」

 

 それを聞いたあかりは、首を横に振った。

 

「絶対ダメ。死ぬよ」

 

「他に何の手立てがあるの?」

 

「……ちょっと危ないけど、たぶん私ならいける。そこで待ってて」

 

 そう言うと、あかりは浜矢の前に出て河童と対峙した。

 

 いけるとはどういうことなのだろう。前回の戦いではあかりからの有効打がなく、しかも相手はガスを使っていなかった。あかりが勝てるとは思えない。

 

「無理しないで。浜矢さん、撤退しませんか」

 

「本人がやれるって言ってるんだ。信用してやったらどうだ」

 

「でも」

 

「もし何かあったら雲外鏡ですぐ逃がしてやる。見とけ」

 

 向かって来るあかりに、河童は含み笑いをした。

 

「お前の相棒の言う通りだ。お前は俺に勝てない。頭に血が上ってるのか?」

 

「そうかも。でも、私は考えてたわ。ずっと考えてた。今みたいな時が来ると思って」

 

 そう言うと、あかりは床を蹴った。河童は口を開き、私の時と同じように毒霧を吹きかける。命中の直前、あかりは塗壁で防御するだろう―そう思っていたから、あかりが何もせずそのま霧に飲まれたのを見て、私は唖然とした。

 

「あかり!」

 

 次の瞬間、あかりは毒霧の中から姿を現した。驚愕の表情を浮かべた河童の口に右手を突っ込むと、彼女は獰猛な笑みを浮かべた。

 

「……口の中までコーティングされてるの?」

 

「やめッ」

 

「『鬼火』」

 

 河童の頭が爆発した。河童の身体は脳漿と頭蓋骨の破片をまき散らしながら、ばったりと倒れる。体内のガスに引火したのだろう。あかりは至近距離で爆発を浴びていたが塗壁でガードしていたらしく、無傷だった。

 

「あかり。なんで毒ガスを防御しなかったの?」

 

「塗壁で防御してたら、相手に建て直す隙を与えちゃうから。……私、考えてたんだ。なんで河童は私にガスを使わなかったんだろうって」

 

 そういえば、以前の戦いで河童はガスを吐かなかった。吐けば確実にあかりを殺れたのに。

 

「それで、丑三課長を狙ってたって聞いて気づいたの。一回ガスを吐かせたら、次のは薄くなるんじゃないかなって。丑三課長に使う必要があったから、河童は私に毒霧を吐けなかった」

 

 言われてみれば、確かに推測できることではある。だが、分かっていても毒ガスに突っ込むのは普通ためらうものだ。少なくとも今までのあかりにはそんな勇気はなかった。

 

(成長してるってことか)

 

 吸血鬼のときといい、あかりは私の予想を超えて強くなっている。私や仲間を死なせまいとする勇気。きっとそれが彼女の力の源だ。

 

 だが、それは同時に彼女が死ぬ可能性を引き上げる。私はいくら死んでもいい。だが一回死んだら終わりなのに、そういったことをされるのは心配で仕方なかった。

 

「今度は無理しないでね」

 

「わかってる。でも、後悔したくないから。無理するときはするよ」

 

 そう言うと、あかりは寂しそうに笑った。

 

『過保護よのう。この娘の心はお前などよりよっぽど強いのに』

 

 

 

 

 私の麻痺が回復するまで少し休んでから、屋敷の奥へと進んだ。河童以上に強い怪異はおらず、苦戦はしない。まだ見ぬメリーさんや未知の怪異を警戒していたが、彼らと遭遇することはなかった。

 

 そして突き当りの部屋を開けたとき、私は厭な気配をかぎ取った。

 

「……すごい瘴気」

 

 そこは大広間だった。人間の指や目玉の入ったたくさんの食膳が並べられており、その向こうには何やら丸いものが綺麗な台の上に安置されている。

 

 ぴちゃり、ぴちゃり。

 

 何かの滴る音が聞こえてきた。私たちが近づくと、それは腹の底から響くような不気味な声をあげた。

 

「お前たちが、今日の糧か」

 

 球体の正体。それは血を滴らせながら生きている生首だった。黄金色の方相氏の面をかぶっており、四ツ目の向こうから紫色の瞳がこちらを射すくめている。天を衝くような二本角は、この怪異の正体を雄弁と物語っていた。

 

「酒呑童子……」

 

 息のつまるほどの瘴気。首だけでも、先ほどあかりが戦っていた河童とはくらべものにならないほどの力の持ち主であることを直感し、私は青ざめた。

 

(……勝てない)

 

 レベル1なのにボス部屋を開けてしまった気分。いったん退却して課長と合流しなくては。そう思ったが、この鬼に背を向ければその瞬間に殺されそうな気がして、身動きが取れなかった。

 

 逃げて―そう言いたかったが、あかりも浜矢も鬼の気に当てられたのか、目を見開いたまま動かない。永遠とも思える沈黙を破ったのは、鬼のほうだった。

 

「そこの娘。お前から食ってやろう」

 

 酒呑童子は私に目を向けてくれた。それで私は安心した。

 

 ああ、私か。それならよかった。私がやられているうちにあかりは逃げられる。そう思ったから、私は鬼の眼が妖しく光ったときも、何も行動せずただ突っ立っていた。

 

「真白!」

 

 しかしそのとき、予想外のことが起きた。私は浜矢に突き飛ばされたのである。

 

 ぞぶり、と嫌な音が聞こえた。

 

「浜矢さん」

 

 私は浜矢を見上げ、そして目をみはった。彼は、腹の肉を半分ほど持っていかれていた。まるで巨大な口に齧られたような痕で、どう見ても致命傷である。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「……なんで」

 

 私を助けた。そう言おうとしたとき、浜矢はゆっくりと倒れ、自らが作った血だまりに突っ伏した。

 

 

 

 

 



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14,遺される気持ち

 

 

 

 

「逃げろ……時雨、真白」

 

 目の前で起きていることが信じられなかった。浜矢は瀕死の重傷を負い、血だまりに倒れている。

 

 それは私の役目だ。いくらでも生き返れる私こそ死ぬべきだったのに。

 

「狙いがそれてしまった。……が、なかなかうまいな」

 

 酒呑童子の声が、いやに遠く感じる。

 

「なんで……私なんて、助ける価値ないのに」

 

 浜矢にとって、大事な存在でもなかった。なぜ助けた。

 

「黙れ。勝手に俺の命をゴミと交換したことにすんじゃねえよ」

 

 そう言われ、私は泣き出したくなった。私の命の価値などゴミのようなものなのだ。一回きりの命と比べていいものではない。あなたのしていることは、ただの無駄死になのだ。

 

 しかし言えなかった。これから死ぬ者に、自分をかばってくれた人間にどうしてそんな残酷なことが言えるだろう。

 

「……俺はゲームオーバーだ。だからせめて、お前たちを五幣の結界のとこまで逃がしてやる」

 

 浜矢は「雲外鏡」をポケットから取り出した。

 

 そのときになってようやく私は思いついた。彼に殺生石を渡せば、私と同じように蘇ることができることを。おそらく復活した後にいろいろ聞かれるだろうが、それでも私のせいで死んでほしくはなかった。

 

「浜矢さん。今助けますから」

 

 私は殺生石の入っているホルダーに手を伸ばしたが、浜矢は構わず鏡を向けてきた。

 

「気休めはいらねえ。もう飛ばすぞ」

 

「待ってください。お願いですから」

 

「……生きろよ。『雲外鏡』」

 

「待って!」

 

 雲外鏡が白く光ったその瞬間、私がさしのべた手は空を切った。

 

 視界が戻って来たときには、私たちは屋敷の外にいた。目の前にあるのは、緊急脱出用の手鏡だけ。

 

「待ってって……言ったのに」

 

 私はへたりこんだ。

 

 まだ助けられた。話を聞いてくれれば蘇生できたのに。

 

(殺生石のことなんて知らないから、話を聞いてくれないのは当たり前だ)

 

 私の中の、ほんの少し残った冷静な部分がそう答える。そう。酒呑童子の攻撃を避けていたら。正体がばれることを恐れず殺生石のことを伝えられていたら、彼は死ななかった。

 

 つまり私のせい。

 

「あ……」

 

 私が殺したも同然だ。

 

「あああ……」

 

 その事実をつきつけられ、私は吐きそうになった。一生取り返しのつかないことをしてしまった。

『自分がやってきたことだろうに』

「真白」

 

 あかりは私を呼んだが、立ち上がる気になれない。少し放っておいて欲しかった。

 

「真白! しっかりしなさい!」

 

 思い切りビンタされ、私は我に返った。あかりは泣いてはいなかった。顔面は蒼白だが、毅然と立って私を見下ろしている。

 

「周囲を警戒して! 煙の結界が解けてる!」

 

「結界が?」

 

 はっとして周囲を見回すと、五幣が倒れていた。頭を撃ち抜かれている。彼の死によって「煙々羅」が解除されたのだ。

 

「五幣さんは結界の外にいたんでしょ? なんで殺されてるの」

 

「……銃をもった怪異がいるってことでしょ。煙々羅の結界は怪異を通さないだけで、物理的な攻撃は素通しだから」

 

『♪』

 

 そのときあかりの上着のポケットから、着信音が聞こえた。彼女は青ざめると、左手を屋敷に向け、『塗壁』を発動させた。

 

 その瞬間、かたたたた、と無機質な銃声が聞こえてきた。思わず首をすくめたが、弾丸は全てあかりの掲げている塗壁に弾かれ地面に落ちた。私があっけに取られていると、あかりは銃撃のした方角を睨みつけた。

 

「……メリーさんね」

 

「あら。よく分かったわね?」

 

 隠れ屋敷の屋根の上にはマシンガンを搭載した大型のドローンが置いてあった。その傍に立っているのはメリーさん。彼女は不満げな顔でこちらを見ていた。

 

「電話してくる相手なんてあなた以外いないから」

 

「そう。あーあ、せっかくの秘密兵器だったのに……お遊びが過ぎたわ。お仲間はまだいるの?」

 

「さあ。知らないわ」

 

「……まともに答える気がないなら、他のことを聞いてみようかしら。友達を刺し殺した感想とか?」

 

 メリーさんはそう言って含み笑いをした。明らかな挑発。しかしあかりはそれを無視し、私に携帯を渡した。

 

「課長に連絡して。私たちは撤退するって」

 

「あれは倒さなくていいの?」

 

 そう言うとあかりは本当に悔しそうに顔を歪めて答えた。

 

「さすがに鬼火も空まで届かないし……無理ね。メリーさんと酒呑童子の情報、死亡者を伝えて」

 

 確かに事前に危なくなったら撤退するよう言われていたし、逃げるにせよ戦うにせよ、課長たちなら何とかするだろう。私はうなずいて文章を入力し始めた。

 

「内緒話は駄目よ。私も混ぜてほしいわ~」

 

 あかりが無視したのが気に障ったのか、メリーさんは姿を消して攻撃を開始した。彼女が憑りついたドローンは銃撃しながらこちらに近づいてくる。

 

 私が文字を打っている間、頭の上で弾丸が弾かれる音が響いていた。よくあかりは平気でいられるものだ。そう思ったが、メッセージを打ち終えてちらりと彼女の顔を見ると、神経を張って警戒しているのがわかった。

 

「終わったわ」

 

「じゃあ逃げるわよ」

 

 あかりは塗壁で私をかばいながら後退を始める。メリーさんの操るドローンは崩れないあかりの防御に苛立っているのか、無理な軌道で追ってきていた。

 

「あーもう、さっさと死になさいよ!」

 

 かなり苛々しているようだったが、私たちが密集した木々の中に入り込むと、その大きさが仇になり、立ち往生していた。

 

「……追ってこれないようね」

 

 振り返ると、メリーさんはドローンの操縦をやめ、姿を現していた。私たちが逃げる間、いつまでもこちらを睨み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あかりと真白に逃げられた後、メリーさんは神標に電話をかけた。彼女はどうやらスパイだとばれて捕まっていたらしく、霊的なガードのほどこされた部屋にいた。

 

 スパイとして無価値になった彼女に対しては動きを縛ったあとに人質を殺したと言って(実際、人外にされていたので狩人に始末されていた)、絶望しきったところでなぶり殺して溜飲を下げた。

 

 神標を殺してから戻ってくると、屋敷の屋根に大穴が開いていた。生き残っていた怪異によると、巨大な骸骨が現れ屋根をぶち抜き、3人の狩人が撤退していったのだという。

 

 彼女の主―酒呑童子を殺すことにこだわって屋敷の中に留まっていてくれれば囲めていたはずなので、メリーさんは落胆した。狩人たちの奇襲で全滅しなかっただけマシではあったが。

 

 

 

 夕方になってから、メリーさんは同格の仲間とともに大広間に集められた。まだ主は来ていないらしく、上座は空席だった。

 

「今回の被害はどれくらいだったかね」

 

 入って来たメリーさんにそう言ったのは、赤ら顔の老人。醜い顔に小汚い蓑を着ているのでぱっと見は浮浪者のように見える。彼―「天狗」はメリーさんの眼をじっと見つめていた。

 

「……3分の2くらい」

 

「はて、お前は狩人どもは任せておけと言ったはずだが、どうしてそんなことになっておるんだ?」

 

「うるさいわね。だいたいあなたが起きてたら被害は少なかったのに」

 

「話をすり替えるな、このアマ。今はお前の責任を問うとるんだ」

 

 くそジジイが、とメリーさんはねめつけた。河童はなんだかんだ言うことを聞いてくれていたが、天狗はことあるごとにつっかかってくる。狩人も、利用価値のある河童ではなくこいつを殺してくれればよかったのに。

 

「……喧嘩するの、やめてもらっていいですか。食事がまずくなる」

 

 二人の口論にうんざりしたような声をあげたのは、セーターを着た女性だった。しかし背中から生えている黄縞の脚、両の眼に4つずつ、計8つある瞳を見れば普通の人間でも彼女―「女郎蜘蛛」の正体は見破ることはできるだろう。

 

「おいクモ。主が来る前に食べるな」

 

「丑三とかいう狩人と戦ってお腹がすきましたので……失礼」

 

 咎めた天狗をいなし、女郎蜘蛛は食膳に並んでいる臓物の吸い物を飲み始めた。その横に目をやると、我関せずとばかりに座っている少女がいた。少女はメリーさんと瓜二つで、彼女を見てひらひらと手を振った。

 

「……私の姿を真似るのはやめなさいって言ったわよね。『ドッペルゲンガー』」

 

「じゃあ、どんな姿になればいいの」

 

「人間の姿は覚えてるでしょ。それになりなさい」

 

「……分かったわ」

 

 ドッペルゲンガーは瞬時に黒髪ショートの少女になった。見覚えのある顔だったので、メリーさんは目を丸くした。

 

「貴女、この人間と会ったことがあるの?」

 

「ええ、まあ殺されかけましたが。私が会った中で一番強い人間の姿です」

 

「……どうして会ったことあるって言わなかったの」

 

「聞かれなかったので」

 

 御剣凛に変身したドッペルゲンガーは、口調までそっくりだった。最近仲間になった怪異なので知らなかったが、その姿をとれるならあかりとかいう狩人に対してもっとやりようはあった。

 

 出会うだけで動揺を誘えるし、「犬神」を使えばあかりの結界を無視して攻撃できた。今更たらればを言っても仕方ないのだが、メリーさんは頭を抱えたくなった。

 

「揃っているな。我が配下たち」

 

 そのとき、がらりと障子戸が開き、宙に浮いた首が入って来た。深紅の血を足跡のように滴らせながら進むと、メリーさん含め、怪異たちは姿勢を正した。酒呑童子は上座に収まると、「楽にしろ」と言った。

 

「まずは狩人どもを押し返したことをねぎらい、我が獲物を分け与えようと思う。存分に味わえ」

 

 彼の前には、狩人―浜矢警剛の首が置いてあった。たしか神標と組んでいた狩人だが、どうやら仕留められていたらしい。

 

 酒呑童子が大口を開け、勢いよく閉じると食膳に置いてあった首が消えた。直接触れずに相手を食ってしまうこの力は『空顎(からあぎと)』と呼ばれ、身体の滅びている今の酒呑童子が使える唯一の神通力である。

 

「うむ。少しずつ力が蘇ってきている」

 

 肉を嚥下した酒呑童子は満足そうにつぶやいた。メリーさんは血のスープをすすりながら、質問を投げかけた。

 

「五体満足に復活するまでどれくらいかかるでしょうか」

 

「もう少し。だがそう遠くない」

 

「それはよい知らせ」

 

 それを聞いて少し嬉しくなった。すでに彼の瘴気はメリーさんたちの数倍の濃さになっているが、これでも全盛期の10分の1にも満たないらしい。彼の首級を盗み出したときはあまり期待していなかったが、人間をかき集めて食わせる苦労に見合うだけの価値はあった。

 

(……もう、九尾の狐を探す必要もないかしら)

 

 古の大妖の力をもって邪魔な狩人たちを滅し、怪異にとってのユートピアを作る。メリーさんの夢は現実味をおびてきていた。

 

「できるだけ早くしていただけますか。私が交戦した3人の狩人は強かった。彼らがさらに大勢の狩人をともなって攻めてきたら、持ちこたえかねます」

 

 女郎蜘蛛の言葉に、天狗はまた噛みついた。

 

「不遜な。身の程をわきまえろ」 

 

「ただの注進です」

 

「ならばもう少し言葉を選べ。……ああ、そうだ。メリーよ、もとはと言えば誰かが七人ミサキや吸血鬼を適当にけしかけて使いつぶすから守りが薄くなったのだ」

 

 メリーさんが自分に飛び火してきたことを苦々しく思っていると、酒呑童子は「よい」と言って天狗を制した。

 

「メリーは十分仕事をしている。それに我が復活すれば、河童たちの死も報われるだろう」

 

「……」

 

「ああ、それと女郎蜘蛛の言っていたことだが」

 

 酒呑童子は黙った天狗から目をそらし、メリーさんを見た。

 

「この隠れ屋敷は今日の子の刻に移ろうのだろう。次の出先はあちらに知られているのか」

 

「……いえ。ここ藤見市だけです」

 

「ならば問題はあるまい。次の街で力を蓄えればよい」

 

 その通りだ。酒呑童子さえ完全復活すれば負けは後からいくらでも取り返せる。今は逃げに徹する―メリーさんは主が安全策をとってくれていることに安堵の息をはいた。

 

「……だがこの街を去る前に、一つ気になった者がいる」

 

「なんでしょう」

 

「お前は雪のように白い狩人を知っておるか。仲間の狩人から真白、とよばれていた」

 

 彼の問いを不思議に思いながらメリーさんはうなずいた。

 

「ええ。私たちと人間の混ざりものだったと思いますが。なぜ?」

 

「あれが喰いたい」

 

 酒呑童子はそう言うと、面の奥の眼を細めた。

 

「子の刻までには戻ってくる。あれの居場所を教えてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どう帰って来たかは覚えていない。メリーさんのドローンが追ってこなくなっても私はあかりと走り続けた。

 

「♪」

 

 私たちが森から抜け出て家まで逃げ帰ってきたとき、メッセージがきた、丑三課長からで、彼と小坂部、伊見は脱出に成功したらしい。

 

「私、ちょっと課に行って来る。真白は家に戻ってて」

 

「そろそろ夕方だよ。一人じゃ……」

 

「大丈夫。それに真白、ひどい顔してる。休んでて」

 

「でもあかりにもしものことがあったら」

 

「じゃあこう言えばいい? 真白、家を守って。母さんと父さんと、光紀を守って」

 

 あかりの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。思わずうなずくと、あかりは颯爽と走って行ってしまった。

 

 彼女がいなくなって、暗闇の中にいるような最悪の気分が戻って来た。

 

 戦ったり逃げたりしているときは意識しなかったから問題なかったが、暇ができるとあの瞬間を思い出してしまう。あの屋敷からは逃げきれたが、罪悪感だけはどうしようもなかった。

 

「ただいま」

 

 ドアを開けて家に入ると、ちょうど台所から出てきた光紀と鉢合わせた。

 

「真白。何かあったの?」

 

 彼は憔悴しきった私の様子を見て、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

(……なんでもないって、言わないと)

 

 私は涙をこらえ、微笑を作ろうと頬に力をこめた。余計な心配をあかりの家族にはさせたくないし、もし死人が出たということを伝えれば、あかりは課をやめさせられるかもしれない。

 

 心を押し殺せ。演じろ。明るく振る舞え。泣くな。泣くな。泣くな――

 

 苦労の甲斐なく、ぽたりと涙が床に落ちた。

 

「真白?」

 

「………なんでもない。なんでもないから。放っておいて」

 

「何があったんだ?」

 

「大丈夫だから。ほんとに」

 

 私は光紀を振り払おうとしたが、逆に肩を掴まれた。光紀は私の眼をまっすぐ見返してくる。

 

「何があったんだ!」

 

 その瞬間、押さえていた感情があふれた。いっぱいに広げた目から、ぼろぼろと涙がこぼれる。喉から自分のものとは思えない嗚咽がもれた。

 

「姉ちゃんに何かあったのか?」

 

「ううん。あかりは大丈夫……でも、私はミスをした。そのせいで人が死んだ。私のせいで」

 

 私のような屑よりも、その人の方がよっぽど生きるべき人間だった。思い返せば、浜矢はいつも私たちの心配をしてくれていた。なぜ彼の行動を予測できなかったのだろう。

 

 光紀は少し困ったようにしていたが、何かを思いついたように私の手を引きダイニングへ連れて行った。泣きじゃくりながら光紀に入って来た私を見て、あかりの母は目をみはった。

 

「真白ちゃん、どうしたの」

 

「よくわかんない……とりあえず落ち着かせて」

 

 それを聞いたあかりの母は湯飲みに熱々のお茶をそそぎ、私に手渡した。ふうふうと息を吹きかけて冷ましながら飲んでいるうちに、少し心が落ち着いてきた。

 

「それで、何があったの」

 

 優しく問われ、私は今日あったことを伝えた。化け物屋敷に突入したこと。最初は楽に戦えていたこと。そして、自分の身代わりで仲間が死んだこと。

 

「私が死んだ方がよかったのに」

 

 そう言ったとき、あかりの母は椅子から立って私の前にやってきた。一体何をするつもりなのだろうと不思議に思っていると、そのまま抱きしめられた。

 

「大変だったね」

 

 彼女はそれ以上言葉を重ねなかったが、抱きしめられたぬくもりのせいで、せっかく冷えはじめた私の心が溶けてしまった。

 

「ああ……あぁぁ」

 

「本当は、あなたたちの仕事が少し危ないことは知ってた。だから無理せず、つらいときはつらいと言えばいい。あと、真白ちゃんが死んだ方がいいなんて言わないで。少なくとも私が悲しいから」

 

 私は背中をさすってもらいながら泣き続け、疲れて眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 そして目をさましたとき、私は布団の中にいた。あまりにも泣いて体力を消耗したので眠ってしまっていたらしい。時計は7時を指していた。

 

 私が眠ってしまってから、家族の誰かが布団を敷いて寝かせてくれたのだろう。

 

 罪悪感はまだ腹の底にわだかまっているが、思い切り泣いて寝たおかげか、少しだけ心が軽くなっていた。まるで子どものような振る舞いをしてしまったことを思い出して少し恥ずかしくなったが、その優しさが身に染みた。

 

(家族か)

 

 両親が死んでから、私はずっと一人で暮らしていた。頼りにできるよすがはなく、「舞」や「凛」の頃は自分で何もかもやっていた。

 

 だが今は違う。朝起きて朝食が用意されているとき、他人の洗濯物を一緒にたたむとき、私はほっとしていた。誰かが一緒に住んでいる安心とでもいうのだろうか。それがこの家にはあった。

 

(……私も、家族)

 

 昨日のあかりの母の言葉を思い出して、なぜか自然と顔がほころんだ。

 

 やがて私は空腹を覚え、身体をおこした。思えば昼から何も食べていない。しばらく寝ていたおかげで体力は回復していたが、何か食べたかった。

 

 そう思って私が廊下に踏み出したとき、床がぬらりとしていて転びそうになった。何だろうと思って床を見ると、そこには赤い血糊がべったりとついていた。

 

 床には這いずった跡があり、その先であかりの父が死んでいるのを見つけた。彼は胸から下が齧り取られたように無くなっていた。

 

「……え」

 

 理解が追い付かなかった。なぜこんな所で。いったい誰が。どうして殺した。急速に頭から血の気が引いていった。他の皆は無事なのか。

 

「あかり、母さん、光紀君! どこにいるの!」

 

 私が叫ぶと、「台所だ」という声が返って来た。3人のどの声でもない。これは隠れ屋敷で聞いた酒呑童子の声だった。私は青ざめ、ダイニングのドアを開けた。

 

「来てくれたか。お前の場所を探す手間が省けた」

 

「真白……」

 

 そう言って舌なめずりをしたのは、黄金の仮面をかぶった酒呑童子。その傍には震えている光紀がいた。テーブルの上にはおかずとサラダが置いてあるから、夕食の準備をしていたのだろう。

 

 私は彼の無事に安堵した。が、酒呑童子の前に()()()()()ものに気づき、息をのんだ。

 

「お母さん?」

 

 そこにあかりの母親が落ちていた。私に微笑みかけてくれた口はきつく結ばれ、目は恐怖の色を残している。首だけになった彼女を見下ろし、私は震えた。

 

 

 

 

 



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15,泣かない

 

 

 

 

 責めるような視線を投げかけてくるあかりの母親の生首を見て、私は歯を食いしばった。あの交通事故のとき、綿がはみ出ていたぬいぐるみと、母親の首が重なって見えた。

 

 私からまた奪うのか。私を1人にするのか。

 

 悲しみと怒りが沸騰し、目の前にいる化け物への殺意が胸の中に充満した。殺す。私の家族を奪う者は殺す。私は顔を上げて「鎌鼬」を元の大きさに戻し、即座に斬りかかった。

 

「ああああああっ!」

 

 真正面からの縦切り。酒呑童子の面は唐竹を割るように両断される。そのまま追撃をくわえ、ずたずたに引き裂いた。私が肩で息をしながら酒呑童子の首を見下ろしていると、光紀は震えながら口を開いた。

 

「真白。その光に触れちゃだめだ。母さんはそれで殺された」

 

「わかってる……」

 

 おそらく霊力のない光紀には、酒呑童子が光の塊のように見えているのだろう。憎たらしい鬼の顔を見なくて済む彼を、少し羨ましく思った。

 

 私の目の前でずたずたに切り裂かれた酒呑童子の肉片と仮面のかけらが集まり、元に戻る。首だけで生きているからもしやとは思っていたが、やはり生命力が段違いだ。

 

 酒呑童子は私を見て舌なめずりをした。

 

「活きがいいな。わざわざ喰いに来たかいがあった」

 

「私を……喰いに」

 

「そうだ。狩人たちがやってきたとき、お前を食い損ねたからな」

 

 屋敷に突入したときに目をつけられていたのだ。つまりヤツがここに来ているのは、私がいるから。そしてあかりの両親が死んでいるのは、私が眠っていたから。

 

(……また、私?)

 

 私は左手を握りこんだ。爪が食い込み血が流れだす。

 

 家族を守ってくれと頼まれたのに。私が守るべきだったのに。どうして私はのうのうと眠っていた?

 

 いいようのない自己嫌悪と怒りが湧いてくる。目の前に敵がいないなら、光紀を守る必要が無かったら、その場で首をかき切ってしまいたかった。

 

 酒呑童子はわなわなと震える私を見てにんまりと笑うと、歯をかちかちと鳴らした。

 

「ここにいた奴らはまずかったが、その表情はいいな。がぜん食欲がわいてきた」

 

「……返せ」

 

 私から奪った人を。命を。たとえこの鬼を殺しても戻ってこないことは分かっている。だが認めたくなかった。私は大鎌を振りかぶり、酒呑童子に襲いかかった。

 

 轟音。

 

 鎌は酒呑童子を斬り捨てるのにとどまらず、そのまま壁をぶちぬき、ダイニングを揺らした。私は酒呑童子を巻き込んで庭に出てしまっていたが、気にもとめず追撃を見舞う。

 

「死ね! 死ね! 死ねええぇぇ!」

 

 地面に落ちた鬼の首に鎌をふるい続ける。理性は吹き飛び、ただ目の前にいる仇を惨殺することだけを考えていた。

 

「殺され続ける趣味もないからな。食わせてもらう」

 

 その瞬間、酒呑童子はがちん、と歯を鳴らして口を閉じた。その瞬間に私の左腕が消失し、鮮血が舞った。浜矢のときと同じ「食べる」力だった。

 

「濃いな。お前は相当強い怪異の混ざりものだろう。力がみなぎる」

 

 私の腕を食べた酒呑童子はダメージを受けて弱るどころか、出会ったときよりも力が増しているように見えた。発する瘴気はますます濃くなり、目は爛々としている。

 

 そのとき、光紀が家に空いた大穴からこちらを見て叫んだ。

 

「真白! 腕が!」

 

「来ちゃだめ!」

 

 駆け寄ってくる光紀を見て、酒呑童子はにやりと笑った。

 

「そうだな、せっかくだしこの女を食ったらお前も食ってやろう。一人は寂しいだろうからな」

 

 酒呑童子は私の右足を「食った」。片足になったせいでバランスを崩し、私は尻もちをついた。機動力を削がれ、攻撃もできない。こうなってしまえば、私の辿る運命は一つ―「死」しかない。

 

 激痛に耐えながら、私は振り返った。

 

「光紀君……逃げて」

 

 その瞬間、私は喰われた。身体を失い、大鎌をもった右腕と首だけがゆっくりと落ちていく。視界の端で光紀が茫然としているのが見えた。何をしている。逃げろ。そう言いたかったが、声は出なかった。

 

 ぼとり、と私の首が地面に落ちたとき、酒呑童子が光紀に瘴気を吹き付けるのが見えた。霊力の少ない人間は瘴気を吸うだけで意識を失う。光紀は昏倒した。

 

(……助けないと)

 

 絶命し魂魄の存在となった私は、即座に身体の精製を始めた。何でもいい。今すぐ作って光紀を助けなければ。

 

 新しい肉体を精製すると、私は落ちていた「鎌鼬」を拾い、光紀を食べようとしていた酒呑童子の背後から襲いかかった。鬼は横薙ぎの攻撃で鬼はずたずたになったが、すぐに再生して振り返った。

 

「誰だ?」

 

「今、お前に食われた者よ」

 

 泥沼の戦いが始まった。私が酒呑童子を切り刻み、酒呑童子は私を食い返す。しかし私は死んですぐ殺生石で復活し、また襲いかかる。その繰り返しだった。

 

 いくら殺しても黄泉軍(よもついくさ)のように蘇る私を見て、酒呑童子は驚愕しているようだった。

 

「なぜ蘇る。お前は何者だ」

 

 私は答えず、酒呑童子を斬り捨てた。

 

(絶対に攻撃はやめない。永久に戦い続けることになっても)

 

 ああ、自分が死ぬのは、なんて楽なのだろう。私はもう何度目になるか分からない死を味わいながら、そう思った。私が何千回と死んでも、光紀が助かるのならそれでいい。むしろそうでもしないと私の命と人1人の命は釣り合わないのだ。

 

 私は自分のために死んだ男のことを思い出し、唇を噛んだ。

 

 

 

 

 

 

 死と再生を繰り返して戦いを続けるうち、私は妙なことに気がついた。

 

 身体が人外のものへと変貌を遂げつつあるのだ。その証拠に、喰われて生命活動を停止した瞬間、身体の残った部分がチリとなって消える。最初は「私」が死ぬと死体が残っていたが、今はもう何も残っていない。

 

 ここでようやく私は殺生石の求める代償を理解した。「真白」が異類になったのは偶然ではない。おそらく、一定の限度を超えて殺生石を使うと、構築される身体が怪異へと変化していくのだ。

 

 真白の頃は半々だった人と怪異の割合が、急激に怪異へと傾いていく。

 

 まあ、浜矢を死なせ、家族も守れず、あかりを苦しませ続けた私にふさわしい末路だ。私のような下衆が、歪んだ者が、人間でいられるわけがなかった。

 

「報いね」

 

 自嘲の薄笑いを浮かべて蘇生した瞬間、私を中心に凄まじい瘴気が膨れ上がった。それで自分が完全に怪異になってしまったことを悟った。

 

 今までの復活と違い、豪奢な着物を身にまとっている。眼は、闇も心も近い未来さえも見通せる千里眼に。黄金の長髪は、先分かれして九つの尾のように。声は、国を傾かせるほどの甘い響きを伴うものに変化していた。

 

 死と蘇生を繰り返し、ついに怪異になり果てた私―「白面金毛九尾の狐」は、目の前にいる酒呑童子を睨みつけた。

 

「そういうことか。お前が狐だったのか」

 

 酒呑童子の心を読むと、「驚嘆」と「畏れ」の感情が見て取れた。

 

「らしいわね」

 

 今まで九尾の狐と呼ばれてきた者の正体も、私のように限界まで殺生石を使い続けた人間だったのだろう。ヒトでなくなったことになぜか寂しさを覚えたが、今だけはこの殺生石の仕様に感謝するしかなかった。

 

 この鬼を殺すだけの力を備えることができたのだから。

 

「真白」の頃は強敵のように思えた酒呑童子も、九尾の狐の眼から見れば赤子のようだ。私が一歩踏み出すと、酒呑童子は一歩後退する。彼の感情は「狼狽」に変わっていた。

 

「……在りし日の姿と違ったものでな。謝る。いったん矛を収めてくれ」

 

「嫌だ。お前はここで殺す」

 

 もう攻撃を呪具に頼る必要はなかった。教えられずとも呼吸できるように、九尾の狐に備わっている神通力の使い方は分かっていた。

 

「雷鳴」

 

 私が天を指すと、酒呑童子は降り注いできた稲妻に打たれた。黒焦げになった仮面を再生させながら、鬼は口を大きく開け私を食おうとする。

 

「盾」

 

 しかしその瞬間、こちらの張った結界によって酒呑童子の攻撃は阻まれた。そのまま火焔を、稲妻を、吹雪を、毒霧を、私の使える術を酒呑童子に叩きつける。

 

「ぐう……」

 

 酒呑童子はうめき声をあげた。辺りに散らばっていた「私」の死体が完全にチリとなって消えるほどの猛攻を喰らいながら、まだ生きている。さすがに大妖と言われるだけあって頑丈なようだが、それでもかなり弱ってきていた。

 

 私がさらに火炎を放とうと両腕を広げたとき、酒呑童子は叫んだ。

 

「メリー! 来い!」

 

 その瞬間、酒呑童子の傍にメリーさんが現れた。彼女は私の姿を見て、ひっ、と小さく声をあげた。それからおそるおそるといった感じで聞いてくる。

 

「貴女は……ひょっとして九尾様でございますか?」

 

 メリーさんの感情は、「期待」に変わっていた。

 

「それがどうしたの? 横にいるやつを差し出しなさい。殺す」

 

「おそらく行き違いがあったのだろうと思います。いったん話を」

 

「いらない。差しださないなら死ね!」

 

「……なんなんですか、貴女は」

 

 私が燃え盛る火焔を放った瞬間、メリーさんは酒呑童子とともに姿を消した。おそらく、地下ケーブルか何かを伝って移動しているのだろう。

 

「逃がさない」

 

 行き先は分かっている。隠れ屋敷だ。私は飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 腕時計を見ると、もう11時半だった。真白にはすぐ戻ってくると言ったが、かなり遅くなってしまった。夜道を歩きながら、あかりはため息をついた。

 

 あかりが課に戻ってみると、神標が殺されていた。裏切りを知ったメリーさんの仕業だと思われ、死因は執拗に腹を蹴られたことによる内臓破裂。彼女は絶望の表情を浮かべたままこと切れていた。

 

 凛が死んだ一因でもある彼女には思うところがあったが、このような殺され方をするべき人ではなかった。あかりは彼女の瞳を閉じ、短く黙祷した。

 

 神標の遺体が搬送されてからは課長たちとともに市役所の内部に怪異が入り込んでないかを確認し、結界を強化した。五幣が死んで広範囲の結界が張れなくなったため、かなりの時間がかかった。

 

(……真白、大丈夫かな)

 

 浜矢の死が悲しくないというわけではない。凛の遺品整理に付き合ってくれたり真白のお見舞いに行ってくれたり、一緒に行動することは多かったし、話し方は乱暴でもいい人だった。

 

 だが彼にかばわれた真白は、あかりよりももっとつらいはずなのだ。いつも能天気な真白が茫然としていたのを思い出した。あかりが学校に行っている間はともに行動していたらしいし、たぶんあかりが舞を失ったときと同じような悲しみの中にいるだろう。

 

 少し小走りになった。早く帰ってあげなければ――

 

 

 

 そのときだった。時雨家の方角から、輝く何かが夜空へと駆けあがっていった。

 

 思わず見上げたあかりが目にしたのは、飛行機雲のようにたなびく黄金色の軌跡。遠すぎて飛翔していくものの正体は分からなかったが、それが遺していった光の跡はまるで九つの尾のようで、あかりは会議で話の出ていた怪異の存在を思い出した。

 

「九尾の狐……」

 

 酒呑童子と並ぶ大怪異。それと思わしきものがよりによって自分の家の方角から現れた。嫌な予感がした。

 

(私の思い過ごし……よね)

 

 だが、こういうときの予感は的中するものだ。祈りながら帰ってきたあかりは、庭が荒れ果てているのを見て息をのんだ。芝生は剥げ煤のように燃え尽き、植えられていたみかんの木には霜が降りている。すさまじい戦闘が行われた跡。

 

 その中のただ一つ無事に青々とした芝生があるところで、横になっている者がいた。

 

「光紀!」

 

 駆け寄って抱き起こしてみると、身体は温かかった。意識がないだけで生きている。

 

「光紀。光紀! 起きて!」

 

「姉ちゃん……」

 

 うっすらと目を開けた光紀を見て、あかりはほっとした。

 

「よかった。母さんたち……は……」

 

 そして、光紀の顔が絶望に歪んでいくのを見てあかりは黙った。

 

「死んじゃったよ」

 

「え?」

 

「父さんも、母さんも、真白も、皆、死んじゃったよぉ」

 

 和室の前に父親の死体、ダイニングに母親の生首があった。真白は見当たらず、ぼろぼろになった「鎌鼬」の傍に、炭化しかけている右腕が落ちていた。

 

「あ……」

 

 右腕には醜い注射痕があった。あかりは何度も見たから覚えていた。これは真白の腕だ。光紀は、鼻水をすすりながら、口を開いた。

 

「皆、いきなり殺されたんだ。金色の光が近づいてきて……」

 

「光紀はどうして助かったの」

 

「わからない。でも、真白は死ぬ前にそいつを斬りまくってたから、それで逃げたのかも」

 

 あかりは別れる直前、真白に言っていたことを思い出した。

 

『母さんと父さんと、光紀を守って』。真白を休ませるための方便だったが、彼女は愚直に約束を守ろうとしたのかもしれない。

 

 彼女はその気になれば「鎌鼬」でいつでも逃げられたのだ。なのに真白が戦ったのは、きっと光紀を守るため。

 

「ありがとう、って言うべきなんだろうな」

 

「え?」

 

 弟に泣いている顔を見られたくなかったので、あかりは顔をそむけた。()()()()()死と、家を空けてしまった自分への呪詛に押しつぶされそうになりながら、涙を飲む。

 

 いつもこうだ。もう誰も死なせまいとしていたのに、あかりの手は涙をぬぐうばかりで誰かの命を救う役にはたたなかった。

 

(……泣くのはもうやめよう)

 

 誰かを助けられるように。もう二度と大切な人たちを失わないために。

 

 だから泣くのはこれで最後だ。あかりは嗚咽を押し殺しながら、そう決意した。

 

 

 

 

 

 

 親戚。学校の先生。友人。怪異課の職員。近所の知り合い。両親の葬式にはたくさんの人がやって来た。

 

「あかりちゃんと光紀君、可哀想にね。怪異にやられたんだって?」

 

「光紀君は目の前で殺されたらしいな。こんなこと言っちゃなんだけどさ、よく生きてたね」

 

「あの家の娘は怪異課にいたんだろ? なんで退治できなかったんだ」

 

「二人を引き取ってあげたいけどうちじゃあ……ねえ」

 

 皆から同情と憐憫の視線を向けられたが、あかりはただ黙々と作業を続けた。

 

(九尾の狐)

 

 舌の根でそうつぶやいた。光紀は霊力がないので怪異の正体が分からなかったようだが、あの晩、時雨家にやってきた怪異はおそらく九尾の狐だろう。空へ上っていく九つの流れ星を思い出して、唇を噛んだ。

 

 なぜあかりの家を知っていたのか。メリーさん一派と関係があるのか。それは分からなかったが状況を鑑みると、あかりの両親と真白を殺した仇は九尾の狐以外にはありえなかった。

 

(……凛の気持ち、今なら分かるな)

 

 あかりは拳を握りしめた。たとえ自分の命と引き換えにしても狐を仕留めたい。家族を無惨に殺した怪異を八つ裂きにしたい。

 

「怖い顔してるね」

 

 あかりは驚いて顔を上げた。考え事をしていて気づかなかったが、目の前には小坂部がいた。彼女は栗色の瞳をこすりながら、申し訳なさそうな顔をした。

 

「ごめん。ハマヤンの葬式に行ってたから遅れちゃった。こっちももう終わり……だよね」

 

「はい。もう火葬もすみました」

 

 あかりの言葉に、小坂部は目を伏せた。

 

「ごめん。私たちがもっとしっかり狐の足取りを追っていたら、君の両親は死ななかったかもしれない」

 

「見つけられなかったのなら、しょうがないでしょう」

 

「いや。これじゃ私たち対策本部の職員が来た意味がない。藤見市にいる職員も半分いなくなっちゃったし」

 

 浜矢。神標。五幣。真白。藤見市怪異課は、ここ数日で4人の職員を失ってしまった。なのに怪異側はメリーさんと酒呑童子が健在で、相対したことのない九尾の狐の存在が明らかになっている。戦力差は絶望的だった。

 

「さすがに狐と鬼がいるってわかったから本部も職員を派遣してくれるとは思うけど。……ところでさ。真白の腕のことで聞きたいことがあるんだ」

 

「何ですか?」

 

 襲撃があった次の日に、あかりは残されていた真白の腕を課長に渡していた。呪具にできるのなら、呪具にしてあかりに支給してほしいと希望して。

 

「真白って結局、何の怪異とのハーフだったのかな。呪具って怪異の性質を引き出せるように作るからさ。元が何なのか分からないと呪具にできないんだ」

 

「ええっと……」

 

 知らなかった。結局彼女は記憶が戻る前に死んでしまったし、「鎌鼬」以外の能力を使っていることもなかったからだ。小坂部もあかりの反応は予想していたらしく、たいして驚きはしなかった。

 

「分からないか。それならしょうがないけど、新しい呪具を作るのは諦めるしかないね」

 

「いや、いるかもしれません」

 

 そのときあかりは思い至った。真白の情報を知っているかもしれない者に。

 

 葬式を終えると、あかりと小坂部は「彼」に会うべく怪異課に行った。用があるのは、丑三課長でも伊見でもない。職員の机がある部屋を素通りし、あかりは「個室」へ向かった。

 

 メリーさんは「個室」へやってきて神標を殺したが、隣にもう一つ部屋があることに気づかなかったらしく、「彼」は今も部屋の中にいる。

 

 あかりが部屋に入ったとき、「彼」―吸血鬼は、床に座っていた。あかりの存在に気づくと、吸血鬼は眼の炎を揺らがせ立ち上がった。

 

「お久しぶりです。手持ち無沙汰でちょうど話相手が欲しかったところ。今日は何のご用で?」

 

 あまり話していて愉快な相手ではないが、彼に会ったのにはそれなりの理由がある。真白の血を吸っているとき、彼が「テイスティング」について言及したからだ。

 

 テイスティングとはワインやウィスキーなどを飲んで鑑定することを指すのだが、吸血鬼にとってのそれは、血―生体情報の鑑定になるのではないか。

 

 吸血鬼の首には真白と同じ「覚り」のチョーカーが巻かれている。隠れ屋敷のことを聞くため、小坂部が付けさせたのだろう。嘘を言えないのを確認し、あかりは訊いた。

 

「知ってるなら教えて。真白が何の混じり物だったのか」

 

 

 

 

 

 




メリーさんって絶対でんき/ゴーストだな……まあその理屈でいくならだいたいの敵にゴーストつくんですが


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16,狐、シスターになる

 

 

 

 

 私は逃げた酒呑童子とメリーさんを追って屋敷へ向かった。空を飛んでいるうちに町はずれにつき、山に入り、そして小川のせせらぎの向こうに隠れ屋敷の灯火をみとめ、私は笑った。

 

 メリーさんや河童程度の怪異であれば、100匹まとめてでも鏖殺できる。だが、勝ちを確信して襲いかかろうとした瞬間、隠れ屋敷は忽然と姿を消した。

 

 時間切れだった。午前0時。藤見市に出現する時間が終わり、隠れ屋敷は別の場所へ移動したのだ。それをさとった私は近くにあった大木に拳を打ちつけた。

 

 そういえば酒呑童子は一度隠れ屋敷に私がやって来ていたことを知っていた。私がここまで追いついて来ることは十分予想したうえで、「逃げ」の手が使えることを計算に入れていたのだろう。私はヤツを取り逃がしたことに怒り狂いながら、周囲の木々をなぎ倒した。

 

 それから少しの間、うっぷん晴らしのため山にいた野良の怪異たちを殺して回っていたが、朝が近くなると急に眠気を催してきた。九尾の狐といえども怪異ということらしい。私は適当な人間に化け、紙幣に換えた葉で駅前のホテルにチェックインした。

 

 

 

 

 

 

「……次のニュースです。一昨日、藤見市西織町で時雨勉さん(41)とその妻圭子さん(39)の遺体が発見されました。居合わせた光紀さん(15)の証言によると、侵入してきた怪異によるものとみられ……」

 

 それから二日。私は布団をかぶり、ぼうっとテレビを観ながら打ちひしがれていた。眠っているとあかりたちが夢に出てきて私を責めるので、ここしばらく満足に眠れていない。

 

 

『真白ちゃん。そんなに命があるのに、どうして私を助けてくれなかったの』

『仇も討ってくれないのかい』

『家族ごっこは楽しかったか?』

『あなたが死ねばよかったのに。真白を信用した私が馬鹿だったよ』

 

 

 目覚めるたび、これは私が思っていることを皆に喋らせているだけだと自分に言い聞かせた。そうでもしないと、本当にそう言われていると思ってしまうと、心が壊れそうだった。

 

 爪を噛みながら、テレビに映し出された時雨家の家族写真を観る。その中には当然ながら私の姿はない。

 

(あかりは私のために泣いてくれたのかな)

 

 もしあかりが私のことを少しも考えてくれず、両親の死にだけ涙していたら嫌だ。そう思ってから、私は自分の心の醜悪さに吐き気を覚えた。

 

 どこまでも自分、自分、自分。自分の無能であかりの両親を死なせたくせに、のうのうと生きているくせに、想われていることを確かめられずにはいられない屑。

 

「ごめん、皆。絶対あいつは私が殺すから」

 

 私の冷徹な部分は嘲笑っていた。仇を討ったつもりになってラクになりたいだけだろう。罪が消えるわけでもないのに本当に自分勝手なバケモノだ。この世にお前の居場所など最初からないのだから、すっぱり死んでしまえ。

 

 自分への呪詛は留まるところを知らなかった。

 

「助けて、父さん、母さん……」

 

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭っていると、背後から何者かの声がした。

 

『……お前の親ではなかろ。ずっとお前を見てきたが、過去イチで頭のおかしい狐じゃな』

 

 私が振り返ると、そこには黄金の毛並みをもつ狐がいた。触ろうとすると、手は空を切る。まるでホログラムのようだった。

 

「あ、はは……幻覚と幻聴見るって、なんかもう駄目っぽいわね? クスリは抜けてるはずなのに」

 

『お前がいろいろ終わっとるのは否定せんが、幻覚とは失礼な。(わらわ)は殺生石に込められていたこれまでの狐の記憶。そうじゃな、この国で一番有名な呼び名を使うか。玉藻とでも呼んでくれ』

 

「私の頭の中にいるってこと?」

 

『そうじゃな。話しやすいよう、妾の姿をお前の網膜に映してやっとる。妾の声はお前にしか見えないし、聞こえない』

 

「……何の用?」

 

『九尾の狐についていくつか教えてやろうと思ってな。妾の親切心というやつだ』

 

「親切を装うなら、石を使い始めたあたりで言いなさいよ」 

 

『お前の両親が死んだ夜から妾はずっと見ていたし、話しかけてみたりはしたぞ。お前が気づかなかっただけじゃ。……さて、まずは大事なことを言っておこう。お前はもう生き返れん。今までのように軽はずみに死ぬことはできんぞ』

 

 それは予想していた。もし蘇れるのであれば、「九尾の狐が討たれた」という伝承はないはずである。

 

「殺生石を他人に使うことは?」

 

『石はお前と一体化しておる。だから再び使えるようになるのは、お前が死んでからじゃ』

 

「……そう」

 

 私ががっかりすると、玉藻はフンと鼻で笑った。

 

『一回でもいいから他人に殺生石を渡して生き返らせれば、狐化のカウントはリセットされる。なのに狐になっているということは、お前は結局他人のために殺生石を使えなかったのであろ? そんな奴が今更何を残念がるのじゃ』

 

「……うるさい」

 

 それしか言えなかった。玉藻の言葉は、的確に私の痛いところをついていた。

 

『で、後は怪異としての常識じゃが……お前は酒呑童子を殺したいのよな?』

 

「ええ。居場所が分からないから、探し出す必要がある」

 

『それは長い戦いになるな?』

 

「……まあ、怪異課に潜り込んで、課の情報網を使えばだいぶ早くなると思うけど、確かにそうね」 

 

 それを聞いた玉藻はにやりと笑った。

 

『だったら、人間を殺して食え。命を長らえる分には普通の食物を食えばよいが、それだとお前の神通力は衰える。力を維持するには、ヒトを食うしかないのじゃ』

 

「嫌だ」

 

 誰かの大切な人を奪うなんて想像もしたくなかった。直接手を下したわけではない浜矢やあかりの母のことを考えるだけでもめまいがするのに。これ以上誰かを背負いたくない。

 

『だが、酒呑童子はそうするぞ。お前に張り合うため、たくさん食うじゃろなぁ。あやつの回復はだいぶ時間がかかるかもしれんが、それでもヒトを食わずへろへろになったお前が勝てるか怪しいもんじゃ』

 

「嫌だって言ってるでしょ!」

 

『ならば食わないまま死ねばよいわ。お前はまだ人間の味方をするつもりのようじゃが、あちらは違うぞ。お前の正体がばれたとき、力がなければ殺されるに決まっとる』

 

「……」

 

『はぁ。そんなに嫌なら仕方ない。死体安置所にある死体でもよいぞ。お前が力をもっておれば、あかりとかいう人間を危険にさらさずにすむのではないか?』

 

 人間の死体を食う。考えるだけでもおぞましい行為だ。だが、もしあかりがピンチになったときに助けるだけの力をもっていなかったら。私の目の前であかりが殺されたら。

 

(それはもっと嫌だ)

 

 あかりを失うという恐怖に比べれば、死体を食べる方がましだ。

 

「卑怯者」

 

『そしられるいわれはないぞ。妾は説明をしてやっているだけじゃ。それにな。くふふ……ヒトの肉はうまいぞう。歴代の九尾たちも食うまでは嫌がったがの。一度口にしたら病みつきよ』

 

 玉藻は牙をむき出して笑った。

 

「死体は、力が落ちてきたら食べる。私のタイミングでやるから急かさないで」

 

『好きにすればよい。ああ、お前が浅ましく、ケモノのように死体を食い散らかすのを見るのが楽しみじゃ』

 

「……そう」

 

 玉藻の言葉を振り払い、私は洗面台へ向かった。死体を食べる覚悟はしたが食べずに済むのにこしたことはない。私の力が衰えきる前に逃げた怪異たちを探し出す必要がある。となると、先ほど玉藻に言ったように課に潜入して情報網を使うのが効率的だ。

 

(この顔と格好は変えないとな)

 

 鏡に映っているのは本来の私―御剣舞だった。狐になった影響で髪や眉毛は金色になっているが、このままあかりに会えば一発で私だと気づくだろう。

 

「……ねえ玉藻。人間に化けたら瘴気は出なくなる?」

 

『ああ。一度変身すれば普通の人間と見分けはつかん。しかし呪具は使えんから、職員を装うのであれば神通力をうまく使うんじゃな。あと常人が死ぬくらいの傷を負ったら術がほどけるぞ。ゆめ忘れるな』

 

「肝に銘じるわ」

 

 そう言って私は変身した。黄金の髪は赤みのさしたセミロングに、顔は大人びた雰囲気をまとったものに変わる。「凛」のときに戸籍を用意していた「人間」の姿だった。

 

 設定年齢は19歳。修道女の格好をして怪異を始末する民間業者だったが、よりよい待遇を求め転職を決意。藤見市の怪異課職員募集を知って応募した……という設定。

 

 ちなみに私の実年齢より上にした理由は、同年代と後輩はやったので、次は頼れる先輩になって死にたい、というくだらないものである。

 

「うん、こんな感じだったかな」

 

 修道服とベールを身に着け、シスターの出で立ちになった九尾の狐―もとい「朝比奈八千代」は鏡を覗き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 妖狐(ルナール)と吸血鬼は答えた。

 

「かなり高位の力を感じました。芳醇で美味だった。欧州の妖狐のほとんどはかの有名なラインケ卿の末裔なのですが、そんな名家の血に勝るとも劣らない。まるで砂漠に落ちた一滴の甘露のようで……」

 

 吸血鬼の言葉が求めていない味の感想に突入したあたりであかりは思い出すのをやめた。

 

 呪具を作るための情報を得るつもりだったが、思わぬ副産物だった。さすがに真白の半身が妖狐であることと、九尾の狐がたくさんある家の中で時雨家だけを襲ったことが無関係だとは思えない。同族同士、真白と九尾の狐の間には何らかの繋がりがあったのではないか。

 

 そうだとすると、真白を殺すため時雨家を襲撃した九尾が両親と真白を殺害し、去っていった―全ては想像にすぎないが、こういう見方もできる。真白の記憶が本当に失われていたかどうかも怪しいところだ。

 

「真白……ひょっとしてあなた、記憶があったんじゃないの」

 

 夕日の差し込む誰もいない会議室で、あかりは膝の上に置いた純白のマフラーを撫でた。これは彼女の腕から作られた呪具。これを小坂部や伊見が使ってみようとしたがうまくいかず、あかりにだけ適合した。だから真白の意志が宿っているような気がして、つい話しかけてしまう。

 

 当然ながら道具にすぎない「真白」が返事をするわけもなく、あかりは苦笑いを浮かべた。

 

(……冷静に考えると、呪具に喋りかけるってだいぶやばいわね。新しいバディに引かれないようにしないと)

 

 ここ数日葬式やら保険金受取の手続きやらでバタバタしていたため捜査に参加できなかったが、今日からようやく九尾たちを追えるのだ。これからともに戦うバディだけに、悪い第一印象は与えたくない。

 

 そう思ったとき、丑三課長が入ってきた。後ろにはライダースーツを着た男子と、あかりより少し年上の修道女がいた。

 

「時雨君、待たせたね。新しく来てくれた人が二人いるから、どっちかと組んでほしい。まずは彼から紹介しようか……対策本部から来てくれた白縫勇(しらぬいいさむ)君だ」

 

 見たところ、勇は同年代のようだった。彼は切れ長の目をさらに細め、じっとあかりを見ていたが、ふんと鼻を鳴らした。

 

「丑三さん。俺はクソ強いっていうアンタと仕事がしたくて本部から来たんです。こんなキャピキャピしてる女子コーセーとか、修道女のコスプレしてる奴とは組みませんよ」

 

「……言っておくが、時雨君は強いよ? 吸血鬼とか河童とか結構強い奴と渡り合ってるし」

 

「つってもお勉強の片手間で、ですよね。俺は中学卒業してからずっと怪異をぶっ殺す生活だけしてきたんだ。バイト感覚でやってるやつなんて、足手まといですよ」

 

「なんですって」

 

 あまりの言いぐさに流石のあかりもかちんと来た。両親と相棒の仇を討つという決意をけなされたからだ。だが、あかりが怒って立ち上がろうとしたとき、勇との間にもう一人の女性が立った。

 

「喧嘩はよしましょう、時間の無駄ですから」

 

 修道服を身にまとった彼女は、鋭利すぎる勇の眼とは正反対に眠たそうで、柔らかい雰囲気があった。彼女はにこりとほほ笑むと、胸に手を当てた。

 

「初めまして。私は個人の拝み屋として怪異を退治していました。朝比奈八千代といいます。……ところで課長さん。あかりさんと勇さんは揉めそうですし、私が組んだ方がいいのではないでしょうか」

 

「そうだねえ。同年代どうし気が合うかなって思ったけど難しいか。時雨君は、朝比奈さんでいいかい?」

 

「はい。私も面倒くさい人は嫌いなので」

 

 あかりが勇を睨むと、彼は舌打ちをして目を背けた。あかりと勇の様子を見て、課長は珍しくため息をついた。

 

「はあ。これから酒天と九尾を追うチームなんだから、協力はするんだよ」

 

「……まあ、俺はバイトと拝み屋が足引っ張らなけりゃ別にいいっすけど」

 

 たしなめられると、勇は少し声のトーンを落としてうつむいた。どうも課長には頭が上がらないらしいが、それでもあかりと朝比奈への態度は改まっていないので、対策本部の一員であるというエリート意識が強いのだろう。

 

「で、私たちはどう動けばよいのでしょうか」

 

「屋敷が見つかるまで、基本的にはいつもと変わらないかな」

 

 そう言って課長は現状について説明を始めた。

 

 まず、隠れ屋敷について。これ自体はすでに移動してしまったので次の出現先を全国の課で探しているという。屋敷の移動は周期的に行われるのでそのうち藤見市に戻ってくるだろうとは言われているが、それまでに被害がでることを考えると、早めに見つけるに越したことはない。

 

 幸い、屋敷が出現するだけの濃い瘴気がある場所はそう多くないため、少しすれば場所は判明するという。

 

「こればかりは気長に待つしかないからね。それまでは普通に業務を続ける。……だが、一つだけ気をつけてほしい。九尾の狐は、まだ藤見市にいる可能性がある」

 

 あかりが見た九尾の尻尾は課長や小坂部も目にしていたらしく、屋敷のある森の方へ飛んでいったらしい。この時点で酒呑たちと繋がっているということは推測できる―のだが。

 

「金色の毛が、屋敷の()()()落ちていた」

 

 それが意味するのは、九尾は屋敷の移動に間に合わなかったということ。九尾がやってきたときに屋敷があったのであれば、九尾の毛がそんなところに落ちているはずがないからだ。

 

「それだけじゃ九尾が藤見市に留まっている理由にはなんないすよ。他の怪異が次の出現先を教えてたら直接向かうだけで済むでしょうし、何ならメリーさんを使えばすぐでしょう」

 

「その可能性も全然あるがね。ただそれ以降の足取りがつかめないから、気をつけようってだけだよ。……さ、そろそろ巡回しに行こうか。初めて組むペアだし、相手のことは知っておいた方がいいだろう?」

 

 

 

 

 

 夕日を浴びながらあかりと朝比奈は大通りの道を歩いていた。怪異が出るのはたいていさびれた場所で、そこに行くまでは適当にお喋りをするのが普通である。

 

「……朝比奈さん。どうしてシスターの格好をしてるんですか?」

 

 サラリーマン、学生、老人、子ども、主婦。周囲の人々は、朝比奈に気づくと皆物珍しげな視線を向けてくる。彼女が綺麗なのもあるが、やはり修道服は目立つ。本人もそれを自覚しているのか、スマホで写真を撮ろうとした子供にダブルピースを向けていた。

 

「ああ、私みたいに個人でやるような退治屋はね、イメージが大事なのよ。テキトーな私服の人より、神主とか坊主みたいな恰好してる方が頼りになりそうじゃない?」

 

「あ~そういうことですか」

 

 あかりは市の臨時職員としてずっと仕事が振られ続けるので分からなかったが、民間は自分から仕事を取りに行く必要がある。「なんか退治してくれそう」というイメージがもろに影響するのだろう。

 

「だからこれもただのコスプレなんだよね。私、別に神とか信じてないし」

 

「民間の方はいろいろあるんですね。もしよかったら、これまでの仕事聞かせてもらっていいです?」

 

「……話すほどのことじゃないよ。博多の方でちまちま細かい怪異をやっつけてただけ」

 

「へえ、朝比奈さんって博多の人だったんですか。なるほどなあ」

 

「なるほどって何が?」

 

「いえ。やっぱり綺麗な人が多いのかなって。博多出身の友達がいたんですが、その子も美人だったので」

 

 確か舞の生まれは博多だった。あかりの言葉に朝比奈は笑った。

 

「ありがとう。……それにしても、なんで民間のことを聞こうと思ったの? ここの職員じゃなくて民間に行きたいとか?」

 

「いえ、そういうわけではないんです。高校を卒業したら職員としての怪異退治を本業にしようかなって思ったんですが、民間の方はどんな感じなのかなーって思って」

 

「……大学には行かないの?」

 

「行く予定だったんですけどね、両親が九尾に殺されたので、ちょっと無理になっちゃって」

 

 保険金がおりたので、あかりと光紀が高校を卒業するまでに必要なお金はある。だが、二人で大学にいけるほどの余裕はなかった。

 

「弟は怪異課で時間使ってる私よりずっと成績いいし、私が頑張れば行かせてあげられそうなんですよ。こういう言い方はあまり好きじゃないんですが、せめてお父さんかお母さんのどっちかでも生きてたら行けたかもなあって、たまに思うんです」

 

「……時雨さんは強いのね」

 

 朝比奈は感情移入しやすいたちなのか、少し目を潤ませている。あかりは気まずさを感じながら、照れ笑いをした。

 

「うーん、そうでもないですよ。進学しないなら学校休みまくっても問題ないっていうのもありますから。私、九尾は絶対自分の手で仕留めたいんです」

 

「両親の仇だもんね」

 

「親だけじゃないんです。九尾は家にいた相棒も殺したし、私と弟の人生を滅茶苦茶にしてくれました。絶対楽には死なせませんよ」

 

 あかりの言葉を聞いていた朝比奈は、なぜか悲痛な表情を浮かべたが、すぐに寂しそうな笑みを浮かべてうなずいた。

 

「……そうね。きっとあなたなら九尾の狐を殺せるわ」

 

 

 

 

 





▶お前の両親が死んだ夜から妾はずっと見ていた
14話以前の本文の行間を反転すると、たまに玉藻のコメントがついてます。


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17,カニバリズム

 

 

 

 

 私―「朝比奈八千代」とあかりがバディを組んで数日が経った。あかりの戦い方は熟知しているので、スムーズな連携ができるようになるまで時間はかからなかった。

 

「『雪女』」

 

 排水溝の中から襲い掛かって来た泥人間は、私が吐息を吹きかけた瞬間に凍り付いた。凍ったまま叩き割れば普通の怪異は死ぬのだが、この怪異の本体は小さな細菌のようなものの集まりで、それが泥を動かしているだけなので、物理的な攻撃は無効だ。

 

「時雨さん、とどめお願い」

 

 私が下がると、その意を汲んだあかりが前に出た。

 

「了解です。『鬼火』!」

 

 泥人間は燃え上がり、悶えながらチリになっていく。完全に焼き尽くされると、残った泥がでろりととろけた。

 

「改めてなんていうか……すごい呪具ですね。本当に私はとどめを刺すだけっていうか」

 

 あかりは私の首にかかっているロザリオを見て言った。ちなみにあかりにはこのロザリオが私の呪具、『雪女』だと説明したのだが、実は何の力もないただの装飾品である。九尾の能力の一つ、猛吹雪を小出しにしてあたかも呪具で戦っているように見せかけているだけ。

 

 だから呪具についてはあまり突っ込まれたくなかった。私は話題を変えることにした。

 

「前はこれでも一人で頑張ってたからね。……ところでこの街って怪異の数が少ないけど、元からこんな感じなの?」

 

 舞、凛、真白の頃は必ずと言ってよいほど怪異と遭遇していたのだが、今日は3時間ほど歩きつめてようやく1体だけ、という有様である。

 

「いえ、もっといっぱいいました。……隠れ屋敷が移動したからかも」

 

「あー、怪異たちのねぐらか。そういえば私が来る前の作戦でそこを襲撃したって言ってたね。結構そこの駆除が効いてたんじゃないの」

 

「……そうかもですね」

 

 あかりの顔が翳り、白いマフラーを撫でた。しばらく一緒にいて分かったが、彼女は嫌なことを思い出すと「真白」を触るクセがついている。

 

(なんだか嬉しいな)

 

 死んだ後も私を忘れないでいてくれている。身に着けて、頼ってくれている。私は昏い悦びを感じた。しかし同時に、彼女が私―九尾の狐を憎んでいるということを思い出して、憂鬱な気分になる。

 

 あかりは鬼を追う私の姿を見ていたらしく、「両親と真白を九尾の狐が殺した」と考えている。せめて光紀が見える人間であれば、もしくは酒呑童子が一般人にも姿がはっきり見えるタイプであれば誤解はなかったのだが。

 

(……いや、誤解でもないか)

 

 鬼を呼び寄せたのも、両親を守れなかったのも私。あかりの将来を奪って人生を狂わせた。何も間違ってはいない。私は憎まれて当然なのだ。

 

 あかりと私が各々の理由でどんよりしていると、この前購入した私の携帯に、メッセージが届いた。小坂部からだった。

 

『怪異が出ないので、今日はもう切り上げていいそうです。せっかくなので、皆で飲みに行きませんか?』

 

 

 

 

 

「飲み会なんて久しぶりですね」

 

「ここしばらくずっと忙しかったからねえ」

 

 課長、小坂部、伊見、白縫、あかり、私―怪異課の全員が居酒屋に集まっていた。現在の時刻は午前4時20分。今まであかりや私は0時をまたいで仕事をすることがなかったので知らなかったが、こんな時間にも開いている居酒屋はあるらしい。

 

 料理と飲み物が運ばれてきて乾杯すると、小坂部はあかりに話しかけた。

 

「そういえば、時雨ちゃんは高校生だっけ。こんな時間まで起きてて大丈夫なの?」

 

「明日―じゃなかった、今日はお休みですから。きつかったら学校休みますし」

 

「……ちゃんと卒業はしときなよ。白縫君みたいに中卒で課に入っちゃったら怪異退治をやめたくなってもやめられなくなるから」

 

「俺は死ぬまで抜けるつもりないからいいんですよ」

 

 勇はオレンジジュースを飲みながら、憮然とした顔になった。すると課長がぽりぽりと頭をかきながら笑う。

 

「うーん、君も課で働く以外の道は考えておいた方がいいよ。私の同期はだいたい死んだか転職してるし」

 

「でも課長は生きてるじゃないですか」

 

「私は用心してるからね。どんなに強くても死ぬときは死ぬし、君もまあ気を付けた方がいいと思うよ」

 

 課長にたしなめられて勇が少しうつむいたとき、突然小坂部が泣き始めた。

 

「そのとおりですよ。十分強くても死ぬんです。ハマヤンとかハマヤンとかハマヤンとかさあ!」

 

 白ワインを少し頼んでいただけなのにもう顔が赤かった。私があっけに取られていると、小坂部は拳をテーブルに叩きつけた。

 

「この前の作戦の後に付き合おーよって言おうと思ってたのにさあ! もうやってられんわ!」

 

「えっ、そういう関係だったんですか」

 

 あかりの言葉に、小坂部はうなずいた。

 

「ていうか何度かそういうことは言ってるし。そのたびに縁起悪いからって断られてたの」

 

「縁起?」

 

「私に好かれたら死ぬみたいなこと言いやがって」

 

「そうなんですか?」

 

 私が彼女のバディである伊見に訊くと、彼は銀縁の眼鏡の曇りを取りながら気まずげにうなずいた。

 

「浜矢君含めて4人死んでるからね……僕も小坂部に好かれませんようにって祈ってるよ」

 

「けっこうえぐいこと言いますね」

 

 まあ、それだけ実績があるのなら死神として恐れられるのもわかる。課で生存し続けるには相性の良い怪異と戦うことが肝要だからだ。

 

 例えば「舞」「真白」は普通の怪異なら一掃できる代わりに吸血鬼や酒天のような再生能力もちにめっぽう弱いし、「凛」は武器のリーチが短いため、視認できないほどの遠距離からちくちく攻撃してくる相手にはお手上げとなる。

 

 二人一組で怪異を駆除しているのはそんな状況を減らすためだろうが、どうしようもない強敵と遭うことはある。それを避けるには、結局運に頼るしかないのである。非科学的と言われればそれまでなのだが、そういう状況で不運を呼ぶ人と付き合いたいと思うだろうか。

 

「はは、まあ小坂部君もそのうちいい人が見つかるよ。……しかし浜矢君が真白君をかばうとはね。確かに彼女は人間と見分けがつかなかったが、ヒトじゃないってことは分かってると思ってたんだけどな」

 

 課長は串から焼き鳥を引き抜きながら、しみじみとつぶやいた。

 

「本当ですよ。異類なんか放っておけば……あ、ごめん」

 

 途中まで言ってから、小坂部はあかりに謝った。大丈夫ですよ、と答えあかりは平気そうな顔を装っていたが、テーブルの下でマフラーをぎゅっと握っていた。

 

『……舞。聞こえるか』

 

 玉藻が私の隣に座っていた。もちろん答えると虚空に話しかける人だと思われてしまうので応じることはできない。いいところだったのになぜ今出てきたのか。私が軽くにらむと、玉藻はほうとため息をついて私を見上げた。

 

『そろそろちゃんとしたものを食った方がいいと思ってな。お前は長時間人間の姿に変身しとるせいでだいぶ力を使っとる』

 

 ちゃんとした食事。その言葉の意味するところを思い出し、私はげんなりした。もうヒトを食べないといけないのか。玉藻はその思考を読んだかのように言った。

 

「変身はかなり瘴気を食うからの。あと1、2日もすれば八千代の姿は維持できんくなる」

 

 となると、明日はギリギリすぎる。今から人間の死体がある場所に行くしかない。覚悟していたこととはいえ、実際にやるとなると気分が悪くなる。それが顔に出ていたのか、伊見が心配そうに顔を覗きこんできた。

 

「朝比奈さん、大丈夫ですか」

 

「……はい。でもちょっと疲れたので、帰ります」

 

 

 

 

 

 

 私は課の飲み会を抜け出すと目をつけていた葬儀場、「赤野やすらぎ会館」に行った。私は中で誰かと鉢合わせたときのため葬儀場のスタッフに変身し、堂々と正面から侵入した。

 

 ちなみに、ここにターゲットを定めた理由は単純に警備が緩いからである。居眠りしている守衛の横を通り抜け、私は階段を上り安置室のあるフロアへと向かった。

 

 幸い誰かに見咎められることはなく、安置室の並ぶ階にやってきた。私が「No.203」と書かれた扉を開けると、部屋の中は和風の作りになっていた。冷房はよく効いており、真ん中に白い棺がある。

 

 私は後ろ手に扉を閉めて変身を解いた。棺を開けると、中には初老の男性の遺体が収まっていた。

 

『うーむ、若ければ若いほどいいんじゃが、この際贅沢は言ってられんな。舞、食え』

 

「わかってる」

 

 私はひざまずくと、老人の腕を持ち上げた。おずおずと口を近づけるが、なかなか踏ん切りがつかない。これを口にしてしまうと、私の人間性を根こそぎ否定してしまうような気がして怖かった。

 

『早く食え。誰かに見られたら面倒なことになるぞ』

 

 玉藻はじれったそうに言った。

 

(……ごめんなさい)

 

 私は冒涜する遺体に謝ると、目をつぶって思い切り腕に噛みついた。八重歯が皮を突き破り、筋繊維がぷちぷちと切れていく感触がする。血の味が口内に溢れた。

 

 むっとするような鉄の臭い。草食動物と違い人間は肉も食べるためか、妙な臭みがある。だが、吐き気がするほど美味い。肉を噛み、骨を砕いて飲み込む。あっという間に私は右腕を平らげた。

 

(……足りない)

 

 どうやら死体はすぐ瘴気に変換されるらしく、満腹感を覚えない。だが、もっと食べたい、咀嚼したいという欲望は募ってきていた。私がすぐさま遺体の左腕に噛みついたのを見て、玉藻は嗤った。

 

『な。うまいじゃろ』

 

 左腕、足、胴体、頭。きっと人間の頃であれば気持ち悪がっていたであろうはらわたも、目玉も、脳髄も全て美味しそうに見えた。ぬらぬらと光る腸を噛み千切り、髄をすすり、獣のように食い散らかす。

 

 人1人を腹に収め、私は我に返った。棺の中の遺体はもはや原型をとどめておらず、ぐちゃぐちゃになっている。私は自分の両手が真っ赤に染まっているのを見て、情けない悲鳴をあげた。

 

「うあ……あああ」

 

 口にしていたものを思い出してえずいていると、玉藻は呆れたように私を見上げていた。

 

『とうにお前は一線を越えたのじゃ。一度人の肉を食ったら、死体では我慢できなくなる。生きた人間を殺したくなるのも時間の問題じゃろうし、人間の良心なんぞかなぐり捨ててしまえ』

 

「……死体を食べたのはあくまで力の維持のためだから。私は殺さない」

 

 そう言いつつ、「新鮮な分、美味しいのかな」と思ってしまい、戦慄した。玉藻には不殺を誓いながら、するりと鬼畜のような思考を始めていた。

 

 たった今後悔したばかりなのに、ヒトの肉のことを考えるだけで獣の思考に引きずられている。もはや私は「舞」ですらない。わずかに残っていた良心も上書きされ、「九尾の狐」という邪悪の化身になりつつあるのだ。

 

 文字通りの、(しし)食った報い。人間を殺すつもりはなかったが、このままだと酒呑童子やメリーさんのような怪異と何ら変わらない存在に堕してしまうのではないか――

 

 そのとき私は想像してしまった。自分の犬歯があかりの首筋を切り裂き、頸動脈を引っ張る様を。あかりの身体をめちゃくちゃに貪って、残った頭が虚ろに私を見ている様を。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()。その可能性に気づき、がりがりと頭をかきむしった。一緒にいれば、いつか彼女を殺してしまう。だが、あかりの傍を離れたら私は何を支えにして生きればいいのか。どちらを選んでも地獄。

 

 どうしようもなく私は詰んでいる。発狂しそうになるほどの板挟みの中、この苦しみから逃れる方法を悟った。

 

「……そうか。私って、死ぬしかないのか」

 

『何か言ったか?』

 

「……何でもない。次の部屋に行くわ」

 

 私は口にべったりとついた血を拭って立ち上がる。絶望のせいか、身体は鉛のように重かった。

 

 

 

 

 

 

「時雨ェ! 寝るな!」

 

 軽く頭をはたかれて目を開けると、教師の顔があった。気づかないうちに眠っていたらしい。

 

「ふぁい……すみません」

 

 あかりのあくび交じりの答えに、教師は剥げあがった頭をさすりながら不機嫌そうに顔をしかめた。

 

「最近居眠りが多いぞ。お前、前はそんなじゃなかったろ」

 

「ちょっとバイトが忙しくて……」

 

「水商売じゃないだろうな」

 

 茶化すような教師の言葉に、クスクスと周りから笑い声があがる。教師としてその言い方はアウトだろうと思ったが、いちいち言い返すのも面倒だったので、反論せず机に突っ伏した。

 

「おい、寝直すな! 起きろっ!」

 

 あかりは授業中に爆睡することが多くなっていた。一晩中夜回りを続けているので当然と言えば当然なのだが、事情を知らないクラスメイトや教師からは奇異の眼を向けられるようになった。

 

「あかり、大丈夫?」

 

 職員室から出てきたあかりに話しかけてきたのは、友人の谷子だった。どうやら怒られているあかりを待ってくれていたらしい。

 

「うん。ご飯食べに行こっか」

 

 学生食堂でうどんを頼み、谷子と向かい合わせの席に座る。谷子は心配そうな目を向けてきた。

 

「あかり、知ってる? あかりの……親が死んだからその……夜のお仕事してるって言われてるよ」

 

「へぇ。夜に仕事してるのは間違ってないけど」

 

「課で仕事してるって言い返したらいいじゃない」

 

「そんなことするくらいなら寝ときたいしなあ。最近は一晩中怪異を探してて寝不足なの」

 

 あかりがこともなげに言っているのを見て、谷子はますます顔を曇らせた。

 

「……それって、あかりの家に来た怪異?」

 

「うん。今は行方を眩ましてるけど、怪異が出たとか、怪しいことが起きたとか噂話でもいいから知ってたら教えて。絶賛受付中だから」

 

「怪しいこと、ねえ……あっ」

 

 それほど期待してはいなかったが、谷子は何かを思い出したようだった。

 

「お父さんからは言うなって言われてたんだけど……ある。私の実家、何やってるか知ってるよね」

 

「葬儀場でしょ」

 

 赤野やすらぎ会館。あかりの両親の葬式を引き受けてくれたのも、この会社である。谷子の友人ということで、かなり料金をまけてもらった。

 

 谷子は周りを窺い、あかり以外に聞こえないように小声で言った。

 

「……そこで、預かってるはずの遺体が食べられてたの」

 

 

 

 

 

 安置されていた9人の遺体が無くなった。棺桶の中にはずたぼろになった死体が入っており、歯型がついているものもあった。死体の処理になれている社員も吐き気を覚えるほど凄惨なものだったという。

 

「なるほど、確かに怪異の臭いがぷんぷんする話ね」

 

 谷子の話を聞き終えた朝比奈はそうコメントした。ここは葬儀場のロビー。あかりと朝比奈は怪異の調査をするためやってきていた。

 

「でも、それって1週間くらい前なんでしょう? どうして課に連絡しなかったの?」

 

 朝比奈の疑問ももっともである。死体を食われたというのは確かに葬儀会社としては失態だろうが、怪異が潜んでいるかもしれないのなら、即座に連絡すべきである。

 

「一度でも死体を取られたと知られたら、信用が落ちるって言ってた人がいて……父さんも今回のことは秘密にして、警備だけ強化しようって話になったんです」

 

「でも葬式のときは死体を遺族に見せるでしょ? それはどうしたの」

 

「秘密にしようって言ってた社員の人がなんか……すごく精巧な死体のフェイクをもってきたんです」

 

 あかりは朝比奈と目を見合わせた。間違いない。その社員は何かを知っている。知っているからこそ隠ぺいしようとしていたのだ。

 

「その社員、今日ここにいるの?」

 

「はい。いつも夕方から夜勤でしか入ってくれないんですが5時なんで、もういますね」

 

「ちょっとその人からお話聞きたいんだけど、いい?」

 

「たぶん大丈夫だと思います。案内するんで来てください」

 

 そう言って谷子はソファから立ち上がった。あかりも同行しようと思ったが、自動販売機が目にとまった。そういえば昼食から何も飲んでいない。

 

「私ちょっと飲み物買ってくる。後でそっち行くから、どの辺に行くのかだけ教えて」

 

「すぐそこだよ。そこの突きあたりをまがって5番目の部屋だからね」

 

 あかりはいったん二人から離れ、自販機でアールグレイの紅茶を買った。喉が渇いていたせいで、半分ほど飲んでようやく一息ついた。

 

(夕方から夜勤でしか入れない、か)

 

 あかりはペットボトルのキャップを閉めながら谷子の言葉を思い出した。ひょっとすると、死体を食べられたことを秘匿するよう進言したその社員自身が怪異かもしれない。市役所や省庁のような公的機関はチェックが厳しいが、民間企業であれば怪異が潜り込む可能性は十分にある――

 

「……私が最初に淹れた紅茶ですね」

 

 そのとき、後ろから突然話しかけられ、あかりは驚いた。振り向くと、黒髪を短く切りそろえセーラー服を着た少女が背を向けて走っていくところだった。そして少女が突きあたりを曲がったとき、一瞬だけ横顔が見えた。

 

「凛……?」

 

 あの顔。声。後ろ姿。忘れるはずがない。あかりがこの手で殺したはずの少女、御剣凛だった。どうして。死んだはずでは。

 

「待って。待ってよ、凛!」

 

 あかりは、朝比奈たちが向かった方とは逆――凛が去っていった方へと駆けだした。

 

 

 

 

 



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18,あなたは何者?

 

 

 

 

 メリーさんは、怪異たちを組織化するにあたって安全な棲み処と食事の確保を目標にしていた。

 

 棲み処については隠れ屋敷を発見したため何とかなったが、生きた人間を狙う食事は狩人に見つかる危険性があるため、安全にヒトの肉を供給する必要があった。

 

 そういうわけで目をつけたのが葬儀場。何もしなくても向こうから死体がやってくるのだから、うまくすれば燃やす分をそっくりいただくことができるというわけである。

 

 手はじめに彼女は信頼できる怪異―女郎蜘蛛とドッペルゲンガーを会社へ潜入させた。「糸巻香織」という名前で会社に潜り込んだ女郎蜘蛛は社員や社長に取り入り、会社に溶け込んだ。

 

 そして夜に死体を運び出し、空になった棺桶には変身したドッペルゲンガーが入って死体を演じる。これは単純だが意外と効果的で、食べ残しを焼いて骨を出しておけば誰も気づかなかった。

 

 もちろん管理者である二人がいなくなれば死体のすり替えができなくなってしまい、この仕組みは成り立たなくなる。メリーさんは隠れ屋敷が移動する際、女郎蜘蛛とドッペルゲンガーには藤見市に留まってこのシステムを維持するよう指示していた。

 

 

 

 

 

 それからしばらく女郎蜘蛛は言われた通りに管理を続けていのだが、1週間前、何者かによって死体を食われてしまった。

 

 一度に九体もの死体が食い散らかされたので、流石にドッペルゲンガーでごまかすこともできなかった。他の怪異が横取りしに来たのか、それとも組織内の怪異がつまみ食いしたのかは分からない。

 

 どちらにせよこのことが怪異課に通報されでもしたらまずいので、犯人を特定するのは後回しにして火消しに専念していた……のだが。

 

「……赤野さん、彼女が例の社員?」

 

「はい。糸巻さんです」

 

「わかった。じゃあここから離れて」

 

「どうしてですか」

 

「いいから」

 

 女郎蜘蛛がいる宿直の部屋に入って来たのは、社長の娘赤野谷子とシスターの格好をした女。修道女は谷子を追い出すと、じっと女郎蜘蛛を見つめてきた。

 

「いったい誰ですか、貴方は」

 

「藤見市怪異課の朝比奈。単刀直入に言うわ。あなた、怪異よね」

 

「……だったら、なんでしょう」

 

 二つずつある瞳はコンタクトで隠し、蜘蛛の脚は身体の中に折りたたんでいるので普通の人間には女郎蜘蛛の正体は見抜けない。目の前にいる相手が本物の狩人であることを確信すると、女郎蜘蛛は背中から8本の脚を伸ばし、臨戦態勢をとった。

 

「その脚……丑三課長が見たっていってた女郎蜘蛛ね」

 

 こちらの情報は割れているらしい。足の先から出る強靭な「縦糸」と粘性のある「横糸」を駆使するのが女郎蜘蛛のスタイルで、屋敷に攻めてきた狩人と戦ったときは罠を作り、時間稼ぎ気味に戦っていた。

 

 相手の落ち着きぶりを見るに、こちらの攻撃は対策されているかもしれない。女郎蜘蛛が身構えていると、朝比奈は獲物をようやく見つけた肉食獣のように目を細めた。

 

「てことは、メリーさんたちの居場所も知ってるわけよね。案内してよ」

 

「知ってても言いませんよ」

 

「そう。ならここで死ぬ?」

 

 そう言うと、朝比奈は無造作に近づいてきた。接近して戦うタイプらしい。女郎蜘蛛は飛びすさって距離をとった。

 

(糸でからめとって、ゆっくり止めを刺すか)

 

 脚の先端から粘りつく糸を発射した。狭い室内なので回避はできまい。女郎蜘蛛は笑みを浮かべた。一度糸に捕まってしまえば、純粋な力のみで脱出するのは不可能である。

 

 だが、朝比奈に向かっていった糸は急に空気の粘性が増したかのように動きが鈍り、彼女に届く直前で止まった。

 

「なにこれ?」

 

 朝比奈は鼻で笑うと、拳で軽く糸を叩いた。すると凍り付いていた糸は粉々に砕け、輝く破片と化した。

 

「私をこの程度で止められると思ってたの? この私を?」

 

 朝比奈の周囲で凄まじい気温の低下が起きていた。空気中の水蒸気が凍り、ダイアモンドダストとなって煌めいている。女郎蜘蛛の吐いた息もたちまち凍り、シャラシャラと星のささやきが聞こえてくる。

 

 そんな中、狂気に陥った人間特有の、爛々とした光を目にたたえた朝比奈がこちらに近づいてきていた。この人間はどこかおかしい。女郎蜘蛛は異様な雰囲気を感じ、後ずさりした。

 

「来るなっ……うぐ」

 

 朝比奈は俊敏に間合いを詰めると、女郎蜘蛛の喉を掴んでそのまま持ち上げた。ぎりぎりと首を絞めながら詰問してくる。

 

「隠れ屋敷の場所を答えなさい」

 

 明らかに人間の膂力ではない。女郎蜘蛛は目を白黒させながら朝比奈を見た。

 

「いったい……何者なの……ですか。この力……人じゃない」

 

 それを聞いた朝比奈はにやりと笑った。

 

「確かに、変身を解いた方が話が早いか」

 

 右手で女郎蜘蛛を持ち上げたまま、朝比奈は修道服のベールを脱ぐ。すると想像を絶するほどの瘴気が立ちのぼり、女郎蜘蛛の視界を覆った。それが収まったとき、目の前には黄金の髪をなびかせる、豪奢な着物をまとった大妖がいた。

 

「きゅ、うび」

 

 酒呑童子を軽く超えるほどの暴力の気配。屋敷が移動した夜にメリーさんが遭遇したと言っていた最強の怪異、白面金毛九尾の狐その人だった。

 

「早く気づいてくれて助かるわ。あかりが来たら面倒なことになるから」

 

 正体を明かした九尾の狐は女郎蜘蛛の眼を覗き込みながら、微笑を浮かべた。

 

「さあ、最後のチャンスよ。ここで死ぬ? それとも屋敷の場所まで案内する?」

 

 有無を言わせぬ2択。メリーさんに聞いた所によると同じ怪異でもためらいなく襲い掛かる気狂いらしいので、もし拒めば本当に殺されるだろう。

 

「……案内します。案内しますから、手を離してください」

 

 すると、九尾はぱっと手を離した。せき込む女郎蜘蛛を見下ろし、底冷えのするような声で言った。

 

「わかった。でも、もし妙な動きをしたら殺す。助けを呼ぼうとしても殺す」

 

「しませんよ、そんなこと」

 

 本気の九尾とはきっと戦いにすらならない。一人で抵抗しても一瞬で殺されるのが関の山だろう。女郎蜘蛛は立ち上がり、九尾を見た。

 

「……しかし、どうして隠れ屋敷へ行きたいのです。仲間が欲しいのですか?」

 

「仲間? お前たちが?」

 

 九尾は血走った眼でぎろりと女郎蜘蛛を睨んだ。それだけで心臓に氷柱を突っ込まれたような気がした。

 

「むしろ、怪異なんて皆殺してやるわ。私は一人よ。ずっと一人。周りを殺して、殺して殺して殺して……誰もいなくなるの。……あはは。玉藻。分かってる。なるべく早く移動しないとね」

 

――気狂い狐め。

 

 突然虚空に話しかけはじめた九尾の前で、女郎蜘蛛は苦々しい表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 あかりは凛を追いかけ、ある部屋に入った。

 

「……ここは、礼拝堂?」

 

 最初に目に入ったのは、入り口の傍に置いてあるオルガン。参加者が座る席が両脇に並べられ、その間の空間を赤いビロードが貫いている。その向こう―ステンドグラスから差し込む夕日に照らされ、凛が立っていた。

 

「そうです。教会がないので、キリスト教の人はここでお葬式をするそうですよ」

 

 凛はそう答え、傍にある棺桶を撫でた。目の前に凛―死者がいるという事実を目の当たりにして、あかりは驚きに打たれた。

 

「凛。どうして、生きてるの?」

 

「そんなのどうだっていいじゃないですか。会いたかったですよ、あかりさん」

 

 凛はそう言うと、立ちすくんでいるあかりに近づいてきた。歩き方。話し方。雰囲気。全て凛そのものだった。部屋の神秘的な雰囲気も相まって、本当に凛が生き返ったかのように思える。

 

(……でも、凛は死んだんだ)

 

 もし凛の死に背を向けたままだったら、生きているという甘美な嘘にころりと騙されていたかもしれない。しかしあかりは彼女の死をきちんと受けとめていたし、ドッペルゲンガーという前例を見たことがあった。だからこれは敵だと理解していた。

 

 だが、万に一つ彼女が生き返っていたとしたら。あかりはその可能性を排除するため、新しい呪具の名を呼んだ。

 

「『真白』」

 

 あかりの新しい呪具、「真白」は相手の思考の断片を読むことができる。真白に読心能力はなかったが、妖狐の特性の一つを引きのばして作ったため、このような能力になったらしい。野良怪異の駆除では全く使う機会がないが、メリーさんや吸血鬼のように知性のある怪異と戦うときなら役に立つはずだ。

 

 凛の思考が聞こえてきた。『動揺はしているか』『仕返ししてやる』『右手の炎は危ない』『あのときはなぜバレたのだろう』『やられても復活すれば』。

 

 あかりは驚いた。これは、凛と一緒に倒したはずのドッペルゲンガーではないか。

 

「どうして生き返ってるの? ドッペルゲンガー」

 

 あかりの一言に、ドッペル凛は目をみはった。そして、口を開く。

 

「『犬神』」

 

 あかりは自分が青いオーラに包まれたその瞬間、脇に並んでいる長椅子(チャペルチェア)の陰に隠れた。「犬神」にいったん祟られると攻撃を反射されるし、自傷攻撃は来ると分かっていても防げない。だが祟る対象は視界に収める必要があるので、隠れながら戦えばいいのだ。

 

「あかりさん。出てきてください。顔が見たいです」

 

 あかりはぎりと歯を食いしばった。凛は死んだのに。どうしてお前は生きているのか。こつ、こつと静かな礼拝堂に靴音が響いた。ドッペル凛が近づいてくる。

 

『なぜ分かった?』『何かの呪具か?』『まあいいか、殺せば関係ない』

 

 ドッペル凛は、一瞬で自分の正体を見抜かれたことに困惑しているようだが、あかりを仕留める気に変わりはないらしい。

 

(……とりあえず、目を何とかしないと)

 

 隠れているのは時間稼ぎにしかならない。『犬神』の祟りを封じるには、自傷させる暇を与えず接近し、視界をふさぐしかない。

 

 あかりはつばを飲み込み、いつでも飛び出せるよう前傾姿勢をとった。靴音が近づいてくる。あと数メートルというところになったら、ドッペル凛に飛びかかり、短刀による攻撃を左手で受けて右手で目をふさぐ。あかりは神経を極限まで研ぎ澄ませていた。

 

「逃げないでくださいよ。私を殺したくせに」

 

 そのとき、凛の声で責められたような気がして、心臓が跳ね上がった。揺さぶりをかけているのだと分かっていても、凛の死で植え付けられた罪悪感はいまだにあかりの心の底に根を張っていた。

 

 落ち着け。相手は敵だ。あかりは自分に言い聞かせた。

 

「……あかりさん。どうして私の代わりに死んでくれなかったんですか? どうして?」

 

 歩く音がぴたりと止まり――床を蹴る音がした。

 

 ドッペル凛は跳躍で一気に距離を詰め、飛び出そうと待ち構えていたあかりの前に着地する。ドッペル凛はにこりと笑ってあかりを見下ろした。

 

「『犬神』」

 

 青いオーラに包まれたあかりは『塗壁』で防御しようとしたが、その瞬間、ドッペル凛は自分の左手に深々と短刀を突き刺した。

 

「ああっ!」

 

 焼けるような激痛が手のひらに走ったかと思うと、ぱっくりと傷が開いた。痛みに悶絶しているあかりを見下ろし、凛は嗤った。

 

「痛そうですね。でも私はもっと痛かった」

 

 凛はそう言いながら、あかりの髪を掴んで立ち上がらせた。涙でぼやける視界の中で、ただ凛の虹彩だけが青く光っている。

 

「だから、今度は私があかりさんを殺す番です。ね、いいですよね」

 

「凛は、そんなこと言わないよ……たぶん」

 

 あかりは、左手の血をドッペル凛の眼に飛び散らせた。血の目つぶしをくらい、ドッペル凛は悲鳴をあげた。

 

「そして、こんな手も食わない。……やっぱり本物よりお馬鹿ね」

 

 あかりはドッペル凛の手から短刀を叩き落し、じたばたするドッペル凛を押し倒して馬乗りになった。ベースとなった凛があかりよりも小柄なため、犬神さえ封じればもう手も足も出せないのである。

 

「離せ! 離せぇぇ!」

 

「暴れないで」

 

 ドッペル凛は血で曇った眼をこじ開け、再びあかりを祟ろうとする。あかりはとっさに右手で目隠しをし、そのまま「鬼火」を発動させた。

 

「ぎゃああああ!」

 

 目を焼かれたドッペル凛は断末魔をあげた。それからしばらく暴れていたが、やがて観念したのかおとなしくなった。

 

「……また、殺すの?」

 

 ドッペル凛はしゃくりあげながら、ぼそりと言った。

 

「ええ。おやすみ、凛」

 

 凛そっくりに言う分、本当にたちが悪い。あかりは痛む心を抑えながら、『鬼火』で止めを刺そうとする。

 

『チョロいな』

 

 だが、ドッペル凛の思考の断片を聞き、それを思いとどまった。

 

「……切り札があるわね。それは何?」

 

 質問を呼び水にして、ドッペル凛の思考が漏れ出てきた。

 

『蘇生のことか?』『なぜこの人間はそれを感知した?』『まさか思考を』

 

「そう、読めるから隠しても無駄。蘇生って何?」

 

 あかりと凛は、確かにこの怪異にとどめを刺した。死体は持ち帰ったし、他の部分は全てチリになっていた。別種のドッペルゲンガーという線もありえないので、何らかの蘇りの手段があったはずだ。

 

「殺生石の力です」

 

 あかりに隠し事のしようがないことを悟ったらしく、ドッペル凛は正直に答えた。

 

「殺生石って、確か九尾の……まさか、九尾の仲間なの?」

 

「いいえ。私はオリジナルの殺生石を持っているわけではなく、この姿をもつ人間の能力をコピーしたにすぎません」

 

「……ってことは、オリジナルの凛が蘇りの力のある殺生石を持っていたってことか」

 

 あかりはドッペルゲンガーにいくつか質問をして、殺生石の仕様を把握した。死んでから幽体となり、任意の場所で身体を再構築できること。別人として蘇れること。身に着けていなければ効果がないこと。

 

 聞いていてあかりは眩暈を覚えた。これが本当だとしたら、本物の凛も生きているのではないか。

 

(でも、生き返ったならそのことを言わないのはおかしいし……何で隠してたんだろう)

 

 ドッペルが生き返った理由はわかったが、謎は増えるばかりだった。あかりは少し考え、ドッペル凛に訊いた。

 

「というかそもそも、なんで凛は殺生石を持っていたの?」

 

「父親から受け取ったからです」

 

「そのことは舞……凛のお姉ちゃんは知ってたの?」

 

 あかりの言葉を聞いたドッペル凛は妙な顔をした。そして一人納得したような顔をして笑い始めた。

 

「なるほど。ああ、確かに私は馬鹿でした。なんで気づかなかったんだろう。『私に姉なんていません』」

 

 ドッペル凛の言葉にあかりは目を見開いた。そういえば以前遭遇したときも、同じことを言っていた。あかりはそれで偽物だと判断していたのだが、()()()()()()()()

 

「私は御剣舞。凛なんていません。凛は生き返った舞が演じていた人間の名前。ただそれだけです」

 

 

 

 



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19,相棒の正体

 

 

 

 

 赤野やすらぎ会館での戦いで、あかりはドッペルゲンガーの生け捕りに成功した。だが、あかりのバディ―朝比奈は、目標だった社員「糸巻香織」とともにいなくなっていた。

 

「離れろって言われて……しばらくしたら二人ともいなかったの」

 

 直前まで一緒にいた谷子は申し訳なさそうに言った。宿直室の温度は凄まじい低温になっており、霜が降りていた。おそらく朝比奈の呪具によるものだ。谷子の言葉と、ドッペルゲンガーの話から推察するに、朝比奈はこの施設の管理者だった女郎蜘蛛と交戦したと思われる。

 

 朝比奈が勝ったのであれば行方不明になどなっていないはず。負けて殺されるか、戦闘不能にされた後、女郎蜘蛛に連れていかれたとみるべきだろう。

 

 一人で行かせるべきではなかった。彼女なら大丈夫だろうとあまり心配していなかったのが悔やまれた。

 

「朝比奈君を失ったのは痛いが……こいつを捕まえて来てくれたのは本当に大手柄だ」

 

 個室の中にいるドッペル凛を見て、丑三課長はそう言った。例のチョーカーをつけたドッペル凛は捕獲されてからの質問攻めで疲れたらしく、ぐったりとしている。

 

 ここ数時間の質問で分かったのは、この怪異がメリーさんの一味であることと隠れ屋敷の移動先、敵の陣容。屋敷が何県かまたいだ山村の傍にあることがわかると、課長は周辺の自治体や対策本部に連絡し、包囲のための人員を手配した。

 

 敵の陣容が分かったのも大きかった。気をつけるべきは酒呑童子、メリーさん、女郎蜘蛛、天狗の4人。九尾の狐は仲間ではないのかと聞いたが、ドッペル凛はそもそも狐の存在を知らないようだった。

 

 メリーさんと連絡をとっていたから女郎蜘蛛なら何か知っているかもしれないとは言っていたが、そうなると狐はメリーさん一派とは無関係にあかりの家を襲ったということになる。

 

 屋敷に怨敵がいないという事実にあかりは落胆したが、次の襲撃作戦で強力な敵を2体同時に相手取る必要がないというのは課長的にはありがたいことだったらしく、胸をなでおろしていた。

 

「それにしても舞君が殺生石をもっていたとはね。どれだけ本部が探しても見つからないわけだよ」

 

「……そうですね」

 

 そういえば、光紀は凛のことを「転校生」だと言っていた。舞と凛がいっしょに住んでいたのであれば、舞が死んだ時期に凛が転校してくることなどありえないのだ。ちょうど入れ替わるように「凛」が発生したという事実は、ドッペル凛の言葉の裏付けになっている。

 

 だが、それでは納得できないことがある。あかりはドッペル凛に質問した。

 

「なんで舞は『凛』なんて架空の人間を演じたの? 普通に生き返ればよかったのに」

 

 舞を失ったときのつらい気持ちを思い出し、あかりは少し怒りを覚えた。生き返れるなら教えてくれればよかったのに。殺生石をもっていることを知られたくなかったのだろうか?

 

 ドッペル凛の返答は、そんなあかりの予想の斜め上をいった。

 

「あなたが悲しむ様子を見るのが好きだったからですよ」

 

「え?」

 

「いや、私もよくわからないんですけど、御剣舞という人間はあなたが悲しむ様子を観察するのが好きみたいで……『凛』になった理由は、遺族として登場した方があなたの悲しみを楽しめるからです」

 

「……怪異に復讐したいって話も嘘ってことよね。なんで捨て身の攻撃ばっかりしてたの?」

 

「あかりさんが心配してくれるからでしょうね」

 

『舞』について凛が話すとき、あかりは苦しい思いをしてきた。自分に責任があるのだから受け入れなくてはと思っていたが、舞はそんなあかりの葛藤を見て楽しんでいたのだ。

 

「ふっ、ふざけないでよ……私がどれだけ……! どんな思いで舞と凛のことを……」

 

 いつもマイペースで、悩みごとなど無さそうだった舞の心の暗黒面を知り、あかりはどう心の整理をつけてよいか分からなくなった。心を弄ばれた怒り、舞が生きているという安心、屈折した感情への困惑。

 

「舞君はかなり君に執着しているようだね。何か心当たりはあるのかい?」

 

 丑三課長の言葉を聞いて、あかりは舞と初めて会った日、彼女が浮かべていた寂しそうな目を思い出した。

 

「たぶんですが、舞は家族がいなくなってずっと一人ぼっちだった。だから、それで私に……」

 

 言いかけて、あかりは舞と同じ目をした少女――真白のことを思い出した。あかりの母親に娘のようなものだと言われ、一瞬見せたあの目。

 

「まさか、真白も……?」

 

 彼女が現れたのは、凛が死んだ直後だった。今までその理由が分からなかったが、舞=凛=真白を前提として考えると話が通ってくる。真白が出現したとき、あかりは縊れ鬼に操られ自殺しようとしていた。舞はそれを止めるために「真白」を作ったのではないか。

 

 鎌鼬が使えたこと。苦いものが苦手なこと。お風呂で映画の主題歌を歌っていたこと。思えばこの説を裏付ける証拠はいくつもある。

 

 あかりがそれについて語ると、課長は険しい顔をした。

 

「真白君がなぜ異類として出現したのかが分からないが……それなら彼女の死の意味も違ったものになるかもしれないな」

 

「どういうことですか?」

 

「真白君が九尾に殺されたのを見たといったのは、君の弟だろう? 彼には怪異がはっきり見えないから相手の正体は分からず、君はその正体を外からやってきた九尾だと判断した。でも、実際は違ったんじゃないかな」

 

 あかりは課長の言わんとすることを察した。吸血鬼の判定では、真白は「妖狐」と判定されている。外からやってきた九尾が時雨家を襲ったというよりも、舞=真白=九尾があかりの両親を惨殺し、自分の死を偽装したという方が自然なのだ。

 

「狐の怪異は幻術を使える手合いも多い。君の弟の眼をごまかすくらい朝飯前だろう」

 

「でも、どうして私の両親を殺す必要があるんですか」

 

「……さっき、ドッペルゲンガーが言っていただろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あかりは耳を疑った。そんな理由で人を殺す人間がいるのだろうか。

 

「まさか……舞がそんなことするなんて……」

 

 ありえない。と言おうとしたが、声がかすれて音にならなかった。舞ならやるかもしれない。何しろあかりを悲しませるという目的のためなら、痛みを承知で命を軽々と投げうつような人間なのだ。自分の命すら大事にできないのに、他人の命を大事にできるとは思えない。

 

 それにわざわざ戸籍や遺書まで用意する手の込みようを考えると、課長のいうような自作自演をやっていてもおかしくはなかった。

 

(どうして私にこだわるの。本当にお母さんたちを殺したの)

 

 舞に会いたい。会って確かめたい。あかりはドッペル凛に訊いた。

 

「……舞は、今誰に化けてるかわかる?」

 

「いえ。ただ、『凛』の次に予定されていた名前は知っています」

 

「それは?」

 

「朝比奈八千代、です」

 

 思わず、あかりは壁を殴りつけた。

 

「最初に言いなさいよ」

 

「……訊かれなかったので」

 

 ドッペル凛の態度だけでなく、自分にも腹が立った。組んだばかりなのに連携がとれていたことも、博多で仕事をしていたと言ったのも、舞と同一人物だったからと言えばうなずける。

 

 つまり舞は、舞→凛→真白→八千代の順で入れ替わり立ち代わりあかりの傍に居続けていたのだ。到底予想できる話ではないため仕方のないことであるが、どこかで彼女の正体に気づけていたら。あかりはほぞを噛んだ。

 

「まあ、舞君の行方については気にしなくてもいいだろう。だって彼女は君に固執してるんだろ? 放っておいても向こうからやってくるさ」

 

「……見破れますかね」

 

「さすがに、最初から疑ってかかれば分かるよ。経歴を検証するのに多少時間はかかるけど」

 

 丑三課長がそう言ったとき、小坂部が部屋に入って来た。

 

「課長。いいニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞きたいですか」

 

「もったいぶらずに両方教えてくれ。いいニュースは?」

 

「隠れ屋敷が見つかりました。現地の怪異課が包囲網を構築しています」

 

 心なしか、小坂部は少し嬉しそうだった。浜矢の仇が討てるからだろうか。あかりは少し彼女を羨ましく思った。何せ、あかりの仇は親友『だった』舞の可能性が高いのだから。

 

「それで、悪いニュースは?」

 

「九尾が屋敷に入って行きました」

 

 思わずあかりは立ち上がった。課長は落ち着けと目であかりを宥め、小坂部に訊いた。

 

「包囲してる怪異課は何もしなかったのかい?」

 

「……できるわけないですよ。あんな桁違いの瘴気を纏ってるバケモノ、今まで見たことないですし。画像ありますけど、見てみます?」

 

 包囲中の職員が撮影したものらしい。遠くからのズームだったため若干画質は粗かったが、そこに写っているモノが何であるかは分かった。

 

 山奥に似つかわしくない色とりどりの着物。九つに先分かれした黄金の髪。手にはなぜか凍り付いた女の首を持っている。そしてその顔は、瞳や眉の色こそ違うものの、御剣舞の生き写しだった。

 

 その瞬間、あかりは脱力した。舞=九尾ということなら両親を殺したのは舞以外に考えられない。舞は、両親を殺したのだ。あかりが悲しむのを見たいというただそれだけの理由で。

 

「舞……どこまで……どこまで私をおもちゃにすれば気が済むの」

 

 拳を握りしめ、わなわなと震えているあかりを見て、小坂部は怪訝そうにした。

 

「舞? 知ってるの」

 

「知ってるも何も、この子の相棒だった子さ」

 

 課長の言葉に、小坂部は目をみはった。

 

「……私たちも行こうか。あの屋敷に突入するなら、入った経験のある人間がいた方がいいだろうし……舞君の性格を知っていた方が、戦いに有利だろうからね。移動系の呪具をもってる職員を手配してくれ」

 

 課長のてきぱきとした指示を聞きながら、あかりの心は深く、暗い海の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 メリーさんは焦っていた。怪異課の襲撃やなぜか怒り狂って攻撃してきた九尾の追撃を免れ、ようやく移動先の山奥で一息をつけると思っていたのに――現地の怪異課による包囲網ができつつあるのだ。

 

「なんで。なんで。なんでよ! 移動先なんて分かるはずないのに」

 

 憑りついているドローンから、隠れ屋敷を監視する人間が何人も見えた。向こうはメリーさんがドローンで情報収集していることも把握しているらしく、マシンガンの射程に入るとさっと距離をとられてしまう。

 

 何回か排除できないか試してみたが、向こうは戦いに積極的でない。おそらく包囲しておいて本隊―怪異対策本部隊やそのほかの増援が来るのを待っているのだろう。奴らは前回の戦闘から、こちらを仕留めるのに十分な戦力と作戦を用意・投入してくるはずだ。

 

 この時点で戦いの帰趨が見え、メリーさんはため息をつきたくなった。

 

(せめて、酒呑童子の復活が果たせれば、何とかできたのかもしれないけど)

 

 あいにく、九尾との戦闘で余計に力を消耗したため酒呑童子の復活は遅れていた。安定的に死体を供給するシステムはこの街に構築していないので、目立たないようにヒトを食わせることができなかったのである。

 

 メリーさんはドローンを屋内に戻すと憑依を解除して、主のいる座敷までやってきた。

 

「人間たちの様子はどうだ」

 

 黄金の仮面は輝きを取り戻し、九尾と戦ったときくらいには力が戻っている。だが、次にやってくる狩人たちと戦うことを考えると心もとない。人間たちは情報を共有し、数の力で攻めてくるからだ。

 

「今は大丈夫です。しかし、こちらを倒す戦力が整い次第攻め込んでくると思います」

 

「……今の我で何とかできるか?」

 

「おそれながら、前に貴方と遭遇した狩人の情報から対策を打たれていると思うので厳しいかと」

 

 気を悪くするかと思ったが、酒呑童子はふむと言うだけで何も言わなかった。

 

「それならば逃げるしかあるまい。メリー。怪異はいくらでも集められる。肝要なのは、我とお前が討たれぬことだろう」

 

「おっしゃる通りです」

 

 メリーさんはうなずいた。自分の能力で酒呑童子とともにドローンに憑依し、偵察と見せかけてそのまま脱出する。余裕があればいったん藤見市に戻り、有能な味方―女郎蜘蛛やドッペルゲンガーをついでに回収する。

 

 狩人のいない楽園を作るという目標は遠ざかるが、この組織にこだわって逃げられなくなる方が危険だ。メリーさんは大半の味方を切り捨てる判断を下し、「次」のことを考え始めた。どこを拠点にするのか。課に追われないようにどう工夫すべきか。

 

 だから、誰かが後ろの障子を開き、中に入って来たことに気づくのに遅れた。

 

「ああ、揃ってるわね」

 

 振り向くと、そこには女郎蜘蛛がいた。いつもの無表情ではなく、心の底から嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

「……外は狩人たちに見張られてたはずなのに、よく入ってこれたわね。というか貴女には、葬儀場にいるよう命じたはずだけど。どうしてここにいるの?」

 

「どうって。普通に歩いてだけど」

 

 口調も違う。メリーさんが警戒心を強めたとき、女郎蜘蛛は何かを放り投げた。

 

「で、蜘蛛が葬儀場にいないのは、もう任務を果たせないから」

 

 地面に落ちたのは女郎蜘蛛の頭部だった。4つの虹彩は光を失い、ぼんやりと宙を見上げている。メリーさんは思わず謎の闖入者の方を見た。

 

「会いたかったわ、メリーさん。酒呑童子」

 

 女郎蜘蛛は虹色の光を放った。メリーさんはあまりのまばゆさに目をつむった。光が薄れ、再びあたりに薄暗さが戻ってきたとき、九尾の狐がそこにいた。

 

「……そういうことですか」

 

 藤見市に残した女郎蜘蛛から情報を聞き出し、こちらへ来たのだろう。女郎蜘蛛は課の職員程度ならうまくいなせると思っていたのであまり心配していなかったが、最悪な相手が来てしまった。

 

 メリーさんは冷や汗をかきながら九尾を見た。何が逆鱗に触れたのかはわからないが、九尾は同胞であるはずのこちらを敵対視している。狩人たちでさえ手に余るのに、九尾など相手にしていられない。

 

「まもなく人間の狩人がここに押し寄せてきます。私たちと戦って消耗したら、貴女も危ないんですよ」

 

「どうでもいいわ。そこをどきなさい」

 

「どうしてですか。それほどの力があって、どうして狩人たちと戦ってくれないのですか」

 

 それを聞いた九尾は目を細めたかと思うと、メリーさんの脚を払った。バランスを崩し転んだメリーさんの頭を踏みつけ、囁く。

 

「『人に何かを頼むときは、まず頭を下げる』んでしょう?」

 

「……ま、さか」

 

 メリーさんが御剣凛に放った言葉。九尾は「真白」よりもずっと前から狩人に化けていたのだ。その彼女にいったい何をしたのかを思い出し、震えが止まらなくなった。

 

「言っておくけど、別にメリーさん、あなたがやったことに怒っているわけじゃない。むしろ嬉しかったわ。あかりのいい表情を見られたから。……でもね」

 

 九尾はメリーさんの頭を蹴飛ばすと、ずっと押し黙っていた酒呑童子の方を見た。

 

「私以外を殺した奴は許さない」

 

 瞬間、九尾の両手から火焔が放たれた。酒呑は炎に包まれ、苦しそうな声をあげた。九尾はそれを見て、目を爛々と輝かせる。

 

「あーっはははははは! 熱いでしょ? 痛いでしょ? でもね、こんなのじゃ足りない。こんなのじゃ足りないの!」

 

 九尾は哄笑とともに炎を立て続けに浴びせる。いくら鬼に再生能力があるといっても、あれだけ立て続けに攻撃を受ければ再生が間に合わない。ドローンを持ってきて逃がさなければ。

 

 メリーさんがそう思って立ち上がった瞬間、九尾は振り向いた。

 

「なるほど? そういえばドローンなんて持ってたわね」

 

 なぜ分かった。メリーさんの驚愕をよそに、九尾は天を指さした。

 

 轟音。天から降り注いできた稲妻が屋敷の天井を貫き、身体をしたたかに打ちすえた。高層ビルのてっぺんから飛び降りたような衝撃が身体を駆け巡り、メリーさんは倒れる。

 

「あれ、殺す気で撃ったんだけど……丈夫なのね」

 

 九尾はびくびくと痙攣するメリーさんを見下ろし、意外そうにつぶやいた。

 

(もう一発喰らったら間違いなく死ぬ)

 

 逃げなければ。メリーさんは言うことを聞かない身体を動かし、這いずってドローンの置いてある部屋へ向かおうとした。しかしそのスピードはだんだんと緩慢になり、ついには1ミリも動けなくなった。

 

「これ、は……」

 

 メリーさんの視界の端で、九尾の全身から虹色の煙が吹き出しているのが見えた。

 

「『毒霧』よ。別にあなたを今すぐ殺してもいいんだけど……あなたの前でこいつを殺した方がいいかなって。おとなしくそこで見ときなさい」

 

 九尾はそう言うと、メリーさんと同じく毒霧を吸い込み、目を白黒させている酒呑童子に近づいた。

 

「やめて……」

 

 完全復活すれば、狩人たちを皆殺しにできるのに。メリーさんにとっての希望が、目の前で摘まれそうになっている。

 

「やめてよ……」

 

 視界がにじんだ。自分が殺されるだけならまだよかった。だが酒呑童子まで殺されたら、再起はない。それで何もかも潰える。メリーさんは叫んだ。

 

「やめてえっ!」

 

「……いい声で泣くじゃない、メリーさん」

 

 その瞬間、九尾は両手でつかみ、酒呑童子の頭部を燃え上がらせた。ゼロ距離で九尾の術を喰らった酒呑童子は、断末魔をあげる。苛烈な炎で四ツ目の仮面が焼け崩れ、厳つい益荒男(ますらお)のような顔が露わになったが、そこにはすでに色濃く死相が表れていた。

 

「終わりよ」

 

 九尾がそう言った瞬間、酒呑童子の頭が弾けた。黒いチリが空中に消え、残った4つの眼球がべちゃりと畳に落ちた。

 

「ああ」

 

 力が抜けた。メリーさんの計画は全て無駄になった。他の怪異に夢を託すことすらできず、今からみじめに死ぬのだろう。そう思うと、目の前が真っ暗になった。

 

 九尾は残っている酒呑の眼球を丹念に踏み潰していたが、おもむろに振り向いて手を伸ばしてきた。抵抗しても仕方ないので、迫ってくる「死」を見上げていた。

 

(ひどい顔)

 

 九尾の瞳に自分の顔が映っていた。顔は蒼白になり、目は澱んでいる。涙の痕でぐちゃぐちゃになったこの無様な顔は、どこかで見たことがあった。

 

 首に九尾の手が巻きつくのを他人事のように眺めながら、どこだったっけ、とメリーさんは考えた。記憶の底を引っかき回し、やっと思い出したのは始末したときの神標の様子だった。

 

 恋人の死を知り、嬲られたすえに殺された狩人。彼女と同じ表情を自分は浮かべている。九尾の爪が食い込むのを感じながら、メリーさんは自分を襲った抗いがたい感情の正体を理解した。

 

(これが絶望か)

 

 枯れ枝の折れるような音がして、メリーさんの首はへし折れた。全ての感覚が喪失し、無だけが残った。

 

 

 



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20,希死念慮

 

 

 

 屋敷にいた最後の怪異の死体がチリになったのを見届けると、長く息を吐いた。酒呑童子とメリーさんを殺したあとは、たいして強い怪異がいなかったため楽な仕事だった。

 

(……父さん、母さん、浜矢さん。仇、討ったよ)

 

 もちろん怪異たちを殺したところで私の罪が赦されるわけではない。ただの自己満足だ。だが、それでもやるべきことが終わったので、妙にすっきりした気分だった。

 

『終わったな、舞。復讐を遂げた感想はどうじゃ?』

 

「……別に。普通だけど」

 

『そうか』

 

 玉藻がにやにや笑っているのを見て、私は少し語気を強くした。しかし玉藻は意にも介さず、「ところで」と話を続ける。

 

『外の怪異課連中が屋敷に入って来たようじゃ。まもなくこの座敷にも来る』

 

 九尾は9つの神通力―「火炎」「吹雪」「稲妻」「毒霧」「盾」「読心」「幻術」「変身」「予知」をもっているが、「予知」は玉藻がその内容を告げるという形で知ることになる。予知された出来事が実際に起こるまでは10秒~30秒というところなので、制限時間は短い。

 

 私は急いで「朝比奈」に変身した。頭に血が上っていたためあかりや谷子を放って屋敷まで来てしまったが、「保存食糧」として連れていかれたと言えば言い訳になるだろう。「味見」されたということにして手を失った状態に化けた方がリアリティが増すだろうか。

 

 そんなことを考えているうちに、足音が聞こえてきた。

 

「……朝比奈さん?」

 

 障子をあけて入って来たのは、あかりだった。てっきり外に展開しているのは現地の怪異課だと思っていたので、まさかあかりに会うとは思わず、面食らった。

 

「時雨さん。どうしてここに」

 

「突入隊として呼ばれたんです。とりあえず、ここからでましょう」

 

 あかりは私の手を引き、歩いていく。

 

「……助けに来てくれてありがとう。蜘蛛にやられちゃって……不覚だったわ」

 

 そう言うと、あかりはぴくりと眉を動かした。

 

「その怪異なんですが……屋敷に突入しても、1体もいないんです。包囲してて逃げられるはずがないのに。朝比奈さん、何か知りませんか」

 

 当然だ。屋敷の中にいた怪異は私が一掃した。とはいえただの一職員であるはずの「朝比奈」にそんな芸当ができてはおかしいので、私はかぶりを振った。

 

「わからない。さっきまで私は気絶してたから。どこかに抜け穴があるのかな」

 

「……抜け穴、ですか。奴らが私たちに特定されることまで予想していたとは思えませんが」

 

「一回襲撃したわけだし、そういうのが用意されても不思議じゃないと思うけどな。それにしても、どうやって課はこの場所を突き止めたの?」

 

「朝比奈さんが女郎蜘蛛と戦ってるとき、私も葬儀場にいた怪異と戦ってたんです。そいつから聞きだしました」

 

 もう一体いたのか。私は隠れ屋敷の手がかりを探ることに夢中になって、あかりを一人にしてしまったことを反省した。あかりが勝ったから良かったが、殺されていたら取り返しがつかなかった。

 

 そうこうしているうちに玄関にたどり着き、私とあかりは外に出た。

 

 すでに夜のとばりが下りており、辺りは暗い。今日は満月だったが、月明かりがないのは稲妻の術で雲を呼び寄せたためらしい。暗闇を包囲を敷く職員たちの篝火が照らしていた。その数は何十もあり、かなりの職員が集められているようだった。

 

「……すごい数。これじゃ、怪異たちも逃げるしかないわね」

 

 私のコメントに、あかりはゆっくりと振り向いた。その顔は、怒っているような、泣いているような形容しがたい表情だった。

 

「逃げられませんよ。五幣さんのときみたいに、結界を張ってますから」

 

 あかりは私を睨みつけ、絞り出すように言った。

 

「あなたもです。朝比奈さん──いや、九尾の狐」

 

 私は凍り付いた。頭をがつんと殴られたような気がした。

 

「……一体、なにを」

 

「慣れた呼び方の方がいい? ねえ、舞」

 

 二度目の衝撃は、最初の何倍も大きかった。あかりが、なぜ私の正体を知っている。フリーズした私の前で、あかりはつぶやいた。

 

「私が葬儀場で戦った怪異は……ドッペル凛だった。覚えてる? 私と一緒に倒した怪異よ。あなたのもってた殺生石の能力をコピーして復活してた」

 

「………」

 

「それで、あなたの企みを全部聞かせてもらったわ」

 

 確かにドッペルにコピーされたときの「凛」の記憶を辿れば、私にたどり着くことは可能だ。全く予想だにしていなかった。私は天を仰いだ。

 

「私を……悲しませたいって? そのために死んでたって? ……別にそれはいいわ。あなたの命だから、どう使おうと文句を言う筋合いはないかもね。でも……っ」

 

 次の瞬間、あかりは感情を爆発させた。

 

「そんなことのために私のお父さんとお母さんを殺したのは、絶対許さない!」

 

 あかりは憎悪をこめた視線で私を貫く。あかりは今まで見たことがないほど激昂していた。強烈な敵意を向けられた私は、思わず後ずさった。

 

「ち、違……」

 

 そして言い訳しようとして思いとどまった。もはやあかりが私の言葉を信用するとは思えない。それに私のせいで二人が死んだのは事実なのだ。

 

 喉がからからになる。心臓が締め付けられるような感覚がして、私はぎゅっと胸を押さえた。

 

『どうする? 舞』

 

 私の隣に現れた玉藻は目を細めながら言った。

 

『お前はまだ十分瘴気を残しとる……前は征伐されたが、あれは万の軍勢を相手取ったからじゃ。この程度の数なら、皆殺せる』

 

 悪魔のような囁きだった。もしも私が何が何でも生きたいと願う人間なら、彼女の言葉に従っただろう。だが──

 

(皆を殺して生き残って、私は何をすればいいの?)

 

 そもそも私には帰るべき家はない。会いたい家族ももういない。そしてたった今、あかりと一緒にいて、彼女を見続けたいという希望さえも喪った。私が生きる意味は残っていないのだ。

 

 出せる結論は一つ――あかりの復讐を受け入れる、しかない。

 

 だが、攻撃のそぶりも見せず無抵抗でいれば、生け捕りにされる危険がある。人権のない私は捕まれば国に管理・実験の対象とされ、死んだ方がマシな日々を送るはめになるだろう。

 

『言っておくが、自殺はできんぞ。自分の能力は自身には効かぬからな』

 

 玉藻は私の思考を先回りしたかのように答える。火焔や吹雪を使っても自分が火傷したり凍ったりしなかったのはそういうわけらしい。ということは、私はあかりにとっての黒幕として立ち振る舞い、殺してくれるよう仕向けなければならないわけだ。

 

(ああ、寂しいな)

 

 あかりに憎まれるのはつらい。だが彼女に憎まれながら生きていく方がもっとつらかった。ここで終わりにしてもらえるよう、いい演技をしなければ。私は詐欺師(シェイプシフター)としての最後の仕事にとりかかることにした。

 

 

 

 

 

 

 あかりに詰め寄られ朝比奈は茫然としていたが、やがて両手で顔を覆い、笑い始めた。

 

「……くふっ、ふふふ。はは、あはは!」

 

 あかりや他の職員たちをも気に留めず、彼女は哄笑した。あまりの不気味さに誰もが手を出せないでいると、朝比奈はぴたりと笑うのをやめた。

 

「そう、化かしていたつもりだったけれど、見抜かれてたのね。ええ、私は御剣舞よ」

 

 朝比奈が手を下ろすと、舞の顔がそこにあった。正体を現した舞――白面金毛九尾の狐から、邪悪な瘴気が吹き付けてくる。

 

「そして……凛も私、真白も私、八千代も私。全員同一人物」

 

 舞はそう言うと、凛の姿に変身した。微笑を浮かべながら、真っすぐあかりの顔を見てくる。

 

「まさか私の正体に気づくとは思いませんでしたよ、あかりさん」

 

「……どうして、私を苦しめたがるの。私が嫌いだったの?」

 

 今度は、凛は真白に変身した。おおげさに首をかしげ、口を開く。

 

「ううん、それは逆かな」

 

「……は?」

 

 あかりが聞き返すと、真白は朝比奈に変身した。

 

「つまり、時雨さん。大好きなあなただからこそ、苦しんでほしかったの。それに、ふふ……面と向かって言うのはなんだけど……あなたが悲しんでくれるほど、私は愛されてるってことでしょう?」

 

 狂気の一人芝居を終えて元の姿に戻ると、けらけらと舞は笑った。

 

「狂ってる」

 

 親友だと思っていた舞は、誰よりも理解不能な存在だった。ただ、歪み切ったあかりへの友情、愛情が彼女を突き動かしていたことだけは理解できた。

 

「お父さんとお母さんを殺しただけじゃない。浜矢さんも……本当は助けられたんじゃないの」

 

 舞は一瞬だけ真顔になったが、すぐに笑みを取り戻してうなずいた。

 

「ええ。だって、そうしたらあかりはもっと悲しんでくれるでしょう?」

 

 舞の言葉に、あかりは言いようのない怒りを覚えた。浜矢も、命を懸けて守ったのがこんなクズだったと知れば浮かばれないだろう。課長や突入組が戻って来るまで喋って時間を稼ごうとしているのだが、その役目を捨てて彼女を攻撃したくなった。

 

 そんなあかりの気配を察知したのか、舞は笑いを引っ込め肩をすくめる。

 

「……でも、ここまでばれちゃったらしょうがない。方針を変えるわ」

 

「どういうこと?」

 

 舞はにこりと笑って言った。

 

「私はここで怪異課全員を殺すけど、あかりだけは見逃してあげる。その代わり、これからあかりの友達は全員殺す。光紀君も殺す。恋人ができたら、結ばれる直前で殺す。自殺もさせない。死ぬまで苦しんでもらう」

 

 ぞっとした。やろうと思えば舞はそれができる。つまり舞―九尾の狐と戦って勝たなければ、あかりの人生は殺される。生かさず殺さず、地獄のような日々を送ることになるのだ。

 

「ね、あかり。……ずっと一緒にいよう」

 

 もはや呪詛のような告白を聞きながら、あかりはぎりと歯を食いしばる。そのときだった。

 

「『がしゃどくろ』」

 

 空中から現れた巨大な骸骨が、舞めがけて拳骨を振り下ろした。あかりが飛びすさった直後、がぁん、と鋼鉄をぶつけ合ったような衝撃が走った。

 

 屋敷の方を見ると、課長と伊見が戻って来ていた。あかりと対峙する舞をみて、とっさに攻撃の判断を下したらしい。

 

 しかし骸骨の拳は、舞の数十センチ手前で止まっていた。半透明の虹色の硝子のような結界が彼女の前に現れている。あれで課長の攻撃を受け止めたのだろう。舞は巨大な骸骨を見上げ、眉をひそめた。

 

「その程度ですか? 課長。攻撃と言うのは……こうするんです」

 

 舞が息を吹きかけると、がしゃどくろの腕が一瞬で冷凍された。そのまま無造作に手を振り上げ、橈骨を叩く。

 

 こおん、と小気味のいい音が反響したかと思うと、指の先端から腕がぼろぼろと崩れていき、地面に落ちてはチリとなって消える。課長は構わず骸骨の左手を振るったが、これもやはり舞の盾に防がれた。

 

「何度やっても同じよ!」

 

 その瞬間、舞は天を指さした。雷鳴が轟き、腕を削がれた骸骨に稲妻が直撃する。それでも骸骨は立っていたが、二発目を喰らうと体勢をくずし、大質量のチリへと変わり始める。

 

「『精霊風』」

 

 崩れていく骸骨の影から小坂部が現れた。課長の呼び出した骸骨の中に潜んでいたらしく、身体がチリで薄汚れている。舞との距離は10メートルほど。呪具の射程内だ。

 

 だがその奇襲すら読みのうちだったらしく、舞は慌てず青色の炎を周囲にまき散らす。瞬間的に舞の周囲の空気が一万度近くまで温められ、風向きが逆転した。

 

「うっ?」

 

 自ら放った魔風を喰らい、小坂部は昏倒する。そのまま炎で焼き殺されるかと思ったが、なぜか舞はその寸前で炎を消したため、課長が抱えてなんとかあかりの傍まで退避させることに成功した。

 

「……うん、彼女は生け捕りにはできないね。強すぎる」

 

「どうします。あの結界、割れる気がしませんが」

 

 あかりは離れたところで不気味に笑う舞を睨みながらそう言った。悔しいが、今のやりとりに割って入っていく自信はない。唇を噛むあかりの言葉に、課長は特に困った様子も見せず、淡々と答える。

 

「一対一で無理なら、受けきれなくなるまで攻撃を飽和させればいい」

 

 課長はそう言うと、銃でポイントするような格好で舞に人差し指を向け、声を張り上げた。

 

「攻撃!」

 

 シンプルな一言。その余韻が消えるかどうかという瞬間、包囲していた何十人もの職員たちが舞に集中砲火を浴びせた。呪い、銀弾、光線、投擲槍、破魔矢、そしてあかりの鬼火。並の怪異であれば一秒でチリになるような攻撃を受け、さしもの九尾も命運は尽きたかに思われた。

 

(たお)した……?」

 

 誰かがそう言った瞬間、稲妻が落ちた。空中で電気が弾け、職員たちは頭を抱えて逃げ惑いはじめる。舞の結界には無数のヒビが入っていたが、本人は無傷だった。

 

「……ね、勝てないでしょう?」

 

 舞が微笑むと、雷で浮足立っていた職員たちは我先にと逃げ出し始めた。当然だろう。あれだけの猛攻を浴びて無傷で済んでいるバケモノとやりあったら、命がいくつあっても足りない。

 

「あかり君……君も逃げたらどうだい。後は私たちがどうにかするから」

 

 舞の方を見たまま課長はそう言った。おそらく、もう切るべきカードは残っていないのだろう。せめて一矢報いようという決意がその背中から垣間見えた。

 

「嫌です。私はそうやって何度も何度も後悔させられてきました。戦いますよ。最後まで」

 

「じゃあ、付き合ってもらおうかな」

 

 課長は気絶している小坂部を地面に横たえ、立ち上がった。「赤マント」を身に着けた伊見もやってきて、これで3人。九尾との戦力差は絶望的だった。

 

(それでも、最後まで)

 

 結界にはヒビが入っている。あともう一押しできれば舞を斃せるかもしれない。たとえあかりがここで死ぬとしても、刺し違えて──

 

 そこまで考えたとき、あかりは遅まきながら気づいた。舞はあかりを殺せない。彼女の目的はあかりの苦しむ顔を見ることで、殺すのは論外なはずだ。

 

「課長。骸骨はもう一回出せますか?」

 

「出せるけど、何かいい案が?」

 

「はい。ひょっとしたら舞を……倒せるかも、です」

 

 

 

 

 

(……少しやりすぎたかな)

 

 周りにいた職員たちが逃げだし、包囲網が解けてしまった。まあ威嚇攻撃でうっかり人を殺してしまう危険が減るのでありがたいといえばありがたいのだが。

 

 連続で能力を使用したためか、少し疲れた。私は長く息を吐きだし、壊れかけの結界を見上げた。新しいものを張ることは造作もないが、それでは私を殺すことが不可能になってしまう。あえて隙をさらしているのだ。

 

 さて、あかりはそろそろ私の殺し方を思いついてくれただろうか? そう思ったとき、もうもうと舞う土煙の中から、巨大な影が立ち上がった。そちらに目を向け、私は思わず頬を緩める。

 

(正解)

 

 課長の出した「がしゃどくろ」の手のひらに、あかりが乗っていた。巨大な骸骨はあかりを私のいる方に向け、ゆっくりと歩みを進める。

 

 炎、吹雪、稲妻、毒霧。全て彼女を巻き込むため使えない。あかりは、自分を盾にすれば私が攻撃できないとふんで課長にこの案を出したのだろう。これこそ、私が想定していた「自分の攻略法」だった。

 

(……嬉しいな)

 

 私は迫ってくる骸骨を眺めながら、しみじみとそう思った。あかりは信用してくれているのだ。私は絶対に彼女を傷つけないということを。

 

 骸骨の裏拳が振り下ろされ、結界が粉々に砕けた。同時にあかりが骸骨から飛び降り、私の前に着地する。

 

「覚悟しなさい」

 

 あかりは私に飛びかかってきた。少しでも動けばあかりにけがをさせてしまうかもしれないので、無抵抗のまま組み伏せられる。

 

 ふーっ、ふーっ、と荒く息を吐きながら、あかりは私の首に両手に手をかけた。九尾の怪異としての特性で多彩な術を使えるが、酒呑童子のようにでたらめな回復能力があるわけではない。もしこの瞬間、彼女が「鬼火」と言えば私は死ぬだろう。

 

 冷たい手の感触を喉に感じながら、私はあかりを見上げた。

 

「残念。負けちゃったわ」

 

 ちろりと舌を出した私を見て、あかりは首を絞める手に力をこめた。

 

「……言ったよね。私、絶対許さないって」

 

 彼女は歯を食いしばり、私を睨みつける。あかりの眼には、見た者を焼き尽くすような殺意が見て取れた。どうやら、あかりは私を楽に殺すつもりはないらしい。

 

「あなたさえ! あなたさえいなければ!」

 

「かっ……ひゅ……っう、ふふ」

 

 さらに力が込められる。これでいい。あかりはこれで仇を討てるし、私は父さんと母さんのところにいける。シナリオ通りだ。

 

 だが――なんだろう、この心の空虚さは。うまくいったのに、狙った通りの結末のはずなのに、涙があふれて止まらないのだ。

 

「死ね、()()!」

 

 死への恐怖でも自己憐憫でもない。ただ寂しかった。私を一番想ってくれていたあかりに憎まれたまま死ぬということが、これほどつらいとは思わなかった。

 

「ぁ……かり」

 

 だんだんと視界がぼやけていく。それなのに、宇宙の中に1人だけ残されたような孤独だけがはっきりと感じられた。本物の死が目前に迫ってくる。

 

 

 痛い。

 

 

 苦しい。

 

 

 誰か、誰か私の手を握ってくれ。

 

 

 抱きしめてくれ。

 

 

 ぬくもりが欲しい。

 

 

 一人で死ぬのはいやだ。

 

 

 寂しい。さびしい。さびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしい──

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき、首を絞めていた手がふっと緩んだ。私はせき込み、潤んだ目で見上げる。あかりは憑き物が落ちたような表情をしていた。その首元で、『真白』──マフラーがきらめいている。

 

「どうして」

 

 あと少しで私を退治できるところだったのに、なぜやめるのだろう。それに、あかりを動かしていた激情はもうどこにも見当たらない。私が困惑していると、あかりは絞り出すような声で聞いてきた。

 

「もう一度聞くわ。父さんと母さんを殺したのはあなた?」

 

「……ええ、そうよ」

 

 答えると、あかりは泣き出しそうな顔で呟いた。

 

「嘘ばっかり」

 

 

 

 

 



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21,エピローグ

 

 

 

 

 あかりが『真白』を使ったのは、至極合理的な理由だった。ドッペル凛のように蘇生されるのならもしここで舞を殺しても意味がない。このまま本当に息の根を止められるのかを確認する必要があった。

 

 ──誰か、私の手を握ってくれ。寂しい。寂しい。寂しい。

 

 舞の慟哭が聞こえてきた。少なくとも蘇生できる者の余裕はない。舞の不死性はすでに失われているのだろう。これなら後はとどめを刺すだけだ。

 

 だが、悲鳴のような舞の心を読んでいるうちに、あかりの殺意はしぼみ、代わりに疑問が頭をもたげてきた。本当に彼女は悪人なのだろうか?

 

 小坂部を焼く前に炎が消えたこと。両親が殺害された夜、光紀だけは見逃したこと。先ほど見せた凶悪な人格が本来の舞だったとすれば、行動に一貫性が無さ過ぎる。「全員殺す」と言ったのに逃げていく職員に対して追撃のそぶりを一切見せなかったのも違和感があった。

 

 だからもう一度訊いた。

 

「もう一度聞くわ。父さんと母さんを殺したのはあなた?」

 

「ええ、そうよ」

 

 彼女の心を読んで、あかりは肩から力が抜けていくのを感じた。舞は殺すべき敵ではない。

 

「嘘ばっかり。やっぱり舞じゃないんだね」

 

 それを聞いた舞は目をみはった。

 

「どうして」

 

「舞。あなたには説明してなかったけど、私はあなたの力の一部を再現した『真白』で心を読むことができるの。舞も心を読む力、あるんでしょ?」

 

「……あかりには驚かされっぱなしね」

 

 それから、あかりは全ての真相を聞き出した。

 

「真白」を食べるため酒呑童子が来たこと。両親を助けられなかったこと。光紀だけは助けたが、殺生石の使用回数の上限を超え、完全な怪異になってしまったこと。

「朝比奈」として怪異課に潜り込み、メリーさんたちを探し当てようとしたこと。そして包囲されている間、復讐のため屋敷にいる怪異を皆殺しにしていたこと。

 

「ごめん。ごめんなさい」

 

 舞は目を伏せ、謝り続けていた。九尾として相まみえたときのような狂気の仮面は跡形もない。おそらくこれが、舞の本当の気持ちなのだろう。舞はあかりの両親を死なせてしまったことを悔やみ、自分を責め続けていた。

 

「私はもう終わりにしてほしかったし……あかりも仇を討てていいかと思って」

 

「それで、あんな演技を?」

 

 こくん、と舞はうなずく。あかりは息を吸い込み──思い切り舞を怒鳴りつけた。

 

「馬鹿! ほんと何してんの! 悲劇のラスボス気取り? 私が気づかなかったら、殺されてたのよ!」

 

「でっ、でも……」

 

「でもじゃない。だいたい、敵役になろうっていうのが大きなお世話なのよ。妙な意地張らずに、全部話して私を頼ればよかった。そんなに私を信用してなかったの?」

 

 舞は言いにくそうにもじもじし始めた。

 

「信用してないわけじゃないけど……これまであかりにしてきたこと言ったら、怒ってたでしょ?」

 

「当たり前よ! てか、今も普通に怒ってるんだけど」

 

「ごめん」

 

「舞が死ぬたびにどんだけ泣かされたと思ってるの。しかも凛の時はわざと私に殺させたでしょ」

 

「うん……ごめん。悪かった。反省してる」

 

「言ったわね」

 

 あかりは舞を抱きしめた。

 

「じゃあもう二度とこんな真似しないで。……居場所なら、私が用意してあげるから」

 

「……居場所?」

 

「あの家、私と光紀で住むには広すぎるの。舞が居たらちょうどいいかも」

 

「私、あかりと一緒にいていいの?」

 

「いいよ。母さんも家族だって言ってたんだし」

 

 すると舞の背中が小刻みに震え、嗚咽が漏れ始めた。彼女の顔を見ると涙でぐちゃぐちゃになっており、しきりに目をこすっていた。舞が泣いているところなど今まで見たことがなかったので、あかりは驚いた。

 

「舞……?」

 

「ごめん。嬉しくて。そっか……私も……一緒にいていいんだ」

 

 その言葉を聞いて、あかりは舞が求めていたものを悟った。彼女は両親が死んでから孤独に苛まれてきたのだろう。だからあかりの前で死に、愛されているかを確かめようとした。だから安心をくれたあかりの両親の死に怒り狂った。

 

 彼女が本当に欲しかったのは、帰る場所と愛してくれる家族だったのだ。

 

 舞はあかりから離れると、涙をぬぐいながら笑った。

 

「あかり……私、こんなに幸せでいいのかな」

 

「うん。いいよ。でも、光紀にはちゃんと説明してね。真白のことトラウマになってるから」

 

「あ、そうか……光紀君にも謝らなきゃね」

 

 舞がばつの悪そうな表情を浮かべた、その瞬間──銃声が響いた。

 

「あれ?」

 

 舞の胸元に赤い染みが広がった。舞は、何が起こっているのか分からないという顔をしていた。

 

「あかり、これって……」

 

 立て続けに2発、3発。舞は踊るようにもんどりうって倒れた。そこでようやく、舞が狙撃されたことに気がついた。

 

 これは白縫の『野鉄砲』。コウモリの骨で出来た呪弾を用い、怪異を数キロ先から狙撃できる呪具だ。彼は包囲網の外から支援狙撃をする役割を与えられていた。だがこんな状況になった以上、彼が指示がなしに攻撃するとは思えない。

 

「……なんで! なんで撃ったんです!」

 

 あかりは振り向き、課長に詰め寄った。課長は指示を出すのに使ったらしい携帯をポケットにしまうと、ため息をついた。

 

「彼女は怪異だ。それ以上の理由がいるかい」

 

「でも、もう戦う意志はなかった! 舞に敵意はなかったんです!」

 

「君の作戦が成功して、彼女の命を君が握っていたからだろ?」

 

「……お言葉ですが、私は彼女の心を読んで、最初から敵意はないと判断しました」

 

「ふむ、でも君は自分がそう思い込まされている可能性があるとは思わないのかね? 油断を誘って反撃のひと噛みを狙っているかもしれない」

 

 課長の言葉はひどく冷たく聞こえた。九尾になっていても舞は舞。あかりはそう思っていたのだが、課長や伊見たちにとっては元人間であったかどうかは問題ではないようだった。

 

「時雨君。怪異を信用するな。甘さが命取りになるから」

 

「……だからって、撃たなくても。生け捕りにすればいいじゃないですか」

 

「できればそうしたいがね。彼女がその気になれば、我々は一瞬で壊滅させられる。一番安全な選択をとったつもりさ」

 

 客観的に見れば、きっと課長の言い分が正しいのだろう。職員の犠牲を出すリスクを冒さず、舞が死ぬまで遠巻きにして眺める。むしろこれだけ用心深くなければあの歳まで生き残れないのかもしれない。

 

 だが、納得はできなかった。確かに舞は善良だとは言いがたい。しかしこんな形で殺されていい者でもないはずだ。

 

 あかりは舞に駆け寄り、抱き起こした。綺麗だった着物は見る影もなく、鮮血で染め上げられている。

 

「……舞! 大丈夫?」

 

「あかり。血が……止まらないわ」

 

 舞は手のひらにべったりとついた血を見ていた。これは助からない。あかりは舞の傷口から目をそむけたくなった。

 

「い、生き返ったらいいじゃない」

 

「……さっき話してる途中で言ったでしょ。九尾になると、もう生き返れないって」

 

「あは、それも……嘘なんでしょ」

 

 舞は何も言わなかった。あかりも分かっていた。御剣舞は死を迎える。今までのような仮初めの死ではない、本物の消滅。それが彼女を待ち受けている運命だった。

 

「……ここで私、死ぬのかあ」

 

 舞はあかりに抱かれながらぽつりとつぶやいた。そしてあかりの眼を真っすぐ見つめ──ぐしゃりと悔しそうに顔を歪めた。

 

「せっかく、あかりと一緒にいられると思ったのに」

 

 ぱき、という音が聞こえた。あかりがそちらに目を向けると、放り出された左手の指先が石になっていた。討たれた九尾が石になったという伝承通り、みるみるうちに舞の手が、脚が、石化していく。

 

「舞……」

 

 あかりは舞の顔を見て、はっとした。舞の顔には、今まで見たことのないほど深い恐怖と絶望が刻まれていた。

 

「私、あかりと一緒にいたいよ。……やだ。死にたくない。死にたくない!」

 

 舞は絶叫していた。血を吐くのも気にせず、無様にあがく。あかりは自分の無力を呪った。

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ! あかり……ねえ、約束したよね。私たち、一緒に居られるよね」

 

 すがるような目で見つめられ、あかりは後悔した。どうしてあのまま死なせてやらなかったのだろう。舞は生きる希望を与えられてから命を取り上げられるのだ。普通に殺されるよりも何倍も残酷。あかりが舞の意図に気づかなければ、いや、気づいてもそのまま舞の思い通りに殺してあげればこんなことにはならなかったのだろうか。

 

「……うん、一緒にいるよ」

 

 あなたが死ぬまで、という言葉を罪悪感とともに飲み込んだ。舞はかちかちと歯を鳴らしながら、ぎゅうっとあかりの身体を強く抱いた。

 

「寒い……」

 

 すでに舞の身体は胸まで石になっていた。無機質で硬い彼女の身体の感触から、死の気配が伝わってくる。

 

「……マフラー貸してあげる」

 

 まだ石になっていない首元にマフラーを巻くと、舞は静かになった。もう泣きわめく体力も残っていないらしい。

 

「悔しいなあ。どうしてこうなっちゃったんだろ。……いっぱい、いっぱいノートを貰ったのに、落書きだけして……使い切っちゃったって感じ」

 

 舞はあかりを見上げ、弱弱しく笑う。

 

「私も、やり直したいことがたくさんある……たくさん……ッ」

 

 鼻の奥がつんとした。両親と「真白」が死んだときにもう泣かないと決めたのに。今まで泣かなかったのに、抑えきれなくなった。頬を伝った涙が舞の胸に落ちる。

 

 それを見ていた舞は、ぽつりと言った。

 

「そろそろ時間か。ああ、もっといっぱいあかりと話したかったのになあ」

 

「……じゃあ、私がいろいろ話すよ。そっちの方が寂しくないよね」

 

「いいわね。お願い」

 

 舞が目を閉じ力を抜くと、あかりは舞との思い出をとりとめもなく話しはじめた。楽しかった記憶。悲しかった記憶。眠りにつく子どもに御伽噺を聞かせるように語る。

 

 途中から声帯が石になり舞の相槌が消えても、彼女に残された最後の感覚器官──聴覚で孤独を慰めるために話し続けた。

 

「でさ、凛が映画選んでたときに思ってたんだけ……ど……」

 

 それからどれくらい時間がたっただろうか。ふと舞を見ると、彼女はすでに彫像と化していた。

 

最後まで聞いていたのだろうか。一瞬だけそう思ったが、彼女の顔を見るとその心配は霧消した。

 

 

 

 安らかな笑顔だった。

 

 

 

「……おやすみ、舞」

 

 あかりが声をかけた瞬間、それを待っていたかのように舞の体に無数のヒビが入り、砕け散った。腕の中からぼろぼろと崩れ落ちていく舞だったものを見つめながら、あかりは涙をぬぐう。

 

 

 

 こうしてあかりは、御剣舞──親友にして、相棒にして、家族だった少女を永遠に失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉ちゃん、飯、作り置きしといたから。起きたら食ってよ」

 

「ううーん、ありがとう」

 

「じゃ、行ってきます!」

 

「いってらっしゃい……ふわぁぁ」

 

 あかりはもぞもぞとベッドの中で体を動かした。しょぼしょぼした目で時計を見ると、午前10時だった。

 

「……二度寝、しよ」

 

 舞の死から3年。あかりは高校を卒業し、正式な怪異課の職員として働き始めていた。そのため昼夜が完全に逆転し吸血鬼のような生活サイクルになってしまっていた。

 

 1時を回った頃にようやく目覚め、着替えてダイニングへ降りていく。テーブルの上にはサンドイッチが置かれていた。

 

(気を使わなくていいのに)

 

 光紀は、自分を大学に行かせるために進学をあきらめたあかりに対して負い目を感じているらしく、あかりが寝ている間に掃除をしたり食事を作ったりして出かけていく。食事は自分で用意するから準備しなくてもいい、と言ってもそれだけは欠かさないのだ。

 

「まあ、私が作るより美味しいからいいんだけど……今日くらい休みなさいって感じよね」

 

 卵サンドを食べながらあかりはため息をついた。昨日の夜の浮かれ具合から考えるに、今日は学校の女子とのデートだろう。

 

 部屋で静かに過ごしているとたまにひそひそ声の通話が聞こえてくるし、あかり宛てではない女もののハンカチを買っていたので弟に彼女ができたのだろうということは、とうに気づいていた。

 

 ちなみに相手がどんな子なのかも知っている。たまたまファミレスの近くを歩いていたときに、店内で光紀と同じ学校の制服を着た女子と彼が談笑しているのを見たからである。ちらりと相手の少女の顔を見て、あかりは思わず笑ってしまった。

 

 その女子の背格好と容姿が少し真白に似ていたから。

『光紀くん、そういうことかー……ふふ、もしうまくいってたら、私があかりの妹になってたのかな』

 

 

 あかりが食事を終え、さあテレビでも観ようかと思ったそのとき、電話がかかって来た。

 

「もしもし? 時雨です」

 

『その声は、あかり君か。丑三だ。休日中にすまない。さきほど、危険な怪異の目撃情報があったから、捜索して駆除してほしい』

 

「課長、私が正規職員になってからほんと人使い荒いですよね」

 

『……手当ははずむよ。今回はちょっとばかり厄介でね。3年前の事件を覚えているかい?』

 

「忘れようがないですよ」

 

『そうか。あのとき、九尾に殺されたと思っていた怪異が一匹、生き延びていたらしくてね。「天狗」……隠れ蓑で透明になるヤツらしい』

『討ち漏らしちゃってたか。ほんとすみませんって感じね』

 舞はメリーさん一派を皆殺しにしたと言っていたが、「天狗」だけは透明化することで難を逃れられたのだろう。しかもドッペル凛が警戒すべき相手として挙げていた以上、それなりに強い相手であるはず。

 

『3時までに課に来てくれ。作戦を伝えるから』

 

 言うだけ言って課長の電話は切れた。

 

 話を聞いてしまった以上、断るわけにもいかない。あかりはしかたなく自分の部屋に戻ると、手袋とマフラーを身に着け、黒く光る水晶──殺生石がジーンズのポケットに入っていることを確かめる。

 

 実は3年前、舞が死んだ直後に見つけたこの魔石をあかりは黙って懐に入れていた。常識的に考えれば、こんな呪物は課長に渡して上層部に処理の判断は委ねるべきだっただろう。

 

 そうしなかった理由、それは仕事で死ぬリスクを無くせるというのもあるが、一番は舞が生きた証を彼女を殺した者に引き渡したくないという子どもじみた理屈だった。

 

 

 

 

(……今日は、死なないといいな)

 

 あかりは家を出た瞬間差してきた眩い日光に目を細めながら、そう思う。舞が死んでからの3年間、仕事をしていく中であかりは何度も死を経験していた。職員不足で以前より単独で行動することが増えたためだろう、不意をつかれてやられることがよくあった。

 

 しかし何より怖いのは死ぬことではない。実際に死んで分かったが、蘇生するたびに死への恐怖が薄れ、慣れてしまうのだ。きっと舞も同じような具合で死に慣れていき、その果てに九尾になってしまったのだろう。

 

 舞と同じ運命をたどりたくはなかったが、少なくとも光紀が独り立ちするまでは実入りのいい課の仕事をやめるわけにはいかないし、殺生石を使わないわけにもいかない。

 

(私の残り……あと何回なんだろ)

 

 不安を押さえ込みながら人ごみを歩く。もし舞が居たら。一緒にいて相談できたら。何度そう思っただろう。今のあかりの苦しみを理解してくれるとしたら、きっと彼女だけ。

 

 あかりはまた舞のことを思い出していたことに気づき、ぶんぶんと頭を振った。

 

(……舞は死んだんだ)

 

 そう思いながらも、心のどこかでは「やっほー」などとのたまいながら、舞がひょっこりと現れてくれるのではないかと期待してしまう。

『期待に応えてあげようかな』

 彼女が何度も死んだふりをしてくれたせいだろう。あれのせいで、本当は舞がどこかで生きているのではないかと想像してしまうのだ。あかりがもっている殺生石が、それがありえないことの確たる証拠なのに。

『できるか? 狐化しておらんと、よほどあちらから見ようとせん限り妾たちは見えんぞ?』

 とん。

 

 そのとき、すれ違った誰かに肩を叩かれたような気がしてあかりはうつむき加減だった顔を上げた。視界の端に映ったのはつややかな長い黒髪。

 

 あかりが後ろを見ると、彼女──御剣舞が、いたずらっ子のように笑ってこちらを見ていた。

『え?』

「え?」

『まさか、一瞬とはいえ本当に見えるとはの』

 だが、瞬きをすると彼女の姿はもう無かった。最初からそこに誰もいないのが当然というような顔をして、街路樹が寂しく立っているだけだった。

『……これ、頑張ったらあかりと話せるかな』

「……生き返ったの?」

『できなくはないじゃろ』

 あるいは、幻覚かもしれない。……いや、生き返ったと思った方が元気が出るから、そういうことにしておこうか。

『……そっか。あかり、待ってて。絶対私、会いに行くから』

 あかりは上着のポケットに入れた殺生石を握りしめ、人ごみを歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 




性癖シチュ発表会を読んでくださりありがとうございました。





その他補足・思ったこと

・最後のシーン 反転できる。

・ドローン 飛行機の電気系統に憑りついて遠出したメリーさんが海外から盗んできた。充電がもたないため拠点の近くでなければ運用できない。

・舞が風呂場で歌っていた歌 ミュージカル映画「アニー」の主題歌TOMMORW。映画本編は両親を失った少女アニーが新しい家族を手に入れるまでの話。

・九尾化してから舞が食べた遺体 あかりの両親にしておけばよかった。

・九尾の狐 国を傾けるほど愛された伝説から。愛されたいという舞の気持ちを体現した怪異。

・ラインケ狐 出ない。ヨーロッパの童話に登場する悪辣な狐。フレーバーテキスト。

・八岐大蛇 出ない。大妖の基準は昔の王権と関係する存在ということを暗示するだけのフレーバーテキスト。

・屋敷に残された呪具のその後 怪異に見つかり破壊された。

・銀の首飾り 凛の遺体とともに荼毘に付された。

・凛の遺産 一部真白への支出に充てられた。

・空気中の瘴気 一話の%表記は中二感を出すために使ったが途中から忘れ去られた。

・犬神 相手を刺すだけで傷が癒えるのならメインウェポンではなく回復用にもっとけばいいのでは? と後から思った。真白マフラーの件で呪具の適合がどうとか言ってたのはこれのせい

・舞 メンヘラムーブをかますラスボス(?)。強さはインフレしたが精神的にはあまり成長しなかった。本編のエンド以外に「これまでのことを全て許されてあかりと一緒に暮らしハッピーエンド」と「国に管理・実験の対象にされて廃人化→哀れに思ったあかりに止めをさされバッドエンド」があった。

・あかり 徹頭徹尾曇らせの被害者。あまり戦闘能力は変わらなかったものの精神だけは成長した。

・舞の両親 出ない。御剣冬馬、御剣亜依という名前だけは設定してある。両親やそれなりの生活が主人公にあると、曇らせのためだけにそれを放り出すのが不自然になるので物語スタート前に死んだ。



没シチュ
・あかりの目の前で凛がレイプされる。あかりは助けられなかったことと自分がこんな目に遭わなくてよかったと思ってしまったことで自己嫌悪に陥る
・男に化けてあかりと付き合い始めたところで惨殺
・薬で体がぼろぼろになった真白があかりの耳元で「許さない」と言って息を引き取る。心の底で憎まれていたことを知り、あかりは謝り続けながら真白を看取る。




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